霊界物語 第四五巻 舎身活躍 申の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第四五巻』愛善世界社
2003(平成15)年02月03日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年08月06日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|総説《そうせつ》
第一篇 |小北《こぎた》の|特使《とくし》
第一章 |松風《まつかぜ》〔一一九一〕
第二章 |神木《しんぼく》〔一一九二〕
第三章 |大根蕪《だいこんかぶら》〔一一九三〕
第四章 |霊《みたま》の|淫念《いんねん》〔一一九四〕
第二篇 |恵《めぐみ》の|松露《しようろ》
第五章 |肱鉄《ひぢてつ》〔一一九五〕
第六章 |唖忿《あふん》〔一一九六〕
第七章 |相生《あひおひ》の|松《まつ》〔一一九七〕
第八章 |小蝶《こてふ》〔一一九八〕
第九章 |賞詞《しやうし》〔一一九九〕
第三篇 |裏名異審判《うらないしんぱん》
第一〇章 |棚卸志《たなおろし》〔一二〇〇〕
第一一章 |仲裁《ちゆうさい》〔一二〇一〕
第一二章 |喜苔歌《きたいか》〔一二〇二〕
第一三章 |五三《いそ》の|月《つき》〔一二〇三〕
第四篇 |鬼風獣雨《きふうじうう》
第一四章 |三昧経《さんまいきやう》〔一二〇四〕
第一五章 |曲角狸止《まがつのりと》〔一二〇五〕
第一六章 |雨露月《うろつき》〔一二〇六〕
第一七章 |万公月《まごつき》〔一二〇七〕
第一八章 |玉則姫《たまのりひめ》〔一二〇八〕
第一九章 |吹雪《ふぶき》〔一二〇九〕
第二〇章 |蛙行列《かはづぎやうれつ》〔一二一〇〕
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|序文《じよぶん》
|現時《げんじ》の|読書界《どくしよかい》は|日《ひ》に|月《つき》に|堕落《だらく》して|卑猥《ひわい》の|稗史《はいし》|小説《せうせつ》のみ|盛《さか》んに|流行《りうかう》し、|健全《けんぜん》なる|読物《よみもの》は|寥々《れうれう》として|暁天《げうてん》の|星《ほし》の|如《ごと》く|見《み》る|影《かげ》も|無《な》き|有様《ありさま》であります。|是《これ》|心《こころ》ある|人《ひと》の|長大歎息《ちやうだいたんそく》する|所《ところ》であつて|人心《じんしん》を|害《がい》し|世《よ》を|毒《どく》すること|蓋《けだ》し|測知《そくち》すべからざるものであります。
|迂余曲折《うよきよくせつ》|波瀾《はらん》|多《おほ》き|現幽神《げんいうしん》の|三界活歴史《さんかいくわつれきし》の|側面《そくめん》はこの|霊界物語《れいかいものがたり》に|依《よ》つて|眼前《がんぜん》に|髣髴《はうふつ》たるべく、|通俗《つうぞく》|平易《へいい》の|読物《よみもの》として|上乗《じやうじやう》なりといふも|決《けつ》して|王仁《おに》の|過言《くわごん》にあらざるを|信《しん》ずるのであります。
|幾多《いくた》の|教訓《けうくん》、|規箴《きしん》、|明示《めいじ》、|暗示《あんじ》を|含《ふく》み|春花《しゆんくわ》、|秋月《しうげつ》、|暖衣《だんい》、|飽食《はうしよく》、|艱苦《かんく》の|何《なに》ものたるかを|知《し》らざる|人《ひと》をして|興奮《こうふん》|発揚《はつやう》せしめて、|世道《せだう》と|人心《じんしん》を|導《みちび》き、|且《かつ》|又《また》|大本《おほもと》に|於《お》ける|信仰《しんかう》|浅《あさ》き|信者《しんじや》をしてその|嚮《むか》ふ|所《ところ》を|知《し》らしむるに|足《た》ることと|信《しん》じて|止《や》まぬ|次第《しだい》であります。
大正十一年十二月十三日
|総説《そうせつ》
|神霊界《しんれいかい》には|正神界《せいしんかい》と|邪神界《じやしんかい》との|二大《にだい》|区別《くべつ》がある。そして|正神界《せいしんかい》は|至善《しぜん》|至美《しび》|至真《ししん》なる|神人《しんじん》の|安住《あんぢう》する|聖域《せいゐき》であり、|邪神界《じやしんかい》は|至悪《しあく》|至醜《ししう》なる|鬼畜《きちく》の|住居《ぢうきよ》する|暗黒界《あんこくかい》である。|邪神界《じやしんかい》は|常《つね》に|正神界《せいしんかい》の|隆盛《りうせい》を|羨《うらや》み、|之《これ》を|破壊《はくわい》し|攪乱《かくらん》せむと|所在《あらゆる》|力《ちから》を|竭《つく》すものであり、|且《かつ》|又《また》|正神界《せいしんかい》を|呪《のろ》ひ、|自《みづか》らの|境遇《きやうぐう》を|忘却《ばうきやく》して、|邪神界《じやしんかい》に|居《ゐ》ながら|自《みづか》ら|正神界《せいしんかい》の|神業《しんげふ》を|立派《りつぱ》に|奉仕《ほうし》して|居《を》るものの|如《ごと》く|確信《かくしん》してゐるものである。|自《みづか》ら|邪神界《じやしんかい》に|墜落《つゐらく》せりといふことが|悟《さと》り|得《え》られたなれば、|必《かなら》ず|改心《かいしん》する|端緒《たんちよ》が|開《ひら》けて|来《く》るものであるけれども、|邪神《じやしん》なるものは|其《その》|霊性《れいせい》|暗愚《あんぐ》にして|他《た》を|顧《かへり》みるの|余裕《よゆう》なく、|世人《せじん》|皆《みな》|濁《にご》れり、|吾《われ》のみ|独《ひと》り|澄《す》めり、|一日《いちにち》も|早《はや》く|此《この》|暗黒《あんこく》なる|世界《せかい》を|善《ぜん》の|光明《くわうみやう》に|照《てら》し|以《もつ》て|至善《しぜん》|至美《しび》なる|天国《てんごく》を|招来《せうらい》せむと|焦慮《せうりよ》しつつあるものである。|何程《なにほど》|海底《かいてい》をして|不二山頂《ふじさんちやう》たらしめむとして|焦慮《せうりよ》するとも、|到底《たうてい》|不可能《ふかのう》なるが|如《ごと》く、|仮令《たとへ》|幾百万年《いくひやくまんねん》かかる|共《とも》|海底《かいてい》は|不二山頂《ふじさんちやう》たることは|望《のぞ》まれない。それよりも|其《その》|海底《かいてい》を|一日《いちにち》も|早《はや》く|浮《う》かび|出《い》で|自《みづか》ら|歩行《ほかう》の|労《らう》を|積《つ》み|徐《おもむろ》に|山頂《さんちやう》に|登《のぼ》るに|如《し》くはないのである。
|邪神界《じやしんかい》にあるものは|到底《たうてい》|真《しん》の|天国《てんごく》を|解《かい》するの|明《めい》なく、|又《また》|神《かみ》の|福音《ふくいん》を|聞《き》くことは|出来《でき》ぬ。|小北山《こぎたやま》のウラナイ|教《けう》の|神域《しんゐき》に|集《あつ》まつてゐる|諸霊《しよれい》や|人間《にんげん》の|霊身《れいしん》は|既《すで》に|已《すで》にその|身《み》を|根底国《ねそこのくに》に|籍《せき》を|置《お》き|邪神《じやしん》の|団隊《だんたい》に|加入《かにふ》してゐるのであるから、|何程《なにほど》|言《ことば》を|尽《つく》して|説示《せつじ》しても|駄目《だめ》である。|覚《さと》せばさとす|程《ほど》|反対《はんたい》に|取《と》り|何処《どこ》までも|自分《じぶん》が|実見《じつけん》したる|天《あめ》の|八衢《やちまた》や|地獄《ぢごく》の|外《ほか》には|霊《れい》の|世界《せかい》は|無《な》いものと|考《かんが》へてゐるものである。|本巻《ほんくわん》の|物語《ものがたり》を|読《よ》んで|大本《おほもと》の|信者《しんじや》の|或《あ》る|部分《ぶぶん》の|人々《ひとびと》は|少《すこ》しく|反省《はんせい》されることがあらば|瑞月《ずゐげつ》に|取《と》つて|望外《ばうぐわい》の|歓《よろこ》びとするところであります。
大正十一年十二月十三日
第一篇 |小北《こぎた》の|特使《とくし》
第一章 |松風《まつかぜ》〔一一九一〕
|野《の》も|山《やま》も  |錦《にしき》に|染《そめ》なす|秋《あき》の|風《かぜ》
|冬《ふゆ》の|始《はじ》めとなり|果《は》てて  |凩《こがらし》さそふ|村時雨《むらしぐれ》
|木々《きぎ》の|木《こ》の|葉《は》は|無残《むざん》にも  |散《ち》りてはかなき|小北山《こぎたやま》
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|信徒《まめひと》が  |汗《あせ》をば|絞《しぼ》り|声《こゑ》からし
|詔《の》る|言霊《ことたま》も|何《なん》となく  |濁《にご》りはてたる|世《よ》の|態《さま》を
|曝露《ばくろ》なしたる|神館《かむやかた》  |迷《まよ》ひに|迷《まよ》ふ|盲人《めくらびと》
|心《こころ》の|聾《つんぼ》が|寄《よ》り|集《つど》ひ  あらぬ|教《をしへ》に|歓喜《くわんき》して
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》を|来《きた》さむと  もがきあせれば|曲津見《まがつみ》は
|時《とき》を|得顔《えがほ》に|跳梁《てうりやう》し  ウラナイ|教《けう》を|主管《しゆくわん》する
|蠑〓別《いもりわけ》の|身体《からたま》を  |曲神《まがみ》の|巣《す》くふ|宿《やど》となし
|夜《よる》と|昼《ひる》との|別《わか》ちなく  |心《こころ》をとろかす【どぶ】|酒《ざけ》に
|舌《した》ももつれて|言《こと》の|葉《は》の  あやちもつかぬ|御託宣《ごたくせん》
|心《こころ》の|曲《まが》つた|魔我彦《まがひこ》が  |猊然《こまいぬぜん》と|側《そば》に|侍《じ》し
|何《なん》ぢやかんぢやと|機嫌《きげん》とり  |眉毛《まゆげ》をよまれ|尻毛《しりげ》をば
|抜《ぬ》かれ|乍《なが》らも|村肝《むらきも》の  |心《こころ》の|魂《たま》を|研《みが》きしと
|迷《まよ》ひ|切《き》つたる|眼《まなこ》より  |婆嬶《ばばかか》|共《ども》を|呼《よ》び|集《つど》ひ
|支離滅裂《しりめつれつ》の|神教《しんけう》を  |誠《まこと》しやかに|説《と》きたてる
|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|迷信者《めいしんじや》  |厠《かはや》に|蠅《はへ》の|集《つど》ふ|如《ごと》
|臭《くさ》い|匂《にほ》ひをかぎつけて  |沈香《ちんかう》ハイコとかしづきて
|麝香《じやこう》の|様《やう》に|喜《よろこ》びつ  |屁《へ》のよな|教理《けうり》を|珍重《ちんちよう》し
|醜《しこ》の|魔風《まかぜ》を|四方八方《よもやも》に  |吹《ふ》き|送《おく》るこそ|忌々《ゆゆ》しけれ
|眼《まなこ》の|見《み》えぬ|文助《ぶんすけ》は  |大門神社《おほもんじんしや》の|受付《うけつけ》に
|白《しろ》い|装束《しやうぞく》|白袴《しろばかま》  |白目《しろめ》をギロギロ|剥《む》き|出《だ》して
|苦労《くらう》する|墨硯《すみすずり》の|海《うみ》に  |心《こころ》を|映《うつ》す|筆《ふで》の|先《さき》
|松《まつ》の|神代《かみよ》の|瑞兆《ずゐてう》と  |千歳《ちとせ》の|老松《らうしよう》に|蜿々《えんえん》と
からみかかりし|黒蛇《くろくちな》  |背筋《せすぢ》と|腹《はら》との|別《わかち》なく
|只《ただ》|一心《いつしん》に|固《かた》まりし  |一本角《いつぽんづの》の|御神体《ごしんたい》
|切《しき》りに|首《くび》を|振《ふ》り|乍《なが》ら  |朝《あさ》から|晩《ばん》まで|書《か》き|通《とほ》し
|迷信《めいしん》|深《ふか》き|婆嬶《ばばかか》に  |与《あた》へ|随喜《ずいき》の|涙《なみだ》をば
こぼさせ|鼻《はな》を|啜《すす》らせつ  |掛地《かけぢ》や|額《がく》に|仕立上《したてあ》げ
|拍手《かしはで》うつて|叮嚀《ていねい》に  |祀《まつ》らせ|居《ゐ》るぞ|面白《おもしろ》き
それのみならぬ|神様《かみさま》に  |御供《ごく》の|代《かは》りと|言《い》ひ|乍《なが》ら
|甘菜辛菜《あまなからな》の|墨絵《すみゑ》をば  はそば はそばに|筆《ふで》を|執《と》り
|怪《あや》しき|教《をしへ》に【カブラ】れた  |其《その》|証《しるし》ではなからうが
|蕪大根《かぶらだいこ》のまづい|絵《ゑ》を  |頭《かしら》と|共《とも》に|書《か》きつける
|根《ね》から|葉《は》つから|言霊《ことたま》の  ゆかぬ|小北《こぎた》の|館《やかた》には
|上《うへ》から|下《した》まで|脱線《だつせん》の  |盲《めくら》|聾《つんぼ》の|誤神業《ごしんげふ》
|立《た》つる|煙《けぶり》も|烏羽玉《うばたま》の  |墨絵《すみゑ》にかいた|竜《りよう》の|如《ごと》
|御空《みそら》を|指《さ》して【くね】くねと  |宙空《ちうくう》に|迷《まよ》ふ|人《ひと》の|胸《むね》
|見《み》るもいぶせき|次第《しだい》|也《なり》  |松彦《まつひこ》、|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》は
アク、タク、テクの|三人《さんにん》と  ブツブツ|小言《こごと》を|云《い》ひ|乍《なが》ら
|義理《ぎり》|一片《いつぺん》の|暇乞《いとまごひ》  |不平《ふへい》たらたら|下《くだ》り|坂《ざか》
|館《やかた》をあとに|帰《かへ》り|来《く》る  |河鹿川原《かじかがはら》にかけ|渡《わた》す
|一本橋《いつぽんばし》の|袂《たもと》まで  スタスタ|来《きた》る|折《をり》もあれ
はるか|後《うしろ》の|坂《さか》の|上《へ》に  |皺枯《しわが》れ|声《ごゑ》を|張上《はりあ》げて
|十曜《とえう》の|紋《もん》の|印《しる》したる  |扇《あふぎ》を|開《ひら》いてさし|招《まね》き
オーイオーイと|声《こゑ》|限《かぎ》り  |熊谷《くまがい》もどきに|呼《よび》とめる
|怪《あや》しみ|一行《いつかう》は|立止《たちど》まり  あと|振返《ふりかへ》り|眺《なが》むれば
|橋《はし》の|袂《たもと》で|出会《でつくは》した  お|寅婆《とらば》さまがスタスタと
|矢《や》を|射《い》る|如《ごと》く|坂路《さかみち》を  |髪《かみ》ふり|乱《みだ》し|下《くだ》り|来《く》る
|只事《ただごと》ならじと|一行《いつかう》は  |橋《はし》の|袂《たもと》に|腰《こし》おろし
|息《いき》を|休《やす》めて|待《ま》ちゐたる  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さちは》ひましまして  |小北《こぎた》の|山《やま》に|蟠《わだか》まる
|八十《やそ》の|曲津《まがつ》や|醜司《しこつかさ》  |真理《しんり》を|紊《みだ》し|世《よ》を|汚《けが》す
|其《その》|実状《じつじやう》を|細《こま》やかに  |漏《も》れなく|落《お》ちなく|委曲《まつぶさ》に
|述《の》べさせ|玉《たま》へと|瑞月《ずゐげつ》が  |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の
|御前《みまへ》に|畏《かしこ》み|願《ね》ぎまつる。
|松彦《まつひこ》|一行《いつかう》は、|小北山《こぎたやま》の|神館《かむやかた》を|暇乞《いとまごひ》をなし、|急坂《きふはん》を|下《くだ》りて、|一本橋《いつぽんばし》の|袂《たもと》|迄《まで》|帰《かへ》つて|来《く》ると、|後《うしろ》の|方《はう》からオイオイと|呼《よび》とめる|者《もの》がある。|面白《おもしろ》くないとは|思《おも》へ|共《ども》、|何《いづ》れ、あの|勢《いきほひ》で|走《はし》つて|来《く》ればどつかで|追《お》ひつかれるに|違《ちがひ》ない、どんな|事《こと》をいふか|参考《さんかう》の|為《ため》、|聞《き》いても|万更《まんざら》|損《そん》にはなるまいと、ここに|腰《こし》を|下《おろ》し、|蓑《みの》を|布《し》いて|暫《しば》し|待《ま》つ|事《こと》とした。|慌《あわた》だしく|走《はし》つて|来《き》たのは|以前《いぜん》のお|寅婆《とらばあ》さまであつた。お|寅婆《とらばあ》さまはハーハースースーと|息《いき》を|喘《はづ》ませ|乍《なが》ら、
お|寅《とら》『モシ|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さい。お|尋《たづ》ね|致《いた》したい|事《こと》もあり、|聞《き》いて|貰《もら》ひたい|事《こと》もありますから』
|松彦《まつひこ》『|別《べつ》に|私《わたし》としてはモウあれ|丈《だけ》|聞《き》けば|沢山《たくさん》で|厶《ござ》いますから、|聞《き》きたくもありませぬ。|又《また》|頼《たの》まれるべき|種《たね》もありませぬが、|余《あま》り|偉《えら》い|勢《いきほひ》で、オイオイとお|呼《よび》になつたものだから、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》してゆくのも|不人情《ふにんじやう》だと|思《おも》ひ、ここで|一寸《ちよつと》お|待《ま》ち|申《まを》して|居《を》りました』
お|寅《とら》『|誠《まこと》にお|呼止《よびと》め|申《まを》して|済《す》みませぬ。|実《じつ》は|蠑〓別《いもりわけ》の|教主様《けうしゆさま》から、|折角《せつかく》|神様《かみさま》の|御縁《ごえん》で|小北山《こぎたやま》へ|参拝《さんぱい》して|下《くだ》さつたのだから、お|神酒《みき》を|一杯《いつぱい》|献上《けんじやう》がしたい。そしてウラナイ|教《けう》の|教理《けうり》を|一通《ひととほ》り|聞《き》いて|貰《もら》ひたいから、お|寅《とら》、お|前《まへ》|御苦労《ごくらう》だが、モ|一度《いちど》|此方《こちら》へ|来《き》て|下《くだ》さるやうに|願《ねが》つて|来《こ》いと、|喧《やかま》しう|仰有《おつしや》るので|追《お》つかけて|参《まゐ》りました。どうぞ|来《き》て|下《くだ》さいませ。|御迷惑《ごめいわく》でせうが、|決《けつ》して|貴方《あなた》のお|為《ため》に|悪《わる》いやうなこと|申《まを》しませぬから……』
|松彦《まつひこ》『|折角《せつかく》|乍《なが》らお|神酒《みき》は、|私《わたし》は|下戸《げこ》で|厶《ござ》いますから、お|断《ことわ》りを|申《まを》します。|又《また》|教理《けうり》も|略《ほぼ》|見当《けんたう》がついて|居《を》りますから、これで|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》りませう』
お|寅《とら》『そんな|事《こと》|仰有《おつしや》らずに、|何卒《どうぞ》|一足《ひとあし》、|御苦労《ごくらう》ですが|引返《ひきかへ》して|下《くだ》さいませな。せめて|貴方《あなた》|丈《だけ》なりと|御苦労《ごくらう》になれば|結構《けつこう》で|厶《ござ》います。|貴方《あなた》は|蠑〓別《いもりわけ》の|教主《けうしゆ》が|仰有《おつしや》るには、|因縁《いんねん》のあるお|方《かた》だから、あの|方《かた》を|取逃《とりに》がしては|神政成就《しんせいじやうじゆ》が|遅《おそ》くなるから……と|仰有《おつしや》りました。|貴方《あなた》のお|聞《きき》の|通《とほ》り、|小北山《こぎたやま》の|山頂《さんちやう》に|石《いし》の|宮様《みやさま》が|三社《さんしや》|祭《まつ》つて|厶《ござ》いませう。そして|右《みぎ》のお|宮様《みやさま》にはユラリ|彦命《ひこのみこと》|様《さま》、|又《また》の|御名《みな》は|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|大神様《おほかみさま》と|申《まを》します。|貴方《あなた》は|松彦《まつひこ》|様《さま》と|云《い》つて、|松《まつ》に|因縁《いんねん》のあるお|方《かた》、|其《その》お|身魂《みたま》の|生宮様《いきみやさま》で|厶《ござ》いますからどしてもこしても|来《き》て|頂《いただ》かねばなりませぬ』
|松彦《まつひこ》『|貴方《あなた》は|最前《さいぜん》、バラモンの|軍人《ぐんじん》が|浮木《うきき》の|村《むら》を|荒《あら》すに|依《よ》つて、ここへ|逃《に》げて|来《き》たと|仰有《おつしや》つたが、|様子《やうす》を|考《かんが》へて|見《み》れば、|中々《なかなか》|信者《しんじや》|所《どころ》でない、|蠑〓別《いもりわけ》さまの|大切《たいせつ》なお|脇立《わきだち》の|様《やう》な|感《かん》じが|致《いた》しますが、|違《ちが》ひますかな』
お|寅《とら》『|流石《さすが》は|貴方《あなた》は|偉《えら》いお|方《かた》だ、|実《じつ》は|私《わたし》の|霊《みたま》は【きつく】|姫《ひめ》と|申《まを》しまして、|蠑〓別《いもりわけ》|様《さま》には|大変《たいへん》な|御厄介《ごやくかい》に|預《あづか》つてゐます。|何時《いつ》も|信者《しんじや》だと|申《まを》して、|一本橋《いつぽんばし》の|詰《つめ》へ|出張《しゆつちやう》し|往来《ゆきき》の|人様《ひとさま》をウラナイ|教《けう》に|引張《ひつぱ》る|役《やく》を|務《つと》めて|居《を》ります。ウラナイ|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》で|厶《ござ》いますよ』
|松彦《まつひこ》『【きつく】|姫《ひめ》か|何《なに》か|存《ぞん》じませぬが、|随分《ずゐぶん》キツク|御活動《ごくわつどう》をなさるのですな』
お|寅《とら》『ハイ|私《わたし》は|霊《みたま》の|因縁《いんねん》|性来《しやうらい》に|依《よ》つて|御用《ごよう》をせなくちやならぬのだと、|蠑〓別《いもりわけ》さまが|仰有《おつしや》いましたので、|母子《おやこ》が|一生懸命《いつしやうけんめい》になつて、|御用《ごよう》|致《いた》して|居《を》ります。|私《わたし》の|娘《むすめ》も|地上姫《ちじやうひめ》の|生宮《いきみや》で|厶《ござ》います。|貴方《あなた》は|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|大神様《おほかみさま》だから、|是非《ぜひ》|共《とも》|小北山《こぎたやま》で|御用《ごよう》をして|頂《いただ》かねばなりませぬ』
|松彦《まつひこ》『ハハハー、わしの|様《やう》なガラクタ|人間《にんげん》でも、|又《また》|拾《ひろ》うてくれる|神様《かみさま》があるのかなア』
|万公《まんこう》『モシモシ|松彦《まつひこ》さま、そんな|事《こと》|聞《き》くものぢやありませぬ、サア|参《まゐ》りませう。ユラリ|彦《ひこ》なんて、|馬鹿《ばか》にしとるぢやありませぬか。|何《なん》ぼ|貴方《あなた》がユラユラしてると|云《い》つても、ユラリ|彦《ひこ》では、|余《あま》り|有難《ありがた》うないぢやありませぬか』
お|寅《とら》『コリヤ|万公《まんこう》、|何《なに》をツベコベと|横槍《よこやり》を|入《い》れるのだ、|泥棒《どろぼう》|奴《め》が』
|万公《まんこう》『コリヤ|怪《け》しからぬ、|私《わたし》がいつ|泥棒《どろばう》|致《いた》しましたか』
お|寅《とら》『イツヒヽヽヽ|能《よ》うマア|白々《しらじら》しい、そんな|事《こと》を|云《い》ふぢやい。お|前《まへ》は|娘舎弟《むすめしやてい》の|婆舎弟《ばばしやてい》だ』
|万公《まんこう》『|舎弟《しやてい》といへば|弟《おとうと》の|事《こと》ぢやないか、|弟《おとうと》が|何《ど》うしたと|言《い》ふのだい』
お|寅《とら》『バカだなア、|舎弟《しやてい》といふ|事《こと》は|泥棒《どろばう》といふ|事《こと》だ、【しやて】もしやても|合点《がつてん》の|悪《わる》い|娘泥棒《むすめどろばう》だな』
|万公《まんこう》『アハヽヽヽ、|無学《むがく》|文盲《もんまう》にも|程《ほど》がある、こんな|先生《せんせい》が|蠑〓別《いもりわけ》の|一《いち》の|乾児《こぶん》だから、|大抵《たいてい》|分《わか》つたものだい。サア|松彦《まつひこ》さま、|行《ゆ》きませう』
|松彦《まつひこ》『ウン、そんなら|行《ゆ》かうかなア』
お|寅《とら》『モシモシ|日《ひ》の|王天《わうてん》の|大神様《おほかみさま》の|生宮様《いきみやさま》、|貴方《あなた》に|帰《かへ》られては、|五六七《みろく》の|神政《しんせい》が|成就《じやうじゆ》|致《いた》しませぬ。|三千世界《さんぜんせかい》を|助《たす》けると|思《おも》うて|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さいませ』
|松彦《まつひこ》『|何《なん》とウラナイ|教《けう》は|巧《たくみ》なものですなア。そんな|偉《えら》い|神様《かみさま》の|生宮《いきみや》だと|言《い》はれると、ウソだと|知《し》り|乍《なが》ら、つい|釣《つ》り|込《こ》まれて、|私《わたし》も|何《なん》だか|悪《わる》い|気分《きぶん》がしませぬわい。|併《しか》し|乍《なが》らそんな|事《こと》にゴマかされる|私《わたし》ぢや|厶《ござ》いませぬ。|折角《せつかく》|乍《なが》ら|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》りませう』
お|寅《とら》『イエイエ|何《なん》と|仰有《おつしや》つても、|神《かみ》が|綱《つな》をかけたら|放《はな》さぬぞよと|仰有《おつしや》るのだから、|放《はな》しませぬ』
|万公《まんこう》『|私《わし》をユラリ|彦《ひこ》にしてくれたら、|喜《よろこ》んで|居《を》つてやるのだけどなア、のう|五三公《いそこう》、お|前《まへ》は|先《ま》づタガヤシ|大神《だいじん》の|生宮《いきみや》|位《くらゐ》にしてくれると|良《い》いのだけどなア』
お|寅《とら》『コラ|万《まん》、|貴様《きさま》は|何処《どこ》を|押《おさ》へたら、そんな|大《だい》それた|言葉《ことば》が|出《で》るのだ。|勿体《もつたい》ないユラリ|彦《ひこ》なんて、|何《なに》を|言《い》ふのだい。お|前《まへ》はブラリ|彦《ひこ》だ、ブラリ|彦《ひこ》でもまだ|勿体《もつたい》ない。|泥彦《どろひこ》|位《くらゐ》が|性《しやう》に|合《あ》うてゐる。|併《しか》し|乍《なが》ら|泥彦《どろひこ》でも|改心《かいしん》さへすれば、|蠑〓別《いもりわけ》|様《さま》が|何《なん》とかよい|名《な》を|下《くだ》さるだらう』
|万公《まんこう》『|義理天上日《ぎりてんじやうひ》の|出神《でのかみ》|位《くらゐ》にして|貰《もら》へますかな』
お|寅《とら》『それは|改心《かいしん》|次第《しだい》だ、|改心《かいしん》の|上《うへ》ではそれぞれ|御名《おな》を|下《くだ》さるのだから|有難《ありがた》いものだぞ。|貴様《きさま》もおれの|可愛《かあい》い|娘《むすめ》を|仕殺《しころ》してくれた、|余《あま》り|可愛《かはゆ》うもない、|憎《にく》うもない|男《をとこ》だから、|茲《ここ》で|一《ひと》つ|改心《かいしん》をしたがよからうぞ』
|万公《まんこう》『|改心《かいしん》|改心《かいしん》つて、|人《ひと》を|丸《まる》で|罪人扱《ざいにんあつかひ》に、ウラナイ|教《けう》はしてゐるぢやないか、そんな|事《こと》を|聞《き》くとムツとして|来《き》て、どんな|結構《けつこう》な|話《はなし》か|知《し》らぬが|聞《き》く|気《き》がせぬわい。|神様《かみさま》の|教《をしへ》を|聞《き》いて|理解《りかい》せいと|言《い》ふのなら|分《わか》つてるが、|改心《かいしん》と|云《い》はれちや|余《あま》り|面白《おもしろ》くない、|丸《まる》で|二十世紀《にじつせいき》の|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が|言《い》ふやうな|事《こと》を|吐《ほざ》くのだなア。チツとお|前《まへ》の|方《はう》から|改心《かいしん》をして、|言葉《ことば》を|改《あらた》めたら|何《ど》うだ』
お|寅《とら》『エヽお|前達《まへたち》のツベコベ|云《い》ふ|場合《ばあひ》だない、|人間《にんげん》が|小理屈《こりくつ》を|云《い》うた|所《ところ》で|何《なに》になるか、|神様《かみさま》が|改心《かいしん》せいと|仰有《おつしや》れば、ハイ|改心《かいしん》|致《いた》しますと|云《い》ひ、|慢心《まんしん》せいと|仰有《おつしや》れば、ハイ|慢心《まんしん》|致《いた》しますと|云《い》つて、|一《いち》から|十《じふ》|迄《まで》|盲従《まうじゆう》するのが|信仰《しんかう》の|要諦《えうたい》だよ。|小理屈《こりくつ》|云《い》ふ|間《あひだ》は、まだ|神《かみ》の|国《くに》の|門口《もんぐち》も|覗《のぞ》いてゐない|代物《しろもの》の|証拠《しようこ》だ』
|万公《まんこう》『|三年前《さんねんぜん》のお|寅《とら》さまとは|大変《たいへん》な|違《ちがひ》ですなア、|能《よ》うマアそれ|丈《だけ》|呆《はう》けたものだな』
お|寅《とら》『きまつた|事《こと》だ、|呆《はう》けなくて|神様《かみさま》の|信心《しんじん》が|出来《でき》るか、|呆《はう》けて|気違《きちが》ひになるのが|誠《まこと》の|信仰《しんかう》だ。|鶯《うぐひす》でさへも|春《はる》になると、ホヽ|呆《はう》け|狂《きやう》といふぢやないか』
|万公《まんこう》『オイ|五三公《いそこう》、お|前《まへ》|代《かは》つて|一《ひと》つ|談判《だんぱん》をやつたら|何《ど》うだ。かう|云《い》へばあゝ|云《い》ふ、あゝ|云《い》へば|斯《か》う|云《い》ふ、ヌラリクラリと|甘《うま》い|事《こと》|団子理屈《だんごりくつ》を|捏《こ》ねまはすのだから、|流石《さすが》の|俺《おれ》もウルさくなつて|来《き》た、|分《わか》らぬと|云《い》つてもこれ|位《くらゐ》|分《わか》らぬ|教《をしへ》は|聞《き》いた|事《こと》がないワ』
お|寅《とら》『|分《わか》らぬ|所《ところ》に|有難味《ありがたみ》があるのだ。|分《わか》つて|了《しま》へば|信神《しんじん》する|必要《ひつえう》がない、|分《わか》らないから|信仰《しんかう》をするのだよ』
|万公《まんこう》『ウフヽヽ』
|五三《いそ》『コレお|婆《ば》アさま、|私《わたし》の|霊《みたま》は|分《わか》つて|居《を》りますかな』
お|寅《とら》『あゝ|分《わか》つて|居《ゐ》る。お|前《まへ》は|青森白木上様《あをもりしらきじやうさま》の|生宮様《いきみやさま》だ、|結構《けつこう》なお|霊《みたま》ぢやなア』
|万公《まんこう》『アハヽヽ、|甘《うま》い|事《こと》|仰有《おつしや》るワイ、オイ|五三公《いそこう》、|嬉《うれ》し|相《さう》な|顔《かほ》しとるぢやないか。|貴様《きさま》もソロソロ|小北山《こぎたやま》のお|寅狐《とらきつね》に|眉毛《まゆげ》をよまれさうだぞ』
|五三《いそ》『どうでも|良《い》いぢやないか。|言霊《ことたま》の|幸《さち》はふ|国《くに》だ。|青森白木上《あをもりしらきじやう》になりすまして、|一《ひと》つ|羽振《はぶり》を|利《き》かしてみようかい、イツヒヽヽヽ』
お|寅《とら》『あゝ|五三公《いそこう》さまとやら、お|前《まへ》さまは|偉《えら》いものだ、|流石《さすが》|青森白木上《あをもりしらきじやう》さまの|肉《にく》のお|宮《みや》|丈《だけ》あつて、|会得《ゑとく》が|早《はや》い、|万公《まんこう》のやうな|霊《みたま》の|疵物《きずもの》では|中々《なかなか》|分《わか》り|憎《にく》い。|此《この》|霊《みたま》は|一遍《いつぺん》|焼直《やきなほ》さねば|到底《たうてい》|本物《ほんもの》にはなりますまい』
|五三《いそ》『お|寅《とら》さま|否《いや》|大先生様《だいせんせいさま》、|私《わたし》は|霊《みたま》の|因縁《いんねん》が|分《わか》つたとした|所《ところ》で、|此《この》|三人《さんにん》……アク、テク、タクの|霊《みたま》は|分《わか》つて|居《を》りますか』
お|寅《とら》『そりや|分《わか》つて|居《ゐ》る|共《とも》、|此《この》アクさまは【アク】ビ|直《なほ》し|彦命《ひこのみこと》、タクさまはヒツ【タク】リ|彦命《ひこのみこと》、テクさまは【テク】セ|直《なほ》し|彦命《ひこのみこと》|様《さま》だ。|此《この》|肉《にく》の|宮《みや》も|小北山《こぎたやま》にはなくてはならぬ|御守護神《ごしゆごじん》、|早《はや》く|改心《かいしん》して|御用《ごよう》を|聞《き》きなされ。|夫《そ》れ|夫《ぞ》れお|宮《みや》を|建《た》てて|祝《いは》ひ|込《こ》めて|上《あ》げますぞや』
アク『アク|迄《まで》|貴方《あなた》の|命令《めいれい》を|遵奉《じゆんぽう》して、|神様《かみさま》の|為《ため》に|舎身的活動《しやしんてきくわつどう》を|励《はげ》みま…せぬわい』
タク『これからタク|山《さん》な|信者《しんじや》を|集《あつ》めて、|神様《かみさま》の|御託宣《ごたくせん》を|四方《よも》に|宣伝《せんでん》し、|三五教《あななひけう》の|為《ため》に|尽《つく》しますワイ』
テク『テクセ|直《なほ》し|彦命《ひこのみこと》がそこら|中《ぢう》をテクリ|廻《まは》してウラナイ|教《けう》の|奴《やつ》を|片《かた》つ|端《ぱし》から|言向和《ことむけやは》し、|三五教《あななひけう》の|為《ため》に|活動《くわつどう》|致《いた》しませう。なアお|寅《とら》さま、それでお|前《まへ》は|満足《まんぞく》だらう』
お|寅《とら》『ナニ、お|前《まへ》はさうすると|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》だなア。アブナイ アブナイ、よい|所《ところ》でお|会《あ》ひなさつた。|今《いま》が|改心《かいしん》の|仕時《しどき》ぢやぞえ。|三五教《あななひけう》も|結構《けつこう》だが、ウラナイ|教《けう》は|根本《こつぽん》の|根本《こつぽん》の|教《をしへ》だから、マア|一《ひと》つ|聞《き》いて|見《み》なさい。|無理《むり》に|押売《おしうり》はせぬからな』
テク『|此《この》|婆《ば》アさまは、|丸《まる》で|亡者引《もさひき》の|様《やう》な|奴《やつ》だなア』
お|寅《とら》『|亡者引《もさひき》の|様《やう》な|奴《やつ》とは|何《なん》だい。|余《あま》り|馬鹿《ばか》にしなさるな』
テク『|滅相《めつさう》な。|決《けつ》して|悪《わる》く|思《おも》うて|云《い》うたのぢやありませぬ。|誠《まこと》の|道《みち》に|踏《ふ》ん|迷《まよ》うてゐる|亡者《もさ》を|導《みちび》く|八王大神《やつわうだいじん》のやうな|方《かた》だと|云《い》つたのですよ。お|前《まへ》はチツと|耳《みみ》が|悪《わる》いので|困《こま》る。よう|云《い》うた|事《こと》が|悪《わる》う|聞《きこ》えるのだからなア』
お|寅《とら》『ヤア、|悪《わる》う|聞《きこ》える|事《こと》でも、|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》すのだから、|八王大神《やつわうだいじん》|様《さま》にしておきませう。|私《わし》も|何《なん》だか|気分《きぶん》がよくなつた、オツホヽヽヽ|時《とき》に|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|大神様《おほかみさま》の|生宮様《いきみやさま》、どうぞ|三千世界《さんぜんせかい》の|人民《じんみん》は|云《い》ふに|及《およ》ばず、|鳥類《てうるゐ》|畜類《ちくるゐ》|餓鬼《がき》|虫《むし》ケラを|助《たす》ける|為《ため》、|蠑〓別《いもりわけ》|様《さま》の|命令《めいれい》を|聞《き》いて|引返《ひきかへ》して|下《くだ》さいな』
|松彦《まつひこ》『そんならお|世話《せわ》にならうかな』
|万公《まんこう》『アハヽヽとうとユラリ|彦《ひこ》さまになられましたな』
|松彦《まつひこ》『ウン、ユラリ|彦《ひこ》かナブリ|彦《ひこ》か、ナブラレ|彦《ひこ》か、|其《その》|時《とき》に|依《よ》つて|改名《かいめい》するのだ。オイ、ブラリ|彦《ひこ》の|万公《まんこう》さま、お|前《まへ》も|一緒《いつしよ》にブラリブラリと|引返《ひきかへ》して|見《み》たら|何《ど》うだ』
|万公《まんこう》『ブラリ|彦《ひこ》もお|伴《とも》|致《いた》しませう。オイ、|青森白木上《あをもりしらきじやう》、アクビ|直《なほ》し|彦《ひこ》、クツタク|直《なほ》し|彦《ひこ》、テクツキ|彦《ひこ》、サア|行《ゆ》かう』
お|寅《とら》『|流石《さすが》は|万公《まんこう》だ。|否《いや》ブラリ|彦《ひこ》だ。よい|挨拶《あいさつ》をしてくれた。それでこそお|里《さと》の|帳消《ちやうけ》しをしてやる。サアサア|大広木正宗様《おほひろきまさむねさま》が、|義理天上《ぎりてんじやう》さまと|待《ま》つてゐられます。サア|御苦労《ごくらう》|乍《なが》ら|一足《ひとあし》|登《のぼ》つて|下《くだ》さい』
|松彦《まつひこ》『|大広木《おほひろき》|正宗《まさむね》さまの|肉《にく》の|宮《みや》はどなたですか』
お|寅《とら》『|夫《それ》は|教祖様《けうそさま》の|蠑〓別《いもりわけ》さまの|事《こと》ですよ。そして|義理天上様《ぎりてんじやうさま》の|肉宮《にくみや》は|魔我彦《まがひこ》さまです』
|松彦《まつひこ》『あゝさうですか、さうするとユラリ|彦《ひこ》の|方《はう》が|余程《よほど》|上《うへ》の|神《かみ》さまですなア』
お|寅《とら》『さうです|共《とも》、さうだから|大広木《おほひろき》|正宗《まさむね》|様《さま》が|御慕《おした》ひ|遊《あそ》ばすのです』
|松彦《まつひこ》『|私《わたし》がユラリ|彦《ひこ》の|肉《にく》の|宮《みや》ならば、なぜ|大広木《おほひろき》|正宗《まさむね》や|義理天上《ぎりてんじやう》が|迎《むか》へに|来《こ》ぬのだらう。|怪《け》しからぬ|奴《やつ》だ。そんな|礼儀《れいぎ》を|知《し》らぬ|正宗《まさむね》や|義理天上《ぎりてんじやう》なら、モウ|行《ゆ》く|事《こと》はやめておかう。サア、|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》、アク、テク、タク、|行《ゆ》かう』
と|橋《はし》を|渡《わた》らうとする。お|寅《とら》は|帯《おび》のあたりをグツと|引《ひつ》つかみ、
お|寅《とら》『モシモシ|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|大神様《おほかみさま》、|暫《しばら》くお|待《ま》ち|下《くだ》さいませ。|尊《たふと》き|御身《おんみ》を|持《も》ち|乍《なが》ら、|世界《せかい》の|為《ため》に|御苦労《ごくらう》|遊《あそ》ばし、|同情《どうじやう》の|涙《なみだ》にたへませぬ。これも|時世時節《ときよじせつ》で|厶《ござ》います。|二三日《にさんにち》|御逗留《ごとうりう》|下《くだ》さいましたならばキツと|正宗《まさむね》さまも|天上《てんじやう》さまも|貴方《あなた》に|厚《あつ》くお|仕《つか》へなさるでせう』
|松彦《まつひこ》『さうすると、|私《わたし》が|教主《けうしゆ》になるのかなア』
お|寅《とら》『そこは|正宗《まさむね》さまと|御相談《ごさうだん》の|結果《けつくわ》|如何《どう》なりますやら、そこ|迄《まで》|申上《まをしあ》げるこた、|此《この》|婆《ばば》アには|権能《けんのう》がありませぬからな。|何《なに》は|兎《と》もあれ|引《ひき》ずつてでも|帰《かへ》らねばおきませぬ。|見込《みこ》まれたが|因縁《いんねん》だと|思《おも》うて、|貴方《あなた》も|男《をとこ》らしう|決心《けつしん》なされませ』
|松彦《まつひこ》『あゝ|大変《たいへん》な|迷惑《めいわく》だなア。|仕方《しかた》がない。そんなら|行《ゆ》かうか』
|万公《まんこう》『ハツハヽヽとうと|捕虜《ほりよ》になつて|了《しま》つた。ホリヨ ホリヨと|涙《なみだ》が|溢《こぼ》れるワイ、ウフヽヽ、|可笑《をか》し|涙《なみだ》がイヒヽヽ』
|一同《いちどう》『フツフヽヽプーツ クワツハヽヽ』
(大正一一・一二・一一 旧一〇・二三 松村真澄録)
第二章 |神木《しんぼく》〔一一九二〕
お|寅婆《とらば》アさまは|松彦《まつひこ》に|向《むか》ひ|河鹿川《かじかがは》の|川岸《かはぎし》に|枝振《えだぶ》りのよい|老松《らうしよう》が|蜒々《えんえん》として|枝《えだ》を|四方《しはう》に|広《ひろ》げ|川《かは》の|上《うへ》にヌツと|突《つ》き|出《で》て|居《ゐ》るのを|指《さ》し、
お|寅《とら》『もし、|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|大神《おほかみ》の|生宮様《いきみやさま》、あの|松《まつ》を|御覧《ごらん》なさいませ。|立派《りつぱ》なものぢや|厶《ござ》りませぬか』
|松彦《まつひこ》『|成《な》る|程《ほど》、|川《かは》の|景色《けしき》と|云《い》ひ、あの|枝振《えだぶ》りと|云《い》ひ|青々《あをあを》とした|艶《つや》と|云《い》ひ、|実《じつ》に|云《い》ひ|分《ぶん》のない|眺《なが》めですな。|随分《ずゐぶん》|鶴《つる》が|巣籠《すごも》りをするでせうな』
お|寅《とら》『ハイハイ、|鶴《つる》どころか、あの|松《まつ》には|日《ひ》の|大神様《おほかみさま》、|月《つき》の|大神様《おほかみさま》を|初《はじ》め|八百万《やほよろづ》の|大神様《おほかみさま》がお|休《やす》み|遊《あそ》ばす|世界一《せかいいち》の|生松《いきまつ》で|厶《ござ》ります。|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|大神様《おほかみさま》の、あれが|御神体《ごしんたい》で|厶《ござ》ります』
|松彦《まつひこ》『さうすると、あの|松《まつ》は|私《わたし》の|御霊《みたま》の|変化《へんげ》ではあるまいかな』
お|寅《とら》『|滅相《めつさう》な、|変化《へんげ》どころか、あれが|貴方《あなた》の|本守護神《ほんしゆごじん》ですよ。|時節《じせつ》と|云《い》ふものは|恐《こは》いものですな。たうとう|生神様《いきがみさま》の|貴方《あなた》|様《さま》がお|越《こ》しなさる|様《やう》になつたのだから、ウラナイ|教《けう》は|朝日《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|彦命《ひこのみこと》になります。|蠑〓別《いもりわけ》の|教祖《けうそ》が|仰有《おつしや》つた|事《こと》は|一分一厘《いちぶいちりん》|違《ちが》ひませぬがな』
|万公《まんこう》『アハヽヽヽ|松彦《まつひこ》さま、|貴方《あんた》は|不自由《ふじゆう》な|体《からだ》ですな、いつもあの|川辺《かはべ》に|水鏡《みづかがみ》ばつかり|見《み》て|鳶《とんび》|鷹《たか》|鷲《わし》|等《など》に|頭《あたま》から|糞《ふん》を|引《ひ》つかけられ|泰然自若《たいぜんじじやく》として|川端柳《かはばたやなぎ》を|気取《きど》つて|厶《ござ》るのですな。|道理《だうり》で|足《あし》が|重《おも》いと|思《おも》うて|居《ゐ》た。|本守護神《ほんしゆごじん》があの|松《まつ》の|大木《たいぼく》だと|分《わか》つての|上《うへ》は、|松彦《まつひこ》さまの|無精《ぶしやう》なのも、あながち|責《せめ》る|訳《わけ》にも|行《ゆ》きますまい。エヘヽヽヽ』
お|寅《とら》『これこれブラリ|彦《ひこ》、|又《また》|口《くち》|八釜《やかま》しい。|左兵衛治《さひやうゑぢ》をするものぢやない』
|万公《まんこう》『これ|婆《ばあ》さま、わしは|左兵衛治《さひやうゑぢ》なんて、そんな|老爺《おやぢ》めいた|名《な》ぢやありませぬぞ。|万古末代《まんごまつだい》|生通《いきとほ》しと|云《い》ふ|生々《いきいき》した|万公《まんこう》さまだ。|余《あんま》り|見損《みそこな》ひをして|貰《もら》ひますまいかい』
お|寅《とら》『オホヽヽヽ|何《なん》と|頭《あたま》の|悪《わる》い|男《をとこ》だな。|左兵衛治《さひやうゑぢ》と|云《い》つたら|差出物《さしでもの》と|云《い》ふ|事《こと》だ。|何《なん》でもかンでもよく|差出《さしで》て|邪魔《じやま》ばつかり|致《いた》すから、|左兵衛治《さひやうゑぢ》と|云《い》つたのだよ。|大松《おほまつ》のお|前《まへ》が|差出《さしで》る|処《ところ》ぢやない、|芋掘奴《いもほりやつこ》めが』
|万公《まんこう》『|俺《おれ》や、あんな|大松《おほまつ》とはチツと|違《ちが》ふのだ。なんぼ|大松《おほまつ》だつて|松《まつ》の|寿命《じゆみやう》は|千年《せんねん》だ。|此《この》|方《はう》は|万年《まんねん》の|寿命《じゆみやう》を|保《たも》つ|万公《まんこう》さまだ。あんまり|安《やす》う|買《か》うて|貰《もら》ひますまいかい』
お|寅《とら》『エーエ、|何《なに》から|何《なに》まで|教育《けういく》してやらねば|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|困《こま》つた|男《をとこ》だな。|大松《おほまつ》と|云《い》ふ|事《こと》は|大喰人足《おほぐひにんそく》と|云《い》ふ|事《こと》の|代名詞《だいめいし》だ。|野良《のら》へやれば|蕪《かぶら》をぬいて|食《く》ふ、|大根《だいこん》をかじる、|人参《にんじん》を|喰《く》ふ、|薩摩芋《さつまいも》から|南瓜《かぼちや》の|生《なま》まで、|噛《か》じる|喰《くら》ひぬけだから、それで|大松《おほまつ》と|云《い》ふのだ』
|万公《まんこう》『|大喰《おほぐ》ひするものを|大松《おほまつ》と|云《い》ふのは|可笑《をか》しいぢやないか。|其《その》|言葉《ことば》の|起源《きげん》を|説明《せつめい》して|貰《もら》ひたいものだな』
お|寅《とら》『エーエ、|合点《がてん》の|悪《わる》い|代物《しろもの》だ、ランオン|川《がは》の|杭《くひ》は、みんな|長《なが》い|大《おほ》きな|奴《やつ》が|要《い》るので、それで|大杭《おほくひ》の|長杭《ながくひ》と|云《い》ふのだ。その|大杭《おほくひ》の|長杭《ながくひ》は|大松《おほまつ》ぢやなければ|出来《でき》ぬのだから|大松《おほまつ》と|云《い》つたのだよ』
|万公《まんこう》は|妙《めう》な|手付《てつき》をして、
|万公《まんこう》『あゝさうで【おまつ】か、ヘーン、|松彦《まつひこ》さまもさうすると|松《まつ》に|因縁《いんねん》があるから|大松《おほまつ》でせうね』
お|寅《とら》『お|前《まへ》の|松《まつ》は|杭《くひ》になつた|松《まつ》だ。|此《この》お|方《かた》の|松《まつ》は、あの|通《とほ》り|生々《いきいき》した|生命《せいめい》のある|松《まつ》だよ。|万古末代《まんごまつだい》|生通《いきとほ》しの|松《まつ》と、|幹《みき》を|切《き》られ|枝《えだ》を|払《はら》はれ、|年《ねん》が|年中《ねんぢう》|頭《あたま》を|削《けづ》られて|逆《さか》トンボリにされ|尻《けつ》を|叩《たた》かれて、|突《つ》つ|込《こ》まれて|居《ゐ》る|大松《おほまつ》とは、|松《まつ》が|違《ちが》ふのだ。|善悪《ぜんあく》|混淆《こんかう》して|貰《もら》うては|大変《たいへん》|困《こま》りますわい。|然《しか》し|松彦《まつひこ》さま、あの|松《まつ》の|木《き》の|根元《ねもと》に|結構《けつこう》な|御守護《ごしゆご》がしてあるのだから|大門神社《おほもんじんしや》に|行《ゆ》く|迄《まで》に|一寸《ちよつと》そこの|神様《かみさま》に|参拝《さんぱい》して|貰《もら》ひたいのです』
|松彦《まつひこ》『あの|松《まつ》の|根元《ねもと》に|神様《かみさま》が|祀《まつ》つてあるのですかな』
お|寅《とら》『ハイハイ、あそこが|肝腎《かんじん》な|御仕組場《おしぐみば》だ。あの|因縁《いんねん》が|分《わか》らねば|小北山《こぎたやま》の|因縁《いんねん》が|分《わか》りませぬ。|是非《ぜひ》|共《とも》|来《き》て|貰《もら》ひ|度《た》いものです』
|万公《まんこう》『さうすると、まだ|外《ほか》に|神《かみ》さまが|祀《まつ》つてあるのか。|一遍《いつぺん》に|見《み》せると|食滞《しよくたい》すると|受付《うけつけ》の|爺《ぢい》さまが|云《い》ふた|神《かみ》さまだな。|一《ひと》つ|見《み》るも|二《ふた》つ|見《み》るも|同《おな》じ|事《こと》だ。|序《ついで》に|観覧《くわんらん》して|来《こ》ようかな。おい、|五三公《いそこう》、アク、タク、テク、|何《ど》うだ、|貴様《きさま》も|一《ひと》つ|見物《けんぶつ》する|気《き》はないか』
|一同《いちどう》『ウン、|面白《おもしろ》からうな。|参考《さんかう》の|為《ため》にお|寅《とら》さまの、|亡者案内《もさひき》で|見物《けんぶつ》して|来《こ》ようかい。お|寅《とら》さま、|亡者案内賃《もさひきちん》は|安《やす》うして|置《お》いてくれや、|見掛《みかけ》どりをやられると|此《この》|頃《ごろ》|吾々《われわれ》はチツとばかり|手許《てもと》|不如意《ふによい》なのだから|困《こま》りますぞえ』
お|寅《とら》『|観覧《くわんらん》だの、|見物《けんぶつ》だのと、|何《なん》と|云《い》ふ|勿体《もつたい》ない|事《こと》を|仰有《おつしや》るのだ。|見《み》に|行《ゆ》くのだない、|参拝《さんぱい》に|行《ゆ》くのだ。|何故《なぜ》|参拝《さんぱい》さして|頂《いただ》きますと|云《い》はぬのだ』
|万公《まんこう》『|三杯《さんばい》どころか、もう|之《これ》|丈《だ》け|沢山《たくさん》に|誤託宣《ごたくせん》を|聞《き》かして|頂《いただ》いた|上《うへ》は|腹一杯《はらいつぱい》|胸一杯《むねいつぱい》だ、アハヽヽヽ』
お|寅《とら》『サア、|末代様《まつだいさま》、|御案内《ごあんない》|致《いた》しませう。|何卒《どうぞ》|此《この》|婆《ばば》について|来《き》て|下《くだ》さいませ』
|松彦《まつひこ》はいやいや|乍《なが》ら|婆《ばば》アの|後《あと》に|一行《いつかう》と|共《とも》に|枝振《えだぶ》りのよい|大松《おほまつ》の|麓《ふもと》まで|進《すす》んで|行《い》つた。
|見《み》れば|途方途徹《とはうとてつ》もない|大《おほ》きな|岩《いは》が|玉垣《たまがき》を|囲《めぐ》らし|切口《きりくち》の|石《いし》を|畳《たた》んで|置物《おきもの》の|様《やう》にチヨンと|高《たか》い|処《ところ》に|立派《りつぱ》に|祀《まつ》つてある。さうして|傍《かたはら》に|案内石《あんないいし》が|立《た》ち|蠑〓別《いもりわけ》の|筆跡《ひつせき》で、
「さかえの|神政松《しんせいまつ》の|御神木《ごしんぼく》」
と|記《しる》してある。
|五三《いそ》『もしお|婆《ばあ》さま、|此《この》|大《おほ》きな|岩《いは》は|一体《いつたい》|何《なん》だい。さうして|御神木《ごしんぼく》と|記《しる》してあるが、こりや|木《き》ぢやない、|岩《いは》ぢやないか』
お|寅《とら》『そんな|事《こと》は|気《き》にかけいでも、|理屈《りくつ》いはいでも、いいぢやないか。お|前達《まへたち》が|神木《しんぼく》する|様《やう》に「さかえの|神政松《しんせいまつ》の|御神木《ごしんぼく》」と|書《か》いてあるのだよ。ここは|善《ぜん》と|悪《あく》との|境《さかひ》だから|小北山《こぎたやま》の|地《ち》の|高天原《たかあまはら》へ|悪神《あくがみ》の|這入《はい》つて|来《こ》ぬ|様《やう》に|千引岩《ちびきいは》が|斯《か》うして|置《お》いてあるのだ。|表向《おもてむ》きは|弥勒様《みろくさま》の|御神体《ごしんたい》だと|云《い》つて|居《を》るのだ。さうして|十六柱《じふろくばしら》の|神様《かみさま》がお|祀《まつ》りしてある|標《しるし》だと|云《い》つて|十六本《じふろくぽん》の|小松《こまつ》が|此《この》|通《とほ》り|植《う》ゑてあるのだ。|然《しか》し|乍《なが》ら|之《これ》は|表向《おもてむ》き、|実《じつ》の|処《ところ》は|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|生魂《いきだま》をここへ|封《ふう》じ|込《こ》んで|動《うご》きのとれぬ|様《やう》に|周囲《ぐるり》|八方《はつぱう》|石畳《いしだたみ》を|囲《めぐ》らし、|上《うへ》から|千引《ちびき》の|岩《いは》を|載《の》せて、|万古末代《まんごまつだい》|上《あが》れぬ|様《やう》に|封《ふう》じ|込《こ》めておいたのだ。そのために|瑞《みづ》の|魂《みたま》の|素盞嗚尊《すさのをのみこと》は|八方《はつぱう》|塞《ふさ》がり|同様《どうやう》で、|二《に》ツ|進《ち》も|三《さ》ツ|進《ち》もならぬ|様《やう》になり|困《こま》つてゐやがるのだ。|此《この》|石《いし》をここへ|運《はこ》ぶ|時《とき》にも|随分《ずゐぶん》|苦労《くらう》をしたのだよ。|第一《だいいち》|蠑〓別《いもりわけ》さま、|魔我彦《まがひこ》さま、|大将軍《たいしやうぐん》さま、|此《この》お|寅《とら》|等《たち》の|奮励努力《ふんれいどりよく》と|云《い》つたら|大《たい》したものだつた。|夜《よる》も|昼《ひる》も|二十日《はつか》ばかり|寝《ね》ずに|活動《くわつどう》して|到頭《たうとう》|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|悪神《あくがみ》を|封《ふう》じ|込《こ》めてやつたのだ。|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》は|何《なん》にも|知《し》らずに|馬鹿《ばか》だからヤツパリ|素盞嗚尊《すさのをのみこと》が|此《この》|世《よ》に|現《あら》はれて|居《ゐ》る|様《やう》に|思《おも》うてゐるのだよ。|斯《か》うしておけば|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》を|鼠《ねづみ》が|餅《もち》ひく|様《やう》に|皆《みな》|小北山《こぎたやま》に|引張込《ひつぱりこ》むと|云《い》ふ|蠑〓別《いもりわけ》さまの|御神策《ごしんさく》だ。|何《なん》と|偉《えら》いものだらうがな』
|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》の|両人《りやうにん》はクワツと|腹《はら》を|立《た》て|両方《りやうはう》から|婆《ばば》の|手《て》をグツと【ひん】|握《にぎ》り、
|万公《まんこう》『こりや|糞婆《くそばば》、もう|量見《れうけん》ならねえ。|此《この》|川《かは》へ|水葬《すゐさう》してやるから、さう|思《おも》へ。|怪《け》しからぬ|事《こと》を|吐《ぬか》す』
|五三《いそ》『こりや、お|寅《とら》、|蛙《かへる》は|口《くち》から、|吾《われ》と|吾《わが》|手《て》に|白状《はくじやう》|致《いた》した|上《うへ》からは、もはや|量見《れうけん》ならぬぞ。サア|覚悟《かくご》せい。おい|万公《まんこう》、|其方《そつち》の|足《あし》をとれ、|俺《おれ》も|此《この》|足《あし》を|持《も》つて|川《かは》の|深淵《ふかぶち》へ|担《かつ》いで|行《い》つて|放《はふ》り|込《こ》んでやるのだ』
お|寅《とら》『オホヽヽヽ、|地《ち》から|生《は》えた|木《き》の|様《やう》なものだ。|此《この》|婆《ばば》がお|前達《まへたち》|三人《さんにん》や|五人《ごにん》に|動《うご》かされる|様《やう》なヘドロい|婆《ばば》か。|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまの|御神力《ごしんりき》を|頂《いただ》いた|上《うへ》に|艮《うしとら》の|金神様《こんじんさま》の|分《わ》け|魂《みたま》のお|憑《かか》り|遊《あそ》ばした|丑《うし》の|年《とし》|生《うま》れの|寅《とら》さまだ。|丑寅婆《うしとらば》アさまを|何《なん》と|心得《こころえ》てるのだ』
|万公《まんこう》『おい、|五三公《いそこう》、|随分《ずゐぶん》|重《おも》い|婆《ばば》だな。|本当《ほんたう》にビクともしやがらぬわ』
アク『アハヽヽヽ、ビクともせぬ|筈《はず》だよ。|婆《ば》アさまは|其処《そこ》に|居《ゐ》るぢやないか。お|前達《まへたち》は、|岩《いは》を|一生懸命《いつしやうけんめい》|動《うご》かさうとしたつて|動《うご》くものかい。それが|婆《ば》アさまに|見《み》えたのか』
|五三《いそ》『いや、ほんにほんに|岩《いは》だつたな。おけおけ|馬鹿《ばか》らしい。お|寅婆《とらばば》は|彼処《あすこ》にけつかるぢやないか』
お|寅《とら》『オホヽヽヽ|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》の|眼力《がんりき》は|偉《えら》いものだな。お|寅《とら》さまとお|岩《いは》さまと|取違《とりちが》へするのだから』
|万公《まんこう》『エー』
アク、タク、テク|三人《さんにん》『アハヽヽヽ、|又《また》いかれやがつたな』
お|寅《とら》『あまり|疑《うたが》うて|居《ゐ》ると|真逆《まさか》の|時《とき》に|眩惑《めまひ》がくるぞよ、|足許《あしもと》の|深溜《ふかだまり》が|目《め》に|見《み》えぬ|様《やう》になるぞよ。ウフヽヽヽ』
|松彦《まつひこ》『お|婆《ばあ》さま、いや|如何《どう》も|感心《かんしん》|致《いた》しました。これから|一《ひと》つ|大門神社《おほもんじんしや》へ|参《まゐ》りませう』
お|寅《とら》『あ、お|前《まへ》さまは|末代《まつだい》|様《さま》だ。|身霊《みたま》が|綺麗《きれい》だと|見《み》える。あんなガラクタは|後廻《あとまは》しで|宜《よろ》しい。お|寅《とら》さまの|後《あと》から|跟《つ》いて|来《き》なさい。|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまが|末代《まつだい》さまを|御案内《ごあんない》|致《いた》しませう』
|松彦《まつひこ》『ありがたう。|然《しか》し|乍《なが》ら|此《この》|連中《れんちう》を|捨《す》てて|置《お》く|訳《わけ》にも|行《ゆ》かぬから|連《つ》れて|行《ゆ》かう』
お|寅《とら》『それは|貴方《あなた》、|末代《まつだい》さまの|御都合《ごつがふ》にして|下《くだ》さい。サア|斯《か》うおいで|成《な》さいませや』
と|頭《かしら》をペコペコさせ|頻《しき》りに|媚《こび》を|呈《てい》し|乍《なが》ら、もと|来《き》し|道《みち》に|引返《ひつかへ》し|急坂《きふはん》を|一行《いつかう》の|先《さき》に|立《た》つて|上《のぼ》り|行《ゆ》く。
|急坂《きふはん》を|二三丁《にさんちやう》ばかり|登《のぼ》つた|処《ところ》にロハ|台《だい》が|並《なら》んでゐる。
|万公《まんこう》『もし|松彦《まつひこ》さま、|一寸《ちよつと》ここで|休息《きうそく》して|行《ゆ》きませうか』
|松彦《まつひこ》『ウン、よからう』
と|腰《こし》をかけ|息《いき》を|休《やす》める。お|寅《とら》は|怪嫌《けげん》な|顔《かほ》をし|乍《なが》ら|後《あと》ふり|返《かへ》り、
お|寅《とら》『|逆理屈《さかりくつ》ばかり|囀《さへづ》る|万公《まんこう》が
|坂《さか》の|中央《なかば》で|屁古垂《へこた》れにけり。
|偉相《えらさう》に|腮《あご》をたたいて|居《ゐ》た|万公《まんこう》
|此《この》|弱《よわ》り|様《やう》は|何《なん》の|事《こと》だい。
|鼈《すつぽん》に|蓼《たで》|食《く》はした|様《よ》な|息《いき》づかひ
|万々々公《まんまんまんこう》も|休《やす》むがよからう』
|万公《まんこう》『|迷信《めいしん》の|淵《ふち》に|沈《しづ》んだお|寅《とら》さま
|底《そこ》|知《し》れぬ|淵《ふち》へバサンとはまつて。
|之《これ》|程《ほど》にきつい|坂《さか》をばスタスタと
|登《のぼ》るは|狐《きつね》|狸《たぬき》なるらむ。
|登《のぼ》り|坂《さか》|上手《じやうづ》な|奴《やつ》は|馬兎《うまうさぎ》
|丑寅婆《うしとらば》さまのの|十八番《おはこ》なるらむ』
お|寅《とら》『|糞《ばば》|垂《た》れて|婆《ば》さまの|登《のぼ》る|山道《やまみち》を
|屁古垂《へこた》れよつた|万公《まんこう》の|尻《けつ》。
|芋《いも》|蕪《かぶら》|大根《だいこん》|人参《にんじん》あつたなら
|万《まん》の|野郎《やらう》に|喰《く》はせ|度《た》きもの。
|大根《だいこん》や|蕪《かぶら》がきれて|息《いき》つまり
|何《なん》と|茄子《なすび》の|溝漬《どぶづ》け|男《をとこ》』
|万公《まんこう》『|臭《くさ》い|奴《やつ》|吾《わが》|一行《いつかう》の|先《さき》に|立《た》つ
|腋臭《わきが》【とべら】の|婆《ばば》の|尻糞《しりくそ》』
お|寅《とら》『こりや|万公《まんこう》、|臭《くさ》い|奴《やつ》とは|何《なに》を|云《い》ふ
|貴様《きさま》は|臭《くさ》い|穴探《あなさが》しぞや。
|彼岸《ひがん》|過《す》ぎになつても|穴《あな》の|無《な》い|蛇《へび》は
そこら|辺《あた》りをのたくり|廻《まは》る。
|穴《あな》ばかり|探《さが》して|歩《ある》く|万公《まんこう》を
|岩窟《いはや》の|穴《あな》へ|入《い》れてやり|度《た》い』
|万公《まんこう》『|何《なに》|吐《ぬか》す|丑寅婆《うしとらばば》の|尻糞《しりくそ》|奴《め》
|尻《けつ》が|呆《あき》れて|雪隠《せんち》が|踊《をど》る』
|松彦《まつひこ》『ロハ|台《だい》に|腰《こし》|打《う》ち|掛《かけ》て|万公《まんこう》が
|尻《しり》のつぼめの|合《あ》はぬ|事《こと》|言《い》ふ』
|五三公《いそこう》『ロハ|台《だい》に|尻《しり》を|下《おろ》した|万公《まんこう》さま
|糞落《くそお》ちつきのないも|道理《だうり》よ』
アク『アクアクと|互《たがひ》に|誹《そし》り|妬《ねた》み|合《あ》ひ
|無性《むしやう》|矢鱈《やたら》に|口《くち》をアクかな』
タク『いろいろとタクみし|証拠《しようこ》は|千引岩《ちびきいは》
|松《まつ》の|根元《ねもと》に|沢山《たくさん》にある』
テク『|山坂《やまさか》をテクる|吾《わが》|身《み》は|何《なん》となく
|足腰《あしこし》だるくなりにけるかな。
|面白《おもしろ》もない|婆《ばあ》さまに|導《みちび》かれ
|登《のぼ》るも|辛《つら》し|針《はり》の|山坂《やまさか》』
お|寅《とら》『|万公《まんこう》よアク、テク、タクの|御一同《ごいちどう》
|此《この》|坂道《さかみち》は|神《かみ》の|坂《さか》だよ。
|神《かみ》になり|鬼《おに》になるのも|此《この》|坂《さか》を
|越《こ》えぬ|事《こと》には|分《わか》るまいぞや』
アク『|登《のぼ》りつめアクになつたら|何《なん》とせう
|丑寅婆《うしとらば》さまに|欺《あざむ》かれつつ』
お|寅《とら》『|疑《うたがひ》を|晴《は》らして|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》が
|後《あと》に|来《く》る|身《み》は|大丈夫《だいぢやうぶ》だよ』
|松彦《まつひこ》『サア|一同《いちどう》、もう|行《い》つてもよからう。|乙姫《おとひめ》さま、|宜《よろ》しう|頼《たの》みます』
