霊界物語 第四六巻 舎身活躍 酉の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第四六巻』愛善世界社
2003(平成15)年04月06日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年09月20日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|総説《そうせつ》
第一篇 |仕組《しぐみ》の|縺糸《れんし》
第一章 |榛並樹《はんなみき》〔一二一一〕
第二章 |慰労会《ゐらうくわい》〔一二一二〕
第三章 |噛言《かむごと》〔一二一三〕
第四章 |沸騰《ふつとう》〔一二一四〕
第五章 |菊《きく》の|薫《かをり》〔一二一五〕
第六章 |千代心《ちよごころ》〔一二一六〕
第七章 |妻難《さいなん》〔一二一七〕
第二篇 |狐運怪会《こうんくわいくわい》
第八章 |黒狐《くろぎつね》〔一二一八〕
第九章 |文明《ぶんめい》〔一二一九〕
第一〇章 |唖狐《あご》|外《はづ》れ〔一二二〇〕
第一一章 |変化神《へぐれがみ》〔一二二一〕
第一二章 |怪段《くわいだん》〔一二二二〕
第一三章 |通夜話《つやばなし》〔一二二三〕
第三篇 |神明照赫《しんめいせうかく》
第一四章 |打合《うちあは》せ〔一二二四〕
第一五章 |黎明《れいめい》〔一二二五〕
第一六章 |想曖《おもひあひ》〔一二二六〕
第一七章 |惟神《かむながら》の|道《みち》〔一二二七〕
第一八章 エンゼル〔一二二八〕
第四篇 |謎《なぞ》の|黄板《わうばん》
第一九章 |怪《あや》しの|森《もり》〔一二二九〕
第二〇章 |金《かね》の|力《ちから》〔一二三〇〕
第二一章 |民《たみ》の|虎声《こゑ》〔一二三一〕
第二二章 |五三嵐《いそあらし》〔一二三二〕
第二三章 |黄金華《わうごんくわ》〔一二三三〕
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|序文《じよぶん》
|現代《げんだい》の|天文《てんもん》|地文学《ちもんがく》、|物理学《ぶつりがく》、|化学《くわがく》、|幾何学《きかがく》、|機械学《きかいがく》、|解析学《かいせきがく》、|心理学《しんりがく》、|哲学《てつがく》、|歴史《れきし》、|文学《ぶんがく》、|批評《ひひやう》、|言語《げんご》|等《とう》、|所謂《いはゆる》|科学《くわがく》の|眼《まなこ》から|見《み》れば、この|物語《ものがたり》は|実《じつ》に|文厘《もんりん》の|価値《かち》もなきものと|見《み》えるでせう。|十悪無一善《じふあくむいちぜん》の|凡夫心《ぼんぶごころ》から|観察《くわんさつ》する|時《とき》は、|不道理《ふだうり》と|矛盾《むじゆん》と|撞着《どうちやく》で|充満《じゆうまん》してゐるでせう。ベルグソン、オイケンの|流行《りうかう》で、|生命《せいめい》や|生活《せいくわつ》|又《また》は|生《せい》だのと|色々《いろいろ》|論議《ろんぎ》され、|近頃《ちかごろ》はまたプロレタリヤにブルジヨアに|文化生活《ぶんくわせいくわつ》、|相対性原理説《さうたいせいげんりせつ》など|頻《しき》りに|主唱《しゆしやう》さるる|世《よ》の|中《なか》だから、|現代人《げんだいじん》の|耳《みみ》に|入《い》りさうなことはないと|思《おも》ふ。|然《しか》しながら、|槿花一朝《きんくわいつてう》の|夢《ゆめ》にも|等《ひと》しき|現代《げんだい》の|流行書《りうかうしよ》『|死線《しせん》を|越《こ》えて』とか『|新約《しんやく》』『|旧約《きうやく》』『|復活《ふくくわつ》』『|出家《しゆつけ》と|其《その》|弟子《でし》』『|懺悔《ざんげ》の|生活《せいくわつ》』|等《とう》の|如《ごと》く、|現代人《げんだいじん》、|而《しか》も|二三年《にさんねん》|未満《みまん》の|愛読者《あいどくしや》を|求《もと》むるのではない。|幾千万年《いくせんまんねん》の|後《のち》までも|言葉《ことば》の|光《ひかり》を|輝《かがや》かすのが|真《しん》の|目的《もくてき》なのである。|故《ゆゑ》に|現代人《げんだいじん》に|容《い》れられむことを|望《のぞ》むのでない、|唯々《ただただ》|一人《ひとり》なりとも|多《おほ》く|読《よ》んで|神界《しんかい》の|真相《しんさう》を|悟《さと》り、|大《だい》にしては|治国平天下《ちこくへいてんか》のために、|小《せう》にしては|修身斉家《しうしんせいか》の|基本《きほん》となすに|致《いた》らば、|口述者《こうじゆつしや》に|取《と》つて|望外《ばうぐわい》の|喜《よろこ》びなるのみならず、|世道人心《せだうじんしん》に|裨益《ひえき》する|所《ところ》|大《だい》なるべきを|思《おも》うて|止《や》まぬのみであります。
大正十一年十二月十五日 王仁識
|総説《そうせつ》
|吾人《ごじん》に|後《おく》れて|現世《げんせ》に|生《うま》るるものと|雖《いへど》も、|吾人《ごじん》に|先《さき》だつて|死《し》する|者《もの》も、|皆《みな》|吾人《ごじん》の|為《ため》には|導師《だうし》である。|吾人《ごじん》に|対《たい》して|諸行《しよぎやう》の|無常《むじやう》を|教《をし》へ、|菩提心《ぼだいしん》、|大和心《やまとごころ》を|求《もと》め、|永生《えいせい》を|思《おも》はしむる|大知識《だいちしき》である。
|人生《じんせい》に|帝王《ていわう》の|主権《しゆけん》の|及《およ》ばざる|無限《むげん》の|深《ふか》みがある|様《やう》に、|霊界《れいかい》の|広大無辺《くわうだいむへん》なる|事《こと》は、とても|現代《げんだい》の|法王《はふわう》や|教主《けうしゆ》らの|支配《しはい》の|及《およ》ぶ|限《かぎ》りではない。|只《ただ》|人間《にんげん》は|惟神《かむながら》に|一身《いつしん》を|任《まか》せて、|日々《ひび》の|業務《げふむ》を|楽《たの》しみ、|歓喜《くわんき》の|生涯《しやうがい》を|送《おく》ることに|努《つと》めねばならぬ。|故《ゆゑ》にこの|物語《ものがたり》も、|読者《どくしや》をして|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|片影《へんえい》を|覗《うかが》はしめむとして|滑稽的《こつけいてき》の|言語《げんご》を|聯《つら》ねられたのも、|大神様《おほかみさま》の|深遠《しんゑん》なる|仁慈《じんじ》の|籠《こも》る|所《ところ》である|事《こと》を|口述者《こうじゆつしや》は|感謝《かんしや》するのであります。『|温《あたた》かい|笑《わら》ひの|波《なみ》は|一座《いちざ》を|漂《ただよ》はす』といふ|事《こと》がある。|法悦《はふえつ》の|歓《よろこ》びは|終《つひ》に|笑《わら》ひとなる。|笑《わら》ひは|天国《てんごく》を|開《ひら》く|声《こゑ》である、|福音《ふくいん》である。|併《しか》し|笑《わら》ひは|厳粛《げんしゆく》を|破《やぶ》るもののやうだが、その|笑《わら》ひが|徹底《てつてい》すると|又《また》|涙《なみだ》が|出《で》るものだ。|笑《わら》ひ|泣《な》きの|涙《なみだ》が、|最《もつと》も|高調《かうてう》された|悲哀《ひあい》と|接吻《せつぷん》する|様《やう》な|感《かん》じがするものだ。|併《しか》し|法悦《はふえつ》の|涙《なみだ》と|落胆《らくたん》|悲痛《ひつう》の|涙《なみだ》とは|天地霄壌《てんちせうじやう》の|差《さ》あるは|勿論《もちろん》である。|読者《どくしや》は|本書《ほんしよ》を|読《よ》んで|充分《じゆうぶん》に|笑《わら》ひ|且《か》つ|泣《な》き、|法悦《はふえつ》の|天界《てんかい》に|遊《あそ》ばれむことを|希望《きばう》いたします。|人間《にんげん》の|笑《わら》ふ|時《とき》と|泣《な》く|時《とき》と|顔面《がんめん》の|筋肉《きんにく》が|同《おな》じ|様《やう》に|作用《さよう》することを|思《おも》ふと、|善悪《ぜんあく》、|歓苦《くわんく》、|笑哭《せうこく》|不二《ふじ》の|真理《しんり》が|怪《あや》しく|光《ひか》つて|来《く》るやうです。
|因《ちなみ》に|本巻《ほんくわん》は|十二月《じふにぐわつ》|十五日《じふごにち》に|八百頁《はつぴやくページ》|余《あまり》を|口述《こうじゆつ》|筆記《ひつき》し、|翌《よく》|十六日《じふろくにち》に|四百四十頁《しひやくしじつページ》を|口述《こうじゆつ》|筆記《ひつき》し、|前後《ぜんご》|二日間《ふつかかん》にて|脱稿《だつかう》|致《いた》しました。|筆記者《ひつきしや》の|鍛錬《たんれん》の|功《こう》は|進歩《しんぽ》の|跡《あと》が|歴然《れきぜん》と|見《み》えて|居《を》ります。|二日間《ふつかかん》に|出来上《できあが》つたのは|本巻《ほんくわん》がレコード|破《やぶ》りとなりました。|翌《よく》|十七日《じふしちにち》より|大阪《おほさか》へ|或《あ》る|事件《じけん》のために|出張《しゆつちやう》いたすことになつたので、|筆記者《ひつきしや》も|腕《うで》によりをかけられたと|見《み》えます。これで|本年《ほんねん》の|口述《こうじゆつ》は|終《をは》りとする|考《かんが》へであります。
大正十一年十二月十六日 王仁識
第一篇 |仕組《しぐみ》の|縺糸《れんし》
第一章 |榛並樹《はんなみき》〔一二一一〕
|末《すゑ》|遂《つひ》に|海《うみ》となるべき|山水《やまみづ》も
|志《し》ばし|木《こ》の|葉《は》の|下《した》|潜《くぐ》るなり。
|此《この》|世《よ》を|造《つく》り|固《かた》めたる |天地《てんち》の|御祖《みおや》と|現《あ》れませる
|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》の |世人《よびと》を|救《すく》ふ|御教《みをしへ》は
|天《あま》つ|御空《みそら》の|青雲《あをくも》の |棚引《たなび》くきはみ|白雲《しらくも》の
|墜居向伏《おりゐむかふ》す|其《その》|極《きは》み |平和《へいわ》の|風《かぜ》は|吹《ふ》きすさみ
|仁慈《じんじ》の|雨《あめ》は|降《ふ》りしきる |天地《あめつち》|四方《よも》の|人草《ひとぐさ》や
|草《くさ》の|片葉《かきは》に|至《いた》る|迄《まで》 |恵《めぐ》みの|露《つゆ》を|与《あた》へむと
|豊栄昇《とよさかのぼ》る|日《ひ》の|御影《みかげ》 |大空《おほぞら》|伝《つた》ふ|月《つき》の|影《かげ》
きらめく|星《ほし》の|数多《かずおほ》く |世人《よびと》を|導《みちび》く|宣伝使《せんでんし》
|四方《よも》に|遣《つか》はし|三五《あななひ》の |教《をしへ》を|天下《てんか》に|宣《の》べ|給《たま》ふ
さはさりながら|曲津霊《まがつひ》の |神《かみ》も|同《おな》じく|神《かみ》の|御子《みこ》
|陰《いん》と|陽《やう》との|御水火《みいき》より |現《あら》はれ|出《い》でしものなれば
|広《ひろ》き|尊《たふと》き|皇神《すめかみ》の |御目《みめ》より|之《これ》を|見給《みたま》へば
|宇内同胞《うだいどうはう》|神《かみ》の|御子《みこ》 |仁慈《じんじ》の|心《こころ》|変《かは》るべき
|日《ひ》はゆき|月《つき》はひた|走《はし》り |星《ほし》|移《うつ》ろふに|従《したが》ひて
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜神《しこがみ》の |彼方《かなた》|此方《こなた》に|現《あら》はれて
|軽生重死《けいせいぢゆうし》の|教《をしへ》をば |四方《よも》に|開《ひら》くぞうたてけれ
バラモン|教《けう》やウラル|教《けう》 ウラナイ|教《けう》と|各自《めいめい》に
|体主霊従《たいしゆれいじう》の|魂《たましひ》の |向《むか》ふ|所《ところ》に|従《したが》ひて
あらぬ|教《をしへ》を|拡充《くわくじう》し |神《かみ》の|御子《みこ》たる|神人《しんじん》を
|惑《まど》はしゆくこそ|忌々《ゆゆ》しけれ |高姫司《たかひめつかさ》の|後《あと》をうけ
|北山村《きたやまむら》を|立出《たちい》でて |小北《こぎた》の|山《やま》に|立籠《たてこも》り
|支離滅裂《しりめつれつ》の|教理《けうり》をば |道理《だうり》を|知《し》らぬ|愚者《ぐしや》|共《ども》に
|有難《ありがた》さうに|説《と》きつけて |漸《やうや》う|茲《ここ》に|神殿《しんでん》や
|教《をしへ》の|射場《いば》を|建並《たてなら》べ |蠑〓別《いもりわけ》を|教主《けうしゆ》とし
|魔我彦《まがひこ》、お|寅《とら》に|文助《ぶんすけ》や |其《その》|外《ほか》|百《もも》の|幹部《かんぶ》たち
|神《かみ》の|御《おん》|為《ため》|世《よ》の|為《ため》と |迷《まよ》ひ|切《き》つたる|心《こころ》より
|一心不乱《いつしんふらん》に|妖言《えうげん》を コケ|徳利《どつくり》のドブドブと
|吐《は》き|出《だ》し|世人《よびと》の|魂《たましひ》を |酔《よ》はせ|濁《にご》らせ|曇《くも》らせつ
|世界《せかい》|唯一《ゆゐいつ》の|御教《みをしへ》と |自《みづか》ら|信《しん》じ|又《また》|迷《まよ》ひ
|盲《めくら》|聾《つんぼ》も|同様《どうやう》に |身《み》もたなしらに|進《すす》み|行《ゆ》く
|蠑〓別《いもりわけ》は|曲神《まがかみ》に |魂《たま》を|破《やぶ》られ|朝夕《あさゆふ》に
|神《かみ》の|出入《でいり》の|肉宮《にくみや》と |言《い》ひつつ|酒《さけ》に|酔《よ》ひくらひ
|呂律《ろれつ》もまはらぬ|舌《した》の|根《ね》で |数多《あまた》の|男女《だんじよ》を|根《ね》の|国《くに》や
|底《そこ》の|国《くに》までおとしゆく |何《なん》にも|知《し》らぬ|信徒《まめひと》は
|盲《めくら》の|手引《てびき》と|知《し》らずして |自分《じぶん》も|盲《めくら》となりすまし
|尊《たふと》き|道《みち》と|信《しん》じつつ |随喜《ずいき》の|涙《なみだ》と|諸共《もろとも》に
|暗黒界《あんこくかい》へ|一心《いつしん》に |知《し》らず|知《し》らずに|堕《お》ちて|行《ゆ》く
|其《その》|惨状《さんじやう》を|救《すく》はむと |神《かみ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |治国別《はるくにわけ》に|仕《つか》へたる
|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》|始《はじ》めとし バラモン|教《けう》の|信徒《しんと》なる
|松彦《まつひこ》、アク、タク、テク|四人《よにん》 |神《かみ》のまにまに|河鹿川《かじかがは》
|一本橋《いつぽんばし》の|袂《たもと》にて |不思議《ふしぎ》の|綱《つな》にまとはれつ
|小北《こぎた》の|山《やま》の|神殿《しんでん》に |登《のぼ》り|来《きた》れば|曲神《まがかみ》は
|何《なん》とはなしに|怖《お》ぢ|恐《おそ》れ |次第々々《しだいしだい》に|逃《に》げ|去《さ》りて
|蠑〓別《いもりわけ》や|魔我彦《まがひこ》や お|寅婆《とらば》さまを|飾《かざ》りたる
|金箔《きんぱく》|忽《たちま》ち|剥脱《はくだつ》し |思《おも》ひもよらぬ|醜状《しうじやう》を
|演出《えんしゆつ》せしぞ|可笑《をか》しけれ |蠑〓別《いもりわけ》は|高姫《たかひめ》を
|束《つか》の|間《あひだ》も|忘《わす》れ|得《え》ず |恋《こひ》の|焔《ほのほ》に|胸《むね》こがし
|欝《うつ》を|散《さん》ぜむ|其《その》|為《ため》に |毒《どく》と|知《し》りつつ|無理無体《むりむたい》
|酒《さけ》に|紛《まぎ》らす|果敢《はか》なさよ |箸《はし》とる|事《こと》にまめやかな
|彼《かれ》は|又《また》もや|衣笠《きぬがさ》の |村《むら》より|来《きた》るお|民《たみ》をば
|此上《こよ》なきナイスと|思《おも》ひつめ お|寅婆《とらば》さまの|目《め》を|忍《しの》び
|互《たがひ》に|秋波《しうは》の|交換《かうくわん》を |開始《かいし》しゐたる|折《をり》もあれ
|松彦《まつひこ》さまや|熊公《くまこう》が |突然《とつぜん》ここに|現《あら》はれて
|身《み》の|置所《おきどころ》なきままに お|寅《とら》の|隙《すき》を|窺《うかが》ひて
|命《いのち》より|大事《だいじ》と|貯《たくは》へし |金《かね》を|懐中《くわいちゆう》に|托《たく》しこみ
|恋《こひ》しきお|民《たみ》と|手《て》をとつて |暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|随徳寺《ずゐとくじ》
あと|白浪《しらなみ》と|消《き》えてゆく お|寅婆《とらば》さまは|腹《はら》を|立《た》て
|髪《かみ》ふり|乱《みだ》し|阿修羅王《あしゆらわう》が |荒《あ》れたる|如《ごと》き|勢《いきほひ》で
|言霊《ことたま》|濁《にご》るひきがへる ガアガア|声《こゑ》を|張上《はりあ》げて
|尻《しり》ひつからげ|坂道《さかみち》を おのれ|蠑〓別《いもりわけ》の|奴《やつ》
どこの|何処《いづこ》に|潜《ひそ》むとも |後《あと》つけねらひ|素首《そつくび》を
とつつかまへて|泡《あわ》|吹《ふ》かせ |思《おも》ふ|存分《ぞんぶん》|鼻《はな》をねぢ
|恨《うらみ》を|晴《は》らさにやおくべきか それについてもお|民《たみ》|奴《め》を
|許《ゆる》しておいちや|身《み》の|破目《はめ》と |金《かね》と|恋《こひ》とに|村肝《むらきも》の
|心《こころ》を|紊《みだ》しあとさきも |水音《みなおと》|清《きよ》き|河鹿川《かじかがは》
|一本橋《いつぽんばし》を|打《う》ち|渡《わた》り |野中《のなか》の|森《もり》に|逃《に》げて|行《ゆ》く
|二人《ふたり》の|後《あと》を|追《お》つかける |悪《わる》い|時《とき》には|悪《わる》いもの
|蠑〓別《いもりわけ》が|逃《に》げしなに |道《みち》の|片方《かたへ》の|木《き》の|幹《みき》に
|綱《つな》をしばりて|追《お》ひ|来《きた》る お|寅婆《とらば》さまの|足《あし》さらへ
こかして|泡《あわ》を|吹《ふ》かせむと |企《たく》みおいたる|其《その》|罠《わな》に
もろくもかかりステンドと こけた|拍子《ひやうし》に|鼻《はな》をうち
ウンウンウンと|唸《うな》りつつ |気絶《きぜつ》したるぞ|是非《ぜひ》なけれ
|後《あと》に|残《のこ》りし|松彦《まつひこ》は お|寅婆《とらば》さまや|蠑〓別《いもりわけ》
|逃《に》げ|行《ゆ》く|後《あと》を|打眺《うちなが》め |五三公《いそこう》、|万公《まんこう》|其《その》|外《ほか》の
|三人《みたり》の|男《をとこ》を|遣《つか》はして |二人《ふたり》の|後《あと》を|追《お》はしめぬ
|又《また》|魔我彦《まがひこ》は|恋慕《こひした》ふ お|民《たみ》の|姿《すがた》の|消《き》えしより
|仮令《たとへ》お|民《たみ》が|天《あま》かけり |地下《ちか》|鉄道《てつだう》に|打乗《うちの》つて
|何処《いづこ》の|果《はて》へかくるとも |探《さが》さにやおかぬと|気《き》をいらち
|鼻息《はないき》|荒《あら》くトントンと これ|亦《また》|後《あと》を|追《お》うてゆく
かかる|怪体《けたい》な|騒動《さうだう》を |無心《むしん》の|月《つき》は|山《やま》の|端《は》に
|利鎌《とがま》のやうな|光《ひかり》なげ |遥《はるか》に|地上《ちじやう》を|瞰下《かんか》して
ニコニコ|笑《わら》ひ|眺《なが》めゐる |五三公《いそこう》、|万公《まんこう》|外《ほか》|三人《みたり》
|松彦《まつひこ》さまの|命令《めいれい》で これ|亦《また》|尻《しり》をひんまくり
|三人《みたり》の|行衛《ゆくゑ》を|探《さが》さむと |一生懸命《いつしやうけんめい》|汗《あせ》をかき
|矢《や》を|射《い》る|如《ごと》く|大地《だいち》をば ドンドンドンと|威喝《ゐかつ》させ
|一本橋《いつぽんばし》をギクギクと |弓張月《ゆみはりづき》に|撓《たわ》ませつ
|危《あやふ》く|渡《わた》る|大野原《おほのはら》 |野中《のなか》の|森《もり》を|目当《めあて》とし
|月《つき》の|光《ひかり》を|浴《あ》びながら ゲラゲラゲラと|笑《わら》ひつつ
くり|出《だ》し|進《すす》むぞ|可笑《をか》しけれ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|此《この》|面白《おもしろ》き|物語《ものがたり》 |洩《も》らさず|落《おと》さずまつぶさに
|述《の》べさせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》 |月照彦《つきてるひこ》の|御前《おんまへ》に
|畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|願《ね》ぎまつる。
|五三公《いそこう》の|一行《いつかう》はお|民《たみ》、|蠑〓別《いもりわけ》、お|寅《とら》、|魔我彦《まがひこ》の|遁走《とんそう》した|後《あと》を|追《お》つかけ、|漸《やうや》く|一本橋《いつぽんばし》を|渡《わた》り|二三町《にさんちやう》ばかり|北進《ほくしん》し、|榛《はん》の|樹《き》の|道《みち》の|両方《りやうはう》に|立並《たちなら》ぶ|樹蔭《こかげ》までやつて|来《き》た。ウンウンと|怪《あや》しき|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》た。
|万公《まんこう》『オイ|御一同《ごいちどう》、どうやらお|寅婆《とらば》アさまが|芋《いも》をいけてをるとみえて、ウンウンと|気張《きば》つてゐるぢやないか。どうもウンの|悪《わる》い|婆《ば》アさまと|見《み》えるワイ。|一寸《ちよつと》ここらでウン|動《どう》|中止《ちうし》をやらうぢやないか』
アク『|中下先生《ちうげせんせい》のお|言葉《ことば》に|従《したが》つて、ここで|一先《ひとま》づ|停車《ていしや》する|事《こと》にしよう。|何《なん》だか|榛《はん》のかげでシツカリ|分《わか》らないが|二人《ふたり》ゐるやうだ』
『そりや|大方《おほかた》|蠑〓別《いもりわけ》さまと|此処《ここ》にやつてゐるのだらう、そりや|都合《つがふ》が|好《よ》い、オイ、イヤもうし、ウラナイ|教《けう》の|教主様《けうしゆさま》、|立派《りつぱ》な|家《いへ》がありながら、|物好《ものずき》な、こんな|所《とこ》まで|出《で》て|来《き》て|安眠《あんみん》するといふ|事《こと》がありますか、サア|起《お》きたり|起《お》きたり』
と|側《そば》に|寄《よ》つてよく|顔《かほ》をのぞいて|見《み》れば|魔我彦《まがひこ》であつた。|魔我彦《まがひこ》はお|寅婆《とらば》アさまの|倒《たふ》れた|体《からだ》に|躓《つまづ》いて、ここに|足《あし》をひつかけ、ひつくり|返《かへ》り、|膝《ひざ》をしたたか|打《う》つて|痛《いた》さをこらへ、|僅《わづか》にウンウンと|息《いき》をもらしてゐたのである。お|寅婆《とらば》アさまも|一旦《いつたん》|気絶《きぜつ》してゐたが、|魔我彦《まがひこ》に|踏《ふ》まれてハツとして|気《き》がつき、めしやげた|鼻《はな》を|両手《りやうて》で|押《おさ》へ|地上《ちじやう》に|倒《たふ》れて|居《ゐ》たので、|魔我彦《まがひこ》が|側《そば》にこけてゐることには|気《き》がつかなかつたのである。
タク『ヤア、これはこれは|互《たがひ》|違《ちが》ひの|御夫婦《ごふうふ》だ。これ|魔我彦《まがひこ》さま、|俺《わし》ぢやからよいが、|蠑〓別《いもりわけ》さまの|目《め》についたら、それこそ|大変《たいへん》に|怒《おこ》られますよ。お|寅《とら》さまと|枕《まくら》を|並《なら》べて、|草《くさ》の|褥《しとね》に|星《ほし》の|夜着《よぎ》、|余《あま》り|物好《ものずき》にも|程《ほど》があるぢやないか、サア|起《お》きたり|起《お》きたり』
|魔我彦《まがひこ》はお|寅婆《とらば》アさまをお|民《たみ》だと|思《おも》ひつめ、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|裾《すそ》を|握《にぎ》つて、|一方《いつぱう》の|手《て》で|膝《ひざ》を|撫《な》でて|居《を》つたが、お|寅婆《とらば》アさまと|聞《き》いて、|稍《やや》|落胆失望的《らくたんしつばうてき》の|声《こゑ》をあげ、
『あゝあ、|何《なん》だ、|人違《ひとちが》ひか、お|民《たみ》の|奴《やつ》、どこへ|行《ゆ》きやがつた。|大方《おほかた》|蠑〓別《いもりわけ》と|逐電《ちくでん》しやがつたのだろ。|何処《どこ》までも|追《お》つかけて、とつつかまへねば|俺《おれ》の|男《をとこ》が|立《た》たぬ。これお|寅《とら》さま、お|前《まへ》は|蠑〓別《いもりわけ》を、とつつかまへて、|十分《じふぶん》に|鼻《はな》でも|捻《ね》ぢて、お|民《たみ》の|事《こと》を|思《おも》ひ|切《き》らして|下《くだ》さい。さうすりや、お|前《まへ》もよし、|私《わし》もよし、かたみ|恨《うら》みもなし、こんな|上分別《じやうふんべつ》はありませぬ』
と|半泣声《はんなきごゑ》で|膝《ひざ》の|疵《きず》を|撫《な》でながら|口説《くど》いてゐる。
お|寅《とら》『エヽ|残念《ざんねん》やな、|高姫《たかひめ》にお|民《たみ》、【た】のつく|奴《やつ》は|何処《どこ》までも|私《わし》に|祟《たた》ると|見《み》える。|仮令《たとへ》|他国《たこく》へ|走《はし》るとも|尋《たづ》ね|出《だ》して|叩《たた》きつけ、|沢山膏《あぶら》を|取《と》つてやらねば、ただでは|済《す》まされぬ。エヽ|口惜《くちを》しい』
|万公《まんこう》『ハツハヽヽヽ、|失恋党《しつれんたう》の|秘密会議《ひみつくわいぎ》が|開催《かいさい》されてゐるワイ。これお|寅《とら》さま、みつともないぢやないか、チツトしつかりせぬかい、エヽー、|何《なに》をメソメソ|泣《な》いてゐるのだ。|海千山千川千《うみせんやませんかはせん》の|下《した》つ|腹《ぱら》に|毛《け》のない|所《ところ》を|御覧《ごらん》なさいと|云《い》ふ|様《やう》なシタタカ|者《もの》の|癖《くせ》に、さてもさても|戸惑《とまど》うたものだなア。|蠑〓別《いもりわけ》|一人《ひとり》が|男《をとこ》ぢやあるまいし、|何《なん》ならここにテクが|一人《ひとり》、お|前《まへ》さまの|事《こと》を|大変《たいへん》に|褒《ほ》めてゐたから、|一《ひと》つ|鞍替《くらがへ》をしたらどうだい。|河鹿川《かじかがは》でサツパリ|洗《あら》ひ|張《は》りと|云《い》ふ|幕《まく》を|開《ひら》くのだな。さうすりや|恋《こひ》の|執着《しふちやく》もスツクリ|晴《は》れて、|新《あたら》しい|立派《りつぱ》な|若《わか》い|夫《をつと》が|持《も》てると|云《い》ふものだ。なア、テク|公《こう》、お|前《まへ》もお|寅《とら》さまなら|満足《まんぞく》だらう』
テク『|馬鹿《ばか》にするない、|太平洋《たいへいやう》で|牛蒡《ごばう》|洗《あら》つてる|様《やう》な|大《おほ》きな|代物《しろもの》は|御免《ごめん》だ。|一《ひと》つ|暴風《ばうふう》が|吹《ふ》いて|見《み》よ、|忽《たちま》ち|帆柱《ほばしら》まで|沈没《ちんぼつ》の|厄《やく》に|遭《あ》ふからなア』
|万公《まんこう》『イツヒツヒツヒ、これ|魔我《まが》さま、チツトしつかりせぬかいな、|何時《なんどき》だと|思《おも》つてゐるのだい、|物好《ものずき》に、こんな|老朽船《らうきうせん》の|後《あと》を|追《お》うて|来《く》るといふ|事《こと》があるものか、サア|小北山《こぎたやま》へ|帰《かへ》らうぢやないか』
|魔我《まが》『アイタヽヽ、|此《この》|魔我彦《まがひこ》も|男《をとこ》だ。トベラに|焼酎《せうちう》をふいたやうな|臭《にほひ》のするやうなお|婆《ば》アさまを、|何《なん》ぼ|俺《おれ》だつて|追跡《つゐせき》するものかい、|俺《おれ》はこんな|梅干婆《うめぼしば》アさまは|元《もと》より|眼中《がんちう》にないのだ』
お|寅《とら》はめしやげた|鼻《はな》で、|妙《めう》な|声《こゑ》を|出《だ》しながら、
『コリヤ、|魔我公《まがこう》、|失礼《しつれい》な|事《こと》|申《まを》すと|承知《しようち》せぬぞ、どこが|梅干《うめぼし》だ、|梅干《うめぼし》といふのは|皺苦茶婆《しわくちやばば》の|事《こと》だよ。まだ|此《この》|通《とほ》りデツプリと|肉付《にくつき》のよい|白浪婆《しらなみば》アさま、|元気《げんき》|盛《ざか》りを、|余《あま》り|見下《みさ》げるものぢやない。そんな|失礼《しつれい》な|事《こと》|申《まを》すと、|蠑〓別《いもりわけ》さまのやうに|鼻《はな》を|捻《ねぢ》つてやろか』
|魔我《まが》『エヽ|滅相《めつさう》な、|梅干《うめぼし》……と|云《い》つたのは|粋人《すゐじん》と|云《い》つたのだ、|梅《うめ》|位《くらゐ》【すい】なものはないからな。さう|悪取《わるど》りして|貰《もら》つちや、|魔我彦《まがひこ》もマガ|悪《わる》くて|困《こま》りますワイ』
お|寅《とら》『お|前《まへ》の|云《い》ふ|事《こと》に|詐《いつは》りがなければ、それでよい、ヤツパリわたしは|粋人《すゐじん》だらうがな、コラ|魔我《まが》、そんな|甘《うま》い|事《こと》|云《い》つても、このお|寅《とら》さまは|駄目《だめ》だから|諦《あきら》めたがよからうぞ』
タク『ウワツハツハツハ、|自惚《うぬぼれ》とカサケのない|者《もの》はないと|云《い》ふ|事《こと》だが、|本当《ほんたう》に|妙《めう》チキ|珍《ちん》だ、イツヒヽヽ』
|魔我《まが》『|此《この》お|寅《とら》さまはエライものだよ、|横根《よこね》|疳瘡《かんさう》|骨《ほね》うづきの|関門《くわんもん》をとほの|昔《むかし》に|突破《とつぱ》し、トベラ|峠《たうげ》を|打越《うちこ》え、|屏風ケ岳《びやうぶがだけ》を|進行中《しんかうちう》だからなア、|何《なん》せよ|両屏風《りやうびやうぶ》の|豪傑《がうけつ》だからな、ウツフツフフ、フツフ』
タク『|両屏風《りやうびやうぶ》つて|何《なん》だい、|妙《めう》な|事《こと》を|云《い》ふぢやないか、|家《いへ》の|中《なか》ぢやあるまいし、こんな|所《ところ》へ|屏風《びやうぶ》|持《も》つて|来《き》て|何《なん》にするのだい、こんな|道《みち》の|真中《まんなか》で|屏風《びやうぶ》|引《ひ》きまはして|結婚《けつこん》でもあるまいし』
|魔我《まが》『ハツハヽヽヽ、|余程《よほど》|世間見《せけんみ》ずだな、|貴様《きさま》は|未《ま》だ【おぼこ】いワイ、|両屏風《りやうびやうぶ》と|云《い》つたら|両方《りやうはう》の|横根《よこね》だ、|片《かた》つ|方《ぽう》の|横根《よこね》を|片屏風《かたびやうぶ》と|云《い》ふのだ。そしてなア、お|寅《とら》さまのやうに|毎木毒《まいぼくどく》で|頭髪《とうはつ》のうすくなつたのを、トヤといふのだ。|此《この》|道《みち》にかけたら|魔我《まが》さまもマガなスキがな|研究《けんきう》してゐるから|随分《ずゐぶん》|博士《はかせ》だよ』
|万公《まんこう》『|何時《いつ》までもこんな|所《ところ》でグヅグヅしてゐても|仕方《しかた》がないぢやないか、|兎《と》も|角《かく》、|小北山《こぎたやま》まで|帰《かへ》らう、|俺《おれ》が|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|神術《かむわざ》で、お|民《たみ》や|蠑〓別《いもりわけ》の|足止《あしど》めをしてやるから、|安心《あんしん》せい』
アク『|三五教《あななひけう》の|神力《しんりき》で|足止《あしど》めのみならず、|小北山《こぎたやま》へ|両人《りやうにん》が|帰《かへ》つて|来《く》る|様《やう》に|神《かみ》さまに|願《ねが》つて|鎮魂《ちんこん》をしてやるワ、サアお|寅婆《とらば》アさま、|魔我《まが》さま、|帰《い》なう、|小北山《こぎたやま》の|狸《たぬき》も|足《あし》を|洗《あら》うて|寝《ね》る|時分《じぶん》だ、モウ|子《ね》の|刻《こく》だ。|気《き》の|利《き》いた|化物《ばけもの》も|引込《ひつこ》む|時分《じぶん》だぞ。サア|下腹《したはら》に|毛《け》のない|婆《ば》アさま、|帰《かへ》らう|帰《かへ》らう、|偕老同穴《かいらうどうけつ》だ。アツハツハツハ』
お|寅《とら》『|何《なに》、|三五教《あななひけう》の|神力《しんりき》で|蠑〓別《いもりわけ》とお|民《たみ》を|返《かへ》してやらうと|云《い》ふのかい。|実際《じつさい》にそんな|事《こと》が|出来《でき》るとすれば、|此《この》お|寅《とら》もこんなに|骨《ほね》を|折《を》る|必要《ひつえう》がない、あ、それなら|一先《ひとま》づ|帰《かへ》る|事《こと》にしよう。|併《しか》しお|民《たみ》はモウ|返《かへ》していらないから、|蠑〓別《いもりわけ》だけを|此方《こちら》へ|引寄《ひきよ》せて|貰《もら》ひたいものだ。さうすりや、|私《わたし》も|三五教《あななひけう》にスツパリと|帰順《きじゆん》して|了《しま》ひますワ』
|万公《まんこう》『ハヽヽヽヽ、|随分《ずゐぶん》|現金《げんきん》な|婆《ば》アさまだな。モシ|先生《せんせい》、どうでせう、|蠑〓別《いもりわけ》を|引戻《ひきもど》す|予算《よさん》は|成立《せいりつ》してゐますかな』
|五三《いそ》『|確《たし》かに|成立《せいりつ》してゐる、|併《しか》しこれも|婆《ば》アさまの|心次第《こころしだい》だ。ヤアお|寅《とら》さま、|帰《い》なう|帰《い》なう』
お|寅《とら》『|何《なに》は|兎《と》もあれ、|旅装束《たびしやうぞく》もせず、|腹立紛《はらだちまぎ》れにまつ|跣足《ぱだし》でやつて|来《き》たのだから、|旅《たび》をしようと|云《い》つても|此《この》|儘《まま》ではいかない、|一遍《いつぺん》|帰《かへ》りませう。コレ|魔我《まが》さま、お|前《まへ》は|蠑〓別《いもりわけ》の|後《あと》を|追《お》うて、お|民《たみ》の|手《て》を|取《と》りドツカの|山奥《やまおく》へでも|暫《しばら》く|隠《かく》れてゐなさい、モウ|小北山《こぎたやま》へ|帰《かへ》る|必要《ひつえう》はないから……』
|魔我《まが》『|俺《わし》だつて、まつ|跣足《ぱだし》で、|此《この》|通《とほ》り|帯取裸《おびとりはだか》だ。|一本橋《いつぽんばし》を|渡《わた》る|時《とき》に|履物《はきもの》をおとし、|帯《おび》も|褌《ふんどし》も|川《かは》の|中《なか》へおち|込《こ》んで|了《しま》つた、|懐中物《くわいちうもの》もドコで|落《おと》したか|分《わか》らぬ、|兎《と》も|角《かく》|一遍《いつぺん》|帰《かへ》らな|何《ど》うする|事《こと》も|出来《でき》ない。|私《わし》は|私《わし》でウラナイ|教《けう》の|副教主《ふくけうしゆ》といふ|絶対《ぜつたい》|権威《けんゐ》を|持《も》つてゐるのだから、|是非《ぜひ》|帰《かへ》らなくてはならない、|教祖《けうそ》の|出《で》た|後《あと》は|副教祖《ふくけうそ》が|教権《けうけん》を|掌握《しやうあく》するのは|当然《たうぜん》だ』
お|寅《とら》『それなら|仕方《しかた》が|無《な》い。|魔我《まが》さまもお|帰《かへ》りなさい』
|万公《まんこう》『|魔我《まが》さまが|副教祖《ふくけうそ》で、|之《これ》からは|全権《ぜんけん》を|握《にぎ》るのだから、さうするとヤツパリお|寅《とら》さまは、|蠑〓別《いもりわけ》に|対《たい》する|同様《どうやう》の|待遇振《たいぐうぶり》を、|魔我《まが》さまに|対《たい》して|捧《ささ》ぐるのだな』
お|寅《とら》『ヘン、|阿呆《あはう》らしい、|玉《たま》が|違《ちが》ひますわいな、ホツホヽヽヽ』
|五三公《いそこう》、お|寅《とら》|外《ほか》|五人《ごにん》は、ヤツトの|事《こと》で|小北山《こぎたやま》の|教主館《けうしゆやかた》まで|帰《かへ》つて|来《き》た。
(大正一一・一二・一五 旧一〇・二七 松村真澄録)
第二章 |慰労会《ゐらうくわい》〔一二一二〕
|松彦《まつひこ》、|松姫《まつひめ》はお|寅婆《とらば》アさま、|魔我彦《まがひこ》、|蠑〓別《いもりわけ》などの|早《はや》く|帰《かへ》り|来《きた》れかしと、|大広間《おほひろま》に|於《おい》て|祈願《きぐわん》をこらし、|教主館《けうしゆやかた》の|玄関口《げんくわんぐち》まで|帰《かへ》つて|来《き》たところへ、ガヤガヤと|囁《ささや》きながら|一行《いつかう》|七人《しちにん》が|帰《かへ》つて|来《き》た。
|松彦《まつひこ》『あゝ|五三公《いそこう》さま、|蠑〓別《いもりわけ》さまは|如何《どう》なつたかなア』
|五三《いそ》『|大広木正宗《おほひろきまさむね》の|生宮《いきみや》は|取逃《とりにが》しましたが、|其《その》|代《かは》り|奥《おく》さまの|鈴野姫《すずのひめ》の|肉宮《にくみや》を|奉迎《ほうげい》して|来《き》ました。|将《しやう》を|射《い》むと|欲《ほつ》する|者《もの》は|先《ま》づ|其《その》|馬《うま》を|射《い》よですから、|女偏《をんなへん》の|馬《うま》を|引張《ひつぱ》つて|帰《かへ》つておけば|大丈夫《だいぢやうぶ》です、|鯨《くぢら》でも|牝《めん》を|取《と》るとキツト|牡《をん》がとれますからな、それにモ|一《ひと》つの|副産物《ふくさんぶつ》は|義理天上日《ぎりてんじやうひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》を|拾《ひろ》うて|参《まゐ》りました、ハツハツハツハ』
『それは|御骨折《おほねをり》でした。サア|兎《と》も|角《かく》|内《うち》へお|這入《はい》りなさいませ』
|松姫《まつひめ》『|皆《みな》さま、|御苦労《ごくらう》でしたねえ、|蠑〓別《いもりわけ》さまとお|民《たみ》さまは、たうとう|取《と》り|逃《に》がしましたかな、|残念《ざんねん》な|事《こと》で|厶《ござ》いますね』
|万公《まんこう》|側《そば》から、
『|逃《に》げた|魚《うを》は|大《おほ》きいと|云《い》ひましてな、ヤツパリ|呑舟《どんしう》の|魚《うを》は|網《あみ》を|破《やぶ》つて|逃《に》げましたよ。|海老《えび》が|一疋《いつぴき》と|帆立貝《ほだてがひ》が|一《ひと》つ、ゴク|貧弱《ひんじやく》な|獲物《えもの》で|厶《ござ》いますが、これでも|今晩《こんばん》のお|酒《さけ》の|肴《さかな》には|可《か》なり|間《ま》に|合《あ》ふかも|知《し》れませぬ、エヘヽヽ』
|松彦《まつひこ》『ハア、|兎《と》も|角《かく》|結構《けつこう》だ、|之《これ》から|松姫館《まつひめやかた》へ|帰《かへ》つて|神様《かみさま》にトツクリと|願《ねが》つて|来《く》るから、|先《ま》づ|発見祝《はつけんいはひ》にお|神酒《みき》でもあがつて|下《くだ》さい』
お|寅《とら》『どうぞ|蠑〓別《いもりわけ》が|貴方《あなた》の|鎮魂《ちんこん》で、|今夜《こんや》の|中《うち》にでも|此処《ここ》へ|引着《ひつつ》けられて|帰《かへ》りますやうに|御祈願《ごきぐわん》して|下《くだ》さいな、|松姫《まつひめ》|様《さま》も|宜《よろ》しく|御願《おねが》ひ|致《いた》します』
|松姫《まつひめ》『ハイ、|力限《ちからかぎ》り|願《ねが》つて|見《み》ませう』
|魔我《まが》『|私《わたし》もお|民《たみ》さまが|引着《ひきつ》けられて|帰《かへ》るやうに|祈《いの》つて|下《くだ》さい』
|松姫《まつひめ》『ハイ、|祈《いの》りませう』
|万公《まんこう》『|何《なん》と|云《い》つても、|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|大神様《おほかみさま》と|上義姫《じやうぎひめ》|様《さま》とのお|祈《いの》りだから|大丈夫《だいぢやうぶ》だよ、なア|海老《えび》に|帆立貝《ほたてがひ》、マア|安心《あんしん》したがよからうぞ』
|松彦《まつひこ》『アハヽヽ、|左様《さやう》なら|皆《みな》さま、|御緩《ごゆつく》りと|慰労会《ゐらうくわい》でも|開《ひら》いて、|賑《にぎや》かうして|下《くだ》さいませ』
|松姫《まつひめ》『どうぞ|十分《じふぶん》にお|神酒《みき》を|召《め》し|上《あが》りませ、|何程《なにほど》|酩酊《めいてい》しても、|鼻《はな》を|捻《ね》ぢることだけはなりませぬぞや、ホヽヽヽ』
と|云《い》ひながら、|松彦《まつひこ》、|松姫《まつひめ》は|二百《にひやく》の|階段《かいだん》を|足《あし》で|刻《きざ》んで|行《ゆ》く。|万公《まんこう》は|下《した》から|二人《ふたり》の|姿《すがた》を|打仰《うちあふ》ぎ、
『|御夫婦《ごふうふ》|万歳《ばんざい》、よく|似合《にあ》ひまつせ。お|浦山吹《うらやまぶき》さま、アツハヽヽヽ』
|松彦《まつひこ》、|松姫《まつひめ》は|後《あと》|振《ふ》り|向《む》きもせず、|別館《べつくわん》さして|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|一同《いちどう》は|大広間《おほひろま》に|参拝《さんぱい》し、|終《をは》つて|教祖館《けうそやかた》に|於《おい》て|慰労《ゐらう》の|祝宴《しゆくえん》を|開《ひら》いた。ソロソロ|酔《よひ》がまはり|出《だ》し、すべての|障壁《しやうへき》を|取《と》つて【くだらぬ】ことを|喋《しやべ》り|始《はじ》めた。お|寅《とら》も|魔我彦《まがひこ》も|迷信家《めいしんか》の|事《こと》とて、ユラリ|彦《ひこ》、|上義姫《じやうぎひめ》|夫婦《ふうふ》の|生宮《いきみや》が、|早《はや》ければ|夜明《よあ》け|前《まへ》、|遅《おそ》くても|明日《あす》の|昼《ひる》|頃《ごろ》には、キツト|両人《りやうにん》の|恋人《こひびと》を|此処《ここ》へ|引戻《ひきもど》してくれるものと|思《おも》ひ、|大船《おほぶね》に|乗《の》つたやうな|心持《こころもち》でニコニコしながら、|無性《むしやう》|矢鱈《やたら》に|土手《どて》を|切《き》らして|酒《さけ》を|飲《の》んだ。
|万公《まんこう》『アヽア、エライ|労働《らうどう》をやつたものだ。|余程《よほど》|報酬《ほうしう》を|請求《せいきう》しなくちや、バランスが|取《と》れない。|御苦労《ごくらう》さまだつた|位《くらゐ》な|報酬《ほうしう》では、|根《ね》つから|有難《ありがた》くないからな、|夜業《やげふ》までさされて、|幾分《いくぶん》かの|割増《わりまし》を|貰《もら》つたて、やり|切《き》れないワ』
|五三《いそ》『オイ|万公《まんこう》、|労働《らうどう》は|神聖《しんせい》だ。|俺《おれ》だつて|労働《らうどう》は|貴様《きさま》と|同様《どうやう》にやつたのだ。|労働《らうどう》の|量《りやう》に|相当《さうたう》しただけの|報酬《ほうしう》を、|権利《けんり》として|要求《えうきう》するのは|道徳的《だうとくてき》には|根拠《こんきよ》のないものだよ。|労働《らうどう》の|報酬《ほうしう》のみを|以《もつ》て|当然《たうぜん》の|権利《けんり》とみるならば、それこそ|社会《しやくわい》に|弊害《へいがい》|百出《ひやくしゆつ》して|世《よ》を|混乱《こんらん》に|導《みちび》くより|仕方《しかた》がない、|老者《らうしや》、|病者《びやうしや》、|小児《せうに》などは|労働《らうどう》をせないからパンを|与《あた》へないと|云《い》つたら|何《ど》うするのだ。|労働《らうどう》させて|貰《もら》ふのもヤツパリ|神様《かみさま》のおかげだよ。|現代《げんだい》|八釜《やかま》しく|持上《もちあが》つて|来《き》た|労働《らうどう》|問題《もんだい》は、|人類《じんるゐ》の|集団《しふだん》|若《も》しくは|階級間《かいきふかん》の|問題《もんだい》でなくして、|神様《かみさま》と|人間《にんげん》との|問題《もんだい》だ。|吾々《われわれ》|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|又《また》は|信者《しんじや》たるものは、|如何《いか》なる|場合《ばあひ》にも、|永遠《ゑいゑん》の|真理《しんり》の|上《うへ》に|立《た》ち、|時代《じだい》を|超越《てうゑつ》して|居《ゐ》なければならない。|神聖《しんせい》な|神《かみ》の|道《みち》でありながら、|労働《らうどう》|問題《もんだい》を|云々《うんぬん》するやうな|事《こと》は、チツと|謹《つつし》まねばなるまいぞ』
『それだとて、|労働《らうどう》は|天《てん》の|恵《めぐみ》を|開拓《かいたく》するのだ、|宣伝使《せんでんし》だつてヤツパリ|労働者《らうどうしや》でもあり、|又《また》|報酬《ほうしう》を|要求《えうきう》する|権利《けんり》がなくてはヤリ|切《き》れないぢやないか』
『|宣伝使《せんでんし》、|信者《しんじや》の|神《かみ》より|賜《たま》はる|報酬《ほうしう》といふものは、|信《しん》と|愛《あい》と|正《ただ》しき|理解《りかい》との|歓喜《くわんき》の|報酬《ほうしう》を|即時《そくじ》に|神《かみ》から|賜《たま》はつて|居《ゐ》るぢやないか。|仮令《たとへ》|世《よ》の|中《なか》の|物貨生産《ぶつくわせいさん》の|労働《らうどう》に|従事《じうじ》し、|相当《さうたう》の|報酬《ほうしう》を|得《う》るのを、|今《いま》の|人間《にんげん》は|自分《じぶん》が|儲《まう》けるのだと|云《い》つてゐるが、|決《けつ》して|儲《まう》けるのではない、|神《かみ》から|与《あた》へられるのだ。おかげを|頂《いただ》くのだ。|自分《じぶん》が|儲《まう》けるなンて|思《おも》つたら|大変《たいへん》な|間違《まちがひ》だ。|人間《にんげん》と|云《い》ふものは|自分《じぶん》から|生《い》きるこたア|出来《でき》ない、|許《ゆる》されて|生《い》きてゐるのだ。それだから|人《ひと》はパンのみにて|生《い》くるものに|非《あら》ずと|神《かみ》が|仰有《おつしや》るのだよ。パン|問題《もんだい》のみで|人間《にんげん》の|生活《せいくわつ》の|解決《かいけつ》が|付《つ》くのならば、|世《よ》の|中《なか》は|殺風景《さつぷうけい》な|荒野《くわうや》のやうなものだ』
『|吾々《われわれ》は、つまり|言《い》へば|筋肉《きんにく》|労働者《らうどうしや》だ。ヂツとしてゐて、|口《くち》の|先《さき》やペンを|使《つか》つてゐるやうな|屋内《をくない》|労働者《らうどうしや》とは、|苦痛《くつう》の|点《てん》に|於《おい》て|天地霄壌《てんちせうじやう》の|差《さ》があるのだからなア』
『そりや|実《じつ》に|浅見《せんけん》だ。|筋肉《きんにく》|労働者《らうどうしや》は|人体《じんたい》|自然《しぜん》の|道理《だうり》に|従《したが》つて|活動《くわつどう》するのだから、|仮令《たとへ》|汗《あせ》を|搾《しぼ》つても|愉快《ゆくわい》なものだ、|苦《くる》しいと|云《い》つても|宵《よひ》の|口《くち》だよ。ペンを|持《も》つて|著述《ちよじゆつ》をしたり、|椅子《いす》に|掛《かか》つて|調査《てうさ》などをやつたりしてゐる|者《もの》の|労働《らうどう》の|苦《くる》しみと|云《い》つたら、|筋肉《きんにく》|労働者《らうどうしや》の|夢想《むさう》だも|及《およ》ばざる|所《ところ》だ。|凡《すべ》て|人間《にんげん》と|云《い》ふものは|人《ひと》のやつてゐる|事《こと》が|善《よ》く|見《み》えるものでなア、|誰《たれ》だつて|其《その》|局《きよく》に|当《あた》つてみよ、|随分《ずゐぶん》|苦《くる》しいものだよ。|上《うへ》になる|程《ほど》|責任《せきにん》も|重《おも》く、|単純《たんじゆん》な|筋肉《きんにく》|労働者《らうどうしや》の|比《ひ》ではない。|俺《わし》も|一度《いちど》は|青表紙《あをべうし》と|首《くび》つぴきをして、|沢山《たくさん》の|参考書《さんかうしよ》をあさり、|著述《ちよじゆつ》に|従事《じゆうじ》したこともある。|又《また》|土工《どこう》にもなり、|百姓《ひやくしやう》にもなり、|車力《しやりき》にもなつたが、ヤツパリ|筆《ふで》を|持《も》つ|御用《ごよう》が|一番《いちばん》|楽《らく》さうに|見《み》えて|一番《いちばん》|苦《くる》しかつたよ。|霊界物語《れいかいものがたり》の|口述者《こうじゆつしや》だつて|筆記者《ひつきしや》だつて|苦《くる》しいものだ。お|寅婆《とらば》アさまの|後《あと》を|追《お》つかけ、|息切《いきぎ》れするやうな|苦《くる》しい|目《め》に|会《あ》つたと|云《い》つても、|体《からだ》を|休《やす》め|酒《さけ》の|一杯《いつぱい》も|飲《の》めば、それで|済《す》んで|了《しま》ふものだ。|著述家《ちよじゆつか》なンかになつてみよ、|一分間《いつぷんかん》だつて|心《こころ》のゆるむ|隙《ひま》はない、|夢《ゆめ》にだつて|忘《わす》れることが|出来《でき》ない|程《ほど》、|心身《しんしん》を|疲労《ひらう》させるのだ。マアそんな|小六《こむづ》かしい|話《はなし》は|打切《うちき》りにして、|今日《けふ》は|気楽《きらく》にお|神酒《みき》を|頂《いただ》き、|又《また》|明朝《あす》の|新《あたら》しいお|日様《ひさま》を|拝《をが》むことにしようぢやないか。なアお|寅《とら》さま、|魔我《まが》さま、|一《ひと》つやりませうか、どうぞ|一杯《いつぱい》|注《つ》いで|下《くだ》さいな』
お|寅《とら》『|婆《ばば》アでお|気《き》に|入《い》りますまいが、|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》りませう』
とニコニコしながら|五三公《いそこう》に|盃《さかづき》を|渡《わた》し、|燗徳利《かんどくり》からドブドブと|注《つ》いだ。かくして|盃《さかづき》はクルクルまはり、|宴《えん》ますます|酣《たけなは》となつて|来《き》た。
|万公《まんこう》は|思《おも》ひの|外《ほか》|酔《よ》ひつぶれ、|独舞台《ひとりぶたい》の|様《やう》になつて|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》し|出《だ》した。
『|随分《ずゐぶん》|何《なん》だなア、|雀《すずめ》|百《ひやく》までとか|云《い》つて、|年《とし》がよつても|恋愛《れんあい》といふものは|下火《したび》にならないものと|見《み》えるな、エヽン、|現《げん》にお|寅婆《とらば》アさまだつてさうぢやないか、|俺《おれ》やどうも|此《この》|問題《もんだい》の|解決《かいけつ》にや、|実《じつ》の|所《ところ》が|迷《まよ》つてゐるのだ』
|五三《いそ》『|恋愛《れんあい》は|神聖《しんせい》だ、|宗教的《しうけうてき》|信仰《しんかう》と|正《ただ》しき|恋愛《れんあい》とは、|人間《にんげん》の|霊魂《れいこん》を|優美《いうび》に|向上《かうじやう》させるものだよ。|正《ただ》しき|信仰《しんかう》と|完全《くわんぜん》な|恋愛《れんあい》は|人間《にんげん》の|心霊《しんれい》を|発育《はついく》せしめ、|永遠無窮《ゑいゑんむきう》の|生命《せいめい》を|与《あた》ふるものだ。|併《しか》し|現代《げんだい》|科学者《くわがくしや》のいふやうな|浅薄《せんぱく》な|恋愛観《れんあいくわん》では|駄目《だめ》だ。|凡《すべ》て|恋愛《れんあい》といふものは|性慾《せいよく》から|分科《ぶんくわ》したものだ。そして|性慾《せいよく》の|中《うち》に|可能性《かのうせい》の|形《かたち》に|於《おい》て|始《はじ》めて|含蓄《がんちく》されてるのが|恋愛《れんあい》だ。|此《この》|世《よ》を|造《つく》り|給《たま》うた|誠《まこと》の|神様《かみさま》が、|人間《にんげん》の|生命《せいめい》に|性慾《せいよく》を|与《あた》へ|給《たま》うた|時《とき》から、|恋愛《れんあい》といふものを|含蓄《がんちく》させておかれたのだ。|信仰《しんかう》と|恋愛《れんあい》は|歓喜《くわんき》の|源泉《げんせん》だ。|歓喜《くわんき》といふものは|心霊《しんれい》を|永遠《ゑいゑん》に|保存《ほぞん》し、|且《かつ》|心霊《しんれい》の|優美《いうび》|完全《くわんぜん》なる|活躍《くわつやく》を|起《おこ》さしむるものだ』
『|成程《なるほど》、それだから|今晩《こんばん》の|大活躍《だいくわつやく》も、ハアそこから|起《おこ》つたのだな。さう|聞《き》けば、お|寅婆《とらば》アさまの|鈴野姫《すずのひめ》|様《さま》が|御活躍《ごくわつやく》|遊《あそ》ばしたのも、|義理天上《ぎりてんじやう》さまが、|舎身的活動《しやしんてきくわつどう》の|理由《りいう》も|解決《かいけつ》がついて|来《き》た。|五三公《いそこう》さまのやうに、さう|綿密《めんみつ》に|云《い》つてくれると、|俺《おれ》も|恋愛《れんあい》に|対《たい》しての|煩悶《はんもん》を|綺麗《きれい》サツパリ|排除《はいじよ》することが|出来《でき》たやうだ』
タク『ハヽヽヽヽ、|恋愛《れんあい》の|煩悶《はんもん》だなンて、そんな|面《つら》でよくいへたものだ。チツとお|前《まへ》の|顔《かほ》と|相談《さうだん》してみよ、エヽン』
アク『お|菊《きく》さまの|様《やう》なナイスと|結婚《けつこん》させてもよい|様《やう》な|口吻《くちぶり》を、お|寅《とら》さまが|洩《も》らしたものだから、|俄《にはか》に|色気《いろけ》づきよつて、|変《へん》な|気《き》になつたのだから、|正《ただ》しからざる|恋愛《れんあい》の|煩悶《はんもん》に|襲《おそ》はれよつたのだ、アハヽヽヽ』
|五三《いそ》『こんな|七六ケ《しちむつか》しい|問答《もんだふ》はやめて、|今晩《こんばん》は|盛《さかん》にやらうぢやないか』
お|寅《とら》『サ|皆《みな》さま、|今日《けふ》は|十分《じふぶん》に|酔《よ》うて|下《くだ》さい、メツタに|鼻《はな》はつまみませぬからなア』
とお|寅《とら》も|今日《けふ》は|何《なん》と|思《おも》うてか、|主人《しゆじん》|気取《きどり》になつて|一生懸命《いつしやうけんめい》に|酒《さけ》をあふり|出《だ》した。だんだんと|酔《よひ》がまはつて|来《き》た。
|万公《まんこう》『オイお|菊《きく》さま、|恋愛《れんあい》は|先《ま》づ|打切《うちき》りとして、|一《ひと》つ|御馳走《ごちそう》に|歌《うた》をうたひ、|舞《ま》うて|見《み》せて|貰《もら》へまいかいな』
お|菊《きく》『|万公《まんこう》さまのために|歌《うた》ふのは|一寸《ちよつと》|考《かんが》へさして|下《くだ》さい、|皆《みな》さまの|御馳走《ごちそう》ならば|歌《うた》つても|宜《よろ》しい』
お|菊《きく》は|立上《たちあが》り、|扇《あふぎ》を|拡《ひろ》げて|自《みづか》ら|歌《うた》ひ|自《みづか》ら|舞《ま》ふ。|一同《いちどう》は|手《て》を|拍《う》つて|囃《はや》す。
『|小北《こぎた》の|山《やま》の|神床《かむどこ》で |花《はな》のお|菊《きく》が|酌《しやく》をする
|酒《さけ》より|肴《さかな》よりお|菊《きく》さまが |万公《まんこう》さまの|目《め》についた
ホヽヽヽヽ』
|万公《まんこう》『コリヤお|菊《きく》、|馬鹿《ばか》にするない、|目《め》についたのは|俺《おれ》ばかりでない。すぐに|俺《おれ》を|向《むか》ふにまはし|挑戦的《てうせんてき》|態度《たいど》を|取《と》るのだな』
タク『ヤツパリ|万公《まんこう》さまが|気《き》にかかると|見《み》えて、|乙姫《おとひめ》さまが|挑戦《てうせん》|遊《あそ》ばすのだよ、|何事《なにごと》も|善意《ぜんい》に|解《かい》するのだな』
|万公《まんこう》『アハヽヽヽ』
お|菊《きく》は|又《また》|歌《うた》ふ。
『|目《め》につかば、つれて|厶《ござ》れよ|海《うみ》の|底《そこ》、|竜宮《りうぐう》の|海《うみ》の|底《そこ》までも』
アク『|妙々《めうめう》、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、お|菊《きく》さまに|限《かぎ》る。モ|一《ひと》つ|願《ねが》ひます』
お|菊《きく》『エヽヽー|今日《けふ》の|日《ひ》もエヽヽー
くれーたアれど くれーたアれど
エヽヤのサ、エヽーエヽー
わがア|殿《どの》はア
ヤーレ、マーだ|見《み》えぬ
ハーレヤーレエーヤのサアヽヽ
オホヽヽヽ、|大《おほ》きに|不調法《ぶてうはふ》、これで|御免《ごめん》|蒙《かうむ》りませう』
|万公《まんこう》『|万万万《まんまんまん》、モ|一《ひと》つ|所望《しよもう》だ。こんな|所《ところ》でやめられてたまるかい』
お|菊《きく》『|万《まん》さま、お|前《まへ》さまも|男《をとこ》ぢやないか、|返報《へんぱう》がへしといふ|事《こと》をようせないやうな|者《もの》は、|男《をとこ》ぢやありませぬよ。|何《なん》でもいいから|一《ひと》つ|歌《うた》つて|御覧《ごらん》、さうすりや|又《また》|私《わたし》も|取《と》つときを|放《はふ》り|出《だ》しますから……』
|万公《まんこう》『エヽ|仕方《しかた》がない、|女王《ぢよわう》さまの|御託宣《ごたくせん》だ』
と|云《い》ひながら|立上《たちあが》り、
『あそばむ|為《ため》とて|生《うま》れけむ いたづらせむとて|生《うま》れけむ
あそ……ぶ|子供《こども》の|声《こゑ》|聞《き》けば |吾《わが》|身《み》さへこーそゆるがるれ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》…………だ、アハヽヽヽ』
|一同《いちどう》『ウツフツフヽヽ』
|万公《まんこう》『|花《はな》の|盛《さか》り……が|再《ふたた》びあらうか
|枯木《かれき》に|花《はな》は|咲《さ》きはせぬ
ドツコイシヨ ドツコイシヨ……だ
|竜宮《りうぐう》は|近《ちか》いな |近《ちか》いな
|乙姫《おとひめ》さまが|鼓《つづみ》うつ
|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|来《く》るぢやないか
|其《その》|又《また》|鼓《つづみ》を|何《なん》とうつ
とどろ とどろと|六《む》つにうつ……
サアこれで|満期《まんき》|免除《めんぢよ》を|願《ねが》ひたい、サア|乙姫《おとひめ》さまの|番《ばん》だ』
お|菊《きく》『|一枚《いちまい》、|二枚《にまい》』
『コリヤコリヤ、|一枚《いちまい》|二枚《にまい》はモウこりこりだ、もつと|気《き》の|利《き》いた|事《こと》を|言《い》はぬかい』
『ホツホヽヽヽ
|岩屋《いはや》の|中《なか》で|蛸《たこ》|踊《をど》り
|珊瑚《さんご》の|島《しま》では|亀《かめ》|歌《うた》ふ
|竜宮《りうぐう》の|波《なみ》のはざまにて
お|菊《きく》|乙女《をとめ》が|黄金《こがね》まく
|其《その》|又《また》|黄金《こがね》を|何《なん》とまく
|万公《まんこう》さまにやろと|言《い》うてまく
ホツホヽヽ』
アク『オイ|中下先生《ちうげせんせい》、|得意《とくい》の|程《ほど》、お|察《さつ》し|申《まを》します。モシ|涎《よだれ》がこぼれますよ、オホヽヽ』
|一同《いちどう》『ワハツハヽヽ』
|万公《まんこう》『エヘヽヽ、|皆《みな》よつてかかつて、|此《この》|万更《まんざら》でもない|万《まん》さまを|馬鹿《ばか》にしよる、|併《しか》し|随分《ずゐぶん》|持《も》てたものだなア、オツホヽヽヽ、ウツフヽヽヽ』
タク『お|菊《きく》|乙姫《おとひめ》さま、モ|一《ひと》つ|願《ねが》ひます、|余《あま》り|万公《まんこう》に|揶揄《からか》つて|貰《もら》ふと、|後《あと》の|始末《しまつ》に|困《こま》りますからな、そこはよく|取捨按配《しゆしやあんぱい》して|歌《うた》つて|下《くだ》さい、|何《なん》なら|私《わたし》の|事《こと》も|一《ひと》つ、|歌《うた》つて|貰《もら》ひたいものだな』
お|菊《きく》『これこれもうしタクさまえ
|私《わし》に|会《あ》ひたくば|河鹿《かじか》の|流《なが》れ
おやなぎ|小柳《こやなぎ》|蛇籠《じやかご》のあひの
|小砂利《こじやり》|交《まじ》りの|荒砂《あらすな》つかみ
|背戸《せど》の|小窓《こまど》にバラバラと
|投《な》げておくれよ|小雨《さめ》ふると
|思《おも》うて|私《わたし》は|出《で》て|会《あ》はう
もしも|万《まん》さまであつたなら
|雨戸《あまど》をピツシヤリ|閉《し》め|立《た》てて
|長持《ながもち》の|底《そこ》にてふるうてゐる
|好《す》きと|嫌《きら》ひはこんなもの
ヨイトサア ヨイトサア
エヽエエー、はれやーれエイヤのサ………
モウこれで|品切《しなぎれ》となりました。|又《また》|製造《せいざう》が|出来《でき》ましたら、|皆《みな》さまの|前《まへ》に|陳列《ちんれつ》|致《いた》します、ホヽヽヽ』
|五三《いそ》『ヤア|有難《ありがた》い』
お|菊《きく》『|先生《せんせい》、|貴方《あなた》も|一《ひと》つ|願《ねが》ひます。|貰《もら》ひずては|不道徳《ふだうとく》ですよ、ねえ|皆《みな》さま』
|五三《いそ》『わたしは|生《うま》れつきの|無粋漢《ぶすゐかん》だ。|面白《おもしろ》い|歌《うた》はうたへない、|宣伝使《せんでんし》としての|相当《さうたう》な|歌《うた》を|歌《うた》つてみませう、|折角《せつかく》の|酒《さけ》の|興《きよう》がさめるかも|知《し》れませぬが、やはらかい|所《ところ》へ|堅《かた》いのが|這入《はい》るのも、|調和《てうわ》が|取《と》れてよいかも|知《し》れませぬ』
|万公《まんこう》『|何《なん》と|乙姫《おとひめ》|様《さま》の|前《まへ》ぢやと|思《おも》つて、シカツウ|仰有《おつしや》るワイ、イヒヽヽヽ、サ|早《はや》く|所望《しよもう》だ|所望《しよもう》だ』
|五三《いそ》『|天地《てんち》を|造《つく》り|給《たま》ひたる |神《かみ》は|常住《じやうぢう》にましませど
お|姿《すがた》|見《み》えぬぞ|果敢《はか》なけれ |人《ひと》のおとせぬ|暁《あかつき》に
|仄《ほの》かに|夢《ゆめ》にみえ|給《たま》ふ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|姿《すがた》ぞ|尊《たふと》けれ
○
|祝詞《のりと》の|力《ちから》は|春《はる》の|水《みづ》 |罪障《ざいしやう》|氷《こほり》と|解《と》けぬれば
|万法空寂《まんぽふくうじやく》の|波《なみ》|立《た》ちて |真如《しんによ》の|岸《きし》にぞ|打寄《うちよ》する
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
|万公《まんこう》『|何《なん》と|時《とき》と|場所《ばしよ》を|考《かんが》へない|結構《けつこう》のやうな、|結構《けつこう》でないやうな|歌《うた》だなア』
