霊界物語 第四七巻 舎身活躍 戌の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第四七巻』愛善世界社
2003(平成15)年08月09日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年09月20日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|総説《そうせつ》
第一篇 |浮木《うきき》の|盲亀《まうき》
第一章 アーク|灯《とう》〔一二三四〕
第二章 |黒士会《こくしくわい》〔一二三五〕
第三章 |寒迎《かんげい》〔一二三六〕
第四章 |乱痴将軍《らんちしやうぐん》〔一二三七〕
第五章 |逆襲《ぎやくしう》〔一二三八〕
第六章 |美人草《びじんさう》〔一二三九〕
第二篇 |中有見聞《ちううけんぶん》
第七章 |酔《よひ》の|八衢《やちまた》〔一二四〇〕
第八章 |中有《ちうう》〔一二四一〕
第九章 |愛《あい》と|信《しん》〔一二四二〕
第一〇章 |震士震商《しんししんしやう》〔一二四三〕
第一一章 |手苦駄女《てくだをんな》〔一二四四〕
第三篇 |天国巡覧《てんごくじゆんらん》
第一二章 |天界行《てんかいゆき》〔一二四五〕
第一三章 |下層天国《かそうてんごく》〔一二四六〕
第一四章 |天開《てんかい》の|花《はな》〔一二四七〕
第一五章 |公義正道《こうぎせいだう》〔一二四八〕
第一六章 |霊丹《れいたん》〔一二四九〕
第一七章 |天人歓迎《てんにんくわんげい》〔一二五〇〕
第一八章 |一心同体《いつしんどうたい》〔一二五一〕
第一九章 |化相神《けさうしん》〔一二五二〕
第二〇章 |間接内流《かんせつないりう》〔一二五三〕
第二一章 |跋文《ばつぶん》〔一二五四〕
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|序文《じよぶん》
|太陽《たいやう》は|日本《にほん》の|太陽《たいやう》だ、|世界《せかい》は|日本《にほん》の|太陽《たいやう》のお|蔭《かげ》で|生《い》きてゐるのだ、それ|故《ゆゑ》|日本《にほん》をヒノモトと|云《い》ふのだ。|世界《せかい》を|人体《じんたい》に|譬《たと》へて|見《み》ると|日本《にほん》は|頭《かしら》にある、|小《ちひ》さいけれども|身体《しんたい》|全部《ぜんぶ》を|支配《しはい》する|脳髄《なうずゐ》を|持《も》つて|居《ゐ》る。|欧羅巴《ヨーロツパ》は|手足《てあし》に|当《あた》る、それだから|汽車《きしや》、|汽船《きせん》|其《その》|他《た》|便利《べんり》な|機械《きかい》を|発明《はつめい》して|足《あし》の|役目《やくめ》を|勤《つと》め、また|種々《しゆじゆ》の|文明《ぶんめい》|利器《りき》を|発明《はつめい》して|手《て》の|役目《やくめ》を|勤《つと》める、|又《また》|亜米利加《アメリカ》は|胴《どう》に|当《あた》るから|大《おほ》きい|事《こと》は|大《おほ》きいが|馬鹿《ばか》である、と|云《い》ふやうなことを|真面目《まじめ》に|書《か》いてあつた。|水戸《みと》の|会沢伯民《あひざははくみん》といふ|儒者《じゆしや》の|作《つく》つた|書物《しよもつ》|新論《しんろん》にかぶれた|連中《れんぢう》は|未《ま》だ|我《わが》|国民《こくみん》の|中《なか》には|多少《たせう》あるらしい。|今日《こんにち》はモハヤ|斯《こ》んな|事《こと》を|云《い》つても|通用《つうよう》しない、|併《しか》し|日清《につしん》、|日露《にちろ》の|両《りやう》|戦役《せんえき》に|勝利《しようり》を|得《え》てから|日本人《にほんじん》は|益々《ますます》|自負高慢《じふかうまん》となり、|近来《きんらい》の|日本人《にほんじん》の|思想《しさう》|感情《かんじやう》の|中《なか》には、|此《この》|新論《しんろん》に|類《るゐ》した|誇大妄想狂《こだいまうさうきやう》が|少《すくな》くないと|思《おも》ふ。|殊《こと》に|神《かみ》を|信仰《しんかう》する|人々《ひとびと》の|中《なか》には|著《いちじる》しくこの|思想《しさう》と|感情《かんじやう》が|擡頭《たいとう》してゐるやうに|思《おも》はれる。|西洋《せいやう》は|物質文明《ぶつしつぶんめい》の|国《くに》、|日本《にほん》は|精神文明《せいしんぶんめい》の|国《くに》であると|識者《しきしや》の|間《あひだ》には|屡々《しばしば》|称《とな》へられてゐるが、その|精神文明《せいしんぶんめい》と|雖《いへど》も|今日《こんにち》の|処《ところ》では、|西洋《せいやう》に|劣《おと》ること|数等《すうとう》|下位《かゐ》にありと|言《い》つても|可《よ》い。|物質文明《ぶつしつぶんめい》には、|泰西人《たいせいじん》に|先鞭《せんべん》をつけられ、|今《いま》|又《また》|精神文明《せいしんぶんめい》に|於《おい》ても|彼《かれ》|泰西人《たいせいじん》の|後《しり》へに|瞠若《だうじやく》たるの|浅間《あさま》しい|有様《ありさま》である。|日本《につぽん》は|霊主体従《ひのもと》と|謂《い》つて|精神文明《せいしんぶんめい》|即《すなは》ち|神霊《しんれい》の|研究《けんきう》には|他《た》に|優《すぐ》れて|居《ゐ》なければならない|筈《はず》だ、|研究《けんきう》すべき|材料《ざいれう》も|比較的《ひかくてき》|豊富《ほうふ》に|伝《つた》はつて|居《ゐ》るのだ。|然《しか》るに|今日《こんにち》の|我《わが》|国《くに》の|学界《がくかい》の|趨勢《すうせい》を|見《み》れば|実《じつ》に|惨澹《さんたん》たるものではないか。|又《また》|日本《につぽん》は|武力《ぶりよく》に|就《つい》ては|殊《こと》に|自負《じふ》|高慢《かうまん》の|度《ど》が|強《つよ》く、|此《この》|武力《ぶりよく》を|以《もつ》てすれば|何事《なにごと》でも|意《い》の|如《ごと》く|解決《かいけつ》し|得《え》らるるものと|思《おも》つて|居《ゐ》るものも|少《すくな》くないやうだ。|大本《おほもと》の|筆先《ふでさき》にも「|日本《にほん》の|人民《じんみん》は|支那《しな》の|戦争《せんそう》にも|勝《か》ち|又《また》|今度《こんど》の|露国《ろこく》との|戦争《せんそう》にも|勝《か》ちたと|申《まを》して|大変《たいへん》に|慢心《まんしん》を|致《いた》して|居《を》るが|何時迄《いつまで》もそんな|訳《わけ》には|行《ゆ》かぬぞよ」と|示《しめ》されてある。|油断《ゆだん》をして|居《ゐ》ると|何《ど》んな|事《こと》に|成《な》るか|分《わか》つたものでない。|頑迷固陋《ぐわんめいころう》な|国粋論者《こくすゐろんしや》は|何時《いつ》までも|愛国心《あいこくしん》の|誤解《ごかい》をして|却《かへつ》て|我《わが》|国《くに》を|滅亡《めつぼう》に|向《むか》はしむるやうな|言論《げんろん》を|吹《ふ》き|立《た》て、|独《ひと》りよがりの|態度《たいど》を|持《ぢ》して|居《ゐ》るのは|実《じつ》に|国家《こくか》の|為《ため》に|悲《かな》しむべきことである。この|物語《ものがたり》も|亦《また》|決《けつ》して|日本《にほん》のみに|偏重《へんちよう》したことは|述《の》べてない。|世界一統的《せかいいつとうてき》に|神示《しんじ》の|儘《まま》に|記述《きじゆつ》してあるのだ。|未《ま》だ|新論的《しんろんてき》|迷夢《めいむ》の|醒《さ》めない|人々《ひとびと》は、この|物語《ものがたり》を|読《よ》んで|不快《ふくわい》に|感《かん》ずる|人《ひと》もあるであらうが、|併《しか》し|真理《しんり》は|石《いし》の|如《ごと》く|鉄《てつ》の|如《ごと》く|感情《かんじやう》や|意志《いし》を|以《もつ》て|枉《ま》ぐることは|出来《でき》ない。|神道《しんだう》も|仏教《ぶつけう》も|耶教《やけう》も|時代《じだい》と|地方《ちはう》との|関係上《くわんけいじやう》、|表面《へうめん》|別々《べつべつ》の|感《かん》があるやうだが、その|最奥《さいおう》を|極《きは》むれば|同一《どういつ》の|神様《かみさま》の|教《をしへ》であることを|覚《さと》り|得《え》らるるのである。|故《ゆゑ》に|神《かみ》の|道《みち》を|研究《けんきう》する|人《ひと》は|広《ひろ》き|清《きよ》き|偏頗《へんぱ》なき|心《こころ》を|以《もつ》て|真面目《まじめ》にかかつて|頂《いただ》きたいものであります。
大正十二年一月八日
王仁識
|総説《そうせつ》
|最上天界《さいじやうてんかい》|即《すなは》ち|高天原《たかあまはら》には、|宇宙《うちう》の|造物主《ざうぶつしゆ》なる|大国常立大神《おほくにとこたちのおほかみ》が|天地《てんち》|万有一切《ばんいういつさい》の|総統権《そうとうけん》を|具足《ぐそく》して|神臨《しんりん》し|給《たま》ふのであります。そして|大国常立大神《おほくにとこたちのおほかみ》の|一《また》の|御名《みな》を|天之御中主大神《あめのみなかぬしのおほかみ》と|称《とな》へ|奉《まつ》り、|無限絶対《むげんぜつたい》の|神格《しんかく》を|持《ぢ》し、|霊力体《れいりよくたい》の|大原霊《だいげんれい》と|現《あら》はれ|給《たま》ふのであります。この|大神《おほかみ》の|御神徳《ごしんとく》の|完全《くわんぜん》に|発揮《はつき》されたのを|天照皇大御神《あまてらすすめおほみかみ》と|称《とな》へ|奉《まつ》るのであります。そして|霊《れい》の|元祖《ぐわんそ》たる|高皇産霊大神《たかみむすびのおほかみ》は、|一名《またのみな》|神伊邪那岐大神《かむいざなぎのおほかみ》|又《また》の|名《な》は|日《ひ》の|大神《おほかみ》と|称《とな》へ|奉《まつ》り、|体《たい》の|元祖《ぐわんそ》|神皇産霊大神《かむみむすびのおほかみ》は|一名《またのみな》|神伊邪那美大神《かむいざなみのおほかみ》|又《また》の|名《な》は|月《つき》の|大神《おほかみ》と|称《とな》へ|奉《まつ》るのは、|此《この》|物語《ものがたり》にて|屡《しばしば》|述《の》べられてある|通《とほ》りであります。|又《また》|高皇産霊大神《たかみむすびのおほかみ》は|霊系《れいけい》にして|厳《いづ》の|御霊《みたま》|国常立大神《くにとこたちのおほかみ》と|現《あら》はれ|給《たま》ひ、|体系《たいけい》の|祖神《そしん》なる|神皇産霊大神《かむみむすびのおほかみ》は、|瑞《みづ》の|御魂《みたま》|豊雲野大神《とよくもぬのおほかみ》|又《また》の|名《な》は|豊国主大神《とよくにぬしのおほかみ》と|現《あら》はれ|給《たま》うたのであります。この|厳《いづ》の|御魂《みたま》は|再《ふたた》び|天照大神《あまてらすおほかみ》と|顕現《けんげん》し|給《たま》ひて|天界《てんかい》の|主宰神《しゆさいじん》とならせ|給《たま》ひました。|因《ちなみ》に|天照皇大御神《あまてらすすめおほみかみ》|様《さま》と|天照大神《あまてらすおほかみ》|様《さま》とは、その|位置《ゐち》に|於《おい》て|神格《しんかく》に|於《おい》て|所主《しよしゆ》の|御神業《ごしんげふ》に|於《おい》て|大変《たいへん》な|差等《さとう》のある|事《こと》を|考《かんが》へねばなりませぬ。|又《また》|瑞《みづ》の|御魂《みたま》は、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》と|顕《あら》はれ|給《たま》ひ、|大海原《おほうなばら》の|国《くに》を|統御《とうぎよ》|遊《あそ》ばす|神代《かみよ》からの|御神誓《ごしんせい》である|事《こと》は|神典《しんてん》|古事記《こじき》、|日本書紀《にほんしよき》|等《とう》に|由《よ》つて|明白《めいはく》なる|事実《じじつ》であります。|然《しか》るに|神界《しんかい》にては|一切《いつさい》を|挙《あ》げて|一神《いつしん》の|御管掌《ごくわんしやう》に|帰《き》し|給《たま》ひ|宇宙《うちう》の|祖神《そしん》|大六合常立大神《おほくにとこたちのおほかみ》に|絶対的《ぜつたいてき》|神権《しんけん》を|御集《おんあつ》めになつたのであります。|故《ゆゑ》に|大六合常立大神《おほくにとこたちのおほかみ》は|独一真神《どくいつしんしん》にして|宇宙《うちう》|一切《いつさい》を|主管《しゆくわん》し|給《たま》ひ|厳《いづ》の|御魂《みたま》の|大神《おほかみ》と|顕現《けんげん》し|給《たま》ひました。|扨《さ》て|厳《いづ》の|御魂《みたま》に|属《ぞく》する|一切《いつさい》の|物《もの》は|悉皆《しつかい》|瑞《みづ》の|御魂《みたま》に|属《ぞく》せしめ|給《たま》うたのでありますから、|瑞《みづ》の|御魂《みたま》は|即《すなは》ち|厳《いづ》の|御魂《みたま》|同体神《どうたいしん》と|云《い》ふ|事《こと》になるのであります。|故《ゆゑ》に|厳《いづ》の|御魂《みたま》を|太元神《おほもとがみ》と|称《とな》へ|奉《まつ》り、|瑞《みづ》の|御魂《みたま》を|救世神《きうせいしん》|又《また》は|救神《すくひのかみ》と|称《とな》へ|又《また》は|主《す》の|神《かみ》と|単称《たんしよう》するのであります。|故《ゆゑ》に|此《この》|物語《ものがたり》に|於《おい》て|主《す》の|神《かみ》とあるは、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》|様《さま》の|事《こと》であります。|主《す》の|神《かみ》は|宇宙《うちう》|一切《いつさい》の|事物《じぶつ》を|済度《さいど》すべく|天地間《てんちかん》を|昇降《しようかう》|遊《あそ》ばして|其《その》|御魂《みたま》を|分《わ》け、|或《あるひ》は|釈迦《しやか》と|現《あら》はれ、|或《あるひ》は|基督《キリスト》となり、マホメツトと|化《な》り、|其《その》|他《た》|種々雑多《しゆじゆざつた》に|神身《しんしん》を|変《へん》じ|給《たま》ひて|天地《てんち》|神人《しんじん》の|救済《きうさい》に|尽《つく》させ|給《たま》ふ|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|大神《おほかみ》であります。|而《しか》して|前《まへ》に|述《の》べた|通《とほ》り|宇宙《うちう》|一切《いつさい》の|大権《たいけん》は|厳《いづ》の|御魂《みたま》の|大神《おほかみ》|即《すなは》ち|太元神《おほもとがみ》に|属《ぞく》し、この|太元神《おほもとがみ》に|属《ぞく》せる|一切《いつさい》は|瑞《みづ》の|御魂《みたま》に|悉皆《しつかい》|属《ぞく》されたる|以上《いじやう》は|神《かみ》を|三分《さんぶ》して|考《かんが》へることは|出来《でき》ませぬ。|約《つま》り|心《こころ》に|三《さん》を|念《ねん》じて|口《くち》に|一《いつ》をいふことはならないのであります。|故《ゆゑ》に|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》は|救世神《きうせいしん》とも|云《い》ひ、|仁愛大神《みろくのおほかみ》とも|申上《まをしあ》げ、|撞《つき》の|大神《おほかみ》とも|申《まを》し|上《あ》げるのであります。この|霊界物語《れいかいものがたり》には|産土山《うぶすなやま》の|高原《かうげん》|伊祖《いそ》の|神館《かむやかた》に|於《おい》て|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》が|三五教《あななひけう》を|開《ひら》き|給《たま》ひ|数多《あまた》の|宣伝使《せんでんし》を|四方《よも》に|派遣《はけん》し|給《たま》ふ|御神業《ごしんげふ》は、|決《けつ》して|現界《げんかい》ばかりの|物語《ものがたり》ではありませぬ。|霊界《れいかい》|即《すなは》ち|天国《てんごく》や|精霊界《せいれいかい》(|中有界《ちううかい》)や|根底《ねそこ》の|国《くに》まで|救《すく》ひの|道《みち》を|布衍《ふえん》し|給《たま》うた|事実《じじつ》であります。ウラル|教《けう》やバラモン|教《けう》、|或《あるひ》はウラナイ|教《けう》なぞの|物語《ものがたり》は、|大抵《たいてい》|顕界《けんかい》に|関《くわん》した|事実《じじつ》が|述《の》べてあるのです。|故《ゆゑ》に|三五教《あななひけう》は|内分的《ないぶんてき》の|教《をしへ》を|主《しゆ》とし|其《その》|他《た》の|教《をしへ》は|外分的《ぐわいぶんてき》の|教《をしへ》を|以《もつ》て|地上《ちじやう》を|開《ひら》いたのであります。|故《ゆゑ》に|顕幽神《けんいうしん》|三界《さんかい》を|超越《てうゑつ》した|物語《ものがたり》と|云《い》ふのは|右《みぎ》の|理由《りいう》から|出《で》た|言葉《ことば》であります。|主《す》の|神《かみ》たる|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》は|愛善《あいぜん》の|徳《とく》を|以《もつ》て|天界地上《てんかいちじやう》を|統一《とういつ》し|給《たま》ひ、|又《また》|天界《てんかい》|地上《ちじやう》を|一個人《いちこじん》として|即《すなは》ち|単元《たんげん》として|之《これ》を|統御《とうぎよ》したまふのであります。|譬《たと》へば|人体《じんたい》は|其《その》|全分《ぜんぶん》に|在《あ》つても、|其《その》|個体《こたい》にあつても|千態万様《せんたいばんやう》の|事物《じぶつ》より|成《な》れる|如《ごと》く|天地《てんち》も|亦《また》|同様《どうやう》であります。|人間《にんげん》の|身体《しんたい》を|全分《ぜんぶん》の|方面《はうめん》より|見《み》れば|肢節《しせつ》あり|機関《きくわん》あり|臓腑《ざうふ》あり、|個体《こたい》より|見《み》れば|繊維《せんゐ》あり|神経《しんけい》あり|血管《けつくわん》あり、|斯《か》くて|肢体《したい》の|中《なか》にも|肢体《したい》あり|部分《ぶぶん》の|中《なか》に|部分《ぶぶん》あれども|個人《こじん》の|活動《くわつどう》する|時《とき》は|単元《たんげん》として|活動《くわつどう》する|如《ごと》く、|主神《すしん》は|天地《てんち》を|一個人《いつこじん》の|如《ごと》くにして|統御《とうぎよ》し|給《たま》ふのであります。|故《ゆゑ》に|数多《あまた》の|宣伝使《せんでんし》も|亦《また》|主神《すしん》|一個《いつこ》|神格《しんかく》の|個体《こたい》|即《すなは》ち|一部分《いちぶぶん》として|神経《しんけい》なり|繊維《せんゐ》なり|血管《けつくわん》なりの|活動《くわつどう》を|為《な》しつつあるのであります。|天人《てんにん》や|宣伝使《せんでんし》のかく|部分的《ぶぶんてき》|活動《くわつどう》も|皆《みな》|主神《すしん》の|一体《いつたい》となりて|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》するのは|恰《あだか》も|一個《いつこ》の|人体中《じんたいちう》に|斯《かく》の|如《ごと》く|数多《あまた》の|異様《いやう》あれども、|一物《いちぶつ》としてその|用《よう》を|遂《と》ぐるに|当《あた》り、|全般《ぜんぱん》の|福祉《ふくし》を|計《はか》らむとせざるはなきに|由《よ》る|如《ごと》きものであります。|即《すなは》ち|全局《ぜんきよく》は|部分《ぶぶん》の|為《ため》に、|部分《ぶぶん》は|全局《ぜんきよく》の|為《ため》に|何事《なにごと》か|用《よう》を|遂《と》げずと|云《い》ふ|事《こと》はありませぬ。|蓋《けだ》し|全局《ぜんきよく》は|部分《ぶぶん》より|成《な》り|部分《ぶぶん》は|全局《ぜんきよく》を|作《つく》るが|故《ゆゑ》に、|相互《さうご》に|給養《きふやう》し|相互《さうご》に|揖譲《いふじやう》するを|忘《わす》れない。|而《しか》して|其《その》|相和合《あひわがふ》するや|部分《ぶぶん》と|全局《ぜんきよく》とに|論《ろん》なく|何《いづ》れの|方面《はうめん》から|見《み》ても|統一的《とういつてき》|全体《ぜんたい》の|形式《けいしき》を|保持《ほぢ》し|且《か》つ|其《その》|福祉《ふくし》を|進《すす》めむとせないものはない。|是《これ》を|以《もつ》て|一体《いつたい》となりて|活動《くわつどう》し|得《う》るのである。|主神《すしん》の|天地《てんち》|両界《りやうかい》に|於《お》ける|統合《とうがふ》も|亦《また》|之《これ》に|類似《るゐじ》したまふのである。|凡《すべ》て|物《もの》の|和合《わがふ》するは|各《かく》|其《その》|為《な》す|所《ところ》の|用《よう》が|相似《さうじ》の|形式《けいしき》を|踏襲《たふしふ》する|時《とき》であるから、|全社会《ぜんしやくわい》のために|用《よう》を|為《な》さないものは|天界《てんかい》|神界《しんかい》の|外《そと》に|放逐《はうちく》さるるのは|当然《たうぜん》である。そは|他《た》と|相容《あひい》れないからであります。|用《よう》を|遂《と》ぐると|云《い》ふ|事《こと》は|総局《そうきよく》の|福祉《ふくし》を|全《まつた》うせむために|他《た》の|順利《じゆんり》を|願《ねが》ふの|義《ぎ》であり、そして|用《よう》を|遂《と》げずと|云《い》ふは、|総局《そうきよく》の|福祉《ふくし》|如何《いかん》を|顧《かへり》みず、|只《ただ》|自家《じか》の|為《ため》の|故《ゆゑ》に|他《た》の|順利《じゆんり》を|願《ねが》ふの|義《ぎ》である。|此《これ》はすべてを|捨《す》てて|只《ただ》|自己《じこ》のみを|愛《あい》し、|彼《かれ》はすべてを|捨《す》てて|只《ただ》|主神《すしん》のみを|愛《あい》すと|云《い》ふべきである。|天界《てんかい》にあるもの|悉《ことごと》く|一体《いつたい》となりて|活動《くわつどう》するは|之《これ》が|為《ため》である。|而《しか》して|斯《かく》の|如《ごと》くなるは|主神《すしん》よりするのであります。|諸天人《しよてんにん》や|諸宣伝使《しよせんでんし》|自《みづか》らの|故《ゆゑ》ではない。|何《なん》となれば、|彼等《かれら》|天人《てんにん》や|宣伝使《せんでんし》は|主神《すしん》を|以《もつ》て|唯一《ゆゐいつ》となし、|万物《ばんぶつ》の|由《よ》りて|来《きた》る|大根源《だいこんげん》となし、|主神《すしん》の|国土《こくど》を|保全《ほぜん》するを|以《もつ》て|総局《そうきよく》の|福祉《ふくし》と|為《な》すからであります。|福祉《ふくし》といふは|正義《ただしき》の|意味《いみ》である。|現世《げんせ》に|在《あ》つて、|国家《こくか》|社会《しやくわい》の|福祉《ふくし》(正義)を|喜《よろこ》ぶこと|私利《しり》を|喜《よろこ》ぶより|甚《はなはだ》しく、|隣人《りんじん》の|福祉《ふくし》を|以《もつ》て|自己《じこ》の|福祉《ふくし》の|如《ごと》くに|喜《よろこ》ぶものは、|他生《たしやう》に|於《おい》ては|主神《すしん》の|国土《こくど》を|愛《あい》して|之《これ》を|求《もと》むるものである。そは|天界《てんかい》に|於《お》ける|主神《すしん》の|国土《こくど》なるものは、|此《この》|世《よ》に|於《お》ける|国家《こくか》と|相対比《あひたいひ》すべきものだからである。|自己《じこ》の|為《ため》でなく、|只《ただ》|徳《とく》の|故《ゆゑ》に|徳《とく》を|他人《たにん》に|施《ほどこ》すものは|隣人《りんじん》を|愛《あい》することに|成《な》るのである。|天界《てんかい》にては|隣人《りんじん》と|称《しよう》するは|徳《とく》である。すべて|此《かく》の|如《ごと》きものは|偉人《ゐじん》であつて、|即《すなは》ち|高天原《たかあまはら》の|中《なか》に|住《ぢゆう》するものである。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》は|皆《みな》、|善《ぜん》の|徳《とく》を|身《み》に|備《そな》へ、|且《か》つ|愛《あい》の|善《ぜん》と|信《しん》の|真《しん》とを|体現《たいげん》して|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》とを|本具現成《ほんぐごんじやう》してゐる|神人《しんじん》|計《ばか》りである。|何《いづ》れも|主《す》の|神《かみ》の|全体《ぜんたい》または|個体《こたい》として|舎身的《しやしんてき》|大活動《だいくわつどう》を|不断《ふだん》に|励《はげ》みつつある|神使《しんし》のみで、|実《じつ》に|神明《しんめい》の|徳《とく》の|広大無辺《くわうだいむへん》なるに|驚《おどろ》かざるを|得《え》ない|次第《しだい》であります。|願《ねが》はくは|大本《おほもと》の|宣伝使《せんでんし》たる|人《ひと》は|神代《かみよ》に|於《お》ける|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|神業《しんげふ》に|神習《かむなら》ひ、|一人《ひとり》たりとも|主《す》の|神《かみ》の|御意志《ごいし》を|諒解《りやうかい》し、|国家《こくか》|社会《しやくわい》の|為《ため》に|大々的《だいだいてき》|活動《くわつどう》を|励《はげ》み、|天国《てんごく》へ|永住《えいぢゆう》すべき|各自《かくじ》の|運命《うんめい》を|開拓《かいたく》し、|且《か》つ|一切《いつさい》の|人類《じんるゐ》をして|天国《てんごく》の|楽園《らくゑん》に|上《のぼ》らしむべく、|善徳《ぜんとく》を|積《つ》まれむことを|希望《きばう》する|次第《しだい》であります。|太元神《おほもとがみ》を|主神《すしん》と|云《い》つたり、|救世神《きうせいしん》|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|大神《おほかみ》を|主神《すしん》と|云《い》つたりしてあるのは|前《まへ》に|述《の》べた|通《とほ》り|太元神《おほもとがみ》の|一切《いつさい》の|所属《しよぞく》と|神格《しんかく》そのものは|一体《いつたい》なるが|故《ゆゑ》であります。|読者《どくしや》|幸《さいはひ》に|諒《りやう》せられむことを。
|附《つ》けて|言《い》ふ
|主《す》の|神《かみ》なる|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》は|神典《しんてん》|古事記《こじき》に|載《の》せられたる|如《ごと》く|大海原《おほうなばら》を|知食《しろしめ》すべき|御天職《ごてんしよく》が|在《あ》らせらるるは|明白《めいはく》なる|事実《じじつ》であります。|主《す》の|神《かみ》は|天界《てんかい》をも|地《ち》の|世界《せかい》をも|治《をさ》め|統《す》べ|守《まも》り|給《たま》ふと|言《い》へば、|大変《たいへん》に|驚《おどろ》かるる|国学者《こくがくしや》も|出現《しゆつげん》するでせう。|然《しか》し|乍《なが》ら|天界《てんかい》と|言《い》つても|天国《てんごく》と|云《い》つても|矢張《やは》り|山川草木《さんせんさうもく》|其《その》|他《た》|一切《いつさい》の|地上《ちじやう》と|同一《どういつ》の|万類《ばんるゐ》があり|土地《とち》も|儼然《げんぜん》として|存在《そんざい》して|居《ゐ》るのであるから、|天界《てんかい》|地球《ちきう》|両方面《りやうはうめん》の|守宰神《しゆさいしん》と|言《い》つても|余《あま》り|錯誤《さくご》ではありますまい。|天界《てんかい》|又《また》は|天国《てんごく》と|云《い》へば|蒼空《さうくう》にある|理想国《りさうこく》、|所謂《いはゆる》|主観的《しゆくわんてき》|霊《れい》の|国《くに》だと|思《おも》つてゐる|人《ひと》には|容易《ようい》に|承認《しようにん》されないでせう。|天国《てんごく》とは|決《けつ》して|冲虚《ちうきよ》の|世界《せかい》ではありませぬ。|天人《てんにん》と|雖《いへど》も|亦《また》|決《けつ》して|羽衣《はごろも》を|着《き》て|空中《くうちう》を|自由自在《じいうじざい》に|飛翔《ひしよう》するものとのみ|思《おも》つてゐるのは|大《だい》なる|誤解《ごかい》であります。|天国《てんごく》にも|大海原《おほうなばら》|即《すなは》ち|国土《こくど》があるのです。|只《ただ》|善《ぜん》と|真《しん》との|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》を|得《え》たる|個体的《こじんてき》|天人《てんにん》の|住居《ぢうきよ》する|楽土《らくど》なのであることを|思考《しかう》する|時《とき》は、|主《す》の|神《かみ》の|天地《てんち》を|統御《とうぎよ》|按配《あんばい》し|給《たま》ふといふも|決《けつ》して|不可思議《ふかしぎ》な|議論《ぎろん》ではありませぬ。|故《ゆゑ》に|大海原《おほうなばら》の|主宰《しゆさい》たる|主《す》の|神《かみ》は|天界《てんかい》の|国土《こくど》たると|地上《ちじやう》の|国土《こくど》たるとを|問《と》はず|守護《しゆご》し|給《たま》ふは|寧《むし》ろ|当然《たうぜん》であります。
大正十二年一月八日
王仁識
第一篇 |浮木《うきき》の|盲亀《まうき》
第一章 アーク|灯《とう》〔一二三四〕
|至喜《しき》と|至楽《しらく》と|荘厳《さうごん》を |全《まつた》く|地上《ちじやう》に|現《うつ》し|世《よ》の
|高天原《たかあまはら》と|聞《きこ》えたる ウブスナ|山《やま》の|頂上《ちやうじやう》に
|天降《あも》りましたる|素盞嗚《すさのを》の |瑞《みづ》の|御霊《みたま》はイソ|館《やかた》
|最第一《さいだいいち》の|天国《てんごく》を |開《ひら》き|給《たま》ひて|天《あめ》が|下《した》
|四方《よも》の|国々《くにぐに》|百人《ももびと》を |神《かみ》の|御国《みくに》に|救《すく》はむと
|心《こころ》も|清《きよ》き|宣伝使《せんでんし》 |四方《よも》の|国《くに》より|呼《よ》び|集《あつ》め
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御教《みをしへ》を |開《ひら》かせ|給《たま》ふ|尊《たふと》さよ
|皇大神《すめおほかみ》の|神言《みこと》もて |治国別《はるくにわけ》の|神司《かむつかさ》
|万公《まんこう》、|晴公《はるこう》、|五三公《いそこう》を |伴《ともな》ひ|館《やかた》を|立出《たちい》でて
|河鹿峠《かじかたうげ》を|打《う》ちわたり |百《もも》の|悩《なや》みに|遭《あ》ひながら
|撓《たゆ》まず|屈《くつ》せず|道《みち》の|為《ため》 |荒野ケ原《あらのがはら》を|進《すす》み|行《ゆ》く
|野中《のなか》の|森《もり》に|万公《まんこう》や |五三公《いそこう》、|松彦《まつひこ》|振《ふ》り|残《のこ》し
|竜公《たつこう》|伴《ともな》ひ|暗《やみ》の|夜《よ》を |縫《ぬ》うてスタスタ|進《すす》み|行《ゆ》く
|怪《あや》しの|森《もり》も|何時《いつ》しかに |無事《ぶじ》によぎりてバラモンの
|軍《いくさ》の|数多《あまた》|屯《たむろ》せる |浮木ケ原《うききがはら》に|進《すす》み|行《ゆ》く。
|治国別《はるくにわけ》は|松彦《まつひこ》、|五三公《いそこう》、|万公《まんこう》を|野中《のなか》の|森《もり》に|置去《おきざ》りにして、|竜公《たつこう》|一人《ひとり》を|伴《ともな》ひ、|神《かみ》の|命《めい》を|奉《ほう》じて|浮木《うきき》の|森《もり》のバラモンの|陣中《ぢんちう》に、|私《ひそ》かに|進《すす》まむと、|道《みち》を|急《いそ》いだ。|怪《あや》しの|森《もり》の|守衛《しゆゑい》|等《ら》は|酒《さけ》に|酩酊《めいてい》して、|二人《ふたり》の|通《とほ》るのを|少《すこ》しも|気《き》がつかなかつた。|第二《だいに》の|関所《せきしよ》たる|浮木《うきき》の|村《むら》の|入口《いりぐち》に|進《すす》んだ|折《をり》、タール、アークの|両人《りやうにん》は|大《おほ》きな|目《め》の|瞳孔《どうこう》をあけつ|放《ぱな》しにして、いらひさがした|蜂《はち》の|巣《す》の|外側《そとがは》を|守《まも》つてゐる|雀蜂《すずめばち》|宜《よろ》しくの|体裁《ていさい》で|控《ひか》へてゐる。
『オイ、アーク、どうやら|東《ひがし》が|白《しら》んだやうぢやないか。|俺《おれ》|達《たち》もかうして|不寝番《ふしんばん》をやらされて|居《ゐ》るが、|最早《もはや》|夜《よ》も|明《あ》け|方《がた》に|近《ちか》くなつたのだから、|夜警《やけい》の|必要《ひつえう》もあるまい、|一《ひと》つ|瞳孔《どうこう》に|休養《きうやう》を|命《めい》じたら|何《ど》うだらう』
『|瞳孔《どうこう》も|彼処《かしこ》も|明《あか》くなりかけたのは、|此《この》アーク|灯《とう》さまの|光《ひかり》だよ。|貴様《きさま》、いつも|俺《おれ》をアークぢやない|悪党《あくたう》ぢや|悪党《あくたう》ぢやと|吐《ぬか》しよるが、|何程《なんぼ》|暗《やみ》の|晩《ばん》だつて、|明《あか》くするのはアーク|灯《とう》だ。それだから、|善《ぜん》が|間《ま》に|合《あ》ふとも、|悪党《あくたう》が|間《ま》に|合《あ》ふとも|分《わか》るまいがな。エエー、|善悪混淆《ぜんあくこんかう》、|美醜《びしう》|相交《あひまじ》はつて、|現実《げんじつ》|世界《せかい》が|成就《じやうじゆ》してゐるのだ。|貴様《きさま》のやうに|悪《あく》が|夫《そ》れ|程《ほど》|怖《こは》ければ、|元《もと》からこんな|所《ところ》へ|首《くび》をつつ|込《こ》まない|方《はう》が|気《き》が|利《き》いてゐるぢやないか。バラモン|教《けう》と|言《い》へば、|元《もと》より|悪《あく》に|極《き》まつてゐる。|其《その》|悪《あく》の|教《をしへ》にアークさまだから、|大変《たいへん》に|誂《あつら》へ|向《むき》だ』
『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな。|神様《かみさま》に|悪《あく》があつてたまらうかい。|大自在天《だいじざいてん》|大国彦《おほくにひこ》の|神様《かみさま》は、|世界《せかい》の|造主《つくりぬし》だ。|悪《あく》を|以《もつ》て|此《この》|世《よ》の|中《なか》が|何《ど》うして|完全《くわんぜん》に|創造《さうざう》する|事《こと》が|出来《でき》ようか、|俺《おれ》は|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|誠《まこと》の|神様《かみさま》だと|思《おも》へばこそ、|斯《か》うして|辛《つら》い|御用《ごよう》をしてゐるのだ。|元《もと》から|軍人《ぐんじん》に|生《うま》れたのでもなし、|軍人《ぐんじん》を|志願《しぐわん》したのでもないが、お|道《みち》の|為《ため》に|信仰《しんかう》の|力《ちから》に|引《ひ》きずられて、|心《こころ》にもない|戦陣《せんぢん》に|加《くは》はつたのだ。グヅグヅして|居《ゐ》ると|三五教《あななひけう》の|悪神《あくがみ》|素盞嗚尊《すさのをのみこと》が、|畏《おそれおほ》くも|大雲山《だいうんざん》の|聖地《せいち》を|蹂躙《じうりん》するかも|知《し》れないといふ|形勢《けいせい》ぢやないか。|吾々《われわれ》|信徒《しんと》としては|血《ち》を|以《もつ》て|之《これ》を|守《まも》らねばならないのだ』
『|世《よ》の|中《なか》は|何《なん》と|云《い》つても、|悪《あく》でなければ|立《た》つて|行《ゆ》かない。|俺《おれ》は、バラモン|教《けう》は|悪《あく》だと|知《し》つたから|気《き》に|入《い》つて|居《ゐ》るのだ。|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》は|霊主体従《れいしゆたいじう》だと|吐《ぬか》して|居《ゐ》るが、|此《この》|現実《げんじつ》|世界《せかい》は|物質《ぶつしつ》を|以《もつ》て|固《かた》められてゐる。|吾々《われわれ》の|肉体《にくたい》だつて|皆《みな》|物質《ぶつしつ》だ。|天《てん》に|輝《かがや》く|太陽《たいやう》でさへヤツパリ|物質《ぶつしつ》だ。|物質界《ぶつしつかい》に|生《い》きて|行《ゆ》かうとすれば、|何《ど》うしても|物質界《ぶつしつかい》の|法則《はふそく》に|従《したが》はねばならぬ、|凡《すべ》て|現実界《げんじつかい》の|太陽《たいやう》よりする|自愛《じあい》や|世間愛《せけんあい》は|要《えう》するに|悪《あく》だ。|優勝劣敗《いうしようれつぱい》|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》は|現界《げんかい》の|動《うご》かす|可《べか》らざる|真理《しんり》だ。よく|考《かんが》へて|見《み》よ。|強《つよ》い|獣《けだもの》は|弱《よわ》い|獣《けだもの》を|捕《と》つて|食《く》ひ、|大魚《おほうを》は|小魚《こうを》を|呑《の》み、|鷹《たか》は|鵙《もず》をとり、|鵙《もず》は|雀《すずめ》を|捕《と》つて|食《く》ふぢやないか。|人間《にんげん》だつて|四《よ》つ|足《あし》をたたいては|喰《く》ひ、|気楽《きらく》|相《さう》に|海川《うみかは》を|游泳《いうえい》してゐる|魚族《ぎよぞく》を|捕獲《ほくわく》し、|天然《てんねん》を|楽《たのし》んでゐる|植物《しよくぶつ》の|実《み》を|皮《かは》を|剥《む》いたり、こすつたり、|水《みづ》につけたり、|重《おも》しをかけたり、|熱湯《ねつたう》の|中《なか》へ|入《い》れたり、|火《ひ》あぶりにあはしたり、|実《じつ》に|残忍《ざんにん》|極《きは》まる|事《こと》をやつて|口腹《こうふく》を|充《みた》し、それで|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けてゐるのだ。|要《えう》するに|人間《にんげん》は|悪《あく》の|張本人《ちやうほんにん》だ。こんな|事《こと》が|悪《あく》だと|云《い》つてやらずに|居《を》つて|見《み》よ、|一日《いちにち》だつて|生命《いのち》を|保《たも》つ|事《こと》は|出来《でき》ぬぢやないか。それだから|仮令《たとへ》|素盞嗚尊《すさのをのみこと》が|善《ぜん》であらうが|悪《あく》であらうが、|吾々《われわれ》の|社会《しやくわい》を|建設《けんせつ》するに|就《つ》いて|邪魔《じやま》になる|奴《やつ》ア、|仮令《たとへ》|善《ぜん》でも|悪《あく》と|云《い》ふ|名《な》をつけて|亡《ほろ》ぼして|了《しま》はなくちや|自分《じぶん》|達《たち》が|亡《ほろ》ぼされて|了《しま》ふのだ』
『さうすると、|人間《にんげん》が|死《し》んだら、|皆《みな》|地獄《ぢごく》に|行《ゆ》かねばならぬぢやないか』
『ヘン、|地獄《ぢごく》が|聞《き》いて|呆《あき》れるワイ。|地獄《ぢごく》と|云《い》へば、|目《ま》のあたり|現界《げんかい》に|現《あら》はれてゐるのだ。|他人《たにん》の|国土《こくど》を|占領《せんりやう》したり、|或《あるひ》は|大資本家《だいしほんか》が|小資本家《せうしほんか》を|押倒《おしたふ》したり、|大地主《おほぢぬし》が|小地主《こぢぬし》を|併呑《へいどん》したり、|沢山《たくさん》の|軍人《ぐんじん》を|抱《かか》へて、|武装的《ぶさうてき》|平和《へいわ》を|高唱《かうしやう》したりしてゐるのは、|皆《みな》|地獄《ぢごく》の|行方《やりかた》だ。|極楽《ごくらく》なんて|云《い》ふ|所《ところ》があつてたまらうかい。|勝《か》てば|官軍《くわんぐん》、|敗《ま》くれば|賊《ぞく》と|云《い》ふ|事《こと》があるぢやないか。|最凶悪《さいきようあく》のすぐれた|者《もの》が|地獄界《ぢごくかい》の|覇権者《はけんしや》だ。|死後《しご》の|世界《せかい》なんか、|心配《しんぱい》するにや|及《およ》ばぬ。|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》だ、|暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る、|月《つき》は|月《つき》ぢやが|嘘《うそ》ツキぢや、と|云《い》ふぢやないか。|悪《あく》と|虚偽《きよぎ》との|世《よ》の|中《なか》に、|誠《まこと》ぢや、|善《ぜん》ぢやと、そんな|体《てい》のよい|辞令《じれい》を|振《ふ》りまはして、コツソリと|偽善《ぎぜん》をやつてゐるやうな|奴《やつ》こそ、|真《しん》の|悪党者《あくたうもの》だ。そんな|奴《やつ》こそ|八衢代物《やちまたしろもの》といふのだ。|或《あるひ》はこれを|称《しよう》して|二股膏薬《ふたまたかうやく》といふ。ヤツパリ|人間《にんげん》は|男《をとこ》らしう、|悪《あく》なら|悪《あく》、|善《ぜん》なら|善《ぜん》と、|輪廓《りんくわく》を|明瞭《めいれう》にせなくちや、|人《ひと》が|信用《しんよう》して|呉《く》れないぞ。|悪《あく》の|強《つよ》い|者《もの》|程《ほど》|紳士紳商《しんししんしやう》、|英雄《えいゆう》|名士《めいし》と|持《も》てはやされるのだ。|善人《ぜんにん》と|云《い》へば|馬鹿《ばか》の|代名詞《だいめいし》だ、それだから|俺《おれ》はアークといふ|名《な》をつけて、|世《よ》の|中《なか》を|毒瓦斯《どくがす》で|酔《よ》はしてやる|積《つも》りで、|此《この》|通《とほ》り|頭《あたま》までテカテカに|光《ひか》らしてゐるのだ。たつた|今《いま》|俺《おれ》の|親分《おやぶん》|即《すなは》ち|自然界《しぜんかい》の|太陽《たいやう》がお|上《あが》り|遊《あそ》ばすのだ。すべて|自然界《しぜんかい》の|太陽《たいやう》より|来《きた》る|光熱《くわうねつ》は、|自愛《じあい》の|源泉《げんせん》だ、|利己主義《りこしゆぎ》の|標本《へうほん》だ。|利己主義《りこしゆぎ》を|極端《きよくたん》に|発揮《はつき》する|人間《にんげん》を|利己《りこ》(|利巧《りかう》)な|奴《やつ》と|云《い》ふのだ。エエーン』
『オイ、アーク、|貴様《きさま》は|大変《たいへん》な|物質《ぶつしつ》|主義《しゆぎ》にかぶれたものだなア、|他人《たにん》の|為《ため》には|一毛《いちまう》も|損《そん》せずといふニーチエ|主義《しゆぎ》だな』
『きまつた|事《こと》だ。ニーチエ|主義《しゆぎ》だよ。|日英《にちえい》|同盟《どうめい》だつて|其《その》|通《とほ》りぢやないか、|自分《じぶん》とこの|国《くに》が、|日《にち》も|三進《さつち》も|行《ゆ》かぬ|様《やう》になつた|時《とき》に|英考《えこ》を|起《おこ》して、|一寸《ちよつと》|強《つよ》|相《さう》な|国《くに》を|番犬《ばんけん》に|使《つか》ひ、|東洋《とうやう》はまだおろか、|西洋《せいやう》|迄《まで》|警護《けいご》の|役《やく》を|命《めい》じ、オツシ オツシとケシをかけて|日々《にちにち》|喜《よろこ》ばせ、モウ|英《えい》といふ|時分《じぶん》になると、|今度《こんど》は|尻《しり》をクレツと|向《む》け、|赤米《あかべい》と|云《い》つて、|米《べい》の|方《はう》へ|握手《あくしゆ》をし、|日《にち》の|方《はう》へ|尻《けつ》を|向《む》ける、ケツは|即《すなは》ち|月《げつ》だ、それでツキ|倒《たふ》しといふのだよ。さうだから、|世《よ》の|中《なか》は|何《ど》うしても|利己《りこ》な|行方《やりかた》をせなくちや、|到底《たうてい》|駄目《だめ》だ。|人《ひと》の|褌《ふんどし》で|相撲《すまふ》とるのが|所謂《いはゆる》|外交家《ぐわいかうか》の|手腕《しゆわん》だ。【アフンどし】であいた|口《くち》がすぼまらぬ、|尻糞《しりくそ》が|天下《てんか》を|取《と》るといふのが、|混同《こんどう》した|世界《せかい》の|比喩《たとへ》だ、|今《いま》に|三五教《あななひけう》の……モシヤ|宣伝使《せんでんし》でもやつて|来《き》よつたら、うまくそこは|日英同盟式《にちえいどうめいしき》を|発揮《はつき》して、|深《ふか》い|陥穽《おとしあな》へでも|突《つ》つ|込《こ》むのだな』
『ヘン、|偉相《えらさう》に|云《い》ふものぢやないワ。|貴様《きさま》は|河鹿峠《かじかたうげ》で|何《ど》うだつたい、|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》の|一行《いつかう》に、|言霊戦《ことたません》とやらを|打《う》ちかけられ、|先鋒隊《せんぽうたい》に|居《ゐ》|乍《なが》ら|馬《うま》も|何《なに》も|打《う》ちやつて|命《いのち》カラガラ|遁走《とんそう》した|張本人《ちやうほんにん》ぢやないか、|余《あま》り|大《おほ》きな|口《くち》をあけて|言《い》ふものぢやないぞ。|傍若無人《ばうじやくぶじん》にも|程《ほど》があるワイ』
『|傍若無人《ばうじやくぶじん》にとは|傍《かたはら》に|人《ひと》|無《な》きが|如《ごと》しといふのだ。|貴様《きさま》は|俺《おれ》の|傍《そば》に|居《を》つても、|人間《にんげん》ぢやないからな。ウツフツフ』
『|俺《おれ》だつて|堂々《だうだう》たる|人間《にんげん》|様《さま》だ。|余《あま》り|馬鹿《ばか》にすな』
『|俺《おれ》や|又《また》|貴様《きさま》は|小使《こづかひ》のタールかと|思《おも》うて|居《を》つたのだ。マアマアお|手際《てぎは》を|見《み》て|居《を》れ、たつた|今《いま》|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》が|勝《かち》に|乗《じやう》じて、|悠々《いういう》とここへやつて|来《く》るに|違《ちがひ》ない。さうすりやうまく|国際《こくさい》|聯盟《れんめい》|条約《でうやく》でも|持《も》ち|出《だ》して、|武備《ぶび》|制限《せいげん》を|実行《じつかう》し、|首尾《しゆび》よく|大勝利《だいしようり》を|得《う》る|積《つも》りぢや、|貴様《きさま》はジーツとして|一言《ひとこと》も|言《い》はぬ|様《やう》にしてくれ。なまじひ、|善心《ぜんしん》を|出《だ》しよると、|条約《でうやく》|締結《ていけつ》の|邪魔《じやま》になるからな』
『アーク、|一寸《ちよつと》|北《きた》の|方《はう》を|見《み》い、|来《き》たぞ|来《き》たぞ』
『ヤア|彼奴《あいつ》ア、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だ、ハヽヽヽヽ|治国別《はるくにわけ》ぢや、コヽ|此奴《こいつ》ア、タヽ|大変《たいへん》だ』
『イヒヽヽヽ、あのあわて|様《やう》わいのう。|何《なん》だ、|今迄《いままで》|法螺《ほら》ばかり|吹《ふ》きやがつて、そんな|弱腰《よわごし》で|何《ど》うして、|全権《ぜんけん》|大使《たいし》が|勤《つと》まるか』
『|全権《ぜんけん》|大使《たいし》ぢやない、|善言美詞《ぜんげんびし》で|条約《でうやく》|締結《ていけつ》する|積《つも》りぢや。オイ|貴様《きさま》、チツと|確《しつか》りしてくれぬと|困《こま》るよ』
『|俺《おれ》は|何《なん》にも|言《い》はぬ|筈《はず》だつたねえ』
『エヽ、|気《き》の|利《き》かぬ|奴《やつ》だな。|臨機《りんき》|応変《おうへん》といふ|事《こと》を、コヽ|心得《こころえ》てゐるか。アヽヽモウそこらがビリビリして、|体《からだ》の|繊維《せんゐ》|細胞《さいばう》|迄《まで》が|躍動《やくどう》し|出《だ》した、|何《なん》でも|俺《おれ》の|体内《たいない》にや|民衆《みんしう》|運動《うんどう》が|勃発《ぼつぱつ》し|出《だ》したとみえるワイ』
『エツヘツヘ、どうやら|俺《おれ》も|体内国《たいないこく》の|暴動《ばうどう》が|鎮定《ちんてい》したと|見《み》えて、|凡《すべ》ての|諸官能《しよくわんのう》が|活動《くわつどう》|中止《ちゆうし》と……|見《み》えるワイ。シヽ|舌《した》|迄《まで》|引《ひ》きつつて|来《き》さうだ。キヨキヨ|恐怖心《きようふしん》が|大変《たいへん》に|巾《はば》を|利《き》かしよつた……やうだ』
『アヽ|苦《くる》しい、ドヽ|何《ど》うしたら、|此《この》|談判《だんぱん》はカヽ|解決《かいけつ》がつくだらうかな』
『アインスタインの|相対性原理説《さうたいせいげんりせつ》でも|応用《おうよう》して、うまく|此《この》|場《ば》を|切《き》りぬけ……るのだな』
かく|二人《ふたり》は|治国別《はるくにわけ》の|姿《すがた》を|見《み》て、ビツクリ|腰《ごし》をぬかし、|舌《した》の|根《ね》も|合《あ》はず、|大《おほ》きな|目玉《めだま》の|瞳孔《どうこう》を、いやが|上《うへ》にも|開《あ》けつ|放《ぱな》しにして、|尖《とが》つた|腮《あご》をホウヅもなく|延長《えんちやう》し、|口《くち》を|立方形《りつぱうけい》に|開《あ》け|乍《なが》ら、|舌《した》を|喉《のど》の|奥《おく》の|方《はう》へちぢ|込《こ》めて、|戦《をのの》いてゐる。
|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》はツカツカと|進《すす》みより、
|治国《はるくに》『|其《その》|方《はう》はバラモン|軍《ぐん》の|関所守《せきしよもり》と|見《み》えるが、|之《これ》よりランチ|将軍《しやうぐん》の|陣営《ぢんえい》へ、|此《この》|方《はう》を|案内《あんない》してくれまいか』
アーク『メヽヽ|滅相《めつさう》な、コヽこんな|所《ところ》を|通過《つうくわ》して|貰《もら》つちや|堪《たま》りませぬワ、……ヤアお|前《まへ》は|竜公《たつこう》ぢやないか。|何時《いつ》の|間《ま》に|三五教《あななひけう》へ|沈没《ちんぼつ》したのだ。|貴様《きさま》こそ|勝手《かつて》を|知《し》つてゐるだらうから、ランチ|将軍《しやうぐん》の|所《ところ》へ|案内《あんない》せい、オヽ|俺《おれ》は|此《この》|関所《せきしよ》の|常置品《じやうちひん》だ』
『アツハヽヽ、|貴様《きさま》はアークにタールの|両人《りやうにん》ぢやないか、|何《なん》だ、みつともない|其《その》ザマは、|腰《こし》を|抜《ぬ》かしやがつたのだな。モシ|治国別《はるくにわけ》|様《さま》、|此奴《こいつ》ア|駄目《だめ》ですよ。こんな|者《もの》にかまはずドンドンと|奥《おく》へ|進《すす》みませう。|幸《さいは》ひ|私《わたし》は|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|部下《ぶか》に|仕《つか》へて|居《を》つたのですから、|貴方《あなた》の|案内役《あんないやく》には|大変《たいへん》|都合《つがふ》が|宜《よろ》しい。そして|又《また》あの|通《とほ》りの|乱軍《らんぐん》でしたから、|此《この》|竜公《たつこう》が|貴方《あなた》の|弟子《でし》になつたといふ|事《こと》は、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》もランチもまだ|知《し》つて|居《を》りますまい。|大変《たいへん》に|好都合《かうつがふ》ですよ』
『コリヤ|竜公《たつこう》、|其《その》|秘密《ひみつ》を|聞《き》くからは、|最早《もはや》|此《この》|方《はう》は|許《ゆる》しは|致《いた》さぬぞ。|見事《みごと》|陣中《ぢんちう》へ|這入《はい》るなら|這入《はい》つてみよ。|飛《と》んで|火《ひ》に|入《い》る|夏《なつ》の|虫《むし》だ、のうタール、|可哀相《かあいさう》ぢやないか』
『オイ|竜公《たつこう》、|貴様《きさま》も|謀叛人《むほんにん》なら|謀叛人《むほんにん》でよいから、その|宣伝使《せんでんし》のお|伴《とも》をして|元《もと》へ|引返《ひつかへ》したらよからうぞ。こんな|宣伝使《せんでんし》にやつて|来《こ》られると、|又《また》|一悶錯《ひともんさく》が|始《はじ》まつちや|大変《たいへん》だ。ランチ|将軍《しやうぐん》も|困《こま》るだらうし、|又《また》|宣伝使《せんでんし》も|一骨《ひとほね》|折《を》らねばなるまい。これ|程《ほど》|物騒《ぶつそう》な|世《よ》の|中《なか》に、|好《す》き|好《この》んで|平地《へいち》へ|波《なみ》を|起《おこ》すやうな|事《こと》はするに|及《およ》ばぬぢやないか。なア|治国別《はるくにわけ》さま、|貴方《あなた》は|何《ど》う|考《かんが》へますか』
『ウーン、|吾々《われわれ》はランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》に|対《たい》し、|善言《ぜんげん》を|与《あた》へて、|彼《かれ》が|霊肉《れいにく》をして|高天原《たかあまはら》へ|救《すく》ひ|上《あ》げ、|汝等《なんぢら》に|至《いた》る|迄《まで》、|其《その》|歓《よろこ》びを|分《わ》け|与《あた》へむ|為《ため》に、|此《この》|竜公《たつこう》を|案内者《あんないしや》として|将軍《しやうぐん》の|面前《めんぜん》に|進《すす》み|行《ゆ》く|積《つも》りだ。|其《その》|方《はう》も|今日《こんにち》|限《かぎ》り|心《こころ》を|入《い》れ|替《か》へて、|善道《ぜんだう》に|立返《たちかへ》り、|地獄道《ぢごくだう》の|苦《くるし》みを|免《まぬが》れる|気《き》はないか。|何程《なにほど》|強《つよ》い|者勝《ものがち》の|世《よ》の|中《なか》だと|云《い》つても、|悪《あく》では|何時迄《いつまで》も|続《つづ》きは|致《いた》さぬぞ。どうぢや、|治国別《はるくにわけ》の|言葉《ことば》に|従《したが》ふ|気《き》はないか』
『ハイ、|私《わたし》は|従《したが》はぬことはない|事《こと》はありませぬが、|此《この》アークといふ|奴《やつ》、|実《じつ》に|悪党《あくたう》な|代物《しろもの》で、ニーチエ|主義《しゆぎ》ですから、|此奴《こいつ》ア|駄目《だめ》でせうよ』
『モシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、アークに|見《み》えても、|善《ぜん》に|見《み》えてもアークといふ|世《よ》の|中《なか》ですから、|私《わたし》こそ、|真《まこと》の|神《かみ》の|目《め》から|見《み》れば、|善人《ぜんにん》かも|知《し》れますまい。どうぞお|助《たす》けを|願《ねが》ひます』
『|此奴《こいつ》は|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|部下《ぶか》に|於《おい》ても、|最《もつと》も|悪名《あくめい》|高《たか》き|危険《きけん》|人物《じんぶつ》、|併《しか》しながら|悪《あく》に|強《つよ》い|者《もの》は|善《ぜん》にも|強《つよ》いといふ|事《こと》だから、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》、|一《ひと》つ|此奴《こいつ》を|許《ゆる》して|案内《あんない》させたら|何《ど》うでせうか』
『そりや|丁度《ちやうど》|都合《つがふ》が|好《す》からう、……アーク、タールの|両人《りやうにん》、|吾々《われわれ》の|為《ため》にランチ、|片彦《かたひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》の|前《まへ》に|案内《あんない》|致《いた》せ』
アーク『ハイ、|畏《かしこ》まりました』
と、|今迄《いままで》|抜《ぬ》かして|居《を》つた|腰《こし》は|何時《いつ》の|間《ま》にやら|回復《くわいふく》し、|先《さき》に|立《た》つてスタスタと|陣幕《ぢんまく》のはり|廻《まは》した|南《みなみ》の|方《かた》を|指《さ》して|歩行《ある》き|出《だ》した。
|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》|両人《りやうにん》は|二人《ふたり》の|後《あと》に|従《したが》つて、|一二丁《いちにちやう》ばかりやつて|来《き》た。|俄《にはか》にガサリと|足許《あしもと》は|転落《てんらく》し、|四五間《しごけん》もある|深《ふか》い|陥穽《おとしあな》に|両人《りやうにん》は|無残《むざん》にも|落《お》ち|込《こ》んで|了《しま》つた。|陥穽《おとしあな》の|底《そこ》には|林《はやし》の|如《ごと》く|鋭利《えいり》な|鎗《やり》が|空地《あきち》なしに|立《た》ててあつた。されど|両人《りやうにん》|共《とも》|神《かみ》のお|守《まも》りの|厚《あつ》き|為《ため》か、|都合《つがふ》よく|鎗《やり》と|鎗《やり》との|間《あひだ》に|落《お》ち|込《こ》み、|少《すこ》しの|疵《きず》も|負《お》はなかつた。アークは|陥穽《おとしあな》の|上《うへ》から|底《そこ》を|覗《のぞ》きながら、|長《なが》い|舌《した》をペロツと|出《だ》し、
『イヒヽヽヽ、いぢらしい|者《もの》だなア、ウツフヽヽヽ、うつけ|者《もの》|奴《め》、エツヘヽヽヽ、えゝ|気味《きみ》だなア、オツホヽヽヽ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、アツハヽヽヽ|安本丹《あんぽんたん》の|黒焼《くろやき》、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|穴有教《あなありけう》の|制敗《せいばい》を|受《う》けて、くたばつたがよからう。アークさまの|計略《けいりやく》には、アフンと|致《いた》しただらう。イヒヽヽヽ、オイ、タール、|何《ど》うだ、アークさまの|腕前《うでまへ》には|恐《おそ》れ|入《い》つただらう』
『アーク|魔《ま》の|業《わざ》に|落《お》ち|込《こ》んだとは|此《この》|事《こと》だな。アークまでもアークを|立《た》て|通《とほ》すバラモン|教《けう》のやり|方《かた》には、|俺《おれ》も|唖然《あぜん》としたワイ。モシモシ|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》さま、|決《けつ》してタールが|悪《わる》いのぢや|厶《ござ》いませぬから、どうぞ|国替《くにがへ》をなさつても、|私《わたし》には|化《ば》けて|出《で》ぬやうにして|下《くだ》さい、|此《この》タールの|生首《なまくび》を|引抜《ひきぬ》くならば、|此《この》アークの|首《くび》を|抜《ぬ》いて|下《くだ》さい』
『ヘン、|俺《おれ》の|首《くび》は|鉄《てつ》で|拵《こしら》へてあるのだから、|仮令《たとへ》|幾百万《いくひやくまん》の|亡者《まうじや》が、|一斉《いつせい》|襲撃《しふげき》をしたつて|駄目《だめ》だ。モウ|斯《か》うなればこつちの|物《もの》だ。サアこれからランチ|将軍様《しやうぐんさま》に|報告《はうこく》して|第一番《だいいちばん》の|功名《こうみやう》|手柄《てがら》を|現《あら》はしてくれる。|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》だつて、|数百《すうひやく》の|軍隊《ぐんたい》と|共《とも》に|脆《もろ》くも|敗走《はいそう》した|治国別《はるくにわけ》を、|此《この》アークさまの|計略《けいりやく》に|仍《よ》つて|巧《うま》く|片付《かたづ》けたのだから、|大《たい》したものだ。ガーター|勲章《くんしやう》だ』
『ガタガタ|慄《ぶる》ひのガーター|勲章《くんしやう》が|聞《き》いて|呆《あき》れるワイ』
『エヽゴテゴテ|云《い》ふな、|今《いま》に|俺《おれ》がランチ|将軍《しやうぐん》の|片腕《かたうで》、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》と|肩《かた》を|並《なら》べて、|全軍《ぜんぐん》の|指揮《しき》をする|様《やう》になるのだ。|貴様《きさま》ここに|穴《あな》の|番《ばん》をしてをれ、|俺《おれ》はこれからランチ|将軍《しやうぐん》に|報告《はうこく》に|行《ゆ》く。|俺《おれ》の|姿《すがた》も|今《いま》が|見納《みをさ》めだぞ。|今度《こんど》|目《め》に|貴様《きさま》に|会《あ》ふ|時《とき》には、|頭《あたま》の|先《さき》から|足《あし》の|先《さき》まで、|金筋《きんすぢ》だらけだ。よく|顔《かほ》を|見《み》ておけ、|其《その》|時《とき》に|間違《まちが》つて|無礼《ぶれい》を|致《いた》さぬ|様《やう》に……』
『ヘン、|自分《じぶん》|一人《ひとり》|手柄《てがら》をしようと|思《おも》つても、|其奴《そいつ》ア|駄目《だめ》だぞ。そんな|偉相《えらさう》な|事《こと》を|云《い》ふと、|貴様《きさま》がビツクリして|腰《こし》を|抜《ぬ》かした|事《こと》をランチ|将軍様《しやうぐんさま》にスツパぬいてやらうか。|手柄《てがら》をしようには|俺《おれ》と|一緒《いつしよ》でないと|駄目《だめ》だぞ。|自分《じぶん》|一人《ひとり》の|手柄《てがら》にしようとは、|余《あま》り|虫《むし》がよすぎるぢやないか』
『|其《その》|方《はう》の|手柄《てがら》も|認《みと》めてやらぬ|訳《わけ》にも|行《ゆ》くまい。やがて|沙汰《さた》を|致《いた》すから、|暫《しばら》く|待《ま》つてをれよ。エヘン』
と|咳払《せきばら》ひをしながら、|早《はや》くも|将軍《しやうぐん》になつた|気分《きぶん》で、|言葉《ことば》|付《つき》|迄《まで》おごそかに、|反《そ》り|身《み》になつて|大股《おほまた》に|両手《りやうて》の|拳《こぶし》を|握《にぎ》り、|大道《だいだう》|狭《せま》しと|打振《うちふ》りながら、えも|言《い》はれぬ|得意顔《とくいがほ》で、|長《なが》いコンパスを、のそりのそりとふん|張《ば》つて|行《ゆ》く。
(大正一二・一・八 旧一一・一一・二二 松村真澄録)
第二章 |黒士会《こくしくわい》〔一二三五〕
|思《おも》はぬ|不覚《ふかく》をとつた|治国別《はるくにわけ》は、|竜公《たつこう》を|労《いた》はりながら、
『オイ|竜公《たつこう》、どこも|怪我《けが》はなかつたかなア。|大変《たいへん》な|不覚《ふかく》をとつて、|深《ふか》く|落《お》ち|込《こ》んだものだ』
『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います、|別《べつ》にどこも|怪我《けが》は|致《いた》して|居《を》りませぬが、|余《あま》り|深《ふか》い|企《たく》みに|乗《じやう》ぜられ、|深《ふか》い|穴《あな》へ|落《おと》されて、チツとばかり|不快《ふくわい》でたまりませぬ。アハヽヽヽ』
『ウフヽヽヽ、|貴様《きさま》も|余程《よほど》|三五教式《あななひけうしき》になつたな。|如何《いか》なる|艱難《かんなん》に|出会《であ》つても、|其《その》|態度《たいど》でなくちや|駄目《だめ》だ』
『アナ|有難《ありがた》や、|穴《あな》|尊《たふと》しや、|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》、ヤツパリ、バラモン|教《けう》は|三五教《あななひけう》の|反対《はんたい》で|穴有教《あなありけう》ですなア』
『オイ|何時《いつ》|迄《まで》もこんな|所《ところ》に|蟄居《ちつきよ》して|居《を》つても|約《つま》らぬぢやないか。モウいい|加減《かげん》に|這《は》ひ|上《あが》る|工夫《くふう》をしたら|何《ど》うだ』
『さうですな、|幸《さいは》ひ|沢山《たくさん》な|槍《やり》を|立《た》ててゐやがるし、|此《この》|通《とほ》り、|蜘蛛《くも》の|巣《す》の|如《ごと》く、|吾々《われわれ》の|身体《からだ》にまきつくやうに|網《あみ》をはつてゐよるのだから、|槍《やり》の|先《さき》を|皆《みな》ぬいて、|先《せん》ぐり|之《これ》をくくりつけ、|槍《やり》の|梯子《はしご》でも|拵《こしら》へて|上《のぼ》つてやりませうか。グヅグヅしてゐると、アークの|奴《やつ》|沢山《たくさん》の|子分《こぶん》をつれて|来《き》て、|上《うへ》から|槍《やり》の|雨《あめ》でも|降《ふ》らされると|困《こま》りますで』
『ナアニ|其《その》|時《とき》は、これ|丈《だけ》|沢山《たくさん》の|槍《やり》だから、|下《した》から|上《うへ》へ|向《む》けて|槍《やり》の|雨《あめ》を|降《ふ》らしてやればいいのだ。マアゆつくりと|風《かぜ》の|当《あた》らぬ|空井《からゐど》の|底《そこ》で|休養《きうやう》でもして|上《あが》ることにしようかい。|時《とき》に|穴《あな》の|縁《ふち》には|誰《たれ》かゐるぢやないか』
『|彼奴《あいつ》ア、タールといふ|男《をとこ》です。|随分《ずゐぶん》|馬鹿《ばか》ですけれど、|人間《にんげん》のいゝ|奴《やつ》ですから、どちらへでも|傾《かたむ》く|代物《しろもの》です。|一《ひと》つ|彼奴《あいつ》を|言向《ことむ》け|和《やは》したらどうでせうかな』
『お|前《まへ》の|初陣《うひぢん》に|一《ひと》つやつて|見《み》よ、|治国別《はるくにわけ》はここにて、|竜公《たつこう》の|言霊戦《ことたません》を|観戦《くわんせん》するから……』
|竜公《たつこう》は、
『ハイ|有難《ありがた》う』
と|云《い》ひながら、|空《そら》を|打仰《うちあふ》ぎ、
『バラモン|教《けう》の|先鋒隊《せんぽうたい》|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》が|秘書役《ひしよやく》、|竜公《たつこう》、|今《いま》|更《あらた》めてタールの|奴《やつこ》に|申付《まをしつ》ける。|此《この》|竜公《たつこう》は、|汝《なんぢ》の|知《し》る|如《ごと》く、|河鹿峠《かじかたうげ》に|於《おい》て|治国別《はるくにわけ》の|為《ため》に|一敗地《いつぱいち》にまみれ、|全軍《ぜんぐん》|遁走《とんそう》する|折《をり》しも、|腑甲斐《ふがひ》なき|味方《みかた》の|敗残《はいざん》|見《み》るに|忍《しの》びず|一計《いつけい》を|案《あん》じ、|松公《まつこう》と|共《とも》に|詐《いつは》つて|治国別《はるくにわけ》に|降参《かうさん》を|装《よそほ》ひ、ここ|迄《まで》|導《みちび》いて|来《き》たのだ。|一時《いつとき》も|早《はや》く|此《この》|方《はう》を|繩梯子《なはばしご》なりと|吊《つ》り|下《おろ》して|救《すく》ひ|出《いだ》せよ。さすれば|汝《なんぢ》は、アークにまさる|手柄者《てがらもの》として、ランチ|将軍《しやうぐん》に|奏上《そうじやう》してやらう。どうぢやタール、|此《この》|方《はう》の|神算鬼謀《しんさんきぼう》は|恐《おそ》れ|入《い》つたであらうがなア』
『ハイハイ、そんな|事《こと》とは|存《ぞん》じませず、|誠《まこと》に|以《もつ》て|御無礼《ごぶれい》を|致《いた》しました。サア|何《ど》うぞお|上《あが》り|下《くだ》さいませ。|幸《さいは》ひここに|繩梯子《なはばしご》が|厶《ござ》いますから、|今《いま》つり|下《おろ》します。どうぞ|貴方《あなた》|丈《だけ》|上《あが》つて|下《くだ》さい。そして|治国別《はるくにわけ》はどうなりましたか』
『|最早《もはや》|治国別《はるくにわけ》にかまふ|必要《ひつえう》はなくなつた。|繩梯子《なはばしご》さへつり|下《おろ》したらいいのだ』
『それは|真《まこと》に|気《き》の|毒《どく》な|様《やう》、|気《き》の|毒《どく》でない|様《やう》なことで|厶《ござ》いますな。|芋刺《いもざ》しにでもおなりなさつたのですか。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|云《い》ひながら、|繩梯子《なはばしご》を|暗《くら》い|陥穽《おとしあな》へ|吊《つ》り|下《おろ》した。|治国別《はるくにわけ》は|繩梯子《なはばしご》を|伝《つた》うてトントンと|上《のぼ》りゆく。
『ヤア|竜公《たつこう》さま、あゝ|結構《けつこう》|々々《けつこう》、|怪我《けが》がなくて|何《なに》よりでした。どうぞ|私《わたくし》の|御無礼《ごぶれい》は|平《ひら》に|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ』
『タールとやら、|拙者《せつしや》は|竜公《たつこう》では|厶《ござ》らぬ。|治国別《はるくにわけ》だよ』
『ヤア、これはこれは|真《まこと》にはや、|何《なん》ともかとも|申上《まをしあ》げられませぬ。マンマンマンお|目出度《めでた》う|厶《ござ》います。そして|竜公《たつこう》は|何《ど》うなりましたか』
『ウン、|竜公《たつこう》は|都合《つがふ》|好《よ》くなつた。マア|大丈夫《だいぢやうぶ》だよ』
『それはマア|可哀相《かあいさう》なことを|致《いた》しました。|沢山《たくさん》に|血《ち》が|出《で》ましただらうな』
『ウン、|今《いま》に|幽霊《いうれい》となつて、|井戸《ゐど》の|底《そこ》から|青《あを》い|火《ひ》をとぼし、ヒユーとやつて|来《く》るだらうよ』
|此《この》|時《とき》|早《はや》くも|竜公《たつこう》は|穴《あな》の|口《くち》へ|九分《くぶ》ばかり|登《のぼ》つて|来《き》てゐた。そして|両人《りやうにん》の|話《はなし》を|小耳《こみみ》にはさみ、|俄《にはか》に|幽霊《いうれい》|気分《きぶん》となつて、|目《め》をクルリとむき、|口《くち》をポカンと|開《あ》け、|舌《した》をたらし、|腰《こし》をフニヤフニヤさせ、|両手《りやうて》を|力《ちから》なげにグナリと|前《まへ》に|突出《つきだ》し、
『|恨《うら》めしや』
と|妙《めう》な|声《こゑ》を|絞《しぼ》り|出《だ》した。タールは、
『キヤツ』
と|其《その》|場《ば》に|尻餅《しりもち》をつき、
『アヽヽヽヽ』
と|口《くち》をあけて|慄《ふる》うてゐる。
『アハヽヽヽ、オイ、タールさま、|嘘《うそ》だ|嘘《うそ》だ。|竜公《たつこう》が|悪戯《いたづら》をしてゐるのだ。オイ|竜公《たつこう》、|朝《あさ》つぱらから|幽霊《いうれい》も、|根《ね》つからはやらないぞ』
『オイ、タール、|実《じつ》の|処《ところ》は|済《す》まなかつたが、|井戸《ゐど》の|底《そこ》から|俺《おれ》の|言《い》つた|事《こと》は|皆《みな》|嘘《うそ》だ。|地獄《ぢごく》の|様《やう》な|所《ところ》へ|落《おと》されたのだから、|地獄《ぢごく》|相応《さうおう》の|佯《いつは》りを|云《い》つたのだよ。|最早《もはや》|井戸《ゐど》の|底《そこ》から|比《くら》ぶれば、|天国《てんごく》にも|比《ひ》すべき、|此《この》|平地《へいち》へ|上《のぼ》つて|来《き》たのだから、|嘘《うそ》|佯《いつは》りは|云《い》ふこた|出来《でき》ない。サア|是《これ》から、ランチ|将軍《しやうぐん》の|館《やかた》へさして|案内《あんない》をしてくれ』
『ヤ、それで|俺《おれ》も|一寸《ちよつと》ばかり|安心《あんしん》した。|併《しか》しながら、そんな|所《ところ》へ|行《ゆ》かないで、|私《わたし》も|一緒《いつしよ》に|伴《つ》れて、|宣伝使《せんでんし》|様《さま》に|逃《に》げて|貰《もら》ふ|訳《わけ》には|行《ゆ》きますまいか。なモシ|治国別《はるくにわけ》|様《さま》とやら、|決《けつ》して|悪《わる》いこた|申《まを》しませぬ、|今《いま》にアークが|沢山《たくさん》の|軍勢《ぐんぜい》を|引連《ひきつ》れて、|貴方《あなた》を|召捕《めしと》りに|来《く》るに|違《ちが》ひありませぬ。サ|早《はや》く|引返《ひきかへ》して|下《くだ》さい。|其《その》|代《かは》り|私《わたくし》もお|供《とも》さして|貰《もら》ひますから』
『ハヽヽヽヽ、|敵《てき》を|見《み》て|旗《はた》を|捲《ま》き、|矛《ほこ》を|納《をさ》めて|退却《たいきやく》するといふことはない、|三五教《あななひけう》は|目的《もくてき》に|向《むか》つては|退却《たいきやく》はない。|只《ただ》|驀進《ばくしん》あるのみだ』
かく|話《はな》す|所《ところ》へ、|馬《うま》に|跨《またが》り、|先頭《せんとう》に|立《た》つてやつて|来《き》たのはアークであつた。アークは|数十人《すうじふにん》の|騎士《きし》を|引連《ひきつ》れ、|轡《くつわ》を|並《なら》べてバラバラと|治国別《はるくにわけ》|一行《いつかう》を|取囲《とりかこ》み、
『|三五教《あななひけう》の|治国別《はるくにわけ》とやら、|最早《もはや》かうなつては|叶《かな》ふまい。サ|尋常《じんじやう》に|手《て》をまはし、|縛《ばく》につけ。ランチ|将軍《しやうぐん》の|御前《みまへ》に|引連《ひきつ》れくれむ』
と|大音声《だいおんじやう》に|呼《よ》ばはつた。
|治国別《はるくにわけ》は|平然《へいぜん》として、
『イヤ、アークとやら、|出迎《でむか》へ|大儀《たいぎ》、|治国別《はるくにわけ》は|汝《なんぢ》が|要求《えうきう》なくとも、|堂々《だうだう》とランチ|将軍《しやうぐん》に|面会《めんくわい》すべく|進《すす》んで|来《き》たものだ。|必《かなら》ず|心配《しんぱい》|致《いた》すな、|逃《に》げも|隠《かく》れも|致《いた》さぬ』
『|左様《さやう》なことを|申《まを》して、|吾々《われわれ》に|油断《ゆだん》をさせ、|隙《すき》を|窺《うかが》ひ、|遁走《とんそう》|致《いた》す|所存《しよぞん》であらう。|其《その》|手《て》は|食《く》はぬぞ。ヤア|部下《ぶか》の|者《もの》、|治国別《はるくにわけ》を|始《はじ》め、|反逆者《はんぎやくしや》の|竜公《たつこう》|諸共《もろとも》|召捕《めしと》れ、|繩《なは》をかけよ』
と|下知《げち》をする。|治国別《はるくにわけ》は|平然《へいぜん》として、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|奏上《そうじやう》するや、|一同《いちどう》の|騎士《きし》は|身体強直《しんたいきやうちよく》し|如何《いかん》ともするに|由《よし》なく、パタリパタリと|馬上《ばじやう》より|椿《つばき》の|花《はな》が|雨《あめ》にあうて|落《お》ちるが|如《ごと》く、|地上《ちじやう》に|顛倒《てんたう》し|始《はじ》めた。アークも|馬上《ばじやう》から|真逆様《まつさかさま》に|転落《てんらく》し、|治国別《はるくにわけ》の|脚下《あしもと》に|大《だい》の|字《じ》になつて、ふん|伸《の》びて|了《しま》つた。|治国別《はるくにわけ》は|竜公《たつこう》に|向《むか》ひ、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|奏上《そうじやう》せしめた。|竜公《たつこう》は|稍《やや》|心中《しんちう》に|不安《ふあん》を|感《かん》じながら、|一生懸命《いつしやうけんめい》になつて|天《あま》の|数歌《かずうた》を|二回《にくわい》ばかり|奏上《そうじやう》した。|不思議《ふしぎ》や|一同《いちどう》の|騎士《きし》はすこしの|怪我《けが》もなく|強直《きやうちよく》した|身体《しんたい》は|元《もと》に|復《ふく》し、|手早《てばや》く|又《また》|馬《うま》に|跨《またが》り、|駒《こま》に|鞭《むちう》ち、|一生懸命《いつしやうけんめい》、|疾風《しつぷう》の|如《ごと》く|陣屋《ぢんや》をさして|逃《に》げ|帰《かへ》り|行《ゆ》く。|後《あと》に|残《のこ》るはアーク|只《ただ》|一人《ひとり》、|何《ど》うしたものか、|身体《からだ》の|自由《じいう》が|利《き》かない。
『|神様《かみさま》、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|私《わたくし》の|様《やう》な|悪党《あくたう》が|尊《たふと》き|数歌《かずうた》を|奏上《そうじやう》|致《いた》しまして、|即座《そくざ》に|効験《かうけん》を|現《あら》はし|下《くだ》さいましたのは、|全《まつた》く|神様《かみさま》の|御恵《みめぐみ》|御稜威《みいづ》と|存《ぞん》じます。|決《けつ》して|竜公《たつこう》の|力《ちから》では|厶《ござ》いませぬ。どうぞ|此《この》|上《うへ》|益々《ますます》|厚《あつ》く|私《わたくし》の|身体《からだ》を|御使用《ごしよう》|下《くだ》さいます|様《やう》にお|願《ねが》ひ|致《いた》します。|就《つ》いては|此《この》アーク|一人《ひとり》のみ、まだ|言霊《ことたま》の|神徳《しんとく》を|頂《いただ》かずに、|此《この》|通《とほ》り|強直状態《きやうちよくじやうたい》になつて|居《を》ります。どうぞ|之《これ》も|私《わたくし》の|口《くち》を|通《とほ》してお|救《すく》ひ|下《くだ》さいます|様《やう》、|御願《おねが》ひ|致《いた》します。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|合掌《がつしやう》する。|何程《なにほど》|祈《いの》つても、|数歌《かずうた》を|奏上《そうじやう》しても、アークの|強直状態《きやうちよくじやうたい》は|旧《もと》に|復《かへ》らなかつた。
