霊界物語 第四四巻 舎身活躍 未の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第四四巻』愛善世界社
2002(平成14)年11月03日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年08月06日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|総説《そうせつ》
第一篇 |神示《しんじ》の|合離《がふり》
第一章 |笑《わらひ》の|恵《めぐみ》〔一一七〇〕
第二章 |月《つき》の|影《かげ》〔一一七一〕
第三章 |守衛《しゆゑい》の|囁《ささやき》〔一一七二〕
第四章 |滝《たき》の|下《した》〔一一七三〕
第五章 |不眠症《ふみんしやう》〔一一七四〕
第六章 |山下《やまくだ》り〔一一七五〕
第七章 |山口《やまぐち》の|森《もり》〔一一七六〕
第二篇 |月明清楓《げつめいせいふう》
第八章 |光《ひかり》と|熱《ねつ》〔一一七七〕
第九章 |怪光《くわいくわう》〔一一七八〕
第一〇章 奇遇〔一一七九〕
第一一章 |腰《こし》ぬけ〔一一八〇〕
第一二章 |大歓喜《だいくわんき》〔一一八一〕
第一三章 |山口《やまぐち》の|別《わかれ》〔一一八二〕
第一四章 |思《おも》ひ|出《で》の|歌《うた》〔一一八三〕
第三篇 |珍聞万怪《ちんぶんばんくわい》
第一五章 |変化《へんげ》〔一一八四〕
第一六章 |怯風《けふふう》〔一一八五〕
第一七章 |罵狸鬼《ばりき》〔一一八六〕
第一八章 |一本橋《いつぽんばし》〔一一八七〕
第一九章 |婆口露《ばくろ》〔一一八八〕
第二〇章 |脱線歌《だつせんか》〔一一八九〕
第二一章 |小北山《こぎたやま》〔一一九〇〕
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|序文《じよぶん》
|本巻《ほんくわん》は|大正《たいしやう》|十一年《じふいちねん》|十二月《じふにぐわつ》|七日《ななか》より|九日《ここのか》まで|前後《ぜんご》|三日間《みつかかん》にて|口述《こうじゆつ》|筆記《ひつき》を|了《をは》りました。|筆録者《ひつろくしや》は|松村《まつむら》|真澄《まさずみ》、|北村《きたむら》|隆光《たかてる》、|加藤《かとう》|明子《はるこ》、|外山《とやま》|介昭《かいせう》の|順序《じゆんじよ》にて|従事《じうじ》し、|二十一節《にじふいつせつ》|原稿用紙《げんかうようし》|一千二百四十枚《いつせんにひやくしじふまい》です。|冬《ふゆ》の|短《みじか》き|日足《ひあし》にも|拘《かか》はらず、|早《はや》く|脱稿《だつかう》の|出来《でき》るやうになつたのは|神《かみ》の|御援助《ごゑんじよ》は|申《まを》す|迄《まで》もなく、|筆録者《ひつろくしや》|各位《かくゐ》が|鍛練《たんれん》の|結果《けつくわ》に|外《ほか》ならないのであります。|大祭《たいさい》|終了後《しうれうご》|高熊山《たかくまやま》に|参拝《さんぱい》を|済《す》ませてから|亀岡《かめをか》|万寿苑《まんじゆゑん》に|滞在《たいざい》し『|舎身活躍《しやしんくわつやく》』(|午《うま》の|巻《まき》)を|終述《しうじゆつ》してから|苑内《ゑんない》|山林《さんりん》の|手入《てい》れに|着手《ちやくしゆ》し、|非常《ひじやう》に|身体《からだ》の|疲労《ひらう》を|覚《おぼ》えましたので、|早々《さうさう》に|切《き》り|上《あ》げて|帰綾《きりよう》し、|又《また》もや|数日間《すうじつかん》|休養《きうやう》の|上《うへ》、|漸《やうや》く|一昨《いつさく》|七日《なぬか》より|口車《くちぐるま》の|運転《うんてん》を|開始《かいし》することになりました。|亀岡《かめをか》|滞在中《たいざいちう》|八木《やぎ》の|福島《ふくしま》|氏《し》より|是非《ぜひ》|来《き》て|呉《く》れとの|依頼《いらい》ありしため|口述《こうじゆつ》の|半《なかば》に|出張《しゆつちやう》いたしました。|然《しか》る|処《ところ》それ|限《かぎ》り|物語《ものがたり》がピツタリと|止《と》まつて|了《しま》ひ|大変《たいへん》に|迷惑《めいわく》を|致《いた》しました。|神界《しんかい》の|御気《おき》に|入《い》らぬのでもありますまいが、|今春《こんしゆん》も|八木《やぎ》の|福島家《ふくしまけ》に|小火《ぼや》があつたので|火事《くわじ》|見舞《みまひ》に|行《ゆ》きました。さうすると|又《また》その|時《とき》も|口述《こうじゆつ》が|止《と》まりました。|今一《いまひと》つ|不可思議《ふかしぎ》なのは|伊豆《いづ》の|湯ケ島《ゆがしま》へ|入湯《にふたう》に|往《い》つて、|口述《こうじゆつ》を|行《や》つて|居《ゐ》ると、|又《また》もや|福島《ふくしま》|久子《ひさこ》、|星田《ほしだ》|悦子《えつこ》の|二人《ふたり》が|訪問《はうもん》|下《くだ》さつた。その|時《とき》も|亦《また》|不思議《ふしぎ》に|口述《こうじゆつ》が|止《と》まつて|了《しま》ひ|何程《なにほど》|願《ねが》つても|出来《でき》なかつた|事《こと》があります。|余《あま》りの|奇蹟《きせき》ですから|記念《きねん》のために|爰《ここ》に|書《か》き|添《そ》へて|置《お》きました。|八木《やぎ》の|祭神《さいじん》ユラリ|彦命《ひこのみこと》|様《さま》とかの|霊《れい》が|憑《うつ》つてサウ|急《いそ》ぐには|及《およ》ばぬ、マアマア ユラリ ユラリと|行《や》つたが|良《よ》からうと|仰有《おつしや》つて、|口車《くちぐるま》を|止《と》められたのではあるまいかとも|思《おも》はれるのです。|呵々《かか》。
大正十一年十二月九日
|総説《そうせつ》
|本巻《ほんくわん》は、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|治国別命《はるくにわけのみこと》|一行《いつかう》が|素尊《すそん》の|命《めい》に|依《よ》り、|波斯《フサ》の|国《くに》|斎苑《いそ》の|神館《かむやかた》より、|印度《いんど》に|向《むか》つて|言霊《ことたま》|征服戦《せいふくせん》に|出陣《しゆつぢん》の|途中《とちう》、|河鹿峠《かじかたうげ》の|南坂《みなみさか》、|祠《ほこら》の|森《もり》にて|玉国別《たまくにわけ》|一行《いつかう》に|袂《たもと》を|別《わか》ち、|万公《まんこう》、|晴公《はるこう》、|五三公《いそこう》、|竜公《たつこう》、|及《およ》び|途中《とちう》に|於《おい》て|図《はか》らずも|邂逅《かいこう》した|実弟《じつてい》の|松彦《まつひこ》と|共《とも》に|急坂《きふはん》を|下《くだ》り、|山口《やまぐち》の|森《もり》に|一宿《いつしゆく》する|折《をり》しも|怪《あや》しき|女《をんな》に|出会《でつくは》し、|万公《まんこう》その|他《た》の|供人《ともびと》が|驚愕《きやうがく》する|所《ところ》や、|又《また》その|怪女《くわいぢよ》が|晴公《はるこう》の|実妹《じつまい》であつて|二度《にど》|吃驚《びつくり》する|所《ところ》や、|晴公《はるこう》の|両親《りやうしん》に|此《この》|森《もり》の|中《なか》で|廻《めぐ》り|会《あ》ひ|互《たがひ》に|抱《いだ》き|付《つ》き|昔《むかし》を|語《かた》る|悲劇《ひげき》の|幕《まく》や、|野中《のなか》の|森《もり》にて|一泊《いつぱく》の|時《とき》、|白狐《びやつこ》の|化身《けしん》に|出会《でくは》しバラモン|教《けう》の|信徒《しんと》にして|斥候兵《せきこうへい》なるアク、タク、テクの|三人《さんにん》が|袂《たもと》を|連《つら》ねて|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》し、|小北山《こぎたやま》の|神殿《しんでん》に|詣《まう》でて|盲目《めくら》の|受付《うけつけ》に|境内《けいだい》を|案内《あんない》され、|面白《おもしろ》き|神名《しんめい》を|聞《き》かされて|驚《おどろ》く|所《ところ》の|細《こま》かい|物語《ものがた》りであります。|河鹿川《かじかがは》の|一本橋《いつぽんばし》の|詰《つめ》で|万公《まんこう》の|古疵《ふるきず》が|露見《ろけん》して、|二人《ふたり》の|婦女《をんな》に|身《み》の|行状《ぎやうじやう》を|改《あらた》むべく|涙《なみだ》と|共《とも》に|説諭《せつゆ》され、|万公《まんこう》が|大《おほい》に|悄気《しよげ》かへり|弱《よわ》り|切《き》つて|居《ゐ》る|面白《おもしろ》き|物語《ものがたり》であります。
大正十一年十二月九日
第一篇 |神示《しんじ》の|合離《がふり》
第一章 |笑《わらひ》の|恵《めぐみ》〔一一七〇〕
|三千世界《さんぜんせかい》の|大宇宙《だいうちう》 |善《ぜん》と|真《しん》との|光明《くわうみやう》に
|守《まも》り|玉《たま》へる|五六七神《みろくしん》 |御稜威《みいづ》は|宇内《うだい》に|輝《かがや》きて
|御霊《みたま》のふゆの|木《こ》の|間《ま》|漏《も》る |祠《ほこら》の|森《もり》の|月影《つきかげ》に
|面《おも》を|照《て》らして|治国別《はるくにわけ》の |神《かみ》の|命《みこと》の|一行《いつかう》が
|冬《ふゆ》の|御空《みそら》も|晴公《はるこう》や |五三公《いそこう》|万公《まんこう》|純公《すみこう》の
|四人《よにん》の|伴《とも》と|諸共《もろとも》に バラモン|教《けう》の|兵士《つはもの》が
|逃《に》げ|去《さ》り|行《ゆ》きし|其《その》|跡《あと》の |乱離骨灰《らんりこつばひ》|微塵《みぢん》となりて
|退却《たいきやく》したる|惨状《さんじやう》を |思《おも》ひ|出《いだ》して|物語《ものがた》る
|時《とき》しもあれや|玉国別《たまくにわけ》の |神《かみ》の|命《みこと》や|道公《みちこう》の
|休《やす》らふ|祠《ほこら》の|近辺《きんぺん》に ひそかに|聞《きこ》ゆる|女子《をみなご》の
|囁《ささや》く|声《こゑ》に|耳《みみ》すませ ハテ|訝《いぶ》かしと|聞《き》きゐたる
|無心《むしん》の|月《つき》は|皎々《かうかう》と |治国別《はるくにわけ》が|頭上《づじやう》をば
|木《こ》の|葉《は》を|透《とう》して|照《て》らしゐる |俄《にはか》に|吹《ふ》き|来《く》る|凩《こがらし》に
|木々《きぎ》の|枯葉《かれは》はバラバラと |霰《あられ》の|如《ごと》く|落《お》ち|来《きた》り
|俄《にはか》に|女《をんな》の|囁《ささや》きも |吹来《ふきく》る|風《かぜ》に|遮《さへぎ》られ
|千切《ちぎ》れ|千切《ちぎ》れに|聞《きこ》えつつ |遂《つひ》には|夢《ゆめ》のあとの|如《ごと》
ピタリとやみて|凩《こがらし》の |梢《こずゑ》を|渡《わた》る|音《おと》のみぞ
あたり|響《ひび》かせ|聞《きこ》えける。
『|先生《せんせい》、|万公《まんこう》にはシカとは|分《わか》りませぬが、|此《この》|山中《さんちゆう》に|思《おも》ひも|寄《よ》らぬ|女《をんな》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えるぢやありませぬか。どうも|声《こゑ》の|出所《でどころ》は|祠《ほこら》の|近辺《きんぺん》の|様《やう》ですが、|又《また》|道公《みちこう》の|奴《やつ》、|気楽《きらく》さうにあンな|声《こゑ》を|出《だ》して、|玉国別《たまくにわけ》|様《さま》に|狂言《きやうげん》でもして、お|慰《なぐさ》みに|供《きよう》してるのぢやありますまいかな』
『イヤイヤ|決《けつ》してさうではあるまい。|風《かぜ》の|音《おと》に|遮《さへぎ》られてシカとは|聞《きこ》えないが、どうやら|女《をんな》の|声《こゑ》らしい。|何程《なにほど》|巧妙《かうめう》に|声色《こわいろ》を|使《つか》つてもヤツパリ|贋物《にせもの》は|贋者《にせもの》だ。どつかに|違《ちが》つた|所《ところ》があるよ。|今《いま》の|声《こゑ》には|何《なん》とはなしに、|驚《おどろ》きと|喜《よろこ》びと|悲《かな》しみとが|交《まじ》つてゐる|様《やう》だ。ヒヨツとしたら、|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》が|神様《かみさま》のお|示《しめ》しに|依《よ》つて、|玉国別《たまくにわけ》|様《さま》の|病気《びやうき》|見舞《みまひ》にお|越《こ》し|遊《あそ》ばしたのではあるまいかと|思《おも》はれるのだ』
『|如何《いか》にも、さう|承《うけたま》はればさうかも|知《し》れませぬ。それならこンな|所《ところ》に|安閑《あんかん》としては|居《を》れますまい。サア|先生《せんせい》、|万公《まんこう》と|御一緒《ごいつしよ》に|御挨拶《ごあいさつ》に|参《まゐ》りませう』
『|慌《あわて》て|行《ゆ》くには|及《およ》ばぬ、|玉国別《たまくにわけ》|様《さま》の|方《はう》から|御用《ごよう》が|済《す》みたら、|道公《みちこう》さまがついてゐるのだから、|何《なん》とか|知《し》らして|下《くだ》さるだらう。それ|迄《まで》はどういふ|御都合《ごつがふ》があるかも|知《し》れないから|控《ひか》へて|居《を》つたがよからう。|世《よ》の|中《なか》には|有難迷惑《ありがためいわく》といふ|事《こと》があるからなア』
『|成程《なるほど》|流石《さすが》は|先生《せんせい》だ。|何《なに》から|何《なに》|迄《まで》|好《よ》うお|気《き》の|付《つ》いた|事《こと》。|此《この》|万公《まんこう》も|感心《かんしん》を|致《いた》しました。|折角《せつかく》|可愛《かあい》い|奥《おく》さまと|御対面《ごたいめん》を|遊《あそ》ばして|厶《ござ》る|所《ところ》へ|無粋《ぶすゐ》な|男《をとこ》が|飛出《とびだ》しては、|殺風景《さつぷうけい》ですからなア。|此《この》|万公《まんこう》も|万公《まんこう》(|満腔《まんこう》)の|同情《どうじやう》をよせて、|暫《しばら》く|控《ひか》へる|事《こと》に|致《いた》しませう』
『ウン、それがよかろう。ここらで|一眠《ひとねむ》りしたら|何《ど》うだ。いい|加減《かげん》に|休《やす》ンでくれぬと、|安眠《あんみん》|妨害《ばうがい》になつて|困《こま》るからなア』
『ヘー……』
|晴公《はるこう》はそばから、
『|何《なん》と|云《い》つても、|雀《すずめ》の|親方《おやかた》ですから|仕方《しかた》がありませぬ|哩《わい》。|昼《ひる》の|内《うち》はチユン チユン チヤアチヤア|囀《さへづ》つて|居《を》つても、|日《ひ》が|暮《く》れるが|最後《さいご》、チユンともシユツともいはぬのが|雀《すずめ》の|性来《しやうらい》だが、|此奴《こいつ》ア|時知《ときし》らずだから、|何時迄《いつまで》も|囀《さへづ》るので、|吾々《われわれ》も|大《おほい》に|迷惑《めいわく》だ』
『オイ|晴公《はるこう》さま、|俺《おれ》が|雀《すずめ》ならお|前《まへ》は|燕《つばめ》だよ。まだも|違《ちが》うたら|轡虫《くつわむし》だ。ガチヤ ガチヤ ガチヤと|声《こゑ》|計《ばか》りか、|動静《どうせい》までが|騒《さわ》がしい|落着《おちつ》かぬ|男《をとこ》ぢやないか。まるで|秋《あき》の|田《た》の|鳴子《なるこ》のやうな|代物《しろもの》だワイ』
『ヘン|晴《はる》さまはヤツパリ|春《はる》だ。|秋《あき》の|田《た》の|鳴子《なるこ》とは、|併《しか》しよい|仇名《あだな》をつけてくれたものだ。しかし|鳴子《なるこ》は|雀《すずめ》を|追払《おつぱら》ふものだからなア、アツハヽヽヽ』
『|両人《りやうにん》よい|加減《かげん》に|寝《ね》たらどうだネ、|治国別《はるくにわけ》も|困《こま》るぢやないか』
『コレ|御覧《ごらん》なさいませ。どの|木《き》の|葉《は》にも|露《つゆ》が|溜《たま》り、|月《つき》が|宿《やど》つてピカピカと|光《ひか》り、まるで|瑠璃光《るりくわう》の|中《なか》に|包《つつ》まれてるやうぢやありませぬか。|目《め》の|奴《やつ》、|眠《ねむ》ることを|忘《わす》れて、|瑠璃光《るりくわう》の|光《ひかり》に|憧《あこ》がれ、|仲々《なかなか》|休戦《きうせん》の|喇叭《らつぱ》を|吹《ふ》きませぬワ。モウ|暫《しばら》く|万公《まんこう》を|大目《おほめ》に|見《み》て|下《くだ》さいませ』
『ウン、|成《な》るべく|静《しづ》かに|頼《たの》むよ』
『|先生《せんせい》、モウぼつぼつおりても|良《い》いぢやありませぬか。|玉国別《たまくにわけ》さまも|目《め》が|悪《わる》いなり、|道公《みちこう》|一人《ひとり》で、|奥《おく》さまにやつて|来《こ》られ、いろいろの|愁嘆場《しうたんば》を|聞《き》かされて|困《こま》つてゐるかも|知《し》れませぬよ。これから|五三公《いそこう》は|純公《すみこう》と|二人《ふたり》で、|様子《やうす》を|見《み》て|来《き》ませうか』
『どンな|御都合《ごつがふ》があるか|知《し》れないから、|行《ゆ》くのなら|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせて、ソツと|往《い》つた|方《はう》が|良《い》い。|雀《すずめ》も|鳴子《なるこ》もこちらに|預《あづ》けておいてなア、アハヽヽヽ』
『ナル|程《ほど》、|逃《に》げる|小雀《こすずめ》、【なるこ】とならば|一足《ひとあし》なりと|先《さき》へ|雀《すずめ》と|参《まゐ》りませう。なア|純《すみ》さま、お|前《まへ》も|俺《おれ》に|従《つ》いて|前《まへ》へ|前《まへ》へと|進《すす》み|公《こう》さまだ。|顔《かほ》も|随分《ずゐぶん》|黒《くろ》いからなア』
『アハヽヽヽ|鳴子《なるこ》と|雀《すずめ》の|二代目《にだいめ》が|出来《でき》よつた。|之《これ》を|思《おも》へば|世《よ》の|中《なか》に|何一《なにひと》つ|亡《ほろ》びてなくなるものは|無《な》いと|見《み》える。|此方《こちら》が|沈黙《ちんもく》すれば|又《また》|彼方《あちら》で|騒《さわ》ぎ|出《だ》す、|一方《いつぱう》を|押《おさ》へれば|一方《いつぱう》が|膨《ふく》れる、|到底《たうてい》|惟神《かむながら》に|任《まか》すより|仕方《しかた》がないワイ』
と|一人《ひとり》|呟《つぶや》いてゐる。|万公《まんこう》、|晴公《はるこう》は|息《いき》を|潜《ひそ》め、|俄《にはか》に|眠《ねむり》につかむと、|自《みづか》ら|寝息《ねいき》を|製造《せいざう》して|夢中《むちう》の|国《くに》へ|高飛《たかとび》せむと|努《つと》めてゐる。|風《かぜ》は|漸《やうや》くにして|鎮静《ちんせい》し、|祠《ほこら》の|前《まへ》の|人声《ひとごゑ》は|明瞭《めいれう》に|聞《きこ》え|来《き》たりぬ。
|五三公《いそこう》、|純公《すみこう》の|二人《ふたり》は|差《さ》し|足《あし》|抜《ぬ》き|足《あし》|泥棒《どろばう》が|暗夜《やみよ》に|人《ひと》の|家《うち》を|覗《のぞ》くやうな|按配式《あんばいしき》で、|漸《やうや》く|祠《ほこら》の|後《うしろ》に|近付《ちかづ》き|見《み》れば|玉国別《たまくにわけ》の|妻《つま》|五十子姫《いそこひめ》|及《および》|今子姫《いまこひめ》の|姿《すがた》が|月《つき》の|光《ひかり》にボンヤリと|浮《う》いたる|如《ごと》くに|見《み》えければ、|五三公《いそこう》は|小声《こごゑ》で、
『オイ|純公《すみこう》さまよ、この|五三公《いそこう》の|察《さつ》しの|通《とほ》りヤーツパリだ。ヤツパリはヤツパリだなア、エヽー。|結構《けつこう》なものだらう。|親切《しんせつ》なものだらう。|有難《ありがた》いぢやないか。|羨《うらや》ましいぢやないか。|本当《ほんたう》に|妬《や》けて|来《く》るぢやないか。エヽ|怪体《けたい》の|悪《わる》い、しまひにやムカムカしてくるわ。なア|純《すみ》さま、コリヤ|此《この》|儘《まま》でスミ|公《こう》といふ|訳《わけ》には|行《ゆ》くまいネー』
『やかましう|言《い》ふない。|聞《きこ》えたら|何《ど》うする。|純公《すみこう》さまの|御主人様《ごしゆじんさま》だ。|怪体《けたい》が|悪《わる》いなぞと|余《あま》り|軽蔑《けいべつ》してくれない。|嬉《うれ》しいわい。なつかしい、|有難《ありがた》い、|辱《かたじけ》ない、|勿体《もつたい》ないわ』
『それにしても、|道公《みちこう》の|奴《やつ》|気《き》が|利《き》かぬぢやないか。|御夫婦《ごふうふ》さまの|仲《なか》でまるで|検視《けんし》の|役人《やくにん》のやうな|面《つら》をしよつて|出《で》しやばつてゐよる。|彼奴《あいつ》ア、チとおとして|来《き》よつたのだな。|俺《おれ》の|先生《せんせい》を|見《み》よ、|随分《ずゐぶん》|粋《すゐ》が|利《き》くぢやないか。キツと|玉国別《たまくにわけ》さまも|五十子姫《いそこひめ》さまも、|心《こころ》の|中《うち》では……あゝ|旦那様《だんなさま》か……|女房《にようばう》であつたか、ようマア|親切《しんせつ》に|来《き》てくれた、|会《あ》ひたかつた|会《あ》ひたかつたと、|互《たがひ》に|抱《だき》つきしがみつき|嬉《うれ》し|涙《なみだ》にくれ|玉《たま》ふべき|所《ところ》だのに、|夫婦《ふうふ》の|恋仲《こひなか》を|隔《へだ》てて|通《とほ》さぬ|道公《みちこう》の|馬鹿者《ばかもの》、チツと|気《き》を|利《き》かしても【よかりさうなものだがなア】』
と|思《おも》はず|知《し》らず|高声《たかごゑ》が|勃発《ぼつぱつ》した。さうすると|純公《すみこう》は|最早《もはや》ヤケクソになり|力一杯《ちからいつぱい》|大《おほ》きな|声《こゑ》で、
『|道公《みちこう》の|奴《やつ》、|道《みち》を|知《し》らぬも|程《ほど》があるワイ。|夫婦《ふうふ》の|道《みち》は|又《また》|格別《かくべつ》だがなア。どの|道《みち》|困《こま》つた|代物《しろもの》だよ。アハヽヽヽ』
と|肩《かた》を|揺《ゆす》つて、ヤケ|糞《くそ》になつて|笑《わら》ひ|出《だ》す。|道公《みちこう》は|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》き、|慌《あわて》て|祠《ほこら》の|後《うしろ》へ|進《すす》み|来《きた》り、
『コリヤ|純公《すみこう》、|馬鹿《ばか》にするなイ。|御主人様《ごしゆじんさま》が|御病気《ごびやうき》で、|奥様《おくさま》が|慰問《ゐもん》しにお|出《い》でになつたのだ。それが|何《なに》が|可笑《をか》しいか。|先生《せんせい》に|対《たい》して|失礼《しつれい》ぢやないか。サアこれから|御無礼《ごぶれい》の|罪《つみ》をお|詫《わび》するのだぞ。|気《き》の|利《き》かぬにも|程《ほど》があるぢやないか』
『ヘン、|気《き》の|利《き》かぬのはお|前《まへ》の|事《こと》だよ。なぜお|前《まへ》は|今子姫《いまこひめ》さまと|一緒《いつしよ》に|治国別《はるくにわけ》さまのお|側《そば》へ|行《ゆ》かぬのだ。|折角《せつかく》|夫婦《ふうふ》が|御面会《ごめんくわい》|遊《あそ》ばして|厶《ござ》るのに、|何《なん》の|事《こと》だい。そんな|事《こと》で|弟子《でし》が|勤《つと》まるか。なア|五三公《いそこう》、さうぢやないか』
『ウン、お|前《まへ》の|云《い》ふのも|尤《もつと》もだ。|道公《みちこう》さまの|云《い》ふのも|道理《だうり》だ。モウ|斯《か》うなつちや|仕方《しかた》がない。こンな|枝葉《しえう》|問題《もんだい》を|捉《とら》へて|舌戦《ぜつせん》をやつてゐる|場合《ばあひ》ぢやないぞ。|早《はや》く|先生《せんせい》|御夫婦《ごふうふ》に|御挨拶《ごあいさつ》を|申上《まをしあ》げねばなるまい』
と|五三公《いそこう》は|先《さき》に|立《た》ち、|玉国別《たまくにわけ》の|面前《めんぜん》|近《ちか》く|進《すす》む。|純公《すみこう》は|両手《りやうて》をついて、
『|先生様《せんせいさま》、|私《わたし》は|純公《すみこう》で|厶《ござ》ります。お|目《め》はどうで|厶《ござ》いますか。ヤア|奥様《おくさま》、ようマア|御親切《ごしんせつ》に|来《き》て|上《あ》げて|下《くだ》さいました。|私《わたし》の|女房《にようばう》が|来《き》てくれたやうに|嬉《うれ》しう|厶《ござ》います』
|五十子姫《いそこひめ》は|顔《かほ》を|掩《おほ》ひ|乍《なが》ら、
『ホヽヽお|前《まへ》は|純《すみ》さま、|此《この》|度《たび》の|旦那様《だんなさま》の|御遭難《ごさうなん》で、|大変《たいへん》に|苦労《くらう》をかけましたなア。|併《しか》し|貴方《あなた》は|御壮健《ごさうけん》で|御目出《おめで》たう|厶《ござ》います』
『ハイ、|旦那様《だんなさま》が|御壮健《ごさうけん》で、|私《わたし》が|代《かは》れるものなら|代《かは》つて|居《を》れば|良《い》いので|厶《ござ》いますが、|何分《なにぶん》|厄雑者《やくざもの》の|栄《さか》える|世《よ》の|中《なか》で、|善《よ》い|者《もの》には|害虫《がいちう》のはいるもので|厶《ござ》います。オイ|道公《みちこう》、どうだ。|奥様《おくさま》からこンな|結構《けつこう》な|御挨拶《ごあいさつ》を|頂《いただ》き、|身《み》に|余《あま》る|光栄《くわうえい》ぢやないか、|貴様《きさま》も|何《なに》か|一《ひと》つ|御言葉《おことば》をかけて|頂《いただ》いたか、どうだい。|滅多《めつた》にそンなことはあるまい……ソリヤきまつてゐるよ。|何《なに》を|云《い》つても|気《き》が|利《き》かない|男《をとこ》だからなア。|時《とき》と|場合《ばあひ》といふことを|知《し》らない|石地蔵《いしぢざう》さまは、|困《こま》つたものだい』
『この|道公《みちこう》さまは|先生《せんせい》からは|特別《とくべつ》のお|言葉《ことば》を|頂《いただ》き、|奥様《おくさま》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|今子姫《いまこひめ》|様《さま》からも|御礼《おれい》の|言葉《ことば》を……|根《ね》つから|一寸《ちよつと》も|頂《いただ》かぬのだ。アハヽヽヽ』
|五十子《いそこ》『ホヽヽ|何《なん》とマア|気楽《きらく》な|方々《かたがた》ぢやなア』
|今子《いまこ》『|旦那様《だんなさま》のお|悩《なや》みを|他所《よそ》に、そンな|気楽相《きらくさう》なことを|云《い》つちやすみますまいで、チとお|嗜《たしな》みなさいませ』
『すみてもすまいでも、|純公《すみこう》さまですよ。チツとなつと|面白《おもしろ》いことを|云《い》つて、|先生様《せんせいさま》の|御苦痛《ごくつう》を|軽減《けいげん》すべく|努《つと》めてるのですよ。|女童《をんなわらべ》の|知《し》る|所《ところ》でない。エヽしざり|居《を》らう、オツと|道純《みちすみ》が|一心《いつしん》|変《へん》ぜぬ|勇気《ゆうき》の|顔色《がんしよく》|取《と》りつく|島《しま》もなかりけり、シヤン シヤン シヤン……だ。アハヽヽヽ』
|五十子《いそこ》『|貴方《あなた》は|五三公《いそこう》さまぢやありませぬか。|主人《しゆじん》がお|世話《せわ》になりました|相《さう》です。|有難《ありがた》う|厶《ござ》います』
『|私《わたし》は|五三公《いそこう》、|貴女《あなた》は|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》、|男《をとこ》と|女《をんな》の|違《ちがひ》こそあれ、|同《おな》じ|名前《なまへ》ですからヤツパリ|御因縁《ごいんねん》も|深《ふか》いとみえます。|奥様《おくさま》に|代《かは》つて|特別《とくべつ》に|先生様《せんせいさま》の|御世話《おせわ》を、|何《なに》くれとなく|気《き》を|付《つ》けて、まだ|致《いた》しませぬ。|誠《まこと》にすまぬことで|厶《ござ》います。|今《いま》から|御礼《おれい》を|云《い》はれちや|聊《いささ》か|迷惑《めいわく》の|至《いた》り、これは|折角《せつかく》|乍《なが》ら|御返上《ごへんじやう》|致《いた》します。どうぞ|道公《みちこう》さま|純公《すみこう》さまの|方《はう》へ|御廻《おまは》し|下《くだ》さいますやうに』
|五十子《いそこ》『ホツホヽヽヽ』
|今子《いまこ》『ウツフヽヽヽ』
『コレ、|今子《いまこ》さま、|俯《うつ》むいてせせら|笑《わら》ひを|致《いた》しましたなア。|其《その》|笑《わら》ひ|声《ごゑ》といひ、|月《つき》にすかして|見《み》た|笑顔《ゑがほ》と|云《い》ひ、|中々《なかなか》|以《もつ》て|意味深長《いみしんちやう》、イヤもう|此《この》|五三公《いそこう》も、|貴女《あなた》の|笑顔《ゑがほ》には|恍惚《くわうこつ》と|致《いた》しましたよ。|一瞥《いちべつ》|城《しろ》を|傾《かたむ》けるといふ|千両目許《せんりやうめもと》で|眺《なが》められた|時《とき》の|心持《こころもち》と|云《い》つたら、|胸《むね》をさされる|様《やう》で|厶《ござ》いました』
|今子姫《いまこひめ》は|顔《かほ》に|袖《そで》をあて、|恥《はづか》しげに|俯向《うつむ》いてゐる。|五三公《いそこう》は|世間《せけん》|慣《な》れのした|磯端《いそばた》の|団子石《だんごいし》の|様《やう》な|円転滑脱《ゑんてんくわつだつ》なあばずれ|者《もの》、|宣伝使《せんでんし》の|伴《とも》となつて、ここ|迄《まで》|伴《つ》いて|来《き》たものの、|物《もの》の|機《はづ》みにはチヨイチヨイと|生地《きぢ》が|現《あらは》れる|厄介《やくかい》|至極《しごく》な|滑稽男《こつけいをとこ》である。|五三公《いそこう》は|右《みぎ》の|手《て》を|額口《ひたひぐち》のドマン|中《なか》にチヨンと|載《の》せ、カイツクカイのカイカイ|踊《をど》りをし|乍《なが》ら、|治国別《はるくにわけ》の|休《やす》らふ|森蔭《もりかげ》をさして、
『オイ|道公《みちこう》、|純公《すみこう》、|粋《すゐ》を|利《き》かせよ』
と|呼《よ》ばはり|乍《なが》ら|登《のぼ》つて|行《ゆ》く。
『ハツハヽヽヽ、|玉国別《たまくにわけ》もおかげで|余程《よほど》|頭痛《づつう》が|軽減《けいげん》して|来《き》たやうだ。|目《め》も|何《ど》うやら、|一方《いつぱう》はハツキリとし、|一方《いつぱう》の|方《はう》は|薄明《うすあか》りが|見《み》える|様《やう》だ。|笑《わら》うといふことは|実《じつ》に|霊肉《れいにく》の|薬《くすり》になるものだなア』
『|歓喜《くわんき》の|笑声《せうせい》は|天国《てんごく》の|門《もん》|平安《へいあん》の|道公《みちこう》を|開《ひら》くと|云《い》ひますからなア。|軈《やが》て|先生《せんせい》の|目《め》も|開《あ》くでせう。どうぞ|力一杯《ちからいつぱい》|笑《わら》つて|下《くだ》さいませ』
『|笑《わら》ひは|結構《けつこう》だが、さう|俄《にはか》|作《づく》りの|笑《わら》ひも|出来《でき》ず、|何分《なにぶん》|無粋《ぶすゐ》の|玉国別《たまくにわけ》のことだから、|笑《わら》ひの|原料《げんれう》が|欠乏《けつぼう》を|告《つ》げてゐるのだからなア』
『|先生《せんせい》、|貴方《あなた》の|御身体《おからだ》には|笑《わら》ひが|充満《じゆうまん》して|居《を》りますよ。|一寸《ちよつと》|道公《みちこう》が|笑《わら》はして|見《み》せませうか』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|後《うしろ》へまはり|脇《わき》の|下《した》を|指《ゆび》の|先《さき》で【くす】ぐらうとする。|玉国別《たまくにわけ》は|道公《みちこう》の|手《て》が|障《さは》らぬ|内《うち》にツと|立《た》ちて|逃出《にげだ》し、|早《はや》くも|笑《わら》つてゐる。|道公《みちこう》は|尻《しり》を|捲《まく》り、|腰《こし》を|屈《かが》め、ワザと|鰐足《わにあし》になつて|石亀《いしかめ》の|踊《をど》つたやうなスタイルで|玉国別《たまくにわけ》を|追《お》つかける。|玉国別《たまくにわけ》|始《はじ》め|一同《いちどう》は|思《おも》はずドツと|吹出《ふきだ》し、|腹《はら》を|抱《かか》へて|笑《わら》ふ。|玉国別《たまくにわけ》も|道公《みちこう》に|追《お》はれて、|何回《なんくわい》となく|祠《ほこら》の|周《ぐるり》を|笑《わら》ひ|乍《なが》ら|逃廻《にげまは》つてゐる。
(大正一一・一二・七 旧一〇・一九 松村真澄録)
(昭和九・一二・二〇 王仁校正)
第二章 |月《つき》の|影《かげ》〔一一七一〕
|治国別《はるくにわけ》は|万公《まんこう》、|晴公《はるこう》の|他愛《たあい》なき|鼾声《いびきごゑ》を|聞《き》き|乍《なが》ら|諸手《もろて》を|組《く》み|差俯向《さしうつむ》いてしばし|冥想《めいさう》に|耽《ふけ》りゐる。そこへ|慌《あわ》ただしく、|息《いき》を|喘《はづ》ませ|森《もり》の|急坂《きふはん》を|登《のぼ》り|来《き》たるものは|五三公《いそこう》にぞありける。
『もし、|先生《せんせい》、|奥《おく》さまが|見《み》えました。さア|何卒《どうぞ》|早《はや》く|祠《ほこら》の|前《まへ》|迄《まで》お|下《くだ》り|下《くだ》さいませ』
『|何《なに》、|奥《おく》が|見《み》えたとは|何《なに》しに|来《き》たのだらう。|奥《おく》に|用《よう》はない。|面会《めんくわい》は|相叶《あひかな》はぬから|直《すぐ》に|引返《ひきかへ》せと|云《い》つて|呉《く》れ』
と|治国別《はるくにわけ》は|不興顔《ふきようがほ》なり。
『|何程《なにほど》あなたが|権利《けんり》があると|云《い》つて、|玉国別《たまくにわけ》|様《さま》の|奥様《おくさま》に|対《たい》し、そンな|命令権《めいれいけん》があるとは|五三公《いそこう》には|思《おも》はれませぬワ』
『|何《なん》だ、|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》か、お|前《まへ》は|奥様《おくさま》だと|云《い》ふから|又《また》|菊子姫《きくこひめ》が|後《あと》を|追《お》うて|来《き》たのではあるまいか、|怪《け》しからぬ|奴《やつ》だと|思《おも》つたからだ』
『|本当《ほんたう》に|怪《け》しからぬですな。|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》を|御覧《ごらん》なさいませ。|玉国別《たまくにわけ》|様《さま》の|御身《おんみ》の|上《うへ》を|案《あん》じ|煩《わづら》ひ、|女《をんな》の|身《み》をも|顧《かへり》みず|此《この》|山坂《やまさか》を|夜《よ》を|日《ひ》に|次《つ》いでお|尋《たづ》ね|遊《あそ》ばされました。それに|同《おな》じ|宣伝使《せんでんし》の|奥様《おくさま》|菊子姫《きくこひめ》|様《さま》こそ、|怪《け》しからぬぢやありませぬか。|夫婦《ふうふ》の|情合《じやうあひ》と|云《い》ふものは、そンな|水臭《みづくさ》いものぢやなからうと|五三公《いそこう》は|思《おも》ひますよ』
『アハヽヽヽ|人間《にんげん》の|心《こころ》といふものは|一人《ひとり》|一人《ひとり》|違《ちが》ふものだな。|俺《わし》は|斯《か》うして|宣伝《せんでん》しに|出《で》た|以上《いじやう》は|女房《にようばう》も|忘《わす》れ、|家《いへ》も|忘《わす》れ、|自分《じぶん》の|生命《せいめい》までも|忘《わす》れて|居《ゐ》るのだよ』
『|何《なん》とまア、|水臭《みづくさ》い|方《かた》ですな。|菊子姫《きくこひめ》|様《さま》がお|聞《き》きになつたら|嘸《さぞ》|失望《しつばう》|落胆《らくたん》なさるでせう。|天《てん》にも|地《ち》にも|掛替《かけがへ》のない|一人《ひとり》の|夫《をつと》が|左様《さやう》の(|浄瑠璃《じやうるり》)|水臭《みづくさ》いお|心《こころ》とは|露《つゆ》|知《し》らず、|都《みやこ》でお|別《わか》れ|申《まを》してより、|雨《あめ》の|晨《あした》、|風《かぜ》の|夕《ゆふべ》、|片時《かたとき》たりとも|忘《わす》れし|暇《ひま》はなきものを、|思《おも》へば|情《つれ》なき|貴方《あなた》の|心《こころ》、あゝ|何《なん》としようぞいな|何《なん》としようぞいなア……とお|嘆《なげ》き|遊《あそ》ばすは|石《いし》の|証文《しようもん》に|岩《いは》の|判《はん》を|押《お》した|様《やう》なものですよ。|肝腎《かんじん》の|女房《にようばう》を|忘《わす》れるやうな|先生《せんせい》だから|弟子《でし》の|私《わたし》|等《たち》をお|忘《わす》れになる|位《くらゐ》は|何《なん》でもないでせう。|一人《ひとり》|途中《とちう》に|放《ほ》つとけぼりを|喰《くら》はされては、それこそ……|本当《ほんたう》に【つれ】ないわ、|本当《ほんたう》につれないわ』
『アハヽヽヽ、|怪体《けたい》な|男《をとこ》だな、|河鹿峠《かじかたうげ》の|猿《さる》の|霊《れい》が|憑《つ》いたと|見《み》えるわい。エーエ、|困《こま》つた|人足《にんそく》を|連《つ》れて|来《き》たものだ。|一層《いつそう》の|事《こと》、|五十子姫《いそこひめ》のお|帰《かへ》りの|時《とき》に|五三公《いそこう》を|袂《たもと》の|中《なか》に|入《い》れて|這《は》ひ|出《で》ぬ|様《やう》に|袂《たもと》の|先《さき》を|蔓《つる》ででも|括《くく》つて|帰《かへ》りて|貰《もら》ひ|雪隠《せんち》の|隅《すみ》にでも|放《ほ》つといて|貰《もら》はうかな。アハハヽヽ』
|万公《まんこう》、|晴公《はるこう》は|今迄《いままで》|治国別《はるくにわけ》の|厳《きび》しき|命令《めいれい》に|寝《ね》れぬ|目《め》を|無理《むり》に|塞《ふさ》ぎ、|態《わざ》とに|高鼾《たかいびき》をかき、|寝真似《ねまね》をしてゐたが、|余《あま》りの|可笑《をか》しさに|両人《りやうにん》|一度《いちど》に|吹《ふ》き|出《だ》し、
『ギヤツハヽヽヽギユツフヽヽヽ』
『|万公《まんこう》、|晴公《はるこう》、|治国別《はるくにわけ》に|寝《ね》た|真似《まね》をして|見《み》せてゐたのだな、|仕方《しかた》のない|男《をとこ》ばかりだな』
『|本当《ほんたう》に|男《をとこ》ばかりでは|仕方《しかた》がありませぬ、|殺風景《さつぷうけい》なものですよ。あの|祠《ほこら》の|近辺《きんぺん》を|御覧《ごらん》なさいませ。|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》に|今子姫《いまこひめ》|様《さま》、|仲々《なかなか》|仕方《しかた》がたつぷりありますよ。こりや|万公《まんこう》、|晴公《はるこう》、いい|加減《かげん》に|狸《たぬき》の|代理《だいり》はよしにして|先生《せんせい》のお|伴《とも》に|参《まゐ》り|祠《ほこら》の|前《まへ》の|春《はる》の|様《やう》な|気分《きぶん》を|御相伴《おしやうばん》しようぢやないか。|斎苑《いそ》の|館《やかた》をたつてから|異性《いせい》の|香《にほひ》を|嗅《か》いだ|事《こと》もなく、|殺風景《さつぷうけい》な|場面《ばめん》ばかり、|心《こころ》も|気《き》も|荒《あ》れ|果《は》てた|処《ところ》で|春陽《しゆんやう》の|気《き》の|漂《ただよ》ふ|絶世《ぜつせい》のナイスがやつてきたのだから|何《なん》とはなしに|上気分《じやうきぶん》だ。エーン、いい|加減《かげん》に|森《もり》を|出立《しゆつたつ》して【ホコラ】(そこら)あたりを|五三公《いそこう》と|共《とも》に|迂路《うろ》つかうぢやないか』
『|万公《まんこう》さまの|御耳《おみみ》には、|何《なん》だか|祠《ほこら》の|近辺《きんぺん》には|笑声《せうせい》が|湧《わ》きたつて|居《ゐ》るやうに|聞《き》こへて|堪《たま》らないがナア』
『それだから【|小生《せうせい》】が|人間《にんげん》の|【処世】法《しよせいはふ》は|笑《わら》ふに|限《かぎ》る、|笑《わら》ひは|天国《てんごく》の|門《もん》を|開《ひら》く|捷径《せふけい》だと|云《い》つてゐるのだよ。さア|先生《せんせい》、|五三公《いそこう》と|共《とも》に|参《まゐ》りませう。|貴方《あなた》も|久《ひさ》し|振《ぶ》りで|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》にお|会《あ》ひになつても、あまり|悪《わる》い|気《き》は|致《いた》しますまいぜ。|義理《ぎり》の|姉《ねえ》さまぢやありませぬか。やがて|松公《まつこう》さまも|伊太公《いたこう》を|連《つ》れて|帰《かへ》つて|来《こ》られませうから|兄弟《きやうだい》の|対面《たいめん》も|間近《まぢか》に|迫《せま》つたりと|云《い》ふもの、さア|早《はや》く|御輿《みこし》をお|上《あ》げなさいませ。|如何《いか》に|重々《おもおも》しいのが|宣伝使《せんでんし》の|威厳《ゐげん》だと|云《い》つても、さう|尻《しり》が|重《おも》たくては|千変万化《せんぺんばんくわ》の|活動《くわつどう》は|出来《でき》ませぬぞや』
『アハヽヽヽそンなら|三人《さんにん》の|部下《ぶか》に|擁立《ようりつ》されて|治国別《はるくにわけ》も|危険《きけん》|区域《くゐき》へ|出陣《しゆつぢん》しようかな』