お|寅《とら》『|何《なん》だか|先生《せんせい》の|歌《うた》を|聞《き》きますと、|髪《かみ》の|毛《け》がシーンとして|来《き》ました。ヤツパリ|万《まん》さまの|歌《うた》とは|大変《たいへん》に|品格《ひんかく》が|違《ちが》ひますなア、|心《こころ》の|色《いろ》が|言葉《ことば》に|出《で》るとか|云《い》つて、|大《たい》したものですワ。|何《なん》とはなしに|爽快《さうくわい》の|気分《きぶん》が|漂《ただよ》ひました』
|万公《まんこう》『モシ|先生《せんせい》、お|目出度《めでた》う。お|寅《とら》さまは|余程《よほど》|思召《おぼしめし》があると|見《み》えますよ。オホヽヽヽ、|色男《いろをとこ》といふものは|変《かは》つたものだな。|何《なん》と|云《い》つても|昔《むかし》の|別嬪《べつぴん》だからなア、イヒヽヽヽ』
|魔我《まが》『コレ|万《まん》さま、そんな|事《こと》|云《い》つては|失礼《しつれい》ぢやありませぬか』
|万公《まんこう》『そら|失恋《しつれん》です。|何《なん》と|云《い》つてもお|菊《きく》さまにエツパツパをやられた|立派《りつぱ》な|御人格者《ごじんかくしや》と、お|民《たみ》さまに|肱鉄《ひぢてつ》を|喰《くら》つた、どこやらの|哥兄《にい》さまと、|蠑〓別《いもりわけ》さまにエツパツパのパアで|置去《おきざ》りにされた、|昔《むかし》の|別嬪《べつぴん》さまと、|三組《みくみ》|揃《そろ》うた|失恋《しつれん》|会議《くわいぎ》だから、チツとは|失恋《しつれん》な|事《こと》も|仰有《おつしや》りませうかい。|思《おも》へば|思《おも》へば|同情《どうじやう》|致《いた》します。|同病相憐《あひあは》れむ|同情《どうじやう》ヨシノリさまだ。|柔道行成《じうだうゆきなり》|次第《しだい》に|打《う》つちやつておく|訳《わけ》にも|行《ゆ》きますまい。あゝ|不義理《ふぎり》の|天上日《てんじやうひ》の|出神《でのかみ》に|対《たい》し、|軽業師《かるわざし》|玉乗姫《たまのりひめ》が、あらう|事《こと》かあるまい|事《こと》か、|大広木正宗《おほひろきまさむね》さまをくはへて|走《はし》るといふのだから、|困《こま》つたものだい。イヒヽヽヽ』
|魔我《まが》『|大広木正宗《おほひろきまさむね》さまに|玉則姫《たまのりひめ》
かつさらはれて|玉《たま》なしの|魔我《まが》。
|鈴野姫《すずのひめ》ガチヤ ガチヤ ガチヤと|鳴《な》り|渡《わた》り
|後《あと》|追《お》つかけて|行《ゆ》くぞ|可笑《をか》しき。
|打倒《うちたふ》れ|鼻《はな》|打《う》ち|砕《くだ》く|鈴野姫《すずのひめ》
われて|飛出《とびだ》す|玉《たま》は|何処《いづこ》ぞ。
|地上姫《ちじやうひめ》|恋《こひ》の|願《ねがひ》お|菊《きく》と|思《おも》へば
|固《かた》い|約束《やくそく》たがやし|大神《だいじん》。
|面白《おもしろ》い|其《その》|面付《かほつき》は|何《なん》の|事《こと》
|万《まん》さま|寅《とら》さま|思《おも》ひやります』
|万公《まんこう》『コラ|魔我《まが》よ|此《この》|万《まん》さまを|何《なん》と|思《おも》ふ
|恋《こひ》にかけたら|世界《せかい》|一人《いちにん》』
|魔我《まが》『|万人《まんにん》を|口説《くど》いて|一人《ひとり》|出来《でき》ぬ|奴《やつ》
|広《ひろ》い|世界《せかい》に|只《ただ》の|一人《いちにん》。
ウフヽヽヽうろたへ|騒《さわ》ぎ|暗《やみ》の|夜《よる》の
お|菊《きく》|幽霊《いうれい》に|肝《きも》つぶす|哉《かな》』
|万公《まんこう》『|自分《じぶん》のみ|二世《にせ》の|妻《つま》よと|思《おも》ひしに
|玉《たま》|乗《の》りそこね|落《お》つる|魔我彦《まがひこ》。
|大広木正宗《おほひろきまさむね》さまに|金《かね》とられ
|後《あと》|追《お》つかけて|鼻《はな》をとられつ。
お|寅《とら》さま|何《いづ》れおとらぬ|恋衣《こひごろも》
|破《やぶ》れて|今日《けふ》は|縫《ぬ》ふすべもなし』
お|寅《とら》『|喧《やかま》しい|腰《こし》の|曲《まが》つた|魔我彦《まがひこ》が
|恋《こひ》を|語《かた》らふ|資格《しかく》あるべき。
|片思《かたおも》ひ|固《かた》く|思《おも》うてゐたものを
|玉《たま》|乗《の》りそこねヒメ(|悲鳴《ひめい》)をあげつつ』
|万公《まんこう》『|万《まん》これで|失恋党《しつれんたう》の|酒《さけ》もりも
|一寸《ちよつと》|済《す》みけり|後《あと》は|無礼講《ぶれいかう》』
アク『|見渡《みわた》せば|女男《をんなをとこ》の|好《す》き|此《この》む
|面《つら》した|奴《やつ》は|一人《ひとり》だもなし。
|其《その》|中《なか》でアクのぬけたるアクさまは
|中立《ちうりつ》|地帯《ちたい》で|安全《あんぜん》なもの』
タク『タクさんにお|宮《みや》に|神《かみ》はありながら
|此《この》|騒《さわ》ぎをば|他所《よそ》に|見《み》るかな。
|此《この》|神《かみ》は|夫婦喧嘩《ふうふげんくわ》の|災《わざはひ》を
|守《まも》り|給《たま》へる|不義理天上《ふぎりてんじやう》』
テク『|魔我彦《まがひこ》の|顔《かほ》は|青森白木上《あをもりしらきじやう》
|蠑〓《いもり》の|別《わけ》に|横領姫《わうりやうひめ》されて』
|魔我《まが》『|花依《はなより》の|姫《ひめ》ではなくて|鼻打《はなうち》の
|婆姫《ばばひめ》さまとなりにける|哉《かな》。
|花依姫《はなよりひめ》|身魂《みたま》|変化《へんげ》て|猿彦姫《さるひこひめ》
|赤恥柿《あかはぢかき》のみのる|姫《ひめ》かな』
お|寅《とら》『|金竜姫《きんりうひめ》|取《と》られて|難儀《なんぎ》に|大足姫《おほだるひめ》
|正宗《まさむね》さまは|常世姫《とこよひめ》へ|逃《に》げたか』
|魔我《まが》『ユラリ|彦《ひこ》、|上義《じやうぎ》の|姫《ひめ》は|今頃《いまごろ》は
さぞ|睦《むつま》じくおはしますらむ』
かく|互《たがひ》に|脱線歌《だつせんうた》を|歌《うた》ひつつ、|何時《いつ》の|間《ま》にやら、カラリと|夜《よ》を|明《あ》かして|了《しま》つた。|数多《あまた》の|参詣者《さんけいしや》はゾロゾロと|大広前《おほひろまへ》|指《さ》して|参拝《さんぱい》する、|下駄《げた》の|足音《あしおと》が|乱雑的《らんざつてき》に|聞《きこ》えて|来《く》る。
(大正一一・一二・一五 旧一〇・二七 松村真澄録)
第三章 |噛言《かむごと》〔一二一三〕
|夜《よ》はカラリと|明《あ》け|放《はな》れ、|大門神社《おほもんじんしや》|広前《ひろまへ》の|合図《あひづ》の|太鼓《たいこ》が|七五三《しちごさん》に|聞《きこ》えて|来《き》た。|五三公《いそこう》、|万公《まんこう》、お|寅《とら》、|魔我彦《まがひこ》|其《その》|他《た》アク、タク、テクは|数十人《すうじふにん》の|信者《しんじや》の|中《なか》を|通《とほ》つて|一段《いちだん》|高《たか》き|祭壇《さいだん》の|前《まへ》に|座《ざ》を|占《し》め、|魔我彦《まがひこ》|先《ま》づ|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》した。つづいてお|寅《とら》は|又《また》もや|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》した。
|小北《こぎた》の|山《やま》に|神言《かみごと》。
『|小北《こぎた》の|山《やま》に|神《かみ》つまります、|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|大神《おほかみ》、|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》の|命《みこと》もちて、|嘘八百万《うそやほよろづ》の|神等《かみたち》を|餓鬼集《がきつど》へに|集《つど》へ|給《たま》ひ、|餓鬼議《がきはか》りに|議《はか》り|給《たま》ひて、|大広木正宗《おほひろきまさむね》、|鈴野姫命《すずのひめのみこと》は、|泥足原《どろあしはら》の|水鼻汁《みづばな》を|安国平姫命《やすくにたひらひめのみこと》と|知《し》らぬ|事《こと》|依《よ》さしまつりき。|頭《あたま》と|恥《はぢ》をかくよさしまつりし|国土《くぬち》に|汗膏《あせあぶら》とり|神《かみ》|共《ども》をば、|雁灯《がんど》まはしにまはし|給《たま》ひ、|神掃《かむはき》に|掃出《はきだ》し|給《たま》ひて、|今年《ことし》は|岩根木根立穴草《いはねきねたちあなくさ》の|片屏風《かたびやうぶ》をも|断《ことわ》りて、|頭《あたま》の|髪《かみ》の|毛《け》ぬき|放《はな》ち、|頭《あたま》の|焼《やけ》を|何時《いつ》の|間《ま》にやら|墨《すみ》|塗《ぬ》つて、|頭《あたま》かくし|依《よ》さしまつりき。|斯《か》く|冠《かぶ》せまつりし|夜《よる》の|鬘《かつら》と|大山子慾高姫命《おほやまこよくたかひめのみこと》、ヤンチヤ|女《をんな》と|定《さだ》めまつりて、|白髪頭《しらがあたま》に|墨《すみ》|塗立《ぬりた》て、|高姫《たかひめ》の|腹《はら》に|枉津高知《まがつたかし》りて、|雀親方《すずめおやかた》の|命《みこと》の|耳《みみ》の|御穴《みあな》を|塞《ふさ》ぎまつりて、|頭《あたま》の|御鬘《みかつら》、|日《ひ》の|焼《やけ》を|隠《かく》しまして、やさし|女《をんな》と|誑《たばか》り、|喋《しやべ》る|口中《くちなか》に|泣《な》き|出《い》でむ、|赤《あか》の|他人《たにん》|等《ら》が|過《あやま》ち|犯《をか》しけむ、クサグサの|罪事《つみこと》は、|枉津罪《まがつつみ》とは、|頭《あたま》はられ、|耳引《みみひ》かれ、|目玉《めだま》は|火放《ひはな》ち、|尻頻蒔《しりしきま》き、|禿頭《はげあたま》に|櫛《くし》さし、|鶏屋《とや》の|頭《あたま》の、|生剥《いきは》ぎ、|逆毛剥《さかげは》ぎ、|糞小便屁許々多久《くそせうべんへここたく》の|罪《つみ》を、|枉津罪《まがつつみ》と|詔《の》り|別《わ》けて、|臭《くさ》き|罪《つみ》とは、|生膚断《いきはだだち》、|即《すなは》ち|腋臭《わきが》、|死膚断《しにはだだち》、|即《すなは》ちトベラ、|白日床組《しらひとこくみ》、|黒日床組《くろひとこくみ》、|夜《よ》も|昼《ひる》も、|己《おの》が|母《はは》のやうな、|年《とし》の|違《ちが》つた|女《をんな》と、をかしことせる|罪《つみ》、ハアハアと|息《いき》|喘《はづ》ませ、|叱言《こごと》|云《い》ふ|罪《つみ》、|獣《けもの》|犯《をか》せる|罪《つみ》、|襟《えり》に|這《は》ふ|虫《むし》|虱《しらみ》の|災《わざはひ》、|高姫神《たかひめがみ》の|災《わざはひ》、|黒姫鳥《くろひめどり》の|災《わざはひ》、|借《か》り|借《か》り|倒《たふ》し、うまい|事《こと》せる|罪《つみ》、|此処彼処《ここかしこ》でボツタクリの|罪《つみ》、|沢山《たくさん》|出《い》でむ、|斯《か》く|出《い》でば、|枉津神《まがつかみ》|乱《みだ》れ|言《ごと》|以《もち》て、|余《あま》りもせない|金《かね》を、|元《もと》も|子《こ》も|無《な》く、|打《うち》きり|取《と》られ、|血《ち》を|吐《は》く|思《おも》ひの、|吾《わが》|身《み》の|果《はて》、|剰《あまつさ》へ、|此《この》お|寅姫《とらひめ》を|置去《おきざ》りにして、|剰《あまつさ》へ|元《もと》のお|民《たみ》を|連立《つれた》ち、|末《すゑ》の|末《すゑ》までと、|目《め》を|忍《しの》び、|二人《ふたり》の|仲《なか》を|取《と》り|割《さ》きて、|枉津《まがつ》の|鶏屋《とや》の|太《ふと》い|婆《ばば》だと、|旅装束《たびしやうぞく》にて、|川《かは》を|乗《の》り|越《こ》え、|逃《に》げ|失《う》せにけり。|斯《か》くならば、|最早《もはや》|是非《ぜひ》なし、|枉津神《まがつかみ》は|魔我《まが》の|岩戸《いはと》を|押開《おしひら》きて、|魔我《まが》の|八重雲《やへくも》を、|厳《いづ》の|千別《ちわき》に|千別《ちわ》きて、|聞召《きこしめ》さむ、|砕《くだ》けつ|神《かみ》は、|高姫《たかひめ》の|尻《しり》に、|黒姫《くろひめ》の|尻《しり》に、とりつきまして、|高姫《たかひめ》の|便《いばり》、|黒姫《くろひめ》の|便《いばり》を、|嗅別《かぎわ》けて|聞召《きこしめ》さむ、かく|聞召《きこしめ》しては、|罪《つみ》と|云《い》ふ|罪《つみ》は、|充《み》ち|充《み》ちにけりと、|吝《し》みたれ|神《がみ》の、|阿呆《あはう》の|痩我慢《やせがまん》、|泡吹《あわふ》き|放《はな》つ|事《こと》の|如《ごと》く、|悪縁《あくえん》|生《う》みきり、|夕《ゆふべ》のお|神酒《みき》を、|悪神《あくがみ》、|貧乏神《びんばふがみ》の、|吹払《ふきはら》ふ|事《こと》の|如《ごと》く、|尻《しり》をうつべに|居《を》る|大船《おほふね》を、|屁《へ》こき|放《はな》ち、|糞《ばば》こき|放《はな》ちて、|雪隠《せんち》の|中《なか》に|放《こ》き|落《おと》す|事《こと》の|如《ごと》く、|落《お》ちた|沫《しぶき》が、|元《もと》に|返《かへ》りて、|返《かへ》り|討《うち》する|事《こと》の|如《ごと》く、|飲《の》んだる|酒《さけ》は|一《ひと》つもあらじと、|腹《はら》を|痛《いた》め|気《き》を|痛《いた》め|給《たま》ふ|事《こと》を、|高姫《たかひめ》の|尻《しり》、お|民《たみ》の|尻《しり》より、|真逆様《まつさかさま》に|落《お》ち|滝津《たきつ》、|河鹿川《かじかがは》の|瀬《せ》に|在《ま》す|性悪姫《しやうわるひめ》と|云《い》ふ|神《かみ》、|蠑〓別《いもりわけ》を|大肌《おほはだ》の|腹《はら》の|中《なか》に|喰《く》はへ|行《ゆ》かむ、かく|喰《く》はへ|行《ゆ》けば、|阿呆《あはう》らしの|尻《しり》の、|尻糞《しりくそ》の、|焼糞《やけくそ》の、|沫《しぶき》の|矢鱈《やたら》に|飛《と》びます、|穴《あな》あけつ|姫《ひめ》と|云《い》ふ|神《かみ》、|大広木正宗《おほひろきまさむね》、お|民《たみ》を|抱《かか》へ|持《も》ち、|嬶《かか》となして|酒《さけ》|飲《の》みてむ、かく|嬶《かか》と|酒《さけ》|飲《の》みては、|屁吹《へふ》き|戸《ど》に|在《ま》す|屁放戸主《へこきどぬし》と|云《い》ふ|神《かみ》、|根《ね》の|国《くに》、|底《そこ》の|国《くに》に|屁《へ》こき|放《はな》ちてむ、かく|屁《へ》|放《こ》き|放《はな》ちては、|根《ね》の|国《くに》、|底《そこ》の|国《くに》に|在《ま》す、|腹立《はらだ》ち|擦《さす》り|姫《ひめ》と|云《い》ふ|神《かみ》、|揉《も》みさすらひ|失《うしな》ひてむ、かく|牛馬《うしうま》|泣《な》いては、ウツソリした、お|寅《とら》の|身《み》にも、|心《こころ》にも、|恋《こひ》と|云《い》ふ|恋《こひ》はあらまし、|遂《と》げさし|給《たま》へと、|議《はか》らひ|給《たま》へ、|気《き》をつけ|給《たま》へと|申《まを》すことを、|馬鹿《うましか》の|耳振《みみふ》り|立《た》てて|聞召《きこしめ》せと、|頭《かしら》つつこみ、つつ|込《こ》みも|枉申《まがまを》す、あゝ|叶《かな》はぬから、|目玉飛《めだまと》び|出《だ》しましませよ』
お|寅《とら》『さあ、|皆《みな》さま、|御苦労《ごくらう》で|厶《ござ》りました。これで|大方《おほかた》、|蠑〓別《いもりわけ》さまも|帰《かへ》つて|来《く》るだらう。もしも|帰《かへ》らなかつたら|神罰《しんばつ》が|当《あた》り、|野垂死《のたれじに》をせにやならぬから、|嫌《いや》でも|応《おう》でも|帰《かへ》つて|来《く》るだらう。|松姫《まつひめ》さまが|御祈願《ごきぐわん》して|下《くだ》さつてるのだから、もはや|間《ま》もあるまい。|大広木正宗《おほひろきまさむね》の|肉《にく》の|宮《みや》、|貞子姫命《さだこひめのみこと》、|行長春命《ゆきながはるのみこと》、|言足姫命《ことたるひめのみこと》、|鈴野姫《すずのひめ》さま、|桃上彦命《ももがみひこのみこと》さま、|地上姫命《ちじやうひめのみこと》|様《さま》、いつもお|前《まへ》さまは|俺《わし》の|世話《せわ》になつてるのだから、|正念《しやうねん》があるのなら、|今日《けふ》|一遍《いつぺん》でよいから、|手別《てわ》けして|大神様《おほかみさま》のお|助《たす》けによつて、|大広木正宗《おほひろきまさむね》さまの|肉《にく》の|宮《みや》を、|袖《そで》か|袂《たもと》を|皆《みな》|銜《くは》へて|引張《ひつぱ》つて|来《く》るのだよ。|之《これ》が|出来《でき》ぬやうの|事《こと》だつたら、お|前《まへ》は|犬《いぬ》より|劣《おと》つた|狐《きつね》だ。|如何《どう》しても|今日中《けふぢう》に|大広木正宗《おほひろきまさむね》さまの|肉《にく》の|宮《みや》を|俺《わし》の|前《まへ》に【つん】|出《だ》して|下《くだ》さらなくちや、もう|此《この》お|寅《とら》もお|給仕《きふじ》|致《いた》しませぬぞや。お|給仕《きふじ》どころか、|皆《みな》|宮《みや》から|放《ほ》り|出《だ》して|焼《や》いて|了《しま》ふのだから、お|前《まへ》さまも|今日《けふ》は|千騎一騎《せんきいつき》の|処《ところ》だ。|狐《きつね》が|出世《しゆつせ》して|神《かみ》の|名《な》を|名告《なの》り、|結構《けつこう》なお|給仕《きふじ》をして|頂《いただ》いた|方《はう》がよいか、|放《ほ》り|出《だ》されたがよいか、ここは|一《ひと》つ|思案《しあん》のし|所《どころ》ぢやぞや。|此《この》お|寅《とら》に|対《たい》しても|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をして|居《を》られる|義理《ぎり》ぢやあるまい』
と|何時《いつ》の|間《ま》にやら、|人《ひと》の|前《まへ》も|忘《わす》れて|大《おほ》きな|声《こゑ》で|喋《しやべ》り|出《だ》し、ハツと|気《き》がつき|袖《そで》に|口《くち》をあて、|顔《かほ》を|隠《かく》しながら|教祖《けうそ》の|館《やかた》へ|逸早《いちはや》く|姿《すがた》を|隠《かく》した。
|五三公《いそこう》、|万公《まんこう》はアク、タク、テクを|信者《しんじや》の|中《なか》へ|交《まじ》へ、|一同《いちどう》の|噂《うはさ》を|聞《き》き|取《と》らしむべく|云《い》ひ|含《ふく》めおき、|松姫《まつひめ》の|館《やかた》をさして|上《のぼ》つて|行《ゆ》く。
|七五三《しちごさん》の|太鼓《たいこ》の|音《ね》 |響《ひび》き|渡《わた》ると|諸共《もろとも》に
|彼処《かしこ》や|此処《ここ》の|宿舎《しゆくしや》より |寄《よ》り|集《あつ》まりし|信徒《まめひと》は
|大門神社《おほもんじんしや》の|広前《ひろまへ》に |有難涙《ありがたなみだ》を|零《こぼ》しつつ
|鼻汁《はな》をすすつて|太祝詞《ふとのりと》 |唱《とな》へ|居《ゐ》るこそ|殊勝《しゆしよう》なれ
お|寅婆《とらば》さまは|中啓《ちうけい》を |右手《めて》にキチンと|握《にぎ》りしめ
|左《ひだり》の|手《て》にて|袖《そで》たたみ |其《その》|足音《あしおと》も|淑《しとや》かに
|水色袴《みづいろばかま》をサラサラと |音《おと》させながら|五三公《いそこう》や
|万公《まんこう》|其《その》|外《ほか》|三人《さんにん》を |後《あと》に|従《したが》へ|神壇《しんだん》の
|前《まへ》に|現《あら》はれ|叩頭《こうとう》し |手《て》を|拍《う》ち|終《をは》り|例《れい》の|如《ごと》
|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し |生神言《いくかみごと》を|宣《の》りつれど
|心《こころ》|乱《みだ》れし|其《その》|故《ゆゑ》か |側《そば》より|耳《みみ》たて|覗《うかが》へば
|以前《いぜん》の|如《ごと》く|不可思議《ふかしぎ》な |祝詞《のりと》の|如《ごと》くに|聞《きこ》え|来《く》る
|心《こころ》のせいか|耳《みみ》のせいか |或《あるひ》は|曲津《まがつ》の|悪戯《いたづら》か
|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|次第《しだい》ぢやと |五三公《いそこう》、|万公《まんこう》|初《はじ》めとし
|並《な》み|居《ゐ》る|信者《しんじや》も|首傾《くびかた》げ |思案《しあん》にくれて|居《ゐ》たりけり
|中上《ちうじやう》|先生《せんせい》のアクさまは |鳥《とり》なき|郷《さと》の|蝙蝠《かうもり》を
|気取《きど》つて|壇上《だんじやう》にはね|上《あが》り |高卓子《たかテーブル》を|前《まへ》に|置《お》き
コツプの|水《みづ》をグツと|飲《の》み |演説《えんぜつ》|気取《きど》りで|述《の》べ|立《た》てる
|其《その》スタイルの|可笑《をか》しさよ |懐《ふところ》|探《さぐ》りて|塵紙《ちりがみ》を
|取《と》り|出《だ》し|鼻《はな》をツンとかみ |又《また》もや|紙《かみ》を|折《を》り|重《かさ》ね
|再《ふたた》び|鼻《はな》をツンとかみ |目《め》【やに】を|拭《ぬぐ》ひ|歯糞《はくそ》とり
|無雑作《むざふさ》に|懐《ふところ》へつつ|込《こ》んで |又《また》もやグツと|水《みづ》を|飲《の》み
オホンと|一声《ひとこゑ》|咳払《せきばら》ひ
『これこれ|満場《まんぢやう》の|諸君《しよくん》たち |貴方《あなた》は|此処《ここ》の|神様《かみさま》を
|信仰《しんかう》なさるは|宜《よ》けれども |随分《ずゐぶん》|用心《ようじん》なさらぬと
|商売《しやうばい》|繁昌《はんじやう》|病気《びやうき》|平癒《へいゆ》 |子孫《しそん》|長久《ちやうきう》は|中々《なかなか》に
|思《おも》うた|様《やう》には|出来《でき》ませぬ |天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|有様《ありさま》を
|皆《みな》さま|心《こころ》に|刻《きざ》み|込《こ》み |中有界《ちううかい》や|地獄道《ぢごくだう》
いろいろ|雑多《ざつた》の|神様《かみさま》の |尊《たふと》き|教《をしへ》を|体得《たいとく》し
|置《お》かねば|何程《なにほど》|信神《しんじん》を して|見《み》た|処《ところ》で|無益《むえき》ぞや
|私《わたし》はもとはバラモンの |神《かみ》に|仕《つか》へた|者《もの》ですが
|野中《のなか》の|森《もり》で|図《はか》らずも |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|治国別《はるくにわけ》の|弟《おとうと》なる |松彦《まつひこ》|一行《いつかう》に|廻《めぐ》り|会《あ》ひ
|誠《まこと》の|道《みち》をよく|悟《さと》り |此処迄《ここまで》ついて|参《まゐ》りました
まだ|温々《ぬくぬく》の|信者《しんじや》とて |教理《けうり》はしつかり|知《し》らねども
|岡目八目《をかめはちもく》|人《ひと》の|目《め》は あんまり|違《ちが》ふものでない
バラモン|教《けう》に|比《くら》ぶれば ウラナイ|教《けう》はましだらう
さはさりながら|皆《みな》さまよ |此処《ここ》に|祀《まつ》つた|神《かみ》さまは
|天地《てんち》の|元《もと》の|根本《こつぽん》の |月日《つきひ》の|神《かみ》や|世《よ》の|初《はじ》め
|御用《ごよう》なされた|神《かみ》さまが |祀《まつ》つてあると|思《おも》ひますか
それ|程《ほど》|尊《たふと》い|神《かみ》ならば ウラナイ|教《けう》を|開《ひら》いたる
|高姫《たかひめ》さまは|何《なん》として |三五教《あななひけう》に|兜《かぶと》|脱《ぬ》ぎ
|黒姫《くろひめ》さまと|諸共《もろとも》に |神《かみ》の|司《つかさ》になつただらう
ここの|点《てん》をばよくよくも |考《かんが》へなさればウラナイの
|教《をしへ》の|値打《ねうち》も|分《わか》るでせう |正宗《まさむね》さまの|肉宮《にくみや》は
|信者《しんじや》となつて|来《き》て|居《を》つた |衣笠村《きぬがさむら》のお|民《たみ》さまと
|暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|此《この》|館《やかた》 |脱《ぬ》け|出《い》で|一本橋《いつぽんばし》|渡《わた》り
|野中《のなか》の|森《もり》を|乗《の》り|越《こ》えて もう|今頃《いまごろ》は|河鹿山《かじかやま》
|祠《ほこら》の|森《もり》の|近辺《きんぺん》に |逃《に》げて|行《い》つたに|違《ちが》ひない
お|寅婆《とらば》さまが|驚《おどろ》いて |髪《かみ》ふり|乱《みだ》し|其《その》|後《あと》を
|追《お》つ|駆《か》け|行《ゆ》きし|其《その》|様《さま》を |眺《なが》めて|愛想《あいさう》がつきたぞえ
|之《これ》でも|皆《みな》さま|御一同《ごいちどう》は まだ|懲《こ》りずまにウラナイの
|道《みち》を|信仰《しんかう》なされますか |一寸《ちよつと》|意見《いけん》が|尋《たづ》ねたい
|同《おな》じ|事《こと》なら|三五《あななひ》の |神《かみ》の|教《をしへ》を|信仰《しんかう》して
|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|現界《げんかい》に |生《うま》れ|出《い》でたる|本分《ほんぶん》を
|尽《つく》して|神《かみ》をよく|信《しん》じ |天国《てんごく》|浄土《じやうど》へ|上《のぼ》るべき
|準備《じゆんび》を|早《はや》くなされませ |松姫《まつひめ》さまは|久《ひさ》し|振《ぶ》り
|別《わか》れて|程経《ほどへ》し|夫《つま》に|会《あ》ひ |夫婦《めをと》|親子《おやこ》の|名告《なの》りをば
|首尾《しゆび》|克《よ》くなされましたぞや |頂上《ちやうじやう》に|建《た》つた|石《いし》の|宮《みや》
|三社《みやしろ》ともに|祀《まつ》り|替《か》へ |此《この》|世《よ》の|元《もと》の|神様《かみさま》を
|斎《いつ》きまつりて|天地《あめつち》に |怯《お》ぢも|恐《おそ》れも|致《いた》さない
|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》の |誠《まこと》の|御霊《みたま》を|鎮祭《ちんさい》し
|神《かみ》の|恵《めぐみ》を|十分《じふぶん》に |頂《いただ》く|事《こと》になりました
|是非《ぜひ》に|今夜《こんや》は|小北山《こぎたやま》 |小宮《こみや》の|端《はし》に|至《いた》る|迄《まで》
|一《ひと》つも|残《のこ》らず|祀《まつ》り|替《か》へ |変性男子《へんじやうなんし》の|御霊《おんみたま》
|教《をし》へ|給《たま》ひし|神様《かみさま》を お|祀《まつ》り|替《か》へる|段取《だんどり》と
|愈《いよいよ》なつて|来《き》ましたぞ |嘸《さぞ》や|皆《みな》さま|驚《おどろ》いて
|狼狽《うろた》へなさることだらう もしや|嫌《いや》なら|今《いま》の|内《うち》
ここをば|捨《す》ててスタスタと |吾《わが》|家《や》をさしてお|帰《かへ》りよ
あんまりうまい|口車《くちぐるま》 |乗《の》り|切《き》りなさつた|皆《みな》さまは
|容易《ようい》に|私《わたし》の|言《い》ふ|事《こと》を |受取《うけと》り|遊《あそ》ばす|筈《はず》はない
もしや|此《この》|中《うち》|一人《ひとり》でも |分《わか》つた|人《ひと》があるならば
|今夜《こんや》の|此処《ここ》の|御遷宮《ごせんぐう》に |参加《さんか》なさるが|宜《よろ》しからう
|強《た》つて|勧《すす》めはせぬ|程《ほど》に |一寸《ちよつと》|気《き》をつけ|置《お》きまする
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
|斯《かく》の|如《ごと》くアク|公《こう》は|小北山《こぎたやま》の|祭神《さいじん》の|素性《すじやう》をスツパ|抜《ぬ》いた。|百人《ひやくにん》|許《ばか》り|集《あつ》まつてゐた|金太郎《きんたらう》の|信者《しんじや》は|俄《にはか》に|騒《さわ》ぎ|出《だ》し、|形勢《けいせい》|刻々《こくこく》に|怪《あや》しくなり、|彼方《あちら》|此方《こちら》の|隅々《すみずみ》から、
『アク|公《こう》とやらを|引摺《ひきず》り|落《おと》せ、|叩《たた》き|伸《の》ばせ、|道場《だうぢやう》|破《やぶ》りだ、|宮《みや》つぶしだ。|俺達《おれたち》は、こんなことを|聞《き》いて|見逃《みのが》しにやならない。リントウビテン|大臣《だいじん》の|生宮《いきみや》が|承知《しようち》|致《いた》さぬ』
と|喚《わめ》き|立《た》てるものがある。|一方《いつぱう》には|岩照姫《いはてるひめ》の|生宮《いきみや》が|承知《しようち》|致《いた》さぬぞやと、|金切《かなき》り|声《ごゑ》を|絞《しぼ》つて|泣声《なきごゑ》でぞめく。|其《その》|外《ほか》|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|大神《おほかみ》、|木曽義姫《きそよしひめ》の|大神《おほかみ》、|大照皇大神宮《たいせうくわうたいじんぐう》の|肉宮《にくみや》などと|自称《じしよう》する|信者《しんじや》が、|俄《にはか》に|狂《くる》ひ|立《た》ち、|壇上《だんじやう》のアクを|目《め》がけて|襲撃《しふげき》し、|鉄拳《てつけん》の|雨《あめ》を|降《ふ》らす、|足《あし》を|取《と》つて|引摺《ひきず》りおとす、|恰《あだか》も|日比谷ケ原《ひびやがはら》の|選良《せんりやう》|其《その》|儘《まま》の|光景《くわうけい》を|演出《えんしゆつ》した。アクは|人込《ひとごみ》の|中《なか》を、スバしこく|潜《くぐ》つて|姿《すがた》を|隠《かく》した。|其《その》|代《かは》りにタクが|捉《とら》へられ、|悪言暴語《あくげんばうご》の|代償《だいしやう》として|鉄拳《てつけん》の|雨《あめ》を|浴《あ》びせかけられ|半死半生《はんしはんしやう》となつて、|其《その》|場《ば》に|倒《たふ》れて|了《しま》つた。|忽《たちま》ち|大門神社《おほもんじんしや》の|広前《ひろまへ》は|阿鼻叫喚《あびけうくわん》、|一大修羅場《いちだいしゆらぢやう》が|勃発《ぼつぱつ》することとなつた。あゝ|叶《かな》はぬから|目玉《めだま》|飛出《とびだ》しましませよ。
(大正一一・一二・一五 旧一〇・二七 北村隆光録)
第四章 |沸騰《ふつとう》〔一二一四〕
リントウビテン|大神《おほかみ》の|肉《にく》の|宮《みや》と|自称《じしよう》する、|細作《ほそづく》りのオホン|徳利《どくり》の|様《やう》な|顔《かほ》した|男《をとこ》、|糊付物《のりつけもの》の|様《やう》に|固《かた》くなり、タクの|首筋《くびすぢ》をグツと|握《にぎ》りて|強力《がうりき》に|押《おさ》へ|付《つ》けながら、
|喜久《きく》『コヽヽコラ、キヽ|貴様《きさま》は|何処《どこ》の|奴《やつ》だい。この|結構《けつこう》な|地《ち》の|高天原《たかあまはら》を|何《なん》と|心得《こころえ》て|居《ゐ》るか。|此処《ここ》は|人民《じんみん》の|肉体《にくたい》の|初《はじ》まつた|元《もと》だぞ、エーン。もつたいなくも|大将軍様《だいしやうぐんさま》が、|常世姫《とこよひめ》の|命《みこと》と|共《とも》に、|人間《にんげん》の|種《たね》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|五穀《ごこく》、わさ|物《もの》、すゑ|物《もの》、|鳥獣《てうじう》、|虫族《むしけら》に|至《いた》るまでお|生《う》み|遊《あそ》ばした、|根本《こつぽん》の|根本《こつぽん》の|神聖《しんせい》な、|結構《けつこう》な|結構《けつこう》な|御地場《おぢば》だ、エーン。|貴様等《きさまら》のやうなフワフワの|風来者《ふうらいもの》に、|昔《むかし》の|神様《かみさま》の|因縁《いんねん》が|分《わか》つて|耐《たま》らうかい。サア、リントウビテン|大神《おほかみ》の|肉《にく》の|生宮《いきみや》が、|見《み》せしめのために、|其《その》|方《はう》をふん|縛《じば》り、あの|首懸《くびか》け|松《まつ》に|引《ひ》つかけてやらう。オイ|木曽義姫《きそよしひめ》の|生宮《いきみや》、|早《はや》く|綱《つな》をもつて|来《こ》い』
|木曽義姫《きそよしひめ》の|生宮《いきみや》と|云《い》はれた|女《をんな》は、|喜久公《きくこう》の|女房《にようばう》お|覚《かく》であつた。お|覚《かく》はおろおろ|声《ごゑ》を|出《だ》して、|悲《かな》しさと|腹立《はらだ》たしさにびりびり|慄《ふる》へて|居《ゐ》る。|又《また》|一方《いつぱう》から、|一人《ひとり》の|男《をとこ》が|立《た》ち|現《あら》はれ、
『コリヤ、|貴様《きさま》はバラモン|教《けう》から|三五教《あななひけう》へ|鞍替《くらが》へ|致《いた》した|不信仰者《ふしんかうもの》の|癖《くせ》に、|何《なに》を|偉《えら》さうにぬかすのだ、エーン。|俺《おれ》を|誰《たれ》だと|心得《こころえ》て|居《ゐ》る、|勿体《もつたい》なくも|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|大神様《おほかみさま》の|生宮《いきみや》だぞ。|貴様《きさま》のやうな|悪魔《あくま》が|天下《てんか》を|横行《わうかう》するよつて、この|世《よ》の|中《なか》が|日《ひ》に|増《ま》し|乱《みだ》れて|来《く》るのだ。さうだから、|天《てん》の|五六七《みろく》の|大神様《おほかみさま》が|小北山《こぎたやま》の|聖場《せいぢやう》に|現《あら》はれて、|神政成就《しんせいじやうじゆ》のお|仕組《しぐみ》をして|厶《ござ》るのだ。サア|速《すみやか》に|大神様《おほかみさま》にお|詫《わび》を|致《いた》すか、どうだ、エーン。この|竹《たけ》さまを|何《なん》と|心得《こころえ》て|居《ゐ》る。|聞《き》くに|耐《た》へざる|雑言《ざふごん》|無礼《ぶれい》の|言葉《ことば》を|並《なら》べ、この|聖場《せいぢやう》を|汚《けが》さむとする。|返答《へんたふ》|次第《しだい》で|容赦《ようしや》はならぬ』
と|喚《わめ》き|立《た》てる。
タク『リントウビテンか|五六七成就《みろくじやうじゆ》か|知《し》らぬが、|俺《おれ》はタクと|云《い》ふものだ。やかましく|云《い》つたのはアクが|云《い》つたのだ。なぜアクをつかまへて|詮議《せんぎ》をせぬのか、|俺《おれ》の|迷惑《めいわく》ぢやないか。|勿体《もつたい》なくも|神《かみ》の|宿《やど》りたまふお|頭《かしら》を|打擲《どうづ》きやがつて、エーン、それでも|神《かみ》の|信仰《しんかう》と|云《い》へるか。|耄碌不成就《まうろくふじやうじゆ》の|神《かみ》の|生宮《いきみや》め』
|竹《たけ》『|耄碌《まうろく》|不成就《ふじやうじゆ》の|神《かみ》とは|何《なん》だ、|狸野郎《たぬきやらう》め、もう|了簡《れうけん》はならぬぞ』
|竹公《たけこう》の|女房《にようばう》お|福《ふく》は|目《め》を|釣《つ》り|上《あ》げ、|口《くち》をもがもがさせながら|首《くび》を|頻《しき》りに|振《ふ》り、
『|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》の|大神《おほかみ》が|気《き》をつけるぞや。|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|大神《おほかみ》の|生宮《いきみや》|殿《どの》、リントウビテン|大神《おほかみ》の|生宮《いきみや》|殿《どの》、|木曽義姫《きそよしひめ》の|肉《にく》の|宮殿《みやどの》、|暫《しば》らく|待《ま》つて|下《くだ》されよ。|今《いま》に|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》の|生宮《いきみや》が|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》けて|御目《おんめ》にかけるぞや。アク、タク、テクの|如《ごと》き|人間《にんげん》を|相手《あひて》に|致《いた》すぢやないぞ。|今《いま》の|人間《にんげん》は|神《かみ》でも|叶《かな》はぬやうな|理屈《りくつ》を|囀《さへづ》るによつて|神《かみ》でも|口《くち》には|叶《かな》はぬぞよ。|今《いま》に|実地《じつち》を|見《み》せて|改心《かいしん》を|致《いた》させてやるから、お|控《ひか》へなされよ。|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》が|気《き》をつけるぞよ。この|男《をとこ》はアクを|働《はたら》いて|行《ゆ》き|詰《つま》り、|此《この》|小北山《こぎたやま》の|神殿《しんでん》へ|強請《ゆすり》に|来《き》よつた、アク|公《こう》であるぞよ。こんな|四《よ》つ|足《あし》|人間《にんげん》に|相手《あひて》になりて|居《を》りたら、|又《また》|熊公《くまこう》のやうに|駄々《だだ》をこねられて、|一万両《いちまんりやう》|呉《く》れと|申《まを》すぞよ。ぢやと|申《まを》して|一万両《いちまんりやう》は|愚《おろ》か、|一銭《いつせん》たりともやることはならぬぞよ。|又《また》|此《こ》のタクは、アクの|委託《ゐたく》を|受《う》けて|来《き》て|居《ゐ》るのだから、|沢山《たくさん》のお|金《かね》を|絞《しぼ》るつもりで|居《を》るなれど|金神《こんじん》が|許《ゆる》さぬぞや。そこに|慄《ふる》うて|居《ゐ》る|男《をとこ》は|手癖《てくせ》が|悪《わる》いから【テク】と|名《な》がついたのであるぞよ。|早《はや》く|改心《かいしん》|致《いた》さぬと|眩暈《めまひ》が|来《く》るぞよ。|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|御時節《ごじせつ》が|来《き》て|居《ゐ》るのに、|何《なに》をグヅグヅして|居《ゐ》るのだ。|人間《にんげん》で|神《かみ》の|事《こと》は|分《わか》らぬぞや。ウンウンウン』
テク『アハヽヽヽ、|何《なに》を|吐《ぬか》しやがるのだい。アタ|阿呆《あはう》らしい。|欠伸《あくび》の|友呼《ともよ》び、|猿《さる》の|木登《きのぼ》り|姫《ひめ》の|生宮《いきみや》|奴《め》、|能《よ》くもそんな|馬鹿《ばか》な|事《こと》が|云《い》へたものだ。サアこれから|俺《おれ》が|審神《さには》をしてやらう、こりや|耄碌不成就《まうろくふじやうじゆ》の|神《かみ》の|生宮《いきみや》、|早《はや》くタクの|体《からだ》を|離《はな》しよらぬか、|今《いま》にグヅグヅ|致《いた》して|居《を》ると、|上義姫《じやうぎひめ》の|肉《にく》の|宮《みや》がお|出《い》で|遊《あそ》ばしたら、|貴様《きさま》は|忽《たちま》ち|免職《めんしよく》だぞ。こりやカリン|糖《たう》、|鼬貂《いたてん》の|大神《おほかみ》|奴《め》が、|鼬貂《いたてん》の|肉宮《にくみや》、|貴様《きさま》も|同類《どうるゐ》だ。|今《いま》に|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|大神《おほかみ》の|生宮《いきみや》に|告発《こくはつ》するからさう|思《おも》へ』
|竹《たけ》『|何《なん》と|言《い》つても|貴様《きさま》が|道場《だうぢやう》|破《やぶ》りに|来《き》たのだから、|上義姫《じやうぎひめ》さまだつて|末代《まつだい》さまだつて、お|叱《しか》り|遊《あそ》ばす|道理《だうり》があらうか、サア|首懸《くびか》け|松《まつ》へ|引《ひ》つかけてやらう』
|後《うしろ》の|方《はう》から|又《また》|一人《ひとり》の|女《をんな》が|首《くび》をふり|囀《さへづ》り|出《だ》した。
『|此《この》|方《はう》は|岩照姫《いはてるひめ》の|神《かみ》の|生宮《いきみや》だ。|此《この》|場《ば》の|争《あらそ》ひは|神《かみ》が|預《あづ》かるぞや、お|鎮《しづ》まりなさい』
|喜久《きく》『ヤア、これはこれは|岩照姫《いはてるひめ》の|生宮様《いきみやさま》、|貴女《あなた》は|生羽神社大神《いきばじんしやおほかみ》|様《さま》の|奥様《おくさま》、|御仲裁《ごちうさい》とは|恐《おそ》れ|入《い》ります。|然《しか》らば|貴女《あなた》のお|脇立《わきだち》たるリントウビテンの|大神《おほかみ》、オイ|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|大神《おほかみ》の|生宮《いきみや》、お|前《まへ》も|鎮《しづ》まつたらどうだ。|岩照姫《いはてるひめ》の|肉《にく》の|生宮様《いきみやさま》のお|言葉《ことば》には|背《そむ》かれまいぞ』
|竹《たけ》『|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|大神《おほかみ》も、それなら、これで|鎮《しづ》まらう』
テク『アハヽヽヽ、いや|有難《ありがた》う。|岩挺姫《いはてこひめ》|様《さま》、やつぱり|貴女《あなた》は|神力《しんりき》がありますなア。なるほど|岩挺姫《いはてこひめ》|様《さま》ほどあつて、|岩《いは》でも|挺《てこ》でも|動《うご》かぬ|御神力《ごしんりき》だ。|南無《なむ》|岩挺大明神《いはてこだいみやうじん》さま、|叶《かな》はぬから|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
かくガヤガヤと|乱痴気《らんちき》|騒《さわ》ぎの|最中《さいちう》に|慌《あわただ》しくやつて|来《き》たのは、お|寅《とら》にお|菊《きく》、お|千代《ちよ》の|三人《さんにん》であつた。
お|寅《とら》はこの|有様《ありさま》を|見《み》て、|一寸《ちよつと》ばかり|吃驚《びつくり》したが|遉《さすが》の|強者《しれもの》、ジツクリと|様子《やうす》を|考《かんが》へ、|仲裁《ちうさい》の|労《らう》を|取《と》らむと|言霊《ことたま》を|打《う》ち|出《だ》した。
『これこれ|竹《たけ》さま|喜久《きく》さまえ |旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》りさま
|木曽義姫《きそよしひめ》の|肉《にく》の|宮《みや》 |大事《だいじ》のお|客《きやく》をつかまへて
|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》|言《い》ひなさる |五六七成就《みろくじやうじゆ》の|大神《おほかみ》も
リントウビテンの|大神《おほかみ》も お|前《まへ》さまの|行《おこな》ひ|悪《わる》ければ
|忽《たちま》ち|帰《かへ》つて|仕舞《しま》ひますぞ |一《いち》を|聞《き》いたら|十《じふ》を|知《し》る
|気《き》の|利《き》いた|身魂《みたま》でない|事《こと》にや どうしても|神業《しんげふ》はつとまらぬ
|仮令《たとへ》アクさまがどう|云《い》はうと タク、テクさまが|笑《わら》ふとも
そんな|枝葉《えだは》の|問題《もんだい》を |捉《とら》へてゴテゴテやかましう
|目《め》に|角《かど》|立《た》てて|泡《あわ》を|吹《ふ》き |怒《いか》り|散《ち》らせる|時《とき》ぢやない
|皆《みな》さま|考《かんが》へなさいませ これのお|山《やま》に|祀《まつ》つたる
|二十三柱《にじふさんはしら》の|神《かみ》さまは |高姫《たかひめ》さまが|言《い》ひ|出《だ》した
|素性《すじやう》の|分《わか》らぬものばかり それに|勿体《もつたい》をつけなされ
へぐれのへぐれのへぐれ|武者《むしや》 |身魂《みたま》の|変化《へぐ》れたへぐれ|神社《じんしや》
|何《なん》ぢや|彼《か》んぢやと|旨《うま》い|事《こと》 |構《かま》へて|神名《しんめい》をつけて|置《お》き
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|一心《いつしん》に |祀《まつ》つて|居《ゐ》たが|何一《なにひと》つ
|神徳《しんとく》|現《あら》はれない|故《ゆゑ》に |肝腎要《かんじんかなめ》の|教祖《けうそ》さまが
|眼《まなこ》をさまして|三五《あななひ》の |道《みち》にお|入《はい》りなさつたは
|皆《みな》さま|知《し》つて|居《ゐ》る|通《とほ》り |蠑〓別《いもりわけ》の|教祖《けうそ》さまが
|糟《かす》を|拾《ひろ》うて|小北山《こぎたやま》 |開《ひら》いて|祀《まつ》つた|神様《かみさま》ぢや
それ|故《ゆゑ》|曲津《まがつ》が|憑依《ひようい》して |玉則姫《たまのりひめ》と|云《い》うて|居《ゐ》た
お|民《たみ》と|昨夕《ゆふべ》|手《て》を|引《ひ》いて |私《わたし》の|頭《あたま》を|打《う》ち|叩《たた》き
お|金《かね》を|取《と》り|出《だ》し|懐《ふところ》に |入《い》れてサツサと|逃《に》げ|出《いだ》し
お|民《たみ》の|奴《やつ》の|手《て》を|引《ひ》いて スタスタ|逃《に》げて|往《ゆ》きよつた
それでも|蠑〓別《いもりわけ》さまは |正直一途《しやうぢきいちづ》の|人《ひと》だから
お|寅《とら》は|決《けつ》して|厭《いと》やせぬ |神《かみ》さまだとて|其《その》|通《とほ》り
お|憎《にく》みなさらう|筈《はず》がない そんなくだらぬ|喧嘩《けんくわ》をば
ゴテゴテして|居《ゐ》る|間《ま》があれば お|前等《まへら》の|教《をしへ》の|親《おや》とます
|正宗《まさむね》さまが|一時《いつとき》も |早《はや》く|帰《かへ》つて|来《きた》るよに
|御祈願《ごきぐわん》なさるがよからうよ グヅグヅして|居《ゐ》る|時《とき》ぢやない
|魔我彦《まがひこ》だとて|其《その》|通《とほ》り |玉則姫《たまのりひめ》のお|民《たみ》をば
|正宗《まさむね》さまにさらはれて どうして|男《をとこ》が|立《た》ちますか
|私《わたし》も|聊《いささ》か|気《き》が|揉《も》める |皆《みな》さま|早《はや》う|神様《かみさま》に
お|祈《いの》りなさるがよからうぞ とは|云《い》ふものの|小北山《こぎたやま》
|神《かみ》に|祈《いの》ろと|思《おも》へども |何《なん》とはなしに|信用《しんよう》が
|一寸《ちよつと》|置《お》けなくなつて|来《き》た ならう|事《こと》なら|皆《みな》さまよ
|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》を |祈《いの》つて|下《くだ》さる|気《き》はないか
|叶《かな》はぬ|時《とき》の|神頼《かみだの》み |正宗《まさむね》さまが|帰《かへ》つたら
|又《また》|其《その》|後《あと》で|更《あらた》めて これのお|山《やま》に|祀《まつ》つたる
|二十三柱《にじふさんはしら》の|神様《かみさま》を |拝《をが》めばそれでよいぢやないか
|今《いま》の|間《あひだ》は|三五《あななひ》の |神《かみ》をたらして|手《て》を|合《あは》せ
|拝《をが》み|倒《たふ》して|正宗《まさむね》の |肉《にく》のお|宮《みや》を|逸早《いちはや》く
ここへ|帰《かへ》して|貰《もら》はねば お|寅《とら》の|胸《むね》がをさまらぬ
これこれ|魔我彦《まがひこ》、|義理天上《ぎりてんじやう》 |何《なに》をグヅグヅして|居《ゐ》るか
|一《ひと》つ|鉢巻《はちまき》|締《し》め|直《なほ》し |一生懸命《いつしやうけんめい》|三五《あななひ》の
|神《かみ》を|祈《いの》つてお|民《たみ》|奴《め》と |目《め》ひき|手《て》を|引《ひ》き|袖《そで》を|引《ひ》き
|一旦《いつたん》この|場《ば》を|逐電《ちくでん》し お|民《たみ》の|奴《やつ》を|手《て》の|中《なか》に
|丸《まる》めて|私《わたし》の|禍《わざはひ》を |早《はや》く|除《のぞ》いて|呉《く》れるよに
|何故《なぜ》|拝《をが》まぬか|焦《じれ》つたい これこれ|皆《みな》の|信者《しんじや》さま
|何《なに》をクツクツ|笑《わら》ふのだ |神《かみ》に|対《たい》して|済《す》みませぬ
|早《はや》くお|詫《わび》をした|上《うへ》で |神《かみ》の|御《おん》|為《た》め|人《ひと》の|為《た》め
|殊更《ことさら》お|寅《とら》の|身《み》のために |一心不乱《いつしんふらん》に|祈《いの》つとくれ
|義理天上《ぎりてんじやう》の|御教《みをしへ》を |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|聞《き》いた|人《ひと》
ちつとは|義理《ぎり》も|分《わか》るだらう |早《はや》く|拝《をが》んで|下《くだ》されよ
これこれタクさま、テクさまも |一緒《いつしよ》に|拝《をが》んで|下《くだ》しやんせ
|私《わたし》は|腹《はら》が|立《た》つわいな |腹立《はらた》つばかりか|気《き》が|揉《も》める
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 お|寅《とら》が|神《かみ》の|御前《おんまへ》に
|赤心《まごころ》こめて|頼《たの》みます』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に、|恥《はぢ》も|外聞《ぐわいぶん》も|忘《わす》れて、|仲裁《ちうさい》どころか、|信者《しんじや》に|向《むか》ひ、|自分《じぶん》の|恋男《こひをとこ》の|引《ひ》き|戻《もど》しを|早《はや》く|祈《いの》つて|呉《く》れなくては、|信者《しんじや》としての|義理《ぎり》が|済《す》むまいと、|妙《めう》な|所《ところ》へ|理屈《りくつ》をつけて、|嫉妬《しつと》の|余炎《よえん》をもらして|居《ゐ》る。
タク『アハヽヽヽ、ここへ|来《き》てから|痛《いた》い|目《め》や、|苦《くる》しい|目《め》や、をかしい|目《め》や、|面白《おもしろ》い|目《め》に|遇《あ》はされ、|今《いま》|又《また》お|寅《とら》さまの|婆勇《ばばいさみ》を|拝見《はいけん》して、|実《じつ》に|爽快《さうくわい》の|念《ねん》に|打《う》たれました。|年《とし》はとつても|矢張《やは》り|若《わか》い|男《をとこ》を|亭主《おやぢ》に|持《も》つだけあつて|元気《げんき》|旺盛《わうせい》なものぢやな、いやもうお|寅《とら》さまの|精力家《せいりよくか》には|舌《した》を|巻《ま》きましたよ。|唖然《あぜん》が|中有《ちうう》に|迷《まよ》ひましたよ。|実《じつ》に|小北山《こぎたやま》と|言《い》ふ|処《ところ》は、|種物神社《たねものじんしや》が|祀《まつ》つてあるだけあつて、|沢山《たくさん》の|話《はなし》の|種《たね》を|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しました。これが|小北山《こぎたやま》へ|吾々《われわれ》の|参拝《さんぱい》した|余徳《よとく》と|云《い》ふものだ。|南無《なむ》|種物神社大神《たねものじんしやおほかみ》|殿《どの》、|守《まも》りたまへ|幸《さきは》へたまへ』
テク『お|寅《とら》さま、|随分《ずゐぶん》ウラナイ|教《けう》には|英傑《えいけつ》が|沢山《たくさん》に|居《を》りますね。|第一《だいいち》|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|大神《おほかみ》の|生宮《いきみや》、リントウビテン|大神《おほかみ》の|生宮《いきみや》、|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》、|木曽義姫《きそよしひめ》なんかの|活動振《くわつどうぶ》りと|云《い》つたら、|随分《ずゐぶん》|見物《みもの》でしたよ。それに、も|一《ひと》つ|感心《かんしん》なのは|岩照姫《いはてるひめ》さまの|生宮《いきみや》だつた。いやあまりの|御神徳《ごしんとく》の|絶無《ぜつむ》なのに|感心《かんしん》|致《いた》しました。オツホヽヽヽ』
|竹《たけ》『おい、テク、テクの|棒《ぼう》、お|前《まへ》はここへ|嬲《なぶ》りに|来《き》たのか、|冷《ひや》かしに|来《き》たのか、エーン、|怪《け》しからぬ|事《こと》を|云《い》ふぢやないか。|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|生宮《いきみや》を|耄碌不成就《まうろくふじやうじゆ》の|生宮《いきみや》だなんて|言《い》つたぢやないか。どこが|耄碌《まうろく》だい』
テク『|今《いま》は|世《よ》が|逆様《さかさま》になつて|居《ゐ》るから、|逆様《さかさま》を|云《い》つたのだよ。|五六七《みろく》の|世《よ》が|成就《じやうじゆ》|致《いた》したならば、|万歳《ばんざい》を|祝《しゆく》するために|緑毛《ろくまう》の|亀《かめ》がお|祝《いはひ》に|出《で》て|来《き》て|踊《をど》るだらうと|思《おも》つたから、|緑毛《ろくまう》を|逆様《さかさま》に|読《よ》んで|毛緑《まうろく》と|云《い》つたのだよ。|何事《なにごと》も|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》すのだよ。それが|神《かむ》ながらの|道《みち》だ。あゝ|皆《みんな》に【カチ】こまれて、|叶《かな》はぬからたまちはへませ、|叶《かな》はぬからたまちはへませ』
|一同《いちどう》『アハヽヽヽ、ウフヽヽヽ、オホヽヽヽ』
(大正一一・一二・一五 旧一〇・二七 加藤明子録)
第五章 |菊《きく》の|薫《かをり》〔一二一五〕
お|菊《きく》は|満座《まんざ》の|騒擾《さうぜう》を|見《み》て、|慌《あわただ》しく|壇上《だんじやう》に|登《のぼ》り、|白扇《はくせん》をもつて|卓《たく》の|脚《あし》を|叩《たた》きながら|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。
『ウラナイ|教《けう》の|大教主《だいけうしゆ》 |蠑〓別《いもりわけ》は|大広木《おほひろき》
|正宗《まさむね》さまと|名告《なの》りつつ |高姫《たかひめ》さまの|後《あと》|襲《おそ》ひ
|魔我彦《まがひこ》さまの|義理天上《ぎりてんじやう》 |怪《あや》しき|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》さまと
|北山村《きたやまむら》を|立出《たちい》でて こんな|所《ところ》へ|出張《しゆつちやう》し
|唯一無二《ゆゐいつむに》なる|聖場《せいぢやう》と |讃《たた》へてお|寅《とら》の|鈴野姫《すずのひめ》
|人《ひと》には|云《い》はぬ|隠《かく》し|妻《づま》 |夫婦《ふうふ》の|水火《いき》を|合《あは》せつつ
|大神業《だいしんげふ》を|起《おこ》さむと |朝《あさ》から|晩《ばん》まで|酒《さけ》を|飲《の》み
|世《よ》に|落《お》ち|給《たま》ひし|神《かみ》さまに |神酒《みき》を|献上《けんじやう》するといひ
|朝《あさ》から|晩《ばん》まで【づぶ】|六《ろく》に |酔《よ》つて|厶《ござ》つた|其《その》|姿《すがた》
|張子《はりこ》の|虎《とら》のやうだつた |露国《ろこく》の|土地《とち》に|生《うま》れたる
|大海原《おほうなばら》の|姫神《ひめがみ》が |大《おほ》【ふね】さまと|生《うま》れ|変《かは》り
その|又《また》|霊《れい》が|変化《へんげ》して |八坂《やさか》の|盛竹大臣《もりたけだいじん》と
|御成《おな》りなさつたといふ|事《こと》だ |大舟《おほふね》さまの|兄弟《きやうだい》に
|大岩《おほいは》|大藤《おほふぢ》|二柱《ふたはしら》 あるとか|教《をし》へて|下《くだ》さつた
|元下則武《もとしたのりたけ》|日吉姫《ひよしひめ》 |夫婦《ふうふ》の|仲《なか》に|出来《でき》た|子《こ》が
|時文《じぶん》といつて|其《その》|家来《けらい》 |八坂盛竹《やさかもりたけ》を|随《したが》へて
|神《かみ》の|御国《みくに》に|渡《わた》り|来《く》る |其《その》|又《また》|日吉《ひよし》の|姫《ひめ》さまは
|大海原姫《おほうなばらひめ》|又《また》の|御名《みな》 |平野《ひらの》の|姫《ひめ》の|変化《へんげ》だと
|訳《わけ》のわからぬ|御説教《ごせつけう》 |何時《いつ》も|御聞《おき》かせ|遊《あそ》ばした
|露国《ろこく》の|土地《とち》の|頭領《とうりやう》は |山竹《やまたけ》さまで|又《また》の|名《な》は
|黄竜姫《わうりようひめ》と|言《い》うたげな |黄竜姫《わうりようひめ》は|又《また》へぐれ
|大鶴姫《おほづるひめ》とならしやつた |常世《とこよ》の|姫《ひめ》が|又《また》へぐれ
|猿田子《さだこ》の|姫《ひめ》や|平野姫《ひらのひめ》 |大海原姫《おほうなばらひめ》や|日吉姫《ひよしひめ》
てるむす|孟子《まうし》|路易《ろい》|出《い》づる |何《なん》だかわけの|分《わか》らない
|前後《ぜんご》|矛盾《むじゆん》の|御神名《ごしんめい》 【てるむす】|姫《ひめ》の|又《また》の|名《な》は
【たらた】|姫《ひめ》だと|云《い》ふ|事《こと》だ |口《くち》から|馬《うま》が|生《うま》れたり
|獅子《しし》が|飛出《とびで》る|孔雀《くじやく》|生《う》む |蜈蚣《むかで》に|蛇《へび》に|蟇蛙《ひきがへる》
その|又《また》|蛙《かへる》と|狐《きつね》さまが つるんで|人《ひと》を|生《う》んだとか
わけのわからぬ|事《こと》ばかり |酒《さけ》の|上《うへ》にてベラベラと
|仰有《おつしや》るのだから|怺《たま》らない |之《これ》を|思《おも》へばアクさまが
|名《な》の|無《な》き|神《かみ》ぢやというたのも あながち|無理《むり》ではあらうまい
|神《かみ》の|戸籍《こせき》は|何《ど》うあろと |決《けつ》して|心配《しんぱい》は|要《い》りませぬ
ただ|神徳《しんとく》を|頂《いただ》いて |此《この》|世《よ》が|楽《らく》に|暮《くら》せたら
それで|皆《みな》さまは|宜《よろ》しかろ |天地尋常《てんちじんじやう》の|神《かみ》さまや
|青森白木上《あをもりしらきじやう》の|神《かみ》 |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|義理天上《ぎりてんじやう》
|常世《とこよ》の|姫《ひめ》や|黄竜姫《わうりようひめ》 |大足姫《おほだるひめ》や|言上姫《ことじやうひめ》
|金山姫《かなやまひめ》や|未姫《ひつじひめ》 |地上大臣《ちじやうだいじん》|地上丸《ちじやうまる》
【たがやし】|大臣《だいじん》|杵築姫《きづきひめ》 |朝日子姫《あさひこひめ》や【みのる】|姫《ひめ》
【はやざと】|姫《ひめ》や|地上姫《ちじやうひめ》 |以上《いじやう》|十六神柱《じふろくかむばしら》
これが|根本《こつぽん》の|根本《こつぽん》の |昔《むかし》の|昔《むかし》のさる|昔《むかし》
まだも|昔《むかし》のその|昔《むかし》 |霊《れい》の【もと】なる|十六《じふろく》の
お|菊《きく》の|御魂《みたま》と|云《い》ふ|事《こと》だ お|菊《きく》は|今《いま》や|十六《じふろく》の
|冬《ふゆ》を|迎《むか》へた|花盛《はなざか》り |神《かみ》の|御名《みな》をばとらまへて
ゴテゴテいふより|此《こ》の|菊《きく》を |拝《をが》んだ|方《はう》が|御利益《ごりやく》が
よつぽど|沢山《たんと》あるだろ |義理天上《ぎりてんじやう》が|預《あづか》つて
|御育《おそだ》て|申《まを》した|七人《しちにん》の |神《かみ》は|天照彦《あまてるひこ》さまに
|天若彦《あまわかひこ》や|八王《やつわう》さま |大野大臣《おほのだいじん》|大広木《おほひろき》
|正宗《まさむね》さまや|同情《どうじやう》の ふかい|道上義則《だうじやうよしのり》や
|柔道行成《じうだうゆきなり》|此《この》|神《かみ》を |合《あは》せて|二十三神《にじふさんしん》と
|崇《あが》めまつると|聞《き》きました |此《この》|神《かみ》さまは|親《おや》が|子《こ》に
なるかと|思《おも》へば|子《こ》が|親《おや》に なつたり|又《また》も|主従《しうじゆう》に
なつたりなされてこれといふ |定《きま》つた|判定《はんてい》がつきませぬ
|不思議《ふしぎ》と|思《おも》うて|正宗《まさむね》に |神名《しんめい》の|由来《ゆらい》を|聞《き》いた|時《とき》
|正宗《まさむね》さまは|仰有《おつしや》つた へぐれのへぐれのへぐれ|武者《むしや》
【へぐれ】|神社《じんしや》と|云《い》ふぢやないか |如何《いか》に|矛盾《むじゆん》があるとても
へぐれといへば|一言《ひとこと》で どんな|事《こと》でも|解決《かいけつ》が
つくではないかお|菊《きく》さま |馬鹿正直《ばかしやうぢき》に|神《かみ》さまを
|崇《あが》める|奴《やつ》が|何処《どこ》にある お|前《まへ》は|文明《ぶんめい》の|空気《くうき》をば
|吸《す》うた|女《をんな》に|似《に》もやらず |馬鹿正直《ばかしやうぢき》のものだなと
|笑《わら》うてゐられた|事《こと》がある |之《これ》を|思《おも》へば|此《この》|山《やま》に
|祀《まつ》つた|神《かみ》は|皆《みな》|怪《あや》し |末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神《かみ》も
|上義《じやうぎ》の|姫《ひめ》も|皆《みな》|嘘《うそ》だ |五六七成就《みろくじやうじゆ》の|肉宮《にくみや》も
リントウビテンの|肉宮《にくみや》も |生羽神社《いきばじんしや》も|岩照姫《いはてるひめ》も
|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》も |木曽義姫《きそよしひめ》の|肉宮《にくみや》も
|日《ひ》の|丸姫《まるひめ》も|天上《てんじやう》さまも |玉則姫《たまのりひめ》も|大将軍《だいしやうぐん》も
|常世《とこよ》の|姫《ひめ》も|皆《みな》【うそ】だ |四個《しこ》の|野狐《やかん》が|憑依《のりうつ》り
こんな|他愛《たあい》もない|事《こと》を |喋《しやべ》つて|人《ひと》を|暗黒《あんこく》へ
|導《みちび》くものと|覚《おぼ》えたり お|菊《きく》はこれから|皆様《みなさま》へ
|立腹《りつぷく》させていろいろと |責《せ》め|立《た》てられるか|知《し》らねども
|他人《ひと》を|助《たす》ける|神《かみ》の|道《みち》 |嘘《うそ》と|知《し》りつつこれが|又《また》
|何《ど》うして|黙《だま》つて|居《を》られませう |何卒《なにとぞ》|妾《わたし》の|言《い》ふ|事《こと》を