『モシ|治国別《はるくにわけ》|様《さま》、|何《ど》うしたものでせうか、アーク|一人《ひとり》は|神様《かみさま》がお|許《ゆる》し|遊《あそ》ばさぬのでせうかな』
『ウン、|此《この》アークは|治国別《はるくにわけ》に|危害《きがい》を|加《くは》へむと|致《いた》したのだから、|拙者《せつしや》が|祈願《きぐわん》|致《いた》してやらねば、|駄目《だめ》だらう』
と|云《い》ひながら、|暫《しばら》く|暗祈黙祷《あんきもくたう》をつづけ、|全身《ぜんしん》に|神格《しんかく》の|流入《りうにふ》|充溢《じういつ》せし|時《とき》を|窺《うかが》ひ……|許《ゆる》す……と|一言《ひとこと》を|宣《の》れば、|不思議《ふしぎ》やアークの|身体《からだ》は|旧《もと》に|復《ふく》した。アークは|治国別《はるくにわけ》の|前《まへ》に|跪《ひざまづ》き、|涙《なみだ》をたらしながら、|重々《ぢゆうぢゆう》の|無礼《ぶれい》を|謝《しや》した。
『アークとやら、|大変《たいへん》なお|骨折《ほねを》りで|厶《ござ》つたなア。|併《しか》しながら|治国別《はるくにわけ》はお|蔭《かげ》に|仍《よ》つて|此《この》|通《とほ》り、カスリ|疵《きず》|一《ひと》つ|負《お》うて|居《を》らねば、|汝《なんぢ》に|対《たい》して|少《すこ》しも|恨《うら》むることはない。|否《いな》|寧《むし》ろ|神々様《かみがみさま》の|御警告《ごけいこく》だと|思《おも》ひ|感謝《かんしや》してゐる。|神様《かみさま》は|汝《なんぢ》が|手《て》をとほし、|此《この》|治国別《はるくにわけ》に、|油断《ゆだん》の|大敵《たいてき》たることをお|示《しめ》し|下《くだ》さつたのであらう。さすれば|汝《なんぢ》は|吾《われ》に|対《たい》して、|唯一《ゆゐいつ》の|導師《だうし》だ。|大《おほい》に|感謝《かんしや》する。サア、アーク|殿《どの》、そなたもバラモン|軍《ぐん》の|中《うち》に|於《おい》て、|可《か》なり|相当《さうたう》の|地位《ちゐ》を|持《も》つてゐる|人物《じんぶつ》らしい。さぞ|陣中《ぢんちう》にも|御用《ごよう》もあらう。|早《はや》く|帰《かへ》つて|治国別《はるくにわけ》|即刻《そくこく》ランチ|将軍《しやうぐん》に|面会《めんくわい》の|為《ため》、|参上《さんじやう》|致《いた》すと|伝《つた》へてくれ』
『ハイ、|何《なん》とも|申上《まをしあ》げ|様《やう》が|厶《ござ》いませぬ。|併《しか》しながら|私《わたくし》はこれより|仰《あふ》せに|従《したが》ひ、ランチ|将軍《しやうぐん》の|前《まへ》に|罷《まか》り|出《い》で、|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|申上《まをしあ》げ、|一時《いちじ》も|早《はや》く|貴方《あなた》の|前《まへ》に|降服《かうふく》|致《いた》す|様《やう》|取計《とりはか》らひませう。|然《しか》らば|御免《ごめん》|下《くだ》さいませ』
といふより|早《はや》く|駒《こま》に|跨《またが》り、|一鞭《ひとむち》あてて|雲《くも》を|霞《かすみ》と|陣中《ぢんちう》|指《さ》して|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
『ハヽヽヽヽ、たうとうアークの|大将《たいしやう》、ヘコたれよつたな。|併《しか》しマア|偉相《えらさう》にランチ|将軍《しやうぐん》を|改心《かいしん》させるなんて、|御託《がふたく》を|云《い》つて|行《ゆ》きよつたが、|彼奴《あいつ》も|駄目《だめ》だ。そばへゆくと、|猫《ねこ》の|前《まへ》へ|出《で》た|鼠《ねづみ》のやうにピリピリふるうて、|何《なに》もよう|云《い》はないのだからなア。ランチ|将軍《しやうぐん》の|目《め》の|動《うご》き|方《かた》や|顔《かほ》の|色《いろ》ばかり|考《かんが》へて、ハートに|浪《なみ》を|立《た》たせる|代物《しろもの》だから、|到底《たうてい》|成功《せいこう》は|覚束《おぼつか》ない。|別《わか》れる|時《とき》のお|正月《しやうぐわつ》|言葉《ことば》だ。キツとランチ|将軍《しやうぐん》の|後《うしろ》について、|治国別《はるくにわけ》|征伐《せいばつ》なんて、|洒落《しやれ》てやつて|来《く》るでせうよ。|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|決《けつ》して|油断《ゆだん》はなりませぬで、あゝいふことはバラモン|教《けう》|一般《いつぱん》の|常套《じやうたう》|手段《しゆだん》ですからなア』
『ウン、さうかも|知《し》れないが、|吾々《われわれ》は|決《けつ》して|人《ひと》を|疑《うたが》ふこた|出来《でき》ない。|何事《なにごと》も|惟神《かむながら》に|任《まか》しておけばいいのだ』
『オイ|竜公《たつこう》さま、さう|見《み》くびつたものぢやないよ。バラモン|教《けう》の|中《なか》にもチツとは|骨《ほね》もあり、|花《はな》も|実《み》もある|人物《じんぶつ》も|交《ま》ぜつてゐるからな。アークは|此《この》|頃《ごろ》、バラモン|教《けう》|軍《ぐん》の|中《うち》で、|一種《いつしゆ》の|決死隊《けつしたい》ともいふべき|団体《だんたい》を|作《つく》つてるのだ』
『|有名無実《いうめいむじつ》の|団体《だんたい》が|幾《いく》らあつたつて、|役《やく》に|立《た》つものかい。そんなことを|云《い》つて|空威張《からゐば》りをするのだらう。コケ|威《おど》した、|曰《いは》く|何々団《なになにだん》、|曰《いは》く|何々会《なになにくわい》と、|雨後《うご》の|筍《たけのこ》ほどにそこら|中《ぢう》に|奇々怪々《ききくわいくわい》な|会《くわい》が|創立《さうりつ》されるが、|宣言《せんげん》は|立派《りつぱ》でも|実行《じつかう》が|出来《でき》るためしはないぢやないか。そしてアークの|創立《さうりつ》した|会《くわい》はどんな|会《くわい》だ、|法螺《ほら》の|貝《かひ》か、|溝《どぶ》の|貝《かひ》か、どうでロクなものぢやなからう』
『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな、|吾々《われわれ》|国士《こくし》がよつて、|国士会《こくしくわい》といふものを|作《つく》り、|最善《さいぜん》のベストを|尽《つく》してゐるのだ』
『ハハア、まつくろけになつて|死《し》ぬ|黒死病《こくしびやう》の|会《くわい》だな。ウンそれで|分《わか》つた、ペストを|尽《つく》すのだ。それよりもバラモン|省《しやう》へ|掛合《かけあ》つて、|一匹《いつぴき》の|鼠《ねづみ》を|十銭《じつせん》づつに|買上《かひあ》げさせさへすりや、それの|方《はう》が|余程《よつぽど》|近道《ちかみち》だよ』
『|貴様《きさま》にはテンデ|話《はなし》が|出来《でき》ないワ。|国士会《こくしくわい》と|云《い》つたら、|国家《こくか》を|憂《うれ》ふる|志士《しし》の|団体《だんたい》だ』
『|獅子《しし》か|虎《とら》か|狼《おほかみ》か|豹《へう》か|鼠《ねづみ》か|知《し》らぬが、どうでロクな|奴《やつ》の|集《あつ》まる|団体《だんたい》ぢやなからう、アークが|発頭人《ほつとうにん》だと|聞《き》いちや、|余《あま》り|信用《しんよう》も|出来《でき》ぬぢやないか。そして|何《なに》か|会《くわい》の|趣意書《しゆいしよ》でも|出来《でき》てゐるのか』
『|先《ま》づ|不平党《ふへいたう》の|張本人《ちやうほんにん》アークさまが|主唱者《しゆしやうしや》で、おれ|達《たち》が|賛助員《さんじよゐん》だ。|此《この》|趣意書《しゆいしよ》を|一寸《ちよつと》|拝読《はいどく》してみよ』
と|得意気《とくいげ》に|懐《ふところ》から|小《ちひ》さい|印刷物《いんさつぶつ》を|取出《とりだ》して|見《み》せた。|竜公《たつこう》は|手《て》に|取《と》り、|趣意書《しゆいしよ》を|読《よ》み|下《くだ》せば|左《さ》の|文章《ぶんしやう》が|書《か》いてある。
|趣意書《しゆいしよ》
|国事《こくじ》|日《ひ》に|非《ひ》なれども、|天下一人《てんかいちにん》の|聴従《ちやうじゆう》すべき|権威者《けんゐしや》なし、|所謂《いはゆる》|慨世《がいせい》の|士《し》、|口《くち》を|開《ひら》けば|思想《しさう》の|変化《へんくわ》を|言《い》ひ、|思想《しさう》に|対《たい》するには|思想《しさう》を|以《もつ》てせざる|可《べか》らざるを|説《と》く、|其《その》|言《げん》や|不可《ふか》なしと|雖《いへど》も、|漫然《まんぜん》たる|抽象論《ちうしやうろん》は|此《この》|際《さい》|寸効《すんかう》なし。|況《いは》んや|公党《こうたう》|公人《こうじん》|相率《あひひき》ゐて|世《よ》を|欺《あざむ》き、|己《おのれ》を|欺《あざむ》き、|只《ただ》|自《みづか》ら|守《まも》るに|急《きふ》にして、|心術《しんじゆつ》の|陋劣《ろうれつ》を|暴露《ばくろ》して|憚《はばか》らず、|益々《ますます》|思想《しさう》の|変化《へんくわ》を|助長《じよちやう》しつつあるに|於《おい》ておや。|吾々《われわれ》|国民《こくみん》は|寧《むし》ろ|百人《ひやくにん》の|論客《ろんかく》よりも|一人《いちにん》の|志士《しし》の|立《た》つべきを|思《おも》ふ。それ|難《なん》に|赴《おもむ》くは|士《し》の|本領《ほんりやう》なり、|大《だい》にしては|天下《てんか》|国家《こくか》の|難《なん》、|小《せう》にしては|一地方《いちちはう》|一個人《いちこじん》の|難《なん》、|吾《わが》|党《たう》の|士《し》は|苟《いやし》くも|辞《じ》せず、|身《み》を|挺《てい》して|之《これ》を|救《すく》はむことを|欲《ほつ》す。もし|吾《わが》|党《たう》の|士《し》|一度《ひとたび》|立《た》つて|解決《かいけつ》せざる|案件《あんけん》あらば、そは|士道《しだう》の|汚辱《をじよく》たらむのみ。|何《なん》とならば|吾《わが》|国士会《こくしくわい》は|名《な》|正《ただ》しからざれば、|断《だん》じて|立《た》たず、|誓約十則《せいやくじつそく》に|示《しめ》すが|如《ごと》く、|悉《ことごと》く|士道《しだう》に|率由《そつゆう》して|行動《かうどう》すればなり、|敢《あへ》て|天下《てんか》に|宣《せん》す。
|年《ねん》 |月《ぐわつ》 |日《ひ》
|国士会《こくしくわい》
|十則《じつそく》
一、|国士《こくし》はバラモン|教《けう》|男子《だんし》たることを|誇《ほこ》りとす。
二、|国士《こくし》は|難《なん》に|赴《おもむ》くを|以《もつ》て|本領《ほんりやう》とす、|但《ただ》し|時処位《じしよゐ》によるべし。
三、|国士《こくし》は|誓《ちか》つて|無名《むめい》の|戦《たたか》ひを|宣《せん》せず。|但《ただ》しランチ|将軍《しやうぐん》の|命《めい》なれば|敢《あへ》て|辞《じ》せず。
四、|国士《こくし》は|対者《たいしや》の|為《ため》に|計《はか》つて|忠《ちう》なるを|期《き》す。|但《ただし》|三五教《あななひけう》に|対《たい》しては|此《この》|限《かぎ》りにあらず。
五、|国士《こくし》は|本来《ほんらい》の|敵《てき》を|有《いう》せず、|故《ゆゑ》に|勝敗《しようはい》に|超越《てうゑつ》す。(|河鹿峠《かじかたうげ》の|言霊戦《ことたません》に|於《お》ける|吾《わが》|軍《ぐん》の|行動《かうどう》は|其《その》|好適例《かうてきれい》なり)
六、|国士《こくし》は|一諾《いちだく》が|一死《いつし》に|値《あたひ》するも|悔《く》いず、|但《ただ》し|最愛《さいあい》の|女性《ぢよせい》に|限《かぎ》る。
七、|国士《こくし》は|精神《せいしん》を|主《しゆ》とし、|形式《けいしき》を|従《じゆう》とす。|但《ただ》しバラモン|軍中《ぐんちう》に|在《あ》りては、|或《あるひ》は|適用《てきよう》せざることあるべし。
八、|国士《こくし》は|過去《くわこ》を|追《お》はず|未来《みらい》を|信《しん》ず、|但《ただし》バラモン|教《けう》の|大棟梁《だいとうりやう》|大黒主《おほくろぬし》の|最後《さいご》は|必《かなら》ずしも|光明《くわうみやう》ならざることを。
九、|国士《こくし》は|無意義《むいぎ》なる|一日《いちじつ》を|天《てん》に|恥《は》づ、|但《ただし》|酒宴《しゆえん》の|時《とき》は|仮令《たとへ》|三日《みつか》|四日《よつか》たりとも|之《これ》を|恥《は》づることなし。
十、|国士《こくし》は|一人《いちにん》の|知己《ちき》を|有《いう》すれば|足《た》れり、|但《ただ》し|異性《いせい》なれば|最《もつと》もよしとなす。
『なアんだ、|立派《りつぱ》なことを|並《なら》べてゐるが|但書《ただしがき》がサツパリ|駄目《だめ》ぢやないか。これだからバラモン|式《しき》は|当《あて》にならないといふのだ。|羊頭《やうとう》をかかげて|狗肉《くにく》を|売《う》るのだからなア』
『これが|現代《げんだい》の|処世法《しよせいほふ》の|最優秀《さいいうしう》なる|手段《しゆだん》だ。バラモン|教《けう》の|真髄《しんずゐ》をうがつたものだ、|之《これ》でなくちや|世《よ》の|中《なか》が|渡《わた》れないからな』
『アハヽヽヽ、モシ|先生《せんせい》、どうです、|国士会《こくしくわい》も、|随分《ずゐぶん》|奇抜《きばつ》なことを|云《い》ふぢやありませぬか』
『ウン|結構《けつこう》だ、|詐《いつは》らざるバラモンの|告白《こくはく》だ。イヤもう|感心《かんしん》|致《いた》した』
『|私《わたし》だつたら、こんな|会《くわい》へは|入会《にふくわい》しませぬな。エキスキユーズ・ミー………とやりますよ』
『ハヽヽヽヽ、ドラ|行《ゆ》かう。タールさまに|案内《あんない》して|貰《もら》はうかなア。|否《いな》|国士会《こくしくわい》の|賛助員《さんじよゐん》さま、|御先導《ごせんだう》を|願《ねが》ひます』
|竜公《たつこう》『|国士会員《こくしくわいいん》|万歳《ばんざい》、アハヽヽヽ』
かく|笑《わら》ひ|興《きよう》じながら、|治国別《はるくにわけ》|外《ほか》|二人《ふたり》は|浮木《うきき》の|村《むら》の|陣屋《ぢんや》を|指《さ》して、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、|朝露《あさつゆ》をふんで|勢《いきほひ》よく|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一二・一・八 旧一一・一一・二二 松村真澄録)
第三章 |寒迎《かんげい》〔一二三六〕
|治国別《はるくにわけ》は|竜公《たつこう》、タールを|伴《ともな》ひ、|枯野《かれの》の|露《つゆ》を|踏《ふ》み|分《わ》けて|浮木《うきき》の|里《さと》に|屯《たむろ》せるランチ|将軍《しやうぐん》の|陣営《ぢんえい》さして|進《すす》み|行《ゆ》く。|竜公《たつこう》は|意気《いき》|揚々《やうやう》として|先《さき》に|立《た》ち、|四方《よも》の|景色《けしき》を|眺《なが》めながら|呂律《ろれつ》も|合《あ》はぬ|新派《しんぱ》|口調《くてう》で|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『|月《つき》|山《やま》に|入《い》らず
|天《てん》は|暁《あ》けざれど
|雲雀《ひばり》や|百鳥《ももどり》の
|忙《せ》はしき|声《こゑ》に|励《はげ》まされ
|眠《ねむ》たき|眼《まなこ》を|擦《こす》りながら
|早《はや》くも|荒野《あらの》に
|歩《あゆ》みを|起《おこ》しぬ
○
|露《つゆ》|持《も》つ|草葉《くさは》を
|草鞋《わらぢ》に|踏《ふ》めば
|袖《そで》|吹《ふ》くあしたの|風《かぜ》は
|美《うる》はしく|薫《かを》りて
|汗《あせ》を|拭《ぬぐ》ひ|胸《むね》を|洗《あら》ふ
|旅路《たびぢ》の|愉快《ゆくわい》さよ
|坂照山《さかてるやま》の|月《つき》|清《きよ》くして
|松風《まつかぜ》に|添《そ》ふ
|笙《しやう》の|音《ね》も
いとど|床《ゆか》しく|聞《きこ》え|来《きた》りぬ』
タールは、
『オイ|竜公《たつこう》さま、|笙《しやう》もない、|笙《しやう》の|音《ね》も|何《なに》も|聞《きこ》えて|居《ゐ》ないぢやないか。エー、|詩人《しじん》といふものはソンナ|嘘《うそ》を|言《い》つても|良《よ》いのか』
『そこが|詩人《しじん》だよ。|詩《し》といふ|字《じ》は|言偏《ごんべん》に|寺《てら》といふ|字《じ》を|書《か》くからなア。|寺《てら》は|死人《しにん》の|行《ゆ》く|所《ところ》だ。|笙々《しやうしやう》|違《ちが》つた|所《ところ》で|正味《しやうみ》が|面白《おもしろ》ければ|可《い》いぢやないか。どうせ|生《い》きたる|人間《にんげん》の|作《つく》るものぢや|無《な》いからな、|半詩半笙《はんしはんしやう》の|人間《にんげん》か、|又《また》は|現世《げんせ》に|用《よう》のない|老爺《おやぢ》や|三文蚊士《さんもんぶんし》の|言《い》ふことだ。|俺《おれ》も|一寸《ちよつと》|詩人《しじん》の|真似《まね》をして|見《み》たのだ』
『|正味《しやうみ》ぢやない、|趣味《しゆみ》のことだらう』
『|正笙《しやうしやう》ぐらゐ|違《ちが》つたつて|別《べつ》に|詩才《しさい》はないぢやないか。アハヽヽヽ』
『モシ|先生《せんせい》、アノ|月《つき》さまも|矢張《やは》り|詩人《しじん》ですか、|中空《ちうくう》にぶるぶると|慄《ふる》へて|居《ゐ》るぢやありませぬか。|太陽《たいやう》さへあれば、|月《つき》は|必要《ひつえう》のないものですなア。|太陽《たいやう》の|光《ひかり》に|圧倒《あつたふ》されて|追々《おひおひ》と|光《ひかり》が|弱《よわ》り、|殆《ほとん》ど|死《し》んだやうに|見《み》えて|来《き》たぢやありませぬか』
『ウン、さう|見《み》えるかな。それでは|一《ひと》つ|竜公《たつこう》さまに|習《なら》つて、|治国別《はるくにわけ》が|詩《し》でも|詠《よ》んで|見《み》ようかなア。
|数百万年《すうひやくまんねん》の|太古《たいこ》から
|冷《ひ》え|切《き》つた|死《し》んだ|様《やう》な
|寂《しづ》かな|月《つき》が
|大空《たいくう》に|独《ひと》り|輝《かがや》いてゐる
それは
|地上《ちじやう》の|万有《ばんいう》に
|瑞光《ずゐくわう》を|投《な》げて
|仁慈《じんじ》の|露《つゆ》を
|蒼生《さうせい》の|上《うへ》に|降《くだ》し
|生命《いのち》の|清水《しみづ》を
|与《あた》へむがために
|和光同塵《わくわうどうぢん》の
|温姿《をんし》を|現《げん》じ|給《たま》ふためだ
|月《つき》は|盈《み》ち|或《あるひ》は|虧《か》け
|或《あるひ》は|没《ぼつ》して
|地上《ちじやう》の|世界《せかい》に
|明暗《めいあん》の|神機《しんき》を|示《しめ》し
|仁慈《みろく》の|神業《かむわざ》を
|永遠無窮《ゑいゑんむきう》に
|営《いとな》ませ|給《たま》ふからだ
|人間《にんげん》の|眼《まなこ》より
|冷然《れいぜん》たる|月《つき》と|見《み》ゆるは
|温情内包《をんじやうないはう》の|摂理《せつり》に
その|霊光《れいくわう》を|隠《かく》させ|給《たま》ふためだ。
|序《ついで》に|今吹《いまふ》く|風《かぜ》の|音《おと》を|詠《よ》んで|見《み》よう。
そよそよと|吹《ふ》く
|風《かぜ》の|音《おと》
|脚歩《きやくほ》の|響《ひびき》
|草葉《くさば》の|声《こゑ》を|聞《き》けば
|万物《ばんぶつ》みな
こころ|有《あ》りて
|何事《なにごと》か|神秘《しんぴ》を
|心《こころ》|暗《くら》き|吾《わが》|耳《みみ》に
|語《かた》るあるに|似《に》たり』
|治国別《はるくにわけ》は|神《かみ》の|愛《あい》と|信《しん》と|智慧証覚《ちゑしようかく》に|充《み》たされ、さしもの|強敵《きやうてき》の|陣営《ぢんえい》に|向《むか》つて|武器《ぶき》をも|持《も》たず|進《すす》み|行《ゆ》くについても、|殆《ほとん》ど|下女《げぢよ》が|春秋《はるあき》の|籔入《やぶいり》に|親里《おやざと》に|帰《かへ》る|様《やう》な|心持《こころもち》で|途々《みちみち》|歌《うた》を|歌《うた》ひながら|進《すす》み|行《ゆ》く|其《その》|雄々《をを》しさ。|竜公《たつこう》もタールも|何時《いつ》とはなしに|治国別《はるくにわけ》の|悠揚《いうやう》|迫《せま》らざる|態度《たいど》に|感化《かんくわ》されて、すつかり|天国《てんごく》の|旅行《りよかう》|気分《きぶん》になつて|了《しま》つた。タールは、
『もし、|先生様《せんせいさま》、|平等愛《びやうどうあい》と|差別愛《さべつあい》とは|何処《どこ》で|違《ちが》ふのでせうか。|差別愛《さべつあい》から|平等愛《びやうどうあい》に|進《すす》むか、|平等愛《びやうどうあい》から|差別愛《さべつあい》に|分離《ぶんり》するのでせうか。|私《わたくし》は|差別的《さべつてき》|平等愛《びやうどうあい》、|平等的《べうどうてき》|差別愛《さべつあい》だと|聞《き》いて|居《を》りますが、どちらから|出発点《しゆつぱつてん》を|見出《みい》だせば|宜《よ》いのでせう』
『|差別愛《さべつあい》とは|偏狭《へんけふ》な|恋愛《れんあい》の|様《やう》なものだ。|平等愛《びやうどうあい》とは|普遍的《ふへんてき》の|愛《あい》だ。|所謂《いはゆる》|神的愛《しんてきあい》だ。|今一《いまひと》つ|駄句《だく》つて|見《み》よう』
と|治国別《はるくにわけ》は、
『|生来《せいらい》の|差別愛《さべつあい》より
|神的《しんてき》なる
|平等愛《びやうどうあい》に|進《すす》む|径路《けいろ》は
|実《じつ》に
|惨憺《さんたん》たる|血涙《けつるゐ》の
|道《みち》を|行《ゆ》かねばならぬ
これが
|不断煩悩得涅槃《ふだんぼんなうとくねはん》の
|有難《ありがた》い|消息《せうそく》が|秘《ひ》められてあるのだ。
|序《ついで》に、も|一首《いつしゆ》|信仰《しんかう》と|法悦《ほふえつ》の|信楽《しんらく》に|就《つ》いて|駄句《だく》つて|見《み》よう。
|信仰《しんかう》によつて
|不信《ふしん》なる|吾人《ごじん》の|頑壁《ぐわんぺき》が
|身心《しんしん》|脱落《だつらく》し|崩壊《ほうくわい》し|去《さ》る|時《とき》は
|神《かみ》の|宝座《ほうざ》より
|吹《ふ》き|来《きた》る|霊風《れいふう》の|鞴《ふいご》に
|解脱新生《げだつしんせい》の|歓喜《くわんき》を|為《な》し
|猛火《まうくわ》も|焼《や》く|能《あた》はず
|波浪《はらう》も|没《ぼつ》する|能《あた》はず|底《てい》の
|金剛不壊《こんがうふゑ》の|法身《ほつしん》
おのづから
|吾《われ》に|本具《ほんぐ》|現成《ごんじやう》するを
|自覚《じかく》し|得《う》るに|至《いた》る
その|時《とき》こそは
|百千《ひやくせん》の|夏日《かじつ》|昇《のぼ》りて
|一時《いちじ》に|灼鑠《しやくやく》たるも
ただ|是《これ》
|自性法界《じしやうほふかい》を|荘厳《さうごん》するの|七宝《しつぱう》
|清浄妙心《しやうじやうめうしん》を|照映《せうえい》するの
|摩尼宝珠《まにほつしゆ》なるべきのみだ。
○
|吾人《ごじん》が|法悦《ほふえつ》の|信楽《しんらく》は
|現代《げんだい》の|冷《つめ》たい|哲学《てつがく》の|鋸《のこぎり》や
|慧《さか》しい|科学《くわがく》の|斧《をの》に|由《よ》つて
|忽《たちま》ち|幻滅《げんめつ》の|悲運《ひうん》に
|会《あ》ふやうな
ソンナ|空想的《くうさうてき》のものでは|無《な》い
|主《す》の|神《かみ》の|持《ぢ》し|給《たま》へる
|愛《あい》の|善《ぜん》と|信《しん》の|真《しん》とによつて
|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》の|上《うへ》に
|立脚《りつきやく》したる|大磐石心《だいばんじやくしん》だ』
『|只今《ただいま》のお|歌《うた》によつて、|私《わたくし》も|大変《たいへん》に|法悦《ほふえつ》の|信楽《しんらく》を|味《あぢ》はひました。|漸《やうや》く|今日《けふ》の|日輪様《にちりんさま》もお|上《あが》りになつたと|見《み》え、|坂照山《さかてるやま》の|頂《いただき》は|大変《たいへん》に|明《あか》るく|輝《かがや》いて|来《き》ました。|一《ひと》つ|歌《うた》でも|詠《よ》んで|見《み》ませう』
とタールは|歌《うた》ふ。
『|燃《も》えさかる|希望《きばう》に|充《み》ちし|心《こころ》もて
|昇《のぼ》る|旭《あさひ》を|拝《をろが》みにけり。
|遠山《とほやま》の|峰《みね》は|真白《ましろ》し|今《いま》はしも
|昇《のぼ》らむとして|雲《くも》|映《は》え|居《を》れり。
より|強《つよ》く|生《い》きむと|思《おも》ふ|吾《わが》|前《まへ》に
|昇《のぼ》る|旭《あさひ》の|大《おほ》いなるかな』
|竜公《たつこう》『|山《やま》|荒《あ》れて|風《かぜ》の|捲《ま》きくる|郊外《かうぐわい》は
あたりも|見《み》えず|雪《ゆき》に|暮《く》れけり』
『アハヽヽヽ、オイ|竜公《たつこう》、|寝愡《ねとぼ》けちやいかぬよ、「|雪《ゆき》に|暮《く》れけり」とは|何《なん》だ。なぜ「|雪《ゆき》に|明《あ》けけり」と|云《い》はぬのだ』
『これは|昨晩《ゆうべ》の|貯蔵品《ちよざうひん》だ。あんまり|永《なが》く|貯蔵《ちよざう》しておくと|寝息物《ねいきもの》になるから、|先《ま》づ|古《ふる》い|粗製品《そせいひん》から|売《う》つて、それから|又《また》|新《あたら》しい|奴《やつ》を|売《う》り|出《だ》すのだ。あたら|名句《めいく》を|腹《はら》の|中《なか》で|腐《くさ》らして|了《しま》つちや|経済《けいざい》がもてぬからな。さあ|之《これ》からが|新規《しんき》|蒔直《まきなほ》しだ。
|山《やま》|明《あ》けて|風《かぜ》そよそよと|吹《ふ》く|野路《のぢ》は
あたりも|清《きよ》く|胸《むね》も|静《しづ》けき。
と|宣《の》り|直《なほ》すのだ。エヘン』
『|何《なん》と|立派《りつぱ》な|歌《うた》だなア』
『まだまだ|之《これ》から、とつときを|放《ほ》り|出《だ》すのだ、エヘン。
|厳《おごそ》かに|旭《あさひ》を|浴《あ》びて|坂照山《さかてるやま》の
|高嶺《たかね》は|雲《くも》の|上《うへ》に|聳《そび》ゆる。
とは|如何《どう》だ』
タール『|厳《おごそ》かに|生《い》きむとするか|気高《けだか》くも
|錦《にしき》の|山《やま》は|空《そら》に|聳《そび》ゆる』
『いや、|何《いづ》れも|秀逸《しういつ》だ。こんな|立派《りつぱ》な|詩人《しじん》と|同道《どうだう》して|居《ゐ》ると|治国別《はるくにわけ》も|殆《ほとん》ど|顔色《がんしよく》なしだ。さあボツボツと|行《ゆ》かうぢやないか』
|斯《か》く|云《い》ひつつ|三人《さんにん》は|朝露《あさつゆ》を|踏《ふ》んで|枯草《かれくさ》|茂《しげ》る|野路《のぢ》を|進《すす》み|行《ゆ》く。|前方《ぜんぱう》よりはランチ|将軍《しやうぐん》|数十人《すうじふにん》の|騎馬隊《きばたい》を|引《ひ》き|率《つ》れ、|此方《こなた》に|向《むか》つて|走《はし》り|来《きた》る|其《その》|勢《いきほ》ひ、|山岳《さんがく》も|蹴飛《けと》ばすばかりに|思《おも》はれた。|先頭《せんとう》に|立《た》つたのは|最前《さいぜん》|治国別《はるくにわけ》に|救《すく》はれて|逃《に》げたアークである。
アークは|馬《うま》を|飛《と》び|下《お》り、|治国別《はるくにわけ》の|前《まへ》に|進《すす》み|寄《よ》り、|叮嚀《ていねい》に|会釈《ゑしやく》しながら、
『|先刻《せんこく》はえらい|御厄介《ごやくかい》に|預《あづ》かりまして|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます。|就《つ》きましては、|直様《すぐさま》|本陣《ほんぢん》に|立帰《たちかへ》り、|将軍様《しやうぐんさま》に|貴方《あなた》の|事《こと》を|申上《まをしあ》げた|処《ところ》、|将軍様《しやうぐんさま》も|大変《たいへん》にお|喜《よろこ》び|遊《あそ》ばしお|迎《むか》へに|出《で》なくちやなるまいと|仰有《おつしや》いまして、|今《いま》|此処《ここ》に|御出陣《ごしゆつぢん》なさいました。さあ|私《わたくし》の|馬《うま》に|乗《の》つて|本陣《ほんぢん》|迄《まで》お|越《こ》し|下《くだ》さいます|様《やう》に』
『やあ、それは|御苦労《ごくらう》だつた。そしてランチ|将軍《しやうぐん》|殿《どの》は|此処《ここ》に|居《ゐ》られるのかな』
『ハイ、あの|金色燦爛《きんしよくさんらん》たる|軍帽《ぐんばう》を|冠《かぶ》つて|居《ゐ》られますのが|将軍様《しやうぐんさま》で|厶《ござ》います』
『いや|何《なん》と|立派《りつぱ》な|服装《ふくさう》だな。|然《しか》らば|一《ひと》つ|御挨拶《ごあいさつ》を|致《いた》さねばなるまい』
|斯《か》く|云《い》ふ|折《をり》しも、ランチ|将軍《しやうぐん》は|馬《うま》をヒラリと|飛《と》び|下《お》り、|治国別《はるくにわけ》の|前《まへ》に|揉《も》み|手《て》をし|乍《なが》ら|現《あら》はれ|来《きた》り、
『|拙者《せつしや》は|大黒主《おほくろぬし》の|神司《かむつかさ》に|仕《つか》へ|奉《まつ》るランチ|将軍《しやうぐん》と|申《まを》す|者《もの》、|此《この》|度《たび》|主君《しゆくん》の|命《めい》によつてイソの|館《やかた》へ|攻《せ》め|寄《よ》せる|途中《とちう》、|吾《わが》|先鋒隊《せんぽうたい》|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》は|貴方《あなた》|等《がた》の|言霊《ことたま》とやらに|散々《さんざん》に|打《う》ち|捲《まく》られ、|脆《もろ》くも|敗走《はいそう》|致《いた》した|様子《やうす》、|神力無双《しんりきむさう》の|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》に|対《たい》し|到底《たうてい》|吾々《われわれ》|如《ごと》き|非力無徳《ひりきむとく》の|者《もの》にては|敵対《てきた》ひまつる|事《こと》|相叶《あひかな》はぬ|次第《しだい》なれば、|浮木《うきき》の|森《もり》へ|陣営《ぢんえい》をはり|幕僚《ばくれう》と|協議《けふぎ》の|結果《けつくわ》、|全軍《ぜんぐん》を|率《ひき》ゐて|貴方《あなた》の|膝下《しつか》に|帰順《きじゆん》するより|外《ほか》なしと|衆議《しうぎ》|一決《いつけつ》した|以上《いじやう》は、もはや|貴方《あなた》|等《がた》に|対《たい》して|敵対《てきたい》|行為《かうゐ》は|毛頭《まうとう》とりませぬ。|何卒《なにとぞ》|吾《わが》|陣営《ぢんえい》へおいで|下《くだ》さつて|尊《たふと》きお|話《はなし》を|聞《き》かして|下《くだ》されば、|実《じつ》に|望外《ばうぐわい》の|幸福《しあはせ》で|厶《ござ》ります』
と|真《まこと》しやかに|述《の》べ|立《た》つる。|治国別《はるくにわけ》は|一々《いちいち》ランチの|言葉《ことば》を|信《しん》ずるにはあらねども、|此《この》|時《とき》こそは|彼《かれ》を|正道《せいだう》に|導《みちび》く|好機会《かうきくわい》なりと|心《こころ》に|定《さだ》め、|何《なに》|喰《く》はぬ|顔《かほ》にて、
『|然《しか》らば|仰《あふ》せに|従《したが》ひ、|貴軍《きぐん》の|陣中《ぢんちう》へ|参《まゐ》りませう』
ランチ|将軍《しやうぐん》は|自分《じぶん》の|乗《の》り|来《き》し|名馬《めいば》に|治国別《はるくにわけ》を|乗《の》せ、|自分《じぶん》は|控《ひか》へ|馬《うま》に|跨《またが》り、|意気《いき》|揚々《やうやう》と|陣営《ぢんえい》さして|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|門《もん》の|前《まへ》に|立止《たちど》まり、ランチ|将軍《しやうぐん》は|治国別《はるくにわけ》を|見返《みかへ》り、
『|見《み》る|蔭《かげ》もなき|俄造《にはかづく》りの|陣営《ぢんえい》、|遠来《ゑんらい》の|客《きやく》を|遇《あ》するには|不都合《ふつがふ》|千万《せんばん》なれど、|何卒《なにとぞ》ゆるゆる|御休息《ごきうそく》を|願《ねが》ひ|上《あ》げまする』
と|慇懃《いんぎん》に|挨拶《あいさつ》をする。|治国別《はるくにわけ》は、
『ハイ、|有難《ありがた》う』
と|僅《わづ》かに|答礼《たふれい》しながら|奥《おく》へ|奥《おく》へと|進《すす》み|入《い》る。
|数多《あまた》の|軍卒《ぐんそつ》|共《ども》は|退屈《たいくつ》|紛《まぎ》れに|土俵《どへう》を|築《きづ》き|素人相撲《しろうとずまふ》をとつてゐる。|竜公《たつこう》、タールの|両人《りやうにん》は|其《その》|相撲《すもう》に|見惚《みと》れて|治国別《はるくにわけ》の|奥《おく》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》つたのを|気《き》がつかず、|負投《おひな》げ、|腰投《こしな》げ、|突出《つきだ》し、|河津《かはづ》|等《など》の|四十八手《しじふはつて》の|使《つか》ひ|方《かた》を|批評《ひひやう》しながら、
『アハヽヽヽ』
と|笑《わら》ひ、|遂《つひ》には|手《て》を|拍《う》つて|囃《はや》し|出《だ》した。|此《この》|中《うち》で|一番《いちばん》の|力自慢《ちからじまん》のエキスは|四股踏《しこふ》み|鳴《な》らし、|土俵《どへう》の|真中《まんなか》に|仁王立《にわうだ》ちとなり、
『さア|誰《たれ》なつと|来《こ》い、|消《け》しかかりだ』
といきりきつて|居《ゐ》る。|来《く》る|奴《やつ》|来《く》る|奴《やつ》|片《かた》つ|端《ぱし》から|投《な》げつける、|其《その》|手際《てぎは》のよさ。|竜公《たつこう》はエキスの|態度《たいど》と|弱武者《よわむしや》の|腑甲斐《ふがひ》なさに|憤慨《ふんがい》し、|何時《いつ》の|間《ま》にか|両《りやう》の|手《て》が|腰《こし》へまはり、|帯《おび》をスルスルと|解《と》いて|了《しま》ひ、|真裸《まつぱだか》となつて|土俵《どへう》の|真中《まんなか》へ|飛《と》び|出《だ》した。さうしてドンドンと|四股《しこ》を|踏《ふ》み|鳴《な》らしてゐる。エキスは|之《これ》を|見《み》て|癪《しやく》に|触《さは》つたと|見《み》え、
『おい、|貴公《きこう》は|竜公《たつこう》ぢやないか。|此《この》|間《あひだ》から|何処《どこ》へ|逃《に》げて|居《を》つたのだ。そんな|弱虫《よわむし》の|出《で》る|所《ところ》ぢやない。|俺達《おれたち》と|相撲《すまふ》をとるなんぞと|云《い》ふ|野心《やしん》を|起《おこ》すものぢやないぞ。|野見《のみ》の|宿弥《すくね》の|再来《さいらい》とも|云《い》ふべき|此《この》エキスさまに|相手《あひて》にならうと|思《おも》ふのか。エー、|措《お》け|措《お》け、|恥《はぢ》をかく|様《やう》なものだから』
『ヘン、|馬鹿《ばか》にすない。|俺《おれ》でも|若《わか》い|時《とき》や|幕《まく》の|内《うち》まで|入《はい》つたものだ。|襦子《しゆす》の|締込《しめこ》み、バレンツの|相撲束《すまふたば》ねの|櫓鬢《やぐらぴん》、|大黒主《おほくろぬし》の|前《まへ》でも|大胡床《おほあぐら》をかき、|立《た》つて|水《みづ》のみ、|手鼻汁《てばな》をかむ、|十《じふ》と|六俵《ろくぺう》の|土俵《どへう》に|出《で》たら、|獅子奮迅《ししふんじん》、|土《つち》つかずの|竜公《たつこう》さまだ。いつも|土俵《どへう》の|上《うへ》で|横《よこ》になつた|事《こと》はない、いつも|立《た》ちつづけだから|竜公《たつこう》さまだ。|又《また》の|名《な》を|勝公《かつこう》さまだ。さあ|一《ひと》つ|揉《も》んでやらう』
『エー、|生命《いのち》|知《し》らず|奴《め》、|土《つち》の|中《なか》へ|植《う》ゑてやらう。|吠《ほ》え|面《づら》かわくな』
『そりや|俺《おれ》の|云《い》ふ|事《こと》だ。|末期《まつご》の|水《みづ》でも|飲《の》んでしつかりせい』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|四本柱《しほんばしら》に|括《くく》りつけた|塩《しほ》をポツポツと|左右《さいう》に|打振《うちふ》り、|水《みづ》をも|飲《の》まずに|四股《しこ》を|踏《ふ》み|出《だ》した。エキスも|負《ま》けぬ|気《き》になり|塩《しほ》を|一掴《ひとつか》みグツと|握《にぎ》つて|竜公《たつこう》にぶちかけ、|水《みづ》をも|飲《の》まずドンドンと|地響《ぢひび》きさせながらペタペタと|四《よ》つに|組《く》んで|了《しま》つた。|半時《はんとき》ばかり|竜虎《りうこ》の|争《あらそ》ひ、いつ|勝負《しようぶ》の|果《は》つべしとも|見《み》えない。タールは|一生懸命《いつしやうけんめい》になり、|軍扇《ぐんせん》を|握《にぎ》り|土俵《どへう》に|行司《ぎやうじ》|気取《きど》りに|飛《と》び|出《だ》し、
『はつけよい はつけよい のこつた のこつた、|後《あと》がないぞ、はつけよいや』
と|土俵《どへう》の|周囲《ぐるり》を|右左《みぎひだり》に|廻《まは》つてゐる。|大勢《おほぜい》は|固唾《かたづ》を|呑《の》んで|此《この》|勝負《しようぶ》|如何《いか》にと|見《み》つめて|居《ゐ》る。|流石《さすが》のエキスも|力《ちから》|尽《つ》きハツと|吐《は》く|息《いき》の|気合《きあひ》を|窺《うかが》ひ、ポンと|右《みぎ》の|手《て》をぬいて|褌《まはし》の|三辻《みつ》を|竜公《たつこう》がたたくとコロコロコロと|土俵《どへう》の|中《うち》を|三《み》つ|四《よ》つ|廻《まは》つて|西《にし》の|溜《たまり》へドスンと|雪崩《ゆきなだれ》が|落《お》ちた|様《やう》に|転《ころ》げ|込《こ》んで|了《しま》つた。エキスは|大《おほい》に|面目《めんぼく》を|失《しつ》し、|真裸《まつぱだか》の|儘《まま》スタスタと|陣中《ぢんちう》|奥《おく》|深《ふか》く|姿《すがた》を|隠《かく》した。ワーイワーイと|称讃《しようさん》の|声《こゑ》、|拍手《はくしゆ》の|音《おと》、|四辺《あたり》も|揺《ゆる》ぐばかりであつた。
(大正一二・一・八 旧一一・一一・二二 北村隆光録)
第四章 |乱痴将軍《らんちしやうぐん》〔一二三七〕
|馬《うま》は|君《きみ》の|危急《ききふ》を|知《し》らず、|鷹《たか》は|悪人《あくにん》の|頭上《づじやう》を|飛《と》ぶとかや、ランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》は、イソ|館《やかた》の|攻撃戦《こうげきせん》の|容易《ようい》ならざるに|頭《あたま》を|悩《なや》まし、|反間苦肉《はんかんくにく》の|策《さく》を|弄《ろう》して|漸《やうや》く|治国別《はるくにわけ》を|陣中《ぢんちう》に|迎《むか》へ|入《い》れ、|如何《いか》にもして|此《この》|強敵《きやうてき》を|亡《ほろ》ぼさむかと|煩悶《はんもん》|苦悩《くなう》の|最中《さいちう》にも|拘《かか》はらず、|部下《ぶか》の|木端武者《こつぱむしや》|共《ども》は、お|祭《まつ》り|気分《きぶん》になつて|気楽《きらく》|相《さう》に|相撲《すまふ》をとり、さざめき|合《あ》うて|居《ゐ》る。
|陣屋《ぢんや》の|奥《おく》の|間《ま》にはランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》を|始《はじ》め|治国別《はるくにわけ》の|三人《さんにん》、|和気靄々《わきあいあい》として|酒《さけ》|酌《く》み|交《かは》し、|和睦《わぼく》の|宴《えん》に|耽《ふけ》つてゐる。そこへ|慌《あわただ》しくやつて|来《き》たのは|力強《ちからづよ》の|相撲《すもう》|好《ず》きのエキスであつた。
『エー、|将軍様《しやうぐんさま》に|申《まを》し|上《あ》げます。|只今《ただいま》|竜公《たつこう》が|三五教《あななひけう》へ|寝返《ねがへ》りを|打《う》ち、|其《その》スパイとなつて、|吾《わが》|陣中《ぢんちう》へ|舞《ま》ひ|込《こ》んで|参《まゐ》りました。|彼奴《あいつ》は|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り|中々《なかなか》の|力強《ちからづよ》で|厶《ござ》りますれば、|到底《たうてい》|一通《ひととほ》りではとつ|捉《つか》まへる|訳《わけ》には|参《まゐ》りますまいから、|何卒《どうぞ》|貴方《あなた》の|御秘蔵《ごひざう》の|曲輪《まがわ》を|暫《しばら》くお|貸《か》し|下《くだ》さいますまいか。|其《その》|曲輪《まがわ》によつて|彼《かれ》をフン|縛《じば》り、|一伍一什《いちぶしじふ》を|白状《はくじやう》させねば、|駄目《だめ》ですからな』
ランチ『|何《なに》、|竜公《たつこう》が……|三五教《あななひけう》のスパイになつたとな。アハヽヽヽ、|決《けつ》して|案《あん》ずるには|及《およ》ばぬ。|現《げん》に|三五教《あななひけう》の|御大将《おんたいしやう》、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》は|此《この》|通《とほ》り|吾々《われわれ》と|和睦《わぼく》を|遊《あそ》ばし、|主客《しゆきやく》|打《う》ち|解《と》けて|酒宴《しゆえん》の|最中《さいちう》だ。それよりも|竜公《たつこう》を|大切《たいせつ》に|致《いた》して、|酒《さけ》でもふれまつたら|宜《よ》からう』
『ヤー、|之《これ》は|失礼《しつれい》|致《いた》しました。そこに|厶《ござ》るのは、|噂《うはさ》に|高《たか》き|治国別《はるくにわけ》|様《さま》で|厶《ござ》りましたか。これはこれは|存《ぞん》ぜぬ|事《こと》とて|御無礼《ごぶれい》を|申《まを》しました』
『アー、|竜公《たつこう》さまは|如何《どう》してゐられますかな』
『ハイ、|大変《たいへん》な|元気《げんき》で|相撲《すもう》をとつてゐられます。|実《じつ》の|処《ところ》は、|私《わたし》も|今一勝負《いまひとしようぶ》して|来《き》たところです』
『|貴方《あなた》も|随分《ずゐぶん》|立派《りつぱ》な|体格《たいかく》だが|強《つよ》いでせうな。|竜公《たつこう》さまとの|勝負《しようぶ》は、|如何《どう》なりましたか』
『ハイ、い……いや……もう、とんと……|何《なん》で|厶《ござ》ります』
『ハヽア、|何《いづ》れ|劣《おと》らぬ|竜虎《りうこ》の|争《あらそ》ひ、|要《えう》するに|行司《ぎやうじ》の|預《あづか》りと|云《い》ふ|処《ところ》ですかな。まアまア|分《わ》けをとつておけば|互《たがひ》に|恨《うら》みが|残《のこ》らいで|結構《けつこう》ですよ。アハヽヽヽ』
『ヘー、その、……エー、……|何《なん》で|厶《ござ》ります。つひ、|馬《うま》に|蹴《け》られまして、マーケタと|云《い》ふのですな』
『【うま】く|云《い》ひますね。|二番《にばん》|勝負《しようぶ》でしたか、|一番《いちばん》|勝負《しようぶ》でしたか』
『ハイ、|一番《いちばん》と|云《い》へば|一番《いちばん》、|二番《にばん》と|云《い》へば|二番《にばん》ですな。|真中《まんなか》で|水《みづ》を|入《い》れたものですから、|先《さき》の|一番《いちばん》は|拙者《せつしや》が|負《ま》けました。|後《あと》の|一番《いちばん》は|先方《むかふ》が|勝《か》ちましたよ』
ランチ|外《ほか》|二人《ふたり》は、
『アハヽヽヽ』
と|大口《おほぐち》を|開《あ》けて|笑《わら》ふ。
ランチ『おい、エキス、まア|一杯《いつぱい》やつたら|如何《どう》だ』
『(|都々逸《どどいつ》)|相撲《すまふ》にや|負《ま》けても|怪我《けが》さへなけりや
ランチ|将軍《しやうぐん》が|酒《さけ》|飲《の》ます
アハヽヽヽいや|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります。|此《この》|頃《ごろ》は|何《なん》と|云《い》つても|政府《せいふ》が|物価《ぶつか》|調節《てうせつ》、|下落《げらく》の|方針《はうしん》を|採《と》つてゐるのですから、【まけ】さへすればいいのです。|負《ま》けて|勝取《かちと》ると|云《い》ふ|事《こと》がありますからな。|吾々《われわれ》|共《ども》から|範《はん》を|示《しめ》さなくちや、|如何《どう》しても|不良《ふりやう》|商人《せうにん》が|暴利《ばうり》を|貪《むさぼ》つて|仕方《しかた》がありませぬからな』
|片彦《かたひこ》『アハヽヽヽ、|負惜《まけをし》みの……|何処《どこ》までも|強《つよ》い|男《をとこ》だな』
『|将軍《しやうぐん》さま、|貴方《あなた》だつて|負《ま》けるのは|上手《じやうづ》でせう。|治国別《はるくにわけ》さまの|言霊戦《ことたません》に|向《むか》つた|時《とき》は|何《ど》うでしたな。エヘヽヽヽ』
『|和睦《わぼく》の|済《す》んだ|上《うへ》は|河鹿峠《かじかたうげ》の|事《こと》は|云《い》はない|様《やう》にして|呉《く》れ。|勝敗《しようはい》は|時《とき》の|運《うん》だからな』
かかる|所《ところ》へ|竜公《たつこう》とタールは|軍扇《ぐんせん》を|持《も》つたまま|恐《おそ》る|恐《おそ》る|進《すす》み|来《きた》り、
|竜公《たつこう》『|一寸《ちよつと》|将軍様《しやうぐんさま》に|伺《うかが》ひますが、|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》はお|見《み》えになつて|居《を》りますか』
と|戸《と》の|外《そと》から|尋《たづ》ねて|居《ゐ》る。
|片彦《かたひこ》『さう|云《い》ふ|声《こゑ》は|竜公《たつこう》ぢやないか。|何処《どこ》をうろついてゐたのだ。まア|這入《はい》れ』
『はい、|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》ります』
と|云《い》ひながら|戸《と》をガラリと|開《あ》けて、タールと|共《とも》につかつかと|進《すす》み|入《い》り、
|竜公《たつこう》『まだ|新年《しんねん》に|早《はや》う|厶《ござ》りますが、|皆《みな》さま、まけましてお|目出度《めでた》う|厶《ござ》ります』
|片彦《かたひこ》『|馬鹿《ばか》!』
『いえいえ、エー……|誤解《ごかい》して|貰《もら》つちや|困《こま》ります。|実《じつ》は|只今《ただいま》|馬場《ばんば》に|於《おい》て|此処《ここ》に|居《ゐ》ます|此《この》エキスの|関取《せきとり》と|格闘《かくとう》をやりました|処《ところ》、|脆《もろ》くもエキスが|負《ま》けましたので、エキス|君《くん》に|対《たい》して|御挨拶《ごあいさつ》を|申《まを》し|上《あ》げたので|厶《ござ》ります』
ランチ『アハヽヽヽ、|片彦《かたひこ》さま、|何事《なにごと》も、もう|此《この》|上《うへ》は|水《みづ》に|流《なが》すのだな』
『|仕方《しかた》がありませぬ。|常《つね》ならば|許《ゆる》し|難《がた》き|代物《しろもの》ですが、|今日《けふ》は|和睦《わぼく》の|祝《いはひ》に|忘《わす》れてやりませう。おい|竜公《たつこう》、|貴様《きさま》は|余程《よほど》|幸福者《しあはせもの》だ』
『|本当《ほんたう》にお|察《さつ》しの|通《とほ》り|私《わたし》は|幸福者《しあはせもの》ですよ。|到頭《たうとう》|三五教《あななひけう》の|言霊《ことたま》を|覚《おぼ》えちまつたものですから、|最早《もはや》|今日《けふ》となつてはバラモン|教《けう》の|百人《ひやくにん》や|千人《せんにん》|位《くらゐ》は、とつて|放《ほ》る|位《くらゐ》は|何《なん》でもありませぬからな。エツヘヽヽヽ』
ランチ『|竜公《たつこう》、|久《ひさ》し|振《ぶ》りだ。|一杯《いつぱい》やらうかい』
『ハイ、|有難《ありがた》う。|例《れい》の○○|酒《さけ》ぢやありませぬかな』
『|決《けつ》して|鴆毒《ちんどく》は|這入《はい》つて|居《ゐ》ないよ。これ|此《この》|通《とほ》り|俺《おれ》が|飲《の》んでゐるのだから』
『|成程《なるほど》、それなら|恐《おそ》れながら、|将軍様《しやうぐんさま》のお|飲《あが》りになつたのを|頂《いただ》きませう。|余程《よほど》|剣呑《けんのん》ですからな』
『|心《こころ》の|鬼《おに》が|身《み》を|責《せ》めるのだ。|其《その》|方《はう》は|余程《よほど》|悪《わる》いことを|企《たく》んでると|見《み》えるな。|心《こころ》に|悪《あく》あれば|人《ひと》を|恐《おそ》るるとか、|又《また》|心《こころ》に|企《たく》みあれば|人《ひと》を|疑《うたが》ふと|云《い》ふ|事《こと》があるぢやないか。|何《なに》か|貴様《きさま》は|野心《やしん》を|包蔵《はうざう》してゐるのだらう』
『|野心《やしん》は|貴方《あなた》の|方《はう》にあるのでせう。かうして|治国別《はるくにわけ》を|此処《ここ》へ|導《みちび》いて|来《き》たのは、うまく|酒《さけ》に|酔《よ》はし、|隙《すき》を|狙《ねら》つて○○しようと|云《い》ふ|考《かんが》へだと|云《い》ふ|事《こと》はチヤーンと|此《この》|天眼通《てんがんつう》で|調《しら》べてあるのですよ。|此《この》|竜公《たつこう》だつて、|最早《もはや》|今日《けふ》となつては|神《かみ》の|神力《しんりき》と|智慧《ちゑ》に|充《み》たされ、|今迄《いままで》のヒヨツトコ|野郎《やらう》とは|聊《いささ》か|訳《わけ》が|違《ちが》ふのですから、|斯様《かやう》な|大胆《だいたん》な|事《こと》を|云《い》つてゐられるのですよ。|一《ひと》つ|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》して|御覧《ごらん》に|入《い》れませうかな。エヘヽヽヽ』
『しようもない|事《こと》を|覚《おぼ》えて|来《き》たものだな』
|片彦《かたひこ》『|何程《なにほど》、|威張《ゐば》つた|所《ところ》で|駄目《だめ》だらうよ。そりや|大方《おほかた》|治国別《はるくにわけ》|様《さま》の|事《こと》を|云《い》つてゐるのだらう。|虎《とら》の|威《ゐ》をかる|狐《きつね》とは|貴様《きさま》の|事《こと》だらうよ。オホヽヽヽ』
と|心中《しんちう》にやや|恐《おそ》れながら|豪傑《がうけつ》|笑《わら》ひに|紛《まぎ》らしてゐる。
|治国《はるくに》『いや|大変《たいへん》に|頂戴《ちやうだい》を|致《いた》し|酩酊《めいてい》しました。エー|何処《どつ》かで|休息《きうそく》さして|貰《もら》ひたいものですな』
ランチ『アー、|大変《たいへん》にお|疲《くたぶ》れでせう。では|奥《おく》の|間《ま》にユルリと|御休息《ごきうそく》なさいませ。やア|竜公《たつこう》、|貴様《きさま》も|一緒《いつしよ》にお|供《とも》して|奥《おく》の|間《ま》で|休《やす》んだら|如何《どう》だ』
『ハイ、|有難《ありがた》う、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》にグツスリと|寝《やす》んで|頂《いただ》きまして、|此《この》|竜公《たつこう》は|万一《まんいち》に|備《そな》ふるため、|不寝番《ねずばん》を|致《いた》しませう』
『おい|竜公《たつこう》、まだ|疑《うたが》つてゐるのかな』
『|平生《ふだん》のやり|方《かた》が、やり|方《かた》ですから、|何程《なんぼ》|和睦《わぼく》をなさつたと|云《い》つても、|何《ど》うして|油断《ゆだん》が|出来《でき》ませうか。おい、タール、|貴様《きさま》も|俺《おれ》について|来《こ》い』
|片彦《かたひこ》『いや、タールには|至急《しきふ》|甲付《まをしつ》け|度《た》い|事《こと》があるから、|竜公《たつこう》|一人《ひとり》|奥《おく》の|間《ま》へ|宿直《とのゐ》を|致《いた》したがよからう。さア|治国別《はるくにわけ》さま、|案内《あんない》を|致《いた》しませう』
と|先《さき》に|立《た》つて|立派《りつぱ》な|一段《いちだん》|高《たか》い|俄造《にはかづく》りの|奥座敷《おくざしき》に|案内《あんない》した。
|此《この》|居間《ゐま》は|燕返《つばめがへ》しになつて|居《ゐ》て、|一《ひと》つ|針金《はりがね》を|引張《ひつぱ》ると|真暗《まつくら》な|深《ふか》い|穴《あな》に|落《お》ち|込《こ》む|様《やう》になつてゐる。さうして|此処《ここ》は|水牢《みづらう》になつてゐる。|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》の|両人《りやうにん》は|此《この》|間《ま》へ|足《あし》を|踏《ふ》み|込《こ》むや|否《いな》や、|忽《たちま》ち|座敷《ざしき》はクレリと|燕返《つばめがへ》しの|芸当《げいたう》を|演《えん》じ、|真暗《まつくら》な|谷底《たにそこ》へ|落《お》ち|込《こ》んで|了《しま》つた。|水《みづ》は|一尺《いつしやく》ばかりより|溜《たま》つてゐないが、|両人《りやうにん》は|岩窟《がんくつ》にいささか|頭《あたま》を|打《う》ち、|憐《あは》れや|忽《たちま》ち|気絶《きぜつ》して|了《しま》つた。ランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》、エキスは|此《この》|場《ば》に|走《はし》り|来《きた》り、|手《て》を|拍《う》つて|愉快気《ゆくわいげ》に|笑《わら》ひ|散《ち》らした。
|片彦《かたひこ》『ヤア、ランチ|殿《どの》、|河鹿峠《かじかたうげ》の|大物《おほもの》を|斯《か》くの|如《ごと》く|計略《けいりやく》にかけて|岩窟内《がんくつない》へ|落《おと》した|以上《いじやう》は、|最早《もはや》|天下《てんか》に|恐《おそ》るべきものはありますまい。サア|之《これ》から|一杯《いつぱい》やりませう』
と|又《また》もとの|座《ざ》へ|引返《ひつかへ》し|一生懸命《いつしやうけんめい》に|大乱痴気《だいらんちき》|騒《さわ》ぎを|始《はじ》め|出《だ》した。
ランチ『どうも|陣中《ぢんちう》の|事《こと》と|云《い》ひ、|男《をとこ》ばかりが|酒《さけ》を|飲《の》んで|居《を》つてもはづまぬぢやないか。|片彦《かたひこ》|殿《どの》、|部下《ぶか》の|奴《やつ》|共《ども》に|少《すこ》し|渋皮《しぶかは》の|剥《む》けた|女《をんな》を|探《さが》さして|此処《ここ》へ|貢《みつ》がしたら|如何《どう》でせう。もはや|治国別《はるくにわけ》を|殺《ころ》した|以上《いじやう》は|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》へ|対《たい》しても|云《い》ひ|訳《わけ》の|立《た》つと|云《い》ふもの、|余《あま》り|急《いそ》ぐにも|及《およ》びますまい。まづ|此処《ここ》で|一年《いちねん》ばかり|野営《やえい》をして|英気《えいき》を|養《やしな》ひ、|河鹿峠《かじかたうげ》を|乗《の》り|越《こ》えてイソ|館《やかた》へ|乗《の》り|込《こ》む|事《こと》に|致《いた》しませう。|何《ど》うせ|三五教《あななひけう》は|此処《ここ》を|通《とほ》らなくちや、ハルナの|都《みやこ》へ|行《ゆ》く|事《こと》は|出来《でき》ませぬから、|一年間《いちねんかん》も|女《をんな》なくてはやりきれないでせう』
『|成程《なるほど》、|然《しか》らばエキス、|其《その》|方《はう》|御苦労《ごくらう》ながら|二三人《にさんにん》の|部下《ぶか》を|引率《ひきつ》れ|怪《あや》しの|森《もり》に|陣取《ぢんど》り、|一《いつ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|通過《つうくわ》を|取調《とりしら》べ、|一《いつ》は|美人《びじん》の|通過《つうくわ》するあらば|有無《うむ》を|云《い》はせず、ひつ|捕《と》らへて|陣中《ぢんちう》へ|連《つ》れ|来《く》る|様《やう》|取計《とりはか》らへよ』
『ハイ、|委細《いさい》|承知《しようち》|仕《つかまつ》りました』
と|此処《ここ》にエキスはコー、ワク、エム|外《ほか》|二人《ふたり》を|率《ひき》ゐ、|怪《あや》しの|森《もり》に|守衛《しゆゑい》を|命《めい》じおき、|自分《じぶん》は|陣中《ぢんちう》を|彼方《あちら》|此方《こちら》と|看守《みまも》りする|事《こと》となつた。
|後《あと》にランチ、|片彦《かたひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》はクビリクビリと|酒《さけ》を|傾《かたむ》けながら|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つてゐる。
ランチ『アー、|都合《つがふ》よくいつたものだな。|鬼春別《おにはるわけ》|将軍《しやうぐん》、|久米彦《くめひこ》|将軍《しやうぐん》が|今日《けふ》の|吉報《きつぱう》を|聞《き》いたら|嘸《さぞ》|喜《よろこ》ばれるだらう。|然《しか》し|吾々《われわれ》は|居《ゐ》ながらにして|功名《こうみやう》を|樹《た》てたのだから|実《じつ》に|幸福《しあはせ》だ。|之《これ》と|云《い》ふのも、|全《まつた》く|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》の|御神力《ごしんりき》だ』
『|成程《なるほど》、|全《まつた》く|大自在天《だいじざいてん》の|御神力《ごしんりき》に|間違《まちが》ひはありますまい。|之《これ》についてアーク、タールの|両人《りやうにん》も|之《これ》から|抜擢《ばつてき》してやらねばなりますまい。|一《ひと》つ|将軍《しやうぐん》から|直接《ちよくせつ》にお|盃《さかづき》を|与《あた》へておやりなされば、|将来《しやうらい》のため|奨励《しやうれい》となつて|宜《い》いでせう』
『|成程《なるほど》、|貴将軍《あなた》の|云《い》はるる|通《とほ》りアーク、タールの|両人《りやうにん》を|此処《ここ》へ|呼《よ》び|出《だ》しませう』
ランチは|手《て》を|拍《う》つて|従卒《じゆうそつ》を|招《まね》いた。|従卒《じゆうそつ》ビルは|恐《おそ》る|恐《おそ》る|進《すす》み|出《い》で、
『お|呼《よ》びになりましたのは|私《わたし》で|厶《ござ》りますか』
『ウン、|只今《ただいま》アーク、タールの|両人《りやうにん》を|之《これ》へ|呼《よ》び|出《だ》して|来《こ》い、|否《いな》|引《ひ》き|連《つ》れて|参《まゐ》れ』
『ハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました』
と|此《この》|場《ば》を|立出《たちい》で、|肩肱《かたひぢ》|怒《いか》らし|屋外《をくぐわい》に|出《い》でて|行《ゆ》く。
アーク、タールの|両人《りやうにん》は|真裸体《まつぱだか》となつて|治国別《はるくにわけ》の|遭難《さうなん》を|知《し》らず|土俵《どへう》で|四股《しこ》を|踏《ふ》んで|居《ゐ》る。そこへビルは|鼻高々《はなたかだか》と|勅使《ちよくし》|気取《きど》りになつて|現《あら》はれ|来《きた》り、
『アイヤ、そこに|居《ゐ》るアーク、タールの|両人《りやうにん》、|申渡《まをしわた》す|仔細《しさい》がある。|某《それがし》についてランチ|将軍《しやうぐん》の|御前《おんまへ》まで|罷《まか》りつん|出《で》よ』
と|下知《げち》した。アーク、タールの|両人《りやうにん》はビルの|怪《あや》しきスタイルに|吹《ふ》き|出《だ》し、
アーク『アハヽヽヽ|将軍《しやうぐん》の|従卒《じゆうそつ》だと|思《おも》つていやに|鯱子張《しやちこば》つて|居《ゐ》やがるな。|何《なん》だ、|鉛《なまり》の|福助人形《ふくすけにんぎやう》|見《み》た|様《やう》なスタイルしやがつて「|罷《まか》りつん|出《で》よ」もあつたものかい。|貴様《きさま》のスタイルこそ|古物屋《こぶつや》の|店前《みせさき》へ|日《ひ》の|丸《まる》の|扇《あふぎ》を|持《も》つて|坐《すわ》つてゐる|大文字屋福助《だいもんじやふくすけ》ソツクリだ、アハヽヽヽ|笑《わら》はしやがるわい』
『こりやこりや|両人《りやうにん》、ビルの|言葉《ことば》でないぞよ。|勿体《もつたい》なくもランチ|将軍様《しやうぐんさま》の|御仰《おんあふ》せだ。ビルの|言葉《ことば》は|即《すなは》ちランチ|将軍《しやうぐん》の|御言葉《おことば》だ。さあさあキリキリお|立《た》ち|召《め》され』
『エー、|仕方《しかた》がないなア。|自分《じぶん》より|五六段《ごろくだん》も|低《ひく》い|奴《やつ》に|威張《ゐば》り|散《ち》らされて、|堪《たま》つたものぢやない。|之《これ》だから|宮仕《みやづか》へは|嫌《いや》といふのだ。|本当《ほんたう》に|木《き》の|角杭《かくくひ》の|様《やう》な|代物《しろもの》に|威張《ゐば》り|散《ち》らされて|何処《どこ》に|男《をとこ》が|立《た》つものか。なあアーク』
『ウン、さうともさうとも、|然《しか》しながら|主命《しゆめい》はもだし|難《がた》しだ。さア|行《ゆ》かう』
|此処《ここ》に|二人《ふたり》はビルに|導《みちび》かれ、ランチ|将軍《しやうぐん》の|居間《ゐま》に|進《すす》んだ。|然《しか》しながら|此《この》|両人《りやうにん》は|已《すで》に|已《すで》に|心機一転《しんきいつてん》して、|内心《ないしん》|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》となつて|居《ゐ》た。|二人《ふたり》の|心《こころ》が|斯《か》くも|変《かは》つて|居《ゐ》るとは|神《かみ》ならぬ|身《み》の|知《し》る|由《よし》もなく、ランチ、|片彦《かたひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》は|二人《ふたり》を|此上《こよ》なきものと|愛《め》で|慈《いつく》しみ、|一切万事《いつさいばんじ》の|相談《さうだん》をなすべく|幹部《かんぶ》に|抜擢《ばつてき》して|了《しま》つたのである。
(大正一二・一・八 旧一一・一一・二二 北村隆光録)
第五章 |逆襲《ぎやくしう》〔一二三八〕
『|見渡《みわた》す|限《かぎ》りの|枯野原《かれのはら》
|万木《ばんぼく》の|梢《こずゑ》は|羽衣《はごろも》を|脱《ぬ》ぎ
|肌《はだへ》をたち|切《き》るばかりの
|寒風《かんぷう》に|戦慄《せんりつ》してゐる。
|独《ひと》り|松柏《しようはく》のみは|蒼々《さうさう》たり
ヒヨやツムギや|百舌鳥《もづ》|雀《すずめ》などが
|悲《かな》しげな|声調《せいてう》を|搾《しぼ》つて
|浮世《うきよ》の|無情《むじやう》を|訴《うつた》へてゐる。
|吾《わが》|目《め》に|収容《しうよう》さるるものは
|生気《せいき》の|褪《あ》せた
|細氷《さいひよう》の|波《なみ》を|敷《し》きつめた
|銀冷《ぎんれい》の|世界《せかい》のみだ。
|万有一切《ばんいういつさい》はあらゆる|活動《くわつどう》を|休止《きうし》し
|所謂《いはゆる》
|冬籠《ふゆごも》りの|最中《さいちう》である
かかる|冷酷《れいこく》|無残《むざん》の|光景《くわうけい》を|眺《なが》めて
|貧《まづ》しき|人《ひと》は|何《いづ》れも|寒気《かんき》と|飢餓《きが》に|泣《な》く
|反対的《はんたいてき》に|富《と》めるものは
|雪見《ゆきみ》の|宴《えん》を|張《は》り
|嬋妍《せんけん》たる|美姫《びき》を|招《まね》き
|青楼《せいろう》に|酒盃《しゆはい》をかたむけ
|体主霊従的《たいしゆれいじうてき》|歓楽《くわんらく》に|耽《ふけ》る
|社会《しやくわい》は|真《しん》に|様々《さまざま》なものだ
|冬日《とうじつ》|積雪《せきせつ》のために
|労働《らうどう》の|機《き》を|得《え》ず
|生命《いのち》の|糧《かて》を|求《もと》めて|泣《な》くもあれば
|冷《つめ》たき|雪《ゆき》の|景色《けしき》をながめて
|酒類《さけるゐ》にひたり
|一宵千金《いつせうせんきん》を|浪費濫用《らうひらんよう》して
|猶《なほ》も|惜《を》しまぬものあり
|顧《かへり》みれば|凡《すべ》て|社会《しやくわい》の|諸行《しよぎやう》は|無常《むじやう》なり
|因果応報《いんぐわおうはう》の|神理《しんり》に|暗《くら》き
|現代人《げんだいじん》は|科学的《くわがくてき》|知識《ちしき》のみを|漁《あさ》りて
|永遠《ゑいゑん》の|天国《てんごく》を|知《し》らず
|又《また》|根底《ねそこ》の|国《くに》の|何《なん》たるを|解《かい》せず
|酔生夢死《すゐせいむし》|無意義《むいぎ》なる
|生涯《しやうがい》を|送《おく》るあり
|世間《せけん》の|無情《むじやう》|冷酷《れいこく》を|歎《なげ》きて
|厳寒《げんかん》の|空《そら》に|戦《おのの》き|慄《ふる》ひつつ
|面白《おもしろ》からぬ|冬日《とうじつ》を|送《おく》るもあり
|人生《じんせい》の|暗黒面《あんこくめん》は
|椿《つばき》の|花《はな》の|梢《こずゑ》を|去《さ》る|如《ごと》く
ぽたりぽたりと|地上《ちじやう》に|降《ふ》る
|悲喜《ひき》|交々《こもごも》の|社会《しやくわい》のおとづれ
|人《ひと》の|身《み》の|四辺《しへん》を|包《つつ》む|怪《あや》しさ。
○
アヽされどされど
|愛善《あいぜん》の|火《ひ》と|信真《しんしん》の|光《ひか》りに
|自《みづか》ら|眼《まなこ》|醒《さ》めたる|吾人《ごじん》は
|光栄《くわうえい》なり|幸《さいは》ひなり
|天地《てんち》の|主《しゆ》なる|神《かみ》の
|玉《たま》の|如《ごと》き|神格《しんかく》の|内流《ないりう》を
|全身《ぜんしん》に|漲《みなぎ》らしつつ
|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》にひたりてより
|世人《よびと》の|怖《おそ》るる|針《はり》|刺《さ》す|如《ごと》き|厳冬《げんとう》も
|万物《ばんぶつ》|声《こゑ》を|潜《ひそ》むる|冷《つめ》たき
|死《し》んだやうな|夜半《よは》の|空気《くうき》も
|吾人《ごじん》には|暖《あたた》かき|春陽《しゆんやう》の|思《おも》ひあり
アヽ|主《す》の|神《かみ》よ|主《す》の|神《かみ》よ
わが|身魂《みたま》を|機関《きくわん》の|一部分《いちぶぶん》として
いや|永久《とこしへ》に|使《つか》はせ|給《たま》へ
|無限絶対《むげんぜつたい》|無始無終《むしむしう》の|神格者《しんかくしや》
|愛善《あいぜん》の|肉《にく》と
|神真《しんしん》の|血《ち》を|以《もつ》て
|吾等《われら》の|上《うへ》に|太陽《たいやう》の|如《ごと》く|月《つき》の|如《ごと》く
|降《くだ》らせたまへ
|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸《ち》はへませ』
と|歌《うた》つて|郊外《かうぐわい》の|散歩《さんぽ》をして|居《ゐ》るのはアークであつた。|一人《ひとり》はタールのバラモン|信者《しんじや》である。
『オイ|大将《たいしやう》、|俄《にはか》に|悟《さと》つたらしいことを|云《い》ふぢやないか。|俺《おれ》は|悪党《あくたう》だからアークと|名《な》をつけたのだ、それだからどこ|迄《まで》も|徹底的《てつていてき》に|悪《あく》をやると|主張《しゆちやう》して|居《ゐ》たが、たうとう|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》とぶつつかつて|俄《にはか》に|屁古垂《へこた》れたぢやないか』
『|俺《おれ》があの|宣伝使《せんでんし》と|出会《であ》つたお|蔭《かげ》で、|今日《こんにち》の|地位《ちゐ》になつたのぢやないか、エーン、|能《よ》く|考《かんが》へて|見《み》よ、ランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|帷幕《ゐばく》に|参《さん》じ、|重要《ぢうえう》|会議《くわいぎ》に|参列《さんれつ》する|身分《みぶん》となつたのは、|矢張《やつぱ》り|治国別《はるくにわけ》さまのお|蔭《かげ》ぢや、|併《しか》し|治国別《はるくにわけ》さまはどうなつたのだらうかなア。よもやあの|人格者《じんかくしや》がオメオメとランチ|将軍《しやうぐん》の|陥穽《かんせい》に|陥《おちい》る|筈《はず》はあるまいしなア………|何《なん》だか|俺《おれ》は|気《き》がかりでならないのだ。|何処迄《どこまで》も|俺達《おれたち》は|表面《へうめん》ランチ|将軍《しやうぐん》に|服従《ふくじゆう》し、|治国別《はるくにわけ》さまの|身辺《しんぺん》を|気《き》を|付《つ》けなければならない|義務《ぎむ》があるのだ。それにつけてもビルの|奴《やつ》、|癪《しやく》に|触《さは》るぢやないか、ランチの|従卒《じゆうそつ》ぢやと|思《おも》うて、|無茶苦茶《むちやくちや》に|威張《ゐば》り|散《ち》らすのだからなア』
『|威張《ゐば》りたい|奴《やつ》は|威張《ゐば》らして|置《お》くさ。|朝《あさ》から|晩《ばん》|迄《まで》|馬《うま》のお|世話《せわ》ばかりさされて|居《ゐ》るのだから、|一寸《ちよつと》は|威張《ゐば》らしてやつたて|好《い》いぢやないか。|誰《たれ》だつて|何《なに》かの|特権《とくけん》がなければ|勤《つと》まらぬからなア、|彼奴《あいつ》だつてさう|馬鹿《ばか》にしたものぢやないよ。|俺《おれ》だつて|貴様《きさま》だつて|二三日前《にさんにちぜん》|迄《まで》は|随分《ずゐぶん》|惨《みじ》めなものだつたからな。|併《しか》し|人間《にんげん》は|一旦《いつたん》ドン|底《ぞこ》に|落《お》ちて|来《こ》ねば|駄目《だめ》だ。「|人生《じんせい》の|破調《はてう》は|神《かみ》を|輸入《ゆにふ》す」とか、どこやらの|哲学者《てつがくしや》が|吐《ほざ》いたぢやないか。|一旦《いつたん》|失脚《しつきやく》せなくては、|真《しん》の|神《かみ》に|接《せつ》し|神《かみ》の|神力《しんりき》を|受《う》ける|事《こと》は|出来《でき》ないものだ』
『さうだなア。|何《なん》でもエマーソンとか|云《い》ふ|哲人《てつじん》の|言葉《ことば》だと|聞《き》いてゐるが、|随分《ずゐぶん》【エラーソン】に|云《い》つたものぢやなア。アハヽヽヽ』
『|古今東西《ここんとうざい》の|偉人《ゐじん》|傑士《けつし》と|云《い》ふ|奴《やつ》は、|大抵《たいてい》|孤児《こじ》か|貧児《ひんじ》か、もしくは|私生児《しせいじ》|或《あるひ》は|極《きは》めて|惨《みじ》めな|不仕合《ふしあは》せ|者《もの》であつた|事《こと》を|考《かんが》へて|見《み》ると、|人間《にんげん》と|云《い》ふものは、|何《ど》うしても|悲境《ひきやう》の|淵《ふち》に|沈《しづ》んで、|社会《しやくわい》の|辛酸《しんさん》を|嘗《な》めて|来《こ》なくては|到底《たうてい》|駄目《だめ》だよ。|人間《にんげん》の|父母《ふぼ》の|恩愛《おんあい》は、|動《やや》もすれば|舐犢《しとく》の|愛《あい》に|流《なが》れ|易《やす》きものだ。|貴族《きぞく》の|伜《せがれ》が|鞭撻《べんたつ》ない|手《て》に|育《そだ》てられ、|人《ひと》となつた|所謂《いはゆる》|寵児《ちようじ》は、|往々《わうわう》にして|放蕩遊惰《はうたういうだ》の|鈍物《どんぶつ》となるの|事実《じじつ》は、|世間《せけん》には|随分《ずゐぶん》|沢山《たくさん》あるものだからなア。|世《よ》の|諺《ことわざ》にも、|親《おや》はなくても|子《こ》は|育《そだ》つと|云《い》ふぢやないか。|人間《にんげん》は|何《ど》うしても|神様《かみさま》の|保護《ほご》を|受《う》けなくては、|一力《いちりき》で|存在《そんざい》する|事《こと》は|出来《でき》はしない、|誠《まこと》の|神《かみ》の|愛《あい》に|触《ふ》れなくちや|駄目《だめ》だ。|俺《おれ》は|神様《かみさま》の|愛《あい》の|呼吸《こきふ》と|云《い》ふ|歌《うた》を|作《つく》つて|見《み》たのだが、|一《ひと》つ|謹《つつし》んで|拝聴《はいちやう》する|気《き》はないか』
『どうせ、|貴様《きさま》の|事《こと》だから|碌《ろく》な|歌《うた》は|詠《よ》めはしよまい。|併《しか》し|後生《ごしやう》のためだから、|一《ひと》つ|辛抱《しんばう》して|聞《き》いてやらう』
タールは、エヘンと|咳払《せきばらひ》しながら、
『|吾輩《わがはい》の|詩歌《しいか》は|左《さ》の|通《とほ》りだ。
|天父《てんぷ》の|聖心《せいしん》にある
|大愛《だいあい》の|鼓動《こどう》は
|直《ただち》に|美《うつく》しく
|而《しか》も|厳粛《げんしゆく》なる
|自然《しぜん》の|情調《じやうてう》として
|促々《そくそく》として|吾《わが》|身《み》に|迫《せま》り
|動《やや》もすれば|私慾野念《しよくやねん》のために
|昂進《かうしん》し|攪乱《かくらん》する
|吾《わが》|心身《しんしん》の|脈搏《みやくはく》を|鎮静《ちんせい》し
かくて|従容《しようよう》として
|捨身無為《しやしんむゐ》の
|本然的《ほんぜんてき》|活動《くわつどう》に|入《い》らねば|止《や》まない。
|如何《いか》に|安息《あんそく》を|求《もと》めて
|涼《すず》しき|山奥《やまおく》や
|静《しづか》な|海浜《かいひん》に|遊《あそ》ぶも
|若《も》し|夫《そ》れ
|心霊《しんれい》の|内分《ないぶん》に
|神《かみ》と|倶《とも》に|働《はたら》き
|天界《てんかい》を|蔵《ざう》して
|天地《てんち》と|呼吸《こきふ》を|斉《ととの》ふべき
|霊覚《れいかく》を|欠《か》かむか
|安息《あんそく》も|立命《りつめい》も
|只《ただ》|一場《いちぢやう》の|好夢《かうむ》にも|比《ひ》すべき
|憐《あは》れなる|欺幻《ぎげん》に
|過《す》ぎないであらう』
『|成程《なるほど》ちぎる|秋茄子《あきなすび》、|根《ね》つから|面黒《おもくろ》くないわい。|併《しか》しながら、|治国別《はるくにわけ》さまに|感化《かんくわ》されて|俄詩人《にはかしじん》となつたぢやないか。もう|是《これ》だけ|詩文《しぶん》が|綴《つづ》れるやうになりやタールも|文壇《ぶんだん》の|花《はな》として、|持《も》て|囃《はや》されるかも|知《し》れないよ。アハヽヽヽ』
『|併《しか》し|俺《おれ》は|何《ど》うしたものか、バラモン|軍《ぐん》に|籍《せき》を|置《お》くのが、きつう|嫌《きら》ひとなつたのだが、それだと|云《い》つて|外《ほか》にする|事《こと》もなし、|仕方《しかた》が|無《な》いから|先《ま》づ|暫《しばら》くは|腰掛《こしかけ》だと|思《おも》うて、ランチ|将軍《しやうぐん》や|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》のお|髯《ひげ》の|塵《ちり》を|心《こころ》ならずも|払《はら》ふ|事《こと》としようかなア。これが|処世法《しよせいほふ》の|最《もつと》も|優秀《いうしう》なる|道《みち》だらうよ』
『さうだ、|治国別《はるくにわけ》さまが|陣中《ぢんちう》にお|出《いで》になつたのだから、|何《なん》と|云《い》うても|此処《ここ》は|辛抱《しんばう》せなくてはなるまい。ランチ、|片彦《かたひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》も|何《いづ》れは|帰順《きじゆん》するだらうからなア。さうすれば|吾々《われわれ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》となつて|天国《てんごく》を|地上《ちじやう》に|移写《いしや》する|事《こと》になるのだ。これが|人間《にんげん》として|最《もつと》も|勝《すぐ》れたる|行《おこな》ひだ。|否《いな》|人間《にんげん》として|最《もつと》も|嬉《うれ》しき|事業《じげふ》だ』
『|時《とき》に|何《なん》だか|向《むか》ふの|方《はう》から、|甚《ひど》い|勢《いきほひ》で|鳴物入《なりものいり》でアーク|神《がみ》がやつて|来《く》るではないか。ヨウヨウ|棺《くわん》が|来《く》るぞ、|而《しか》も|二挺《にちやう》だ』
