霊界物語 第四八巻 舎身活躍 亥の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第四八巻』愛善世界社
2003(平成15)年11月02日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年09月20日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|総説《そうせつ》
第一篇 |変現乱痴《へんげんらんち》
第一章 |聖言《せいげん》〔一二五五〕
第二章 |武乱泥《ぶらんでい》〔一二五六〕
第三章 |観音経《くわんのんきやう》〔一二五七〕
第四章 |雪雑寝《ゆきざこね》〔一二五八〕
第五章 |鞘当《さやあて》〔一二五九〕
第六章 |狂転《きやうてん》〔一二六〇〕
第二篇 |幽冥摸索《いうめいもさく》
第七章 |六道《ろくだう》の|辻《つじ》〔一二六一〕
第八章 |亡者苦雑《もさくさ》〔一二六二〕
第九章 |罪人橋《ざいにんばし》〔一二六三〕
第三篇 |愛善信真《あいぜんしんしん》
第一〇章 |天国《てんごく》の|富《とみ》〔一二六四〕
第一一章 |霊陽山《れいやうざん》〔一二六五〕
第一二章 |西王母《せいわうぼ》〔一二六六〕
第一三章 |月照山《げつせうざん》〔一二六七〕
第一四章 |至愛《しあい》〔一二六八〕
第四篇 |福音輝陣《ふくいんきぢん》
第一五章 |金玉《きんたま》の|辻《つじ》〔一二六九〕
第一六章 |途上《とじやう》の|変《へん》〔一二七〇〕
第一七章 |甦生《かうせい》〔一二七一〕
第一八章 |冥歌《めいか》〔一二七二〕
第一九章 |兵舎《へいしや》の|囁《ささやき》〔一二七三〕
第二〇章 |心《こころ》の|鬼《おに》〔一二七四〕
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|序文《じよぶん》
|社会《しやくわい》の|一般的《いつぱんてき》|傾向《けいかう》が、|漸《やうや》く|民衆的《みんしうてき》になりつつあると|共《とも》に、|宗教的《しうけうてき》|信仰《しんかう》も|強《あなが》ち|寺院《じゐん》や|教会《けうくわい》に|依頼《いらい》せず、|各自《かくじ》の|精神《せいしん》に|最《もつと》も|適合《てきがふ》する|所《ところ》を|求《もと》めて|其《その》|粗弱《そじやく》なる|精霊《せいれい》の|満足《まんぞく》を|図《はか》らむとするの|趨勢《すうせい》となりつつあるやうだ。|宣伝使《せんでんし》や|僧侶《そうりよ》の|説《と》く|処《ところ》を|聴《き》きつつ|己《おの》れ|自《みづか》ら|神霊《しんれい》の|世界《せかい》を|想像《さうざう》し|之《これ》を|語《かた》りて、|所謂《いはゆる》|自由《じいう》|宗教《しうけう》の|殿堂《でんだう》を|各自《かくじ》に|精神内《せいしんない》に|建設《けんせつ》せむとする|時代《じだい》である。|既成《きせい》|宗教《しうけう》の|経典《きやうてん》に|何事《なにごと》が|書《か》いてあらうが、|自《みづか》ら|認《みと》めて|合理的《がふりてき》とし、|詩的《してき》とする|処《ところ》を|読《よ》み、|世界《せかい》の|何処《どこ》かに|真《しん》の|宗教《しうけう》を|見出《みいだ》さむものとして|居《ゐ》る、|今日《こんにち》|広《ひろ》く|芸術《げいじゆつ》|趣味《しゆみ》の|拡《ひろ》まりつつあるのは|宗教《しうけう》|趣味《しゆみ》の|薄《うす》らいだ|所《ところ》を|補《おぎな》ふやうになつてゐる。|従前《じゆうぜん》の|宗教《しうけう》は|政治的《せいぢてき》であり|専制的《せんせいてき》なりしに|引替《ひきか》へ、|現今《げんこん》は|芸術的《げいじゆつてき》であり|民衆的《みんしうてき》となつて|来《き》たのも、|天運循環《てんうんじゆんくわん》の|神律《しんりつ》に|由《よ》つて|仁慈《みろく》|出現《しゆつげん》の|前提《ぜんてい》と|謂《い》つても|良《よ》いのである。
この|霊界物語《れいかいものがたり》も|亦《また》|極《きは》めて|民衆的《みんしうてき》に|且《か》つ|芸術的《げいじゆつてき》に、|惟神《かむながら》の|時機《じき》を|得《え》て|大神《おほかみ》より|直接《ちよくせつ》|間接《かんせつ》の|方法《はうはふ》を|以《もつ》て|現代《げんだい》|並《ならび》に|末代《まつだい》の|人生《じんせい》に|対《たい》し、|深遠《しんゑん》なる|神理《しんり》を|宣示《せんじ》し|且《か》つ|之《これ》を|伝達《でんたつ》せしめ|給《たま》うたのであります。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
大正十二年一月十二日 王仁識
|総説《そうせつ》
|現時《げんじ》|欧米《おうべい》|諸国《しよこく》に|於《お》ける|霊魂学《れいこんがく》に|関《くわん》する|研究《けんきう》は|漸《やうや》く|盛《さか》んになり、|哲学界《てつがくかい》、|文学界《ぶんがくかい》、|実業界《じつげふかい》|等《とう》に|於《おい》て|学識《がくしき》|人格《じんかく》|共《とも》に|世界的《せかいてき》|定評《ていひやう》ある|知名《ちめい》の|士《し》|即《すなは》ちロツヂ、ジエームス、ロムブロゾー、マーテルリンク、フラマリオン、ヒスロツプ、コナン・ドイル、ヘーア、バアレツト、クロフオード、チエリス、クルツクス、ヘンスロー、メーオ|等《とう》の|研鑽《けんさん》によりて|発表《はつぺう》される|言論《げんろん》|文章《ぶんしやう》を|以《もつ》て|唯一《ゆゐいつ》の|研究《けんきう》|材料《ざいれう》となし、|心霊《しんれい》の|情態《じやうたい》を|探《さぐ》らむとするもの、|吾国《わがくに》|学者《がくしや》|有識者《いうしきしや》の|間《あひだ》に|其《その》|萌芽《はうが》を|見《み》るに|至《いた》つたのは、|霊界《れいかい》のために|実《じつ》に|欣喜《きんき》の|至《いた》りである。|併《しか》し|日本人《につぽんじん》の|通弊《つうへい》は|何事《なにごと》も|外来品《ぐわいらいひん》を|尊重《そんちよう》し、|自国品《じこくひん》を|軽視《けいし》するを|以《もつ》て|文明人士《ぶんめいじんし》の|採《と》るべき|態度《たいど》となし、|如何《いか》なる|哲理《てつり》と|雖《いへど》も、|外人《ぐわいじん》の|口《くち》と|手《て》を|通《とほ》したものでなければ|信《しん》じられないのだから、|実《じつ》に|困《こま》つたものである。この|霊界物語《れいかいものがたり》も|右《みぎ》に|列挙《れつきよ》せる|欧米《おうべい》|学者《がくしや》の|口《くち》より|出《い》で|手《て》に|成《な》りしものならむには、|軽薄《けいはく》な|日本人《につぽんじん》には|或《あるひ》は|尊重《そんちよう》され|歓喜《くわんき》を|以《もつ》て|迎《むか》へらるるであらうが、|惜《を》しむ|可《べ》し、|純粋《じゆんすゐ》なる|日本人《につぽんじん》の|口《くち》より|出《い》でたるを|以《もつ》て|邦人《ほうじん》には|顧《かへり》みられないのである。
◇|本巻《ほんくわん》は|三日間《みつかかん》にして|口述《こうじゆつ》|筆記《ひつき》せり。
大正十二年一月十二日 於湯ケ島 王仁識
第一篇 |変現乱痴《へんげんらんち》
第一章 |聖言《せいげん》〔一二五五〕
|宇宙《うちう》には|霊界《れいかい》と|現界《げんかい》との|二《ふた》つの|区界《くかい》がある。|而《しか》して|霊界《れいかい》には|又《また》|高天原《たかあまはら》と|根底《ねそこ》の|国《くに》との|両方面《りやうはうめん》があり、|此《この》|両方面《りやうはうめん》の|中間《ちうかん》に|介在《かいざい》する|一《ひと》つの|界《かい》があつて、これを|中有界《ちううかい》|又《また》は|精霊界《せいれいかい》と|云《い》ふのである。|又《また》|現界《げんかい》|一名《いちめい》|自然界《しぜんかい》には|昼夜《ちうや》の|区別《くべつ》があり|寒暑《かんしよ》の|区別《くべつ》があるのは、|恰《あだか》も|霊界《れいかい》に|天界《てんかい》と|地獄界《ぢごくかい》とあるに|比《ひ》すべきものである。|人間《にんげん》は|霊界《れいかい》の|直接《ちよくせつ》|又《また》は|間接内流《かんせつないりう》を|受《う》け、|自然界《しぜんかい》の|物質《ぶつしつ》|即《すなは》ち|剛柔流《がうじうりう》の|三大元質《さんだいげんしつ》によつて、|肉体《にくたい》なるものを|造《つく》られ、|此《この》|肉体《にくたい》を|宿《やど》として、|精霊《せいれい》|之《これ》に|宿《やど》るものである。|其《その》|精霊《せいれい》は|即《すなは》ち|人間《にんげん》|自身《じしん》なのである。|要《えう》するに|人間《にんげん》の|躯殻《くかく》は|精霊《せいれい》の|居宅《きよたく》に|過《す》ぎないのである。|此《この》|原理《げんり》を|霊主体従《れいしゆたいじう》といふのである。|霊《れい》なるものは|神《かみ》の|神格《しんかく》なる|愛《あい》の|善《ぜん》と|信《しん》の|真《しん》より|形成《けいせい》されたる|一個体《いちこたい》である。|而《しか》して|人間《にんげん》には|一方《いつぱう》に|愛信《あいしん》の|想念《さうねん》あると|共《とも》に、|一方《いつぱう》には|身体《しんたい》を|発育《はついく》し|現実界《げんじつかい》に|生《い》き|働《はたら》くべき|体慾《たいよく》がある。|此《この》|体慾《たいよく》は|所謂《いはゆる》|愛《あい》より|来《きた》るのである。|併《しか》し|体《たい》に|対《たい》する|愛《あい》は|之《これ》を|自愛《じあい》といふ。|神《かみ》より|直接《ちよくせつ》に|来《きた》る|所《ところ》の|愛《あい》は|之《これ》を|神愛《しんあい》といひ、|神《かみ》を|愛《あい》し|万物《ばんぶつ》を|愛《あい》する、|所謂《いはゆる》|普遍愛《ふへんあい》である。|又《また》|自愛《じあい》は|自己《じこ》を|愛《あい》し、|自己《じこ》に|必要《ひつえう》なる|社会的《しやくわいてき》|利益《りえき》を|愛《あい》するものであつて、|之《これ》を|自利心《じりしん》といふのである。|人間《にんげん》は|肉体《にくたい》のある|限《かぎ》り、|自愛《じあい》も|又《また》|必要《ひつえう》|欠《か》くべからざるものであると|共《とも》に、|人《ひと》は|其《その》|本源《ほんげん》に|遡《さかのぼ》り、どこ|迄《まで》も|真《しん》の|神愛《しんあい》に|帰正《きせい》しなくてはならぬのである。|要《えう》するに|人間《にんげん》は|霊界《れいかい》より|見《み》れば|即《すなは》ち|精霊《せいれい》であつて、|此《この》|精霊《せいれい》なるものは|善悪《ぜんあく》|両方面《りやうはうめん》を|抱持《はうぢ》してゐる。|故《ゆゑ》に|人間《にんげん》は|霊的動物《れいてきどうぶつ》なると|共《とも》に|又《また》|体的動物《たいてきどうぶつ》である。|精霊《せいれい》は|或《あるひ》は|向上《かうじやう》して|天人《てんにん》となり、|或《あるひ》は|堕落《だらく》して|地獄《ぢごく》の|邪鬼《じやき》となる、|善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|分水嶺《ぶんすゐれい》に|立《た》つてゐるものである。|而《しか》して|大抵《たいてい》の|人間《にんげん》は|神界《しんかい》より|見《み》れば、|人間《にんげん》の|肉体《にくたい》を|宿《やど》として|精霊界《せいれいかい》に|彷徨《はうくわう》してゐるものである。|而《しか》して|精霊《せいれい》の|善《ぜん》なるものを|正守護神《せいしゆごじん》といひ、|悪《あく》なるものを|副守護神《ふくしゆごじん》と|云《い》ふ。|正守護神《せいしゆごじん》は|神格《しんかく》の|直接内流《ちよくせつないりう》を|受《う》け、|人身《じんしん》を|機関《きくわん》として|天国《てんごく》の|目的《もくてき》|即《すなは》ち|御用《ごよう》に|奉仕《ほうし》すべく|神《かみ》より|造《つく》られたもので、|此《この》|正守護神《せいしゆごじん》は|副守護神《ふくしゆごじん》なる|悪霊《あくれい》に|犯《をか》されず、よく|之《これ》を|統制《とうせい》し|得《う》るに|至《いた》れば、|一躍《いちやく》して|本守護神《ほんしゆごじん》となり|天人《てんにん》の|列《れつ》に|加《くは》はるものである。|又《また》|悪霊《あくれい》|即《すなは》ち|副守護神《ふくしゆごじん》に|圧倒《あつたふ》され、|彼《かれ》が|頤使《いし》に|甘《あま》んずる|如《ごと》き|卑怯《ひけふ》なる|精霊《せいれい》となる|時《とき》は、|精霊《せいれい》|自《みづか》らも|地獄界《ぢごくかい》へ|共々《ともども》におとされて|了《しま》ふのである。|此《この》|時《とき》は|殆《ほとん》ど|善《ぜん》の|精霊《せいれい》は|悪霊《あくれい》に|併合《へいがふ》され、|副守護神《ふくしゆごじん》のみ|我物顔《わがものがほ》に|跋扈跳梁《ばつこてうりやう》するに|至《いた》るものである。そして|此《この》|悪霊《あくれい》は|自然界《しぜんかい》に|於《お》ける|自愛《じあい》の|最《もつと》も|強《つよ》きもの|即《すなは》ち|外部《ぐわいぶ》より|入《い》り|来《きた》る|諸々《もろもろ》の|悪《あく》と|虚偽《きよぎ》に|依《よ》つて、|形作《かたちづく》られるものである。かくの|如《ごと》き|悪霊《あくれい》に|心身《しんしん》を|占領《せんりやう》された|者《もの》を|称《しよう》して、|体主霊従《たいしゆれいじう》の|人間《にんげん》といふのである。|又《また》|善霊《ぜんれい》も|悪霊《あくれい》も|皆《みな》|之《これ》を|一括《いつくわつ》して|精霊《せいれい》といふ。|現代《げんだい》の|人間《にんげん》は|百人《ひやくにん》が|殆《ほとん》ど|百人《ひやくにん》|迄《まで》、|本守護神《ほんしゆごじん》たる|天人《てんにん》の|情態《じやうたい》なく、|何《いづ》れも|精霊界《せいれいかい》に|籍《せき》をおき、そして|精霊界《せいれいかい》の|中《なか》でも|外分《ぐわいぶん》のみ|開《ひら》けてゐる、|地獄界《ぢごくかい》に|籍《せき》をおく|者《もの》、|大多数《だいたすう》を|占《し》めてゐるのである。|又《また》|今日《こんにち》のすべての|学者《がくしや》は|宇宙《うちう》の|一切《いつさい》を|解釈《かいしやく》せむとして|非常《ひじやう》に|頭脳《づなう》をなやませ、|研究《けんきう》に|研究《けんきう》を|重《かさ》ねてゐるが、|彼等《かれら》は|霊的事物《れいてきじぶつ》の|何物《なにもの》たるを|知《し》らず、|又《また》|霊界《れいかい》の|存在《そんざい》をも|覚知《かくち》せない|癲狂痴呆的《てんきやうちはうてき》|態度《たいど》を|以《もつ》て、|宇宙《うちう》の|真相《しんさう》を|究《きは》めむとしてゐる。|之《これ》を|称《しよう》して|体主霊従的《たいしゆれいじうてき》|研究《けんきう》といふ。|甚《はなは》だしきは|体主体従的《たいしゆたいじゆうてき》|研究《けんきう》に|堕《だ》して|居《ゐ》るものが|多《おほ》い。|何《いづ》れも『|大本神諭《おほもとしんゆ》』にある|通《とほ》り、|暗《くら》がりの|世《よ》、|夜《よる》の|守護《しゆご》の|副守護神《ふくしゆごじん》ばかりである。|途中《とちう》の|鼻高《はなだか》と|書《か》いてあるのは、|所謂《いはゆる》|天国《てんごく》|地獄《ぢごく》の|中途《ちうと》にある|精霊界《せいれいかい》に|迷《まよ》うてゐる|盲《めくら》|共《ども》のことである。
すべて|宇宙《うちう》には|霊界《れいかい》、|現界《げんかい》の|区別《くべつ》ある|以上《いじやう》は、|到底《たうてい》|一方《いつぱう》のみにて|其《その》|真相《しんさう》を|知《し》ることは|出来《でき》ない。|自然界《しぜんかい》の|理法《りはふ》に|基《もとづ》く|所謂《いはゆる》|科学的《くわがくてき》|知識《ちしき》を|以《もつ》て、|無限絶体《むげんぜつたい》|無始無終《むしむしう》、|不可知《ふかち》|不可測《ふかそく》の|霊界《れいかい》の|真相《しんさう》を|探《さぐ》らむとするは、|実《じつ》に|迂愚癲狂《うぐてんきやう》も|甚《はなはだ》しといはねばならぬ。|先《ま》づ|現代《げんだい》の|学者《がくしや》はその|頭脳《づなう》の|改造《かいざう》をなし、|霊的《れいてき》|事物《じぶつ》の|存在《そんざい》を|少《すこ》しなりとも|認《みと》め、|神《かみ》の|直接内流《ちよくせつないりう》に|依《よ》つて|真《しん》の|善《ぜん》を|知《し》り、|真《しん》の|真《しん》を|覚《さと》るべき|糸口《いとぐち》を|捕捉《ほそく》せなくては、|黄河《くわうが》|百年《ひやくねん》の|河清《かせい》をまつやうなものである。|今日《こんにち》の|如《ごと》き|学者《がくしや》の|態度《たいど》にては、|仮令《たとへ》|幾百万年《いくひやくまんねん》|努力《どりよく》するとも、|到底《たうてい》|其《その》|目的《もくてき》は|達《たつ》することを|得《え》ないのである。|夏《なつ》の|虫《むし》が|冬《ふゆ》の|雪《ゆき》を|信《しん》ぜない|如《ごと》く、|今日《こんにち》の|学者《がくしや》は|其《その》|智《ち》|暗《くら》く|其《その》|識《しき》|浅《あさ》く、|且《かつ》|驕慢《けうまん》にして|自尊心《じそんしん》|強《つよ》く、|何事《なにごと》も|自己《じこ》の|知識《ちしき》を|以《もつ》て、|宇宙《うちう》|一切《いつさい》の|解決《かいけつ》がつくやうに、|否《いな》|殆《ほとん》どついたものの|様《やう》に|思《おも》つてゐるから、|実《じつ》にお|目出度《めでた》いといはねばならぬのである。|天体《てんたい》の|運行《うんかう》や|大地《だいち》の|自転《じてん》|運動《うんどう》や、|月《つき》の|循行《じゆんかう》、|寒熱《かんねつ》の|原理《げんり》|等《など》に|就《つ》いても、|未《ま》だ|一《いつ》として|其《その》|真《しん》を|得《え》たものは|見当《みあた》らない。|徹頭徹尾《てつとうてつび》、|矛盾《むじゆん》と|撞着《どうちやく》と、|昏迷惑乱《こんめいわくらん》とに|充《み》たされ、|暗黒無明《あんこくむみやう》の|域《ゐき》に|彷徨《はうくわう》し、|太陽《たいやう》の|光明《くわうみやう》に|反《そむ》き、|僅《わづ》かに|陰府《いんぷ》の|鬼火《おにび》の|影《かげ》を|認《みと》めて、|大発明《だいはつめい》でもしたやうに|騒《さわ》ぎまはつてゐるその|浅《あさ》ましさ、|少《すこ》しでも|証覚《しようかく》の|開《ひら》けたものの|目《め》より|見《み》る|時《とき》は、|実《じつ》に|妖怪変化《えうくわいへんげ》の|夜行《やかう》する|如《ごと》き|状態《じやうたい》である。|現実界《げんじつかい》の|尺度《しやくど》はすべて|計算的《けいさんてき》|知識《ちしき》によつて|其《その》|或《ある》|程度《ていど》までは|考察《かうさつ》し|得《え》られるであらう。|併《しか》し|何程《なにほど》|数学《すうがく》の|大博士《だいはくし》と|雖《いへど》も、|其《その》|究極《きうきよく》する|所《ところ》は、|到底《たうてい》|割《わ》り|切《き》れないのである。|例《たと》へば|十《じふ》を|三分《さんぶん》し、|順《じゆん》を|追《お》うて、|追々《おひおひ》|細分《さいぶん》し|行《ゆ》く|時《とき》は、|其《その》|究極《きうきよく》する|所《ところ》は、ヤハリ|細微《さいび》なる|一《いち》といふものが|残《のこ》る。|此《この》|一《いち》は|何程《なにほど》|鯱矛立《しやちほこだち》になつて|研究《けんきう》しても|到底《たうてい》|能《あた》はざる|所《ところ》である。|自然界《しぜんかい》にあつて|自然的《しぜんてき》|事物《じぶつ》|即《すなは》ち|科学的《くわがくてき》|研究《けんきう》をどこ|迄《まで》|進《すす》めても、|解決《かいけつ》がつかないやうな|愚鈍《ぐどん》な|暗冥《あんめい》な|知識《ちしき》を|以《もつ》て、|焉《いづく》んぞ|霊界《れいかい》の|消息《せうそく》|門内《もんない》に|一歩《いつぽ》たりとも|踏《ふ》み|入《い》ることが|出来《でき》ようか。|口述者《こうじゆつしや》が|霊界《れいかい》より|大神《おほかみ》の|愛善《あいぜん》と|信真《しんしん》より|成《な》れる|神格《しんかく》の|直接内流《ちよくせつないりう》や|其《その》|他《た》|諸天使《しよてんし》の|間接内流《かんせつないりう》に|仍《よ》つて、|暗迷愚昧《あんめいぐまい》なる|現界人《げんかいじん》に|対《たい》し、|霊界《れいかい》の|消息《せうそく》を|洩《も》らすのは、|何《なん》だか|豚《ぶた》に|真珠《しんじゆ》を|与《あた》ふる|様《やう》な|心持《こころもち》がする。かく|言《い》へば|瑞月《ずゐげつ》は|癲狂者《てんきやうしや》|或《あるひ》は|誇大妄想狂《こだいまうさうきやう》として、|一笑《いつせう》に|附《ふ》するであらう。|併《しか》し|乍《なが》ら|自分《じぶん》の|目《め》より|見《み》れば、|現代《げんだい》の|学者《がくしや》|位《くらゐ》|始末《しまつ》の|悪《わる》い、|分《わか》らずやはないと|思《おも》ふ。プラス、マイナスを|唯一《ゆゐいつ》の|武器《ぶき》として、|絣《かすり》や|金米糖《こんぺいたう》を|描《ゑが》き、|現界《げんかい》の|研究《けんきう》さへも|未《ま》だ|其《その》|門戸《もんこ》に|達《たつ》してゐない|自称《じしよう》|学者《がくしや》が、|霊界《れいかい》のことに|嘴《くちばし》を|容《い》れて|審神者《さには》をしようとするのだから、|実《じつ》に|滑稽《こつけい》である。|故《ゆゑ》に|此《この》『|霊界物語《れいかいものがたり》』も|之《これ》を|読《よ》む|人々《ひとびと》の|智慧証覚《ちゑしようかく》の|度合《どあひ》の|如何《いかん》によつて、|其《その》|神霊《しんれい》の|感応《かんのう》に|応《おう》ずる|程度《ていど》に、|幾多《いくた》の|差等《さとう》が|生《しやう》ずるのは|已《や》むを|得《え》ないのである。
|宇宙《うちう》の|真理《しんり》は|開闢《かいびやく》の|始《はじ》めより、|億兆万年《おくてうまんねん》の|末《すゑ》に|至《いた》るも、|決《けつ》して|微塵《みじん》の|変化《へんくわ》もないものである。|併《しか》し|乍《なが》ら|之《これ》に|相対《あひたい》する|人間《にんげん》の|智慧証覚《ちゑしようかく》の|賢愚《けんぐ》の|度《ど》によつて、|種々雑多《しゆじゆざつた》に|映《えい》ずるのであつて、つまり|其《その》|変化《へんくわ》は|真理《しんり》そのものにあらずして、|人間《にんげん》の|知識《ちしき》そのものにあることを|知《し》らねばならぬのである。もし|現代《げんだい》の|人間《にんげん》が|大神《おほかみ》の|直接《ちよくせつ》|統治《とうち》し|給《たま》ふ|天界《てんかい》の|団体《だんたい》に|籍《せき》をおき、|天人《てんにん》の|列《れつ》に|加《くは》はることを|得《え》たならば、|現代《げんだい》の|学者《がくしや》の|如《ごと》く|無性《むしやう》|矢鱈《やたら》に|頭脳《づなう》を|悩《なや》まし、|心臓《しんざう》を|痛《いた》め|肺臓《はいざう》を|破《やぶ》り、|神経《しんけい》|衰弱《すゐじやく》を|来《きた》さなくても、|容易《ようい》に|明瞭《めいれう》に|宇宙《うちう》の|組織《そしき》|紋理《もんり》が|判知《はんち》さるるのである。
|憎《にく》まれ|口《ぐち》はここらでお|預《あづ》かりとして、|改《あらた》めて|本題《ほんだい》に|移《うつ》ることとする。|茲《ここ》に|霊界《れいかい》に|通《つう》ずる|唯一《ゆゐいつ》の|方法《はうはふ》として、|鎮魂帰神《ちんこんきしん》なる|神術《かむわざ》がある。|而《しか》して|人間《にんげん》の|精霊《せいれい》が|直接《ちよくせつ》|大元神《だいげんしん》|即《すなは》ち|主《す》の|神《かみ》(|又《また》は|大神《おほかみ》といふ)に|向《むか》つて|神格《しんかく》の|内流《ないりう》を|受《う》け、|大神《おほかみ》と|和合《わがふ》する|状態《じやうたい》を|帰神《きしん》といふのである。|帰神《きしん》とは、|我《わが》|精霊《せいれい》の|本源《ほんげん》なる|大神《おほかみ》の|御神格《ごしんかく》に|帰一《きいつ》|和合《わがふ》するの|謂《いひ》である。|故《ゆゑ》に|帰神《きしん》は|大神《おほかみ》の|直接内流《ちよくせつないりう》を|受《う》くるに|依《よ》つて、|予言者《よげんしや》として|最《もつと》も|必要《ひつえう》なる|霊界《れいかい》|真相《しんさう》の|伝達者《でんたつしや》である。
|次《つぎ》に|大神《おほかみ》の|御神格《ごしんかく》に|照《て》らされ、|知慧証覚《ちゑしようかく》を|得《え》、|霊国《れいごく》に|在《あ》つてエンゼルの|地位《ちゐ》に|進《すす》んだ|天人《てんにん》が、|人間《にんげん》の|精霊《せいれい》に|降《くだ》り|来《きた》り、|神界《しんかい》の|消息《せうそく》を|人間界《にんげんかい》に|伝達《でんたつ》するのを|神懸《しんけん》といふ。|又《また》|之《これ》を|神格《しんかく》の|間接内流《かんせつないりう》とも|云《い》ふ。|之《これ》も|亦《また》|予言者《よげんしや》を|求《もと》めて|其《その》|精霊《せいれい》を|充《み》たし、|神界《しんかい》の|消息《せうそく》を|或《ある》|程度《ていど》まで|人間界《にんげんかい》に|伝達《でんたつ》するものである。
|次《つぎ》に、|外部《ぐわいぶ》より|人間《にんげん》の|肉体《にくたい》に|侵入《しんにふ》し、|罪悪《ざいあく》と|虚偽《きよぎ》を|行《おこな》ふ|所《ところ》の|邪霊《じやれい》がある。|之《これ》を|悪霊《あくれい》|又《また》は|副守護神《ふくしゆごじん》といふ。|此《この》|情態《じやうたい》を|称《しよう》して|神憑《しんぴよう》といふ。
すべての|偽予言者《にせよげんしや》、|贋救世主《にせきうせいしゆ》などは、|此《この》|副守《ふくしゆ》の|囁《ささや》きを|人間《にんげん》の|精霊《せいれい》|自《みづか》ら|深《ふか》く|信《しん》じ、|且《かつ》|憑霊《ひようれい》|自身《じしん》も|貴《たふと》き|神《かみ》と|信《しん》じ、|其《その》|説《と》き|教《をし》へる|所《ところ》も|亦《また》|神《かみ》の|言葉《ことば》と、|自《みづか》ら|自《みづか》らを|信《しん》じてゐるものである。すべてかくの|如《ごと》き|神憑《しんぴよう》は|自愛《じあい》と|世間愛《せけんあい》より|来《きた》る|凶霊《きようれい》であつて、|世人《せじん》を|迷《まよ》はし|且《か》つ|大神《おほかみ》の|神格《しんかく》を|毀損《きそん》すること|最《もつと》も|甚《はなはだ》しきものである。|斯《かく》の|如《ごと》き|神憑《しんぴよう》はすべて|地獄《ぢごく》の|団体《だんたい》に|籍《せき》をおき、|現界《げんかい》の|人間《にんげん》をして、|其《その》|善霊《ぜんれい》を|亡《ほろ》ぼし|且《かつ》|肉体《にくたい》をも|亡《ほろ》ぼさむことを|謀《はか》るものである。|近来《きんらい》|天眼通《てんがんつう》とか|千里眼《せんりがん》とか、|或《あるひ》は|交霊術《かうれいじゆつ》の|達人《たつじん》とか|称《しよう》する|者《もの》は、|何《いづ》れも|此《この》|地獄界《ぢごくかい》に|籍《せき》をおける|副守護神《ふくしゆごじん》の|所為《しよゐ》である。|泰西《たいせい》|諸国《しよこく》に|於《おい》ては|今日《こんにち》|漸《やうや》く、|現界《げんかい》|以外《いぐわい》に|霊界《れいかい》の|在《あ》ることを、|霊媒《れいばい》を|通《つう》じて|稍《やや》|覚《さと》り|始《はじ》めたやうであるが、|併《しか》し|此《この》|研究《けんきう》は|余程《よほど》|進《すす》んだ|者《もの》でも、|精霊界《せいれいかい》へ|一歩《いつぽ》|踏《ふ》み|入《い》れた|位《くらゐ》な|程度《ていど》のもので、|到底《たうてい》|天国《てんごく》の|消息《せうそく》は|夢想《むさう》だにも|窺《うかが》ひ|得《え》ざる|所《ところ》である。|偶《たま》には|最下層《さいかそう》|天国《てんごく》の|一部《いちぶ》の|光明《くわうみやう》を|遠方《ゑんぱう》の|方《はう》から|眺《なが》めて、|臆測《おくそく》を|下《くだ》した|霊媒者《れいばいしや》も|少《すこ》しは|現《あら》はれてゐる|様《やう》である。|霊界《れいかい》の|真相《しんさう》を|充分《じうぶん》とは|行《ゆ》かずとも、|相当《さうたう》に|究《きは》めた|上《うへ》でなくては、|妄《みだ》りに|之《これ》を|人間界《にんげんかい》に|伝達《でんたつ》するのは|却《かへつ》て|頑迷無智《ぐわんめいむち》なる|人間《にんげん》をして、|益々《ますます》|疑惑《ぎわく》の|念《ねん》を|増《ま》さしむる|様《やう》なものである。|故《ゆゑ》に|霊界《れいかい》の|研究者《けんきうしや》は|最《もつと》も|霊媒《れいばい》の|平素《へいそ》の|人格《じんかく》に|就《つい》てよく|研究《けんきう》をめぐらし、|其《その》|心性《しんせい》を|十二分《じふにぶん》に|探査《たんさ》した|上《うへ》でなくては、|好奇心《かうきしん》にかられて、|不真面目《ふまじめ》な|研究《けんきう》をするやうな|事《こと》では、|学者《がくしや》|自身《じしん》が|中有界《ちううかい》は|愚《おろ》か、|地獄道《ぢごくだう》に|陥落《かんらく》するに|至《いた》ることは|想念《さうねん》の|情動上《じやうどうじやう》|已《や》むを|得《え》ない|所《ところ》である。
さて|帰神《きしん》も|神懸《しんけん》も|神憑《しんぴよう》も|概括《がいくわつ》して|神《かみ》がかりと|称《とな》へてゐるが、|其《その》|間《あひだ》に|非常《ひじやう》の|尊卑《そんぴ》の|径庭《けいてい》ある|事《こと》を|覚《さと》らねばならぬのである。|大本開祖《おほもとかいそ》の|帰神《きしん》|情態《じやうたい》を|口述者《こうじゆつしや》は|前後《ぜんご》|二十年間《にじふねんかん》、|側《かたはら》に|在《あ》つて|伺《うかが》ひ|奉《たてまつ》つたことがある。|開祖《かいそ》は|何時《いつ》も|神様《かみさま》が|前額《ぜんがく》より|肉体《にくたい》にお|這入《はい》りになると|云《い》はれて、いつも|前額部《ぜんがくぶ》を|右手《めて》の|拇指《おやゆび》で|撫《な》でてゐられたことがある。|前額部《ぜんがくぶ》は|高天原《たかあまはら》の|最高部《さいかうぶ》に|相応《さうおう》する|至聖所《しせいしよ》であつて、|大神《おほかみ》の|御神格《ごしんかく》の|直接内流《ちよくせつないりう》は|必《かなら》ず|前額《ぜんがく》より|始《はじ》まり、|遂《つひ》に|顔面《がんめん》|全部《ぜんぶ》に|及《およ》ぶものである。|而《しか》して|人《ひと》の|前額《ぜんがく》は|愛善《あいぜん》に|相応《さうおう》し、|顔面《がんめん》は|神格《しんかく》の|内分《ないぶん》|一切《いつさい》に|相応《さうおう》するものである。|畏多《おそれおほ》くも|口述者《こうじゆつしや》が|開祖《かいそ》を|審神者《さには》として|永年間《ながねんかん》、|茲《ここ》に|注目《ちゆうもく》し、|遂《つひ》に|大神《おほかみ》の|聖霊《せいれい》に|充《み》たされ|給《たま》ふ|地上《ちじやう》|唯一《ゆゐいつ》の|大予言者《だいよげんしや》たることを|覚《さと》り|得《え》たのである。
それから|又《また》|高天原《たかあまはら》には|霊国《れいごく》、|天国《てんごく》の|二大《にだい》|区別《くべつ》があつて、|霊国《れいごく》に|住《す》める|天人《てんにん》は|之《これ》を|説明《せつめい》の|便宜上《べんぎじやう》|霊的天人《れいてきてんにん》といひ、|天国《てんごく》に|住《す》める|天人《てんにん》を|天的天人《てんてきてんにん》といふことにして|説明《せつめい》を|加《くは》へようと|思《おも》ふ。|乃《すなは》ち|霊的《れいてき》|天人《てんにん》より|来《きた》る|内流《ないりう》(|間接内流《かんせつないりう》)は|人間《にんげん》|肉体《にくたい》の|各方面《かくはうめん》より|感《かん》じ|来《きた》り、|遂《つひ》に|其《その》|頭脳《づなう》の|中《うち》に|流入《りうにふ》するものである。|即《すなは》ち|前額《ぜんがく》|及《およ》び|顳〓《こめかみ》より|大脳《だいなう》の|所在《しよざい》|全部《ぜんぶ》に|至《いた》る|迄《まで》を|集合点《しふがふてん》とする。|此《この》|局部《きよくぶ》は|霊国《れいごく》の|智慧《ちゑ》に|相応《さうおう》するが|故《ゆゑ》である。|又《また》|天的天人《てんてきてんにん》よりの|内流《ないりう》(|間接内流《かんせつないりう》)は|頭中小脳《づちうせうなう》の|所在《しよざい》なる|後脳《こうなう》といふ|局部《きよくぶ》|即《すなは》ち|耳《みみ》より|始《はじ》まつて|頸部《けいぶ》|全体《ぜんたい》にまで|至《いた》る|所《ところ》より|流入《りうにふ》するものである、|即《すなは》ち|此《この》|局部《きよくぶ》は|証覚《しようかく》に|相応《さうおう》するが|故《ゆゑ》である。
|以上《いじやう》の|天人《てんにん》が|人間《にんげん》と|言葉《ことば》を|交《まじ》へる|時《とき》に|当《あた》り、|其《その》|言《い》ふ|所《ところ》は|斯《かく》の|如《ごと》くにして、|人間《にんげん》の|想念中《さうねんちう》に|入《い》り|来《きた》るものである。すべて|天人《てんにん》と|語《かた》り|合《あ》ふ|者《もの》は、|又《また》|高天原《たかあまはら》の|光《ひかり》によつて|其処《そこ》にある|事物《じぶつ》を|見《み》ることを|得《う》るものである。そは|其《その》|人《ひと》の|内分《ないぶん》(|霊覚《れいかく》)は|此《この》|光《ひかり》の|中《なか》に|包《つつ》まれてゐるからである。|而《しか》して|天人《てんにん》は|此《この》|人《ひと》の|内分《ないぶん》を|通《つう》じて、|又《また》|地上《ちじやう》の|事物《じぶつ》を|見《み》ることを|得《う》るのである。|即《すなは》ち|天人《てんにん》は|人間《にんげん》の|内分《ないぶん》によつて、|現実界《げんじつかい》を|見《み》、|人間《にんげん》は|天界《てんかい》の|光《ひかり》に|包《つつ》まれて、|天界《てんかい》に|在《あ》るすべての|事物《じぶつ》を|見《み》ることが|出来《でき》る。|天界《てんかい》の|天人《てんにん》は|人間《にんげん》の|内分《ないぶん》によつて|世間《せけん》の|事物《じぶつ》と|和合《わがふ》し、|世間《せけん》は|又《また》|天界《てんかい》と|和合《わがふ》するに|至《いた》るものである。|之《これ》を|現幽一致《げんいういつち》、|霊肉不二《れいにくふじ》、|明暗一体《めいあんいつたい》といふのである。
|大神《おほかみ》が|予言者《よげんしや》と|物語《ものがた》り|給《たま》ふ|時《とき》は、|太古《たいこ》|即《すなは》ち|神代《かみよ》の|人間《にんげん》に|於《お》けるが|如《ごと》く、|其《その》|内分《ないぶん》に|流入《りうにふ》してこれと|語《かた》り|給《たま》ふことはない。|大神《おほかみ》は|先《ま》づおのが|化相《けさう》を|以《もつ》て|精霊《せいれい》を|充《み》たし、|此《この》|充《み》たされた|精霊《せいれい》を|予言者《よげんしや》の|体《たい》に|遣《つか》はし|給《たま》ふのである。|故《ゆゑ》に|此《この》|精霊《せいれい》は|大神《おほかみ》の|霊徳《れいとく》に|充《み》ちて|其《その》|言葉《ことば》を|予言者《よげんしや》に|伝《つた》ふるものである。|斯《かく》の|如《ごと》き|場合《ばあひ》は、|神格《しんかく》の|流入《りうにふ》ではなくて|伝達《でんたつ》といふべきものである。|伝達《でんたつ》とは|霊界《れいかい》の|消息《せうそく》や|大神《おほかみ》の|意思《いし》を|現界人《げんかいじん》に|対《たい》して|告示《こくじ》する|所為《しよゐ》を|云《い》ふのである。
|而《しか》して|此等《これら》の|言葉《ことば》は|大神《おほかみ》より|直接《ちよくせつ》に|出《い》で|来《きた》れる|聖言《せいげん》なるを|以《もつ》て、|一々万々《いちいちばんばん》|確乎不易《かくこふえき》にして、|神格《しんかく》にて|充《み》たされてゐるものである。|而《しか》して|其《その》|聖言《せいげん》の|裡《うち》には|何《いづ》れも|皆《みな》|内義《ないぎ》なるものを|含《ふく》んでゐる。|而《しか》して|天界《てんかい》に|在《あ》る|天人《てんにん》は|此《この》|内義《ないぎ》を|知悉《ちしつ》するには|霊的《れいてき》|及《およ》び|天的意義《てんてきいぎ》を|以《もつ》てするが|故《ゆゑ》に、|直《ただち》に|其《その》|神意《しんい》を|了解《れうかい》し|得《う》れども、|人間《にんげん》は|何事《なにごと》も|自然的《しぜんてき》、|科学的《くわがくてき》|意義《いぎ》に|従《したが》つて|其《その》|聖言《せいげん》を|解釈《かいしやく》せむとするが|故《ゆゑ》に、|懐疑心《くわいぎしん》を|増《ま》すばかりで|到底《たうてい》|満足《まんぞく》な|解決《かいけつ》は|付《つ》け|得《え》ないのである。|茲《ここ》に|於《おい》てか|大神《おほかみ》は、|天界《てんかい》と|世界《せかい》|即《すなは》ち|現幽一致《げんいういつち》の|目的《もくてき》を|達成《たつせい》し、|神人和合《しんじんわがふ》の|境《きやう》に|立到《たちいた》らしめむとして、|瑞霊《ずゐれい》を|世《よ》に|降《くだ》し、|直接《ちよくせつ》の|予言者《よげんしや》が|伝達《でんたつ》したる|聖言《せいげん》を|詳細《しやうさい》に|解説《かいせつ》せしめ、|現界人《げんかいじん》を|教《をし》へ|導《みちび》かむとなし|給《たま》うたのである。
|精霊《せいれい》は|如何《いか》にして|化相《けさう》によつて|大神《おほかみ》より|来《きた》る|神格《しんかく》の|充《み》たす|所《ところ》となるかは、|今《いま》|述《の》べた|所《ところ》を|見《み》て、|明《あきら》かに|知《し》らるるであらう。|大神《おほかみ》の|御神格《ごしんかく》に|充《み》たされたる|精霊《せいれい》は、|自分《じぶん》が|大神《おほかみ》なることを|信《しん》じ、|又《また》|其《その》|所言《しよげん》の|神格《しんかく》より|出《い》づることを|知《し》るのみにして、|其《その》|他《た》は|一切《いつさい》|知《し》らない。|而《しか》して|其《その》|精霊《せいれい》は|言《い》ふべき|所《ところ》を|言《い》ひ|尽《つく》す|迄《まで》は、|自分《じぶん》は|大神《おほかみ》であり、|自分《じぶん》の|言《い》ふことは|大神《おほかみ》の|言《げん》であると|固《かた》く|信《しん》じ|切《き》つてゐるけれども、|一旦《いつたん》|其《その》|使命《しめい》を|果《はた》すに|至《いた》れば、|大神《おほかみ》は|天《てん》に|復《かへ》り|給《たま》ふが|故《ゆゑ》に|俄《にはか》に|其《その》|神格《しんかく》は|劣《おと》り、|其《その》|所言《しよげん》は|余程《よほど》|明晰《めいせき》を|欠《か》くが|故《ゆゑ》に、そこに|至《いた》つて、|自分《じぶん》はヤツパリ|精霊《せいれい》であつたこと、|又《また》|自分《じぶん》の|所言《しよげん》は|大神《おほかみ》より|言《い》はしめ|給《たま》うた|事《こと》を|知覚《ちかく》し、|承認《しようにん》するに|至《いた》るものである。|大本開祖《おほもとかいそ》の|如《ごと》きは|始《はじ》めより|大神《おほかみ》の|直接内流《ちよくせつないりう》によつて、|神《かみ》の|意思《いし》を|伝《つた》へ|居《を》ること|及《およ》び|自分《じぶん》の|精霊《せいれい》が|神格《しんかく》に|充《み》たされて、|万民《ばんみん》の|為《ため》に|伝達《でんたつ》の|役《やく》を|勤《つと》めてゐたことを|能《よ》く|承認《しようにん》してゐられたのである。|其《その》|証拠《しようこ》は『|大本神諭《おほもとしんゆ》』の|各所《かくしよ》に|明確《めいかく》に|記《しる》されてある。|今更《いまさら》ここに|引用《いんよう》するの|煩《はん》を|省《はぶ》いておくから、|開祖《かいそ》の『|神諭《しんゆ》』に|就《つ》いて|研究《けんきう》さるれば|此《この》|間《かん》の|消息《せうそく》は|明《あきら》かになることと|信《しん》ずる。
|開祖《かいそ》に|直接《ちよくせつ》|帰神《かむがかり》し|給《たま》うたのは|大元神《だいげんしん》|大国治立尊《おほくにはるたちのみこと》|様《さま》で、|其《その》|精霊《せいれい》は、|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》と|国武彦命《くにたけひこのみこと》であつた。|故《ゆゑ》に『|神諭《しんゆ》』の|各所《かくしよ》に……|此《この》|世《よ》の|先祖《せんぞ》の|大神《おほかみ》が|国武彦命《くにたけひこのみこと》と|現《あら》はれて……とか|又《また》は……|稚姫君《わかひめぎみ》の|身魂《みたま》と|一《ひと》つになりて、|三千世界《さんぜんせかい》(|現幽神《げんいうしん》|三界《さんかい》)の|一切《いつさい》の|事《こと》を、|世界《せかい》の|人民《じんみん》に|知《し》らすぞよ……と|現《あら》はれてゐるのは、|所謂《いはゆる》|精霊界《せいれいかい》なる|国武彦命《くにたけひこのみこと》、|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》の|精霊《せいれい》を|充《み》たして、|予言者《よげんしや》の|身魂《みたま》|即《すなは》ち|天界《てんかい》に|籍《せき》をおかせられた、|地上《ちじやう》の|天人《てんにん》なる|開祖《かいそ》に|来《きた》つて、|聖言《せいげん》を|垂《た》れさせ|給《たま》うことを|覚《さと》り|得《う》るのである。
|前巻《ぜんくわん》にもいつた|通《とほ》り、|天人《てんにん》は|現界人《げんかいじん》の|数百言《すうひやくげん》を|費《つひや》さねば|其《その》|意味《いみ》を|通《つう》ずることの|出来《でき》ない|言葉《ことば》をも、|僅《わづ》かに|一二言《いちにげん》にて|其《その》|意味《いみ》を|通達《つうたつ》し|得《う》るものである。|故《ゆゑ》に|開祖《かいそ》|即《すなは》ち|予言者《よげんしや》によつて|示《しめ》されたる|聖言《せいげん》は、|天人《てんにん》には|直《ただち》に|其《その》|意味《いみ》が|通《つう》ずるものなれども、|中有《ちうう》に|迷《まよ》へる|現界人《げんかいじん》の|暗《くら》き|知識《ちしき》や、うとき|眼《まなこ》や、|半《なか》ば|塞《ふさ》がれる|耳《みみ》には|容易《ようい》に|通《つう》じ|得《え》ない。それ|故《ゆゑ》に|其《その》|聖言《せいげん》を|細《こま》かく|説《と》いて|世人《せじん》に|諭《さと》す|伝達者《でんたつしや》として、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》の|神格《しんかく》に|充《み》たされたる|精霊《せいれい》が、|相応《さうおう》の|理《り》によつて|変性女子《へんじやうによし》の|肉体《にくたい》に|来《きた》り、|其《その》|手《て》を|通《つう》じ、|其《その》|口《くち》を|通《つう》じて、|一二言《いちにげん》の|言葉《ことば》を|数千言《すうせんげん》に|砕《くだ》き、|一頁《いつページ》の|文章《ぶんしやう》を|数百頁《すうひやくページ》に|微細《びさい》に|分割《ぶんかつ》して、|世人《せじん》の|耳目《じもく》を|通《つう》じて、|其《その》|内分《ないぶん》に|流入《りうにふ》せしめむ|為《ため》に、|地上《ちじやう》の|天人《てんにん》として、|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せしめられたのである。|故《ゆゑ》に|開祖《かいそ》の『|神諭《しんゆ》』を|其《その》|儘《まま》|真解《しんかい》し|得《え》らるる|者《もの》は、|已《すで》に|天人《てんにん》の|団体《だんたい》に|籍《せき》をおける|精霊《せいれい》であり、|又《また》|中有界《ちううかい》に|迷《まよ》へる|精霊《せいれい》は、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|詳細《しやうさい》なる|説明《せつめい》に|依《よ》つて、|間接諒解《かんせつりようかい》を|得《え》なくてはならぬのである。|而《しか》して|此《この》|詳細《しやうさい》なる|説明《せつめい》さへも|首肯《しゆこう》し|得《え》ず、|疑念《ぎねん》を|差挟《さしはさ》み、|研究的《けんきうてき》|態度《たいど》に|出《い》でむとする|者《もの》は、|所謂《いはゆる》|暗愚無智《あんぐむち》の|徒《と》にして、|学《がく》で|知慧《ちゑ》の|出来《でき》た|途中《とちう》の|鼻高《はなだか》、|似而非学者《えせがくしや》の|徒《と》である。|斯《かく》の|如《ごと》き|人間《にんげん》は|已《すで》に|已《すで》に|地獄界《ぢごくかい》に|籍《せき》をおいてゐる|者《もの》なることは、|相応《さうおう》の|理《り》によつて|明《あきら》かである、|斯《かく》の|如《ごと》き|人《ひと》は|容易《ようい》に|済度《さいど》し|難《がた》きものである。|何故《なぜ》ならば、|其《その》|人間《にんげん》の|内分《ないぶん》は|全《まつた》く|閉塞《へいそく》して、|上方《じやうはう》に|向《むか》つて|閉《と》ぢ、|外分《ぐわいぶん》のみ|開《ひら》け、その|想念《さうねん》は|神《かみ》を|背《せ》にし、|脚底《きやくてい》の|地獄《ぢごく》にのみ|向《むか》つてゐるからである。|而《しか》して|其《その》|知識《ちしき》はくらみ|霊的聴覚《れいてきちやうかく》は|鈍《にぶ》り、|霊的視覚《れいてきしかく》は|眩《くら》み、|如何《いか》なる|光明《くわうみやう》も|如何《いか》なる|音響《おんきやう》も|容易《ようい》に|其《その》|内分《ないぶん》に|到達《たうたつ》せないからである。されど|神《かみ》は|至仁《しじん》|至愛《しあい》にましませば、|斯《かく》の|如《ごと》き|難物《なんぶつ》をも、|種々《いろいろ》に|身《み》を|変《へん》じ|給《たま》ひて、|其《その》|地獄的《ぢごくてき》|精霊《せいれい》を|救《すく》はむと、|昼夜《ちうや》|御心《みこころ》を|悩《なや》ませ|給《たま》ひつつあるのである。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一二・一・一二 旧一一・一一・二六 松村真澄録)
第二章 |武乱泥《ぶらんでい》〔一二五六〕
|浮木《うきき》の|館《やかた》の|陣営《ぢんえい》に|於《お》ける|幕僚室《ばくれうしつ》には、|例《れい》のアーク、タールの|両人《りやうにん》が|火鉢《ひばち》を|真中《まんなか》にして、|茶《ちや》を|飲《の》みながら、|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つてゐる。タールは|切《しき》りに|土瓶《どびん》の|茶《ちや》を|注《つ》ぎながら、
『オイ、アーク、|最前《さいぜん》から|大分《だいぶん》、|天《あま》の|沼矛《ぬほこ》を|虐使《ぎやくし》したので、|喉《のど》がかわき、|口角《こうかく》の|泡《あわ》も|非常《ひじやう》に|粘着性《ねんちやくせい》を|帯《お》びて|来《き》たぢやないか。マア|茶《ちや》なつと|一杯《いつぱい》やり|給《たま》へ。|茶《ちや》は|鬱《うつ》を|散《さん》じ、|心気《しんき》を|養《やしな》ひ、|且《かつ》|又《また》|心魂《しんこん》をして|安静《あんせい》せしむるものだからなア』
『|茶《ちや》には|色《いろ》がある。|色《いろ》は|即《すなは》ち|能《よ》くうつらふものだ……|花《はな》の|色《いろ》はうつりにけりな|徒《いたづら》に、わが|身《み》|世《よ》にふる|眺《なが》めせしまに……とか|未来《みらい》のナイスが|言《い》つたさうだ。|俺《おれ》は|茶《ちや》は|嫌《きら》ひだ、それよりも|少《すこ》しも|色《いろ》なき|水晶《すゐしやう》の|様《やう》な|清水《しみづ》が|好《す》きだ。|其《その》|透徹振《とうてつぶり》は|正《まさ》に|自足《じそく》|他《た》に|求《もと》むるなき|君子《くんし》の|坦懐《たんくわい》、|道交《だうかう》を|表《へう》するものだ。かく|一杯《いつぱい》の|水《みづ》にも、|神《かみ》の|恵《めぐみ》のこもらせ|給《たま》ふ|以上《いじやう》は、ポートワインの|美酒《びしゆ》も、|遂《つひ》に|及《およ》び|難《がた》き|道味《だうみ》の|淡然《たんぜん》として、|掬《きく》して|尚《なほ》|尽《つ》くるなきものがある。|仁者《じんしや》は|山《やま》を|楽《たのし》み、|智者《ちしや》は|水《みづ》を|楽《たのし》むとか|云《い》つてな、|吾々《われわれ》には|水晶《すゐしやう》の|水《みづ》が|霊相応《みたまさうおう》だよ。|而《しか》して|山《やま》をも|水《みづ》をも|併《あは》せ|楽《たのし》む|此《この》アークさまは、|所謂《いはゆる》|智者《ちしや》|仁者《じんしや》の|典型《てんけい》だ』
『|智仁《ちじん》|兼備《けんび》の|聖人君子《せいじんくんし》の|名《な》を|盗《ぬす》まうとする|白昼《はくちう》の|野盗《やたう》、|一言《いちごん》|天下《てんか》を|掩有《えんいう》せむとする|曲漢《きよくかん》、そこ|動《うご》くな………と|一刀《いつたう》を|引抜《ひきぬ》き、|切《き》つてすつべき|所《ところ》なれども、|今日《けふ》はランチ|将軍《しやうぐん》の|帷幕《ゐばく》に|参《さん》ずる|顕要《けんえう》な|地位《ちゐ》に|上《のぼ》つた|祝《いはひ》として|忘《わす》れて|遣《つか》はす』
『アツハヽヽ|唐変木《たうへんぼく》だなア。|茶《ちや》の|好《す》きな|人間《にんげん》の|精神《せいしん》はヤツパリ|滅茶苦茶《めちやくちや》だ。|茶目小僧的《ちやめこぞうてき》|人格者《じんかくしや》だ。そんなことでランチ|将軍《しやうぐん》の|帷幕《ゐばく》に|参《さん》ずるなどとは、サツパり|茶目《ちやめ》だ、|否《いな》|駄目《だめ》だよ』
『|吾々《われわれ》は|殊更《ことさら》に|山《やま》に|入《い》つて|山《やま》を|楽《たのし》み、|水《みづ》に|近付《ちかづ》いて|水《みづ》を|楽《たのし》まなくても、|人生《じんせい》の|一切《いつさい》を|客観《きやくくわん》して|冷然《れいぜん》として|之《これ》に|対《たい》することが|出来《でき》るのだから、|紅塵万丈《こうぢんばんぢやう》の|裡《うち》、|恩愛重絆《おんあいぢゆうはん》の|境域《きやうゐき》|尚《なほ》|其処《そこ》に、|山中《さんちう》の|静寂《せいじやく》と|清水《せいすゐ》の|道味《だうみ》を|楽《たのし》む|事《こと》が|出来《でき》るのだ』
『|随分《ずゐぶん》|小理窟《こりくつ》がうまくなつたねえ』
『きまつた|事《こと》だ。|治国別《はるくにわけ》さまのお|仕込《しこ》みだもの、|今《いま》までの|狂乱痴呆兼備《きやうらんちはうけんび》の|勇者《ゆうしや》たる|乱痴《らんち》|将軍《しやうぐん》の|教《をしへ》とは、|天地霄壌《てんちせうじやう》の|差《さ》があるのだからなア』
『コリヤそんな|大《おほ》きな|声《こゑ》で|言《い》ふと、|耳《みみ》へ|這入《はい》るぞ、チツとたしなまないか』
『ナーニ|何程《なにほど》|大《おほ》きな|声《こゑ》でいつた|所《ところ》で、|神格《しんかく》の|内流《ないりう》を|受《う》けたる|証覚者《しようかくしや》の|聖言《せいげん》が|耳《みみ》へ|通《とほ》る|気遣《きづか》ひがあるかい。ランチ|将軍《しやうぐん》の|耳《みみ》へ|通《つう》ずる|言葉《ことば》は、|虚偽《きよぎ》と|計略《けいりやく》と|悪慾《あくよく》と|女色《ぢよしよく》|位《くらゐ》なものだ。さういふ|地獄的《ぢごくてき》|言葉《ことば》は、|何程《なにほど》|小《ちひ》さい|声《こゑ》で|囁《ささや》いてをつても|直《すぐ》に|聞《きこ》えるものだ。|要《えう》するに|其《その》|内分《ないぶん》が|塞《ふさ》がり|外分《ぐわいぶん》のみが|開《ひら》けて|居《ゐ》るのだからなア。|世間的《せけんてき》|罪悪《ざいあく》に|充《み》ちたバラモン|軍《ぐん》の|統率者《とうそつしや》に、|吾々《われわれ》の|聖言《せいげん》が|聞《きこ》える|道理《だうり》はない、|先《ま》づ|安心《あんしん》し|給《たま》へ。それよりも、あの|蠑〓別《いもりわけ》を|見《み》よ、|本当《ほんたう》に|馬鹿《ばか》にしてゐよるぢやないか。|如何《いか》に|世間《せけん》の|交際《かうさい》は|黄金《わうごん》|多《おほ》からざれば|交《まじは》り|深《ふか》からずと|云《い》つても、|実《じつ》に|呆《あき》れたものぢやないか。|今日《こんにち》の|交際《かうさい》は|水臭《みづくさ》いと|云《い》ふよりも|寧《むし》ろ|銅臭《どうくさ》いものだ。|僅《わづ》かに|五千両《ごせんりやう》の|軍用金《ぐんようきん》を|献納《けんなふ》しよつて、エキスの|野郎《やらう》に|駕《かご》で|送《おく》られ、|腐《くさ》つたやうな|女《をんな》を|伴《つ》れて|堂々《だうだう》とランチ|将軍《しやうぐん》に|面会《めんくわい》を|申込《まをしこ》み、|将軍《しやうぐん》も|亦《また》|顔《かほ》の|相好《さうごう》を|崩《くづ》して、|抱擁《はうよう》キツスはどうか|知《し》らぬが、|固《かた》き|握手《あくしゆ》を|交換《かうくわん》したぢやないか。|俺《おれ》やモウ|本当《ほんたう》に|厭《いや》になつて|了《しま》つた』
『|本当《ほんたう》にさうだねえ。|黄金《わうごん》|万能《ばんのう》の|世《よ》の|中《なか》とは|能《よ》く|言《い》つたものだ。|併《しか》しながら|治国別《はるくにわけ》|様《さま》は|根《ね》つからお|顔《かほ》が|見《み》えぬぢやないか、|何《ど》うしたのだろ』
『|俺《おれ》の|観察《くわんさつ》する|所《ところ》に|依《よ》れば、|何《なん》とはなしに|余《あま》り|目出度《めでた》い|御境遇《ごきやうぐう》に|居《を》られる|様《やう》に|思《おも》はれないがなア』
『タール、お|前《まへ》もさう|思《おも》ふか、|俺《おれ》は|何《なん》だか|気《き》がかりになつて|仕方《しかた》がないワ。ヒヨツとしたら、あの、それ、|秘密牢《ひみつらう》へでも|計略《けいりやく》を|以《もつ》て|放《はふ》り|込《こ》んで|了《しま》つたのぢやあるまいかな。|今《いま》まで|俺達《おれたち》が、|伺《うかが》つても、|喧《やかま》しい|言葉《ことば》はなかつた|奥座敷《おくざしき》を、|吾々《われわれ》の|幕僚《ばくれう》にさへ|見《み》せない|様《やう》にしてゐるのだから|怪《あや》しいものだぞ。もし|治国別《はるくにわけ》|様《さま》が|危難《きなん》にお|遇《あ》ひなさる|様《やう》な|事《こと》があつたら、お|前《まへ》は|何《ど》うする|考《かんが》へだ』
『|一旦《いつたん》|心《こころ》の|中《なか》に|於《おい》て|師匠《ししやう》と|仰《あふ》いだ|以上《いじやう》は、|死《し》を|以《もつ》て|之《これ》を|守《まも》る|考《かんが》へだ。|仮令《たとへ》|治国別《はるくにわけ》|様《さま》の|為《ため》に|死《し》んでも、|敢《あへ》て|厭《いと》ふ|所《ところ》ではない。|士《し》は|己《おの》れを|知《し》る|者《もの》の|為《ため》に|死《し》すといふからな』
『ランチ|将軍《しやうぐん》だつて、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》だつて、ヤツパリ|吾々《われわれ》の|主人《しゆじん》であり|師《し》ぢやないか。|師《し》といふ|段《だん》になつては、|少《すこ》しも|変《かは》りはない|筈《はず》だ。そして|諺《ことわざ》にも|忠臣二君《ちうしんにくん》に|仕《つか》へずといふ|以上《いじやう》は、|何《ど》うしても|前《さき》の|主人《しゆじん》たるランチ|将軍《しやうぐん》に|忠義《ちうぎ》を|尽《つく》さねばなろまい……ぢやないか』
『そりや、どちらも|主人《しゆじん》だ。|併《しか》しながらランチ|将軍《しやうぐん》に|今迄《いままで》|仕《つか》へて|居《を》つたのは、|彼《かれ》が|有《いう》する|暴力《ばうりよく》と|権威《けんゐ》に|恐《おそ》れたが|為《ため》だ。つまり|言《い》へば|表面上《へうめんじやう》の|主従《しゆじゆう》であつて、|精神上《せいしんじやう》から|言《い》へば|仇敵《きうてき》も|同様《どうやう》だ。どうして|馬鹿《ばか》らしい、|精神的《せいしんてき》|仇敵《きうてき》の|為《ため》に|貴重《きちよう》な|生命《いのち》が|捨《す》てられようか』
『さうだな、|俺《おれ》も|同感《どうかん》だ。|併《しか》しタール、まさかの|時《とき》になつたら、|親《おや》の|為《ため》に|或《あるひ》は|主《しゆ》の|為《ため》に|師匠《ししやう》の|為《ため》に、|死《し》ぬこたア|出来《でき》まい。|俺《おれ》だつてさうだ、|併《しか》しながら|子孫《しそん》の|為《ため》には|死《し》んでみせてやる、それも|霊体脱離《れいたいだつり》の|時期《じき》が|来《き》たら……だ。アハヽヽヽ』
『オツホヽヽヽ、|何《なに》を|吐《ぬか》しやがるのだい。|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にして|居《ゐ》やがる。チツと|真面目《まじめ》にならないか。エヽー』
『|此《この》|様《やう》な|化物《ばけもの》の|横行《わうかう》する|世《よ》の|中《なか》に、|何《ど》うして|真面目《まじめ》に|着実《ちやくじつ》にして|居《を》れようかい。|真面目《まじめ》な|正直《しやうぢき》な|仁義《じんぎ》に|篤《あつ》い|人間《にんげん》は、|現代《げんだい》に|於《おい》ては|却《かへつ》て|悪人《あくにん》と|見做《みな》されるからなア。|天下《てんか》の|為《ため》、|社会《しやくわい》の|為《ため》、|人《ひと》の|為《ため》だと、うまい|標語《へうご》を|語《かた》つて、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|自己《じこ》の|欲望《よくばう》を|達《たつ》せむことのみを|望《のぞ》んでゐる|世《よ》の|中《なか》だ。|俺達《おれたち》はさういふ|贋物《にせもの》は|嫌《きら》ひだ。|清明無垢《せいめいむく》の|小児《せうに》の|如《ごと》き、|赤裸々《せきらら》の|言葉《ことば》と|行《おこな》ひが|好《す》きなのだ』
かかる|所《ところ》へ|一人《ひとり》の|従卒《じゆうそつ》|現《あら》はれ|来《きた》り、
『モシモシ、|只今《ただいま》ランチ|将軍様《しやうぐんさま》の|御命令《ごめいれい》で|厶《ござ》いますが、|珍客《ちんきやく》が|見《み》えましたので、|御接待《ごせつたい》に|来《き》て|貰《もら》ひ|度《た》いとの|事《こと》で|厶《ござ》います。どうぞ|速《すみやか》にお|居間《ゐま》へお|越《こ》し|下《くだ》さいませ』
アーク『ヨシヨシ、|只今《ただいま》|参《まゐ》りますと|言《い》つてくれ。|併《しか》し、|珍客《ちんきやく》といふのは、どこからお|出《い》でになつたのだ』
『ハイ、|私《わたし》にはどこの|方《かた》だか|分《わか》りませぬが、|随分《ずゐぶん》|綺麗《きれい》な|女神《めがみ》さまのやうな|方《かた》が|二人《ふたり》、ズンズンと|奥《おく》へお|通《とほ》りになりました。|大方《おほかた》|其《その》|方《かた》の|事《こと》で|厶《ござ》いませう』
『ウン、ヨシ、|直様《すぐさま》|参《まゐ》ると|申上《まをしあ》げてくれ』
『ハイ』
と|答《こた》へて|従卒《じゆうそつ》は|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》つた。|後《あと》に|二人《ふたり》は|顔《かほ》|見合《みあは》せ、
『オイ、タール、どう|思《おも》ふか、|此《この》|陣屋《ぢんや》は|何《なん》だか|変梃《へんてこ》になつて|来《き》たぢやないか。|蠑〓別《いもりわけ》がお|民《たみ》をつれてやつて|来《く》るかと|思《おも》へば、|又《また》|二人《ふたり》の|美人《びじん》が|来《き》たとは、|益々《ますます》|合点《がてん》が|行《ゆ》かぬぢやないか』
『ウン、さうだなア、|大方《おほかた》|化物《ばけもの》だらうよ。これ|程《ほど》|殺風景《さつぷうけい》な|陣営《ぢんえい》へ、そんな|美人《びじん》が|二人《ふたり》も、|大胆不敵《だいたんふてき》にも|侵入《しんにふ》して|来《く》るとは、|何《ど》うしても|解《げ》せない。|併《しか》しながら|将軍《しやうぐん》の|命令《めいれい》、|反《そむ》く|訳《わけ》にも|行《ゆ》くまい、|行《い》つたら|何《ど》うだ』
『|無論《むろん》|行《ゆ》く|積《つもり》だが、|併《しか》し|大体《だいたい》の|様子《やうす》を|考《かんが》へた|上《うへ》でなくちや、|取返《とりかへ》しのならぬ|失敗《しつぱい》を|演《えん》ずるかも|知《し》れないぞ』
『ナーニ|刹那心《せつなしん》だ、|構《かま》ふものかい』
|斯《か》く|話《はな》す|所《ところ》へ、|酒《さけ》にズブ|六《ろく》に|酔《よ》うて、ヒヨロリ ヒヨロリと|千鳥《ちどり》をふみながらやつて|来《き》たのは|蠑〓別《いもりわけ》であつた。|蠑〓別《いもりわけ》は|狐《きつね》と|兎《うさぎ》と|猫《ねこ》との|目《め》をつき|交《ま》ぜた|様《やう》な|妙《めう》な|目付《めつき》をしながら、|臭《くさ》い|息《いき》を|吹《ふ》きつつ、
『ヤア、お|歴々《れきれき》、|何《なん》ぞ|面白《おもしろ》い|話《はなし》が|厶《ござ》るかな。|一《ひと》つ|私《わし》にも|聞《き》かして|下《くだ》さい』
アーク『コレハコレハ、|蠑〓別《いもりわけ》の|御大将《おんたいしやう》、|大変《たいへん》な|上機嫌《じやうきげん》と|見《み》えますなア、お|話《はなし》も|承《うけたま》はりたいなり、|又《また》しみじみと|御懇談《ごこんだん》も|申上《まをしあ》げたいのだが、|只今《ただいま》|将軍《しやうぐん》よりお|呼《よ》び|出《だ》しになりましたので、|生憎《あひにく》ゆつくり|話《はなし》の|交換《かうくわん》も|出来《でき》ませぬ。|失礼《しつれい》ながら|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》りませう』
『ヤア、|実《じつ》の|所《ところ》はランチ|将軍様《しやうぐんさま》の|使《つかひ》で|来《き》たのだ。|今《いま》|三五教《あななひけう》の|清照姫《きよてるひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》といふ|頗《すこぶ》る|付《つき》のシヤンが、|突然《とつぜん》|降《ふ》つて|来《き》たので、|両将軍《りやうしやうぐん》の|恐悦《きようえつ》|斜《ななめ》ならず、|従卒《じゆうそつ》を|以《もつ》て、アーク、タールの|幕僚《ばくれう》をお|呼《よび》よせになつた|所《ところ》、|今《いま》|来《こ》られちや、|肝腎《かんじん》の|性念場《しやうねんば》が|台《だい》なしになるといふので……|蠑〓別《いもりわけ》|殿《どの》、|彼奴等《あいつら》|両人《りやうにん》は|中々《なかなか》|口《くち》の|達者《たつしや》な|理窟《りくつ》つぽい|奴《やつ》だから、そなた|行《い》つて、うまく|喰《く》ひとめて|来《き》て|下《くだ》され……とのお|頼《たの》みだ。それ|故《ゆゑ》|実《じつ》の|所《ところ》は|一時《ひととき》ばかり|暇取《ひまど》らせ、|其《その》|間《あひだ》に|両将軍《りやうしやうぐん》がシツポリと|要領《えうりやう》を|得《え》ようといふ|段取《だんどり》だ。アハヽヽヽヽ』
『ヤア、そりや|勿怪《もつけ》の|幸《さいは》ひだ。なア、タール、|一《ひと》つここで|蠑〓別《いもりわけ》のローマンスでも|聞《き》かして|貰《もら》はうかい』
『|所望《しよまう》だ|所望《しよまう》だ』
『ナニ、|俺《おれ》のローマンスを|聞《き》きたいといふのかアー。|聞《き》きたくば|聞《き》かしてやらう。|併《しか》しながら|余《あま》り|口数《くちかず》が|多《おほ》いので、どの|方面《はうめん》から|糸口《いとぐち》をたぐつたらいいか|分《わか》らない。アーア、|困《こま》つた|註文《ちうもん》を|受《う》けたものだ。エヘヽヽヽヽ』
アーク『モシモシ、|涎《よだれ》がおちますよ』
|蠑〓別《いもりわけ》『エヘヽヽヽヽ、イツヒツヒ』
タール『|大分《だいぶん》に|嬉《うれ》しかつたと|見《み》えますね。|智者《ちしや》は|対者《たいしや》の|一言《いちごん》を|聞《き》いて、|其《その》|生涯《しやうがい》を|知《し》るとか|云《い》ひましてなア、このタールは|蠑〓別《いもりわけ》さまの|其《その》|顔面《がんめん》|筋肉《きんにく》の|動《うご》き|方《かた》と、エヘヽヽイヒヽヽの|言霊《ことたま》によつて、|貴方《あなた》の|歓喜生活《くわんきせいくわつ》の|生涯《しやうがい》をほぼ|悟《さと》る|事《こと》を|得《え》ました』
アーク『ナヽ|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ。よう|囀《さへづ》る|奴《やつ》だな。|貴様《きさま》がそれ|程《ほど》|分《わか》つてゐるなら、|蠑〓別《いもりわけ》さまに|代《かは》つて、ここで|俺《おれ》に|聞《き》かしたら|何《ど》うだ』
タール『|御本人《ごほんにん》の|前《まへ》で、|御本人《ごほんにん》の|講談《かうだん》は|如何《いか》なる|名人《めいじん》でも|行《や》りにくいからなア。|講談師《かうだんし》|見《み》て|来《き》た|様《やう》な|嘘《うそ》をつき……と|何程《なにほど》|真実《ほんたう》を|語《かた》つても、|頭《あたま》から|相場《さうば》をきめられちや、|折角《せつかく》の|骨折《ほねをり》が|無駄《むだ》になる。それよりも|直接《ちよくせつ》|御本人《ごほんにん》から|承《うけたま》はつた|方《はう》が、|愚昧《ぐまい》な|貴様《きさま》の|頭《あたま》には、|余程《よほど》|有難《ありがた》く|感《かん》ずるだらう。』
|蠑〓別《いもりわけ》『|実《じつ》の|所《ところ》は、ウーン、|今《いま》|伴《つ》れて|来《き》たお|民《たみ》といふ|女《をんな》、|随分《ずゐぶん》|別嬪《べつぴん》でせう。エヘヽ、|貴方《あなた》も|御覧《ごらん》になりましたか』
アーク『|一寸《ちよつと》|横顔《よこがほ》を|拝《をが》まして|貰《もら》ひましたが、|随分《ずゐぶん》|稀体《きたい》の|尤物《いうぶつ》らしいですなア。|併《しか》しそんなお|惚気話《のろけばなし》を|聞《き》かして|貰《もら》ふのは、|実《じつ》ア、|有難迷惑《ありがためいわく》だ。|一杯《いつぱい》|奢《おご》つて|貰《もら》はなくちや|約《つま》らないですからなア』
『|真面目《まじめ》に|聞《き》いて|貰《もら》へるなら、|此《この》ブランデーを|進《しん》ぜる』
と|云《い》ひながら、|懐《ふところ》からガラガラ|言《い》はせながら、|峻烈《しゆんれつ》な|酒《さけ》を|盛《も》つた|二個《にこ》の|瓶《びん》を|取出《とりだ》し、|二人《ふたり》に|一個《いつこ》づつ|渡《わた》した。|二人《ふたり》は|話《はなし》はそつちのけにして、グビリグビリと|喉《のど》をならして|呑《の》み|始《はじ》めた。|蠑〓別《いもりわけ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|惚気話《のろけばなし》を|虚実交々《きよじつこもごも》|相交《あひまじ》へて|喋《しやべ》り|立《た》てる。|二人《ふたり》は|馬耳東風《ばじとうふう》と|聞《き》き|流《なが》し、ブランデーに|気《き》を|取《と》られて、
『アーア、よう|利《き》く|酒《さけ》だ、エヽー、|何《なん》と|甘《うま》いぢやないか』
『あゝ|甘《うま》い|甘《うま》い、|何《なん》と|気分《きぶん》がいいなア』
と|酒《さけ》ばかりほめてゐる。|蠑〓別《いもりわけ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》にお|民《たみ》との|情交《じやうかう》|関係《くわんけい》を|喋《しやべ》り|立《た》ててゐる。そして|二人《ふたり》の|声《こゑ》を|耳《みみ》に|挟《はさ》み、
『|本当《ほんたう》にお|前《まへ》の|言《い》ふ|通《とほ》り、ウマイものだらう。|聞《き》いても|気分《きぶん》がいいだらう』
アークは|額《ひたい》を|切《しき》りに|叩《たた》きながら、
『あゝ|酔《よ》うた|酔《よ》うた、|実《じつ》に|感謝《かんしや》の|至《いた》りだ』
『|本当《ほんたう》に|完全《くわんぜん》な|恋《こひ》のローマンスを|聞《き》いて、|酔《よ》うただらう。|頭《あたま》を|叩《たた》いて|感心《かんしん》せなくちや|居《ゐ》られまい、|本当《ほんたう》にこんな|取《と》つとき|話《ばなし》を|拝聴《はいちやう》して、お|前《まへ》も|嬉《うれ》しかろ、|感謝《かんしや》すると|云《い》つたねえ』
タール『エーエ、|俺《おれ》もモ|一本《いつぽん》|欲《ほ》しいものだなア、|本当《ほんたう》に|気分《きぶん》のいいものだ。|蠑〓別《いもりわけ》さま、モ|一《ひと》つ|下《くだ》さいな』
|蠑〓別《いもりわけ》はうつつになり、
『|本当《ほんたう》に|気分《きぶん》のいい|女《をんな》だらう、|一目《ひとめ》|見《み》ても|恍惚《くわうこつ》として|酔《よ》うたらう。|併《しか》し|下《くだ》さいと|云《い》つても、お|民《たみ》ばかりはやる|事《こと》は|出来《でき》ないよ。それ|丈《だけ》は|御免《ごめん》だ。|蠑〓別《いもりわけ》の|命《いのち》の|親《おや》だからなア』
『|本当《ほんたう》に|百薬《ひやくやく》の|長《ちやう》だ、|命《いのち》の|親《おや》だ、それだから|欲《ほ》しいといふのだ。なア、アーク、エーエン、|本当《ほんたう》に|心持《こころもち》がよくなつたぢやないか。こりや|何《ど》うしても|此《この》|儘《まま》でしまふこたア|出来《でき》ない、お|民《たみ》さまにでもついで|貰《もら》つて、|二次会《にじくわい》でもやらうかなア』
『お|民《たみ》を|何《ど》うするといふのだ。|酒《さけ》をつがさうと|云《い》つても、お|民《たみ》の|手《て》は、さう|易々《やすやす》と|貴様《きさま》の|酒《さけ》ア、つがないぞ、エヽン、|此《この》|蠑〓別《いもりわけ》|様《さま》|一人《ひとり》に|限《かぎ》つて、お|酒《さけ》をつぐ|為《ため》に|製造《せいざう》してある|雪《ゆき》の|様《やう》なお|手々《てて》だ。|身《み》の|程《ほど》|知《し》らぬもキリがあるぞよツ』
と|呶鳴《どな》りながら、ブランデーの|空瓶《あきびん》で、アークの|前頭部《ぜんとうぶ》をカツンとやつた。アーク、タールの|両人《りやうにん》はヒヨロヒヨロになつた|儘《まま》、|蠑〓別《いもりわけ》に|向《むか》つて|又《また》もやブランデーの|空瓶《あきびん》をふり|上《あ》げ、|打《う》つてかかる。されど|三人《さんにん》が|三人《さんにん》|共《とも》キツい|酒《さけ》に|足《あし》を|取《と》られ、|彼方《あちら》へヒヨロヒヨロ|此方《こちら》へヒヨロヒヨロとヒヨロつきまはつた|途端《とたん》に、|三《みつ》つの|頭《あたま》が|一所《ひとところ》に|機械的《きかいてき》に|集《あつ》まり、|烈《はげ》しき|衝突《しようとつ》を|来《きた》し、パチン、ピカピカピカと|目《め》から|霊光《れいくわう》を|発射《はつしや》し、ウンとばかり|其《その》|場《ば》に|倒《たふ》れて|了《しま》つた。|此《この》|時《とき》お|民《たみ》は、|蠑〓別《いもりわけ》の|所在《ありか》を|尋《たづ》ねて、|現《あら》はれ|来《きた》り、|此《この》|態《てい》を|見《み》て|打驚《うちおどろ》き、
『アレ、マア|蠑〓別《いもりわけ》さま』
と|云《い》ひながら、|抱起《だきおこ》さうとする。|蠑〓別《いもりわけ》は|眼《まなこ》|眩《くら》み、アークをお|民《たみ》と|間違《まちが》へ、
『コレお|民《たみ》、すまなかつた、お|前《まへ》の|何時《いつ》もの|言葉《ことば》を|軽《かろ》んじ、|内証《ないしよう》でブランデーをやつたものだから、|足腰《あしこし》が|立《た》たぬやうになつた。こんな|所《ところ》を|将軍《しやうぐん》さまに|見《み》られちや|大変《たいへん》だから、どつかへ|隠《かく》してくれないか。チツト|酔《よ》ひが|醒《さ》めるまで……』
お|民《たみ》は|蠑〓別《いもりわけ》の|顔《かほ》の|疵《きず》を|見《み》て、
『アツ』
と|驚《おどろ》き、|殆《ほとん》ど|失心《しつしん》|状態《じやうたい》になつてゐたので、|蠑〓別《いもりわけ》がアークをお|民《たみ》と|間違《まちが》へてる|事《こと》に|気《き》がつかなかつた。タールは|目《め》まひが|来《き》て、お|民《たみ》の|傍《かたはら》にリの|字形《じがた》になつて|倒《たふ》れてゐる。アークは|蠑〓別《いもりわけ》が|自分《じぶん》をお|民《たみ》と|間違《まちが》へてゐるなア……と|早《はや》くも|悟《さと》り、|舌《した》のまはらぬ|口《くち》から|女《をんな》の|作《つく》り|声《ごゑ》をして、
『コレ、|蠑〓別《いもりわけ》さま、お|前《まへ》さまは、|本当《ほんたう》にヒドイ|人《ひと》だよ、いつもいつも|私《わたし》にこれ|丈《だけ》|心配《しんぱい》かけて、それ|程《ほど》|私《わたし》が|憎《にく》いの、サアもうお|暇《ひま》を|下《くだ》さい、|今日《けふ》|限《かぎ》りモウ|私《わたし》はアカの|他人《たにん》ですよ。エヽ|憎《にく》らしい』
といつては|耳《みみ》を|引掻《ひつか》き、|横面《よこづら》をピシヤピシヤとなぐり、|鼻《はな》をつまもうとすれど、アークも|余《あま》り|酔《よ》ひつぶれてゐるので、|手《て》が|何《ど》うしても|命令《めいれい》を|聞《き》かず、|蠑〓別《いもりわけ》の|鼻《はな》をこすつたり、|頬《ほほ》べたを|撫《な》でたり、|耳《みみ》を|引張《ひつぱ》つてゐる。|蠑〓別《いもりわけ》は|余《あま》りアークの|手《て》がキツクさはらないので、ますますお|民《たみ》の|手《て》と|信《しん》じ、
『アヽお|民《たみ》、すまなかつた、どつかへ|一《ひと》つ|酔《よひ》の|醒《さ》める|迄《まで》かくしてくれ』
と|叫《さけ》ぶ。アークは|又《また》|作《つく》り|声《ごゑ》で、
『サ、|蠑〓別《いもりわけ》さま、|次《つぎ》の|間《ま》の|押入《おしい》の|中《なか》へかくして|上《あ》げませう。|酔《よひ》のさめる|迄《まで》|静《しづ》かにお|休《やす》みなさいませ』
『|流石《さすが》はお|民《たみ》だ、|親切《しんせつ》な|女《をんな》だなア。|是《これ》だから|蠑〓別《いもりわけ》が|命《いのち》|迄《まで》|投込《なげこ》むのも|無理《むり》もない。お|前《まへ》になら|仮令《たとへ》どんな|所《ところ》へ|連込《つれこ》まれても|満足《まんぞく》だ。ゲーガラガラガラ ウツプー、あゝ|苦《くる》しい|苦《くる》しい』
アークはニタニタしながら、|蠑〓別《いもりわけ》を|肩《かた》にかけ、|水門壺《すゐもんつぼ》の|前《まへ》まで|行《い》つて、
『|蠑〓別《いもりわけ》さま、ここが|押入《おしいれ》だよ』
と|言《い》ふより|早《はや》く、|水門壺《すゐもんつぼ》へ|蠑〓別《いもりわけ》を|突《つ》きおとさうとした。|蠑〓別《いもりわけ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|腕《うで》を|握《にぎ》つてはなさない。|押《お》した|勢《いきほひ》に|二人《ふたり》はヒヨロヒヨロとヨロめいて、|水門壺《すゐもんつぼ》の|中《なか》へドブンと|一緒《いつしよ》におち|込《こ》んで|了《しま》つた。|此《この》|物音《ものおと》に|驚《おどろ》いて、|外面《そと》の|見廻《みまは》りをしてゐた|二三《にさん》の|番卒《ばんそつ》は|駆《か》けより、|二人《ふたり》を|水門壺《すゐもんつぼ》より|救《すく》ひ|上《あ》げ、|火《ひ》を|焚《た》きなどして|二人《ふたり》の|気《き》をつけた。そして|蠑〓別《いもりわけ》は|依然《いぜん》としてお|民《たみ》と|一緒《いつしよ》に|落込《おちこ》んだものと|信《しん》じてゐた。アークもタールも、|蠑〓別《いもりわけ》もお|民《たみ》も|一度《いちど》に|正気《しやうき》を|失《うしな》つて|了《しま》つたのだから、|番卒《ばんそつ》|共《ども》の|介抱《かいほう》は|少《すこ》しも|知《し》らず、|気《き》がついたのは|何《いづ》れも|同時《どうじ》であつた|為《ため》に、|知《し》らぬ|神《かみ》に|祟《たた》りなしで、アーク、|蠑〓別《いもりわけ》の|間《あひだ》に、|此《この》|事《こと》に|関《くわん》しては|少《すこ》しの|紛擾《ふんぜう》も|起《おこ》らなかつた。