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し よくよく|悟《さと》つて|下《くだ》さんせ
|生命《いのち》をかけて|皆《みな》さまに |一伍一什《いちぶしじふ》の|内幕《うちまく》を
ここに|打明《うちあ》け|奉《たてまつ》る あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
みたま|幸《さち》はひましませよ |旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|誠《まこと》|一《ひと》つでない|事《こと》にや |此《この》|世《よ》に|栄《さか》えて|行《ゆ》かれない
|妾《わたし》は|未来《みらい》が|恐《おそ》ろしい |短《みじか》い|此《この》|世《よ》に|生命《いのち》をば
|保《たも》たむために|嘘《うそ》ばかり ならべて|人《ひと》を|迷《まよ》はせつ
|永《なが》き|地獄《ぢごく》の|苦《くる》しみの |種子《たね》を|蒔《ま》くのは|嫌《いや》だ|故《ゆゑ》
|物質上《ぶつしつじやう》の|得失《とくしつ》を かへりみせずに|天地《あめつち》の
|真理《しんり》をここに|現《あら》はして |迷《まよ》ひ|切《き》つたる|人々《ひとびと》の
|御眼《おんめ》をさましおきまする |悪《わる》く|思《おも》うて|下《くだ》さるな
|偏《ひとへ》に|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
みたま|幸《さち》はひましませよ』
テクは|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『|松彦《まつひこ》さまに|随《したが》ひて |小北《こぎた》の|山《やま》の|坂道《さかみち》を
テクテク|上《のぼ》り|来《き》て|見《み》れば |木造《もくざう》|石造《せきざう》いろいろの
|沢山《たくさん》な|宮《みや》が|立《た》つてゐる お|寅婆《とらば》さまに|随《したが》ひて
|大門神社《おほもんじんしや》の|受付《うけつけ》を たづねて|見《み》れば|白衣《びやくえ》をば
つけたる|爺《ぢ》さまがただ|一人《ひとり》 |蕪大根《かぶらだいこ》をセツセツと
|一生懸命《いつしやうけんめい》に|描《か》いてゐる |不思議《ふしぎ》な|神《かみ》もあるものと
|疑《うたが》ひながら|山中《やまぢう》を |廻《めぐ》つていよいよ|曲神《まがかみ》の
|醜《しこ》の|住処《すみか》と|悟《さと》りました |大方《おほかた》|此処《ここ》は|幽冥《いうめい》の
|世界《せかい》に|通《つう》づる|八衢《やちまた》か |六道《ろくだう》の|辻《つじ》かさもなくば
|八万地獄《はちまんぢごく》の|入口《いりぐち》と |思《おも》うた|事《こと》は|違《ちが》はない
いよいよ|真相《しんさう》を|暴露《ばくろ》して |教祖《けうそ》と|名告《なの》つた|蠑〓別《いもりわけ》さまは
|夫婦《めをと》|喧嘩《けんくわ》をおつ|始《ぱじ》め お|民《たみ》とひそかに|喋《しめ》し|合《あ》ひ
|闇《やみ》にまぎれてすたすたと |尻尾《しつぽ》をまいて|逃《に》げ|出《だ》した
|後姿《うしろすがた》をながむれば |狐《きつね》|狸《たぬき》か|山犬《やまいぬ》か
|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|其《その》|姿《すがた》 |後《あと》から|唸《うなり》を|立《た》てながら
|夜叉《やしや》の|如《ごと》くに|追《お》つかける お|寅婆《とらば》さまを|眺《なが》むれば
|牛《うし》にもあらず|虎《とら》ならず よくよく|見《み》れば|古狐《ふるぎつね》
|恋路《こひぢ》の|暗《やみ》に|閉《とざ》されて |後前《あとさき》|見《み》ずにトントンと
|恋《こひ》しき|男《をとこ》の|後追《あとお》うて |生命《いのち》からがら|追《お》つて|行《ゆ》く
|小北《こぎた》の|山《やま》の|神殿《しんでん》が |果《はた》して|誠《まこと》の|神様《かみさま》の
|集《あつ》まりいます|所《とこ》なれば |肝腎要《かんじんかなめ》の|教祖《けうそ》さま
|醜《しこ》の|悪魔《あくま》に|憑依《ひようい》され |霊《たま》をぬかれて|此《この》|場《ば》をば
|逃出《にげだ》しなさる|筈《はず》はない |此《この》|有様《ありさま》を|見《み》たならば
|如何《いか》なる|堅《かた》き|迷信《めいしん》も |忽《たちま》ち|夢《ゆめ》が|醒《さ》めるだろ
わたしは|神《かみ》の|道《みち》を|行《ゆ》く |誠《まこと》|一《ひと》つのテク|司《つかさ》
|決《けつ》して|他処《よそ》の|教《をしへ》をば |誹《そし》る|心《こころ》はなけれども
|見《み》るに|見《み》かねて|身《み》を|忘《わす》れ |憎《にく》まれ|口《ぐち》をたたくのだ
|此《この》|場《ば》に|集《あつ》まる|人々《ひとびと》よ |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|宣《の》り|直《なほ》し
よきに|省《かへり》み|給《たま》へかし あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
みたま|幸《さち》はひましませよ』
|斯《か》くテクが|歌《うた》ひ|終《をは》るや、|又《また》もや|大広前《おほひろまへ》は|喧々囂々《けんけんがうがう》として|騒《さわ》ぎ|立《た》て、|怒《おこ》るもの、|泣《な》くもの、|笑《わら》ふもの、|叫《さけ》ぶもの、|千態万状《せんたいばんじやう》、|言語《げんご》に|絶《ぜつ》する|醜態《しうたい》を|演出《えんしゆつ》し|始《はじ》めた。テクは|壇上《だんじやう》より|声《こゑ》を|張《は》りあげて、
『|道《みち》のため|世人《よびと》のために|身《み》をすてて
|生言霊《いくことたま》を|宣《の》り|初《そ》めにけり。
|人々《ひとびと》よ|心《こころ》|安《やす》らに|平《たひら》かに
しづまりませよ|神《かみ》の|大前《おほまへ》。
やがて|今《いま》|元《もと》の|誠《まこと》の|神様《かみさま》を
|斎《いつ》きまつりて|世《よ》を|開《ひら》きゆかむ。
|凩《こがらし》にうたれて|散《ち》りゆく|木々《きぎ》の|葉《は》は
|枝《えだ》にとどまる|力《ちから》なきもの。
|凩《こがらし》に|吹《ふ》かれたたかれ|何処《どこ》までも
|梢《こずゑ》にのこるは|生《い》きたみたまぞ。
|何事《なにごと》の|出《い》で|来《きた》るとも|世《よ》の|元《もと》の
|神《かみ》にしたがへ|百《もも》の|人々《ひとびと》。
|蠑〓別《いもりわけ》、|魔我彦《まがひこ》、お|寅婆《とらば》アさまの
|迷《まよ》ふ|心《こころ》を|照《て》らす|今日《けふ》かな。
|魔我彦《まがひこ》も|今日《けふ》を|嘸《さぞ》かし|悦《よろこ》ばむ
|迷《まよ》ひ|切《き》つたる【やみ】をはなれて』
(大正一一・一二・一五 旧一〇・二七 外山豊二録)
第六章 |千代心《ちよごころ》〔一二一六〕
|竹公《たけこう》は|立上《たちあが》り、|演壇《えんだん》に|登《のぼ》つて|面《つら》をふくらし、|錫《すず》の|瓶《びん》からコツプに|水《みづ》を、ついでは|飲《の》みついでは|飲《の》み、オホン|徳利《どくり》の|様《やう》な|面《つら》をさらし、|顎《あご》を|斜《ななめ》に|前《まへ》の|方《はう》へニユツとつき|出《だ》し、|両手《りやうて》で|卓《たく》をグツと|押《おさ》へ、|腰《こし》を|弓《ゆみ》に|曲《ま》げながら、|述懐《じゆつくわい》を|述《の》べ|始《はじ》めた。
『|浮木《うきき》の|村《むら》に|生《うま》れたる |竹公《たけこう》さまとは|私《わし》のこと
|親《おや》の|代《かは》から|蓄《たくは》へた |資産《しさん》は|余《あま》り|多《おほ》くない
さはさりながら|夫婦《ふうふ》|等《ら》が |一生《いつしやう》|遊《あそ》んで|暮《くら》すだけ
|物質的《ぶつしつてき》の|財産《ざいさん》が あつた|所《ところ》へお|寅《とら》さま
|朝《あさ》も|早《はや》うから|飛《と》んで|来《き》て ウラナイ|教《けう》の|祝詞《のりと》をば
|声《こゑ》|高々《たかだか》と|唱《とな》へ|上《あ》げ コレコレモウシ|竹《たけ》さまよ
|此《この》|世《よ》の|立替《たてかへ》|始《はじ》まつて |悪《あく》の|世界《せかい》は|滅亡《めつぼう》し
|世界《せかい》は|三分《さんぶ》に|減《へ》りますぞ さうした|後《あと》へ|世《よ》を|救《すく》ふ
|五六七菩薩《みろくぼさつ》が|現《あら》はれて |結構《けつこう》な|神世《かみよ》を|立《た》てなさる
|之《これ》を|神政成就《しんせいじやうじゆ》と |教祖《けうそ》のきみが|申《まを》された
|結構《けつこう》な|事《こと》ではないかいな こんな|時代《じだい》に|生《うま》れ|来《き》た
|私《わたし》は|云《い》ふも|更《さら》なれど お|前等《まへら》|夫婦《ふうふ》のお|霊《みたま》は
|昔《むかし》の|昔《むかし》のさる|昔《むかし》 |此《この》|世《よ》の|先祖《せんぞ》とあれませる
|国治立《くにはるたち》の|神様《かみさま》の |根本《こつぽん》の|根本《こつぽん》の|御系統《ごひつぽう》
|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|大神《おほかみ》の |霊《みたま》がうつつて|厶《ござ》るぞや
|物質的《ぶつしつてき》の|財産《ざいさん》を |皆《みな》|神様《かみさま》に|献《たてまつ》り
|家《いへ》をたたんで|小北山《こぎたやま》 |大聖場《だいせいぢやう》に|参上《まゐのぼ》り
|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|結構《けつこう》な |御用《ごよう》を|遊《あそ》ばす|気《き》はないか
お|前《まへ》の|家《うち》のお|福《ふく》さま こなたも|結構《けつこう》なお|霊《みたま》だ
|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》 |五六七神政《みろくしんせい》|成就《じやうじゆ》の
|尊《たふと》き|神《かみ》の|奥様《おくさま》だ なぞと|甘《うま》い|事《こと》|並《なら》べたて
|枯木《かれき》に|餅《もち》がなるやうに よい|事《こと》づくめで|云《い》ふ|故《ゆゑ》に
|首《くび》を|傾《かたむ》け|思案《しあん》する |間《ま》もなくお|福《ふく》が|手《て》をふつて
|突然《とつぜん》|起《おこ》つた|神憑《かむがかり》 |旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》
|神《かみ》の|憑《うつ》つた|因縁《いんねん》の |霊《みたま》のお|福《ふく》ぢや|竹公《たけこう》よ
お|前《まへ》は|五六七成就《みろくじやうじゆ》の |皇神様《すめかみさま》の|生宮《いきみや》ぞ
|旭《あさひ》の|申《まを》す|神勅《しんちよく》を もしも|疑《うたが》ひ|反《そむ》くなら
きつい|神罰《しんばつ》|当《あた》るぞや |七生《しちしやう》までも|祟《たた》るぞと
|現在《げんざい》|女房《にようばう》の|口《くち》をかり なだめつ おどしつ|言《い》ふ|故《ゆゑ》に
|神《かみ》はウソをば|云《い》はないと |思《おも》ひ|込《こ》んだが|病《や》みつきで
|近所隣《きんじよとなり》や|親族《しんぞく》の とめるも|聞《き》かず|家倉《いへくら》を
|二足三文《にそくさんもん》に|売飛《うりと》ばし |残《のこ》らずお|金《かね》にとりまとめ
|何《いづ》れ|此《この》|世《よ》が|替《かは》るのだ |物質的《ぶつしつてき》の|財宝《ざいほう》は
ガラガラガラガラ メチヤメチヤと |今《いま》になるのは|知《し》れてゐる
|結構《けつこう》な|神《かみ》の|御教《みをしへ》を |人《ひと》より|先《さき》に|聞《き》いたのは
ヤツパリ|身魂《みたま》のよい|故《ゆゑ》だ コリヤ|斯《か》うしては|居《を》られぬと
お|寅婆《とらば》さまのお|言葉《ことば》を |一《いち》も|二《に》もなく|承諾《しようだく》し
|夫婦《ふうふ》は|茲《ここ》にウラナイの |信者《しんじや》の|中《なか》の|世話役《せわやく》と
|選《えら》まれ|朝《あさ》から|日暮《ひぐれ》まで |碌《ろく》でないもの|食《く》はされて
|蕪《かぶら》|大根《だいこん》|芋《いも》|牛蒡《ごばう》 これを|唯一《ゆゐいつ》の|御馳走《ごちそう》と
|今《いま》まで|勤《つと》めて|来《き》ましたが タク、テクさまやお|菊《きく》さまの
|今《いま》の|話《はなし》を|聞《き》くにつけ どうやら|眼《まなこ》がさめかけた
|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|大神《おほかみ》と |得意《とくい》になつてゐたけれど
どうやら|此奴《こいつ》ア|怪《あや》しいぞ |小北《こぎた》の|山《やま》の|古狸《ふるだぬき》
|俺《おれ》の|体《からだ》を|宿《やど》として |巣《す》ぐつてゐるに|違《ちが》ひない
|女房《にようばう》お|福《ふく》の|体《からだ》にも |古《ふる》い|狸《たぬき》が|巣《す》をくんで
|天眼通《てんがんつう》だといひながら |女房《にようばう》の|眼《まなこ》をくらませつ
|妙《めう》な|所《ところ》を|見聞《みき》きさせ |馬鹿《ばか》にしてるに|違《ちが》ひない
|思《おも》へば|思《おも》へば|恥《はづか》しや |騙《だま》したお|寅《とら》さまは|憎《にく》けれど
これもヤツパリ|昔《むかし》から |悪《あく》を|働《はたら》いた|其《その》|酬《むく》い
|今《いま》に|現《あら》はれ|来《き》たのだろ こんな|事《こと》にて|今迄《いままで》の
|罪《つみ》や|汚《けが》れがスツパリと |払《はら》はれ|清《きよ》まる|事《こと》ならば
|真《まこと》に|安《やす》い|代償《だいしやう》だ かうなる|上《うへ》は|三五《あななひ》の
|誠《まこと》の|神《かみ》の|御教《みをしへ》を |遵奉《じゆんぽう》なして|道《みち》の|為《ため》
|世人《よびと》の|為《ため》に|真心《まごころ》を |捧《ささ》げまつらむ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》にねぎまつる お|福《ふく》よお|前《まへ》もこれからは
|心《こころ》をスツパリ|立直《たてなほ》し |旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》
なぞといふよな|慢心《まんしん》を |致《いた》しちやならない|惟神《かむながら》
|神《かみ》に|目《め》ざめて|竹公《たけこう》が |一寸《ちよつと》お|前《まへ》に|気《き》をつける
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
お|千代《ちよ》は|壇上《だんじやう》に|登《のぼ》り、|小《ちひ》さき|顔《かほ》に|笑《ゑみ》を|湛《たた》へながら|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『|天地《てんち》を|造《つく》り|給《たま》ひたる |尊《たふと》き|誠《まこと》の|神様《かみさま》の
|智慧《ちゑ》と|力《ちから》に|比《くら》ぶれば |神《かみ》の|生宮《いきみや》|人間《にんげん》の
|知識《ちしき》と|力《ちから》は|大海《たいかい》の |水一滴《みづいつてき》に|如《し》かざらむ
そは|云《い》ふものの|人《ひと》は|又《また》 |万《よろづ》の|物《もの》の|霊長《れいちやう》だ
|尊《たふと》き|神《かみ》が|守護《しゆごう》して |守《まも》り|給《たま》へる|上《うへ》からは
|決《けつ》して|曲《まが》の|犯《をか》すべき |道理《だうり》はなかろ、あの|様《やう》に
|一心不乱《いつしんふらん》に|真心《まごころ》を こめて|天地《てんち》の|神様《かみさま》を
|祈《いの》り|遊《あそ》ばす|上《うへ》からは |其《その》|信仰《しんかう》の|力《ちから》にて
|八岐大蛇《やまたをろち》も|醜鬼《しこおに》も |金毛九尾《きんまうきうび》も|如何《いか》にして
|犯《をか》さむ|由《よし》もなかるべし これの|御山《みやま》に|集《あつ》まれる
|人《ひと》は|残《のこ》らず|世《よ》の|中《なか》に すぐれて|正《ただ》しき|人《ひと》ばかり
ちつとは|理解《りかい》のある|方《かた》と |思《おも》うて|居《ゐ》たに|情《なさけ》なや
|子供《こども》の|私《わたし》の|目《め》にさへも |分《わか》り|切《き》つたる|詐《いつは》りが
|慾《よく》に|迷《まよ》うた|魂《たましひ》にや てつきり|誠《まこと》と|見《み》えるそな
|尊《たふと》き|誠《まこと》の|神様《かみさま》を |朝《あさ》から|晩《ばん》まで|誹謗《ひばう》して
|名《な》もなき|詐《いつは》り|神《がみ》どもを |立派《りつぱ》なお|宮《みや》の|中《なか》に|入《い》れ
|鬚面男《ひげづらをとこ》が|嬉《うれ》しそに |十能《じふのう》のやうな|手《て》を|合《あは》せ
|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祈《いの》るさま |横《よこ》から|眺《なが》めた|其《その》|時《とき》は
フツと|吹出《ふきだ》し|笑《わら》ひこけ |尻餅《しりもち》ついて【べべ】よごし
|松姫《まつひめ》さまにお|叱言《こごと》を |頂戴《ちやうだい》|致《いた》した|事《こと》もある
ホンに|人間《にんげん》といふものは |身慾《みよく》に|迷《まよ》うた|其《その》|時《とき》は
|二《ふた》つの|眼《まなこ》もくらみはて |耳《みみ》は|塞《ふさ》がり|曲事《まがこと》が
|神《かみ》の|慈言《じげん》に|響《ひび》くのか |五官《ごくわん》の|作用《さよう》は|忽《たちま》ちに
|大変調《だいへんてう》を|来《きた》しつつ |肝腎要《かんじんかなめ》の|心霊《しんれい》まで
ねぢけ|曇《くも》りてあとさきの |見《み》えぬ|心《こころ》の|盲目《まうもく》と
なつて|憐《あは》れな|生涯《しやうがい》を |送《おく》るに|至《いた》るあはれさよ
|松姫《まつひめ》さまは|朝夕《あさゆふ》に |皆《みな》さま|方《がた》の|迷信《めいしん》を
|払《はら》ひて|誠《まこと》の|大道《おほみち》に |救《すく》はむものと|心《こころ》をば
|配《くば》らせ|給《たま》ひ|皇神《すめかみ》の |真《まこと》の|御名《みな》を|讃《たた》へむと
|心《こころ》を|焦《いら》ち|給《たま》へども |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》や
|豊国姫大御神《とよくにひめのおほみかみ》 かかる|尊《たふと》き|神名《しんめい》を
|公然《こうぜん》|唱《とな》ふるものならば |蠑〓別《いもりわけ》が|目《め》をむいて
|御機嫌《ごきげん》|殊《こと》に|斜《ななめ》なり |婆《ば》アさままでが|尾《を》について
いかい|小言《こごと》を|云《い》ふ|故《ゆゑ》に こらへ|忍《しの》んで|今日《けふ》|迄《まで》も
|館《やかた》を|別《べつ》になされつつ |人《ひと》に|聞《き》かさぬやうにして
|誠《まこと》の|神《かみ》を|一心《いつしん》に |祈《いの》つて|厶《ござ》つた|甲斐《かひ》あつて
|今日《けふ》はいよいよ|天地《あめつち》を |包《つつ》んだ|雲《くも》は|晴《は》れ|渡《わた》り
|誠《まこと》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》が |輝《かがや》き|給《たま》ふ|如《ごと》くなる
|目出度《めでた》き|道《みち》の|開《ひら》け|口《ぐち》 |謹《つつし》みここに|祝《しゆく》します
|只《ただ》|何事《なにごと》も|神様《かみさま》の |深《ふか》き|仕組《しぐみ》にあやつられ
|曲津《まがつ》の|神《かみ》の|手《て》をかつて よせられ|来《き》たのに|違《ちが》ひない
|心《こころ》の|曇《くも》つた|人間《にんげん》を |初《はじ》めの|中《うち》から|正直《しやうぢき》な
|誠《まこと》ばかりを|教《をし》へたら |中々《なかなか》|容易《ようい》によりつかぬ
それ|故《ゆゑ》|天地《てんち》の|神様《かみさま》は |曲津《まがつ》のなすが|儘《まま》にして
|御目《おんめ》をとぢて|黎明《れいめい》の |来《きた》る|時《とき》をば|待《ま》たせつつ
|迷《まよ》へる|魂《みたま》を|天国《てんごく》に お|救《すく》ひ|下《くだ》さる|有難《ありがた》さ
これを|思《おも》へば|皆《みな》さまが |今《いま》まで|神《かみ》に|尽《つく》したる
|事《こと》に|一《ひと》つも|仇《あだ》はない |皆《みな》|神様《かみさま》の|御神業《ごしんげふ》
|立派《りつぱ》に|仕《つか》へまつりたる |殊勲者《しゆくんじや》なれば|力《ちから》をば
|落《おと》さずとみに|弱《よわ》らさず |益々《ますます》|勇気《ゆうき》をほり|出《だ》して
|今日《けふ》から|身魂《みたま》を|立直《たてなほ》し |小北《こぎた》の|山《やま》の|神殿《しんでん》に
|誠《まこと》の|神《かみ》の|御光《みひかり》が |輝《かがや》き|渡《わた》るを|待《ま》ちませう
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
|喜久公《きくこう》は|壇上《だんじやう》に|登《のぼ》り|述懐《じゆつくわい》を|歌《うた》ふ。
『|蠑〓別《いもりわけ》や|魔我彦《まがひこ》の |神《かみ》の|司《つかさ》に|従《したが》ひて
|北山村《きたやまむら》を|出立《しゆつたつ》し やうやう|此処《ここ》に|来《き》てみれば
|坂照山《さかてるやま》の|急坂《きふはん》を コチコチコチと|穿《うが》ちゐる
|二人《ふたり》の|親子《おやこ》がありました |不思議《ふしぎ》と|側《そば》に|立《た》ちよつて
あなたは|何《いづ》れの|神様《かみさま》か お|名告《なの》りなされて|下《くだ》されと
いと|慇懃《いんぎん》に|尋《たづ》ぬれば |坊主《ばうず》になつた|鶴嘴《つるばし》を
|巌《いはほ》の|上《うへ》に|投《な》げ|出《だ》して |滴《したた》る|汗《あせ》をふきながら
わしは|丑寅《うしとら》|金《かね》の|神《かみ》 |世《よ》におちぶれて|今《いま》は|早《はや》
いやしき|賤《しづ》の|野良仕事《のらしごと》 そのひまひまに|此《この》|山《やま》へ
|登《のぼ》つて|岩《いは》を|打砕《うちくだ》き |尊《たふと》き|神《かみ》の|鎮座《ちんざ》ます
|下津岩根《したついはね》を|親《おや》と|子《こ》が |朝夕《あさゆふ》|穿《うが》つて|居《を》りまする
わたしも|卑《いや》しき|首陀《しゆだ》なれど |大将軍《だいしやうぐん》の|生宮《いきみや》だ
|此《この》|子《こ》の|霊《みたま》は|地上丸《ちじやうまる》 |何《なん》だか|知《し》らぬが|自《おのづか》ら
|一人《ひとり》|腕《かひな》がうごき|出《だ》し これ|程《ほど》|堅《かた》い|岩山《いはやま》が
いつとはなしに|平坦《へいたん》な |場所《ばしよ》が|沢山《たくさん》|出来《でき》ました
ここに|神《かみ》さまを|祀《まつ》つたら さぞや|結構《けつこう》になりませう
|此《この》|御言葉《おことば》に|蠑〓別《いもりわけ》 |魔我彦《まがひこ》さまは|手《て》を|拍《う》つて
|実《じつ》に|感心《かんしん》|々々《かんしん》だ これが|人間《にんげん》だつたなら
どうしてここまで|開《ひら》けよぞ てつきりここは|聖地《せいち》だろ
|一先《ひとま》づ|神《かみ》に|伺《うかが》うて |実否《じつぴ》を|尋《たづ》ね|探《さぐ》らむと
|私《わたし》の|女房《にようばう》のお|覚《かく》をば |神《かみ》のうつらす|生宮《いきみや》と
|定《さだ》めて|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し うやうやしくも|伺《うかが》へば
|女房《にようばう》のお|覚《かく》は|手《て》をふつて |声《こゑ》の|色《いろ》まで|変《か》へながら
|喜久公《きくこう》しつかり|聞《き》くがよい お|覚《かく》はお|前《まへ》の|女房《にようばう》だが
|木曽義姫《きそよしひめ》の|生宮《いきみや》ぞ これから|神《かみ》がかる|程《ほど》に
|此《この》|聖場《せいぢやう》に|立派《りつぱ》なる |神《かみ》の|御舎《みあらか》|建《た》つまでは
|決《けつ》して|女房《にようばう》と|思《おも》ふなよ |夜《よる》のしとねも|別《べつ》にして
|河鹿《かじか》の|川《かは》で|水垢離《みづごうり》 |夫婦《ふうふ》が|取《と》つて|御神業《ごしんげふ》に
|仕《つか》へてくれる|事《こと》ならば |喜久公《きくこう》さまの|守護神《しゆごじん》を
|天晴《あつぱれ》|現《あら》はしやりませうと いと|厳《おごそ》かに|宣《の》り|給《たま》ふ
|八岐大蛇《やまたをろち》の|守護神《しゆごじん》か |金毛九尾《きんまうきうび》の|身魂《みたま》かと
|案《あん》じ|煩《わづら》ふ|折《をり》もあれ リントウビテン|大臣《だいじん》の
|因縁《いんねん》|深《ふか》き|生宮《いきみや》と |聞《き》いたる|時《とき》の|嬉《うれ》しさよ
それより|夫婦《ふうふ》は|朝夕《あさゆふ》に |普請《ふしん》|万端《ばんたん》|気《き》を|付《つ》けて
|夜《よ》の|目《め》もロクに|寝《ね》もやらず |御用《ごよう》をつとめて|参《まゐ》りました
タク、テク、お|寅《とら》さまの|言《い》ふ|事《こと》を |真《まこと》とすれば|吾《わが》|夫婦《ふうふ》
|話《はなし》にならぬ|呆《はう》け|方《かた》 バカの|骨頂《こつちやう》を|尽《つく》したと
そろそろ|腹《はら》が|立《た》ち|出《だ》して |神《かみ》のお|宮《みや》を|小口《こぐち》から
こはしてやらうと|思《おも》ふ|折《をり》 |年端《としは》もゆかぬお|千代《ちよ》さまが
|清明無垢《せいめいむく》の|魂《たましひ》に |尊《たふと》き|神《かみ》がかかられて
|善悪不二《ぜんあくふじ》の|道理《だうり》をば |教《をし》へ|給《たま》ひし|嬉《うれ》しさよ
モウ|此《この》|上《うへ》は|何事《なにごと》も |皇大神《すめおほかみ》の|御心《みこころ》に
|従《したが》ひまつり|一言《ひとこと》も |決《けつ》して|不足《ふそく》は|云《い》ひませぬ
|其《その》|日《ひ》|々々《そのひ》を|楽《たのし》んで しつかり|御用《ごよう》を|致《いた》しませう
ここに|並《な》みゐる|皆《みな》さまよ |定《さだ》めて|私《わたし》のやうな|事《こと》
|思《おも》うて|厶《ござ》つたでありませう |私《わたし》にならひ|之《これ》からは
|只《ただ》|何事《なにごと》も|神《かみ》のまま |謹《つつし》み|敬《うやま》ひ|御奉公《ごほうこう》
|身《み》もたなしらに|励《はげ》みませう あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|喜久公《きくこう》が |迷《まよ》ひの|雲霧《くもきり》ふき|分《わ》けて
リントウビテンの|称号《しやうがう》を |御返《おかへ》し|申《まを》し|民草《たみぐさ》の
|一《ひと》つの|数《かず》に|加《くは》へられ |心《こころ》の|限《かぎ》り|身《み》のきはみ
|尽《つく》しまつるを|平《たひら》けく いと|安《やす》らけく|聞《きこ》しめせ
|偏《ひとへ》にこひのみ|奉《たてまつ》る』
(大正一一・一二・一五 旧一〇・二七 松村真澄録)
第七章 |妻難《さいなん》〔一二一七〕
お|覚《かく》は|歌《うた》ふ。
『|高姫司《たかひめつかさ》の|開《ひら》きたる |北山村《きたやまむら》の|本山《ほんざん》を
|蠑〓別《いもりわけ》や|魔我彦《まがひこ》の |司《つかさ》に|従《したが》ひ|喜久《きく》さまと
これの|聖地《せいち》に|来《き》て|見《み》れば |思《おも》ひもよらぬ|神憑《かむがかり》
|思《おも》ひがけなや|吾《わが》|魂《たま》は |古《ふる》き|昔《むかし》の|因縁《いんねん》で
|木曽義姫《きそよしひめ》の|守護神《しゆごうじん》 |尊《たふと》き|神《かみ》の|御裔《おんすゑ》と
|聞《き》いたる|時《とき》の|驚《おどろ》きは |何《なん》に|譬《たと》へむものもなく
|其《その》|驚《おどろ》きと|嬉《うれ》しさの |雲《くも》に|包《つつ》まれゐたりけり
|尊《たふと》き|神《かみ》の|命令《めいれい》は |反《そむ》くに|由《よし》なく|喜久《きく》さまと
|三年《みとせ》を|越《こ》えし|今日《けふ》|迄《まで》も |身《み》を|慎《つつし》みて|褥《しとね》さへ
|別《べつ》にいく|夜《よ》の|淋《さび》しさを |涙《なみだ》と|共《とも》にしのびつつ
これも|昔《むかし》の|神代《かみよ》から |世《よ》を|持《も》ちあらした|天罰《てんばつ》が
|酬《むく》うて|来《き》たのに|違《ちが》ひない かうして|身魂《みたま》の|借銭《しやくせん》を
つぐなひ|下《くだ》さる|事《こと》ならば こんな|結構《けつこう》な|事《こと》はない
|限《かぎ》りもしれぬ|罪悪《ざいあく》を |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し
|百目《ひやくめ》の|質《かた》に|編笠《あみがさ》を |一介《いつかい》|出《だ》してすますよな
ボロイ|尊《たふと》い|話《はなし》ぢやと ここまで|教《をしへ》をよく|守《まも》り
|神《かみ》に|仕《つか》へて|参《まゐ》りました |其《その》おかげやら|今日《けふ》は|又《また》
|結構《けつこう》な|事《こと》が|分《わか》り|出《だ》し |半信半疑《はんしんはんぎ》の|雲《くも》はれて
げに|爽快《さうくわい》な|魂《たましひ》と スツパリ|生《うま》れ|変《かは》りました
これもヤツパリ|小北山《こぎたやま》 |鎮《しづ》まりいます|曲神《まがかみ》の
|一《ひと》つはおかげに|違《ちが》ひない |吾《わが》|身《み》に|憑《うつ》つた|神様《かみさま》は
|木曽義姫《きそよしひめ》といふ|事《こと》ぢや どこの|狐《きつね》か|知《し》らねども
ようマア|人《ひと》の|肉体《にくたい》を うまく|使《つか》うたものだなア
これぢやに|依《よ》つて|人間《にんげん》は |注意《ちゆうい》をせなくちやならないと
|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》が |赤子《あかご》の|口《くち》にそら|豆《まめ》を
かみくくめるやう|親切《しんせつ》に |諭《さと》して|下《くだ》さる|御仁愛《ごじんあい》
|其《その》お|言葉《ことば》をいつとなく |忘《わす》れて|了《しま》ひウラナイの
|教司《をしへつかさ》の|高姫《たかひめ》が |水《みづ》も|漏《も》らさぬ|弁舌《べんぜつ》に
|迷《まよ》うた|為《ため》に|肝腎《かんじん》の |尊《たふと》き|親《おや》を|袖《そで》にして
|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|神様《かみさま》に |迷《まよ》うて|来《き》たのが|情《なさけ》ない
|大《おほ》きな|顔《かほ》して|家《いへ》の|外《そと》 どうしてこれが|歩《ある》けよか
とは|云《い》ふもののこれも|亦《また》 |仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|神様《かみさま》の
お|試《ため》しならむと|見直《みなほ》せば |見直《みなほ》されない|事《こと》もない
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|御霊《みたま》の|幸《さち》はひて
|此《この》|神山《かみやま》に|天地《あめつち》の |誠《まこと》の|神《かみ》の|降《くだ》りまし
|世人《よびと》を|普《あまね》く|善道《ぜんだう》に |教《をし》へ|導《みちび》き|吾《わが》|身魂《みたま》
|救《すく》ひ|給《たま》ひて|天国《てんごく》の |栄《さか》えを|与《あた》へ|給《たま》へかし
|旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |星《ほし》は|天《てん》より|下《くだ》るとも
|山《やま》さけ|海《うみ》はあするとも |三五教《あななひけう》の|神徳《しんとく》に
|眼《まなこ》を|覚《さま》した|上《うへ》からは |如何《いか》なる|事《こと》の|来《きた》るとも
|決《けつ》して|邪教《じやけう》にや|迷《まよ》はない |曇《くも》つた|眼《まなこ》は|今《いま》あけて
|真如《しんによ》の|光明《くわうみよう》ありありと |心《こころ》の|海《うみ》に|照《て》り|出《だ》した
|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|神様《かみさま》よ |天《てん》の|誠《まこと》の|五六七様《みろくさま》
|何卒《なにとぞ》|々々《なにとぞ》|吾々《われわれ》が |汚《きたな》い|心《こころ》を|憐《あは》れみて
|誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の |教《をしへ》を|完全《うまら》に|委曲《つばら》かに
さとらせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》 |珍《うづ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる』
お|福《ふく》はまた|歌《うた》ふ。
『【さだ】|子《こ》の|姫《ひめ》の|肉宮《にくみや》と |鈴野《すずの》の|姫《ひめ》をかね|給《たま》ふ
|内事司《ないじつかさ》のお|寅《とら》さま |吾《わが》|家《や》に|現《あら》はれ|来《きた》りまし
ウラナイ|教《けう》の|信仰《しんかう》を お|勧《すす》めなさつた|時《とき》もあれ
|不思議《ふしぎ》や|妾《わたし》の|身体《しんたい》は |地震《ぢしん》の|如《ごと》く|震動《しんどう》し
|胸苦《むなぐる》しくもなつて|来《き》た |此奴《こいつ》ア|不思議《ふしぎ》とわれながら
|怪《あや》しみ|疑《うたが》ふ|時《とき》もあれ |腹《はら》の|底《そこ》からウンウンと
|唸《うな》り|出《だ》したる|玉《たま》ゴロが |漸《やうや》く|喉《のど》へ|上《のぼ》りつめ
|口《くち》を|切《き》らうとした|時《とき》は |後《あと》にも|先《さき》にもないやうな
|苦《くる》しい|思《おも》ひを|致《いた》しました お|寅《とら》さまが|吾《わが》|家《や》へ|来《く》るや|否《いな》
|不思議《ふしぎ》な|事《こと》が|出来《でき》たのは |偉《えら》い|神徳《しんとく》ある|人《ひと》だ
|只《ただ》のお|方《かた》ぢやあらうまい |尊《たふと》き|神《かみ》の|御化身《ごけしん》と
|信《しん》じて|拝《をが》む|折《をり》もあれ |息《いき》は|追々《おひおひ》|楽《らく》になり
|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》 これからお|前《まへ》は|因縁《いんねん》で
|俺《おれ》が|肉体《にくたい》かる|程《ほど》に |小北《こぎた》の|山《やま》へ|罷《まか》り|出《い》で
|信仰《しんかう》せよとおごそかに |自分《じぶん》の|口《くち》から|宣《の》り|伝《つた》ふ
かうなる|上《うへ》は|夫婦《ふうふ》とも |疑《うたが》ふ|余地《よち》もあらざれば
お|寅婆《とらば》さまの|云《い》ふままに |屋財家財《やざいかざい》を|抛《なげう》つて
これの|館《やかた》に|転住《てんぢゆう》し |吾《わが》|身《み》に|持《も》てる|財産《ざいさん》は
|櫛笄《くしかうがい》に|至《いた》るまで |売代《うりしろ》なして|神様《かみさま》の
お|宮《みや》の|御用《ごよう》に|立《た》てました それから|私《わたし》は|何《なん》となく
|心《こころ》|驕《おご》りて|知《し》らぬ|間《ま》に |旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》
|霊肉一致《れいにくいつち》の|神柱《かむばしら》 |何《なん》たる|結構《けつこう》な|体《からだ》よと
|夫婦《ふうふ》が|朝夕《あさゆふ》|会《あ》ふ|毎《ごと》に |一人《ひとり》|笑壺《ゑつぼ》に|入《い》つてゐた
|然《しか》るに|何《なん》ぞ|計《はか》らむや |皆《みな》さまのお|話《はなし》|聞《き》くにつけ
|愛想《あいさう》もコソもつきました |何程《なにほど》|神《かみ》の|仕組《しぐみ》でも
|私《わたし》をこんな|目《め》に|会《あ》はすとは |余《あんま》りヒドイ|神様《かみさま》ぢや
|私《わたし》はこれからスツパリと |思《おも》ひ|切《き》ります|神《かみ》いぢり
|御幣《ごへい》をかついで|笑《わら》はれて どうして|此《この》|世《よ》が|渡《わた》れませう
コレコレもうし|竹《たけ》さまえ お|前《まへ》は|五六七成就《みろくじやうじゆ》の
|神《かみ》のお|宮《みや》ぢやなかつたか まるで|狐《きつね》につままれた
やうな|思《おも》ひがすぢやないか |思《おも》ふ|所《どころ》か|正真正銘《しやうしんしやうめい》の
|坂照山《さかてるやま》のド|狐《ぎつね》が |騙《だま》してゐたのに|違《ちが》ひない
コレコレもうし|竹《たけ》さまえ |思《おも》ひ|切《き》るのは|今《いま》だらう
グヅグヅしてると|松姫《まつひめ》や |松彦《まつひこ》さまに|又《また》しても
|眉毛《まゆげ》をよまれ|尻《しり》の|毛《け》を |一本《いつぽん》もないまで|抜《ぬ》かれますぞや
あゝ|怖《おそ》ろしや|怖《おそ》ろしや |神《かみ》を|表《おもて》に|標榜《へうぼう》し
|正《ただ》しき|此《この》|世《よ》の|人間《にんげん》を |騙《だま》して|食《く》はうとする|奴《やつ》は
|虎《とら》|狼《おほかみ》の|眷属《けんぞく》だ |長居《ながゐ》は|恐《おそ》れ|逸早《いちはや》く
ここをば|立《た》つて|帰《かへ》りませう |竹《たけ》さまそれが|不承知《ふしようち》なら
|私《わたし》は|勝手《かつて》に|帰《い》にますよ コレコレもうし|春《はる》さまえ
お|前《まへ》と|私《わし》と|平常《へいぜ》から |互《たがひ》に|心《こころ》が|解《と》け|合《あ》うて
しつぽり|話《はなし》をしたぢやないか |私《わたし》が|信仰《しんかう》やめたなら
お|前《まへ》もやめると|云《い》ふただろ サアサア|早《はや》く|帰《かへ》りませう
トチ|呆《ばう》け|爺《ぢい》の|竹《たけ》さまは まだまだお|目《め》がさめませぬ
サアサア|早《はや》う』と|言《い》ひながら |春公《はるこう》さまの|手《て》を|取《と》つて
|太《ふと》い|女《をんな》がひんにぎり トントントンと|広前《ひろまへ》を
|夜叉《やしや》の|如《ごと》くに|駆《か》け|出《いだ》し |坂道《さかみち》さして|帰《かへ》りゆく
|竹公《たけこう》|驚《おどろ》き|立上《たちあが》り お|福《ふく》の|後《あと》を|追駆《おつか》けて
『|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》 |暫《しばら》く|待《ま》つた|一寸《ちよつと》|待《ま》つた
お|前《まへ》に|言《い》ひたい|事《こと》がある |短気《たんき》は|損気《そんき》ぢや|待《ま》てしばし
|待《ま》てと|申《まを》さば|待《ま》つがよい |之《これ》には|深《ふか》いわけがある』
|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|叫《さけ》びつつ |坂道《さかみち》|指《さ》して|追《お》うてゆく。
お|福《ふく》は|半狂乱《はんきやうらん》の|如《ごと》くになり、|河鹿川《かじかがは》の|川《かは》べりにある|笠松《かさまつ》の|麓《ふもと》の|堺《さかひ》の|神政松《しんせいまつ》の|神木《しんぼく》としるしてある|千引岩《ちびきいは》の|傍《かたはら》に|走《はし》りより、
『コリヤ、|神政松《しんせいまつ》の|神木《しんぼく》、よう|今迄《いままで》おれを|騙《だま》したなア。|此《この》|普請《ふしん》は|俺《おれ》が|蠑〓別《いもりわけ》に|騙《だま》されて|拵《こしら》へたのだ。モウ|今日《けふ》から|信仰《しんかう》をやめた|上《うへ》は、|叩《たた》き|潰《つぶ》さうと|何《ど》うしようと|私《わし》の|勝手《かつて》だ、エヽ|怪体《けたい》の|悪《わる》い』
と|力《ちから》|一杯《いつぱい》|押《お》せども|引《ひ》けども、|数十人《すうじふにん》を|以《もつ》て|引張《ひつぱ》つた|此《この》|巨岩《きよがん》、ビクとも|致《いた》さばこそ、|泰然自若《たいぜんじじやく》、|平気《へいき》な|顔《かほ》でお|福《ふく》の|繰言《くりごと》を|冷笑《れいせう》してゐる。お|福《ふく》は|十六柱《じふろくはしら》の|神《かみ》になぞらへて|植《う》ゑておいた|十六本《じふろくぽん》の|小松《こまつ》をグイグイと|引抜《ひきぬ》きながら、
『エヽ|神政松《しんせいまつ》もへつたくれもあつたものか、アタいまいましい、|奴狐《どぎつね》め、|騙《だま》しやがつた』
と|言《い》ひながら、|握《にぎ》つては|川《かは》へ|流《なが》し、|握《にぎ》つては|川《かは》へ|流《なが》し|猛《たけ》り|狂《くる》ひ、
『コリヤ|神政木《しんせいぼく》、|元《もと》の|金《かね》にならぬか、|性念《しやうねん》があるなら、せめて|一寸《ちよつと》なと|動《うご》いて|見《み》せよ。コラよう|動《うご》かぬか、ド|甲斐性《かひしやう》なし|奴《め》、|貴様《きさま》は|神《かみ》だと|申《まを》すが、まるで|躄《ゐざり》のやうな|奴《やつ》だ』
と|云《い》ひながら、あたりの|石《いし》を|拾《ひろ》つて、|千引《ちびき》の|岩《いは》にバラバラと|打《う》ちかけてゐる。そこへ|春公《はるこう》、|竹公《たけこう》は|走《はし》り|来《きた》り、
|竹公《たけこう》『コリヤコリヤお|福《ふく》、マア|気《き》をしづめたら|何《ど》うだ。サウお|前《まへ》のやうに|一徹《いつてつ》に|怒《おこ》つてくれると|話《はなし》が|出来《でき》ぬぢやないか』
お|福《ふく》『エヽエ|腰抜男《こしぬけをとこ》が|何《なに》を|言《い》つてるのだい、|笑《わら》ふ|門《かど》には|福《ふく》|来《きた》る、お|前《まへ》の|名《な》はお|福《ふく》さまだから、|三年先《さんねんさき》になれば|一粒万倍《いちりふまんばい》にして|福《ふく》を|返《かへ》して|下《くだ》さると、|蠑〓別《いもりわけ》や|魔我彦《まがひこ》が|言《い》ひやがつて、|人《ひと》の|金《かね》を|残《のこ》らず|巻上《まきあ》げよつた。|丸《まる》|三年《さんねん》になつた|時《とき》、|今日《けふ》は|万倍《まんばい》にしてくれるかと|思《おも》つて|待《ま》つてゐたら、|一文《いちもん》も、どこからもくれやせぬ。それでも|神政成就《しんせいじやうじゆ》に|近付《ちかづ》いたら、|百万倍《ひやくまんばい》にして|返《かへ》してくれるだろと|待《ま》つてゐたのだ。|最前《さいぜん》から|聞《き》いてみれば、|坂照山《さかてるやま》のド|狐《ぎつね》に|騙《だま》されて|居《を》つたと|云《い》ふぢやないか、|阿呆《あはう》らしい、どうしてあんな|処《ところ》に|居《を》れるものか、|今《いま》まで|大勢《おほぜい》の|信者《しんじや》に|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫様《ひめさま》といつて|崇《あが》められてゐたのに、|大勢《おほぜい》の|前《まへ》でスツパぬかれて、どうして|此《この》お|福《ふく》の|顔《かほ》が|立《た》ちますか。お|前《まへ》さまは|気《き》のきかぬ|頓馬《とんま》だから、|私《わたし》が|人《ひと》に|顔《かほ》が|会《あ》はされないやうにして|了《しま》つたのだ。|此《この》|儘《まま》|泣寝入《なきねい》りをしては|世間《せけん》へ|会《あ》はす|顔《かほ》がないから、|仮令《たとへ》|何時《いつ》までかかつても、|此《この》|岩《いは》をひつくり|返《かへ》し|潰《つぶ》さねば|承知《しようち》をせないのだよ。|竹《たけ》さま、|春《はる》さま、|何《なん》だ、ヒヨツトコ|面《づら》して、|何《なに》|青《あを》い|顔《かほ》してるのだい、さうだから|意気地《いくぢ》なしと|言《い》はれるのだ』
『|貴様《きさま》がせうもない|神憑《かむがかり》をするものだから|俺《おれ》までが|巻《ま》き|込《こ》まれたのだ。|罪《つみ》は|貴様《きさま》にあるのだ、|俺《おれ》に|不足《ふそく》をいふ|筋《すぢ》は|一《ひと》つもあるまい』
『それだから|頓馬《とんま》といふのよ。|何程《なにほど》|嬶《かか》が|勧《すす》めても、|夫《をつと》は|夫《をつと》の|権利《けんり》があるぢやないか、なぜ|其《その》|時《とき》に|一言《ひとこと》|気《き》をつけてくれないのだ。お|前《まへ》も|一緒《いつしよ》に|賛成《さんせい》をするものだから、|此《この》お|福《ふく》も|怪《あや》しいとは|思《おも》うては|居《を》つたが、|竹《たけ》さまが|男《をとこ》の|身《み》で|居《ゐ》ながら|一番《いちばん》に|賛成《さんせい》したものだから、ヤツパリ|私《わたし》の|守護神《しゆごじん》は|結構《けつこう》な|神様《かみさま》だと|思《おも》うて|賛成《さんせい》したのだ。それがサツパリ|当《あて》が|外《はづ》れて、|世間《せけん》へ|顔出《かほだ》しが|出来《でき》ぬ|事《こと》になつて|了《しま》つたぢやないか。|本当《ほんたう》にいまいましい、アンアンアン、|返《かへ》せ|戻《もど》せ、|私《わたし》の|出《だ》した|金《かね》を』
『|俺《おれ》だつて、|怪《あや》しいとは|思《おも》つて|居《を》つたが、お|前《まへ》が|一寸《ちよつと》も|怪《あや》しまないものだから、ヤツパリ|本真《ほんま》かと|思《おも》つたのだ。つまりどちらの|魂《みたま》も|間《ま》が|抜《ぬ》けとつたのだから、|責任《せきにん》は|両方《りやうはう》にある。マア|俺《おれ》の|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》いて、マ|一遍《いつぺん》|大広間《おほひろま》まで|出《で》て|来《き》てくれ、|結構《けつこう》な|話《はなし》を|聞《き》かして|貰《もら》つてやるから……』
『ヘン、|責任《せきにん》は|二人《ふたり》にあるなんて、|何《なん》とマア|卑怯《ひけふ》な|男《をとこ》だ|事《こと》、|女《をんな》は|蔭者《かげもの》、|表《おもて》には|立《た》ちませぬぞや。|家長権《かちやうけん》の|執行者《しつかうしや》はお|前《まへ》ぢやないか、|何《なん》と|云《い》つてもお|前《まへ》が|悪《わる》いのだよ。|馬鹿野郎《ばかやらう》の|頓痴気《とんちき》|野郎《やらう》だよ』
|竹公《たけこう》はムツとして、つかみつく、|茲《ここ》に|夫婦《ふうふ》は|組《く》んづ|組《く》まれつ、|互《たがひ》に|髪《かみ》をつかみ|合《あ》ひ、キヤアキヤア|犬《いぬ》の|噛《か》み|合《あ》ひのやうに|云《い》ひ|出《だ》した。|春公《はるこう》は|中《なか》に|割《わ》つて|入《い》り、
『マアマア|待《ま》つて|下《くだ》さい、|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|大神様《おほかみさま》、|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》の|大神様《おほかみさま》、|神様《かみさま》の|生宮《いきみや》が|人間《にんげん》なみに|喧嘩《けんくわ》するといふ|事《こと》がありますか、みつともないぢや|厶《ござ》いませぬか。これから|五六七神政成就《みろくしんせいじやうじゆ》して|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》りに|栄《さか》える|松《まつ》の|神代《かみよ》が|出《で》て|来《こ》うとしてゐるのに、|肝腎《かんじん》の|神柱《かむばしら》がそんな|事《こと》で|如何《どう》なりますか。どうぞ|三千世界《さんぜんせかい》を|助《たす》けると|思《おも》うて、|春公《はるこう》に|免《めん》じてお|鎮《しづ》まりを|願《ねが》ひます』
お|福《ふく》『|何《なに》、|春《はる》さま、お|前《まへ》はヤツパリわたしを|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》と|思《おも》つてゐるのかい』
『ヘーヘー、|誰《たれ》が|何《なん》と|云《い》つても|私《わたし》は|飽《あ》くまで|信《しん》じます。そして|竹《たけ》さまは|何処迄《どこまで》も|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|大神様《おほかみさま》です、こんな|事《こと》が|違《ちが》うてなりますものか。|私《わたし》はお|寅婆《とらば》アさまにタク、テク、お|菊《きく》さまの|云《い》ふ|事《こと》が|気《き》に|喰《く》はないのです。ドタマをカチ|割《わ》つてやろと、|腕《うで》が|鳴《な》り|肉《にく》が|躍《をど》つて|仕方《しかた》がなかつたのに、|神様《かみさま》の|前《まへ》だと|思《おも》つて|涙《なみだ》を|呑《の》み|辛抱《しんばう》してゐたのだ。|誰《たれ》が|何《なん》と|云《い》つても、|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|大神様《おほかみさま》、|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》の|大神様《おほかみさま》に|間違《まちがひ》はありませぬ』
|春公《はるこう》の|言《ことば》に|二人《ふたり》はケロリと|喧嘩《けんくわ》を|忘《わす》れ、ニコニコしながら、
お|福《ふく》『ソラさうでせうねえ、そんな|事《こと》があつてたまりますものか。コレ|竹《たけ》さま、|春公《はるこう》さまが|証明《しようめい》してくれるのだから|安心《あんしん》しなさい。これから|二人《ふたり》が|小北山《こぎたやま》を|背負《せお》つて|立《た》たねばなりませぬで、|三千世界《さんぜんせかい》の|為《ため》ですからね』
|竹公《たけこう》『ウーン、さうだな、|大変《たいへん》だな、これから』
お|福《ふく》は|腹立紛《はらだちまぎ》れに|引《ひ》きむしつて|川《かは》へ|流《なが》した|松《まつ》の|事《こと》を|思《おも》ひ|出《だ》し、|忽《たちま》ち|大地《だいち》に|平伏《ひれふ》し、|拍手《かしはで》をうつて|涙声《なみだごゑ》、
『|栄《さか》えの|神政松《しんせいまつ》、ミロク|神代《かみよ》の|御神木様《ごしんぼくさま》、|十六本《じふろくぽん》の|柱神様《はしらがみさま》、|真《まこと》にすまない|事《こと》を|致《いた》しました。どうぞ|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ、|其《その》|代《かは》りにすぐ|十六本《じふろくぽん》の|松《まつ》を|植《う》ゑてお|返《かへ》し|申《まを》します、あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|春公《はるこう》『|竹《たけ》さまの|胸《むね》の|村雲《むらくも》|晴《は》るさまは
|松《まつ》の|根元《ねもと》でキン|言《げん》をふく』
|竹公《たけこう》『アハヽヽヽお|目出度《めでた》う』
お|福《ふく》『|神様《かみさま》、|真《まこと》にすみませぬ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います、それなら|之《これ》から、マ|一度《いちど》|大広間《おほひろま》へやらして|頂《いただ》きませう』
(大正一一・一二・一五 旧一〇・二七 松村真澄録)
第二篇 |狐運怪会《こうんくわいくわい》
第八章 |黒狐《くろぎつね》〔一二一八〕
お|寅《とら》は|昼過《ひるすぎ》になつても|蠑〓別《いもりわけ》が|帰《かへ》つて|来《こ》ないので、ソロソロ|神《かみ》の|神力《しんりき》を|疑《うたが》ひ|出《だ》し、|松姫館《まつひめやかた》に|駆《か》け|込《こ》んだ。
お|寅《とら》『ご|免《めん》なさいませ、お|邪魔《じやま》にはなりませぬかな、|下《した》の|御広間《おひろま》は|随分《ずゐぶん》|乱痴気《らんちき》|騒《さわ》ぎが|起《おこ》つてゐましたが、|余《あま》り|御夫婦《ごふうふ》|仲《なか》がいいので、お|耳《みみ》に|達《たつ》せなかつたと|見《み》えますな。ソリヤ|無理《むり》も|厶《ござ》いませぬワ』
|松姫《まつひめ》『あゝお|寅《とら》さま、よう|来《き》て|下《くだ》さいました、|何《なに》か|急用《きふよう》でも|出来《でき》ましたのですか』
『コレ、|贋《にせ》の|上義姫《じやうぎひめ》|様《さま》、ようそんな|事《こと》をヌツケリコと|言《い》うてゐられますな。|蠑〓別《いもりわけ》さまはどうして|下《くだ》さつたのです。|早《はや》うて|夜明《よあけ》、|遅《おそ》くて|昼《ひる》|時分《じぶん》には|引寄《ひきよ》せてやらうと|仰有《おつしや》つたぢやありませぬか。モウ|殆《ほとん》ど|八《や》つ|時《どき》、|蠑〓別《いもりわけ》さまの|影《かげ》もささぬぢやありませぬか』
『あゝさうでしたねえ、お|気《き》のもめた|事《こと》でせう。もし|松彦《まつひこ》さま、|蠑〓別《いもりわけ》さまはどうなつたのでせうかな』
|松彦《まつひこ》『さうだなア、お|寅《とら》さまの|改心《かいしん》|次第《しだい》だ。|二《ふた》つ|目《め》にはつねられたり、|鼻《はな》をねぢられたりしられちや、|誰《たれ》だつてコリコリするからな』
お|寅《とら》『コレ、|贋《にせ》の|末代様《まつだいさま》、お|前《まへ》さまは|私《わたし》に|何《なん》と|仰有《おつしや》つた。そんなウソを|言《い》つて、|神様《かみさま》の|御用《ごよう》する|人《ひと》が、よいのですか。|他《ほか》の|人《ひと》の|守護神《しゆごじん》はウソにした|所《ところ》で、|松姫《まつひめ》さまは|上義姫《じやうぎひめ》|様《さま》、あなたは|末代様《まつだいさま》に|違《ちがひ》ないと、|今《いま》の|今《いま》まで|深《ふか》く|信《しん》じて|居《を》りましたが、そんなこと|仰有《おつしや》ると、|末代様《まつだいさま》も|上義姫《じやうぎひめ》|様《さま》も、|疑《うたが》はずには|居《を》られませぬぞや』
|松姫《まつひめ》『ホヽヽヽヽ、あのお|寅《とら》さまの|六《むつ》かしいお|顔《かほ》わいの。|私《わたし》は|松姫《まつひめ》だと|云《い》つてるのに、お|前《まへ》さま|等《ら》が|勝手《かつて》に|松《まつ》と|云《い》ふ|字《じ》がついとる|以上《いじやう》は、|末代様《まつだいさま》の|奥様《おくさま》の|霊《みたま》に|違《ちが》ひない。さうすると|上義姫《じやうぎひめ》の|生宮《いきみや》だと、お|前《まへ》さま|等《ら》がよつてかかつて|祭《まつ》り|上《あ》げたのぢやないか。|決《けつ》して|私《わたし》の|方《はう》から|上義姫《じやうぎひめ》だと|名告《なの》つたのぢやありませぬよ。|今更《いまさら》|贋《にせ》だの|本物《ほんもの》だと|云《い》つて|貰《もら》つても、|私《わたし》に|関係《くわんけい》も|責任《せきにん》もないぢやありませぬか』
『そんなこた、あとで|承《うけたま》はりませう。|一体《いつたい》|全体《ぜんたい》、|蠑〓別《いもりわけ》さまは|何《ど》うなさつたのですか。|今日《けふ》|帰《かへ》るとか|明日《あす》|帰《かへ》るとか、ハツキリと|白状《はくじやう》しなさい』
『ホヽヽヽヽ、|私《わたし》がかくしたものか|何《なん》ぞのやうに、|白状《はくじやう》しなさいとは|痛《いた》み|入《い》ります。あんな|酒飲男《さけのみをとこ》が|二日《ふつか》や|三日《みつか》|居《を》らなくてもいいぢやありませぬか。|何一《なにひと》つ|世間《せけん》の|間《ま》にも|合《あ》はず、|酒《さけ》ばかり|飲《の》んでゐられちや、どんな|物好《ものずき》な|人《ひと》だつて、|愛想《あいさう》をつかして|放《ほ》り|出《だ》して|了《しま》ひますよ。さうすりや|止《や》むなく|此処《ここ》へ|帰《かへ》つて|来《こ》な|仕方《しかた》がないぢやありませぬか』
『お|金《かね》なしに|出《で》て|居《ゐ》るのなら|帰《かへ》つて|来《く》るかも|知《し》れませぬが、|何《なん》と|云《い》つても|九千両《きうせんりやう》の|金《かね》を|持《も》つてゐたのですから、|其《その》|金《かね》を|持《も》つて、そこら|中《ぢう》をお|民《たみ》の|奴《やつ》とウロつきますわいな』
『|何程《なにほど》ウロついたつて、|遊《あそ》んで|食《く》へば|山《やま》もなくなるとか|言《い》ひますから、|金《かね》さへなくなれば|帰《かへ》つて|来《こ》られますワイ。|何程《なにほど》|沢山《たくさん》に|使《つか》つても、|九千両《きうせんりやう》あれば、お|民《たみ》さまと|夫婦《ふうふ》が|二十年《にじふねん》や|三十年《さんじふねん》は|大丈夫《だいぢやうぶ》ですからなア、マアそれ|迄《まで》お|待《ま》ちやしたら|何《ど》うです』
|松彦《まつひこ》『ウツフヽヽヽ』
お|寅《とら》『コレ、|末代《まつだい》さま、|何《なに》が|可笑《をか》しい、|私《わたし》がこれだけ|気《き》をもんでるのに、お|笑《わら》ひ|遊《あそ》ばすのか。|人《ひと》の|悲《かな》しみがあなたは|可笑《をか》しいのですか』
と|喰《く》つてかからうとする。
|松姫《まつひめ》『|事情《じじやう》を|聞《き》けばお|気《き》の|毒《どく》ですが、|併《しか》しこれも|自分《じぶん》から|出《で》た|錆《さび》だから|仕方《しかた》がないぢやありませぬか。チイと|金《かね》のありさうな|信者《しんじや》に、リントウビテン|大臣《だいじん》とか、|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|神様《かみさま》だとか、|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》、|岩照姫《いはてるひめ》、|木曽義姫《きそよしひめ》などと、ありもせぬ|名《な》をお|附《つ》け|遊《あそ》ばして、|随喜《ずいき》の|涙《なみだ》をこぼさせて|集《あつ》めたお|金《かね》が、なぜあなたの|身《み》につきますか。|蠑〓別《いもりわけ》さまは、お|前《まへ》さまの|罪《つみ》を|取《と》つて|上《あ》げようと|思《おも》つて、|其《その》|金《かね》を|持《も》つてお|逃《に》げ|遊《あそ》ばしたのですよ。つまり|蠑〓別《いもりわけ》さまとお|民《たみ》さまはお|前《まへ》さまの|罪取主《つみとりぬし》、|助《たす》け|舟《ぶね》、|命《いのち》の|御恩人《ごおんじん》だから|御喜《およろこ》びなさい。|正《ただ》しき|信仰上《しんかうじやう》の|目《め》から|見《み》れば、お|寅《とら》さま、あなたは|随分《ずゐぶん》よい|御《お》かげを|頂《いただ》きましたね』
お|寅《とら》『|馬鹿《ばか》らしい、こんな|御《お》かげが|何処《どこ》にありますか。|私《わたし》もこれから、|蠑〓別《いもりわけ》の|後《あと》を|追《お》つかけて、|金《かね》を|取返《とりかへ》し、|恨《うら》みを|言《い》はねば|承知《しようち》しませぬ』
『オホヽヽヽ、|貴女《あなた》の|恨《うらみ》はよう|利《き》きませうよ。|清浄《せいじやう》|潔白《けつぱく》の|貴女《あなた》のお|言葉《ことば》なら|釘《くぎ》も|利《き》きませうが、|弱点《じやくてん》を|知《し》り|合《あ》うた|仲《なか》、|犬《いぬ》も|食《く》はぬ|夫婦喧嘩《ふうふげんくわ》になつて|了《しま》ひますよ。それにお|民《たみ》さまは|娘盛《むすめざか》りのキレイなお|方《かた》、お|前《まへ》さまは|五十《ごじふ》の|尻《しり》を|作《つく》つた、|言《い》ふとすまぬが|古手婆《ふるてば》アさま、|誰《たれ》だつて|浮気者《うはきもの》だつたらお|民《たみ》さまの|方《はう》へ|肩《かた》をもつのは|当然《たうぜん》ですわ。お|前《まへ》さまもいい|年《とし》して|蠑〓別《いもりわけ》|様《さま》の|愛《あい》を|独占《どくせん》しようなぞとは|余《あま》り|虫《むし》がよ|過《す》ぎるぢやありませぬか。|貴女《あなた》、|其《その》|鼻《はな》|何《ど》うなさいました。ハヂケてゐるぢやありませぬか。|大方《おほかた》|夜前《やぜん》|追《お》つかけていた|時《とき》に|転《こ》けて|打《う》ちなさつたのでせう。|神様《かみさま》の|教《をしへ》にも、|改心《かいしん》|致《いた》さぬと|鼻《はな》を|打《う》たねばならぬ|事《こと》が|出来《でき》るぞよと|示《しめ》されてあるぢやありませぬか。|貴方《あなた》は|実地《じつち》|教育《けういく》をうけ、|結構《けつこう》な|御《お》かげを|頂《いただ》きやしたねえ、|本当《ほんたう》にお|羨《うらや》ましう|厶《ござ》いますワ』
『ヘン、|馬鹿《ばか》にしなさるな、よい|加減《かげん》に|人《ひと》を|嘲斎坊《てうさいばう》にしておきなさい。|此《この》お|寅《とら》だつて|石地蔵《いしぢざう》や|人形《にんぎやう》ぢやありませぬから、チツとは|性念《しやうねん》がありますよ。お|前《まへ》さまは|松彦《まつひこ》さまといふ|夫《をつと》に|会《あ》ひ、|吾《わが》|子《こ》が|分《わか》つたのだからソラ|嬉《うれ》しいでせう、|又《また》|勢《いきほひ》も|強《つよ》いでせう。それだからそんな|気強《きづよ》い|事《こと》がいへるのだ。|私《わたし》の|身《み》になつて|御覧《ごらん》なさい』