『|如何《いか》にも|章魚《たこ》にも|足八本《あしはちほん》だ。ヨウあいつはエキスぢやないか。|又《また》|獲物《えもの》を|旨《うま》くチヨロまかして|持《も》ち|込《こ》んだのだらう。|彼奴《あいつ》は|又《また》、ランチ|将軍《しやうぐん》の|御覚《おんおぼ》え|目出度《めでた》うなつて|威張《ゐば》り|出《だ》しちや、|大変《たいへん》だぞ』
エキスは|意気《いき》|揚々《やうやう》として、|蠑〓別《いもりわけ》、お|民《たみ》を|駕籠《かご》に|乗《の》せ、|四五人《しごにん》の|番卒《ばんそつ》と|共《とも》に|此方《こちら》に|向《むか》つて|帰《かへ》つて|来《く》るのであつた。エキスはアーク、タールの|両人《りやうにん》を|見《み》るより、さも|得意気《とくいげ》に、
『ヤア|其《その》|方《はう》はアーク、タールの|御両所《ごりやうしよ》、お|出迎《でむか》へ|大儀《たいぎ》で|厶《ござ》る』
アーク、タールの|両人《りやうにん》はエキスに「お|出迎《でむか》へ|大儀《たいぎ》」と|云《い》はれ、|殆《ほとん》ど|目下《めした》|扱《あつか》ひをせられたやうな|気分《きぶん》になつて|業《ごふ》が|沸《わ》いて|耐《たま》らないけれど、|態《わざ》と|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をして|何気《なにげ》なう、
アーク『やあエキス|殿《どの》、|御苦労《ごくらう》で|厶《ござ》つた。|嘸《さぞ》ランチ|将軍《しやうぐん》が、お|喜《よろこ》び|遊《あそ》ばす|事《こと》だらう。さうして|其《その》|駕籠《かご》の|中《なか》の|客人《きやくじん》は|一体《いつたい》|何人《なにびと》で|厶《ござ》るかなア』
エキスはさも|横柄《わうへい》に、|鬼《おに》の|首《くび》を|竹篦《たけべら》で|切《き》り|取《と》つたやうな|誇《ほこ》り|顔《がほ》で、
『|大切《たいせつ》なるお|客人《きやくじん》、|某《それがし》の|弁茶羅《べんちやら》、アヽ|否《いな》、|器量《きりやう》によつてお|迎《むか》へ|申《まを》して|来《き》たのだ。|御本人《ごほんにん》の|誰人《たれびと》なるかは、ランチ、|片彦《かたひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》にお|目《め》にかける|迄《まで》|発表《はつぺう》する|事《こと》は|出来《でき》ない。さア|御両所《ごりやうしよ》、|先《さき》に|立《た》つて|御案内《ごあんない》めされ』
タール『|随分《ずゐぶん》|威張《ゐば》つたものだなア。エヽ|仕方《しかた》がない』
『エキスに|随《つ》いて|奥《おく》へ|進《すす》む|事《こと》にしようぢやないか。|大分《だいぶん》に|最前《さいぜん》から|郊外《かうぐわい》|散歩《さんぽ》をやつたからなア』
エキスは|道々《みちみち》|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『バラモン|教《けう》の|大教主《だいけうしゆ》 |大黒主《おほくろぬし》の|部下《ぶか》となり
|産土山《うぶすなやま》の|高原《かうげん》に |館《やかた》を|建《た》てて|世《よ》の|中《なか》を
|掻《か》き|乱《みだ》し|行《ゆ》く|曲津神《まがつかみ》 |神素盞嗚《かむすさのをの》の|牙城《がじやう》をば
|屠《はふ》らむために|進《すす》み|往《ゆ》く ランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》の
|其《その》|陣中《ぢんちう》に|名《な》も|高《たか》き ヒーロー|豪傑《がうけつ》このエキス
|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|妙法《めうはふ》を |縦横無尽《じうわうむじん》に|発揮《はつき》して
|神素盞嗚《かむすさのを》の|尊《みこと》さへ |攻《せ》めあぐみたるウラナイの
|教《をしへ》の|司《つかさ》とあれませる |蠑〓別《いもりわけ》の|教主《けうしゆ》をば
|吾《わが》|言霊《ことたま》に|靡《なび》かせつ |軍用金《ぐんようきん》を|献納《けんなふ》させ
|将軍様《しやうぐんさま》の|片腕《かたうで》に |勧《すす》めむためとやうやうに
お|供《とも》をなして|帰《かへ》りけり |蠑〓別《いもりわけ》の|勇将《ゆうしやう》が
もはや|吾《わが》|手《て》に|入《い》るからは |神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|妖術《えうじゆつ》を
|使《つか》うて|世人《よびと》を|苦《くる》しむる |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|仮令《たとへ》|幾万《いくまん》ありとても |如何《いか》でか|恐《おそ》るる|事《こと》やある
これも|全《まつた》くバラモンの |尊《たふと》き|神《かみ》の|引《ひ》き|合《あは》せ
ランチ、|片彦《かたひこ》|両将《りやうしやう》も |嘸《さぞ》や|満足《まんぞく》なさるだらう
|此《この》|陣中《ぢんちう》に|俺《おれ》のよな |功名《こうみやう》|手柄《てがら》を|現《あら》はした
|勇士《ゆうし》が|又《また》とあるものか アーク、タールの|両人《りやうにん》よ
これから|俺《おれ》は|将軍《しやうぐん》の |帷幕《ゐばく》に|参《さん》じ|汝等《なんぢら》を
それ|相当《さうたう》の|職掌《しよくしやう》に |使《つか》うてやらう|楽《たの》しんで
|御沙汰《おさた》をまつがよからうぞ お|前《まへ》も|何時《いつ》|迄《まで》|番卒《ばんそつ》の
|小頭《こがしら》みたよな|役《やく》をして |居《を》つた|所《ところ》で|詰《つま》らない
|世《よ》の|諺《ことわざ》に|云《い》ふ|通《とほ》り |立《た》ち|寄《よ》るならば|大木《たいぼく》の
|密葉《みつえう》の|影《かげ》ぞ|親方《おやかた》と |箸《はし》は|太《ふと》いがよいと|云《い》ふ
|社会《しやくわい》の|真理《しんり》を|悟《さと》るなら |今日《けふ》から|俺《おれ》の|御家来《ごけらい》と
なつて|神妙《しんめう》に|仕《つか》へよや |今《いま》から|注意《ちうい》を|与《あた》へ|置《お》く
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 バラモン|教《けう》の|大御神《おほみかみ》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
アークは|蠑〓別《いもりわけ》の|乗《の》つて|居《ゐ》る|棒端《ぼうばな》をグツと|握《にぎ》り、
『オイ、|此《この》|駕籠《かご》、|一寸《ちよつと》|待《ま》つた』
エキス『|待《ま》つたとは|何《ど》うぢや、|一時《いちじ》も|早《はや》く|将軍《しやうぐん》のお|目《め》にかけねばならぬ|大切《たいせつ》なお|客様《きやくさま》だ、|邪魔《じやま》ひろぐと|容赦《ようしや》は|致《いた》さぬぞ』
アークは、
『こりやエキス、|其《その》|方《はう》は|今《いま》|何《なん》と|申《まを》した。|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》は|両将軍《りやうしやうぐん》の|片腕《かたうで》となつて|帷幕《ゐばく》に|参列《さんれつ》する|重役《ぢゆうやく》だ。|貴様《きさま》の|不在中《ふざいちゆう》に|任命式《にんめいしき》が|行《おこな》はれたのだから、|知《し》らぬのも|無理《むり》はないが、|余《あま》りの|暴言《ばうげん》ぢやないか。|此《この》|方《はう》に|対《たい》し「|出迎《でむか》へ|大儀《たいぎ》」などと|部下《ぶか》|扱《あつか》ひをなすとは|以《もつ》ての|外《ほか》の|汝《なんぢ》の|振舞《ふるま》ひ、|吾々《われわれ》は|上役《うはやく》の|職権《しよくけん》をもつて|其《その》|方《はう》を|放逐《はうちく》|致《いた》さうか』
『ソヽそんな|事《こと》ア|俺《おれ》は|知《し》らなかつたのだ。|間違《まちが》つて|居《を》れば|許《ゆる》して|貰《もら》はなくては|仕方《しかた》がない。|併《しか》し|最《もつと》も|大切《たいせつ》なる|客人《きやくじん》をお|連《つ》れ|申《まを》して|来《き》たのだから、さう|頭《あたま》ごなしに|呶鳴《どな》りつけられちや、このエキスも|引合《ひきあ》はぬぢやありませぬか』
『|知《し》らなければ|仕方《しかた》がない、|差許《さしゆる》す、|併《しか》しながら、|今《いま》|約束《やくそく》をして|置《お》くが、エキス、|其《その》|方《はう》は、|将軍様《しやうぐんさま》のお|見出《みだ》しに|預《あづ》かつて、|吾々《われわれ》と|同役《どうやく》になつても|決《けつ》して|威張《ゐば》つてはならないぞ。なあエキス、こりやエキスの|野郎《やらう》、よいかエキス』
タール『やい、エキス、|今《いま》アーク|重役《ぢゆうやく》さまの|言葉《ことば》を|能《よ》く|腹《はら》に|入《い》れたか。やいエキス、エー|聞《き》いただらうなあエキス、|何《ど》うだいエキス、|返答《へんたふ》は』
『さう|沢山《たくさん》さうにエキスエキスと|云《い》つて|貰《もら》つちや、お|客《きやく》さまに|対《たい》し|外聞《ぐわいぶん》が|悪《わる》いぢやありませぬか。|一口《ひとくち》|仰有《おつしや》つたら|分《わか》つて|居《ゐ》るぢやありませぬか』
アーク『|今《いま》は|俺《おれ》が|上役《うはやく》だから、|今《いま》の|中《うち》に|沢山《たくさん》さうに|呼《よ》びつけにして|置《お》かぬと、|重役《ぢゆうやく》になつたら、もう|呼《よ》ぶ|事《こと》が|出来《でき》ないからなア。エキス、さうだらうエキス、きつと|羽張《はば》つてはいけないぞ。こりやエキス』
『アハヽヽヽ、|何《なに》か|旨《うま》い|液《しる》|吸《す》うて|来《き》たと|見《み》えるな。それでエキスエキスとアークさまが|云《い》ふのだらう』
『|旨《うま》い|液《しる》を|吸《す》うて|来《き》よつたのだ。|盗人《ぬすびと》の|上前《うはまへ》をはねて|二千両《にせんりやう》、|蠑〓別《いもりわけ》から|五千両《ごせんりやう》、|都合《つがふ》|七千両《しちせんりやう》のエキス(【液吸う】)たから、これ|位《くらゐ》|云《い》うてもよいのぢや』
エキスは、
『ウフヽヽヽヽ』
と|私《ひそ》かに|笑《わら》ふ。
(大正一二・一・八 旧一一・一一・二二 加藤明子録)
第六章 |美人草《びじんさう》〔一二三九〕
|翩翻《へんぽん》として|降《ふ》り|頻《しき》る|柔《やはら》かき|雪《ゆき》を|被《かぶ》つてコー、ワク、エムの|三人《さんにん》は|怪《あや》しの|森影《もりかげ》にチヨロチヨロと|火《ひ》を|焚《た》き、|車座《くるまざ》になつて|無聊《むれう》を|慰《なぐさ》むべく|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》る。
コー『|浮木《うきき》の|森《もり》で|将軍《しやうぐん》が|半永久的《はんえいきうてき》の|陣営《ぢんえい》を|立《た》てて|居《ゐ》る|以上《いじやう》は、|茲《ここ》|一年《いちねん》やそこらは、どうせイソ|館《やかた》に|向《むか》つて|進軍《しんぐん》する|気遣《きづか》ひもあるまい。|陣中《ぢんちう》に|女《をんな》がなくちや|淋《さび》しくて|仕方《しかた》がないと|云《い》つて、|浮木《うきき》の|里《さと》の|女狩《をんなが》りを|将軍《しやうぐん》の|命令《めいれい》でやつて|見《み》たところ、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》もお|化《ば》けのやうな|代物《しろもの》ばかりで、|二目《ふため》と|見《み》られぬドテカボチヤばかりだ。そこで|将軍様《しやうぐんさま》がエキスの|大目付《おほめつけ》に|内命《ないめい》を|下《くだ》し、|立派《りつぱ》な|女《をんな》が|見《み》つかつたら、|献上《けんじやう》せい。さうしたら|重要《ぢゆうえう》の|地位《ちゐ》に|使《つか》つてやらうと、|仰有《おつしや》つたさうぢやが、|何《なん》とかして|一《ひと》つ|美人《びじん》を【とつ】|捕《つかま》へたいものだなア』
ワク『だつてかう|物騒《ぶつそう》な|世《よ》の|中《なか》、|女《をんな》なんかは|土竜《もぐら》のやうに|皆《みな》|深山《しんざん》の|土窟《どくつ》に|隠《かく》れて|仕舞《しま》ひ、|容易《ようい》に|出《で》て|来《く》る|気遣《きづか》ひはないわ。それでも|此処《ここ》にかうして|待《ま》つて|居《を》れば、やつて|来《こ》ないものでもないなア』
コー『|蠑〓別《いもりわけ》の|追《お》つかけて|来《き》たお|民《たみ》とかいふ|女《をんな》は|中々《なかなか》のナイスだつたネー。|俺《おれ》も|男《をとこ》と|生《うま》れた|甲斐《かひ》には|是非《ぜひ》|一度《いちど》はアンナ|女《をんな》と|添《そ》うて|見《み》たいものだ。|女《をんな》の|癖《くせ》に|力《ちから》もあり|胆力《たんりよく》も|据《す》わつてゐるなり、|丸《まる》きり|天女《てんによ》の|降臨《かうりん》のやうだつたネー。|俺《おれ》はアノお|民《たみ》の|態度《たいど》には|全然《すつかり》|参《まゐ》つて|了《しま》つた。ハヽヽヽヽ』
ワク『|昔《むかし》から|男《をとこ》として|女《をんな》の|心《こころ》と|身体《からだ》の|美《うつく》しさを|賞《ほ》め|称《たた》へるに|就《つい》ては、どんな|偉大《ゐだい》な|美術家《びじゆつか》だつて|詩人《しじん》だつて|未《ま》だ|十分《じふぶん》に|成功《せいこう》したものは|無《な》い。|粘土《ねんど》を|捻《ひね》つて|人間《にんげん》を|拵《こしら》へたといふ|神様《かみさま》や|猿《さる》や|犬《いぬ》などには|夫《そ》れ|程《ほど》に|感《かん》じないだらうが、|少《すくな》くも|吾々《われわれ》の|目《め》に|映《うつ》る|女《をんな》の|魅力《みりよく》は|大《たい》したものだ。しなやかに|長《なが》い|髪《かみ》の|毛《け》、それを|色々《いろいろ》の|形《かたち》に|整理《せいり》して|面白《おもしろ》く|美《うつく》しく|飾《かざ》り|立《た》てた|頭《あたま》、|皮下《ひか》の|脂肪分《しばうぶん》のために|骨《ほね》ばらず|筋張《すぢば》らない|肉体《にくたい》、トルソだけでもいやモツト|小部分《せうぶぶん》だけでも、|吾々《われわれ》の|礼拝《らいはい》すべき|価値《かち》が|充分《じうぶん》にあるやうだ。アノ|髯《ひげ》の|生《は》えぬ|滑々《すべすべ》した|頬《ほほ》だけでも|結構《けつこう》だ。むつちりと|張《は》つた|乳房《ちぶさ》だけでもよい。|握《にぎ》れば|銀杏《ぎんなん》になり|開《ひら》けば|梅干《うめぼし》になる|指《ゆび》のつけ|根《ね》の|関節《くわんせつ》に、|可愛《かあい》らしい|靨《ゑくぼ》のやうなクボミの|這入《はい》る|手頸《てくび》だけでも|結構《けつこう》だ。|足《あし》だつて|柔《やはら》かくて|気持《きもち》ちがよい。そこへ|持《も》つて|来《き》て、|女《をんな》は|身《み》を|粧《よそほ》ふことに|時間《じかん》と|精魂《せいこん》とを|尽《つく》して|省《かへり》みない|美《うつく》しい|優《やさ》しい|本能《ほんのう》をもつてゐるから、|玉《たま》は|益々《ますます》その|光《ひかり》を|増《ま》すばかりだ。|声帯《せいたい》が|高調《かうてう》に|張《は》られてゐることも|男《をとこ》の|耳《みみ》には|嬉《うれ》しい|清《きよ》い|響《ひび》きを|伝達《でんたつ》する。|一体《いつたい》に|受動的《じゆどうてき》な|性情《せいじやう》から|挙措《きよそ》|物静《ものしづ》かに、しとやかに、|言葉《ことば》にも|稜《かど》が|無《な》く|控《ひか》へ|目《め》なのも|女《をんな》の|美点《びてん》だ。|女《をんな》といふものは|何処《どこ》に|一《ひと》つ|点《てん》の|打《う》ち|処《どころ》がないやうだ。|天地開闢《てんちかいびやく》|以来《いらい》、|如何《いか》なる|天才《てんさい》が|現《あら》はれても、|遂《つひ》に|賞《ほ》め|切《き》れず|称《たた》へ|尽《つく》されなかつた|女《をんな》の|心《こころ》と|身体《からだ》との|優美《いうび》を、|何程《なにほど》|俺《おれ》たちが|躍起《やくき》となつて|述《の》べた|所《ところ》で|詮《せん》なき|次第《しだい》だ。|只々《ただただ》|謹《つつし》み|敬《うやま》ひ、|永遠無窮《ゑいゑんむきう》の|平和《へいわ》の|守神《まもりがみ》と|崇《あが》め|奉《まつ》るより|外《ほか》はない。アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》だ。アハヽヽヽ』
エム『おいワク、お|前《まへ》は|女権拡張会《ぢよけんくわくちやうくわい》の|顧問《こもん》にでも|選《えら》まれて|居《ゐ》るのか。|大変《たいへん》に|女権《ぢよけん》|擁護《ようご》の|弁論《べんろん》をまくし|立《た》てやがるぢやないか。|俺《おれ》の|見《み》る|所《ところ》では|女《をんな》といふ|奴《やつ》は|不思議《ふしぎ》な|程《ほど》|見掛《みかけ》け|倒《だふ》しで|不器用《ぶきよう》な|始末《しまつ》の|悪《わる》いものはないやうだ。|一寸《ちよつと》|賞《ほ》めりや、のし|上《あが》る、|叱《しか》れば|泣《な》きよる、|殺《ころ》せば|化《ば》けて|出《で》るといふ|厄介《やくかい》|至極《しごく》な|代物《しろもの》ぢやないか。|何《なに》をさせても|到底《たうてい》|男《をとこ》には|叶《かな》はない。チツト|男子《だんし》の|擁護《ようご》をしても|余《あま》り|罰《ばち》は|当《あた》るまいぞ』
『ヘン、|男《をとこ》に|昔《むかし》から|碌《ろく》な|奴《やつ》があるかい。|松竹梅《まつたけうめ》の|三人姉妹《きやうだい》だつて|出雲姫《いづもひめ》だつて|祝姫《はふりひめ》だつて、|天教山《てんけうざん》の|木花姫《このはなひめ》だつて|偉大《ゐだい》な|仕事《しごと》を|為《な》し|遂《と》げた|女《をんな》は|沢山《たくさん》にあるぢやないか。|寡聞《くわぶん》ながらも|俺《おれ》はまだまだ|沢山《たくさん》に|女丈夫《ぢよぢやうぶ》の|出現《しゆつげん》した|事《こと》を|聞《き》き|及《およ》んで|居《ゐ》るのだ。|常世姫《とこよひめ》だつてウラナイ|教《けう》の|今《いま》|通《とほ》つたお|寅婆《とらば》アさまだつて、|俺達《おれたち》より|見《み》れば|偉《えら》いものぢやないか、エーン。|俺《おれ》よりも|俺《おれ》の|嬶《かか》の|方《はう》が|遥《はるか》に|器用《きよう》に|針《はり》を|運《はこ》ぶことを|承認《しようにん》して|居《ゐ》るのだ。|児《こ》だつて|男《をとこ》では|産《う》むことは|出来《でき》ないからな。|何《ど》うしても|女《をんな》は|社交界《しやかうかい》の|花《はな》だよ。それどころか|男《をとこ》の|為《な》すべきことの|様《やう》に|思《おも》はれて|来《き》た|仕事《しごと》にかけても、どしどしと|行《や》つて|退《の》けるのだ。|例《たと》へば|議会《ぎくわい》に|代議士《だいぎし》を|訪問《はうもん》して|何事《なにごと》かベラベラと|仰有《おつしや》ると、|大抵《たいてい》の|事件《じけん》は|無事《ぶじ》|通過《つうくわ》する|様《やう》になる|事《こと》を|思《おも》へば、|俺《おれ》なんかよりも|女房《にようばう》の|方《はう》が|遥《はるか》に|政治的《せいぢてき》の|頭脳《づなう》が|発達《はつたつ》して|居《ゐ》るものだと|真《しん》に|敬服《けいふく》して|居《ゐ》るのだ。そんな|次第《しだい》だから|女《をんな》は|一口《ひとくち》に|不器用《ぶきよう》だと|言《い》つて|葬《はうむ》つて|了《しま》ふ|訳《わけ》には|行《ゆ》かないよ』
『|実際《じつさい》|何《なん》でも|一寸《ちよつと》|器用《きよう》にやつてのける|点《てん》は|女《をんな》の|方《はう》が|偉《えら》いかも|知《し》れぬ。|併《しか》し|不思議《ふしぎ》なことには|開闢《かいびやく》|以来《いらい》|未《ま》だ|一人《ひとり》として|男《をとこ》が|逆鉾立《さかほこだち》をしても|叶《かな》はぬやうな|図抜《づぬ》けた|女《をんな》は|出《で》たことはないぢやないか。|音楽《おんがく》などでは|随分《ずゐぶん》|一流《いちりう》までは|行《ゆ》くものもある、|然《しか》しながら|一流《いちりう》の|一流《いちりう》といふ|点《てん》までは|決《けつ》して|頭《あたま》が|届《とど》いた|例《れい》がない。ジヤンダークだつて|大黒主《おほくろぬし》の|傍《そば》へ|持《も》つて|云《い》つたら|二流《にりう》か|三流《さんりう》だ。|紫式部《むらさきしきぶ》やサラベルナアルが|偉《えら》いと|言《い》つたつて、|一流《いちりう》の|一流《いちりう》といふ|程《ほど》のものではない。|方面《はうめん》を|変《か》へて|女《をんな》の|為《な》すべき|事《こと》のやうに|思《おも》はれて|来《き》た|仕事《しごと》でも|一流《いちりう》の|一流《いちりう》といふべき|位置《ゐち》は|残《のこ》らず|男子《だんし》に|占《し》められて|居《ゐ》るのだ。|料理《れうり》や|針仕事《はりしごと》でも|一流《いちりう》の|職人《しよくにん》は|矢張《やは》り|男子《だんし》だ。|少《すこ》し|考《かんが》へて|見《み》たら|女《をんな》は|不器用《ぶきよう》なものだと|言《い》はれても|仕方《しかた》が|無《な》からうよ。|又《また》|恋愛《れんあい》なんぞは|女《をんな》が|先《さき》に|立《た》つて、|頭《あたま》からのめり|込《こ》むやうに|深《ふか》く|這入《はい》つて|行《い》つたらと|思《おも》ふのだが、|俺《おれ》に|言《い》はしたら|是《これ》とて|一流《いちりう》の|一流《いちりう》たる|恋愛《れんあい》になると、|女《をんな》は|何時《いつ》でも|男子《だんし》に|手《て》を|引《ひ》かれて|一足《ひとあし》づつ|跡《あと》からついて|行《ゆ》く。|恋《こひ》の|炎《ほのほ》さへプロミセウスに|取《と》つて|来《き》て|貰《もら》ふとは、|女《をんな》は|実《じつ》にエタアナルのアイドルだと|云《い》はなければならぬぢやないか』
『サウ|女《をんな》を|軽蔑《けいべつ》するものでないよ。|女房《にようばう》に|死《し》なれた|男子《だんし》が|一流《いちりう》の|母《はは》たることは|出来《でき》やうが、|決《けつ》して|一流《いちりう》の|一流《いちりう》といはるべき|母《はは》たることは|出来《でき》ない。ここが|如何《いか》に|男子《だんし》が|逆鉾立《さかほこだち》になつて|気張《きば》つて|見《み》ても|叶《かな》はない|点《てん》だ。このことのみは|争《あらそ》ふべくもない|事実《じじつ》だよ』
『|元始《げんし》|女性《ぢよせい》が|太陽《たいやう》だらうと|雌猿《めすざる》だらうと|構《かま》はないが、|人間《にんげん》が|胎生動物《たいせいどうぶつ》であつて|女《をんな》が|子宮《しきう》といふ|立派《りつぱ》な|製人器《せいじんき》を|持《も》つて|居《ゐ》ることは|間違《まちが》ひない。いやなら|児《こ》は|産《う》まないでも|夫《そ》れは|御勝手《ごかつて》だが、する|仕事《しごと》は|不器用《ぶきよう》だし、|恋《こひ》をしても|浅薄《せんぱく》だとなると、|女《をんな》の|生《い》きてゐる|甲斐《かひ》は|何処《どこ》にも|無《な》いぢやないか。|所詮《しよせん》|女《をんな》は|男《をとこ》に|隷属《れいぞく》すべきものだからなア』
『|俺《おれ》は、|女《をんな》は|男《をとこ》に|隷属《れいぞく》したものだとは|考《かんが》へられないと|同時《どうじ》に、|独立《どくりつ》したものだとも|思《おも》はない。それは|丁度《ちやうど》|男《をとこ》が|女《をんな》に|隷属《れいぞく》したものでも|独立《どくりつ》したものでもないのと|同《おな》じことだ。|然《しか》し|俺《おれ》は|決《けつ》して|女《をんな》の|自由《じいう》を|男《をとこ》の|手《て》の|内《うち》に|握《にぎ》らうとは|言《い》はない。モツト|女《をんな》が|自由《じいう》であることを|祈《いの》るものだ』
『|女《をんな》の|自由《じいう》――ヘン|猪口才《ちよこざい》な、|女《をんな》の|癖《くせ》に|自由《じいう》を|叫《さけ》ぶのは|怪《け》しからぬぢやないか。|思想《しさう》、|感情《かんじやう》、|習俗《しふぞく》、|生活《せいくわつ》などを|自分《じぶん》のものにしようとする|謀叛《むほん》だ、|男《をとこ》のおせつかいから|引《ひ》き|離《はな》さうとするのだ。|一切《いつさい》の|権利《けんり》を|女《をんな》の|方《はう》へ|引《ひ》つたくらうとする|野望《やばう》なのだ。|女《をんな》らしくなるのを|嫌《きら》つてゐるのだ』
『|女《をんな》|自身《じしん》の|思想《しさう》、|感情《かんじやう》、|習俗《しふぞく》、|生活《せいくわつ》、さう|言《い》ふものを|確立《かくりつ》しようとする|現代《げんだい》|婦人《ふじん》の|気持《きもち》は、|女《をんな》が|時代《じだい》に|醒《さ》めたことを|現《あら》はして|居《ゐ》るのだから、|現代《げんだい》の|婦人《ふじん》は|甚《はなは》だ|頼《たの》もしいぢやないか』
『けれども、それを|男子《だんし》から|取戻《とりもど》さうとして、|女《をんな》のチヤンピオンが|男子《だんし》の|中《なか》に|荒《あば》れ|込《こ》んで|来《き》て|益々《ますます》|男子《だんし》の|中《なか》にズルズルと|没入《ぼつにふ》して|行《い》く|様《さま》は|見《み》るも|痛《いた》ましい。|男子《だんし》が|女《をんな》から|取《と》り|上《あ》げたものを|議場《ぎぢやう》や|慈善《じぜん》|愛国《あいこく》の|念《ねん》や|飛行機《ひかうき》の|上《うへ》や|大学《だいがく》や|家長《かちやう》の|名《な》や|乗合《のりあひ》|自動車《じどうしや》の|中《なか》に|隠匿《いんとく》して、|私《わたくし》して|居《ゐ》る|様《やう》に|思《おも》つてるのは、|少々《せうせう》|見当違《けんたうちが》ひの|詮索《せんさく》だと|云《い》はなければならない。そんな|所《ところ》から、|本当《ほんたう》の|女《をんな》の|自由《じいう》が|取戻《とりもど》されるか|何《ど》うか、マアマア|女権拡張会《ぢよけんくわくちやうくわい》のために|充分《じうぶん》|活動《くわつどう》して|見《み》るがよからうよ。|若《も》しも|男子《だんし》が|女《をんな》から|何物《なにもの》かを|取《と》つて|来《き》てゐたとすれば、それは|女《をんな》が|何《なに》をしても|不器用《ぶきよう》で、とても|見《み》て|居《ゐ》られないから|男子《だんし》が|代《かは》つてやつて|居《ゐ》る|迄《まで》の|事《こと》だ。|併《しか》し|俺《おれ》は|職業《しよくげう》の|話《はなし》をして|居《ゐ》るのぢやない。|思想《しさう》でも|感情《かんじやう》でも|習俗《しふぞく》でも|生活《せいくわつ》でも……さう|云《い》ふものを|立派《りつぱ》に|女《をんな》|自身《じしん》の|手《て》で|処理《しより》して|呉《く》れたならば、|男子《だんし》はそれだけ|助《たす》かるのだ。それだけの|手間《てま》や|労力《らうりよく》をモツト|男向《をとこむ》きの|方面《はうめん》へ|有利《いうり》に|使《つか》ふことが|出来《でき》るのだ。|決《けつ》して|男子《だんし》は|女《をんな》に|対《たい》して|返《かへ》し|惜《をし》みはせないよ。この|頃《ごろ》の|新《あたら》しい|女《をんな》だとか|目醒《めざ》めたとか|云《い》ふ|女《をんな》のして|居《ゐ》ることには|矛盾《むじゆん》ばかりだ。|自分《じぶん》の|家《うち》には|勝手《かつて》の|知《し》れない|手間《てま》の|雇《やとひ》に|働《はたら》かせて|置《お》いて、|義理《ぎり》もヘチマも|無《な》い|隣《となり》の|家《いへ》の|大掃除《おほさうぢ》に、|役《やく》にも|立《た》たぬ|痩腕《やせうで》で|手伝《てつだひ》に|行《い》つて|居《ゐ》るやうな|形《かたち》がある。|家内《うち》は|手廻《てまは》らず|隣家《りんか》は|邪魔《じやま》になるばかりの|有難迷惑《ありがためいわく》と|気《き》が|付《つ》かない|所《ところ》が|実《じつ》にお|気《き》の|毒《どく》だ。|人《ひと》の|悪《わる》い|連中《れんちう》に|少《すこ》しばかり|煽動《おだて》られると、|何《なん》の|不自由《ふじゆう》もない|貴婦人《きふじん》の|身《み》を|以《もつ》て|四辻《よつつじ》に|立《た》ち、|造花《ざうくわ》の|押売《おしうり》までやるのだ。|斯《か》うなると|馬鹿《ばか》を|通《とほ》り|越《こ》していつそ|洒落《しやれ》たものだ。|女《をんな》が|女《をんな》であることに|飽《あ》き|足《た》らなかつたり、|恥《はづか》しがつたりしても、それは|焼直《やきなほ》さない|限《かぎ》り、|神様《かみさま》だつて|人間《にんげん》だつて|誰《たれ》だつて、|何《ど》うしてやる|訳《わけ》には|行《ゆ》かないわ』
『おい、エム、さう|言《い》つたものぢやないよ。|女《をんな》だつて|出来《でき》ないものはない。|総理《そうり》|大臣《だいじん》ぐらゐは|勤《つと》まるよ』
『|女《をんな》が|総理《そうり》|大臣《だいじん》ぐらゐに|成《な》れない|事《こと》は|無《な》いのは|当然《たうぜん》だ。|現《げん》に|高《かう》はないが|加藤明子《かとうめいし》だつて|成《な》つて|居《ゐ》るぢやないか。|此《この》|頃《ごろ》の|総理《そうり》|大臣《だいじん》ならデクの|坊《ばう》でも|立派《りつぱ》に|勤《つと》まるからなア。|併《しか》し|同《おな》じデクの|坊《ばう》でも|男子《だんし》の|方《はう》が|少《すこ》しばかりは|良《よ》くやる。だからさう|云《い》ふことは|歯痒《はがゆ》からうが|暫《しばら》く|男子《だんし》に|任《まか》しておいて、|男子《だんし》には|逆鉾立《さかほこだ》ちをしても、|女《をんな》の|真似《まね》の|出来《でき》ない|方面《はうめん》のことに|身《み》を|入《い》れた|方《はう》が|良《よ》いわ。それは|外《ほか》でもない|女《をんな》は|母《はは》たることだ。それだけでは|生甲斐《いきがひ》が|無《な》いやうに|感《かん》ずる|程《ほど》、|精力《せいりよく》の|過剰《くわじよう》があつたら、|一流《いちりう》の|母《はは》たることに|務《つと》めるべきだ。それでも|未《ま》だ|飽《あ》き|足《た》りなかつたら|一流《いちりう》|中《ちう》の|一流《いちりう》、|理想《りさう》の|母《はは》たることに|努《つと》めたら|良《い》いだらう。たつた|一人《ひとり》の|子供《こども》でも|退屈《たいくつ》するほど|暇《ひま》な、そして|骨《ほね》の|折《を》れない|仕事《しごと》ではなく、またそれほど|働《はたら》き|甲斐《がひ》のない|仕事《しごと》でもない|天人《てんにん》の|養育《やういく》|機関《きくわん》だからなア。|大道《だいだう》で|往来《わうらい》の|人々《ひとびと》に|対《たい》してビラを|撒《ま》くほど|易《やす》い|仕事《しごと》ではないのだから』
『オイ|間違《まちが》つちや|可《い》けない、|俺《おれ》の|謂《い》つた|一流《いちりう》の|一流《いちりう》たる|母親《ははおや》と|云《い》ふのは、|世間《せけん》の|所謂《いはゆる》|良妻賢母《りやうさいけんぼ》といふたぐひでは|無《な》い。そんなことなら|男子《だんし》でも|相応《さうおう》にやれるわ』
『では|何《ど》うすると|云《い》ふのだ』
『サアそこが|男子《だんし》には|逆鉾立《さかほこだち》になつても|追付《おつつ》かないところだ。|宜《よろ》しく|御婦人《ごふじん》にお|任《まか》せするのだなア』
『|俺《おれ》の|言《い》ひ|方《かた》に|大分《だいぶ》に|毒《どく》があつたから、|俺《おれ》が|女嫌《をんなぎら》ひだと|思《おも》つちや|困《こま》るよ。|俺《おれ》の|嫌《きら》ひなのは、|女《をんな》だか|男子《だんし》だか|判然《はんぜん》しないやうな|中性《ちうせい》の|女《をんな》だ。|普通《ふつう》の|女《をんな》らしい|女《をんな》は|大好《だいす》きなのだ。ハヽヽヽヽ』
『アハヽヽヽ、|到頭《たうとう》|本音《ほんね》を|吹《ふ》きよつたなア』
コー『|何《なん》と|云《い》つても|女《をんな》の|心《こころ》と|肉体《にくたい》の|美《うつく》しさは|称《たた》へても|称《たた》へ|切《き》れないものだ。|優《やさ》しい|思《おも》ひやりの|深《ふか》い|控目《ひかへめ》な|心《こころ》、むき|出《だ》しでも|綺麗《きれい》な|心《こころ》、|沢山《たくさん》の|悪心《あくしん》を|持《も》ちながら|之《これ》を|要《えう》するに|小《ちひ》さい|可愛《かあい》らしい|心《こころ》、|嘘吐《うそつ》きでそして|直《すぐ》に|後悔《こうくわい》する|心《こころ》、どこから|考《かんが》へても|可《い》い。|俺《おれ》は|一切《いつさい》の|女《をんな》が|大好《だいす》きだ』
エム『|女《をんな》といふ|奴《やつ》|性来《しやうらい》の|愚者《ぐしや》だから、|何《ど》うでもなるものだよ。|女《をんな》を|喜《よろこ》ばせようと|思《おも》つたら|百万言《ひやくまんげん》を|費《つひや》して|其《その》|心《こころ》を|褒《ほ》めてやるよりも、たつた|一言《ひとこと》、|髪《かみ》なり、|鼻《はな》つきなり、|眼元《めもと》なり、|爪《つめ》の|光沢《つや》なりを|褒《ほ》めてやつた|方《はう》が|効果《かうくわ》が|多《おほ》いものだ。アハヽヽヽ』
コー『|誰《たれ》が|何《なん》と|云《い》つても|俺《おれ》は|女《をんな》の|心《こころ》とその|肉体《にくたい》を|褒《ほ》め|称《たた》へ|礼拝《らいはい》して|平和《へいわ》の|女神《めがみ》と|崇《あが》めるのだ。それが|男子《だんし》たるものの|道義心《だうぎしん》だ。なんと|云《い》つても|女《をんな》はエターナル・アイドルだ』
ワク『アハヽヽヽ』
エム『エヘヽヽヽ』
かく|笑《わら》ひ|興《きよう》ずる|所《ところ》へ、|雪《ゆき》のやうな|白《しろ》い|顔《かほ》をした|妙齢《めうれい》の|美人《びじん》が|二人《ふたり》、|涼《すず》しい|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げ|歌《うた》を|歌《うた》ひながら|此方《こなた》の|森《もり》をさして|進《すす》み|来《きた》る。|三人《さんにん》は|目敏《めざと》くも|是《これ》を|眺《なが》めて|目引《めひ》き|袖引《そでひ》きしながらコーは|小声《こごゑ》で、
『おい、ワク、エム、|俺《おれ》の|言霊《ことたま》は|偉《えら》いものだらう。|女《をんな》を|賞《ほ》めて|居《ゐ》たら|忽《たちま》ち|艶麗《えんれい》な|美人《びじん》が|出現《しゆつげん》ましましたぢやないか。|噂《うはさ》をすれば|影《かげ》とやら、|実《じつ》に|尤物《いうぶつ》だぞ。どうかしてあいつを|旨《うま》く|虜《とりこ》にし、|将軍様《しやうぐんさま》の|前《まへ》につき|出《いだ》し、|吾々《われわれ》|三人《さんにん》が|功名《こうみやう》|手柄《てがら》をしようぢやないか』
エム『|面白《おもしろ》いなア、|確《しつか》りしようぞなア。ワク、|貴様《きさま》の|婦人《ふじん》|反対《はんたい》|論者《ろんしや》でも、あの|美人《びじん》には|一言《いちごん》もあるまい。エーン』
『|成程《なるほど》|霊光《れいくわう》に|打《う》たれて|頭《あたま》がワクワクしさうだ。|素的《すてき》のものだな』
かく|話《はな》す|所《ところ》へ|早《はや》くも|二人《ふたり》の|美人《びじん》は|近《ちか》よつて|来《き》た。
|甲女《かふぢよ》『もしもし、|一寸《ちよつと》お|尋《たづ》ね|致《いた》しますが、ランチ|将軍様《しやうぐんさま》や|片彦《かたひこ》|将軍様《しやうぐんさま》の|御陣営《ごぢんえい》は、|何方《どちら》に|参《まゐ》りますかな』
コー『ヤア、|貴女《あなた》|方《がた》は|将軍様《しやうぐんさま》の|所在《ありか》を|尋《たづ》ねて|何《なん》となさる|御所存《ごしよぞん》ですか』
『|会《あ》ひさへすればよいのです。|私《わたし》が|会《あ》つた|上《うへ》で、|雨《あめ》になるか、|風《かぜ》になるか、|将《は》た|雷鳴《らいめい》か、|地震《ぢしん》か、|今《いま》の|所《ところ》では|見当《けんたう》がつきませぬ。|兎《と》も|角《かく》も|案内《あんない》をして|下《くだ》さいな』
『|用向《ようむき》も|聞《き》かずに、うつかり|案内《あんない》をしようものなら|大変《たいへん》だなア。ワク、エム、どうしようかなア』
ワク『|態《ざま》あ|見《み》い、|一生懸命《いつしやうけんめい》|女《をんな》を|賞《ほ》めて|居《ゐ》たが、さらばとなればその|狼狽《うろたへ》|方《かた》は|何《なん》だ。それだから、|俺《おれ》が|女《をんな》は|駄目《だめ》と|云《い》つたのだ。こんなものを|連《つ》れて|往《ゆ》かうものなら、バラモン|軍《ぐん》の|爆裂弾《ばくれつだん》になるか|知《し》れやしないぞ』
|乙女《おつぢよ》『ホヽヽヽヽ、|皆《みな》さま|御心配《ごしんぱい》なさいますな。|何《なん》と|云《い》つても|高《たか》が|女《をんな》です、|立派《りつぱ》な|男《をとこ》さまばかりの|中《なか》へ|女《をんな》が|二人《ふたり》|位《くらゐ》|往《ゆ》きましても|何《なに》が|出来《でき》ませう。|男《をとこ》に|対《たい》する|女《をんな》、|何《なん》と|云《い》つても|異性《いせい》が|加《くは》はらねば、どうしても|本当《ほんたう》の|男《をとこ》の|威勢《ゐせい》は|出《で》ませぬぞ』
コー『さうだなア、ヤ|承知《しようち》|致《いた》しました。|何《なん》とまア、|三日月眉《みかづきまゆ》で、|目《め》のパツチリとしたお|色《いろ》の|白《しろ》い|髪《かみ》の|艶《つや》と|云《い》ひ、まるで|天人《てんにん》のやうですワイ』
『ホヽヽヽヽ、こんなお|多福《たふく》をそのやうに|嬲《なぶ》るものぢやありませぬ。どうぞ|妾等《わたしら》|両人《りやうにん》を|将軍様《しやうぐんさま》の|陣営《ぢんえい》に|案内《あんない》して|下《くだ》さいませいな』
『ハイハイ|案内《あんない》|致《いた》しませうとも。|併《しか》しながら|貴女《あなた》のネームを|聞《き》かぬ|事《こと》にや|案内《あんない》の|仕方《しかた》がありませぬ。|何卒《どうぞ》お|名乗《なの》りを|願《ねが》ひます』
|甲女《かふぢよ》『|私《わたし》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|清照姫《きよてるひめ》、も|一人《ひとり》は|妹分《いもうとぶん》の|初稚姫《はつわかひめ》で|厶《ござ》ります』
コー『|何《なに》、|清照姫《きよてるひめ》に|初稚姫《はつわかひめ》、そいつは|大変《たいへん》だ。ヤア|平《ひら》にお|断《ことわ》り|申《まを》します』
『|何《なん》とまあ、|弱《よわ》い|男《をとこ》だこと、|女《をんな》の|二人《ふたり》|位《くらゐ》が|恐《おそ》ろしいのですか』
『ヤア|別《べつ》に|恐《おそ》ろしくもありませぬが、お|前《まへ》さまは|三五教《あななひけう》の|女豪傑《をんながうけつ》だ。そんな|事《こと》を|云《い》つてバラモン|教《けう》を|潰《つぶ》して|仕舞《しま》ふ|考《かんが》へだらう。おい、ワク、エム、|何《ど》うしようかなあ』
ワク『ウンさうだなあ』
エム『|何《ど》うしたものだらう、|困《こま》つた|問題《もんだい》が|起《おこ》つたものだ』
|甲女《かふぢよ》『あゝ|辛気《しんき》|臭《くさ》い、こんな|方《かた》に|相手《あひて》になつて|居《ゐ》ては|駄目《だめ》だ。さあ|初稚姫《はつわかひめ》さま、|此方《こちら》から|進《すす》んで|将軍様《しやうぐんさま》を|訪問《はうもん》|致《いた》しませう』
『さうですなあ、こんな|腰《こし》の|弱《よわ》い|番卒《ばんそつ》に|交渉《かけ》やつて|居《を》つたつて|駄目《だめ》ですわ、それなら|姉《ねえ》さま、|参《まゐ》りませう』
と|早《はや》くも|二人《ふたり》は|手《て》を|引《ひき》、|通《とほ》り|過《す》ぎようとする。コーは|慌《あわ》てて|両手《りやうて》を|拡《ひろ》げ、|大《だい》の|字《じ》になつて|小道《こみち》を|踏《ふ》ん|張《ば》りながら、
『まあまあ|待《ま》つて|下《くだ》さい。さう|強硬的《きやうかうてき》に|出《で》られちや、|八尺《はつしやく》の|男子《だんし》も|顔色《がんしよく》|無《な》しぢや、エヽ|仕方《しかた》がない、|御案内《ごあんない》|致《いた》しませう。おいワク、エム|両人《りやうにん》、お|前《まへ》は|此所《ここ》に|確《しつか》りと|守衛《しゆゑい》を|勤《つと》めて|居《を》つて|呉《く》れ。|俺《おれ》は|将軍様《しやうぐんさま》の|前《まへ》まで|御両人《ごりやうにん》を|御案内《ごあんない》して|来《く》るから』
エム『|手柄《てがら》を|独占《どくせん》しようとは、ちと|虫《むし》がよ|過《す》ぎるぞ。|一層《いつそう》の|事《こと》|三人《さんにん》|寄《よ》つて|御案内《ごあんない》する|事《こと》にしようかい。|後《あと》の|守衛《しゆゑい》はテル、ハルの|両人《りやうにん》にまかして|置《お》けばよいのだ。おいテル、ハルの|両人《りやうにん》、|確《しつか》り|守衛《しゆゑい》を|頼《たの》むぞ』
テル『|私《わたし》もお|供《とも》を|致《いた》しませう』
エム『|罷《まか》りならぬ。|上官《じやうくわん》の|命令《めいれい》だ、|怖《こは》けりや|木《き》の|蔭《かげ》になとすつ|込《こ》んで|待《ま》つて|居《を》れ。ハルと|両人《りやうにん》|抱《だ》き|合《あ》つて|慄《ふる》うて|居《ゐ》るが|好《よ》からうぞ』
ハル『アヽ|仕方《しかた》がないなあ、テル、|強《つよ》いものの|強《つよ》い、|弱《よわ》いものの|弱《よわ》い|時節《じせつ》だからなあ』
エム『こりや|両人《りやうにん》、|二百五十両《にひやくごじふりやう》|儲《まう》けたぢやないか、|金《かね》の|冥加《みやうが》でも|二人《ふたり》|神妙《しんめう》に|守衛《しゆゑい》をして|居《ゐ》るだけの|価値《かち》はあるぞ』
テル『ハーイ』
ハル『|仕方《しかた》がありませぬ』
コー『サア、お|二方《ふたかた》、|御案内《ごあんない》を|致《いた》しませう』
|甲乙二女《かふおつにぢよ》は、|叮嚀《ていねい》に|会釈《ゑしやく》し、ニコニコ|笑《わら》ひながら|三人《さんにん》の|足跡《あしあと》を|踏《ふ》んで、ランチの|陣営《ぢんえい》さして|大胆《だいたん》|不敵《ふてき》にも|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一二・一・八 旧一一・一一・二二 加藤明子録)
第二篇 |中有見聞《ちううけんぶん》
第七章 |酔《よひ》の|八衢《やちまた》〔一二四〇〕
|天《てん》に|輝《かがや》く|日月《じつげつ》も |黒雲《こくうん》とざす|時《とき》は
|忽《たちま》ち|其《その》|光《ひかり》を|没《ぼつ》する|如《ごと》く |智仁勇兼備《ちじんゆうけんび》の
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|治国別《はるくにわけ》も |忽《たちま》ち|妖雲《えううん》に|霊眼《れいがん》を|交錯《かうさく》されて
|悪虐無道《あくぎやくぶだう》のランチ|将軍《しやうぐん》が |奸計《かんけい》に|陥《おちい》り
|暗黒無明《あんこくむみやう》の|地下《ちか》の|牢獄《らうごく》へ |忽《たちま》ち|顛落《てんらく》し
|気絶《きぜつ》せしこそ|是非《ぜひ》なけれ。
|肺臓《はいざう》の|呼吸《こきふ》は|漸《やうや》く|微弱《びじやく》となり、|情動《じやうどう》は|全《まつた》くとまると|共《とも》に、|心臓《しんざう》の|鼓動《こどう》|休止《きうし》し、|治国別《はるくにわけ》は|竜公《たつこう》と|共《とも》に、|見《み》なれぬ|山野《さんや》を|彷徨《はうくわう》することとなつた。|行《ゆ》くともなしに、|吾《わが》|想念《さうねん》の|向《むか》ふまま|進《すす》んで|行《ゆ》くと、|一方《いつぱう》は|屹立《きつりつ》せる|山岳《さんがく》、|一方《いつぱう》は|巨大《きよだい》なる|岩石《がんせき》に|挟《はさ》まれた|谷間《たにあひ》の|狭《せま》い|所《ところ》に|迷《まよ》ひ|込《こ》んだ。ここは|中有界《ちううかい》の|入口《いりぐち》である。|中有界《ちううかい》は、|善霊《ぜんれい》、|悪霊《あくれい》の|集合《しふがふ》|地点《ちてん》である。|一名《いちめい》|精霊界《せいれいかい》とも|称《とな》へる。
|竜公《たつこう》は|四辺《あたり》の|不思議《ふしぎ》な|光景《くわうけい》に、|治国別《はるくにわけ》の|袖《そで》をひき、
『モシ|先生《せんせい》、|此処《ここ》はどこでせうかな。ランチ|将軍《しやうぐん》の|奥座敷《おくざしき》で|酒《さけ》を|呑《の》んで|居《を》つたと|思《おも》へば、|局面《きよくめん》|忽《たちま》ち|一変《いつぺん》して、|斯様《かやう》な|谷底《たにそこ》、|何時《いつ》の|間《ま》に|来《き》たのでせう』
『どうも|変《へん》だなア、|幽《かす》かに|記憶《きおく》に|残《のこ》つてゐるが、|何《なん》でも|片彦《かたひこ》の|案内《あんない》で、|立派《りつぱ》な|座敷《ざしき》へ|入《はい》つたと|思《おも》へば、|忽《たちま》ち|暗黒《あんこく》の|穴《あな》へおち|込《こ》んだやうな|気《き》がした。ヒヨツとしたら|吾々《われわれ》は|肉体《にくたい》を|脱離《だつり》して、|吾《わが》|精霊《せいれい》のみが|迷《まよ》つて|来《き》たのではあるまいかな』
『|何《なん》だかチツと|空気《くうき》が|違《ちが》ふ|様《やう》ですな。|併《しか》し|斯様《かやう》な|所《ところ》に|居《を》つても|仕方《しかた》がありませぬ。|行《ゆ》ける|所《ところ》まで|進《すす》みませうか』
|治国別《はるくにわけ》は|少時《しばし》|双手《もろて》を|組《く》み、|幽《かす》かな|記憶《きおく》を|辿《たど》りながら、|二《ふた》つ|三《みつ》つうなづいて、
『ウンウンさうださうだ、ランチ、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|計略《けいりやく》にウマウマ|乗《じやう》ぜられ、|生命《いのち》をとられて|了《しま》つたのだ。アヽ|困《こま》つた|事《こと》をしたものだな』
『モシ|先生《せんせい》、|生命《いのち》をとられた|者《もの》が、かうして|二人《ふたり》|生《い》きて|居《を》りますか、|変《へん》な|事《こと》を|仰有《おつしや》いますなア』
『|人間界《にんげんかい》から|言《い》へば、|所謂《いはゆる》|命《いのち》をとられたのだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|人間《にんげん》は|霊界《れいかい》に|籍《せき》をおいてゐる。|肉体《にくたい》はホンの|精霊《せいれい》の|養成所《やうせいしよ》だ。|霊界《れいかい》から|言《い》へば、|死《し》んだのではない、|復活《ふくくわつ》したのだ。サア|之《これ》から|吾々《われわれ》が|生前《せいぜん》に|於《おい》て、|現界《げんかい》にて|尽《つく》して|来《き》た|善悪正邪《ぜんあくせいじや》を|検査《けんさ》する|所《ところ》があるに|違《ちが》ひない。そこで|一《ひと》つ|検査《けんさ》を|受《う》けて|天国《てんごく》へ|昇《のぼ》るか|地獄《ぢごく》へおとされるかだ』
『エヽそりや|大変《たいへん》ですな、マ|一度《いちど》|娑婆《しやば》へ|帰《かへ》る|工夫《くふう》はありますまいかな』
『|何事《なにごと》も|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神様《おほかみさま》の|御心《みこころ》の|儘《まま》だから、|精霊界《せいれいかい》にふみ|迷《まよ》ふも、|或《あるひ》は|天国《てんごく》へ|復活《ふくくわつ》するも、|現実界《げんじつかい》へ|逆戻《ぎやくもど》りするのも、|吾々《われわれ》|人間《にんげん》の|左右《さいう》し|得《う》べき|所《ところ》でない。|最早《もはや》かくなる|上《うへ》は、|神様《かみさま》にお|任《まか》せするより|道《みち》はなからうよ』
『|私《わたし》はあなたから、|死後《しご》の|世界《せかい》があると|云《い》ふ|事《こと》は|聞《き》いて|居《を》りましたが、|斯《か》うハツキリと|死後《しご》の|生涯《しやうがい》を|続《つづ》けるとは|思《おも》ひませなんだ。|気体的《きたいてき》の|体《たい》を|保《たも》ち、フワリフワリと|中空《ちうくう》をさまよふものだと|考《かんが》へて|居《を》りましたが、|今《いま》となつては、|吾々《われわれ》の|触覚《しよくかく》といひ、|知覚《ちかく》といひ、|想念《さうねん》といひ、|情動《じやうどう》といひ、|愛《あい》の|心《こころ》といひ、|生前《せいぜん》よりも|層一層《そういつそう》|的確《てきかく》になつたやうな|心持《こころもち》が|致《いた》します。|実《じつ》に|不思議《ふしぎ》ぢやありませぬか。|死後《しご》の|世界《せかい》はあると|云《い》ふ|事《こと》は|承《うけたま》はつて|居《を》りましたなれど、|是程《これほど》ハツキリした|世界《せかい》とは|思《おも》ひませなんだ』
『|人間《にんげん》の|肉体《にくたい》は|所謂《いはゆる》|精霊《せいれい》の|容物《いれもの》だ。|精霊《せいれい》の|中《なか》には|天国《てんごく》へ|昇《のぼ》つて|天人《てんにん》となるのもあれば、|地獄《ぢごく》へおちて|鬼《おに》となるのもある。|天人《てんにん》になるべき|霊《みたま》を|称《しよう》して、|肉体《にくたい》の|方面《はうめん》から|之《これ》を|本守護神《ほんしゆごじん》と|云《い》ひ、|善良《ぜんりやう》なる|精霊《せいれい》を|称《しよう》して|正守護神《せいしゆごじん》といひ、|悪《あく》の|精霊《せいれい》を|称《しよう》して|副守護神《ふくしゆごじん》と|云《い》ふのだ』
『|人間《にんげん》の|体《からだ》の|中《なか》には、さう|本正副《ほんせいふく》と|三色《みいろ》も|人格《じんかく》が|分《わか》つて|居《を》るのですか』
『マアそんなものだ。|吾々《われわれ》は|天人《てんにん》たるべき|素養《そやう》を|持《も》つてゐるのだが、|肉体《にくたい》のある|中《うち》に|天人《てんにん》になつて、|高天原《たかあまはら》の|団体《だんたい》に|籍《せき》をおく|者《もの》は|極《きは》めて|稀《まれ》だ。|今《いま》の|人間《にんげん》は|大抵《たいてい》|皆《みな》|地獄《ぢごく》に|籍《せき》をおいてゐる|者《もの》ばかりだ、|少《すこ》しマシな|者《もの》でも、|漸《やうや》くに|精霊界《せいれいかい》に|籍《せき》をおく|位《くらゐ》なものだよ。|此《この》|精霊界《せいれいかい》に|於《おい》て|善悪正邪《ぜんあくせいじや》を|審《さば》かれるのだから、|最早《もはや》|過去《くわこ》の|罪《つみ》を|償《つぐな》ふ|術《すべ》もない。あゝ|之《これ》を|思《おも》へば、|人間《にんげん》は|肉体《にくたい》のある|中《うち》に、|一《ひと》つでも|善《よ》い|事《こと》をしておきたいものだなア』
かく|話《はな》す|所《ところ》へどこともなく、|一人《ひとり》の|守衛《しゆゑい》が|現《あら》はれて|来《き》た。
|守衛《しゆゑい》は|治国別《はるくにわけ》に|向《むか》ひ、
『あなたは|三五教《あななひけう》の|治国別《はるくにわけ》|様《さま》では|厶《ござ》いませぬか』
『ハイ|左様《さやう》で|厶《ござ》います。エヽ|一寸《ちよつと》お|尋《たづ》ね|致《いた》しますが、ここは|天《あめ》の|八衢《やちまた》ではございませぬかな』
『お|察《さつ》しの|通《とほ》り、ここは|精霊界《せいれいかい》の|八衢《やちまた》で|厶《ござ》います、サア|是《これ》から|関所《せきしよ》へ|案内《あんない》を|致《いた》しませう』
『|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。オイ|竜公《たつこう》、ヤハリ|吾々《われわれ》は|最早《もはや》|娑婆《しやば》の|人間《にんげん》ぢやないのだよ。|覚悟《かくご》せなくちや|可《い》けないよ』
『|仮令《たとへ》|八衢《やちまた》へ|来《き》た|所《ところ》で、|此《この》|通《とほ》り|意思《いし》|想念《さうねん》|共《とも》に|健全《けんぜん》なる|以上《いじやう》は、|決《けつ》して|死《し》んだのぢやありませぬから、|何《なん》とも|思《おも》ひませぬワ』
『|竜公《たつこう》さまとやら、お|気《き》の|毒《どく》ながら、あなたは|八衢《やちまた》に|於《おい》て|少《すこ》しく|暇取《ひまど》るかも|知《し》れませぬ。そして|治国別《はるくにわけ》|様《さま》とお|別《わか》れにならなきやならないでせう』
『エヽ|何《なん》と|仰有《おつしや》います、|別《わか》れよと|仰有《おつしや》つても|私《わたし》は|治国別《はるくにわけ》|様《さま》の|家来《けらい》ですから、どこ|迄《まで》も|伴《つ》いて|行《ゆ》きます。|家来《けらい》が|主人《しゆじん》の|後《あと》へ|従《つ》いて|行《ゆ》かれぬと|云《い》ふ、|何程《なんぼ》|霊界《れいかい》でもそんな|道理《だうり》はありますまい』
『それは|御尤《ごもつと》もですが、|併《しか》しながら|貴方《あなた》の|善《ぜん》と|信《しん》と|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》とが、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》と|同程度《どうていど》になつて|居《を》れば、|無論《むろん》|放《はな》さうと|思《おも》つても|放《はな》れるものぢやありませぬ。|併《しか》しながら|貴方《あなた》の|円相《ゑんさう》が|余程《よほど》|治国別《はるくにわけ》|様《さま》に|比《くら》べて|見劣《みおと》りが|致《いた》しますから、|私《わたし》の|考《かんが》へでは、どうも|御一緒《ごいつしよ》は|六《むつ》かしいやうに|感《かん》じられます。|併《しか》しながら|八衢《やちまた》の|関所《せきしよ》までお|出《い》でになつて、|伊吹戸主《いぶきどぬし》の|神様《かみさま》のお|審《さば》きを|受《う》けねば、|到底《たうてい》|私《わたし》では|決定《けつてい》を|与《あた》へる|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|又《また》|決定《けつてい》を|与《あた》へる|丈《だけ》の|資格《しかく》も|権能《けんのう》もありませぬからなア』
|治国《はるくに》『|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|三五教《あななひけう》を|守《まも》り|給《たま》ふ|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》、|豊国主《とよくにぬし》の|大神《おほかみ》、|守《まも》り|給《たま》へ|幸《さき》はへ|給《たま》へ』
|竜公《たつこう》はしきりに、
『|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸《ち》はへませ。|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》』
と|数歌《かずうた》をうたふ。|守衛《しゆゑい》は|谷道《たにみち》に|立止《たちど》まり、
『|治国別《はるくにわけ》|様《さま》、|此《この》|竜公《たつこう》さまをあなたにお|任《まか》せ|致《いた》しますから、どうぞ|此処《ここ》をズツと|東《ひがし》へ|取《と》つてお|出《い》で|下《くだ》さいませ。|少《すこ》しくあの|山《やま》をお|廻《まは》りになると、|稍《やや》|平《たひら》かな|所《ところ》が|厶《ござ》います。そこが|天《あめ》の|八衢《やちまた》の|関所《せきしよ》で|厶《ござ》いますから、|私《わたくし》は|之《これ》から|又《また》|次《つぎ》へ|出《で》て|来《く》る|連中《れんちう》がありますから、それを|案内《あんない》して|来《き》ます。|左様《さやう》なら、|之《これ》で|失礼《しつれい》を……』
と|言《い》ひながら|電光石火《でんくわうせきくわ》の|如《ごと》く、|空中《くうちう》に|一《いち》の|字《じ》を|画《ゑが》いて、|光《ひかり》となつて|西方《せいはう》|指《さ》して|飛《と》んで|行《ゆ》く。|二人《ふたり》は|崎嶇《きく》たる|山道《やまみち》をドシドシと、|三十丁《さんじふちやう》ばかり|登《のぼ》りつめた。|見《み》れば|万公《まんこう》が|首《くび》を|傾《かたむ》け、|口《くち》をポカンとあけ、|憂鬱《いううつ》|気分《きぶん》で|此方《こなた》を|指《さ》して|進《すす》んで|来《く》るのを、|四五間《しごけん》ばかり|手前《てまへ》で|見《み》つけた。|竜公《たつこう》は、|治国別《はるくにわけ》の|袖《そで》をひいて、
『モシ|先生《せんせい》、あこへ|来《く》るのは|万公《まんこう》ぢやありませぬか。|何《なん》だか|心配《しんぱい》らしい|顔《かほ》をして|歩《ある》いて|来《く》るぢやありませぬか』
『ウン|確《たしか》に|万公《まんこう》だ、|併《しか》しながら|言葉《ことば》をかけちやいかないよ。|向《むか》ふが【もの】|言《い》ふまで|黙《だま》つてゐるがいい。|先方《むかふ》が【もの】|言《い》つても、こちらは【もの】|言《い》つちや|可《い》けないよ』
かく|話《はな》す|折《をり》しも、|万公《まんこう》は|行歩蹣跚《かうほまんさん》として、|二人《ふたり》の|前《まへ》に|立《た》ちふさがり|不思議《ふしぎ》|相《さう》な|顔《かほ》をして、|二人《ふたり》を|眺《なが》めてゐる。|治国別《はるくにわけ》は|心《こころ》の|内《うち》にて、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|奏上《そうじやう》してゐる。|竜公《たつこう》はあわてて、|治国別《はるくにわけ》の|戒《いまし》めた|事《こと》を|打忘《うちわす》れ、
『オイ|万公《まんこう》ぢやないか、|何《なん》だみつともない、|其《その》ザマは、シツカリせぬかい』
と|背中《せなか》をポンと|叩《たた》きかけた|拍子《ひやうし》に、|万公《まんこう》はプスツと|煙《けぶり》の|如《ごと》くに|消《き》えて|了《しま》つた。
『アヽ|万公《まんこう》かと|思《おも》へば、|何《なん》だ、|化物《ばけもの》だなア。ヤツパリ|霊界《れいかい》は|霊界《れいかい》だなア。|万公《まんこう》に|冥土《めいど》の|狐《きつね》|奴《め》、|化《ば》けてゐやがつたのだなア』
『エヽ|仕方《しかた》のない|男《をとこ》だなア、ありや|万公《まんこう》に|間違《まちが》ひないのだ。|肉体《にくたい》はまだ|現界《げんかい》に|居《を》つて|精霊《せいれい》のみが|俺達《おれたち》の|身《み》の|上《うへ》を|案《あん》じて、|捜《さが》しに|来《き》てゐるのだ。|肉体《にくたい》のある|精霊《せいれい》に|言葉《ことば》をかけるものぢやない。|肉体《にくたい》のある|精霊《せいれい》は|霊界《れいかい》にゐる|者《もの》が|言葉《ことば》をかければ、すぐに|消《き》えるものだ。それだから|俺《おれ》が|気《き》をつけておいたのに、|困《こま》つた|男《をとこ》だな、これから|伊吹戸主《いぶきどぬし》の|神様《かみさま》の|関所《せきしよ》へ|行《ゆ》くのだから、|余程《よほど》|心得《こころえ》ないと|可《い》かないぞ』
『ハイ、キツと|心得《こころえ》ます。あなたがモシヤ|天国《てんごく》へお|出《い》でになつたら、|私《わたし》をどこ|迄《まで》も|伴《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さりませうねエ』
『どこへ|俺《おれ》が|行《い》つても|従《つ》いて|来《く》るといふ|真心《まごころ》があるのか、それなら|俺《おれ》は|若《もし》も|天国《てんごく》へ|行《ゆ》く|時《とき》には、|八衢《やちまた》の|神《かみ》に|願《ねが》つて|伴《つ》れてゆく。|併《しか》しながら、|俺《おれ》も|随分《ずゐぶん》|若《わか》い|時《とき》にウラル|教《けう》で|悪事《あくじ》をやつて|来《き》た|者《もの》だから、|善悪《ぜんあく》のハカリにかけられたら、|大抵《たいてい》は|地獄行《ぢごくゆき》だ。|地獄《ぢごく》へ|落《お》ちてもついて|来《く》るかなア。|万劫末代《まんごふまつだい》|上《あが》れない|悪臭紛々《あくしうふんぷん》たる|餓鬼道《がきだう》へおちても|従《つ》いて|来《く》る|考《かんが》へか』
『|先生《せんせい》がメツタにそんな|所《ところ》へ|落《お》ちなさる|気遣《きづか》ひがありますものか。どこ|迄《まで》もお|供《とも》を|致《いた》します』
『|地獄《ぢごく》へでもついて|来《く》るなア』
『ハイ、|従《つ》いて|行《ゆ》きます。|其《その》|代《かは》りにモシモ|私《わたし》が|地獄《ぢごく》へ|落《お》ちた|時《とき》には、|先生《せんせい》もついて|来《き》てくれますだらうなア』
『そりやキマつた|事《こと》だ。お|前《まへ》を|見《み》すてて|行《ゆ》く|事《こと》が|何《ど》うして|出来《でき》よう。|霊界《れいかい》も|現界《げんかい》も|凡《すべ》て|愛《あい》といふものが|生命《せいめい》だ。|愛《あい》を|離《はな》れては|天人《てんにん》だつて、|精霊《せいれい》だつて、|人間《にんげん》だつて|存在《そんざい》は|許《ゆる》されないのだ』
『あゝそれを|聞《き》いて|安心《あんしん》|致《いた》しました。どうぞ、どこ|迄《まで》も|私《わたし》を|伴《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さい』
『ヤア、あこに|赤門《あかもん》が|見《み》える、どうやらアコが|関所《せきしよ》らしいぞ。サア|急《いそ》いで|行《ゆ》かう』
|治国別《はるくにわけ》は|先《さき》に|立《た》つて|進《すす》んで|行《ゆ》く。|赤門《あかもん》の|側《そば》へ|近付《ちかづ》いて|見《み》れば、|二人《ふたり》の|守衛《しゆゑい》が|立《た》つてゐる。|一人《ひとり》は|光明《くわうみやう》|輝《かがや》く|優《やさ》しい|顔付《かほつき》の|男《をとこ》とも|女《をんな》とも|知《し》れぬ|者《もの》、|一人《ひとり》は|赤面《あかづら》の|唐辛《たうがらし》をかんだやうな|顔《かほ》した|男《をとこ》、|衡《はかり》の|前《まへ》に|儼然《げんぜん》として|控《ひか》へてゐる。
『ヤア|皆《みな》さま、|御苦労《ごくらう》ですなア、ここで|吾々《われわれ》の|罪《つみ》の|軽重《けいぢゆう》を|査《しら》べて|頂《いただ》くのですかな』
|優《やさ》しき|守衛《しゆゑい》は|面色《かほいろ》を|和《やは》らげて、
『イヽヤ、あなたは|査《しら》べるには|及《およ》びませぬ、どうぞ|奥《おく》へお|通《とほ》り|下《くだ》さいませ……|一人《ひとり》のお|方《かた》、|一寸《ちよつと》ここへ|残《のこ》つて|下《くだ》さい。|査《しら》べますから……』
『ヤア|此奴《こいつ》ア|大変《たいへん》だ。サ|先生《せんせい》、|断《ことわ》り|云《い》つて|下《くだ》さいな』
『|霊界《れいかい》の|規則《きそく》だから|仕方《しかた》がないワ。|先《ま》づ|地獄行《ぢごくゆき》か|天国行《てんごくゆき》か|査《しら》べて|貰《もら》ふがよからうぞ』
『モシモシ、|門番《もんばん》さま、|現代《げんだい》の|娑婆《しやば》では|何事《なにごと》も|簡略《かんりやく》を|尊《たふと》びますから、そんな|看貫《かんくわん》でかけるよな|七面倒《しちめんだう》|臭《くさ》い|事《こと》はおやめになつたら|何《ど》うですか』
|赤顔《あかがほ》の|守衛《しゆゑい》はグルリと|目《め》をむき、|竜公《たつこう》を|睨《にら》みつけながら、
『|不届《ふとど》き|者《もの》ツ、|霊界《れいかい》の|法則《はふそく》を|蹂躙《じうりん》するかツ』
と|呶鳴《どな》りつける。|竜公《たつこう》はちぢみ|上《あが》り、|不承不承《ふしようぶしよう》にカンカンの|上《うへ》へ|身《み》を|載《の》せた。|一方《いつぱう》は|地獄行《ぢごくゆき》、|一方《いつぱう》は|天国行《てんごくゆき》と|金文字《きんもじ》で|記《しる》してある。
『|地獄行《ぢごくゆき》の|方《はう》が|下《さが》つたら、|気《き》の|毒《どく》ながら、|之《これ》から|苦《くる》しい|暗《くら》い|所《ところ》へ|落《お》ちて|貰《もら》はにやなりませぬ。|又《また》|天国行《てんごくゆき》の|方《はう》が|重《おも》かつたら、|天国《てんごく》へ|行《い》つて|貰《もら》ひませう。ここは|一厘一毛《いちりんいちまう》も|掛値《かけね》のない、|正直《しやうぢき》|一方《いつぱう》の|裁判所《さいばんしよ》だから、|地獄《ぢごく》へ|仮令《たとへ》|落《お》ちても、|決《けつ》して|無実《むじつ》の|罪《つみ》ぢやないから、|満足《まんぞく》だらう』
と|云《い》ひつつ、|懐《ふところ》から|帳面《ちやうめん》を|出《だ》して、
『|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》|竜公《たつこう》|竜公《たつこう》』
と、|厚《あつ》い|緯《よこ》に|長《なが》い|帳面《ちやうめん》を|繰《く》り|広《ひろ》げてゐる。
『ハヽア、お|前《まへ》はアーメニヤの|生《うま》れだな、そしてウラル|教《けう》に|這入《はい》つて|居《を》つたな。|随分《ずゐぶん》|後家倒《ごけたふ》しや|女殺《をんなごろし》をやつて|来《き》たとみえる。チヤンとここに|記《つ》いてゐるぞ』
『モシモシ|善《ぜん》の|方面《はうめん》を|一《ひと》つ|査《しら》べて|下《くだ》さい』
『|宜《よろ》しい、ハヽア、|善《ぜん》の|方《はう》は|丸《まる》がしてある』
『ヤア|有難《ありがた》い、|満点《まんてん》ですかなア』
『なに、|零点《れいてん》だ。|零点《れいてん》|以下《いか》|廿七度《にじふしちど》といふ|冷酷漢《れいこくかん》だと|見《み》えるわい。|気《き》の|毒《どく》ながらマア|地獄行《ぢごくゆき》かなア、|併《しか》し|未《ま》だお|前《まへ》は|生死簿《せいしぼ》には|死期《しき》が|来《き》てゐない。まだ|五六十年《ごろくじふねん》は|娑婆《しやば》で|活動《くわつどう》すべき|代物《しろもの》だ。|娑婆《しやば》へ|帰《かへ》つたならば、|地獄《ぢごく》へ|落《お》ちない|様《やう》に、|善《ぜん》を|行《おこな》ひ、|神《かみ》を|信仰《しんかう》し、|人《ひと》の|為《ため》に|誠《まこと》を|尽《つく》すがよからうぞ。|今《いま》|此《この》|儘《まま》で|肉体《にくたい》を|離《はな》れようものなら、|気《き》の|毒《どく》ながら|地獄落《ぢごくおち》だ』
『エヽさうすると、マ|一度《いちど》|娑婆《しやば》へ|帰《かへ》れますかな』
『まだ|心臓《しんざう》に|微弱《びじやく》な|鼓動《こどう》が|継続《けいぞく》してゐる、そして|肺《はい》の|呼吸《こきふ》も|微弱《びじやく》ながら|存在《そんざい》してゐるから、キツト|娑婆《しやば》へ|帰《かへ》るだらう』
『ヤア、それは|有難《ありがた》い、|併《しか》し|宣伝使《せんでんし》さまは|何《ど》うですかな。|一寸《ちよつと》|帳面《ちやうめん》を|査《しら》べて|下《くだ》さいませぬか』
『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》は|天国行《てんごくゆき》の|霊《みたま》だから、|此《この》|帳面《ちやうめん》には|記《しる》してない。モシ|白《しろ》さま、あなた|一寸《ちよつと》|査《しら》べて|見《み》て|下《くだ》さい』
|白《しろ》い|顔《かほ》の|守衛《しゆゑい》は|懐《ふところ》から|帳面《ちやうめん》を|取出《とりだ》し、
『|三五教《あななひけう》|三五教《あななひけう》』
と|云《い》ひながら、|見出《みだ》しを|読《よ》み|中《なか》|程《ほど》をパツとめくつて、
『ヤア|此《この》|方《かた》もまだ、|寿命《じゆみやう》がありますわい。|現世《げんせ》に|於《おい》てまだまだ|数十年《すうじふねん》、|活動《くわつどう》して|貰《もら》はなくちや、ハア、なりませぬよ。|併《しか》しながら、|伊吹戸主《いぶきどぬし》の|神様《かみさま》の|御意見《ごいけん》を|聞《き》かなくちやシツカリしたこた|言《い》へませぬワ』
『|私《わたし》の|罪《つみ》の|測量《そくりやう》は|免除《めんぢよ》して|下《くだ》さいますだらうな』
『エヽ|今《いま》すぐに|地獄《ぢごく》へやるべき|精霊《せいれい》でもないから、|査《しら》べた|所《ところ》で|駄目《だめ》だ。|数十年《すうじふねん》の|後《のち》に|更《あらた》めてハカる|事《こと》にしませう』
『ヤアそりや|有難《ありがた》い、|皆《みな》さま、エライお|気《き》をもませました』
『ハヽヽ、|吾々《われわれ》は|日々《にちにち》|之《これ》が|役目《やくめ》だから、|別《べつ》に|気《き》も|揉《も》ましないが、お|前《まへ》は|随分《ずゐぶん》|気《き》をもんだだらう』
『モシ|先生《せんせい》、|今《いま》の|白《しろ》い|守衛《しゆゑい》のお|言葉《ことば》をお|聞《きき》になりましたか、あなたは|今《いま》から|天国行《てんごくゆき》の|資格《しかく》がある|相《さう》ですなア』
『ヤア|実《じつ》に|汗顔《かんがん》の|至《いた》りだ。まだ|寿命《じゆみやう》があるさうだから、モ|一度《いちど》|現界《げんかい》へ|往《い》つて、|大神様《おほかみさま》の|為《ため》、|世《よ》の|中《なか》の|為《ため》に、|一働《ひとはたら》きをさして|頂《いただ》かうかなア』
|斯《か》く|話《はな》す|所《ところ》へ、ヘベレケに|酔《よ》うた|一人《ひとり》の|男《をとこ》、|行歩蹣跚《かうほまんさん》として|八衢《やちまた》の|赤門《あかもん》にドンと|行当《ゆきあた》り、
『ドヽドイツぢやい、バヽバカにすない、|俺《おれ》を|誰《たれ》だと|考《かんが》へてゐる? おれはヤケ|酒《ざけ》の|権《ごん》と|云《い》つたら、|誰《たれ》|知《し》らぬ|者《もの》のない|哥兄《にい》さまだぞ、エヽーン、こんな|所《ところ》へ|赤《あか》い|門《もん》を|立《た》てやがつて、|往来《わうらい》の|妨《さまた》げをするといふ|事《こと》があるかい。|叩《たた》きこはせ|叩《たた》きこはせ』
『コリヤ コリヤ、ヤケ|酒《ざけ》の|権太《ごんた》とやら、ここを|何処《どこ》ぢやと|心得《こころえ》てゐる』
『ドコも、クソもあつたものけえ、ここは|帝大《ていだい》の|入口《いりぐち》だ、|赤門《あかもん》ぢやないか。|俺《おれ》が|酒《さけ》に|酔《よ》うとると|思《おも》うて|余《あんま》り|馬鹿《ばか》にするない、|俺《おれ》だつて|足《あし》があるのだから、|赤門《あかもん》|位《ぐらゐ》はくぐるのだからなア。|永《なが》らく|校番《かうばん》を|勤《つと》めて|居《を》つたのだから、|学士《がくし》|連中《れんちう》よりも|赤門《あかもん》の|勝手《かつて》はよく|知《し》つてゐるのだい。|何時《いつ》の|間《ま》に|門番《もんばん》|奴《め》、|代《かは》りやがつたのだ、エヽーン、|何《なん》だ|其《その》|面《つら》ア、|真白《まつしろ》けな|面《つら》しやがつて、|男《をとこ》だてら|白粉《おしろい》をぬり、チツクをつけ、おれやそれが|癪《しやく》にさはつてたまらぬのだ。|今《いま》の|学士《がくし》や|青年《せいねん》に|学生《がくせい》といふ|奴《やつ》ア、|皆《みな》|貴様《きさま》のやうな|代物《しろもの》ばかりだ。|何《なん》でえ、そんなコハイシヤツ|面《つら》しやがつて、|睨《にら》んだつて、|何《なに》が|恐《こわ》いか、|江戸《えど》つ|児《こ》の|哥兄《にい》さまだぞ。|鬼瓦《おにがはら》みたやうな|面《つら》しやがつて、|門番《もんばん》が|酒《さけ》に|酔《よ》つぱらつてそんな|赤《あか》い|顔《かほ》するといふ|事《こと》があるかい。|今日《けふ》から|免職《めんしよく》だ。サア、トツトと|去《い》ね……』
|赤《あか》『コリヤコリヤ|権太《ごんた》、ここは|冥土《めいど》の|八衢《やちまた》だぞ。|何《なん》と|心得《こころえ》て|居《ゐ》るか』
『ヤア、|成程《なるほど》、|道理《だうり》でチツトそこらの|様子《やうす》が|違《ちが》ふと|思《おも》うて|居《を》つたワ。どこぞ、ここらにコツプ|酒《ざけ》でも|売《う》つてる|所《ところ》はないか、エヽー、チツト|案内《あんない》してくれたら|何《ど》うだ』
『|此奴《こいつ》ア、|余《あんま》り、|酔《よ》うてゐるので|手《て》に|合《あ》はぬ。コレ|白《しろ》さま、|一寸《ちよつと》|伊吹戸主《いぶきどぬし》の|大神様《おほかみさま》に、|何《ど》う|致《いた》しませうと|云《い》つて|伺《うかが》つて|来《き》て|下《くだ》さらぬか』
|白《しろ》はうなづきながら|門内《もんない》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。|暫《しばら》くすると、|金冠《きんくわん》を|頂《いただ》いた|仏画《ぶつぐわ》でみる|閻魔大王《えんまだいわう》の|如《ごと》き|厳《いかめ》しい|容貌《ようばう》をした|伊吹戸主《いぶきどぬし》の|神《かみ》、|四辺《あたり》を|光明《くわうみやう》に|照《てら》しながら、|悠々《いういう》と|現《あら》はれ|給《たま》うた。|此《この》|光明《くわうみやう》に|照《て》らされて、|竜公《たつこう》は|目《め》もくらむばかり、ヨロヨロと|大地《だいち》に|倒《たふ》れ、|地上《ちじやう》にかぶりついて|慄《ふる》うてゐる。|治国別《はるくにわけ》は|莞爾《くわんじ》として|判神《はんしん》に|向《むか》ひ、|叮嚀《ていねい》に|会釈《ゑしやく》してゐる。|判神《はんしん》も|亦《また》|治国別《はるくにわけ》に|向《むか》つて|礼《れい》を|返《かへ》した。
|赤《あか》『コリヤ|権太《ごんた》、|伊吹戸主《いぶきどぬし》|様《さま》のお|出《で》ましだ。サア|此処《ここ》で|其《その》|方《はう》の|罪《つみ》を|査《しら》べるのだから、|此《この》|衡《はかり》にかかれ』
『こりや|衡《はかり》をようせよ、ハカリが|悪《わる》いと|地獄《ぢごく》へ|落《お》ちるぞ。|高《たか》い|高《たか》い|酒《さけ》を|売《う》りやがつて、ハカリで|誤魔化《ごまくわ》さうと|思《おも》つても|駄目《だめ》だ。|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|汗水《あせみづ》たらして|働《はたら》き、|日《ひ》の|暮《くれ》になつて、|一日《いちにち》の|疲《つか》れを|休《やす》むべく|大切《たいせつ》の|金《かね》を|使《つか》つて、|俺《おれ》たち|貧乏人《びんばふにん》は|酒《さけ》を|買《か》ひに|行《ゆ》くのだ。それにハカリを|悪《わる》うすると|冥加《みやうが》が|悪《わる》いぞ』
『チエツ、エヽまだ|酔《よ》うてゐやがる。コリヤここは|地獄《ぢごく》の|八丁目《はつちやうめ》だぞ』
『|地《ぢ》ゴク|御尤《ごもつと》もだ、|八升《はつしよう》でも|九升《くしよう》でも、タダの|酒《さけ》なら|何《なん》ぼでも|持《も》つて|来《こ》いだ、メツタにあとへは|引《ひ》かぬのだからなア』
|赤《あか》は|劫《ごふ》をにやし、ピシヤツと|横面《よこつら》を|力《ちから》に|任《まか》せて|擲《なぐ》りつけた。|権太《ごんた》はビツクリして、ハツと|気《き》がつけば、|光明《くわうみやう》|輝《かがや》く|判神《はんしん》が|儼然《げんぜん》と|吾《わが》|前《まへ》に|立《た》つてゐる。そして|赤鬼《あかおに》が|衡《はかり》を|持《も》つて|大《おほ》きな|目《め》で|睨《にら》みつけてゐる。