|茲《ここ》に|四人《よにん》はスツカリ|酔《よひ》がさめ、|正気《しやうき》になる|迄《まで》|一日《いちにち》ばかり|寝《ね》た|上《うへ》、|其《その》|翌日《よくじつ》になつて、|昼狐《ひるぎつね》を|追出《おひだ》したやうな|顔《かほ》をして、ランチ|将軍《しやうぐん》の|前《まへ》にヌツクリと|顔《かほ》を|出《だ》した。
(大正一二・一・一二 旧一一・一一・二六 松村真澄録)
第三章 |観音経《くわんのんきやう》〔一二五七〕
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》は
|怪《あや》しの|森《もり》を|通過《つうくわ》して |浮木《うきき》の|森《もり》に|屯《たむろ》せる
ランチ、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の |陣営《ぢんえい》を|守《まも》る|番卒《ばんそつ》に
|其《その》|入口《いりぐち》に|出会《しゆつくわい》し |種々《しゆじゆ》|様々《さまざま》の|問答《もんだふ》を
なせる|折《をり》しも|敵軍《てきぐん》の |企《たく》みの|穽《あな》におとされて
|命《いのち》|危《あやふ》く|見《み》えけるが |神《かみ》の|守《まも》りし|神司《かむづかさ》
|危《あやふ》き|穽《あな》に|落《お》ちながら |卯《う》の|毛《け》の|露《つゆ》の|怪我《けが》もなく
|治国別《はるくにわけ》と|竜公《たつこう》は |早速《さそく》の|頓智《とんち》|番卒《ばんそつ》の
アーク、タールを|説《と》き|伏《ふ》せて |危難《きなん》を|逃《のが》れ|這《は》ひ|上《あが》り
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御教《みをしへ》を いとも|細《こま》かに|説《と》きつれば
もとより|神《かみ》の|御魂《みたま》をば うけたる|二人《ふたり》の|番卒《ばんそつ》は
|忽《たちま》ち|心機一転《しんきいつてん》し |悔悟《くわいご》の|花《はな》も|咲《さ》き|満《み》ちて
|心《こころ》の|底《そこ》より|帰順《きじゆん》しつ |治国別《はるくにわけ》を|伴《ともな》ひて
ランチの|陣営《ぢんえい》をさして|行《ゆ》く ランチ、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》は
|治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》が |思《おも》はぬここに|来《きた》りしを
|眺《なが》めて|笑壺《ゑつぼ》に|入《い》りながら |表面《うはべ》を|飾《かざ》る|柔言葉《やさことば》
|和睦《わぼく》の|酒《さけ》と|云《い》ひながら |二人《ふたり》を|酔《よ》はせ|奥《おく》の|間《ま》の
|秘密《ひみつ》の|場所《ばしよ》へ|誘《いざな》ひて |燕返《つばめがへ》しの|計略《けいりやく》に
|千尋《ちひろ》の|深《ふか》き|暗窟《あんくつ》へ |落《おと》し|込《こ》みしぞ|忌々《ゆゆ》しけれ
|治国別《はるくにわけ》や|竜公《たつこう》は |忽《たちま》ち|正気《しやうき》を|失《うしな》ひて
|其《その》|霊魂《れいこん》は|宙《ちう》に|飛《と》び |精霊界《せいれいかい》に|踏《ふ》み|迷《まよ》ひ
|一人《ひとり》の|守衛《しゆゑい》に|教《をし》へられ |狭《せ》き|谷道《たにみち》|攀《よ》ぢのぼり
|漸《やうや》う|此処《ここ》に|八衢《やちまた》の |関所《せきしよ》の|前《まへ》にと|着《つ》きにけり
|善《ぜん》と|悪《あく》との|精霊《せいれい》が |集《あつ》まり|来《きた》り|八衢《やちまた》の
|審判《さばき》を|受《う》くる|有様《ありさま》を |心《こころ》をひそめて|眺《なが》めつつ
|現幽《げんいう》|二界《にかい》の|真諦《しんたい》を おぼろげながら|感得《かんとく》し
|伊吹戸主《いぶきどぬし》の|御館《みやかた》に |暫《しばら》く|息《いき》を|休《やす》めつつ
|外面《とのも》の|景色《けしき》を|眺《なが》め|居《ゐ》る |時《とき》しもあれや|中天《ちうてん》を
|照《て》らして|来《きた》る|大火団《だいくわだん》 |二人《ふたり》が|前《まへ》に|顛落《てんらく》し
|火花《ひばな》を|四方《しはう》に|散乱《さんらん》し |暫《しばら》く|雲《くも》に|包《つつ》まれて
|四辺《あたり》も|見《み》えずなりにけり |二人《ふたり》は|益々《ますます》|怪《あや》しみて
きつと|目《め》をすゑ|眺《なが》め|入《い》る |忽《たちま》ち|一柱《ひとり》の|神人《しんじん》が
|容貌《ようばう》|衣服《いふく》を|輝《かがや》かし |治国別《はるくにわけ》に|打向《うちむか》ひ
|我《われ》は|言依別《ことよりわけ》の|神《かみ》 |不思議《ふしぎ》な|処《ところ》で|会《あ》ひました
|皇大神《すめおほかみ》の|御言《みこと》もて |今《いま》は|媒介天人《ばいかいてんにん》と
|重《おも》き|使命《しめい》を|任《ま》けられぬ いざ|之《これ》よりは|天国《てんごく》を
|巡覧《じゆんらん》|召《め》され|吾《われ》は|今《いま》 |汝《なれ》が|命《みこと》を|案内《あない》せむ
|又《また》|竜公《たつこう》は|証覚《しようかく》の まだ|開《ひら》けざる|身《み》なれども
|特《とく》にお|供《とも》を|許《ゆる》すべし |之《これ》を|被《かぶ》れと|云《い》ひながら
|懐中《くわいちう》|探《さぐ》り|被面布《ひめんぷ》を とり|出《だ》し|竜公《たつこう》にかけ|給《たま》ふ
|此処《ここ》に|二人《ふたり》は|勇《いさ》み|立《た》ち |最下天国《さいかてんごく》の|其《その》|一部《いちぶ》
|巡覧《じゆんらん》し|終《を》へ|中間《ちうかん》の |天国《てんごく》さして|昇《のぼ》り|行《ゆ》く
|木花姫《このはなひめ》の|現《あら》はれて |種々《いろいろ》|雑多《ざつた》と|両人《りやうにん》が
|心《こころ》を|戒《いまし》め|給《たま》ひつつ |珍彦館《うづひこやかた》に|導《みちび》きて
|尊《たふと》き|神《かみ》の|経綸《けいりん》の |其《その》|大略《たいりやく》を|示《しめ》すべく
|此処《ここ》に|言霊別《ことたまわけ》の|神《かみ》 |治国別《はるくにわけ》の|徒弟《とてい》なる
|五三公《いそこう》さまと|現《あら》はれて |又《また》もや|尊《たふと》き|教訓《けうくん》を
|授《さづ》け|給《たま》ひし|尊《たふと》さよ |之《これ》より|二人《ふたり》は|五三公《いそこう》の
|案内《あない》につれて|天国《てんごく》の |各団体《かくだんたい》を|巡歴《じゆんれき》し
|最高一《さいかういち》の|天国《てんごく》や |霊国《れいごく》までも|巡拝《じゆんぱい》し
|月《つき》の|御神《みかみ》や|日《ひ》の|御神《みかみ》 |其《その》|他《ほか》|百《もも》のエンゼルに
|清《きよ》き|教《をしへ》を|伝《つた》へられ |智慧証覚《ちゑしようかく》を|拝受《はいじゆ》して
|再《ふたた》びもとの|肉体《にくたい》に かへり|来《きた》りてバラモンの
|醜《しこ》の|司《つかさ》を|悉《ことごと》く |言向和《ことむけやは》す|物語《ものがたり》
|語《かた》るにつけて|面白《おもしろ》く |益々《ますます》|深《ふか》く|真《しん》に|入《い》り
|其《その》|妙奥《めうおう》に|達《たつ》すべく |守《まも》らせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎ|奉《まつ》る。
|蠑〓別《いもりわけ》、お|民《たみ》、アーク、タールの|四人《よにん》は|一日《いちにち》の|間《あひだ》|酔《よひ》をさまし、|何《なに》|喰《く》はぬ|顔《かほ》してランチ|将軍《しやうぐん》の|前《まへ》にヌツと|顔《かほ》を|突《つ》き|出《だ》した。ランチ|将軍《しやうぐん》は|常《つね》にないニコニコとした|笑顔《ゑがほ》を|見《み》せ、
『ヤア|四人《よにん》の|御歴々《おれきれき》、|御壮健《ごさうけん》で|御目出度《おめでた》う。|何《なに》か|御用《ごよう》で|厶《ござ》るかな』
と|脱線振《だつせんぶり》を|発揮《はつき》してゐる。|察《さつ》するにランチは|珍客《ちんきやく》に|余程《よほど》|同情《どうじやう》ある|待遇《たいぐう》をされ、|精神《せいしん》の|一部《いちぶ》に|狂《くる》ひを|生《しやう》じて|居《ゐ》たと|見《み》える。|蠑〓別《いもりわけ》は|亦《また》|平素《へいそ》から|少《すこ》しく|精神上《せいしんじやう》に|欠陥《けつかん》のある|男《をとこ》だが、|今《いま》ランチ|将軍《しやうぐん》の|顔《かほ》を|見《み》てニコニコ|笑《わら》ひながら、
『モシ|将軍殿《しやうぐんどの》、|昨夜《さくや》は|嘸《さぞ》|御疲《おつか》れでしただらう。お|察《さつ》し|申《まを》します。|何《なん》と|云《い》つても|世《よ》の|中《なか》は|異性《いせい》が|居《を》らなくては|威勢《いせい》の|悪《わる》いものですよ。|空《そら》を|飛《と》ぶ|小雀《こすずめ》だつて、|蝶々《てふてふ》だつて、|蜻蛉《とんぼ》だつて、|蝉《せみ》だつて、|土〓蜂《どかばち》だつて、|矢張《やつぱ》り|男女《だんぢよ》|同棲《どうせい》して|天与《てんよ》の|真楽《しんらく》を|楽《たの》しんで|居《ゐ》るのですからな。|昔《むかし》の|世間《せけん》に|暗《くら》い|軍人《ぐんじん》は、|陣中《ぢんちう》に|女《をんな》は|一切《いつさい》|無用《むよう》だなどと|云《い》つて|我慢《がまん》をしたものですが、|最早《もはや》|今日《こんにち》となつては|軍人《ぐんじん》も|一種《いつしゆ》の|商売《しやうばい》ですから、|女《をんな》がなくちややりきれませぬわい。ウツフヽヽヽ、モシ|将軍《しやうぐん》さま、|大変《たいへん》な|爽快《さうくわい》な|面持《おももち》で|厶《ござ》りますな』
『ハイ、|何《なん》と|云《い》つても|双方《さうはう》から|速射砲的《そくしやはうてき》に|襲撃《しふげき》を|受《う》けたものですから、|耳《みみ》はひツかかれる、|頬《ほほ》は|抓《つめ》られる、|腕《うで》は|左右《さいう》からぬける|程《ほど》|引《ひ》つ|張《ぱ》られるものだから、イヤもう【きつい】|迷惑《めいわく》を|致《いた》しました。エツヘヽヽヽ、|其《その》|為《た》め|全身《ぜんしん》の|細胞《さいばう》や|繊維《せんゐ》が|稍《やや》|倦怠《けんたい》|気分《きぶん》となり、|各部《かくぶ》に|同盟罷工《どうめいひこう》をやつたと|見《み》えて、|思《おも》ふ|様《やう》に|足《あし》が|動《うご》かなくなりました』
『|足《あし》ばかりぢやありますまい。|腰部《えうぶ》は|如何《いかが》です、|腰部《えうぶ》は|天国《てんごく》に|於《お》ける|夫婦《ふうふ》の|愛《あい》と|相応《さうおう》する|最要部《さいえうぶ》で|厶《ござ》りますからな』
『|成程《なるほど》、|夜前《やぜん》はあまり|乱痴気《らんちき》|将軍《しやうぐん》をやつたものだから、|少々《せうせう》ばかり|今日《けふ》は|二日酔《ふつかよ》ひの|気味《きみ》で|厶《ござ》る。それに|就《つ》いても|可憐《かはい》さうなのは|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》だ』
『あの|二人《ふたり》の|美人《びじん》は|一人《ひとり》づつ|貴方等《あなたがた》のお|相手《あひて》になさつたのぢやありませぬか』
『イヤ、それがさうぢやて、……|困《こま》つた|事《こと》には|二人《ふたり》ながらランチ ランチと|云《い》ひやがつて……エヘヽヽヽヽ|此《この》|一人《ひとり》の|男《をとこ》を|双方《さうはう》から|襲撃《しふげき》し、|気《き》の|毒《どく》|千万《せんばん》にも|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》には|目《め》もくれないのだ。そこで|此《この》ランチが|聊《いささ》か|同情《どうじやう》の|念《ねん》を|以《もつ》て|片彦《かたひこ》に|靡《なび》かせむと、|種々《しゆじゆ》|雑多《ざつた》と|心《こころ》を|揉《も》んだでもないし、|揉《も》まぬでもなかつたが、|矢張《やつぱり》|恋愛《れんあい》と|云《い》ふものは|合縁奇縁《あひえんきえん》で|仕方《しかた》のないものだ。|凡《すべ》て|恋愛《れんあい》は|一方《いつぱう》に|偏重《へんちよう》する|性質《せいしつ》のものだから、|大変《たいへん》に|都合《つがふ》の|悪《わる》い|事《こと》もあるが、|然《しか》しそこが|男子《だんし》に|取《と》つて|非常《ひじやう》に|妙味《めうみ》のある|所《ところ》だ。イツヒヽヽヽ』
『さうして|片彦《かたひこ》さまは|如何《どう》なつたのですか』
『ウン、|片彦《かたひこ》は|歯《は》ぎしりを|噛《か》んで|怒《いか》り|出《だ》し、|歯《は》をガタガタ|云《い》はせ、ガタガタ|慄《ぶる》ひをして|到頭《たうとう》ガタ|彦《ひこ》となつて|了《しま》つた。|何《ど》うも|斯《か》うガタピシヤになつては|陣中《ぢんちう》の|平和《へいわ》が|保《たも》たれないので、|聊《いささ》か|困《こま》つてるのですよ。|斯《か》うなつて|来《く》ると、|此《この》ランチを|女《をんな》にチヤホヤされる|男《をとこ》らしい|男《をとこ》に|生《う》んでくれた|親《おや》が|怨《うら》めしい|様《やう》に、|根《ね》つから|厶《ござ》らぬわい、エツヘヽヽヽ。そこで|一《ひと》つ|蠑〓別《いもりわけ》|殿《どの》に|相談《さうだん》がある。|聞《き》いては|下《くだ》されますまいかな』
『|其《その》|御相談《ごさうだん》とは|何事《なにごと》で|厶《ござ》いますか』
『|外《ほか》でもござらぬ、|其方《そなた》の|最愛《さいあい》のお|民《たみ》さまを|暫《しばら》く|此《この》ランチに|自由《じいう》にさして|頂《いただ》きたいのだ』
お|民《たみ》は、
『アレ、まアー』
と|袖《そで》に|顔《かほ》を|隠《かく》す。
『コリヤお|民《たみ》、|何《なん》だ|其《その》スタイルは……|細《ほそ》い|目《め》をしやがつて………「アレ、マア」|等《など》とランチ|将軍《しやうぐん》に|秋波《しうは》を|送《おく》つてゐるのか』
と|呶鳴《どな》りつけた。お|民《たみ》は|泣声《なきごゑ》になり、
『コレ、モシ|蠑〓別《いもりわけ》さま、お|情《なさけ》ない|事《こと》を|云《い》つて|下《くだ》さいますな。|貴方《あなた》はまだ|私《わたし》の|心《こころ》が|分《わか》らないのですか』
『ウン、|分《わか》らぬでもない、が|然《しか》しあまり|妙《めう》な|素振《そぶり》をすると、|俺《おれ》も|聊《いささ》か|気《き》にならない|事《こと》はないからなあ』
『|実《じつ》は|蠑〓別《いもりわけ》さま、|其《その》お|民《たみ》さまを|貸《か》して|頂《いただ》きたいと|云《い》ふのは、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》に|綺麗《きれい》サツパリとやつて|貰《もら》ひたいのだ。それでなければ|軍規《ぐんき》の|統一《とういつ》が|保《たも》たれないので、|此《この》ランチが|折入《をりい》つてお|願《ねが》ひ|申《まを》すのだ』
『これは|怪《け》しからぬ。|何事《なにごと》かと|思《おも》へば|吾々《われわれ》の|女房《にようばう》を|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》に|与《あた》へよなどとは|以《もつ》ての|外《ほか》のお|言葉《ことば》で|厶《ござ》る。さう|蕪《かぶら》か|大根《だいこん》の|様《やう》にチヤクチヤクと|人《ひと》に|与《や》る|事《こと》が|出来《でき》ますか。|拙者《せつしや》は|命《いのち》がけの|芸当《げいたう》をやつて、|漸《やうや》くお|民《たみ》を|此処《ここ》まで|連《つ》れ|出《だ》した|所《ところ》、|左様《さやう》なお|言葉《ことば》を|聞《き》くとは|意外千万《いぐわいせんばん》だ。|斯様《かやう》な|処《ところ》に|長居《ながゐ》は|恐《おそ》れだ。オイ、お|民《たみ》、|一時《いつとき》も|早《はや》うここを|帰《かへ》らう』
『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》んす。それなら|何卒《どうぞ》こんな|恐《おそ》ろしい|処《ところ》は|嫌《いや》になりましたから、|貴方《あなた》の|好《す》きな|処《ところ》へ|連《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さい。|然《しか》し|蠑〓別《いもりわけ》さま、ここを|立《た》ち|去《さ》るとなれば|忽《たちま》ち|困《こま》るのはお|金《かね》でせう。|貴方《あなた》がエキスさまの|手《て》を|通《とほ》してランチさまにお|渡《わた》しなさつた|五千両《ごせんりやう》の|金《かね》をスツカリ|返《かへ》して|貰《もら》つて|下《くだ》さい。それを|路銀《ろぎん》にして|二人《ふたり》が|睦《むつま》じう|暮《く》らさうぢやありませぬか』
『ウン、|然《しか》し|男《をとこ》が|一旦《いつたん》|出《だ》したものを|返《かへ》してくれなんて、そんな|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》な|事《こと》が|云《い》はれようか』
『エーエ、お|前《まへ》さまはそれだからいつも|駄目《だめ》だと|云《い》ふのよ。|此《この》|先《さき》ここを|立《た》ち|出《で》て|乞食《こじき》でもする|積《つも》りで|御座《ござ》んすかい』
『|成行《なりゆき》なら|仕方《しかた》がないぢやないか。あの|金《かね》だつて|俺《おれ》が|働《はたら》いて|造《つく》つた|金《かね》ぢやなし、お|寅婆《とらばば》が|信者《しんじや》をチヨロまかして|貯《た》めた|金《かね》を|何々《なになに》して|来《き》たのだから、そんな|執着心《しふちやくしん》は|持《も》つものぢやない。サア|行《ゆ》かう』
とお|民《たみ》の|手《て》をとり|引《ひ》き|立《た》てようとする。お|民《たみ》は|首《くび》を|左右《さいう》にふり、|金切《かなき》り|声《ごゑ》を|出《だ》して、
『イエイエ|此《この》|陣営《ぢんえい》に|置《お》いて|貰《もら》ふのならばお|金《かね》は|必要《ひつえう》はありませぬが、|忽《たちま》ち|今日《けふ》から|乞食《こじき》をせねばなりませぬ。なんぼ|私《わたし》だつて、|貴方《あなた》と|一緒《いつしよ》に|乞食《こじき》する|位《くらゐ》なら|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》のお|妾《めかけ》にでもなりますわ。ほんに|気《き》の|利《き》かぬ|人《ひと》だな。エー|口惜《くや》しい、オーン オーン オーン』
『あゝ、それなら|仕方《しかた》がない。ランチさま、|何卒《どうぞ》|私《わたし》をここに|置《お》いて|下《くだ》さい。|其《その》|代《かは》りにお|民《たみ》を|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》に|渡《わた》す|事《こと》だけはお|断《ことわ》りを|申《まを》します』
『|実《じつ》の|所《ところ》はウラナイ|教《けう》の|教主《けうしゆ》|蠑〓別《いもりわけ》さまは、|千変万化《せんぺんばんくわ》の|妖術《えうじゆつ》を|使《つか》ひ、|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》でさへも、ウラナイ|教《けう》に|一指《いつし》をも|染得《そめえ》ざるは|蠑〓別《いもりわけ》の|教主《けうしゆ》あるためだと|聞《き》いて|居《を》つた|所《ところ》、|此《この》|間《あひだ》より|様子《やうす》を|考《かんが》へて|居《を》れば、|見《み》かけ|倒《だふ》しの|芸《げい》なし|猿《ざる》、|女《をんな》に|目《め》を|細《ほそ》うして|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|酒《さけ》を|喰《くら》ふばかりが|芸当《げいたう》で、|何一《なにひと》つ|取柄《とりえ》が|厶《ござ》らぬ。もはや|此《この》|陣中《ぢんちう》に|於《おい》てはお|前《まへ》さまの|如《ごと》き|偽豪傑《にせがうけつ》はチツトも|必要《ひつえう》は|厶《ござ》らぬ。|然《しか》しながら|其方《そなた》の|連《つ》れ|添《そ》うて|厶《ござ》るお|民《たみ》は|比較的《ひかくてき》|気《き》の|利《き》いた|女《をんな》、|加《くは》ふるに|十人並《じふにんなみ》|優《すぐ》れた|美人《びじん》と|云《い》ひ、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|女房《にようばう》には|最《もつと》も|適当《てきたう》と|認《みと》めるによつて、お|民《たみ》をここに|残《のこ》し、【とつと】と|帰《かへ》つて|下《くだ》され』
『これは|怪《け》しからぬ。|一旦《いつたん》|貴方《あなた》の|幕僚《ばくれう》と|任命《にんめい》をされた|以上《いじやう》は、|其《その》|様《やう》な|理由《りいう》によつて|立去《たちさ》る|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|万一《まんいち》たつて|立去《たちさ》れと|仰有《おつしや》るならば、|之《これ》から|拙者《せつしや》の|法力《ほふりき》を|以《もつ》て|此《この》|陣営《ぢんえい》をメチヤメチヤに|破壊《はくわい》し、|其方《そなた》の|生命《いのち》を|刃《やいば》を|用《もち》ゐずして|奪《と》つて|見《み》ませう』
『アハヽヽヽヽ、|何《なん》とえらい|勢《いきほひ》で|厶《ござ》るな。|見《み》ると|聞《き》くとは|大違《おほちが》ひ、|今迄《いままで》ならば|其《その》|嚇《おど》しは|利《き》くだらうが、もはや|今日《こんにち》となつては|内兜《うちかぶと》を|見透《みすか》した|此《この》|方《はう》、そんな|嚇《おど》し|文句《もんく》は、いつかな いつかな|喰《く》ひませぬぞや。|何《なん》なつと|業力《ごふりき》を|出《だ》してランチ|将軍《しやうぐん》の|息《いき》の|根《ね》をとめて|御覧《ごらん》、それが|出来《でき》れば|拙者《せつしや》の|役目《やくめ》をお|譲《ゆづ》り|申《まを》す|約束《やくそく》を|今《いま》からしてもよろしい。マサカ|其《その》|神力《しんりき》は|厶《ござ》るまい。|現在《げんざい》お|民《たみ》に|秋風《あきかぜ》を|吹《ふ》かされて|居《ゐ》る|様《やう》な|今《いま》の|体裁《ていさい》、これお|民《たみ》|殿《どの》、|今《いま》|其方《そなた》は|蠑〓別《いもりわけ》と|乞食《こじき》する|位《くらゐ》なら|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》のお|妾《めかけ》になると|云《い》つたな。ウツフヽヽ|出来《でか》した|出来《でか》した|天晴《あつぱれ》|天晴《あつぱれ》、|女丈夫《ぢよぢやうふ》の|亀鑑《きかん》、|貞女《ていぢよ》の|鑑《かがみ》、|名《な》を|末代《まつだい》に|伝《つた》ふであらう』
と|脱線《だつせん》だらけの|業託《ごふたく》を|吐《は》いてゐる。
|蠑〓別《いもりわけ》は|躍気《やくき》となり、
『|然《しか》らば|此《この》|方《はう》の|法力《ほふりき》によつて|此《この》|陣中《ぢんちう》をたたき|破《やぶ》り、|先《ま》づ|第一《だいいち》に|気《き》の|毒《どく》ながらランチ|将軍《しやうぐん》の|息《いき》の|根《ね》をとめてくれむ。|後《あと》で|後悔《こうくわい》|召《め》さるな』
と|云《い》ひ|放《はな》ち、|次《つぎ》の|間《ま》へ|行《い》つて|大自在天《だいじざいてん》の|前《まへ》に|数珠《じゆず》をもみながらキチンと|端坐《たんざ》し、|先《ま》づバラモン|大自在天《だいじざいてん》を|念《ねん》じ、|次《つぎ》に|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》を|奏上《そうじやう》し、|大広木正宗殿《おほひろきまさむねどの》、|義理天上日《ぎりてんじやうひ》の|出神《でのかみ》と|称《とな》へ|終《をは》り、ソロソロ|得意《とくい》の|観音経《くわんのんきやう》を|誦《しよう》じ|初《はじ》めた。
『|真観清浄観《しんくわんしやうじやうくわん》 |広大智慧観《くわうだいちゑくわん》
|悲観及慈観《ひくわんぎうじくわん》 |常願常瞻仰《じやうぐわんじやうせんごう》
|無垢清浄光《むくしやうじやうくわう》 |慧日破諸闇《ゑにちはせうあん》
|能伏災風火《のうふくさいふうくわ》 |普明照世間《ふみやうせうせけん》
|悲体戒雷震《ひたいかいらいしん》 |慈意妙大雲《じいめうだいうん》
|樹甘露法雨《じゆかんろほふう》 |滅除煩悩炎《めつぢよぼんなうえん》
|諍証経官処《ぜうしようきやうくわんしよ》 |怖畏軍陣中《ふゐぐんぢんぢう》
|念彼観音力《ねんぴくわんのんりき》 |衆怨悉退散《しうをんしつたいさん》
|妙音観世音《めうおんくわんぜおん》 |梵音海潮音《ぼんおんかいてうおん》
|勝彼世間音《しようひせけんおん》 |是故須常念《ぜこしゆじやうねん》
|念々勿生疑《ねんねんもつしやうぎ》 |観世音浄聖《くわんぜおんじやうしやう》
|於苦悩死厄《おくなうしやく》 |能為作依怙《のうゐさえこ》』
かく|一生懸命《いつしやうけんめい》に|汗《あせ》をタラタラ|流《なが》しながら|観音《くわんのん》を|念《ねん》じてゐる。されど|観音《くわんのん》の|感応《かんのう》はありさうもなく、|仏《ぶつ》が|法《ほふ》とも|尻喰《けつくら》へ|観音《くわんのん》とも|仏《ほとけ》が|云《い》はぬので、|蠑〓別《いもりわけ》は|業《ごふ》を|煮《に》やし、
『エー、|仏《ほとけ》と|云《い》ふ|奴《やつ》は、|立派《りつぱ》な|能書《のうが》きばかり|並《なら》べよつて、マサカの|時《とき》はチツとも|間《ま》に|合《あ》はぬものぢやな。もう|之《これ》から|貴様《きさま》の|様《やう》な|奴《やつ》は|拝《をが》んでやらぬわい。|之《これ》からはこつちから|尻喰《けつくら》へ|観音《くわんのん》ぢや』
とブツブツ|呟《つぶや》いて|居《ゐ》る|其《その》|可笑《をか》しさ。|猫《ねこ》が|折角《せつかく》くはへた|松魚節《かつをぶし》を|犬《いぬ》にふんだくられた|時《とき》の|様《やう》な|不足《ふそく》さうな|面《つら》をして|洟《はな》をすすつてゐる。
(大正一二・一・一一 旧一一・一一・二五 北村隆光録)
第四章 |雪雑寝《ゆきざこね》〔一二五八〕
|蠑〓別《いもりわけ》は|次《つぎ》の|神殿《しんでん》の|間《ま》に|進《すす》んで|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らしてゐる。|後《あと》にはランチ|将軍《しやうぐん》、お|民《たみ》、アーク、タールの|四人《よにん》が|冷《ひや》やかな|笑《ゑみ》を|泛《うか》べて、|暫《しばら》く|沈黙《ちんもく》の|幕《まく》を|下《お》ろしてゐた。アークは|口《くち》を|開《ひら》いて|鼻柱《はなばしら》の|両方《りやうはう》を|右《みぎ》の|手《て》でクレリ クレリと|擦《こす》り|上《あ》げながら、
『モシ|将軍様《しやうぐんさま》、|今《いま》|承《うけたま》はれば|実《じつ》に|御愉快《ごゆくわい》な|事《こと》で|厶《ござ》つたさうですな。|何処《どこ》ともなしに|御雄壮《ごゆうさう》なる………|否《いな》|歓喜《くわんき》に|充《み》たされた|御尊顔《ごそんがん》を|拝《はい》し|奉《たてまつ》り、アーク|身《み》にとり|恐悦《きようえつ》|至極《しごく》に|存《ぞん》じ|承《たてまつ》ります。|古《いにしへ》より|英雄《えいゆう》|色《いろ》を|好《この》むとか|伝《つた》へ|聞《き》いて|居《を》りまする、|之《これ》にて|将軍様《しやうぐんさま》も|初《はじ》めて|英雄《えいゆう》の|英雄《えいゆう》たる|器量《きりやう》を|発揮《はつき》|遊《あそ》ばしたと|云《い》ふもの、いかでか|之《これ》を|祝《しゆく》せずに|居《を》れませう。|然《しか》しお|祝《いはひ》には|酒《さけ》がつきものです。|酒《さけ》がつかなければあまり|縁起《えんぎ》がよくないものです。|将軍様《しやうぐんさま》の|此《この》お|祝《いはひ》をして|永遠無窮《ゑいゑんむきう》に|益々《ますます》|幸《さち》あらしめむために、お|酒《さけ》を|一杯《いつぱい》|頂戴《ちやうだい》する|訳《わけ》には|行《ゆ》きませぬか。|幸《さいは》ひお|民《たみ》|殿《どの》がここに|居《を》られますれば、お|酌《しやく》は|合《あ》うたり|叶《かな》うたり、|万事《ばんじ》|惟神的《かむながらてき》に|出来《でき》て|居《を》ります。|如何《いかが》で|厶《ござ》りませう』
『アーク、|其《その》|方《はう》は|気《き》の|利《き》いた|奴《やつ》だ。やはり|俺《おれ》が|幕僚《ばくれう》に|栄転《えいてん》させて|使《つか》つたのは、|要《えう》するに|先見《せんけん》の|明《めい》ありと|云《い》ふべしだ。よし、|其《その》|方《はう》の|言葉《ことば》が|気《き》に|入《い》つた、|何程《いくら》なりと|酒《さけ》は|飲《の》み|放題《はうだい》、|然《しか》しながら|軍規《ぐんき》|紊乱《ぶんらん》の|恐《おそ》れあれば、あまり|部下《ぶか》の|者《もの》には|知《し》らさぬ|様《やう》に|幕僚《ばくれう》のみ|私《ひそ》かに|酒宴《しゆえん》を|催《もよほ》すであらう』
『|早速《さつそく》の|御承知《ごしようち》、|流石《さすが》は|明智《めいち》の|大将《たいしやう》、|吾《わが》|意《い》を|得《え》たりと|云《い》ふべしだ。エヘン、おいタール、|如何《どう》だ、|俺《おれ》の|言霊《ことたま》は|其《その》|功力《くりき》|忽《たちま》ちだ、|恐《おそ》れ|入《い》つたか』
『うん、|斯《か》ふ|云《い》ふ|時《とき》にや|貴様《きさま》は|最適任《さいてきにん》だ。その|代《かは》り|敵陣《てきぢん》に|向《むか》つちや|一番《いちばん》がけに|逃《に》げる|奴《やつ》だからな。|弱《よわ》い|敵《てき》と|見《み》りや|無性《むしやう》|矢鱈《やたら》に|追駆《おつか》けて|行《ゆ》きよるが、|少《すこ》し|許《ばか》り|敵《てき》が|強《つよ》いと|見《み》たら|尻《しり》に|帆《ほ》かけてスタコラ、ヨイヤサと|一目散《いちもくさん》だから|大《たい》したものだよ。アハヽヽヽ』
『コリヤコリヤ|両人《りやうにん》、|此《この》|目出度《めでた》い|時《とき》に、|左様《さやう》な|争《いさか》ひは|不吉《ふきつ》だ。|七六《しちむつ》かしい|戦《いくさ》なんかの|話《はなし》はやめてくれ。それよりも|話《はなし》は|止《や》めてお|民《たみ》に|酌《しやく》をさせ、|二人《ふたり》の|珍客《ちんきやく》に|舞《ま》ひつ|踊《をど》りつ、お|慰《なぐさ》みに|供《きよう》するのだな。エヘヽヽヽ、サア|早《はや》く|将軍《しやうぐん》の|命令《めいれい》だ、|用意《ようい》! |一《いち》、|二《に》、|三《さん》!』
アーク、タールは|早速《さつそく》|此《この》|場《ば》を|外《はづ》し、|酒《さけ》の|用意《ようい》を|整《ととの》ふべく|出《で》て|行《い》つた。あとにランチ|将軍《しやうぐん》とお|民《たみ》は|差向《さしむか》ひとなつて、|一《ひと》つの|火鉢《ひばち》を|隔《へだ》て|小《ちひ》さい|声《こゑ》で|何事《なにごと》か|囁《ささや》いて|居《ゐ》る。
『|将軍《しやうぐん》|様《さま》、|貴方《あなた》は|軍人《ぐんじん》がお|好《す》きで|厶《ござ》りますか、|但《ただし》は|理想《りさう》の|女《をんな》と|民間《みんかん》に|下《くだ》つて|楽《たの》しくお|暮《くら》し|遊《あそ》ばすがお|好《す》きですか、|承《うけたま》はりたいものですな』
『ウン、|俺《おれ》はもとはお|前《まへ》の|知《し》つてる|通《とほ》りバラモン|教《けう》の|大宣伝使《だいせんでんし》|兼《けん》|大将軍《だいしやうぐん》だ。|右《みぎ》の|手《て》に|剣《つるぎ》を|持《も》ち、|左《ひだり》の|手《て》にコーランを|携《たづさ》へて|臨《のぞ》み、|教《をしへ》を|聞《き》くものは|之《これ》を|善人《ぜんにん》と|見做《みな》し、|教《をしへ》を|聞《き》かないものは|之《これ》を|魔物《まもの》と|見做《みな》して|斬《き》り|捨《す》つるのが|将軍《しやうぐん》の|役《やく》だ。|是《これ》|位《くらゐ》|愉快《ゆくわい》な|事《こと》があらうか。|将軍《しやうぐん》の|権威《けんゐ》を|以《もつ》てすれば、|何事《なにごと》も|意《い》の|如《ごと》くならぬ|事《こと》はないのだから、|何処《どこ》|迄《まで》もバラモン|教《けう》の|宣伝《せんでん》|将軍《しやうぐん》は|止《や》められないのだ。|実《じつ》に|吾々《われわれ》の|威勢《ゐせい》は|空《そら》に|輝《かがや》く|日月《じつげつ》の|如《ごと》きものだ。|其《その》|方《はう》も|吾《わが》|前《まへ》に|近《ちか》く|侍《はべ》り、|実《じつ》に|光栄《くわうえい》だらう』
『ハイ、|光栄《くわうえい》に|存《ぞん》じます。|然《しか》し|軍人《ぐんじん》と|云《い》ふものは|天下《てんか》|泰平《たいへい》の|時《とき》には|必要《ひつえう》がないものですな、|斯《か》ふ|云《い》ふ|乱世《らんせ》になれば|無《な》くては|叶《かな》ひますまい。|其《その》|点《てん》になれば|軍人《ぐんじん》さまは|国家《こくか》の|柱石《ちうせき》、|平和《へいわ》の|守《まも》り|神《がみ》|様《さま》で|厶《ござ》ります。|併《しか》しながら|貴方《あなた》|等《がた》の|神力《しんりき》と|武力《ぶりよく》によつて|世界《せかい》が|平定《へいてい》され、|真善美《しんぜんび》の|平和《へいわ》が|建設《けんせつ》されたならば、|軍人《ぐんじん》はおやめになりませうな、|否《いな》|必要《ひつえう》がありますまいな』
『ウン、それもさうだ。|併《しか》しそれは|云《い》ふべくして|行《おこな》ふべからざるものだ。|徒《いたづら》に|高遠《かうゑん》な|理想《りさう》|世界《せかい》を|夢《ゆめ》みた|所《ところ》で、|所詮《しよせん》|此《この》|世《よ》の|中《なか》は|戦《たたか》ひの|世《よ》の|中《なか》だ。|弱《よわ》い|者《もの》は|到底《たうてい》|頭《あたま》の|上《あが》らない|娑婆《しやば》|世界《せかい》だ。さうして|不幸《ふかう》にして|世界《せかい》が|平和《へいわ》に|治《をさ》まり|善人《ぜんにん》ばかりになつたら、|俺達《おれたち》|軍人《ぐんじん》はサツパリ|商売《しやうばい》が|出来《でき》ない。|敵《てき》が|現《あら》はれて|各所《かくしよ》に|動乱《どうらん》が|起《おこ》ればこそ|俺達《おれたち》の|威勢《ゐせい》も|出《で》るなり、|又《また》|安楽《あんらく》に|生活《せいくわつ》が|出来《でき》るのだ。|世《よ》の|中《なか》は|善悪混淆《ぜんあくこんこう》だよ、|芝居《しばゐ》だよ。|虚偽《きよぎ》と|罪悪《ざいあく》とを|擅《ほしいまま》にする|世《よ》の|中《なか》だ。よく|考《かんが》へて|見《み》よ、|瀬戸物屋《せとものや》は|瀬戸物《せともの》の|割《わ》れる|事《こと》を|好《この》み、|坊主《ばうず》は|死者《ししや》の|多《おほ》からむ|事《こと》を|願《ねが》ひ、|医者《いしや》は|病人《びやうにん》の|多《おほ》からむ|事《こと》を|望《のぞ》み、スパイは|小盗人《こぬすと》の|多《おほ》からむ|事《こと》を|欲《ほつ》し、|役人《やくにん》は|罪人《ざいにん》の|最《もつと》も|多《おほ》きを|以《もつ》て|自分《じぶん》の|商売《しやうばい》の|繁栄《はんゑい》として|喜《よろこ》ぶのだ。|何程《なにほど》|三五教《あななひけう》とやらが|此《この》|世《よ》の|中《なか》を|水晶《すゐしやう》にすると|云《い》つても|五六七《みろく》の|世《よ》を|建設《けんせつ》すると|云《い》つても、それは|口先《くちさき》ばかりだ。|要《えう》するに|商売《しやうばい》の|能書《のうがき》だ、|広告《くわうこく》|手段《しゆだん》だ。お|前《まへ》もチツと|時代《じだい》に|目《め》を|醒《さま》し|社会《しやくわい》の|潮流《てうりう》に|遅《おく》れない|様《やう》にしたがよからうぞ。|之《これ》が|人世《じんせ》の|径路《けいろ》だ。さうして|悪《あく》を|喜《よろこ》ぶのは|人間《にんげん》の|本能《ほんのう》だ。|己《おのれ》を|安全《あんぜん》にし|己《おのれ》の|幸福《かうふく》を|得《え》むとすれば、|必《かなら》ずや|他《た》を|亡《ほろぼ》し|他《た》を|圧迫《あつぱく》し|他《た》の|利益《りえき》を|掠奪《りやくだつ》せなくちや、|到底《たうてい》|世《よ》に|時《とき》めき|渡《わた》り、|貴人《きじん》となり|富豪《ふうがう》となり|紳士紳商《しんししんしやう》となることは|出来《でき》ない。お|前《まへ》のくはへて|来《き》た|蠑〓別《いもりわけ》も|余程《よつぽど》|薄野呂《うすのろ》だな。あれ|見《み》よ、|泡沫《ほうまつ》に|等《ひと》しき|経文《きやうもん》を|楯《たて》に、|此《この》ランチ|将軍《しやうぐん》の|命《いのち》を|祈《いの》りによつてとらう|等《など》と、アハヽヽヽ……|扨《さ》ても|扨《さ》ても【うぶ】な|考《かんが》へだ。|殆《ほとん》ど|今日《こんにち》の|時代《じだい》より|一万年《いちまんねん》ばかりおくれて|居《ゐ》る。チツと|脳味噌《なうみそ》の|詰替《つめかへ》をしてやらなくちや|此《この》|陣中《ぢんちう》でも|使《つか》ひ|様《やう》がないわ』
と|調子《てうし》に|乗《の》つて|体主霊従主義《たいしゆれいじうしゆぎ》をお|民《たみ》に|向《むか》つてまくし|立《た》ててゐる。お|民《たみ》は|善悪《ぜんあく》に|迷《まよ》ひ、|只《ただ》|俯向《うつむ》いて|考《かんが》へ|込《こ》んでゐる。
『もしランチ|将軍様《しやうぐんさま》、|夜前《やぜん》のお|二人《ふたり》の|美《うつく》しいお|方《かた》は|何方《どちら》へ|行《ゆ》かれました。|一度《いちど》|拝顔《はいがん》を|願《ねが》ひ|度《た》いもので|厶《ござ》りますな』
『ウン、あまり|話《はなし》に|実《み》が|入《い》つて、|肝腎《かんじん》のナイスを|念頭《ねんとう》より|遺失《ゐしつ》して|居《ゐ》た。オー、さうだ、|斯《こ》んな|事《こと》してる|時《とき》ぢやない、ヒヨツと|片彦《かたひこ》にでも|占領《せんりやう》されちや|大変《たいへん》だ。いやお|民《たみ》|殿《どの》、|其方《そなた》は|蠑〓別《いもりわけ》に|対《たい》し|某《それがし》が|今《いま》|申《まを》した|言葉《ことば》、トツクリと|云《い》ひ|聞《き》かしたがよからう、それが|合点《がてん》が|行《い》つたら、お|前《まへ》と|二人《ふたり》|此《この》|陣中《ぢんちう》に|大切《たいせつ》にしておいて|上《あ》げよう』
『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります。|御存《ごぞん》じの|通《とほ》りの|男《をとこ》で|厶《ござ》りますから、お|気《き》に|障《さは》る|事《こと》をチヨイチヨイ|申《まを》しませうが、|何卒《なにとぞ》|大目《おほめ》に|見《み》てやつて|下《くだ》さい。|蠑〓別《いもりわけ》は|少々《せうせう》ばかり|精神上《せいしんじやう》に|欠陥《けつかん》が|厶《ござ》りますから』
『ウン、ヨシヨシ、|精神病者《せいしんびやうしや》ならば|又《また》その|積《つも》りで、つき|合《あ》うて|上《あ》げよう、|随分《ずゐぶん》|気《き》をつけてやつたが|宜《よ》からう』
『ハイ、お|情深《なさけぶか》いお|言葉《ことば》、お|民《たみ》の|肝《きも》に|銘《めい》じて、|何時《いつ》の|世《よ》にかは|忘《わす》れませう。|将軍《しやうぐん》さま、|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります』
と|手《て》を|組《く》んで|涙《なみだ》を|流《なが》し|感謝《かんしや》してゐる。
アーク、タールの|両人《りやうにん》は|酒房《しゆばう》へ|振舞酒《ふるまひざけ》をとり|出《だ》すべく|欣々《いそいそ》として|進《すす》みやつて|来《き》た。|見《み》れば|一人《ひとり》の|男《をとこ》が|壺《つぼ》に|杓《しやく》を|突《つ》つ|込《こ》みグビリ グビリと|飲《の》んでゐる。よくよく|見《み》れば|同僚《どうれう》のエキスであつた。アークはエキスの|後《うしろ》から|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせながら|近《ちか》く|進《すす》み|寄《よ》り、
『オイ』
と|一声《ひとこゑ》|呶鳴《どな》ると|共《とも》に|背中《せなか》を|三《み》つ|四《よ》つ|喰《くら》はした。エキスは|不意《ふい》を|打《う》たれて|杓《しやく》をパツと|放《はな》し、|呂律《ろれつ》も|廻《まは》らぬ|舌《した》で、
『ダヽヽヽ|誰《たれ》ぢやい、エーン、|人《ひと》が|折角《せつかく》いい|気分《きぶん》になつてるのに、|後《うしろ》から|来《き》やがつて|脅《おびや》かしやがつたな。マア|待《ま》て、|今《いま》に|将軍様《しやうぐんさま》に|訴《うつた》へてやらう』
『コリヤ、|貴様《きさま》はエキスぢやないか、エーン、|俺《おれ》の|方《はう》から|訴《うつた》へてやらう。|酒泥棒《さけどろぼう》|奴《め》、|誰《たれ》の|許《ゆる》しを|得《え》て|此処《ここ》に|来《き》たのだ』
『エーン、|八釜《やかま》しう|云《い》ふない。|同《おな》じ|穴《あな》の|狐《きつね》ぢやないか。|貴様《きさま》だつて|今《いま》|酒《さけ》を|盗《ぬす》んで|喰《くら》はうと|思《おも》つて|来《き》やがつたのだらう。|俺《おれ》が|一足先《ひとあしさき》に|来《き》たばかりだ。やはり|酒《さけ》を|盗《ぬす》む|心《こころ》は|同《おな》じだ。|俺《おれ》の|事《こと》を|云《い》ふと|貴様《きさま》の|事《こと》を|素破抜《すつぱぬ》くぞ』
『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな。|俺《おれ》は|将軍様《しやうぐんさま》の|命令《めいれい》によつて|今日《けふ》お|祝《いはひ》があるのでお|酒《さけ》をとりに|来《き》たのだ、なあタール、さうだらう。それにエキスの|奴《やつ》、|俺達《おれたち》|迄《まで》|自分《じぶん》の|卑《いや》しき|心《こころ》に|比《くら》べて|盗人《ぬすびと》|呼《よ》ばはりをするとは|怪《け》しからぬ|奴《やつ》だ。こりやエキス、|違《ちが》ふと|思《おも》ふなら|将軍様《しやうぐんさま》に|聞《き》いて|見《み》よ』
『|酒《さけ》の|上《うへ》でした|事《こと》は|罪《つみ》はないわい。そんな|野暮《やぼ》な|事《こと》を|云《い》ふものぢやない。マア|貴様《きさま》も|一杯《いつぱい》やつたら|如何《どう》だ』
『アハヽヽヽ、|到頭《たうとう》|折《を》れて|来《き》よつたな。それでは|御酒宴《ごしゆえん》に|先立《さきだ》つて|毒味《どくみ》をして|見《み》よう。もし|味《あぢ》が|悪《わる》けりや|直《なほ》して|置《お》かんならぬからな』
『アハヽヽヽ、|到頭《たうとう》|地金《ぢがね》を|出《だ》しよつたな。オイ、|鍍金《めつき》|先生《せんせい》、|偉《えら》さうに|云《い》つても、|塗《ぬ》つた|金箔《きんぱく》は|剥《は》げるから|仕方《しかた》がないわ。エー』
『オイ、アーク、ここで|飲《の》んぢやいけない、|樽《たる》にドツと|詰《つ》め|込《こ》んで|将軍様《しやうぐんさま》の|前《まへ》に|持《も》つて|行《ゆ》かう。そしてエキスの|事《こと》をスツパぬいてやらう。さうぢやないと、|成上《なりあが》り|者《もの》の|癖《くせ》に|威張《ゐば》りよつて|仕方《しかた》がないからな』
『ヘン、|貴様《きさま》も|成上《なりあが》がり|者《もの》ぢやないか、|俺《おれ》ばつかりぢやないぞ。|人《ひと》の|事《こと》を|云《い》はうと|思《おも》へば|自分《じぶん》の|蜂《はち》から|払《はら》うてかかれ。|人《ひと》を|呪《のろ》はば|穴《あな》|二《ふた》つだ、|本当《ほんたう》に|馬鹿《ばか》だな』
『エー、|何《なん》だか|喉《のど》の|虫《むし》が|頻《しき》りに|汽笛《きてき》を|吹《ふ》き|出《だ》した。|飲《の》みたい|事《こと》はないけど、|機関《きくわん》に|油《あぶら》を|注《さ》すと|思《おも》うて、ホンの|三升《さんじよう》ばかり|喉《のど》を|潤《うるほ》はして|見《み》ようかい。オイ、タール、そんな|七六《しちむつ》かしい|顔《かほ》せずに、つきあうたら|如何《どう》だ。なあエキス、さうだらう』
『ウン、さうだ。|気《き》に|入《い》つた。|人間《にんげん》はさうなくちやいけない、タールの|様《やう》な|唐変木《たうへんぼく》は|社会《しやくわい》の|落伍者《らくごしや》だ。|可憐《かはい》さうなものだな』
『ヘン、|馬鹿《ばか》にすない』
と|腹立《はらだ》ち|紛《まぎ》れに|杓《しやく》をグツと|取《と》り、|酒壺《さけつぼ》にグツと|突《つ》つ|込《こ》み|鯨飲《げいいん》をはじめた。
エキス『アハヽヽヽ、|到頭《たうとう》、|俺《おれ》の|舌《した》に|捲《ま》き|込《こ》まれよつたな。|然《しか》し|吾《わが》|党《たう》の|士《し》だ。えらいえらい』
と|凡《すべ》ての|紛紜《いさくさ》はケロリと|忘《わす》れ、|三人《さんにん》は|交《かは》る|交《がは》る|杓《しやく》に|口《くち》をつけてガブガブと|飲《の》みさがし、|前後不覚《ぜんごふかく》になつて|其《その》|場《ば》に|倒《たふ》れて|了《しま》つた。|蠑〓別《いもりわけ》、お|民《たみ》はヒヨロリ ヒヨロリと|何気《なにげ》なう|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|来《きた》り、|三人《さんにん》の|打《う》ち|倒《たふ》れてゐる|姿《すがた》を|見《み》て|打驚《うちおどろ》き、
『マアマア、|此《この》|方《かた》はアークさま、タールさま、エキスさまぢやありませぬか。マア|何《ど》うしてこんな|処《ところ》に|倒《たふ》れて|厶《ござ》るのだらう。|家《いへ》がないものかなんぞの|様《やう》に|土《つち》の|上《うへ》に|倒《たふ》れて、みつともない|処《ところ》を|丸出《まるだ》しにして、エーマアいやな|事《こと》』
『|此奴《こいつ》ア|盗《ぬす》み|酒《ざけ》に|喰《くら》ひ|酔《よ》うて|倒《たふ》れてゐるのだ。|何《なん》と|酒《さけ》の|酔《よひ》と|云《い》ふものは|見《み》つともないものだな』
『|貴方《あなた》だつて|何時《いつ》もお|酒《さけ》にお|酔《よ》ひになると、もつともつと|見《み》つともないですよ。そんな|時《とき》の|姿《すがた》を|見《み》ると|三年《さんねん》の|恋《こひ》もゾツとして|醒《さ》ましますよ。|私《わたし》なりやこそ、|貴方《あなた》を|今迄《いままで》|愛《あい》して|来《き》たのですよ。|本当《ほんたう》に|男《をとこ》と|云《い》ふものは|卑《いや》しいものだな。|吾《わが》|身《み》の|正念《しやうねん》がなくなる|処《ところ》まで|意地汚《いぢきたな》い、|本当《ほんたう》に|嫌《いや》になつて|了《しま》ふわ。|蠑〓別《いもりわけ》さま、|之《これ》を|見《み》て|酒《さけ》をこれつきり|止《や》めて|下《くだ》さい』
『ウン、|側《そば》から|見《み》て|居《ゐ》りや|見《み》つともないが、|酔《よ》うて|居《ゐ》る|本人《ほんにん》になつたら|愉快《ゆくわい》だよ。|俺《おれ》や|如何《どう》しても|止《や》められない。|死《し》んだら|如何《どう》か|知《し》らぬが、|息《いき》のある|間《うち》は|止《や》められないよ』
『それなら、|貴方《あなた》は|酒《さけ》と|私《わたし》と、どちらか|止《や》めなならぬと|云《い》つたら、|何方《どちら》をお|止《や》めになりますか』
『ウン、さうだな、|小豆餅《あづきもち》|食《く》たか、|島田《しまだ》と|寝《ね》るか、|小豆餅《あづきもち》|食《く》て|島田《しまだ》と|寝《ね》ると|云《い》ふ|事《こと》があるだらう。|酒《さけ》も|好《す》きだ、お|前《まへ》も|好《す》きだ。|何方《どちら》と|云《い》ふ|事《こと》は|出来《でき》ないね』
『|米《こめ》を|潰《つぶ》して|拵《こしら》へた|植物《しよくぶつ》の|液汁《えきじう》と|神様《かみさま》の|生宮《いきみや》たる|人間《にんげん》と|同様《どうやう》に|見《み》られちや|堪《たま》りませぬわ。そんな|水臭《みづくさ》いお|方《かた》なら|今日《けふ》|限《かぎ》りお|暇《ひま》を|下《くだ》さい。さうして|貴方《あなた》は|腸《はらわた》の|腐《くさ》る|所《とこ》までお|酒《さけ》をお|上《あが》りなさいませ』
『アーア、|酒《さけ》は|飲《の》みたし、|女《をんな》には|別《わか》れともなし、えらいヂレンマに|罹《かか》つたものだな。アヽもう|堪《たま》らぬ。|此《この》|香《にほひ》を|嗅《か》いぢや|立《た》つても|居《ゐ》ても|居《を》れない』
と|云《い》ひながら|鏡《かがみ》のぬいた|酒《さけ》を|見《み》ながら、|両手《りやうて》で|樽《たる》を|抱《かか》へながらグウグウと|鯨飲《げいいん》し|初《はじ》めた。|忽《たちま》ち|蠑〓別《いもりわけ》は|其《その》|場《ば》に|酔《よ》ひ|倒《たふ》れ、|此処《ここ》に|四人《よにん》の|泥酔者《よひどれ》の|雑魚寝《ざこね》が|初《はじ》まつた。お|民《たみ》は|逸早《いちはや》く|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》り、|奥《おく》の|間《ま》さして|進《すす》み|行《ゆ》く。
|凩《こがらし》が|持《も》て|来《く》る|雪《ゆき》しばきは|遺憾《ゐかん》なく|四人《よにん》が|地上《ちじやう》に|倒《たふ》れた|上《うへ》に|降《ふ》り|注《そそ》ぎ、|次第々々《しだいしだい》に|雪《ゆき》はこまかくなり|来《きた》り、ザアザアと|砂《すな》を|撒《ま》く|様《やう》な|声《こゑ》を|出《だ》して、|四辺《しへん》|雪襖《ゆきぶすま》を|立《た》てた|様《やう》になつて|来《き》た。|忽《たちま》ち|四人《よにん》の|身体《からだ》は|積雪《せきせつ》に|包《つつ》まれて|了《しま》つた。
(大正一二・一・一二 旧一一・一一・二六 北村隆光録)
第五章 |鞘当《さやあて》〔一二五九〕
ランチ|将軍《しやうぐん》は|慌《あわただ》しく|奥《おく》の|吾《わが》|居間《ゐま》に|帰《かへ》つて|見《み》ると、|清照姫《きよてるひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》|及《およ》び|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》がニコニコとして、|火鉢《ひばち》を|真中《まんなか》に|三《み》つ|巴形《どもゑがた》となつて|喋々喃々《てふてふなんなん》と|笑《わら》ひ|声《ごゑ》を|洩《も》らして|居《ゐ》る。ランチ|将軍《しやうぐん》は|之《これ》を|見《み》てやけて|耐《たま》らず、|忽《たちま》ち|一刀《いつたう》を|引《ひ》き|抜《ぬ》き、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》をめがけて|梨割《なしわり》にする|所《ところ》だが、|遉《さすが》|二人《ふたり》の|女《をんな》にはしたない|男《をとこ》と|思《おも》はれてはとの|考《かんが》へから、|腹立《はらだち》をグツと|圧《おさ》へ、|態《わざ》と|素知《そし》らぬ|顔《かほ》して|其《その》|場《ば》に|進《すす》み|入《い》つた。されど|其《その》|唇《くちびる》と|云《い》ひ|手《て》と|云《い》ひ|足《あし》の|先《さき》|迄《まで》|激《はげ》しき|震動《しんどう》を|感《かん》じて|居《ゐ》た。|怒《いか》りの|頂上《ちやうじやう》に|達《たつ》した|時《とき》は|全身《ぜんしん》が|激《はげ》しく|動《うご》くものである。|片彦《かたひこ》はランチ|将軍《しやうぐん》の|入《い》り|来《きた》りしを|見《み》て、|眥《まなじり》を|下《さ》げ、
『ヤア|是《これ》は|是《これ》は|将軍殿《しやうぐんどの》、|何処《どこ》におはせられた。いやもう|二人《ふたり》のナイスに|手《て》を|引《ひ》かれ、|甘酒《うまざけ》にもりつぶされ、いかい|酩酊《めいてい》を|致《いた》して|厶《ござ》る、|御無礼《ごぶれい》の|段《だん》は|平《ひら》にお|赦《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
『|別《べつ》に|尖《とが》めも|致《いた》さぬが、|苟《いやし》くも|将軍《しやうぐん》の|身《み》をもつて、|即《すなは》ち|三軍《さんぐん》を|指揮《しき》する|尊《たふと》き|職権《しよくけん》を|有《いう》しながら、|作法《さはふ》を|弁《わきま》へず、|拙者《せつしや》の|不在中《ふざいちゆう》に|女《をんな》に|現《うつつ》をぬかし、|何《なん》の|態《ざま》で|厶《ござ》る。|些《ち》とおたしなみなさい』
『ヤアお|説《せつ》|一応《いちおう》|御尤《ごもつと》も、|拙者《せつしや》も|部下《ぶか》に|対《たい》して|模範《もはん》を|示《しめ》さねばならない|重要《ぢうえう》の|地位《ちゐ》に|立《た》てるもの、|女《をんな》なんかに|心《こころ》を|蕩《とろ》かすやうな|柔弱《にうじやく》なものでは|厶《ござ》らぬ。|併《しか》し|此等《これら》|両人《りやうにん》、|某《それがし》に|熱烈《ねつれつ》なる|恋愛《れんあい》を|注《そそ》ぎ|申《まを》すにより、|無下《むげ》に|捨《す》つるも|男《をとこ》の|情《なさけ》ならじと、|迷惑《めいわく》ながら|女《をんな》に|導《みちび》かれ|此処《ここ》に|参《まゐ》つた|処《ところ》で|厶《ござ》る。イヤ|如何《いか》に|固造《かたざう》の【かた】|彦《ひこ》も、|女《をんな》の|魔力《まりよく》には|敵《てき》し|得《え》ず、|骨《ほね》も|節《ふし》もゆるみ、さつぱりガタ|彦《ひこ》となつて|了《しま》ひました。|先程《さきほど》|迄《まで》は|此《この》ナイス、|貴方《あなた》に|熱烈《ねつれつ》なる|愛《あい》を|捧《ささ》げて|居《ゐ》たやうですが、もはや|此《この》|通《とほ》り、|屋外《をくぐわい》に|冷《つめ》たき|雪《ゆき》が|降《ふ》つて|居《を》りますれば、|貴下《きか》に|対《たい》する|両人《りやうにん》の|恋情《れんじやう》も|冷《ひや》やかになつたと|見《み》えますわい。どうかして|此《この》|中《うち》の|一人《ひとり》を|貴方《あなた》の|御用《ごよう》をさせたいと|思《おも》ひますが、どうしたものか、|両人《りやうにん》|共《とも》|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》り、ランチキ|将軍《しやうぐん》のお|世話《せわ》にならうとも|又《また》お|世話《せわ》をしようとも|申《まを》しませぬ、イヤもう|此《この》|片彦《かたひこ》も【かた】がたもつて|迷惑《めいわく》でも|何《なん》でも|厶《ござ》らぬ。アハヽヽヽ』
|清照《きよてる》『モシ、ランチ|将軍《しやうぐん》|様《さま》、どこへ|往《い》つてゐやしたの、|妾《あたい》、どんなに|探《たづ》ねて|居《ゐ》たか|知《し》れませぬよ』
ランチは|此《この》|声《こゑ》に|生返《いきかへ》つたやうな|心持《こころもち》になり、|顔《かほ》の|色《いろ》まで|勇《いさ》ましく、|頓《にはか》に|元気《げんき》づき、
『ヤア|清照姫《きよてるひめ》|殿《どの》、|誠《まこと》に|済《す》みませなんだ、|実《じつ》は|軍務上《ぐんむじやう》の|件《けん》につき|調査《てうさ》すべき|事《こと》があり、|暫《しばら》く|席《せき》を|外《はづ》して|居《を》りました』
『|将軍《しやうぐん》|様《さま》、そりや|嘘《うそ》でせう。|妾《あたい》がイヤになつたものだから、|何処《どこ》かへ|隠《かく》れて|居《ゐ》やしやつたのでせう、|妾《あたい》|残念《ざんねん》ですわ、アンアンアン、オンオンオン』
『エヘヽヽヽ、オイ|片彦《かたひこ》|殿《どの》、|如何《どう》で|厶《ござ》る、|可愛《かあい》いもので|厶《ござ》らうがな』
『コレコレ|清照姫《きよてるひめ》|殿《どの》、|貴女《あなた》は|又《また》|変心《へんしん》をしましたか』
『ランチ|将軍《しやうぐん》さまが、あの|大《おほ》きな|目《め》をむいて|私《わたし》に|電波《でんぱ》、イヤ|電信《でんしん》を|送《おく》つて|下《くだ》さつたから、どうしても|返信《へんしん》(|変心《へんしん》)をすべき|義務《ぎむ》があるぢやありませぬか、ホヽヽヽヽ』
『アヽどうも|仕方《しかた》がない。どうせ|片彦《かたひこ》が|二人《ふたり》の|美女《びぢよ》を|左右《さいう》に|侍《はべ》らせ、ナイスを|一人《ひとり》で|独占《どくせん》して|居《ゐ》ても|仕方《しかた》がない。|清照姫《きよてるひめ》が|変心《へんしん》したのも|天《てん》の|配剤《はいざい》だらう、イヤ|清照姫《きよてるひめ》、|拙者《せつしや》は|寛大《くわんだい》なる|勇猛心《ゆうまうしん》を|発揮《はつき》して、ランチ|将軍《しやうぐん》にお|任《まか》せ|申《まを》す。|唯今《ただいま》|限《かぎ》り|片彦《かたひこ》の|事《こと》は|思《おも》ひ|切《き》り、ランチ|将軍《しやうぐん》に|貞節《ていせつ》を|尽《つく》したがよからう』
『オホヽヽヽ、あの|片彦《かたひこ》さまの|虫《むし》のよい|事《こと》、|自惚《うぬぼれ》もよい|加減《かげん》にして|置《お》かんせいなア。|思《おも》ひもかけぬものに|思《おも》ひ|切《き》れとは、マア|何《なん》と|云《い》ふ|自惚者《うぬぼれもの》だらう。|好《す》かぬたらしい。|男《をとこ》と|云《い》ふものは、ほんとに|自惚《うぬぼれ》の|強《つよ》いものだよ』
『ランチ|殿《どの》、|嘸《さぞ》|御満足《ごまんぞく》で|厶《ござ》らうのう、エーン、エーン、|拙者《せつしや》は|大《おほい》に|譲歩《じやうほ》|致《いた》して、|年《とし》の|若《わか》い|初稚姫《はつわかひめ》で|満足《まんぞく》|致《いた》す、どうか|拙者《せつしや》の|雅量《がりやう》を|認《みと》めて|下《くだ》さい』
『|何《なん》なりと|勝手《かつて》に|仰有《おつしや》い、|両人《りやうにん》|共《とも》|拙者《せつしや》の|女《をんな》で|厶《ござ》るぞ。ヘン|馬鹿々々《ばかばか》しい、|拙者《せつしや》が|黙言《だま》つて|居《ゐ》るかと|思《おも》つてよい|気《き》になり、|図々《づづ》しいにも|程《ほど》がある』
『|仰《おほ》せられなランチ|殿《どの》、|拙者《せつしや》が|何《ど》う|致《いた》したのでもない、|女《をんな》の|方《はう》から|秋波《しうは》を|送《おく》り、|女《をんな》に|頼《たの》まれて|約束《やくそく》|致《いた》せし|迄《まで》の|事《こと》、|其《その》|女《をんな》を|拙者《せつしや》が|貴下《あなた》にお|任《まか》せしようと|云《い》ふのだから、|吾々《われわれ》は|感謝《かんしや》をこそ|受《う》くべけれ、そのやうな、|榎《えのき》で|鼻《はな》をこすつたやうな|御挨拶《ごあいさつ》は|承《うけたま》はりたくない、コレ|初稚姫《はつわかひめ》|殿《どの》、こんな|分《わか》らない|将軍《しやうぐん》の|所《ところ》に|居《を》らうよりも、|私《わたし》の|居間《ゐま》に|参《まゐ》りませう、|貴女《あなた》は|永久《えいきう》に|愛《あい》します』
『エヽすかぬたらしい、|私《わたし》がいつ|貴方《あなた》を|好《す》きました。|私《わたし》は|姉《ねえ》さまが|好《す》きな|人《ひと》が|好《す》きなのです、|御免《ごめん》|下《くだ》さいませ』
『|何《なん》だか|外《そと》の|陽気《やうき》が|変《かは》つたと|思《おも》へば、|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》の|鼻息《はないき》までが|変《かは》つて|来《き》たわい、ハヽ、ウン、|分《わか》つた、|恥《はづ》かしいのだな、|人前《ひとまへ》を|作《つく》つて|居《ゐ》るのだな。ウンウンヨシヨシ|可愛《かあい》いものだな』
と|口《くち》の|奥《おく》で|呟《つぶや》いて|居《ゐ》る。|初稚姫《はつわかひめ》は|鋭敏《えいびん》な|耳《みみ》に|此《この》|声《こゑ》を|聞《き》き|知《し》り、
『モシ、|片彦《かたひこ》さま、「|可愛《かあい》いものだ」などと|云《い》うて|下《くだ》さいますな、|妾《あて》、|胸《むね》が|悪《わる》くなりました』
『アハヽヽヽ、|片彦《かたひこ》|殿《どの》、|如何《どう》で|厶《ござ》る、|色《いろ》は|年増《としま》が|艮刺《とどめさ》すと|云《い》ふ|事《こと》を|御存《ごぞん》じかな。アハヽヽヽ』
『チヨツ、エーエイ』
『|片彦《かたひこ》|殿《どの》、チヨツ、エーエイとは|御無礼《ごぶれい》では|厶《ござ》らぬか、|上官《じやうくわん》の|命令《めいれい》だ、この|場《ば》を|退却《たいきやく》めされ』
|片彦《かたひこ》は|鶴《つる》の|一声《ひとこゑ》、|已《や》むを|得《え》ず、
『ヘーエ』
と|嫌《いや》さうな|返事《へんじ》をしながら|二人《ふたり》の|女《をんな》に|心《こころ》を|残《のこ》し、|次《つぎ》の|間《ま》に|飛《と》び|出《だ》し、|襖《ふすま》の|外《そと》から|上下《うへした》の|歯《は》を|喰《く》ひ|締《し》めたまま|唇《くちびる》をパツと|開《ひら》き、
『イーン』
と|云《い》ひながら、|拳骨《げんこつ》で|二《ふた》つ|三《みつ》つ|空《くう》を|打《う》ち、
『チヨツ、|上官《じやうくわん》の|命令《めいれい》だなんて、チヨツ、|馬鹿《ばか》にして|居《ゐ》る、|併《しか》し|仕方《しかた》がない、|俺《おれ》も|上燗《じやうかん》で|一杯《いつぱい》やる|事《こと》にしよう、お|民《たみ》でも|相手《あひて》にして』
と|云《い》ひながら、すごすごと|帰《かへ》り|往《ゆ》く。
ランチは|片彦《かたひこ》を|室外《しつぐわい》に|突《つ》き|出《だ》し、|二人《ふたり》の|美人《びじん》の|中央《まんなか》に|色男《いろをとこ》|気取《きど》りで|胡床《あぐら》をかき、|目《め》を|細《ほそ》くしながら、
『これは|清照姫《きよてるひめ》|殿《どの》、|其方《そなた》は|此《この》ランチの|眼《め》をよけて、いつの|間《ま》にか|片彦《かたひこ》と|以心伝心《いしんでんしん》とやらをやつて|居《ゐ》たのぢやないか』
『ハイ|別《べつ》に|左様《さやう》な|事《こと》はありませぬ。|併《しか》しながら|貴方《あなた》も|好《す》きですが、|片彦《かたひこ》さまの|抱持《はうぢ》さるる|思想《しさう》が|気《き》に|入《い》りましたから、それで|私《わたし》は|片彦《かたひこ》さまは|何《ど》うでも|宜敷《よろし》いが、|新《あたら》しい|思想《しさう》だと|思《おも》つて、|其《その》|思想《しさう》に|惚《ほ》れ|込《こ》んで|居《ゐ》ます。|貴方《あなた》が、|私《わたし》の|思想《しさう》と|同《おな》じ|思想《しさう》をもつて|下《くだ》さらば、|此《この》|位《くらゐ》|嬉《うれ》しい|事《こと》はありませぬ。|実《じつ》は|貴方《あなた》に|対《たい》しては|肉体美《にくたいび》を|愛《あい》し、|片彦《かたひこ》さまに|対《たい》しては|其《その》|思想《しさう》を|愛《あい》して|居《ゐ》るのですよ』
『|片彦《かたひこ》の|新思想《しんしさう》とはどんな|思想《しさう》だ、|俺《おれ》だつて|思想《しさう》については、|先繰《せんぐ》り|新《あたら》しい|書物《しよもつ》をあさつて|居《ゐ》るから、|片彦《かたひこ》には|負《ま》けない|積《つも》りだ、|一体《いつたい》どんな|事《こと》を|云《い》うて|居《を》るのだな』
『ハイ、|片彦《かたひこ》さまの|思想《しさう》はどうかと|存《ぞん》じまして|探《さぐ》つて|見《み》ました|所《ところ》、|本当《ほんたう》に|惚《ほ》れ|惚《ぼ》れするやうな|思想《しさう》で|厶《ござ》いますよ。かいつまんで|申《まを》せば、|軍備不必要論者《ぐんびふひつえうろんじや》です、|武備撤廃論者《ぶびてつぱいろんじや》ですよ、そして|平和《へいわ》な|耽美生活《たんびせいくわつ》を|送《おく》りたいと|云《い》ふ、ほんとに|新《あたら》しい|思想《しさう》ですよ』
『|片彦《かたひこ》|身《み》|軍籍《ぐんせき》にありながら|左様《さやう》な|事《こと》を|申《まを》したかな、それは|中々《なかなか》もつて|不都合《ふつがふ》|千万《せんばん》……ぢやない、|吾《わが》|意《い》を|得《え》たる、マヽヽヽ|思想《しさう》だ。ウン、さうして|武術《ぶじゆつ》の|事《こと》については、|何《ど》う|云《い》うて|居《ゐ》たな』
『|武術家《ぶじゆつか》は|臆病者《おくびやうもの》だと|云《い》つて|居《を》られました。|臆病者《おくびやうもの》なるが|故《ゆゑ》に|世《よ》の|中《なか》が|恐《おそ》ろしくなり、|疑心暗鬼《ぎしんあんき》を|生《しやう》じ、|敵《てき》なきに|敵《てき》を|作《つく》り、|何人《なにびと》か|自分《じぶん》を|害《がい》するものはなきかと、|心中《しんちう》|戦々兢々《せんせんきようきよう》として|安《やす》らかならず、|常《つね》に|自己《じこ》|保護《ほご》の|迷夢《めいむ》に|襲《おそ》はれ、|武術《ぶじゆつ》を|練《ね》り、|柔術《じうじゆつ》などを|稽古《けいこ》するのだと|云《い》うて|居《を》られました。ほんとに|世《よ》の|中《なか》に|愛善《あいぜん》の|徳《とく》さへあれば、|虎《とら》|狼《おほかみ》でも|悦服《えつぷく》して、|決《けつ》して|其《その》|人《ひと》に|敵《てき》するものではありませぬ。|況《ま》して|人間《にんげん》に|於《おい》てをやです、|私《わたし》はこの|思想《しさう》が|大《おほい》に|気《き》に|入《い》りました。|心《こころ》に|邪悪《じやあく》|分子《ぶんし》を|含《ふく》んで|居《ゐ》るものは、|徒《いたづら》に|人《ひと》を|怖《こは》がり|人《ひと》を|恐《おそ》るるものです。かかる|人間《にんげん》が|身《み》を|護《まも》るために|剣術《けんじゆつ》|柔術《じうじゆつ》を|学《まな》ぶものです。|地獄界《ぢごくかい》に|籍《せき》を|有《いう》し、|八衢《やちまた》に|彷徨《さまよ》うて|居《ゐ》るものが|武術《ぶじゆつ》を|志《こころざ》すものです、|低脳児《ていなうじ》や|殺人狂《さつじんきやう》の|徒《と》が|喜《よろこ》んで|人命《じんめい》を|奪《うば》ひ|財産《ざいさん》を|奪《うば》ひ、|或《あるひ》は|人《ひと》の|国土《こくど》を|奪《うば》ひ|或《あるひ》は|人《ひと》の|子女《しぢよ》を|辱《はづ》かしめ、|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|限《かぎり》を|尽《つく》して|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》と|誇《ほこ》り、|其《その》|驕慢券《けうまんけん》とも|云《い》ふべき|窘笑《くんせう》を、|胸《むね》にブラブラ|下《さ》げて|居《ゐ》るのは、|本当《ほんたう》に|時代後《じだいおく》れだと|片彦《かたひこ》さまが|仰有《おつしや》いましたよ』
『それだと|云《い》うて、|世界《せかい》に|国家《こくか》として|存在《そんざい》する|以上《いじやう》は|軍備《ぐんび》は|必要《ひつえう》だ。|仮令《たとへ》ミロクの|世《よ》となつても|軍備《ぐんび》の|撤廃《てつぱい》は|出来《でき》ない、さう|新思想《しんしさう》にかぶれて|仕舞《しま》つては|駄目《だめ》だ。|一方《いつぱう》に|偏《へん》せず|片寄《かたよ》らず、|其《その》|中庸《ちうよう》を|往《ゆ》くのが|最《もつと》も|安全《あんぜん》の|道《みち》だらうよ』
『|姉《ねえ》さま、ランチ|将軍《しやうぐん》さまのお|言葉《ことば》は、|本当《ほんたう》に|間然《かんぜん》する|所《ところ》ありませぬが、|併《しか》しながら|三五教《あななひけう》の|治国別《はるくにわけ》さまとやらを、|深《ふか》い|陥穽《おとしあな》へ|突《つ》つ|込《こ》み|遊《あそ》ばしたと|云《い》ふ|事《こと》をチラリと|聞《き》きましたが、それを|聞《き》くと、|本当《ほんたう》にゾツと|致《いた》しますね』
『さう、さうなの、アヽいやらしい、|何《なん》とランチさまも|甚《ひど》い|事《こと》をなさいます、|私《わたし》それを|聞《き》いて|俄《にはか》にこの|人《ひと》がどことはなしに|嫌《いや》になつて|来《き》ましたよ。|矢張《やつぱり》|片彦《かたひこ》さまがお|優《やさ》しくて、|仰有《おつしや》る|事《こと》が|新《あたら》しうて、|胸《むね》の|琴線《きんせん》に|触《ふ》れるやうですわ』
ランチは|慌《あわ》てて、
『イヤイヤ|決《けつ》して|私《わたし》がしたのではない、|片彦《かたひこ》の|計《はか》らひで|致《いた》したのだ。|彼奴《あいつ》は|偽善者《きぜんしや》だから、|其《その》|方《はう》|達《たち》の|前《まへ》でそんな|事《こと》を|云《い》うて|居《ゐ》るのだ。|彼奴《あいつ》は|武断派《ぶだんは》の|隊長《たいちやう》、|軍国主義《ぐんこくしゆぎ》の|張本《ちやうほん》だ。|併《しか》しながらあの|治国別《はるくにわけ》|及《およ》び|竜公《たつこう》と|云《い》ふ|奴《やつ》は、どうしても|許《ゆる》す|事《こと》の|出来《でき》ない|奴《やつ》だ。これを|許《ゆる》さうものなら、バラモン|軍《ぐん》は|根底《こんてい》より|破壊《はくわい》せられなくてはならない、|大黒主《おほくろぬし》の|大棟梁様《だいとうりやうさま》に|申訳《まをしわけ》ない、|又《また》|竜公《たつこう》とやら、|吾《わが》|軍《ぐん》の|秘書役《ひしよやく》を|勤《つと》めながら|敵《てき》に|裏返《うらがへ》つたのだから、|陥穽《おとしあな》に|陥《おちい》つて|斃《くたば》るのも|自業自得《じごふじとく》だ、|仮令《たとへ》|愛《あい》する|汝《なんぢ》のためなればとて、|是《これ》ばかりは|赦《ゆる》す|事《こと》は|出来《でき》ない』
『|妾《あて》この|館《やかた》に|左様《さやう》の|人《ひと》が|九死一生《きうしいつしやう》の|苦《くるし》みをしてゐらしやるかと|思《おも》へば、|恐《おそ》ろしくて|仕方《しかた》が|厶《ござ》いませぬ。どうか|何処《どこ》かへ|雪見《ゆきみ》にでも|連《つ》れて|往《い》つて|下《くだ》さいな』
『アハヽヽヽ、|遉《さすが》は|女《をんな》だな。|気《き》の|弱《よわ》い|事《こと》を|云《い》ふものだ。|併《しか》し|其《その》|弱《よわ》いのが|女《をんな》の|特色《とくしよく》だ、|女《をんな》の|可愛《かあい》い|所《ところ》なのだ。さらば、これより|早速《さつそく》|雪見《ゆきみ》の|宴《えん》を|催《もよほ》すため、|入口《いりぐち》の|風景《ふうけい》の|佳《よ》き|物見《ものみ》へ|往《い》つて、|酒《さけ》|汲《く》み|交《かは》しながら|楽《たの》しむ|事《こと》と|致《いた》さう』
『ハイ、|早速《さつそく》の|御承知《ごしようち》、|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります。サア|初稚姫《はつわかひめ》さま、|将軍《しやうぐん》の|後《あと》について、|少《すこ》し|遠《とほ》うは|厶《ござ》いますが、|物見櫓《ものみやぐら》までお|供《とも》を|致《いた》しませう』
『この|積雪《せきせつ》に、|女《をんな》の|足《あし》では|行歩《かうほ》になやむだらう。|幸《さいは》ひ|駕籠《かご》があるから、|従卒《じゆうそつ》に|舁《かつ》がしてやる』
『|姉《ねえ》さま、さう|願《ねが》ひませうかな』
『|此《これ》|丈《だけ》の|雪《ゆき》の|中《なか》、どうせ|駕籠《かご》で|送《おく》つて|貰《もら》はねば、とても|歩《ある》けませぬわ』
ランチはポンポンと|手《て》を|拍《う》つた。|次《つぎ》の|間《ま》に|控《ひか》へて|居《ゐ》た|二人《ふたり》の|副官《ふくくわん》は|慌《あわただ》しく|出《い》で|来《きた》り、
『|将軍様《しやうぐんさま》、|何《なに》か|御用《ごよう》で|厶《ござ》いますか』
『ウン、|今日《けふ》は|稀《まれ》なる|大雪《おほゆき》だ。|四方《しはう》は|一面《いちめん》の|銀世界《ぎんせかい》、|雪見《ゆきみ》の|宴《えん》を|催《もよほ》すから、お|前達《まへたち》も|供《とも》をせい。そして|駕籠《かご》を|五六挺《ごろくちやう》|持《も》つて|来《こ》いと|云《い》うて|呉《く》れ』
|二人《ふたり》の|副官《ふくくわん》は、
『ハイ』
と|云《い》つたきり|早々《さうさう》に|此《この》|場《ば》を|立《た》つて|出《い》でて|往《ゆ》く。
ランチは、アーク、タール、エキス、|蠑〓別《いもりわけ》|等《など》の|所在《ありか》を|従卒《じゆうそつ》に|命《めい》じ|探《さが》さしめ、|雪見《ゆきみ》に|伴《ともな》ひ|往《ゆ》かむとしたが、|折柄《をりから》の|積雪《せきせつ》に|埋《うづ》もつて|居《ゐ》たため|発見《はつけん》する|事《こと》が|出来《でき》なかつた。|此《この》|時《とき》お|民《たみ》は|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|居間《ゐま》に|招《まね》かれて、いろいろと|片彦《かたひこ》の|意味《いみ》ありげな|話《はなし》に、|膝《ひざ》をモヂモヂさせながら|苦《くる》しさうに|時《とき》を|移《うつ》して|居《ゐ》た。ランチ|将軍《しやうぐん》は|四人《よにん》の|姿《すがた》の|見《み》えざるに、どこか|雪見《ゆきみ》でもする|積《つも》りで|郊外《かうぐわい》に|往《い》つたのだらうと|思《おも》ひ、|二人《ふたり》の|副官《ふくくわん》と|二人《ふたり》の|美人《びじん》を|伴《ともな》ひ、|五人連《ごにんづ》れ|駕籠《かご》に|揺《ゆ》られながら|物見櫓《ものみやぐら》をさして|進《すす》み|往《ゆ》く。|地上《ちじやう》|二尺《にしやく》|許《ばか》りの|積雪《せきせつ》に、|駕籠舁《かごかき》の|足音《あしおと》はザク、ザク、ザクと|馬丁《ばてい》が|押切《おしき》りにて|馬糧《まぐさ》を|切《き》るやうな|音《おと》をさせ、|綺麗《きれい》な|雪道《ゆきみち》にスバル|星《せい》を|数多《あまた》|印《いん》しながら、|漸《やうや》くにして|物見櫓《ものみやぐら》に|安着《あんちやく》した。|此処《ここ》に|炭火《すみび》を|拵《こしら》へ、|酒《さけ》の|燗《かん》をなし、|雪見《ゆきみ》の|酒宴《しゆえん》を|催《もよほ》す|事《こと》となつた。
|一方《いつぱう》|片彦《かたひこ》はランチ|将軍《しやうぐん》が|二人《ふたり》の|女《をんな》を|伴《ともな》ひ、|物見櫓《ものみやぐら》に|雪見《ゆきみ》の|宴《えん》を|張《は》つて|居《ゐ》ると|云《い》ふ|事《こと》を、|従卒《じゆうそつ》の|内報《ないはう》によつて|聞《き》き|知《し》り、|大方《おほかた》|蠑〓別《いもりわけ》|其《その》|他《た》も|同伴《どうはん》せしならむと、|二挺《にちやう》の|駕籠《かご》を|命《めい》じ、お|民《たみ》と|共《とも》に|宙《ちう》を|飛《と》んで|物見櫓《ものみやぐら》をさして|進《すす》み|往《ゆ》く。
(大正一二・一・一二 旧一一・一一・二六 加藤明子録)
第六章 |狂転《きやうてん》〔一二六〇〕