|松彦《まつひこ》『モシお|寅《とら》さま、モウいい|加減《かげん》に|蠑〓別《いもりわけ》さまのこたア|思《おも》ひ|切《き》られたら|何《ど》うです。|又《また》|何《ど》うしても|夫《をつと》がなくちやならぬのならば、|適当《てきたう》な|男《をとこ》をお|世話《せわ》|致《いた》しますワ』
『ヘン、|余《あま》り|馬鹿《ばか》にして|下《くだ》さるな、|私《わたし》は|男《をとこ》が|欲《ほ》しいので|騒《さわ》いでるのぢやありませぬ。|只《ただ》|神様《かみさま》の|為《ため》、|世人《よびと》の|為《ため》になくてはならぬ|蠑〓別《いもりわけ》さまだから、|天下《てんか》の|為《ため》に|気《き》をいらつてゐるのですよ。|五十《ごじふ》の|尻《しり》を|作《つく》つて|男《をとこ》なんか|要《い》つてたまりますか。そんな|柔弱《じうじやく》な|魂《たましひ》だと|思《おも》つて|貰《もら》ひますと、ヘン、チツト|片腹痛《かたはらいた》い』
『あゝさうですか。それで|時々《ときどき》|徳利《とくり》が|舞《ま》うたり、|盃《さかづき》が|砕《くだ》けたり、|鼻《はな》をねぢつたり、|気絶《きぜつ》したり、いろいろな|珍妙《ちんめう》な|活劇《くわつげき》をおやりなさるのですな』
『エヽなになつと|勝手《かつて》に|言《い》つておかつしやい。|御夫婦《ごふうふ》|仲《なか》よう、しつぽりとお|楽《たの》しみ、|左様《さやう》なら、|永《なが》らく|殺風景《さつぷうけい》な|婆《ばば》アが|久《ひさ》しぶりの|御対面《ごたいめん》、|嬉《うれ》し|泣《な》きの|場面《ばめん》を|汚《けが》しましてはすみませぬ。エライお|邪魔《じやま》を|致《いた》しました。|気《き》の|利《き》かぬ|婆《ばば》アで|厶《ござ》いますから、どうぞお|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
かく|毒《どく》ついてる|所《ところ》へ、スタスタと|上《あが》つて|来《き》たのはお|菊《きく》であつた。
お|菊《きく》『ご|免《めん》なさいませ、お|寅《とら》さま、|否《いや》お|母《あ》アさまは|来《き》てゐられますかな』
お|寅《とら》『コレお|菊《きく》、お|前《まへ》は|何《なに》しに、こんな|所《ところ》へ|来《く》るのだい、サアお|帰《かへ》りお|帰《かへ》り、|年《とし》も|行《ゆ》かぬくせに|小《こ》マしやくれた、ぢきに|私《わたし》の|内証話《ないしようばなし》を|聞《き》きに|来《く》るのぢやな』
『|別《べつ》に|聞《き》きに|来《き》たいこたないのだけれど、|何時《いつ》も|蠑〓別《いもりわけ》さまと|酒《さけ》に|酔《よ》うて、|大《おほ》きな|声《こゑ》で|悋気喧嘩《りんきげんくわ》をなさるものだから、|又《また》ここへ|岡焼《をかやき》にでもしに|厶《ござ》つたのかと|案《あん》じて|来《き》て|見《み》たのよ。お|母《か》アさまは|法界悋気《ほふかいりんき》が|上手《じやうづ》だからねえ』
『|早《はや》く|帰《かへ》りなさい』
『|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|生宮《いきみや》さまと、|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》の|生宮《いきみや》さまとが|大広間《おほひろま》を|飛出《とびだ》し、|春《はる》さままでが|後《あと》について、|悪口《あくこう》タラダラ|坂《さか》を|降《くだ》り、|神政松《しんせいまつ》の|下《した》へ|行《い》つて、|十六本《じふろくぽん》の|松《まつ》を|引抜《ひきぬ》き、|岩《いは》を|砕《くだ》かうとして|居《ゐ》るさうぢやから、|一寸《ちよつと》|知《し》らしに|来《き》たのよ』
『|松《まつ》|位《ぐらゐ》|引《ひ》いたつて、また|植《う》ゑ|替《か》へたらいいのだ。|何程《なにほど》お|福《ふく》さまや|竹《たけ》さまが|力《ちから》が|強《つよ》うても、あの|石《いし》はビクツともならないから、|放《ほ》つときなさい。それよりも|早《はや》くお|帰《かへ》り』
『それなら|帰《かへ》りますワ。|万公《まんこう》さまが|首《くび》を|伸《の》ばして|待《ま》つてゐますからねえ』
|松姫《まつひめ》『オホヽヽヽ』
お|寅《とら》『|親《おや》を|弄《なぶ》るといふ|事《こと》があるものかいな、お|前《まへ》はそれ|程《ほど》|万公《まんこう》さまに|惚《ほ》れてゐるのかい』
お|菊《きく》『|惚《ほ》れてますとも……ほれたほれた、|何《なに》がほれた、|馬《うま》が|小便《せうべん》して|地《ち》がほれた……といふ|程《ほど》|惚《ほ》れてますのよ。ホツホヽヽヽ、|併《しか》しお|母《か》アさま、あなたの|喜《よろこ》ぶ|事《こと》が|出来《でき》たのだけれど、|余《あま》り|憎《にく》らしい|事《こと》をいふから、もう|言《い》はないワ、ねえ|松姫《まつひめ》さま、こんな|憎《にく》い|口《くち》を|叩《たた》くお|母《か》アさまには、|何《なん》ぼ|娘《むすめ》だつて、バカらしうて|言《い》つてやれませぬわねえ』
|松姫《まつひめ》『|結構《けつこう》な|方《かた》がみえましたね、|定《さだ》めてお|喜《よろこ》びでせう、お|母《か》アさまは……』
お|寅《とら》『ナアニ、|結構《けつこう》な|事《こと》とは、コレお|菊《きく》|何《なん》ぢやいなア、|早《はや》く|言《い》つておくれ、|私《わたし》も|都合《つがふ》があるから』
お|菊《きく》『そらさうでせう。|言《い》はうなかなア、ヤツパリ|言《い》はうまいかなア、こんな|事《こと》さうヅケヅケといつて|了《しま》ふと、|互《たがひ》に|楽《たのし》みが|薄《うす》くなるから、これは|夢《ゆめ》にしておきませうかい』
『エヽ|焦心《じれつ》たい、|早《はや》く|言《い》はぬのかいなア』
『イのつく|人《ひと》が、|神様《かみさま》のおかげで、スタスタと|帰《かへ》つて|来《き》ましたよ』
『ナアニ、|蠑〓別《いもりわけ》さまがな、さうだろさうだろ、ヤア|松彦《まつひこ》さま、|松姫《まつひめ》さま、|誠《まこと》にすみませなんだ。|貴方《あなた》の|御神力《ごしんりき》は|偉《えら》いものですな。|御教《みをしへ》とは|一時半《ひとときはん》|程《ほど》|遅《おく》れましたけれど、|帰《かへ》つてさへくれたら、これで|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|太柱《ふとばしら》がつかめます。|神様《かみさま》もさぞお|喜《よろこ》びで|厶《ござ》いませう』
『|神様《かみさま》はお|喜《よろこ》びなさるか、なさらぬか|知《し》りませぬが、お|母《か》アさまは|嘸《さぞ》お|喜《よろこ》びでせうね。|私《わたし》だつて|余《あま》りイヤな|事《こと》は、ない|事《こと》はありませぬわねえ、ホツホヽヽヽ』
|夢寐《むび》にも|忘《わす》れぬ|恋男《こひをとこ》 |待《ま》ちあぐみたる|其《その》|時《とき》に
|蠑〓別《いもりわけ》が|帰《かへ》つたと |聞《き》いてお|寅《とら》は|飛《と》び|上《あが》り
|閻魔《えんま》のやうなきつい|顔《かほ》 |忽《たちま》ち|変《かは》る|地蔵《ぢざう》さま
|松彦《まつひこ》|夫婦《ふうふ》に|打向《うちむか》ひ |失礼《しつれい》な|事《こと》をベラベラと
お|喋《しやべ》り|申《まを》してすみませぬ コレコレお|菊《きく》、お|前《まへ》さま
ここで|暫《しばら》く|御世話《おんせわ》に なつてゐなされ|又《また》しても
|内証話《ないしようばなし》をきかれては みつともないと|言《い》ひながら
|狐《きつね》のお|化《ばけ》と|知《し》らずして |誠《まこと》の|恋《こひ》しき|男《をとこ》だと
|細《ほそ》き|階段《かいだん》トントンと |二《ふた》つ|三《みつ》つもふみまたげ
|眼《まなこ》くらんでガラガラと ころがる|拍子《ひやうし》に|頭《あたま》|打《う》ち
アイタヽタツタと|言《い》ひながら |男《をとこ》に|心《こころ》を|取《と》られてや
|頭《あたま》や|腰《こし》の|痛《いた》みをも さのみ|心《こころ》にかけずして
|転《ころ》げるやうに|下《くだ》りゆく |何《なに》は|兎《と》もあれ|教祖殿《けうそでん》
|帰《かへ》つて|蠑〓別《いもりわけ》さまに |不足《ふそく》のありだけ|言《い》ひ|並《なら》べ
お|金《かね》をこちらへボツたくり |動《うご》きの|取《と》れぬやうにして
|男《をとこ》の|愛《あい》を|独占《どくせん》し |此《この》|喜《よろこ》びはここよりは
|外《ほか》にやらじと|酒《さけ》でつり チツとも|外《そと》へは|出《だ》さぬよに
|守《まも》らにやならぬと|囁《ささや》きつ |帰《かへ》つて|見《み》れば|蠑〓別《いもりわけ》
|火鉢《ひばち》の|前《まへ》に|丹前《たんぜん》を かぶつたままに|泰然《たいぜん》と
すわつてゐるぞ|嬉《うれ》しけれ。
お|寅《とら》『マアマアマア、よう|家《うち》を|覚《おぼ》えて|帰《かへ》つて|来《き》なさつたな。|私《わたし》は|又《また》、どこのどなたか|知《し》らぬと|思《おも》ひましたよ。あのマアすましたお|顔《かほ》わいの』
|蠑〓《いもり》『|帰《かへ》つてくる|積《つもり》ではなかつたのだが、どうしても|思《おも》ひ|切《き》れないものが|一《ひと》つあつたので|引返《ひつかへ》して|来《き》たのだ。マア|酒《さけ》でも|出《だ》してくれ』
『|思《おも》ひ|切《き》れないものとは、|此《この》|燗徳利《かんどくり》と|猪口《ちよく》でせう。サアサアこんな|所《ところ》で|飲《の》んで|貰《もら》ふと、|又《また》|御機嫌《ごきげん》をそこねるとすみませぬから、|早《はや》く|狐《きつね》の|森《もり》へでもいつて、お|民《たみ》とシツポリやつて|来《き》なさい』
『さう|悪気《わるぎ》をまはして|貰《もら》つちや|困《こま》るぢやないか。お|民《たみ》の|奴《やつ》、|一本橋《いつぽんばし》を|渡《わた》る|時《とき》、あわてて|川《かは》へおち|込《こ》み、それきりになつて|了《しま》つたのだ』
『|何《なに》、お|民《たみ》……が……|川《かは》へはまつて|死《し》にましたとな。エヽ|気味《きみ》のよい………イヤイヤ|気《き》の|毒《どく》な|事《こと》だなア。さぞお|前《まへ》さまも|悲《かな》しかつただらうな。なぜ|飛込《とびこ》んで|一緒《いつしよ》に|心中《しんぢう》なさらぬのだい、|随分《ずゐぶん》|水臭《みづくさ》いぢやありませぬか』
とツンとして|他人《たにん》|行儀《ぎやうぎ》になつてゐる。
|蠑〓《いもり》『|何《なん》ともはや、|魔我彦《まがひこ》は|惜《をし》い|事《こと》をしたものだ。|魔我彦《まがひこ》が|聞《き》いたらさぞ|悔《くや》むだろ、|不憫《ふびん》な|者《もの》だ』
お|寅《とら》『|悔《くや》む|人《ひと》が|違《ちが》ひませう、ヘン、|仰有《おつしや》いますワイ。そんな|事《こと》に|化《ばけ》かされる、|海千山千《うみせんやません》ぢやありませぬぞえ。モツトモツトすぐれた|劫《ごふ》を|経《へ》た|狸婆《たぬきばば》アを|騙《だま》さうと|思《おも》つても、ダメですよ。|時《とき》に|蠑〓別《いもりわけ》さま、お|金《かね》はどうなさつたの』
『お|金《かね》か、ありやお|前《まへ》、|余《あま》りあわてたものだから、|一本橋《いつぽんばし》の|上《うへ》からパラパラと|落《おと》して|了《しま》つたのだ。|拾《ひろ》つてみようと|思《おも》つたけれど、|何分《なにぶん》|夜叉《やしや》のやうな|勢《いきほひ》で、どこの|婆《ば》アさまか|知《し》らぬが、|追《お》つかけて|来《く》るものだから、つい|恐《おそ》ろしくなつて|野中《のなか》の|森《もり》までに|逃《に》げていつたのだよ』
『そんなウソを|云《い》つたつて|駄目《だめ》ですよ。お|前《まへ》さまの|懐《ふところ》にチヤンとあるぢやないか』
『ソリアある、|併《しか》しこれは|拾《ひろ》うた|金《かね》だ、お|前《まへ》の|金《かね》は|一旦《いつたん》|落《おと》したのだ、|落《おと》したものを|拾《ひろ》はうと|云《い》つたつてダメだらう。それを|改《あらた》めて|蠑〓別《いもりわけ》が|拾《ひろ》うて|来《き》たのだから、|所有権《しよいうけん》は|俺《おれ》にうつつてるのだ。|最早《もはや》|指一本《ゆびいつぽん》さへる|事《こと》はさせないから、|此《この》|金《かね》に|未練《みれん》はかけてくれるなよ。|其《その》|時《とき》の|用意《ようい》の|金《かね》だからなア』
『|盗人《ぬすびと》たけだけしいとはお|前《まへ》さまの|事《こと》だ。どうあつても|斯《か》うあつても、|此方《こちら》へひつたくらねばおきませぬ』
『アハヽヽヽ、お|前《まへ》の|力《ちから》で|取《と》れるものなら|取《と》つてみろよ。|此《この》|蠑〓別《いもりわけ》は|今《いま》までとはチツト|様子《やうす》が|違《ちが》ふのだから、ウツカリ|指一本《ゆびいつぽん》でもさへようものなら、|大変《たいへん》な|目《め》に|会《あ》ふぞ』
『ナアニ、グヅグヅ|言《い》ふと|又《また》|鼻《はな》をねぢようか。そんな|事《こと》を|言《い》はずに|素直《すなほ》に|出《だ》しなさいよ。|又《また》|要《い》る|時《とき》にや|私《わたし》にこたへてさへ|下《くだ》さつたら、|惜気《をしげ》もなく|出《だ》して|上《あ》げますから、|今日《けふ》はお|酒《さけ》を|上《あが》つて|宵《よひ》からグツスリとお|休《やす》|見《み》なさい。お|前《まへ》さまが|飛《と》んで|出《で》たものだから、|此《この》|神館《かむやかた》は|大騒動《おほさうどう》が|起《おこ》つてゐるのよ。|信者《しんじや》の|信仰《しんかう》がグラつき|始《はじ》めて、|此《この》|城《しろ》が|持《も》てるか|持《も》てぬか|分《わか》らないといふ|九死一生《きうしいつしやう》の|場合《ばあひ》だから、せめて|此《この》お|金《かね》なつと|持《も》つてゐなくちや|心細《こころぼそ》くて|仕方《しかた》がない。|千両《せんりやう》だけお|前《まへ》に|持《も》たしておくから、|八千両《はつせんりやう》こちやへお|返《かへ》しなさい』
『それならモウ|邪魔臭《じやまくさ》いから、|十分《じふぶん》の|一《いち》だけお|前《まへ》にやらう。サア|検《あらた》めて|受取《うけと》つてくれ』
とポンと|前《まへ》へつき|出《だ》したのは、|三万両《さんまんりやう》の|大判《おほばん》であつた。お|寅婆《とらばば》アはビツクリして、
『コレ|蠑〓別《いもりわけ》さま、コリヤ、サヽ|三万両《さんまんりやう》ぢやないかい』
|蠑〓《いもり》『ウン|三万両《さんまんりやう》だ、まだ|二十七万両《にじふしちまんりやう》|懐《ふところ》にあるのだ。これだけあれば、|一代《いちだい》|遊《あそ》んで|暮《くら》しても|大丈夫《だいぢやうぶ》だ』
『|其《その》お|金《かね》、こちらへ|預《あづか》つて|上《あ》げませう』
『お|前《まへ》の|金《かね》は|九千両《きうせんりやう》、|二万《にまん》|一千両《いつせんりやう》も|利《り》をつけてやつたぢやないか。お|前《まへ》もそれだけあれば|得心《とくしん》だろ、|二十七万両《にじふしちまんりやう》は|俺《おれ》の|使用《しよう》|権利《けんり》があるのだから|決《けつ》して|渡《わた》さない。もしも|之《これ》を|無理《むり》にも|取《と》らうものなら、それこそ|泥棒《どろばう》だ』
『|決《けつ》して|取《と》らうといふのぢやない、|預《あづか》つておかうといふのだ。お|前《まへ》さまに|此《この》|金《かね》|持《も》たしておいては|険難《けんのん》だから、|預《あづか》らうといふのだよ』
『|此《この》|金《かね》を|以《もつ》て、|実《じつ》の|所《ところ》はお|民《たみ》を|或《ある》|所《ところ》へ|預《あづ》けて|来《き》たのだ。お|民《たみ》にも|二十万両《にじふまんりやう》の|金《かね》がもたしてあるのだ。サア|之《これ》から|御免《ごめん》|蒙《かうむ》らう、お|寅婆《とらば》アさま、|随分《ずゐぶん》【まめ】で|暮《くら》して|下《くだ》さい、|左様《さやう》なら』
と|立《た》ち|上《あが》らうとする。お|寅《とら》はビツクリして|立上《たちあが》り、|大手《おほで》をひろげ、
『エヽそれ|聞《き》くからは、|何《なん》と|云《い》つても|行《ゆ》かしはせぬ。|命《いのち》にかけてもお|前《まへ》をお|民《たみ》に|渡《わた》してなるものか』
と|武者《むしや》ぶりつく|途端《とたん》に、|蠑〓別《いもりわけ》の|体《からだ》は|長《なが》い|毛《け》だらけであつた。ハツと|驚《おどろ》き|手《て》をはなす|途端《とたん》に、|蠑〓別《いもりわけ》の|姿《すがた》はどこへやら、|黒《くろ》い|牛《うし》の|子《こ》のやうな|大狐《おほぎつね》がのそりのそりと|後《あと》ふり|返《かへ》りながら|向《むか》ふの|森林《しんりん》さして|逃《に》げて|行《ゆ》く。これはお|寅婆《とらばば》アの|副守護神《ふくしゆごじん》で、|小北山《こぎたやま》の|発頭人《ほつとうにん》ともいふべき|親玉《おやだま》であつた。|松彦《まつひこ》、|松姫《まつひめ》、|五三公《いそこう》の|神威《しんゐ》に|恐《おそ》れて|姿《すがた》を|現《あら》はし、お|寅《とら》の|肉体《にくたい》からスツカリと|放《はな》れて|了《しま》つたのであつた。
(大正一一・一二・一五 旧一〇・二七 松村真澄録)
第九章 |文明《ぶんめい》〔一二一九〕
|文助《ぶんすけ》は|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|置物然《おきものぜん》として|白装束《しろしやうぞく》に|白袴《しろばかま》を|着《つ》け、|相変《あひかは》はらず|松《まつ》に|一本角《いつぽんつの》の|黒蛇《くろくちなは》、|蕪《かぶら》、|大根《だいこん》を|描《ゑが》いて|居《ゐ》た。そこへお|菊《きく》がソツとやつて|来《き》て、
『もし、|文助《ぶんすけ》さま、お|前《まへ》チヨツト|此方《こつち》へ|来《き》て|下《くだ》さらぬか。|大変《たいへん》|面白《おもしろ》いもの|見《み》せてあげますよ』
|文助《ぶんすけ》『|何程《なにほど》|面白《おもしろ》いものでも、|俺《わし》に|見《み》せてやらうと|云《い》ふのは|無理《むり》な|註文《ちうもん》だ。|盲《めくら》の|芝居《しばゐ》、|聾《つんぼ》の|浄瑠璃聞《じやうるりきき》と|同《おな》じだから、まあ|止《や》めておかう』
お|菊《きく》『|何《なに》、お|前《まへ》さま、|蕪《かぶら》や|大根《だいこん》が|書《か》ける|位《くらゐ》なら|見《み》えぬ|筈《はず》がない。|見《み》ようと|思《おも》つたら|屹度《きつと》|見《み》えるだらう。|本当《ほんたう》に|妙《めう》な|事《こと》があるのよ。|人《ひと》に|分《わか》らぬ|中《うち》、ソツと|来《き》ておくれよ』
『さう|受付役《うけつけやく》が|席《せき》を|立《た》つて|此処《ここ》をあけておく|訳《わけ》にもゆかないから、|又《また》|暇《ひま》の|時《とき》に|見《み》せて|貰《もら》はう』
『そんな|気《き》の|長《なが》い|事《こと》を|云《い》つてゐたら|駄目《だめ》よ。|今《いま》の|中《うち》に|来《き》て|見《み》なくちやいけない。|実《じつ》の|処《ところ》は、|蠑〓別《いもりわけ》さまが|帰《かへ》つて|来《き》たのよ。さうして|三万両《さんまんりやう》の|金《かね》をお|母《かあ》さまにやつて|居《ゐ》るのよ』
『|何《なに》、|三万円《さんまんゑん》のお|金《かね》をお|母《かあ》さまにあげられましたか。|流石《さすが》は|蠑〓別《いもりわけ》さまだ。|夜前《やぜん》|夜《よ》ぬけをなさつたとかで|随分《ずゐぶん》|上《うへ》を|下《した》への|大騒動《おほさうどう》、どうなることかと|俺《わし》も|心配《しんぱい》してをつたが、あゝ|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い、あの|方《かた》が|帰《かへ》つて|下《くだ》さつたら|小北山《こぎたやま》は|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|神様《かみさま》|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります』
『|一寸《ちよつと》|見《み》に|来《き》て|下《くだ》さいな。どうも|不思議《ふしぎ》で|堪《たま》らないのよ』
『|何《なに》、お|金《かね》は|人間《にんげん》の|持《も》つものだから|三万円《さんまんゑん》|位《くらゐ》|持《も》つて|帰《かへ》つたつて|別《べつ》に|不思議《ふしぎ》はない。あの|方《かた》だから|人《ひと》の|物《もの》を|泥棒《どろばう》なさる|筈《はず》がない。それは|神様《かみさま》からお|情《なさけ》でお|金《かね》を|降《ふ》らして|下《くだ》さつたのでせう。さうして|其《その》お|金《かね》をお|母《かあ》さまは|如何《どう》なさいました』
『|直様《すぐさま》|懐《ふところ》へ|捻込《ねぢこ》んで|了《しま》つたのよ』
『そりや|良《よ》い|事《こと》をなさいました。あの|方《かた》にお|持《も》たせして|置《お》くといけませぬから。|神様《かみさま》|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります』
と|又《また》|拝《をが》む。
お|菊《きく》『|何《なに》、そればつかしぢやないのよ。|後《あと》から|聞《き》いて|見《み》れば、まだあと|二十七万両《にじふしちまんりやう》、|懐《ふところ》に|持《も》つて|居《ゐ》ると|云《い》つてゐたよ』
|文助《ぶんすけ》『|何《なに》、|二十七万円《にじふしちまんゑん》、ハヽヽそりや|大方《おほかた》|聞《き》き|違《ちが》ひだ。|二十七銭《にじふしちせん》だらう』
『|阿呆《あはう》らしい、|二十七万円《にじふしちまんゑん》と|二十七銭《にじふしちせん》と|取違《とりちがひ》へる|様《やう》な|私《わたし》は|馬鹿《ばか》ぢやありませぬ。|確《たしか》に|二十七万両《にじふしちまんりやう》、|十分《じふぶん》の|一《いち》|与《や》らうと|云《い》つて|三万両《さんまんりやう》|放《ほ》り|出《だ》したのだもの、さうしてまだお|民《たみ》さまに|二十万両《にじふまんりやう》やつて|来《き》たと|云《い》つてゐましたよ。|文助《ぶんすけ》さま、|早《はや》う|来《き》て|下《くだ》さいな。お|民《たみ》さまの|処《ところ》へ、これから|行《ゆ》くなんて|云《い》つてゐますよ。|私《わたし》、それ|聞《き》いて|気《き》が|気《き》でないので、ソツと|貴方《あなた》を|頼《たの》みに|来《き》たのよ。|蠑〓別《いもりわけ》さまは|貴方《あなた》の|云《い》ふ|事《こと》は|聞《き》いて|呉《く》れるけれども、お|母《かあ》さまの|事《こと》は|聞《き》いてくれぬのだから』
『そりや|大変《たいへん》だ。あんな|人《ひと》に、そんな|大金《たいきん》を|持《も》たせておいたら、どんな|事《こと》をするか|知《し》れやしない。|人間《にんげん》が|好《い》いから|直《すぐ》に|人《ひと》にとられて|了《しま》ひ、|神様《かみさま》の|名《な》を|悪《わる》くするやうにしちや|大変《たいへん》だから。それなら|行《ゆ》きませう』
『|文助《ぶんすけ》さま、ソツと|来《き》て|下《くだ》さいや。あまり|人《ひと》に|聞《きこ》えちや|都合《つがふ》が|悪《わる》いかも|知《し》れぬから』
|受付係《うけつけがかり》の|文助《ぶんすけ》は |思《おも》はぬ|話《はなし》を|聞《き》かされて
|何《なん》とはなしに|勇《いさ》み|立《た》ち |重《おも》たい|尻《しり》をあげながら
|咫尺《しせき》も|見《み》えぬ|目《め》を|持《も》つて |杖《つゑ》を|力《ちから》にトボトボと
お|菊《きく》の|後《あと》に|従《したが》ひて |蠑〓別《いもりわけ》の|住居《すまゐ》なる
|館《やかた》をさして|出《い》でて|行《ゆ》く お|菊《きく》は|先《さき》に|立《た》ちながら
『これこれもうし|文助《ぶんすけ》さま |此処《ここ》が|表《おもて》の|入口《いりぐち》よ
さあさあ|私《わたし》が|手《て》を|曳《ひ》いて |教祖《けうそ》のお|居間《ゐま》へ|参《まゐ》りませう』
|云《い》へば|文助《ぶんすけ》|首肯《うなづ》いて |一寸《ちよつと》|笑《ゑみ》をば|湛《たた》へつつ
|年《とし》の|若《わか》いに|似《に》もやらず |何《なに》から|何《なに》まで|蕪《かぶら》から
|大根《だいこん》|菜種《なたね》の|端《はし》までも |気《き》のつく|娘《むすめ》と|褒《ほ》めながら
|奥《おく》の|一間《ひとま》へ|進《すす》み|入《い》り
『これこれもうしお|寅《とら》さま |目出度《めでた》い|事《こと》が|出来《でき》ました
|蠑〓別《いもりわけ》の|教祖《けうそ》さまは |御無事《ごぶじ》でお|帰《かへ》り|遊《あそ》ばして
|私《わたし》も|嬉《うれ》しう|厶《ござ》ります その|上《うへ》|沢山《たくさん》のお|金《かね》をば
|土産《みやげ》にもつてお|帰《かへ》りと |私《わたし》は|聞《き》いて|飛《と》び|上《あが》り
|大神様《おほかみさま》に|御礼《おんれい》を |直様《すぐさま》|申上《まをしあ》げました
|昨夜《ゆうべ》|蠑〓別《いもりわけ》|様《さま》が |駆落《かけおち》なさつたと|聞《き》いてから
|館《やかた》の|上下《うへした》|大騒動《おほさうどう》 |数多《あまた》の|信者《しんじや》の|信仰《しんかう》が
ぐらつき|出《だ》して|私《わたくし》まで |頭《あたま》を|痛《いた》めて|居《を》りました
|其《その》|上《うへ》|尚《なほ》も|神様《かみさま》の |尊《たふと》き|恵《めぐ》みによりまして
|三十万両《さんじふまんりやう》の|金《かね》もつて |無事《ぶじ》にお|帰《かへ》りなさるとは
|何《なに》に|譬《たと》へむものもなき |歓喜《くわんき》の|極《きは》みで|厶《ござ》ります
これこれもうし|教祖《けうそ》さま |私《わたし》は|文助《ぶんすけ》|受付《うけつけ》の
|時間《じかん》を|盗《ぬす》んで|御挨拶《ごあいさつ》 |致《いた》さにやならぬとお|菊《きく》さまに
お|手《て》をひかれて|参《まゐ》りました |何卒《どうぞ》|結構《けつこう》なお|話《はなし》を
|私《わたし》に|聞《き》かして|下《くだ》さんせ |真《まこと》に|嬉《うれ》しい|事《こと》ですよ
|鶴《つる》は|千歳《ちとせ》と|舞《ま》ひ|遊《あそ》び |亀《かめ》|万歳《まんざい》と|歌《うた》ひ|舞《ま》ふ
こんな|目出度《めでた》いお|目出度《めでた》い |事《こと》が|如何《どう》して|来《き》たものか
これもやつぱりユラリ|彦《ひこ》 |末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神《かみ》
|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|大御神《おほみかみ》 リントウビテン|大神《おほかみ》や
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|義理天上《ぎりてんじやう》 |大将軍《だいしやうぐん》や|常世姫《とこよひめ》
|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》 |其《その》|外《ほか》|尊《たふと》き|神様《かみさま》の
|御守護《ごしゆご》の|徳《とく》で|厶《ござ》りませう あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|何程《なにほど》|嬉《うれ》しいと|云《い》つたとて |口《くち》が|塞《ふさ》がる|筈《はず》がない
|蠑〓別《いもりわけ》さま、お|寅《とら》さま あまり|私《わたし》をじらさずに
|早《はや》くお|話《はな》し|下《くだ》さんせ |気《き》がせきます』と|呼《よ》ばはれば
お|寅《とら》は|呆《あき》れて|倒《たふ》れたる |身体《からだ》ムツと|引《ひ》き|起《おこ》し
|火鉢《ひばち》の|前《まへ》に|座蒲団《ざぶとん》を キチンと|敷《し》いて|行儀《ぎやうぎ》よく
|膝《ひざ》に|両手《りやうて》をおきながら 『|文助《ぶんすけ》さまか、よくもまあ
お|目《め》の|悪《わる》いにトボトボと お|訪《たづ》ねなさつて|下《くだ》さつた
|私《わたし》は|結構《けつこう》な|御神徳《ごしんとく》 |今日《けふ》は|初《はじ》めて|受《う》けました
|天《あま》の|岩戸《いはと》が|開《ひら》けたる やうな|心地《ここち》が|致《いた》します
|何卒《どうぞ》|喜《よろこ》んで|下《くだ》さんせ |本当《ほんたう》に|目出度《めでた》い|吉日《きちにち》』と
|申《まを》せば|文助《ぶんすけ》|勇《いさ》み|立《た》ち 『そりやまあ|結構《けつこう》な|事《こと》でした
|蠑〓別《いもりわけ》の|教祖《けうそ》さまは |大《おほ》きな|神徳《しんとく》|頂《いただ》いて
|三十万両《さんじふまんりやう》を|懐《ふところ》に |入《い》れてお|帰《かへ》り|遊《あそ》ばして
|十分一《じふぶんいち》の|三万両《さんまんりやう》 お|前《まへ》さまにスツパリ|下《くだ》さつた
やうにお|菊《きく》さまに|聞《き》きました |本当《ほんたう》に|目出度《めでた》い|事《こと》ですな
|私《わたし》に|直接《ちよくせつ》|頂《いただ》いた やうに|嬉《うれ》しう|厶《ござ》ります
さうして|蠑〓別《いもりわけ》さまは お|声《こゑ》が|根《ね》つから|聞《きこ》えぬが
|疲《くたぶ》れ|果《は》ててグツスリと お|寝《やす》みなさつて|厶《ござ》るのか
それならそれで|私《わたくし》も お|寝《やす》みなさる|邪魔《じやま》をしちや
|真《まこと》に|済《す》まない|事《こと》|故《ゆゑ》に これからお|暇《いとま》|申《まを》します
これこれもうしお|寅《とら》さま |娘御寮《むすめごれう》のお|菊《きく》さま
これから|御免《ごめん》|蒙《かうむ》つて |書《か》き|残《のこ》したる|蕪《かぶら》の|画《ゑ》
スツカリ|仕上《しあ》げた|其《その》|上《うへ》で お|暇《ひま》を|頂《いただ》き|見《み》えの|番《ばん》
|足《あし》を|伸《の》ばして|今夜《こんや》こそ グツスリ|寝《ね》さして|貰《もら》ひませう
|何《いづ》れもサラバ』と|立上《たちあが》る |此《この》|時《とき》お|寅《とら》は|声《こゑ》をかけ
『|文助《ぶんすけ》さまよ|今《いま》|私《わし》が |結構《けつこう》なお|神徳《かげ》を|頂《いただ》いた
|天《あま》の|岩戸《いはと》が|開《ひら》けたと |云《い》つたは|金《かね》の|事《こと》でない
|百万両《ひやくまんりやう》はまだ|愚《おろ》か |幾千万《いくせんまん》とも|限《かぎ》りなき
|譬《たと》へ|方《がた》なき|神徳《しんとく》を スツカリ|受《う》けた|事《こと》ですよ
|蠑〓別《いもりわけ》が|突然《とつぜん》と |此《この》|場《ば》に|帰《かへ》り|来《きた》りまし
|三万両《さんまんりやう》の|小判《こばん》をば ゾロリと|私《わたし》の|目《め》の|前《まへ》に
|並《なら》べて|呉《く》れたと|思《おも》ふうち |豈《あに》|図《はか》らむや|蠑〓別《いもりわけ》
|忽《たちま》ち|姿《すがた》を|変更《へんかう》し |牛《うし》の|様《やう》なる|古狐《ふるぎつね》
クワイ クワイ クワイと|泣《な》きながら |向《むか》ふの|谷《たに》の|森林《しんりん》を
|目蒐《めが》けて|姿《すがた》をかくしました あまり|私《わたし》は|胴慾《どうよく》で
|汚《きたな》い|事《こと》のみ|朝夕《あさゆふ》に |思《おも》つて|居《ゐ》たのが|罪《つみ》となり
|清《きよ》い|尊《たふと》い|魂《たましひ》が |自然《しぜん》に|曇《くも》つて|居《を》つたのか
|此《この》|有様《ありさま》を|見《み》るよりも |一度《いちど》に|開《ひら》く|蓮花《はちすばな》
サラリと|開《あ》いた|胸《むね》の|暗《やみ》 これ|程《ほど》|嬉《うれ》しい|事《こと》はない
|蠑〓別《いもりわけ》の|教祖《けうそ》さまは お|前《まへ》も|知《し》つてゐる|通《とほ》り
|酒《さけ》に|身魂《みたま》を|腐《くさ》らして |前後《ぜんご》|夢中《むちう》に|首《くび》をふり
|精神病者《せいしんびやうしや》となつてゐる あんな|分《わか》らぬ|男《をとこ》をば
|何程《なにほど》|大切《だいじ》にしたとても |神《かみ》のお|道《みち》は|何処《どこ》までも
|拡《ひろ》まりさうな|事《こと》はない |又《また》あの|人《ひと》はお|民《たみ》と|云《い》ふ
|女《をんな》に|迷《まよ》ひ|三五《あななひ》の お|道《みち》に|厶《ござ》る|高姫《たかひめ》を
|慕《した》うて|朝晩《あさばん》|胸《むね》|痛《いた》め |鬱散《うつさん》ばらしに|酒《さけ》をのみ
|居《ゐ》るやうな|人《ひと》を|私《わたくし》が |何程《なにほど》|大切《だいじ》に|思《おも》うても
|最早《もはや》|駄目《だめ》だと|知《し》る|上《うへ》は |執着心《しふちやくしん》も|何《なに》もかも
|速河《はやかは》の|瀬《せ》に|流《なが》し|棄《す》て |今《いま》は|嬉《うれ》しき|水晶《すゐしやう》の
|御空《みそら》の|如《ごと》くになりました |喜《よろこ》び|勇《いさ》み|神様《かみさま》に
お|礼《れい》を|申《まを》して|下《くだ》さんせ |私《わたし》もこれから|魂《たましひ》を
|入《い》れ|替《か》へ|天地《てんち》の|祖神《おやがみ》を |祀《まつ》り|直《なほ》して|神妙《しんめう》に
|一心不乱《いつしんふらん》に|仕《つか》へます |文助《ぶんすけ》さまよ|今迄《いままで》の
|私《わたし》の|醜行《しうかう》|見直《みなほ》して |愛想《あいそ》つかさず|何処《どこ》までも
|交際《かうさい》なされて|下《くだ》さんせ |今日《けふ》|更《あらた》めて|願《ねが》ひます
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも もう|此《この》|上《うへ》は|吾《わが》|心《こころ》
|決《けつ》して|決《けつ》して|変《かは》らない |天地《てんち》の|神《かみ》よ|百神《ももがみ》よ
|初《はじ》めて|悟《さと》る|吾々《われわれ》が |真《まこと》の|道《みち》の|御光《みひかり》を
いや|永久《とこしへ》に|照《て》らしつつ |此《この》|肉体《にくたい》は|云《い》ふも|更《さら》
|此《この》|世《よ》を|去《さ》つて|神界《しんかい》へ |旅立《たびだ》ちする|時《とき》|吾《わが》|魂《たま》を
|安《やす》きに|救《すく》ひ|給《たま》へかし |神《かみ》は|吾等《われら》の|救《すく》ひ|主《ぬし》
|心《こころ》も|身《み》をも|傾《かたむ》けて |偏《ひとへ》に|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
(大正一一・一二・一五 旧一〇・二七 北村隆光録)
第一〇章 |唖狐《あご》|外《はづ》れ〔一二二〇〕
|恋《こひ》にやつれし|魔我彦《まがひこ》は |昼狐《ひるぎつね》をば|追《お》ひ|出《だ》した
やうな|間抜《まぬ》けた|面《つら》をして ノソリノソリと|坂道《さかみち》を
|下《くだ》つて|橋《はし》の|袂《たもと》まで |思《おも》はず|知《し》らず|進《すす》み|来《く》る
|時《とき》しもあれや|向《むか》ふより |云《い》ふに|云《い》はれぬ|美《うつく》しき
|衣服《いふく》を|着飾《きかざ》り|濡《ぬ》れ|烏《がらす》 |欺《あざむ》くばかりの|黒髪《くろかみ》を
サツと|後《うしろ》に|垂《た》れ|流《なが》し |紫袴《むらさきばかま》を|穿《うが》ちつつ
|紅葉《もみぢ》のついた|被衣《かづき》をば サラリと|着流《きなが》しトボトボと
|此方《こなた》に|向《むか》つて|進《すす》み|来《く》る |何人《なんぴと》なるか|知《し》らねども
どこともなしに|見覚《みおぼ》えの ある|女《をんな》よと|佇《たたず》みて
|口《くち》をポカンと|開《あ》けながら |指《ゆび》を|銜《くは》へて|眺《なが》め|居《ゐ》る
|女《をんな》はやうやう|丸木橋《まるきばし》 |此方《こなた》に|渡《わた》つて|魔我彦《まがひこ》の
|前《まへ》に|佇《たたず》みホヽヽヽと やさしく|笑《わら》へば|魔我彦《まがひこ》は
|夜分《やぶん》の|事《こと》なら|驚《おどろ》いて |逃《に》げる|処《ところ》をまだ|昼《ひる》の
|最中《さいちう》なるを|幸《さいはひ》に ビクとも|致《いた》さぬ|面構《つらがま》へ
よくよくすかし|眺《なが》むれば |豈《あに》|図《はか》らむや|恋慕《こひした》ふ
|衣笠村《きぬがさむら》のお|民《たみ》さま ハツと|驚《おどろ》き|胸《むね》を|撫《な》で
『これこれもうしお|民《たみ》さま お|前《まへ》は|本当《ほんたう》にひどい|人《ひと》
|蠑〓別《いもりわけ》と|手《て》をとつて |私《わたし》に|肱鉄《ひぢてつ》|喰《く》はしおき
|暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|何処《どこ》となく |逃《に》げて|行《ゆ》くとはあんまりだ
|此処《ここ》で|会《あ》うたを|幸《さいは》ひに |怨《うら》みの|数々《かずかず》|並《なら》べたて
|何《ど》うしても|聞《き》いて|下《くだ》さらにや お|前《まへ》を|抱《だ》いて|此《この》|川《かは》へ
ザンブとばかり|身《み》を|投《な》げて あの|世《よ》とやらへ|行《ゆ》く|心算《つもり》
お|返事《へんじ》|如何《いかが》』とつめよれば |女《をんな》は|又《また》もやホヽヽヽと
いと|愉快気《ゆくわいげ》に|打笑《うちわら》ふ はて|訝《いぶ》かしと|魔我彦《まがひこ》は
|衝《つ》つ|立《た》ちよつて|細腕《ほそうで》を グツと|握《にぎ》ればお|民《たみ》さま
|山《やま》も|田地《でんち》も|家倉《いへくら》も |吸《す》ひ|込《こ》みさうな|靨《ゑくぼ》をば
|両方《りやうはう》にポツと|現《あら》はして |腰《こし》つきさへもシナシナと
|首《くび》をクネクネふりながら しなだれかかる|嬉《うれ》しさよ
|魔我彦《まがひこ》|案《あん》に|相違《さうゐ》して グツと|腰《こし》をば|抱《いだ》きしめ
『これこれもうしお|民《たみ》さま お|前《まへ》の|心《こころ》は|知《し》らなんだ
|何卒《どうぞ》|許《ゆる》して|下《くだ》さんせ |私《わたし》も|嬉《うれ》しう|厶《ござ》ります
|夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|幻《まぼろし》か |夢《ゆめ》なら|夢《ゆめ》でよいけれど
|万劫末代《まんごふまつだい》|醒《さ》めぬやうに |神《かみ》さま|守《まも》つて|下《くだ》さんせ
|偏《ひとへ》に|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る さはさりながらお|民《たみ》さま
|蠑〓別《いもりわけ》は|如何《どう》なつた それが|一言《ひとこと》|聞《き》きたい』と
|詰《なじ》ればお|民《たみ》は|打笑《うちわら》ひ 『|私《わたし》は|蠑〓別《いもりわけ》さまに
|秋波《しうは》を|送《おく》つて|居《ゐ》たやうに |見《み》せてゐたのも|只《ただ》|一《ひと》つ
お|前《まへ》と|添《そ》ひたい|目的《もくてき》が |心《こころ》の|底《そこ》にあればこそ
|蠑〓《いもり》さまをおだてあげ |昨夜《ゆうべ》の|暗《やみ》を|幸《さいは》ひに
|野中《のなか》の|森《もり》へつれ|行《ゆ》きて |隠《かく》し|置《お》いたる|二十万両《にじふまんりやう》
|言葉《ことば》|巧《たくみ》に|説《と》きつけて |薄野呂《うすのろ》さまを|説《と》き|落《おと》し
|漸《やうや》く|目的《もくてき》|相達《あひたつ》し |二十万両《にじふまんりやう》のお|金《かね》をば
これ|此《この》|通《とほ》り|懐《ふところ》へ |入《い》れてスゴスゴ|帰《かへ》りました
もう|之《これ》からは|大丈夫《だいぢやうぶ》 |小北《こぎた》の|山《やま》の|聖場《せいぢやう》で
お|前《まへ》は|教主《けうしゆ》|私《わし》は|妻《つま》 これだけ|金《かね》があつたなら
|末代《まつだい》さまも|上義姫《じやうぎひめ》も おつ|放《ぽ》り|出《だ》して|小北山《こぎたやま》
|主権《しゆけん》を|握《にぎ》る|其《その》|準備《じゆんび》 サアサア|之《これ》から|致《いた》しませう
|金《かね》が|敵《かたき》の|世《よ》の|中《なか》と |分《わか》らぬ|奴《やつ》は|云《い》ふけれど
お|金《かね》は|吾《わが》|身《み》の|味方《みかた》ぞや |金《かね》さえあらば|何事《なにごと》も
|成就《じやうじゆ》せない|事《こと》はない どんな|阿呆《あはう》な|男《をとこ》でも
|賢《かしこ》う|見《み》えるは|金《かね》の|徳《とく》 |一文半銭《いちもんきなか》|恵《めぐ》まない
|人《ひと》にも|旦那《だんな》さま|旦那《だんな》さまと |持《も》て|囃《はや》されて|世《よ》の|中《なか》を
|我物顔《わがものがほ》に|渡《わた》り|行《ゆ》く こんな|結構《けつこう》な|事《こと》はない
|魔我彦《まがひこ》さまよ|私《わたくし》の |心《こころ》の|底《そこ》が|分《わか》つたか
|何卒《どうぞ》|仲《なか》よう|末永《すえなが》う |私《わたし》を|妻《つま》と|慈《いつく》しみ
|添《そ》ひ|遂《と》げなさつて|下《くだ》さんせ』 |云《い》へば|魔我彦《まがひこ》ビツクリし
|恋《こひ》しき|女《をんな》と|合衾《がふきん》の |式《しき》まで|挙《あ》げて|其《その》|上《うへ》に
|生《うま》れて|此《この》|方《かた》|目《め》に|触《ふ》れた |事《こと》もない|様《やう》な|大金《たいきん》を
|持参金《ぢさんきん》とは|何《なん》の|事《こと》 |併《しか》し|心《こころ》にかかるのは
|蠑〓別《いもりわけ》の|事《こと》である |魔我彦《まがひこ》|言葉《ことば》を|改《あらた》めて
『それは|誠《まこと》に|結構《けつこう》だ |併《しか》し|一《ひと》つの|心配《しんぱい》が
|二人《ふたり》の|仲《なか》に|横《よこ》たはり |至幸《しかう》|至福《しふく》の|妨《さまた》げを
するやうに|思《おも》へて|仕様《しやう》がない |何《なん》とか|工夫《くふう》があるまいか
|蠑〓別《いもりわけ》がヒヨツとして この|場《ば》に|帰《かへ》つて|来《き》たなれば
|俺《おれ》とお|前《まへ》は|如何《どう》しようぞ これが|第一《だいいち》|気《き》にかかる
|如何《いか》にせむか』と|尋《たづ》ぬれば お|民《たみ》はホヽヽと|打笑《うちわら》ひ
『|必《かなら》ず|心配《しんぱい》なさるなや こんな|謀反《むほん》を|起《おこ》す|私《わし》
|何処《どこ》に|抜《ぬ》け|目《め》があるものか |野中《のなか》の|森《もり》で|睾丸《きんたま》を
しめて|国替《くにがへ》さして|置《お》いた もう|此《この》|上《うへ》は|大丈夫《だいぢやうぶ》
|天下《てんか》|晴《は》れての|夫婦《ふうふ》ぞや |一時《いちじ》も|早《はや》く|小北山《こぎたやま》
|教主《けうしゆ》の|館《やかた》へ|堂々《だうだう》と |夫婦《ふうふ》が|手《て》に|手《て》をとり|交《か》はし
これ|見《み》よがしに|大勢《おほぜい》の |中《なか》をドシドシ|行《ゆ》きませう
お|寅婆《とらば》さまもさぞやさぞ お|前《まへ》と|私《わたし》の|肝玉《きもだま》に
ビツクリなさる|事《こと》だらう あゝ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い
|天下《てんか》|晴《は》れての|夫婦連《めをとづ》れ |金《かね》がとりもつ|縁《えん》かいな
|何《なに》を|云《い》うても|二十万両《にじふまんりやう》 もしゴテゴテと|云《い》うたなら
|此《この》|大金《たいきん》を|見《み》せつけて |荒肝《あらぎも》とつてやろぢやないか
|魔我彦《まがひこ》さまよ|心《こころ》をば |丈夫《ぢやうぶ》にもつて|下《くだ》さんせ
|私《わたし》もお|前《まへ》と|添《そ》ふのなら |此《この》|大金《たいきん》は|要《い》りませぬ
|皆《みんな》|貴方《あなた》の|懐《ふところ》に |預《あづ》けておきます|改《あらた》めて
|何卒《どうぞ》|受取《うけと》つて|下《くだ》されや』 |語《かた》れば|魔我彦《まがひこ》|喜《よろこ》びて
|涎《よだれ》をタラタラ|流《なが》しつつ |開《あ》けたる|口《くち》も|塞《ふさ》がずに
お|民《たみ》の|後《あと》に|引添《ひきそ》うて |嶮《けは》しい|坂《さか》をエチエチと
|肩《かた》で|風《かぜ》きり|嬉《うれ》しげに |館《やかた》をさして|帰《かへ》り|来《く》る
|其《その》スタイルの|可笑《をか》しさよ |意気《いき》|揚々《やうやう》と|魔我彦《まがひこ》は
|嶮《けは》しき|坂《さか》を|攀《よ》ぢ|登《のぼ》り |受付前《うけつけまへ》に|来《き》て|見《み》れば
|文助《ぶんすけ》さまとつき|当《あた》り 『オツトドツコイ、アイタツタ
|魔我彦《まがひこ》さまぢやありませぬか |貴方《あなた》は|何処《いづこ》へ|雲隠《くもがく》れ
なさつて|厶《ござ》つたか|知《し》らねども |此《この》|大広前《おほひろまへ》は|大騒動《おほさうどう》
|上《うへ》を|下《した》へと|泣《な》き|叫《さけ》び |怒《いか》りつ|猛《たけ》びつ|修羅道《しゆらだう》の
|大惨劇《だいさんげき》が|演《えん》ぜられ |信者《しんじや》の|信仰《しんかう》がぐらついて
|危《あやふ》き|事《こと》になつてゐる お|前《まへ》はそれをも|知《し》らずして
お|民《たみ》の|後《あと》をつけ|狙《ねら》ひ |何《なに》をグヅグヅして|厶《ござ》る
|気《き》をつけなされ』と|窘《たしな》めば |魔我彦《まがひこ》|鼻《はな》を|蠢《うごめ》かし
『お|前《まへ》は|盲《めくら》で|分《わか》らねど |私《わたし》は|目出度《めでた》い|事《こと》だつた
お|目《め》にかけたうてならないが |生憎《あいにく》お|前《まへ》に|目《め》がないで
|如何《どう》にも|斯《か》うにも|仕様《しやう》がない |二十万両《にじふまんりやう》のお|金《かね》をば
|首尾《しゆび》よく|私《わたし》の|手《て》に|入《い》れて |天下無双《てんかむさう》の|美人《びじん》をば
|女房《にようばう》にきめて|揚々《やうやう》と |帰《かへ》つて|来《き》ました|所《とこ》ですよ
|世界《せかい》に|並《なら》ぶものもなき |幸福者《しあはせもの》とは|俺《わし》の|事《こと》
|明日《あした》に|屹度《きつと》お|祝《いはひ》を |致《いた》してお|目《め》にかけるから
お|前《まへ》も|楽《たのし》み|待《ま》つがよい |女《をんな》の|好《この》む|男《をとこ》とは
|決《けつ》して|美《うつく》しいものでない |気前《きまへ》と|根性《こんじやう》がシヤンとして
|居《を》りさへすれば|神様《かみさま》が |自分《じぶん》の|思《おも》ふ|存分《ぞんぶん》の
|女房《にようばう》を|持《も》たして|下《くだ》さるよ お|前《まへ》は|私《わたし》を|平生《へいぜ》から
|曲《まが》つた|男《をとこ》と|見縊《みくび》つて フヽンと|笑《わら》ふ|鼻《はな》の|先《さき》
|随分《ずゐぶん》むかつきよつたけど もうかうならば|神直日《かむなほひ》
|大直日《おほなほひ》にと|見直《みなほ》して お|民《たみ》を|女房《にようばう》に|貰《もら》うたる
|其《その》お|祝《いはひ》に|帳消《ちやうけ》しだ |俺《おれ》の|器量《きりやう》は|此《この》|通《とほ》り
サアサアこれから|奥《おく》へ|行《い》て |内事司《ないじつかさ》のお|寅《とら》さまに
|羨《けな》りがらしてやりませう これこれ|吾《わが》|妻《つま》お|民《たみ》どの
|早《はや》く|魔我彦《まがひこ》|後《あと》につき トツトとお|入《はい》りなされませ
お|寅婆《とらば》さまが|嘸《さぞ》や|嘸《さぞ》 |驚《おどろ》き|喜《よろこ》ぶ|事《こと》でせう
|私《わたし》は|之《これ》から|大教主《だいけうしゆ》 お|民《たみ》は|一躍《いちやく》|奥《おく》さまで
|羽振《はぶ》りを|利《き》かし|飛《た》つ|鳥《とり》も |落《おと》さむばかりの|勢《いきほひ》で
ウラナイ|教《けう》の|御道《おんみち》を |残《のこ》る|隈《くま》なく|世《よ》の|中《なか》に
|輝《かがや》き|渡《わた》さうぢやないかいな あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|魔我彦《まがひこ》さまとお|民《たみ》さまは |万劫末代《まんごふまつだい》|変《かは》らない
|金勝要《きんかつかね》の|神様《かみさま》が |結《むす》び|給《たま》ひし|縁《えん》ぢやもの
|如何《どう》してこれが|変《かは》らうか もしも|中途《ちうと》で|変《かは》るやうな
|悪《わる》い|行《おこな》ひあつた|時《とき》や |忽《たちま》ち|神《かみ》が|現《あら》はれて
|吾等《われら》|二人《ふたり》の|身《み》の|上《うへ》に お|罰《ばつ》の|当《あた》るは|知《し》れた|事《こと》
これこれもうしお|民《たみ》さま |此《この》|事《こと》ばかしは|心得《こころえ》て
|何卒《どうぞ》|忘《わす》れて|下《くだ》さるな ほんに|嬉《うれ》しい|有難《ありがた》い
|小北《こぎた》の|山《やま》の|神様《かみさま》を |信神《しんじん》してゐたお|蔭《かげ》にて
|夢《ゆめ》にも|見《み》ぬやうなボロイ|事《こと》 |吾《わが》|身《み》に|降《ふ》つて|来《き》たのだよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
お|寅《とら》は|何《なん》だか|妙《めう》な|声《こゑ》がするなと|思《おも》ひ|門口《かどぐち》をガラリと|開《あ》け、|外面《そとも》を|見《み》れば|魔我彦《まがひこ》が|真蒼《まつさを》の|顔《かほ》をし、|顔《かほ》に|黒《くろ》いもんを|処斑《ところまんだら》に|塗《ぬ》りつけられ、ポカンと|口《くち》を|開《あ》け、|唖《おし》の|様《やう》に|涎《よだれ》を|垂《た》らし「アーアー」と|何《なに》か|分《わか》らぬ|事《こと》を|喋《しやべ》つてる。
お|寅《とら》『これ|魔我彦《まがひこ》さま、|何《なん》だい、みつともない、|其《その》|顔《かほ》は、|男《をとこ》がさう|口《くち》を|開《あ》けるものぢやない、|大方《おほかた》|顎《あご》が|外《はづ》れたのだなア』
|魔我彦《まがひこ》は|口《くち》を|開《あ》けたまま、
『アーア、アヽヽヽヽ』
と|足拍子《あしびやうし》をとり|同《おな》じ|処《ところ》を|踏《ふ》んでゐる。お|寅婆《とらば》アさまはポーンと|魔我彦《まがひこ》の|顎《あご》を|叩《たた》いた。その|拍子《ひやうし》にカツと|音《おと》がして|外《はづ》れた|顎《あご》が|都合《つがふ》よく|元《もと》の|位置《ゐち》に|納《をさ》まつた。
|魔我《まが》『アイタツタ、|誰《たれ》だい、|人《ひと》の|顔《かほ》を|叩《たた》く|奴《やつ》は、ハヽア、お|民《たみ》と|夫婦《ふうふ》になつたのが|羨《けな》りいのだな』
お|寅《とら》『これ|魔我《まが》さま、お|民《たみ》も|何《なに》も|居《ゐ》やせぬぢやないか。みつともない、|阿呆《あはう》の|様《やう》に|口《くち》を|開《あ》けて、|何《なに》をしてるのだい。|口《くち》に|土《つち》を|一杯《いつぱい》|頬張《ほほば》つて、|困《こま》つた|男《をとこ》だな』
|魔我彦《まがひこ》は|初《はじ》めて|気《き》がつき|其処辺《そこら》を|眺《なが》むれば、お|民《たみ》らしきものもなく、|懐《ふところ》に|入《い》れた|二十万両《にじふまんりやう》の|金《かね》は|影《かげ》も|形《かたち》もなくなつてゐた。
(大正一一・一二・一五 旧一〇・二七 北村隆光録)
第一一章 |変化神《へぐれがみ》〔一二二一〕
|万公《まんこう》『アク|公《こう》さまが|演台《えんだい》に |登《のぼ》るや|否《いな》や|小北山《こぎたやま》
|変化神社《へぐれじんしや》の|種《たね》あかし |怯《お》めず|臆《おく》せず|滔々《たうたう》と
|数多《あまた》の|信者《しんじや》の|目《め》の|前《まへ》で |喋《しやべ》り|立《た》てたが|仇《あだ》となり
|上《うへ》を|下《した》へと|大騒動《おほさうどう》 |乱痴気《らんちき》|騒《さわ》ぎが|始《はじ》まりて
|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|生宮《いきみや》と |自《みづか》ら|信《しん》じ|人《ひと》も|亦《また》
|許《ゆる》して|居《ゐ》たる|竹公《たけこう》が |獅子奮迅《ししふんじん》の|勢《いきほひ》で
|攻《せ》めかけ|来《きた》るアク|公《こう》が タクを|犠牲《ぎせい》に|立《た》てながら
|敏《さと》くも|其《その》|場《ば》を|立《た》ち|出《い》づる |此《この》|時《とき》|万公《まんこう》は|只《ただ》|一人《ひとり》
ヘグレ|神社《じんしや》を|一々《いちいち》に |調《しら》べて|廻《まは》り|頂上《ちやうじやう》の
|月《つき》の|大神《おほかみ》|日《ひ》の|御神《みかみ》 |社《やしろ》の|前《まへ》に|突《つ》つ|立《た》つて
|蠑〓別《いもりわけ》が|奴狐《どぎつね》に つままれよつてこんな|神《かみ》
|勿体《もつたい》らしくも|祀《まつ》りこみ |馬鹿《ばか》を|尽《つく》すも|程《ほど》がある
|狐《きつね》|狸《たぬき》に|騙《だま》されて |出《で》て|来《く》る|信者《しんじや》の|顔《かほ》|見《み》れば
|一人《ひとり》も|碌《ろく》な|奴《やつ》はない |目玉《めだま》の|一《ひと》つ|無《な》い|奴《やつ》や
|聾《つんぼ》に|躄《ゐざり》、|肺病《はいびやう》やみ |横根《よこね》、|疳瘡《かんさう》、|骨《ほね》うづき
|陰睾《いんきん》、|田虫《たむし》で|苦《くる》しんだ ガラクタ|人間《にんげん》|蜘蛛《くも》の|子《こ》が
|孵化《かへ》つたやうにウヨウヨと |此《この》|世《よ》で|役《やく》に|立《た》たぬ|奴《やつ》
|固《かた》まり|居《ゐ》るこそ|可笑《をか》しけれ それ|故《ゆゑ》こんなガラクタの
お|宮《みや》を|立《た》てて|古狐《ふるぎつね》 |八畳敷《はちでふじき》の|古狸《ふるだぬき》
|厳《いか》めしさうな|名《な》をつけて |末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神《かみ》
|上義《じやうぎ》の|姫《ひめ》や|常世姫《とこよひめ》 |大将軍《だいしやうぐん》と|斎《いは》ひこめ
|祀《まつ》つて|居《ゐ》やがる|馬鹿《ばか》らしさ |闇《やみ》の|世界《せかい》と|云《い》ひながら
これ|程《ほど》|阿呆《あはう》が|世《よ》の|中《なか》に |沢山《たくさん》|居《ゐ》るとは|知《し》らなんだ
さアこれからはこれからは |松彦《まつひこ》さまや|松姫《まつひめ》が
|被《かぶ》つて|居《を》つた|猫《ねこ》の|皮《かは》 すつぱり|脱《ぬ》いで|曲神《まがかみ》の
|素性《すじやう》を|露《あら》はし|諸人《もろびと》の |眼《まなこ》をさましやるならば
|如何《いか》に|驚《おどろ》く|事《こと》だらう この|万公《まんこう》は|精神《せいしん》が
|確《しつか》りして|居《ゐ》る|其《その》お|蔭《かげ》 |狐《きつね》|狸《たぬき》の|曲神《まがかみ》に
|騙《だま》されないのが|不思議《ふしぎ》だよ |世界《せかい》の|奴《やつ》は|尊《たふと》きも
|富《と》めるも|卑《ひく》きも|賤《いや》しきも |慾《よく》に|心《こころ》を|眩《くら》ませて
|知《し》らず|知《し》らずに|迷《まよ》ひ|込《こ》み |曲神《まがかみ》どもの|玩弄《もてあそび》に
されて|居《ゐ》るのが|気《き》の|毒《どく》ぢや これを|思《おも》へば|一日《いちにち》も
|早《はや》く|三五教《あななひけう》をして |暗《くら》き|此《この》|世《よ》の|光《ひかり》とし
|暗夜《やみよ》を|照《て》らして|救《すく》はねば |三千世界《さんぜんせかい》は|忽《たちま》ちに
|荒野ケ原《あらのがはら》と|変《かは》るだらう あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐《ま》しませよ』
かかる|所《ところ》へお|菊《きく》はスタスタ|登《のぼ》つて|来《き》た。
お|菊《きく》『もし|万公《まんこう》さま、|私《わたし》|最前《さいぜん》からどれだけ|探《さが》したか|知《し》れないのよ。こんな|寒《さむ》い|所《ところ》に|一人《ひとり》|何《なに》してゐらしたの』
|万公《まんこう》『お|前《まへ》には|肱鉄《ひぢてつ》を【かま】され|竹公《たけこう》さまには|怒《おこ》られ、|身《み》を|置《お》く|所《ところ》がないので、ユラリ|彦《ひこ》さまのお|宮《みや》の|前《まへ》まで|避難《ひなん》のためにやつて|来《き》たのだ。お|前《まへ》は|又《また》、こんな|強《きつ》い|山《やま》をどうして|一人《ひとり》|登《のぼ》つて|来《き》たのだ』
『|私《わたし》だつて|足《あし》がありますわ。|況《ま》してスヰートハートした|万公《まんこう》さまがゐらつしやるのだもの、|思《おも》ひの|外《ほか》|足《あし》が|軽《かる》くて|知《し》らぬ|間《ま》に|此処《ここ》に|登《のぼ》つて|来《き》たのよ』
『|馬鹿《ばか》にするない、|年端《としは》も|行《ゆ》かないのに|男《をとこ》に|調戯《からか》ふと|云《い》ふ|事《こと》があるものか。|随分《ずゐぶん》|酷《ひど》い|目《め》に|会《あ》はしたねえ』
『そりや|極《きま》つた|事《こと》ですわ。|親《おや》の|前《まへ》や|人《ひと》さまの|前《まへ》で、|何程《なにほど》|好《す》きだとて|好《す》きな|顔《かほ》が|出来《でき》ますか、|恥《はづ》かしいから|嫌《きら》ひだと|云《い》つたのよ』
『それでも|昨夜《さくや》|大変《たいへん》|俺《おれ》に|恥《はぢ》をかかしたぢやないか。あの|時《とき》こそ|誰《たれ》も|居《ゐ》なかつたのに、ありや|余《あま》り|念《ねん》が|入《い》り|過《す》ぎるぢやないか』
『|何《なに》を|言《い》つてゐらつしやるの、あの|時《とき》も|暗《くら》がりに、アク、テク、タクさまが|隠《かく》れて、|私《わたし》と|貴方《あなた》との|立《た》ち|話《ばなし》を|聞《き》いて|居《ゐ》たぢやありませぬか。それだから|私《わたし》あんな|事《こと》を|云《い》つたのよ』
『|成程《なるほど》さうだつたな、お|前《まへ》は|随分《ずゐぶん》|細《こま》かいとこへ|気《き》がつくな』
『そらさうですとも、|前後《あとさき》に|気《き》をつけにや|人《ひと》に|発見《はつけん》されては|大変《たいへん》ですもの』
『|発見《はつけん》されてもよいぢやないか、|何《いづ》れ|夫婦《ふうふ》になるのぢやもの』
『それだつて、|野合《どれあひ》|夫婦《ふうふ》なんか|云《い》はれては|末代《まつだい》の|恥《はぢ》だわ』
『それなら、|何故《なぜ》こんな|処《ところ》へ|来《き》たのだ。|夜分《やぶん》なら|兎《と》も|角《かく》も、|誰《たれ》が|見《み》とるか|分《わか》らぬぢやないか』
『|夜分《やぶん》なら|疑《うたが》はれても|仕方《しかた》がないが、|昼《ひる》の|最中《もなか》だもの、|誰《たれ》が|怪《あや》しみませう。|却《かへ》つて|物事《ものごと》は|秘密《ひみつ》にすると|人《ひと》に|感《かん》づかれるものですよ。|此処《ここ》なら|何《なに》しとつたて|大丈夫《だいぢやうぶ》だわ』
『エヘヽヽヽ、オイお|菊《きく》、お|前《まへ》は|小《ちひ》さい|時《とき》から|可愛《かあい》い|奴《やつ》だと|思《おも》うて|居《ゐ》たが、ほんとに|可愛《かあい》いものぢやな、それ|程《ほど》|私《わし》を|思《おも》うて|呉《く》れてるのか』
『|極《きま》つた|事《こと》ですよ。あれ|程《ほど》|目許《めもと》で|知《し》らして|居《ゐ》るのに、|万《まん》さまは|一寸《ちよつと》も|気《き》がつかないのだもの、ポンポン|怒《おこ》つて|居《ゐ》らつしやるのだから|本当《ほんたう》に|焦《じれ》つたかつたわ』
『なんと|本当《ほんたう》に|分《わか》らぬものだな。|恐《おそ》れ|入《い》つたよ。そこまで|念《ねん》が|入《はい》らなくては|恋愛《れんあい》の|趣味《しゆみ》がない、|併《しか》しお|寅《とら》さまが|承知《しようち》せなかつたらどうする|心算《つもり》だ』
『|何《いづ》れ|容易《ようい》に|承知《しようち》しては|呉《く》れますまいよ。それだから|私《わたし》も|一《ひと》つ|考《かんが》へがあるのよ。|万《まん》さまはこんな|所《ところ》へ|来《き》て、|神様《かみさま》の|悪口《わるくち》ばかり|云《い》つて|居《ゐ》ましたでせう』
『ウン、|余《あま》り|業腹《ごふはら》だから、|小口《こぐち》から|狐《きつね》の|神《かみ》に|引導《いんだう》を|渡《わた》してやつたのだ』
『そんな|悪戯《いたづら》せいでもよいに、|狐《きつね》が|怒《おこ》つて|魅《つま》んだらどうします』
『ハヽヽヽヽ、そんな|心配《しんぱい》して|呉《く》れるな、|狐《きつね》に|騙《だま》されるやうな|精神《せいしん》ぢやない。|狐《きつね》の|奴《やつ》、|俺《おれ》の|顔《かほ》を|見《み》ると|尾《を》を|巻《ま》いて|忽《たちま》ち|十里《じふり》|位《ぐらゐ》|逃《に》げ|出《だ》すのだから|大《たい》したものだよ』
『|時《とき》に|万《まん》さま、|喜《よろこ》んで|下《くだ》さい。|二十七万両《にじふしちまんりやう》の|金《かね》を|手《て》に|入《い》れました』
『そんな|金《かね》を|何《ど》うして|手《て》に|入《い》れたのだ』
お|菊《きく》は|耳《みみ》に|口《くち》をあて、