お|寅《とら》『ホヽヽヽヽ|末代《まつだい》|様《さま》、サア|参《まゐ》りませう』
|万公《まんこう》『ヘン、|馬鹿《ばか》にして|居《ゐ》やがる。|婆《ばば》の|乙姫《おとひめ》さまも|見初《みはじ》めだ。なア|五三公《いそこう》』
|五三《いそ》『きまつた|事《こと》だ。|逆様《さかさま》の|世《よ》の|中《なか》だもの、|乙姫《おとひめ》さまだつて|世界《せかい》のために|御心配《ごしんぱい》|遊《あそ》ばして|厶《ござ》るのだもの、チツたあ|年《とし》も|寄《よ》らうかい。アハヽヽヽ』
|一同《いちどう》『ウフヽヽヽ』
(大正一一・一二・一一 旧一〇・二三 北村隆光録)
第三章 |大根蕪《だいこんかぶら》〔一一九三〕
|艮婆《うしとらば》さまに|誘《さそ》はれて  |末代《まつだい》さまの|松彦《まつひこ》は
|万公《まんこう》|五三公《いそこう》|其《その》|外《ほか》の  |三人《みたり》と|共《とも》に|急坂《きふはん》を
|心《こころ》ならずも|登《のぼ》りゆく  |川辺《かはべ》の|松《まつ》の|根本《ねもと》なる
|千引《ちびき》の|岩《いは》に|包《つつ》まれし  |秘密《ひみつ》の|鍵《かぎ》を|握《にぎ》りつつ
|油断《ゆだん》ならじと|村肝《むらきも》の  |心《こころ》を|固《かた》め|腹《はら》を|据《す》ゑ
さあらぬ|体《てい》を|装《よそほ》ひつ  |細《ほそ》い|階段《きざはし》スタスタと
|刻《きざ》んで|上《のぼ》る|門《もん》の|前《まへ》  お|寅婆《とらば》さまは|立《た》ち|止《と》まり
これこれ|申《まを》し|受付《うけつけ》の  |文助《ぶんすけ》さまよ|末代《まつだい》の
|神《かみ》の|生宮《いきみや》|初《はじ》めとし  |五人《ごにん》のガラクタ|神《かみ》さまが
いよいよ|此処《ここ》へお|出《で》ましだ  |一時《いちじ》も|早《はや》く|奥《おく》へいて
|蠑〓別《いもりわけ》の|教祖《けうそ》さまに  |早《はや》く|取次《とりつぎ》なされませ
|神《かみ》の|恵《めぐみ》も|大広木《おほひろき》  |正宗《まさむね》さまや|義理天上《ぎりてんじやう》
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》も  |嘸《さぞ》や|満足《まんぞく》なされましよ
|竜宮海《りうぐうかい》の|乙姫《おとひめ》が  |懸《かか》りたまうた|肉《にく》の|宮《みや》
|艮婆《うしとらば》さまの|挨拶《あいさつ》で  ここまで|喰《くわ》へて|来《き》た|程《ほど》に
グヅグヅしてると|帰《かへ》られちや  |又《また》もや|元《もと》の|杢阿弥《もくあみ》だ
|早《はや》く|早《はや》くと|小声《こごゑ》にて  |耳《みみ》に|口寄《くちよ》せ|囁《ささや》けば
|文助爺《ぶんすけぢ》さまは|頭《かしら》をば  |縦《たて》に|三《み》つ|四《よ》つ|振《ふ》りながら
|川《かは》の|流《なが》れを|遡《さかのぼ》る  やうな|足《あし》つきトボトボと
|襖《ふすま》|押開《おしあ》け|奥《おく》の|間《ま》へ  |白《しろ》き|姿《すがた》をかくしける
|暫《しばら》くあつて|魔我彦《まがひこ》は  |満面《まんめん》|笑《ゑみ》を|湛《たた》へつつ
|気《き》もいそいそといで|迎《むか》へ  |貴方《あなた》は|末代日《まつだいひ》の|王《わう》の
|天《てん》の|大神《おほかみ》|生宮《いきみや》だ  |能《よ》くまアお|出《いで》|下《くだ》さつた
|正宗《まさむね》さまが|奥《おく》の|間《ま》で  |山野河海《さんやかかい》の|珍肴《ちんかう》に
ポートワインの|瓶《びん》|並《なら》べ  にこにこ|顔《がほ》で|待《ま》ちたまふ
|遠慮《ゑんりよ》は|決《けつ》して|入《い》りませぬ  |貴方《あなた》は|神《かみ》の|生宮《いきみや》だ
かうなる|上《うへ》はお|互《たがひ》に  |敵《てき》と|味方《みかた》の|隔《へだ》てなく
|腹《はら》を|合《あは》して|神業《しんげふ》に  |力《ちから》の|限《かぎ》り|尽《つく》しませう
|小《ちひ》さき|隔《へだ》てを|拵《こしら》へて  ゴテゴテ|争《あらそ》ふ|時《とき》でない
|神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》の|御時節《ごじせつ》が  いよいよ|切迫《せつぱく》した|上《うへ》は
|末代様《まつだいさま》の|肉《にく》の|宮《みや》  どうしてもかうしても|此《この》|山《やま》に
|居《を》つて|貰《もら》はにやなりませぬ  |神素盞嗚《かむすさのを》の|悪神《あくがみ》が
|立《た》てた|教《をしへ》に|沈溺《ちんでき》し  |下《くだ》らぬ|熱《ねつ》を|吹《ふ》き|乍《なが》ら
|広《ひろ》い|世界《せかい》を|遠近《をちこち》と  |宣伝《せんでん》して|居《ゐ》る|馬鹿者《ばかもの》が
|沢山《たくさん》あると|聞《き》きました  |承《うけたま》はれば|貴方《あなた》|様《さま》
|三五教《あななひけう》にお|入《はい》りと  |聞《き》いて|一寸《ちよつと》は|驚《おどろ》いた
さはさり|乍《なが》ら|能《よ》く|聞《き》けば  |河鹿峠《かじかたうげ》で|兄《あに》|様《さま》に
|廻《めぐ》り|会《あ》うたが|嬉《うれ》しさに  ほんの|当座《たうざ》の|出来心《できごころ》
|三五教《あななひけう》に|御入信《ごにふしん》  なさつた|事《こと》が|知《し》れた|故《ゆゑ》
いよいよこいつは|脈《みやく》がある  こんな|結構《けつこう》な|肉宮《にくみや》を
ムザムザ|帰《かへ》してはならないと  |正宗《まさむね》さまの|肉宮《にくみや》が
|焦《こが》れ|遊《あそ》ばしお|寅《とら》さまを  もつて|態々《わざわざ》|貴方《あなた》をば
|引《ひ》き|留《と》めなさつた|御無礼《ごぶれい》を  よきに|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|宣《の》り|直《なほ》しませ|魔我彦《まがひこ》が  |蠑〓別《いもりわけ》の|代理《だいり》とし
|茲《ここ》に|挨拶《あいさつ》|仕《つかまつ》る  サアサア|早《はや》う|遠慮《ゑんりよ》なく
|奥《おく》へ|通《とほ》つて|下《くだ》さんせ  |神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》の|糸口《いとぐち》が
|開《ひら》けて|来《きた》る|小北山《こぎたやま》  これ|程《ほど》|目出度《めでた》い|事《こと》あらうか
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎ|奉《まつ》る。
|松彦《まつひこ》『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|万公《まんこう》『|悪魔《あくま》は|如何《いか》に|叫《さけ》ぶとも
|松彦《まつひこ》『|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|万公《まんこう》『つまらぬ|教《をしへ》を|聞《き》くとても
|松彦《まつひこ》『|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|万公《まんこう》『|足《た》らはぬ|吾等《われら》の|魂《たましひ》で
|松彦《まつひこ》『|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|万公《まんこう》『|誠《まこと》の|事《こと》は|分《わか》らない
|松彦《まつひこ》『|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|万公《まんこう》『|此《この》|世《よ》の|罪《つみ》を|神直日《かむなほひ》
|松彦《まつひこ》『|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|万公《まんこう》『|困《こま》つた|事《こと》と|知《し》り|乍《なが》ら
|松彦《まつひこ》『|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|万公《まんこう》『|唯《ただ》|何《なん》となく|調《しら》べむと
|松彦《まつひこ》『|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|万公《まんこう》『|何《なに》は|兎《と》もあれ|上《のぼ》り|来《き》て
|松彦《まつひこ》『|身《み》の|過《あやまち》は|宣直《のりなほ》す
|万公《まんこう》『|皆《みな》|山坂《やまさか》を|乗《の》り|越《こ》えて
|松彦《まつひこ》『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|万公《まんこう》『|危《あぶ》ない|教《をしへ》を|宣伝《せんでん》し
|松彦《まつひこ》『|治国別《はるくにわけ》の|後追《あとお》うて
|万公《まんこう》『|蠑〓《いもり》の|別《わけ》に|招《まね》かれて
|松彦《まつひこ》『|漸《やうや》く|此処《ここ》に|上《のぼ》り|来《き》ぬ
|万公《まんこう》『|如何《いか》なる|事《こと》か|知《し》らねども
|松彦《まつひこ》『|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神《かみ》
|万公《まんこう》『なぞと|云《い》はれて|松彦《まつひこ》は
|松彦《まつひこ》『|怪《あや》しき|雲《くも》に|覆《おほ》はれつ
|万公《まんこう》『|様子《やうす》|探《さぐ》らむものをとて
|松彦《まつひこ》『|忙《せわ》しき|身《み》をば|顧《かへり》みず
|万公《まんこう》『お|寅婆《とらば》さまの|後《あと》につき
|松彦《まつひこ》『|来《きた》りて|見《み》れば|文助《ぶんすけ》が
|万公《まんこう》『|置物然《おきものぜん》と|坐《すわ》り|居《を》る
|松彦《まつひこ》『お|寅婆《とらば》さまは|声《こゑ》をかけ
|万公《まんこう》『|教主《けうしゆ》の|宮《みや》に|逸早《いちはや》く
|松彦《まつひこ》『|報告《はうこく》なされと|急《せ》き|立《た》てる
|万公《まんこう》『|合点《がてん》|往《ゆ》かぬと|待《ま》つうちに
|松彦《まつひこ》『やつて|来《き》たのはお|前《まへ》さま
|万公《まんこう》『|義理天上《ぎりてんじやう》の|肉宮《にくみや》と
|松彦《まつひこ》『|名乗《なの》るお|前《まへ》は|魔我彦《まがひこ》か
|万公《まんこう》『|道理《だうり》で|腰《こし》が|曲《まが》つてる
|松彦《まつひこ》『|丑寅婆《うしとらば》さまの|云《い》うたよに
|万公《まんこう》『この|松彦《まつひこ》が|天《てん》の|神《かみ》
|松彦《まつひこ》『|一番《いちばん》|偉《えら》い|身魂《みたま》なら
|万公《まんこう》『|蠑〓《いもり》の|別《わけ》は|逸早《いちはや》く
|松彦《まつひこ》『|迎《むか》ひに|来《こ》なくちやならうまい
|万公《まんこう》『|何《なに》か|秘密《ひみつ》が|此《この》|家《いへ》に
|松彦《まつひこ》『|潜《ひそ》んで|居《ゐ》るに|違《ちが》ひない
|万公《まんこう》『これや|浮《う》か|浮《う》かと|奥《おく》の|間《ま》に
|松彦《まつひこ》『|進《すす》む|訳《わけ》には|行《ゆ》きませぬ
|万公《まんこう》『|誠《まこと》の|心《こころ》があるならば
|松彦《まつひこ》『|肝腎要《かんじんかなめ》の|教祖《けうそ》さま
|万公《まんこう》『|蠑〓別《いもりわけ》が|吾《わが》|前《まへ》に
|松彦《まつひこ》『お|越《こ》しになつて|御挨拶《ごあいさつ》
|万公《まんこう》『|叮嚀《ていねい》になさらにやならうまい
|松彦《まつひこ》『これが|第一《だいいち》|不思議《ふしぎ》ぞや
|万公《まんこう》『|魔我彦《まがひこ》さまよ|今一度《いまいちど》
|松彦《まつひこ》『|奥《おく》の|一間《ひとま》に|駆《か》け|入《い》つて
|万公《まんこう》『|確《たしか》な|返答《へんたふ》を|聞《き》いた|上《うへ》
|松彦《まつひこ》『|又《また》|改《あらた》めて|御挨拶《ごあいさつ》
|万公《まんこう》『|得心《とくしん》するよに|云《い》うて|呉《く》れ
|松彦《まつひこ》『さうでなければ|何処《どこ》|迄《まで》も
|万公《まんこう》『|面会《めんくわい》する|事《こと》お|断《ことわ》り
|松彦《まつひこ》『これからぼつぼつ|帰《かへ》ります
|万公《まんこう》『これこれ|丑寅《うしとら》お|婆《ばあ》さま
|松彦《まつひこ》『いかいお|世話《せわ》になりました
|万公《まんこう》『いざいざさらばいざさらば』
お|寅婆《とらばば》は|両手《りやうて》を|拡《ひろ》げて、
『これこれもうし|肉《にく》の|宮《みや》  |末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神《かみ》
|気《き》が|短《みじか》いも|程《ほど》がある  |悪気《わるぎ》を|廻《まは》して|貰《もら》つては
|大《おほい》に|迷惑《めいわく》|致《いた》します  |正宗《まさむね》さまの|肉宮《にくみや》は
|貴方《あなた》を|決《けつ》して|袖《そで》にせぬ  |一時《いちじ》も|早《はや》く|現《あら》はれて
|飛《と》びつきたいよに|心《こころ》では  |思《おも》うて|厶《ござ》るは|知《し》れた|事《こと》
さはさり|乍《なが》ら|八百万《やほよろづ》  |尊《たふと》き|神《かみ》が|出入《でいり》して
お|神酒《みき》を|飲《あが》つて|厶《ござ》る|故《ゆゑ》  どしてもこしても|暇《ひま》が|無《な》い
|短気《たんき》を|出《だ》さずに|気《き》を|静《しづ》め  |暫《しばら》く|待《ま》つて|下《くだ》さんせ
|貴方《あなた》の|顔《かほ》を|潰《つぶ》すよな  |下手《へた》なる|事《こと》はさせませぬ
これこれ|日《ひ》の|出《で》の|義理天上《ぎりてんじやう》  |何《なに》をグヅグヅして|厶《ござ》る
|一時《いちじ》も|早《はや》く|奥《おく》へいて  |何《なん》とか|彼《か》とかそこはそれ
お|前《まへ》の|智慧《ちゑ》のありたけを  |縦横無尽《じうわうむじん》に|振《ふ》り|廻《まは》し
|蠑〓別《いもりわけ》の|神様《かみさま》に  ○○○○してお|出《い》で
それが|出来《でき》ぬよな|事《こと》ならば  |義理天上《ぎりてんじやう》も|怪《あや》しいぞ
|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》も|駄目《だめ》ぢやぞえ』
|魔我彦《まがひこ》『お|寅婆《とらば》さまの|云《い》ふ|通《とほ》り  これから|奥《おく》へ|踏《ふ》み|込《こ》んで
|羽織《はおり》の|紐《ひも》ぢやないけれど  |私《わたし》の|胸《むね》に【ちやん】とある
|一伍一什《いちぶしじふ》を|打《う》ち|明《あ》けて  |蠑〓別《いもりわけ》に|申《まを》しませう
|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神《かみ》  |暫《しばら》く|待《ま》つて|下《くだ》しやんせ
|失礼《しつれい》します』と|云《い》ひながら  |一間《ひとま》をさして|入《い》りにける。
|待《ま》つ|間《ま》|久《ひさ》しき|鶴《つる》の|首《くび》  |万公《まんこう》さまは|気《き》を|焦《いら》ち
|脱線《だつせん》だらけの|言霊《ことたま》を  |無性《むしやう》|矢鱈《やたら》に|打《う》ち|出《いだ》す。
|万公《まんこう》『|松彦《まつひこ》さまよ|五三公《いそこう》よ  アク、テク、タクの|三人《さんにん》よ
|蠑〓別《いもりわけ》と|云《い》ふ|奴《やつ》は  |尊《たふと》き|俺等《おれら》の|一行《いつかう》を
|本当《ほんたう》に|馬鹿《ばか》にするぢやないか  |木枯《こがら》し|強《きつ》い|寒空《さむぞら》に
|火《ひ》の|気《け》|一《ひと》つなき|受付《うけつけ》に  |待《ま》たして|置《お》いてグヅグヅと
|神《かみ》のお|給仕《きふじ》か|知《し》らねども  |鱈腹《たらふく》|酒《さけ》に|喰《くら》ひ|酔《よ》ひ
ズブロクさんになりよつて  |無我《むが》と|夢中《むちう》の|為体《ていたらく》
|夜中《やちう》の|夢《ゆめ》を|安々《やすやす》と  |見《み》て|居《ゐ》やがるに|違《ちが》ひない
これこれ|申《まを》し|松彦《まつひこ》さま  |私《わたし》は|腹《はら》が|立《た》つて|来《き》た
|松《まつ》の|根下《ねもと》の|岩《いは》と|云《い》ひ  |艮婆《うしとらば》さまの|云《い》ひ|草《ぐさ》が
どうしたものか|腑《ふ》に|落《お》ちぬ  こんな|所《ところ》へ|迷《まよ》ひ|込《こ》み
|眉毛《まゆげ》をよまれ|尻《しり》の|毛《け》を  |一《ひと》つも|無《な》いよに|抜《ぬ》かれては
|世間《せけん》へ|対《たい》して|恥晒《はぢさらし》  |治国別《はるくにわけ》の|先生《せんせい》に
どうして|云《い》ひ|訳《わけ》|立《た》つものか  |俺《おれ》をば|失敬《しつけい》な|婆《ばば》の|奴《やつ》
ブラリ|彦《ひこ》だと|云《い》ひ|居《を》つた  |松彦《まつひこ》さまはユラリ|彦《ひこ》
|国治立《くにはるたち》の|神《かみ》さまの  お|脇立《わきだち》だと|崇《あが》め|置《お》き
|口《くち》の|先《さき》にてチヨロまかし  |謀叛《むほん》を|起《おこ》すつもりだらう
|挺《てこ》にも|棒《ぼう》にも|合《あ》はぬ|奴《やつ》  したたかものが|此《こ》の|山《やま》に
|潜《ひそ》んで|居《を》るに|違《ちが》ひない  |聖人君子《せいじんくんし》は|危《あやふ》きに
|近《ちか》づかないと|云《い》ふ|事《こと》だ  |貴方《あなた》は|知《し》つて|居《ゐ》る|筈《はず》ぢや
サアサア|松彦《まつひこ》|帰《かへ》りませう  こんな|処《ところ》で|馬鹿《ばか》にされ
どうして|男《をとこ》が|立《た》つものか  アク、テク、タクよ|五三公《いそこう》よ
お|前《まへ》は|何《なん》と|思《おも》うて|居《ゐ》る  |意見《いけん》があれば|今《いま》ここで
|遠慮《ゑんりよ》は|入《い》らぬ|薩張《さつぱり》と  |俺《おれ》にぶちあけて|呉《く》れぬかい
|腹《はら》の|虫《むし》|奴《め》がグウグウと  |怒《おこ》つて|怒《おこ》つて|仕様《しやう》が|無《な》い』
|五三公《いそこう》『|五三公司《いそこうつかさ》が|思《おも》ふ|事《こと》  |遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もなきままに
|陳列《ちんれつ》すれば|左《さ》の|通《とほ》り  |耳《みみ》を|浚《さら》へて|聞《き》くがよい
|小北《こぎた》の|山《やま》の|神《かみ》さまは  |常世《とこよ》の|姫《ひめ》の|憑《うつ》りたる
|高姫《たかひめ》|黒姫《くろひめ》|両人《りやうにん》が  |迷《まよ》ひの|雲《くも》に|包《つつ》まれて
|開《ひら》いて|置《お》いた|醜道《しこみち》だ  |肝腎要《かんじんかなめ》の|高姫《たかひめ》や
|黒姫《くろひめ》さまが|改悟《かいご》して  |三五教《あななひけう》に|降伏《かうふく》し
|今《いま》は|立派《りつぱ》な|神司《かむつかさ》  |見向《みむ》きもやらぬウラナイの
|教《をしへ》を|信《しん》じて|何《なん》になる  |肝腎要《かんじんかなめ》の|教祖《けうそ》さま
|高姫《たかひめ》さまや|黒姫《くろひめ》が  |自《みづか》ら|愛想《あいさう》を|尽《つ》かしたる
ウラナイ|教《けう》に|信実《しんじつ》が  ありそな|事《こと》は|無《な》いぢやないか
これだけ|聞《き》いても|分《わか》るだらう  |思《おも》へば|研究《けんきう》の|価値《かち》はない
これこれ|申《まを》し|松彦《まつひこ》さま  |私《わたし》はもはや|嫌《いや》になつた
|深《ふか》くはまらぬ|其《その》|中《うち》に  ここをば|立《た》ち|去《さ》りスタスタと
|悪魔《あくま》の|征途《せいと》に|上《のぼ》りませう  |取《と》るにも|足《た》らぬ|奴原《やつばら》を
|相手《あひて》に|致《いた》して|暇潰《ひまつぶ》し  |肝腎要《かんじんかなめ》の|神業《しんげふ》に
|後《おく》れた|時《とき》は|何《なん》としよう  |斎苑《いそ》の|館《やかた》の|神様《かみさま》に
|云《い》ひ|訳《わけ》|立《た》たぬ|事《こと》になる  |万公《まんこう》、アク、タク、テクさまよ
お|前等《まへら》は|何《なん》と|思《おも》うてるか  |一応《いちおう》|意見《いけん》を|五三公《いそこう》に
|聞《き》かして|呉《く》れよ|頼《たの》むぞや』
アク『|天地《あめつち》の|神《かみ》の|御名《おんな》を|笠《かさ》にきて
|世《よ》を|乱《みだ》しゆく|曲《まが》ぞ|忌々《ゆゆ》しき。
|義理天上《ぎりてんじやう》|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》と|魔我彦《まがひこ》が
|何《なに》を|目《め》あてにそんなデマ|云《い》ふか。
|松彦《まつひこ》を|末代《まつだい》|様《さま》よ|日《ひ》の|王《わう》よ
|天《てん》の|神《かみ》ぢやと|旨《うま》く|釣《つ》りやがる。
|善《よ》く|云《い》はれ|気持《きもち》の|悪《わる》う|無《な》いものと
|松彦《まつひこ》さまが|迷《まよ》ひかけたる』
|松彦《まつひこ》『|今《いま》|暫《しば》し|吾《わが》なすままに|任《まか》しおけ
|善《よ》しと|悪《あ》しとは|神《かみ》がさばかむ』
タク『|沢山《たくさん》に|怪体《けたい》な|宮《みや》を|建《た》て|並《なら》べ
|怪体《けたい》な|託宣《たくせん》するぞをかしき。
タクは|今《いま》|思《おも》ひ|浮《う》かぶる|事《こと》はなし
|此《この》|場《ば》を|早《はや》くぬけたいばかりぞ』
テク『テクテクと|強《きつ》い|山《やま》をば|登《のぼ》らされ
きつい|狐《きつね》につままれてける。
【きつく】|姫《ひめ》|名《な》から|狐《きつね》の|守護神《しゆごうじん》
|義理《ぎり》も|天上《てんじやう》もあつたものかい』
|文助《ぶんすけ》『|最前《さいぜん》から|黙言《だま》つて|此処《ここ》で|聞《き》いて|居《を》れば、お|前《まへ》さま|達《たち》は|大変《たいへん》にこのウラナイ|教《けう》の|本山《ほんざん》を|疑《うたが》ひ、ゴテゴテと|小言《こごと》を|仰有《おつしや》るやうだが、そんな|事《こと》を|仰有《おつしや》ると|神罰《しんばつ》が|当《あた》りますぞや。|唯《ただ》|何事《なにごと》も|神様《かみさま》にお|任《まか》せなされ、|自分《じぶん》の|着物《きもの》の|襟裏《えりうら》についた|虱《しらみ》さへ|捻《ひね》り|尽《つく》されない|身《み》で|居《ゐ》ながら、|広大無辺《くわうだいむへん》の|御神力《ごしんりき》を|彼《かれ》|是《これ》|云《い》ふといふ|事《こと》がありますか。|障子《しやうじ》|一枚《いちまい》|外《そと》は|見《み》えぬと|云《い》ふ|人間《にんげん》の|分際《ぶんざい》で|居《ゐ》ながら、|大広木正宗様《おほひろきまさむねさま》のお|樹《た》てなされた|教《をしへ》を|何《なに》ゴテゴテと|云《い》ひなさる、ちと|嗜《たしなみ》なされたら|好《よ》からう、ほんに|憐《あは》れな|人《ひと》|達《たち》だなア』
|万公《まんこう》『|芋《いも》|蕪《かぶら》|大根《だいこん》|蛇《くちなは》|松《まつ》を|書《か》く
|文助《ぶんすけ》さまにかきまはされにけり。
|芋《いも》|南瓜《かぼちや》|茄子《なすび》のやうな|面《つら》をして
|蕪《かぶら》|大根《だいこん》|書《か》くぞをかしき。
|文助《ぶんすけ》が|屁理屈《へりくつ》|計《ばか》り|並《なら》べ|立《た》て
ばば|垂《た》れ|腰《ごし》で|睨《にら》みけるかな』
|文助《ぶんすけ》『これこれ|若《わか》い|衆《しう》、|蕪《かぶら》|大根《だいこん》|描《か》いたとて|蛇《へび》を|描《か》いたとて|大《おほ》きなお|世話《せわ》さまだ。|放《ほ》つといて|下《くだ》され、お|前達《まへたち》のやうな|糸瓜《へちま》の【かす】に|分《わか》つたものかい。|瓢箪《へうたん》から|駒《こま》が|出《で》る、|徳利《とくり》から|酒《さけ》が|出《で》る。|早《はや》く|改心《かいしん》をなさらぬと、|往《ゆ》きも|戻《もど》りもならぬやうな|大根《だいこん》【なん】が|迫《せま》つて|来《き》ますぞや。|嘘《うそ》|計《ばか》りツグネ|芋《いも》して、|山《やま》の|芋《いも》ばかりして|居《ゐ》るのだらう。|本当《ほんたう》に、|芋《いも》もよい|芋助《いもすけ》だなア。|屁《へ》の【つつぱり】にもならぬやうな|小理屈《こりくつ》|計《ばか》り|囀《さへづ》つて、|何《なん》の|事《こと》だいな』
|万公《まんこう》『お|爺《ぢい》さま、|誠《まこと》に|失礼《しつれい》な|事《こと》を|申《まをし》ました』
|文助《ぶんすけ》『|失礼《しつれい》だと|云《い》ふ|事《こと》が|分《わか》つたかな、|分《わか》ればよい、|神様《かみさま》は|何《なん》でも|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し|宣直《のりなほ》し|遊《あそ》ばすのだから、これからは|心得《こころえ》なされよ。|吾《わし》が|目《め》が|見《み》えぬと|思《おも》うて|馬鹿《ばか》にして|居《ゐ》なさるが、|目《め》の|見《み》えぬ|目《め》あきもあり、|目《め》の|見《み》える|盲《めくら》もある|世《よ》の|中《なか》だから、|余《あま》り|左兵衛治《さひやうゑぢ》をなさると、|取《と》り|返《かへ》しのならぬ|事《こと》が|出来《でき》ますぞえ』
|万公《まんこう》『こんな|魔窟《まくつ》へやつて|来《き》て、|身魂《みたま》も|曇《くも》らされては|取《と》り|返《かへ》しがつきませぬわい。ウフヽヽヽ』
|文助《ぶんすけ》『エヽ|仕方《しかた》が|無《な》い|男《をとこ》だ。こんな|没分暁漢《わからずや》に|相手《あひて》になつて|居《を》つたら|竜神《りうじん》さまが|一枚《いちまい》も|描《か》けぬやうになつてしまふ。お|蛸《たこ》さまに|頼《たの》まれた|蕪《かぶら》がもちつと|仕上《しあが》らぬから、どれ、|奥《おく》へ|往《い》つて|静《しづ》かな|所《ところ》で|一筆《ひとふで》|揮《ふる》つて|来《き》ませう、これこれ|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|大神様《おほかみさま》、|暫《しばら》く|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さいませ。これから|教祖様《けうそさま》へ|御催促《ごさいそく》して|来《き》ますから』
|万公《まんこう》『|蕪《かぶら》の|先生《せんせい》、|左様《さやう》なら』
|文助《ぶんすけ》『エヽ|仕方《しかた》が|無《な》いわい、|仕方《しかた》の|無《な》い【ケレマタ】だなア』
と|呟《つぶや》きながら|奥《おく》の|間《ま》へ|姿《すがた》を|隠《かく》した。
(大正一一・一二・一一 旧一〇・二三 加藤明子録)
第四章 |霊《みたま》の|淫念《いんねん》〔一一九四〕
|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|酒盛《さかもり》の  |蠑〓別《いもりわけ》の|神司《かむづかさ》
|数多《あまた》の|神《かみ》の|出入《しゆつにふ》に  |酒《くし》を|祀《まつ》ると|云《い》ひ|乍《なが》ら
|頬《ほほ》べた|迄《まで》も|赤《あか》くして  |臭《くさ》い|息《いき》をば|吹《ふき》まくり
|侍者《じしや》の|鼻《はな》をばゆがませつ  |腋臭《わきが》のかほり|紛々《ぷんぷん》と
あたりの|空気《くうき》を|改悪《かいあく》し  |天津祝詞《あまつのりと》の|言霊《ことたま》を
|呂律《ろれつ》もまはらぬ|舌《した》の|根《ね》に  ころばせ|乍《なが》ら|朝《あさ》の|中《うち》
ウラナイ|教《けう》の|神言《かみごと》を  |汗《あせ》をタラタラ|絞《しぼ》りつつ
|唱《とな》へて|又《また》もや|神様《かみさま》に  うましき|酒《さけ》を|献《たてまつ》り
【づぶ】|六《ろく》サンになつた|上《うへ》  |真昼《まひる》が|来《く》れば|神前《しんぜん》に
|足許《あしもと》|怪《あや》しく|進《すす》みより  |天《てん》にまします|吾《わが》|父《ちち》よ
|御国《みくに》を|来《きた》らせ|玉《たま》へかし  |天《てん》になります|其《その》|如《ごと》く
|地《ち》にも|天国《てんごく》|建《た》てさせよ  アーメン、ソーメン、トコロテン
ウドンに|蕎麦《そば》に|焼芋《やきいも》の  |肴《さかな》をドツサリ|前《まへ》に|据《す》ゑ
|曲津《まがつ》の|神《かみ》の|御光来《ごくわうらい》  いと|叮嚀《ていねい》に|歓迎《くわんげい》し
|絶対的《ぜつたいてき》に|博愛《はくあい》の  |趣旨《しゆし》を|貫徹《くわんてつ》させ|乍《なが》ら
|夕《ゆふ》べになれば|正宗《まさむね》の  |酒《さけ》にはあらぬ|肉《にく》の|宮《みや》
|蠑〓別《いもりわけ》は|数珠《じゆず》をもみ  |南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》|南無阿弥陀《なむあみだ》
|般若心経《はんにやしんぎやう》|波羅蜜経《はらみつきやう》  |節面白《ふしおもしろ》く|唱《とな》へ|上《あ》げ
|三教《さんけう》|合同《がふどう》の|御本尊《ごほんぞん》  |床次《とこなみ》さまの|後《あと》をつぎ
|天晴《あつぱ》れ|教主《けうしゆ》と|成《な》りすまし  |酒《さけ》の|機嫌《きげん》でドラ|声《ごゑ》を
|張上《はりあ》げ|唸《うな》るお|寅《とら》さま  |小皺《こじわ》のよつた|手《て》を|出《だ》して
|燗徳利《かんどつくり》をひん|握《にぎ》り  |朝顔型《あさがおがた》の|盃《さかづき》を
|前《まへ》につき|出《だ》し|目《め》を|細《ほそ》うし  お|酒《さけ》の|功徳《くどく》も|大広木《おほひろき》
|正宗《まさむね》さまよコレちよいと  お|過《す》ごしあれと|差出《さしだ》せば
|酒《さけ》のタンクの|正宗《まさむね》は  |御機嫌斜《ごきげんななめ》ならずして
お|寅《とら》よお|前《まへ》は|偉《えら》い|奴《やつ》  |年《とし》はとつても|姥桜《うばざくら》
まだどこやらに|花《はな》の|香《か》が  プンプン|残《のこ》つて|居《ゐ》るやうだ
お|前《まへ》の|優《やさ》しい|其《その》|目許《めもと》  オツトヽヽヽヽヽこぼれます
あまり|勢《いきほひ》が|強《つよ》い|故《ゆゑ》  |情《じやう》が|余《あま》つて|迸《ほとばし》り
|一張羅《いつちやうら》のお|小袖《こそで》が  サツパリ【わや】になりました
さは|去《さ》り|乍《なが》ら|之《これ》も|亦《また》  |正宗《まさむね》さまの|御酒《おんさけ》に
よごされたりと|見直《みなほ》せば  |却《かへつ》て|私《わたし》は|有難《ありがた》い
|可愛《かあい》いお|方《かた》が|好《す》き|好《この》む  |霊《みたま》の|籠《こも》つた|露《つゆ》ぢやもの
|如何《どう》して|不足《ふそく》に|思《おも》ひませう  |一献《いつこん》あがれと|徳利《とくり》を
|又《また》もや|前《まへ》に|突出《つきだ》せば  |正宗《まさむね》さまは|悦《えつ》に|入《い》り
あゝ|世《よ》の|中《なか》に|酒《さけ》と|云《い》ふ  |奴《やつ》|程《ほど》|可愛《かあい》いものはない
お|酒《さけ》が|俺《おれ》の|生命《せいめい》だ  |酒《さけ》さへあらば|如何《いか》|様《やう》な
ナイスも|嬶《かかあ》も|要《い》るものか  お|寅《とら》のさした|盃《さかづき》は
|高姫《たかひめ》さまの|口元《くちもと》に  どことはなしによく|似《に》とる
|此《この》|盃《さかづき》を|唇《くちびる》に  あててキツスをする|時《とき》は
|何《なん》ともいへぬ|味《あぢ》がする  あゝ|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い
これ|高姫《たかひめ》よ|高姫《たかひめ》よ  |大《おほ》けな|口《くち》を|開《あ》け|乍《なが》ら
ここに|居《ゐ》ますと|一言《ひとこと》の  なぜ|言問《ことと》ひをしてくれぬ
|口《くち》ばつかりがあつたとて  |肝腎要《かんじんかなめ》の|肉《にく》の|宮《みや》
お|目《め》にかからな|気《き》がゆかぬ  ホンに|思《おも》へば|情《なさけ》けない
|夢《ゆめ》の|浮世《うきよ》といふことは  こんなことをば|言《い》ふのだろ
|夢《ゆめ》の|蠑〓別《いもりわけ》さまと  |播陽《ばんやう》さまが|言《い》ひよつた
コレコレ|丑寅《うしとら》|婆《ば》アさまよ  お|前《まへ》ぢや|根《ね》つから|気《き》がゆかぬ
|大奥《おほおく》に|居《ゐ》る|上義姫《じやうぎひめ》  |肉《にく》の|宮《みや》をば|呼《よ》ん|出来《でき》て
|酒《さけ》の|相手《あひて》をさしてくれ  |何《なん》とはなしに|淋《さび》しうて
そこらが|冷《つめ》たくなつて|来《き》た  そも|人間《にんげん》といふ|奴《やつ》は
|異性《いせい》がなくては|面白《おもしろ》く  |可笑《をか》しう|此《この》|世《よ》が|渡《わた》れない
サアサア|早《はや》う|上義姫《じやうぎひめ》  |呼《よ》んでお|出《い》でとタダこねる
|丑寅婆《うしとらば》さまはキツとなり  |口角泡《こうかくあわ》をとばしつつ
|団栗眼《どんぐりまなこ》をむきいだし  |蠑〓別《いもりわけ》の|旦那《だんな》さま
|私《わたし》の|前《まへ》でそんな|事《こと》  どこを|押《おさ》へたら|言《い》へますか
|過《す》ぎし|逢瀬《あふせ》の|睦言《むつごと》を  |最早《もはや》お|忘《わす》れなさつたか
ホンに|薄情《はくじやう》なお|前《まへ》さま  |私《わたし》は|今《いま》は|年老《としよ》つて
|皺苦茶婆《しわくちやば》アになつたれど  |浮木《うきき》の|村《むら》の|侠客《けふかく》で
|丑寅《うしとら》さまと|仇名《あだな》をば  |取《と》つたる|女侠客《をんなけふかく》だ
バカになさるも|程《ほど》がある  |何程《なにほど》|神《かみ》が|沢山《たくさん》に
お|出入《でい》りなさるか|知《し》らね|共《ども》  さうクレクレと|猫《ねこ》の|目《め》の
お|変《かは》り|易《やす》い|恋衣《こひごろも》  |破《やぶ》つて|貰《もら》つちやたまらない
|私《わたし》も|了見《れうけん》ある|程《ほど》に  |覚《おぼ》えてゐろよと|言《い》ひ|乍《なが》ら
|松彦《まつひこ》さまを|受付《うけつけ》に  |待《ま》たしたことを|打忘《うちわす》れ
|蠑〓別《いもりわけ》の|胸倉《むなぐら》を  |力《ちから》に|任《まか》せてグツと|取《と》り
コリヤコリヤ|正宗大広木《まさむねおほひろき》  |蠑〓別《いもりわけ》よバカにすな
お|寅《とら》の|腕《うで》には|骨《ほね》がある  モウ|此《この》|儘《まま》ですまさぬぞ
どうぢやどうぢやと|胸板《むないた》を  |力《ちから》に|任《まか》してもみつぶす
|蠑〓別《いもりわけ》は|泡《あわ》を|吹《ふ》き  |顔《かほ》を|蒼青《まつさを》にサツと|変《か》へ
アイタタタツタ|待《ま》つてくれ  どうやら|息《いき》が|切《き》れさうだ
もう|是《これ》からはスツパリと  |松姫《まつひめ》さまの|上義姫《じやうぎひめ》
|肉《にく》の|宮《みや》をば|思《おも》ひ|切《き》り  お|前《まへ》を|大事《だいじ》にする|程《ほど》に
|放《はな》せよ|放《はな》せ|胸倉《むなぐら》を  アイタタタツタ ウンウンウン
|苦《くる》しいわいの、コラヤお|寅《とら》  |許《ゆる》してくれよと|手《て》を|合《あ》はし
|剛情我慢《がうじやうがまん》の|正宗《まさむね》も  |命《いのち》|惜《をし》さに|詫入《わびい》れば
|呆《あき》れてこける|燗徳利《かんどくり》  |盃《さかづき》までがメチヤメチヤに
|砕《くだ》けて|笑《わら》ふ|面白《おもしろ》さ  ガチヤン ガチヤンと|拍子《ひやうし》|取《と》り
|土瓶《どびん》は|躍《をど》る|徳利《とくり》|舞《ま》ふ  |朝顔型《あさがほがた》の|盃《さかづき》は
|落花微塵《らくくわみぢん》となりはてて  |姿《すがた》|小《ちひ》さく|数《かず》|多《おほ》く
|変化《へんげ》したるぞ|可笑《をか》しけれ  お|寅《とら》は|尚《なほ》も|承知《しようち》せず
コリヤコリヤ|正宗大広木《まさむねおほひろき》  |口先《くちさき》ばかりでツベコベと
ゴマかしよるか、そんな|事《こと》  |聞《き》くよな|婆《ばば》ぢやない|程《ほど》に
|以後《いご》のみせしめ|今一《いまひと》つ  あの|世《よ》この|世《よ》の|境《さかひ》まで
やつてやらねばおかないと  |鬼《おに》の|蕨《わらび》をふり|立《た》てて
|悋気《りんき》の|勢《いきほひ》|凄《すさま》じく  ポカンポカンと|打《うち》たたく
|目《め》を|白黒《しろくろ》とさせ|乍《なが》ら  アイタタ タツタ コリヤ|許《ゆる》せ
|金輪奈落《こんりんならく》|天《てん》が|地《ち》と  なる|世《よ》が|来《き》ても|正宗《まさむね》は
|決《けつ》してお|前《まへ》を|捨《す》てはせぬ  |疑《うたがひ》はらして|其《その》|手《て》をば
|早《はや》く|放《はな》してくれぬかい  |折角《せつかく》|呑《の》んだ|酒《さけ》|迄《まで》が
|早《はや》|遠国《ゑんごく》へ|出奔《しゆつぽん》し  ゾツと|身《み》に|沁《し》む|秋《あき》の|風《かぜ》
|冬《ふゆ》の|薄衣《うすぎぬ》ブルブルと  |身体《からだ》|一面《いちめん》|慄《ふる》ひ|出《だ》した
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ
|涙《なみだ》と|共《とも》に|手《て》を|合《あは》せ  |願《ねが》へばお|寅《とら》はつけ|上《あが》り
|今日《けふ》はどしても|許《ゆる》しやせぬ  |松姫《まつひめ》さまに|涎《よだれ》くり
|怪体《けたい》な|細目《ほそめ》をむきやがつて  |私《わたし》を|盲目《めくら》にしたぢやないか
|今日《けふ》はドツサリ|身《み》のあぶら  |絞《しぼ》つてやらねば|虫《むし》がいえぬ
たかが|男《をとこ》の|一人《ひとり》|位《くらゐ》  |殺《ころ》した|所《ところ》で|何《なに》|惜《をし》い
|観念《くわんねん》せよと|言《い》ひ|乍《なが》ら  |怒《いか》りの|面色《めんしよく》|凄《すさま》じく
|何時《いつ》|果《は》つべしとも|見《み》えざりし  |所《ところ》へスタスタやつて|来《く》る
|魔我彦《まがひこ》さまの|義理天上《ぎりてんじやう》  |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|肉宮《にくみや》が
|見《み》るより|忽《たちま》ち|仰天《ぎやうてん》し  アツとばかりに|尻餅《しりもち》を
ついたる|様《さま》の|可笑《をか》しさよ  |魔我彦《まがひこ》|漸《やうや》く|口《くち》をあけ
コリヤコリヤお|寅婆《とらば》アさまよ  |正宗《まさむね》さまの|肉宮《にくみや》を
なぜ|其《その》|様《やう》に|失礼《しつれい》な  |無体《むたい》なことを|致《いた》すのか
|痩《やせ》てもこけてもウラナイの  |神《かみ》の|教《をしへ》の|教祖様《けうそさま》
|神《かみ》の|出入《でいり》の|生宮《いきみや》を  |打擲《ちやうちやく》するとは|何《なん》の|事《こと》
|覿面《てきめん》に|罰《ばち》が|当《あた》るぞや  |早《はや》く|其《その》|手《て》を|放《はな》さんせ
|言《い》へばお|寅《とら》は|目《め》をすえて  コリヤコリヤ|魔我彦《まがひこ》|義理天上《ぎりてんじやう》
|訳《わけ》も|知《し》らずにツベコベと  |仲裁《ちうさい》だてが|気《き》にくはぬ
|唐変木《たうへんぼく》のお|前《まへ》さまに  |此《この》いきさつが|分《わか》らうか
モウ|斯《か》くなれば|何《なに》もかも  |一切《いつさい》|曝露《ばくろ》して|了《しま》ふ
|実《じつ》の|所《ところ》は|此《この》お|寅《とら》  |正宗《まさむね》さまに|思《おも》はれて
|夜《よ》は|暖《あたたか》き|敷蒲団《しきぶとん》  |恩《おん》も|知《し》らずに|此《この》|色魔《しきま》
|人《ひと》もあらうに|神様《かみさま》の  |御用《ごよう》を|遊《あそ》ばす|松姫《まつひめ》に
|秋波《しうは》を|送《おく》り|二世三世《にせさんせ》  |百生《ひやくしやう》|迄《まで》も|夫婦《ふうふ》ぞと
|約束《やくそく》したる|此《この》わしを  |邪魔者扱《じやまものあつかひ》にさらす|故《ゆゑ》
お|寅《とら》の|顔《かほ》が|立《た》たないと  |今《いま》|折檻《せつかん》をするとこぢや
|子供《こども》の|出《で》て|来《く》る|幕《まく》でない  グヅグヅしてると|飛《と》ばしづく
どこへかかるか|知《し》れないぞ  お|前《まへ》の|足元《あしもと》|明《あか》い|内《うち》
どこなと|勝手《かつて》に|逃《に》げなされ  サア|是《これ》からが|荒料理《あられうり》
|腹《はら》わた|迄《まで》もゑぐり|出《だ》し  |大洗濯《おほせんたく》をしてやらな
|中々《なかなか》|改心《かいしん》|致《いた》すまい  ここらが|百尋胃袋《ひやくひろゐぶくろ》と
|無性《むしやう》|矢鱈《やたら》にひつつかみ  |鷲《わし》のやうなる|爪《つめ》たてて
|引《ひつ》かきむしるぞ|恐《おそ》ろしき  |蠑〓別《いもりわけ》は|顔《かほ》しかめ
|半死半生《はんしはんしやう》の|為体《ていたらく》  アイタタ タツタ ウンウンウン
|苦《くる》しい|苦《くる》しい|魔我彦《まがひこ》よ  どうぞ|助《たす》けてくれぬかい
アイタタ タツタ アイタタタ  お|寅《とら》といふ|奴《やつ》アこれ|程《ほど》に
|悋気《りんき》の|強《つよ》い|女《をんな》だと  |思《おも》はなかつたあゝ|苦《くる》しい
|助《たす》けてくれえと|声《こゑ》|限《かぎ》り  |呼《よ》ばはり|居《ゐ》たる|折《をり》もあれ
|目《め》かいの|見《み》えぬ|文助《ぶんすけ》が  コレコレ|申《まを》し|教祖《けうそ》さま
あなたがお|呼《よ》びなさつたる  |末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神《かみ》
|生宮《いきみや》さまが|受付《うけつけ》に  しびれ|切《き》らして|待《ま》つて|厶《ござ》る
|早《はや》くお|出会《であひ》なされませ  |何《なん》だか|知《し》らぬがガヤガヤと
いと|騒《さわ》がしい|音《おと》がする  |痛《いた》い|痛《いた》いと|仰有《おつしや》るが
|頭痛《づつう》がするのか|但《ただ》し|又《また》  お|肩《かた》がこるのか|知《し》らね|共《ども》
|余《あま》り|人《ひと》を|待《ま》たしては  |御無礼《ごぶれい》になるかも|知《し》れませぬ
|目《め》かいの|見《み》えぬ|文助《ぶんすけ》は  |此《この》|場《ば》の|様子《やうす》を|露《つゆ》|知《し》らず
|平気《へいき》な|事《こと》を|言《い》うてゐる  お|寅《とら》はハツと|気《き》がついて
オウオウさうぢやオウさうぢや  |末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神《かみ》
|此《この》|門口《もんぐち》に|待《ま》つて|厶《ござ》る  コリヤコリヤ|正宗大広木《まさむねおほひろき》
|末代様《まつだいさま》のお|出《い》で|故《ゆゑ》  |今日《けふ》は|許《ゆる》しておく|程《ほど》に
モウこれからは|馬鹿《ばか》なこと  したり|言《い》うたり|致《いた》したら
お|前《まへ》の|首《くび》はない|程《ほど》に  |覚悟《かくご》はよいかと|云《い》ひ|乍《なが》ら
パツと|放《はな》せば|正宗《まさむね》は  ハツと|一息《ひといき》|鼻汁《はな》をかみ
|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ふ|可笑《をか》しさよ  お|寅《とら》は|尻目《しりめ》にかけ|乍《なが》ら
|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をよそほひつ  |襟《えり》をば|直《なほ》しソロソロと
|受付《うけつけ》さして|出《い》でて|行《ゆ》く。
お|寅婆《とらば》アさまの|受付《うけつけ》へ|出《で》た|後《あと》で、|魔我彦《まがひこ》は|松彦《まつひこ》にこんな|所《ところ》を|見《み》られては|大変《たいへん》だと|思《おも》ひ、|蠑〓別《いもりわけ》の|手《て》を|引《ひ》いて|奥《おく》の|一間《ひとま》へ|寝《ね》かせて|了《しま》つた。|蠑〓別《いもりわけ》は|夢現《ゆめうつつ》になつて、|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を|呶鳴《どな》つてゐる。|其《その》|間《ま》にお|寅《とら》は|松彦《まつひこ》|一行《いつかう》を|叮嚀《ていねい》に|導《みちび》き、|奥《おく》の|間《ま》へ|伴《つ》れて|来《き》た。
お|寅《とら》『あゝあ、|油断《ゆだん》のならぬ|悪《わる》い|猫《ねこ》|奴《め》が|徳利《とつくり》をこかす、|盃《さかづき》をふみわる、なんのこつちやいな、エーエ|気《き》のつかぬ、|魔我彦《まがひこ》は|何《なに》しとるのぢやいな。|其《その》|間《ま》に|座敷《ざしき》を|片付《かたづ》けてくれるかと|思《おも》ひ、ワザと|暇《ひま》を|入《い》れて|居《を》つたのに……|私《わたし》がしたのだないから|知《し》らぬ……といふ|様《やう》な|他人《たにん》|行儀《ぎやうぎ》の|魔我彦《まがひこ》の|仕方《しかた》、エーエ|仕方《しかた》のないものだ』
と|小声《こごゑ》で|呟《つぶや》いてゐる。
|松彦《まつひこ》『お|寅《とら》さま、|大変《たいへん》|大《おほ》きな|猫《ねこ》がゐると|見《み》えますなア。|盃《さかづき》を|踏《ふ》みわるなんて、|随分《ずゐぶん》|立派《りつぱ》な|物《もの》でせう』
|魔我彦《まがひこ》は|次《つぎ》の|間《ま》からヌツと|顔《かほ》を|出《だ》した。お|寅《とら》は|目《め》に|角《かど》を|立《た》て、
お|寅《とら》『コレ、|天上《てんじやう》さま、|気《き》のつかぬ|方《かた》ぢやなア。これ|程《ほど》|猫《ねこ》があばれてるのに、なぜ|片付《かたづ》けないのだい。お|客《きやく》さまがお|出《い》でになつたのに、みつともないぢやないか』
|魔我《まが》『ハイ|実《じつ》の|所《ところ》は|牡猫《をねこ》と|牝猫《めねこ》が|二疋《にひき》やつて|来《き》やがつて、|噛《か》み|合《あ》ひをやつたのですよ。|牡《をす》の|方《はう》は|酒《さけ》の|好《す》きな|猫《ねこ》で、ヘベレケになり、|一方《いつぱう》はドテライ|牝猫《めんねこ》で|而《しか》も|寅猫《とらねこ》でした。|滅多《めつた》|矢鱈《やたら》に|咬合《かみあ》ふものだから、|火箸《ひばし》でなぐらうと|思《おも》うたトタンに、|猫《ねこ》はなぐれず|盃《さかづき》をなぐつて、|此《この》|通《とほ》りメチヤメチヤにして|了《しま》うたのですよ』
お|寅《とら》『エーエ、|何《なに》をさしても|気《き》の|利《き》かぬ|方《かた》だな、サア、|早《はや》く|片付《かたづ》けなさい、|人様《ひとさま》にザマが|悪《わる》いぢやないかい』
|魔我彦《まがひこ》は|苦笑《にがわら》ひし|乍《なが》ら、
|魔我《まが》『ザマの|悪《わる》い|事《こと》は|誰《たれ》がしたのだ。ヘン|馬鹿《ばか》らしい』
と|口《くち》の|中《なか》で|呟《つぶや》き|乍《なが》ら、|不精無精《ふしやうぶしやう》に|座敷《ざしき》を|片《かた》づける。|松彦《まつひこ》|一党《いつたう》は|居間《ゐま》の|入口《いりぐち》に|手持無沙汰《てもちぶさた》な|風《ふう》をして|立待《たちま》ちをして|居《ゐ》る。|魔我彦《まがひこ》はあわただしく|一間《ひとま》の|掃除《さうぢ》をなし、|火鉢《ひばち》、|鉄瓶《てつびん》、|徳利《とくり》、|膳《ぜん》などの|置場所《おきばしよ》を|直《なほ》し、|座蒲団《ざぶとん》を|七枚《しちまい》|布《し》き|終《をは》り、
|魔我《まが》『サアえらうお|待《ま》たせしました。|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|大神《おほかみ》の|生宮様《いきみやさま》、どうぞ|正座《しやうざ》にお|直《なほ》り|下《くだ》さいませ』
|松彦《まつひこ》『|天《てん》の|大神《おほかみ》も|随分《ずゐぶん》|落《お》ちぶれて|居《を》りました』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|差図《さしづ》する|儘《まま》に|正座《しやうざ》に|坐《すわ》つた。
お|寅《とら》『これはこれはよくマアお|出《い》で|下《くだ》さいました。|上義姫《じやうぎひめ》|様《さま》の|肉《にく》の|宮《みや》が|大変《たいへん》にお|待受《まちうけ》で|厶《ござ》いますよ。|神様《かみさま》だつて|夫婦《ふうふ》がなければ、|誠《まこと》の|御神業《ごしんげふ》は|出来《でき》ませぬからなア』
|松彦《まつひこ》『|吾々《われわれ》にはそんな|粋事《すゐごと》はありませぬ。お|見《み》かけ|通《どほ》りの|木石漢《ぼくせきかん》ですからなア』
お|寅《とら》はツツと|傍《そば》へ|寄《よ》り、|松彦《まつひこ》の|手《て》の|甲《かふ》をソツと|押《おさ》へて|細目《ほそめ》をし|乍《なが》ら、
お|寅《とら》『ヘヽヽ、うまい|事《こと》を|仰有《おつしや》いますな。|流石《さすが》|姫殺《ひめごろし》だ。|恋《こひ》の|上手《じやうづ》はやつれてかかるとか|言《い》ひましてな。|本当《ほんたう》に|至《いた》れり|尽《つく》せりだ。|蠑〓別《いもりわけ》オツトドツコイ……|大分《だいぶん》に|違《ちが》ひますわい。|此《この》|婆《ばば》アだつて|貴方《あなた》の|様《やう》な|男《をとこ》らしい|生神様《いきがみさま》だつたら、モウ|二十年《にじふねん》も|若《わか》かつたら|一苦労《ひとくらう》して|見《み》ますがなア。ホツホヽヽヽ』
|松彦《まつひこ》は|渋《しぶ》をかんだ|様《やう》な|面付《かほつき》で、
|松彦《まつひこ》『どうぞ|揶揄《からかひ》はやめて|下《くだ》さい。|吾々《われわれ》は|大切《たいせつ》な|御用《ごよう》のある|身体《からだ》、|其《その》|寸暇《すんか》を|伺《うかが》つてあなたのお|勧《すす》めに|任《まか》せ|参《まゐ》つたのですから、|下《くだ》らぬ|話《はなし》をなさるのならば、|最早《もはや》お|暇《いとま》を|致《いた》します』
と|箱《はこ》さしたやうなスタイルでキチンとすわつてゐる。
お|寅《とら》『これはしたり、|誠《まこと》に|失礼《しつれい》なことを|申上《まをしあ》げました。|併《しか》しねえ、さう|仰有《おつしや》つても、ヤツパリ|人間《にんげん》には|裏表《うらおもて》がありますからなア』
|松彦《まつひこ》『ハヽヽヽ』
|魔我《まが》『|末代日《まつだいひ》の|王様《わうさま》の|生宮様《いきみやさま》、よくマア|御入来《ごじゆらい》|下《くだ》さいました。|神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》の|太柱様《ふとばしらさま》、どうぞあなたも|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》だから、|他所《よそ》へは|行《ゆ》かずに、|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|暁《あかつき》|迄《まで》、|何卒《どうぞ》ここに|御逗留《ごとうりう》を|願《ねが》ひます』
|松彦《まつひこ》『それは|聊《いささ》か|迷惑《めいわく》、|半時《はんとき》ばかり|御邪魔《おじやま》を|致《いた》し、|今度《こんど》は|是非《ぜひ》|共《とも》お|暇《ひま》を|頂《いただ》きませう』
|魔我《まが》『|何《なん》と|仰有《おつしや》つても、|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》で|引寄《ひきよ》せられ|遊《あそ》ばしたのだから、そりや|駄目《だめ》でせう。マアゆつくりとして|下《くだ》さいませ』
|松彦《まつひこ》『ハイ|有難《ありがた》う』
|万公《まんこう》『モシ|義理天上《ぎりてんじやう》さま、|此《この》ブラリ|彦《ひこ》は|何時《いつ》|帰《かへ》つたら|宜《よろ》しいかな』
|魔我《まが》『どうぞ|貴方《あなた》の|御随意《ごずゐい》になさつて|下《くだ》さいませ。|御都合《ごつがふ》が|悪《わる》ければ、|今《いま》|直《すぐ》に|御帰《おかへ》りになりましても|構《かま》ひませぬ』
|万公《まんこう》『|山竹姫《やまたけひめ》の|口《くち》から|生《うま》れた|生宮《いきみや》ぢやないが、マンマンマン ウマーと|呆《あき》れざるを|得《え》ませぬわい。ヘン』
|魔我《まが》『お|前《まへ》はウラナイ|教《けう》を|研究《けんきう》しましたか。ようそんな|細《こま》かいことまで|御存《ごぞん》じですな』
|万公《まんこう》『ハイ|此《この》|中《なか》でウラナイ|教《けう》|通《つう》と|云《い》つたら、マア|私《わたし》|位《くらゐ》な|者《もの》でせう。|私《わたし》はお|寅《とら》さまの|内《うち》の|入婿《いりむこ》でしたからなア。|何《なに》か|因縁《いんねん》があるので、|神様《かみさま》が|知《し》らして|下《くだ》さいますわ。|山竹姫《やまたけひめ》さまは|馬《うま》が|出来《でき》たので、ビツクリして|今度《こんど》|目《め》に|又《また》、|天《てん》の|大神様《おほかみさま》にお|祈《いの》り|遊《あそ》ばし、|猪《ゐのしし》を|生《う》まれたでせう。それから|又《また》|次《つぎ》に|口《くち》から|玉《たま》を|生《う》み|出《だ》し、|其《その》|玉《たま》がヘグれて|孔雀《くじやく》が|生《うま》れたでせうがなア。|其《その》|位《くらゐ》なことはチヤーンと|此《この》|万公《まんこう》は|知《し》つてゐるのですからなア』
|魔我《まが》『|成程《なるほど》コリヤ|感心《かんしん》だ』
|万公《まんこう》『|私《わたし》の|随意《ずゐい》にこれから|御暇《おいとま》を|致《いた》しませうか』
お|寅《とら》『コレコレ|万《まん》さま、お|前《まへ》、|何時《いつ》の|間《ま》にそんな【おかげ】を|頂《いただ》いたのだい。それを|聞《き》くからは、|帰《い》のうといつたとて|帰《い》なしはせぬぞや。それではヤツパリお|前《まへ》の|霊《みたま》はブラリ|彦《ひこ》ではなかつた。|耕《たがや》し|大神《だいじん》の|霊《みたま》かも|知《し》れぬぞえ。なア|魔我彦《まがひこ》さま、どうも|耕《たがや》し|大神《おほかみ》の|様《やう》ですなア』
|魔我《まが》『メツタにタガヤ……シませぬぢやらうかな。|私《わたし》や|疑《うたが》やしませぬけれどなア。|耕《たがや》し|大神《おほかみ》にしてはチツと|軽《かる》いやうな|気《き》がしますがなア』
|万公《まんこう》は|両手《りやうて》を|組《く》み、|目《め》を|閉《ふさ》ぎ『ウン』と|飛上《とびあが》り、
|万公《まんこう》『コリヤ、|魔我彦《まがひこ》、|其《その》|方《はう》は|耕《たがや》し|大神《だいじん》の|霊《みたま》を|何《なん》と|心得《こころえ》て|居《ゐ》る、そんなことで|義理天上日出神《ぎりてんじやうひのでのかみ》の|生宮《いきみや》と|言《い》へるかア。|三千世界《さんぜんせかい》の|事《こと》なら、|隅《すみ》から|隅《すみ》|迄《まで》、|何《なに》もかも|知《し》つて|知《し》つて|知《し》りぬいた|此《この》|方《はう》だぞウ』
|魔我《まが》『ハイ|恐《おそ》れ|入《い》りました』
お|寅《とら》『これはこれは|万公《まんこう》、イヤイヤ|耕《たがや》し|大神《だいじん》の|生宮様《いきみやさま》、|誠《まこと》にすまぬことを|致《いた》しました。コレコレお|菊《きく》、|教祖様《けうそさま》がいつも|言《い》うて|厶《ござ》つただらう、お|前《まへ》の|霊《みたま》は|地上姫《ちじやうひめ》だ、|地上姫《ちじやうひめ》の|夫《をつと》は|耕《たがや》し|大神《だいじん》の|生宮《いきみや》と|仰有《おつしや》つたぢやないか。サア|早《はや》うこちらへ|来《き》て|御挨拶《ごあいさつ》を|申上《まをしあ》げないか』
と|大《おほ》きな|声《こゑ》で|呼《よ》ばはつた。お|菊《きく》は|驚《おどろ》いて|此《この》|場《ば》に|走《はし》り|来《きた》り、
お|菊《きく》『お|母《か》アさま、|耕《たがや》し|大神《だいじん》の|生宮《いきみや》さまて、どなた? |此《この》お|方《かた》ですか』
と|松彦《まつひこ》を|指《ゆび》さす。|万公《まんこう》は|包《つつ》みきれぬ|嬉《うれ》しさと|可笑《をか》しさを|無理《むり》に|笑《わら》ふまいと|気張《きば》つてゐる。|成《な》るべくコクメンな|素知《そし》らぬ|体《てい》を|装《よそほ》うとしたが、どうしても|堪《こら》へ|切《き》れなくなり、
|万公《まんこう》『パーハツハヽヽヽ』
と|吹出《ふきだ》した。
お|寅《とら》『マアマア|耕《たがや》し|大神様《だいじんさま》の|御機嫌《ごきげん》のよいこと、ソラさうだろ、|永《なが》らく|地《ち》の|底《そこ》へ|落《おち》ぶれて|厶《ござ》つたのだもの、ここで|肉《にく》の|宮《みや》と|肉《にく》の|宮《みや》の|御対面《ごたいめん》を、|天晴《あつぱれ》と|現《あら》はれてなさつたのだから|嘸《さぞ》|御満足《ごまんぞく》で|厶《ござ》いませう。コレお|菊《きく》、|耕《たがや》し|大神《だいじん》の|肉《にく》の|宮《みや》はあの|万公《まんこう》さまだよ』
お|菊《きく》『エーエ|好《す》かンたらしい、あたしイヤだわ。あんな|黒《くろ》い|褌《ふんどし》しとつた|男《をとこ》、それお|母《あ》アさま、にえ|茶《ちや》を|呑《の》ンでこけた|時《とき》、あれ|思《おも》ひ|出《だ》すと、|何《なん》ぼ|耕《たがや》し|大神《だいじん》さまだつて、|愛想《あいさう》がつきますワ』
|五三《いそ》『ウツフヽヽヽ』
アク、タク、テク|一度《いちど》に『ワアハツハヽヽヽ』
アク『|何《なん》とマア|都合《つがふ》のよい|教《をしへ》だなア。|俺《おれ》も|今日《けふ》からスツパリとウラナイ|教《けう》へ|入《い》れて|貰《もら》はうか|知《し》らぬてなア。サア|何《なん》と|言《い》つたらよからうかな。アクビ|直《なほ》し|彦《ひこ》でもつまらぬし……ウンさうだ、|同《おな》じアのつく|天若彦《あまわかひこ》になつてやらう。ウンウンウン』
ドスン……
『|此《この》|方《はう》は|悪《あく》にみせて|善《ぜん》を|働《はたら》く|天若彦《あまわかひこ》であるぞよ』
お|寅《とら》『オホヽヽヽ』
|魔我《まが》『アハヽヽヽ』
お|寅《とら》『おきやんせいなア。そんな|受売《うけうり》をしたつて|誰《たれ》が|買《か》ふものか。よいかげんに|冗談《じやうだん》もなさるがよい。|悪垂彦命《あくたれひこのみこと》|奴《め》が』
アク『あゝあ、たうとう|尻尾《しつぽ》を|見《み》られて|了《しま》つた』
お|寅《とら》『|心得《こころえ》なされや、|私《わたし》の|前《まへ》だからよいが、よそへ|行《い》つて、そんな|山子《やまこ》をなさると、ドテライ|恥《はぢ》をかきますぞや』
|五三《いそ》『ウツフヽヽヽ、たうとう|悪《あく》の|企《たく》みの|現《あら》はれ|口《ぐち》だ。|口《くち》は|災《わざはひ》の|門《かど》とは|能《よ》く|云《い》つたものだな、|無茶苦茶《むちやくちや》に|口《くち》をアクとアカンことになるのだ、のうテク、タク、|俺達《おれたち》の|面《つら》よごしだ』
アク『|万公《まんこう》だつて、さうぢやないか、|万公《まんこう》の|言《い》ふことが|通用《つうよう》して、|俺《おれ》のいふことが|通用《つうよう》せぬといふ|理屈《りくつ》がどこにあるかい』
|五三《いそ》『アリヤ|万《まん》が|良《よ》いのだ。アハヽヽヽ』
|松彦《まつひこ》『|肝腎《かんじん》の|大広木正宗《おほひろきまさむね》さまは|何処《どこ》にゐられますか。|私《わたし》は|正宗《まさむね》|様《さま》に|会《あ》うてくれと|仰有《おつしや》つたので|参《まゐ》つたのですが、|御本人《ごほんにん》が|居《を》られぬとすれば|仕方《しかた》がありませぬ。|帰《かへ》りませうかな』
お|寅《とら》『ヤ、|居《を》られます。|併《しか》し|今《いま》|御神懸《おかむがかり》の|最中《さいちう》ですから、どうぞ|暫《しばら》く|御待《おま》ち|下《くだ》さいませ。|奥《おく》の|間《ま》にお|伺《うかが》ひの|最中《さいちう》で|厶《ござ》います』
|松彦《まつひこ》『|私《わたし》も|何《なん》となく|気《き》がせきますから、そんなら|私《わたし》の|方《はう》から|伺《うかが》ひませう』
とツツと|立《た》ち、|行《ゆ》かうとする、お|寅《とら》は|酔《よ》ひつぶれた|蠑〓別《いもりわけ》を|見《み》られては|大変《たいへん》と、|両手《りやうて》を|拡《ひろ》げ、
お|寅《とら》『マアマアマア、|待《ま》つて|下《くだ》さい。|今《いま》|貴方《あなた》に|行《ゆ》かれては、|一寸《ちよつと》|都合《つがふ》の|悪《わる》いことが|厶《ござ》います』
|五三《いそ》『|松彦《まつひこ》さま、|酒《さけ》に|酔《よ》うて|厶《ござ》るのですよ。|受付《うけつけ》へ|聞《きこ》えとつたでせう、|此《この》お|寅《とら》さまと|酒《さけ》に|酔《よ》ひ、イチヤ|付《つき》|喧嘩《けんくわ》をして、|胸倉《むなぐら》をとられたり、|頭《あたま》をコツかれたり、|助《たす》けてくれ……と|叫《さけ》んでゐられたでせう。|盃《さかづき》を|破《わ》つたのも|猫《ねこ》ぢやありませぬよ、|皆《みな》|二人《ふたり》の|意茶付《いちやつき》|喧嘩《げんくわ》の|産物《さんぶつ》です、シツカリせぬとゴマかされて|了《しま》ひますで』
|松彦《まつひこ》『アハヽヽヽ、|人《ひと》さまの|内《うち》のことは|言《い》ふものぢやない。|沈黙《ちんもく》しなさい』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|再《ふたた》び|元《もと》の|座《ざ》に|着《つ》いた。|隣《となり》の|間《ま》には|蠑〓別《いもりわけ》が|酒《さけ》に|酔《よ》ひつぶれ、うつつになつて|囈語《たわごと》を|言《い》ひ|出《だ》した。|其《その》|声《こゑ》は|次《つぎ》の|間《ま》へ|筒抜《つつぬ》けに|聞《きこ》えて|来《く》る。