『モシ、ここは|何《なん》といふ|所《ところ》で|厶《ござ》います』
『|目《め》が|醒《さ》めたか、ここは|八衢《やちまた》だ、|今《いま》|其《その》|方《はう》の|娑婆《しやば》に|於《お》ける|行《おこな》ひの|善悪《ぜんあく》を|査《しら》べて、|之《これ》から|地獄《ぢごく》へやるか、|天国《てんごく》へ|救《すく》うてやるかといふ|所《ところ》だ。サア|判神様《はんしんさま》の|前《まへ》だ、|神妙《しんめう》にこの|衡《はかり》の|上《うへ》にのれ。そして|正直《しやうぢき》に|白状《はくじやう》するのだぞ。|其《その》|方《はう》の|娑婆《しやば》に|於《おい》て|尽《つく》した|善悪《ぜんあく》は|全部《ぜんぶ》|此処《ここ》につけとめてあるから、|正直《しやうぢき》に|申上《まをしあ》げよ』
『ハイ、|申上《まをしあ》げます、|私《わたし》は……エー……|権太《ごんた》と|申《まを》すのは|仇名《あだな》で|厶《ござ》いまして、……エー|実《じつ》は、|酔《よひ》どれの|熊公《くまこう》と|申《まを》しやす』
『|成程《なるほど》、それに|間違《まちが》ひない、|其《その》|方《はう》は|余《あんま》り|酒《さけ》に|喰《くら》ひ|酔《よ》うて、|社会的《しやくわいてき》|勤《つと》めを|致《いた》さないによつて、お|寅《とら》といふ|女房《にようばう》に|逃《に》げられた|事《こと》があらうがな』
『ハイ|恐《おそ》れ|入《い》りました。|確《たしか》に|厶《ござ》います』
『そして|其《その》|後《ご》|其《その》|方《はう》は|焼糞《やけくそ》になり、|隣《となり》の|屋敷《やしき》|迄《まで》|抵当《ていたう》に|入《い》れて|金《かね》を|借《か》り、|皆《みな》|呑《の》んで|了《しま》つただらう』
『ハイ、|夫《そ》れに|相違《さうゐ》は|厶《ござ》いませぬ』
『それから|浮木《うきき》の|村《むら》で|其《その》|方《はう》の|女房《にようばう》だつたお|寅《とら》が|侠客《けふかく》をして|居《を》つた|時《とき》、|幾度《いくど》も|酒《さけ》に|酔《よ》うてグヅを|巻《ま》きに|行《い》つたであらうがな』
『ハイ、それも|其《その》|通《とほ》りで|厶《ござ》います』
『|併《しか》し|何時《いつ》とても|袋叩《ふくろだた》きに|遇《あ》ひ、|無念《むねん》をこらへて|辛抱《しんばう》|致《いた》した、それ|丈《だけ》は|感心《かんしん》だ。|此《この》|忍耐力《にんたいりよく》に|仍《よ》つて、|今迄《いままで》の|悪事《あくじ》は|棒引《ぼうびき》だ』
『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います』
『それから|其《その》|方《はう》は|小北山《こぎたやま》のウラナイ|教《けう》の|本山《ほんざん》に|行《い》つて、お|寅《とら》と|蠑〓別《いもりわけ》を|脅迫《けふはく》し、|一千両《いつせんりやう》の|金《かね》をフンだくり、|皆《みな》|呑《の》んで|了《しま》つたであらうがな』
『ハイ、それに|相違《さうゐ》は|厶《ござ》いませぬ』
『なぜさういふ|悪《わる》い|事《こと》を|致《いた》すのか』
と|声《こゑ》を|尖《とが》らして|言《い》ふ。
『|余《あんま》りムカツパラが|立《た》つてたまりませぬので、ウヽヽヽヽついグヅつてやる|気《き》になりました。どうせお|寅婆《とらばば》アの|事《こと》だから、|一文生中《いちもんきなか》も|出《だ》す|気遣《きづか》はひない……が……ダダでもこねて、|無念《むねん》|晴《ばら》しをしようと|思《おも》ひやして、|一寸《ちよつと》|試《こころ》みにゴロついてみた|処《ところ》、|悪党婆《あくたうばば》アに|似合《にあ》はず|意外《いぐわい》にも|気《き》が|折《を》れて、|一千両《いつせんりやう》くれましたので、これ|幸《さいは》ひと|懐《ふところ》にたくし|込《こ》み、それから|呑《の》んで|呑《の》んで|呑《の》み|続《つづ》けました。まだここに|五百両《ごひやくりやう》ばかり|残《のこ》つてゐます、どうぞ、……|地獄《ぢごく》の|沙汰《さた》も|金《かね》|次第《しだい》と|言《い》ひますさうですから、|此《この》|金《かね》をあなたに|上《あ》げますから、……|地獄行《ぢごくゆき》|丈《だけ》はこらへて|下《くだ》さいませ……』
『|馬鹿《ばか》を|申《まを》せ、|至正《しせい》|至直《しちよく》、|寸毫《すんがう》も|虚偽《きよぎ》を|許《ゆる》さぬ|此《この》|八衢《やちまた》に|於《おい》て、|賄賂《わいろ》を|提供《ていきよう》するとは|以《もつ》ての|外《ほか》だ。|其《その》|方《はう》がお|寅《とら》から|奪《うば》ひとつた|一千両《いつせんりやう》の|罪《つみ》は|実《じつ》に|重《おも》いけれど、|其《その》|為《ため》にお|寅婆《とらばば》アと|魔我彦《まがひこ》とに|改心《かいしん》の|動機《どうき》を|与《あた》へた|功徳《くどく》に|仍《よ》つて、|其《その》|方《はう》の|功罪《こうざい》を|比較《ひかく》し、|第三天国《だいさんてんごく》へ|遣《つか》はすべき|所《ところ》であつたが、|此《この》|神聖《しんせい》なる|八衢《やちまた》に|於《おい》て|賄賂《わいろ》を|使《つか》はむと|致《いた》した|罪《つみ》に|仍《よ》つて、ヤツパリ|地獄落《ぢごくおち》だ。|有難《ありがた》う|思《おも》へ』
『それなら、モウ|此《この》|五百両《ごひやくりやう》は|提供《ていきよう》しませぬから、どうぞ|天国《てんごく》へやつて|下《くだ》さい。|頼《たの》みます』
『モシ|伊吹戸主《いぶきどぬし》の|神様《かみさま》、|如何《いかが》|取計《とりはか》らひませうか』
『|此《この》|権太事《ごんたこと》、|酔《よひ》どれの|熊《くま》はまだ|五百両《ごひやくりやう》の|酒代《さかて》を|残《のこ》してゐるから、|此《この》|金《かね》がなくなる|迄《まで》|娑婆《しやば》へ|帰《かへ》してやつたがよからう。|冥土《めいど》へかやうなムサ|苦《くる》しい|金《かね》などを|持込《もちこ》まれては、|大変《たいへん》だから……』
『コリヤ|権太《ごんた》、|其《その》|方《はう》はまだここへ|来《く》るのは|早《はや》い、|此《この》|五百両《ごひやくりやう》の|金《かね》がとこ、|酒《さけ》を|呑《の》んで|了《しま》ふ|迄《まで》、|娑婆《しやば》へ|帰《かへ》つたがよからう。|長生《ながいき》きがしたくば、|此《この》|金《かね》を|使《つか》はずに、|酒《さけ》を|辛抱《しんばう》して|居《を》つたがよからうぞ』
『ハイ|有難《ありがた》うございます、|併《しか》しながら|何程《なにほど》|死《し》ぬのが|厭《いや》だと|云《い》つても、|現在《げんざい》|五百両《ごひやくりやう》の|金《かね》を|持《も》ちながら|呑《の》みたい|酒《さけ》を|呑《の》まずに|居《を》れませうか。それならコレからマ|一度《いちど》|娑婆《しやば》へ|出《で》てお|酒《さけ》を|頂戴《ちやうだい》して|参《まゐ》ります』
|赤《あか》は、
『サア|早《はや》く|帰《かへ》れ』
と|云《い》ひさま、|背中《せなか》をポンと|叩《たた》いた|拍子《ひやうし》に、|権太《ごんた》は|煙《けむり》となつて|消《き》えて|了《しま》つた。|権太《ごんた》の|熊公《くまこう》はお|寅《とら》から|奪《うば》ひ|取《と》つた|金《かね》で|酒《さけ》を|呑《の》み|歩《ある》き、|衣笠村《きぬがさむら》の|酒屋《さかや》の|門口《かどぐち》でブツ|倒《たふ》れ、|一時《いちじ》は|人時不省《じんじふせい》になつてゐたが、|漸《やうや》く|目《め》がさめ、
『あゝあ、|怖《こは》い|夢《ゆめ》を|見《み》た。モウ|酒《さけ》はコリコリだ』
と|言《い》ひながら、|懐《ふところ》から|金《かね》を|取《と》り|出《だ》し、|人通《ひとどほり》の|多《おほ》い|街道《かいだう》に|出《い》で、|乞食《こじき》らしい|者《もの》の|通《とほ》る|前《まへ》に|一円《いちゑん》|二円《にゑん》とまきちらし、|施《ほどこ》しをなし、|遂《つひ》には|善良《ぜんりやう》なる|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》となり、|善人《ぜんにん》の|評判《ひやうばん》を|取《と》つて|一生《いつしやう》を|送《おく》る|事《こと》となつた。|此《この》|熊公《くまこう》の|物語《ものがたり》は|後《のち》に|述《の》ぶる|事《こと》があるであらうと|思《おも》ふ。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸《ち》はへませ。
(大正一二・一・八 旧一一・一一・二二 松村真澄録)
第八章 |中有《ちうう》〔一二四一〕
|人間《にんげん》が|此《この》|世《よ》にギヤツと|生《うま》るるや、|其《その》|意思《いし》の|方面《はうめん》から|見《み》た|時《とき》は|即《すなは》ち|其《その》|吾《われ》の|儘《まま》なる|時《とき》は|悪《あし》き|事《こと》ばかりである。|人間《にんげん》は|何程《なにほど》|立派《りつぱ》に|博愛《はくあい》だ、|善道《ぜんだう》だ、|忠《ちう》だ、|孝《かう》だと|云《い》つて|居《を》つても、|詮《せん》じつめれば、|只《ただ》|自己《じこ》のみ|都合《つがふ》の|好《い》い|事《こと》ばかりを|考《かんが》へて|容易《ようい》に|他《た》の|事《こと》を|顧《かへり》みないものである。|斯《かく》の|如《ごと》く|己《おのれ》のみ|良《よ》からむ|事《こと》を|願《ねが》ふ|利己心《りこしん》の|強《つよ》い|人間《にんげん》は|他人《たにん》の|不幸《ふしあはせ》を|見《み》て、|結句《けつく》|心地《ここち》よく|思《おも》ふものが|多《おほ》い|様《やう》である。|他人《たにん》の|不幸《ふかう》が|却《かへつ》て|自分等《じぶんら》の|利益《りえき》となる|場合《ばあひ》には|殊更《ことさら》に|福《ふく》でも|降《ふ》つて|来《き》た|様《やう》に|思《おも》つて|北叟笑《ほくそゑみ》をするものである。|何故《なぜ》なれば、かかる|利己的《りこてき》の|人間《にんげん》は|総《そう》じて|他人《たにん》の|利福《りふく》や|名誉《めいよ》たると|財力《ざいりよく》たるとを|問《と》はず、|何《なん》とかして|自分《じぶん》の|所有《しよいう》になさむ|事《こと》をのみ|願《ねが》ふものである。かかる|不善《ふぜん》なる|意思《いし》を|根本的《こんぽんてき》に|改《あらた》めて|善《ぜん》に|遷《うつ》らしめむが|為《ため》に、|誠《まこと》の|神様《かみさま》より|人間《にんげん》に|対《たい》し|諸々《もろもろ》の|真理《しんり》を|会得《ゑとく》すべき|直日《なほひ》の|霊《みたま》の|力《ちから》を|賦与《ふよ》されてゐるものである。|此《この》|真理《しんり》を|判別《はんべつ》する|所《ところ》の|直日《なほひ》の|霊《みたま》の|光《ひかり》によつて、|其《その》|意思《いし》より|起《おこ》る|所《ところ》の|一切《いつさい》|不善《ふぜん》の|情動《じやうだう》を|覆滅《ふくめつ》し|断絶《だんぜつ》せしめむとし|給《たま》ふのである。|人間《にんげん》が|天賦《てんぷ》の|智性中《ちせいちう》の|真《しん》、|未《いま》だ|意思中《いしちう》の|善《ぜん》と|相和合《あひわがふ》せざる|時《とき》は|所謂《いはゆる》|中程《なかほど》の|状態《じやうたい》にあるものだ、|現世《げんせ》の|人間《にんげん》は|大抵《たいてい》|此《この》|状態《じやうたい》に|居《ゐ》る|者《もの》が|多《おほ》い。|彼等《かれら》は|真理《しんり》の|何《なん》たるを|知《し》り、|又《また》|知識《ちしき》の|上《うへ》や|理性《りせい》の|上《うへ》にて|真理《しんり》を|思惟《しゐ》する|事《こと》は|出来《でき》るけれども、|其《その》|実地《じつち》|行《おこな》ふ|所《ところ》の|真理《しんり》に|至《いた》つては、|或《あるひ》は|多《おほ》く|或《あるひ》は|少《すく》なく|又《また》|絶無《ぜつむ》なるものがある。|或《あるひ》は|悪《あく》を|愛《あい》する|心《こころ》|即《すなは》ち|虚偽《きよぎ》の|信仰《しんかう》よりして|真理《しんり》に|背反《はいはん》せる|動作《どうさ》をなすものがある。|故《ゆゑ》に|人間《にんげん》は|高天原《たかあまはら》と|根底《ねそこ》の|国《くに》との|何《いづ》れか|一方《いつぱう》に|適従《てきじゆう》する|所《ところ》あらしめむが|為《た》め、|霊肉脱離後《れいにくだつりご》|即《すなは》ち|死後《しご》|先《ま》づ|中有界《ちううかい》|一名《いちめい》|精霊界《せいれいかい》に|導《みちび》き|入《い》れられるものである。|高天原《たかあまはら》に|上《のぼ》るべきものには|此《この》|中有界《ちううかい》に|於《おい》て|善《ぜん》と|真《しん》との|和合《わがふ》が|行《おこな》はれ、|又《また》|根底《ねそこ》の|国《くに》へ|投《な》げ|入《い》れらるべき|精霊《せいれい》には|此《この》|八衢《やちまた》に|於《おい》て|悪《あく》と|虚偽《きよぎ》との|和合《わがふ》が|行《おこな》はれるものである。|何故《なぜ》なれば|高天原《たかあまはら》に|於《おい》ても|根底《ねそこ》の|国《くに》に|於《おい》ても|善悪《ぜんあく》|不決定《ふけつてい》の|心《こころ》を|有《いう》する|事《こと》を|許《ゆる》されないからである。|即《すなは》ち|智性上《ちせいじやう》に|此《これ》を|思《おも》うて|意思《いし》の|上《うへ》に|彼《かれ》を|志《こころざ》すが|如《ごと》き|事《こと》は|許《ゆる》されない。|必《かなら》ずや|其《その》|志《こころざ》す|所《ところ》を|諒知《りやうち》し|其《その》|知《し》る|所《ところ》を|志願《しぐわん》せなくてはならない|事《こと》になつてゐるからである。|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》|両人《りやうにん》が|今《いま》や|精霊界《せいれいかい》に|進《すす》み、|天界《てんかい》|地獄《ぢごく》の|中間《ちうかん》|状態《じやうたい》にその|身《み》を|置《お》いて|伊吹戸主神《いぶきどぬしのかみ》に|種々《しゆじゆ》の|霊界《れいかい》の|消息《せうそく》を|承《うけたま》はつた|其《その》|大略《たいりやく》を|此処《ここ》に|述《の》べる|事《こと》とする。
|先《ま》づ|地獄界《ぢごくかい》の|入口《いりぐち》は|如何《いか》なるものなりやを|示《しめ》すならば、|一切《いつさい》の|地獄界《ぢごくかい》は|此《この》|精霊界《せいれいかい》の|方面《はうめん》に|対《たい》しては|硬《かた》く|塞《ふさ》がつてゐるものである。|只《ただ》|僅《わづ》かに|岩間《いはま》の|虚隙《きよげき》に|似《に》たる|穴《あな》があり|裂《さ》け|口《ぐち》があり、|或《あるひ》は|大《だい》なる|門戸《もんこ》があつて|暗《くら》い|道《みち》が|僅《わづ》かに|通《つう》じ|紛々《ふんぷん》たる|臭気《しうき》を|帯《お》びた|風《かぜ》が|吹《ふ》いてゐるのみである。|地獄《ぢごく》の|入口《いりぐち》には|守衛《しゆゑい》が|厳《きび》しく|立《た》つてゐて、|猥《みだ》りに|人間《にんげん》の|出入《しゆつにふ》するを|許《ゆる》さないことになつてゐる。|故《ゆゑ》に|地獄界《ぢごくかい》を|探険《たんけん》せむとせば、|伊吹戸主神《いぶきどぬしのかみ》の|許《ゆる》しを|受《う》けなくてはならない。|之《これ》も|容易《ようい》には|許《ゆる》されない|事《こと》になつてゐる。
|一旦《いつたん》|現界《げんかい》へ|帰《かへ》つて|現界《げんかい》の|人間《にんげん》に|霊界《れいかい》の|事《こと》を|説《と》き|諭《さと》す|宣伝使《せんでんし》か、|或《あるひ》は|緊急《きんきふ》の|必要《ひつえう》ある|場合《ばあひ》に|限《かぎ》つて|許《ゆる》さるるものである。|瑞月《ずゐげつ》が|高熊山《たかくまやま》の|聖場《せいぢやう》に|於《おい》て|地獄界《ぢごくかい》を|探険《たんけん》したのも|矢張《やは》り|八衢《やちまた》の|神《かみ》の|許可《ゆるし》を|受《う》けて|行《ゆ》く|事《こと》を|得《え》たのである。|高天原《たかあまはら》へ|上《のぼ》る|道《みち》も|亦《また》|四方《しはう》が|塞《ふさ》がり|高天原《たかあまはら》の|諸団体《しよだんたい》に|通《つう》ずべき|道《みち》は、|容易《ようい》に|見当《みあた》らないのである。|僅《わづ》かに|一条《ひとすぢ》の|小《ちひ》さい|道《みち》が|通《とほ》つてあつて|守衛《しゆゑい》が|之《これ》を|守《まも》つてゐる。|然《しか》しながら|高天原《たかあまはら》へ|上《のぼ》るべき|資格《しかく》のないものの|目《め》には|到底《たうてい》|見《み》る|事《こと》は|出来《でき》ないものである。|又《また》|中有界《ちううかい》は|山岳《さんがく》と|岩石《がんせき》との|間《あひだ》にある|険《けは》しい|谷《たに》に|似《に》た|所《ところ》が|多《おほ》い。|此処《ここ》|彼処《かしこ》に|折《を》れ|曲《まが》りの|所《ところ》が|沢山《たくさん》にあり、|又《また》|非常《ひじやう》に|高《たか》い|処《ところ》や|低《ひく》く|窪《くぼ》んだ|処《ところ》もある。|或《あるひ》は|大川《おほかは》が|流《なが》れ|或《あるひ》は|深《ふか》い|谷《たに》があり、|広野《くわうや》があり|種々雑多《しゆじゆざつた》の|景色《けしき》が|展開《てんかい》してゐる。そして|高天原《たかあまはら》の|諸団体《しよだんたい》に|通《つう》ずる|諸々《もろもろ》の|入口《いりぐち》は、|高天原《たかあまはら》に|上《のぼ》るべき|準備《じゆんび》を|終《を》へたる|天人《てんにん》の|資格《しかく》を|持《も》つてゐる|者《もの》でなくては|見《み》る|事《こと》は|出来《でき》ない。|故《ゆゑ》に|中有界《ちううかい》に|迷《まよ》うてゐる|精霊《せいれい》や|地獄行《ぢごくゆき》の|精霊《せいれい》の|目《め》には|到底《たうてい》|発見《はつけん》する|事《こと》は|出来得《できえ》ないのである。|精霊界《せいれいかい》から|天国《てんごく》の|各団体《かくだんたい》に|通《つう》ずべき|入口《いりぐち》は|只《ただ》|一筋《ひとすぢ》の|細《ほそ》い|道《みち》があるばかりである。|此《この》|道《みち》をダンダンと|上《のぼ》り|行《ゆ》くに|従《したが》つて|道《みち》は|分《わか》れて|数条《すうでう》となり、|追々《おひおひ》|分《わか》れて|幾十条《いくじふでう》とも|分《わか》らなく|各団体《かくだんたい》にそれぞれの|道《みち》が|通《つう》じてゐるのである。|又《また》|根底《ねそこ》の|国《くに》に|通《かよ》ふ|所《ところ》の|入口《いりぐち》は、|之《これ》に|入《い》るべき|精霊《せいれい》の|為《た》めに|開《ひら》かるるものであるから、|其《その》|外《ほか》の|者《もの》は|其《その》|入口《いりぐち》を|見《み》る|事《こと》は|出来《でき》ない。|入口《いりぐち》の|開《ひら》くのを|見《み》れば|薄暗《うすぐら》うて|恰《あだか》も|煤《すす》けた|蜂《はち》の|巣《す》の|様《やう》に|見《み》えて|居《ゐ》る。さうして|斜《ななめ》に|下向《かかう》しておひおひと|深《ふか》い|暗《くら》い|穴《あな》へ|這入《はい》つて|行《ゆ》く|事《こと》になつてゐる。|此《この》|暗《くら》い|入口《いりぐち》を|探《さぐ》り|探《さぐ》りて|下《くだ》つて|行《ゆ》くと、|先《さき》になつて|又《また》|数個《すうこ》の|入口《いりぐち》が|開《あ》いてゐる。|此《この》|入口《いりぐち》の|穴《あな》から|悪臭紛々《あくしうふんぷん》として|鼻《はな》をつき|出《で》て|来《く》る|其《その》|不快《ふくわい》さ、|自然《しぜん》に|鼻《はな》が|曲《まが》り|息《いき》|塞《ふさ》がり|眉毛《まゆげ》が|枯《か》れる|様《やう》な|感《かん》じがして|来《く》るものである。|故《ゆゑ》に|善霊《ぜんれい》|即《すなは》ち|正守護神《せいしゆごじん》は|甚《はなは》だしく|之《これ》を|忌《い》み|嫌《きら》ふが|故《ゆゑ》に|此《この》|悪臭《あくしう》を|嗅《か》ぐやいなや|恐《おそ》れて|一目散《いちもくさん》に|走《はし》り|逃《に》げ|去《さ》るものである。|然《しか》し|乍《なが》ら|地獄《ぢごく》の|団体《だんたい》に|籍《せき》をおいてゐる|悪霊《あくれい》|即《すなは》ち|副守護神《ふくしゆごじん》は、|此《この》|暗黒《あんこく》にして|悪臭《あくしう》|紛々《ふんぷん》たるを|此上《こよ》なく|悦《よろこ》び|楽《たの》しむが|故《ゆゑ》に、|喜《よろこ》んで|之《これ》を|求《もと》め|勇《いさ》んで|地獄《ぢごく》の|入口《いりぐち》に|飛《と》び|込《こ》むものである。|世間《せけん》の|大方《おほかた》の|人間《にんげん》が|己《おのれ》の|自性《じせい》に|属《ぞく》する|悪《あく》を|喜《よろこ》ぶ|如《ごと》く、|死後《しご》|霊界《れいかい》に|至《いた》れば|其《その》|悪《あく》に|相応《さうおう》せる|悪臭《あくしう》を|嗅《か》ぐ|事《こと》を|喜《よろこ》ぶものである。|此《この》|点《てん》に|於《おい》ては|彼等《かれら》|悪霊《あくれい》の|人間《にんげん》は|貪婪《どんらん》|飽《あ》くなき|鷲《わし》や|鷹《たか》、|狼《おほかみ》、|虎《とら》、|獅子《しし》、|豚《ぶた》の|類《るゐ》に|比《くら》ぶべきものである。|彼等《かれら》の|精霊《せいれい》は|腐《くさ》つた|屍骸《しかばね》や|堆糞《たいふん》|等《とう》の|嘔吐《おうと》を|催《もよほ》さむとする|至臭至穢物《ししうしゑぶつ》を|此上《こよ》なく|喜《よろこ》び、|其《その》|臭気《しうき》を|尋《たづ》ねて|糞蠅《くそばひ》の|如《ごと》くに|集《あつ》まつて|来《く》るものである。|是等《これら》の|人間《にんげん》の|霊身《れいしん》は|高天原《たかあまはら》の|天人《てんにん》の|気息《きそく》や|芳香《はうかう》に|合《あ》ふ|時《とき》は、|内心《ないしん》の|苦《くる》しみに|堪《た》へず|悲鳴《ひめい》をあげて|泣《な》き|倒《たふ》れ|苦《くる》しみ|悶《もだ》えるものである。|実《じつ》に|大本開祖《おほもとかいそ》の|神示《しんじ》にある|身魂相応《みたまさうおう》の|神《かみ》の|規則《きそく》とは|実《じつ》に|至言《しげん》と|云《い》ふべしである。|凡《すべ》て|人間《にんげん》には|二箇《にこ》の|門《もん》が|開《ひら》かれてある。さうして|其《その》|一《ひと》つは|高天原《たかあまはら》に|向《むか》つて|開《ひら》き、|一《ひと》つは|根底《ねそこ》の|国《くに》に|向《むか》つて|開《ひら》いてゐる。|高天原《たかあまはら》に|向《むか》つて|開《ひら》く|門口《かどぐち》は|愛《あい》の|善《ぜん》と|信《しん》の|真《しん》とを|入《い》れむがために|開《ひら》かれ、|一《ひと》つは|所在《あらゆる》|悪業《あくごふ》と|虚偽《きよぎ》とに|居《を》るものの|為《た》めに|地獄《ぢごく》の|門《もん》が|開《ひら》かれてあるのだ。さうして|高天原《たかあまはら》より|流《なが》れ|来《きた》る|所《ところ》の|神様《かみさま》の|光明《くわうみやう》は|上方《じやうはう》の|隙間《すきま》から|僅《わづ》かに|数条《すうでう》の|線光《せんくわう》が|下《さが》つて|居《ゐ》るに|過《す》ぎない。|人間《にんげん》がよく|思惟《しゐ》し|究理《きうり》し|言説《げんせつ》するは|此《この》|光明《くわうみやう》によるものである。|善《ぜん》に|居《を》り|又《また》|従《したが》つて|真《しん》に|居《を》るものは|自《おのづか》ら|高天原《たかあまはら》の|門戸《もんこ》は|開《ひら》かれてゐるものである。
|人間《にんげん》の|理性心《りせいしん》に|達《たつ》する|道《みち》は|内外《ないぐわい》|二《ふた》つに|分《わか》れて|居《ゐ》る。|最《もつと》も|高《たか》き|道《みち》|即《すなは》ち|内分《ないぶん》の|道《みち》は|愛《あい》の|善《ぜん》と|信《しん》の|真《しん》とが|大神《おほかみ》より|直接《ちよくせつ》に|入《い》り|来《く》る|道《みち》である、さうして|一《ひと》つは|低《ひく》い|道《みち》、|即《すなは》ち|外部《ぐわいぶ》の|道《みち》である。|此《この》|道《みち》は|根底《ねそこ》の|国《くに》より|所在《あらゆる》|罪悪《ざいあく》と|虚偽《きよぎ》とが|忍《しの》び|入《い》るの|道《みち》である。|此《この》|内部《ないぶ》|外部《ぐわいぶ》の|道《みち》の|中間《ちうかん》に|位《くらゐ》して|居《ゐ》るのが|所謂《いはゆる》|理性心《りせいしん》である。|以上《いじやう》|二《ふた》つの|道《みち》は|之《これ》に|向《むか》うてゐる|故《ゆゑ》に|高天原《たかあまはら》より|大神《おほかみ》の|光明《くわうみやう》|入《い》り|来《きた》る|限《かぎ》り|人間《にんげん》は|理性的《りせいてき》なる|事《こと》を|得《う》れども、|此《この》|光明《くわうみやう》を|拒《こば》みて|入《い》れなかつたならば|其《その》|人間《にんげん》は|自分《じぶん》が|何程《なにほど》|理性的《りせいてき》なりと|思《おも》ふとも|其《その》|実性《じつせい》に|於《おい》ては|已《すで》に|已《すで》に|滅《ほろ》びて|居《ゐ》るものである。|人間《にんげん》の|理性心《りせいしん》と|云《い》ふものは、|其《その》|成立《なりたち》の|最初《さいしよ》に|当《あた》つて|必《かなら》ず|精霊界《せいれいかい》に|相応《さうおう》するものである。|故《ゆゑ》に|其《その》|上《うへ》にある|所《ところ》のものは|高天原《たかあまはら》に|相応《さうおう》し、|其《その》|下《した》にあるものは|必《かなら》ず|根底《ねそこ》の|国《くに》へ|相応《さうおう》するものである。|高天原《たかあまはら》へ|上《のぼ》り|得《う》る|準備《じゆんび》を|成《な》せるものにあつては、|其《その》|上方《じやうはう》の|事物《じぶつ》がよく|開《ひら》けて|居《ゐ》るけれども、|下方《かはう》の|事物《じぶつ》は|全《まつた》く|閉塞《へいそく》して、|罪悪《ざいあく》や|虚偽《きよぎ》の|内流《ないりう》を|受《う》けないものである。|之《これ》に|反《はん》し|根底《ねそこ》の|国《くに》へ|陥《おちい》るべき|準備《じゆんび》をなせるものにあつては、|低《ひく》き|道《みち》|即《すなは》ち|下方《かはう》の|事物《じぶつ》は|開《ひら》けて|居《ゐ》るが|内部《ないぶ》の|道《みち》|即《すなは》ち|上方《じやうはう》の|事物《じぶつ》、|霊的方面《れいてきはうめん》は|全《まつた》く|閉鎖《へいさ》せるが|故《ゆゑ》に|愛善《あいぜん》と|信真《しんしん》の|内流《ないりう》を|受《う》ける|事《こと》が|出来《でき》ない。|之《これ》を|以《もつ》て|前者《ぜんしや》は|只《ただ》|頭上《づじやう》|即《すなは》ち|高天原《たかあまはら》を|仰《あふ》ぎ|望《のぞ》み|得《う》れども、|後者《こうしや》は|只《ただ》|脚下《きやくか》|即《すなは》ち|根底《ねそこ》の|国《くに》を|望《のぞ》み|見《み》るより|外《ほか》に|途《みち》はないのである。さうして|頭上《づじやう》を|仰《あふ》ぎ|望《のぞ》むは|即《すなは》ち|大神《おほかみ》を|拝《はい》し|霊光《れいくわう》に|触《ふ》れ|無限《むげん》の|歓喜《くわんき》に|浴《よく》し|得《う》れども、|脚下《あしもと》|即《すなは》ち|下方《かはう》を|望《のぞ》むものは|誠《まこと》の|神《かみ》に|背《そむ》いて|居《ゐ》る|身魂《みたま》である。
(大正一二・一・八 旧一一・一一・二二 北村隆光録)
第九章 |愛《あい》と|信《しん》〔一二四二〕
|大本開祖《おほもとかいそ》の|聖言《せいげん》には|愛《あい》の|善《ぜん》と|信《しん》の|真《しん》とを|骨子《こつし》として|説《と》かれてある|事《こと》は|神諭《しんゆ》を|拝読《はいどく》した|人《ひと》のよく|知《し》る|所《ところ》なれば、|今更《いまさら》|口述者《こうじゆつしや》が|改《あらた》めて|述《の》ぶる|迄《まで》もないから、|其《その》|聖言《せいげん》は|略《りやく》する|事《こと》とする。
|善《ぜん》とは|即《すなは》ち|此《この》|世《よ》の|造《つく》り|主《ぬし》なる|大神《おほかみ》の|御神格《ごしんかく》より|流入《りうにふ》し|来《きた》る|神善《しんぜん》である。|此《この》|神善《しんぜん》は|即《すなは》ち|愛《あい》|其《その》ものである。|真《しん》とは|同《おな》じく|大神《おほかみ》の|御神格《ごしんかく》より|流入《りうにふ》し|来《きた》る|所《ところ》の|神真《しんしん》である。|此《この》|神真《しんしん》は|即《すなは》ち|信《しん》である。さうして|其《その》|愛《あい》にも|善《ぜん》があり|悪《あく》がある。|愛《あい》の|善《ぜん》とは|即《すなは》ち|霊主体従《れいしゆたいじう》、|神《かみ》より|出《い》でたる|愛《あい》であり、|愛悪《あいあく》とは|体主霊従《たいしゆれいじう》と|云《い》つて|自然界《しぜんかい》に|於《お》ける|自愛《じあい》|又《また》は|世間愛《せけんあい》を|云《い》ふのである。|今《いま》|口述者《こうじゆつしや》が|述《の》ぶる|世間愛《せけんあい》とは|決《けつ》して|世《よ》の|中《なか》の|所謂《いはゆる》|博愛《はくあい》や|慈善的《じぜんてき》|救済《きうさい》を|云《い》ふのではない。|己《おの》が|種族《しゆぞく》を|愛《あい》し、|或《あるひ》は|郷里《きやうり》を|愛《あい》し、|国土《こくど》を|愛《あい》する|為《ため》に|他《た》を|虐《しひた》げ、|或《あるひ》は|亡《ほろ》ぼして|自己《じこ》|団体《だんたい》の|安全《あんぜん》を|守《まも》る|偏狭的《へんけふてき》|愛《あい》を|指《さ》したのである。それから|又《また》|信仰《しんかう》には|真《しん》と|偽《ぎ》とがある。|真《しん》の|信仰《しんかう》とは|心《こころ》の|底《そこ》から|神《かみ》を|理解《りかい》し、|神《かみ》を|愛《あい》し、|神《かみ》を|信《しん》じ、|且《か》つ|死後《しご》の|生涯《しやうがい》を|固《かた》く|信《しん》じて|神《かみ》の|御子《みこ》たる|本分《ほんぶん》を|尽《つく》し、|何事《なにごと》も|神第一《かみだいいち》とする|所《ところ》の|信仰《しんかう》である。|又《また》|偽《いつは》りの|信仰《しんかう》とは|所謂《いはゆる》|偽善者《きぜんしや》|共《ども》の|其《その》|善行《ぜんかう》を|飾《かざ》る|武器《ぶき》として|内心《ないしん》に|悪《あく》を|包蔵《はうざう》しながら、|表面《へうめん》|宗教《しうけう》を|信《しん》じ|神《かみ》を|礼拝《らいはい》し、|或《あるひ》は|宮寺《ぐうじ》などに|寄附金《きふきん》をなし、|其《その》|金額《きんがく》を|石《いし》|又《また》は|立札《たてふだ》に|記《しる》さしめて、|自分《じぶん》の|器量《きりやう》を|誇《ほこ》る|所《ところ》の|信仰《しんかう》である。|或《あるひ》は|商業上《しやうげふじやう》の|便利《べんり》のために、|或《あるひ》はわが|処世上《しよせいじやう》の|都合《つがふ》のために|表面《へうめん》|信仰《しんかう》を|装《よそほ》ふ|横着者《わうちやくもの》の|所為《しよゐ》を|称《しよう》して|偽《いつは》りの|信仰《しんかう》と|云《い》ふのである。|要《えう》するに|神仏《しんぶつ》を|松魚節《かつをぶし》として|自愛《じあい》の|道《みち》を|遂行《すゐかう》せむとする|悪魔《あくま》の|所為《しよゐ》を|云《い》ふのである。|斯《か》くの|如《ごと》き|信仰《しんかう》は|神《かみ》に|罪《つみ》を|重《かさ》ね|自《みづか》ら|地獄《ぢごく》の|門扉《もんぴ》を|開《ひら》く|醜行《しうかう》である。|真《しん》の|神《かみ》は|愛善《あいぜん》と|信真《しんしん》の|中《なか》にこそましませ|自愛《じあい》や|偽信《ぎしん》の|中《なか》にまします|筈《はず》はない、|斯《かか》る|自愛《じあい》や|偽信《ぎしん》の|中《なか》に|潜入《せんにふ》する|神《かみ》は|所謂《いはゆる》|八岐大蛇《やまたをろち》、|悪狐《あくこ》|悪鬼《あくき》|餓鬼《がき》|畜生《ちくしやう》の|部類《ぶるい》である。|高天原《たかあまはら》の|天国《てんごく》|及《およ》び|霊国《れいごく》にあつては|人《ひと》の|言葉《ことば》|皆《みな》|其《その》|心《こころ》より|出《い》づるものであるから、|其《その》|云《い》ふ|所《ところ》は|思《おも》ふ|所《ところ》であり、|思《おも》ふ|処《ところ》は|即《すなは》ち|云《い》ふ|所《ところ》である。|心《こころ》の|中《うち》に|三《さん》を|念《ねん》じて|口《くち》に|一《ひと》つを|云《い》ふ|事《こと》は|出来《でき》ない。|是《これ》が|高天原《たかあまはら》の|規則《きそく》である、|今《いま》|天国《てんごく》と|云《い》つたのは|日《ひ》の|国《くに》の|事《こと》であり、|霊国《れいごく》と|云《い》つたのは|月《つき》の|国《くに》の|事《こと》である。
|真《しん》の|神《かみ》は|月《つき》の|国《くに》に|於《おい》ては|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》と|現《あら》はれ|給《たま》ひ、|日《ひ》の|国《くに》に|於《おい》ては|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》と|現《あら》はれ|給《たま》ふ。さうして|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》のみを|認《みと》めて|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》を|否《いな》むが|如《ごと》き|信条《しんでう》の|上《うへ》に|安心立命《あんしんりつめい》を|得《え》むとするものは、|残《のこ》らず|高天原《たかあまはら》の|圏外《けんぐわい》に|放《ほ》り|出《だ》されるものである。|斯《か》くの|如《ごと》き|人間《にんげん》は|高天原《たかあまはら》より|嘗《かつ》て|何等《なんら》の|内流《ないりう》なき|故《ゆゑ》に|次第《しだい》に|思索力《しさくりよく》を|失《うしな》ひ、|何事《なにごと》につけても|正当《せいたう》なる|思念《しねん》を|有《いう》し|得《え》ざるに|立《た》ち|至《いた》り、|遂《つひ》には|精神《せいしん》|衰弱《すゐじやく》して|唖《おし》の|如《ごと》くなり、|或《あるひ》は|其《その》|云《い》ふ|所《ところ》は|痴呆《ちはう》の|如《ごと》くになつて|歩々《ほほ》|進《すす》まず、|其《その》|手《て》は|垂《た》れて|頻《しき》りに|慄《ふる》ひ|戦《おのの》き、|四肢《しこ》|関節《くわんせつ》は|全《まつた》く|力《ちから》を|失《うしな》ひ、|餓鬼《がき》|幽霊《いうれい》の|如《ごと》くなつて|仕舞《しま》ふものである。|又《また》|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|神格《しんかく》を|無視《むし》し、|其《その》|人格《じんかく》のみを|認《みと》むるものも|同様《どうやう》である。|天地《てんち》の|統御神《とうぎよしん》たる|日《ひ》の|国《くに》にまします|厳《いづ》の|御霊《みたま》に|属《ぞく》する|一切《いつさい》の|事物《じぶつ》は|残《のこ》らず|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》の|支配権《しはいけん》に|属《ぞく》して|居《ゐ》るのである。|故《ゆゑ》に|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》は|大国常立大神《おほくにとこたちのおほかみ》を|初《はじ》め|日《ひ》の|大神《おほかみ》、|月《つき》の|大神《おほかみ》|其《その》|外《ほか》|一切《いつさい》の|神権《しんけん》を|一身《いつしん》にあつめて|宇宙《うちう》に|神臨《しんりん》したまふのである。|此《この》|大神《おほかみ》は|天上《てんじやう》を|統御《とうぎよ》したまふと|共《とも》に、|中有界《ちううかい》、|現界《げんかい》、|地獄《ぢごく》をも|統御《とうぎよ》したまふは|当然《たうぜん》の|理《り》である|事《こと》を|思《おも》はねばならぬ。さうして|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》は|万物《ばんぶつ》の|父《ちち》であり、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》は|万物《ばんぶつ》の|母《はは》である。|総《すべ》て|高天原《たかあまはら》は|此《この》|神々《かみがみ》の|神格《しんかく》によつて|形成《けいせい》せられて|居《ゐ》るものである。|故《ゆゑ》に|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|聖言《せいげん》にも『|我《われ》を|信《しん》ずるものは|無窮《むきう》の|生命《せいめい》を|得《え》、|信《しん》ぜざるものは|其《その》|生命《せいめい》を|見《み》ず』と|示《しめ》されて|居《ゐ》る。|又《また》『|我《われ》は|復活《ふくくわつ》なり、|生命《せいめい》なり、|愛《あい》なり、|信《しん》なり、|道《みち》なり』と|示《しめ》されてある。|然《しか》るに|不信仰《ふしんかう》の|輩《ともがら》は|高天原《たかあまはら》に|於《お》ける|幸福《かうふく》とは、|只《ただ》|自己《じこ》の|幸福《かうふく》と|威力《ゐりよく》にありとのみ|思《おも》ふものである。|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》は、|総《すべ》ての|神々《かみがみ》の|御神格《ごしんかく》を|一身《いつしん》に|集注《しふちう》したまふが|故《ゆゑ》に、|其《そ》の|神《かみ》より|起《おこ》り|来《きた》る|所《ところ》の|御神格《ごしんかく》によつて|高天原《たかあまはら》の|全体《ぜんたい》は|成就《じやうじゆ》し、|又《また》|個々《ここ》の|分体《ぶんたい》が|成就《じやうじゆ》して|居《を》るのである。|人間《にんげん》の|霊体《れいたい》、|肉体《にくたい》も|此《この》|神《かみ》の|神格《しんかく》によつて|成就《じやうじゆ》して|居《ゐ》るのは|無論《むろん》のことである。さうして|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》より|起《おこ》り|来《きた》る|所《ところ》の|神格《しんかく》とは|即《すなは》ち|愛《あい》の|善《ぜん》と|信《しん》の|真《しん》とである。|高天原《たかあまはら》に|住《す》める|天人《てんにん》は、|総《すべ》て|此《この》|神《かみ》の|善《ぜん》と|真《しん》とを|完全《くわんぜん》に|摂受《せつじゆ》して|生命《せいめい》を|永遠《ゑいゑん》に|保存《ほぞん》して|居《ゐ》るのである。さうして|高天原《たかあまはら》はこの|神々《かみがみ》によつて|完全《くわんぜん》に|円満《ゑんまん》に|構成《こうせい》せらるるのである。
|現界《げんかい》の|人間《にんげん》|自身《じしん》の|志《こころざ》す|所《ところ》、|為《な》す|所《ところ》の|善《ぜん》なるもの|又《また》|思《おも》ふ|所《ところ》、|信《しん》ずる|所《ところ》の|真《しん》なるものは、|神《かみ》の|御目《おんめ》より|御覧《みそなは》したまふ|時《とき》は、|其《その》|善《ぜん》も|決《けつ》して|善《ぜん》でなく、|其《その》|真《しん》も|決《けつ》して|真《しん》でない、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》の|御神格《ごしんかく》によりてのみ、|善《ぜん》たり|真《しん》たるを|得《う》るものである。|人間《にんげん》|自身《じしん》より|生《しやう》ずる|善《ぜん》|又《また》は|真《しん》は、|御神格《ごしんかく》より|来《きた》る|所《ところ》の|活力《くわつりよく》を|欠《か》いで|居《を》るからである。|御神格《ごしんかく》の|内流《ないりう》を|見得《けんとく》し、|感得《かんとく》し、|摂受《せつじゆ》して|茲《ここ》に|立派《りつぱ》なる|高天原《たかあまはら》の|天人《てんにん》となる|事《こと》を|得《う》るのである。さうして|人間《にんげん》には|一霊四魂《いちれいしこん》と|云《い》ふものがある。|一霊《いちれい》とは|即《すなは》ち|真霊《しんれい》であり、|神直日《かむなほひ》、|大直日《おほなほひ》と|称《しよう》するのである。さうして|神直日《かむなほひ》とは|神様《かみさま》|特有《とくいう》の|直霊《ちよくれい》であり、|大直日《おほなほひ》とは|人間《にんげん》が|神格《しんかく》の|流入《りふにふ》を|摂受《せつじゆ》したる|直霊《ちよくれい》を|云《い》ふのである。さうして|四魂《しこん》とは|和魂《にぎみたま》、|幸魂《さちみたま》、|奇魂《くしみたま》、|荒魂《あらみたま》を|云《い》ふのである。この|四魂《しこん》は|人間《にんげん》は|云《い》ふに|及《およ》ばず、|高天原《たかあまはら》にも|現実《げんじつ》の|地球《ちきう》の|上《うへ》にも|夫々《それぞれ》の|守護神《しゆごじん》として|儼存《げんぞん》しあるのである。そして|荒魂《あらみたま》は|勇《ゆう》を|司《つかさど》り、|和魂《にぎみたま》は|親《しん》を|司《つかさど》り、|奇魂《くしみたま》は|智《ち》を|司《つかさど》り、|幸魂《さちみたま》は|愛《あい》を|司《つかさど》る。さうして|信《しん》の|真《しん》は|四魂《しこん》の|本体《ほんたい》となり|愛《あい》の|善《ぜん》は|四魂《しこん》の|用《よう》となつて|居《ゐ》る。さうして|直霊《ちよくれい》は|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》の|御神格《ごしんかく》の|御内流《ごないりう》|即《すなは》ち|直流入《ちよくりうにふ》された|神力《しんりき》である。|故《ゆゑ》に|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|御神格《ごしんかく》は|総《すべ》ての|生命《せいめい》の|原頭《げんとう》とならせたまふものである。|此《この》|大神《おほかみ》より|人間《にんげん》に|起来《きらい》するものは|神善《しんぜん》と|神真《しんしん》である。|故《ゆゑ》に|吾々《われわれ》|人間《にんげん》の|運命《うんめい》は|此《この》|神《かみ》より|来《きた》る|神善《しんぜん》と|神真《しんしん》を、|如何《いか》に|摂受《せつじゆ》するかによつて|定《さだ》まるものである。そこで|信仰《しんかう》と|生命《せいめい》とにあつて|是《これ》を|受《う》くるものは|其《その》|中《なか》に|高天原《たかあまはら》を|顕現《けんげん》し、|又《また》|之《これ》を|否《いな》むものは|已《や》むを|得《え》ずして|地獄界《ぢごくかい》を|現出《げんしゆつ》するのである。|神善《しんぜん》を|悪《あく》となし、|神真《しんしん》を|偽《いつは》りとなし、|生《せい》を|死《し》となすものは|又《また》|地獄《ぢごく》を|現出《げんしゆつ》しなくては|已《や》まない。|現代《げんだい》の|学者《がくしや》は|何《いづ》れも|自然界《しぜんかい》の|法則《はふそく》や|統計的《とうけいてき》の|頭脳《づなう》をもつて|不可測《ふかそく》、|不可説《ふかせつ》なる|霊界《れいかい》の|事象《じしやう》をおほけなくも|測量《そくりやう》せむとなし、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|神示《しんじ》を|否《いな》むものは|暗愚迷妄《あんぐめいまう》の|徒《と》にして|所謂《いはゆる》|盲目《めくら》|学者《がくしや》と|云《い》ふべき|厄介《やくかい》ものである。|到底《たうてい》|霊界《れいかい》の|事《こと》は|現実界《げんじつかい》の|規則《きそく》をもつて|窺知《きち》し|得《う》べからざる|事《こと》を|悟《さと》らないためである。|神《かみ》は|斯《かく》の|如《ごと》き|人間《にんげん》を|見《み》て|癲狂者《てんきやうしや》となし、|或《あるひ》は|痴呆《ちはう》となして|救済《きうさい》の|道《みち》なきを|悲《かな》しみ|給《たま》ふものである。|斯《か》かる|人間《にんげん》は|総《すべ》て|其《その》|精霊《せいれい》を|地獄《ぢごく》の|団体《だんたい》に|所属《しよぞく》せしめて|居《ゐ》るのである。|斯《か》かる|盲学者《まうがくしや》は|神《かみ》の|内流《ないりう》を|受《う》けて|伝達《でんたつ》したる|霊界物語《れいかいものがたり》のある|個所《かしよ》を|摘発《てきはつ》して|吾《わが》|知識《ちしき》の|足《た》らざるを|顧《かへり》みず、|種々雑多《しゆじゆざつた》と|批評《ひひやう》を|加《くは》へ、|甚《はなは》だしきは|不徹底《ふてつてい》なる|自己《じこ》の|考察力《かうさつりよく》をもつて|之《これ》を|葬《はうむ》り|去《さ》らむとする|罪悪者《ざいあくしや》である。|高天原《たかあまはら》の|団体《だんたい》に|其《その》|籍《せき》を|置《お》き、|現代《げんだい》に|於《おい》て|既《すで》に|天人《てんにん》の|列《れつ》に|列《れつ》したる|人間《にんげん》の|精霊《せいれい》は|吾人《ごじん》の|生命《せいめい》|及《およ》び|一切《いつさい》の|生命《せいめい》は|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|御神格《ごしんかく》より|起来《きらい》せる|道理《だうり》を|証覚《しようかく》し、|世《よ》にある|一切《いつさい》のものは|善《ぜん》と|真《しん》とに|相関《あひくわん》する|事《こと》を|知覚《ちかく》して|居《ゐ》るものである、|斯《か》かる|人格者《じんかくしや》の|精霊《せいれい》を|称《しよう》して|地上《ちじやう》の|天人《てんにん》と|云《い》ふのである。
|人間《にんげん》の|意思的《いしてき》|生涯《しやうがい》は|愛《あい》の|生涯《しやうがい》であつて|善《ぜん》と|相関《さうくわん》し、|知性的《ちせいてき》|生涯《しやうがい》は|信仰《しんかう》の|生涯《しやうがい》にして|真《しん》と|相関《さうくわん》するものである、さうして|一切《いつさい》の|善《ぜん》と|真《しん》とは|皆《みな》|高天原《たかあまはら》より|来《きた》るものであり、|生命《せいめい》|一切《いつさい》の|事《こと》|又《また》|高天原《たかあまはら》より|来《きた》る|事《こと》を|悟《さと》り|得《う》るのが|天人《てんにん》である。|故《ゆゑ》に|霊界《れいかい》の|天人《てんにん》も、|地上《ちじやう》の|天人《てんにん》も|右《みぎ》の|道理《だうり》を|堅《かた》く|信《しん》ずるが|故《ゆゑ》に、|其《その》|善行《ぜんかう》に|対《たい》して|他人《たにん》の|感謝《かんしや》を|受《う》ける|事《こと》を|悦《よろこ》ばないものである、もし|人《ひと》あつて|是等《これら》の|諸善行《しよぜんかう》を|彼《か》の|天人《てんにん》|等《ら》の|所有《しよいう》に|帰《き》せむとする|時《とき》は|天人《てんにん》は|大《おほい》に|怒《いか》つて|引退《いんたい》するものである。|人《ひと》の|知識《ちしき》や|人《ひと》の|善行《ぜんかう》は|皆《みな》|其《その》|人《ひと》|自《みずから》してしかるものと|信《しん》ずる|如《ごと》きは|悪霊《あくれい》の|考《かんが》へにして|到底《たうてい》|天人《てんにん》|共《ども》の|解《かい》し|得《え》ざる|所《ところ》である。|故《ゆゑ》に|自己《じこ》のためになす|所《ところ》の|善《ぜん》は|決《けつ》して|善《ぜん》ではない、|何《なん》となれば|夫《そ》れは|自己《じこ》の|所為《しよゐ》なるが|故《ゆゑ》である。されど|自己《じこ》のためにせず|善《ぜん》のためになせる|善《ぜん》は|所謂《いはゆる》|神格《しんかく》の|内流《ないりう》より|来《きた》る|所《ところ》の|善《ぜん》である。|高天原《たかあまはら》は|斯《かく》の|如《ごと》き|善《ぜん》|即《すなは》ち|神格《しんかく》によつて|成立《せいりつ》して|居《ゐ》るものである。
|人間《にんげん》|在世《ざいせい》の|時《とき》に|於《おい》て|自《みづか》らなせる|善《ぜん》、|自《みづか》ら|信《しん》ずる|真《しん》をもつて、|実《じつ》に|自《みづか》らの|胸中《きようちう》より|来《きた》るものとなし、|又《また》は|当然《たうぜん》|自分《じぶん》の|所属《しよぞく》と|信《しん》じて|居《ゐ》るものはどうしても|高天原《たかあまはら》に|上《のぼ》る|事《こと》は|出来《でき》ない、|彼《か》の|善行《ぜんかう》の|功徳《くどく》を|求《もと》めたり、|又《また》|自《みづか》ら|義《ぎ》とするものは|斯《かく》の|如《ごと》き|信仰《しんかう》を|有《いう》して|居《ゐ》るものである。|高天原《たかあまはら》|及《およ》び|地上《ちじやう》の|天人《てんにん》は|斯《かく》の|如《ごと》きものをもつて|痴呆《ちはう》となし、|俗人《ぞくじん》となして、|大《おほい》に|忌避的《きひてき》|態度《たいど》を|取《と》るものである。|斯《かく》の|如《ごと》き|人間《にんげん》は|不断《ふだん》に|自分《じぶん》にのみ|求《もと》めて、|大神《おほかみ》の|神格《しんかく》を|観《み》ないが|故《ゆゑ》に、|真理《しんり》に|暗《くら》き|痴呆者《ちはうしや》と|云《い》ふのである。|又《また》|彼等《かれら》は|元《もと》より|大神《おほかみ》の|所属《しよぞく》となすべきものを|己《おのれ》に|奪《うば》はむとするが|故《ゆゑ》に|神《かみ》より|天《てん》の|賊《ぞく》と|称《とな》へらるるのである。|所謂《いはゆる》|人間《にんげん》は|大神《おほかみ》の|御神格《ごしんかく》を|天人《てんにん》が|摂受《せつじゆ》するとの|信仰《しんかう》に|逆《さか》らうて|居《ゐ》るものである。|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》は|高天原《たかあまはら》の|天人《てんにん》と|共《とも》に|自家存在《じかそんざい》の|中《うち》に|住《す》みたまふ、|故《ゆゑ》に|大神《おほかみ》は|高天原《たかあまはら》に|於《お》ける|一切中《いつさいちう》の|一切《いつさい》である|事《こと》は|云《い》ふ|迄《まで》もない|事《こと》である。
(大正一二・一・八 旧一一・一一・二二 加藤明子録)
第一〇章 |震士震商《しんししんしやう》〔一二四三〕
|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》|両人《りやうにん》は|伊吹戸主《いぶきどぬし》の|神《かみ》の|関所《せきしよ》に|於《おい》て|優待《いうたい》され|茶果《さくわ》を|饗応《きやうおう》せられ、|少時《しばらく》|休息《きうそく》してゐると、|其《その》|前《まへ》をスタスタと|勢《いきほひ》よく|通《とほ》りかかつたデツプリ|肥《こ》えた|六十男《ろくじふをとこ》がある。
|赤顔《あかがほ》の|守衛《しゆゑい》はあわてて、|其《その》|男《をとこ》を|引《ひ》きとめ、
『コラ|待《ま》てツ』
と|一喝《いつかつ》した。|男《をとこ》は|後《あと》|振返《ふりかへ》り、|不機嫌《ふきげん》な|顔《かほ》をして、
『|何《なん》だ|天下《てんか》の|大道《だいだう》を|往来《わうらい》するのに、|待《ま》てと|云《い》つて|妨《さまた》げる|不道理《ふだうり》な|事《こと》があるか、エー、|俺《おれ》をどなたと|心得《こころえ》て|居《ゐ》る。|傷死位《しやうしゐ》|窘死等《くんしとう》|死爵《ししやく》|鬼族婬偽員《きぞくゐんぎゐん》|慾野深蔵《よくのふかざう》といふ|紳士《しんし》だ。|邪魔《じやま》を|致《いた》すと、|交番《かうばん》へ|引渡《ひきわた》さうか』
『オイ、|其《その》|方《はう》はここをどこと|心得《こころえ》て|居《ゐ》る』
『|言《い》はいでもきまつた|事《こと》だ。|野蛮《やばん》|未開《みかい》の|北海道《ほくかいだう》ぢやないか』
『|其《その》|方《はう》は|何《ど》うして|此処《ここ》へ|来《き》たのだ』
『|空中《くうちう》|視察《しさつ》の|為《ため》、|飛行機《ひかうき》に|乗《の》つて|居《を》つた|所《ところ》、プロペラの|加減《かげん》が|悪《わる》くて、|風波《かざなみ》でこんな|方《はう》へやつて|来《き》たのだ。|何《ど》うだ|俺《おれ》を|本国《ほんごく》へ|案内《あんない》してくれないか、さうすりや|腐《くさ》つた|酒《さけ》の|一杯《いつぱい》も|呑《の》ましてやらぬこともないワイ』
『コリヤコリヤ|慾野深蔵《よくのふかざう》、ここは|冥途《めいど》だぞ、|天《あめ》の|八衢《やちまた》を|知《し》らぬか』
『|鳴動《めいどう》も|爆発《ばくはつ》もあつたものかい、そんなメードウな|事《こと》を|云《い》ふない、|俺《おれ》こそはフサの|国《くに》に|於《おい》て|遠近《ゐんきん》に|名《な》を|知《し》られた|紳士《しんし》だ……|否《いな》|紳士兼紳商《しんしけんしんしやう》だ。|男《をとこ》のボーイに|酒《さけ》をつがす|時《とき》には|男酌閣下《だんしやくかくか》で、|自分《じぶん》|一人《ひとり》ついで|呑《の》む|時《とき》には|私酌閣下《ししやくかくか》だ。エヽーン、そんなおどし|文句《もんく》を|並《なら》べて、|鳴動《めいどう》だの、|破裂《はれつ》だのと|云《い》はずに、|俺《おれ》の|案内《あんない》でもしたらどうだ、|貴様《きさま》もこんな|所《ところ》で|二銭《にせん》|銅貨《どうくわ》の|様《やう》な|顔《かほ》をして、しやちこ|張《ば》つて|居《を》つても、|気《き》が|利《き》かぬぢやないか。|銅銭《どうせん》ロクな|奴《やつ》ぢやあろまいが、|俺《おれ》も|大度量《だいどりやう》をオツ|放《ぽ》り|出《だ》して、|椀給《わんきふ》で|門番《もんばん》にでも|救《すく》うてやらう』
『コリヤ|深蔵《ふかざう》、|貴様《きさま》はチツとばかり|酒《さけ》に|喰《くら》ひ|酔《よ》うてゐるな、|今《いま》|紳士《しんし》|紳商《しんしやう》だと|吐《ぬか》したが|慾《よく》にかけたら|親子《しんし》の|間《あひだ》でも|公事《くじ》を|致《いた》したり、|又《また》|人《ひと》の|悪口《あくこう》を|針小棒大《しんせうぼうだい》に|吹聴《ふいちやう》|致《いた》し、|自己《じこ》の|名利《めいり》|栄達《えいたつ》を|計《はか》り、|身上《しんじやう》を|拵《こしら》へた|真極道《しんごくだう》だらう、チヤンとここな|帳面《ちやうめん》についてゐるのだ、|何程《なんぼ》|娑婆《しやば》で|羽振《はぶり》がよくても|霊界《れいかい》へ|来《き》ては|最早《もはや》|駄目《だめ》だ。サ、ここの|衡《はかり》にかかれ、|貴様《きさま》の|罪《つみ》を|測量《そくりやう》してやらう』
『さうすると、|此処《ここ》はヤツパリ|冥途《めいど》でげすかなア』
『|気《き》がついたか、|貴様《きさま》は|積悪《せきあく》の|酬《むくい》に|仍《よ》りて、|地震《ぢしん》の|為《ため》に|震死《しんし》した|震死代物《しんししろもの》だらう』
『|成程《なるほど》、さう|承《うけたま》はれば|朧《おぼろ》げに|記憶《きおく》に|浮《う》かむ|出来《でき》ますワイ。|飛行機《ひかうき》に|乗《の》つたと|思《おも》つたのは……さうすると|魂《たましひ》が|宙《ちう》に|飛《と》んだのかな』
|赤面《あかづら》の|守衛《しゆゑい》は|帳面《ちやうめん》をくりながら、
『|其《その》|方《はう》は|慾野深蔵《よくのふかざう》と|云《い》つたな、|幼名《えうめい》は|渋柿泥右衛門《しぶがきどろうゑもん》と|申《まを》さうがな』
『ハイ、ヨク、|深《ふか》い|所《ところ》まで|御存《ごぞん》じで|厶《ござ》いますなア、それに|間違《まちが》ひは|厶《ござ》いませぬ』
『|其《その》|方《はう》は|娑婆《しやば》に|於《おい》て、|殺人鉄道嵐脈会社《さつじんてつだうらんみやくくわいしや》の|社長《しやちやう》|兼《けん》|取締役《とりしまりやく》を|致《いた》して|居《を》つたであらう』
『ハイ|其《その》|通《とほ》りで|厶《ござ》います』
『|優先株《いうせんかぶ》だとか、|幽霊株《いうれいかぶ》だとか|申《まを》して、|沢山《たくさん》な|蕪《かぶら》や|大根《だいこん》を、|金《かね》も|出《だ》さずに|吾物《わがもの》に|致《いた》しただらう』
『ハイそんな|事《こと》もあつたでせう、|併《しか》しそれを|致《いた》さねば|現界《げんかい》に|於《おい》ては、|鬼族院偽員《きぞくゐんぎゐん》になる|事《こと》も|出来《でき》ず、|紳士《しんし》|紳商《しんしやう》といはれる|事《こと》も|出来《でき》ませぬから、|娑婆《しやば》の|規則《きそく》に|依《よ》つて|止《や》むを|得《え》ず|優勝劣敗的《いうしようれつぱいてき》|行動《かうどう》を|致《いた》しました、コリヤ|決《けつ》して|私《わたし》の|罪《つみ》ではありませぬ、|社会《しやくわい》の|罪《つみ》で|厶《ござ》います、|何分《なにぶん》|社会《しやくわい》の|組織《そしき》|制度《せいど》が、さうせなくちやならない|様《やう》になつてゐるのですからなア』
『|馬鹿《ばか》|申《まを》せ、そんな|法律《はふりつ》が|何時《いつ》|発布《はつぷ》されたか』
『|表面《へうめん》から|見《み》れば、|左様《さやう》な|事《こと》はありませぬが、|其《その》|内容《ないよう》|及《および》|精神《せいしん》から|考《かんが》へれば、|法文《はふぶん》の|裏《うら》をくぐるべく|仕組《しぐ》まれてあるものですから、|之《これ》をうまく|切抜《きりぬ》ける|者《もの》が、|娑婆《しやば》の|有力者《いうりよくしや》と|云《い》ふ|者《もの》です、|総理《そうり》|大臣《だいじん》や|或《あるひ》は|小爵《こしやく》や|柄杓《ひしやく》や|疳癪《かんしやく》などの|高位《かうゐ》に|昇《のぼ》らうと|思《おも》へば、|真面目《まじめ》|臭《くさ》く、|法文《はふぶん》などを|守《まも》つて|居《を》つちや、|娑婆《しやば》では|犬《いぬ》に|小便《せうべん》をかけられ|猫《ねこ》にふみつぶされて|了《しま》ひますワ。|郷《がう》に|入《い》つては|郷《がう》に|従《したが》へですから、|娑婆《しやば》ではこれでも|立派《りつぱ》な|公民《こうみん》、|紳士《しんし》|中《ちう》でも|錚々《さうさう》たる|人物《じんぶつ》で|厶《ござ》います、ここへ|来《く》れば、|凡《すべ》ての|行方《やりかた》が|違《ちが》ふでせうが、|娑婆《しやば》は|娑婆《しやば》の|法律《はふりつ》、|霊界《れいかい》は|霊界《れいかい》の|法律《はふりつ》があるでせう、まだ|霊界《れいかい》へ|来《き》てから|善《ぜん》もやつた|事《こと》がない|代《かは》りに、|悪《あく》をやる|暇《ひま》もありませぬ、|娑婆《しやば》の|事《こと》|迄《まで》、|死《し》んだ|子《こ》の|年《とし》をくる|様《やう》に、こんな|所《ところ》でゴテゴテ|云《い》はれちや、やり|切《き》れませぬからなア。エヽ、|何《なん》だか|気《き》がせく、|斯様《かやう》な|所《ところ》でヒマ|取《ど》つては、|第一《だいいち》タイムの|損害《そんがい》だ、|娑婆《しやば》で|金貸《かねか》しをして|居《を》つた|時《とき》にや、|寝《ね》とつても|起《お》きとつても、|時計《とけい》の|針《はり》がケチケチと|鳴《な》る|内《うち》に、|金《かね》の|利息《りそく》が、|十円札《じふゑんさつ》で|一枚《いちまい》づつ、|輪転機《りんてんき》で|新聞《しんぶん》を|印刷《いんさつ》する|様《やう》に、ポイポイと|生《うま》れて|来《き》たものだが、|最早《もはや》ここへ|来《き》ては|無一物《むいちぶつ》だ、|之《これ》から|一《ひと》つ|冥途《めいど》を|開拓《かいたく》して、|娑婆《しやば》に|居《を》つた|時《とき》よりもモ|一《ひと》つ|勉強家《べんきやうか》となり、|大地主《おほぢぬし》となつて、|冥途《めいど》の|一生《いつしやう》を|送《おく》りたい。どうぞ|邪魔《じやま》をして|下《くだ》さるな』
と|云《い》ひながら、|大股《おほまた》にふん|張《ば》つて、|関所《せきしよ》を|突破《とつぱ》せむとする。
|此《この》|騒《さわ》ぎに|伊吹戸主《いぶきどぬし》の|神《かみ》は|関所《せきしよ》の|窓《まど》をあけて、|一寸《ちよつと》|覗《のぞ》かせ|給《たま》うた。|慾野深蔵《よくのふかざう》は|判神《はんしん》の|霊光《れいくわう》に|打《う》たれて、アツと|其《その》|場《ば》に|悶絶《もんぜつ》し、|蟹《かに》の|様《やう》な|泡《あわ》を|吹《ふ》いて|苦《くるし》み|出《だ》した。|忽《たちま》ち|館《やかた》の|一方《いつぱう》より|数人《すうにん》の|番卒《ばんそつ》|現《あら》はれ|来《きた》り、|慾野深蔵《よくのふかざう》の|体《からだ》を|荷車《にぐるま》に|乗《の》せ、ガラガラガラガラと|厭《いや》らしき|音《おと》をさせながら、|何処《どこ》ともなく|運《はこ》び|去《さ》つた。|之《これ》は|地獄道《ぢごくだう》の|大門口内《おほもんぐちない》へ|放《はふ》り|込《こ》みに|行《い》つたのである。|深蔵《ふかざう》は|暗《くら》き|門内《もんない》へ|放《はう》り|込《こ》まれ、ハツと|気《き》がつき、ブツブツ|小言《こごと》を|小声《こごゑ》で|囁《ささや》きながら、トボトボと|慾界地獄《よくかいぢごく》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》くのであつた。
|抑《そもそ》も|此《この》|八衢《やちまた》の|関所《せきしよ》は|天国《てんごく》へ|上《のぼ》り|行《ゆ》く|人間《にんげん》と|地獄《ぢごく》へ|落《お》ちる|人間《にんげん》とを|査《しら》べる|二《ふた》つの|役人《やくにん》があつて、|天国《てんごく》へ|行《ゆ》くべき|人間《にんげん》に|対《たい》しては、|色《いろ》の|白《しろ》き|優《やさ》しき|守衛《しゆゑい》が|之《これ》を|査《しら》べ、|地獄《ぢごく》へ|行《ゆ》くべき|人間《にんげん》に|対《たい》しては|形相《ぎやうさう》|凄《すさま》じい|赤《あか》い|顔《かほ》した|守衛《しゆゑい》が|之《これ》を|査《しら》べる|事《こと》になつてゐる。
|竜公《たつこう》は|此《この》|光景《くわうけい》を|見《み》て、|何《なん》とも|云《い》へぬ|怖《おそ》れを|抱《いだ》き|治国別《はるくにわけ》の|袂《たもと》を|固《かた》く|握《にぎ》り、|不安《ふあん》の|顔付《かほつき》にて|少《すこ》しばかり|慄《ふる》へながら、|息《いき》をこらして|数多《あまた》の|精霊《せいれい》の|取査《とりしら》べらるるのを|冷々《ひやひや》しながら|眺《なが》めて|居《ゐ》る。|暫《しばら》くすると|錫杖《しやくじやう》をガチヤンガチヤンと|言《い》はせながらやつて|来《き》たのは、バラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》であつた。|宣伝使《せんでんし》が|此《この》|赤門《あかもん》をくぐらうとするや|白《しろ》、|赤《あか》|二人《ふたり》の|守衛《しゆゑい》は|門口《もんぐち》に|立塞《たちふさ》がり、
『|暫《しば》らくお|待《ま》ちなさい、|取調《とりしら》ぶる|事《こと》がある』
と|呼《よ》びかけた。|宣伝使《せんでんし》は|後《あと》|振返《ふりかへ》り|怪訝《けげん》な|顔《かほ》をして、
『|拙者《せつしや》は|大自在天《だいじざいてん》|大国彦命《おほくにひこのみこと》の|御仁慈《ごじんじ》と|御神徳《ごしんとく》を|天下《てんか》に|紹介《せうかい》|致《いた》すバラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》で|厶《ござ》る。|拙者《せつしや》をお|呼止《よびと》めになつたのは|何用《なによう》で|厶《ござ》るかな』
|赤《あか》『ここは|霊界《れいかい》の|八衢《やちまた》だ。|其《その》|方《はう》が|生前《せいぜん》に|於《お》ける|善悪《ぜんあく》の|行為《かうゐ》を|査《しら》べた|上《うへ》でなくては、|此《この》|門《もん》を|通行《つうかう》させることはなりませぬ。ここに|御待《おま》ちなされ』
『ハテ|心得《こころえ》ぬ、|吾々《われわれ》は|大黒主《おほくろぬし》の|命《めい》を|奉《ほう》じ、|月《つき》の|国《くに》を|巡回《じゆんくわい》|致《いた》し、デカタン|高原《かうげん》に|向《むか》ふハリスと|申《まを》す|者《もの》、|決《けつ》して|吾々《われわれ》は|死《し》んだ|覚《おぼ》えは|厶《ござ》らぬ。いい|加減《かげん》に|戯談《じやうだん》を|云《い》つておきなさるがよからう。|大黒主《おほくろぬし》の|御命令《ごめいれい》、|片時《かたとき》も|猶予《いうよ》してゐる|訳《わけ》には|参《まゐ》らぬ』
と|又《また》もや|行《ゆ》かむとする。|赤《あか》は|目《め》を|怒《いか》らし、|大喝一声《だいかついつせい》、
『|偽宣伝使《にせせんでんし》、|暫《しばら》く|待《ま》てツ』
と|呶鳴《どな》りつけた。ハリスは|此《この》|声《こゑ》にハツと|気《き》が|付《つ》き、あたりをキヨロキヨロ|見廻《みまは》しながら、
『ヤアどうやらこれは|霊界《れいかい》の|様《やう》で|厶《ござ》る、いつの|間《ま》に|斯様《かやう》な|所《ところ》へ|来《き》たのかなア』
『|其《その》|方《はう》は|世界《せかい》の|人民《じんみん》に|神《かみ》の|福音《ふくいん》を|宣《の》べ|伝《つた》へ|天国《てんごく》へ|案内《あんない》すると|申《まを》しながら、|其《その》|実際《じつさい》に|於《おい》て|霊界《れいかい》の|存在《そんざい》を|信《しん》ぜず、|神《かみ》を|認《みと》めず、|半信半疑《はんしんはんぎ》の|状態《じやうたい》に|在《あ》つて、|数多《あまた》の|人間《にんげん》を|中有界《ちううかい》|又《また》は|地獄《ぢごく》へ|幾人《いくにん》|落《おと》したか|知《し》れない|偽善者《きぜんしや》だ。|今《いま》ここで|浄玻璃《じやうはり》の|鏡《かがみ》にかけて、|其《その》|方《はう》が|霊肉《れいにく》|共《とも》に|犯《をか》したる|罪悪《ざいあく》を|査《しら》べてやらう』
『イヤもう|恐《おそ》れ|入《い》りました。|仰《あふ》せの|通《とほ》り|社会《しやくわい》の|人民《じんみん》に|対《たい》し、|勧善懲悪《くわんぜんちようあく》の|道《みち》を|説《と》き|又《また》は|天国《てんごく》|地獄《ぢごく》の|存在《そんざい》を|朝《あさ》から|晩《ばん》|迄《まで》|説《と》き|諭《さと》して|参《まゐ》りましたが、|実際《じつさい》に|於《おい》て|左様《さやう》な|所《ところ》があるものか、|人間《にんげん》は|此《この》|肉体《にくたい》を|去《さ》らば、|後《あと》は|煙《けむり》の|如《ごと》く|消《き》え|失《う》せるものだ、コーランに|示《しめ》されたる|天国《てんごく》|地獄《ぢごく》の|状態《じやうたい》は、|要《えう》するに、|社会《しやくわい》の|人心《じんしん》を|調節《てうせつ》する|方便《はうべん》に|過《す》ぎないものだと|信《しん》じて|居《を》りました。それ|故《ゆゑ》|何《ど》うしてもハツキリとした|事《こと》は|申《まを》されず、|自分《じぶん》も|半信半疑《はんしんはんぎ》ながら|天国《てんごく》|地獄《ぢごく》の|消息《せうそく》を|説諭《ときさと》して|来《き》たので|厶《ござ》います。|今《いま》となつて|考《かんが》へてみれば、|死後《しご》の|世界《せかい》が|斯《か》くも|儼然《げんぜん》として|存在《そんざい》するとは、|実《じつ》に|驚愕《きやうがく》の|至《いた》りで|厶《ござ》います』
『|其《その》|方《はう》は|宣伝使《せんでんし》のレツテルをつけて|世人《よびと》を|迷《まよ》はした|罪《つみ》は|大《だい》なりと|雖《いへど》も、|又《また》|一方《いつぱう》に|於《おい》て|朧《おぼろ》げながら、|神《かみ》の|存在《そんざい》を|無信仰者《むしんかうしや》に|伝《つた》へた|徳《とく》に|依《よ》つて、|地獄行《ぢごくゆき》|丈《だけ》は|許《ゆる》して|遣《つか》はす、|少時《しばらく》|此《この》|中有界《ちううかい》にあつて|心《こころ》を|研《みが》き|神《かみ》の|善《ぜん》と|真《しん》は|何如《いか》なるものなるかを|了解《れうかい》し|得《う》る|迄《まで》、|修業《しうげふ》を|致《いた》したがよからう。ここ|三十日《さんじふにち》の|間《あひだ》、|中有界《ちううかい》に|止《とど》まることを|許《ゆる》してやるから、|其《その》|間《あひだ》に|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》を|得《え》、|愛《あい》の|善《ぜん》と|信《しん》の|真《しん》を|了得《れうとく》し|得《う》るならば、|霊相応《みたまさうおう》の|天国《てんごく》へ|昇《のぼ》り|得《う》るであらう。|此《この》|期限内《きげんない》に|万々一《まんまんいち》|改過遷善《かいくわせんぜん》の|実《じつ》をあげ|得《え》ざるに|於《おい》ては、|気《き》の|毒《どく》ながら|地獄《ぢごく》へ|落《おと》さねばならない、サア|早《はや》く|東《ひがし》を|指《さ》して|進《すす》んだがよからう』
『ハイ、|特別《とくべつ》の|御憐愍《ごれんびん》を|以《もつ》て|地獄落《ぢごくおち》の|猶予《いうよ》|期間《きかん》をお|与《あた》へ|下《くだ》さいまして|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|左様《さやう》なればこれから|中有界《ちううかい》を|遍歴《へんれき》し、|力一杯《ちからいつぱい》|善《ぜん》の|為《ため》に|善《ぜん》を|行《おこな》ひ、|迷《まよ》ひ|来《く》る|精霊《せいれい》に|対《たい》し、|十分《じふぶん》の|努力《どりよく》を|以《もつ》て、|私《わたし》の|悟《さと》り|得《え》たる|所《ところ》を|伝《つた》へるで|厶《ござ》いませう』
『コリヤコリヤ、ハリス、|其《その》|方《はう》が|覚《さと》り|得《え》たと|思《おも》つたら|大変《たいへん》な|間違《まちがひ》であるぞ、|皆《みな》|神《かみ》さまの|御神格《ごしんかく》の|内流《ないりう》に|依《よ》つて、|知覚《ちかく》し、|意識《いしき》し、|証覚《しようかく》を|得《う》るものだ。|決《けつ》して|汝《なんぢ》|一力《いちりき》のものと|思《おも》つたら、|忽《たちま》ち|天《てん》の|賊《ぞく》となつて|地獄《ぢごく》へ|落《お》ちねばならないぞ、ええか、|分《わか》つたか』
『ハイ、|分《わか》りまして|厶《ござ》います、|然《しか》らば|之《これ》より|東《ひがし》を|指《さ》して|修業《しうげふ》に|参《まゐ》ります』
『|期限内《きげんない》に|必《かなら》ずここへ|帰《かへ》つて|来《く》るのだぞ、|其《その》|時《とき》|改《あらた》めて|汝《なんぢ》の|改過遷善《かいくわせんぜん》の|度合《どあひ》を|査《しら》べ、|汝《なんぢ》が|所住《しよぢゆう》を|決定《けつてい》するであらう』
『どうも|御手数《おてすう》をかけまして、|真《まこと》にすみませぬ、|左様《さやう》なれば|御免《ごめん》|下《くだ》さいませ』
と|云《い》ひながら、|始《はじ》めの|勢《いきほひ》どこへやら、|悄然《せうぜん》として|次第々々《しだいしだい》に|其《その》|影《かげ》はうすれつつ、|靄《もや》の|中《なか》に|消《き》えて|了《しま》つた。
|竜公《たつこう》は|治国別《はるくにわけ》の|袖《そで》をひき、|小声《こごゑ》になつて、
『モシ|先生《せんせい》、|宣伝使《せんでんし》も|霊界《れいかい》へ|来《き》ては、カラキーシ|駄目《だめ》ですなア、|現界《げんかい》では|丸《まる》で|救《すくひ》の|神様《かみさま》の|様《やう》に|言《い》はれて|居《を》つても、|茲《ここ》へ|来《く》ると|本当《ほんたう》に|見《み》る|影《かげ》もないぢやありませぬか』
『ウン、さうぢや、|俺達《おれたち》もまだ|天国《てんごく》へは|行《ゆ》けず、|中有界《ちううかい》に|迷《まよ》うて|居《ゐ》るのだからなア、それだから|吾々《われわれ》は|八衢《やちまた》|人足《にんそく》と、|信者《しんじや》|以外《いぐわい》の|連中《れんちう》から|云《い》はれても|仕方《しかた》がないのだ』
『|何《ど》うしたら|天国《てんごく》へ|行《ゆ》けるでせうかな』
『さうだ、|心《こころ》のドン|底《ぞこ》より、|神《かみ》さまの|神格《しんかく》を|理解《りかい》し、|神《かみ》の|真愛《しんあい》を|会得《ゑとく》し、|愛《あい》の|為《ため》に|愛《あい》を|行《おこな》ひ、|善《ぜん》の|為《ため》に|善《ぜん》を|行《おこな》ひ、|真《しん》の|為《ため》に|真《しん》を|行《おこな》ふ|真人間《まにんげん》とならなくちや|到底《たうてい》|駄目《だめ》だ。|俺達《おれたち》も|少《すこ》しばかり|言霊《ことたま》が|利《き》くやうになつて、|自分《じぶん》が|修行《しうぎやう》した|結果《けつくわ》|神力《しんりき》が|備《そな》はつたと|思《おも》うて|居《を》つたが、|大変《たいへん》な|間違《まちが》ひだつた、|何《いづ》れも|皆《みな》|瑞《みづ》の|御霊《みたま》|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》|様《さま》の|御神格《ごしんかく》が|吾《わが》|精霊《せいれい》を|充《み》たし、|吾《わが》|肉体《にくたい》をお|使《つか》ひになつて|居《を》つたのだつた。|之《これ》を|思《おも》へば|人間《にんげん》はチツとも|我《が》を|出《だ》すことは|出来《でき》ない、|何事《なにごと》も|自分《じぶん》の|智慧《ちゑ》だ|力《ちから》だ|器量《きりやう》だと|思《おも》ふのは、|所謂《いはゆる》|大神《おほかみ》の|御神徳《ごしんとく》を|横領《わうりやう》|致《いた》す|天《てん》の|賊《ぞく》だ。|斯様《かやう》な|考《かんが》へで|居《を》つたならば、|到底《たうてい》|何時迄《いつまで》も|中有界《ちううかい》に|迷《まよ》ふか、|遂《つひ》には|地獄道《ぢごくだう》へ|落《お》ちねばならぬ、|有難《ありがた》や|尊《たふと》や、|神様《かみさま》の|御恵《みめぐみ》に|依《よ》つて、ハツキリと|霊界《れいかい》の|様子《やうす》を|見《み》せて|頂《いただ》き、|実《じつ》に|感謝《かんしや》の|至《いた》りである。|之《これ》から|吾々《われわれ》は、|今迄《いままで》の|心《こころ》を|入《い》れ|替《か》へて、|何事《なにごと》も|神様《かみさま》に|御任《おまか》せするのだなア、|自分《じぶん》の|力《ちから》だと|思《おも》へば、そこに|慢心《まんしん》の|雲《くも》が|湧《わ》いて|来《く》る。|謹《つつし》んだ|上《うへ》にも|謹《つつし》むべきは|心《こころ》の|持方《もちかた》である。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|合掌《がつしやう》し|感涙《かんるゐ》に|咽《むせ》ぶのであつた。|竜公《たつこう》も|亦《また》|無言《むごん》のまま|手《て》を|合《あは》せ、|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》にくれてゐる。|伊吹戸主神《いぶきどぬしのかみ》は|二人《ふたり》に|会釈《ゑしやく》し、スーツと|座《ざ》を|立《た》つて、|館《やかた》の|奥《おく》|深《ふか》く|入《い》らせ|給《たま》うた。|二人《ふたり》は|後《あと》を|眺《なが》むれば、|伊吹戸主神《いぶきどぬしのかみ》の|姿《すがた》は|丸《まる》き|玉《たま》の|如《ごと》く|光《ひか》り|輝《かがや》き、|其《その》|神姿《しんし》は|判然《はんぜん》と|見《み》えず、|月《つき》の|如《ごと》き|光《ひかり》が|七《なな》つ|八《や》つ|或《あるひ》は|九《ここの》つ|円球《ゑんきう》の|周囲《しうゐ》を|取巻《とりま》き、|次第々々《しだいしだい》に|奥《おく》の|間《ま》に|隠《かく》れ|給《たま》ふのであつた。