『|今《いま》|蠑〓別《いもりわけ》が|三十万両《さんじふまんりやう》の|金《かね》をもつて|野中《のなか》の|森《もり》から|帰《かへ》つてきたのよ。そして|三万両《さんまんりやう》をお|母《か》アさまに|与《あた》へ、|二十七万両《にじふしちまんりやう》の|金《かね》をグヅと|懐《ふところ》に|入《い》れて|酒《さけ》を|飲《の》みだしたから、|私《わたし》が|酒《さけ》を|飲《の》まして|酔《よ》ひ|潰《つぶ》し、|二十七万両《にじふしちまんりやう》の|金《かね》を|引《ひ》つたくつて、そつと|此処《ここ》まで|逃《に》げて|来《き》たのよ』
『|女《をんな》に|似合《にあ》はぬ|豪胆者《がうたんもの》だな、そんな|金《かね》|何《なに》にするのだ』
『ホヽヽヽヽ、この|金《かね》もつて|山越《やまご》しにお|前《まへ》と|私《わたし》と|駆落《かけおち》をする|積《つも》りで|逃《に》げて|来《き》たのよ。サア|足《あし》のつかない|間《ま》にこの|山《やま》を|南《みなみ》に|渡《わた》つて|月《つき》の|国《くに》へ|逃《に》げようではありませぬか』
『ヤアまア|待《ま》つて|呉《く》れ、|私《わし》は|神様《かみさま》の|御命令《ごめいれい》で|月《つき》の|国《くに》へ|往《ゆ》く|者《もの》だが、|今《いま》は|治国別《はるくにわけ》さまのお|供《とも》してアーメニヤにゆくのだから、|其《その》|間《あひだ》はお|前《まへ》と|一緒《いつしよ》に|居《ゐ》る|訳《わけ》にはいかない』
『これ|万《まん》さま、|好《い》い|加減《かげん》に|呆《とぼ》けて|置《お》きなさい。それならお|前《まへ》はこのお|菊《きく》は|本当《ほんたう》に|可愛《かあい》いのぢやないのだな』
『|可愛《かあい》くなうてかい』
『それなら|私《わたし》の|云《い》ふ|事《こと》|聞《き》いて|下《くだ》さいな』
『ウン、|聞《き》くの|段《だん》ぢやないが、|御用《ごよう》の|済《す》むまで|待《ま》つて|呉《く》れ』
『エヽ|好《す》かぬたらしい、|神様《かみさま》の|御用《ごよう》なんかどうでもよいぢやないか。サアこれから|私《わたし》と|行《ゆ》きませう、|二十七万両《にじふしちまんりやう》の|金《かね》さへあれば、どんな|立派《りつぱ》な|家《いへ》も|建《た》つし、そんな|危《あぶ》ないバラモン|教《けう》を|征伐《せいばつ》するため、|宣伝使《せんでんし》のお|供《とも》して|野宿《のじゆく》したり、|乞食《こじき》のやうな|真似《まね》するよりも、|茲《ここ》は|一《ひと》つ|考《かんが》へ|所《どころ》だ。サア|往《い》つて|下《くだ》さい、|頼《たの》みぢやから』
『|困《こま》つたなア、エヽ|仕方《しかた》がない、|自暴《やけ》だ、それならお|前《まへ》と|手《て》に|手《て》を|取《と》つて|此《この》|山越《やまご》しに|行《ゆ》かう』
『そりやまア|有難《ありがた》う|厶《ござ》います、よう|云《い》つて|下《くだ》さいました。|私《わたし》もあんな【やんちや】|親《おや》にひつついて|居《ゐ》るのは|嫌《いや》だし、こんな|神様《かみさま》の|所《ところ》へ|居《ゐ》るのは|猶《な》ほ|嫌《いや》だし、|兄様《にいさん》と|知《し》らぬ|他国《たこく》で|苦労《くらう》するのなら、こんな|嬉《うれ》しい|事《こと》はないわ』
『そんな|事《こと》|言《い》つて|又《また》|中途《ちうと》で|俺《おれ》を|放《ほ》かすやうな|事《こと》はすまいなア』
『|滅相《めつさう》な、|変《かは》り|易《やす》いは|男《をとこ》の|心《こころ》だから、|万《まん》さまこそ|心《こころ》を|変《か》へないやうにして|下《くだ》さい。ねえ|貴方《あなた》、|私《わたし》|好《す》きで|好《す》きで|仕方《しかた》がないわ』
『エヘヽヽヽ』
と|涎《よだれ》を|繰《く》りながら、
『サア、それなら|松彦《まつひこ》さまや|五三公《いそこう》に|済《す》まないけれど、|二十七万両《にじふしちまんりやう》の|金《かね》を|有《も》つて|弥《いよいよ》|高飛《たかと》びぢや』
お|菊《きく》は|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》を|伝《つた》ひながら、|万公《まんこう》の|先《さき》に|立《た》ち|歌《うた》ひつつ|進《すす》んで|行《ゆ》く。
『|此《この》|世《よ》の|中《なか》に|生《うま》れ|来《き》て |何《なに》|楽《たの》しみに|人《ひと》は|生《い》く
|浮世《うきよ》の|中《なか》の|楽《たのし》みは |酒《さけ》と|博奕《ばくち》と|色《いろ》ばかり
これに|越《こ》したる|楽《たのし》みは |人間界《にんげんかい》にはあらうまい
それに|治国別《はるくにわけ》さまは |窮屈《きうくつ》|至極《しごく》の|三五《あななひ》の
|教《をしへ》のお|道《みち》に|耽溺《たんでき》し |乞食《こじき》のやうにブラブラと
|可愛《かあい》い|女房《にようばう》を|家《うち》におき お|道《みち》のためとは|云《い》ひながら
そこらあたりをウロウロと うろつき|歩《ある》くをかしさよ
|万公《まんこう》さまも|神様《かみさま》の |教《をしへ》に|些《ちよ》つと|陥《はま》りこみ
|河鹿峠《かじかたうげ》の|峻坂《しゆんばん》を |越《こ》えて|漸《やうや》く|小北山《こぎたやま》
ウラナイ|教《けう》の|広間《ひろま》まで やつて|来《き》たのは|面白《おもしろ》い
|私《わたし》がいつも|恋《こ》ひ|慕《した》ふ |大事《だいじ》の|大事《だいじ》の|殿御《とのご》ぞや
|何《なん》とか|工夫《くふう》を|廻《めぐ》らして |万公《まんこう》さまを|銜《くは》へ|込《こ》み
|日頃《ひごろ》の|思《おも》ひを|達成《たつせい》し |知《し》らぬ|他国《たこく》で|水《みづ》|入《い》らず
|一《ひと》つ|苦労《くらう》をして|見《み》よと |思《おも》うて|居《ゐ》たらアラ|不思議《ふしぎ》
|一本橋《いつぽんばし》の|袂《たもと》にて |結《むす》びの|神《かみ》の|引《ひ》き|合《あは》せ
お|目《め》にかかつた|嬉《うれ》しさよ さはさりながら|何《ど》うかして
|母《はは》の|蓄《たくは》へおかれたる |一万両《いちまんりやう》のそのお|金《かね》
|盗《ぬす》み|出《いだ》して|万《まん》さまと |駆落《かけおち》するまで|親《おや》の|前《まへ》
|嫌《いや》な|男《をとこ》と|云《い》ひはつて |油断《ゆだん》をさして|目的《もくてき》を
|達《たつ》せむものと|思《おも》ふ|中《うち》 |降《ふ》つて|湧《わ》いたる|儲《まう》けもの
|蠑〓別《いもりわけ》が|沢山《たくさん》の お|金《かね》をもつてニコニコと
|帰《かへ》り|来《きた》るを|見《み》るにつけ |心《こころ》の|中《なか》に|雀躍《こをど》りし
|頻《しき》りに|酒《さけ》を|勧《すす》めつつ |思《おも》ふ|存分《ぞんぶん》|酔《よ》ひ|潰《つぶ》し
|内懐《うちぶところ》にしめ|込《こ》んだ |二十七万両《にじふしちまんりやう》の|金《かね》
|旨《うま》く|手《て》に|入《い》れ|小北山《こぎたやま》 |頂上《ちやうじやう》の|宮《みや》の|御前《おんまへ》に
|登《のぼ》りて|見《み》れば|万《まん》さまが たつた|一人《ひとり》で|待《ま》つて|居《ゐ》る
こんな|結構《けつこう》な|事《こと》あろか |早速《さつそく》|情約締結《じやうやくていけつ》し
|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》を|渡《わた》りつつ |吹《ふ》く|凩《こがらし》も|何《なん》のその
|温《ぬく》いポツポに|勢《いきほひ》を |得《え》たる|嬉《うれ》しさ|恋人《こひびと》と
|手《て》に|手《て》を|取《と》つて|何処《どこ》となく |逃《に》げ|往《ゆ》く|身《み》こそ|嬉《うれ》しけれ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐《ま》しませよ』
(大正一一・一二・一五 旧一〇・二七 加藤明子録)
第一二章 |怪段《くわいだん》〔一二二二〕
|万公《まんこう》は|後髪《うしろがみ》|引《ひ》かるる|心地《ここち》しながら、|肝腎要《かんじんかなめ》の|神務《しんむ》を|打《う》ち|忘《わす》れ、お|菊《きく》の|愛《あい》に|溺《おぼ》れて、|金《かね》と|色《いろ》との|二道《ふたみち》かけ、|木枯《こがらし》|荒《すさ》ぶ|高山《たかやま》の|尾《を》の|上《へ》の|薄雪《うすゆき》を|踏《ふ》みしめながら、お|菊《きく》のやさしき|後姿《うしろすがた》を|打《う》ち|眺《なが》め、|顔《かほ》の|紐《ひも》まで|解《ほど》いて|道々《みちみち》|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》てわける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し
|身《み》の|過《あやま》ちを|宣《の》り|直《なほ》す |三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》は
この|万公《まんこう》が|恋《こひ》の|暗《やみ》 |迷《まよ》うて|脱線《だつせん》した|事《こと》を
|心《こころ》|安《やす》らに|平《たひ》らかに |必《かなら》ず|許《ゆる》させたまふべし
|河鹿峠《かじかたうげ》をのり|越《こ》えて |治国別《はるくにわけ》と|諸共《もろとも》に
|野中《のなか》の|森《もり》|迄《まで》やつて|来《き》た |時《とき》しもあれや|亀彦《かめひこ》は
|弟子《でし》の|万公《まんこう》を|振《ふ》り|捨《す》てて |雲《くも》を|霞《かすみ》とかくれけり
これを|思《おも》へば|万公《まんこう》も もはや|御用《ごよう》が|済《す》んだのか
|一本橋《いつぽんばし》の|袂《たもと》にて |恋《こひ》しきお|菊《きく》に|廻《めぐ》り|会《あ》ひ
お|寅婆《とらば》さまにいろいろと |苦《にが》い|意見《いけん》を|聞《き》かされて
|大分《だいぶん》|心《こころ》も|改《あらた》まり |松彦《まつひこ》さまと|諸共《もろとも》に
|悪魔《あくま》の|征途《せいと》に|上《のぼ》るべく |喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|居《ゐ》たものを
どうした|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》か |結《むす》ぶの|神《かみ》の|引《ひ》き|合《あは》せ
いとし|可愛《かあい》の|愛娘《まなむすめ》 お|菊《きく》に|深《ふか》く|思《おも》はれて
|引《ひ》くに|引《ひ》かれぬ|羽目《はめ》となり |心《こころ》ならずも|神《かみ》の|道《みち》
|暫《しばら》く|捨《す》てて|往《ゆ》きまする |国治立大御神《くにはるたちのおほみかみ》
|豊国主大御神《とよくにぬしのおほみかみ》 |三五教《あななひけう》の|太柱《ふとばしら》
|神素盞嗚大御神《かむすさのをのおほみかみ》 |誠《まこと》に|済《す》まぬ|事《こと》ながら
|暫《しばら》くお|暇《ひま》を|下《くだ》しやんせ |是《これ》から|二人《ふたり》は|山《やま》の|尾《を》を
|伝《つた》ひ|伝《つた》ひて|月《つき》の|国《くに》 |何処《いづく》の|果《はて》にか|身《み》を|潜《ひそ》め
|二人《ふたり》|仲《なか》よく|世《よ》を|送《おく》り さうした|上《うへ》で|神様《かみさま》の
きつと|御用《ごよう》を|致《いた》します |今《いま》|暫《しばら》くは|是非《ぜひ》なしと
|何卒《なにとぞ》|見直《みなほ》し|下《くだ》さつて |恋《こひ》を|許《ゆる》させたまへかし
まだ|十七《じふしち》の|愛娘《まなむすめ》 |肩揚《かたあげ》さへも|取《と》れぬよな
あれ|程《ほど》|可愛《かあい》い|女《をんな》をば |何程《なにほど》|神《かみ》の|道《みち》ぢやとて
これが|見捨《みす》ててやれませうか |夫婦《ふうふ》となるも|前世《さきのよ》の
|深《ふか》い|縁《えにし》でありませう お|菊《きく》の|姉《あね》も|中々《なかなか》に
|人《ひと》に|勝《すぐ》れた|器量《きりやう》もの ほんとに|惜《を》しい|事《こと》をした
そのお|里《さと》にも|弥勝《いやまさ》り |鈴《すず》のやうなる|丸《まる》い|目《め》に
|花《はな》のやうなる|唇《くちびる》で ニツと|笑《わら》うた|其《その》|時《とき》は
|知《し》らず|知《し》らずに|魂《たましひ》が |中空《ちうくう》に|飛《と》んで|往《ゆ》くやうだ
エヘヽヽヘツヘ|何《なん》とまア |面工《めんく》のよい|事《こと》|出来《でき》たのか
|矢張《やつぱ》り|身魂《みたま》がよい|故《ゆゑ》に |心《こころ》の|花《はな》が|咲《さ》き|初《そ》めて
|福《ふく》の|神《かみ》めが|降《ふ》つて|来《き》て |二人《ふたり》の|仲《なか》をば|円満《ゑんまん》に
|神聖《しんせい》な|恋《こひ》を|完全《くわんぜん》に お|守《まも》りなさるに|違《ちが》ひない
|思《おも》へば|思《おも》へば|俺《おれ》のよな |幸福者《しあはせもの》が|世《よ》にあろか
これこれお|菊《きく》ちよつと|待《ま》て お|前《まへ》は|子供《こども》に|似合《にあ》はない
|随分《ずゐぶん》|早《はや》い|足《あし》だなア |道《みち》もないよな|山《やま》の|尾《を》を
さう|安々《やすやす》と|歩《ある》くのは |矢張《やは》り|結《むす》ぶの|神様《かみさま》が
お|前《まへ》の|体《からだ》を|委曲《まつぶさ》に お|守《まも》りなさるに|違《ちが》ひない
|暫《しばら》く|待《ま》つて|呉《く》れぬかい |俺等《おいら》は|呼吸《いき》が|切《き》れさうだ』
|待《ま》てよ|待《ま》てよと|呼《よ》ばはれば お|菊《きく》は|後《うしろ》を|振《ふ》り|向《む》いて
『これ|万《まん》さま|焦《じれ》つたい |今《いま》|暫《しばら》くは|身《み》の|限《かぎ》り
|足《あし》の|続《つづ》かむ|其《その》|限《かぎ》り |走《はし》つて|往《ゆ》かねばなりませぬ
もしも|追手《おつて》に|見《み》つけられ |捕《とら》はれようものならば
それこそ|甚《ひど》い|事《こと》になる |大泥棒《おほどろばう》の|駆落《かけおち》|奴《め》
|此《この》|儘《まま》|許《ゆる》しは|致《いた》さぬと |蠑〓別《いもりわけ》が|腹《はら》を|立《た》て
どんな|事《こと》をなさるやら |分《わか》つたものぢやありませぬ
それが|私《わたし》は|気《き》にかかる もう|一息《ひといき》ぢや|万《まん》さまよ
サアサア|早《はや》う|往《ゆ》きませう』
|言葉《ことば》を|後《あと》に|残《のこ》しつつ |小松《こまつ》|茂《しげ》れる|山《やま》の|尾《を》を
|見《み》えつかくれつ|走《はし》り|往《ゆ》く |万公《まんこう》は|息《いき》を|喘《はづ》まして
『おいおい|待《ま》つたお|菊《きく》さま それ|程《ほど》|早《はや》く|走《はし》るなよ
|姿《すがた》が|見《み》えずなつたなら この|深山《しんざん》で|何《なん》とする
お|前《まへ》と|俺《おれ》と|唯《ただ》|二人《ふたり》 |外《ほか》に|力《ちから》になるものは
|猫《ねこ》の|子《こ》|一匹《いつぴき》|居《を》らぬぞや まアまア|待《ま》つて|下《くだ》しやんせ
アイタヽタツタ|躓《つまづ》いた |途《みち》なき|処《ところ》をスタスタと
ようまアそれだけ|走《はし》られる |遉《さすが》の|万公《まんこう》も|舌《した》を|巻《ま》き
|尾《を》を|巻《ま》き|降参《かうさん》せにやならぬ そりや|其《その》|筈《はず》ぢや|誰《たれ》だとて
|大胆至極《だいたんしごく》な|事《こと》をして |何《ど》うしてゆつくり|歩《ある》かれよか
これから|肝玉《きもだま》|放《はふ》り|出《だ》して もう|一気張《ひときば》りお|菊《きく》さまの
|後《あと》を|慕《した》うて|往《い》つて|見《み》よう |何《なん》とはなしに|呼吸《こきふ》めが
|苦《くる》しくなつて|来《き》たわいな |此処《ここ》で|一服《いつぷく》しよぢやないか
これだけ|逃《に》げて|来《き》た|上《うへ》は よもや|追手《おつて》もかかるまい
アイタヽタツタ|目《め》をついた |松葉《まつば》の|奴《やつ》めが|出《で》しやばつて
|大事《だいじ》な|大事《だいじ》な|眼《まなこ》をば |遠慮《ゑんりよ》もなしに|突《つ》きよつた
こりやこりやお|菊《きく》どこへ|往《い》つた |子供《こども》の|癖《くせ》にとんとんと
はぐれて|仕舞《しま》つたら|何《なん》とする |向《むか》ふ|見《み》ずにも|程《ほど》がある
|待《ま》て|待《ま》て|暫《しば》し|待《ま》て|暫《しば》し』
と|云《い》ひながら、|呆《とぼ》けたやうな|面《つら》をして|細《ほそ》い|階段《かいだん》を|登《のぼ》つては|下《くだ》り、|下《くだ》つては|登《のぼ》り、|何《なに》か|口《くち》をもがもがと|動《うご》かして|幾度《いくど》となく|上下《じやうげ》して|居《ゐ》る。
お|菊《きく》とお|千代《ちよ》は|手《て》を|引《ひ》きながら|石段《いしだん》の|所《ところ》まで|下《お》りて|来《き》た。|見《み》れば|万公《まんこう》が|何《なに》かブツブツ|分《わか》らぬ|事《こと》を|呟《つぶや》きながら、|石段《いしだん》をトントントンと|下《くだ》つたり|上《のぼ》つたりして|居《ゐ》る。
お|菊《きく》『お|千代《ちよ》さま、あの|万公《まんこう》さまを|御覧《ごらん》、|間抜《まぬ》けた|顔《かほ》して、お|千度《せんど》をして|居《ゐ》るぢやありませぬか、|何《なん》で|又《また》あんな|妙《めう》な|事《こと》をするのでせうなア』
|千代《ちよ》『|万公《まんこう》さまが、|狐《きつね》に|撮《つま》まれて|居《ゐ》るのでせうよ。|随分《ずゐぶん》|小北山《こぎたやま》には|古狐《ふるぎつね》の|穴《あな》が|沢山《たんと》ありますからなア』
『|一《ひと》つ|背中《せなか》でも|叩《たた》いて|気《き》をつけてやりませうか』
『|兎《と》も|角《かく》「オイ」と|云《い》つて|見《み》なさい。そしたら|気《き》が|付《つ》くかも|知《し》れませぬぜ』
お|菊《きく》は|登《のぼ》つて|来《く》る|階段《かいだん》の|上《うへ》に|立《た》ち|一間《いつけん》|程《ほど》|前《まへ》から、
『オイ|万公《まんこう》さま、|確《しつか》りせぬかいな』
と|声《こゑ》をかけた。|万公《まんこう》は|矢庭《やには》に|口《くち》|重《おも》たげに、
『オーイお|菊《きく》、さう|走《はし》つては|追付《おつつ》かれない。|二十七万両《にじふしちまんりやう》の|金《かね》を|落《おと》しては|大変《たいへん》だぞ。まアちつと|待《ま》つてはどうだ。もう|此処《ここ》まで|逃《に》げて|来《き》たら|大丈夫《だいぢやうぶ》ぢや』
『ホヽヽヽ|好《す》かぬたらしい。|万公《まんこう》さまは|私《わたし》と|駆落《かけおち》をして|居《ゐ》る|夢《ゆめ》でも|見《み》て|居《ゐ》るのだらうか、なアお|千代《ちよ》さま』
『きつとさうですよ、あの|顔《かほ》を|御覧《ごらん》なさい。あれは|狐《きつね》に|撮《つま》まれて|居《ゐ》るのですよ。さうして|夢《ゆめ》を|見《み》て|居《ゐ》るのですよ。|困《こま》つた|気《き》の|利《き》かない|男《をとこ》ですなア』
|万公《まんこう》は|又《また》|下《した》を|向《む》いてトントントンと|汗《あせ》をタラタラ|流《なが》しながら|下《くだ》つて|往《ゆ》く。|魔我彦《まがひこ》が|散々《さんざん》|狐《きつね》に|膏《あぶら》を|取《と》られ、|松彦館《まつひこやかた》を|訪《たづ》ねむと|階段《かいだん》を|上《のぼ》り|往《ゆ》くと、|万公《まんこう》が|気《き》のぬけたやうな|顔《かほ》して|下《お》りて|来《く》るのにベツタリと|出会《であ》つた。|魔我彦《まがひこ》は、
『ハヽ|此奴《こいつ》も|悪《わる》い|狐《きつね》にやられよつたのぢやな。|俺《おれ》ばかりかと|思《おも》へば、|伴侶《つれ》もあるワイ。こいつは|大方《おほかた》、お|菊《きく》と|駆落《かけおち》でもして|居《ゐ》る|積《つも》りで|撮《つま》まれて|居《ゐ》るのだらう、オイ|万公《まんこう》、|何《なに》をグヅグヅして|居《ゐ》るのだ、|何《なに》を|喋《しやべ》つて|居《ゐ》るのだ』
と|云《い》ひながら、|力《ちから》をこめて|背《せな》を|三《みつ》つ|四《よ》つ|打《う》ち|叩《たた》く|途端《とたん》に|万公《まんこう》は|気《き》がつき、
『アヽ|一体《いつたい》|此処《ここ》は|何処《どこ》だ、お|菊《きく》は|何処《どこ》へ|往《い》つたのだ、オーイ、お|菊《きく》ヤーイ、オーイ』
|魔我《まが》『アハヽヽヽ、これ|万《まん》、|確《しつか》りして|呉《く》れい、|最前《さいぜん》から|随分《ずゐぶん》ここを|上《あが》つたり|下《くだ》つたりして|居《ゐ》たさうだが、|大方《おほかた》|狐《きつね》に|撮《つま》まれたのだらう。|余《あま》りお|菊《きく》を|思《おも》つて|居《ゐ》るから、こんな|目《め》に|遇《あ》ふのだよ』
|万公《まんこう》『ここは|一体《いつたい》|何処《どこ》だと|云《い》ふのだ』
『|分《わか》らぬ|奴《やつ》だなア、|小北山《こぎたやま》の|階段《かいだん》だ。|目《め》を|閉《ふさ》いどつては|分《わか》らぬぢやないか。|何《なん》だい、|大《おほ》きな|口《くち》を|開《あ》けやがつて』
『エヽ|馬鹿《ばか》にしやがつた。|余《あま》りド|狐《ぎつね》の|悪口《わるくち》を|言《い》つたものだから、|奴《やつこ》さん|仕返《しかへ》しをしやがつたな』
『アハヽヽヽ、|俺《おれ》の|二代目《にだいめ》が|出来《でき》たわい、ウフヽヽヽ』
お|菊《きく》は|傍《そば》に|走《はし》り|来《きた》り、
『これ|万《まん》さま、お|前《まへ》|最前《さいぜん》からここに|何《なに》して|居《ゐ》るの』
|万公《まんこう》はお|菊《きく》の|首筋《くびすぢ》グツと|握《にぎ》り、
『これド|狐《ぎつね》、|何《なん》で|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にしやがるのだ。サアもう|了簡《れうけん》せぬぞ、|覚悟《かくご》せい』
お|菊《きく》『|万《まん》さま|恐《こは》い、|魔我《まが》さま|助《たす》けてえ』
|魔我《まが》『こりやこりや|万公《まんこう》、|狐《きつね》の|化《ば》けたお|菊《きく》と、|本物《ほんもの》のお|菊《きく》とごつちやにしては|困《こま》るぢやないか、ちつと|確《しつか》りさらさぬかい』
|万公《まんこう》『ウンさうだつたか、そりや|済《す》まぬ|事《こと》をした。|神《かみ》さまは|恐《こは》いものぢや、もう|斯《か》うなつては|白状《はくじやう》するが、|実《じつ》はお|菊《きく》と|駆落《かけおち》をした|積《つも》りだつた。|矢張《やつぱ》り|神様《かみさま》に|気《き》を|引《ひ》かれたのかなア』
|斯《か》く|云《い》ふ|所《ところ》へ、|五三公《いそこう》、アク、タク、テク|四人《よにん》は|松彦館《まつひこやかた》を|訪《たづ》ねむと|階段《かいだん》の|下《した》までやつて|来《き》た。|魔我彦《まがひこ》は|直《ただち》に、
『|小北山《こぎたやま》|醜《しこ》の|狐《きつね》にだまされて
この|階段《かいだん》を|上《のほ》りつ|下《くだ》りつ。
お|菊《きく》さまと|手《て》を|引《ひ》きあうて|駆落《かけおち》を
してる|覚悟《かくご》で|同《おな》じとこゆく』
|五三《いそ》『お|寅《とら》さま|魔我彦《まがひこ》さまをたばかりし
|醜《しこ》の|狐《きつね》の|仕業《しわざ》なるらむ』
|万公《まんこう》『|二十《にじふ》あまり|七万両《しちまんりやう》の|金《かね》もつて
|駆落《かけおち》せしと|思《おも》ひけるかな』
アク『|馬鹿《ばか》だなアお|菊《きく》にうつつ|抜《ぬ》かしよつて
|狐《きつね》にまでも|騙《だま》されてけり』
|万公《まんこう》『|木石《ぼくせき》にあらぬ|身《み》なれば|俺《おれ》だとて
|女《をんな》に|心《こころ》|動《うご》かざらめや』
タク『|女《をんな》なら|是非《ぜひ》はなけれどド|狐《ぎつね》に
まゆ|毛《げ》よまれて|馬鹿《ばか》を|見《み》るかな』
|万公《まんこう》『|俺《おれ》だとて|狐《きつね》|位《くらゐ》にやだまされぬ
つもりぢやけれどまんが|悪《わる》うて』
タク『|慢心《まんしん》が|頂上《ちやうじやう》までも|登《のぼ》りつめ
この|浅猿《あさま》しき|態《ざま》となりぬる』
|万公《まんこう》『|狐《きつね》まで|化《ば》けて|惚《ほ》れよる|俺《おれ》の|顔《かほ》は
どこかに|柔和《やさ》しいとこあるだらう』
テク『テクテクと|二百《にひやく》の|階段《かいだん》|下《お》り|上《のぼ》り
|騙《だま》されきつた|馬鹿者《ばかもの》あはれ』
|万公《まんこう》『ここは|又《また》|高天《たかま》に|登《のぼ》る|階段《かいだん》だ
|何《なに》も|知《し》らずにゴテゴテ|云《い》ふな。
|狐《きつね》にもせめて|一度《いちど》は|撮《つま》まれて
|見《み》ねば|社会《しやくわい》の|事《こと》は|分《わか》らぬ』
|五三《いそ》『|村肝《むらきも》の|心《こころ》に|迷《まよ》ひある|時《とき》は
|醜《しこ》の|曲津《まがつ》の|誘《さそ》ふものなり。
|万公《まんこう》さま|心《こころ》の|駒《こま》を|立《た》て|直《なほ》せ
|狐《きつね》のやつにもてあそばれて。
|如何《いか》にして|神《かみ》の|御業《みわざ》がつとまろか
ほうけ|男《をとこ》を|伴《ともな》ひし|身《み》は』
|万公《まんこう》『|恥《はづ》かしや|恋《こひ》の|狐《きつね》にたばかられ
|思《おも》はぬ|醜態《しこざま》|現《あら》はれにけり。
|大神《おほかみ》の|道《みち》おろそかにした|罪《つみ》は
|今《いま》|目《ま》のあたり|現《あら》はれてけり』
(大正一一・一二・一五 旧一〇・二七 加藤明子録)
第一三章 |通夜話《つやばなし》〔一二二三〕
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜狐《しこぎつね》 |曲鬼《まがおに》どもの|棲《す》み|居《ゐ》たる
ウラルの|山《やま》や|常世国《とこよくに》 ロツキー|山《ざん》に|現《あら》はれし
|常世《とこよ》の|姫《ひめ》の|系統《けいとう》が |悪鬼《あくき》|邪神《じやしん》に|憑依《ひようい》され
ウラルの|道《みち》やバラモンの |教《をしへ》を|四方《よも》にひらきつつ
|天《あめ》が|下《した》をば|攪乱《かくらん》し |汚《けが》し|行《ゆ》くこそゆゆしけれ
|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》は |神《かみ》の|恵《めぐ》みも|大八洲《おほやしま》
|彦《ひこ》の|命《みこと》を|始《はじ》めとし |言霊別《ことたまわけ》や|大足彦《おほだるひこ》
|神国別《かみくにわけ》の|四柱《よはしら》を |国魂神《くにたまがみ》と|任《ま》け|給《たま》ひ
|島《しま》の|八十島《やそしま》|八十《やそ》の|国《くに》 |隈《くま》なく|守《まも》らせ|給《たま》へども
|悪魔《あくま》の|勢《いきほひ》たけくして |刈《か》り|取《と》る|草《くさ》の|其《その》|跡《あと》に
|又《また》もや|芽《め》を|出《だ》し|伸《の》びる|如《ごと》 |根絶《こんぜつ》せざるぞ|忌々《ゆゆ》しけれ
バラモン|教《けう》に|仕《つか》へたる ウラルの|系統《ひつぽう》の|高姫《たかひめ》は
|三五教《あななひけう》やウラル|教《けう》 |三《み》つの|教《をしへ》をこきまぜて
|実《げ》にも|怪《あや》しきウラナイの |教《をしへ》の|射場《いば》をフサの|国《くに》
|北山村《きたやまむら》に|建設《けんせつ》し |羽振《はぶ》りを|利《き》かして|居《ゐ》たりしが
|遂《つひ》に|我《が》を|居《を》り|三五《あななひ》の |教《をしへ》の|道《みち》に|帰順《きじゆん》せし
|後《あと》をばついで|蠑〓別《いもりわけ》 |魔我彦《まがひこ》|二人《ふたり》が|語《かた》り|合《あ》ひ
|坂照山《さかてるやま》の|山腹《さんぷく》を |岩《いは》を|切《き》りとり|土《つち》ならし
へぐれのへぐれのへぐれ|武者《むしや》 へぐれ|神社《じんしや》といふやうな
|怪《あや》しき|社号《しやがう》をつけながら |辺《あた》りの|老若男女《らうにやくなんによ》をば
|鼠《ねづみ》が|餅《もち》をひくやうに チヨビリ チヨビリとつまみとり
|今《いま》は|漸《やうや》く|四五百《しごひやく》の |堅《かた》き|信者《しんじや》を|得《え》てければ
|茲《ここ》にいよいよ|宮殿《きうでん》を |営《いとな》み|仕《つか》へ|羽振《はぶり》よく
|教《をしへ》を|開《ひら》きゐたりしが |天地《てんち》を|守《まも》る|生神《いきがみ》は
|何時《いつ》まで|醜《しこ》の|曲業《まがわざ》を |許《ゆる》させ|給《たま》ふ|事《こと》やある
|松彦《まつひこ》|一行《いつかう》|現《あら》はれて ユラリの|彦《ひこ》となりすまし
|別《わか》れて|程経《ほどへ》し|吾《わが》|妻《つま》の |松姫《まつひめ》|及《およ》び|吾《わが》|娘《むすめ》
|優《やさ》しきお|千代《ちよ》にめぐり|合《あ》ひ |一夜《いちや》をあかす|時《とき》もあれ
|神《かみ》の|神罰《しんばつ》めぐりきて |蠑〓別《いもりわけ》は|酒《さけ》に|酔《よ》ひ
お|寅《とら》と|喧嘩《けんくわ》をおつ|始《ぱじ》め |土崩瓦解《どほうぐわかい》の|運命《うんめい》を
|自《みづか》ら|招《まね》き|大広木《おほひろき》 |正宗《まさむね》さまと|自称《じしよう》する
|蠑〓別《いもりわけ》は|夜《よ》にまぎれ |信者《しんじや》のお|民《たみ》と|諸共《もろとも》に
|此《この》|場《ば》を|遠《とほ》く|逃《に》げ|去《さ》りぬ お|寅《とら》は|後《あと》に|地団駄《ぢだんだ》を
ふんで|無情《むじやう》を|怒《いか》りつつ |後《あと》|追《お》つかけて|行《い》て|見《み》れば
|榛《はん》の|根元《ねもと》に|結《ゆは》へたる |綱《つな》に|足《あし》をばひつかけて
もろくも|其《その》|場《ば》に|転倒《てんたう》し |神楽鼻《かぐらばな》をば|打砕《うちくだ》き
ウンウンウンとうなり|居《ゐ》る そこへ|又《また》もや|魔我彦《まがひこ》が
お|寅《とら》の|後《あと》を|追《お》ひかけて |力限《ちからかぎ》りにかけ|来《きた》り
お|寅《とら》の|体《からだ》につまづいて ウンとばかりに|転倒《てんたう》し
|膝《ひざ》の|頭《かしら》をすりむいて |苦《くる》しみ|悶《もだ》えゐたる|折《をり》
|五三公《いそこう》、|万公《まんこう》|他《ほか》|三人《みたり》 |後《あと》|追《お》つかけて|出《い》で|来《きた》り
|二人《ふたり》を|助《たす》けて|小北山《こぎたやま》 |教祖館《けうそやかた》に|連《つ》れ|帰《かへ》り
ヤツと|安心《あんしん》する|間《ま》なく いろいろ|雑多《ざつた》の|奇怪事《きくわいじ》が
|次《つぎ》から|次《つぎ》へと|突発《とつぱつ》し ウラナイ|教《けう》の|内面《ないめん》は
|麻《あさ》の|如《ごと》くに|乱《みだ》れける あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|一度《いちど》は|曲《まが》は|栄《さか》ゆとも |誠《まこと》の|神力《しんりき》なき|故《ゆゑ》に
|脆《もろ》くも|自《みづか》ら|破《やぶ》れけり これぞ|全《まつた》く|神界《しんかい》の
|犯《をか》し|方《がた》なき|御稜威《おんみいづ》 |発露《はつろ》し|給《たま》ひし|証《しるし》なり
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |如何《いか》なる|曲《まが》も|天地《あめつち》の
|神《かみ》の|眼《まなこ》は|濁《にご》し|得《え》ず |自《みづか》らつくりし|其《その》|穴《あな》に
|陥《おちい》り|自滅《じめつ》を|招《まね》くもの ただウラナイの|道《みち》のみか
|世《よ》のことごとは|一《いつ》として |悪《あく》のほろびぬものはなし
|之《これ》を|思《おも》へば|人《ひと》の|身《み》は |誠《まこと》|一《ひと》つを|立《た》て|通《とほ》し
|撓《たゆ》まず|屈《くつ》せず|何処《どこ》|迄《まで》も |真理《しんり》のためには|奮進《ふんしん》し
|一歩《いつぽ》も|退《しりぞ》く|事《こと》|勿《なか》れ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ。
|大広前《おほひろまへ》に|残《のこ》つた|数人《すうにん》の|男女《だんぢよ》は|夜《よ》の|更《ふ》ける|頃《ころ》まで、いろいろと|懐旧談《くわいきうだん》に|耽《ふけ》つてゐる。
|甲《かふ》『これお|徳《とく》さま、お|前《まへ》さまは|花依姫《はなよりひめ》の|命《みこと》さまぢやないかい』
トク『どうだか、しつかり|知《し》りませぬけれど、|教祖《けうそ》さまがさう|仰有《おつしや》るのだから、マアそれにしときまほかいなア』
|源公《げんこう》『アハヽヽヽ、お|徳《とく》さまもよつぽどお|目出度《めでた》いなア。|鼻売姫《はなうりひめ》なんて、|一《ひと》つよりない|鼻《はな》を|売《う》つたら、|後《あと》は|何《ど》うするつもりだ』
『サア|一《ひと》つの|鼻《はな》を|売《う》るまでには|中々《なかなか》|苦労《くらう》が|要《い》りますよ。|男《をとこ》の|百人《ひやくにん》や|二百人《にひやくにん》は|今迄《いままで》|迷《まよ》はして|来《き》たけれど、まだ|鼻《はな》が|落《お》ちるとこまで|行《ゆ》きませぬからなア、|此《この》|鼻《はな》をソツクリと|売《う》つて|了《しま》ふ|迄《まで》には|三百人《さんびやくにん》や|五百人《ごひやくにん》は|手玉《てだま》にとつても|大丈夫《だいぢやうぶ》ですよ。せめて|千人《せんにん》のお|客《きやく》をとつたら|鼻《はな》を|売《う》つて|了《しま》つても|得心《とくしん》ですわ』
『サウするとおトクさま、お|前《まへ》は|今《いま》まで|売女《ばいた》をやつてゐたのだなア』
『コレも|悪神《あくがみ》さまの|御用《ごよう》だからなア、|仕方《しかた》がないのよ。|併《しか》しモウ|妾《わたし》も|改心《かいしん》したのだから、|誰《たれ》か|一人《ひとり》にきめておかうかと|思《おも》つて|居《ゐ》るのよ』
『|四辻《よつつじ》の|小便桶《せうべんたご》|見《み》たよなナイスを、|誰《たれ》が|真面目《まじめ》に|女房《にようばう》にするものがあらうカイ。|両屏風《りやうびやうぶ》の|姉《ねえ》さまだからなア』
『おかまいツ、|放《ほ》つといて|下《くだ》さい、|自由《じいう》の|権《けん》ですわ。|源《げん》さま、お|前《まへ》は|奥《おく》さまを|何《ど》うしたのだイ』
『かもて|呉《く》れなイ、|放《ほ》つといて|貰《もら》ひませうカイ。|滅多《めつた》にお|前《まへ》の|婿《むこ》にはなる|気遣《きづか》ひはないからなア』
『ホヽヽヽヽ、お【かん】さまにはほつとけぼりをくはされ、|自分《じぶん》が|使《つか》うて|居《を》つた|僕《しもべ》と|手《て》に|手《て》をとつて|駆落《かけおち》され、|後《のち》にシヨンボリと|力《ちから》をおとして|十日《とをか》|許《ばか》りも|泣《な》きくらし、それから|弁当《べんたう》|持《も》ちで|三年《さんねん》|許《ばか》り|山《やま》の|神《かみ》の|所在《ありか》を|探《さが》しなさつたぢやないか。それでもカラツキシ|御行方《おゆくへ》がわからぬのだから、|気《き》の|毒《どく》なものぢや。|此《この》|頃《ごろ》は|嬶《かかあ》に|置去《おきざ》りにせられた|男《をとこ》の|代名詞《だいめいし》をサツパリ|源助《げんすけ》と|言《い》ひますぞや、オホヽヽヽ』
『アーねぶたい、ドレもう|寝《ね》ようかい。アタ|面白《おもしろ》うもない。|鰯《いわし》のどうけん|壺《つぼ》をかきまぜたよな|匂《にほ》ひのする|女《をんな》にひやかされとつても、|根《ね》つから|気《き》が|利《き》かないからなア』
『|源《げん》さま、|一寸《ちよつと》お|待《ま》ち、だまつて|聞《き》いてをれば、|妾《わたし》を|屏風《びやうぶ》だとか、|鰯《いわし》のどうけん|壺《つぼ》だとか、|余《あま》りぢやないカイ。それだからお|前《まへ》は|源助《げんすけ》といふのだよ。ゴンボ|先生《せんせい》はゴンボらしくして|居《を》りさへすれば、こんな|恥《はぢ》はさらさいでもよいのだけれど、あまり|口《くち》がすぎるものだから、|到頭《とうとう》すつぽりぬかれるのだよ』
『|帆立貝《ほたてがひ》の|虐使《ぎやくし》に|堪《た》ふべく|焼酎《せうちう》をふいてふいて|吹《ふ》きさがすものだから、|堤防《ていばう》も|何《なん》にも|硬《こは》ばつてゐるぢやないか』
『|大《おほ》きに|憚《はばか》りさま、お|前《まへ》のお|世話《せわ》になろといふのでなし、お|気《き》をもませましてすみませぬなア』
|初公《はつこう》『|時《とき》にお|徳《とく》さま、あの|鉄灯籠《かなどうろう》は|何《ど》うなつたのだ』
トク『ハア、|鉄灯籠《かなどうろう》かいなア。|灯籠《とうろう》だけは|最早《もはや》|出来《でき》て|来《き》たのだから、|神様《かみさま》に|早《はや》く|奉納《ほうなふ》したいと|思《おも》つてゐるのだけれど、まだ|蝋燭《らふそく》が|揃《そろ》はぬので|躊躇《ちうちよ》してゐるのよ。|何処《どこ》ぞ|一本《いつぽん》でもいいから、|売《う》つとる|所《ところ》はないのだろかね』
|初公《はつこう》『|一本《いつぽん》でいいのか、それなら|源《げん》さまに|頼《たの》んで|見《み》なさい。|何時《いつ》も|一本《いつぽん》|持《も》つてゐると|云《い》ふ|事《こと》だよ』
|源公《げんこう》『|馬鹿《ばか》にするなイ。お|徳《とく》さまの|土器《かわらけ》に|油《あぶら》を|注《さ》して|奉納《ほうなふ》したらそれでいいのだ。アハヽヽヽ、アー|眠《ねぶ》たい、|初《はつ》、トク、マアゆつくり|話《はなし》でもしたがよからう、|左様《さやう》なら』
|初公《はつこう》『ヤア、これは|遠方《ゑんぱう》の|所《ところ》|御労足《ごらうそく》で|厶《ござ》いました』
|源公《げんこう》は、
『エー|八釜《やかま》しワイ』
と|云《い》ひすて、|自分《じぶん》の|宿舎《しゆくしや》へ|帰《かへ》つて|行《ゆ》く。
|初公《はつこう》『お|徳《とく》さま、お|前《まへ》|一体《いつたい》この|先《さき》|何《ど》うするつもりだ。|何処迄《どこまで》も|後家《ごけ》を|立通《たてとほ》すつもりカイ、|好《い》い|加減《かげん》に|婿《むこ》を|定《き》めぬと|年《とし》がよつたら|困《こま》るぢやないか』
トク『|何《なに》ほど|婿《むこ》をきめよと|云《い》つたつて、|広《ひろ》い|世界《せかい》に|妾《わたし》の|夫《をつと》になるやうな|男《をとこ》がないぢやないか』
『|馬鹿《ばか》いふない。これだけ|沢山《たくさん》な|鰥《やもめ》がそこら|中《ぢう》にあるぢやないか。どれなつとお|望《のぞ》み|次第《しだい》|願《ねがひ》をかけて|見《み》たらどうだい』
『|妾《わたし》も|今迄《いままで》どれだけ|探《さが》したのか|知《し》れないが、まだ|一人《ひとり》だつてありはしないわ』
『お|前《まへ》の|気《き》に|入《い》る|夫《をつと》といふのは|一体《いつたい》どんな|男《をとこ》だ。|聞《き》かしてくれ。さうすりや|私《わたし》も|世間《せけん》を|歩《ある》くから|考《かんが》へておかぬものでもない』
『|初《はつ》さま|駄目《だめ》だよ。|今《いま》の|男《をとこ》に|碌《ろく》な|奴《やつ》はありやしないよ。|私《わたし》の|理想《りさう》の|夫《をつと》はマア、ザツとこんなものだ。|先《ま》づ|第一《だいいち》に|三日月眉毛《みかづきまゆげ》の|男《をとこ》、|其《その》|次《つぎ》に|黒目勝《くろめがち》な|目許《めもと》の|涼《すず》しい、|何《なん》とも|言《い》へぬ|優味《やさしみ》のある|目《め》で、|鼻《はな》は|高《たか》からず|低《ひく》からず、|小鼻《こばな》の|出《で》ない|鼻筋《はなすぢ》のよく|通《とほ》つた|口許《くちもと》は|尋常《じんじやう》で、|八《はち》の|字《じ》|髯《ひげ》がピンと|生《は》え、|耳《みみ》たぶの|豊《ゆたか》な、|額口《ひたひぐち》のあまり|狭《せま》くない|広《ひろ》くない、|色白《いろじろ》で、|而《しか》も|体《からだ》は|中肉中背《ちうにくちうぜい》で、|而《さう》して|仕事《しごと》は|朝《あさ》から|晩《ばん》|迄《まで》よく|働《はたら》き、|夜分《やぶん》は|女房《にようばう》の|守《もり》をしてくれ、|糞《くそ》や|小便《せうべん》は|肥料《こやし》になるから|些《ちつと》でも|余計《よけい》|垂《た》れて、|味《あぢ》ないものを|些《ちつ》と|食《く》ひ、うまいものは|女房《にようばう》に|沢山《たくさん》|食《く》はし、さうして|心意気《こころいき》のよい|人《ひと》で|一言《ひとこと》も|女房《にようばう》の|云《い》ふ|事《こと》を|反《そむ》かず、|外《ほか》の|女《をんな》に|心《こころ》を|移《うつ》さない、|一寸《ちよつと》も|外《そと》へ|出《で》ずに、|女房《にようばう》と|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|顔《かほ》|見合《みあは》して|暮《くら》す|職業《しよくげう》を|持《も》つてゐる|人《ひと》で、|手先《てさき》の|器用《きよう》な、|世界《せかい》に|名《な》の|出《で》た|男《をとこ》でないと、おトクさまの|気《き》には|入《い》らぬのだよ。|馬《うま》は|馬連《うまづれ》、|牛《うし》は|牛連《うしづれ》といふ|事《こと》があるからなア、あまり|完全《くわんぜん》に|生《うま》れすぎたものだから|相手《あひて》がなくて|困《こま》つてゐるのよ。|何処《どこ》か|一所《ひとところ》でもよいから|不完全《ふくわんぜん》に|生《うま》れて|来《こ》なかつたのだらうと、それが|神様《かみさま》に|対《たい》して|恨《うら》めしい|位《くらゐ》だ。アーア、いい|女《をんな》に|生《うま》れて|来《く》るのも|迷惑《めいわく》なものだ』
『|何《なに》を|吐《ぬか》しやがるのダイ。オタンチン|奴《め》が、|貴様《きさま》はそんな|事《こと》を|望《のぞ》んで|待《ま》つてゐたとて、|仮令《たとへ》|千万年《せんまんねん》|経《た》つても|出《で》て|来《く》る|気遣《きづか》ひはないぞ。|自惚《うぬぼ》れも|好《い》い|加減《かげん》にしとつたがよからう。お|前《まへ》の|完全《くわんぜん》なといふのは|頭《あたま》の|禿《はげ》と、|出歯《でつぱ》と、|獅子鼻《ししばな》と、|鰐口《わにぐち》とで、しかもトベラで|両屏風《りやうびやうぶ》と|来《き》てゐるのだから|天下一品《てんかいつぴん》だ。ようマアそんな|高望《たかのぞ》みが|出来《でき》たものだなア』
『ナアニ|何時《いつ》か|小説《せうせつ》を|読《よ》んだら、そんな|事《こと》が|書《か》いてあつたのだ。その|話《はなし》をしとるのよ、オホヽヽヽ』
『コラおトクさま、|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にすない、エー』
『|馬鹿《ばか》にしよたつて|馬鹿《ばか》の|骨頂《こつちやう》に|達《たつ》した|男《をとこ》を、どうして|馬鹿《ばか》にする|余地《よち》がありますかいなア。お|前《まへ》も|分《わか》らぬ|事《こと》を|云《い》ふ|男《をとこ》だなア』
|斯《か》く|他愛《たあい》なき|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つてゐる|所《ところ》へ、カンテラに|火《ひ》をとぼし、|恭《うやうや》しくやつて|来《き》たのは|受付《うけつけ》の|文助《ぶんすけ》さまであつた。
|文助《ぶんすけ》『これこれ|皆《みな》さま、|此《この》|夜更《よふけ》まで|何《なに》をしやべつて|厶《ござ》るのだ。|一寸《ちよつと》も|寝《ね》られはせぬがなア。サア|早《はや》くお|寝間《ねま》へ|帰《かへ》つて|休《やす》んで|下《くだ》さい、|皆《みな》が|迷惑《めいわく》だからなア』
|初公《はつこう》『ハイ、|一緒《いつしよ》に|寝《ね》ると|御迷惑《ごめいわく》だと|思《おも》つて、|実《じつ》は|此処《ここ》に|御通夜《おつや》をさして|頂《いただ》くつもりで|居《を》りますのだ』
『|何故《なにゆゑ》|又《また》そんな|事《こと》を|云《い》ふのですか』
『なんといつても|牡丹餅《ぼたもち》【ひぜん】だから、|寝《ね》さしてくれませぬワイ。それだから、|遠慮《ゑんりよ》して|此処《ここ》に|徳義《とくぎ》を|守《まも》つて|居《ゐ》るのですよ』
『ソレは|感心《かんしん》だ。|併《しか》しお|徳《とく》さまは|休《やす》んだら|好《い》いぢやないか』
トク『ハイ、|一緒《いつしよ》に|休《やす》みたいのだけれど、|皆《みな》の|連中《れんちう》さまが、|妾《わたし》が|側《そば》へ|行《ゆ》くと|麝香《じやかう》の|匂《にほ》ひがして|鼻《はな》が|曲《まが》るとか|云《い》つて、ワイワイ|仰有《おつしや》るものだから、|遠慮《ゑんりよ》して|此処《ここ》に|夜伽《よとぎ》をして|居《を》りますのですよ』
|文助《ぶんすけ》『アーそれはどうも|仕方《しかた》がない。それなら|成《な》る|可《べ》くおとなしうしてゐて|下《くだ》さい。|受付《うけつけ》までお|前《まへ》さま|等《ら》の|大《おほ》きな|声《こゑ》が|筒《つつ》【ぬけ】になつて、|寝《ね》られなくつて|困《こま》るからなア。|私《わたし》は|朝《あさ》|早《はや》うから|日《ひ》の|暮《く》れ|一杯《いつぱい》まで|受付《うけつけ》の|御用《ごよう》を|勤《つと》めねばならぬのだから、|何卒《どうぞ》|静《しづ》かにして|下《くだ》さい』
|初公《はつこう》『ハイ|畏《かしこ》まりました、|左様《さやう》なら』
(大正一一・一二・一五 旧一〇・二七 外山豊二録)
第三篇 |神明照赫《しんめいせうかく》
第一四章 |打合《うちあは》せ〔一二二四〕
|松姫館《まつひめやかた》には|夜《よ》の|更《ふ》くるまで|雑談《ざつだん》が|始《はじ》まつてゐる。
|五三《いそ》『モシ|松彦《まつひこ》さま、|思《おも》はず、|暇《ひま》を|小北山《こぎたやま》で|費《つひや》しましたなア。|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》は、さぞ|待《ま》つてゐられますでせうなア。|何《ど》うです、|神様《かみさま》をスツパリ|祀《まつ》りかへて|行《ゆ》くといふお|話《はなし》ださうですが、これだけ|沢山《たくさん》のお|宮《みや》さまを|一々《いちいち》|祀《まつ》りかへて|居《を》つた|日《ひ》には、|二日《ふつか》や|三日《みつか》では|埒《らち》があきますまい。そんな|事《こと》をしとつたら|肝腎《かんじん》の|御用《ごよう》が|後《おく》れるぢやありませぬか』
|松彦《まつひこ》『ソレもさうですが|此《この》|儘《まま》にして|行《ゆ》く|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|困《こま》つたものです。|私《わたし》|達《たち》は|都合《つがふ》によつたらエルサレム|迄《まで》|行《い》つて|来《こ》なくてはなりませぬ。さうすれば|一年《いちねん》|位《くらゐ》は|早《はや》くてもかかりますから、イツソの|事《こと》、|松姫《まつひめ》に|一任《いちにん》しておいたら|何《ど》うでせうなア』
|五三《いそ》『|万公《まんこう》さまも|一緒《いつしよ》に|暫《しばら》く|残《のこ》しといたら|何《ど》うでせうか』
アク『モシ|先生《せんせい》、こんな|男《をとこ》を|残《のこ》しておかうものなら、|又《また》|狐《きつね》につままれて|駄目《だめ》ですよ。お|寅《とら》さまに|魔我彦《まがひこ》、|万公《まんこう》の|欺《だま》され|三幅対《さんぷくつゐ》です。が、|欺《だま》され|三幅対《さんぷくつゐ》をこんな|処《ところ》へ|置《お》いておかうものなら、|又候《またぞろ》|狐狸《こり》の|巣窟《さうくつ》となつて|了《しま》ひます。|而《さう》して|万公《まんこう》さまは|斎苑《いそ》の|館《やかた》からお|供《とも》に|連《つ》れて|治国別《はるくにわけ》さまが|厶《ござ》つたのだから、|貴方《あなた》の|勝手《かつて》にはなりますまい』
|松姫《まつひめ》『ソラさうですなア、|五三公《いそこう》さま、|一《ひと》つ|貴方《あなた》|神様《かみさま》に|伺《うかが》つて|見《み》て|下《くだ》さらぬか』
|五三《いそ》『ハイ|承知《しようち》|致《いた》しました。それなら|一《ひと》つ|伺《うかが》つて|見《み》ませう』
と|言《い》ひながら|手《て》を|組《く》んで|暫《しばら》く|無我《むが》の|境《きやう》に|入《い》つた。
|五三《いそ》『ヤア|解《わか》りました。|未《ま》だ|三日《みつか》ばかしは|差支《さしつかへ》ない|様《やう》です。|明日《あす》|早朝《さうてう》から|神様《かみさま》の|御祀《おまつ》りかへをする|事《こと》に|致《いた》しませう、それに|就《つい》てはお|寅《とら》さま、|魔我彦《ひこ》さまの|承諾《しようだく》をうけておく|必要《ひつえう》はありますまいかなア』
|松姫《まつひめ》『それが|第一《だいいち》です。テクさま、すまないが|一《ひと》つお|寅《とら》さまと|魔我彦《まがひこ》さまを|此処《ここ》へ|来《き》て|頂《いただ》くやうに|頼《たの》んで|下《くだ》さいなア』
テク『|承知《しようち》|致《いた》しました』
と|座《ざ》を|立《た》つて|階段《かいだん》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。
アク『|松姫《まつひめ》さま、|随分《ずゐぶん》|貴女《あなた》は|此処《ここ》へおいでになつてから|日日《ひにち》が|経《た》つたやうですが、|妙《めう》な|神《かみ》さまばかり|祀《まつ》つたものですなア』
|松姫《まつひめ》『|本当《ほんたう》にをかしくて|怺《たま》らぬのです。|幾何《いくら》にでもへぐれて へぐれて へぐれ|廻《まは》す|神《かみ》さまですからなア』
『へぐれ|神社《じんしや》に|種物神社《たねものじんしや》、|生羽神社《いきばじんしや》に|大門神社《おほもんじんしや》、|其《その》|他《た》|随分《ずゐぶん》|妙《めう》な|名《な》があるぢやありませぬか。ヨウマアこんな|出放題《ではうだい》な|神名《しんめい》や|神社名《じんしやめい》がつけられたものですなア』
『ソレでも|世間《せけん》は|広《ひろ》いものですよ。|誰《たれ》も|彼《かれ》も|一生懸命《いつしやうけんめい》になつて|詣《まゐ》つて|来《く》るのですから、|不思議《ふしぎ》なものですわ』
『|大変《たいへん》に|変性男子《へんじやうなんし》をほめて|変性女子《へんじやうによし》をくさしてゐるぢやありませぬか』
『|二三年前《にさんねんまへ》|迄《まで》は|極力《きよくりよく》|変性女子《へんじやうによし》を|悪《あく》の|鏡《かがみ》だとか|言《い》つて|攻撃《こうげき》して|居《を》りましたが、|此《この》|頃《ごろ》は|変性男子《へんじやうなんし》の|生宮《いきみや》が|昇天《しようてん》|遊《あそ》ばしたので、|仕方《しかた》がなく|一生懸命《いつしやうけんめい》に|変性女子《へんじやうによし》の|弁解《べんかい》ばつかりしてゐるのですよ。|男子《なんし》と|女子《によし》とが|経《たて》と|緯《よこ》とで|錦《にしき》の|機《はた》を|織《お》るのだ。|而《しか》して|義理天上日《ぎりてんじやうひ》の|出神《でのかみ》が|世界中《せかいぢう》の|事《こと》を|調《しら》べて、|変性女子《へんじやうによし》にソツと|言《い》うて|聞《き》かすのだと、ソレハソレハ|偉《えら》い|権幕《けんまく》でしたわ』
|万公《まんこう》『|余程《よほど》|改心《かいしん》が|出来《でけ》たと|見《み》えますねえ』
|松姫《まつひめ》『イエイエさうではありますまい。|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》を|占領《せんりやう》しようと|思《おも》へば、|此《この》|頃《ごろ》は|女子《によし》の|勢力《せいりよく》が|強《つよ》いのだから、|両方《りやうはう》をうまく|言《い》はねばひつかかつて|来《こ》ないものですから、|策略《さくりやく》であんな|事《こと》を|云《い》つとるのですよ。|九分九厘《くぶくりん》|行《い》つたとこで|女子《によし》は|悪《あく》の|鏡《かがみ》だと|云《い》つてクレンとひつくり|返《かへ》すのですから|油断《ゆだん》は|出来《でき》ませぬよ。|併《しか》しながら|変性女子《へんじやうによし》の|眷属《けんぞく》がかうして|沢山《たくさん》やつて|来《き》たものだから、|肝腎《かんじん》の|教祖《けうそ》が|女《をんな》と|手《て》に|手《て》をとつて|駆落《かけおち》したのも、つまり|神罰《しんばつ》が|当《あた》つたのでせう』
|松彦《まつひこ》『|曲神《まがかみ》は|善《ぜん》の|仮面《かめん》を|被《かぶ》りつつ
|世《よ》を|欺《あざむ》くぞゆゆしかりける。
|表《おもて》には|愛《あい》と|善《ぜん》とを|標榜《へうぼう》し
|裏《うら》に|曲《まが》をば|包《つつ》む|醜道《しこみち》。
|何時《いつ》の|世《よ》にも|栄《さか》ゆるものは|偽善者《きぜんしや》よ
|正《ただ》しきものは|衰《おとろ》へて|行《ゆ》く。
さりながら|五六七《みろく》の|神《かみ》の|生《あ》れし|上《うへ》は
|最早《もはや》|悪魔《あくま》の|栄《さか》ゆ|術《すべ》なし』
|松姫《まつひめ》『|蠑〓別《いもりわけ》、|魔我彦《まがひこ》、お|寅婆《とらばあ》さまの
|心《こころ》は|猫《ねこ》の|眼《まなこ》なりけり。
|夜《よ》も|昼《ひる》も|酒《さけ》に|腸《はらわた》くさらせつ
|曲《まが》の|宮居《みやゐ》となれる|憐《あは》れさ。
|艮《うしとら》の|婆《ば》さまと|自《みづか》ら|称《とな》へつつ
|坤神《ひつじさるがみ》|何時《いつ》もこぼちつ。
|曲津見《まがつみ》の|醜《しこ》の|教《をしへ》に|迷《まよ》ひけり
|何《なに》を|言《い》うてもきくらげの|耳《みみ》。
これだけによくも|迷《まよ》ひしものぞかし
|誠《まこと》の|教《のり》は|一言《ひとこと》もきこえず』
|五三《いそ》『|斎苑館《いそやかた》|珍《うづ》の|宮居《みやゐ》に|比《くら》ぶれば
|天《あめ》と|地《つち》との|如《ごと》くなりけり。
|小北山《こぎたやま》|峰《みね》の|嵐《あらし》はつよくとも
|早《はや》をさまりて|松風《まつかぜ》の|音《おと》』
|万公《まんこう》『ここへ|来《き》て|怪《あや》しき|事《こと》の|数々《かずかず》を
【たこ】になるまで|耳《みみ》に|入《い》れける。
|耳《みみ》も|目《め》も|口《くち》|鼻《はな》|迄《まで》も|痺《しび》れける
|曲《まが》と|曲《まが》とに|囲《かこ》まれし|身《み》は。
さりながら|神《かみ》の|御稜威《みいづ》は|灼乎《いやちこ》に
|逃《に》げ|失《う》せにけり|醜《しこ》の|曲神《まがかみ》』
アク『あくせくと|心《こころ》なやむる|事《こと》|勿《なか》れ
ただ|何事《なにごと》も|神《かみ》に|任《まか》せて。
|悪神《あくがみ》を|追《お》ひそけちらし|根本《こつぽん》の
|神《かみ》|祀《まつ》るとて|世人《よびと》あざむく』
タク『ユラリ|彦《ひこ》、|上義《じやうぎ》の|姫《ひめ》の|生宮《いきみや》と
|信《しん》じゐるこそ|可笑《をか》しかりけれ。
さりながら|信《しん》じてくれたそのために
|小北《こぎた》の|山《やま》を|立直《たてなほ》すなり。
|高姫《たかひめ》や|黒姫司《くろひめつかさ》がきくならば
さぞ|懐旧《くわいきう》の|念《ねん》に|燃《も》ゆべし』
テク『|尾《を》|白《しろ》し|頭《あたま》も|白《しろ》し|古狐《ふるぎつね》
|騙《だま》しけるかな|三人《みたり》の|人《ひと》を。
|蠑〓別《いもりわけ》|今《いま》は|何処《いづこ》にひそむらむ
お|民《たみ》の|後《あと》を|慕《した》ひ|慕《した》ひて。
|魔我彦《まがひこ》の|心《こころ》はさぞやもめぬらむ
|恋《こひ》にこがれしお|民《たみ》とられて』
これよりお|寅《とら》、|魔我彦《まがひこ》、お|菊《きく》、|文助《ぶんすけ》などを|加《くは》へ、|松姫館《まつひめやかた》の|奥《おく》の|間《ま》で|明朝《みやうてう》|早《はや》くより|三五《あななひ》の|大神《おほかみ》を|鎮祭《ちんさい》すべく|修祓《しうばつ》、|遷座式《せんざしき》|其《その》|他《た》の|件《けん》に|就《つい》て|打合《うちあは》せをなし、|各自《かくじ》の|居間《ゐま》に|帰《かへ》つて|其《その》|夜《よ》を|明《あ》かす|事《こと》となつた。
あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・一二・一五 旧一〇・二七 外山豊二録)
因に、本日午前九時より午後十一時まで十四時間に原稿紙八百一枚を口述し終れり。これ今日までのレコード也。(瑞月)
第一五章 |黎明《れいめい》〔一二二五〕
|一日《いちにち》の|太陽《たいやう》が|神《かみ》の|御守《みまも》りの|下《もと》に|静《しづか》に|暮《く》れ|行《ゆ》きて、|頓《やが》て|平和《へいわ》な|閑寂《かんじやく》な|夜《よ》が|地《ち》の|上《うへ》に|訪《おとづ》れ、|遠寺《とほでら》の|鐘《かね》の|音《ね》、|塒《ねぐら》|求《もと》むる|鳥《とり》の|声《こゑ》など|漸《やうや》くをさまり、|四辺《あたり》は|死《し》んだ|様《やう》に|静《しづ》かになつて|来《き》た。|鉄瓶《てつびん》の|蓋《ふた》が|湯気《ゆげ》に|煽《あふ》られて|鳴《な》る|声《こゑ》が、|何《なん》となくお|寅婆《とらば》アさまの|胸《むね》に|響《ひび》いて、|浮木《うきき》の|村《むら》の|侠客《けふかく》|時代《じだい》を|偲《しの》ばせる|様《やう》であつた。|蠑〓別《いもりわけ》に|命《いのち》の|綱《つな》の|恋《こひ》と|金《かね》とを|奪《うば》はれて、|眠《ねむ》りもやらず、|胸《むね》に|轟《とどろ》く|狂瀾怒濤《きやうらんどたう》を|抑《おさ》へることにのみ|疲《つか》れはて、|次《つぎ》の|間《ま》の|鏡台《きやうだい》の|前《まへ》に|向《むか》つて、マジマジと|自分《じぶん》の|姿《すがた》を|見《み》れば、|両頬《りやうほほ》の|痩《や》せこけたのを|見《み》るにつけても、|吾《わが》|身《み》の|老《お》い|行《ゆ》きしこと、|蠑〓別《いもりわけ》の|逃去《にげさ》りしもさこそ|無理《むり》ならじと|思《おも》ふにつけ、|其《その》|両眼《りやうがん》がスグツと|涙《なみだ》になる。
『あゝこんな|事《こと》ではいけない。モウ|少《すこ》し|確《しつか》りして、|神様《かみさま》のお|道《みち》を|歩《あゆ》み|直《なほ》さねばなるまい』
と|吾《われ》と|吾《わが》|手《て》に|心《こころ》を|引立《ひきた》てようとしてみたが、|夜前《やぜん》の|無念《むねん》さ|口惜《くちを》しさが|骨《ほね》の|節々《ふしぶし》にまでしみ|込《こ》んでゐる|悲《かな》しさが|一時《いちじ》に|飛《と》び|出《だ》して、|忽《たちま》ち|金剛不壊的《こんがうふゑてき》の|信仰《しんかう》と|覚悟《かくご》を|打破《うちやぶ》らうとする。
『あゝあ、わしの|今宵《こよひ》の|苦《くる》しさと|云《い》つたら、|石《いし》を|抱《だ》かされ、|算盤《そろばん》の|上《うへ》へすわらされて、|無実《むじつ》の|拷問《がうもん》をうけてゐるやうな|苦《くる》しさだ。|人《ひと》と|人《ひと》とを|繋《つな》いでゐた|糸《いと》が|切《き》れて、|行方《ゆくへ》も|知《し》らぬ|荒野《あらの》を|独《ひと》り|寂《さび》しげに|逍遥《さまよ》ふ|心地《ここち》がし|出《だ》した。あゝどうしたらよからうかな。|安心立命《あんしんりつめい》を|得《え》むとして|神《かみ》を|信《しん》じ|神《かみ》を|愛《あい》し、|舎身的《しやしんてき》|活動《くわつどう》をやつて|来《き》たのだ。それに|又《また》|何《なん》として|斯様《かやう》なみじめな|目《め》に|会《あ》つたのだろ。|世《よ》の|中《なか》に|不幸《ふかう》な|人《ひと》は|此《この》お|寅《とら》ばかりではあるまい。さりながら|又《また》|妾《わし》の|様《やう》な|悲痛《ひつう》な|残酷《ざんこく》な|憂目《うきめ》に|会《あ》つた|者《もの》も|又《また》とあるまい。|馬鹿《ばか》らしさ、|恥《はづか》しさ、|腹立《はらだ》たしさ、モウ|立《た》つてもゐても|居《ゐ》られない|様《やう》になつて|来《き》た。あゝどうしようぞいなア』
と|鏡台《きやうだい》の|前《まへ》に、|老躯《らうく》を|投《な》げつけるやうにして|愚痴《ぐち》つてゐる。
『あゝさうださうだ、|人《ひと》には|三《みつ》つの|宝《たから》がある。|其《その》|宝《たから》は|決《けつ》して|物質的《ぶつしつてき》の|宝《たから》でも、|変則的《へんそくてき》|情慾《じやうよく》でもない、|神様《かみさま》に|対《たい》する|恋愛《れんあい》だ。|第一《だいいち》に|愛《あい》、|第二《だいに》に|信仰《しんかう》、|第三《だいさん》に|希望《きばう》だ。|此《この》|三《みつ》つの|歓喜《くわんき》を|離《はな》れては、|一日《いちにち》だつて|暗黒《あんこく》の|世《よ》の|中《なか》に|立《た》つてゆく|事《こと》は|出来《でき》ない。あゝ|誤《あやま》れり|誤《あやま》れり、|誠《まこと》の|神様《かみさま》、|三五教《あななひけう》を|守《まも》り|給《たま》ふ|太柱《ふとばしら》|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》|様《さま》、|今日《けふ》まで|仁慈《じんじ》|無限《むげん》のあなたの|御恵《みめぐみ》を|蒙《かうむ》りながら、|少《すこ》しも|弁《わきま》へず、|蠑〓別《いもりわけ》の|邪説《じやせつ》に|従《したが》ひ、|御無礼《ごぶれい》ばかりを|申《まを》しました。|其《その》|心《こころ》の|罪《つみ》が|鬼《おに》となつて、|今《いま》|私《わたくし》を|責《せ》めて|居《ゐ》るので|厶《ござ》いませう。あゝ|吾《わが》|敵《てき》は|吾《わが》|身体《からだ》の|中《なか》にひそんで|居《を》りました。|払《はら》ひ|給《たま》へ|清《きよ》め|給《たま》へ|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》………』