|蠑〓《いもり》『あゝあ、エライことになつたものだ。つひ|酒《さけ》の|勢《いきほひ》で|南瓜《かぼちや》みたやうなお|寅婆《とらばば》アをなぶつたのが|病《や》み|付《つき》で、こんな|目《め》に|会《あ》はされたのだ。あゝあ|之《これ》を|思《おも》へば|高姫《たかひめ》は|親切《しんせつ》だ。あゝあ|高姫《たかひめ》は|如何《どう》して|居《ゐ》るだらうなア。|高姫《たかひめ》ー|々々《たかひめ》、|会《あ》ひたいわいのう。ウニヤ ウニヤ ウニヤ ウーン』
お|寅《とら》の|顔色《かほいろ》は|俄《にはか》に|変《かは》つて|来《き》た。
|魔我《まが》『エヘヽヽヽお|寅《とら》さま、お|気《き》のもめる|事《こと》でせうなア』
お|寅《とら》『アリヤ|信者《しんじや》の|病人《びやうにん》があんなこと|言《い》つてるのだよ。ここへ|時々《ときどき》|気《き》のふれた|者《もの》が|参《まゐ》つて|来《く》るから……|厄介《やくかい》な|事《こと》だ』
|魔我《まが》『それでも|教祖《けうそ》さまの|声《こゑ》にソツクリぢやありませぬか』
お|寅《とら》『サアそこが|気違《きちがひ》だ。|悪神《あくがみ》が|憑《うつ》つて|教祖様《けうそさま》の|声色《こわいろ》を|使《つか》つてるのだ。そんなことが|分《わか》らいで、|仮令《たとへ》|看板《かんばん》|丈《だけ》でも、|副教祖《ふくけうそ》が|勤《つと》まりますか。すまないが|此《この》お|寅《とら》は|教祖様《けうそさま》の……ウンではない……エヽ|二世《にせ》の|○○《まるまる》だよ。お|寅《とら》さまを|差《さし》おいてヅケヅケと|言《い》ふものでない。スツ|込《こ》んでゐなされや』
|魔我《まが》『|義理天上日出神《ぎりてんじやうひのでのかみ》もお|寅《とら》さまにかかつては|駄目《だめ》ですわい』
|万公《まんこう》は|長《なが》らく|手《て》を|組《く》んでゐたが、|足《あし》はしびれ、|手《て》はだるくなつて|堪《こら》え|切《き》れなくなり、ワザとにドスンと|飛上《とびあが》り、|空呆《そらとぼ》けた|顔《かほ》をし|乍《なが》ら、
|万公《まんこう》『あゝ、あゝ|大変《たいへん》な|夢《ゆめ》を|見《み》て|居《を》つた。|綺麗《きれい》な|別嬪《べつぴん》さまと|祝言《しうげん》の|盃《さかづき》をしたと|思《おも》へば……|何《なん》だ|夢《ゆめ》だつたかいな。オヽそれそれ|其《その》お|菊《きく》とソツクリの|女《をんな》だつた。|何《なん》とマア|妙《めう》なことがあるものだなア』
お|寅《とら》『ナアニ、お|菊《きく》と|同《おな》じ|美人《びじん》と|結婚《けつこん》をしたことが|霊眼《れいがん》にうつつたのかな。オヽさうだろさうだろ、それで|益々《ますます》|確実《かくじつ》になつて|来《き》た。|神様《かみさま》の|仰有《おつしや》つたことは|違《ちが》はぬワイ……|神様《かみさま》、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|蠑〓別《いもりわけ》の|腹立《はらだち》を|忘《わす》れてお|菊《きく》の|為《ため》に|祈《いの》つてゐる。
(大正一一・一二・一一 旧一〇・二三 松村真澄録)
第二篇 |恵《めぐみ》の|松露《しようろ》
第五章 |肱鉄《ひぢてつ》〔一一九五〕
|思《おも》はず|酒《さけ》に|酔《よ》ひつぶれ  |前後《ぜんご》も|知《し》らず|喋《しやべ》り|立《た》て
つひ|脱線《だつせん》の|其《その》|挙句《あげく》  お|寅《とら》の|前《まへ》でうつかりと
|高姫《たかひめ》|恋《こひ》しい|恋《こひ》しいと  |云《い》つた|言葉《ことば》を|聞咎《ききとが》め
|酒《さけ》つぎ|居《ゐ》たるお|寅《とら》さまは  |烈火《れつくわ》の|如《ごと》く|憤《いきどほ》り
|胸倉《むなぐら》とつて|抑《おさ》へつけ  |前後《ぜんご》も|知《し》らぬ|正宗《まさむね》の
|肉《にく》の|宮《みや》をば|打《う》ちたたき  |義理天《ぎりてん》さまの|手《て》をかつて
|奥《おく》の|一間《ひとま》に|連《つ》れ|込《こ》んで  |布団《ふとん》の|上《うへ》に|寝《ね》させおき
|此《この》|場《ば》を|繕《つくろ》ふ|可笑《をか》しさよ  |末代《まつだい》さまと|崇《あが》めたる
|松彦《まつひこ》|一行《いつかう》|此《この》|居間《ゐま》の  |乱《みだ》れ|果《は》てたる|有様《ありさま》を
|眺《なが》めて|不審《ふしん》の|眉《まゆ》ひそめ  |其《その》|入口《いりぐち》に|佇《たたず》みて
|魔我彦《まがひこ》さまが|棕櫚箒《しゆろばうき》  |持《も》つて|掃除《さうぢ》の|済《す》む|間《あひだ》
|阿呆待《あほま》ちし|乍《なが》らやうやうに  |一間《ひとま》に|入《い》りて|座《ざ》につけば
|隣《となり》に|聞《きこ》ゆる|呻《うな》り|声《ごゑ》  お|寅婆《とらば》さまはひどい|奴《やつ》
|高姫《たかひめ》|殿《どの》が|恋《こひ》しいと  |囈言《うさごと》ばかり|並《なら》べ|立《た》て
|夢中《むちう》になつて|呻《うな》り|居《を》る  お|寅《とら》は|眥《まなじり》つり|上《あ》げて
|面《つら》を|膨《ふく》らす|折柄《をりから》に  |万公《まんこう》さまが|手《て》を|組《く》んで
|俄《にはか》に|装《よそほ》ふ|神懸《かむがか》り  ウンウンウンウンドスドスン
|一尺《いつしやく》ばかりも|飛《と》び|上《あが》り  |両手《りやうて》をキチンと|胸《むね》に|組《く》み
|此《この》|方《はう》は|耕《たがや》し|大神《だいじん》だ  |潮時《しほどき》|狙《ねら》つて|囁《ささや》けば
お|寅《とら》は|吃驚《びつくり》|仰天《ぎやうてん》し  |万公《まんこう》さまの|肉宮《にくみや》は
|矢張《やつぱ》り|耕《たがや》し|大神《だいじん》か  そんなら|霊《みたま》の|因縁《いんねん》で
お|菊《きく》の|婿《むこ》になるお|方《かた》  あゝ|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い
なぞと|頻《しき》りに|手《て》を|合《あは》せ  |蠑〓別《いもりわけ》の|腹立《はらだ》ちを
ケロリと|忘《わす》れたあどけなさ  |松彦《まつひこ》|初《はじ》め|一同《いちどう》は
|此《この》|場《ば》の|有様《ありさま》|打眺《うちなが》め  |実《げ》に|迷信《めいしん》の|集団《しふだん》と
|呆《あき》れ|果《は》てたる|折《をり》もあれ  |一人《ひとり》の|娘《むすめ》が|現《あら》はれて
これこれもうし|義理天上《ぎりてんじやう》  |日出神《ひのでのかみ》の|生宮《いきみや》さま
|上義姫《じやうぎひめ》さまがお|前《まへ》さまに  |俄《にはか》に|用《よう》が|出来《でき》た|故《ゆゑ》
お|客《きやく》|様《さま》|等《ら》に|失礼《しつれい》して  |一寸《ちよつと》でよいから|来《き》て|呉《く》れと
|仰有《おつしや》いましたよ|逸早《いちはや》く  |御《お》いでなされと|手《て》を|支《つか》へ
|話《はな》せば|魔我彦《まがひこ》|立《た》ち|上《あが》り  |皆《みな》さま|失礼《しつれい》|致《いた》します
お|寅婆《とらば》さまやお|菊《きく》さま  |末代様《まつだいさま》や|皆様《みなさま》を
|大切《たいせつ》にもてなし|成《な》されませ  |暫《しばら》くしたら|又《また》|此処《ここ》へ
|帰《かへ》つて|来《き》ますと|云《い》ひ|乍《なが》ら  |使《つか》ひの|娘《むすめ》と|諸共《もろとも》に
|離《はな》れの|館《やかた》へスタスタと  |肩《かた》|怒《いか》らして|進《すす》み|行《ゆ》く。
|別《べつ》の|館《やかた》には|松姫《まつひめ》の|居間《ゐま》があり|間《ま》は|狭《せま》けれど|三間作《みまづく》り、|飾《かざ》りもなく|白木作《しらきづく》りで|小《こ》ザツパリした|家《いへ》である。|松姫《まつひめ》は|千代《ちよ》と|云《い》ふ|十二三《じふにさん》の|小娘《こむすめ》を|小間使《こまづかひ》として|此処《ここ》に|引籠《ひきこも》りウラナイ|教《けう》の|実権《じつけん》を|握《にぎ》つて|居《ゐ》る。|表面《へうめん》からは|蠑〓別《いもりわけ》が|教祖《けうそ》なれど|実力《じつりよく》は|此《この》|松姫《まつひめ》にあつた。それ|故《ゆゑ》|蠑〓別《いもりわけ》もお|寅婆《とらばあ》さまも|一目《いちもく》を|置《お》いて|内部《ないぶ》では|全部《ぜんぶ》|其《その》|頤使《いし》に|甘《あま》んじて|居《ゐ》た。|無論《むろん》|此《この》|松姫《まつひめ》はもとウラナイ|教《けう》の|取次《とりつぎ》で|高城山《たかしろやま》に|教主《けうしゆ》をやつて|居《ゐ》た|剛《がう》の|女《をんな》である。さうして|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》し|玉照彦《たまてるひこ》を|奉迎《ほうげい》して|帰《かへ》つた|殊勲者《しゆくんしや》である。|松姫《まつひめ》は|蠑〓別《いもりわけ》|一派《いつぱ》がウラナイ|教《けう》の|残党《ざんたう》を|集《あつ》め|小北山《こぎたやま》に|霊場《れいぢやう》を|開《ひら》き|邪教《じやけう》を|宣伝《せんでん》しウラル|教式《けうしき》を|盛《さかん》に|発揮《はつき》してゐたので、|言依別命《ことよりわけのみこと》が|特《とく》に|松姫《まつひめ》に|命《めい》じウラナイ|教《けう》に|差遣《さしつか》はし、|教理《けうり》を|根本的《こんぽんてき》に|改正《かいせい》せしめむとなし|給《たま》うたのである。それ|故《ゆゑ》|松姫《まつひめ》は|特別《とくべつ》の|神力《しんりき》|備《そな》はり|流石《さすが》の|蠑〓別《いもりわけ》も|一歩《いつぽ》を|譲《ゆづ》り|徒《いたづら》に|教祖《けうそ》の|虚名《きよめい》に|甘《あま》んじ、|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|神《かみ》のお|出入《でいり》と|称《しよう》して|酒《さけ》に|浸《ひた》り|高姫《たかひめ》の|行衛《ゆくゑ》を|尋《たづ》ね|求《もと》めつつ|酒《さけ》に|酔《よ》つて|悶々《もんもん》の|情《じやう》を|消《け》して|居《ゐ》たのである。
|魔我《まが》『|上義姫《じやうぎひめ》|様《さま》、|今《いま》お|千代《ちよ》さまを|以《もつ》て|私《わたし》をお|呼《よ》びなさいましたのは|何《なん》の|御用《ごよう》で|厶《ござ》りますか』
|松姫《まつひめ》『|別《べつ》に|折入《をりい》つて|用《よう》と|云《い》ふ|事《こと》はありませぬが、お|前《まへ》さま、|私《わたし》の|事《こと》を|今日《こんにち》|限《かぎ》り|云《い》はない|様《やう》にして|貰《もら》はないと|困《こま》りますから、|一寸《ちよつと》|来《き》て|貰《もら》つたのです』
|魔我《まが》『|私《わたし》が|貴女《あなた》に|対《たい》し、|何《なん》ぞお|邪魔《じやま》になる|事《こと》を|申《まをし》ましたか』
|松姫《まつひめ》『|貴方《あなた》いつでも|私《わたし》に|向《むか》つて、いやらしい|事《こと》を|仰有《おつしや》るぢやないか。|今日《けふ》|迄《まで》|一日《いちにち》のばしに|色々《いろいろ》と|云《い》つてお|前《まへ》さまの|恋《こひ》の|鋭鋒《えいほう》を|避《さ》けて|来《き》ましたが、|今日《けふ》はお|前《まへ》さまに、とつくり|云《い》うておかねばならぬ。|今《いま》のお|客様《きやくさま》は|松彦《まつひこ》|様《さま》と|云《い》ふお|方《かた》でせうがな、|松彦《まつひこ》|様《さま》は|誰方《どなた》の|生宮《いきみや》だと|思《おも》つてゐますか』
|魔我《まが》『|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|大神様《おほかみさま》の|生宮《いきみや》ぢやありませぬか』
|松姫《まつひめ》『さうでせう。さうだから|末代《まつだい》|様《さま》とは|何《ど》うしても|夫婦《ふうふ》にならねばならぬ|因縁《いんねん》があるので、|義理天上《ぎりてんじやう》さまは|私《わたし》の|事《こと》を|只今《ただいま》|限《かぎ》りスツパリと|諦《あきら》めて|貰《もら》ひ|度《た》いのだ』
|魔我《まが》『|昔《むかし》の|神様《かみさま》は|末代《まつだい》さまと|上義姫《じやうぎひめ》さまと|夫婦《ふうふ》だつたでせう。|然《しか》し|乍《なが》ら|今日《けふ》は|霊《みたま》とお|成《な》り|遊《あそ》ばし|肉《にく》の|宮《みや》が|違《ちが》つて|居《を》るのだから|貴女《あなた》と|私《わたし》と|夫婦《ふうふ》になつた|処《ところ》で|滅多《めつた》に|罰《ばち》は|当《あた》りますまい。|何《なん》と|仰有《おつしや》つても|私《わたし》は|是《これ》まで|影《かげ》になり|日向《ひなた》になり|苦労《くらう》をして|来《き》たのだから、|藪《やぶ》から|棒《ぼう》をつき|出《だ》した|様《やう》に、そんな|事《こと》を|仰有《おつしや》つても|仲々《なかなか》|承知《しようち》|致《いた》しませぬぞや』
|松姫《まつひめ》『これ|義理天上《ぎりてんじやう》さま、|影《かげ》になり|日向《ひなた》になり|私《わたし》のために|尽《つく》したとは、どんな|事《こと》をして|下《くだ》さつたの。お|礼《れい》も|申《まを》さねばなりませぬから|一寸《ちよつと》|聞《き》かして|下《くだ》さい』
|魔我《まが》『|義理天上《ぎりてんじやう》の|生宮《いきみや》だけあつて|私《わたし》は|義理固《ぎりがた》いものですよ。お|前《まへ》さまが|三五教《あななひけう》であり|乍《なが》ら、うまく|化《ば》けて|這入《はい》つて|厶《ござ》つたのは|百《ひやく》も|千《せん》も|私《わたし》は|承知《しようち》してゐるのだ。|蠑〓別《いもりわけ》さまも「|彼奴《あいつ》あ|怪《あや》しい、ヒヨツとしたら|爆裂弾《ばくれつだん》となつて|来《き》たのだらうから|酒《さけ》にでも|酔《よ》ひ|潰《つぶ》して|片《かた》づけてやらうか」と、お|寅婆《とらば》アさまと|私《わたし》と|三人《さんにん》の|処《ところ》でソツと|相談《さうだん》をなさつた|事《こと》がある。それでも|此《こ》の|魔我彦《まがひこ》はお|前《まへ》さまが|可愛《かあい》いものだから、|何《なん》とか|云《い》つて|助《たす》けておけば|否応《いやおう》なしにウンと|云《い》ふだらうと|思《おも》つたものだからいろいろと|弁解《べんかい》してヤツとの|事《こと》に|蠑〓別《いもりわけ》やあの【えぐい】お|寅婆《とらばあ》さまを|納得《なつとく》させ、|今《いま》ではお|前《まへ》さまがウラナイ|教《けう》|第一《だいいち》の|権威者《けんゐしや》となり、|蠑〓別《いもりわけ》だつてお|寅《とら》さまだつて|貴方《あなた》を|内証《ないしよう》で|先生《せんせい》と|仰《あふ》ぎ、|何事《なにごと》も|皆《みな》|貴女《あなた》の|神勅《しんちよく》を|受《う》けて|処置《しよち》する|様《やう》にならしやつたのも|皆《みな》|魔我彦《まがひこ》が|斡旋《あつせん》の|功《こう》で|厶《ござ》りますよ。|此《この》|魔我彦《まがひこ》が|居《ゐ》なかつたら|貴女《あなた》の|生命《いのち》は、とうの|昔《むかし》になくなつてゐるのだ。さア|之《これ》でもいやと|仰有《おつしや》いますか。|松彦《まつひこ》|様《さま》が|成程《なるほど》|末代《まつだい》|日《ひ》の|王様《わうさま》で|厶《ござ》りませう。|然《しか》し|乍《なが》らそれは|霊《みたま》の|御夫婦《ごふうふ》、|私《わたし》と|貴女《あなた》は|肉体《にくたい》の|夫婦《ふうふ》の|縁《えん》を|結《むす》んで|頂《いただ》かねば|此《この》|魔我彦《まがひこ》の|男《をとこ》が|立《た》ちませぬ。さあキツパリと|返答《へんたふ》を|聞《き》かして|下《くだ》さい。|返答《へんたふ》によつては|此《この》|魔我彦《まがひこ》にも|考《かんが》へがありますから』
|松姫《まつひめ》『ホヽヽヽヽ|考《かんが》へがあるとは|如何《どう》しようと|云《い》ふの。お|前《まへ》さまに|考《かんが》へがあれば|此方《こちら》にも|亦《また》|考《かんが》へがある。サア|其《その》|考《かんが》へを|聞《き》かして|貰《もら》ひませう』
|魔我彦《まがひこ》は|言葉《ことば》につまり、
|魔我《まが》『エ…………|其《その》|考《かんがへ》と|云《い》ふのは|即《すなは》ち|感慨無量《かんがいむりやう》だと|云《い》ふのです』
|松姫《まつひめ》『ホヽヽヽヽ|感慨無量《かんがいむりやう》が|如何《どう》したと|云《い》ふの。|可笑《をか》しい|事《こと》を|仰有《おつしや》るぢや|有《あり》ませぬか』
|魔我《まが》『こんな|問答《もんだふ》はぬきにして|手取《てつと》り|早《ばや》く|条約《でうやく》|成立《せいりつ》をさして|下《くだ》さいな』
|松姫《まつひめ》『|何《なん》の|条約《でうやく》です。|治外法権《ちぐわいはふけん》、|内地雑居《ないちざつきよ》、|条約《でうやく》|改正《かいせい》、|機会《きくわい》|均等《きんとう》の|流行《はや》る|世《よ》の|中《なか》|窮屈《きうくつ》な|条約《でうやく》は|結《むす》び|度《た》くはありませぬ。|総《すべ》て|国家《こくか》でも|相互《さうご》の|間《あひだ》に|危険《きけん》が|迫《せま》つた|時《とき》に|条約《でうやく》が|成立《せいりつ》するものだ。|天津条約《てんしんでうやく》だとて、|華府会議《くわふくわいぎ》の|条約《でうやく》だとて、|決《けつ》して|天下《てんか》|太平《たいへい》のために|結《むす》ばれたのぢやありませぬ。|貴方《あなた》と|私《わたし》との|間《あひだ》に|別《べつ》に|危険《きけん》の|要素《えうそ》が|含《ふく》まれて|居《ゐ》るのぢやなし、|何《なん》の|為《ため》の|条約《でうやく》ですか。|又《また》|其《その》|条文《でうぶん》の|趣《おもむき》は|何《ど》んな|事《こと》が|問題《もんだい》になつて|居《を》りますか。それを|聞《き》いた|上《うへ》でなければ、さうやすやすと|条約《でうやく》|締結《ていけつ》|批准《ひじゆん》|交換《かうくわん》も|出来《でき》ぬぢやありませぬか』
|魔我《まが》『|貴女《あなた》の|仰有《おつしや》る|条約《でうやく》の|条《でう》と|私《わたし》の|仰有《おつしや》る|情約《じやうやく》の|情《じやう》とは|情《じやう》に|於《おい》て|天地霄壌《てんちせうじやう》の|相違《さうゐ》があります。|貴女《あなた》の|条《でう》はスヂと|云《い》ふ|字《じ》、|私《わたくし》の|情《じやう》は|青《あを》い|心《こころ》と|云《い》ふ|情《じやう》ですよ』
|松姫《まつひめ》『|上義姫《じやうぎひめ》の|上《じやう》とは|違《ちが》ひますな』
|魔我《まが》『そりや|全然《ぜんぜん》|正反対《せいはんたい》です』
|松姫《まつひめ》『|肝腎《かんじん》の|条《でう》が|正反対《せいはんたい》なれば|条約《でうやく》したつて|成立《せいりつ》せぬぢやありませぬか。|無条件《むでうけん》|否《いな》|無情漢《むじやうかん》だと|思《おも》はずに、こんな|提案《ていあん》は|速《すみやか》に|撤回《てつくわい》して|下《くだ》さい。|末代《まつだい》|日《ひ》の|王様《わうさま》が|今《いま》にお|越《こ》しになつたら|叱《しか》られますからな。ホヽヽヽヽ、あの|末代《まつだい》さまは|何《ど》うして|厶《ござ》るのだらう。エーじれつたい。|好《す》きは|来《きた》らず|嫌《いや》は|来《きた》る、|本当《ほんたう》に|世《よ》の|中《なか》は|思《おも》ふ|様《やう》には|行《ゆ》かぬものだわ。これ|千代《ちよ》さま、お|前《まへ》|御苦労《ごくらう》だが|早《はや》く|末代《まつだい》さまに|別館《べつくわん》へ|来《き》て|下《くだ》さる|様《やう》お|招《まね》き|申《まを》して|来《き》て|下《くだ》さい』
|千代《ちよ》『はい、|只今《ただいま》|行《い》つて|参《まゐ》ります』
|魔我《まが》『これ、お|千代《ちよ》さま、|一寸《ちよつと》|待《ま》つてくれ、|今《いま》|行《い》つて|貰《もら》つては|大《おほい》に|困《こま》る。|行《い》つてもいい|様《やう》になつたら|此《この》|義理天上《ぎりてんじやう》さまが|指図《さしづ》をするから』
|千代《ちよ》『いえいえ、|私《わたし》は|魔我彦《まがひこ》さまの|召使《めしつか》ひぢやありませぬ。|上義姫《じやうぎひめ》|様《さま》の|家来《けらい》ですから|貴方《あなた》の|仰有《おつしや》る|事《こと》は|聞《き》く|義務《ぎむ》はありませぬ。|私《わたし》は|御主人様《ごしゆじんさま》に|全権《ぜんけん》|委員《ゐゐん》を|任《まか》されたのですから、|自分《じぶん》の|権利《けんり》を|執行《しつかう》すれば|宜《い》いのです。|阿呆《あはう》の|天上《てんじやう》さま、|大《おほ》きに|憚《はばか》りさま』
と|云《い》ひ|乍《なが》らツツと|立《た》ち|上《あが》り|左《ひだり》の|足《あし》でポンと|畳《たたみ》を|脅《おびや》かしスタスタと|表《おもて》へ|出《で》て|行《ゆ》かうとする。
|魔我《まが》『こりやこりやお|千代《ちよ》|殿《どの》、|何故《なぜ》|長上《ちやうじやう》の|云《い》ふ|事《こと》を|聞《きき》ませぬか。|子供《こども》の|癖《くせ》に|我《が》の|強《つよ》い』
お|千代《ちよ》『|師《し》の|君《きみ》の|厳《いづ》の|言葉《ことば》を|如何《いか》にして
|魔我彦《まがひこ》さまにまげらるべしやは。
|村肝《むらきも》の|心《こころ》も|腰《こし》も|魔我彦《まがひこ》が
|恋《こひ》の|魔神《まがみ》にとらはれてゐる。
|義理天上日出神《ぎりてんじやうひのでのかみ》とはおとましや
|赤《あか》い|顔《かほ》して|焔《ほのほ》|吹《ふ》きつつ』
|魔我《まが》『こりやお|千代《ちよ》、そりや|何《なに》を|吐《ぬか》す。|義理天上日出神《ぎりてんじやうひのでのかみ》を|何《なん》と|心得《こころえ》て|居《ゐ》るか。|世界《せかい》の|根本《こつぽん》の|根本《こつぽん》から|何《なに》もかも|知《し》りぬいた|誠《まこと》|一《ひと》つの|大和魂《やまとだましひ》の|生粋《きつすゐ》の|生宮《いきみや》さまだぞ』
|千代《ちよ》『ホヽヽヽヽ|不義理《ふぎり》の|天上《てんじやう》、|上義姫《じやうぎひめ》|様《さま》に|弾《はじ》かれて|目《め》から|火《ひ》の|出《で》の|神様《かみさま》、|心《こころ》も|腰《こし》も|曲《まが》つた|魔我彦《まがひこ》|様《さま》、よう、まアそんな|馬鹿《ばか》な|事《こと》を|仰有《おつしや》られたものですわ』
|松姫《まつひめ》『|相生《あひおひ》の|松《まつ》の|緑《みどり》も|高砂《たかさご》の
|幹《みき》の|根元《ねもと》に|荒浪《あらなみ》がうつ。
|相生《あひおひ》の|松《まつ》の|緑《みどり》は|千代《ちよ》かけて
|栄《さか》え|栄《さか》えて|曲《まが》る|事《こと》なし。
|魔我彦《まがひこ》が|何程《なにほど》|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》だとて
|此《この》|松《まつ》のみは|影《かげ》もささせぬ。
|松彦《まつひこ》と|松姫《まつひめ》|二人《ふたり》|並《なら》ばして
|松《まつ》の|神世《かみよ》の|千代《ちよ》を|祝《ことほ》ぐ』
|魔我《まが》『|今日《けふ》か|明日《あす》か、|何時《いつ》|吉日《きちにち》が|来《きた》るやと
まつ|甲斐《かひ》もなき|魔我彦《まがひこ》の|胸《むね》。
さり|乍《なが》ら|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》の|魔我彦《まがひこ》は
|理《り》を|非《ひ》に|曲《ま》げても|通《とほ》さなおかぬ。
|義理《ぎり》と|云《い》ふ|事《こと》を|知《し》るなら|上義姫《じやうぎひめ》
|吾《わが》|心根《こころね》もちとは|汲《く》ませよ』
|松姫《まつひめ》『|山《やま》の|井《ゐ》の|底《そこ》にも|知《し》れぬ|水鏡《みづかがみ》
|汲《く》みとり|難《がた》きふり|釣瓶《つるべ》かな』
|魔我《まが》『ふり|釣瓶《つるべ》いかにピンピン|覆《かへ》るとも
|汲《く》んで|見《み》ようぞ|天上車井《てんじやうくるまゐ》』
|松姫《まつひめ》『|義理天上《ぎりてんじやう》|車《くるま》に|釣瓶《つるべ》はかかるとも
|片方《かたはう》は|汲《く》めど|片方《かたはう》からから。
|並《なら》べては|少《すこ》しも|汲《く》めぬ|山《やま》の|井《ゐ》の
|釣瓶《つるべ》を|如何《いか》に|濡《ぬ》らす|由《よし》なし』
|千代《ちよ》『|義理天上《ぎりてんじやう》|恋《こひ》の|破《やぶ》れた|悲《かな》しさに
|首《くび》をつる|瓶《べ》とおなり|遊《あそ》ばせ。
ホヽヽヽヽ|釣瓶《つるべ》おろしにかけられて
|沈《しづ》み|給《たま》へり|恋《こひ》の|深井《ふかゐ》に』
|魔我《まが》『まだ|年《とし》も|行《ゆ》かぬ|癖《くせ》して|魔我彦《まがひこ》に
|何《なに》をつるつる|水臭《みづくさ》い|事《こと》|云《い》ふ』
|千代《ちよ》『|如何《どう》しても|末代《まつだい》さまの|御前《おんまへ》に
|行《ゆ》かねばならぬ|魔我《まが》|左様《さやう》なら』
|魔我《まが》『まて|暫《しば》し、そんな|事《こと》なら|俺《おれ》が|行《ゆ》く
|子供《こども》の|飛《と》び|出《だ》す|幕《まく》でないぞや』
|松姫《まつひめ》『|義理天上《ぎりてんじやう》|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》の|生宮《いきみや》に
|今日《けふ》は|改《あらた》め|一言《ひとこと》|申《まを》す。
|松彦《まつひこ》は|此《この》|松姫《まつひめ》がその|昔《むかし》
|相知《あひし》り|合《あ》うた|珍《うづ》の|恋人《こひびと》。
|恋人《こひびと》と|聞《き》いて|驚《おどろ》き|給《たま》ふまじ
|神《かみ》の|許《ゆる》せし|夫婦《ふうふ》なりせば』
|魔我《まが》『|何《なん》とまア|悪性《あくしやう》な|事《こと》になつて|来《き》た
こんな|事《こと》なら|救《すく》ふぢやなかつたに』
|松姫《まつひめ》『|村肝《むらきも》の|心《こころ》の|底《そこ》ぞ|知《し》られける
|枉《まが》のすくひし|魔我彦司《まがひこつかさ》を』
|魔我彦《まがひこ》は|双手《もろて》を|組《く》み、
『エーエ、|雪隠《せんち》の|火事《くわじ》だ』
|松姫《まつひめ》『オホヽヽヽ』
|千代《ちよ》『イヒヽヽヽ、|阿呆《あはう》|阿呆《あはう》|阿呆《あはう》』
|魔我《まが》『エー、コメツチヨの|癖《くせ》に|八釜《やかま》しいわい。キヽヽヽヽ|気色《きしよく》が|悪《わる》いわい。サツパリ|杓子《しやくし》だ。|源助《げんすけ》だ、アーア』
(大正一一・一二・一一 旧一〇・二三 北村隆光録)
第六章 |唖忿《あふん》〔一一九六〕
|魔我彦《まがひこ》の|義理天上日《ぎりてんじやうひ》の|出《で》の|神《かみ》の|生宮《いきみや》がお|千代《ちよ》に|導《みちび》かれ|上義姫《じやうぎひめ》の|館《やかた》へ|往《い》つた|後《あと》には、|松彦《まつひこ》|一行《いつかう》と、お|寅婆《とらば》アさま、お|菊《きく》の|八人《はちにん》が|茶《ちや》を|汲《く》み|果物《くだもの》なぞを|頬張《ほほば》つて|道《みち》の|話《はなし》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》る。|其所《そこ》へ|受付《うけつけ》の|文助爺《ぶんすけぢい》さまが、ノソリノソリとやつて|来《き》て、
|文助《ぶんすけ》『もしお|寅《とら》さま、お|広前《ひろまへ》の|方《はう》から|貴女《あなた》に|来《き》て|頂《いただ》き|度《た》いと、|大変《たいへん》|矢釜《やかま》しう|云《い》つて|来《き》ました。お|客《きやく》さまの|央《なかば》で|済《す》まないが|一寸《ちよつと》|往《い》つて|来《き》て|下《くだ》さいな。|私《わたし》がそれ|迄《まで》お|相手《あひて》して|居《ゐ》ますから』
お|寅《とら》『|又《また》|狂人《きちがひ》の|信者《しんじや》が、|暴《あば》れ|出《だ》したのだらう、あゝ|仕方《しかた》がない、|一《ひと》つ|鎮《しづ》めて|来《き》てやりませう。|末代様《まつだいさま》|一寸《ちよつと》|失礼《しつれい》します。|落滝《おちたき》つ|彦《ひこ》がその|代《かは》り|話《はなし》のお|相手《あひて》になりますから』
|松彦《まつひこ》『|御苦労《ごくらう》です、どうぞゆつくり|往《い》つて|来《き》て|下《くだ》さい、ここで|私《わたし》はゆつくりと|休《やす》まして|頂《いただ》いて|居《を》りますから』
|万公《まんこう》『おい|五三公《いそこう》、|蠑〓別《いもりわけ》さまは、|俺《おれ》の|察《さつ》する|所《ところ》、|酒《さけ》に|喰《くら》ひ|酔《よ》つて|奥《おく》の|間《ま》で|寝《ね》て|居《ゐ》るのだよ。それに|違《ちが》ひないわ。そして|彼《あ》のお|寅婆《とらば》アさまと|痴話喧嘩《ちわげんくわ》をやつたのだ。キツトそれに|極《き》まつて|居《ゐ》るよ』
|五三《いそ》『|何《なん》でも|高姫《たかひめ》|々々《たかひめ》と|云《い》つて|居《を》られたぢやないか。|三五教《あななひけう》の|高姫《たかひめ》さまと|何《なに》か|関係《くわんけい》があるのだらうかなア』
|万公《まんこう》『|何《なん》とも|知《し》れないなア、|併《しか》し|高姫《たかひめ》さまは|昔《むかし》の|馴染《なじみ》だと|云《い》つて|東野別命《あづまのわけのみこと》に|一生懸命《いつしやうけんめい》になり、|眼《め》|迄《まで》|釣《つ》つて|自転倒島《おのころじま》から|遥々《はるばる》|斎苑《いそ》の|館《やかた》|迄《まで》お|越《こ》しになつて|居《ゐ》るぢやないか。|此処《ここ》の|蠑〓別《いもりわけ》さまの|云《い》ふ|高姫《たかひめ》は|同名異人《どうめいいじん》だらうよ』
|五三《いそ》『さうだらうかな。|同《おな》じ|名《な》も|世界《せかい》には|沢山《たくさん》あるから、さうかもしれないなア。|併《しか》し|高《たか》と|云《い》ふ|名《な》のつく|女《をんな》には|随分《ずゐぶん》|惚手《ほれて》が|多《おほ》いと|見《み》えるねえ』
|文助《ぶんすけ》『|皆《みな》さま、|今《いま》|高姫《たかひめ》さまが|斎苑《いそ》の|館《やかた》に|居《ゐ》らつしやると|云《い》はれましたなア、それは|本当《ほんたう》ですかい』
|万公《まんこう》『ハイ|本当《ほんたう》ですよ、|何《なん》でもウラナイ|教《けう》とかを|開《ひら》いて|居《ゐ》た|方《かた》だと|仄《ほのか》に|聞《き》きました。|随分《ずゐぶん》|口喧《くちやかま》しい|宣伝使《せんでんし》ですよ』
|文助《ぶんすけ》『ハテナ、そんなら|大方《おほかた》|蠑〓別《いもりわけ》の|教祖様《けうそさま》が|探《たづ》ねて|厶《ござ》る|高姫《たかひめ》さまかも|知《し》れない』
|五三《いそ》『|高姫《たかひめ》さまと|云《い》ふのは|黒姫《くろひめ》と|云《い》ふ|弟子《でし》があつたやうですよ。そして|黒姫《くろひめ》には|高山彦《たかやまひこ》といふ|頭《あたま》の|長《なが》いハズバンドがあつたと|云《い》ふ|事《こと》です』
|文助《ぶんすけ》『それ|聞《き》く|上《うへ》は|蠑〓別《いもりわけ》|様《さま》の|探《たづ》ねて|厶《ござ》る|高姫《たかひめ》さまに|違《ちが》ひない、|今《いま》|斎苑《いそ》の|館《やかた》に|居《を》られますかなア』
|五三《いそ》『ハイ|居《を》られます。|高姫《たかひめ》さまも|此処《ここ》の|教主《けうしゆ》と|何《なに》か|深《ふか》い|霊《みたま》の|因縁《いんねん》があつたのですかなア』
|文助《ぶんすけ》『あつたともあつたとも|霊《みたま》の|御夫婦《ごふうふ》だから、どしても|高姫《たかひめ》|様《さま》が|厶《ござ》らねば|蠑〓別《いもりわけ》|様《さま》の|行状《ぎやうじやう》が|直《なほ》らないのだ。|蠑〓別《いもりわけ》さまを|改心《かいしん》さすのは|高姫《たかひめ》さまのお|役《やく》だ、|義理天上様《ぎりてんじやうさま》の|生宮《いきみや》だ』
|五三《いそ》『ヘー、|魔我彦《まがひこ》さまが|義理天上日《ぎりてんじやうひ》の|出神《でのかみ》と|違《ちが》ひますかな。さう|二人《ふたり》もあつてはどちらが|真《しん》か|偽《ぎ》か|分《わか》らぬぢやありませぬか』
|文助《ぶんすけ》『|実《じつ》の|処《ところ》は|高姫《たかひめ》|様《さま》の|所在《ありか》が|分《わか》り、|此処《ここ》へお|迎《むか》へする|迄《まで》、|一日《いちにち》も|無《な》くてはならぬ|義理天上《ぎりてんじやう》さまだから|魔我彦《まがひこ》さまがそれ|迄《まで》|代理《だいり》を|勤《つと》めて|厶《ござ》るのだ。|魔我彦《まがひこ》さまの|本当《ほんたう》のお|霊《みたま》は|道成行成《だうじやうゆきなり》さまぢやぞえ』
|万公《まんこう》『|何《なん》と|自由《じいう》のきく|神様《かみさま》ぢやなア』
|蠑〓別《いもりわけ》は|次《つぎ》の|間《ま》に|酒《さけ》に|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れ、お|寅《とら》に|擲《なぐ》られた|頭《あたま》の|痛《いた》さをこらへ|乍《なが》ら、|高姫《たかひめ》の|話《はなし》を|耳《みみ》に|入《い》れるや|否《いな》や、|俄《にはか》に|酔《よひ》もさめ、|襖《ふすま》に|耳《みみ》をあて、|一言《いちごん》も|漏《も》らさじと|聞《き》いて|居《ゐ》た。そこへお|寅婆《とらば》アさまがスタスタと|帰《かへ》つて|来《き》て、
お|寅《とら》『|皆《みな》さま、えらう|待《ま》たせましたなア』
|文助《ぶんすけ》『これお|寅《とら》さま、お|前《まへ》さま|怒《おこ》つてはいけませぬよ。|此《この》|方々《かたがた》の|仰有《おつしや》るには、あの|蠑〓別《いもりわけ》さまの|酒《さけ》の|上《うへ》で|仰有《おつしや》る|高姫《たかひめ》さまが、|斎苑《いそ》の|館《やかた》に|来《き》て|居《を》られるさうです』
と|小声《こごゑ》で|囁《ささや》いた。お|寅《とら》は|怪訝《けげん》な|顔《かほ》をして、
お|寅《とら》『アヽ|左様《さやう》か』
と|云《い》ひながら、
お|寅《とら》『|末代様《まつだいさま》|誠《まこと》にお|待《ま》たせ|致《いた》しました、どうぞ、|上義姫《じやうぎひめ》|様《さま》に|一度《いちど》|会《あ》つて|下《くだ》さい。さうすると|貴方《あなた》の|霊《みたま》の|因縁《いんねん》|性来《しやうらい》がすつかり|分《わか》りますから』
|松彦《まつひこ》『|上義姫《じやうぎひめ》とか、|松姫《まつひめ》とかチヨイチヨイ|聞《き》きますが、どんな|方《かた》ですか』
お|寅《とら》『エヽ|素々《しらじら》しい、さう|照《てら》すものぢやありませぬ。これお|菊《きく》や、|末代様《まつだいさま》を|上義姫《じやうぎひめ》のお|館《やかた》|迄《まで》|御案内《ごあんない》|申《まを》しなさい』
お|菊《きく》『ハイ、さア|末代様《まつだいさま》、|私《わたし》が|御案内《ごあんない》|致《いた》しませう』
|松彦《まつひこ》『|何《なに》はともあれ、それではお|目《め》にかかりませう』
と|座《ざ》を|立《た》ち|往《ゆ》かうとする|所《ところ》へお|千代《ちよ》は|走《はし》り|来《きた》り、
|千代《ちよ》『もし|末代様《まつだいさま》とやら|上義姫《じやうぎひめ》|様《さま》が|大変《たいへん》お|待《ま》ち|兼《か》ねです。|何卒《どうぞ》お|一人《ひとり》さま|入《い》らして|下《くだ》さいませ、|折入《をりい》つてお|話《はな》し|申《まをし》たいとの|事《こと》で|厶《ござ》います』
|松彦《まつひこ》『|然《しか》らば|伺《うかが》つて|見《み》ませう。お|寅《とら》さま、|其《その》|外《ほか》の|御一同《ごいちどう》、|一寸《ちよつと》|失礼《しつれい》|致《いた》します』
お|寅《とら》『|何卒《どうぞ》シツポリと|水《みづ》も|漏《も》らさぬ|情約締結《じやうやくていけつ》を|遊《あそ》ばしませ』
と|嫌《いや》らしく|笑《わら》ふ。|松彦《まつひこ》は|合点《がてん》|往《ゆ》かぬと|思《おも》ひながらお|千代《ちよ》に|導《みちび》かれ、|此《この》|場《ば》を|去《さ》つた。
お|寅《とら》は|蠑〓別《いもりわけ》の|身《み》を|気遣《きづか》ひ、そつと|襖《ふすま》を|引《ひ》き|明《あ》けた。|見《み》れば|蠑〓別《いもりわけ》は|襖《ふすま》の|際《きは》に|鉢巻《はちまき》しながら|立《た》つて|居《ゐ》る。
|蠑〓《いもり》『ヤアお|寅《とら》か、|吃驚《びつくり》した』
お|寅《とら》『それや|吃驚《びつくり》なさつたでせう。|高姫《たかひめ》|様《さま》の|所在《ありか》を|立《た》ち|聞《ぎ》きして|厶《ござ》つた|処《ところ》へ、お|気《き》に|召《め》さぬお|寅婆《とらばば》が|突然《とつぜん》|襖《ふすま》をあけたものですから、|御尤《ごもつと》もです』
と|云《い》ひながら、|二《に》の|腕《うで》を|力《ちから》|一《いつ》ぱい|抓《つめ》つた。|蠑〓別《いもりわけ》は、
|蠑〓《いもり》『エヽ|馬鹿《ばか》にすない、いつとても|打擲《ちやうちやく》ばかりしよつて、|貴様《きさま》のお|蔭《かげ》で|生創《なまきづ》の|絶《た》えた|間《ま》なしだ』
お|寅《とら》『これ|蠑〓別《いもりわけ》さま、|憎《にく》くつて|一《ひと》つも|抓《つめ》られませうか』
と|云《い》うて|又《また》|抓《つ》める。
|蠑〓《いもり》『エヽ|痛《いた》い、お|客《きやく》さまがあるぢやないか、|見《み》つともない』
と|呟《つぶや》く。お|寅《とら》は|狂気《きやうき》のやうになつて、
お|寅《とら》『エヽ|見《み》つともないとは|能《よ》くも|云《い》へたものだ。あまり|馬鹿《ばか》にしなさるな。この|寅《とら》だつて|馬鹿《ばか》ぢやありませぬよ。|些《ちつと》は|性根《しやうね》もありますからな』
|蠑〓《いもり》『|俺《お》れやもう|今日《けふ》|限《かぎ》りに|此処《ここ》を|出《で》て|往《ゆ》く、|後《あと》は|何分《なにぶん》|頼《たの》む』
お|寅《とら》『エヽ|何《なん》と|仰有《おつしや》る、いやな|私《わたし》を|振《ふ》り|捨《す》てて|夜鷹《よたか》のやうな|高姫《たかひめ》の|処《ところ》へ|往《ゆ》くのでせう、そんなら|往《ゆ》きなさい。お|別《わか》れに|此《こ》の|通《とほ》り』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|力《ちから》|一《いつ》ぱい|剛力《がうりき》に|任《まか》せて|鼻《はな》をねぢあげた。|蠑〓別《いもりわけ》はフラフラと|目《め》が|眩《くら》み、ドスンと|其《その》|場《ば》に|打《う》ち|倒《たふ》れた。
|此《この》|物音《ものおと》に|驚《おどろ》いて、|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》、アク、テク、タクの|五人《ごにん》はバラバラと|一室《ひとま》に|駆込《かけこ》み、
|五三《いそ》『これこれお|婆《ばあ》さま、|神様《かみさま》の|道《みち》で|居《ゐ》ながら|何《なん》と|云《い》ふ|手荒《てあら》い|事《こと》をするのだ』
お|寅《とら》『ほんの|些細《ささい》の|内証事《ないしようごと》、さう|皆《みな》さまに|来《き》て|貰《もら》ふやうな|事《こと》ではありませぬ。どうぞ|彼方《あちら》で、ゆつくりとお|茶《ちや》を|上《あが》つて|下《くだ》さいませ』
お|菊《きく》『お|母《かあ》さま、|蠑〓別《いもりわけ》さまは|目《め》を|眩《まわ》して|居《ゐ》られるぢやありませぬか』
アク『|何《なん》と|手荒《てあら》い|婆《ばあ》さまぢやなア』
タク『|本当《ほんたう》に』
テク『ひどいなア、こんな|事《こと》|思《おも》ふと|女《をんな》はもう|恐《おそ》ろしくなつたわ』
|五三《いそ》『オイ|万公《まんこう》、|随分《ずゐぶん》お|前《まへ》の|義理《ぎり》の|親《おや》は|侠客《けふかく》だけあつて|強《つよ》いものぢやなア』
お|寅《とら》『ホヽヽヽヽ、|猪喰《ししく》つた|犬《いぬ》は、どこかに|違《ちが》ふ|所《ところ》がありませうがな。サア|彼方《あちら》へ|往《ゆ》きなさい。|蠑〓別《いもりわけ》さまはチヨコチヨコかう|云《い》ふ|病気《びやうき》があるのだ。これから|私《わたし》が|活《くわつ》を|入《い》れて|呼《よ》び|活《いけ》て|上《あ》げますから、あまり|大勢《おほぜい》ドヤドヤとして|居《ゐ》ると|霊《みたま》が|中有《ちうう》に|迷《まよ》うて|元《もと》の|鞘《さや》に|納《をさ》まらぬと|迷惑《めいわく》だから』
|万公《まんこう》『|此《こ》の|場《ば》はお|寅《とら》さまに|任《まか》して、|俺達《おれたち》は|次《つぎ》の|間《ま》でお|茶《ちや》でも|頂《いただ》かうかい』
|一同《いちどう》『ウンそんならさうしようかなア』
と|次《つぎ》の|間《ま》に|立《た》つて|往《ゆ》く。
お|寅《とら》『オイお|菊《きく》、お|前《まへ》も|小供《こども》だてらこんな|所《ところ》にジツとしてゐるものぢやない、|蠑〓別《いもりわけ》さまは|私《わたし》が|介抱《かいほう》してあげるから』
お|菊《きく》『あまり|手荒《てあら》い|事《こと》はしないやうにして|下《くだ》さいな』
お|寅《とら》『|何《ど》うしようと、|斯《か》うしようと|此方《こちら》の|勝手《かつて》だ。|小供《こども》だてら|差出口《さしでぐち》をするものぢやない。サア|彼方《あちら》に|往《ゆ》きなさい』
お|菊《きく》『それでも|心配《しんぱい》でならないわ』
お|寅《とら》『エヽ|執《しつ》こい』
と|突《つ》き|出《だ》す、お|菊《きく》は|涙《なみだ》ぐみながら|表《おもて》を|指《さ》して|出《いで》て|往《ゆ》く。|蠑〓別《いもりわけ》は|漸《やうや》く|息《いき》を|吹《ふ》き|返《かへ》し、|何《なに》かハツキリは|聞《きこ》えないが、お|寅《とら》と|二人《ふたり》でブツブツと|話《はな》しをやつて|居《ゐ》る。
タク『アク、|何《なん》とまア、ウラナイ|教《けう》は|手荒《てあら》い|事《こと》をする|女《をんな》が|居《ゐ》るものぢやなア。バラモン|教《けう》だつてあんな|酷《ひど》い|事《こと》は、まだしたのを|見《み》た|事《こと》はないがなア。|最前《さいぜん》もウラナイ|教《けう》は|天下泰平《てんかたいへい》|上下一致《じやうげいつち》|和合《わがふ》の|教《をしへ》だ。|三五教《あななひけう》、ウラル|教《けう》、バラモン|教《けう》のやうに|喧嘩《けんくわ》|計《ばか》りして|居《ゐ》る|教《をしへ》を|信《しん》ぜず、ウラナイ|教《けう》に|入《はい》れと|偉《えら》さうに|云《い》ひよつたが、|薩張《さつぱり》、|口《くち》と|行《おこな》ひとは|裏表《うらおもて》だ』
テク『それだから|世《よ》の|中《なか》に|誠《まこと》の|者《もの》は|目薬《めぐすり》|程《ほど》も|無《な》いと|神様《かみさま》が|仰有《おつしや》るのだよ』
タク『|本当《ほんたう》だねえ』
|万公《まんこう》『|上《うは》べから|見《み》れば|尊《たふと》き|神司《かむつかさ》
|其《その》|内幕《うちまく》には|大蛇《をろち》|住《す》むなり』
|五三《いそ》『|本当《ほんたう》に|愛想《あいさう》が|尽《つ》きたウラナイの
|神《かみ》の|道《みち》にもやはり|裏《うら》あり』
アク『あきれたよお|寅婆《とらば》さまの|勢《いきほ》ひに
|蠑〓別《いもりわけ》を|捻伏《ねぢふ》せた|所《とこ》』
タク『それやさうぢや|女白浪《をんなしらなみ》ばくちうち
|夜叉《やしや》のやうなるお|寅婆《とらば》さまだ』
テク『テクテクと|強《きつ》い|山道《やまみち》|登《のぼ》り|来《き》て
|思《おも》ひもよらぬ|喧嘩《けんくわ》|見《み》るかな。
あの|婆《ばば》は|唯者《ただもの》ならじと|思《おも》うたら
|白浪女《しらなみをんな》のなれの|果《は》てなる。
あの|人《ひと》がウラナイ|教《けう》の|教祖《けうそ》かと
|思《おも》へばたまげて|物《もの》が|言《い》はれぬ。
|小北山《こぎたやま》|醜《しこ》の|嵐《あらし》が|吹《ふ》き|荒《すさ》び
|丑寅婆《うしとらば》さまが|荒《すさ》び|狂《くる》へる。
ユラリ|彦《ひこ》|上義《じやうぎ》の|姫《ひめ》を|祭《まつ》つたる
|小北《こぎた》の|山《やま》は|恋《こひ》の|埃捨《ごみす》て。
|埃溜《ごみため》に|千歳《ちとせ》の|鶴《つる》の|下《お》りたよな
|松彦《まつひこ》さまのお|出《で》ましあはれ。
お|寅婆《とらばば》|何《なん》ぢやかんぢやと|口先《くちさき》で
|喧嘩《けんくわ》|見《み》せよと|連《つ》れて|来《き》たのか』
|五三《いそ》『やきもちをやいて|俺等《おれら》に|振《ふ》れ|舞《ま》ふと
|一生懸命《いつしやうけんめい》にやつて|居《ゐ》るのだ。
|犬《いぬ》さへも|喰《く》はない|様《やう》な|喧嘩《けんくわ》して
|見《み》せつけるとはこいつアたまらぬ。
|悋気《りんき》して|死《し》ぬの|走《はし》るの|暇《ひま》くれと
|吐《ぬか》す|嬶《かか》よりひどい|婆《ばば》うき』
アク『アク|迄《まで》も|恋《こひ》の|意地《いぢ》をば|立《た》て|通《とほ》し
|小北《こぎた》の|山《やま》がこはれる|迄《まで》|往《ゆ》く。
あのやうなアク|性女《しやうをんな》に|魅《みい》られて
|蠑〓別《いもりわけ》も|嘸《さぞ》|困《こま》るだらう』
テク『それやさうぢや|丑寅婆《うしとらば》さまと|云《い》ふぢやないか
|悋気《りんき》の|角《つの》をふるは|当然《たうぜん》。
こいつア|又《また》|怪体《けたい》な|所《とこ》へ|来《き》たものぢや
|往《い》ぬに|往《い》なれず|居《を》るに|居《ゐ》られず。
|松彦《まつひこ》の|司《つかさ》は|何《なに》して|厶《ござ》るだろ
|心許《こころもと》なし|小北山風《こぎたやまかぜ》』
|斯《か》かる|所《ところ》へ|蒼青《まつさを》な|顔《かほ》してブラリブラリと|入《はい》つて|来《き》たのは|魔我彦《まがひこ》であつた。
|万公《まんこう》『よう|魔我彦《まがひこ》さま、|些《ち》つと|顔色《かほいろ》が|悪《わる》いぢやありませぬか、|何《なに》か|又《また》ナイスに|油《あぶら》を|取《と》られたのでせう』
|魔我《まが》『チヨツ、イヤ|何《なん》でもありませぬ、|恐《おそ》ろしいものでありますわい。|本当《ほんたう》にチヨツ、ふげたの|悪《わる》い、もう|嫌《いや》になつて|仕舞《しま》つた。エヽもどかしい、|焦《ぢれ》つたい、|胸糞《むねくそ》の|悪《わる》い、チヨツ【しんごく】ど|奴《め》、エヽ【あ】かんあかん、チヨツ|因縁《【い】んねん》づくだ。【ウ】ンザリして|仕舞《しま》つた。チヨツ、【エ】ヽ|儘《まま》よ、【お】れもチヨツもう|自暴自棄《やけ》だ。カヽヽヽヽ|構《かま》うものかい、チヨツ、【キ】ヽ|気《き》に|喰《く》はぬ、チヨツ、【ク】ヽヽヽヽ|糞《くそ》の|餓鬼《がき》|奴《め》、チヨツ、【ケ】ヽヽヽヽ|怪《け》つ|体《たい》の|悪《わる》いわ、コヽヽヽヽころりとやられて|来《き》た。チヨツ、【さ】らしやがつたな、【し】んごくど|奴《め》、チヨツ、【|好《す》】かんたらしい、【セ】ヽヽ|雪隠虫《せんちむし》め。チヨツ、あゝ、【そ】ろそろと|寝間《ねま》へでも|入《はい》つて|休《やす》まうかな、【タ】ヽヽ|忽《たちま》ちだ、|覚《おぼ》えてけつかれ【チ】ツとは|性《しやう》があるぞ、チヨツ、【つ】き|出《だ》しやがつて【テ】ヽてれ|臭《くさ》い、【ト】ツととんぼり|返《かへ》りをさせやがつたな、チヨツ、【ナ】ヽ|情《なさけ》けない、チヨツ、【ニ】ヽにくらしい、【ヌ】ヽヽヌツと|出《で》て|来《き》やがつて、【ネ】ヽヽ|根《ね》つから|葉《は》つから【の】ぞみが|達《たつ》しさうにもなし【ヒ】ドい|目《め》に|遇《あ》はしやがつた。チヨツ、【フ】ヽ|太《ふと》い|事《こと》を【へ】い|気《き》でやつてけつかるのだらう、【ホ】ヽほんまに、|慾《よく》の|熊鷹《くまたか》だ。【マ】ヽヽヽまたが|裂《さ》けるぞ、【ミ】ヽヽ|見《み》てけつかれ、【ム】ヽ|無茶《むちや》でも、【メ】ヽ|目《め》をかけた|以上《いじやう》は、【モ】ヽもう|許《ゆる》さぬぞ』
|五三《いそ》『コレコレ|魔我彦《まがひこ》さま、|何《なに》|独《ひと》り|言《ごと》を|云《い》つて|居《ゐ》るのだ、テンと|訳《わけ》が|分《わか》らないぢやないか。【ヤ】ヽややこしい【イ】キサツが、ウルサイ|程《ほど》、【ユ】ヽ|湧出《ゆうしゆつ》して|居《ゐ》るのだろ、【エ】ヽ|遠慮《ゑんりよ》なく|五三公《いそこう》さまに【ヨ】ヽよく|知《し》らして|呉《く》れ【ラ】ヽらちもない|事《こと》で|無《な》ければ、【リ】ヽ|立派《りつぱ》に|理由《りいう》を、【ル】ヽ|縷述《るじゆつ》して|方《かた》をつけたらよいぢやないか。|大方《おほかた》【レ】ヽ|恋愛《れんあい》の|失策《しつさく》だらう。【ロ】ヽローマンスがあるのぢやないか、【ワ】ヽ|吾《わが》|身《み》の|力《ちから》に|合《あ》ふ|事《こと》なら、【イ】ヽいかなる|事《こと》でも【ウ】ヽ|受《う》け|合《あ》うて【エ】ヽ|縁《えん》を|結《むす》び、【オ】ヽ|納《をさ》めてやろか、ホヽヽヽヽ』
|魔我《まが》『|五三公《いそこう》さま、|実《じつ》の|処《ところ》はパリぢや、パリはパリだが、サツパリだ』
|五三《いそ》『ヘーン』
|一同《いちどう》『ウフヽヽヽ、ワハヽヽヽ、|何《なに》が|何《なん》だか|訳《わけ》が|分《わか》らぬやうになつて|来《き》たワイ、|分《わか》らいでも|矢張《やつぱり》をかしいワイ、ウハヽヽヽヽ、イヒヽヽヽ』
(大正一一・一二・一一 旧一〇・二三 加藤明子録)
第七章 |相生《あひおひ》の|松《まつ》〔一一九七〕
ウラルの|姫《ひめ》の|系統《けいとう》と  |生《うま》れ|合《あ》ひたる|高姫《たかひめ》が
バラモン|教《けう》やウラル|教《けう》  |三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》を
あちら|此方《こちら》と|取交《とりま》ぜて  |変性男子《へんじやうなんし》の|系統《けいとう》と
|自称《じしよう》し|乍《なが》らフサの|国《くに》  |北山村《きたやまむら》に|居《きよ》を|構《かま》へ
|蠑〓別《いもりわけ》や|魔我彦《まがひこ》や  |高山彦《たかやまひこ》や|黒姫《くろひめ》を
|唯一《ゆゐいつ》の|股肱《ここう》と|頼《たの》みつつ  ウラナイ|教《けう》の|本山《ほんざん》を
|立《た》てて|教《をしへ》を|四方《よも》の|国《くに》  |宣《の》べ|伝《つた》へつつ|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|仁慈《じんじ》にほだされて  |全《まつた》く|前非《ぜんぴ》を|後悔《こうくわい》し
|神《かみ》の|御為《おんため》|世《よ》の|為《ため》に  |舎身《しやしん》の|活動《くわつどう》|励《はげ》みつつ
|今《いま》は|全《まつた》く|三五《あななひ》の  |教《をしへ》の|司《つかさ》と|成《な》りすまし
|生田《いくた》の|森《もり》の|神館《かむやかた》  |珍《うづ》の|司《つかさ》となりにける。
|後《あと》に|残《のこ》りし|魔我彦《まがひこ》は  |蠑〓別《いもりわけ》を|教祖《けうそ》とし
|北山村《きたやまむら》を|後《あと》にして  |坂照山《さかてるやま》に|立《たて》こもり
|茲《ここ》に|愈《いよいよ》ウラナイの  |教《をしへ》を|再《ふたた》び|開設《かいせつ》し
|小北《こぎた》の|山《やま》の|神殿《しんでん》と  |称《とな》へて|教《をしへ》を|近国《きんごく》に
|伝《つた》へ|居《ゐ》るこそ|雄々《をを》しけれ  |蠑〓別《いもりわけ》や|魔我彦《まがひこ》は
|高姫《たかひめ》|仕込《しこ》みの|雄弁《ゆうべん》を  |縦横無尽《じうわうむじん》にふり|廻《まは》し
|彼方《かなた》|此方《こなた》の|愚夫愚婦《ぐふぐふ》を  |将棋倒《しやうぎたふ》しに|説《と》きまくり
|天下《てんか》に|無比《むひ》の|真教《しんけう》と  |随喜《ずいき》の|涙《なみだ》をこぼさせつ
|螢《ほたる》の|如《ごと》き|光《ひかり》をば  |小北《こぎた》の|山《やま》の|谷間《たにあひ》に
|細々《ほそぼそ》|乍《なが》ら|輝《かがや》かす  さはさり|乍《なが》ら|常暗《とこやみ》の
|黒白《あやめ》も|分《わか》ぬ|世《よ》の|中《なか》は  |蠑〓別《いもりわけ》や|魔我彦《まがひこ》の
ねぢけ|曲《まが》れる|教《をしへ》をも  |正邪《せいじや》を|調《しら》ぶる|智者《ちしや》もなく
|欲《よく》にからまれ|天国《てんごく》へ  |昇《のぼ》りて|死後《しご》を|安楽《あんらく》に
|暮《くら》さむものと|婆嬶《ばばかか》が  |愚者々々《ぐしやぐしや》|集《あつ》まりゐたりけり
|浮木《うきき》の|村《むら》に|名《な》も|高《たか》き  |白浪女《しらなみをんな》のお|寅《とら》さま
どうした|機《はづ》みか|何時《いつ》となく  |小北《こぎた》の|山《やま》に|通《かよ》ひ|出《だ》し
|足《あし》しげしげと|重《かさ》なつて  |蠑〓別《いもりわけ》に|殊愛《しゆあい》され
|女房《にようばう》|気取《きど》りで|何《なに》くれと  |一切万事《いつさいばんじ》|身《み》のまはり
|注意《ちうい》に|注意《ちうい》を|加《くは》へつつ  あらむ|限《かぎ》りの|親切《しんせつ》を
|尽《つく》して|教祖《けうそ》の|歓心《くわんしん》を  やつと|求《もと》めて|丑寅《うしとら》の
|婆《ば》さまはニコニコ|悦《えつ》に|入《い》り  |小北《こぎた》の|山《やま》を|一身《いつしん》に
|吾《わが》|双肩《さうけん》に|担《にな》うたる  やうな|心地《ここち》で|控《ひか》えゐる。
|蠑〓別《いもりわけ》は|曲神《まがかみ》に  |魂《たま》をぬかれて|酒《さけ》|計《ばか》り
|夜《よる》と|昼《ひる》との|区別《くべつ》なく  あふりて|心《こころ》の|煩悶《はんもん》を
|慰《なぐさ》め|居《を》れど|時々《ときどき》に  |心《こころ》に|潜《ひそ》みし|曲鬼《まがおに》が
|飛出《とびだ》し|来《きた》り|高姫《たかひめ》の  |色香《いろか》を|慕《した》ひ|口走《くちばし》り
お|寅《とら》の|心《こころ》を|痛《いた》めたる  |其《その》|醜態《しうたい》は|幾度《いくたび》か
|数《かぞ》へ|尽《つく》せぬ|計《ばか》り|也《なり》  お|寅《とら》は|無念《むねん》を|抑《おさ》へつつ
|勘忍袋《かんにんぶくろ》をキツと|締《し》め  こばり|詰《つ》めてぞゐたりしが
|大洪水《だいこうずゐ》の|襲来《しふらい》し  |千里《せんり》の|堤防《ていばう》|一時《いちどき》に
|決潰《けつくわい》したる|計《ばか》りにて  |悋気《りんき》の|濁水《だくすゐ》|氾濫《はんらん》し
|人目《ひとめ》もかまはず|前後《ぜんご》をも  |忘《わす》れて|教祖《けうそ》の|胸倉《むなぐら》を
つかみ|締《し》めたる|恐《おそ》ろしさ  かかる|乱痴気《らんちき》|騒《さわ》ぎをば
|表《おもて》に|待《ま》ちし|松彦《まつひこ》の  |司《つかさ》の|一行《いつかう》に|隠《かく》さむと
|心《こころ》を|痛《いた》めいろいろと  |此《この》|場《ば》の|体裁《ていさい》つくろへど
|隠《かく》し|終《を》うせぬ|燗徳利《かんどくり》  |土瓶《どびん》の|居《ゐ》ずまひわれた|猪口《ちよこ》
|金切声《かなきりごゑ》は|屋外《をくぐわい》に  |聞《きこ》え|来《きた》るぞ|是非《ぜひ》なけれ
お|寅婆《とらば》さまが|此《この》|山《やま》に  |来《きた》つて|御用《ごよう》を|始《はじ》めてゆ
これ|丈《だけ》|怒《おこ》つた|大喧嘩《おほげんくわ》  |未《いま》だ|一度《いちど》もなかつたに
|如何《どう》した|拍子《ひやうし》の|瓢箪《へうたん》か  |思《おも》ひもよらぬ|醜状《しうじやう》を
|珍客《ちんきやく》さまの|目《め》の|前《まへ》に  |曝露《ばくろ》したるぞ|神罰《しんばつ》と
|云《い》ふもなかなか|愚《おろか》なり  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ。
|小北《こぎた》の|山《やま》の|別館《べつくわん》に  |潜《ひそ》みて|教《をしへ》の|実権《じつけん》を
|掌握《しやうあく》しつつ|朝夕《あさゆふ》に  |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の
|大御心《おほみこころ》を|奉戴《ほうたい》し  ウラナイ|教《けう》の|曲神《まがかみ》を
|日日《ひにち》|万《よろづ》に|言向《ことむ》けて  |根本的《こんぽんてき》に|改良《かいりやう》し
|蠑〓別《いもりわけ》や|魔我彦《まがひこ》の  |身魂《みたま》を|立替《たてかへ》|立直《たてなほ》し
|三五教《あななひけう》の|真髄《しんずい》を  |理解《りかい》せしめて|道《みち》の|為《ため》
|世人《よびと》の|為《ため》に|神徳《しんとく》を  |輝《かがや》かさむと|松姫《まつひめ》は
|蠑〓別《いもりわけ》の|言《い》ふままに  |上義《じやうぎ》の|姫《ひめ》と|称《とな》へられ
|心《こころ》ならずも|春陽《しゆんやう》の  |花《はな》|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|時節《じせつ》をば
|神《かみ》に|祈《いの》りて|松姫《まつひめ》が  |心《こころ》の|奥《おく》ぞ|床《ゆか》しけれ
|小北《こぎた》の|山《やま》に|祀《まつ》りたる  ユラリの|彦《ひこ》の|又《また》の|御名《みな》
|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神《かみ》  |其《その》|外《ほか》|百《もも》の|神名《しんめい》は
いずれも|正《ただ》しきものならず  |狐《きつね》|狸《たぬき》の|神霊《しんれい》に
|誑《たぶらか》されて|魔我彦《まがひこ》が  |誠《まこと》の|神《かみ》と|思《おも》ひつめ
|得意《とくい》になりて|宮柱《みやばしら》  ヘグレのヘグレのヘグレムシヤ
ヘグレ|神社《じんじや》を|立《た》て|並《なら》べ  |迷《まよ》ひゐるこそうたてけれ
|三五教《あななひけう》の|松姫《まつひめ》も  かやうな|事《こと》に|騙《だまさ》れて
|信仰《しんかう》するよな|者《もの》でない  さは|去《さ》り|乍《なが》ら|今《いま》すぐに
いと|厳格《げんかく》な|審神《さには》をば  なすに|於《おい》ては|蠑〓別《いもりわけ》
|其《その》|外《ほか》|百《もも》の|神司《かむづかさ》  |一度《いちど》に|鼎《かなへ》の|湧《わ》く|如《ごと》く
|怒《いか》り|狂《くる》ひて|松姫《まつひめ》の  |身辺《しんぺん》|忽《たちま》ち|危《あやふ》しと
|悟《さと》りたるより|松姫《まつひめ》は  |素知《そし》らぬ|顔《かほ》を|装《よそほ》ひつ
ウラナイ|教《けう》の|実権《じつけん》を  |何時《いつ》の|間《ま》にかは|掌握《しやうあく》し
|小北《こぎた》の|山《やま》の|神殿《しんでん》は  |殆《ほとん》ど|松姫《まつひめ》|一人《いちにん》の
|指命《しめい》の|下《もと》に|大部分《だいぶぶん》  |動《うご》かし|得《う》べき|身《み》となりぬ
モウ|此《この》|上《うへ》は|松姫《まつひめ》も  |何《なん》の|遠慮《ゑんりよ》も|要《い》るものか
やがてボツボツ|正体《しやうたい》を  |現《あら》はしくれむと|思《おも》ふ|内《うち》
|昔《むかし》|別《わか》れし|吾《わが》|夫《つま》の  |松彦《まつひこ》さまが|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》となりすまし  |思《おも》ひも|寄《よ》らぬ|此《この》|山《やま》に
お|寅婆《とらば》さまに|導《みちび》かれ  |登《のぼ》り|来《きた》りし|其《その》|姿《すがた》
|居間《ゐま》の|窓《まど》より|覗《のぞ》きこみ  ハツと|胸《むね》をば|躍《をど》らせつ
|俄《にはか》に|恋《こひ》しさ|身《み》にせまり  たまりかねてぞなりければ
|神勅《しんちよく》なりと|言《い》ひくろめ  お|寅婆《とらば》さまを|招《まね》きよせ
|今《いま》|来《き》た|人《ひと》はユラリ|彦《ひこ》  |末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神《かみ》
|尊《たふと》き|神《かみ》の|生宮《いきみや》ぞ  あの|神様《かみさま》に|帰《い》なれては
|五六七《みろく》|神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》の  |仕組《しぐみ》はとても|立《た》たうまい
|御苦労《ごくらう》|乍《なが》ら|一走《ひとはし》り  お|前《まへ》は|後《あと》を|追《お》つかけて
|末代《まつだい》さまを|是非《ぜひ》|一度《いちど》  これの|館《やかた》に|連《つ》れ|帰《かへ》り
いと|慇懃《いんぎん》に|遇《もてな》して  いついつ|迄《まで》も|此《この》|山《やま》に
|鎮座《ちんざ》ましましウラナイの  |神《かみ》の|教《をしへ》の|目的《もくてき》を
|立《た》たさにやならぬお|寅《とら》さま  これの|使命《しめい》を|果《はた》しなば
お|前《まへ》はこれから|此《この》|山《やま》の  |最大一《さいだいいち》の|殊勲者《しゆくんじや》と
おだてあぐればお|寅《とら》さま  |俄《にはか》に|元気《げんき》を|放《はふ》り|出《だ》して
|十曜《とえう》の|紋《もん》の|描《ゑが》きたる  |扇《あふぎ》|片手《かたて》にひつつかみ
|松姫館《まつひめやかた》を|飛出《とびだ》して  オーイオーイと|松彦《まつひこ》を
|呼戻《よびもど》したる|其《その》|手腕《しゆわん》  なみなみならぬ|婆《ば》さま|也《なり》
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ。
|蠑〓別《いもりわけ》の|片腕《かたうで》と  |自分《じぶん》も|許《ゆる》し|人《ひと》も|亦《また》
|許《ゆる》す|魔我彦《まがひこ》|副教主《ふくけうしゆ》  |蠑〓別《いもりわけ》の|託宣《たくせん》を