『(|芝居《しばゐ》|口調《くてう》)|早速《さつそく》の|御承知《ごしようち》、|五三公《いそこう》|身《み》にとり、|光栄《くわうえい》|至極《しごく》に|存《ぞん》じます。|然《しか》らば|私《わたし》が|先登《せんとう》に|立《た》つて|御案内《ごあんない》、あいや、|万公《まんこう》、|晴公《はるこう》は|治国別《はるくにわけ》|宣伝使《せんでんし》の|前後《ぜんご》を|守《まも》り|吾《わが》|後《あと》に|従《したが》つて|来《こ》よ。|下《した》に |下《した》に |下《した》に』
と|杖《つゑ》を|以《もつ》て|四辺《あたり》を|払《はら》ひ|乍《なが》ら|祠《ほこら》をさして|下《くだ》り|進《すす》む。
|治国別《はるくにわけ》は|漸《やうや》く|祠前《しぜん》に|進《すす》み、|拝礼《はいれい》|終《をは》つた|後《のち》、
『|玉国別《たまくにわけ》|様《さま》、お|塩梅《あんばい》は|如何《いかが》でございますか。これはこれは|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》、ようまアおいで|下《くだ》さいました。やア|之《これ》で|私《わたし》も|一安心《ひとあんしん》、|誠《まこと》に|玉国別《たまくにわけ》|様《さま》はお|気《き》の|毒《どく》で|厶《ござ》りました』
『|治国別《はるくにわけ》|様《さま》、|夫《をつと》が|色々《いろいろ》と|深《ふか》いお|世話《せわ》になりましてお|礼《れい》の|申《まを》しやうも|厶《ござ》りませぬ。|吾々《われわれ》|夫婦《ふうふ》の|改心《かいしん》のため|神様《かみさま》が|目《め》を|覚《さ》まさして|下《くだ》さつたので|厶《ござ》りませう。|思《おも》へば|思《おも》へば|実《じつ》に|有難《ありがた》い|御神徳《ごしんとく》を|頂《いただ》きました』
『|今子姫《いまこひめ》|様《さま》、|治国別《はるくにわけ》で|厶《ござ》りますよ、|御苦労《ごくらう》でしたな。|嘸《さぞ》お|疲《つか》れになつたでせう』
『エヘヽヽヽ|女《をんな》と|云《い》ふものは|結構《けつこう》な|者《もの》だな。|玉国別《たまくにわけ》|様《さま》に|一寸《ちよつと》|義理一遍《ぎりいつぺん》の|簡単《かんたん》な|御挨拶《ごあいさつ》、それから|異性《いせい》の|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》に|対《たい》しては|至《いた》れり|尽《つく》せりの|親切《しんせつ》|振《ぶ》り、|其《その》|余波《よは》を|今子姫《いまこひめ》|様《さま》へタツプリ|浴《あび》せかけ、いやもう|抜目《ぬけめ》のない|先生《せんせい》のやり|方《かた》、|五三公《いそこう》も|女《をんな》に|生《うま》れて|来《き》たらモチト|位《ぐらゐ》やさしい|言葉《ことば》をかけて|頂《いただ》くのだけどな。|五十子姫《いそこひめ》と|五三公《いそこう》との|間違《まちが》ひで、|之《これ》|程《ほど》|社会《しやくわい》の|待遇《たいぐう》が|変《かは》るものかな』
|五十子姫《いそこひめ》は|吹《ふ》き|出《い》だし、
『オホヽヽヽ|何《なん》と|面白《おもしろ》い、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》は|同勢《どうぜい》を|連《つ》れて|居《ゐ》なさいますこと、|屹度《きつと》|道中《だうちう》は|弥次喜多《やじきた》|気分《きぶん》が|漂《ただよ》うて|愉快《ゆくわい》な|事《こと》で|厶《ござ》りませう』
『|兎《と》も|角《かく》|神様《かみさま》の|御《おん》|為《た》めに|活動《くわつどう》する|位《くらゐ》、|楽《たの》しい|事《こと》は|厶《ござ》りませぬ。|就《つ》いては|此処《ここ》に|一《ひと》つ|云《い》ふに|云《い》はれぬ|有難《ありがた》い|事《こと》が|私《わたし》の|身《み》に|突発《とつぱつ》|致《いた》しました』
と|聞《き》くより|五十子姫《いそこひめ》は|驚《おどろ》きの|色《いろ》をなして、
『それは|何《なに》より|結構《けつこう》で|厶《ござ》ります。さうして、その|嬉《うれ》しい|事《こと》とは|何《なん》で|厶《ござ》りますか、|早《はや》く|聞《き》かして|下《くだ》さりませ』
|治国別《はるくにわけ》は「ハイ」と|言《い》つて|首《くび》を|垂《た》れてゐる。
『|先生様《せんせいさま》に|代《かは》つて|五三公《いそこう》が|報告《はうこく》の|任《にん》に|当《あた》りませう。|治国別《はるくにわけ》|様《さま》は|御兄弟《ごきやうだい》の|対面《たいめん》を|成《な》さいました。それはそれは|立派《りつぱ》な|弟《おとうと》さまがお|在《あ》りなさるのですよ。しかも|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|秘書役《ひしよやく》ですから|随分《ずゐぶん》|立派《りつぱ》な|方《かた》ですわ。|人品骨柄《じんぴんこつがら》と|云《い》ひ、|其《その》|容貌《ようばう》と|云《い》ひ、|先生様《せんせいさま》と|瓜二《うりふた》つですもの』
『|何《なに》、|御兄弟《ごきやうだい》に|御対面《ごたいめん》|遊《あそ》ばしましたと、それはそれはお|目出度《めでた》い|事《こと》で|厶《ござ》ります。|然《しか》し|乍《なが》らバラモン|教《けう》の|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》が|秘書役《ひしよやく》とは|不思議《ふしぎ》ぢや|厶《ござ》りませぬか。|運命《うんめい》とか|云《い》ふ|神《かみ》の|手《て》に|人間《にんげん》は|翻弄《ほんろう》されて|居《を》るやうなものですな。|如何《どう》かして|三五教《あななひけう》に|御帰順《ごきじゆん》|遊《あそ》ばし|兄弟《きやうだい》|揃《そろ》うて|御神業《ごしんげふ》にお|尽《つく》し|遊《あそ》ばすことは|出来《でき》ぬもので|厶《ござ》りませうか』
と|稍《やや》|心配《しんぱい》げに|治国別《はるくにわけ》の|顔《かほ》を|見《み》つめる。
『|惟神《かむながら》の|御摂理《ごせつり》によつて|都合《つがふ》よくして|下《くだ》さるでせう。|伊太公《いたこう》さまの|所在《ありか》を|尋《たづ》ねて|参《まゐ》りましたから、やがて|弟《おとうと》は|帰順《きじゆん》の|上《うへ》、ここへ|帰《かへ》つて|来《く》るでせう』
『|伊太公《いたこう》さまは|何処《どこ》へ|行《ゆ》きましたか。バラモンの|手《て》にでも、|捕《とら》はれたのぢや|厶《ござ》りますまいかな』
と|五十子姫《いそこひめ》の|晴《は》れぬ|顔色《かほいろ》を|見《み》るや|治国別《はるくにわけ》は、
『ハイ|伊太公《いたこう》はバラモンの|軍人《いくさびと》に|捕《とら》へられ、|清春山《きよはるやま》の|岩窟《がんくつ》に|幽閉《いうへい》されて|居《を》りますのを|私《わたし》の|弟《おとうと》が|改心《かいしん》|帰順《きじゆん》の|結果《けつくわ》、|神様《かみさま》へ|御奉公《ごほうこう》|始《はじ》めに|伊太公《いたこう》さまを、とり|返《かへ》しに|行《い》つたので|厶《ござ》ります。|伊太公《いたこう》さまを|首尾《しゆび》|克《よ》く|連《つ》れ|帰《かへ》る|迄《まで》は|此《この》|治国別《はるくにわけ》は|兄弟《きやうだい》の|名乗《なの》りを|許《ゆる》さない|覚悟《かくご》で|厶《ござ》ります』
と|云《い》ひ|終《をは》つて|涙《なみだ》ぐむ。
|斯《か》く|話《はな》す|折《をり》しも|谷道《たにみち》の|下方《かはう》より|四五人《しごにん》の|人声《ひとごゑ》|聞《きこ》え|来《き》たる。|玉国別《たまくにわけ》は|其《その》|人声《ひとごゑ》に|耳《みみ》を|聳《そばた》てバラモン|教《けう》の|残党《ざんたう》の|襲来《しふらい》に|非《あら》ずやと|胸《むね》を|躍《をど》らし|待《ま》ち|構《かま》へ|居《ゐ》る、|斯《かか》る|処《ところ》へ|伊太公《いたこう》を|伴《ともな》ひ|帰《かへ》り|来《きた》れるは|松公《まつこう》、|竜公《たつこう》|外《ほか》|数人《すうにん》なりける。|松公《まつこう》は|祠《ほこら》の|前《まへ》に|合掌《がつしやう》し|感謝《かんしや》の|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し|終《をは》つて|一同《いちどう》に|向《むか》ひ|恭《うやうや》しく|礼《れい》を|施《ほどこ》し|治国別《はるくにわけ》の|前《まへ》へ|進《すす》み|出《い》で、
『|宣伝使様《せんでんしさま》、|松公《まつこう》で|厶《ござ》ります。お|蔭《かげ》を|以《もつ》て|伊太公《いたこう》|様《さま》を|迎《むか》へて|参《まゐ》りました』
『それは|御苦労《ごくらう》|感謝《かんしや》する。まづゆるゆると|休息《きうそく》して|下《くだ》さい。|伊太公《いたこう》さま、|嘸《さぞ》お|困《こま》りでしたらう。お|察《さつ》し|申《まを》します』
|伊太公《いたこう》は|第一《だいいち》に|玉国別《たまくにわけ》に|向《むか》つて|涙《なみだ》と|共《とも》に|挨拶《あいさつ》を|終《をは》り|五十子姫《いそこひめ》、|今子姫《いまこひめ》|其《その》|他《た》に|対《たい》し|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》を|湛《たた》へ|無事《ぶじ》を|祝《しゆく》し、|治国別《はるくにわけ》に|向《むか》ひ|容《かたち》を|改《あらた》め、
『|神様《かみさま》の|御恵《みめぐみ》と|松公《まつこう》、|竜公《たつこう》さまのお|蔭《かげ》によりまして|無事《ぶじ》に|先生《せんせい》のお|側《そば》へ|帰《かへ》る|事《こと》を|得《え》ました。|有難《ありがた》く|御礼《おんれい》を|申《まを》し|上《あ》げます』
『|貴方《あなた》の|壮健《さうけん》なお|顔《かほ》を|見《み》て|治国別《はるくにわけ》も|安心《あんしん》|致《いた》しました。お|蔭《かげ》で|弟《おとうと》に|公然《こうぜん》と|対面《たいめん》が|出来《でき》るやうになりました。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|合掌《がつしやう》する。
『もし|先生《せんせい》、|道公《みちこう》の|一行《いつかう》はもとの|森蔭《もりかげ》へ|転宅《てんたく》|致《いた》しませうか。|兄弟《きやうだい》|御対面《ごたいめん》につきまして|何《いづ》れ|海山《うみやま》の|話《はなし》がありませう。|貴方《あなた》が|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》と|御面会《ごめんくわい》の|時《とき》も|治国別《はるくにわけ》|様《さま》は|気《き》を|利《き》かしてあの|森蔭《もりかげ》に|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さつたのですから、|此方《こちら》も|其《その》|返礼《へんれい》にしばらく|此《この》|幕《まく》を|切《き》り|上《あ》げようぢやありませぬか。ねえ|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》、さうでせう』
『|旦那様《だんなさま》、|私《わたし》が|手《て》を|曳《ひ》いて|上《あ》げますから、あの|森蔭《もりかげ》|迄《まで》|遠慮《ゑんりよ》|致《いた》しませう』
『|別《べつ》に|男《をとこ》と|男《をとこ》との|兄弟《きやうだい》が|久《ひさ》し|振《ぶ》りに|巡《めぐ》り|合《あ》うたのですから、|又《また》|夫婦《ふうふ》の|御面会《ごめんくわい》とは|模様《もやう》が|違《ちが》ひます。|何卒《なにとぞ》|御遠慮《ごゑんりよ》は|要《い》りませぬから、ここに|居《ゐ》て|下《くだ》さいな』
『|伊太公《いたこう》お|前《まへ》は|如何《どう》だつた。|随分《ずゐぶん》|困《こま》つたらうな。|玉国別《たまくにわけ》の|言《い》ふ|事《こと》も|聞《き》かずに|血気《けつき》の|勇《ゆう》を|揮《ふる》つて|飛《と》び|出《だ》すものだから|皆《みんな》のお|方《かた》に|心配《しんぱい》をかけたのだよ。これからは|気《き》をつけて|貰《もら》はねば|困《こま》るよ』
『はい、|誠《まこと》に|申訳《まをしわけ》も|厶《ござ》りませぬ。|至《いた》つて|至《いた》らぬ|伊太公《いたこう》、|此《この》|後《ご》は|屹度《きつと》|心得《こころえ》、|自由《じいう》|行動《かうどう》は|今日《けふ》|限《かぎ》り|鼬《いたち》の|道切《みちぎ》れと【いたち】ます』
『アハヽヽヽ|何処迄《どこまで》も|気楽《きらく》な|男《をとこ》だなア、|道公《みちこう》の|私《わたし》もあきれて|了《しま》ひました。|先生《せんせい》、|此奴《こいつ》はもう|脈上《みやくあが》りですよ。こんながらがらを|旅《たび》につれて|歩《ある》くのは|一《ひと》つ|考《かんが》へ|物《もの》です。|奥様《おくさま》のお|帰《かへ》りの|時《とき》に|懐《ふところ》へでも|入《い》れて|持《も》つて|帰《かへ》つて|頂《いただ》いたら|如何《どう》でせう』
『|五十子姫《いそこひめ》だつて、さう|二人《ふたり》も|軽《かる》い|男《をとこ》を|懐《ふところ》に|入《い》れて|帰《かへ》るのは|困《こま》ります。ねえ|今子《いまこ》さま』
『あの|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》の|弱《よわ》い|事《こと》を|仰有《おつしや》りますこと、|今子《いまこ》は|歯痒《はが》ゆくなりましたワ。|男《をとこ》の|三人《さんにん》や|五人《ごにん》は|髪《かみ》の|毛《け》|一筋《ひとすぢ》あればつないで|帰《かへ》れるぢやありませぬか。|現代《げんだい》の|男《をとこ》はまるで|屁《へ》の|様《やう》なものですからな。ホヽヽヽヽ』
『|此奴《こいつ》あ|怪《け》しからぬ。|斯《か》う|女《をんな》に|侮辱《ぶじよく》されては|伊太公《いたこう》も|男子《だんし》を|廃業《はいげふ》したくなつて|来《き》たわい』
|治国別《はるくにわけ》は|言葉《ことば》を|改《あらた》めて、
『|今日《けふ》より|松公《まつこう》は|治国別《はるくにわけ》の|弟《おとうと》、|竜公《たつこう》さまは|義理《ぎり》の|弟《おとうと》、|何卒《どうぞ》|皆《みな》さまと|一緒《いつしよ》に|仲良《なかよ》うして|神業《しんげふ》に|尽《つく》して|貰《もら》ひ|度《た》い』
|松《まつ》、|竜《たつ》|両人《りやうにん》はハツとばかりに|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|咽《むせ》び|頭《かしら》も|得上《えあ》げず|大地《だいち》に|踞《しやが》みて|俯向《うつむ》き|居《ゐ》る。
『|皆《みな》さまに|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》つて|治国別《はるくにわけ》が|其方《そなた》と|別《わか》れし|後《のち》のアーメニヤの|状況《じやうきやう》を|詳《くは》しく|聞《き》かして|呉《く》れないか。さうして|其方《そなた》は|如何《どう》|云《い》ふ|手続《てつづ》きでバラモン|教《けう》に|這入《はい》つたのか。その|動機《どうき》を|聞《き》かして|貰《もら》ひ|度《た》い』
『|兄上様《あにうへさま》がアーメニヤの|神都《しんと》より|宣伝使《せんでんし》となつて|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》へ|渡《わた》られた|後《のち》、バラモン|教《けう》の|一派《いつぱ》に|襲《おそ》はれ|刹帝利《せつていり》、|浄行《じやうぎやう》を|始《はじ》め|毘舎《びしや》、|首陀《しゆだ》の|四族《しぞく》は|四方《しはう》に|散乱《さんらん》し|目《め》も|当《あ》てられぬ|大惨事《だいさんじ》が|突発《とつぱつ》しました。|大宜津姫《おほげつひめ》|様《さま》がコーカス|山《ざん》から|敗亡《はいばう》の|体《てい》で|逃《に》げ|帰《かへ》つて|来《こ》られてから|間《ま》もない|疲弊《ひへい》の|瘡《きず》の|癒《い》え|切《き》らない|所《ところ》だから、|忽《たちま》ち|神都《しんと》は|防禦力《ばうぎよりよく》を|失《うしな》ひ|常世《とこよ》の|国《くに》へウラル|彦《ひこ》、ウラル|姫様《ひめさま》|一族《いちぞく》は|其《その》|姿《すがた》を|隠《かく》し|玉《たま》ひ|諸司百官《しよしひやくくわん》|庶民《しよみん》の|住宅《ぢうたく》は|焼《や》き|亡《ほろ》ぼされ、ウラル|河《がは》の|辺《ほと》りに|武士《ぶし》の|館《やかた》が|少《すこ》し|許《ばか》り|残《のこ》されたのみ。|離々《りり》たる|原上《げんじやう》の|草《くさ》、|累々《るゐるゐ》たる|白骨《はくこつ》|叢《くさむら》に|纒《まと》はれて、ありし|昔《むかし》の|都《みやこ》の|俤《おもかげ》も|見《み》えず|蓮府槐門《れんぷくわいもん》の|貴勝《きしよう》を|初《はじ》め|毘舎《びしや》の|族《ぞく》に|至《いた》るまでウラル|河《がは》に|身《み》を|投《とう》じて|水屑《みくづ》となつたものも|沢山《たくさん》にあり、|中《なか》には|遠国《ゑんごく》に|落《お》ち|延《の》び|田夫野人《でんぷやじん》の|賤《いや》しきに|身《み》を|寄《よ》せ|或《あるひ》は|山奥《やまおく》の|片田舎《かたいなか》に|忍《しの》び|隠《かく》れて|桑門竹扉《さうもんちくひ》に|詫住居《わびずまゐ》する|貴勝《きしよう》の|身《み》の|果敢《はか》なさ。|夜《よる》の|衣《ころも》は|薄《うす》くして|暁《あかつき》の|霜《しも》|冷《つめ》たく|朝餉《あさげ》の|煙《けぶり》も|絶《た》えて|首陽《しゆやう》に|死《し》する|人《ひと》も|少《すくな》からず。その|中《なか》にも|私《わたし》は|父母《ふぼ》|兄弟《きやうだい》に|生別《いきわか》れ、|死別《しにわか》れの|憂目《うきめ》に|会《あ》ひ、|広《ひろ》い|天下《てんか》を|当所《あてど》もなく|漂流《へうりう》する|内《うち》バラモン|教《けう》の|片彦《かたひこ》に|見出《みいだ》だされ、|心《こころ》ならずも|兄様《にいさま》の|所在《ありか》を|探《さぐ》るを|唯一《ゆゐいつ》の|目的《もくてき》として|今日《けふ》まで|日《ひ》を|送《おく》つて|参《まゐ》りました。アヽ|有難《ありがた》き|大神様《おほかみさま》の|御引合《おひきあは》せ、コンナ|嬉《うれ》しい|事《こと》は|厶《ござ》りませぬ』
と|袖《そで》に|涙《なみだ》を|搾《しぼ》る。
|一同《いちどう》は|松公《まつこう》の|物語《ものがたり》を|聞《き》き|感《かん》に|打《う》たれてすすり|泣《な》きするものさへありき。|夜《よ》は|段々《だんだん》と|更《ふ》け|渡《わた》り、|月《つき》は|黒雲《こくうん》に|包《つつ》まれ、|忽《たちま》ち|四面《しめん》|暗黒《あんこく》の|帳《とばり》は|深《ふか》く|下《お》ろされぬ。|山猿《やまざる》の|叫《さけ》ぶ|声《こゑ》、|彼方《かなた》|此方《こなた》の|谷間《たにま》より|消魂《けたたま》しく|響《ひび》き|来《きた》る。
(大正一一・一二・七 旧一〇・一九 北村隆光録)
第三章 |守衛《しゆゑい》の|囁《ささやき》〔一一七二〕
|浮木《うきき》が|原《はら》の|陣営《ぢんえい》にはランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》、|久米彦《くめひこ》|将軍《しやうぐん》が、|数多《あまた》の|軍勢《ぐんぜい》を|集《あつ》め、|幔幕《まんまく》を|張《は》り|廻《まは》し、|治国別《はるくにわけ》の|進路《しんろ》を|要《えう》して、|手具脛《てぐすね》|引《ひ》いて|待《ま》つて|居《ゐ》る。|俄作《にはかづく》りの|陣営《ぢんえい》の|表門《おもてもん》にはテル、ハル|両人《りやうにん》が|守衛《しゆゑい》の|役《やく》を|務《つと》めて|居《ゐ》る。|夜《よ》はだんだんと|更《ふ》け|渡《わた》り|雨嵐《あめあらし》の|声《こゑ》|烈《はげ》しく、|立番《たちばん》も|漸《やうや》く|飽《あ》きが|来《き》て、パノラマ|式《しき》の|門側《もんがは》の|一間《ひとま》に|入《い》り、ポートワインの|詰《つめ》を|抜《ぬ》きながら|雑談《ざつだん》を|始《はじ》めた。
『オイ、ハル|公《こう》、|思《おも》へば|思《おも》へば|人生《じんせい》が|厭《いや》になつたぢやないか、|僅《わづか》|三百年《さんびやくねん》の|寿命《じゆみやう》を|保《たも》つ|為《ため》に、こンな【しやつち】もない|人殺《ひとごろし》の|乾児《こぶん》に|使《つか》はれ、|死《し》ンで|地獄《ぢごく》の|成敗《せいばい》を|受《う》ける|準備《じゆんび》ばかりして|居《ゐ》るやうな|事《こと》では|困《こま》つたものぢや、|些《ちつと》は|考《かんが》へねばなるまいぞ』
『|何《なに》、|吾々《われわれ》は、|天《あめ》の|八衢《やちまた》に|迷《まよ》うて|居《ゐ》るようなものだよ。|此《こ》の|通《とほ》り|嵐《あらし》に|雨《あめ》の|激《はげ》しい|事《こと》、|人生《じんせい》の|行路《かうろ》を|暗示《あんじ》して|居《ゐ》る。ハルも|何《なん》とか|身《み》の|振《ふ》り|方《かた》を|考《かんが》へたらよからう。|併《しか》し|乍《なが》ら|死後《しご》の|世界《せかい》は|吾々《われわれ》の|目《め》に|入《い》らないのだから、|有《あ》るとも|無《な》いとも|分《わか》らないワ、そンな|頼《たよ》りない|事《こと》を|思《おも》つて|宗教心《しうけうしん》を|出《だ》すと、|一日《いちにち》も|此《この》|世《よ》が|恐《おそ》ろしうて|居《ゐ》る|事《こと》が|出来《でき》ないわ。まあワインでも|呑《の》ンで、|空元気《からげんき》でもつけるのぢやなア』
『それでも、バラモン|教《けう》の|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》は、|死後《しご》の|世界《せかい》が|恐《おそ》ろしいから|現在《げんざい》に|於《おい》て|難行《なんぎやう》|苦行《くぎやう》を|積《つ》み、|未来《みらい》の|楽園《らくゑん》を|楽《たの》しめと|仰有《おつしや》るぢやないか、|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》が|仰有《おつしや》るのだから|決《けつ》して|間違《まちが》ひはあるまい。|吾々《われわれ》は|仮令《たとへ》この|肉体《にくたい》は|現在《げんざい》の|此処《ここ》に|置《お》くとも、|霊魂《みたま》の|故郷《こきやう》なる|天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|復活《ふくくわつ》し、|永遠無窮《ゑいゑんむきう》の|生命《せいめい》を|保《たも》ち、|無限《むげん》の|歓喜《くわんき》を|味《あぢ》はひたいからバラモン|教《けう》のためだと|思《おも》うて、テルもこんな|人殺《ひとごろし》の|軍人《いくさびと》に|使《つか》はれて|居《ゐ》るのだが、こンな|事《こと》やつて|居《ゐ》ても|天国《てんごく》へ|行《ゆ》けるだらうか、テルは|其《その》|点《てん》が|気《き》にかかつてならないのぢや、|大雲山《たいうんざん》に|現《あら》はれたまふ、|大自在天《だいじさいてん》|大国彦命《おほくにひこのみこと》|様《さま》の|御気勘《ごきかん》に|叶《かな》うだらうかなあ』
『|世《よ》の|中《なか》には|裏《うら》もあれば|表《おもて》もあるよ。|打《う》ち|割《わ》つて|言《い》へば|大雲山《たいうんざん》は|荘厳《さうごん》|無比《むひ》の|神聖《しんせい》なる|神様《かみさま》の|霊場《れいぢやう》だが、|併《しか》し|内実《ないじつ》は|恐《おそ》るべき|地獄《ぢごく》のやうな|所《ところ》で、いろいろと|難行《なんぎやう》|苦行《くぎやう》を|強《しひ》られ|骨《ほね》を|砕《くだ》き|身《み》を|破《やぶ》り、|荒行《あらげう》の|結果《けつくわ》|中途《ちうと》に|死《し》ンだやつは|皆《みな》|骨堂《こつだう》に|骨《ほね》を|祀《まつ》られて|居《ゐ》るぢやないか。あの|骨堂《こつだう》を|有《あ》り|難《がた》がつて|拝《をが》みに|行《ゆ》くやつの|気《き》が|知《し》れないぢやないか。バラモン|教《けう》の|骨堂《こつだう》と|修業場《しうげふば》とお|札《ふだ》は|実《じつ》に|印度人《いんどじん》のために|大恐怖《だいきようふ》の|源泉《げんせん》だよ。|力《ちから》の|弱《よわ》い|無知識《むちしき》の|人間《にんげん》に、|死《し》と|云《い》ふ|恐怖心《きようふしん》をもたせて|生《せい》の|自由《じいう》を|束縛《そくばく》して|居《ゐ》るのだ、|大雲山《たいうんざん》|又《また》はハルナの|都《みやこ》の|大黒主《おほくろぬし》に|所謂《いはゆる》|神権《しんけん》の|存在《そんざい》するのは、これあるがためだよ。|斯《か》かる|虚偽的《きよぎてき》な|空漠《くうばく》な|権威《けんゐ》をもつて、|無知識《むちしき》なる|人間《にんげん》の|心《こころ》をとらへ、さうして、|宗閥《しうばつ》、|宣伝使《せんでんし》の|一統《いつとう》は、|多数《たすう》|人民《じんみん》の|膏血《かうけつ》を|絞《しぼ》る|手段《しゆだん》として|居《を》るのだ。バラモンのお|札《ふだ》は|宗教界《しうけうかい》の|不換紙幣《ふくわんしへい》とも|云《い》ふべきものだ。バラモン|教《けう》は|恐怖《きようふ》をもつて|人類《じんるゐ》の|膏血《かうけつ》をしぼる|恐《おそ》るべき|社会《しやくわい》の|地獄《ぢごく》と|云《い》ふものだ。|印度《いんど》の|国民《こくみん》は|一人《ひとり》も|残《のこ》らず、この|地獄《ぢごく》に|陥落《かんらく》して|居《ゐ》るのだ。それだから|三五教《あななひけう》と|云《い》ふやうな|誠《まこと》の|救世教《きうせいけう》が|興《おこ》つて|来《き》たのだ。|大黒主《おほくろぬし》は|大雲山《たいうんざん》の|骨堂《こつだう》に|等《ひと》しい|牢獄《らうごく》とお|札《ふだ》に|等《ひと》しい|不換紙幣《ふくわんしへい》をもつて|絶対《ぜつたい》|権威《けんゐ》の|維持《ゐぢ》につとめて|居《ゐ》るのだから、|矢張《やつぱり》|八岐大蛇《やまたのをろち》の|再来《さいらい》と|云《い》はれても|仕方《しかた》がないわい。そこを|三五教《あななひけう》が|看破《かんぱ》して|居《ゐ》るのだから|偉《えら》いものだよ。|河鹿峠《かじかたうげ》の|言霊戦《ことたません》に|遇《あ》つた|時《とき》には|僅《わづ》か|三人《さんにん》の|敵《てき》に|対《たい》して|三四百《さんしひやく》の|騎馬隊《きばたい》が|潰散《くわいさん》した|事《こと》を|思《おも》へば、|到底《たうてい》バラモン|教《けう》|等《など》は|三五教《あななひけう》の|敵《てき》で|無《な》い|事《こと》は|明白《めいはく》だ、|俺等《おれたち》はこンな|吹《ふ》き|放《はな》しの|野営《やえい》の|門番《もんばん》をさせられて|居《ゐ》るが、もしや|治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》が|攻《せ》めて|来《き》たら|一番《いちばん》に|正面《しやうめん》|衝突《しようとつ》をするのは、|貴様《きさま》と|俺《おれ》だ。オイここは|一《ひと》つ|相談《さうだん》だが|大将《たいしやう》は|皆《みな》|気楽《きらく》に|寝《ね》て|居《ゐ》るだらうから、|今《いま》の|中《うち》に|脱営《だつえい》して|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》に|帰順《きじゆん》し|命《いのち》を|助《たす》けて|貰《もら》ふ|方《はう》が|余程《よつぽど》|当世流《たうせいりう》だよ。|一《ひと》つしかない|命《いのち》を|捨《す》てた|所《ところ》が、|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》の|国妾《こくせふ》|養成所《やうせいじよ》の|国妾《こくせふ》|学校《がくかう》を|立派《りつぱ》にするやうなものだ。|実《じつ》に|馬鹿《ばか》らしいぢやないか、エーン』
『オイ ハル|公《こう》、|国妾《こくせふ》|学校《がくかう》と|云《い》ふ|事《こと》があるかい、あれは|国立《こくりつ》|女学校《ぢよがくかう》と|云《い》ふのだ、|立《りつ》と|女《ぢよ》と|貴様《きさま》は|一《ひと》つに|読《よ》むから|国妾《こくせふ》なぞと|読《よ》めるのだよ。|余程《よほど》|文盲《もんまう》の|代物《しろもの》だなア』
『それだから|文盲省《もんもうしやう》の|許可《きよか》を|受《う》けて|立《た》てて|居《ゐ》るのぢやないか、|妾《せふ》もない|事《こと》を|云《い》ふない。|大黒主《おほくろぬし》の|大将《たいしやう》は|幾十人《いくじふにん》とも|知《し》れぬ|程《ほど》の|沢山《たくさん》の|女《をんな》をかかへ、|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|糸竹管弦《しちくくわんげん》の|響《ひびき》に|心腸《しんちやう》を|蕩《とろ》かし|酒池肉林《しゆちにくりん》の|楽《たの》しみに|耽《ふけ》り|利己主義《りこしゆぎ》を|発揮《はつき》して|居《ゐ》るぢやないかい、テル|公《こう》』
『そりや|仕方《しかた》がないさ、カビライ|国《こく》の|浄飯王《じやうばんわう》の|悉達太子《しつたたいし》でさへも|美姫《びき》|三千人《さんぜんにん》を|侍《はべ》らしたと|云《い》ふぢやないか、|大黒主《おほくろぬし》が|五十人《ごじふにん》や|六十人《ろくじふにん》の|女房《にようばう》もつたつて|何《なに》がそれ|程《ほど》|不思議《ふしぎ》なのだい。|今頃《いまごろ》の|女《をんな》は|一人前《いちにんまへ》の|女房《にようばう》にする|女《をんな》が|無《な》いから、|数十人《すうじふにん》を|集《あつ》めて|初《はじ》めて|一人《ひとり》の|仕事《しごと》をさすのだ。|第一《だいいち》に|寝間《ねま》の|伽《とぎ》をする|奴《やつ》、|炊事《すゐじ》を|司《つかさど》る|奴《やつ》、|裁縫《さいほう》を|司《つかさど》る|奴《やつ》、|機《はた》を|織《お》る|奴《やつ》、|会計《くわいけい》を|司《つかさど》る|奴《やつ》、|下僕《しもべ》を|追《お》ひ|廻《まは》す|奴《やつ》と|云《い》ふやうに、|今《いま》の|女《をんな》は、|専門的《せんもんてき》だから|到底《たうてい》|一人《ひとり》で|女房《にようばう》の|本職《ほんしよく》が|尽《つく》せぬからだ。|現代《げんだい》の|博士《はかせ》だつてさうぢやないか、|部分的《ぶぶんてき》の|専門学《せんもんがく》より|知《し》らないのだからなア、|理学《りがく》なら|理学《りがく》、|文学《ぶんがく》なら|文学《ぶんがく》、|法学《はふがく》なら|法学《はふがく》、|只《ただ》それ|一《ひと》つを|掴《つかま》へて|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|頭《あたま》を|痛《いた》め、|書物《しよもつ》と|首《くび》つ|引《ぴ》きで|居《ゐ》るものだから|遂《つひ》に|頭脳《づなう》の|変調《へんてう》を|来《きた》し、やつと|博士《はかせ》か|馬鹿士《ばかせ》になるのぢやないか、|総《すべ》て|世《よ》の|中《なか》はこンなものだよ、ハル|公《こう》』
『オイ|貴様《きさま》の|名《な》はテルなり、|俺《おれ》の|名《な》はハルなり|照国別《てるくにわけ》、|治国別《はるくにわけ》の|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|頭字《かしらじ》を|取《と》つて|居《ゐ》るのだから、|何《なに》か|因縁《いんねん》があるのに|違《ちが》ひない。キツと|此処《ここ》を|飛《と》び|出《だ》して|行《ゆ》けば|許《ゆる》して|呉《く》れるに|相違《さうゐ》ないから|行《ゆ》かうぢやないか、|行《ゆ》くなら|今《いま》の|中《うち》だからなア』
『ハル|公《こう》、|貴様《きさま》|余程《よほど》|御幣《ごへい》|舁《かつ》ぎになつたと|見《み》えるな、|大雲山《たいうんざん》が|余程《よほど》こたへたと|見《み》えるわい、あゝ|何《なん》だかタンクが|破裂《はれつ》しさうだ、|売買契約《ばいばいけいやく》の|破棄《はき》をやつて|来《こ》うかなア』
『テル、|貴様《きさま》は|軍人《ぐんじん》で|居《ゐ》ながら、|内職《ないしよく》をやつて|居《ゐ》るのか、そんな|事《こと》が|聞《きこ》えたら|大変《たいへん》だぞ』
『|貴様《きさま》の|薄野呂《うすのろ》には|俺《おれ》も|感心《かんしん》した、|売買契約《ばいばいけいやく》の|破棄《はき》と|云《い》ふ|事《こと》は|小便《せうべん》すると|云《い》ふ|事《こと》だよ、ハル|公《こう》』
『アハヽヽ、それなら|大《たい》ウン|山《ざん》と、キツパリ|断《ことわ》つて|来《こ》い、その|方《はう》が|【大便】利《だいべんり》かも|知《し》れないぞ、|屁《へ》のやうな|理屈《りくつ》をブツブツたれて|居《ゐ》た|処《ところ》でつまらぬぢやないか、|何程《なにほど》|偉相《えらさう》に|云《い》つたところが、|暗黒無明《あんこくむみやう》の|世界《せかい》に|湧《わ》いた|人間《にんげん》よ、|余程《よつぽど》、|智者《ちしや》ぢや|学者《がくしや》ぢやと|云《い》つた|所《ところ》が|俺達《おれたち》の|百万倍《ひやくまんばい》の|智慧《ちゑ》のある|人間《にんげん》でもやつぱり|人間《にんげん》は|人間《にんげん》だ、|人間《にんげん》の|暗《くら》い|知識《ちしき》では|一匹《いつぴき》の|蝗《いなご》に|一瞬間《いつしゆんかん》の|生命《いのち》を|与《あた》へる|事《こと》すら|出来《でき》ないのだ、|放屁《はうひ》|一《ひと》つでさへ、|自分《じぶん》の|放《ひ》らうと|思《おも》ふ|時《とき》に|註文《ちうもん》|通《どほ》り|放《ひ》る|事《こと》の|出来《でき》ない|不都合《ふつがふ》|極《きは》まる|人間《にんげん》だからなア、アハヽヽヽ』
『ウフヽヽヽ』
かく|両人《りやうにん》が、|他愛《たあい》もなく|笑《わら》つて|居《ゐ》る。そこへやつて|来《き》たのは|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》のお|近侍《そばづき》のヨルである。ヨルは|雨嵐《あめあらし》の|音《おと》を|圧《あつ》する|様《やう》な|蛮声《ばんせい》で、
『これやこれや|両人《りやうにん》、|守衛《しゆゑい》も|致《いた》さず|勝手気儘《かつてきまま》に|酒《さけ》を|喰《くら》ひ|何《なに》を|喋《しやべ》つて|居《ゐ》たのだ。これから|片彦《かたひこ》|様《さま》のお|耳《みみ》に|入《い》れるから|覚悟《かくご》を|致《いた》せ』
と|声高《こわだか》に|罵《ののし》るにぞ、テル|公《こう》は|頭《あたま》を|掻《か》きながら、
『ハイ、|一寸《ちよつと》|小便《せうべん》の|話《はなし》をやつて|居《を》つたところです。|序《ついで》に|大便《だいべん》も|放屁《はうひ》も|話頭《わとう》に|上《のぼ》りましたが、|別《べつ》にそれ|以外《いぐわい》に|六《むつ》ケしい|話《はなし》も|厶《ござ》いませぬ、なあハル|公《こう》、さうぢやつたぢやないか』
『ウンその|通《とほ》りその|通《とほ》り、いやもう、|糞食時《くそくひどき》に|飯《めし》の|話《はなし》をしられて、いやどつこい|小便呑《せうべんの》み|時《どき》に|酒《さけ》の|話《はなし》をしられて、イヤもう|気分《きぶん》の|悪《わる》い|事《こと》ぢやわい、エヘヽヽヽ』
『これやこれや|両人《りやうにん》、|俺《おれ》を|何《なん》と|心得《こころえ》て|居《ゐ》るか、|全軍《ぜんぐん》の|監督《かんとく》ぢやぞ』
『|監督《かんとく》はよく|分《わか》つて|居《を》りますわい、|燗徳利《かんどくり》ぢやとよろしいが、こいつはポートワインだから、|冷徳利《ひやとくり》だ。|併《しか》しそンな|六《むつ》ケ|敷《し》い|顔《かほ》をせずに|一《ひと》つ|召上《めしあ》がつてはどうですか、テルが|酌《しやく》をしませう、いや|呑《の》みやがつたらどうですか、|御神酒《おみき》|上《あが》らぬ|神《かみ》はないと|云《い》ひますぜ』
ヨルは|呑《の》みたくて|堪《たま》らぬのを|耐《こら》へて、|態《わざ》と|声高《こわだか》に、
『|其《その》|方《はう》は|酒《さけ》をもつて|此《この》|方《はう》をたぶらかし、|悪事《あくじ》の|露顕《ろけん》を|防《ふせ》がうと|致《いた》す、|憎《につ》くき|門番《もんばん》、そンな|話《はなし》ぢやなからう。|国妾《こくせふ》|学校《がくかう》について|大変《たいへん》な、|酷評《こくひやう》をして|居《ゐ》たぢやないか、|事《こと》にヨルと|貴様《きさま》の|首《くび》が|危《あぶ》ないぞ』
『それだからテルとハルの|首《くび》のある|中《うち》に|一杯《いつぱい》でも|呑《の》ンで|置《お》かねば|損《そん》ですからなア、まあ|一《ひと》つ|聞召《きこしめ》せ、|随分《ずゐぶん》|気《き》が【はんなり】と|致《いた》しますよ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|鼻《はな》の|先《さき》につきつくれば、ヨルは|腹《はら》の|虫《むし》がクウクウと|催促《さいそく》をする。
『これやこれや|些《ちつと》|心得《こころえ》ぬか、|戦陣《せんぢん》で|酒《さけ》は|禁物《きんもつ》だぞ。さうして|貴様《きさま》|達《たち》は、|照国別《てるくにわけ》、|治国別《はるくにわけ》に|帰順《きじゆん》しようと|話《はな》して|居《ゐ》たではないか。その|方《はう》は|隠謀未遂罪《いんぼうみすゐざい》だから、これから|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|前《まへ》に|引《ひ》き|立《た》てる、|神妙《しんめう》に|手《て》を|廻《まは》せ』
『|承知《しようち》|致《いた》しました。|何時《いつ》でも|手《て》も|足《あし》も|廻《まは》しませう。|今晩《こんばん》はどうせテルの|笠《かさ》の|台《だい》が|飛《と》ぶのだから、|冥土《めいど》の|土産《みやげ》に、も|一杯《いつぱい》|呑《の》まして|下《くだ》さい。そして|貴方《あなた》も|生別死別《せいべつしべつ》の|盃《さかづき》をして|下《くだ》さいな』
『その|方《はう》が、この|世《よ》の|別《わか》れとあれば|役目《やくめ》とは|云《い》ひ|乍《なが》ら|呑《の》ンでやるのも|一《ひと》つの|情《なさけ》ぢや。よし|差支《さしつかへ》ない、いや|苦《くる》しうない、|注《つ》がして|遣《つか》はす』
ヨルの|喉《のど》はクウクウと|二人《ふたり》の|耳《みみ》に|聞《きこ》える|程《ほど》|催促《さいそく》をして|居《ゐ》る。|二人《ふたり》は|瓶《びん》のキルクを|態《わざ》とに|暇《ひま》を|入《い》れて|抜《ぬ》いて|居《ゐ》る。ヨルは|呑《の》みたくて|耐《たま》らず、|人《ひと》が|居《を》らねば|飛《と》びつきたい|程《ほど》になつて|居《ゐ》る。
『これやこれや、|何《なに》をグヅグヅ|致《いた》して|居《を》るか、|早《はや》く|詰《つめ》を|取《と》らないか』
『そんな|殺生《せつしやう》な|事《こと》を|云《い》つて|下《くだ》さるな、たつた|今《いま》|首《くび》の|飛《と》ぶ|人間《にんげん》ぢやありませぬか。|素盞嗚尊《すさのをのみこと》|様《さま》かなんぞのやうに|爪《つめ》を|取《と》るなぞとそんな|二重《にぢゆう》|成敗《せいばい》をするものぢやありませぬよ』
『【つめ】を|取《と》ると|云《い》ふ|事《こと》は|早《はや》くキルクを|抜《ぬ》けと|申《まを》す|事《こと》ぢや』
『たうとう|時節《じせつ》|到来《たうらい》、|酒瓶《さけびん》の|首《くび》がキルクと|抜《ぬ》けよつた。サアサアお|上《あが》り|遊《あそ》ばせ、|随分《ずゐぶん》いい|味《あぢ》がしますよ』
『|早《はや》く|注《つ》がないか、ヨル|監督《かんとく》に|対《たい》しては、|別《べつ》に|礼式《れいしき》も|何《なに》もいつたものぢやない、こんな|戦陣《せんぢん》にあつては|上下《じやうげ》の|障壁《しやうへき》を|取《と》り、|何事《なにごと》も|簡単《かんたん》に|手取《てつと》り|早《ばや》くやるものぢや』
『そんなら、この|儘《まま》ラツパ|呑《のみ》とお|出《で》かけになつたらどうですか』
『|戦陣《せんぢん》にあつてラツパのみとはこいつは|面白《おもしろ》い、ラツパの|一声《いつせい》で|三軍《さんぐん》を|自由自在《じいうじざい》に|動《うご》かすのだからなア、|武道《ぶだう》の|達人《たつじん》が|葡萄酒《ぶだうしゆ》を|呑《の》むのは|合《あ》つたり|叶《かな》つたりだ』
と|云《い》ひながら、ハルがキルクを|抜《ぬ》いた|酒瓶《さけびん》を|一《いち》ダースばかりつづけざまに|呑《の》み|干《ほ》して|仕舞《しま》つた。|忽《たちま》ちヨルは|足《あし》を|失《うしな》ひヨロヨロとしながら|二人《ふたり》の|前《まへ》にドスンと|倒《たふ》れ、