|凡《すべ》て|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》のすぐれたる|神人《しんじん》を、それより|劣《おと》りし|証覚者《しようかくしや》が|拝《はい》する|時《とき》は、|光《ひかり》の|如《ごと》く|見《み》えて、|目《め》も|眩《まばゆ》くなるものである。|神《かみ》の|神格《しんかく》は|神善《しんぜん》と|神真《しんしん》であり、それより|発《はつ》する|智慧《ちゑ》|証覚《しようかく》は|即《すなは》ち|光《ひかり》なるが|故《ゆゑ》である。|二人《ふたり》は|愕然《がくぜん》としてものをも|言《い》はず、|再《ふたた》び|八衢《やちまた》の|関所《せきしよ》に|目《め》を|放《はな》ちここに|集《あつ》まり|来《きた》る|精霊《せいれい》の|様子《やうす》を|瞬《またた》きもせず|窺《うかが》つてゐた。
(大正一二・一・九 旧一一・一一・二三 松村真澄録)
第一一章 |手苦駄女《てくだをんな》〔一二四四〕
|人間《にんげん》の|肉体《にくたい》は|所謂《いはゆる》|精霊《せいれい》の|容器《ようき》である。そして|天人《てんにん》の|養成所《やうせいしよ》ともなり、|或《あるひ》は|邪鬼《じやき》、|悪鬼《あくき》|共《ども》の|巣窟《さうくつ》となるものである。|斯《かく》の|如《ごと》く|同《おな》じ|人間《にんげん》にして|種々《しゆじゆ》の|変化《へんくわ》を|来《きた》すのは、|人間《にんげん》が|主《しゆ》とする|所《ところ》の|愛《あい》の|情動《じやうどう》|如何《いかん》に|依《よ》つて、|或《あるひ》は|天人《てんにん》となり、|或《あるひ》は|精霊界《せいれいかい》に|迷《まよ》ひ、|或《あるひ》は|地獄《ぢごく》の|妖怪的《えうくわいてき》|人物《じんぶつ》となるのである。さうして、|人間《にんげん》が|現世《げんせ》に|住《す》んでゐる|間《うち》は、すべての|思索《しさく》は|自然的《しぜんてき》なるが|故《ゆゑ》に、|人間《にんげん》の|本体《ほんたい》たる|精霊《せいれい》として、|其《その》|精霊《せいれい》の|団体中《だんたいちう》に|加《くは》はることはない、|併《しか》しながら|其《その》|想念《さうねん》が|迥然《けいぜん》として|肉体《にくたい》を|離脱《りだつ》する|時《とき》は、|其《その》|間《かん》|精霊《せいれい》の|中《うち》にあるを|以《もつ》て|或《あるひ》は|各自《かくじ》|所属《しよぞく》の|団体中《だんたいちう》に|現《あら》はるることがある。|此《この》|時《とき》|或《ある》|精霊《せいれい》が|彼《かれ》を|見《み》る|者《もの》は|容易《ようい》に|之《これ》を|他《た》の|諸々《もろもろ》の|精霊《せいれい》と|分別《ぶんべつ》することが|出来《でき》るのである。|何《なん》とならば|肉体《にくたい》を|持《も》つてゐる|精霊《せいれい》は、|前《まへ》に|述《の》べた|万公《まんこう》の|精霊《せいれい》の|如《ごと》く、|思《おも》ひに|沈《しづ》みつつ、|黙然《もくねん》として|前後左右《ぜんごさいう》に|徘徊《はいくわい》し、|他《た》を|省《かへり》みざること、|恰《あだか》も|盲目者《まうもくしや》の|如《ごと》くに|見《み》ゆるからである。|若《も》しも|精霊《せいれい》が|之《これ》とものを|言《い》はむとすれば、|彼《か》の|精霊《せいれい》は|忽然《こつぜん》として|煙《けむり》の|如《ごと》く|消失《せうしつ》するものである。|人間《にんげん》は|如何《いか》にして|肉体《にくたい》を|脱離《だつり》し、|精霊界《せいれいかい》に|入《い》るかと|云《い》ふに、|此《この》|時《とき》の|人間《にんげん》は|睡眠《すゐみん》にも|居《を》らず、|覚醒《かくせい》にもあらざる|一種《いつしゆ》|異様《いやう》の|情態《じやうたい》に|居《を》るものであつて、|此《この》|情態《じやうたい》に|在《あ》る|時《とき》は、|其《その》|人間《にんげん》は、|只《ただ》|自分《じぶん》は|充分《じうぶん》に|覚醒《かくせい》して|居《を》るものとのみ|思《おも》うて|居《を》るものである。|而《しか》して|此《この》|際《さい》に|於《お》ける|諸々《もろもろ》の|感覚《かんかく》は|醒々《さめざめ》として、|恰《あだか》も|肉体《にくたい》の|最《もつと》も|覚醒《かくせい》せる|時《とき》に|少《すこ》しも|変《かは》りはないのである。|五官《ごくわん》の|感覚《かんかく》も、|四肢《しこ》|五体《ごたい》の|触覚《しよくかく》も|特《とく》に|精妙《せいめう》となることは|肉体《にくたい》|覚醒時《かくせいじ》の|諸感覚《しよかんかく》や|触覚《しよくかく》の|到底《たうてい》|及《およ》ばざる|所《ところ》である。|此《この》|情態《じやうたい》にあつて、|天人《てんにん》|及《およ》び|精霊《せいれい》を|見《み》る|時《とき》は、|其《その》|精気《せいき》|凛々《りんりん》として|活躍《くわつやく》するを|認《みと》むべく、|又《また》|彼等《かれら》の|言語《げんご》をも|明瞭《めいれう》に|聞《き》く|事《こと》を|得《え》らるるのである。|尚《なほ》も|不可思議《ふかしぎ》とすべきは、|彼等《かれら》|天人《てんにん》|及《およ》び|精霊《せいれい》に|親《した》しく|接触《せつしよく》し|得《う》ることである。|此《この》|故《ゆゑ》は|人間《にんげん》|肉体《にくたい》に|属《ぞく》するもの、|少《すこ》しも|此《この》|間《かん》に|混入《こんにふ》し|来《きた》らないからである。|此《この》|情態《じやうたい》を|呼《よ》んで|霊界《れいかい》にては|肉体離脱《にくたいりだつ》の|時《とき》と|云《い》ひ、|現界《げんかい》より|見《み》ては|之《これ》を|死《し》と|称《しよう》するのである。|此《この》|時《とき》|人間《にんげん》は|其《その》|肉体《にくたい》の|中《なか》に|自分《じぶん》の|居《を》る|事《こと》を|覚《おぼ》えず、|又《また》|其《その》|肉体《にくたい》の|外《そと》に|出《で》て|居《を》ることをも|覚《おぼ》えないものである。|人間《にんげん》は|其《その》|内分《ないぶん》|即《すなは》ち|霊的生涯《れいてきしやうがい》に|於《おい》て|精霊《せいれい》なりといふ|理由《りいう》は、|其《その》|想念《さうねん》|及《およ》び|意思《いし》に|所属《しよぞく》せる|事物《じぶつ》の|上《うへ》から|見《み》てしか|云《い》ふのである。|何《なん》とならば|此《この》|間《かん》の|事物《じぶつ》は|人《ひと》の|内分《ないぶん》にして|即《すなは》ち|霊主体従《れいしゆたいじう》の|法則《はふそく》に|依《よ》つて|活動《くわつどう》するから、|人《ひと》をして|人《ひと》たらしむる|所以《ゆゑん》である。|人《ひと》は|其《その》|内分《ないぶん》|以外《いぐわい》に|出《い》づることを|得《え》ないものであるから、|精霊《せいれい》|即《すなは》ち|人間《にんげん》である。|人《ひと》の|肉体《にくたい》は|人間《にんげん》の|家《いへ》|又《また》は|容器《ようき》と|云《い》つても|可《い》いものである。|人《ひと》の|肉体《にくたい》にして|即《すなは》ち|精霊《せいれい》の|活動機関《くわつどうきくわん》にして、|自己《じこ》の|本体《ほんたい》たる|精霊《せいれい》が|有《いう》する|所《ところ》の|諸々《もろもろ》の|想念《さうねん》と|諸多《しよた》の|情動《じやうだう》に|相応《あひおう》じて、|其《その》|自然界《しぜんかい》に|於《お》ける|諸官能《しよくわんのう》を|全《まつた》うし|得《え》ざるに|立到《たちいた》つた|時《とき》は、|肉体上《にくたいじやう》より|見《み》て|之《これ》を|死《し》と|呼《よ》ぶのである。|精霊《せいれい》と|呼吸《こきふ》|及《および》|心臓《しんざう》の|鼓動《こどう》との|間《あひだ》に|内的《ないてき》|交通《かうつう》なるものがある。そは|精霊《せいれい》の|想念《さうねん》とは|呼吸《こきふ》と|相通《あひつう》じ、|其《その》|愛《あい》より|来《きた》る|情動《じやうだう》は|心臓《しんざう》と|通《つう》ずる|故《ゆゑ》である。|夫《それ》だから|肺臓《はいざう》|心臓《しんざう》の|活動《くわつどう》が|全《まつた》く|止《や》む|時《とき》こそ、|霊《れい》と|肉《にく》とが|忽《たちま》ち|分離《ぶんり》する|時《とき》である。|肺臓《はいざう》の|呼吸《こきふ》と|心臓《しんざう》の|鼓動《こどう》とは、|人間《にんげん》の|本体《ほんたい》たる|精霊《せいれい》|其《その》ものを|繋《つな》ぐ|所《ところ》の|命脈《めいみやく》であつて、|此《この》|二《ふた》つの|官能《くわんのう》を|破壊《はくわい》する|時《とき》は|精霊《せいれい》は|忽《たちま》ちおのれに|帰《かへ》り、|独立《どくりつ》し|復活《ふくくわつ》し|得《う》るのである。
|斯《か》くて|肉体《にくたい》|即《すなは》ち|精霊《せいれい》の|躯殻《くかく》は|其《その》|精霊《せいれい》より|分離《ぶんり》されたが|故《ゆゑ》に|次第《しだい》に|冷却《れいきやく》して、|遂《つひ》に|腐敗糜爛《ふはいびらん》するに|至《いた》るものである。
|人間《にんげん》の|精霊《せいれい》が|呼吸《こきふ》|及《および》|心臓《しんざう》と|内的《ないてき》|交通《かうつう》をなす|所以《ゆゑん》は、|人間《にんげん》の|生死《せいし》に|関《くわん》する|活動《くわつどう》に|就《つ》いては、|全般的《ぜんぱんてき》に、|又《また》|個々《ここ》|肺臓《はいざう》|心臓《しんざう》の|両機関《りやうきくわん》に|拠《よ》る|所《ところ》である。|而《しか》して|人間《にんげん》の|精霊《せいれい》|即《すなは》ち|本体《ほんたい》は|肉体《にくたい》|分離後《ぶんりご》と|雖《いへど》も、|尚《なほ》|少時《しばらく》は|其《その》|体内《たいない》に|残《のこ》り、|心臓《しんざう》の|鼓動《こどう》|全《まつた》く|止《や》むを|待《ま》つて、|全部《ぜんぶ》|脱出《だつしゆつ》するのである。|而《しか》して|之《これ》は|人間《にんげん》の|死因《しいん》|如何《いかん》に|依《よ》つて|生《しやう》ずる|所《ところ》の|現象《げんしやう》である。|或《ある》|場合《ばあひ》には|心臓《しんざう》の|鼓動《こどう》が|永《なが》く|継続《けいぞく》し、|或《ある》|場合《ばあひ》は|長《なが》からざることがある。|此《この》|鼓動《こどう》が|全《まつた》く|止《や》んだ|時《とき》は、|人間《にんげん》の|本体《ほんたい》たる|精霊《せいれい》は|直《ただち》に|霊界《れいかい》に|復活《ふくくわつ》し|得《う》るのである。|併《しか》しながらこれは|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》のなし|給《たま》ふ|所《ところ》であつて、|人間《にんげん》|自己《じこ》の|能《よ》くする|所《ところ》ではない。
|而《しか》して|心臓《しんざう》の|鼓動《こどう》が|全《まつた》く|休止《きうし》する|迄《まで》、|精霊《せいれい》が|其《その》|肉体《にくたい》より|分離《ぶんり》せない|理由《りいう》は、|心臓《しんざう》なるものは、|情動《じやうだう》に|相応《さうおう》するが|故《ゆゑ》である。|凡《すべ》て|情動《じやうだう》なるものは|愛《あい》に|属《ぞく》し、|愛《あい》は|人間生命《にんげんせいめい》の|本体《ほんたい》である。|人間《にんげん》は|此《この》|愛《あい》に|依《よ》るが|故《ゆゑ》に、|各《おのおの》|生命《せいめい》の|熱《ねつ》があり、|而《しか》して|此《この》|和合《わがふ》の|継続《けいぞく》する|間《うち》は、|相応《さうおう》の|存在《そんざい》あるを|以《もつ》て、|精霊《せいれい》の|生命《せいめい》|尚《なほ》|肉体中《にくたいちう》にあるのである。
|人《ひと》の|精霊《せいれい》は|肉体《にくたい》の|脱離期《だつりき》|即《すなは》ち|最後《さいご》の|死期《しき》に|当《あた》つて|其《その》|瞬間《しゆんかん》|抱持《はうぢ》した|所《ところ》の、|最後《さいご》の|想念《さうねん》をば、|死後《しご》|暫《しばら》くの|間《あひだ》は|保存《ほぞん》するものであるが、|時《とき》を|経《へ》るに|従《したが》つて、|精霊《せいれい》は|元《もと》|世《よ》に|在《あ》つた|時《とき》、|平素《へいそ》|抱持《はうぢ》したる|諸々《もろもろ》の|想念《さうねん》の|内《うち》に|復帰《ふくき》するものである。さて|此等《これら》の|諸々《もろもろ》の|想念《さうねん》は、|彼《か》れ|精霊《せいれい》が|全般的《ぜんぱんてき》|情動《じやうだう》|即《すなは》ち|主《しゆ》とする|所《ところ》の|愛《あい》の|情動《じやうだう》より|来《きた》るものである。|人《ひと》の|心《こころ》の|内分《ないぶん》|即《すなは》ち|精霊《せいれい》が、|肉体《にくたい》より|引《ひ》かるるが|如《ごと》く、|又《また》|殆《ほとん》ど|抽出《ちうしゆつ》さるるが|如《ごと》きを|知覚《ちかく》し、|且《か》つ|感覚《かんかく》するものである。|古人《こじん》の|諺《ことわざ》に|最後《さいご》の|一念《いちねん》は|死後《しご》の|生《せい》を|引《ひ》くと|云《い》つてゐるのは|誤謬《ごびう》である。どうしても|平素《へいそ》の|愛《あい》の|情動《じやうだう》が|之《これ》を|左右《さいう》するものたる|以上《いじやう》は、|人間《にんげん》は|平素《へいそ》より|其《その》|身魂《しんこん》を|清《きよ》め、|善《ぜん》を|云《い》ひ|善《ぜん》の|為《ため》に|善《ぜん》を|行《おこな》ひ、|且《か》つ|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》とを|得《え》ておかなくてはならないものである。
さて|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》は|極《きは》めて|謹慎《きんしん》の|態度《たいど》を|以《もつ》て、|赤《あか》、|白《しろ》の|守衛《しゆゑい》がここに|進《すす》み|来《く》る|精霊《せいれい》との|問答《もんだふ》を|一言《ひとこと》も|洩《も》らさじと、|小男鹿《さをしか》の|耳《みみ》ふり|立《た》てて|聞《き》き|入《い》つた。そこへノコノコやつて|来《き》たのは|男女《なんによ》|二人《ふたり》の|精霊《せいれい》であつた。|赤面《せきめん》の|守衛《しゆゑい》は|両人《りやうにん》に|向《むか》ひ、
『ヤアヤアそれなる|両人《りやうにん》、|暫《しばら》く|待《ま》て。ここは|八衢《やちまた》の|関所《せきしよ》だ。|汝《なんぢ》|生前《せいぜん》の|行動《かうどう》に|就《つ》いて|取査《とりしら》べる|必要《ひつえう》がある』
と|呶鳴《どな》りつけた。|二人《ふたり》はオヅオヅしながら、
『ハイ』
と|云《い》つたきり、|路上《ろじやう》にうづくまつて|了《しま》つた。
『|其《その》|方《はう》|両人《りやうにん》は|何者《なにもの》だ』
『ハイ、|私《わたし》は|呉服屋《ごふくや》の|番頭《ばんとう》で|徳《とく》と|申《まを》します』
『|私《わたくし》は|叶枝《かなえ》と|申《まを》す|芸者《げいしや》で|厶《ござ》います』
『ウンさうだらう、|其《その》|方《はう》|両人《りやうにん》は|情死《じやうし》を|致《いた》して、ここ|迄《まで》|気楽《きらく》|相《さう》に|手《て》に|手《て》を|取《と》つて|意茶《いちや》ついて|来《き》たのだらう。さてもさても|暢気《のんき》な|代物《しろもの》だなア』
『ハイ、|誠《まこと》に|面目《めんぼく》|次第《しだい》も|厶《ござ》いませぬ。|中々《なかなか》|何《ど》うして|何《ど》うして、|気楽《きらく》|所《どころ》か、|今《いま》|此《この》|先《さき》で、|三途《せうづ》の|川《かは》を|渡《わた》り、お|婆《ば》アさまに|散々《さんざん》|膏《あぶら》をとられた|上《うへ》、いろいろと|恥《はぢ》をかかされ、ヤツとのことで|此処《ここ》まで|逃《に》げて|参《まゐ》りました』
『|其《その》|方《はう》|徳《とく》とやら、|暫《しばら》く|此方《こちら》へ|来《き》て|待《ま》つてをれ。|女《をんな》の|方《はう》から|査《しら》べてやる』
『ハイ、どうぞ|一緒《いつしよ》に、なることならば………|査《しら》べて|頂《いただ》き|度《た》う|厶《ござ》います。|二世《にせ》も|三世《さんせ》も、|仮令《たとへ》|野《の》の|末《すゑ》|山《やま》の|奥《おく》、どこへ|行《い》つても|離《はな》れないといふ|固《かた》い|約束《やくそく》を|結《むす》んで|参《まゐ》つたので|厶《ござ》いますから、|仮令《たとへ》|一分間《いつぷんかん》たりとも|離《はな》れることは|出来《でき》ませぬ』
『そんな|勝手《かつて》な|事《こと》が、|霊界《れいかい》では|通《とほ》ると|思《おも》ふか。|暫《しばら》く|控《ひか》へて|居《を》らう………オイ|白《しろ》さま、|暫《しばら》く|此《この》|徳《とく》を|豚箱《ぶたばこ》の|中《なか》へ|放《ほ》り|込《こ》んでおいて|下《くだ》さい』
『コレ|徳《とく》さま、|辛《つら》からうが、|少時《しばらく》の|間《あひだ》だから、マアこちらへ|来《き》てゐなさい。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》も|一服《いつぷく》してゐられるから………|豚箱《ぶたばこ》なんどに|入《い》れやしないから、|霊界《れいかい》のお|茶《ちや》でも|呑《の》んで、|叶枝《かなえ》さまの|査《しら》べが|済《す》むまで、|此方《こちら》でお|休《やす》みなさい』
|徳《とく》は|涙《なみだ》を|流《なが》しながら………
『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。あなたの|様《やう》に|同情《どうじやう》のあるお|言葉《ことば》でいつて|下《くだ》されば、|半日《はんにち》や|仮令《たとへ》|一日《いちにち》|位《くらゐ》|離《はな》れた|所《ところ》で|別《べつ》に|苦《くる》しいことは|厶《ござ》いませぬ。|頭《あたま》から|役人面《やくにんづら》して、|怖《こは》い|顔《かほ》で|呶鳴《どな》り|立《た》てられると|一寸《いつすん》の|虫《むし》にも|五分《ごぶ》の|魂《たましひ》、チツとはムカツきますからなア』
|赤《あか》は|目《め》を|怒《いか》らし、
『|黙《だま》れ! |人間《にんげん》の|分際《ぶんざい》として|左様《さやう》なことを|申《まを》すと|直様《すぐさま》|地獄《ぢごく》へ|落《おと》してやるぞ』
『ハイ………どうせ、|私《わたし》は|男地獄《をとこぢごく》、|叶枝《かなえ》は|女地獄《をんなぢごく》と、|娑婆《しやば》でさへも|仇名《あだな》をとつてきた|位《くらゐ》で|厶《ござ》いますから、|地獄落《ぢごくおち》は|覚悟《かくご》して|居《を》ります。|併《しか》しながら、どんな|辛《つら》い|所《ところ》でも|構《かま》ひませぬから、|二人《ふたり》|一緒《いつしよ》にやつて|下《くだ》さい。そればつかりが|一生《いつしやう》の|御願《おねがひ》で|厶《ござ》います』
『エヽ|喧《やかま》しい、|白《しろ》さま、|早《はや》く|徳《とく》を|隔離《かくり》して|下《くだ》さい』
『サア|徳《とく》さま、こちらへお|出《い》でなさい』
『オイ、|叶枝《かなえ》、おれのことを|忘《わす》れちやならないよ。|俺《おれ》もお|前《まへ》のこた、|一瞬間《いつしゆんかん》も|忘《わす》れないからなア』
|叶枝《かなえ》は|何《なん》の|応答《いらへ》もなく、うつむいてメソメソ|泣《な》いて|居《ゐ》る。|徳《とく》は|色《いろ》|白《しろ》き|守衛《しゆゑい》に|導《みちび》かれ|館《やかた》の|玄関《げんくわん》|指《さ》して|行《ゆ》く。
|赤《あか》は|帳面《ちやうめん》をくりながら、
『オイ|女《をんな》、|其《その》|方《はう》は|随分《ずゐぶん》|悪《わる》い|事《こと》を|致《いた》して|居《ゐ》るが、|逐一《ちくいち》|此処《ここ》で|白状《はくじやう》|致《いた》すのだぞ』
『ハイ、|別《べつ》に|悪《わる》い|事《こと》を|致《いた》した|覚《おぼ》えは|厶《ござ》いませぬよ』
『バカを|申《まを》せ、|其《その》|方《はう》は|芸者《げいしや》で|在《あ》りながら、|芸《げい》を|売《う》らずに|肉《にく》を|売《う》つてゐるぢやないか』
『ハイ、|芸《げい》を|売《う》つても|肉《にく》を|売《う》つても、|商売《しやうばい》に|二《ふた》つは|厶《ござ》いませぬ。|歌《うた》を|唄《うた》つたり|三味《しやみ》をひいたり、|太鼓《たいこ》や|鼓《つづみ》を|拍《う》つのは|遊芸《いうげい》で|厶《ござ》います。そして|肉《にく》をうるのは|岩戸開《いはとびら》きの|神楽舞《かぐらまひ》、|曲芸《きよくげい》をやつて、お|客《きやく》さまに|喜《よろこ》ばせ|楽《たの》します|清《きよ》き|商売《しやうばい》で|厶《ござ》います。それ|故《ゆゑ》|相場師《さうばし》か|博奕打《ばくちうち》の|様《やう》に|片一方《かたいつぱう》が|喜《よろこ》び|片一方《かたいつぱう》が|悔《くや》むといふよなことは、|決《けつ》してやつた|覚《おぼ》えは|厶《ござ》いませぬ。どのお|客《きやく》さまも|此《この》お|客《きやく》さまも、|皆《みな》、アハヽヽ、オホヽヽ、エヘヽヽと|笑《わら》ひ|興《きよう》じ、まるで|天国《てんごく》の|春《はる》に|逢《あ》うたやうだと|仰有《おつしや》つて、|喜《よろこ》んで|下《くだ》さる|方《かた》ばかりで|厶《ござ》います。|両方《りやうはう》のよい|商売《しやうばい》といふのは、|芸者《げいしや》と|頬冠《ほほかぶ》り|位《くらゐ》なものです。これ|程《ほど》|人間《にんげん》を|喜《よろこ》ばして|来《き》た|芸者《げいしや》に|罪《つみ》が|厶《ござ》いますなら、|政治家《せいぢか》や|宗教家《しうけうか》、|一番《いちばん》|悪《わる》いのはお|医者《いしや》さま、|其《その》|外《ほか》|娑婆《しやば》に|居《ゐ》る|一般《いつぱん》の|人間《にんげん》は|皆《みな》|大悪人《だいあくにん》で|厶《ござ》います。|私《わたし》は|一旦《いつたん》|言《い》ひ|交《かは》した|男《をとこ》に|心中立《しんぢうだ》てをして、|命《いのち》まですてて、ここ|迄《まで》やつて|来《き》た|貞節《ていせつ》な|女《をんな》で|厶《ござ》います。どうぞ|私《わたし》の|清《きよ》い|美《うつく》しい|心《こころ》をお|調《しら》べ|下《くだ》さいまして、どうぞ|天国《てんごく》へやつて|下《くだ》さいませ。そしてあの|徳《とく》さまだつて、|決《けつ》して|悪《わる》い|人《ひと》ぢや|厶《ござ》いませぬ。どうぞ|私《わたし》と|一緒《いつしよ》に|天国《てんごく》の|旅《たび》をさして|下《くだ》さいます|様《やう》に|御願《おねがひ》|致《いた》します』
『|馬鹿《ばか》を|申《まを》せ、|徳《とく》のこと|迄《まで》、|貴様《きさま》がゴテゴテ|云《い》ふ|場所《ばしよ》ぢやない。|貴様《きさま》のことばかり|白状《はくじやう》すればいいのだ。|何《なん》だベラベラと|自己《じこ》|弁護《べんご》ばかしやりやがつて、おマケに|情夫《じやうふ》の|事《こと》|迄《まで》|口出《くちだ》しするとは、|中々《なかなか》|以《もつ》ての|外《ほか》の|代物《しろもの》だ。|斯《か》うなると|何《ど》うしても、|貴様《きさま》|達《たち》|両人《りやうにん》は|一緒《いつしよ》におくことは|出来《でき》ぬ』
『あ、|左様《さやう》で|厶《ござ》いますか、|折角《せつかく》ここ|迄《まで》ついて|来《き》ましたけれど、あなた|様《さま》の|御命令《ごめいれい》で|引分《ひきわ》けて|下《くだ》さるのならば、|冥土《めいど》の|規則《きそく》だと|思《おも》うて、|妾《わたし》はチツとも|異議《いぎ》は|申《まを》しませぬ。|実《じつ》の|所《ところ》|私《わたし》は|無理心中《むりしんぢう》をさされましたのです。|現界《げんかい》といふ|所《ところ》は|思《おも》ふ|様《やう》に|行《ゆ》かぬ|所《ところ》で|厶《ござ》いまして、|好《す》きなお|方《かた》は|色々《いろいろ》|故障《こしやう》が|出来《でき》て、|常住《じやうじう》|会《あ》ふ|訳《わけ》には|行《ゆ》かず、お|金《かね》はなし、これに|反《はん》して、|嫌《きら》ひで|嫌《きら》ひで|仕方《しかた》のない|男《をとこ》は|金《かね》を|持《も》つて、|丸《まる》で|大根畑《だいこんばたけ》へネチがついた|程《ほど》、うるさい|位《くらゐ》しがみつきに|来《き》ますなり、|本当《ほんたう》に|浮世《うきよ》がイヤになつて|了《しま》つたのですよ。……
|嫌《いや》なお|客《きやく》に|笑《わら》うてみせて
|好《す》きの|膝《ひざ》にて|泣《な》きくらす
といふ|憐《あは》れな|生涯《しやうがい》を|続《つづ》けて|来《き》ました。|実際《じつさい》のこと|申《まを》しますれば、あの|徳《とく》といふ|男《をとこ》、|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り、|頭《あたま》|迄《まで》がトク|頭病《とうびやう》で、そしてヅぬけたトク|等《とう》の|馬鹿《ばか》で|厶《ござ》います。【とく】とお|査《しら》べの|上《うへ》、どうぞ|私《わたし》と|一所《ひとところ》に|居《を》らない|様《やう》に、|特別《とくべつ》の|御取扱《おとりあつかひ》を|御願《おねがひ》|致《いた》します』
『アハヽヽヽ、|貴様《きさま》は|余程《よほど》やり|手《て》だつたと|見《み》えるのう。およそ|幾人《いくにん》ばかり|地獄《ぢごく》へおとしたか』
『ハイ、|私《わたし》が|落《おと》したのぢや|厶《ござ》いませぬが、|勝手《かつて》にお|客《きやく》さまの|方《はう》から|落《お》ちたのです』
『それでも|貴様《きさま》が|原動力《げんどうりよく》だ。|直接《ちよくせつ》におとさいでも、|間接《かんせつ》に|落《おと》して|居《ゐ》るのだ。|現《げん》に|今《いま》|来《き》た|徳公《とくこう》でもさうぢやないか』
|叶枝《かなえ》は|稍《やや》|言葉《ことば》|馴《な》れ、|娑婆《しやば》で|人間《にんげん》をあやつつて|来《き》た|地金《ぢがね》を|出《だ》し、|赤《あか》の|肩先《かたさき》を|平手《ひらて》で|三《み》つ|四《よ》つポンポン|叩《たた》き、おチヨボ|口《ぐち》に|袖《そで》をあてながら、
『ホヽヽヽヽ、あの|六《むつ》かしい|顔《かほ》わいな。わたえ、そんな|赤《あか》い|面《つら》した、|目《め》のクルリと|大《おほ》きい、|口《くち》の|大《おほ》きい|男《をとこ》らしい|男《をとこ》、|本当《ほんたう》に|好《す》きだワ。なア|赤《あか》さま、チツと|可愛《かあい》がつて|頂戴《ちやうだい》ね』
『コリヤ|怪《け》しからぬ、|何《なん》と|心得《こころえ》てゐる。ここは|言《い》はば|霊界《れいかい》の|予審廷《よしんてい》だぞ。|審判官《しんぱんくわん》に|向《むか》つて、|何《なん》といふ|失礼《しつれい》なことを|申《まを》すか』
『ホヽヽヽヽ、あのマア、|六《むつ》かしい|顔《かほ》しやんすことえな。あたえ、ますます|可愛《かあい》くなつてよ』
『エヽ、|馬鹿《ばか》に|致《いた》すな。|何《なん》と|心得《こころえ》て|居《ゐ》る』
『お|気《き》に|障《さは》りましたら|御免《ごめん》なさいませ。|併《しか》しながら|霊界《れいかい》だつて、|愛《あい》の|情動《じやうどう》に|変《かは》りはありますまい。|現界《げんかい》の|役人《やくにん》だつて|六《むつ》かしい|顔《かほ》をして|被告人《ひこくにん》を|裁《さば》いてゐやはりますが、|女《をんな》の|被告《ひこく》が|行《ゆ》きますと、|忽《たちま》ち|目《め》を|細《ほそ》うし、|涎《よだれ》をくらはります。あんただつて、|女《をんな》に|対《たい》する|男《をとこ》やおまへんか、さう|七六《しちむつ》かしう、|四角《しかく》ばつてゐなしては、|世《よ》の|中《なか》が|殺風景《さつぷうけい》でたまりませぬワ。どこもかも|行詰《ゆきつま》り、|不景気風《ふけいきかぜ》に|吹捲《ふきまく》られて、|娑婆《しやば》の|人間《にんげん》は|青息吐息《あをいきといき》の|為体《ていたらく》、|憂鬱《いううつ》に|沈《しづ》んでゐる|亡者《まうじや》|共《ども》を、|妙音菩薩《めうおんぼさつ》にも|比《ひ》すべき|芸者《げいしや》が、|慰安《ゐあん》を|与《あた》へ、|小口《こぐち》から|天国《てんごく》に|救《すく》うて|上《あ》げて|来《き》たのですよ。お|前《まへ》さまだつて、|何時《いつ》|迄《まで》もこんな|所《ところ》に、そんな|六《むつ》かしい|顔《かほ》をして、しやちこばつてゐるよりも、|私《わたし》と|一緒《いつしよ》に|天国《てんごく》へでも|新婚《しんこん》|旅行《りよかう》と|洒落《しやれ》たらどうだす………|余《あま》り|悪《わる》い|心持《こころもち》やしませぬで。わたえの|荷《に》|位《ぐらゐ》は|持《も》たして|上《あ》げますワ』
『エヽ|仕方《しかた》のない|代物《しろもの》だなア。|貴様《きさま》|余程《よほど》|娑婆《しやば》で|暴威《ばうゐ》を|揮《ふる》うて|来《き》たのだらう。|中々《なかなか》|弁舌《べんぜつ》はうまいものだ』
『ホヽヽヽヽ、その|声《こゑ》で|蜥蜴《とかげ》くらふか|時鳥《ほととぎす》、|外面如菩薩《げめんによぼさつ》|内心如夜叉《ないしんによやしや》、|表裏反覆《へうりはんぷく》|常《つね》なきは|世《よ》の|中《なか》の|真相《しんさう》ですよ。お|前《まへ》さまもチツと|世間《せけん》を|知《し》つて|来《き》なさい。さうすりや、そんな|偏狭《へんけふ》な|頭《あたま》が|改造《かいざう》されて、|新《あたら》しい|男《をとこ》の|仲間《なかま》に|這入《はい》れないものでもありませぬワ、|大臣《だいじん》だつて|国会議員《こくくわいぎゐん》だつて、|元帥《げんすゐ》だつて、|紳士紳商《しんししんしやう》だつて、|片《かた》つ|端《ぱし》からこの|靨《ゑくぼ》の|中《なか》へ、|皆《みな》|吸《す》ひ|込《こ》んで|了《しま》ふ|技能《ぎのう》を|持《も》つてゐる、|天然《てんねん》の|美貌《びばう》、|千変万化《せんぺんばんくわ》の|魔力《まりよく》を|使《つか》ふ|女《をんな》ですもの、|門番《もんばん》さまの|一人《ひとり》や|二人《ふたり》|位《ぐらゐ》、|噛《か》んだり|吐《は》いたりするのは、|屁《へ》のお|茶《ちや》でもありませぬワ。お|前《まへ》さまも|有名《いうめい》な|芸者《げいしや》の|叶枝《かなえ》にこれ|丈《だけ》|言葉《ことば》をかけて|貰《もら》うたら、|余程《よほど》の|光栄《くわうえい》ですよ、|本当《ほんたう》に|仕合《しあは》せな|御方《おかた》ねえ』
|竜公《たつこう》は|思《おも》はず|知《し》らず、
『ウツフヽヽ』
と|吹《ふ》き|出《だ》した。
『|貴様《きさま》の|調《しら》べは|一朝一夕《いつてういつせき》に|行《ゆ》かない。|人《ひと》の|庫《くら》を|呑《の》み、|山《やま》を|呑《の》み、|田畑《でんぱた》を|呑《の》み、|数多《あまた》の|亡者《まうじや》を|製造《せいざう》した【したたか】|者《もの》だから、|又《また》|追《お》つて|調《しら》べてやる。サア|立《た》てツ』
と|云《い》ひながら、|松《まつ》の|木《き》の|荒皮《あらかは》の|様《やう》な|腕《うで》をグツと|突出《つきだ》し、|葦《あし》の|芽《め》の|様《やう》な|柔《やはら》こい|腕《うで》をグツと|握《にぎ》り、|岩《いは》の|戸《と》をパツとあけて、|岩窟内《がんくつない》へ|放《ほ》り|込《こ》みおき、|再《ふたた》び|徳《とく》を|此《この》|場《ば》に|引《ひき》ずり|来《きた》り、|鹿爪《しかつめ》らしい|顔《かほ》をして|査《しら》べ|始《はじ》めた。
『|其《その》|方《はう》は|生前《せいぜん》に|何商売《なにしやうばい》を|致《いた》して|居《を》つたか』
『ハイ、|最前《さいぜん》|申《まを》した|様《やう》に|呉服屋《ごふくや》の|番頭《ばんとう》に|間違《まちが》ひ|厶《ござ》いませぬ』
『|其《その》|方《はう》は|幾《いく》らの|月給《げつきふ》を|貰《もら》つて|居《を》つたか』
『ハイ、|月《つき》に|親方《おやかた》の|食事持《しよくじもち》で|十円《じふゑん》ばかり|頂《いただ》いて|居《を》りました』
『|其《その》|方《はう》は|月《つき》に|十五六回《じふごろくくわい》も|叶枝《かなえ》の|側《そば》へ|通《かよ》うたであらう。チヤンと|此《この》|帳面《ちやうめん》に|記《しる》してあるぞ』
『ハイ|仕方《しかた》がありませぬ、|仰有《おつしや》る|通《とほり》で|厶《ござ》います』
『|一度《いちど》|遊《あそ》びに|行《ゆ》くと|幾《いく》らの|金《かね》が|要《い》るか』
『ハイ、|少《すくな》い|時《とき》が|七八円《しちはちゑん》、|多《おほ》い|時《とき》は|五十円《ごじふゑん》も|要《い》ります』
『|僅《わづ》か|一ケ月《いつかげつ》|十円《じふゑん》の|給料《きふれう》で、|何《ど》うして|其《その》|金《かね》が|出来《でき》るのだ』
『ハイ、|私《わたし》の|役徳《やくとく》によつて、それ|丈《だけ》|生《う》み|出《だ》します』
『バカを|申《まを》せ。|帳面《ちやうめん》づらをゴマかしたのだらう』
『|帳面《ちやうめん》づらをゴマかすのは|悪《わる》う|厶《ござ》いますか。|娑婆《しやば》の|人間《にんげん》は|筆《ふで》の|先《さき》で|一遍《いつぺん》に|五万両《ごまんりやう》、|十万両《じふまんりやう》とゴマかして|居《を》りますよ。|現《げん》に|積善銀行《せきぜんぎんかう》を|御覧《ごらん》なさい。|二千万円《にせんまんゑん》も|筆《ふで》の|先《さき》でゴマかしたぢや|厶《ござ》いませぬか。それでもヤツパリ|紳士《しんし》とか|紳商《しんしやう》とか、|有力者《いうりよくしや》とかの|名《な》を|恣《ほしいまま》にして|居《を》ります。そして|政府《せいふ》は|余《あま》り|之《これ》を|厳《きび》しく|詮議《せんぎ》|立《だ》て|致《いた》しませぬ。|之《これ》を|思《おも》へば|一《ひと》つでもウマく|帳面《ちやうめん》づらをゴマかした|奴《やつ》が、|所謂《いはゆる》|社会《しやくわい》の|善人《ぜんにん》です。|私《わたし》の|様《やう》な|者《もの》をお|責《せ》めなさるよりも、モツと|大《おほ》きな|奴《やつ》をお|査《しら》べなさりませ。|月《つき》に|金《かね》の|百両《ひやくりやう》や|二百両《にひやくりやう》|誤魔化《ごまくわ》した|弱《よわ》い|人間《にんげん》や、|米《こめ》の|一升《いつしよう》や|金《かね》の|五十銭《ごじつせん》|位《くらゐ》|盗《ぬす》んだ|憐《あは》れな|人間《にんげん》を|査《しら》べるよりも、なぜモツと|大《おほ》きな|悪人《あくにん》の|巨頭《きよとう》をお|査《しら》べなさらぬのですか。そんなことで|何《ど》うして|八衢審判所《やちまたしんぱんしよ》の|権威《けんゐ》が|保《たも》たれませうか。|現界《げんかい》に|於《おい》ても|微罪不検挙《びざいふけんきよ》の|内規《ないき》が|行《おこな》はれて|居《を》りますよ』
『|馬鹿《ばか》を|申《まを》せ、|現界《げんかい》と|違《ちが》つて、|霊界《れいかい》の|審判所《しんぱんしよ》は、|一厘一毛《いちりんいちまう》の|相違《さうゐ》も|許《ゆる》さぬのだ。|仮令《たとへ》|塵切《ちりぎ》れ|一本《いつぽん》でも|取《と》つた|奴《やつ》は|盗人《ぬすびと》だ』
『それなら|何故《なぜ》|冥土《めいど》の|法律《はふりつ》を|現界《げんかい》へ|発布《はつぷ》して|下《くだ》さらぬのか。|私《わたし》|達《たち》は|現界《げんかい》の|最善《さいぜん》を|尽《つく》さうと|思《おも》へば、|霊界《れいかい》へ|来《き》て|咎《とが》められる、|本当《ほんたう》に|善悪《ぜんあく》の|去就《きよしう》に|困《こま》ります。それ|程《ほど》、|今《いま》となつて|小《ちひ》さいこと|迄《まで》|詮議立《せんぎだ》てなさるのなら、なぜ|夢《ゆめ》になりとも、|冥土《めいど》の|法律《はふりつ》は|斯《か》うだと|知《し》らしては|下《くだ》さらぬのだ。|丸《まる》で|人間《にんげん》を|陥穽《おとしあな》へおとすよな、そんな|残酷《ざんこく》な|法律《はふりつ》がどこにありますか。|私《わたし》は|決《けつ》して|左様《さやう》な|不徹底《ふてつてい》な|不完全《ふくわんぜん》な|法律《はふりつ》|命令《めいれい》には|絶対《ぜつたい》|服従《ふくじゆう》|致《いた》しませぬ。それよりも、あなた、|大切《たいせつ》な|私《わたし》の|女房《にようばう》をどこへ|隠《かく》しましたか。あべこべに|誘拐罪《いうかいざい》で、|冥府《めいふ》の|審判所《しんぱんしよ》へ|告発《こくはつ》|致《いた》しますぞ』
『|今《いま》の|娑婆《しやば》に|居《ゐ》る|奴《やつ》は、ドイツも|此奴《こいつ》も、|皆《みな》|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》、|優勝劣敗《いうしようれつぱい》を|以《もつ》て|最善《さいぜん》の|生活法《せいくわつはふ》ときめてゐやがるからサツパリ|始末《しまつ》に|了《を》へない。スツカリ|良心《りやうしん》が|痳痺《まひ》し、|癲狂痴呆《てんきやうちはう》の|境遇《きやうぐう》に|陥落《かんらく》して|居《ゐ》るのだから、|罪《つみ》の|断《だん》じやうもない、|癲狂者《てんきやうしや》や|痴呆《ちはう》に|対《たい》し、|法律《はふりつ》の|適用《てきよう》は|出来《でき》ないから、|貴様《きさま》は|放免《はうめん》する。|其《その》|代《かは》り|一生《いつしやう》|八衢《やちまた》の|四辻《よつつじ》に|立《た》つて、|亡者《まうじや》の|道案内《みちあんない》なと|致《いた》すがよからう』
『|構《かま》うて|下《くだ》さるな、|自由《じいう》の|権《けん》です。お|前《まへ》さま|達《たち》が|人間《にんげん》を|審《さば》く|権利《けんり》がどこにあるか。|人間《にんげん》を|審《さば》く|者《もの》は|神様《かみさま》より|外《ほか》にない|筈《はず》だ。ヘン|余《あま》り|偉相《えらさう》に|言《い》ふな、|婦人誘拐者《ふじんいうかいしや》|奴《め》が、|今度《こんど》は|俺《おれ》の|方《はう》から|承知《しようち》をしないのだ。サ|早《はや》く|叶枝《かなえ》をここへ|出《だ》せばよし、|出《だ》さぬに|於《おい》ては|死物狂《しにものぐる》ひだ。|荒《あ》れて|荒《あ》れて|荒《あ》れまはしてやらうか』
『あゝあ、|困《こま》つた|気違《きちがひ》の|夫婦《ふうふ》がやつて|来《き》たものだなア。|現界《げんかい》の|人間《にんげん》は|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|皆《みな》こんなものだ。なア|白《しろ》さま、コリヤ|一《ひと》つ|現界《げんかい》から|根本《こんぽん》|改良《かいりやう》やらねば|駄目《だめ》だなア』
『あゝさうだから、|大神様《おほかみさま》から|厳《いづ》の|御霊《みたま》、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|神柱《かむばしら》を|現界《げんかい》に|送《おく》り、|今《いま》や|改造《かいざう》に|着手《ちやくしゆ》されつつあるのですよ。やがて|四五年《しごねん》も|先《さき》にゆけばキツと|効果《かうくわ》が|現《あら》はれ、|癲狂者《てんきやうしや》や|痴呆《ちはう》や、|盲《めくら》|聾《つんぼ》の|数《かず》が|減《へ》るでせう。さうすれば|吾々《われわれ》も|御用《ごよう》が|勤《つと》めよくなるでせう』
『モシ|先生《せんせい》、|厳《いづ》の|御霊《みたま》、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|神柱《かむばしら》が|現界《げんかい》へ|出《だ》してあると|言《い》はれましたなア。|大方《おほかた》|変性男子《へんじやうなんし》、|変性女子《へんじやうによし》の|事《こと》ぢやありますまいか』
『ウンさうだ。|俺達《おれたち》も|余程《よほど》シツカリ|致《いた》さねばならないわい。お|前《まへ》も|之《これ》から|十分《じふぶん》|注意《ちうい》をして|娑婆《しやば》へ|帰《かへ》つたら、|舎身的《しやしんてき》|活動《くわつどう》をやるのだなア』
(大正一二・一・九 旧一一・一一・二三 松村真澄録)
第三篇 |天国巡覧《てんごくじゆんらん》
第一二章 |天界行《てんかいゆき》〔一二四五〕
|高天原《たかあまはら》の|各団体《かくだんたい》に|居住《きよぢう》する|霊国天人《れいごくてんにん》|及《およ》び|天国《てんごく》の|天人《てんにん》は|愛《あい》を|生命《せいめい》とし、|而《しか》して|一切《いつさい》を|広《ひろ》く|愛《あい》するが|故《ゆゑ》に|人《ひと》の|肉体《にくたい》を|離《はな》れて|上《のぼ》り|来《きた》る|精霊《せいれい》の|為《ため》にも|所在《あらゆる》|厚誼《こうぎ》を|尽《つく》し、|懇篤《こんとく》なる|教訓《けうくん》を|伝《つた》へ、|或《あるひ》は|面白《おもしろ》き|歌《うた》を|歌《うた》ひ、|舞曲《ぶきよく》を|演《えん》じ、|音楽《おんがく》を|奏《そう》しなどして、|一人《ひとり》にても|多《おほ》く|之《これ》を|高天原《たかあまはら》の|団体《だんたい》へ|導《みちび》き|行《ゆ》かむと|思《おも》ふ|外《ほか》、|他《た》に|念慮《ねんりよ》は|少《すこ》しもないのである。|之《これ》が|所謂《いはゆる》|天人《てんにん》の|最高最後《さいかうさいご》の|歓喜悦楽《くわんきえつらく》である。|併《しかし》|乍《なが》ら|精霊《せいれい》が|人《ひと》の|肉体《にくたい》を|宿《やど》とし、|現世《げんせ》に|在《あ》りし|頃《ころ》|善霊《ぜんれい》|即《すなは》ち|正守護神《せいしゆごじん》の|群《むれ》に|入《い》るべき|生涯《しやうがい》や、|或《あるひ》は|天人《てんにん》|即《すなは》ち|本守護神《ほんしゆごじん》の|群《むれ》に|至《いた》るべき|生涯《しやうがい》を|送《おく》つて|居《を》らなかつたならば、|彼等《かれら》|精霊《せいれい》は|之等《これら》の|天国的《てんごくてき》|善霊《ぜんれい》を|離《はな》れ|去《さ》らむと|願《ねが》ふものである。|斯《かく》の|如《ごと》くにして|精霊《せいれい》は|遂《つひ》に|現世《げんせ》に|在《あ》つた|時《とき》の|生涯《しやうがい》と|一致《いつち》する|精霊《せいれい》と|共《とも》に|群居《ぐんきよ》するに|非《あら》ざれば、どこ|迄《まで》も|此《この》|転遷《てんせん》を|休止《きうし》せないものである。
|斯《かく》の|如《ごと》く|自己《じこ》|生前《せいぜん》の|生涯《しやうがい》に|準適《じゆんてき》せるものを|発見《はつけん》するに|及《およ》んで、|彼《か》れ|精霊《せいれい》は|茲《ここ》に|又《また》|在世中《ざいせいちう》の|生涯《しやうがい》に|相似《さうじ》せるものと|共《とも》に|送《おく》らむとするものである。|実《じつ》に|霊界《れいかい》の|法則《はふそく》は、|不思議《ふしぎ》なものと|云《い》ふべきである。
|凡《すべ》て|人間《にんげん》の|身《み》には|善《ぜん》と|悪《あく》と|二種《にしゆ》の|精霊《せいれい》が|潜在《せんざい》してゐる|事《こと》は|前《まへ》に|述《の》べた|通《とほ》りである。|而《しか》して|人間《にんげん》は|善霊《ぜんれい》|即《すなは》ち|本守護神《ほんしゆごじん》|又《また》は|正守護神《せいしゆごじん》に|仍《よ》つて|高天原《たかあまはら》の|諸団体《しよだんたい》と|和合《わがふ》し、|悪霊《あくれい》|即《すなは》ち|副守護神《ふくしゆごじん》に|仍《よ》つて|地獄《ぢごく》の|団体《だんたい》と|相応《さうおう》の|理《り》に|依《よ》りて|和合《わがふ》するものである、|此等《これら》の|精霊《せいれい》は|高天原《たかあまはら》と|地獄界《ぢごくかい》の|中間《ちうかん》に|位《くらゐ》する|中有界《ちううかい》|即《すなは》ち|精霊界《せいれいかい》に|籍《せき》を|置《お》いてゐる。|此《この》|精霊《せいれい》が|人間《にんげん》に|来《きた》る|時《とき》には、|先《ま》づ|其《その》|記憶中《きおくちう》に|入《い》り、|次《つぎ》に|其《その》|想念中《さうねんちう》に|侵入《しんにふ》するものである。|而《しか》して|副守護神《ふくしゆごじん》は|記憶《きおく》|及《および》|想念中《さうねんちう》にある|悪《あし》き|事物《じぶつ》の|間《あひだ》に|潜入《せんにふ》し、|正守護神《せいしゆごじん》は|其《その》|記憶《きおく》や|想念中《さうねんちう》にある|最《もつと》も|善《よ》き|事物《じぶつ》の|裡《うち》に|侵入《しんにふ》し|来《きた》るものである。されど|精霊《せいれい》|自身《じしん》に|於《おい》ては|其《その》|人間《にんげん》の|体中《たいちう》に|入《い》り、|相共《あひとも》に|居《を》る|事《こと》は|少《すこ》しも|知《し》らないものである。|而《しか》も|精霊《せいれい》が|人間《にんげん》と|共《とも》なる|時《とき》は|凡《すべ》て|其《その》|人間《にんげん》の|記憶《きおく》と|想念《さうねん》とを|以《もつ》て、|精霊《せいれい》|自身《じしん》の|所有物《しよいうぶつ》と|信《しん》じてゐる。|又《また》|彼等《かれら》|精霊《せいれい》なるものは、|人間《にんげん》を|見《み》ることはない。|何故《なにゆゑ》なれば、|現実《げんじつ》の|太陽界《たいやうかい》に|在《あ》る|所《ところ》の|者《もの》は、|彼等《かれら》|精霊《せいれい》が|視覚《しかく》の|対境《たいきやう》とならないからである。|大神《おほかみ》は|此等《これら》の|精霊《せいれい》をして、|其《その》|人間《にんげん》と|相《あひ》|伴《ともな》へる|事《こと》を|知《し》らざらしめむが|為《ため》に|大御心《おほみこころ》を|用《もち》ひ|給《たま》ふ|事《こと》|頗《すこぶ》る|甚深《じんしん》である。|何故《なにゆゑ》なれば|彼等《かれら》|精霊《せいれい》がもし|此《この》|事《こと》を|知《し》る|時《とき》には、|即《すなは》ち|人間《にんげん》と|相語《あひかた》ることあるべく、|而《しか》して|副守護神《ふくしゆごじん》たる|悪霊《あくれい》は|人間《にんげん》を|亡《ほろ》ぼさむ|事《こと》を|考《かんが》へるからである。|副守護神《ふくしゆごじん》|即《すなは》ち|悪霊《あくれい》は|根底《ねそこ》の|国《くに》の|諸々《もろもろ》の|悪《あく》と|虚偽《きよぎ》とに|和合《わがふ》せるものなるが|故《ゆゑ》に、|只《ただ》|一途《いちづ》に|人間《にんげん》を|亡《ほろ》ぼし|地獄界《ぢごくかい》へ|導《みちび》き、|自分《じぶん》の|手柄《てがら》にしようと|希求《ききう》するの|外《ほか》、|他事《たじ》ないからである。|而《しか》して|副守護神《ふくしゆごじん》は|啻《ただ》に|人間《にんげん》の|心霊《しんれい》|即《すなは》ち|其《その》|信《しん》と|愛《あい》とのみならず、|其《その》|肉体《にくたい》をも|挙《あ》げて|亡《ほろ》ぼさむことを|希求《ききう》するものである。|故《ゆゑ》に|彼等《かれら》の|悪霊《あくれい》が|人間《にんげん》と|相語《あひかた》らふことがなければ、|自分《じぶん》は|人間《にんげん》の|体内《たいない》にあることを|知《し》らないのだから、|決《けつ》して|害《がい》を|加《くは》へないのである。|彼等《かれら》|悪霊《あくれい》は|其《その》|思《おも》ふ|所《ところ》、|其《その》|相互《さうご》に|語《かた》る|所《ところ》の|事物《じぶつ》が、|果《はた》して|人間《にんげん》より|出《い》で|来《きた》るものなりや|否《いな》やを|知《し》らないのである。|何《なん》となれば|彼等《かれら》|精霊《せいれい》の|相互《さうご》に|物《もの》|言《い》ふは、その|実《じつ》は|人間《にんげん》より|来《きた》る|所《ところ》のものなれども、|彼等《かれら》は|之《これ》を|以《もつ》て|自分《じぶん》の|裡《うち》よりするものなりと|信《しん》じ|切《き》つてゐる。|而《しか》して|何《いづ》れの|人《ひと》も|自分《じぶん》に|属《ぞく》する|所《ところ》を|極《きは》めて|尊重《そんちよう》し、|且《かつ》|之《これ》を|熱愛《ねつあい》するが|故《ゆゑ》に、|精霊《せいれい》は|自《みづか》ら|之《これ》を|知《し》らないけれども、|自然的《しぜんてき》に|人間《にんげん》を|愛《あい》し、|且《か》つ|尊重《そんちよう》せなくてはならない|様《やう》になるのである。これ|全《まつた》く|瑞《みづ》の|御霊大神《みたまのおほかみ》の|御仁慈《ごじんじ》の|御心《みこころ》を|以《もつ》て、かく|精霊《せいれい》に|人間《にんげん》と|共《とも》なることを|知《し》らしめざる|様《やう》|取計《とりはか》らひ|給《たま》うたのである。
|天国《てんごく》の|団体《だんたい》に|交通《かうつう》する|精霊《せいれい》も、|地獄界《ぢごくかい》と|交通《かうつう》せる|精霊《せいれい》も|亦《また》|同《おな》じく|人間《にんげん》に|付添《つきそ》うてゐるのは|前《まへ》に|述《の》べた|通《とほり》である。|而《しか》して|天国《てんごく》の|団体《だんたい》に|交通《かうつう》してゐる|精霊《せいれい》の|最《もつと》も|清《きよ》きものを|真霊《しんれい》|又《また》は|本守護神《ほんしゆごじん》と|云《い》ひ、|稍《やや》|劣《おと》つたものを|正守護神《せいしゆごじん》と|云《い》ひ、|地獄《ぢごく》と|交通《かうつう》する|精霊《せいれい》を|悪霊《あくれい》|又《また》は|副守護神《ふくしゆごじん》といふのである。|併《しか》し|人間《にんげん》が|生《うま》るるや|直《ただち》に|悪《あく》の|裡《うち》に|陥《おちい》らねばならない|事《こと》になつてゐる。|故《ゆゑ》に|当初《はじめ》の|生涯《しやうがい》は|全《まつた》く|此等《これら》|精霊《せいれい》の|手《て》の|裡《うち》に|在《あ》りと|云《い》つてもいいのである。|人間《にんげん》にして|若《も》しおのれと|相似《あひに》たる|精霊《せいれい》が|付添《つきそ》うて|守《まも》るに|非《あら》ざれば、|人間《にんげん》は|肉体《にくたい》として|生《い》くることは|出来《でき》ない。|又《また》|諸々《もろもろ》の|悪《あく》を|離《はな》れて|善《ぜん》に|復《かへ》ることも|出来《でき》ないことになるのである。|人間《にんげん》の|肉体《にくたい》が|悪霊《あくれい》|即《すなは》ち|副守護神《ふくしゆごじん》に|仍《よ》つて、おのれの|生命《せいめい》を|保持《ほぢ》し|得《う》ると|同時《どうじ》に|又《また》|善霊《ぜんれい》|即《すなは》ち|正守護神《せいしゆごじん》に|仍《よ》つて、|此《この》|悪《あく》より|脱離《だつり》することを|得《う》るものである。|人間《にんげん》は|又《また》|此《この》|両者《りやうしや》の|徳《とく》に|仍《よ》つて、|平衡《へいかう》の|情態《じやうたい》を|保持《ほぢ》するが|故《ゆゑ》に|意思《いし》の|自由《じいう》なるものがある。|此《この》|自由《じいう》の|意思《いし》に|仍《よ》つて|以《もつ》て、|諸々《もろもろ》の|悪《あく》を|去《さ》り|又《また》|善《ぜん》に|就《つ》くことを|得《え》、|又《また》|其《その》|心《こころ》の|上《うへ》に|善《ぜん》を|植《う》ゑつくることを|得《う》るのである。|人間《にんげん》が|若《も》しも|斯《かく》の|如《ごと》き|自由《じいう》の|情態《じやうたい》に|非《あら》ざる|時《とき》は、|決《けつ》して|改過遷善《かいくわせんぜん》の|実《じつ》を|挙《あ》ぐることは|出来《でき》ない。|然《しか》るに|一方《いつぱう》には|根底《ねそこ》の|国《くに》より|流《なが》れ|来《きた》る|悪霊《あくれい》の|活動《くわつどう》するあり、|一方《いつぱう》には|高天原《たかあまはら》より|流《なが》れ|来《きた》る|善霊《ぜんれい》の|活動《くわつどう》するありて、|人間《にんげん》は|此等《これら》|両者《りやうしや》の|中間《ちうかん》に|立《た》ち、|天国《てんごく》、|地獄《ぢごく》|両方《りやうはう》の|圧力《あつりよく》の|間《あひだ》に|挟《はさ》まらなくては、|決《けつ》して|意思《いし》の|自由《じいう》はあるべきものでない。
|又《また》|人間《にんげん》に|自由《じいう》のない|時《とき》は、|生命《せいめい》あることを|得《え》ない。|又《また》|善《ぜん》を|以《もつ》て|他人《たにん》に|強《し》ゆる|事《こと》は|出来《でき》ない、|人《ひと》から|強《し》ひられたる|善《ぜん》|其《その》ものは、|決《けつ》して|内分《ないぶん》の|霊魂《れいこん》に|止《とど》まるものでない、|心《こころ》の|底《そこ》に|何《ど》うしても|滲《し》み|込《こ》む|事《こと》は|出来《でき》ない、|但《ただし》|自由自在《じいうじざい》に|摂受《せつじゆ》した|所《ところ》の|善《ぜん》のみは、|人間《にんげん》の|意思《いし》の|上《うへ》に|深《ふか》き|根底《こんてい》を|下《おろ》して、|宛然《さながら》|其《その》|善《ぜん》をおのれの|物《もの》の|如《ごと》くする|様《やう》になるものである。
|霊的《れいてき》|現的《げんてき》|一切《いつさい》の |所在《あらゆる》ものに|相対《あひたい》し
|自然的《しぜんてき》なる|事物《じぶつ》より |推考《すゐかう》するに|非《あら》ざれば
|思索《しさく》すること|能《あた》はざる |現代人《げんだいじん》の|通弊《つうへい》は
|神的《しんてき》|即《すなは》ち|霊的《れいてき》の |人格《じんかく》さへも|肉的《にくてき》や
|自然的《しぜんてき》なるものなりと |思惟《しゐ》する|故《ゆゑ》に|彼《か》の|輩《はい》の
|結論《けつろん》する|所《ところ》|見《み》る|時《とき》は |果《はた》して|神《かみ》は|一個《いつこ》なす
|人格《じんかく》ならば|大《おほ》いさは |全大宇宙《ぜんだいうちう》と|同等《どうとう》に
あるべきものと|唱導《しやうだう》し |果《はた》して|神《かみ》が|天地《あめつち》を
|統御《とうぎよ》|按配《あんばい》するとせば |世上《せじやう》に|於《お》ける|君王《くんわう》の
|如《ごと》くに|多数《たすう》の|官人《くわんじん》を |用《もち》ゆるならむと|臆測《おくそく》す
げにも|愚《おろか》の|至《いた》りなり かかる|愚昧《ぐまい》の|人間《にんげん》に
|対《たい》して|高天原《たかあまはら》の|霊界《れいかい》は |現実《げんじつ》|世界《せかい》に|於《お》ける|如《ごと》
|空間的《くうかんてき》の|延長《えんちやう》なしと |告《つ》げ|諭《さと》すとも|直様《すぐさま》に
|容易《ようい》に|会得《ゑとく》せざるべし |何故《なにゆゑ》なれば|自然界《しぜんかい》
|及《およ》び|自然《しぜん》の|光明《くわうみやう》を |唯一《ゆゐいつ》の|標準《へうじゆん》と|相定《あひさだ》め
|思惟《しゐ》する|者《もの》は|目《め》の|前《まへ》に |認《みと》むる|如《ごと》き|延長《えんちやう》を
|除《のぞ》いて|外《ほか》は|何《ど》うしても |考察《かうさつ》し|得《え》ざる|故《ゆゑ》ぞかし
|高天原《たかあまはら》の|延長《えんちやう》は |世界《せかい》に|於《お》ける|延長《えんちやう》と
|事情《じじやう》|全《まつた》く|相反《あひはん》す |自然界《しぜんかい》なる|延長《えんちやう》には
|一種《いつしゆ》の|限定《げんてい》ある|故《ゆゑ》に |容易《ようい》に|測知《そくち》し|得《う》べけれど
|高天原《たかあまはら》の|延長《えんちやう》には |元《もと》より|限定《げんてい》なき|故《ゆゑ》に
|人心小智《じんしんせうち》のやすやすと |測知《そくち》し|得《う》べき|事《こと》ならず
そも|人間《にんげん》の|眼界《がんかい》は |如何《いか》に|遠《とほ》きに|達《たつ》すとも
|極《きは》めて|遠《とほ》き|距離《きより》のある |太陽《たいやう》、|太陰《たいいん》、|星辰《せいしん》も
|容易《ようい》に|認《みと》め|得《う》べしとは |何人《なにびと》もよく|知《し》れるなり
|又《また》|今《いま》|少《すこ》し|心《こころ》をば |深《ふか》くひそめて|思考《しかう》せば
|我《わが》|内分《ないぶん》の|視覚力《しかくりよく》 |即《すなは》ち|想念界《さうねんかい》の|視覚力《しかくりよく》は
|尚《なほ》も|遠方《ゑんぱう》に|相達《あひたつ》し |尚《なほ》も|進《すす》んで|内辺《ないへん》の
|視力《しりよく》の|至《いた》る|極《きは》みには |其《その》|眼界《がんかい》は|尚更《なほさら》に
|遠大《ゑんだい》なるべきことを|知《し》る |果《はた》して|然《しか》らば|何者《なにもの》か
|神的《しんてき》|視力《しりよく》の|現界外《げんかいぐわい》に |出《い》づるを|得《う》るとなさざらむ
|神的《しんてき》|視力《しりよく》は|現実《げんじつ》に |一切《いつさい》|視力《しりよく》のいと|深《ふか》き
|内的《ないてき》にして|且《かつ》|高上《かうじやう》なるものぞ |想念中《さうねんちう》に|此《かく》の|如《ごと》き
|延長《えんちやう》の|力《ちから》ある|故《ゆゑ》に |高天原《たかあまはら》の|一切《いつさい》の
|事物《じぶつ》は|此処《ここ》に|住《す》む|者《もの》の すべてに|伝《つた》はらざるはなし
|高天原《たかあまはら》を|成就《じやうじゆ》し |遍満《へんまん》したる|主《す》の|神《かみ》の
|其《その》|神格《しんかく》より|来《きた》るもの |凡《すべ》ては|又《また》も|斯《かく》の|如《ごと》
ならずと|云《い》ふ|事《こと》|更《さら》になし あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ。
|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》|両人《りやうにん》は|暫《しばら》く|関所《せきしよ》の|館《やかた》に|休息《きうそく》してゐた、そこへ|東方《とうはう》の|空《そら》を|輝《かがや》かして|一個《いつこ》の|火弾《くわだん》が|空中《くうちう》に|筋《すぢ》を|描《ゑが》いて|近寄《ちかよ》り|来《きた》り、|二人《ふたり》の|前《まへ》に|落下《らくか》し、|忽《たちま》ち|麗《うるは》しき|天人《てんにん》の|姿《すがた》と|変《かは》つた。|何時《いつ》の|間《ま》にやら、|二人《ふたり》は|想念《さうねん》に|引《ひき》ずられて|第三天国《だいさんてんごく》に|昇《のぼ》つてゐた。|神人《しんじん》の|姿《すがた》をよくよく|見《み》れば、|豈《あに》はからむや、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|言依別命《ことよりわけのみこと》であつた。|治国別《はるくにわけ》は|驚《おどろ》きと|喜《よろこ》びとに|打《う》たれ、ハツと|首《くび》を|下《さ》げ、|静《しづ》かに|天《あま》の|数歌《かずうた》を|奏上《そうじやう》し|始《はじ》めた。
『|治国別《はるくにわけ》さま、|大変《たいへん》な|好都合《かうつがふ》で|厶《ござ》いましたなア。|一度《いちど》|高天原《たかあまはら》の|諸団体《しよだんたい》を|御案内《ごあんない》|申上《まをしあ》げたいと|思《おも》うて|居《を》りましたが、|遂《つひ》に|其《その》|機会《きくわい》を|得《え》ませぬでした。|幸《さいは》ひあなたの|肉体《にくたい》はバラモン|教《けう》の|為《ため》に|苦《くるし》められ、あなたの|精霊《せいれい》は|肉体《にくたい》を|脱離《だつり》して|漸《やうや》くここにお|越《こ》しになることを|得《え》たのです。|十分《じふぶん》に|天国《てんごく》をお|調《しら》べになつた|上《うへ》、|再《ふたた》び|現界《げんかい》へ|立返《たちかへ》り、|神様《かみさま》の|為《ため》に|衆生済度《しゆじやうさいど》の|為《ため》にモウ|一働《ひとはたら》きやつて|頂《いただ》かねばなりませぬよ』
『|思《おも》はぬ|所《ところ》で、|貴神《きしん》にお|目《め》にかかり、|余《あま》り|嬉《うれ》しうて|言葉《ことば》も|出《い》でませぬ。|併《しか》しながら|人間《にんげん》の|肉体《にくたい》は|二十四時間《にじふよじかん》を|過《す》ぐれば|既《すで》に|腐敗糜爛《ふはいびらん》し、|再《ふたた》び|精霊《せいれい》の|容器《ようき》となることは|出来《でき》ないと|聞《き》きましたが、|最早《もはや》|私《わたし》はここへ|参《まゐ》つてから|殆《ほとん》ど|十時間《じふじかん》ばかりも|費《つひや》した|様《やう》な|気《き》が|致《いた》します。|余《あま》す|所《ところ》はあと|十三四時間《じふさんよじかん》、かかる|短《みじか》い|時間《じかん》の|間《あひだ》に|天国《てんごく》の|巡覧《じゆんらん》が|出来《でき》ませうかなア』
『|御心配《ごしんぱい》なさいますな、|霊界《れいかい》の|一日《いちにち》は|現界《げんかい》の|一年《いちねん》に|当《あた》ります、|貴方《あなた》はまだ|霊界《れいかい》より|見《み》れば|一分間《いつぷんかん》も|経《た》つて|居《を》りませぬ、|十時間《じふじかん》もたつたやうに|思《おも》はれたのは、|現実界《げんじつかい》の|反映《はんえい》でせう。|又《また》|霊界《れいかい》には|時間《じかん》もなければ|空間《くうかん》もありませぬ。まして|天国《てんごく》には|秋冬《あきふゆ》もなければ|夜《よる》もない、|只《ただ》|情動《じやうどう》の|変化《へんくわ》があるのみです。|凡《すべ》て|霊界《れいかい》は|想念《さうねん》の|世界《せかい》ですから、|時間《じかん》などは|問題《もんだい》にはなりませぬ。マアゆつくりと|私《わたし》に|従《つ》いて、|天国《てんごく》の|諸団体《しよだんたい》を|巡覧《じゆんらん》なさるが|宜《よろ》しからう』
『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います、|然《しか》らば|仰《おほせ》に|従《したが》ひ、お|供《とも》を|仕《つかまつ》りませう』
『モシ|先生《せんせい》、どうぞ|私《わたし》もお|供《とも》をさして|下《くだ》さいませ』
『ウンさうだなア、|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》に|御伺《おうかが》ひしてみようかな』
『|竜公《たつこう》さまは|未《いま》だ|天国《てんごく》を|巡覧《じゆんらん》する|丈《だけ》の|善《ぜん》と|信《しん》と|智慧証覚《ちゑしようかく》が|備《そな》はつて|居《を》りませぬから、|到底《たうてい》|巡覧《じゆんらん》は|出来《でき》ないのですが、|幸《さいは》ひ|拙者《せつしや》は|大神《おほかみ》の|命《めい》に|仍《よ》つて、|媒介天人《ばいかいてんにん》と|任命《にんめい》されて|居《を》りますから、|特別《とくべつ》を|以《もつ》てお|供《とも》を|許《ゆる》しませう』
|治国《はるくに》『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います、|何分《なにぶん》|宜《よろ》しく|御願《おねがひ》|申《まを》します』
『ア|特別《とくべつ》の|御引立《おひきたて》に|与《あづ》かりまして、|身《み》に|余《あま》る|光栄《くわうえい》で|厶《ござ》います』
『|竜公《たつこう》さま、あなたはまだ|精霊界《せいれいかい》に|籍《せき》がある|方《かた》だから、|天国《てんごく》へ|行《い》つたならば、|眼《まなこ》くらみ、|息苦《いきぐるし》くて|到底《たうてい》|堪《た》へ|切《き》れないでせう。ここに|被面布《ひめんぷ》がありますから、|之《これ》を|御被《おかぶ》りなさい、さうすれば、どうなりかうなりお|供《とも》が|叶《かな》ふでせう』
と|懐《ふところ》より|黒《くろ》き|被面布《ひめんぷ》を|取出《とりだ》し、|竜公《たつこう》の|面上《めんじやう》めがけて|投《な》げ|付《つ》くれば、|不思議《ふしぎ》や|竜公《たつこう》の|顔《かほ》にはキチンとして|被面布《ひめんぷ》がかけられた。
『サア|是《こ》れで|先《ま》づ|第三《だいさん》|天国《てんごく》の|或《ある》|団体《だんたい》から|案内《あんない》|致《いた》しませう』
『ハイ|有難《ありがた》う』
と|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》は|後《あと》に|従《したが》ひ、|恐《おそ》る|恐《おそ》る|進《すす》み|行《ゆ》く。
|俄《にはか》に|美妙《びめう》の|音楽《おんがく》が|聞《きこ》え|来《きた》り、|馥郁《ふくいく》たる|芳香《はうかう》は|四辺《しへん》をとざし、えもいはれぬ|爽快《さうくわい》な|気分《きぶん》になつて|来《き》た。|言依別《ことよりわけ》は|或《ある》|小丘《せうきう》の|上《うへ》に|二人《ふたり》を|導《みちび》き、|美《うる》はしき|岩石《がんせき》に|腰《こし》|打《う》ちかけながら、|眼下《がんか》の|青野ケ原《あをのがはら》を|見《み》おろし|説明《せつめい》の|労《らう》を|執《と》つた。
『|治国別《はるくにわけ》さま、あの|東《ひがし》の|方《はう》を|御覧《ごらん》なさい。あこに|一《ひと》つの|小高《こだか》き|丘陵《きうりよう》があつて、|沢山《たくさん》の|家《いへ》が|建《た》つてゐるでせう。あれが|第三《だいさん》|天国《てんごく》の|或《ある》|一部《いちぶ》の|団体《だんたい》で、|愛《あい》と|信《しん》とに|秀《ひい》でたる|天人《てんにん》の|住居《ぢゆうきよ》する|団体《だんたい》です。さうして|此《この》|真西《まにし》に|当《あた》る|所《ところ》にも|同《おな》じく|一《ひと》つの|部落《ぶらく》がありませう、それは|善《ぜん》と|真《しん》との|徳《とく》|稍《やや》|薄《うす》く、|光《ひかり》も|少《すこ》しく|朧《おぼろ》げなる|天人《てんにん》|共《ども》の|住居《ぢゆうきよ》|致《いた》して|居《を》る|団体《だんたい》であります。|東《ひがし》の|団体《だんたい》に|比《くら》ぶれば|余程《よほど》|西《にし》の|方《はう》は|凡《すべ》ての|光景《くわうけい》が|劣《おと》つて|居《ゐ》るでせう。これは|其《その》|団体《だんたい》に|於《お》ける|天人《てんにん》|等《ら》の|愛善《あいぜん》と|信真《しんしん》の|徳《とく》の|厚薄《こうはく》に|依《よ》つて、|斯《かく》の|如《ごと》く|差等《さとう》が|惟神的《かむながらてき》についてゐるのです。|同気《どうき》|相求《あひもと》むると|云《い》つて、|同《おな》じ|意思《いし》|想念《さうねん》の|者《もの》が|愛《あい》の|徳《とく》に|仍《よ》つて|集《あつ》まるのであります。|故《ゆゑ》に|東《ひがし》の|団体《だんたい》に|比《くら》ぶれば、|西《にし》の|方《はう》は|余程《よほど》|劣《おと》つて|居《を》ります』
『|同《おな》じ|天人《てんにん》でも、|東《ひがし》の|団体《だんたい》に|住《す》む|者《もの》と|西《にし》の|団体《だんたい》に|住《す》む|者《もの》とは|大変《たいへん》な|幸不幸《かうふかう》があるぢやありませぬか、|西《にし》の|方《はう》の|団体《だんたい》が|甲団体《かふだんたい》を|羨望《せんばう》して|移住《いぢゆう》して|行《ゆ》く|様《やう》な|事《こと》はありますまいかな』
『|決《けつ》して|決《けつ》して|左様《さやう》な|案《あん》じはありませぬ。すべて|神格《しんかく》よりする|愛《あい》|其《その》ものの|情動《じやうどう》|如何《いかん》に|依《よ》つて、|各自《かくじ》の|運命《うんめい》が|定《さだ》まるのですから、|西《にし》の|団体《だんたい》が|東《ひがし》の|団体《だんたい》の|光明《くわうみやう》を|羨望《せんばう》して|行《い》つた|所《ところ》で、|自分《じぶん》の|徳《とく》が|足《た》らないで、|苦《くる》しくて|居《を》られないのです。それ|故《ゆゑ》|個々《ここ》|団体《だんたい》の|天人《てんにん》は|決《けつ》して|他《た》へ|自由《じいう》に|移《うつ》るといふやうな|事《こと》はありませぬ、すべて|高天原《たかあまはら》には|順序《じゆんじよ》が|第一《だいいち》|重《おも》んぜられて|居《を》ります。|此《この》|順序《じゆんじよ》を|誤《あやま》る|者《もの》は、|到底《たうてい》|天国《てんごく》の|生活《せいくわつ》は|望《のぞ》まれないのです。|大神様《おほかみさま》の|神格《しんかく》は|順序《じゆんじよ》が|第一《だいいち》に|位《くらゐ》してゐるのですから、|地上《ちじやう》の|世界《せかい》の|如《ごと》く、|決《けつ》して|決《けつ》して|秩序《ちつじよ》|紊乱《びんらん》などの|虞《おそれ》は、|夢《ゆめ》にもありませぬ。これ|故《ゆゑ》に|天国《てんごく》は|永遠《ゑいゑん》に|平和《へいわ》が|保《たも》たれてゆくのです』
『|成程《なるほど》、|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|御神諭《ごしんゆ》にも、|身魂相応《みたまさうおう》の|徳《とく》を|与《あた》へると|示《しめ》されてありますが、いかにも|恐《おそ》れ|入《い》つた|次第《しだい》で|厶《ござ》いますなア、さうして|天人《てんにん》|等《ら》は|日々《にちにち》|何《なに》をして|居《ゐ》るのですか』
『|現界《げんかい》の|人間《にんげん》は、|高天原《たかあまはら》の|天人《てんにん》は|年《ねん》が|年中《ねんぢう》|歌舞音楽《かぶおんがく》に|耽《ふけ》り、|歓楽《くわんらく》に|酔《よ》うてゐる|様《やう》に|考《かんが》へて|居《を》りますが、|決《けつ》して|天国《てんごく》だとて、のらのらと|放蕩遊惰《はうたういうだ》に|日《ひ》を|送《おく》つてゐる|者《もの》はありませぬ。すべて|神様《かみさま》が|宇宙《うちう》をお|造《つく》り|遊《あそ》ばしたのは|一《ひと》つの|目的《もくてき》があるためです、|其《その》|目的《もくてき》とは|即《すなは》ち|用《よう》であります。|故《ゆゑ》に|用《よう》のなき|人間《にんげん》は|霊界《れいかい》にも|現界《げんかい》にも|決《けつ》して|存在《そんざい》を|許《ゆる》されない|筈《はず》です、|彼等《かれら》|天人《てんにん》は|各自《かくじ》の|天職《てんしよく》を|楽《たのし》み、|営々《えいえい》として|神業《しんげふ》に|参加《さんか》し、|士農工商《しのうこうしやう》の|業務《げふむ》を|営《いとな》んで|居《を》ります。さうして|月《つき》に|三回《さんくわい》|公休日《こうきうび》があつて、|其《その》|時《とき》には|天人《てんにん》|等《ら》は|神《かみ》の|家《いへ》に|集《あつ》まつて、|力《ちから》|一杯《いつぱい》|歓楽《くわんらく》を|尽《つく》し、|神《かみ》をほめ|称《たた》へ、|且《か》つ|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|十二分《じふにぶん》に|浴《よく》するのです』
『|成程《なるほど》、|実《じつ》に|結構《けつこう》な|御経綸《ごけいりん》がしてあるものですなア』
『|現界《げんかい》の|如《ごと》く、|労資《らうし》の|衝突《しようとつ》だとか、|労働《らうどう》|問題《もんだい》だとか、|地主《ぢぬし》|対《たい》|小作《こさく》|争議《さうぎ》だとか、|思想《しさう》|問題《もんだい》、|政治《せいぢ》|問題《もんだい》、|経済《けいざい》|問題《もんだい》などは|夢《ゆめ》にも|起《おこ》りませぬ、|実《じつ》に|平和《へいわ》な|幸福《かうふく》な|生涯《しやうがい》ですよ。|現界人《げんかいじん》が|一度《いちど》|天国《てんごく》の|情況《じやうきやう》を|見《み》たならば、|再《ふたた》び|現界《げんかい》へ|帰《かへ》るのは|厭《いや》になつて|了《しま》ひますよ』
『さうですな、|吾々《われわれ》も|此《この》|儘《まま》|天国《てんごく》の|生涯《しやうがい》を|送《おく》りたくなりました』
『|先生《せんせい》、|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》に|願《ねが》つて、|再《ふたた》び|娑婆《しやば》へ|追《お》ひ|帰《かへ》されないやうにして|下《くだ》さいな、|本当《ほんたう》にいい|所《ところ》ですなア』
『|何事《なにごと》も|神様《かみさま》の|仰《あふ》せのままに、|吾々《われわれ》は|使《つか》はれるべき|身分《みぶん》だから、|左様《さやう》な|勝手《かつて》|気儘《きまま》な|願望《ぐわんまう》を|起《おこ》しちやならないぞ。|只々《ただただ》|人間《にんげん》は|神《かみ》さまの|御用《ごよう》を|神妙《しんめう》にお|勤《つと》めさへすればいいのだ』
『ハイ|畏《かしこ》まりました。|併《しか》し|余《あま》り|良《よ》い|所《ところ》で、|実際《じつさい》の|事《こと》、|帰《かへ》るのが|厭《いや》になりました、が|併《しか》し|神《かみ》さまの|御命令《ごめいれい》ならば|仕方《しかた》がありませぬ』
|言依別《ことよりわけ》は|又《また》|南《みなみ》の|方《はう》を|指《ゆびさ》し、
『|治国別《はるくにわけ》さま、あの|南《みなみ》の|方《はう》に|小《ちひ》さき|丘陵《きうりよう》が|見《み》えませう、あれは|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》とに|充《み》ちたる|天人《てんにん》|共《ども》の|住居《ぢゆうきよ》する|団体《だんたい》です。さうして|此《この》|真北《まきた》に|当《あた》る|所《ところ》に|又《また》|一《ひと》つの|丘陵《きうりよう》があつて|一部落《いちぶらく》が|見《み》えませう、あれは|愛善《あいぜん》と|信真《しんしん》の|徳《とく》よりする|智慧証覚《ちゑしようかく》に|充《み》ちたる|天人《てんにん》|共《ども》の|居住《きよぢゆう》する|一個《いつこ》の|団体《だんたい》でありまして、|南《みなみ》の|団体《だんたい》よりは|少《すこ》しく|劣《おと》つてゐる|天人《てんにん》が|群居《ぐんきよ》して|居《を》ります。|少《すこ》し、|之《これ》から|見《み》ても|朧気《おぼろげ》に|見《み》えるでせう』
『なる|程《ほど》、|仰《あふ》せの|通《とほ》りですなア、ヤハリ|情動《じやうどう》の|如何《いかん》に|依《よ》つて、|運命《うんめい》が|定《さだ》まるのですかなア。|同《おな》じ|智慧《ちゑ》や|意思《いし》の|人間《にんげん》ばかりが、|一所《ひとところ》に|集《あつ》まつて|居《ゐ》る|程《ほど》、|愉快《ゆくわい》な|事《こと》はありますまい』