|一《いち》から|十《じふ》|迄《まで》|鵜呑《うの》みして  |善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|区別《くべつ》なく
|只《ただ》|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い  |誠《まこと》の|神《かみ》は|此《この》|外《ほか》に
|広《ひろ》い|世界《せかい》にやあるまいと  |心《こころ》の|底《そこ》から|歓喜《くわんき》して
|真理《しんり》を|紊《みだ》す|教《をしへ》とは  |少《すこ》しも|知《し》らず|朝夕《あさゆふ》に
|骨身《ほねみ》を|惜《をし》まず|神前《しんぜん》に  いとまめやかに|仕《つか》へつつ
|迷《まよ》い|切《き》つたる|魔我彦《まがひこ》は  |蠑〓別《いもりわけ》のなす|事《こと》は
|善悪正邪《ぜんあくせいじや》に|係《かか》はらず  |何《いづ》れも|神《かみ》の|正業《せいげふ》と
|迷信《めいしん》せるこそ|愚《おろか》なれ  かくも|教《をしへ》に|迷信《めいしん》な
|朴直《ぼくちよく》|一途《いちづ》な|魔我彦《まがひこ》も  |若《わか》き|男《をとこ》の|選《せん》にもれず
|恋《こひ》に|心《こころ》を|乱《みだ》しつつ  |吾《わ》れにかしづく|女房《にようばう》は
|甲《かふ》に|致《いた》そか|乙《おつ》にせうか  |又々《またまた》|丙《へい》か|丁戍《ていぼう》か
なぞと|集《あつ》まる|信者《しんじや》をば  |女《をんな》と|見《み》れば|探索《たんさく》し
|物色《ぶつしよく》しつつ|目《め》が|細《ほそ》い  |色《いろ》は|白《しろ》いが|鼻《はな》|低《ひく》い
|鼻《はな》は|高《たか》いが|目《め》が|細《ほそ》い  |背丈《せたけ》が|高《たか》い|低《ひく》いなど
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|首《くび》かたげ  |妻《つま》の|選挙《せんきよ》に|余念《よねん》なく
|心《こころ》を|悩《なや》ましゐたる|折《をり》  |少《すこ》しく|年《とし》はよつたれど
|花《はな》を|欺《あざむ》く|松姫《まつひめ》が  これの|館《やかた》に|来《きた》りしゆ
|二世《にせ》の|女房《にようばう》は|松姫《まつひめ》と  |自分《じぶん》|免許《めんきよ》の|妻《つま》さだめ
|神《かみ》の|奉仕《ほうし》の|其《その》|間《あひ》は  |万事万端《ばんじばんたん》|気《き》を|付《つ》けて
|松姫《まつひめ》さまの|歓心《くわんしん》を  |買《か》ふ|事《こと》|計《ばか》りに|身《み》を|〓《やつ》し
|吉日《きちにち》|良辰《りやうしん》|到来《たうらい》し  |連理《れんり》の|袖《そで》を|翻《ひるがへ》し
|合衾式《がふきんしき》をあげむぞと  |楽《たの》しみゐたるも|水《みづ》の|泡《あわ》
|思《おも》ひもよらぬ|松彦《まつひこ》が  |此《この》|神館《しんくわん》に|現《あら》はれて
ウラナイ|教《けう》の|信徒《まめひと》が  |唯一《ゆゐいつ》の|主神《しゆしん》と|頼《たの》みたる
|神徳《しんとく》|高《たか》きユラリ|彦《ひこ》  |又《また》の|御名《おんな》を|尋《たづ》ぬれば
|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神《かみ》  |珍《うづ》の|宮居《みやゐ》と|現《あら》はれて
|突然《とつぜん》ここに|天降《あまくだ》り  |上義《じやうぎ》の|姫《ひめ》の|松姫《まつひめ》が
|霊《みたま》の|夫婦《ふうふ》と|聞《き》きしより  |気《き》が|気《き》でならぬ|魔我彦《まがひこ》は
|胸《むね》を|躍《をど》らせゐたりける  かかる|所《ところ》へ|松姫《まつひめ》の
|侍女《じぢよ》のお|千代《ちよ》が|現《あら》はれて  |魔我彦《まがひこ》さまへ|上義姫《じやうぎひめ》
あが|師《し》の|君《きみ》が|御用《ごよう》ぞと  |聞《き》いたを|機《しほ》に|座《ざ》を|立《た》つて
|鼻《はな》うごめかし|肘《ひぢ》を|張《は》り  |吉報《きつぽう》|聞《き》かむと|行《い》てみれば
|豈計《あにはか》らむや|松姫《まつひめ》は  |打《う》つて|変《かは》つた|其《その》|様子《やうす》
|犯《をか》し|難《がた》くぞ|見《み》えにける  |義理天上《ぎりてんじやう》と|自称《じしよう》する
|魔我彦《まがひこ》、|姫《ひめ》に|打向《うちむか》ひ  |思《おも》ひの|丈《たけ》をクドクドと
|述《の》べむとすれば|松姫《まつひめ》は  |挺《てこ》でも|動《うご》かぬ|勢《いきほひ》で
|魔我彦《まがひこ》さまへ|今日《けふ》からは  お|前《まへ》に|頼《たの》む|事《こと》がある
|松彦《まつひこ》さまは|吾《わが》|夫《つま》よ  モウ|之《これ》からは|厭《いや》らしい
|目付《めつき》をしたりバカな|事《こと》  |言《い》はない|様《やう》にしておくれ
|二世《にせ》の|夫《をつと》のある|私《わたし》  |大《おほい》に|迷惑《めいわく》|致《いた》します
|松彦《まつひこ》さまはユラリ|彦《ひこ》  |末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神《かみ》
|私《わたし》は|妻《つま》の|上義姫《じやうぎひめ》  |遠《とほ》き|神世《かみよ》の|昔《むかし》から
|切《き》るに|切《き》られぬ|因縁《いんねん》で  ヘグレのヘグレのヘグレ|武者《むしや》
|世界《せかい》|隅《くま》なく|逍《さま》よひて  おちて|居《を》つたが|優曇華《うどんげ》の
|花《はな》|咲《さ》く|春《はる》に|相生《あひおひ》の  |松《まつ》と|松《まつ》との|深緑《ふかみどり》
|千代《ちよ》の|契《ちぎり》を|結《むす》び|昆布《こぶ》  お|前《まへ》と|私《わし》との|其《その》|仲《なか》は
|至清《しせい》|至潔《しけつ》の|身《み》の|上《うへ》だ  |汚《けが》しもなさず|汚《けが》されも
せない|二人《ふたり》の|神司《かむつかさ》  |万《よろづ》の|物《もの》の|霊長《れいちやう》と
|生《うま》れた|人《ひと》は|何《なに》よりも  |断《だん》の|一字《いちじ》が|大切《たいせつ》よ
|恋《こひ》の|執着《しふちやく》サツパリと  |放《ほ》かしてお|呉《く》れと|手厳《てきび》しく
|不意《ふい》に|打出《うちだ》す|肱鉄砲《ひぢてつぱう》  |呆《あき》れて|言葉《ことば》もないじやくり
|言葉《ことば》を|尽《つく》し|最善《さいぜん》を  |尽《つく》せど|松姫《まつひめ》|承知《しようち》せず
お|千代《ちよ》に|迄《まで》も|馬鹿《ばか》にされ  |無念《むねん》の|涙《なみだ》ハラハラと
|松彦司《まつひこつかさ》を|恨《うら》みつつ  シオシオ|立《た》つて|元《もと》の|座《ざ》へ
|顔《かほ》の|色《いろ》まで|青《あを》くして  |帰《かへ》つて|見《み》れば|万公《まんこう》や
|五三公《いそこう》|其《その》|他《た》の|連中《れんちう》が  |力限《ちからかぎ》りに|嘲笑《てうせう》する
|魔我彦《まがひこ》さまは|腹《はら》を|立《た》て  |歯《は》ぎしりすれど|人《ひと》の|前《まへ》
|怒《おこ》りもならず|泣《な》けもせず  |煩悶《はんもん》|苦悩《くなう》の|胸《むね》おさへ
|俯《うつ》むきゐるぞ|憐《あは》れなる  |少女《せうぢよ》の|千代《ちよ》に|導《みちび》かれ
|松彦《まつひこ》さまは|別館《べつやかた》  |進《すす》みて|見《み》れば|此《こ》はいかに
|日頃《ひごろ》|慕《した》ひし|松姫《まつひめ》が  |盛装《せいさう》|凝《こ》らしニコニコと
|笑顔《ゑがほ》を|湛《たた》へて|松彦《まつひこ》が  |手《て》をとり|奥《おく》へよび|入《い》れる
|流石《さすが》の|松彦《まつひこ》|呆然《ばうぜん》と  |言葉《ことば》も|出《い》でず|松姫《まつひめ》が
|面《おもて》を|眺《なが》めてゐたりしが  あたり|見《み》まはし|松姫《まつひめ》は
ソツと|其《その》|手《て》を|握《にぎ》りしめ  |恋《こひ》しき|吾《わが》|夫《つま》|松彦《まつひこ》よ
|夜《よる》の|嵐《あらし》に|誘《さそ》はれて  |別《わか》れてから|早《はや》|十年《ととせ》
|余《あま》りの|月日《つきひ》を|送《おく》りました  |雨《あめ》の|晨《あした》や|風《かぜ》の|宵《よひ》
|思《おも》ひ|出《だ》しては|泣《なき》くらし  |思《おも》ひ|出《だ》しては|又《また》|歎《なげ》く
|月日《つきひ》の|駒《こま》の|関《せき》もなく  |今日《けふ》が|日《ひ》|迄《まで》も|吾《わが》|夫《つま》の
|行方《ゆくへ》を|探《たづ》ね|神様《かみさま》に  |祈《いの》りを|上《あ》げて|一日《いちにち》も
|早《はや》く|会《あ》はさせ|玉《たま》へやと  |祈《いの》りし|甲斐《かひ》もありありと
|現《あら》はれ|玉《たま》ひし|神《かみ》の|徳《とく》  |今日《けふ》の|集《つど》ひの|有難《ありがた》さ
|何《なに》から|言《い》うてよかろやら  |話《はなし》は|海山《うみやま》|積《つも》れ|共《ども》
|其《その》|糸口《いとぐち》も|乱《みだ》れ|果《は》て  |解《ほど》きかねたる|胸《むね》の|内《うち》
|推量《すゐりやう》なされて|下《くだ》さんせ  マアマア|無事《ぶじ》で|御達者《おたつしや》で
|私《わたし》も|嬉《うれ》しいお|目出《めで》たい  |貴方《あなた》に|見《み》せたい|者《もの》がある
どうぞ|喜《よろこ》んで|下《くだ》さんせ  |語《かた》れば|松彦《まつひこ》|涙《なみだ》ぐみ
|其《その》|手《て》をしかと|握《にぎ》りしめ  お|前《まへ》は|吾《わが》|妻《つま》|松姫《まつひめ》か
ヨウまあ|無事《ぶじ》でゐてくれた  お|前《まへ》に|別《わか》れた|其《その》|後《のち》は
|世《よ》を|果敢《はか》なみてウロウロと  フサの|国《くに》をば|遠近《をちこち》と
|巡《めぐ》り|巡《めぐ》りて|月《つき》の|国《くに》  バラモン|教《けう》の|本山《ほんざん》に
|現《あら》はれ|玉《たま》ふ|神柱《かむばしら》  |大黒主《おほくろぬし》の|部下《ぶか》とます
ランチ|将軍《しやうぐん》|片彦《かたひこ》が  |司《つかさ》の|神《かみ》に|見出《みいだ》され
|神《かみ》の|柱《はしら》や|軍人《いくさびと》  |二《ふた》つを|兼《か》ねてまめやかに
|仕《つか》へ|乍《なが》らも|両親《ふたおや》や  |兄《あに》の|身《み》の|上《うへ》|汝《なれ》が|身《み》を
|思《おも》ひ|案《あん》じて|一日《いちにち》も  |安《やす》く|此《この》|世《よ》を|渡《わた》りたる
|時《とき》も|涙《なみだ》にかきくれて  |悲《かな》しき|月日《つきひ》を|送《おく》る|折《をり》
|尊《たふと》き|神《かみ》の|引合《ひきあは》せ  |河鹿峠《かじかたうげ》の|谷間《たにあひ》で
|恋《こひ》しき|兄《あに》に|巡《めぐ》り|会《あ》ひ  |茲《ここ》に|心《こころ》を|翻《ひるが》へし
|三五教《あななひけう》に|入信《にふしん》し  |御伴《みとも》に|仕《つか》へまつりつつ
|野中《のなか》の|森《もり》で|夜《よ》をあかし  |橋《はし》の|袂《たもと》に|来《き》て|見《み》れば
お|寅婆《とらば》さまの|母《おや》と|子《こ》に  |思《おも》はず|知《し》らず|出会《でつく》はし
|縁《えにし》の|綱《つな》に|曳《ひ》かされて  |思《おも》はず|知《し》らず|来《き》て|見《み》れば
|日頃《ひごろ》|慕《した》ひし|吾《わが》|妻《つま》は  ここに|居《ゐ》たのか|嬉《うれ》しやな
|結《むす》ぶの|神《かみ》の|結《むす》びたる  |二人《ふたり》の|仲《なか》は|一旦《いつたん》は
|右《みぎ》に|左《ひだり》に|別《わか》る|共《とも》  |心《こころ》に|解《とけ》ぬ|恋《こひ》の|糸《いと》
|解《ほど》き|初《そ》めたる|今日《けふ》の|空《そら》  |嬉《うれ》しさ|胸《むね》に|満《み》ち|溢《あふ》れ
|答《こた》ふる|言葉《ことば》もないじやくり  |神《かみ》の|恵《めぐみ》を|今更《いまさら》に
|思《おも》ひ|浮《うか》べて|有難《ありがた》く  |身《み》に|沁《し》みわたる|尊《たふと》さよ
|旭《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》る|共《とも》  |月《つき》は|盈《み》つ|共《とも》|虧《か》くる|共《とも》
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》む|共《とも》  |誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|真心《まごころ》こめてひたすらに  |神《かみ》の|教《をしへ》を|守《まも》りたる
|二人《ふたり》の|身《み》をば|憐《あは》れみて  |思《おも》ひもよらぬ|此《この》|山《やま》で
|会《あ》はし|玉《たま》ひし|天地《あめつち》の  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|感謝《かんしや》して
|此《この》|行先《ゆくさき》は|殊更《ことさら》に  |命《いのち》を|惜《をし》まず|道《みち》の|為《ため》
|心《こころ》の|限《かぎ》り|身《み》の|限《かぎ》り  |仕《つか》へまつりて|神恩《しんおん》の
|万分一《まんぶんいち》に|報《むく》うべし  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ。
|松彦《まつひこ》『|尊《たふと》き|神様《かみさま》の|御恵《みめぐ》みに|依《よ》つて、|永《なが》らくの|間《あひだ》、|互《たがひ》に|在所《ありか》の|分《わか》らなかつた|松《まつ》と|松《まつ》との|夫婦《ふうふ》が、|思《おも》はぬ|此《この》|山《やま》で|廻《めぐ》り|合《あ》ふとは、|何《なん》たる|有難《ありがた》い|事《こと》であらう。|先《ま》づ|其方《そなた》も|無事《ぶじ》で、|松彦《まつひこ》も|嬉《うれ》しい、|就《つい》ては|私《わし》に|見《み》せたい|物《もの》があると|云《い》つたのはどんな|物《もの》だ、|様子《やうす》|有《あ》りげなお|前《まへ》の|言葉《ことば》、グツと|胸《むね》にこたえた』
|松姫《まつひめ》『ソリヤさうで|厶《ござ》いませう。|貴方《あなた》にお|別《わか》れした|時《とき》に、|私《わたし》は|身重《みおも》になつて|居《を》つた|事《こと》を|覚《おぼ》えてゐらつしやるでせう』
|松彦《まつひこ》『|確《たしか》に|覚《おぼ》えてゐる。|機嫌《きげん》よく|身二《みふた》つになつただらうなア』
|松姫《まつひめ》『ハイ、アーメニヤを|逃《に》げ|出《だ》す|途中《とちう》、フサの|国《くに》のライオン|河《がは》の|畔《ほとり》で|腹《はら》が|痛《いた》くなり、たうとう|妊娠《にんしん》|八ケ月《はちかげつ》で、|可愛《かあい》い|女《をんな》の|子《こ》を|生《う》みおとしました』
|松彦《まつひこ》『そして|其《その》|子《こ》は|何《ど》うなつたのだ。|早《はや》く|聞《き》かして|呉《く》れ』
|松姫《まつひめ》『|途中《とちう》の|事《こと》とて|如何《どう》する|事《こと》も|出来《でき》ず、|苦《くるし》んで|居《ゐ》る|所《ところ》へ、|酒《さけ》に|酔《よ》うた|男《をとこ》がブラリブラリと|通《とほ》り|合《あは》せ、|親切《しんせつ》に|吾《わが》|家《や》へつれ|帰《かへ》り、|介抱《かいほう》をしてくれました。それが|為《ため》に|母子《おやこ》|共《とも》に|機嫌《きげん》よく|肥立《ひだ》ち、|娘《むすめ》は|其《その》|男《をとこ》に|子《こ》がないのを|幸《さいは》ひ、|貰《もら》つて|貰《もら》ひ、|私《わたし》はフサの|国《くに》|北山村《きたやまむら》のウラナイ|教《けう》へ|信仰《しんかう》を|致《いた》し、|遂《つひ》には|抜擢《ばつてき》されて|宣伝使《せんでんし》となり、|自転倒島《おのころじま》の|高城山《たかしろやま》に|教主《けうしゆ》となつて|御用《ごよう》を|致《いた》して|居《を》りましたが、|高姫《たかひめ》|様《さま》の|三五教《あななひけう》へ|帰順《きじゆん》と|共《とも》に|私《わたし》も|三五教《あななひけう》へ|帰順《きじゆん》|致《いた》し、|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》の|内命《ないめい》に|依《よ》つて、|小北山《こぎたやま》へいろいろと|言《ことば》を|設《まう》け、うまく|入《い》り|込《こ》んで、|神業《しんげふ》の|為《ため》に、|心《こころ》を|砕《くだ》いて|居《を》ります。そして|其《その》|娘《むすめ》はここに|居《ゐ》る|此《この》お|千代《ちよ》で|厶《ござ》います』
|松彦《まつひこ》『ヤアこれが|吾《わが》|娘《むすめ》か、ヨウまア|大《おほ》きくなつてくれた。|親《おや》はなうても|子《こ》は|育《そだ》つとは|能《よ》く|云《い》つたものだな。コレお|千代《ちよ》、|私《わし》はお|前《まへ》の|父親《てておや》ぢや、|養育《やういく》を|人手《ひとで》に|渡《わた》して|済《す》まぬ|事《こと》だつたなア』
と|涙《なみだ》ぐむ。お|千代《ちよ》は|始《はじ》めて|松姫《まつひめ》の|物語《ものがたり》を|聞《き》き、|松姫《まつひめ》は|自分《じぶん》の|実《じつ》の|母《はは》で、|松彦《まつひこ》は|実《じつ》の|父《ちち》なることを|悟《さと》つた。お|千代《ちよ》は|思《おも》はず|嬉《うれ》し|涙《なみだ》にくれてワツと|其《その》|場《ば》に|泣倒《なきたふ》れた。|松姫《まつひめ》も|涙《なみだ》|乍《なが》らにお|千代《ちよ》を|抱起《だきおこ》し、|頭《あたま》を|撫《な》で|背《せな》を|撫《な》でて|歯《は》をくひしめて|忍《しの》び|泣《な》きしてゐる。
|松彦《まつひこ》『たらちねの|親《おや》はなくても|子《こ》は|育《そだ》つ
|育《そだ》ての|親《おや》の|恵《めぐ》み|尊《たふと》き。
|吾《わが》|子《こ》をば|育《そだ》て|玉《たま》ひし|両親《ふたおや》は
いづくの|人《ひと》か|聞《き》かまほしさよ』
|松姫《まつひめ》『フサの|国《くに》|竹野《たけの》の|村《むら》のカーチンと
|言《い》つて|名高《なだか》き|白浪男《しらなみをとこ》。
さり|乍《なが》らカーチンさまの|夫婦《ふうふ》づれ
|今《いま》はあの|世《よ》の|人《ひと》となりぬる』
|松彦《まつひこ》『|一言《ひとこと》のいやひ|言葉《ことば》もかはされぬ
|育《そだ》ての|親《おや》の|有難《ありがた》き|哉《かな》。
|吾《わが》|娘《むすめ》、|千代《ちよ》も|八千代《やちよ》もカーチンの
|育《そだ》ての|恩《おん》を|忘《わす》れまいぞや』
|千代《ちよ》『|有難《ありがた》き|育《そだ》ての|親《おや》に|悲《かな》しくも
|別《わか》れて|誠《まこと》の|親《おや》に|会《あ》ひぬる。
たらちねの|父《ちち》と|母《はは》とに|巡《めぐ》り|合《あ》ひ
|嬉《うれ》し|涙《なみだ》の|止《と》めどなくふる』
|松姫《まつひめ》『|母《はは》よ|子《こ》よと|名乗《なの》らむものと|思《おも》ひしが
あたり|憚《はばか》り|包《つつ》み|居《ゐ》たりし。
|吾《わが》|母《はは》と|知《し》らずに|仕《つか》へ|侍《はべ》りたる
お|千代《ちよ》の|心《こころ》いとしかりけり』
|千代《ちよ》『|吾《わが》|母《はは》と|知《し》らず|知《し》らずに|懐《なつか》しく
|師《し》の|君様《きみさま》と|思《おも》ひ|仕《つか》へぬ。
どことなく|温《ぬく》みのゐます|師《し》の|君《きみ》と
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|伏拝《ふしをが》みける』
|松彦《まつひこ》『|三五《あななひ》の|神《かみ》の|大道《おほぢ》に|入《い》りしより
|三日《みつか》ならずに|妻《つま》にあひぬる。
|妻《つま》となり|夫《をつと》となるも|天地《あめつち》の
|神《かみ》の|御水火《みいき》のこもるまにまに。
|天地《あめつち》の|神《かみ》の|御水火《みいき》に|生《うま》れたる
|吾《わが》|子《こ》は|千代《ちよ》に|栄《さか》え|行《ゆ》くらむ』
|千代《ちよ》『|父母《ちちはは》の|恵《めぐみ》のたまくら|知《し》らね|共《ども》
|何《なん》とはなしに|慕《した》ひぬる|哉《かな》。
カーチンの|父《ちち》の|命《みこと》を|生《う》みの|親《おや》と
|慕《した》ひて|朝夕《あさゆふ》|仕《つか》へ|来《き》にけり。
|朝夕《あさゆふ》になでさすりつつ|吾《わが》|身《み》をば
|育《そだ》て|玉《たま》ひし|親《おや》ぞ|恋《こひ》しき』
|松彦《まつひこ》『さもあらむ、|藁《わら》の|上《うへ》から|育《そだ》てられ
|慈悲《じひ》の|温《ぬく》みに|生《お》ひ|立《た》ちし|身《み》は。
われよりも|育《そだ》ての|親《おや》を|尊《たふと》みて
とひ|弔《とむら》ひを|忘《わす》れざらまし』
|松姫《まつひめ》『|恋《こひ》したふ、あが|脊《せ》の|君《きみ》に|巡《めぐ》り|会《あ》ひ
|嬉《うれ》し|涙《なみだ》のとめどなき|哉《かな》』
かく|親子《おやこ》は|歌《うた》を|以《もつ》て|心《こころ》の|丈《だけ》を|述《の》べてゐる。|館《やかた》の|外面《そとも》より|俄《にはか》に|聞《きこ》ゆる|瓦《かはら》をぶちやけた|様《やう》な|声《こゑ》、
『グワハツヽヽヽ、イツヒヽヽヽ』
|親子《おやこ》|三人《さんにん》は|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》き、あたりをキヨロキヨロと|見廻《みまは》した。|怪《あや》しき|笑《わら》ひ|声《ごゑ》はそれつきりにて|屋上《をくじやう》を|吹《ふ》き|亘《わた》る|凩《こがらし》の|音《おと》ゾウゾウと|聞《きこ》えてゐる。|此《この》|声《こゑ》の|主《ぬし》は|魔我彦《まがひこ》であつた|事《こと》は|前後《ぜんご》の|事情《じじやう》より|伺《うかが》ふ|事《こと》が|出来《でき》る。
(大正一一・一二・一二 旧一〇・二四 松村真澄録)
第八章 |小蝶《こてふ》〔一一九八〕
|松彦《まつひこ》|松姫《まつひめ》|両人《りやうにん》は  いとし|盛《ざか》りの|吾《わが》|娘《むすめ》
|千代子《ちよこ》と|共《とも》に|歌垣《うたがき》に  たちて|心《こころ》の|誠《まこと》をば
|語《かた》らひ|居《ゐ》たる|折《をり》もあれ  |突然《とつぜん》|起《おこ》る|笑《わら》ひ|声《ごゑ》
|瓦《かはら》をぶちあけた|其《その》|如《ごと》く  ガラガラガラといやらしく
|聞《きこ》え|来《きた》れる|其《その》|音色《ねいろ》  |嫉妬《しつと》|嘲笑《てうせう》|交《まじ》り|来《き》て
いとも|不穏《ふおん》に|聞《きこ》えけり  |娘《むすめ》のお|千代《ちよ》は|門口《かどぐち》を
|引開《ひきあ》け|外《そと》を|眺《なが》むれば  |豈《あに》|図《はか》らむや|魔我彦《まがひこ》が
|両手《りやうて》で|耳《みみ》を|抑《おさ》へつつ  |腰《こし》を【く】の|字《じ》に|曲《ま》げ|乍《なが》ら
|差足《さしあし》|抜足《ぬきあし》|逃《に》げて|行《ゆ》く  お|千代《ちよ》は|後《あと》を|顧《かへり》みて
やさしき|声《ごゑ》をふり|絞《しぼ》り  |紅葉《もみぢ》の|様《やう》な|手《て》をふつて
ホヽヽヽヽと|笑《わら》ひ|出《だ》す  お|千代《ちよ》の|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて
|後《あと》|振返《ふりかへ》る|魔我彦《まがひこ》は  |真赤《まつか》な|顔《かほ》に|団栗《どんぐり》の
はぢけた|様《やう》な|目《め》を|剥《む》いて  |舌《した》を|噛《か》み|出《だ》し|腮《あご》しやくり
イヒヽヽヽヽ、イヒヽヽヽ  |勝手《かつて》な|熱《ねつ》を|吹《ふ》きよつて
しつぽり|泣《な》いたがよからうぞ  |之《これ》から|俺《おれ》は|蠑〓別《いもりわけ》
お|寅婆《とらば》さまの|前《まへ》に|出《で》て  |一伍一什《いちぶしじふ》を|物語《ものがた》り
|二人《ふたり》の|恋《こひ》を|何処《どこ》までも  |妨害《ばうがい》せなくちやおかないぞ
|覚《おぼ》えてゐよと|云《い》ひ|乍《なが》ら  お|千代《ちよ》を|睨《ね》めつけスタスタと
|館《やかた》をさして|帰《かへ》り|行《ゆ》く  お|千代《ちよ》は|又《また》もや|打笑《うちわら》ひ
『ホヽヽヽヽ|魔我彦《まがひこ》が  |曲《まが》つた|心《こころ》の|恋衣《こひごろも》
|今《いま》は|敢《あへ》なく|破《やぶ》れけり  |破《やぶ》れかぶれの|負惜《まけをし》み
|立派《りつぱ》な|夫《をつと》のある|人《ひと》を  |神《かみ》の|教《をしへ》にあり|乍《なが》ら
|女房《にようばう》にしようとは|何《なん》の|事《こと》  |横恋慕《よこれんぼ》も|程《ほど》がある
|枉《まが》の|憑《かか》つた|魔我彦《まがひこ》は  |恋《こひ》に|眼《まなこ》を|晦《くら》ませて
|善悪邪正《ぜんあくじやせい》の|大道《おほみち》を  |踏《ふ》み|外《はづ》したる|浅間《あさま》しさ
|父《ちち》と|母《はは》とは|昔《むかし》から  |天下《てんか》|晴《は》れての|夫婦仲《ふうふなか》
|誰《たれ》に|憚《はばか》る|事《こと》あろか  |笑《わら》へば|笑《わら》へ|誹《そし》るなら
|何程《いくら》なりとも|誹《そし》れかし  |私《わたし》と|云《い》ふものある|上《うへ》は
|仮令《たとへ》|蠑〓別《いもりわけ》さまが  |何《なん》と|云《い》はうとも|構《かま》やせぬ
ウラナイ|教《けう》のお|道《みち》から  |云《い》うても|父《ちち》はユラリ|彦《ひこ》
|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神《かみ》  |母《はは》の|命《みこと》は|上義姫《じやうぎひめ》
|誠《まこと》の|道《みち》から|云《い》うたなら  |戯《たは》けた|話《はなし》であるけれど
ウラナイ|教《けう》の|道《みち》として  |何《なん》とか|彼《か》とか|神《かみ》の|名《な》を
つけて|喜《よろこ》んで|居《ゐ》る|上《うへ》は  |仮令《たとへ》|松彦《まつひこ》|父上《ちちうへ》が
ユラリの|彦《ひこ》となりすまし  |母《はは》の|命《みこと》は|上義姫《じやうぎひめ》
|神《かみ》と|神《かみ》との|夫婦《ふうふ》ぢやと  |云《い》つた|処《ところ》で|何悪《なにわる》い
|蠑〓別《いもりわけ》もお|寅《とら》さまも  とつくに|承知《しようち》の|上《うへ》ぢやないか
|何程《なにほど》|魔我《まが》さまがゴテゴテと  |曲《まが》つて|来《こ》やうが|矢《や》も|楯《たて》も
|二人《ふたり》の|仲《なか》にたつものか  ホヽヽヽヽあた|可笑《をか》しい
|父《ちち》と|母《はは》との|久方《ひさかた》の  |睦言葉《むつみことば》を|外面《そとも》から
|立聞《たちぎ》きなして|妬《や》け|起《おこ》し  |悋気《りんき》の|焔《ほのほ》に|包《つつ》まれて
|外聞《ぐわいぶん》の|悪《わる》い|門口《かどぐち》で  カヽヽヽカツと|笑《わら》ひ|出《だ》す
|一丈《いちぢやう》|二尺《にしやく》の|褌《まはし》をば  |締《し》めた|男《をとこ》のすることか
|恥《はぢ》を|知《し》らぬも|程《ほど》がある  こんなお|方《かた》が|副教主《ふくけうしゆ》
|蠑〓別《いもりわけ》の|片腕《かたうで》と  なつて|厶《ござ》ると|思《おも》うたら
|仏壇《ぶつだん》の|底《そこ》めげぢやないけれど  |阿弥陀《あみだ》が|零《こぼ》れて|来《く》るぢやないか
オホヽヽヽヽオホヽヽヽ  |魔我彦《まがひこ》さまのスタイルは
|何《なん》と|仮令《たとへ》て|宜《よ》からうか  |溝《どぶ》に|落《お》ちたる|痩鼠《やせねずみ》
|雪隠《せんち》に|落《お》ちた|鶏《にはとり》が  |尾羽《をは》|打枯《うちか》らし|腰《こし》|曲《ま》げて
|犬《いぬ》の|遠吠《とほぼ》え|卑怯《ひけふ》にも  |笑《わら》つて|逃《に》げ|行《ゆ》く|浅間《あさま》しさ
オツトドツコイ|惟神《かむながら》  |神《かみ》のお|道《みち》にあり|乍《なが》ら
|腹立《はらだ》ち|紛《まぎ》れに|魔我彦《まがひこ》の  |知《し》らず|知《し》らずに|悪口《わるくち》を
|子供《こども》の|身《み》として|述《の》べ|立《た》てた  |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》  |道理《だうり》を|知《し》らぬ|年若《としわか》の
|娘《むすめ》の|云《い》つた|世迷言《よまひごと》  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|悪言暴語《あくげんばうご》の|罪科《つみとが》を  |何卒《なにとぞ》お|許《ゆる》し|下《くだ》さんせ
|父《ちち》と|母《はは》との|身《み》の|上《うへ》を  |思《おも》ひにあまつて|思《おも》はざる
|脱線《だつせん》|振《ぶ》りを|発揮《はつき》した  |乙女心《をとめごころ》を|憐《あは》れみて
|許《ゆる》させ|給《たま》へ|三五《あななひ》の  |皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に
|慎《つつし》み|敬《うやま》ひ|詫奉《わびまつ》る』
|松彦《まつひこ》『|千代子《ちよこ》は|外《そと》へ|出《で》たきり、|何《なん》だか|謡《うた》つてゐる|様《やう》だな。うつかりした|事《こと》を|云《い》つて|魔我彦《まがひこ》さまの|機嫌《きげん》を|損《そこな》つてはならないがな』
|松姫《まつひめ》『お|千代《ちよ》は|何分《なにぶん》|有名《いうめい》な|侠客《けふかく》に|育《そだ》てられ、|小《ちひ》さい|時《とき》からスレツからしに|育《そだ》て|上《あ》げられたものだから、|肝玉《きもだま》も|太《ふと》く、|年《とし》に|似合《にあ》はぬ|早熟《ませ》くさりで|随分《ずゐぶん》|偉《えら》い|事《こと》を|云《い》ひますよ。|時々《ときどき》|脱線《だつせん》|振《ぶ》りをやつて|蠑〓別《いもりわけ》さまや|魔我彦《まがひこ》さまをアフンとさせ、ヤンチヤ|娘《むすめ》の|名《な》を|擅《ほしいまま》にして|居《を》ります。それ|故《ゆゑ》|私《わたし》も|名乗《なの》つてやり|度《た》かつたなれど、|故意《わざ》とに|隠《かく》して|居《を》りました』
|松彦《まつひこ》『お|千代《ちよ》には|如何《どう》|云《い》ふ|機《はづみ》でお|前《まへ》は|会《あ》うたのだ』
|松姫《まつひめ》『あのお|寅《とら》さまが|連《つ》れて|来《き》たのですよ。|同《おな》じ|侠客《けふかく》|同志《どうし》で|心《こころ》|安《やす》かつたと|見《み》えて、|親《おや》も|兄弟《きやうだい》もない|娘《むすめ》だから、ここで|立派《りつぱ》に|育《そだ》て|上《あ》げ|度《た》いと|云《い》つて|親切《しんせつ》に|連《つ》れて|来《き》たのです。それから|私《わたし》が|様子《やうす》を|考《かんが》へて|居《を》れば|全《まつた》く|私《わたし》の|娘《むすめ》と|云《い》ふ|事《こと》が|分《わか》り、|矢《や》も|楯《たて》も|堪《たま》らず|嬉《うれ》しうなつて|来《き》ましたが、|今《いま》|名乗《なの》つては、あの|子《こ》の|為《た》めによくないと|思《おも》ひ、|今日《けふ》が|日《ひ》までも|隠《かく》して|居《を》りました。|本当《ほんたう》に|子供《こども》と|云《い》ふものは|教育《けういく》が|大切《たいせつ》ですな。|親《おや》のない|子《こ》が|泥棒《どろばう》になつたり、|大悪人《だいあくにん》になるのは|世間《せけん》に|沢山《たくさん》ある|習《なら》ひですから、これから|十分《じふぶん》に|気《き》をつけて|教育《けういく》をしてやらねばなりますまい。|十二《じふに》や|三《さん》で|婆《ばば》の|云《い》ふ|様《やう》な|事《こと》|云《い》ふのですから|困《こま》つて|了《しま》ひますわ』
|松彦《まつひこ》『さうだな。|子供《こども》は|教育《けういく》が|肝腎《かんじん》だ。|子供《こども》と|云《い》ふものは|模倣性《もはうせい》を|持《も》つてゐるから|見聞《みきき》した|事《こと》を|自分《じぶん》が|直《すぐ》に|実行《じつかう》したがるものだ。|子供《こども》は|親《おや》の|真似《まね》をして|遊《あそ》びたがるものなり、|大人《おとな》は|亦《また》|白《しろ》い|石《いし》や|黒《くろ》い|石《いし》を|並《なら》べて|子供《こども》の|真似《まね》をしたがるものだ。これもヤツパリ|因碁《いんごう》だらうよ。アハヽヽヽヽ』
|松姫《まつひめ》『|私《わたし》だつて、|貴郎《あなた》だつて|今《いま》こそ|神様《かみさま》のお|道《みち》に|仕《つか》へて|人《ひと》に|崇《あが》められて|先生顔《せんせいがほ》をして|居《を》りますが、あの|子《こ》の|出来《でき》た|時分《じぶん》は|随分《ずゐぶん》なつて|居《ゐ》ませぬでしたな。あの|時《とき》の|魂《たましひ》で|宿《やど》つた|子《こ》だもの、|碌《ろく》な|子《こ》が|生《うま》れさうな|事《こと》がありませぬわ。まだまア|不具《かたわ》に|生《うま》れて|来《こ》なんだのが、|神様《かみさま》のお|恵《めぐ》みですよ』
|松彦《まつひこ》『|然《しか》しお|千代《ちよ》は|何時《いつ》|迄《まで》も|外《そと》に|立《た》つて|魔我彦《まがひこ》だとか、|何《なん》とか|謡《うた》つてるぢやないか。|困《こま》つたものだな。どれお|千代《ちよ》を|呼《よ》んで|来《こ》う』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|松彦《まつひこ》は|立《た》つて|門口《かどぐち》の|戸《と》を|開《ひら》き|外《そと》を|覗《のぞ》き|込《こ》んだ。お|千代《ちよ》はイーンイーンをしたり、|目《め》を|剥《む》いたり|拳骨《げんこつ》を|固《かた》めて|何《なん》だか|人《ひと》の|頭《あたま》でも|殴《なぐ》る|様《やう》な|真似《まね》して、|空中《くうちう》を|殴《なぐ》つてゐる。
|松彦《まつひこ》『これこれお|千代《ちよ》、お|前《まへ》、そりや|何《なに》をして|居《ゐ》るのだい』
|千代《ちよ》『はい、これはこれは|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|大神様《おほかみさま》、|上義姫《じやうぎひめ》との|御再会《ごさいくわい》を|祝《しゆく》するため【きつく】|姫《ひめ》が|岩戸《いはと》の|外《そと》で|神楽《かぐら》を|奏《あ》げて|居《を》りますのよ。|何《なん》ぼ|娘《むすめ》だつて|御夫婦《ごふうふ》の|久《ひさ》し|振《ぶ》りの|御対面《ごたいめん》に|御邪魔《おじやま》になつては、ならないと|気《き》を|利《き》かして|居《を》りますのよ。|今《いま》の|中《うち》にお|母《か》アさまと、とつくり|泣《な》いたり|笑《わら》うたり、|力《ちから》|一杯《いつぱい》お|芝居《しばゐ》を|成《な》さいませ。お|父《とう》さまやお|母《かあ》さまのお|楽《たの》しみのお|邪魔《じやま》になつてはなりませぬからな』
|松彦《まつひこ》『|何《なん》と|呆《あき》れたお|転婆《てんば》だなア。これ、|千代《ちよ》サン、そんな|斟酌《しんしやく》は|要《い》らない、【とつと】と|入《はい》つておいで』
|千代《ちよ》『もう|暫《しばら》くここで|遊《あそ》ばして|下《くだ》さいな』
|松彦《まつひこ》『|遊《あそ》ぶのはいいが|魔我彦《まがひこ》が|何《ど》うだの|斯《か》うだのと|憎《にく》まれ|口《ぐち》を|叩《たた》いちやいけないよ』
|千代《ちよ》『だつてお|父《とう》さま|魔我彦《まがひこ》さまは|仕方《しかた》のない|男《をとこ》だもの。チツと|位《くらゐ》|恥《はぢ》をかかしてやらねば|後《のち》の|為《た》めになりませぬわ。|男《をとこ》の|癖《くせ》に|間《ま》がな|隙《すき》がな、お|母《か》アさまの|居間《ゐま》へやつて|来《き》て、|味噌《みそ》ばつかり|摺《す》るのですもの、|好《す》かぬたらしい。あたい|腹《はら》が|立《た》つて|堪《たま》らぬのよ。|今日《けふ》まで|辛抱《しんばう》して|居《を》つたのだけれど、お|父《とう》さまとお|母《かあ》さまが|分《わか》つたからは、もう|大丈夫《だいぢやうぶ》。|魔我彦《まがひこ》|位《ぐらゐ》が|何《なん》ぼ|束《そく》でやつて|来《き》ても|大丈夫《だいぢやうぶ》ですわ。|親《おや》の|光《ひかり》は|七里《ななさと》|光《ひか》ると|云《い》ふぢやありませぬか。|永《なが》い|間《あひだ》|親《おや》なしぢや|親《おや》なしぢやと|云《い》つて|軽蔑《けいべつ》され、|悔《くや》し|残念《ざんねん》を|今《いま》まで|耐《こば》つて|居《を》つたのですよ。|其《その》|中《なか》でも|魔我《まが》が|一番《いちばん》|私《わたし》を|軽蔑《けいべつ》したの。さうだから|日頃《ひごろ》の|鬱憤《うつぷん》が|破裂《はれつ》して|一人《ひとり》|口《くち》から|悪罵《あくば》が|破裂《はれつ》するのですもの。チツとは|云《い》はして|下《くだ》さいな。まだこれ|位《くらゐ》|云《い》つた|処《ところ》で|三番叟《さんばそう》ですわ』
|松彦《まつひこ》『お|前《まへ》の|心《こころ》になれば|無理《むり》も|無《な》からうが、そこを|辛抱《しんばう》するのが|神様《かみさま》の|道《みち》だ。さうズケズケと|云《い》ひたい|事《こと》を|云《い》つて|人《ひと》に|憎《にく》まれるものではない。|子供《こども》は|子供《こども》の|様《やう》にして|居《を》ればいいのだよ』
|千代《ちよ》『|魔我彦《まがひこ》に|憎《にく》まれたつて|構《かま》はぬぢやありませぬか。お|父《とう》さまとお|母《かあ》さまに|可愛《かあい》がつて|貰《もら》ひさへすれば|宜《よろ》しいわ、ねえ』
|松彦《まつひこ》『|兎《と》も|角《かく》お|母《かあ》さまが|待《ま》つてゐるからお|這入《はい》りなさい』
お|千代《ちよ》はニコニコとして|松彦《まつひこ》の|後《うしろ》に|従《したが》ひ|這入《はい》つて|来《き》た。
|松彦《まつひこ》『お|千代《ちよ》は|随分《ずゐぶん》スレツからしになつたものだ。|困《こま》つた|事《こと》だな』
|松姫《まつひめ》『|本当《ほんたう》に|困《こま》りますよ。これが|私《わたし》の|娘《むすめ》だと|大《おほ》きな|声《こゑ》では|云《い》はれないのですもの。|本当《ほんたう》に|困《こま》つちまいます。こんな|子《こ》が|成人《せいじん》したら|又《また》|博奕《ばくち》|打《う》ちの|親方《おやかた》にでもなりやせまいかと|思《おも》へば|末《すゑ》が|恐《おそ》ろしう|厶《ござ》いますわ』
|千代《ちよ》『お|母《かあ》さま、|私《わたし》|侠客《けふかく》になるつもりなのよ。|弱《よわ》きを|助《たす》け、|強《つよ》きを|挫《くじ》き、|大《おほ》きな|荒男《あらをとこ》を|頤《あご》で|使《つか》ひ|女王《ぢよわう》|気取《きど》りになり、|姐貴《あねき》|姐貴《あねき》と|称《たた》へられて|名《な》を|遠近《ゑんきん》に|轟《とどろ》かすのが|人生《じんせい》|第一《だいいち》の|望《のぞみ》ですわ。お|寅婆《とらば》アさまを|見《み》なさい。|侠客《けふかく》だつたお|蔭《かげ》で|蠑〓別《いもりわけ》さまのお|気《き》に|入《い》りになつて|居《ゐ》らつしやるぢやありませぬか』
|松姫《まつひめ》『これお|千代《ちよ》、お|前《まへ》はお|寅婆《とらば》アさまの|様《やう》になりたいのかい』
|千代《ちよ》『あたい、お|寅婆《とらば》アさまの|様《やう》な|中途半《ちうとはん》の|女侠客《をんなけふかく》は|嫌《きら》ひよ。|波斯《フサ》の|国《くに》、|月《つき》の|国《くに》きつての|大親分《おほおやぶん》にならうと|思《おも》つてゐるの』
|松彦《まつひこ》『|困《こま》つたな、|偉《えら》いものを|生《う》んだものだ。やつぱり|種子《たね》は|争《あらそ》はれぬものかいな』
|千代《ちよ》『ホヽヽヽヽ|茄子《なす》の|種子《たね》は|茄子《なす》、|瓜《うり》の|種《たね》を|蒔《ま》けば|瓜《うり》の|苗《なへ》が|生《は》えます。|私《わたし》はお|父《とう》さま、お|母《かあ》さまのヤンチヤ|身魂《みたま》から|此《この》|世《よ》に|生《うま》れ、|其《その》|上《うへ》|侠客《けふかく》の|手《て》に|育《そだ》てられたものだもの、|斯《こ》んな|心《こころ》になるのは|当然《あたりまへ》ですわ』
|松彦《まつひこ》『お|前《まへ》は|神様《かみさま》の|宣伝使《せんでんし》になるのが|宜《い》いか、|侠客《けふかく》になるのが|宜《よ》いか』
|千代《ちよ》『|神様《かみさま》の|宣伝使《せんでんし》なんて|気《き》が|利《き》かぬじやありませぬか。|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|婆嬶《ばばかか》や|時代《じだい》|遅《おく》れの|老爺《ぢい》さまや、|剛慾《がうよく》の|人間《にんげん》や、|盲《めくら》や|唖《おし》に、|不具《ふぐ》に|病身者《びやうしんもの》、|一人《ひとり》だつて|満足《まんぞく》のものが|神様《かみさま》の|処《ところ》へ|寄《よ》つて|来《き》ますか。たまたま|体《からだ》の|丈夫《ぢやうぶ》な|男女《だんぢよ》が|来《き》たと|思《おも》へば|精神上《せいしんじやう》に|欠陥《けつかん》のある|人間《にんげん》ばつかり、そんな|人《ひと》に|崇《あが》められたとて|何《なに》が|面白《おもしろ》う|厶《ござ》りませう。|理解《りかい》の|上《うへ》に|崇《あが》められたのなら|愉快《ゆくわい》ですが、|無理解者《むりかいもの》から|持《も》て|囃《はや》されたつて|何《なに》が|光栄《くわうえい》ですか。|本当《ほんたう》に|馬鹿《ばか》らしく|消《き》え|度《た》くなつて|了《しま》ひますわ。それよりも|侠客《けふかく》になつて|御覧《ごらん》なさい。|裸百貫《はだかひやくくわん》の|荒男《あらをとこ》、|霊肉《れいにく》ともに|欠陥《けつかん》のない、|男《をとこ》の|中《なか》の|男《をとこ》が|集《あつ》まつて|来《き》て|義《ぎ》に|勇《いさ》み、|誠《まこと》を|立《た》て、|悪人《あくにん》を|懲《こら》し、まるで|神様《かみさま》の|様《やう》な|慾《よく》のない、|宵越《よひご》しの|銭《ぜに》を|使《つか》はぬ|綺麗《きれい》|薩張《さつぱ》りした|人間《にんげん》ばかりに|姐貴々々《あねきあねき》とたてられて、|此《この》|世《よ》を|送《おく》るほど|愉快《ゆくわい》な|事《こと》がありますか。あたいは|何処迄《どこまで》も|女侠客《をんなけふかく》になるのが|望《のぞ》みです』
|松彦《まつひこ》『ハヽヽヽヽ|困《こま》つたな。|親《おや》は|宣伝使《せんでんし》、|子《こ》は|女侠客《をんなけふかく》、どうも|反《そり》が|合《あ》はぬ|様《やう》だ』
|千代《ちよ》『お|父《とう》さま、|大工《だいく》の|子《こ》は|大工《だいく》を|営《いとな》み、|医者《いしや》の|子《こ》は|何処迄《どこまで》も|医者《いしや》をやらねばならぬと|云《い》ふ|規則《きそく》はありますまい。|各自《めいめい》に|人間《にんげん》には、それ|相応《さうおう》の|天才《てんさい》があつて|凡《すべ》ての|事業《じげふ》に|適不適《てきふてき》があるものです。|自分《じぶん》の|天才《てんさい》を|十二分《じふにぶん》に|発揮《はつき》するのが|教育《けういく》の|精神《せいしん》でせう。|圧迫《あつぱく》|教育《けういく》を|施《ほどこ》して|児童《じどう》の|本能《ほんのう》を|傷《きず》つけ、|桝《ます》できり|揃《そろ》へた|様《やう》な|団栗《どんぐり》の|背競《せいくら》べの|様《やう》な|人間《にんげん》ばかり|作《つく》り|上《あ》げる|様《やう》な|現在《げんざい》の|教育《けういく》では|大人物《だいじんぶつ》は|出来《でき》ませぬぜ。|植物《しよくぶつ》だつて、|枝《えだ》を|曲《ま》げたり、|切《き》つたり、|針金《はりがね》で|括《くく》つたり、いろいろと|干渉《かんせう》|教育《けういく》を|施《ほどこ》すと、|床《とこ》の|間《ま》の|置物《おきもの》よりなりますまい。|山《やま》の|谷《たに》で|自由自在《じいうじざい》に|成育《せいいく》した|樹木《じゆもく》は|成人《せいじん》して|立派《りつぱ》な|柱《はしら》になりませう。さうだから|人間《にんげん》は|如何《どう》しても|天才《てんさい》を|完全《くわんぜん》に|発揮《はつき》させる|様《やう》に|教育《けういく》させなくては|駄目《だめ》ですわ』
|松彦《まつひこ》『|松姫《まつひめ》、お|前《まへ》の|云《い》つた|通《とほ》り、|何《なん》とまアこましやくれた|娘《むすめ》だな。|随分《ずゐぶん》|社会《しやくわい》|教育《けういく》を|受《う》けたと|見《み》えるな』
|松姫《まつひめ》『|到底《たうてい》|私《わたし》の|手《て》には|合《あ》はない|娘《むすめ》ですよ』
|松彦《まつひこ》『さうだな。いや|却《かへつ》て|干渉《かんせう》せない|方《はう》がよいかも|知《し》れない。|一六《いちろく》ものだ。|大変《たいへん》な|善人《ぜんにん》になるか、|悪人《あくにん》になるか、|先《さき》を|見《み》て|居《を》らねば|分《わか》るまい。|到底《たうてい》|親《おや》の|力《ちから》では|駄目《だめ》だ。|神様《かみさま》にお|任《まか》せするが|一等《いつとう》だ』
|千代《ちよ》『それが|所謂《いはゆる》|惟神教育《かむながらけういく》ですよ。|貴方《あなた》だつて、いつも|惟神《かむながら》|々々《かむながら》と|仰有《おつしや》るのですもの』
|松彦《まつひこ》『アハヽヽヽヽ』
|松姫《まつひめ》『オホヽヽヽヽ』
|千代《ちよ》『|惟神《かむながら》|神《かみ》に|任《まか》せば|自《おのづか》ら
|松《まつ》の|緑《みどり》は|千代《ちよ》に|栄《さか》ゑむ
|相生《あひおひ》の|松《まつ》の|下露《したつゆ》|日《ひ》を|受《う》けて
|生《は》え|出《い》でにけり|味良《あぢよ》き|茸《きのこ》は』
(大正一一・一二・一二 旧一〇・二四 北村隆光録)
第九章 |賞詞《しやうし》〔一一九九〕
|蛇《じや》は|寸《すん》にして|人《ひと》を|呑《の》み、|栴檀《せんだん》は|嫩芽《どんが》より|香《かん》ばしとは|宜《むべ》なるかな。
|十二《じふに》の|冬《ふゆ》を|迎《むか》へたる  |侠客《けふかく》|育《そだ》ちの|乙女子《をとめご》は
|修学院《しうがくゐん》の|小雀《こすずめ》が  |千代々々《ちよちよ》|囀《さへづ》る|蒙求《もうぎう》の
|聞《き》き|覚《おぼ》えたる|白浪《しらなみ》|言葉《ことば》  |今《いま》は|包《つつ》んで|云《い》はねども
どことはなしに|小《こ》ましやくれ  |此《この》|世《よ》の|風《かぜ》にもまれたる
|老人《らうじん》さへも|舌《した》を|巻《ま》く  |水《みづ》も|漏《も》らさぬ|言葉《ことば》つき
|末《すゑ》|頼《たの》もしく|又《また》|恐《おそ》ろしく  はかりかねてぞ|見《み》えにける
|八尋《やひろ》の|殿《との》に|詣《まう》でむと  お|千代《ちよ》は|父母《ふぼ》の|許《ゆる》し|得《え》て
ニコニコしながら|階段《きざはし》を  |気《き》もいそいそと|下《くだ》りゆく。
|後見送《あとみおく》りて|松彦《まつひこ》は  |妻《つま》|松姫《まつひめ》に|打《う》ち|向《むか》ひ
『|末《すゑ》|恐《おそ》ろしき|吾《わが》|娘《むすめ》  |如何《いか》なる|者《もの》となるぢややら
|体《からだ》は|生《う》みつけたればとて  |魂《たましひ》|計《ばか》りは|人《ひと》の|身《み》の
|力《ちから》に|生《うま》れしものでなし  |皆《みな》|天地《あめつち》の|神様《かみさま》の
|御息《みいき》をかためて|人《ひと》となり  |此《この》|世《よ》に|生《うま》れて|来《き》し|上《うへ》は
|神《かみ》のまにまに|成人《せいじん》し  |思《おも》ひの|儘《まま》に|魂《たましひ》の
|向《むか》ふ|処《ところ》に|進《すす》ましめ  |打《う》ち|遣《や》りおくに|如《し》くはなし
|性《しやう》にも|合《あ》はぬ|世《よ》の|中《なか》の  |業《わざ》を|習《なら》はせ|麗《うるは》しき
|柱《はしら》になさむと|焦《あせ》るとも  |魂《たましひ》|計《ばか》りは|人《ひと》の|身《み》の
|左右《さいう》し|得《う》べき|事《こと》ならず  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましまして  お|千代《ちよ》の|体《からたま》|霊《みたま》をば
|厚《あつ》く|守《まも》らせ|給《たま》ひつつ  |神《かみ》の|御《おん》|為《た》め|世《よ》のために
|太《ふと》しき|功績《いさを》を|現《あら》はして  |此《この》|世《よ》の|中《なか》の|熱《ねつ》となり
|光《ひかり》ともなり|塩《しほ》となり  |花《はな》ともなりて|世《よ》を|救《すく》ふ
|神《かみ》のみのりをたわたわに  |結《むす》ばせたまへ|惟神《かむながら》
|三五教《あななひけう》を|守《まも》ります  |皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に
|夫婦《めをと》|二人《ふたり》が|謹《つつし》んで  |畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|願《ね》ぎまつる
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |三千世界《さんぜんせかい》の|世《よ》の|中《なか》に
|子《こ》に|勝《まさ》りたる|宝《たから》なし  |況《ま》してや|愛《いと》しき|一人子《ひとりご》の
|行末《ゆくすゑ》|思《おも》ひ|煩《わづら》ふは  |親《おや》の|身《み》として|当然《たうぜん》よ
あゝ|松姫《まつひめ》よ|松姫《まつひめ》よ  |汝《なれ》と|吾《われ》とはひたすらに
|神《かみ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて  |吾《わが》|子《こ》の|事《こと》に|心《こころ》をば
|案《あん》じ|煩《わづら》ふ|事《こと》もなく  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|打《う》ちまかせ
|夫婦《ふうふ》の|息《いき》を|合《あは》せつつ  |世人《よびと》を|救《すく》ひ|守《まも》るべく
|心《こころ》の|限《かぎ》り|身《み》の|極《きは》み  |誠《まこと》|一《ひと》つを|立《た》て|通《とほ》し
|此《この》|世《よ》の|花《はな》と|謳《うた》はれて  |神《かみ》の|御名《おんな》を|世《よ》に|照《て》らし
|名《な》を|万世《ばんせい》に|照《て》らすべし  |思《おも》へば|思《おも》へば|有《あ》り|難《がた》や
|親子《おやこ》|夫婦《めをと》の|廻《めぐ》り|会《あ》ひ  |小北《こぎた》の|山《やま》に|曲神《まがかみ》が
|住《す》まうと|聞《き》きて|来《き》て|見《み》れば  |思《おも》ひも|寄《よ》らぬ|今日《けふ》の|首尾《しゆび》
|善悪不二《ぜんあくふじ》の|世《よ》の|様《さま》を  |今更《いまさら》|思《おも》ひ|悟《さと》りける
|醜神《しこがみ》|達《たち》に|囚《とら》はれし  |蠑〓別《いもりわけ》や|魔我彦《まがひこ》も
|神《かみ》の|御目《おんめ》に|見《み》たまへば  |吾等《われら》も|同《おな》じ|神《かみ》の|御子《みこ》
|愛憎《あいぞう》の|区別《くべつ》あるべきや  |人《ひと》の|身《み》として|同胞《はらから》を
|悪《にく》みつ|審判《さば》きつ|悪態《あしざま》に  |罵《ののし》り|合《あ》ふは|天界《てんかい》の
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御心《みこころ》を  |悩《なや》ましまつる|醜業《しこわざ》ぞ
いざこれからは|吾々《われわれ》は  |蠑〓別《いもりわけ》の|神柱《かむばしら》
|魔我彦《まがひこ》さまやお|寅《とら》さま  |其《その》|外《ほか》|百《もも》の|司《つかさ》|等《ら》に
|天地《てんち》の|道理《だうり》を|説《と》き|明《あか》し  |言葉《ことば》を|尽《つく》し|身《み》を|尽《つく》し
いと|穏《おだや》かに|正道《まさみち》を  |勧《すす》めて|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》に
|醜《しこ》の|御霊《みたま》を|救《すく》ひ|上《あ》げ  |助《たす》けにやならぬ|吾《わが》|使命《しめい》
|神《かみ》の|御稜威《みいづ》を|蒙《かうむ》りて  |心《こころ》|静《しづか》に|司《つかさ》|等《ら》に
|生言霊《いくことたま》の|神力《しんりき》を  |完全《うまら》に|委曲《つばら》に|味《あぢ》はせつ
|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|御教《みをしへ》に  |仕《つか》へまつらむ|吾《わが》|心《こころ》
|諾《うべな》ひたまへ|天地《あめつち》の  |畏《かしこ》き|神《かみ》の|御前《おんまへ》に
|謹《つつし》み|敬《うやま》ひ|願《ね》ぎまつる  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祈《いの》つて|居《ゐ》るのは|松彦《まつひこ》である。お|千代《ちよ》は|階段《きざはし》を|下《くだ》りながら|又《また》もや|歌《うた》ひ|出《だ》したり。
『|常磐堅磐《ときはかきは》に|限《かぎ》りなく  |栄《さか》ゆる|松《まつ》の|松彦《まつひこ》や
|緑《みどり》したたる|松姫《まつひめ》の  |仲《なか》に|生《うま》れた|千代《ちよ》の|松《まつ》
ライオン|川《がは》の|川《かは》の|辺《べ》に  |生《う》み|落《おと》されて|産声《うぶごゑ》を
|上《あ》げたる|事《こと》のゆかしさよ  |獣《けもの》の|中《なか》の|王《わう》と|云《い》ふ
|獅子《しし》の|名《な》を|負《お》ふ|川《かは》の|辺《べ》で  |産声《うぶごゑ》あげしも|神様《かみさま》の
|深《ふか》い|仕組《しぐみ》があるのだらう  |仮令《たとへ》|何《いづ》れの|道《みち》にせよ
|頭《かしら》となつて|世《よ》の|中《なか》に  |心《こころ》の|光《ひかり》を|照《て》らしつつ
|普《あまね》く|世人《よびと》を|救《すく》ふべし  |人《ひと》には|百《もも》の|業《わざ》あれど
いとも|尊《たふと》き|神業《しんげふ》は  |憂瀬《うきせ》に|落《お》ちて|苦《くる》しめる
|憐《あは》れな|人《ひと》や|鳥《とり》|獣《けもの》  |救《すく》ふに|勝《まさ》りし|事《こと》はなし
|今《いま》|父母《ちちはは》の|御前《おんまへ》で  |白浪女《しらなみをんな》になり|度《た》いと
|答《こた》へて|父《ちち》の|御心《みこころ》を  |探《さぐ》つて|見《み》れば|有難《ありがた》や
|汝《なれ》が|心《こころ》の|向《むか》ふまに  |此《この》|世《よ》を|渡《わた》れと|嬉《うれ》しくも
|宣《の》らせ|玉《たま》ひし|言《こと》の|葉《は》に  |情《なさけ》の|雨《あめ》は|降《ふ》りしきり
|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|吾《わが》|袖《そで》は  |絞《しぼ》るが|如《ごと》くなりにけり
|斯《かく》も|開《ひら》けた|父母《ちちはは》の  |仲《なか》に|生《うま》れし|吾《われ》こそは
|三千世界《さんぜんせかい》の|世《よ》の|中《なか》に  いと|勝《すぐ》れたる|幸福者《かうふくしや》
|神《かみ》の|恵《めぐみ》と|父《ちち》の|恩《おん》  |如何《いか》でか|忘《わす》れむ|千代《ちよ》|八千代《やちよ》
ミロクの|御代《みよ》の|末《すゑ》|迄《まで》も  |山《やま》より|高《たか》く|海《うみ》よりも
|深《ふか》き|恵《めぐみ》を|嬉《うれ》しみて  |神《かみ》と|親《おや》とによく|仕《つか》へ
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》の  |御旨《みむね》に|叶《かな》ひまつるべく
|願《ねが》ふ|心《こころ》を|些細《まつぶさ》に  |諾《うべ》なひたまへ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ  |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  |星《ほし》は|空《そら》より|落《お》つるとも
|曲《まが》に|心《こころ》を|曇《くも》らさぬ  |吾《わが》|魂《たましひ》は|永久《とこしへ》に
|松《まつ》の|梢《こずゑ》に|宿《やど》る|月《つき》  |千代《ちよ》の|齢《よはひ》の|鶴《つる》|巣《す》くふ
|気高《けだか》き|姿《すがた》を|神《かみ》の|前《まへ》  |父《ちち》と|母《はは》との|御前《おんまへ》に
|照《て》らしまつらむ|惟神《かむながら》  |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
と|歌《うた》ひながら|下《くだ》つてゆく。|松彦《まつひこ》|松姫《まつひめ》は|窓《まど》の|中《なか》より|涼《すず》しき|此《この》|歌《うた》を|聞《き》いて|初《はじ》めて|娘《むすめ》の|本心《ほんしん》を|悟《さと》り、|夫婦《ふうふ》は|互《たがひ》に|顔《かほ》|見合《みあ》はせ|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|暮《く》れて|居《ゐ》る。
|松彦《まつひこ》『|思《おも》ひきや|気儘《きまま》な|娘《むすめ》と|思《おも》ひしに
|悟《さと》りけるかな|誠心《まことごころ》を』
|松姫《まつひめ》『|皇神《すめかみ》の|恵《めぐみ》の|露《つゆ》の|霑《うるほ》ひて
|松《まつ》の|緑《みどり》も|栄《さか》え|行《ゆ》くらむ』
|松彦《まつひこ》『|相生《あひおひ》の|松《まつ》の|生《う》みてし|御子《みこ》ならば
|千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|栄《さか》えますらむ』
|松姫《まつひめ》『|小北山《こぎたやま》|尾上《をのへ》に|栄《さか》ゆる|常磐木《ときはぎ》は
|朝日《あさひ》をうけて|色《いろ》|勝《まさ》りゆく』
|松彦《まつひこ》『|松《まつ》が|枝《え》に|千代《ちよ》の|真鶴《まなづる》|巣《す》をくみて
|八千代《やちよ》の|春《はる》を|祝《いは》ふめでたさ』
|松姫《まつひめ》『|天地《あめつち》の|恵《めぐみ》の|露《つゆ》を|浴《あ》びながら
|風《かぜ》にたわまず|水《みづ》におぼれず』
|松彦《まつひこ》『|雨《あめ》に|濡《ぬ》れ|風《かぜ》に|吹《ふ》かれて|常磐木《ときはぎ》の
|色《いろ》|優《まさ》りゆく|千代《ちよ》の|松《まつ》が|枝《え》』
|松姫《まつひめ》『|妹《いも》と|背《せ》の|吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》に|相生《あひおひ》の
|月日《つきひ》|重《かさ》ねて|松姫《まつひめ》の|胸《むね》。
|吾《わが》|子《こ》よと|名乗《なの》りもあげず|小北山《こぎたやま》
|峰《みね》の|嵐《あらし》にまかせ|居《ゐ》しかな。
さりながらどことはなしに|可憐子《いとしご》の
|胸《むね》にうつるか|吾《われ》を|慕《した》ひし』
|松彦《まつひこ》『|垂乳根《たらちね》の|父《ちち》と|母《はは》とに|廻《めぐ》り|会《あ》ひ
|心《こころ》いそいそ|笑《ゑ》み|栄《さか》えける。
|栄《さか》え|往《ゆ》くまつの|神代《かみよ》は|千代《ちよ》|八千代《やちよ》
|恵《めぐみ》の|風《かぜ》に|靡《なび》く|百草《ももぐさ》。
|魔我彦《まがひこ》の|司《つかさ》にいつも|親《おや》なしと
|揶揄《からかは》れたる|子《こ》ぞ|可憐《いぢ》らしき。
|年月《としつき》を|忍《しの》び|耐《こら》へし|胸《むね》の|中《うち》
|破《やぶ》れて|魔我《まが》の|言霊《ことたま》をのりし。
|千代子《ちよこ》とて|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|心《こころ》をば
|父《ちち》と|母《はは》とにうつしゐたれば。
|父母《ちちはは》の|行衛《ゆくゑ》を|求《もと》め|迷《まよ》ふ|子《こ》の
|心《こころ》の|奥《おく》ぞ|哀《あは》れなりけり』
|松姫《まつひめ》『|名乗《なの》らむと|思《おも》ひし|事《こと》も|幾度《いくたび》か
あれど|後先《あとさき》|思《おも》ひ|浮《うか》べて。
|年《とし》に|似《に》ぬ|賢《さか》しき|娘《むすめ》の|成《な》す|業《わざ》を
|見《み》る|度《たび》ごとに|心《こころ》|迷《まよ》ひぬ』
|松彦《まつひこ》『|頑是《ぐわんぜ》なき|乙女《をとめ》なれども|神《かみ》|思《おも》ひ
|親《おや》を|思《おも》へる|心《こころ》めでたき。
|魔我彦《まがひこ》の|醜《しこ》の|罵《ののし》り|耐《た》へ|忍《しの》び
|来《きた》りたるこそ|雄々《をを》しかりけり。
|吾《わが》|子《こ》をば|褒《ほ》めるは|馬鹿《ばか》の|骨頂《こつちやう》と
|人《ひと》は|云《い》へども|褒《ほ》めたくぞなる』
|松姫《まつひめ》『|一粒《ひとつぶ》の|種《たね》と|思《おも》へば|殊更《ことさら》に
いとなつかしく|愛《あい》らしきかな。
|両親《ふたおや》の|此《この》|歌《うた》ごとを|聞《き》くならば
|笑《ゑ》み|栄《さか》えなむ|千代《ちよ》の|心《こころ》は。
|親《おや》となり|子《こ》と|生《うま》るるも|先《さき》の|世《よ》の
|奇《くし》きゆかりのあるものと|知《し》る。
|天地《あめつち》の|神《かみ》の|御子《おんこ》を|預《あづか》りて
|育《そだ》て|参《まゐ》らす|事《こと》ぞ|楽《たの》しき。
|吾《わ》が|生《う》みし|子《こ》にしあれども|天地《あめつち》の
|霊《たま》の|籠《こも》りし|珍《うづ》の|生宮《いきみや》』