『あゝ、そこらがなンとはなしにポーとして|来《き》た。これだからポーとワインと|云《い》ふのだなア、|何《なん》と|酒《さけ》と|云《い》ふものは|怪体《けつたい》な|代物《しろもの》だナ、|俺《おれ》はもう|軍人《ぐんじん》が|嫌《いや》になつた。オイ、テル、ハル、このヨルさま|等《ら》がヨルに|紛《まぎ》れて|此《この》|場《ば》を【テル】、そして【ハル】バルと、|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|帰順《きじゆん》と|参《まゐ》らうぢやないか、エーン|何《なん》だか|此《この》|頃《ごろ》は|俺《おれ》も|実《じつ》の|処《ところ》はバラモン|教《けう》がいやになつた。|三五教《あななひけう》の|三人《さんにん》や|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》に|言霊《ことたま》を|打《う》ち|出《だ》され|人馬《じんば》|諸共《もろとも》|逃《に》げ|散《ち》るとは|実《じつ》に|情《なさけ》なくなつて|来《き》た。これを|思《おも》へば、|実《じつ》に|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》は|天《てん》のミロク|様《さま》、バラモン|教《けう》の|神様《かみさま》は|大蛇《をろち》の|乾児《こぶん》|様《さま》|位《くらゐ》に|違《ちが》ひないよ、こンな|事《こと》をして|居《ゐ》ると|終《しまひ》には|地獄《ぢごく》の|釜炙《かまいり》ぢや。テル、ハル|貴様《きさま》も|同意見《どういけん》だらう』
『そいつは|何《なん》とも|明言《めいげん》し|兼《か》ねますわい、|人《ひと》の|心《こころ》は|分《わか》りませぬからな、ウツカリした|事《こと》は|言《い》へませぬぜ、ヨルさまお|前《まへ》さまは|俺達《おれたち》|二人《ふたり》をとつ|捕《つか》まへて|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|前《まへ》につき|出《だ》し|手柄《てがら》をする|心算《つもり》だらう、|併《しか》し|賤《いや》しい|酒《さけ》に|喰《くら》ひよつて|身体《からだ》が|自由《じいう》にならないものだからそンな|事《こと》をいつて|俺達《おれたち》の|機嫌《きげん》を|取《と》つて|居《ゐ》るのだらう。そンな|事《こと》にチヨロまかされるやうなテル、ハルさまぢやありませぬぞえ』
『さう|貴様《きさま》が|疑《うたが》へば|仕方《しかた》がない、|併《しか》し|乍《なが》ら|俺《おれ》は|決《けつ》して、|酔《よ》うては|居《ゐ》るが|酒呑《さけの》み|本性《ほんしやう》|違《たが》はずと|云《い》うて|嘘《うそ》は|云《い》はない、|貴様《きさま》|達《たち》|二人《ふたり》をとらまへようと|思《おも》へば|何《なん》でもない|事《こと》ぢや、|己《おれ》が|懐《ふところ》にもつて|居《ゐ》る|合図《あひづ》の|笛《ふえ》さへ|吹《ふ》けば、|何十人《なんじふにん》でも|此《この》|場《ば》へ|出《で》て|来《く》るのだから』
『さうすると、|矢張《やつぱ》り|本音《ほんね》を|吹《ふ》きよつたのだな、ヨシヨシ ヨルも|矢張《やつぱ》り|吾《わ》がテル|党《たう》の|士《し》だ。これで|三人《さんにん》|揃《そろ》うた。|天地人《てんちじん》、|日地月《につちげつ》、|霊力体《れいりよくたい》だ、|御三体《ごさんたい》の|神様《かみさま》だ。|三人世《さんにんよ》の|元《もと》、|結構《けつこう》|々々《けつこう》こンな|結構《けつこう》が|世《よ》にあらうか、どうだ|三角《さんかく》|同盟《どうめい》の|成立《せいりつ》した|祝《いはひ》に|土堤切《どてつき》り|発動《はつどう》して|見《み》ようぢやないか』
『そいつは|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|呉《く》れ。こンな|所《ところ》で|噪《さわ》いで|居《ゐ》ては|見《み》つかつては|大変《たいへん》だ。オイ|今《いま》の|中《うち》に|此処《ここ》にあるだけの|酒《さけ》を|背《せ》に|負《お》ひ、|夜《よる》に|紛《まぎ》れて|祠《ほこら》の|森《もり》|迄《まで》|行《い》つて|見《み》ようぢやないか。グヅグヅして|居《ゐ》ると|大変《たいへん》だからのう』
『テルの|目《め》からは、ヨルさま、お|前《まへ》|其《その》|足許《あしもと》であの|山路《やまみち》が|行《ゆ》けるかい、|危《あぶ》ないものだぞ』
『|俺《おれ》は|動《うご》けなくても|構《かま》はないぢやないか、|貴様《きさま》|達《たち》|二人《ふたり》の|足《あし》さへ|達者《たつしや》であれば、|山駕籠《やまかご》に|乗《の》せて|舁《か》ついで|行《ゆ》けばよいのだ。|幸《さいはひ》ここに|山駕籠《やまかご》が|四五挺《しごちやう》ある、これを|一挺《いつちやう》|何々《なになに》して|俺《おれ》を|乗《の》せるのだなア』
『|何《なん》と|甘《うま》い|事《こと》を|仰有《おつしや》るわい、|併《しか》しながら|逃《に》げ|出《だ》すのは|今晩《こんばん》に|限《かぎ》る、|仕方《しかた》がない、オイ、テルさま ヨルさまを|舁《か》ついで|夜《よる》の|山道《やまみち》を|上《のぼ》つて|行《ゆ》かうぢやないか、|河鹿峠《かじかたうげ》に|往《ゆ》けば|最早《もはや》|安全《あんぜん》|地帯《ちたい》だからなア』
ここに|三人《さんにん》は|一挺《いつちやう》の|駕籠《かご》を|盗《ぬす》み|出《だ》し、ヨルを|乗《の》せテル、ハルの|両人《りやうにん》は|面白《おもしろ》|可笑《をか》しき|歌《うた》を|小声《こごゑ》に|喋《しやべ》りながら、ソツと|浮木《うきき》が|原《はら》の|陣営《ぢんえい》を|脱出《だつしゆつ》し、|河鹿峠《かじかたうげ》の|祠《ほこら》の|森《もり》をさして|進《すす》み|往《ゆ》く。|月《つき》は|黒雲《くろくも》の|帳《とばり》を|破《やぶ》つて|三人《さんにん》の|頭上《づじやう》をニコニコ|笑《わら》ひながら|覗《のぞ》かせたまふ。
(大正一一・一二・七 旧一〇・一九 加藤明子録)
(昭和九・一二・二一 王仁校正)
第四章 |滝《たき》の|下《した》〔一一七三〕
|初冬《はつふゆ》の|空《そら》に|輝《かがや》く|月《つき》の|光《ひかり》は、|河鹿川《かじかがは》の|谷間《たにま》を|落《お》つる|屏風《びやうぶ》の|様《やう》な|滝《たき》に|懸《かか》つて、|玉《たま》の|如《ごと》き|飛沫《ひまつ》をとばし、|其《その》|飛沫《ひまつ》には|一々《いちいち》|月《つき》が|宿《やど》つて、|星《ほし》の|飛《と》ぶ|様《やう》に|見《み》えて|居《ゐ》る、ここは|祠《ほこら》の|森《もり》から|三町《さんちやう》|許《ばか》り|下手《しもて》である。|滝《たき》の|音《おと》を|圧《あつ》して、|大声《おほごゑ》に|笑《わら》ひさざめいてゐる|三人《さんにん》の|男《をとこ》ありける。
『オイ、イクにサール、|今晩《こんばん》は|怪体《けたい》な|晩《ばん》ぢやないか。|松公《まつこう》さまが|兄貴《あにき》に|会《あ》ひ、|根本《こつぽん》の|根本《こつぽん》から|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》して|了《しま》ひ、|俺《おれ》と|一緒《いつしよ》に|巻込《まきこ》まれて|了《しま》つたが、|併《しか》し|考《かんが》へてみれば|危《あぶ》ないものだぞ。|何程《なにほど》|三五教《あななひけう》が、|神力《しんりき》が|強《つよ》いと|云《い》つても、|玉国別《たまくにわけ》、|治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》|〆《しめ》て|十人《じふにん》|以内《いない》だ。ランチ|将軍《しやうぐん》の|率《ひき》ゆる、|数多《あまた》の|軍勢《ぐんぜい》に|進路《しんろ》を|遮《さへぎ》られ、|何時《いつ》|迄《まで》も|袋《ふくろ》の|鼠《ねづみ》の|様《やう》に|祠《ほこら》の|森《もり》|近辺《きんぺん》に|退嬰《たいえい》して|居《を》つた|所《ところ》で、さう|兵糧《ひやうらう》は|続《つづ》くまいし、|今度《こんど》は|計画《けいくわく》をかへて、|捲土重来《けんどぢうらい》と、ランチ|将軍《しやうぐん》が|指揮《しき》の|下《もと》に|登《のぼ》つて|来《こ》ようものならそれこそ|大変《たいへん》だよ。|俺達《おれたち》ア|敵《てき》に|帰順《きじゆん》したと|云《い》つて、キツと|槍玉《やりだま》にあげられるに|違《ちがひ》ない。|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》すればバラモン|教《けう》から|睨《にら》まれる。バラモン|教《けう》の|方《はう》へ|行《ゆ》けば|三五教《あななひけう》から|攻《せ》められるだらうし、イクにも|行《ゆ》かれず、|逃《に》げるにも|逃《に》げられず、エライ、ヂレンマに|係《かか》つたものだ。お|前達《まへたち》は|如何《どう》する|考《かんが》へだ』
『|此《この》イクさまの|肚《はら》の|中《なか》にはイクラも|妙案《めうあん》|奇策《きさく》が|包蔵《はうざう》してあるのだから、さう|悲観《ひくわん》したものぢやない。キツと|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》して|居《を》れば|活路《くわつろ》は|開《ひら》けるよ。|此《この》|河鹿峠《かじかたうげ》は|敵味方《てきみかた》|勝敗《しようはい》の|分《わか》るる|所《ところ》だ、が|併《しか》し|乍《なが》ら、|此《この》|喉首《のどくび》を|三五教《あななひけう》に|扼《やく》されて|了《しま》つたのだから、|仮令《たとへ》|百万《ひやくまん》の|兵士《へいし》を|引《ひき》つれて、ランチ|将軍《しやうぐん》が|登《のぼ》つて|来《き》た|所《ところ》で、さう|一度《いちど》に|戦《たたか》へるものでなし、|小口《こぐち》から|将棋倒《しやうぎだふ》しにやられて|了《しま》ふのは|当然《たうぜん》だ。それだから|身《み》の|安全《あんぜん》、|霊《みたま》の|健全《けんぜん》を|保《たも》つ|為《ため》に|三五教《あななひけう》にスーツパリと|帰順《きじゆん》したのだ。|貴様《きさま》はまだ|迷《まよ》うてイルのか、|信仰心《しんかうしん》の|足《た》らない|奴《やつ》だなア。|風呂《ふろ》の|蓋《ふた》でイル|時《とき》にイラン、|入《い》らぬ|時《とき》に|入《い》る|代物《しろもの》だよ』
『それだと|云《い》つてヤツパリ|人《ひと》は|先《さき》の|事《こと》も|考《かんが》へておかねば、サア|今《いま》となつて|周章狼狽《しうしやうらうばい》した|所《ところ》が、|後《あと》の|祭《まつり》で|仕方《しかた》がないからのう』
『|兎《と》も|角《かく》も|吾々《われわれ》|三人《さんにん》をお|疑《うたがひ》もなく、そこらを|遊《あそ》ンで|来《こ》いと|云《い》つて|解放《かいはう》してくだサールような|寛大《くわんだい》な|度量《どりやう》のひろい|宣伝使《せんでんし》だから、キツと|確信《かくしん》があるのだ。モウそンな|馬鹿《ばか》な|事《こと》はいはずに|神様《かみさま》に|任《まか》しておく|方《はう》が|何程《なにほど》|安心《あんしん》だか|知《し》れないなア。|此《この》|滝水《たきみづ》を|見《み》い、|実《じつ》に|綺麗《きれい》ぢやないか。|此《この》|真白《まつしろ》に|光《ひか》つた|清《きよ》らかな|水《みづ》で|心《こころ》の|垢《あか》をサールと|洗《あら》ひきよめ、|月《つき》の|光《ひかり》に|照《てら》されて、|自然《しぜん》の|境《きやう》に|逍遥《せうえう》し、|三人《さんにん》の|親友《しんいう》が|仮令《たとへ》|半時《はんとき》でも、かうしてゐられるのは|全《まつた》く|貴《たふと》き|神様《かみさま》の|御恵《みめぐみ》だよ。あゝ|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い。バラモン|教《けう》であつたならば、|何《ど》うして|今《いま》に|帰順《きじゆん》した|者《もの》に|対《たい》し、|自由《じいう》|行動《かうどう》をとらしてくれるものか、|之《これ》を|見《み》ても|教《をしへ》の|大小《だいせう》が|分《わか》るぢやないか。|第一《だいいち》|世《よ》の|中《なか》を|刃物《はもの》を|以《もつ》て|治《をさ》めようなぞとは|実《じつ》に|危険《きけん》|千万《せんばん》だ。おりや|最《も》う、バラモンのバの|字《じ》を|聞《き》いても|厭《いや》になつたよ。バのついたものに|碌《ろく》なものはありやしないよ。ババアにババにバケモノ、バクチにバンタ、バリにバカと|云《い》ふよなもので、|穢《きたな》い|物《もの》|計《ばか》りだ。|皆《みな》|穴《あな》(|欠点《けつてん》)のある|奴《やつ》ばかりがかたまつて|居《を》るのだからなア、|俺《おれ》だつてバラモン|教《けう》へ|這入《はい》つてから、|世間《せけん》の|奴《やつ》や|友達《ともだち》に|大変《たいへん》に|擯斥《ひんせき》されたよ。|今《いま》ぢやバラモン|教《けう》|以外《いぐわい》の|奴《やつ》ア サール|神《かみ》に|祟《たた》りありとか|云《い》つて、|交際《つきあ》つてくれないのだからなア』
『バラモン|教《けう》へ|入信《はい》つてから|人《ひと》が|附合《つきあ》はぬようになつたのぢやない、|貴様《きさま》は|呑《の》んだくれのバクチ|打《うち》のババせせりのバカ|者《もの》だから、|世間《せけん》の|奴《やつ》から|排斥《はいせき》され、|行《ゆ》く|所《ところ》がなくなつてバラモンへ|入信《はい》つたのだろ。どうせ、バラモンへ|入信《はい》るやうな|奴《やつ》ア、|皆《みな》|行詰《ゆきつま》り|者《もの》だ。|行詰《ゆきつま》つて|約《つま》らぬようになつてから、つまらぬとは|知《し》り|乍《なが》ら|入信《はい》るのだからなア』
『さういへば、|幾分《いくぶん》かの|真理《しんり》がないでもないでごサールワイ。|併《しか》し|乍《なが》らイルだつて、さうだろ、|世《よ》の|中《なか》からゲジゲジの|様《やう》に|厭《いや》がられ、|相手《あひて》がなくて、バラモンへ|沈没《ちんぼつ》したのだから、|余《あま》り|大《おほ》きな|声《こゑ》で|人《ひと》の|批評《ひひやう》はせぬがよからうぞ。|此《この》|世《よ》に|用《よう》のない|人間《にんげん》はバラモンへでも|入信《はい》つて、|日《ひ》を|送《おく》らねば|仕方《しかた》がないからなア』
『|俺《おれ》だつて、まだ|世《よ》の|中《なか》に|必要《ひつえう》があるのだ。イル|代物《しろもの》だ。それだからイルと|名《な》がついてるのだよ。|弓《ゆみ》もイル、|風呂《ふろ》にもイル、|人《ひと》の|為《ため》には|肝《きも》もイル。|足《あし》の|裏《うら》に|豆《まめ》をイル。……といふ|重宝《ちようほう》な|哥兄《にい》さまだ。|余《あま》りバカにして|貰《もら》うまいか、こンな|事《こと》を|嬶《かか》が|聞《き》いたら|一遍《いつぺん》にお|暇《ひま》を|頂戴《ちやうだい》しなくちやならないワ、なア、イク|公《こう》』
『|貴様《きさま》|偉相《えらさう》に|言《い》つてるが、|女房《にようばう》がそれでもあるのか、サール|事実《じじつ》ありとは|根《ね》つから|噂《うはさ》にも|聞《き》いた|事《こと》がないぢやないか』
『|女房《にようばう》が|内《うち》に|要《い》るからイルと|言《い》ふのだ。|嫁《よめ》がイル|婿《むこ》がイルといつて、|一軒《いつけん》の|内《うち》にはなくてならぬのだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|俺《おれ》はまだ|年《とし》が|若《わか》いから、|女房《にようばう》の|候補者《こうほしや》はザツと|二打《にダース》ばかりあるのだが、まだ|金勝要《きんかつかね》の|神《かみ》とやらが|決定《けつてい》を|与《あた》へてくれないので|待命中《たいめいちう》だ』
『|待命中《たいめいちう》なら|月給《げつきふ》の|三分《さんぶ》の|二《に》はくれるだらう。チツとサールにも|分配《ぶんぱい》したらどうだい』
『イヅレ|金勝要神《きんかつかねのかみ》さまだから、|金《かね》は|沢山《たくさん》に|持《も》つて|厶《ござ》るよ。|俺《おれ》のは|一遍《いつぺん》にチヨビ チヨビ|貰《もら》ふのは|邪魔《じやま》|臭《くさ》いから、|一時金《いちじきん》として|頂《いただ》くように、|天国《てんごく》の|倉庫《さうこ》に|預《あづ》けてあるのだ。|欲《ほ》しければ|貴様《きさま》|勝手《かつて》に|働《はたら》いて|力《ちから》|一杯《いつぱい》|取《と》つたがよからう、イルだけ|取《と》らしてやらう』
かく|話《はな》す|所《ところ》へ|覆面《ふくめん》の|男《をとこ》|二人《ふたり》、|手槍《てやり》を|杖《つゑ》につき|乍《なが》ら|木蔭《こかげ》よりノソリノソリ|現《あら》はれ|来《き》たり、|黒頭巾《くろづきん》は|大喝一声《だいかついつせい》「コラツ」と|叫《さけ》ぶを、|三人《さんにん》は|思《おも》はず|声《こゑ》の|方《はう》に|視線《しせん》を|注《そそ》げば|二人《ふたり》の|大男《おほをとこ》が|立《た》つてゐる。
『コレヤどこの|奴《やつ》か|知《し》らぬが、イル|様《さま》が|機嫌《きげん》よく|夜遊《よあそ》びをしてるのに、コラとは|何《なん》だ、|一体《いつたい》|貴様《きさま》は|誰《たれ》だい。|大方《おほかた》|三五教《あななひけう》の|目付《めつけ》だろ、|俺《おれ》は|勿体《もつたい》なくも|大自在天様《だいじさいてんさま》の|子分《こぶん》だ。|清春山《きよはるやま》の|番《ばん》をしてゐる、イル、イク、サールのお|三体様《さんたいさま》だぞ。サア|是《これ》から|貴様《きさま》|等《たち》|両人《りやうにん》をふン|縛《しば》り、ランチ|将軍《しやうぐん》の|前《まへ》へ|連《つ》れて|行《ゆ》くから、|覚悟《かくご》を|致《いた》せ』
『|今《いま》|木蔭《こかげ》に|於《おい》て|汝等《なんぢら》|三人《さんにん》の|話《はなし》を|聞《き》けば、|最早《もはや》|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》しよつた|反逆人《はんぎやくにん》、そンな|言訳《いひわけ》を|致《いた》して、あべこべに|此《この》|方《はう》を|三五教《あななひけう》の|捕手《とりて》|呼《よ》ばはり|致《いた》すとは、|中々《なかなか》|以《もつ》て|世智《せち》に|丈《た》けた|代物《しろもの》だ、サアかうならば|最早《もはや》|了見《れうけん》は|致《いた》さぬ。|此《この》|方《はう》はランチ|将軍《しやうぐん》の|目付役《めつけやく》アリス、サムの|両人《りやうにん》だ。|俺《おれ》の|武勇《ぶゆう》は|天下《てんか》に|聞《きこ》えて|居《ゐ》るだろ。|一騎当千《いつきたうせん》の|英傑《えいけつ》はアリス、サムの|事《こと》だ。サア|覚悟《かくご》をせい』
『アハヽヽヽ|吐《ぬか》したりな|吐《ぬか》したりな。アリス、サムの|野郎《やらう》、グヅグヅぬかすと、|生言霊《いくことたま》の|発射《はつしや》をしてやらうか、モウ|斯《か》うなつてイル|以上《いじやう》は|隠《かく》すに|及《およ》ばぬ、|吾々《われわれ》|三人《さんにん》は|三五教《あななひけう》|宣伝使《せんでんし》|治国別《はるくにわけ》の|三羽烏《さんばがらす》だ。グヅグヅぬかすと|手《て》は|見《み》せぬぞ』
『|何《なん》と|俄《にはか》に|噪《はしや》ぎ|出《だ》したものだのう。そして|貴様《きさま》|等《たち》|三人《さんにん》ばかりここにゐるのか。|何《なに》か|後押《あとおし》する|者《もの》がなくては、|貴様《きさま》の|口《くち》からそンな|強《つよ》い|事《こと》が|言《い》へる|筈《はず》がない。サア|其《その》|事情《じじやう》を、ハツキリと|申上《まをしあ》げるのだぞ』
『|大《おほい》に|後援者《こうゑんしや》がアリスだ。イル|丈《だけ》イクらでも|加勢《かせい》をして|下《くだ》サールのだから、|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|貴様《きさま》のやうな|弱将《じやくしやう》の|下《もと》に|仕《つか》へてゐるイルさまぢやない、サア|美事《みごと》|生捕《いけどら》れるなら|生捕《いけど》つてみよ。|今《いま》|俺《おれ》が|呼子《よびこ》の|笛《ふえ》を|一《ひと》つ|吹《ふ》いたが|最後《さいご》、|数百万《すうひやくまん》の|獅子《しし》は|唸《うな》りを|立《た》てて|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ、|汝等《なんぢら》が|如《ごと》き|弱武者《よわむしや》を|木端微塵《こつぱみぢん》に|噛《か》み|砕《くだ》き、|谷川《たにがは》を|紅《くれなゐ》に|染《そめ》なす|迄《まで》の|事《こと》だ。サア|吾々《われわれ》|三人《さんにん》に|指一本《ゆびいつぽん》でもさへられるものならさへてみよ』
と|捻鉢巻《ねぢはちまき》をし|乍《なが》ら|大《だい》の|字《じ》に|立《たち》はだかり、|槍《やり》の|切先《きつさき》も|恐《おそ》れず|頬桁《ほほげた》を|叩《たた》いてゐる。
|谷道《たにみち》の|遥《はるか》|下方《かほう》より|坂《さか》を|上《のぼ》り|来《く》る|人声《ひとごゑ》|聞《きこ》え|来《き》たるにぞ、アリス、サムを|始《はじ》め、イル、イク、サールの|彼我《ひが》|一行《いつかう》は|期《き》せずして、|其《その》|声《こゑ》に|耳《みみ》をすましける。
『|高天原《たかあまはら》の|大空《おほぞら》に |常磐堅磐《ときはかきは》に|輝《かがや》ける
|天王星《てんわうせい》の|御国《みくに》より |下《くだ》りましたる|神柱《かむばしら》
|梵天帝釈自在天《ぼんてんたいしやくじざいてん》 |大国彦《おほくにひこ》の|大神《おほかみ》を
いつき|祭《まつ》つたバラモンの |神《かみ》の|司《つかさ》の|此処《ここ》|彼処《かしこ》
ハルナの|都《みやこ》の|神柱《かむばしら》 |大黒主《おほくろぬし》の|御言《みこと》もて
|逍《さまよ》ひ|巡《めぐ》る|軍人《いくさびと》 |斎苑《いそ》の|館《やかた》に|現《あ》れませる
|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》をば |屠《ほふ》らむものとハルナ|城《じやう》
|都《みやこ》を|後《あと》に|鬼春別《おにはるわけ》の |大将軍《だいしやうぐん》を|始《はじ》めとし
ランチ|将軍《しやうぐん》|其《その》|外《ほか》の |表面《うはべ》ばかりは|錚々《さうさう》と
|強《つよ》さうに|見《み》える|軍師《ぐんし》らが |猛虎《まうこ》の|如《ごと》き|勢《いきほひ》で
|河鹿峠《かじかたうげ》の|急坂《きふはん》を |上《のぼ》りてウブスナ|山脈《さんみやく》の
|大高原《だうかうげん》の|斎苑館《いそやかた》 |占領《せんりやう》せむと|思《おも》ひ|立《た》ち
|片彦《かたひこ》|久米彦《くめひこ》|二柱《ふたはしら》 |先鋒隊《せんぽうたい》の|将軍《しやうぐん》と
|選《えら》まれイソイソ|進《すす》み|行《ゆ》く モウ|一息《ひといき》といふ|所《とこ》で
|治国別《はるくにわけ》の|言霊《ことたま》に |打《う》たれて|脆《もろ》くも|潰走《くわいそう》し
|今《いま》は|是非《ぜひ》なく|山口《やまぐち》の |浮木ケ原《うききがはら》の|真中《まんなか》に
|俄作《にはかづく》りの|陣営《ぢんえい》を |構《かま》へて|敵《てき》を|捉《とら》へむと
|手具脛《てぐすね》|引《ひ》いて|待《ま》ち|居《を》れり |吾《わ》れは|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の
|部下《ぶか》に|仕《つか》へしテル、ハルよ |負《まけ》た|戦《いくさ》の|門番《もんばん》を
|任《まか》され|酒《さけ》に|酔《よ》ひ|狂《くる》ひ |思《おも》はず|知《し》らず|脱線《だつせん》し
|大黒主《おほくろぬし》の|身《み》の|上《うへ》を |口《くち》を|極《きは》めて|誹謗《ひばう》する
|其《その》|場《ば》へヌツと|現《あら》はれた |大《だい》|監督《かんとく》のヨル|司《つかさ》
|団栗眼《どんぐりまなこ》を|怒《いか》らして |片彦《かたひこ》|下《もと》へわれわれを
|引立《ひきた》て|行《ゆ》かむと|威《おど》しよる |此奴《こいつ》ア|鰌《どぢやう》ぢやなけれ|共《ども》
|酒《さけ》でいためてくれむぞと |仁王《にわう》の|如《ごと》く|立《た》つてゐる
ヨルの|左右《さいう》に|葡萄酒《ぶだうしゆ》の |瓶《びん》を|見《み》せつけつめよれば
|流石《さすが》のヨルも|辟易《へきえき》し コローツと|参《まゐ》つて|了《しま》ふたり
|二打《にダース》ばかりの|葡萄酒《ぶだうしゆ》を |瞬《またた》く|内《うち》に|平《たひ》らげて
|足《あし》もよろよろヨルさまは ヨル|辺《べ》|渚《なぎさ》の|捨小舟《すてをぶね》
|殺《ころ》そと|生《い》かそとテル、ハルの |瞬《またた》く|内《うち》に|掌中《しやうちう》に
|其《その》|運命《うんめい》を|握《にぎ》られて くたばり|返《かへ》つた|面白《おもしろ》さ
|流石《さすが》のヨルもそろそろと |酒《さけ》に|誘《さそ》はれ|本音《ほんね》をば
|吹出《ふきだ》し|心《こころ》の|奥底《おくそこ》を |物語《ものがた》りたる|其《その》|時《とき》の
|吾等《われら》|二人《ふたり》の|驚《おどろ》きは |譬《たと》ふる|物《もの》もなかりけり
いよいよこれから|急坂《きふはん》だ テルさまシツカリしておくれ
オイオイ、ヨルさま|気《き》をつけて |紐《ひも》にしつかり|取縋《とりすが》り
|身《み》の|安定《あんてい》を|保《たも》てよや づぶ|六《ろく》さまに|酔《よ》ひつぶれ
|二人《ふたり》に|舁《かか》れて|山坂《やまさか》を |登《のぼ》つて|行《ゆ》くとはこれは|又《また》
|開闢《かいびやく》|以来《いらい》の|大珍事《だいちんじ》 アイタタタツタ|躓《つまづ》いた
オイオイ、テルさまモウここで ヨルをおろしたらどうだろう
これから|先《さき》は|馬《うま》だとて |容易《ようい》に|登《のぼ》るこた|出来《でき》ぬ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ
|旭《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》る|共《とも》 |月《つき》は|盈《み》つ|共《とも》|虧《か》くる|共《とも》
|大黒主《おほくろぬし》は|強《つよ》く|共《とも》 |三五教《あななひけう》の|御道《おんみち》に
|進《すす》みし|上《うへ》は|千万《せんまん》の |艱難《かんなん》|苦労《くらう》が|迫《せま》る|共《とも》
などや|恐《おそ》れむ|敷島《しきしま》の |清《きよ》き|涼《すず》しき|神心《かみごころ》
|滝《たき》の|流《なが》れに|身《み》を|洗《あら》ひ |霊《みたま》を|浄《きよ》めて|休息《きうそく》し
|祠《ほこら》の|森《もり》に|隠《かく》れます |神《かみ》の|司《つかさ》の|御前《おんまへ》に
|進《すす》みて|行《ゆ》かむ|面白《おもしろ》や |祠《ほこら》の|森《もり》に|祀《まつ》りたる
|梵天帝釈自在天《ぼんてんたいしやくじざいてん》 |許《ゆる》させ|玉《たま》へ|吾々《われわれ》の
|清《きよ》き|願《ねがひ》を|一言《ひとこと》も おとさず|洩《も》らさず|諾《うべな》ひて
|誠《まこと》の|道《みち》に|進《すす》むべく |守《まも》らせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|世《よ》の|大元《おほもと》の|皇神《すめかみ》の |御前《みまへ》に|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ』
ヨル、テル、ハルの|三人《さんにん》はランチ|将軍《しやうぐん》の|陣営《ぢんえい》を|脱《ぬ》け|出《だ》し、|治国別《はるくにわけ》|一行《いつかう》に|会《あ》ひ、バラモン|教《けう》の|策戦《さくせん》|計画《けいくわく》を|密告《みつこく》し、|自分《じぶん》も|亦《また》|三五教《あななひけう》の|為《ため》に|尽《つく》さむと、|酒《さけ》に|酔《よ》ひつぶれた|監督《かんとく》のヨルを|山駕籠《やまかご》にて|舁《か》つぎ|乍《なが》らやうやう|滝《たき》の|下《した》まで|登《のぼ》つて|来《き》た。|此《この》|歌《うた》を|聞《き》くや|否《いな》や、アリス、サムの|両人《りやうにん》は|道《みち》なき|山《やま》を|駆《か》け|上《のぼ》り、|何処《どこ》ともなく|姿《すがた》を|隠《かく》した。ここに|彼我《ひが》|六人《ろくにん》は|暫《しば》し|休息《きうそく》の|上《うへ》、|祠《ほこら》の|森《もり》を|指《さ》して|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・一二・七 旧一〇・一九 松村真澄録)
(昭和九・一二・二二 王仁校正)
第五章 |不眠症《ふみんしやう》〔一一七四〕
|治国別《はるくにわけ》、|玉国別《たまくにわけ》の|一行《いつかう》は|祠《ほこら》の|前《まへ》を|立出《たちい》で、|上方《じやうはう》の|以前《いぜん》の|森《もり》の|蔭《かげ》に|各《おのおの》|蓑《みの》を|敷《し》き|野宿《のじゆく》なしゐる。そこへ|祠《ほこら》の|前《まへ》へ|見張《みは》りをさして|置《お》いた|五三公《いそこう》はいそいそとして|走《はし》り|来《きた》り、
『もしもし、|治国別《はるくにわけ》の|先生《せんせい》、|俄《にはか》にお|客《きやく》さまが|見《み》えました。どう|致《いた》しませうか』
|此《この》|声《こゑ》に|治国別《はるくにわけ》は|不図《ふと》|目《め》を|覚《さ》まし、
『|此《この》|山《やま》の|中《なか》でお|客《きやく》さまを|迎《むか》へた|処《ところ》で|仕方《しかた》がない。|然《しか》し|乍《なが》ら|其《その》|客《きやく》と|云《い》ふのは|如何《いか》なる|人《ひと》か。|大方《おほかた》バラモン|教《けう》の|落武者《おちむしや》であらうなア』
『ハイ、お|察《さつ》しの|通《とほ》りバラモン|教《けう》の|先生《せんせい》が|三人《さんにん》やつて|来《き》ました。さうして|気《き》の|利《き》いた|奴《やつ》で|沢山《たくさん》な|葡萄酒《ぶだうしゆ》を|山籠《やまかご》に|一杯《いつぱい》つめ|込《こ》み|来《き》て|居《を》りますぜ。|大方《おほかた》|毒《どく》でも|入《はい》つてゐるのかと|思《おも》ひ、|詰《つめ》をとつて|持《も》つて|来《き》た|男《をとこ》に|毒味《どくみ》をさして|見《み》ましたが|大丈夫《だいぢやうぶ》です。|何《なん》でも|一人《ひとり》は|頭《あたま》の|光《ひか》つた|若年寄《わかどしより》|見《み》た|様《やう》なテルと|云《い》ふ|奴《やつ》、|一《ひと》つは|扇《あふぎ》をパツと|開《ひら》いた|様《やう》な|上《うへ》ほど|頭《あたま》のハルと|云《い》ふ|奴《やつ》、も|一人《ひとり》は|足《あし》のヨボヨボしたヨロとかヨルとか|云《い》ふ|奴《やつこ》さまで|厶《ござ》いますわい。それはそれは|乙《おつ》な|事《こと》を|云《い》ひますぜ。|一《ひと》つ|会《あ》つてやつて|下《くだ》さいませな』
『チツと|静《しづ》かにものを|言《い》はぬか。|皆《みな》さまがお|寝《やす》みの|邪魔《じやま》になるぢやないか。さうして|如何《いか》なる|要件《えうけん》か、それを|聞《き》いたぢやらうな』
『まだ|聞《き》いては|居《を》りませぬが、|委細《ゐさい》はイル、イク、サールの|三人《さんにん》が|承知《しようち》してゐる|筈《はず》です。|彼奴《あいつ》が|引張《ひつぱ》つて|来《き》たのですからな。|滅多《めつた》に|裏返《うらかへ》る|気遣《きづか》ひはありますまい、|先《ま》づイル、イク、サールの|三人《さんにん》を|信用《しんよう》してやつて|下《くだ》さいませ』
『|兎《と》も|角《かく》もここで|会《あ》ふと|皆《みな》さまの|安眠《あんみん》の|妨害《ばうがい》になるから、|祠《ほこら》の|前《まへ》|迄《まで》|出張《しゆつちやう》することにしようかな』
『ハイ、|御苦労《ごくらう》|乍《なが》ら|宜《よろ》しくお|願《ねが》ひ|致《いた》します』
と|云《い》ふより|早《はや》く|五三公《いそこう》は|夜《よる》の|山坂道《やまさかみち》を|飛鳥《ひてう》の|如《ごと》く|跳《と》び|下《くだ》り、|祠《ほこら》の|前《まへ》に|待《ま》つてゐる|六人《ろくにん》に|向《むか》ひ、ハアハアと|息《いき》を|喘《はづ》ませ、
『おい、イル、イク、サール、テル、ハル、ヨル、|半打《はんダース》の|人間《にんげん》さま、|五三公《いそこう》さまの|交渉《かうせふ》|委員《ゐゐん》は|大成功《だいせいこう》だよ。|治国別《はるくにわけ》|様《さま》が|特別《とくべつ》を|以《もつ》てお|目《め》にブラ|下《さが》つてやらうと|仰有《おつしや》るのだ。さア|今《いま》にも|此処《ここ》に|御出張《ごしゆつちやう》になるのだから|襟《えり》を|正《ただ》し、|体《からだ》を|直《なほ》して|謹《つつし》みてお|迎《むか》へをするが|宜《よ》いぞ』
『それは|誠《まこと》に|早速《さつそく》の|御承知《ごしようち》、|有難《ありがた》い、ヨルの|如《や》うな|者《もの》にも|逢《あ》つて|下《くだ》さいますか、これと|云《い》ふのも|全《まつた》く|神様《かみさま》のお|蔭《かげ》だ』
『|之《これ》と|云《い》ふのも|幾分《いくぶん》かは|五三公《いそこう》さまのお|蔭《かげ》だと|云《い》つた|処《ところ》で、あまり|元《もと》のきれる|話《はなし》ぢやないがな、アハヽヽヽ』
|斯《か》く|笑《わら》ふ|処《ところ》へ|静々《しづしづ》と|足許《あしもと》に|気《き》をつけ|乍《なが》ら|七人《しちにん》の|前《まへ》に|現《あら》はれたのは|治国別《はるくにわけ》である。
『バラモンからお|出《いで》になつたお|客《きやく》さまとは、お|前《まへ》さまのことかな』
ヨルは|恐《おそ》る|恐《おそ》る|前《まへ》に|進《すす》み、|頭《あたま》を|二《ふた》つ|三《み》つ|撫《な》で|乍《なが》ら、
『ハイ、|私《わたし》はランチ|将軍《しやうぐん》の|恩顧《おんこ》を|受《う》けてゐるヨルと|申《まを》す|者《もの》で|厶《ござ》いますが、|実《じつ》の|処《ところ》は、|大《おほい》に|感《かん》ずる|処《ところ》があつて|三五教《あななひけう》の|貴方様《あなたさま》にお|願《ねが》ひの|筋《すぢ》があつて|遥々《はるばる》|参《まゐ》りました』
『|願《ねが》ひの|筋《すぢ》とは|何事《なにごと》で|厶《ござ》るか』
『|実《じつ》は|私《わたし》は|玉山峠《たまやまたうげ》に|於《おい》て|三五教《あななひけう》の|言霊《ことたま》に|敬服《けいふく》|致《いた》し、|又《また》もやクルスの|森《もり》に|於《おい》ても|言霊《ことたま》の|威力《ゐりよく》に|遁走《とんそう》し、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|先鋒隊《せんぽうたい》|亦《また》|脆《もろ》くも|打破《うちやぶ》られたと|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》くより、|信仰《しんかう》の|基礎《どだい》がぐらつき|出《だ》し、これやどうしても|吾々《われわれ》の|信《しん》ずる|神《かみ》は|宇宙《うちう》|根本《こんぽん》の|神《かみ》でない。|神《かみ》のために|働《はたら》く|戦争《いくさ》が|之《これ》|丈《だ》け|負続《まけつづ》けては、|何《なに》かの|原因《げんいん》がなくてはならぬ。ここは|大《おほ》いに|考《かんが》ふべき|処《ところ》だと|沈思黙考《ちんしもくかう》の|結果《けつくわ》、|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》することに|決《き》めたので|厶《ござ》ります。それについてバラモン|教《けう》のランチ|将軍《しやうぐん》の|部下《ぶか》に、|最《もつと》もバラモンに|熱心《ねつしん》にして|且《か》つ|頑固《ぐわんこ》の|身霊《みたま》の|聞《きこ》えあるテル、ハルの|両人《りやうにん》を|帰順《きじゆん》させ、|之《これ》を|私《わたし》のお|土産《みやげ》として|葡萄酒《ぶだうしゆ》に|添《そ》へて|引《ひ》き|摺《ず》つて|参《まゐ》りました。|何卒《どうぞ》この|功《こう》に|免《めん》じて|今迄《いままで》|三五教《あななひけう》に|抵抗《ていかう》した|罪《つみ》をお|赦《ゆる》しの|上《うへ》、|貴方《あなた》のお|弟子《でし》に|加《くは》へて|貰《もら》ひ|度《た》いもので|厶《ござ》ります』
『|三五教《あななひけう》が|負《まけ》るのも|勝《か》つのも、バラモン|教《けう》が|負《まけ》るのも|勝《か》つのも|皆《みんな》|神様《かみさま》の|御摂理《ごせつり》だ。|一度《いちど》や|二度《にど》の|軍《いくさ》の|勝負《しようぶ》によつて|神《かみ》の|力《ちから》を|試《ため》すと|云《い》ふ|事《こと》は|僣越《せんえつ》の|沙汰《さた》でせう。それ|位《くらゐ》|薄弱《はくじやく》な|基礎《きそ》の|下《もと》に|入信《にふしん》するやうの|人《ひと》ならば、|此《この》|先《さき》|三五教《あななひけう》が|不幸《ふかう》にして|負《まけ》た|時《とき》は|矢張《やつぱり》バラモン|教《けう》の|神《かみ》の|方《はう》が|偉《えら》いと|云《い》つて、|踵《くびす》を|返《かへ》し|逆転《ぎやくてん》せなくてはなりますまい。そンなに|気《き》の|変《かは》るお|方《かた》は|三五教《あななひけう》には|居《を》りませぬからな』
『|何《なん》とまア、|六《むつ》かしい|教《をしへ》で|厶《ござ》りますな。|決《けつ》してさう|云《い》ふ|軽佻浮薄《けいてうふはく》な|吾々《われわれ》では|厶《ござ》りませぬ。これにはいろいろの|動機《どうき》が|厶《ござ》ります。|只《ただ》|戦争《せんそう》の|話《はなし》をしたのは|御参考《ごさんかう》のために、|一部分《いちぶぶん》の|理由《りいう》を|申上《まをしあ》げたに|過《す》ぎませぬ。|第一《だいいち》テル、ハルの|如《ごと》き|没暁漢《わからずや》を|改心《かいしん》させたのを|証拠《しようこ》に|何卒《どうぞ》、|入信《にふしん》のお|許《ゆる》しを|願《ねが》ひます』
『ハア……』
『モシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|此《この》ヨルの|云《い》ふ|事《こと》は|当《あて》になりませぬよ。|実《じつ》の|処《ところ》は|此《この》ハルと|私《わたし》と|両人《りやうにん》|守衛《しゆゑい》を|勤《つと》めテルと、あまり|寒《さむ》うて|退屈《たいくつ》なので|職務《しよくむ》|不忠実《ふちうじつ》とは|思《おも》ひ|乍《なが》ら|一寸《ちよつと》|一杯《いつぱい》|聞召《きこしめ》して|居《ゐ》る|処《ところ》へ、|恐《こは》い|顔《かほ》して|此《この》ヨルさまが|見廻《みまは》りにやつて|来《き》て「こりやこりやその|方《はう》|等《たち》|両人《りやうにん》は、バラモン|神《がみ》や|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》の|御事《おんこと》を|悪《わる》く|申《まを》し、|三五教《あななひけう》を|褒《ほ》めて|居《を》つたぢやないか。|怪《け》しからぬ|代物《しろもの》だから、これから|両人《りやうにん》を|面縛《めんばく》して|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|面前《めんぜん》へ|引立《ひきた》ててくれむ」と|威猛高《ゐたけだか》になり、それはそれは|大変《たいへん》な|睨《にら》み|方《かた》で|厶《ござ》りました。そこを|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》がうまく|酒《さけ》で|釣《つ》り|込《こ》み、|泥《どろ》を|吐《は》かして|見《み》れば、|此奴《こいつ》も|矢張《やつぱり》|心《こころ》の|底《そこ》に|三五教《あななひけう》の|天国《てんごく》が|開《ひら》けて|居《ゐ》ると|見《み》え、|酔《よひ》がまはるにつけバラモン|教《けう》をこき|下《お》ろすので、|此奴《こいつ》ア|大丈夫《だいぢやうぶ》だと、ヘベレケに|酔《よ》うたズブ|六《ろく》さまを|駕籠《かご》に|乗《の》せて、ここ|迄《まで》|上《あが》つて|来《き》たので|厶《ござ》ります。このテルだつて|決《けつ》してヨルの|云《い》ふ|様《やう》な|悪《わる》い|人間《にんげん》では|厶《ござ》りませぬ。|又《また》、それほどバラモンに|熱心《ねつしん》なものでも|厶《ござ》りませぬから、|御安心《ごあんしん》なすつて|下《くだ》さいませ。なア、ハル、それに|間違《まちがひ》ないな』