『あゝさうです、|愛《あい》の|善《ぜん》といふものは|凡《すべ》て|吸引力《きふいんりよく》の|強《つよ》いもので、|又《また》|無限《むげん》の|生命《せいめい》を|保有《ほいう》してゐるものです。|天人《てんにん》であらうと|現界人《げんかいじん》であらうと|地獄界《ぢごくかい》の|人間《にんげん》であらうと、それ|相応《さうおう》の|愛《あい》に|仍《よ》つて|生命《せいめい》が|保《たも》たれてゐるのですからなア、そして|其《その》|愛《あい》なるものは|凡《すべ》て|厳《いづ》の|御霊《みたま》、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|御神格《ごしんかく》より|内分的《ないぶんてき》に|流《なが》れ|来《く》るものですから、|実《じつ》に|無始無終《むしむしう》の|生命《せいめい》ですよ、あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
(大正一二・一・九 旧一一・一一・二三 松村真澄録)
第一三章 |下層天国《かそうてんごく》〔一二四六〕
|高天原《たかあまはら》の|天国《てんごく》の |東《ひがし》と|西《にし》との|団体《だんたい》に
|住《す》む|天人《てんにん》は|信愛《しんあい》の |其《その》|善徳《ぜんとく》に|居《を》るものぞ
|東《ひがし》はいとも|分明《ぶんめい》に |愛《あい》の|善徳《ぜんとく》|感得《かんとく》し
|西《にし》には|少《すこ》しおぼろげに |感《かん》ずるもののみ|住《す》めるなり
|南《みなみ》と|北《きた》との|団体《だんたい》は |愛信《あいしん》の|徳《とく》より|出《い》で|来《きた》る
|智慧証覚《ちゑしようかく》に|居《を》れるもの いや|永久《とこしへ》に|住居《ぢゆうきよ》せり
|中《なか》にも|南《みなみ》に|住《す》むものは |証覚《しようかく》|光明《くわうみやう》|明白《めいはく》に
|北《きた》は|証覚《しようかく》おぼろげに |光《ひか》れるもののみ|住《す》めるなり
|高天原《たかあまはら》の|霊国《れいごく》に ある|天人《てんにん》と|天国《てんごく》に
ある|天人《てんにん》は|皆《みな》|共《とも》に |右《みぎ》の|順序《じゆんじよ》を|守《まも》れども
|少《すこ》し|相違《さうゐ》の|要点《えうてん》は |一《ひと》つは|愛《あい》の|善徳《ぜんとく》に
|従《したが》ひて|進《すす》み|又《また》|一《ひと》つは |善《ぜん》の|徳《とく》より|出《い》で|来《きた》る
|信《しん》の|光《ひかり》に|従《したが》うて いや|永久《とこしへ》に|住《す》めるなり
|此《この》|天国《てんごく》にある|愛《あい》は |神《かみ》に|対《たい》する|愛《あい》にして
|之《これ》より|来《きた》る|真光《しんくわう》は |全《まつた》く|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》ぞ
|又《また》|霊国《れいごく》にある|愛《あい》は |隣人《りんじん》に|対《たい》する|愛《あい》にして
|之《これ》を|称《しよう》して|仁《じん》と|云《い》ふ |此《この》|仁愛《じんあい》より|出《い》で|来《きた》る
|真《しん》の|光《ひかり》は|智慧《ちゑ》なるぞ |或《あるひ》は|之《これ》を|信《しん》と|云《い》ふ
○
|久方《ひさかた》の|高天原《たかあまはら》の|神国《しんこく》には
|時間《じかん》|空間《くうかん》|春夏秋冬《しゆんかしうとう》の|区別《くべつ》なし
|只《ただ》|天人《てんにん》|各自《かくじ》が
|情態《じやうたい》の|変化《へんくわ》あるのみ
|現《うつ》し|世《よ》に|於《お》けるが|如《ごと》く、|天界《てんかい》の
|万事《ばんじ》に|継続《けいぞく》あり|進行《しんかう》もあり
されど|天人《てんにん》は
|時間《じかん》と|空間《くうかん》との
|概念《がいねん》なし
|久方《ひさかた》の|高天原《たかあまはら》には
|年《とし》もなく
|月日《つきひ》もあらず|時《とき》もなし
|只《ただ》|情態《じやうたい》の|変移《へんい》あるのみ
|情態《じやうたい》の|変移《へんい》の
ありし|所《ところ》には
|只《ただ》|情態《じやうたい》ばかりあるなり
|現界《げんかい》の
|凡《すべ》ての|人《ひと》は
|時間《じかん》てふ
|其《その》|概念《がいねん》を|離《はな》るる|能《あた》はず
|天人《てんにん》は
|皆《みな》|情態《じやうたい》の
|上《うへ》より|之《これ》を|思惟《しゐ》すれば
|人《ひと》の|想念《さうねん》の|中《うち》に|於《おい》て
|時間《じかん》より
|来《きた》れるものは
|天人《てんにん》の|間《あひだ》に|入《い》りては
|皆《みな》|悉《ことごと》く
|情態《じやうたい》の|想念《さうねん》となるものぞ
|春《はる》と|朝《あさ》は
|第一情態《だいいちじやうたい》に|於《お》ける
|天人《てんにん》が|居《を》る|所《ところ》の
|愛《あい》の|善《ぜん》|及《およ》び
|証覚《しようかく》の|境涯《きやうがい》に|対《たい》する
|想念《さうねん》となるものぞ
|夏《なつ》と|午時《うまどき》は
|第二情態《だいにじやうたい》にある|天人《てんにん》が
|居《を》る|所《ところ》の|愛善《あいぜん》|及《およ》び
|証覚《しようかく》の|境涯《きやうがい》に|対《たい》する
|想念《さうねん》となるものぞ
|秋《あき》と|夕《ゆふ》べとは
|第三情態《だいさんじやうたい》に|於《お》ける
|天人《てんにん》が|居《を》る|所《ところ》の|愛善《あいぜん》|及《およ》び
|証覚《しようかく》の|境涯《きやうがい》に|対《たい》する
|想念《さうねん》となるものぞ
|冬《ふゆ》と|夜《よる》とは
|地獄《ぢごく》におちし|精霊《せいれい》が
|之等《これら》の|境涯《きやうがい》に|対《たい》する
|想念《さうねん》となるものぞ
|言依別命《ことよりわけのみこと》は|治国別《はるくにわけ》に|向《むか》つて|尚《なほ》も|天国《てんごく》|団体《だんたい》の|説明《せつめい》を|続《つづ》けて|居《ゐ》る。
|治国《はるくに》『|実《じつ》に|天国《てんごく》と|云《い》ふ|所《ところ》は、|吾々《われわれ》の|想像《さうざう》|意外《いぐわい》に|秩序《ちつじよ》のたつた|立派《りつぱ》な|国土《こくど》ですな。|到底《たうてい》|吾々《われわれ》|如《ごと》き|罪悪《ざいあく》に|充《み》ちた|人間《にんげん》は|将来《しやうらい》|此《この》|国土《こくど》に|上《のぼ》る|見込《みこみ》はない|様《やう》ですな』
『|決《けつ》して|決《けつ》して|左様《さやう》な|道理《だうり》はありませぬ、|御安心《ごあんしん》なさいませ。|此処《ここ》は|最下《さいか》の|天国《てんごく》で、まだ|此《この》|上《うへ》に|中間天国《ちうかんてんごく》もあり、|最高天国《さいかうてんごく》もあるのです。|猶《なほ》|其《その》|外《ほか》に|霊国《れいごく》と|云《い》ふのがあつて、それ|相応《さうおう》の|天人《てんにん》が|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けて|居《ゐ》ます』
『|其《その》|最高天国《さいかうてんごく》へ|上《のぼ》り|得《う》る|天人《てんにん》は、|非常《ひじやう》な|善徳《ぜんとく》を|積《つ》み、|智慧証覚《ちゑしようかく》の|勝《すぐ》れたものでなければ|参《まゐ》る|事《こと》は|出来《でき》ますまいな』
『|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|聖言《せいげん》にもある|通《とほ》り、|生《うま》れ|赤子《あかご》の|純粋《じゆんすゐ》|無垢《むく》の|心《こころ》に|帰《かへ》りさへすれば、|直《ただ》ちに|第一天国《だいいちてんごく》と|相応《さうおう》し、|神格《しんかく》の|内流《ないりう》によつて|案外《あんぐわい》|容易《ようい》に|上《のぼ》り|得《う》るものです』
『|成程《なるほど》、|然《しか》し|吾々《われわれ》は|如何《どう》しても|赤子《あかご》の|心《こころ》にはなれないので|困《こま》ります。|然《しか》し|天国《てんごく》にも|矢張《やは》り|自然界《しぜんかい》の|如《ごと》き|太陽《たいやう》がおでましになるのでせうな』
『アレ、あの|通《とほ》り|東《ひがし》の|天《てん》に|輝《かがや》いて|居《を》られます。|貴方《あなた》には|拝《をが》めませぬかな』
『ハイ、|遺憾《ゐかん》|乍《なが》ら|未《ま》だ|高天原《たかあまはら》の|太陽《たいやう》を|拝《はい》する|丈《だ》けの|視力《しりよく》が|備《そな》はつて|居《ゐ》ないと|見《み》えます』
『さうでせう。|貴方《あなた》には|未《ま》だ|現実界《げんじつかい》に|対《たい》するお|役目《やくめ》が|残《のこ》つて|居《ゐ》ますから、|現界《げんかい》から|見《み》る|太陽《たいやう》の|様《やう》に|拝《をが》む|事《こと》は|出来《でき》ますまい。|天国《てんごく》の|太陽《たいやう》とは|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|御神格《ごしんかく》が|顕現《けんげん》して、|茲《ここ》に|太陽《たいやう》と|現《あら》はれ|給《たま》ふのです。|故《ゆゑ》に|現界《げんかい》の|太陽《たいやう》とは|非常《ひじやう》に|趣《おもむき》が|違《ちが》つて|居《を》ります。|霊国《れいごく》にては|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》|月《つき》と|現《あら》はれ|給《たま》ひ、|天国《てんごく》にては|又《また》|太陽《たいやう》と|現《あら》はれ|給《たま》ふのであります。さうして|霊国《れいごく》の|月《つき》は|現界《げんかい》から|見《み》る|太陽《たいやう》の|光《ひかり》の|如《ごと》く|輝《かがや》き|給《たま》ひ、|又《また》|天国《てんごく》の|太陽《たいやう》は|現界《げんかい》で|見《み》る|太陽《たいやう》の|光《ひかり》に|七倍《しちばい》した|位《くらゐ》な|輝《かがや》き|方《かた》であります。さうして|日《ひ》は|真愛《しんあい》を|現《あら》はし、|月《つき》は|真信《しんしん》を|現《あら》はし、|星《ほし》は|善《ぜん》と|真《しん》との|知識《ちしき》を|現《あら》はし|給《たま》ふのであります。|故《ゆゑ》に|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|聖言《せいげん》には、
一、|月《つき》の|光《ひかり》は|日《ひ》の|光《ひかり》の|如《ごと》く、|日《ひ》の|光《ひかり》は|七倍《しちばい》を|加《くは》へて|七《なな》つの|日《ひ》の|光《ひかり》の|如《ごと》くならむ。
一、|我《われ》|汝《なんぢ》を|亡《ほろ》ぼす|時《とき》は|空《そら》を|覆《おほ》ひ|其《その》|星《ほし》を|暗《くら》くし|雲《くも》を|以《もつ》て|日《ひ》を|蔽《おほ》はむ。|月《つき》は|其《その》|光《ひかり》を|放《はな》たざるべし。
一、|我《われ》、|空《そら》の|照《て》る|光明《くわうみやう》を|汝等《なんぢら》の|上《うへ》に|暗《くら》くし|汝《なんぢ》の|地《ち》を|暗《やみ》となすべし。
一、|我《われ》は|日《ひ》の|出《い》づる|時《とき》|之《これ》を|暗《くら》くすべし。|又《また》|月《つき》は|其《その》|光《ひかり》を|輝《かがや》かさざるべし。
一、|日《ひ》は|毛布《まうふ》の|如《ごと》く|暗《くら》くなり、|月《つき》は|地《ち》の|如《ごと》くなり、|天《てん》の|星《ほし》は|地《ち》に|落《お》ちむ。
一、|之等《これら》の|艱難《なやみ》の|後《のち》、|直《ただ》ちに|日《ひ》は|暗《くら》く|月《つき》は|光《ひかり》を|失《うしな》ひ、|星《ほし》は|空《そら》より|落《お》つべし。
とありませう。|此《この》|聖言《せいげん》は|愛《あい》と|信《しん》との|全《まつた》く|滅亡《めつぼう》したる|有様《ありさま》を、お|示《しめ》しになつたのでせう。|今日《こんにち》の|現界《げんかい》は|自然界《しぜんかい》の|太陽《たいやう》や|月《つき》は|天空《てんくう》に|輝《かがや》き|渡《わた》つて|居《を》りますが、|太陽《たいやう》に|比《ひ》すべき|愛《あい》と、|月《つき》に|比《ひ》すべき|信《しん》と|星《ほし》に|比《ひ》すべき|善《ぜん》と|真《しん》との|知識《ちしき》を|亡《ほろ》ぼして|居《ゐ》ますから、|天国《てんごく》の|移写《いしや》たる|現実界《げんじつかい》も|今日《こんにち》の|如《ごと》く|乱《みだ》れ|果《は》てたのです。かかる|事《こと》を|称《しよう》して|聖言《せいげん》は……|之等《これら》の|諸徳《しよとく》、|亡《ほろ》ぶる|時《とき》、|之等《これら》の|諸天体《しよてんたい》|暗《くら》くなり|其《その》|光《ひかり》を|失《うしな》ひて|空《そら》より|落《お》つ……と|云《い》はれてあるのです。|大神《おほかみ》の|神愛《しんあい》の|如何《いか》に|大《だい》なるか|又《また》|如何《いか》なるものなるかは|現界《げんかい》に|輝《かがや》く|太陽《たいやう》との|比較《ひかく》によつて|推知《すゐち》する|事《こと》が|出来《でき》るでせう。|即《すなは》ち|神《かみ》の|愛《あい》なるものは|頗《すこぶ》る|熱烈《ねつれつ》なる|事《こと》が|窺《うかが》はれませう。|人間《にんげん》にして|実《じつ》に|之《これ》を|信《しん》ずる|事《こと》を|得《う》るならば、|神様《かみさま》の|愛《あい》は|現実界《げんじつかい》の|太陽《たいやう》の|熱烈《ねつれつ》なるに|比較《ひかく》して|層一層《そういつそう》|強《つよ》いと|云《い》ふ|事《こと》が|分《わか》りませう。|大神様《おほかみさま》は|又《また》|現実界《げんじつかい》の|太陽《たいやう》の|如《ごと》く|直接《ちよくせつ》に|高天原《たかあまはら》の|中空《ちうくう》に|輝《かがや》き|給《たま》はず、その|神愛《しんあい》はおひおひ|下降《げかう》するに|従《したが》つて|熱烈《ねつれつ》の|度《ど》は|和《やは》らぎ|行《ゆ》くものです。|此《この》|和《やは》らぎの|度合《どあひ》は|一種《いつしゆ》の|帯《おび》をなして|天界太陽《てんかいたいやう》の|辺《ほとり》を|輝《かがや》き|亘《わた》り、|諸々《もろもろ》の|天人《てんにん》は|又《また》|此《この》|太陽《たいやう》の|内流《ないりう》によつて|自《みづか》らの|身《み》を|障害《しやうがい》せざらむが|為《た》め、|適宜《てきぎ》に|薄《うす》い|雲《くも》の|如《ごと》き|霊衣《れいい》を|以《もつ》て|其《その》|身《み》を|覆《おほ》うて|居《ゐ》るのです。|故《ゆゑ》に|高天原《たかあまはら》に|於《お》ける|諸々《もろもろ》の|天国《てんごく》の|位置《ゐち》は|其処《そこ》に|住《す》める|天人《てんにん》が|神《かみ》の|愛《あい》を|摂受《せつじゆ》する|度合《どあひ》の|如何《いかん》によつて|大神《おほかみ》の|御前《おんまへ》を|去《さ》る|事《こと》|或《あるひ》は|遠《とほ》くなつたり、|或《あるひ》は|近《ちか》くなつたりするものです。|又《また》|高天原《たかあまはら》の|高処《かうしよ》|即《すなは》ち|最高天国《さいかうてんごく》に|居《ゐ》る|天人《てんにん》は|愛《あい》の|徳《とく》に|住《ぢゆう》するが|故《ゆゑ》に、|太陽《たいやう》と|現《あら》はれたる|大神《おほかみ》の|御側近《おそばちか》く|居《ゐ》るものです。されど|最下《さいか》の|天国《てんごく》|団体《だんたい》にあるものは|信《しん》の|徳《とく》に|住《ぢゆう》するものなるが|故《ゆゑ》に、|太陽《たいやう》と|現《あら》はれ|給《たま》うた|大神《おほかみ》を|去《さ》る|事《こと》|最《もつと》も|遠《とほ》きものであります。ここは|即《すなは》ち|其《その》|高天原《たかあまはら》の|最下層《さいかそう》|第三天国《だいさんてんごく》の|中《なか》でも|最《もつと》も|低《ひく》い|所《ところ》ですから、|太陽《たいやう》と|現《あら》はれました|大神《おほかみ》の|御光《みひかり》を|拝《はい》する|事《こと》が|余程《よほど》|遠《とほ》くて|現界《げんかい》の|太陽《たいやう》を|拝《はい》する|如《ごと》く|明瞭《めいれう》に|分《わか》らないのです。さうして|最《もつと》も|不善《ふぜん》なるもの、|例《たと》へば|暗国界《あんこくかい》の|地獄《ぢごく》に|居《を》るものの|如《ごと》きは、|大神様《おほかみさま》の|目《め》の|前《まへ》を|去《さ》る|事《こと》|極《きは》めて|遠《とほ》く|且《か》つ|太陽《たいやう》の|光《ひかり》に|背《そむ》いて|居《ゐ》るものである。さうして|其《その》|暗国界《あんこくかい》に|於《お》ける|神《かみ》と|隔離《かくり》の|度合《どあひ》は|善《ぜん》の|道《みち》に|背《そむ》く|度合《どあひ》に|比《ひ》するものである。|故《ゆゑ》に|極悪《ごくあく》の|者《もの》は|到底《たうてい》|少《すこ》しの|光《ひかり》も|見《み》る|事《こと》が|出来《でき》ず|無明暗黒《むみやうあんこく》の|最低地獄《さいていぢごく》におつるものであります』
『やア|有難《ありがた》う|厶《ござ》いました。|吾々《われわれ》はまだ|善《ぜん》と|真《しん》よりする|智慧証覚《ちゑしようかく》が|足《た》りませぬから、|大神《おほかみ》の|御姿《みすがた》を|仰《あふ》ぐ|事《こと》が|出来《でき》ないのでせう』
『|第三《だいさん》|天国《てんごく》の|天人等《てんにんら》の|前《まへ》に|神《かみ》|其《その》|儘《まま》|太陽《たいやう》となつて|現《あら》はれ|給《たま》ふ|時《とき》は、|各《おのおの》|眼《まなこ》|晦《くら》み|頭痛《づつう》を|感《かん》じ|苦《くるし》みに|堪《た》へませぬ。それ|故《ゆゑ》|大神様《おほかみさま》は|一個《いつこ》の|天人《てんにん》となつて、|善相応《ぜんさうおう》、|真相応《しんさうおう》、|智慧証覚相応《ちゑしようかくさうおう》の|団体《だんたい》へお|下《くだ》り|遊《あそ》ばし、|親《した》しく|教《をしへ》を|垂《た》れさせ|給《たま》ふのであります』
『いや|大《おほい》に|諒解《りやうかい》|致《いた》しました。|私《わたくし》も|之《これ》から|現界《げんかい》へ|帰《かへ》りますれば、|其《その》|心得《こころえ》を|以《もつ》て|善《ぜん》の|為《た》め|真《しん》の|為《た》めに|活動《くわつどう》をさして|頂《いただ》きませう。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
『サア|之《これ》から|天人《てんにん》の|団体《だんたい》へ|御案内《ごあんない》|致《いた》しませう』
|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》は、
『ハイ、|有難《ありがた》う』
と|感謝《かんしや》しながら|言依別《ことよりわけ》の|後《あと》に|従《したが》ひ|欣々《いそいそ》として|進《すす》み|行《ゆ》く。
|二三丁《にさんちやう》ばかり|丘《をか》を|下《くだ》り|行《ゆ》くと、|忽《たちま》ち|巨大《きよだい》なる|火光《くわくわう》と|化《くわ》し|言依別《ことよりわけ》は|天空《てんくう》さして|其《その》|姿《すがた》を|没《ぼつ》し|給《たま》うた。|二人《ふたり》は|暗夜《あんや》に|灯《ひ》をとられし|如《ごと》き|心地《ここち》し、|大地《だいち》に|跪《ひざまづ》き|感謝《かんしや》に|咽《むせ》びながら、
『あゝ|有難《ありがた》し、|勿体《もつたい》なし、|吾々《われわれ》の|愛《あい》と|善《ぜん》の|徳《とく》、|全《まつた》からず|信真《しんしん》の|光《ひかり》|明《あき》らかならず、|従《したが》つて|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》の|光《ひかり》|弱《よわ》き|為《た》めに、|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|皇大神《すめおほかみ》は|天国《てんごく》の|太陽《たいやう》と|現《あら》はれ|給《たま》はず、|言依別命《ことよりわけのみこと》と|身《み》を|現《げん》じ、|此処《ここ》|迄《まで》|導《みちび》いて|下《くだ》さつたのだらう。あゝ|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し、|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|大神《おほかみ》の|御神徳《ごしんとく》よ』
と|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|暮《く》れてゐる。
『もし|先生《せんせい》、|之《これ》から|如何《どう》|致《いた》しませうか。|斯様《かやう》な|処《ところ》に|捨《す》てられては|如何《どう》|行《い》つてよいか、|少《すこ》しも|分《わか》らぬぢやありませぬか。あれ|程《ほど》|最前《さいぜん》|明瞭《めいれう》に|見《み》えて|居《を》つた|東西南北《とうざいなんぼく》の|天人《てんにん》の|部落《ぶらく》も、|何時《いつ》の|間《ま》にか|吾々《われわれ》の|視線内《しせんない》を|外《はづ》れて|了《しま》つたぢやありませぬか』
『|獅子《しし》は|三日《みつか》にして|其《その》|子《こ》を|谷底《たにそこ》へ|捨《す》てるとやら、これ|全《まつた》く|神様《かみさま》の|仁慈無限《じんじむげん》の|御摂理《ごせつり》だ。これだから|三五教《あななひけう》の|聖言《せいげん》にも「|師匠《ししやう》を|杖《つゑ》につくな、|人《ひと》を|力《ちから》にするな、|只《ただ》|神《かみ》のまにまに|活動《くわつどう》せよ」と|仰有《おつしや》るのだ。|言依別《ことよりわけ》|様《さま》の|御案内《ごあんない》|下《くだ》さるに|甘《あま》え、|気《き》を|許《ゆる》し、|凭《もた》れかかつて|居《を》つたが|吾々《われわれ》の|過《あやま》ちだ。それだから|神様《かみさま》は|吾々《われわれ》の|想念中《さうねんちう》より|遠《とほ》ざかり|給《たま》うたのだ。|吾々《われわれ》はまだまだ|愛《あい》と|信《しん》とが|徹底《てつてい》しないのだ。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|合掌《がつしやう》し|感涙《かんるゐ》に|咽《むせ》びつつ|主神《すしん》に|祈《いの》りを|凝《こら》すのであつた。
(大正一二・一・九 旧一一・一一・二三 北村隆光録)
第一四章 |天開《てんかい》の|花《はな》〔一二四七〕
|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》|両人《りやうにん》は|一心不乱《いつしんふらん》に|油断《ゆだん》と|慢心《まんしん》の|罪《つみ》を|謝《しや》し、|一時《いちじ》も|早《はや》く|吾《わが》|精霊《せいれい》に|神格《しんかく》の|充《み》たされむ|事《こと》を|祈願《きぐわん》しつつあつた。
そこへ|天国《てんごく》には|居《を》るべき|筈《はず》もない|臭気紛々《しうきふんぷん》たる|弊衣《へいい》を|着《ちやく》し、|二目《ふため》とは|見《み》られぬ|様《やう》な|醜面《しこづら》を|下《さ》げ、|膿汁《うみしる》のボトボトと|滴《したた》る|体《からだ》をしながら、|三尺《さんじやく》ばかりの|百足虫《むかで》の|杖《つゑ》をつき|二人《ふたり》の|前《まへ》に|現《あら》はれ|来《きた》り、|忽《たちま》ち|岩石《がんせき》に|躓《つまづ》き|苦悶《くもん》し|初《はじ》めた。|竜公《たつこう》は|驚《おどろ》いて、
『もし、|先生《せんせい》、|天国《てんごく》には|決《けつ》して|斯様《かやう》な|穢《きたな》いものは|居《を》らない|筈《はず》です。こりや|何時《いつ》の|間《ま》にか|慢心《まんしん》して|地獄《ぢごく》へ|逆転《ぎやくてん》したのぢやありますまいか。|此《この》|通《とほ》り|四方《しはう》は|暗雲《あんうん》に|包《つつ》まれ、|一丁《いつちやう》|先《さき》は|見《み》えぬ|様《やう》になり、|得《え》も|云《い》はれぬ|陰鬱《いんうつ》の|気《き》が|襲《おそ》うて|来《き》たぢやありませぬか』
『|否々《いやいや》|決《けつ》して|地獄《ぢごく》ではあるまい。|最下層《さいかそう》の|天国《てんごく》に|相違《さうゐ》ない。|然《しか》しながら|矢張《やは》り|天国《てんごく》にも|不幸《ふかう》な|人《ひと》があると|見《み》え、|斯様《かやう》な|業病《ごふびやう》に|罹《かか》り|苦《くるし》んでゐる|方《かた》がゐると|見《み》える。|何《なん》とかして|救《すく》うてやらねばなるまいが、|吾々《われわれ》が|救《すく》ふと|云《い》ふのは|之《これ》|亦《また》|慢心《まんしん》だ。|何《ど》うか|神様《かみさま》の|御神格《ごしんかく》を|頂《いただ》いて|御用《ごよう》に|使《つか》つて|頂《いただ》き|度《た》いものだ』
と|神《かみ》に|合掌《がつしやう》し|初《はじ》めた。|竜公《たつこう》は|袖《そで》を|引《ひ》いて|小声《こごゑ》になり、
『もし、|先生《せんせい》、こんな|穢《きたな》い|人間《にんげん》に|触《さは》らうものなら、|霊身《れいしん》が|穢《けが》れて|忽《たちま》ち|地獄《ぢごく》の|団体《だんたい》へ|落転《らくてん》せねばなりますまい。|決《けつ》してお|構《かま》ひ|遊《あそ》ばすな。|大変《たいへん》で|厶《ござ》ります』
『いや、さうではない。|天国《てんごく》は|愛善《あいぜん》の|国《くに》だ。|神《かみ》は|愛《あい》と|信《しん》とを|以《もつ》て|御神格《ごしんかく》と|遊《あそ》ばすのだ。|吾々《われわれ》も|神様《かみさま》の|愛《あい》と|信《しん》とを|受《う》けなくては|生命《せいめい》を|保《たも》つ|事《こと》は|出来《でき》ない。さうして|神《かみ》より|頂《いただ》いた|此《この》|愛《あい》と|信《しん》を|洽《あまね》く|地上《ちじやう》に|分配《ぶんぱい》せねばなるまい。|地獄《ぢごく》におつるのを|恐《おそ》れて|現在《げんざい》|目《め》の|前《まへ》に|苦《くるし》んでゐる|此《この》|憐《あは》れな|人々《ひとびと》を|救《すく》はないと|云《い》ふのは、|所謂《いはゆる》|自愛《じあい》の|心《こころ》だ、|自愛《じあい》の|心《こころ》は|天国《てんごく》にはない。|仮令《たとへ》|此《この》|場所《ばしよ》が|地獄《ぢごく》のドン|底《ぞこ》であらうとも、|自愛《じあい》を|捨《す》て|善《ぜん》と|愛《あい》との|光明《くわうみやう》にひたる|事《こと》を|得《う》るならば、|地獄《ぢごく》は|忽《たちま》ち|化《くわ》して|天国《てんごく》となるであらう』
『さう|承《うけたま》はればさうかも|知《し》れませぬな。|然《しか》し|乍《なが》ら|斯様《かやう》な|天国《てんごく》へ|来《き》て|居《を》りながら、あの|様《やう》な|穢《きたな》い|人間《にんげん》に|触《ふ》れて、|折角《せつかく》|磨《みが》きかけた|精霊《せいれい》を|穢《けが》す|様《やう》な|事《こと》があつては、|多勢《おほぜい》の|人間《にんげん》を|娑婆《しやば》へ|帰《かへ》つて|救《すく》ふ|事《こと》が|出来《でき》ますまい。|只《ただ》の|一人《ひとり》を|助《たす》けて|精霊《せいれい》を|穢《けがれ》すよりも、|此《この》|場《ば》は|見逃《みのが》して|多勢《おほぜい》の|為《た》めに|愛《あい》と|信《しん》との|光《ひかり》を|輝《かがや》かす|方《はう》が、|何程《なにほど》|神界《しんかい》の|為《ため》になるか|知《し》れませぬぜ。|此処《ここ》は|一《ひと》つ|考《かんが》へ|物《もの》ですな』
『いや|決《けつ》してさうではない。|目《め》の|前《まへ》に|提供《ていきよう》された、いはば|吾々《われわれ》の|試験物《しけんぶつ》だ。|此《この》|憐《あは》れな|人間《にんげん》を|見逃《みのが》して|行過《ゆきす》ぐる|位《くらゐ》ならば、|到底《たうてい》|吾々《われわれ》の|愛《あい》は|神《かみ》の|神格《しんかく》より|来《きた》る|真《しん》の|愛《あい》ではない。|矢張《やは》り|自然界《しぜんかい》と|同様《どうやう》に|自愛《じあい》だ、|地獄《ぢごく》の|愛《あい》だ。|斯様《かやう》な|偽善的《ぎぜんてき》|愛《あい》は|吾々《われわれ》の|採《と》るべき|道《みち》ではない』
|斯《か》く|話《はな》す|時《とき》しも、|前《まへ》に|倒《たふ》れた|非人《ひにん》は|治国別《はるくにわけ》を|打眺《うちなが》め、
『おい、そこな|宣伝使《せんでんし》、|俺《おれ》は|今《いま》|斯様《かやう》に|業病《ごふびやう》を|煩《わづら》ひ、|剰《あま》つさへ|岩《いは》に|躓《つまづ》き、|此《この》|通《とほ》り|足《あし》を|挫《くじ》き|苦《くるし》み|悶《もだ》えて|居《ゐ》るのだ。|早《はや》く|来《き》て|抱《だ》き|起《おこ》して|呉《く》れないか』
|治国別《はるくにわけ》は、
『ハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました』
と、ツと|側《そば》に|寄《よ》り|体《からだ》を|抱《だ》き|起《おこ》さうとすれば、|臭気紛々《しうきふんぷん》として|鼻《はな》をつき、|身体《しんたい》|一面《いちめん》に|蛆《うじ》がわき、いやらしき|種々雑多《しゆじゆざつた》の|虫《むし》|共《ども》が|体《からだ》|一面《いちめん》にウヨウヨと、|肉体《にくたい》の|腐《くさ》つた|部分《ぶぶん》から|数《かず》|限《かぎ》りもなくはみ|出《だ》してゐる。|治国別《はるくにわけ》がかけた|手《て》には|幾百《いくひやく》とも|限《かぎ》り|知《し》られぬ|蛆《うじ》がゾウゾウと|伝《つた》うて、|治国別《はるくにわけ》の|全身《ぜんしん》を|瞬《またた》く|間《うち》に|包《つつ》んで|来《く》る。|竜公《たつこう》は|之《これ》を|見《み》て、
『もし|先生《せんせい》、|何《なん》ぼ|何《なん》でも、そんな|腐《くさ》つた|人間《にんげん》を|相手《あひて》になさつちや、いけませぬよ。|到底《たうてい》|助《たす》かる|見込《みこみ》はありませぬよ。それ|御覧《ごらん》なさい、|体《からだ》|一面《いちめん》|蛆《うじ》がわいてるぢやありませぬか』
|治国別《はるくにわけ》は|言葉《ことば》|静《しづ》かに、
『|何処《どこ》の|誰方《どなた》|様《さま》か|知《し》りませぬが、|嘸《さぞ》|御難儀《ごなんぎ》で|厶《ござ》りませう。サア|私《わたし》の|肩《かた》にお|縋《すが》り|下《くだ》さい。|何処《どこ》|迄《まで》なりとお|宅《たく》|迄《まで》|送《おく》つて|上《あ》げませう』
『うん、|俺《おれ》の|云《い》ふ|事《こと》は|何《なん》でも|聞《き》くだらうな』
『ハイ、|如何《いか》なる|事《こと》でも|吾々《われわれ》の|力《ちから》の|及《およ》ぶ|限《かぎ》りは|御用《ごよう》を|承《うけたま》はりませう』
『|先生《せんせい》、|宜《よ》い|加減《かげん》に|止《や》めたら|如何《どう》ですか。あんまり|物好《ものず》きぢやありませぬか。|何程《なんぼ》|人《ひと》を|助《たす》けるが|役《やく》だと|云《い》つても、|二目《ふため》と|見《み》られぬ|体《からだ》を|抱起《だきおこ》して|貰《もら》ひながら、まるで|主人《しゆじん》が|僕《しもべ》に|対《たい》する|様《やう》な|言葉《ことば》を|用《もち》ゐ、|馬鹿《ばか》にして|居《ゐ》やがつて……お|礼《れい》の|一言《ひとこと》|位《くらゐ》|云《い》つた|処《ところ》で|宜《よろ》しからうに……|其《その》|様《やう》な|恩《おん》も|義理《ぎり》も|知《し》らぬ|位《くらゐ》だから、|此《この》|天国《てんごく》に|来《き》てもやつぱり|苦《くるし》んでゐるのですよ。|神様《かみさま》の|罰《ばち》が|当《あた》つてゐるものを、|何程《なんぼ》|宣伝使《せんでんし》だつて|構《かま》はぬでもいいでせう。|臭《くさ》い|臭《くさ》い、エグイ|香《にほひ》がして|来《き》た』
『こりや|竜公《たつこう》、|慢心《まんしん》を|致《いた》すな。|此《この》|方《はう》の|足《あし》を|擦《さす》れ』
『チヨツ、エー』
『おい|竜公《たつこう》、|俺《おれ》の|命令《めいれい》だ。|此《この》|非人《ひにん》さまの|云《い》ふ|通《とほ》り、お|足《あし》を|揉《も》まして|貰《もら》へ』
『ぢやと|申《まを》して、それが……』
『|何《なに》が「ぢやと|申《まを》して」だ。|左様《さやう》な|不量見《ふれうけん》の|奴《やつ》は、|只今《ただいま》|限《かぎ》り|師弟《してい》の|縁《えん》を|切《き》る。|俺《おれ》はもうお|前《まへ》と|何処《どこ》へも|一緒《いつしよ》には|行《ゆ》かない』
『エーエ、ぢやと|申《まを》して、それが|如何《どう》して……』
『こりや|竜《たつ》、|俺《おれ》の|尻《しり》を|嘗《な》め。|早《はや》く|嘗《な》めぬかい』
『エー、|馬鹿《ばか》にして|居《ゐ》やがる。|貴様等《きさまら》のアタ|穢《きたな》い|尻《しり》を|嘗《な》める|位《くらゐ》なら、|俺《おれ》や|死《し》んだがましだ。アーン アーン アーン』
『|表《おもて》に|善《ぜん》を|標榜《へうぼう》する|偽善者《ぎぜんしや》|奴《め》、|今《いま》に|貴様《きさま》も|俺《おれ》の|様《やう》な|病気《びやうき》にかかるが、それでも|宜《い》いか』
『そ……そんな|業病《ごふびやう》にかかる|様《やう》な……ワヽヽ|悪《わる》い|事《こと》はした|事《こと》はないワイ。あんまり|馬鹿《ばか》にすない。|俺《おれ》の|大切《たいせつ》のお|師匠《ししやう》さまを、|僕《しもべ》か|何《なん》ぞの|様《やう》に|使《つか》つて、|二目《ふため》と|見《み》られない|体《からだ》を|介抱《かいほう》させ、|尚《なほ》|其《その》|上《うへ》に|世話《せわ》をさせやがつて……エー、もう|先生《せんせい》、こんな|奴《やつ》はいい|加減《かげん》にしておきなさいませ』
『これも|神様《かみさま》の|御恵《おめぐ》みだ。|袖《そで》ふり|合《あ》ふも|他生《たしやう》の|縁《えん》、かかる|尊《たふと》き|天国《てんごく》に|於《おい》て、かうしてお|目《め》にかかるのも|何《なに》かの|御神縁《ごしんえん》だらう。|何程《なにほど》|汚《きたな》き|人間《にんげん》|様《さま》でも、|神様《かみさま》の|愛《あい》の|神格《しんかく》に|照《て》らされてからは、|少《すこ》しも|汚穢《をゑ》を|感《かん》じない。|実《じつ》に|有難《ありがた》く|感《かん》じてゐる。お|前《まへ》も|此《この》|方《かた》に|会《あ》うたのを|幸《さいは》ひに、|身《み》の|罪《つみ》を|償《つぐの》ふべく|介抱《かいほう》をさして|頂《いただ》いたら|如何《どう》だ』
『おい、|治国別《はるくにわけ》、|俺《おれ》の|足《あし》の|裏《うら》を|一寸《ちよつと》|嘗《な》めて|呉《く》れ。|大分《だいぶん》に|膿《うみ》が|出《で》て|居《ゐ》る|様《やう》だ。|此《この》|膿《うみ》を|吸《す》ひとらねば|如何《どう》しても|歩《ある》く|事《こと》は|出来《でき》ない』
『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります。|御用《ごよう》さして|頂《いただ》きます』
と|云《い》ひながら、|足《あし》の|裏《うら》の|膿《うみ》をチウチウと|吸《す》ひかけた。|竜公《たつこう》は|堪《たま》りかね、
『|無礼者《ぶれいもの》』
と|云《い》ひながら、|拳骨《げんこつ》をかためて|非人《ひにん》の|頭《あたま》をポカンと|殴《なぐ》つた。|拍子《ひやうし》に|醜穢《しうわい》|見《み》るに|忍《しの》びなかつた|非人《ひにん》の|姿《すがた》は、|忽《たちま》ち|容色《ようしよく》|端麗《たんれい》なる|妙齢《めうれい》の|美人《びじん》と|変《かは》り、|得《え》も|云《い》はれぬ|笑《ゑみ》をたたへながら、
『|治国別《はるくにわけ》さま、|貴方《あなた》は|本当《ほんたう》に|神《かみ》の|愛《あい》が|徹底《てつてい》しましたよ。サア|妾《わらは》と|天国《てんごく》の|旅行《りよかう》を|致《いた》しませう。|竜公《たつこう》さまの|様《やう》な|無情漢《むじやうかん》は、|此処《ここ》に|放《ほ》つといてやりませうよ』
『|私《わたし》は、|憐《あは》れな|精神上《せいしんじやう》の|不具《かたわ》なる|此《この》|竜公《たつこう》を|直《なほ》してやらず、|捨《す》てて|行《ゆ》く|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|竜公《たつこう》と|共《とも》に|天国《てんごく》の|巡覧《じゆんらん》が|出来《でき》ねば、|最早《もはや》|仕方《しかた》がありませぬ。|彼《かれ》と|苦楽《くらく》を|共《とも》にする|考《かんが》へなれば、|何卒《どうぞ》|貴女《あなた》はお|一人《ひとり》おいでなさいませ』
『|成程《なるほど》、さうでなくては|神《かみ》の|愛《あい》が|徹底《てつてい》したとは|云《い》へない。|治国別《はるくにわけ》|殿《どの》、|天晴《あつぱれ》|々々《あつぱれ》、|妾《わらは》は|天教山《てんけうざん》の|木花姫《このはなひめ》で|厶《ござ》るぞや』
|治国別《はるくにわけ》は|二足三足《ふたあしみあし》|後《あと》へしざり、|大地《だいち》に|手《て》をついて|一言《いちごん》も|発《はつ》し|得《え》ず、|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》にくれてゐる。|木花姫《このはなひめ》は|言葉《ことば》|淑《しと》やかに、
『|治国別《はるくにわけ》さま、|貴方《あなた》はよくそこ|迄《まで》|善《ぜん》の|道《みち》に|徹底《てつてい》して|下《くだ》さいましたね。|嘸《さぞ》|大神様《おほかみさま》も|御満足《ごまんぞく》で|厶《ござ》りませう。|最前《さいぜん》|言依別命《ことよりわけのみこと》と|現《あら》はれ|給《たま》うたのは、|国治立尊《くにはるたちのみこと》|様《さま》で|厶《ござ》りましたよ』
『ハイ、|初《はじ》めの|間《うち》は|智慧《ちゑ》|暗《くら》く|証覚《しようかく》うとき|治国別《はるくにわけ》、|全《まつた》く|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》とのみ|思《おも》ひ|居《を》りましたが、|如何《どう》やら|大神様《おほかみさま》の|御化身《ごけしん》なりし|事《こと》をおぼろげに|考《かんが》へさして|頂《いただ》きまして、|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》にくれて|居《を》りました|処《ところ》へ、|貴方様《あなたさま》の|御試《おこころ》みに|預《あづか》り、|願《ねが》うてもなき|御神徳《ごしんとく》を|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しました。|何卒《なにとぞ》|々々《なにとぞ》、|此《この》|竜公《たつこう》も|私《わたくし》|同様《どうやう》にお|目《め》をかけてやつて|下《くだ》さいませ』
『|竜公《たつこう》さま、|貴方《あなた》も|随分《ずゐぶん》|義《ぎ》の|固《かた》い|人《ひと》ですな。もう|少《すこ》し|愛《あい》が|徹底《てつてい》すれば|天国《てんごく》が|立派《りつぱ》に|被面布《ひめんぷ》をといて|上《のぼ》れますよ。|師匠《ししやう》を|思《おも》ふ|真意《まごころ》は|実《じつ》に|感服《かんぷく》|致《いた》しました。|其《その》|忠良《ちうりやう》なる|志《こころざし》によつて、|貴方《あなた》の|愛《あい》の|欠点《けつてん》を|補《おぎな》ふ|事《こと》が|出来《でき》ますから、|益々《ますます》|魂《たま》を|磨《みが》いて|天国《てんごく》の|巡覧《じゆんらん》を|成《な》さいませ』
|竜公《たつこう》は|感涙《かんるゐ》に|咽《むせ》びながら、
『|重々《ぢゆうぢゆう》の|御懇切《ごこんせつ》なる|御教訓《ごけうくん》、|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります。|左様《さやう》なれば、お|供《とも》をさして|頂《いただ》きませう』
『ここは|最下層《さいかそう》の|天国《てんごく》、これより|中間《ちうかん》の|天国《てんごく》|団体《だんたい》へ|案内《あんない》|致《いた》しませう。|中間《ちうかん》|天国《てんごく》の|天人《てんにん》の|証覚《しようかく》や|智慧《ちゑ》|及《およ》び|愛《あい》と|信《しん》は、|下層《かそう》の|天国《てんごく》に|住《す》む|天人《てんにん》に|比《くら》ぶれば、|万倍《まんばい》の|光明《くわうみやう》が|備《そな》はつて|居《を》ります。それ|故《ゆゑ》|此《この》|天国《てんごく》より|一万倍《いちまんばい》の|愛《あい》の|善《ぜん》と|信《しん》の|真《しん》、|智慧《ちゑ》|証覚《しようかく》を|備《そな》へなくては、|仮令《たとへ》|天国《てんごく》へ|無理《むり》に|上《のぼ》るとも、|眼《まなこ》くらみ、|頭痛《づつう》|甚《はなは》だしく、|力《ちから》|衰《おとろ》へ、|殆《ほとん》ど|自分《じぶん》の|生死《せいし》の|程《ほど》も|分《わか》らない|様《やう》になるものですよ。|竜公《たつこう》さまは|被面布《ひめんぷ》を|頂《いただ》かれて、|先《ま》づ|之《これ》で|第二《だいに》|天国《てんごく》の|探険《たんけん》も|出来《でき》ませうが、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》は|其《その》|儘《まま》では|到底《たうてい》|参《まゐ》れますまい。|妾《わらは》が|所持《しよぢ》の|被面布《ひめんぷ》を|上《あ》げませう』
と|云《い》ふより|早《はや》く|懐中《くわいちう》より|取出《とりだ》し、|手早《てばや》く|治国別《はるくにわけ》の|頭部《とうぶ》にかけ|給《たま》うた。|之《これ》より|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》は|木花姫《このはなひめ》の|後《あと》を|慕《した》ひ、|足《あし》に|任《まか》せて|東《ひがし》を|指《さ》して|一瀉千里《いつしやせんり》の|勢《いきほ》ひで|進《すす》み|行《ゆ》くのであつた。
あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一二・一・九 旧一一・一一・二三 北村隆光録)
第一五章 |公義正道《こうぎせいだう》〔一二四八〕
|最奥一《さいおういち》の|天国《てんごく》に |在《あ》る|天人《てんにん》の|想念《さうねん》と
|其《その》|情動《じやうどう》と|言語《げんご》とは |決《けつ》して|中間天国《ちうかんてんごく》の
|天人《てんにん》|共《ども》の|知覚《ちかく》し|得《う》る ものには|非《あら》ず|何故《なぜ》ならば
|最奥《さいおう》の|天国人《てんごくじん》の|一切《いつさい》は |中天界《ちうてんかい》の|事物《じぶつ》より
|勝《すぐ》れて|超絶《てうぜつ》すればなり さはさりながら|大神《おほかみ》の
|心《こころ》に|叶《かな》ひし|其《その》|時《とき》は |中天国《ちうてんごく》の|天人《てんにん》は
|上天《じやうてん》|高《たか》く|仰《あふ》ぎ|見《み》て |火焔《くわえん》の|如《ごと》き|光彩《くわうさい》を
|天空《てんくう》|高《たか》く|見《み》るものぞ |又《また》|中天《ちうてん》の|天人《てんにん》の
|想念《さうねん》|及《およ》び|情動《じやうどう》と |言語《げんご》はさながら|光明《くわうみやう》の
|如《ごと》きものとし|最下層《さいかそう》の |天国人《てんごくじん》より|見《み》るを|得《え》む
|其《その》|光彩《くわうさい》は|輝《かがや》きて いろいろ|雑多《ざつた》の|色《いろ》をなし
|或《あるひ》は|雲《くも》と|見《み》ゆるあり |其《その》|雲《くも》|及《およ》び|光彩《くわうさい》の
|上下《しやうか》の|模様《もやう》を|初《はじ》めとし |其《その》|形態《けいたい》に|思索《しさく》して
ある|程度《ていど》|迄《まで》|上天《じやうてん》に |於《お》ける|天人《てんにん》|諸々《もろもろ》の
|言説《げんせつ》し|居《を》る|状態《じやうたい》を |遥《はるか》に|悟《さと》り|得《え》らるなり
|最高奥《さいかうあう》の|天国《てんごく》は いと|円満《ゑんまん》に|具足《ぐそく》して
|神光《しんくわう》|輝《かがや》きみち|渡《わた》り |中天界《ちうてんかい》に|比《くら》ぶれば
|円満《ゑんまん》の|度《ど》はいと|高《たか》し |次《つぎ》に|最下《さいか》の|天国《てんごく》に
|下《くだ》るに|及《およ》んで|其《その》|度合《どあひ》 |一層《いつそう》|低《ひく》きを|加《くは》ふべし
|又《また》|甲天《かふてん》の|形式《けいしき》は |神《かみ》より|来《きた》る|内流《ないりう》に
よりて|全《まつた》く|乙天《おつてん》の ために|永久《とこしへ》に|存在《そんざい》す。
|高天原《たかあまはら》の|形式《けいしき》を、|其《その》|細目《さいもく》に|亘《わた》つて|了解《れうかい》する|事《こと》や、|又《また》|此《この》|形式《けいしき》が|如何《いか》なる|情態《じやうたい》に|活動《くわつどう》し、|如何《いか》に|流通《りうつう》するかを|会得《ゑとく》するのは、|現在《げんざい》|天国《てんごく》にある|天人《てんにん》と|雖《いへど》も|能《よ》くし|得《え》ざる|所《ところ》である。これを|譬《たと》ふるならば、|最《もつと》も|聰明《そうめい》にして|神《かみ》の|智慧《ちゑ》に|富《と》んだ|人《ひと》が、|人体《じんたい》に|於《お》ける|種々《しゆじゆ》の|事物《じぶつ》の|形態《けいたい》を|検査《けんさ》し、これより|推《お》して|考《かんが》へる|時《とき》は、|高天原《たかあまはら》の|其《その》|形式《けいしき》に|関《くわん》して、|或《あるひ》は|其《その》|大要《たいえう》を|悟《さと》り|得《う》る|事《こと》が|出来《でき》るであらう。|高天原《たかあまはら》の|全体《ぜんたい》の|形式《けいしき》は、|一個《いつこ》の|人身《じんしん》に|似《に》て|居《ゐ》る|様《やう》である。|又《また》|人身中《じんしんちう》に|於《お》ける|万《よろづ》の|事物《じぶつ》は|総《すべ》て|高天原《たかあまはら》の|事物《じぶつ》に|相応《さうおう》するものである。|故《ゆゑ》に|高天原《たかあまはら》の|形式《けいしき》が|如何《いか》に|人間《にんげん》として|解《かい》し|難《がた》く、|又《また》|説明《せつめい》し|難《がた》きかは、|人間《にんげん》|各部《かくぶ》を|連結《れんけつ》する|所《ところ》の|神経《しんけい》や|繊維《せんゐ》を|見《み》たならば、|略《ほぼ》|察知《さつち》する|事《こと》が|出来《でき》るであらう。|是等《これら》の|神経《しんけい》|繊維《せんゐ》は|抑《そもそも》|何物《なにもの》なるか、|又《また》|如何《いか》にして|脳髄中《なうずゐちう》に|活動《くわつどう》し|流行《りうかう》し|居《ゐ》るかは、|如何《いか》なる|医学《いがく》|博士《はかせ》と|雖《いへど》も、|肉眼《にくがん》を|以《もつ》て、|或《あるひ》は|顕微鏡《けんびきやう》をもつて|見得《みう》るものではない。|人間《にんげん》の|頭脳中《づなうちう》には|無数《むすう》の|繊維《せんゐ》があつて、|交叉《かうさ》する|様《さま》や|其《その》|集《あつ》まれる|所《ところ》より|見《み》れば、|実《じつ》に|柔《やはら》かき|連絡《れんらく》した|一《ひと》つの|固《かた》まりに|似《に》て|居《ゐ》るけれど、|意性《いせい》|及《およ》び|智性《ちせい》よりする|所《ところ》の|個々別々《ここべつべつ》の|活動《くわつどう》は、|皆《みな》|此《この》|繊維《せんゐ》によつて|行《おこな》はれて|居《ゐ》る|事《こと》は|無論《むろん》である。|総《すべ》て|是等《これら》の|繊維《せんゐ》が|肉体中《にくたいちう》にあつて、|如何《いか》にして|相結束《あひけつそく》し|活躍《くわつやく》するかは|種々《しゆじゆ》|様々《さまざま》の|中枢《ちうすう》|機関《きくわん》、|例《たと》へば|心臓《しんざう》|肺臓《はいざう》|胃腸《ゐちやう》、|其《その》|他《た》のものを|見《み》れば|明《あきら》かである。|又《また》|医学上《いがくじやう》に|於《おい》て、|神経節《しんけいせつ》と|呼《よ》ばれて|居《ゐ》る|神経《しんけい》の|束《たば》を|見《み》れば、|数多《あまた》の|繊維《せんゐ》が|各《かく》|其《その》|局部《きよくぶ》より|来《きた》つて|此処《ここ》に|集《あつ》まり、|茲《ここ》に|交雑《かうざつ》し、|又《また》|種々《しゆじゆ》に|連結《れんけつ》したる|後《のち》、|再《ふたた》び|此処《ここ》を|出《い》で|往《ゆ》き、|外《ほか》にあつて|各《かく》|其《その》|官能《くわんのう》を|全《まつた》うするものである。|而《しか》して|斯《かく》の|如《ごと》きもの|一再《いつさい》にして|止《とど》まらない。|又《また》|各《かく》|臓腑《ざうふ》や|各《かく》|肢体《したい》|各《かく》|筋肉《きんにく》にあつても|此《この》|通《とほ》りである。|証覚者《しようかくしや》の|目《め》を|以《もつ》て|是等《これら》の|事物《じぶつ》と|其《その》|数多《あまた》の|不可思議《ふかしぎ》とを|考査《かうさ》する|時《とき》は、|唯々《ただただ》|其《その》|幽玄微妙《いうげんびめう》なる|活動《くわつどう》に|驚嘆《きやうたん》するの|外《ほか》はないのである。|併《しか》しながら|以上《いじやう》は|肉眼《にくがん》にて|見得《みう》る|所《ところ》のほんの|僅少《きんせう》の|部分的《ぶぶんてき》|観察《くわんさつ》に|過《す》ぎないのである。|其《その》|自然界《しぜんかい》の|内面《ないめん》にかくれて、|吾人《ごじん》の|視覚《しかく》の|及《およ》ばない|所《ところ》にある|物《もの》に|至《いた》つては、|更《さら》に|一層《いつそう》の|不可思議《ふかしぎ》を|包《つつ》んで|居《ゐ》るのである。|以上《いじやう》の|身体上《しんたいじやう》の|形式《けいしき》の、|高天原《たかあまはら》の|形式《けいしき》と|相応《さうおう》すると|云《い》ふ|事《こと》は、|其《その》|形式《けいしき》の|中《うち》にあり、|之《これ》によつて|働《はたら》く|所《ところ》の|智性《ちせい》と|意性《いせい》とが、|万般《ばんぱん》に|対《たい》し|発作《ほつさ》するを|見《み》ても|明《あきら》かである。|人間《にんげん》が|其《その》|意《い》に|決《けつ》する|所《ところ》があれば、|皆《みな》|自《おのづか》らにして|此《この》|形式《けいしき》の|上《うへ》に|発作《ほつさ》するからである。|又《また》|人《ひと》|苟《いやし》くも|何事《なにごと》か|思惟《しゐ》する|所《ところ》があれば、|其《その》|想念《さうねん》は|最初《さいしよ》の|発作点《ほつさてん》より|末端《まつたん》に|至《いた》つて|神経《しんけい》|繊維《せんゐ》の|上《うへ》に|環流《くわんりう》せざるはなく、|是《これ》よりして|茲《ここ》に|感覚《かんかく》なるものがある。さうして|此《この》|形式《けいしき》はやがて|想念《さうねん》と|意思《いし》との|形式《けいしき》である|故《ゆゑ》に、|又《また》|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》との|形式《けいしき》なりと|云《い》つてもよいのである。|故《ゆゑ》に|天界《てんかい》の|形式《けいしき》は、|人体《じんたい》に|於《お》ける|総《すべ》ての|諸官能《しよくわんのう》の|活動《くわつどう》に|相応《さうおう》するものなる|事《こと》を|知《し》り|得《え》らるるのである。|又《また》|天人《てんにん》の|情動《じやうどう》と|想念《さうねん》とは|悉《ことごと》く|此《この》|形式《けいしき》に|従《したが》つて、|自《おのづか》ら|延長《えんちやう》するものなる|事《こと》を|知《し》り、|彼等《かれら》|天人《てんにん》はこの|形式《けいしき》の|内《うち》にある|限《かぎ》り、|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》とに|居《を》るものなる|事《こと》を|知《し》り|得《え》らるるのである。|併《しか》しながら|高天原《たかあまはら》の|形式《けいしき》は、|其《その》|大体《だいたい》の|原則《げんそく》すら|充分《じうぶん》に|探究《たんきう》すべからざる|事《こと》を、|自然界《しぜんかい》の|科学《くわがく》|万能《ばんのう》|主義者《しゆぎしや》に|知《し》らさむために、|人間《にんげん》の|身体《しんたい》を|例《れい》に|引《ひ》いて|見《み》たのである。
|高天原《たかあまはら》には|三《みつ》つの|度《ど》ある|如《ごと》く、|各天人《かくてんにん》の|生涯《しやうがい》にも|亦《また》、|三《みつ》つの|度《ど》があつて、|最高第一《さいかうだいいち》の|天国《てんごく》|及《および》|霊国《れいごく》にあるものは、|第三度《だいさんど》|即《すなは》ち|最奥《さいあう》の|度《ど》が|開《ひら》けて|居《を》り、|中間《ちうかん》の|天界《てんかい》と|最下《さいか》の|天界《てんかい》とは|塞《ふさ》がり、|又《また》|中間天界《ちうかんてんかい》に|居《を》るものは、|第二度《だいにど》のみ|開《ひら》けて、|上天《じやうてん》と|下天《かてん》とは|塞《ふさ》がれ、|又《また》|最下層《さいかそう》の|天界《てんかい》にあるものは|第一度《だいいちど》のみ|開《ひら》けて、|中間天界《ちうかんてんかい》と|上天界《じやうてんかい》とは|塞《ふさ》がつて|居《ゐ》るのである。|故《ゆゑ》にもし|上天国《じやうてんごく》の|天人《てんにん》にして|中天国《ちうてんごく》の|団体《だんたい》を|瞰下《かんか》して、|之《これ》と|相語《あひかた》る|事《こと》あらむには、|上天人《じやうてんにん》が|有《いう》する|第三度《だいさんど》は|忽《たちま》ち|塞《ふさ》がつて|了《しま》ふのである。|而《しか》して|其《その》|閉塞《へいそく》と|共《とも》に|証覚《しようかく》|迄《まで》も|亡《ほろ》ぶのである。|何故《なにゆゑ》なれば、|上天国《じやうてんごく》の|天人《てんにん》の|証覚《しようかく》は、|第三度《だいさんど》に|住《ぢゆう》し、|第一《だいいち》|及《およ》び|第二《だいに》の|度《ど》に|居《を》らないからである。|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|聖言《せいげん》に、
一、|屋上《をくじやう》にあるものは、|其《その》|家《いへ》のものを|取《と》らむとて|下《くだ》るなかれ。|田《た》に|居《を》るものは、|其《その》|衣《ころも》を|取《と》らむとて|帰《かへ》るなかれ。
一、|其《その》|日《ひ》には|人《ひと》|屋上《をくじやう》にあれば、|其《その》|器具室《きぐしつ》にあるともこれを|取《と》らむとて|下《くだ》るなかれ。|又《また》|田畑《たはた》にあるものも|帰《かへ》るなかれ。
と|示《しめ》されたるは|右《みぎ》の|密意《みつい》を|示《しめ》されたる|言葉《ことば》である。さうして|下層《かそう》の|天界《てんかい》より、|上層《じやうそう》の|天界《てんかい》へは|神格《しんかく》の|内流《ないりう》なるものがない。それは|神《かみ》の|順序《じゆんじよ》に|逆《さか》らふからである。|神《かみ》は|一名《いちめい》|順序《じゆんじよ》と|讃《たた》へ|奉《まつ》つてもよいものである。|故《ゆゑ》に|上天界《じやうてんかい》より|下天界《かてんかい》に|向《むか》つては|内流《ないりう》がある。さうして|上天界《じやうてんかい》の|天人《てんにん》の|証覚《しようかく》は|下天界《かてんかい》の|天人《てんにん》に|勝《まさ》る|事《こと》|万《まん》と|一《いち》とに|比例《ひれい》するのである。|是《これ》|亦《また》|下天界《かてんかい》の|天人《てんにん》が|上天界《じやうてんかい》の|天人《てんにん》と|相語《あひかた》る|事《こと》の|出来《でき》ない|理由《りいう》である。|仮令《たとへ》|下天界《かてんかい》の|天人《てんにん》が|仰《あふ》ぎ|望《のぞ》む|事《こと》あるも、|更《さら》に|更《さら》に|其《その》|姿《すがた》を|見《み》る|事《こと》を|得《え》ず、|唯《ただ》|上天界《じやうてんかい》は|尚《なほ》|雲《くも》が|頭上《づじやう》にかかつて|居《ゐ》る|如《ごと》く|見《み》えるばかりである。これに|反《はん》し|上天界《じやうてんかい》の|天人《てんにん》は、|下天界《かてんかい》の|天人《てんにん》を|見《み》る|事《こと》が|出来《でき》る。|併《しか》し|乍《なが》らこれと|相語《あひかた》る|事《こと》は|出来《でき》ない。もしも|下天界人《かてんかいじん》と|相語《あひかた》るやうな|事《こと》があれば、|忽《たちま》ち|其《その》|証覚《しようかく》を|失《うしな》ふものである。|高天原《たかあまはら》に|於《お》ける|諸々《もろもろ》の|団体中《だんたいちう》の|天人《てんにん》は、|善《ぜん》と|真《しん》とに|居《を》る|事《こと》|何《いづ》れも|同様《どうやう》なれども、|其《その》|証覚《しようかく》には|様々《さまざま》の|程度《ていど》がある|故《ゆゑ》に、|必然《ひつぜん》の|理由《りいう》として|高天原《たかあまはら》にも|又《また》|統治《とうぢ》の|制度《せいど》が|布《し》かれてある。|諸天人《しよてんにん》は|何《ど》うしても、|其《その》|順序《じゆんじよ》を|守《まも》らねばならぬ。さうして|順序《じゆんじよ》に|関《くわん》する|百般《ひやくぱん》の|事項《じかう》は、どうしても|破壊《はくわい》する|事《こと》は|出来《でき》ぬ。それから|高天原《たかあまはら》の|統治《とうち》の|制度《せいど》は|決《けつ》して|一様《いちやう》ではない。|其《その》|団体《だんたい》|々々《だんたい》に|於《お》ける|個々《ここ》の|制度《せいど》が|布《し》かれてある。|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》の|司《つかさど》り|給《たま》ふ|霊国《れいごく》|即《すなは》ち|月《つき》の|国《くに》を|構成《こうせい》する|団体《だんたい》にも|亦《また》|一種《いつしゆ》の|統治《とうち》|制度《せいど》が|布《し》かれてある。|各団体《かくだんたい》の|職掌《しよくしやう》の|異《ことな》るにつれ、|其《その》|制度《せいど》にも|亦《また》|不同《ふどう》あるは|止《や》むを|得《え》ない。|併《しか》し|高天原《たかあまはら》に|於《おい》ては、|相愛《さうあい》の|制度《せいど》を|外《ほか》にしては|別《べつ》に|制度《せいど》なるものはないのである。
|高天原《たかあまはら》に|於《お》ける|統治《とうち》|制度《せいど》を|称《しよう》して|正道《せいだう》と|云《い》ふ。|大神《おほかみ》に|対《たい》する|愛善《あいぜん》の|徳《とく》に|住《ぢゆう》して|行《おこな》ふ|所《ところ》を|総《すべ》て|正道《せいだう》と|云《い》ふのである。この|統治《とうち》|制度《せいど》は|唯《ただ》|大神《おほかみ》のみに|属《ぞく》するものであつて、|大神《おほかみ》が|御自身《ごじしん》に|諸天界《しよてんかい》の|天人《てんにん》を|導《みちび》き、|又《また》|之《これ》に|処世《しよせい》の|事物《じぶつ》を|教《をし》へ|給《たま》ふ|公義上《こうぎじやう》の|理法《りはふ》とも|云《い》ふべき|種々《しゆじゆ》の|真理《しんり》に|至《いた》りては、|各天人中《かくてんにんちう》の|心中《しんちう》に|明《あきら》かに|記憶《きおく》さるるをもつて、|天人《てんにん》として|之《これ》を|識《し》り|又《また》|之《これ》を|知覚《ちかく》し、|又《また》|之《これ》を|感得《かんとく》し|得《え》ないものはない。|故《ゆゑ》に|公義上《こうぎじやう》の|事件《じけん》に|就《つ》いては|争議上《さうぎじやう》の|種《たね》とはならないけれども、|正道上《せいだうじやう》の|事件《じけん》|即《すなは》ち|各天人《かくてんにん》が|実践躬行上《じつせんきうかうじやう》の|事件《じけん》のみは|時々《ときどき》|疑問《ぎもん》となる|事《こと》がある。|斯《かく》の|如《ごと》き|正道上《せいだうじやう》の|事件《じけん》の|起《おこ》つた|時《とき》には|証覚《しようかく》の|少《すくな》きものより|是《これ》を|自己《じこ》より|勝《すぐ》れたる|天人《てんにん》に|正《ただ》し、|或《あるひ》は|之《これ》を|直接《ちよくせつ》|大神《おほかみ》に|教《をしへ》を|請《こ》うて、|其《その》|結着《けつちやく》を|定《さだ》むるものである。|故《ゆゑ》に|天人《てんにん》は|唯《ただ》|正道《せいだう》に|従《したが》つて、|大神《おほかみ》の|導《みちび》き|給《たま》ふが|儘《まま》に|生息《せいそく》するのをもつて|自分等《じぶんら》の|天界《てんかい》となし、|又《また》|極秘《ごくひ》の|歓喜悦楽《くわんきえつらく》とするのである。|次《つぎ》に|大神《おほかみ》の|霊国《れいごく》|即《すなは》ち|月《つき》の|御国《みくに》に|於《お》ける|制度《せいど》を、|公義《こうぎ》と|云《い》ふ。|霊国《れいごく》の|諸天人《しよてんにん》は|霊善《れいぜん》に|居《を》るからである。|霊善《れいぜん》とは、|隣人《りんじん》に|対《たい》する|仁《じん》の|徳《とく》を|云《い》ふのである。さうして|其《その》|実性《じつせい》は|真《しん》である。|而《しか》して|真《しん》は|即《すなは》ち|公義《こうぎ》に|属《ぞく》し、|善《ぜん》は|正道《せいだう》に|属《ぞく》するものである。|今《いま》|茲《ここ》に|月《つき》の|国《くに》と|云《い》つたのは、|現在《げんざい》|地球上《ちきうじやう》の|人間《にんげん》が|見《み》る|月球《げつきう》の|事《こと》ではない。|神《かみ》の|神格《しんかく》によつて|構成《こうせい》されたる|霊的国土《れいてきこくど》である。この|国土《こくど》に|住《す》める|諸々《もろもろ》の|天人《てんにん》は|亦《また》|大神《おほかみ》の|導《みちび》き|給《たま》ひ、|統治《すべをさ》め|給《たま》ふ|所《ところ》なれども、|直接《ちよくせつ》ならざるが|故《ゆゑ》に|茲《ここ》には|統治者《とうちしや》なるものが|出来《でき》て|居《ゐ》る。|其《その》|統治者《とうちしや》の|多寡《たくわ》は、|各《かく》|其《その》|所属《しよぞく》|団体《だんたい》の|必要《ひつえう》によつて|設《まう》けらるるものである。|又《また》|茲《ここ》には|律法《りつぱう》が|制定《せいてい》せられて|諸々《もろもろ》の|天人《てんにん》は|之《これ》に|従《したが》ひて|群居《ぐんきよ》して|居《ゐ》るのである。|統治者《とうちしや》は|其《その》|律法《りつぱう》によつて|数多《あまた》の|事物《じぶつ》を|統制《とうせい》するの|任務《にんむ》に|当《あた》つて|居《ゐ》る。さうして、|是等《これら》の|天人《てんにん》は|何《いづ》れも|証覚《しようかく》あるにより、その|律法《りつぱう》をよく|解《かい》し、|万一《まんいち》|疑《うたが》ふ|所《ところ》あれば、|大神《おほかみ》が|下《くだ》らせ|給《たま》うて、|之《これ》に|明白《めいはく》なる|解釈《かいしやく》を|与《あた》へ|給《たま》ふ|事《こと》になつて|居《ゐ》る。|天国《てんごく》|即《すなは》ち|日《ひ》の|国《くに》にあるが|如《ごと》き、|善《ぜん》によつて|行《おこな》はるる|統治《とうち》を|正道《せいだう》と|云《い》ひ、|霊国《れいごく》|即《すなは》ち|月《つき》の|国《くに》にあるやうな|真《しん》によつて|行《おこな》はるる|統治《とうち》を|公義《こうぎ》と|云《い》ふのである。|天国《てんごく》、|霊国《れいごく》の|各団体《かくだんたい》の|統治者《とうちしや》は|現代《げんだい》に|於《お》ける|各国《かくこく》の|統治者《とうちしや》の|如《ごと》く、|決《けつ》して|自《みづか》ら|尊大振《そんだいぶ》るものでない、|却《かへつ》て|卑下《ひげ》し|且《か》つ|謙譲《けんじやう》の|徳《とく》を|充《み》たして|居《ゐ》るものである。さうして|其《その》|団体《だんたい》の|福利《ふくり》と|隣人《りんじん》の|事《こと》を|第一《だいいち》に|置《お》いて、|自己《じこ》の|福利《ふくり》を|最後《さいご》におくものである。けれども|其《その》|統治者《とうちしや》は|非常《ひじやう》なる|名誉《めいよ》と|光栄《くわうえい》とを|有《いう》して|居《ゐ》る。|是等《これら》の|統治者《とうちしや》は|自分《じぶん》に|与《あた》へられたる|光栄《くわうえい》と|名誉《めいよ》は|全《まつた》く|大神《おほかみ》の|与《あた》へられたるものたる|事《こと》を|自覚《じかく》し、|他《た》の|天人《てんにん》が|自分《じぶん》に|服従《ふくじう》するのは、これ|全《まつた》く|大神《おほかみ》の|御稜威《みいづ》なる|事《こと》を|知《し》つて|居《ゐ》るから、|自然《しぜん》に|謙譲《けんじやう》な|徳《とく》が|具《そな》はり|尊大振《そんだいぶ》らぬのである。
(大正一二・一・九 旧一一・一一・二三 加藤明子録)
第一六章 |霊丹《れいたん》〔一二四九〕
|天教山《てんけうざん》にあれませる |木花姫《このはなひめ》の|御化身《ごけしん》に
|案内《あんない》されて|第三《だいさん》の |天国界《てんごくかい》を|後《あと》にして
|五色《ごしき》の|雲《くも》を|踏《ふ》み|分《わ》けつ |東《ひがし》をさして|上《のぼ》り|行《ゆ》く
|治国別《はるくにわけ》や|竜公《たつこう》は |如何《いかが》はしけむ|目《め》は|眩《くら》み
|頭《あたま》は|痛《いた》み|足《あし》はなえ |胸《むね》は|轟《とどろ》き|両《りやう》の|手《て》は
|力《ちから》も|落《お》ちてブルブルと |慄《ふる》ひ|出《いだ》すぞ|是非《ぜひ》なけれ
|木花姫《このはなひめ》の|御化身《ごけしん》は |順風《じゆんぷう》に|真帆《まほ》をかかげたる
|磯《いそ》の|小舟《こぶね》の|進《すす》むごと |何《なん》の|故障《こしやう》もあら|不思議《ふしぎ》
とんとんとんと|上《のぼ》ります |治国別《はるくにわけ》や|竜公《たつこう》は
|吹《ふ》く|息《いき》さへも|絶《た》え|絶《だ》えに |命《いのち》|限《かぎ》りの|声《こゑ》しぼり
『これこれもうし|木花《このはな》の |姫《ひめ》の|命《みこと》の|神司《かむつかさ》
|暫《しばら》く|待《ま》たせ|給《たま》へかし |如何《いか》なる|訳《わけ》か|知《し》らねども
|何《なん》とはなしに|目《め》は|眩《くら》み |意識《いしき》は|衰《おとろ》へ|力《ちから》|落《お》ち
|進退《しんたい》|茲《ここ》に|極《きは》まりて |最早《もはや》|一歩《いつぽ》も|進《すす》めない
|何卒《なにとぞ》お|慈悲《じひ》に|両人《りやうにん》を も|一度《いちど》|後《あと》に|引返《ひきかへ》し
お|助《たす》けなさつて|下《くだ》されや |偏《ひとへ》に|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |尊《たふと》き|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》は
いつの|世《よ》にかは|忘《わす》れませう |抑《そもそも》|天国《てんごく》の|存在《そんざい》は
|神《かみ》の|慈愛《じあい》を|善真《ぜんしん》の |其《その》|高徳《かうとく》に|構成《こうせい》され
|愛《あい》と|善《ぜん》とに|満《み》ち|満《み》ちし |神《かみ》の|国土《こくど》で|御座《ござ》いませう
|貴神《あなた》も|尊《たふと》き|神《かみ》なれば |吾等《われら》|二人《ふたり》の|苦《くるし》みを
|決《けつ》して|見捨《みす》て|給《たま》ふまじ かへさせたまへ|惟神《かむながら》
|木花姫《このはなひめ》の|御前《おんまへ》に |命《いのち》|限《かぎ》りに|願《ね》ぎまつる
|嗚呼《ああ》|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
と|歌《うた》ふ|声《こゑ》も|切《き》れ|切《ぎ》れに|第二天国《だいにてんごく》の|入口《いりぐち》|迄《まで》|来《き》てバタリと|平太《へた》り|込《こ》んで|了《しま》つた。|竜公《たつこう》は|唯《ただ》|一言《ひとこと》も|発《はつ》し|得《え》ず、|痴呆《ちはう》の|如《ごと》く|口《くち》をポカンと|開《ひら》いたまま|僅《わづ》かに|指先《ゆびさき》を|間歇的《かんけつてき》に|動《うご》かして|居《ゐ》る。|木花姫《このはなひめ》は|後《あと》ふり|向《む》きもせず|巨大《きよだい》なる|光《ひかり》と|化《くわ》して、|天《てん》の|一方《いつぱう》に|姿《すがた》を|隠《かく》させ|給《たま》うた。|治国別《はるくにわけ》は|後《あと》|打《う》ち|眺《なが》め、
『あゝ、|過《あやま》つたりな|過《あやま》つたりな。|自愛《じあい》の|慾《よく》に|制《せい》せられ、|吾《わが》|身《み》の|苦《くる》しさに|木花姫《このはなひめ》|様《さま》の|救助《きうじよ》を|求《もと》めた|愚《おろ》かしさよ。「|師匠《ししやう》を|杖《つゑ》につくな、|人《ひと》を|頼《たよ》りにするな」と|云《い》ふ|御教《みをしへ》を、|正勝《まさか》の|時《とき》になつて|忘《わす》れて|居《ゐ》たか。あゝ|人間《にんげん》と|云《い》ふものは、|何《なん》と|云《い》ふ|浅《あさ》ましいものであらう。|竜公《たつこう》はもはや|虫《むし》の|息《いき》、かかる|天国《てんごく》に|於《おい》て、|精霊《せいれい》の|命《いのち》までも|捨《す》てねばならぬのか、あゝ|何《ど》うしたらよからうな。|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》|様《さま》、|豊国主大神《とよくにぬしのおほかみ》|様《さま》、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》|様《さま》、|何卒《なにとぞ》|々々《なにとぞ》|此《この》|窮状《きうじやう》を、も|一度《いちど》お|救《すく》ひ|下《くだ》さいませ』
と|色《いろ》|蒼《あを》ざめ、|殆《ほとん》ど|死人《しにん》の|如《ごと》くなつて、|合《あは》す|両《りやう》の|手《て》もピリピリ|慄《ふる》ひ|戦《をのの》き、|実《じつ》に|憐《あは》れ|至極《しごく》の|有様《ありさま》となつて|来《き》た。|願《ねが》へど、|祈《いの》れど、|呼《よ》べど、|叫《さけ》べど|唯《ただ》|一柱《ひとはしら》の|天人《てんにん》も|目《め》に|入《い》らず、|神《かみ》の|御声《みこゑ》も|聞《きこ》えず、|四辺《しへん》|寂然《せきぜん》として|物淋《ものさび》しく、|立《た》つても|居《ゐ》ても|居《ゐ》られなくなつて|来《き》た。|竜公《たつこう》はと|顧《かへり》みれば、|哀《あは》れにも|大地《だいち》に|蛙《かはず》をぶつつけた|如《ごと》く|手足《てあし》をのばし、|殆《ほとん》ど|死人《しにん》|同様《どうやう》になつて|居《ゐ》る。されど|治国別《はるくにわけ》は|何処《どこ》|迄《まで》も|神《かみ》に|従《したが》ひ|神《かみ》に|頼《たよ》り、|神《かみ》の|神格《しんかく》を|信《しん》じ、|斯《か》かる|場合《ばあひ》にも|微塵《みじん》も|神《かみ》に|対《たい》し|不平《ふへい》|又《また》は|怨恨《ゑんこん》の|念《ねん》を|持《も》たなかつた。|治国別《はるくにわけ》は|決心《けつしん》の|臍《ほぞ》を|固《かた》め、
『あゝどうなり|行《ゆ》くも|神《かみ》の|御心《みこころ》、|吾々《われわれ》|人間《にんげん》の|如何《いかん》ともすべき|限《かぎ》りでない。|神様《かみさま》、|御心《みこころ》の|儘《まま》に|遊《あそ》ばして|下《くだ》さい。|罪悪《ざいあく》を|重《かさ》ねたる|治国別《はるくにわけ》、|過分《おほけなく》も|此《この》|清《きよ》き|尊《たふと》き|天国《てんごく》に|上《のぼ》り|来《きた》り、|身《み》の|程《ほど》をわきまへざる|無礼《ぶれい》の|罪《つみ》、|順序《じゆんじよ》を|乱《みだ》した|吾等《われら》の|罪悪《ざいあく》を、|何卒《なにとぞ》|神直日《かむなほひ》、|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|下《くだ》さいまして、|相当《さうたう》の|御処分《ごしよぶん》を|願《ねが》ひます』
と|祈《いの》る|声《こゑ》も|細《ほそ》り|行《ゆ》き、|最早《もはや》|絶体《ぜつたい》|絶命《ぜつめい》となつて|来《き》た。|此《この》|時《とき》|俄《にはか》に|天《あま》の|戸《と》|開《あ》けて|天上《てんじやう》より|金色《こんじき》の|衣《きぬ》を|纏《まと》ひたる|目《め》も|眩《まばゆ》きばかりの|神人《しんじん》、|二人《ふたり》の|脇立《わきだち》を|従《したが》へ、|雲《くも》に|乗《の》つて|二人《ふたり》の|前《まへ》に|悠々《いういう》と|下《くだ》らせ|給《たま》ひ、|懐《ふところ》より|霊丹《れいたん》と|云《い》ふ|天国《てんごく》の|薬《くすり》を|取《と》り|出《だ》し、|二人《ふたり》の|口《くち》に|含《ふく》ませたまへば、|不思議《ふしぎ》なるかな|二人《ふたり》は|正気《しやうき》に|返《かへ》り、|勇気《ゆうき》|頓《とみ》に|加《くは》はり、|痩衰《やせおとろ》へた|体《からだ》は|元《もと》に|如《ごと》く|肥太《こえふと》り、|顔色《がんしよく》は|鮮花色《せんくわしよく》と|変《へん》じ、|得《え》も|云《い》はれぬ|爽快《さうくわい》の|気分《きぶん》に|充《みた》されて|来《き》た。|二人《ふたり》は|恐《おそ》る|恐《おそ》る|面《おもて》を|上《あ》ぐれば、|威容儼然《ゐようげんぜん》たる|男《をとこ》とも|女《をんな》とも|判別《はんべつ》し|難《がた》き|優《やさ》しき|天人《てんにん》、その|前《まへ》に|莞爾《くわんじ》として|立《た》たせたまふのであつた。|治国別《はるくにわけ》は|思《おも》はず|手《て》を|拍《う》ち、
『あゝ|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し、|大神《おほかみ》の|御仁慈《ごじんじ》、|罪深《つみふか》い|吾々《われわれ》をよくもお|助《たす》け|下《くだ》さいました。|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます』
とよくよくお|顔《かほ》を|見《み》れば、|以前《いぜん》に|別《わか》れた|木花姫命《このはなひめのみこと》が、|二人《ふたり》の|侍女《じぢよ》を|連《つ》れ|立《た》たせ|給《たま》ふのであつた。