|雪見櫓《ゆきみやぐら》の|可《か》なり|広《ひろ》い|最高部《さいかうぶ》の|一室《いつしつ》には、ランチ|将軍《しやうぐん》をはじめ|清照姫《きよてるひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》|及《およ》びガリヤ、ケースの|副官《ふくくわん》と|共《とも》に、|鐘《かね》や|太鼓《たいこ》や|拍子木《ひやうしぎ》などを|叩《たた》いて、|底抜《そこぬ》け|散財《さんざい》が|始《はじ》まつて|居《ゐ》る。ランチは|二人《ふたり》の|美人《びじん》に|交《かは》る|交《がは》る|酒《さけ》を|盛《も》り|潰《つぶ》され、|上機嫌《じやうきげん》になつて、そろそろ|法螺《ほら》を|吹《ふ》き|出《だ》した。
『オイ|姫《ひめ》、イヤ|清《きよ》さま、|何《ど》うだ、この|綺麗《きれい》な|雪《ゆき》の|色《いろ》とランチの|顔《かほ》の|色《いろ》とは、どつちが|美《うつく》しいか、エーン』
『それより|私《わたし》の|方《はう》からお|尋《たづ》ね|致《いた》しますが、この|雪《ゆき》の|色《いろ》と|私《わたし》の|顔《かほ》の|色《いろ》と、どつちが|白《しろ》う|厶《ござ》いますか、|言《い》つて|下《くだ》さいねえ』
『ウンさうだ。どちらが|雪《ゆき》か、どちらが|花《はな》か、また|月《つき》か|判別《はんべつ》し|難《がた》い|三国一《さんごくいち》のナイスだ。この|広《ひろ》い|五天竺《ごてんぢく》も、|清《きよ》さまのやうなシヤンは|又《また》とあるまい、|初《はつ》ちやまだとて|其《その》|通《とほ》りだ。それだからこのランチが|重要《ぢゆうえう》の|任務《にんむ》を|忘《わす》れ、|千金《せんきん》の|身《み》を|顧《かへり》みず、|此処《ここ》へお|交際《つきあひ》に|来《き》たのだよ、|随分《ずゐぶん》|親切《しんせつ》なものであらう、これでも|矢張《やつぱり》|片彦《かたひこ》の|思想《しさう》が|気《き》に|入《い》るのかな』
『ハイ|片彦《かたひこ》さまは|平和論者《へいわろんしや》ですからねえ、|何《なん》だか|其《その》|思想《しさう》が|気《き》に|入《い》りましたよ。|武術《ぶじゆつ》|修業《しうげふ》は|臆病者《おくびやうもの》のする|事《こと》だと|仰有《おつしや》つた|点《てん》が|天来《てんらい》の|妙音《めうおん》、|金言玉辞《きんげんぎよくじ》と|本当《ほんたう》に|嬉《うれ》しく|思《おも》ひましたわ、|武者《むしや》|修業《しうげふ》だとか|云《い》つて、|武術《ぶじゆつ》|修業《しうげふ》に|歩《ある》くやうな、|乞食的《こじきてき》|生涯《しやうがい》を|送《おく》る|男《をとこ》はつまりませぬからねえ』
『さうだ、|俺《おれ》もそれは|同感《どうかん》だ。|武者《むしや》|修業《しうげふ》と|云《い》へば、お|面《めん》、お|籠手《こて》、お|胴《どう》と|云《い》ふ|様《やう》に|竹刀《しなひ》を|矢鱈《やたら》に|振《ふ》り|廻《まは》す|様《やう》な|武術家《ぶじゆつか》は|俺《おれ》も|大嫌《だいきら》ひだ。あれは|武者《むしや》|修業《しうげふ》でなく|無駄《むだ》|修業《しうげふ》だ。|俺《おれ》の|云《い》ふ|武者《むしや》|修業《しうげふ》は|聊《いささ》か|選《せん》を|異《こと》にして|居《ゐ》る。|真《しん》の|武術《ぶじゆつ》|修業《しうげふ》はそんなものぢやない。|或《あるひ》は|敵城《てきじやう》を|攻《せ》め、|又《また》|防城《ばうじやう》と|云《い》つて|押寄《おしよ》せた|敵《てき》を|防禦《ばうぎよ》せむ|事《こと》を|考《かんが》へたり、そして|諸国《しよこく》を|遍歴《へんれき》し、|堀《ほり》の|深浅《しんせん》や、|又《また》|山城《さんじやう》なれば|何《いづ》れの|方面《はうめん》より|攻《せ》めたら|落《お》ちるか、|落《お》ちないか、|又《また》|城《しろ》の|要害《えうがい》を|調《しら》べ、|又《また》|平地《ひらち》にある|城《しろ》なれば|谷《たに》を|塞《ふさ》いで|水攻《みづぜめ》にするとか、|又《また》は|市街《しがい》を|焼《や》いて|火攻《ひぜめ》にするとか、|水源《すゐげん》の|所在《しよざい》|及《および》|糧道《りやうだう》を|絶《た》つとか、さう|云《い》ふ|事《こと》を|調《しら》べる|修業《しうげふ》をするのだ。|一人《いちにん》|対《たい》|一人《いちにん》のお|面《めん》、お|籠手《こて》では|詰《つま》らないからな、|俺達《おれたち》の|云《い》ふ|武術《ぶじゆつ》と|云《い》ふものはマアこんなものだ、エーン。|片彦《かたひこ》の|云《い》ふ|武術《ぶじゆつ》と|俺《おれ》の|云《い》ふ|武術《ぶじゆつ》が|何《ど》れ|丈《だけ》|異《ちが》ふかな、|器《うつは》が|大《おほ》きければ|矢張《やつぱり》|云《い》ふ|事《こと》が|大《おほ》きいからな。|何《なん》だ|猪口才《ちよこざい》な、|武備《ぶび》|撤廃《てつぱい》とか|軍備《ぐんび》|廃止《はいし》とか|何《なん》とか|云《い》うても、|最後《さいご》の|解決《かいけつ》は|矢張《やつぱり》|武術《ぶじゆつ》でなくては|納《をさ》まらないのだ』
『もしランチさま、もうそんな|武張《ぶば》つた|話《はなし》はよして|下《くだ》さい、|私《わたし》|何《なん》だか|恐《おそ》ろしくなつて|耐《たま》りませぬわ』
『アハヽヽヽ、|遉《さすが》は|女《をんな》だ、|角張《かどば》つた|話《はなし》はお|気《き》に|召《め》さぬと|見《み》えるわい、それぢや|何《なに》か|些《ち》と【はんなり】とした|歌《うた》でも|歌《うた》つては|何《ど》うだ』
『|将軍《しやうぐん》|様《さま》から|一《ひと》つ|歌《うた》つて|下《くだ》さいな』
『ヨシヨシ、それぢや|一《ひと》つ|歌《うた》つてやらう、|太鼓《たいこ》や|拍子木《ひやうしぎ》で|力一杯《ちからいつぱい》|囃《はや》して|呉《く》れ、|囃《はやし》が|悪《わる》いと|歌《うた》ひ|憎《にく》いからな』
『ハイ|承知《しようち》|致《いた》しました、サア|初稚姫《はつわかひめ》さま、|貴女《あなた》|太鼓《たいこ》を|打《う》つて|下《くだ》さい、|私《わたし》|拍子木《ひやうしぎ》を|打《う》ちますから』
|茲《ここ》にランチは|酔《よひ》が|廻《まは》るにつれ、|銅羅声《どらごゑ》を|張《は》り|上《あ》げて|歌《うた》ひ|出《だ》す。|二人《ふたり》の|女《をんな》は|拍子木《ひやうしぎ》や|太鼓《たいこ》で|歌《うた》に|合《あは》す。|二人《ふたり》の|副官《ふくくわん》は|耐《たま》りかね|立《た》ち|上《あが》り、|両手《りやうて》を|前後左右《ぜんごさいう》に|振《ふ》り|廻《まは》し、|腰付《こしつき》をかしく|踊《をど》り|狂《くる》つた。
『ハルナの|都《みやこ》で|名《な》も|高《たか》き |天人《てんにん》のやうな|石生能姫《いそのひめ》さま
|衆人羨望《しうじんせんばう》の|的《まと》となり |清《きよ》きお|顔《かほ》を|一目《ひとめ》でも
|拝《をが》みたいものだとやつて|来《く》る それ|故《ゆゑ》ハルナの|都《みやこ》は
いつも|花《はな》|咲《さ》く|春《はる》のよだ こんなナイスはまたと|世《よ》に
|二人《ふたり》とあるまいと|思《おも》ふたに こりや|又《また》どうした|事《こと》ぢやいな
|殺風景《さつぷうけい》なる|陣中《ぢんちう》へ |遉《さすが》の|石生能姫《いそのひめ》さまも
|尻《しり》|端折《はしを》りてスタスタと |逃《に》げ|出《だ》すやうなこのナイス
|一人《ひとり》ばかりか|二人《ふたり》まで ランチ|将軍《しやうぐん》さまのお|手《て》に|入《い》り
|酒《さけ》|汲《く》み|交《かは》してどんちやんと |騒《さわ》ぎ|廻《まは》るのはこれは|又《また》
どうした|拍子《ひやうし》の|瓢箪《へうたん》か |遉《さすが》の|大黒主《おほくろぬし》さまも
こんな|所《ところ》を|見《み》て|居《ゐ》たら |嘸《さぞ》やお|気《き》をば|揉《も》まれるだらう
ほんに|俺《おれ》|程《ほど》|仕合《しあは》せ|者《もの》が |三千世界《さんぜんせかい》にあるものか
ヨイトセノ、ヨイトセ コレヤイノ、ドツコイシヨ
エーエーエ ハーレ、ヤーレ、ヨイヤサ
ヨイヤサ、ヨイヤサ、ドツコイサ |二人《ふたり》のナイスに|取《と》り|巻《ま》かれ
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|楽《たの》しみを |今《いま》|目《ま》のあたり|見《み》る|俺《わし》は
|如何《いか》なる|前世《ぜんせ》の|因縁《いんねん》か |昔々《むかしむかし》の|其《その》|昔《むかし》
も|一《ひと》つ|昔《むかし》のまだ|昔《むかし》 ずつと|遠《とほ》き|神代《かみよ》から
|此《この》|世《よ》の|為《ため》によい|事《こと》を して|来《き》た|報《むく》いでこんな|目《め》に
|遇《あ》ふのであらう|有難《ありがた》い |運《うん》は|天《てん》にあり|福《ふく》は|寝《ね》て|待《ま》てと
これまで|度々《たびたび》|聞《き》いたけど こんな|結構《けつこ》とは|知《し》らなんだ
|俺《おれ》に|引《ひ》きかへ|片彦《かたひこ》は |嘸《さぞ》|今頃《いまごろ》は|吾《わが》|居間《ゐま》に
|双手《もろて》を|組《く》んで|吐息《といき》|吐《つ》き ポロリポロリと|涙《なみだ》をば
|流《なが》してふさいで|居《ゐ》るだらう |是《これ》を|思《おも》へば|些《ち》とばかり
|俺《おれ》も|同情《どうじやう》の|涙《なみだ》をば |落《おと》してやらねばなるまいが
|何《なん》だか|知《し》らぬが|気味《きみ》がよい アヽドツコイシヨ、ドツコイツヨ
ヨイヨイヨイのヨイトサ エーエーエ
ハーレ、ヤーレ、コレハノサ ドツコイセエ、ドツコイセ。
アヽ|苦《くる》しい、アヽもう|是《これ》で|御免《ごめん》|蒙《かうむ》らう、サアこれからが|清《きよ》さまの|番《ばん》だよ。|歌《うた》つたり|歌《うた》つたり』
『ランチ|様《さま》、|私《わたし》は|歌《うた》は|不調法《ぶてうはふ》で|厶《ござ》います、どうぞ|貴方《あなた》|歌《うた》つて|下《くだ》さいな』
『エヽ|人《ひと》に|歌《うた》はして|置《お》いて|自分《じぶん》が|歌《うた》はないと|云《い》ふ|事《こと》があるか、それなら|初《はつ》ちやま、お|前《まへ》|歌《うた》つたらどうだ』
『それでも|私《わたし》|恥《はづ》かしいわ、ナア|姉《ねえ》さま、|歌《うた》なんか|知《し》りまへんもの』
『アハヽヽヽヽ、|今日《けふ》はまるで、このランチ|将軍《しやうぐん》が、|芸者《げいしや》|兼《けん》|幇間《たいこもち》のやうなものだ。|女王様《ぢよわうさま》の|御機嫌《ごきげん》を|取《と》るのは|並大抵《なみたいてい》のものぢやない、|唯《ただ》|一言《いちごん》で|三軍《さんぐん》を|指揮《しき》するこのランチ|将軍《しやうぐん》も、|清照姫《きよてるひめ》さまにかかつては|弱《よわ》いものぢや』
かかる|所《ところ》へ|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》は|宙《ちう》を|切《き》つて|走《はし》り|来《きた》り、|案内《あんない》もなく|物見櫓《ものみやぐら》にかけ|上《のぼ》り、|酒宴《しゆえん》の|席《せき》に|現《あら》はれて、
『ランチ|将軍殿《しやうぐんどの》、|貴方《あなた》は|三軍《さんぐん》を|指揮《しき》する|身分《みぶん》をもつて、|繊弱《かよわ》き|女《をんな》に|現《うつつ》を|抜《ぬ》かし、|軍職《ぐんしよく》をお|忘《わす》れなさるとは|以《もつ》ての|外《ほか》の|御振舞《おふるまひ》、|拙者《せつしや》は|是《これ》より|部下《ぶか》に|命《めい》じ|急使《きふし》を|立《た》て、ハルナの|都《みやこ》の|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》へ|将軍《しやうぐん》の|不行跡《ふしだら》を|報告《はうこく》|仕《つかまつ》る、|覚悟《かくご》なさいませ』
と|気色《けしき》ばんで|仁王立《にわうだち》となつた|儘《まま》|呶鳴《どな》り|立《た》てて|居《ゐ》る。
ランチ|将軍《しやうぐん》も、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》は|吾《わが》|部下《ぶか》とは|云《い》へ、|斯様《かやう》の|事《こと》を|大黒主《おほくろぬし》に|報告《はうこく》されようものなら|首《くび》は|胴《どう》について|居《ゐ》ない、こりや|困《こま》つた|事《こと》になつたと、|俄《にはか》に|酒《さけ》の|酔《よ》ひも|醒《さ》め、|真青《まつさを》の|顔《かほ》をして、やや|狼狽《うろた》へ|気味《ぎみ》になつて、
『イヤ|片彦《かたひこ》|殿《どの》、|物《もの》には|表裏《へうり》が|厶《ござ》る。サウ|貴殿《きでん》のやうに|几帳面《きちやうめん》に|致《いた》されてはやりきれない、まづ|一献《いつこん》|召上《めしあが》れ』
と|盃《さかづき》を|突《つ》き|出《だ》す。|片彦《かたひこ》は|腹立紛《はらだちまぎ》れにビリビリ|慄《ふる》ひながら、
『|魂《たましひ》|迄《まで》も|腐《くさ》り|切《き》つた|将軍《しやうぐん》の|盃《さかづき》は|真平《まつぴら》|御免《ごめん》|蒙《かうむ》る、|汚《けがら》はしう|厶《ござ》る』
と、ランチの|差出《さしだ》した|盃《さかづき》を|無残《むざん》にも|叩《たた》き|落《おと》した。|盃《さかづき》は|金火鉢《かなひばち》の|上《うへ》に|落《お》ち、パツと|三《みつ》つに|割《わ》れて|仕舞《しま》つた。
『マアマアさう|云《い》つたものぢやない、まづ|気《き》を|落《お》ち|着《つ》けられよ、|御所望《ごしよまう》とあらば|初稚姫《はつわかひめ》をお|譲《ゆづ》り|申《まを》す』
『|魚心《うをごころ》あらば|水心《みづごころ》ありで|厶《ござ》る。|然《しか》らば|初稚姫《はつわかひめ》を|拙者《せつしや》に|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》とお|渡《わた》し|下《くだ》さるか』
『|武士《ぶし》の|言葉《ことば》に|二言《にごん》は|厶《ござ》らぬ』
『エヽ|好《す》かぬたらしい、あんな、カツクイのやうな|男《をとこ》、|妾《あたい》|死《し》んでも|嫌《いや》だわ、エヽ|気分《きぶん》が|悪《わる》い、トツトと|帰《かへ》つて|下《くだ》さい。|姉《ねえ》さま、|塩《しほ》でも|撒《ふ》つて|帰《い》なして|下《くだ》さい。|私《わたし》はランチさまが|好《す》きだわ。|片彦《かたひこ》なんて、|名《な》を|聞《き》いてもガタガタして、|体中《からだぢう》がガタガタ|彦《ひこ》になり、|嫌《いや》になりますわ。マアあの|貧相《ひんさう》な|顔《かほ》わいのう。ホヽヽヽヽ』
『コレコレ|初稚姫《はつわかひめ》、|左様《さやう》な|気儘《きまま》を|云《い》ふものぢやない、なぜ|将軍《しやうぐん》の|命《めい》を|承知《きか》ないのですか』
『ホヽヽ、|仕様《しやう》もない、|将軍《しやうぐん》の|命《めい》をきくものは|殺人器《さつじんき》|同様《どうやう》の|低脳児《ていなうじ》の|雑兵《ざふひやう》ですよ。|私《わたし》は|独立《どくりつ》した|一個《いつこ》の|女《をんな》、|軍籍《ぐんせき》に|身《み》は|置《お》いて|居《を》りませぬ、|将軍《しやうぐん》さまだつて|私《わたし》に|命令《めいれい》する|権利《けんり》はありますまい、|嫌《いや》と|云《い》うたら|嫌《いや》ですよ』
『エヽ|恥《はぢ》の|上《うへ》に|恥《はぢ》をかかされ、|何《ど》うして|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|顔《かほ》が|立《た》つか。エヽもう|仕方《しかた》がない、|斯《か》うなれば|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》へ|御注進《ごちゆうしん》だ。ランチ|殿《どの》、|御切腹《ごせつぷく》なさるか、|但《ただ》しは|兜《かぶと》をぬいで、|支配権《しはいけん》を|片彦《かたひこ》にお|譲《ゆづ》りなさるか、|返答《へんたふ》|如何《いかが》で|厶《ござ》る』
と|剣《つるぎ》の|柄《つか》に|手《て》をかけ、チクリチクリとつめ|寄《よ》つた。ランチ|将軍《しやうぐん》はセツパ|詰《つま》り、しようこと|無《な》き|儘《まま》に、|二人《ふたり》の|副官《ふくくわん》に|何事《なにごと》をか|目《め》をもつて|命《めい》じた。|二人《ふたり》の|副官《ふくくわん》は、|矢庭《やには》に|片彦《かたひこ》の|左右《さいう》につつと|寄《よ》り、|両手《りやうて》を|手早《てばや》く|縛《しば》り、|三階《さんがい》の|高殿《たかどの》から、|眼下《がんか》の|谷川《たにがは》の|青淵《あをぶち》|目蒐《めが》けて、ドブンと|許《ばか》り|投《な》げ|込《こ》んだ。
『アハヽヽヽヽ、ても|心地《ここち》よく|斃《くたば》つたものだ。ヤア|両人《りやうにん》、|出《で》かした|出《で》かした。|是《これ》より|其《その》|方《はう》は|副官《ふくくわん》の|職《しよく》を|解《と》き、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》|及《およ》び|久米彦《くめひこ》|将軍《しやうぐん》の|後任者《こうにんしや》に|命《めい》ずる』
『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います』
『ガーター|勲章《くんしやう》を|与《あた》ふべき|所《ところ》だが、これは|後日《ごじつ》|又《また》|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》に|奏上《そうじやう》して|与《あた》へらるるやう|手続《てつづ》きを|致《いた》してやらう』
『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います、|何分《なにぶん》|宜敷《よろし》くお|願《ねが》ひ|致《いた》します』
|両手《りやうて》を|縛《しば》られて|高殿《たかどの》から|谷川《たにがは》へ|投《ほ》り|込《こ》まれた|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》は、ブカリ ブカリと|浮《う》きながら|早瀬《はやせ》を|流《なが》れゆく。ランチ|及《およ》び|外《ほか》|二人《ふたり》は|此《この》|光景《くわうけい》を|眺《なが》め、|手《て》を|打《う》つてウロウ ウロウと|歓声《くわんせい》をあげてゐる。|清照姫《きよてるひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》は|吃驚《びつくり》したやうな|顔《かほ》をして、
『アレマア、|妾《あて》|恐《こは》いわ、|姉《ねえ》さま、|何《ど》うしまひよう、|逃《に》げて|帰《かへ》りませうか』
『さうね、こんな|怖《こは》い|人《ひと》ばかり、|妾《あたい》、もうよう|居《を》りませぬわ』
『アハヽヽヽヽ、|清照姫《きよてるひめ》|殿《どの》、|初稚姫《はつわかひめ》|殿《どの》、|何《なに》も|怖《こは》い|事《こと》はない。|決《けつ》してお|前達《まへたち》に|危害《きがい》を|加《くは》へようと|云《い》ふのではない、お|前達《まへたち》を|可愛《かあい》がつてやり|度《た》いばかりに|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》をなきものにしたのだ。|凡《すべ》て|軍人《ぐんじん》は|百人《ひやくにん》や|二百人《にひやくにん》|殺《ころ》した|位《くらゐ》で、|気《き》を|弱《よわ》らして|居《を》つては|軍職《ぐんしよく》が|勤《つと》まらない。|大根《だいこん》の|葉《は》についた|害虫《がいちう》を|草鞋《わらぢ》で|踏《ふ》みにじるやうな|心持《こころもち》だ。|一日《いちにち》の|内《うち》に|二万《にまん》|三万《さんまん》と|云《い》ふ|人間《にんげん》を|殺《ころ》さなくては、|何《ど》うしても|国家《こくか》を|守《まも》る|事《こと》は|出来《でき》ぬのだからな』
『ランチ|様《さま》、もうそんな|怖《こは》い|話《はなし》はよして、この|勾欄《こうらん》の|傍《そば》で|三人《さんにん》|様《さま》|手《て》を|繋《つな》いで、|面白可笑《おもしろをか》しく|踊《をど》つて|下《くだ》さいな。|私《わたし》|怖《こは》くて|体《からだ》が|慄《ふる》へて|来《き》ましたよ』
『|姉《ねえ》さま、|私《わたし》も|怖《こは》くなつてよ。|一遍《いつぺん》ランチさまの|品《しな》の|好《よ》い|体《からだ》で|踊《をど》つて|欲《ほ》しいわ』
『ヨシヨシ|踊《をど》つてやらう、|併《しか》しお|前《まへ》も|一緒《いつしよ》に|手《て》を|繋《つな》いで|踊《をど》らうぢやないか』
『|姉《ねえ》さま、|一緒《いつしよ》に|踊《をど》りませうよ』
『それなら|五人《ごにん》|輪《わ》になつて|面白《おもしろ》う|踊《をど》つて|見《み》ませう、|初稚姫《はつわかひめ》さま、|貴女《あなた》、|将軍《しやうぐん》さまの|右《みぎ》のお|手《て》を|取《と》つてお|上《あ》げ、|私《わて》|左《ひだり》の|手《て》を|取《と》つて|上《あ》げます』
『ヤアこれは|面白《おもしろ》い』
と|顔《かほ》の|紐《ひも》を|解《と》き、|副官《ふくくわん》と|五人《ごにん》|輪《わ》になつて|踊《をど》り|初《はじ》めた。|余《あま》り|踊《をど》つたためか、|二人《ふたり》の|美人《びじん》が|頭《あたま》に|被《かぶ》つて|居《ゐ》た|鬘《かつら》はポタリと|落《お》ちて、テカテカの|青坊主《あをばうず》……ランチと|二人《ふたり》はアツと|驚《おどろ》く|途端《とたん》に、|二人《ふたり》の|美人《びじん》はさも|恐《おそ》ろしい|鬼《おに》とも|蛇《じや》とも|妖怪《えうくわい》とも|分《わか》らぬ|顔《かほ》になり、|大口《おほぐち》をあけてワツと|迫《せま》つて|来《く》る。|三人《さんにん》は|驚《おどろ》いた|途端《とたん》にヒヨロ ヒヨロと|蹣《よろめ》き、|一度《いちど》にドツと|勾欄《こうらん》に|尻餅《しりもち》をついた。|勾欄《こうらん》は、メキメキと|音《おと》をたて、|三人《さんにん》は|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|落《お》ちた|青淵《あをぶち》にドブンと|音《おと》を|立《た》て、|石《いし》を|投《な》げ|込《こ》んだやうに|水中《すゐちう》に|沈《しづ》んで|仕舞《しま》つた。|下《した》に|待《ま》つて|居《ゐ》たお|民《たみ》は、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の、|三階《さんがい》へ|上《のぼ》つた|儘《まま》|下《お》りて|来《こ》ないのに|不審《ふしん》をおこし、|段梯子《だんばしご》を|上《のぼ》つて|見《み》れば、|大《おほ》きな|白狐《びやくこ》が|二匹《にひき》、お|民《たみ》の|顔《かほ》を|目《め》を|瞋《いか》らして|白眼《にら》みつけて|居《ゐ》る。お|民《たみ》はアツと|云《い》つて|反身《そりみ》になつた|儘《まま》、|段梯子《だんばしご》の|上《うへ》からドスン、ガタガタガタ、ウンといつたきり|気絶《きぜつ》して|仕舞《しま》つた。
|遥《はる》か|向《むか》ふの|方《はう》より|涼《すず》しき|声《ごゑ》の|宣伝歌《せんでんか》が|聞《きこ》えて|来《き》た。|果《はた》して|何人《なにびと》の|宣伝歌《せんでんか》であらうか。
(大正一二・一・一二 旧一一・一一・二六 加藤明子録)
第二篇 |幽冥摸索《いうめいもさく》
第七章 |六道《ろくだう》の|辻《つじ》〔一二六一〕
|精霊界《せいれいかい》は|善霊《ぜんれい》|悪霊《あくれい》の|集合《しふがふ》する|天界《てんかい》|地獄《ぢごく》の|中間的《ちうかんてき》|境域《きやうゐき》にして、|之《これ》を|天《あめ》の|八衢《やちまた》といふ|事《こと》は|既《すで》に|述《の》べた|所《ところ》である。さて|八衢《やちまた》は|仏教者《ぶつけうしや》の|云《い》ふ|六道《ろくだう》の|辻《つじ》の|様《やう》なものである。|又《また》|人《ひと》の|死後《しご》|此《この》|八衢《やちまた》の|中心《ちうしん》なる|関所《せきしよ》に|来《きた》るには、いろいろの|道《みち》を|辿《たど》るものである。|東西南北《たうざいなんぼく》|乾坤巽艮《いぬゐひつじさるたつみうしとら》と、|各精霊《かくせいれい》は|八方《はつぱう》より|此《この》|関所《せきしよ》を|中間《ちうかん》として|集《あつ》まり|来《きた》るものである。|東《ひがし》から|来《きた》る|者《もの》は|大抵《たいてい》は|精霊《せいれい》の|中《うち》でも|良《よ》い|方《はう》の|部分《ぶぶん》であり、さうして|三途《せうづ》の|川《かは》が|流《なが》れてゐる。どうしても|此《この》|関所《せきしよ》を|通《とほ》らなければならないのである。|又《また》|西《にし》から|来《きた》る|者《もの》は|稍《やや》|魂《たましひ》の|曇《くも》つたものが|出《で》て|来《く》る|所《ところ》であつて、|針《はり》を|立《た》てたやうな、|所謂《いはゆる》|剣《つるぎ》の|山《やま》を|渉《わた》つて|来《く》る|者《もの》である。ここを|渉《わた》るのは|僅《わづか》に|足《あし》を|容《い》るるだけの|細《ほそ》い|道《みち》がまばらに|足型《あしがた》|丈《だけ》|残《のこ》つて|居《を》つて、|一寸《ちよつと》|油断《ゆだん》をすればすぐに|足《あし》を|破《やぶ》り、|躓《つまづ》いてこけでもしようものなら、|体《からだ》|一面《いちめん》に、|針《はり》に|刺《さ》されて|苦《くる》しむのである。|又《また》|北《きた》から|来《きた》る|者《もの》は|冷《つめ》たい|氷《こほり》の|橋《はし》を|渡《わた》つて|来《く》る。|少《すこ》しく|油断《ゆだん》をすれば|幾千丈《いくせんぢやう》とも|知《し》れぬ|深《ふか》い|泥水《どろみづ》の|流《なが》れへ|落《お》ち|込《こ》み、そして|其《その》|橋《はし》の|下《した》には|何《なん》とも|云《い》へぬ|厭《いや》らしい|怪物《くわいぶつ》が、|鰐《わに》の|様《やう》な|口《くち》をあけて、|落《お》ちくる|人《ひと》を|呑《の》まむと|待《ま》つてゐる。そして|其《その》|上《うへ》|骨《ほね》を|刻《きざ》む|如《ごと》き|寒《さむ》い|風《かぜ》が|吹《ふ》きまくり、|手足《てあし》が|凍《こご》えて、|殆《ほとん》ど|生死《せいし》の|程《ほど》も|分《わか》らぬやうな|苦《くる》しい|思《おも》ひに|充《みた》されるのである。|又《また》|南《みなみ》の|方《はう》から|来《きた》る|精霊《せいれい》は、|山《やま》|一面《いちめん》に|火《ひ》の|燃《も》えてゐる|中《なか》を、|焔《ほのほ》と|煙《けむり》をくぐつて|来《こ》なくてはならない。|之《これ》も|少《すこ》しく|油断《ゆだん》をすれば|煙《けむり》にまかれ、|衣類《いるゐ》を|焼《や》かれ、|大火傷《おほやけど》をなして|苦《くる》しまなくてはならぬ。|併《しか》しながら|十分《じふぶん》に|注意《ちゆうい》をすれば、|火傷《やけど》の|難《なん》を|免《のが》れて|八衢《やちまた》の|中心地《ちうしんち》へ|来《きた》る|事《こと》を|得《う》るのである。|又《また》|東北方《とうほくはう》より|来《きた》る|者《もの》は|寒氷道《かんぴようだう》と|云《い》つて、|雪《ゆき》は|身《み》を|没《ぼつ》するばかり|寒《さむ》い|冷《つめ》たい|所《ところ》を、|野分《のわき》に|吹《ふ》かれながら、こけつまろびつ、|死物狂《しにものぐる》ひになつて|数十里《すうじふり》の|長《なが》い|道《みち》を|渉《わた》り、|漸《やうや》くにして|八衢《やちまた》の|中心地《ちうしんち》へつくのである。|又《また》|東南《とうなん》より|来《きた》る|精霊《せいれい》は、|満目蕭然《まんもくせうぜん》たる|枯野ケ原《かれのがはら》を|只《ただ》|一人《ひとり》トボトボとやつて|来《く》る。そして|泥田《どろた》やシクシク|原《ばら》や|怪《あや》しき|虫《むし》の|居《ゐ》る|中《なか》を、|辛《から》うじて|中心地《ちうしんち》へ|向《むか》ふのである。|又《また》|西南《せいなん》より|来《きた》る|精霊《せいれい》は、|崎嶇《きく》たる|山坂《やまさか》や|岩《いは》の|上《うへ》をあちらへ|飛《と》び|此方《こちら》へ|飛《と》び、|種々《いろいろ》の|怪物《くわいぶつ》に|時々《ときどき》|襲《おそ》はれながら、|手足《てあし》を|傷《きず》つけ、|飛《と》んだり|転《ころ》げたりしながらに、|漸《やうや》く|八衢《やちまた》の|中心地《ちうしんち》に|出《で》て|来《く》るものである。|又《また》|西北《せいほく》より|来《きた》る|精霊《せいれい》は、|赤跣足《まつぱだし》になり、|尖《とが》つた|小石《こいし》の|路《みち》を|足《あし》を|痛《いた》めながら、|漸《やうや》くにして|命《いのち》カラガラ|八衢《やちまた》へ|来《きた》るものである。|併《しか》しながら|斯《かく》の|如《ごと》き|苦《くる》しみを|経《へ》て|各方面《かくはうめん》より|之《これ》に|集《あつ》まり|来《きた》る|精霊《せいれい》は、|何《いづ》れも|地獄《ぢごく》へ|行《ゆ》くべき|暗黒《あんこく》なる|副守護神《ふくしゆごじん》の|精霊《せいれい》ばかりである。|而《しか》して|各方面《かくはうめん》が|違《ちが》ひ|苦痛《くつう》の|度《ど》が|違《ちが》ふのは、|其《その》|精霊《せいれい》の|悪《あく》と|虚偽《きよぎ》との|度合《どあひ》の|如何《いかん》に|依《よ》るものである。|又《また》|善霊《ぜんれい》|即《すなは》ち|正守護神《せいしゆごじん》の|精霊《せいれい》は、|何《いづ》れの|方面《はうめん》より|来《きた》るも、|余《あま》り|苦《くる》しからず、|恰《あだか》も|春秋《はるあき》の|野《の》を|心地《ここち》よげに|旅行《りよかう》する|様《やう》なものである。これは|生前《せいぜん》に|尽《つく》した|愛善《あいぜん》の|徳《とく》と|信真《しんしん》の|徳《とく》によつて、|精霊界《せいれいかい》を|易々《やすやす》と|跋渉《ばつせふ》する|事《こと》を|得《う》るのである。|善《ぜん》の|精霊《せいれい》が|八衢《やちまた》へ|指《さ》して|行《ゆ》く|時《とき》は、|殆《ほとん》ど|風景《ふうけい》よき|現世界《げんせかい》の|原野《げんや》を|行《ゆ》く|如《ごと》く、|或《あるひ》は|美《うる》はしき|川《かは》を|渡《わた》り、|海辺《うみべ》を|伝《つた》ひ、|若《もし》くは|美《うる》はしき|花《はな》|咲《さ》く|山《やま》を|越《こ》え、|或《あるひ》は|大河《たいが》を|舟《ふね》にて|易々《やすやす》と|渡《わた》り、|又《また》は|風景《ふうけい》よき|谷道《たにみち》を|登《のぼ》りなどして|漸《やうや》く|八衢《やちまた》に|着《つ》くものである。|正守護神《せいしゆごじん》の|通過《つうくわ》する|此《この》|八衢街道《やちまたかいだう》は、|殆《ほとん》ど|最下層天国《さいかそうてんごく》の|状態《じやうたい》に|相似《さうじ》してゐるのである。|而《しか》して|八衢《やちまた》の|関所《せきしよ》は|正守護神《せいしゆごじん》も|副守護神《ふくしゆごじん》も、|凡《すべ》てのものの|会合《くわいがふ》する|所《ところ》であつて、|此処《ここ》にて|善悪《ぜんあく》|真偽《しんぎ》を|査《しら》べられ、|且《かつ》|修練《しうれん》をさせられ、いよいよ|悪《あく》の|改善《かいぜん》をする|見込《みこみ》のなきものは、|或《ある》|一定《いつてい》の|期間《きかん》を|経《へ》て|地獄界《ぢごくかい》に|落《お》ち、|善霊《ぜんれい》は|其《その》|徳《とく》の|度《ど》に|応《おう》じて、|各段《かくだん》の|天国《てんごく》へそれぞれ|昇《のぼ》り|得《う》るものである。
|針《はり》の|山《やま》を|越《こ》えて|漸《やうや》く|此処《ここ》に|息《いき》も|絶《た》え|絶《だ》えにやつて|来《き》たのは、バラモン|教《けう》の|先鋒隊《せんぽうたい》|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》であつた。|片彦《かたひこ》は|赤門《あかもん》の|前《まへ》に|意気《いき》|揚々《やうやう》と、ヤレ|楽《らく》だといふやうな|気《き》になつてやつて|来《く》ると、|赤《あか》|白《しろ》の|守衛《しゆゑい》は、
『|暫《しばら》く|待《ま》てツ』
と|呼《よ》びとめた。|片彦《かたひこ》は|物見櫓《ものみやぐら》の|上《うへ》から|谷底《たにそこ》へ|真逆様《まつさかさま》に|投《な》げ|込《こ》まれ、|肉体《にくたい》の|死《し》んだことは|少《すこ》しも|気《き》がつかず、|依然《いぜん》として|現界《げんかい》に|居《を》るものの|如《ごと》く|信《しん》じてゐた。それ|故《ゆゑ》|守衛《しゆゑい》の|一喝《いつかつ》に|会《あ》ひ、|少《すこ》しも|騒《さわ》がず、
『|拙者《せつしや》は|大自在天《だいじざいてん》|大国彦神《おほくにひこのかみ》の|教《をしへ》を|奉《ほう》じ、|且《か》つ|数多《あまた》の|軍勢《ぐんぜい》を|率《ひき》ゐて|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|進軍《しんぐん》の|途中《とちう》、|浮木ケ原《うききがはら》へ|陣営《ぢんえい》をかまへて、|戦備《せんび》をととのへゐる、|宣伝使《せんでんし》|兼《けん》|征討《せいたう》|将軍《しやうぐん》|片彦《かたひこ》で|厶《ござ》る。|某《それがし》は|酩酊《めいてい》の|余《あま》り、|道《みち》にふみ|迷《まよ》ひ、|実《じつ》に|烈《はげ》しき|針《はり》の|如《ごと》き|草木《さうもく》の|茂《しげ》れる|霜《しも》の|山《やま》を|通《とほ》り、|漸《やうや》く|此処《ここ》までやつて|来《き》たもので|厶《ござ》る。|此処《ここ》は|何《なん》といふ|所《ところ》で|厶《ござ》るか、|少時《しばらく》|休息《きうそく》を|致《いた》すによつて、|腹《はら》も|余程《よほど》|減《へ》つたなり、|体《からだ》も|疲《つか》れたから、|酒《さけ》でもふれまつてくれまいか、あつい|茶《ちや》があれば、|一杯《いつぱい》|戴《いただ》きたいものだ』
|赤《あか》の|守衛《しゆゑい》は|目《め》をギロリと|剥《む》き、
『|当関所《たうせきしよ》は|霊界《れいかい》の|八衢《やちまた》にて、|伊吹戸主神《いぶきどぬしのかみ》の|御関所《おせきしよ》だ。|其《その》|方《はう》は|浮木《うきき》の|森《もり》の|陣営《ぢんえい》に|於《おい》て、ランチ|将軍《しやうぐん》の|副官《ふくくわん》に|後手《うしろで》に|縛《しば》られ、|谷川《たにがは》へほり|込《こ》まれ、|絶命《ぜつめい》|致《いた》して|此処《ここ》へ|迷《まよ》うて|来《き》た|精霊《せいれい》だ。|精霊《せいれい》の|中《なか》でも|最《もつと》も|憎《にく》むべき、|汝《なんぢ》は|悪霊《あくれい》だ。サア|此処《ここ》に|於《おい》て、|其《その》|方《はう》の|罪《つみ》の|軽重《けいぢゆう》を|査《しら》べてやらう』
『ヘヽー、|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ。|馬鹿《ばか》にするな。|俺《おれ》は|酒《さけ》にこそチツとばかり|酔《よ》うたが、|死《し》んだ|覚《おぼえ》はない。|一体《いつたい》ここは|何処《どこ》だ。|本当《ほんたう》の|事《こと》を|申《まを》さぬと、|此《この》|儘《まま》にはすまさないぞ。|大方《おほかた》|其《その》|方《はう》は|往来《ゆきき》の|路人《ろじん》をかすめる|泥棒《どろばう》だらう』
『|馬鹿《ばか》だなア、|確《しつか》り|致《いた》さぬか、そこらの|光景《くわうけい》を|見《み》よ。これでも|気《き》がつかないか』
『|別《べつ》にどこも|変《かは》つた|所《ところ》がないぢやないか、|世間並《せけんなみ》に|樹木《じゆもく》もあれば、|道路《だうろ》もある。|小《ちひ》さい|池《いけ》もあれば|川《かは》も|流《なが》れてゐる。|人間《にんげん》も|道々《みちみち》|沢山《たくさん》に|出会《であ》つて|来《き》た。|左様《さやう》な|事《こと》を|申《まを》して、|吾々《われわれ》を|脅迫《けうはく》しようと|致《いた》しても、いつかな いつかな|誑《たぶらか》されるやうな|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》ではないぞ。|左様《さやう》な|不都合《ふつがふ》な|事《こと》を|申《まを》すと、ふん|縛《じば》つて|陣営《ぢんえい》につれ|帰《かへ》り、|火炙《ひあぶ》りの|刑《けい》に|処《しよ》してやらうか、エエーン』
|赤《あか》は|片彦《かたひこ》の|手《て》をグツと|後《うしろ》へ|廻《まは》し、|鉄《てつ》の|紐《ひも》にてクルクルとまきつけ、|伊吹戸主《いぶきどぬし》の|審判廷《しんぱんてい》へ|引《ひ》き|立《た》てた。
『ヤア|此処《ここ》は|何《なん》だか|妙《めう》な|処《ところ》だ。|俺《おれ》をかやうな|所《ところ》へ、|縛《しば》つてつれて|来《く》るとは|何事《なにごと》だ』
『|先《ま》づ|待《ま》つてゐろ、これから|地獄行《ぢごくゆき》の|言渡《いひわた》しがあるから……』
と|云《い》ひすて、|青色《あをいろ》の|守衛《しゆゑい》に|片彦《かたひこ》を|任《まか》せおき、|慌《あわただ》しく|表《おもて》へ|駆《か》け|出《だ》した。|少時《しばらく》あつて、|青赤《あをあか》の|衣類《いるゐ》をつけたる、いかめしき|守衛《しゆゑい》や|獄卒《ごくそつ》の|如《ごと》き|者《もの》ドカドカと|入《い》り|来《きた》り、|片彦《かたひこ》の|身辺《しんぺん》を|取巻《とりま》き、どこへもやらじと|厳重《げんぢゆう》に|警戒《けいかい》してゐる。|片彦《かたひこ》は|金剛力《こんがうりき》を|出《だ》して、|鉄《てつ》の|綱《つな》を|引《ひ》きちぎり、|片方《かたへ》の|腰掛《こしかけ》をグツと|手《て》に|取《と》るより|早《はや》く、|前後左右《ぜんごさいう》にふりまはし、|館《やかた》の|戸《と》を|無理《むり》に|押開《おしあ》け、|八衢《やちまた》の|赤門前《あかもんまへ》へ|驀地《まつしぐら》に|走《はし》り|来《きた》り、|門《もん》の|敷居《しきゐ》に|躓《つまづ》きパタリと|倒《たふ》れ、|暫《しば》しは|人事不省《じんじふせい》に|陥《おちい》つて|了《しま》つた。
|暫《しばら》くするとランチ|将軍《しやうぐん》|及《およ》びガリヤ、ケースの|三人《さんにん》は、|東《ひがし》の|方《はう》からスタスタと|足早《あしばや》に|走《はし》り|来《きた》り、
ランチ『オイ|両人《りやうにん》、|此処《ここ》はどこだ、そこに|門番《もんばん》が|居《ゐ》る。|一寸《ちよつと》|尋《たづ》ねて|来《こ》い』
ガリヤ『ハイ、|承知《しようち》しました。|何《なん》だか、|四辺《あたり》の|情況《じやうきやう》が|怪《あや》しう|厶《ござ》います。どうぞ、|貴方《あなた》はケースと|共《とも》に|少時《しばらく》ここにお|待《ま》ちを|願《ねが》ひます』
と|云《い》ひ|棄《す》て、|門口《もんぐち》|近《ちか》く|進《すす》み|寄《よ》つた。|見《み》れば|一人《ひとり》の|男《をとこ》が|倒《たふ》れてゐる。|何人《なにびと》ならむと|近寄《ちかよ》つて|顔《かほ》をのぞき|見《み》れば、|豈計《あにはか》らむや|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》であつた。ガリヤは|驚《おどろ》いて、ツカツカと|元来《もとき》し|道《みち》へ|引返《ひつかへ》し、
『モシ、|将軍様《しやうぐんさま》、|不思議《ふしぎ》な|事《こと》があるものです。|物見台《ものみだい》から|谷底《たにそこ》へ|投込《なげこ》んで|殺《ころ》してやつた|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》が、あの|門《もん》の|中《なか》べらに|倒《たふ》れて|居《を》ります。|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》はいつの|間《ま》にこんな|所《ところ》へ|逃《に》げて|来《き》たのでせうか』
『|成程《なるほど》、ここから|見《み》ても、よく|似《に》てゐる|様《やう》だ。ハヽー、|誰《たれ》かに|助《たす》けられ、|此処《ここ》まで|逃《に》げて|来《き》よつたのだなア。|大方《おほかた》|酒《さけ》にでも|酔《よ》うてゐるのだらう。|何《なに》はともあれ、|近《ちか》づいて|査《しら》べてみよう』
といひながらランチは|進《すす》みよつた。そしてよくよく|見《み》れば、|疑《うたがひ》もなき|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》である。ランチは|肩《かた》を|切《しき》りにゆすり、
『オイオイ|片彦《かたひこ》、|貴様《きさま》は|命冥加《いのちみやうが》のある|奴《やつ》だ。|早《はや》く|起《お》きぬかい、かやうな|所《ところ》でイビキをかいて|寝《ね》て|居《ゐ》るといふ|事《こと》があるか』
|片彦《かたひこ》は|此《この》|声《こゑ》にハツと|気《き》がつき、ムクムクと|起《お》き|上《あが》り、
『ヤア、|其《その》|方《はう》はランチ|将軍《しやうぐん》、ガリヤ、ケースの|三人《さんにん》だなア。ヤア|良《い》い|所《ところ》で|会《あ》うた。|此《この》|方《はう》を|高殿《たかどの》から|突落《つきおと》しよつたのを|覚《おぼ》えて|居《ゐ》るか。|斯《か》くなる|上《うへ》は|最早《もはや》|了簡《れうけん》|相成《あひな》らぬ。サア|尋常《じんじやう》に|勝負《しようぶ》|致《いた》せ』
『アハヽヽヽヽ、|蟷螂《たうろう》の|斧《おの》をふるつて|竜車《りうしや》に|向《むか》ふとは|其《その》|方《はう》の|事《こと》だ。こちらは|武勇絶倫《ぶゆうぜつりん》の|勇士《ゆうし》|三人《さんにん》、|如何《いか》に|汝《なんぢ》|鬼神《きじん》をひしぐ|勇《ゆう》ありとも、|到底《たうてい》|汝一人《いちにん》の|力《ちから》に|及《およ》ばむや、|左様《さやう》な|無謀《むぼう》な|戦《たたか》ひを|挑《いど》むよりも、|体《てい》よく|吾《わが》|軍門《ぐんもん》に|降《くだ》つたら|何《ど》うだ』
『|馬鹿《ばか》を|申《まを》せ、|此《この》|方《はう》を|谷底《たにそこ》へ|投込《なげこ》んだのみならず、|最愛《さいあい》の|清照姫《きよてるひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》まで|横奪《わうだつ》した|恋《こひ》の|仇《あだ》、モウ|斯《か》うなる|上《うへ》は|片彦《かたひこ》が|死物狂《しにものぐるひ》、|命《いのち》をすてた|此《この》|方《はう》、サア、かかるならかかつてみよ』
『ヤ、|片彦《かたひこ》、あの|美人《びじん》は|妖怪《えうくわい》で|厶《ござ》つたぞや。|拙者《せつしや》もあの|美人《びじん》が|虎《とら》とも|狐《きつね》とも|狼《おほかみ》とも|譬方《たとへがた》ない|形相《ぎやうさう》をして、|拙者《せつしや》を|睨《にら》みつけた|時《とき》は、|本当《ほんたう》に|肝《きも》をつぶし、ヨロヨロとヨロめいた|途端《とたん》に、|高殿《たかどの》の|欄干《らんかん》に|三人《さんにん》|一時《いちじ》にぶつ|倒《たふ》れ、|其《その》はづみに|高欄《かうらん》はメキメキとこはれ、|泡立《あわだ》つ|淵《ふち》に|向《むか》つて|三人《さんにん》は|急転《きふてん》|落下《らくか》の|厄《やく》に|遇《あ》ひ、|已《すで》に|溺死《できし》せんとする|所《ところ》、|命冥加《いのちみやうが》があつたと|見《み》え、|吾々《われわれ》|三人《さんにん》は|岸《きし》に|泳《およ》ぎつき、|無我無夢《むがむちう》になつて|此処《ここ》まで|走《はし》り|来《き》て|見《み》れば、|門《もん》の|傍《かたはら》に|一人《ひとり》の|行倒《ゆきだふ》れ、|救《すく》ひやらむと、ガリヤを|遣《つか》はし|調《しら》べて|見《み》れば|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》と|聞《き》き、|取《と》るものも|取敢《とりあへ》ず|救助《きうじよ》に|向《むか》つたのだ。|最早《もはや》|彼《あ》の|女《をんな》が|妖怪《えうくわい》であり、|又《また》|拙者《せつしや》が|貴殿《きでん》と|同様《どうやう》、|高殿《たかどの》より|水中《すゐちう》におち、|双方《さうはう》|無事《ぶじ》に|命《いのち》を|保《たも》ち|得《え》たのは、|全《まつた》く|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》の|御守護《ごしゆご》の|致《いた》す|所《ところ》だ。モウ|斯《か》うなる|上《うへ》は、|今迄《いままで》の|恨《うらみ》をスツパリと|水《みづ》に|流《なが》し、|旧交《きうかう》を|温《あたた》めようぢやないか』
『さうだ、|拙者《せつしや》も|斯《か》うして|命《いのち》の|繋《つな》げた|限《かぎ》りは、|貴殿《きでん》と|別《べつ》に|赤目《あかめ》つり|合《あ》うて|争《あらそ》ふにも|及《およ》ぶまい。|何分《なにぶん》|宜《よろ》しく|御頼《おたの》み|申《まを》す。|併《しか》しランチ|殿《どの》、|此処《ここ》は|不思議《ふしぎ》な|所《ところ》で|厶《ござ》る。この|門内《もんない》に|高大《かうだい》なる|館《やかた》があり、|数多《あまた》の|番卒《ばんそつ》|共《ども》が|立籠《たてこも》り、|拙者《せつしや》を|軍法《ぐんぱふ》|会議《くわいぎ》に|附《ふ》せむと|致《いた》しよつた。そこで|拙者《せつしや》は|後手《うしろで》に|縛《しば》られた|鉄《てつ》の|綱《つな》を|剛力《がうりき》に|任《まか》せて|切断《せつだん》し、|門《もん》の|戸《と》を|押破《おしやぶ》り|逃来《にげきた》る|途中《とちう》、|門《もん》の|閾《しきゐ》に|躓《つまづ》き|顛倒《てんたう》して、|暫《しばら》く|目《め》をまはしてゐたのでござる。そこを|貴殿《きでん》がお|助《たす》け|下《くだ》さつたのだから、|命《いのち》の|御恩人《ごおんじん》、|最早《もはや》|怨《うら》みは|少《すこ》しも|御座《ござ》らぬ、サ|是《これ》より|浮木《うきき》の|森《もり》の|方角《はうがく》を|尋《たづ》ね、|一時《いちじ》も|早《はや》く|陣営《ぢんえい》へ|帰《かへ》らうでは|厶《ござ》らぬか、さぞ|軍卒《ぐんそつ》|共《ども》が|心配《しんぱい》を|致《いた》して|居《を》りませう』
|斯《か》かる|所《ところ》へ、ヒヨロリ ヒヨロリとやつて|来《き》たのはお|民《たみ》であつた。
|片彦《かたひこ》『ヤア|其方《そなた》はお|民《たみ》どのぢや|厶《ござ》らぬか、ようマア|拙者《せつしや》の|後《あと》を|尋《たづ》ねて|来《き》て|下《くだ》さつた。ヤア|感謝《かんしや》|致《いた》す』
『ハイ、ここは|何処《どこ》で|厶《ござ》いますか』
『サア|地名《ちめい》がサツパリ|分《わか》らないのだ。|最前《さいぜん》も|赤《あか》い|面《つら》した|奴《やつ》が|一人《ひとり》やつて|来《き》よつて、|八衢《やちまた》だとか|関所《せきしよ》だとか|威《おど》かしよつたが、|俺《おれ》の|勢《いきほひ》に|辟易《へきえき》して、|何処《どこ》ともなく|消《き》え|失《う》せて|了《しま》ひよつた。アツハヽヽヽヽ、|併《しか》しお|民《たみ》、|俺《おれ》を|慕《した》ふ|心《こころ》が|何処《どこ》までも|離《はな》れぬと|見《み》えて、こんな|名《な》も|知《し》れない|所《ところ》まで、よくついて|来《き》てくれた。イヤ|本当《ほんたう》に|優《やさ》しい|女《をんな》だ』
『あの|片彦《かたひこ》|様《さま》の|自惚様《うぬぼれやう》わいのう。|私《わたし》には|蠑〓別《いもりわけ》さまといふ|立派《りつぱ》な|夫《をつと》が|厶《ござ》いますよ。あなたは|人《ひと》の|上《かみ》に|立《た》つ|将軍《しやうぐん》の|身《み》でゐながら、|主《ぬし》ある|女《をんな》に|恋慕《れんぼ》するとは|余《あんま》りぢやありませぬか、チツと|心得《こころえ》なされませ』
『|言《い》はしておけば、|女《をんな》の|分際《ぶんざい》として、|聞《き》くに|堪《た》へざる|雑言無礼《ざふごんぶれい》、いよいよ|軍法《ぐんぱふ》|会議《くわいぎ》にまはし、|其《その》|方《はう》を|重《おも》き|刑罰《けいばつ》に|処《しよ》してやるから、|覚悟《かくご》を|致《いた》したがよからう』
『ホヽヽヽヽ、あなたも|余程《よほど》|常識《じやうしき》のない|方《かた》ですね。|軍人《ぐんじん》でもないもの、|而《しか》も|軍隊《ぐんたい》に|何一《なにひと》つ|関係《くわんけい》のない|此《この》|女《をんな》|一人《ひとり》をつかまへて、|軍法《ぐんぱふ》|会議《くわいぎ》にまはすなんて、|余《あま》り|常識《じやうしき》がなさ|過《す》ぎるぢやありませぬか、ねえランチ|将軍《しやうぐん》|様《さま》、まるで|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》は|八衢人足《やちまたにんそく》みたやうな|方《かた》ですねえ。ホツホヽヽヽ』
『サア、どうかなア』
『コリヤお|民《たみ》、|何《なん》といふ|無礼《ぶれい》な|事《こと》を|申《まを》すか、|八衢人足《やちまたにんそく》とは|何《なん》だ。|畏《おそれおほ》くも|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》の|御恩寵《ごおんちやう》を|受《う》けた、|万民《ばんみん》を|天国《てんごく》に|救《すく》ひ、|且《か》つ|世界《せかい》の|動乱《どうらん》をしづめる|宣伝《せんでん》|将軍様《しやうぐんさま》だぞ。|八衢《やちまた》にさまよふ|奴《やつ》は、|其《その》|方《はう》や|蠑〓別《いもりわけ》の|如《ごと》き|人足《にんそく》だ』
『ホツホヽヽヽヽ、|私《わたし》が|八衢人足《やちまたにんそく》なら、あなた|方《がた》|皆《みな》さうですワ。|現《げん》に|八衢《やちまた》の|関所《せきしよ》へ|迷《まよ》つて|来《き》てゐるぢや|厶《ござ》いませぬか。あれ|御覧《ごらん》なさい、あすこに|館《やかた》が|厶《ござ》いませう。あこが|閻魔《えんま》さまのお|館《やかた》で|厶《ござ》いますよ。|何《いづ》れここで、|私《わたし》もあなた|方《がた》も|取調《とりしら》べられるにきまつてゐます。|其《その》|時《とき》になれば|私《わたし》が|天国《てんごく》へ|行《ゆ》くか、あなた|方《がた》が|地獄《ぢごく》へお|落《お》ち|遊《あそ》ばすか、ハツキリと|分《わか》りませうから、マア|楽《たのし》んでお|待《ま》ちなさいませ』
『コリヤお|民《たみ》、|其《その》|方《はう》は|狂気《きやうき》|致《いた》したか、|死《し》んでるのぢやないぞ。|今《いま》から|亡者《まうじや》|気取《きど》りになつて|何《なん》とする。コレコレ ランチ|殿《どの》、お|民《たみ》に|気《き》つけを|呑《の》ましたいと|思《おも》ひますが、|生憎《あひにく》|途中《とちう》にて|肝腎《かんじん》の|薬《くすり》を|遺失《ゐしつ》|致《いた》しました。|少《すこ》しばかり|貴方《あなた》の|分《ぶん》を|与《あた》へてやつて|下《くだ》さい』
『|拙者《せつしや》も|川《かは》へ|落込《おちこ》んだ|刹那《せつな》、|肝腎《かんじん》の|霊薬《れいやく》を|川《かは》へ|落《おと》したと|見《み》えます、|仕方《しかた》がありませぬワ』
『ホヽヽヽヽ、|私《わたし》の|方《はう》から|気付《きつけ》を|上《あ》げたい|位《くらゐ》だが、|私《わたし》も|生憎《あいにく》|持合《もちあは》せがないので、|仕方《しかた》がありませぬ。|併《しか》しながら|今《いま》|赤鬼《あかおに》さまがお|調《しら》べ|下《くだ》さるでせうから、|其《その》|時《とき》になつてビツクリなさいますなや、|本当《ほんたう》にお|気《き》の|毒《どく》さまですワ。あなたの|霊衣《れいい》は|浮木《うきき》の|森《もり》の|陣営《ぢんえい》に|厶《ござ》つた|時《とき》とは|大変《たいへん》に|薄《うす》くなつてゐますよ。|気《き》の|毒《どく》な|運命《うんめい》が、あなた|方《がた》の|頭上《づじやう》にふりかかつて|来《き》てるやうに|思《おも》へてなりませぬワ』
『|気《き》の|違《ちが》つた|女《をんな》といふものは、どうも|仕方《しかた》がないものだなア』
|斯《か》く|話《はな》す|所《ところ》へ、|今度《こんど》は|十人《じふにん》ばかりの|赤面《あかづら》の|守衛《しゆゑい》が|突棒《つきぼう》、|刺股《さすまた》などを|携《たづさ》へ、いかめしき|装束《しやうぞく》をして、バラバラと|五人《ごにん》の|周囲《まはり》を|取巻《とりま》いた。
『|拙者《せつしや》はバラモンの|先鋒軍《せんぽうぐん》、ランチ|将軍《しやうぐん》で|厶《ござ》る。|其《その》|方《はう》は|何者《なにもの》なるや|知《し》らねども、|其《その》いかめしき|形相《ぎやうさう》は|何事《なにごと》ぞ。それがしを|護衛《ごゑい》の|為《ため》か、|但《ただし》は|召捕《めしと》る|考《かんが》へか、|直様《すぐさま》|返答《へんたふ》を|致《いた》せ』
|守衛《しゆゑい》の一『ここは|霊界《れいかい》の|八衢《やちまた》だ、|其方等《そのはうら》は|已《すで》に|肉体《にくたい》を|離《はな》れ、ここに|生前《せいぜん》の|業《ごふ》の|酬《むく》いによつて、|今《いま》や|審判《しんぱん》を|受《う》けねばならぬ|身《み》の|上《うへ》となつてゐるのだ。サア|神妙《しんめう》に|冥土《めいど》の|御規則《ごきそく》に|従《したが》ひ、|此《この》|衡《はかり》の|上《うへ》に|一人《ひとり》|々々《ひとり》|乗《の》つたがよからう、|罪《つみ》の|軽重大小《けいぢゆうだいせう》によつて、|其《その》|方《はう》の|行《ゆ》くべき|所《ところ》を|定《さだ》めねばならぬ。サ、キリキリと|此《この》|衡《はかり》にかかれ』
ランチは|双手《もろて》を|組《く》み、
『ハーテナア』
(大正一二・一・一二 旧一一・一一・二六 松村真澄録)
第八章 |亡者苦雑《もさくさ》〔一二六二〕
|精霊《せいれい》が|肉体《にくたい》を|脱離《だつり》して、|精霊界《せいれいかい》の|関所《せきしよ》に|来《きた》つた|時《とき》、|其《その》|初《はじめ》の|間《あひだ》の|容貌《ようばう》は、|彼《かれ》が|尚《なほ》|現界《げんかい》に|居《ゐ》た|時《とき》|同様《どうやう》の|面貌《めんばう》を|有《いう》し、|其《その》|音声《おんせい》や|動作《どうさ》|及《および》|背《せ》の|長短《ちやうたん》など|少《すこ》しも|違《ちが》はない。|此《この》|時《とき》は|尚《なほ》|外分《ぐわいぶん》の|情態《じやうたい》に|居《を》つて、|其《その》|内分《ないぶん》が|未《いま》だ|開《ひら》くるに|暇《いとま》なき|故《ゆゑ》である。|稍《やや》あつて|其《その》|面貌《めんばう》、|言語《げんご》などは|追々《おひおひ》と|転化《てんくわ》して、|遂《つひ》には|全《まつた》く|以前《いぜん》の|姿《すがた》と|相異《さうい》するに|至《いた》る。|何故《なにゆゑ》|斯《か》かる|変化《へんくわ》があるかと|云《い》ふなれば、|彼《かれ》|精霊《せいれい》が|現界《げんかい》に|在《あ》つた|時《とき》、|其《その》|心《こころ》の|内分《ないぶん》に|於《おい》て、|最《もつと》も|主《しゆ》となりたる|愛《あい》|即《すなは》ち|情動《じやうだう》の|如何《いかん》によつて、|其《その》|面貌《めんばう》は|転化《てんくわ》し、|其《その》|情動《じやうだう》に|相応《さうおう》するが|故《ゆゑ》である。|蓋《けだ》し|彼《かれ》の|精霊《せいれい》は|尚《なほ》|其《その》|肉体中《にくたいちう》に|在《あ》つた|時《とき》、|此《この》|愛《あい》|即《すなは》ち|情動《じやうだう》を|以《もつ》て|唯一《ゆゐいつ》の|生命《せいめい》としてゐたからである。|又《また》|人間《にんげん》の|精霊《せいれい》の|面貌《めんばう》は|其《その》|肉体《にくたい》の|面貌《めんばう》と|決《けつ》して|同一《どういつ》のものではない。|肉体《にくたい》の|面貌《めんばう》は|父母《ふぼ》より|遺伝《ゐでん》さるる|所《ところ》なるを|以《もつ》て、|何《なん》となく|両親《りやうしん》の|面貌《めんばう》や|声調《せいてう》に|似《に》て|居《ゐ》る|所《ところ》あれども、|精霊《せいれい》の|面貌《めんばう》は|愛《あい》の|情動《じやうだう》の|如何《いかん》に|依《よ》つて|定《さだ》まる|故《ゆゑ》に、|其《その》|面貌《めんばう》は|情動《じやうだう》の|証像《しようざう》といつても|可《い》いのである。
|精霊《せいれい》が|肉体《にくたい》を|脱離《だつり》した|後《のち》、|即《すなは》ち|現界人《げんかいじん》の|見《み》て|死《し》と|云《い》ふ|関門《くわんもん》を|越《こ》えた|時《とき》、|精霊《せいれい》が|現《げん》ずる|所《ところ》の|面貌《めんばう》|其《その》ものは|即《すなは》ち|愛《あい》の|情動《じやうだう》の|証像《しようざう》である。|此《この》|時《とき》は|既《すで》に|外分《ぐわいぶん》は|除《のぞ》き|去《さ》られて|内分《ないぶん》のみ|現《あら》はれ|出《い》づる|時《とき》である。|併《しか》し|死《し》して|未《いま》だ|時《とき》を|経《へ》ざる|精霊《せいれい》に|於《おい》ては、|其《その》|面貌《めんばう》や|音声《おんせい》にて、|知己《ちき》たり|兄弟《きやうだい》たり|親《おや》たり|親族《しんぞく》たるを|一目《ひとめ》にて|認識《にんしき》し|得《う》れども、|時《とき》を|経《へ》るに|従《したが》つて|互《たがひ》に|相知《あひし》り|能《あた》はざる|迄《まで》に|変化《へんくわ》するものである。
|愛善《あいぜん》の|情動《じやうだう》を|有《いう》するものは|其《その》|面貌《めんばう》|美《うる》はしく|且《かつ》|何処《どこ》ともなく|気品《きひん》あり、|光明《くわうみやう》に|輝《かがや》けども、|悪《あ》しき|情動《じやうだう》に|居《を》るものの|面貌《めんばう》は|実《じつ》に|醜穢《しうゑ》にして|一見《いつけん》して|妖怪《えうくわい》ならむかと|疑《うたが》はるるばかりである。|凡《すべ》て|人間《にんげん》の|精霊《せいれい》は|其《その》|自性上《じせいじやう》より|見《み》れば、|情動《じやうだう》|其《その》ものに|外《ほか》ならない。そして|此《この》|面貌《めんばう》は|情動《じやうだう》なるものが|外面《ぐわいめん》に|現《あら》はれたものである。|斯《かく》の|如《ごと》く|面貌《めんばう》の|転化《てんくわ》するのは、|霊界《れいかい》に|在《あ》つては|吾《われ》に|非《あら》ざる|所《ところ》の|悪《あ》しき|情動《じやうだう》を|詐《いつは》り|装《よそほ》ふ|事《こと》を|得《え》ない。|従《したが》つてわが|有《いう》する|所《ところ》の|愛《あい》と|相反《あひはん》したる|面貌《めんばう》を|装《よそほ》ふ|事《こと》も|得《え》ないのである。|霊界《れいかい》に|在《あ》る|精霊《せいれい》は、|皆《みな》|其《その》|思想《しさう》の|儘《まま》に|現出《げんしゆつ》し、|其《その》|意思《いし》のままを|面《おもて》に|現《あら》はし、|又《また》|身体《しんたい》の|各部《かくぶ》に|現《あら》はるべき|情態《じやうたい》に|居《を》るが|故《ゆゑ》に、|一切《いつさい》の|精霊《せいれい》の|面貌《めんばう》は、|要《えう》するに|其《その》|情動《じやうだう》の|形態《けいたい》であり|又《また》|証像《しようざう》である。|故《ゆゑ》に|現界《げんかい》に|於《おい》て|互《たがひ》に|相知《あひし》り|合《あ》うた|者《もの》は、|精霊界《せいれいかい》に|於《おい》て|之《これ》を|知《し》るを|得《う》るのである。|但《ただし》|高天原《たかあまはら》と|根底《ねそこ》の|国《くに》に|於《おい》ては|最早《もはや》|斯《かく》の|如《ごと》き|事《こと》はない。|故《ゆゑ》に|其《その》|知己《ちき》なりしや、|兄弟《きやうだい》なりしや、|親子《おやこ》なりしやを|自《みづか》ら|知《し》る|事《こと》は|甚《はなは》だ|難《がた》いのである、|否《いな》|絶無《ぜつむ》と|云《い》つても|可《い》い|位《くらゐ》である。
|精霊《せいれい》は|死後《しご》|漸次《ぜんじ》に|其《その》|面貌《めんばう》|及《および》|音声《おんせい》の|変化《へんくわ》を|来《きた》すと|雖《いへど》も、|偽善者《きぜんしや》の|精霊《せいれい》の|面貌《めんばう》は|他《た》よりも|遅《おく》れて|変化《へんくわ》するものである。|彼等《かれら》の|内分《ないぶん》|即《すなは》ち|心《こころ》は|常《つね》に|善《よ》き|情動《じやうだう》を|模《も》する|事《こと》に|慣《な》れて|居《ゐ》るからである。|故《ゆゑ》に|之等《これら》の|精霊《せいれい》は|久《ひさ》しく|本来《ほんらい》の|醜悪《しうあく》を|暴露《ばくろ》せないものである。されど|其《その》|虚偽《きよぎ》の|鍍金《めつき》は|次第《しだい》に|逐《お》うて|取除《とりのぞ》かれ、|又《また》|自《おのづか》ら|剥《は》げるが|故《ゆゑ》に、その|所成《しよせい》の|内分《ないぶん》は|其《その》|情動《じやうだう》|本来《ほんらい》の|形態《けいたい》に|従《したが》つて|変容《へんよう》せなくては|止《や》まないのである。かくなつた|時《とき》には|偽善者《きぜんしや》は|其《その》|本値《ほんね》を|暴露《ばくろ》され、|醜陋《しうろう》を|極《きは》め、|実《じつ》に|悲惨《みぢめ》なものである。|又《また》|偽善者《きぜんしや》は|現界《げんかい》に|在《あ》つても|神《かみ》の|如《ごと》く|天人《てんにん》の|如《ごと》く、|智者真人《ちしやしんじん》を|装《よそほ》ひ、|霊界《れいかい》の|事《こと》を|極《きは》めて|詳細《しやうさい》に|言説《げんせつ》する|様《やう》であれども、|其《その》|内分《ないぶん》には|只々《ただただ》|自然界《しぜんかい》のみ|是認《ぜにん》して、|実際《じつさい》に|神格《しんかく》を|認《みと》めず、|従《したが》つて|高天原《たかあまはら》の|状態《じやうたい》や|或《あるひ》は|神《かみ》の|御教《みをしへ》などを|否定《ひてい》してゐるものである。|故《ゆゑ》に|之《これ》を|霊界《れいかい》にては|偽善者《きぜんしや》として|取扱《とりあつか》はれるのである。これに|反《はん》し、|情動《じやうだう》|益々《ますます》|内的《ないてき》にして、|高天原《たかあまはら》に|順適《じゆんてき》する|事《こと》|益々《ますます》|大《だい》ならば、|其《その》|面貌《めんばう》は|実《じつ》に|美《び》を|極《きは》めたものである。|何故《なぜ》ならば、|彼等《かれら》は|実《じつ》に|天界《てんかい》の|愛《あい》|其《その》ものを|以《もつ》て|吾《わが》|心《こころ》となし|吾《わが》|容貌《ようばう》となすが|故《ゆゑ》である。|又《また》|其《その》|情動《じやうどう》|外的《ぐわいてき》にして、|真理《しんり》を|覚《さと》らず、|神《かみ》を|愛《あい》せず|且《かつ》|聖言《せいげん》を|信《しん》ぜざる|者《もの》は|所謂《いはゆる》|高天原《たかあまはら》の|情態《じやうたい》に|反《そむ》くが|故《ゆゑ》に、|其《その》|面貌《めんばう》は|暗《くら》く|醜《みにく》く、|現界《げんかい》に|在《あ》りし|時《とき》よりも|益々《ますます》|劣《おと》つて|陋劣醜悪《ろうれつしうあく》になるものである。|大本神諭《おほもとしんゆ》に……|神代《かみよ》になれば|顔容《かほかたち》の|綺麗《きれい》な|者《もの》よりも|心《こころ》の|綺麗《きれい》な|者《もの》が、|神《かみ》の|目《め》には|立派《りつぱ》に|見《み》えるぞよ、|何程《なにほど》|美《うつく》しき|顔《かほ》をして|居《を》りても、|偉《えら》さうに|致《いた》して|居《を》りても、|神《かみ》の|前《まへ》に|参《まゐ》りたら|忽《たちま》ち|相好《さうがう》が|変《かは》るぞよ、|身魂相応《みたまさうおう》の|肉体《にくたい》が|授《さづ》けてあるぞよ|云々《うんぬん》……と|示《しめ》されたるは、|即《すなは》ち|精霊《せいれい》に|対《たい》する|戒《いまし》めであつて、|霊界《れいかい》に|於《お》ける|精霊《せいれい》の|情態《じやうたい》に|対《たい》して|適確《てきかく》な|御教示《ごけうじ》と|云《い》ふべきである。|故《ゆゑ》に|霊界《れいかい》に|在《あ》る|者《もの》は、|其《その》|内分《ないぶん》の|度《ど》の|如何《いかん》に|依《よ》つて、|円満《ゑんまん》となり|善美《ぜんび》となり、|外分《ぐわいぶん》に|向《むか》ふに|従《したが》つて|欠損《けつそん》し|行《ゆ》くものである。|故《ゆゑ》に|最高第一《さいかうだいいち》の|天国《てんごく》|及《および》|霊国《れいごく》の|天人《てんにん》の|面貌《めんばう》や|姿《すがた》の|美《うつく》しさは、|如何《いか》なる|画伯《ぐわはく》があつて|其《その》|技術《ぎじゆつ》を|尽《つく》し、|霊筆《れいひつ》を|揮《ふる》ふとも、|其《その》|美貌《びばう》や|光明《くわうみやう》なり|活気凛々《くわつきりんりん》たる|姿《すがた》の|万分《まんぶん》の|一《いち》をも|描《ゑが》き|出《だ》す|事《こと》は|出来《でき》ない。されども|最下層《さいかそう》の|天国《てんごく》|霊国《れいごく》に|在《あ》る|者《もの》は、|最《もつと》も|熟練《じゆくれん》せる|有名《いうめい》なる|画伯《ぐわはく》が|丹精《たんせい》をこらし、|其《その》|技《ぎ》|神《しん》に|入《い》り|妙《めう》に|達《たつ》した|時《とき》|初《はじ》めて、|多少《たせう》|其《その》|面貌《めんばう》を|描《ゑが》き|得《え》て、|其《その》|真相《しんさう》の|一部《いちぶ》を|現《あら》はし|得《う》る|位《くらゐ》なものである。
ランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》、ガリヤ、ケースの|両《りやう》|副官《ふくくわん》は|関所《せきしよ》の|門口《もんぐち》にて|赤面《あかづら》の|守衛《しゆゑい》に|一々《いちいち》|身許《みもと》|調《しら》べを|執《と》り|行《おこな》はれた。|先《ま》づ|第一《だいいち》に|調《しら》べられたのは|到着順《たうちやくじゆん》として|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》であつた。|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》は|生前《せいぜん》より|最《もつと》も|頑強《ぐわんきやう》にして|偽善《ぎぜん》|強《つよ》く、|且《かつ》バラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》を|兼《か》ねながら、|其《その》|内分《ないぶん》に|於《おい》て|少《すこ》しも|神《かみ》を|認《みと》めず、|只《ただ》|現代《げんだい》の|宗教家《しうけうか》の|如《ごと》く、|神《かみ》を|利己《りこ》の|為《ため》の|手段《しゆだん》とするに|過《す》ぎなかつた。|而《しか》して|数多《あまた》の|人間《にんげん》を、|一方《いつぱう》には|天界《てんかい》|地獄《ぢごく》の|道《みち》を|説《と》いて、|愚昧《ぐまい》な|者《もの》を|或《あるひ》は|喜《よろこ》ばせ|或《あるひ》は|驚《おどろ》かせ、|自分《じぶん》の|善徳者《ぜんとくしや》にして|且《かつ》|賢者《けんじや》なる|事《こと》、|又《また》|神《かみ》の|代表者《だいへうしや》なる|事《こと》を|思惟《しゐ》せしめ、|一方《いつぱう》には|武力《ぶりよく》を|以《もつ》て|其《その》|言説《げんせつ》を|信《しん》ぜざる|者《もの》は、|或《あるひ》は|打殺《うちころ》し、|或《あるひ》は|苦《くるし》め、|漸《やうや》くにして|其《その》|威信《ゐしん》を|保《たも》ち、|無理槍《むりやり》に|秩序《ちつじよ》を|維持《ゐぢ》してゐたのである。それ|故《ゆゑ》|死後《しご》|直《ただち》に|面貌《めんばう》|転化《てんくわ》すべき|精霊界《せいれいかい》に|来《きた》りながら、|容易《ようい》に|其《その》|転化《てんくわ》を|来《きた》さなかつた。
『|其《その》|方《はう》は|何年《なんねん》|何月《なんぐわつ》|何日《なんにち》、|何《いづ》れの|所《ところ》に|於《おい》て、|何々《なになに》の|処女《しよぢよ》を|姦淫《かんいん》|致《いた》したであらうがな。そして|又《また》|何年《なんねん》|何月《なんぐわつ》|何日《なんにち》|何時《なんじ》|何十分《なんじつぷん》、|何処《なにしよ》に|於《おい》て|人《ひと》の|妻女《さいぢよ》を|私《ひそ》かに|姦《かん》し、|其《その》|女《をんな》を|誑《たぶら》かし、|沢山《たくさん》の|金《かね》をむしつたであらうがな』
と|掌《たなごころ》を|指《さ》す|如《ごと》く|指示《しじ》されて、|流石《さすが》の|片彦《かたひこ》も|返答《へんたふ》につまり、
『ハイ』
と|言《い》つたきり、|俯《うつむ》いて|了《しま》つた。
『|間違《まちがひ》はないか、|間違《まちがひ》があるなら、あると|申《まを》せ』
『ハイ、|余《あま》り|永《なが》い|事《こと》になりますので、スツカリ|忘《わす》れて|居《を》りましたが、さう|承《うけたま》はりますと|間違《まちがひ》は|厶《ござ》いませぬ』
『|姦淫《かんいん》に|関《くわん》する|事《こと》は|之《これ》ばかりか、まだ|外《ほか》にあるであらう、|一々《いちいち》|有体《ありてい》に|申上《まをしあ》げツ』
『ハイ、|余《あま》り|件数《けんすう》が|多《おほ》いので|俄《にはか》に|返答《へんたふ》に|困《こま》ります』
『|其《その》|方《はう》が|言《い》はずとも、|此《この》|帳簿《ちやうぼ》にスツカリつけてある。コレ|此《この》|通《とほ》り、|随分《ずゐぶん》|厚《あつ》いものだらう、|第一号《だいいちがう》より|第九百九十五号《だいきうひやくきうじふごがう》まで、|姦淫《かんいん》に|関《くわん》する|事件《じけん》ばかりだ。|一々《いちいち》|読《よ》み|聞《き》かさうか』
『ハイ、|決《けつ》して|嘘《うそ》とは|申《まを》しませぬ、|読《よ》んで|頂《いただ》きましては|実《じつ》に|苦《くる》しう|厶《ござ》います。どうぞ|御省略《ごしやうりやく》を|願《ねが》ひます』
『|馬鹿《ばか》を|申《まを》せ、|自分《じぶん》が|勝手《かつて》な|事《こと》を|致《いた》しておいて、|此処《ここ》で|大勢《おほぜい》の|前《まへ》に|曝《さら》されるのが|辛《つら》いと|云《い》つて、|省略《しやうりやく》せよとは、|以《もつ》ての|外《ほか》の|奴《やつ》だ、|片彦《かたひこ》、|顔《かほ》をあげて|見《み》よ、|此《この》|通《とほ》り|汝《なんぢ》の|審判《しんぱん》に|就《つ》いて、|諸天人《しよてんにん》が|縦覧《じうらん》に|来《き》てゐるぞ』
『ハイ、|是非《ぜひ》には|及《およ》びませぬ、|何卒《どうぞ》|御規則《ごきそく》|通《どほ》り|願《ねが》ひます』
|赤《あか》は|一々《いちいち》|大声《おほごゑ》を|発《はつ》して、|第九百九十五号《だいきうひやくきうじふごがう》まで|一言《ひとこと》も|洩《も》らさず|読《よ》み|上《あ》げた。|其《その》|詳細《しやうさい》なること|実《じつ》に|驚《おどろ》くばかりで、|片彦《かたひこ》が|記憶《きおく》を|去《さ》つてゐた|事《こと》を|数多《あまた》、|場所《ばしよ》|刻限《こくげん》|相手方《あひてがた》の|年齢《ねんれい》|及《およ》び|自分《じぶん》の|女《をんな》に|対《たい》して|云《い》つた|事《こと》、|又《また》|女《をんな》が|答《こた》へた|事《こと》、|其《その》|他《た》|手足《てあし》の|動《うご》かし|方《かた》までテツキリと|読《よ》み|上《あ》げられ、|暗《くら》がりの|恥《はぢ》を|明《あか》るみにさらされ、|頭《あたま》を|抱《かか》へて|冷汗《ひやあせ》をタラタラと|流《なが》し、|真赤《まつか》な|顔《かほ》して|慄《ふる》うてゐる。
『これに|間違《まちがひ》はないか、|間違《まちがひ》がなければ|爪印《つめいん》を|致《いた》せ』
『ハイ』
と|云《い》ひながら、|怖《おそ》る|怖《おそ》る|其《その》|帳面《ちやうめん》に「|拙者《せつしや》の|生前《せいぜん》の|行状《ぎやうじやう》、|此《この》|記録《きろく》に|寸分《すんぶん》|相違《さうゐ》|御座《ござ》なく|候《さふらふ》、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》」と|記《しる》し、|拇印《ぼいん》を|捺《お》した。
『ウン、|之《これ》でよし、それから|其《その》|方《はう》は|生前《せいぜん》に|於《おい》て|詐欺《さぎ》を|致《いた》したであらう。|又《また》チヨイチヨイ|窃盗《せつたう》も|致《いた》したであらう。|強盗《がうたう》も|致《いた》したであらう。|賄賂《わいろ》も|取《と》つたらうがなア。それから|殺人《さつじん》|傷人《しやうじん》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|神《かみ》の|道《みち》を|誹《そし》り、|人《ひと》を|誹謗《ひばう》し、|他人《たにん》の|事業《じげふ》を|妨害《ばうがい》し、|体主霊従《たいしゆれいじう》の|有丈《ありだけ》を|尽《つく》したであらう。サア|一々《いちいち》|自白《じはく》を|致《いた》せ』
『ハイ、モウ|何卒《どうぞ》こらへて|下《くだ》さいませ。|余《あんま》りで|厶《ござ》います』
『|馬鹿《ばか》を|申《まを》せ、|一分一厘《いちぶいちりん》|間違《まちがひ》のない|様《やう》に|取調《とりしら》べるのが、|八衢《やちまた》の|関所《せきしよ》だ。|何程《なにほど》|手間《てま》がいつても、|左様《さやう》な|簡略《かんりやく》な|事《こと》が|出来《でき》ようか』
『|何《なん》とマア|細《こま》かしい|事《こと》まで|御存《ごぞん》じで|厶《ござ》いますな。|仰《おほ》せの|通《とほ》り|悪《あく》といふ|悪《あく》は|残《のこ》らず、|大《だい》なり|小《せう》なり|皆《みな》|普遍的《ふへんてき》にやつて|参《まゐ》りました。|併《しか》しながら|此《この》お|関所《せきしよ》は|吾々《われわれ》の|悪事《あくじ》ばかりを|摘発《てきはつ》なさつて、|善《ぜん》は|少《すこ》しもお|認《みと》めにならないのですか。|随分《ずゐぶん》|私《わたくし》も|悪《わる》い|事《こと》も|致《いた》しましたが、|又《また》|此《この》|悪事《あくじ》を|償《つぐな》ふ|丈《だけ》の|善事《ぜんじ》をやつて|来《き》た|積《つもり》で|厶《ござ》います』
『|其《その》|方《はう》は|饑餓凍餒《きがとうたい》の|民《たみ》を|助《たす》けた|事《こと》もある。|又《また》|水中《すゐちう》に|陥《おちい》り|溺死《できし》せむとする|人間《にんげん》も|少《すこ》しばかりは|助《たす》けて|居《ゐ》る。|荒野《あらの》を|開《ひら》き|耕作《かうさく》を|奨《すす》め、|米《こめ》|麦《むぎ》の|収入《しうにふ》を|社会《しやくわい》に|殖《ふ》やし、|公益《こうえき》を|計《はか》つた|事《こと》もある。|併《しか》しながら|此《この》|善《ぜん》はすべて|汝《なんぢ》の|声名《せいめい》を|遠近《ゑんきん》に|現《あら》はさむ|為《ため》の|善《ぜん》にして、|所謂《いはゆる》|自利心《じりしん》より|出《い》でたるものである。|自愛《じあい》の|為《ため》の|善《ぜん》は|凡《すべ》て|偽善《ぎぜん》である。|最初《さいしよ》から|悪人《あくにん》を|標榜《へうぼう》して|悪《あく》を|働《はたら》いた|人間《にんげん》に|比《ひ》すれば、|却《かへつ》て|其《その》|方《はう》の|心《こころ》と|行《おこな》ひは、それより|以上《いじやう》|悪《わる》きものである。|汝《なんぢ》は|生前《せいぜん》に|於《おい》て|愛《あい》の|為《ため》の|愛《あい》を|励《はげ》み、|善《ぜん》の|為《ため》に|善《ぜん》を|行《おこな》ひ、|信《しん》の|為《ため》の|真《しん》を|尽《つく》した|事《こと》は、|只《ただ》の|一回《いつくわい》もない。|徹頭徹尾《てつとうてつび》|一生《いつしやう》の|間《あひだ》、|悪事《あくじ》ばかりを|致《いた》して|来《き》たぞよツ。|之《これ》に|対《たい》して|弁解《べんかい》の|辞《じ》あるか』