ハルは|跡《あと》を|次《つ》いで、
『テル|公《こう》の|云《い》つた|通《とほ》り|一分一厘《いちぶいちりん》の|相違《さうゐ》も|厶《ござ》りませぬ。|貴方《あなた》もヤンチヤの|氏子《うぢこ》が|殖《ふ》えたと|思《おも》つて|何卒《どうぞ》|大目《おほめ》に|見《み》て|拾《ひろ》ひ|上《あ》げて|下《くだ》さいませえな』
|治国別《はるくにわけ》『|敵味方《てきみかた》|垣《かき》を|造《つく》りて|争《あらそ》ふは
|鳥《とり》|獣《けだもの》の|仕業《しわざ》なるらむ。
|天地《あめつち》を|造《つく》り|給《たま》ひし|皇神《すめかみ》は
|宣《の》り|直《なほ》すらむ|醜《しこ》の|枉事《まがこと》。
|三五《あななひ》の|道《みち》を|尋《たづ》ねて|来《く》る|人《ひと》を
つれなくやらふ|道《みち》しなければ。
|招《ま》ぎ|来《きた》るテル、ハル、ヨルの|三柱《みはしら》に
|生言霊《いくことたま》の|宣《の》り|伝《つた》へせむ。
|今《いま》よりは|誠《まこと》の|神《かみ》の|氏《うぢ》の|子《こ》と
なりて|尽《つく》せよ|世人《よびと》の|為《た》めに』
ヨル『|有難《ありがた》し|心《こころ》の|花《はな》も|開《ひら》くなる
|治国別《はるくにわけ》の|厳《いづ》の|言霊《ことたま》。
|今日《けふ》よりは|心《こころ》の|垢《あか》を|拭《ふ》き|払《はら》ひ
|安《やす》く|楽《たの》しく|道《みち》に|仕《つか》へむ』
テル『|限《かぎ》りなき|恵《めぐ》みの|露《つゆ》は|四方《よも》の|国《くに》に
|潤《うるほ》ひ|渡《わた》るテルの|神国《かみくに》。
テルと|云《い》ふは|空《そら》に|輝《かがや》く|日月《じつげつ》の
|光《ひかり》ばかりか|吾《わが》|頭《かしら》もてる』
ハル『ハル|過《す》ぎて|夏《なつ》|去《さ》り|秋《あき》も|亦《また》|過《す》ぎて
みたまの【|冬《ふゆ》】を|蒙《かかぶ》りにける。
|皇神《すめかみ》の|恩頼《みたまのふゆ》を|受《う》けむとて
|露《つゆ》の|生命《いのち》を|存《なが》らへてけり』
イル『|大神《おほかみ》の|救《すく》ひの|道《みち》に|進《すす》みイル
|吾《われ》は|楽《たの》しき|身魂《みたま》なりけり』
サール『|腹帯《はらおび》を|今《いま》やしつかり|締《し》め|直《なほ》し
|世人《よびと》のために|誠《まこと》を|尽《つく》さむ。
|世《よ》を|乱《みだ》す|枉《まが》もサールの|神言《かみごと》に
|言向和《ことむけやは》す|君《きみ》ぞ|尊《たふと》き。
|清春《きよはる》の|山《やま》の|砦《とりで》にさし|籠《こも》り
|悟《さと》り|得《え》たりし|三五《あななひ》の|道《みち》。
|松公《まつこう》や|竜公《たつこう》さまの|御教《みをしへ》に
バラモン|雲《ぐも》は|晴《は》れ|渡《わた》りける』
|治国別《はるくにわけ》『|吾《われ》は|今《いま》|八岐大蛇《やまたをろち》の|棲《すく》いたる
ハルナに|行《ゆ》かむ|道《みち》の|上《へ》にこそ。
さり|乍《なが》らハルナの|国《くに》はいと|遠《とほ》し
|百《もも》の|山河《やまかは》|横《よこ》たはりあれば』
ヨル『|夜昼《よるひる》に|心《こころ》の|限《かぎ》り|身《み》の|限《かぎ》り
|曲《まが》とは|知《し》らず|尽《つく》し|来《き》にけり。
|今日《けふ》よりは|心《こころ》の|駒《こま》を|立《た》て|直《なほ》し
|皇大神《すめおほかみ》の|正道《まさみち》に|入《い》る』
|話《はなし》|変《かは》つて|森《もり》の|木蔭《こかげ》に|寝《やす》ンでゐた|道公《みちこう》、|伊太公《いたこう》|二人《ふたり》は|目《め》を|覚《さ》まし|起《お》き|上《あが》り、
『オイ、|道公《みちこう》さま、|祠《ほこら》の|前《まへ》には|又《また》もや|活劇《くわつげき》が|悠々《いういう》と|初《はじ》まつてるのぢやあるまいかな。|一《ひと》つそつと|行《い》つて|見《み》たらどうだらう』
『さうだな|伊太公《いたこう》、|何《なん》とはなしに|騒《さわ》がしい|様《やう》だ。|然《しか》し|吾々《われわれ》に|対《たい》し|急用《きふよう》があれば|先生《せんせい》は|呼《よ》ンで|下《くだ》さるだらうよ。まアじつくりとしたが|宜《よ》からう』
『まづ|俺《おれ》が|偵察《ていさつ》に|行《い》つて|来《く》るから|道公《みちこう》お|前《まへ》はここに|待《ま》つてゐてくれぬか』
『そいつは|御免《ごめん》だ。|又《また》|此《この》|間《あひだ》の|様《やう》に|清春山《きよはるやま》につれて|行《ゆ》かれちや|俺達《おれたち》の|迷惑《めいわく》だから……もし|此《この》|道公《みちこう》が、|怪《あや》しいものだつたら|独特《どくとく》の|哄笑器《こうせうき》を|出《だ》して|此《この》|間《あひだ》のやうに|笑《わら》ひ|散《ち》らしてやるのだ。まア|待《ま》つてくれ。|俺《おれ》が|行《い》つて|来《く》る』
『|笑《わら》ひ|散《ち》らしたと|思《おも》へば|宣伝使《せんでんし》|様《さま》の|弟《おとうと》ぢやなかつたか。そンな|他愛《たあい》もない|事《こと》なら、|伊太公《いたこう》だつて|一旦《いつたん》|痛手《いたで》を|負《お》うた|上《うへ》は|充分《じゆうぶん》の|注意《ちうい》をして|居《を》るから|大丈夫《だいぢやうぶ》だよ。|俺《おれ》でも|笑《わら》ひ|散《ち》らし|位《くらゐ》は|出来《でき》るよ』
『そンなら|道公《みちこう》が|道案内《みちあんない》をしてやらう。|貴様《きさま》はどうしても|捕虜《ほりよ》の|身魂《みたま》が|憑《つ》いて|居《ゐ》るから|駄目《だめ》だ。|三間《さんげん》ばかり|後《あと》から|俺《おれ》に|踉《つ》いて|来《こ》い。もし|怪《あや》しい|事《こと》でもあつたら|一生懸命《いつしやうけんめい》に|走《はし》つて|来《く》るのだ』
『|大変《たいへん》に|信用《しんよう》を|落《おと》したものだな。|併《しか》し|神様《かみさま》には|信用《しんよう》を|受《う》けて|居《ゐ》るのだから|安心《あんしん》だ。|一《ひと》つここから、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》に|違《ちが》ひないから、|呶鳴《どな》つて|見《み》たらどうだらう』
『|馬鹿《ばか》|云《い》ふない。|大《おほ》きな|声《こゑ》を|出《だ》しちや|皆《みな》が|目《め》が|覚《さ》めるぞ。|治国別《はるくにわけ》|様《さま》が、|道公《みちこう》が|目《め》を|覚《さ》まして|聞《き》いて|居《を》れば|俺《おれ》が|寝《やす》ンで|居《を》るものと|思《おも》ひ、|五三公《いそこう》と|一緒《いつしよ》にひそひそと|話《はな》して|居《を》られたが、|何《なん》でも|何々《なになに》が|何々《なになに》に|来《き》て|居《ゐ》るのかも|知《し》れぬぞ』
『さうすると|道公《みちこう》は|寝《やす》ンでゐる|様《やう》な|顔《かほ》して|起《お》きて|居《ゐ》たのだな』
『|俺《おれ》は|此《この》|頃《ごろ》|流行《はや》る|不眠症《ふみんしやう》とかに|罹《かか》つてゐるのだが、|夜《よる》になると|目《め》が|冴《さ》えて|神経《しんけい》が|興奮《こうふん》して|一寸《ちよつと》や、そつとには|寝《ねむ》られぬのだよ。|道公《みちこう》も|実《じつ》に【ふびん】なものだ。アハヽヽヽ』
『オイ|両人《りやうにん》、そつと|行《ゆ》かぬといかないぞ。|純公《すみこう》さまが|目《め》を|覚《さ》ましちや|気《き》の|毒《どく》だからな』
『アハヽヽヽ|何《なに》を|云《い》ふのだ。|目《め》を|覚《さ》ましておりやこそ|喋《しやべ》つて|居《を》るのぢやないか』
『|純公《すみこう》の|肉体《にくたい》は|寝《ね》て|居《ゐ》るが、|俺《おれ》や|一寸《ちよつと》|夢《ゆめ》を|見《み》てゐるのだ』
『|夢《ゆめ》だか|現《うつつ》だか、|馬鹿《ばか》だか、|悧巧《りかう》だか、|一寸《ちよつと》も|測量《そくりやう》の|出来《でき》ない|代物《しろもの》だな』
『|国治立尊《くにはるたちのみこと》|様《さま》ぢやないが、スになりましてすみきり|給《たま》ふと|云《い》ふ|立派《りつぱ》な|身魂《みたま》だから、|人間《にんげん》|位《ぐらゐ》の|智慧《ちゑ》で|純公《すみこう》さまの|智慧《ちゑ》がどうして|測量《そくりやう》する|事《こと》が|出来《でき》るものかい。|人間《にんげん》に|測量《そくりやう》|出来《でき》る|様《やう》なものは|最早《もはや》|神《かみ》でも|何《なん》でもない。チヤンときまりきつた|相場《さうば》がついてゐるのだ。|馬鹿《ばか》とも|阿呆《あはう》とも|分《わか》らぬ|処《ところ》に、|純公《すみこう》さまの|神格《しんかく》が|縦横無尽《じうわうむじん》に|活躍《くわつやく》してるのだよ。それだから|此《この》|純公《すみこう》さまは|隅《すみ》にも|置《お》けないと、|何時《いつ》だつたかな、|五十子姫《いそこひめ》さまがお|褒《ほ》め|遊《あそ》ばした|事《こと》があるよ』
『それは|大方《おほかた》|夢《ゆめ》だつたらう。なア|道公《みちこう》、こンな|男《をとこ》を|褒《ほ》めるとは、|五十子姫《いそこひめ》さまも|一寸《ちよつと》|如何《どう》かしてるぢやないか。さうぢやなければ|純公《すみこう》さまが|夢《ゆめ》を|見《み》たのかも|知《し》れぬぜ』
『|人間《にんげん》は|夢《ゆめ》の|中《なか》で|夢《ゆめ》を|見《み》てゐるのだよ。そんな|事《こと》を|大体《だいたい》、|本当《ほんたう》に|見《み》てゐるのが|馬鹿《ばか》だ。|人《ひと》の|正邪《せいじや》|賢愚《けんぐ》が|分《わか》るものかい。|况《ま》して|落《お》ちた|真珠《しんじゆ》に|氷《こほり》が|張《は》つた|様《やう》な|肉眼《にくがん》では|外面《ぐわいめん》だけでも|観察《くわんさつ》する|事《こと》は|不可能《ふかのう》だ。|况《いは》ンや|身内《しんない》に|於《お》ける|清浄無垢《せいじやうむく》|有為《いうゐ》の|精神《せいしん》に|於《おい》てをやだ』
『オイ、ガラクタ|共《ども》、|何《なに》を|八釜《やかま》しく|云《い》ふのだい。いい|加減《かげん》に|寝《やす》まないかい、|万公《まんこう》さまの|俺《おれ》は|第一《だいいち》、|晴公《はるこう》さまは|申《まを》すに|及《およ》ばず、|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》、|今子姫《いまこひめ》|様《さま》、|玉国別《たまくにわけ》|様《さま》の|御迷惑《ごめいわく》だ。さアさア|寝《ね》たり|寝《ね》たり。|治国別《はるくにわけ》さまが|御出張《ごしゆつちやう》になつてゐるのだから|大丈夫《だいぢやうぶ》だよ。|吾々《われわれ》|如《ごと》き|小童子武者《こつばむしや》が|起《お》きて|居《を》つても|何《なん》になるものか。|起床喇叭《きしやうラツパ》が|鳴《な》るまで|神妙《しんめう》に|就寝《しうしん》するのだな』
『いや|仕方《しかた》がない。それもさうだ、|道公《みちこう》、|純公《すみこう》、|万公《まんこう》|寝《ね》やうかい。もう|夜明《よあ》けに|間《ま》もあるまいし、|只今《ただいま》と|云《い》ふ|此《この》|時間《じかん》は|万劫末代《まんごまつだい》|取返《とりかへ》す|事《こと》は|出来《でき》ぬのだから、|思《おも》ひきつて|寝《やす》まうぢやないか、|伊太公《いたこう》も|眠《ねむ》いからのう』
|五十子姫《いそこひめ》『|玉国別《たまくにわけ》|神《かみ》の|命《みこと》のいたづきも
|早《はや》や|鎮《しづ》まりて|月《つき》は|輝《かがや》く。
|皇神《すめかみ》の|恵《めぐみ》の|露《つゆ》を|浴《あ》び|乍《なが》ら
|風《かぜ》に|吹《ふ》かれて|寝《い》ぬる|嬉《うれ》しさ』
|玉国別《たまくにわけ》は|目《め》を|覚《さ》まし、
『|大空《おほぞら》に|輝《かがや》き|渡《わた》る|月《つき》の|玉《たま》を
|国別《くにわ》け|渡《わた》らし|進《すす》む|尊《たふと》さ。
|治国別《はるくにわけ》|神《かみ》の|命《みこと》は|雄々《をを》しくも
|醜《しこ》の|司《つかさ》を|教《をし》へ|居《ゐ》ますか。
|吾《われ》も|亦《また》|神《かみ》の|司《つかさ》と|選《えら》まれて
|来《きた》りし|上《うへ》は|救《すく》はでおくべき。
|右《みぎ》の|目《め》の|吾《わが》いたづきも|止《と》まりけり
|月《つき》の|御神《みかみ》の|光《かげ》|浴《あ》びしより』
|斯《か》く|歌《うた》ふうちに|十七夜《じふしちや》の|月《つき》は|西天《せいてん》に|色褪《いろあ》せ、|鵲《かささぎ》の|声《こゑ》はカアカアと|清《きよ》く|響《ひび》き、|百鳥《ももどり》は|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|囀《さへづ》り|初《はじ》めた。
(大正一一・一二・七 旧一〇・一九 北村隆光録)
第六章 |山下《やまくだ》り〔一一七五〕
|治国別《はるくにわけ》、|玉国別《たまくにわけ》の|一行《いつかう》は|日当《ひあた》りのよき|祠《ほこら》の|前《まへ》に|集《あつ》まつてヨルの|話《はなし》を|聞《き》いて|居《ゐ》る。
|治国《はるくに》『ヨルさま、さうしてランチ|将軍《しやうぐん》は、|浮木ケ原《うききがはら》に|陣屋《ぢんや》を|構《かま》へ|持久戦《ぢきうせん》をやる|心算《つもり》だな。なぜ|大挙《たいきよ》して|河鹿峠《かじかたうげ》を|渡《わた》らないのだらうか』
『どうしてどうして、ランチ|将軍《しやうぐん》は|進退《しんたい》|維《これ》|谷《きは》まると|云《い》ふ|羽目《はめ》に|陥《おちい》つて|居《ゐ》るのですよ。|貴方《あなた》|方《がた》が|此処《ここ》にかうして|居《ゐ》られる|限《かぎ》り、この|峠《たうげ》は|突破《とつぱ》する|事《こと》は|出来《でき》ないのです。そこで|止《や》むを|得《え》ず|浮木ケ原《うききがはら》に|陣屋《ぢんや》を|構《かま》へハルナの|都《みやこ》に|急使《きふし》を|馳《は》せて、「|敵《てき》の|軍勢《ぐんぜい》|数十万《すうじふまん》|押寄《おしよ》せ|来《きた》れり、|徒《いたづら》に|進《すす》まば|労《らう》して|功《こう》なし、|暫《しばら》く|浮木ケ原《うききがはら》で|陣《ぢん》を|構《かま》へ|敵《てき》を|自然《しぜん》に|降伏《かうふく》せしむる|計劃《けいくわく》なり」との|報告《はうこく》をやつたのですよ。|併《しか》し|到底《たうてい》|勝利《しようり》の|見込《みこみ》がつかぬので、|鬼春別《おにはるわけ》|将軍《しやうぐん》は|久米彦《くめひこ》|将軍《しやうぐん》を|伴《ともな》ひ、|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》に|対《たい》し|言《い》ひ|訳《わけ》のためだと|云《い》つて、|実《じつ》の|処《ところ》はフサの|国《くに》を|渡《わた》り、エルサレムの|黄金山《わうごんざん》に|向《むか》つて|進軍《しんぐん》する|事《こと》になつて|居《を》ります』
『|何《なに》? |黄金山《わうごんざん》へ|進軍《しんぐん》するとな、それや|初耳《はつみみ》だ。|玉国別《たまくにわけ》さま、これやかうしては|居《ゐ》られますまい。|吾々《われわれ》はハルナの|国《くに》の|大黒主《おほくろぬし》を|言向《ことむ》け|和《やは》すのが|使命《しめい》だが、|先鋒隊《せんぽうたい》として|照国別《てるくにわけ》、|黄金姫《わうごんひめ》が|出《で》て|居《を》られるのだから、|貴方《あなた》は|此《こ》の|河鹿峠《かじかたうげ》を|扼《やく》し、|敵《てき》の|襲来《しふらい》を|喰《く》ひ|止《と》めなさいませ。|吾々《われわれ》は|敵《てき》の|囲《かこ》みを|突破《とつぱ》してエルサレムの|救援《きうゑん》に|向《むか》ひませう。なア|五十子姫《いそこひめ》さま、どンなものでせう』
『|左様《さやう》で|厶《ござ》りますなア、これは|容易《ようい》ならざる|問題《もんだい》ですから、|一《ひと》つ|神様《かみさま》に|伺《うかが》つて|見《み》ませう。|其《その》|神勅《しんちよく》によつてお|極《き》めなさいませ』
『なる|程《ほど》よい|処《ところ》へお|気《き》がつきました。それなら、これから|貴女《あなた》|神主《かむぬし》となつて|下《くだ》さい。|私《わたし》が|審神《さには》を|致《いた》しますから』
『|暫《しばら》く|霊媒《れいばい》はやめて|居《ゐ》ましたからどうか|存《ぞん》じませぬが、|兎《と》に|角《かく》|神様《かみさま》に|願《ねが》つて|見《み》ませう』
と|云《い》ひながら、|五十子姫《いそこひめ》は|大地《だいち》に|蓑《みの》を|敷《し》きて|其《その》|上《うへ》に|端坐《たんざ》し、|目《め》を|閉《と》ぢ|両手《りやうて》を|組《く》み、|霊魂《れいこん》を|宇宙《うちう》に|馳《は》せける。|暫《しばら》くありて|神霊《しんれい》|感応《かんのう》ありしと|見《み》え、|五十子姫《いそこひめ》の|面部《めんぶ》は|益々《ますます》|麗《うるは》しく|輝《かがや》き|初《はじ》めたり。|治国別外《はるくにわけほか》|一同《いちどう》は、ハツと|其《その》|場《ば》に|頭《かしら》を|下《さ》げ|畏《かしこ》まる。|五十子姫《いそこひめ》は|口《くち》を|切《き》つて、
『|我《われ》は|国照姫《くにてるひめ》の|命《みこと》なり。|汝《なんぢ》|治国別《はるくにわけ》、|玉国別《たまくにわけ》の|神司《かむつかさ》、バラモン|教《けう》の|鬼春別《おにはるわけ》が|黄金山《わうごんざん》へ|軍隊《ぐんたい》を|引《ひ》きつれ|進撃《しんげき》する|件《けん》に|関《くわん》し|去就《きよしう》に|迷《まよ》うて|居《を》るやうだが、|我《われ》は|今《いま》|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の|御心《みこころ》を|体《たい》して|汝《なんぢ》に|一切《いつさい》を|宣《の》り|伝《つた》ふべし。これより|治国別《はるくにわけ》は|万公《まんこう》、|晴公《はるこう》、|五三公《いそこう》、|松公《まつこう》、|竜公《たつこう》と|共《とも》に、ランチ|将軍《しやうぐん》の|陣営《ぢんえい》を|突破《とつぱ》し、ペルシヤを|越《こ》えて|黄金山《わうごんざん》に|進《すす》めよ。|鬼春別《おにはるわけ》の|軍隊《ぐんたい》は|未《ま》だ|遠《とほ》くは|往《ゆ》かじ、|今《いま》|追跡《つゐせき》せば、|或《あるひ》は|途中《とちう》にて|喰《く》ひとめ|得《え》むやも|計《はか》り|難《がた》し。|又《また》|玉国別《たまくにわけ》は|此処《ここ》に|国祖大神《こくそおほかみ》、|豊国姫命《とよくにひめのみこと》の|御舎《みあらか》を|造《つく》り|且《か》つ|教《をしへ》の|庭《には》を|立《た》て|並《なら》べ、|斎苑《いそ》の|館《やかた》の|咽喉《いんこう》たるべき|河鹿峠《かじかたうげ》を|守《まも》るべし。サア|明日《みやうにち》より|森《もり》の|樹《き》を|伐採《ばつさい》し|土《つち》|引《ひ》きならし|建築《けんちく》に|従事《じうじ》せよ。|早《はや》くも|斎苑《いそ》の|館《やかた》よりは、|大工《だいく》、|左官《さくわん》、|手伝《てつだひ》、|石工《いしく》など|此方《こなた》に|向《むか》つて|急《いそ》ぎ|来《く》る|途中《とちう》なれば、|玉国別《たまくにわけ》は|此処《ここ》に|留《とど》まつて|眼《め》の|養生《やうじやう》を|致《いた》されよ。|又《また》|五十子姫《いそこひめ》は|今子姫《いまこひめ》と|共《とも》に|夫《をつと》の|眼病《がんびやう》|全治《ぜんち》する|迄《まで》|留《とど》まつて|介抱《かいほう》すべしとの|大神《おほかみ》の|御宣示《ごせんじ》である。|我《われ》はこれにて|汝《なんぢ》に|宣《の》べ|伝《つた》ふる|事《こと》なし、サラバ』
と|一言《いちごん》を|残《のこ》し、|神霊《しんれい》は|帰《かへ》らせたまひぬ。バラモン|教《けう》から|帰順《きじゆん》した|松《まつ》、|竜《たつ》を|初《はじ》めイル、イク、サール、ヨル、|照《てる》、|晴《はる》の|面々《めんめん》は、|五十子姫《いそこひめ》の|荘厳《さうごん》なる|神懸《かむがかり》の|威勢《ゐせい》に|打《う》たれて|襟《えり》を|正《ただ》し、|息《いき》を|凝《こ》らし|畏縮《ゐしゆく》し|居《ゐ》たりける。
『|唯今《ただいま》の|御神勅《ごしんちよく》によれば、どうしても|吾々《われわれ》は|鬼春別《おにはるわけ》の|軍勢《ぐんぜい》を|喰《く》ひ|止《と》めなければなりませぬ。これから|時《とき》を|移《うつ》さず|出陣《しゆつぢん》|致《いた》しませう。|何卒《どうぞ》|貴方《あなた》は|御神勅《ごしんちよく》|通《どほ》り、|此処《ここ》の|探題《たんだい》となつて|咽喉扼守《いんこうやくしゆ》の|御用《ごよう》をして|下《くだ》さい、|暫《しばら》くは|御造営《ござうえい》でお|忙《いそが》しい|事《こと》でございませう。まづ|第一《だいいち》にランチ|将軍《しやうぐん》の|陣営《ぢんえい》を、メチヤメチヤに|踏《ふ》み|砕《くだ》き、|神力《しんりき》を|現《あら》はすのを|楽《たの》しみに、|勇《いさ》ンで|参《まゐ》ります。|玉国別《たまくにわけ》|様《さま》、|何卒《どうぞ》|御自愛《ごじあい》なさいませ。|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》|今子姫《いまこひめ》|様《さま》|其《その》|他《た》|御一同《ごいちどう》|左様《さやう》ならば』
と|云《い》ふより|早《はや》く、スタスタと|五人《ごにん》の|伴《とも》を|引《ひ》き|連《つ》れ|急坂《きふはん》を|下《くだ》りゆく。|治国別《はるくにわけ》は|道々《みちみち》|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ふ。
『|此《この》|世《よ》を|造《つく》り|固《かた》めたる |誠《まこと》の|神《かみ》が|地《ち》に|下《くだ》り
|四方《よも》に|塞《ふさ》がる|雲霧《くもきり》を |息吹《いぶき》に|払《はら》ひ|清《きよ》めつつ
|善神邪神《ぜんしんじやしん》を|立《た》てわけて |蒼生《あをひとぐさ》や|鳥《とり》|獣《けもの》
|木草《きくさ》のはしに|至《いた》るまで |救《すく》はせたまふ|尊《たふと》さよ
|吾《われ》は|嬉《うれ》しき|宣伝使《せんでんし》 |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の
|勅《みこと》|畏《かしこ》み|曲神《まがかみ》の |征途《せいと》に|上《のぼ》り|進《すす》み|往《ゆ》く
|河鹿峠《かじかたうげ》の|急坂《きふはん》を |上《のぼ》りつ|下《くだ》りつ|攻《せ》め|来《きた》る
|数多《あまた》の|敵《てき》を|追《お》ひ|散《ち》らし |日頃《ひごろ》|焦《こ》がれし|弟《おとうと》に
|思《おも》はぬ|処《ところ》で|巡《めぐ》り|遇《あ》ひ |勇気《ゆうき》も|日頃《ひごろ》に|百倍《ひやくばい》し
いよいよ|此処《ここ》にバラモンの |寄手《よせて》に|向《むか》つて|突喊《とつかん》し
|三五教《あななひけう》が|独特《どくとく》の |大神徳《だいしんとく》を|発揮《はつき》する
|時《とき》こそ|正《まさ》に|来《きた》りけり |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|誠《まこと》の|道《みち》の|宣伝使《せんでんし》 |浮瀬《うきせ》に|落《お》ちて|苦《くる》しめる
|世人《よびと》を|救《すく》はでおくべきか |悪《あく》の|霊《みたま》を|悉《ことごと》く
|生言霊《いくことたま》に|言向《ことむ》けて |生《い》かして|進《すす》む|宣伝使《せんでんし》
|鬼春別《おにはるわけ》の|軍勢《ぐんぜい》は たとへ|幾万《いくまん》ありとても
|皇大神《すめおほかみ》の|与《あた》へたる |生言霊《いくことたま》を|打《う》ち|出《いだ》し
|一人《ひとり》も|残《のこ》さず|皇神《すめかみ》の |誠《まこと》の|道《みち》に|救《すく》ふべし
|勇《いさ》めよ|勇《いさ》め|皆《みな》|勇《いさ》め |進《すす》めよ|進《すす》めよ いざ|進《すす》め
|河鹿峠《かじかたうげ》は|嶮《けは》しとも |虎《とら》|狼《おほかみ》は|猛《たけ》るとも
|神《かみ》の|守《まも》りのある|上《うへ》は |天下《てんか》に|恐《おそ》るるものはなし
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|恵《めぐみ》の|幸《さち》はひて
|吾《わが》|一行《いつかう》の|往《ゆ》く|先《さき》を いと|平《たひら》らけく|安《やす》らけく
|守《まも》らせたまひて|逸早《いちはや》く |神《かみ》の|御前《みまへ》に|復《かへ》り|言《ごと》
|申《まを》させたまへ|惟神《かむながら》 |貴《うづ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
|万公《まんこう》は|急坂《きふはん》を|下《くだ》りながら|足拍子《あしびやうし》を|取《と》つて|歌《うた》ふ。
『|風《かぜ》|吹《ふ》き|荒《すさ》ぶ|河鹿山《かじかやま》 |世界《せかい》に|名高《なだか》き|急坂《きふはん》を
|斎苑《いそ》の|館《やかた》を|立《た》ち|出《い》でて |治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|晴公《はるこう》、|五三公《いそこう》|従《したが》へて |進《すす》み|出《い》でます|雄々《をを》しさよ
|漸《やうや》く|絶頂《ぜつちやう》に|登《のぼ》りつき |月《つき》の|光《ひかり》を|浴《あ》びながら
|南《みなみ》に|向《むか》つて|下《くだ》る|折《をり》 やつて|来《き》たのはバラモンの
|腰抜《こしぬ》け|武士《ぶし》の|一団《いちだん》だ ウントコドツコイやつて|来《き》たな
|俺《おれ》の|力《ちから》の|試《ため》し|時《どき》 |生言霊《いくことたま》の|連発《れんぱつ》を
やつて|見《み》ようと|坂道《さかみち》に |大手《おほて》を|拡《ひろ》げて|打《う》ち|出《だ》すは
|神力《しんりき》|無限《むげん》の|言霊《ことたま》だ |恐《おそ》れて|忽《たちま》ち|敵軍《てきぐん》は
|算《さん》を|乱《みだ》して|逃《に》げて|往《ゆ》く ウントコドツコイ ドツコイシヨ
|其《その》スタイルの|面白《おもしろ》さ |勝《かち》に|乗《じやう》じて|急坂《きふはん》を
|神《かみ》の|御歌《みうた》を|歌《うた》ひつつ ウントコドツコイ ドツコイシヨ
|足《あし》の|拍子《ひやうし》を|取《と》りながら |祠《ほこら》の|森《もり》に|来《き》て|見《み》れば
|玉国別《たまくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》 |伊太公《いたこう》さまを|敵軍《てきぐん》に
|奪《うば》はれたりと|聞《き》くよりも いろいろざつたと|胸《むね》|痛《いた》め
|漸《やうや》く|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》で |昨日《きのふ》の|敵《てき》も|今日《けふ》は|早《はや》
|味方《みかた》となつて|松公《まつこう》さま |治国別《はるくにわけ》の|弟《おとうと》と
|聞《き》いたる|時《とき》の|驚《おどろ》きは |山《やま》の|崩《くづ》るるやうだつた
ウントコドツコイ|此《この》|坂《さか》は だんだん|嶮《けは》しくなつて|来《き》た
|晴公《はるこう》、|五三公《いそこう》|気《き》をつけよ |松公《まつこう》と|竜公《たつこう》も|其《その》|通《とほ》り
|足《あし》の|爪先《つまさき》に|気《き》をつけて |辷《すべ》らぬやうに|降《お》りて|来《こ》い
|左手《ゆんで》は|千尋《ちひろ》の|谷間《たにあひ》だ |右手《めて》は|断岩絶壁《だんがんぜつぺき》だ
|猿《ましら》の|奴《やつ》めがキヤツキヤツと |怪体《けたい》な|声《こゑ》で|啼《な》いて|居《ゐ》る
これやこれや|畜生《ちくしやう》|猿《さる》の|奴《やつ》 |玉国別《たまくにわけ》とは|違《ちが》ふぞよ
|神力《しんりき》|無双《むさう》の|宣伝使《せんでんし》 |治国別《はるくにわけ》のお|通《とほ》りだ
|下《くだ》らぬ|真似《まね》をさらしよると この|万公《まんこう》が|承知《しようち》せぬ
|早《はや》く|立《た》ち|去《さ》れ|逃《に》げて|往《ゆ》け |貴様《きさま》の|出《で》て|来《く》る|幕《まく》ぢやない
アイタヽヽアイタヽヽ|又《また》|辷《すべ》る |踵《くびす》の|皮《かは》をすりむいた
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |三五教《あななひけう》の|吾々《われわれ》は
|神《かみ》の|力《ちから》を|身《み》に|帯《お》びて ハルナの|城《しろ》に|蟠《わだかま》る
|八岐大蛇《やまたをろち》の|醜魂《しこだま》を |山《やま》の|尾上《をのへ》や|河《かは》の|瀬《せ》に
|追《お》ひのけ|散《ち》らしエルサレム |珍《うづ》の|都《みやこ》に|聳《そそ》りたつ
|黄金山《わうごんざん》に|向《むか》ふなる |鬼春別《おにはるわけ》の|軍隊《ぐんたい》を
|片《かた》つ|端《ぱし》からことむけて |神《かみ》の|御国《みくに》の|福音《ふくいん》を
|伝《つた》へにや|置《お》かぬ|吾《わが》|一行《いつかう》 |厚《あつ》く|守《まも》らせたまへかし
|高天原《たかあまはら》の|霊国《れいごく》や |天国《てんごく》|楽土《らくど》に|集《あつ》まれる
|神々様《かみがみさま》も|吾々《われわれ》が |忠誠《ちうせい》|無比《むひ》の|真心《まごころ》を
|憐《あは》れみたまひて|逸早《いちはや》く |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の
|厳《いづ》の|御前《みまへ》に|復《かへ》り|言《ごと》 |申《まを》させたまへ|惟神《かむながら》
|謹《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎまつる あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
|晴公《はるこう》は|又《また》|歌《うた》ふ。
『|古今無双《ここんむさう》の|宣伝使《せんでんし》 |治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》は
|天地《てんち》の|花《はな》と|謳《うた》はれて |美名《びめい》を|万世《ばんせ》に|轟《とどろ》かし
|現《うつ》し|世《よ》の|事《こと》|皆《みな》|終《を》へて |霊《たま》の|故郷《こきやう》の|天国《てんごく》へ
|意気《いき》|揚々《やうやう》と|進《すす》むべく |其《その》|歓楽《くわんらく》の|大基礎《だいきそ》を
|造《つく》らむための|首途《かどだち》だ あゝ|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の |瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|思召《おぼしめし》
|如何《いか》に|嵐《あらし》は|強《つよ》くとも |雨《あめ》は|烈《はげ》しく|降《ふ》り|来《く》とも
|焼《や》くるが|如《ごと》き|夏《なつ》の|日《ひ》の |大炎熱《だいえんねつ》も|何《なん》のその
|神《かみ》に|任《まか》ししこの|体《からだ》 |如何《いか》でか|吾《われ》はたゆまむや
ウントコドツコイ ドツコイシヨ |段々《だんだん》|坂《さか》がきつくなつて
|轟々《ぐわうぐわう》|云《い》ふのは|谷水《たにみづ》か |木《こ》の|間《ま》を|透《すか》して|眺《なが》むれば
|白《しろ》き|飛沫《ひまつ》が|光《ひか》つて|居《ゐ》る |天下《てんか》に|無比《むひ》の|絶景《ぜつけい》だ
|俺《おれ》も|一旦《いつたん》|神業《しんげふ》を |遂行《すゐかう》したる|暁《あかつき》は
この|麗《うるは》しき|谷水《たにみづ》を |眺《なが》めて|一《ひと》つ|楽隠居《らくいんきよ》
ウントコドツコイして|見《み》たい ヤツトコドツコイそンな|事《こと》
|思《おも》うて|居《を》つたら|神様《かみさま》に |御罰《おばつ》をうけるか|分《わか》らない
|心《こころ》の|駒《こま》が|躍《をど》り|出《だ》し |思《おも》はず|脱線《だつせん》ドツコイシヨ
アイタヽタツタ|致《いた》しました |罰《ばつ》は|覿面《てきめん》|足《あし》の|爪《つめ》
|尖《とが》つた|石《いし》で|打《う》ちました まことに|危《あぶ》ない|坂道《さかみち》だ
|人《ひと》の|運命《うんめい》もこの|通《とほ》り |油断《ゆだん》をしたらドツコイシヨ
|忽《たちま》ち|転落《てんらく》|目《ま》のあたり する|事《こと》|為《な》す|事《こと》|躓《つまづ》いて
|勝利《しようり》の|都《みやこ》にや|往《ゆ》かれまい あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し |許《ゆる》させたまへ|天地《あめつち》の
|皇大神《すめおほかみ》や|百《もも》の|神《かみ》 |珍《うづ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる
|吾《わが》|往《ゆ》く|先《さき》に|待《ま》つて|居《ゐ》る ランチ|将軍《しやうぐん》ドツコイシヨ
|鬼神《きしん》を|挫《くじ》く|勇《ゆう》あるも |生言霊《いくことたま》の|神力《しんりき》に
かけてはドツコイドツコイシヨ |一耐《ひとたま》りなく|亡《ほろ》ぶだらう
|思《おも》へば|思《おも》へば|勇《いさ》ましや |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|此《この》|面白《おもしろ》き|言霊《ことたま》の |戦《いくさ》がどうしてやめられうか
|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》しつかりせ お|前《まへ》は|元来《ぐわんらい》|気《き》の|弱《よわ》い
|口《くち》|計《ばつか》りの|人間《にんげん》だ これから|心《こころ》を|取《と》り|直《なほ》し
お|臍《へそ》の|下《した》に|霊魂《たましひ》を |確《しつか》り|据《す》ゑて|進《すす》み|往《ゆ》け
|決《けつ》して|悪《わる》い|事《こと》は|云《い》はぬ お|前《まへ》を|大事《だいじ》と|思《おも》ふ|故《ゆゑ》
|老婆心《らうばしん》かは|知《し》らねども |友達《ともだち》|甲斐《がひ》に|気《き》をつける
ウントコドツコイ、ヤツトコシヨ これから|先《さき》は|緩勾配《くわんこうばい》
|足《あし》の|進《すす》みも|楽《らく》になる |歌《うた》を|歌《うた》ふはこれからぢや
|治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》は |天地《てんち》に|恥《はぢ》ぬ|信愛《しんあい》の
|誠《まこと》の|道《みち》を|実行《じつかう》し |世人《よびと》の|鑑《かがみ》と|歌《うた》はれて
|暗黒界《あんこくかい》の|光明《くわうみやう》と |現《あら》はしたまへ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎ|奉《まつ》る あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
と|歌《うた》ひながら|山口《やまぐち》さして|下《くだ》り|往《ゆ》く。
(大正一一・一二・七 旧一〇・一九 加藤明子録)
(昭和九・一二・二三 王仁校正)
第七章 |山口《やまぐち》の|森《もり》〔一一七六〕
|五三公《いそこう》は|急坂《きふはん》を|下《くだ》り|乍《なが》ら|稍《やや》|緩勾配《くわんこうばい》になつたのを|幸《さいは》ひ、|真先《まつさき》に|立《た》ちて|歌《うた》ふ。
『|高天原《たかあまはら》の|霊国《れいごく》に |現《あら》はれ|玉《たま》ふ|主《す》の|神《かみ》は
|天《あめ》が|下《した》なる|民草《たみぐさ》の みたまを|清《きよ》め|愛信《あいしん》の
|道《みち》を|体得《たいとく》せしめむと |三五教《あななひけう》を|開《ひら》きまし
|悪《あく》にくもりし|人々《ひとびと》の |心《こころ》に|真如《しんによ》の|日月《じつげつ》を
|照《て》らさせ|玉《たま》ふぞ|有難《ありがた》き |斎苑《いそ》の|館《やかた》に|名《な》も|高《たか》き
|五三公《いそこう》さまは|選《えら》まれて |治国別《はるくにわけ》の|伴《とも》となり
|烈風《れつぷう》すさぶ|河鹿山《かじかやま》 |峠《たうげ》を|難《なん》なく|打渡《うちわた》り
|曲《まが》の|軍《いくさ》を|追散《おひち》らし さしもに|嶮《けは》しき|下《くだ》り|坂《ざか》
|易々《やすやす》|渡《わた》り|玉国別《たまくにわけ》の |神《かみ》の|命《みこと》がこもりたる
|祠《ほこら》の|森《もり》に|辿《たど》りつき ここに|二夜《ふたよ》を|明《あか》しつつ
バラモン|教《けう》の|人々《ひとびと》を |数多《あまた》|言向《ことむ》け|和《やは》し|置《お》き
|又《また》もやのり|出《だ》す|膝栗毛《ひざくりげ》 |心《こころ》の|駒《こま》も|勇《いさ》み|立《た》ち
|吾《わが》|身《み》をのせて|進《すす》み|行《ゆ》く あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御恵《みめぐ》みに |人《ひと》と|生《うま》れし|天職《てんしよく》を
|完全《うまら》に|委細《つばら》に|尽《つく》し|了《を》へ |皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に
|復命《ふくめい》したるその|上《うへ》は |高天原《たかあまはら》の【みのり】にて
|霊《みたま》の|迷《まよ》ふ|八衢《やちまた》や |根底《ねそこ》の|国《くに》に|落《おと》さずに
|此《この》|身《み》|此《この》|儘《まま》|天国《てんごく》の |夜《よる》なき|国《くに》へ|導《みちび》きて
|第二《だいに》の|吾《わ》れを|末長《すゑなが》く |守《まも》らせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》は|吾等《われら》と|共《とも》にあり |神《かみ》の|御子《おんこ》と|生《うま》れたる
わが|身《み》の|上《うへ》の|頼《たの》もしさ |朝日《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》る|共《とも》
|月《つき》は|盈《み》つ|共《とも》|虧《か》くる|共《とも》 |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》む|共《とも》
|三五教《あななひけう》の|皇神《すめかみ》の |守《まも》らせ|玉《たま》ふ|言霊《ことたま》を
|無上《むじやう》|唯一《ゆゐいつ》の|武器《ぶき》となし |八岐大蛇《やまたをろち》のわだかまる
|醜《しこ》の|教《をしへ》を|悉《ことごと》く |言向《ことむ》け|和《やは》し|地《ち》の|上《うへ》に
|高天原《たかあまはら》の|楽園《らくゑん》を |開《ひら》き|奉《まつ》らでおくべきか
|吾《われ》は|賤《いや》しき|身《み》なれども |神《かみ》の|光《ひかり》に|照《て》らされて
|奇《く》しき|功《いさを》を|立《た》てし|上《うへ》 えり|立《た》てられて|宣伝使《せんでんし》
|仕《つか》へ|奉《まつ》るも|遠《とほ》からじ ランチ|将軍《しやうぐん》|片彦《かたひこ》の
|軍勢《ぐんぜい》は|如何《いか》に|強《つよ》くとも わが|言霊《ことたま》を|打出《うちだ》せば
|雲霞《うんか》の|如《ごと》き|大軍《たいぐん》も |風《かぜ》に|木《こ》の|葉《は》の|散《ち》る|如《ごと》く
|鷹《たか》に|逢《あ》ひたる|小雀《こすずめ》の |戦《をのの》き|騒《さわ》ぎ|逃《に》ぐる|如《ごと》
|言向《ことむ》け|散《ち》らすは|目《ま》の|当《あた》り あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|祠《ほこら》の|森《もり》に|残《のこ》されし |玉国別《たまくにわけ》の|一行《いつかう》は
|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|幸《さち》はひて |谷間《たにま》をひろげ|土《つち》をかき