|松姫《まつひめ》『|小北《こぎた》の|山《やま》の|松風《まつかぜ》は  いと|穏《おだや》かに|吹《ふ》き|起《おこ》り
フサの|御国《みくに》は|云《い》ふも|更《さら》  |月《つき》の|国《くに》をば|隅《くま》もなく
|恵《めぐみ》の|雨《あめ》を|送《おく》りゆく  さはさりながら|産土《うぶすな》の
|神《かみ》とあれます|神柱《かむばしら》  |皇大神《すめおほかみ》の|御息《おんいき》を
|送《おく》らせたまふ|御《おん》ためぞ  |高姫司《たかひめつかさ》の|開《ひら》きたる
これの|教《をしへ》はさかしけど  |怪《あや》しき|枝葉《えだは》を|切《き》り|棄《す》てて
|若芽《わかめ》をはやし|新鮮《しんせん》の  |空気《くうき》を|吸《す》ひて|永久《とこしへ》の
|春《はる》の|陽気《やうき》にまかせなば  |再《ふたた》び|開《ひら》く|春《はる》の|花《はな》
|珍《うづ》の|聖場《せいぢやう》となりぬべし  |蠑〓別《いもりわけ》や|魔我彦《まがひこ》の
|心《こころ》に|潜《ひそ》む|曲神《まがかみ》の  |厳《いづ》の|言霊《ことたま》|打《う》ち|出《いだ》し
|夫婦《ふうふ》|心《こころ》を|合《あは》せつつ  |末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神《かみ》
|上義《じやうぎ》の|姫《ひめ》の|名《な》をかつて  |誠《まこと》の|教《をしへ》を|説《と》き|諭《さと》し
これの|霊《みたま》を|天国《てんごく》に  |堅磐常磐《かきはときは》に|救《すく》ひ|上《あ》げ
|生《い》きては|此《この》|世《よ》の|神《かみ》となり  |霊主体従《れいしゆたいじう》の|正業《まさわざ》を
|豊葦原《とよあしはら》の|国中《くにぢう》に  |宣伝《せんでん》せしめ|三五《あななひ》の
|御稜威《みいづ》を|四方《よも》に|輝《かがや》かし  |此《この》|地《ち》の|上《うへ》に|天国《てんごく》を
|立《た》てずばおかじ|惟神《かむながら》  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|相生《あひおひ》の
|松《まつ》の|夫婦《ふうふ》が|謹《つつし》みて  |千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|願《ね》ぎまつる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
(大正一一・一二・一二 旧一〇・二四 加藤明子録)
第三篇 |裏名異審判《うらないしんぱん》
第一〇章 |棚卸志《たなおろし》〔一二〇〇〕
|恋《こひ》に|破《やぶ》れし|魔我彦《まがひこ》は  |曲《まが》つた|腰《こし》をピヨコピヨコと
|前後左右《ぜんごさいう》に|振《ふ》り|乍《なが》ら  |右手《めて》にて|額《ひたひ》を|打叩《うちたた》き
|左手《ゆんで》の|手《て》のひら|上《うへ》に|向《む》け  |乞食《こじき》が|物《もの》を|貰《もら》うよな
|其《その》|腰付《こしつき》も|面白《おもしろ》く  |腹立《はらだ》たしさと|阿呆《あはう》らしさ
お|千代《ちよ》の|小女郎《こめらう》に|笑《わら》はれて  |己《おのれ》クソとは|思《おも》へ|共《ども》
|子供《こども》|上《あが》りの|女《をんな》をば  |相手《あひて》にするのも|気《き》が|利《き》かぬ
|大人気《おとなげ》ないと|笑《わら》はれちや  |魔我彦司《まがひこつかさ》の|男《をとこ》ぶり
|箔《はく》がサツパリ|剥《はげ》るだろ  |勘忍《かんにん》するのは|無事長久《ぶじちやうきう》
|怒《いか》るは|自滅《じめつ》を|招《まね》くぞと  |蠑〓別《いもりわけ》さまが|仰有《おつしや》つた
|俺《おれ》も|男《をとこ》ぢや|腹帯《はらおび》を  |確《しつか》り|締《し》めてきばらうか
イヤ|待《ま》て|暫《しば》しまて|暫《しば》し  |善《ぜん》と|悪《あく》との|境目《さかひめ》だ
|腹《はら》の|虫《むし》|奴《め》がムクムクと  おこれおこれと|教唆《けうさ》する
|此《この》|仲裁《ちうさい》は|中々《なかなか》に  お|寅婆《とらば》アさまの|侠客《けふかく》も
|一寸《ちよつと》|容易《ようい》に|治《をさ》まらぬ  あゝ|是非《ぜひ》もない|是非《ぜひ》もない
|善《ぜん》と|悪《あく》とのまん|中《なか》を  |進《すす》んで|行《ゆ》かうかオヽさうぢや
それなら|虫《むし》がチと|計《ばか》り  |得心《とくしん》|致《いた》すに|違《ちがひ》ない
なぞと|小声《こごゑ》に|囁《ささや》きつ  |畳《たたみ》けちらし|棕櫚箒《しゆろばうき》
|足《あし》に|引《ひつ》かけエヽ|邪魔《じやま》な  |俺《おれ》の|進路《しんろ》を|妨《さまた》げる
|恋《こひ》ふき|払《はら》ふ|此《この》|箒《はうき》  |頼《たの》みもせぬに|横《よこ》たはり
|箒《はうき》に|箒《はうき》に|憚《はばか》りさま  |俺《おれ》には|俺《おれ》の|覚悟《かくご》ある
|松姫《まつひめ》|計《ばか》りが|世《よ》の|中《なか》に  |決《けつ》して|女《をんな》ぢやあらうまい
|此《この》|神殿《しんでん》に|集《あつ》まつた  |老若男女《らうにやくなんによ》の|其《その》|中《なか》に
|俺《おれ》の|眼《まなこ》に|叶《かな》ひたる  ナイスが|居《を》るかも|分《わか》らない
|首実検《くびじつけん》と|囁《ささや》きつ  |演壇《えんだん》めがけてスタスタと
|息《いき》をはづませ|駆上《かけのぼ》り  エヘンとすました|咳払《せきばら》ひ
コツプの|湯《ゆ》をばグツと|呑《の》み  |片手《かたて》に|白扇《はくせん》ひン|握《にぎ》り
|卓《たく》を|二三度《にさんど》|叩《たた》きつつ  |一統《いつとう》の|信者《しんじや》を|打《うち》ながめ
|眼《まなこ》を|光《ひか》らす|折《をり》もあれ  |後《うしろ》の|方《かた》に|扣《ひか》えたる
|二八余《にはちあま》りの|優姿《やさすがた》  |一寸《ちよつと》|美《うる》はしう|見《み》えてゐる
|女《をんな》に|視線《しせん》を|集注《しふちう》し  |首《くび》をかたげて|打《うち》まもる
|其《その》スタイルは|夏《なつ》の|蛇《へび》  |蛙《かはづ》を|狙《ねら》ふ|如《ごと》くなり
|異様《いやう》の|姿《すがた》に|一同《いちどう》は  |合点《がてん》|行《ゆ》かずと|打仰《うちあふ》ぎ
|思《おも》はず|視線《しせん》は|魔我彦《まがひこ》に  |一度《いちど》にドツと|集注《しふちう》し
|面《おもて》をてらし|迫《せま》れ|共《ども》  |以前《いぜん》のナイスは|何故《なにゆゑ》か
|顔《かほ》をかくしてうづくまり  |根《ね》つから|視線《しせん》を|魔我彦《まがひこ》に
|向《む》けよとせないもどかしさ  |又《また》もやエヘンと|咳払《せきばらひ》
コツプの|湯《ゆ》をばグツと|呑《の》み  |講談師《かうだんし》|気取《きどり》で|扇《あふぎ》にて
パチパチ|卓《たく》を|打《う》ち|乍《なが》ら  |皆《みな》さま|能《よ》うこそ|御参詣《ごさんけい》
ウラナイ|教《けう》の|神様《かみさま》の  |血縁《けつえん》|深《ふか》き|方々《かたがた》よ
|此《この》|魔我彦《まがひこ》が|説教《せつけう》を  |謹《つつし》みお|聞《き》き|遊《あそ》ばせよ
|同《おな》じ|一堂《いちだう》に|集《あつ》まつて  |尊《たふと》き|神《かみ》の|御教《みをしへ》を
|説《と》かして|頂《いただ》く|魔我彦《まがひこ》も  |又《また》|聞《き》きなさる|皆《みな》さまも
|仁慈《じんじ》の|神《かみ》の|引合《ひきあは》せ  |深《ふか》い|御縁《ごえん》があらばこそ
|同《おな》じ|時代《じだい》に|生《うま》れ|来《き》て  |同《おな》じ|地上《ちじやう》に|住《す》み|乍《なが》ら
|血縁《けつえん》なくば|一言《ひとこと》も  |尊《たふと》き|神《かみ》の|御教《みをしへ》が
|聞《き》かれず|一生《いつしやう》|送《おく》るもの  |何程《なにほど》あるか|知《し》れませぬ
|之《これ》を|思《おも》へば|皆《みな》さまは  |私《わたし》と|共《とも》に|神様《かみさま》の
|御霊《みたま》の|因縁《いんねん》|性来《しやうらい》で  |集《あつ》まり|来《き》たのに|違《ちがひ》ない
|一樹《いちじゆ》の|蔭《かげ》の|雨《あめ》やどり  |一河《いちが》の|流《なが》れを|汲《く》むさへも
|深《ふか》いえにしと|聞《き》きまする  |大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|神様《かみさま》の
|集《あつ》まり|玉《たま》ふ|聖場《せいぢやう》で  げに|暖《あたたか》き|御恵《おんめぐ》み
ピヨピヨピヨと|雛鳥《ひなどり》が  |親《おや》の|羽《は》がひにつつまれて
|一蓮托生《いちれんたくしやう》|勇《いさ》み|立《た》ち  |生育《せいいく》するよな|有難《ありがた》き
|皆《みな》さま|御恩《ごおん》を|忘《わす》れずに  |信《しん》と|愛《あい》との|正道《まさみち》を
お|尽《つく》しなされ|神様《かみさま》は  |必《かなら》ず|吾等《われら》の|霊《みたま》をば
|愛《あい》して|救《すく》ひ|玉《たま》ふべし  |夫婦《めをと》の|道《みち》も|其《その》|通《とほ》り
|因縁《いんねん》なくては|何《ど》うしても  |神《かみ》の|生宮《いきみや》|造《つく》り|出《だ》す
|尊《たふと》き|神業《しんげふ》|出来《でき》ませぬ  |此《この》|魔我彦《まがひこ》も|独身者《ひとりもの》
|未《ま》だ|女房《にようばう》はなけれ|共《ども》  いよいよ|時節《じせつ》が|到来《たうらい》し
|妹《いも》となるべき|御信者《ごしんじや》が  ここにも|一人《ひとり》|現《あら》はれた
|好《す》きでも|厭《いや》でも|神様《かみさま》が  お|定《き》めなさつた|縁《えん》ならば
|決《けつ》して|反《そむ》きは|出来《でき》ませぬ  |皆《みな》さまそこを|合点《がてん》して
|今《いま》|魔我彦《まがひこ》が|引《ひき》はなす  |白羽《しらは》の|征矢《そや》が|立《た》つた|人《ひと》
|否応《いやおう》なしに|神様《かみさま》の  |其《その》|御心《みこころ》に|服従《ふくじゆう》し
|信《しん》と|愛《あい》とを|完全《くわんぜん》に  お|守《まも》りなされ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|命令《めいれい》を|畏《かしこ》みて  |一同《いちどう》の|方《かた》に|気《き》を|付《つ》ける
|私《わたし》の|妻《つま》となる|人《ひと》は  どうやら|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれて
|恥《はづ》かし|相《さう》に|顔《かほ》そむけ  |思案《しあん》にくれて|居《を》られます
これこれモウシそこの|人《ひと》  |神《かみ》の|道《みち》をば|守《まも》るなら
|何《なん》の|遠慮《ゑんりよ》がいるものか  |決《けつ》して|恥《はづか》しことはない
ウラナイ|教《けう》の|副教主《ふくけうしゆ》  |魔我彦司《まがひこつかさ》の|奥《おく》さまと
なつて|数多《あまた》の|信者《しんじや》をば  |天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|誘《さそ》ひ|上《あ》げ
|救《すく》ひ|助《たす》くる|正業《まさわざ》に  |夫婦《ふうふ》|並《なら》びて|仕《つか》ふるは
|天下《てんか》に|此上《こよ》なき|光栄《くわうえい》ぞ  |人《ひと》は|決心《けつしん》が|第一《だいいち》だ
|世間《せけん》の|人《ひと》に|胡魔《ごま》かされ  |神《かみ》の|結《むす》んだ|縁《えにし》をば
むげにするよな|事《こと》あらば  |其《その》|御方《おんかた》は|一生《いつしやう》の|間《あひだ》
|鰥寡《くわんくわ》|孤独《こどく》の|境遇《きやうぐう》に  |泣《な》かねばならぬ|神《かみ》の|罰《ばつ》
ここの|道理《だうり》を|汲《く》み|分《わ》けて  |魔我彦司《まがひこつかさ》の|云《い》ふ|事《こと》を
どなたに|限《かぎ》らず|喜《よろこ》んで  お|受《う》けなさるが|神様《かみさま》に
|対《たい》して|孝行《かうかう》といふものだ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》に|誓《ちか》ひて|魔我彦《まがひこ》が  |誠《まこと》の|道《みち》を|伝《つた》へおく
|私《わたし》は|之《これ》から|降壇《かうだん》し  |次《つぎ》のお|先生《せんせい》はお|寅《とら》さま
|尊《たふと》き|話《はなし》をトツクリと  |聞《き》いてドツサリ|神徳《しんとく》を
|頂《いただ》きなされや|皆《みな》の|人《ひと》  なぞと|口《くち》から|出放題《ではうだい》
|恋《こひ》の|野望《やばう》を|達《たつ》せむと  |神《かみ》を|松魚節《かつぶし》に|引出《ひきだ》して
|説《と》きまくるこそづうづうしけれ。
|蠑〓別《いもりわけ》と|奥《おく》の|間《ま》で  |犬《いぬ》さへ|喰《く》はぬ|痴話喧嘩《ちわげんくわ》
|心《こころ》ゆくまで|意茶《いちや》ついて  |腕《かひな》を|抓《つめ》る|鼻《はな》ねぢる
ドスンと|倒《たふ》れて|目《め》をまはす  |前代《ぜんだい》|未聞《みもん》の|大珍事《だいちんじ》
|乱痴気《らんちき》|騒《さわ》ぎをやり|乍《なが》ら  そ|知《し》らぬ|顔《かほ》をよそほひつ
|衣服《いふく》を|着飾《きかざ》り|襟《えり》|正《ただ》し  |神官扇《しんくわんあふぎ》を|右手《めて》に|持《も》ち
|紫袴《むらさきばかま》をバサバサと  |音《おと》させ|乍《なが》ら|広前《ひろまへ》を
|臭《くさ》い|顔《かほ》して|悠々《いういう》と  |進《すす》み|来《く》るのはウラナイの
|第一番《だいいちばん》の|熱心者《ねつしんじや》  |内事《ないじ》の|司《つかさ》と|選《えら》まれし
|艮婆《うしとらば》サンの|御登壇《ごとうだん》  お|寅《とら》は|悠々《いういう》|壇上《だんじやう》に
つつ|立《た》ち|眼下《がんか》の|群集《ぐんしふ》を  |隅《すみ》から|隅《すみ》|迄《まで》|見《み》まはして
オホンと|一声《ひとこゑ》|咳払《せきばらひ》  |錫《すず》の|瓶《びん》から|水《みづ》をつぎ
|左手《ゆんで》にコツプをひつつかみ  グツと|一口《ひとくち》|呑《の》みほして
|今度《こんど》はエヘンと|咳払《せきばらひ》  お|寅《とら》は|口《くち》をあけて|云《い》ふ
|皆《みな》さま|能《よ》うこそ|御参詣《ごさんけい》  さぞ|神様《かみさま》もお|喜《よろこ》び
|遊《あそ》ばしまして|御神徳《ごしんとく》  ドツサリ|渡《わた》してくれませう
|蠑〓別《いもりわけ》の|教祖《けうそ》さま  |登壇《とうだん》|遊《あそ》ばすとこなれど
|神界《しんかい》|御用《ごよう》が|御多忙《ごたばう》で  |数多《あまた》の|神《かみ》の|御入来《ごにふらい》
お|酒《さけ》の|接待《せつたい》|忙《いそが》しく  あつちや|向《む》いてこつちや|向《む》くひまもない
さうだと|申《まを》して|神様《かみさま》の  |定《さだ》めおかれた|説教日《せつけうび》
|欠席《けつせき》するのも|如何《いかが》なり  お|寅《とら》よお|前《まへ》は|御苦労《ごくらう》だが
|私《わたし》に|代《かは》つて|一席《いつせき》の  |尊《たふと》き|神《かみ》のお|話《はなし》を
|一同《いちどう》|様《さま》にねもごろに  |聞《き》かしてくれよと|御託宣《ごたくせん》
|否《いな》むに|由《よし》なく|此《この》|婆《ばば》も  |無調法者《ぶてうはふもの》とは|知《し》り|乍《なが》ら
|何《なに》を|言《い》うても|神柱《かむばしら》  |蠑〓別《いもりわけ》の|御命令《ごめいれい》
お|受《う》け|申《まを》して|今《いま》ここに  |登壇《とうだん》したよな|次第《しだい》です
|抑《そもそ》も|神《かみ》の|御道《おんみち》を  |信仰《しんかう》するのは|人間《にんげん》の
|僅《わづか》|百年《ひやくねん》|二百年《にひやくねん》  |三百年《さんびやくねん》の|生命《せいめい》を
|安全《あんぜん》|無事《ぶじ》に|暮《くら》さうと  するよな|小《ちひ》さいことでない
|万劫末代《まんごふまつだい》|生《い》き|通《とほ》し  |夜《よる》なく|冬《ふゆ》なき|天界《てんかい》の
|神《かみ》のまします|霊《れい》の|国《くに》  |天人《てんにん》|共《ども》が|永久《とことは》に
|不老《ふらう》と|不死《ふし》を|楽《たの》しんで  |栄《さか》えて|暮《くら》す|天国《てんごく》へ
|此《この》|世《よ》を|去《さ》つた|其《その》|後《のち》は  |直《ただち》に|救《すく》はれ|導《みちび》かれ
|五風十雨《ごふうじふう》の|序《ついで》よく  |風《かぜ》は|自然《しぜん》の|音楽《おんがく》を
|無限《むげん》に|奏《かな》で|山《やま》や|野《の》の  |草木《くさき》は|自然《しぜん》の|舞踏《ぶたふ》をば
|楽《たの》しみくらすパラダイス  |其《その》|天国《てんごく》に|救《すく》はれて
|千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|永久《とこしへ》に  |時間《じかん》|空間《くうかん》|超越《てうゑつ》し
|限《かぎ》りも|知《し》らぬ|楽《たのし》みを  |受《う》くるが|為《ため》の|信仰《しんかう》ぞや
|蠑〓別《いもりわけ》の|教祖《けうそ》は  |高天原《たかあまはら》の|霊国《れいごく》の
|神《かみ》の|遣《つか》はせしエンゼルよ  |此《この》エンゼルの|言《こと》の|葉《は》は
|此《この》|世《よ》を|造《つく》り|玉《たま》ひたる  |誠《まこと》の|神《かみ》のぢきぢきの
|其《その》お|言葉《ことば》も|同《おな》じこと  |必《かなら》ず|疑《うたが》ひ|遊《あそ》ばすな
|智慧《ちゑ》なき|人《ひと》の|身《み》を|以《もつ》て  |尊《たふと》き|神《かみ》の|言《こと》の|葉《は》を
|審判《さばき》するこた|出来《でき》ませぬ  |仮令《たとへ》|蠑〓別《いもりわけ》さまが
|山逆《やまさか》さまに|登《のぼ》れよと  |無理《むり》なことをば|云《い》はれても
|決《けつ》して|反《そむ》いちやなりませぬ  |只《ただ》|何事《なにごと》も|信仰《しんかう》が
|最第一《さいだいいち》の|助《たす》け|船《ぶね》  |此《この》|世《よ》の|泥《どろ》に|漂《ただよ》へる
|賤《いや》しき|吾々《われわれ》|人間《にんげん》は  |何《なん》と|云《い》つても|神様《かみさま》の
|救《すく》ひの|御手《みて》に|助《たす》けられ  |一寸先《いつすんさき》の|見《み》えわかぬ
|夢《ゆめ》のうき|世《よ》を|安々《やすやす》と  |渡《わた》り|行《ゆ》くのがウラナイの
|神《かみ》の|信徒《しんと》の|務《つと》めです  どうぞ|皆《みな》さま|此《この》|婆《ばば》の
|今《いま》|云《い》ふことを|疑《うたが》はず  |神《かみ》の|教《をしへ》を|喜《よろこ》んで
|此《この》|世《よ》に|生《い》きて|御子《みこ》を|生《う》み  |又《また》|天国《てんごく》に|昇《のぼ》りては
|常世《とこよ》の|春《はる》の|栄《さか》えをば  |楽《たの》しむやうに|信仰《しんかう》を
|強《つよ》くお|励《はげ》みなされませ  |不束者《ふつつかもの》が|現《あら》はれて
|訳《わけ》の|分《わか》つた|皆《みな》さまに  |脱線《だつせん》だらけの|説教《せつけう》を
|申上《まをしあ》げたはすまないが  |心《こころ》をひそめ|胸《むね》に|手《て》を
あてて|考《かんが》へなさるなら  どこか|取《と》るべき|所《とこ》がある
|老婆《らうば》の|話《はなし》と|卻《しりぞ》けず  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|大神徳《だいしんとく》を|身《み》と|魂《たま》に  |十分《じふぶん》お|受《う》けなされませ
|国治立《くにはるたち》の|大御神《おほみかみ》  |五六七成就《みろくじやうじゆ》の|大御神《おほみかみ》
|旭《あさひ》の|豊栄昇姫《とよさかのぼりひめ》  |左《ひだり》の|脇立《わきだち》ユラリ|彦《ひこ》
|其《その》|妻神《つまがみ》の|上義姫《じやうぎひめ》  それに|続《つづ》いて|義理天上《ぎりてんじやう》
|日出神《ひのでのかみ》は|云《い》ふも|更《さら》  リントウビテン|大御神《おほみかみ》
|木曽義姫《きそよしひめ》の|大御神《おほみかみ》  |生羽神社《いきばじんしや》の|大御神《おほみかみ》
|岩照姫《いはてるひめ》の|大御神《おほみかみ》  |日《ひ》の|丸姫《まるひめ》の|大御神《おほみかみ》
|大将軍《だいしやうぐん》や|常世姫《とこよひめ》  ヘグレ|神社《じんしや》の|大御神《おほみかみ》
|種物神社《たねものじんしや》|御夫婦《ごふうふ》の  |御前《みまへ》に|謹《つつし》み|艮《うしとら》が
|尊《たふと》き|教《をしへ》を|皆《みな》さまに  |無事《ぶじ》に|伝《つた》へた|御礼《おんれい》を
|畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|申《まを》します  |御一同《ごいちどう》|様《さま》|左様《さやう》ならと
|一寸《ちよつと》|会釈《ゑしやく》を|施《ほどこ》して  |神官扇《しんくわんあふぎ》を|斜《しや》にかまへ
|口《くち》をへの|字《じ》に|結《むす》びつつ  ツンとすまして|衣摺《きぬずれ》の
|音《おと》サワサワと|帰《かへ》りゆく。  |斯《か》かる|所《ところ》へスタスタと
やつて|来《き》たのはお|千代《ちよ》さま  |蕾《つぼみ》の|花《はな》の|優姿《やさすがた》
|白装束《しろしやうぞく》に|緋《ひ》の|袴《はかま》  ふり|分《わ》け|髪《がみ》を|背《せ》にたらし
|小《ちひ》さき|扇《あふぎ》を|右手《めて》に|持《も》ち  おめずおくせず|演壇《えんだん》に
|悠々《いういう》|登《のぼ》りテーブルの  |下《した》から|顔《かほ》を|突出《つきだ》して
|紅葉《もみぢ》のやうな|手《て》を|合《あは》せ  |神《かみ》に|祈願《きぐわん》をこめ|終《をは》り
|一同《いちどう》の|信者《しんじや》に|打向《うちむか》ひ  コマしやくれたる|口元《くちもと》で
|神《かみ》の|教《をしへ》を|説《と》き|始《はじ》む  |其《その》|有様《ありさま》の|愛《あい》らしさ
|老若男女《らうにやくなんによ》は|肝《きも》つぶし  |目《め》を|見《み》はりつつ|乙女子《をとめご》の
|口《くち》の|開《ひら》くを|待《ま》ちゐたり  |満座《まんざ》の|信者《しんじや》|一同《いちどう》|様《さま》
|私《わたし》は|神《かみ》の|神徳《しんとく》を  |力《ちから》に|一口《ひとくち》お|話《はなし》を
|覚束《おぼつか》|乍《なが》ら|皆様《みなさま》に  |言《こと》ときさして|貰《もら》ひます
|此《この》|世《よ》の|中《なか》で|一番《いちばん》に  |尊《たふと》い|者《もの》は|神《かみ》の|愛《あい》
それに|続《つづ》いて|親《おや》の|愛《あい》  |愛《あい》がなければ|世《よ》の|中《なか》は
|殺風景《さつぷうけい》の|修羅場裡《しゆらぢやうり》  |地獄《ぢごく》|畜生《ちくしやう》|餓鬼道《がきだう》が
|忽《たちま》ち|出現《しゆつげん》|致《いた》します  |私《わたし》は|不運《ふうん》な|生《うま》れつき
|父《ちち》と|母《はは》との|行方《ゆくへ》をも  |知《し》らずに|十二《じふに》の|今日《けふ》|迄《まで》も
|人《ひと》の|情《なさけ》けに|助《たす》けられ  |此《この》|世《よ》を|送《おく》つて|参《まゐ》りました
|山《やま》より|高《たか》き|父《ちち》の|恩《おん》  |海《うみ》より|深《ふか》き|母《はは》の|恩《おん》
|育《そだ》ての|親《おや》の|高恩《かうおん》は  これにもましていや|高《たか》く
ますます|深《ふか》きものですよ  ウラナイ|教《けう》の|神様《かみさま》に
お|参《まゐ》りなさるお|寅《とら》さま  いと|親切《しんせつ》に|私《わたくし》を
これの|聖場《せいぢやう》に|導《みちび》いて  |尊《たふと》き|神《かみ》の|御教《みをしへ》を
|心《こころ》に|刻《きざ》んで|下《くだ》さつた  |其《その》お|恵《めぐ》みは|吾《わが》|身《み》をば
|生《う》み|玉《たま》ひたる|父母《ちちはは》に  |百倍《ひやくばい》まして|有難《ありがた》い
|御恩《ごおん》と|仰《あふ》いで|居《を》りまする  |茲《ここ》に|並《なら》んだ|皆様《みなさま》も
|父《ちち》と|母《はは》との|御恩《ごおん》をば  いと|有難《ありがた》く|思《おも》ふなら
それにもましていや|高《たか》く  ますます|深《ふか》き|神《かみ》の|恩《おん》
お|悟《さと》りなさるに|違《ちがひ》ない  さは|去《さ》り|乍《なが》ら|神様《かみさま》に
|如何《いか》なる|愛《あい》がゐます|共《とも》  |如何《いか》なる|力《ちから》がおはす|共《とも》
|其《その》|神徳《しんとく》を|吾々《われわれ》に  |取次《とりつ》ぎ|遊《あそ》ばす|神司《かむつかさ》
なけねば|縁《えにし》は|結《むす》ばれぬ  |之《これ》を|思《おも》へばウラナイの
|蠑〓別《いもりわけ》の|教祖《けうそ》さまは  |吾等《われら》を|神《かみ》に|導《みちび》いた
|御恩《ごおん》の|深《ふか》き|神柱《かむばしら》  |如何《いか》なることをなさつても
|親《おや》と|主人《しゆじん》は|無理《むり》をいふ  ものだと|諦《あきら》めをればよい
とは|云《い》ふものの|教祖様《おやさま》を  |大事《だいじ》と|思《おも》ふ|人《ひと》あらば
|面《おもて》を|冒《おか》して|教祖《おや》さまを  |一《ひと》つ|改心《かいしん》なさるよに
にがい|言霊《ことたま》|打出《うちいだ》し  |御恩《ごおん》を|返《かへ》して|下《くだ》さんせ
それが|誠《まこと》の|信者《しんじや》さまの  |神《かみ》にささぐる|務《つと》めぞや
|私《わたし》がこんなこといへば  |至仁《しじん》|至愛《しあい》の|教祖《おや》さまを
|悪口《あくこう》|申《まを》すと|思召《おぼしめ》せど  |決《けつ》してさうではありませぬ
|天地《てんち》の|神《かみ》が|沢山《たくさん》に  |肉《にく》のお|宮《みや》に|出入《ではい》りを
なさると|甘《うま》い|理屈《りくつ》つけ  |朝《あさ》から|晩《ばん》までドブ|酒《ざけ》を
|呑《の》んで|胃腸《ゐちやう》を|損害《そんがい》し  |顔《かほ》の|色《いろ》まであせはてて
|青白《あをじろ》うなつて|居《を》りまする  お|酒《さけ》を|呑《の》めば|顔色《がんしよく》が
|赤《あか》くなるのが|当前《あたりまへ》  |蠑〓別《いもりわけ》の|神《かみ》さまは
|呑《の》めば|呑《の》む|程《ほど》|青《あを》くなる  これは|全《まつた》くアル|中《ちう》の
|証兆《しようてう》なりと|見《み》なすより  |外《ほか》に|判断《はんだん》つきませぬ
|酒《さけ》ほど|悪《わる》いものはない  |徳利《とくり》は|踊《をど》る|膳《ぜん》はとぶ
ふすまはこける|盃《さかづき》は  |木端《こつぱ》みぢんにふみ|砕《くだ》く
らんちき|騒《さわ》ぎが|起《おこ》るのも  |酒《さけ》と|悋気《りんき》のいたづらだ
|蠑〓別《いもりわけ》は|云《い》ふも|更《さら》  |魔我彦《まがひこ》さまやお|寅《とら》さま
|口《くち》の|先《さき》ではエラ|相《さう》に  |立派《りつぱ》なことを|云《い》うたとて
|言行一致《げんかういつち》でない|上《うへ》は  どうして|権威《けんゐ》がありませう
|知《し》らぬお|方《かた》のお|耳《みみ》には  |殊勝《しゆしよう》らしくも|聞《きこ》えませうが
|其《その》|内幕《ないまく》を|知悉《ちしつ》した  |私《わたし》の|耳《みみ》に|層一層《そういつそう》
|滑稽《こつけい》|至極《しごく》に|聞《きこ》えます  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》を|表《おもて》に|標榜《へうぼう》し
ひそかに|悪《あく》を|敢行《かんかう》し  |此《この》|世《よ》を|欺《あざむ》く|曲人《まがびと》を
|大鉄槌《だいてつつい》を|下《くだ》されて  いましめ|玉《たま》へ|天地《あめつち》の
|恵《めぐみ》の|神《かみ》の|御前《おんまへ》に  |謹《つつし》み|敬《うやま》ひねぎまつる
|朝日《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》る|共《とも》  |月《つき》は|盈《み》つ|共《とも》|虧《か》くる|共《とも》
|星《ほし》は|天《てん》より|墜《お》つる|共《とも》  |神《かみ》の|教《をしへ》は|皆《みな》さまよ
|決《けつ》して|捨《す》てちやなりませぬ  |仮令《たとへ》|教祖《けうそ》の|行《おこな》ひが
|神《かみ》の|心《こころ》に|反《そむ》く|共《とも》  |曲津《まがつ》の|器《うつは》であらう|共《とも》
|此《この》|世《よ》の|元《もと》の|神様《かみさま》に  |決《けつ》して|変《かは》りはありませぬ
|此《この》|世《よ》に|形《かたち》を|現《あら》はした  |人《ひと》をたよりになさらずに
|肉眼《にくがん》にては|見《み》えざれど  |確《たしか》にゐます|主《す》の|神《かみ》を
|敬《うやま》ひ|愛《あい》し|且《か》つ|信《しん》じ  たゆまず|屈《くつ》せず|信仰《しんかう》を
|励《はげ》ませ|玉《たま》へと|乙女子《をとめご》の  をさなき|身《み》をも|省《かへり》みず
|一同《いちどう》に|伝《つた》へまゐらせる  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ。
とお|千代《ちよ》は|両親《りやうしん》に|会《あ》つた|嬉《うれ》しさに|勇気《ゆうき》|百倍《ひやくばい》し、|小《こ》ざかしくも|思《おも》ひ|切《き》つて、|大胆《だいたん》に|無遠慮《ぶゑんりよ》に|日頃《ひごろ》の|所感《しよかん》を|残《のこ》らずさらけ|出《だ》して|了《しま》ひ、|悠々《いういう》として|壇《だん》を|降《くだ》り、|一同《いちどう》に|軽《かる》き|目礼《もくれい》を|施《ほどこ》し|乍《なが》ら、|松姫《まつひめ》の|館《やかた》を|指《さ》して|徐々《しづしづ》|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
お|千代《ちよ》の|乙女《をとめ》の|口《くち》から|遺憾《ゐかん》なく|曝露《ばくろ》された|蠑〓別《いもりわけ》|教祖《けうそ》の|醜体《しうたい》を|始《はじ》めて|耳《みみ》にした|信者《しんじや》も|少《すくな》くなかつた。|何《いづ》れも|案《あん》に|相違《さうゐ》な|面持《おももち》で、ガヤガヤとぞよめき|渡《わた》り、|蠑〓別《いもりわけ》、お|寅婆《とらば》アさま、|魔我彦《まがひこ》、お|千代《ちよ》などの|人物比較論《じんぶつひかくろん》に|花《はな》を|咲《さ》かした。|群集《ぐんしふ》の|中《なか》より|赤《あか》ら|顔《がほ》の|四十男《しじふをとこ》ムツクと|立上《たちあが》り、
『|皆《みな》さま、|私《わたくし》は|酔《よひ》どれの|熊公《くまこう》といはれ、ウラル|教《けう》の|信者《しんじや》で|厶《ござ》いました。そした|所《ところ》、ウラル|教《けう》は|御存《ごぞん》じか|知《し》りませぬが、|呑《の》めや|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ……といふおつな|教《をしへ》でげす。|随分《ずゐぶん》|朝《あさ》から|晩《ばん》までデツカンシヨ デツカンシヨで|山《やま》を|呑《の》み、|先祖《せんぞ》ゆづりの|田畑《てんぱた》を|呑《の》み、|家《いへ》を|呑《の》み、|倉《くら》を|呑《の》み、|何《なに》もかもスツカリコンと|未練《みれん》の|残《のこ》らぬ|様《やう》に、|胃《ゐ》の|腑《ふ》のタンクに|格納《かくなふ》して|了《しま》つたのです。|余《あま》り|酒《さけ》を|呑《の》むので、|女房《にようばう》は|子供《こども》をつれて、|親《おや》の|里《さと》へ|帰《かへ》り、|酔《よひ》どれの|熊公《くまこう》も|独身《ひとりみ》の|淋《さび》しさ、フトしたことから、|人《ひと》に|誘《さそ》はれてウラナイ|教《けう》に|入信《にふしん》|致《いた》しました。ウラナイ|教《けう》は|誠《まこと》に|行《おこな》ひのよい|教《をしへ》で、|天下太平《てんかたいへい》|上下一致《じやうかいつち》、|争《あらそ》ひもなく|恨《うらみ》もなく、|又《また》|教祖様《けうそさま》はお|酒《さけ》が|好《す》きださうだが、|少《すこ》しも|辛抱《しんばう》しておあがり|遊《あそ》ばさず、|自分《じぶん》の|口《くち》へ|入《い》れても|皆《みな》|神様《かみさま》がおあがりになり、|自分《じぶん》は|一滴《いつてき》もおあがりにならぬものと|聞《き》いてゐました。そした|所《ところ》が|豈《あに》|図《はか》らむや、|今《いま》のお|千代《ちよ》さまのお|話《はなし》に|承《うけたま》はれば、|朝《あさ》から|晩《ばん》|迄《まで》|神様《かみさま》を|出汁《だし》にズブ|六《ろく》に|酔《よ》うて|厶《ござ》るといふ|事《こと》です。|子供《こども》は|正直《しやうぢき》だから、|滅多《めつた》に|間違《まちがひ》はありますまい、エヽ|馬鹿《ばか》らしい|今《いま》までだまされて|居《を》つたと|思《おも》へば|腹《はら》が|立《た》ちますわ、|私《わたし》は|別《べつ》に|人間《にんげん》を|信仰《しんかう》してるのでないから、|神様《かみさま》を|信《しん》じて|居《を》れば|能《よ》いといふ|様《やう》なものの、|神《かみ》の|御取次《おとりつぎ》たる|教祖《けうそ》|其《その》|他《た》の|幹部《かんぶ》の|役員《やくゐん》が、|朝《あさ》から|晩《ばん》|迄《まで》、|人《ひと》の|膏血《かうけつ》を|絞《しぼ》つて、|酒《さけ》にくらひ|酔《よ》つてゐるとは|誠《まこと》に|怪《け》しからぬでは|厶《ござ》らぬか、これでもあなた|方《がた》は|此《この》|教《をしへ》を|信仰《しんかう》|致《いた》しますか。|口《くち》で|何程《なにほど》|立派《りつぱ》なことを|云《い》つても、|行《おこな》ひの|出来《でき》ぬ|先生《せんせい》を|手本《てほん》とすれば、ヤツパリ|品行《ひんかう》が|悪《わる》うなります。お|前《まへ》さま|達《たち》も|大切《たいせつ》な|息子《むすこ》や|娘《むすめ》をお|持《も》ちでせうが、こんなこと|教《をし》へられうものなら、|其《その》|害《がい》の|及《およ》ぶ|所《ところ》、|一家《いつか》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|天下《てんか》の|害毒《がいどく》になりますよ』
と|奥《おく》の|間《ま》に|聞《きこ》えよがしに|大声《おほごゑ》に|呶鳴《どな》り|立《た》ててゐる。お|寅《とら》は|此《この》|声《こゑ》を|聞《きき》つけ|慌《あわ》ただしく|走《はし》り|来《きた》り、
お|寅《とら》『モシモシ|熊《くま》さま、お|腹立《はらだち》は|御尤《ごもつと》もだが、|何《なに》を|云《い》つても|子供《こども》の|申《まを》したこと、|取上《とりあ》げるといふことがありますかいな。あんたハンも|立派《りつぱ》な|男《をとこ》でゐ|乍《なが》ら、あんな|小娘《こむすめ》の|云《い》ふことを|真《ま》に|受《う》けて|怒《おこ》るなんて、ヘヽヽヽヽ、|本当《ほんたう》にやさしい|方《かた》だなア、こんな|優《やさ》しい|男《をとこ》だつたら、|私《わたし》もチと|若《わか》ければ|一苦労《ひとくらう》するのだけれどなア、|本当《ほんたう》に|憎《にく》らしい|程《ほど》|可愛《かあい》いワ』
と|平手《ひらて》でピシヤピシヤと|頬辺《ほほべた》をなぐりつける。
|熊公《くまこう》『コリヤ、ナヽ|何《なに》をさらす、|失礼《しつれい》だないか、|俺《おれ》の|頬辺《ほほべた》を|叩《たた》きやがつたな』
お|寅《とら》『ホヽヽヽヽ、|余《あま》り|意気《いき》な|男《をとこ》だから、|可愛《かあい》さ|余《あま》つて|憎《にく》さが|百倍《ひやくばい》、|知《し》らぬ|間《ま》に|手《て》が|出《で》たのよ、サアそんなことを|言《い》はずに、|蠑〓別《いもりわけ》|様《さま》の|所《ところ》へ|来《き》て|下《くだ》さい。そすりや|神様《かみさま》がお|上《あが》り|遊《あそ》ばすのか、|教祖《けうそ》がおあがり|遊《あそ》ばすか、|分《わか》りませう。|其《その》|上《うへ》で|皆様《みなさま》に|証明《しようめい》して|上《あ》げて|下《くだ》さい。お|前《まへ》さまも|酒《さけ》に|苦労《くらう》したお|方《かた》だから、|一寸《ちよつと》|御覧《ごらん》になつたら、|忽《たちま》ち|真偽《しんぎ》がお|分《わか》りでせう』
|熊公《くまこう》『ウン、さう|言《い》へば|分《わか》つてる、よし、そンなら|調《しら》べて|来《こ》う。ヤア|皆《みな》の|信者《しんじや》さま、どうぞゆつくりとおかげを|頂《いただ》きなさいませ。|今《いま》|熊公《くまこう》が|申上《まをしあ》げたこと、|間違《まちが》つてゐるかゐないかといふことを、|今《いま》お|寅《とら》さまに|従《つ》いて|教祖《けうそ》の|居間《ゐま》へ|進《すす》み、|検査《けんさ》をした|其《その》|上《うへ》で、もしも|私《わたし》の|云《い》つたことが|間違《まちが》つてゐたら|取消《とりけ》しますし、|間違《まちが》つて|居《を》らなかつたら、|信仰《しんかう》をおやめなさつたが|宜《よろ》しからう、|併《しか》し|乍《なが》ら|信仰《しんかう》は、|貴方《あなた》|方《がた》の|自由《じいう》だから、|強要《きやうえう》は|致《いた》しませぬ』
お|寅《とら》『コレ|熊《くま》さま、|野暮《やぼ》なことをいふものだない。サアゆきませう』
と|怪《あや》しき|視線《しせん》を|熊公《くまこう》に|注《そそ》ぎ、|手首《てくび》を|一《いつ》そ|力《ちから》|入《い》れてきつと|握《にぎ》り、|引《ひつ》たくるよにして、サツサと|此《この》|場《ば》を|立《た》つて|行《ゆ》く。あとには|数多《あまた》の|老若男女《らうにやくなんによ》、|口々《くちぐち》にザワザワとぞよめき|立《た》つてゐる。
(大正一一・一二・一二 旧一〇・二四 松村真澄録)
(昭和一〇・六・一一 王仁校正)
第一一章 |仲裁《ちゆうさい》〔一二〇一〕
|教主《けうしゆ》の|間《ま》には|蠑〓別《いもりわけ》、|魔我彦《まがひこ》、お|寅《とら》、|熊公《くまこう》の|四人《よにん》は|胡坐《あぐら》をかき、|無礼講《ぶれいかう》の|体《てい》でグビリグビリと|酒《さけ》|汲《く》み|交《か》はして|居《ゐ》る。|無性《むしやう》|矢鱈《やたら》にお|寅《とら》は|熊公《くまこう》にきつい|酒《さけ》をすすめる。|下地《したぢ》は|好《す》きなり|御意《ぎよい》はよし、|何条《なんでう》|以《もつ》て|断《ことわ》るべき、|喉《のど》の|虫《むし》がクウクウと|催促《さいそく》して|堪《たま》らない。|猫《ねこ》が|鰹節《かつをぶし》に|飛《と》びついた|様《やう》、|初《はじ》めの|権幕《けんまく》|何処《どこ》へやら、|俄《にはか》に|恵比須顔《ゑびすがほ》となつてグイグイと、|会《あ》うた|時《とき》に|笠脱《かさぬ》げ|式《しき》でやり|初《はじ》めた。|熊公《くまこう》が|群集《ぐんしふ》の|中《なか》で|大声《おほごゑ》を|出《だ》し|蠑〓別《いもりわけ》の|酒《さけ》を|攻撃《こうげき》したのも、|心《こころ》の|底《そこ》は|何《なん》とか|云《い》つて|甘酒《うまざけ》にありつかうと|云《い》ふ|算段《さんだん》だつたから|渡《わた》りに|舟《ふね》、|得手《えて》に|帆《ほ》と|云《い》ふ|好都合《かうつがふ》だ。|熊公《くまこう》はソロソロ|舌《した》が|縺《もつ》れ|出《だ》し|銅羅声《どらごゑ》を|出《だ》して|唄《うた》ひ|出《だ》した。
『|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ  |暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》は|出《で》る
つきはつきぢやが|酒《さけ》づきぢや  チヨビチヨビ|飲《の》むのは|邪魔《じやま》|臭《くさ》い
|土瓶《どびん》の|口《くち》からデツカンシヨ  |胃《ゐ》の|腑《ふ》のタンクへ|直輸入《ぢきゆにふ》
|直《ただち》に|雪隠《せんち》へ|卸売《おろしうり》  |面白《おもしろ》うなつておいでたな
|酒《さけ》は|酒屋《さかや》に、よい|茶《ちや》は|茶屋《ちやや》に  |若《わか》いナイスは|此《この》|館《やかた》
お|寅婆《とらば》さまぢや|一寸《ちよつと》|古《ふる》い  それでも|蠑〓別《いもりわけ》さまが
|細《ほそ》い|目《め》をして|抱《いだ》きつき  |吸《す》ひつき|泣《な》きつき|獅噛《しが》みつき
|笑壺《ゑつぼ》に|入《い》つて|厶《ござ》るのだ  ドツコイシヨ、デツカンシヨ
|応対《おうたい》づくなら|仕様《しやう》がない  |酒《さけ》を|飲《の》むなと|神《かみ》さまが
|野暮《やぼ》の|事《こと》をば|仰有《おつしや》るまいぞ  |御神酒《おみき》|上《あが》らぬ|神《かみ》はない
|此《この》|熊公《くまこう》も|之《これ》からは  |蠑〓別《いもりわけ》のお|側《そば》づき
お|酒《さけ》の|御用《ごよう》なら|何時《いつ》|迄《まで》も  |天地《てんち》の|神《かみ》は|云《い》ふも|更《さら》
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜狐《しこぎつね》  |鬼《おに》でも|狐《きつね》でも|狸《たぬき》でも
|何《なん》でも|構《かま》はぬやつて|来《こ》い  お|前《まへ》の|代《かは》りに|俺《おれ》が|飲《の》む
|仮令《たとへ》|狐《きつね》が|飲《の》んだとて  |矢張《やつぱり》|俺《おれ》が|喉《のど》|通《とほ》る
|其《その》|時《とき》や|俺《おれ》も|甘《うま》いぞや  デツカンシヨ デツカンシヨ』
|魔我《まが》『こりやこりや|熊《くま》さま、そんな|大《おほ》きな|声《こゑ》で|唄《うた》ふものぢやない。|大広前《おほひろまへ》へ|聞《きこ》えるぢやないか。チツと|気《き》を|利《き》かしたら|如何《どう》だ』
|熊公《くまこう》『|折角《せつかく》|機嫌《きげん》よう|飲《の》んだ|酒《さけ》を|何《なに》ゴテゴテ|云《い》ふんでえ、|黙《だま》つて|盗《ぬす》んで|酒《さけ》を|呑《の》む|様《やう》にチヨビリチヨビリと|飲《の》んだつて|何《なに》が|面白《おもしろ》い。|酒《さけ》を|飲《の》めば|酔《よ》ふにきまつてる。|酔《よ》うたら|騒《さわ》ぐにきまつてる。お|前《まへ》は|結構《けつこう》な|酒《さけ》を|殺《ころ》して|飲《の》めと|云《い》ふのか。エーン、なア|蠑〓別《いもりわけ》さま、|熊公《くまこう》の|云《い》ふ|事《こと》が|違《ちが》ひますかな』
|蠑〓《いもり》『アハヽヽヽチツとも|違《ちが》ひはせぬ』
|熊公《くまこう》(大声)『それ|見《み》たか|魔我彦《まがひこ》、|教祖様《けうそさま》が|違《ちが》はぬと|仰有《おつしや》つたぢやないか』
|魔我彦《まがひこ》は|青《あを》くなり、
|魔我《まが》『これ、|熊《くま》さま、|何《なん》ぼどうでも|体裁《ていさい》と|云《い》ふ|事《こと》を|考《かんが》へて|呉《く》れなくちや|此《この》|城《しろ》がもてぬぢやないか』
|熊公《くまこう》『|酒《さけ》に|酔《よ》うたものに|体裁《ていさい》も|糞《くそ》もあるものかい。|体裁《ていさい》を|作《つく》らうものなら|酒《さけ》を|飲《の》まれぬぢやないか、さうすりやウラナイ|教《けう》には|裏《うら》がないと|云《い》つたが|矢張《やつぱり》|裏《うら》があるのだなア。|表《おもて》には|鹿爪《しかつめ》らしい|事《こと》を|吐《ほざ》き|乍《なが》ら|何《なん》でい。|奥《おく》へ|這入《はい》れば|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|甘酒《うまざけ》に|酔《よ》ひつぶれ、|神《かみ》の|教《をしへ》は|其方《そつち》|除《の》けにして|肝腎《かんじん》の|教祖《けうそ》さまからお|寅婆《とらば》アさまと|意茶《いちや》つき|喧嘩《けんくわ》をしたり、|抓《つめ》つたり|叩《たた》いたりするのだからな、|呆《あき》れたものだ』
お|寅《とら》『これ|熊《くま》さま、お|前《まへ》は|悪酒《わるざけ》だから|本当《ほんたう》に|困《こま》つて|了《しま》ふよ。チツとは|教祖様《けうそさま》の|御心中《ごしんちう》も|察《さつ》し|俺《わし》の|心《こころ》も|酌《く》んで|呉《く》れたら|如何《どう》だい。|結構《けつこう》な|酒《さけ》を|頂《いただ》き|乍《なが》ら、ここの|迷惑《めいわく》になる|様《やう》の|事《こと》を|云《い》つても|宜《よろ》しいのか。チツとは|義理《ぎり》と|云《い》ふ|事《こと》も|考《かんが》へて|下《くだ》さいな』
|熊公《くまこう》『ワツハヽヽヽそらア、|何《なに》を|吐《ぬか》しやがるんだい。|不義理《ふぎり》の|天上《てんじやう》、|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》の|御入来《ごじゆらい》だ。エーン、こりやお|寅《とら》、|貴様《きさま》も|大分《だいぶん》に|老耄《おいぼれ》たねえ、|浮木《うきき》の|森《もり》の|女侠客《をんなけふかく》、|丑寅《うしとら》と|云《い》つたら|一時《いちじ》は|飛《た》つ|鳥《とり》も|落《おと》す|様《やう》な|豪勢《がうせい》な|勢《いきほひ》だつたが、|何時《いつ》の|間《ま》にやらウラナイ|教《けう》に|沈没《ちんぼつ》してフニヤフニヤになつて|了《しま》つたぢやないか。こりやお|寅《とら》、|昔《むかし》の|事《こと》をまだ|忘《わす》れては|居《ゐ》めえな。エーン、|此《この》|熊公《くまこう》はお|前《まへ》に|対《たい》しては|十分《じふぶん》|駄々《だだ》を|捏《こ》ねるだけの|権利《けんり》が|具備《ぐび》してるのだ。|蠑〓別《いもりわけ》の|前《まへ》だから|素破抜《すつぱぬ》くのは|廃《よし》とくが、ここ|迄《まで》|云《い》つたら|蠑〓別《いもりわけ》だつて|馬鹿《ばか》でない|限《かぎ》りは|大抵《たいてい》|合点《がてん》が|行《ゆ》くだらう。|此《この》|熊公《くまこう》が|信者《しんじや》の|中《なか》へ|紛《まぎ》れ|込《こ》み、お|寅《とら》の|行衛《ゆくゑ》をつきとめむと|腕《うで》に|撚《より》をかけ|待《ま》つて|居《ゐ》るのも|知《し》らずに|聖人面《せいじんづら》を|列《つら》ねて、よくもまア|演壇《えんだん》に|立《た》ちやがつたな。|虎《とら》|狼《おほかみ》|野干《やかん》は|化《くわ》して|卿相雲客《けいしやううんかく》となるとは、よく|云《い》つたものだ。|世《よ》の|中《なか》は|比較的《ひかくてき》に|馬鹿者《ばかもの》の|多《おほ》いものだなア。アツハヽヽヽ』
お|寅《とら》『これこれ|熊《くま》さま、あまりぢやありませぬか。|云《い》ひ|度《た》い|事《こと》があるなら|後《あと》でしつぽり|聞《き》かして|下《くだ》さんせ。|蠑〓別《いもりわけ》の|前《まへ》ぢや|厶《ござ》いませぬか』
|熊公《くまこう》『アハヽヽヽ、チツと|都合《つがふ》が|悪《わる》いかの。|其方《そちら》に|都合《つがふ》が|悪《わる》けりや|此方《こつち》に|都合《つがふ》がよい。|其方《そちら》に|都合《つがふ》が|好《よ》けりや|此方《こつち》の|面工《めんく》が|悪《わる》い。|何《なん》でも|彼《か》でも|世《よ》の|中《なか》の|事《こと》は|上《あが》つたり|下《さ》がつたり|唐臼拍子《からうすびやうし》に|行《ゆ》くものだ。|二世《にせ》を|契《ちぎ》つた|此《この》|熊公《くまこう》が、それ|丈《だ》け|煩《うる》さいのか。うんよし、|大方《おほかた》|貴様《きさま》は|蠑〓別《いもりわけ》と|太《ふて》え|事《こと》をやつてゐやがるのだらう。サア|有態《ありてい》に|白状《はくじやう》せい|此《この》|儘《まま》には|帰《かへ》らないぞ、エーン』
|蠑〓《いもり》『|熊《くま》さま、|何卒《どうぞ》お|寅《とら》さまを|貴方《あなた》の|御自由《ごじいう》に|連《つ》れて|帰《かへ》つて|下《くだ》さい。|決《けつ》して|私《わたし》には|未練《みれん》はありませぬからナア』
お|寅《とら》『これ|蠑〓別《いもりわけ》さま、|貴方《あなた》は|何《なん》と|云《い》ふ|水臭《みづくさ》い|事《こと》を|仰有《おつしや》るのだ。|私《わたし》にも|量見《れうけん》がありますぞや。|又《また》|鼻《はな》を|捻《ねぢ》て|上《あ》げませうか』
と|立《た》ち|上《あが》り|強力《がうりき》に|任《まか》せて|蠑〓別《いもりわけ》の|鼻《はな》を|捻《ねぢ》やうとする。|蠑〓別《いもりわけ》はお|寅《とら》の|鼻抓《はなつま》みには|懲々《こりごり》してゐるから|両手《りやうて》で|顔《かほ》を|隠《かく》し|俯向《うつむ》いて|畳《たたみ》にかぶりついたまま、
|蠑〓《いもり》『|熊《くま》さま|助《たす》けて|呉《く》れえ|助《たす》けて|呉《く》れえ』
と|恥《はぢ》も|外聞《ぐわいぶん》も|忘《わす》れて|叫《さけ》んでゐる。|熊公《くまこう》はお|寅《とら》の|首筋《くびすぢ》をグツと|握《にぎ》り|後《うしろ》へ|引《ひ》いた。|途端《とたん》にお|寅《とら》はドスンと|尻餅《しりもち》を|搗《つ》く。
お|寅《とら》『アイタヽヽヽ|何《なん》とひどい|事《こと》をする|男《をとこ》だ|事《こと》、これ、|熊《くま》さま、お|前《まへ》ここを|何《なん》と|心得《こころえ》て|居《ゐ》る。ここは|神様《かみさま》のお|集《あつ》まり|遊《あそ》ばす|聖場《せいぢやう》で|厶《ござ》んすぞえ、|斯様《かやう》な|処《ところ》で|呶鳴《どな》つたり、|人《ひと》を|転《こか》したり、そんな|乱暴《らんばう》をなすつちや|済《す》みますまい。チツと|心得《こころえ》て|下《くだ》さんせえな。これ|魔我彦《まがひこ》、|何《なに》をグヅグヅして|居《ゐ》るのだ。|早《はや》く|末代様《まつだいさま》に|此《この》|事《こと》を|申《まを》し|上《あ》げ|熊《くま》さまの|乱暴《らんばう》を|喰《く》ひ|止《と》め|追《お》つ|帰《かへ》して|下《くだ》さいな』
|熊公《くまこう》『アハヽヽヽお|寅《とら》の|奴《やつ》、|到頭《とうとう》|弱《よわ》りよつたな。|蠑〓別《いもりわけ》と|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|意茶《いちや》つき|喧嘩《けんくわ》をして|居《ゐ》る|癖《くせ》に、こんな|聖場《せいぢやう》で|喧嘩《けんくわ》する|事《こと》アやめて|呉《く》れえなんて、ケヽヽヽヽ|尻《けつ》が|呆《あき》れるわい。いや、チヤンチヤラ|可笑《をか》しいわい。ワツハヽヽヽ』
お|寅《とら》『これ|熊《くま》さま、|頼《たの》みだから|機嫌《きげん》ようお|酒《さけ》を|飲《の》んで、|今日《けふ》は|帰《かへ》つて|下《くだ》さいな。そして|又《また》お|酒《さけ》が|飲《の》みたくなつたら|来《き》て|下《くだ》さい。さうしておとなしう|飲《の》んで|下《くだ》さつたら|酒《さけ》|位《くらゐ》は|何程《いくら》でも|振舞《ふるま》つてあげますから』
|熊公《くまこう》『|振舞《ふるま》つてくれるとは、そりや|怪《け》しからぬ、|夫《をつと》が|女房《にようばう》の|処《ところ》へ|来《き》て|振舞《ふるま》ふも、|振舞《ふるま》はぬもあつたものかい。|貴様《きさま》は|俺《おれ》を|置去《おきざ》りにして|浮木《うきき》の|森《もり》|迄《まで》|逃《に》げ|失《う》せ、|柄《がら》にもない|女侠客《をんなけふかく》となり|沢山《たくさん》な|野郎《やらう》|共《ども》を|飼《か》ひやがつて、|虚勢《きよせい》を|張《は》つてゐよつただないか。|俺《おれ》は|貴様《きさま》に|宅《うち》を|飛《と》び|出《だ》され、|浮木《うきき》の|村《むら》に|間誤《まご》ついてゐる|時《とき》、|幾度《いくど》|門口《かどぐち》へ|行《い》つたか|分《わか》らない。その|時《とき》も|腐《くさ》つた|様《やう》な|親爺《おやぢ》を|持《も》ち、|此《この》|熊《くま》さまを|多勢《おほぜい》の|力《ちから》を|借《か》つて|袋叩《ふくろだた》きに|致《いた》した|事《こと》が|幾度《いくど》もあるぢやないか。|貴様《きさま》の|亭主《ていしゆ》としてゐた|田子公《たごこう》の|奴《やつ》、|俺《おれ》の|当身《あてみ》を|喰《くら》つて、それが|病《や》み|付《つき》となり|脆《もろ》くも|国替《くにがへ》をしたと、|噂《うはさ》に|聞《き》いた|時《とき》の|嬉《うれ》しさ、いや|愉快《ゆくわい》さ、|溜飲《りういん》が|三斗《さんど》ばかり|下《お》りた|様《やう》にあつたわい。ウワツハヽヽヽ、もう|今日《けふ》となつては|貴様《きさま》も|世《よ》の|末《すゑ》だ。|婆嬶《ばばかかあ》や|子供《こども》を|相手《あひて》に|致《いた》し、お|寅婆《とらばあ》サンと|威張《ゐば》つてゐる|様《やう》では|此《この》|熊公《くまこう》に|指一本《ゆびいつぽん》|触《さ》える|事《こと》も|出来《でき》やしめえ。|俺《おれ》も|男《をとこ》だ。|女房《にようばう》に|肱鉄《ひぢてつ》を|喰《く》らはされて|再《ふたた》び|女房《にようばう》になれとは|云《い》はねえ。いや|頼《たの》まれても|此方《こちら》からお|断《ことわ》りだ。|然《しか》し|乍《なが》ら|魚心《うをごころ》あらば|水心《みづごころ》だ。|何《なん》とか|挨拶《あいさつ》をして|貰《もら》ひ|度《て》えものだなア』
お|寅《とら》『|挨拶《あいさつ》をせえと|云《い》ふのはお|金《かね》でも|強請《ゆす》らうと|云《い》ふのかい。お|金《かね》なんか、|神様《かみさま》の|道《みち》にありやせないわ』
|熊公《くまこう》『アハヽヽヽ|惚《とぼ》けな|惚《とぼ》けな、これ|丈《だ》け|太《ふて》え|屋台骨《やたいぼね》をしやがつて|何程《いくら》ないと|云《い》つても|金《かね》の|千両《せんりやう》や|万両《まんりやう》は|目《め》を|剥《む》いて|居《ゐ》る|筈《はず》だ。|手切《てぎ》れに|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》と|出《だ》して|貰《もら》ひませうかい。|蠑〓別《いもりわけ》だつて|俺《おれ》の|女房《にようばう》を|自由《じいう》にしたかせぬか|知《し》らぬが|断《ことわ》りなく|使《つか》つて|居《ゐ》るのだから、|否応《いやおう》は|云《い》えまい』
と|両肌《もろはだ》を|脱《ぬ》ぎ|入墨《いれずみ》だらけの|腕《かいな》を|振《ふ》りまはし、|生地《きぢ》を|現《あら》はして|白浪《しらなみ》|言葉《ことば》を|頻《しき》りに|連発《れんぱつ》しだした。
|魔我《まが》『お|寅《とら》さま、|斯《か》うなつちや|容易《ようい》に|片《かた》づきますまいぜ。|吝《けち》な|事《こと》|云《い》はずに、それ、あの|一万両《いちまんりやう》の|金《かね》を|渡《わた》したら|如何《どう》です。|常時《じやうじ》こんな|事《こと》|云《い》つて|来《き》て|貰《もら》うては|煩《うるさ》いぢやありませぬか』
お|寅《とら》『これこれ|魔我彦《まがひこ》、お|前《まへ》|夢《ゆめ》でも|見《み》たのか。|何処《どこ》にそんな|大《たい》した|金《かね》がありますか。|万両《まんりやう》と|云《い》つたら|庭先《にはさき》に|赤《あか》い|実《み》のなつてる|植木《うゑき》|位《くらゐ》なもんだよ。しやうもない|事《こと》|云《い》つて|困《こま》るぢやないか。|慎《つつし》みなさい。|仮令《たとへ》あつた|処《ところ》でここは|蠑〓別《いもりわけ》のお|館《やかた》だ。|私《わたし》の|自由《じいう》になりますか』
|熊公《くまこう》『アハヽヽヽ|到頭《とうとう》|一万両《いちまんりやう》の|所在《ありか》を|見《み》つけ|出《だ》した|様《やう》なものだ。サアもう|斯《か》うなる|上《うへ》は、|一万両《いちまんりやう》だ、|非《ひ》が|邪《じや》でも|一万両《いちまんりやう》だ。|此《この》|熊《くま》さまを|追払《おつぱら》ふのもヤツパリ|一万両《いちまんりやう》だ。|煩《うる》さい|因縁《いんねん》を|切《き》つて|貰《もら》ふのもヤツパリ|一万両《いちまんりやう》だ』
お|寅《とら》『これこれ|熊《くま》さま、|一《ひと》つ|云《い》ふては|一万両《いちまんりやう》、|一《ひと》つ|云《い》ふては|一万両《いちまんりやう》とそりや|何《なに》を|云《い》ふのだい。あんまり|馬鹿《ばか》にしなさんな、|最前《さいぜん》からお|前《まへ》の|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》いて|居《ゐ》りや|五万両《ごまんりやう》も|要《い》るぢやないか。お|前《まへ》に|一万両《いちまんりやう》でも|一銭《いつせん》でもあげる|金《かね》があれや、|八幡《はちまん》さまに|奉納《ほうなふ》|致《いた》しますわいな。そんな|慾《よく》な|事《こと》を|考《かんが》へてをると|八万地獄《はちまんぢごく》に|落《お》ちますぞや』
|熊公《くまこう》『|八万地獄《はちまんぢごく》|所《どころ》か|十万億土《じふまんおくど》の|旅立《たびだち》を|楽《たのし》んで|居《ゐ》る|此《この》|熊公《くまこう》だ。|熊公《くまこう》と|思《おも》や|正真正銘《しやうしんしやうめい》の|悪魔公《あくまこう》だよ。|悪魔払《あくまばら》ひに|一万両《いちまんりやう》は|安《やす》いものだ。サアサアキリキリ|払《はら》うたり|払《はら》うたり|払《はら》ひ|給《たま》へ、|清《きよ》め|給《たま》へだ』
お|寅《とら》『そんなヤンチヤを|云《い》はずにトツとと|帰《かへ》つて|下《くだ》さい。お|頼《たの》みだから』
|熊公《くまこう》『そんなら|五万両《ごまんりやう》は|割引《わりびき》して|一万両《いちまんりやう》にまけておく。|一万両《いちまんりやう》は|安《やす》いものだらう』
お|寅《とら》『|好《す》かぬたらしい。これ|熊《くま》さま、|何《なに》を|云《い》ふのだい。|俺《わし》が|此《この》ウラナイ|教《けう》へ|入信《にふしん》した|時《とき》、|貯《た》めて|置《お》いた|一万両《いちまんりやう》の|金《かね》で|此《この》|通《とほ》り|立派《りつぱ》なお|宮《みや》を|建《た》てたのだ。|其《その》|一万両《いちまんりやう》が|欲《ほつ》しければ、あの|石《いし》の|宮《みや》さまを|懐《ふところ》へ|入《い》れてなつと、|担《かつ》いでなつと|勝手《かつて》に|帰《い》んで|下《くだ》さい。お|金《かね》なんぞ、ありやせないよ』
|蠑〓別《いもりわけ》は、|小《ちひ》さい|声《こゑ》で|舌《した》をもつらせ|乍《なが》ら、
|蠑〓《いもり》『おいお|寅《とら》、|煩《うるさ》いから|有《あ》る|丈《だ》け|持《も》つて|帰《い》なしたらどうだ。そして|今後《こんご》は|文句《もんく》は|云《い》はないと|書付《かきつ》けをとつておくのだな』
お|寅《とら》『これ|蠑〓別《いもりわけ》さま、|何《なん》と|云《い》ふ|気《き》の|弱《よわ》い|事《こと》を|仰有《おつしや》るのだ。|生命《いのち》と|懸替《かけがへ》の、あの|一万両《いちまんりやう》を|渡《わた》す|位《くらゐ》なら|死《し》んだがましぢやないか。|何《ど》うしてお|前《まへ》さまと|私《わたし》と|此《この》|先《さき》やつて|行《ゆ》くのだい。|黙《だま》つて|居《ゐ》なさい。|溝壺《どぶつぼ》へ|捨《す》てる|金《かね》が|有《あ》つても|熊《くま》さまなんかへ|渡《わた》す|金《かね》はありませぬぞ。こんな|処《ところ》へヌツケリコとやつて|来《き》て|思《おも》はぬ|苦労《くらう》をかけやがつて、これ|熊公《くまこう》、|此《この》お|寅《とら》さまを|何《なん》と|心得《こころえ》てる。|浮木《うきき》の|森《もり》の|女侠客《をんなけふかく》|丑寅《うしとら》サンと|云《い》つたら、ヘン、|憚《はばか》り|乍《なが》ら|此《この》|姐《ねえ》さまだ。お|前達《まへたち》の|様《やう》な|一羽鶏《いちはどり》に|脅《おびや》かされて|屁古垂《へこた》れる|様《やう》な|姐《ねえ》さまぢやありませぬぞや』
と|棄鉢《すてばち》|気分《きぶん》になり、|入墨《いれずみ》のした|腕《うで》をグツと|捲《まく》り、|一方《いつぱう》の|足《あし》を|立膝《たてひざ》し|乍《なが》ら|泡《あわ》を|吹《ふ》き|飛《と》ばし|呶鳴《どな》りつけた。|熊公《くまこう》は|猛《たけ》り|狂《くる》うてお|寅婆《とらばば》の|髻《たぶさ》を|引《ひ》つ|掴《つか》み|力限《ちからかぎ》り|引張《ひつぱ》りまはす。|蠑〓別《いもりわけ》、|魔我彦《まがひこ》は|此《この》|権幕《けんまく》に|肝《きも》を|潰《つぶ》し、|奥《おく》の|間《ま》の|長持《ながもち》の|中《なか》へ|身《み》を|隠《かく》し、|慄《ふる》ひ|戦《をのの》いてゐる。|此《この》|声《こゑ》を|聞《き》きつけて|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》、アク、タク、テクの|五人《ごにん》はドヤドヤと|走《はし》り|来《きた》り、
|万公《まんこう》『|待《ま》つた|待《ま》つた、|待《ま》てと|申《まを》せば|待《ま》つたが|宜《よ》からうぞ』
|五三《いそ》『|何事《なにごと》の|縺《もつ》れか|知《し》らねえが、|此《この》|場《ば》の|仲裁《ちゆううさい》は|此《この》|五三公《いそこう》が|預《あづ》かりやせう』
と|故意《わざ》とに|白浪《しらなみ》|言葉《ことば》を|使《つか》つて|嚇《おど》しにかかる。
|熊公《くまこう》『アハヽヽヽ|小童子《こわつぱ》|野郎《やらう》が|斯《こ》んな|処《ところ》へ|飛《と》び|出《だ》し、|俺達《おれたち》の|喧嘩《けんくわ》を|仲裁《ちゆうさい》するとは|片腹痛《かたはらいて》え、|弥之助人形《やのすけにんぎやう》の|空威張《からゐば》り、そんな|事《こと》に|屁古垂《へこた》れて、|酔泥《よひどれ》の|熊公《くまこう》のお|顔《かほ》が|立《た》つと|思《おも》ふかエーン、|小童子武者《こわつぱむしや》の|出《で》る|幕《まく》ぢやない。すつこんで|厶《ござ》れ』