と|呶鳴《どな》りつけた。
『|左様《さやう》に|厳《きび》しく|仰《おほ》せられましては、|現界《げんかい》の|人間《にんげん》は|此《この》|関所《せきしよ》で|及第《きふだい》する|者《もの》は|一人《ひとり》もないぢやありませぬか。|神様《かみさま》は|何事《なにごと》も|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|徳《とく》を|以《もつ》て、|許々太久《ここたく》の|罪穢《つみけがれ》を|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》して|下《くだ》さると|聞《き》きましたが、|私《わたし》よりもモツトモツト|悪《わる》い|人間《にんげん》は、|現界《げんかい》には|沢山《たくさん》|居《を》りまする。|現《げん》に|此《この》ランチ|将軍《しやうぐん》だつて、|拙者《せつしや》を|高殿《たかどの》の|上《うへ》から、|計略《けいりやく》を|以《もつ》て|谷川《たにがは》へ|投込《なげこ》んだ|悪人《あくにん》で|厶《ござ》います。|大黒主《おほくろぬし》の|大棟梁《だいとうりやう》だつて、|最前私《わたし》をお|調《しら》べになつた|諸々《もろもろ》の|条件《でうけん》|以上《いじやう》の|悪事《あくじ》が|厶《ござ》います。|一体《いつたい》それは|何《ど》うなるので|厶《ござ》いますか』
『|左様《さやう》な|事《こと》を|申《まを》して、|人《ひと》の|事《こと》|迄《まで》|斯様《かやう》な|所《ところ》で|暴露《ばくろ》せむと|致《いた》す|其《その》|想念《さうねん》が|所謂《いはゆる》|大悪《だいあく》だ。|益々《ますます》|以《もつ》て|許《ゆる》す|事《こと》|罷《まかり》ならぬ。|汝《なんぢ》|聊《いささ》かにても|良心《りやうしん》があれば、|仮令《たとへ》|大黒主《おほくろぬし》、ランチ|将軍《しやうぐん》に|悪事《あくじ》ありとも、|汝《なんぢ》は|長上《ちやうじやう》の|身《み》の|上《うへ》を|思《おも》ひ、|凡《すべ》ての|悪事《あくじ》を|吾《わが》|身《み》|一身《いつしん》に|引受《ひきう》けるといふ|忠義《ちうぎ》の|心《こころ》がないか。|益々《ますます》|以《もつ》て|極重悪人《ごくぢうあくにん》|奴《め》、|高天原《たかあまはら》の|全権《ぜんけん》を|掌握《しやうあく》し|給《たま》ふ|厳《いづ》の|御霊《みたま》、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》の|御教《みをしへ》を|極力《きよくりよく》|誹謗《ひばう》し、|尚《なほ》も|進《すす》んで|畏《おそれおほ》くも|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|現《あら》はれ|給《たま》ふ|地上《ちじやう》の|高天原《たかあまはら》|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|攻《せ》めよせ、|仮《かり》の|宮《みや》を|毀《こぼ》ち、|大神《おほかみ》を|亡《ほろ》ぼさむと|迄《まで》|考《かんが》へたであらう。|否《いな》|現《げん》に|数多《あまた》の|軍勢《ぐんぜい》を|引率《ひきつ》れて|河鹿峠《かじかたうげ》まで|進《すす》み、|治国別《はるくにわけ》の|言霊《ことたま》に|打《う》ち|砕《くだ》かれて|遁走《とんそう》し、|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》にも|浮木ケ原《うききがはら》に|陣営《ぢんえい》を|構《かま》へ、|陣中《ぢんちう》の|規則《きそく》を|破《やぶ》り、|若《わか》き|女《をんな》に|目尻《めじり》を|下《さ》げ、|涎《よだれ》を|垂《た》らかし、|肝腎《かんじん》の|軍職《ぐんしよく》を|忘《わす》れむと|致《いた》したであらうがなア』
『ハイ、それは|現《げん》に|此処《ここ》に|居《を》りまするランチ|将軍《しやうぐん》の|方《はう》が|余程《よほど》キツウ|厶《ござ》いました』
『|又《また》、|他人《たにん》の|事《こと》を|誹謗《ひばう》|致《いた》すか、|不届《ふとどき》|至極《しごく》の|曲者《くせもの》|奴《め》、これより|先《ま》づ|予審《よしん》が|済《す》みたによつて、|其《その》|方《はう》は|本調《ほんしら》べに|着手《ちやくしゆ》する。|部下《ぶか》の|番卒《ばんそつ》|共《ども》、|片彦《かたひこ》を|館《やかた》の|中《なか》へ|拘引《こういん》めされ』
『オウ』
と|答《こた》へて|四五人《しごにん》の|番卒《ばんそつ》は|片彦《かたひこ》を|引立《ひつた》てて、|館《やかた》の|中《なか》に|伴《つ》れて|行《ゆ》く。
『サア|是《これ》からランチの|番《ばん》だ。|其《その》|方《はう》は|姦淫《かんいん》に|関《くわん》する|罪《つみ》の|件数《けんすう》も、|片彦《かたひこ》に|比《ひ》しては|随分《ずゐぶん》|多《おほ》い|様《やう》だ。|併《しか》しながら|其《その》|方《はう》は|詐欺《さぎ》|窃盗《せつとう》|強盗《がうたう》|及《および》|誹謗《ひばう》|等《とう》の|罪《つみ》は、|感心《かんしん》な|事《こと》には|少《すこ》しも|厶《ござ》らぬ。|併《しか》しながら、|主命《しゆめい》とは|云《い》ひながら、|斎苑《いそ》の|館《やかた》に|進軍《しんぐん》せむと|致《いた》した|其《その》|罪《つみ》は|問《と》はねばならぬ。それよりも|最近《さいきん》に|於《おい》て|犯《をか》した、|片彦《かたひこ》を|計略《けいりやく》にかけて|之《これ》なる|両人《りやうにん》と|共《とも》に|物見櫓《ものみやぐら》より|谷川《たにがは》に|投《な》げ|込《こ》み|恋《こひ》の|仇《あだ》を|亡《ほろ》ぼさむと|致《いた》した|此《この》|罪《つみ》は|容易《ようい》でない。|併《しか》しながら|悪人《あくにん》が|悪人《あくにん》を|虐待《ぎやくたい》|致《いた》したのだから、|之《これ》は|相見互《あひみたがひ》と|云《い》つてもいい|位《くらゐ》なものだ。|併《しか》し|其《その》|心《こころ》の|罪《つみ》は|問《と》はなくてはならぬ。|何《ど》うぢや、|間違《まちがひ》はなからうがなア』
『ハイ、|決《けつ》して|間違《まちがひ》は|厶《ござ》いませぬ、ヤ、もう|恐《おそ》れ|入《い》りました』
『|其《その》|方《はう》はハルナの|都《みやこ》の|大黒主《おほくろぬし》を|善人《ぜんにん》と|思《おも》ひ、|或《あるひ》は|神《かみ》の|代表者《だいへうしや》として|尊敬《そんけい》|致《いた》すか。|但《ただ》しは|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》を|悪神《あくがみ》と|信《しん》じ、|極力《きよくりよく》|排斥《はいせき》せむと|思《おも》つたか、|其《その》|返答《へんたふ》を|聞《き》かう』
『ハイ、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》を|悪神《あくがみ》だと|思《おも》へばこそ|勢込《いきほひこ》んで|征伐《せいばつ》に|向《むか》ひました。そして|又《また》|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》は|此《この》|世《よ》の|救主《すくひぬし》|否《いな》|霊界《れいかい》までも|救《すく》ひ|下《くだ》さる|大神様《おほかみさま》と|信《しん》じたればこそ、|今日《けふ》まで|忠実《ちうじつ》に|仕《つか》へて|参《まゐ》りました』
『|成程《なるほど》、|比較的《ひかくてき》|正直《しやうぢき》な|奴《やつ》だ、さうなくては|叶《かな》はぬ。|併《しか》し|一《ひと》つ|尋《たづ》ねるが、|汝《なんぢ》の|恋《こひ》の|仇《あだ》たる|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》を|許《ゆる》さむとすれば、|其《その》|方《はう》が|上官《じやうくわん》の|責任《せきにん》を|以《もつ》て|代《かは》りに|地獄《ぢごく》へ|落《お》ちねばならぬ。|汝《なんぢ》は|精霊界《せいれいかい》に|十年《じふねん》|許《ばか》り|修業《しうげふ》を|致《いた》し、|其《その》|上《うへ》|第三天国《だいさんてんごく》へ|進《すす》ましてやりたいのだ、|又《また》|進《すす》むべき|素質《そしつ》はある。|併《しか》しながら|部下《ぶか》の|片彦《かたひこ》を|救《すく》ふ|真心《まごころ》あれば、|片彦《かたひこ》と|位置《ゐち》を|変《へん》じ、|彼《かれ》を|精霊界《せいれいかい》に|上《あ》げてやらねばならぬ、|其《その》|方《はう》の|意見《いけん》を|承《うけたま》はりたい』
『これは|六《むつ》かしい|問題《もんだい》で|厶《ござ》いますなア、|早速《さつそく》に|返答《へんたふ》は|申上《まをしあ》げかねます』
『これ|程《ほど》|分《わか》り|切《き》つた|問題《もんだい》が、それ|程《ほど》|六ケ《むつか》しいか。|矢張《やはり》|其《その》|方《はう》はまだ|偽善者《きぜんしや》の|境域《きやうゐき》を|脱《だつ》し|得《え》ないとみえる。なぜ|片彦《かたひこ》の|罪《つみ》によつて|御処分《ごしよぶん》|下《くだ》され、|拙者《せつしや》は|拙者《せつしや》の|生前《せいぜん》の|善悪《ぜんあく》に|準《じゆん》じて|御処分《ごしよぶん》|下《くだ》されと、なぜ|申《まを》さぬか。|其《その》|方《はう》の|心《こころ》は|今《いま》|某《それがし》の|申《まを》した|通《とほ》りであらうがな。チヤンと|其《その》|方《はう》の|面体《めんてい》に|文字《もじ》によつて|現《あら》はれてゐるぞ。|其《その》|方《はう》は|精霊界《せいれいかい》へ|許《ゆる》すべき|所《ところ》なりしが、|只今《ただいま》|再《ふたた》び|心《こころ》に|罪《つみ》を|作《つく》つたによつて、ヤツパリ|地獄行《ぢごくゆき》だ。|番卒《ばんそつ》|共《ども》、|伊吹戸主《いぶきどぬし》のお|館《やかた》へ|引立《ひつた》てツ』
『ハイ、モウ|改心《かいしん》を|致《いた》します、|同《おな》じ|地獄《ぢごく》へ|行《ゆ》くのなれば、|二人《ふたり》|行《い》つても|一人《ひとり》|行《い》つても|同《おな》じ|事《こと》で|厶《ござ》います、|何卒《どうぞ》|片彦《かたひこ》を|助《たす》けてやつて|下《くだ》さいませ、|私《わたし》が|身代《みがは》りになります』
『|馬鹿《ばか》を|申《まを》せ、|俄《にはか》の|改心《かいしん》は|間《ま》に|合《あ》はぬぞよ。|其《その》|方《はう》の|改心《かいしん》は|怖《こは》さ|故《ゆゑ》の|改心《かいしん》だから、|到底《たうてい》|情状酌量《じやうじやうしやくりやう》の|余地《よち》がない。サ|早《はや》く|番卒《ばんそつ》|共《ども》、|引立《ひつた》てられよ』
|番卒《ばんそつ》は|又《また》もやランチを|館《やかた》へ|引立《ひつた》てて|行《ゆ》く。
『サア|是《これ》からガリヤ、ケースの|番《ばん》だ。|其《その》|方《はう》はバラモン|教《けう》の|大神《おほかみ》を|信《しん》じ、|随分《ずゐぶん》|熱心《ねつしん》に|教《をしへ》をやつて|来《き》たものだ。そして|若《わか》い|時《とき》から|比較的《ひかくてき》|善《ぜん》もなさなんだが|悪《あく》もなさなかつた。|只《ただ》|惜《を》しい|事《こと》には|主人《しゆじん》に|諛《へつら》ひ、|身《み》の|出世《しゆつせ》を|致《いた》さむとして、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》を|川中《かはなか》へ|投落《なげおと》し、|生命《いのち》を|奪《うば》はむとした、|此《この》|罪《つみ》は|中々《なかなか》|軽《かる》くない、|併《しか》しながら|彼等《かれら》も|悪人《あくにん》である、|片彦《かたひこ》が|斯《か》くなるは、|自業自得《じごうじとく》、|天運《てんうん》の|尽《つ》きたる|者《もの》なれば、|之《これ》に|対《たい》しては|罪《つみ》とすべきものではないが、その|心《こころ》はヤツパリ|善《よ》いとは|言《い》はれぬ、|地獄《ぢごく》へ|行《ゆ》く|価値《かち》は|充分《じうぶん》にある。|併《しか》しながらランチ|将軍《しやうぐん》の|命令《めいれい》で|致《いた》したのだから、|幾分《いくぶん》か|罪《つみ》は|軽《かる》い|傾《かたむ》きがある。どうぢや、|地獄《ぢごく》へ|之《これ》から|即決《そくけつ》によつて|落《おと》してやらう、|有難《ありがた》く|思《おも》へ』
|二人《ふたり》は|口《くち》を|揃《そろ》へて、
『ハイ、どうぞ|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ。|天国《てんごく》へやつて|貰《もら》ふのは|到底《たうてい》|其《その》|資格《しかく》は|厶《ござ》りませぬが、せめて|精霊界《せいれいかい》に|置《お》いて|下《くだ》さいませ。|其《その》|間《あひだ》に|心《こころ》を|改《あらた》めて|善《ぜん》に|立《た》ち|帰《かへ》ります。どうぞ|少時《しばし》の|御猶予《ごいうよ》を|願《ねが》ひます』
『|然《しか》らば|今《いま》|天国《てんごく》の|門《もん》を|開《ひら》くによつて|一寸《ちよつと》|覗《のぞ》いて|見《み》よ、|天国《てんごく》がよければ|天国《てんごく》へやつてやろ、|併《しか》し|其《その》|方《はう》は|最高天国《さいかうてんごく》へ|行《ゆ》く|事《こと》は|出来《でき》ない、|最下層《さいかそう》の|天国《てんごく》だ』
ガリヤ『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います』
ケース『|思《おも》ひもよらぬ|御恩情《ごおんじやう》を|蒙《かうむ》りまして|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|死《し》んでも|忘《わす》れは|致《いた》しませぬ、|此《この》|高恩《かうおん》は……』
『アハヽヽヽヽ、|其《その》|方《はう》は|死《し》んでゐるのを|知《し》らぬのか』
『|何時《いつ》|死《し》んだか、テンと|記憶《きおく》が|厶《ござ》いませぬ。|浮木《うきき》の|森《もり》から|十里《じふり》|許《ばか》り|来《き》た|所《ところ》に、|此《この》お|関所《せきしよ》があつて、|天国《てんごく》|地獄《ぢごく》|行《ゆき》の|審判《しんぱん》をなさる|様《やう》に|考《かんが》へてをります』
『さうだろ、そりや|其《その》|筈《はず》だ。|人間《にんげん》は|仮令《たとへ》|肉体《にくたい》は|腐朽《ふきう》するとも|其《その》|情動《じやうどう》と|想念《さうねん》は|儼然《げんぜん》として|永続《えいぞく》するものだ。|霊界《れいかい》は|想念《さうねん》の|世界《せかい》だ、|而《しか》して|情動《じやうだう》の|変化《へんくわ》によつて|善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|分《わか》るる|所《ところ》だ』
『ハイ、|御教訓《ごけうくん》|有難《ありがた》う|厶《ござ》います』
『サア、|此《この》|岩《いは》の|門《もん》を|開《ひら》くによつて、|其《その》|方《はう》は|直様《すぐさま》に|第三天国《だいさんてんごく》に|進《すす》み|行《ゆ》け、グヅグヅ|致《いた》して|居《ゐ》ると、|天国《てんごく》の|門《もん》がしまるぞ』
と|云《い》ひながら、パツと|岩《いは》の|戸《と》を|開《ひら》いた。|二人《ふたり》は|矢《や》の|様《やう》に|門内《もんない》に|進《すす》み|入《い》り、|顔《かほ》をあげて|向方《むかふ》を|見《み》れば、|何《なに》ものも|見《み》えず、|烈《はげ》しき|光明《くわうみやう》に|照《てら》され、|目《め》は|眩《くら》み、|胸《むね》はつまる|如《ごと》くに|苦《くる》しく、|頭《かしら》はガンガンと|痛《いた》み|出《だ》し、|手足《てあし》は|力《ちから》|脱《ぬ》け、|恐怖心《きようふしん》に|駆《か》られて、|一歩《いつぽ》も|進《すす》む|能《あた》はず、|矢庭《やには》に|踵《きびす》を|返《かへ》し、|再《ふたた》び|八衢《やちまた》に|転《ころ》げ|出《で》た。
『どうだ、|天国《てんごく》は|結構《けつこう》だらう』
ガリヤ『ヤもう、|天国《てんごく》の|様《やう》な|恐《おそ》ろしい|所《ところ》は|厶《ござ》いませぬ、あの|様《やう》な|苦《くる》しい|所《ところ》なれば、|最早《もはや》|行《ゆ》きたくはありませぬ』
『ハヽヽヽヽ、|汝《なんぢ》の|善徳《ぜんとく》|未《いま》だ|足《た》らざる|故《ゆゑ》、|神徳《しんとく》に|浴《よく》する|丈《だけ》の|神力《しんりき》が|備《そな》はつてゐないのだ。|何程《なにほど》|某《それがし》が|同情心《どうじやうしん》を|持《も》つて、|天国《てんごく》に|助《たす》けてやらむとすれども、|其《その》|方《はう》の|内分《ないぶん》が|塞《ふさ》がつて|悪《あく》に|充《み》ちてゐるから、|如何《いかん》とも|助《たす》けやうがないわい。それだから|常平生《つねへいぜい》から|神《かみ》を|信《しん》じ、|神《かみ》を|理解《りかい》し、|善《ぜん》の|徳《とく》を|積《つ》んでおかねば、まさかの|時《とき》になつて、こんな|目《め》に|遇《あ》ふのだ。ヤツパリ|雪隠虫《せつちんむし》は|糞臭《ふんしう》の|中《なか》が|極楽《ごくらく》だ。|汝《なんぢ》は|中有界《ちううかい》におく|訳《わけ》にもゆかず、|止《や》むを|得《え》ないから、|地獄界《ぢごくかい》へおとしてやらう、|地獄界《ぢごくかい》の|方《はう》が|汝《なんぢ》の|身魂《みたま》に|相応《さうおう》してゐるから、|結局《けつきよく》|楽《らく》なかも|知《し》れぬ』
『イエ|滅相《めつさう》な、|天国《てんごく》も|叶《かな》ひませぬが、|地獄《ぢごく》は|尚更《なほさら》|叶《かな》ひませぬ、どうぞ|何時《いつ》までも|中有界《ちううかい》において|下《くだ》さいませ、ここが|一番《いちばん》マシで|厶《ござ》います、なア、ケース、お|前《まへ》も|天国《てんごく》には|往生《わうじやう》しただらう』
『モシ、どうぞ、|私《わたし》も|中有界《ちううかい》において|下《くだ》さいませ。そして|身魂《みたま》に|神徳《しんとく》がつみましたら、どうぞ|天国《てんごく》へやつて|下《くだ》さいますやうに|御願《おねが》ひ|致《いた》します』
『|其《その》|方《はう》は、ランチ|将軍《しやうぐん》の|副官《ふくくわん》とまでなつたでないか、|生死《せいし》を|共《とも》にすると|誓言《せいげん》|致《いた》したであらう』
ガリヤ『ハイ、|私《わたし》は|副官《ふくくわん》で|厶《ござ》いましたが、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|後任者《こうにんしや》に|任命《にんめい》してやらうと|仰有《おつしや》いましたので、|余《あま》り|嬉《うれ》しさに、あゝこんな|明君《めいくん》に|仕《つか》へるならば、|仮令《たとへ》どこまでもお|供《とも》をしたいと|思《おも》ひましたので、つひ|申《まを》しました。|併《しか》しながら、まだ|実印《じついん》は|捺《お》したのでも|厶《ござ》いませぬし、|誓約書《せいやくしよ》を|出《だ》したのでも|厶《ござ》いませぬ、|又《また》|将軍《しやうぐん》の|辞令《じれい》も|頂戴《ちやうだい》|致《いた》して|居《を》りませぬから、|言《い》はば|立消《たちぎ》え|同様《どうやう》で|厶《ござ》います』
『|其《その》|方《はう》はガータ|勲章《くんしやう》を|頂戴《ちやうだい》する|事《こと》になつてゐたであらうがな』
『ハイ、|其《その》|話《はなし》も|厶《ござ》いましたが、これもまだ|未遂行《みすゐかう》で|厶《ござ》います』
『ケース、|其《その》|方《はう》は|久米彦《くめひこ》|将軍《しやうぐん》の|後任者《こうにんしや》にして|貰《もら》ふ|約束《やくそく》であつたであらう。そして|同《おな》じく|勲章《くんしやう》を|頂《いただ》く|事《こと》になつて|居《を》つたであらう。それに|間違《まちがひ》はないか』
『ハイ、|仰《おほ》せの|通《とほ》りで|厶《ござ》います、|併《しか》しながらガリヤの|申《まを》した|通《とほ》り、|私《わたし》も|亦《また》|未遂《みすゐ》で|厶《ござ》いますから、|霊界《れいかい》へ|来《き》てまで、ランチ|将軍《しやうぐん》さまのお|供《とも》を|致《いた》す|義務《ぎむ》は|厶《ござ》いますまい』
『|汝《なんぢ》|両人《りやうにん》は|利己一片《りこいつぺん》の|代物《しろもの》だ。|仮令《たとへ》|三日《みつか》でも|主人《しゆじん》と|仰《あふ》いだならば|主人《しゆじん》に|間違《まちがひ》はなかろ。|其《その》|主人《しゆじん》が|地獄《ぢごく》に|落《お》ちて|艱難辛苦《かんなんしんく》を|致《いた》すのを、|蚤《のみ》にかまれた|程《ほど》にも|感《かん》ぜず、|自分《じぶん》のみ|助《たす》からうと|致《いた》す、|其《その》|水臭《みづくさ》いズルイ、ド|性念《しやうねん》、|中々《なかなか》|以《もつ》て|容易《ようい》な|代物《しろもの》でない。|其《その》|方《はう》もヤツパリ|地獄行《ぢごくゆき》だ、ランチ|将軍《しやうぐん》と|共《とも》に|吊釣地獄《てうきんぢごく》へ|行《い》つて、|無限《むげん》の|苦《くるし》みを|受《う》けるがよからう』
『それは|余《あま》り|胴慾《どうよく》で|厶《ござ》います。|何卒《どうぞ》|今回《こんくわい》に|限《かぎ》り|大目《おほめ》に|見《み》て|下《くだ》さいませ』
ガリヤ『ランチ|将軍様《しやうぐんさま》、|片彦《かたひこ》|将軍様《しやうぐんさま》は|実《じつ》にお|気《き》の|毒《どく》でたまりませぬ、|私《わたし》も|何処《どこ》までもお|供《とも》を|致《いた》したいが|山々《やまやま》で|厶《ござ》います、|併《しか》し|最早《もはや》|地獄《ぢごく》へ|墜《お》ちられた|両将軍《りやうしやうぐん》、|吾々《われわれ》が|参《まゐ》りました|所《ところ》で|何《なん》のお|助《たす》けにもなりませぬから、どうぞ|私《わたし》を|中有界《ちううかい》にお|救《すく》ひ|下《くだ》さいませ。|御願《おねが》ひ|申《まを》します』
『|番卒《ばんそつ》|共《ども》、|此《これ》|等《ら》の|両人《りやうにん》をお|館《やかた》へ|引立《ひつた》てよ』
『アイ』
と|答《こた》へて、|又《また》|四五《しご》の|番卒《ばんそつ》は|両人《りやうにん》を|無理無体《むりむたい》に|門内《もんない》|深《ふか》く|引立《ひつた》てて|行《ゆ》く。
『アーア、|大変《たいへん》な|悪《わる》い|奴《やつ》が|来《き》やがつて、|随分《ずゐぶん》|骨《ほね》の|折《を》れた|事《こと》だ。ここに|一人《ひとり》|女《をんな》が|居《ゐ》るが、マア|休息《きうそく》してゆつくりして|査《しら》べることにしよう、|白殿《しろどの》、|拙者《せつしや》が|休息《きうそく》の|間《あひだ》、ここに|代《かは》つて、|此《この》|帳面《ちやうめん》を|守《まも》つてゐて|下《くだ》さい』
といひすてて、|暫《しばら》く|姿《すがた》を|隠《かく》した。
お|民《たみ》はツカツカと|白《しろ》の|側《そば》に|馴々《なれなれ》しく|進《すす》み|寄《よ》り、
『モシお|役人《やくにん》|様《さま》、ここはヤツパリ|霊界《れいかい》の|八衢《やちまた》の|関所《せきしよ》で|厶《ござ》いますか。|何《なん》だか|最前《さいぜん》からウトリウトリと|致《いた》して|居《を》りましたが、ランチ|将軍《しやうぐん》さまや、|其《その》|他《ほか》の|三人《さんにん》のお|方《かた》は、|何処《どこ》へ|行《ゆ》かれました』
『|彼等《かれら》|四人《よにん》は|今《いま》や|白洲《しらす》に|於《おい》て|審判《しんぱん》の|最中《さいちう》です。|私《わたし》の|考《かんが》へではどうやら|地獄落《ぢごくおち》と|見《み》えます』
『それはマア|気《き》の|毒《どく》な|事《こと》で|厶《ござ》いますなア、|何《なん》とか|助《たす》けて|上《あ》げる|法《はふ》は|厶《ござ》いますまいか』
『|到底《たうてい》|冥土《めいど》の|法律《はふりつ》を|曲《ま》げるわけには|行《ゆ》きませぬ。|彼等《かれら》は|生前《せいぜん》より|地獄《ぢごく》に|籍《せき》をおいてゐるのですから、|仮令《たとへ》|天国《てんごく》へ|何程《なにほど》|吾々《われわれ》が|上《あ》げてやらうと|思《おも》つても、|智慧証覚《ちゑしようかく》が|開《ひら》けてゐないから、|仮令《たとへ》|天国《てんごく》へ|送《おく》つてやつても、|苦《くる》しくなつて|帰《かへ》つて|来《き》ますよ。ヤハリ|地獄代物《ぢごくしろもの》です、それだから|人《ひと》は|平素《へいそ》からの|心掛《こころがけ》と|行《おこな》ひが|肝腎《かんじん》ですよ』
『|私《わたし》は|随分《ずゐぶん》|悪《わる》い|事《こと》をして|来《き》ましたが、ヤツパリ|地獄《ぢごく》へ|行《ゆ》かねばなりますまいかなア』
|白《しろ》は|帳面《ちやうめん》を|繰《く》りながら、
『お|前《まへ》さまはお|民《たみ》さまと|言《い》つたね』
『ハイ、|左様《さやう》で|厶《ござ》います』
『お|前《まへ》さまには|蠑〓別《いもりわけ》と|云《い》ふ|情夫《じやうふ》がありますなア』
お|民《たみ》はパツと|顔《かほ》を|赤《あか》らめながら|細《ほそ》い|声《こゑ》で、
『ハイ、お|恥《はづ》かしう|厶《ござ》います』
『お|前《まへ》さまは、あの|蠑〓別《いもりわけ》と|一生《いつしやう》|添《そ》ふ|積《つもり》ですか』
『ハイ、|先方《むかふ》さまさへ|捨《す》てて|下《くだ》さらねば、|初《はじ》めての|男《をとこ》で|厶《ござ》いますから、どこまでも|従《したが》つて|参《まゐ》る|積《つも》りで|厶《ござ》います』
『モシ、|蠑〓別《いもりわけ》が|中途《ちうと》にお|前《まへ》さまを|捨《す》てて、|外《ほか》の|女《をんな》を|拵《こしら》へたら、|其《その》|時《とき》は|何《ど》うする|考《かんが》へですか』
『サア、|其《その》|時《とき》になつてみないと|分《わか》りませぬ、|又《また》|蠑〓別《いもりわけ》さまの|方《はう》から|厭《いや》になつて|捨《す》てられるか、|或《あるひ》は|私《わたし》の|方《はう》から|蠑〓別《いもりわけ》さまに|愛想《あいそ》をつかして|捨《す》てて|逃出《にげだ》しますか、|其《その》|点《てん》は|自分《じぶん》にも|分《わか》つて|居《を》りませぬ』
『|成程《なるほど》、そこは|正直《しやうぢき》な|所《ところ》だ、|併《しか》しながら、|蠑〓別《いもりわけ》に|暇《ひま》を|貰《もら》ふか、|或《あるひ》はお|前《まへ》さまの|方《はう》から|暇《ひま》をくれた|其《その》|後《のち》は、|独身《どくしん》|生活《せいくわつ》をやる|考《かんが》へですか、|但《ただし》は|二度目《にどめ》の|夫《をつと》を|持《も》ちますか』
『|理想《りさう》の|夫《をつと》があれば、キツト|持《も》ちます、それでなくては|狐独《こどく》|生活《せいくわつ》は|苦《くる》しう|厶《ござ》いますからなア、|折角《せつかく》|人間《にんげん》に|生《うま》れて|来《き》て、|人間《にんげん》の|交《まじ》はりも|出来《でき》ずに|一生《いつしやう》を|了《をは》るやうな|不幸《ふかう》な|事《こと》は|厶《ござ》いませぬから………』
『|成程《なるほど》、イヤ|感心《かんしん》だ、|其《その》|心《こころ》が|所謂《いはゆる》|無垢《むく》だ、|随分《ずゐぶん》お|寅婆《とらば》アさまに|気《き》を|揉《も》ましたり、|魔我彦《まがひこ》に|恋《こひ》の|焔《ほのほ》を|燃《も》やさしたりして|来《き》ましたねえ、チヤンとここの|帳面《ちやうめん》についてゐますよ』
『ハイ|何分《なにぶん》|天稟《てんびん》の|美貌《びばう》に|生《うま》れたものですから、|一人《ひとり》の|女《をんな》に|二人《ふたり》の|男《をとこ》、|本当《ほんたう》に|迷惑《めいわく》|致《いた》しましたよ。|私《わたし》の|方《はう》から|惚《ほ》れさしたのぢやありませぬ。|蠑〓別《いもりわけ》さまだつて|魔我彦《まがひこ》さまだつて、|勝手《かつて》に|先方《むかふ》の|方《はう》から|秋波《しうは》を|送《おく》られたのです。そして|私《わたし》は|蠑〓別《いもりわけ》さまの|方《はう》が|余程《よほど》|理想的《りさうてき》だと|思《おも》つて|心《こころ》をよせたのです。お|寅《とら》さまが|怒《おこ》るのはチツト|無理解《むりかい》でせう、お|寅《とら》さまは|六十《ろくじふ》の|尻《しり》を|作《つく》つて、|元《もと》より|愛《あい》のない|虚偽的《きよぎてき》の|恋《こひ》に|翻弄《ほんろう》され、|自《みづか》ら|修羅《しゆら》をもやして、|私《わたし》を|大変《たいへん》にお|憎《にく》み|遊《あそ》ばすのですが、|私《わたし》はお|寅《とら》さまの|方《はう》が|無理《むり》だと|思《おも》ひますワ、どうでせう、|私《わたし》もヤツパリ|地獄行《ぢごくゆき》の|資格《しかく》は|具備《ぐび》して|居《ゐ》るでせうか』
『サア、|私《わたし》でもハツキリ|分《わか》りませぬが、どうせ|現界《げんかい》の|人間《にんげん》は、|悪《あく》のない|者《もの》は|一人《ひとり》もありませぬ、|微罪《びざい》を|取上《とりあ》げて|居《を》らうものなら、サツパリ|天国《てんごく》の|団体《だんたい》が|成立《せいりつ》しませぬから、|可成《なるべ》くは|中有界《ちううかい》において|修業《しうげふ》をさせ、|一人《ひとり》でも|多《おほ》く|天国《てんごく》へ|上《あ》げたいといふ|冥府《めいふ》の|方針《はうしん》ですから、|先《ま》づあなたは|早速《さつそく》に|天国《てんごく》へは|行《ゆ》けずとも、|中有界《ちううかい》で|修業《しうげふ》の|結果《けつくわ》、|早晩《さうばん》|天国《てんごく》へ|行《ゆ》けるでせう。|併《しか》しながら、|不思議《ふしぎ》なる|事《こと》には、ランチ|将軍《しやうぐん》|始《はじ》め、お|前《まへ》さままでが、まだ|生死簿《せいしぼ》には|生命《せいめい》が|残《のこ》つてゐる。|斯様《かやう》な|所《ところ》へまだ|来《く》る|時《とき》でないが、|五人《ごにん》が|五人《ごにん》|共《とも》|不思議《ふしぎ》な|事《こと》だ、コリヤ|何《なに》か、|霊界《れいかい》の|思召《おぼしめし》のある|事《こと》でせう』
『|又《また》|現界《げんかい》へ|帰《かへ》られませうかなア』
『|何《なん》とも|分《わか》りませぬな』
と|話《はなし》して|居《ゐ》る|所《ところ》へ、ブラリブラリとやつて|来《き》たのは|蠑〓別《いもりわけ》とエキスの|両人《りやうにん》であつた。|遥《はるか》|向《むか》ふの|方《はう》から、お|寅婆《とらば》アさまが|白髪《はくはつ》を|振《ふ》り|乱《みだ》し、
『オーイ オーイ』
と|嗄声《しはがれごゑ》を|張《は》り|上《あ》げながらやつて|来《く》る。|蠑〓別《いもりわけ》はお|民《たみ》の|姿《すがた》を|見《み》て、|驚《おどろ》いたやうな|声《こゑ》で、
『お|前《まへ》はお|民《たみ》ぢやないか、どこへ|行《い》つてゐたのだ、エヽー、|俺《おれ》に|酒《さけ》を|呑《の》まして|置《お》きやがつて、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》に|細目《ほそめ》をつかひ、|馬鹿《ばか》にしたぢやないか。それからこんな|処《ところ》まで、|蠑〓別《いもりわけ》を|馬鹿《ばか》にして、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》と|駆落《かけおち》をして|逃《に》げて|来《き》よつたのだなア』
『ソラ|何《なに》を|言《い》はんすのだい、|蠑〓別《いもりわけ》さま、|妾《あたえ》は|浮木《うきき》の|森《もり》の|陣営《ぢんえい》に|於《おい》て、お|前《まへ》さまの|脱線振《だつせんぶり》をどれ|程《ほど》|気遣《きづか》ひに|思《おも》つたか|知《し》れないよ。それだから|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》に|取入《とりい》つて、お|前《まへ》さまの|身《み》の|上《うへ》を|保護《ほご》しようと|思《おも》へばこそ、|嫌《いや》で|嫌《いや》でならぬ|男《をとこ》をうまくあしらつてゐたのよ。|私《わたし》の|心《こころ》も|知《し》らずに|余《あま》りだワ、ホンに|憎《にく》らしい|男《をとこ》だワ。|冥土《めいど》の|八衢《やちまた》まで、|女《をんな》の|尻《しり》を|追《お》つかけ|来《きた》り、|男《をとこ》らしくもない………サヽ|早《はや》く|帰《かへ》りなさい、|私《わたし》もまだ|生死簿《せいしぼ》には、ここへ|来《く》るのは|早《はや》いと|出《で》て|居《ゐ》るさうだ』
『コリヤお|民《たみ》、|其《その》|方《はう》は|気《き》が|違《ちが》うたのか、ここを|何処《どこ》と|心得《こころえ》て|居《ゐ》る、|浮木《うきき》の|森《もり》の|少《すこ》し|隣村《となりむら》ぢやないか。|貴様《きさま》は|最早《もはや》|冥土《めいど》|気分《きぶん》になつてゐるのか。|余《あま》り|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》に|現《うつつ》を|吐《ぬか》すものだから、|精神《せいしん》までがトボケたのだろ。|何《なん》だ、こんな|所《ところ》まで|来《き》て、|気《き》の|多《おほ》い、|俺《おれ》が|知《し》らぬかと|思《おも》うて、|色《いろ》の|白《しろ》い|男《をとこ》と|何《なに》を|云《い》つてゐた。サヽ|有体《ありてい》に|申《まを》さぬと、|此《この》|蠑〓別《いもりわけ》、タダではおかぬぞ』
と、まだ|酒《さけ》の|酔《よひ》の|醒《さ》めぬ|縺《もつ》れた|舌《した》を|無理《むり》にふりまはして、|駄々《だだ》をこねかけた。
『コレ|蠑〓別《いもりわけ》さま、|確《しつか》りなさい、ここは|冥土《めいど》ですよ、|此《この》|色《いろ》の|白《しろ》いお|方《かた》は|伊吹戸主《いぶきどぬし》の|神様《かみさま》の|門《もん》を|守衛《しゆゑい》なさるお|役人様《やくにんさま》で、お|前《まへ》さま|等《ら》の|罪《つみ》をお|調《しら》べなさるお|役《やく》だよ』
『オイ|白《しろ》、ナヽ|何《なん》だ、|俺《おれ》の|女房《にようばう》を|誘拐《かどわか》しやがつて、こんな|所《ところ》まで|伴《つ》れて|来《き》よつて、|俺《おれ》が|酒《さけ》に|酔《よ》うてるかと|思《おも》つて、|冥土《めいど》だの|関所《せきしよ》だのと|威《おど》かしたつて、|駄目《だめ》だぞ。サ、どんなことを|約束《やくそく》を|致《いた》した、キツパリと|申《まを》せ』
『|蠑〓別《いもりわけ》さま、|確《しつか》りしなさい、|此処《ここ》は|冥府《めいふ》の|関所《せきしよ》ですよ、|余《あま》り|大《おほ》きな|声《こゑ》でグヅグヅ|仰有《おつしや》ると、|今《いま》に|赤《あか》さまが|見《み》えたら、|大変《たいへん》に|叱《しか》られますよ』
『ナヽ|何《なん》だ、|赤《あか》さまが|見《み》えたら|叱《しか》られるツ………|貴様《きさま》|白《しろ》い|顔《かほ》してゐて、|女《をんな》にズルイ|赤《あか》さまだろ。|蛙《かへる》は|口《くち》からと|云《い》つて、|吾《われ》と|吾《わが》|手《て》に|白状《はくじやう》をしたでねえか、エヽーン、|糞面白《くそおもしろ》くもねえ、そんな|事《こと》ぬかすと、バラモン|軍《ぐん》のランチ|将軍殿《しやうぐんどの》に|告発《こくはつ》を|致《いた》さうか。なア エキス、|本当《ほんたう》に|馬鹿《ばか》にしてるぢやねえか』
|白《しろ》『|大分《だいぶん》に|酒《さけ》がまはつてゐると|見《み》える、マ|暫《しばら》く|酔《よひ》が|醒《さめ》るまで、|氷室《ひようしつ》へでも|押込《おしこ》んでおかうかな』
『モシモシ|白《しろ》さま、そればかりはどうぞ|赦《ゆる》してやつて|下《くだ》さいませ、|決《けつ》して|乱暴《らんばう》はさせませぬから………|酔《よひ》が|醒《さ》めましたら、トツクリと|言《い》ひきかしますから………』
『それなら、お|民《たみ》さま、お|前《まへ》|此《この》|帳面《ちやうめん》の|番《ばん》をしてゐて|下《くだ》さい、|拙者《せつしや》は|暫《しばら》く|奥《おく》で、|蠑〓別《いもりわけ》の|酔《よひ》が|醒《さ》めるまで|休息《きうそく》して|来《く》るから………モシも|他《た》の|精霊《せいれい》がやつて|来《き》たら、|此《この》|取《と》つ|手《て》をグツと|押《お》して|下《くだ》さい、さうすりや、スグに|出《で》て|参《まゐ》りますから………』
と|云《い》ひすて、|門内《もんない》に|走《はし》り|入《い》つた。お|民《たみ》は|守衛《しゆゑい》の|代理権《だいりけん》を|暫《しばら》く|執行《しつかう》する|事《こと》となつた。お|民《たみ》|以上《いじやう》の|善徳《ぜんとく》の|者《もの》|及《および》|智慧証覚《ちゑしようかく》のある|者《もの》の|来《きた》る|時《とき》は|到底《たうてい》|勤《つと》まらないが、|自分《じぶん》|以下《いか》の|者《もの》に|対《たい》しては|訊問《じんもん》するだけの|能力《のうりよく》が|備《そな》はつて|来《く》るのも|亦《また》|不思議《ふしぎ》である。お|民《たみ》はスツカリ|白《しろ》の|守衛《しゆゑい》の|霊《れい》に|充《みた》され、|何時《いつ》の|間《ま》にやら|自分《じぶん》が|女《をんな》たる|事《こと》を|忘《わす》れ、|自分《じぶん》が|白《しろ》の|気取《きど》りで|守衛《しゆゑい》を|忠実《ちうじつ》に|勤《つと》める|事《こと》になつた。
そこへスタスタやつて|来《き》たのは、|小北山《こぎたやま》に|居《を》つたお|寅婆《とらば》アさまである。|之《これ》はお|寅婆《とらば》アさまの|副守護神《ふくしゆごじん》が|本人《ほんにん》の|改心《かいしん》によつて|遁走《とんそう》し、お|寅《とら》の|容貌《ようばう》を|其《その》|儘《まま》|備《そな》へて|此処《ここ》へ|迷《まよ》うて|来《き》たのである。|改心《かいしん》したお|寅《とら》は|其《その》|面貌《めんばう》と|言《い》ひ、|肉付《にくづき》といひ、|生々《いきいき》してゐるが、|此処《ここ》へやつて|来《き》たお|寅《とら》は|嫉妬《しつと》と|憤怒《ふんど》の|真最中《まつさいちう》に、|神《かみ》の|光《ひかり》に|照《て》らされて|追《お》ひ|出《だ》された|精霊《せいれい》が、|八衢界《やちまたかい》を|彼方《あちら》|此方《こちら》と|踏《ふ》み|迷《まよ》ひ、|艱難苦労《かんなんくらう》して、やつと|此処《ここ》まで|出《で》て|来《き》たのであるから、|随分《ずゐぶん》|厭《いや》らしい|形相《ぎやうさう》であつた。お|寅《とら》はお|民《たみ》のそこに|居《ゐ》るのには|少《すこ》しも|気《き》がつかず、|蠑〓別《いもりわけ》とエキスがグタグタになつて|倒《たふ》れてゐるのを|打眺《うちなが》め、|蠑〓別《いもりわけ》を|無理《むり》にゆすり|起《おこ》した。|蠑〓別《いもりわけ》は|物《もの》に|魘《おそ》はれたやうな|声《こゑ》を|出《だ》して|漸《やうや》く|起《た》ち|上《あが》り、|大地《だいち》に|胡坐《あぐら》をかき、
『アヽお|民《たみ》に|会《あ》うた|夢《ゆめ》を|見《み》てゐたのに、|誰《たれ》だい、|俺《おれ》を|揺《ゆす》り|起《おこ》しやがつて………』
と|云《い》ひながら|目《め》を|開《ひら》いた。さうするとお|寅《とら》は、|化物《ばけもの》のやうな|顔《かほ》をして、|蠑〓別《いもりわけ》をグツと|睨《にら》み、
『コレ、|蠑〓別《いもりわけ》さま、お|前《まへ》さまは|九千両《きうせんりやう》の|金《かね》をソツと|盗《ぬす》み|出《だ》し、|私《わたし》が|目《め》をまかしたのを|幸《さいはひ》として、|金剛杖《こんがうづゑ》で|頭《あたま》を|二《ふた》つも|叩《たた》き、お|民《たみ》の|女《あま》と|一緒《いつしよ》に|小北山《こぎたやま》を|逐電《ちくでん》し、|此《この》お|寅《とら》を|馬鹿《ばか》にしたぢやないか。サヽかうなる|上《うへ》は|最早《もはや》|百年目《ひやくねんめ》だ、|鼻《はな》を|捻《ね》ぢて|上《あ》げようか』
と|云《い》ひながら、グツと|力《ちから》に|任《まか》して、|少《すこ》し|左《ひだり》に|曲《まが》つた|鼻《はな》を|捻《ね》ぢあげた。
『アイタヽヽヽヽ、コラお|寅《とら》、ホンナに|乱暴《らんばう》な|事《こと》をすない、|又《また》しても|又《また》しても|鼻《はな》を|捻《ね》ぢやがつて、エヽーン、いい|年《とし》して、いい|加減《かげん》にたしなまぬか。こんな|大道《だいだう》の|中央《まんなか》で、|意茶《いちや》つき|喧嘩《けんくわ》をして|居《ゐ》ると、|誰《たれ》が|見《み》てをるか|知《し》らせぬぞ』
『コリヤ|蠑〓別《いもりわけ》、|九千両《きうせんりやう》の|金《かね》を|早《はや》く|返《かへ》せ、そしてお|民《たみ》の|女《あま》を|何処《どこ》へやつたのだ』
『|九千両《きうせんりやう》の|金《かね》は、|今《いま》ここに|居《ゐ》るエキスやコー、ワク、エム|等《など》のバラモン|教《けう》の|番卒《ばんそつ》にくれてやつたのだ。そしてお|民《たみ》は|今《いま》ここに|居《を》つた|筈《はず》だが………|俺《わし》はモウお|前《まへ》は|厭《いや》になつた。お|民《たみ》の|奴《やつ》、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》と|駆落《かけおち》したり、|又《また》こんな|所《ところ》へ|来《き》て|色《いろ》の|白《しろ》い|男《をとこ》と|意茶《いちや》ついてやがるのだ。モウ|女《をんな》は|厭《いや》になつた。|俺《おれ》の|趣味《しゆみ》はヤツパリ|酒《さけ》だ。アーア、|色男《いろをとこ》に|生《うま》れると|辛《つら》いものだなア』
『ナニツ、お|民《たみ》を|思《おも》ひ|切《き》つたと、ソリヤまだしも|偉《えら》い、よう|目《め》が|醒《さ》めた。|併《しか》しこのお|寅《とら》は、そんな|事《こと》|云《い》つても|思《おも》ひ|切《き》るこた|出来《でき》よまい。そして|其《その》|九千両《きうせんりやう》の|金《かね》を、ここにゐるエキス|其《その》|他《ほか》の|奴《やつ》にやつたと|言《い》ふのだな、お|民《たみ》にやつたよりはマシだ。こら、エキス、|其《その》|金《かね》|此方《こちら》へ|返《かへ》せ、お|寅《とら》の|金《かね》だ。|蠑〓別《いもりわけ》が|此《この》|婆《ばば》アの|目《め》を|忍《しの》んで|持逃《もちにげ》した|大金《たいきん》だ。サツサと|素直《すなほ》に|返《かへ》さぬと、|貴様《きさま》も|鼻《はな》をねぢようか』
『どこの|婆《ば》アさまか|知《し》らぬが、|俺《おれ》は|蠑〓別《いもりわけ》さまから|貰《もら》つたのだ。そして|其《その》|金《かね》は|軍用金《ぐんようきん》としてランチ|将軍様《しやうぐんさま》に|提出《ていしゆつ》したのだから、|返《かへ》してほしけりや、|浮木《うきき》の|森《もり》の|陣営《ぢんえい》に|行《い》つて|直接《ちよくせつ》|返《かへ》して|貰《もら》ふがよからう…………』
『エヽ、ツベコベと|何《なに》を|言《い》ふのだ。|又《また》|鼻《はな》を|捻《ね》ぢるぞ』
と|云《い》ひながら、エキスの|鼻《はな》をグツと|捻《ね》ぢる。
『アイタヽヽヽヽ、|許《ゆる》せ|許《ゆる》せ|息《いき》が|切《き》れるわい、あゝ|死《し》ぬ|死《し》ぬ|死《し》ぬ』
『アハヽヽ、|痛《いた》いか、|苦《くる》しいか、|之《これ》も|自業自得《じごうじとく》だ、|三途川《せうづがは》の|鬼婆《おにばば》だぞ』
お|民《たみ》『コリヤ コリヤ、|其《その》|方《はう》はお|寅《とら》の|副守護神《ふくしゆごじん》でないか、|逐一《ちくいつ》|其《その》|方《はう》の|罪状《ざいじやう》を|読《よ》み|上《あ》げるから、|聞《き》いたがよからう』
『ナーニ、|此《この》お|寅《とら》はこんな|所《ところ》へ|来《き》て、|罪《つみ》を|数《かぞ》へられるやうな|悪《わる》い|事《こと》はせぬワ、|現《げん》に|此処《ここ》に|居《ゐ》るエキスが、|私《わたし》の|金《かね》を|取《と》りやがつたのだ。なぜ|之《これ》を|査《しら》べぬのか』
『|蠑〓別《いもりわけ》が|其《その》|方《はう》の|金《かね》を|取《と》つたのでないか』
『|蠑〓別《いもりわけ》は|取《と》つたにした|所《ところ》で、|私《わたし》の|最愛《さいあい》の|男《をとこ》だ、お|寅《とら》の|物《もの》は|蠑〓別《いもりわけ》の|物《もの》、|蠑〓別《いもりわけ》の|物《もの》は|即《すなは》ちお|寅《とら》の|物《もの》だ、それをうまくチヨロまかして、まき|上《あ》げた|此《この》エキスこそ|大悪人《だいあくにん》だ』
と|云《い》ひながら、フと|顔《かほ》を|上《あ》ぐればお|民《たみ》であつた。お|寅《とら》はお|民《たみ》を|見《み》るよりクワツと|怒《いか》り、
『コリヤお|民《たみ》、|貴様《きさま》こそ|大悪人《だいあくにん》だ、|蠑〓別《いもりわけ》をくはへて|金《かね》を|盗《ぬす》ませ、こんな|所《ところ》まで|連《つ》れて|来《き》よつたぢやないか。サ、いい|所《ところ》で|会《あ》うた、|生首《なまくび》を|引抜《ひきぬ》いてやらう、サア|覚悟《かくご》|致《いた》せ』
と|狼《おほかみ》のやうな|声《こゑ》ふりあげてお|民《たみ》に|武者《むしや》ぶりつく。お|民《たみ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》にお|寅《とら》と|組《く》んず|組《く》まれつ、もみ|合《あ》うてゐる。|蠑〓別《いもりわけ》、エキスはヒヨロヒヨロしながら|立《た》ち|上《あが》り、
『マアマア|待《ま》つた、|待《ま》たんせ、コリヤどうぢや』
と|二人《ふたり》の|中《なか》に|割《わ》つて|入《い》り、|顔《かほ》を|引《ひ》つ|掻《か》かれたり、|抓《つめ》られたり、|蠑〓別《いもりわけ》も|焼糞《やけくそ》になつて|撲《なぐ》る、|蹴《け》る、|誰彼《たれかれ》なしに|金切声《かなきりごゑ》をふり|上《あ》げ、|犬《いぬ》の|咬《か》み|合《あひ》のやうに|喚《わめ》き|立《た》ててゐる。|此《この》|声《こゑ》を|聞《き》きつけて|赤《あか》、|白《しろ》の|守衛《しゆゑい》は|宙《ちう》を|飛《と》んで|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|来《きた》り、|赤《あか》は|大《おほ》きな|鉄棒《てつぼう》を|振上《ふりあ》げ、
『コラツ』
と|一喝《いつかつ》した。|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて、お|民《たみ》も、お|寅《とら》も、|蠑〓別《いもりわけ》、エキスも|命《いのち》カラガラ|散《ち》り|散《ぢ》りバラバラに|何処《いづく》ともなく|逃去《にげさ》つて|了《しま》つた。
『ハヽヽヽヽ、|娑婆亡者《しやばまうじや》|奴《め》、たうとう|逃《に》げよつた。|彼奴《あいつ》アまだ|此処《ここ》へ|来《く》る|奴《やつ》ぢやないから、|少時《しばし》|木蔭《こかげ》にたたずんで|考《かんが》へてゐたが、|随分《ずゐぶん》|面白《おもしろ》いことをやりよつたものだ、アハヽヽヽヽ』
|白《しろ》『|本当《ほんたう》に|面白《おもしろ》いものですなア、あゝして|娑婆《しやば》へ|追《お》ひ|返《かへ》せば、|何《いづ》れ|改心《かいしん》をして、|又《また》|来《く》るでせう』
『あのお|寅《とら》と|云《い》ふ|奴《やつ》、|彼奴《あいつ》ア|現界《げんかい》で|已《すで》に|改心《かいしん》してゐるのだが、|二重人格者《にぢゆうじんかくしや》で、|副守《ふくしゆ》の|方《はう》がやつて|来《き》よつたのだ。|彼奴《あいつ》だけは|何《ど》うしても|番卒《ばんそつ》を|派遣《はけん》して|引捉《ひつとら》へ、|地獄《ぢごく》へ|落《おと》さねばなるまい』
『|然《しか》らば|番卒《ばんそつ》に|命《めい》じ、|捕縛《ほばく》させませう』
(大正一二・一・一三 旧一一・一一・二七 松村真澄録)
第九章 |罪人橋《ざいにんばし》〔一二六三〕
|高天原《たかあまはら》の|霊国《れいごく》|及《およ》び|天国《てんごく》は|光明《くわうみやう》の|世界《せかい》である。|其《その》|光明《くわうみやう》は|実性《じつせい》に|於《おい》て|神真《しんしん》である、|即《すなは》ち|霊的神的証覚《れいてきしんてきしようかく》である。|此《この》|神真《しんしん》なる|光明《くわうみやう》は|諸天人《しよてんにん》の|内視《ないし》と|外視《ぐわいし》とを|同時《どうじ》に|照破《せうは》するものである。さうして|内視《ないし》とは|天人《てんにん》|自身《じしん》の|心《こころ》の|内《うち》にあり、|外視《ぐわいし》とは|其《その》|目《め》にあるを|云《い》ふ。|又《また》|諸天人《しよてんにん》は|高天原《たかあまはら》の|愛《あい》の|熱《ねつ》に|包《つつ》まれてゐる。|即《すなは》ち|此《この》|熱《ねつ》は|実性《じつせい》に|於《おい》て|神善《しんぜん》|即《すなは》ち|神愛《しんあい》にして、|吾々《われわれ》が|益々《ますます》|証覚《しようかく》に|入《い》らむとする|情動《じやうどう》|及《およ》び|願望《ぐわんまう》を|有《いう》するものは|此《この》|熱《ねつ》より|来《きた》るものである。|要《えう》するに|高天原《たかあまはら》の|霊国《れいごく》、|天国《てんごく》は|万善《まんぜん》の|集合所《しふがふしよ》である。|天人《てんにん》の|証覚《しようかく》の|程度《ていど》は|現界人《げんかいじん》の|口舌《こうぜつ》のよく|尽《つく》し|得《う》る|所《ところ》でない。|人間《にんげん》が|一千言《いつせんげん》を|費《つひや》しても|尚《なほ》|尽《つく》す|能《あた》はざる|所《ところ》をも、|天人《てんにん》は|数言《すうげん》にて|之《これ》を|弁《べん》ずる|事《こと》を|能《よ》くするのである。|其《その》|他《た》|天人《てんにん》の|一言一句《いちげんいつく》の|中《なか》にも|無辺《むへん》|無量《むりやう》の|密意《みつい》の|含《ふく》まれてある|事《こと》は、|到底《たうてい》|人間《にんげん》の|言語《げんご》に|属《ぞく》する|文字《もじ》にて|表《あら》はす|事《こと》は|出来《でき》ない。|天人《てんにん》は|其《その》|言語《げんご》に|用《もち》ふる|所謂《いはゆる》|語字《ごじ》を|以《もつ》て|十分《じふぶん》に|表《あら》はし|得《え》ざる|所《ところ》は、|幽玄微妙《いうげんびめう》なる|音調《おんてう》を|以《もつ》て|之《これ》を|補《おぎな》ふ。そして|其《その》|音調《おんてう》によつて|情動《じやうだう》を|表《あら》はし、|情動《じやうだう》よりする|想念中《さうねんちう》の|諸概念《しよがいねん》は|語字《ごじ》によつて|之《これ》を|表《あら》はすのである。|大本開祖《おほもとかいそ》の|神諭《しんゆ》も|亦《また》|其《その》|密意《みつい》の|存《ぞん》する|所《ところ》は|到底《たうてい》|現代人《げんだいじん》の|智慧《ちゑ》|証覚《しようかく》にては|容易《ようい》に|解《かい》し|難《がた》きものである。されども|智慧《ちゑ》|証覚《しようかく》ある|天人《てんにん》が|之《これ》を|読《よ》む|時《とき》は、|直《ただち》に|無辺《むへん》|無量《むりやう》の|密意《みつい》の|含《ふく》まれてある|事《こと》を|諒得《りやうとく》し|得《う》るものである。そして|此《この》|語字《ごじ》については|霊界物語《れいかいものがたり》|第二輯《だいにしふ》|第三巻《だいさんくわん》(|第十五巻《だいじふごくわん》)|第一天国《だいいちてんごく》と|云《い》ふ|所《ところ》に|其《その》|状況《じやうきやう》を|示《しめ》しあれば|参照《さんせう》されたい。|故《ゆゑ》に|人間《にんげん》は|其《その》|精霊《せいれい》を|善《ぜん》と|真《しん》とに|鍛《きた》へ|上《あ》げ、|生《い》きながら|高天原《たかあまはら》の|団体《だんたい》に|籍《せき》を|有《いう》するに|非《あら》ざれば、|大本《おほもと》の|神諭《しんゆ》は|容易《ようい》に|解釈《かいしやく》し|得《う》るものでない|事《こと》を|悟《さと》らねばならぬ。|大本《おほもと》の|神諭《しんゆ》は、|国祖《こくそ》|大国常立尊《おほくにとこたちのみこと》、|厳霊《げんれい》と|顕現《けんげん》し、|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》、|国武彦命《くにたけひこのみこと》|等《とう》の|精霊《せいれい》に|其《その》|神格《しんかく》を|充《みた》し、さうして|天人《てんにん》の|団体《だんたい》に|籍《せき》を|有《いう》する|予言者《よげんしや》なる|出口開祖《でぐちかいそ》の|肉体《にくたい》に|来《きた》し、|大神《おほかみ》の|直々《ぢきぢき》の|御教《みをしへ》を|伝達《でんたつ》されたものである|以上《いじやう》は、|余程《よほど》|善徳《ぜんとく》と|智慧《ちゑ》|証覚《しようかく》の|全《まつた》きものでなければ|之《これ》を|悟《さと》る|事《こと》は|出来《でき》ない。|併《しか》しながら|神《かみ》は|至仁《しじん》|至愛《しあい》にましますが|故《ゆゑ》に、|此《この》|神諭《しんゆ》の|密意《みつい》を|自然界《しぜんかい》の|外分的《ぐわいぶんてき》|人間《にんげん》に|容易《たやす》く|悟《さと》らしめむが|為《ため》に|瑞霊《ずゐれい》の|神格《しんかく》を|精霊《せいれい》に|充《みた》し、|変性女子《へんじやうによし》の|肉体《にくたい》に|来《きた》らしめ、|其《その》|手《て》を|通《とほ》し|口《くち》を|通《とほ》して|霊界《れいかい》の|真相《しんさう》を|悟《さと》らしめ|給《たま》はむとの|御経綸《ごけいりん》を|遊《あそ》ばしたのである。
|大本神諭《おほもとしんゆ》の|各言句《かくげんく》の|中《うち》に、|人《ひと》をして|内的証覚《ないてきしようかく》に|進《すす》むべき|事項《じかう》を|含蓄《がんちく》せしめある|所以《ゆゑん》は、|神格《しんかく》に|充《みた》されたる|天人《てんにん》|即《すなは》ち|本守護神《ほんしゆごじん》の|言語《げんご》は|情動《じやうどう》と|相一致《あひいつち》し、|一々《いちいち》|其《その》|言語《げんご》は|概念《がいねん》と|一致《いつち》するものである。|又《また》|天人《てんにん》の|語字《ごじ》は|其《その》|想念中《さうねんちう》に|包含《はうがん》する|事物《じぶつ》の|直接《ちよくせつ》|如何《いかん》によつて|無窮《むきう》に|転変《てんぺん》するものである。|尚《なほ》|又《また》|内辺《ないへん》の|天人《てんにん》は|言者《げんしや》の|音声《おんせい》|及《およ》び|云《い》ふ|所《ところ》の|僅少《きんせう》なる|語字《ごじ》によつて|其《その》|人《ひと》の|一生《いつしやう》を|洞察《どうさつ》し|知悉《ちしつ》し|得《う》るのである。|何《なん》となれば、|天人《てんにん》は|其《その》|語字《ごじ》の|中《うち》に|含蓄《がんちく》する|諸概念《しよがいねん》に|依《よ》つて、|音声《おんせい》の|各種《かくしゆ》|各様《かくやう》に|変化《へんくわ》する|状態《じやうたい》を|察《さつ》し、これに|依《よ》つて、|其《その》|人《ひと》の|主《しゆ》とする|所《ところ》の|愛《あい》と|信《しん》|及《およ》び|智慧《ちゑ》|証覚《しようかく》の|如何《いか》なるものなるかを|知《し》るものである。|現界《げんかい》の|人間《にんげん》でも|少《すこ》しく|智慧《ちゑ》あり|証覚《しようかく》あり|公平《こうへい》|無私《むし》なる|者《もの》に|至《いた》つては、|其《その》|籍《せき》を|生《い》きながら|天人《てんにん》の|団体《だんたい》においてゐるものであるから、|対者《たいしや》の|一言一句《いちげんいつく》の|中《うち》に|包《つつ》める|意義《いぎ》によつて|其《その》|人《ひと》の|一生《いつしやう》の|運命《うんめい》を|識別《しきべつ》し|得《う》るものである。|人間《にんげん》の|想念《さうねん》|及《およ》び|情動《じやうだう》は|其《その》|声音《せいおん》に|現《あら》はれ、|皮膚《ひふ》に|現《あら》はれ、|如何《いか》にしても|霊的《れいてき》|智者《ちしや》|賢者《けんじや》の|前《まへ》には|之《これ》を|秘《ひ》する|事《こと》が|出来《でき》ないものである。|此《この》|一言《いちげん》は|愛《あい》を|含《ふく》むとか、|此《この》|一句《いつく》は|親《しん》なりとか、|彼《か》の|一句《いつく》は|勇《ゆう》とか、|此《この》|一句《いつく》は|智《ち》とか、|凡《すべ》て|一言一句《いちげんいつく》の|際《さい》にも|顕現《けんげん》|出没《しゆつぼつ》して、|如何《いか》なる|聖者《せいじや》といへども|賢人《けんじん》といへども、|心中《しんちう》の|思《おも》ひを|智慧証覚者《ちゑしようかくしや》の|前《まへ》には|隠《かく》す|事《こと》は|出来《でき》ない、|之《これ》|即《すなは》ち|神権《しんけん》の|如何《いか》にしても|掩《おほ》ふべからざる|所以《ゆゑん》である。|心《こころ》に|悪《あく》なく|慾《よく》なく、|善《ぜん》の|徳《とく》に|充《みた》されたものは|従《したが》つて|智性《ちせい》も|発達《はつたつ》し|情動《じやうだう》の|変化《へんくわ》も|非常《ひじやう》に|活溌《くわつぱつ》なるが|故《ゆゑ》に、|対者《たいしや》の|腹《はら》のドン|底《ぞこ》まで|透見《とうけん》し|知悉《ちしつ》し|得《う》るは|容易《ようい》なれども、|若《も》し|心《こころ》に|慾《よく》あり、|悪《あく》を|包《つつ》み|利己心《りこしん》ある|時《とき》は|其《その》|情動《じやうだう》は|鈍《にぶ》り|智性《ちせい》は|衰《おとろ》へ、|意思《いし》は|狂《くる》ひ、|容易《ようい》に|対者《たいしや》の|心中《しんちう》を|透見《とうけん》する|事《こと》は|出来《でき》ない。|故《ゆゑ》に|人《ひと》に|欺《あざむ》かるるものは|皆《みな》|其《その》|心《こころ》に|悪《あく》と|慾《よく》と|自利心《じりしん》が|充満《じうまん》してゐる|故《ゆゑ》である。|決《けつ》して|愛善《あいぜん》の|徳《とく》に|充《みた》され|信真《しんしん》の|光《ひかり》に|充《み》ちた|聖人君子《せいじんくんし》は、|自然界《しぜんかい》の|体慾《たいよく》に|迷《まよ》ひ|悪人《あくにん》に|欺《あざむ》かるるものでない。|要《えう》するに|慾《よく》|深《ふか》き|吾《われ》よしの|人間《にんげん》が|相応《さうおう》の|理《り》によつて|貪慾《どんよく》な|悪人《あくにん》に|欺瞞《ぎまん》され、|取返《とりかへ》しのならぬ|失敗《しつぱい》を|招《まね》くものである。
さうして|自分《じぶん》の|迂愚不明《うぐふめい》から|悪人《あくにん》に|欺《あざむ》かれ|自《みづか》ら|窮地《きゆうち》に|陥《おちい》り、|遂《つひ》には|其《その》|人間《にんげん》を|仇敵《きうてき》の|如《ごと》く|怨《うら》み|且《かつ》|罵《ののし》り、|遂《つひ》には|自分《じぶん》の|悪慾心《あくよくしん》より|出《い》でたる|事《こと》を|平然《へいぜん》として|口角《こうかく》に|束《つか》ねながら、|其《その》|竹篦《しつぺい》は|遂《つひ》に|神《かみ》の|御上《おんうへ》にまで|及《およ》ぼすものである。|彼等《かれら》は|茲《ここ》に|至《いた》つて|天道《てんだう》は|是《ぜ》か|非《ひ》か、|神《かみ》は|果《はた》して|此《この》|世《よ》にあるものか、|果《はた》して|神《かみ》が|此《この》|世《よ》に|儼存《げんぞん》するものならば、|何故《なにゆゑ》|斯《かく》の|如《ごと》き|悪人《あくにん》に|苦《くる》しめられ|居《を》るのも|憐《あは》れみ|給《たま》はず|傍観的《ばうくわんてき》|態度《たいど》を|執《と》らるるや、|吾々《われわれ》は|斯《かく》の|如《ごと》き|悪事《あくじ》|災難《さいなん》を|免《のが》れ|家運《かうん》|長久《ちやうきう》を|朝夕《てうせき》|祈《いの》り|立派《りつぱ》にお|給仕《きふじ》をして|信仰《しんかう》を|励《はげ》んで|居《を》つたのに|何《なん》の|事《こと》だ。|神《かみ》には|目《め》がないのか、|耳《みみ》がないのか|等《など》と|云《い》つて、|恨言《うらみごと》を|百万陀羅《ひやくまんだら》|並《なら》べ|立《た》て、|遂《つひ》には|信仰《しんかう》より|離《はな》れ|自暴自棄《じぼうじき》に|陥《おちい》り、|益々《ますます》|深《ふか》く|地獄《ぢごく》の|底《そこ》に|陥落《かんらく》するものである。|凡《すべ》て|此《この》|宇宙《うちう》は|至善《しぜん》|至真《ししん》|至愛《しあい》の|神《かみ》が|目的《もくてき》のために|万物《ばんぶつ》を|造《つく》り、|相応《さうおう》の|順序《じゆんじよ》によつて|人間《にんげん》を|神《かみ》の|形体《けいたい》に|作《つく》り、|神業《しんげふ》を|完全《くわんぜん》に|遂行《すゐかう》せしめ|給《たま》はむとして、|万物《ばんぶつ》の|霊長《れいちやう》として|人間《にんげん》を|世《よ》に|下《くだ》し|給《たま》うたものなる|以上《いじやう》は、|人間《にんげん》は|神界《しんかい》の|秩序《ちつじよ》|整然《せいぜん》たる|順序《じゆんじよ》を|守《まも》り、|善《ぜん》の|為《ため》に|善《ぜん》をなし|真《しん》の|為《ため》に|真《しん》を|尽《つく》さねばならぬのである。|然《しか》るに|現代《げんだい》は|遠《とほ》き|神代《かみよ》の|黄金時代《わうごんじだい》は|何時《いつ》しか|去《さ》り、|白銀時代《はくぎんじだい》、|赤銅時代《しやくどうじだい》、|黒鉄時代《こくてつじだい》と|漸次《ぜんじ》|堕落《だらく》して、|今《いま》や|混沌《こんとん》たる|泥海世界《どろうみせかい》となつて|了《しま》つたのである。|之《これ》も|人間《にんげん》に|神《かみ》より|自由《じいう》を|与《あた》へて、|十二分《じふにぶん》の|神的《しんてき》|活動《くわつどう》を|来《きた》さしめ|給《たま》はむとし|給《たま》うたのを、|人間《にんげん》が|次第々々《しだいしだい》に|神《かみ》に|背《そむ》き|八岐大蛇《やまたをろち》や|曲神《まがかみ》|等《など》の|捕虜《ほりよ》となり、|遂《つひ》に|自《みづか》ら|神《かみ》に|反《そむ》き|神《かみ》の|存在《そんざい》をも|無視《むし》するに|至《いた》つた|為《ため》に、かかる|暗黒無明《あんこくむみやう》の|世界《せかい》が|現出《げんしゆつ》したのである。|併《しか》しながら|物《もの》|窮《きう》すれば|達《たつ》すると|云《い》つて|至仁《しじん》|至愛《しあい》にして|無限絶対《むげんぜつたい》の|権力《けんりよく》を|具備《ぐび》し|給《たま》ふ|大神《おほかみ》は|何時《いつ》|迄《まで》も|之《これ》を|看過《かんくわ》し|給《たま》ふべき。ここに|大神《おほかみ》は|現幽神《げんいうしん》|三界《さんかい》の|大革正《だいかくせい》を|遂行《すゐかう》せむが|為《ため》に|予言者《よげんしや》を|地上《ちじやう》に|降《くだ》し、|或《ある》|一定《いつてい》の|猶予《いうよ》|期間《きかん》を|与《あた》へて|愚昧兇悪《ぐまいきやうあく》なる|人間《にんげん》に|対《たい》し|神《かみ》の|愛《あい》を|悟《さと》らしめ、|勝手《かつて》|気儘《きまま》の|行動《かうどう》を|改《あらた》めしめむと|劃策《くわくさく》し|給《たま》うたのである。|之《これ》を|思《おも》へば|吾々《われわれ》|人間《にんげん》は|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|大神《おほかみ》の|神慮《しんりよ》を|奉戴《ほうたい》し、|造次《ざうじ》にも|顛沛《てんぱい》にも|精霊《せいれい》を|磨《みが》き|改過遷善《かいくわせんぜん》の|道《みち》を|挙《あ》ぐるに|力《つと》めねばならぬのである。
|扨《さ》て|偽善者《きぜんしや》たるランチ、|片彦《かたひこ》|両人《りやうにん》の|宣伝《せんでん》|将軍《しやうぐん》は|伊吹戸主《いぶきどぬし》の|神《かみ》の|計《はか》らひによつて|地獄《ぢごく》へ|追《お》ひ|込《こ》めらるる|事《こと》となつた。ガリヤ、ケースも|亦《また》|其《その》|後《あと》につき|従《したが》ふ。|大《おほ》きな|岩《いは》の|虚隙《きよげき》から|無理《むり》に|番卒《ばんそつ》に|押込《おしこ》まれ|真暗《まつくら》の|穴《あな》へ|落《お》ち|込《こ》んだ。|斜《ななめ》に|下方《かはう》に|向《むか》つた|隧道《すゐだう》が|屈曲《くつきよく》|甚《はなはだ》しく|通《とほ》つてゐる。|両手《りやうて》で|探《さぐ》らなければ|何時《なんどき》|岩壁《がんぺき》に|頭《あたま》を|打《う》ちつけ、|又《また》|足許《あしもと》に|注意《ちゆうい》せなくては|何時《いつ》|躓《つまづ》くか|分《わか》らない|暗黒道《あんこくだう》を、|四人《よにん》は|腰《こし》を|屈《かが》めながら|後《あと》から|何物《なにもの》にか|押《お》さるる|様《やう》な|心地《ここち》して|次第々々《しだいしだい》に|下《くだ》つて|行《ゆ》く。|少《すこ》し|腰《こし》を|伸《の》ばさうとすれば|頭《あたま》の|上《うへ》の|岩壁《がんぺき》に|遮《さへぎ》られる。|丁度《ちやうど》|海老腰《えびごし》の|様《やう》になつて、|何《なん》とも|云《い》はれぬ|臭《くさ》い|香《にほひ》のする|道《みち》を|際限《さいげん》もなく|探《さぐ》り|探《さぐ》り|深《ふか》く|深《ふか》く|落《お》ち|込《こ》んで|行《い》つた。|少《すこ》しく|薄明《うすあか》い|処《ところ》へ|四人《よにん》は|漸《やうや》く|着《つ》いた。そこには|円《まる》い|人間《にんげん》の|潜《くぐ》るだけの|穴《あな》が|六《むつ》つばかり|覗《のぞ》き|眼鏡《めがね》の|様《やう》に|並《なら》んでゐる。さうして|青《あを》、|赤《あか》の|顔面《がんめん》をさらした|守衛《しゆゑい》が|一々《いちいち》|立《た》つて|居《ゐ》て、ものをも|云《い》はず|四人《よにん》を|同《おな》じ|穴《あな》へ|無理《むり》やりに|突込《つつこ》んで|了《しま》つた。|臭気紛々《しうきふんぷん》として|嘔吐《おうど》を|催《もよほ》すが|如《ごと》き|其辺《そこら》|一面《いちめん》の|不愉快《ふゆくわい》さ、|彼等《かれら》|四人《よにん》は|却《かへつ》て|愉快《ゆくわい》になり|腐肉《ふにく》の|臭気《しうき》や|堆糞《たいふん》の|香《にほひ》を|鼻《はな》|蠢《うごめ》かし、|嬉《うれ》しさうに|嗅《か》ぎながらヤツと|安心《あんしん》したものの|如《ごと》く|息《いき》をつき|又《また》もやドンドンと|以前《いぜん》より|稍《やや》|薄明《うすあ》き|隧道《すゐだう》を|右《みぎ》や|左《ひだり》に|折《を》れながら|下《くだ》りゆくのであつた。|四人《よにん》は|漸《やうや》くにして|少《すこ》しく|広《ひろ》い|所《ところ》に|着《つ》いた。|見《み》れば|其処《そこ》に|大《おほ》きな|川《かは》が|横《よこ》たはつてゐる。さうして|細《ほそ》い|長《なが》い|橋《はし》が|架《か》けられてある。ここには|厳《いかめ》しい|顔《かほ》をした|冥官《めいくわん》が|武装《ぶさう》をして|二十人《にじふにん》ばかり|控《ひか》へて|居《ゐ》た。|冥官《めいくわん》の|一人《ひとり》はツと|前《まへ》に|進《すす》み|寄《よ》り、
『|其《その》|方《はう》はランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》と|申《まを》して、|現界《げんかい》に|於《おい》て|非常《ひじやう》に|体主霊従《たいしゆれいじう》の|行《おこな》ひを|致《いた》し、|人獣合一《にんじうがふいつ》の|悪業《あくごふ》を|盛《さか》んにやつた|人足《にんそく》だから、|此《この》|橋《はし》を|渡《わた》つて|向《むか》ふへ|行《ゆ》け。|此《この》|橋《はし》が|無事《ぶじ》に|渡《わた》られたならば|再《ふたた》び|娑婆《しやば》に|帰《かへ》してやらう。|然《しか》し|之《これ》が|渡《わた》られぬ|時《とき》は、|此《この》|橋下《はしした》に|住《す》んでゐる|数多《あまた》の|怪物《くわいぶつ》の|為《ため》に|其《その》|方《はう》は|苛《さいな》まれ、|最《もつと》も|苦《くる》しき|地獄《ぢごく》に|落《お》ちるのだ。さあ|早《はや》く|行《ゆ》け』
とせき|立《た》て|睨《にら》みつける。|四人《よにん》は|四肢《しこ》|五体《ごたい》の|力《ちから》|何時《いつ》しかスツカリ|抜《ぬ》けて|了《しま》ひ、|手足《てあし》がブルブルと|震《ふる》ひ|戦《をのの》き、|満足《まんぞく》に|歩《ある》く|事《こと》も|出来《でき》なくなつてゐた。さうして|此《この》|橋《はし》には|罪人橋《ざいにんばし》と|橋詰《はしづめ》に|立札《たてふだ》が|立《た》つてゐる。|其《その》|長《なが》さは|目《め》の|届《とど》かぬばかり|殆《ほとん》ど|数百町《すうひやくちやう》に|及《およ》んでゐる。さうして|橋《はし》の|幅《はば》が|僅《わづ》かに|一尺《いつしやく》ばかり、|一寸《ちよつと》|体《からだ》の|平均《へいきん》を|失《うしな》つたが|最後《さいご》、|真逆様《まつさかさま》に|百尺《ひやくしやく》|以上《いじやう》の|川《かは》に|落《お》ち|込《こ》まねばならぬ。さうして|其《その》|水《みづ》の|深《ふか》さは|地球《ちきう》の|中心《ちうしん》に|達《たつ》して|居《ゐ》ると|伝《つた》へられ、|幾千万丈《いくせんまんぢやう》の|深《ふか》さとも|分《わか》らない。|此《この》|橋《はし》には|欄《てすり》もなく、|加《くは》ふるにヒヨヒヨとして|上下左右《じやうげさいう》に|揺《ゆ》り|動《うご》く、|実《じつ》に|危険《きけん》な|橋《はし》である。さうして|橋《はし》の|下《した》には|激流《げきりう》が|飛沫《ひまつ》をとばし|赤黒《あかぐろ》い|汚穢《をゑ》の|水《みづ》が|流《なが》れてゐる。さうして|何《なん》とも|形容《けいよう》の|出来《でき》ぬ|怪物《くわいぶつ》が|沢山《たくさん》に|棲《す》み、|橋《はし》の|上《うへ》を|通行《つうかう》するものが|過《あやま》つて|落《お》ちて|来《く》るのを、|大口《おほぐち》を|開《あ》けて|待《ま》つて|居《ゐ》るその|恐《おそ》ろしさ。|一目《ひとめ》|見《み》ても|身慄《みぶる》ひする|様《やう》である。さうして|橋《はし》の|上《うへ》には|膚《はだ》を|劈《つんざ》く|如《ごと》き|寒風《かんぷう》|吹《ふ》き、|何《なん》とも|云《い》へぬ|厭《いや》らしき|声《こゑ》、|八方《はつぱう》より|聞《きこ》えて|来《く》るのであつた。
ランチは|余《あま》りの|恐《おそ》ろしさに|身体《しんたい》すくみ、ビリビリ|慄《ふる》うて|居《ゐ》ると|冥官《めいくわん》の|一人《ひとり》は、
『サア、ランチ|将軍《しやうぐん》、|其《その》|方《はう》は|現界《げんかい》に|於《おい》ては|立派《りつぱ》なるバラモンの|宣伝《せんでん》|将軍《しやうぐん》ではなかつたか。|沢山《たくさん》の|敵味方《てきみかた》の|命《いのち》をとつたる|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》でありながら、|何故《なにゆゑ》これしきの|橋《はし》が|恐《おそ》ろしいのか。サア|早《はや》く|向《むか》ふへ|渡《わた》れ』
と|厳命《げんめい》した。ランチは|震《ふる》ひ|声《ごゑ》を|出《だ》して、
『イヤ、モシ|冥官《めいくわん》|様《さま》、|斯様《かやう》な|恐《おそ》ろしい|処《ところ》は|到底《たうてい》|渡《わた》る|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|何卒《どうぞ》|改心《かいしん》しますから、|元《もと》の|処《ところ》へお|帰《かへ》し|下《くだ》さい。お|願《ねがひ》で|厶《ござ》います』
『ならぬならぬ、|決《けつ》して|霊界《れいかい》に|於《おい》ては|汝等《なんぢら》に|斯《か》かる|責苦《せめく》を|与《あた》へ、|之《これ》を|以《もつ》て|快楽《くわいらく》としてゐるのではない。|大神様《おほかみさま》を|初《はじ》め、すべてのエンゼルも|冥官《めいくわん》も、|一人《ひとり》なりとも|天国《てんごく》へ|上《のぼ》り|得《う》る|身魂《みたま》の|来《きた》り|得《う》る|事《こと》を|待《ま》つてゐるのだ。|否《いな》|唯一《ゆゐいつ》の|歓喜《くわんき》としてゐるのだ。|汝《なんぢ》|自《みづか》らの|罪業《ざいごふ》によつて|汝《なんぢ》|自《みづか》ら|此《この》|罪人橋《ざいにんばし》を|渡《わた》るべく|準備《じゆんび》|致《いた》し、|又《また》|汝《なんぢ》|永久《えいきう》の|住家《すみか》を|向《むか》ふの|地獄《ぢごく》に|作《つく》りおいた|以上《いじやう》は、|汝《なんぢ》の|身魂《みたま》は、|其処《そこ》まで|行《ゆ》かねばならぬ。|可愛《かあい》さうなれど|吾々《われわれ》は|救《すく》ふ|事《こと》が|出来《でき》ぬ。|汝《なんぢ》は|神《かみ》の|愛《あい》を|信《しん》じて|自《みづか》ら|天国《てんごく》を|開《ひら》くべき|処《ところ》を、|自然界《しぜんかい》の|慾《よく》に|精霊《せいれい》を|汚《けが》し、|斯《か》くも|浅猿《あさま》しき|身《み》の|上《うへ》となつたのだから、|自繩自縛《じじようじばく》と|諦《あきら》めて|行《い》つてくれ』
と|流石《さすが》の|冥官《めいくわん》も|憐愍《れんびん》の|情《じやう》に|堪《た》へかねてか、|両眼《りやうがん》より|涙《なみだ》をポロポロと|流《なが》してゐる。
|片彦《かたひこ》『モシ|冥官《めいくわん》|様《さま》、もはや|斯《か》うなる|上《うへ》は|自《みづか》ら|生《う》んだ|鬼《おに》が|自《みづか》らを|責《せ》めるのですから、|如何《どう》とも|致《いた》し|方《かた》が|厶《ござ》いませぬ。|然《しか》しながら|其《その》|地獄《ぢごく》は|随分《ずゐぶん》|辛《つら》い|処《ところ》で|厶《ござ》いませうな』
『|地獄《ぢごく》にも|色々《いろいろ》あるが|先《ま》づ|大別《たいべつ》して|十八地獄《じふはちぢごく》と|分《わか》つてゐる。さうして|其《その》|地獄《ぢごく》にも|其《その》|罪業《ざいごふ》によつて|大小軽重《だいせうけいぢう》の|区別《くべつ》がある。|地獄《ぢごく》の|団体《だんたい》も|今日《こんにち》の|処《ところ》にては|幾万《いくまん》を|以《もつ》て|数《かぞ》へられるであらう。|其《その》|中《うち》|重《おも》なる|地獄《ぢごく》は、|吊釣《てうきん》|地獄《ぢごく》、|幽枉《いうわう》|地獄《ぢごく》、|火孔《くわこう》|地獄《ぢごく》、|郭都《ほうと》|地獄《ぢごく》、|抜舌《ばつぜつ》|地獄《ぢごく》、|剥皮《はくひ》|地獄《ぢごく》、|磨摧《まさい》|地獄《ぢごく》、|碓搗《うすつき》|地獄《ぢごく》、|車崩《しやほう》|地獄《ぢごく》、|寒氷《かんぴよう》|地獄《ぢごく》、|脱〓《だつこく》|地獄《ぢごく》、|抽腸《ちうちやう》|地獄《ぢごく》、|油鍋《ゆくわ》|地獄《ぢごく》、|暗黒《あんこく》|地獄《ぢごく》、|刀山《たうざん》|地獄《ぢごく》、|血池《ちのいけ》|地獄《ぢごく》、|阿鼻《あび》|地獄《ぢごく》、|秤杆《へうかん》|地獄《ぢごく》と|云《い》つて、|之《これ》が|大体《だいたい》の|地獄《ぢごく》であり、|其《その》|中《うち》で|罪業《ざいごふ》の|大小《だいせう》|軽重《けいぢゆう》によつてそれぞれの|階段《かいだん》が|出来《でき》てゐる。お|前達《まへたち》も|確《しつか》りして、|地獄《ぢごく》に|行《い》つたら|随分《ずゐぶん》|悪《あく》の|強《つよ》い|奴《やつ》だから|地獄《ぢごく》の|統治者《とうちしや》となるかも|知《し》れない。それを|楽《たのし》みに|行《い》つたがよからう』