|善《ぜん》をば|尽《つく》し|美《び》を|尽《つく》し |大宮柱太《おほみやばしらふと》しりて
|高天原《たかあまはら》に|千木《ちぎ》|高《たか》く |瑞《みづ》の|舎《みあらか》|仕《つか》へまし
|国家《こくか》|鎮護《ちんご》の|霊場《れいぢやう》と |開《ひら》かせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|五三公《いそこう》が |赤心《まごころ》こめて|祈《ね》ぎ|奉《まつ》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
○
『ウラルの|神《かみ》のこもりたる その|名《な》も|高《たか》きアーメニヤ
|大気津姫《おほげつひめ》の|一族《いちぞく》が コーカス|山《ざん》の|神人《しんじん》に
|追《お》はれて|常世《とこよ》へ|逃《に》げしより バラモン|教《けう》は|虚《きよ》に|乗《じやう》じ
|数多《あまた》の|兵士《つはもの》|引率《ひきつ》れて |城《しろ》の|周《まは》りに|火《ひ》を|放《はな》ち
|焼《や》き|尽《つく》したる|悲《かな》しさに |一人《ひとり》の|兄《あに》を|尋《たづ》ねむと
|暗《やみ》にまぎれてアーメニヤ |立出《たちい》で|四方《よも》の|国々《くにぐに》を
さまよひ|居《ゐ》たる|折《をり》もあれ バラモン|教《けう》の|捕手《とりて》|等《ら》に
|思《おも》はぬ|所《ところ》で|見《み》つけられ |危《あやふ》き|生命《いのち》を|救《たす》けられ
|隙《すき》を|窺《うかが》ひ|虎口《ここう》をば |漸《やうや》く|逃《のが》れて|駆《か》け|出《いだ》し
|月《つき》の|国々《くにぐに》|巡歴《じゆんれき》し ウラルの|教《をしへ》の|聖場《せいぢやう》を
|兄《あに》は|居《ゐ》ぬかと|尋《たづ》ねつつ |二年《ふたとせ》|三年《みとせ》|経《た》つ|内《うち》に
バラモン|教《けう》の|神司《かむづかさ》 エール、オースに|見出《みいだ》され
|抜擢《ばつてき》されて|片彦《かたひこ》が |秘書役《ひしよやく》までも|上《のぼ》りつめ
|大黒主《おほくろぬし》の|命《めい》を|受《う》け |斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|攻《せ》めよする
|軍《いくさ》の|中《なか》に|交《まじ》はりて |駒《こま》に|跨《またが》りイソイソと
|河鹿峠《かじかたうげ》に|来《き》て|見《み》れば |三五教《あななひけう》の|神司《かむづかさ》
|治国別《はるくにわけ》の|言霊《ことたま》に |打《うち》なやまされ|散々《さんざん》な
|憂目《うきめ》に|出逢《であ》ひ|片彦《かたひこ》や |部下《ぶか》の|軍兵《ぐんぺい》|悉《ことごと》く
|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|散《ち》りぬ |後《あと》に|残《のこ》りし|吾々《われわれ》は
|薄《すすき》の|穂《ほ》にも|怖《おそ》れつつ |足《あし》をしのばせ|山神《やまがみ》の
|祠《ほこら》の|前《まへ》に|来《き》て|見《み》れば |豈《あに》はからむや|兄《にい》さまの
|亀彦《かめひこ》さまは|言霊《ことたま》の |妙力《めうりき》|得《え》たる|宣伝使《せんでんし》
|治国別《はるくにわけ》と|相分《あひわか》り |狂喜《きやうき》の|涙《なみだ》やるせなく
|道公《みちこう》さまのもてなしで |治国別《はるくにわけ》に|対面《たいめん》し
|名乗《なの》り|玉《たま》へと|訪《おとな》へど バラモン|教《けう》に|仕《つか》へたる
|汝《なんぢ》の|如《ごと》き|弟《おとうと》は わが|身《み》に|持《も》てる|覚《おぼ》えなし
なぞと|首《かうべ》を|横《よこ》にふり |剣《けん》もほろろの|御挨拶《ごあいさつ》
|頼《たの》みの|綱《つな》も|切《き》れはてて |取《とり》つく|島《しま》も|泣《ない》ジヤクリ
わが|捕《とら》へたる|伊太公《いたこう》を |玉国別《たまくにわけ》の|御前《おんまへ》に
|返《かへ》し|奉《まつ》らにやどうしても |兄弟《きやうだい》|名乗《なのり》は|出来《でき》よまいと
|早《はや》くも|胸《むね》に|悟《さと》りしゆ |竜公《たつこう》さまを|伴《ともな》ひて
|清春山《きよはるやま》の|岩窟《がんくつ》へ |到《いた》りて|伊太公《いたこう》|救《すく》ひ|出《だ》し
|漸《やうや》く|兄《あに》の|怒《いか》りをば |解《と》いたる|時《とき》の|嬉《うれ》しさよ
それにまだまだ|嬉《うれ》しいは ハルナの|都《みやこ》に|蟠《わだか》まる
|八岐大蛇《やまたをろち》の|征討《せいたう》に |参加《さんか》なさしめ|玉《たま》ひたる
|神《かみ》の|尊《たふと》き|御恵《おんめぐ》み |幾千代《いくちよ》|迄《まで》も|忘《わす》れまじ
|仮令《たとへ》|天地《てんち》はかへるとも わが|魂《たましひ》は|永久《とこしへ》に
|巌《いはほ》の|如《ごと》く|動《うご》かさじ |短《みじか》き|此《この》|世《よ》に|存《なが》らへて
|有《あ》らむ|限《かぎ》りの|力《ちから》をば |尽《つく》し|了《をは》りて|神《かみ》の|身《み》の
|夜《よる》なき|国《くに》の|楽《たのし》みに |浴《よく》し|奉《まつ》らむ|嬉《うれ》しさよ
|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》 |此《この》|松公《まつこう》が|言《こと》の|葉《は》を
|完全《うまら》に|委曲《つばら》にきこし|召《め》せ |皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に
|祈《いの》らせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》 |神《かみ》かけ|念《ねん》じ|奉《たてまつ》る』
と|歌《うた》ひつつ|行《ゆ》くのは、|治国別《はるくにわけ》の|弟《おとうと》|松公《まつこう》にぞありける。
|竜公《たつこう》は|又《また》|歌《うた》ふ。
『|朝日《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》る|共《とも》 |月《つき》は|盈《み》つ|共《とも》|虧《か》くる|共《とも》
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》む|共《とも》 バラモン|教《けう》の|悪神《あくがみ》を
|言向和《ことむけやは》し|神国《かみくに》の |栄《さか》えを|世界《せかい》に|輝《かがや》かし
|生《い》きては|此《この》|世《よ》の|神《かみ》となり |死《し》しては|高天《たかま》の|天人《てんにん》と
なりて|常世《とこよ》の|花《はな》の|春《はる》を |歓《ゑら》ぎ|楽《たの》しむ|霊《みたま》にと
すすませ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》 われ|等《ら》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》
|肉《にく》の|宮《みや》をば|脱出《だつしゆつ》し |夜《よる》なき|国《くに》へ|行《ゆ》く|時《とき》は
|吾一代《われいちだい》の|功名《こうみやう》を |神《かみ》はうべなひ|玉《たま》ひつつ
|数多《あまた》の|乙女《をとめ》を|遣《つか》はして |歌舞音楽《かぶおんがく》を|奏《そう》しつつ
|芳香《はうかう》|四方《よも》にくゆらせつ |栄《さか》え|久《ひさ》しき|天国《てんごく》に
|歓《よろこ》び|迎《むか》へ|給《たま》ふまで |心《こころ》を|尽《つく》し|身《み》を|尽《つく》し
|善《ぜん》と|真《しん》とを|地《ち》の|上《うへ》に |輝《かがや》き|渡《わた》し|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|御《み》むねに|叶《かな》ふべく |守《まも》らせ|玉《たま》へ|天地《あめつち》の
|畏《かしこ》き|神《かみ》の|御前《おんまへ》に |竜公司《たつこうつかさ》が|謹《つつし》みて
|一重《ひとへ》に|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》 |唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|過《あやま》ち|多《おほ》きものならば |広《ひろ》き|心《こころ》に|宣《の》り|直《なほ》し
|又《また》もや|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し |許《ゆる》させ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎ|奉《まつ》る』
|斯《か》く|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|漸《やうや》くにして|山口《やまぐち》についた。|谷川《たにがは》は|左《ひだり》にそれて|水音《みなおと》さへも|聞《きこ》えなくなつて|来《き》た。|此処《ここ》には|可《か》なり|大《おほ》きな|老樹《らうじゆ》の|茂《しげ》つた|森《もり》がある。|之《これ》を|山口《やまぐち》の|森《もり》といふ。|一行《いつかう》|六人《ろくにん》は|夜露《よつゆ》を|凌《しの》がむと|宵暗《よひやみ》の|中《なか》を|足《あし》さぐりし|乍《なが》ら|進《すす》み|入《い》る。|古《ふる》い|祠《ほこら》の|跡《あと》と|見《み》えて|台石《だいいし》ばかりが|残《のこ》つてゐる。|此処《ここ》に|一行《いつかう》は|蓑《みの》をしき|一夜《いちや》を|明《あか》す|事《こと》となりける。
|治国別《はるくにわけ》『|山口《やまぐち》の|時雨《しぐれ》の|森《もり》に|来《き》て|見《み》れば
|鳥《とり》さへ|鳴《な》かぬ|暗《やみ》の|静《しづ》けさ。
|此《この》|先《さき》はバラモン|教《けう》の|戦士《いくさびと》
われを|討《う》たむと|待《ま》ち|構《かま》ふらむ。
|如何《いか》|程《ほど》の|猛《たけ》き|魔人《まびと》の|攻《せ》め|来《く》とも
わが|言霊《ことたま》に|伊吹《いぶ》き|払《はら》はむ』
|万公《まんこう》『|月《つき》かげもなきくらがりの|木下暗《こしたやみ》
|明《あ》かして|通《とほ》る|吾《わが》|師《し》の|一行《いつかう》。
|河鹿山《かじかやま》|漸《やうや》くここに|下《くだ》り|来《き》て
|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|一息《ひといき》するなり。
|御恵《みめぐ》みの|露《つゆ》は|辺《あた》りに|光《ひか》れども
|月《つき》なき|夜半《よは》は|見《み》るすべもなき。
やがて|又《また》|東《ひがし》の|空《そら》をてらしつつ
|月《つき》の|大神《おほかみ》|上《のぼ》りますらむ』
|晴公《はるこう》『|星《ほし》かげは|真砂《まさご》の|如《ごと》く|輝《かがや》けど
|木《こ》の|葉《は》のしげみに|隠《かく》れましぬる。
よをてらす|月《つき》の|御神《みかみ》の|功《いさをし》は
|天照《あまて》る|神《かみ》に|劣《おと》らざるなり。
|天伝《あまつた》ふ|月日《つきひ》の|神《かみ》の|御《み》めぐみに
|人《ひと》はさらなり|万物《ばんぶつ》|栄《さか》ゆく』
|五三公《いそこう》『|斎苑館《いそやかた》しづまりゐます|素盞嗚《すさのを》の
|瑞《みづ》のみかげを|今《いま》ぞしのばゆ』
|松公《まつこう》『|道《みち》のため|世《よ》のため|尽《つく》す|赤心《まごころ》は
|暗夜《やみよ》を|照《て》らす|月《つき》にあらずや。
|暁《あかつき》の|空《そら》をてらして|紅《くれなゐ》の
|雲《くも》を|押分《おしわ》け|上《のぼ》る|日《ひ》の|神《かみ》。
|夕暮《ゆふぐれ》の|空《そら》に|輝《かがや》く|三日月《みかづき》に
|天《あま》の|岩戸《いはと》の|開《あ》けしかとぞ|思《おも》ふ。
|月《つき》|見《み》れば|百《もも》のうきごと|消《き》えて|行《ゆ》く
|瑞《みづ》の|霊《みたま》の|洗《あら》ひますらむ。
|人《ひと》|皆《みな》の|行《ゆ》く|可《べ》き|道《みち》は|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|心《こころ》に|叶《かな》はむがため。
|此《この》|森《もり》に|一夜《いちや》を|明《あ》かし|明日《あす》は|又《また》
|浮木《うきき》の|森《もり》に|雨《あめ》やどりせむ』
|竜公《たつこう》『バラモンの|醜《しこ》の|司《つかさ》の|此処《ここ》|彼処《かしこ》
|伺《うかが》ひよらむ|心《こころ》しませよ。
|片彦《かたひこ》の|目付《めつけ》の|神《かみ》は|河鹿山《かじかやま》
|山口《やまぐち》|四辺《あたり》に|彷徨《さまよ》ふと|聞《き》く』
|治国別《はるくにわけ》『|何事《なにごと》も|神《かみ》の|心《こころ》に|任《まか》すこそ
|人《ひと》の|行《ゆ》く|可《べ》き|大道《おほぢ》なるべし』
|此処《ここ》に|一行《いつかう》は|蓑《みの》を|布《し》き|夜露《よつゆ》を|冒《をか》して|安々《やすやす》|眠《ねむ》りに|就《つ》きにける。
(大正一一・一二・七 旧一〇・一九 外山豊二録)
(昭和九・一二・二六 王仁校正)
第二篇 |月明清楓《げつめいせいふう》
第八章 |光《ひかり》と|熱《ねつ》〔一一七七〕
|天王星《てんわうせい》の|精霊《せいれい》より |降《くだ》り|玉《たま》ひし|自在天《じさいてん》
|大国彦《おほくにひこ》を|主神《しゆしん》とし |霊主体従《れいしゆたいじう》の|御教《みをしへ》を
|普《あまね》く|宇内《うだい》に|輝《かがや》かし |世人《よびと》を|救《すく》ひ|守《まも》らむと
|計《はか》りて|立《た》てるバラモンの |教《をしへ》は|元《もと》より|悪《あし》からず
さは|去《さ》り|乍《なが》ら|現幽《げんいう》の |真理《しんり》を|知《し》らず|徒《いたづら》に
|軽生重死《けいせいぢうし》の|道《みち》を|説《と》き |有言不実行《ゆうげんふじつかう》に|陥入《おちい》りて
|地上《ちじやう》の|人《ひと》は|艱難《かんなん》に |耐《た》へ|忍《しの》びつつ|生血《いきち》をば
|出《いだ》して|神《かみ》に|供物《そなへもの》 なす|時《とき》や|神《かみ》の|御心《みこころ》に
|叶《かな》ふものぞと|誤解《ごかい》して |知《し》らず|知《し》らずに|曲《まが》つ|神《かみ》
|八岐大蛇《やまたのをろち》に|迷《まよ》はされ |人《ひと》を|救《すく》はむ|其《その》|為《ため》に
|却《かへつ》て|人《ひと》を|根《ね》の|国《くに》や |底《そこ》の|国《くに》へとおとしゆく
|其《その》|惨状《さんじやう》を|憐《あはれ》みて |高天原《たかあまはら》の|主《す》の|神《かみ》と
|現《あら》はれ|玉《たま》ふ|厳御霊《いづみたま》 |国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》は
|天上《てんじやう》|地上《ちじやう》の|別《わか》ちなく |大御宝《おほみたから》の|霊《みたま》をば
|永遠無窮《ゑいゑんむきう》に|救《すく》ひ|上《あ》げ |慈愛《じあい》と|信仰《まこと》の|正道《まさみち》に
|導《みちび》き|恩頼《みたまのふゆ》をば |与《あた》へむものと|日《ひ》に|夜《よる》に
|心《こころ》を|配《くば》らせ|玉《たま》ふこそ |実《げ》に|有難《ありがた》き|次第《しだい》なり
|常世彦神《とこよひこかみ》|常世姫《とこよひめ》 これ|亦《また》|悪魔《あくま》に|魅《み》せられて
ウラルの|教《をしへ》を|建設《けんせつ》し |盤古神王《ばんこしんわう》を|主《しゆ》の|神《かみ》と
|仰《あふ》いで|世界《せかい》を|開《ひら》き|行《ゆ》く |其《その》|勢《いきほ》ひの|凄《すさま》じさ
|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|大神《おほかみ》は いかでか|許《ゆる》し|玉《たま》はむや
|神《かみ》の|御子《みこ》たる|人草《ひとぐさ》の |身魂《みたま》を|清《きよ》く|美《うる》はしく
|洗《あら》ひ|清《きよ》めて|天国《てんごく》の |御苑《みその》を|開《ひら》かせ|玉《たま》はむと
|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|神柱《かむばしら》 |瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|御柱《みはしら》を
|此《この》|世《よ》に|降《くだ》し|玉《たま》ひつつ いろいろ|雑多《ざつた》に|変化《へんげ》して
|埴安彦《はにやすひこ》や|埴安姫《はにやすひめ》 |神《かみ》の|命《みこと》と|現《あら》はれつ
|三五教《あななひけう》を|建設《けんせつ》し |黄金山《わうごんざん》は|云《い》ふも|更《さら》
ウブスナ|山《やま》や|万寿山《まんじゆざん》 コーカス|山《ざん》や|霊鷲山《りやうしうざん》
|自凝島《おのころじま》に|渡《わた》りては |綾《あや》の|聖地《せいち》に|天国《てんごく》の
|姿《すがた》を|映《うつ》し|玉《たま》ひつつ |世人《よびと》を|誠《まこと》の|大道《おほみち》に
|救《すく》はせ|玉《たま》ふぞ|有難《ありがた》き |瑞《みづ》の|御霊《みたま》とあれませる
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》は |現幽神《げんいうしん》の|三界《さんかい》の
|身魂《みたま》を|残《のこ》らず|救《すく》はむと |尊《たふと》き|御身《おんみ》を|世《よ》に|下《くだ》し
|千座《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》はせつつ |天《あめ》が|下《した》をば|隅《くま》もなく
|人《ひと》の|姿《すがた》と|現《あら》はれて |沐雨櫛風《もくうしつぷう》|氷雪《ひようせつ》を
|凌《しの》ぎて|此《この》|世《よ》の|熱《ねつ》となり |光《ひかり》ともなり|塩《しほ》となり
みのりの|花《はな》と|現《あら》はれて |暗《やみ》に|迷《まよ》へる|諸々《もろもろ》の
|身魂《みたま》を|救《すく》ひ|玉《たま》ふこそ |実《げ》にも|尊《たふと》き|限《かぎ》りなれ
|神《かみ》の|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》 |治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》は
|厳《いづ》の|御言《みこと》を|蒙《かうむ》りて |元《もと》つ|御神《みかみ》の|祭《まつ》りたる
|斎苑《いそ》の|館《やかた》を|後《あと》にして |荒風《あらかぜ》すさぶ|荒野原《あれのはら》
|険《けは》しき|山坂《やまさか》|乗越《のりこ》えて |祠《ほこら》の|森《もり》に|到着《たうちやく》し
|玉国別《たまくにわけ》の|一行《いつかう》に |思《おも》ひ|掛《がけ》なく|出会《しゆつくわい》し
|茲《ここ》に|二夜《ふたや》を|明《あ》かしつつ |別《わか》れて|程《ほど》|経《へ》し|弟《おとうと》の
|松公《まつこう》|其《その》|他《た》に|巡《めぐ》り|会《あ》ひ |驚喜《きやうき》の|涙《なみだ》|抑《おさ》へつつ
|又《また》もや|神《かみ》の|御宣示《ごせんじ》に |五人《ごにん》の|伴《とも》を|引《ひ》きつれて
|河鹿峠《かじかたうげ》の|峻坂《しゆんぱん》を |世《よ》にも|目出度《めでた》き|宣伝歌《せんでんか》
|歌《うた》ひてやうやう|山口《やまぐち》の |老樹《らうじゆ》|茂《しげ》れる|森《もり》かげに
|安全《あんぜん》|無事《ぶじ》に|着《つ》きにけり あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御霊《みたま》の|幸《さち》はひて |治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》は
|神《かみ》の|使命《しめい》を|恙《つつが》なく |実行《じつかう》なして|復《かへ》り|言《ごと》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|申《まを》すべく |守《まも》らせ|玉《たま》へと|瑞月《ずゐげつ》が
|旭《あさひ》の|光《ひかり》を|浴《あ》び|乍《なが》ら |竜宮館《りうぐうやかた》に|横臥《わうぐわ》して
|東枕《ひがしまくら》に|述《の》べ|立《た》つる あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》に |此《この》|物語《ものがたり》|遅滞《ちたい》なく
|進《すす》ませ|玉《たま》へ|天地《あめつち》の |元《もと》つ|御祖《みおや》と|現《あ》れませる
|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》や |豊国姫《とよくにひめ》の|大御神《おほみかみ》
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の |御前《みまへ》に|謹《つつし》み|願《ね》ぎまつる。
|治国別《はるくにわけ》|一行《いつかう》は|老樹《らうじゆ》|鬱蒼《うつさう》たる|河鹿山《かじかやま》の|南麓《なんろく》|山口《やまぐち》の|森《もり》に|黄昏時《たそがれどき》|漸《やうや》く|到着《たうちやく》し、|昼《ひる》|猶《なほ》|暗《くら》き|此《この》|森《もり》に|一夜《いちや》を|明《あ》かす|事《こと》とはなりぬ。|茲《ここ》には|古《ふる》き|社殿《しやでん》の|跡《あと》が|礎石《そせき》|計《ばか》り|残《のこ》つてゐる。|昔《むかし》は|山神《やまかみ》の|祠《ほこら》と|云《い》つて、|大山祇神《おほやまづみのかみ》が|祀《まつ》られてあつた。|自然《しぜん》の|風雨《ふうう》に|晒《さ》らされ|荒廃《くわうはい》に|任《まか》され、|乞食《こじき》の|焚《た》き|火《び》の|為《ため》に|祝融子《しゆくゆうし》の|災《わざはひ》にかかりしまま、|再建《さいこん》するの|機会《きくわい》もなく、|又《また》|熱心《ねつしん》なる|信仰者《しんかうしや》もなく、|憐《あは》れ|果《は》かなき|残骸《ざんがい》を|止《とど》めてゐたのである。それ|故《ゆゑ》に|此《この》|森《もり》は|何神《なにがみ》の|祀《まつ》られありしやを|知《し》る|者《もの》は|殆《ほと》ンどなかつた。|併《しか》し|乍《なが》ら|此《この》|森《もり》は|相当《さうたう》に|広《ひろ》く|足《あし》を|踏《ふ》み|入《い》れた|者《もの》はない。もし|誤《あやま》つて|森林《しんりん》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》りし|者《もの》は、|再《ふたた》び|帰《かへ》り|来《く》ることなきを|以《もつ》て、|一名《いちめい》|魔《ま》の|森《もり》とも|称《とな》へてゐた。|何《なん》でも|巨大《きよだい》なる|蛇《へび》|潜《ひそ》み|居《を》りて、|人《ひと》を|呑《の》むとさへ|称《とな》へられ|人々《ひとびと》に|恐《おそ》れられてゐた。
|河鹿峠《かじかたうげ》の|祠《ほこら》の|森《もり》は、|実際《じつさい》は|大自在天《だいじさいてん》を|祀《まつ》つたものであるが、いつとはなしに|山神《やまかみ》の|祠《ほこら》と|称《とな》へらるるやうになつた。それは|此《この》|山口《やまぐち》の|森《もり》の|神《かみ》と|混同《こんどう》されて|了《しま》つたのである。すべて|古《ふる》き|神社《じんじや》の|祭神《さいじん》の|不明《ふめい》になるのは、|右様《みぎやう》の|理由《りいう》に|依《よ》るものが|甚《はなは》だ|多《おほ》いやうである。
|万公《まんこう》は|鼻《はな》をつままれても|分《わか》らぬ|様《やう》な|暗《くら》さに、|空《そら》を|打仰《うちあふ》ぎ、|梢《こづゑ》をすかして|星《ほし》の|半片《はんぺん》だも|見《み》えざるやと、|憧憬《あこがれ》の|心《こころ》を|以《もつ》て、|上方《じやうはう》を|眺《なが》めて|居《ゐ》る。
『|何《なん》とマア|暗《くら》いと|云《い》つてもこれ|位《ぐらゐ》|暗《くら》い|森《もり》はありませぬなア。|月《つき》も|星《ほし》も|太陽《たいやう》も、|一《ひと》つも|残《のこ》らず、|大蛇《だいじや》の|様《やう》に|呑《の》ンで|了《しま》つたと|見《み》えますワイ。|此奴《こいつ》ア|山口《やまぐち》の|森《もり》といふから、|山《やま》|位《くらゐ》|呑《の》むのは|何《なん》でもないと|見《み》える。|天《てん》の|星《ほし》さへ|一個《いつこ》も|残《のこ》らず|呑《の》ンで|了《しま》うといふ|怪《あや》しい|森《もり》だからなア。オイ、|晴公《はるこう》、|気《き》をつけないと、|此《この》|森《もり》の|奴《やつ》、|俺達《おれたち》の|身体《からだ》も|一緒《いつしよ》に|呑《の》みよるか|知《し》れぬぞ。|万公《まんこう》が|気《き》を|付《つ》けるぞよ』
『ナアニ、|曇《くも》つてゐるのだよ。やがて|此《この》|晴《はる》さまがお|這入《はい》りになつたのだから、すぐに|空《そら》が|晴《は》るるのは|受合《うけあ》ひだ』
『【そら】|何《なに》を|言《い》ふ。|何程《なにほど》|晴《は》れたつて、|此《この》|密樹《みつじゆ》の|蔭《かげ》をすかして、|如何《どう》して|人間《にんげん》の|目《め》で、|天《てん》の|星《ほし》が|見《み》えるものかい』
『ナアニ|松公《まつこう》さま、|心配《しんぱい》|御無用《ごむよう》だよ。|晴公《はるこう》の|生言霊《いくことたま》の|神力《しんりき》に|依《よ》りて、|大蛇《をろち》も|悪魔《あくま》も|千里《せんり》の|外《そと》に|卻《しりぞ》け、|天津御空《あまつみそら》を|水晶《すゐしやう》の|如《ごと》く|晴《は》らして|御覧《ごらん》に|入《い》れる、さうすればお|前《まへ》も|疑《うたがひ》を|晴《は》らすだろ』
『お|前《まへ》の|言霊《ことたま》も|怪《あや》しいものだ。|先生《せんせい》の|言霊《ことたま》はすぐに|神力《しんりき》が|現《あら》はれるが|晴公《はるこう》の|言霊《ことたま》と|云《い》つたら、ダミ|声《ごゑ》の|皺枯《しわが》れ|声《ごゑ》、|晴《は》れる|所《どころ》か|俺達《おれたち》の|心《こころ》|迄《まで》|陰欝《いんうつ》になり、|耳《みみ》が|痛《いた》くつて、|根底《ねそこ》の|国《くに》へ|落《お》ちるやうな|気分《きぶん》がするよ、この|万公《まんこう》さまにはよ』
『ナアニ、|先生《せんせい》の|言霊《ことたま》だつて、|晴公《はるこう》さまの|言霊《ことたま》だつて、|言霊《ことたま》に|違《ちがひ》があるか、|信仰《しんかう》に|古《ふる》い|新《あたら》しの|区別《くべつ》がないと、|神《かみ》さまは|仰有《おつしや》るぢやないか』
『それなら|一《ひと》つ|言霊《ことたま》を|以《もつ》て、|万《まん》よく|此《この》|暗《やみ》をチツとでも|明《あ》かくしてみたらどうだ、それが|現実《げんじつ》の|証拠《しようこ》だから、それ|見《み》た|上《うへ》で|万公《まんこう》さまも|満足《まんぞく》するからナ』
『|先生《せんせい》がアオウエイと|仰有《おつしや》る|言葉《ことば》も、|晴公《はるこう》さまのアオウエイと|云《い》ふ|言葉《ことば》も|別《べつ》に|違《ちが》ひはないぢやないか、|言霊《ことたま》といふものは|円満清朗《ゑんまんせいろう》スラスラと|楽《らく》に|出《で》さへすれば、|天地《てんち》の|神明《しんめい》が|感動《かんどう》|遊《あそ》ばすのだ、|俺達《おれたち》は|百遍《ひやつぺん》|位《くらゐ》|言霊《ことたま》を|繰返《くりかへ》してもチツとも|苦《くる》しうないが、かう|云《い》ふと|先生《せんせい》にお|目玉《めだま》を|頂戴《ちやうだい》するか|知《し》らぬが、|此《この》|間《あひだ》も|先生《せんせい》がアオウエイの|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》された|時《とき》、ズツポリと|汗《あせ》をかき、|半巾《はんけち》を|以《もつ》てソツと|顔《かほ》を|拭《ふ》いてゐらつしやつたぞ。|年《とし》が|老《よ》るとヤツパリ|腹《はら》に|力《ちから》がないと|見《み》えるワイ。なア|先生《せんせい》、さうでしたねエ』
『ウン、|俺《おれ》も|若《わか》い|時《とき》や、|言霊《ことたま》の|百遍《ひやつぺん》や|千遍《せんべん》|言《い》つた|所《ところ》で、チツともエライとも|苦《くる》しいとも|思《おも》はなかつたが、|此《この》|頃《ごろ》はお|前《まへ》の|言《い》ふ|通《とほ》り|年《とし》の|為《せい》か、|天津祝詞《あまつのりと》を|一回《いつくわい》|奏上《そうじやう》しても、|身体中《からだぢう》が|厳寒《げんかん》の|日《ひ》でもビシヨぬれになるのだ。|併《しか》し|乍《なが》ら、|若《わか》い|時《とき》の|千遍《せんべん》よりも|今《いま》の|一遍《いつぺん》の|方《はう》が|効能《かうのう》があるのだから、|不思議《ふしぎ》だよ』
『オイ、|晴公《はるこう》、お|前《まへ》の|言霊《ことたま》は|暗《やみ》に|鉄砲《てつぽう》だ。|的《まと》の|方向《はうかう》も|知《し》らずに、|安玉《やすだま》を|乱射《らんしや》してゐるのだらう。|一寸《ちよつと》|涼《すず》し|相《さう》な|浪花節《なにはぶし》のやうな|声《こゑ》を|出《だ》しよるが、|根《ね》つから|利《き》いたことはないぢやないか、きくといふのは|俺達《おれたち》の|耳《みみ》|丈《だけ》だ。チツトも|言霊《ことたま》の|功能《こうのう》が|現《あら》はれて|来《こ》ぬのだから、|何《なん》と|云《い》つても、ヤツパリ|木《こ》つ|端《ぱ》|武者《むしや》は|木《こ》つ|端《ぱ》|武者《むしや》だよアツハヽヽ』
|晴公《はるこう》は|躍気《やくき》となり、|少《すこ》しく|鼻息《はないき》を|荒《あら》くし|乍《なが》ら、
『コレヤ|万州《まんしう》、|余《あま》り|馬鹿《ばか》にするない。|人《ひと》は|見《み》かけによらぬ|者《もの》だ。どンな|隠芸《かくしげい》があるか|分《わか》つたものぢやないぞ。|待《ま》て|待《ま》て|一《ひと》つ|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》を|現《あら》はして、|万公《まんこう》の|奴《やつ》に|万々々《まんまんまん》と|驚異《きやうい》の|歎声《たんせい》を|連発《れんぱつ》さしてやらう。|捻鉢巻《ねぢはちまき》をして|頭《あたま》のわれぬやうに、|臍《へそ》の|宿替《やどがへ》をせぬやうに、|腹帯《はらおび》をしつかりしめて|居《を》れ。|四十八珊《しじふはちサンチ》の|巨砲《きよはう》を|打出《うちだ》したやうな|言霊《ことたま》だから、|聴音器《ちやうおんき》を|破損《はそん》せぬやうに|用意《ようい》をしておけよ。サア、いよいよ|言霊《ことたま》|発射《はつしや》の|筒開《つつびら》きだ。|一《いち》|二《に》|三《さ》ン』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|臍下丹田《せいかたんでん》に|息《いき》をつめ、|左右《さいう》の|手《て》で、|帯《おび》のあたりをグツと|握《にぎ》り、|身体《からだ》を|直立《ちよくりつ》になし、
『|烏羽玉《うばたま》の|暗《やみ》|打《う》ち|払《はら》ふ|吾《われ》なるぞ
|御空《みそら》を|晴《は》らせ|天津神《あまつかみ》たち。
ウ…………ン』
『アハヽヽヽ。|暗《くら》がりで|雪隠《せんち》へ|行《い》つた|様《やう》な|按配式《あんばいしき》だ、|何《なん》だウンウンと、きばり|糞《ぐそ》をたれるやうな、|蛮声《ばんせい》をこき|出《だ》しよつて、チーツとも|明《あ》かくならぬぢやないか。|万公《まんこう》さまの|目《め》にはだんだん|暗黒《あんこく》の|度《ど》が|増《ま》して|来《き》た|様《やう》だよ』
『|天《てん》の|神様《かみさま》にも|準備《じゆんび》がある。|今《いま》いうて|今《いま》といふ|事《こと》があるかい。|明《あ》かくなる|前《まへ》には|一旦《いつたん》|暗《くら》くなるものだ、|光明《くわうみやう》の|前《まへ》の|暗黒《あんこく》だ。ウラル|教《けう》ぢやないが……|一寸先《いつすんさき》や|暗夜《やみよ》、|暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》るのだからマア|二時《ふたとき》|計《ばか》り|待《ま》つてゐよ、さうすれば|俺《おれ》の|言霊《ことたま》で|月《つき》がパツと|東天《とうてん》から|輝《かがや》いて|来《く》るワ、それを|証拠《しようこ》に|疑《うたがひ》を|晴《は》らすのだよ』
『アハヽヽ|今夜《こんや》は|十八日《じふはちにち》、|四《よ》ツ|時《どき》になれば|月《つき》の|上《あが》るのはきまつてゐるワイ。|貴様《きさま》の|言《い》ひ|草《ぐさ》は|春《はる》になつたら|花《はな》を|咲《さ》かしてやろと|云《い》ふやうなものだ。サツパリ|言霊戦《ことたません》も|零敗《ゼロはい》だ。アハヽヽヽヽ、さすがの|万公《まんこう》さまも|呆《あき》れ|返《かへ》るよ』
『|貴様《きさま》が|交《まぜ》つ|返《かへ》すものだから、|晴公《はるこう》と|思《おも》つた|空《そら》が|段々《だんだん》|曇《くも》つて|来《く》る。|余程《よほど》|神様《かみさま》の|御機嫌《ごきげん》を|損《そこ》ねたとみえるワイ。コレ|見《み》ろ、|俺《おれ》の|言霊《ことたま》が|逆《ぎやく》に|利《き》いていよいよ|益々《ますます》|暗《くら》くなつて|来《き》た、|偉《えら》いものだろう、|兎《と》も|角《かく》どちらなりと|変化《へんくわ》さへあれば|言霊《ことたま》の|利《き》いた|印《しるし》だよ』
『|先生《せんせい》、|斯《か》うなつちやたまらぬぢやありませぬか、どうぞ|貴郎《あなた》の|言霊《ことたま》で|面影《おもかげ》|位《ぐらゐ》|見《み》えるやうにして|下《くだ》さいな。|暗《くら》くなつた|計《ばか》りか、|何《なん》となく|陰鬱《いんうつ》の|気《き》が|漂《ただよ》ひ、|鬼哭愁々《きこくしうしう》|墓場《はかば》の|如《ごと》き|感《かん》がするぢやありませぬか』
『さうだなア。|余《あま》り|言霊《ことたま》が|利《き》き|過《す》ぎたと|見《み》える。そンなら|私《わたし》が|一《ひと》つ|神様《かみさま》に|願《ねが》つて|見《み》やうかな』
と|云《い》ひつつ|恭《うやうや》しく|拍手《はくしゆ》をなし、|臍下丹田《さいかたんでん》に|水火《いき》をつめ、|無我《むが》|無心《むしん》の|境《きやう》に|入《い》つて、|音吐朗々《おんとらうらう》と|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|終《をは》つて、
『|面影《おもかげ》も|見分《みわけ》けかねたる|暗《やみ》の|森《もり》を
|晴《は》らさせ|玉《たま》へ|天地《あめつち》の|神《かみ》』
と|歌《うた》ひ|了《を》はるや、|真黒《まつくろ》なる|暗《やみ》の|帳《とばり》はうすらいで|朧月夜《おぼろづきよ》の|如《ごと》き|明《あ》かりが|漂《ただよ》ふた。|治国別《はるくにわけ》は|再《ふたた》び|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|吾《わが》|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》の|言下《げんか》に|現《あら》はれし|事《こと》を|神《かみ》に|向《むか》つて|感謝《かんしや》した。
『|何《なん》とマア|黒白《こくびやく》の|違《ちがひ》といふのは|此《この》|事《こと》だなア。|先生《せんせい》、エヽ|神《かみ》さまの|聖言《せいげん》に、|初《はじめ》に|道《ことば》あり、|道《ことば》は|神《かみ》|也《なり》、|神《かみ》は|道《ことば》と|共《とも》にあり、|万《よろづ》の|物《もの》|之《これ》に|依《よ》つて|造《つく》らる|云々《うんぬん》と|云《い》ふことがありましたなア。|実《じつ》に【ことば】といふものは|不可思議力《ふかしぎりよく》を|持《も》つたものですなア』
『ウン、|道《ことば》は|万物《ばんぶつ》の|根元《こんげん》だ。|造物主《ざうぶつしゆ》だよ』
『|併《しか》し|乍《なが》ら|先生《せんせい》、|言葉《ことば》で|万物《ばんぶつ》が|出来《でき》るのならば、|貴方《あなた》が|今《いま》|茲《ここ》で、|人間《にんげん》|一人《ひとり》|生《うま》れよと|仰有《おつしや》つたら、|茲《ここ》に|現《あら》はれ|相《さう》なものですなア。それが|現《あら》はれないことを|思《おも》へば、|何《ど》うも|言葉《ことば》の|正体《しやうたい》が|万公《まんこう》には|解《げ》しかねます。|詳細《しやうさい》の|説明《せつめい》を|承《うけたま》はりたいものですなア』
|治国別《はるくにわけ》は|歌《うた》を|以《もつ》て|之《これ》に|答《こた》へける。
『|高天原《たかあまはら》の|天国《てんごく》に |住《す》む|天人《てんにん》は|人《ひと》の|如《ごと》
|智性《ちせい》と|意志《いし》とを|皆《みな》|有《いう》す |智性的《ちせいてき》|生涯《しやうがい》を|作《つく》り|出《だ》す
ものは|天界《てんかい》の|光《ひかり》なり そはこの|光《ひかり》は|神真《しんしん》の
|中《うち》より|出《い》づる|神智《しんち》ぞや その|意志的《いしてき》|生涯《しやうがい》|作《つく》り|出《だ》す
ものは|天界《てんかい》の|熱《ねつ》と|知《し》れ そもこの|熱《ねつ》は|神《かみ》の|善《ぜん》
これより|神愛《しんあい》|出《いづ》る|也《なり》
○
|扨《さ》て|天人《てんにん》の|生命《せいめい》は |神《かみ》の|善《ぜん》なる|熱《ねつ》よりす
|生命《いのち》の|熱《ねつ》より|来《く》ることは |熱《ねつ》なきものは|生命《せいめい》の
|亡《ほろ》ぶを|見《み》ても|明《あきら》けし |無愛《むあい》の|真《しん》と|無善真《むぜんしん》
これ|亦《また》|生命《せいめい》|亡《ほろ》ぶべし |真《しん》は|信真《しんしん》の|光《ひかり》にて
|善《ぜん》は|愛善《あいぜん》の|熱《ねつ》ぞかし これ|等《ら》の|事物《じぶつ》は|神界《しんかい》の
|熱《ねつ》と|光《ひか》りに|相応《さうおう》する |一定不変《いつていふへん》の|力《ちから》なり
|地上《ちじやう》を|守《まも》る|熱《ねつ》または |光《ひかり》を|見《み》れば|明瞭《めいれう》に
これ|等《ら》の|道理《だうり》を|覚《さと》り|得《え》む |世間《せけん》の|熱《ねつ》は|光《ひかり》と|和《わ》し
|地上《ちじやう》の|万物《ばんぶつ》を|啓発《けいはつ》し |残《のこ》る|隅《くま》|無《な》く|成育《せいいく》す
|熱《ねつ》と|光《くわう》とが|相和《あひわ》すは |春夏《しゆんか》の|両期《りやうき》に|在《あ》るものぞ
|熱《ねつ》なき|光《ひかり》は|万物《ばんぶつ》を |活動《くわつどう》せしむることを|得《え》ず
|却《かへつ》て|死滅《しめつ》に|到《いた》らしむ |冬期《とうき》は|熱《ねつ》と|光《くわう》との|和合《わがふ》なく
|光《ひかり》のみにて|熱《ねつ》はなし |高天原《たかあまはら》の|天界《てんかい》を
|楽園《らくゑん》なりと|唱《とな》ふるは |熱光《ねつくわう》の|相応《さうおう》あればなり
|真《しん》と|善《ぜん》とが|相合《あひがつ》し |信《しん》と|愛《あい》との|合《がつ》するは
|地上《ちじやう》の|春期《しゆんき》に|当《あた》るとき |光熱《くわうねつ》|和合《わがふ》する|如《ごと》し
○
|天地《てんち》の|太初《はじめ》に|道《ことば》あり |道《ことば》は|神《かみ》と|共《とも》にあり
|道《ことば》は|即《すなは》ち|神《かみ》なるぞ |万物《ばんぶつ》これにて|造《つく》らるる
|造《つく》られたるもの|一《いつ》として |之《これ》に|由《よ》らずして|造《つく》られし
ものは|尠《すこ》しもあらじかし |之《これ》には|清《きよ》き|生命《いのち》あり
|生命《いのち》は|人《ひと》の|光《ひかり》なり かれ|世《よ》に|在《ゐ》まし|世《よ》は|彼《かれ》に
|全《まつた》く|造《つく》り|上《あ》げられぬ |蓋《けだ》し|道《ことば》は|肉体《にくたい》と
なりて|吾曹《われら》の|間《あひ》に|宿《やど》る |吾《われ》その|光栄《くわうえい》を|見《み》たりてふ
|聖者《せいじや》の|道《ことば》は|主《す》の|神《かみ》の |力《ちから》を|意味《いみ》するものぞかし