と|合掌《がつしやう》し、|悔悟《くわいご》の|涙《なみだ》にくれ、|稍《やや》しばし|沈黙《ちんもく》の|淵《ふち》に|沈《しづ》みつつあつた。|暫《しばら》くすると、|何処《どこ》ともなく|燦然《さんぜん》たる|光明《くわうみやう》が|輝《かがや》き|来《きた》り、お|寅《とら》の|全身《ぜんしん》を|押《お》し|包《つつ》むやうな|気分《きぶん》がした。お|寅《とら》は|何時《いつ》とはなしに|夢路《ゆめぢ》を|辿《たど》つてゐた。ヂツと|眠《ねむ》つてゐる|目《め》の|底《そこ》には|美《うる》はしき|天国《てんごく》の|花園《はなぞの》が|開《ひら》けて|来《き》た。|牡丹《ぼたん》や|芍薬《しやくやく》やダリヤの|花《はな》が|錦《にしき》の|様《やう》に|咲《さ》き|盛《さか》つてゐる|中《なか》を、|紅白《こうはく》|種々《しゆじゆ》の|胡蝶《こてふ》と|共《とも》に|遊《あそ》び|歩《ある》いてゐるやうな、えも|言《い》はれぬ|気持《きもち》になつて|来《き》た。お|寅《とら》はフと|目《め》をさまして|独言《ひとりごと》、
『あゝ|仁慈《じんじ》|深《ふか》き|五六七大神《みろくおほかみ》|様《さま》の|光明《くわうみやう》に|照《て》らされて、|転迷開悟《てんめいかいご》の|花《はな》が|吾《わが》|胸中《きようちう》に|開《ひら》きました。|薫《かむば》しき|風《かぜ》が|胸《むね》を|洗《あら》つて|通《とほ》るやうになりました。|今《いま》まで|人《ひと》を|救《すく》ひたい|救《すく》ひたいとの|念《ねん》は|時々刻々《じじこくこく》に|沸騰《ふつとう》して、|胸《むね》に|火《ひ》を|焚《た》いた|事《こと》は|幾度《いくたび》か|知《し》れませぬ、|併《しか》しながら|万民《ばんみん》|所《どころ》か、|自分《じぶん》|一人《ひとり》を|救《すく》ふ|事《こと》も|出来《でき》なかつた、かよわい|私《わたし》たる|事《こと》を|徹底的《てつていてき》に|悟《さと》らして|頂《いただ》きました。|自分《じぶん》|一人《ひとり》の|徹底《てつてい》した|救《すく》ひは、やがて|万人《ばんにん》の|救《すく》ひであり、|万人《ばんにん》の|救《すく》ひは|自分《じぶん》|一人《ひとり》の|自覚《じかく》|即《すなは》ち|神《かみ》を|信《しん》じ|神《かみ》を|理解《りかい》し、|真《しん》に|神《かみ》を|愛《あい》し、|自分《じぶん》は|其《その》|中《うち》に|含蓄《がんちく》される|以外《いぐわい》にないものだと|云《い》ふことを、|御神徳《ごしんとく》に|依《よ》つて|深《ふか》く|深《ふか》く|悟《さと》らして|頂《いただ》いた|事《こと》を|有難《ありがた》く|感謝《かんしや》|致《いた》します』
と|悲哀《ひあい》にくれた|涙《なみだ》は|忽《たちま》ち|歓喜《くわんき》の|涙《なみだ》と|変《かは》り、|心天《しんてん》|高《たか》き|所《ところ》に|真如《しんによ》の|日月《じつげつ》|輝《かがや》き|渡《わた》り、|幾十万《いくじふまん》の|星《ほし》は|燦然《さんぜん》としてお|寅《とら》の|身《み》を|包《つつ》むが|如《ごと》き|高尚《かうしやう》な|優美《いうび》な|清浄《せいじやう》な|崇大《すうだい》な|気分《きぶん》に|活《い》かされて|来《き》た。お|寅《とら》は|俄《にはか》に|法悦《ほふえつ》の|涙《なみだ》にむせ|返《かへ》り、|褥《しとね》をけつて|起上《おきあが》り、|口《くち》を|滌《すす》ぎ|手《て》を|洗《あら》ひ、|人《ひと》の|目《め》をさまさないやうと、|差足《さしあし》|抜足《ぬきあし》|神殿《しんでん》に|進《すす》んで|感謝《かんしや》|祈願《きぐわん》の|祝詞《のりと》を、|始《はじ》めて|心《こころ》の|底《そこ》より|嬉《うれ》しく|奏上《そうじやう》する|事《こと》を|得《え》た。|実《じつ》に|理解《りかい》と|悔悟《くわいご》の|力《ちから》|位《くらゐ》|結構《けつこう》なものはない。|其《その》|心霊《しんれい》を|永遠《ゑいゑん》に|生《い》かし、|其《その》|肉体《にくたい》をして|精力《せいりよく》|旺盛《わうせい》ならしむるものは、|実《じつ》に|真《しん》の|愛《あい》を|悟《さと》り、|真《しん》の|信仰《しんかう》に|進《すす》み、そして|真《しん》に|神《かみ》を|理解《りかい》し、|己《おの》れを|理解《りかい》するより|外《ほか》に|途《みち》はないものである。
あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
『|暴風《ばうふう》|一過《いつくわ》|忽《たちま》ちに |吾《わが》|身《み》を|包《つつ》みし|黒雲《くろくも》は
|拭《ぬぐ》ふが|如《ごと》く|晴《は》れ|渡《わた》り |五六七《みろく》の|神《かみ》の|御慈光《ごじくわう》に
|迷《まよ》ひ|切《き》つたる|魂《たましひ》も |瑠璃光《るりくわう》の|如《ごと》く|照《て》らされて
やつれ|果《は》てたる|身《み》も|魂《たま》も |俄《にはか》に|無限《むげん》の|神力《しんりき》を
|与《あた》へられたる|思《おも》ひなり |真如《しんによ》の|月《つき》は|村肝《むらきも》の
|心《こころ》の|空《そら》に|輝《かがや》きて |清光《せいくわう》|燦爛《さんらん》|身《み》を|包《つつ》む
|銀河《ぎんが》は|長《なが》く|横《よこ》たはり |東《ひがし》や|西《にし》や|北《きた》|南《みなみ》
|天津御空《あまつみそら》も|地《ち》の|底《そこ》も |只《ただ》|一点《いつてん》の|疑雲《ぎうん》なく
|地獄《ぢごく》は|化《くわ》して|天国《てんごく》の |至喜《しき》と|至楽《しらく》の|境域《きやうゐき》に
|楽《たの》しく|遊《あそ》ぶ|身《み》となりぬ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|人《ひと》の|身魂《みたま》は|皇神《すめかみ》の |広大無辺《くわうだいむへん》|至聖《しせい》|至貴《しき》
|清《きよ》きが|上《うへ》にも|清《きよ》らけき |大神霊《だいしんれい》の|分霊《わけみたま》
|吾《わが》|身一《みひと》つの|魂《たましひ》の |持《も》ちよに|依《よ》りて|世《よ》の|中《なか》は
|天国浄土《てんごくじやうど》となるもあり |地獄《ぢごく》|修羅道《しゆらだう》と|変《かは》るあり
|地上《ちじやう》の|小《ちひ》さき|慾望《よくばう》に |魂《たま》を|汚《けが》され|心《こころ》をば
|紊《みだ》しゐたりし|浅《あさ》ましさ |天国《てんごく》|浄土《じやうど》は|目《ま》のあたり
|而《しか》も|吾《わが》|身《み》の|胸《むね》の|内《うち》 |開《ひら》けありとは|知《し》らずして
|私利《しり》と|私慾《しよく》の|慾界《よくかい》に |漂《ただよ》ひ|苦《くる》しむ|世《よ》の|人《ひと》よ
|其《その》|境遇《きやうぐう》を|窺《うかが》へば げに|浅《あさ》ましの|至《いた》りなり
われ|先《ま》づ|神《かみ》に|救《すく》はれぬ |神《かみ》に|救《すく》はれ|天国《てんごく》の
|至喜《しき》と|至楽《しらく》を|味《あぢ》はひぬ あゝこれからはこれからは
|尊《たふと》き|神《かみ》の|仁徳《じんとく》に |報《むく》ゆる|為《ため》に|身《み》を|砕《くだ》き
|魂《みたま》を|捧《ささ》げて|道《みち》の|為《ため》 |世人《よびと》の|為《ため》に|何処《どこ》までも
|尽《つく》しまつらでおくべきか |情《なさけ》は|人《ひと》の|為《ため》ならず
|吾《わが》|身《み》を|救《すく》ふ|宝《たから》ぞと |悟《さと》りし|今日《けふ》の|嬉《うれ》しさよ
|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|大神《おほかみ》の |恩頼《みたまのふゆ》をかかぶりて
|地獄《ぢごく》と|修羅《しゆら》に|迷《まよ》ひたる われは|全《まつた》く|救《すく》はれぬ
|吾《わが》|身《み》を|地獄《ぢごく》におきながら |憂瀬《うきせ》におちて|苦《くるし》める
|世人《よびと》を|普《あまね》く|救《すく》はむと |思《おも》ひし|事《こと》の|愚《おろ》かさよ
|之《これ》を|思《おも》へば|蠑〓別《いもりわけ》 お|民《たみ》の|君《きみ》は|吾《わが》|為《ため》に
|心《こころ》の|門《もん》を|開《ひら》きたる |仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|救主《すくひぬし》
かく|宣《の》り|直《なほ》し|見直《みなほ》せば |天《あめ》が|下《した》には|敵《てき》もなく
|恨《うら》みもそねみも|消《き》え|失《う》せて さながら|神《かみ》の|心《こころ》しぬ
|思《おも》へば|思《おも》へば|有難《ありがた》き |吾《わが》|身《み》の|垢《あか》を|洗《あら》ひます
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|御恵《おんめぐ》み |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》が
|仁慈《じんじ》の|余光《よくわう》を|地《ち》になげて |暗《やみ》に|苦《くるし》む|人草《ひとぐさ》を
|救《すく》はせ|給《たま》ふ|御心《みこころ》を |今《いま》や|嬉《うれ》しく|悟《さと》りけり
|高姫司《たかひめつかさ》が|称《とな》へたる ウラナイ|教《けう》は|表向《おもてむ》き
|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|神様《かみさま》の |救《すく》ひの|言葉《ことば》と|聞《きこ》ゆれど
|表裏反覆《へうりはんぷく》|常《つね》ならず |忽《たちま》ち|天候《てんこう》|一変《いつぺん》し
|雷鳴《らいめい》ひらめき|暴風雨《ばうふうう》 |吹《ふ》き|来《く》る|如《ごと》き|恐怖心《きようふしん》
|起《おこ》させ|霊《たま》をよわらせて むりに|引込《ひきこ》む|横《よこ》しまの
|曲津《まがつ》の|教《をしへ》と|悟《さと》りたり |末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神《かみ》
|其《その》|妻《つま》|上義姫《じやうぎひめ》の|神《かみ》 リントウビテンや|木曽義姫《きそよしひめ》や
|生羽神社《いきばじんしや》や|岩照姫《いはてるひめ》や |五六七成就《みろくじやうじゆ》の|肉《にく》の|宮《みや》
|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》 |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|義理天上《ぎりてんじやう》
|玉則姫《たまのりひめ》や|地《ち》の|世界《せかい》 |日《ひ》の|丸姫《まるひめ》の|大御神《おほみかみ》
|大将軍《だいしやうぐん》や|常世姫《とこよひめ》 ヘグレのヘグレのヘグレムシヤ
ヘグレ|神社《じんしや》の|大御神《おほみかみ》 |種物神社《たねものじんしや》の|御夫婦神《ごふうふしん》
|大根本《だいこつぽん》の|神木《しんぼく》の |十六柱《じふろくはしら》の|霊《たま》の|神《かみ》
なぞと|怪《あや》しき|御教《みをしへ》を ひねり|出《いだ》して|愚《おろか》なる
|世人《よびと》を|欺《あざむ》く|曲言《まがこと》を |此上《こよ》なきものと|迷信《めいしん》し
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|村肝《むらきも》の |心《こころ》を|痛《いた》め|身《み》を|削《けづ》り
|心肉《しんにく》|共《とも》に|痩《や》せこけて |苦《くるし》みゐたる|地獄道《ぢごくだう》
|今《いま》から|思《おも》ひめぐらせば さも|恐《おそ》ろしくなりにけり
|天津御空《あまつみそら》の|日《ひ》は|歩《あゆ》み |月《つき》|行《ゆ》き|星《ほし》はうつろひて
|銀河《ぎんが》|流《なが》るる|地《ち》の|上《うへ》の |高天原《たかあまはら》に|住《す》みながら
|知《し》らず|知《し》らずに|根《ね》の|国《くに》や |底《そこ》の|国《くに》へと|陥落《かんらく》し
|日《ひ》に|夜《よ》に|修羅《しゆら》をもやしつつ |恋《こひ》と|慾《よく》とに|捉《とら》はれて
|苦《くるし》みゐたるぞ|果敢《はか》なけれ |悔悟《くわいご》の|涙《なみだ》はせきあへず
|滂沱《ばうだ》と|腮辺《しへん》に|流《なが》れおつ |無明《むみやう》の|暗《やみ》もあけ|放《はな》れ
|今日《けふ》は|歓喜《くわんき》の|涙雨《なみだあめ》 |腮辺《しへん》に|伝《つた》ふ|尊《たふと》さよ
あゝこの|涙《なみだ》この|涙《なみだ》 |世人《よびと》の|魂《たま》を|洗《あら》ひ|行《ゆ》く
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|露《つゆ》ならむ |乾《かわ》かであれよ|何時《いつ》までも
|流《なが》れ|流《なが》れて|河鹿川《かじかがは》 |清《きよ》き|水瀬《みなせ》の|何処《どこ》までも
|尽《つ》くることなく|暗黒《あんこく》の |海《うみ》に|沈《しづ》める|曲人《まがびと》の
|身魂《みたま》を|洗《あら》はせ|給《たま》へかし |神《かみ》は|汝《なんぢ》と|倶《とも》にあり
|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》 |神《かみ》に|等《ひと》しきものなりと
のらせ|給《たま》ひし|聖言《せいげん》は |仁慈《じんじ》の|光明《くわうみやう》に|照《て》らされて
|悔悟《くわいご》の|花《はな》の|開《ひら》きたる |吾《わが》|身《み》に|依《よ》りて|実現《じつげん》し
|証明《しようめい》されしものぞかし |曲《まが》に|汚《けが》れし|吾《わが》|身《み》をば
|自《みづか》ら|救《すく》ひよく|生《い》かし |栄《さか》えて|後《のち》に|世《よ》の|人《ひと》の
|霊《みたま》を|生《い》かし|救《すく》ひ|上《あ》げ |荘厳《さうごん》|無比《むひ》の|天国《てんごく》を
|普《あまね》く|地上《ちじやう》に|建設《けんせつ》し |国治立大御神《くにはるたちのおほみかみ》
|豊国主大御神《とよくにぬしのおほみかみ》 |神素盞嗚神柱《かむすさのをのかむばしら》
|其《その》|外《ほか》|百《もも》の|神《かみ》|等《たち》の |大御心《おほみこころ》を|体得《たいとく》し
いよいよ|進《すす》んで|宣伝《せんでん》し |神《かみ》の|氏子《うぢこ》を|助《たす》け|行《ゆ》く
|尊《たふと》き|司《つかさ》となさしめよ |今《いま》まで|暗《やみ》に|迷《まよ》ひたる
お|寅《とら》が|御前《みまへ》に|慎《つつし》みて |懺悔《ざんげ》し|感謝《かんしや》し|畏《かしこ》みて
|恩頼《みたまのふゆ》を|願《ね》ぎまつる あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
お|寅《とら》は|斯《か》くの|如《ごと》く|精神上《せいしんじやう》より|生《い》き|返《かへ》り、|天国《てんごく》に|復活《ふくくわつ》したる|心地《ここち》して、|入信《にふしん》|以来《いらい》|始《はじ》めて|愉快《ゆくわい》な|爽快《さうくわい》な|気分《きぶん》に|酔《よ》はされ、|感謝《かんしや》|祈願《きぐわん》の|祝詞《のりと》を|三五教《あななひけう》を|守《まも》り|給《たま》ふ|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|大神《おほかみ》の|御前《みまへ》に|奏上《そうじやう》し、|欣然《きんぜん》として|吾《わが》|居間《ゐま》に|帰《かへ》つて|来《き》た。|此《この》|時《とき》|夜《よ》はカラリと|明《あ》け|放《はな》れ、|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》を|飛《と》びかつて、|常世《とこよ》の|春《はる》を|祝《いは》ふ|百鳥《ももどり》の|声《こゑ》、|鵲《かささぎ》の|声《こゑ》、いつもよりはいと|爽《さはや》かに|頼《たの》もしく|聞《きこ》え|来《く》るのを|沁々《しみじみ》と|身《み》に|覚《おぼ》ゆるに|至《いた》つた。
(大正一一・一二・一六 旧一〇・二八 松村真澄録)
第一六章 |想曖《おもひあひ》〔一二二六〕
お|寅婆《とらばあ》さまは|小北山《こぎたやま》|開設《かいせつ》|以来《いらい》の|打《う》つて|変《かは》つた|活々《いきいき》とした|水々《みづみづ》しい|顔《かほ》をしながら、|身《み》も|軽々《かるがる》しく、|棕櫚箒《しゆろばうき》や|采払《さいはらひ》を|持《も》ちて、パタパタパタパタ、スースースーと|心《こころ》の|清潔法《せいけつはふ》をすませ、|室内《しつない》の|掃除《さうぢ》に|余念《よねん》なかつた。そこへ|寒《さむ》さうに|筒袖《つつそで》の|中《なか》へ|手《て》を|入《い》れて、フーフーと|冷《つめ》たい|空気《くうき》を|吹《ふ》きながらやつて|来《き》たのは|魔我彦《まがひこ》であつた。|殆《ほとん》ど|失望《しつばう》|落胆《らくたん》の|極《きよく》に|達《たつ》し、|地獄《ぢごく》の|底《そこ》から|捕手《とりて》の|出《で》て|来《き》たやうな、えも|言《い》はれぬ|淋《さび》しい|容貌《ようばう》を|曝《さら》け|出《だ》して|入《はい》つて|来《き》た。
お|寅《とら》『|魔我彦《まがひこ》さま、|一寸《ちよつと》|鏡《かがみ》を|見《み》て|御覧《ごらん》、お|前《まへ》の|顔《かほ》は|年《とし》の|若《わか》いにも|似《に》ず|八十爺《はちじふぢい》さまのやうな|萎《しな》びやうだよ。チツト|心《こころ》の|持方《もちかた》を|変《か》へなくちや|駄目《だめ》ですよ』
|魔我《まが》『|余《あま》り|馬鹿《ばか》らしくて、|世《よ》の|中《なか》が|淋《さび》しくなり、|何《なん》とはなしに|不平《ふへい》の|雲《くも》が|襲《おそ》つて|来《き》て、|地《ち》の|上《うへ》に|身《み》をおく|所《ところ》もない|様《やう》な|思《おも》ひが|致《いた》します。それにお|寅《とら》さま、|貴女《あなた》は|今日《けふ》に|限《かぎ》つて、|大変《たいへん》|水々《みづみづ》しい|愉快《ゆくわい》さうな|顔《かほ》をしてゐるぢやありませぬか。○○|博士《はかせ》の|若返《わかがへ》り|法《はふ》でも|研究《けんきう》なさつたのですか。|但《ただ》しはニコニコ|雑誌《ざつし》でも|耽読《たんどく》されたのですか。|大変《たいへん》な|変《かは》り|様《やう》ですワ』
『ニコニコ|雑誌《ざつし》や|若返《わかがへ》り|法《はふ》|位《ぐらゐ》で、さう|俄《にはか》に|元気《げんき》が|出《で》るものですか。そんな|人間《にんげん》の|頭脳《づなう》から|捻《ひね》り|出《だ》した|厄雑物《やくざもの》で、|何《ど》うしてこんな|愉快《ゆくわい》な|気分《きぶん》になれるものですか』
『それなら|何《ど》うすればよいのです。|何《なん》だかそこら|中《ぢう》がウヂウヂして|来《き》て、|冬《ふゆ》の|冷《つめ》たい|日《ひ》に|雪隠《せつちん》の|中《なか》へ|突《つ》つ|込《こ》まれたやうな、クソ|面白《おもしろ》くもない|空気《くうき》に|襲《おそ》はれて|仕方《しかた》がありませぬ』
『お|前《まへ》さまは|神様《かみさま》に|対《たい》して、|真《しん》の|理解《りかい》がないからだ。|神様《かみさま》さへ|理解《りかい》すれば、すぐに|私《わたし》のやうに、|地獄《ぢごく》は|忽《たちま》ち|化《くわ》して|天国《てんごく》の|境域《きやうゐき》に|進《すす》むことが|出来《でき》るのだよ』
『|神《かみ》を|理解《りかい》せよと|云《い》つたつて、|人間《にんげん》の|知慧《ちゑ》には|限《かぎ》りがあります。これだけウラナイの|尊《たふと》き|教《をしへ》を|信《しん》じ|神々様《かみがみさま》を|念《ねん》じながら、|狐《きつね》につままれて|馬鹿《ばか》を|見《み》せられるのだから、|私《わたし》は|神《かみ》の|存在《そんざい》を|疑《うたが》ひます』
『|神《かみ》の|存在《そんざい》を|認《みと》めず、|神《かみ》の|救《すく》ひを|忘《わす》れた|時《とき》は|心身《しんしん》|共《とも》に|衰耗廃絶《すゐもうはいぜつ》するものだ。そして|神《かみ》の|愛《あい》と|神《かみ》の|信《しん》とに|直接《ちよくせつ》|触《ふ》れ、|真《しん》に|理解《りかい》した|時《とき》は|忽《たちま》ち|歓喜《くわんき》の|夕立《ゆふだち》、|吾《わが》|全身《ぜんしん》を|浸《ひた》し、|霊肉《れいにく》|共《とも》に|不老不死的《ふらうふしてき》に|栄《さか》えるものだ。|併《しか》しながらヘグレ|神社《じんしや》や|種物神社《たねものじんしや》では|駄目《だめ》ですよ。お|前《まへ》さまもよい|加減《かげん》に、|義理天上日《ぎりてんじやうひ》の|出神《でのかみ》の|雅号《ががう》を|返上《へんじやう》しなさい、そして|一個《いつこ》の|罪人《つみびと》とおなりなさい。|卑《いや》しき|一個《いつこ》の|下僕《しもべ》となり、|乞食《こじき》の|靴《くつ》を|取《と》る|謙譲《けんじやう》の|徳《とく》を|心《こころ》の|畠《はたけ》に|培《つちか》ひ|養《やしな》ひさへすれば、|忽《たちま》ち|天国《てんごく》は|開《ひら》けますよ』
『それだと|云《い》つて、|今《いま》まで|一生懸命《いつしやうけんめい》に|信仰《しんかう》して|来《き》たユラリ|彦様《ひこさま》やヘグレ|神社《じんじや》、|種物《たねもの》|神社《じんじや》、|大門神社《おほもんじんしや》の|神々様《かみがみさま》を|捨《す》てる|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。さうクレクレと|此《この》|頃《ごろ》の|空《そら》の|様《やう》に|変《かは》つては、|誠《まこと》が|貫《つらぬ》けますまい』
『お|前《まへ》さまは|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》|様《さま》の|御仁慈《ごじんじ》を|有難《ありがた》く|思《おも》ひませぬか。|救世主《きうせいしゆ》だといふ|事《こと》が|理解《りかい》されませぬか』
『|何処迄《どこまで》も|私《わたし》は|信《しん》じられませぬ。お|寅《とら》さま、よく|考《かんが》へてごらん、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》を|信《しん》ずるのならば、|別《べつ》にウラナイ|教《けう》を|立《た》てたり、|小北山《こぎたやま》の|神殿《しんでん》を|造営《ざうえい》し、|一派《いつぱ》を|立《た》てる|必要《ひつえう》はないぢやありませぬか』
『そこが|改心《かいしん》といふものだ。|間違《まちが》つて|居《を》つたといふことが|分《わか》れば、|直様《すぐさま》|改《あらた》めるのが|人間《にんげん》の|務《つと》めだ。|何程《なにほど》|魔我彦《まがひこ》さまが|神力《しんりき》が|強《つよ》うても、|荒金《あらがね》の|土《つち》を|主管《しゆくわん》し|給《たま》ふ|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|御神徳《ごしんとく》に|比《くら》べては|大海《たいかい》の|一滴《いつてき》、どうして|比較《ひかく》になりませう。チツと|胸《むね》に|手《て》を|当《あ》てて|御考《おかんが》へなさい』
『お|寅《とら》さま、|貴女《あなた》はさう|生々《いきいき》として|元気《げんき》さうに|言《い》つてゐるのは、|要《えう》するに|三万両《さんまんりやう》のお|土産《みやげ》を|蠑〓別《いもりわけ》から|貰《もら》つたからだらう』
『エヽあた|汚《きたな》い、お|前《まへ》さまはそれだから|苦《くるし》むのだ。|吾《われ》と|吾《わが》|心《こころ》に|造《つく》つた|鬼《おに》に|責《せ》められてゐるのだよ。|物質的《ぶつしつてき》の|慾望《よくばう》なんか|物《もの》の|数《かず》でもありませぬワ。それよりも、モツトモツト|尊《たふと》い|宝《たから》が、そこら|中《ぢう》にブラついてゐることをお|悟《さと》りなさい。|夢《ゆめ》の|中《なか》で|貰《もら》つた|三万両《さんまんりやう》は、|物質的《ぶつしつてき》の|宝《たから》としては|使《つか》へばなくなるものだ。|仮令《たとへ》それが|現実《げんじつ》の|黄金《わうごん》にした|所《ところ》で、|一《ひと》つお|宮《みや》を|建《た》てたら、それで|仕舞《しまひ》ぢやないか。|何程《なにほど》|使《つか》つても|使《つか》ひ|切《き》れぬ、|使《つか》へば|使《つか》ふ|程《ほど》|殖《ふ》える|無限《むげん》の|宝《たから》がおちてゐるのだよ。それを|拾《ひろ》ふのが|神《かみ》を|信仰《しんかう》する|者《もの》の|余徳《よとく》だ。その|尊《たふと》い|神《かみ》の|御余光《ごよくわう》を|毎日《まいにち》|日日《ひにち》ふみつけてゐるのだから、|駄目《だめ》だよ。お|金《かね》で|譬《たと》へたら、|幾十万億両《いくじふまんおくりやう》とも|知《し》れぬお|宝《たから》を、|私《わたし》は|頂戴《ちやうだい》したのだ、つまり|世界一《せかいいち》の|富者《ふうしや》になつたのだ。それだから|此《この》|通《とほ》り|若《わか》やいで|活々《いきいき》としてゐるのだよ』
『お|寅《とら》さま、|世《よ》の|中《なか》に|阿呆《あはう》と|気違《きちがひ》|位《ぐらゐ》|幸福《かうふく》な|者《もの》はありませぬネ。お|前《まへ》さまは|夜前《やぜん》|狐《きつね》につままれて、|三万両《さんまんりやう》の|金《かね》を|貰《もら》つたのでせう。そして|蠑〓別《いもりわけ》さまとしつぽり|会《あ》つたのでせう。それから|二世《にせ》も|三世《さんぜ》もといふお|目出度《めでた》い|情約《じようやく》を|締結《ていけつ》し、|批准《ひじゆん》|交換《かうくわん》がすんだと|思《おも》つて|喜《よろこ》んでゐるのでせう。そんな|泡沫《はうまつ》に|等《ひと》しき|喜《よろこ》びは、|霧《きり》の|如《ごと》く|煙《けむり》の|如《ごと》く、|瞬《またた》く|間《うち》に|消滅《せうめつ》して|了《しま》ひますよ。|其《その》|時《とき》にアフンとせないやうになさいませや』
『お|前《まへ》も|狐《きつね》に|騙《だま》され、お|民《たみ》さまと|手《て》に|手《て》を|取《と》つて、|二十万両《にじふまんりやう》の|持参金《ぢさんきん》と|共《とも》に|小北山《こぎたやま》の|教祖《けうそ》になると|云《い》つて、|顎《あご》まで|外《はづ》して|居《を》つたぢやないか。なぜそんな|目《め》に|遇《あ》つたのか、|分《わか》つてゐますか』
『|三五教《あななひけう》の|曲津神《まがつかみ》が|善《ぜん》の|仮面《かめん》を|被《かぶ》り、|六人《ろくにん》もやつて|来《き》やがつて、いろいろと|奇怪《きくわい》な|事《こと》ばかり|致《いた》し|此《この》|聖場《せいぢやう》を|蹂躙《じうりん》せむとして|居《ゐ》るのですよ。|私《わたし》は|昨日《きのふ》の|事《こと》からスツカリ|目《め》が|覚《さ》めました。お|前《まへ》さまはまだ|年《とし》がよつて|居《ゐ》るので、|精神上《せいしんじやう》の|欠陥《けつかん》がヒドイと|見《み》えて、|依然《いぜん》として|狐《きつね》につままれ、|糞壺《くそつぼ》へ|投込《なげこ》まれて|結構《けつこう》な|温泉《をんせん》へ|入《はい》つたと|思《おも》ひ、|牛糞《うしぐそ》や|馬糞《うまぐそ》をつきつけられて|結構《けつこう》な|牡丹餅《ぼたもち》と|信《しん》じ、|瓦《かはら》かけを|持《も》たされて|三万両《さんまんりやう》の|黄金《わうごん》だと|思《おも》つてゐるのだから、|本当《ほんたう》にお|目出度《めでた》いものだ。|一層《いつそう》の|事《こと》、お|前《まへ》さまのやうに|無知識《むちしき》に|生《うま》れて|来《き》たら、|此《この》|世《よ》を|夢現《ゆめうつつ》で|喜《よろこ》んで|暮《くら》せるのだけれど、|何《なん》と|云《い》つても|知識《ちしき》の|光《ひかり》が|強《つよ》いものだから、お|前《まへ》さまのやうな|気《き》にはなれませぬワイ。|鑑別《かんべつ》だとか、|認識《にんしき》だとか、|肯定《こうてい》だとか、|否定《ひてい》だとか、いろいろの|什器《じふき》が|心《こころ》の|宝庫《はうこ》に|充実《じうじつ》してるのだから、|私《わたし》の|悲痛《ひつう》な|思《おも》ひは、|要《えう》するに|将来《しやうらい》の|歓喜《くわんき》の|源泉《げんせん》となるものだ。お|前《まへ》さまの|歓喜《くわんき》は、|丁度《ちやうど》|阿片煙草《あへんたばこ》に|熟睡《じゆくすい》して|世事《せじ》|万端《ばんたん》を|忘《わす》れ、|夢《ゆめ》の|世界《せかい》に|逍遥《せうえう》し|恍惚《くわうこつ》とし|霊肉《れいにく》を|蕩《とろ》かしてるやうなものだ。|丁度《ちやうど》|田螺《たにし》の|母親《ははおや》が、|自分《じぶん》の|生《う》んだ|沢山《たくさん》な|子《こ》に、|体《からだ》を|餌食《ゑじき》にされ、いつとはなしになめ|尽《つく》されて、|愉快《ゆくわい》な|気《き》になつてゐる|間《うち》に、|自分《じぶん》の|肉体《にくたい》をスツカリ|食《く》ひ|殺《ころ》されてる|様《やう》な|愉快《ゆくわい》さだ。コレ|寅《とら》さま、チツト|気《き》をつけないと|駄目《だめ》ですよ。|変性女子《へんじやうによし》の|悪御霊《あくみたま》が、|全力《ぜんりよく》をあげて|小北山《こぎたやま》を|滅亡《めつぼう》せしめむとして|千変万化《せんぺんばんくわ》の|画策《くわくさく》をめぐらしてゐるのだからなア。|灯台《とうだい》|下暗《もとくら》しと|云《い》ふからは、|中々《なかなか》|油断《ゆだん》がなりませぬぞ。お|前《まへ》さまがそんな|心《こころ》で、|何《ど》うして|此《この》|小北山《こぎたやま》の|本山《ほんざん》が|立《た》つて|行《ゆ》きますか。チツトしつかりして|貰《もら》はないと、|淋《さび》しくてたまらぬぢやありませぬか』
『あゝ|困《こま》つた|男《をとこ》だなア、これ|程《ほど》|言《い》つても|目《め》が|覚《さ》めぬのかなア』
『あゝ|困《こま》つた|婆《ば》アさまだなア、|何《なん》と|云《い》つても|思想《しさう》が|単純《たんじゆん》だから、|私《わたし》の|言《い》ふ|事《こと》が、|充分《じうぶん》|魂《みたま》に|沁《し》み|込《こ》まないと|見《み》えるワイ。|女子《ぢよし》と|小人《せうにん》は|養《やしな》ひ|難《がた》しとは、あゝよく|言《い》つたものだ』
『|本当《ほんたう》にお|前《まへ》と|私《わたし》と|斯《か》うして|寝食《しんしよく》を|共《とも》にし、|口《くち》の|中《なか》に|入《い》れたものでも|食《く》ひ|合《あ》ふやうにしてゐる|親《した》しい|近《ちか》い|仲《なか》でも、|心《こころ》は|千里《せんり》の|距離《きより》があるのだから、どうしても|容易《ようい》にバツが|合《あ》はないのだ。これ|魔我彦《まがひこ》さま、|一《ひと》つ|直日《なほひ》の|霊《みたま》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|省《かへり》みたら|何《ど》うだい』
『あゝ|寅《とら》さまは、たうとう|地獄《ぢごく》の|底《そこ》へ|落《お》ちて|了《しま》つたのだなア、|本当《ほんたう》に|可哀《かあい》さうだ。|世界《せかい》の|人民《じんみん》も|救《すく》うてやらねばならないが、|肝腎要《かんじんかなめ》のお|寅《とら》さまから|救《すく》ひ|助《たす》けておかねば、|到底《たうてい》|万民《ばんみん》を|助《たす》ける|事《こと》は|出来《でき》ない、|困《こま》つた|事《こと》になつて|来《き》たワイ』
『|魔我彦《まがひこ》さま、お|前《まへ》は|救《すく》はれてゐる|積《つもり》かい。|貴方《あなた》|御自身《ごじしん》が|真《まこと》の|神《かみ》の|愛《あい》にふれ、|真《まこと》の|信仰《しんかう》に|接《せつ》し、|真《しん》の|神《かみ》を|理解《りかい》することが|出来《でき》て、お|前《まへ》の|魂《みたま》も|肉体《にくたい》も|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|歓喜《くわんき》を|味《あぢ》はふ|事《こと》が|出来《でき》ましたか。それから|一《ひと》つ|聞《き》かして|貰《もら》ひたい』
『|始《はじめ》から|何事《なにごと》も|都合《つがふ》よく|行《ゆ》くものぢやない、|私《わたし》は|今《いま》|煩悶《はんもん》|苦悩《くなう》の|最中《さいちう》だよ。|本当《ほんたう》に|此《この》|世《よ》が|厭《いや》になることが|幾度《いくたび》あるか|知《し》れない。そこを|耐《こら》へ|忍《しの》んで|行《ゆ》きさへすれば、|所謂《いはゆる》|天国《てんごく》の|門《もん》が|開《ひら》かれるのだ。|人間《にんげん》は|悲境《ひきやう》のドン|底《ぞこ》に|沈《しづ》んだ|時《とき》に|於《おい》て|始《はじ》めて|幸《さいはひ》の|種《たね》を|蒔《ま》くものだ。|幸《さいはひ》の|時《とき》、|得意《とくい》|満面《まんめん》の|時《とき》に|却《かへ》つて|地獄《ぢごく》の|種《たね》を|蒔《ま》いてゐるのだ。お|前《まへ》は|曲神《まがかみ》に|誑惑《きやうわく》されて|地獄《ぢごく》に|落《お》ちながら、まだ|目《め》が|覚《さ》めないのだよ、|本当《ほんたう》に|可哀《かあい》さうなものだなア。|此《この》|魔我彦《まがひこ》は|今《いま》や|天国《てんごく》の|門《もん》を|開《ひら》かむとする|首途《かどで》にあるのだ。よい|後《あと》は|悪《わる》い、|悪《わる》い|後《あと》はよいと|云《い》つてなア、|今《いま》の|間《うち》に|苦《くるし》みをしておけば、|永遠無窮《ゑいゑんむきう》の|歓喜《くわんき》の|園《その》を|開《ひら》く|事《こと》になるのだ。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》……どうぞお|寅《とら》さまの|曇《くも》り|切《き》つた|魂《みたま》が|豁然《くわつぜん》として|開《ひら》けますやう、|魔我彦《まがひこ》がお|願《ねが》ひ|致《いた》します。ユラリ|彦《ひこ》の|大神様《おほかみさま》、|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|大神様《おほかみさま》……』
『コレ|魔我《まが》さま、ユラリ|彦《ひこ》さまも、ヘグレ|神社《じんじや》さまも、モウ|言《い》つておくれな、|私《わたし》は|本当《ほんたう》の|信仰《しんかう》を|握《にぎ》つたのだから。よく|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい。|人間《にんげん》は|永遠無窮《ゑいゑんむきう》に|生《い》き|通《とほ》しだよ。|僅《わづ》か|二百年《にひやくねん》や|三百年《さんびやくねん》の|肉体《にくたい》を|受得《じゆとく》する|為《ため》に|生《うま》れて|来《き》たのではない。|天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|於《おい》て|永遠無窮《ゑいゑんむきう》に|繁《しげ》り|栄《さか》え、|天国《てんごく》の|御用《ごよう》をする|為《ため》に|生《うま》れて|来《き》たのだ。|吾々《われわれ》の|意志《いし》も|観念《くわんねん》も|記憶《きおく》も|正《ただ》しい|知識《ちしき》も|一切《いつさい》|残《のこ》らず|高天原《たかあまはら》の|天国《てんごく》へ|此《この》|儘《まま》|留存《りうぞん》して|行《ゆ》くのだから、|現肉体《げんにくたい》のある|間《うち》に|歓喜《くわんき》の|雨《あめ》にぬれ、|此《この》|身《み》|此《この》|儘《まま》|天国《てんごく》の|住民《ぢゆうみん》となつておかねば、どうして|死後《しご》の|生涯《しやうがい》が|楽《たの》しく|送《おく》れませうか。|此《この》|世《よ》の|中《なか》は|神《かみ》の|造《つく》り|給《たま》うたものだから|悩《なや》み|苦《くるし》みなどのあるべき|筈《はず》がない。|豁然《くわつぜん》として|神《かみ》の|真《まこと》の|愛《あい》にふれ、|真《まこと》の|知慧《ちゑ》にふれ、|神様《かみさま》を|理解《りかい》する|事《こと》が|出来《でき》たならば、|此《この》|世《よ》|此《この》|儘《まま》|最上《さいじやう》|天国《てんごく》だよ。|悲痛《ひつう》な|思《おも》ひをしたり|些々《ささ》たる|慾望《よくばう》に|心《こころ》を|悩《なや》めてゐるのは、|所謂《いはゆる》|此《この》|世《よ》からなる|地獄道《ぢごくだう》に|陥没《かんぼつ》してゐるのだ。お|前《まへ》さまは|小智《せうち》|小慾《せうよく》が|勝《か》つてゐるから、|自《みづか》ら|造《つく》つた|地獄《ぢごく》へ|落《お》ち、|自《みづか》ら|築《きづ》いた|牢獄《らうごく》に|呻吟《しんぎん》してゐるのだ。|一日《いちにち》でも|此《この》|世《よ》に|於《おい》て|歓喜《くわんき》と|感謝《かんしや》の|生活《せいくわつ》を|続《つづ》け、|仮令《たとへ》|一息《ひといき》の|間《ま》も|悲観《ひくわん》などしちや|仁慈《じんじ》の|神様《かみさま》へ|対《たい》して|大変《たいへん》な|罪《つみ》になりますぞや。|人《ひと》は|心《こころ》の|持様《もちやう》|一《ひと》つだよ』
『それでも、|苦労《くらう》を|致《いた》せよ、|苦労《くらう》|致《いた》さねば|誠《まこと》の|花《はな》は|咲《さ》かぬぞよ……と|神様《かみさま》は|仰有《おつしや》るぢやありませぬか。|世《よ》の|為《ため》、|人《ひと》の|為《ため》、|道《みち》の|為《ため》に|苦《くるし》み|且《か》つ|世《よ》を|悲《かな》しむのは|最善《さいぜん》の|人事《じんじ》ぢやありませぬか。|吾《わが》|身《み》をすてて|万民《ばんみん》を|救《すく》ふといふ|事《こと》は|善事中《ぜんじちう》の|善事《ぜんじ》でせう。それだから|私《わたし》は|何《ど》うなつてもいい、|人《ひと》さへ|助《たす》かれば、それで|人間《にんげん》の|本分《ほんぶん》が|尽《つく》せるもの、|神様《かみさま》に|対《たい》して|忠実《ちうじつ》な|御奉公《ごほうこう》だと|確《かた》く|信《しん》じてゐるのだ』
『ホツホヽヽヽ、|何《なん》と|分《わか》らぬ|男《をとこ》だこと、どうにも|斯《か》うにも|助《たす》け|様《やう》がないワ。お|前《まへ》さま、|自分《じぶん》が|不幸《ふかう》|悲哀《ひあい》の|淵《ふち》に|沈《しづ》み、|涙《なみだ》の|生活《せいくわつ》を|送《おく》りながら、どうして|人《ひと》が|救《すく》へると|思《おも》つてゐますか、|先《ま》づ|自己《じこ》を|救《すく》ひ、|自己《じこ》を|了解《れうかい》した|上《うへ》で、|始《はじ》めて|世《よ》を|救《すく》ひ、|道《みち》を|伝《つた》ふる|完全《くわんぜん》な|神力《しんりき》が|備《そな》はるぢやありませぬか。よう|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい、ここに|一人《ひとり》の|川《かは》はまりがある。|今《いま》|已《すで》に|溺《おぼ》れ|死《し》せむとしてゐる|所《ところ》を|人《ひと》が|通《とほ》る、モシ|其《その》|人《ひと》が|盲《めくら》であつたならば、|救《すく》ひを|求《もと》むる|声《こゑ》は|聞《きこ》えても、|決《けつ》して|救《すく》ふ|事《こと》は|出来《でき》ますまい。|此《この》|時《とき》には|水泳《すゐえい》に|達《たつ》した|人《ひと》で、|体《からだ》の|壮健《さうけん》な、|目《め》の|見《み》える|人間《にんげん》でなければ、|其《その》|溺没者《できぼつしや》を|救《すく》ふといふ|事《こと》は|到底《たうてい》|不可能《ふかのう》でせう。それだからお|前《まへ》さまも、|先《ま》づ|自己《じこ》を|強《つよ》くし、|自己《じこ》を|照《てら》し、|自己《じこ》の|神力《しんりき》を|十二分《じふにぶん》に|受《う》けなくてはなりませぬ。|神力《しんりき》さへ|備《そな》はらば、|自然《しぜん》に|歓喜《くわんき》の|悦楽《えつらく》が|吾《わが》|身辺《しんぺん》を|襲《おそ》うて|来《く》るものだ。|私《わたし》も|夜前《やぜん》から|神《かみ》の|慈光《じくわう》に|照《てら》されて、|悲哀《ひあい》の|極《きよく》、|遂《つひ》に|歓楽境《くわんらくきやう》に|救《すく》はれたのだ。どうぞして、お|前《まへ》を|私《わたし》と|同《おな》じ|精神《せいしん》|状態《じやうたい》に|救《すく》うてやりたいのだが、|余《あま》り|距離《きより》があるので、|可哀《かあい》さうながら|救《すく》ふ|事《こと》が|出来《でき》ないのかな。|併《しか》し|乍《なが》ら|私《わたし》も|第一着手《だいいちちやくしゆ》としてお|前《まへ》を|救《すく》ふ|事《こと》が|出来《でき》ないやうで、|何《ど》うして|万民《ばんみん》を|救《すく》ふ|事《こと》が|出来《でき》よう。あゝ|私《わたし》は、|大変《たいへん》な|神様《かみさま》から|試験《しけん》をうけてるやうだ。|魔我彦峠《まがひこたうげ》を|突破《とつぱ》するのは|中々《なかなか》|容易《ようい》ぢやないワイ。あゝ|神様《かみさま》、あなたの|御慈光《ごじくわう》に|依《よ》つて、|私《わたし》に|誠《まこと》の|光《ひかり》と|誠《まこと》の|愛《あい》をお|与《あた》へ|下《くだ》さいまして、|魔我彦《まがひこ》が|心《こころ》に|潜《ひそ》む|曲《まが》を|照《てら》し、どうぞ|天国《てんごく》|浄土《じやうど》へ|霊肉《れいにく》|共《とも》に|導《みちび》かして|下《くだ》さいませ。|偏《ひとへ》に|神《かみ》の|御恩寵《ごおんちやう》を|御願《おねが》ひ|申上《まをしあ》げ|奉《たてまつ》ります』
『あゝあ、どうしても|駄目《だめ》だなア、|可哀《かあい》さうなものだ。|私《わたし》も|此《この》お|寅《とら》さまを|第一着手《だいいちちやくしゆ》として|救《すく》はなくちや|到底《たうてい》|万民《ばんみん》を|救《すく》ふ|事《こと》は|出来《でき》ぬであらう。どうぞユラリ|彦《ひこ》の|神様《かみさま》、ヘグレ|神社《じんじや》の|大神様《おほかみさま》、あなたの|栄光《えいくわう》と|権威《けんゐ》と|慈愛《じあい》とに|依《よ》りまして、|可憐《かれん》なるお|寅婆《とらば》アさま、|魔我彦《まがひこ》が|最《もつと》も|敬愛《けいあい》する|此《この》|老婦人《らうふじん》の|心《こころ》に|一道《いちだう》の|光明《くわうみやう》を|与《あた》へ|下《くだ》さいまして、あなたをよく|信《しん》じ、あなたを|理解《りかい》し、あなたの|愛《あい》を|徹底的《てつていてき》に|悟《さと》る|事《こと》が|出来《でき》ますやうに、|特別《とくべつ》の|御恩寵《ごおんちやう》を|此《この》|老婦人《らうふじん》の|上《うへ》に|垂《た》れさせ|給《たま》はむ|事《こと》を、|偏《ひとへ》に|希《こひねが》ひ|上《あ》げ|奉《たてまつ》ります。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神様《かみさま》、|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|大神様《おほかみさま》、|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫様《ひめさま》、|義理天上日《ぎりてんじやうひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》、|大広木正宗様《おほひろきまさむねさま》、|大将軍様《だいしやうぐんさま》、|常世姫《とこよひめ》|様《さま》、|偏《ひとへ》にお|願《ねが》ひ|申上《まをしあ》げ|奉《たてまつ》ります』
『コレ|魔我彦《まがひこ》さま、モウ|其《その》|神名《しんめい》は|私《わたし》の|前《まへ》で|言《い》つて|下《くだ》さるなといふに、|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|人《ひと》だなア、どしても|目《め》が|覚《さ》めぬのかいなア、あゝ|何《ど》うしたらよからうぞ、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》|様《さま》……』
『あゝ|何《ど》うしたら、お|寅《とら》さまの|迷《まよ》ひを|解《と》く|事《こと》が|出来《でき》るだらう、あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
(大正一一・一二・一六 旧一〇・二八 松村真澄録)
第一七章 |惟神《かむながら》の|道《みち》〔一二二七〕
お|寅婆《とらば》アさまと|魔我彦《まがひこ》は|互《たがひ》に|顔《かほ》を|見合《みあは》せ、|友《とも》の|一刻《いつこく》も|早《はや》く|善道《ぜんだう》を|悟《さと》り、|忠実《ちうじつ》なる|神《かみ》の|下僕《しもべ》となり、|且《か》つ|神《かみ》の|代表者《だいへうしや》、|生宮《いきみや》たる|実《じつ》を|挙《あ》げしめむと、|互《たがひ》に|親切《しんせつ》にほだされて|暫《しば》しが|間《あひだ》|黙然《もくねん》として|顔色《かほいろ》ばかりを|見《み》つめてゐる。|一方《いつぱう》は|老人《らうじん》にも|似合《にあ》はず|十七八《じふしちはち》の|娘《むすめ》のやうな|色《いろ》つやを|浮《うか》べ、ぽつてりと|太《ふと》り、|活々《いきいき》としてゐるに|引替《ひきか》へ、|一方《いつぱう》は|冬《ふゆ》の|木《こ》の|葉《は》が|凩《こがらし》に|叩《たた》き|落《おと》され、|雪《ゆき》に|慄《ふる》へて、えもいはれぬ|淋《さび》しみを|感《かん》じた|様《やう》な|悄然《せうぜん》たる|面《おもて》を|向《む》けてゐる。|恰《あだか》も|枯木寒岩《こぼくかんがん》に|倚《よ》る|三冬暖気《さんとうだんき》なしといつたやうな、|熱《ねつ》のあせた|冷《ひや》やかい|気分《きぶん》に|包《つつ》まれてゐる。|昨日《きのふ》まで|煩悶《はんもん》|苦悩《くなう》の|淵《ふち》に|沈《しづ》み、|下《くだ》らぬ|情慾《じやうよく》に|捉《とら》はれ、|且《かつ》|黄金《わうごん》に|眼《まなこ》をくらましてゐたお|寅婆《とらば》アさまは、|神《かみ》の|仁慈《じんじ》に|照《てら》されて、|恰《あだか》も|無碍光如来《むげくわうによらい》の|様《やう》な|霊肉《れいにく》に|変《へん》じ、|否《いな》|向上《かうじやう》し、|一方《いつぱう》|魔我彦《まがひこ》は|悲歎《ひたん》の|淵《ふち》に|沈《しづ》み、|万劫末代《まんごふまつだい》|浮《うか》ぶ|瀬《せ》のない|八寒地獄《はちかんぢごく》の|飢《うゑ》と|寒《さむ》さに|泣《な》く|亡者《まうじや》の|様《やう》な|容貌《ようばう》をさらし、|不安《ふあん》と|不平《ふへい》の|妖雲《えううん》に|包《つつ》まれ、|頬《ほほ》は|痩《や》せこけ、|皺《しわ》は|網《あみ》の|目《め》の|如《ごと》く、|顔色《がんしよく》|青白《あをじろ》く、|唇《くちびる》は|紫色《むらさきいろ》に|変《へん》じ、|言葉《ことば》さへもどことなく|力《ちから》|失《う》せピリピリと|慄《ふる》ひ|戦《をのの》いてゐる。|実《じつ》に|信仰《しんかう》の|光《ひかり》といふものは|恐《おそろ》しいものである。|同《おな》じ|山《やま》の|頂《いただき》に|降《ふ》る|雨《あめ》も、|両半滴《りやうはんてき》の|降《ふ》る|場所《ばしよ》に|依《よ》つて、|或《あるひ》は|東《ひがし》に|落《お》ち|或《あるひ》は|西《にし》に|落《お》ち、|南《みなみ》に|北《きた》に|別《わか》れて|落《お》ち|流《なが》るる|如《ごと》く、|鵜《う》の|毛《け》の|端《はし》|程《ほど》|違《ちが》つても|大変《たいへん》な|距離《きより》の|出来《でき》るものである。|此《この》|両人《りやうにん》は|恰《あだか》も|峠《たうげ》の|上《うへ》に|降《ふ》つた|雨《あめ》であつた。|如何《どう》してもお|寅婆《とらば》アさまの|雨《あめ》は|旭《あさひ》に|向《むか》つて|流《なが》れねばならなくなつてゐた。|魔我彦《まがひこ》の|雨《あめ》はどうしても|夕日《ゆふひ》の|方《はう》に|向《むか》つて|流《なが》れ|落《お》ちねばならない|境遇《きやうぐう》になつてゐた。|善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|分水嶺上《ぶんすゐれいじやう》に|降《ふ》る|雨《あめ》は、|如何《どう》しても|天《てん》から|降《ふ》らねばならぬ、|決《けつ》して|人間《にんげん》の|身体《からだ》から|雨《あめ》は|降《ふ》るものでない。|茲《ここ》に|悟《さと》ると|悟《さと》らざるとの|区別《くべつ》がついて|来《く》るのである。お|寅婆《とらば》アさまは|恵《めぐみ》の|雨《あめ》は|天《てん》より|降《ふ》るものだといふことを|自覚《じかく》した。そして|魔我彦《まがひこ》は、|自分《じぶん》の|知慧《ちゑ》や|力《ちから》や|考察力《かうさつりよく》や|苦労《くらう》の|結果《けつくわ》で、|自分《じぶん》の|身体《からだ》から|自由自在《じいうじざい》に|雨《あめ》を|降《ふ》らし|得《う》るものと|考《かんが》へてゐた。ここに|惟神《かむながら》と|人《ひと》ながらの|区別《くべつ》のつく|所以《ゆゑん》である。|如何《いか》なる|聖人《せいじん》|君子《くんし》|智者《ちしや》|勇者《ゆうしや》と|雖《いへど》も、|天《てん》の|御恵《みめぐみ》なくしては、|到底《たうてい》|救《すく》はるることは|出来《でき》ない。|広大無辺《くわうだいむへん》の|天然力《てんねんりよく》|即《すなは》ち|神《かみ》の|御威光《ごゐくわう》によらなくては、|地上《ちじやう》|一切《いつさい》の|事《こと》は|何一《なにひと》つ|思《おも》ひの|儘《まま》に|出来《でき》るものでない。|吾《わが》|頭《あたま》に|生《は》えた|髪《かみ》の|毛《け》|一筋《ひとすぢ》だも、|或《あるひ》は|黒《くろ》くし、|或《あるひ》は|白《しろ》くし|得《う》る|力《ちから》のない|人間《にんげん》だ。|此《この》|真理《しんり》を|理解《りかい》して|始《はじ》めて|宇宙《うちう》の|真相《しんさう》が|悟《さと》り|得《う》るのである。これが|所謂《いはゆる》|惟神《かむながら》であり、|魔我彦《まがひこ》が|最善《さいぜん》と|思惟《しゐ》して|採《と》つたやり|方《かた》は|即《すなは》ち|人《ひと》ながらであつて、|神《かみ》の|御目《おんめ》より|見給《みたま》ふ|時《とき》は|慢心《まんしん》といふことになるのである。
|要《えう》するに|真《しん》の|惟神的《かむながらてき》|精神《せいしん》を|理解《りかい》とも|言《い》ひ|又《また》は|改心《かいしん》とも|言《い》ふ。|仮令《たとへ》|人《にん》の|前《まへ》にて|吾《わが》|力量《りきりやう》を|誇《ほこ》り、|吾《わが》|知識《ちしき》を|輝《かがや》かし、|吾《わが》|美《び》を|現《あら》はすとも、|偉大《ゐだい》なる|神《かみ》の|御目《おんめ》より|見給《みたま》ふ|時《とき》は|実《じつ》に|馬鹿《ばか》らしく|見《み》えるものである。|否《いな》|却《かへつ》て|暗《くら》く|汚《けが》らはしく、|悪臭《あくしう》|紛々《ふんぷん》として|清浄《せいじやう》|無垢《むく》の|天地《てんち》を|包《つつ》むものである。|故《ゆゑ》に|神《かみ》は|謙譲《けんじやう》の|徳《とく》を|以《もつ》て、|第一《だいいち》の|道徳律《だうとくりつ》と|定《さだ》め|給《たま》ふ。|人間《にんげん》の|謙譲《けんじやう》と|称《しよう》するものは|其《その》|実《じつ》|表面《へうめん》のみの|虚飾《きよしよく》であつて、|所謂《いはゆる》|偽善《ぎぜん》の|骨頂《こつちやう》である。|虚礼《きよれい》|虚儀《きよぎ》の|生活《せいくわつ》を|送《おく》る|者《もの》を|称《しよう》して、|人間《にんげん》|社会《しやくわい》にては|聖人君子《せいじんくんし》と|持《も》て|囃《はや》されるのだからたまらない。かかる|聖人君子《せいじんくんし》の|行《ゆ》くべき|永住所《えいぢうしよ》は、|概《がい》して|天《あめ》の|八衢《やちまた》であることは|申《まを》すまでもない。
|人間《にんげん》が|此《この》|世《よ》に|生《うま》れ|来《きた》り、|美醜《びしう》、|強弱《きやうじやく》、|貧富《ひんぷ》、|貴賤《きせん》の|区別《くべつ》がつくのも|決《けつ》して|人間業《にんげんわざ》でない。|何《いづ》れも|皆《みな》|惟神《かむながら》の|依《よ》さしの|儘《まま》に、それ|相応《さうおう》の|霊徳《れいとく》をもつて|地上《ちじやう》に|蒔《ま》きつけられたものである。|富《と》める|者《もの》は|何処《どこ》までも|富《と》み、|貧《まづ》しき|者《もの》は|何処《どこ》までも|貧《まづ》しいのは|其《その》|霊《れい》の|内分的《ないぶんてき》|関係《くわんけい》から|来《く》るものであつて、|決《けつ》して|外分的《ぐわいぶんてき》|関係《くわんけい》より|作《つく》り|出《いだ》されるものでない。|貧《まづ》しき|霊《みたま》の|人間《にんげん》が|現界《げんかい》に|活動《くわつどう》し、|巨万《きよまん》の|富《とみ》を|積《つ》み、|金殿玉楼《きんでんぎよくろう》に|安臥《あんぐわ》し、|富貴《ふうき》を|一世《いつせい》に|誇《ほこ》ると|雖《いへど》も、|依然《いぜん》として|其《その》|霊《れい》と|肉《にく》とは|貧《まづ》しき|境遇《きやうぐう》を|脱《だつ》する|事《こと》は|出来《でき》ない。|丁度《ちやうど》|如何《いか》に|醜婦《しうふ》が|絶世《ぜつせい》の|美人《びじん》の|容貌《ようばう》にならむと、|紅白粉《べにおしろい》を|施《ほどこ》し、|美《うる》はしき|衣服《いふく》を|装《よそほ》ひ、あらむ|限《かぎ》りの|人力《じんりよく》を|尽《つく》すと|雖《いへど》も、|醜女《しうじよ》は|依然《いぜん》として|醜女《しうぢよ》たるの|域《ゐき》を|脱《だつ》せざると|同一《どういつ》である。|鼻《はな》の|低《ひく》い|者《もの》は|如何《いか》に|隆鼻術《りうびじゆつ》を|施《ほどこ》すとも、|美顔術《びがんじゆつ》を|施《ほどこ》すとも、|到底《たうてい》|駄目《だめ》に|了《をは》る|如《ごと》く、|貧者《ひんじや》は|何処《どこ》までも|貧者《ひんじや》である。|凡《すべ》て|貧富《ひんぷ》の|二者《にしや》は|物質的《ぶつしつてき》のみに|局限《きよくげん》されたものでない。|真《しん》に|富《と》める|人《ひと》は|一箪《いつたん》の|食《しよく》、|一瓢《いつぺう》の|飲《いん》を|以《もつ》て、|天地《てんち》の|恵《めぐみ》を|楽《たのし》み、|綽々《しやくしやく》として|余裕《よゆう》を|存《ぞん》し、|天空海濶《てんくうかいくわつ》たる|気分《きぶん》に|漂《ただよ》ふ。|如何《いか》に|巨万《きよまん》の|財宝《ざいほう》を|積《つ》むとも、|神《かみ》より|見《み》て|貧《まづ》しき|者《もの》は、その|心《こころ》|平《たひら》かならず|豊《ゆたか》ならず、|常《つね》に|窮乏《きうばふ》を|告《つ》げて|慾《よく》の|上《うへ》にも|慾《よく》を|渇《かわ》き、|一時《いちじ》たりとも|安心立命《あんしんりつめい》することが|出来《でき》ない。|金《かね》の|番人《ばんにん》、|守銭奴《しゆせんど》たるの|域《ゐき》に|齷齪《あくせく》として|迷《まよ》ふのみである。|又《また》|天稟《てんぴん》の|美人《びじん》は|美人《びじん》としての|惟神的《かむながらてき》|特性《とくせい》が|備《そな》はつてゐるのである。|美人《びじん》として|慎《つつし》むべき|徳《とく》は、|吾《われ》|以外《いぐわい》の|醜婦《しうふ》に|対《たい》し、なるべく|美《び》ならざるやう、|艶《えん》ならざるやう|努《つと》むるを|以《もつ》て|道徳的《だうとくてき》の|根本律《こつぽんりつ》としてゐるのは、|惟神《かむながら》の|真理《しんり》を|悟《さと》らざる|世迷言《よまひごと》である。|美人《びじん》は|益々《ますます》|装《よそほ》ひを|尽《つく》せば、ますます|其《その》|美《び》を|増《ま》し、|神《かみ》|又《また》は|人《ひと》をして|喜悦渇仰《きえつかつがう》の|念《ねん》を|沸《わ》かさしむるものである。|之《これ》が|即《すなは》ち|美人《びじん》として|生《うま》れ|来《きた》りし|自然《しぜん》の|特性《とくせい》である。これを|十二分《じふにぶん》に|発揮《はつき》するのが|惟神《かむながら》の|真理《しんり》である。|又《また》|醜婦《しうふ》は|決《けつ》して|美人《びじん》を|妬《ねた》みそねまず、|自分《じぶん》の|醜《しう》をなるべく|装《よそほ》ひ、|人《ひと》に|不快《ふくわい》の|念《ねん》を|起《おこ》さしめず、|且《かつ》|又《また》|美人《びじん》に|対《たい》して|尊敬《そんけい》の|念《ねん》を|払《はら》ふのが|醜婦《しうふ》としての|道徳《だうとく》である。
|富者《ふうじや》となり|貧者《ひんじや》となり、|貴人《きじん》となり|賤民《せんみん》となり、|美人《びじん》となり|醜婦《しうふ》となり、|智者《ちしや》となり|愚者《ぐしや》と|生《うま》れ|来《きた》るも、|皆《みな》|宿世《すぐせ》の|自《みづか》ら|生《う》み|出《いだ》したる|因果律《いんぐわりつ》に|依《よ》つて|来《く》るものなれば、|各自《めいめい》に|其《その》|最善《さいぜん》を|尽《つく》し、|賤民《せんみん》は|賤民《せんみん》としての|本分《ほんぶん》を|守《まも》り、|貴人《きじん》は|貴人《きじん》としての|徳能《とくのう》を|発揮《はつき》し、|富者《ふうじや》は|富者《ふうじや》としての|徳《とく》を|現《あら》はし、|貧者《ひんじや》は|貧者《ひんじや》としての|本分《ほんぶん》を|守《まも》るのが|天地《てんち》|惟神《かむながら》の|大道《だいだう》である。|斯《かく》の|如《ごと》く|上下《しやうか》の|万民《ばんみん》が|一致的《いつちてき》に|其《その》|本分《ほんぶん》を|守《まも》るに|於《おい》ては、|神示《しんじ》に|所謂《いはゆる》|桝《ます》かけ|引《ひ》きならして、|運否《うんぷ》のなき|五六七《みろく》の|世《よ》が|現出《げんしゆつ》したのである。|瑞月《ずゐげつ》が|斯《かく》の|如《ごと》き|説《せつ》をなす|時《とき》は、|頑迷固陋《ぐわんめいころう》の|倫理《りんり》|学者《がくしや》、|道徳《だうとく》|学者《がくしや》は、|必《かなら》ず|異端邪説《いたんじやせつ》として|排斥《はいせき》するであらう。|併《しか》し|乍《なが》ら|天地《てんち》の|真理《しんり》の|惟神《かむながら》の|大道《だいだう》たる|以上《いじやう》は、|如何《いかん》ともすることが|出来《でき》ない。|五六七仁慈《みろくじんじ》の|大神《おほかみ》の|心《こころ》の|儘《まま》に|説示《せつじ》しておく|次第《しだい》である。
あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・一二・一六 旧一〇・二八 松村真澄録)
第一八章 エンゼル〔一二二八〕
お|寅《とら》、|魔我彦《まがひこ》|両人《りやうにん》が、|犬《いぬ》と|猫《ねこ》とが|互《たがひ》に|隙《すき》を|窺《うかが》ひ、|虚々実々《きよきよじつじつ》|論戦《ろんせん》に|火花《ひばな》を|散《ち》らし、|仁義《じんぎ》の|争《あらそ》ひ、|最《もつと》も|酣《たけなは》なる|所《ところ》へ、エンゼルの|如《ごと》き|美人《びじん》が|降《くだ》つて|来《き》た。これは|言《い》ふまでもなくお|千代《ちよ》であつた。お|千代《ちよ》は|足早《あしばや》に|二人《ふたり》の|前《まへ》にかけ|上《あが》り、|双手《もろて》を|組《く》み、ウンと|一声《ひとこゑ》、|三尺《さんじやく》ばかり|空中《くうちう》に|飛上《とびあが》り、キチンと|二人《ふたり》の|前《まへ》に|端坐《たんざ》した。お|寅《とら》も|魔我彦《まがひこ》も、|威厳《ゐげん》|備《そな》はり|何《なん》となく|優美《いうび》なる|乙女《をとめ》の|姿《すがた》に、|思《おも》はず|知《し》らず|頭《かしら》を|下《さ》げ、|両手《りやうて》をついて|畏《かしこ》まつた。
|千代《ちよ》『われこそはユラリ|彦命《ひこのみこと》なり。|汝等《なんぢら》|両人《りやうにん》、|小北山《こぎたやま》の|祭神《さいじん》の|善悪正邪《ぜんあくせいじや》に|就《つ》いて|論戦《ろんせん》|稍《やや》|久《ひさ》しきを|知《し》り、|天極紫微宮《てんきよくしびきう》より|降臨《かうりん》し、|汝《なんぢ》|両人《りやうにん》が|迷夢《めいむ》を|醒《さ》まさむとす、|謹聴《きんちやう》あれよ』