『|如何《どう》しても|吾々《われわれ》は|地獄《ぢごく》へ|参《まゐ》らねばなりませぬか』
『お|前達《まへたち》|四人《よにん》の|霊衣《れいい》を|見《み》れば|尚《なほ》|多少《たせう》|朧気《おぼろげ》に|円相《ゑんさう》が|残《のこ》つてゐる。|未《ま》だ|冥土《めいど》へ|来《きた》るべき|命数《めいすう》でないが、|併《しか》しながら|伊吹戸主《いぶきどぬし》の|神様《かみさま》より|御命令《ごめいれい》があつたによつて、|如何《どう》しても|此処《ここ》を|通《とほ》さにやならぬ。|四人《よにん》が|四人《よにん》ながら、まだ|娑婆臭《しやばくさ》い|亡者《まうじや》が|来《く》るとは|不思議千万《ふしぎせんばん》だ』
と|首《くび》を|傾《かたむ》け|思案顔《しあんがほ》をしてゐる。
かかる|所《ところ》へ|骨《ほね》と|皮《かは》とになつた|我利々々亡者《がりがりまうじや》の|一隊《いつたい》、|雑魚《ざこ》の|骨《ほね》を|打《ぶ》ち|開《あ》けた|様《やう》にウヨウヨウヨと|幾百千《いくひやくせん》とも|数知《かずし》れず|現《あら》はれ|来《きた》り、ランチ、|片彦《かたひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》に|向《むか》ひ、|得《え》も|云《い》はれぬ|厭《いや》らしき|声《こゑ》を|振《ふ》り|搾《しぼ》り、|前後左右《ぜんごさいう》より|武者振《むしやぶ》りつく|其《その》|厭《いや》らしさ。ガリヤ、ケースも|亦《また》|相当《さうたう》に|厭《いや》らしき|怪物《くわいぶつ》にとりまかれ、|悲鳴《ひめい》をあげて|泣《な》き|叫《さけ》んでゐる。
|此《この》|時《とき》|何処《どこ》ともなく|天《あま》の|数歌《かずうた》が|幽《かす》かに|聞《きこ》えて|来《き》た。|見《み》る|見《み》るうちに|我利々々亡者《がりがりまうじや》は|煙《けむり》の|如《ごと》く|消《き》えて|了《しま》つた。さうして|数多《あまた》の|厳《いかめ》しき|冥官《めいくわん》の|姿《すがた》は|一人《ひとり》|減《へ》り|二人《ふたり》|減《へ》り、おひおひと|其《その》|数《すう》を|減《げん》ずるのであつた。|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》おひおひ|近《ちか》づいたと|見《み》えて、だんだん|高《たか》く|聞《きこ》えて|来《き》た。|非常《ひじやう》に|薄暗《うすぐら》かつた|四辺《あたり》は、|薄紙《うすがみ》を|剥《は》いだ|様《やう》に|次第々々《しだいしだい》と|明《あか》るくなつて|来《き》た。
(大正一二・一・一三 旧一一・一一・二七 北村隆光録)
第三篇 |愛善信真《あいぜんしんしん》
第一〇章 |天国《てんごく》の|富《とみ》〔一二六四〕
|現界《げんかい》|即《すなは》ち|自然界《しぜんかい》の|万物《ばんぶつ》と|霊界《れいかい》の|万物《ばんぶつ》との|間《あひだ》には、|惟神《かむながら》の|順序《じゆんじよ》によりて|相応《さうおう》なるものがある。|又《また》|人間《にんげん》の|万事《ばんじ》と|天界《てんかい》の|万物《ばんぶつ》との|間《あひだ》に|動《うご》かすべからざる|理法《りはふ》があり、|又《また》|其《その》|連結《れんけつ》によつて|相応《さうおう》なるものがある。そして|人間《にんげん》は|又《また》|天人《てんにん》の|有《いう》する|所《ところ》を|総《すべ》て|有《いう》すると|共《とも》に、|其《その》|有《いう》せざる|所《ところ》をも|亦《また》|有《いう》するものである。|人間《にんげん》はその|内分《ないぶん》より|見《み》て|霊界《れいかい》に|居《を》るものであるが、それと|同時《どうじ》に、|外分《ぐわいぶん》より|見《み》て、|人間《にんげん》は|自然界《しぜんかい》に|居《を》るのである。|人《ひと》の|自然的《しぜんてき》|即《すなは》ち|外的《ぐわいてき》|記憶《きおく》に|属《ぞく》するものを|外分《ぐわいぶん》と|称《しよう》し、|想念《さうねん》と、これよりする|想像《さうざう》とに|関《くわん》する|一切《いつさい》の|事物《じぶつ》を|云《い》ふのである。|約言《やくげん》すれば、|人間《にんげん》の|知識《ちしき》や|学問《がくもん》|等《とう》より|来《きた》る|悦楽《えつらく》|及《およ》び|快感《くわいかん》の|総《すべ》て|世間的《せけんてき》|趣味《しゆみ》を|帯《お》ぶるもの、|又《また》|肉体《にくたい》の|感官《かんくわん》に|属《ぞく》する|諸々《もろもろ》の|快感《くわいかん》|及《およ》び|感覚《かんかく》、|言語《げんご》、|動作《どうさ》を|合《あは》せて|之《これ》を|人間《にんげん》の|外分《ぐわいぶん》となすのである。|是等《これら》の|外分《ぐわいぶん》は|何《いづ》れも|大神《おほかみ》より|来《きた》る|神的《しんてき》|即《すなは》ち|霊的内流《れいてきないりう》が|止《とど》まる|所《ところ》の|終極点《しうきよくてん》に|於《お》ける|事物《じぶつ》である。|何故《なぜ》なれば、|神的《しんてき》|内流《ないりう》なるものは|決《けつ》して|中途《ちうと》に|止《とど》まるものでなく、|必《かなら》ずや|其《その》|窮極《きうきよく》の|所《ところ》まで|進行《しんかう》するからである。この|神的《しんてき》|順序《じゆんじよ》の|窮極《きうきよく》する|所《ところ》は|所謂《いはゆる》|万物《ばんぶつ》の|霊長《れいちやう》、|神《かみ》の|生宮《いきみや》、|天地《てんち》|経綸《けいりん》の|主宰者《しゆさいしや》、|天人《てんにん》の|養成所《やうせいしよ》たるべき|人間《にんげん》なのである。|故《ゆゑ》に|人間《にんげん》は|総《すべ》て|神様《かみさま》の|根底《こんてい》となり、|基礎《きそ》となるべき|事《こと》を|知《し》るべきである。|又《また》|神格《しんかく》の|内流《ないりう》が|通過《つうくわ》する|中間《ちうかん》は|高天原《たかあまはら》にして、|其《その》|窮極《きうきよく》する|所《ところ》は|即《すなは》ち|人間《にんげん》に|存《ぞん》する。|故《ゆゑ》に、|又《また》この|連結中《れんけつちう》に|入《い》らないものは|何物《なにもの》も|存在《そんざい》する|事《こと》を|得《え》ないのである。|故《ゆゑ》に|天界《てんかい》と|人類《じんるゐ》と|和合《わがふ》し|連結《れんけつ》するや、|両々《りやうりやう》|相倚《あひよ》りて|継続《けいぞく》|存在《そんざい》するものなる|事《こと》を|明《あきら》め|得《う》るのである。|故《ゆゑ》に|天界《てんかい》を|離《はな》れたる|人間《にんげん》は|鍵《かぎ》のなき|鎖《くさり》の|如《ごと》く、|又《また》|人類《じんるゐ》を|離《はな》れたる|天界《てんかい》は|基礎《きそ》なき|家《いへ》の|如《ごと》くにして、|双方《さうはう》|相和合《あひわがふ》せなくてはならないものである。
|斯《かく》の|如《ごと》き|尊《たふと》き|人間《にんげん》が、|其《その》|内分《ないぶん》を|神《かみ》に|背《そむ》けて、|高天原《たかあまはら》との|連絡《れんらく》を|断絶《だんぜつ》し、|却《かへつ》て|之《これ》を|自然界《しぜんかい》と|自己《じこ》とに|向《む》けて、|自己《じこ》を|愛《あい》し、|世間《せけん》を|愛《あい》し、|其《その》|外分《ぐわいぶん》のみに|向《むか》ひたるにより、|従《したが》つて|人間《にんげん》は|其《その》|身《み》を|退《しりぞ》けて|再《ふたた》び|高天原《たかあまはら》の|根底《こんてい》となり、|基礎《きそ》となるを|得《え》ざらしめたるによつて、|大神《おほかみ》は|是非《ぜひ》なく、|茲《ここ》に|予言者《よげんしや》なる|媒介天人《ばいかいてんにん》を|設《まう》けて|之《これ》を|地上《ちじやう》に|下《くだ》し、|其《その》|神人《しんじん》をもつて|天界《てんかい》の|根底《こんてい》|及《およ》び|基礎《きそ》となし、|又《また》|之《これ》によつて|天界《てんかい》と|人間《にんげん》とを|和合《わがふ》せしめ、|地上《ちじやう》をして|天国《てんごく》|同様《どうやう》の|国土《こくど》となさしめ|給《たま》ふべく、|甚深《じんしん》なる|経綸《けいりん》を|行《おこな》はせたまうたのである。この|御経綸《ごけいりん》が|完成《くわんせい》した|暁《あかつき》を|称《しよう》して、|松《まつ》の|代《よ》、ミロクの|世《よ》、|又《また》は|天国《てんごく》の|世《よ》と|云《い》ふのである。そして|厳《いづ》の|御霊《みたま》、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|経緯《けいゐ》の|予言者《よげんしや》の|手《て》を|通《つう》じ|口《くち》を|通《つう》じて|聖言《せいげん》を|伝達《でんたつ》し、|完全《くわんぜん》なる|天地合体《てんちがつたい》の|国土《こくど》を|完成《くわんせい》せしめむとしたまうたのである。|大本開祖《おほもとかいそ》の|神諭《しんゆ》に『|天《てん》も|地《ち》も|一《ひと》つに|丸《まる》めて、|神国《しんこく》の|世《よ》に|致《いた》すぞよ。|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》、|須弥仙山《しゆみせんざん》に|腰《こし》を|掛《か》け|艮《うしとら》の|金神《こんじん》|守《まも》るぞよ。この|大本《おほもと》は|天地《てんち》の|大橋《おほはし》、|世界《せかい》の|人民《じんみん》は|此《この》|橋《はし》を|渡《わた》りて|来《こ》ねば、|誠《まこと》のお|蔭《かげ》は|分《わか》らぬぞよ』と|平易《へいい》|簡明《かんめい》に|示《しめ》されて|居《ゐ》るのである。されど|現代《げんだい》の|人間《にんげん》は|却《かへつ》てかかる|平易《へいい》|簡明《かんめい》なる|聖言《せいげん》には|耳《みみ》を|藉《か》さず、|不可解《ふかかい》なる|難書《なんしよ》を|漁《あさ》り、|是《これ》を|半可通的《はんかつうてき》に|誤解《ごかい》して|其《その》|知識《ちしき》を|誇《ほこ》らむとするのは|実《じつ》に|浅《あさ》ましいものである。
|治国別《はるくにわけ》は|竜公《たつこう》と|共《とも》に|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|化相身《けさうしん》なる|五三公《いそこう》に|案内《あんない》され、|珍彦《うづひこ》の|館《やかた》を|後《あと》にして|中間天国《ちうかんてんごく》の|各団体《かくだんたい》を|訪問《はうもん》する|事《こと》となつた。|五三公《いそこう》は|得《え》も|云《い》はれぬ|麗《うるは》しき|樹木《じゆもく》の|秩序《ちつじよ》よく|間隔《かんかく》を|隔《へだ》てて|点綴《てんてつ》せる、|金砂銀砂《きんしやぎんしや》の|布《し》きつめたる|如《ごと》き|平坦路《へいたんろ》をいそいそとして|進《すす》んで|往《ゆ》く。|道《みち》の|両方《りやうはう》には、|天国《てんごく》の|狭田《さだ》、|長田《ながた》、|高田《たかだ》、|窪田《くぼた》が|展開《てんかい》し、|得《え》も|云《い》はれぬ|涼風《りやうふう》にそよぐ|稲葉《いなば》の|音《おと》はサヤサヤと|心地《ここち》よく|耳《みみ》に|響《ひび》いて|来《く》る。|天人《てんにん》の|男女《だんぢよ》は|得《え》も|云《い》はれぬ|麗《うるは》しき|面貌《めんばう》をしながら、|瑪瑙《めなう》の|如《ごと》く|透《す》き|通《とほ》つた|脛《すね》を|現《あら》はし、|水田《みづた》に|入《はい》つて|草取《くさとり》をしながら|勇《いさ》ましき|声《こゑ》に|草取歌《くさとりうた》を|歌《うた》つて|居《ゐ》る。|太陽《たいやう》は|余《あま》り|高《たか》からず|頭上《づじやう》に|輝《かがや》きたれども、|自然界《しぜんかい》の|如《ごと》く|焦《こ》げつくやうな|暑《あつ》さもなく、|実《じつ》に|入《い》り|心地《ごこち》のよい|温泉《をんせん》に|入《はい》つたやうな|陽気《やうき》である。さうして|此《この》|天国《てんごく》には|決《けつ》して|冬《ふゆ》がない、|永久《とこしへ》に|草木《さうもく》|繁茂《はんも》し、|落葉樹《らくえうじゆ》の|如《ごと》きは|少《すこ》しも|見当《みあた》らない。|田面《たのも》は|金銀色《きんぎんしよく》の|水《みづ》にて|満《み》たされ、|稲葉《いなば》は|青《あを》く|風《かぜ》に|翻《ひるがへ》る|度《たび》|毎《ごと》に|金銀《きんぎん》の|波《なみ》を|打《う》たせ、|何《なん》とも|筆舌《ひつぜつ》の|尽《つく》し|難《がた》き|光景《くわうけい》である。|五三公《いそこう》は|途中《とちう》に|立《た》ち|止《ど》まり、|二人《ふたり》を|顧《かへり》みて|微笑《ほほえ》みながら、|得《え》も|云《い》はれぬ|喜《よろこ》びの|色《いろ》を|湛《たた》へて、
『|治国別《はるくにわけ》|様《さま》、|御覧《ごらん》なさいませ、|天国《てんごく》にも|矢張《やつぱ》り|農工商《のうこうしやう》の|事業《じげふ》が|営《いとな》まれて|居《ゐ》ます。さうしてあの|通《とほ》り|各人《かくじん》は|一団《いちだん》となつて|其《その》|業《げふ》を|楽《たの》しみ、|歓喜《くわんき》の|生活《せいくわつ》を|送《おく》つて|居《を》ります。|実《じつ》に|見《み》るも|愉快《ゆくわい》な|光景《くわうけい》ぢやありませぬか』
『|成程《なるほど》、|実《じつ》に|各人《かくじん》|己《おのれ》を|忘《わす》れ|一斉《いつせい》に|業《げふ》を|楽《たの》しむ|光景《くわうけい》は、|到底《たうてい》|現界《げんかい》に|於《おい》て|夢想《むさう》だも|出来《でき》ない|有様《ありさま》で|厶《ござ》いますな。さうして|矢張《やはり》|彼《か》の|天人《てんにん》|共《ども》は|各自《かくじ》に|土地《とち》を|所有《しよいう》して|居《ゐ》るので|厶《ござ》いますか』
『イエイエ、|土地《とち》は|全部《ぜんぶ》|団体《だんたい》の|公有《こういう》です。|地上《ちじやう》の|世界《せかい》の|如《ごと》く|大地主《おほぢぬし》、|自作農《じさくのう》|又《また》は|小作農《こさくのう》などの|忌《いま》はしき|制度《せいど》は|厶《ござ》いませぬ、|皆《みな》|一切《いつさい》|平等《べうどう》に|何事《なにごと》も|御神業《ごしんげふ》と|喜《よろこ》んで|額《ひたひ》に|汗《あせ》をし、|神様《かみさま》のために|活動《くわつどう》して|居《ゐ》るのです。さうして|事業《じげふ》に|趣味《しゆみ》が|出来《でき》て、|誰《たれ》|一人《ひとり》|不服《ふふく》を|称《とな》ふる|者《もの》もなく、|甲《かふ》の|心《こころ》は|乙《おつ》の|心《こころ》、|乙《おつ》の|心《こころ》は|甲《かふ》の|心《こころ》、|各人《かくじん》|皆《みな》|心《こころ》を|合《あは》せ、|何事《なにごと》も|皆《みな》|御神業《ごしんげふ》と|信《しん》じ、あの|通《とほ》り|愉快《ゆくわい》に|立《た》ち|働《はたら》いて|居《ゐ》るのです』
『さうすれば|天国《てんごく》に|於《おい》ては|貧富《ひんぷ》の|区別《くべつ》はなく、|所謂《いはゆる》|社会主義的《しやくわいしゆぎてき》|制度《せいど》が|行《おこな》はれて|居《ゐ》るのですか』
『|天国《てんごく》にも|貧富《ひんぷ》の|区別《くべつ》があります。|同《おな》じ|団体《だんたい》の|中《なか》にも|富者《ふうしや》も|貧者《ひんじや》もあります。|併《しか》しながら、|貧富《ひんぷ》と|事業《じげふ》とは|別個《べつこ》のものです』
『|働《はたら》きによつて|其《その》|報酬《ほうしう》を|得《う》るに|非《あら》ざれば、|貧富《ひんぷ》の|区別《くべつ》がつく|筈《はず》がないぢやありませぬか。|同《おな》じやうに|働《はたら》き、|同《おな》じ|物《もの》を|分配《ぶんぱい》して|生活《せいくわつ》を|続《つづ》ける|天人《てんにん》に、どうして|又《また》|貧富《ひんぷ》の|区別《くべつ》がつくのでせうか』
『|現界《げんかい》に|於《おい》ては、|総《すべ》て|体主霊従《たいしゆれいじう》が|法則《はふそく》のやうになつて|居《ゐ》ます。それ|故《ゆゑ》|優《すぐ》れたもの、よく|働《はたら》くものが|多《おほ》く|報酬《ほうしう》を|得《う》るのは|自然界《しぜんかい》のやり|方《かた》です。|天国《てんごく》に|於《おい》ては|総《すべ》てが|神様《かみさま》のものであり、|総《すべ》ての|事業《じげふ》は|神様《かみさま》にさして|頂《いただ》くと|云《い》ふ|考《かんが》へを|何《いづ》れの|天人《てんにん》も|持《も》つて|居《を》ります。それ|故《ゆゑ》|天国《てんごく》に|於《おい》ては|貧富《ひんぷ》の|区別《くべつ》があつても、|貧者《ひんじや》は|決《けつ》して|富者《ふうしや》を|恨《うら》みませぬ。|何人《なにびと》も|神様《かみさま》のお|蔭《かげ》によつて|働《はたら》かして|頂《いただ》くのだ、|神様《かみさま》の|御神格《ごしんかく》によつて|生《い》かして|頂《いただ》くのだと、|日々《にちにち》|感謝《かんしや》の|生活《せいくわつ》を|送《おく》らして|頂《いただ》くのですから、|貧富《ひんぷ》などを|天人《てんにん》は|念頭《ねんとう》に|置《お》きませぬ。そして、|貧富《ひんぷ》は|皆《みな》|神様《かみさま》の|賜《たま》ふ|所《ところ》で、|天人《てんにん》が|各自《めいめい》の|努力《どりよく》によつて|獲得《くわくとく》したものではありませぬ。|何《いづ》れも|現実界《げんじつかい》にある|時《とき》に|尽《つく》した|善徳《ぜんとく》の|如何《いかん》によりて、|天国《てんごく》へ|来《き》ても|矢張《やつぱ》り|貧富《ひんぷ》が|惟神的《かむながらてき》につくのです。|貧者《ひんじや》は|富者《ふうしや》を|見《み》て|之《これ》を|模範《もはん》とし、|善徳《ぜんとく》を|積《つ》む|事《こと》のみを|考《かんが》へて|居《を》ります。|天国《てんごく》に|於《お》ける|貧富《ひんぷ》は|一厘《いちりん》|一毛《いちまう》の|錯誤《さくご》もなく、|不公平《ふこうへい》もありませぬ。|其《その》|徳《とく》|相応《さうおう》に|神《かみ》から|授《さづ》けらるるものです』
『|天国《てんごく》の|富者《ふうしや》とは、|現界《げんかい》に|於《おい》て|如何《いか》なる|事《こと》を|致《いた》したもので|厶《ござ》いませうか』
『|天国《てんごく》|団体《だんたい》の|最《もつと》も|富《と》めるものは、|現界《げんかい》にある|中《うち》によく|神《かみ》を|理解《りかい》し、|愛《あい》のために|愛《あい》をなし、|善《ぜん》のために|善《ぜん》をなし、|真《しん》の|為《ため》に|真《しん》を|行《おこな》ひ、|自利心《じりしん》を|捨《す》て、さうして|神《かみ》の|国《くに》の|建設《けんせつ》の|為《ため》に|心《こころ》を|尽《つく》し|身《み》を|尽《つく》し、|忠実《ちうじつ》なる|神《かみ》の|下僕《しもべ》となり、|且《かつ》|又《また》|現界《げんかい》に|於《おい》て|充分《じうぶん》に|活動《くわつどう》をし、|其《その》|余財《よざい》を|教会《けうくわい》の|為《ため》に|捧《ささ》げ、|神《かみ》の|栄《さかえ》と|道《みち》の|拡張《くわくちやう》にのみ|心身《しんしん》を|傾注《けいちゆう》したる|善徳者《ぜんとくしや》が|所謂《いはゆる》|天国《てんごく》の|富者《ふうしや》であります。|約《つま》り|現界《げんかい》に|於《おい》て|宝《たから》を|天国《てんごく》の|庫《くら》に|積《つ》んで|置《お》いた|人達《ひとたち》であります。さうして|中位《ちうゐ》の|富者《ふうしや》は、|自分《じぶん》の|知己《ちき》や|朋友《ほういう》の|危難《きなん》を|救《すく》ひ、|又《また》|社会《しやくわい》|公共《こうきよう》の|救済《きうさい》の|為《ため》に|財《ざい》を|散《さん》じ、|隠徳《いんとく》を|積《つ》んだ|人間《にんげん》が、|天国《てんごく》に|来《きた》つて|大神様《おほかみさま》より|相応《さうおう》の|財産《ざいさん》を|賜《たま》はり|安楽《あんらく》に|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けて|居《ゐ》るのです。そして|天国《てんごく》で|頂《いただ》いた|財産《ざいさん》は|総《すべ》て|神様《かみさま》から|賜《たま》はつたものですから、|地上《ちじやう》の|世界《せかい》の|如《ごと》く|自由《じいう》に|之《これ》を|他《た》の|天人《てんにん》に|施《ほどこ》す|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。ただ|其《その》|財産《ざいさん》を|以《もつ》て|神様《かみさま》の|祭典《さいてん》の|費用《ひよう》に|当《あ》てたり、|公休日《こうきうび》に|天人《てんにん》の|団体《だんたい》を|吾《わが》|家《や》に|招《まね》き、|自費《じひ》を|投《とう》じて|馳走《ちそう》を|拵《こしら》へ|大勢《おほぜい》と|共《とも》に|楽《たの》しむので|厶《ござ》います、それ|故《ゆゑ》に|天国《てんごく》の|富者《ふうしや》は|衆人《しうじん》|尊敬《そんけい》の|的《まと》となつて|居《を》ります』
『|成程《なるほど》、|実《じつ》に|平和《へいわ》なものですな、|本当《ほんたう》に|理想的《りさうてき》に|社会《しやくわい》が|造《つく》られてありますなア』
|竜公《たつこう》は【しやしや】り|出《い》で、
『モシ|五三公《いそこう》さま、もしも|私《わたし》が|天国《てんごく》へ|霊肉脱離《れいにくだつり》の|後《のち》、|上《のぼ》る|事《こと》を|得《え》ましたならば、|定《さだ》めて|貧乏人《びんばふにん》でせうな』
『アヽさうでせう、|唯今《ただいま》|直《すぐ》に|天国《てんごく》の|住民《ぢゆうみん》となられるやうな|事《こと》があれば、|貴方《あなた》はやはり|第三天国《だいさんてんごく》の|極貧者《ごくひんしや》でせう。|併《しか》し|再《ふたた》び|現界《げんかい》に|帰《かへ》り、|無形《むけい》の|宝《たから》と|云《い》ふ|善《ぜん》の|宝《たから》を|十分《じふぶん》お|積《つ》みになれば、|天国《てんごく》の|宝《たから》となり、|名誉《めいよ》と|光栄《くわうえい》の|生涯《しやうがい》を|永遠《ゑいゑん》に|送《おく》る|事《こと》が|出来《でき》ませう』
『それでは|聖言《せいげん》に、|貧《まづ》しきものは|幸《さいはひ》なるかな、|富《と》めるものの|天国《てんごく》に|到《いた》るは|針《はり》の|穴《あな》を|駱駝《らくだ》の|通《かよ》ふよりも|難《かた》し、と|云《い》ふぢやありませぬか』
『|貧《まづ》しきものは|常《つね》に|心《こころ》|驕《おご》らず、|神《かみ》の|教《をしへ》に|頼《よ》り、|神《かみ》の|救《すく》ひを|求《もと》め、|尊《たふと》き|聖言《せいげん》が|比較的《ひかくてき》|耳《みみ》に|入《い》り|易《やす》う|厶《ござ》いますが、|地上《ちじやう》に|於《おい》て|何《なに》|不自由《ふじゆう》なく|財産《ざいさん》のあるものは、|知《し》らず|知《し》らずに|神《かみ》の|恩寵《おんちよう》を|忘《わす》れ、|自己愛《じこあい》に|流《なが》れ|易《やす》いものですから、|其《その》|財産《ざいさん》が|汚穢《をゑ》となり|暗黒《あんこく》となり|或《あるひ》は|鬼《おに》となつて|地獄《ぢごく》へ|落《おと》し|行《ゆ》くものです。|若《も》しも|富者《ふうしや》にして|神《かみ》の|為《ため》に|尽《つく》し、|又《また》|社会《しやくわい》のために|隠徳《いんとく》を|積《つ》むならば、|天国《てんごく》に|上《のぼ》り|得《う》るの|便利《べんり》は|貧者《ひんじや》よりも|多《おほ》いかも|知《し》れませぬが、|世《よ》の|中《なか》はようしたもので|富者《ふうしや》の|天国《てんごく》に|来《きた》るものは、|聖言《せいげん》に|示《しめ》されたる|如《ごと》く|稀《まれ》なものです。|其《その》|財産《ざいさん》を|悪用《あくよう》して|人《ひと》の|利益《りえき》を|壟断《ろうだん》し、|或《あるひ》は|邪悪《じやあく》を|遂行《すゐかう》し、|淫慾《いんよく》に|耽《ふけ》り、|身心《しんしん》を|汚《けが》し|損《そこな》ひ、|遂《つひ》に|霊的《れいてき》|不具者《ふぐしや》となつて|大抵《たいてい》|地獄《ぢごく》に|落《お》つるものです。|仮令《たとへ》|天国《てんごく》に|上《のぼ》り|得《う》るにしても、|天国《てんごく》に|於《お》ける|極貧者《ごくひんじや》です』
『|治国別《はるくにわけ》さまが、|今《いま》|天国《てんごく》の|住民《ぢゆうみん》となられましたら|何《ど》んなものでせう、|相当《さうたう》の|富者《ふうしや》になられませうかなア』
|五三《いそ》『ハヽヽヽヽ』
と|笑《わら》つて|答《こた》へず。
『ヤア|先生《せんせい》も|怪《あや》しいぞ、|矢張《やはり》これから|天国《てんごく》の|宝《たから》をお|積《つみ》にならねばなりますまい』
|五三《いそ》『サア|是《これ》から|霊陽山《れいやうざん》の|名所《めいしよ》に|御案内《ごあんない》|致《いた》しませう』
と|早《はや》くも|歩《ほ》を|起《おこ》した。|二人《ふたり》は|後《あと》に|従《したが》ひ、|麗《うるは》しき|原野《げんや》を|縫《ぬ》うて、|樹木《じゆもく》|点綴《てんてつ》せる|天国《てんごく》|街道《かいだう》を|歓喜《くわんき》に|満《み》たされながら|進《すす》んで|往《ゆ》く。|五三公《いそこう》は|霊陽山《れいやうざん》の|麓《ふもと》に|辿《たど》りついた。
『|此処《ここ》が|第二天国《だいにてんごく》の|有名《いうめい》なる|公園地《こうゑんち》で|厶《ござ》います。|今日《けふ》は|公休日《こうきうび》で|厶《ござ》いませぬから、|余《あま》り|天人《てんにん》の|姿《すがた》も|見《み》えませぬが、これ|御覧《ごらん》なさいませ、あの|山《やま》の|景色《けしき》と|云《い》ひ、|岩石《がんせき》の|配置《はいち》、|樹木《じゆもく》の|色《いろ》、|花《はな》の|香《にほひ》、|到底《たうてい》|地上《ちじやう》の|世界《せかい》では|見《み》られない|景色《けしき》で|厶《ござ》いませう』
|治国《はるくに》『ハイ、|何《なん》だかぼんやりとして、|私《わたし》の|目《め》には|入《はい》りませぬ』
『|被面布《ひめんぷ》をお|被《かぶ》りなさい、さうすればハツキリと|分《わか》るでせう』
『ハイ』
と|答《こた》へて|治国別《はるくにわけ》は|直《ただち》に|被面布《ひめんぷ》を|被《かぶ》つた。|竜公《たつこう》も|同《おな》じく|被面布《ひめんぷ》に|面《おもて》を|包《つつ》んだ。
|治国《はるくに》『|何故《なぜ》、|吾々《われわれ》の|目《め》には|被面布《ひめんぷ》がなくては、|此《この》|麗《うるは》しき|景色《けしき》が|目《め》に|入《い》らないのでせうか』
『|失礼《しつれい》ながら、|天国《てんごく》の|智慧《ちゑ》に|疎《うと》きものは|此《この》|樹木《じゆもく》|花卉《くわき》が|目《め》に|入《い》らないのです。|総《すべ》て|神《かみ》の|智慧《ちゑ》に|居《を》るものの|前《まへ》には、|各種《かくしゆ》|各様《かくやう》の|樹木《じゆもく》|花卉《くわき》にて|満《み》ちたる|楽園《らくゑん》の|現《あら》はれるものです。|是等《これら》の|樹木《じゆもく》は|最《もつと》も|麗《うるは》しき|配列《はいれつ》をなし、|枝々交叉《ししかうさ》して|得《え》も|云《い》はれぬ|装《よそほ》ひをなし、|薫香《くんかう》を|送《おく》るものです。|総《すべ》て|天国《てんごく》は|想念《さうねん》の|国土《こくど》でありますから、|貴方《あなた》に|神的《しんてき》|智慧《ちえ》が|満《み》つれば、|直《ただ》ちに|天国《てんごく》の|花園《はなぞの》が|眼前《がんぜん》に|展開《てんかい》|致《いた》します。|園亭《ゑんてい》あり、|行門《かうもん》あり、|行径《かうけい》あり、|行《ゆ》く|道《みち》の|美麗《びれい》なる|事《こと》、|言語《げんご》の|尽《つく》す|所《ところ》ではありませぬ。|故《ゆゑ》に|神《かみ》の|智慧《ちゑ》に|居《を》るものは、|斯《かく》の|如《ごと》き|楽園《らくゑん》の|中《なか》を|漫歩《まんぽ》しながら、|思《おも》ひ|思《おも》ひに|花《はな》を|摘《つ》み|花鬘《はなかづら》を|作《つく》りなどして、|楽《たの》しく|嬉《うれ》しく|暮《くら》し|得《う》るものです』
『|成程《なるほど》、|此《この》|楽園《らくゑん》には|被面布《ひめんぷ》を|透《とほ》して|眺《なが》めますれば、|種々雑多《しゆじゆざつた》の|樹木《じゆもく》、|花卉《くわき》の|吾々《われわれ》|地上《ちじやう》に|嘗《かつ》て|見《み》ざるものが|沢山《たくさん》ございますな』
『|是等《これら》の|麗《うるは》しき|樹木《じゆもく》は|正《ただ》しき|神《かみ》の|知識《ちしき》に|居《を》るものの|愛《あい》の|徳《とく》|如何《いかん》によりて|花《はな》を|開《ひら》き|実《み》を|結《むす》ぶものです。|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|神諭《しんゆ》にも「|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》、|開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》び、スの|種《たね》を|養《やしな》ふ」とあるでせう。|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》とは、|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》とに|相応《さうおう》する|情態《じやうたい》の|謂《いひ》であります。|斯《か》くなる|時《とき》は、|天国《てんごく》の|園亭《ゑんてい》や|楽園《らくゑん》に|実《み》を|結《むす》ぶ|樹木《じゆもく》|及《およ》び|花卉《くわき》は|神《かみ》の|供《そな》へ|物《もの》として、|又《また》|天人《てんにん》|各自《かくじ》の|歓喜《くわんき》の|種《たね》として|各自《かくじ》の|徳《とく》によつて|現前《げんぜん》するものです。|高天原《たかあまはら》には|斯《かく》の|如《ごと》き|楽園《らくゑん》のある|事《こと》は|聞《き》いては|居《を》りますが、|唯《ただ》|是《これ》を|実際《じつさい》に|知《し》る|者《もの》は、|唯《ただ》|神《かみ》よりする|愛善《あいぜん》の|徳《とく》に|居《を》る|者《もの》|及《およ》び|自然界《しぜんかい》の|光《ひかり》と|其《その》|偽《いつは》りとによつて|自己《じこ》の|胸中《きようちう》にある|所《ところ》の|天界《てんかい》の|光《ひかり》を|亡《ほろ》ぼさなかつた|者《もの》に|限《かぎ》つて|居《を》ります。|故《ゆゑ》に|高天原《たかあまはら》に|対《たい》して|目《め》|未《いま》だ|見《み》えざるもの、|耳《みみ》|未《いま》だ|聞《きこ》えざるものは、|現《げん》に|其《その》|場《ば》に|近《ちか》づき|居《を》ると|雖《いへど》も、|此《この》|光景《くわうけい》を|見《み》る|事《こと》も|亦《また》|斯《かく》の|如《ごと》き|麗《うるは》しき|音楽《おんがく》の|声《こゑ》を|聞《き》く|事《こと》も|出来《でき》ませぬ』
『|種々《さまざま》の|御教諭《ごけうゆ》、いや|有難《ありがた》う|厶《ござ》いました。これで|吾々《われわれ》も|大変《たいへん》に|神様《かみさま》の|御恵《みめぐみ》を|頂《いただ》き、どうやら|被面布《ひめんぷ》を|取《と》つてもこの|花園《はなぞの》の|光景《くわうけい》が|見《み》えるやうになつて|参《まゐ》りました。|嗚呼《ああ》|神様《かみさま》、|言霊別命《ことたまわけのみこと》|様《さま》の|御化身《ごけしん》なる|五三公様《いそこうさま》の|口《くち》を|通《とほ》して、|天国《てんごく》の|福音《ふくいん》をお|示《しめ》し|下《くだ》さつた|其《その》|御恵《みめぐみ》を|有難《ありがた》く|感謝《かんしや》|致《いた》します。アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
(大正一二・一・一三 旧一一・一一・二七 加藤明子録)
第一一章 |霊陽山《れいやうざん》〔一二六五〕
|高天原《たかあまはら》に|発生《はつせい》せる|樹木《じゆもく》は、|仏説《ぶつせつ》にある|如《ごと》く|金《きん》、|銀《ぎん》、|瑪瑙《めなう》、|〓〓《しやこ》、|瑠璃《るり》、|玻璃《はり》、|水晶《すゐしやう》|等《など》の|七宝《しつばう》を|以《もつ》て|飾《かざ》られたるが|如《ごと》く|其《その》|幹《みき》、|枝《えだ》、|葉《は》、|花《はな》、|果実《くわじつ》に|至《いた》るまで、|実《じつ》に|美《うる》はしきこと|口舌《こうぜつ》の|能《よ》く|尽《つく》し|得《う》る|所《ところ》ではない。|神社《じんじや》や|殿堂《でんだう》や|其《その》|他《た》の|住宅《ぢゆうたく》に|於《おい》ても、|内部《ないぶ》に|入《い》つて|見《み》れば、|愛善《あいぜん》の|徳《とく》と|信真《しんしん》の|光明《くわうみやう》に|相応《さうおう》するによつて、これ|亦《また》|驚《おどろ》く|許《ばか》りの|壮観《さうくわん》であり|美麗《びれい》である。|大神《おほかみ》のしろしめす|天国団体《てんごくだんたい》を|組織《そしき》せる|天人《てんにん》は|大抵《たいてい》|高《たか》い|所《ところ》に|住居《ぢゆうきよ》を|占《し》めてゐる。|其《その》|場所《ばしよ》は|自然界《しぜんかい》の|地上《ちじやう》を|抜《ぬ》く|山岳《さんがく》の|頂上《ちやうじやう》に|相似《さうじ》して|居《ゐ》る。|又《また》|大神《おほかみ》の|霊国団体《れいごくだんたい》を|造《つく》れる|天人《てんにん》は、|少《すこ》し|低《ひく》い|所《ところ》に|住居《ぢゆうきよ》を|定《さだ》めて|居《ゐ》る。|恰《あだか》も|丘陵《きうりよう》の|様《やう》である。されど|高天原《たかあまはら》の|最《もつと》も|低《ひく》き|所《ところ》に|住居《ぢゆうきよ》する|天人《てんにん》は、|岩石《がんせき》に|似《に》たる|絶景《ぜつけい》の|場所《ばしよ》に|住居《ぢゆうきよ》を|構《かま》へてゐる。|而《しか》して|之等《これら》の|事物《じぶつ》は|凡《すべ》て|愛《あい》と|信《しん》との|相応《さうおう》の|理《り》によつて|存在《そんざい》するものである。
|大神《おほかみ》の|天国《てんごく》は、|凡《すべ》て|想念《さうねん》の|国土《こくど》なるを|以《もつ》て、|内辺《ないへん》の|事《こと》は|高《たか》き|所《ところ》に、|外辺《ぐわいへん》の|事《こと》はすべて|低《ひく》い|所《ところ》に|相応《さうおう》するものである。|故《ゆゑ》に|高《たか》い|所《ところ》を|以《もつ》て|天国的《てんごくてき》の|愛善《あいぜん》を|表明《へうめい》し、|低《ひく》い|所《ところ》を|以《もつ》て|霊国的《れいごくてき》の|愛善《あいぜん》を|現《あら》はし、|岩石《がんせき》を|以《もつ》て|信真《しんしん》を|現《あら》はすのである。|岩石《がんせき》なるものは|万世不易《ばんせいふえき》の|性質《せいしつ》を|有《いう》し、|信真《しんしん》に|相応《さうおう》するが|故《ゆゑ》である。|併《しか》しながら|霊国《れいごく》の|団体《だんたい》は|低《ひく》き|所《ところ》に|在《あ》りとはいへ、|矢張《やはり》|地上《ちじやう》を|抜《ぬ》く|丘陵《きうりよう》の|上《うへ》に|設《まう》けられてある。|丁度《ちやうど》|綾《あや》の|聖地《せいち》に|於《お》ける|本宮山《ほんぐうやま》の|如《ごと》きはその|好適例《かうてきれい》である。|霊国《れいごく》は|何故《なにゆゑ》|天国《てんごく》の|団体《だんたい》よりも|稍《やや》|低《ひく》き|所《ところ》に|居住《きよぢゆう》するかと|云《い》へば、|凡《すべ》て|霊国《れいごく》の|天人《てんにん》は|信《しん》の|徳《とく》を|主《しゆ》とし、|愛《あい》の|徳《とく》を|従《じう》として|居《ゐ》る。|所謂《いはゆる》|信主愛従《しんしゆあいじう》の|情態《じやうたい》なるが|故《ゆゑ》に、|此《この》|国土《こくど》の|天人《てんにん》は|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》を|研《みが》き、|宇宙《うちう》の|真理《しんり》を|悟《さと》り、|次《つい》で|神《かみ》の|愛《あい》を|能《よ》く|其《その》|身《み》に|体《たい》し、|天国《てんごく》の|宣伝使《せんでんし》として|各団体《かくだんたい》に|派遣《はけん》さるるもの|多《おほ》きを|以《もつ》て、|最高《さいかう》ならず|最低《さいてい》ならず、|殆《ほとん》ど|中間《ちうかん》の|場所《ばしよ》に|其《その》|位置《ゐち》を|占《し》むる|事《こと》になつてゐるのである。|故《ゆゑ》に|世界《せかい》の|大先祖《だいせんぞ》たる|大国常立尊《おほくにとこたちのみこと》は|海抜《かいばつ》|二百《にひやく》フイート|内外《ないぐわい》の|綾《あや》の|聖地《せいち》に|現《あら》はれ|給《たま》ふにも|拘《かか》はらず、|木花咲耶姫命《このはなさくやひめのみこと》は|海抜《かいばつ》|一万三千尺《いちまんさんぜんしやく》の|天教山《てんけうざん》に|其《その》|天国的《てんごくてき》|中枢《ちうすう》を|定《さだ》め|給《たま》ふも、|此《この》|理《り》によるのである。|併《しか》しながら|木花姫命《このはなひめのみこと》は|霊国《れいごく》の|命《めい》を|受《う》け、|天国《てんごく》は|云《い》ふに|及《およ》ばず、|中有界《ちううかい》、|現実界《げんじつかい》|及《およ》び|地獄界《ぢごくかい》まで|神《かみ》の|愛《あい》を|均霑《きんてん》せしむべき|其《その》|聖職《せいしよく》につかはせ|給《たま》ひ、|且《かつ》|神人和合《しんじんわがふ》の|御役目《おんやくめ》に|当《あた》らせ|給《たま》ふを|以《もつ》て、|仮令《たとへ》|天国《てんごく》の|団体《だんたい》にましますと|雖《いへど》も|時々《ときどき》|化相《けさう》を|以《もつ》て|精霊《せいれい》を|充《み》たし、|或《あるひ》は|直接《ちよくせつ》|化相《けさう》して|万民《ばんみん》を|教《をし》へ|導《みちび》き|給《たま》ふのである。
|又《また》|天人《てんにん》の|中《うち》には|団体的《だんたいてき》に|生活《せいくわつ》を|営《いとな》まないのがある。|即《すなは》ち|家々《いへいへ》|別々《べつべつ》に|住居《ぢゆうきよ》を|構《かま》へてゐるのは、|丁度《ちやうど》|前《まへ》に|述《の》べた|珍彦館《うづひこやかた》の|如《ごと》きは|其《その》|例《れい》である。|而《しか》して|此等《これら》の|天人《てんにん》は|其《その》|団体《だんたい》の|中心地点《ちうしんちてん》|及《および》|大《だい》なるものに|至《いた》つては|高天原《たかあまはら》の|中央《ちうあう》を|卜《ぼく》して|住居《ぢゆうきよ》を|構《かま》へてゐる。|何故《なぜ》なれば|彼等《かれら》は|天人中《てんにんちう》に|於《おい》ても、|最《もつと》も|愛《あい》と|信《しん》とによる|智慧証覚《ちゑしようかく》の|他《た》に|優《すぐ》れて、|光明《くわうみやう》|赫灼《かくしやく》として|輝《かがや》き|渡《わた》り、|惟神的《かむながらてき》に|中心《ちうしん》|人物《じんぶつ》たるが|故《ゆゑ》に、|大神《おほかみ》の|摂理《せつり》によりて、|其《その》|徳《とく》の|厚《あつ》きと|相応《さうおう》の|度《ど》の|高《たか》きによるが|故《ゆゑ》である。|而《しか》して|高天原《たかあまはら》は|想念《さうねん》の|世界《せかい》なるが|故《ゆゑ》に、|其《その》|延長《えんちやう》は|善《ぜん》の|情態《じやうたい》を|表《あら》はし、|其《その》|広《ひろ》さは|真《しん》の|情態《じやうたい》を|表《あら》はし、|其《その》|高《たか》さは|善《ぜん》と|真《しん》との|両方面《りやうはうめん》を|度合《どあひ》の|上《うへ》より|見《み》て|区別《くべつ》することを|表《あら》はすものである。|又《また》|霊界《れいかい》に|於《おい》ては|先《さき》に|述《の》べた|通《とほ》り、|時間《じかん》|空間《くうかん》などの|観念《くわんねん》は|少《すこ》しもない、|只《ただ》|情動《じやうだう》の|変化《へんくわ》あるのみである。|而《しか》して|其《その》|想念《さうねん》は、|時間《じかん》|空間《くうかん》を|超越《てうゑつ》し、|無限《むげん》に|其《その》|相応《さうおう》の|度《ど》によつて|延長《えんちやう》し|拡大《くわくだい》し|且《かつ》|高《たか》まるものである。
|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》|二人《ふたり》が|浮木《うきき》の|陣営《ぢんえい》に|於《おい》て|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》|等《ら》の|奸計《かんけい》に|陥《おちい》り、|暗黒《あんこく》なる|深《ふか》き|陥穽《かんせい》に|墜落《つゐらく》し、|茲《ここ》に|人事不省《じんじふせい》となり、|其《その》|間《かん》|中有界《ちううかい》|及《および》|最下層《さいかそう》の|天国《てんごく》より|最高《さいかう》の|天国《てんごく》、|霊国《れいごく》を|巡覧《じゆんらん》したる|期間《きかん》は|余程《よほど》|長《なが》い|旅行《りよかう》の|様《やう》であるが、|現界《げんかい》の|時間《じかん》にすれば、|殆《ほとん》ど|二時間《にじかん》|以内《いない》の|間《あひだ》|失神《しつしん》|状態《じやうたい》に|居《を》つたのである。されど|想念《さうねん》の|延長《えんちやう》によりて、|現界人《げんかいじん》の|一ケ月《いつかげつ》|以上《いじやう》もかかつて|巡歴《じゆんれき》した|様《やう》な|長時間《ちやうじかん》の|巡覧《じゆんらん》をなしたのである。|而《しか》して|情動《じやうだう》の|変化《へんくわ》が|多《おほ》ければ|多《おほ》い|程《ほど》、|天国《てんごく》に|於《おい》ては|延長《えんちやう》さるるものである。
|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|化相神《けさうしん》なる|五三公《いそこう》に|導《みちび》かれ、|天国《てんごく》の|消息《せうそく》を|詳細《しやうさい》に|教《をし》へられながら、|霊陽山《れいやうざん》の|殆《ほとん》ど|中央《ちうあう》まで|登《のぼ》りつめた。|此《この》|時《とき》|五三公《いそこう》は|目《め》も|呟《まばゆ》き|許《ばか》りの|小《ちひ》さき|光団《くわうだん》となつて、|驀地《まつしぐら》に|東《ひがし》を|指《さ》して、|空中《くうちう》に|線光《せんくわう》を|描《ゑが》きながら、|何処《どこ》ともなく|姿《すがた》を|隠《かく》して|了《しま》つた。|二人《ふたり》は|霊陽山《れいやうざん》の|頂上《ちやうじやう》に|立《た》つて、|四方《よも》の|景色《けしき》を|瞰下《かんか》しながら、|天国《てんごく》の|荘厳《さうごん》をうつつになつて|褒《ほ》め|称《たた》へてゐた。さうして|五三公《いそこう》の|此《この》|場《ば》に|姿《すがた》を|隠《かく》したことは|少《すこ》しも|気《き》がつかず、
『モシ|先生《せんせい》、|此処《ここ》は|霊陽山《れいやうざん》とか|聞《き》きましたが、|実《じつ》にいい|所《ところ》ですなア、|最早《もはや》|此処《ここ》は|最高天国《さいかうてんごく》ではありますまいか。|四辺《あたり》の|樹木《じゆもく》と|云《い》ひ、|山容《さんよう》と|云《い》ひ、|如何《いか》なる|画伯《ぐわはく》の|手《て》にも|到底《たうてい》|描《ゑが》くことは|出来《でき》ますまい。どうかして|早《はや》く|現界《げんかい》の|御用《ごよう》を|了《を》へ、|斯様《かやう》な|所《ところ》に|楽《たの》しき|生涯《しやうがい》を|送《おく》りたいものですなア』
『いかにも|結構《けつこう》な|所《ところ》だ。|現界人《げんかいじん》が|美術《びじゆつ》だとか、|耽美《たんび》|生活《せいくわつ》だとか、|文化生活《ぶんくわせいくわつ》だとか、いろいろと|騒《さわ》いでゐるが、|此《この》|光景《くわうけい》に|比《くら》ぶれば、|其《その》|質《しつ》に|於《おい》て、|其《その》|量《りやう》に|於《おい》て、|其《その》|美《び》に|於《おい》て、|到底《たうてい》|比較《ひかく》にならないやうだ。そして|何《なん》とも|言《い》へぬ|吾《わが》|心霊《しんれい》の|爽快《さうくわい》さ、ホンに|斯様《かやう》な|結構《けつこう》な|所《ところ》があるとは、|夢想《むさう》だにもしえなかつた|所《ところ》だ。|此《この》|治国別《はるくにわけ》は|第一天国《だいいちてんごく》ともいふべき|斎苑《いそ》の|館《やかた》に|永《なが》らく|仕《つか》へながら、|未《ま》だ|愛信《あいしん》の|全《まつた》からざりし|為《ため》、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》のまします|地上《ちじやう》の|天国《てんごく》が、さまで|立派《りつぱ》だとは|思《おも》はなかつた。|矢張《やはり》|如何《いか》なる|荘厳麗美《さうごんれいび》と|雖《いへど》も、|心《こころ》の|眼《まなこ》|開《ひら》けざる|時《とき》は|到底《たうてい》|駄目《だめ》だ。|恰《あだか》も|豚《ぶた》に|真珠《しんじゆ》を|与《あた》へられたやうなものだ。これを|思《おも》へば|吾々《われわれ》はあく|迄《まで》も|神《かみ》に|賦与《ふよ》されたる|吾《わが》|精霊《せいれい》を|研《みが》き|浄《きよ》め、|大神《おほかみ》の|神格《しんかく》に|和合《わがふ》|帰一《きいつ》せなくてはならない。アヽ|実《じつ》に|五三公《いそこう》|様《さま》の|口《くち》を|通《とほ》して、かやうな|至喜《しき》と|至楽《しらく》の|境遇《きやうぐう》に|吾々《われわれ》を|導《みちび》き、|無限《むげん》の|歓喜《くわんき》に|浴《よく》せしめ|給《たま》ひしことを、|有難《ありがた》く|大神様《おほかみさま》の|御前《おんまへ》に|感謝《かんしや》|致《いた》します。アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|云《い》ひながら|拍手《かしはで》をうち、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|了《をは》つて、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|歌《うた》ひ、あたりを|見《み》れば、|豈計《あにはか》らむや、|五三公《いそこう》の|姿《すがた》は|眼界《がんかい》の|届《とど》く|所《ところ》には|其《その》|片影《へんえい》だにも|認《みと》め|得《え》なかつた。|治国別《はるくにわけ》は|驚《おどろ》いて、
『ヤア|竜公《たつこう》さま、|五三公《いそこう》さまは|何処《どこ》へ|行《ゆ》かれたのだらう、|今迄《いままで》|月《つき》の|如《ごと》く|輝《かがや》いてゐられたあの|霊姿《れいし》を|拝《をが》めなくなつたぢやないか』
『|成程《なるほど》、コリヤ|大変《たいへん》だ、|何《ど》う|致《いた》しませう』
『どうしようと|云《い》つても、|仕方《しかた》がない、|之《これ》も|神様《かみさま》の|御試《おため》しだらうよ。|四辺《あたり》の|光景《くわうけい》に|憧憬《どうけい》の|余《あま》り、|五三公《いそこう》|様《さま》の|御親切《ごしんせつ》な|案内振《あんないぶり》を|念頭《ねんとう》より|取除《とりのぞ》いてゐた。|凡《すべ》て|天国《てんごく》は|相応《さうおう》と|和合《わがふ》の|国土《こくど》だ。|愛《あい》と|信《しん》とによつて|和合《わがふ》し、|結合《けつがふ》するものである。|即《すなは》ち|想念《さうねん》によつて|尊《たふと》き|神人《しんじん》と|共《とも》にゐることを|得《え》たのだ。|吾々《われわれ》が|情動《じやうどう》の|変転《へんてん》によつて、|吾《わが》|心《こころ》の|中《うち》より|五三公《いそこう》|様《さま》を|逃《に》がして|了《しま》つたのだ。アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|又《また》もや|合掌《がつしやう》する。
『|成程《なるほど》、さうで|厶《ござ》いましたなア、|私《わたし》も|余《あま》り|嬉《うれ》しいので、|五三公《いそこう》|様《さま》の|御導《おみちび》きによつて|未《ま》だ|中有界《ちううかい》に|彷徨《さまよ》ふべき|身《み》が、かかる|尊《たふと》き|天国《てんごく》まで|導《みちび》かれながら、うつかりと|自分《じぶん》が|勝手《かつて》に|上《のぼ》つて|来《き》たやうな|気分《きぶん》になつて、|無性《むしやう》|矢鱈《やたら》に|天国《てんごく》を|吾《わが》|物《もの》のやうに|思《おも》ひましたのが|誤《あやま》りで|厶《ござ》います。|先生《せんせい》、|何《なん》と|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|神諭《しんゆ》にあります|通《とほ》り、|高天原《たかあまはら》は|結構《けつこう》な|所《ところ》の|恐《おそ》ろしい|所《ところ》で|厶《ござ》いますな。|油断《ゆだん》をすれば|忽《たちま》ち|天国《てんごく》が|変《へん》じて|地獄《ぢごく》となり、|明《めい》は|変《へん》じて|暗《あん》となり、|神《かみ》は|化《くわ》して|鬼《おに》となるとお|示《しめ》しの|通《とほ》り、|実《じつ》に|戒慎《かいしん》すべきは|心《こころ》の|持方《もちかた》で|厶《ござ》いますなア』
『ハイ|左様《さやう》、|吾々《われわれ》は|最早《もはや》|斯《か》うなる|以上《いじやう》は、|再《ふたた》び|中有界《ちううかい》へ|帰《かへ》り、|現界《げんかい》へ|復帰《ふくき》すべき|道《みち》も|分《わか》らない、|又《また》どこをどう|歩《ある》いたらいいか、|方角《はうがく》さへも|判然《はんぜん》せない、|天国《てんごく》の|迷児《まよひご》になつたやうなものだ。アヽ|心《こころ》の|油断《ゆだん》ほど|恐《おそ》ろしいものはない。|只《ただ》|大神様《おほかみさま》にお|詫《わび》をなし、|救《すく》ひをお|願《ねが》ひするより|道《みち》はなからう』
と|話《はな》す|折《をり》しも、|足下《あしもと》の|土《つち》をムクムクムクと|土鼠《もぐら》のやうに|膨《ふく》らせながら、ポカンと|頭《あたま》をつき|出《だ》したのは、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》であつた。|二人《ふたり》は|驚《おどろ》いて、|無言《むごん》の|儘《まま》よくよく|見《み》れば、|擬《まが》ふ|方《かた》なき|将軍《しやうぐん》は|泥酔《どろよひ》になつて、|全身《ぜんしん》を|山上《さんじやう》に|現《あら》はし、
『ワハツハヽヽ』
と|山《やま》も|崩《くづ》るるばかり|高笑《たかわら》ひした。
|治国《はるくに》『ヤア|其方《そなた》は|河鹿峠《かじかたうげ》にてお|目《め》にかかつた|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》では|厶《ござ》らぬか』
『ワハツハヽヽヽ、|其《その》|方《はう》は|盲宣伝使《めくらせんでんし》の|治国別《はるくにわけ》であらう。そしてマ|一匹《いつぴき》の|小童武者《こわつぱむしや》は|某《それがし》が|奴《やつこ》、|暫《しばら》く|秘書《ひしよ》を|命《めい》じておいた|竜公《たつこう》であらう。|悪虐無道《あくぎやくぶだう》の|素盞嗚尊《すさのをのみこと》に|諛《こ》びへつらひ、|大自在天《だいじざいてん》|大国彦命《おほくにひこのみこと》の|宣伝使《せんでんし》|兼《けん》|征討将軍《せいたうしやうぐん》の|片彦《かたひこ》に|向《むか》つて|刃向《はむか》ひを|致《いた》した|極重悪人《ごくぢうあくにん》|奴《め》、|能《よ》くもマア|悪魔《あくま》にたばかられ、|斯様《かやう》な|処《ところ》へ|彷徨《さまよ》つて|来《き》よつたなア。|天下一品《てんかいつぴん》の|大馬鹿者《おほばかもの》|奴《め》、|某《それがし》が|計略《けいりやく》によつて、|八岐大蛇《やまたをろち》や|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪狐《あくこ》を|使《つか》ひ、|汝《なんぢ》を、|天国《てんごく》とみせかけ、|此処《ここ》まで|連《つ》れて|来《き》たのは|此《この》|方《はう》の|計略《けいりやく》だ、どうだ、|大自在天《だいじざいてん》の|神力《しんりき》には|恐《おそ》れ|入《い》つたか、アハツハヽヽヽハア、|何《なん》とマア|不思議《ふしぎ》さうな|顔《かほ》を|致《いた》してをるワイ、イヒヽヽヽ、オイ|竜公《たつこう》、|其《その》|方《はう》も|其《その》|方《はう》だ。|主人《しゆじん》に|反《そむ》いた|大逆無道《たいぎやくぶだう》の|痴者《しれもの》、どうだ、|此《この》|霊陽山《れいやうざん》と|見《み》せかけたのはバラモン|教《けう》の|霊場《れいぢやう》、|大雲山《だいうんざん》の|頂辺《てつぺん》で|厶《ござ》るぞ。あれ、あの|声《こゑ》を|聞《き》け、|雲霞《うんか》の|如《ごと》き|大軍《たいぐん》を|以《もつ》て、|当山《たうざん》を|十重二十重《とへはたへ》に|取巻《とりま》きあれば、いかに|抜山蓋世《ばつざんがいせい》の|智勇《ちゆう》あるとも、|到底《たうてい》|逃《にげ》るることは|出来《でき》まい、|治国別《はるくにわけ》、|返答《へんたふ》はどうだ』
|治国別《はるくにわけ》は、
『ハテ|心得《こころえ》ぬ』
と|云《い》つたきり、|双手《もろて》を|組《く》んで|暫《しば》し|想念《さうねん》をたぐつてゐる。|竜公《たつこう》も|亦《また》|無言《むごん》の|儘《まま》、|俯《うつむ》いてゐる。
『アツハヽヽヽ、エツヘヽヽヽ、|如何《いか》に|治国別《はるくにわけ》、モウ|斯《か》うなる|以上《いじやう》は|何程《なにほど》|考《かんが》へても|後《あと》へは|引《ひ》かぬ。サアどうだ。キツパリと|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|悪神《あくがみ》を|棄《す》てて、|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》に|帰順《きじゆん》|致《いた》すか』
『サアそれは……』
『|早《はや》く|返答《へんたふ》|致《いた》せ。|返答《へんたふ》なきは|不承知《ふしようち》と|申《まを》すのか。アイヤ|家来《けらい》の|者《もの》|共《ども》、|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》の|両人《りやうにん》をふん|縛《じば》り、|嬲《なぶ》り|殺《ごろ》しに|致《いた》せ』
|竜公《たつこう》『|将軍様《しやうぐんさま》、|暫《しばら》くお|待《ま》ち|下《くだ》さいませ』
『アハヽヽヽ、|往生《わうじやう》|致《いた》したか。ヨシ、|然《しか》らば|此処《ここ》に|此《この》|通《とほ》り|黄金《わうごん》を|以《もつ》て|作《つく》りたる|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|像《ざう》がある。|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》|共《とも》に|命《いのち》が|助《たす》かりたくば、|此《この》|像《ざう》に|向《むか》つて|小便《せうべん》をひつかけ、|其《その》|上《うへ》|此《この》|岩石《がんせき》を|以《もつ》て|木端御塵《こつぱみじん》に|打砕《うちくだ》き、|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》に|帰順《きじゆん》の|誠《まこと》を|表《あら》はせ。|否《いな》むに|於《おい》ては、|其《その》|方《はう》が|身体《からだ》は|木端微塵《こつぱみぢん》、|地獄《ぢごく》に|突《つ》き|墜《おと》し、|無限《むげん》の|責苦《せめく》を|加《くは》へるが、どうだ』
|治国別《はるくにわけ》は|初《はじ》めて|顔《かほ》をあげ、|大口《おほぐち》あけて|高笑《たかわら》ひ、
『アハヽヽヽ、|拙者《せつしや》は|厳《いづ》の|御霊《みたま》、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》を|信仰《しんかう》|致《いた》す|誠《まこと》の|宣伝使《せんでんし》だ、|仮令《たとへ》|汝《なんぢ》|如《ごと》き|悪神《あくがみ》に|脅迫《けうはく》され、|或《あるひ》は|責《せ》め|殺《ころ》さるることありとも、|吾《わが》|心霊《しんれい》は|万劫末代《まんごふまつだい》、|大神《おほかみ》に|信従《しんじゆう》するのみだ。|治国別《はるくにわけ》はこれ|以外《いぐわい》に|汝《なんぢ》に|答《こた》ふることはない、どうなりと|勝手《かつて》に|致《いた》したがよからう』
『|勝手《かつて》に|致《いた》せと|申《まを》さいでも、|此《この》|方《はう》が|制敗《せいばい》を|致《いた》してくれる。|併《しか》しながら|竜公《たつこう》、|其《その》|方《はう》は|憎《にく》くき|奴《やつ》なれど、|一旦《いつたん》|某《それがし》が|部下《ぶか》となつたよしみによつて|制敗《せいばい》は|許《ゆる》して|遣《つか》はす。|其《その》|代《かは》りに|治国別《はるくにわけ》をこの|金剛杖《こんがうづゑ》を|以《もつ》て|打《う》ちのめせ、さうすれば|汝《なんぢ》の|誠《まこと》が|分《わか》るであらう。|何《ど》うぢや、|治国別《はるくにわけ》を|打《う》ちのめす|勇気《ゆうき》はないか。|矢張《やはり》|其《その》|方《はう》は|二心《ふたごころ》を|持《も》つてゐるのか。|返答《へんたふ》|致《いた》せツ』
と|呶鳴《どな》りつけた。|其《その》|声《こゑ》に|不思議《ふしぎ》にも、あたりの|山岳《さんがく》はガタガタガタと|震動《しんどう》し|始《はじ》めた。|竜公《たつこう》は|少時《しばし》|双手《もろて》を|組《く》み|思案《しあん》にくれてゐたが、|忽《たちま》ち|威丈高《ゐたけだか》になり、
『コリヤ、|悪神《あくがみ》の|張本《ちやうほん》|片彦《かたひこ》|奴《め》、|汝《なんぢ》は|拙者《せつしや》の|一時《いちじ》|主人《しゆじん》に|間違《まちが》ひはない。|其《その》|主人《しゆじん》に|離《はな》れたるのは|汝《なんぢ》が|行動《かうどう》|天《てん》に|背《そむ》き、|善《ぜん》に|離《はな》れたるが|故《ゆゑ》だ。|仮令《たとへ》|拙者《せつしや》が|汝《なんぢ》の|為《ため》に|一寸《いつすん》|刻《きざ》みか|五分《ごぶ》だめしに|遇《あ》はされようとも、|恩情《おんじやう》|深《ふか》き|治国別《はるくにわけ》|様《さま》の|御身《おんみ》に、|何《ど》うして|一指《いつし》をそむることが|出来《でき》ようか。ここを|何《なん》と|心得《こころえ》て|居《ゐ》る、|第二天国《だいにてんごく》の|神聖《しんせい》な|場所《ばしよ》だ、|大雲山《たいうんざん》などとは|思《おも》ひもよらぬ、|詐《いつは》りを|申《まを》すな。|天国《てんごく》には|虚偽《きよぎ》と|迫害《はくがい》と|悪《あく》はない|筈《はず》、|其《その》|方《はう》は|要《えう》するに|天国《てんごく》の|魔《ま》であらう』
と|云《い》ひながら………「|厳《いづ》の|御霊《みたま》、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》、|守《まも》り|給《たま》へ|幸《さき》はへ|給《たま》へ」と|拍手《はくしゆ》し、|音吐朗々《おんとらうらう》と|怖《お》めず|臆《おく》せず|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し|始《はじ》めた。|治国別《はるくにわけ》も|竜公《たつこう》と|共《とも》に|神言《かみごと》をいと|落着《おちつ》いた|調子《てうし》で|奏上《そうじやう》し|始《はじ》めた。|片彦《かたひこ》は|何時《いつ》の|間《ま》にやら|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|集《あつ》め、|金棒《かなぼう》をふり|上《あ》げ、|只《ただ》|一打《ひとうち》に|両人《りやうにん》を|粉砕《ふんさい》せんず|勢《いきほひ》を|示《しめ》してゐる。|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》|両人《りやうにん》は|胆力《たんりよく》を|据《す》ゑ、|声調《せいてう》ゆるやかに|騒《さわ》がず|焦《あせ》らず、|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し|終《をは》り、「|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》」と|唱《とな》ふるや|否《いな》や、|今迄《いままで》ここに|立《た》つてゐた|片彦《かたひこ》|他《ほか》|一同《いちどう》の|姿《すがた》は|煙《けむり》の|如《ごと》く|消《き》え|失《う》せ、|四辺《あたり》に|芳香《はうかう》|薫《くん》じ、|嚠喨《りうりやう》たる|音楽《おんがく》さへ|頻《しき》りに|聞《きこ》え|来《く》るのであつた。
『アハヽヽヽ、|猪口才千万《ちよこざいせんばん》な、バラモン|教《けう》を|守護《しゆご》|致《いた》す|八岐大蛇《やまたのをろち》|奴《め》、|畏《おそれおほ》くもかかる|天国《てんごく》|迄《まで》|化《ば》けて|来《き》やがつて、|尊《たふと》き|神言《かみごと》に|面喰《めんくら》ひ、|屁《へ》のやうに|消《き》え|散《ち》るとは、さてもさても|神様《かみさま》の|御神力《ごしんりき》は|尊《たふと》いものだ。アヽ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
『|竜公《たつこう》さま、ここは|第二天国《だいにてんごく》、しかも|霊陽山《れいやうざん》の|頂《いただき》だ。|八岐大蛇《やまたをろち》の|来《きた》るべき|道理《だうり》がない、|大方《おほかた》これは|神様《かみさま》の|御試《おため》しだつたらう。|私《わたし》も|一度《ひとたび》は|悪魔《あくま》の|襲来《しふらい》かと|考《かんが》へてみたが、よくよく|思《おも》ひ|直《なほ》せば、かかる|天国《てんごく》に|悪魔《あくま》の|来《きた》るべき|理由《りいう》がない。|若《も》しも|彼《かれ》|果《はた》して|悪魔《あくま》なりとせば、|吾等《われら》は|天国《てんごく》と|思《おも》ひ、|慢心《まんしん》して|地獄《ぢごく》に|墜《お》ちてゐたのであらう……と|考《かんが》へてみたが、|忽《たちま》ち|心中《しんちう》の|天海《てんかい》|開《ひら》けて|神様《かみさま》の|御神格《ごしんかく》の|内流《ないりう》に|浴《よく》し、|矢張《やはり》|第二天国《だいにてんごく》なることを|悟《さと》り、|且《かつ》|片彦《かたひこ》と|見《み》えしは|尊《たふと》きエンゼルの、|吾等《われら》が|心《こころ》を|試《ため》させ|給《たま》ふ|御所為《ごしよゐ》と|信《しん》ずるより|外《ほか》に|途《みち》はない、|必《かなら》ず|必《かなら》ず|悪魔《あくま》などと、|夢《ゆめ》にも|思《おも》つてはなりませぬぞや』
『|仰《おほ》せ|御尤《ごもつと》もで|厶《ござ》います。サア|先生《せんせい》、どうでせう、これから|霊陽山《れいやうざん》を|下《くだ》つて、|又《また》|天国《てんごく》の|団体《だんたい》を|修業《しうげふ》さして|頂《いただ》きませうか』
かくいふ|所《ところ》へ、|忽然《こつぜん》として|現《あら》はれ|給《たま》うたのは、|三十恰好《さんじふかつかう》の|美《うる》はしき|容貌《ようばう》をもてる|一柱《ひとはしら》の|神人《しんじん》であつた。|神人《しんじん》は|治国別《はるくにわけ》の|側近《そばちか》く|寄《よ》り、|其《その》|手《て》を|固《かた》く|握《にぎ》り、
『|治国別《はるくにわけ》さま、|第二天国《だいにてんごく》の|団体《だんたい》は|無数無辺《むすうむへん》にありますが、|貴方《あなた》は|第二天国《だいにてんごく》の|試験《しけん》に|合格《がふかく》|致《いた》しました。|又《また》|竜公《たつこう》さまも|其《その》|通《とほ》り、|余程《よほど》|証覚《しようかく》を|得《え》られたやうです。|之《これ》から|拙者《せつしや》が|最奥《さいあう》|第一《だいいち》の|天国《てんごく》|及《およ》び|霊国《れいごく》を|御案内《ごあんない》|致《いた》しませう。|併《しか》しながら|此《この》|第二天国《だいにてんごく》に|比《くら》ぶれば、|最高天国《さいかうてんごく》の|光明《くわうみやう》は|殆《ほとん》ど|万倍《まんばい》に|匹敵《ひつてき》するものです。|而《しか》して|其《その》|天国《てんごく》に|住《す》む|諸天人《しよてんにん》は、|善《ぜん》と|真《しん》とより|来《きた》る|智慧《ちゑ》|証覚《しようかく》に|充《み》ち、|容易《ようい》に|面《おもて》を|向《む》くることが|出来《でき》ませぬ。|其《その》|団体《だんたい》の|天人《てんにん》に|会《あ》ふ|時《とき》は|忽《たちま》ち|眼《まなこ》くらみ、|言句《げんく》|渋《しぶ》り、|頭《かしら》は|痛《いた》み、|胸《むね》は|塞《ふさ》がり、|四肢五体《ししごたい》|萎縮《ゐしゆく》して|非常《ひじやう》な|苦痛《くつう》で|厶《ござ》いますが、|貴方《あなた》|等《がた》|両人《りやうにん》は|天国《てんごく》の|試験《しけん》に|合格《がふかく》されましたから、|其《その》|被面布《ひめんぷ》を|以《もつ》て|最奥天国《さいあうてんごく》の|巡覧的《じゆんらんてき》|修業《しゆげふ》をなさいませ。|拙者《せつしや》が|案内《あんない》を|致《いた》しませう』
と|先《さき》に|立《た》ち、|雲《くも》を|踏《ふ》み|分《わ》けてのぼり|行《ゆ》く。|二人《ふたり》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|神言《かみごと》や|天津祝詞《あまつのりと》を|交《かは》る|交《がは》る|奏上《そうじやう》しながら、フワリフワリと|雲《くも》の|橋《はし》を|渡《わた》つてのぼり|行《ゆ》く。|此《この》|神人《しんじん》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》であつた。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一二・一・一三 旧一一・一一・二七 松村真澄録)
第一二章 |西王母《せいわうぼ》〔一二六六〕
|高天原《たかあまはら》の|総統神《そうとうしん》|即《すなは》ち|大主宰神《だいしゆさいしん》は|大国常立尊《おほくにとこたちのみこと》である。|又《また》の|御名《みな》は|天之御中主大神《あめのみなかぬしのおほかみ》と|称《とな》へ|奉《たてまつ》り、|其《その》|霊徳《れいとく》の|完全《くわんぜん》に|発揮《はつき》し|給《たま》ふ|御状態《ごじやうたい》を|称《しよう》して|天照皇大神《あまてらすすめおほかみ》と|称《とな》へ|奉《たてまつ》るのである。そして|此《この》|大神様《おほかみさま》は|厳霊《いづのみたま》と|申《まを》し|奉《たてまつ》る。|厳《いづ》と|云《い》ふ|意義《いぎ》は|至厳《しげん》|至貴《しき》|至尊《しそん》にして|過去《くわこ》、|現在《げんざい》、|未来《みらい》に|一貫《いつくわん》し、|無限絶対《むげんぜつたい》|無始無終《むしむしう》に|坐《まし》ます|神《かみ》の|意義《いぎ》である。さうして|愛《あい》と|信《しん》との|源泉《げんせん》と|現《あ》れます|至聖《しせい》|至高《しかう》の|御神格《ごしんかく》である。さうして|或《ある》|時《とき》には|瑞霊《みづのみたま》と|現《あら》はれ|現界《げんかい》、|幽界《いうかい》、|神界《しんかい》の|三方面《さんはうめん》に|出没《しゆつぼつ》して|一切《いつさい》|万有《ばんいう》に|永遠《ゑいゑん》の|生命《せいめい》を|与《あた》へ|歓喜《くわんき》|悦楽《えつらく》を|下《くだ》し|給《たま》ふ|神様《かみさま》である。|瑞《みづ》と|云《い》ふ|意義《いぎ》は|水々《みづみづ》しと|云《い》ふ|事《こと》であつて|至善《しぜん》|至美《しび》|至愛《しあい》|至真《ししん》に|坐《まし》まし|且《かつ》|円満《ゑんまん》|具足《ぐそく》の|大光明《だいくわうみやう》と|云《い》ふ|事《こと》になる。|又《また》|霊力体《れいりよくたい》の|三大元《さんだいげん》に|関聯《くわんれん》して|守護《しゆご》し|給《たま》ふ|故《ゆゑ》に|三《みつ》の|御魂《みたま》と|称《とな》へ|奉《たてまつ》り、|或《あるひ》は|現界《げんかい》、|幽界《いうかい》(|地獄界《ぢごくかい》)、|神界《しんかい》の|三界《さんかい》を|守《まも》り|給《たま》ふが|故《ゆゑ》に|三《みつ》の|御魂《みたま》とも|称《とな》へ|奉《たてまつ》るのである。|要《えう》するに|神《かみ》は|宇宙《うちう》に|只《ただ》|一柱《ひとはしら》|坐《まし》ますのみなれども、|其《その》|御神格《ごしんかく》の|情動《じやうどう》によつて|万神《ばんしん》と|化現《けげん》し|給《たま》ふものである。さうして|厳霊《いづのみたま》は|経《たて》の|御霊《みたま》と|申《まを》し|上《あ》げ|神格《しんかく》の|本体《ほんたい》とならせ|給《たま》ひ、|瑞霊《みづのみたま》は|実地《じつち》の|活動力《くわつどうりよく》に|在《おは》しまして|御神格《ごしんかく》の|目的《もくてき》|即《すなは》ち|用《よう》を|為《な》し|給《たま》ふべく|現《あら》はれ|給《たま》うたのである。|故《ゆゑ》に|言霊学上《ことたまがくじやう》|之《これ》を|豊国主尊《とよくにぬしのみこと》と|申《まを》し|奉《たてまつ》り|又《また》|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》とも|称《とな》へ|奉《まつ》るのである。さうして|厳霊《いづのみたま》は|高天原《たかあまはら》の|太陽《たいやう》と|現《あら》はれ|給《たま》ひ、|瑞霊《みづのみたま》は|高天原《たかあまはら》の|月《つき》と|現《あら》はれ|給《たま》ふ。|故《ゆゑ》にミロクの|大神《おほかみ》を|月《つき》の|大神《おほかみ》と|申上《まをしあ》ぐるのである。ミロクと|云《い》ふ|意味《いみ》は|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|意《い》である。さうして|其《その》|仁愛《じんあい》と|信真《しんしん》によつて、|宇宙《うちう》の|改造《かいざう》に|直接《ちよくせつ》|当《あた》らせ|給《たま》ふ|故《ゆゑ》に、|弥勒《みろく》と|漢字《かんじ》に|書《か》いて|弥々《いよいよ》|革《あらた》むる|力《ちから》とあるのを|見《み》ても、|此《この》|神《かみ》の|御神業《ごしんげふ》の|如何《いか》なるかを|知《し》る|事《こと》を|得《え》らるるのである。|善悪不二《ぜんあくふじ》、|正邪一如《せいじやいちによ》と|云《い》ふ|如《ごと》きも、|自然界《しぜんかい》の|法則《はふそく》を|基礎《きそ》としては|到底《たうてい》|其《その》|真相《しんさう》は|分《わか》るものでない。|善悪不二《ぜんあくふじ》、|正邪一如《せいじやいちによ》の|言葉《ことば》は|自然界《しぜんかい》の|人間《にんげん》が|云《い》ふべき|資格《しかく》はない、|只《ただ》|神《かみ》の|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|御目《みめ》より|見給《みたま》ひて|仰《おほ》せられる|言葉《ことば》であつて、|神《かみ》は|善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|区別《くべつ》に|依《よ》つて|其《その》|大愛《たいあい》に|厚《あつ》き|薄《うす》きの|区別《くべつ》なき|意味《いみ》を|善悪不二《ぜんあくふじ》、|正邪一如《せいじやいちによ》と|仰《おほ》せらるるのである。|併《しか》しながら|自然界《しぜんかい》の|事物《じぶつ》に|就《つい》ても|亦《また》|善悪混淆《ぜんあくこんこう》し|美醜《びしう》|互《たがひ》に|交《まじ》はつて|一切《いつさい》の|万物《ばんぶつ》が|成育《せいいく》し、|一切《いつさい》の|順序《じゆんじよ》が|成立《なりた》つのである。|故《ゆゑ》に|人《ひと》は|霊主体従《れいしゆたいじう》と|云《い》つて|自然界《しぜんかい》に|身《み》を|置《お》くとも、|凡《すべ》て|何事《なにごと》も|神《かみ》を|先《さき》にし、|愛《あい》の|善《ぜん》と|信《しん》の|智《ち》を|主《しゆ》として|世《よ》に|立《た》たねばならないのである。|然《しか》るに|霊的《れいてき》|事物《じぶつ》の|何《なん》たるを|見《み》る|事《こと》の|出来《でき》ない|様《やう》になつた|現代人《げんだいじん》は、|如何《どう》しても|不可見《ふかけん》の|霊界《れいかい》を|徹底的《てつていてき》に|信《しん》じ|得《え》ず、|稍《やや》|霊的《れいてき》|観念《くわんねん》を|有《いう》するものと|雖《いへど》も、|要《えう》するに|暗中模索《あんちうもさく》の|域《ゐき》を|脱《だつ》する|事《こと》が|出来《でき》ない。それ|故《ゆゑ》に|人《ひと》は|何《ど》うしても|体《たい》を|重《おも》んじ、|霊《れい》を|軽《かる》んじ|物質的《ぶつしつてき》|慾念《よくねん》に|駆《か》られ|易《やす》く|地獄《ぢごく》に|落《お》ち|易《やす》きものである。かかる|現界《げんかい》の|不備《ふび》|欠点《けつてん》を|補《おぎな》はむが|為《ため》に|大神《おほかみ》は|自《みづか》ら|地《ち》に|降《くだ》り|其《その》|神格《しんかく》に|依《よ》つて|精霊《せいれい》を|充《みた》し、|予言者《よげんしや》に|向《むか》つて|地上《ちじやう》の|蒼生《さうせい》に|天界《てんかい》の|福音《ふくいん》を|宣伝《せんでん》し|給《たま》ふに|至《いた》つたのである。|凡《すべ》て|人間《にんげん》が|現実界《げんじつかい》に|生《うま》れて|来《き》たのは、|云《い》はば|天人《てんにん》の|胞衣《えな》の|如《ごと》きものである。さうして|又《また》|天人《てんにん》の|養成器《やうせいき》となり|苗代《なはしろ》となり|又《また》|霊子《れいし》の|温鳥《ぬくめどり》となり、|天人《てんにん》の|苗《なへ》を|育《そだ》つる|農夫《のうふ》ともなり|得《う》ると|共《とも》に、|人間《にんげん》は|天人《てんにん》|其《その》ものであり|又《また》|在天国《ざいてんごく》の|天人《てんにん》は|人間《にんげん》が|善徳《ぜんとく》の|発達《はつたつ》したものである。さうして|天人《てんにん》は|愛善《あいぜん》と|信真《しんしん》に|依《よ》つて|永遠《ゑいゑん》の|生命《せいめい》を|保持《ほぢ》し|得《う》るものである。|故《ゆゑ》に|人間《にんげん》は|現界《げんかい》の|生《せい》を|終《を》へ|天国《てんごく》に|復活《ふくくわつ》し、|現界人《げんかいじん》と|相似《さうじ》せる|生涯《しやうがい》を|永遠《ゑいゑん》に|送《おく》り、|天国《てんごく》の|円満《ゑんまん》をして|益々《ますます》|円満《ゑんまん》ならしむべく|活動《くわつどう》せしむる|為《ため》に、|大神《おほかみ》の|目的《もくてき》に|依《よ》つて|造《つく》りなされたものである。|故《ゆゑ》に|高天原《たかあまはら》に|於《お》ける|天国《てんごく》|及《およ》び|霊国《れいごく》の|天人《てんにん》は|一人《ひとり》として|人間《にんげん》より|来《きた》らないものはない。|大神様《おほかみさま》を|除《のぞ》く|外《ほか》、|一個《いつこ》の|天人《てんにん》たりとも|天国《てんごく》に|於《おい》て|生《うま》れたものはないのである。|必《かなら》ず|神格《しんかく》の|内流《ないりう》は|終極点《しうきよくてん》たる|人間《にんげん》の|肉体《にくたい》に|来《きた》り、|此処《ここ》に|留《とど》まつて|其《その》|霊性《れいせい》を|発達《はつたつ》せしめ、|而《しか》して|後《のち》|天国《てんごく》へ|復活《ふくくわつ》し、|茲《ここ》に|初《はじ》めて|天国《てんごく》|各団体《かくだんたい》を|構成《こうせい》するに|至《いた》るものである。|故《ゆゑ》に|人《ひと》は|天地《てんち》|経綸《けいりん》の|司宰者《しさいしや》と|云《い》ひ、|又《また》|天地《てんち》の|花《はな》と|云《い》ひ、|神《かみ》の|生宮《いきみや》と|称《とな》ふる|所以《ゆゑん》である。|愚昧《ぐまい》なる|古今《ここん》の|宗教家《しうけうか》や|伝教者《でんけうしや》は|概《おほむ》ね|此《この》|理《り》を|弁《わきま》へず、|天人《てんにん》と|云《い》へば、|元《もと》より|天国《てんごく》に|在《あ》つて|特別《とくべつ》の|神《かみ》の|恩恵《おんけい》に|依《よ》つて|天国《てんごく》に|生《うま》れたるものの|如《ごと》く|考《かんが》へ、|又《また》|地獄《ぢごく》にある|悪鬼《あくき》どもは|元《もと》より|地獄《ぢごく》に|発生《はつせい》せしものの|如《ごと》く|考《かんが》へ、|其《その》|地獄《ぢごく》の|邪鬼《じやき》が|人間《にんげん》の|堕落《だらく》したる|霊魂《れいこん》を|制御《せいぎよ》し|或《あるひ》は|苦《くる》しむるものとのみ|考《かんが》へてゐたのである。|之《これ》は|大《だい》なる|誤解《ごかい》であつて、|数多《あまた》の|人間《にんげん》を|迷《まよ》はす|事《こと》、|実《じつ》に|大《だい》なりと|云《い》ふべしである。|茲《ここ》に|於《おい》て|神《かみ》は|時機《じき》を|考《かんが》へ、|弥勒《みろく》を|世《よ》に|降《くだ》し、|全天界《ぜんてんかい》の|一切《いつさい》を|其《その》|腹中《ふくちう》に|胎蔵《たいざう》せしめ、|之《これ》を|地上《ちじやう》の|万民《ばんみん》に|諭《さと》し、|天国《てんごく》の|福音《ふくいん》を|完全《うまら》に|詳細《つばら》に|示《しめ》させ|給《たま》ふ|仁慈《みろく》の|御代《みよ》が|到来《たうらい》したのである。されど|大神《おほかみ》は|予言者《よげんしや》の|想念中《さうねんちう》に|入《い》り|給《たま》ひ、|其《その》|記憶《きおく》を|基礎《きそ》として|伝《つた》へ|給《たま》ふが|故《ゆゑ》に、|日本人《につぽんじん》の|肉体《にくたい》に|降《くだ》り|給《たま》ふ|時《とき》は|即《すなは》ち|日本《につぽん》の|言葉《ことば》を|以《もつ》て|現《あら》はし|給《たま》ふものである。|科学的《くわがくてき》|頭脳《づなう》に|魅《み》せられたる|現代《げんだい》の|学者《がくしや》|又《また》は|小賢《こざか》しき|人間《にんげん》は「|神《かみ》は|全智全能《ぜんちぜんのう》なるべきものだ。|然《しか》るに|何故《なにゆゑ》に|各国《かくこく》の|民《たみ》に|分《わか》り|易《やす》く、|地上《ちじやう》|到《いた》る|所《ところ》の|言語《げんご》を|用《もち》ひて|示《しめ》し|給《たま》はざるや」と|云《い》つて|批判《ひはん》を|試《こころ》み、|神《かみ》の|遣《つか》はしたる|予言者《よげんしや》の|言《げん》を|以《もつ》て|怪乱狂妄《くわいらんきやうまう》と|罵《ののし》り、|或《あるひ》は|無学者《むがくしや》の|言《げん》とか|或《あるひ》は|不徹底《ふてつてい》の|言説《げんせつ》とか|何《なん》とかケチをつけたがる|盲《めくら》が|多《おほ》いのは、|神《かみ》の|予言者《よげんしや》も|大《おほい》に|迷惑《めいわく》を|感《かん》ずる|所《ところ》である。