|如何《いかん》となればそは|道《ことば》 |肉体《にくたい》となれりと|云《い》ふに|由《よ》る
されど|道《ことば》は|殊更《ことさら》に |何《なに》を|表《あら》はすものなるか
|知《し》るもの|更《さら》に|無《な》かるべし これより|進《すす》むで|亀彦《かめひこ》は
いと|細《こま》やかに|説示《せつじ》せむ |道《ことば》といふは|聖言《せいげん》ぞ
|聖言《せいげん》|即《すなは》ち|神真《しんしん》ぞ この|神真《しんしん》は|主《す》の|神《かみ》に
|存《そん》し|玉《たま》へば|主神《すしん》より |現《あら》はれ|来《きた》る|光《ひかり》なり
|光《ひかり》は|主神《すしん》の|神真《しんしん》ぞ |高天原《たかあまはら》にて|一切《いつさい》の
|力《ちから》を|有《たも》つは|神真《しんしん》ぞ |神真《しんしん》なくば|力《ちから》|無《な》し
|故《ゆゑ》に|一切《いつさい》の|天人《てんにん》を |呼《よ》びて|力《ちから》と|称《たた》ふなり
|実《げ》に|天人《てんにん》は|神力《しんりき》の |所受者《しよじゆしや》なるのみならずして
|神力《ちから》を|収《をさ》むべき|器《うつは》なり |如上《によじやう》の|如《ごと》く|観《くわん》ずれば
|天人《てんにん》|即《すなは》ち|力《ちから》なり |此《この》|神力《しんりき》を|有《たも》つ|故《ゆゑ》
|地獄界《ぢごくかい》まで|制裁《せいさい》し それに|反抗《はんかう》するものを
|全《まつた》く|制禦《せいぎよ》し|得《え》らる|也《なり》 たとひ|数万《すまん》の|叛敵《はんてき》の
|現《あら》はれ|来《きた》る|事《こと》あるも |高天原《たかあまはら》の|神光《しんくわう》と
|称《たた》へまつれる|神真《しんしん》ゆ かがやき|来《きた》る|一道《いちだう》の
|光明《くわうみやう》に|遭《あ》ひしその|時《とき》は |直《ただち》に|戦慄《せんりつ》するものぞ
|以上《いじやう》の|如《ごと》く|天人《てんにん》の |天人《てんにん》たるは|神真《しんしん》を
|清《きよ》けく|摂受《せつじゆ》し|得《う》る|故《ゆゑ》に |全天界《ぜんてんかい》の|根元《こんげん》を
|組織《そしき》するものは|神真《しんしん》の |光《ひかり》に|決《けつ》して|外《ほか》ならず
そは|天界《てんかい》を|組織《そしき》する ものは|天人《てんにん》なればなり
○
|神真中《しんしんちう》に|斯《こ》の|如《ごと》く |偉大《ゐだい》|無限《むげん》の|神力《しんりき》の
|潜《ひそ》み|居《ゐ》るとは|現界《げんかい》の |真理《しんり》を|以《もつ》て|只《ただ》|思想《しさう》
|又《また》は|言語《げんご》に|外《ほか》なしと |思《おも》ふ|学者《がくしや》の|中々《なかなか》に
|信《しん》じ|能《あた》はぬ|所《ところ》なり |思想《しさう》や|言語《げんご》は|自身《じしん》にて
|力《ちから》を|有《いう》するものならず |主神《すしん》の|命《めい》に|従《したが》ひて
|活動《くわつどう》する|時《とき》|始《はじ》めてぞ |力《ちから》を|生《しやう》ずるものとなす
されど|神真《しんしん》はその|中《うち》に |自《おのづか》らなる|力《ちから》ありて
|天界《てんかい》こそは|造《つく》られぬ |地上《ちじやう》の|世界《せかい》もその|中《うち》の
|万物《ばんぶつ》|併《あは》せて|悉《ことごと》く |之《これ》にて|造《つく》られたるものぞ
|斯《か》くも|尊《たふと》き|神力《しんりき》の |神真《しんしん》の|中《うち》にあることは
|二個《ふたつ》の|茲《ここ》に|比証《ひしよう》あり |即《すなは》ち|人間《にんげん》にある|善《ぜん》と
|真《しん》との|力《ちから》その|次《つぎ》に |世間《せけん》よりする|太陽《たいやう》の
|光《ひかり》と|熱《ねつ》との|力《ちから》にて |神《かみ》の|稜威《みいづ》を|明《あきら》かに
|覚《さと》り|得《え》らるるものぞかし アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》のまにまに|答《こた》へおく』
『イヤどうも|有難《ありがた》う|御座《ござ》いました。|万公《まんこう》マンマン|満足《まんぞく》|致《いた》しました』
『|万公《まんこう》、お|前《まへ》、|本当《ほんたう》に|私《わし》の|云《い》ふことが|分《わか》つたのか』
『マンマン、|半解《はんかい》|位《くらゐ》なものですなア。|併《しか》し|乍《なが》ら|半開《はんかい》の|花《はな》はキツと|【満】開《まんかい》します。|与《あた》ふるに|時間《じかん》を|以《もつ》てして|下《くだ》さい。|万公《まんこう》の|了解《れうかい》した|時《とき》が、|即《すなは》ち|花《はな》の|【満】開《まんかい》ですからなア。モウ|少《すこ》し、|細《こま》かく|分解的《ぶんかいてき》に|仰有《おつしや》つて|貰《もら》へますまいかナ』
『|此《この》|事《こと》が|略《ほぼ》|了解《れうかい》がついた|上《うへ》で、|又《また》|教《をしへ》ることにしよう。|此《この》|解決《かいけつ》をお|前達《まへたち》の|兼題《けんだい》としておくから|次《つぎ》が|聞《きき》たくば、|此《この》|歌《うた》を|繰返《くりかへ》し|繰返《くりかへ》し|霊魂《れいこん》に|浸《し》み|込《こ》ますが|良《よ》い、|読書《どくしよ》|百遍《ひやくぺん》|意《い》|自《おのづか》ら|通《つう》ずと|云《い》ふからな、|余《あま》り|一時《いちじ》に|餌《ゑ》を|与《あた》へると|霊魂《れいこん》が|食傷《しよくしやう》し、|腹痛《ふくつう》|下痢《げり》を|起《おこ》しちや、|俺《おれ》も|厄介《やくかい》だから、モウチツとといふ|所《ところ》で|止《や》めておかう。|腹《はら》に|一杯《いつぱい》|与《あた》へては、|折角《せつかく》の|御馳走《ごちそう》が|御馳走《ごちそう》にならぬからなア。アハヽヽヽ』
『サア、|一同《いちどう》の|方々《かたがた》、|万公《まんこう》が|導師《だうし》で|之《これ》から|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》|致《いた》しませう』
『|其《その》|次《つぎ》に|天地《あめつち》の|神《かみ》、|其《その》|次《つぎ》に|神言《かみごと》の|奏上《そうじやう》といふ|段取《だんどり》だな、オイ|万公《まんこう》、|人《ひと》の|真似《まね》ならこの|晴公《はるこう》さまでも|出来《でき》るよ。ウツフヽヽヽ』
(大正一一・一二・八 旧一〇・二〇 松村真澄録)
(昭和九・一二・二七 王仁校正)
第九章 |怪光《くわいくわう》〔一一七八〕
|治国別《はるくにわけ》|外《ほか》|五人《ごにん》は|祠《ほこら》の|跡《あと》に|蓑《みの》を|敷《し》き|端坐《たんざ》し、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|神言《かみごと》を|唱《とな》へ、|漸《やうや》く|寝《しん》に|就《つ》きぬ。|晴公《はるこう》は|万公《まんこう》に|力一杯《ちからいつぱい》|罵倒《ばたう》され|且《か》つ|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》の|現《あら》はれざりしに|胸《むね》を|痛《いた》め、|五人《ごにん》の|鼾《いびき》を|聞《き》き|乍《なが》ら|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》り|治国別《はるくにわけ》の|言霊《ことたま》の|解説歌《かいせつか》を|思《おも》ひ|出《だ》し、|万公《まんこう》よりも|早《はや》く|真意《しんい》を|諒解《りやうかい》しアツと|言《い》はせて|呉《く》れむものと|一睡《いつすゐ》もせず|双手《もろて》を|組《く》み|瞑目正座《めいもくせいざ》し|考《かんが》へ|込《こ》ンでゐる。|夜《よ》はおひおひと|更《ふ》け|渡《わた》り|冬《ふゆ》の|初《はじ》めの|木枯《こがらし》は|森《もり》の|老樹《らうじゆ》の|枝《えだ》を|揺《ゆす》り、|分《ぶ》の|厚《あつ》い|枯葉《かれは》はパラパラと|雨《あめ》の|如《ごと》くに|落《お》ちて|来《く》る。|四辺《あたり》はシンとして|声《こゑ》なく|物淋《ものさび》しさは|刻々《こくこく》に|身《み》に|迫《せま》り|来《き》たる。|何《なん》とはなく|身体《しんたい》|震《ふる》ひ|出《だ》し|恐怖《きようふ》の|念《ねん》は|刻々《こくこく》に|吾《わが》|身《み》を|襲《おそ》ふ。|暫《しばら》くありて、|一道《いちだう》の|光明《くわうみやう》|遥《はるか》の|彼方《かなた》より|輝《かがや》き|来《き》たる。|晴公《はるこう》は|稍《やや》|得意《とくい》となつて|独語《ひとりごと》、
『|何《なん》とまア|有難《ありがた》いものだナア。|先生《せんせい》|始《はじ》め|四人《よにん》の|連中《れんちう》は|何《なん》にも|知《し》らず、|白河夜船《しらかはよぶね》を|漕《こ》いでゐる|間《ま》に|此《この》|晴公《はるこう》は|言霊《ことたま》の|理解《りかい》について|研究《けんきう》した|結果《けつくわ》、|此《この》|暗黒《あんこく》の|闇《やみ》に|光明《くわうみやう》がさし|出《だ》した。|一《ひと》つ|万公《まんこう》に|見《み》せてやり|度《た》いものだな。|何《なん》だか|淋《さび》しくなつたと|思《おも》へば、こンな|光明《くわうみやう》が|現《あら》はれる|前提《ぜんてい》だつたのか。さうするとウラル|教《けう》も|万更《まんざら》|捨《す》てたものぢやないワ。|暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》ると|云《い》ふが|本当《ほんたう》に|俺《おれ》の|言霊《ことたま》は|不思議《ふしぎ》だ。|下《した》の|方《はう》から|月光《げつくわう》がさして|来《く》る。|光《ひかり》と|云《い》ふものは|空《そら》から|来《く》るものとばかり|今《いま》の|奴《やつ》は|信《しん》じて|居《ゐ》るが|俺《おれ》の|言霊《ことたま》は|偉《えら》いものだワイ。|地《ち》の|中《なか》から|月光《げつくわう》が|輝《かがや》くのだから|豪気《がうき》なものだ。|先生《せんせい》だつてこれ|丈《だけ》の|神力《しんりき》は|滅多《めつた》にお|出《だ》しなさつた|事《こと》はあるまい。|一《ひと》つ|揺《ゆす》り|起《おこ》して|御覧《ごらん》に|入《い》れようかな。|追々《おひおひ》と|近《ちか》くなつて|来《く》る。やア|瑞《みづ》の|魂《みたま》と|見《み》えて|三《み》つの|玉《たま》が|光《ひか》つて|来《く》るぞ。ヒヨツとしたら|三光《さんくわう》の|神《かみ》がおいでになつたのかな。|一《ひと》つ|万公《まんこう》を|揺《ゆす》り|起《おこ》して|見《み》せてやりたいものだナア』
と|得意《とくい》になつてゐる。|治国別《はるくにわけ》は|熟睡《じゆくすゐ》を|装《よそほ》ひ|晴公《はるこう》の|独語《ひとりごと》を|聞《き》き、|可笑《をか》しさに|堪《た》へず|笑《わら》ひを|抑《おさ》へ、|体中《からだぢう》を|揺《ゆす》つて|目《め》から|涙《なみだ》を|出《だ》し|気張《きば》つてゐる。|晴公《はるこう》は|得意気《とくいげ》に、
『やア|近付《ちかづ》いた|近付《ちかづ》いた』
と|目《め》を|円《まる》うして|見《み》つめてゐると|頭《かしら》に|三本《さんぼん》の|蝋燭《らふそく》を|立《た》て|胸《むね》に|鏡《かがみ》をつり、|其《その》|上《うへ》に|鋏《はさみ》を|二《ふた》つばかり|釣《つ》つてゐる。さうして|口《くち》は|耳《みみ》|迄《まで》|引《ひ》き|裂《さ》け|顔《かほ》は|真蒼《まつさを》に|右《みぎ》の|手《て》には|金槌《かなづち》、|左《ひだり》の|手《て》には|五寸釘《ごすんくぎ》、|白《しろ》い|布《ぬの》を|三間《さんげん》ばかり|垂《た》らした|異様《いやう》の|怪物《くわいぶつ》、|歩《ある》く|拍子《ひやうし》に|鋏《はさみ》と|鏡《かがみ》と|当《あた》り|合《あ》うて、チヤンチヤンと|音《おと》を|立《た》て|蝋燭《らふそく》の|火《ひ》は|鏡面《きやうめん》に|映《えい》じ|晴公《はるこう》の|面《おもて》を|照《てら》した。|晴公《はるこう》は|忽《たちま》ち|真蒼《まつさを》になり|唇《くちびる》を|慄《ふる》はせ、
『セヽヽヽ|先々々《せんせんせん》……|先生《せんせい》』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|体《からだ》をすくめて|目《め》を|塞《ふさ》ぐ。|怪物《くわいぶつ》は|六人《ろくにん》の|姿《すがた》を|見《み》て、|厭《いや》らしき|細《ほそ》い|声《こゑ》を|絞《しぼ》り、
『やア、|残念《ざんねん》|至極《しごく》、|口惜《くちをし》やな、|今日《けふ》は|三七日《さんしちにち》の|満願《まんぐわん》の|日《ひ》、|人《ひと》に|見《み》つけられては|願望《ぐわんまう》|成就《じやうじゆ》せぬと|聞《き》く。もうかうなる|上《うへ》は|死物狂《しにものぐる》ひだ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|懐剣《くわいけん》をスラリと|引《ひ》きぬき、|先《ま》づ|晴公《はるこう》に|向《むか》つて|飛《と》びかからむとするにぞ、|晴公《はるこう》はキヤツと|一声《ひとこゑ》、|其《その》|場《ば》に|打倒《うちたふ》れた。|治国別《はるくにわけ》は|寝《ね》たまま「ウン」と|一声《ひとこゑ》|鎮魂《ちんこん》をかけた。|怪物《くわいぶつ》は|土中《どちう》から|生《は》えた|樹木《じゆもく》の|如《ごと》く|懐剣《くわいけん》をふり|上《あ》げたまま|硬《かた》まつて|了《しま》つた。|晴公《はるこう》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》に|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》、|松彦《まつひこ》、|竜公《たつこう》は|目《め》を|覚《さ》まし|形相《ぎやうさう》|凄《すさま》じき|怪物《くわいぶつ》の|姿《すがた》を|見《み》て|又《また》もやキヤツと|声《こゑ》を|上《あ》げ|慄《ふる》ひ|戦《をのの》いて|居《ゐ》る。|怪物《くわいぶつ》は|目《め》を【きよろ】つかし|口《くち》をもがもがさせ、|舌《した》をペロペロ|出《だ》し|乍《なが》ら|依然《いぜん》として|懐剣《くわいけん》をふり|上《あ》げたまま|睨《にら》みゐる。
『セヽヽヽ|先生《せんせい》、タヽヽヽ|大変《たいへん》です。|起《お》きて|下《くだ》さいな。|晴公《はるこう》がしようもない|言霊《ことたま》を|上《あ》げるものですから|地獄《ぢごく》から|万公《まんこう》を|迎《むか》へに|来《き》ました。ドヽヽヽ|何卒《どうぞ》|追《お》ひやつて|下《くだ》さい。あの……|言霊《ことたま》で………』
|治国別《はるくにわけ》は|少《すこ》しも|騒《さわ》がず、
『ハヽヽヽヽまア|修行《しうぎやう》のためだ。|一《ひと》つあの|鬼娘《おにむすめ》さまと|抱擁接吻《はうようキツス》でもやつて|来《き》たらどうだい。|何程《なにほど》|怖《こは》い|顔《かほ》だと|云《い》つてもヤツパリ|女《をんな》だからな』
『メヽヽヽ|滅相《めつさう》な、|何程《なにほど》|女早魃《をんなひでり》の|世《よ》の|中《なか》でも、アタ|恐《こは》い、アタ|厭《いや》らしい、|誰《たれ》があンな|奴《やつ》にキヽヽヽキツスするバヽヽヽ|馬鹿《ばか》がありますか、|万公《まんこ》とに|恐《こは》い|化者《ばけもの》だ』
『ハヽヽヽヽおい|晴公《はるこう》さま、お|前《まへ》の|言霊《ことたま》は|大《たい》したものだナ。|到頭《たうとう》|鬼娘《おにむすめ》を|生《う》んで|了《しま》つたぢやないか。|言葉《ことば》は|神《かみ》|也《なり》。|神《かみ》|即《すなは》ち|言葉《ことば》|也《なり》。|言葉《ことば》は|神《かみ》と|共《とも》にあり。|万物《ばんぶつ》|之《これ》によつて|造《つく》らる。|実《じつ》に|大成功《だいせいこう》だ。|然《しか》しお|前《まへ》のは|言葉《ことば》は|鬼娘《おにむすめ》|也《なり》、|鬼娘《おにむすめ》|即《すなは》ち|言葉《ことば》|也《なり》。|言葉《ことば》は|鬼娘《おにむすめ》と|共《とも》にあり。|怪物《くわいぶつ》これに|依《よ》つて|造《つく》らる、と|云《い》ふのだから|天下一品《てんかいつぴん》だよ。おい|何《なに》を|慄《ふる》つてゐるのだ。お|前《まへ》が|生《う》ンだ|鬼娘《おにむすめ》だから、さアさアお|前《まへ》が|形《かた》づけるのだよ』
『|南無《なむ》|幽霊鬼女大菩薩《いうれいきぢよだいぼさつ》|頓生菩提《とんしやうぼだい》、|消滅《せうめつ》し|給《たま》へ、|晴公《はるこう》の|言霊《ことたま》に|逃《に》げ|出《だ》し|玉《たま》へ、|隠《かく》れさせ|給《たま》へ、かなはぬからたまちはへませだ。あゝア、|先生《せんせい》もう|駄目《だめ》ですわ。そンなにイチヤつかさずに|早《はや》く、あのオヽヽヽ|鬼娘《おにむすめ》を|退却《たいきやく》さして|下《くだ》さいな』
『|俺《わし》は|年《とし》が|寄《よ》つて|言霊《ことたま》を|一度《いちど》|奏上《そうじやう》すると|熱湯《ねつたう》の|様《やう》な|汗《あせ》が|出《で》るから|最前《さいぜん》の|言霊《ことたま》で|最早《もはや》|原料《げんれう》|欠乏《けつぼう》だ。お|前《まへ》は|百遍《ひやつぺん》、|千遍《せんべん》、|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》しても|体《からだ》が|弱《よわ》らない、|汗《あせ》|一《ひと》つかかないと|云《い》つたぢやないか。|声量《せいりやう》タツプリ|余裕《よゆう》|綽々《しやくしやく》たる|晴公《はるこう》に|頼《たの》まねば、|最早《もはや》|治国別《はるくにわけ》は|言霊《ことたま》の|停電《ていでん》だよ』
『あゝア、|困《こま》つた|事《こと》だな。|言霊《ことたま》の|貧乏《びんばふ》な|先生《せんせい》について|歩《ある》いて|居《ゐ》ると、こンな|時《とき》には|仕方《しかた》がないわい。オイ、こら|松彦《まつひこ》、|竜公《たつこう》、チツと|起《お》きぬかい。|千騎一騎《せんきいつき》の|場合《ばあひ》だ。|何《なに》をグウスウ|八兵衛《はちべゑ》と|寝《ね》て|居《ゐ》るのだ。|味方《みかた》の|勇士《ゆうし》|一団《いちだん》となつて|只今《ただいま》|現《あら》はれた|強敵《きやうてき》に|向《むか》ひ|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》しようぢやないか』
『|俺《おれ》やまだ|三五教《あななひけう》へ|入信《はい》つてから|二日《ふつか》にもならぬのだから|言霊《ことたま》の|持合《もちあは》せがないわい。|兄貴《あにき》、お|前《まへ》がしやうもない|事《こと》を|云《い》つて、あンな|鬼《おに》を|呼《よ》び|出《だ》したのだから、お|前《まへ》がすつ|込《こ》めて|呉《く》れねばどうも|仕方《しかた》がないぢやないか。こンな|事《こと》を|先生《せんせい》に|御苦労《ごくらう》をかけると|云《い》ふ|事《こと》があるものか、あゝ|厭《いや》らしい。|首筋《くびすぢ》がゾクゾクして|来《き》た。|竜公《たつこう》さまの|髪《かみ》の|毛《け》は|針《はり》の|様《やう》に|立《た》つて|来出《きだ》したワ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|頭《あたま》を|抱《かか》へ|俯向《うつむ》いて|了《しま》つて|居《ゐ》る。
『あゝア、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も、|言《い》はいでもいい|言霊《ことたま》は|自然《しぜん》に|発射《はつしや》し|乍《なが》ら|肝腎《かんじん》の|時《とき》になつて|言《い》はねばならぬ|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》する|奴《やつ》は、|先生《せんせい》を|始《はじ》め|一人《ひとり》も|半分《はんぶん》でもありやせぬわ。えー|晴公《はるこう》さまも、もう|仕方《しかた》がない。これ、|鬼娘《おにむすめ》、どうなつと|貴様《きさま》の|勝手《かつて》にしたがよいわ』
と|捨鉢《すてばち》になり|無性《むしやう》|矢鱈《やたら》に|喋《しやべ》り|立《た》てる。|松彦《まつひこ》はムツクと|立《た》ち|上《あが》りツカツカと|鬼娘《おにむすめ》の|前《まへ》に|進《すす》み|寄《よ》り、|念入《ねんい》りに|頭《あたま》の|上《うへ》から|足《あし》の|下《した》|迄《まで》|覗《のぞ》き|込《こ》み、
『ハヽア、|頭《あたま》に|三徳《さんとく》を|冠《かむ》り|蝋燭《らふそく》を|三本《さんぼん》|立《た》てて|居《ゐ》るな。|何《なん》だ、|顔《かほ》に|青《あを》いものや|赤《あか》いものを|塗《ぬ》り、|口《くち》を|大《おほ》きく|見《み》せて|役者《やくしや》の|様《やう》な|奴《やつ》だ。|何《なん》だい、|光《ひか》つたものをブラブラとつりよつて、|長《なが》い|尾《を》を|引《ひ》き|摺《ず》り、|金毛九尾《きんまうきうび》の|狐《きつね》と|枉鬼《まがおに》と|八岐大蛇《やまたをろち》と、つきまぜた|様《やう》な|凄《すさま》じき|形相《ぎやうさう》をやつてゐるな。|何《なん》だい、|懐剣《くわいけん》を|振《ふ》り|上《あ》げたまま|金仏《かなぶつ》の|様《やう》にカンカンになつてゐよる。|要《えう》するに|俺等《おれたち》の|勇士《ゆうし》の|面影《おもかげ》を|拝《はい》しビツクリして|立往生《たちわうじやう》をしよつたのか。エー|弱《よわ》い|鬼《おに》だな。|此奴《こいつ》アよく|人《ひと》の|云《い》ふ|丑《うし》の|時《とき》|詣《まゐ》りかも|知《し》れぬぞ。おい|娘《むすめ》、お|前《まへ》は|女《をんな》の|身《み》として|此《この》|厭《いや》らしい|人里《ひとざと》|離《はな》れた|魔《ま》の|森《もり》へやつて|来《く》るのは、|何《なに》か|深《ふか》い|仔細《しさい》があるだらう。もう|斯《か》うなる|以上《いじやう》は|有態《ありてい》に|白状《はくじやう》して|了《しま》へ。|俺《おれ》の|力《ちから》で|叶《かな》ふ|事《こと》なら|何《なん》でも|聞《き》いてやる』
|女《をんな》は|強直《きやうちよく》したまま|首《くび》から|上《うへ》は|自由《じいう》になるを|幸《さいは》ひ、|両眼《りやうがん》より|涙《なみだ》をハラハラと|流《なが》し、
『ザヽヽヽ|残念《ざんねん》で|厶《ござ》ります。|私《わたし》の|両親《りやうしん》はバラモン|教《けう》のランチ|将軍《しやうぐん》と|云《い》ふ|悪人《あくにん》に|捕《とら》へられ|今《いま》は|浮木ケ原《うききがはら》の|陣営《ぢんえい》で|嬲《なぶ》り|殺《ころし》にあつたと|云《い》ふことで|厶《ござ》ります。それ|故《ゆゑ》|三週間《さんしうかん》|以前《いぜん》からこの|魔《ま》の|森《もり》へ|丑《うし》の|時《とき》|詣《まゐ》りをして|親《おや》の|敵《かたき》を|討《う》たむと|思《おも》ひ|森《もり》の|大杉《おほすぎ》に|呪《のろ》ひ|釘《くぎ》を|打《う》ち、ランチ|将軍《しやうぐん》の|滅亡《めつぼう》を|祈《いの》つてゐるもので|厶《ござ》ります。どうやら|貴方《あなた》は|三五教《あななひけう》のお|方《かた》と|見《み》えますが|何卒《どうぞ》お|助《たす》け|下《くだ》さいませ』
とワツと|泣《な》き|叫《さけ》ぶ。|治国別《はるくにわけ》は「ウン」と|一声《ひとこゑ》|霊縛《れいばく》を|解《と》いた。|女《をんな》は|忽《たちま》ち|身体《しんたい》|自由《じいう》となり、|治国別《はるくにわけ》の|方《はう》に|向《むか》つて|合掌《がつしやう》し|感謝《かんしや》の|意《い》を|表《へう》したり。
『やア|何処《どこ》のお|女中《ぢよちう》か|知《し》らぬが|様子《やうす》を|聞《き》けば|実《じつ》に|気《き》の|毒《どく》な|話《はなし》だ。まアここへ|来《き》て|坐《すわ》りなさい。トツクリと|話《はなし》を|聞《き》かして|貰《もら》はう。|都合《つがふ》によつたらお|前《まへ》の|力《ちから》になつてやろまいものでもないから』
と|親切《しんせつ》|相《さう》に|云《い》ふ。|万公《まんこう》は、
『アヽもしもし|先生《せんせい》、ナヽヽヽ|何《なん》と|云《い》ふ|事《こと》を|仰有《おつしや》います。あンな|鬼娘《おにむすめ》が|側《そば》へやつて|来《き》て|堪《たま》りますか。|早《はや》く|追《お》ひ|散《ち》らして|下《くだ》さいな』
『アハヽヽヽ|何《なん》と|強《つよ》い|男《をとこ》ばつかり|寄《よ》つたものだな。まるで|幽霊《いうれい》の|様《やう》な|代物《しろもの》ばつかりだワイ』
『おい、|晴公《はるこう》、|五三公《いそこう》、|竜公《たつこう》、|貴様《きさま》もチツと|確《しつか》りして、|何《なん》とか|彼奴《あいつ》を|追《お》ひ|捲《まく》つて|呉《く》れ、|万公《まんこう》の|一生《いつしやう》のお|願《ねがひ》だ』
『|何《なに》、こンな|時《とき》には|先生《せんせい》に|任《まか》しておけばよいのだ。|先生《せんせい》がよい|様《やう》にして|下《くだ》さるわ。なア|五三公《いそこう》、|竜公《たつこう》、さうぢやないか』
『|何《なん》と|云《い》つても、|先生《せんせい》は|先生《せんせい》だ。|松彦《まつひこ》さまもヤツパリ|御兄弟《ごきやうだい》だけあつて|肝《きも》が|太《ふと》いわい、|五三公《いそこう》さまも|感心《かんしん》|仕《つかまつ》つたよ』
『|何《なん》と|女《をんな》と|云《い》ふものは|恐《おそ》ろしいものだのう、|俺《おれ》やもう|之《これ》を|見《み》ると|一生《いつしやう》|女房《にようばう》|持《も》たうとは|思《おも》はぬわ。|睾玉《きんたま》も|何《なに》も|何処《どこ》か|洋行《やうかう》して|了《しま》つたワ。もう|立上《たちあが》る|勇気《ゆうき》もなし、|腰《こし》は|変《へん》になる、|最早《もはや》|人力《じんりよく》の|如何《いかん》ともする|所《ところ》でない。あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》、|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ。|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも、|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも、|竜公《たつこう》さまに|取《と》つてこンな|恐《おそ》ろしい|事《こと》が|又《また》と|三千世界《さんぜんせかい》にあるものか。おゝゝゝ|恐《おそ》ろしい……もゝゝゝ|森《もり》だな』
『これ、|娘《むすめ》さま、そンな|顔《かほ》して|居《を》つては|皆《みな》の|連中《れんちう》が|肝《きも》を|潰《つぶ》して|困《こま》るから|一《ひと》つ|顔《かほ》を|洗《あら》ひ|髪《かみ》を|撫《な》で|上《あ》げ、もとの|人間《にんげん》に|還元《くわんげん》して、それから|詳《くは》しい|物語《ものがたり》をこの|松彦《まつひこ》に|聴《き》かしたらどうだい。|此《この》|側《わき》に|清水《しみづ》が|湧《わ》いてゐる。さアここで|一《ひと》つ|蝋燭《らふそく》の|火《ひ》があるのを|幸《さいは》ひ|顔《かほ》を|洗《あら》ひ|身繕《みつくろ》ひを|改《あらた》めなさい』
『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります。えらい|失礼《しつれい》を|致《いた》しました』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|女《をんな》は|傍《かたはら》の|水溜《みづたま》りで|念入《ねんい》りに|彩《ゑど》つた|顔《かほ》をスツカリ|洗《あら》ひ|落《おと》し、|胸《むね》にかけた|鏡《かがみ》や|鋏《はさみ》を|其《その》|場《ば》に|棄《す》て、|髪《かみ》を|撫《な》で|上《あ》げ|白衣《びやくい》を|脱《ぬ》ぎ|棄《す》てた。|見《み》れば|十七八才《じふしちはつさい》と|覚《おぼ》しき|妙齢《めうれい》の|美人《びじん》である。
『やア、|見《み》かけによらぬ|立派《りつぱ》なナイスだ。おい|竜公《たつこう》、|松彦《まつひこ》がきいて|居《を》れば、|貴様《きさま》は|今《いま》|一生《いつしやう》|女房《にようばう》を|持《も》たぬと|云《い》つたが、これなら|随分《ずゐぶん》|気《き》に|入《い》るだらう、アハヽヽヽ』
『|女《をんな》は|化物《ばけもの》と|云《い》ふ|事《こと》は|聞《き》いて|居《ゐ》たが|本当《ほんたう》に|恐《おそ》ろしいものだな。いやもうどンなナイスでも|竜公《たつこう》さまは|女《をんな》と|来《き》ちや|一生《いつしやう》|御免《ごめん》だ。|一《ひと》つ|違《ちが》へばあれだからなア。|俺《おれ》やもう|一目《ひとめ》|見《み》るなり|百年《ひやくねん》|程《ほど》|寿命《じゆみやう》を|縮《ちぢ》めて|了《しま》つたよ』
『アハヽヽヽ|気《き》の|弱《よわ》い|男《をとこ》だな』
と|松彦《まつひこ》は|吹《ふ》き|出《だ》し|笑《わら》ふ。
|女《をんな》はチヤンと|身繕《みつくろ》ひをし|乍《なが》ら|治国別《はるくにわけ》の|側《そば》へ|恐《おそ》る|恐《おそ》る|進《すす》み|寄《よ》り、|土下坐《どげざ》し|乍《なが》ら|優《やさ》しき|声《こゑ》にて、
『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|誠《まこと》にお|寝《やす》み|中《ちう》を|驚《おどろ》かせまして|申訳《まをしわけ》が|厶《ござ》りませぬ。|私《わたし》はライオン|河《がは》の|辺《ほとり》に|住《す》む|首陀《しゆだ》の|娘《むすめ》で|厶《ござ》ります。|私《わたし》の|両親《りやうしん》はライオン|川《がは》に|釣魚《つり》をする|時《とき》、ランチ|将軍《しやうぐん》の|部下《ぶか》がやつて|来《き》まして「|其《その》|方《はう》は|三五教《あななひけう》の|間諜者《まわしもの》だらう」と|云《い》つて|高手小手《たかてこて》に|縛《いま》しめ|陣屋《ぢんや》へ|連《つ》れ|帰《かへ》り|嬲殺《なぶりごろし》にしたと|云《い》ふ|事《こと》で|厶《ござ》ります。もとはアーメニヤの|生《うま》れで|厶《ござ》りますが|大騒動《おほさうどう》|以来《いらい》、|兄《あに》の|行衛《ゆくゑ》は|分《わか》らなくなり、|年《とし》|老《お》いたる|両親《りやうしん》と|私《わたし》は、そこら|中《ぢう》を|乞食《こじき》|巡礼《じゆんれい》となつて|経巡《へめぐ》り、|漸《やうや》くライオン|川《がは》の|片辺《かたほとり》に|小《ちひ》さき|庵《いほり》を|結《むす》び|親子《おやこ》|三人《さんにん》|山《やま》に|入《い》つて|果実《このみ》を|採《と》り|其《その》|日《ひ》を|送《おく》つてゐました|処《ところ》、|黄金姫《わうごんひめ》|様《さま》とか|云《い》ふ|立派《りつぱ》なお|方《かた》がお|通《とほ》りになり、|一寸《ちよつと》|休《やす》ンで|下《くだ》さいまして「お|前《まへ》はこンな|川《かは》べりに|一軒家《いつけんや》を|建《た》てて|何《なに》をして|居《を》るか」と|仰有《おつしや》いましたので|私《わたし》の|両親《りやうしん》はいろいろと|来歴《らいれき》を|申上《まをしあ》げた|処《ところ》、その|黄金姫《わうごんひめ》|様《さま》が|仰有《おつしや》るには「お|前《まへ》はこれから|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》を|信仰《しんかう》せよ。さうすれば|世《よ》の|中《なか》に|何《なに》も|恐《おそ》るべきものはない」と|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいました。それ|故《ゆゑ》|朝晩《あさばん》|三五教《あななひけう》の|祝詞《のりと》を|覚《おぼ》えて|祈念《きねん》を|致《いた》して|居《を》りました。さうするとランチ|将軍《しやうぐん》の|手下《てした》の|者《もの》がドカドカと|五六人《ごろくにん》|飛《と》び|込《こ》み|来《きた》り「|其《その》|方《はう》は|今《いま》|三五教《あななひけう》の|祝詞《のりと》を|唱《とな》へて|居《を》つた|怪《け》しからぬ|奴《やつ》だ。|大方《おほかた》|敵《てき》の|間諜《まわしもの》だらう」と|云《い》つて|両親《りやうしん》を|捕《とら》へ|帰《かへ》つて|了《しま》ひました。|私《わたし》は|幸《さいは》ひ|廁《かはや》に|這入《はい》つて|居《を》りましたので|命《いのち》だけは|助《たす》かりました。それからテームス|峠《たうげ》をソツと|渡《わた》り|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|参拝《さんぱい》せむと|来《き》て|見《み》れば、|河鹿峠《かじかたうげ》の|中《なか》|程《ほど》にバラモン|教《けう》の|軍勢《ぐんぜい》が|張《は》つて|居《ゐ》ると|云《い》ふ|事《こと》なので|峠《たうげ》を|越《こ》ゆる|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず|此《この》|森《もり》の|片隅《かたすみ》に|洞穴《ほらあな》のあるのを|幸《さいは》ひ、そこに|身《み》を|忍《しの》び|夜中《よなか》|丑満《うしみつ》の|刻《こく》を|考《かんが》へ、どうぞして|両親《りやうしん》の|敵《かたき》を|討《う》ち|恋《こひ》しい|一人《ひとり》の|兄《あに》に|会《あ》はして|下《くだ》さいと、|今日《けふ》で|二十一日《にじふいちにち》の|間《あひだ》お|詣《まゐ》りを|致《いた》しました。|実《じつ》に|不仕合《ふしあは》せな|女《をんな》で|厶《ござ》ります。|何卒《どうぞ》お|憐《あは》れみ|下《くだ》さいませ』
とワツとばかりに|大地《だいち》に|身《み》を|投《な》げ|棄《す》てて|泣《な》き|叫《さけ》ぶ|其《その》いぢらしさ。|治国別《はるくにわけ》を|初《はじ》め|一同《いちどう》は、|娘《むすめ》の|物語《ものがたり》を|聞《き》いて|悲嘆《ひたん》の|涙《なみだ》にくれゐたりける。
(大正一一・一二・八 旧一〇・二〇 北村隆光録)
(昭和九・一二・二七 王仁校正)
第一〇章 奇遇〔一一七九〕
|万公《まんこう》、|晴公《はるこう》、|竜公《たつこう》はやつと|胸《むね》|撫《な》で|卸《おろ》し、|瘧《おこり》の|落《お》ちたやうな|顔《かほ》をして|女《をんな》の|顔《かほ》を|不思議《ふしぎ》さうに|見守《みまも》つて|居《ゐ》る。|松彦《まつひこ》は|何《なに》|呉《くれ》となく|親切《しんせつ》に|女《をんな》を|労《いたは》り、いろいろと|慰安《ゐあん》の|言葉《ことば》を|与《あた》へて|居《ゐ》る。|治国別《はるくにわけ》は|気《き》の|毒《どく》さに|頭《あたま》を|垂《た》れ、|目《め》を|瞬《しばたた》き|涙《なみだ》をそつと|拭《ぬぐ》ひながら、
『|承《うけたま》はれば|貴女《あなた》の|家庭《かてい》には|悲惨《ひさん》の|幕《まく》が|下《お》りたものですなア。そして|黄金姫《わうごんひめ》|様《さま》に|神様《かみさま》の|話《はなし》を|聞《き》かして|頂《いただ》き|三五教《あななひけう》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》して|居《ゐ》たために、バラモンに|捕《とら》へられなさつたとは|実《じつ》に|気《き》の|毒《どく》な|事《こと》だ。|併《しか》し|乍《なが》ら|御安心《ごあんしん》なさいませ。キツと|貴女《あなた》の|両親《りやうしん》は|命《いのち》に|別条《べつでう》ありませぬよ。これから|私《わたし》が|何《なん》とかして|救《すく》ひ|出《だ》して|貴女《あなた》にお|渡《わた》し|致《いた》しませう』
|女《をんな》は、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ひながら、
『ハイ|御親切《ごしんせつ》によう|云《い》つて|下《くだ》さいました、あり|難《がた》う|厶《ござ》います。|神様《かみさま》に|遇《あ》ふたやうに|存《ぞん》じます。|何卒《どうぞ》|憐《あは》れな|私《わたし》の|境遇《きやうぐう》、お|助《たす》け|下《くだ》さいませ。|両親《りやうしん》はキツと|助《たす》かりませうかなア』
『キツと|助《たす》けてみせませう。|御心配《ごしんぱい》なさいますな。さうして|貴女《あなた》の|両親《りやうしん》の|名《な》は|何《なん》と|云《い》ひますかな』
『ハイ|父《ちち》の|名《な》は|珍彦《うづひこ》、|母《はは》は|静子《しづこ》と|申《まを》します。そして|私《わたし》の|名《な》は|楓《かへで》と|申《まを》します』
『さうしてお|前《まへ》の|尋《たづ》ぬる|兄《あに》の|名《な》は|何《なん》と|云《い》ふのかなア』
『ハイ、|兄《あに》の|名《な》は|俊《とし》と|申《まを》しました。|其《その》|兄《あに》に|廻《まは》り|会《あ》ひたいばかりに、|親子《おやこ》|三人《さんにん》が|広《ひろ》いフサの|国《くに》を|彷徨《さまよ》ひ、|漸《やうや》くライオン|河《がは》の|辺《ほとり》まで|参《まゐ》つて……|両親《りやうしん》は|老《お》い、|足《あし》の|歩《あゆ》みも、はかばかしくないので、つひそこへ|住居《ぢうきよ》を|定《さだ》めて|居《ゐ》たので|厶《ござ》います』
|晴公《はるこう》は|此《この》|女《をんな》の|物語《ものがたり》を|聞《き》き、|太《ふと》き|息《いき》をつき、|口《くち》をへの|字《じ》に|結《むす》び、|目《め》を|閉《ふさ》いで、|頻《しき》りにウンウンと|溜息《ためいき》を|吐《つ》きながら、|何《なに》か|深《ふか》き|考《かんが》へに|沈《しづ》ンで|居《ゐ》る。
|万公《まんこう》は|勢《いきほ》ひよく、
『オイ|晴公《はるこう》、|何《なん》だい、【こくめい】な|顔《かほ》をしよつて、|貴様《きさま》が|生《う》ンだ【ナイス】ぢやないか。|仕様《しやう》もない|言霊《ことたま》を|出《だ》して|鬼女《きぢよ》を|生《う》ンだと|思《おも》へば|何《なん》の|事《こと》はない、|天下無双《てんかむさう》のナイスだ。ちつと|噪《はしや》がぬかい、こンな|時《とき》こそ|貴様《きさま》の|威張《ゐば》る|時《とき》だよ。
|思《おも》ひきや|鬼女《きぢや》と|思《おも》ひし|其《その》|影《かげ》は
|譬《たと》へ|方《かた》なきナイスなりとは
だ。|本当《ほんたう》に|貴様《きさま》は|今夜《こんや》の|言霊戦《ことたません》の|殊勲者《しゆくんしや》だ。この|女《をんな》を|発見《はつけん》して|一《ひと》つ|手《て》がかりを|得《え》、ランチ|将軍《しやうぐん》の|陣営《ぢんえい》を|根底《こんてい》より|覆《くつが》へし|神力《しんりき》を|現《あら》はす|機運《きうん》が|向《む》いたのだ。|何《なに》をウンウンと|溜息《ためいき》をつくのだ。ちつと|確《しつか》りせぬかい、エーン』
|晴公《はるこう》は|力《ちから》なげに、
『アヽ|済《す》まぬ。|如何《どう》したらよからうかなア』
と|云《い》ひながら|豆《まめ》のやうな|涙《なみだ》をパラパラと|降《ふ》らして|居《ゐ》る。|折《をり》から|十八夜《じふはちや》の|月《つき》は、|河鹿山《かじかやま》をかすめて|上《のぼ》り|初《はじ》めた。|森《もり》の|中《なか》とは|云《い》へ|全体的《ぜんたいてき》にホンノリと|四辺《あたり》は|明《あか》くなつて|来《き》た。|蝋燭《らふそく》の|火《ひ》はつぎ|換《か》へられた。
|万公《まんこう》は|元気《げんき》よく、
『|何《なん》だ|晴公《はるこう》、|貴様《きさま》は|泣《な》いて|居《ゐ》るのだな。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|卵《たまご》が|何《なん》だ、メソメソと|吠面《ほえづら》をかわくと|云《い》ふ|事《こと》があるかい。|俺《おれ》が|一《ひと》つ|活《くわつ》を|入《い》れてやらう|確《しつか》りせい』
と|云《い》ひながら|拳《こぶし》を|固《かた》めて|二《ふた》つ|三《み》つ|晴公《はるこう》の|背《せ》をつづけ|打《う》ちにした。
『|今《いま》あの|楓《かへで》の|云《い》つた|兄《あに》と|云《い》ふのは|俺《おれ》だよ、この|晴公《はるこう》だよ』