アク『あいや|酔泥《よひどれ》の|熊公《くまこう》とやら、|暫《しばら》く|待《ま》つたがよからうぞ。|吾《われ》こそはバラモン|教《けう》の|大目付《おほめつけ》|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》で|厶《ござ》るぞ。|何《なに》を|血迷《ちまよ》うて|斯様《かやう》な|処《ところ》へ|乱暴《らんばう》にやつてうせたか、|怪《け》しからぬ|代物《しろもの》だ。おい|家来《けらい》|共《ども》、|大自在天《だいじざいてん》より|授《さづ》かりし|金縛《かなしば》りの|妙法《めうはふ》を|以《もつ》て|此《この》|乱暴者《らんばうもの》を|手痛《ていた》くふン|縛《じば》れ』
|五三《いそ》『もしもし|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》|様《さま》、お|腹立《はらだ》ちは|御尤《ごもつと》も|乍《なが》ら|様子《やうす》も|聞《き》かず、ふン|縛《じば》るとは|無慈悲《むじひ》と|申《まを》すもの、|何卒《なにとぞ》イルナの|侠客《けふかく》|五三公《いそこう》サンに|此《この》|場《ば》はお|任《まか》し|下《くだ》さる|訳《わけ》には|行《ゆ》きますめえか』
アク『|飽迄《あくまで》|憎《につく》き|奴《やつ》なれど、|当時《たうじ》|売出《うりだ》しの|侠客《けふかく》の|其《その》|方《はう》が|申《まを》す|事《こと》、|無下《むげ》に|断《ことわ》る|訳《わけ》にも|行《ゆ》くまい。そんなら|其《その》|方《はう》に|此《この》|場《ば》の|解決《かいけつ》を|一任《いちにん》する。|万一《まんいち》ゴテゴテ|吐《ぬか》すに|就《つ》いては|容赦《ようしや》はならぬぞ』
|五三《いそ》『ハイ、|委細承知《ゐさいしようち》|仕《つかまつ》りやした。|私《わたし》も|当時《たうじ》|売出《うりだ》しの|侠客《けふかく》、|命《いのち》に|代《か》へても|此《この》|場《ば》の|落着《らくちやく》をつけて|御覧《ごらん》に|入《い》れやせう。|万々一《まんまんいち》|行《ゆ》かねば|此《この》|場《ば》で|割腹《かつぷく》|致《いた》して|見《み》せやせう。さすれば|貴方《あなた》の|御自由《ごじいう》に|御成敗《ごせいばい》|遊《あそ》ばしやせえ』
アク『|然《しか》らば|暫《しばら》く|別間《べつま》に|控《ひか》へて|居《ゐ》る。|万公《まんこう》、タク、テク、|余《よ》が|後《うしろ》に|従《したが》つて|来《こ》い。|五三公《いそこう》|親分《おやぶん》、さらばで|厶《ござ》る』
と|肱《ひぢ》を|張《は》り|悠々《いういう》として|笑《わら》ひを|忍《しの》び|乍《なが》ら|大広間《おほひろま》さして|立《た》つて|行《ゆ》く。
お|寅《とら》『これはこれは|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》|様《さま》、|尊《たふと》き|御身《おんみ》を|以《もつ》て|入《い》らせられました。これと|申《まを》すも|神様《かみさま》の|御神徳《ごしんとく》、いやもう|有《あ》り|難《がた》う|厶《ござ》います』
|五三《いそ》『ハルナの|国《くに》に|時《とき》めき|給《たま》ふ|大黒主《おほくろぬし》の|右守《うもり》の|司《かみ》と|聞《きこ》えたる|鬼春別《おにはるわけ》|将軍《しやうぐん》の|部下《ぶか》、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》は、|今《いま》や|数万《すうまん》の|軍勢《ぐんぜい》を|引《ひ》き|率《つ》れ|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|進軍《しんぐん》の|途中《とちう》、|小北山《こぎたやま》の|神徳《しんとく》、【いやちこ】なりと|聞《き》き|戦勝《せんしよう》|祈願《きぐわん》のため、|浮木《うきき》の|森《もり》に|軍隊《ぐんたい》を|留《とど》め、|少《すこ》しの|部下《ぶか》を|伴《ともな》ひ|参詣《さんけい》|致《いた》したもの、|神《かみ》のお|示《しめ》しによればアバ|摺《ず》れ|男《をとこ》の|熊公《くまこう》なるもの、|神《かみ》の|司《つかさ》の|蠑〓別《いもりわけ》|殿《どの》、|其《その》|他《た》お|寅《とら》|殿《どの》に|向《むか》つて|無体《むたい》の|脅迫《けうはく》を|試《こころ》みしと|聞《き》き、|取《と》るものも|取《と》り|敢《あへ》ず、|此処《ここ》に|来《き》て|見《み》れば、|不都合《ふつがふ》|千万《せんばん》な|此《この》|始末《しまつ》、と|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》|様《さま》が|霊《れい》を|以《もつ》て|此《この》|五三公《いそこう》が|霊《れい》に|伝《つた》へ|給《たま》うた。|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|御身魂《おみたま》が|宿《やど》つた|此《この》|五三公《いそこう》|様《さま》が|仲裁《ちゆうさい》に|立《た》つても、よもや|不足《ふそく》ぢやあるめえ、のう、|熊公《くまこう》とやら』
|熊公《くまこう》『ハイ、|貴方《あなた》の|如《ごと》き|尊《たふと》きお|方《かた》に|仲裁《ちゆうさい》の|労《らう》を|煩《わづら》はし、|誠《まこと》に|光栄《くわうえい》に|存《ぞん》じます。いやもう|今日《こんにち》|限《かぎ》りスツパリ|心《こころ》を|改《あらた》め、|今後《こんご》は|決《けつ》して|此《この》|館《やかた》へ|足踏《あしぶ》みを|致《いた》しませぬ。|何卒《どうぞ》|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
|五三《いそ》『|早速《さつそく》の|納得《なつとく》、いや|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|神霊《しんれい》も|五三公《いそこう》の|哥兄《あにい》もズンと|満足《まんぞく》いたした。|就《つ》いてはお|寅《とら》|殿《どの》、|蠑〓別《いもりわけ》|殿《どの》、わつちも|侠客《けふかく》だ。|片手落《かたてお》ちの|事《こと》はやられねえ。|当座《たうざ》の|草鞋銭《わらぢせん》だと|思《おも》つて|此《この》|熊《くま》サンに|一千両《いつせんりやう》の|金《かね》をスツパリとお|渡《わた》しなせえ。|蠑〓別《いもりわけ》さまもこれで|解決《かいけつ》つくならば|安《やす》いものだらう。ほんの|抓《つま》み|銭《せん》だ。アハヽヽヽ』
お|寅《とら》『|親方《おやかた》さまの|御仲裁《ごちゆうさい》、|何《なに》しに|背《そむ》きませう。|私《わたし》も、もとは|女侠客《をんなけふかく》、|侠客《けふかく》の|意地《いぢ》はよく|呑《の》み|込《こ》んで|居《を》ります。そんなら|貴方《あなた》のお|顔《かほ》に|免《めん》じて|千両《せんりやう》の|金《かね》を|渡《わた》しますから、|今後《こんご》は|熊《くま》さまが|何《なん》にも|云《い》つて|来《こ》ない|様《やう》にして|下《くだ》さいませ』
|五三《いそ》『いや|承知《しようち》|致《いた》しやした。|流石《さすが》は|姐貴《あねき》だ。スツパリしたものだ。おい|熊公《くまこう》、|如何《どう》だ。これで|文句《もんく》はあるめえな』
|熊公《くまこう》『いやもう|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります。|千両《せんりやう》の|金《かね》さへあれば|五年《ごねん》や|十年《じふねん》の|甘《うめ》え|酒《さけ》が|頂《いただ》けます。いやもう|有難《ありがた》う|厶《ござ》りやした』
お|寅《とら》は|次《つぎ》の|間《ま》から|小判《こばん》を|千両《せんりやう》とり|出《だ》し、
お|寅《とら》『さあ|五三公《いそこう》の|親分《おやぶん》さま、これを|引替《ひきか》へに|証文《しようもん》を|取《と》つて|置《お》いて|下《くだ》さいませ』
|五三《いそ》『アハヽヽヽ|証文《しようもん》をとるのは|未来《みらい》の|人間《にんげん》のする|事《こと》だ。|男《をとこ》が|一旦《いつたん》|約束《やくそく》をした|事《こと》は|万古末代《まんごまつだい》|磐石《ばんじやく》の|如《ごと》く|決《けつ》して|動《うご》くものぢやねえ。|熊公《くまこう》|如何《どう》だ』
|熊公《くまこう》『はいはい、|私《わたし》も|男《をとこ》です、|如何《どう》してゴテゴテ|申《まを》しませう。おい、お|寅《とら》、|安心《あんしん》して|呉《く》れ。|有難《ありがた》え、お|前《まへ》が、ありや、こりや|無《な》けりや、こりや、うまいお|酒《さけ》が|飲《の》めるのだ。チヨイ チヨイ チヨイの|頂戴《ちやうだい》だ』
と|両手《りやうて》を|合《あは》せ|掌《てのひら》を|仰向《あふむ》けにして|上下《うへした》へ|揺《ゆす》つて|居《ゐ》る。
|五三《いそ》『それ、|千両《せんりやう》だ。|確《たしか》に|受取《うけと》れ』
|熊公《くまこう》『ハイ、|有難《ありがた》う。|万古末代《まんごまつだい》、あんたの|御恩《ごおん》は|忘《わす》れませぬ。そしてお|寅《とら》の|事《こと》は|只今《ただいま》|限《かぎ》り|忘《わす》れます』
と|云《い》ふより|早《はや》く|懐《ふところ》に|捻込《ねぢこ》み|長居《ながゐ》は|恐《おそ》れと|言《い》はぬばかりトントントンと|坂道《さかみち》を|矢《や》を|射《い》る|如《ごと》く|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・一二・一二 旧一〇・二四 北村隆光録)
第一二章 |喜苔歌《きたいか》〔一二〇二〕
|小北《こぎた》の|山《やま》の|聖場《せいぢやう》は  |月次祭《つきなみさい》も|相済《あひす》んで
|腰《こし》の|曲《まが》つた|魔我彦《まがひこ》は  |先頭一《せんとういち》に|登壇《とうだん》し
|澄《す》ました|顔《かほ》で|神徳《しんとく》の  |話《はなし》をベラベラ|述《の》べ|終《をは》り
|意気《いき》|揚々《やうやう》と|下《くだ》りゆく  |後《あと》へ|登《のぼ》つたお|寅《とら》さま
|懸河《けんが》の|弁舌《べんぜつ》|滔々《たうたう》と  |矢玉《やだま》の|如《ごと》くまくしたて
|蠑〓別《いもりわけ》の|行《おこなひ》を  |神《かみ》にまかして|弁護《べんご》なし
|信徒《まめひと》|達《たち》の|疑《うたがひ》を  |晴《は》らさむものと|村肝《むらきも》の
|心《こころ》を|尽《つく》し|言霊《ことたま》の  |車《くるま》を|甘《うま》く|辷《すべ》らして
|悠々《いういう》|壇《だん》を|下《くだ》りゆく  |後《あと》に|続《つづ》いて|乙女子《をとめご》の
|凛々《りり》しき|姿《すがた》|壇上《だんじやう》に  |矗《すつく》と|立《た》つを|眺《なが》むれば
|思《おも》ひも|寄《よ》らぬお|千代《ちよ》さま  |紅葉《もみぢ》のやうな|手《て》をうつて
|神《かみ》に|祈《いの》りをかけまくも  |畏《かしこ》き|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》の
おろそかならぬ|事《こと》の|由《よし》  |一応《いちおう》|詳《くは》しく|述《の》べ|終《をは》り
|蠑〓別《いもりわけ》や|魔我彦《まがひこ》や  お|寅《とら》の|行状《ぎやうじやう》|悪《あし》くとも
|決《けつ》して|神《かみ》の|大道《おほみち》を  |捨《す》ててはならぬ|神様《かみさま》と
|人《ひと》とを|別《べつ》に|立《た》て|別《わ》けて  |信仰《しんかう》なされと|円滑《ゑんくわつ》に
|生言霊《いくことたま》を|打出《うちだ》せば  |数多《あまた》の|信者《しんじや》は|手《て》をうつて
|喝采場裡《かつさいぢやうり》に|降壇《かうだん》し  |小《ちひ》さい|姿《すがた》をかくしけり
|此《この》|時《とき》|信者《しんじや》の|真中《まんなか》に  |仁王《にわう》の|如《ごと》く|突《つ》つ|立《た》つて
|呶鳴《どな》りかけたる|男《をとこ》あり  ウラナイ|教《けう》の|内幕《ないまく》を
|声《こゑ》を|限《かぎ》りにまくしたて  |曝露《ばくろ》なさむと|狂《くる》ひ|立《た》つ
|其《その》|声《こゑ》|高《たか》く|教祖殿《けうそでん》  |蠑〓別《いもりわけ》の|耳《みみ》に|入《い》り
お|寅《とら》も|驚《おどろ》きかけ|来《きた》り  |猛《たけ》り|狂《くる》へる|荒男《あらをとこ》
ためつすかしつ|手《て》を|曳《ひ》いて  |己《おの》が|居間《ゐま》へと|連《つ》れ|帰《かへ》り
|酒《さけ》や|肴《さかな》を|沢山《たくさん》に  |前《まへ》に|並《なら》べて|振舞《ふるま》へば
|男《をとこ》は|忽《たちま》ち|目《め》を|細《ほそ》め  |右手《めて》に|額《ひたひ》を|打《う》ちながら
グイグイグイと|飲《の》み|干《ほ》しぬ  |酔《よひ》が|廻《まは》つてそろそろと
|白浪《しらなみ》|言葉《ことば》の|巻舌《まきじた》で  これこれお|寅《とら》|此《この》|方《かた》を
どなたと|思《おも》うて|居《ゐ》やがるか  |音《おと》に|名高《なだか》き|熊公《くまこう》だ
|貴様《きさま》は|俺《おれ》を|振《ふ》りすてて  |浮木《うきき》の|里《さと》に|身《み》をかくし
|性《しやう》にも|合《あ》はぬ|侠客《けふかく》と  なつて|賭場《とば》をば|開帳《かいちやう》し
|数多《あまた》の|乾児《こぶん》を|引《ひ》き|具《ぐ》して  |羽振《はぶ》りを|利《き》かして|居《ゐ》やがつた
|白浪《しらなみ》お|寅《とら》であらうがな  |余《あんま》り|馬鹿《ばか》に|致《いた》しよると
|貴様《きさま》の|内幕《ないまく》|素破抜《すつぱぬ》こか  |俺《おれ》は|貴様《きさま》に|酌《しやく》させる
|権利《けんり》は|十分《じふぶん》|具備《ぐび》してる  |蠑〓別《いもりわけ》と|手《て》を|曳《ひ》いて
こんな|処《ところ》に|神様《かみさま》を  |表《おもて》に|栄耀栄華《えいえうえいぐわ》をば
|尽《つく》して|人《ひと》の|膏血《かうけつ》を  |絞《しぼ》つて|居《ゐ》やがる|曲津神《まがつかみ》
サアこれからは|熊公《くまこう》が  |挺《てこ》でも|棒《ぼう》でも|動《うご》かない
|何《なん》とかほどよい|挨拶《あいさつ》を  やつて|呉《く》れねば|納《をさ》まらぬ
|如何《いか》に|如何《いか》にと|詰《つ》めよれば  |蠑〓別《いもりわけ》は|仰天《ぎやうてん》し
|慄《ふる》ひ|戦《をのの》き|居《ゐ》たりける  お|寅《とら》は|柳眉《りうび》を|逆立《さかだ》てて
こりやこりや|熊《くま》さま|何《なに》を|云《い》ふ  お|前《まへ》のやうな|酒泥棒《さけどろぼう》
|誰《たれ》が|相手《あひて》になるものか  |放蕩無頼《はうたうぶらい》の|男《をとこ》だと
|愛想《あいさう》|尽《つ》かして|逃《に》げたのだ  |男《をとこ》が|女《をんな》に|捨《す》てられて
|外聞《ぐわいぶん》|悪《わる》いとも|思《おも》はずに  ようのこのこと|来《こ》られたなア
サアサア|早《はや》ういになされ  |神《かみ》のお|道《みち》の|邪魔《じやま》になる
|早《はや》く|早《はや》くと|促《うなが》せば  |熊公《くまこう》は|膝《ひざ》を|立《た》て|直《なほ》し
|一万両《いちまんりやう》の|金《かね》を|出《だ》せ  それが|嫌《いや》なら|何時《いつ》|迄《まで》も
|此《この》|熊公《くまこう》の|虫《むし》が|癒《い》えぬ  これ|程《ほど》|立派《りつぱ》な|家《うち》|立《た》てて
|金《かね》の|万両《まんりやう》や|五千両《ごせんりやう》  ないとは|決《けつ》して|云《い》はさぬぞ
|早《はや》く|渡《わた》すか さもなくば  |俺《おれ》の|女房《にようばう》になるがよい
お|寅《とら》|返答《へんたふ》は|如何《いか》にぞと  |喚《わめ》く|折《をり》しも|万公《まんこう》や
|五三公《いそこう》、アク、テク、タク|五人《ごにん》  この|物音《ものおと》に|驚《おどろ》いて
|足音《あしおと》せわしくはせ|来《きた》り  |何《いづ》れの|方《かた》か|知《し》らねえが
|俺《おれ》は|此《この》|頃《ごろ》|名《な》を|売《う》つた  |白浪男《しらなみをとこ》の|五三公《いそこう》だ
|此《この》|場《ば》は|俺《おれ》に|任《まか》せよと  |白浪《しらなみ》|言葉《ことば》を|並《なら》べたて
しやしやり|出《い》でたるをかしさよ  |熊公《くまこう》は|目玉《めだま》を|怒《いか》らして
どこの|奴《やつ》かは|知《し》らねども  |貴様《きさま》の|出《で》て|来《く》る|幕《まく》ぢやない
|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》れと  ケンもホロロに|撥《は》ねつける
|此《この》|時《とき》アクは|立《た》ち|上《あが》り  ハルナの|都《みやこ》に|名《な》も|高《たか》き
|大黒主《おほくろぬし》に|仕《つか》へたる  |鬼春別《おにはるわけ》の|身内《みうち》なる
|吾《われ》は|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》ぞ  |数万《すまん》の|軍勢《ぐんぜい》|引《ひ》きつれて
|斎苑《いそ》の|館《やかた》に|打《う》ち|向《むか》ふ  それの|途上《とじやう》に|小北山《こぎたやま》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|戦勝《せんしよう》を  |祈《いの》らむものと|来《き》て|見《み》れば
|俄《にはか》に|聞《きこ》ゆる|荒《すさ》び|声《ごゑ》  |汝《なんぢ》|二人《ふたり》が|争《あらそ》ひの
|不都合《ふつがふ》な|声《こゑ》と|聞《き》く|上《うへ》は  |此《この》|儘《まま》|容赦《ようしや》は|相成《あひな》らぬ
|梵天帝釈自在天《ぼんてんたいしやくじざいてん》  |授《さづ》けたまへる|金縛《かなしば》り
|熊公《くまこう》の|手足《てあし》をふん|縛《しば》り  |吾《わ》が|陣中《ぢんちう》に|帰《かへ》れよと
タク、テク、|万公《まんこう》に|下知《げち》すれば  |遉《さすが》の|熊公《くまこう》も|恐縮《きようしゆく》し
|涙片手《なみだかたて》にわびぬれば  アクは|五三公《いそこう》に|打《う》ち|向《むか》ひ
|汝《なんぢ》はこの|頃《ごろ》|売《う》り|出《だ》しの  |侠客《けふかく》|五三公《いそこう》|親分《おやぶん》か
|此《この》|場《ば》はお|前《まへ》に|打《う》ちまかす  もしも|聞《き》かない|其《その》|時《とき》は
|直《ただち》に|報告《はうこく》|致《いた》すべし  いざこれよりは|神前《しんぜん》に
|祈願《きぐわん》に|往《ゆ》かむと|云《い》ひながら  |此《この》|場《ば》をたつて|出《い》でて|往《ゆ》く
|後《あと》に|五三公《いそこう》は|澄《す》まし|顔《がほ》  |白浪《しらなみ》|言葉《ことば》を|並《なら》べ|立《た》て
お|寅婆《とらば》さまの|隠《かく》しもつ  |小判《こばん》|千両《せんりやう》|取《と》り|出《だ》して
|手切《てぎ》れの|金《かね》と|熊公《くまこう》に  |渡《わた》せば|熊公《くまこう》|頂《いただ》いて
|実《げ》に|有難《ありがた》き|御仲裁《ごちゆうさい》  これだけお|金《かね》があつたなら
|五年《ごねん》|十年《じふねん》|甘《うま》い|酒《さけ》  |遊《あそ》んで|呑《の》める|有《あ》り|難《がた》い
|長居《ながゐ》は|恐《おそ》れと|立《た》ち|上《あが》り  |尻《しり》はし|折《を》つて|坂道《さかみち》を
|一目散《いちもくさん》に|帰《かへ》り|往《ゆ》く  |後《あと》にお|寅《とら》は|吐息《といき》つき
|五三公《いそこう》さまのお|蔭《かげ》にて  |危《あぶ》ない|処《ところ》を|助《たす》かつた
|千両《せんりやう》で|済《す》むなら|安《やす》いもの  えらい|御苦労《ごくらう》かけました
アク、テク、タクや|万公《まんこう》も  |気転《きてん》の|利《き》いたお|方《かた》ぢやな
これこれ|蠑〓別《いもりわけ》さまへ  |熊公《くまこう》の|野郎《やらう》が|去《い》にました
|魔我彦《まがひこ》さまは|何《ど》うしてぞ  |早《はや》く|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれて
|祝《いはひ》の|酒《さけ》を|改《あらた》めて  お|飲《あが》りなされ|五三公《いそこう》さま
|万公《まんこう》の|奴《やつ》を|初《はじ》めとし  アク、タク、テクのお|客《きやく》さま
|面白《おもしろ》をかしく|飲《の》みませう  |大《おほ》きな|声《こゑ》で|呼《よ》ばはれば
|次《つぎ》の|一間《ひとま》に|忍《しの》び|入《い》り  |隠《かく》れ|居《ゐ》たりし|両人《りやうにん》は
ヌツと|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれて  どことはなしに|気《き》の|乗《の》らぬ
|顔《かほ》を|晒《さら》して|慄《ふる》ひ|居《を》る  そのスタイルのをかしさよ。
お|寅《とら》『これ|蠑〓別《いもりわけ》さま、お|前《まへ》さまは|本当《ほんたう》に|腑甲斐《ふがひ》ない|人《ひと》だなア。お|前《まへ》の|取《と》り|得《え》といつたら、|朝《あさ》から|晩《ばん》までスウスウスウと|留《と》め|度《ど》もなしに|酒《さけ》を|呑《の》んで|夢中《むちう》になるのが|取《と》り|得《え》だ。それだから|夢《ゆめ》の|蠑〓別《いもりわけ》さまと|人《ひと》が|云《い》ふのだよ。|熊公《くまこう》がやつて|来《き》てこのお|寅《とら》を|手籠《てごめ》にせうとして|居《ゐ》るのに|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》に|長持《ながもち》の|底《そこ》に|隠《かく》れて|慄《ふる》うて|居《ゐ》るとは|何《なん》の|事《こと》ぢやいな、|御神力《ごしんりき》さへ|備《そな》はつて|居《を》れば、|五三公《いそこう》さまのやうに|立派《りつぱ》に|捌《さば》きがつくのだけれど、お|前《まへ》は|気《き》が|利《き》かないから、|本当《ほんたう》に|馬鹿《ばか》な|目《め》を|見《み》てしまつた。これ|魔我彦《まがひこ》、お|前《まへ》も|仕様《しやう》の|無《な》い|事《こと》を|云《い》ふから、たうとう|熊公《くまこう》に|金《かね》を|強請《ゆす》られて|仕舞《しま》つた。|一体《いつたい》どこへ|往《い》つとつたのだい』
|魔我《まが》『ヘイ|教祖様《けうそさま》が|長持《ながもち》の|中《なか》にお|入《はい》りなさつたものだから、|私《わたし》も|副教祖《ふくけうそ》の|職権《しよくけん》を|重《おも》んじてお|傍《そば》に|喰付《くつつ》いて|居《ゐ》ました』
お|寅《とら》『|何《なん》とまア、|好《い》い|腰抜《こしぬ》けが|揃《そろ》うたものだなア。|蠑〓別《いもりわけ》さまは|是非《ぜひ》がないとしても、なぜお|前《まへ》はもつと|確《しつか》りしないのだ、そんな|事《こと》で|義理天上日《ぎりてんじやうひ》の|出《で》の|神《かみ》が|勤《つと》まりますか』
|魔我《まが》『|大広木正宗《おほひろきまさむね》さまが|天《あま》の|岩戸隠《いはとがく》れをなさるものだから、お|脇立《わきだち》の|私《わたし》も、せなくてはならないと|思《おも》うて、|余《あま》り|恐《こは》くも|無《な》いことも|無《な》いものぢやから、ほんの|一寸《ちよつと》の|間《ま》|岩戸隠《いはとがく》れをして|居《を》つたのです』
|万公《まんこう》『アハヽヽヽヽ』
テク、タク『ウフヽヽヽ。プププツプープー』
お|菊《きく》は|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれて、
『これこれ|申《まを》しお|母《かあ》さま  |松姫《まつひめ》さまのお|館《やかた》の
お|庭先《にはさき》をばブラついて  |四方《よも》の|景色《けしき》を|眺《なが》めつつ
お|千代《ちよ》サンと|手《て》を|曳《ひ》き|遊《あそ》ぶ|中《うち》  |不思議《ふしぎ》な|音《おと》が|聞《きこ》え|来《く》る
|松姫《まつひめ》さまは|驚《おどろ》いて  |何《なに》か|変事《へんじ》が|出来《でき》たのか
|私《わたし》が|往《ゆ》くのは|安《やす》けれど  |却《かへつ》て|都合《つがふ》が|悪《わる》からう
|御苦労《ごくらう》なれど|一走《ひとはし》り  |様子《やうす》|見《み》て|来《き》て|下《くだ》されと
|云《い》はれた|故《ゆゑ》に|門口《かどぐち》に  |帰《かへ》つて|佇《たたず》み|窺《うかが》へば
どこの|男《をとこ》か|知《し》らねども  |大《おほ》きな|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて
|四辺《あたり》に|響《ひび》く|大喧嘩《おほげんくわ》  これや|耐《たま》らぬと|引《ひ》き|返《かへ》し
|松彦《まつひこ》さまや|松姫《まつひめ》に  |一伍一什《いちぶしじふ》|申《まを》し|上《あ》げ
|私《わたし》の|母《はは》を|逸早《いちはや》く  |助《たす》けてお|呉《く》れと|手《て》を|合《あは》し
たのめば|二人《ふたり》ニコニコと  |笑《わら》ひながらに|神前《しんぜん》に
|向《むか》つて|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し  |決《けつ》して|心配《しんぱい》するでない
|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|神様《かみさま》が  |忽《たちま》ち|其《その》|場《ば》に|現《あら》はれて
|五三公《いそこう》さまの|口《くち》を|借《か》り  |旨《うま》くさばいて|下《くだ》さらう
|小供《こども》がいつては|怪我《けが》をする  ここに|居《を》れよと|仰有《おつしや》つた
それ|故《ゆゑ》|私《わたし》はおとなしく  お|千代《ちよ》さまと|手《て》を|引《ひ》き|家《いへ》の|外《そと》
クルクル|廻《まは》つて|手《て》を|合《あは》せ  |蠑〓別《いもりわけ》の|教祖《けうそ》さま
|魔我彦《まがひこ》さまや|母上《ははうへ》の  |無事《ぶじ》を|守《まも》らせたまへよと
|涙《なみだ》と|共《とも》に|祈《いの》りました  |暫《しばら》くすると|末代《まつだい》の
|日《ひ》の|王天《わうてん》の|大神《おほかみ》は  お|菊《きく》さまお|千代《ちよ》と|手《て》を|上《あ》げて
いとニコやかに|指《さ》し|招《まね》き  たまへば|二人《ふたり》は|喜《よろこ》んで
|松彦《まつひこ》さまの|御前《おんまへ》に  |進《すす》んで|教《をしへ》を|伺《うかが》へば
もはや|安心《あんしん》|大丈夫《だいぢやうぶ》  |悪者《わるもの》|共《ども》はいんだ|故《ゆゑ》
これから|帰《かへ》つて|来《き》なされよ  |松彦《まつひこ》|松姫《まつひめ》|両人《りやうにん》が
|宜敷《よろしく》|云《い》つたと|云《い》つて|呉《く》れ  |俺《おれ》が|往《ゆ》くのは|易《やす》けれど
|蠑〓別《いもりわけ》や|皆《みな》さまに  |却《かへつ》て|迷惑《めいわく》かけるだらう
|控《ひか》へて|居《ゐ》ると|仰有《おつしや》つた  |一体《いつたい》あれはお|母《かあ》さま
どこのどいつで|厶《ござ》いませう  |大《おほ》きな|声《こゑ》を|出《だ》しよつて
|尊《たふと》き|神《かみ》の|聖場《せいぢやう》を  |蹂躙《じうりん》したる|憎《にく》らしさ
|私《わたし》は|腹《はら》が|立《た》ちまする  とは|云《い》ふもののウラナイの
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御教《みをしへ》に  |照《て》らして|見《み》れば|怒《おこ》られぬ
ほんに|口惜《くちを》し|焦《じ》れつたい  |私《わたし》が|男《をとこ》であつたなら
|何程《なにほど》|強《つよ》いやつだとて  |決《けつ》して|怖《ひけ》は|取《と》らないに
|魔我彦《まがひこ》さまの|荒男《あらをとこ》  |其《その》|場《ば》に|居《ゐ》ながら|何《なん》の|事《こと》
|愛想《あいさう》のつきた|其《その》お|顔《かほ》  それでも|男《をとこ》と|云《い》へますか
|何時《いつ》も|偉《えら》そに|口《くち》ばかり  |立派《りつぱ》な|事《こと》を|仰有《おつしや》るが
まさかの|時《とき》に|屁古垂《へこた》れて  |其《その》|弱《よわ》りよは|何《なん》のざま
|神《かみ》のお|守《まも》りあるならば  |如何《いか》なる|曲《まが》の|襲《おそ》うとも
|決《けつ》してひけは|取《と》るまいに  |蠑〓別《いもりわけ》も|魔我彦《まがひこ》も
メツキリ|神徳《しんとく》|落《お》ちました  |斯様《かやう》な|事《こと》でウラナイの
|教《をしへ》がどうして|栄《さか》えませう  それを|思《おも》へば|小北山《こぎたやま》
|神《かみ》の|聖場《せいぢやう》の|前途《ぜんと》をば  |案《あん》じ|過《す》ごして|寝《ね》られない
|蠑〓別《いもりわけ》の|教主《けうしゆ》さま  |魔我彦《まがひこ》さまにお|母《かあ》さま
|下《くだ》らぬ|喧嘩《けんくわ》を|打《う》ち|切《き》つて  |心《こころ》の|底《そこ》から|神様《かみさま》に
|誠《まこと》をもつて|仕《つか》へませ  |何程《なにほど》|教祖《けうそ》と|云《い》つたとて
|肝腎要《かんじんかなめ》の|神徳《しんとく》を  |落《おと》した|上《うへ》は|仕様《しやう》がない
これから|心《こころ》を|立《た》て|直《なほ》し  |誠《まこと》|一《ひと》つのウラナイの
|神《かみ》の|教《をしへ》を|謹《つつし》んで  お|守《まも》りなされ|皆《みな》さまへ
|年歯《としは》も|行《ゆ》かぬお|菊《きく》めが  |何《なに》を|吐《ぬか》すと|思《おも》はずに
|今日《けふ》の|珍事《ちんじ》を|切《き》り|上《あ》げに  |根本的《こんぽんてき》に|改《あらた》めて
|神《かみ》の|恵《めぐみ》を|世《よ》の|中《なか》に  |開《ひら》かせたまへ|惟神《かむながら》
|天地《てんち》の|神《かみ》の|御前《おんまへ》に  |謹《つつし》みゐやまひ|願《ね》ぎまつる
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |山《やま》|裂《さ》け|海《うみ》はあするとも
|真《まこと》の|神《かみ》をよく|信《しん》じ  |神《かみ》の|心《こころ》を|理解《りかい》して
|愛《あい》と|善《ぜん》とを|世《よ》に|照《て》らし  |生《い》きては|此《この》|世《よ》の|花《はな》となり
|死《し》しては|神《かみ》の|御柱《みはしら》と  なりて|天国《てんごく》|浄土《じやうど》をば
|開《ひら》かせたまへ|惟神《かむながら》  |神《かみ》に|誓《ちか》ひて|此《この》お|菊《きく》
|一同《いちどう》に|注意《ちうい》|仕《つかまつ》る  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
(大正一一・一二・一二 旧一〇・二四 加藤明子録)
第一三章 |五三《いそ》の|月《つき》〔一二〇三〕
お|寅《とら》はお|菊《きく》の|後《あと》について|皺枯声《しわがれごゑ》を|張《は》り|上《あ》げながら|四辺《あたり》の|空気《くうき》が|濁《にご》るやうな|音調《おんてう》で|歌《うた》ひ|出《だ》した。|其《その》|声《こゑ》は|楯《たて》に|罅《ひび》が|入《はい》つたやうにビイビイと|一同《いちどう》の|耳《みみ》に|不快《ふくわい》に|伝《つた》はり|鼓膜《こまく》を|刺戟《しげき》する|事《こと》|最《もつと》も|甚《はなは》だし。
『|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|神様《かみさま》の  みまへを|謹《つつし》み|敬《うやま》ひて
|山《やま》と|川《かは》との|種々《くさぐさ》の  |珍《めづ》らし|物《もの》を|奉《たてまつ》り
|蓄《た》めて|置《お》いたる|一万両《いちまんりやう》  |金《かね》|迄《まで》スツパリ|放《ほ》り|出《だ》して
|此《この》よに|沢山《たくさん》|宮《みや》を|立《た》て  |末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神《かみ》
|月《つき》の|大神《おほかみ》|大将軍《だいしやうぐん》  |朝日《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》り|姫《ひめ》
|義理天上《ぎりてんじやう》や【きつく】|姫《ひめ》  |耕《たがや》し|大神《だいじん》|地上姫《ちじやうひめ》
|天若彦《あまわかひこ》や|定子姫《さだこひめ》  |黄竜姫《わうりようひめ》や|金竜姫《きんりうひめ》
|金山姫《かなやまひめ》は|云《い》ふも|更《さら》  |種物神社大御神《たねものじんじやおほみかみ》
へぐれのへぐれのへぐれ|武者《むしや》  へぐれ|神社《じんじや》|迄《まで》|立《た》て|並《なら》べ
これ|程《ほど》|信神《しんじん》して|居《ゐ》るに  |何《なん》と|思《おも》うてか|神様《かみさま》は
あの|悪者《わるもの》がやつて|来《き》て  |千両《せんりやう》の|金《かね》をぼつたくり
|肩《かた》を|怒《いか》らしスタスタと  |帰《かへ》つて|往《い》くのを|眺《なが》めつつ
そしらぬ|顔《かほ》で|厶《ござ》るとは  |聞《きこ》えませぬぞ|神様《かみさま》よ
|私《わたし》は|心《こころ》で|思《おも》ふには  |千両《せんりやう》やるのは|惜《をし》けれど
|尊《たふと》き|神《かみ》の|神罰《しんばつ》で  この|坂道《さかみち》の|中《なか》|程《ほど》で
|罰《ばち》が|当《あた》つて|金縛《かなしば》り  |二進《につち》も|三進《さつち》もならぬよに
なつて|熊公《くまこう》が|心《こころ》から  |前非《ぜんぴ》をくいて|改心《かいしん》し
|千両《せんりやう》どころか|一文《いちもん》も  |入《い》らないこれは|神様《かみさま》に
お|返《かへ》し|申《まを》す|其《その》かはり  |私《わたし》をたすけて|下《くだ》されと
|吠面《ほえづら》かはいて|来《く》るだらうと  |思《おも》うた|事《こと》も|当《あて》はずれ
みすみす|千両《せんりやう》の|金取《かねと》つた  |男《をとこ》を|無事《ぶじ》にいなすとは
ミロク|成就《じやうじゆ》の|神《かみ》さまも  |常世《とこよ》の|姫《ひめ》も|此《この》|頃《ごろ》は
|盲《めくら》|聾《つんぼ》になつたのか  |呆《あき》れて|物《もの》が|言《い》へませぬ
|思《おも》へば|思《おも》へば|力《ちから》の|無《な》い  ガラクタ|神《がみ》だと|思《おも》うたら
|俄《にはか》に|腹《はら》が|立《た》つて|来《き》た  こんな|事《こと》なら|平常《ふだん》から
|色々《いろいろ》ざつたと|気《き》をつけて  お|給仕《きふじ》するのぢや|無《な》かつたに
|愛想《あいさう》が|尽《つ》きたユラリ|彦《ひこ》  |末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神《かみ》
|上義《じやうぎ》の|姫《ひめ》の|松姫《まつひめ》も  サツパリ|宛《あて》にはなりませぬ
|尊《たふと》き|神《かみ》と|思《おも》うたら  |思《おも》ひも|寄《よ》らぬ|狼《おほかみ》だ
|狼《おほかみ》|住《す》まう|此《この》|山《やま》に  |熊公《くまこう》の|野郎《やらう》がやつて|来《き》て
|四《よ》つ|足《あし》|同様《どうやう》な|行《おこな》ひを  |致《いた》してお|寅《とら》を|苦《くる》しめた
|虎《とら》|狼《おほかみ》や|熊《くま》のやつ  |三《みつ》つ|巴《どもゑ》になり|果《は》てて
|何《なん》ぢやかンぢやと|争《あらそ》ひつ  |早《はや》|暮《く》れかかる|冬《ふゆ》の|空《そら》
|腹《はら》が|立《た》つのか|寒《さむ》いのか  |体《からだ》がブルブル|慄《ふる》て|来《き》た
|叶《かな》はぬから|叶《かな》はぬから  |本当《ほんたう》に|誠《まこと》に|耐《たま》らない
|力《ちから》も|徳《とく》もない|神《かみ》だ  これこれ|蠑〓別《いもりわけ》さまよ
ものも|言《い》はない|神《かみ》さまを  |何程《なにほど》お|給仕《きふじ》した|所《とこ》で
カラキシ|駄目《だめ》ぢやありませぬか  |即座《そくざ》に|云《い》ふ|事《こと》|聞《き》いて|呉《く》れる
|金《かね》の|神《かみ》さま|奪《うば》ひ|取《と》られ  どうして|後《あと》にぬつけりと
|平気《へいき》な|顔《かほ》で|居《ゐ》られよか  お|寅《とら》の|腕《うで》には|骨《ほね》がある
これから|熊公《くまこう》の|後追《あとお》うて  |獅子奮迅《ししふんじん》の|勢《いきほひ》で
|彼奴《きやつ》の|胸倉《むなぐら》グツと|取《と》り  |一《いつ》たんとつた|金《かね》の|神《かみ》
|引《ひ》き|戻《もど》さいで|置《お》くものか  まさかの|時《とき》に|助《たす》かろと
|思《おも》ふが|故《ゆゑ》に|朝晩《あさばん》に  |神《かみ》のお|給仕《きふじ》して|居《ゐ》るのだ
|盲《めくら》|聾《つんぼ》の|神《かみ》さまに  |何程《なにほど》|頼《たの》んで|見《み》たとこで
|聞《き》いて|呉《く》れそな|事《こと》はない  |何程《なにほど》|偉《えら》い|神《かみ》ぢやとて
ビタ|一文《いちもん》も|持《も》つて|居《ゐ》ぬ  |貧乏《びんばふ》な|神様《かみさま》|計《ばつか》りだ
|朝《あさ》から|晩《ばん》|迄《まで》|俺達《おれたち》の  |汗《あせ》や|膏《あぶら》で|拵《こしら》へた
お|神酒《みき》を|喰《くら》ひ|飯《めし》を|食《く》ひ  |海河山野《うみかはやまの》くさぐさの
|百味《ひやくみ》の|飲食《おんじき》|居《ゐ》ながらに  |頂《いただ》きながら|一言《ひとこと》も
|何《なん》とも|彼《か》とも|云《い》はぬ|奴《やつ》  |拝《をが》んだところで|何《なん》になる
|吾《われ》はこれからスツパリと  ガラクタ|神《がみ》を|思《おも》ひ|切《き》り
|誠《まこと》の|誠《まこと》の|根本《こつぽん》の  |神《かみ》の|教《をしへ》を|探《たづ》ね|出《だ》し
|人《ひと》に|勝《すぐ》れた|神徳《しんとく》を  |貰《もら》うて|見《み》せにやおきませぬ
|思《おも》へば|思《おも》へば|馬鹿《ばか》らしい  |怪体《けたい》の|悪《わる》い|事《こと》だつた
|思《おも》へば|思《おも》ふ|程《ほど》|腹《はら》が|立《た》つ  |皆《みな》さま|御苦労《ごくらう》で|厶《ござ》いました
|此《この》|神《かみ》さまを|拝《をが》もうと  |捨《す》てよとほかそと|御勝手《ごかつて》だ
|信仰《しんかう》|自由《じいう》と|聞《き》くからは  |決《けつ》して|邪魔《じやま》はせぬけれど
|肝腎要《かんじんかなめ》の|此《この》わしが  |愛想《あいさう》|尽《つ》かしたよな|神《かみ》を
|祭《まつ》つた|所《とこ》で|仕様《しやう》がない  |屁《へ》のつつぱりにもなりはせぬ
|屁《へ》なら|音《おと》なとするけれど  ブツともスツとも|云《い》はぬ|奴《やつ》
|今迄《いままで》|迷《まよ》うて|来《き》たものと  |吾《わが》|身《み》がボツボツいやになり
|馬鹿《ばか》であつたと|気《き》がついて  |大地《だいち》に|穴《あな》を|掘《ほり》|穿《うが》ち
かくれて|見《み》たいよな|気《き》がしだす  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》も|仏《ほとけ》もあるものか  |神《かみ》は|吾等《われら》と|倶《とも》にあり
|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》  こんな|明白《めいはく》な|道理《だうり》をば
|悟《さと》つて|居《ゐ》ながら|何《なん》として  |高姫《たかひめ》さまの|私造《しざう》した
ガラクタ|神《がみ》に|現《うつつ》をば  |抜《ぬ》かして|居《ゐ》たのか|口惜《くちをし》い
サアサアこれから|自暴自棄糞《やけくそ》だ  |堤防《どて》を|切《き》らして|酒《さけ》をのみ
|白浪女《しらなみをんな》の|意地《いぢ》を|出《だ》し  ドンチヤン|騒《さわ》いでやりませう
のめよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗夜《やみ》よ  |暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る
|月《つき》の|光《ひかり》は|明《あきら》かに  |吾《わが》|身《み》の|上《うへ》を|照《て》らします
ここに|祭《まつ》つた|神《かみ》さまは  |照《て》らす|所《どころ》か|暗《やみ》の|夜《よ》は
|灯明《あかり》をつけたり|蝋燭《らふそく》を  つけてやらねば|目《め》が|見《み》えぬ
|困《こま》つた|盲《めくら》の|神《かみ》ばかり  アイタヽヽタツタ アイタヽツタ
|余《あま》り|口《くち》が|辷《すべ》り|過《す》ぎ  |奥歯《おくば》で|舌《した》を|噛《か》み|切《き》つた
やつぱり|性根《しやうね》のある|神《かみ》か  そンならこれから|拝《をが》みませう
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
|五三公《いそこう》はそろそろ|歌《うた》ひ|出《だ》したり。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|分《わ》ける
|神《かみ》の|中《なか》にも|善《ぜん》があり  また|悪神《あくがみ》のあるものぞ
|善《ぜん》を|表《おもて》に|標榜《へうぼう》し  |此《この》|世《よ》を|救《すく》ふ|生神《いきがみ》と
|信仰《しんかう》|計《ばか》り|強《つよ》くして  |理解《りかい》し|得《え》ざる|信徒《まめひと》の
|体《たい》を|宿《やど》とし|巣《す》をくんだ  |狐《きつね》|狸《たぬき》や|曲鬼《まがおに》が
|尊《たふと》き|神《かみ》の|名《な》をかたり  |世人《よびと》を|欺《あざむ》く|事《こと》もある
|小北《こぎた》の|山《やま》に|祭《まつ》りたる  |此《この》|神様《かみさま》の|素性《すじやう》をば
|包《つつ》まづ|隠《かく》さず|云《い》うたなら  |生命《いのち》も|魂《たま》も|捧《ささ》げたる
|信者《しんじや》の|方《かた》は|驚《おどろ》かう  |私《わたし》はそれをば|知《し》つて|居《ゐ》る
そんな|悪魔《あくま》に|欺《だま》されて  |現《うつつ》を|抜《ぬ》かし|根《ね》の|国《くに》や
|底《そこ》の|国《くに》やら|畜生道《ちくしやうだう》  |落《お》ち|行《い》く|人《ひと》の|身《み》の|上《うへ》を
|見《み》るにつけても|可憐《いぢ》らしく  |忙《せは》しき|身《み》をも|顧《かへり》みず
|貴重《きちよう》なタイムを|空費《くうひ》して  |此処《ここ》に|滞在《たいざい》して|居《ゐ》るも
|汝等《なんぢら》|一同《いちどう》の|身魂《みたま》をば  |正《ただ》しき|神《かみ》の|大道《おほみち》に
|救《すく》ひ|助《たす》けむ|其《その》ためぞ  |思《おも》へよ|思《おも》へよ|顧《かへり》みよ
|此《この》|神名《しんめい》は|高姫《たかひめ》が  |脱線《だつせん》だらけの|神憑《かむかが》り
みたまが|地獄《ぢごく》に|落《お》ちた|時《とき》  |天《あめ》の|八衢《やちまた》に|彷徨《さまよ》へる
|醜《しこ》の|魔神《まがみ》に|取《と》りつかれ  |肉《にく》の|宮《みや》をば|宿《やど》にされ
|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《ひつぽう》だ  |日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》の|生宮《いきみや》と
|吾《われ》と|吾《わが》|手《て》に|盲信《まうしん》し  |教《をしへ》を|立《た》てて|居《を》りたのだ
|肝腎要《かんじんかなめ》の|高姫《たかひめ》や  |黒姫司《くろひめつかさ》が|自分《じぶん》から
|愛想《あいさう》|尽《つ》かして|打《う》ち|捨《すて》た  ウラナイ|教《けう》の|神様《かみさま》に
どうして|誠《まこと》があるものか  |茲《ここ》の|道理《だうり》を|考《かんが》へて
|社《やしろ》を|残《のこ》らず|潔斎《けつさい》し  |払《はら》ひ|清《きよ》めて|天地《あめつち》の
|真《まこと》の|神《かみ》を|祭《まつ》るべく  さうでなければ|蠑〓別《いもりわけ》
|司《つかさ》の|体《からだ》は|曲《まが》の|巣《す》と  なつて|忽《たちま》ち|身《み》を|砕《くだ》き
|魂《たま》は|曇《くも》りて|地獄道《ぢごくだう》  |根底《ねそこ》の|国《くに》へ|落《お》ち|行《ゆ》かむ
|魔我彦《まがひこ》さまやお|寅《とら》さま  |貴方《あなた》も|確《しつか》りするがよい
|名《な》もなき|神《かみ》に|名《な》をつけて  |拝《をが》んだ|所《ところ》で|何《なん》にする
|狐《きつね》|狸《たぬき》の|弄《もてあそ》びに  なるより|外《ほか》に|道《みち》はない
|天地《てんち》の|神《かみ》の|御息《みいき》より  |生《うま》れ|出《い》でたる|生宮《いきみや》と
|名乗《なの》りながらも|曲神《まがかみ》に  |霊《みたま》を|汚《けが》され|朝夕《あさゆふ》に
|濁《にご》つた|言霊《ことたま》|奏上《そうじやう》し  |世《よ》を|乱《みだ》すとは|何《なん》の|事《こと》
これ|五三公《いそこう》が|天地《あめつち》の  |神《かみ》に|誓《ちか》ひて|赤心《まごころ》を
|汝《なれ》が|命《みこと》の|御前《おんまへ》に  |怯《おめ》ず|臆《おく》せず|並《なら》べ|立《た》て
|忠告《ちうこく》|致《いた》す|次第《しだい》なり  |果《はた》してこれの|神様《かみさま》に
|誠《まこと》の|霊《れい》があるならば  |今《いま》|眼前《まのあたり》|五三公《いそこう》が
|無礼《ぶれい》の|事《こと》を|囀《さへづ》つた  |舌《した》の|根《ね》とめて|命《いのち》をば
とつて|呉《く》れても|恨《うら》みない  これが|出来《でき》ねばこの|神《かみ》は
|霊《れい》も|力《ちから》も|無《な》い|曲津《まがつ》  |茲《ここ》で|眼《まなこ》を|醒《さ》まさねば
|真《まこと》の|神《かみ》の|御怒《みいか》りに  ふれてその|身《み》は|云《い》ふも|更《さら》
|霊魂《れいこん》までもメチヤメチヤに  こはされ|無限《むげん》の|苦《くる》しみを
|万古末代《まんごまつだい》|受《う》けますぞ  |顧《かへり》みたまへ|蠑〓別《いもりわけ》
|百《もも》の|司《つかさ》の|御前《おんまへ》に  |神《かみ》に|誓《ちか》ひて|述《の》べておく
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
(大正一一・一二・一二 旧一〇・二四 加藤明子録)
第四篇 |鬼風獣雨《きふうじうう》
第一四章 |三昧経《さんまいきやう》〔一二〇四〕
|蠑〓別《いもりわけ》はお|寅婆《とらば》アさまに|抓《つ》められ、|鼻《はな》をねぢられ|気絶《きぜつ》した|揚句《あげく》、|犬《いぬ》も|喰《く》はない|悋気喧嘩《りんきげんくわ》をケロリと|忘《わす》れて、|奥《おく》の|一間《ひとま》でお|寅婆《とらばば》アの|酌《しやく》で|再《ふたた》び|般若湯《はんにやたう》に|舌鼓《したつづみ》を|打始《うちはじ》めた。お|寅《とら》は|神《かみ》より|大切《たいせつ》に|思《おも》うて|居《を》つた|千両《せんりやう》の|小判《こばん》を|悪因縁《あくいんねん》のまはり|合《あは》せか、|十五年前《じふごねんぜん》にふりすてた|夫《をつと》、|酔《よひ》どれの|熊公《くまこう》にふンごまれ、|酒《さけ》をしたたか|呑《の》みつぶされ、ふンだくられて|劫《ごふ》を|煮《に》やし、|迷信者《めいしんじや》にはよくある|信仰上《しんかうじやう》のグラツキを|始《はじ》め|出《だ》し、|口《くち》を|極《きは》めて|屁《へ》のつつ|張《ぱ》りにもならぬ|神《かみ》だとコキおろした|揚句《あげく》、|自《みづか》ら|舌《した》を|噛《か》み、ハツと|気《き》がつき、|再《ふたた》び|神《かみ》を|礼拝《れいはい》する|心《こころ》に|立返《たちかへ》つた。|五三公《いそこう》は|今《いま》こそ|迷夢《めいむ》を|醒《さ》ましやらむと|歌《うた》によそひて|説明《せつめい》した。|小北山《こぎたやま》の|祭神《さいじん》の|虚偽的無名《きよぎてきむめい》の|神《かみ》なること、|高姫《たかひめ》が|自《みづか》ら|心《こころ》に|積《つ》んだ|罪悪《ざいあく》のために、|一旦《いつたん》|根底《ねそこ》の|国《くに》に|陥《おちい》り、|天《あめ》の|八衢《やちまた》にさまよひ、|漸《やうや》く|息《いき》を|吹返《ふきかへ》し、|気《き》が|遠《とほ》くなつてゐる|所《ところ》へ、|其《その》|虚《きよ》を|窺《うかが》つて|這入《はい》つて|来《き》た|古狐《やかん》が|神《かみ》の|真似《まね》をして、いろいろの|他愛《たあい》もない|神名《しんめい》を|編《あ》み|出《だ》し、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》と|妄信《まうしん》し、|自分《じぶん》は|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《ひつぽう》だ、|生粋《きつすゐ》の|大和魂《やまとだましひ》だと|固《かた》く|主張《しゆちやう》し|出《だ》し、|三千世界《さんぜんせかい》のことは|此《この》|日《ひ》の|出神《でのかみ》でなければ|分《わか》らぬ、|之《これ》を|変性女子《へんじやうによし》にソツと|知《し》らしてやるお|役《やく》だと、|悪《わる》い|狐《やかん》に|誑《たぶら》かされて、|益々《ますます》|固《かた》く|自分《じぶん》の|副守《ふくしゆ》を|信《しん》じ|出《だ》し、|変性女子《へんじやうによし》の|御霊《みたま》や|金勝要神《きんかつかねのかみ》の|御霊《みたま》が|取上《とりあ》げぬのを、|非常《ひじやう》に|憤慨《ふんがい》し、|黒姫《くろひめ》、|蠑〓別《いもりわけ》、|魔我彦《まがひこ》、|其《その》|外《ほか》|精神上《せいしんじやう》に|大欠陥《だいけつかん》のあるデモ|紳士《しんし》や|婆嬶《ばばかか》|共《ども》を|籠絡《ろうらく》し、|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》より|寄附金《きふきん》を|集《あつ》め、|北山村《きたやまむら》に|本拠《ほんきよ》を|構《かま》へてゐた|所《ところ》、とうとう|化《ばけ》がはげかけたので、|蠑〓別《いもりわけ》に|命《めい》じ、|小北山《こぎたやま》へ|本山《ほんざん》を|移《うつ》すことを|命《めい》じておいたのである。|其《その》|内《うち》に|肝腎《かんじん》の|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》は|極悪無道《ごくあくぶだう》の|神《かみ》と|思《おも》つてゐた|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の|仁慈《じんじ》の|徳《とく》に|感歎《かんたん》し、ウラナイ|教《けう》を|弊履《へいり》の|如《ごと》くに|棄《す》てて、|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》し、|宣伝使《せんでんし》の|中《うち》にヤツと|加《くは》へられたのである。|併《しか》し|乍《なが》ら|執着心《しふちやくしん》はどこ|迄《まで》も|強《つよ》く、|自分《じぶん》は|義理天上日出神《ぎりてんじやうひのでのかみ》の|生宮《いきみや》だといふ|観念《くわんねん》は|中々《なかなか》|容易《ようい》に|除《と》れなかつた。|又《また》|黒姫《くろひめ》は|黒姫《くろひめ》で|自分《じぶん》こそ|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》の|生宮《いきみや》だと|固《かた》く|信《しん》じ、|随分《ずゐぶん》|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》を|手古摺《てこず》らしたものである。|併《しか》しながら|言依別命《ことよりわけのみこと》|以下《いか》の|熱心《ねつしん》なる|種々《しゆじゆ》の|薫陶《くんたう》に|依《よ》つて、|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》は|一日々々《いちにちいちにち》|薄紙《うすがみ》をヘグ|様《やう》に|迷《まよ》ひの|雲《くも》が|心《こころ》の|空《そら》から|取除《とりのぞ》かれた。|今《いま》は|全《まつた》く|二人《ふたり》は|迷夢《めいむ》も|醒《さ》めて、|今迄《いままで》の|自分《じぶん》の|言行《げんかう》を|省《かへり》み、|羞恥《しうち》の|心《こころ》に|悩《なや》んでゐる。|然《しか》るに|蠑〓別《いもりわけ》は|依然《いぜん》として|高姫《たかひめ》の|遺鉢《ゐはつ》をつぎ、|執念深《しふねんぶか》くウラナイ|教《けう》を|支持《しぢ》してゐた。|其《その》|理由《りいう》は、|今迄《いままで》|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》の|肉体《にくたい》を|機関《きくわん》として|三五《あななひ》の|誠《まこと》の|教《をしへ》を|攪乱《かくらん》せむと|企《たく》んでゐた|諸々《もろもろ》の|悪魔《あくま》|共《ども》は、|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》の|帰順《きじゆん》と|共《とも》に|其《その》|身内《みうち》に|止《とど》まる|余地《よち》なく|次第々々《しだいしだい》に|脱出《だつしゆつ》して、|小北山《こぎたやま》の|蠑〓別《いもりわけ》、|魔我彦《まがひこ》、お|寅婆《とらばあ》さまの|肉体《にくたい》に|全部《ぜんぶ》|宿替《やどがへ》をして|了《しま》つたのである。それだから|此等《これら》|三人《さんにん》の|猛烈《まうれつ》なる|迷信《めいしん》は|以前《いぜん》の|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》に|優《まさ》る|共《とも》|決《けつ》して|劣《おと》らなかつた。|又《また》|蠑〓別《いもりわけ》は|以前《いぜん》は|軍人《ぐんじん》であつて、|相当《さうたう》の|社会的《しやくわいてき》|教育《けういく》もあり、|一寸《ちよつと》|哲学《てつがく》もカジリ、|各宗《かくしう》の|教典《けうてん》も|生《なま》かじりて|稍《やや》|見聞《けんぶん》を|広《ひろ》くして|居《ゐ》たから、|曲神《まがかみ》が|道具《だうぐ》に|使《つか》ふのには、|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》よりも|余程《よほど》の|便利《べんり》があるのだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|何程《なにほど》|常識《じやうしき》があつても、|学問《がくもん》があつても、|肝腎要《かんじんかなめ》の|良心《りやうしん》を|犯《をか》され、|精神《せいしん》の|大欠陥《だいけつかん》を|来《きた》した|上《うへ》は、|世間《せけん》の|所謂《いはゆる》|賢人《けんじん》も|学者《がくしや》もヤツパリ|愚夫愚婦《ぐふぐふ》|以上《いじやう》に|始末《しまつ》がをへなくなるものである。|蠑〓別《いもりわけ》は|高姫《たかひめ》のあらはした|支離滅裂《しりめつれつ》な|神名《しんめい》や|教理《けうり》を|審判《さには》することの|出来《でき》ない|様《やう》な|文盲者《もんまうしや》ではないが、|併《しか》し|乍《なが》ら|最早《もはや》|今日《こんにち》となつては|公平《こうへい》な|理解力《りかいりよく》も|全然《ぜんぜん》|失《うしな》つて|居《ゐ》た。それ|故《ゆゑ》|晨《あした》にウラナイの|神《かみ》を|念《ねん》じ、|日中《まひる》にアーメンを|叫《さけ》び、|夕暮《ゆふぐれ》になれば|数珠《じゆず》をもみ、|鈴《りん》を|鳴《な》らして、|仏《ぶつ》の|教典《けうてん》を|一生懸命《いつしやうけんめい》に|読誦《どくしよう》して|唯一《ゆゐいつ》の|善行《ぜんぎやう》と|信《しん》じてゐたのである。
|蠑〓別《いもりわけ》の|有難《ありがた》がつて|唱《とな》へる|御経《おきやう》はいつも|観物三昧経《くわんぶつさんまいきやう》であつた。|此《この》|経文《きやうもん》は|釈迦仏《しやかぶつ》の|弟子《でし》|共《ども》の|偽作《ぎさく》であつて、|仏教弘通《ぶつけうぐつう》の|方便《はうべん》として、|釈迦《しやか》を|弁護《べんご》する|為《ため》に|作《つく》つたものである。|要《えう》するに|此《この》|経文《きやうもん》は|釈迦《しやか》に|対《たい》し|贔屓《ひいき》の|引倒《ひきだふ》しであることは|少《すこ》し|思慮《しりよ》ある|者《もの》は|悟《さと》り|得《う》ることであらう。|夕暮《ゆふぐれ》になつたので、|蠑〓別《いもりわけ》は|例《れい》の|如《ごと》く|数珠《じゆず》をもみ、|鈴《りん》を|打鳴《うちな》らし|乍《なが》ら|観物三昧経《くわんぶつさんまいきやう》を|称《とな》へ|出《だ》した。
『爾時太子於其根処出白蓮華。其色紅白上下二三華相連。諸女見已復相謂言。此如神人有蓮華相。此人云何。心有染著。作此語已噎不能言。是時蓮中忽有身根如童子形。諸女見已更不勝喜悦現此相。時羅〓羅母見彼身根華々相次如天劫貝。一々華上乃有無数大身菩薩。手執白華囲繞身根現已還没。爾時復有諸婬女等。皆言。瞿曇是無根人。仏聞此語如馬王相漸々出現。初出之時猶如八歳童子身根。漸々長大如少年形。諸女見已皆悉歓喜。時漸長大如蓮華幢。一々層間有百億蓮華。一々蓮華有百億宝色。一々色中有百億化仏。一々化仏有百億菩薩無量大衆。以為侍者。時諸化仏異口同音毀諸女人悪欲。而説偈言。
若有諸男子 年皆十五六 盛壮多力勢
数満恒河沙 持以供給女 不満須臾意
時諸女人聞此語已。心懐慚愧懊悩。僻地挙手拍頭。而嗚呼悪慾。各厭女身皆発菩提心』チーン……
|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》、アク、テク、タクの|五人《ごにん》はヘグレ|神社《じんしや》をブラブラと|巡見《じゆんけん》して|種々《いろいろ》と|批評《ひひやう》を|試《こころ》みて|居《ゐ》た|所《ところ》、|俄《にはか》に|不思議《ふしぎ》な、|神《かみ》の|館《やかた》に|似合《にあ》はず、|経文《きやうもん》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》たので、ソツと|壁《かべ》の|外《そと》から、|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせ、どこの|坊主《ばうず》がやつて|来《き》て、|経文《きやうもん》を|称《とな》へてゐるのだらう、|蠑〓別《いもりわけ》も|余程《よほど》|物好《ものずき》だ、ドレ|一《ひと》つ|考《かんが》へて|見《み》ようかと、|一行《いつかう》|五人《ごにん》は|耳《みみ》をすまして|聞《き》いてゐる。|五人《ごにん》の|中《なか》で|仏《ぶつ》の|経文《きやうもん》を|知《し》つてゐる|者《もの》は|五三公《いそこう》|一人《ひとり》であつた。
|五三《いそ》『あゝコリヤ|不思議《ふしぎ》だ、あの|声《こゑ》は|蠑〓別《いもりわけ》だ。|観物三昧経《くわんぶつさんまいきやう》を|上《あ》げてゐる|様《やう》だ。ヤツパリ|三教《さんけう》|合同《がふどう》の|御本尊《ごほんぞん》の|眷族《けんぞく》だと|聞《き》いてゐたが、|神《しん》、|仏《ぶつ》、|耶《や》|混淆《こんかう》のウラナイ|教《けう》の|教主《けうしゆ》さまだな』
|万公《まんこう》『|観物三昧経《くわんぶつさんまいきやう》にはどんなことが|云《い》つてあるのだ。|一《ひと》つ|其《その》|訳《わけ》を|聞《き》きたいものだなア。オイ|是《これ》から|蠑〓別《いもりわけ》さまに|拝謁《はいえつ》を|願《ねが》つて、お|経《きやう》の|解説《かいせつ》を|願《ねが》ふことにしようかなア』
|五三《いそ》『|何《なに》……ダメだよ、|観物三昧経《くわんぶつさんまいきやう》の|真相《しんさう》が|理解《りかい》されたら、|馬鹿《ばか》らしくつて、|有難《ありがた》さうに|唱《とな》へられるものぢやない。ああして|棒読《ぼうよ》みにダヽブダ ダヽブダと|読《よ》んで|行《ゆ》くから、|有難《ありがた》い|様《やう》に|聞《きこ》えるのだ』
|万公《まんこう》『さうするとヤツパリ|分《わか》らぬのが|有難《ありがた》いのかなア。|五三公《いそこう》さま、お|前《まへ》|経文《きやうもん》の|精神《せいしん》を|知《し》つてゐるのなら、|一《ひと》つ|其《その》|説明《せつめい》を|願《ねが》ひたいものだなア』