|高天原《たかあまはら》と|天界《てんかい》は|至大《しだい》なる|一形式《いちけいしき》を|備《そな》へたる|一個人《いちこじん》である。さうして|高天原《たかあまはら》に|構成《こうせい》されたる|天国《てんごく》の|各団体《かくだんたい》は|之《これ》に|次《つ》げる|所《ところ》の|大《だい》なる|形式《けいしき》を|備《そな》へたる|一個人《いちこじん》の|様《やう》なものである。さうして|天人《てんにん》は|又《また》|其《その》|至小《しせう》なる|一個人《いちこじん》である。|人間《にんげん》も|亦《また》|天界《てんかい》の|模型《もけい》であり、|小天地《せうてんち》である|事《こと》は|屡《しばしば》|述《の》べた|所《ところ》である。|神《かみ》は|此《この》|一個人《いちこじん》なる|高天原《たかあまはら》の|頭脳《づなう》となつて|其《その》|中《なか》に|住《ぢゆう》し|給《たま》ひ、|万有一切《ばんいういつさい》を|統御《とうぎよ》し|給《たま》ふ|故《ゆゑ》に、|又《また》|地獄界《ぢごくかい》も|統御《とうぎよ》し|給《たま》ふは|自然《しぜん》の|道理《だうり》である。|人間《にんげん》も|亦《また》|其《その》|形体中《けいたいちう》に|天国《てんごく》の|小団体《せうだんたい》たる|諸官能《しよくわんのう》を|備《そな》へ|種々《しゆじゆ》の|機関《きくわん》を|蔵《ざう》し、|而《しか》して|天国《てんごく》|地獄《ぢごく》を|包含《はうがん》してゐるものである。
|扨《さ》て|高天原《たかあまはら》の|如《ごと》き|極《きは》めて|円満《ゑんまん》|具足《ぐそく》せる|形式《けいしき》を|有《いう》するものには、|各《おのおの》|分体《ぶんたい》に|全般《ぜんぱん》の|面影《おもかげ》があり|又《また》|全般《ぜんぱん》に|各分体《かくぶんたい》の|面影《おもかげ》がある。|其《その》|理由《りいう》は|高天原《たかあまはら》は|一個《いつこ》の|結社《けつしや》の|様《やう》なものであつて、|其《その》|一切《いつさい》の|所有《しよいう》を|衆《しう》と|共《とも》に|相分《あひわか》ち、|衆《しう》は|又《また》|一切《いつさい》の|其《その》|所有《しよいう》を|結社《けつしや》より|受領《じゆりやう》して|生涯《しやうがい》を|送《おく》る|故《ゆゑ》である。かくの|如《ごと》く|天界《てんかい》の|天人《てんにん》は|一切《いつさい》の|天的《てんてき》|事物《じぶつ》の|受領者《じゆりやうしや》なるによつて、|彼《かれ》は|又《また》|一個《いつこ》の|天界《てんかい》の|極《きは》めて|小《せう》なるものとなすのである。|現界《げんかい》の|人間《にんげん》と|雖《いへど》も、|其《その》|身《み》の|中《うち》に|高天原《たかあまはら》の|善《ぜん》を|摂受《せつじゆ》する|限《かぎ》り、|天人《てんにん》の|如《ごと》き|受領者《じゆりやうしや》ともなり、|一個《いつこ》の|天界《てんかい》ともなり、|又《また》|一個《いつこ》の|天人《てんにん》ともなるのである。
|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》|両人《りやうにん》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|案内《あんない》によつて|第一天国《だいいちてんごく》の|或《ある》|個所《かしよ》に|漸《やうや》く|着《つ》いた。|此処《ここ》には|得《え》も|云《い》はれぬ|荘厳《さうごん》を|極《きは》めた|宮殿《きうでん》が|立《た》つてゐる。これは|日《ひ》の|大神《おほかみ》の|永久《とことは》に|鎮《しづ》まります|都率天《とそつてん》の|天国《てんごく》|紫微宮《しびきう》であつて、|神道家《しんだうか》の|所謂《いはゆる》|日《ひ》の|若宮《わかみや》である。|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》と|愛《あい》の|善《ぜん》と|信《しん》の|真《しん》に|充《みた》されたる|数多《あまた》の|天人《てんにん》は|此《この》|宮殿《きうでん》の|前《まへ》の|広庭《ひろには》に|列《れつ》をなし、|言霊別《ことたまわけ》|一行《いつかう》の|上《のぼ》り|来《きた》るを|歓喜《くわんき》の|情《じやう》を|以《もつ》て|迎《むか》へて|居《ゐ》たのである。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|遥《はる》か|此方《こなた》より|此《この》|光景《くわうけい》を|指《ゆび》さし、
『|治国別《はるくにわけ》|様《さま》、あの|前《まへ》に|金色燦然《きんしよくさんぜん》として|輝《かがや》いてゐるのは、エルサレムで|厶《ござ》ります。さうしてあの|通《とほ》り|巨大《きよだい》なる|石垣《いしがき》を|以《もつ》て|造《つく》り|固《かた》められ、|数百《すうひやく》キユーピツトの|城壁《じやうへき》を|囲《めぐ》らしてあるのを|御覧《ごらん》なさいませ』
『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります、|如何《どう》したものか|吾々《われわれ》は|円満《ゑんまん》の|度《ど》が|欠《か》けて|居《を》りまするために、エルサレムは|何処《どこ》だか、|石垣《いしがき》は|何処《どこ》にあるか、|城壁《じやうへき》の|高《たか》さも|分《わか》りませぬ。|只《ただ》|私《わたし》の|目《め》に|映《えい》ずるのは|赫灼《かくしやく》たる|光《ひかり》と|天人《てんにん》の|姿《すがた》が|幽《かす》かに|見《み》ゆるばかりです。さうしてエルサレムとか|仰有《おつしや》りましたが、それは|小亜細亜《せうアジア》の|土耳古《トルコ》にある|聖地《せいち》では|厶《ござ》りませぬか』
『エルサレムの|宮《みや》とは|大神様《おほかみさま》の|御教《みをしへ》を|伝《つた》ふる|聖場《せいぢやう》の|意味《いみ》であります。|又《また》|高《たか》き|処《ところ》の|意味《いみ》であつて|即《すなは》ち|最高天界《さいかうてんかい》の|中心《ちうしん》を|云《い》ふのです。|石垣《いしがき》と|申《まを》すのは|即《すなは》ち|虚偽《きよぎ》と|罪悪《ざいあく》との|襲来《しふらい》を|防《ふせ》ぐ|為《ため》の|神真《しんしん》|其《その》ものであります。|度《キユーピツト》と|申《まを》すのは|性相《せいさう》|其《その》ものであつて、|聖言《せいげん》に|云《い》ふ、|人《ひと》とは|凡《すべ》ての|真《しん》と|善徳《ぜんとく》とを|悉《ことごと》く|具有《ぐいう》するものの|謂《いひ》であります。|即《すなは》ち|人間《にんげん》の|内分《ないぶん》に|天界《てんかい》を|有《いう》するものを|人《ひと》と|云《い》ひ、|天界《てんかい》を|有《いう》せないものを|人獣《にんじう》と|云《い》ふのです。ここには|決《けつ》して|人《ひと》なる|天人《てんにん》はあつても|現界《げんかい》の|如《ごと》き|人獣《にんじう》は|居《を》りませぬ。|然《しか》し|私《わたし》が|今《いま》|人獣《にんじう》と|云《い》つたのは|霊的《れいてき》|方面《はうめん》から|云《い》つたのです。|凡《すべ》て|神《かみ》の|坐《ま》します|聖場《せいぢやう》|及《およ》び|其《その》|御教《みをしへ》を|伝《つた》ふる|聖場《せいぢやう》を|指《さ》して|貴《うづ》の|都《みやこ》と|云《い》ひ、|或《あるひ》はエルサレムの|宮《みや》と|云《い》ふのです』
『さう|致《いた》しますと、|現界《げんかい》に|於《お》けるウブスナ|山《やま》の|斎苑館《いそやかた》を|始《はじ》め、|黄金山《わうごんざん》、|霊鷲山《りやうしうざん》、|綾《あや》の|聖地《せいち》|及《およ》び|天教山《てんけうざん》、|地教山《ちけうざん》、|万寿山《まんじゆざん》|其《その》|他《た》の|聖地《せいち》は|凡《すべ》て|天国《てんごく》であり、エルサレムの|宮《みや》と|云《い》ふのですか』
『さうです、|実《じつ》に|神格《しんかく》によつて|円満《ゑんまん》なる|団体《だんたい》の|作《つく》られたものは|凡《すべ》てエルサレムとも|云《い》ひ、|地上《ちじやう》に|於《おい》ては|地《ち》の|高天原《たかあまはら》と|称《とな》ふべきものです。|地上《ちじやう》の|世界《せかい》は|要《えう》するに|高天原《たかあまはら》の|移写《いしや》ですから、|地上《ちじやう》にある|中《うち》に|高天原《たかあまはら》の|団体《だんたい》に|籍《せき》をおいておかなくては、|霊相応《みたまさうおう》の|道理《だうり》|順序《じゆんじよ》に|背《そむ》いては、|死後《しご》|天国《てんごく》の|生涯《しやうがい》を|送《おく》る|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。サア|之《これ》より|最奥天国《さいあうてんごく》の|中心点《ちうしんてん》、|大神《おほかみ》の|御舎《みあらか》に|御案内《ごあんない》|致《いた》しませう』
と|先《さき》に|立《た》つて|歩《あゆ》み|出《だ》した。|二人《ふたり》は|足《あし》の|裏《うら》がこそばゆい|様《やう》な|気分《きぶん》に|打《う》たれ、いと|恥《はづ》かし|気《げ》に|従《したが》ひ|行《ゆ》く。|路傍《ろばう》に|堵列《とれつ》せる|数多《あまた》の|天人《てんにん》は『ウオーウオー』と|手《て》を|拍《う》つて|叫《さけ》び、|愛善《あいぜん》の|意《い》の|表示《へうじ》をなしてゐる。|二人《ふたり》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|背後《はいご》に|従《したが》ひ、|被面布《ひめんぷ》を|冠《かぶ》りながら|心《こころ》|落《お》ち|着《つ》き、|静々《しづしづ》と|日《ひ》の|若宮《わかみや》の|表門《おもてもん》を|潜《くぐ》り|入《い》る。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|二人《ふたり》を|門内《もんない》に|待《ま》たせ|置《お》き|悠々《いういう》として|奥深《おくふか》く|入《い》り|給《たま》うた。|二人《ふたり》は|門内《もんない》に|佇《たたず》み|園内《ゑんない》に|繁茂《はんも》せる|果樹《くわじゆ》の|美《うつく》しきを|眺《なが》めやり、|舌《した》うちしながら|頭《かうべ》を|傾《かたむ》け『アーア』と|驚《おどろ》きに|打《う》たれ|吐息《といき》を|洩《も》らしてゐる。|暫《しばら》くすると|庭園《ていえん》の|一方《いつぱう》より|目《め》も|眩《くら》むばかりの|光《ひかり》を|放《はな》ち|悠々《いういう》と|入《い》り|来《きた》り|給《たま》ふ|妙齢《めうれい》の|天女《てんによ》があつた。|二人《ふたり》は|思《おも》はずハツと|大地《だいち》に|踞《しやが》み|敬礼《けいれい》を|表《へう》した。|此《この》|女神《めがみ》は|西王母《せうわうぼ》と|云《い》つて|伊邪那美尊《いざなみのみこと》の|御分身《ごぶんしん》、|坤《ひつじさる》の|金神《こんじん》であつた。|西王母《せいわうぼ》と|云《い》ふも|同身異名《どうしんいめい》である。|女神《めがみ》は|二人《ふたり》の|手《て》をとりながら|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|奥殿《おくでん》より|帰《かへ》り|来《きた》る|間《あひだ》、|庭園《ていえん》を|巡覧《じゆんらん》させむと|桃畑《ももばたけ》に|導《みちび》き|給《たま》うた。|二人《ふたり》は|恐《おそ》る|恐《おそ》る|手《て》を|曳《ひ》かれながら|芳《かんば》しき|桃樹《たうじゆ》の|園《その》に|導《みちび》かれ|行《ゆ》く。|此処《ここ》には|三千株《さんぜんかぶ》の|桃《もも》の|樹《き》が|行儀《ぎやうぎ》よく|繁茂《はんも》してゐる。さうして|前園《ぜんゑん》、|中園《ちうゑん》、|後園《こうゑん》と|区劃《くくわく》され、|前園《ぜんゑん》には|一千株《いつせんかぶ》の|桃樹《もものき》があつて|美《うる》はしき|花《はな》が|咲《さ》き|且《かつ》|一方《いつぱう》には|美《うる》はしき|実《み》を|結《むす》んだのも|尠《すく》なくはない。|此《この》|前園《ぜんゑん》の|桃園《ももぞの》は|花《はな》も|小《ちひ》さく|又《また》|其《その》|実《み》も|小《ちひ》さい。さうして|三千年《さんぜんねん》に|一度《いちど》|花《はな》|咲《さ》き|熟《じゆく》して、|之《これ》を|食《くら》ふものは|最高天国《さいかうてんごく》の|天人《てんにん》の|列《れつ》に|加《くは》へらるるものである。さうして|此《この》|桃《もも》の|実《み》は|余程《よほど》|神《かみ》の|御心《みこころ》に|叶《かな》つたものでなければ|与《あた》へられないものである。|西王母《せいわうぼ》は|二人《ふたり》に|一々《いちいち》|此《この》|桃《もも》の|実《み》の|説明《せつめい》をしながら|中園《ちうゑん》に|足《あし》を|踏《ふ》み|入《い》れた。ここにも|亦《また》|一千株《いつせんかぶ》の|桃《もも》の|樹《き》があり、|美《うる》はしき|八重《やへ》の|花《はな》が|咲《さ》き|充《み》ち|又《また》|甘《うま》さうな|実《み》がなつて|居《ゐ》る。|之《これ》は|六千年《ろくせんねん》に|一度《いちど》|花《はな》|咲《さ》き|実《みの》り、|之《これ》を|食《くら》ふものは|天地《てんち》と|共《とも》に|長生《ながいき》し、|如何《いか》なる|場合《ばあひ》にも|不老不死《ふらうふし》の|生命《せいめい》を|続《つづ》けると|云《い》ふ|美《うる》はしき|果物《くだもの》である。|西王母《せいわうぼ》は|又《また》もや|詳細《しやうさい》に|桃畑《ももばたけ》の|因縁《いんねん》を|説《と》き|諭《さと》し、|終《をは》つて|後園《こうゑん》に|足《あし》を|入《い》れ|給《たま》うた。|此処《ここ》にも|亦《また》|一千株《いつせんかぶ》の|桃樹《もものき》が|行儀《ぎやうぎ》よく|立《た》ち|並《なら》び、|大《おほ》いなる|花《はな》が|咲《さ》き|匂《にほ》ひ、|実《み》も|非常《ひじやう》に|大《おほ》きなのが|枝《えだ》も|折《を》れむばかりに|実《みの》つてゐる。|此《この》|桃《もも》の|樹《き》は|九千年《きうせんねん》に|一度《いちど》|花《はな》|咲《さ》き|実《みの》り、|之《これ》を|食《くら》ふものは|天地日月《てんちじつげつ》と|共《とも》に|生命《せいめい》を|等《ひと》しうすると|云《い》ふ|重宝至極《ちようはうしごく》な|神果《しんくわ》である。|西王母《せいわうぼ》は|此《この》|因縁《いんねん》を|最《もつと》も|詳細《しやうさい》に|治国別《はるくにわけ》に|諭《さと》し|給《たま》うた。|然《しか》し|此《この》|桃《もも》の|密意《みつい》については|容易《ようい》に|発表《はつぺう》を|許《ゆる》されない、|然《しか》しながら|桃《もも》は|三月三日《さんぐわつみつか》に|地上《ちじやう》に|於《おい》ては|花《はな》|咲《さ》き、|五月五日《ごぐわついつか》に|完全《くわんぜん》に|熟《じゆく》するものなる|事《こと》は、|此《この》|物語《ものがたり》に|於《おい》て|示《しめ》されたる|所《ところ》である。|之《これ》によつて|此《この》|桃《もも》に|如何《いか》なる|御経綸《ごけいりん》のあるかは|略《ほぼ》|推知《すゐち》し|得《え》らるるであらう。|西王母《せいわうぼ》は|一度《ひとたび》|地上《ちじやう》に|降臨《かうりん》して|黄錦《くわうきん》の|御衣《ぎよい》を|着《ちやく》し、|数多《あまた》のエンゼルと|共《とも》に|之《これ》を|地上《ちじやう》の|神権者《しんけんしや》に|献《ささ》げ|給《たま》ふ|時機《じき》ある|事《こと》は、|現在《げんざい》|流行《りうかう》する|謡曲《えうきよく》によつても|略《ほぼ》|推知《すゐち》さるるであらう。
|却説《さて》、|西王母《せいわうぼ》は|桃園《ももぞの》の|案内《あんない》を|終《をは》り、|二人《ふたり》の|手《て》を|引《ひ》きながら|元《もと》の|門口《もんぐち》に|送《おく》り|来《きた》り、
『|治国別《はるくにわけ》|殿《どの》、|竜公《たつこう》|殿《どの》、|之《これ》にてお|別《わか》れ|申《まを》す』
と|云《い》ふより|早《はや》く|桃園内《たうゑんない》に|神姿《しんし》を|隠《かく》し|給《たま》うた。|二人《ふたり》は|其《その》|後姿《うしろすがた》を|伏《ふ》し|拝《をが》み、|王母《わうぼ》が|説明《せつめい》によつて|神界《しんかい》|経綸《けいりん》の|深遠《しんゑん》|微妙《びめう》なる|密意《みつい》を|悟《さと》り、|思《おも》はず|合掌《がつしやう》して|感涙《かんるい》に|咽《むせ》びつつあつた。
かかる|所《ところ》へ|紫微宮《しびきう》の|黄金《わうごん》の|中門《ちうもん》を|開《ひら》いて|現《あら》はれ|来《きた》る|美《うる》はしき|天女《てんによ》、|五色《ごしき》の|光輝《くわうき》に|充《み》ちた|羽衣《はごろも》を|着《ちやく》しながら|出《い》で|来《きた》る|其《その》|荘厳《さうごん》さ、|天国《てんごく》の|天人《てんにん》は|何《いづ》れも|美《うる》はしく|円満《ゑんまん》の|相《さう》を|具備《ぐび》すれども、|未《いま》だ|嘗《かつ》て|斯《かく》の|如《ごと》き|円満《ゑんまん》なる|妙相《めうさう》を|備《そな》へたる|神人《しんじん》を|見《み》るのは|二人《ふたり》とも|天国《てんごく》|巡覧《じゆんらん》|以来《いらい》|初《はじ》めてであつた。
|因《ちなみ》に|羽衣《はごろも》とは|決《けつ》して|謡曲《えうきよく》にある|如《ごと》き|中空《ちうくう》を|翔《か》ける|空想的《くうさうてき》のものでない。|最《もつと》も|美《うる》はしき|袖《そで》は|手《て》より|数尺《すうしやく》|長《なが》く、|裾《すそ》は|一二丈《いちにぢやう》も|後《うしろ》に|垂《た》れてゐる|神衣《しんい》の|事《こと》である。
|扨《さ》て|十二人《じふににん》の|天女《てんによ》は、|無言《むごん》の|儘《まま》|二人《ふたり》を|指《さ》し|招《まね》き、|前《まへ》に|六人《ろくにん》、|後《うしろ》に|六人《ろくにん》、|二人《ふたり》を|守《まも》りながら|黄金《わうごん》の|中門《ちうもん》を|潜《くぐ》つて|迎《むか》へ|入《い》れるのであつた。|此《この》|時《とき》|今《いま》まで|聞《き》いた|事《こと》もない|様《やう》な|微妙《びめう》な|音楽《おんがく》|四方《しはう》より|起《おこ》り、|芳香馥郁《はうかうふくいく》として|薫《くん》じ、|二人《ふたり》は|吾《わが》|身《み》の|何処《いづこ》にあるやも|忘《わす》るるばかり|歓喜《くわんき》に|充《みた》されながら、|微《かすか》の|声《こゑ》にて|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》しつつ|欣々《いそいそ》として|進《すす》み|入《い》る。
(大正一二・一・一三 旧一一・一一・二七 北村隆光録)
第一三章 |月照山《げつせうざん》〔一二六七〕
|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》|両人《りやうにん》は、|十二人《じふににん》のエンゼルに|導《みちび》かれ、|宮殿《きうでん》の|奥深《おくふか》く|進《すす》み|入《い》つた。|併《しか》しこの|宮殿《きうでん》は|都率天《とそつてん》の|前殿《ぜんでん》とも|前宮《ぜんきう》とも|称《とな》へられ、|最奥《さいあう》の|御殿《ごてん》ではなかつた。|最奥《さいあう》の|御殿《ごてん》は|大至聖所《だいしせいしよ》と|称《とな》へられ、|大神《おほかみ》の|御居間《おゐま》である。|此《この》|居間《ゐま》は、|如何《いか》なる|徳《とく》|高《たか》きエンゼルと|雖《いへど》も|一歩《いつぽ》も|踏《ふ》み|入《い》れる|事《こと》は|出来《でき》ない。|日《ひ》の|若宮《わかみや》と|称《とな》へられ、|大神《おほかみ》は|高天原《たかあまはら》の|太陽《たいやう》として|御姿《みすがた》を|現《げん》じたまふ|所《ところ》である。|故《ゆゑ》に|証覚《しようかく》の|最《もつと》も|勝《すぐ》れたる|天人《てんにん》のみ、|遥《はるか》に|其《その》お|姿《すがた》を|八咫《やた》の|鏡《かがみ》の|如《ごと》く|拝《はい》するを|得《う》るのみである。|神《かみ》は|総《すべ》て|円満《ゑんまん》の|相《さう》にましますが|故《ゆゑ》に、|此処《ここ》にては|太陽《たいやう》と|現《あら》はれ|給《たま》ひ、|其《その》|御光《みひかり》は|自然界《しぜんかい》の|太陽《たいやう》の|幾百倍《いくひやくばい》とも|知《し》れない|光《ひかり》を|放《はな》たせたまひ、|容易《ようい》に|仰《あふ》ぎ|拝《はい》する|事《こと》は|出来《でき》ない。|併《しか》し|大神《おほかみ》は|諸団体《しよだんたい》の|天人《てんにん》の|前《まへ》に|太陽《たいやう》として|現《あら》はれ|給《たま》ふ|時《とき》がある。|其《その》|時《とき》は|和光同塵的《わくわうどうぢんてき》|態度《たいど》をもつて、|第一天国《だいいちてんごく》の|天人《てんにん》には|地上《ちじやう》に|於《お》ける|太陽《たいやう》の|七倍《しちばい》の|光《ひかり》をもつて|現《あら》はれたまひ、|第二天国《だいにてんごく》に|在《あ》りては|五倍《ごばい》の|光《ひかり》をもつて|現《あら》はれたまひ、|第三天国《だいさんてんごく》には|二倍《にばい》の|光《ひかり》をもつて|現《あら》はれたまふが|例《れい》のやうに|承《うけたま》はる。これはほんの|大要《たいえう》であつて、|各団体《かくだんたい》、|各天人《かくてんにん》|個々《ここ》の|善徳《ぜんとく》の|如何《いかん》によりて、|其《その》|光《ひかり》に|強弱《きやうじやく》の|度《ど》があるのである。|又《また》|時《とき》には|一個《いつこ》の|天人《てんにん》となつて|団体中《だんたいちう》に|現《あら》はれ|給《たま》ふ|時《とき》もある。さうして|最奥《さいあう》の|大至聖所《だいしせいしよ》に|於《お》ける|大神《おほかみ》の|御経綸《ごけいりん》と|其《その》|御準備《ごじゆんび》に|至《いた》りては、|如何《いか》なる|証覚《しようかく》の|勝《すぐ》れたる|天人《てんにん》と|雖《いへど》も、|明白《めいはく》に|之《これ》を|意識《いしき》する|事《こと》は|出来《でき》ない。|其《その》|故《ゆゑ》は|至貴《しき》|至尊《しそん》にして|至智《しち》|至聖《しせい》なる|大神《おほかみ》の|御神慮《ごしんりよ》は|天人《てんにん》の|思慮《しりよ》の|及《およ》ぶ|所《ところ》に|非《あら》ず、|証覚《しようかく》の|達《たつ》せざる|所《ところ》なるが|故《ゆゑ》である。
|高天原《たかあまはら》の|天界《てんかい》に|於《おい》て|一切《いつさい》を|統合《とうがふ》するものは|即《すなは》ち|善徳《ぜんとく》である。|此《この》|善徳《ぜんとく》の|性相《せいさう》の|程度《ていど》の|如何《いかん》によつて|天界《てんかい》に|差別《さべつ》を|生《しやう》ずるに|至《いた》るものである。さうして|斯《かく》の|如《ごと》く|諸天人《しよてんにん》を|統合《とうがふ》するは、|決《けつ》して|天人《てんにん》が|自作《じさく》の|功《こう》に|非《あら》ずして|善徳《ぜんとく》の|源泉《げんせん》たる|大神《おほかみ》の|御所為《ごしよゐ》である。|大神《おほかみ》は|総《すべ》ての|天人《てんにん》を|導《みちび》き、|之《これ》を|和合《わがふ》し、|之《これ》を|塩梅《あんばい》し|又《また》|其《その》|善徳《ぜんとく》に|住《ぢゆう》する|限《かぎ》り|之《これ》をして|自由《じいう》に|行動《かうどう》せしめ|給《たま》ふのである。|斯《か》くて|大神《おほかみ》は|天人《てんにん》をして|各《おのおの》|其《その》|所《ところ》に|安《やす》んぜしめ、|愛《あい》と|信《しん》と|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》を|得《え》て|其《その》|生涯《しやうがい》を|楽《たの》しましめ|給《たま》ふのである。|故《ゆゑ》に|大神《おほかみ》の|御側《おそば》へは|容易《ようい》に|進《すす》む|事《こと》は|出来《でき》ない。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|奥殿《おくでん》|深《ふか》く|進《すす》み|給《たま》ひ、|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》は|神界《しんかい》の|都合《つがふ》によりて|或《ある》|機会《きくわい》により、|天国《てんごく》|巡覧《じゆんらん》|修業《しうげふ》に|上《のぼ》り|来《きた》りし|由《よし》を|奏上《そうじやう》し、|大神《おほかみ》の|許《ゆる》しを|受《う》け、|茲《ここ》に|盛大《せいだい》なる|酒宴《しゆえん》を|前殿《ぜんでん》に|於《おい》て|催《もよほ》さるる|事《こと》となつた。|先《ま》づ|正面《しやうめん》には|言霊別命《ことたまわけのみこと》|正座《せいざ》し、|相並《あひなら》んで|西王母《せいわうぼ》|其《その》|右《みぎ》に|座《ざ》を|占《し》め、|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》は|其《その》|傍《そば》に|座席《ざせき》を|設《まう》けられた。さうして|十二人《じふににん》のエンゼルは|麗《うるは》しき|葡萄《ぶだう》の|酒《さけ》を|雲脚机《うんきやくづくゑ》に|載《の》せ、|恭《うやうや》しく|目八分《めはちぶ》に|捧《ささ》げて|四人《よにん》の|前《まへ》に|静《しづか》に|之《これ》を|据《す》ゑた。|次《つぎ》には|麗《うるは》しき|桃《もも》の|実《み》を|雲脚机《うんきやくづくゑ》に|一《ひと》つ|一《ひと》つ|載《の》せ、|一《ひと》つは|治国別《はるくにわけ》の|前《まへ》に、|一《ひと》つは|竜公《たつこう》の|前《まへ》にキチンと|据《す》ゑられた。|西王母《せいわうぼ》は|玻璃《はり》の|盃《さかづき》を|先《ま》づ|言霊別命《ことたまわけのみこと》にさし、|葡萄酒《ぶだうしゆ》をなみなみとつぎ|給《たま》うた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|押頂《おしいただ》いて|之《これ》を|飲《の》み、|盃洗《はいせん》の|水《みづ》に|洗《あら》ひ、|懐《ふところ》より|紙《かみ》を|取出《とりいだ》し、|盃《さかづき》をよく|拭《ふ》き|清《きよ》め|治国別《はるくにわけ》にさした。|治国別《はるくにわけ》は|押頂《おしいただ》き、|西王母《せいわうぼ》より|葡萄酒《ぶだうしゆ》を|又《また》|八分《はちぶ》ばかり|注《つ》がれ、|幾度《いくど》も|押頂《おしいただ》いて|之《これ》を|飲《の》み、|又《また》もや|盃洗《はいせん》に|滌《すす》ぎ|拭《ふ》き|清《きよ》めて|竜公《たつこう》に|渡《わた》した。|竜公《たつこう》は|盃《さかづき》を|押頂《おしいただ》き、|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|暮《く》れて|居《ゐ》る。|西王母《せいわうぼ》は|膝《ひざ》をにじり|寄《よ》せ、|竜公《たつこう》の|盃《さかづき》に|半分《はんぶん》ばかりつがせたまうた。|之《これ》にて|盃《さかづき》は|終《をは》りをつげた。|一人《ひとり》の|天女《てんによ》は|徳利《とくり》や|盃《さかづき》を|雲脚机《うんきやくづくゑ》に|据《す》ゑた|儘《まま》|目八分《めはちぶ》に|持《も》ち、|次《つぎ》の|間《ま》に|運《はこ》んだ。この|葡萄酒《ぶだうしゆ》は|大神《おほかみ》の|血《ち》と|肉《にく》とにもたとふべき|最《もつと》も|貴重《きちよう》なる|賜《たまもの》であつた。この|酒《さけ》を|飲《の》む|時《とき》は|心《こころ》の|総《すべ》ての|汚《けが》れを|払拭《ふつしき》し、|広大《くわうだい》なる|神力《しんりき》を|授《さづ》かり、|且《か》つ|永遠《ゑいゑん》の|生命《せいめい》をつなぎ|得《う》るものである。|次《つぎ》に|西王母《せいわうぼ》は|天女《てんによ》の|運《はこ》び|来《きた》りし|二個《にこ》の|桃《もも》を|両人《りやうにん》に|与《あた》へ、|速《すみや》かに|此《この》|場《ば》に|於《おい》て|食《しよく》すべき|事《こと》を|命《めい》じ|給《たま》うた。|二人《ふたり》は|命《めい》の|儘《まま》に|押頂《おしいただ》き、|其《その》|風味《ふうみ》に|驚喜《きやうき》しつつ|静《しづ》かに|腹中《ふくちう》に|納《をさ》めて|仕舞《しま》つた。|不思議《ふしぎ》にも|種《たね》は|米粒《こめつぶ》の|如《ごと》く|小《ちひ》さく、いつとはなしに|種《たね》もろとも|咽喉《のど》を|通《とほ》つて|仕舞《しま》つたのである。この|桃実《もものみ》は|前園《ぜんゑん》に|実《みの》りしものにして、|三千年《さんぜんねん》の|齢《よはひ》を|保《たも》つと|云《い》ふ|目出度《めでた》き|神果《しんくわ》である。|西王母《せいわうぼ》は|一言《いちごん》も|言葉《ことば》を|発《はつ》したまはず、ニコニコとしながら|二人《ふたり》の|顔《かほ》を|嬉《うれ》しげに|眺《なが》め|居《ゐ》たまうた。|十二《じふに》の|天女《てんによ》は|笛《ふえ》、|太鼓《たいこ》、|鼓《つづみ》、|羯鼓《かつこ》、|其《その》|外《ほか》|種々《いろいろ》の|楽器《がくき》を|吹奏《すゐそう》し、|面白《おもしろ》き|歌《うた》を|爽《さはや》かな|声《こゑ》にて|歌《うた》ひ、|其《その》|中《うち》の|最《もつと》も|若《わか》く|見《み》ゆる|四人《よにん》の|天女《てんによ》は|長袖《ちやうしう》|淑《しとやか》に|胡蝶《こてふ》の|舞《まひ》を|舞《ま》ひ|終《をは》り、|一同《いちどう》に|辞儀《じぎ》をなし、|衣摺《きぬず》れの|音《おと》サヤサヤと|次《つぎ》の|間《ま》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。さうして|竜公《たつこう》は、|玉依別《たまよりわけ》と|云《い》ふ|神名《しんめい》を|賜《たま》ひ、|喜《よろこ》び|勇《いさ》む|事《こと》|一方《ひとかた》ならず、|何事《なにごと》か|歌《うた》を|歌《うた》つて、|感謝《かんしや》の|意《い》を|表《へう》せむとしたが、|天国《てんごく》の|光《ひかり》に|打《う》たれ、|是《これ》|亦《また》|一言《ひとこと》も|発《はつ》し|得《え》なかつた。
|西王母《せいわうぼ》がこの|二人《ふたり》に|向《むか》つて|此《この》|宴席《えんせき》に|於《おい》て|一言《ひとこと》も|言葉《ことば》を|発《はつ》したまはなかつたのは、|畏《おそ》れ|多《おほ》き|大神《おほかみ》のお|側近《そばちか》き|前殿《ぜんでん》であつたから、|遠慮《ゑんりよ》をせられたのである。|西王母《せいわうぼ》の|如《ごと》き|尊《たふと》き|証覚《しようかく》の|神《かみ》さへ|謹慎《きんしん》を|表《へう》し、|一言《いちごん》も|発《はつ》したまはざる|位《くらゐ》なれば、|言霊別命《ことたまわけのみこと》も|亦《また》|沈黙《ちんもく》を|守《まも》り、|治国別《はるくにわけ》、|玉依別《たまよりわけ》は、|一言《いちごん》を|発《はつ》せむにも|発《はつ》し|得《え》なかつたのである。
|暫《しばら》くあつて|以前《いぜん》の|舞姫《まひひめ》は、|二人《ふたり》の|麗《うるは》しき|婦人《ふじん》を|先《さき》に|立《た》て|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれて|来《き》た。|治国別《はるくにわけ》は|其《その》|二人《ふたり》の|女《をんな》に|何処《どこ》ともなく|見覚《みおぼ》えのあるやうな|感《かん》がしたので、|頻《しき》りに|首《くび》を|傾《かた》げよく|見《み》れば、|豈計《あにはか》らむや、|先《さき》に|立《た》つた|女《をんな》は|紫姫《むらさきひめ》であつた。さうして|紫姫《むらさきひめ》は、|玉照彦《たまてるひこ》を|嬉《うれ》しげに|懐《ふところ》に|抱《いだ》き、|何事《なにごと》か|玉照彦《たまてるひこ》に|向《むか》つて|顔《かほ》の|表情《へうじやう》をもつて|囁《ささや》きつつ|西王母《せいわうぼ》の|左側《ひだりがは》に|座《ざ》を|占《し》めた。も|一人《ひとり》の|女《をんな》をよく|見《み》れば、お|玉《たま》の|方《かた》であつた。お|玉《たま》の|方《かた》は|玉照姫《たまてるひめ》を|懐《ふところ》に|抱《だ》き、|同《おな》じく|何事《なにごと》か|表情《へうじやう》をもつて|玉照姫《たまてるひめ》に|囁《ささや》きながら|静々《しづしづ》と|西王母《せいわうぼ》が|右側《みぎがは》に|座《ざ》をしめた。|治国別《はるくにわけ》、|玉依別《たまよりわけ》の|両人《りやうにん》はハツと|驚《おどろ》き|思《おも》はず|知《し》らずアヽと|云《い》つたが、|其《その》|後《ご》の|言葉《ことば》は|継《つ》げなかつた。|西王母《せいわうぼ》は|紫姫《むらさきひめ》、お|玉《たま》の|方《かた》に|目配《めくば》せし|給《たま》うた。|紫姫《むらさきひめ》はスツと|立《た》つて|治国別《はるくにわけ》の|前《まへ》に|座《ざ》をしめ、|得《え》も|云《い》はれぬ|笑顔《ゑがほ》を|作《つく》りながら|玉照彦《たまてるひこ》を|治国別《はるくにわけ》の|懐《ふところ》に|抱《だ》かせた。|又《また》お|玉《たま》の|方《かた》はスツと|立《た》つて|玉依別《たまよりわけ》の|前《まへ》に|進《すす》みより、|嬉《うれ》しげに|笑顔《ゑがほ》を|作《つく》り、|玉照姫《たまてるひめ》を|玉依別《たまよりわけ》に|抱《いだ》かしめ、|二人《ふたり》は|静々《しづしづ》と|西王母《せいわうぼ》の|左右《さいう》にかへつた。|暫《しばら》くすると|天女《てんによ》|二人《ふたり》、|治国別《はるくにわけ》、|玉依別《たまよりわけ》の|前《まへ》に|現《あら》はれ、|一人《ひとり》は|玉照彦《たまてるひこ》を、|一人《ひとり》は|玉照姫《たまてるひめ》を|大事《だいじ》さうに|抱《かか》へ、|奥殿《おくでん》の|大神《おほかみ》の|御殿《ごてん》をさして|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせながら|静《しづか》に|進《すす》み|入《い》つた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|西王母《せいわうぼ》に|目礼《もくれい》をなし、|二人《ふたり》を|手招《てまね》きしながら|此《この》|御殿《ごてん》を|出《い》でて|往《ゆ》く。|二人《ふたり》は|同《おな》じく|西王母《せいわうぼ》に|目礼《もくれい》をなし、|言霊別《ことたまわけ》の|後《あと》に|従《したが》ひ|前殿《ぜんでん》を|出《い》でて|往《ゆ》く。それより|中門《ちうもん》を|潜《くぐ》り|表門《おもてもん》に|出《で》た。
|因《ちなみ》に|此《この》|前殿《ぜんでん》に|於《おい》て、|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫《たまてるひめ》を|抱《いだ》かせたまひたるは、|深《ふか》き|意味《いみ》のおはする|事《こと》ならむも、|二人《ふたり》は|其《その》|何《なん》の|意《い》たるかを|解《かい》し|得《え》なかつた。|併《しか》し|何《いづ》れは|其《その》|意味《いみ》の|判然《はんぜん》する|時《とき》が|来《く》るであらう。|読者《どくしや》は|楽《たの》しんで|発表《はつぺう》の|時機《じき》を|待《ま》たれむ|事《こと》を|希望《きばう》する|次第《しだい》である。
|三人《さんにん》は|表門《おもてもん》に|出《で》た。|幾千人《いくせんにん》とも|知《し》れぬ|麗《うるは》しき|天人《てんにん》は、|各《おのおの》|麗《うるは》しき|金色《こんじき》の|旗《はた》を|神風《しんぷう》に|翻《ひるが》へしながら、|言霊別命《ことたまわけのみこと》|他《ほか》|二人《ふたり》の|前途《ぜんと》を|祝《しゆく》する|如《ごと》く|見《み》えた。|二人《ふたり》は|夢《ゆめ》ではないかと|思《おも》ひながら、|麗《うるは》しき|樹木《じゆもく》や|花卉《くわき》の|道《みち》の|両側《りやうがは》に|茂《しげ》れる|金砂《きんしや》の|敷《し》きつめたる|如《ごと》き|坦々《たんたん》たる|大道《だいだう》を、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》しながら、|数多《あまた》の|天人《てんにん》が|喜《よろこ》びの|声《こゑ》に|送《おく》られて、|何処《いづく》ともなく、|言霊別命《ことたまわけのみこと》と|共《とも》に|進《すす》み|往《ゆ》くのであつた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、とある|麗《うるは》しき|山上《さんじやう》に|二人《ふたり》を|伴《ともな》ひ、|四方《よも》の|風景《ふうけい》を|眺《なが》めながら、|此処《ここ》に|腰《こし》を|下《おろ》し|休息《きうそく》をした。|二人《ふたり》も|同《おな》じく|側《そば》に|腰《こし》を|下《おろ》し、|天国《てんごく》の|荘厳《そうごん》に|打《う》たれて|唖然《あぜん》たるばかりであつた。
|言霊《ことたま》『|治国別《はるくにわけ》さま、|玉依別《たまよりわけ》さま、|大変《たいへん》な|貴方《あなた》はお|蔭《かげ》を|頂《いただ》きましたなア、お|祝《いは》ひ|申《まを》します』
|治国《はるくに》『|何《なん》ともお|礼《れい》の|申《まを》し|様《やう》が|厶《ござ》いませぬ。|大神様《おほかみさま》は|貴方《あなた》の|御身《おんみ》を|通《とほ》し、|吾々《われわれ》|如《ごと》きものに|斯《か》かる|尊《たふと》き|神庭《みには》に|導《みちび》きたまひ、|結構《けつこう》な|賜物《たまもの》まで|頂《いただ》きまして、|何《なん》とも|早《は》や|感謝《かんしや》の|情《じやう》に|堪《た》へませぬ』
|玉依《たまより》『|私《わたくし》も|色々《いろいろ》と|御神徳《ごしんとく》を|頂《いただ》いた|上《うへ》、|神名《しんめい》まで|賜《たま》はりまして、|実《じつ》に|何《なん》と|申《まを》してよろしいやら、|吾《わが》|任務《にんむ》の|益々《ますます》|重大《ぢゆうだい》なるを|悟《さと》りました。これと|申《まを》すも|全《まつた》く|大神様《おほかみさま》の|御仁慈《ごじんじ》、|貴神様《あなたさま》の|御取《おと》りなし、|実《まこと》に|感謝《かんしや》に|堪《た》へませぬ』
『|拙者《せつしや》は|大神様《おほかみさま》の|命《めい》に|依《よ》りてお|取次《とりつぎ》を|致《いた》したばかり、|感謝《かんしや》を|受《う》けては|困《こま》ります。|総《すべ》て|天国《てんごく》のものは|何事《なにごと》も|皆《みな》|神様《かみさま》の|御所為《ごしよゐ》と|信《しん》じて|居《を》りますれば、|感謝《かんしや》などせられては|実《じつ》に|困《こま》ります。|貴方《あなた》|等《がた》に|感謝《かんしや》の|言葉《ことば》を|受《う》けるのは、|要《えう》するに|神様《かみさま》の|御神徳《ごしんとく》を|私《わたくし》する|事《こと》になります。|何卒《なにとぞ》|此《この》|後《ご》は|如何《いか》なる|事《こと》ありとも、|私《わたくし》に|対《たい》して|感謝《かんしや》の|言葉《ことば》を|云《い》つて|下《くだ》さるな。|是《これ》ばかりは|固《かた》く|願《ねが》つて|置《お》きます。どうぞ|神様《かみさま》に|感謝《かんしや》して|下《くだ》さいませ』
|治国《はるくに》『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います、キツと|今後《こんご》は|心得《こころえ》ませう』
と|云《い》ひながら|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|茲《ここ》に|両人《りやうにん》は|紫微宮《しびきう》の|方《はう》に|向《むか》つて|感謝《かんしや》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》した。
『|此処《ここ》は|第一天国《だいいちてんごく》の|楽園《らくゑん》で、|聖陽山《せいやうざん》と|申《まを》します。|皆《みな》さま、|被面布《ひめんぷ》をお|除《と》りなさいませ。|最早《もはや》|此処《ここ》|迄《まで》|参《まゐ》りました|以上《いじやう》は、お|除《と》りになつても|能《よ》く|分《わか》ります。|貴方《あなた》は|前殿《ぜんでん》に|於《おい》て|生命《いのち》の|酒《さけ》を|与《あた》へられ、|加《くは》ふるに|結構《けつこう》な|桃《もも》の|実《み》|迄《まで》も|与《あた》へられ|給《たま》うたのですから、もはや|最高天国《さいかうてんごく》の|諸団体《しよだんたい》を|御巡覧《ごじゆんらん》になつても|目《め》の|眩《くら》むやうな|事《こと》もなく、|又《また》|総《すべ》ての|天人《てんにん》の|言語《げんご》も|明瞭《めいれう》に|分《わか》ります。|私《わたくし》はこれにて|貴方《あなた》|等《がた》に|対《たい》する|今回《こんくわい》の|使命《しめい》は|終《をは》りました。どうぞ|自由《じいう》に|天国団体《てんごくだんたい》をお|廻《めぐ》り|遊《あそ》ばし、|月《つき》の|大神《おほかみ》のまします|霊国《れいごく》の|月宮殿《げつきうでん》に|御参拝《ごさんぱい》の|上《うへ》、|御帰顕《ごきけん》あらむ|事《こと》を|望《のぞ》みます、さらば』
と|云《い》ひながら、|又《また》もや|大光団《だいくわうだん》と|化《くわ》して、|天《てん》の|一方《いつぱう》に|其《その》|英姿《えいし》を|隠《かく》させたまうた。|二人《ふたり》は|其《その》|後《うしろ》を|眺《なが》め、|暫《しばら》く|伏《ふ》し|拝《をが》み|居《ゐ》たりしが、|治国別《はるくにわけ》は|玉依別《たまよりわけ》に|向《むか》ひ、
『ヤア|玉依別《たまよりわけ》|殿《どの》、|実《じつ》に|結構《けつこう》な|事《こと》では|厶《ござ》らぬか。|言霊別命《ことたまわけのみこと》|様《さま》は|昔《むかし》の|神様《かみさま》と|承《うけたま》はつて|居《ゐ》たが、|現在《げんざい》|吾《わが》|前《まへ》に|現《あら》はれて、|種々《しゆじゆ》と|結構《けつこう》な|教訓《けうくん》を|垂《た》れたまひ、|又《また》もや|五三公《いそこう》となつて|身《み》を|下《くだ》し、|吾等《われら》を|導《みちび》きたまひし|其《その》|尊《たふと》さ、|有難《ありがた》さ、|治国別《はるくにわけ》はもはや|感謝《かんしや》の|言葉《ことば》さへ|出《で》なくなりましたよ』
『|仰《おほ》せの|如《ごと》く|結構《けつこう》な|御導《おみちび》きに|預《あづ》かり、こんな|嬉《うれ》しい|事《こと》は|復《また》と|厶《ござ》いますまい。アヽ|神様《かみさま》、この|悦《よろこ》びと|栄《さか》えをして|永遠《ゑいゑん》に|吾等《われら》に|臨《のぞ》ませたまへ、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
『|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|手《て》を|拍《う》ち|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|袖《そで》を|霑《うるほ》して|居《ゐ》た。|是《これ》より|二人《ふたり》は|天国《てんごく》の|諸団体《しよだんたい》を|一々《いちいち》|訪問《はうもん》し、|各団体《かくだんたい》の|天人《てんにん》より|意外《いぐわい》の|優遇《いうぐう》を|受《う》け、|感謝《かんしや》に|満《み》ちた|境涯《きやうがい》を|送《おく》りながら、|是《これ》より|霊国《れいごく》の|月宮殿《げつきうでん》に|詣《まう》でむと|聖陽山《せいやうざん》を|乗《の》り|越《こ》え、|霊国《れいごく》の|中心《ちうしん》を|目当《めあて》に|道々《みちみち》|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》しながら|進《すす》み|往《ゆ》く。
|局面《きよくめん》|忽《たちま》ち|一変《いつぺん》して|紫《むらさき》、|赤《あか》、|黄《き》、|白《しろ》さまざまの|花《はな》|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|大野ケ原《おほのがはら》に|二人《ふたり》は|立《た》つて|居《ゐ》た。
『モシ|治国別《はるくにわけ》さま、|見渡《みわた》す|限《かぎ》り|際限《さいげん》なき|百花爛漫《ひやくくわらんまん》たる|大原野《だいげんや》、これが|所謂《いはゆる》|霊国《れいごく》で|厶《ござ》いませうかなア』
『サア、|霊国《れいごく》らしう|厶《ござ》いますなア。|誰人《たれ》か|天人《てんにん》に|会《あ》つて|尋《たづ》ねたいものです』
と|話《はな》す|折《をり》しも、|一人《ひとり》の|宣伝使《せんでんし》、|霊光《れいくわう》に|四辺《あたり》を|輝《かがや》かせながら|後《うしろ》より|足早《あしばや》に、オーイオーイと|声《こゑ》かけ|進《すす》み|来《きた》る。|二人《ふたり》は|立《た》ち|止《ど》まり、|宣伝使《せんでんし》の|吾《わが》|側《そば》に|近《ちか》づくを|待《ま》つて|居《ゐ》た。
『|私《わたくし》は|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》と|申《まを》す|霊国《れいごく》の|宣伝使《せんでんし》で|厶《ござ》います。|貴方《あなた》は|治国別《はるくにわけ》、|玉依別《たまよりわけ》のお|二方《ふたがた》では|厶《ござ》いませぬか』
|二人《ふたり》はハツと|大地《だいち》に|踞《しやが》み、
『ハイ、|仰《おほ》せの|通《とほ》り、|治国別《はるくにわけ》、|玉依別《たまよりわけ》の|両人《りやうにん》で|厶《ござ》います。|貴方《あなた》は|吾々《われわれ》が|日頃《ひごろ》|慕《した》ひまつる|月照彦《つきてるひこ》|様《さま》の|前身《ぜんしん》、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》|様《さま》で|厶《ござ》いましたか、|存《ぞん》ぜぬ|事《こと》とて|甚《いか》い|失礼《しつれい》を|致《いた》しました。|何卒《なにとぞ》|不都合《ふつがふ》の|段《だん》お|赦《ゆる》しを|願《ねが》ひます』
と|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|暮《く》れながら|答《こた》へた。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|両人《りやうにん》を|従《したが》へ、スタスタと|東《ひがし》を|指《さ》して|進《すす》み|往《ゆ》くその|足《あし》の|早《はや》さ。|二人《ふたり》は|後《おく》れじと|一生懸命《いつしやうけんめい》にチヨコチヨコ|走《ばし》りになつて|従《つ》いて|行《ゆ》く。|何時《いつ》の|間《ま》にやら|小高《こだか》き|丘陵《きうりよう》の|上《うへ》に|着《つ》いて|居《ゐ》た。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|二人《ふたり》に|向《むか》ひ、
『|此処《ここ》は|霊国一《れいごくいち》の|名山《めいざん》、|月照山《げつせうざん》と|申《まを》します。|此《この》|山《やま》は|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り|実《じつ》に|平坦《へいたん》な|場所《ばしよ》で|厶《ござ》います。|是《これ》より|私《わたくし》と|奥《おく》へお|進《すす》みになれば、|月《つき》の|大神様《おほかみさま》の|宮殿《きうでん》なる|月宮殿《げつきうでん》と|云《い》ふ|立派《りつぱ》な|御殿《ごてん》が|厶《ござ》います。サア、も|一足《ひとあし》です、|急《いそ》ぎませう』
と|又《また》もや|急《いそ》ぎ|歩《あゆ》み|出《だ》した。|二人《ふたり》は|漸《やうや》くにして|七宝《しつぽう》をもつて|飾《かざ》られたる|門《もん》の|前《まへ》に|辿《たど》りついた。|数多《あまた》の|麗《うるは》しき|天人《てんにん》は|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|帰館《きくわん》を|出《い》で|迎《むか》へ、|音楽《おんがく》や|歌《うた》をもつて|歓迎《くわんげい》の|意《い》を|表《へう》するのであつた。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|諸天人《しよてんにん》に|一々《いちいち》|挨拶《あいさつ》を|返《かへ》しながら、|七《なな》つの|門《もん》を|潜《くぐ》つて|邸内《ていない》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》る。|二人《ふたり》は|後《あと》に|従《したが》ひ|勢《いきほひ》よく|数多《あまた》の|天人《てんにん》に|会釈《ゑしやく》しながら、|月宮殿《げつきうでん》さして|急《いそ》ぎ|往《ゆ》く。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|二人《ふたり》を|導《みちび》き、|殿内《でんない》|深《ふか》く|進《すす》み、|数多《あまた》の|天女《てんによ》に|命《めい》じ、|珍《めづ》らしき|果実《このみ》や|酒《さけ》などを|饗応《きやうおう》し、|歌舞音曲《かぶおんきよく》を|諸天人《しよてんにん》に|奏《そう》せしめ、|其《その》|旅情《りよじやう》を|慰《なぐさ》めた。|二人《ふたり》は|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|咽《むせ》びつつ、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|命《めい》のまにまに|珍《めづ》らしき|飲食《おんじき》を|喫《きつ》しつつ、|口中《こうちう》に|天津祝詞《あまつのりと》の|奏上《そうじやう》を|怠《おこた》らなかつた。|奥殿《おくでん》より|金色燦爛《きんしよくさんらん》たる|御衣《ぎよい》を|着《ちやく》し、|麗《うるは》しき|容貌《ようばう》に|得《え》も|云《い》はれぬ|笑《ゑみ》を|湛《たた》へ、|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|給《たま》うた|大神《おほかみ》は、|最前《さいぜん》|紫微宮《しびきう》に|於《おい》て、|桃園《たうゑん》の|案内《あんない》をされた|西王母《せいわうぼ》であつた。|西王母《せいわうぼ》の|後《うしろ》には|巨大《きよだい》なる|月光《げつくわう》が|影《かげ》の|如《ごと》くつき|従《したが》ひ|輝《かがや》いて|居《ゐ》た。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|恭《うやうや》しく|頭《あたま》を|下《さ》げ、|王母《わうぼ》に|向《むか》ひ、
『お|蔭《かげ》によりまして、|治国別《はるくにわけ》、|玉依別《たまよりわけ》の|両人《りやうにん》は|漸《やうや》く|天国《てんごく》の|修業《しうげふ》を|果《はた》しました。これ|全《まつた》く|大神様《おほかみさま》の|御恵《みめぐみ》と、|両人《りやうにん》にかはり、|厚《あつ》く|御礼《おんれい》|申上《まをしあ》げます』
と|恭《うやうや》しく|奏上《そうじやう》した。|二人《ふたり》はハツとばかり|頭《あたま》を|下《さ》げ、|畏《かしこ》まり|居《ゐ》る。|西王母《せいわうぼ》は|両人《りやうにん》の|側近《そばちか》く|進《すす》み|給《たま》ひ、|左手《ゆんで》に|治国別《はるくにわけ》、|右手《めて》に|玉依別《たまよりわけ》の|手《て》を|固《かた》く|握《にぎ》り、|涙《なみだ》を|落《おと》させ|給《たま》ひ、
『|汝等《なんぢら》|両人《りやうにん》、|能《よ》くも|神命《しんめい》を|重《おも》んじ|天国《てんごく》|霊国《れいごく》の|巡見《じゆんけん》を|全《まつた》うせしよ。|其《その》|熱誠《ねつせい》は|感賞《かんしやう》するに|余《あま》りあり。|汝等《なんぢら》|二人《ふたり》は|是《これ》より|天《あめ》の|八衢《やちまた》に|向《むか》つて|帰《かへ》り|往《ゆ》け、|汝《なんぢ》が|教《をし》へ|子《ご》、アーク、タールの|両人《りやうにん》が、キツと|迎《むか》へに|来《く》るであらう。さすれば|汝等《なんぢら》|両人《りやうにん》は|元《もと》の|肉体《にくたい》に|帰《かへ》り、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|神業《しんげふ》に|参加《さんか》し|得《う》るであらう。|名残《なごり》は|尽《つ》きざれど、これにて|訣別《けつべつ》するであらう』
と|御声《おんこゑ》までも|打《う》ち|湿《しめ》り、|振返《ふりかへ》り|振返《ふりかへ》り|奥殿《おくでん》|指《さ》して|帰《かへ》り|給《たま》ふ。|二人《ふたり》はハツと|後姿《うしろすがた》を|伏拝《ふしをが》み、|感慨無量《かんがいむりやう》の|態《てい》であつた。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|両人《りやうにん》に|向《むか》ひ、
『サラバ、|拙者《せつしや》はこれにてお|別《わか》れ|申《まを》さむ。|神業《しんげふ》のため|随分《ずいぶん》|御精励《ごせいれい》あれ』
と|云《い》ひ|捨《す》て、|又《また》もや|鮮麗《せんれい》なる|光《ひかり》となつて、|其《その》|姿《すがた》を|東天《とうてん》に|隠《かく》した。これより|二人《ふたり》は|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》しながら、|中間天国《ちうかんてんごく》を|越《こ》え、|下層天国《かそうてんごく》をも|乗《の》り|越《こ》え、|神業《しんげふ》に|参加《さんか》すべく|天《あめ》の|八衢《やちまた》を|指《さ》して|帰《かへ》り|往《ゆ》く。
(大正一二・一・一三 旧一一・一一・二七 加藤明子録)
第一四章 |至愛《しあい》〔一二六八〕
|治国別《はるくにわけ》、|玉依別《たまよりわけ》は|最高《さいかう》の|霊国《れいごく》を|後《あと》にして、|帰途《きと》|中間霊国《ちうかんれいごく》を|横断《わうだん》し、|最下層《さいかそう》の|天国《てんごく》に|降《くだ》つて|来《き》た。|往《ゆき》がけは|其《その》|証覚《しようかく》、|両人《りやうにん》|共《とも》|今《いま》の|如《ごと》くならざりし|故《ゆゑ》、|非常《ひじやう》にまばゆく|感《かん》じたりしが、|日《ひ》の|若宮《わかみや》に|於《おい》て|神徳《しんとく》を|摂受《せつじゆ》したる|二人《ふたり》は、|最早《もはや》|第三天国《だいさんてんごく》の|旅行《りよかう》は|何《なん》の|苦痛《くつう》もなかつた。|併《しか》しながら|第一《だいいち》、|第二《だいに》、|第三《だいさん》と|下降《かかう》し|来《きた》るにつれて、|吾《われ》ながら|其《その》|神力《しんりき》の|減退《げんたい》する|如《ごと》く|思《おも》はれ、また|明確《めいかく》なる|想念《さうねん》も|甚《はなはだ》しく|劣《おと》りし|如《ごと》く|思《おも》はるるのは、|実《じつ》に|不思議《ふしぎ》であつた。|漸《やうや》くにして|二人《ふたり》は、|八衢《やちまた》の|関所《せきしよ》に|着《つ》いた。|伊吹戸主《いぶきどぬし》の|神《かみ》は|数多《あまた》の|守衛《しゆえい》を|率《ひき》ゐて|二人《ふたり》を|歓迎《くわんげい》した。|二人《ふたり》は|館《やかた》の|奥《おく》の|間《ま》に|導《みちび》かれ、|茶菓《さくわ》の|饗応《きやうおう》を|受《う》け、|霊界《れいかい》に|関《くわん》する|種々《いろいろ》の|談話《だんわ》を|交換《かうくわん》した。
|伊吹《いぶき》『|治国別《はるくにわけ》|様《さま》、|首尾《しゆび》|克《よ》く|最奥天国《さいあうてんごく》、|霊国《れいごく》がきはめられましてお|目出度《めでた》う|厶《ござ》います。さぞ|面白《おもしろ》きお|話《はなし》が|厶《ござ》いませうねえ』
『|何分《なにぶん》|徳《とく》が|足《た》らないものですから、|何《いづ》れの|天国《てんごく》に|於《おい》ても|荷《に》が|重《おも》すぎて、|非常《ひじやう》に|屁古《へこ》たれました。|併《しか》しながら|諸《しよ》エンゼルの|導《みちび》きによつて、|辛《から》うじて|最奥天国《さいあうてんごく》まで|導《みちび》かれ、|其《その》|団体《だんたい》の|一部《いちぶ》を|巡拝《じゆんぱい》し、|漸《やうや》く|此処《ここ》まで|帰《かへ》つて|参《まゐ》りました。|併《しか》しながら|不思議《ふしぎ》な|事《こと》には、|下層《かそう》|天国《てんごく》より|順《じゆん》を|追《お》うて|最奥天国《さいあうてんごく》へ|上《のぼ》る|時《とき》の|苦《くるし》さは|譬《たと》へられませぬ。|丁度《ちやうど》|三才《さんさい》の|童子《どうじ》に|重《おも》き|黄金《わうごん》の|棒《ぼう》を|負《お》はせたやうなもので、|余《あま》り|結構《けつこう》|過《す》ぎて、それに|相応《さうおう》する|神力《しんりき》なき|為《ため》、|到《いた》る|所《ところ》で|恥《はぢ》を|掻《か》いて|参《まゐ》りました』
『お|下《くだ》りの|時《とき》はお|楽《らく》で|厶《ござ》いましたらうなア』
『ハイ、|帰《かへ》りは|帰《かへ》りで|又《また》|苦《くる》しう|厶《ござ》いました。|何《なん》だかダンダンと|神徳《しんとく》が|脱《ぬ》ける|様《やう》で|厶《ござ》いましたよ』
『すべて|霊界《れいかい》は|想念《さうねん》の|世界《せかい》で|厶《ござ》います、それ|故《ゆゑ》|情動《じやうどう》の|変移《へんい》によつて、|国土《こくど》|相応《さうおう》の|証覚《しようかく》に|住《ぢゆう》するのですから、|先《ま》づそれで|順序《じゆんじよ》をお|踏《ふ》みになつたのです。|高天原《たかあまはら》の|規則《きそく》は|大変《たいへん》|厳格《げんかく》なもので、|互《たがひ》に|其《その》|範囲《はんゐ》を|犯《をか》す|事《こと》は|出来《でき》ない|様《やう》になつて|居《を》ります。|最高天国《さいかうてんごく》、|中間天国《ちうかんてんごく》、|下層天国《かそうてんごく》|及《およ》び|三層《さんそう》の|霊国《れいごく》は、|厳粛《げんしゆく》な|区別《くべつ》を|立《た》てられ、|各天界《かくてんかい》の|諸天人《しよてんにん》は|互《たがひ》に|往来《わうらい》する|事《こと》さへも|出来《でき》ないのです。|下層天国《かそうてんごく》の|天人《てんにん》は|中間天国《ちうかんてんごく》へ|上《のぼ》る|事《こと》は|出来《でき》ず、|又《また》|上天国《じやうてんごく》の|者《もの》は|以下《いか》の|天国《てんごく》に|下《くだ》る|事《こと》も|出来《でき》ないのが|規則《きそく》です。もしも|下《した》の|天国《てんごく》より|上《うへ》の|天国《てんごく》に|上《のぼ》り|行《ゆ》く|天人《てんにん》があれば|必《かなら》ず|痛《いた》く|其《その》|心《こころ》を|悩《なや》ませ、|苦《くるし》み|悶《もだ》え、|自分《じぶん》の|身辺《しんぺん》に|在《あ》る|物《もの》さへ|見《み》えない|様《やう》に、|眼《まなこ》が|眩《くら》むものです。ましてや|上天国《じやうてんごく》の|天人《てんにん》と|言語《げんご》を|交《まじ》ゆる|事《こと》などは|到底《たうてい》|出来《でき》ませぬ。|又《また》|上天国《じやうてんごく》から|下天国《かてんごく》へ|下《くだ》り|来《きた》る|天人《てんにん》は|忽《たちま》ち|其《その》|証覚《しようかく》を|失《うしな》ひますから、|言語《げんご》を|交《まじ》へむとすれば、|弁舌《べんぜつ》|渋《しぶ》りて|重《おも》く、|其《その》|意気《いき》は|全《まつた》く|沮喪《そさう》するものです。|故《ゆゑ》に|下層天国《かそうてんごく》の|天人《てんにん》が|中間天国《ちうかんてんごく》に|至《いた》るとも、|亦《また》|中間天国《ちうかんてんごく》の|天人《てんにん》が|最奥天国《さいあうてんごく》に|至《いた》るとも、|決《けつ》して|其《その》|身《み》に|対《たい》して|幸福《かうふく》を|味《あぢ》はふ|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|吾《わが》|居住《きよぢゆう》の|天国《てんごく》|以上《いじやう》の|天人《てんにん》は、|其《その》|光明《くわうみやう》|輝《かがや》き、|其《その》|威勢《ゐせい》に|打《う》たるるが|故《ゆゑ》に、|目《め》もくらみ、|只《ただ》|一人《ひとり》の|天人《てんにん》をも|見《み》る|事《こと》が|出来《でき》ませぬ。つまり|内分《ないぶん》なるもの、|上天国天人《じやうてんごくてんにん》の|如《ごと》く|開《ひら》けないが|為《ため》であります。|故《ゆゑ》に|目《め》の|視覚力《しかくりよく》も|明《あきら》かならず、|心中《しんちう》に|非常《ひじやう》な|苦痛《くつう》を|覚《おぼ》え、|自分《じぶん》の|生命《せいめい》の|有無《うむ》さへも|覚《おぼ》えない|様《やう》な|苦《くる》しみに|遇《あ》ふものです。|併《しか》しながら|貴方《あなた》|等《がた》は|大神様《おほかみさま》の|特別《とくべつ》のお|許《ゆる》しを|受《う》け、|媒介天人《ばいかいてんにん》|即《すなは》ち|霊国《れいごく》の|宣伝使《せんでんし》に|伴《ともな》はれて、お|上《のぼ》りになりましたから、|各段《かくだん》|及《およ》び|各団体《かくだんたい》に|交通《かうつう》の|道《みち》が|開《ひら》かれ、|其《その》|為《ため》|巡覧《じゆんらん》が|首尾《しゆび》よく|出来《でき》たのです。|而《しか》して|大神様《おほかみさま》は|上天《じやうてん》と|下天《かてん》の|連絡《れんらく》を|通《つう》じ|給《たま》ふに、|二種《にしゆ》の|内流《ないりう》によつて|之《これ》を|成就《じやうじゆ》し|給《たま》ふのです。|而《しか》して|二種《にしゆ》の|内流《ないりう》とは、|一《いち》は|直接内流《ちよくせつないりう》、|一《いち》は|間接内流《かんせつないりう》であります』
|玉依《たまより》『|直接内流《ちよくせつないりう》、|間接内流《かんせつないりう》とは|如何《いか》なる|方法《はうはふ》を|言《い》ふので|厶《ござ》いますか』
『|大神様《おほかみさま》は|上中下《じやうちうげ》|三段《さんだん》の|天界《てんかい》をして、|打《う》つて|一丸《いちぐわん》となし、|一切《いつさい》の|事物《じぶつ》をして、|其《その》|元始《げんし》より|終局点《しうきよくてん》に|至《いた》るまで|悉《ことごと》く|連絡《れんらく》あらしめ、|一物《いちぶつ》と|雖《いへど》も|洩《も》らさせ|給《たま》ふ|事《こと》はありませぬ。|而《しか》して|直接内流《ちよくせつないりう》とは|大神様《おほかみさま》から|直《ただち》に|天界《てんかい》|全般《ぜんぱん》に|御神格《ごしんかく》の|流入《りうにふ》するものであり、|間接内流《かんせつないりう》とは|各天界《かくてんかい》と|天界《てんかい》との|間《あひだ》に、|神格《しんかく》の|流《なが》れ|通《つう》ずるのを|言《い》ふのです』
|治国《はるくに》『|如何《いか》にも、それにて|一切《いつさい》の|疑問《ぎもん》が|氷解《ひようかい》|致《いた》しました。|私《わたし》は|之《これ》よりお|暇《いとま》を|申《まを》し、|現界《げんかい》へ|帰《かへ》らねばなりませぬ。|併《しか》しながらどちらへ|帰《かへ》つてよいか、サツパリ|分《わか》らなくなりました。|最高天国《さいかうてんごく》から|下《くだ》るに|就《つ》いて、|折角《せつかく》|戴《いただ》いた|吾《わが》|証覚《しようかく》が|鈍《にぶ》り、|今《いま》では|元《もと》の|杢阿弥《もくあみ》、サツパリ|現界《げんかい》の|方角《はうがく》さへも|見《み》えなくなつて|了《しま》ひました。|之《これ》でも|現界《げんかい》へ|帰《かへ》りましたら、|神様《かみさま》に|賜《たま》はつた|神力《しんりき》が|依然《いぜん》として|保《たも》たれるでせうか』
『|現界《げんかい》に|於《おい》て|最奥天国《さいあうてんごく》に|於《お》けるが|如《ごと》き|智慧証覚《ちゑしようかく》は|必要《ひつえう》がありませぬ。|只《ただ》|必要《ひつえう》なるは|愛《あい》と|信《しん》のみです。|其《その》|故《ゆゑ》は|最高天国《さいかうてんごく》の|天人《てんにん》の|証覚《しようかく》は|第二天国人《だいにてんごくじん》の|知覚《ちかく》に|入《い》らず、|第二天国人《だいにてんごくじん》の|証覚《しようかく》は|第三天国人《だいさんてんごくじん》の|能《よ》く|受《う》け|入《い》るる|所《ところ》とならない|様《やう》に、|中有界《ちううかい》なる|現界《げんかい》に|於《おい》て、|余《あま》り|最高至上《さいかうしじやう》の|真理《しんり》を|説《と》いた|所《ところ》で|有害無益《いうがいむえき》ですから、|只《ただ》|貴方《あなた》が|大神様《おほかみさま》に|授《さづ》かりなさつた|其《その》|神徳《しんとく》を、|腹《はら》の|中《なか》に|納《をさ》めておけば|可《い》いのです。|大神様《おほかみさま》でさへも|地上《ちじやう》に|降《くだ》り、|世界《せかい》の|万民《ばんみん》を|導《みちび》かむとなし|給《たま》ふ|時《とき》は、|或《ある》|精霊《せいれい》に|其《その》|神格《しんかく》を|充《みた》し、|化相《けさう》の|法《はふ》によつて|予言者《よげんしや》に|現《あら》はれ、|予言者《よげんしや》を|通《つう》じて|現界《げんかい》に|伝《つた》へ|給《たま》ふのであります。それ|故《ゆゑ》|神様《かみさま》は|和光同塵《わくわうどうぢん》の|相《さう》を|現《げん》じ、|人《にん》|見《み》て|法《はふ》|説《と》け、|郷《がう》に|入《い》つては|郷《がう》に|従《したが》へとの、|国土《こくど》|相応《さうおう》の|活動《くわつどう》を|遊《あそ》ばすのです。|貴方《あなた》が|今《いま》|最高天国《さいかうてんごく》より、|段々《だんだん》お|下《くだ》りになるにつけ、|証覚《しようかく》が|衰《おとろ》へたやうに|感《かん》じられたのは、|之《これ》は|自然《しぜん》の|摂理《せつり》です。|之《これ》から|現界《げんかい》へ|出《で》て、|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|人間《にんげん》へ|最高天国《さいかうてんごく》の|消息《せうそく》をお|伝《つた》へになつた|所《ところ》で、|恰《あだか》も|猫《ねこ》に|小判《こばん》を|与《あた》ふると|同様《どうやう》です。|先《ま》づ|貴方《あなた》が|現界《げんかい》へ|御帰《おかへ》りになれば、|中有界《ちううかい》の|消息《せうそく》を|程度《ていど》として|万民《ばんみん》を|導《みちび》きなさるが|宜《よろ》しい。|其《その》|中《なか》に|於《おい》て|少《すこ》しく|身魂《みたま》の|研《みが》けた|人間《にんげん》に|対《たい》しては、|第三天国《だいさんてんごく》の|門口《かどぐち》|位《ぐらゐ》の|程度《ていど》でお|諭《さと》しになるが|宜《よろ》しい。それ|以上《いじやう》|御説《おと》きになれば、|却《かへつ》て|人《ひと》を|慢心《まんしん》させ|害毒《がいどく》を|流《なが》すやうなものです。|人三化七《にんさんばけしち》の|社会《しやくわい》の|人民《じんみん》に|対《たい》して、|余《あま》り|高遠《かうゑん》なる|道理《だうり》を|聞《き》かすのは、|却《かへつ》て|疑惑《ぎわく》の|種《たね》を|蒔《ま》き、|遂《つひ》には|霊界《れいかい》の|存在《そんざい》を|否認《ひにん》する|様《やう》な|不心得者《ふこころえもの》が|現《あら》はれるものです。|故《ゆゑ》に|現界《げんかい》に|於《おい》て|数多《あまた》の|学者《がくしや》|共《ども》が|首《くび》を|集《あつ》め|頭《あたま》を|悩《なや》ませ、|霊界《れいかい》の|消息《せうそく》を|探《さぐ》らむとして|霊的《れいてき》|研究会《けんきうくわい》などを|設立《せつりつ》して|居《を》りますが、|之《これ》も|霊相応《みたまさうおう》の|道理《だうり》により、|中有界《ちううかい》の|一部分《いちぶぶん》より|外《ほか》は|一歩《いつぽ》も|踏《ふ》み|入《い》るる|事《こと》を|霊界《れいかい》に|於《おい》て|許《ゆる》してありませぬ。それ|故《ゆゑ》|貴方《あなた》は|現界《げんかい》へ|帰《かへ》り|学者《がくしや》にお|会《あ》ひになつた|時《とき》は、|其《その》|説《せつ》をよく|聴《き》き|取《と》り、|対者《たいしや》の|証覚《しようかく》の|程度《ていど》の|上《うへ》をホンの|針《はり》の|先《さき》|程《ほど》|説《と》けば|可《い》いのです。それ|以上《いじやう》お|説《と》きになれば|彼等《かれら》は|忽《たちま》ち|吾《わが》|癲狂痴呆《てんきやうちはう》たるを|忘《わす》れ、|却《かへつ》て|高遠《かうゑん》なる|真理《しんり》を|反対的《はんたいてき》に|癲狂者《てんきやうしや》の|言《げん》となし、|痴呆《ちはう》の|語《ご》となし、|精神病者扱《せいしんびやうしやあつかひ》をするのみで|少《すこ》しも|受入《うけい》れませぬ。|故《ゆゑ》に|現界《げんかい》の|博士《はくし》、|学士連《がくしれん》には、|霊相応《みたまさうおう》の|理《り》によつて|肉体《にくたい》のある|野天狗《のてんぐ》や|狐狸《こり》、|蛇《へび》などの|動物霊《どうぶつれい》に|関《くわん》する|現象《げんしやう》を|説示《せつじ》し、|卓子《テーブル》|傾斜《けいしや》|運動《うんどう》、|空中《くうちう》|拍手音《はくしゆおん》、|自動《じどう》|書記《しよき》、|幽霊《いうれい》|写真《しやしん》、|空中《くうちう》|浮上《うきあが》り、|物品《ぶつぴん》|引寄《ひきよ》せ、|超物質化《てうぶつしつくわ》、|天眼通《てんがんつう》、|天言通《てんげんつう》、|精神《せいしん》|印象《いんしやう》|鑑識《かんしき》、|読心術《どくしんじゆつ》、|霊的《れいてき》|療法《れうほふ》|等《など》の|地獄界《ぢごくかい》|及《およ》び|精霊界《せいれいかい》の|劣等《れつとう》なる|霊的《れいてき》|現象《げんしやう》を|示《しめ》し、|霊界《れいかい》の|何《なに》ものたるをお|説《と》きになれば、それが|現代人《げんだいじん》に|対《たい》する|身魂相応《みたまさうおう》です。それでも|神界《しんかい》と|連絡《れんらく》の|切《き》れた|人獣合一的《にんじうがふいつてき》|人間《にんげん》は|非常《ひじやう》に|頭《あたま》を|悩《なや》ませ、|学界《がくかい》の|大問題《だいもんだい》として|騒《さわ》ぎ|立《た》てますよ。アツハヽヽヽ』
|玉依《たまより》『モウシ、|伊吹戸主神《いぶきどぬしのかみ》|様《さま》、|私《わたし》は|日《ひ》の|若宮《わかみや》に|於《おい》て、|王母様《わうぼさま》より|玉依別《たまよりわけ》といふ|名《な》を|賜《たま》はりましたが、これは|最高天国《さいかうてんごく》で|名乗《なの》る|名《な》で|厶《ござ》いませうか、|現界《げんかい》に|於《おい》ても|用《もち》ひて|差支《さしつかへ》ありますまいか』