『|何《なに》、お|前《まへ》があのナイスの|兄貴《あにき》か、ヨウさう|聞《き》くと、どこともなしに|似《に》よつた|処《ところ》があるやうだ。もし|先生《せんせい》|妙《めう》な|事《こと》があるものですな。これもやつぱり|神様《かみさま》のお|引《ひ》き|合《あは》せでせう。|晴公《はるこう》がしやうもない|言霊《ことたま》を|寝《ね》もせずに|上《あ》げて|居《を》つたのを|見《み》て|怪体《けたい》な|男《をとこ》だと|怪《あや》しみながら|寝《ね》て|居《ゐ》ましたが、|矢張《やつぱ》り|虫《むし》が|知《し》らしたので|寝《ね》られなかつたのですな。|兄妹《きやうだい》の|霊魂《れいこん》が|交通《かうつう》したのでせうかな。ヤア|晴公《はるこう》さまお|目出度《めでた》う。|楓《かへで》さまお|目出度《めでた》う。お|祝《いは》ひ|申《まを》します。|私《わたし》の|先生《せんせい》もこの|松彦《まつひこ》さまと|久《ひさ》し|振《ぶ》りで|兄弟《きやうだい》の|御対面《ごたいめん》なさつたのだ、|何《なん》と|人間《にんげん》の|運命《うんめい》は|分《わか》らぬものだなア、|先生《せんせい》、|本当《ほんと》に|不思議《ふしぎ》ぢや|御座《ござ》いませぬか』
『さうだなア、|不思議《ふしぎ》な|事《こと》もあればあるものだ。|何《いづ》れ|宣伝使《せんでんし》になるものは|親兄弟《おやきやうだい》に|生《い》き|別《わか》れたり、|再《ふたた》び|世《よ》に|立《た》つ|可《べ》からざる|運命《うんめい》に|陥《おちい》つた|者《もの》ばかりが|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|救《すく》はれて|御用《ごよう》をして|居《ゐ》るのだから、|誰《たれ》だつて|其《その》|来歴《らいれき》を|洗《あら》ひ|曝《さら》せば、|皆《みな》|悲惨《ひさん》な|者《もの》ばかりだよ。|人間心《にんげんごころ》に|立《た》ち|帰《かへ》つて|考《かんが》へ|出《だ》した|位《くらゐ》なら|一時《いちじ》も|心《こころ》を|安《やす》むずる|事《こと》は|出来《でき》ないのだが、|愛《あい》と|信《しん》と|神様《かみさま》の|光明《くわうみやう》に|照《て》らされて|地上《ちじやう》の|憂《う》さを|忘《わす》れて|居《ゐ》るのだからなア』
と|悄然《せうぜん》として|首垂《うなだ》れる。|万公《まんこう》は|涙声《なみだごゑ》を|態《わざ》と|元気《げんき》らしく、
『|先生《せんせい》|貴方《あなた》からそう|悄気《しよげ》て|貰《もら》つては、|吾々《われわれ》は|如何《どう》するのです。|人《ひと》の|心霊《しんれい》は|歓喜《くわんき》のために|存在《そんざい》すると|何時《いつ》も|仰有《おつしや》つたぢやありませぬか。どうやら|貴方《あなた》は|歓喜《くわんき》|去《さ》つて|悲哀《ひあい》|来《きた》ると|云《い》ふ|状態《じやうたい》ですよ。ちつと|確《しつか》りして|下《くだ》さいな』
『イヤわしは|歓喜《くわんき》|余《あま》つての|悲哀《ひあい》だ。つまり|有難涙《ありがたなみだ》に|暮《く》れて|居《ゐ》るのだ。|神様《かみさま》の|御恵《おめぐみ》を|今更《いまさら》の|如《ごと》く|感謝《かんしや》して|居《ゐ》る|随喜《ずいき》の|涙《なみだ》だからさう|心配《しんぱい》をして|呉《く》れるな』
『|私《わたし》も|歓喜《くわんき》の|涙《なみだ》がアンアンアン|溢《こぼ》れますわい。オンオンオンオイ|晴公《はるこう》、いや|俊《とし》さま、お|前《まへ》も|嬉《うれ》し|涙《なみだ》が|溢《こぼ》れるだらう。|歓喜《くわんき》の|涙《なみだ》なら|堤防《ていばう》が|崩《くづ》れる|処《ところ》|迄《まで》|流《なが》したらよからう。アンアンアン|余《あま》り|嬉《うれ》しくて|泣《な》き|堪能《たんのう》が|仕度《した》いわい』
|晴公《はるこう》は|又《また》|涙声《なみだごゑ》にて、
『|治国別《はるくにわけ》の|先生様《せんせいさま》|有《あ》り|難《がた》う|厶《ござ》います。|何卒《どうぞ》|妹《いもうと》の|身《み》の|上《うへ》を|宜《よろ》しくお|願《ねが》ひ|致《いた》します』
『ウン|私《わたし》も|満足《まんぞく》だが、お|前《まへ》も|嘸《さぞ》|満足《まんぞく》だらう』
『あなたは|兄上《あにうへ》で|厶《ござ》いましたか、|妾《わたし》は|楓《かへで》で|厶《ござ》ります。ようまあ|無事《ぶじ》で|居《ゐ》て|下《くだ》さいました。どうぞお|父《とう》さまやお|母《かあ》さまの|命《いのち》を|救《すく》うて|下《くだ》さいませ。|貴兄《あなた》にこの|事《こと》さへ|知《し》らして|置《お》けば|楓《かへで》は|此《この》|儘《まま》|死《し》すとも|此《この》|世《よ》に|思《おも》ひは|残《のこ》りませぬ、あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
『|妹《いもうと》|随分《ずゐぶん》|苦労《くらう》をしたであらうなア、|俺《おれ》だとて|親兄妹《おやきやうだい》の|事《こと》を|一時《いちじ》も|忘《わす》れた|事《こと》はない。|雨《あめ》の|晨《あした》|風《かぜ》の|夕《ゆふべ》アーメニヤの|空《そら》を|眺《なが》め、|両親《りやうしん》は|如何《いか》に、|妹《いもうと》は|如何《いか》にと、|涙《なみだ》の|種《たね》がつきる|程《ほど》どれ|丈《だけ》|泣《な》き|暮《く》らしたか|知《し》れない。|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》に|拾《ひろ》はれて|神様《かみさま》のお|道《みち》に|入《い》り、|歓喜《くわんき》の|雨《あめ》に|浴《よく》し、「かへらぬ|事《こと》を|思《おも》ふまい」といつも|心《こころ》を|紛《まぎ》らし、|馬鹿口《ばかぐち》ばかりたたいて|浮世《うきよ》|三分五厘《さんぶごりん》で|表面《へうめん》は|暮《く》らして|居《ゐ》るものの、|恩愛《おんあい》の|覊《きづな》はどうしても|切《き》る|事《こと》は|出来《でき》ぬ。|妹《いもうと》、|俺《おれ》も|会《あ》ひたかつた』
と|人目《ひとめ》も|構《かま》はず|楓《かへで》の|体《からだ》を|抱《いだ》きかかへ、|一言《ひとこと》も|発《はつ》し|得《え》ず|泣《な》き|崩《くづ》れて|居《ゐ》る。|勇《いさ》みをつけむと|治国別《はるくにわけ》は|立《た》ち|上《あが》り|声《こゑ》も|涼《すず》しく|歌《うた》ひ|出《だ》しぬ。
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |曲津《まがつ》の|神《かみ》は|荒《すさ》ぶとも
|誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の |教《をしへ》の|道《みち》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善神邪神《ぜんしんじやしん》を|立《た》て|分《わ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ
|身《み》の|禍《わざはひ》は|宣《の》り|直《なほ》せ |天地《てんち》を|造《つく》りたまひたる
|誠《まこと》の|神《かみ》のます|限《かぎ》り |信《しん》と|愛《あい》との|備《そな》はりし
|誠《まこと》の|氏子《うぢこ》の|身《み》の|上《うへ》を |守《まも》りたまはぬ|事《こと》やある
|晴公《はるこう》|楓《かへで》の|両人《りやうにん》よ |心《こころ》|安《やす》けく|平《たひ》らけく
|神《かみ》に|任《まか》せよ|千早《ちはや》|振《ふ》る |尊《たふと》き|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》に
|親子《おやこ》|兄妹《きやうだい》|廻《めぐ》り|会《あ》ひ |天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|楽《たの》しみを
|摂受《せつじゆ》し|得《う》るは|目《ま》のあたり |治国別《はるくにわけ》は|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|力《ちから》を|頼《たよ》りつつ |汝等《なんぢら》|二人《ふたり》の|望《のぞ》みをば
|必《かなら》ず|叶《かな》へ|与《あた》ふべし |神《かみ》は|汝《なんぢ》と|共《とも》にあり
|吾等《われら》も|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》 |神《かみ》に|任《まか》せし|身《み》の|上《うへ》は
|如何《いか》に|悪魔《あくま》の|荒《すさ》ぶとも |如何《いか》でか|恐《おそ》れむ|敷島《しきしま》の
|大和心《やまとごころ》を|振《ふ》り|興《おこ》し |四方《よも》の|醜草《しこぐさ》|薙払《なぎはら》ひ
|天地《てんち》に|塞《ふさ》がる|叢雲《むらくも》を |生言霊《いくことたま》の|神力《しんりき》に
|吹《ふ》き|払《はら》ひつつ|天《あま》つたふ |月《つき》の|光《ひかり》の|清《きよ》きごと
|天津日《あまつひ》かげの|照《て》る|如《ごと》く |吾《わ》が|神力《しんりき》を|輝《かがや》かし
バラモン|教《けう》の|曲神《まがかみ》を |言向《ことむ》け|和《やは》し|歓楽《くわんらく》の
|海《うみ》に|真如《しんによ》の|日月《じつげつ》を |浮《うか》べて|歓喜《くわんき》の|小波《さざなみ》に
|此《この》|世《よ》を|渡《わた》す|法《のり》の|船《ふね》 |心《こころ》|安《やす》けくおぼされよ
いざこれよりは|曲神《まがかみ》の |軍《いくさ》の|砦《とりで》に|立《た》ち|向《むか》ひ
|天津御神《あまつみかみ》の|給《たま》ひてし |生言霊《いくことたま》を|打《う》ち|出《だ》して
|天地清浄《てんちしやうじやう》|山川《やまかは》も |木草《きくさ》の|端《はし》に|至《いた》るまで
|歓喜《くわんき》の|雨《あめ》に|浴《よく》せしめ |救《すく》ひて|往《ゆ》かむ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|亀彦《かめひこ》が |治国別《はるくにわけ》と|現《あら》はれて
|偏《ひとへ》に|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ。
|今《いま》のぼる|月《つき》の|御光《みひかり》|親《おや》と|子《こ》の
|身《み》の|行末《ゆくすゑ》を|守《まも》らせたまへ。
|今《いま》|暫《しば》し|時《とき》をまたせよ|楓姫《かへでひめ》
|珍彦《うづひこ》|静子《しづこ》の|親《おや》に|遇《あ》はさむ。
たらちねの|親《おや》の|恵《めぐみ》は|日月《じつげつ》の
|空《そら》に|輝《かがや》く|光《ひかり》なるかも。
|七里《ななさと》を|照《て》らすと|云《い》へる|垂乳根《たらちね》の
|親《おや》の|光《ひかり》ぞめでたかりけり。
|治国別《はるくにわけ》|神《かみ》の|命《みこと》は|村肝《むらきも》の
|心《こころ》の|限《かぎ》り|汝《なれ》をたすけむ』
|楓《かへで》は|唄《うた》ふ。
『たまちはふ|救《すく》ひの|神《かみ》に|遇《あ》ひしごと
|吾《われ》は|心《こころ》も|勇《いさ》み|来《き》にけり。
|有難《ありがた》き|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|照《て》らされて
|吾《わが》|父母《ちちはは》に|遇《あ》ふ|日《ひ》|待《ま》たるる。
|吾《わが》|兄《あに》に|思《おも》はぬ|処《ところ》で|廻《めぐ》り|会《あ》ひ
|嬉《うれ》し|涙《なみだ》のとめどなきかな。
|三五《あななひ》の|神《かみ》を|恨《うら》みし|吾《われ》こそは
|身《み》の|愚《おろか》さを|今《いま》ぞ|悔《く》いぬる。
|垂乳根《たらちね》の|親《おや》は|如何《いか》にと|朝夕《あさゆふ》に
|胸《むね》|迫《せま》りつつ|神詣《かみまう》でせし。
|父母《ちちはは》を|奪《うば》ひ|去《さ》りたる|曲神《まがかみ》を
|憎《にく》みしあまり|醜業《しこわざ》せしかな。
|大空《おほぞら》を|照《て》らして|登《のぼ》る|月影《つきかげ》を
|見《み》るにつけてもうら|恥《はづ》かしきかな』
|晴公《はるこう》『|三五《あななひ》の|恵《めぐみ》の|露《つゆ》に|浴《よく》しつつ
|浮世《うきよ》の|夢《ゆめ》を|覚《さま》しけるかな。
|妹《いもうと》と|聞《き》くより|心《こころ》|飛《と》び|立《た》ちて
|抱《だ》きつきたくぞ|思《おも》ひけるかな。
バラモンに|捕《とら》へられたる|父母《ちちはは》の
|身《み》の|行末《ゆくすゑ》を|果《は》かなくぞ|思《おも》ふ。
さりながら|神《かみ》の|恵《めぐみ》は|垂乳根《たらちね》の
|身《み》を|隅《くま》もなく|守《まも》りたまはむ。
|垂乳根《たらちね》の|父《ちち》|珍彦《うづひこ》よ|母《はは》の|君《きみ》よ
|今《いま》|兄妹《きやうだい》が|救《すく》ひまつらむ。
さは|云《い》へどか|弱《よわ》きわれの|力《ちから》ならず
|産土山《うぶすなやま》の|神《かみ》の|恵《めぐ》みに。
|治国別《はるくにわけ》|神《かみ》の|司《つかさ》に|助《たす》けられ
|吾《わが》|垂乳根《たらちね》を|救《すく》ふ|嬉《うれ》しさ。
|曲神《まがかみ》の|如何《いか》|程《ほど》せまり|来《きた》るとも
|神《かみ》の|力《ちから》におひ|退《そ》けやらむ。
|妹《いもうと》よ|心《こころ》|安《やす》かれ|三五《あななひ》の
|神《かみ》は|吾等《われら》を|見捨《みす》てたまはじ』
|楓《かへで》『|有難《ありがた》し|兄《あに》の|命《みこと》の|言《こと》の|葉《は》を
|胸《むね》にたたみて|守《まも》りとやせむ。
アーメニヤ|恋《こひ》しき|家《いへ》をふり|捨《す》てて
|逍《さまよ》ひし|親子《おやこ》の|身《み》の|果《はか》なさよ。
|黄金姫《わうごんひめ》|神《かみ》の|司《つかさ》に|助《たす》けられ
またもやここに|救《すく》はれにけり。
|何事《なにごと》も|皆《みな》|神様《かみさま》の|御経綸《おんしぐみ》
|見直《みなほ》し|見《み》れば|憂《う》き|事《こと》もなし。
|憂《う》き|事《こと》のなほ|此《この》|上《うへ》に|積《つも》るとも
|何《なに》か|恐《おそ》れむ|神《かみ》のまにまに』
|松彦《まつひこ》『|月《つき》も|日《ひ》も|大空《おほぞら》に|照《て》る|世《よ》の|中《なか》は
|曲《まが》のかくらふ|隙《すき》はあらまし。
ランチてふ|軍《いくさ》の|司《つかさ》の|前《まへ》に|出《で》て
|生言霊《いくことたま》をたむけてや|見《み》む。
|愛信《あいしん》の|誠《まこと》の|剣《つるぎ》|振《ふ》りかざし
|曲《まが》のとりでを|切《き》りはふりなむ。
|面白《おもしろ》しあゝ|勇《いさ》ましき|門出《かどで》かな
|神《かみ》に|仕《つか》へし|軍司《いくさづかさ》の』
|万公《まんこう》『|世《よ》の|中《なか》に|吾《わが》|子《こ》に|勝《まさ》る|宝《たから》なし
|珍彦《うづひこ》|静子《しづこ》の|心《こころ》しのばゆ。
|珍彦《うづひこ》よ|静子《しづこ》の|姫《ひめ》よ|待《ま》てしばし
|救《すくひ》の|神《かみ》と|現《あら》はれゆかむ。
ゆくりなく|廻《めぐ》り|会《あ》ひたる|山口《やまぐち》の
|森《もり》は|結《むす》びの|神《かみ》にますらむ』
|竜公《たつこう》『|常暗《とこやみ》の|森《もり》を|照《て》らして|進《すす》み|来《く》る
|怪《あや》しき|影《かげ》に|驚《おどろ》きしかな。
さりながら|世《よ》にも|稀《まれ》なるナイスぞと
|悟《さと》りし|時《とき》の|心《こころ》|安《やす》けさ。
|今《いま》となり|身《み》の|愚《おろ》かさを|顧《かへり》みて
|顔《かほ》の|色《いろ》さへ|赤《あか》くなりぬる。
|吾《わが》|胸《むね》に|醜《しこ》の|曲津《まがつ》の|潜《ひそ》むらむ
|正《ただ》しき|人《ひと》をおぢ|怖《おそ》れけり。
|村肝《むらきも》の|心《こころ》に|潜《ひそ》む|曲神《まがかみ》を
|払《はら》はせたまへ|三五《あななひ》の|神《かみ》。
|治国別《はるくにわけ》|神《かみ》の|司《つかさ》に|従《したが》ひて
|言霊戦《ことたまいくさ》に|向《むか》ふ|嬉《うれ》しさ』
|治国別《はるくにわけ》『|山口《やまぐち》の|森《もり》に|休《やす》らひ|兄妹《おとどひ》の
|名乗《なの》りあげたる|事《こと》の|床《ゆか》しさ。
|片彦《かたひこ》やランチ|将軍《しやうぐん》|何者《なにもの》ぞ
|彼《かれ》は|人《ひと》の|子《こ》|人《ひと》の|身《み》なれば。
|吾《われ》こそは|神《かみ》の|御子《みこ》なり|神《かみ》の|宮《みや》
いかで|恐《おそ》れむ|人《ひと》の|御子《みこ》らに。
さりながら|心《こころ》|高《たか》ぶる|事《こと》|勿《なか》れ
|言霊戦《ことたません》に|向《むか》ふ|人々《ひとびと》。
たらちねの|親子《おやこ》|兄妹《きやうだい》|廻《めぐ》り|会《あ》ひ
|抱《いだ》き|喜《よろこ》ぶ|時《とき》の|待《ま》たるる。
|夜《よ》や|更《ふ》けぬ|月《つき》は|御空《みそら》に|上《のぼ》りましぬ
いざいねませよ|百《もも》の|人達《ひとたち》』
|晴公《はるこう》『|神司《かむづかさ》|宣《の》らせたまへる|言《こと》の|葉《は》も
|守《まも》るよしなき|今日《こんにち》の|嬉《うれ》しさ。
|村肝《むらきも》の|心《こころ》|勇《いさ》みて|森《もり》の|夜《よ》の
|明《あ》けゆく|空《そら》を|待《ま》ちあぐむなり』
|楓《かへで》『なつかしき|兄《あに》の|命《みこと》よ|治国別《はるくにわけ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》の|御言《みこと》|守《まも》りませ
さりながら|妾《わらは》も|心《こころ》|勇《いさ》み|立《た》ち
ねるに|寝《ね》られぬ|今宵《こよひ》ばかりは』
|治国別《はるくにわけ》『|兄妹《きやうだい》の|心《こころ》はさもやあるべしと
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》しおく
いざさらば|万公《まんこう》|五三公《いそこう》|竜公《たつこう》よ
|松彦《まつひこ》|共《とも》に|一《ひと》ねむりせよ』
|松彦《まつひこ》『|吾《わが》|兄《あに》の|言葉《ことば》にならひ|人々《ひとびと》よ
よくねむりませ|寅《とら》の|刻《こく》まで』
|斯《か》く|歌《うた》ひて|治国別《はるくにわけ》|一行《いつかう》は、やすやすと|眠《ねむ》りについた。|晴公《はるこう》、|楓《かへで》の|兄妹《きやうだい》は|嬉《うれ》しさの|余《あま》り|一睡《いつすゐ》もせず|辺《あた》りを|憚《はばか》り、ひそびそと|長物語《ながものがたり》を|涙《なみだ》とともに|語《かた》り|明《あ》かさむと|此《この》|場《ば》を|立出《たちい》で|兄妹《きやうだい》は|月光《げつくわう》を|浴《あ》びて|森《もり》の|外《そと》を|逍遥《せうえう》する|真夜中《まよなか》、|初冬《しよとう》の|月《つき》は|皎々《かうかう》として|満天《まんてん》に|輝《かがや》き、|此《この》|森《もり》の|外面《ぐわいめん》は|白《しろ》く|光《ひか》つて|居《ゐ》る。
(大正一一・一二・八 旧一〇・二〇 加藤明子録)
(昭和九・一二・二七 王仁校正)
第一一章 |腰《こし》ぬけ〔一一八〇〕
|晴公《はるこう》、|楓《かへで》の|両人《りやうにん》は|兄妹《きやうだい》|睦《むつま》じく|手《て》をひき|乍《なが》ら、|森《もり》の|木間《こま》を|漏《も》る|月影《つきかげ》を|幸《さいは》ひに|枯草《かれくさ》の|茫々《ばうばう》と|生《は》え|茂《しげ》つた|細道《ほそみち》を|逍遥《せうえう》し、|知《し》らず|知《し》らず|二三丁《にさんちやう》|計《ばか》り|南《みなみ》の|方《はう》へ|進《すす》むで|行《ゆ》く。
|南方《なんぱう》より|二三人《にさんにん》の|男《をとこ》、|忙《いそが》しげに|提灯《ちやうちん》をとぼしてやつて|来《く》る。|兄妹《きやうだい》は|之《これ》を|眺《なが》めて|彼《か》の|提灯《ちやうちん》の【しるし】は|三葉葵《みつばあふひ》がついてゐる。|擬《まが》ふ|方《かた》もなきバラモン|教《けう》の|捕手《とりて》に|間違《まちが》ひない、|見《み》つけられては|一大事《いちだいじ》と|大木《たいぼく》の|幹《みき》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。|三人《さんにん》はツト|立止《たちど》まり、
|甲《かふ》『オイ|此辺《ここら》で|一先《ひとま》づ|一服《いつぷく》して|行《ゆ》かうぢやないか。これから|先《さき》は|危険《きけん》|区域《くゐき》だ。|何程《なにほど》|斥候隊《せきこうたい》だと|云《い》つても、|僅《わづ》かに|三人《さんにん》|位《ぐらゐ》では|心細《こころぼそ》いぢやないか。|三五教《あななひけう》の|言霊《ことたま》|宣伝使《せんでんし》とやらに|出会《でつくは》したら、|大変《たいへん》な|目《め》に|逢《あ》ふと|云《い》う|事《こと》だ。|一《ひと》つ|此辺《ここら》で|団尻《だんじり》を|下《お》ろして|馬《うま》に|水《みづ》でもかうたら|何《ど》うだイ』
|乙《おつ》『オイ|何処《どこ》に|馬《うま》が|居《ゐ》るのだ。|貴様《きさま》チツと|呆《とぼ》けてゐやせぬか』
|甲《かふ》『|貴様《きさま》は|馬《うま》で、モ|一人《ひとり》が|鹿《しか》だ。|大分《だいぶ》|最前《さいぜん》からヒイヒイと|汽笛《きてき》をならしてゐるぢやないか。それだから|此《こ》の|出水《でみづ》で|馬《うま》に|水《みづ》を|呑《の》ませと|云《い》ふのだよ』
|乙《おつ》『|何《なに》を|吐《ぬか》すのだ、|鼬《いたち》|奴《め》が。|先《さき》へ|行《ゆ》きよつて|臭《くさ》い|臭《くさ》い|屁《へ》を|連発《れんぱつ》しよつて、コレ|見《み》ろ、|俺《おれ》の|鼻《はな》は|曲《まが》つて|了《しま》つた。|眉毛《まゆげ》|迄《まで》|立枯《たちがれ》が|出来《でき》てきたワ。|本当《ほんたう》に|困《こま》つた|奴《やつ》が|先《さき》に|立《た》つたものだな』
|甲《かふ》『|俺《おれ》の|最後屁《さいごぺ》で|鼻《はな》が|曲《まが》つたのぢやないわ。|貴様《きさま》は|先天的《せんてんてき》に|鼻曲《はなまが》りだ。|親譲《おやゆづ》りの|片輪《かたわ》|迄《まで》|俺《おれ》の|屁《へ》に|転嫁《てんか》さすとは、チト|虫《むし》が|好《よ》すぎるぞ。|何《ど》うだドツと|張込《はりこ》ンで|此処《ここ》で|休息《きうそく》しようぢやないか。さうすりや、やがて|本隊《ほんたい》がやつて|来《く》るのだから、|先《ま》づ|斥候《せきこう》だと|云《い》つても|一丁《いつちやう》|位《くらゐ》の|距離《きより》を|持《たも》つて|行《ゆ》かなくちやコレから|先《さき》は|心細《こころぼそ》いよ』
|乙《おつ》『それだから|貴様《きさま》は|鼬《いたち》と|云《い》ふのだ。|直《すぐ》に|糞《ばば》をたれ|屁古垂《へこた》れよつて|何《なん》の|態《ざま》だイ』
|甲《かふ》『ヘン|偉《えら》さうに|云《い》ふない。|臆病《おくびやう》たれ|奴《め》、|三人《さんにん》の|真中《まんなか》へ|入《はい》らにやヨウ|歩《ある》かぬと|云《い》つたぢやないか。ポンポン|乍《なが》ら|此《この》アーちやまは|敵《てき》の|矢玉《やだま》を|受《う》ける|一番槍《いちばんやり》の|御先頭《ごせんとう》だぞ。|何《なん》なら|貴様《きさま》、|先《さき》へ|行《い》つたら|何《ど》うだイ。|俺《おれ》が|真中《まんなか》から|行《い》つてやらうか』
|乙《おつ》『|先輩《せんぱい》が|先《さき》へ|行《ゆ》くのは|当《あた》り|前《まへ》だよ。|総《すべ》て|物《もの》には|順序《じゆんじよ》がある。|長幼序《ちやうえうじよ》あり|夫婦別《ふうふべつ》あり、といふからなア』
|甲《かふ》『|夜道《よみち》を|行《ゆ》く|時《とき》|丈《だ》け|貴様《きさま》は|長幼序《ちやうえうじよ》ありを|振《ふ》り|廻《まは》すのだから|耐《たま》らぬワ。なア|丙州《へいしう》、|一《ひと》つ|此処《ここら》で|休《やす》ンで|行《ゆ》かうぢやないか』
|丙《へい》『モー|二三丁《にさんちやう》|北《きた》へ|行《ゆ》けば|古社《ふるやしろ》の|跡《あと》がある。ウン|其処《そこ》には|大変《たいへん》|都合《つがふ》のよい|段《だん》があつて、|腰《こし》をかけるに|持《も》つて|来《こ》いだ。そこ|迄《まで》|行《ゆ》かうぢやないか』
|甲《かふ》『そこ|迄《まで》|行《ゆ》くのは|知《し》つて|居《ゐ》るが、なンだか|俄《にはか》に|足《あし》が|進《すす》まなくなつたのだ。|出《で》るのぢやないか。エー』
|丙《へい》『|出《で》るとは|何《なに》が|出《で》るのだい。|怪体《けたい》な|事《こと》をいふ|奴《やつ》だな』
|甲《かふ》『|出《で》るとも|出《で》るとも|大《おほい》に|出《で》るのだ。モウ|夜明《よあ》けに|間《ま》もあるまいから、|此処《ここら》で|一寸《ちよつと》|休《やす》みて|行《ゆ》かうかい』
|丙《へい》『アハー|此《この》|間《あひだ》から|噂《うはさ》に|聞《き》いた|鬼娘《おにむすめ》の|事《こと》を|思《おも》ひ|出《だ》しよつたな。ソレは|貴様《きさま》、|人《ひと》の|話《はなし》だよ。|幽霊《いうれい》と|化物《ばけもの》と|鬼《おに》とは|決《けつ》して|此《この》|世《よ》の|中《なか》にあるものぢやない。そンな|迷信《めいしん》をするな。さア、|行《ゆ》かう』
|乙《おつ》『ヨウ|其奴《そいつ》は|一寸《ちよつと》|見《み》ものだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|見《み》たところが、|何《なん》の|役《やく》にもならないから、マア|此辺《ここら》で|一層《いつそう》の|事《こと》|一服《いつぷく》しようかい。それの|方《はう》が|余程《よほど》|安全《あんぜん》だぞ』
|丙《へい》『アハヽヽヽ|此奴《こいつ》も|到頭《たうとう》|本音《ほんね》を|吹《ふ》き|居《を》つた。やつぱり|鬼娘《おにむすめ》が|恐《こは》いと|見《み》えるワイ。|頭《あたま》に|蝋燭《らふそく》を|三本《さんぼん》|立《た》て、|面《つら》を|青赤《あをあか》く|塗《ぬ》りたて、|口《くち》を|耳《みみ》|迄《まで》|裂《さ》けたやうにして、ピカツ ピカツと|暗《やみ》を|照《て》らし|乍《なが》ら、|白《しろ》い|尾《を》を|引《ひき》ずつて|来《く》る|姿《すがた》を|見《み》たら|余《あんま》り|気味《きびた》がよい|事《こと》ない|事《こと》ない|事《こと》ないワ。|俺《おれ》も|何《なん》だか|身柱元《ちりけもと》がぞくぞくして|来《き》はせぬワイ。さア、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》もそこ|迄《まで》|進《すす》めとは|云《い》はぬわ』
|甲《かふ》『アハヽヽヽ、やつぱり|此奴《こいつ》も|屁古垂《へこた》れ|組《ぐみ》だな。|時《とき》にランチ|将軍《しやうぐん》さまは|何故《なぜ》アンナ|爺《ぢい》や|婆《ばば》を|大事《だいじ》|相《さう》に|駕籠《かご》に|乗《の》せて|河鹿峠《かじかたうげ》を|越《こ》ゆるのだらうかなア。|些《ちつ》とも|合点《がつてん》が|行《ゆ》かぬぢやないか。|彼奴《あいつ》は|三五教《あななひけう》の|杢助《もくすけ》や、|黒姫《くろひめ》が|化《ば》けてゐるのだと|云《い》ふ|噂《うはさ》だが、|俺《おれ》も|一寸《ちよつと》|面《かほ》を|見《み》たが、|余《あま》り|恐《こは》さうな|奴《やつ》ぢやなかつたぞ』
|乙《おつ》『それが|化物《ばけもの》だよ。|人殺《ひとごろし》をしたり、|強盗《がうたう》する|奴《やつ》には|決《けつ》して|悪相《あくさう》な|奴《やつ》は|無《な》いものだ。|虫《むし》も|殺《ころ》さぬ|丸《まる》で|女《をんな》の|様《やう》な|優《やさ》しい|面《かほ》をして|居《を》つて、|陰《かげ》で|悪《わる》い|事《こと》をするのだ。|俺《おれ》の|様《やう》な|閻魔面《えんまづら》は|世間《せけん》の|奴《やつ》が|初《はじ》めから|恐《こは》がつて|油断《ゆだん》をせぬから、|一寸《ちよつと》も|悪《わる》い|事《こと》は|出来《でき》はせない。|外面如菩薩《げめんによぼさつ》、|内心如夜叉《ないしんによやしや》と|云《い》つてな、|外《そと》から|弱《よわ》そに|見《み》える|奴《やつ》が|挺子《てこ》でも|棒《ぼう》でも|了《を》へぬ|奴《やつ》だよ』
|丙《へい》『さうすると|彼《あ》の|杢助《もくすけ》、|黒姫《くろひめ》を|駕籠《かご》に|乗《の》せ、|河鹿峠《かじかたうげ》を|通過《つうくわ》せうといふ|算段《さんだん》だなア』
|甲《かふ》『ウンさうだ。|何《なん》でも|治国別《はるくにわけ》とか、|玉国別《たまくにわけ》とか|云《い》ふ|豪傑《がうけつ》が|祠《ほこら》の|森《もり》や、|懐谷《ふところだに》|辺《あたり》に|陣《ぢん》を|構《かま》へて|頻《しき》りに|言霊《ことたま》とやらを|打出《うちだ》しよるものだから、|何《ど》うしても|進《すす》む|事《こと》が|出来《でき》ない。そこで|三五教《あななひけう》の|杢助《もくすけ》、|黒姫《くろひめ》が|初稚姫《はつわかひめ》を|伴《つ》れてライオン|河《がは》の|畔《ほとり》にバラモン|軍《ぐん》の|動静《どうせい》を|考《かんが》へて|居《を》つたのを|甘《うま》く|捕獲《ほくわく》し、|河鹿峠《かじかたうげ》を|無事《ぶじ》に|通過《つうくわ》しようといふ|計略《けいりやく》だ。もし|言霊《ことたま》でも|打出《うちだ》し|居《を》つたら|駕籠《かご》の|扉《と》をパツと|開《ひら》き、|槍《やり》で|殺《ころ》すが|何《ど》うだ。コレでも|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》するかと|両人《りやうにん》の|胸元《むなもと》へ|突《つ》きつけるのだ。さうすると|如何《いか》に|無謀《むぼう》な|宣伝使《せんでんし》でも、|三五教《あななひけう》|切《き》つての|豪傑《がうけつ》|杢助《もくすけ》、|黒姫《くろひめ》を|見殺《みごろし》にする|訳《わけ》には|行《ゆ》かぬ。【せう】|事《こと》なしに|屁古垂《へこた》れ|居《を》つて、|何卒《どうぞ》|無事《ぶじ》に|御通過《ごつうくわ》をして|下《くだ》さいと|反対《あべこべ》に|頼《たの》むやうに|仕組《しぐ》まれた|仕事《しごと》だ。|随分《ずゐぶん》ランチさまも|智勇《ちゆう》|兼備《けんび》の|勇将《ゆうしやう》ぢやないか』
|兄妹《きやうだい》は|一口々々《ひとくちひとくち》|胸《むね》を|轟《とどろ》かせ|乍《なが》ら|聞《き》きゐたり。
|丙《へい》『|何《なん》だか|人《ひと》くさいぞ。|怪体《けたい》な|匂《にほ》ひがするぢやないか』
|乙《おつ》『|人《ひと》くさいなンて|丸《まる》で|鬼《おに》のやうな|事《こと》をいふない。アタ|厭《いや》らしい、|鬼娘《おにむすめ》の|出《で》る|森《もり》だと|思《おも》つて|馬鹿《ばか》な|事《こと》を|云《い》ふものぢや|無《な》い。ナーニ|此処《ここ》に|人《ひと》が|居《を》つて|耐《たま》るかい。|俺様《おれさま》のやうな|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》でも|気味《きみ》の|悪《わる》い|山口《やまぐち》の|森《もり》だ。こンな|所《ところ》へ|夜夜中《よるよなか》うろついて|居《ゐ》ようものなら|大蛇《をろち》に|呑《の》まれて|了《しま》ふワイ』
|丙《へい》『それでも|何《なん》だか|人間《にんげん》の|匂《のほ》ひがするやうだ、|併《しか》し|人間《にんげん》の|臭《にほひ》のするのは|当然《あたりまへ》だらうよ。|此処《ここ》にも|一人《ひとり》|人間《にんげん》が|居《を》るのだからなア』
|乙《おつ》『|人間《にんげん》が|一人《ひとり》とはなンだい。|三人《さんにん》|居《を》るぢやないか』
|丙《へい》『|俺《おれ》は|人間《にんげん》だが|他《ほか》は|鼬《いたち》と|鹿《しか》だ』
|乙《おつ》『ナニを|吐《ぬか》すのだい。ドー|狸《たぬき》|奴《め》が』
|丙《へい》『|狸《たぬき》でも|何《なん》でもホツチツチだ。|俺《おれ》の|人間《にんげん》さまの|鼻《はな》には|何《ど》うも【|異性《いせい》】の|匂《にほ》ひがするのだ。|随分《ずゐぶん》【|威勢《ゐせい》】のよい|匂《にほ》ひだよ。|一寸《ちよつと》|男《をとこ》の|匂《にほ》ひもするやうだし』
|乙《おつ》『ハー、さうすると|貴様《きさま》もやつぱり|四足《よつあし》だ。|犬《いぬ》の|生《うま》れ|代《がは》りだな。さうでなくちや、それ|丈《だけ》|鼻《はな》の|利《き》く|気遣《きづか》ひはないわ。【ハナハナ】|以《もつ》て|奇妙奇天烈《きめうきてれつ》な|動物《どうぶつ》だなア』
|楓《かへで》は|可笑《をか》しさに|怺《こら》えかね、「ホヽヽヽヽ」と|吹《ふ》き|出《だ》せば、
|乙《おつ》『ソラ|鬼娘《おにむすめ》だ。ホヽヽヽヽだ。オイ|逃《に》げろ|逃《に》げろ』
|甲《かふ》|丙《へい》『|逃《に》げろといつたつて|逃《にげ》られるものか。モウあきらめるより|仕方《しかた》がないわ。|肝腎《かんじん》の|腰《こし》が|命令権《めいれいけん》に|服従《ふくじゆう》せぬのだから』
|傍《かたはら》の|木蔭《こかげ》から、
『アハヽヽヽ、オホヽヽヽ』
|丙《へい》『ソレ|見《み》たか、|俺《おれ》の|鼻《はな》は|偉《えら》いものだろ。|若《わか》い|男女《だんぢよ》が|手《て》に|手《て》を|取《と》つて、ソツと|吾《わが》|家《や》を|脱《ぬ》け|出《だ》し、たとへ|野《の》の|末《すゑ》、|山《やま》の|奥《おく》、|虎《とら》|狼《おほかみ》の|住処《すみか》でも、などと|洒落《しやれ》よつて|恋《こひ》の|道《みち》|行《ゆ》きをやつてるのだよ。|斯《か》う|分《わか》つた|以上《いじやう》は|矢張《やつぱり》|人間《にんげん》だ、|驚《おどろ》く|必要《ひつえう》はないわ』
|甲《かふ》|乙《おつ》は|胸《むね》をなで|下《お》ろし、
『|誰《たれ》も|驚《おどろ》いてゐるものがあるかい。|貴様《きさま》|一人《ひとり》|驚《おどろ》いて|居《ゐ》よるのだ。オイ|若夫婦《わかふうふ》、そンな|処《ところ》へ|隠《かく》れて|居《を》らずに、|御遠慮《ごゑんりよ》なく|此処《ここ》へ|罷《まか》りつン|出《で》て、|何《ど》ンな|面付《つらつ》きをして|居《を》るか、|一《ひと》つ|御慰《おなぐさ》みに|供《きよう》したら|何《ど》うだい』
|楓《かへで》はやさしい|声《こゑ》で、
『|兄《にい》さま、|三人《さんにん》の|御方《おかた》がアナイ|云《い》うてゐやはりますから、|一寸《ちよつと》|顔《かほ》を|拝《をが》まして|上《あ》げませうかなア。ホヽヽヽヽ』
|甲《かふ》『ナーンだ、|馬鹿《ばか》にしやがるない。|拝《をが》まして|上《あ》げようなンて、|何《ど》ンなナイスかしらぬが、|女《をんな》|位《ぐらゐ》に|精神《せいしん》をとろかすアーちやまぢやないぞ、エー。|世間体《せけんてい》をつくりよつて「|兄《にい》さま、ホヽヽヽヽ」が|聞《き》いて|呆《あき》れるワイ。|貴様《きさま》は|親《おや》の|目《め》を|忍《しの》ンで|喰《く》つ|付《つ》いてゐるのだろ。サア|此処《ここ》へつン|出《で》て|何《なに》も|彼《か》も|白状《はくじやう》するのだ。|早《はや》う|出《で》て|来《こ》ぬかいグヅグヅしてゐると|爺婆《ぢぢばば》の|駕籠《かご》が|出《で》て|来《く》ると|迷惑《めいわく》だ。それ|迄《まで》に|首実検《くびじつけん》をしておく|必要《ひつえう》があるワ』
|楓《かへで》『ホヽヽヽヽ、アタイもアンタ|方《がた》の|首《くび》を|実検《じつけん》して|置《お》く|必要《ひつえう》があるのよ。|幸《さいは》ひお|月様《つきさま》も|御照《おて》り|遊《あそ》ばし、よく|見《み》えるでせう。アタイ|毎晩《まいばん》|此《この》|森《もり》に|現《あら》はれて|来《く》る|鬼娘《おにむすめ》ですわ。ビツクリなさいますなや』
|甲《かふ》『エー、|気味《きび》たの|悪《わる》い|事《こと》を|吐《ぬか》す|奴《やつ》だ。モウ|拝謁《はいえつ》はまかりならぬ。|勝手《かつて》に|森《もり》の|奥《おく》へすつこみて、|万劫末代《まんごまつだい》|姿《すがた》を|現《あら》はさぬやうにいたせ』
|楓《かへで》『アタイその|爺《ぢい》さまと|婆《ばあ》さまとが|喰《く》ひたいのよ。それで|此処《ここ》に|青鬼《あをおに》の|兄《にい》さまと|待《ま》つてゐるの。|皆《みな》さま、|御苦労《ごくらう》だね。|馬《うま》さま、|鹿《しか》さま、|狸《たぬき》さま。ホヽヽヽヽ』
|甲《かふ》『エー|鬼娘《おにむすめ》|迄《まで》が|馬鹿《ばか》にしよる|哩《わい》。コリヤ|鬼娘《おにむすめ》、コレでも|一人前《いちにんまへ》の|立派《りつぱ》な|兄《にい》さまだぞ。|沢山《たくさん》のナイスにチヤホヤされて|袖《そで》が|千切《ちぎ》れて|怺《たま》らないから、|浮世《うきよ》のうるささを|避《さ》けてバラモン|教《けう》の|先生《せんせい》になつてゐるのだ。|何程《なにほど》|惚《ほれ》たつて|駄目《だめ》だ。|四十八珊《しじふはちサンチ》のクルツプ|砲《はう》を|発射《はつしや》してやらうか。|貴様《きさま》も|地獄《ぢごく》から|来《き》たのだらうが、|地獄《ぢごく》へ|帰《かへ》つてアーちやまに|肱鉄《ひぢてつ》をかまされたと|云《い》つては|貴様《きさま》の|面《つら》が|立《た》つまい。さア、|早《はや》く|退却《たいきやく》|々々《たいきやく》』
|斯《か》かる|処《ところ》へ|十七八人《じふしちはちにん》の|同勢《どうぜい》、|抜《ぬ》き|身《み》の|鎗《やり》を|振《ふ》りかざし、|二挺《にちやう》の|駕籠《かご》をかつがせてスタスタとやつて|来《く》る。|先頭《せんとう》に|立《た》つた|男《をとこ》は|三人《さんにん》の|姿《すがた》を|月影《つきかげ》に|眺《なが》め、
|男《をとこ》『ヤア|此処《ここ》に|何《なん》だか|怪《あや》しいものが|居《を》る。|大方《おほかた》|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》だろ。オイ|皆《みな》の|者《もの》、|首途《かどで》の|血祭《ちまつり》に|芋刺《いもざ》しにして|行《ゆ》け』
|甲《かふ》|乙《おつ》|丙《へい》は|驚《おどろ》いて|両手《りやうて》をひろげ、
『アーモシモシ アクに、タクに、テクだ。|一寸《ちよつと》|此処《ここ》で|鬼娘《おにむすめ》が|出《で》やがつたから|評定《ひやうじやう》をしてゐるのだ。|見違《みちが》へて|貰《もら》つちや|困《こま》るぞ』
|槍持《やりもち》『ナンダ|斥候隊《せきこうたい》のアク、タク、テクぢやないか。|何故《なぜ》こンな|処《ところ》にグヅグヅしてゐるのだ。|敵状《てきじやう》は|何《ど》うなつたか』
|甲《かふ》『|何《ど》うも|斯《か》うもあつたものぢやない。|今《いま》|此処《ここ》に|鬼娘《おにむすめ》が|現《あら》はれたのだ。|声《こゑ》ばつかり|聞《きこ》えてチツとも|姿《すがた》が|見《み》えないのだよ』
|槍持《やりもち》はビクビク|震《ふる》へ|出《だ》した。
『ナヽヽヽナニ|鬼娘《おにむすめ》が|出《で》たと。ソヽヽヽそしてそれは|何《ど》うなつたのだい』
|甲《かふ》『|俺《おれ》に|惚《ほれ》よつたと|見《み》えて、どうしても|斯《か》うしても|除《の》かぬのだよ。|大雲山《だいうんざん》のお|札《ふだ》でもあつたら|貸《かし》て|呉《く》れないか』
|男《をとこ》『|怪体《けたい》な|事《こと》を|云《い》ふぢやないか。マアマア|此処《ここ》へ|一《ひと》つ|駕籠《かご》を|下《お》ろして|調《しら》べて|見《み》よう。|全隊《ぜんたい》|止《と》まれ!』
と|号令《がうれい》する。|十七八人《じふしちはちにん》の|同勢《どうぜい》は|鎗《やり》を|杖《つゑ》につき|足《あし》を|揃《そろ》へてピタリと|止《と》まつた。|二人《ふたり》を|乗《の》せた|籠《かご》は|手荒《てあら》く|地上《ちじやう》に|下《お》ろされた。
|森《もり》の|中《なか》から|辺《あた》りに|響《ひび》く|大声《おほごゑ》の|宣伝歌《せんでんか》さやさやに|聞《きこ》え|来《き》たる。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 われは|治国別《はるくにわけ》の|神《かみ》
ランチ|将軍《しやうぐん》|片彦《かたひこ》の |手下《てした》の|奴《やつ》|共《ども》よつく|聞《き》け
|河鹿峠《かじかたうげ》に|陣取《ぢんど》りて |生言霊《いくことたま》に|妙《めう》を|得《え》し
|天下無双《てんかむさう》の|宣伝使《せんでんし》 |汝等《なんぢら》|一族《いちぞく》|悉《ことごと》く