とおごそかに|宣示《せんじ》した。お|寅《とら》は|意外《いぐわい》の|感《かん》に|打《う》たれ、|実否《じつぴ》|如何《いかん》と、|神勅《しんちよく》の|裁断《さいだん》を|待《ま》つてゐる。|魔我彦《まがひこ》は|心《こころ》の|中《うち》にて……それお|寅《とら》さま、|御覧《ごらん》なさい、ヤツパリ|私《わたし》の|信仰《しんかう》するユラリ|彦命《ひこのみこと》さまは|誠《まこと》の|神《かみ》だろ、|此《この》エンゼルの|降臨《かうりん》に|依《よ》つて、|一切《いつさい》の|迷夢《めいむ》を|醒《さ》ましなされ……と|口《くち》には|言《い》はねど、|心《こころ》の|中《うち》に|期待《きたい》してゐる。
|魔我《まが》『これはこれはユラリ|彦様《ひこさま》、よくマア|御降臨《ごかうりん》|下《くだ》さいました。|実《じつ》の|所《ところ》はお|寅《とら》さまと、|神様《かみさま》の|御事《おんこと》や|信仰上《しんかうじやう》の|点《てん》に|就《つい》て|衝突《しようとつ》を|来《きた》し、|互《たがひ》に|論戦《ろんせん》をしてゐた|所《ところ》で|厶《ござ》います。どうぞ|明晰《めいせき》なる|御宣示《ごせんじ》を|願《ねが》ひたう|厶《ござ》います』
|天使《てんし》『|魔我彦《まがひこ》、|汝《なんぢ》の|苦悶《くもん》をはらすべく|降臨《かうりん》せしものなれば、|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》はいらぬ、|何事《なにごと》でも|質問《しつもん》をなされよ』
『|然《しか》らばお|言葉《ことば》に|甘《あま》へてお|尋《たづ》ね|致《いた》しますが、|此《この》|小北山《こぎたやま》にお|祀《まつ》りしてある|神様《かみさま》は|有名無実《いうめいむじつ》だとお|寅《とら》さまが|申《まを》しますが、|実際《じつさい》は|如何《いかが》で|厶《ござ》いませうか。ある|神《かみ》ならばあると|仰有《おつしや》つて|頂《いただ》きたい。なき|神《かみ》ならば、ないと|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さらば、それにて|私《わたし》は|去就《きよしう》を|決《けつ》します』
『|此《この》|小北山《こぎたやま》に|祀《まつ》られたる|大小《だいせう》|無数《むすう》の|神霊《しんれい》は、|宇宙《うちう》に|存在《そんざい》せるは|確《たしか》なる|事実《じじつ》である。|生羽神社《いきばじんしや》の|大神《おほかみ》、リンドウビテンの|大神《おほかみ》、|五六七成就《みろくじやうじゆ》の|神《かみ》、|木曽義姫《きそよしひめ》の|大神《おほかみ》、|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》の|大神《おほかみ》、|地《ち》の|世界《せかい》の|大神《おほかみ》、|日《ひ》の|丸姫《まるひめ》の|大神《おほかみ》、|義理天上日《ぎりてんじやうひ》の|出神《でのかみ》、|玉則姫《たまのりひめ》、|大将軍《だいしやうぐん》、|常世姫《とこよひめ》、ヘグレ|神社《じんしや》の|大神《おほかみ》、|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|大神《おほかみ》、|上義姫《じやうぎひめ》の|大神《おほかみ》、|其《その》|他《ほか》いろいろ|雑多《ざつた》の|祭神《さいじん》は、|確《たしか》に|存在《そんざい》する|神《かみ》なることは|証明《しようめい》しておくぞよ』
|魔我彦《まがひこ》は|狂喜《きやうき》しながら、お|寅《とら》の|方《はう》を|打見《うちみ》やり、したり|顔《がほ》にて、
『コレお|寅《とら》さま、|如何《どう》でげす、ヤツパリ|私《わたし》の|考《かんが》へは|違《ちが》ひますかな』
と|稍《やや》|得意《とくい》の|面《おもて》をさらしてみせる。
お|寅《とら》『そりや|祀《まつ》つてある|以上《いじやう》は|神霊《しんれい》はなけねばなりませぬ』
|魔我《まが》『それ|御覧《ごらん》なさい、それなら|朝夕《あさゆふ》|御給仕《おきふじ》をしても|差支《さしつかへ》はないぢやありませぬか』
|天使《てんし》『|神《かみ》といへば|皆斉《みなひと》しくや|思《おも》ふらむ
|鳥《とり》なるもあり|虫《むし》なるもあり。
よき|神《かみ》も|曲《まが》れる|神《かみ》もおしなべて
|神《かみ》と|言《い》ふなり|天地《あめつち》の|間《うち》は』
お|寅《とら》『どうも|有難《ありがた》う|厶《ござ》いました。コレ|魔我彦《まがひこ》さま、|神様《かみさま》には|違《ちが》ひないが、|神《かみ》の|中《なか》にも|百八十一《ひやくはちじふいち》の|階段《かいだん》があるのだから、そこを|考《かんが》へねばなりますまいぞや』
|魔我《まが》『エンゼル|様《さま》に|重《かさ》ねてお|尋《たづ》ね|致《いた》します。|小北山《こぎたやま》に|祀《まつ》られたる|神々様《かみがみさま》は、|上《うへ》は|第一天国《だいいちてんごく》より、|地《ち》の|世界《せかい》を|御守護《ごしゆご》|遊《あそ》ばす|主《しゆ》なる|神様《かみさま》と|聞《き》きましたが、それに|間違《まちが》ひ|御座《ござ》りますまいなア』
|天使《てんし》『|小北山《こぎたやま》|宮居《みやゐ》は|数多《あまた》|建《た》ちぬれど
まつれる|神《かみ》は|八衢《やちまた》にます。
|八衢《やちまた》にさまよふ|神《かみ》はまだおろか
|根底《ねそこ》の|国《くに》の|醜神《しこがみ》にます。
さりながら|人《ひと》は|天地《てんち》の|司《つかさ》なれば
|汚《けが》れし|神《かみ》を|救《すく》ふも|宜《う》べよ。
|世《よ》を|守《まも》り|人《ひと》の|身魂《みたま》を|守《まも》るてふ
|誠《まこと》の|神《かみ》は|此《この》|神《かみ》ならず。
|此《この》|神《かみ》は|罪《つみ》や|汚《けが》れを|犯《をか》したる
|曲《まが》の|霊《みたま》をいつきしものぞ。
|拝《をが》むより|救《すく》うてやれよ|小北山《こぎたやま》
まつれる|神《かみ》の|身《み》を|憐《あは》れみて。
われこそはユラリの|彦《ひこ》と|宣《の》りつれど
|只《ただ》|魔我彦《まがひこ》を|救《すく》はむがため。
ユラリ|彦《ひこ》|神《かみ》とふ|神《かみ》は|常世国《とこよくに》
ロツキー|山《ざん》に|蟠《わだか》まる|曲《まが》。
|松彦《まつひこ》をユラリの|彦《ひこ》と|尊《たふと》みて
|敬《うやま》ひ|仕《つか》ふる|人《ひと》の|愚《おろ》かさ。
|松彦《まつひこ》も|其《その》|真相《しんさう》は|悟《さと》れども
|汝《なれ》|救《すく》はむとしばし|忍《しの》びつ。
|松姫《まつひめ》も|上義《じやうぎ》の|姫《ひめ》は|曲神《まがかみ》と
|云《い》ふ|事《こと》|知《し》らぬ|生宮《いきみや》でなし。
さりながら|迷《まよ》へる|人《ひと》を|救《すく》ふべく
あらぬ|御名《みな》をば|忍《しの》びゐる|哉《かな》』
|魔我《まが》『これはしたり|世人《よびと》を|救《すく》ふ|神々《かみがみ》と
|思《おも》ひし|事《こと》の|仇《あだ》となりしか。
|訳《わけ》もなき|神《かみ》を|山々《やまやま》いつかひて
|世《よ》を|迷《まよ》はせし|事《こと》の|悔《くや》しさ。
|今《いま》よりは|心《こころ》の|駒《こま》を|立《た》て|直《なほ》し
|皇大神《すめおほかみ》の|道《みち》に|仕《つか》へむ』
お|寅《とら》『エンゼルの|厳《いづ》の|言霊《ことたま》|輝《かがや》きて
|魔我彦《まがひこ》の|暗《やみ》を|照《て》らし|給《たま》ひぬ。
|有難《ありがた》し|心《こころ》にかかる|村雲《むらくも》を
|払《はら》ひ|給《たま》ひし|神《かみ》ぞ|嬉《うれ》しき。
|魔我彦《まがひこ》もさぞ|今《いま》よりは|村肝《むらきも》の
|心《こころ》の|空《そら》に|月《つき》を|仰《あふ》がむ』
|魔我《まが》『|久方《ひさかた》の|心《こころ》の|空《そら》も|晴《は》れにけり
|神《かみ》の|使《つか》ひのエンゼルの|声《こゑ》に』
お|寅《とら》『|吾《わが》|言葉《ことば》|聞《き》き|入《い》れざりし|魔我彦《まがひこ》も
|神《かみ》の|使《つか》ひにまつろふ|嬉《うれ》しさ。
|身《み》に|魂《たま》に|光《ひかり》の|足《た》らぬ|吾《われ》なれば
|魔我彦司《まがひこつかさ》を|救《すく》ひかねつつ。
|有難《ありがた》き|神《かみ》の|使《つかひ》の|下《くだ》りまし
|照《て》らし|給《たま》ひぬ|二人《ふたり》の|胸《むね》を』
|天使《てんし》『|相生《あひおひ》の|松《まつ》より|生《あ》れし|愛娘《まなむすめ》
|千代《ちよ》の|固《かた》めを|茲《ここ》に|築《きづ》きぬ。
これよりは|小北《こぎた》の|山《やま》の|神々《かみがみ》を
|祀《まつ》り|直《なほ》せよ|神《かみ》の|詞《ことば》に』
お|寅《とら》『いかにして|神《かみ》の|御言《みこと》を|反《そむ》くべき
|勇《いさ》み|進《すす》むで|仕《つか》へまつらむ』
|魔我《まが》『|今《いま》は|只《ただ》|神《かみ》の|御旨《みむね》に|任《まか》すのみ
|力《ちから》も|知慧《ちゑ》も|足《た》らぬ|吾《わが》|身《み》は。
|掛巻《かけま》くも|畏《かしこ》き|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》に
うるほひにけりかわきし|魂《たま》も。
うゑかわき|悩《なや》み|苦《くるし》む|吾《わが》|魂《たま》も
|瑞《みづ》の|御魂《みたま》に|甦《よみがへ》りける。
|瑞御霊《みづみたま》、|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|神柱《かむばしら》
おろそかにせしわれぞ|悔《くや》しき。
|今迄《いままで》の|深《ふか》き|罪科《つみとが》|許《ゆる》せかし
|心《こころ》の|曲《まが》の|仕業《しわざ》なりせば』
お|寅《とら》『|魔我彦《まがひこ》よ|心《こころ》の|鬼《おに》に|罪科《つみとが》を
きせてはならぬ|汝《なれ》が|身《み》の|錆《さび》。
|迷《まよ》ひたる|汝《なれ》が|身魂《みたま》に|鬼《おに》|住《す》みて
あらぬ|御業《みわざ》に|仕《つか》へせしかな』
|天使《てんし》『|二柱《ふたはしら》|迷《まよ》ひの|雲《くも》は|春《はる》の|水《みづ》
|氷《こほり》となりて|解《と》けし|嬉《うれ》しさ。
|主《ス》の|神《かみ》の|永遠《とは》にまします|神国《かみくに》は
|常世《とこよ》の|春《はる》の|花《はな》|咲《さ》き|匂《にほ》ふ。
|人《ひと》の|身《み》は|天《あま》つ|御空《みそら》の|神国《かみくに》の
|真人《まびと》とならむ|苗代《なはしろ》にこそ。
|地《ち》の|上《うへ》は|汚《けが》れ|果《は》てたるものなりと
|思《おも》ふは|心《こころ》の|迷《まよ》ひなりけり。
|村肝《むらきも》の|心《こころ》に|神《かみ》の|国《くに》あらば
|此《この》|地《ち》の|上《うへ》も|神国《かみくに》となる。
|地《ち》の|上《うへ》に|神《かみ》の|御国《みくに》を|立《た》ておほせ
おかねば|死《し》して|神国《かみくに》はなし。
|地《ち》の|上《うへ》に|住《す》みて|地獄《ぢごく》に|身《み》をおかば
まかれる|後《のち》は|鬼《おに》となるらむ。
|鬼《おに》|大蛇《をろち》|醜《しこ》の|曲霊《まがひ》の|猛《たけ》ぶ|世《よ》も
|心《こころ》|清《きよ》くば|神《かみ》の|花園《はなぞの》。
うつし|世《よ》を|地獄《ぢごく》や|修羅《しゆら》と|称《とな》へつつ
さげすみ|暮《くら》す|人《ひと》ぞゆゆしき。
|人《ひと》は|皆《みな》|天津御国《あまつみくに》に|昇《のぼ》るべく
|生《う》みなされたる|神《かみ》の|御子《みこ》ぞや。
|主《ス》の|神《かみ》は|青人草《あをひとぐさ》の|霊体《れいたい》を
もらさず|落《おと》さず|天国《てんごく》へ|救《すく》ふ。
|救《すく》はむと|御心《みこころ》いらち|給《たま》へども
|人《ひと》は|自《みづか》ら|暗《やみ》におちゆく。
|根《ね》の|国《くに》や|底《そこ》の|国《くに》なる|暗《やみ》の|世《よ》へ
おちゆく|魂《たま》を|救《すく》ふ|大神《おほかみ》。
|此《この》|神《かみ》は|瑞《みづ》の|御霊《みたま》とあれまして
|三五《あななひ》の|道《みち》|開《ひら》き|給《たま》へり。
|三五《あななひ》の|道《みち》の|誠《まこと》を|守《まも》る|身《み》は
いかでおとさむ|根底《ねそこ》の|国《くに》へ。
|神《かみ》の|愛《あい》|神《かみ》の|智慧《ちゑ》をば|理解《りかい》して
|住《す》めば|地上《ちじやう》も|天国《てんごく》の|春《はる》。
|秋冬《あきふゆ》も|夜《よる》をも|知《し》らぬ|天国《てんごく》は
|人《ひと》の|住《す》むべきパラダイスなり。
|永久《とこしへ》の|花《はな》|咲《さ》き|匂《にほ》ひ|木《こ》の|実《み》まで
|豊《ゆたか》かな|神《かみ》の|国《くに》ぞ|楽《たの》しき。
|主《ス》の|神《かみ》は|数多《あまた》のエンゼル|地《ち》に|降《くだ》し
|世《よ》を|救《すく》ふべく|守《まも》らせ|給《たま》ふ。
|三五《あななひ》の|教司《をしへつかさ》はエンゼルよ
ゆめ|疑《うたが》ふな|神《かみ》の|詞《ことば》を』
|魔我《まが》『ウラナイの|神《かみ》の|司《つかさ》も|皇神《すめかみ》の
|珍《うづ》の|使《つか》ひにおはしまさずや』
|天使《てんし》『ウラナイの|神《かみ》の|司《つかさ》は|鳥《とり》|獣《けもの》
|虫族《むしけら》なぞを|救《すく》ふ|正人《まさびと》』
|魔我《まが》『|虫族《むしけら》も|神《かみ》の|御水火《みいき》に|生《うま》れたる
ものとし|聞《き》けば|救《すく》はむとぞ|思《おも》ふ』
|天使《てんし》『|大神《おほかみ》の|心《こころ》|用《もち》ひて|救《すく》ふべし
|人《ひと》の|愛《あい》する|神《かみ》ならざるを|知《し》れ』
お|寅《とら》『|此《この》|山《やま》にまつれる|神《かみ》は|虫族《むしけら》の
|救《すく》ひ|求《もと》むる|神《かみ》にますらむ』
|天使《てんし》『さに|非《あら》ず|虫族《むしけら》までも|取《と》りて|食《く》ふ
|曲《まが》の|神《かみ》ぞや|心《こころ》|許《ゆる》すな』
|魔我彦《まがひこ》は|始《はじ》めて、エンゼルの|訓戒《くんかい》に|依《よ》り、|心《こころ》の|闇《やみ》をはらし、|俄《にはか》に|顔色《がんしよく》|清《きよ》く、|元気《げんき》|百倍《ひやくばい》して|無限《むげん》の|歓喜《くわんき》を|感得《かんとく》する|事《こと》を|得《え》た。|魔我彦《まがひこ》はエンゼルに|向《むか》ひ、|涙《なみだ》と|共《とも》に|其《その》|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》した。
|魔我《まが》『|尊《たふと》き|清《きよ》きエンゼルの|御降臨《ごかうりん》、|御蔭《おかげ》に|依《よ》りまして、|今《いま》までの|私《わたし》の|迷《まよ》ひも|春《はる》の|雪《ゆき》が|太陽《たいやう》にとけるが|如《ごと》く|氷解《ひようかい》する|事《こと》を|得《え》ました。|実《じつ》に|無限《むげん》の|努力《どりよく》と|生命《せいめい》とを|賦与《ふよ》されたやうな|思《おも》ひに|漂《ただよ》ひます、|歓喜《くわんき》の|涙《なみだ》にうるほひました。|此《この》|上《うへ》は|今迄《いままで》の|愚《おろか》なる|心《こころ》を|立直《たてなほ》し、|只《ただ》|一心《いつしん》に|誠《まこと》の|神様《かみさま》の|為《ため》に|全力《ぜんりよく》を|注《そそ》ぐ|考《かんが》へで|厶《ござ》います』
|天使《てんし》『|魔我彦《まがひこ》、|汝《なんぢ》は|今《いま》|神様《かみさま》の|為《ため》|世《よ》の|為《ため》に|尽《つく》すと|云《い》つたが、|神《かみ》の|力《ちから》は|広大無辺《くわうだいむへん》、|汝《なんぢ》の|力《ちから》を|加《くは》ふべき|余地《よち》は|少《すこ》しもないぞよ。|只《ただ》|汝《なんぢ》は|天《てん》の|良民《りようみん》として|汝《なんぢ》の|身《み》につける|一切《いつさい》の|物《もの》を|完全《くわんぜん》に|照《て》り|輝《かがや》かし、|万一《まんいち》|余裕《よゆう》あらば|之《これ》を|人《ひと》に|施《ほどこ》すべきものだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|人間《にんげん》として、どうして|世《よ》を|救《すく》ひ、|人《ひと》を|救《すく》ふ|事《こと》が|出来《でき》ようぞ。|汝《なんぢ》|自《みづか》らの|目《め》を|以《もつ》て、|汝《なんぢ》の|顔《かほ》|及《およ》び|背《せ》を|見《み》る|事《こと》を|得《う》るならば、|始《はじ》めて|人《ひと》を|幾分《いくぶん》なりとも|救《すく》ふべき|力《ちから》が|備《そな》はつたものだ。|之《これ》を|思《おも》へば、|人《ひと》の|身《み》として、|如何《いか》でか|余人《よじん》を|救《すく》ふ|事《こと》を|得《え》む。|斯《かく》の|如《ごと》き|考《かんが》へを|有《いう》する|間《あひだ》は、|未《いま》だ|慢心《まんしん》の|雲《くも》|晴《は》れきらぬものなるぞ』
『ハイ、いろいろの|御教訓《ごけうくん》、|誠《まこと》に|以《もつ》て|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|併《しか》し|乍《なが》ら|吾々《われわれ》は|自分《じぶん》の|身《み》を|救《すく》うて、それで|決《けつ》して|満足《まんぞく》は|出来《でき》ませぬ。|憐《あは》れな|同胞《どうはう》の|身魂《みたま》を|救《すく》つてやりたいので|厶《ござ》います。|宣伝使《せんでんし》の|必要《ひつえう》も|吾《わが》|身《み》を|救《すく》ふ|為《ため》では|厶《ござ》いますまい。ここをハツキリと|御教示《ごけうじ》|願《ねが》ひたいもので|厶《ござ》います』
『|宣伝使《せんでんし》は|読《よ》んで|字《じ》の|如《ごと》く、|神《かみ》の|有難《ありがた》き|事《こと》、|尊《たふと》き|事《こと》を|体得《たいとく》して、|之《これ》を|世人《よびと》に|宣《の》べ|伝《つた》ふる|使者《ししや》である。|決《けつ》して|一人《ひとり》なりとも|救《すく》ふべき|権利《けんり》はない。|世《よ》を|救《すく》ひ、|人《ひと》を|救《すく》ふは|即《すなは》ち|救世主《きうせいしゆ》の|神業《しんげふ》である。|只《ただ》|宣伝使《せんでんし》たるものは、|神《かみ》の|国《くに》に|至《いた》る|亡者引《もさひき》である。|此《この》|亡者引《もさひき》は、ややもすれば|眼《まなこ》くらみ、|八衢《やちまた》にさまよひ、|或《あるひ》は|根底《ねそこ》の|国《くに》に|客《きやく》を|導《みちび》き、|自《みづか》らも|落《お》ち|行《ゆ》くものである。それ|故《ゆゑ》|何事《なにごと》も|惟神《かむながら》に|任《まか》すが|一等《いつとう》だ。|何程《なにほど》|人間《にんげん》が|知識《ちしき》ありとて、|力《ちから》ありとて、|木《こ》の|葉《は》|一枚《いちまい》|生《う》み|出《だ》す|事《こと》も|出来《でき》ないではないか。|一塊《いつくわい》の|土《つち》たりとも|産出《さんしゆつ》する|事《こと》の|出来《でき》ない|身《み》を|以《もつ》て、いかでか|世人《よびと》を|救《すく》ふ|力《ちから》あらむ。|只《ただ》|宣伝使《せんでんし》|及《およ》び|信者《しんじや》たるものは、|神《かみ》を|理解《りかい》し|神《かみ》の|国《くに》の|方向《はうかう》を|知《し》り、|迷《まよ》へる|亡者《まうじや》をして|天国《てんごく》の|門《もん》に|導《みちび》く|事《こと》を|努《つと》むれば、これで|人間《にんげん》としての|職務《しよくむ》は|勤《つと》まつたのだ。それ|以上《いじやう》の|救《すく》ひは|神《かみ》の|御手《みて》にあることを|忘《わす》れてはなりませぬ』
『ハイ、|何《なに》から|何《なに》まで|親切《しんせつ》なる|御教訓《ごけうくん》|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます』
『|最前《さいぜん》お|寅《とら》どのの|口《くち》をかつて、|惟神《かむながら》の|説明《せつめい》を|致《いた》しておいたが、|其《その》|方《はう》はお|寅《とら》の|肉体《にくたい》を|軽蔑《けいべつ》して|居《ゐ》るから、|誠《まこと》の|事《こと》を|云《い》つて|聞《き》かしても|其《その》|方《はう》は|分《わか》らなかつた。そこで|今度《こんど》は|清浄無垢《せいじやうむく》の|少女《せうぢよ》が|体《からだ》をかつて、|神《かみ》は|魔我彦《まがひこ》の|為《ため》に|訓戒《くんかい》を|与《あた》へたのである、|決《けつ》して|慢心《まんしん》|致《いた》すでないぞや』
|魔我彦《まがひこ》は|歓喜《くわんき》の|涙《なみだ》をしやくり|上《あ》げ、|畳《たたみ》を|潤《うるほ》はし|蹲《うづく》まる。お|寅《とら》は|有難涙《ありがたなみだ》にくれ、|顔《かほ》もえ|上《あ》げず、|合掌《がつしやう》して|伏拝《ふしをが》む。|四辺《あたり》に|芳香《はうかう》|薫《くん》じ|微妙《びめう》の|音楽《おんがく》|耳《みみ》に|入《い》るよと|見《み》る|間《ま》に、エンゼルは|元《もと》つ|御座《みくら》に|帰《かへ》り|給《たま》ひ、|可憐《かれん》なるお|千代《ちよ》の|優《やさ》しき|姿《すがた》は、|依然《いぜん》として|十二才《じふにさい》のあどけなき|少女《せうぢよ》と|変《かは》つて|了《しま》つた。
|魔我彦《まがひこ》は|初《はじ》めて|前非《ぜんぴ》を|悔《く》ひ、|神《かみ》の|光《ひかり》に|照《て》らされ、|松彦《まつひこ》の|指揮《しき》に|従《したが》つて|小北山《こぎたやま》の|祭神《さいじん》を|一所《ひととこ》に|集《あつ》め、|厳粛《げんしゆく》なる|修祓式《しうばつしき》を|行《おこな》ひ、|誠《まこと》の|神《かみ》を|鎮祭《ちんさい》する|事《こと》を|心《こころ》より|承認《しようにん》したのである。いよいよこれより|松彦《まつひこ》を|斎主《さいしゆ》とし、|五三公《いそこう》を|祓戸主《はらひどぬし》となし、|厳粛《げんしゆく》なる|遷座式《せんざしき》に|着手《ちやくしゆ》することとなつた。
あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・一二・一六 旧一〇・二八 松村真澄録)
第四篇 |謎《なぞ》の|黄板《わうばん》
第一九章 |怪《あや》しの|森《もり》〔一二二九〕
|小北《こぎた》の|山《やま》を|包《つつ》みたる |醜《しこ》の|八重雲《やへくも》|隈《くま》もなく
|吹《ふ》き|払《はら》ひたる|時津風《ときつかぜ》 |斎苑《いそ》の|神風《かみかぜ》しとやかに
|世人《よびと》の|心《こころ》に|積《つも》りたる |塵《ちり》や|芥《あくた》を|払《はら》ひつつ
|平和《へいわ》の|花園《はなぞの》|忽《たちま》ちに |神《かみ》の|館《やかた》に|開《ひら》けけり
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |八十《やそ》の|曲津《まがつ》の|醜魂《しこたま》に
とらはれ|苦《くる》しむ|枉人《まがびと》も |漸《やうや》く|眠《ねむ》りの|夢《ゆめ》|覚《さ》めて
お|寅婆《とらば》さまを|始《はじ》めとし |魔我彦《まがひこ》、|文助《ぶんすけ》|其《その》|他《ほか》の
|神《かみ》の|司《つかさ》や|信徒《まめひと》は |誠《まこと》の|神《かみ》の|恩恵《おんけい》を
|心《こころ》の|底《そこ》より|摂受《せつじゆ》して |勇《いさ》みの|声《こゑ》は|天《てん》に|充《み》ち
|地上《ちじやう》も|揺《ゆる》ぐばかりなり |三五教《あななひけう》に|仕《つか》へたる
|松彦司《まつひこつかさ》を|始《はじ》めとし |五三公《いそこう》、|万公《まんこう》|其《その》|他《ほか》の
|清《きよ》き|司《つかさ》は|身《み》を|清《きよ》め |心《こころ》を|浄《きよ》め|天地《あめつち》の
|誠《まこと》の|神《かみ》と|祀《まつ》り|替《か》へ |以前《いぜん》の|神《かみ》を|一所《ひととこ》へ
|斎《いは》ひをさめて|一同《いちどう》に |嬉《うれ》しき|別《わか》れを|告《つ》げながら
|館《やかた》を|後《あと》に|宣伝歌《せんでんか》 |歌《うた》ひ|歌《うた》ひて|進《すす》み|行《ゆ》く
お|寅婆《とらば》さまは|松彦《まつひこ》の |後《あと》に|従《したが》ひ|吾《われ》は|今《いま》
|誠《まこと》の|神《かみ》に|救《すく》はれぬ |悪魔《あくま》の|虜《とりこ》となり|果《は》てし
|蠑〓別《いもりわけ》やお|民《たみ》をば |誠《まこと》の|道《みち》に|誘《いざな》ひて
|眼《まなこ》を|覚《さ》まし|救《すく》はねば |天地《てんち》の|神《かみ》に|相対《あひたい》し
|何《なん》の|弁解《べんかい》あるべきか |何処《いづく》までもと|追《お》ひ|行《ゆ》きて
|是非《ぜひ》とも|真理《しんり》を|伝《つた》へむと |松彦《まつひこ》|一行《いつかう》に|従《したが》ひて
|老躯《らうく》をひつさげスタスタと |進《すす》み|行《ゆ》くこそ|健気《けなげ》なれ。
|小北山《こぎたやま》には|松姫《まつひめ》、|魔我彦《まがひこ》、お|菊《きく》、お|千代《ちよ》が|重《おも》なる|神柱《かむばしら》となり、|文助《ぶんすけ》は|依然《いぜん》として|受付《うけつけ》を|忠実《ちうじつ》につとめ、|其《その》|他《ほか》|百《もも》の|役員《やくゐん》|信者《しんじや》は|喜《よろこ》んで|三五《あななひ》の|誠《まこと》の|教《をしへ》を|遵奉《じゆんぽう》し、|天国《てんごく》の|福音《ふくいん》を|詳《つぶ》さに|説《と》き|諭《さと》され|歓喜《くわんき》|法悦《はふえつ》の|涙《なみだ》にくれて|居《ゐ》た。
|一方《いつぱう》|松彦《まつひこ》|一行《いつかう》|七人《しちにん》は|小北山《こぎたやま》の|神殿《しんでん》を|伏拝《ふしをが》み、|河鹿川《かじかがは》の|橋《はし》を|渡《わた》つて|浮木《うきき》の|森《もり》をさして|進《すす》み|行《ゆ》く|事《こと》となつた。
|話《はなし》は|後《あと》へ|戻《もど》る。|浮木《うきき》の|森《もり》の|三里《さんり》ばかり|手前《てまへ》に|一寸《ちよつと》した|小《ちひ》さき|森《もり》がある。ここは|河鹿峠《かじかたうげ》の|本街道《ほんかいだう》と|間道《かんだう》との|別《わか》れ|道《みち》である。|治国別《はるくにわけ》、|松彦《まつひこ》が|通過《つうくわ》したのは、|山口《やまぐち》の|森《もり》から|近道《ちかみち》を|選《えら》んで|間道《かんだう》を|来《き》たものであつた。|此《この》|森《もり》は|怪《あや》しの|森《もり》と|云《い》つて|絶《た》えず|不思議《ふしぎ》があると|伝《つた》へられてゐた。|此《この》|森《もり》へ|入《はい》つたものは|到底《たうてい》|無事《ぶじ》で|帰《かへ》れないと|云《い》ふ|噂《うはさ》が|立《た》つてゐる。それだから|追手《おつて》に|出会《であ》つた|時《とき》|等《など》は、|必《かなら》ず|此《この》|森《もり》へ|隠《かく》れさへすれば|追手《おつて》も|大抵《たいてい》の|時《とき》は|追及《つゐきふ》せないのが|例《れい》となつてゐる。|故《ゆゑ》に|一名《いちめい》|難除《なんよ》けの|森《もり》とも|称《とな》へられてゐた。|此《この》|森《もり》の|入口《いりぐち》、|河鹿峠《かじかたうげ》の|本道《ほんだう》、|間道《かんだう》と|分《わか》れてゐる|辻《つじ》の|角《かど》に|四五人《しごにん》の|荒男《あらをとこ》がバラモン|教《けう》の|目附《めつけ》と|見《み》えて|車座《くるまざ》となつて|退屈《たいくつ》ざましに|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つてゐた。
コー『おい、ワク、|此《この》|寒《さむ》いのに|火《ひ》も|焚《た》かず、|昼《ひる》となく|夜《よ》となく、こんな|道《みち》へ|辻地蔵《つじぢざう》の|代用《だいよう》を|仰《おほ》せ|付《つ》けられて|居《を》つてもつまらぬものだな』
ワク『|一体《いつたい》|此《この》|戦《いくさ》は|如何《どう》なるだらうかな』
『どうなるつて、|勝敗《しようはい》の|数《すう》は|正《まさ》に|歴然《れきぜん》たるものだ。|衆寡《しうくわ》|敵《てき》せず、|窮鼠《きうそ》|猫《ねこ》を|噛《か》むと|云《い》ふ|事《こと》があるだらう。|衆《しう》は|所謂《いはゆる》|寡《くわ》に|敵《てき》する|事《こと》が|出来《でき》ないのだ。|愈《いよいよ》となれば|鼠《ねずみ》が|猫《ねこ》を|噛《か》むやうなものだ。|愈《いよいよ》|真剣《しんけん》となつた|時《とき》にや、どうしても|小人数《こにんず》の|方《はう》が|心《こころ》が|一致《いつち》して|大勝利《だいしようり》を|得《う》るものだよ』
『それだつて|衆寡《しうくわ》|敵《てき》せずとは|多勢《たぜい》と|一人《ひとり》とは|敵《かな》はぬと|云《い》ふ|事《こと》だ。|多勢《たぜい》と|小人数《こにんず》とは|数《かず》に|於《おい》て|益《えき》に|於《おい》て、|凡《すべ》ての|点《てん》に|於《おい》て|敵《かな》はないものだ。|強《つよ》いものが|勝《か》ち、|弱《よわ》いものは|負《ま》けるのは|天地《てんち》の|道理《だうり》だ。それだから|衆寡《しうくわ》|敵《てき》せずと|云《い》ふのだ。|貴様《きさま》の|解釈《かいしやく》は|矛盾《むじゆん》してるぢやないか』
『|衆寡《しうくわ》|敵《てき》せずと|云《い》ふのは|衆《しう》が|寡《くわ》に|敵《てき》せずと|云《い》ふのだ。|寡《くわ》が|衆《しう》に|敵《てき》せぬ|時《とき》は|寡衆《くわしう》に|敵《てき》せずと|云《い》ふのだ。|然《しか》しあまり|寡衆《くわしう》に|敵《てき》せずと|云《い》ふ|事《こと》は|聞《き》いた|事《こと》がない。|其《その》|証拠《しようこ》には|河鹿山《かじかやま》の|戦《たたか》ひを|考《かんが》へても|分《わか》るぢやないか。|敵《てき》は|僅《わづか》に|四人《よにん》、|而《しか》も|武器《ぶき》を|持《も》つて|居《ゐ》ない|敵《てき》に|対《たい》し、|数百《すうひやく》の|勇士《ゆうし》が|脆《もろ》くも|潰走《くわいそう》したぢやないか。|之《これ》が|衆寡《しうくわ》|敵《てき》せずの|実例《じつれい》だ』
エム『|時《とき》に|兄弟《きやうだい》、|小北山《こぎたやま》にはウラナイ|教《けう》とか|云《い》つて|大変《たいへん》な|信者《しんじや》が|集《あつ》まつてゐると|云《い》ふ|事《こと》だが、こんな|衛兵《ゑいへい》の|役《やく》さへなければ、|一遍《いつぺん》|何《ど》んな|事《こと》をやつてゐるか|研究《けんきう》のため|行《い》つて|見《み》たいものだな』
コー『|随分《ずゐぶん》|沢山《たくさん》の|女《をんな》がゐるさうだ。|浮木《うきき》の|里《さと》の|女《をんな》と|云《い》ふ|女《をんな》は|大方《おほかた》あの|小北山《こぎたやま》とかへ|避難《ひなん》してるさうだ。|然《しか》し、あこへ|行《い》つたものを|奪《うば》つて|来《く》ると|云《い》ふ|事《こと》は|到底《たうてい》|出来《でき》ないさうだ。|何《なん》でも|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|術《じゆつ》を|使《つか》ひ、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》でさへも|如何《どう》する|事《こと》も|出来《でき》ないと|云《い》ふ|勢《いきほひ》だからな』
エム『さうすると、|余程《よほど》|強《つよ》い|奴《やつ》が|居《ゐ》ると|見《み》えるな。|吾々《われわれ》の|大将《たいしやう》は|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|弟子《でし》の|奴等《やつら》|三四人《さんよにん》に|脆《もろ》くも|敗走《はいそう》したのだ。|三五教《あななひけう》は|偉《えら》いと|思《おも》つてゐたが、|小北山《こぎたやま》はさうするとそれ|以上《いじやう》だな。|何《なん》と|上《うへ》には|上《うへ》があるものだな』
コー『きまつた|事《こと》よ。|無茶《むちや》ほど|強《つよ》いものはないからな』
エム『だつて|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》だつて、ランチ|将軍《しやうぐん》だつて、|無茶《むちや》で|行《い》つたぢやないか。|無茶《むちや》が|勝《か》つのなら、あんなみつともない|敗北《はいぼく》はとりさうな|筈《はづ》がないぢやないか』
ワク『そこが|人間《にんげん》の|智慧《ちゑ》で|分《わか》らぬ|所《ところ》だ。|勝敗《しようはい》は|時《とき》の|運《うん》と|云《い》ふからな。|時《とき》に|俺達《おれたち》も|斯《か》う|毎日《まいにち》|単純《たんじゆん》な|無意味《むいみ》な|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けて|居《を》つてもつまらぬぢやないか。|女房《にようばう》はあつてもハルナの|都《みやこ》に|置《お》いてあるなり、|本当《ほんたう》に|陣中《ぢんちう》の|無聊《むれう》には|閉口《へいこう》せざるを|得《え》ないな』
コー『|誰《たれ》か|此処《ここ》へナイスでもやつて|来《き》たら、|面白《おもしろ》いがな』
エム『さう|誂向《あつらへむき》にいつたら|宜《い》いが、こんな|物騒《ぶつそう》な|所《ところ》へナイスが|通《とほ》る|筈《はず》があるか』
ワク『それでも|小北山《こぎたやま》には|沢山《たくさん》の|女《をんな》が|寄《よ》つて|居《ゐ》るさうだから、ここを|通《とほ》らなくちや|通《とほ》る|所《ところ》がないぢやないか』
エム『|此《この》|頃《ごろ》は|吾々《われわれ》が|浮木《うきき》の|森《もり》に|張《は》つてゐるから、どれもこれも|恐《おそ》れて、|橋《はし》から|此方《こちら》へは|来《こ》ないと|云《い》ふのだから、サツパリ|駄目《だめ》だよ。|夜《よる》も|大分《だいぶん》に|更《ふ》けたし、|寒《さむ》うはあるし、|火《ひ》を|焚《た》けば|軍律上《ぐんりつじやう》|敵《てき》に|所在《ありか》を|知《し》られるとか|云《い》つて|八釜《やかま》しいなり、|本当《ほんたう》に|因果《いんぐわ》な|商売《しやうばい》だな』
|斯《か》く|話《はなし》して|居《ゐ》る|処《ところ》へ、|髪《かみ》|振《ふ》り|乱《みだ》し|息《いき》せき|切《き》つて|走《はし》つて|来《く》る|一人《ひとり》の|女《をんな》があつた。
コー『おい、|向《むか》ふを|見《み》よ。|誂向《あつらへむき》にやつて|来《き》たよ。|如何《どう》やら|月《つき》に|透《す》かして|見《み》れば、あの|足許《あしもと》と|云《い》ひ|女《をんな》らしい。|一《ひと》つ|俄《にはか》に|泥棒《どろばう》と|化《ば》けて|嚇《おど》かしてみようぢやないか』
|両人《りやうにん》『そりや|面白《おもしろ》からう』
かかる|処《ところ》へスタスタやつて|来《き》たのは|小北山《こぎたやま》を|逃《に》げ|出《だ》したお|民《たみ》であつた。お|民《たみ》は|野中《のなか》の|森《もり》をさして|行《ゆ》くつもりだつたが、|何《なん》とはなしに|人声《ひとごゑ》が|森《もり》の|中《なか》へ|聞《きこ》えて|居《ゐ》るので、|引返《ひきかへ》して|道《みち》を|此方《こちら》へとり、|本街道《ほんかいだう》に|出《で》るつもりでやつて|来《き》たのであつた。
コー『そこなお|女中《ぢよちう》、|一寸《ちよつと》|待《ま》たつせい。ここを|何処《どこ》だと|考《かんが》へてゐる。|女《をんな》の|身《み》として|妄《みだ》りに|通行《つうかう》は|許《ゆる》さない|処《ところ》だ』
お|民《たみ》『ホヽヽヽヽ、|天下《てんか》の|往来《わうらい》が|何故《なぜ》|通《とほ》れないのですか。|此《この》|道《みち》はお|前《まへ》さまが|造《つく》つたのぢやありますまい。|通《とほ》るなと|仰有《おつしや》つても|私《わたし》の|権利《けんり》で|通《とほ》ります。|構《かま》うて|下《くだ》さいますな』
コー『|何《なん》と|云《い》つても|通《とほ》さないと|云《い》つたら|金輪際《こんりんざい》|通《とほ》さないのだ。|俺《おれ》を|誰様《どなた》と|心得《こころえ》てる』
お|民《たみ》『【あた】|阿呆《あはう》らしい。|誰様《どなた》も|此方《こなた》もあつたものか。お|前《まへ》さまは|立派《りつぱ》な|男《をとこ》に|生《うま》れながら、こんな|道《みち》の|辻《つじ》の|番《ばん》をさされてゐるのぢやないか。|技能《ぎのう》と|知識《ちしき》とあればランチ|将軍《しやうぐん》の|陣営《ぢんえい》にあつて|帷幕《ゐばく》に|参《さん》じ|重要《ぢゆうえう》な|相談《さうだん》に|与《あづか》るのだが、|何処《どこ》も|使《つか》ひ|場《ば》のない|屑人足《くづにんそく》だから、|石地蔵《いしぢざう》の|様《やう》に、こんな|辻番《つじばん》をさされてゐるのだ。そんな|男《をとこ》が|空威張《からゐばり》をしたつて|誰《たれ》が|恐《おそ》れるものがありませうぞ。すつこんでゐなさい』
ワク『|何《なん》と|渋太《しぶと》い|尼《あま》つちよだな』
お|民《たみ》『|渋太《しぶと》い|尼《あま》つちよだよ。|何程《なにほど》|女《をんな》が|弱《よわ》いと|云《い》つても、お|前《まへ》さま|等《たち》のやうな|番犬《ばんけん》の|代理《だいり》をつとめて|居《ゐ》るやうなお|方《かた》に|弱《よわ》るやうな|女《をんな》は、|広《ひろ》い|世界《せかい》に|一人《ひとり》だつてありやせないワ』
ワク『|番犬《ばんけん》とは|何《なん》だ。あまり|口《くち》が|過《す》ぎるぢやないか』
お|民《たみ》『|過《す》ぎたつて|事実《じじつ》なれば|仕方《しかた》がないぢやないか。お|前《まへ》、そんな|事《こと》|云《い》つて|居《を》れば、|今《いま》に|吠面《ほえづら》かわかなくちやなりませぬぞや。|小北山《こぎたやま》に|時《とき》めき|給《たま》ふウラナイ|教《けう》の|教祖《けうそ》|蠑〓別《いもりわけ》が|今《いま》|直《す》ぐお|越《こ》しだから、|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|術《わざ》を|以《もつ》て、お|前《まへ》さま|等《たち》の|五十人《ごじふにん》や|百人《ひやくにん》は|一息《ひといき》に|吹《ふ》いて|飛《と》ばされる|様《やう》な|目《め》に|遇《あ》ひますよ。そんな|馬鹿《ばか》な|事《こと》を|云《い》はずに|其処《そこ》|退《の》きなさい。こんな|夜《よる》の|道《みち》に|髯武者《ひげむしや》の|狼面《おほかみづら》した|男《をとこ》が|居《を》つては|通《とほ》る|事《こと》が|出来《でき》ぬぢやないか。|往来《わうらい》|妨害《ばうがい》の|罪《つみ》でバラモン|署《しよ》へ|訴《うつた》へて|上《あ》げませうか』
エム『おい、ワク、コー、|何《なん》と|押尻《おしけつ》の|強《つよ》い|代物《しろもの》だな。|此奴《こいつ》ア|只《ただ》の|狸《たぬき》ぢやあるまいぞ。|一《ひと》つ|非常《ひじやう》|手段《しゆだん》をとつて|何々《なになに》しようぢやないか』
お|民《たみ》『ホヽヽヽ、お|察《さつ》しの|通《とほ》り|只《ただ》の|狸《たぬき》ぢやありませぬぞえ。|小北山《こぎたやま》の|大神《おほかみ》の|眷属《けんぞく》ですよ』
コー『|何《なに》、|狼《おほかみ》の|眷属《けんぞく》、|此奴《こいつ》ア|又《また》|太《ふと》う|出《で》よつたものだ』
お|民《たみ》『|何《なに》も|太《ふと》くも|細《ほそ》くも、ありやせないよ。お|寅《とら》さまと|喧嘩《けんくわ》して|此処《ここ》まで|来《き》たのだ』
コー『|何《なに》、|大虎《おほとら》と|喧嘩《けんくわ》する。|此奴《こいつ》ア、|素敵《すてき》な|代物《しろもの》だな』
エム『|此奴《こいつ》ア、さうすると|狼《おほかみ》が|化《ば》けてゐやがるのだな。|道理《だうり》でお|内儀《かみ》さまの|風《ふう》になつてゐやがる』
ワク『|何《なに》、|狼《おほかみ》ぢやない。|大神《おほかみ》さまの|眷属《けんぞく》と|云《い》つて|居《ゐ》やがるのだ。さうしてお|寅婆《とらばあ》さまと|云《い》ふ、|酢《す》でも|菎弱《こんにやく》でも|行《ゆ》かぬ|悪垂婆《あくたればば》が|居《ゐ》るさうだから、そのお|寅婆《とらばば》に|苛《いぢ》められて|逃《に》げて|来《き》よつたに|相違《さうゐ》ない。|何程《なにほど》|強《つよ》い|女《をんな》だと|云《い》つても|多寡《たくわ》が|女《をんな》|一人《ひとり》、|此方《こちら》は|三人《さんにん》だ。まだ|其《その》|他《ほか》にお|添物《そへもの》として|弱《よわ》い|奴《やつ》が|二匹《にひき》|慄《ふる》うて|居《ゐ》る。|此奴《こいつ》、やつつけようぢやないか。これ|女《をんな》、|貴様《きさま》は、|婆《ばば》に|悋気《りんき》されて|放《ほ》り|出《だ》されて|来《き》たのだらう。どうも|慌《あわ》てた|様子《やうす》だ。さア|此処《ここ》を|通過《つうくわ》するなら|通過《つうくわ》さしてやらぬ|事《こと》もないが、|身《み》のまはり|一切《いつさい》を|俺《おれ》|様《さま》に|渡《わた》して|行《ゆ》け』
お|民《たみ》『オホヽヽヽヽ、|甲斐性《かひしやう》のない|男《をとこ》だこと、|大《おほ》きな|体《からだ》を|持《も》ちながら、|人《ひと》の|物《もの》を|盗《と》つて|生活《せいくわつ》せなくては|此《この》|世《よ》が|渡《わた》れぬとは、|憐《あは》れなものだな。|衛兵《ゑいへい》になつたり|泥棒《どろばう》になつたり、よう【へぐれる】|代物《しろもの》だな』
コー『|馬鹿《ばか》な|事《こと》を|云《い》ふない。|軍人《ぐんじん》と|云《い》ふものは|強盗《がうたう》|強姦《がうかん》を|天下《てんか》|御免《ごめん》でやるのが|所得《しよとく》だ。|所謂《いはゆる》|役徳《やくとく》だ。|或《ある》|時《とき》は|正義《せいぎ》の|軍人《ぐんじん》となり、|或《ある》|時《とき》は|財宝《ざいほう》|掠奪《りやくだつ》の|公盗《こうたう》となり、|或《ある》|時《とき》は|猥褻公許者《わいせつこうきよしや》となるのだ。さうだから|男《をとこ》と|生《うま》れた|甲斐《かひ》にや、|如何《どう》してもバラモン|教《けう》の|軍人《ぐんじん》にならなくちや|幅《はば》が|利《き》かないのだ』
お|民《たみ》『えー、|八釜《やかま》しい、|耄碌《もうろく》、|其処《そこ》|除《の》け』
と|無理《むり》に|通《とほ》り|過《す》ぎようとする。|三人《さんにん》はお|民《たみ》に|喰《くら》ひつき|一歩《いつぽ》も|進《すす》ませじとあせる。お|民《たみ》は|全身《ぜんしん》の|力《ちから》を|籠《こ》めて|荒男《あらをとこ》をヤスヤスと|柔術《じうじゆつ》の|手《て》で|投《な》げつける。かかる|所《ところ》へ「おーいおーい」と|苦《くる》しげな|声《こゑ》を|出《だ》して|此方《こなた》へ|向《むか》つて|馳《は》せ|来《く》る|一人《ひとり》の|男《をとこ》があつた。
(大正一一・一二・一六 旧一〇・二八 北村隆光録)
第二〇章 |金《かね》の|力《ちから》〔一二三〇〕
コー、ワク、エムは|一人《ひとり》のお|民《たみ》を|相手《あひて》に、|投《な》げられては|起《お》き、|投《な》げつけられては|起《お》き、|武者振《むしやぶ》りついて|挑《いど》み|戦《たたか》うてゐる。そこへ、|枯草《かれくさ》の|野道《のぢ》を|分《わ》けて「おーい おーい」と|呼《よば》はりながら|近寄《ちかよ》つて|来《き》た|一人《ひとり》の|男《をとこ》、|此《この》|態《てい》を|見《み》て、
『やあ、お|前《まへ》はお|民《たみ》か』
と|云《い》つたきり、ドスンと|腰《こし》を|抜《ぬ》かし|倒《たふ》れて|了《しま》つた。お|民《たみ》は、|三人《さんにん》を|相手《あひて》にしながら、
『あゝ|蠑〓別《いもりわけ》さま、よう|来《き》て|下《くだ》さつた。|私《わたし》、|野中《のなか》の|森《もり》まで|行《い》つた|処《ところ》、あまり|沢山《たくさん》の|人声《ひとごゑ》がするので、|本街道《ほんかいだう》へ|出《で》ようと|思《おも》つて|此処《ここ》までやつて|来《き》た|処《ところ》、|泥棒《どろばう》の|様《やう》な|奴《やつ》が|出《で》て|無体《むたい》な|事《こと》を|云《い》つて|通《とほ》そまいとするのよ。それで|此方《こちら》も|仕方《しかた》がないから|一《ひと》つ|思《おも》ひ|知《し》らしてやらうと|思《おも》つて|活劇《くわつげき》をやつてゐる|所《ところ》だ。よい|所《ところ》へ|来《き》て|下《くだ》さつた。さあ、|一《ひと》つ|貴方《あなた》も|手伝《てつだ》つて|下《くだ》さい』
|蠑〓別《いもりわけ》は|腰《こし》を|抜《ぬ》かして|身体《からだ》の|自由《じいう》が|利《き》かなくなつてゐる。|然《しか》し|敵《てき》に|弱身《よわみ》を|見《み》せては|一大事《いちだいじ》と|心《こころ》を|定《さだ》め、
『アツハヽヽヽ、お|民《たみ》、それしきの|蠅虫《はへむし》を|俺《おれ》が|出《で》るまでもないぢやないか。|俺《おれ》や|此処《ここ》でゆつくりと、|煙草《たばこ》でも|飲《の》んで|見物《けんぶつ》するから、|一《ひと》つお|前《まへ》の|活動《くわつどう》|振《ぶ》りを|見《み》せて|貰《もら》はう』
『|最前《さいぜん》から|永《なが》らく|揉《も》み|合《あ》つてゐるのだから、|私《わたし》|息《いき》が|絶《き》れさうなのよ。さあ|貴方《あなた》、|入《い》れ|替《かは》つて|一《ひと》つ|此奴《こいつ》を|懲《こら》してやつて|下《くだ》さい。|何《なに》ゆつくりして|居《ゐ》なさるの』
『さあ、さう|急《いそ》いだつて|仕方《しかた》がないぢやないか』
お|民《たみ》は|蠑〓別《いもりわけ》の|吃驚腰《びつくりごし》が|抜《ぬ》けた|事《こと》を|直覚《ちよくかく》した。
お|民《たみ》『こりや|三人《さんにん》の|男《をとこ》ども、|大将軍《だいしやうぐん》のお|出《で》ましだから|一《ひと》つ|此処《ここ》で|水《みづ》を|入《い》れたら|如何《どう》だ。いづれ|勝敗《しようはい》はきまつてゐるが、お|前《まへ》も|随分《ずゐぶん》|喉《のど》がひつついただらう』
コー『それなら|一寸《ちよつと》|一服《いつぷく》しようかな。おい、ワク、エム、もとから|親《おや》の|敵《かたき》でもなし、|怪我《けが》しちや|互《たがひ》によい|損恥《そんはぢ》だ。|国《くに》には|妻子《さいし》もあるのだからな』
ワク『うん、そりや、さうだ。それならまあ、|一寸《ちよつと》|休戦《きうせん》かな』
エム『|俺《おれ》は|中立国《ちうりつこく》となつて|平和《へいわ》の|調停《てうてい》に|努《つと》むる|事《こと》としよう』
お|民《たみ》『ホヽヽヽ、まあ|皆《みな》さま、|多少《たせう》|負傷《ふしやう》をなさつた|塩梅《あんばい》だから、|此処《ここ》を|赤十字《せきじふじ》|病院《びやうゐん》として|敵味方《てきみかた》の|区別《くべつ》なく|傷《きず》の|癒《い》えるまで|休戦《きうせん》しようかな』
エム『|至極《しごく》|妙案《めうあん》だ。そいつあ|面白《おもしろ》い、|一《いち》、|二《に》、|三《さん》』
と|云《い》ひながら|三人《さんにん》は|蠑〓別《いもりわけ》の|一間《いつけん》ばかり|隔《へだ》たつた|処《ところ》に、|単縦陣《たんじうぢん》を|張《は》つて|腰《こし》を|下《おろ》し|休息《きうそく》しながら|汗《あせ》を|拭《ふ》いてゐる。
お|民《たみ》『もし、|蠑〓別《いもりわけ》さま、|貴方《あなた》あまり|冷淡《れいたん》ぢやありませぬか。|女房《にようばう》がこれ|程《ほど》|苦戦《くせん》してるのに、|高見《たかみ》から|見物《けんぶつ》するとは|不人情《ふにんじやう》|極《きは》まる、|併《しか》し|大方《おほかた》、|吃驚腰《びつくりごし》が|抜《ぬ》けたのだらうね。|敵《てき》の|中《なか》だから、そんなに|慌《あわ》ててはなりませぬよ』
と|耳《みみ》の|端《はた》で|囁《ささや》く。コーは|早《はや》くも|此《この》|声《こゑ》を|聞《き》きとつた。
『ハヽヽヽヽ、|何《なん》だ、|俺達《おれたち》の|武勇《ぶゆう》に|恐縮《きようしゆく》して|吃驚腰《びつくりごし》を|抜《ぬ》かしよつたのだよ。おい、ワク、エム、|最早《もはや》|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|恐《おそ》るる|事《こと》は|少《すこ》しもないぞ。|糞落着《くそおちつ》きに|落着《おちつ》いて|居《ゐ》やがると|思《おも》つたら、アハヽヽヽ|抜《ぬ》かしよつたのだ』
ワク、エム|一度《いちど》に、
『アツハヽヽヽ』
|蠑〓《いもり》『|吾々《われわれ》は|神《かみ》の|国《くに》の|軍人《ぐんじん》だ。|肉体《にくたい》の|人間《にんげん》に|対《たい》しては|門外漢《もんぐわいかん》だ。これしきの|敵《てき》に|対《たい》して|腰《こし》を|抜《ぬ》かすやうな|卑怯者《ひけふもの》が|何処《どこ》にあるか。|見違《みちが》ひするにも|程《ほど》があるぞ』
コー『ヘン、|惚《ほ》れた|女《をんな》の|前《まへ》だと|思《おも》つて|痩我慢《やせがまん》を|張《は》つたつて、チヤンと|見抜《みぬ》いてあるのだ。それが|若《も》し|見違《みちが》つて|居《ゐ》るのなら|立《た》つて|御覧《ごらん》』
|蠑〓《いもり》『いや|其《その》|儀《ぎ》なら、たつてお|断《ことわ》り|申《まを》す。|腰《こし》は|立《た》たないが|腹《はら》は|随分《ずゐぶん》|立《た》つてゐる』
コー『|俺《おれ》も|何《なん》だかナイスの|顔《かほ》を|見《み》ると|立《た》つて|来《き》たやうだワイ。|立《た》つて|立《た》つて|立《た》ち|向《むか》ふと|云《い》ふ|塩梅式《あんばいしき》だ。「|武士《もののふ》の【さちや】た|挟《ばさ》み|立《た》ち|向《むか》ひ、いる【まとかた】は|見《み》るにさやけし」と|云《い》つて、まとかたと|云《い》つて|気分《きぶん》のよい|名所《めいしよ》だな』
|蠑〓《いもり》『こりやこりや|三人《さんにん》の|奴《やつ》、こんな|処《ところ》に【まとかた】があるか。そんな|地名《ちめい》は|自凝島《おのころじま》の|名所《めいしよ》だ』
エム『|何《なん》だか|知《し》らねえが、|吾々《われわれ》は|一《ひと》つの【まとかた】があつて|活動《くわつどう》を|開始《かいし》してるのだ』
|蠑〓《いもり》『その【まと】と|云《い》ふのは|一体《いつたい》|何《なん》だ』
エム『|云《い》はいでも|推量《すゐりやう》したが|宜《よ》からうぞ。|軍人《ぐんじん》|兼《けん》|泥棒《どろばう》さまだ。おれさまの|要求《えうきう》する|所《ところ》は|決《けつ》して|石《いし》でも|瓦《かはら》でもない、|又《また》|水《みづ》でも|茶《ちや》でもないのだ』
|蠑〓《いもり》『アハヽヽヽ、|貴様《きさま》は|金《かね》さへ|与《や》れば|済《す》むのだな。|金《かね》で|済《す》むのなら|安《やす》い|事《こと》だ。|此処《ここ》にちつとだけれど|九千《きうせん》|持《も》つてゐる。|如何《どう》だ、|之《これ》をちつとばかり|貴様《きさま》にやらうか』
コー『そんな|目腐《めくさ》れ|金《がね》に|目《め》をかける|泥棒《どろばう》があると|思《おも》つて|居《ゐ》るか』
|蠑〓《いもり》『|一千《いつせん》ばかり|与《や》らうか』
エム『|三人《さんにん》の|中《なか》へ|一銭《いつせん》|位《くらゐ》|貰《もら》つても|三厘三毛《さんりんさんまう》よりならぬぢやないか。|馬鹿《ばか》にしやがるない。まだ|此処《ここ》に|弱虫《よわむし》が|二人《ふたり》も|慄《ふる》つて|居《ゐ》るのだから、|頭割《あたまわ》りにすれば|二厘《にりん》にしかならない。|饅頭《まんぢう》の|半分《はんぶん》も|買《か》へない|様《やう》な|目腐《めくさ》れ|金《がね》を|持《も》ちやがつて、|金《かね》だなんて、あまり|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にするない』
|蠑〓《いもり》『ハヽヽヽヽ|感違《かんちが》へしやがつたのだな。|俺《おれ》の|九千《きうせん》と|云《い》ふのは|九千円《きうせんゑん》の|事《こと》だ。それだからお|前達《まへたち》に|一千円《いつせんゑん》やらうと|云《い》ふのだ』
コー『ヤア、そいつは|結構《けつこう》だ。|頂戴《ちやうだい》する|事《こと》にしようかな。|強奪《がうだつ》すれば|純然《じゆんぜん》たる|泥棒《どろばう》だが、|向《むか》ふから|与《や》らうと|云《い》ふのに|貰《もら》ふのは|当然《あたりまへ》だ』
|蠑〓《いもり》『|貰《もら》つても|盗《と》つても|同《おな》じ|事《こと》ぢやないか。|名分《めいぶん》のみ|貰《もら》つたにした|処《ところ》で、|実際《じつさい》は|脅迫《けうはく》されて|与《や》るのだから|盗《と》られたやうなものだ。オイ|泥棒《どろばう》、それなら|千円《せんゑん》|此処《ここ》にあるから|受取《うけと》れ』
エム『オイ、ワク、コー、|貰《もら》つても|泥棒《どろばう》|同様《どうやう》だと|云《い》ふぢやないか。|泥棒《どろばう》と|云《い》はれちや|馬鹿《ばか》らしい。|一千円《いつせんゑん》|位《ぐらゐ》|貰《もら》つても、つまらぬぢやないか。|九千円《きうせんゑん》|全部《ぜんぶ》|強奪《がうだつ》してやらうかい。|同《おな》じ|泥棒《どろばう》と|云《い》はれるのなら|太《ふと》い|方《はう》が|得《とく》だからな』
|蠑〓《いもり》『|実《じつ》の|処《ところ》は、|俺《おれ》もお|寅婆《とらばあ》さまが|貯《たくは》へて|居《を》つたのを|泥棒《どろばう》して|来《き》たのだ。|此《この》お|民《たみ》だつて|共謀《きようぼう》の|上《うへ》だ。さうすりや|俺《おれ》もお|民《たみ》も|其《その》|一部分《いちぶぶん》に|加《くは》はるだけの|資格《しかく》が|具備《ぐび》してるのだから、|貴様等《きさまら》|三人《さんにん》に|三千円《さんぜんゑん》やらう。さうして、そこに|居《を》る|人足《にんそく》には|二人《ふたり》に|千円《せんゑん》やる|事《こと》にしよう。|残《のこ》り|五千円《ごせんゑん》はまあ|俺《おれ》の|所得《しよとく》にして|置《お》かうかい。|俺《おれ》は|之《これ》からまだまだ|遠国《ゑんごく》へ|行《ゆ》かなくちやならないからな』
コー『|何《なん》と|比較的《ひかくてき》|慾《よく》のない|腰抜《こしぬ》けだな』
|蠑〓《いもり》『ウン、|腰抜《こしぬ》けだ。|腰《こし》さへ|立《た》てば|一文《いちもん》だつてやる|気遣《きづか》ひはないのだが、|何《いづ》れ|貴様等《きさまら》に|盗《と》られて|了《しま》ふ|可能性《かのうせい》があるのだから、|俺《おれ》の|方《はう》から、くだけて|出《で》たのだ。|一人《ひとり》に|千円《せんゑん》と|云《い》ふ|銭儲《ぜにまう》けは、|貴様《きさま》が|一生《いつしやう》|働《はたら》いたつて|出来《でき》やしないぞ。オイ、|三人《さんにん》の|奴《やつ》、|按摩賃《あんまちん》だと|思《おも》つて|俺《おれ》の|腰《こし》を|揉《も》んで|呉《く》れ。さうすりや。|又《また》|三円《さんゑん》ばかり|改《あらた》めて|恵《めぐ》んでやらぬ|事《こと》もないから』
ワク『イヤ、|生《うま》れてから|見《み》た|事《こと》もない|千円《せんゑん》の|金《かね》を|貰《もら》つて、|又《また》|其《その》|上《うへ》|頂《いただ》くやうな|事《こと》をしちや|冥加《みやうが》につきます。もう|一厘《いちりん》も|要《い》りませぬから|腰《こし》を|揉《も》まして|下《くだ》さいな』
|蠑〓《いもり》『ウン、|差許《さしゆる》す。さあ、しつかり|揉《も》め』
お|民《たみ》『|千円《せんゑん》がとこ、|親切《しんせつ》に|揉《も》むのですよ。|然《しか》し|腰《こし》から|下《した》は|揉《も》んじやなりませぬよ』
エム『アハヽヽヽ、|御心配《ごしんぱい》なさいますな。|仮令《たとへ》|揉《も》んだ|所《ところ》で|吾々《われわれ》は|女《をんな》ぢやありませぬから、|何卒《どうぞ》|御心配《ごしんぱい》はなさいますな』
|五人《ごにん》は|蠑〓別《いもりわけ》より|四千両《よんせんりやう》の|小判《こばん》を|受取《うけと》りホクホクものである。そこへやつて|来《き》たのは|一人《ひとり》の|大目附《おほめつけ》であつた。
『こりやこりや、コー、ワク、エム、|何《なに》を|致《いた》して|居《を》るか』
ワク『やあ、これはこれは|大目附《おほめつけ》のエキスさまですか。|今《いま》|吾々《われわれ》この|怪《あや》しの|森《もり》の|辻番《つじばん》を|致《いた》して|居《を》ります|所《ところ》へ、|向《むか》ふの|方《はう》より「スタスタスタ」と|勢《いきほ》ひ|凄《すさま》じくやつて|来《き》たのは|此《この》|女《をんな》、なかなかの|強者《したたかもの》で|此《この》|関門《くわんもん》に|通《とほ》らうとするので、|此《この》|女《をんな》の|襟《えり》を|取《と》り|無理《むり》に|叩《たた》いてゐました|所《ところ》へ、|又《また》もや|此《この》|女《をんな》の|夫《をつと》と|見《み》えて、|矢《や》を|射《い》る|如《ごと》く|飛《と》んで|来《く》るものがある。|見《み》ればウラナイ|教《けう》の|神力無双《しんりきむさう》の|蠑〓別《いもりわけ》、エム、コー|他《ほか》|二人《ふたり》は|倉皇《さうくわう》ワクワクとして|縮《ちぢ》み|上《あが》つてゐるにも|拘《かかは》らず、|此《この》ワクは|襟髪《えりがみ》|握《にぎ》りスツテンドウと|投《な》げやれば……|流石《さすが》の|蠑〓別《いもりわけ》も、|斯《か》くの|如《ごと》くクタばつて|身動《みうご》きもならぬ|此《この》|浅間《あさま》しさ、|何卒《どうぞ》お|褒《ほ》め|下《くだ》さいませ』
エキス『アハヽヽヽ、うまく|芝居《しばゐ》を|致《いた》すのう。|内職《ないしよく》は|如何《どう》であつたか、|随分《ずゐぶん》|懐《ふところ》が|膨《ふく》れただらうな』
エム『エー、|大切《たいせつ》な|軍人《ぐんじん》の|職《しよく》にありながら、|内職《ないしよく》|等《など》とは|思《おも》ひもよりませぬ。|軍律《ぐんりつ》|厳《きび》しい|此《この》|陣中《ぢんちう》、|如何《どう》して|左様《さやう》な|内職《ないしよく》なんか|出来《でき》ませう』
エキス『それでも|役徳《やくとく》と|云《い》ふものがあるだらう。オイ、コー、ワク、|其《その》|方《はう》も|役徳《やくとく》の|収入《しうにふ》があつた|筈《はず》だ。|各《かく》|二分《にぶん》の|一《いち》づつ|此《この》|方《はう》に|納《をさ》めたらよからう』
コー『|折角《せつかく》|千円《せんゑん》の|金《かね》を|手《て》に|入《い》れたと|思《おも》へば、|二分《にぶん》の|一《いち》|出《だ》せなんて、あまりだ、|五百円《ごひやくゑん》になつて|了《しま》ふわ』
エキス『コーが|五百円《ごひやくゑん》、ワクが|五百円《ごひやくゑん》、エムが|五百円《ごひやくゑん》、|両人《りやうにん》の|名《な》もなき|供人《ともびと》どもは|二百五十円《にひやくごじふゑん》づつ|此《この》|大目附《おほめつけ》に|献《たてまつ》るのだ』
エム『もし、エキスさま、|貴方《あなた》は|泥棒《どろばう》の|上前《うはまへ》をはねる|大泥棒《おほどろばう》ですな。|吾々《われわれ》は|折角《せつかく》、|骨折《ほねを》つて|五百円《ごひやくゑん》の|収入《しうにふ》、|貴方《あなた》は|手《て》を|濡《ぬ》らさずに、しめて|二千円《にせんゑん》の|収入《しうにふ》があるぢやありませぬか。せめて|十分《じふぶん》の|一《いち》|位《ぐらゐ》にして|貰《もら》ひたいものですな』
エキス『それが|上《かみ》に|立《た》つものの|役徳《やくとく》だ。|人間《にんげん》は|一段《いちだん》でも|上《うへ》の|役人《やくにん》になるに|限《かぎ》る。|大臣《だいじん》なんかになつて|見《み》よ。|知《し》らぬ|間《ま》に|何十万円《なんじふまんゑん》、|何百万円《なんびやくまんゑん》の|株券《かぶけん》が|一文《いちもん》もかけないのに|降《ふ》つて|来《く》る。|山林《さんりん》|田畑《でんぱた》が|何時《いつ》の|間《ま》にかチヤンと|登記済《とうきずみ》になつてる|様《やう》なものだ。それだから|大目附役《おほめつけやく》の|地位《ちゐ》は|棄《す》てられないのだ』
|蠑〓《いもり》『エキスさまとやら、|私《わたし》は|蠑〓別《いもりわけ》と|云《い》ふウラナイ|教《けう》の|教祖《けうそ》ですが、|此処《ここ》に|五千円《ごせんゑん》ばかり|金《かね》を|持《も》つて|居《ゐ》ます。|此《この》|内《うち》|千円《せんゑん》ばかり|献上《けんじやう》|致《いた》しませうかな。あまり|沢山《たくさん》|胴巻《どうまき》に|巻《ま》いて|居《を》ると、|重《おも》くて|困《こま》つて|居《ゐ》ます。ちと|助《たす》けて|貰《もら》ひたいものですな』
エキス『|何《なに》、|助《たす》けてほしいと|申《まを》すか、よし|五千円《ごせんゑん》|全部《ぜんぶ》でも|助《たす》けてやらう』
お|民《たみ》『オホヽヽヽ、あの|蠑〓別《いもりわけ》さまの|綺麗《きれい》な|事《こと》、あたい、それが|好《す》きで|惚《ほ》れたのよ』
|蠑〓《いもり》『それならエキスさま、お|前《まへ》エキス(|益《えき》|吸《す》ふ)と|云《い》ふ|名《な》だから、|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》|持《も》つて|去《い》んで|下《くだ》さい。|其《その》|代《かは》り|一《ひと》つお|頼《たの》みがある。|聞《き》いて|貰《もら》へるだらうかな』