|五三《いそ》『|余《あま》り|馬鹿《ばか》らしくて、|説明《せつめい》する|丈《だけ》の|価値《かち》がないのだ。お|釈迦《しやか》さまも、ああして|祭《まつ》り|込《こ》まれちや、|本当《ほんたう》にお|気《き》の|毒《どく》だ。|露骨《ろこつ》に|言《い》へば……|全体《ぜんたい》|釈迦如来《しやかによらい》|様《さま》は|無生無死《むせいむし》の|大神人《だいしんじん》|国大立尊《くにひろたちのみこと》の|別御霊《わけみたま》なる|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》|様《さま》が|月照彦《つきてるひこ》と|現《あら》はれ|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》を|宣布《せんぷ》し、|永《なが》く|幽政《いうせい》を|掌《つかさど》り|遂《つひ》には|久劫《きうごふ》の|昔《むかし》から|成仏《じやうぶつ》して|都率天《とそつてん》といふ|天上《てんじやう》に|坐《ま》し|坐《ま》し|印度《いんど》の|国《くに》に|於《おい》て|再《ふたた》び|肉体《にくたい》を|示顕《じけん》され|時代《じだい》と|地方《ちはう》との|関係上《くわんけいじやう》から|仏法《ぶつぼふ》を|弘布《こうふ》せむと|天津神《あまつかみ》|様《さま》の|命令《めいれい》を|奉《ほう》じて|浄飯王《じやうぼんわう》の|妻《つま》|摩耶夫人《まやふじん》の|腹《はら》に|宿《やど》つて|生《うま》れ|婆羅門教《ばらもんけう》の|勢力《せいりよく》|旺盛《わうせい》にして|刹帝利族《せつていりぞく》を|圧迫《あつぱく》し|且《か》つ|毘舎《びしや》、|首陀《しゆだ》の|二族《にぞく》を|虐《しひた》げ|弊害《へいがい》が|甚《はなは》だしかつたので|婆羅門教《ばらもんけう》を|言向和《ことむけやは》すべく|活動《くわつどう》されたのだ。|併《しか》しその|教《をしへ》の|流《なが》れを|汲《く》む|後世《こうせい》の|仏弟子《ぶつでし》どもが|若《も》し|人《ひと》に、|釈迦《しやか》はそれ|程《ほど》|久《ひさ》しい|昔《むかし》から|成仏《じやうぶつ》して|居《ゐ》たといつたならば、|妻子《さいし》の|如《ごと》きものが|在《あ》るべき|筈《はず》がないと|難《なん》じられた|時《とき》に|困《こま》る|訳《わけ》だから、その|時《とき》の|尻《しり》を|結《むす》ぶために|糞坊主《くそばうず》どもが|言《い》つたことだ。まだまだその|他《た》の|仏教《ぶつけう》にも|尻《しり》の|結《むす》べぬ|事《こと》が|書《か》いて|居《ゐ》るが|皆《みな》|釈迦如来《しやかによらい》の|精神《せいしん》ではないのだ。
|今《いま》|唱《とな》へて|居《ゐ》るのは|観物三昧経《くわんぶつさんまいきやう》だが、その|意味《いみ》を|訳《やく》すれば、|釈迦《しやか》は|妻《つま》を|娶《めと》つたけれど|交合《かうがふ》を|為《し》なかつた、|所《ところ》が|耶輸陀羅《やしゆだら》を|始《はじ》め|数多《あまた》の|侍女《じぢよ》どもが|非常《ひじやう》に|怪《あや》しんで|居《ゐ》た|時《とき》に、|侍女《じぢよ》の|一人《ひとり》が|云《い》ふには|妾《わし》は|釈迦《しやか》に|奉事《ほうじ》して|永《なが》らくの|年《とし》を|経《へ》たけれども|未《いま》だにその|根《こん》を|見《み》たことが|無《な》い、|況《いは》んや|世事《せじ》あらむやといふ、|但《ただし》|俺《わし》が|根《こん》と|云《い》つたるは|即《すなは》ち|陰茎《いんけい》のことだ。そして|世事《せじ》と|云《い》ふのは、やがて|交合《かうがふ》の|事《こと》だ、|何《なん》の|事《こと》はない|釈迦《しやか》に|仕《つか》へて|年《とし》を|経《へ》たけれどもその|陰茎《いんけい》を|見《み》たことが|無《な》いから|況《ま》して|交合《かうがふ》はせぬ|筈《はず》ぢやと|云《い》ふのだ。|時《とき》にまた|一人《ひとり》の|女《をんな》が|云《い》ふには、|妾《わたし》は|太子《たいし》に|仕《つか》へて|十八年《じふはちねん》を|経《へ》たが|未《いま》だ|太子《たいし》の|便利《べんり》の|患《くわん》あるを|見《み》ない|況《いは》ンや|復《ま》た|諸《もも》の|余《よ》を|見《み》ようぞと|云《い》つた。そこで|一同《いちどう》が|然《しか》らば|太子《たいし》は|男《をとこ》ではあるまいと|云《い》つて|居《ゐ》るので|釈迦《しやか》は|之《これ》を|察《さつ》して|態《わざ》と|昼寝《ひるね》をして|彼《かれ》の|一物《いちもつ》を|出《だ》して|見《み》せた、|其《その》|趣《おもむき》を|経文《きやうもん》の|儘《まま》に|棒読《ぼうよ》みにするから|実《じつ》に|有難《ありがた》く|見《み》えたり|聞《きこ》えたりするのだ、アハヽヽヽ|後《のち》の|坊主《ばうず》どもが|釈迦《しやか》を|贔屓《ひいき》に|思《おも》ひ|過《す》ごしてこんな|馬鹿《ばか》な|説《せつ》を|作《つく》つて|贔屓《ひいき》の|引倒《ひきだふ》しを|為《し》たものだ。|何程《なにほど》わからぬ|人間《にんげん》だとて|蠑〓別《いもりわけ》の|如《ごと》き|文盲《もんまう》なものばかりも|有《あ》るもので|無《な》いから|坊主《ばうず》のやうにダヽブダ ダヽブダ ダヽブダとばかり|読《よ》んで|居《を》らず、たまさかには|俺《わし》の|様《やう》にシヤンと|読《よ》む|人《ひと》もあるからなア、こんな|具合《ぐあひ》で|諸々《もろもろ》の|仏経《ぶつきやう》は|尽《ことごと》く|釈迦《しやか》に|托《たく》して|後《のち》の|仏者《ぶつしや》どもが|偽作《ぎさく》したものだよ、|大方《おほかた》の|人間《にんげん》は|凡《すべ》ての|仏経《ぶつきやう》は|全部《ぜんぶ》|阿難《あなん》が|書《か》いて|置《お》いたものだと|固《かた》く|思《おも》つて|居《を》るから|目指《めざ》して|釈迦《しやか》を|譏《そし》つたり|非難《ひなん》する|様《やう》になるのだ』
|万公《まんこう》『ヤア|有難《ありがた》い。|併《しか》し|乍《なが》らヒイキの|引倒《ひきだふ》し、|商売《しやうばい》|道具《だうぐ》に|使《つか》はれちや、お|釈迦《しやか》さまもキツと|阿弥陀《あみだ》をこぼして|厶《ござ》るだらう。|何程《なにほど》|教祖《けうそ》は|正《ただ》しいことを|云《い》つても、|後《のち》の|奴《やつ》がいろいろと|誤解《ごかい》をしたり、|勝手《かつて》な|熱《ねつ》を|吹《ふ》いたり、|自分《じぶん》の|説《せつ》が|通《とほ》らないと、|如是我聞《によぜがもん》とつけて、|釈迦《しやか》に|是《かく》の|如《ごと》く|聞《き》いたと|自説《じせつ》を|弁護《べんご》せうとするのだから|困《こま》つたものだな、|併《しか》し|五三公《いそこう》さま、お|前《まへ》は|一行中《いつかうちう》の|大学者《だいがくしや》だ、ヤアもう|感心《かんしん》した、|今後《こんご》は|決《けつ》してお|前《まへ》を|軽蔑《けいべつ》しないから、どうぞ|俺《おれ》に|知識《ちしき》の|分配《ぶんぱい》をしてくれ、お|頼《たの》みだ』
|五三《いそ》『ヨシヨシ|俺《おれ》も|神《かみ》でもなければ|仏《ほとけ》でもないのだから、|万屋《よろづや》の|様《やう》に|何《なん》でも|引受《ひきう》けるといふことは|出来《でき》ない。|蠑〓別《いもりわけ》の|様《やう》に|知《し》らぬことでも|何《なん》とか|理屈《りくつ》をつけてチヨロまかすのなら、どうでもなるが、ゴマ|化《くわ》しは|永続《ながつづ》きがせぬからな、そして|又《また》|下根《げこん》の|人間《にんげん》に|何程《なにほど》|結構《けつこう》なことを|聞《き》かした|所《ところ》で、|聞《き》く|耳《みみ》がないと|反対《はんたい》に|取《と》れるものだ、さうだから|愚夫愚婦《ぐふぐふ》には|却《かへつ》て|誠《まこと》のことは|言《い》はれないのだ。|自分《じぶん》の|暗愚《あんぐ》な|卑劣《ひれつ》な|心《こころ》を|標準《へうじゆん》として、|凡《すべ》ての|人間《にんげん》は|聞《き》くのだから、|玉《たま》に|光《ひかり》のない|者《もの》には|本当《ほんたう》のことを|云《い》つてやると|却《かへつ》て|誤解《ごかい》するものだ、|併《しか》し|万公《まんこう》さまは|下根《げこん》ではない、|中根《ちうこん》|位《くらゐ》な|所《ところ》だから、|天国《てんごく》で|云《い》へば|第二《だいに》|天国《てんごく》といふ|所《ところ》だ。|第二《だいに》|天国《てんごく》|相応《さうおう》の|説明《せつめい》を|与《あた》へることにせう』
|万公《まんこう》『ヤア|有難《ありがた》い、|中根《ちうこん》なら|結構《けつこう》だ。|俺《おれ》は|又《また》|下根《げこん》だと|言《い》はれるかと|思《おも》つてヒヤヒヤしてゐたよ』
|五三《いそ》『|上根《じやうこん》にも|上中下《じやうちうげ》があり、|中根《ちうこん》の|中《うち》にも|又《また》|上中下《じやうちうげ》があり、|下根《げこん》の|中《なか》にも|亦《また》|上中下《じやうちうげ》があつて、|三三《さざん》が|九階級《くかいきふ》、|区別《くべつ》がついてゐるのだ、これもホンの|大要《たいえう》で、|細《こま》かく|言《い》へば|百八十段《ひやくはちじふだん》になる』
|万公《まんこう》『さうすると、|此《この》|万公《まんこう》は|中《ちう》の|中《ちう》|位《くらゐ》な|者《もの》かなア』
|五三《いそ》『さうだなア、ヤツとマア|中《ちう》の|下《げ》|位《くらゐ》な|者《もの》だらうよ』
アク『|五三公《いそこう》さま、|私《わたし》はどこら|位《くらゐ》ですか』
|五三《いそ》『ウン、お|前《まへ》は|比較的《ひかくてき》|霊《みたま》が|研《みが》けてゐる、|中根《ちうこん》の|上《じやう》だ、モ|一《ひと》つ|気張《きば》れば|上根《じやうこん》に|進《すす》むのだよ』
|万公《まんこう》『オイ、アク、|慢心《まんしん》すなよ、お|芽出《めで》たう』
アク『|五三公《いそこう》さま、イヤ|先生《せんせい》、|私《わたし》のやうな|霊《みたま》でも|中《ちう》の|上《じやう》|位《くらゐ》な|理解力《りかいりよく》がありますかな』
|五三《いそ》『ハイ|大丈夫《だいぢやうぶ》ですよ、|併《しか》し|慢心《まんしん》をすると、すぐに|落《お》ちますからな、ハヽヽヽヽ』
タク『|先生《せんせい》、|私《わたし》はどこらですか』
|五三《いそ》『ウン、お|前《まへ》はさうだなア、|何《なん》と|云《い》つてよからうかな』
タク『ヘー、さうすると|上中下《じやうちうげ》|三根《さんこん》を|超越《てうゑつ》してゐるのですか』
|五三《いそ》『|番外《ばんぐわい》だなア、よいと|云《い》へばよい、|悪《わる》いと|云《い》へば|悪《わる》い、まだ|混沌《こんとん》として|鶏子《けいし》の|如《ごと》く、|溟淆《めいかう》にして|牙《が》を|含《ふく》めりと|云《い》ふ|所《ところ》だ』
タク『あゝさうすると、|開闢《かいびやく》の|初《はじめ》に|現《あら》はれた|国治立命《くにはるたちのみこと》|様《さま》|同様《どうやう》の|身魂《みたま》ですかな、|即《すなは》ち|化《くわ》して|神《かみ》となる、|国治立命《くにはるたちのみこと》と|号《がう》す……といふ|様《やう》なものですか。|成程《なるほど》|国治立命《くにはるたちのみこと》|様《さま》は|世界《せかい》|最初《さいしよ》の|偉《えら》い|神様《かみさま》であり|乍《なが》ら、|一番《いちばん》|世《よ》の|中《なか》におちぶれて|御座《ござ》つたといふ|事《こと》だから、いかにも|番外《ばんぐわい》でせう。オイ、|中《ちう》の|下《げ》|先生《せんせい》、|中《ちう》の|上《じやう》|先生《せんせい》、どうですなア』
|万公《まんこう》『ハヽヽヽ、|国所立退《くにとこたちの》きの|命《みこと》だな、|砂《すな》が|化《くわ》して|瓦《かはら》となるといふ|所《ところ》だ』
テク『|先生《せんせい》、|私《わたし》は|何《なん》ですか』
|五三《いそ》『さうだなア、テクもタクと|余《あま》り|勝《か》ち|負《まけ》はないだらう』
テク『ヤア|有難《ありがた》う』
|万公《まんこう》『ハヽヽヽつまり|言《い》へば|神界《しんかい》のハネノケ|者《もの》だ。チツと|之《これ》から|観物三昧経《くわんぶつさんまいきやう》でも|研究《けんきう》して、|下《げ》の|下《げ》|位《くらゐ》|迄《まで》|進《すす》んだらよからうぞ、ウツフヽヽ』
テク『|馬鹿《ばか》にすない、あんな|者《もの》がこんな|者《もの》になるといふ|仕組《しぐみ》だ、|今《いま》よくても|先《さき》がよくならねば|誠《まこと》でないぞよ。|霊《みたま》がよいと|申《まを》して|慢心《まんしん》|致《いた》すとスコタンを|食《く》ふぞよ、|万公《まんこう》どのに|気《き》をつけるぞよ、|早《はや》く|改心《かいしん》して|下《くだ》されよ、|改心《かいしん》が|一等《いつとう》ぞよ。|艮婆《うしとらばば》アに|間違《まちがひ》ないぞよ、|蠑〓別《いもりわけ》の|女房《にようばう》お|寅《とら》が|気《き》をつけるぞよ、アハヽヽヽ』
(大正一一・一二・一三 旧一〇・二五 松村真澄録)
第一五章 |曲角狸止《まがつのりと》〔一二〇五〕
|五三公《いそこう》は|観物三昧経《くわんぶつさんまいきやう》|説明《せつめい》のおかげで、|四人《よにん》の|連中《れんちう》からたうとう|先生《せんせい》といふ|仇名《あだな》をつけられて|了《しま》つた。|五三公《いそこう》も|先生《せんせい》と|言《い》はれてよい|気《き》になり、ウンウンと|返詞《へんじ》をすることになつて|了《しま》つた。そしてアク|公《こう》を|中上《ちうじやう》|先生《せんせい》と|仇名《あだな》し、|万公《まんこう》を|中下《ちうげ》|先生《せんせい》と|称《とな》へ、タクは|番外《ばんぐわい》|先生《せんせい》、テクはチヨボチヨボ|先生《せんせい》と|互《たがひ》に|呼《よ》びなす|様《やう》になつた。
タク『モシ|先生《せんせい》、|小北山《こぎたやま》の|神《かみ》の|因縁《いんねん》に|付《つ》いては|最前《さいぜん》お|寅婆《とらば》アさまの|前《まへ》でお|歌《うた》ひになりましたが、|如何《どう》して|又《また》こんなバカなことが|出来《でき》たものでせうかな』
|五三《いそ》『|之《これ》に|就《つい》ては|随分《ずゐぶん》|面白《おもしろ》い|秘密《ひみつ》があるのだ。|所謂《いはゆる》|一輪《いちりん》の|秘密《ひみつ》だ。|常世《とこよ》の|国《くに》から|渡《わた》つて|来《き》た|大変《たいへん》|古《ふる》い|斑狐《まんだらぎつね》が|白《しろ》い|狐《きつね》を|二匹《にひき》、|古狸《くろさん》を|三疋《さんびき》、それから|野狐《やかん》を|幾疋《いくひき》ともなく|引率《いんそつ》して、|波斯《フサ》の|国《くに》|北山村《きたやまむら》の|本山《ほんざん》に|現《あら》はれ、バラモン|教《けう》に|一寸《ちよつと》|首《くび》を|突出《つきだ》してゐた|精神上《せいしんじやう》に|欠陥《けつかん》のあるヒポコンデル|患者《くわんじや》|高姫《たかひめ》といふ|女《をんな》に|憑依《ひようい》して、|此《この》|世《よ》を|紊《みだ》し、|国治立《くにはるたち》の|大神様《おほかみさま》を|看板《かんばん》にして、|自分《じぶん》の|世界《せかい》にせうと|考《かんが》へたのが|起《おこ》りだ。そした|所《ところ》、|此《この》|高姫《たかひめ》も|若《わか》い|時《とき》は|随分《ずゐぶん》|情交《いろごと》が|好《す》きで、|其《その》|斑狐《はんこ》サンが|思《おも》ふ|様《やう》に|肉体《にくたい》を|使《つか》ふことが|出来《でき》なかつたものだから、やむを|得《え》ず、ネタ|熊《くま》といふ|若《わか》い|男《をとこ》の|体《たい》をかり、|上谷《かみだに》といふ|所《ところ》で、|謀反《むほん》を|企《たく》みかけたのだ。そした|所《ところ》、|変性男子《へんじやうなんし》の|御霊《みたま》と、|変性女子《へんじやうによし》の|御霊《みたま》が|現《あら》はれて|審神《さには》を|遊《あそ》ばしたものだから、|斑狐《はんこ》サンたまりかね、|部下《ぶか》の|狐狸《こり》|共《ども》を|引《ひき》つれ、|小北《こぎた》の|山《やま》へ|一目散《いちもくさん》に|逃帰《にげかへ》つて|了《しま》つたのだ。さうすると、ネタ|熊《くま》の|肉体《にくたい》は|小北山《こぎたやま》へ|来《こ》なくなり、|二三日《にさんにち》|逗留《とうりう》する|内《うち》に、|神罰《しんばつ》を|蒙《かうむ》つて|国替《くにがへ》をして|了《しま》つた。それから|今度《こんど》は|斑狐《はんこ》サン、|又《また》もや|坂熊《さかくま》といふ|男《をとこ》の|肉体《にくたい》に|巣《す》ぐひ、|金勝要神《きんかつかねのかみ》の|肉宮《にくみや》を|手《て》に|入《い》れ、|変性女子《へんじやうによし》を|却《しりぞ》け、|一芝居《ひとしばゐ》やらうと|思《おも》うた|所《ところ》、|又《また》もや|女子《によし》の|御霊《みたま》に|看破《かんぱ》され、ゐたたまらなくなつて、アーメニヤへ|逃出《にげいだ》し、ウラル|教《けう》に|沈没《ちんぼつ》して|了《しま》つた。そこで|今度《こんど》|執念《しふねん》|深《ぶか》い|斑狐《はんこ》サンは、|石高《いしたか》といふ|男《をとこ》の|肉体《にくたい》に|巣《す》をくみ、|変性女子《へんじやうによし》の|向《むか》うを|張《は》り、|日出神《ひのでのかみ》と|名乗《なの》つて、|三五教《あななひけう》を|蹂躙《じうりん》せむとした|所《ところ》、|今度《こんど》は|変性男子《へんじやうなんし》、|女子《によし》に|看破《かんぱ》され、これ|又《また》キツイ|神罰《しんばつ》で|肉体《にくたい》が|国替《くにがへ》したので、|今度《こんど》はミソ|久《きう》といふ|山子男《やまこをとこ》の|肉体《にくたい》をかつた、そして|又《また》|女子《によし》に|大反対《だいはんたい》をやつてみたが、|目的《もくてき》|達《たつ》せず、|此奴《こいつ》もアーメニヤの|方面《はうめん》へ|逃失《にげう》せて|了《しま》つた。それから|又《また》|種熊《たねくま》の|肉体《にくたい》を|使《つか》ひ、|大奮闘《だいふんとう》をやつて|女子《によし》を|手古《てこ》づらせ、たうとう|此奴《こいつ》も|神罰《しんばつ》で|国替《くにがへ》をして|了《しま》つた。それから|今度《こんど》|憑《うつ》つたのが|蠑〓別《いもりわけ》さまだ、|蠑〓別《いもりわけ》には|斑狐《はんこ》サンが|籠城《ろうじやう》|遊《あそ》ばし、|左右《さいう》のお|脇立《わきだち》の|白狐《はくこ》サンは、|伴鬼世《ばんきよ》、|角鬼世《つのきよ》、|味噌勘《みそかん》、|石黒彦《いしぐろひこ》、|坂虫《さかむし》、などに|眷族《けんぞく》をうつして、|四方《しはう》|八方《はつぱう》から|三五教《あななひけう》を|打《うち》こわさむと、|今《いま》や|計画《けいくわく》の|真最中《まつさいちう》なのだ、|併《しか》し|乍《なが》ら|悪神《あくがみ》のすることはいつも|尻《しり》が|結《むす》べないから|賽《さい》の|河原《かはら》で|子供《こども》が|石《いし》をつむ|話《はなし》の|様《やう》なものだよ』
|万公《まんこう》『さうすると|此《この》|小北山《こぎたやま》は|容易《ようい》ならない|所《ところ》だ。|根本的《こんぽんてき》に|改革《かいかく》して|世界《せかい》の|災《わざはひ》をたたねばダメだなア、|先生《せんせい》』
|五三《いそ》『さうだから、|松彦《まつひこ》|様《さま》がお|出《い》でになつたのだ。|神様《かみさま》は|偉《えら》いものだ、チヤンと|松姫《まつひめ》を|先《さき》へ|派遣《はけん》しておかれたのだからなア、|悪神《あくがみ》といふ|者《もの》は、|自分《じぶん》より|上《うへ》の|方《はう》は|見《み》る|事《こと》が|出来《でき》ないので、|松姫《まつひめ》さまの|肚《はら》の|中《なか》を|知《し》らず、|本当《ほんたう》に|唯一《ゆゐいつ》の|神柱《かむばしら》が|出来《でき》たと|喜《よろこ》んで|奉《たてまつ》つてゐるのだよ』
|万公《まんこう》『アハヽヽヽ、|其奴《そいつ》ア|面白《おもしろ》い、さうすると、|松姫《まつひめ》さまを|真《しん》から|上義姫《じやうぎひめ》だと|思《おも》つてゐるのだなア』
|五三《いそ》『|松姫《まつひめ》|様《さま》は、|上義姫《じやうぎひめ》|様《さま》の|誠生粋《まこときつすゐ》の|肉《にく》の|宮様《みやさま》と|確信《かくしん》してるから|面白《おもしろ》いのだ、そして|松彦《まつひこ》さまをユラリ|彦命《ひこのみこと》だと|確《かた》く|信《しん》じてゐる|所《ところ》がこちらの|附目《つけめ》だ、|最早《もはや》|落城《らくじやう》したも|同様《どうやう》だよ』
|万公《まんこう》『|益々《ますます》|愉快《ゆくわい》でたまらなくなつた、なア|中上《ちうじやう》|先生《せんせい》、|番外《ばんぐわい》|先生《せんせい》、チヨボチヨボ|先生《せんせい》、|怪体《けたい》ぢやないか、エヽー』
アク『アク|迄《まで》アクの|根《ね》を|断《た》ち|切《き》り、|万公末代《まんこうまつだい》|五三々々《ごさごさ》せぬ|様《やう》に|誠《まこと》の|道《みち》を|開拓《かいたく》し、テクテク|歩《ほ》を|進《すす》めるとするのだなア、ハツハヽヽヽ』
|五人《ごにん》はこんな|話《はなし》に|現《うつつ》をぬかし、|蠑〓別《いもりわけ》の|居室《きよしつ》の|窓外《さうぐわい》に|自分《じぶん》の|立《た》つてゐる|事《こと》を|忘《わす》れ|大声《おほごゑ》で|喋《しやべ》つて|了《しま》つた。|蠑〓別《いもりわけ》はお|経《きやう》をすませ、|又《また》もやグイグイと|酒《さけ》を|呑《の》み|始《はじ》めたらしい。ケチン、ケンケラケンと|燗徳利《かんどつくり》や|盃《さかづき》のかち|合《あ》ふ|音《おと》が|聞《きこ》えてゐる。お|寅《とら》は|五人《ごにん》の|立話《たちばなし》を|一伍一什《いちぶしじふ》|聞《き》いて|了《しま》つた。
お|寅《とら》は|蠑〓別《いもりわけ》に|酒《さけ》の|用意《ようい》をなし、|何《なに》くはぬ|顔《かほ》で、
お|寅《とら》『サア|蠑〓別《いもりわけ》さま、ドツサリおあがりなさいませ。|一寸《ちよつと》|私《わたし》はお|広前《ひろまへ》まで|御礼《おれい》にいつて|参《まゐ》ります、コレお|菊《きく》、|教祖様《けうそさま》のお|酒《さけ》の|相手《あひて》をするのだよ』
お|菊《きく》『あたえ、|厭《いや》だワ、お|酒《さけ》のお|給仕《きふじ》はお|母《か》アさまの|役《やく》だよ。あたえはお|広間《ひろま》へ|参《まゐ》つて|来《き》ますから、お|母《か》アさまは|教祖《けうそ》さまのお|給仕《きふじ》をして|上《あ》げて|下《くだ》さいな、そして|抓《つめ》つたり|鼻《はな》をねぢたりせぬ|様《やう》にして|下《くだ》さい、あたえ|心配《しんぱい》でならないワ』
お|寅《とら》『|私《わたし》がお|給仕《きふじ》をしてゐると|又《また》あんなランチキ|騒《さわ》ぎが|起《おこ》つちや|大変《たいへん》だから、それでお|前《まへ》にお|給仕《きふじ》をしてくれと|云《い》つたのだよ』
お|菊《きく》『さうだつて、あたえ、|嫌《いや》なのよ。|教祖《けうそ》さまは|腋臭《わいが》だから、お|母《か》アさまにねぢられなくても、|私《あたえ》の|鼻《はな》が|独《ひと》りでねぢ|曲《まが》るのよ』
お|寅《とら》『エヽ|口《くち》の|悪《わる》い|娘《こ》だな、そんな|失礼《しつれい》なことを|云《い》つちやすまないよ、|蠑〓別《いもりわけ》さま、どうぞ|子供《こども》の|云《い》ふことだから|気《き》にかけない|様《やう》にして|下《くだ》さいよ』
|蠑〓別《いもりわけ》は|細《ほそ》い|目《め》をつり|上《あ》げ、|口《くち》を|尖《とが》らして|鼻《はな》と|背比《せくら》べさせ|乍《なが》ら、
|蠑〓《いもり》『ウフヽヽヽ、これお|菊《きく》、マア|良《い》いぢやないか、おれの|腋臭《わいが》でも|喜《よろこ》ぶ|人《ひと》があるのだもの、そうムゲにこきおろすものだない』
お|菊《きく》『さうよ、|教祖《けうそ》さまの|腋臭《わいが》の|好《す》きな|人《ひと》は|高姫《たかひめ》さまかお|母《か》アさまだよ、オホヽヽヽ』
お|寅《とら》『コレコレ|何《なに》を|言《い》ふのだ。|併《しか》し|乍《なが》らお|前《まへ》の|云《い》ふ|通《とほ》り、|蠑〓別《いもりわけ》さまは|高姫《たかひめ》さまの|腋臭《わいが》が|好《す》きなのだからねえ、|私《わたし》もどうかして|腋臭《わいが》になりたいのだけれど、|不器用《ぶきよう》な|生《うま》れつきだから、チツとも|持合《もちあは》せがないのよ。ホツホヽヽヽ』
|蠑〓《いもり》『お|寅《とら》さまは|腋臭《わいが》の|代《かは》りにトベラだから、マアそれでバランスが|取《と》れるといふものだ』
お|菊《きく》『ホヽヽヽヽ、|腋臭《わいが》にトベラ、|何《なん》とマアいいコントラストだこと、|神《かみ》さまも|随分《ずゐぶん》|皮肉《ひにく》だね、イヒヽヽヽ』
お|寅《とら》『|蠑〓別《いもりわけ》さま、|一寸《ちよつと》|之《これ》から|御神前《ごしんぜん》へ|参《まゐ》つて|来《き》ます、ぢきに|帰《かへ》りますから』
|蠑〓《いもり》『ウン、|独酌《どくしやく》の|方《はう》が|却《かへつ》て|興味《きようみ》がある、トベラの|匂《にほ》ひが|酒《さけ》に|混合《こんがふ》すると|余《あま》りうまくないからなア』
お|寅《とら》『わいがの|匂《にほ》ひが|混合《こんがふ》するといいんだけれど、ヘン』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、ツンとして|立上《たちあが》り、|畳《たたみ》を|踵《きびす》でポンと|一《ひと》つ|威喝《ゐかつ》させ|乍《なが》ら|表《おもて》へ|飛出《とびだ》した。|蠑〓別《いもりわけ》はお|菊《きく》を|相手《あひて》にグヅグヅと|口《くち》の|奥《おく》で|分《わか》らぬことを|喋《しやべ》りつつお|菊《きく》につがせては|八百万《やほよろづ》の|神《かみ》にお|供《そな》へしてゐる。
お|菊《きく》『ホツホヽヽヽ、|何《なん》とマア|青白《あをじろ》い|顔《かほ》だこと、|丸《まる》で|文助《ぶんすけ》さまの|何時《いつ》も|書《か》いてゐらつしやる|蕪《かぶら》に|目鼻《めはな》つけたよな|顔《かほ》だワ。それでも|大根《だいこん》の|様《やう》な|形《かたち》した|白《しろ》い|燗徳利《かんとくり》がお|好《す》きだからねえ。ホヽヽヽヽ、そして|此《この》|朝顔型《あさがほがた》の|盃《さかづき》は|高姫《たかひめ》さまの|口元《くちもと》に|似《に》とるんだから|面白《おもしろ》いワ、|教祖《けうそ》さま、サア、|此《この》|盃《さかづき》で|一《ひと》つキツスなさいませ。|随分《ずゐぶん》よい|味《あぢ》が|致《いた》しますよ』
|蠑〓《いもり》『ヤア|朝顔型《あさがほかた》の|盃《さかづき》は、|危険視《きけんし》されるから|止《や》めておこう』
お|菊《きく》『さうですねえ、よう|祟《たた》る|盃《さかづき》ですなア。あたえも|此《この》|盃《さかづき》みるとゾツとするワ、|又《また》つねられたり、|鼻《はな》を|捻《ねぢ》られたり、|息《いき》の|根《ね》をとめられたりするよなことを|突発《とつぱつ》させるのだから、|本当《ほんたう》に|憎《にく》らしい|猪口才《ちよこざい》な|猪口《ちよこ》ですねえ、|此《この》|猪口《ちよこ》のおかげでチヨコチヨコと|腋臭《わいが》とトベラの|直接《ちよくせつ》|行動《かうどう》が|始《はじ》まるのだから、|本当《ほんたう》に|此《この》|盃《さかづき》こそ|過激《くわげき》|思想《しさう》を|包蔵《はうざう》してゐるのだワ』
|蠑〓《いもり》『お|前《まへ》もお|寅《とら》の|娘《むすめ》|丈《だけ》あつて、|随分《ずゐぶん》|口《くち》の|良《よ》い|女《をんな》だ、|困《こま》つた|者《もの》だのう』
お|菊《きく》『|何《なに》も|貴方《あなた》が|困《こま》る|筈《はず》はないワ、|犬《いぬ》もくはない|喧嘩《けんくわ》の|煽動《せんどう》するのは|此《この》|猪口《ちよこ》だから、|困《こま》るのは|側《そば》に|見《み》てゐる|此《この》お|菊《きく》だワ』
|蠑〓《いもり》『そんなら|此処《ここ》にある|菊型《きくがた》の|盃《さかづき》で|一杯《いつぱい》やつたら|安全《あんぜん》だろ、なアお|菊《きく》』
お|菊《きく》『イヤですよ、|私《わたし》の|名《な》に|似《に》た|盃《さかづき》を|口《くち》に|当《あ》てて|貰《もら》うこた、|真平御免《まつぴらごめん》だ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|薄《うす》い|平《ひら》たい|陶器《すへもの》の|盃《さかづき》をグツとひん|握《にぎ》り|矢庭《やには》に|袂《たもと》へかくして|了《しま》つた。
|蠑〓別《いもりわけ》はソロソロ|酔《よひ》がまはり|出《だ》した。
『|高姫山《たかひめやま》から|谷底《たにそこ》|見《み》れば  お|寅《とら》の|奴《やつ》めがウロウロと
お|菊《きく》の|小虎《ことら》を|引《ひき》つれて  |犬《いぬ》も|喰《く》はない|餅《もち》を|焼《や》く
ホンに|浮世《うきよ》はこしたものか  |思《おも》へば|思《おも》へば|自烈《じれつ》たい。
|世界《せかい》に|女《をんな》は|沢山《たくさん》あれど  トベラの|女《をんな》に|比《くら》ぶれば
|腋臭《わいが》の|強《つよ》い|高《たか》チヤンは  |蠑〓別《いもりわけ》の|命《いのち》の|親《おや》だ。
|好《す》きは|出《で》て|来《こ》ず|厭《いや》は|来《く》る  ホンに|浮世《うきよ》は|儘《まま》ならぬ。
わしと|高《たか》ちやんはお|倉《くら》の|米《こめ》よ  いつか|世《よ》に|出《で》てママとなる。
ままになるならトベラの|婆《ば》さま  どつかへ|嫁入《よめい》りさして|見《み》たい。
|八木《やぎ》と|云《い》ふ|字《じ》は|米国《べいこく》の|米《べい》よ  |日《ひ》の|出《で》といふ|字《じ》は|日本《にほん》の|日《ひ》の|字《じ》
|蠑〓別《いもりわけ》さまは|日出神《ひのでのかみ》の  |光《ひかり》を|身《み》に|受《う》けママとなる。
デツカンシヨウ デツカンシヨウ……だ。オイお|菊《きく》、お|前《まへ》は|随分《ずゐぶん》|口《くち》|八釜《やかま》しい|女《をんな》だから、お|寅《とら》に|直様《すぐさま》|密告《みつこく》するだらうなア』
お|菊《きく》『|今《いま》の|内《うち》に|十分《じふぶん》|悪口《あくこう》をついておきなさい。|私《わたし》や|決《けつ》して|言《い》ひませぬ。|併《しか》し|貴方《あなた》がお|酒《さけ》に|酔《よ》ふと|後先《あとさき》|見《み》ずに、お|母《か》アさまの|前《まへ》でそんなこと|仰有《おつしや》るからホンにオロオロするワ、|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|大神様《おほかみさま》がおこし|遊《あそ》ばしてるに、みつともない、イチヤ|付《つき》|喧嘩《けんくわ》をおつぱじめるなんて、|見《み》くびつた|人《ひと》ですねえ』
|蠑〓《いもり》『お|前《まへ》さへ|言《い》はなきやそれで|良《よ》い、|俺《おれ》も|成《な》るべく|言《い》はぬ|積《つも》りだ。|併《しか》しあのお|寅《とら》といふ|奴《やつ》ア、お|前《まへ》のお|母《か》アだから、エヽこんなこといつたら|悪《わる》からうが、|顔《かほ》にも|似合《にあ》はぬ|助平《すけべえ》だよ、おりやモウ、スーツカリと|厭《いや》になつちやつたのだ。
いやで|幸《さいは》ひ|好《す》かれてなろか  |愛想《あいさう》づかしをまつわいな。
いやぢや いやぢやと|口《くち》では|言《い》へど  |縁《えん》を|切《き》るとなりや|又《また》いやだ』
お|菊《きく》『ホヽヽヽヽ、いいかげんに|若後家《わかごけ》をつかまへて、【てら】しておきなさい』
|蠑〓《いもり》『ハヽヽヽヽ、ちつと|妬《や》いてゐやがるなア、|若後家《わかごけ》だといの、|男《をとこ》も|持《も》つた|覚《おぼ》えもないのに、|若後家《わかごけ》とはふるつてる、さうするとお|菊《きく》お|前《まへ》は|純粋《じゆんすゐ》な|処女《しよぢよ》ではないなア、|誰《たれ》にハナヅルを|入《い》れて|貰《もら》つたのだ』
お|菊《きく》『|牛《うし》か|何《なん》ぞの|様《やう》に|鼻《はな》づるなんて、バカにして|下《くだ》さいますな、|油断《ゆだん》のならぬは|娘《むすめ》ですよ。かげ|裏《うら》の|豆《まめ》もハヂける|時《とき》が|来《く》れば、|自然《しぜん》にハヂけますわ。ホツホヽヽヽ』
|斯《かく》の|如《ごと》くお|菊《きく》を|相手《あひて》に|水色《みづいろ》のうす|汚《よご》れた|昼夜《ちうや》|着替《きがへ》なしの|木綿着物《もめんぎもの》を|着《き》たまま、クビリクビリと|時《とき》の|移《うつ》るも|知《し》らず、|盃《さかづき》の|数《かず》を|重《かさ》ねて|居《ゐ》る。|一方《いつぱう》お|寅《とら》は|門口《かどぐち》に|立《た》つてゐる|五人《ごにん》の|男《をとこ》を|認《みと》め、
お|寅《とら》『コレ|皆《みな》さま、そんな|所《ところ》に|何《なに》してゐらつしやるの、|何《なに》か|立聞《たちぎき》でもしてゐなさつたのだありませぬかい』
|五三《いそ》『ハイ|立聞《たちぎき》をさして|頂《いただ》きました。あの|教祖様《けうそさま》がお|上《あ》げになつて|居《を》つたのは|観物三昧経《くわんぶつさんまいきやう》でしたね。|声音《こはね》といひ|節《ふし》まはしと|言《い》ひ、|本当《ほんたう》に|調子《てうし》がよく|合《あ》つて、|知《し》らず|知《し》らず|吾々《われわれ》の|身体《からだ》が|躍動《やくどう》し、|其《その》|言霊《ことたま》の|徳《とく》に|吸引《きふいん》されて、|何時《いつ》の|間《ま》にやら|窓《まど》の|外《そと》まで|引《ひき》よせられて|了《しま》つたのですよ、|何《なん》とマア|偉《えら》い|先生《せんせい》ですね』
とうまく|五三公《いそこう》はさばいた。お|寅《とら》は|怪訝《けげん》の|目《め》を|見《み》はつて、|聊《いささ》か|不機嫌《ふきげん》の|態《てい》であつたが、|蠑〓別《いもりわけ》の|声《こゑ》がよいとか、|節《ふし》が|上手《じやうづ》だとか|言《い》つて|褒《ほ》めた|詞《ことば》に|嬉《うれ》しさの|余《あま》り、|何《なに》もかも|打忘《うちわす》れ、ニコニコし|乍《なが》ら、
お|寅《とら》『さう|聞《きこ》えましたかなア、|本当《ほんたう》によい|声《こゑ》でせうがな、サアお|広間《ひろま》へ|参《まゐ》りませう』
|万公《まんこう》『ハイ、|有難《ありがた》う、お|伴《とも》|致《いた》しませう』
お|寅《とら》は|得意《とくい》の|鼻《はな》うごめかし|乍《なが》ら、|機嫌《きげん》よげに|先《さき》に|立《た》つ。アクは|小声《こごゑ》で、
アク『|成程《なるほど》あの|濁《にご》つた|言霊《ことたま》でああやられちや、|誠《まこと》の|神《かみ》は|嫌《きら》つて|寄《よ》り|付《つ》き|玉《たま》はず、せうもないガラクタ|神《がみ》が|密集《みつしふ》するのは|当然《あたりまへ》だ、|言霊《ことたま》といふものは|謹《つつし》まねばならぬものだなア』
とウツカリ|後《あと》の|方《はう》を|大《おほ》きく|云《い》つて|了《しま》つた。お|寅《とら》は|目《め》を|丸《まる》くし、|後《あと》ふり|返《かへ》り、
お|寅《とら》『エヽ|何《なん》と|仰有《おつしや》ります、|蠑〓別《いもりわけ》さまの|言霊《ことたま》が|濁《にご》つてゐるのですか』
アク『イエイエ|濁《にご》つた|所《ところ》もあり|澄切《すみき》つた|所《ところ》もあります、それだから|偉《えら》いお|方《かた》と|云《い》つたのですよ。|大海《たいかい》は|濁川《だくせん》を|入《い》れて|其《その》|色《いろ》を|変《へん》ぜずとかいひましてなア、|清濁《せいだく》|合《あは》せ|呑《の》む|蠑〓別《いもりわけ》|様《さま》の|度量《どりやう》には|随分《ずゐぶん》|感服《かんぷく》|致《いた》しましたよ』
お|寅《とら》は|又《また》|機嫌《きげん》を|直《なほ》して、
お|寅《とら》『|本当《ほんたう》にさうですね』
テク『オイ、アク、|否《いや》|中上《ちうじやう》|先生《せんせい》、|清濁《せいだく》|併《あは》せ|呑《の》むといふのは|何《なに》か、|清酒《せいしゆ》と|濁酒《だくしゆ》と|一所《いつしよ》に|蠑〓別《いもりわけ》さまはおあがりなさるかい』
アク『バカツ、スツ|込《こ》んで|居《を》れ』
テク『へン、|偉相《えらさう》に|仰有《おつしや》るワイ、イヒヽヽヽだア』
お|寅《とら》『サア、|皆《みな》さま、|一同《いちどう》|揃《そろ》うて|御礼《おれい》を|致《いた》しませう』
と|神殿《しんでん》の|前《まへ》に|仔細《しさい》らしくすわる。お|寅《とら》は|四拍手《しはくしゆ》し|乍《なが》ら|声《こゑ》|高《たか》らかに|曲津祝詞《まがつのりと》を、
『かかまの|腹《はら》に|餓鬼《がき》つまります。かん|徳利《どくり》|燗《かん》ざましのみこともちて、|雀《すずめ》の|親方《おやかた》、かんたか|姫《ひめ》の|命《みこと》、|嘘《うそ》をつくしの|日《ひ》の|出《で》の、|高姫《たかひめ》のおいどのクサギが|原《はら》に、|味噌《みそ》すり|払《はら》ひ|玉《たま》ふ|時《とき》に、|泣《な》きませる、|金払戸《かねはらひど》の|狼達《おほかみたち》、モサクサの|間男《まをとこ》、|罪汚《つみけが》れを|払《はら》ひ|玉《たま》へ|清《きよ》め|玉《たま》へと|魔《ま》の|申《まを》すことの|由《よし》を、|曲津神《まがつかみ》、クダケ|神《がみ》、|山子万《やまこよろづ》の|狼《おほかみ》|虎《とら》|共《とも》に、|馬鹿《うましか》の|耳《みみ》ふるひ|立《た》てて、おみききこしめせと、カチコメ カチコメ|申《まを》す。ウラナイの|雀大御神《すずめおほみかみ》、|曲《まが》り|玉《たま》へ|逆《さか》らへ|玉《たま》へ、ポンポン』
|万公《まんこう》『アハヽヽヽ』
お|寅《とら》『コレ|何方《どなた》か|知《し》らぬが、|曲津祝詞《まがつのりと》を|上《あ》げてる|時《とき》に|笑《わら》ふとは|何事《なにごと》ですか、チツと|謹《つつし》んで|下《くだ》さい、ここは|狼《おほかみ》の|前《まへ》ですよ、|狼《おほかみ》さまにお|寅《とら》が|祝詞《のりと》を|上《あ》げて|居《ゐ》るのだ』
|万公《まんこう》『|寅《とら》に|狼《おほかみ》、|何《なん》とよい|対照《たいせう》だなア、ここがウラナイ|教《けう》のウラナイ|教《けう》たる|所以《ゆゑん》だ』
お|寅《とら》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祈《いの》り|出《だ》した。
『|嘘《うそ》つきの|狼様《おほかみさま》、ヤク|日《ひ》の|狼様《おほかみさま》、|曲津日《まがつひ》の|玉《たま》、イタチ|天《てん》の|狼様《おほかみさま》、|落滝津速川《おちたきつはやかは》の|狼様《おほかみさま》、てん|手古舞《てこまひ》の|狼《おほかみ》さま、リントウ|鉢巻《はちまき》ビテングの|狼様《おほかみさま》、|木曽義仲姫《きそうよしなかひめ》の|狼様《おほかみさま》、|上杉謙信姫《うへすぎけんしんひめ》の|狼様《おほかみさま》、|生羽《いきば》ぬかれ|彦神社《ひこじんしや》の|狼様《おほかみさま》、|岩《いは》テコ|姫《ひめ》の|狼様《おほかみさま》、|五六七成就《みろくじやうじゆ》お|邪魔《じやま》の|狼様《おほかみさま》、|夕日《ゆふひ》の|豊栄下《とよさかくだ》りの|狼様《おほかみさま》、|不義理天上内《ふぎりてんじやううち》から|火《ひ》の|出《で》の|狼様《おほかみさま》、|軽業師玉《かるわざしたま》のり|姫《ひめ》の|狼様《おほかみさま》、バカの|大将軍様《だいしやうぐんさま》、|蠑〓別《いもりわけ》のおね|間《ま》を|守《まも》り|玉《たま》ふお|床代姫《とこよひめ》の|狼様《おほかみさま》、|種物神社御夫婦様《たねものじんしやごふうふさま》、|悪魔《あくま》の|根本地《こつぽんち》の|十六柱《じふろくはしら》の|狼様《おほかみさま》、|堺《さかひ》の|神政松《しんせいまつ》の|御神木様《ごしんぼくさま》、|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なの|御神徳《ごしんとく》を|蒙《かうむ》りまして、|蠑〓別《いもりわけ》がヨクの|熊高姫《くまたかひめ》を|思《おも》ひ|切《き》りますやうに、そして|此《この》|丑寅婆《うしとらばあ》サン|姫命《ひめのみこと》を|此上《こよ》なきものとめでいつくしみくれます|様《やう》に、|其《その》|次《つぎ》にはお|菊姫命《きくひめのみこと》、|万公《まんこう》と|因縁《いんねん》が|厶《ござ》りまするならば、どうぞ|一時《いちじ》も|早《はや》く|添《そ》はしておやり|下《くだ》さいませ、ハン|狐《こ》さんの、どこ|迄《まで》も|正体《しやうたい》が|現《あら》はれませぬ|様《やう》、|御注意《ごちうい》|下《くだ》さいますやう、これが|第一《だいいち》の|御願《おねがひ》で|厶《ござ》います。そして|末代火《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|大神様《おほかみさま》の|肉宮《にくみや》、|不情誼姫《ふじやうぎひめ》|様《さま》の|肉宮《にくみや》が、どこ|迄《まで》も|此《この》|小北山《こぎたやま》に|鎮《しづ》まり|遊《あそ》ばして、|吾々《われわれ》の|心性不浄自由《しんせいふじやうじいう》の|目的《もくてき》が|達《たつ》します|様《やう》に、|再《ふたた》び|素盞嗚尊《すさのをのみこと》があばれ|出《だ》しませぬ|様《やう》に、|天《あま》の|岩戸《いはと》が|開《ひら》けます|様《やう》に、|色《いろ》の|黒《くろ》き|尉殿《じようどの》と|白《しろ》き|尉殿《じやうどの》が、|天《てん》の|屋敷《やしき》にお|直《なほ》り|候《さふら》ふやうに、|誤醜護《ごしうご》|御願《おねがひ》|申上《まをしあ》げます、ポンポンポンポン。
|皆《みな》さま、|御苦労《ごくらう》で|厶《ござ》いました。サア|之《これ》で|今晩《こんばん》は|御自由《ごじいう》にお|休《やす》み|下《くだ》さいませ。|御広間《おひろま》に|夜具《やぐ》を|並《なら》べさせますから』
|万公《まんこう》『イヤどうぞ|心配《しんぱい》して|下《くだ》さいますな、|自分《じぶん》のことは|自分《じぶん》にせなくてはなりませぬ。|夜具《やぐ》の|在処《ありか》さへ|聞《き》かして|貰《もら》へば、|自分《じぶん》で|床《とこ》をのべて|休《やす》まして|貰《もら》ひます』
お|寅《とら》『あゝそんなら|此《この》|押入《おしいれ》の|襖《ふすま》をあけると、チツと|痛《いた》いけれど、|木《き》の|枕《まくら》もある|也《なり》、|蒲団《ふとん》も|沢山《たくさん》にあるから、|万公《まんこう》、お|前《まへ》が|皆《みな》さまに|床《とこ》を|布《し》いて|寝《ね》て|貰《もら》う|様《やう》に|世話《せわ》をやいて|下《くだ》さい』
|万公《まんこう》『ハイ|何《なに》もかも|呑《の》み|込《こ》みました。どうぞ|早《はや》くお|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ。|教祖様《けうそさま》が|淋《さび》しがつてゐられますからなア』
お|寅《とら》『ホヽヽヽヽ、|何《なに》から|何《なに》|迄《まで》、よう|気《き》のつく|男《をとこ》だこと。ヤア|五三公《いそこう》さま、|其《その》|外《ほか》の|御一同《ごいちどう》さま、どうぞ|御《お》ゆるりと|明日《あす》の|朝《あさ》|迄《まで》お|休《やす》み|下《くだ》さいませ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|慌《あわ》ただしく|蠑〓別《いもりわけ》の|居間《ゐま》を|指《さ》して|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・一二・一三 旧一〇・二五 松村真澄録)
第一六章 |雨露月《うろつき》〔一二〇六〕
|教《をしへ》の|庭《には》も|大広木《おほひろき》  |正宗《まさむね》さまの|肉《にく》の|宮《みや》
|出入《でいり》|遊《あそ》ばす|神様《かみさま》に  お|神酒《みき》をすすめて|管《くだ》を|巻《ま》き
|曲角狸止《まがつのりと》を|奏上《そうじやう》し  |酒《さけ》|酌《く》み|交《か》はしグイグイと
|心《こころ》は|浮《うか》れて|天国《てんごく》の  |園《その》に|遊《あそ》べるよい|機嫌《きげん》
|潮時《しほどき》|見《み》すましお|寅《とら》さま  |大広前《おほひろまへ》に|現《あら》はれて
|夕《ゆふべ》の|御礼《おれい》を|申《まを》さむと  お|菊《きく》を|側《そば》に|侍《はべ》らせて
|酒《さけ》の|相手《あひて》をさせ|乍《なが》ら  いといかめしき|装束《しやうぞく》を
|体《からだ》にまとひ|中啓《ちうけい》を  |殊勝《しゆしよう》らしくもひん|握《にぎ》り
|教祖《けうそ》の|館《やかた》を|立《た》ち|出《い》でて  |五三公《いそこう》、|万公《まんこう》|外《ほか》|三人《みたり》
|伴《ともな》ひ|乍《なが》ら|悠々《いういう》と  |大神殿《だいしんでん》に|参入《さんにふ》し
|恭《うやうや》しくも|拍手《かしはで》を  うちて|四辺《あたり》の|空気《くうき》をば
いやが|上《うへ》にも|濁《にご》らせつ  |曲角狸止《まがつのりと》を|奏上《そうじやう》し
|自分《じぶん》|勝手《かつて》の|願《ねがひ》をば  |百万《ひやくまん》だらりと|宣《の》べ|立《た》てて
|五人《ごにん》に|暇《いとま》を|告《つ》げ|乍《なが》ら  |慌《あわただ》しくも|蠑〓別《いもりわけ》
|潜《ひそ》む|一間《ひとま》へ|帰《かへ》り|行《ゆ》く  あとに|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》は
|戸棚《とだな》の|襖《ふすま》を|引《ひ》きあけて  |夜具《やぐ》や|枕《まくら》をとり|出《いだ》し
|大広前《おほひろまへ》に|布《し》き|並《なら》べ  |足《あし》を|伸《の》ばして|横《よこ》たはり
|皆《みな》|口々《くちぐち》に|三五《あななひ》の  |天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し
|終《をは》つて|互《たがひ》に|高姫《たかひめ》や  |黒姫司《くろひめつかさ》を|初《はじ》めとし
お|寅婆《とらば》さまの|身《み》の|上《うへ》や  |蠑〓別《いもりわけ》のローマンス
ひそびそ|笑《わら》ひ|囁《ささや》きつ  |漸《やうや》く|寝《ねむり》に|就《つ》きにける
|万公《まんこう》さまは|目《め》を|醒《さ》まし  |四人《よにん》の|寝息《ねいき》を|窺《うかが》ひつ
|玄関口《げんくわんぐち》の|雨戸《あまど》をば  |音《おと》せぬ|様《やう》にひきあけて
ブラリブラリと|庭内《ていない》を  うろつき|初《はじ》めお|菊《きく》さまは
もしや|外《そと》には|居《を》るまいか  |一《ひと》つ|直接《ちよくせつ》|談判《だんぱん》を
やつて|見《み》なくちや|納《をさ》まらぬ  |五三公《いそこう》さまを|初《はじ》めとし
|白河夜舟《しらかはよぶね》の|四人《よにん》づれ  |俺《おれ》もこれから|彼奴等《あいつら》が
|夢《ゆめ》にも|知《し》らぬ|白河《しらかは》の  |夜《よ》|舟《ふね》に|一《ひと》つ|乗《の》つて|見《み》よか
|櫓櫂《ろかい》の|音《おと》がキクキクと  |聞《きこ》えて|来《き》さうなものぢやなあ
お|寅《とら》の|港《みなと》に|寄《よ》り|来《き》たる  |老朽船《らうきうせん》や|新造船《しんざうせん》
|何《ど》の|方向《はうかう》を|尋《たづ》ねたら  |波止場《はとば》に|出《い》づる|事《こと》ぢややら
|本当《ほんたう》に|誠《まこと》に|気《き》がもめる  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|結縁《むすび》の|神《かみ》の|御恵《みめぐ》みに  |何卒《なにとぞ》|嬉《うれ》しきおもてなし
|偏《ひと》へに|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る  |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  |星《ほし》は|天《てん》から|下《くだ》るとも
|鼬《いたち》が|最後屁《さいごぺ》|放《ひ》るとても  お|寅婆《とらば》さまが|万公《まんこう》を
|耕《たがや》し|大神《だいじん》の|生宮《いきみや》ぢや  |娘《むすめ》のお|菊《きく》は|地上姫《ちじやうひめ》
テツキリ|夫婦《ふうふ》の|身魂《みたま》|故《ゆゑ》  |霊肉《れいにく》|茲《ここ》に|合致《がつち》して
|大神業《だいしんげふ》に|参加《さんか》せば  |小北《こぎた》の|山《やま》は|万歳《ばんざい》だ
|等《など》と|甘《うま》い|事《こと》|云《い》ひよつた  |俺《おれ》はもとよりウラナイの
|神《かみ》は|信用《しんよう》せぬけれど  お|寅婆《とらば》さまの|言《い》ひ|草《ぐさ》が
|万公《まんこう》さまの|気《き》に|入《い》つた  ここは|一先《ひとま》づ|猫冠《ねこかぶ》り
お|菊《きく》を|首尾《しゆび》|克《よ》く|女房《にようばう》に  |定《さだ》めた|上《うへ》に|潮時《しほどき》を
|考《かんが》へすまし|三五《あななひ》の  |教《をしへ》の|道《みち》に|帰順《きじゆん》させ
|夫婦《ふうふ》|手《て》に|手《て》を|取《と》り|交《か》はし  |松彦《まつひこ》さまに|従《したが》ひて
|悪魔《あくま》の|征途《せいと》に|上《のぼ》らうか  |我慢《がまん》の|強《つよ》いお|寅《とら》さまも
|可愛《かあい》い|娘《むすめ》が|三五《あななひ》の  |道《みち》に|信仰《しんかう》した|上《うへ》は
|屹度《きつと》|信仰《しんかう》するだらう  さうなりや|万公《まんこう》の|結婚《けつこん》も
|決《けつ》して|無意味《むいみ》にや|終《をは》らない  |神《かみ》と|恋《こひ》との|二道《ふたみち》を
かけて|愈《いよいよ》|神界《しんかい》の  |大神業《だいしんげふ》に|加《くは》はらば
|誠《まこと》に|都合《つがふ》のよい|事《こと》だ  |待《ま》てば|海路《かいろ》の|風《かぜ》が|吹《ふ》く
|松彦《まつひこ》さまは|久振《ひさしぶ》り  |恋《こひ》しき|女房《にようばう》に|巡《めぐ》り|合《あ》ひ
|俺《おれ》は|又《また》もや|義妹《いもうと》に  |思《おも》はぬ|処《ところ》で|出会《でつく》はし
ここで|愈《いよいよ》|結婚《けつこん》の  |式《しき》を|挙《あ》げる|様《やう》になつたのも
|何《なに》かの|神《かみ》の|引合《ひきあは》せ  |之《これ》|程《ほど》ボロイ|事《こと》はない
これを|思《おも》へば|五三公《いそこう》や  アク、タク、テクの|三人《さんにん》が
|気《き》の|毒《どく》さうになつて|来《き》た  ほんに|浮世《うきよ》はままならぬ
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|五三公《いそこう》さまの|眼力《がんりき》は  |実《じつ》に|驚《おどろ》く|外《ほか》はない
あれ|程《ほど》|六《むつ》かしい|三昧経《さんまいきやう》  |苦《く》もなく|解《と》いた|其《その》|手腕《しゆわん》
|並々《なみなみ》ならぬ|人物《じんぶつ》だ  あれを|聞《き》いたら|松彦《まつひこ》も
さぞや|感心《かんしん》するだらう  |俺《おれ》も|今迄《いままで》|五三公《いそこう》を
あれ|程《ほど》|偉《えら》い|人物《じんぶつ》と  |夢《ゆめ》にも|思《おも》うて|居《ゐ》なかつた
|天教山《てんけうざん》に|現《あ》れませる  |木《こ》の|花姫《はなひめ》の|御化身《ごけしん》か
|何処《どこ》とはなしに|違《ちが》つてる  |五三公《いそこう》さまの|寝姿《ねすがた》を
|一寸《ちよつと》|覗《うかが》ひ|眺《なが》むれば  |何《なん》とも|知《し》れぬ|霊光《れいくわう》が
|周囲《まはり》を|包《つつ》んでゐた|様《やう》だ  |此奴《こいつ》あ|迂濶《うつかり》|戯言《うざごと》も
|云《い》ふてはならぬ|化物《ばけもの》だ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましまして  |蠑〓別《いもりわけ》や|魔我彦《まがひこ》や
お|寅婆《とらば》さまが|目《め》を|醒《さ》まし  |誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の
|道《みち》を|悟《さと》つて|神政《しんせい》の  |教《をしへ》を|四方《よも》に|開《ひら》くべく
|守《まも》らせ|玉《たま》へ|三五《あななひ》の  |道《みち》を|守《まも》らす|大御神《おほみかみ》
|国治立《くにはるたち》の|御前《おんまへ》に  |慎《つつし》み|敬《うやま》ひ|祈《ね》ぎ|奉《まつ》る
と|庭園《ていえん》のロハ|台《だい》に|腰《こし》を|打《うち》かけて|歌《うた》つて|居《ゐ》るのは|万公《まんこう》である。
|万公《まんこう》『あゝ、|何《なん》と|暗《くら》い|夜《よる》だな、|星《ほし》は|随分《ずゐぶん》|沢山《たくさん》に|現《あら》はれてゐるが|矢張《やは》り|月《つき》の|光《ひかり》でないと|駄目《だめ》だわい、|然《しか》し|乍《なが》ら|青春《せいしゆん》の|血《ち》に|燃《も》ゆる|若《わか》き|男女《だんぢよ》のむすびの|神《かみ》は|矢張《やつぱり》|闇夜《やみよ》だ。お|菊《きく》と|情的《じやうてき》|締結《ていけつ》の|最中《さいちう》に|空《そら》から|円《まる》い|顔《かほ》で|覗《のぞ》かれちや、あまり|見《み》つともよくないからな。
あれ|見《み》やしやんせ、あれ、あの|人《ひと》は
|橋《はし》の|欄干《らんかん》で|艶文《ふみ》を|読《よ》む
|雲《くも》が|悋気《りんき》で|月《つき》かくす。
お|月《つき》さまも|若《わか》い|男女《だんぢよ》のローマンスを|御覧《ごらん》になると|嬉《うれ》しがつてニコニコなさるさうだ。いや|嬉《うれ》しがつてでない、|可笑《をか》しくて|笑《わら》ふのだらう。そこを|雲《くも》の|奴《やつ》、|悋気《りんき》しやがつて、|艶文《ふみ》を|見《み》えない|様《やう》にするのだから|雲《くも》と|云《い》ふ|奴《やつ》あ、|意地《いぢ》の|悪《わる》いものだ。|鬼雲彦《おにくもひこ》だつて|矢張《やつぱり》|此《この》|世《よ》の|雲《くも》だからな』
と|独《ひと》り|呟《つぶや》いて|居《ゐ》る。|其処《そこ》へ|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせてやつて|来《く》る|一《ひと》つの|影《かげ》があつた。|万公《まんこう》は|思《おも》はず|胸《むね》を|躍《をど》らせた。|此《この》|人影《ひとかげ》は|果《はた》して|何者《なにもの》なりしか。
(大正一一・一二・一三 旧一〇・二五 北村隆光録)
第一七章 |万公月《まごつき》〔一二〇七〕
|暗《やみ》の|中《なか》から、
|女《をんな》の|声《こゑ》『|万公《まんこう》さま、あなた|其処《そこ》に|何《なに》して|居《ゐ》らつしやるの。あたい|最前《さいぜん》から|大広前《おほひろまへ》の|周囲《ぐるり》をクルクル|廻《まは》つてゐたのよ』
|万公《まんこう》『さう|云《い》ふ|声《こゑ》はお|菊《きく》さまぢやないか。あられもない|女《をんな》の|身《み》として|連《つ》れもなく、|只《ただ》|一人《ひとり》|夜歩《よある》きなさるとはチツと|大胆《だいたん》ぢやありませぬか、|女《をんな》は|夜分《やぶん》になれば|決《けつ》して|一人《ひとり》|出《で》るものぢやありませぬよ』
と|故意《わざ》とに|嬉《うれ》しさを|隠《かく》して|力《りき》んで|見《み》せる。
お|菊《きく》『ホヽヽヽヽあたい、|一人《ひとり》|出《で》たつて|構《かま》はないよ。|男《をとこ》のつれでもあつて|見《み》なさい、それこそお|母《かあ》さまに|大《でか》いお|目玉《めだま》を|頂戴《ちやうだい》せなくてはならないわ。|万公《まんこう》さま、お|前《まへ》だつて|此《この》|暗《くら》がりに|一人《ひとり》|何《なに》してゐるの。|早《はや》く|夜分《やぶん》は|寝《ね》るものですよ』
|万公《まんこう》『|今《いま》|俄《にはか》に|神懸《かむがかり》になつたものだから|種物神社《たねものじんしや》に|詣《まゐ》つてここ|迄《まで》|帰《かへ》つて|来《き》た|所《ところ》だ。|一寸《ちよつと》|息《いき》を|休《やす》めてこれから|寝《ね》ようと|思《おも》つてるのだ』
お|菊《きく》『ホヽヽヽヽ|種物《たねもの》|神社《じんじや》なんて、よう|云《い》へたものだ。|種物《たねもの》が|違《ちが》ふのでせう』
|万公《まんこう》『さう|素破抜《すつぱぬ》かれちや|隠《かく》しても|駄目《だめ》だ。|実《じつ》の|所《ところ》は|如何《どう》しても|寝《ね》られないので、|外《そと》をぶらついて|居《を》つたら|天然棒《てんねんぼう》の|星《ほし》あたり、|犬《いぬ》も|歩《ある》けば|棒《ぼう》に|当《あた》ると|云《い》ふから、あたつて|砕《くだ》けて|見《み》ようと|思《おも》つてブラリブラリとやつて|来《き》たのだ。|何《なん》と|暗《くら》い|夜《よ》だないか。お|菊《きく》さまの|美《うつく》しい|白《しろ》い|顔《かほ》が|満足《まんぞく》に|見《み》えないのだからなあ』
お|菊《きく》『あたいの|顔《かほ》を|見《み》て|如何《どう》するの。あたいは|見《み》せ|物《もの》ぢやありませぬよ。これ|万公《まんこう》さま、お|前《まへ》さまの|目的《もくてき》は|一体《いつたい》|何《なん》だい。|皆《みな》さまが|寝《ね》て|厶《ござ》るのに|暗《くら》がりで|一人《ひとり》うろつくのは|何《なに》か|野心《やしん》がなくちやなりますまい』
|万公《まんこう》『|別《べつ》に|野心《やしん》もないが|耕《たがや》し|大神《だいじん》の|本守護神《ほんしゆごじん》が|地上姫《ちじやうひめ》を|尋《たづ》ねてお|出御《でまし》になつたのだよ』
お|菊《きく》『ホヽヽヽヽこれ|万公《まんこう》さま、お|前《まへ》はそんな|慢心《まんしん》をしてゐるのかい。|耕《たがや》し|大神《だいじん》だなんて|思《おも》つてるのだな。|随分《ずゐぶん》お|目出度《めでた》いね』
|万公《まんこう》『|耕《たがや》し|大神《だいじん》と|云《い》つたら|万公《まんこう》さまぢやないか。それが|違《ちが》ふならお|寅《とら》さまに|聞《き》いて|見《み》ろよ』
お|菊《きく》『ホヽヽヽヽお|寅《とら》さまに|聞《き》いたつて|何《なに》が|分《わか》るものか。みんな|此処《ここ》の|神《かみ》さまは|嘘《うそ》だよ。お|母《かあ》さまは|迷信家《めいしんか》だから、あんな|事《こと》|云《い》つて|喜《よろこ》んで|居《ゐ》るのよ、|本当《ほんたう》に|嫌《いや》になつて|了《しま》ふわ。お|菊《きく》は|地上姫《ちじやうひめ》だなんて、|何時《いつ》でも|云《い》つてるの。|好《す》かんたらしい。|地上《ちじやう》を|耕《たがや》すと|云《い》ふので|耕《たがや》し|大神《だいじん》と|地上姫《ちじやうひめ》が|夫婦《ふうふ》だなんて、こんな|妙《めう》な|理屈《りくつ》をつけるのだから、|本当《ほんたう》に|馬鹿《ばか》らしくて|仕方《しかた》がないのよ。お|前《まへ》も、もちと【らしい】|人《ひと》かと|思《おも》つたら、そんな|事《こと》を|聞《き》いて|本当《ほんたう》にしてるのかい。|天下《てんか》|泰平《たいへい》だね』
|万公《まんこう》『さうするとお|菊《きく》さま、お|前《まへ》は|地上姫《ちじやうひめ》だないと|思《おも》つてるのかい』
お|菊《きく》『|痴情《ちじやう》の|結果《けつくわ》、|家《いへ》を|飛《と》び|出《で》るものが|痴情姫《ちじやうひめ》だよ。こんな|箱入娘《はこいりむすめ》に|痴情姫《ちじやうひめ》なんて|仇名《あだな》をつけられちや|大変《たいへん》な|迷惑《めいわく》だ。|然《しか》し|万公《まんこう》さまは|耕《たがや》し|大神《だいじん》が|性《しやう》に|合《あ》ふとるよ。|人《ひと》と|約束《やくそく》した|事《こと》でも|直《すぐ》に、たがやし|大神《だいじん》だからね。ホヽヽヽヽ』
|万公《まんこう》『これや|怪《け》しからぬ、さうすると|此《この》|万公《まんこう》を|何神《なにがみ》さまだと|思《おも》つて|居《ゐ》るのだ』
お|菊《きく》『さうだね、まんまん たわけ|大神《だいじん》|位《くらゐ》なものでせうよ』
|万公《まんこう》『こりや|怪《け》しからぬ、さうすると|蠑〓別《いもりわけ》|教祖《けうそ》は|大広木正宗《おほひろきまさむね》ではないのか』
お|菊《きく》『|阿呆《あはう》らしい、あんな|酒喰《さけくら》ひが|大広木《おほひろき》|正宗《まさむね》なんて、|呆《あき》れつちまふわ。あの|人《ひと》は|蠑〓《いもり》の|様《やう》な|人《ひと》だよ。|井戸《ゐど》の|底《そこ》にすつ|込《こ》んで、のたくつて|居《ゐ》るのだからな。|松姫《まつひめ》さまだつて|決《けつ》して|上義姫《じやうぎひめ》でも|何《なん》でもありやせない。|松彦《まつひこ》さまだつてユラリ|彦《ひこ》でも|何《なん》でもないのだよ。|蠑〓別《いもりわけ》さまやお|母《かあ》さまが|迷信《めいしん》して|居《ゐ》るのだから|始末《しまつ》におへないのよ。よくもかう|惚《とぼ》け|人足《にんそく》ばかりが|寄《よ》つて|居《ゐ》るものだと|呆《あき》れてゐるの。それでもお|母《かあ》さまが|可哀相《かあいさう》だから|斯《か》うして|付《つ》いて|居《ゐ》るのだが、|仲々《なかなか》|容易《ようい》に|夢《ゆめ》は|覚《さ》めないのだよ。|此《この》|目《め》を|覚《さ》まして|呉《く》れる|立派《りつぱ》な|男《をとこ》さへあれば、|其《その》|男《をとこ》を|夫《をつと》に|持《も》ち|度《た》いのだけど、そんな|立派《りつぱ》な|人《ひと》は|一人《ひとり》もありやせないわ。|万公《まんこう》さまだつてさうだもの』
|万公《まんこう》『やあ、|此奴《こいつ》あ|感心《かんしん》だ。|実《じつ》の|所《ところ》は|俺《おれ》も、それや|知《し》つてるのだ。|只《ただ》お|寅《とら》さまの|前《まへ》で、|一寸《ちよつと》テンゴに|神懸《かむがかり》の|真似《まね》をして|耕《たがや》し|大神《だいじん》と|云《い》つて|見《み》た|所《ところ》が|大変《たいへん》に|信用《しんよう》して|呉《く》れたもんだから|俺《おれ》も|其《その》|気《き》になつて、|一寸《ちよつと》|化《ば》けて|見《み》たのだ。|要《えう》するにお|前《まへ》と|結婚《けつこん》をして|誠《まこと》の|道《みち》の|御用《ごよう》をしさへすれば|宜《い》いのだ。|耕《たがや》し|大神《だいじん》や|地上姫《ちじやうひめ》なんか、|眼中《がんちう》にないのだ』