『|現界《げんかい》へお|帰《かへ》りになれば、|現界《げんかい》の|法則《はふそく》があります。|貴方《あなた》は|治国別《はるくにわけ》|様《さま》の|徒弟《とてい》たる|以上《いじやう》は、|現界《げんかい》へ|帰《かへ》ればヤハリ|竜公《たつこう》さまでお|働《はたら》きなされ。|治国別《はるくにわけ》|様《さま》がお|許《ゆる》しになれば、|如何《いか》なる|名《な》をおつけになつても|宜《よろ》しいが、|貴方《あなた》が|現界《げんかい》の|業務《げふむ》を|了《を》へ、|霊界《れいかい》へ|来《こ》られた|時《とき》|始《はじ》めて|名乗《なの》る|称号《しやうがう》です。|霊界《れいかい》で|賜《たま》はつた|事《こと》は|霊界《れいかい》にのみ|用《もち》ふるものです。|併《しか》しマア|復活後《ふくくわつご》は、|結構《けつこう》な|玉依別《たまよりわけ》|様《さま》と|云《い》ふ|称号《しやうがう》が|既《すで》に|既《すで》に|頂《いただ》けたのですから、お|目出度《めでた》う|厶《ござ》います。|決《けつ》して|霊界《れいかい》の|称号《しやうがう》を|用《もち》ひてはなりませぬぞや』
『ハイ、|畏《かしこ》まりました、|然《しか》らば|只今《ただいま》より|竜公《たつこう》と|呼《よ》んで|下《くだ》さいませ』
『モウ|暫《しばら》く|玉依別《たまよりわけ》さまと|申上《まをしあ》げねばなりませぬ』
『アーア、|玉依別《たまよりわけ》さまもモウ|少時《しばらく》の|間《ま》かなア、|折角《せつかく》|最高天国《さいかうてんごく》まで|上《のぼ》つて、|結構《けつこう》な|神力《しんりき》を|頂《いただ》いたが、|現界《げんかい》へ|帰《かへ》れば|又《また》|元《もと》の|杢阿弥《もくあみ》かなア。お|蔭《かげ》をサツパリ|落《おと》して|帰《かへ》るのかと|思《おも》へば、|何《なん》だか|心細《こころぼそ》くなりました』
『|決《けつ》してさうではありませぬ。|貴方《あなた》の|精霊《せいれい》が|頂《いただ》いた|神徳《しんとく》は、|火《ひ》にも|焼《や》けず、|水《みづ》にも|溺《おぼ》れず、|人《ひと》も|盗《ぬす》みませぬ。|三五教《あななひけう》の|神諭《しんゆ》にも……|御魂《みたま》に|貰《もら》うた|神徳《しんとく》は、|何者《なにもの》も|盗《ぬす》む|事《こと》は|能《よ》う|致《いた》さぬぞよ……と|現《あら》はれてありませう。|貴方《あなた》の|天国《てんごく》に|於《おい》て|戴《いただ》かれた|神徳《しんとく》は、|潜在意識《せんざいいしき》となつて|否《いな》|潜在神格《せんざいしんかく》となつて、どこ|迄《まで》も|廃《すた》りませぬ。|此《この》|神徳《しんとく》を|内包《ないはう》しあれば、マサカの|時《とき》にはそれ|相当《さうたう》の|神徳《しんとく》が|現《あら》はれます。|併《しか》しながら|油断《ゆだん》をしたり|慢心《まんしん》をなさると、|其《その》|神徳《しんとく》は|何時《いつ》の|間《ま》にやら|脱出《だつしゆつ》し|元《もと》の|神《かみ》の|御手《みて》に|帰《かへ》りますから、|御注意《ごちゆうい》なさるが|宜《よろ》しい。|而《しか》して|仮《か》りにも|現界《げんかい》の|人間《にんげん》に|対《たい》し、|最奥天国《さいあうてんごく》の|神秘《しんぴ》を|洩《も》らしてはなりませぬぞ。|却《かへつ》て|神《かみ》の|御神格《ごしんかく》を|冒涜《ばうとく》するやうになります。|霊界《れいかい》の|秘密《ひみつ》は|妄《みだ》りに|語《かた》るものではありませぬ。|愚昧《ぐまい》なる|人間《にんげん》に|向《むか》つて|分不相応《ぶんふさうおう》なる|教《をしへ》を|説《と》くは、|所謂《いはゆる》|豚《ぶた》に|真珠《しんじゆ》を|与《あた》ふるやうなものです。|忽《たちま》ち|貴重《きちよう》なる|真珠《しんじゆ》をかみ|砕《くだ》かれ、|一旦《いつたん》|其《その》|汚穢《をえ》なる|腹中《ふくちう》を|潜《くぐ》り、|糞尿《ふんねう》の|中《なか》へおとされて|了《しま》ふやうなものですよ』
『|治国別《はるくにわけ》さま、|駄目《だめ》ですよ、|私《わたし》は|天国《てんごく》の|消息《せうそく》を|実見《じつけん》さして|戴《いただ》き、|之《これ》から|現界《げんかい》へ|帰《かへ》つて、|先生《せんせい》と|共《とも》に|現界《げんかい》に|於《お》ける|霊感者《れいかんしや》の|双璧《さうへき》となり、|大《おほい》に|敏腕《びんわん》を|揮《ふる》つてみようと、|今《いま》の|今《いま》まで|楽《たの》しんで|居《を》りましたが、|最早《もはや》|伊吹戸主様《いぶきどぬしさま》のお|説《せつ》を|聞《き》いてガツカリ|致《いた》しました。さうするとヤツパリ|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》だけの|事《こと》より|出来《でき》ぬのですかなア。|宝《たから》の|持腐《もちぐさ》れになるやうな|気《き》がして|聊《いささ》か|惜《を》しう|厶《ござ》いますワ』
『アツハヽヽヽヽ』
『|私《わたし》は|伊邪那岐尊《いざなぎのみこと》の|御禊《みそぎ》によつて|生《うま》れました|四人《よにん》の|兄弟《きやうだい》です。されど|其《その》|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》|性来《しやうらい》によつて|祓戸《はらひど》の|神《かみ》となり、|最高天国《さいかうてんごく》より|此《この》|八衢《やちまた》に|下《くだ》り、|斯様《かやう》なつまらぬ|役《やく》を|勤《つと》めて|居《を》りますが、|之《これ》も|神様《かみさま》の|御心《みこころ》の|儘《まま》によりならないのですから、|喜《よろこ》んで|日々《にちにち》|此《この》|役目《やくめ》を|感謝《かんしや》し|忠実《ちうじつ》に|勤《つと》めて|居《ゐ》るのです。まだまだ|私《わたし》|所《どころ》か|妹《いもうと》の|瀬織津姫《せおりつひめ》、|速佐須良姫《はやさすらひめ》、|速秋津姫《はやあきつひめ》などは|実《じつ》にみじめな|役《やく》を|勤《つと》めて|居《を》ります。|言《い》はば|霊界《れいかい》の|掃除番《さうぢばん》です。|蛆《うじ》のわいた|塵《ちり》|芥《あくた》や|痰唾《たんつば》や|膿《うみ》、|糞《くそ》|小便《せうべん》など|所在《あらゆる》|汚《きたな》き|物《もの》を|取除《とりのぞ》き|浄《きよ》める|職掌《しよくしやう》ですから、|貴方《あなた》の|神聖《しんせい》なる|宣伝使《せんでんし》の|職掌《しよくしやう》に|比《くら》ぶれば、|実《じつ》に|吾々《われわれ》|兄弟《きやうだい》は|日《ひ》の|大神《おほかみ》の|貴《うづ》の|子《こ》でありながら、つまらぬ|役《やく》をさして|頂《いただ》いて|居《を》ります。|併《しか》し|之《これ》は|決《けつ》して|吾々《われわれ》|兄弟《きやうだい》が|此《この》|役目《やくめ》を|不足《ふそく》だと|思《おも》つて|申《まを》したのではありませぬ、|貴方《あなた》|等《がた》の|御心得《おこころえ》の|為《ため》|一例《いちれい》を|挙《あ》げたまでで|厶《ござ》います』
|玉依《たまより》『ハイ、|大神様《おほかみさま》の|御仁慈《ごじんじ》、|実《じつ》に|感《かん》じ|入《い》りました』
と|感涙《かんるゐ》にむせぶ。|治国別《はるくにわけ》は|憮然《ぶぜん》として、
『アヽ|実《じつ》に|大神様《おほかみさま》の|御恵《みめぐみ》、|感謝《かんしや》に|堪《た》へませぬ。|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|神諭《しんゆ》にも……|我《わが》|子《こ》にはつまらぬ|御用《ごよう》がさしてあるぞよ。|人《ひと》の|子《こ》には|傷《きず》はつけられぬから……とお|示《しめ》しになつてゐますが、|実《じつ》に|大神様《おほかみさま》の|御心《みこころ》は|測《はか》り|知《し》られぬ|有難《ありがた》きもので|厶《ござ》いますなア』
と|云《い》つたきり、|吐息《といき》を|洩《も》らして|差俯《さしうつむ》いてゐる。
『|私《わたし》ばかりぢやありませぬ、|月照彦神《つきてるひこのかみ》|様《さま》、|弘子彦神《ひろやすひこのかみ》|様《さま》、|少彦名神《すくなひこなのかみ》|様《さま》、|純世姫《すみよひめ》|様《さま》、|真澄姫《ますみひめ》|様《さま》、|竜世姫《たつよひめ》|様《さま》、|其《その》|他《ほか》|結構《けつこう》な|神々様《かみがみさま》は|皆《みな》、|厳《いづ》の|御霊《みたま》や|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》の|直々《ぢきぢき》の|御子《みこ》でありながら、|何《いづ》れも|他《た》の|神々《かみがみ》の|忌《い》み|嫌《きら》ふ|地底《ちてい》の|国《くに》へお|廻《まは》りになつて、|辛《つら》い|御守護《ごしゆご》をしてゐられます。|之《これ》を|思《おも》へば|貴方《あなた》|等《がた》は|実《じつ》に|結構《けつこう》なものですよ。|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|御神諭《ごしんゆ》にも……|人民《じんみん》|位《くらゐ》|結構《けつこう》な|者《もの》はないぞよ……と|示《しめ》されてありませうがなア』
|治国《はるくに》『|成程《なるほど》、|実《じつ》に|大神様《おほかみさま》の|御心《みこころ》の|程《ほど》は、|吾々《われわれ》|人間《にんげん》の|測《はか》り|知《し》る|所《ところ》ではありませぬ。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸《ち》はへませ、|五六七《みろく》の|大神様《おほかみさま》……』
と|涙《なみだ》を|滝《たき》の|如《ごと》く|流《なが》し、|神恩《しんおん》の|甚深《じんしん》なるに|感《かん》じ、|竜公《たつこう》と|共《とも》に|合掌《がつしやう》して|其《その》|場《ば》に|打伏《うちふ》した。|伊吹戸主神《いぶきどぬしのかみ》は|目《め》をしばたたきながら、
『|御両人様《ごりやうにんさま》、|其《その》|心《こころ》で、どうぞ|現界《げんかい》に|於《おい》て|神《かみ》の|為《ため》、|道《みち》の|為《ため》、|世人《よびと》の|為《ため》に|御活動《ごくわつどう》を|願《ねが》ひます。|左様《さやう》ならば|之《これ》にてお|別《わか》れ|致《いた》しませう』
と|云《い》ふより|早《はや》く|忙《いそが》しげに|奥《おく》の|間《ま》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。|二人《ふたり》は|後姿《うしろすがた》を|見送《みおく》り、|恭《うやうや》しく|拝礼《はいれい》しながら|館《やかた》を|立出《たちい》で、|赤門《あかもん》をくぐり、|白赤《しろあか》の|守衛《しゆゑい》に|厚《あつ》く|礼《れい》を|述《の》べ、|八衢街道《やちまたかいだう》を|想念《さうねん》の|向《むか》ふ|所《ところ》に|任《まか》せて|歩《あゆ》み|出《だ》した。アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一二・一・一四 旧一一・一一・二八 松村真澄録)
第四篇 |福音輝陣《ふくいんきぢん》
第一五章 |金玉《きんたま》の|辻《つじ》〔一二六九〕
|治国別《はるくにわけ》、|玉依別《たまよりわけ》は|八衢《やちまた》をブラリブラリと|逍遥《せうえう》しながら|或《ある》|四辻《よつつじ》の|辻堂《つじだう》の|前《まへ》に|差掛《さしかか》つた。
『|治国別《はるくにわけ》さま、どうやら|玉依別《たまよりわけ》の|称号《しやうがう》も|断末魔《だんまつま》が|近付《ちかづ》いたやうです。ここは|浮木《うきき》の|森《もり》の|十町《じつちやう》|許《ばか》り|手前《てまへ》の|破《やぶ》れ|堂《だう》ぢやありませぬか、どうも|記憶《きおく》に|残《のこ》つてゐるやうです』
『|成程《なるほど》、|川《かは》の|水音《みづおと》|迄《まで》|聞《きこ》えて|来《き》た。|何《なん》とはなしに|娑婆《しやば》|近《ちか》くなつた|様《やう》だ』
『|伊吹戸主《いぶきどぬし》の|神様《かみさま》にキツウ|釘《くぎ》をさされて|来《き》ました。|本当《ほんたう》に|吾々《われわれ》も|何時《いつ》の|間《ま》にやら、|鼻《はな》ばかり|高《たか》くなつて|居《を》つたと|見《み》えますな。|柔《やはら》かく|厳《きび》しくカツンとやられた|時《とき》の|恥《はづ》かしさ、|苦《くる》しさ、|今《いま》|思《おも》ひ|出《だ》しても|冷汗《ひやあせ》が|出《で》ますワ』
『|余《あま》りお|喋《しやべ》りが|過《す》ぎたからだ。|三五教《あななひけう》の|御神諭《ごしんゆ》にも……|何《なん》にも|知《し》らずに|途中《とちう》の|鼻高《はなだか》が、|鼻《はな》ばかり|高《たか》うして|偉《えら》さうに|申《まを》して|居《を》るが、|余《あま》り|鼻《はな》が|高《たか》うて|上《うへ》も|見《み》えず、|鼻《はな》が|目《め》の|邪魔《じやま》を|致《いた》して、|足許《あしもと》は|尚《なほ》|見《み》えず、|先《さき》も|見《み》えず、|気《き》の|毒《どく》なものであるぞよ。|神《かみ》が|鼻《はな》を|捻折《ねぢを》りて|改心《かいしん》さした|上《うへ》、|誠《まこと》の|事《こと》を|聞《き》かしてやるぞよ……とお|示《しめ》しになつてゐるが、|今《いま》|伊吹戸主神《いぶきどぬしのかみ》|様《さま》に|御説教《ごせつけう》を|聞《き》かされて、|実《じつ》に|御神諭《ごしんゆ》の|尊《たふと》い|事《こと》を、|今更《いまさら》の|如《ごと》く|悟《さと》つたよ』
『ハ、さうですな。|之《これ》から|現界《げんかい》へ|帰《かへ》つたら、|科学的《くわがくてき》|霊学《れいがく》|研究《けんきう》などと|偉《えら》さうにホラを|吹《ふ》いてゐる|途中《とちう》の|鼻高《はなだか》の|鼻《はな》つパチを|捻折《ねぢを》つてやらぬ|事《こと》には、|到底《たうてい》|霊界《れいかい》の|片鱗《へんりん》も|宇宙《うちう》の|真相《しんさう》もヨウ|分《わ》けず、|亡者然《まうじやぜん》と|威張《ゐば》つて|居《ゐ》る|始末《しまつ》に|了《を》へぬ|奴《やつ》を、|鼻《はな》を|捻折《ねぢを》つて|助《たす》けてやりませうかな』
『アハヽヽヽ、|自分《じぶん》の|顔《かほ》は|見《み》えませぬか、|玉依別《たまよりわけ》さま、お|前《まへ》さまの|鼻《はな》は|随分《ずいぶん》|高《たか》うなりましたよ』
『ヤア、|知《し》らぬ|間《ま》に|霊界《れいかい》ぢやと|見《み》えて、|想念《さうねん》の|延長《えんちやう》を|来《きた》し、|鼻《はな》|迄《まで》|延長《えんちやう》してゐました、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》に|折《を》つて|貰《もら》つて、これで|満足《まんぞく》な|顔《かほ》になりました。アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
『|伊吹戸主神《いぶきどぬしのかみ》|様《さま》のお|諭《さと》しを|忘《わす》れちやなりませぬよ』
『モシ|忘《わす》れたら、|貴方《あなた》|気《き》をつけて|下《くだ》さいや。|又《また》|潜在意識《せんざいいしき》とか、|潜在神格《せんざいしんかく》となつて、|心内《しんない》|深《ふか》く|潜伏《せんぷく》|致《いた》しました|時《とき》にや、|副守《ふくしゆ》が|跋扈《ばつこ》して、|又《また》|脱線《だつせん》をするかも|知《し》れませぬから、どうぞ|其《その》|都度《つど》|々々《つど》、|御忠告《ごちうこく》を|願《ねが》ひます』
『ハツハヽヽ、|玉依別《たまよりわけ》さま、|私《わたし》も|何時《いつ》|忘《わす》れるか|知《し》れないから、|互《たがひ》に|気《き》をつけ|合《あ》ふ|事《こと》に|致《いた》しませう』
『|貴方《あなた》も|私《わたくし》も|一時《いつとき》に|忘《わす》れて|了《しま》つたら|何《ど》うなりますか』
『|今《いま》から|忘《わす》れる|事《こと》ばかり|考《かんが》へなくても|宜《よろ》しい。|忘《わす》れてよい|事《こと》は|忘《わす》れ、|忘《わす》れてならない|事《こと》は|忘《わす》れない|様《やう》に|努《つと》めるのですな』
かく|話《はな》す|所《ところ》へ、ヅブ|六《ろく》に|酔《よ》うてヒヨロリ ヒヨロリとやつて|来《き》たのは|蠑〓別《いもりわけ》、エキス|両人《りやうにん》の|精霊《せいれい》であつた。|肉体《にくたい》のある|精霊《せいれい》は、|肉体《にくたい》のなき|精霊《せいれい》に|言葉《ことば》をかけられる|時《とき》は、|直《ただち》に|煙《けむり》の|如《ごと》く|消失《せうしつ》するものだが、|四人《よにん》|共《とも》|肉体《にくたい》に|帰《かへ》り|得《う》べき|精霊《せいれい》の|事《こと》とて、どちらも|元気《げんき》がよい。|蠑〓別《いもりわけ》は|辻堂《つじだう》に|休《やす》んでゐる|二人《ふたり》の|前《まへ》に|現《あら》はれ|来《きた》り、
『モシ、|何《いづ》れの|方《かた》か|知《し》りませぬが、|一寸《ちよつと》|御尋《おたづ》ね|申《まを》します、|二十歳《はたち》|許《ばか》りの|妙齢《めうれい》の|美人《びじん》が、ここを|通過《つうくわ》|致《いた》しませなんだかな』
|玉依《たまより》『ウン、ねつから|女《をんな》らしい|方《かた》には、|牝猫《めんねこ》|一匹《いつぴき》|会《あ》ひませぬよ』
『ナヽ|何《なん》だ、|会《あ》はぬと|申《まを》すか、|大方《おほかた》|其《その》|方《はう》が|誘拐《かどわか》して|隠《かく》して|居《ゐ》るのだろ。|此《この》|街道《かいだう》は|男《をとこ》も|女《をんな》も|通《とほ》る|所《ところ》だ。エヽン、ゴテゴテぬかさずに|白状《はくじやう》せぬか。なア、エキス、お|前《まへ》の|鑑定《かんてい》は|何《ど》う|思《おも》ふ』
『|何《なん》だか|知《し》らぬが、|女《をんな》はモウ|懲々《こりごり》だ、お|民《たみ》の|事《こと》を|言《い》ふものぢやない。お|民《たみ》の|事《こと》を|聞《き》くと、すぐにお|寅婆《とらばば》を|聯想《れんさう》する。あんな|鬼婆《おにばば》が|又《また》もや、やつて|来《き》て|鼻《はな》でも|捻《ね》ぢよつたら、|今度《こんど》はモウ、サツパリだ。|言《い》ふな|言《い》ふな、|女《をんな》の|一疋《いつぴき》やそこら、|何《なん》だい』
『|貴様《きさま》にや|情交上《じやうかうじやう》の|関係《くわんけい》がないから、そんな|平気《へいき》な|顔《かほ》して|居《を》らりようが、|当《たう》の|御亭主《ごていしゆ》たる|俺《おれ》には|又《また》|特別《とくべつ》の|悲痛《ひつう》があるのだ。|恋知《こひし》らずの|木狂漢《ぼくきやうかん》に|英雄《えいゆう》の|心事《しんじ》が|分《わか》つてたまらうかい、エヽーン、|大切《たいせつ》なる|情婦《じやうふ》を|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|色魔《しきま》にチヨロまかされ、|其《その》|上《うへ》|色白《いろじろ》の|青瓢箪男《あをべうたんをとこ》に|自由《じいう》にされ、どうしてこれが|黙《だま》つて|居《を》らりようか。お|民《たみ》の|奴《やつ》、とうと|途中《とちう》で|逃《に》げて|了《しま》ひよつた。キツと|喋《しめ》し|合《あは》せて、どつかで|会《あ》うて【けつ】かるに|違《ちがひ》ない、|俺《おれ》はどこまでも|彼奴《あいつ》の|所在《ありか》を|突《つ》き|止《と》め、|思《おも》ふ|存分《ぞんぶん》やらなくちや|虫《むし》がいえねえのだ。……ヤア|貴様《きさま》は|治国別《はるくにわけ》ぢやないか。こんな|所《ところ》へお|民《たみ》の|後《あと》を|追《お》うて|来《き》よつたのかな。|貴様《きさま》もヤツパリ|同穴《どうけつ》の|貉《むじな》だらう、サア|所在《ありか》を|白状《はくじやう》|致《いた》せ』
と|臭《くさ》い|息《いき》を|吹《ふ》きかけながら、|治国別《はるくにわけ》の|手《て》をグツと|握《にぎ》り、|目《め》を|縦《たて》にして|睨《にら》みつけた。|治国別《はるくにわけ》は|迷惑《めいわく》さうな|顔《かほ》をしながら、
『|蠑〓別《いもりわけ》さま、|見当違《けんたうちがひ》も|程《ほど》がありますよ』
『ナーニ、|見当違《けんたうちがひ》だと、|馬鹿《ばか》を|申《まを》せ、|俺《おれ》の|天眼通《てんがんつう》で、|貴様《きさま》がお|民《たみ》をそそのかして|居《ゐ》ることを|遠隔透視《ゑんかくとうし》したのだ。そして|囁《ささや》いて|居《を》つた|事《こと》をも|天耳通《てんじつう》でチヤンと|調《しら》べてある。サア|何処《どこ》へかくした、|白状《はくじやう》|致《いた》せ』
『アハヽヽヽ、それ|程《ほど》よく|天眼通《てんがんつう》が|利《き》くならば、お|民《たみ》さまの|所在《ありか》は|一目《ひとめ》で|分《わか》りさうなものですなア』
|蠑〓別《いもりわけ》は|言葉《ことば》につまり、|酒《さけ》の|酔機嫌《よひきげん》で、|拳《こぶし》を|固《かた》めて|治国別《はるくにわけ》の|横面《よこづら》を|続《つづ》けざまに|三《み》つ|四《よ》つなぐつた。|治国別《はるくにわけ》は|頭《あたま》をかかへて|抵抗《ていかう》もせず、『|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』を|奏上《そうじやう》しながら、しやがんでゐる。|玉依別《たまよりわけ》はグツと|癪《しやく》に|障《さは》り、|蠑〓別《いもりわけ》の|後《うしろ》に|廻《まは》り、|睾玉《きんたま》をグツと|握《にぎ》つて、|後《うしろ》へ|引《ひ》いた。|此《この》|体《てい》を|見《み》て、エキスは|又《また》もや|玉依別《たまよりわけ》の|睾丸《きんたま》をグツと|握《にぎ》り、|後《うしろ》へ|引《ひ》いた|途端《とたん》に|足《あし》が|前《まへ》に|辷《すべ》り、ドンと|握《にぎ》つたまま|仰向《あふむ》けに|倒《たふ》れた。|将棋倒《しやうぎだふ》しにズルズルと|玉依別《たまよりわけ》、|蠑〓別《いもりわけ》といふ|順《じゆん》に|三《み》つ|重《がさ》ねとなつた。エキスは|玉依別《たまよりわけ》の|大《おほ》きな|尻《けつ》に|睾丸《きんたま》をグツと|押《おさ》へられ、|三人《さんにん》|共《とも》|睾丸《きんたま》を|痛《いた》めて、|舌《した》をかみ|出《だ》し、|目《め》を|眩《まか》して|了《しま》ひ、|三人揃《さんにんそろ》うて|三《さん》【きん】|交替《かうたい》の|睾丸《きんたま》の|江戸登城《えどとじやう》をやつて|了《しま》つた。
|治国別《はるくにわけ》は|驚《おどろ》いて|三人《さんにん》の|手《て》を|無理《むり》に|放《はな》し、|一人《ひとり》|々々《ひとり》|地上《ちじやう》に|横臥《わうぐわ》させ、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|数歌《かずうた》を|歌《うた》ひ|上《あ》げ、|鎮魂《ちんこん》を|以《もつ》て|神霊注射《しんれいちうしや》を|試《こころ》みた。|玉依別《たまよりわけ》は|第一着《だいいちちやく》に|息《いき》を|吹返《ふきかへ》し、
『アイタヽヽ、アー|偉《えら》い|目《め》に|遇《あ》はしよつた。ヤ、|先生《せんせい》、よう|助《たす》けて|下《くだ》さいました。|私《わたし》は|又《また》|第一天国《だいいちてんごく》へただ|一人《ひとり》|上《のぼ》りかけて|居《を》りましたら、|貴方《あなた》のお|声《こゑ》で|天《あま》の|数歌《かずうた》が|聞《きこ》え|出《だ》しましたので、|後《あと》ふり|返《かへ》り|見《み》れば、|貴方《あなた》の|身体《からだ》より|霊光《れいくわう》が|発射《はつしや》し、|其《その》|光《ひかり》に|包《つつ》まれたと|思《おも》へば|気《き》がつきました。|精霊界《せいれいかい》へ|来《き》てもヤツパリ|目《め》をまかしたり、|霊体脱離《れいたいだつり》したりするものと|見《み》えますなア』
『アヽさうと|見《み》えるなア、|不思議《ふしぎ》なものだ。|併《しか》し|蠑〓別《いもりわけ》さまとエキスさまが、|睾丸《きんたま》を|損《そこ》ねてまだ|気《き》がつかない。|早《はや》く|助《たす》けてやらねばならぬ。|玉依別《たまよりわけ》さま、|一《ひと》つ|貴方《あなた》、|神様《かみさま》に|願《ねが》つて|復活《ふくくわつ》さしてやつて|下《くだ》さい』
『|成程《なるほど》、|揃《そろ》ひも|揃《そろ》うて|睾丸病者《かうぐわんびやうしや》ばかりですな。|一《ひと》つ|願《ねが》つて|見《み》ませうか。|併《しか》し|先生《せんせい》、|此奴《こいつ》ア、|貴方《あなた》の|横《よこ》つ|面《つら》を|擲《なぐ》つた|悪人《あくにん》ですから、|放《ほ》つといてやりませうかい』
『|神《かみ》の|道《みち》は|人《ひと》を|救《すく》ふのが|勤《つと》めだ。|霊界《れいかい》へ|来《き》てそんな|心《こころ》では|可《い》けませぬぞ。|天国《てんごく》には|恨《うらみ》もなければ|憎《にく》みもない、|只《ただ》|愛《あい》あるのみですよ』
『そらさうです、|併《しか》しここは|天国《てんごく》ぢやありませぬぞえ。|中有界《ちううかい》ですから、|善《ぜん》も|居《を》れば|悪《あく》も|居《を》ります。|悪人《あくにん》は|悪人《あくにん》で|懲《こら》してやるが|社会《しやくわい》の|為《ため》ですよ』
『ソリヤいけませぬ。|貴方《あなた》は|仮令《たとへ》|身《み》は|中有界《ちううかい》に|居《を》るとも、|其《その》|内分《ないぶん》には|最高天国《さいかうてんごく》が|開《ひら》けてゐるぢやありませぬか。|其《その》|心《こころ》を|以《もつ》て|御助《おたす》けなさい』
『|伊吹戸主神《いぶきどぬしのかみ》|様《さま》が|中有界《ちううかい》は|中有界《ちううかい》、|現界《げんかい》は|現界《げんかい》|相応《さうおう》の|理《り》を|守《まも》れ、|妄《みだ》りに|天界《てんかい》の|秘密《ひみつ》を、|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|人間《にんげん》に|示《しめ》すと、|却《かへつ》て|神《かみ》を|冒涜《ばうとく》する……と|仰有《おつしや》つたぢやありませぬか』
『ハツハヽヽ、|益々《ますます》|分《わか》らぬやうになりますねえ』
『さうでせうとも、すでに|竜公《たつこう》に|還元《くわんげん》の|間際《まぎは》ですからなア。|大《おほい》に|愛善《あいぜん》と|証覚《しようかく》が|衰《おとろ》へました。|否《いな》|内分《ないぶん》が|塞《ふさ》がりましたやうです』
かく|言《い》ふ|折《をり》しも、|蠑〓別《いもりわけ》、エキスはムクムクと|起上《おきあが》り、|二人《ふたり》の|顔《かほ》を|睨《にら》みながら、|怖《こは》さうに|後向《うしろむ》けに|歩《ある》き|出《だ》し、|五六間《ごろくけん》の|距離《きより》を|保《たも》つた|時《とき》、|何《なに》を|思《おも》うたか、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|出《だ》して|了《しま》つた。
『ハツハヽヽ、とうとう|吾々《われわれ》の|霊光《れいくわう》に|打《う》たれ、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|消《き》え|失《う》せよつたな、ヤツパリ|吾々《われわれ》はどことはなしに|御神力《ごしんりき》が|備《そな》はつたとみえるワイ、あゝ|愉快《ゆくわい》|々々《ゆくわい》』
『|玉依別《たまよりわけ》さま、|先方《むかふ》の|方《はう》から|何《なん》だか、|人声《ひとごゑ》がするぢやないか』
|玉依別《たまよりわけ》は|耳《みみ》をすませ、
『いかにも、あれはアーク、タールの|声《こゑ》ですよ、こんな|所《ところ》へ|彼奴《あいつ》も|亦《また》|迷《まよ》つて|来《き》よつたのですかなア』
|二人《ふたり》の|声《こゑ》は|益々《ますます》|高《たか》く|聞《きこ》えて|来《き》た。|俄《にはか》にパツと|際立《きはだ》つて|明《あか》くなつたと|思《おも》へば、|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》の|身《み》は|浮木《うきき》の|森《もり》の|陣営《ぢんえい》のランチ|将軍《しやうぐん》が|居間《ゐま》に|横《よこ》たはつてゐた。さうして|枕許《まくらもと》にはアーク、タールの|両人《りやうにん》が|心配《しんぱい》さうな|顔《かほ》をして|坐《すわ》つてゐた。
|治国《はるくに》『あゝ、アークさま、タールさま、|此処《ここ》はどこだなア』
アーク『|治国別《はるくにわけ》|様《さま》、|確《しつか》りなさいませ。|貴方《あなた》は|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》|等《ら》の|企《たく》みの|罠《わな》に|陥《おちい》り、|暗《くら》い|井戸《ゐど》の|底《そこ》で、|一旦《いつたん》|亡《な》くなつてゐられたのですよ。|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》がランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|出《で》て|行《い》つたのを|幸《さいは》ひ、|漸《やうや》く|繩梯子《なはばしご》を|吊《つ》りおろし、|此処《ここ》までお|二人《ふたり》の|肉体《にくたい》を|持《も》ち|運《はこ》び、いろいろと|介抱《かいほう》を|致《いた》しましたら、|漸《やうや》くお|気《き》がついたのです』
|竜公《たつこう》『ヤア|有難《ありがた》い、|何時《いつ》の|間《ま》に|睾丸握《きんたまにぎり》の|喧嘩《けんくわ》から、こんな|所《ところ》へ|帰《かへ》つたのだらうな、アイタ、ヤツパリ|睾丸《きんたま》が|痛《いた》いワイ』
と|顔《かほ》をしかめてゐる。
さて|四人《よにん》は|互《たがひ》に|無事《ぶじ》を|祝《しゆく》し、|大神《おほかみ》の|前《まへ》に|端坐《たんざ》して、|例《かた》の|如《ごと》く|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し、|終《をは》つて|治国別《はるくにわけ》は、|蠑〓別《いもりわけ》の|身《み》の|上《うへ》が|気《き》に|掛《かか》り、|四人《よにん》|一度《いちど》に|陣内《ぢんない》を|隈《くま》なく|探《さぐ》り、|漸《やうや》く|酒房《さかぐら》の|前《まへ》に|行《い》つた。|雪《ゆき》は|一尺《いつしやく》|以上《いじやう》も|降《ふ》り|積《つ》もり、|二人《ふたり》の|寝《ね》てゐる|所《ところ》は|際立《きはだ》つて|高《たか》くなつてゐる。アーク、タールの|両人《りやうにん》は|態《わざ》とに|治国別《はるくにわけ》に|知《し》らさなかつた。|治国別《はるくにわけ》はこの|場《ば》に|現《あら》はれ、|人間《にんげん》の|形《かたち》に|雪《ゆき》が|高《たか》くなつてゐるのを|見《み》て、
『アークさま、あの|雪《ゆき》はチツと|変《へん》ぢやありませぬか、|丁度《ちやうど》|人間《にんげん》が|寝《ね》てゐるやうに|高《たか》く|積《つも》つてゐるでせう』
『|彼奴《あいつ》あ、ユキ|倒《だふ》れかも|知《し》れませぬよ』
|竜公《たつこう》『こんな|所《ところ》に|行《ゆ》き|倒《だふ》れがあつてたまるかい。|行《ゆ》き|倒《だふ》れといふ|奴《やつ》ア、|道端《みちばた》で|乞食《こじき》が|野倒死《のたれじに》したのを|言《い》ふのだ』
アーク『それでも、あこに|蠑〓別《いもりわけ》が|倒《たふ》れて|其《その》|上《うへ》へ|雪《ゆき》が|積《つ》もつたら、ヤツパリ【ユキ】|倒《だふ》れだ……ウソと|思《おも》ふなら、お|前《まへ》|行《い》つて|調《しら》べて|来《こ》い。|彼奴《あいつ》アな、|食《く》ひしん|坊《ばう》だから、|酒盗《さけぬす》みに|行《ゆ》きよつて、|酒房《さかぐら》の|外《そと》で|酔《よ》ひつぶれてるのかも|知《し》れないよ』
|竜公《たつこう》『|今《いま》|幽界《いうかい》で|蠑〓別《いもりわけ》、エキスの|両人《りやうにん》に|面会《めんくわい》し、|睾丸《きんたま》の|掴《つか》み|合《あ》ひをして|来《き》た|所《ところ》だ。|大方《おほかた》それから|考《かんが》へると、|最早《もはや》|肉体《にくたい》は|冷《つめ》たくなつて、|現界《げんかい》の|人《ひと》ではないかも|知《し》れないよ』
タール『ナニ、|俺達《おれたち》と|今《いま》|一緒《いつしよ》に|倒《たふ》れた|所《ところ》だ、|彼奴《あいつ》ア|酒《さけ》の|量《りやう》が|多《おほ》いのでよく|寝《ね》てるのだ。|俄《にはか》にブチヤケるやうな|雪《ゆき》が|降《ふ》つて、|瞬間《またたくま》に|一尺《いつしやく》も|積《つも》つたのだ。|本当《ほんたう》に|不思議《ふしぎ》な|雪《ゆき》だつたよ。|何《なに》はともあれ、|竜公《たつこう》さま、お|前《まへ》は|冥土《めいど》の|知己《ちき》だから、|一《ひと》つ|気《き》をつけてやり|給《たま》へ。|亡者《まうじや》|卒業生《そつげふせい》だからなア、|亡者《まうじや》が|亡者《まうじや》に|対《たい》するのは、|身魂相応《みたまさうおう》の|理《り》によるものだからなア、アツハツハヽヽ』
|竜公《たつこう》は|足《あし》で|雪《ゆき》を|掻《か》き|分《わ》けて|見《み》ると、|蠑〓別《いもりわけ》はムクムクと|起上《おきあが》り、|雪《ゆき》の|中《なか》に|胡坐《あぐら》をかき|目《め》をつぶつてゐる。エキスも|亦《また》|竜公《たつこう》に|足《あし》で|雪《ゆき》を|取除《とりのぞ》かれ、|頭《あたま》を|蹴《け》られた|途端《とたん》に|気《き》がつき、|目《め》を|塞《ふさ》いだまま、|雪《ゆき》の|中《なか》に|坐《すわ》つて、|口《くち》をムシヤ ムシヤ|動《うご》かしてゐる。|蠑〓別《いもりわけ》は|夢中《むちう》になつて|奴拍子《どびやうし》の|抜《ぬ》けた|声《こゑ》で、
『|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》、お|民《たみ》を|返《かへ》せ、コラ|色白《いろじろ》の|小童《こわつぱ》、|俺《おれ》の|女《をんな》を|何《ど》うしよつた。|早《はや》く|此《この》|場《ば》へ|出《だ》さぬか、……ヤお|寅《とら》が|来《き》よつたな、|痛《いた》いわい|痛《いた》いわい……|睾丸《きんたま》を|引張《ひつぱ》りよつて、イヽ|痛《いた》い、|息《いき》が|切《き》れる、エキス、コラ、|竜公《たつこう》の|睾丸《きんたま》を|引張《ひつぱ》つてくれ!』
などと|千切《ちぎ》れ|千切《ちぎ》れに|喋《しやべ》り|立《た》ててゐる。エキスはエキスで|又《また》|拍子抜《へうしぬ》けのした|声《こゑ》で、
『アヽヽア、|痛《いた》い|痛《いた》い|痛《いた》い、|睾丸《きんたま》がツヽ|潰《つぶ》れる|潰《つぶ》れる』
と|喚《わめ》いてゐる。アークは|首《くび》を|傾《かたむ》けながら、
『|何《なん》とマア|不思議《ふしぎ》な|事《こと》があるものだな。|竜公《たつこう》さまが|気《き》がつくが|早《はや》いか、|睾丸《きんたま》が|痛《いた》いといふかと|思《おも》へば、|蠑〓別《いもりわけ》が|又《また》|睾丸《きんたま》|々々《きんたま》といひ|出《だ》す、エキスの|奴《やつ》までお|附合《つきあひ》に|睾丸《きんたま》|々々《きんたま》とほざいてゐよる。|此奴《こいつ》ア|面白《おもしろ》い。エヘヽヽヽ、コラ|睾丸《きんたま》の|大将《たいしやう》、|早《はや》う|起《お》きぬかい、|確《しつか》りせい』
と|蠑〓別《いもりわけ》の|鼻《はな》を|力《ちから》に|任《まか》して|捻《ね》ぢた。
『イヽヽヽ|痛《いた》い|痛《いた》い、|又《また》してもお|寅《とら》の|奴《やつ》、|俺《おれ》の|鼻《はな》を|摘《つま》みやがつて……|許《ゆる》せ|許《ゆる》せ』
『ハツハヽヽ、オイ、|蠑〓別《いもりわけ》、|俺《おれ》だ|俺《おれ》だ、|目《め》をあけぬかい。どこだと|思《おも》つてゐるのだ』
『|何処《どこ》でもないワイ、|辻堂《つじだう》の|前《まへ》だ。|早《はや》く|俺《おれ》を|浮木《うきき》の|陣営《ぢんえい》へ|連《つ》れて|行《い》つてくれ』
『ここが|浮木《うきき》の|森《もり》の|陣営《ぢんえい》だ、|余《あま》り|酒《さけ》を|喰《くら》ふものだから、|目《め》を|眩《まか》しよつたのだろ』
と|頬《ほほ》を|平手《ひらて》でピシヤピシヤと|擲《なぐ》る。|蠑〓別《いもりわけ》はハツと|気《き》が|付《つ》き|四辺《あたり》を|見《み》れば、エキスが|側《そば》に|真白気《まつしろけ》になつて|坐《すわ》つてゐる。そして|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》の|其処《そこ》に|立《た》つてゐるのを|見《み》て、|不思議《ふしぎ》さうに|手《て》を|組《く》み、
『ハテ ハテ』
と|云《い》ひながら、|穴《あな》のあく|程《ほど》|二人《ふたり》の|顔《かほ》を|覗《のぞ》き|込《こ》んだ。
|治国《はるくに》『|蠑〓別《いもりわけ》さま、エキスさま、|此処《ここ》は|浮木《うきき》の|森《もり》の|陣営《ぢんえい》ですよ。|私《わたし》も|暫《しばら》く|魂《たましひ》が|肉体《にくたい》を|放《はな》れ、|八衢《やちまた》|旅行《りよかう》をやつて|来《き》ました。お|前《まへ》さまも|八衢《やちまた》で|会《あ》ひましたね。|併《しか》しモウ|現界《げんかい》へ|帰《かへ》つたのですから、|安心《あんしん》なさいませ。それよりもランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》|初《はじ》めお|民《たみ》さまの|身《み》の|上《うへ》が、どうも|気《き》にかかります。|物見櫓《ものみやぐら》の|方《はう》に|何《なに》か|変事《へんじ》が|突発《とつぱつ》してゐるかも|知《し》れませぬ。サア|参《まゐ》りませう』
|蠑〓別《いもりわけ》はお|民《たみ》の|危急《ききふ》と|聞《き》いて、|酔《よひ》も|醒《さ》め、|本気《ほんき》に|立帰《たちかへ》り、|陣営《ぢんえい》の|駒《こま》に|打《う》ち|乗《の》り、|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》|他《ほか》|四人《よにん》は|馬首《ばしゆ》を|揃《そろ》へてカツカツカツと|蹄《ひづめ》の|音《おと》も|勇《いさ》ましく、|物見櫓《ものみやぐら》を|指《さ》して|雪《ゆき》に|馬足《ばそく》を|印《いん》しながら|走《はし》り|行《ゆ》く。
(大正一二・一・一四 旧一一・一一・二八 松村真澄録)
第一六章 |途上《とじやう》の|変《へん》〔一二七〇〕
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わけ》る
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》せ |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|治国別《はるくにわけ》に|従《したが》ひて |野中《のなか》の|森《もり》に|来《き》て|見《み》れば
|怪《あや》しの|影《かげ》の|現《あら》はれて |心《こころ》を|揉《も》みし|折《をり》もあれ
|兄《あに》の|命《みこと》は|何時《いつ》の|間《ま》か |竜公《たつこう》さまと|諸共《もろとも》に
|吾等《われら》を|見捨《みす》てて|出《い》で|給《たま》ふ |冷淡《れいたん》|至極《しごく》のお|人《ひと》だと
|一度《いちど》は|怨《うら》んで|居《ゐ》たけれど |一寸先《いつすんさき》の|見《み》え|分《わ》かぬ
|曇《くも》りし|身魂《みたま》の|吾々《われわれ》が |深甚《しんじん》|微妙《びめう》の|神界《しんかい》の
|其《その》お|仕組《しぐみ》は|如何《いか》にして |悟《さと》り|得《え》らるる|事《こと》あらむ
|只《ただ》|何事《なにごと》も|神様《かみさま》の |心《こころ》の|儘《まま》と|宣《の》り|直《なほ》し
|小北《こぎた》の|山《やま》に|現《あら》はれて ウラナイ|教《けう》の|松姫《まつひめ》に
|思《おも》はず|知《し》らず|巡《めぐ》り|会《あ》ひ |思《おも》ひも|寄《よ》らぬ|吾《わが》|娘《むすめ》
|優《やさ》しき|顔《かほ》に|名乗《なの》り|合《あ》ひ |親子《おやこ》の|名残《なごり》|惜《を》しみつつ
|五三公《いそこう》さまを|初《はじ》めとし |万代《よろづよ》|祝《いは》ふ|万公《まんこう》さま
お|寅婆《とらば》さまの|女武者《をんなむしや》 アク、タク、テクと|諸共《もろとも》に
|一本橋《いつぽんばし》を|打渡《うちわた》り |怪《あや》しの|森《もり》を|打過《うちす》ぎて
|漸《やうや》く|此処《ここ》に|着《つ》きにけり |木枯《こがらし》|荒《すさ》ぶ|冬《ふゆ》の|日《ひ》の
|四辺《あたり》も|淋《さび》しき|旅《たび》の|空《そら》 |俄《にはか》に|降《ふ》り|積《つ》む|銀世界《ぎんせかい》
|見渡《みわた》す|限《かぎ》りキラキラと |塵《ちり》もとめざる|眺《なが》めなり
|此《この》|光景《くわうけい》を|見《み》るにつけ |思《おも》ひ|出《いだ》すは|世《よ》の|中《なか》の
|詐《いつは》り|多《おほ》き|有様《ありさま》よ |百千万《ももちよろづ》の|罪科《つみとが》や
|穢《けが》れを|腹《はら》に|包《つつ》みつつ |表面《うはべ》を|飾《かざ》る|白雪《しらゆき》の
|愛《あい》もなければ|熱《ねつ》もなき |冷酷《れいこく》|無残《むざん》の|世《よ》の|様《さま》を
|暴露《ばくろ》せるこそ|慨《うた》てけれ |浮木《うきき》の|森《もり》に|屯《たむろ》せる
ランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》や |其《その》|外《ほか》|百《もも》の|軍人《いくさ》|等《たち》
|体主霊従《たいしゆれいじう》の|悪念《あくねん》に |駆《か》られて|魔神《まがみ》の|部下《ぶか》となり
|至聖《しせい》|至上《しじやう》の|天国《てんごく》と |世《よ》に|響《ひび》きたる|斎苑館《いそやかた》
|神《かみ》の|聖場《せいぢやう》を|屠《はふ》らむと |百《もも》の|軍《いくさ》を|率《ひき》つれて
|進《すす》み|行《ゆ》くこそ|慨《うた》てけれ |吾《われ》も|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の
|一度《いちど》は|秘書《ひしよ》となりつれど |誠《まこと》の|道《みち》に|眼《まなこ》|覚《さ》め
|仁慈無限《じんじむげん》の|大神《おほかみ》の |心《こころ》に|復活《ふくくわつ》せし|上《うへ》は
|如何《いか》でか|枉《まが》に|交《まじ》はらむ いざ|之《これ》よりは|松彦《まつひこ》が
|心《こころ》の|限《かぎ》り|身《み》の|極《きは》み |真心《まごころ》|献《ささ》げて|片彦《かたひこ》や
ランチ|将軍《しやうぐん》|其《その》|他《ほか》の |枉《まが》に|曇《くも》りし|身魂《みたま》をば
|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|大神《おほかみ》の |其《その》|光明《くわうみやう》に|照《て》らしつつ
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|導《みちび》きて |神《かみ》の|教《をしへ》の|司《つかさ》たる
|其《その》|本分《ほんぶん》を|尽《つく》すべし あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|大御神《おほみかみ》 |瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|御前《おんまへ》に
|真心《まごころ》こめて|願《ね》ぎ|奉《まつ》る |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|山《やま》|裂《さ》け|海《うみ》はあするとも |神《かみ》に|捧《ささ》げし|此《この》|身体《からだ》
|如何《いか》でか|命《いのち》を|惜《お》しまむや |道理《ことわり》|知《し》らぬ|世《よ》の|人《ひと》は
|猪武者《ゐのししむしや》と|云《い》はば|云《い》へ |仮令《たとへ》|痴呆《ちはう》と|誹《そし》るとも
|吾《わが》|真心《まごころ》は|何処《どこ》までも |貫《つらぬ》き|通《とほ》す|桑《くは》の|弓《ゆみ》
ひきて|帰《かへ》らぬ|此《この》|意気地《いくぢ》 |此《この》|世《よ》に|男子《だんし》と|生《うま》れ|来《き》て
|現在《げんざい》|敵《てき》を|目《め》の|前《まへ》に |眺《なが》めて|看過《かんくわ》し|得《う》べけむや
|昨日《きのふ》に|変《かは》る|今日《けふ》の|空《そら》 |心《こころ》にかかる|村雲《むらくも》は
まだ|晴《は》れやらぬ|師《し》の|君《きみ》の |今《いま》は|何処《いづく》に|在《お》はすらむ
|又《また》|竜公《たつこう》は|如何《いか》にして |吾《わが》|師《し》の|君《きみ》の|御《おん》|為《ため》に
|尽《つく》し|居《を》らむか、それさへも |心《こころ》もとなき|冬《ふゆ》の|空《そら》
|尋《たづ》ぬる|由《よし》もなき|暮《く》れて |行《ゆ》く|手《て》に|迷《まよ》ふ|吾《わが》|一行《いつかう》
|導《みちび》き|給《たま》へ|天津神《あまつかみ》 |国津神《くにつかみ》|等《たち》|八百万《やほよろづ》
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》の|御前《おんまへ》に |一時《いちじ》も|早《はや》く|片時《かたとき》も
|進《すす》ませ|給《たま》へ|惟神《かむながら》 |神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎ|奉《まつ》る』
と|歌《うた》ひつつ|進《すす》み|来《きた》るのは|松彦《まつひこ》である。|五三公《いそこう》は|又《また》|歌《うた》ふ。
『|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》 |神霊界《しんれいかい》は|云《い》ふも|更《さら》
|現実界《げんじつかい》の|天地《あめつち》の |其《その》|経綸《けいりん》の|司宰者《しさいしや》と
|選《えら》まれ|出《い》でしものなれば |人《ひと》は|此《この》|世《よ》の|元《もと》の|祖《おや》
|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》の |神言《みこと》の|儘《まま》に|畏《かしこ》みて
|愛《あい》と|善《ぜん》との|徳《とく》に|居《を》り |真《まこと》の|信仰《しんかう》|励《はげ》みつつ
|天津御神《あまつみかみ》の|賜《たま》ひてし |一霊四魂《いちれいしこん》をよく|磨《みが》き
|忍耐力《にんたいりよく》を|養成《やうせい》し |人《ひと》と|親《した》しみ|又《また》|人《にん》を
|恵《めぐ》み|助《たす》けつ|神《かみ》のため |世界《せかい》のために|真心《まごころ》を
|尽《つく》して|此《この》|世《よ》の|生神《いきがみ》と |堅磐常磐《かきはときは》に|仕《つか》へ|行《ゆ》く
|貴《うづ》の|身魂《みたま》と|悟《さと》るべし |仮令《たとへ》|天地《てんち》は|覆《かへ》るとも
|誠《まこと》|一《ひと》つの|大道《おほみち》は |天地《てんち》|開《ひら》けし|初《はじ》めより
|億兆年《おくてうねん》の|末《すゑ》までも |堅磐常磐《かきはときは》の|巌《いは》の|如《ごと》
|決《けつ》して|動《うご》くものでなし |吾等《われら》は|神《かみ》をよく|愛《あい》し
|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|浸《ひた》りつつ |只《ただ》|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》より|来《きた》る|智《ち》を|磨《みが》き |宇宙《うちう》の|道理《だうり》をよく|悟《さと》り
|此《この》|世《よ》に|人《ひと》と|生《うま》れたる |其《その》|天職《てんしよく》を|尽《つく》さずば
|此《この》|世《よ》を|去《さ》りて|霊界《れいかい》に |到《いた》りし|時《とき》の|精霊《せいれい》は
|伊吹戸主《いぶきどぬし》に|審《さば》かれて |忽《たちま》ち|下《くだ》る|地獄道《ぢごくだう》
|実《げ》に|恐《おそ》ろしき|暗界《あんかい》に |顛落《てんらく》するは|必定《ひつぢやう》ぞ
かくも|身魂《みたま》を|穢《けが》しなば |吾等《われら》を|造《つく》りし|祖神《おやがみ》に
|対《たい》して|何《なん》の|辞《じ》あるべき |日毎《ひごと》|夜毎《よごと》に|村肝《むらきも》の
|心《こころ》を|鍛《きた》へ|肝《きも》を|錬《ね》り |善《よし》と|悪《あし》とを|省《かへり》みて
|神《かみ》の|賜《たま》ひし|恩恵《おんけい》を うつかり|捨《す》つる|事《こと》|勿《なか》れ
かかる|境遇《きやうぐう》に|陥《おちい》らば |天地《てんち》を|造《つく》り|給《たま》ひたる
|神《かみ》に|対《たい》して|孝《かう》ならず |吾《わが》|身《み》を|初《はじ》め|子孫《しそん》まで
|曲津《まがつ》の|群《むれ》に|墜《お》ち|込《こ》みて |塵《ちり》や|芥《あくた》と|同様《どうやう》に
|自《みづか》ら|世界《せかい》に|遠《とほ》ざかり |百千万《ももちよろづ》の|罪業《ざいごふ》を
|集《あつ》むる|身《み》とぞなりぬべし |省《かへり》み|給《たま》へ|諸人《もろびと》よ
|吾《われ》は|言霊別《ことたまわけ》の|神《かみ》 |天教山《てんけうざん》に|現《あら》はれし
|木花姫《このはなひめ》の|生魂《いくみたま》 |此処《ここ》に|二神《にしん》は|相議《あひはか》り
|心《こころ》も|清《きよ》き|精霊《せいれい》を |充《みた》して|五三公《いそこう》の|体《たい》に|入《い》り
|心《こころ》|曇《くも》れる|人々《ひとびと》に |神霊界《しんれいかい》の|光明《くわうみやう》を
|照《て》らし|救《すく》はむそのために |此処《ここ》まで|従《したが》ひ|来《きた》りけり
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|任《よ》さしの|神業《かむわざ》も
|一段落《いちだんらく》なりぬれば |吾《われ》は|之《これ》より|身《み》を|変《へん》じ
|火光《くわくわう》となりて|斎苑館《いそやかた》 |皇大神《すめおほかみ》の|御舎《みあらか》に
|帰《かへ》りて|尊《みこと》の|御前《おんまへ》に |心《こころ》を|平《たひら》に|安《やす》らかに
|大神業《だいしんげふ》に|仕《つか》へなむ いざいざさらば、いざさらば
|治国別《はるくにわけ》や|竜公《たつこう》に |程《ほど》なく|面会《めんくわい》するならむ
|其《その》|時《とき》|汝《なんぢ》|松彦《まつひこ》よ |五三公《いそこう》が|今《いま》の|有様《ありさま》を
|完全《うまら》に|委曲《つばら》に|伝《つた》へてよ |汝《な》が|伝言《でんごん》を|聞《き》くならば
|治国別《はるくにわけ》も|竜公《たつこう》も さもありなむと|首《くび》かたげ
さこそあらむと|喜《よろこ》んで |皇大神《すめおほかみ》の|神徳《しんとく》を
|忽《たちま》ち|感謝《かんしや》するならむ |松彦《まつひこ》|始《はじ》め|万公《まんこう》や
|其《その》|他《ほか》|百《もも》の|信徒《まめひと》よ |随分《ずゐぶん》|健《まめ》で|潔《いさぎよ》く
|尊《たふと》き|神《かみ》の|神業《しんげふ》に |心《こころ》を|清《きよ》めて|仕《つか》へませ
|愈《いよいよ》|之《これ》にて|別《わか》れなむ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》ると|共《とも》に|五三公《いそこう》の|姿《すがた》は|煙《けむり》の|如《ごと》く|消《き》えて|了《しま》つた。|松彦《まつひこ》|始《はじ》め|一同《いちどう》は|此《この》|不思議《ふしぎ》なる|出来事《できごと》にアフンとして、|五三公《いそこう》が|大光団《だいくわうだん》となつて|帰《かへ》り|行《ゆ》く|大空《おほぞら》を|打眺《うちなが》め、|途上《とじやう》に|立止《たちど》まり|拍手《はくしゆ》して|其《その》|英姿《えいし》を|涙《なみだ》ながらに|拝《をが》みつつあつた。
|万公《まんこう》は|又《また》|歌《うた》ふ。
『|不思議《ふしぎ》な|事《こと》が|出来《でき》て|来《き》た こりや|又《また》|何《なん》とした|事《こと》だ
|吾《わが》|友達《ともだち》と|思《おも》うてゐた |五三公《いそこう》さまは|魔《ま》か|神《かみ》か
|俄《にはか》に|煙《けむり》と|変化《へんくわ》して |斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|帰《かへ》るとて
イソイソ|逃《に》げて|去《い》によつた さはさりながら|五三公《いそこう》は
|変《かは》つた|奴《やつ》と|思《おも》うて|居《ゐ》た |折角《せつかく》|此処《ここ》までついて|来《き》て
|拍子《ひやうし》の|抜《ぬ》けた|吾々《われわれ》を |途中《とちう》に|見捨《みす》てて|帰《かへ》るとは
|合点《がてん》の|往《ゆ》かぬ|人《ひと》だなア |浮木《うきき》の|森《もり》の|敵軍《てきぐん》が
|恐《こは》うてマサカ|逃《に》げたとは |思《おも》はれぬけれど|肝腎《かんじん》の
|戦場《せんぢやう》に|乗込《のりこ》み|来《き》ながらも |逃《に》げて|去《い》ぬとは|情《なさけ》ない
|之《これ》を|思《おも》へば|師《し》の|君《きみ》の |治国別《はるくにわけ》の|司《つかさ》まで
|何《なん》だか|怪《あや》しうなつて|来《き》た バラモン|教《けう》を|諦《あきら》めて
|三五教《あななひけう》に|鞍替《くらが》へを |遊《あそ》ばしました|松《まつ》さまも
さぞや|本意《ほい》ない|事《こと》だらう |晴公《はるこう》さまも|山口《やまぐち》の
|森《もり》で|親子《おやこ》の|巡《めぐ》り|会《あ》ひ |祠《ほこら》の|森《もり》の|玉国《たまくに》の
|別《わけ》の|命《みこと》の|御前《おんまへ》に スタスタ|帰《かへ》り|行《い》つた|後《あと》
|五三公《いそこう》さまを|力《ちから》とし |此処《ここ》まで|進《すす》み|来《き》たものを
こんな|処《ところ》で|逃《に》げられちや |如何《どう》やら|心細《こころぼそ》うなつた
|松彦《まつひこ》さまはバラモンの |軍《いくさ》に|仕《つか》へし|秘書《ひしよ》の|役《やく》
アク、タク、テクも|亦《また》|矢張《やは》り バラモン|教《けう》の|残党《ざんたう》よ
お|寅婆《とらば》さまはウラナイの |教《をしへ》の|道《みち》で|覇《は》を|利《き》かし
ヤツと|改心《かいしん》した|上《うへ》で |此処《ここ》|迄《まで》ついては|来《き》たものの
|何時《なんどき》|変《かは》るか|分《わか》らない |之《これ》をば|思《おも》ひ|彼《かれ》|思《おも》ひ
|深《ふか》く|思案《しあん》を|廻《めぐ》らせば ほんに|危険《きけん》な|身《み》の|上《うへ》だ
コレコレ|松彦《まつひこ》|宣伝使《せんでんし》 |貴方《あなた》に|限《かぎ》つて|別条《べつでう》は
あるまいけれどヒヨツと|又《また》 |片彦《かたひこ》さまに|巡《めぐ》り|会《あ》ひ
|三五熱《あななひねつ》が|冷却《れいきやく》し もとの|鞘《さや》へと|逆戻《ぎやくもど》り
なさつちや|神《かみ》に|済《す》まないぞ |天《てん》を|欺《あざむ》き|吾《わが》|魂《たま》を
|欺《あざむ》く|様《やう》になつたなら |其《その》|時《とき》や|貴方《あなた》の|身《み》の|果《は》てぞ
|決《けつ》して|変心《へんしん》せぬ|様《やう》に |万公《まんこう》が|忠告《ちうこく》|仕《つかまつ》る
こんな|事《こと》をば|云《い》つたとて |決《けつ》して|怒《おこ》つて|下《くだ》さるな
お|道《みち》を|思《おも》ひお|前《まへ》をば |大切《だいじ》に|思《おも》ふばつかりと
|老婆心《らうばしん》かは|知《し》らねども |一寸《ちよつと》|苦言《くげん》を|呈《てい》します
|序《ついで》にお|寅婆《とらば》アさまよ お|前《まへ》も|確《しつか》りなさいませ
|蠑〓別《いもりわけ》やお|民《たみ》さま もしも|途中《とちう》で|会《あ》うたなら
|又《また》も|持病《ぢびやう》が|再発《さいはつ》し |口《くち》の|車《くるま》に|乗《の》せられて
|焼木杭《やけぼくくひ》に|火《ひ》がついた |様《やう》な|不都合《ふつがふ》のない|様《やう》に
|一言《ひとこと》|注意《ちゆうい》を|加《くは》へます それにつづいてアク、テクや
タクの|三人《みたり》も|気《き》をつけよ |一旦《いつたん》|男《をとこ》が|口《くち》に|出《だ》し
|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》を |信仰《しんかう》しますと|云《い》つた|上《うへ》は
|何処々々《どこどこ》までも|真心《まごころ》を |立《た》て|貫《つらぬ》いて|大神《おほかみ》の
|清《きよ》き|尊《たふと》き|神業《しんげふ》に |仕《つか》へまつれよ|惟神《かむながら》
|神《かみ》に|誓《ちか》ひて|万公《まんこう》が |五人《ごにん》の|方《かた》に|気《き》をつける
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
|斯《か》く|歌《うた》ひ|来《きた》る|折《をり》しも、|浮木《うきき》の|森《もり》の|陣営《ぢんえい》の|入口《いりぐち》に|俄造《にはかづく》りの|物見櫓《ものみやぐら》が|目《め》についた。よくよく|見《み》れば|物見櫓《ものみやぐら》の|近傍《きんばう》はバラモン|軍《ぐん》の|兵卒《へいそつ》|蟻《あり》の|山《やま》を|築《きづ》いた|如《ごと》く、|右往左往《うわうさわう》に|駆《か》け|巡《めぐ》りながら|喚《わめ》き|叫《さけ》ぶ|其《その》|声《こゑ》は、|一行《いつかう》の|耳《みみ》に|何《なん》となく|厳《きび》しく|応《こた》へた。|松彦《まつひこ》|一行《いつかう》は|敵軍《てきぐん》の|中《なか》とは|云《い》ひながら、|只事《ただごと》ならじ、|或《あるひ》は|治国別《はるくにわけ》の|遭難《さうなん》に|非《あら》ずやと|心《こころ》も|心《こころ》ならず、|敵《てき》の|陣中《ぢんちう》を|物《もの》ともせず、|物見櫓《ものみやぐら》の|麓《ふもと》を|指《さ》して|足《あし》に|任《まか》せて|駆《かけ》り|行《ゆ》く。
(大正一二・一・一四 旧一一・一一・二八 北村隆光録)
第一七章 |甦生《かうせい》〔一二七一〕
ランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》、ガリヤ、ケースの|四人《よにん》は|罪人橋《ざいにんばし》の|傍《かたはら》に|佇《たたず》み、|肌《はだへ》を|断《き》る|許《ばか》りの|寒風《かんぷう》に|曝《さら》されながら、|幽《かす》かに|聞《きこ》ゆる|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》をせめてもの|力《ちから》として、|慄《ふる》ひながら|待《ま》つて|居《ゐ》た。|四方《しはう》を|見《み》れば、|今《いま》まで|吾《わが》|身辺《しんぺん》を|包《つつ》みたる|冥官《めいくわん》は|一人《ひとり》も|居《を》らず、|又《また》|我利我利亡者《がりがりまうじや》の|姿《すがた》は|残《のこ》らず|消《き》え|失《う》せたれども、|再《ふたた》び|潜《くぐ》り|来《きた》りし|小孔《こあな》は|塞《ふさ》がりて|分《わか》らず、|此《この》|橋《はし》を|向《むか》ふへ|渡《わた》らむか、|実《じつ》に|危険《きけん》にして|百中《ひやくちう》の|百《ひやく》まで|顛落《てんらく》しさうな|光景《くわうけい》である。|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》は|追々《おひおひ》|高《たか》くなつた。それに|次《つ》いで、ワイワイと|喚《わめ》く|数百人《すうひやくにん》の|声《こゑ》、|前後左右《ぜんごさいう》より|響《ひび》き|来《きた》る。|四人《よにん》は|心《こころ》も|心《こころ》ならず、|如何《いかが》なり|往《ゆ》くならむと、|絶望《ぜつばう》の|淵《ふち》に|沈《しづ》んで|居《ゐ》た。かかる|所《ところ》へ|忽然《こつぜん》として|現《あら》はれ|給《たま》うたのは|容貌《ようばう》|端麗《たんれい》なる|一人《ひとり》の|女神《めがみ》、|二人《ふたり》の|侍女《じぢよ》を|伴《ともな》ひながら、|四人《よにん》の|前《まへ》に|鳩《はと》の|如《ごと》く|下《くだ》り|給《たま》ひ、|女神《めがみ》は|優《やさ》しき|声《こゑ》にて、
『|貴方《あなた》は|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》の|教《をしへ》を|奉《ほう》ずるランチ|将軍《しやうぐん》の|一行《いつかう》ぢや|厶《ござ》いませぬか』
|四人《よにん》は|蘇生《そせい》の|思《おも》ひをしながら、|俄《にはか》に|嬉《うれ》し|気《げ》に|声《こゑ》まで|元気《げんき》よく、
『ハイ、|仰《おほ》せの|如《ごと》く、ランチ|将軍《しやうぐん》|主従《しゆじゆう》で|厶《ござ》います。|誠《まこと》に|罪悪《ざいあく》のため|斯様《かやう》な|所《ところ》へ|落《おと》され、|二進《につち》も|三進《さつち》もなりませぬ。|今日《こんにち》|迄《まで》の|罪悪《ざいあく》はすつかり|悔《く》い|改《あらた》めまして、|生《うま》れ|赤児《あかご》の|心《こころ》に|立《た》ち|帰《かへ》りますれば、どうぞ|此《こ》の|急場《きふば》をお|救《すく》ひ|下《くだ》さいませ』
『それは|嘸《さぞ》お|困《こま》りでせう。|貴方《あなた》が|誓《ちか》つて|体主霊従《たいしゆれいじう》の|行《おこな》ひを|改《あらた》むるとならばお|助《たす》け|申《まを》しませう。|妾《わらは》は|都率天《とそつてん》に|坐《まし》ます|日《ひ》の|大神《おほかみ》のお|傍《そば》に|仕《つか》ふるもの、|妾《わらは》が|申《まを》す|事《こと》|御合点《ごかつてん》が|参《まゐ》りましたらキツと|救《すく》うて|上《あ》げませう、|実《じつ》の|所《ところ》は|貴方《あなた》|等《がた》の|危難《きなん》を|大神様《おほかみさま》が|御照覧《ごせうらん》|遊《あそ》ばし「|一時《いつとき》も|早《はや》く|彼《かれ》が|前《まへ》に|往《ゆ》き、|誠《まこと》を|説《と》き|明《あか》し|救《すく》ひやれ、|時《とき》|後《おく》れなば|一大事《いちだいじ》」との|仰《おほ》せに、|取《と》るものも|取《と》り|敢《あへ》ず、|都率天《とそつてん》を|下《くだ》り|此処《ここ》に|来《き》ました。あれお|聞《き》きなさいませ。あの|宣伝歌《せんでんか》は、|貴方《あなた》|等《がた》を|救《すく》ふための|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》で|厶《ござ》います』
|片彦《かたひこ》『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|歌《うた》は|聞《きこ》えますが、|其《その》|歌《うた》がボンヤリとして|少《すこ》しも|意味《いみ》が|分《わか》りませぬ』
『あの|歌《うた》は、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が、|貴方《あなた》|等《がた》を|救《すく》ふべく|神《かみ》への|祈《いの》り|歌《うた》で|厶《ござ》います、サア|篤《とつく》りとお|聞《き》きなされ』
と|懐中《くわいちう》より|大幣《おほぬさ》を|取《と》り|出《だ》し|左右左《さいうさ》に|打《う》ち|振《ふ》れば、|不思議《ふしぎ》や|四人《よにん》の|耳《みみ》はパツと|開《ひら》けて、|歌《うた》の|意味《いみ》は|益々《ますます》|明瞭《めいれう》になつて|来《き》た。|四人《よにん》は|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|大地《だいち》に|跪《ひざまづ》いて|其《その》|歌《うた》を|一語《いちご》も|洩《も》らさじと|聞《き》き|入《い》つた。|其《その》|歌《うた》、
『|高天原《たかあまはら》の|最奥《さいあう》の |日《ひ》の|若宮《わかみや》に|現《あ》れませる
|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|大神《おほかみ》は |八岐大蛇《やまたをろち》や|醜狐《しこぎつね》
|曲鬼《まがおに》|共《ども》に|取《と》りつかれ |善《ぜん》の|道《みち》をば|取《と》り|違《ちが》へ
|智慧証覚《ちゑしようかく》をくらまして |体主霊従《たいしゆれいじう》の|小慾《せうよく》に
|浮身《うきみ》を|窶《やつ》すバラモンの |大黒主《おほくろぬし》の|部下《ぶか》となり
ミロクの|神《かみ》の|化身《けしん》たる |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の
|常磐堅磐《ときはかきは》に|現《あ》れませる |産土山《うぶすなやま》の|霊国《れいごく》の
|貴《うづ》の|館《やかた》を|屠《はふ》らむと |大黒主《おほくろぬし》の|命《めい》をうけ
ランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》が |数多《あまた》の|部下《ぶか》を|引率《ひきつ》れて
|浮木《うきき》の|森《もり》に|陣営《ぢんえい》を |構《かま》へて|作戦《さくせん》|計画《けいくわく》の
|真最中《まつさいちう》に|入《い》り|来《きた》る |治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|忽《たちま》ち|悪心《あくしん》|勃発《ぼつぱつ》し |神《かみ》の|尊《たふと》き|御使《みつかひ》を
|千尋《ちひろ》の|暗《くら》き|穴《あな》の|底《そこ》 |落《おと》し|入《い》れたる|曲業《まがわざ》は
|忽《たちま》ち|其《その》|身《み》に|報《むく》い|来《き》て |眼《まなこ》はくらみ|変化神《へんげしん》
|此上《こよ》なき|美人《びじん》と|過《あやま》りて |互《たがひ》に|修羅《しゆら》を|燃《も》やしつつ
|反間苦肉《はんかんくにく》の|策《さく》を|立《た》て |互《たがひ》に|命《いのち》を|奪《うば》ひ|合《あ》ひ
|忽《たちま》ち|精霊《せいれい》|肉体《にくたい》を |離《はな》れて|地獄《ぢごく》に|踏《ふ》み|迷《まよ》ひ
|進退《しんたい》|茲《ここ》に|谷《きは》まれる |其《その》|窮状《きゆうじやう》を|臠《みそな》はし
|妾《わらは》に|向《むか》つて|詔《の》らすやう |汝《なんぢ》|紫姫《むらさきひめ》の|神《かみ》
|二人《ふたり》の|天女《てんによ》と|諸共《もろとも》に |根底《ねそこ》の|国《くに》に|降臨《かうりん》し
|彼等《かれら》|四人《よにん》が|心底《しんてい》を |調《しら》べたる|上《うへ》|真心《まごころ》の
|聊《いささ》かなりと|照《て》るあらば |誠《まこと》の|道《みち》を|説《と》き|聞《き》かせ
|再《ふたた》び|娑婆《しやば》に|追《お》ひかへし |遷善改過《せんぜんかいくわ》の|其《その》|実《じつ》を
あげさせよやと|厳《おごそ》かに |詔《の》らせたまひし|神勅《しんちよく》を
|慎《つつし》み|畏《かしこ》み|今《いま》|茲《ここ》に |降《くだ》り|来《きた》りしものなるぞ
|軍《いくさ》の|君《きみ》よ|汝《なれ》は|今《いま》 |吾《わが》|言霊《ことたま》を|聞《き》き|分《わ》けて
|尊《たふと》き|神《かみ》の|愛《あい》に|触《ふ》れ |再《ふたた》び|現世《げんせ》に|立《た》ち|帰《かへ》り
|大神業《だいしんげふ》に|奉仕《ほうし》する |赤心《まごころ》あらば|吾《われ》は|今《いま》
|汝《なんぢ》を|安《やす》きに|救《すく》ふべし あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|尊《たふと》き|神《かみ》の|勅《みこと》もて |汝等《なんぢら》|四人《よにん》に|詔《の》り|伝《つた》ふ』
と|言葉《ことば》|淑《しとや》かに|聞《きこ》え|来《く》る。よくよく|見《み》れば|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》は|外《ほか》には|非《あら》ず、|女神《めがみ》の|口《くち》から|歌《うた》はれて|居《ゐ》たのである。されど|神格《しんかく》に|満《み》ちたる|天人《てんにん》は、|現代人《げんだいじん》の|如《ごと》く|口《くち》を|用《もち》ひたまはず、|一種《いつしゆ》の|語字《ごじ》を|用《もち》ひ|四辺《しへん》より|語《ご》を|発《はつ》し、|其《その》|意《い》を|述《の》べ|給《たま》ふにより、|四人《よにん》の|亡者《まうじや》の|気《き》づかなかつたのも|道理《だうり》である。
ランチ|将軍《しやうぐん》は|漸《やうや》くにして|力《ちから》を|得《え》、|歌《うた》をもつてエンゼルに|答《こた》へた。
『|高天原《たかあまはら》の|最奥《さいおう》の |日《ひ》の|若宮《わかみや》に|現《あ》れませる
|尊《たふと》き|神《かみ》の|勅《みこと》もて |天降《あも》りましたる|紫《むらさき》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|御前《おんまへ》に |慎《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎ|申《まを》す
|吾《われ》はバラモン|大御神《おほみかみ》 |大国彦《おほくにひこ》を|祭《まつ》りたる
|大雲山《たいうんざん》の|聖場《せいぢやう》に |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|身《み》を|清《きよ》め
|難行《なんぎやう》|苦行《くぎやう》の|功《こう》をへて |漸《やうや》く|道《みち》の|奥処《おくが》をば
|悟《さと》りて|茲《ここ》に|神柱《かむばしら》 |大黒主《おほくろぬし》に|選《えら》まれて
|教司《をしへつかさ》となり|居《ゐ》たり |時《とき》しもあれやウラル|教《けう》
|三五教《あななひけう》の|神柱《かむばしら》 |数多《あまた》の|軍《ぐん》を|引率《ひきつ》れて
|空《そら》|照《て》り|渡《わた》る|月《つき》の|国《くに》 ハルナの|都《みやこ》に|攻《せ》め|来《きた》る
|噂《うはさ》は|強《つよ》く|聞《きこ》えけり |茲《ここ》に|大黒主《おほくろぬし》の|神《かみ》
|大《おほい》に|怒《いか》らせ|給《たま》ひつつ |善《ぜん》か|悪《あく》かは|知《し》らねども
|軍《いくさ》を|起《おこ》し|産土《うぶすな》の |館《やかた》を|指《さ》して|進《すす》むべく
|鬼治別《おにはるわけ》に|依《よ》さしまし |数多《あまた》の|兵士《つはもの》|任《ま》けたまふ
|鬼春別《おにはるわけ》の|部下《ぶか》なりし |吾等《われら》は|命《めい》に|従《したが》ひて
|浮木《うきき》の|森《もり》に|来《きた》る|折《をり》 |怪《あや》しき|女《をんな》に|村肝《むらきも》の
|心《こころ》を|汚《けが》し|同僚《どうれう》を |恋《こひ》の|敵《かたき》と|恨《うら》みつつ
|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|行動《かうどう》を |敢《あへ》てなしたる|悔《くや》しさよ
|斯《か》くなる|上《うへ》は|吾《われ》とても |如何《いか》でか|悪《あく》を|尽《つく》さむや
|唯今《ただいま》|限《かぎ》り|悪《あく》を|悔《く》い |誠《まこと》の|道《みち》に|立《た》ち|帰《かへ》り
|皇大神《すめおほかみ》の|御教《みをしへ》に |厚《あつ》く|服《まつろ》ひ|仕《つか》ふべし
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御使《みつかひ》よ |此《この》|有様《ありさま》を|憫《あは》れみて
|何卒《なにとぞ》|救《すく》はせたまへかし もし|許《ゆる》されて|現界《げんかい》に
|再《ふたた》び|帰《かへ》り|得《う》るなれば |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》に
|刃向《はむか》ひまつりし|罪咎《つみとが》を |償《つぐな》ふ|為《ため》に|一身《いつしん》を
|捧《ささ》げて|誠《まこと》の|大道《おほみち》に |進《すす》み|奉《まつ》らむ|吾《わが》|心《こころ》
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御使《みつかひ》の |御前《みまへ》に|心《こころ》|固《かた》めつつ
|委曲《つばら》に|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|一旦《いつたん》|誓《ちか》ひし|吾《わが》|魂《たま》は |皇大神《すめおほかみ》の|御《おん》|為《ため》に
|仮令《たとへ》|命《いのち》は|捨《す》つるとも のどには|捨《す》てじ|一歩《ひとあし》も
|顧《かへり》みせざる|誠心《まごころ》を |清《きよ》くみすかし|給《たま》ひつつ
|愍《あはれ》み|給《たま》へ|紫《むらさき》の |姫《ひめ》の|命《みこと》の|御前《おんまへ》に
|慎《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎ|申《まを》す』
と|細《ほそ》き|声《こゑ》にて|詔《の》り|上《あ》げた。|片彦《かたひこ》も|亦《また》|歌《うた》をもつて|罪《つみ》を|謝《しや》した。
『ここたくの|罪《つみ》や|汚《けが》れになづみたる
わが|身魂《みたま》をば|清《きよ》めて|救《すく》へ。
|惟神《かむながら》|誠《まこと》の|道《みち》に|踏《ふ》み|迷《まよ》ひ
|根底《ねそこ》の|国《くに》に|落《お》ちにけるかな。
|何事《なにごと》も|神《かみ》の|御《おん》|為《ため》|世《よ》のためと
|知《し》らず|知《し》らずに|曲《まが》になりぬる。
ここたくの|罪《つみ》を|許《ゆる》して|現世《うつしよ》に
|救《すく》はせ|給《たま》へと|乞《こ》ひのみ|奉《まつ》る』
ガリヤ『|吾《われ》も|亦《また》|汚《きたな》き|慾《よく》に|包《つつ》まれて
|黒白《あやめ》も|分《わか》ぬ|暗《やみ》に|落《お》ちぬる。
いと|深《ふか》き|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|包《つつ》まれて
|根底《ねそこ》の|国《くに》を|去《さ》るぞ|嬉《うれ》しき。
|皇神《すめかみ》の|此《この》|御恵《みめぐみ》を|如何《いか》にして
|報《むく》はぬものと|危《あや》ぶまれぬる。
さりながら|元《もと》は|尊《たふと》き|大神《おほかみ》の
|身魂《みたま》なりせば|清《きよ》く|帰《かへ》らむ』
ケース『|身《み》の|慾《よく》に|心《こころ》|曇《くも》りて|根《ね》の|国《くに》の
|川辺《かはべ》に|迷《まよ》ふ|吾《われ》ぞ|果敢《はか》なき。
|如何《いか》にして|此《この》|苦《くる》しみを|逃《のが》れむと
|千々《ちぢ》に|心《こころ》を|痛《いた》めたりしよ。