『ヤア、|貴神《きしん》は|木花姫命《このはなひめのみこと》|様《さま》で|厶《ござ》いましたか。|誠《まこと》に|誠《まこと》に|御仁慈《ごじんじ》の|段《だん》|感謝《かんしや》の|至《いた》りに|堪《た》へませぬ』
『|神様《かみさま》、|能《よ》くまアお|助《たす》け|下《くだ》さいました。|竜公《たつこう》は|既《すで》に|既《すで》に|天国《てんごく》に|於《おい》て|野垂《のた》れ|死《じに》をする|所《ところ》で|厶《ござ》いました。|天国《てんごく》と|云《い》ふ|所《ところ》は、|真《まこと》に|苦《くる》しい|所《ところ》で|厶《ござ》いますなア』
『|総《すべ》て|天国《てんごく》には|善《ぜん》と|真《しん》とに|相応《さうおう》する|順序《じゆんじよ》が|儼然《げんぜん》として|立《た》つて|居《を》りますから、|此《この》|順序《じゆんじよ》に|逆《さか》らへば|大変《たいへん》に|苦《くる》しいものですよ。|身霊相応《みたまさうおう》の|生涯《しやうがい》をさへ|送《おく》れば、|世《よ》の|中《なか》は|実《じつ》に|安楽《あんらく》なものです。|水《みづ》に|棲《す》む|魚《うを》は、|陸《をか》に|上《あが》れば|直《ただち》に|生命《いのち》がなくなるやうなもので|厶《ござ》ります』
『|成程《なるほど》|御尤《ごもつと》もで|厶《ござ》います。|八衢《やちまた》に|籍《せき》を|置《お》いて|居《ゐ》る|分際《ぶんざい》をも|顧《かへり》みず、|神様《かみさま》のお|言葉《ことば》に|甘《あま》え、|慢心《まんしん》を|起《おこ》し、|天国《てんごく》の|巡覧《じゆんらん》などを|思《おも》ひ|立《た》つたのは、|吾々《われわれ》の|不覚《ふかく》|不調法《ぶてうはふ》の|罪《つみ》、|何卒《なにとぞ》|々々《なにとぞ》|大神様《おほかみさま》にお|詫《わび》を|願《ねが》ひ|上《あ》げます』
『|治国別《はるくにわけ》|殿《どの》、|其方《そなた》は|媒介者《ばいかいしや》によつて|天国《てんごく》の|巡覧《じゆんらん》に|来《こ》られたのだから、|決《けつ》して|身分《みぶん》|不相応《ふさうおう》だとは|申《まを》されますまい。|貴方《あなた》は|宣伝使《せんでんし》としての|肝腎要《かんじんかなめ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》を|道《みち》で|落《おと》しましたから、それで|苦《くる》しかつたのですよ。|殆《ほとん》ど|息《いき》が|絶《た》えさうに|見《み》えましたので、|妾《わたし》は|急《いそ》ぎ|月《つき》の|大神様《おほかみさま》の|御殿《ごてん》に|上《のぼ》り、|霊丹《れいたん》を|頂《いただ》いて|再《ふたた》び|此処《ここ》に|現《あら》はれ、|貴方等《あなたがた》の|御生命《おいのち》をつなぎ|留《と》める|事《こと》を|得《え》たので|厶《ござ》りますよ。まア|結構《けつこう》で|厶《ござ》いましたなア』
『ハイ、|吾々《われわれ》が|命《いのち》の|親《おや》の|木花姫《このはなひめ》|様《さま》、|此《この》|御恩《ごおん》は|決《けつ》して|忘《わす》れは|致《いた》しませぬ』
『|妾《わらは》は|貴方《あなた》の|命《いのち》の|親《おや》ではありませぬ。|貴方《あなた》の|命《いのち》の|親《おや》は|月《つき》の|大神様《おほかみさま》ですよ。|妾《わらは》は|唯《ただ》お|取次《とりつぎ》をさして|頂《いただ》いたのみですよ。|左様《さやう》にお|礼《れい》を|申《まを》されては、|何《なん》だか|大神様《おほかみさま》の|御神徳《ごしんとく》を|妾《わらは》が|横領《わうりやう》するやうに|思《おも》はれて、|何《なん》となく|心苦《こころぐる》しう|厶《ござ》います。|宇宙《うちう》|一切《いつさい》は|月《つき》の|大神様《おほかみさま》の|御神格《ごしんかく》に|包《つつ》まれて|居《ゐ》るので|厶《ござ》います。|吾々《われわれ》には|御神徳《ごしんとく》を|伝達《でんたつ》する|事《こと》は|出来《でき》ても、|命《いのち》をつないだり|御神徳《ごしんとく》を|授《さづ》ける|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|此《この》|後《ご》は|何事《なにごと》がありても、|仮令《たとへ》|少《すこ》しの|善《ぜん》を|行《おこな》ひましても、|愛《あい》を|注《そそ》ぎましても、|決《けつ》して|礼《れい》を|云《い》うて|貰《もら》つては|迷惑《めいわく》に|存《ぞん》じます。|何卒《どうぞ》|神様《かみさま》に|直接《ちよくせつ》にお|礼《れい》を|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さい』
『ハイ、|理義《りぎ》|明白《めいはく》なる|御教《おんをしへ》、|頑迷《ぐわんめい》なる|治国別《はるくにわけ》も|貴神《あなた》の|御伝教《ごでんけう》によつて、|豁然《くわつぜん》と|眠《ねむ》りより|醒《さ》めたるやうで|厶《ござ》います。あゝ|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》|様《さま》、|月《つき》の|大神様《おほかみさま》、|最高天国《さいかうてんごく》にまします|天照大御神《あまてらすおほみかみ》|様《さま》、|唯今《ただいま》は|木花姫《このはなひめ》|様《さま》の|御身《おんみ》を|通《とほ》して|吾等《われら》に|命《いのち》と|栄《さか》えと|喜《よろこ》びを|授《さづ》け|給《たま》ひし|事《こと》を、|有難《ありがた》く、ここに|感謝《かんしや》|致《いた》します』
『|貴方《あなた》は|途中《とちう》でお|落《おと》しになつたものを|未《ま》だ|御記憶《ごきおく》に|浮《う》かびませぬか、|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》ですよ』
『ハイ、|私《わたし》は|高姫《たかひめ》さまのやうに|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》などは|一度《いちど》も|拝《をが》んだ|事《こと》もない、|手《て》に|触《ふ》れさせて|頂《いただ》いた|事《こと》も|厶《ござ》いませぬから、|従《したが》つて|落《おと》す|理由《りいう》も|厶《ござ》いませぬ。|何《なに》かの|謎《なぞ》では|厶《ござ》いますまいかな。|心《こころ》|愚《おろか》なる|治国別《はるくにわけ》には、どうしても|此《この》|謎《なぞ》が|解《と》けませぬ』
『|高姫《たかひめ》さまの|執着心《しふちやくしん》を|起《おこ》された|如意宝珠《によいほつしゆ》は、あれは|自然界《しぜんかい》の|形態《けいたい》を|具《そな》へた|宝玉《ほうぎよく》です。|天界《てんかい》の|事象《じしやう》|事物《じぶつ》は|総《すべ》て|霊的《れいてき》|事物《じぶつ》より|構成《こうせい》されて|居《を》りますれば、|想念上《さうねんじやう》より|作《つく》り|出《だ》す|如意宝珠《によいほつしゆ》で|厶《ござ》いますよ。|先《ま》づ|御悠《ごゆる》りとお|考《かんが》へなさいませ。|妾《わらは》が|申上《まをしあ》げるのはお|易《やす》い|事《こと》で|厶《ござ》いますけれど、これ|位《くらゐ》の|事《こと》がお|分《わか》りにならない|位《くらゐ》では、|到底《たうてい》|中間天国《ちうかんてんごく》の|天人《てんにん》に|出会《であ》つて、|一言《ひとこと》も|交《まじ》へる|事《こと》が|出来《でき》ませぬ。|神《かみ》の|愛《あい》と|神《かみ》の|信《しん》に|照《てら》され、|神格《しんかく》の|内流《ないりう》をお|受《う》け|遊《あそ》ばし、|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》を|得《う》れば、|何《なん》でもない|事《こと》で|厶《ござ》います』
|治国別《はるくにわけ》は、
『ハイ』
と|答《こた》へた|儘《まま》|双手《もろて》を|組《く》み、|眼《め》を|閉《と》ぢ|暫《しばら》く|考《かんが》へ|込《こ》んで|居《ゐ》る。|遉《さすが》|鋭敏《えいびん》の|頭脳《づなう》の|持主《もちぬし》と|聞《きこ》えて|居《ゐ》る|治国別《はるくにわけ》も、|霊界《れいかい》へ|来《き》ては|殆《ほとん》ど|痴呆《ちはう》の|如《ごと》く、|何程《なにほど》|思索《しさく》を|廻《めぐ》らしても|容易《ようい》に|此《この》|謎《なぞ》が|解《と》けなかつた。|竜公《たつこう》は|傍《かたはら》より|手《て》を|打《う》ち|嬉《うれ》しさうな|元気《げんき》のよい|声《こゑ》を|出《だ》して、
『もし|先生《せんせい》、|霊界《れいかい》の|如意宝珠《によいほつしゆ》と|云《い》ふのは|善言美詞《ぜんげんびし》の|言霊《ことたま》ですよ。|中間《ちうかん》|天国《てんごく》へ|上《のぼ》る|途中《とちう》に|於《おい》て|天津祝詞《あまつのりと》や|神言《かみごと》の|奏上《そうじやう》を|忘《わす》れたので、|姫命《ひめのみこと》|様《さま》が、お|気《き》をつけて|下《くだ》さつたのですよ』
『|成程《なるほど》、ヤ、ウツカリして|居《を》つた。|木花姫《このはなひめ》|様《さま》、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。ほんに|竜公《たつこう》さま、お|前《まへ》は|私《わたし》の|先生《せんせい》だ、ヤア|実《じつ》に|感心《かんしん》|々々《かんしん》』
『|先生《せんせい》、そんな|事《こと》|云《い》つて|貰《もら》ふと|大《おほい》に|迷惑《めいわく》を|致《いた》します。|決《けつ》して|竜公《たつこう》の|智慧《ちゑ》で|言《い》つたのではありませぬ。|御神格《ごしんかく》の|内流《ないりう》によつて、|斯様《かやう》に|思《おも》ひ|浮《うか》べて|頂《いただ》かせられたのです』
『|現界《げんかい》に|於《お》きましては、|竜公《たつこう》さまは|治国別《はるくにわけ》さまのお|弟子《でし》でありませう。|併《しか》しこの|天国《てんごく》に|於《おい》ては|愛善《あいぜん》と|信真《しんしん》より|来《きた》る|智慧《ちゑ》|証覚《しようかく》の|勝《すぐ》れたものが|最《もつと》も|高《たか》き|位置《ゐち》につくので|厶《ござ》います。|神《かみ》を|信《しん》ずる|事《こと》が|厚《あつ》ければ|厚《あつ》い|程《ほど》、|神格《しんかく》の|内流《ないりう》が|厚《あつ》いので|厶《ござ》いますから』
『いや|実《じつ》に|恐《おそ》れ|入《い》りました。|天国《てんごく》に|参《まゐ》りましても、やはり|現界《げんかい》の|虚偽的《きよぎてき》|階級《かいきふ》を|固持《こぢ》して|居《を》つたのが|重々《ぢゆうぢゆう》の|誤《あやま》りで|厶《ござ》います。あゝ|月《つき》の|大神様《おほかみさま》、|日《ひ》の|大神様《おほかみさま》、|木花姫《このはなひめ》|様《さま》の|肉《にく》の|御宮《おみや》を|通《とほ》し、|又《また》|竜公《たつこう》さまの|肉《にく》の|宮《みや》を|通《とほ》して、|愚鈍《ぐどん》なる|治国別《はるくにわけ》に|尊《たふと》き|智慧《ちゑ》を|与《あた》へて|下《くだ》さつた|事《こと》を|有難《ありがた》く|感謝《かんしや》|致《いた》します』
『サア|皆《みな》さま、|是《これ》より|天津祝詞《あまつのりと》の|言霊《ことたま》を|奏上《そうじやう》しながら、|第二天国《だいにてんごく》をお|廻《まは》りなさいませ。|左様《さやう》ならば、|是《これ》にてお|別《わか》れ|致《いた》します』
|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》|両人《りやうにん》は、
『ハイ|有難《ありがた》う』
と|首《かうべ》を|垂《た》れ|感謝《かんしや》を|表《へう》する|一刹那《いちせつな》、|嚠喨《りうりやう》たる|音楽《おんがく》につれて|木花姫《このはなひめ》の|御姿《みすがた》は、|雲上《うんじやう》|高《たか》く|消《き》えさせ|給《たま》ふのであつた。
あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一二・一・九 旧一一・一一・二三 加藤明子録)
第一七章 |天人歓迎《てんにんくわんげい》〔一二五〇〕
|木《こ》の|花姫《はなひめ》に|助《たす》けられ |治国別《はるくにわけ》や|竜公《たつこう》は
|心《こころ》いそいそ|中間《ちうかん》の さしもに|広《ひろ》き|天国《てんごく》を
|当途《あてど》もなしにイソイソと |東《ひがし》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く
|金銀《きんぎん》|瑪瑙《めなう》シヤコ|瑠璃《るり》や |玻璃《はり》|水晶《すゐしやう》の|色《いろ》つやを
|照《てら》して|立《た》てる|木々《きぎ》の|間《ま》を |宣伝歌《せんでんか》をば|歌《うた》ひつつ
|足《あし》を|揃《そろ》へて|進《すす》み|行《ゆ》く。
|治国別《はるくにわけ》『|高天原《たかあまはら》に|八百万《やほよろづ》 |尊《たふと》き|神《かみ》ぞつまります
|神漏岐《かむろぎ》、|神漏美《かむろみ》|二柱《ふたはしら》 |皇大神《すめおほかみ》の|神言《みこと》もて
|日《ひ》の|神国《かみくに》をしろしめす |神伊弉諾《かむいざなぎ》の|大御神《おほみかみ》
|筑柴《つくし》の|日向《ひむか》の|橘《たちばな》の |小戸《をど》の|青木《あをき》が|清原《きよはら》に
みそぎ|祓《はら》はせ|給《たま》ふ|時《とき》 |生《な》り|出《い》でませる|祓戸《はらひど》の
|貴四柱《うづよはしら》の|大御神《おほみかみ》 |吾《わが》|身《み》に|犯《をか》せる|諸々《もろもろ》の
|罪《つみ》や|汚《けが》れや|過《あやま》ちを |祓《はら》はせ|給《たま》へ|速《すみやか》に
|清《すす》がせ|給《たま》へと|願《ね》ぎ|申《まを》す |吾《わが》|言霊《ことたま》を|小男鹿《さをしか》の
|八《や》つの|耳《みみ》をばふり|立《た》てて |聞《きこ》しめさへとねぎまつる
|世《よ》の|太元《おほもと》とあれませる |皇大神《すめおほかみ》よ|吾《わが》|一行《いつかう》
|守《まも》らせ|給《たま》へ|村肝《むらきも》の |心《こころ》を|清《きよ》め|給《たま》へかし
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ
|治国別《はるくにわけ》は|謹《つつし》みて |天津御神《あまつみかみ》や|国津神《くにつかみ》
|百《もも》の|御神《みかみ》の|御前《おんまへ》に |神言《かみごと》|申《まを》し|奉《たてまつ》る
|珍《うづ》の|御国《みくに》の|神《かみ》の|国《くに》 |高天原《たかあまはら》に|八百万《やほよろづ》
|尊《たふと》き|神《かみ》ぞつまります |此《この》|世《よ》をすぶる|大御祖《おほみおや》
|神漏岐《かむろぎ》、|神漏美《かむろみ》|二柱《ふたはしら》 |厳《いづ》の|神言《みこと》を|畏《かしこ》みて
|覚《さと》りの|神《かみ》と|現《あ》れませる |此《この》|世《よ》を|思兼《おもひかね》の|神《かみ》
|百千万《ももちよろづ》の|神《かみ》たちを |安《やす》の|河原《かはら》に|神集《かむつど》ひ
|集《つど》ひ|給《たま》ひて|神議《かむはか》り |議《はか》らせ|給《たま》ひ|主《す》の|神《かみ》は
|豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》 いと|安国《やすくに》と|平《たひ》らけく
しろしめさへと|事依《ことよ》さし |固《かた》く|任《ま》けさせ|給《たま》ひたり
|斯《か》くも|依《よ》させし|国中《くになか》に |荒《あら》ぶり|猛《たけ》ぶ|神《かみ》|等《ども》を
|神《かむ》|問《と》はしに|問《と》はしまし |神《かむ》|掃《はら》ひに|掃《はら》ひまし
|語《かた》り|問《と》はして|岩根《いはね》|木根《きね》 |立木《たちき》や|草《くさ》の|片葉《かきは》をも
|語《かた》り|止《や》めさせいづしくも |天《あめ》の|磐座《いはくら》|相放《あひはな》ち
|天《あめ》にふさがる|八重雲《やへくも》を |伊頭《いづ》の|千別《ちわき》に|千別《ちわき》まし
|天《あめ》より|降《くだ》り|依《よ》さします |神《かみ》の|守《まも》りの|四方《よも》の|国《くに》
|其《その》|真秀良場《まほらば》と|聞《きこ》えたる |大日本日高見《おほやまとひたかみ》の|国《くに》を
|浦安国《うらやすくに》と|定《さだ》めまし |下津磐根《したついはね》に|宮柱《みやはしら》
いとも|太《ふと》しく|立《た》て|給《たま》ひ |高天原《たかあまはら》に|千木《ちぎ》|高《たか》く
すみきりませる|主《す》の|神《かみ》の |美頭《みづ》の|御舎《みあらか》|仕《つか》へまし
|天津御蔭《あまつみかげ》や|日《ひ》のみかげ |被《かうむ》りたりと|隠《かく》りまし
|心安国《うらやすくに》と|平《たひ》らけく しろしめします|国中《くになか》に
|生《うま》れ|出《い》でたる|益人《ますひと》が |過《あやま》ち|犯《をか》し|雑々《くさぐさ》の
|作《つく》りし|罪《つみ》は|速《すみや》かに |宣《の》り|直《なほ》しませ|惟神《かむながら》
|珍《うづ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる |天津罪《あまつつみ》とは|畔放《あほはな》ち
|溝埋《みぞう》め|樋放《ひはな》ち|頻蒔《しき》きし |串差《くしさ》し|生剥《いけは》ぎ|逆剥《さかは》ぎや
|屎戸許々多久《くそへここたく》|罪科《つみとが》を |詔別《のりわ》け|給《たま》ふ|天津罪《あまつつみ》
|国津罪《くにつつみ》とは|地《ち》の|上《うへ》の |生膚断《いきはだだち》や|死膚断《しはだだち》
|白人胡久美《しらひとこくみ》|吾《わが》|母《はは》を |犯《をか》せし|罪《つみ》や|吾《わが》|子《こ》をば
|虐《しひた》げ|犯《をか》す|百《もも》の|罪《つみ》 |母子《おやこ》|共々《ともども》|犯《をか》す|罪《つみ》
けものを|犯《をか》し|昆虫《はふむし》の |醜《しこ》の|災《わざはひ》|天翔《あまかけ》り
|国翔《くにかけ》りといふ|高神《たかがみ》の |醜《しこ》の|災《わざはひ》|高津鳥《たかつとり》
|百《もも》の|災禍《わざはひ》|獣《けだもの》を たふし|蠱物《まじもの》なせる|罪《つみ》
いや|許々太久《ここたく》の|罪《つみ》|出《い》でむ かく|数多《かずおほ》き|罪出《つみい》でば
|天津祝詞《あまつのりと》の|神言《みこと》もて |天津金木《あまつかなぎ》の|本末《もとすゑ》を
|打切《うちき》り|打断《うちた》ち|悉《ことごと》く |千座《ちくら》の|置座《をきくら》におきなして
|天津菅曾《あまつすがそ》を|本《もと》と|末《すゑ》 |刈《か》りたち|刈《か》り|切《き》り|八《や》つ|針《はり》に
|取《と》り|裂《さ》きまつり|皇神《すめかみ》の |授《さづ》け|給《たま》ひし|天津国《あまつくに》
みやび|言霊《ことたま》の|太祝詞《ふとのりと》 |完全《うまら》に|委曲《つばら》に|宣《の》らせませ
|斯《か》く|宣《の》る|上《うへ》は|天津神《あまつかみ》は |天《あま》の|磐戸《いはと》を|推《お》しひらき
|天《あめ》にふさがる|八重雲《やへくも》を |伊頭《いづ》の|千別《ちわき》に|千別《ちわき》つつ
|心《こころ》おだひに|聞《きこ》しめせ |国津御神《くにつみかみ》は|高山《たかやま》と
|小《ちひ》さき|山《やま》の|尾《を》に|登《のぼ》り |高《たか》き|低《ひく》きの|山々《やまやま》の
いほりを|清《きよ》くかきわけて |百《もも》の|願《ねがひ》を|聞《きこ》しめす
かく|聞《きこ》しては|罪《つみ》といふ あらゆる|罪《つみ》はあらざれと
|科戸《しなど》の|風《かぜ》の|八重雲《やへくも》を |気吹《いぶき》|放《はな》てる|事《こと》の|如《ごと》
|朝《あした》の|霧《きり》や|夕霧《ゆふぎり》を |科戸《しなど》の|風《かぜ》の|心地《ここち》よく
|気吹《いぶ》き|払《はら》ひし|事《こと》の|如《ごと》 |浪《なみ》うちよする|大津辺《おほつべ》に
つなぎし|大船《おほふね》|小舟《こぶね》をば |舳《へ》を|解《と》きはなち|艫解《ともと》きて
|千尋《ちひろ》の|深《ふか》き|海原《うなばら》に |押《お》し|出《だ》し|放《はな》つ|事《こと》の|如《ごと》
|彼方《かなた》に|繁《しげ》る|木《き》の|元《もと》を かぬちの|造《つく》る|焼鎌《やきかま》や
|敏鎌《とがま》を|以《もつ》て|打払《うちはら》ふ |神事《しんじ》の|如《ごと》く|塵《ちり》ほども
|残《のこ》れる|罪《つみ》はあらざれと |清《きよ》め|払《はら》はせ|給《たま》ふ|事《こと》を
|高山《たかやま》の|末《すゑ》|短山《ひきやま》の |末《すゑ》より|強《つよ》く|佐久那太理《さくなだり》
おち|滝津瀬《たきつせ》や|速川《はやかは》に まします|瀬織津比売《せおりつひめ》の|神《かみ》
|大海原《おほうなばら》に|持出《もちい》でむ かくも|持出《もちい》でましまさば
|罪《つみ》も|汚《けが》れも|荒塩《あらしほ》の |塩《しほ》の|八百道《やほぢ》の|八塩道《やしほぢ》の
|塩《しほ》の|八百重《やほへ》にましませる |瀬《せ》も|速秋津比売《はやあきつひめ》の|神《かみ》
|忽《たちま》ち|呵々呑《かかの》み|給《たま》ひてむ かくも|呵々呑《かかの》み|給《たま》ひなば
|気吹《いぶき》の|小戸《をど》にましませる |気吹戸主《いぶきどぬし》と|申《まを》す|神《かみ》
|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》までも |気吹《いぶき》|放《はな》たせ|給《たま》ふべし
|斯《か》くも|気吹《いぶき》|放《はな》ち|給《たま》ひては |根底《ねそこ》の|国《くに》にあれませる
|速佐須良比売《はやさすらひめ》と|申《まを》す|神《かみ》 |総《すべ》てを|佐須良比《さすらひ》|失《うしな》はむ
|斯《か》くも|失《うしな》ひましまさば |現世《うつしよ》に|在《あ》る|吾々《われわれ》が
|身魂《みたま》に|罪《つみ》とふ|罪科《つみとが》は |少《すこ》しもあらじと|惟神《かむながら》
|払《はら》はせ|給《たま》へいと|清《きよ》く あらはせ|給《たま》へと|大前《おほまへ》に
|畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|願《ね》ぎ|申《まを》す あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
|斯《か》く|祝詞《のりと》くづしの|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、|或《ある》|天国《てんごく》|団体《だんたい》の|一劃《いつくわく》に|着《つ》いた。|数多《あまた》の|天人《てんにん》は|男女《だんぢよ》の|区別《くべつ》なく、|数十人《すうじふにん》|道《みち》の|両側《りやうわき》に|列《れつ》を|正《ただ》し、『ウオーウオー』と、|愛《あい》と|善《ぜん》のこもつた|言霊《ことたま》を|張《は》り|上《あ》げて、|二人《ふたり》の|来《きた》るを|歓迎《くわんげい》するものの|如《ごと》くであつた。
|茲《ここ》に|一《ひと》つ|天人《てんにん》の|衣服《いふく》と|其《その》|変化《へんくわ》の|状態《じやうたい》に|就《つい》て、|一言《いちごん》|述《の》べておく|必要《ひつえう》があると|思《おも》ふ。|抑《そもそ》も|天人《てんにん》の|衣類《いるゐ》は|其《その》|智慧《ちゑ》と|相応《さうおう》するが|故《ゆゑ》に、|天国《てんごく》にある|者《もの》は|皆《みな》|其《その》|智慧《ちゑ》の|度《ど》の|如何《いかん》に|依《よ》つてそれぞれの|衣服《いふく》を|着用《ちやくよう》してゐるものである。|其《その》|中《なか》でも|智慧《ちゑ》の|最《もつと》も|秀《すぐ》れた|者《もの》の|衣類《いるゐ》は、|他《た》の|天人《てんにん》の|衣服《いふく》に|比《くら》べてきわ|立《だ》つて|美《うつく》しう|見《み》えて|居《ゐ》る。|又《また》|特《とく》に|秀《ひい》でた|者《もの》の|衣類《いるゐ》は|恰《あだか》も|火焔《くわえん》の|如《ごと》く|輝《かがや》き|渡《わた》り、|或《あるひ》は|光明《くわうみやう》の|如《ごと》く|四方《あたり》に|照《て》り|渡《わた》つてゐる。|其《その》|智慧《ちゑ》の|稍《やや》|劣《おと》つた|者《もの》の|衣服《いふく》は、|輝《かがや》きはあつて|真白《まつしろ》に|見《み》えて|居《ゐ》るけれども、どこともなくおぼろげに|見《み》えて、|赫々《かくかく》たる|光《ひかり》がない、|又《また》|其《その》|智慧《ちゑ》の|之《これ》に|次《つ》ぐ|者《もの》は、それ|相応《さうおう》の|衣類《いるゐ》を|着用《ちやくよう》し、|其《その》|色《いろ》も|亦《また》さまざまであつて、|決《けつ》して|一様《いちやう》ではない。|併《しか》しながら|最高最奥《さいかうさいあう》の|天国霊国《てんごくれいごく》に|在《あ》る|天人《てんにん》は、|決《けつ》して|衣類《いるゐ》などを|用《もち》ひる|事《こと》はない。|天人《てんにん》の|衣類《いるゐ》は|其《その》|智慧《ちゑ》と|相応《さうおう》するが|故《ゆゑ》に|又《また》|真《しん》とも|相応《さうおう》するのである。|何故《なにゆゑ》ならば、|一切《いつさい》の|智慧《ちゑ》なるものは、|神真《しんしん》より|来《く》るからである。|故《ゆゑ》に|天人《てんにん》の|衣類《いるゐ》は|智慧《ちゑ》の|如何《いかん》によるといふよりも、|神真《しんしん》の|程度《ていど》の|如何《いかん》に|依《よ》るといふのが|穏当《をんたう》かも|知《し》れない。|而《しか》して|火焔《くわえん》の|如《ごと》く|輝《かがや》く|色《いろ》は、|愛《あい》の|善《ぜん》と|相応《さうおう》し、|其《その》|光明《くわうみやう》は|善《ぜん》より|来《きた》る|真《しん》に|相応《さうおう》してゐるのである。|其《その》|衣類《いるゐ》の|或《あるひ》は|輝《かがや》きて|且《かつ》|純白《じゆんぱく》なるも、|光輝《くわうき》を|欠《か》いでゐるのもあり、|其《その》|色《いろ》|又《また》いろいろにして|一様《いちやう》ならざるあるは、|神善《しんぜん》|及《および》|神真《しんしん》の|光《ひかり》、|之《これ》に|輝《かがや》く|事《こと》|少《すくな》くして、|智慧《ちゑ》|尚《なほ》|足《た》らざる|天人《てんにん》の|之《これ》を|摂受《せつじゆ》する|事《こと》、|種々雑多《しゆじゆざつた》にして、|一様《いちやう》ならざる|所《ところ》に|相応《さうおう》するからである。|又《また》|最高最奥《さいかうさいあう》の|天国霊国《てんごくれいごく》に|在《あ》る|天人《てんにん》が|衣類《いるゐ》を|用《もち》ひないのは、|其《その》|霊身《れいしん》の|清浄無垢《しやうじやうむく》なるに|依《よ》るものである。|清浄無垢《しやうじやうむく》といふ|事《こと》は|即《すなは》ち|赤裸々《せきらら》に|相応《さうおう》するが|故《ゆゑ》である。|而《しか》して|天人《てんにん》は|多《おほ》くの|衣類《いるゐ》を|所有《しよいう》して、|或《あるひ》は|之《これ》を|脱《ぬ》ぎ、|或《あるひ》は|之《これ》を|着《つ》け、|不用《ふよう》なるものは|暫《しばら》く|之《これ》を|貯《たくは》へおき、|其《その》|用《よう》ある|時《とき》に|至《いた》つて|又《また》|之《これ》を|着用《ちやくよう》する、そして|此《この》|衣類《いるゐ》は|皆《みな》|大神様《おほかみさま》の|賜《たま》ふ|所《ところ》である。|其《その》|衣類《いるゐ》にはいろいろの|変化《へんくわ》があつて、|第一《だいいち》|及《および》|第二《だいに》の|情態《じやうたい》に|居《を》る|時《とき》には、|光《ひか》り|輝《かがや》いて|白《しろ》く|清《きよ》く、|第三《だいさん》と|第四《だいし》との|情態《じやうたい》に|居《ゐ》る|時《とき》には、|稍《やや》|曇《くも》つた|様《やう》にみえてをる。これは|相応《さうおう》の|理《り》より|起来《きらい》するものであつて、|智慧《ちゑ》|及《および》|証覚《しようかく》の|如何《いかん》によつて、|斯《か》く|天人《てんにん》の|情態《じやうたい》に、それぞれ|変化《へんくわ》がある|故《ゆゑ》である。|序《ついで》に|地獄界《ぢごくかい》にある|者《もの》の、|衣類《いるゐ》のことを|述《の》べておく。
|根底《ねそこ》の|国《くに》に|陥《おちい》つてゐる|者《もの》も|亦《また》|一種《いつしゆ》の|衣類《いるゐ》の|着用《ちやくよう》を|許《ゆる》されて|居《ゐ》る、されど|彼等《かれら》の|悪霊《あくれい》は、|総《すべ》ての|真理《しんり》の|外《ほか》に|脱出《だつしゆつ》せるを|以《もつ》て、|着《ちやく》する|所《ところ》の|衣服《いふく》は|其《その》|癲狂《てんきやう》の|度《ど》と|虚偽《きよぎ》の|度《ど》とによつて、|或《あるひ》は|破《やぶ》れ、|或《あるひ》は|綻《ほころ》び、ボロつぎの|如《ごと》く|見苦《みぐる》しく、|又《また》|其《その》|汚穢《をわい》なる|事《こと》は|到底《たうてい》|面《おもて》を|向《む》くるに|堪《た》へない|位《くらゐ》である。|併《しか》し|彼等《かれら》は|実《じつ》にこれ|以外《いぐわい》の|衣類《いるゐ》を|着用《ちやくよう》する|事《こと》が|出来《でき》ないのである。|又《また》|地獄界《ぢごくかい》にゐる|悪霊《あくれい》は|美《うる》はしき|光沢《くわうたく》の|衣類《いるゐ》を|着用《ちやくよう》する|時《とき》は、|相応《さうおう》の|理《り》に|反《はん》するが|故《ゆゑ》に、|身体《しんたい》|苦《くる》しく、|頭《あたま》|痛《いた》み、|体《からだ》をしめつけられる|如《ごと》くで、|到底《たうてい》|着用《ちやくよう》することが|出来《でき》ないのである。|故《ゆゑ》に|大神《おほかみ》が|彼等《かれら》の|霊《みたま》|相応《さうおう》の|衣類《いるゐ》を|着用《ちやくよう》することを|許《ゆる》し|給《たま》うたのは、|其《その》|悪相《あくさう》と|虚偽《きよぎ》と|汚穢《をわい》とが|赤裸々《せきらら》に|暴露《ばくろ》する|事《こと》を|防《ふせ》がしめむが|為《ため》の|御仁慈《ごじんじ》である。
|種々《いろいろ》さまざまの|衣服《いふく》をつけたる|諸々《もろもろ》の|天人《てんにん》は、|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》|両人《りやうにん》の|此《この》|団体《だんたい》に|入《い》り|来《く》ることを、|大神《おほかみ》の|宣示《せんじ》に|仍《よ》つて|前知《ぜんち》し、|歓迎《くわんげい》の|準備《じゆんび》を|整《ととの》へて、|今《いま》や|遅《おそ》しと|待《ま》つてゐたのである。|数多《あまた》の|天人《てんにん》の|中《なか》から、|最《もつと》も|美《うる》はしく|光《ひか》り|輝《かがや》いてゐる|清浄《せいじやう》の|衣類《いるゐ》を|着用《ちやくよう》した|一人《ひとり》の|天人《てんにん》は、|治国別《はるくにわけ》の|側近《そばちか》く|進《すす》み|来《きた》り、『ウーオー』と|言《い》ひながら、|心《こころ》の|底《そこ》より|歓迎《くわんげい》の|意《い》を|表示《へうじ》してゐる。|治国別《はるくにわけ》も|意外《いぐわい》の|待遇《たいぐう》に|且《か》つ|驚《おどろ》き|且《かつ》|喜《よろこ》びながら、|叮嚀《ていねい》に|会釈《ゑしやく》をなし、|固《かた》く|天人《てんにん》の|手《て》を|握《にぎ》りしめて、|何事《なにごと》か|言《い》はむとしたが、|何故《なにゆゑ》か|口舌《こうぜつ》|硬直《かうちよく》して、|一言《いちごん》も|発《はつ》することが|出来《でき》なかつた。|茲《ここ》に|於《おい》て|治国別《はるくにわけ》は|其《その》|顔面《がんめん》の|表情《へうじやう》を|以《もつ》て、|感謝《かんしや》の|意《い》を|示《しめ》す|事《こと》としたのである。|数多《あまた》の|天人《てんにん》は|治国別《はるくにわけ》の|前後左右《ぜんごさいう》に|群《むらが》り|来《きた》り、『ウオーウオー』と|叫《さけ》びながら、|且《かつ》|歌《うた》ひ、|且《かつ》|舞《ま》ひ|踊《をど》り|狂《くる》うて、|其《その》|旅情《りよじやう》を|慰《なぐさ》めむと|吾《われ》を|忘《わす》れて|其《その》|優待《いうたい》に|全力《ぜんりよく》を|尽《つく》してゐる。|竜公《たつこう》は|余《あま》りの|嬉《うれ》しさに|口《くち》をあけた|儘《まま》、ポカンとして、|只《ただ》『アーアー』とのみ|叫《さけ》んでゐる。|併《しか》し|天国《てんごく》に|於《おい》ては、『ア』といふ|声《こゑ》は|喜《よろこ》びを|表白《へうはく》する|意味《いみ》であるから、|竜公《たつこう》の|此《この》|一言《いちごん》は|治国別《はるくにわけ》の|無言《むごん》に|引替《ひきか》へ、|最《もつと》も|天人間《てんにんかん》から|尊重《そんちよう》され、|且《かつ》|賞揚《しやうやう》の|的《まと》となつたのである。|天人《てんにん》が|総《すべ》て|人間《にんげん》と|相語《あひかた》る|時《とき》は、|天人《てんにん》は|決《けつ》して|自《みづか》らの|言語《げんご》を|用《もち》ひず、|其《その》|相手《あひて》の|言語《げんご》|及《および》|相手《あひて》が|知《し》れる|所《ところ》の|言語《げんご》を|用《もち》ひ、|其《その》|人《ひと》の|知《し》らざる|言語《げんご》は|一切《いつさい》|用《もち》ひない|事《こと》になつてゐる。|天人《てんにん》の|人間《にんげん》ともの|云《い》ふ|時《とき》は、|自己《じこ》を|転《てん》じて|人間《にんげん》に|向《むか》ひ、これと|相和合《あひわがう》するものである。|此《この》|和合《わがふ》は|両者《りやうしや》をして|相似《さうじ》の|想念情態中《さうねんじやうたいちう》に|入《い》らしむるものである。|併《しか》しながら、|治国別《はるくにわけ》は|天人《てんにん》の|団体《だんたい》に|於《おい》ては、これを|肉体《にくたい》のある|精霊《せいれい》とは|思《おも》はなかつた|為《ため》に、|天人《てんにん》の|語《ご》を|用《もち》ひたから、|治国別《はるくにわけ》が|面《めん》くらつたのである。
|凡《すべ》て|人間《にんげん》の|想念《さうねん》は|記憶《きおく》に|附着《ふちやく》して、|其《その》|言語《げんご》の|根源《こんげん》となるが|故《ゆゑ》に、|此《この》|両者《りやうしや》は|共《とも》に|同一《どういつ》の|言語中《げんごちう》にありと|云《い》つても|良《よ》いのである。|且《かつ》|又《また》|天人《てんにん》|及《および》|精霊《せいれい》の|人間《にんげん》に|向《むか》ひ|来《きた》るや、|自《みづか》ら|転《てん》じて|彼《かれ》に|向《むか》ひ、|彼《かれ》と|和合《わがふ》するに|至《いた》れば、|其《その》|人《ひと》のすべての|記憶《きおく》は、|天人《てんにん》の|前《まへ》に|現出《げんしゆつ》するものである。|天人《てんにん》が|人間《にんげん》と|談話《だんわ》するに|当《あた》り、|其《その》|人《ひと》と|和合《わがふ》するは、|人《ひと》の|霊的《れいてき》|思想《しさう》とつまり|和合《わがふ》するものであるけれども、|其《その》|霊的《れいてき》|想念《さうねん》|流《なが》れて、|自然界《しぜんかい》|想念中《さうねんちう》に|入《い》り、|其《その》|記憶《きおく》に|附着《ふちやく》し|離《はな》れざるに|仍《よ》り、|其《その》|人《ひと》の|言語《げんご》は|天人《てんにん》の|如《ごと》く|見《み》え、|又《また》|其《その》|人《ひと》の|知識《ちしき》は|天人《てんにん》の|知識《ちしき》の|如《ごと》く|見《み》ゆるものである。|斯《かく》の|如《ごと》きは|大神《おほかみ》の|特別《とくべつ》の|御恵《みめぐみ》に|依《よ》つて、|天人《てんにん》と|人間《にんげん》との|間《あひだ》に|和合《わがふ》あらしめ|給《たま》ひ、|恰《あだか》も|天界《てんかい》を|人間《にんげん》の|内《うち》に|投入《とうにふ》したるが|如《ごと》くならしめ|給《たま》ふに|仍《よ》るのである。|併《しか》しながら|現代《げんだい》|人間《にんげん》の|情態《じやうたい》は、|太古《たいこ》に|於《お》ける|天的人間《てんてきにんげん》の|観《くわん》なく、|天人《てんにん》との|和合《わがふ》も|亦《また》|難《むつ》かしい。|却《かへつ》て|天界《てんかい》|以外《いぐわい》の|悪精霊《あくせいれい》と|和合《わがふ》するに|立至《たちいた》つたのである。|精霊《せいれい》は|斯《か》く|物語《ものがた》る|者《もの》の、|人間《にんげん》なることを|信《しん》ぜず、この|人《ひと》の|内《うち》にある|自分《じぶん》|共《ども》なりと|信《しん》じ|切《き》つて|居《ゐ》るのである。
|茲《ここ》に|治国別《はるくにわけ》は|自分《じぶん》が|未《いま》だ|肉体《にくたい》のある|精霊《せいれい》なる|事《こと》を|告《つ》げて、|未《いま》だ|天人《てんにん》の|域《ゐき》に|進《すす》んでゐない|事《こと》をあから|様《さま》に|告《つ》げようと|努《つと》めたけれど、|何故《なにゆゑ》か|一言《いちごん》も|発《はつ》することが|出来《でき》なかつた。|其《その》|故《ゆゑ》は|第二《だいに》|天国《てんごく》の|天人《てんにん》に|相応《さうおう》すべき|愛善《あいぜん》と|信真《しんしん》と|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》とが、|備《そな》はつてゐなかつたからである。ここに|治国別《はるくにわけ》は|天人《てんにん》の|諸団体《しよだんたい》に|歓迎《くわんげい》され、|唖《おし》の|旅行《りよかう》を|続《つづ》けて、|只《ただ》アオウエイの|五大父音《ごだいふおん》を|僅《わづか》に|発《はつ》する|様《やう》になり、|辛《から》うじて|余《あま》り|大《おほ》きな|恥《はぢ》をかかず、|此《この》|一《ひと》つの|団体《だんたい》を|首尾《しゆび》|良《よ》く|巡覧《じゆんらん》し、|且《か》つ|天人《てんにん》に|比較的《ひかくてき》|好感《かうかん》を|与《あた》へて|此処《ここ》を|去《さ》る|事《こと》を|得《え》たのは、|実《じつ》に|不思議《ふしぎ》と|云《い》へば|不思議《ふしぎ》な|位《くらゐ》であつた。|是《これ》より|治国別《はるくにわけ》は|再《ふたた》び|木花姫命《このはなひめのみこと》の|御導《おみちび》きに|仍《よ》つて、|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》を|与《あた》へられ、|第二《だいに》|天国《てんごく》の|各団体《かくだんたい》を|巡歴《じゆんれき》し、|進《すす》んで|最高第一天国《さいかうだいいちてんごく》|及《および》|霊国《れいごく》に|進《すす》む|物語《ものがたり》は|次節《じせつ》より|口述《こうじゆつ》する|事《こと》とする。
|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一二・一・九 旧一一・一一・二三 松村真澄録)
第一八章 |一心同体《いつしんどうたい》〔一二五一〕
|高天原《たかあまはら》の|霊国《れいごく》|及《および》|天国《てんごく》の|天人《てんにん》は、|人間《にんげん》が|数時間《すうじかん》|費《つひや》しての|雄弁《ゆうべん》なる|言語《げんご》よりも、|僅《わづか》に|二三分間《にさんぷんかん》にて、|簡単《かんたん》|明瞭《めいれう》に|其《その》|意思《いし》を|通《つう》ずることが|出来《でき》る。|又《また》|人間《にんげん》が|数十頁《すうじつページ》の|原稿《げんかう》にて|書《か》き|表《あら》はし|得《え》ざる|事《こと》も、|只《ただ》の|一頁《いつページ》|位《ぐらゐ》にて|明白《めいはく》に|其《その》|意味《いみ》を|現《あら》はすことが|出来《でき》る、|又《また》それを|聞《き》いたり|読《よ》んだりする|処《ところ》の|天人《てんにん》も|能《よ》く|会得《ゑとく》し|得《う》るものである。|凡《すべ》て|天人《てんにん》の|言語《げんご》は|優美《いうび》と|平和《へいわ》と|愛善《あいぜん》と|信真《しんしん》に|充《み》ちて|居《ゐ》るが|故《ゆゑ》に、|如何《いか》なる|悪魔《あくま》と|雖《いへど》も、|其《その》|言葉《ことば》には|抵抗《ていかう》する|事《こと》が|出来《でき》ない。すべて|天国《てんごく》の|言葉《ことば》は|善言美詞《ぜんげんびし》に|充《み》たされてゐるからである。さうして|何事《なにごと》も|善意《ぜんい》に|解《かい》し|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し|宣直《のりなほ》しといふ|神律《しんりつ》が|行《おこな》はれてゐる。それから|日《ひ》の|国《くに》|即《すなは》ち|天国天人《てんごくてんにん》の|言語《げんご》には、ウとオとの|大父音《だいふおん》|多《おほ》く、|月《つき》の|国《くに》|即《すなは》ち|霊国天人《れいごくてんにん》の|言語《げんご》にはエとイの|大父音《だいふおん》に|富《と》んでゐる。|而《しか》して|声音《せいおん》の|中《うち》には|何《いづ》れも|愛《あい》の|情動《じやうどう》がある。|善《ぜん》を|含《ふく》める|言葉《ことば》や|文字《もじ》は|多《おほ》くはウとオを|用《もち》ひ、|又《また》|少《すこ》しくアを|用《もち》ふるものである。|真《しん》を|含《ふく》んでゐる|言葉《ことば》や|文字《もじ》にはエ|及《およ》びイの|音《おん》が|多《おほ》い。そして|天人《てんにん》は|皆《みな》|一様《いちやう》の|言語《げんご》を|有《いう》し、|現界人《げんかいじん》の|如《ごと》く|東西洋《とうざいやう》を|隔《へだ》つるに|従《したが》つて、|其《その》|言語《げんご》に|変化《へんくわ》があり、|或《あるひ》は|地方《ちはう》|々々《ちはう》にいろいろの|訛《なまり》がある|様《やう》な|不都合《ふつがふ》はない。されども、ここに|少《すこ》し|相違《さうゐ》のある|点《てん》は|証覚《しようかく》に|充《みた》された|者《もの》の|言語《げんご》は、|凡《すべ》て|内的《ないてき》にして、|情動《じやうだう》の|変化《へんくわ》に|富《と》み|且《か》つ|想念上《さうねんじやう》の|概念《がいねん》を|最《もつと》も|多《おほ》く|含《ふく》んでゐる。|証覚《しようかく》の|少《すくな》い|者《もの》の|言語《げんご》は|外的《ぐわいてき》にして、|又《また》しかく|充分《じうぶん》でない。|愚直《ぐちよく》なる|天人《てんにん》の|言語《げんご》に|至《いた》りては、|往々《わうわう》|外的《ぐわいてき》にして、|人間《にんげん》|相互《さうご》の|間《あひだ》に|於《お》けるが|如《ごと》く、|語句《ごく》の|中《なか》から|其《その》|意義《いぎ》を|推度《すゐたく》せなくてはならぬ|事《こと》がある。|又《また》|面貌《めんばう》を|以《もつ》てする|言葉《ことば》がある。|此《この》|言語《げんご》は|概念《がいねん》に|依《よ》つて|抑揚《よくやう》|頓挫《とんざ》|曲折《きよくせつ》の|音声《おんせい》を|発《はつ》すが|如《ごと》きものにて|其《その》|終局《しうきよく》を|結《むす》ぶものもある。|又《また》|天界《てんかい》の|表像《へうざう》を|概念《がいねん》に|和合《わがふ》せしめたる|言葉《ことば》がある。|又《また》|概念《がいねん》を|自《おのづか》らに|見《み》る|様《やう》、|成《な》したる|言葉《ことば》もある。|又《また》|情動《じやうだう》に|相似《さうじ》したる|身振《みぶり》を|以《もつ》てなす|語《ご》もある。|此《この》|身振《みぶり》は|其《その》|言句《げんく》にて|現《あら》はれる|事物《じぶつ》と|相似《あひに》たるものを|現《あら》はしてゐる。|又《また》|諸情動《しよじやうだう》|及《および》|諸概念《しよがいねん》の|一般的《いつぱんてき》|原義《げんぎ》を|以《もつ》てする|言葉《ことば》がある。|又《また》|雷鳴《らいめい》の|如《ごと》き|言葉《ことば》もあり|其《その》|外《ほか》|種々雑多《しゆじゆざつた》な|形容詞《けいようし》が|使《つか》はれてある。
|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》は|団体《だんたい》の|統制者《とうせいしや》に|導《みちび》かれ、|種々《しゆじゆ》の|花卉《くわき》|等《など》を|以《もつ》て|取囲《とりかこ》まれた|相当《さうたう》に|美《うる》はしき|邸宅《ていたく》に|入《い》る|事《こと》を|得《え》た。|此処《ここ》は|此《この》|団体《だんたい》の|中心《ちうしん》に|当《あた》り|他《た》の|天人《てんにん》は|櫛比《しつぴ》したる|家屋《かをく》に|住《す》んでゐるにも|拘《かかは》らず、|一戸《いつこ》|分立《ぶんりつ》して|建《た》つてゐる。|現界《げんかい》にて|言《い》へば|丁度《ちやうど》|町村長《ちやうそんちやう》の|様《やう》な|役《やく》を|勤《つと》めてゐる|天人《てんにん》の|宅《たく》である。|二人《ふたり》は|案内《あんない》されて|奥《おく》の|間《ま》に|進《すす》むと、|真善美《しんぜんび》といふ|額《がく》がかけられ、そして|床《とこ》の|間《ま》には|七宝《しつぽう》を|以《もつ》て|欄間《らんま》が|飾《かざ》られ、|玻璃《はり》|水晶《すゐしやう》の|茶器《ちやき》などがキチンと|行儀《ぎやうぎ》よく|配置《はいち》され、|珊瑚珠《さんごじゆ》の|火鉢《ひばち》に|金瓶《きんびん》がかけられてある。ここは|第二《だいに》|天国《てんごく》に|於《おい》ても|最《もつと》も|証覚《しようかく》の|秀《すぐ》れたる|天人《てんにん》の|団体《だんたい》であり、|主人《しゆじん》|夫婦《ふうふ》の|面貌《めんばう》や|衣服《いふく》は|特《とく》に|他《た》の|天人《てんにん》に|比《ひ》して|秀《すぐ》れて|居《ゐ》る。|治国別《はるくにわけ》は|恐《おそ》る|恐《おそ》る|奥《おく》の|間《ま》に|導《みちび》かれ、|無言《むごん》の|儘《まま》|行儀《ぎやうぎ》よく|坐《すわ》つてゐる。|此《この》|天人《てんにん》の|名《な》は|珍彦《うづひこ》といひ、|妻《つま》は|珍姫《うづひめ》と|云《い》つた。|珍彦《うづひこ》は|治国別《はるくにわけ》の|未《いま》だ|現界《げんかい》に|肉体《にくたい》があり|精霊《せいれい》として|神《かみ》に|許《ゆる》され、|修業《しうげふ》の|為《ため》に|天国《てんごく》|巡覧《じゆんらん》に|来《きた》りし|事《こと》を、|其《その》|鋭敏《えいびん》なる|証覚《しようかく》に|仍《よ》つて|吾《わが》|居間《ゐま》に|通《とほ》すと|共《とも》に|悟《さと》り|得《え》たのである。ここに|珍彦《うづひこ》は|始《はじ》めて|治国別《はるくにわけ》の|知《し》れる|範囲内《はんゐない》の|言語《げんご》を|用《もち》ひて、いろいろの|談話《だんわ》を|交《まじ》ゆることとなつた。
『|治国別《はるくにわけ》さま、あなたは|未《ま》だ|精霊《せいれい》でゐらつしやいますのですな。|実《じつ》の|所《ところ》は|天国《てんごく》に|復活《ふくくわつ》なされた|方《かた》と|存《ぞん》じまして、|其《その》|考《かんが》へで|待遇《たいぐう》|致《いた》しましたので|嘸《さぞ》お|困《こま》りで|厶《ござ》いましただらう』
『ハイ、|実《じつ》の|所《ところ》はイソの|館《やかた》から|大神様《おほかみさま》の|命《めい》を|奉《ほう》じ、|月《つき》の|国《くに》ハルナの|都《みやこ》に|蟠《わだか》まる|八岐大蛇《やまたをろち》の|悪霊《あくれい》を|言向和《ことむけやは》すべく|出陣《しゆつぢん》の|途中《とちう》、|浮木ケ原《うききがはら》に|於《おい》て、|吾《わが》|不覚《ふかく》の|為《ため》ランチ|将軍《しやうぐん》の|奸計《かんけい》に|陥《おちい》り、|深《ふか》き|暗《くら》き|穴《あな》に|落《おと》され、|吾《わが》|精霊《せいれい》は|肉体《にくたい》を|脱離《だつり》して、いつとはなしに|八衢《やちまた》に|迷《まよ》ひ|込《こ》み、|大神《おほかみ》の|化身《けしん》に|導《みちび》かれ、|第三天国《だいさんてんごく》の|一部分《いちぶぶん》を|覗《のぞ》かして|頂《いただ》き、|又《また》もや|木花姫《このはなひめ》の|御案内《ごあんない》に|依《よ》つて、ここ|迄《まで》|昇《のぼ》つて|来《き》た|所《ところ》で|厶《ござ》います。|何分《なにぶん》|善《ぜん》と|真《しん》が|備《そな》はらず、|智慧証覚《ちゑしようかく》が|足《た》らない|者《もの》で|厶《ござ》いますから、|天人《てんにん》|達《たち》の|言語《げんご》を|解《かい》しかね、|大変《たいへん》に|面喰《めんくら》ひましたよ。|丸《まる》で|唖《おし》の|旅行《りよかう》でしたワ。アハヽヽヽ』
『どうぞ、ゆるりと|珍彦館《うづひこやかた》で|御休息《ごきうそく》|下《くだ》さいませ。|今日《けふ》は|幸《さいは》ひ、|大神様《おほかみさま》の|祭典日《さいてんび》で|厶《ござ》いますれば、やがて|団体《だんたい》の|天人《てんにん》|共《ども》が|吾《わが》|館《やかた》へ|集《あつ》まつて|参《まゐ》るでせう。|其《その》|時《とき》は|此《この》|団体《だんたい》に|限《かぎ》つて、あなたの|精霊《せいれい》にゐらせられる|事《こと》を|発表《はつぺう》|致《いた》します。さうすれば、|吾《わが》|団体《だんたい》の|天人《てんにん》は|其《その》|積《つも》りで、あなたと|言葉《ことば》を|交《まじ》へるでせう』
『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|何分《なにぶん》|勝手《かつて》を|知《し》らない|愚鈍《ぐどん》な|人間《にんげん》で|厶《ござ》いますから……』
『これはこれは|珍彦《うづひこ》|様《さま》、|偉《えら》い|御厄介《ごやくかい》に|預《あづ》かりました。|先生《せんせい》を|何分《なにぶん》|宜《よろ》しく|御願《おねがひ》|致《いた》します』
『イエイエ、|決《けつ》して|私《わたくし》があなたの|御世話《おせわ》をしたのぢや|厶《ござ》いませぬ。|又《また》|御厄介《ごやくかい》になつたなぞと|礼《れい》を|言《い》はれては|大変《たいへん》に|迷惑《めいわく》を|致《いた》します。|何事《なにごと》も|吾々《われわれ》は|大神様《おほかみさま》の|御命令《ごめいれい》のままに、|機械的《きかいてき》に|活動《くわつどう》してゐるので|厶《ござ》いますから、もし|一《ひと》つでも|感謝《かんしや》すべき|事《こと》があれば、|直様《すぐさま》|大神様《おほかみさま》に|感謝《かんしや》して|下《くだ》さいませ。すべて|吾々《われわれ》は|大神様《おほかみさま》の|善《ぜん》と|真《しん》との|内流《ないりう》に|依《よ》つて|働《はたら》かして|頂《いただ》くばかりで|厶《ござ》います。|吾々《われわれ》|天人《てんにん》として|何《ど》うして|一力《いちりき》で|虫《むし》|一匹《いつぴき》|助《たす》けることが|出来《でき》ませう』
|治国《はるくに》『|成程《なるほど》、さすが|天国《てんごく》の|天人様《てんにんさま》、|真理《しんり》に|明《あか》るいのには|感服《かんぷく》の|外《ほか》|厶《ござ》いませぬ』
『|神様《かみさま》の|御神格《ごしんかく》の|内流《ないりう》を|受《う》けまして、|実《じつ》に|楽《たの》しき|生涯《しやうがい》を、|吾々《われわれ》|天人《てんにん》は|送《おく》らして|頂《いただ》いて|居《を》ります』
|竜公《たつこう》『モシ|珍彦《うづひこ》|様《さま》、|此《この》|団体《だんたい》の|天人《てんにん》は、|何《いづ》れも|若《わか》い|方《かた》ばかりですな。そしてどのお|方《かた》の|顔《かほ》を|見《み》ても、|本当《ほんたう》に|能《よ》く|似《に》てゐるぢやありませぬか』
『|左様《さやう》です、|人間《にんげん》の|面貌《めんばう》は|心《こころ》の|鏡《かがみ》で|厶《ござ》いますから、|愛《あい》の|善《ぜん》に|充《み》ちた|者《もの》|同士《どうし》|同気《どうき》|相求《あひもと》めて|群居《ぐんきよ》してゐるのですから、|内分《ないぶん》の|同《おな》じき|者《もの》は|従《したが》つて|外分《ぐわいぶん》も|相似《あひに》るもので|厶《ござ》います。それ|故《ゆゑ》|天国《てんごく》の|団体《だんたい》には|余《あま》り|変《かは》つた|者《もの》が|厶《ござ》いませぬ。|心《こころ》が|一《ひと》つですからヤハリ|面貌《めんばう》も|姿《すがた》も|同《おな》じ|型《かた》に|出来《でき》て|居《を》ります』
『|成程《なるほど》、それで|分《わか》りました。|併《しか》しながら|子供《こども》は|沢山《たくさん》ある|様《やう》ですが、|三十《さんじふ》|以上《いじやう》の|面貌《めんばう》をした|老人《らうじん》は|根《ね》つから|見当《みあた》りませぬが、|天国《てんごく》の|養老院《ようらうゐん》にでも|御収容《ごしうよう》になつてゐるのですか』
『|人間《にんげん》の|心霊《しんれい》は|不老不死《ふらうふし》ですよ。|天人《てんにん》だとて|人間《にんげん》の|向上《かうじやう》|発達《はつたつ》したものですから、|人間《にんげん》の|心《こころ》は|男《をとこ》ならば|三十才《さんじつさい》、|女《をんな》ならば|二十才《にじつさい》|位《くらゐ》で、|大抵《たいてい》|完全《くわんぜん》に|成就《じやうじゆ》するでせう、|而《しか》して|仮令《たとへ》|肉体《にくたい》は|老衰《らうすゐ》しても|其《その》|心《こころ》はどこ|迄《まで》も|弱《よわ》りますまい。|否《いな》|益々《ますます》|的確《てきかく》|明瞭《めいれう》になるものでせう。|天国《てんごく》は|凡《すべ》て|想念《さうねん》の|世界《せかい》で、すべて|事物《じぶつ》が|霊的《れいてき》で|厶《ござ》いますから、|現界《げんかい》に|於《おい》て|何程《なにほど》|老人《らうじん》であつた|所《ところ》が|天国《てんごく》の|住民《ぢゆうみん》となれば、あの|通《とほ》り、|男子《だんし》は|三十才《さんじつさい》、|女子《ぢよし》は|二十才《にじつさい》|位《くらゐ》な|面貌《めんばう》や|肉付《にくづき》をしてゐるのです。それだから|天国《てんごく》にては|不老不死《ふらうふし》と|云《い》つて、いまはしい|老病生死《らうびやうせいし》の|苦《く》は|絶対《ぜつたい》にありませぬ』
『|成程《なるほど》、|感心《かんしん》|致《いた》しました。|吾々《われわれ》は|到底《たうてい》|容易《ようい》に|肉体《にくたい》を|脱離《だつり》した|所《ところ》で、|天国《てんごく》の|住民《ぢゆうみん》になるのは|六ケ《むつか》しいものですなア。いつ|迄《まで》も|中有《ちうう》に|迷《まよ》ふ|八衢人間《やちまたにんげん》でせう。|実《じつ》にあなた|方《がた》の|光明《くわうみやう》に|照《て》らされて、|治国別《はるくにわけ》は|何《なん》とも|慚愧《ざんき》に|堪《た》へませぬ』
『イヤ|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》は|要《い》りませぬ。あなたはキツト|或《ある》|時機《じき》が|到来《たうらい》して、|肉体《にくたい》を|脱離《だつり》し|給《たま》うた|時《とき》は、|立派《りつぱ》なる|霊国《れいごく》の|宣伝使《せんでんし》にお|成《な》りなさいますよ。|如何《いか》なる|水晶《すゐしやう》の|水《みづ》も|氷《こほり》とならば|忽《たちま》ち|不透明《ふとうめい》となります。あなたの|今日《こんにち》の|情態《じやうたい》は|即《すなは》ち|其《その》|氷《こほり》です。|一度《ひとたび》|光熱《くわうねつ》に|会《あ》うて|元《もと》の|水《みづ》に|復《かへ》れば、|依然《いぜん》として|水晶《すゐしやう》の|清水《せいすゐ》です。|肉体《にくたい》のある|間《あひだ》は、|何程《なにほど》|善人《ぜんにん》だといつても|証覚《しようかく》が|強《つよ》いと|云《い》つても、|肉体《にくたい》といふ|悪分子《あくぶんし》に|遮《さへぎ》られますから、|之《これ》は|止《や》むを|得《え》ませぬ。|併《しか》し|肉体《にくたい》の|保護《ほご》の|上《うへ》に|於《おい》て、|少々《せうせう》の|悪《あく》も|必要《ひつえう》であります。|精霊《せいれい》も|人間《にんげん》もヤハリ|此《この》|体悪《たいあく》の|為《ため》に|現界《げんかい》に|於《おい》ては|生命《せいめい》を|保持《ほぢ》し|得《う》るのですからなア』
『ヤ|有難《ありがた》う、|其《その》|御説明《ごせつめい》に|仍《よ》つて、|私《わたし》も|稍《やや》|安心《あんしん》を|致《いた》しました。あゝ|大神様《おほかみさま》、|珍彦《うづひこ》|様《さま》の|口《くち》を|通《とほ》して、|尊《たふと》き|教《をしへ》を|垂《た》れさせ|給《たま》ひ、|実《じつ》に|感謝《かんしや》に|堪《た》へませぬ。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸《ち》はへませ』
|竜公《たつこう》『|天国《てんごく》に|於《おい》ては、すべての|天人《てんにん》は|日々《にちにち》|何《なに》を|職業《しよくげう》にしてゐられるのですか。|田畑《たはた》もある|様《やう》なり、いろいろの|果樹《くわじゆ》も|作《つく》つてある|様《やう》ですが、あれは|何処《どこ》から|来《き》て|作《つく》るのですか』
『|天人《てんにん》が|各自《かくじ》に|農工商《のうこうしやう》を|励《はげ》み、|互《たがひ》に|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで、|其《その》|事業《じげふ》に|汗《あせ》をかいて、|従事《じゆうじ》してゐるのですよ』
『さうすると、|天国《てんごく》でも|随分《ずゐぶん》|現界《げんかい》|同様《どうやう》に|忙《いそが》しいのですなア』
『|現界《げんかい》の|様《やう》に|天国《てんごく》にては|人《ひと》を|頤《あご》で|使《つか》ひ、|自分《じぶん》は|金《かね》の|利息《りそく》や|株《かぶ》の|収益《しうえき》で|遊《あそ》んで|暮《くら》す|人間《にんげん》はありませぬ。|上《うへ》から|下《した》|迄《まで》|心《こころ》を|一《ひと》つにして|共々《ともども》に|働《はたら》くのですから、|何事《なにごと》も|埓《らち》よく|早《はや》く|事業《じげふ》がはか|取《ど》ります。|丁度《ちやうど》|一団体《いちだんたい》は|人間《にんげん》|一人《ひとり》の|形式《けいしき》となつて|居《を》ります。|例《たと》へばペン|一本《いつぽん》|握《にぎ》つて|原稿《げんかう》を|書《か》くにも、|外観《ぐわいくわん》から|見《み》れば|一方《いつぱう》の|手《て》のみが|働《はたら》いてゐるやうに|見《み》えますが、|其《その》|実《じつ》は|脳髄《なうずゐ》も|心臓《しんざう》|肺臓《はいざう》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|神経《しんけい》|繊維《せんゐ》から|運動機関《うんどうきくわん》、|足《あし》の|趾《ゆび》の|先《さき》まで|緊張《きんちやう》してゐる|様《やう》なものです。|今日《こんにち》の|現界《げんかい》のやり|方《かた》は、ペンを|持《も》つ|手《て》のみを|動《うご》かして、はたの|諸官能《しよくわんのう》は|我《われ》|関《くわん》せず|焉《えん》といふ|行方《やりかた》、それでは|迚《とて》も|治《をさ》まりませぬ。|天国《てんごく》では|上下一致《しやうかいつち》、|億兆一心《おくてういつしん》、|大事《だいじ》にも|小事《せうじ》にも|当《あた》るのですから、|何事《なにごと》も|完全無欠《くわんぜんむけつ》に|成就《じやうじゆ》|致《いた》しますよ。|人間《にんげん》の|肉体《にくたい》が|一日《いちにち》|働《はたら》いて|夜《よる》になつたら、|凡《すべ》てを|忘《わす》れて、|安々《やすやす》と|眠《ねむ》りにつく|如《ごと》く、|休《やす》む|時《とき》は|又《また》|団体《だんたい》|一同《いちどう》に|快《こころ》よく|休《やす》むのです。|私《わたし》は|天人《てんにん》の|団体《だんたい》より|選《えら》まれて、|団体長《だんたいちやう》を|勤《つと》めて|居《を》りますが、|私《わたし》の|心《こころ》は|団体《だんたい》|一同《いちどう》の|心《こころ》、|団体《だんたい》|一同《いちどう》の|心《こころ》は|私《わたし》の|心《こころ》で|厶《ござ》いますから……』
|治国《はるくに》『|成程《なるほど》、|現界《げんかい》も|此《この》|通《とほ》りになれば、|地上《ちじやう》に|天国《てんごく》が|築《きづ》かれるといふものですなア。|仮令《たとへ》|一日《いちにち》なりとも、こんな|生涯《しやうがい》を|送《おく》りたいものです。|天国《てんごく》の|団体《だんたい》と|和合《わがふ》する|想念《さうねん》の|生涯《しやうがい》が|送《おく》りたいもので|厶《ござ》います』
『あなたは|已《すで》に|天国《てんごく》の|団体《だんたい》にお|出《い》でになつた|以上《いじやう》は、|私《わたし》の|心《こころ》はあなたの|心《こころ》、あなたの|智性《ちせい》は|私《わたし》の|智性《ちせい》、|融合《ゆうがふ》|統一《とういつ》して|居《を》ればこそ、かうして|相対坐《あひたいざ》してお|話《はなし》をすることが|出来《でき》るのですよ。|只今《ただいま》の|心《こころ》を|何時《いつ》|迄《まで》もお|忘《わす》れにならなかつたならば、|所謂《いはゆる》あなたは、|仮令《たとへ》|地上《ちじやう》へ|降《くだ》られても|天国《てんごく》の|住民《ぢゆうみん》ですよ。|併《しか》しながら、あなたは|大神様《おほかみさま》より|現界《げんかい》の|宣伝使《せんでんし》と|選《えら》まれ、|死後《しご》は|霊国《れいごく》へ|昇《のぼ》つて|宣伝使《せんでんし》となり、|天国《てんごく》|布教《ふけう》の|任《にん》に|当《あた》らるべき|方《かた》ですから、|到底《たうてい》|其《その》|時《とき》は、|吾々《われわれ》の|智慧証覚《ちゑしようかく》はあなたのお|側《そば》に|寄《よ》り|付《つ》く|事《こと》も|出来《でき》ない|様《やう》になりますよ。あなたが|霊国《れいごく》の|宣伝使《せんでんし》にお|成《な》りなさつた|時《とき》は、|吾《わが》|団体《だんたい》へも|時々《ときどき》|御出張《ごしゆつちやう》を|願《ねが》ふ|事《こと》が|出来《でき》るでせう』
『|成程《なるほど》、さう|承《うけたま》はればさうに|間違《まちが》ひは|厶《ござ》いませぬ』
『|先生《せんせい》、|慢心《まんしん》しちや|可《い》けませぬよ』
『イヤ、|決《けつ》して|慢心《まんしん》でない、|珍彦《うづひこ》|様《さま》の|心《こころ》は|治国別《はるくにわけ》の|心《こころ》と|和合《わがふ》し、|治国別《はるくにわけ》の|心《こころ》は|珍彦《うづひこ》|様《さま》と|和合《わがふ》し、|珍彦《うづひこ》|様《さま》は|大神様《おほかみさま》の|内流《ないりう》を|受《う》け、|大神様《おほかみさま》と|和合《わがふ》して|厶《ござ》るのだから、|少《すこ》しも|疑《うたが》ふ|余地《よち》はない。お|言葉《ことば》を|信《しん》ずればいいのだ。|高天原《たかあまはら》には|愛善《あいぜん》と|信真《しんしん》とより|外《ほか》には|無《な》いのだ。|疑《うたがひ》を|抱《いだ》くのは|中有界《ちううかい》|以下《いか》の|精霊《せいれい》の|所為《しよゐ》だ』
『さうすると、あなたは|已《すで》に|天人《てんにん》|気取《きど》りになつてゐるのですか、まだ|精霊《せいれい》ぢやありませぬか』
『|已《すで》に|天人《てんにん》となつてゐるのだ。|珍彦《うづひこ》|様《さま》も|同様《どうやう》だ』
『ヘーン、さうですか、そら|結構《けつこう》です、お|目出度《めでた》う、そして|此《この》|竜公《たつこう》は|何《ど》うですか、ヤツパリ|天人《てんにん》でせうなア』
『|無論《むろん》|天人様《てんにんさま》だ。|大神様《おほかみさま》の|御内流《ごないりう》を|受《う》けた|尊《たふと》き|天人様《てんにんさま》だよ』
『|何《なん》だか|乗《の》せられてゐる|様《やう》な|気《き》が|致《いた》しますワ。モシ、|先生《せんせい》、からかつちや|可《い》けませぬよ』
|珍彦《うづひこ》『アハヽヽヽ』
|治国《はるくに》『ウツフヽヽヽ』
|竜公《たつこう》『オホヽヽヽ』
『コレ|竜公《たつこう》、オホヽヽヽなんて、おチヨボ|口《ぐち》をして|女《をんな》の|声《こゑ》を|出《だ》しちや、みつともよくないぢやないか』
『|木花姫《このはなひめ》|様《さま》の|御神格《ごしんかく》の|内流《ないりう》によりまして、|善《ぜん》と|真《しん》との|相応《さうおう》に|依《よ》り、|忽《たちま》ち|神格化《しんかくくわ》し、|竜公《たつこう》は|何《なに》も|知《し》らねども、|内分《ないぶん》の|神音《しんおん》が|外分《ぐわいぶん》に|顕現《けんげん》したまでですよ。オツホヽヽヽ』
|三人《さんにん》の|笑《わら》ひ|声《ごゑ》に|引《ひき》つけられて、|勝手元《かつてもと》に|在《あ》つた|珍姫《うづひめ》は|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|来《きた》り、|三人《さんにん》の|前《まへ》に|手《て》を|仕《つか》へ、
『|遠来《ゑんらい》のお|客様《きやくさま》、よくもゐらせられました。|私《わたし》は|珍彦《うづひこ》の|妻《つま》|珍姫《うづひめ》と|申《まを》します』
|治国《はるくに》『|何《なん》と|御挨拶《ごあいさつ》を|申《まを》してよいやら、|天国《てんごく》の|様子《やうす》は|一向《いつかう》|不案内《ふあんない》、|併《しか》しながら|今《いま》|珍彦《うづひこ》|様《さま》に|承《うけたま》はれば、|同気《どうき》|相求《あひもと》むるを|以《もつ》て、かく|和合《わがふ》の|境遇《きやうぐう》にありとのこと、さすればあなたの|心《こころ》は|私《わたし》の|心《こころ》、|私《わたし》の|心《こころ》は|貴女《あなた》の|心《こころ》、|他人《たにん》|行儀《ぎやうぎ》の|挨拶《あいさつ》も|出来《でき》ず、|又《また》|自分《じぶん》と|同様《どうやう》とすれば、|自分《じぶん》に|対《たい》しての|挨拶《あいさつ》も|分《わか》らず、|実《じつ》は|困《こま》つてをります』
『ハイ|私《わたしく》も|其《その》|通《とほ》りで|厶《ござ》います。|現界的《げんかいてき》|虚礼虚式《きよれいきよしき》は|止《や》めまして、|万年《まんねん》の|知己《ちき》、|否《いな》|同心同体《どうしんどうたい》となつて、|打解《うちきと》け|合《あ》うて、|珍《めづ》らしき|話《はなし》を|聞《き》かして|頂《いただ》きませう』
『どうも|現界《げんかい》の|話《はなし》は|罪悪《ざいあく》と|虚偽《きよぎ》と|汚穢《をわい》にみち、かかる|清浄《せいじやう》なる|天国《てんごく》へ|参《まゐ》りましては、|口《くち》にするも|厭《いや》になつて|参《まゐ》りました。それよりも|天国《てんごく》のお|話《はなし》を|承《うけたま》はりたいもので|厶《ござ》います』
『ハイ、|惟神《かむながら》の|許《ゆる》しを|得《え》ましたならば、あなたが|何程《なにほど》|喧《やかま》しいと|仰有《おつしや》つても、|如何《いか》なることを|申上《まをしあ》げるか|分《わか》りませぬ。|弓弦《ゆづる》をはなれた|矢《や》のやうに、|当《あた》る|的《まと》に|当《あた》らねばやまないでせう、ホツホヽヽヽ』
|竜公《たつこう》『モシ|珍姫《うづひめ》さま、あなたは|珍彦《うづひこ》さまと|服装《ふくさう》が|違《ちが》ふ|丈《だけ》で、お|顔《かほ》はソツクリぢやありませぬか。ヨモヤ|現界《げんかい》に|於《おい》て|双児《ふたご》にお|生《うま》れになつたのぢやありますまいかなア』
『コレ|竜公《たつこう》、|何《なん》といふ|失礼《しつれい》なことを|仰有《おつしや》る。チツトたしなみなさい』
『それでも|私《わたし》の|心《こころ》に|浮《うか》んだのですよ。|思《おも》ふ|所《ところ》を|言《い》ひ、|志《こころざ》す|所《ところ》をなすのが|天国《てんごく》ぢやありませぬか。そんな|体裁《ていさい》を|作《つく》つて、|現界流《げんかいりう》に|虚偽《きよぎ》を|飾《かざ》るやうなことは|天国《てんごく》には|用《もち》ひられますまい。|天国《てんごく》は|信《しん》の|真《しん》を|以《もつ》て|光《ひかり》とするのですからなア』
『ヤ、|恐《おそ》れ|入《い》りました、アハヽヽヽ、|天国《てんごく》へ|出《で》て|来《く》ると、|治国別《はるくにわけ》も|失敗《しつぱい》だらけだ。かうなると|純朴《じゆんぼく》な|無垢《むく》な|竜公《たつこう》さまは|実《じつ》に|尊《たふと》いものだな』
『ソリヤ|其《その》|通《とほ》りです、|本当《ほんたう》に|清《きよ》らかなものでせう。ホツホヽヽヽ』
『|又《また》|木花姫《このはなひめ》の|御神格《ごしんかく》の|内流《ないりう》かな』
『これは|竜公《たつこう》の|副守《ふくしゆ》の|外流《ぐわいりう》ですよ。モシ|珍彦《うづひこ》さま、どうぞ|私《わたし》の|今《いま》の|言葉《ことば》が|天国《てんごく》を|汚《けが》す|様《やう》なことが|厶《ござ》いますれば|直《ただち》に|宣《の》り|直《なほ》します』
『|滑稽《こつけい》として|承《うけたま》はれば、|仮令《たとへ》|悪言暴語《あくげんばうご》でも|其《その》|笑《わら》ひに|仍《よ》つて|忽《たちま》ち|善言美詞《ぜんげんびし》と|変化《へんくわ》|致《いた》しますから、|御心配《ごしんぱい》なさいますな。|天国《てんごく》だつて|滑稽諧謔《こつけいかいぎやく》が|云《い》へないといふことがありますか、|滑稽諧謔《こつけいかいぎやく》|歓声《くわんせい》は|天国《てんごく》の|花《はな》ですよ』
『ヤア|有難《ありがた》い、|先生《せんせい》、これで|私《わたし》も|少《すこ》し|息《いき》が|出来《でき》ますワイ』
『ウン、さうだなア、|何《なん》だか|私《わし》は|身《み》がしまる|様《やう》にあつて、|何《ど》うしてもお|前《まへ》の|様《やう》に|洒脱《しやだつ》な|気分《きぶん》になれないワ』
『ソラさうでせう、|娑婆《しやば》の|執着《しふちやく》がまだ|残《のこ》つて|居《を》りますからな。あなたは|再《ふたた》び|肉体《にくたい》へ|帰《かへ》らうといふ|慾《よく》があるでせう。|私《わたし》は|第三天国《だいさんてんごく》でいつたでせう、|最早《もはや》|娑婆《しやば》へは|帰《かへ》りたくないから、|此処《ここ》に|居《を》りたいと|言《い》つたことを|覚《おぼ》えてゐらつしやいませう。|私《わたし》は|仮令《たとへ》|再《ふたた》び|現界《げんかい》へ|帰《かへ》るものとしても、|刹那心《せつなしん》ですからなア。|過去《くわこ》を|憂《うれ》へず|未来《みらい》を|望《のぞ》まず、|今《いま》といふ|此《この》|瞬間《しゆんかん》は|善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|分水嶺《ぶんすゐれい》といふ|三五教《あななひけう》の|真理《しんり》を|体得《たいとく》してますからなア』
『|大変《たいへん》な|掘出物《ほりだしもの》を、|治国別《はるくにわけ》は|捉《とら》まへたものだなア』
『|本当《ほんたう》に|掘出物《ほりだしもの》でせう。|先生《せんせい》もこれだけ|竜公《たつこう》に|証覚《しようかく》が|開《ひら》けてるとは|思《おも》はなかつたでせう。それだから|人《ひと》は|見《み》かけによらぬものだと|現界《げんかい》でも|言《い》つてませう』
『ハイ|有難《ありがた》う、|何分《なにぶん》|宜《よろ》しう|願《ねが》ひます』
『|口先《くちさき》ばかりでは|駄目《だめ》ですよ。|心《こころ》の|底《そこ》から|有難《ありがた》う|思《おも》つてゐますか、まだ|少《すこ》しあなたの|心《こころ》の|底《そこ》には、|竜公《たつこう》に|対《たい》し|稍《やや》|軽侮《けいぶ》の|念《ねん》が|閃《ひらめ》いてゐるでせう』
『ヤ|恐《おそ》れ|入《い》りました、あなたは|大神様《おほかみさま》で|厶《ござ》いませう』
『|大神様《おほかみさま》ぢや|厶《ござ》いませぬ。|吾《わが》|精霊《せいれい》に|大神様《おほかみさま》の|神格《しんかく》が|充《み》ち、|竜公《たつこう》の|口《くち》を|通《とほ》して、|治国別《はるくにわけ》にお|諭《さと》しになつてゐるのですよ。|時《とき》に|珍彦《うづひこ》さま、|奥《おく》さまとあなたと|双児《ふたご》の|様《やう》に|能《よ》く|似《に》た|御面相《ごめんさう》、|其《その》|理由《りいう》を|一《ひと》つ|説明《せつめい》して|頂《いただ》きたいものですなア』
『|夫婦《ふうふ》は|愛《あい》と|信《しん》との|和合《わがふ》に|依《よ》つて|成立《せいりつ》するものです。|所謂《いはゆる》|夫《をつと》の|智性《ちせい》は|妻《つま》の|意思中《いしちう》に|入《い》り、|妻《つま》の|意思《いし》は|夫《をつと》の|智性中《ちせいちう》に|深《ふか》く|入《い》り|込《こ》み、|茲《ここ》に|始《はじ》めて|天国《てんごく》の|結婚《けつこん》が|行《おこな》はれるのです。|言《い》はば|夫婦《ふうふ》|同心同体《どうしんどうたい》ですから、|面貌《めんばう》の|相似《さうじ》するは|相応《さうおう》の|道理《だうり》に|仍《よ》つて|避《さ》くべからざる|情態《じやうたい》です。|現界人《げんかいじん》の|結婚《けつこん》は、|地位《ちゐ》だとか|名望《めいばう》だとか、|世間《せけん》の|面目《めんぼく》だとか、|財産《ざいさん》の|多寡《たくわ》によつて|婚姻《こんいん》を|結《むす》ぶのですから、|云《い》はば|虚偽《きよぎ》の|婚姻《こんいん》です。|天国《てんごく》の|婚姻《こんいん》は|凡《すべ》て|霊的《れいてき》|婚姻《こんいん》ですから、|夫婦《ふうふ》は|密着《みつちやく》|不離《ふり》の|情態《じやうたい》にあるのです。|故《ゆゑ》に|天国《てんごく》に|於《おい》ては|夫婦《ふうふ》は|二人《ふたり》とせず|一人《ひとり》として|数《かぞ》へることになつてゐます。|現界《げんかい》の|様《やう》に、|人口《じんこう》|名簿《めいぼ》に|男子《だんし》|何名《なんめい》|女子《ぢよし》|何名《なんめい》などの|面倒《めんだう》はありませぬ。|只《ただ》|一人《ひとり》|二人《ふたり》と|云《い》へば、それで|一夫婦《ひとふうふ》|二夫婦《ふたふうふ》といふことが|分《わか》るのです。それで|天国《てんごく》に|於《おい》て|百人《ひやくにん》といへば|頭《あたま》が|二百《にひやく》あります。これが|現界《げんかい》と|相違《さうゐ》の|点《てん》ですよ。|君民《くんみん》|一致《いつち》、|夫婦《ふうふ》|一体《いつたい》、|上下和合《しやうかわがふ》の|真相《しんさう》は|到底《たうてい》|天国《てんごく》でなくては|実見《じつけん》することは|出来《でき》ますまい。|治国別《はるくにわけ》|様《さま》も|竜公様《たつこうさま》も|現界《げんかい》へお|下《くだ》りになつたら、どうか|地上《ちじやう》の|世界《せかい》をして、|幾部分《いくぶぶん》なりとも、|天国《てんごく》|気分《きぶん》を|造《つく》つて|貰《もら》ひたいものですなア』