お|菊《きく》『エーエ、|阿呆《あはう》らしい。たれが|万公《まんこう》さまの|様《やう》なお|方《かた》に|身《み》を|任《まか》す|馬鹿《ばか》がありますか。あたい、もう|姉《ねえ》さまの|事《こと》で|懲《こ》り|懲《こ》りしてるのだもの。お|前《まへ》さまの|顔《かほ》を|見《み》ると|嘔吐《へど》が|出《で》る|様《やう》だわ。|夜分《やぶん》だから|顔《かほ》が|見《み》えぬので、|斯《か》うして、しつぽりと|辛抱《しんばう》して|話《はなし》をしてあげるが、|昼《ひる》だつたら|気分《きぶん》が|悪《わる》うて|一目《ひとめ》|見《み》てもゾツとするのだよ。そんな|馬鹿《ばか》な|夢《ゆめ》を|見《み》て|居《を》らずに、さあチヤツとお|寝《やす》み。ホヽヽヽヽ|男《をとこ》と|云《い》ふものは|気《き》の|利《き》かないものだな』
|此方《こちら》の|木《き》の|茂《しげ》みから、
『|尤《もつと》も|尤《もつと》も、|然《しか》り|然《しか》り、|左様《さやう》|々々《さやう》、お|菊《きく》さま、|万歳《ばんざい》』
と|叫《さけ》ぶ|声《こゑ》がする。
|万公《まんこう》『なんだ。|如何《いか》にも|小北山《こぎたやま》は|怪体《けつたい》な|魔窟《まくつ》だな。|女《をんな》とも|男《をとこ》とも|得体《えたい》の|知《し》れぬ|声《こゑ》を|出《だ》しやがつて、|何《なに》を|吐《ぬか》すのだ。ヤツパリ|斑狐《はんこ》サンの|御眷族《ごけんぞく》だな。アハヽヽヽヽ』
お|菊《きく》『ホヽヽヽヽ|狐《きつね》ばつかりの|寄《よ》り|合《あ》うた|世《よ》の|中《なか》だもの、|無理《むり》もないわ。|況《ま》して|此《この》|小北山《こぎたやま》は|狐狗狸《こつくり》さんの|巣窟《さうくつ》だからね』
|暗《くら》がりから|細《ほそ》い|声《こゑ》で、
『お|菊《きく》さま、|頼《たの》みまつせ。しつかりおやりやす。|此《この》|万公《まんこう》はなあ、|高慢人《かうまんじん》だから|逆様《さかさま》に|慢高《まんかう》と|云《い》ふのよ。|慢《まん》の|字《じ》のついたものには|碌《ろく》な|奴《やつ》はありやせないわ。|自慢《じまん》|高慢《かうまん》|我慢《がまん》|慢心《まんしん》に|万引《まんびき》に|満鉄《まんてつ》、マント、まんまんこんな|者《もの》だよ。【まん】の|悪《わる》い|処《ところ》へ|小狐《こぎつね》がやつて|来《き》て|済《す》みませぬね』
|万公《まんこう》『はあて、|益々《ますます》|合点《がつてん》の|行《ゆ》かぬ|処《ところ》だ。|此奴《こいつ》あ|夢《ゆめ》でも|見《み》てるのぢやなからうかな。|夢《ゆめ》の|蠑〓別《いもりわけ》の|館《やかた》へ|来《き》てるのだから、|大方《おほかた》|夢《ゆめ》かも|知《し》れないぞ。アイタヽヽヽヽヤツパリ|頬《ほほ》を|抓《つめ》つてみれば|痛《いた》いわい』
お|菊《きく》『オホヽヽヽヽ』
|万公《まんこう》『こりやお|菊《きく》、いやらしい|声《こゑ》|出《だ》しやがるない。そんな|笑《わら》ひ|声《ごゑ》|出《だ》しやがると|首筋元《くびすぢもと》がゾクゾクするぢやないか』
お|菊《きく》(|声色《こはいろ》)『|一枚《いちまい》、|二枚《にまい》、|三枚《さんまい》、|四枚《しまい》、|五枚《ごまい》、|六枚《ろくまい》、|七枚《しちまい》、|八枚《はちまい》、|九枚《くまい》、エー|残念《ざんねん》やなあ、|怨《うら》めしやなあ』
|万公《まんこう》『これやこれやお|菊《きく》、|戯《ふざ》けた|真似《まね》をさらすと|承知《しようち》せないぞ』
お|菊《きく》『|播州《ばんしう》の|皿屋敷《さらやしき》だよ、ホヽヽヽヽ』
|暗《くら》がりから、
『オヽヽ|一枚《いちまい》、オヽヽ|二枚《にまい》、オヽヽ|三枚《さんまい》、オヽヽ|四枚《しまい》、オヽヽ|五枚《ごまい》、オヽヽ|六枚《ろくまい》、オヽヽ|七枚《しちまい》、オヽヽ|八枚《はちまい》、オヽヽ|九枚《くまい》、さあ|後《あと》の|一枚《いちまい》を|今宵《こよひ》の|中《なか》に|出《だ》さぬ|事《こと》には|不憫《ふびん》|乍《なが》ら|其《その》|方《はう》の|生命《いのち》はないぞや。|其《その》|一枚《いちまい》の|皿《さら》はお|菊《きく》の|股《また》にある|筈《はず》、|万公《まんこう》がその|皿《さら》を|狙《ねら》つて|隠《かく》して|居《ゐ》るのだ。|万《まん》に|皿《さら》だから|万皿《まんざら》|嘘《うそ》でもあるまい。ウツフヽヽヽヽ』
|万公《まんこう》『これや、|誰《たれ》ぢやい。|馬鹿《ばか》な|真似《まね》さらすと|承知《しようち》せないぞ、|俺《おれ》を|誰様《どなた》と|心得《こころえ》てるのだ。エーン』
お|菊《きく》『ホヽヽヽヽ|幽霊《いうれい》が|出《で》る、|化物《ばけもの》が|出《で》る、|何《なん》とまあ|小気味《こきみ》の|悪《わる》い|小北山《こぎたやま》だこと。ドレドレ|又《また》お|母《かあ》さまが|蠑〓別《いもりわけ》さまの|大広木《おほひろき》|正宗《まさむね》を|苛《いぢ》めてゐると|可哀相《かあいさう》だ。どれ|仲裁《ちゆうさい》に|行《ゆ》かうかな。|万引《まんびき》|満鉄《まんてつ》の|万《まん》さま、|左様《さやう》なら、アバよ、ホヽヽヽヽ』
と|笑《わら》ひ|乍《なが》ら|足早《あしばや》に|教祖《けうそ》の|館《やかた》をさして|帰《かへ》つて|行《ゆ》く。|万公《まんこう》は|双手《もろて》を|組《く》み|合点《がつてん》の|行《ゆ》かぬ|怪《あや》しの|声《こゑ》と|考《かんが》へ|込《こ》んでゐる。|闇《くら》がりから、
『ワツハヽヽヽヽヽウツフヽヽヽヽプツプヽヽヽヽ』
|万公《まんこう》は|其《その》|笑《わら》ひ|声《ごゑ》に|聞《き》き|覚《おぼ》えがあつた。|万公《まんこう》は|恥《はづ》かしさと|腹立《はらだ》たしさとに|自棄《やけ》になり、
|万公《まんこう》『チヨツ、これや、アクの|奴《やつ》、|要《い》らぬ|悪戯《いたづら》をやりやがるない。|本当《ほんたう》に|人《ひと》の|肝玉《きもたま》を|冷《ひ》やしやがつて|仕方《しかた》のない|奴《やつ》だ。タク、テク、|貴様《きさま》もチツと|心得《こころえ》ないと|痛《いた》い|目《め》をさしてやるぞ』
アク『|偉《えら》い|失恋《しつれん》な|事《こと》を|致《いた》しました。ウツフヽヽヽ』
|万公《まんこう》『エーエ、|馬鹿《ばか》らしい|夢《ゆめ》を|見《み》たものだ。あゝ|夢《ゆめ》になれなれ(|口上句調《こうじやうくてう》)|夢《ゆめ》の|蠑〓別《いもりわけ》の|神館《かむやかた》、|万公《まんこう》が|失恋《しつれん》の|幕《まく》、|首尾《しゆび》|克《よ》うお|目《め》にとまりますれば|先客様《せんきやくさま》は|之《これ》でお|代《かは》り』
|一同《いちどう》『アツハヽヽヽヽ』
(大正一一・一二・一三 旧一〇・二五 北村隆光録)
第一八章 |玉則姫《たまのりひめ》〔一二〇八〕
|蠑〓別《いもりわけ》は|酒《さけ》に|酔《よ》ひつぶれ|他愛《たあい》もなく|徳利《とくり》と|共《とも》に|横《よこ》たはつて|仕舞《しま》つた。お|寅《とら》はソツと|上《うへ》から|夜具《やぐ》を|着《き》せ|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせながら、|四畳半《よでふはん》の|間《ま》に|角火鉢《かくひばち》を|置《お》いて|坐《すわ》り|込《こ》み|独言《ひとりごと》、
お|寅《とら》『ほんとに|蠑〓別《いもりわけ》さまも|困《こま》つた|男《をとこ》だなア、|是《これ》|程《ほど》|親切《しんせつ》にすればする|程《ほど》、どことはなしに|冷《ひや》やかになつて|来《く》る|男《をとこ》だ、もちつと|温《あたた》かい|人《ひと》だと|思《おも》うて|居《ゐ》たに、えらい|買《か》ひ|被《かぶ》りをしたものだ。こんなに|冷《つめ》たいと|知《し》つたら、|初《はじ》めからああ|逆上《のぼ》せ|上《あが》るのぢやなかつた。|折角《せつかく》|貯《た》めた|財産《ざいさん》は|一文《いちもん》も|残《のこ》らずお|宮《みや》の|普請《ふしん》に|入《い》れて|仕舞《しま》ひ、それから|又《また》【シボクボ】として|蓄《た》めた|千両《せんりやう》の|金《かね》は|熊公《くまこう》にしてやられ、|是《これ》から|先《さき》はどうしたらよいのだらうか、|本当《ほんたう》に|気《き》の|揉《も》める|事《こと》だわ。お|酒《さけ》は|朝《あさ》から|晩《ばん》|迄《まで》|上《あ》げなくてはならないし、|酒《さけ》だつて|矢張《やつぱり》|無代《ただ》であるものぢやないし、|一升《いつしよう》の|酒《さけ》に|二十五銭《にじふごせん》も|税金《ぜいきん》が|要《い》るのだもの。これだけ|間接《かんせつ》|国税《こくぜい》を|納《をさ》めて|居《ゐ》てはやりきれない、ぢやと|云《い》うても|私《わたし》も|女《をんな》の|意地《いぢ》、|今更《いまさら》|捨《す》ててはならず、|捨《す》てられては|尚《なほ》ならず、えらい|羽目《はめ》に|陥《おちい》つたものだ。|沢山《たくさん》の|迷信家《めいしんか》は|参《まゐ》つて|来《く》るが|文助《ぶんすけ》が|馬鹿者《ばかもの》だから|此《この》|神様《かみさま》は|蕪《かぶら》や|大根《だいこん》さへ|上《あ》げればよいと|思《おも》つて、|些《ちつと》も|金目《かねめ》のものを|供《そな》へる|信者《しんじや》はなし「|竜神《りうじん》さまだ」と|云《い》つては|黒蛇《くろへび》を|北山《きたやま》の|上《うへ》に|放《はな》しに|来《く》る|位《くらゐ》なものだ。こんな|事《こと》でお|宮《みや》の|維持《ゐぢ》、いや|商売《しやうばい》が|出来《でき》るものか、チヨツ、|偉《えら》いヂレンマに|掛《かか》つたものだわ』
|斯《か》く|独《ひと》り|言《ごと》を|呟《つぶや》いて|居《ゐ》る|所《ところ》へ、|廊下《らうか》の|縁板《えんいた》をおどかしながら|足音《あしおと》|高《たか》くやつて|来《き》たのは|魔我彦《まがひこ》であつた。
|魔我《まが》『お|寅《とら》さま、まだ|起《お》きてゐらつしやるの』
お|寅《とら》『|寝《ね》ようと|思《おも》つたつて|寝《ね》られないぢやないか。お|前《まへ》が|仕様《しやう》もない|事《こと》を|云《い》ふものだから、たうとう|熊公《くまこう》の|奴《やつ》に|千両《せんりやう》ゆかれて|仕舞《しま》つたぢやないか』
|魔我《まが》『それでも|命《いのち》と|千両《せんりやう》とは|比《くら》べものになりませぬよ、|未《ま》だ|御神前《ごしんぜん》に|九千両《きうせんりやう》|残《のこ》つて|居《ゐ》るのだから、さう|悲観《ひくわん》したものぢやありませぬわ、それよりもお|寅《とら》さま、いつも|貴女《あなた》が、|上義姫《じやうぎひめ》と|義理天上《ぎりてんじやう》と|夫婦《ふうふ》にしてやらうと|仰有《おつしや》つたが、|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|神《かみ》の|生宮《いきみや》がやつて|来《き》たので、サツパリ|私《わたし》は|蛸《たこ》の|揚壺《あげつぼ》になつたぢやありませぬか、|貴女《あなた》の|御託宣《ごたくせん》でも|時々《ときどき》|違《ちが》ひますな』
お|寅《とら》『どうせ、|一《ひと》つや|二《ふた》つや|違《ちが》つたて|仕様《しやう》が|無《な》いぢやないか、さう|執念深《しふねんぶか》くこの|気《き》の|揉《も》めてるのに|理屈《りくつ》を|云《い》つてお|呉《く》れでないよ』
|魔我《まが》『お|寅《とら》さま、|一《ひと》つや|二《ふた》つ|違《ちが》つたて|何《なん》ぢやと|仰有《おつしや》いましたが、|上義姫《じやうぎひめ》と|私《わたし》との|結婚《けつこん》|問題《もんだい》が、|一《ひと》つ|間違《まちが》つたのは|私《わたし》に|取《と》つては|大変《たいへん》な|苦痛《くつう》ですよ、|否《いな》|殆《ほとん》ど|破滅《はめつ》も|同様《どうやう》ですよ』
お|寅《とら》『|仕方《しかた》がないぢやないか、|神様《かみさま》は「|其《その》|時《とき》の|都合《つがふ》に|致《いた》すぞよ」と|仰有《おつしや》るのだから、なんぼ|義理天上日《ぎりてんじやうひ》の|出神《でのかみ》が|偉《えら》うても|末代《まつだい》さまには|叶《かな》ひますまい、それよりも、もつと|若《わか》い|綺麗《きれい》な|女《をんな》に|目《め》をつけたらどうだい、あんな|中古《ちうぶる》は、|古手屋《ふるてや》の|店《みせ》へだつて|垂下《つる》しておいても|誰《たれ》も|買《か》やしないよ。|人《ひと》の|着古《きふる》したマントを|買《か》はうよりまだ|一度《いちど》も|手《て》を|通《とほ》した|事《こと》のない、シツケの|取《と》れない|衣物《べべ》を|買《か》つた|方《はう》が|何程《なんぼ》|気持《きもち》がよいか|知《し》れないよ』
|魔我《まが》『|実《じつ》は|私《わたし》も、さう|思《おも》つて|思《おも》ひ|切《き》つたのです。チヨツ|昨日《きのふ》も|信者《しんじや》の|中《なか》から|物色《ぶつしよく》しましたが、いつもよう|参《まゐ》つて|来《く》るお|民《たみ》さまを|私《わたし》の|女房《にようばう》にして|見《み》たいと|思《おも》ひますが、|世話《せわ》をして|貰《もら》ふ|訳《わけ》には|往《ゆ》きませぬだらうかなア』
お|寅《とら》『|何《なに》、あのお|民《たみ》を|女房《にようばう》にしたいと|云《い》ふのか、ウンそれやよい|了見《れうけん》だ、|一《ひと》つ|私《わたし》が|懸《か》け|合《あ》つて|見《み》よう、|併《しか》し|旨《うま》く|行《ゆ》くか|知《し》らぬがな』
|魔我《まが》『そこは|旨《うま》くお|民《たみ》の|身魂《みたま》を|義理天上《ぎりてんじやう》さまの|女房《にようばう》の|身魂《みたま》|玉則姫《たまのりひめ》さまだと|云《い》ふやうに|説《と》きつけて|下《くだ》さいな、|神様《かみさま》の|命令《めいれい》とあれば、あれ|程《ほど》|熱心《ねつしん》の|信者《しんじや》だから|聞《き》いて|呉《く》れませう』
お|寅《とら》はニヤリと|笑《わら》ひ、
お|寅《とら》『これ|魔我《まが》ヤン、お|前《まへ》は|何処迄《どこまで》も|自分《じぶん》の|身魂《みたま》を|義理天上《ぎりてんじやう》と|思《おも》つて|居《ゐ》るのか、お|目出度《めでた》いぢやないか、このお|寅《とら》は|馬鹿《ばか》ぢやけれど、|昨日《きのふ》|五三公《いそこう》さまの|歌《うた》によつて、スツカリ|看破《かんぱ》して|仕舞《しま》つたのよ、|蠑〓別《いもりわけ》さまは|高姫《たかひめ》|仕込《じこみ》で|精神《せいしん》が|変《へん》だから「|誰《たれ》の|身魂《みたま》が|何《なん》だの|彼《あ》の|身魂《みたま》が|何《なん》だの」と|口《くち》から|出放題《ではうだい》の|事《こと》を|云《い》つて|居《ゐ》るのだ。|併《しか》しこれも|商売《しやうばい》だと|思《おも》へば、|勘弁《かんべん》が|付《つ》かぬ|事《こと》も|無《な》いが、|本当《ほんたう》にお|前《まへ》、|義理天上《ぎりてんじやう》さまと|思《おも》うて|居《ゐ》ては|大当違《おほあてちが》ひだよ、お|前《まへ》の|身魂《みたま》は|狸《たぬき》だからねえ』
|魔我《まが》『これや|怪《け》しからぬ、そんなら|私《わたし》が|狸《たぬき》なら、お|寅《とら》さまは|虎猫《とらねこ》でせう』
お|寅《とら》『|私《わたし》の|守護神《しゆごじん》は、そんな|屁泥《へどろ》い|者《もの》ぢやないよ。|五三公《いそこう》さまの|歌《うた》を|聞《き》いて、|目《め》が|醒《さ》め、ソツと|腹《はら》の|中《なか》の|守護神《しゆごじん》を|調《しら》べて|見《み》たら、|腹《はら》の|中《なか》より|云《い》ふ|事《こと》にや「|私《わし》は|斑狐《はんこ》ぢや、それを|盤古《ばんこ》と|云《い》うて|居《ゐ》るのぢや。|虎《とら》とも|牛《うし》とも|狐《きつね》とも|分《わか》らぬやうな|怪物《くわいぶつ》だが、やつぱり|古狐《ふるぎつね》の|親分《おやぶん》で、|小北山《こぎたやま》|界隈《かいわい》で|羽振《はぶ》りを|利《き》かして|居《ゐ》るのだ」とよ、|本当《ほんたう》に|呆《あき》れて|仕舞《しま》つたよ。これを|思《おも》へばどれもこれも|皆《みな》|狐《きつね》や|狸《たぬき》|計《ばか》りだなア』
|魔我《まが》『さうすると|蠑〓別《いもりわけ》さまの|守護神《しゆごじん》は|何《なん》ですか』
お|寅《とら》『|大《おほ》きな|声《こゑ》では|云《い》はれぬが、|大変《たいへん》|大《おほ》きな|狸《たぬき》だよ、さう|聞《き》くと|時々《ときどき》|口《くち》を|尖《とが》らしたり、|目《め》をギヨロリと|剥《む》いたりなさるだらう、|併《しか》し|狸《たぬき》だつて|斑狐《はんこ》だつて|余《あま》り|馬鹿《ばか》にはならないよ、|魔我《まが》ヤン、お|前《まへ》も|其《その》|心算《つもり》で|狐擬《きつねまが》ひになつて|活動《くわつどう》しなさい、|狸《たぬき》と|云《い》はれるより|狐《きつね》はましだよ、|狐《きつね》は|稲荷《いなり》さまと|云《い》うて、|皆《みんな》が|崇《あが》めて|呉《く》れるからな』
|魔我《まが》『|狐《きつね》|狸《たぬき》の|話《はなし》は|暫《しばら》くお|預《あづか》りとして|私《わたし》の|結婚《けつこん》|問題《もんだい》です、|如何《どう》かしてお|民《たみ》さまを|世話《せわ》して|下《くだ》さいな、|貴女《あなた》グヅグヅして|居《ゐ》ると|蠑〓別《いもりわけ》さまが|取《と》つて|仕舞《しま》ひますよ』
お|寅《とら》『ウンさうだなア、どうもお|民《たみ》の|視線《しせん》が|蠑〓別《いもりわけ》さまに|集注《しふちう》するやうで|仕方《しかた》がないと|思《おも》つて|居《ゐ》た|処《ところ》だ、ひよつとしたらあの|阿魔《あま》ツチヨ、|蠑〓別《いもりわけ》さまに|秋波《しうは》を|送《おく》つて|居《ゐ》るのかも|知《し》れない、|憎《にく》いやつだ、どれどれ|今《いま》に|面《つら》の|皮《かは》を|引《ひ》き|剥《む》いてやりませうかい』
|魔我《まが》『そんな|事《こと》をせずに|私《わたし》に|世話《せわ》して|下《くだ》さつたら、|私《わたし》が|大事《だいじ》にして、|蠑〓別《いもりわけ》さまの|方《はう》へ|目《め》も|呉《く》れないやうに|保護《ほご》するぢやありませぬか。さうすれや|第一《だいいち》お|寅《とら》さまも|安全《あんぜん》でせう』
お|寅《とら》『さうだな、|別《べつ》に|荒立《あらだ》てる|必要《ひつえう》も|無《な》いのだから|否《い》や|応《おう》なしにお|前《まへ》の|女房《にようばう》になるやうに|一《ひと》つ|懸合《かけあ》つて|見《み》よう』
|魔我《まが》『ヤアそいつは|有難《ありがた》い、|遉《さすが》はお|寅《とら》さまだ、よく|取《と》り|上《あ》げて|下《くだ》さつた、それだから|取上《とりあげ》|婆《ば》アさまと|云《い》ふのだ、ウフヽヽヽ』
お|寅《とら》『そんな|洒落《しやれ》|所《どころ》かいな、かう|聞《き》けば|一時《いちじ》も|早《はや》く|何《なん》とか|極《き》めないと、|蠑〓別《いもりわけ》さまが|険難《けんのん》で|仕方《しかた》がない。お|民《たみ》は|今日《けふ》|帰《かへ》つたと|云《い》ふことぢやないか』
|魔我《まが》『|何《なに》|帰《かへ》りますものか、あの|女《をんな》は|神様《かみさま》へ|参《まゐ》るのは|表《おもて》むき、その|実《じつ》は|蠑〓別《いもりわけ》さまに|百度《ひやくど》|以上《いじやう》に|逆上《のぼせ》て|居《ゐ》るのですよ』
とお|寅婆《とらば》アさまを|焚《た》きつけて|自分《じぶん》の|縁談《えんだん》を|周旋《しうせん》させやうと|巧《たく》んで|居《ゐ》る。
お|寅《とら》はカツカとなり、
お|寅《とら》『これ|魔我《まが》サン、そのお|民《たみ》さまは|何処《どこ》に|居《ゐ》るのだえ』
|魔我《まが》『|炊事場《すゐじば》の|隣《となり》に|寝《ね》て|居《ゐ》るのですが、|実《じつ》は|私《わたし》も|今晩《こんばん》|瀬踏《せぶみ》をして|見《み》たのですがやられました。|本当《ほんたう》に|本当《ほんたう》に|馬鹿《ばか》らしい』
お|寅《とら》『アハヽヽヽ|気《き》の|利《き》かぬ、エツパツパを|喰《く》はされて|来《き》たのだな、それで|此《この》お|寅《とら》さまに|応援《おうゑん》を|頼《たの》みに|来《き》たのかな、|併《しか》し|魔我《まが》ヤン、お|前《まへ》は|大《おほい》に|気《き》に|入《い》つた。さうしてチヨイチヨイ|邪魔《じやま》をしたり|気《き》をつけたりして|貰《もら》はねば|蠑〓別《いもりわけ》さまが|険難《けんのん》で|仕方《しかた》がないからな。|番犬《ばんけん》には|適当《てきたう》な|男《をとこ》だ』
|魔我《まが》『|番犬《ばんけん》とはちと|甚《ひど》いではありませぬか』
お|寅《とら》『|番犬《ばんけん》でもいいぢやないか、|今《いま》に|立派《りつぱ》な|御主人《ごしゆじん》にして|上《あ》げるのだから、これ|魔我《まが》ヤン、お|前《まへ》は|前《まへ》に【チヨコナン】として|蠑〓別《いもりわけ》さまに|魔《ま》のささぬやうに|番犬《ばんけん》の|御用《ごよう》をつとめて|居《ゐ》るのだよ』
と|立《た》ち|出《い》でむとする|時《とき》、|其辺《そこら》をうろついて|居《ゐ》たお|菊《きく》がやつて|来《き》た。
お|寅《とら》『お|前《まへ》はお|菊《きく》ぢやないか、|娘《むすめ》が|夜中《よなか》にどこをうろついて|居《ゐ》るのだ』
お|菊《きく》『あの|耕《たがや》し|大神《だいじん》の|生宮《いきみや》に|遇《あ》つたのよ、それで|散々《さんざん》|膏《あぶら》を|取《と》つてやつたの、|本当《ほんたう》に|万公《まんこう》の|奴《やつ》、|狸《たぬき》に|誑《だま》かされよつて|耕《たがや》し|大神《だいじん》だと|自信《じしん》して|居《ゐ》るのだから|可笑《をか》しくて|仕様《しやう》がない。このお|菊《きく》だつて|地上姫《ちじやうひめ》でも|何《なん》でもあれやしないわ、こんな|鼻《はな》の|頭《さき》も|分《わか》れて|居《ゐ》ない|処女《しよぢよ》に、|痴情《ちじやう》があつて|耐《たま》るものですか』
お|寅《とら》『|何《なに》も|彼《か》も|好《よ》く|知《し》りぬいたお|転婆《てんば》ぢやなア、|私《わたし》は|一寸《ちよつと》そこ|迄《まで》|行《い》つて|来《く》るから、お|前《まへ》ここで|魔我彦《まがひこ》さまと|待《ま》つて|居《ゐ》るのですよ』
お|菊《きく》『お|母《かあ》さま、|女《をんな》が|夜分《やぶん》にのそのそ|一人《ひとり》|歩《ある》きするものぢやありませぬよ』
と|即座《そくざ》に|竹篦返《しつぺいがへ》しをやつて|見《み》た。
お|寅《とら》『|私《わたし》は|神界《しんかい》の|御用《ごよう》があるのだよ、お|前《まへ》はここに|神妙《しんめう》に|魔我《まが》ヤンと|待《ま》つて|居《ゐ》るのだよ。そして|眠《ねむ》くなつたら|勝手《かつて》におやすみよ』
お|菊《きく》『お|母《かあ》さま、|好《す》かぬたらしい、|魔我《まが》ヤンの|顔《かほ》|見《み》てる|位《くらゐ》なら、|寝間《ねま》へでも|入《はい》つてやすみますわ』
お|寅《とら》『エヽ|勝手《かつて》におしよ』
と|云《い》ひながら、プイと|立《た》ち|出《い》で、|炊事場《すゐじば》の|隣《となり》の|暗《くら》い|部屋《へや》を|指《さ》して|足《あし》さぐりに|進《すす》んでゆく。
(大正一一・一二・一三 旧一〇・二五 加藤明子録)
第一九章 |吹雪《ふぶき》〔一二〇九〕
|悋気《りんき》の|角《つの》を|振《ふ》り|立《た》てて  |顔《かほ》を|真赤《まつか》に|染《そ》めながら
|轟《とどろ》く|胸《むね》を|撫《な》で|下《おろ》し  |居間《ゐま》に|魔我彦《まがひこ》|残《のこ》しつつ
|粋《すゐ》に|気《き》の|利《き》くお|寅《とら》さま  |炊事場《すゐじば》さして|進《すす》み|入《い》り
お|民《たみ》の|居間《ゐま》へ|訪《おとな》へば  お|民《たみ》は|切《しき》りに|経典《きやうてん》を
|繙《ひもと》き|初《はじ》め|居《ゐ》たりける  お|寅《とら》は|外《そと》から|声《こゑ》をかけ
これこれ|申《まを》しお|民《たみ》さま  こんな|夜更《よふけ》に|何《なに》してぞ
|人《ひと》の|寝静《ねしづ》まつた|其《その》|後《あと》で  |文《ふみ》でも|書《か》いて|居《ゐ》るのだらう
|油断《ゆだん》のならぬ|女《をんな》だなあ  かう|出《だ》し|抜《ぬ》けに|呼《よ》ばはれば
お|民《たみ》は|驚《おどろ》き|経典《きやうてん》を  |二《ふた》つに|畳《たた》んで|傍《そば》におき
|貴女《あなた》は|内事《ないじ》のお|寅《とら》さま  この|真夜中《まよなか》に|何《なん》として
|態々《わざわざ》|訪《たづ》ねて|来《き》なさつた  |合点《がてん》がゆかぬと|怪《あや》しめば
お|寅《とら》は|眼《まなこ》をむき|出《いだ》し  |花《はな》の|盛《さか》りのお|民《たみ》さま
お|門《かど》が|多《おほ》くて|嘸《さぞ》やさぞ  |心《こころ》の|揉《も》める|事《こと》でせう
お|前《まへ》がここへ|参《まゐ》つたのは  |神信心《かみしんじん》は|表向《おもてむ》き
|外《ほか》に|望《のぞ》みがあるのだろ  お|前《まへ》も|美《うつく》し|身《み》をもつて
グヅグヅして|居《ゐ》る|時《とき》ぢやない  |早《はや》く|夫《をつと》を|持《も》たさせよと
|大神様《おほかみさま》に|聞《き》いた|故《ゆゑ》  |眠《ねむ》たい|眼《め》をばこすりつつ
|態々《わざわざ》やつて|来《き》たのだよ  お|前《まへ》の|身魂《みたま》は|義理天上《ぎりてんじやう》
|日出神《ひのでのかみ》の|奥《おく》さまの  |玉則姫《たまのりひめ》に|違《ちが》ひない
|神《かみ》と|神《かみ》との|因縁《いんねん》で  |夫婦《めをと》にならねばなりませぬ
|日出神《ひのでのかみ》の|生宮《いきみや》の  |魔我彦《まがひこ》さまと|逸早《いちはや》く
|結婚式《けつこんしき》をあげなされ  この|神勅《しんちよく》に|背《そむ》いたら
|其方《そなた》が|御身《おんみ》の|一大事《いちだいじ》  |神《かみ》の|怒《いか》りで|忽《たちま》ちに
|根底《ねそこ》の|国《くに》へ|墜《お》ちますよ  |何程《なにほど》|蠑〓別《いもりわけ》さまを
|恋《こひ》し|恋《こひ》しと|思《おも》うても  |高根《たかね》の|花《はな》か|水《みづ》の|月《つき》
とても|掴《つか》める|筈《はず》がない  そんな|野心《やしん》を|起《おこ》さずに
|馬《うま》は|馬《うま》づれ|牛《うし》は|牛《うし》  |魔我彦《まがひこ》さまと|機嫌《きげん》よう
|合衾式《がふきんしき》を|上《あ》げなされ  |返答《へんたふ》はどうぢやと|手厳《てきび》しく
|呶鳴《どな》ればお|民《たみ》は|仰天《ぎやうてん》し  |晴《は》れたる|空《そら》に|霹靂《へきれき》の
|閃《ひらめ》く|如《ごと》く|胸《むね》|打《う》たれ  |暫《しば》し|言葉《ことば》もなかりける。
お|民《たみ》『お|寅《とら》さま、|貴女《あなた》は|今《いま》|私《わたし》が|蠑〓別《いもりわけ》さまに○○して|居《ゐ》るやうに|仰有《おつしや》いましたな、それや|大変《たいへん》な|迷惑《めいわく》です、そして|魔我彦《まがひこ》さまと|夫婦《めをと》になれと|仰有《おつしや》いましたが、それや|本気《ほんき》ですか』
お|寅《とら》『|本気《ほんき》でなくてこの|眠《ねむ》たいのに、|誰《たれ》が|態々《わざわざ》|来《き》ませうか。お|前《まへ》の|身魂《みたま》は|玉則姫《たまのりひめ》さまと|云《い》ふ|事《こと》が、|御神勅《ごしんちよく》で|分《わか》つたのだよ、それだから|一時《いちじ》も|早《はや》く|義理天上日出神《ぎりてんじやうひのでのかみ》と|夫婦《ふうふ》に|致《いた》さねば、|神界《しんかい》の|経綸《しぐみ》が|後《おく》れるのだから|勧《すす》めに|来《き》たのだよ』
お|民《たみ》『|藪《やぶ》から|棒《ぼう》のやうなお|言葉《ことば》、|早速《さつそく》に|御返事《ごへんじ》が|出来《でき》ませぬ。どうか|一週間《いつしうかん》|程《ほど》|熟考《じゆくかう》の|猶予《いうよ》を|与《あた》へて|下《くだ》さいませ。さうすれば|否《いや》とか、|応《おう》とか|御返事《ごへんじ》|致《いた》しますから』
お|寅《とら》『さてもさても|歯切《はぎ》れのせぬお|方《かた》ぢやな、なぜ|神様《かみさま》の|仰有《おつしや》る|事《こと》を|素直《すなほ》に|聞《き》かないのだ。|十万億土《じふまんおくど》に|落《おと》されても|構《かま》はないのですか』
お|民《たみ》『どうなつても|仕方《しかた》が|無《な》いぢやありませぬか。|何程《なにほど》|神様《かみさま》の|御命令《ごめいれい》だと|言《い》つても|自分《じぶん》の|気《き》に|合《あ》はない|夫《をつと》をもつ|事《こと》は|一生《いつしやう》の|不愉快《ふゆくわい》ですから、|何程《なにほど》|神様《かみさま》だつてそんな|無理《むり》は|仰有《おつしや》いますまい。|私《わたし》は|女《をんな》としての|人間《にんげん》を|作《つく》つて、その|上《うへ》で|夫《をつと》をもつ|考《かんが》へですよ。|人形《にんぎやう》の|家《いへ》になつては|困《こま》りますからな。ホヽヽヽヽ』
お|寅《とら》『|随分《ずゐぶん》|悪思想《あくしさう》に|染《そま》つたものだねえ。それだから|今時《いまどき》の|女《をんな》は|仕方《しかた》が|無《な》いと|云《い》ふのだ、そんな|剛情《がうじやう》を|張《は》るものぢやありませぬ。「|剛強《がうきやう》|必《かなら》ず|死《し》して|仁義《じんぎ》|王《わう》たり」と|云《い》ふ|事《こと》を|知《し》つて|居《ゐ》ますか、|女《をんな》と|云《い》ふものは|仁義《じんぎ》の|心《こころ》が|肝腎《かんじん》だよ、|剛強《がうきやう》なは|男《をとこ》に|欠《か》くべからざる|特質《とくしつ》だ。|剛強《がうきやう》にして|仁義《じんぎ》を|保《たも》つのが|男《をとこ》の|中《なか》の|男《をとこ》だよ、|女《をんな》に|剛強《がうきやう》の|必要《ひつえう》はない、サア|早《はや》く|返答《へんたふ》して|下《くだ》さい。|返答《へんたふ》のないのは|矢張《やつぱ》り|蠑〓別《いもりわけ》さまに|野心《やしん》があるのだらう』
お|民《たみ》『エヽ|何《なん》と|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さつても、|女《をんな》の|一生《いつしやう》の|一大事《いちだいじ》ですから、|一週間《いつしうかん》|熟考《じゆくかう》の|余地《よち》を|与《あた》へて|貰《もら》はなくては|御返事《ごへんじ》は|出来《でき》ませぬ』
お|寅《とら》は|不機嫌《ふきげん》な|顔《かほ》をして|雨戸《あまど》をガラガラビシヤンと|閉《し》めながら、|一足々々《ひとあしひとあし》|四股《しこ》を|踏《ふ》み|庭《には》の|小石《こいし》を|蹴散《けち》らし|跳《は》ね|散《ちら》し、
お|寅《とら》『ど|強太《しぶと》い|阿魔《あま》ツチヨ|奴《め》、それ|程《ほど》|蠑〓別《いもりわけ》が|欲《ほ》しいのか』
と|口汚《くちぎたな》く|罵《ののし》りながら|帰《かへ》つて|往《ゆ》く。|後《あと》にお|民《たみ》は|独言《ひとりごと》、
お|民《たみ》『あゝ|情《なさけ》ない、|一人前《いちにんまへ》の|女《をんな》と|生《うま》れながら|背《せ》の|低《ひく》い|腰《こし》の|屈《まが》つた|瓢箪面《へうたんづら》の、スカンピン|男《をとこ》を|夫《をつと》に|持《も》てとは、お|寅《とら》さまも|余《あんま》りだわ、|何程《なんぼ》|神様《かみさま》の|命令《めいれい》だつてどうしてこんな|事《こと》が|承諾《きけ》ませうか、|私《わたし》も【おたんちん】だけれども、|矢張《やつぱ》り|十人並《じふにんなみ》に|勝《すぐ》れて|居《ゐ》る|心算《つもり》だ、あんなケチナ|魔我彦《まがひこ》の|女房《にようばう》になる|位《くらゐ》なら、|目《め》でもかんで|死《し》んで|仕舞《しま》つた|方《はう》が|何程《なにほど》|気《き》が|利《き》いて|居《ゐ》るか、|分《わか》らないのだ。|何《なん》でまあ、あんな|男《をとこ》が|副教主《ふくけうしゆ》になつて|居《ゐ》るのだらう。|此処《ここ》の|神様《かみさま》は|余程《よほど》|悪戯《いたづら》がお|好《す》きだと|見《み》えるなあ、|私《わたし》がかうして|此《この》お|山《やま》に|参詣《さんけい》するのも|十中《じつちう》の|九分《くぶ》|迄《まで》は、|蠑〓別《いもりわけ》さまが……「|暫《しばら》く|待《ま》つて|居《を》れ、お|寅《とら》の|隠《かく》して|居《ゐ》る|一万両《いちまんりやう》の|金《かね》さへ|手《て》に|入《い》らば、お|前《まへ》を|連《つ》れて|好《い》い|所《ところ》へ|往《い》つてやらう。そして|二人《ふたり》|仲好《なかよ》う|暮《くら》さう」と|仰有《おつしや》つた|御親切《ごしんせつ》のお|言葉《ことば》を|夢寐《むび》にも|忘《わす》れた|事《こと》はない、それにまあ、お|寅《とら》さまとした|事《こと》が、|魔我彦《まがひこ》さまを|夫《をつと》にもてとは|好《よ》うも|好《よ》うもこのお|民《たみ》を|軽蔑《けいべつ》したものだ、お|寅《とら》さまは、|私《わたし》と|蠑〓別《いもりわけ》さまが|怪《あや》しいと|思《おも》つて|其《その》|意気利《いきり》|抜《ぬ》きのためにあんな|事《こと》を|云《い》つて|来《き》たのだらう、アタ|阿呆《あはう》らしい、|玉則姫《たまのりひめ》の|身魂《みたま》ぢやなんて、そんなことにチヨロマカされるお|民《たみ》ぢやありませぬ。あゝもう|嫌《いや》になつた。|何《なん》とかしてお|月様《つきさま》がお|出《で》ましになれば、|此処《ここ》を|逃出《にげだ》さうかなあ、|今晩《こんばん》は|二十一日《にじふいちにち》のお|月様《つきさま》、もうお|上《あが》りなさるに|間《ま》もあるまい、あゝさうださうだ。これから|荷物《にもつ》を|片付《かたづ》けて|逃《に》げ|出《だ》すのが|上分別《じやうふんべつ》だ、|併《しか》し|蠑〓別《いもりわけ》さまに|一言《ひとこと》|云《い》うて|置《お》かねば|後《あと》で|何《なん》と|不服《ふふく》|云《い》はれても|仕方《しかた》がない、あゝ|如何《どう》したらよからう、|大方《おほかた》|今頃《いまごろ》はお|酒《さけ》に|酔《よ》つて|寝《ね》て|居《ゐ》らつしやるのだらう、あゝ|如何《どう》しようかなア』
と|独《ひと》り|言《ご》ちつつ|去就《きよしう》に|迷《まよ》うて|居《ゐ》る。
お|寅《とら》は|直様《すぐさま》|松彦《まつひこ》や|松姫《まつひめ》の|館《やかた》を|夜中《やちう》にも|拘《かかは》らず|叩《たた》き|起《おこ》した。
お|寅《とら》『もし|上義姫《じやうぎひめ》|様《さま》、|一寸《ちよつと》|起《お》きて|下《くだ》さいますまいか』
|上義姫《じやうぎひめ》は|中《なか》より、
|松姫《まつひめ》『ハイまだ|寝《やす》んで|居《を》りませぬから、サア|何卒《どうぞ》お|這入《はい》り|下《くだ》さいませ、|甚《えら》う|遅《おそ》いぢやありませぬか』
お|寅《とら》『|這入《はい》つてお|差支《さしつかへ》は|厶《ござ》いませぬかな』
|松姫《まつひめ》『サアサアどうぞお|構《かま》ひなく』
と|云《い》ひながら|門口《もんぐち》をガラリと|引《ひ》き|開《あ》け、お|寅《とら》の|手《て》を|取《と》つて|静《しづ》かに|座敷《ざしき》に|通《とほ》し、|夜風《よかぜ》を|防《ふせ》ぐため|再《ふたた》び|庭《には》に|下《お》りて|門口《もんぐち》の|戸《と》をピシヤリと|閉《し》め、|土《つち》で|捏《こ》ねた|火鉢《ひばち》を|前《まへ》におき、|二人《ふたり》は|茲《ここ》に|対座《たいざ》した。|隣室《りんしつ》には|早《はや》くも|松彦《まつひこ》お|千代《ちよ》の|鼾《いびき》が|聞《きこ》えて|居《ゐ》る。
|松姫《まつひめ》『お|寅《とら》さま、|夜半《やはん》にお|訪《たづ》ね|下《くだ》さいましたのは、|何《なに》か|急用《きふよう》でも|起《おこ》つたのですかなア』
お|寅《とら》『ハイ、|実《じつ》の|所《ところ》は|魔我彦《まがひこ》の|一件《いつけん》で|厶《ござ》います、|彼《あれ》は|今迄《いままで》|義理天上日出神《ぎりてんじやうひのでのかみ》の|生宮《いきみや》と|確《かた》く|信《しん》じ|副教祖《ふくけうそ》となつて|御用《ごよう》を|致《いた》して|来《き》ましたが、|貴女《あなた》|様《さま》に|御主人様《ごしゆじんさま》があつた|事《こと》が|分《わか》り、もはやスツカリと|断念《だんねん》|致《いた》しました。それに|就《つい》ては|魔我彦《まがひこ》にも|女房《にようばう》を|持《も》たさねば、はうけて|仕舞《しま》ひます。それで|私《わたし》も|気《き》を|揉《も》んで|衣掛村《きぬかけむら》から|来《き》て|居《ゐ》る|信者《しんじや》のお|民《たみ》の|宿《やど》つて|居《ゐ》る|処《ところ》へ|態々《わざわざ》|押《お》しかけて|参《まゐ》り「|魔我彦《まがひこ》の|女房《にようばう》になつてやつて|呉《く》れ」と|申《まを》しました|所《ところ》、スツタモンダと|申《まを》し|仲々《なかなか》|承知《しようち》して|呉《く》れませぬ、|一週間《いつしうかん》|熟考《じゆくかう》の|暇《ひま》を|与《あた》へて|呉《く》れ、|其《その》|上《うへ》で|返答《へんたふ》するといふのだから、|腹《はら》がたつて|仕方《しかた》がありませぬ。グヅグヅして|居《ゐ》ると、|蠑〓別《いもりわけ》さまを|喰《く》はへて|何処《どこ》に|往《ゆ》くか|分《わか》りませぬ。それで|一《ひと》つは|蠑〓別《いもりわけ》の|恋《こひ》の|予防《よばう》のため、|一《ひと》つは|魔我彦《まがひこ》を|安心《あんしん》さすため|一挙両得《いつきよりやうとく》、どうでせう、|貴方《あなた》の|御神徳《ごしんとく》と|権威《けんゐ》とをもつてお|民《たみ》を|説《と》きつけて|頂《いただ》く|訳《わけ》には|参《まゐ》りますまいか』
|松姫《まつひめ》『|左様《さやう》で|厶《ござ》いますか、それや|実際《じつさい》にさう|往《ゆ》けば|好都合《かうつがふ》ですな、|併《しか》し|乍《なが》ら|幸《さいは》ひ|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|大神様《おほかみさま》がお|越《こ》し|遊《あそ》ばしたのだから、とつくりと|伺《うかが》つた|上《うへ》で|話《はな》せなら|話《はな》しても|見《み》ませう。|今夜《こんや》に|何《ど》うと|云《い》ふ|事《こと》も|厶《ござ》いますまいから、|明日《みやうにち》でも|悠《ゆつく》り|懸《か》け|合《あ》つて|見《み》ませう』
お|寅《とら》『イエイエそんなまどろしい|事《こと》ではいけませぬ。|実《じつ》の|所《ところ》は|今夜《こんや》の|中《うち》に|何《ど》つちか|極《き》めて|仕舞《しま》ひたいのです』
とかく|話《はな》す|内《うち》にお|菊《きく》と|魔我彦《まがひこ》がやつて|来《き》て、
お|菊《きく》『ご|免《めん》なさい、お|母《かあ》さまは|来《き》て|居《を》られますかな』
|戸《と》の|中《なか》からお|寅《とら》は、
お|寅《とら》『その|声《こゑ》はお|菊《きく》ぢやないか、|女《をんな》の|子《こ》が|夜分《やぶん》に|独《ひと》り|歩《ある》くものぢやないと|云《い》うておくのに、|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》かぬ|子《こ》ぢやな』
お|菊《きく》『お|母《か》アさま、|魔我《まが》ヤンと|一緒《いつしよ》に|来《き》たのだよ、あの|腰《こし》の|屈《まが》つた|魔我《まが》ヤンと』
お|寅《とら》『|魔我《まが》ヤン、お|前《まへ》は|蠑〓別《いもりわけ》さまの|番犬《ばんけん》に|頼《たの》んでおいたぢやないか、|何《なに》しにこんな|所《ところ》へ|来《き》たのだ、このお|寅《とら》はお|前《まへ》の|縁談《えんだん》を|取結《とりむす》んでやらうと|思《おも》つてこの|遅《おそ》いのにお|民《たみ》の|部屋《へや》へいつたり、|松姫《まつひめ》さまのお|室《へや》に|来《き》たりして|心配《しんぱい》して|居《ゐ》るのだ。サア|早《はや》く|家《うち》へ|帰《かへ》つて|蠑〓別《いもりわけ》さまの|番犬《ばんけん》をしてお|呉《く》れ、お|前《まへ》さへ|居《を》ればお|民《たみ》が|来《き》たつて|大丈夫《だいぢやうぶ》だから』
|魔我《まが》『そんならお|寅《とら》さま、これから|番犬《ばんけん》を|勤《つと》めますわ、|併《しか》しお|菊《きく》さまだけは、|貴女《あなた》のお|傍《そば》に|置《お》いて|往《ゆ》きますからな』
お|寅《とら》『|仕方《しかた》がない、そんならお|菊《きく》、|這入《はい》らして|貰《もら》ひなさい』
お|菊《きく》『おばさま|御免《ごめん》』
と|云《い》ひながら、|自分《じぶん》から|戸《と》を|開《あ》け、|又《また》|締《し》め、|松姫《まつひめ》、お|寅《とら》の|横《よこ》にチヨコナンと|坐《すわ》つて|居《ゐ》る。|魔我彦《まがひこ》は、|松姫《まつひめ》、お|寅《とら》の|話《はなし》が|気《き》にかかつて|堪《たま》らず、|壁《かべ》の|外《そと》に|耳《みみ》を|当《あ》て|二人《ふたり》の|談話《だんわ》を|盗《ぬす》み|聞《ぎ》きして|居《ゐ》る。|凩《こがらし》がもつて|来《く》るマバラの|雪《ゆき》、チラチラと|魔我彦《まがひこ》の|頬《ほほ》をなめて|通《とほ》る。
(大正一一・一二・一三 旧一〇・二五 加藤明子録)
第二〇章 |蛙行列《かはづぎやうれつ》〔一二一〇〕
|蠑〓別《いもりわけ》は|前後《ぜんご》も|知《し》らず、|酒《さけ》に|酔《よ》ひつぶれて|雷《らい》の|如《や》うな|鼾《いびき》をかいてゐる、|其処《そこ》へ|裏口《うらぐち》の|戸《と》をソツと|開《ひら》いて、|震《ふる》ひ|震《ふる》ひやつて|来《き》たのはお|民《たみ》であつた。お|民《たみ》は|蠑〓別《いもりわけ》をゆすりおこし|小声《こごゑ》で、
お|民《たみ》『モシ|先生《せんせい》、|大変《たいへん》な|事《こと》がおこりました。|私《わたし》は|此処《ここ》に|居《を》れませぬ。|今晩《こんばん》|限《かぎ》り|此処《ここ》を|逃出《にげだ》しますから、|一寸《ちよつと》|貴方《あなた》に|応《こた》へに|参《まゐ》りました。どうぞ|悪《わる》くは|思《おも》つて|下《くだ》さいますな』
|蠑〓別《いもりわけ》は|俄《にはか》に|酒《さけ》の|酔《よ》ひもさめ|起上《おきあが》つて|目《め》をこすり|乍《なが》ら、
|蠑〓《いもり》『お|前《まへ》はお|民《たみ》ぢやないか。|大変《たいへん》とは|何事《なにごと》だ。グヅグヅしてゐるとお|寅《とら》に|見《み》つかつたら、|俺《おれ》もお|前《まへ》も|大変《たいへん》だから、|早《はや》く|要件《えうけん》を|云《い》つて、|此処《ここ》を|立去《たちさ》つて|呉《く》れ』
お|民《たみ》『|大変《たいへん》と|申《まを》すのは|外《ほか》でもありませぬ、|最前《さいぜん》もお|寅《とら》さまが|私《わたし》の|居間《ゐま》へ|出《で》て|来《き》て、|是非《ぜひ》|共《とも》|魔我彦《まがひこ》の|女房《にようばう》になれと|仰有《おつしや》るのです。アタ|好《す》かぬたらしい、|誰《たれ》が、|死《し》んでも|女房《にようばう》になりますものか。|私《わたし》が|此処《ここ》へ|参《まゐ》つて|来《き》て|居《ゐ》るのも|貴方《あなた》にお|約束《やくそく》があるばつかりで、|御《お》【つとめ】の|時《とき》にチヨイチヨイお|顔《かほ》を|見《み》るのを|楽《たの》しみに|来《き》て|居《ゐ》るのでせう、それだから|一寸《ちよつと》|貴方《あなた》に|此《この》|事《こと》を|申上《まをしあ》げ、これから|私《わたし》は|一足先《ひとあしさき》へ|帰《かへ》りますから、|御親切《ごしんせつ》がありますなら|後《あと》から|追《お》つかけて|来《き》て|下《くだ》さいな』
|蠑〓《いもり》『ソラ|大変《たいへん》だ。お|前《まへ》は|一先《ひとま》づ|野口《のぐち》の|森《もり》まで|行《い》つて|待《ま》つとつてくれ。|俺《おれ》はこれからお|寅《とら》の|松姫館《まつひめやかた》へ|行《い》つた|留守《るす》を|幸《さいは》ひ、お|寅《とら》の|隠《かく》しとつた|金《かね》の|所在《ありか》も|略《ほぼ》|分《わか》つたから|九千両《きうせんりやう》の|金子《かね》を|腰《こし》に|捲《ま》きつけ、|後《あと》から|追《お》ひつくよ』
と【せき】たつればお|民《たみ》は|莞爾《につこ》と|笑《わら》ひ、
お|民《たみ》『|蠑〓別《いもりわけ》さま、キツトですよ、そんなら|一歩《ひとあし》お|先《さき》へ|行《い》つて|居《を》りますから……』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|長居《ながゐ》はおそれ、|月《つき》の|出《で》ぬうちにと|坂道《さかみち》をスタスタと|息《いき》を|喘《はづ》ませ|下《くだ》り|行《ゆ》く。|蠑〓別《いもりわけ》は|早速《さつそく》に|衣類《いるゐ》を|着《き》かへ、|蓑笠《みのかさ》の|用意《ようい》をなし、|九千両《きうせんりやう》の|金《かね》を|内懐《うちふところ》にグツト|締《し》め|込《こ》み、|脚装束《あししやうぞく》をして|草鞋脚袢《わらぢきやはん》|迄《まで》も|首尾《しゆび》よくつけ、|金剛杖《こんがうづゑ》をひんにぎり、|今《いま》や|門口《かどぐち》を|飛《と》び|出《だ》さむとして、あわてて|柱《はしら》に|額《ひたひ》を|打《う》ちウンと|一声《ひとこゑ》|其《その》|場《ば》に|倒《たふ》れて|了《しま》つた。こんな|事《こと》が|出来《でき》て|居《ゐ》るとは|神《かみ》ならぬ|身《み》の|知《し》る|由《よし》もなく、お|寅《とら》は|頻《しきり》に|蠑〓別《いもりわけ》、お|民《たみ》の|密約《みつやく》|成立《せいりつ》の|妨害《ばうがい》|運動《うんどう》に|熱中《ねつちゆう》し、|松姫《まつひめ》と|膝《ひざ》を|交《まじ》へてヒソヒソ|話《ばなし》に|耽《ふけ》つてゐる。
お|寅《とら》『コレお|菊《きく》、モウお|休《やす》みと|云《い》ふのに、|夜更《よふけ》まで|子供《こども》が|起《お》きてゐるものぢやないよ。|此《この》|子《こ》はマア|十七《じふしち》にもなつて|一寸《ちよつと》も|親《おや》の|言《い》ふ|事《こと》を|聞《き》かない|子《こ》だ。|本当《ほんたう》に|困《こま》つ|了《ちま》わ』
お|菊《きく》『お|母《かあ》さま、|何《なん》だか|目《め》がさえざえして、|一寸《ちよつと》も|寝《ね》られないのよ。|今晩《こんばん》は|廿一夜《にじふいちや》だから、モウお|月様《つきさま》が|鎌《かま》の|様《やう》な|光《ひかり》を|地上《ちじやう》に|投《な》げて|小北山《こぎたやま》を|御上《おのぼ》り|遊《あそ》ばすから、|月見《つきみ》でもした|方《はう》が|好《い》いわ』
お|寅《とら》『|馬鹿《ばか》な|事《こと》お|言《い》ひでないよ。|外《そと》は|凩《こがらし》が|吹《ふ》いて|吹雪《ふぶき》がして|居《ゐ》るよ。こんな|夜《よ》さに|月見《つきみ》したつて|何《なに》が|面白《おもしろ》いか。|又《また》|風《かぜ》に|当《あた》つてインフルエンザにでも|罹《かか》つたら|何《ど》うするのだい』
お|菊《きく》『お|母《かあ》さま、|雪《ゆき》が|降《ふ》つとるの、ソレは|尚《なほ》|結構《けつこう》ぢやありませぬか。|空《そら》にはお|月《つき》さま、|下《した》には|雪《ゆき》、そこへ|花《はな》の|蕾《つぼみ》のお|菊《きく》の|花《はな》が|出《で》るのですもの、|月雪花《つきゆきはな》を|一時《いつとき》に|眺《なが》めるやうなものぢやありませぬか。こんなよい|機会《きくわい》は|滅多《めつた》に|有《あ》りはしませぬわ』
お|寅《とら》『コマシヤクレた|子《こ》だな。|早《はや》く|休《やす》ましてお|貰《もら》ひなさらぬか。モシ|松姫《まつひめ》さま、|此《この》|通《とほ》りお|転婆娘《てんばむすめ》で、|本当《ほんたう》に|親《おや》も|手《て》こずつてゐますのよ』
|松姫《まつひめ》『さうですね、|今時《いまどき》の|女《をんな》の|子《こ》はどうして、これ|程《ほど》ヤン|茶《ちや》になるのでせう。お|千代《ちよ》だつてコマシヤクレた|事《こと》ばかり|云《い》つて、|私《わたし》|達《たち》に|逆理屈《さかりくつ》をこね、|仕方《しかた》がありませぬわ』
お|寅《とら》『さうですねー、こんな|子《こ》は|今《いま》の|教育《けういく》でもさした|位《くらゐ》なら、|到底《たうてい》|親《おや》の|挺《てこ》には|合《あ》はぬようになりますぢやろ。モウ|学校《がくかう》は|尋常《じんじやう》で|止《や》めるつもりですわ。|高竹寺《かうちくぢ》|女学校《ぢよがくかう》へでも|入《い》れようものなら、|男女《だんぢよ》|同権《どうけん》だとか、|女権《ぢよけん》|拡張《くわくちやう》だとか、|下《くだ》らぬ|屁理屈《へりくつ》をいつて|両親《りやうしん》を|困《こま》らせますからね』
|松姫《まつひめ》『あの|高竹寺《かうちくじ》には|女学校《ぢよがくかう》がありますか。さうすると|坊《ばう》さまの|娘《むすめ》なんかが|入学《にふがく》するのでせうね』
お|寅《とら》『イエ|坊《ばう》さまの|娘《むすめ》なんか|一人《ひとり》も|入学《にふがく》してゐやしませぬわ。みんな|毘沙《びしや》や、|首陀《しゆだ》の|娘《むすめ》ばかり|入学《にふがく》して|毎日《まいにち》|日日《ひにち》、|球突《たまつ》きだとか、マラソン|競走《きやうそう》だとか、テニスだとか、ダンスだとか、【せう】もない|事《こと》ばつかり|教《をし》へられてゐますのよ』
|松姫《まつひめ》『ホヽヽヽヽ、ソラ|高竹寺《かうちくじ》|女学校《ぢよがくかう》ぢやありますまい、|高等女学校《かうとうぢよがくかう》でせう。|等《とう》の|字《じ》を|竹《ちく》と|寺《じ》とに|分《わ》けてお|読《よ》みになつたのでせう』
お|寅《とら》『|時《とき》に|松姫《まつひめ》さま、|魔我彦《まがひこ》の|結婚《けつこん》|問題《もんだい》は|何《ど》ういたしませうかなア。|是非《ぜひ》|共《とも》|今晩《こんばん》の|間《うち》にきめたいのですが』
|松姫《まつひめ》『サ、|兎《と》も|角《かく》もこれから|私《わたし》が|直接《ちよくせつ》にお|民《たみ》さまに|逢《あ》うて、トツクリと|御意見《ごいけん》も|承《うけたま》はり、|成《な》る|可《べ》く|円満《ゑんまん》に|話《はなし》がまとまりますやうに|骨《ほね》を|折《を》つて|見《み》ませう』
お|寅《とら》『ソレは|済《す》みませぬな、|何卒《なにとぞ》|貴女《あなた》の|雄弁《ゆうべん》と|御神徳《ごしんとく》によつて|成功《せいこう》する|様《やう》にお|願《ねが》ひ|致《いた》します』
|松姫《まつひめ》『ソンなら|是《これ》からお|民《たみ》さまのお|居間《ゐま》へ|伺《うかが》ひませう』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|細《ほそ》い|二百段《にひやくだん》の|階段《きざはし》を|下《くだ》つて|行《ゆ》く。お|寅《とら》もお|菊《きく》も|松姫《まつひめ》の|後《あと》からついて|来《く》る。|松姫《まつひめ》はスツと|炊事場《すゐじば》の|隣室《りんしつ》、お|民《たみ》の|寝間《ねま》を|指《さ》して|吹雪《ふぶき》をぬひつつ|行《い》つて|了《しま》つた。お|寅《とら》は|蠑〓別《いもりわけ》の|居間《ゐま》に|帰《かへ》つて|見《み》ると、|豈《あに》|図《はか》らむや、|旅装束《たびしやうぞく》をしたまま|打倒《うちたふ》れてゐる。
お|寅《とら》『コレヤまあ|何《なん》の|事《こと》だいなア、コレ|蠑《い》さま、|何《なに》こんな|所《ところ》に|厳《いか》めしい|装束《しやうぞく》をして|倒《たふ》れてゐるのだい。アーア|魔我彦《まがひこ》は|何処《どこ》へ|行《い》つたのだい。|番犬《ばんけん》を|仰《おほ》せつけておくのに|雪《ゆき》の|降《ふ》るのに、のそのそと|夜歩《よある》きをしてをると|見《み》える。|困《こま》つた|男《をとこ》だな、コレお|菊《きく》、|水《みづ》を|持《も》つて|来《こ》い』
お|菊《きく》『|水《みづ》|持《も》つて|来《こ》いといつたつて、|下《した》まで|汲《く》みに|下《お》りなくちや|一滴《ひとしづく》もあれやしないわ。ソレよりも|鼻《はな》をつまんでおやり、そしたら|屹度《きつと》|気《き》がつくわ』
お|寅《とら》は|合点《がつてん》だと|蠑〓別《いもりわけ》の|鼻《はな》を|例《れい》の|如《ごと》くグツと|右《みぎ》の|手《て》で|捻《ね》ぢ、|左《ひだり》の|手《て》で|背《せな》を|三《みつ》つ|四《よ》つ|喰《くら》はした。|蠑〓別《いもりわけ》はハツと|気《き》がつき、
|蠑〓《いもり》『お|民《たみ》、ヨウ|助《たす》けて|呉《く》れた。|到頭《たうとう》|走《はし》る|最中《さいちう》、|蹴《け》つまづいて、ひどい|事《こと》だつた。もうスツテの|事《こと》で|幽冥《いうめい》|旅行《りよかう》をやるところだつた。お|寅《とら》の|奴《やつ》|追《お》ひかけて|来《き》やがつて………』
お|寅《とら》はグツと|胸倉《むなぐら》を|握《と》り、
『コラ|蠑〓別《いもりわけ》、|何《なに》を|云《い》ふとるのだい。お|民《たみ》が|何《ど》うしたと|云《い》ふのだいなア』
|蠑〓別《いもりわけ》は|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて|目《め》を|見《み》ひらけば、|閻魔《えんま》が|駄羅助《だらすけ》を|舐《ねぶ》つたやうな|顔《かほ》してブルブル|震《ふる》ひ|乍《なが》らお|寅《とら》が|胸倉《むなぐら》をとり、|歯《は》をくひしめて|睨《にら》んでゐる。
|蠑〓《いもり》『ナニ|一寸《ちよつと》|夢《ゆめ》を|見《み》たのだ。ナヽヽヽヽナンでもない、そこ|放《はな》してくれ、|苦《くる》しい、|苦《くる》しい|哩《わい》』
お|寅《とら》『たいさうな|脚装束《あししやうぞく》をして|何処《どこ》へ|行《ゆ》くつもりだい』
|蠑〓《いもり》『ナニ|一寸《ちよつと》|松姫《まつひめ》さまに|逢《あ》ひたいと|思《おも》つて』
お|寅《とら》『|松姫《まつひめ》さまとこへ|行《ゆ》くのに|旅装束《たびしやうぞく》をして………|何《なん》の|事《こと》だいなア。|些《ちつと》|怪《あや》しいぢやありませぬか』
|蠑〓《いもり》『ナニ|一寸《ちよつと》|大広間《おほひろま》まで|御礼《おれい》に|行《い》つて|来《く》るつもりだ』
お|寅《とら》『|此《この》|雪《ゆき》の|降《ふ》つて|居《ゐ》るのに|今日《けふ》に|限《かぎ》つて|行《ゆ》く|必要《ひつえう》がありますか。アンマリ|馬鹿《ばか》にしなさるな、|人《ひと》を|盲《めくら》にして……』
|蠑〓《いもり》『ナニ|雪《ゆき》が|降《ふ》つて|居《ゐ》るから、|下駄《げた》の|歯《は》に|雪《ゆき》がつまつてこけると|思《おも》つて、|草鞋《わらぢ》をはいたのだ』
お|寅《とら》『|五間《ごけん》や|六間《ろくけん》の|距離《きより》よりない|大広間《おほひろま》へ|行《ゆ》くのに|大変《たいへん》な|旅装束《たびしやうぞく》すると|云《い》ふ|事《こと》がありますかい。しかも|御叮嚀《ごていねい》に|蓑笠《みのかさ》をかぶり、|何《なん》の|事《こと》だいなア。お|前《まへ》さまの|行《ゆ》く|処《ところ》は|外《ほか》にあるのだらう』
|蠑〓《いもり》『ウン|外《ほか》にある、|笠松《かさまつ》の|根元《ねもと》の|御神木《ごしんぼく》の|傍《はた》まで|一寸《ちよつと》|御礼《おれい》に|行《ゆ》くのだよ』
お|寅《とら》『あまり|馬鹿《ばか》になさると、|鼻《はな》を|捩《ねぢ》ますぜ』
|蠑〓《いもり》『イヤ|鼻《はな》ばつかりは|御免《ごめん》だ』
お|寅《とら》『そんなら、つめつて|上《あ》げようかい』
|蠑〓《いもり》『イヤア|此《こ》の|冷《つめ》たいのに|抓《つめ》るのは|御免《ごめん》だ。お|寅《とら》、モウ|怺《こら》へてくれ。もう|何処《どこ》へも|行《ゆ》きはせぬから』
お|寅《とら》『コレ|兵六玉《ひやうろくだま》、|此《この》お|寅《とら》を|何《なん》と|思《おも》つて|居《ゐ》るのだ、これでも|浮木《うきき》の|村《むら》の|白浪女《しらなみをんな》|丑寅《うしとら》さまといつたら|誰《たれ》|知《し》らぬものもない|姐《ねえ》さまだぞ。|此《この》|姐《ねい》さまの|目《め》を|晦《くら》まさうと|思《おも》つたつて、|野郎《やらう》の|力《ちから》でくらまさるるものか、サ|綺麗《きれい》|薩張《さつぱ》りと|白状《はくじやう》すればよし、|白状《はくじやう》せぬに|於《おい》ては、|可愛《かあい》さあまつて|憎《にく》さが|百倍《ひやくばい》ひねりつぶしてやるぞ』
|蠑〓《いもり》『|実《じつ》はエーンその|実《じつ》は………|実《じつ》はやつぱり|実《じつ》だ。|何《なに》を|云《い》へといつたつて、|胸倉《むなぐら》とつてゐては|息《いき》が|苦《くる》しくつて|云《い》へはせぬぢやないか。はなせ はなせ』
お|寅《とら》『そんなら|放《はな》すから、|薩張《さつぱ》り|白状《はくじやう》せ、お|前《まへ》はお|民《たみ》と|今晩《こんばん》|駆落《かけお》ちするつもりぢやろ。お|民《たみ》は|野口《のぐち》の|森《もり》|辺《あた》りに|待合《まちあは》して|居《ゐ》るのだろ』
といひ|乍《なが》ら、|胸倉《むなぐら》を|握《にぎ》つた|手《て》をパツとはなした。|蠑〓別《いもりわけ》はスツと|立《た》つた|途端《とたん》に|懐《ふところ》の|小判《こばん》が、ガタツと|音《おと》がして|落《お》ちた。お|寅《とら》は|之《これ》を|見《み》るより|怒《いか》り|心頭《しんとう》に|達《たつ》し、|狂気《きやうき》の|如《ごと》くなり、
お|寅《とら》『|此《こ》の|泥坊《どろばう》|奴《め》、|金子《かね》を|掻浚《かつさら》へてお|民《たみ》と|駆落《かけおち》するつもりだつたのだなア、|待《ま》て|待《ま》て|今《いま》に|思《おも》ひ|知《し》らしてやらう』
とあわてて|火鉢《ひばち》につまづき|逆上《のぼせ》て|空《そら》ぶつた|身体《からだ》は|忽《たちま》ちスツテンドウと|倒《たふ》れて、|柱《はしら》の|角《かど》に|額《ひたひ》をグワンと|打《う》ち「アイタ」と|云《い》つたきり、|其《その》|場《ば》にしやがんで|仕舞《しま》つた。|蠑〓別《いもりわけ》は|手早《てばや》く|小判《こばん》を|拾《ひろ》ひ|上《あ》げ|腰《こし》につけ|直《なほ》し、|金剛杖《こんがうづゑ》を|手《て》に|持《も》ち、
|蠑〓《いもり》『お|寅《とら》、|俺《おれ》は|寸時《しばらく》|修行《しうぎやう》に|行《い》て|来《く》る|程《ほど》に|留守《るす》を|頼《たの》むぞや。|人間《にんげん》は|老少不定《らうせうふぢやう》、|会《あ》ふのは|別《わか》れの|初《はじ》めとやら、|御縁《ごえん》があつたら|又《また》|未来《みらい》で|御目《おめ》に|掛《かか》りませう。|之《これ》がお|寅《とら》さまと|別《わか》れに|際《さい》しての|形見《かたみ》だ』
といひ|乍《なが》ら、|金剛杖《こんがうづゑ》で|頭《あたま》をコツコツと|打《うち》たたき「アリヨース」といひ|乍《なが》ら、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|駆《か》け|出《だ》した。|柱《はしら》に|額《ひたひ》を|打《う》つて|気《き》が|遠《とほ》くなつてゐたお|寅《とら》は、|頭《あたま》を|叩《たた》かれた|途端《とたん》に|気《き》がつき、|面《おもて》を|上《あ》げ|屋外《をくぐわい》を|見《み》れば、|蠑〓別《いもりわけ》は|下《した》の|坂《さか》を|一丁《いつちやう》|許《ばか》りも|走《はし》つて|居《ゐ》るのが、|折柄《をりから》|上《のぼ》る|鋭鎌《とがま》の|如《ごと》き|月《つき》に|照《て》らされ|見《み》えてゐる。お|寅《とら》は|狂気《きやうき》となり、
お|寅《とら》『おのれ|蠑〓別《いもりわけ》、|此《この》お|寅《とら》を|馬鹿《ばか》にしをつたなア』
と|怒《いか》りの|声《こゑ》をはり|上《あ》げ|乍《なが》ら|裾《すそ》もあらはに|雪《ゆき》の|路《みち》を【こけつ】|転《まろ》びつ|追《お》つかけて|行《ゆ》く。
|偖《さ》て|松彦《まつひこ》は|松姫《まつひめ》を|始《はじ》め|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》、アク、タク、テク|等《など》と|相談《さうだん》の|上《うへ》、|小北山《こぎたやま》に|修祓《しうばつ》を|行《おこな》ひ、|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》を|始《はじ》め|三五教《あななひけう》を|守《まも》ります|天地八百万《あめつちやほよろづ》の|神《かみ》を|一々《いちいち》|鎮祭《ちんさい》し、|松姫《まつひめ》、お|千代《ちよ》、お|菊《きく》|並《ならび》に|受付《うけつけ》の|文助《ぶんすけ》|其《その》|他《た》に|真理《しんり》を|説《と》きさとし、|此《この》|聖場《せいぢやう》を|清《きよ》く|正《ただ》しく|祭《まつ》らしめおき、|松彦《まつひこ》、|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》、アク、タク、テクの|一行《いつかう》は、|小北山《こぎたやま》を|後《あと》に|眺《なが》めて|浮木《うきき》の|森《もり》を|指《さ》して|足《あし》を|早《はや》めた。
|因《ちなみ》に|魔我彦《まがひこ》はお|民《たみ》の|此《この》|館《やかた》を|逃去《にげさ》つた|事《こと》を|聞《き》き|何処迄《どこまで》も|探《さが》しあてねばおくものかと、|是《これ》|又《また》|尻《しり》ひつからげ、お|寅《とら》の|後《あと》を|追《お》うて|三丁《さんちやう》|許《ばか》り|距離《きより》を|保《たも》ち|乍《なが》ら、トントントンと|野口《のぐち》の|森《もり》を|目当《めあて》にかけり|行《ゆ》く。
(大正一一・一二・一三 旧一〇・二五 外山豊二録)
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霊界物語 第四五巻 舎身活躍 申の巻
終り