エキス『|頼《たの》みとは|何《なん》で|厶《ござ》るか』
|蠑〓《いもり》『|外《ほか》でも|厶《ござ》らぬ。|実《じつ》はランチ|将軍《しやうぐん》の|家来《けらい》にして|欲《ほ》しいのだ』
エキス『そりや|大変《たいへん》|都合《つがふ》の|好《よ》い|事《こと》だ。|実《じつ》の|処《ところ》、|吾々《われわれ》の|軍隊《ぐんたい》は|三五教《あななひけう》の|言霊戦《ことたません》に、もちあぐんで|居《ゐ》る|所《ところ》だ。お|前《まへ》さまはウラナイ|教《けう》の|教祖《けうそ》だと|聞《き》いて|居《ゐ》る。ウラナイ|教《けう》は|人《ひと》は|少《すく》なくても|大変《たいへん》な|神徳《しんとく》があるさうだ。|素盞嗚尊《すさのをのみこと》さまさへも|如何《いかん》ともする|事《こと》が|出来《でき》ないと|聞《き》いた|上《うへ》は|末《すゑ》|頼《たの》もしい。|屹度《きつと》ランチ|将軍《しやうぐん》も|二《ふた》つ|返事《へんじ》でお|取《と》り|上《あ》げになるのは|請合《うけあ》つて|置《お》きます。さあ|蠑〓別《いもりわけ》さま、|陣中《ぢんちう》へは|最早《もはや》|何程《いくら》もありませぬ。|然《しか》らば|賓客《ひんきやく》としてバラモン|軍《ぐん》の|参謀《さんぼう》として|御採用《ごさいよう》になるやうに|私《わたし》が|努《つと》めます』
|蠑〓《いもり》『|然《しか》し|生《は》え|腰《ごし》が|抜《ぬ》けて|動《うご》けないのだ。あまり|俄《にはか》に|走《はし》つたものだから、|腰《こし》の|蝶番《てふつがひ》が|如何《どう》かなつたと|見《み》える。|何分《なにぶん》|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|坐《すわ》り|通《どほ》しで、|道《みち》を|歩《ある》いた|事《こと》がないのだから』
エキス『|御心配《ごしんぱい》なさいますな。|今《いま》に|駕籠《かご》を|呼《よ》んで|来《き》て、|従卒《じゆうそつ》に|担《かつ》がせて|御夫婦《ごふうふ》ともランチ|将軍《しやうぐん》の|陣営《ぢんえい》へ|鄭重《ていちよう》に|送《おく》り|届《とど》けます。そして|此《この》エキスも|及《およ》ばずながらお|伴《とも》|致《いた》し、|将軍様《しやうぐんさま》の|許《もと》へ|執《と》りもち|致《いた》す|考《かんが》へなれば|御安心《ごあんしん》なさい』
|蠑〓《いもり》『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります。お|民《たみ》、もう|安心《あんしん》せい。これだけの|軍隊《ぐんたい》の|中《なか》へ|入《はい》つて|居《ゐ》る|以上《いじやう》は、お|前《まへ》も|最早《もはや》|大丈夫《だいぢやうぶ》だ』
お|民《たみ》『|仮令《たとへ》|何《ど》んな|処《ところ》へでも|私《わたし》をお|見捨《みす》てなく|連《つ》れて|行《い》つてさへ|下《くだ》さいますれば、|何《ど》んな|処《ところ》へでもお|伴《とも》を|致《いた》します』
(大正一一・一二・一六 旧一〇・二八 北村隆光録)
第二一章 |民《たみ》の|虎声《こゑ》〔一二三一〕
|小北《こぎた》の|山《やま》の|霊域《れゐゐき》を |闇《やみ》に|紛《まぎ》れて|逃《に》げ|出《いだ》し
|恋《こひ》の|欲望《よくばう》を|達《たつ》せむと |蠑〓別《いもりわけ》と|語《かた》らひつ
|河鹿《かじか》の|橋《はし》を|打《う》ち|渡《わた》り |野中《のなか》の|森《もり》に|来《き》て|見《み》れば
|思《おも》ひがけなき|人《ひと》の|声《こゑ》 |幾十人《いくじふにん》ともわかぬ|程《ほど》
ザワザワザワと|聞《きこ》え|来《く》る お|民《たみ》は|驚《おどろ》き|倉皇《さうくわう》と
|元来《もとき》し|道《みち》に|引《ひ》き|返《かへ》し |息《いき》をはづましノソノソと
|野中《のなか》の|森《もり》を|目当《めあて》にて |河鹿峠《かじかたうげ》の|本道《ほんだう》に
|廻《まは》らむものと|進《すす》み|行《ゆ》く |怪《あや》しき|森《もり》の|木下蔭《こしたかげ》
|四五《しご》の|男《をとこ》は|胡床座《あぐらざ》に なりてヒソヒソ|雑談《ざつだん》に
|耽《ふけ》りて|冬《ふゆ》の|夜寒《よさむ》をば |慄《ふる》ひながらも|明《あか》し|居《ゐ》る
|斯《か》かる|事《こと》とは|神《かみ》ならぬ |身《み》の|知《し》るよしも|泣《な》きながら
|淋《さび》しさ|身《み》にしむ|冬《ふゆ》の|道《みち》 |後《あと》に|心《こころ》を|引《ひ》かれつつ
すたすた|来《きた》る|人《ひと》の|影《かげ》 コー、ワク、エムの|三人《さんにん》は
|女《をんな》に|向《むか》つて|声《こゑ》をかけ いづくの|奴《やつ》か|知《し》らねども
バラモン|軍《ぐん》の|御関所《おんせきしよ》 |通行《つうかう》|罷《まか》りならぬぞと
|呶鳴《どな》れば|女《をんな》は|打《う》ち|笑《わら》ひ |天下《てんか》|御免《ごめん》の|大道《だいだう》を
|通行《つうかう》するのが|何悪《なにわる》い |邪魔《じやま》ひろぐなと|云《い》ひながら
|一切《いつさい》かまはず|行《ゆ》かむとす |男《をとこ》は|両手《りやうて》を|打《う》ち|拡《ひろ》げ
|一歩《いつぽ》もやらじといきまけば お|民《たみ》は|声《こゑ》を|荒《あら》らげて
|小童武者《こわつぱむしや》よ|後《のち》のため |懲《こら》しめ|呉《く》れむと|云《い》ひながら
|前後左右《ぜんごさいう》に|詰《つ》め|寄《よ》せる |男《をとこ》の|素首《そつくび》ひん|握《にぎ》り
|右《みぎ》や|左《ひだり》と|打《う》ち|倒《たふ》し |挑《いど》み|戦《たたか》ふ|折《をり》もあれ
|大地《だいち》をどんどん|響《ひび》かせて |枯草《かれくさ》しげる|細道《ほそみち》を
|走《はし》つて|来《きた》る|男《をとこ》あり |此《この》|有様《ありさま》を|見《み》るよりも
お|前《まへ》はお|民《たみ》と|言《い》つたきり |腰《こし》を|抜《ぬ》かして|道《みち》の|辺《べ》に
ウンと|倒《たふ》れた|可笑《をか》しさよ お|民《たみ》は|後《あと》を|振《ふ》り|向《む》いて
お|前《まへ》は|蠑〓別《いもりわけ》さまか ようまあお|出《い》で|下《くだ》さつた
どうぞ|助太刀《すけだち》|頼《たの》みます |蠑〓別《いもりわけ》は|落《お》ち|着《つ》いて
アハヽヽヽヽヽヽアハヽヽヽ |御供《ごく》にも|立《た》たぬ|蠅虫《はへむし》を
|相手《あひて》になすとは|何事《なにごと》ぞ |俺《おれ》は|此処《ここ》にゆつくりと
さも|勇《いさ》ましい|活劇《くわつげき》を |見物《けんぶつ》|致《いた》す|精《せい》|出《だ》して
|愉快《ゆくわい》な|芝居《しばゐ》を|見《み》せて|呉《く》れ あゝ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い
|何《なん》ぞと|俄《にはか》に|負惜《まけを》しみ |其《その》|場《ば》を|繕《つくら》ふをかしさよ
お|民《たみ》も|相手《あひて》も|疲《つか》れ|果《は》て |互《たがひ》に|路傍《ろばう》に|息《いき》やすめ
|遂《つひ》に|和睦《わぼく》の|曙光《しよくわう》をば |認《みと》めた|上《うへ》に|蠑〓別《いもりわけ》が
|所持《しよぢ》の|大金《たいきん》|放《ほ》り|出《だ》して |賠償《ばいしやう》|気取《きど》りになつて|居《ゐ》る
かかる|所《ところ》へバラモンの |目附《めつけ》の|役《やく》と|選《えら》ばれし
エキスが|一人《ひとり》|現《あら》はれて |又《また》もや|茲《ここ》に|談判《だんぱん》を
|開設《かいせつ》せしぞ|面白《おもしろ》き |無慾恬淡《むよくてんたん》|金銭《きんせん》に
|心《こころ》を|寄《よ》せぬ|蠑〓別《いもりわけ》は |有金《ありがね》すつぽり|投《な》げ|出《だ》して
エキス|目附《めつけ》のお|気《き》に|入《い》り お|民《たみ》|諸共《もろとも》|陣中《ぢんちう》に
|駕籠《かご》に|乗《の》せられ|将軍《しやうぐん》の |帷幕《ゐばく》に|参《さん》じ|三五《あななひ》の
|教《をしへ》を|叩《たた》きやぶらむと |胸《むね》に|一物《いちもつ》|抱《いだ》きつつ
|本陣《ほんぢん》さして|進《すす》み|行《ゆ》く コー、ワク、エムの|三人《さんにん》は
|怪《あや》しの|森《もり》に|元《もと》の|如《ごと》く |警固《けいご》を|勤《つと》むる|折《をり》もあれ
|遠《とほ》く|聞《きこ》ゆる|宣伝歌《せんでんか》 |雷《らい》の|如《ごと》くに|響《ひび》き|来《く》る
|一同《いちどう》|両手《りやうて》で|耳《みみ》|押《おさ》へ |木蔭《こかげ》に|潜《ひそ》んでブルブルと
|声《こゑ》の|過《す》ぐるを|待《ま》ちにける。
○
|松彦《まつひこ》は|小北山《こぎたやま》の|聖地《せいち》を|離《はな》れ、|一本橋《いつぽんばし》を|渡《わた》り、|直《ただち》に|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善神《ぜんしん》|邪神《じやしん》を|立《た》てわける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し
|身《み》の|過《あやまち》を|宣《の》り|直《なほ》す |三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|道《みち》
|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》の |厳《いづ》の|教《をしへ》を|畏《かしこ》みて
|産土山《うぶすなやま》の|高原《かうげん》に |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》は
|珍《うづ》の|御舎《みあらか》|千木《ちぎ》|高《たか》く |仕《つか》へまつりて|永久《とこしへ》に
|鎮《しづ》まりいまし|天《あめ》の|下《した》 |四方《よも》の|国々《くにぐに》|蒼生《たみぐさ》に
|救《すく》ひの|道《みち》を|宣《の》べたまふ |教《をしへ》にまつらふ|宣伝使《せんでんし》
|治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》は |河鹿峠《かじかたうげ》を|乗《の》り|越《こ》えて
|南《みなみ》の|坂《さか》の|下《くだ》り|口《ぐち》 |進《すす》み|来《き》ませる|折《をり》もあれ
バラモン|教《けう》の|片彦《かたひこ》が |久米彦《くめひこ》|将軍《しやうぐん》|引《ひ》き|具《ぐ》して
ランチの|先鋒《せんぽう》とつかへつつ |河鹿峠《かじかたうげ》の|八合目《はちがふめ》に
|進《すす》む|折《をり》しも|三五《あななひ》の |治国別《はるくにわけ》の|言霊《ことたま》に
|打《う》ちなやまされ|散々《さんざん》に |秋《あき》の|木《こ》の|葉《は》の|散《ち》る|如《ごと》く
|逃《に》げ|散《ち》り|往《ゆ》くぞ|果敢《はか》なけれ |吾《われ》は|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の
|帷幕《ゐばく》に|参《さん》じ|秘書《ひしよ》となり |斎苑《いそ》の|館《やかた》の|征討《せいたう》に
|向《むか》ふ|折《をり》しも|皇神《すめかみ》の |慈光《じくわう》に|触《ふ》れて|蘇《よみがへ》り
|不思議《ふしぎ》の|縁《えん》にて|恋慕《こひした》ふ |兄《あに》|亀彦《かめひこ》にめぐり|会《あ》ひ
|別《わか》れて|程経《ほどへ》し|物語《ものがたり》 |茲《ここ》に|兄弟《きやうだい》|名告《なの》り|上《あ》げ
|玉国別《たまくにわけ》に|暇乞《いとまご》ひ |祠《ほこら》の|森《もり》を|立《た》ち|出《い》でて
|峻《けは》しき|坂《さか》を|下《くだ》りつつ |山口《やまぐち》の|森《もり》に|一泊《いつぱく》し
|不思議《ふしぎ》な|神《かみ》の|経綸《けいりん》に |驚異《きやうい》の|眼《まなこ》|見張《みは》りつつ
|野中《のなか》の|森《もり》に|来《き》て|見《み》れば |又《また》も|怪《あや》しき|事《こと》ばかり
|一夜《いちや》を|明《あか》す|其《その》|中《うち》に |治国別《はるくにわけ》に|立《た》ち|別《わか》れ
|何《なん》と|詮方《せんかた》|泣《な》く|泣《な》くも |五三公《いそこう》、|万公《まんこう》|初《はじ》めとし
アク、タク、テクの|三人《さんにん》を |従《したが》へ|野路《のぢ》を|進《すす》みつつ
|小北《こぎた》の|山《やま》の|向岸《むかふぎし》 |一本橋《いつぽんばし》に|来《き》て|見《み》れば
|又《また》もや|不思議《ふしぎ》の|神縁《しんえん》に |引《ひ》かれて|登《のぼ》る|小北山《こぎたやま》
|潜《ひそ》む|曲津《まがつ》を|言向《ことむ》けて |正《ただ》しき|神《かみ》を|祀《まつ》り|込《こ》み
|思《おも》ひも|寄《よ》らぬ|吾《わが》|妻《つま》や |娘《むすめ》と|廻《めぐ》り|会《あ》ひつつも
|神《かみ》の|仁慈《じんじ》を|喜《よろこ》びて |感謝《かんしや》の|涙《なみだ》せきあへず
|再《ふたた》びここを|立《た》ち|出《い》でて |治国別《はるくにわけ》の|後《あと》を|追《お》ひ
|浮木《うきき》の|森《もり》の|敵陣《てきぢん》へ |旗鼓堂々《きこだうだう》と|進《すす》み|行《ゆ》く
あゝ|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し |正義《せいぎ》に|刄向《はむか》ふ|神《かみ》はなし
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の |無限《むげん》の|神力《しんりき》|賜《たまは》りて
これの|使命《しめい》を|恙《つつが》なく |終《を》へさせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》
|厳《いづ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|神《かみ》に|任《まか》せし|此《この》|体《からだ》 たとへ|死《し》なうが|倒《たふ》れうが
|決《けつ》して|悔《くや》む|事《こと》はない |只《ただ》|何事《なにごと》も|神様《かみさま》に
|心《こころ》のままに|打《う》ち|任《まか》せ |進《すす》み|行《ゆ》く|身《み》は|大丈夫《だいぢやうぶ》
|大和心《やまとこころ》は|胸《むね》に|充《み》ち |腕《かひな》は|唸《うな》り|肉《にく》|躍《をど》り
|幾百万《いくひやくまん》の|敵軍《てきぐん》も |怯《お》めず|恐《おそ》れず|堂々《だうだう》と
|進《すす》みて|行《ゆ》かむ|魂《たましひ》と |早《はや》くも|生《うま》れ|変《かは》りけり
あゝ|勇《いさ》ましし|勇《いさ》ましし |神《かみ》の|力《ちから》は|目《ま》のあたり
いやしき|吾《わが》|身《み》に|添《そ》ひたまひ |群《むら》がる|敵《てき》の|陣中《ぢんちう》も
|無人《むじん》の|野《の》をば|行《ゆ》くごとし あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
|万公《まんこう》は|又《また》|歌《うた》ふ。
『|斎苑《いそ》の|館《やかた》を|立《た》ち|出《い》でて |漸《やうや》く|此処《ここ》に|来《き》て|見《み》れば
|思《おも》ひもよらぬお|寅《とら》さま お|菊《きく》にまでも|廻《めぐ》り|会《あ》ひ
|切《き》るに|切《き》られぬ|宿縁《しゆくえん》の |涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ふ|折《をり》もあれ
|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|生《い》かされて |小北《こぎた》の|山《やま》の|聖場《せいぢやう》は
|再《ふたた》び|春《はる》の|花盛《はなざか》り |常世《とこよ》の|暗《やみ》も|晴《は》れ|往《ゆ》きて
|月日《つきひ》は|清《きよ》く|照《て》り|渡《わた》り |空気《くうき》はいとも|澄《す》みきりて
|今迄《いままで》|悪魔《あくま》の|巣《す》ぐひたる みやまも|今《いま》は|神《かみ》の|国《くに》
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》となりにけり |松彦司《まつひこつかさ》に|従《したが》ひて
|悪魔《あくま》の|征途《せいと》に|上《のぼ》り|行《ゆ》く |神《かみ》の|下僕《しもべ》の|万公《まんこう》は
|世《よ》にも|稀《まれ》なる|宣伝使《せんでんし》 |治国別《はるくにわけ》のお|伴《とも》して
ハルナの|都《みやこ》は|未《ま》だ|愚《おろ》か |神《かみ》の|鎮《しづ》まるエルサレム
|黄金山《わうごんざん》に|向《むか》ひたる |鬼春別《おにはるわけ》の|軍隊《ぐんたい》を
|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|三五《あななひ》の |誠《まこと》の|道《みち》に|言向《ことむ》けて
|救《すく》ひ|助《たす》けむこの|首途《かどで》 あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|幸《さち》はひて |一日《ひとひ》も|早《はや》く|片時《かたとき》も
|神《かみ》の|依《よ》さしの|神業《かむわざ》を |尽《つく》させたまへ|天地《あめつち》の
|貴《うづ》の|御前《みまへ》に|万公《まんこう》が |畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|願《ね》ぎまつる』
(大正一一・一二・一六 旧一〇・二八 加藤明子録)
第二二章 |五三嵐《いそあらし》〔一二三二〕
|五三公《いそこう》『|天教山《てんけうざん》に|現《あ》れませる |日《ひ》の|出神《でのかみ》や|木《こ》の|花《はな》の
|咲耶《さくや》の|姫《ひめ》の|命《みこと》もて |千変万化《せんぺんばんくわ》に|身《み》を|変《へん》じ
|卑《いや》しき|人《ひと》の|体《たい》に|入《い》り |名《な》も|五三公《いそこう》と|改《あらた》めて
|治国別《はるくにわけ》の|弟子《でし》となり |尊《たふと》き|神《かみ》の|御教《みをしへ》を
|四方《よも》の|国々《くにぐに》|八十《やそ》の|島《しま》 |伝《つた》へて|世人《よびと》を|天国《てんごく》に
|導《みちび》き|救《すく》ひ|助《たす》けむと |河鹿峠《かじかたうげ》を|乗《の》り|越《こ》えて
|祠《ほこら》の|森《もり》や|山口《やまぐち》の |大森林《だいしんりん》に|宿泊《しゆくはく》し
|風《かぜ》に|曝《さら》され|雨《あめ》にぬれ |又《また》もや|吹雪《ふぶき》に|追《お》はれつつ
|野中《のなか》の|森《もり》の|木下闇《こしたやみ》 |一夜《いちや》を|明《あ》かし|河鹿山《かじかやま》
|橋《はし》の|袂《たもと》に|来《き》て|見《み》れば ウラナイ|教《けう》に|魂《たましひ》を
|曇《くも》らせなやむお|寅《とら》さま お|菊《きく》|親子《おやこ》に|廻《めぐ》り|会《あ》ひ
|松彦司《まつひこつかさ》と|諸共《もろとも》に ウラナイ|教《けう》の|本山《ほんざん》に
|一夜二夜《ひとよふたよ》を|明《あ》かす|中《うち》 |醜《しこ》の|曲神《まがみ》は|忽《たちま》ちに
|誠《まこと》の|神《かみ》の|神力《しんりき》に |恐《おそ》れて|姿《すがた》をくらましつ
|怪《あや》しき|女《をんな》を|引《ひ》きつれて |跡白浪《あとしらなみ》と|消《き》えたまふ
|吾《われ》はこれよりフサの|国《くに》 |月《つき》の|御国《みくに》は|云《い》ふも|更《さら》
メソポタミヤの|顕恩郷《けんおんきやう》 エデンの|園《その》を|乗《の》り|越《こ》えて
|神《かみ》の|現《あ》れますエルサレム |黄金山《わうごんざん》に|攻《せ》めよせる
|醜《しこ》の|曲津《まがつ》を|悉《ことごと》く |生言霊《いくことたま》を|打《う》ち|出《いだ》し
|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|天国《てんごく》の |花《はな》|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|楽園《らくゑん》に
|導《みちび》きゆかむ|吾《わが》|心《こころ》 |思《おも》へば|思《おも》へば|勇《いさ》ましし
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |天《てん》は|地《ち》となり|地《ち》は|天《てん》と
かへる|暗夜《やみよ》が|来《きた》るとも |神《かみ》の|依《よ》さしの|神業《かむわざ》を
|如何《いか》でか|忘《わす》れまつらむや |松彦司《まつひこつかさ》よ|万公《まんこう》よ
アク、タク、テクの|三人連《みたりづ》れ ウラナイ|教《けう》のお|寅《とら》さま
|神《かみ》の|光《ひかり》に|照《て》らされて |愛《あい》と|信《しん》とを|完全《くわんぜん》に
|悟《さと》りし|上《うへ》は|世《よ》の|中《なか》に もはや|恐《おそ》るる|事《こと》もなし
|浮木《うきき》の|森《もり》に|屯《たむろ》せる ランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》や
|久米彦《くめひこ》|如何《いか》に|勇《ゆう》あるも |神《かみ》の|依《よ》さしの|言霊《ことたま》を
いと|穏《おだや》かに|打《う》ち|出《だ》して |言向《ことむ》け|和《やは》し|三五《あななひ》の
|仁慈《じんじ》の|神《かみ》の|高徳《かうとく》を |心《こころ》の|底《そこ》より|悟《さと》らしめ
|地上《ちじやう》にさやぐ|醜風《しこかぜ》を |科戸《しなど》の|風《かぜ》に|吹《ふ》き|払《はら》ひ
|花《はな》|咲《さ》き|匂《にほ》ひ|鳥《とり》|歌《うた》ふ |清《きよ》き|涼《すず》しき|天国《てんごく》を
|地上《ちじやう》に|立《た》てむ、いざさらば |進《すす》みて|行《ゆ》かむ|神《かみ》の|道《みち》
|勇《いさ》めや|勇《いさ》めや|皆《みな》|勇《いさ》め |進《すす》めや|進《すす》めや|皆《みな》|進《すす》め
|悪魔《あくま》の|軍勢《ぐんぜい》の|滅《ほろ》ぶまで |醜《しこ》の|魔神《まがみ》の|失《う》するまで
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
お|寅《とら》は|道々《みちみち》|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。
『|浮木《うきき》の|村《むら》に|名《な》も|高《たか》き |白浪女《しらなみをんな》の|博奕《ばくち》うち
|艮婆《うしとらば》さまと|讃《たた》へられ |数多《あまた》の|乾児《こぶん》を|養《やしな》ひて
|弱《よわ》きを|助《たす》け|強《つよ》きをば |挫《くじ》くと|云《い》ひしは|表向《おもてむ》き
|其《その》|内実《ないじつ》は|弱《よわ》きをば いぢめて|強《つよ》きに|怯《お》ぢ|恐《おそ》れ
|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》の|醜態《しうたい》を |現《あら》はし|居《ゐ》たる|浅《あさ》ましさ
|今《いま》の|世界《せかい》の|侠客《けふかく》は いづれも|表裏《へうり》のあるものぞ
|決《けつ》して|弱《よわ》きを|助《たす》けない |又《また》もや|強《つよ》きに|敵《てき》せない
|唯《ただ》|世《よ》の|中《なか》を|渡《わた》りゆく |手段《しゆだん》に|如《し》かぬものぞかし
|年《とし》はおひおひ|寄《よ》つて|来《く》る |頭《かしら》に|霜《しも》を|戴《いただ》いて
|白浪《しらなみ》|言葉《ことば》のきかぬ|儘《ま》に |商売替《しやうばいが》へをせむものと
|隙《すき》を|窺《うかが》ひ|居《ゐ》たる|中《うち》 |小北《こぎた》の|山《やま》にウラナイの
|教《をしへ》の|射場《いば》が|開《ひら》けしと |聞《き》くよりお|寅《とら》は|雀躍《こをど》りし
|善《ぜん》の|仮面《かめん》を|被《かぶ》りつつ |篤《あつ》き|信者《しんじや》と|見《み》せかけて
|日《ひ》ごと|夜《よ》ごとに|通《かよ》ひつめ |蠑〓別《いもりわけ》に|取《と》り|入《い》つて
|内事《ないじ》の|司《つかさ》となりすまし |会計《くわいけい》|一切《いつさい》|手《て》に|握《にぎ》り
|一万円《いちまんゑん》の|金《かね》をため |老後《らうご》の|準備《じゆんび》を|計《はか》る|中《うち》
|昔《むかし》に|捨《す》てたる|古爺《ふるおやぢ》 |熊公《くまこう》の|野郎《やらう》がやつて|来《き》て
|外聞《ぐわいぶん》の|悪《わる》い|大勢《おほぜい》の |中《なか》で|胡床《あぐら》をかきながら
|巻舌《まきじた》づくめに|呶鳴《どな》り|立《た》て |手《て》こずらしたる|苦《くる》しさに
|忽《たちま》ち|一計《いつけい》|案出《あんしゆつ》し |熊公《くまこう》を|奥《おく》に|連《つ》れ|込《こ》んで
|酒《さけ》でいためて|呉《く》れむものと |喋々喃々《てふてふなんなん》お|世辞《じやうず》をば
|雲雀《ひばり》の|如《ごと》く|並《なら》べたて |酒《さけ》|酌《く》み|交《か》はし|悦《えつ》に|入《い》り
|熊公《くまこう》|弱《よわ》らせ|神《かみ》の|道《みち》 |酷《きび》しく|強《つよ》く|言《い》ひ|聞《き》かせ
|追《お》つ|払《ぱら》はむと|思《おも》ひしに |豈《あに》|計《はか》らむや|熊公《くまこう》は
|悪胴《わるどう》|据《す》ゑて|白《しら》を|切《き》り |一万円《いちまんゑん》の|金《かね》|出《だ》せと
|云《い》ひたる|時《とき》の|驚《おどろ》きは |身《み》も|世《よ》もあらぬ|思《おも》ひなり
|五三公《いそこう》さまの|仲裁《ちうさい》で |一千円《いつせんゑん》の|手切《てぎ》れ|金《きん》
その|場《ば》の【ごみ】は|濁《にご》せども まだ|納《をさ》まらぬ|胸《むね》の|中《うち》
ウラナイ|教《けう》の|神様《かみさま》が きつとお|守《まも》りある|上《うへ》は
|熊公《くまこう》の|奴《やつ》は|途中《とちう》にて |体《からだ》が|痺《しび》れ|口《くち》ゆがみ
スツパリ|改心《かいしん》|致《いた》します お|金《かね》を|受取《うけと》り|下《くだ》されと
|吠面《ほえづら》かわくであらうぞと |思《おも》つた|事《こと》も|水《みづ》の|泡《あわ》
|熊公《くまこう》は|金《かね》を|懐《ふところ》に |深《ふか》くもかくしスタスタと
|当《あ》てどもなしに|足《あし》まめに |逃《に》げ|往《ゆ》く|時《とき》の|憎《にく》らしさ
|神《かみ》も|仏《ほとけ》も|世《よ》の|中《なか》に こいつアてつきりないものだ
こんな|事《こと》だと|知《し》つたなら |朝《あさ》から|晩《ばん》まで|水垢離《みづごうり》
|体《からだ》を|冷《つめ》たい|目《め》にあはせ |神《かみ》を|拝《をが》むぢやなかつたに
|大小《だいせう》|幾多《いくた》の|神館《かむやかた》 |砕《くだ》いて|無念《むねん》を|晴《は》らさむと
|思《おも》ふ|折《をり》しも|白狐《びやくこ》さま |蠑〓別《いもりわけ》の|姿《すがた》して
|三万円《さんまんゑん》のお|土産《みやげ》を |渡《わた》して|呉《く》れた|嬉《うれ》しさに
|又《また》もや|神《かみ》を|拝《をが》まうと |悪心《あくしん》|忽《たちま》ちひるがへし
|喜《よろこ》ぶ|間《ま》もなく|蠑〓別《いもりわけ》は |黒《くろ》き|狐《きつね》と|早変《はやがは》り
|貰《もら》うた|金《かね》は|石瓦《いしかはら》 |馬鹿《ばか》げた|夢《ゆめ》を|見《み》たものと
|悔《くや》めどかへらぬ|胸《むね》の|暗《やみ》 |忽《たちま》ち|晴《は》るる|神《かみ》の|声《こゑ》
やつと|吾《わが》|身《み》に|立《た》ち|復《かへ》り |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し
|天地《てんち》の|神《かみ》に|平伏《ひれふ》して |謝罪《しやざい》し|奉《まつ》れば|村肝《むらきも》の
|心《こころ》は|俄《にはか》に|明《あか》くなり |真如《しんによ》の|月《つき》は|心天《しんてん》に
|輝《かがや》き|初《そ》めしうれしさよ |吾等《われら》は|神《かみ》に|救《すく》はれぬ
この|喜《よろこ》びを|独占《どくせん》し |居《ゐ》るべき|時《とき》に|非《あら》ざらむ
|心《こころ》を|尽《つく》し|身《み》を|尽《つく》し |神《かみ》の|御《おん》|為《た》め|世《よ》のために
|誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の |教《をしへ》の|道《みち》を|宣伝《せんでん》し
|尊《たふと》き|神《かみ》の|真愛《しんあい》と |真智《しんち》にさとりし|高恩《かうおん》の
|万分一《まんぶんいち》に|報《むく》いむと |進《すす》む|吾《われ》こそ|嬉《うれ》しけれ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|星《ほし》は|天《てん》より|落《お》つるとも |一旦《いつたん》|神《かみ》に|誓《ちか》ひたる
|心《こころ》を|如何《いか》でかへさむや |天地《てんち》の|神《かみ》も|御照覧《ごせうらん》
|艮婆《うしとらば》さまの|改心《かいしん》を |完全《うまら》に|委曲《つばら》に|諾《うべ》なひて
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御使《みつかひ》に あたらせたまへ|惟神《かむながら》
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御前《おんまへ》に |謹《つつし》みゐやまひ|祈《ね》ぎまつる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
アクはまた|歌《うた》ふ。
『バラモン|軍《ぐん》の|片彦《かたひこ》や ランチ|将軍《しやうぐん》|一隊《いつたい》の
|斥候兵《せきこうへい》と|選《えら》まれて |妖怪窟《えうくわいくつ》と|聞《きこ》えたる
|森《もり》のかたへに|来《き》て|見《み》れば |俄《にはか》に|足《あし》が|立《た》ちどまり
|魂《たま》はをののき|魄《はく》ふるひ やむなく|路傍《ろばう》に|腰《こし》おろし
ひそびそ|話《はな》す|折《をり》もあれ |片方《かたへ》の|木蔭《こかげ》に|松虫《まつむし》の
さへづる|如《ごと》き|細《ほそ》い|声《こゑ》 ホヽヽヽヽツといやらしく
|三人《みたり》の|耳《みみ》をかすめ|来《く》る こりや|耐《たま》らぬと|息《いき》をつめ
|様子《やうす》を|窺《うかが》ひ|居《ゐ》る|中《うち》に |将軍《しやうぐん》さへも|恐《おそ》れたる
|治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》が |社《やしろ》のあたりに|宿泊《しゆくはく》し
|眠《ねむ》り|居《ゐ》たるぞ|恐《おそ》ろしき それより|三人《みたり》は|大野原《おほのはら》
|枯野《かれの》を|分《わ》けてノタノタと |野中《のなか》の|森《もり》まで|四《よ》つ|這《ば》ひに
|進《すす》み|往《ゆ》きしぞ|苦《くる》しけれ |野中《のなか》の|森《もり》に|現《あら》はれし
|怪《あや》しき|声《こゑ》に|肝《きも》つぶし |戦《をのの》く|折《をり》しも|三五《あななひ》の
|教《をしへ》の|道《みち》の|松彦《まつひこ》や |五三公《いそこう》、|万公《まんこう》に|助《たす》けられ
|誠《まこと》の|道《みち》に|帰順《きじゆん》して |後《あと》に|従《したが》ひ|居《ゐ》たる|中《うち》
|小北《こぎた》の|山《やま》に|導《みちび》かれ |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|義理天上《ぎりてんじやう》
|肉《にく》の|宮《みや》なる|魔我彦《まがひこ》が |失恋話《しつれんばなし》や|万公《まんこう》が
|夜食《やしよく》に|外《はづ》れた|不足顔《ふそくがほ》 お|寅婆《とらば》さまの|荒《すさ》びをば
|面白《おもしろ》をかしく|拝見《はいけん》し |二夜《ふたよ》さ|三夜《みよ》さ|息《いき》やすめ
|変化《へぐれ》の|変化《へぐれ》の|変化武者《へぐれむしや》 |変化神社《へぐれじんしや》を|初《はじ》めとし
|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神《かみ》 リントウビテン|大神宮《だいじんぐう》
|種物神社《たねものじんしや》ユラリ|彦《ひこ》 ブラブラ|彦《ひこ》と|現《あら》はれた
|怪《あや》しき|神《かみ》を|拝《をが》まされ |面白《おもしろ》をかしく|日《ひ》を|送《おく》り
|松彦《まつひこ》さまに|従《したが》ひて |悪魔《あくま》の|征途《せいと》に|上《のぼ》るべく
|今《いま》やここ|迄《まで》|来《きた》りけり あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》は|吾等《われら》と|倶《とも》にあり |吾等《われら》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》
|如何《いか》でか|曲《まが》の|敵《てき》すべき |進《すす》めや|進《すす》めやいざ|進《すす》め
ランチ|将軍《しやうぐん》|亡《ほろ》ぶまで |片彦《かたひこ》、|久米彦《くめひこ》|甲《かぶと》|脱《ぬ》ぎ
わが|軍門《ぐんもん》に|降《くだ》るまで』
と|一足《ひとあし》|々々《ひとあし》|拍子《ひやうし》を|取《と》り、|怪《あや》しの|森《もり》をさして|進《すす》みゆく。
(大正一一・一二・一六 旧一〇・二八 加藤明子録)
第二三章 |黄金華《わうごんくわ》〔一二三三〕
お|寅《とら》は|途中《とちう》に|立止《たちど》まり、|一行《いつかう》を|顧《かへり》みて、
『モシ|皆《みな》さま、あの|向方《むかふ》にスンと|立《た》つて|見《み》える|野中《のなか》の|森《もり》は、|怪《あや》しの|森《もり》といつて、|此《この》|頃《ごろ》はランチ|将軍《しやうぐん》の|部下《ぶか》が|見張《みはり》をしてゐるさうです。あの|森《もり》の|角《かど》から|左《ひだり》へとれば|本街道《ほんかいだう》、|今《いま》|此《この》|道《みち》は|間道《かんだう》となつてゐるのですから、あの|人字街頭《じんじがいとう》に|往来《ゆきき》の|人《ひと》を、どうせ|査《しら》べてゐるに|違《ちが》ひありませぬ。|一《ひと》つ|此処《ここ》で|相談《さうだん》をして|無事《ぶじ》|突破《とつぱ》する|用意《ようい》をいたしませうか』
|松彦《まつひこ》『|吾々《われわれ》は|天下《てんか》|晴《は》れての|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|候補者《こうほしや》だ。たとへ|幾十人《いくじふにん》の|敵《てき》が|張《は》つて|居《を》らうとも、|別《べつ》に|怖《おそ》れる|必要《ひつえう》はないぢやないか』
お|寅《とら》『イエ|滅相《めつさう》もない、バラモンは|三五教《あななひけう》の|神館《かむやかた》ウブスナ|山《やま》を|目的《もくてき》として|進軍《しんぐん》の|最中《さいちう》ではありませぬか。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、しかもウブスナ|山《やま》から|派遣《はけん》された|貴方等《あなたがた》が|御出《おいで》になるのは、|飛《と》んで|火《ひ》に|入《い》る|夏《なつ》の|虫《むし》、|可惜命《あつたらいのち》を|棒《ぼう》にふるやうなものです。こんな|所《ところ》で|我《が》を|張《は》つちやなりませぬ。|皮《かは》|固《かた》ければ|脆《もろ》くして|破《やぶ》れ|易《やす》く、|梢《こずゑ》|軟《やは》らかなれば|風《かぜ》に|折《を》れず、|歯《は》は|如何《いか》に|固《かた》くとも、|柔《やは》らかき|舌《した》より|前《さき》に|亡《ほろ》ぶといふ|事《こと》がありますぞ。|強《つよ》いばかりが|神《かみ》の|心《こころ》ぢやありますまい。|兎《と》も|角《かく》|此処《ここ》で|一服《いつぷく》|致《いた》しませう。|妾《わたし》も|永《なが》らく|歩《あゆ》まなかつたので|交通機関《かうつうきくわん》が|怪《あや》しくなつて|来《き》ました。|何卒《どうぞ》|休《やす》んで|下《くだ》さいな』
|松彦《まつひこ》『コレだから|婆《ば》アさまの|道伴《みちづれ》は|困《こま》るのだ。|併《しか》し|仕方《しかた》がない。オイ|一同《いちどう》、お|寅《とら》さまの|提案《ていあん》に|賛成《さんせい》して|暫《しばら》くコンパスの|休養《きうやう》をしようぢやないか』
|五三《いそ》『ハイ、|宜《よろ》しう|厶《ござ》いませう』
と|路傍《ろばう》の|草《くさ》の|上《うへ》に|蓑《みの》を|布《し》いて|腰《こし》を|下《おろ》した。お|寅婆《とらば》アさまの|坐《すわ》つた|前《まへ》に|湯津爪櫛《ゆつつまぐし》が|一本《いつぽん》|落《お》ちて|居《ゐ》る。お|寅《とら》は|手早《てばや》く|拾《ひろ》ひ|上《あ》げ、よくよく|見《み》れば|見覚《みおぼ》えのある|自分《じぶん》の|櫛《くし》である。これはお|寅《とら》が|侠客《けふかく》|時代《じだい》に|金《かね》にあかして|拵《こしら》へた|鼈甲《べつかふ》の|櫛《くし》であつた。お|寅《とら》はつくづくと|打眺《うちなが》め、
『ハヽアー、|此《この》|櫛《くし》は|永《なが》らく|小北山《こぎたやま》へ|来《き》てから|紛失《ふんしつ》してゐたが、こんな|所《ところ》へ|落《お》ちてゐるとは、|夢《ゆめ》にも|知《し》らなかつた。|大方《おほかた》|蠑〓別《いもりわけ》がソツと|何々《なになに》してお|民《たみ》に|与《あた》へたのだろ。さうすれば、お|民《たみ》が|此処《ここ》を|通《とほ》る|時《とき》|落《おと》したのだろ。お|民《たみ》が|通《とほ》つたとすれば、|矢張《やつぱ》り|蠑〓別《いもりわけ》も|通《とほ》つたに|違《ちが》ひない』
といふ|結論《けつろん》を|立《た》てた。されど|只今《ただいま》のお|寅《とら》は|最早《もはや》|昨日《きのふ》のお|寅《とら》でない。|執着心《しふちやくしん》も|悋気《りんき》も|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》と|払拭《ふつしき》され、|青天《せいてん》|白日《はくじつ》の|魂《みたま》になつてゐた。|昨日《さくじつ》までならば、この|櫛《くし》を|見《み》て|忽《たちま》ち|形相《ぎやうさう》|一変《いつぺん》し、|頭《あたま》に|無形《むけい》の|角《つの》を|生《は》やし、|獅子《しし》の|如《ごと》く、|虎《とら》の|如《ごと》く|吼《ほ》えたけるのであつたらう。されどお|寅《とら》は、|神《かみ》の|光《ひかり》に|照《てら》されてより、|恋《こひ》の|仇《かたき》なるお|民《たみ》の|持《も》つてゐた|自分《じぶん》の|櫛《くし》を|拾《ひろ》ひ|上《あ》げても|少《すこ》しも|嫉妬《しつと》を|起《おこ》さず、|且《かつ》|顔色《がんしよく》も|変《か》へず、|平然《へいぜん》として|微笑《びせう》することを|得《え》たのは、|全《まつた》く|神《かみ》の|教《をしへ》の|賜《たまもの》である|事《こと》はいふまでもない。
|万公《まんこう》はお|寅《とら》の|拾《ひろ》ひ|上《あ》げた|櫛《くし》を|覗《のぞ》き|込《こ》み、
『お|寅《とら》さま、|意味《いみ》ありげな|櫛《くし》ぢやありませぬか。|此《この》|櫛《くし》に|就《つい》ては|貴女《あなた》に|何《なに》か|不可思議《ふかしぎ》な|因縁《いんねん》がまつはつて|居《ゐ》るやうですなア』
お|寅《とら》『さうです。|昨日《きのふ》|迄《まで》ならば|大《おほい》に|因縁《いんねん》の|糸《いと》がコンがらがつて|居《を》つたでせうが、もはや|今日《こんにち》となつては|何《なん》にもありませぬ。|何処《どこ》かの|女《をんな》が|落《おと》して|行《い》つたのでせう。|何《いづ》れ|此《この》|先《さき》で|追《お》ひつくか、|或《あるひ》は|出会《であ》ふかもしれませぬからネー。|万公《まんこう》さま、|貴方《あなた》|何処《どこ》かに|入《い》れて|落失主《おとしぬし》に|会《あ》ふまで|保存《ほぞん》して|下《くだ》さるまいかなア』
|万公《まんこう》『|鼈甲《べつかふ》の|櫛《くし》なんかは|男《をとこ》の|持《も》つものぢやありませぬ。|女《をんな》の|貴女《あなた》がお|持《も》ちになつて|居《を》れば、|似合《にあ》うたり|叶《かな》うたり、こればつかりは|軽《かる》いものでは|厶《ござ》いますが、|平《ひら》に|御断《おことわ》り|申《まを》したう|厶《ござ》います。さうして|櫛《くし》を|拾《ひろ》うのはよくないぢやありませぬか。|悔《くや》み|事《ごと》が|出来《でき》るといふ|事《こと》です。|何《なん》でも|大変《たいへん》な|心配《しんぱい》があつてクシクシする|時《とき》には、|其《その》|心配《しんぱい》を|免《のが》れるために|櫛《くし》を|道《みち》に|捨《す》てるさうです。それを|拾《ひろ》うたものはクシクシを|拾《ひろ》ふのだから|災難《さいなん》に|会《あ》ふに|違《ちが》ひありませぬよ。|一層《いつそう》の|事《こと》、|其処《そこ》へ|打捨《うちす》ててはどうです』
お|寅《とら》『|此《この》|櫛《くし》は|決《けつ》してそんなものぢやない。あまり|嬉《うれ》しうて|落《おと》したのだから、|喜《よろこ》びを|拾《ひろ》ふやうなものだ。これは|形見《かたみ》だから|万公《まんこう》さま、お|前《まへ》も|若《わか》い|身体《からだ》で、|此《この》|先《さき》で|妻帯《さいたい》をせなくてはならぬ|身《み》の|上《うへ》だ。|此《この》|櫛《くし》を|持《も》つてあやかつたらどうです。|九千両《きうせんりやう》の|金子《きんす》をもつて|夫《をつと》が|屹度《きつと》|後追《あとお》うて|来《き》てくれますよ、オホヽヽヽ』
|万公《まんこう》『|何《なん》だ、お|民《たみ》の|櫛《くし》だなア、アーさうすると|蠑〓別《いもりわけ》さまが|後《あと》を|追《お》うて|此処《ここ》を|通《とほ》つた|檜舞台《ひのきぶたい》だ。オイ、テク、|貴様《きさま》はあやかる|為《ため》に|此《この》|櫛《くし》を|御預《おあづか》りしたら|何《ど》うだい』
テク『イヤだい、|何程《なにほど》|女《をんな》にかつゑたつて、|他《ひと》の|惚《ほ》れて|居《ゐ》る|女《をんな》を|横取《よこど》りして|逃《に》げるやうな|不人情《ふにんじやう》な|事《こと》にはあやかりたくないワ』
|万公《まんこう》『お|寅《とら》さま、|此《この》|通《とほ》り|誰《たれ》も|預《あづか》り|手《て》がありませぬ。|元《もと》は|貴女《あなた》の|所有品《しよいうひん》でせう。|貴女《あなた》のものが|貴女《あなた》に|返《かへ》るのは|当然《たうぜん》だ。なかなか|二百両《にひやくりやう》や|三百両《さんびやくりやう》で|買《か》へる|物《もの》ぢやありませぬデー。|貴女《あなた》、お|持《も》ちになつたら|何《ど》うです』
お|寅《とら》『|一旦《いつたん》|欲《ほ》しいと|思《おも》つて|盗《ぬす》んだ|此《この》|櫛《くし》には|霊《れい》がやどつて|居《ゐ》るから、|此《この》お|寅《とら》は|手《て》にふれるのも|嫌《いや》です。|頭《あたま》が|痛《いた》うなりますからなア』
|万公《まんこう》『ハー、やつぱりさうするとリーンとキツウ|頭《あたま》へ|来《く》るのだなア。|何程《なにほど》|改心《かいしん》しても|悋気《りんき》といふものは|又《また》|特別《とくべつ》と|見《み》えるワイ、アハヽヽヽ』
|松彦《まつひこ》『くしみたま|神《かみ》のまにまに|幸《さち》はひて
|曲《まが》の|行方《ゆくへ》をさとし|給《たま》へり』
お|寅《とら》『わがくしにめぐり|会《あ》ひたる|今日《けふ》の|空《そら》
くしき|御神《みかみ》の|守《まも》りなるらむ。
|縺《もつ》れたる|毛《け》をときわけるくしみたま
|神《かみ》のまにまに|通《とほ》り|行《ゆ》く|哉《かな》。
|世《よ》のもつれときわくるてふくしみたま
|思《おも》ひもよらず|此処《ここ》で|見《み》るかな』
|松彦《まつひこ》『サア|参《まゐ》りませう』
と|又《また》もや|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|怪《あや》しの|森《もり》|指《さ》して|歩《あゆ》みを|急《いそ》ぐ。コー、ワク、エムの|三人《さんにん》は|細《ほそ》い|道《みち》に|胡床《あぐら》をかき、シブシブしながら|番卒《ばんそつ》をつとめてゐる。
コー『オイ、|又《また》|誰《たれ》かやつて|来《き》たぞ。どうやら|今度《こんど》は|痛手《いたで》らしいやうだ。あの|宣伝歌《せんでんか》は|屹度《きつと》|三五教《あななひけう》だ。ウラル|教《けう》が|通《とほ》りよるとボロイんだけどなア』
ワク『オイ、そんな|陽気《やうき》な|事《こと》をいつて|居《ゐ》る|処《どころ》ぢやない。|森《もり》の|木蔭《こかげ》へでも|隠《かく》れたらどうだ』
コー『|何《なん》のための|番卒《ばんそつ》だ。|仮令《たとへ》|殺《ころ》されたつて|此処《ここ》を|離《はな》れる|事《こと》が|出来《でき》るものか。|八尺《はつしやく》の|男子《だんし》がサウ|無暗《むやみ》に|敵《てき》に|怖《おそ》れて|逃《に》げるといふ|事《こと》が|出来《でき》ようかい』
エム『ソレでも|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》、|久米彦《くめひこ》|将軍《しやうぐん》は|数百名《すうひやくめい》の|騎馬隊《きばたい》を|引率《ひきつ》れて、|言霊《ことたま》を|打出《うちだ》されて|脆《もろ》くも|敗走《はいそう》したぢやないか。|吾々《われわれ》の|如《ごと》き|一兵卒《いつぺいそつ》は|逃《に》げたつて|恥《はぢ》にもならねば、|職務《しよくむ》|不忠実《ふちうじつ》の|罪《つみ》に|問《と》はれる|筈《はず》がないぢやないか』
コー『|大将《たいしやう》が|逃《に》げても|失敗《しつぱい》しても|決《けつ》して|咎《とが》めはないが、|吾々《われわれ》は|一《ひと》つ|失敗《しつぱい》しようものならソレこそ|首《くび》だよ。それだから、なるのなら|牛《うし》の|尻尾《しつぽ》になるよりも、|雀《すずめ》の|頭《あたま》になれといふのだ』
エム『そんな|不公平《ふこうへい》な|事《こと》が|何《ど》うしてあるのだらうな。|大将《たいしやう》だつて|俺《おれ》だつて、|生命《いのち》の|惜《を》しいのは|同様《どうやう》ぢやないか』
コー『なアに|俺達《おれたち》は|戦《いくさ》に|臨《のぞ》めば|矢受《やう》けに|代用《だいよう》されるのだ。|一将《いつしやう》|功《こう》|成《な》らむとすれば|万卒《ばんそつ》|骨《ほね》を|枯《か》らさなくてはならぬのだ。つまり|言《い》へば|築港《ちくこう》の|埋草《うめぐさ》|見《み》たやうなものだなア』
エム『そんな|事《こと》|聞《き》くと|阿呆《あはう》らしくて、こんな|職務《しよくむ》は|出来《でき》ないぢやないか』
コー『だつて|外《ほか》に|芸《げい》があるぢやなし、|学問《がくもん》があるぢやなし、|商売《しやうばい》しようにも|資本《もとで》はなし、|又《また》|世間《せけん》の|奴《やつ》からはゲジゲジの|様《やう》に|嫌《きら》はれ、|行《ゆ》き|詰《つま》つたから|仕方《しかた》なしに、こんな|処《ところ》へ|堕落《だらく》したのぢやないか。|今《いま》のポリスだつてさうだろ。|誰《たれ》も|相手《あひて》にしてくれないから、|安《やす》い|月給《げつきふ》で|人民《じんみん》に|威張《ゐば》るのを|役徳《やくとく》として|仕《つか》へてゐるのだ』
ワク『それだけ|信用《しんよう》のないものが、ポリスになつても|人間《にんげん》が|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》くだらうかなア』
コー『|予言者《よげんしや》と|同様《どうやう》に|郷里《きやうり》では|駄目《だめ》だ。それだから|百里《ひやくり》も|二百里《にひやくり》も|遠《とほ》い|処《ところ》へやつて|使《つか》ふのだ。さうすればドンナ|極道《ごくだう》だつて、|戸倒《どたふ》しものだつて、|博奕打《ばくちうち》だつて、|立派《りつぱ》な|御役人様《おやくにんさま》になれるのだからなア。|俺《おれ》だつてさうだらう。チヨイ|博奕《ばくち》も|打《う》ち、バサンしやていに、カヽしやてい、【さくい】|女《をんな》のシリを|追《お》ひ|廻《まは》して|村中《むらぢう》から|忌《い》み|嫌《きら》はれ、|叩《たた》き|出《だ》され、|乞食《こじき》になつてハルナの|都《みやこ》へ|彷徨《さまよ》ひ、|到頭《たうとう》|生命《いのち》の|的《まと》の|商売《しやうばい》にありつかして|貰《もら》つたのだ。|貴様《きさま》だつて|皆《みな》さうだらう。|宅《うち》に|女房《にようばう》が|待《ま》つて|居《ゐ》るなんて、|何程《なにほど》|偉《えら》さうにいつても|女房《にようばう》のあるやうなものが、こんな|事《こと》をするものかい』
エム『ソレはさうだ。|自分《じぶん》の|親類《しんるゐ》や|近所《きんじよ》の|事《こと》をいつてゐるのだよ。|併《しか》し|俺《おれ》だつて、ワクだつて、|貴様《きさま》だつて、|人交《ひとまじ》はりもせず、|家庭《かてい》もつくらずに、|此《この》|儘《まま》|朽《く》ち|果《は》つるやうな|事《こと》は|滅多《めつた》にあるまい。|併《しか》し|世《よ》の|中《なか》は|几帳面《きちやうめん》に|渡《わた》ると|損《そん》だ。|今《いま》|彼処《あしこ》にやつて|来《く》る|宣伝使《せんでんし》に|対《たい》しても|甘《うま》く|下《した》から|出《で》るのだね』
|斯《か》く|話《はな》す|処《ところ》へ、|松彦《まつひこ》|一隊《いつたい》は|早《はや》くも|近付《ちかづ》き|来《きた》り|三人《さんにん》に|向《むか》つて、
|松彦《まつひこ》『|一寸《ちよつと》|物《もの》を|伺《うかが》ひます。|貴方《あなた》はバラモンの|軍人《ぐんじん》と|見《み》えますが、|此処《ここ》を|二十才《はたち》ばかりの|女《をんな》と、|四十《しじふ》|格好《かくかう》の|男《をとこ》が|通《とほ》りは|致《いた》しませぬか』
コー『|其《その》|方《はう》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》であらう。|若《わか》い|男女《だんぢよ》の|道《みち》|行《ゆ》きを|尋《たづ》ねて|何《なん》といたすか。それよりも|此《この》|関門《くわんもん》を|通過《つうくわ》さす|事《こと》は|罷《まか》りならぬぞ。|浮木《うきき》の|村《むら》にはランチ|将軍様《しやうぐんさま》の|軍隊《ぐんたい》が|宿営《しゆくえい》して|仮本営《かりほんえい》が|出来《でき》て|居《ゐ》る。それ|故《ゆゑ》|汝《なんぢ》|如《ごと》きものは|一歩《いつぽ》たりとも、これより|踏《ふ》み|入《い》らす|事《こと》は|罷《まか》りならぬのだ。サア|早《はや》く|帰《かへ》つたがよからうぞ。|召捕《めしとり》へられて|本陣《ほんぢん》にひき|行《ゆ》くべきところなれど、|其《その》|方《はう》の|心次第《こころしだい》に|依《よ》つては|許《ゆる》してやらぬ|事《こと》もない』
『|別《べつ》に|貴方《あなた》の|許《ゆる》しを|受《う》けなくとも、|吾々《われわれ》は|自由《じいう》に|此処《ここ》を|通過《つうくわ》いたす|権利《けんり》を|保有《ほいう》してゐるのだ。|併《しか》し|何《なに》か|要求《えうきう》すべき|事《こと》があらば|聞《き》いてやらう。それと|交換《かうくわん》に|此《この》|関門《くわんもん》をゴテゴテ|言《い》はずに|通《とほ》したがよからう』
『オツと|御出《おい》でたよ。|流石《さすが》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|実《じつ》の|処《ところ》はランチ|将軍《しやうぐん》も|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》も|三五教《あななひけう》ときけばビリビリものです。|併《しか》しながら|今度《こんど》は|充分《じうぶん》の|軍備《ぐんび》を|整《ととの》へ、|手具脛《てぐすね》ひいて|待《ま》つてゐるのだから、うつかり|御出《おい》でになれば|命《いのち》がない。それだから|貴方《あなた》の|出様《でやう》|一《ひと》つによつては|安全《あんぜん》な|間道《かんだう》を|教《をし》へてやらぬ|事《こと》もないのだ。|今《いま》|通《とほ》つた|男《をとこ》は|蠑〓別《いもりわけ》といふ|気《き》の|利《き》いた|奴《やつ》で、|俺達《おれたち》に|千円《せんゑん》の|気《き》づけを|呉《く》れ|居《を》つた。|三人《さんにん》で|千円《せんゑん》ぢやないぞ、|一人《ひとり》に|千円《せんゑん》だぞ。|勘定《かんぢやう》|違《ちが》ひをせぬやうに|其《その》|方《はう》も|何《なん》とか|考《かんが》へねばいけない』
『ヤア|有難《ありがた》い、|重《おも》たいけれど|其《その》|千円《せんゑん》を|頂《いただ》いて|行《ゆ》かう。|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》は|強《つよ》いものの|強《つよ》い、|弱《よわ》いものの|弱《よわ》い|世《よ》の|中《なか》だ。|弱《よわ》い|奴《やつ》に|金《かね》をやつてたまらうかい。|其《その》|方《はう》は|三人《さんにん》で|三千円《さんぜんゑん》|持《も》つて|居《ゐ》ると|言《い》つたな。|其処《そこ》に|二人《ふたり》の|男《をとこ》が|居《ゐ》るやうだ。|其《その》|方《はう》は|二人《ふたり》で|千円《せんゑん》|持《も》つてるのだろ。さうすれば|四千円《よんせんゑん》だ。|俺《おれ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|兼《けん》|大泥棒《おほどろばう》だ。サア、サツパリと|四千円《よんせんゑん》|耳《みみ》を|揃《そろ》へて|此処《ここ》へツン|出《だ》せばよし、グヅグヅ|吐《ぬか》すと|承知《しようち》いたさぬぞ』
『オイ、ワク、エム、サツパリだ。エーー、モ|千円《せんゑん》|儲《まう》けようと|思《おも》つたに、サツパリ|出《だ》せと|吐《ぬか》しやがる。あんな|事《こと》をいつて|俺達《おれたち》を|威《おど》かすのだらう』
『アハヽヽヽ、|威《おど》してゐるのだ。|其《その》|方《はう》も|威《おど》して|取《と》つたのだらう。|今《いま》の|処世《しよせい》の|上手《じやうづ》な|奴《やつ》は|上《うへ》から|下《した》まで|皆《みな》|威《おど》してゐるのだ。|弱点《じやくてん》のある|人間《にんげん》を|威《おど》さなくて|誰《たれ》を|威《おど》すのだ。サ|其《その》|方《はう》は|蠑〓別《いもりわけ》から|四千円《よんせんゑん》の|金子《きんす》を|取《と》つた|泥棒《どろばう》だらう。|此《この》|方《はう》に|渡《わた》せばとて|決《けつ》して|其《その》|方《はう》の|会計《くわいけい》に|欠損《けつそん》の|行《ゆ》く|道理《だうり》はなからう。|其《そ》の|金《かね》は|今《いま》|此処《ここ》にゐるお|寅《とら》さまの|臍繰金《へそくりがね》を|盗《ぬす》んで|逃《に》げた|性念《しやうねん》の|入《はい》つた|金《かね》だ。サア、キリキリチヤツと|渡《わた》さぬか』
『モシ、|渡《わた》さぬ|事《こと》はありませぬが、|折角《せつかく》|喜《よろこ》んで|目《め》の|正月《しやうぐわつ》、|心《こころ》の|餓辛《がしん》では|堪《たま》りませぬからね。|何卒《どうぞ》|百円《ひやくゑん》だけ|私《わたし》に|貰《もら》ふ|訳《わけ》には|行《ゆ》きますまいかなア』
『アハヽヽヽ、|嘘《うそ》だ。|取《と》る|奴《やつ》も|取《と》られる|奴《やつ》も|因縁《いんねん》があるのだろ。|因縁《いんねん》がなくては|取《と》られようと|思《おも》つたつて|取《と》られず、|取《と》らうと|思《おも》つても|取《と》れるものぢやない。やつぱり|貴様《きさま》が|御蔭《おかげ》を|頂《いただ》いたのだろ』
『ハイ、|実《じつ》は|先方《むかう》の|方《はう》から|請求《せいきう》せないのに|下《くだ》さつたのです。それで|味《あぢ》をしめて|又《また》お|前《まへ》さまに|一《ひと》つ|威《おど》して|見《み》たら|呉《く》れるだらうかと|思《おも》つたのに、|反対《あべこべ》に|威《おど》かされて|肝《きも》を|冷《ひや》しました』
|松彦《まつひこ》『その|金《かね》が|懐《ふところ》にあると|愉快《ゆくわい》だらうなア』
エム『ヘー|不思議《ふしぎ》なものです。|寝《ね》ても|覚《さ》めても|千両《せんりやう》の|金《かね》があつたらあつたらと|思《おも》うてゐましたが、|今《いま》|千両《せんりやう》の|金《かね》が|手《て》に|入《い》れば、|何《ど》れ|程《ほど》|嬉《うれ》しいかと|思《おも》つてゐたのに、どうしたものか|些《ちつと》も|嬉《うれ》しうはありませぬ。|貰《もら》うた|金《かね》でさへ|此《この》|通《とほ》りですから、|盗《と》つた|金《かね》なら|尚更《なほさら》の|事《こと》でせう。|只今《ただいま》では|却《かへ》つて|心配《しんぱい》が|重《かさ》なつて|来《き》ました。|今《いま》も|貴方《あなた》に|威《おど》かされ、|此《この》|金《かね》を|取《と》られちやならないと|思《おも》つて|大変《たいへん》に|気《き》をもみましたよ』
|松彦《まつひこ》『アハヽヽヽ、|金《かね》が|仇《かたき》の|世《よ》の|中《なか》だなア。コレお|寅《とら》さま、お|前《まへ》さまの|一万両《いちまんりやう》の|金《かね》を|九千円《きうせんゑん》まで|蠑〓別《いもりわけ》が|盗《ぬす》み|出《だ》して|此処迄《ここまで》やつて|来《き》たのだが、どうも|気分《きぶん》が|悪《わる》いと|見《み》えて|四千円《よんせんゑん》をバラまいて|行《い》つたのでせう。|蠑〓別《いもりわけ》も|嘸《さぞ》|辛《つら》かつたでせう』
お|寅《とら》『|妾《わたし》だつて|神様《かみさま》の|御社《おやしろ》の|下《した》へ|一万両《いちまんりやう》を|隠《かく》し|置《お》き、|寒《さむ》い|晩《ばん》にもよう|寝《ね》もせずに、|何遍《なんべん》となくお|金《かね》の|面《かほ》をあらために|行《ゆ》き、|昼《ひる》は|昼《ひる》とて|随分《ずゐぶん》|気《き》がもめましたが、|蠑〓別《いもりわけ》がもつて|行《い》つてくれてからは、|気楽《きらく》に|暖《ぬく》い|炬燵《こたつ》に|前後《ぜんご》も|知《し》らず|休《やす》まして|頂《いただ》きました。かうなる|上《うへ》は|金《かね》の|必要《ひつえう》はありませぬ』
|松彦《まつひこ》『|空《そら》|飛《と》ぶ|鳥《とり》も、|野辺《のべ》に|咲《さ》く|山百合《やまゆり》の|花《はな》も、|神《かみ》は|之《これ》を|完全《くわんぜん》に|養《やしな》ひ|給《たま》ふのですから、|人間《にんげん》は|物質上《ぶつしつじやう》の|慾《よく》を|去《さ》らねばなりませぬ。|禽獣虫魚《きんじうちうぎよ》さへも|何《なん》の|貯蓄《ちよちく》もせず、|其《その》|日《ひ》を|送《おく》つてゐます。|況《ま》して|吾々《われわれ》|人間《にんげん》に|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|降《くだ》らない|事《こと》がありませうか』
コー『モシモシ|此《この》|千円《せんゑん》の|金《かね》、|何卒《どうぞ》お|寅《とら》さまとやら|元《もと》へ|収《をさ》めて|下《くだ》さい、モウ|要《い》りませぬワ。そんな|話《はなし》を|聞《き》くと|怖《おそ》ろしくなつて|来《き》ました。なあワク、エム、|貴様《きさま》も|同感《どうかん》だらう』
ワク『|何《なん》だか|胸《むね》がワクワクして|来《き》たやうだ』
エム『エムに|襲《おそ》はれたやうな|気《き》がするよ』
|松彦《まつひこ》『|金《かね》は|婦女子《ふぢよし》|小人《せうじん》の|持《も》つべきものだ。|聖人君子《せいじんくんし》に|金《かね》はいらない。お|寅《とら》さまも|今日《けふ》から|聖人《せいじん》になつたのだから|金《かね》の|必要《ひつえう》はない。お|前達《まへたち》もこれから|聖人君子《せいじんくんし》の|域《ゐき》に|進《すす》むには|其《その》|金《かね》の|必要《ひつえう》はあるだろ。|肝腎《かんじん》のお|寅《とら》さまが|許《ゆる》してくれた|以上《いじやう》は、|喜《よろこ》んで|使用《しよう》したがよからう。ナアお|寅《とら》さま、|貴女《あなた》|未練《みれん》はありますまいね』
お|寅《とら》『|決《けつ》して|決《けつ》して|未練《みれん》なんか|鵜《う》の|毛《け》の|露《つゆ》|程《ほど》も|持《も》つて|居《を》りませぬ。|皆《みな》さま、|私《わたし》の|罪《めぐり》をとると|思《おも》うて|御助《おたす》けだ。|私《わたし》ばかりか|蠑〓別《いもりわけ》さまもそれで|安心《あんしん》が|出来《でき》るだらう』
(大正一一・一二・一六 旧一〇・二八 外山豊二録)
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霊界物語 第四六巻 舎身活躍 酉の巻
終り