|治国《はるくに》『ハイ|微力《びりよく》の|及《およ》ぶ|限《かぎ》り……|否々《いないな》|神様《かみさま》の|御神格《ごしんかく》に|依《よ》つて|吾《わが》|身《み》を|使《つか》つて|戴《いただ》きませう。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
かく|話《はな》す|所《ところ》へ、|玄関口《げんくわんぐち》より|一人《ひとり》の|男《をとこ》|現《あら》はれ|来《きた》り、
『|珍彦《うづひこ》|様《さま》、|祭典《さいてん》の|用意《ようい》が|出来《でき》ました、サアどうぞ|皆《みな》が|待《ま》つて|居《を》ります。お|宮《みや》まで|御出張《ごしゆつちやう》|下《くだ》さいませ』
『あゝ|御苦労《ごくらう》でした。|直様《すぐさま》|参《まゐ》りませう。お|二人《ふたり》さま、どうです、|之《これ》から|天国《てんごく》の|祭典《さいてん》に|加《くは》はり|拝礼《はいれい》をなさつたら……』
『お|供《とも》|致《いた》しませう』
『|天国《てんごく》の|祭典《さいてん》は|定《さだ》めて|立派《りつぱ》でせう。|竜公《たつこう》もお|供《とも》が|叶《かな》ひますかなア』
『ハイ、さうなされませ』
|治国《はるくに》『もし|叶《かな》はなかつたら、|木花姫《このはなひめ》の|神格《しんかく》の|内流《ないりう》によつて、|参拝《さんぱい》すれば|良《よ》いぢやないか、アハヽヽヽ』
|竜公《たつこう》『ウーオーアー』
|珍彦《うづひこ》『|竜公《たつこう》さま、どうぞお|供《とも》をして|下《くだ》さい』
|竜公《たつこう》『ハイ|有難《ありがた》う』
(大正一二・一・一〇 旧一一・一一・二四 松村真澄録)
第一九章 |化相神《けさうしん》〔一二五二〕
|天国人《てんごくじん》の|祭典《さいてん》を|行《おこな》ふのは、|天国《てんごく》|団体《だんたい》の|重要《ぢうえう》なる|務《つと》めの|一《ひとつ》となつてゐる。|天国《てんごく》の|天人《てんにん》は|愛《あい》の|善《ぜん》に|居《を》るが|故《ゆゑ》に、|大神《おほかみ》を|愛《あい》し|且《かつ》|同僚《どうれう》を|愛《あい》し、|天地《てんち》|惟神《かむながら》の|法則《はふそく》に|従《したが》つて|宇宙《うちう》の|創造主《さうざうぬし》たる|神《かみ》を|厳粛《げんしゆく》に|斎《まつ》り、|種々《しゆじゆ》の|珍《めづ》らしき|供物《くもつ》を|献《けん》じ、|而《しか》して|後《のち》|神《かみ》の|愛《あい》に|浴《よく》するを|以《もつ》て|唯一《ゆゐいつ》の|歓喜《くわんき》となし、|唯一《ゆゐいつ》の|神業《しんげふ》としてゐるのである。|而《しか》して|天国人《てんごくじん》は|決《けつ》してエンゼルになつたり、|或《あるひ》は|宣伝使《せんでんし》にはならないのである。エンゼルや|宣伝使《せんでんし》になる|天人《てんにん》は、すべて|霊国天人《れいごくてんにん》の|任務《にんむ》である。|何《なん》とならば|霊国《れいごく》は|信《しん》の|真《しん》に|充《み》ちたる|者《もの》|多《おほ》く、|天国《てんごく》は|愛《あい》の|善《ぜん》にみちたる|者《もの》|多《おほ》き|国土《こくど》なるが|故《ゆゑ》である。|祭典《さいてん》がすむと、|霊国《れいごく》よりエンゼル|又《また》は|宣伝使《せんでんし》|出張《しゆつちやう》し|来《きた》つて|愛善《あいぜん》を|説《と》き、|信真《しんしん》を|諭《さと》し、|円満《ゑんまん》なる|天人《てんにん》の|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》をして|益々《ますます》|円満《ゑんまん》ならしめむと|務《つと》めるのである。|又《また》|天人《てんにん》は|其《その》|説教《せつけう》を|聞《き》いて|自分《じぶん》の|人格《じんかく》を|円満《ゑんまん》ならしめ、|処世上《しよせいじやう》の|福利《ふくり》を|計《はか》らむとするものである。そして|天国《てんごく》の|団体《だんたい》は|大《だい》なるものに|至《いた》つては|十万《じふまん》も|集《あつ》まつて|居《を》り、|少《すくな》いのは|五六十人《ごろくじふにん》の|団体《だんたい》もある。|之《これ》は|愛《あい》と|信《しん》より|来《きた》る|想念《さうねん》の|情動《じやうどう》|如何《いかん》に|依《よ》つて|相似相応《さうじさうおう》の|理《り》により|団体《だんたい》を|形成《けいせい》するからである。
|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》は|珍彦《うづひこ》に|伴《ともな》はれ、|神《かみ》の|家《いへ》と|称《しよう》する、|天人《てんにん》が|祭典《さいてん》を|行《おこな》ひ|霊国宣伝使《れいごくせんでんし》が|説教《せつけう》を|行《おこな》ふ|木造《きづくり》の|殿堂《でんだう》に|導《みちび》かれた。いつまでも|木《き》の|香《か》|新《あたら》しく|薫《かを》り、|幾年《いくねん》|経《へ》ても|新築《しんちく》した|時《とき》の|想念《さうねん》に|依《よ》つて|建《た》てられてあるから、|決《けつ》して|腐朽《ふきう》したり|或《あるひ》は|古《ふる》くなつたりするものではない。
|珍彦《うづひこ》|夫婦《ふうふ》は|光沢《くわうたく》にみちた|赤《あか》の|装束《しやうぞく》をつけ、|神《かみ》の|家《いへ》に|悠々《いういう》と|進《すす》み|入《い》つた。|団体《だんたい》の|天人《てんにん》は|赤子《あかご》に|至《いた》る|迄《まで》|此処《ここ》に|集《あつ》まり、|祭典《さいてん》に|与《あづか》らむと、えも|言《い》はれぬ|歓喜《くわんき》に|充《み》ちた|面貌《めんばう》を|表《あら》はして|控《ひか》へてゐる。この|天人《てんにん》も|智慧証覚《ちゑしようかく》の|如何《いかん》に|仍《よ》りて、|幾分《いくぶん》か|差等《さとう》はあれども、|大抵《たいてい》は|相似《さうじ》の|面貌《めんばう》をしてゐる。|現界《げんかい》の|形式的《けいしきてき》|祭典《さいてん》に|比《くら》ぶれば、|実《じつ》に|荘厳《さうごん》と|云《い》はうか、|優美《いうび》と|言《い》はうか、|華麗《くわれい》と|言《い》はうか、|譬方《たとへかた》のない|情態《じやうたい》である。|此《この》|団体中《だんたいちう》にて、|最《もつと》も|証覚《しようかく》の|秀《すぐ》れたる|者《もの》が、|祓戸《はらひど》や|神饌係《しんせんがかり》や|祭典《さいてん》に|関《くわん》するいろいろの|役目《やくめ》をつとめ、|珍彦《うづひこ》は|団体長《だんたいちやう》として|斎主《さいしゆ》の|役《やく》に|当《あた》ることとなつた。|凡《すべ》て|天国《てんごく》は|清潔主義《せいけつしゆぎ》、|統一主義《とういつしゆぎ》、|進取主義《しんしゆしゆぎ》、|楽観主義《らくくわんしゆぎ》であるから、|何《なん》とも|云《い》へぬ|良《よ》い|気分《きぶん》に|充《み》たされるものである。|此《この》|祭典《さいてん》に|依《よ》つて、|神人《しんじん》は|和合《わがふ》の|極度《きよくど》に|達《たつ》し、|歓喜《くわんき》|悦楽《えつらく》に|酔《よ》ふのである。|而《しか》して|天国《てんごく》の|祭典《さいてん》は|神《かみ》に|報恩謝徳《はうおんしやとく》の|道《みち》を|尽《つく》すは|言《い》ふも|更《さら》なれど、|又《また》|一方《いつぱう》には|其《その》|団体《だんたい》の|円満《ゑんまん》を|祈《いの》り、|天人《てんにん》|各自《かくじ》の|歓喜《くわんき》を|味《あぢ》はひ、|悦楽《えつらく》に|酔《よ》ふ|為《ため》である。|故《ゆゑ》に|現界《げんかい》の|祭典《さいてん》の|如《ごと》く|四角張《しかくば》らず、|小笠原流式《をがさはらりうしき》もなく、|実《じつ》に|円滑《ゑんくわつ》に|自由自在《じいうじざい》に、|愛善《あいぜん》より|来《きた》る|想念《さうねん》の|儘《まま》に|情動《じやうだう》するのであるから、|何《なん》とも|云《い》へぬ|完全《くわんぜん》な|祭典《さいてん》が|行《おこな》はれる。|法《はふ》なくして|法《はふ》あり、|式《しき》なくして|式《しき》あり、|到底《たうてい》|現界《げんかい》にて|夢想《むさう》だもなし|能《あた》はざる|光景《くわうけい》である。|而《しか》して|祝詞《のりと》はやはり|現界《げんかい》の|如《ごと》く|天津祝詞《あまつのりと》や|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》して、|神慮《しんりよ》を|慰《なぐさ》め、|且《かつ》|天人《てんにん》|各自《かくじ》の|心《こころ》を|喜《よろこ》ばせ、|一切《いつさい》の|罪汚《つみけが》れ|過失《あやまち》を|払拭《ふつしき》する|神業《かむわざ》である。|天国《てんごく》に|於《おい》ても|時《とき》に|或《あるひ》は|少々《せうせう》の|憂《うれ》ひにみたされ、|悲《かなし》みや|驚《おどろ》きに|遭遇《さうぐう》することは|絶無《ぜつむ》とは|言《い》へない、|故《ゆゑ》に|天人《てんにん》は|日《ひ》を|定《さだ》めて、|荘厳《さうごん》なる|祭典式《さいてんしき》を|行《おこな》ひ、|其《その》|生涯《しやうがい》に|対《たい》して|福利《ふくり》を|得《え》むことを|祈《いの》るのである。
|祭典《さいてん》の|式《しき》も|漸《やうや》く|済《す》み、|八尋殿《やひろどの》に|於《おい》て|直会《なほらひ》の|宴《えん》が|開《ひら》かれた。|大抵《たいてい》|此《この》|祭典《さいてん》は|午前中《ごぜんちう》に|行《おこな》はるるものである。|併《しか》し|天国《てんごく》に|於《おい》ては|時間《じかん》|空間《くうかん》など|云《い》ふものはなく、|従《したが》つて|午前《ごぜん》|午後《ごご》|昼夜《ちうや》などの|区別《くべつ》はない。|併《しか》しながら|情動《じやうだう》の|変異《へんい》に|依《よ》つて、|朝《あさ》たり|夕《ゆふ》べたるの|感覚《かんかく》が|起《おこ》るものである。|而《しか》して|朝《あさ》は|太陽《たいやう》の|愛《あい》に|相応《さうおう》し、|天国《てんごく》の|愛善《あいぜん》に|和合《わがふ》するものである。|又《また》|夕《ゆふ》べは|信真《しんしん》に|相応《さうおう》し、|月《つき》に|相応《さうおう》するものである。|故《ゆゑ》に|天国人《てんごくじん》の|祭典《さいてん》は|午前中《ごぜんちう》に|行《おこな》はれ、|霊国《れいごく》|即《すなは》ち|月《つき》の|国《くに》から|出張《しゆつちやう》し|来《きた》る|宣伝使《せんでんし》は|午後《ごご》に|至《いた》つて|説教《せつけう》を|初《はじ》むるのが|例《れい》となつてゐる。|現代《げんだい》に|於《お》ける|各宗教《かくしうけう》の|儀式《ぎしき》も|祭事《さいじ》に|関《くわん》することは|凡《すべ》て|午前《ごぜん》に|行《おこな》ひ、|説教《せつけう》などは|午後《ごご》に|行《おこな》はるるのは、|知《し》らず|知《し》らずに|天国《てんごく》の|情態《じやうたい》が|地上《ちじやう》に|映《うつ》つてゐるのである。
|各天人《かくてんにん》は|思《おも》ひ|思《おも》ひの|歌《うた》を|歌《うた》ひ、|舞《まひ》を|舞《ま》ひ、|音楽《おんがく》を|奏《そう》し、|祭典後《さいてんご》|一切《いつさい》を|忘《わす》れて|面白《おもしろ》|可笑《をか》しく|茶番《ちやばん》|狂言《きやうげん》なども|交《まじ》へて、|時《とき》の|移《うつ》るのも|知《し》らず、|遊《あそ》び|狂《くる》ふのである。
|天人《てんにん》の|歌《うた》や|演舞《えんぶ》の|状況《じやうきやう》は|茲《ここ》には|省略《しやうりやく》して、|後日《ごじつ》|又《また》|時《とき》を|得《え》て|述《の》ぶることとする。さて|直会《なほらひ》の|宴《えん》も|無事《ぶじ》|終了《しうれう》し、|各天人《かくてんにん》の|情動《じやうだう》は|初《はじ》めて|午後《ごご》に|相応《さうおう》する|感覚《かんかく》になつた|時《とき》、|霊国《れいごく》の|宣伝使《せんでんし》が|何処《どこ》ともなく|嚠喨《りうりやう》たる|音楽《おんがく》に|送《おく》られて、|四辺《あたり》を|輝《かがや》かしながら、|二人《ふたり》の|侍者《じしや》と|共《とも》に|神《かみ》の|家《いへ》に|向《むか》つて|進《すす》んで|来《き》た。|諸天人《しよてんにん》は|此《この》|宣伝使《せんでんし》を『ウオーウオー』と、|愛《あい》の|声《こゑ》を|注《そそ》ぎながら|迎《むか》へ|入《い》れる。|宣伝使《せんでんし》は|莞爾《くわんじ》としてさも|嬉《うれ》しげに、|諸天人《しよてんにん》に|目礼《もくれい》を|施《ほどこ》し、|団体長《だんたいちやう》なる|珍彦《うづひこ》の|案内《あんない》に|連《つ》れて、|半円形《はんゑんけい》に|組立《くみた》てられた|演壇上《えんだんじやう》に|悠々《いういう》と|座《ざ》を|占《し》めた。|而《しか》して|其《その》|左右《さいう》には|証覚《しようかく》の|光明《くわうみやう》|稍《やや》|劣《をと》つた|者《もの》が|控《ひか》へてゐる。これは|宣伝使《せんでんし》の|侍者《じしや》である。|諸天人《しよてんにん》は|半月形《はんげつけい》に|演壇《えんだん》の|前《まへ》に|席《せき》を|取《と》り、|宣伝使《せんでんし》の|視線《しせん》を|外《はづ》さない|様《やう》にして、|其《その》|教示《けうじ》を|嬉《うれ》し|気《げ》に|聴聞《ちやうもん》してゐる。|宣伝使《せんでんし》の|天国《てんごく》に|於《お》ける|説教《せつけう》は|大神《おほかみ》の|御神格《ごしんかく》を|徹底的《てつていてき》に|理解《りかい》すべく、|且《かつ》|愛善《あいぜん》と|信真《しんしん》の|何《なん》たるかを、|極《きは》めて|微細《びさい》に|説《と》きさとし、|天人《てんにん》が|処世上《しよせいじやう》の|利便《りべん》を|計《はか》らしむるべく|努《つと》むるより|外《ほか》にはないのである。
|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》は|天国《てんごく》の|言葉《ことば》を|解《かい》し|得《え》ず、|特別《とくべつ》の|席《せき》に|黙然《もくねん》として|耳《みみ》を|傾《かたむ》け、|其《その》|教示《けうじ》を|一言《ひとこと》なりとも|会得《ゑとく》せむと|努《つと》めてゐる。されど|此等《これら》の|両人《りやうにん》は|未《いま》だ|第二《だいに》|天国《てんごく》の|天人《てんにん》の|言葉《ことば》さへ|聞分《ききわ》くる|丈《だけ》の|智慧証覚《ちゑしようかく》も|備《そな》はつてゐないのだから、|此等《これら》の|天人《てんにん》を|説《と》き|諭《さと》す|幽遠美妙《いうゑんびめう》なる|説教《せつけう》などは|到底《たうてい》|聴取《ききと》れる|筈《はず》はない。|従《したが》つて|感得《かんとく》することは|出来《でき》ない。デクの|棒然《ぼうぜん》として、|其《その》|美妙《びめう》なる|声調《せいてう》や|言語《げんご》の|抑揚頓挫《よくやうとんざ》|曲折《きよくせつ》などの|巧妙《かうめう》ぶりや、|顔面《がんめん》|筋肉《きんにく》の|動《うご》き|振《ぶ》り、|形容《けいよう》|身振《みぶり》などを|考《かんが》へて、|略《ほぼ》|其《その》|何事《なにごと》を|語《かた》り|居《を》るかを、おぼろげに|窺知《きち》し|得《う》るのみであつた。|殆《ほとん》ど|一時《ひととき》ばかり|経《た》つたと|思《おも》ふ|時《とき》、|宣伝使《せんでんし》は|説教《せつけう》の|終結《しうけつ》を|告《つ》げた。|各天人《かくてんにん》は|頻《しき》りに|拍手《はくしゆ》し、|讃嘆《さんたん》しながら、ウオーウオーと|叫《さけ》びつつ|神《かみ》の|家《いへ》を|立《た》つて|各自《かくじ》の|住所《ぢゆうしよ》に|帰《かへ》り|行《ゆ》く。|珍彦《うづひこ》|夫婦《ふうふ》は|宣伝使《せんでんし》の|先頭《せんとう》に|立《た》ち、|己《おの》が|館《やかた》を|指《さ》して|迎《むか》へ|帰《かへ》る。|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》も|後《あと》に|従《したが》ひ、|珍彦《うづひこ》の|館《やかた》に|入《い》る。
|宣伝使《せんでんし》は|奥《おく》の|間《ま》に|進《すす》み、|冠《かむり》を|取《と》り、|法服《はふふく》を|着替《きか》へ、くつろいで|主客《しゆきやく》|対坐《たいざ》し、|茲《ここ》に|少時《しばらく》|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》るのが|例《れい》となつてゐる、|珍彦《うづひこ》|夫婦《ふうふ》は|珍《めづ》らしき|果物《くだもの》を|並《なら》べ、|葡萄酒《ぶだうしゆ》を|注《つ》いで|宣伝使《せんでんし》に|勧《すす》めた。|宣伝使《せんでんし》は|栄《さか》えにみちた|面貌《めんばう》を|珍彦《うづひこ》に|向《む》けながら、|一口《ひとくち》グツと|呑《の》み|珍彦《うづひこ》にさした。|珍彦《うづひこ》は|恭敬礼拝《きようけいれいはい》しつつ|押戴《おしいただ》いてグツと|呑《の》み、|其《その》|残《のこ》りを|珍姫《うづひめ》にさした。|珍姫《うづひめ》も|同《おな》じく|押《おし》いただいて|之《これ》を|呑《の》み|終《をは》り、|宣伝使《せんでんし》に|返《かへ》し、|宣伝使《せんでんし》は|二人《ふたり》の|侍者《じしや》に|盃《さかづき》を|与《あた》へ、|手《て》づから|葡萄酒《ぶだうしゆ》をつぐ。|二人《ふたり》の|侍者《じしや》は|何事《なにごと》か|解《かい》し|難《がた》き|歌《うた》を|歌《うた》ひ|出《だ》した。|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》は|宣伝使《せんでんし》の|面貌《めんばう》の|高尚《かうしやう》|優美《いうび》にして|光明《くわうみやう》に|充《み》てるに|眼《まなこ》くらみ、|容易《ようい》に|面《おもて》を|向《む》くることが|出来《でき》なかつた。|之《これ》は|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》の|度《ど》に|非常《ひじやう》の|相違《さうゐ》があるが|故《ゆゑ》である。あわてて|被面布《ひめんぷ》を|取出《とりだ》し、|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》は|之《これ》をかぶつた。そして|宣伝使《せんでんし》の|顔《かほ》をよくよくみれば、|豈計《あにはか》らむや|野中《のなか》の|森《もり》で|別《わか》れた|治国別《はるくにわけ》の|徒弟《とてい》|五三公《いそこう》であつた。|宣伝使《せんでんし》の|五三公《いそこう》は、|治国別《はるくにわけ》、|竜公《たつこう》のここに|来《きた》り|居《を》ることを|一目《ひとめ》|見《み》て|看破《かんぱ》してゐたけれど、|二人《ふたり》が|自然《しぜん》に|吾《われ》を|認《みと》めるまでワザと|名乗《なの》らなかつたのである。|治国別《はるくにわけ》は|心《こころ》の|中《うち》に、
『あゝ|似《に》たりや|似《に》たり、よく|似《に》たり、|吾《わが》|徒弟《とてい》の|五三公《いそこう》にソツクリだ。|只《ただ》どこともなく、|肌《はだ》の|色合《いろあひ》が|透《す》き|通《とほ》つてみえるばかりで、どこに|一所《ひととこ》|違《ちが》つた|所《ところ》がない。|名乗《なの》つて|見《み》ようか、イヤイヤ|五三公《いそこう》|如《ごと》き|者《もの》が|何《ど》うして|霊国《れいごく》の|宣伝使《せんでんし》になり|得《う》るものか、なまじひに|質問《しつもん》をして|無礼《ぶれい》になつてはすまない』
と|心《こころ》にとつおいつ、|煩悶《はんもん》をつづけて|居《ゐ》る。|竜公《たつこう》も|亦《また》|被面布《ひめんぷ》の|中《なか》から|宣伝使《せんでんし》の|姿《すがた》をためつすかしつ、|首《くび》を|切《しき》りにかたげ、|或《あるひ》は|右《みぎ》に|左《ひだり》にふりながら、
『ハテナ、よく|似《に》てゐる、|妙《めう》だなア、ヤツパリ|違《ちが》ふかなア、イヤイヤ|違《ちが》ひはしようまい。|何《なに》は|兎《と》もあれ|不思議千万《ふしぎせんばん》なことだ。|何《ど》うしても|合点《がてん》の|虫《むし》が|承知《しようち》せぬ。|何程《なにほど》|天国《てんごく》には|相似《さうじ》の|面貌《めんばう》があると|云《い》つても、これ|丈《だけ》|似《に》た|顔《かほ》は|二度《にど》とあるまい』
などと|四辺《あたり》かまはず、|無垢《むく》の|心《こころ》より、|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もなく|喋《しやべ》つてゐる。|宣伝使《せんでんし》は|輝《かがや》きの|面貌《めんばう》を|両人《りやうにん》に|向《む》け、ニコニコと|笑《わら》つてゐる。|竜公《たつこう》は|構《かま》はず、
『モシ|先生《せんせい》、あの|宣伝使《せんでんし》の|顔《かほ》を|御覧《ごらん》なさい。|三日月眉毛《みかづきまゆげ》に|頬《ほほ》のゑくぼ、|目《め》のつき|方《かた》から、|鼻《はな》の|格好《かくかう》、|口《くち》のチヨンモリした|所《ところ》、|五三公《いそこう》にそつくりぢやありませぬか』
|治国別《はるくにわけ》は|始《はじ》めて|口《くち》を|開《ひら》き、
『よく|似《に》てゐられるなア』
『|先生《せんせい》、|似《に》るも|似《に》ぬもありますか。|本真者《ほんまもの》の|五三公《いそこう》ですよ。オイ|五三公《いそこう》、|何《なん》だ|偉相《えらさう》に、|俺《おれ》だ|俺《おれ》だ、|俺《おれ》は|被面布《ひめんぷ》を|被《かぶ》つてるから|分《わか》らぬだらうが、|竜公《たつこう》さまだ。そして|一人《ひとり》はお|前《まへ》の|大切《たいせつ》な|先生《せんせい》|治国別《はるくにわけ》さまだ。|座《ざ》を|下《さが》つて|挨拶《あいさつ》をせないか、エヽーン、いつの|間《ま》に|夫《そ》れ|程《ほど》|出世《しゆつせ》したのだ』
|宣伝使《せんでんし》はますますニコニコと|笑《わら》つてゐる。
『これはこれは|木花姫命《このはなひめのみこと》|様《さま》、よくもマア|私《わたくし》|如《ごと》き|者《もの》の|徒弟《とてい》となり、|化相《けさう》の|術《じゆつ》を|以《もつ》て|今迄《いままで》|此《この》|愚鈍《ぐどん》な|治国別《はるくにわけ》をよくもお|導《みちび》き|下《くだ》さいました。|有難《ありがた》く|感謝《かんしや》|致《いた》します』
|宣伝使《せんでんし》は|始《はじ》めて|口《くち》を|開《ひら》き、
『|治国別《はるくにわけ》|様《さま》、|竜公様《たつこうさま》、|失礼《しつれい》を|致《いた》しました。|併《しか》し|私《わたくし》は|月《つき》の|大神《おほかみ》の|御側《みそば》に|仕《つか》へまつる|言霊別命《ことたまわけのみこと》で|厶《ござ》います。|此《この》|度《たび》|大神《おほかみ》の|命《めい》に|依《よ》り、|地上《ちじやう》に|降《くだ》り、|五三公《いそこう》の|精霊《せいれい》を|充《み》たし|神国《しんこく》|成就《じやうじゆ》の|為《ため》に、|貴方《あなた》と|共《とも》に|活動《くわつどう》をしてゐた|者《もの》で|厶《ござ》います。|夫《そ》れ|故《ゆゑ》|私《わたくし》と|五三公《いそこう》とは|全《まつた》く|別個《べつこ》の|人間《にんげん》です。|併《しか》しながら|私《わたくし》の|神格《しんかく》の|全部《ぜんぶ》が、|五三公《いそこう》の|精霊《せいれい》をみたしたる|為《ため》、|面貌《めんばう》までが|能《よ》く|似《に》てゐるのでせう。|今後《こんご》に|於《おい》ても|時々《ときどき》|五三公《いそこう》の|精霊《せいれい》に|下《くだ》り、|地上《ちじやう》に|天国《てんごく》を|建設《けんせつ》する|為《ため》、|化相《けさう》を|以《もつ》て|活動《くわつどう》を|致《いた》しますれば、|五三公《いそこう》はヤハリ|貴方《あなた》の|徒弟《とてい》としてお|使《つか》ひを|願《ねが》ひます』
|治国別《はるくにわけ》は|此《この》|物語《ものがたり》に|打驚《うちおどろ》き、
『ハイ』
と|言《い》つたきり、|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|広大無辺《くわうだいむへん》なるに|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》をこぼしてゐる。
|竜公《たつこう》『モシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》……|否《いな》|言霊別命《ことたまわけのみこと》|様《さま》、|私《わたくし》が|現界《げんかい》へ|帰《かへ》りました|時《とき》は、|五三公《いそこう》さまに|対《たい》し、|今迄《いままで》の|通《とほ》りの|交際振《かうさいぶり》をやつて|居《を》ればいいのですか、|之《これ》を|伺《うかが》つておかねば、|今後《こんご》の|都合《つがふ》が|厶《ござ》いますからなア』
『|化相《けさう》を|以《もつ》て|現《あら》はるれば、ヤハリ|五三公《いそこう》です。|従前《じゆうぜん》の|通《とほ》り|交際《かうさい》を|願《ねが》ひます』
『ヤ、|五三公《いそこう》、|承知《しようち》した。お|前《まへ》がこんな|偉《えら》い|者《もの》になることを|思《おも》へば、|俺《おれ》だつてヤツパリ|友達《ともだち》だ。|何程《なにほど》|智慧証覚《ちゑしようかく》があるといつても、|現界《げんかい》へ|出《で》れば、|俺《おれ》とチーと|偉《えら》いか、|少《すこ》し|劣《をと》つた|位《くらゐ》なものだ。|俺《おれ》が|一升《いつしよう》でお|前《まへ》が|九合《くがふ》か、お|前《まへ》が|一升《いつしよう》で|俺《おれ》が|九合《くがふ》か|位《くらゐ》なものだ。なア|五三公《いそこう》、さうだらう』
|言霊別《ことたまわけ》はパツと|上衣《うはぎ》を|脱《ぬ》いだ。|忽《たちま》ち|現界《げんかい》で|見《み》た|五三公《いそこう》と、|風体《ふうてい》まで|変《かは》らないやうになり、|言葉《ことば》もなれなれしくなつて|来《き》た。
『|天国《てんごく》の|法衣《ほふい》をぬいで、|暫《しばら》く|気楽《きらく》に|又《また》お|前《まへ》と|天国《てんごく》の|旅行《りよかう》をしようぢやないか。|治国別《はるくにわけ》の|先生《せんせい》、これから|五三公《いそこう》が|第二《だいに》|天国《てんごく》は|云《い》ふも|更《さら》|也《なり》、|第一天国《だいいちてんごく》まで|御案内《ごあんない》を|致《いた》しませう』
『|何卒《なにとぞ》|宜《よろ》しく|御願《おねがひ》|致《いた》します』
『コレ|先生《せんせい》、|融通《ゆうづう》の|利《き》かぬ|人《ひと》だな。ヨシ|五三公《いそこう》、お|供《とも》を|許《ゆる》すと|何故《なぜ》|仰有《おつしや》らぬのだ。なア|五三公《いそこう》、さうぢやないか』
『ウン、|化《ばけ》の|皮《かは》をぬいだら、ヤツパリ|元《もと》の|五三公《いそこう》だ。ヤア|珍彦《うづひこ》|様《さま》、|珍姫《うづひめ》|様《さま》、|有難《ありがた》う|厶《ござ》いました。|之《これ》から|天国《てんごく》の|巡覧《じゆんらん》を|致《いた》しますから、|之《これ》でお|別《わか》れ|致《いた》しませう』
|珍彦《うづひこ》|夫婦《ふうふ》は|意外《いぐわい》の|此《この》|問答《もんだふ》に|呆《あき》れ|果《は》て、|黙然《もくねん》として|三人《さんにん》の|顔《かほ》を|見《み》つめてゐる。|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》の|侍者《じしや》はどこへ|行《い》つたか、|影《かげ》も|形《かたち》も|見《み》えなくなつて|居《ゐ》た。
|茲《ここ》に|治国別《はるくにわけ》は|五三公《いそこう》、|竜公《たつこう》を|伴《ともな》ひ|珍彦《うづひこ》、|珍姫《うづひめ》に|厚《あつ》く|礼《れい》を|述《の》べ、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、|五三公《いそこう》の|案内《あんない》につれて、|南方《なんぱう》さして|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一二・一・一〇 旧一一・一一・二四 松村真澄録)
第二〇章 |間接内流《かんせつないりう》〔一二五三〕
|高天原《たかあまはら》の|天界《てんかい》を|区分《くぶん》して|天国《てんごく》、|霊国《れいごく》の|二《に》となす|事《こと》は|前《まへ》に|述《の》べた|通《とほ》りである。|概《がい》して|云《い》へば|日《ひ》の|国《くに》|即《すなは》ち|天国《てんごく》は|人身《じんしん》に|譬《たと》ふれば|心臓《しんざう》|及《およ》び|全身《ぜんしん》にして|心臓《しんざう》に|属《ぞく》すべき、|一切《いつさい》のものと|相応《さうおう》して|居《ゐ》る。|又《また》|月《つき》の|国《くに》|即《すなは》ち|霊国《れいごく》は|其《その》|肺臓《はいざう》|及《およ》び|全身《ぜんしん》にして|肺臓《はいざう》に|属《ぞく》すべき|一切《いつさい》の|諸機関《しよきくわん》と|相応《さうおう》してゐる。さうして|心臓《しんざう》と|肺臓《はいざう》とは|小宇宙《せううちう》、|小天地《せうてんち》に|譬《たと》ふべき|人間《にんげん》に|於《お》ける|二《ふた》つの|国土《こくど》である。|心臓《しんざう》は|動脈《どうみやく》、|静脈《ぜうみやく》により、|肺臓《はいざう》は|神経《しんけい》と|運動《うんどう》|繊維《せんゐ》によりて、|人《ひと》の|肉体中《にくたいちう》に|主治者《しゆちしや》となり、|力《ちから》の|発《はつ》する|所《ところ》、|動作《どうさ》する|所《ところ》、|必《かなら》ずや|右《みぎ》|両者《りやうしや》の|協力《けふりよく》を|認《みと》めずと|云《い》ふ|事《こと》はない。|各人《かくじん》の|内分《ないぶん》、|即《すなは》ち|人《ひと》の|霊的人格《れいてきじんかく》をなせる|霊界《れいかい》の|中《なか》にも|亦《また》|二国土《にこくど》があつて、|一《いち》を|意思《いし》の|国《くに》と|云《い》ひ|一《いち》を|智性《ちせい》の|国《くに》と|云《い》ふ。|意思《いし》は|善《ぜん》に|対《たい》する|情動《じやうどう》より、|智性《ちせい》は|真《しん》に|対《たい》する|情動《じやうだう》によつて|人身内分《じんしんないぶん》の|二国土《にこくど》を|統治《とうち》してゐるのである。|之等《これら》の|二国土《にこくど》は|又《また》|肉体中《にくたいちう》の|肺臓《はいざう》、|心臓《しんざう》の|二国土《にこくど》とに|相応《さうおう》してゐる。|故《ゆゑ》に|心臓《しんざう》は|天国《てんごく》であり|意思《いし》の|国《くに》に|相応《さうおう》し、|肺臓《はいざう》は|霊国《れいごく》であり|智性《ちせい》の|国《くに》と|相応《さうおう》するものである。
|高天原《たかあまはら》に|於《おい》ても|亦《また》|以上《いじやう》の|如《ごと》き|相応《さうおう》がある。|天国《てんごく》は|即《すなは》ち|高天原《たかあまはら》の|意力《いりよく》にして、|愛《あい》の|徳《とく》|之《これ》を|統御《とうぎよ》し、|霊国《れいごく》は|高天原《たかあまはら》の|智力《ちりよく》にして|信《しん》の|徳《とく》|之《これ》を|統御《とうぎよ》する|事《こと》になつてゐる。|故《ゆゑ》に|天国《てんごく》と|霊国《れいごく》との|関係《くわんけい》は|人《ひと》に|於《お》ける|心臓《しんざう》と|肺臓《はいざう》との|関係《くわんけい》に|全《まつた》く|相応《さうおう》してゐるものである。|聖言《せいげん》に|心臓《しんざう》を|以《もつ》て|意《い》を|示《しめ》し、|又《また》|愛《あい》の|徳《とく》を|示《しめ》し、|肺臓《はいざう》の|呼吸《こきふ》を|以《もつ》て|智《ち》|及《および》|信《しん》の|真《しん》を|示《しめ》すは|此《この》|相応《さうおう》によるからである。|又《また》|情動《じやうどう》なるものは|心臓中《しんざうちう》にもあらず、|心臓《しんざう》より|来《きた》らざれども、|之《これ》を|心臓《しんざう》に|帰《き》するは|相応《さうおう》の|理《り》に|基《もとづ》く|為《ため》である。|高天原《たかあまはら》の|以上《いじやう》|二国土《にこくど》と|心臓《しんざう》|及《および》|肺臓《はいざう》との|相応《さうおう》は|高天原《たかあまはら》と|人間《にんげん》との|間《あひだ》に|於《お》ける|一般的《いつぱんてき》|相応《さうおう》である。さうして|人身《じんしん》の|各肢体《かくしたい》|及《および》|各機関《かくきくわん》|及《および》|内臓《ないざう》|等《とう》に|対《たい》しては、|斯《かく》の|如《ごと》く|一般的《いつぱんてき》ならざる|相応《さうおう》があるのである。
|今《いま》|茲《ここ》に|高天原《たかあまはら》の|全体《ぜんたい》を|巨人《きよじん》に|譬《たと》へて|説明《せつめい》する|事《こと》としよう。
|巨人《きよじん》|即《すなは》ち|天界《てんかい》の|頭部《とうぶ》に|居《を》るものは|愛《あい》、|平和《へいわ》、|無垢《むく》、|証覚《しようかく》、|智慧《ちゑ》の|中《うち》に|住《ぢゆう》し、|従《したが》つて|歓喜《くわんき》と|幸福《かうふく》とに|住《ぢゆう》するを|以《もつ》て|天界《てんかい》|到《いた》る|所《ところ》、この|頭部《とうぶ》に|於《お》ける|善徳《ぜんとく》に|比《ひ》すべきものはない。|人間《にんげん》の|頭部《とうぶ》|及《およ》び|頭部《とうぶ》に|属《ぞく》する|一切《いつさい》のものに|其《その》|神徳《しんとく》|流《なが》れ|入《い》つて|之《これ》と|相応《さうおう》するのである。|故《ゆゑ》に|人《ひと》の|頭部《とうぶ》は|高天原《たかあまはら》の|最高《さいかう》の|天国《てんごく》、|霊国《れいごく》に|比《ひ》すべきものである。
|次《つぎ》に|巨人《きよじん》|即《すなは》ち|天界《てんかい》の|胸部《きようぶ》にあるものは|仁《じん》と|信《しん》との|善徳中《ぜんとくちう》に|住《ぢゆう》して、|人《ひと》の|胸部《きようぶ》に|流《なが》れ|入《い》り、|之《これ》と|相応《さうおう》するものである。
一、|巨人《きよじん》|即《すなは》ち|天界《てんかい》に|於《お》ける|腰部《えうぶ》|及《および》|生殖器《せいしよくき》|機関《きくわん》に|属《ぞく》するものは、|所謂《いはゆる》|夫婦《ふうふ》の|愛《あい》に|住《ぢゆう》してゐる、|之《これ》は|第二《だいに》|天国《てんごく》の|状態《じやうたい》である。
一、|脚部《きやくぶ》にあるものは、|天界《てんかい》|最劣《さいれつ》の|徳《とく》|即《すなは》ち|自然的《しぜんてき》|及《および》|霊的善徳《れいてきぜんとく》の|中《うち》に|住《ぢゆう》してゐる。
一、|腕《うで》と|手《て》とにあるものは、|善徳《ぜんとく》の|中《うち》より|出《い》で|来《きた》る|真理《しんり》の|力《ちから》に|住《ぢゆう》してゐる。
一、|目《め》にあるものは|智《ち》に|住《ぢゆう》し、|耳《みみ》にあるものは|注意《ちゆうい》と|従順《じゆうじゆん》に|住《ぢゆう》し、|鼻口《びこう》に|属《ぞく》するものは|知覚《ちかく》に|住《ぢゆう》してゐる。|又《また》、|口《くち》と|舌《した》とに|属《ぞく》するものは|智性《ちせい》と|知覚《ちかく》とより|出《い》づる|言語《げんご》の|中《うち》に|住《ぢゆう》し、|内腎《ないじん》に|属《ぞく》するものは|研究《けんきう》し|調査《てうさ》し|分析《ぶんせき》し|訂正《ていせい》する|処《ところ》の|諸々《もろもろ》の|真理《しんり》に|住《ぢゆう》し、|肝臓《かんざう》、|膵臓《すゐざう》、|脾臓《ひざう》に|属《ぞく》するものは|善《ぜん》と|真《しん》と|色々《いろいろ》に|洗練《せんれん》するに|長《ちやう》じてゐる。|何《いづ》れも|神《かみ》の|神格《しんかく》は|人体中《じんたいちう》に|相似《さうじ》せる|各局部《かくきよくぶ》に|流入《りうにふ》して|之《これ》と|相応《さうおう》し|給《たま》ふ。|天界《てんかい》よりの|内流《ないりう》は|諸肢体《しよしたい》の|働《はたら》き|及《および》|用《よう》の|中《うち》に|入《い》り、|而《しか》して|具体的《ぐたいてき》|結果《けつくわ》を|現《げん》ずるが|故《ゆゑ》に、|茲《ここ》に|於《おい》てか|相応《さうおう》なるものが|行《おこな》はれて|来《く》るものである。
一、|人《ひと》は|智《ち》あり|覚《かく》ある|者《もの》を|呼《よ》んで|彼《かれ》は|頭《あたま》を|持《も》つて|居《ゐ》るとか、|頭脳《づなう》が|緻密《ちみつ》であるとか、よい|頭《あたま》だとか|云《い》つて|称《たた》へ、|又《また》|仁《じん》に|厚《あつ》いものを|呼《よ》んで|彼《かれ》は|胸《むね》の|友《とも》だとか、|心《こころ》が|美《うつく》しいとか、|気《き》のよい|人《ひと》だとか、|心意気《こころいき》がよいとか|称《たた》へ、|知覚《ちかく》に|勝《すぐ》れた|人《ひと》を|呼《よ》んで|彼《かれ》は|鋭敏《えいびん》なる|嗅覚《きうかく》を|持《も》つてゐるとか、|鼻《はな》が|高《たか》いとか|云《い》ひ、|智慮《ちりよ》に|秀《ひい》でたものを|呼《よ》んで、|彼《かれ》の|視覚《しかく》は|鋭《するど》いと|云《い》ひ、|或《あるひ》は|鬼《おに》の|目《め》と|云《い》ひ、|強力《がうりき》なる|人《ひと》を|呼《よ》んで、|彼《かれ》は|手《て》が|長《なが》いと|云《い》ひ、|或《あるひ》は|利《き》くと|云《い》ひ、|愛《あい》と|心《こころ》を|基《もと》として|志《こころざ》す|所《ところ》を|決《けつ》するものを|呼《よ》んで、|彼《かれ》の|行動《かうどう》は|心臓《しんざう》より|出《い》づるとか、|心底《しんてい》から|来《きた》るとか、|同情心《どうじやうしん》が|深《ふか》いとか|称《とな》へるのである。
|斯《かく》の|如《ごと》く|人間《にんげん》の|不用意《ふようい》の|中《うち》に|使《つか》ふ|言葉《ことば》や|諺《ことわざ》は|尚《なほ》|此《この》|外《ほか》に|何程《いくら》とも|限《かぎ》りない|程《ほど》あるのは、|相応《さうおう》の|理《り》に|基《もとづ》いて|其《その》|実《じつ》は|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|神示《しんじ》にある|通《とほ》り、|何事《なにごと》も|神界《しんかい》よりのお|言葉《ことば》なる|事《こと》は|自覚《じかく》し|得《え》らるるのである。
|治国別《はるくにわけ》|一行《いつかう》は|人体《じんたい》に|於《お》ける|心臓部《しんざうぶ》に|相当《さうたう》する|第二《だいに》|天国《てんごく》の|最《もつと》も|中枢部《ちうすうぶ》たる|処《ところ》を|今《いま》や|巡覧《じゆんらん》の|最中《さいちう》である。さうして|天国《てんごく》の|組織《そしき》は|最高天国《さいかうてんごく》が|上《じやう》|中《ちう》|下《げ》|三段《さんだん》に|区画《くくわく》され、|中間《ちうかん》|天国《てんごく》が|又《また》|上《じやう》|中《ちう》|下《げ》|三段《さんだん》に|区画《くくわく》され、|最下層《さいかそう》の|天国《てんごく》|亦《また》|三段《さんだん》に|区画《くくわく》されてある。|各段《かくだん》の|天国《てんごく》は|個々《ここ》の|団体《だんたい》を|以《もつ》て|構成《こうせい》され、|愛善《あいぜん》の|徳《とく》と|智慧証覚《ちゑしようかく》の|度合《どあひ》の|如何《いかん》によりて|幾百《いくひやく》ともなく|個々《ここ》|分立《ぶんりつ》し、|到底《たうてい》|之《これ》を|明瞭《めいれう》に|計算《けいさん》する|事《こと》は|出来《でき》ないのである。|又《また》|霊国《れいごく》も|同様《どうやう》に|区画《くくわく》され、|信《しん》と|智《ち》の|善徳《ぜんとく》や|智慧証覚《ちゑしようかく》の|度合《どあひ》によつて|霊国《れいごく》が|三段《さんだん》に|大別《たいべつ》され、|又《また》|個々《ここ》|分立《ぶんりつ》して|数《かぞ》へ|尽《つく》せない|程《ほど》の|団体《だんたい》が|作《つく》られてゐる。さうして|又《また》|一個《いつこ》の|団体《だんたい》の|中《なか》にも|愛《あい》と|信《しん》と|智慧証覚《ちゑしようかく》の|度《ど》の|如何《いかん》によつて|或《あるひ》は|中央《ちうあう》に|座《ざ》を|占《し》め、|或《あるひ》は|外辺《ぐわいへん》に|居《きよ》を|占《し》め、|決《けつ》して|一様《いちやう》ではない。|斯《か》くの|如《ごと》く|天人《てんにん》の|愛信《あいしん》と|証覚《しようかく》の|上《うへ》に|変移《へんい》あるは、|所謂《いはゆる》|勝者《しようじや》は|劣者《れつしや》を|導《みちび》き、|劣者《れつしや》は|勝者《しようじや》に|従《したが》ふ|天然律《てんねんりつ》が|惟神的《かむながらてき》に|出来《でき》てゐるがために、|各人《かくじん》|皆《みな》|其《その》|分度《ぶんど》に|応《おう》じて|安《やす》んじ、|少《すこ》しも|不安《ふあん》や|怨恨《ゑんこん》や|不満足《ふまんぞく》|等《とう》の|起《おこ》る|事《こと》なく、|極《きは》めて|平和《へいわ》の|生涯《しやうがい》を|送《おく》り|居《ゐ》るものである。
さて|三人《さんにん》は、とある|美《うる》はしき|丘陵《きうりよう》の|上《うへ》に|着《つ》いた。|天日《てんじつ》|晃々《くわうくわう》として|輝《かがや》き|渡《わた》り、|被面布《ひめんぷ》を|通《とほ》して|其《その》|霊光《れいくわう》は|厳《きび》しく|放射《はうしや》し、|治国別《はるくにわけ》は|殆《ほとん》ど|目《め》も|眩《くら》むばかりになつて|来《き》た。|竜公《たつこう》も|稍《やや》|身体《しんたい》の|各部《かくぶ》に|苦悶《くもん》を|兆《きざ》して|来《き》た。|五三公《いそこう》は|依然《いぜん》として|被面布《ひめんぷ》も|被《かぶ》らず|此処《ここ》|迄《まで》|進《すす》んで|来《き》たのである。
|五三《いそ》『|皆《みな》さま、|大変《たいへん》に|御疲労《ごひらう》の|様《やう》ですから、|此処《ここ》で|山野《さんや》の|景色《けしき》を|眺《なが》めて、|暫《しばら》く|休養《きうやう》さして|頂《いただ》きませうか』
|治国《はるくに》『ハイ、さう|致《いた》しませう。|何《なん》だか|神様《かみさま》の|霊光《れいくわう》にうたれて|苦《くる》しくなつて|参《まゐ》りました』
|竜公《たつこう》『ヤア|私《わたし》も|何《なん》となしに|苦痛《くつう》を|感《かん》じます。ラジオシンターでもあれば、|一杯《いつぱい》|飲《の》みたいものですな』
『ハヽヽヽヽ、ラジオシンターは|貴方《あなた》|等《がた》の|様《やう》な|壮健《さうけん》な|肉体《にくたい》の|飲《の》むものぢやありませぬ。あの|薬《くすり》は|人体《じんたい》の|組織《そしき》を|害《がい》しますからな。|然《しか》しながら|九死一生《きうしいつしやう》の|病人《びやうにん》には、とつたか、みたかですから|宜《よ》いでせう。あの|薬《くすり》は|霊国《れいごく》より|地上《ちじやう》に|下《くだ》る|霊薬《れいやく》であつて、|之《これ》を|服用《ふくよう》すれば|未《いま》だ|現界《げんかい》に|生《い》きて|働《はたら》くべき|人間《にんげん》は|速《すみや》かに|元気《げんき》|恢復《くわいふく》し、|又《また》|霊界《れいかい》に|来《きた》るべき|運命《うんめい》にある|人間《にんげん》が|服用《ふくよう》すれば、|断末魔《だんまつま》の|苦痛《くつう》を|逃《のが》れ、|楽々《らくらく》と|霊肉《れいにく》|脱離《だつり》の|苦《くる》しみを|助《たす》くるものです。さうだから、あれは|霊薬《れいやく》と|云《い》つて|霊国《れいごく》から|下《くだ》るものです』
|竜公《たつこう》『|霊体分離《れいたいぶんり》の|時《とき》、|地獄《ぢごく》におつる|精霊《せいれい》は|虚空《こくう》を|掴《つか》み|泡《あわ》を|吹《ふ》き、|或《あるひ》は|暗黒色《あんこくしよく》になり、|非常《ひじやう》な|苦悶《くもん》をするものですが、その|様《やう》な|精霊《せいれい》でも|矢張《やは》り|楽《らく》に|霊肉《れいにく》|脱離《だつり》の|難境《なんきやう》を|越《こ》えられますか』
『さうです。|地獄《ぢごく》へ|直接《ちよくせつ》|落下《らくか》すべき|悪霊《あくれい》は|此《この》|霊薬《れいやく》の|力《ちから》によつて|肉体《にくたい》より|逸早《いちはや》く|逃走《たうそう》するが|故《ゆゑ》に、|後《あと》には|善霊《ぜんれい》|即《すなは》ち|正守護神《せいしゆごじん》のみが|残《のこ》り、|安々《やすやす》と|脱離《だつり》の|境《さかひ》を|渡《わた》り|得《う》るのです。|霊国《れいごく》に|於《おい》ては|之《これ》を|以《もつ》て|霊丹《れいたん》と|云《い》ふ|薬《くすり》を|作《つく》ります。|治国別《はるくにわけ》|様《さま》や|貴方《あなた》が、|第二《だいに》|天国《てんごく》の|入口《いりぐち》に|於《おい》て|木花姫命《このはなひめのみこと》よりお|頂《いただ》きになつた|霊薬《れいやく》は|即《すなは》ちそれです。|霊《れい》に|充《み》ちてゐる|薬《くすり》だから、|霊充《れいじう》と|云《い》ふのです。これを|地上《ちじやう》の|人間《にんげん》は、ラヂウムと|称《とな》へて|居《ゐ》るのですが、|語源《ごげん》は、つまり|一《ひと》つですからな』
|治国《はるくに》『ラジオシンターは|止《や》めにして、それならもう|一度《いちど》|霊丹《れいたん》が|頂《いただ》き|度《た》いものですな』
『|先生《せんせい》、|自分《じぶん》の|苦痛《くつう》を|薬《くすり》によつて|治《なほ》さうなどと|云《い》ふ|想念《さうねん》が|起《おこ》りますと、|神様《かみさま》のお|道《みち》に|対《たい》し|所謂《いはゆる》|冷淡《れいたん》(|霊丹《れいたん》)になりやしませぬか。それよりも|天国《てんごく》は|愛《あい》の|熱《ねつ》によつて|充《み》たされてゐるのですから、|大神《おほかみ》|直接《ちよくせつ》の|内流《ないりう》たる|愛《あい》の|熱《ねつ》を|頂《いただ》く|様《やう》に|願《ねが》つたら|如何《どう》でせう。|私《わたし》は|最早《もはや》|霊丹《れいたん》の|必要《ひつえう》もない|様《やう》に|思《おも》ひますが……』
『さうだな、|一《いち》か|八《ばち》かの|時《とき》に|用《もち》ふる|霊薬《れいやく》だから、さう|濫用《らんよう》するのは|勿体《もつたい》ない。それよりも|尊《たふと》い|神様《かみさま》の|愛《あい》の|熱《ねつ》を|頂《いただ》く|事《こと》に|致《いた》しませう。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
『|治国別《はるくにわけ》さま、|如何《どう》です、もうお|疲《つか》れは|直《なほ》りましたか』
『ハイ、|御神徳《ごしんとく》によつて、|甦《よみがへ》つた|様《やう》です』
|竜公《たつこう》『それ|御覧《ごらん》、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》と|今《いま》|仰有《おつしや》つたでせう。|其《その》|御神文《ごしんもん》の|方《はう》が|霊充《れいじう》よりも、|霊丹《れいたん》よりも|効能《かうのう》が|顕著《けんちよ》でせう』
『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》いました』
|大神《おほかみ》は|斯《か》くの|如《ごと》くにして|第三者《だいさんしや》の|口《くち》をかり、|第二者《だいにしや》たる|治国別《はるくにわけ》に|諸々《もろもろ》の|真理《しんり》を|悟《さと》させ|給《たま》うたのである。
|凡《すべ》て|人《ひと》を|教《をし》ふる|身《み》は、|其《その》|人《ひと》|直接《ちよくせつ》に|云《い》つては|聞《き》かないものである。|人間《にんげん》と|云《い》ふものは|自尊心《じそんしん》や|自負心《じふしん》が|強《つよ》いものであるから、|直接《ちよくせつ》|其《その》|人間《にんげん》に|対《たい》して|教説《けうせつ》らしき|事《こと》を|云《い》へば、|其《その》|人間《にんげん》は「ヘン|其《その》|位《くらゐ》の|事《こと》はお|前《まへ》に|聞《き》かなくとも|俺《おれ》は|知《し》つてゐる。|馬鹿々々《ばかばか》しい」と、テンデ|耳《みみ》に|入《い》れぬものである。|故《ゆゑ》に|第二者《だいにしや》に|直接《ちよくせつ》|教説《けうせつ》すべき|所《ところ》を|第三者《だいさんしや》たる|傍人《ばうじん》に|問答《もんだふ》を|発《はつ》し、|其《その》|第三者《だいさんしや》の|口《くち》より|談話的《だんわてき》に|話《はな》さしめて|之《これ》を|第二者《だいにしや》の|耳《みみ》に|知覚《ちかく》に|流入《りうにう》せしむる|方《はう》が|余程《よほど》|効験《かうけん》のあるものである。|故《ゆゑ》に|神界《しんかい》に|於《おい》ても|時々《ときどき》|第一者《だいいつしや》と|第三者《だいさんしや》が|問答《もんだふ》をなし、|是非《ぜひ》|聞《き》かしてやらねばならぬ|第二者《だいにしや》に|対《たい》して|間接《かんせつ》に|教示《けうじ》を|垂《た》れ|給《たま》ふ|事《こと》が|往々《わうわう》あるのである。|今《いま》|茲《ここ》に|大神《おほかみ》は|五三公《いそこう》、|竜公《たつこう》の|両人《りやうにん》をして|問答《もんだふ》をなさしめ、|治国別《はるくにわけ》の|心霊《しんれい》に|耳《みみ》を|通《とほ》して|諭《さと》さしめたのである。
『|先生《せんせい》、|大変《たいへん》な|立派《りつぱ》な|日輪様《にちりんさま》がお|上《あが》りになりましたな。|吾々《われわれ》の|日々《にちにち》|拝《はい》する|日輪様《にちりんさま》とは|非常《ひじやう》にお|姿《すがた》も|大《おほ》きく|光《ひかり》も|強《つよ》いぢやありませぬか』
『さうだなア、|吾々《われわれ》の|現界《げんかい》で|見《み》る|日輪様《にちりんさま》は、|人間《にんげん》の|邪気《じやき》がこつて|中空《ちうくう》にさまようてゐるから、|其《その》|為《た》めに|御光《ごくわう》が|薄《うす》らいで|居《ゐ》るのだらう。|天国《てんごく》へ|来《く》ると|清浄無垢《せいじやうむく》だから、|日輪様《にちりんさま》も|立派《りつぱ》に|拝《をが》めるのだらうよ』
『それでも|吾々《われわれ》の|拝《をが》む|日輪様《にちりんさま》とは|何《なん》だか|様子《やうす》が|違《ちが》ふぢやありませぬか。もし|五三公《いそこう》さま、|如何《どう》でせう』
『|天国《てんごく》に|於《おい》ては|大神様《おほかみさま》が|日輪様《にちりんさま》となつて|現《あら》はれ|給《たま》ひます。|地上《ちじやう》の|現界《げんかい》に|於《おい》て|見《み》る|太陽《たいやう》は|所謂《いはゆる》|自然界《しぜんかい》の|太陽《たいやう》であつて、|天国《てんごく》の|太陽《たいやう》に|比《くら》ぶれば|非常《ひじやう》に|暗《くら》いものですよ。|自然界《しぜんかい》の|太陽《たいやう》より|来《きた》るものは|凡《すべ》て|自愛《じあい》と|世間愛《せけんあい》に|充《み》ち、|天国《てんごく》の|太陽《たいやう》より|来《きた》る|光《ひかり》は|愛善《あいぜん》の|光《ひかり》ですから|雲泥《うんでい》の|相違《さうゐ》がありますよ。|又《また》|霊国《れいごく》に|於《おい》ては|大神様《おほかみさま》は|月様《つきさま》とお|現《あら》はれになります。|大神様《おほかみさま》に|変《かは》りはなけれども、|天人《てんにん》|共《ども》の|愛《あい》と|信《しん》と|証覚《しようかく》の|如何《いかん》によつて、|或《あるひ》は|太陽《たいやう》と|現《あら》はれ|給《たま》ひ|或《あるひ》は|月《つき》と|現《あら》はれ|給《たま》ふのです』
|竜公《たつこう》『やはり|天国《てんごく》にても|日輪様《にちりんさま》は|東《ひがし》からお|上《あが》りになるのでせうな』
『|地上《ちじやう》の|世界《せかい》に|於《おい》ては|日輪様《にちりんさま》が|上《のぼ》りきられた|最《もつと》も|高《たか》い|処《ところ》を|南《みなみ》と|云《い》ひ、|正《まさ》に|之《これ》に|反《はん》して|地下《ちか》にある|所《ところ》を|北《きた》となし、|日輪様《にちりんさま》が|昼夜《ちうや》の|平分線《へいぶんせん》に|上《のぼ》る|所《ところ》を|東《ひがし》となし、|其《その》|没《ぼつ》する|所《ところ》を|西《にし》となす|事《こと》は|貴方《あなた》|等《がた》の|御存《ごぞん》じの|通《とほ》りです。|斯《か》くの|如《ごと》く|現界《げんかい》に|於《おい》ては|一切《いつさい》の|方位《ほうゐ》を|南《みなみ》から|定《さだ》めますけれども、|高天原《たかあまはら》に|於《おい》ては|大神様《おほかみさま》が|日輪様《にちりんさま》と|現《あら》はれ|給《たま》ふ|処《ところ》を|東《ひがし》となし、|之《これ》に|対《たい》するを|西《にし》となし、それから|高天原《たかあまはら》の|右《みぎ》の|方《はう》を|南《みなみ》となし、|左《ひだり》の|方《はう》を|北《きた》とするのです。さうして|天界《てんかい》の|天人《てんにん》は|何《いづ》れの|処《ところ》に|其《その》|顔《かほ》と|体躯《からだ》とを|転向《てんかう》するとも、|皆《みな》|日月《じつげつ》に|向《むか》つて|居《ゐ》るのです。|其《その》|日月《じつげつ》に|向《むか》うた|処《ところ》を|東《ひがし》と|云《い》ふのです。|故《ゆゑ》に|高天原《たかあまはら》の|方位《ほうゐ》は|皆《みな》|東《ひがし》より|定《さだ》まります。|何故《なにゆゑ》なれば、|一切《いつさい》のものの|生命《せいめい》の|源泉《げんせん》は、|日輪様《にちりんさま》たる|大神様《おほかみさま》より|来《きた》る|故《ゆゑ》である。|故《ゆゑ》に|天界《てんかい》にては、|厳《いづ》の|御魂《みたま》、|瑞《みづ》の|御魂《みたま》をお|東様《ひがしさま》と|呼《よ》んでゐます』
|治国《はるくに》『|尊《たふと》き|厳《いづ》の|御魂《みたま》、|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|大神様《おほかみさま》、|愚昧《ぐまい》なる|吾々《われわれ》を|教導《けうだう》せむが|為《ため》に、|五三公《いそこう》、|竜公《たつこう》の|口《くち》を|通《とほ》し|間接内流《かんせつないりう》を|以《もつ》て|吾々《われわれ》にお|示《しめ》し|下《くだ》さいました|其《その》|御高恩《ごかうおん》を、|有難《ありがた》く|感謝《かんしや》|致《いた》します。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
(大正一二・一・一〇 旧一一・一一・二四 北村隆光録)
第二一章 |跋文《ばつぶん》〔一二五四〕
その一
一、|現代人《げんだいじん》は|霊界《れいかい》|一切《いつさい》の|事物《じぶつ》と、|人間《にんげん》|一切《いつさい》の|事物《じぶつ》との|間《あひだ》に|一種《いつしゆ》の|相応《さうおう》あることを|知《し》らず、|又《また》|相応《さうおう》の|何《なん》たるを|知《し》るものがない。かかる|無智《むち》の|原因《げんいん》には|種々《しゆじゆ》あれども、|其《その》|重《おも》なるものは『|我《が》』と|世間《せけん》とに|執着《しふちやく》して|自《みづか》ら|霊界《れいかい》|殊《こと》に|天界《てんかい》より|遠《とほ》ざかれるに|由《よ》るものである。|何事《なにごと》をも|差《さ》し|置《お》きて|吾《われ》と|世間《せけん》とを|愛《あい》するものは|只《ただ》|外的《ぐわいてき》|感覚《かんかく》を|喜《よろこ》ばし、|自己《じこ》の|所欲《しよよく》を|遂《と》げしむる|所《ところ》の|世間的《せけんてき》|事物《じぶつ》にのみ|留意《りうい》して、|曽《かつ》てその|外《ほか》を|顧《かへり》みず、|即《すなは》ち|内的《ないてき》|感覚《かんかく》を|楽《たのし》まし|心霊《しんれい》を|喜《よろこ》ばしむる|所《ところ》の|霊的《れいてき》|事物《じぶつ》に|至《いた》つては|彼等《かれら》の|関心《くわんしん》せざる|所《ところ》である。|彼等《かれら》が|之《これ》を|斥《しりぞ》くる|口実《こうじつ》に|曰《いは》く、『|霊的《れいてき》|事物《じぶつ》は|余《あま》り|高《たか》きに|過《す》ぎて|思想《しさう》の|対境《たいきやう》となる|能《あた》はず』|云々《うんぬん》。されど|古《いにしへ》の|人《ひと》なる|宣伝使《せんでんし》や|信者《しんじや》たりしものは、|之《これ》に|反《はん》して|相応《さうおう》に|関《くわん》する|知識《ちしき》を|以《もつ》て|一切《いつさい》|知識中《ちしきちう》の|最《もつと》も|重要《ぢうえう》なるものとなし、|之《これ》に|由《よ》りて|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》を|得《え》たものである。|故《ゆゑ》に|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》は|何《いづ》れも|天界《てんかい》との|交通《かうつう》の|途《みち》を|開《ひら》きて|相応《さうおう》の|理《り》を|知得《ちとく》し、|天人《てんにん》の|知識《ちしき》を|得《え》たものである。|即《すなは》ち|天的人間《てんてきにんげん》であつた|太古《たいこ》の|人民《じんみん》は|相応《さうおう》の|理《り》に|基《もとづ》いて|思索《しさく》する|事《こと》|尚《なほ》|天人《てんにん》の|如《ごと》くであつた。|之《これ》|故《ゆゑ》に|古《いにしへ》の|人《ひと》は|天人《てんにん》と|相語《あひかた》るを|得《え》たり、|又《また》|屡《しばしば》|主神《すしん》をも|相見《あひみ》るを|得《え》て、|其《その》|教《をしへ》を|直接《ちよくせつ》に|受《う》けたものも|沢山《たくさん》にある。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》なぞは|主《す》の|神《かみ》の|直接《ちよくせつ》の|教《をしへ》を|受《う》けてその|心魂《しんこん》を|研《みが》き、|之《これ》を|天下《てんか》に|宣伝《せんでん》したる|次第《しだい》は|此《この》|霊界物語《れいかいものがたり》を|見《み》るも|明白《めいはく》である。|現代《げんだい》の|宣伝使《せんでんし》に|至《いた》つては|此《この》|知識《ちしき》|全《まつた》く|絶滅《ぜつめつ》し、|相応《さうおう》の|理《り》の|何《なん》たるかを|知《し》るものは|宗教《しうけう》|各団体《かくだんたい》を|通《つう》じて|一人《いちにん》も|無《な》いと|謂《い》つても|可《い》い|位《くらゐ》である。|相応《さうおう》の|何《なん》たるかを|知《し》らずしては、|霊界《れいかい》に|就《つ》いて|明白《めいはく》なる|知識《ちしき》を|有《いう》するを|得《え》ない。|斯《か》く|霊界《れいかい》の|事物《じぶつ》に|無智《むち》なる|人間《にんげん》は、|又《また》|霊界《れいかい》より|自然界《しぜんかい》にする|内流《ないりう》の|何物《なにもの》たるを|知《し》る|事《こと》は|出来《でき》ない。|又《また》|霊的《れいてき》|事物《じぶつ》の|自然的《しぜんてき》|事物《じぶつ》に|対《たい》する|関係《くわんけい》をすら|知《し》る|事《こと》が|出来《でき》ない。|又《また》|霊魂《れいこん》と|称《しよう》する|人間《にんげん》の|心霊《しんれい》が|其《その》|身体《しんたい》に|及《およ》ぼす|所《ところ》の|活動《くわつどう》や、|死後《しご》に|於《お》ける|人間《にんげん》の|情態《じやうたい》に|関《くわん》して|毫《がう》も|明白《めいはく》なる|思想《しさう》を|有《いう》する|事《こと》|能《あた》はず、|故《ゆゑ》に|今《いま》|何《なに》をか|相応《さうおう》と|云《い》ひ、|如何《いか》なるものを|相応《さうおう》と|為《な》すかを|説《と》く|必要《ひつえう》があると|思《おも》ふ。
|抑《そもそも》|全自然界《ぜんしぜんかい》は|之《これ》を|総体《そうたい》の|上《うへ》から|見《み》ても、|分体《ぶんたい》の|上《うへ》から|見《み》ても、|悉《ことごと》く|霊界《れいかい》と|相応《さうおう》がある。|故《ゆゑ》に|何事《なにごと》たりとも|自然界《しぜんかい》にあつて|其《その》|存在《そんざい》の|源泉《げんせん》を|霊界《れいかい》に|取《と》るものは|之《これ》を|名《な》づけて、|其《その》|相応者《さうおうしや》と|云《い》ふのである。そして|自然界《しぜんかい》の|存在《そんざい》し|永続《えいぞく》する|所以《ゆゑん》は|霊界《れいかい》によること、|猶《なほ》|結果《けつくわ》が|有力因《いうりよくいん》によりて|存《ぞん》するが|如《ごと》きを|知《し》るべきである。|自然界《しぜんかい》とは|太陽《たいやう》の|下《もと》にありて|之《これ》より|熱《ねつ》と|光《ひかり》とを|受《う》くる|一切《いつさい》の|事物《じぶつ》を|謂《い》ふものなるが|故《ゆゑ》に、|之《これ》に|由《よ》りて|存在《そんざい》を|継続《けいぞく》するものは、|一《いつ》として|自然界《しぜんかい》に|属《ぞく》せないものはない。されど|霊界《れいかい》とは|天界《てんかい》のことであり、|霊界《れいかい》に|属《ぞく》するものは、|皆《みな》|天界《てんかい》にあるものである。|人間《にんげん》は|一小天界《いちせうてんかい》にして|又《また》|一小世界《いちせうせかい》である。|而《しか》して|共《とも》に|其《その》|至大《しだい》なるものの|形式《けいしき》を|模《も》して|成《な》るが|故《ゆゑ》に、|人間《にんげん》の|中《うち》に|自然界《しぜんかい》もあり|霊界《れいかい》もあるのである。その|心性《しんせい》に|属《ぞく》して、|智《ち》と|意《い》とに|関《くわん》する|内分《ないぶん》は|霊界《れいかい》を|作《つく》り、その|肉体《にくたい》に|属《ぞく》して|感覚《かんかく》と|動作《どうさ》とに|関《くわん》する|外分《ぐわいぶん》は|自然界《しぜんかい》を|作《な》すのである。|故《ゆゑ》に|自然界《しぜんかい》に|在《あ》るもの|即《すなは》ち|彼《か》の|肉体《にくたい》|及《およ》びその|感覚《かんかく》と|動作《どうさ》とに|属《ぞく》するものにして、その|存在《そんざい》の|源泉《げんせん》を|彼《かれ》が|霊界《れいかい》に|有《いう》する|時《とき》は、|即《すなは》ち|彼《かれ》が|心性《しんせい》|及《およ》び|其《その》|智力《ちりよく》と|意力《いりよく》とより|起《おこ》り|来《きた》る|時《とき》は、|之《これ》を|名《な》づけて|相応者《さうおうしや》と|謂《い》ふのである。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》にして|以上《いじやう》|相応《さうおう》の|真理《しんり》を|知悉《ちしつ》せざりしものは|只《ただ》の|一人《いちにん》も|無《な》かつたのは、|実《じつ》に|主《す》の|神《かみ》の|神格《しんかく》を|充分《じうぶん》に|認識《にんしき》し|得《え》た|為《ため》であります。|願《ねが》はくは|此《この》|物語《ものがたり》に|心《こころ》を|潜《ひそ》めて|神《かみ》の|大御心《おほみこころ》のある|所《ところ》を|会得《ゑとく》し|且《か》つ|相応《さうおう》の|真理《しんり》を|覚《さと》り、|現界《げんかい》に|於《おい》ては|万民《ばんみん》を|善道《ぜんだう》に|救《すく》ひ、|死後《しご》は|必《かなら》ず|天界《てんかい》に|上《のぼ》り|天人《てんにん》の|班《はん》に|相《あひ》|伍《ご》して|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せられむことを|希望《きばう》いたします。
その二
一、|主神《すしん》の|国土《こくど》は|目的《もくてき》の|国土《こくど》である。|目的《もくてき》とは|用《よう》そのものである。|故《ゆゑ》に|主神《すしん》の|国土《こくど》を|称《しよう》して|用《よう》の|国土《こくど》と|云《い》うても|可《か》なる|訳《わけ》である。|用《よう》これ|目的《もくてき》である。|故《ゆゑ》に|主神《すしん》は|神格《しんかく》の|始《はじ》めに|宇宙《うちう》を|創造《さうざう》し、|形成《けいせい》し|給《たま》ふや、|初《はじ》めは|天界《てんかい》において|為《な》し|給《たま》ひ、|次《つぎ》は|世界《せかい》に|於《おい》て|到《いた》る|処《ところ》、|動作《どうさ》の|上《うへ》|即《すなは》ち|結果《けつくわ》の|上《うへ》に|用《よう》を|発揮《はつき》せむとし|給《たま》うた。|種々《しゆじゆ》の|度《ど》を|経《へ》、|次第《しだい》を|逐《お》うて|自然界《しぜんかい》の|終局点《しうきよくてん》に|迄《まで》も|至《いた》らなければ|已《や》まない。|故《ゆゑ》に|自然界《しぜんかい》|事物《じぶつ》と|霊界《れいかい》|事物《じぶつ》|即《すなは》ち|世間《せけん》と|天界《てんかい》の|相応《さうおう》は|用《よう》に|由《よ》つて|成就《じやうじゆ》することを|知《し》り|得《う》るのである。この|両者《りやうしや》を|和合《わがふ》せしむるものは|即《すなは》ち|用《よう》である。そして|此《この》|用《よう》を|中《なか》に|収《をさ》むる|所《ところ》のものは|形体《けいたい》である。|此《この》|形体《けいたい》を|相応《さうおう》となす|即《すなは》ち|和合《わがふ》の|媒介《ばいかい》である。されど|其《その》|形態《けいたい》にして|没交渉《ぼつかうせふ》なる|時《とき》は|此《かく》の|如《ごと》きことなきを|知《し》るべしである。|自然界《しぜんかい》にありてその|三重《さんぢゆう》の|国土中《こくどちう》|順序《じゆんじよ》に|従《したが》つて|存在《そんざい》するものは、すべて|用《よう》を|収《をさ》めたる|形態《けいたい》である。|即《すなは》ち|用《よう》のため|用《よう》に|由《よ》つて|作《つく》られたる|結果《けつくわ》である。|故《ゆゑ》に|斯《かく》の|如《ごと》き|自然界中《しぜんかいちう》の|諸物《しよぶつ》は|皆《みな》|相応者《さうおうしや》である。されど|人間《にんげん》にあつては|神《かみ》の|法則《はふそく》に|従《したが》つて|生活《せいくわつ》する|限《かぎ》り、|即《すなは》ち|主神《すしん》に|対《たい》して|愛《あい》、|隣人《りんじん》に|対《たい》して|仁《じん》ある|限《かぎ》り、かれの|行動《かうどう》は|用《よう》の|形態《けいたい》に|現《あら》はれたものである。これ|天界《てんかい》と|和合《わがふ》する|所《ところ》の|相応《さうおう》である。|主神《すしん》と|隣人《りんじん》を|愛《あい》するといふのは|要《えう》するに|用《よう》を|遂《と》ぐることである。|人間《にんげん》なるものは|自然界《しぜんかい》をして|霊界《れいかい》に|和合《わがふ》せしむる|方便《はうべん》|即《すなは》ち|和合《わがふ》の|媒介者《ばいかいしや》なることである。|蓋《けだ》し|人間《にんげん》には|自然界《しぜんかい》と|霊界《れいかい》と|二《ふた》つのものは|具《そな》はつて|居《ゐ》るものである。|人間《にんげん》はその|霊的《れいてき》なることに|於《おい》て|和合《わがふ》の|媒介者《ばいかいしや》となるけれども、|若《も》し|然《しか》らずして|自然的《しぜんてき》となれば|此《こ》の|事《こと》あるを|得《え》ないのである。さはいへ|神格《しんかく》の|内流《ないりう》は|人間《にんげん》の|媒介《ばいかい》を|経《へ》ずとも、|絶《た》えず|世間《せけん》に|流《なが》れ|入《い》り、また|人間内《にんげんない》の|世間的《せけんてき》|事物《じぶつ》にも|流《なが》れ|入《い》るものである。|但《ただ》しその|理性的《りせいてき》には|入《い》らぬものである。
|凡《すべ》て|神《かみ》の|法則《はふそく》に|従《したが》ふものは|悉《ことごと》く|天界《てんかい》に|相応《さうおう》すれども、|之《これ》と|反《はん》するものは|皆《みな》|地獄《ぢごく》と|相応《さうおう》するものである。|天界《てんかい》に|相応《さうおう》するものは|皆《みな》|善《ぜん》と|真《しん》とに|関係《くわんけい》があるが、|地獄《ぢごく》と|相応《さうおう》するものは|偽《いつは》りと|罪悪《ざいあく》に|交渉《かうせふ》せないものは|無《な》いのである。
|霊界《れいかい》は|諸々《もろもろ》の|相応《さうおう》に|由《よ》つて|自然界《しぜんかい》と|和合《わがふ》するが|故《ゆゑ》に、|人《ひと》は|諸々《もろもろ》の|相応《さうおう》によつて|天界《てんかい》と|交通《かうつう》することを|得《う》るものである。|在天《ざいてん》の|天人《てんにん》は|人間《にんげん》の|如《ごと》く|自然的《しぜんてき》|事物《じぶつ》によつて|思索《しさく》せない。|人間《にんげん》にして、もし|諸相応《しよさうおう》の|知識《ちしき》に|住《ぢゆう》する|時《とき》は、その|心《こころ》の|上《うへ》にある|思想《しさう》より|見《み》て、|天人《てんにん》と|相伍《あひご》するものとなすべく、かくして|其《その》|霊的《れいてき》、|内的《ないてき》|人格《じんかく》に|於《おい》て|天人《てんにん》と|和合《わがふ》せるものである。
|地上《ちじやう》に|於《お》ける|最太古《さいたいこ》の|人間《にんげん》は|即《すなは》ち|天的人間《てんてきにんげん》であつて、|相応《さうおう》そのものに|由《よ》つて|思索《しさく》し|彼等《かれら》の|眼前《がんぜん》に|横《よこ》たはれる|世間《せけん》の|自然的《しぜんてき》|事物《じぶつ》は、|彼等《かれら》|天的人間《てんてきにんげん》が|思索《しさく》をなす|所《ところ》の|方便《はうべん》に|過《す》ぎなかつたのである。|太古《たいこ》の|人間《にんげん》は|天人《てんにん》と|互《たがひ》に|相交《あひまじ》はり|相語《あひかた》り、|天界《てんかい》と|世間《せけん》との|和合《わがふ》は|彼等《かれら》を|通《とほ》して|成就《じやうじゆ》したのである。これの|時代《じだい》を|黄金時代《わうごんじだい》と|謂《い》ふのである。|次《つぎ》に|天界《てんかい》の|住民《ぢゆうみん》は|地上《ちじやう》の|人間《にんげん》と|共《とも》に|居《を》り|人間《にんげん》と|交《まじ》はること|朋侶《ほうりよ》の|如《ごと》くであつた。されど|最早《もはや》|此《この》|時代《じだい》の|人間《にんげん》は|相応《さうおう》そのものより|思索《しさく》せずして、|相応《さうおう》の|知識《ちしき》よりせるに|由《よ》つて、|尚《なほ》|天《てん》と|人《ひと》との|和合《わがふ》はあつたけれども、|以前《いぜん》の|様《やう》には|親密《しんみつ》でなかつた。この|時代《じだい》を|白銀時代《はくぎんじだい》と|曰《い》ふ。|又《また》この|白銀時代《はくぎんじだい》を|継《つ》いだものは|相応《さうおう》は|知《し》らぬにはあらざれども、|其《その》|思索《しさく》は|相応《さうおう》の|知識《ちしき》に|由《よ》らなかつた。|故《ゆゑ》に|彼等《かれら》がをる|所《ところ》の|善徳《ぜんとく》なるものは|自然的《しぜんてき》のものであつて、|前時代《ぜんじだい》の|人《ひと》の|如《ごと》く|霊的《れいてき》たることを|得《え》なかつた。これを|赤銅時代《せきどうじだい》と|曰《い》つたのである。この|時代《じだい》|以後《いご》は|人間《にんげん》は|次第々々《しだいしだい》に|外的《ぐわいてき》となり、|遂《つひ》に|肉体的《にくたいてき》となり|了《を》へ、|従《したが》つて|相応《さうおう》の|知識《ちしき》なるもの|全《まつた》く|地《ち》に|墜《お》ちて|天界《てんかい》の|知識《ちしき》|悉《ことごと》く|亡《ほろ》び、|霊界《れいかい》に|関《くわん》する|数多《あまた》の|事項《じかう》も|追々《おひおひ》と|会得《ゑとく》し|難《がた》くなつたのである。|又《また》|黄金《わうごん》は|相応《さうおう》に|由《よ》つて|天国《てんごく》の|善《ぜん》を|表《あら》はし、|最太古《さいたいこ》の|人《ひと》の|居《を》りし|境遇《きやうぐう》である。|又《また》|白銀《はくぎん》は|霊国《れいごく》の|善《ぜん》を|表《あら》はし|中古《ちうこ》の|人《ひと》の|居《を》りし|境遇《きやうぐう》であつた。|赤銅《せきどう》は|自然界《しぜんかい》の|善《ぜん》を|表《あら》はし|古《いにしへ》の|人《ひと》の|居《を》りし|境遇《きやうぐう》である。|更《さら》に|下《くだ》つて、|黒鉄時代《こくてつじだい》を|現出《げんしゆつ》した。|黒鉄《こくてつ》なるものは|冷酷《れいこく》なる|真《しん》を|表《あら》はし、|善《ぜん》はこれに|居《を》らない|時代《じだい》である。|之《これ》を|思《おも》ふに|現今《げんこん》の|時代《じだい》は|全《まつた》く|黒鉄時代《こくてつじだい》を|過《す》ぎて|泥土世界《でいどせかい》と|堕落《だらく》し、|善《ぜん》も|真《しん》も|其《その》|影《かげ》を|没《ぼつ》して|了《しま》つた|暗黒無明《あんこくむみやう》の|地獄《ぢごく》である。|国祖《こくそ》の|神《かみ》は|斯《かく》の|如《ごと》き|惨澹《さんたん》たる|世界《せかい》をして|松《まつ》の|代《よ》、|三五《あななひ》の|代《よ》、|天国《てんごく》の|代《よ》に|復活《ふくくわつ》せしめむとして|不断的《ふだんてき》|愛善《あいぜん》と|信真《しんしん》の|為《ため》に|御活動《ごくわつどう》を|遊《あそ》ばし|給《たま》ひつつあることを|思《おも》へば、|吾々《われわれ》は|安閑《あんかん》としてこの|現代《げんだい》を|看過《かんくわ》することは|出来《でき》ないのである。|天下《てんか》|国家《こくか》を|憂《うれ》ふるの|士《し》は、|一日《いちにち》も|早《はや》く|神《かみ》の|教《をしへ》に|眼《め》を|醒《さ》まし、|善《ぜん》の|為《ため》に|善《ぜん》を|励《はげ》み、|真《しん》の|為《ため》に|真《しん》を|光《てら》して、|空前絶後《くうぜんぜつご》の|大神業《だいしんげふ》に|参加《さんか》されむことを|希望《きばう》する|次第《しだい》であります。
あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》
(|因《ちなみ》に|爰《ここ》に|主神《すしん》とあるは、|太元神《たいげんしん》を|指《さ》したのであります)
(大正一二・一・一〇 旧一一・一一・二四 加藤明子録)
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霊界物語 第四七巻 舎身活躍 戌の巻
終り