|有難《ありがた》き|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|霑《うるほ》ひて
|紫姫《むらさきひめ》は|降《くだ》りましけり』
ランチ『|有難《ありがた》し|勿体《もつたい》なしと|申《まを》すより
|外《ほか》に|言《こと》の|葉《は》なかりけるかも。
|大神《おほかみ》の|恵《めぐみ》の|露《つゆ》は|根《ね》の|国《くに》や
|底《そこ》の|国《くに》まで|霑《うるほ》ひにけり』
|紫姫《むらさきひめ》『|村肝《むらきも》の|心《こころ》の|闇《やみ》の|晴《は》れし|身《み》は
|安《やす》く|帰《かへ》らむ|顕御国《うつしみくに》へ。
さりながら|再《ふたた》び|現世《げんせ》に|帰《かへ》りなば
|曲《まが》の|仕業《しわざ》は|夢《ゆめ》にな|思《おも》ひそ。
|皆《みな》さま、|結構《けつこう》で|厶《ござ》いました。どうやら|現世《げんせ》へお|帰《かへ》り|遊《あそ》ばす|道《みち》が|開《ひら》けたやうです。|妾《わらは》も|大慶《たいけい》に|存《ぞん》じます。|併《しか》しながら|此《この》|国《こく》の|守護神様《しゆごじんさま》は|金勝要大神《きんかつかねのおほかみ》|様《さま》、|一度《いちど》お|許《ゆる》しを|蒙《かうむ》らねばなりませぬ。お|願《ねが》ひを|致《いた》して|参《まゐ》ります』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|麗《うるは》しき|雲《くも》を|起《おこ》し、|罪人橋《ざいにんばし》の|上《うへ》を|北《きた》へ|北《きた》へと|其《その》|神姿《しんし》を|隠《かく》し|給《たま》うた。|四人《よにん》は|互《たがひ》に|顔《かほ》を|見合《みあは》せ、ホツと|息《いき》をつきながら、
ランチ『あゝ|片彦《かたひこ》|殿《どの》、|真《まこと》に|済《す》まない|事《こと》を|致《いた》しました。|悪魔《あくま》に|取《と》りつかれ、|俄《にはか》にあのやうな|悪心《あくしん》を|起《おこ》し、こんな|所《ところ》へ|閉《と》ぢ|込《こ》まれるとは、どうも|恥《はづ》かしい|事《こと》で|厶《ござ》る。どうか|現界《げんかい》へ|帰《かへ》るとも、|今迄《いままで》の|恨《うらみ》は|川《かは》へ|流《なが》し、|層一層《そういつそう》|御親交《ごしんかう》を|願《ねが》ひます』
と|心《こころ》の|底《そこ》より|片彦《かたひこ》に|詫《わ》びた。|片彦《かたひこ》は|之《これ》に|答《こた》へて、さも|嬉《うれ》し|気《げ》に|云《い》ふやう、
『|将軍様《しやうぐんさま》、|勿体《もつたい》ない|事《こと》を|仰《おほ》せられますな。|皆《みな》|私《わたくし》が|悪《わる》いので|厶《ござ》います。|数多《あまた》の|軍勢《ぐんぜい》を|指揮《しき》する|身分《みぶん》で|居《ゐ》ながら、|陣中《ぢんちう》の|規律《きりつ》を|紊《みだ》し、|女《をんな》に|心《こころ》を|奪《うば》はれ、|遂《つひ》には|思《おも》はぬ|葛藤《かつとう》を|起《おこ》しました|其《その》|罪《つみ》は、|私《わたくし》が|大部分《だいぶぶん》|負担《ふたん》すべきものです。|何卒《なにとぞ》|今《いま》までの|罪《つみ》をお|許《ゆる》し|下《くだ》さいまして、|従前《じゆうぜん》よりも|層一層《そういつそう》の|御親交《ごしんかう》を|願《ねが》ひます』
と|心《こころ》の|底《そこ》より|打《う》ち|解《と》けて|云《い》つた。
ガリヤ、ケースの|両人《りやうにん》は|両将軍《りやうしやうぐん》の|物語《ものがたり》を|聞《き》き、|身《み》を|縮《ちぢ》め、|感歎《かんたん》の|息《いき》を|洩《も》らして|居《ゐ》る。|斯《か》かる|所《ところ》へ|治国別《はるくにわけ》、|松彦《まつひこ》、|竜公《たつこう》、|万公《まんこう》、アク、タク、テクの|一行《いつかう》、|宙《ちう》を|飛《と》んで|走《はし》り|来《きた》り、|四人《よにん》の|前《まへ》に|整列《せいれつ》し、
|治国《はるくに》『|片彦《かたひこ》さま、|貴方《あなた》の|改心《かいしん》が|国魂《くにたま》の|神《かみ》、|金勝要大神《きんかつかねのおほかみ》|様《さま》に|通《つう》じました。|拙者《せつしや》は|要《かね》の|神《かみ》の|命《めい》により、|貴方《あなた》を|現界《げんかい》に|救《すく》ふべくお|迎《むか》へに|参《まゐ》りました』
『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います』
と|落涙《らくるゐ》に|及《およ》ぶ。|松彦《まつひこ》はランチ|将軍《しやうぐん》に|向《むか》ひ、
『|将軍殿《しやうぐんどの》、|貴方《あなた》の|悔悟《くわいご》のお|願《ねがひ》が|大地《だいち》の|金神《こんじん》|金勝要神《きんかつかねのかみ》|様《さま》の|御前《みまへ》に|達《たつ》しました。|拙者《せつしや》は|神命《しんめい》に|依《よ》り、|貴方《あなた》を|現界《げんかい》へお|送《おく》り|申《まを》しませう、|次《つぎ》にガリヤ、ケースの|両人《りやうにん》も|同様《どうやう》|現界《げんかい》へお|帰《かへ》りなさい』
|三人《さんにん》は、
『ハイ|有難《ありがた》う』
と|頭《かうべ》を|下《さ》げる|途端《とたん》、ザワザワと|聞《きこ》ゆる|人声《ひとごゑ》に|目《め》を|醒《さ》ませば、|浮木《うきき》の|森《もり》の|物見櫓《ものみやぐら》の|下座敷《したざしき》に|四人《よにん》は|横《よこ》たはり、|数多《あまた》の|人々《ひとびと》に|介抱《かいほう》されて|居《ゐ》た。さうしてお|民《たみ》はお|寅《とら》に|救《すく》はれて|居《ゐ》た。ランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》は|枕許《まくらもと》をよく|見《み》れば、|豈《あに》|図《はか》らむや、|今《いま》|夢《ゆめ》ともなしに|罪人橋《ざいにんばし》の|麓《ふもと》にて|救《すく》はれたる|治国別《はるくにわけ》、|松彦《まつひこ》を|初《はじ》め、|竜公《たつこう》、|万公《まんこう》、アク、タク、テクの|面々《めんめん》であつた。|彼等《かれら》|四人《よにん》は|治国別《はるくにわけ》、|松彦《まつひこ》の|一隊《いつたい》に|死体《したい》を|河中《かちう》より|救《すく》ひ|上《あ》げられ、|宣伝歌《せんでんか》を|聞《き》かされ、|且《か》つ|天津祝詞《あまつのりと》と|天《あま》の|数歌《かずうた》の|功力《くりき》に|救《すく》はれ|蘇《よみが》へつたのであつた。|又《また》お|民《たみ》は|蠑〓別《いもりわけ》の|声《こゑ》にハツと|気《き》がつき|四辺《あたり》を|見《み》れば、|其《その》|枕許《まくらもと》には|蠑〓別《いもりわけ》、エキス、アーク、タール、お|寅婆《とらば》アさまの|面々《めんめん》が|親切《しんせつ》に|介抱《かいほう》をして|居《ゐ》た。|是《これ》よりランチ|将軍《しやうぐん》を|初《はじ》め|幽冥《いうめい》|旅行《りよかう》の|面々《めんめん》は|心《こころ》の|底《そこ》より|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い、|初《はじ》めて|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の|御前《おんまへ》に|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|反逆《はんぎやく》の|罪《つみ》を|陳謝《ちんしや》し、|遂《つひ》に|三五《あななひ》の|道《みち》に|帰順《きじゆん》する|事《こと》となつた。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一二・一・一四 旧一一・一一・二八 加藤明子録)
第一八章 |冥歌《めいか》〔一二七二〕
|浮木《うきき》の|森《もり》の|陣営《ぢんえい》には|主客《しゆきやく》|打《う》ち|解《と》けて、|幽冥《いうめい》|旅行《りよかう》|無事《ぶじ》|終了《しうれう》の|祝宴《しゆくえん》が|開《ひら》かれた。|而《しか》して|又《また》|敵味方《てきみかた》|和睦《わぼく》の|宴《えん》を|兼《か》ねられたのは|云《い》ふまでもない。ランチ、|片彦《かたひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》を|初《はじ》め、|治国別《はるくにわけ》は|正座《しやうざ》に|直《なほ》り、アーク、タール、エキス、|蠑〓別《いもりわけ》、お|民《たみ》、お|寅《とら》、|竜公《たつこう》、|万公《まんこう》、|松彦《まつひこ》、アク、タク、テク、ガリヤ、ケースの|面々《めんめん》、|可《か》なり|広《ひろ》き|居間《ゐま》に|円陣《ゑんぢん》を|作《つく》り、|山海《さんかい》の|珍味《ちんみ》を|集《あつ》めて、|土手《どて》を|切《き》らして|歌《うた》ひ|舞《ま》うた。|勿論《もちろん》それ|以前《いぜん》に、|三五教《あななひけう》の|大神《おほかみ》を|祭《まつ》り、|感謝《かんしや》|祈願《きぐわん》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し|了《をは》つた|事《こと》は|断《ことわ》つておく。
|治国別《はるくにわけ》は|声調《せいてう》ゆるやかに|歌《うた》ふ。
『|高天原《たかあまはら》は|何処《いづく》なる |清《きよ》き|尊《たふと》き|神《かみ》の|国《くに》
|栄《さか》えの|花《はな》の|永久《とこしへ》に |咲《さ》きみち|匂《にほ》ふ|神《かみ》の|国《くに》』
|竜公《たつこう》『|高天原《たかあまはら》は|何処《いづく》なる |八重棚雲《やへたなぐも》をかき|分《わ》けて
|清《きよ》き|尊《たふと》き|神人《しんじん》の |常磐堅磐《ときはかきは》にのぼりゆき
|無限《むげん》の|歓喜《くわんき》に|打《う》たれつつ |喜《よろこ》びゑらぎ|遊《あそ》ぶ|国《くに》』
|治国《はるくに》『|高天原《たかあまはら》の|神国《しんこく》は |愛《あい》の|善徳《ぜんとく》|充《み》ち|充《み》ちて
|住《す》む|天人《てんにん》は|悉《ことごと》く |神《かみ》の|恵《めぐみ》に|包《つつ》まれつ
|日々《にちにち》の|業務《げふむ》を|謹《つつし》みて |神《かみ》の|御国《みくに》の|御為《おんため》に
|心《こころ》を|一《ひと》つに|固《かた》めつつ |円満《ゑんまん》|具足《ぐそく》の|団体《だんたい》を
ますます|清《きよ》く|麗《うるは》しく |開《ひら》き|進《すす》むる|天人《てんにん》の
|喜《よろこ》び|勇《いさ》み|住《す》まふ|国《くに》』
|竜公《たつこう》『|高天原《たかあまはら》の|霊国《れいごく》は |月《つき》の|御神《みかみ》の|永久《とこしへ》に
|鎮《しづ》まりいます|瑞《みづ》の|国《くに》 |山川《やまかは》|清《きよ》く|野《の》は|茂《しげ》り
|春《はる》と|夏《なつ》とのうららかな |景色《けしき》に|充《み》てる|珍《うづ》の|国《くに》
|百《もも》の|木《こ》の|実《み》はよく|実《みの》り |名《な》さへ|分《わか》らぬ|百鳥《ももどり》は
|常世《とこよ》の|春《はる》を|祝《いは》ひつつ |喜《よろこ》びゑらぎ|遊《あそ》ぶ|国《くに》
|顔面《かんばせ》|清《きよ》く|照《て》りわたる |姿《すがた》|優《やさ》しくニコニコと
|憂《うれ》ひを|知《し》らぬ|神《かみ》の|国《くに》 |人《ひと》と|生《うま》れし|吾々《われわれ》は
|此《この》|世《よ》に|生《い》きて|大神《おほかみ》の |道《みち》の|御《おん》|為《ため》|世《よ》の|為《ため》に
|心《こころ》を|研《みが》き|身《み》を|尽《つく》し |霊肉分離《れいにくぶんり》の|其《その》|後《のち》は
|天《あめ》の|八衢《やちまた》|関所《せきしよ》をば |越《こ》えずに|直《すぐ》に|天国《てんごく》へ
|上《のぼ》る|御霊《みたま》に|進《すす》むべく |今《いま》より|心《こころ》を|研《みが》くべし
|神《かみ》は|吾等《われら》と|倶《とも》にあり |人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》
いかでか|神《かみ》に|帰《かへ》らざらむ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
ランチ『|根底《ねそこ》の|国《くに》は|醜《しこ》の|国《くに》 |八十《やそ》の|曲津《まがつ》や|醜魂《しこたま》の
ウヨウヨ|群《むら》がり|住《す》まふ|国《くに》 |塵《ちり》や|芥《あくた》に|汚《けが》されて
|鼻《はな》つくばかり|臭《くさ》い|国《くに》 |常世《とこよ》の|暗《やみ》の|前後《まへうし》ろ
|足元《あしもと》さへも|見《み》えぬ|国《くに》 |暗《くら》き|隧道《すゐだう》|下《くだ》りゆき
|頭《あたま》を|岩《いは》に|打《う》ちつけて |血潮《ちしほ》は|流《なが》れ|滝《たき》の|如《ごと》
|苦《くるし》み|痛《いた》む|醜《しこ》の|国《くに》 |危《あやふ》き|橋《はし》の|細長《ほそなが》く
|深谷川《ふかたにがは》に|架《か》けられて |身《み》を|切《き》る|計《ばか》りの|寒風《かんぷう》が
いや|永久《とこしへ》に|吹《ふ》きまくる |冷《つめ》たき|寒《さむ》き|醜《しこ》の|国《くに》
ガリガリ|亡者《まうじや》の|此処《ここ》|彼処《かしこ》 |秋《あき》の|夕《ゆふべ》の|虫《むし》の|如《ごと》
|悲《かな》しみ|歎《なげ》き|聞《きこ》え|来《く》る |胸《むね》の|塞《ふさ》がる|暗《やみ》の|国《くに》
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |吾等《われら》は|神《かみ》の|御光《みひかり》に
|照《て》らされここに|救《すく》はれて |再《ふたた》び|此《この》|世《よ》の|人《ひと》となり
|月日《つきひ》の|光《ひかり》を|委曲《まつぶさ》に |拝《はい》する|身《み》とはなりにけり
|思《おも》へば|思《おも》へば|天地《あめつち》の |神《かみ》の|恵《めぐみ》は|何時《いつ》の|世《よ》か
かよわき|人《ひと》の|身《み》を|以《もつ》て |酬《むく》いまつらむ|時《とき》やある
|心《こころ》を|尽《つく》し|身《み》を|尽《つく》し |如何《いか》なる|悩《なや》みに|遇《あ》ふとても
|神《かみ》の|尊《たふと》き|御恵《みめぐみ》に |比《くら》べまつれば|吾々《われわれ》が
|尽《つく》す|誠《まこと》は|九牛《きうぎう》の |一毛《いちまう》だにも|及《およ》ぶまじ
|許《ゆる》させ|給《たま》へ|惟神《かむながら》 |神《かみ》の|御前《みまへ》にわびまつる』
|片彦《かたひこ》『|中有界《ちううかい》の|八衢《やちまた》に |知《し》らず|知《し》らずに|迷《まよ》ひ|込《こ》み
|此《この》|世《よ》に|生《うま》れて|今日《けふ》までも |体主霊従《たいしゆれいじう》の|悪業《あくごふ》を
|尽《つく》せし|事《こと》を|一々《いちいち》に |伊吹戸主《いぶきどぬし》の|門番《もんばん》に
スツパぬかれた|其《その》|時《とき》は |身《み》も|世《よ》もあらぬ|思《おも》ひして
|穴《あな》があるなら|逸早《いちはや》く |消《き》えたきやうな|心持《こころもち》
|何《なん》とも|云《い》へぬ|苦《くる》しさに |根底《ねそこ》の|国《くに》に|墜《おと》されて
|汚穢《をえ》の|臭気《しうき》に|充《みた》されし |暗《くら》き|岩穴《いはあな》|腰《こし》|屈《かが》め
|足《あし》を|傷《きず》つけ|頭《あたま》|打《う》ち |漸《やうや》く|橋《はし》の|袂《たもと》まで
|来《きた》りて|見《み》れば|沢山《たくさん》の |冥官《めいくわん》|達《たち》が|立並《たちなら》び
コハイ|顔《かほ》して|睨《にら》みつけ |叱《しか》り|飛《と》ばした|恐《おそ》ろしさ
それさへあるに|四方《しはう》より |骨《ほね》と|皮《かは》とに|窶《やつ》れたる
ガリガリ|亡者《まうじや》が|蜂《はち》の|巣《す》を つついた|如《ごと》く|現《あら》はれて
|吾等《われら》の|体《からだ》に|喰《くら》ひつき |手足《てあし》にまとひし|厭《いや》らしさ
|吹来《ふきく》る|風《かぜ》は|腥《なまぐさ》く |自然《しぜん》に|鼻《はな》のゆがむよな
|臭気《しうき》は|四辺《あたり》を|吹《ふ》きまくる |如何《いか》なる|深《ふか》き|罪《つみ》あるも
かやうな|所《とこ》におとすとは |大国彦《おほくにひこ》の|神様《かみさま》も
|聞《きこ》えませぬと|心中《しんちう》に |恨《うら》みし|事《こと》も|幾度《いくたび》か
|呼《よ》べど|叫《さけ》べど|祈《いの》れども |何《なん》の|証《しるし》も|荒涙《あらなみだ》
|苦《くるし》み|悶《もだ》ゆる|折《をり》もあれ |幽《かす》かに|聞《きこ》ゆる|宣伝歌《せんでんか》
|聞《き》くより|我利々々亡者《がりがりまうじや》たち |煙《けむり》の|如《ごと》く|消《き》え|失《う》せぬ
|鬼《おに》のやうなる|面《つら》さげた |冥官《めいくわん》|共《ども》もチクチクと
|姿《すがた》を|隠《かく》し|漸《やうや》くに |四辺《あたり》は|少《すこ》しく|明《あか》くなり
あゝ|嬉《うれ》しやと|思《おも》ふ|折《をり》 |許《ゆる》しの|雲《くも》に|打乗《うちの》りて
|悠々《いういう》|下《くだ》る|女神《めがみ》あり |女神《めがみ》は|二人《ふたり》の|侍女《じぢよ》を|連《つ》れ
|吾等《われら》が|前《まへ》に|現《あら》はれて いとも|優《やさ》しき|御声《おんこゑ》に
|汝《なんぢ》はランチ|将軍《しやうぐん》か お|前《まへ》は|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》か
|高天原《たかあまはら》の|最奥《さいあう》の |日《ひ》の|若宮《わかみや》に|現《あ》れませる
|皇大神《すめおほかみ》の|御言《みこと》もて |汝《なんぢ》が|苦念《くねん》を|助《たす》けむと
|下《くだ》り|来《きた》れる|紫《むらさき》の |姫《ひめ》の|命《みこと》のエンゼルと
|宣《の》らせ|給《たま》ひし|嬉《うれ》しさよ |地獄《ぢごく》に|仏《ほとけ》といふ|事《こと》は
かかる|事《こと》をや|云《い》ふならむ |甦《よみがへ》りたる|心地《ここち》して
ハツと|頭《かしら》をさぐる|折《をり》 |紫姫《むらさきひめ》は|淑《しとやか》に
|神《かみ》の|御言《みこと》を|宣《の》り|給《たま》ひ |金勝要大神《きんかつかねのおほかみ》の
|御心《みこころ》|伺《うかが》ひ|奉《まつ》らむと |侍女《じぢよ》を|伴《ともな》ひ|雲《くも》に|乗《の》り
|北方《ほつぱう》の|空《そら》をいういうと |渡《わた》りて|姿《すがた》を|隠《かく》しまし
|間《ま》もなく|来《きた》る|宣伝使《せんでんし》 |治国別《はるくにわけ》や|竜公《たつこう》や
|松彦司《まつひこつかさ》|其《その》|他《ほか》の |真人《まさびと》たちに|救《すく》はれて
|再《ふたた》び|此《この》|世《よ》の|明《あか》りをば |拝《をが》みし|時《とき》の|嬉《うれ》しさよ
|此《この》|大恩《だいおん》に|酬《むく》うべく |吾《われ》は|之《これ》より|真心《まごころ》を
|神《かみ》の|御《おん》|為《ため》|道《みち》の|為《ため》 |世人《よびと》の|為《ため》に|捧《ささ》げつつ
|常世《とこよ》の|暗《やみ》の|現界《げんかい》を |一日《ひとひ》も|早《はや》く|大神《おほかみ》の
|珍《うづ》の|光《ひかり》に|照《て》らすべく |治国別《はるくにわけ》に|従《したが》ひて
|月《つき》の|御国《みくに》はまだ|愚《おろ》か |百八十国《ももやそくに》の|果《はて》までも
お|道《みち》の|為《ため》に|雨露《あめつゆ》を |冒《をか》して|仕《つか》へ|奉《まつ》るべし
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|御前《みまへ》に|真心《まごころ》を
|捧《ささ》げて|祈《いの》り|奉《たてまつ》る』
|松彦《まつひこ》『バラモン|軍《ぐん》の|秘書官《ひしよくわん》と |仕《つか》へまつりて|河鹿山《かじかやま》
|数多《あまた》の|軍勢《ぐんぜい》と|諸共《もろとも》に |進《すす》む|折《をり》しも|三五《あななひ》の
|神徳《しんとく》|無限《むげん》の|宣伝使《せんでんし》 |治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》に
|珍《うづ》の|言霊《ことたま》|打出《うちだ》され |総隊《そうたい》|崩《くづ》れ|逃出《にげいだ》す
|其《その》みじめさに|憤慨《ふんがい》し |吾《われ》は|竜公《たつこう》と|諸共《もろとも》に
|懐谷《ふところだに》に|身《み》を|隠《かく》し |善後《ぜんご》の|策《さく》を|講《かう》じつつ
|逃《に》げ|遅《おく》れたる|馬《うま》ともに トボトボ|坂《さか》を|降《くだ》りつつ
|祠《ほこら》の|森《もり》に|来《き》てみれば |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|二人《ふたり》の|家来《けらい》が|頑張《ぐわんば》つて |見張《みは》りしてゐる|恐《おそ》ろしさ
|漸《やうや》く|此《この》|場《ば》のゴミにごし |不思議《ふしぎ》の|縁《えん》で|兄弟《きやうだい》の
|目出度《めでた》く|対面《たいめん》|相済《あひす》ませ |治国別《はるくにわけ》に|従《したが》ひて
|野中《のなか》の|森《もり》に|来《き》て|見《み》れば |忽《たちま》ちドロンと|消《き》え|給《たま》ふ
|後《あと》に|残《のこ》りし|吾々《われわれ》は |数人連《すうにんづ》れにて|小北山《こぎたやま》
ユラリの|彦《ひこ》の|神殿《しんでん》に |進《すす》みて|蠑〓別《いもりわけ》さまや
お|寅婆《とらば》さまに|出会《しゆつくわい》し |妻《つま》と|娘《むすめ》に|巡《めぐ》り|会《あ》ひ
|漸《やうや》くここに|来《き》て|見《み》れば |前後左右《ぜんごさいう》に|人《ひと》の|声《こゑ》
|小山《こやま》の|如《ごと》く|集《あつ》まりて ウヨウヨウヨと|騒《さわ》ぎゐる
われを|忘《わす》れて|陣中《ぢんちう》に |一行《いつかう》と|共《とも》に|走《はし》り|入《い》り
|河辺《かはべ》に|立《た》ちて|眺《なが》むれば ここに|四人《よにん》の|川《かは》はまり
コリヤ|大変《たいへん》と|進《すす》みより |数多《あまた》の|軍兵《ぐんぴよう》にかつがせて
|物見櫓《ものみやぐら》の|下《した》の|間《ま》に |四人《よにん》を|運《はこ》び|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|授《さづ》けし|言霊《ことたま》を |声《こゑ》|淑《しとや》かに|宣《の》りつれば
|神《かみ》の|恵《めぐみ》は|目《ま》のあたり |四人《よにん》|一度《いちど》に|甦《よみがへ》り
|目《め》を|開《ひら》きたる|嬉《うれ》しさよ |今《いま》まで|捜《さが》し|索《もと》めたる
|治国別《はるくにわけ》の|師《し》の|君《きみ》も |竜公《たつこう》も|此処《ここ》に|現《あら》はれて
|互《たがひ》に|手《て》に|手《て》を|握《にぎ》り|合《あ》ひ |無事《ぶじ》を|祝《しゆく》せし|嬉《うれ》しさは
|天《あま》の|岩戸《いはと》の|開《ひら》きたる |百神《ももがみ》たちのゑらぎ|声《ごゑ》
それにも|勝《まさ》る|思《おも》ひなり あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|光《ひかり》の|現《あら》はれて バラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》
|軍《いくさ》の|思《おも》ひも|今《いま》は|早《はや》 |矛《ほこ》|逆《さか》しまに|立直《たてなほ》し
|剣《つるぎ》を|扇子《せんす》に|持《も》ちかへて |神《かみ》の|御前《みまへ》を|伏拝《ふしをが》む
|目出度《めでた》き|仕儀《しぎ》となりにけり これぞ|全《まつた》く|素盞嗚《すさのを》の
|神《かみ》の|尊《みこと》の|御威徳《ごゐとく》が |表《あら》はれ|給《たま》ひし|証《しるし》なり
|謹《つつ》み|敬《ゐやま》ひ|皇神《すめかみ》の |御稜威《みいづ》を|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
お|寅《とら》『|小北《こぎた》の|山《やま》に|現《あら》はれし |其《その》|名《な》も|高《たか》きウラナイの
|教主《けうしゆ》の|君《きみ》の|蠑〓別《いもりわけ》 |其《その》お|身分《みぶん》に|似《に》もやらず
|信者《しんじや》の|娘《むすめ》を|唆《そそのか》し |臍繰金《へそくりがね》をまき|上《あ》げて
おまけにお|寅《とら》の|頭《あたま》まで |叩《たた》いて|逃《に》げる|強《がう》の|者《もの》
|憎《につく》き|奴《やつ》と|思《おも》ひつめ |一度《いちど》は|腹《はら》が|立《た》つたれど
|金剛杖《こんがうづゑ》に|叩《たた》かれた |其《その》|為《ため》|私《わたし》は|神徳《しんとく》を
|腕《うで》もたわわに|頂《いただ》いて スツカリ|迷《まよ》ひの|夢《ゆめ》も|醒《さ》め
|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》を |此上《こよ》なく|信《しん》じ|奉《たてまつ》り
|松彦司《まつひこつかさ》に|従《したが》ひて |浮木《うきき》の|森《もり》に|来《き》てみれば
|右往左往《うわうさわう》と|人《ひと》の|影《かげ》 |只事《ただごと》ならじと|近寄《ちかよ》りて
よくよく|見《み》ればお|民《たみ》さま |大地《だいち》に|蛙《かはづ》を|投《な》げたよに
|早縡切《はやことき》れてゐなさつた コリヤ|大変《たいへん》と|万公《まんこう》や
アク、テク、タクの|一同《いちどう》は |人工《じんこう》|呼吸《こきふ》を|施《ほどこ》して
|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し |祈《いの》り|奉《まつ》ればアラ|不思議《ふしぎ》
|神徳《しんとく》|忽《たちま》ち|現《あら》はれて |息《いき》ふき|返《かへ》した|嬉《うれ》しさよ
|之《これ》も|全《まつた》く|神様《かみさま》の |吾等《われら》を|導《みちび》き|給《たま》ふべく
|計《はか》り|給《たま》ひし|御業《みわざ》ぞと |尊《たふと》み|敬《ゐやま》ひ|今《いま》ここに
|無事《ぶじ》の|対面《たいめん》|遂《と》げながら |以前《いぜん》の|恨《うらみ》を|打忘《うちわす》れ
|一切万事《いつさいばんじ》|神様《かみさま》に |御任《おまか》せ|申《まを》した|気楽《きらく》さよ
いざ|之《これ》よりは|吾々《われわれ》も |心《こころ》の|腹帯《はらおび》|締《し》め|直《なほ》し
|魔神《まがみ》の|猛《たけ》ぶ|荒野原《あらのはら》 よぎりて|神《かみ》の|御《おん》|為《ため》に
|力限《ちからかぎ》りに|仕《つか》ふべし あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|天地《てんち》を|造《つく》り|給《たま》ひたる |皇大神《すめおほかみ》よ|大神《おほかみ》よ
お|寅《とら》が|微衷《びちう》を|愍《あはれ》みて |此《この》|大業《たいげふ》を|詳細《まつぶさ》に
|遂《と》げさせ|給《たま》へと|願《ね》ぎまつる』
|万公《まんこう》『ヤア|皆《みな》さま、|幽冥組《いうめいぐみ》も|元気《げんき》|恢復《くわいふく》し、|言霊車《ことたまぐるま》の|運転《うんてん》も|随分《ずいぶん》|盛《さかん》なものでした。|之《これ》から|一《ひと》つお|民《たみ》|如来《によらい》さまに、|何《なに》か|面白《おもしろ》い|歌《うた》を|歌《うた》つて|頂《いただ》きませうか、ナアお|民《たみ》さま、あなたも|随分《ずいぶん》○○の|道《みち》にかけては、|剛《がう》の|者《もの》だからなア』
『ホヽヽヽヽ、|私《わたし》は|余《あま》り|慢心《まんしん》して|高《たか》い|所《ところ》まで|上《あが》り、|神罰《しんばつ》を|被《かうむ》つて、|階段《かいだん》から|顛落《てんらく》し、サツパリ|幽冥《いうめい》|旅行《りよかう》を|致《いた》しました。|其《その》|時《とき》|後頭部《こうとうぶ》をシタタカ|打《う》つたと|見《み》え、|何《なん》だか|頭《あたま》が|変《へん》になつて、|到底《たうてい》|歌《うた》なんか|出《で》ませぬ、|何卒《どうぞ》|御免《ごめん》|下《くだ》さいませ』
『コレコレお|民《たみ》さま、|吾々《われわれ》はお|前《まへ》さまの|命《いのち》の|救《すく》ひ|主《ぬし》だ。チツとは|恩《おん》にきせるぢやないけれど、|歌《うた》|位《くらゐ》|歌《うた》つてくれたつて、|余《あま》り|罰《ばち》が|当《あた》りもせまいぞや。|蠑〓別《いもりわけ》さまの|前《まへ》だつて、さうテラすものぢやないワ。|歌《うた》つたり|歌《うた》つたり』
『エヽさういはれちや|仕方《しかた》がありませぬ、|何《いづ》れ|死《しに》ぞこなひですから、|生命《いのち》のあるやうな|歌《うた》は|歌《うた》へませぬ、|何《なん》でも|宜《よろ》しいか』
『|何《なん》でも|宜《よろ》しい、お|前《まへ》さまの|声《こゑ》さへ|聞《き》けばそれで|満足《まんぞく》だ。チツとは|幽霊気分《いうれいきぶん》が|交《まじ》つても|差支《さしつかへ》ありませぬ。|現界《げんかい》の|歌《うた》は|随分《ずいぶん》|聞《き》いてるが、|幽界《いうかい》の|歌《うた》はまだ|聞《き》いた|事《こと》がないから、チト|位《くらゐ》、いやらしてもいいから、|幽界《いうかい》で|覚《おぼ》えて|来《き》た|事《こと》を|歌《うた》つて|下《くだ》さいな』
『ハイ、お|恥《はづ》かしう|厶《ござ》いますが、それなら|歌《うた》はして|貰《もら》ひませう』
と|云《い》ひながら、|両手《りやうて》をニユツと|突《つ》き|出《だ》し、|掌《てのひら》をベロリとさげ、|舌《した》を|出《だ》したり|入《い》れたりしながら、|一口《ひとくち》|言《い》つては|踊《をど》る|其《その》|可笑《をか》しさ、|一同《いちどう》は|思《おも》はず|吹出《ふきだ》し、|俄《にはか》に|興《きよう》を|添《そ》へた。
『あゝ|恨《うら》めしや|恨《うら》めしや |私《わたし》は|蠑〓別《いもりわけ》さまの
|悪性男《あくしやうをとこ》に|騙《だま》されて |浮木《うきき》の|森《もり》まではるばると
|心《こころ》ならずもついて|来《き》たワイな ヒユーヒユードロドロ ヒユー、ドロドロ
|恨《うら》めしや………… |恨《うら》めしわいな|足《あし》の|裏《うら》に
おまんまがひつついてウラ|飯《めし》い こんな|所《ところ》につくよりも
なぜに|表《おもて》の|鼻《はな》の|先《さき》 |天晴《あつぱれ》ついては|下《くだ》されぬ
そしたら|私《わたし》と|蠑〓別《いもりわけ》さまは |誰《たれ》|憚《はばか》らずママになる
と|思《おも》うてゐたのは|今《いま》までだ |冥土《めいど》の|旅《たび》をやつてから
|白鬼《しろおに》さまに|頼《たの》まれて |審判《さばき》の|役《やく》となつたわいな
ホツホツホツ ホヽヽヽ あた|厭《いや》らしい|声《こゑ》がする
|此奴《こいつ》ア|不思議《ふしぎ》とよく|見《み》れば |蠑〓別《いもりわけ》の|副守《ふくしゆ》さま
|化物《ばけもの》みたよな|女《をんな》をば |沢山《たくさん》|背《せな》に|負《お》ひながら
エチエチエチと|走《はし》りゆく |後姿《うしろすがた》を|眺《なが》むれば
|青赤白《あをあかしろ》や|萠黄《もえぎ》なす さも|厭《いや》らしい|鬼《おに》の|顔《かほ》
アーアこんな|男《をとこ》とは |私《わたし》は|夢《ゆめ》にも|知《し》らなんだ
お|寅婆《とらば》さまはさぞやさぞ これ|程《ほど》|沢山《たくさん》|曲鬼《まがおに》の
|憑《つ》いた|男《をとこ》をさらはれて ホンに|仕合《しあは》せなお|方《かた》だと
|天《あめ》の|八衢《やちまた》の|関所《せきしよ》から |打驚《うちおどろ》いてみてゐましたよ
ヒユーヒユー ドロドロ ヒユー、ドロドロ ホヽヽホツホ、ホーホーホー
ハテ|恨《うら》めしやアな、|恨《うら》めしや |私《わたし》はこれから|蠑〓別《いもりわけ》の
|後《あと》には|従《つ》いて|行《ゆ》きませぬ |石塔《せきたふ》の|横《よこ》から|細《ほそ》い|手《て》を
ニユツと|前《まへ》の|方《はう》へ|突《つ》き|出《だ》して |万公《まんこう》さまの|首筋《くびすぢ》を
|冷《つめ》たい|手々《てて》にてグツと|掴《つか》み キヤツといはさにやおきませぬ
ホヽヽヽホツホ|恨《うら》めしや ヒヽヽヽヒツヒ|気味《きみ》がよいや
こんな|女子《をなご》に|睨《にら》まれたが|最後《さいご》の|錠《ぢやう》 |観念《くわんねん》なされや|万公《まんこう》さま
メツタに|助《たす》かりつこはない|程《ほど》に イヒヽヽヒツヒ、イヒヽヽヽ』
『コリヤお|民《たみ》……ドン、やめてくれ、|何《なに》を|云《い》ふのだ、アタ|厭《いや》らしい』
『それだつて、|冥土土産《めいどみやげ》に|唄《うた》へと|云《い》つたぢやありませぬか、|私《わたし》が|修業《しうげふ》して|来《き》たのは、こんなものですよ、ホツホヽヽヽ』
『エヽ|気味《きみ》の|悪《わる》い、|首筋《くびすぢ》がゾクゾクし|出《だ》した。コレお|寅《とら》さま、|一杯《いつぱい》ついでくれ、そしてお|民《たみ》さまを|暫《しばら》く、あつちの|方《はう》へ|送《おく》つて|行《い》つて|下《くだ》さい……|本当《ほんたう》に|飲《の》んだ|酒《さけ》がしゆんで|了《しま》つたやうだ』
|松彦《まつひこ》『|万公《まんこう》さまお|民《たみ》|幽霊《いうれい》におどされて
ブルブル|震《ふる》ひ|汗《あせ》をかくなり』
|万公《まんこう》『われとてもお|民《たみ》|位《くらゐ》は|恐《おそ》れねど
あの|言霊《ことたま》が|気《き》にくはぬなり』
お|民《たみ》『|万公《まんこう》さま|恐《おそ》ろしいないとは|云《い》はれまい
|其《その》|顔色《かほいろ》はホヽヽヽヽヽヽ』
|万公《まんこう》『またしても|厭《いや》らし|声《こゑ》を|出《だ》しよるな
|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立《た》つてゆけかし』
お|民《たみ》『|立《た》ちたくは|山々《やまやま》なれど|肝腎《かんじん》の
|蠑〓別《いもりわけ》がおもひ|切《き》られず』
|万公《まんこう》『|何《なに》|吐《ぬか》す|貴様《きさま》は|口《くち》と|心《こころ》とが
|裏表《うらおもて》|故《ゆゑ》うらめしといふ……のだらう』
お|民《たみ》『|本当《ほんたう》に|恨《うら》めし|人《ひと》は|蠑〓別《いもりわけ》
|表《おもて》にめすは|万公《まんこう》さまなり』
|万公《まんこう》『|気《き》にくはぬお|民《たみ》の|奴《やつ》よ|一時《いつとき》も
|頼《たの》みぢや|程《ほど》に|退《の》いてくれかし』
お|民《たみ》『|幽霊《いうれい》に|一旦《いつたん》なつた|私《わし》ぢやもの
お|前《まへ》の|首《くび》を|抜《ぬ》かにや|離《はな》れぬ』
お|寅《とら》『|万公《まんこう》さま、コレお|民《たみ》さま、お|互《たがひ》に
|心得《こころえ》なされ、ここは|陣中《ぢんちう》』
|蠑〓《いもり》『お|民《たみ》といひお|寅《とら》といつて|騒《さわ》ぐとも
|高姫司《たかひめつかさ》にまさる|者《もの》なし』
お|寅《とら》『さうだらう|高姫《たかひめ》さまは|若《わか》い|故《ゆゑ》
お|民《たみ》さままで|厭《いや》になるのだ。
なアお|民《たみ》、お|前《まへ》の|年《とし》はまだ|二十《はたち》
|五十婆《ごじふば》さまを|若《わか》う|見《み》るとは。
それ|故《ゆゑ》に|夢《ゆめ》の|蠑〓別《いもりわけ》さまと
|人《ひと》が|言《い》ふのも|無理《むり》であるまい』
ランチ『ヤア|皆《みな》さま、|面白《おもしろ》く|祝《いは》はして|頂《いただ》きました。|最早《もはや》|夜《よ》も|更《ふ》けましたなれば、|御寝《おやす》み|下《くだ》さいませ。|又《また》|明日《みやうにち》ゆつくりと|尊《たふと》き|御話《おはなし》を|伺《うかが》はして|頂《いただ》きませう』
|此《この》|挨拶《あいさつ》に|一同《いちどう》は|上機嫌《じやうきげん》で|各《かく》|居間《ゐま》に|帰《かへ》り、|寝《しん》に|就《つ》いた。
(大正一二・一・一四 旧一一・一一・二八 松村真澄録)
第一九章 |兵舎《へいしや》の|囁《ささやき》〔一二七三〕
コー、ワク、エム|三人《さんにん》の|守衛連《しゆゑいれん》は|陣営《ぢんえい》の|一室《いつしつ》に|集《あつ》まつて、ランチ|将軍《しやうぐん》|以下《いか》|蘇生《そせい》の|祝酒《いはひざけ》に|舌鼓《したつづみ》をうちながら|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》る。
コー『オイ、チツと|怪体《けたい》ぢやないか。エヽーン、|本当《ほんたう》に|馬鹿《ばか》にしてゐよる。|俺《おれ》やモウこんな|事《こと》と|知《し》つたら、こんな|処《ところ》までついて|来《く》るのぢやなかつたに、えらい|番狂《ばんくる》はせだ』
ワク『オイ、コー、|何《なに》が|何《なん》と|云《い》ふのぢやい。テンと|貴様《きさま》の|仰有《おつしや》ることは|耳《みみ》に|疎通《そつう》せぬぢやないか』
『きまつた|事《こと》だ。テンと|意味《いみ》が|疎通《そつう》せぬ|事《こと》が|出来《でき》たのだ。よう|考《かんが》へて|見《み》よ。ランチ、|片彦《かたひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》は|女《をんな》の|取《と》り|合《あ》ひをして、|終《しま》ひにや|生命《いのち》のとりあひ|迄《まで》やつたぢやないか。さうして|其《その》|女《をんな》と|云《い》ふのはドテライお|化《ばけ》さまだ。しようもない、|生《い》きたり|死《し》んだりしよつて、|亡者《まうじや》ばつかり|沢山《たくさん》にモジヤモジヤと|本営《ほんえい》に|集《あつ》まり、|亡者会《まうじやくわい》を|開《ひら》き|其《その》|祝《いはひ》ぢやと|云《い》つて……|糞面白《くそおもしろ》くもない。|俺達《おれたち》に|味《あぢ》なくもない|酒《さけ》を|滅多《めつた》|矢鱈《やたら》に|強《し》ひよるぢやないか。|俺《おれ》やむかつくの、むかつかないのつて、|亡者《まうじや》の|酒《さけ》と|思《おも》へや、|此《この》【サケ】|如何《どう》なるかと|思《おも》つて、|気《き》が|揉《も》めて|仕方《しかた》がないのぢや。よく|考《かんが》へて|見《み》よ、あの|金《かね》を|呉《く》れやがつた|蠑〓別《いもりわけ》やお|民《たみ》や|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》、|其《その》|他《ほか》|将軍《しやうぐん》に|副官《ふくくわん》、|〆《し》めて|八人《はちにん》も|天《あめ》の|八衢《やちまた》とか|幽冥界《いうめいかい》とかへ|行《い》つて|来《き》て|俄《にはか》に|弱気《よわき》になり、モウ|明日《あす》から|剣《けん》は|持《も》つ|事《こと》ならぬとか、|戦《いくさ》はやめだとか、|戦《いくさ》するよりも|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》を|一生懸命《いつしやうけんめい》に|拝《をが》めとか、|幽霊《いうれい》みた|様《やう》な|事《こと》を|吐《ぬか》すぢやないか。|俺《おれ》やモウ、それがムカムカするのだ。|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|行《い》つて|天晴《あつぱれ》|功名《こうみやう》|手柄《てがら》を|現《あら》はし、|一国《いつこく》の|宰相《さいしやう》にでもならうと|思《おも》つて|居《を》つたのに、サツパリ|源助《げんすけ》だ。ワク、|貴様《きさま》は|之《これ》でも|何《なん》ともないか、エヽーン』
『|智勇《ちゆう》|兼備《けんび》のランチ|将軍《しやうぐん》さまだ。それに|片彦《かたひこ》さまの|様《やう》な|豪傑《がうけつ》がついて|厶《ござ》るのだから、|吾々《われわれ》の|燕雀《えんじやく》は、そんな|事《こと》に|口嘴《くちばし》を|容《い》れるものぢやない。それよりも|結構《けつこう》なお|酒《さけ》を|頂戴《ちやうだい》したのだから、おとなしう|呑《の》んで|寝《ね》たがよからうぞ』
『これが|如何《どう》して|寝《ね》られるかい。|武装《ぶさう》|撤廃《てつぱい》だとか|軍備《ぐんび》|廃止《はいし》だとか、|余《あま》り|胸《むね》のよくない|話《はなし》を|聞《き》くぢやないか。|吾々《われわれ》|一兵卒《いつぺいそつ》と|雖《いへど》も|之《これ》が|黙許《もくきよ》せられるか。|貴様《きさま》も|余程《よつぽど》|腰抜《こしぬ》けだな』
『さうぢやないよ、|浄海入道《じやうかいにふだう》の|法衣《ほふえ》みた|様《やう》なものだ。|表面《うはべ》に|法衣《ほふい》を|着《き》て|裏面《うらべ》に|甲冑《かつちう》を|装《よそほ》うて|居《ゐ》る|様《やう》な|有様《ありさま》だ。あゝ|云《い》ふ|三五教《あななひけう》の|治国別《はるくにわけ》を|陥穽《かんせい》を|入《い》れて|殺《ころ》し|損《そこ》ねたり、|却《かへつ》て|自分《じぶん》が|死《し》ぬ|様《やう》な|目《め》にあひ|給《たま》ひ、|治国別《はるくにわけ》や|其《その》|他《ほか》の|者《もの》に|油断《ゆだん》させるために、|軍隊《ぐんたい》|一般《いつぱん》にあの|様《やう》な|事《こと》をお|触《ふ》れになつたのだよ。|貴様《きさま》は|馬鹿正直《ばかしやうぢき》だからな』
『それなら|気《き》が|利《き》いてる。|如何《どう》やら、それらしくないぞ。|最前《さいぜん》もテルンスが|云《い》つて|居《ゐ》たが、|両将軍《りやうしやうぐん》|並《ならび》に|副官《ふくくわん》|迄《まで》が|一生懸命《いつしやうけんめい》に|三五《あななひ》のお|経《きやう》を|唱《とな》へ、|之《これ》から|軍隊《ぐんたい》を|解散《かいさん》するか、|但《ただし》は|一般《いつぱん》を|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》にするかと|云《い》ふ|了簡《れうけん》らしいぞ』
『そんな|事《こと》があつたら|俺《おれ》だつて|此《この》|儘《まま》にや|済《す》ますものか。|忽《たちま》ちハルナの|都《みやこ》に|注進《ちゆうしん》して、お|褒《ほ》めを|頂《いただ》き、マア|将軍《しやうぐん》の|後釜《あとがま》にでもなるのだな。|其《その》|時《とき》や|貴様《きさま》も|秘書官《ひしよくわん》|位《くらゐ》にしてやるわ。さうして|月《つき》の|国《くに》の|相当《さうたう》の、|二三万《にさんまん》の|人口《じんこう》ある|刹帝利《せつていり》に|使《つか》つてやるから、マア|楽《たのし》んで|待《ま》つたがよからう』
『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな。|果《はた》してランチ|将軍《しやうぐん》が|三五教《あななひけう》に|恍《とぼ》けよつたなら、|俺《おれ》が|全軍《ぜんぐん》の|指揮官《しきくわん》となり|斎苑《いそ》の|館《やかた》を|蹂躙《じうりん》し、|七千余ケ国《しちせんよかこく》の|月《つき》の|国《くに》を|少《すくな》くも|五分《ごぶ》の|一《いち》|位《くらゐ》|頂戴《ちやうだい》し、|貴様《きさま》を|其《その》|中《なか》の|一番《いちばん》|小《ちひ》さい|国《くに》の|刹帝利《せつていり》に|使《つか》はぬ|事《こと》もない。それも|貴様《きさま》の|心《こころ》の|持《も》ち|様《やう》|一《ひと》つだ。アヽ|斯《こ》んな|事《こと》を|思《おも》ふと|腹立《はらだち》も|何処《どこ》かへ|消滅《せうめつ》して|了《しま》つた。ランチ|将軍《しやうぐん》や|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》が|三五教《あななひけう》に|沈没《ちんぼつ》すれば、|却《かへつ》て|吾々《われわれ》の|栄進《えいしん》の|道《みち》が|開《ひら》くと|云《い》ふものだ。かう|思《おも》へば|腹立《はらだち》|処《どころ》か、|双手《さうしゆ》を|挙《あ》げて|賛成《さんせい》すべきものだ』
エム『|何《なん》と|俄《にはか》に|御機嫌《ごきげん》が|直《なほ》つたぢやないか。|然《しか》しさう|世《よ》の|中《なか》は|思惑通《おもわくどほ》りに|行《い》くものぢやないよ。あれだけ|武名《ぶめい》|高《たか》き|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》だつて、あの|通《とほ》り|治国別《はるくにわけ》に|敗北《はいぼく》したのだからな。マア、そんな|空想《くうさう》は|止《や》めにして、もう|少《すこ》しばかりお|神酒《みき》を|頂《いただ》き、|果《はた》して|将軍様《しやうぐんさま》が|三五教《あななひけう》になられるか、|但《ただし》は|治国別《はるくにわけ》|一行《いつかう》を|征伐《せいばつ》なさる|御計略《ごけいりやく》か、トツクリと|二三日《にさんにち》|待《ま》つて|調《しら》べた|上《うへ》でなけりや、ウツカリした|事《こと》|云《い》つて|将軍《しやうぐん》の|耳《みみ》にでも|這入《はい》つたら|大変《たいへん》だぞ』
かかる|所《ところ》へ|見廻《みまは》りに|来《き》たのは、|陣中《ぢんちう》にても|稍《やや》|相当《さうたう》の|位置《ゐち》を|持《も》つてるテルンスであつた。テルンスはツカツカと|入《い》り|来《きた》り、
『オイ、お|前達《まへたち》は|今《いま》|何《なに》を|云《い》つてゐたか』
コー『ハイ、いえ|別《べつ》に|何《なん》にも|云《い》つた|覚《おぼ》えは|厶《ござ》いませぬ。|治国別《はるくにわけ》を|一《ひと》つ|計略《けいりやく》にかけて|亡《な》き|者《もの》にすれば|結構《けつこう》だと|云《い》つたのです。それより|外《ほか》は|何《なに》も|云《い》ひませぬ。のうワク、エムさうだろ』
『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな。|貴様《きさま》はハルナの|都《みやこ》へ|注進《ちゆうしん》するとか、|全軍《ぜんぐん》の|指揮官《しきくわん》になるとか、|大《だい》それた|事《こと》を|申《まを》したぢやないか』
『ウン、そりや|申《まを》しました。|然《しか》し|酒《さけ》の|上《うへ》で|一寸《ちよつと》|法螺《ほら》を|吹《ふ》いてみたのですよ。よう|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさいませ。テルンスと|云《い》ふ|上官《じやうくわん》があるのに、|貴方《あなた》を|差措《さしお》いてそんな|事《こと》が|出来《でき》ますかな。|何卒《なにとぞ》|冷静《れいせい》にお|考《かんが》へ|下《くだ》さい』
『おい、ワク、エム、コーが|今《いま》|云《い》つてる|事《こと》は|本当《ほんたう》か、|嘘《うそ》か、|如何《どう》だ』
ワク『ヘー、|嘘《うそ》らしうもあり、|本当《ほんたう》らしうも|厶《ござ》います。|十分《じふぶん》に|酩酊《めいてい》して|居《を》つたものですから、|何《なに》を|云《い》つたか|満足《まんぞく》に|聞《きこ》えませず、|私《わたくし》だつて|酒《さけ》が|云《い》つたのだから、|肝腎《かんじん》の|御本人《ごほんにん》は|何《なに》も|知《し》りや|知《し》りませぬ。|何卒《なにとぞ》|大目《おほめ》に|見《み》てやつて|下《くだ》さい』
『コリヤ|其《その》|方《はう》は|詐《いつは》りを|申《まを》しちやならないぞ。|本当《ほんたう》の|事《こと》を|云《い》はないか』
『|酒《さけ》に|酔《よ》うて|居《ゐ》ましたから、|酔《よ》うて|居《を》つて|何《なん》の|覚《おぼ》えもないと|云《い》ふのです。それが|事実《じじつ》ですもの』
『ヨシ、|知《し》らぬなら|知《し》らぬでよい。|明日《あす》は|締木《しめき》にかけてでも|白状《はくじやう》|致《いた》さす。|何程《なにほど》|弁解《べんかい》|致《いた》しても|此《この》|方《はう》はシツカリ|証拠《しようこ》が|押《おさ》へてあるのだ』
と|云《い》ひながら|戸《と》をピシヤツと|荒《あら》く|閉《し》め、|又《また》|次《つぎ》の|兵舎《へいしや》に|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせ|進《すす》み|行《ゆ》く。
|後《あと》に|三人《さんにん》は|小声《こごゑ》になり、
ワク『それ|見《み》よ、コーの|奴《やつ》め、|仕様《しやう》もない|事《こと》を|吐《ぬ》かすから|俺《おれ》|迄《まで》も|疑《うたが》はれて|了《しま》ふのだ。|俺《おれ》とエムとが|貴様《きさま》の|云《い》つてる|事《こと》を|本当《ほんたう》に|証明《しようめい》しようものなら、お|前《まへ》の|生命《いのち》はないのだぞ。なあエム、|俺《おれ》だとて、|隠《かく》されるだけは|隠《かく》してやるけど、|痛《いた》い|目《め》や|辛《つら》い|目《め》に|遇《あ》ふのなら、|本当《ほんたう》の|事《こと》を|云《い》つてやらう。それが|自利上《じりじやう》、|否《いな》|吾《わが》|身《み》|保全《ほぜん》の|上《うへ》に|於《おい》て|最《もつと》も|利巧《りかう》のやり|方《かた》だ』
『さうとも、|俺《おれ》だとて、|痛《いた》い|目《め》や|苦《くる》しい|目《め》までしてコーの|保護《ほご》してやつた|所《ところ》で|別《べつ》に|喜《よろこ》ぶでもなし、|何時《いつ》も|組頭顔《くみがしらがほ》をしやがつて|俺達《おれたち》を|頭抑《あたまおさ》へに|抑《おさ》へやがるから、いい|敵討《かたきう》ちの|時《とき》が|到来《たうらい》したのだよ。こらコー、|恐《おそ》れ|入《い》つたか』
と|稍《やや》|巻舌《まきじた》になりながら|後前《あとさき》を|見《み》ずに|喋《しやべ》り|出《だ》した。コーは|二人《ふたり》に|素破抜《すつぱぬ》かれちや|大変《たいへん》だと|思《おも》ひ、|傍《かたはら》の|剣《けん》を|執《と》るより|早《はや》く|二人《ふたり》に|向《むか》つて|斬《き》りつけた。|二人《ふたり》は|手早《てばや》く|身《み》を|躱《かは》し、コーの|両足《りやうあし》をグツとさらへて|仰向《あふむ》けにドタンと|倒《たふ》した。コーは|大《おほ》いに|怒《いか》り、
『|己《おの》れ、|両人《りやうにん》、もはや|了簡《れうけん》はならぬ。もう|斯《か》うなる|上《うへ》は|死物狂《しにものぐる》ひだ、|覚悟《かくご》をせよ』
と|大刀《だいたう》を|提《ひつさ》げ|斬《き》つてかかる。ワク、エムの|両人《りやうにん》は|表《おもて》にバラバラと|駆《か》け|出《だ》し、|雪道《ゆきみち》を|転《こ》け|惑《まど》ふ。コーは|狂気《きやうき》になつて|追駆《おつか》け|廻《まは》る。|忽《たちま》ちコーは|雪《ゆき》に|包《つつ》まれた|捨石《すていし》に|膝頭《ひざがしら》を|打《う》ち、
『アイタツタ』
と|云《い》つたきり|目《め》を|廻《まは》し、|抜刀《ぬきみ》の|儘《まま》|雪《ゆき》の|上《うへ》に|倒《たふ》れて|了《しま》つた。エム、ワクの|両人《りやうにん》は|狼狽《うろた》へてテルンスの|営舎《えいしや》へ|走《はし》り|行《ゆ》き、|息《いき》を|喘《はづ》ませながら、
ワク『テヽヽヽテルンス|様《さま》、|何卒《どうぞ》タヽヽヽ|助《たす》けて|下《くだ》さいませ』
と|云《い》ひながらエムと|共《とも》に|転《ころ》げ|込《こ》んだ。テルンスは|二人《ふたり》の|慌《あわただ》しき|勢《いきほひ》に|不審《ふしん》を|抱《いだ》き、
『|其《その》|方《はう》はワク、エムの|両人《りやうにん》ぢやないか。|何《なに》を|騒々《さうざう》しく|夜中《よなか》にやつて|来《く》るのだ。|何《なに》か|変事《へんじ》が|突発《とつぱつ》したのか』
ワク『タヽヽヽヽ|大変《たいへん》が|出来《でき》ました。コーの|奴《やつ》、|喋《しやべ》つた|事《こと》を|貴方《あなた》に|素破《すつぱ》ぬくと|申《まを》したら、|怒《おこ》つて|大刀《だいたう》を|振上《ふりあ》げ、ソレ…そこに|追駆《おつか》けて|来《き》ます。いつもなら|私《わたし》はあんな|奴《やつ》の|三人《さんにん》や|五人《ごにん》|恐《おそ》れはしませぬが、|何分《なにぶん》|足《あし》も|充分《じうぶん》|運《はこ》べぬやうに|酩酊《めいてい》してるものですから、|如何《どう》する|事《こと》も|出来《でき》ませぬ。|何卒《どうぞ》|彼奴《あいつ》を|掴《つか》まへて|下《くだ》さい』
『アー、さうか、コーは|何《なん》と|申《まを》して|居《を》つた』
エム『ヘー、ハルナの|都《みやこ》へランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|三五教《あななひけう》に|惚《とぼ》けた|事《こと》を|早馬《はやうま》に|乗《の》つて|注進《ちゆうしん》し、|自分《じぶん》が|全軍《ぜんぐん》の|指揮官《しきくわん》になり、|月《つき》の|国《くに》の|刹帝利《せつていり》になるとか|云《い》つて|居《を》りましたよ。|私《わたくし》とワクとは、もしもそんな|事《こと》になつたら、テルンスさまを|将軍《しやうぐん》に|仰《あふ》ぐと|云《い》ひましたら、|大変《たいへん》に|怒《いか》つて|大刀《だいたう》を|引《ひ》き|抜《ぬ》き|私《わたし》を|殺《ころ》しにかかつたのです。あんな|悪人《あくにん》はお|為《ため》になりませぬ。|何卒《どうぞ》|捕手《とりて》を|出《だ》して|捕《つかま》へて|下《くだ》さい』
と|虚実交々《きよじつこもごも》まぜて|述《の》べ|立《た》てた。
『|何《なに》、コーが|左様《さやう》の|事《こと》を|申《まを》して|居《を》つたか。|中々《なかなか》|以《もつ》て|気骨《きこつ》のある|奴《やつ》だ。|大《おほい》に|見込《みこ》みがある。|其《その》|方《はう》は|之《これ》からコーを|拙者《せつしや》の|命令《めいれい》だと|云《い》つて|呼《よ》んで|来《こ》い。|相談《さうだん》し|度《た》い|事《こと》があるから』
ワク『オヽヽオイ、エム、お|前《まへ》|行《い》つて|来《こ》い。|俺《おれ》や|足《あし》がチツとも|動《うご》かないわ』
『|俺《おれ》だつて|酒《さけ》に|足《あし》を|取《と》られてゐるのだから、|一足《ひとあし》も|歩《ある》けぬぢやないか』
『|一足《ひとあし》も|歩《ある》けぬと|申《まを》すか、|此処《ここ》まで|如何《どう》して|来《き》たのだ』
エム『ハイ、|雪《ゆき》の|中《なか》を|転《ころ》げて|来《き》ました』
『|然《しか》らば|転《ころ》げて|呼《よ》んで|来《こ》い。それで|結構《けつこう》だ』
『へー、それだけは|何卒《なにとぞ》|御免《ごめん》|下《くだ》さいませな』
『イヤ、ならぬ。|上官《じやうくわん》の|命令《めいれい》だ』
『|上官《じやうくわん》の|命令《めいれい》と|仰有《おつしや》つても、あんな|危険《きけん》の|奴《やつ》の|所《ところ》へ|行《ゆ》かうものなら、|私《わたくし》の|首《くび》がなくなります』
『|首《くび》がなくなつた|所《ところ》で|別《べつ》に|俺《おれ》の|損害《そんがい》になるでもなし、|構《かま》はぬぢやないか。|貴様等《きさまら》の|小童武者《こわつぱむしや》の|一人《ひとり》|位《くらゐ》|死《し》んでも|何《なに》かい。|武士《ぶし》は|戦場《せんぢやう》に|屍《かばね》を|曝《さら》すが|名誉《めいよ》だ』
『オイ、ワク、|貴様《きさま》|御苦労《ごくらう》だが|御用《ごよう》に|行《い》つて|呉《く》れないか』
『アイタヽヽ|俄《にはか》に|腰《こし》が|痛《いた》くなつた。オイ、エム、|一《ひと》つ|撫《な》でてくれ。|息《いき》がつまりさうだ。アー、|痛《いた》い|痛《いた》い|痛《いた》い』
『アハヽヽヽ、ナマクラの|奴《やつ》ばつかりだな、|卑怯者《ひけふもの》|奴《め》が。|何《なん》のために|貴様《きさま》の|様《やう》な|奴《やつ》を|飼《か》うてあるのだ。マサカの|時《とき》に|生命《いのち》を|捨《す》てさす|為《ため》に、|高《たか》いパンを|食《く》はしておいてあるぢやないか』
エム『まるで|鶏《にはとり》か|豚《ぶた》を|飼《か》ふ|様《やう》に|仰有《おつしや》いますな。そりやあまりです。チツとは|情《なさけ》と|云《い》ふ|事《こと》を|考《かんが》へて|下《くだ》さいませ』
『|馬鹿申《ばかまを》せ。|慈悲《じひ》や|情《なさけ》に|構《かま》つて|居《を》つて、こんな|人殺《ひとごろ》し|商売《しやうばい》が|出来《でき》るか。|残忍《ざんにん》の|上《うへ》にも|残忍性《ざんにんせい》を|発揮《はつき》するために、|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|剣術《けんじゆつ》をやつたり|柔術《じうじゆつ》を|稽古《けいこ》してるぢやないか』
『それは|吾《わが》|身《み》を|保護《ほご》する|為《ため》の|稽古《けいこ》ぢやありませぬか』
『|馬鹿申《ばかまを》せ、|吾《わが》|身《み》を|保護《ほご》する|為《ため》なら、こんなに|沢山《たくさん》の|軍隊《ぐんたい》がかたまる|必要《ひつえう》がないぢやないか。かく|迄《まで》|大部隊《だいぶたい》を|引率《いんそつ》して|将軍《しやうぐん》がお|出《い》でたのは|敵《てき》を|鏖《みなごろ》しにするためだ。その|為《ため》に|槍《やり》や|剣《けん》を|持《も》たしてあるのだ。|槍《やり》や|剣《けん》は|決《けつ》して|猪《しし》や|狸《たぬき》を|斬《き》るためぢやないぞ。|人斬《ひとき》り|庖丁《ばうちやう》と|云《い》つて|人《ひと》を|斬《き》るためだ。そんな|事《こと》が|分《わか》らずに|武士《ぶし》の|本分《ほんぶん》が|尽《つく》せるものか』
『それでも、|軍人《ぐんじん》は|平和《へいわ》の|守《まも》り|神《がみ》と|云《い》ふぢやありませぬか』
『|或《ある》|時《とき》は|平和《へいわ》の|守《まも》り|神《がみ》となり、|或《ある》|時《とき》は|天下《てんか》の|攪乱者《かくらんしや》となり、|血河屍山《けつかしざん》を|築《きづ》き、|以《もつ》て|敵国《てきこく》を|占領《せんりやう》し、|戦利品《せんりひん》を|沢山《たくさん》に|収納《しうなふ》するのが|武士《ぶし》の|本領《ほんりやう》だ』
『まるで|強盗《がうたう》みた|様《やう》なものですな』
『|貴様《きさま》は|余程《よほど》よい|頓馬《とんま》だな。|軍隊《ぐんたい》の|必要《ひつえう》とならば|人家《じんか》も|焼《や》かねばならず、|人命《じんめい》もとらねばならず、|米麦《べいばく》、|金銭《きんせん》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|豚《ぶた》|鶏《とり》、|大根《だいこん》|蕪《かぶら》、|凡《すべ》て|必要品《ひつえうひん》は|無断《むだん》|徴集《ちようしふ》するのだ。それでなくては、|何《なん》で|軍隊《ぐんたい》の|維持《ゐぢ》が|保《たも》たれるか』
『おい、ワク、テルンスさまの|仰有《おつしや》る|事《こと》あ、チツと|道理《だうり》に|叶《かな》はぬぢやないか。|二《ふた》つ|目《め》には、|斬《き》るの、|盗《ぬす》むのと、そんな|武士《ぶし》があるものだらうかな』
『そら、さうだな』
テルンスは|抜《ぬ》く|手《て》も|見《み》せず|雪《ゆき》にひらめく|氷《こほり》の|刃《やいば》、|忽《たちま》ちエムの|首《くび》を|薙《な》ぎ|落《おと》し、|返《かへ》す|刀《かたな》にワクの|頭《かうべ》を|無残《むざん》にも|斬《き》り|落《おと》し、|雪《ゆき》の|庭《には》は|忽《たちま》ち|紅《くれなゐ》に|化《くわ》した。
(大正一二・一・一四 旧一一・一一・二八 北村隆光録)
第二〇章 |心《こころ》の|鬼《おに》〔一二七四〕
テルンスは、エム、ワクの|両人《りやうにん》を|秘密《ひみつ》の|暴露《ばくろ》せむ|事《こと》を|恐《おそ》れて|無残《むざん》にも|切《き》り|捨《す》て、|心地《ここち》よげに|打《う》ち|笑《わら》ひ|独言《ひとりごと》、
『|此奴等《こいつら》|両人《ふたり》はランチ、|片彦《かたひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》の|間者《かんじや》だと|云《い》ふ|事《こと》は|予《かね》て|承知《しようち》し|居《を》つた。|吾々《われわれ》が|軍隊《ぐんたい》の|指揮権《しきけん》を|握《にぎ》る|時節《じせつ》がいよいよ|到来《たうらい》|致《いた》したと|云《い》ふものだ。|両将軍《りやうしやうぐん》はいよいよ|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》にチヨロまかされ、|骨《ほね》のない|蛸《たこ》か|蒟蒻《こんにやく》の|化物《ばけもの》の|様《やう》になつて|了《しま》つた。いつ|迄《まで》も|上《うへ》に|大将《たいしやう》があると、|吾々《われわれ》の|向上《かうじやう》の|道《みち》を|硬塞《かうそく》し、|金槌《かなづち》の|川《かは》|流《なが》れ、|出世《しゆつせ》する|道《みち》がない、|然《しか》るに|都合《つがふ》よく|両将軍《りやうしやうぐん》|初《はじ》め|両副官《りやうふくくわん》エキス|迄《まで》がすつかり|軍職《ぐんしよく》を|止《や》めて|了《しま》ひよつた。かうなる|上《うへ》は、|階級順《かいきふじゆん》によつて|全軍《ぜんぐん》の|指揮官《しきくわん》となるのはトランス、バルクの|両人《りやうにん》だ。|俺達《おれたち》は|折角《せつかく》|栄進《えいしん》の|道《みち》が|開《ひら》けても|矢張《やは》り|人《ひと》の|頤使《いし》に|甘《あま》んぜなくてはならぬ。|此《この》|時《とき》こそは|時刻《じこく》を|移《うつ》さずハルナの|都《みやこ》に|急使《きふし》を|馳《は》せ、|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》に「|治国別《はるくにわけ》のため、ランチ、|片彦《かたひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》|及《およ》びガリヤ、ケース|両人《りやうにん》は、バラモン|教《けう》を|捨《す》てて|却《かへつ》て|職権《しよくけん》を|利用《りよう》し、|反対《はんたい》にハルナの|都《みやこ》に|攻《せ》め|寄《よ》せむとす。|故《ゆゑ》にテルンス、コーの|両人《りやうにん》は|此《この》|計略《けいりやく》を|知《し》り|注進《ちゆうしん》|仕《つかまつ》る。|何卒《なにとぞ》|臨時《りんじ》にても|差支《さしつか》へなくば、|全軍《ぜんぐん》|指揮官《しきくわん》をテルンス、コーの|両人《りやうにん》にお|任《まか》せ|下《くだ》さい」と|云《い》はうものなら、いよいよ|願望《ぐわんばう》|成就《じやうじゆ》だ。|然《しか》るに|此等《これら》|二人《ふたり》が|居《ゐ》ては|秘密《ひみつ》が|洩《も》れると|思《おも》うて、コーに|喋《しめ》し|合《あは》せ、|酒《さけ》によせて|泥《どろ》を|吐《は》かせ|置《お》いたのだ』
かかる|所《ところ》へコーは|剣《けん》を|杖《つゑ》につきながらヒヨロリ ヒヨロリとやつて|来《き》た。
『ヤア、|其《その》|方《はう》はコーではないか』
『ハイ|左様《さやう》で|厶《ござ》います。|此奴等《こいつら》|両人《ふたり》を|切《き》つて|捨《す》てむと|追《お》ひまくる|中《うち》、|少々《せうせう》|酩酊《めいてい》|致《いた》して|居《を》りましたせいか、|庭石《にはいし》に|躓《つまづ》き|一時《いちじ》|気《き》も|遠《とほ》くなりましたが、やうやう|起《お》き|直《なほ》り、|剣《けん》を|杖《つゑ》に|痛《いた》い|膝《ひざ》を|押《おさ》へながら|此処《ここ》|迄《まで》|参《まゐ》りました。|何《なん》と|心地《ここち》よく|斃《くたば》つたものですなア』
『アハヽヽヽ、|拙者《せつしや》の|深謀奇策《しんぼうきさく》はマア、ざつと|此《この》|通《とほ》りだ。|斯《か》うなる|上《うへ》は|一刻《いつこく》も|早《はや》く|手紙《てがみ》を|認《したた》め、|早馬使《はやうまづかひ》を|部下《ぶか》より|選抜《せんばつ》してハルナの|都《みやこ》に|遣《つか》はさう。さうすれば、このテルンスはランチ|将軍《しやうぐん》の|後釜《あとがま》、|其《その》|方《はう》は|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|後釜《あとがま》だ。グヅグヅして|居《ゐ》て|他《ほか》の|奴《やつ》に|先《せん》を|越《こ》されては|詰《つま》らない、サア|早《はや》く、コー、|用意《ようい》をせよ』
『ハイ、|直様《すぐさま》|用意《ようい》を|致《いた》しますが、|何《なん》だか|首筋《くびすぢ》がゾクゾク|致《いた》しまして、|思《おも》ふやうに|身体《からだ》が|動《うご》きませぬわ。|手足《てあし》の|筋《すぢ》も|骨《ほね》も|固《かた》くなつて|仕舞《しま》ふやうです。あれ|御覧《ごらん》なさいませ。|二人《ふたり》の|死骸《しがい》から|青《あを》い|火《ひ》がボヤボヤボヤと|燃《も》え|出《だ》したぢやありませぬか』
テルンスの|目《め》には|何《なに》も|見《み》えなかつたが、コーには|二人《ふたり》の|死骸《しがい》から|青《あを》い|光《ひかり》が|頻《しき》りと|燃《も》え|出《だ》した。そして|青《あを》い|火《ひ》から|青《あを》い|人《ひと》の|顔《かほ》が|見《み》え|出《だ》した。よく|見《み》ればエム、ワクの|両人《りやうにん》であつた。コーは|手足《てあし》をブルブルさせながら、
『コヽヽヽコレ、ワヽヽワク、ソヽヽヽそんな|怖《こは》い|顔《かほ》をして|俺《おれ》を|睨《にら》んだつて、|俺《おれ》が|殺《ころ》したのぢやない、|恨《うらみ》があるなら、テルンス|様《さま》に|云《い》ふがよい。|私《わし》は|酒《さけ》の|上《うへ》で|只《ただ》|剣《けん》を|抜《ぬ》いただけだ。コリヤ、ソヽそんな|怖《こは》い|顔《かほ》をするな、ユヽヽ|幽霊《いうれい》め、もしもしテルンス|様《さま》、どうかして|下《くだ》さいな。|火《ひ》の|中《なか》から|怖《こは》い|顔《かほ》をして、|今《いま》にも|噛《か》みつきさうにして|居《を》ります』
『オイ、コー、|確《しつか》りせぬか。|火《ひ》が|出《で》るの|幽霊《いうれい》が|出《で》るのと、そりや|貴様《きさま》の|神経《しんけい》だ。|二人《ふたり》の|死骸《しがい》は|前《まへ》に|首《くび》と|胴《どう》とになつて|斃《くたば》つて|居《ゐ》るが、そんな|青《あを》い|火《ひ》だの|幽霊《いうれい》だのと、そんなものがあつて|耐《たま》るか』
『アヽヽヽ|此奴《こいつ》は|耐《たま》らぬ。オイ、ワク、エム、|見当違《けんたうちがひ》しちや|困《こま》る、|俺《おれ》ぢやない、|下手人《げしゆにん》はテルンスさまだ。|恨《うら》みるのならテルンスさまを|恨《うら》みて|呉《く》れ。コヽヽコレヤ、そんな|怖《こは》い|顔《かほ》をすな』
|青《あを》い|火《ひ》は|段々《だんだん》と|大《おほ》きくなり、|遂《つひ》にはテルンスの|目《め》にも|入《い》るやうになつて|来《き》た。テルンスは|初《はじ》めて|驚《おどろ》き、【ちりげ】もとがザクザクし|出《だ》した。されど|気《き》が|弱《よわ》くては|叶《かな》はじと|戦《をのの》く|胸《むね》をじつと|抑《おさ》へ|空気焔《からきえん》を|吐《は》いて|居《ゐ》る。されど|手《て》も|足《あし》もワクワクと|地震《ぢしん》の|孫《まご》のやうに|慄《ふる》うて|居《ゐ》る。|今《いま》、|斬《き》り|捨《す》てられたワク、エムの|両人《りやうにん》は|厭《いや》らしき|形相《ぎやうさう》となり、|口《くち》より|火焔《くわえん》を|吐《は》き、|真青《まつさを》の|頬《ほほ》となり、|血走《ちばし》つた|眼《め》を|剥《む》き|出《だ》しながら、|両手《りやうて》を|前《まへ》に|垂《た》れ、|身体《からだ》|一面《いちめん》|慄《ふる》はせながら、|細《ほそ》き|蚊《か》の|鳴《な》くやうな|声《こゑ》で、
ワク『|恨《うら》めしやな、|残念《ざんねん》|至極《しごく》、|口惜《くちを》しやな、|汝《なんぢ》テルンスの|悪人輩《あくにんばら》、|仮令《たとへ》|此《この》|肉体《にくたい》は|汝《なんぢ》の|手《て》にかかつて|果《は》つとも、|魂魄《こんぱく》|此《この》|世《よ》に|留《とど》まつて、|汝《なんぢ》が|素首《そつくび》を|引《ひ》きぬき、|地獄《ぢごく》のどん|底《ぞこ》に|連《つ》れ|行《ゆ》き、|無念《むねん》を|晴《は》らさねば|置《お》かぬぞ。ヤア|恨《うら》めしや』
と|死体《したい》に|足《あし》をくつつけながら、|前《まへ》によつたり|後《うしろ》に|引《ひ》いたりして|居《ゐ》る。
|一方《いつぱう》エムの|体《からだ》よりは、|又《また》もや|怪《あや》しき|幽霊《いうれい》|立《た》ち|出《い》で、|青《あを》い|火《ひ》に|包《つつ》まれながら、
『ヤア|恨《うら》めしや、テルンスの|悪人《あくにん》|奴《め》。よくも|某《それがし》を|無残《むざん》にも|手《て》にかけたな、|此《この》|恨《うら》み|晴《は》らさで|置《お》かうか』
と|二人《ふたり》の|幽霊《いうれい》は|交《かは》る|交《がは》るにテルンスの|左右《さいう》より|進《すす》んだり|退《しりぞ》いたりして|睨《ね》め|付《つ》けて|居《ゐ》る。テルンスは|恐怖心《きようふしん》にかられ、|手足《てあし》は|慄《ふる》ひ|戦《をのの》き|逃《に》げる|事《こと》も|得《え》せず、|遂《つひ》にはキヤツ キヤツと|声《こゑ》|張《は》り|上《あ》げて|救《すく》ひを|叫《さけ》び|出《だ》した。|其《その》|声《こゑ》は|何《なん》とも|云《い》へぬ、|凄味《すごみ》を|帯《お》びた|嫌《いや》らしいものであつた。コーは|此《この》|体《てい》を|見《み》て|雪《ゆき》の|上《うへ》を|転《ころ》げながら、|十間《じつけん》ばかり|此方《こなた》に|逃《に》げ|来《きた》り、|肝《きも》を|潰《つぶ》してパタリとふん|伸《の》びて|了《しま》つた。
|折《をり》から|進《すす》み|来《きた》る|夜警《やけい》の|二人《ふたり》は|此《この》|有様《ありさま》を|見《み》て、|腰《こし》を|抜《ぬ》かさむばかりに|打《う》ち|驚《おどろ》き、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|居間《ゐま》をさして|韋駄天走《ゐだてんばし》りに|駆《か》けつけ、
|夜警《やけい》の一『モシモシ|将軍《しやうぐん》|様《さま》、タヽ|大変《たいへん》で|厶《ござ》います。ユヽ|幽霊《いうれい》が|二体《にたい》も|現《あら》はれました。そしてテルンスが|両方《りやうはう》から|幽霊《いうれい》に|責悩《せめなや》まされ|困《こま》つて|居《を》ります。|如何《いかが》|致《いた》してよろしきや、|余《あま》りの|怖《おそ》ろしさに|一寸《ちよつと》|御報告《ごはうこく》|申《まを》します』
『|何《なに》、|幽霊《いうれい》が|出《で》たと、そいつは|妙《めう》な|事《こと》を|聞《き》くものだ。|拙者《せつしや》も|幽界《いうかい》|旅行《りよかう》より|帰《かへ》つてまだ|間《ま》もなきに、|幽霊《いうれい》が|出《で》たとは|不思議千万《ふしぎせんばん》だ。ドレ、|是《これ》から|治国別《はるくにわけ》|様《さま》に|夜中《やちう》ながら|申上《まをしあ》げ、|実地《じつち》|検分《けんぶん》に|往《い》つて|見《み》よう』
|夜警《やけい》の二『|将軍《しやうぐん》|様《さま》、どうぞ|貴方《あなた》|来《き》て|下《くだ》さいませ、|私《わたくし》は|恐《おそ》ろしくて|体《からだ》が|縮《ちぢ》みます』
『アハヽヽヽ、|何《なん》と|気《き》のチヨロイ|男《をとこ》だな。|俺《おれ》も|何《なん》だか|首元《くびもと》が、ゾクゾクと|致《いた》しはせぬでもないワイ』
かかる|所《ところ》へ、お|寅《とら》は|小便《せうべん》に|出《い》で、|人声《ひとごゑ》がするので|不思議《ふしぎ》と|思《おも》ひ|門口《かどぐち》を|覗《のぞ》けば、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》と|二人《ふたり》の|夜警《やけい》が|幽霊《いうれい》の|出《で》た|話《はなし》をして|居《ゐ》る。お|寅《とら》はこれを|聞《き》くより|気丈《きぢやう》な|女《をんな》とて、|夜警《やけい》を|促《うなが》し|其《その》|場《ば》に|到《いた》り|見《み》れば、|果《はた》して|夜警《やけい》の|云《い》つた|通《とほ》り、テルンスは|門口《かどぐち》に|立《た》ち、|怪《あや》しき|幽霊《いうれい》が|両方《りやうはう》より|蟷螂《かまきり》のやうな|手《て》つきで|互交《たがひちがひ》に|苦《くる》しめて|居《ゐ》る。お|寅《とら》は|傍《そば》に|走《はし》り|寄《よ》り、|泰然自若《たいぜんじじやく》として|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》した|上《うへ》に、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|声《こゑ》|緩《ゆる》やかに|歌《うた》ひ|終《をは》つた。|不思議《ふしぎ》や|二人《ふたり》の|幽霊《いうれい》は、|数歌《かずうた》を|歌《うた》ひ|終《をは》ると|共《とも》に|煙《けむり》の|如《ごと》く|消《き》えて|仕舞《しま》つた。
よくよく|見《み》れば、エム、ワクの|両人《りやうにん》は|雪《ゆき》の|上《うへ》に|酒《さけ》に|酔《よ》つて|打《ぶ》つ|倒《たふ》れ、|怪我《けが》|一《ひと》つして|居《ゐ》なかつた。テルンスは|大《おほい》に|驚《おどろ》き、|自分《じぶん》の|悪《あ》しき|企《たく》みを、|包《つつ》まず|隠《かく》さず、ランチ、|片彦《かたひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》の|前《まへ》に|自白《じはく》して|其《その》|罪《つみ》を|謝《しや》した。|併《しか》しながら|此《この》|陣営《ぢんえい》には|二千人《にせんにん》ばかりの|軍卒《ぐんそつ》が、ランチ|将軍《しやうぐん》|指揮《しき》の|下《もと》に|駐屯《ちうとん》して|居《ゐ》たが、|将軍《しやうぐん》が|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》せし|事《こと》を|発表《はつぺう》すると|共《とも》に、|武器《ぶき》を|捨《す》てて|各地《かくち》に|自由《じいう》に|出《い》で|往《ゆ》くもあり、|中《なか》には|鬼春別《おにはるわけ》|将軍《しやうぐん》に|早馬《はやうま》に|乗《の》つて|報告《はうこく》するものもあり、|遥々《はるばる》とハルナの|都《みやこ》へ|忠義《ちうぎ》だてに|駆《か》け|往《ゆ》くものもあつた。
そして|浮木《うきき》の|森《もり》の|陣営《ぢんえい》は|支離滅裂《しりめつれつ》に|解体《かいたい》され、|殺風景《さつぷうけい》のこの|地《ち》も、|軍人《ぐんじん》の|片影《へんえい》をも|認《みと》めない|以前《いぜん》の|平和《へいわ》なる|村落《そんらく》となつた。
|治国別《はるくにわけ》、ランチ|将軍《しやうぐん》、|其《その》|他《ほか》|一同《いちどう》の|今後《こんご》の|行動《かうどう》は|後日《ごじつ》|述《の》ぶる|事《こと》とする。|嗚呼《ああ》|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一二・一・一四 旧一一・一一・二八 加藤明子録)
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霊界物語 第四八巻 舎身活躍 亥の巻
終り