|生言霊《いくことたま》に|払《はら》はむと |今《いま》や|此処《ここ》|迄《まで》|向《むか》うたり
もはや|逃《にが》れぬ|百年目《ひやくねんめ》 |汝《なんぢ》の|運《うん》も|早《はや》つきぬ
|二《ふた》つの|籠《かご》をそこに|置《お》き |一時《いちじ》も|早《はや》く|逃《に》げ|帰《かへ》れ
|拒《こば》むに|於《おい》ては|某《それがし》が |又《また》もやきびしき|言霊《ことたま》を
|霰《あられ》の|如《ごと》く|打出《うちいだ》し |曲《まが》に|従《したが》ふ|者《もの》|共《ども》を
|木端微塵《こつぱみぢん》に|踏《ふ》み|砕《くだ》き |滅《ほろぼ》しくれむは|目《ま》の|当《あた》り
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|吾々《われわれ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》す|宣伝使《せんでんし》
|汝《なんぢ》の|罪《つみ》は|憎《にく》けれど |皇大神《すめおほかみ》に|神習《かむなら》ひ
|仁慈《じんじ》を|以《もつ》て|救《すく》ふ|可《べ》し あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|言葉《ことば》に|従《したが》へよ』
|此《この》|言霊《ことたま》に|不意《ふい》を|打《う》たれて|二挺籠《にちやうかご》を|路上《ろじやう》に|捨《す》てた|儘《まま》、バラバラパツと|蜘蛛《くも》の|子《こ》を|散《ち》らすが|如《ごと》く|生命《いのち》からがら|逃《に》げて|行《ゆ》く。アク、タク、テクの|三人《さんにん》は|腰《こし》をぬかして|逃《に》げ|後《おく》れ、|路傍《ろばう》に|四這《よつば》ひとなつて|慄《ふる》ひ|戦《おのの》いてゐる。|楓《かへで》は|森《もり》かげを|立出《たちい》で|山駕籠《やまかご》の|扉《と》を|開《ひら》いて、アツと|計《ばか》りにおどろき|叫《さけ》ぶ。
(大正一一・一二・八 旧一〇・二〇 外山豊二録)
(昭和九・一二・二七 王仁校正)
第一二章 |大歓喜《だいくわんき》〔一一八一〕
|治国別《はるくにわけ》の|言霊《ことたま》に|一同《いちどう》は|驚《おどろ》き|目《め》を|覚《さ》まし、|万公《まんこう》は|目《め》をこすり|乍《なが》ら、
『|先生《せんせい》|貴方《あなた》は|俄《にはか》に|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》なさいましたが、|何《なに》か|変《かは》つた|者《もの》が|現《あら》はれたのですか』
『ウン』
『オイ|晴公《はるこう》、|楓《かへで》さまの|姿《すがた》が|見《み》えぬぢやないか。|大蛇《をろち》に|呑《の》まれて|了《しま》つたのぢやあるまいかな。オイ|五三公《いそこう》、|竜公《たつこう》、|何《なに》をグヅグヅしてゐるのぢやい。サア|探《さが》した|探《さが》した』
と|慌《あわて》まはる。|五三公《いそこう》、|竜公《たつこう》、|松彦《まつひこ》も|目《め》をキヨロキヨロさせ|乍《なが》ら|四辺《あたり》を|見《み》まはし、|二人《ふたり》の|姿《すがた》の|無《な》きに|驚《おどろ》いて|居《ゐ》る。
『|御苦労《ごくらう》だが|四人《よにん》|共《とも》、|森《もり》の|外《そと》へ|出《で》て、ここへ|駕籠《かご》をかついで|来《き》てくれ』
|万公《まんこう》『|駕籠《かご》を|舁《かつ》げとは、ソリヤ|又《また》|妙《めう》なことを|仰有《おつしや》いますなア』
|治国《はるくに》『|行《い》つて|見《み》たら|判《わか》るのだ。|晴公《はるこう》と|楓《かへで》さまが、|待《ま》つてゐるよ。サア|四人《よにん》|共《とも》|早《はや》く|行《い》つたり|行《い》つたり』
|万公《まんこう》『オイ、|何《なに》は|兎《と》もあれ|先生《せんせい》の|御命令《ごめいれい》だ。|行《い》つて|見《み》ようかな』
|三人《さんにん》は「ヨーシ|合点《がつてん》だ」と|万公《まんこう》の|後《あと》につき、|森《もり》の|外《そと》へと|走《はし》り|行《ゆ》く。|後《あと》に|治国別《はるくにわけ》は|合掌《がつしやう》し|乍《なが》ら、|独言《ひとりごと》、
『あゝ|有難《ありがた》い、|神様《かみさま》の|御引合《おひきあは》せ、どうやら|親子兄妹《きやうだい》の|対面《たいめん》が|許《ゆる》された|様《やう》だ。|之《これ》から|一骨《ひとほね》|折《を》らなくてはなるまいと、|昨夜《さくや》も|思案《しあん》にくれて|眠《ねむ》られなかつたが、|何《なん》とマアよい|都合《つがふ》に|神様《かみさま》はして|下《くだ》さつたものだ。|之《これ》と|云《い》ふのも|昨夜《さくや》|言霊《ことたま》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つた|神力《しんりき》の|御蔭《おかげ》だらう。|道《ことば》は|神《かみ》と|共《とも》にあり、|万物《ばんぶつ》|之《これ》に|依《よ》つて|造《つく》らる、との|聖言《せいげん》は|今更《いまさら》の|如《ごと》く|思《おも》はれて|実《じつ》に|有難《ありがた》い、あゝ|偉大《ゐだい》なる|哉《かな》|神《かみ》の|御神力《ごしんりき》、|言霊《ことたま》の|効用《かうよう》』
と|感歎《かんたん》し|乍《なが》ら、|東《ひがし》に|向《むか》つて|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|歌《うた》ひ|上《あ》げ、|神言《かみごと》まで|恭《うやうや》しく|詔上《のりあ》げて|了《しま》つた。そこへ|二挺《にちやう》の|駕籠《かご》を|舁《かつ》いで、|一行《いつかう》|六人《ろくにん》は|帰《かへ》り|来《き》たる。
|治国別《はるくにわけ》は、
『ヤアお|目出度《めでた》う。|晴公《はるこう》さま、|楓《かへで》さま、|神様《かみさま》の|御神徳《ごしんとく》は|偉《えら》いものですなア』
『|先生《せんせい》、|晴公《はるこう》は、おかげで|両親《りやうしん》にタヽ|対面《たいめん》が|出来《でき》ました』
と|早《はや》くも|声《こゑ》を|曇《くも》らしてゐる。|楓《かへで》は|紅葉《もみぢ》のやうな|愛《あい》らしき|手《て》を|合《あは》せ、|治国別《はるくにわけ》に|向《むか》ひ、|覚束《おぼつか》なげに|泣声《なきごゑ》|交《まじ》りに|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》を|幾度《いくたび》となく|繰返《くりかへ》して|居《ゐ》る。
『|先生《せんせい》、イヤもう|何《ど》うもかうもありませぬワイ。|偉《えら》いものですなア、|大《たい》したものですなア、エヽー、こンな|結構《けつこう》なことは|万々《まんまん》ありませぬワ。|本当《ほんたう》に|嬉《うれ》しいですワ、|何《なん》と|云《い》つて|御挨拶《ごあいさつ》を|申上《まをしあ》げたらよいやら、|万公《まんこう》は|言葉《ことば》も|早速《さつそく》に|出《で》て|来《き》ませぬワ』
『ヤア|結構《けつこう》だ、|万公《まんこう》サア|早《はや》くお|二人《ふたり》をここへ|出《だ》して|上《あ》げてくれ』
『|万々々承知《まんまんまんしようち》|致《いた》しました。コレコレ|晴公《はるこう》さま、|楓《かへで》さま、|何《なに》を|狼狽《うろた》へて|居《を》るのだい。お|前《まへ》さまも|手伝《てつだ》はぬかい、コラ|五三公《いそこう》、|松彦《まつひこ》、|竜《たつ》、|何《なに》をグヅグヅしてゐるのだい。|千騎一騎《せんきいつき》の|此《この》|場合《ばあひ》|安閑《あんかん》としてる|時《とき》ぢやないぞ。サア|対面《たいめん》ぢや|対面《たいめん》ぢや、|言霊《ことたま》だ|言霊《ことたま》だ、|言霊《ことたま》の|幸《さち》はふ|国《くに》だ』
と|万公《まんこう》は|駕籠《かご》のぐるりを|幾度《いくたび》ともなく、お|百度《ひやくど》|参《まゐ》りの|様《やう》に|廻転《くわいてん》してゐる。|老夫婦《らうふうふ》は|悠々《いういう》として|駕籠《かご》より|立出《たちい》で、|治国別《はるくにわけ》の|前《まへ》に|両手《りやうて》を|合《あは》せ、
『|三五教《あななひけう》の|活神様《いきがみさま》、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|私《わたし》は|珍彦《うづひこ》と|申《まを》す|者《もの》で|厶《ござ》ります』
『|妾《わたし》は|妻《つま》の|静子《しづこ》で|厶《ござ》ります。お|礼《れい》は|此《この》|通《とほ》りで|厶《ござ》います』
と|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》を|滝《たき》の|如《ごと》くに|流《なが》してゐる。|晴公《はるこう》も|楓《かへで》も|茫然《ばうぜん》として、|余《あま》りの|嬉《うれ》しさに|言葉《ことば》もなく、|両親《りやうしん》の|顔《かほ》を|横《よこ》から|見守《みまも》りゐるのみ。
『|何《なん》とマア|偉《えら》いこつちやないか、エヽー。|本当《ほんたう》に|誠《まこと》に|欣喜雀躍《きんきじやくやく》、|手《て》の|舞《ま》ひ|足《あし》の|踏《ふ》む|所《ところ》を|知《し》らずとは|此《この》|事《こと》だ。|余《あま》り|嬉《うれ》しくてキリキリ|舞《まひ》を|致《いた》すものと、|怖《こは》うてキリキリ|舞《まひ》|致《いた》す|者《もの》と|出来《でき》るぞよ、|信神《しんじん》なされ、|信神《しんじん》はマサカの|時《とき》の|杖《つゑ》になるぞよ……との|御聖言《ごせいげん》はマアこんな|事《こと》だらう、|万々々《まんまんまん》|万公《まんこう》の|満足《まんぞく》だよ。
あゝ|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い |神《かみ》の|力《ちから》が|現《あら》はれて
|常夜《とこよ》の|暗《やみ》の|如《ごと》くなる |此《この》|山口《やまぐち》の|森蔭《もりかげ》で
|親子《おやこ》|四人《よにん》の|巡《めぐ》り|合《あ》ひ おれの|親《おや》でもなけれ|共《ども》
|矢張《やつぱり》|嬉《うれ》しうて|万公《まんこう》は |手《て》の|舞《ま》ひ|足《あし》の|踏《ふ》む|所《ところ》
|知《し》らぬばかりになつて|来《き》た |三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》は
|本当《ほんたう》に|偉《えら》いお|方《かた》ぢやなア バラモン|教《けう》の|曲神《まがかみ》は
バカの|骨頂《こつちやう》だガラクタの |力《ちから》の|足《た》らぬ|厄雑神《やくざがみ》
|折角《せつかく》ここ|迄《まで》やつて|来《き》て |肝腎要《かんじんかなめ》の|品物《しなもの》を
|途上《とじやう》に|放《ほ》り|出《だ》し|逸早《いちはや》く |治国別《はるくにわけ》の|言霊《ことたま》に
|恐《おそ》れて|逃《に》げ|出《だ》す|可笑《をか》しさよ あゝ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い
オツトドツコイ|有難《ありがた》い それだに|依《よ》つて|万公《まんこう》は
|何時《いつ》も|喧《やかま》しう|言《い》うてゐる |三五教《あななひけう》ぢやないことにや
|誠《まこと》の|救《すく》ひは|得《え》られない |生言霊《いくことたま》の|神力《しんりき》は
|本当《ほんたう》に|偉《えら》い|勇《いさ》ましい |斎苑《いそ》の|館《やかた》に|沢山《たくさん》の
|神《かみ》の|司《つかさ》はあるけれど |一番《いちばん》|偉《えら》い|杢助《もくすけ》の
あとに|続《つづ》いた|亀彦《かめひこ》は |治国別《はるくにわけ》と|云《い》ふ|丈《だけ》で
|天下無双《てんかむさう》の|宣伝使《せんでんし》 |俺《おれ》の|肩《かた》まで|広《ひろ》うなつた
オイオイ|五三公《いそこう》|竜公《たつこう》よ お|前《まへ》のやうな|仕合《しあは》せな
|奴《やつ》が|世界《せかい》にあらうかい サア|是《これ》からは|是《これ》からは
ハルナの|都《みやこ》を|蹂躙《じうりん》し |大黒主《おほくろぬし》の|素《そ》つ|首《くび》を
|言霊隊《ことたまたい》の|神力《しんりき》で |捻切《ねぢき》り|引切《ひつき》り|月《つき》の|海《うみ》
ドブンとばかり|投込《なげこ》ンで |天《あめ》が|下《した》にはバラモンの
|曲津《まがつ》の|神《かみ》の|影《かげ》もなく |伊吹払《いぶきはら》ひに|吹《ふ》き|払《はら》ひ
|天地《てんち》を|浄《きよ》め|神界《しんかい》の お|褒《ほ》めをドツサリ|被《かうむ》りて
|至喜《しき》と|至楽《しらく》の|天国《てんごく》を |地上《ちじやう》に|建設《けんせつ》せうぢやないか
|治国別《はるくにわけ》の|先生《せんせい》よ |本当《ほんたう》に|貴方《あなた》は|偉《えら》い|方《かた》
|始《はじ》めて|感《かん》じ|入《い》りました どうぞ|私《わたし》を|末永《すえなが》う
お|弟子《でし》に|使《つか》うて|下《くだ》さンせ コレコレ|晴《はる》さま|楓《かへで》さま
お|前《まへ》も|一《ひと》つ|喜《よろこ》ンで |歌《うた》でも|歌《うた》うたらどうだいナ
|地異天変《ちいてんぺん》もこれ|丈《だけ》に |突発《とつぱつ》したら|面白《おもしろ》い
オツトドツコイ|有難《ありがた》い |三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》に
|早《はや》く|御礼《おれい》を|申《まを》しやいのう |何《なに》をグズグズして|厶《ござ》る
|側《そば》から|見《み》てもジレツたい あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|万公《まんこう》が |今日《けふ》の|恵《めぐみ》を|謹《つつし》みて
|感謝《かんしや》し|仕《つか》へ|奉《たてまつ》る |朝日《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》る|共《とも》
|月《つき》は|盈《み》つ|共《とも》|虧《か》くる|共《とも》 |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》む|共《とも》
|星《ほし》は|天《てん》よりおつる|共《とも》 |三五教《あななひけう》はやめられぬ
ホンに|結構《けつこう》な|御教《みをしへ》だ |不言実行《ふげんじつかう》といふことは
|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》が |手本《てほん》を|出《だ》して|下《くだ》さつた
これから|心《こころ》を|改《あらた》めて |口《くち》を|謹《つつし》み|行《おこな》ひに
|誠《まこと》の|限《かぎ》りを|現《あら》はして |神《かみ》の|御子《みこ》たる|本職《ほんしよく》を
|尽《つく》そぢやないか|皆《みな》の|者《もの》 あゝ|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い
|有難涙《ありがたなみだ》がこぼれます ヤツトコドツコイ ドツコイシヨ
ドツコイドツコイ コレワイシヨ ヨイトサア ヨイトサア
ヨイヨイヨイのヨイトサア ドツコイドツコイ ドツコイシヨー』
と|夢中《むちう》になつて、|広場《ひろば》を|飛廻《とびまは》る。|治国別《はるくにわけ》は|言《ことば》も|静《しづか》に、
『|珍彦《うづひこ》さま、|大変《たいへん》な|苦《くる》しい|目《め》に|会《あ》はれたでせうな。お|察《さつ》し|申《まを》します。|静子《しづこ》さまも|嘸《さぞ》|御心配《ごしんぱい》をなされたでせう』
|珍彦《うづひこ》は|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ひ|乍《なが》ら、
『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。アーメニヤの|大騒動《おほさうどう》に|依《よ》つて|親子《おやこ》|思《おも》ひ|思《おも》ひに|離散《りさん》し、|漸《やうや》くにして|娘《むすめ》の|所在《ありか》を|尋《たづ》ね、|三人《さんにん》|手《て》に|手《て》を|取《と》つて、|兄《あに》|俊彦《としひこ》の|行衛《ゆくゑ》を|尋《たづ》ねむものと、いろいろ|艱難辛苦《かんなんしんく》を|嘗《な》め、テームス|山《ざん》の|麓《ふもと》を|流《なが》るるライオン|川《がわ》の|畔《ほとり》|迄《まで》|参《まゐ》りました|所《ところ》、|老《おい》の|疲《つか》れが|来《き》たものか、|不思議《ふしぎ》にも|夫婦《ふうふ》の|者《もの》が|身体《からだ》の|自由《じいう》を|失《うしな》ひ、|一人《ひとり》の|娘《むすめ》に|二人《ふたり》の|親《おや》は|介抱《かいほう》をされ、あるにあられぬ|困難《こんなん》を|致《いた》して|居《を》りました|所《ところ》へ、|黄金姫《わうごんひめ》|様《さま》が|美《うつく》しい|娘《むすめ》さまと|共《とも》に|通《とほ》り|合《あ》はされ、いろいろと|結構《けつこう》なお|話《はなし》を|聞《き》かして|下《くだ》さいまして、お|蔭《かげ》で|夫婦《ふうふ》の|者《もの》は|気分《きぶん》も|爽快《さうくわい》になり|体《からだ》の|悩《なや》みも|段々《だんだん》と|癒《なほ》つて|参《まゐ》りました。|小《ちひ》さい|草小屋《くさごや》を|造《つく》り、|川端《かはばた》の|一軒家《いつけんや》で|親子《おやこ》|三人《さんにん》が|暮《くら》して|居《を》りました|所《ところ》へ、ランチ|将軍《しやうぐん》の|手下《てした》がやつて|来《き》て、|夫婦《ふうふ》の|者《もの》の|祝詞《のりと》の|声《こゑ》を|聞《き》き……|貴様《きさま》は|三五教《あななひけう》の|間者《まはしもの》だろ……と|云《い》つて、|無理《むり》にも|高手小手《たかてこて》に|縛《いまし》められ|駒《こま》に|乗《の》せられ、ランチ|将軍《しやうぐん》の|陣営《ぢんえい》|迄《まで》|送《おく》られました。|吾々《われわれ》|夫婦《ふうふ》はどうなつても|構《かま》ひませぬ。|惜《をし》くない|命《いのち》なれど、|娘《むすめ》や|兄《あに》の|事《こと》が|案《あん》じられ、|寝《ね》ても|起《お》きても、|夫婦《ふうふ》の|者《もの》が|霜《しも》|寒《さむ》き|陣営《ぢんえい》に|捉《とら》へられて、|無念《むねん》の|涙《なみだ》を|絞《しぼ》つて|居《を》りました』
と|言《い》ひさして、ワツとばかりに|男泣《をとこなき》に|泣《な》く。
|治国別《はるくにわけ》は|憮然《ぶぜん》として|慰《なぐさ》めるやうに、
『それは|御老体《ごらうたい》の|身《み》を|以《もつ》て、エライ|御艱難《ごかんなん》をなさいましたな。|併《しか》し|乍《なが》ら|最早《もはや》|御安心《ごあんしん》をなさいませ。|吾々《われわれ》のついてゐる|限《かぎ》りは|最早《もはや》|大丈夫《だいぢやうぶ》ですから』
|珍彦《うづひこ》は「ハイ」と|云《い》つたきり、|又《また》もや|泣《な》きじやくる。|静子《しづこ》は|又《また》もや|涙片手《なみだかたて》に、
『お|話《はなし》|申《まを》すも|涙《なみだ》の|種《たね》|乍《なが》ら、ランチ|将軍《しやうぐん》の|陣営《ぢんえい》へ|夫婦《ふうふ》は|連《つ》れ|行《ゆ》かれ、|鬼《おに》のやうな|番卒《ばんそつ》に|朝《あさ》から|晩《ばん》|迄《まで》、|身《み》に|覚《おぼ》えもないことを|詰問《きつもん》され、|身体《しんたい》|所《ところ》|構《かま》はず|鞭《むちう》たれ、|実《じつ》に|苦《くる》しう|厶《ござ》いました。そしてランチ|将軍《しやうぐん》の|前《まへ》に|時々《ときどき》|引出《ひきだ》され……|其《その》|方《はう》は|三五教《あななひけう》の|杢助《もくすけ》であらう。|汝《なんぢ》は|黒姫《くろひめ》であらう、|白状《はくじやう》|致《いた》せ。そして|其《その》|方《はう》の|同居《どうきよ》してゐた|娘《むすめ》は|初稚姫《はつわかひめ》に|違《ちが》ひなからう。サアどこへ|隠《かく》した、|所在《ありか》を|知《し》らせ……とエライ|拷問《がうもん》、|到底《たうてい》|命《いのち》はなきものと|覚悟《かくご》|致《いた》して|居《を》りましたが、|死《し》ぬる|此《この》|身《み》は|厭《いと》はねど、どうぞして|吾《わが》|子《こ》|二人《ふたり》に|廻《めぐ》り|合《あ》はねば|死《し》ぬにも|死《し》ねないと|思《おも》ひまして、|嘘《うそ》を|言《い》つては|済《す》まないと|存《ぞん》じ|乍《なが》ら、|向《むか》うの|尋《たづ》ぬるままに、|夫《をつと》は|杢助《もくすけ》で|厶《ござ》いました、……と|答《こた》へ、|私《わたし》はまがふ|方《かた》なき|黒姫《くろひめ》だ、そして|娘《むすめ》は|初稚姫《はつわかひめ》に|相違《さうゐ》|厶《ござ》いませぬ……と|言《い》つてのけました。そした|所《ところ》がますます|詮議《せんぎ》が|厳《きび》しくなり、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》はハルナの|都《みやこ》へ|向《むか》つて、|何人《なにびと》ばかり|出張《しゆつちやう》したかとか、いろいろと|存《ぞん》じもよらぬことを|詰問《きつもん》され、|苦《くる》しさまぎれに|口《くち》から|出任《でまか》せの|返答《へんたふ》を|致《いた》しました|所《ところ》、|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|送《おく》つてやらうと|云《い》つて、|吾々《われわれ》|夫婦《ふうふ》を|後手《うしろで》に|縛《しば》り|山駕籠《やまかご》に|投込《なげこ》み、|家来《けらい》に|舁《かつ》がせてここ|迄《まで》つれて|来《き》ました。|吾々《われわれ》|夫婦《ふうふ》はどうなることかと|胸《むね》を|痛《いた》めて|居《を》りましたが、|思《おも》ひもよらぬ|貴方様《あなたさま》のお|助《たす》けに|預《あづ》かり、|其《その》|上《うへ》|焦《こが》れ|慕《した》うた|二人《ふたり》の|子《こ》に|会《あ》はして|貰《もら》ひ、|斯様《かやう》な|嬉《うれ》しいことは、|天《てん》にも|地《ち》にも|厶《ござ》りませぬ。|命《いのち》の|親《おや》の|活神様《いきがみさま》』
と|又《また》もや|手《て》を|合《あ》はしてワツとばかりに|泣伏《なきふ》しにける。
|晴公《はるこう》は|珍彦《うづひこ》の|側《そば》に|寄《よ》り、
『|父上様《ちちうへさま》、お|久《ひさ》しう|厶《ござ》います。よくマア|生《い》きてゐて|下《くだ》さいました。|私《わたし》は|俊彦《としひこ》で|厶《ござ》います、|若《わか》い|時《とき》はいろいろと|御心配《ごしんぱい》をかけましたが、|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》を|聞《き》くにつけて、|親《おや》の|御恩《ごおん》を|思《おも》ひ|出《だ》し、|何卒《どうぞ》|両親《りやうしん》に|会《あ》はして|下《くだ》さいませと、|朝夕《あさゆふ》|祈《いの》らぬ|間《ま》とては|厶《ござ》いませなかつたので|厶《ござ》ります』
と|又《また》もや|涙《なみだ》を|絞《しぼ》る。|珍彦《うづひこ》は|鼻《はな》を|啜《すす》り|乍《なが》ら、|皺手《しわで》を|伸《の》ばして、|晴公《はるこう》の|頭《あたま》を|撫《な》でまはし、
『あゝ|俊彦《としひこ》、よう|言《い》うてくれた。|其《その》|言葉《ことば》を|聞《き》く|以上《いじやう》は|此《この》|儘《まま》|国替《くにがへ》をしても、|此《この》|世《よ》に|残《のこ》ることはない。あゝ|有難《ありがた》い。|持《も》つべきものは|吾《わが》|子《こ》だ。コレ|俊彦《としひこ》、|安心《あんしん》して|呉《く》れ、|私《わたし》は|年《とし》はよつてゐても|体《からだ》は|達者《たつしや》だから、ここ|二年《にねん》や|三年《さんねん》にどうかうはあるまいから』
『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います、これから|力限《ちからかぎ》り|孝行《かうかう》を|励《はげ》みます。|今迄《いままで》の|罪《つみ》は|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ』
といふ|言葉《ことば》さへも|涙交《なみだまじ》りである。|楓《かへで》は|静子《しづこ》の|手《て》をシツカと|握《にぎ》り、
『お|母《か》アさま、|随分《ずゐぶん》お|困《こま》りでしたらうねえ。|私《わたし》、どれ|丈《だけ》|泣《な》いたか|知《し》れませぬよ。ウブスナ|山《やま》の|斎苑館《いそやかた》へ|参拝《さんぱい》して、|御両親《ごりやうしん》の|所在《ありか》を|知《し》らして|貰《もら》はうと、|身《み》をやつして、|河鹿峠《かじかたうげ》の|山口《やまぐち》|迄《まで》|参《まゐ》りました|所《ところ》、|道《みち》|行《ゆ》く|人《ひと》の|話《はなし》に|聞《き》けば、バラモン|教《けう》の|軍勢《ぐんぜい》が|谷道《たにみち》を|扼《やく》してゐるといふことを|聞《き》きましたので、あゝ|是非《ぜひ》がない、モウ|此《この》|上《うへ》は|両親《りやうしん》の|無事《ぶじ》を|祈《いの》り、かたきの|滅亡《めつぼう》を|祈《いの》るより、|私《わたし》としての|尽《つく》すべき|途《みち》はないと|思《おも》ひ、|此《この》|恐《おそ》ろしい|魔《ま》の|森《もり》の|奥《おく》に|大蛇《をろち》の|岩窟《いはや》のあることを|聞《き》き、ここに|忍《しの》びて|居《を》ればバラモンの|捕手《とりて》も|滅多《めつた》に|尋《たづ》ねては|来《き》まいと|思《おも》ひ、|恐《おそ》ろしい|岩窟《いはや》に|身《み》を|忍《しの》び、|三七廿一日《さんしちにじふいちにち》の|夜参《よまゐ》りを、|鬼《おに》に|化《ば》けて|致《いた》して|居《を》りました。|心願《しんぐわん》が|通《とほ》つたと|見《み》えて、|三七日《さんしちにち》の|上《あが》りに|兄《にい》さまに|巡《めぐ》り|会《あ》ひ、|又《また》お|父《とう》さまお|母《か》アさまに|会《あ》はして|頂《いただ》きました。どうぞ|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ、|斯様《かやう》な|偉《えら》い|宣伝使《せんでんし》|様《さま》の|懐《ふところ》に|抱《いだ》かれた|以上《いじやう》は|最早《もはや》|大丈夫《だいぢやうぶ》で|厶《ござ》います』
と|涙交《なみだまぜ》りに|慰《なぐさ》める。|静子《しづこ》は|楓《かへで》の|背《せ》に|喰《くら》ひつき、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》にかきくれる。これより|治国別《はるくにわけ》の|命《めい》に|依《よ》つて、|珍彦《うづひこ》、|静子《しづこ》、|楓《かへで》、|晴公《はるこう》の|四人《よにん》を|玉国別《たまくにわけ》のこもつてゐる|祠《ほこら》の|森《もり》へ|手紙《てがみ》を|持《も》たせてやることとした。そして|山口《やまぐち》|迄《まで》|宣伝使《せんでんし》|一行《いつかう》は|送《おく》り|届《とど》けた。|親子《おやこ》|四人《よにん》は|玉国別《たまくにわけ》に|面会《めんくわい》し、|神殿《しんでん》|造営《ざうえい》の|手伝《てつだ》ひをなし、|夫婦《ふうふ》は|遂《つひ》に|宮《みや》のお|給仕役《きふじやく》となり、|楓《かへで》は|五十子姫《いそこひめ》の|侍女《じぢよ》となつて、|神殿《しんでん》|落成《らくせい》の|後《のち》|斎苑館《いそやかた》に|帰《かへ》り、|神《かみ》の|教《をしへ》を|研究《けんきう》し、|遂《つひ》には|立派《りつぱ》なる|宣伝使《せんでんし》となつて|神《かみ》の|御恩《ごおん》に|報《はう》ずる|身《み》とはなりにける。
(大正一一・一二・八 旧一〇・二〇 松村真澄録)
(昭和九・一二・二八 王仁校正)
第一三章 |山口《やまぐち》の|別《わかれ》〔一一八二〕
|治国別《はるくにわけ》|一行《いつかう》は|珍彦《うづひこ》|親子《おやこ》|四人《よにん》を|河鹿峠《かじかたうげ》の|上《のぼ》り|口《ぐち》|迄《まで》|送《おく》り|届《とど》け、|茲《ここ》に|一行《いつかう》は|路傍《ろばう》の|巌《いは》に|腰《こし》うちかけ、|別《わか》れの|挨拶《あいさつ》に|代《か》へて|歌《うた》ふ。|晴公《はるこう》の|歌《うた》、
『コーカス|山《ざん》に|現《あら》はれし |大気津姫《おほげつひめ》の|部下《ぶか》となり
|八王神《やつこすがみ》の|列《れつ》に|入《い》り |時《とき》めき|給《たま》ひし|吾《わが》|父《ちち》も
コーカス|山《ざん》を|退《やら》はれて |落《お》ち|行《ゆ》く|先《さき》はアーメニヤ
ウラルの|彦《ひこ》やウラル|姫《ひめ》 |開《ひら》き|給《たま》ひしウラル|教《けう》
|塩長彦《しほながひこ》の|大神《おほかみ》を |盤古神王《ばんこしんわう》と|称《たた》へつつ
|教《をしへ》を|四方《よも》に|伝《つた》へ|行《ゆ》く |数多《あまた》の|司《つかさ》を|従《したが》へて
|時《とき》めき|渡《わた》り|居《ゐ》たりしが バラモン|教《けう》の|大棟梁《だいとうりやう》
|鬼雲彦《おにくもひこ》の|部下《ぶか》|共《ども》に |打《う》ち|亡《ほろ》ぼされ|神司《かむづかさ》
|信徒《まめひと》|共《とも》に|四方八方《よもやも》に |雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|散《ち》りぬ
|其《その》|時《とき》|吾《われ》は|辛《から》うじて |夜陰《やいん》に|紛《まぎ》れ|逃《に》げ|出《いだ》し
|彼方此方《かなたこなた》とさまよひつ |吾《わが》|両親《ふたおや》や|妹《いもうと》の
|在所《ありか》|求《もと》むる|時《とき》もあれ |三五教《あななひけう》の|神司《かむづかさ》
|亀彦司《かめひこつかさ》に|助《たす》けられ |斎苑《いそ》の|館《やかた》に|導《みちび》かれ
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御教《みをしへ》を |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|教《をし》へられ
|御伴《みとも》となりて|河鹿山《かじかやま》 |烈《はげ》しき|風《かぜ》を|浴《あ》び|乍《なが》ら
|漸《やうや》く|越《こ》えて|山口《やまぐち》の |森《もり》の|木蔭《こかげ》に|来《き》て|見《み》れば
|虫《むし》が|知《し》らすか|何《なん》とやら |寝《ね》られぬままに|只《ただ》|一人《ひとり》
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》の|宣《の》らせたる |生言霊《いくことたま》を|思《おも》ひ|出《だ》し
|考《かんが》へすます|折《をり》もあれ かすかに|見《み》ゆる|火《ひ》の|光《ひかり》
|嬉《うれ》しや|嬉《うれ》しや|言霊《ことたま》の |吾《わが》|神力《しんりき》の|現《あら》はれて
|暗《やみ》に|包《つつ》みし|此《この》|森《もり》を |隅《くま》なく|照《て》らすか|有難《ありがた》や
|吾《わが》|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》も |愈《いよいよ》|現《あら》はれ|来《きた》りしと
|笑壺《ゑつぼ》に|入《い》りし|時《とき》もあれ おひおひ|近寄《ちかよ》る|火《ひ》の|光《ひかり》
よくよく|見《み》れば|此《こ》は|如何《いか》に |形相《ぎやうさう》|実《げ》にも|凄《すさま》じき
|肌《はだへ》に|粟《あは》を|生《しやう》ずべき |鬼女《きぢよ》の|姿《すがた》に|驚《おどろ》いて
|何《なん》と|言葉《ことば》も|行《ゆ》きつまり |慄《ふる》ひ|戦《おのの》く|時《とき》もあれ
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》の|御諭《みさと》しに |怪《あや》しの|女《をんな》は|妹《いもうと》と
|分《わか》りし|時《とき》の|嬉《うれ》しさよ |歓喜《くわんき》のあまり|気《き》は|勇《いさ》み
|寝《ね》られぬままに|妹《いもうと》の |手《て》を|曳《ひ》き|乍《なが》ら|森《もり》の|外《そと》
|小径《こみち》を|伝《つた》ひスタスタと |三丁《さんちやう》ばかり|進《すす》む|折《をり》
|足《あし》を|早《はや》めて|馳来《はせきた》る |三葉葵《みつばあふひ》の|紋所《もんどころ》
|記《しる》した|提灯《ちやうちん》ぶら|下《さ》げて |此方《こなた》をさして|出来《いできた》る
こは|一大事《いちだいじ》と|兄妹《きやうだい》は |大木《おほき》の|蔭《かげ》に|身《み》を|寄《よ》せて
|様子《やうす》|覗《うかが》ひ|居《ゐ》る|中《うち》に バラモン|教《けう》の|斥候兵《せきこうへい》
アク、タク、テクの|三人《さんにん》は |臆病風《おくびやうかぜ》にさそはれて
|下《くだ》らぬ|事《こと》を|喋《しやべ》り|出《だ》し |終《つひ》には|父母《ふぼ》の|所在《ありか》|迄《まで》
|知《し》らず|知《し》らずに|喋《しやべ》り|出《だ》す アツと|驚《おどろ》く|間《ま》もあらず
|後《あと》より|来《きた》る|山駕籠《やまかご》は まさしく|吾《われ》の|父母《ちちはは》と
|覚《さと》りし|時《とき》の|驚《おどろ》きは |何《なん》に|譬《たと》へむ|物《もの》もなし
|三五教《あななひけう》の|大神《おほかみ》の |深《ふか》き|恵《めぐ》みと|師《し》の|君《きみ》の
|生言霊《いくことたま》の|力《ちから》にて |親子兄妹《おやこきやうだい》|巡《めぐ》り|合《あ》ひ
|互《たがひ》に|昔《むかし》を|語《かた》り|合《あ》ひ |嬉《うれ》し|涙《なみだ》にくれにける
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|恵《めぐ》みの|浅《あさ》からず
|日頃《ひごろ》|慕《した》ひし|父母《ちちはは》や |吾《わが》|妹《いもうと》に|目《ま》のあたり
|無事《ぶじ》なる|顔《かほ》を|合《あは》せつつ |親子兄妹《おやこきやうだい》|勇《いさ》み|立《た》ち
ウブスナ|山《やま》に|礼詣《れいまゐ》り |吾《わが》|師《し》の|君《きみ》に|許《ゆる》されて
|祠《ほこら》の|森《もり》に|籠《こ》もります |玉国別《たまくにわけ》や|五十子姫《いそこひめ》
|司《つかさ》の|前《まへ》に|進《すす》み|行《ゆ》く |吾《わが》|身《み》の|上《うへ》こそ|楽《たの》しけれ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|星《ほし》は|空《そら》より|落《お》つるとも |山《やま》|裂《さ》け|海《うみ》はあするとも
|皇大神《すめおほかみ》の|御恵《みめぐ》みは |夢《ゆめ》に|現《うつつ》に|忘《わす》れむや
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》よいざさらば |神《かみ》の|恵《めぐ》みを|蒙《かうむ》りて
|一時《いちじ》も|早《はや》くハルナ|城《じやう》 |大黒主《おほくろぬし》を|言向《ことむけ》て
|太《ふと》しき|功績《いさを》を|立《た》て|給《たま》へ |皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に
|花々《はなばな》しくも|復《かへ》り|言《ごと》 |申《まを》させ|給《たま》ふ|吉日《きちじつ》を
|指折《ゆびを》り|数《かぞ》へ|大神《おほかみ》の |御前《みまへ》に|祈《いの》りて|待《ま》ち|奉《まつ》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊幸《みたまさちはひ》ましませよ。
|三五《あななひ》の|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|送《おく》られて
|河鹿峠《かじかたうげ》もやすく|越《こ》えなむ。
|玉国別《たまくにわけ》|神《かみ》の|司《つかさ》のあれませる
|祠《ほこら》の|宮《みや》に|疾《と》くも|進《すす》まむ。
|皇神《すめかみ》の|瑞《みづ》の|御舎《みあらか》|建《た》て|終《をほ》せ
|神《かみ》の|御稜威《みいづ》を|四方《よも》に|照《て》らさむ』
|治国別《はるくにわけ》『|千早《ちはや》|振《ふ》る|神《かみ》に|習《なら》ひて|親《おや》と|子《こ》は
|世人《よびと》を|守《まも》れ|千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に。
|河鹿山《かじかやま》|峠《たうげ》は|如何《いか》に|険《さか》しとも
|神《かみ》の|恵《めぐみ》にやすく|渡《わた》らむ。
|玉国別《たまくにわけ》|神《かみ》の|命《みこと》に|会《あ》ひませば
|治国別《はるくにわけ》はよしと|伝《つた》へよ。
|松彦《まつひこ》や|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》も|恙《つつが》なく
|道《みち》に|尽《つく》すと|伝《つた》へ|給《たま》はれ』
|晴公《はるこう》『|有難《ありがた》し|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》の|言《こと》の|葉《は》は
|胸《むね》にたたみて|忘《わす》れざらまし。
|足乳根《たらちね》の|親《おや》の|命《いのち》を|助《たす》けまし
|妹《いも》に|会《あは》せし|神《かみ》ぞ|尊《たふと》き。
これよりは|親子兄妹《おやこきやうだい》|睦《むつ》み|合《あ》ひ
|神《かみ》の|大道《おほぢ》に|仕《つか》へまつらむ』
|珍彦《うづひこ》『|千早《ちはや》|振《ふ》る|神代《かみよ》の|春《はる》の|巡《めぐ》り|来《き》て
|親子《おやこ》は|千代《ちよ》の|春《はる》に|会《あ》ふかな。
|三五《あななひ》の|神《かみ》の|恵《めぐみ》を|今《いま》ぞ|知《し》る
|治国別《はるくにわけ》の|口《くち》を|通《とほ》して。
|河鹿山《かじかやま》|登《のぼ》りて|行《ゆ》かむ|吾《わが》|身《み》をば
|守《まも》らせ|給《たま》へ|天地《あめつち》の|神《かみ》。
|海山《うみやま》の|恵《めぐみ》を|受《う》けし|師《し》の|君《きみ》を
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|神《かみ》と|斎《いつ》かむ』
|静子《しづこ》『|千万《ちよろづ》の|嘆《なげ》きを|受《う》けし|吾《わが》|身《み》にも
|今日《けふ》は|嬉《うれ》しき|旅《たび》をなすかな。
|親《おや》と|子《こ》を|救《すく》ひ|給《たま》ひし|神《かみ》と|師《し》の
|恵《めぐみ》は|死《し》すとも|忘《わす》れざるべし。
よしやよし、|此《この》まま|君《きみ》に|会《あ》はずとも
|吾《わが》|魂《たましひ》は|君《きみ》に|添《そ》ふべし。
|師《し》の|君《きみ》の|面影《おもかげ》|見《み》ればなつかしき
|思《おも》ひに|沈《しづ》む|初冬《はつふゆ》の|空《そら》。
|凩《こがらし》の|吹《ふ》き|荒《すさ》びたる|山道《やまみち》も
|神《かみ》を|思《おも》へば|苦《くる》しくもなし』
|楓《かへで》『なつかしき|父《ちち》と|母《はは》とに|巡《めぐ》り|合《あ》ひ
|兄《あに》の|君《きみ》にも|会《あ》ひし|嬉《うれ》しさ。
|皇神《すめかみ》と|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》は|何時《いつ》|迄《まで》も
|吾等《われら》|親子《おやこ》を|恵《めぐ》ませ|給《たま》へ。
ゆくりなく|暗《やみ》の|木蔭《こかげ》に|巡《めぐ》り|合《あ》ひ
|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|浸《ひた》りけるかな。
|俊彦《としひこ》の|兄《あに》の|命《みこと》の|帰《かへ》りまさば
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》の|気遣《きづか》はれける。
さり|乍《なが》ら|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》は|活神《いきがみ》よ
|罪《つみ》に|穢《けが》れし|人《ひと》の|子《こ》ならねば。
|師《し》の|君《きみ》の|行手《ゆくて》を|祈《いの》り|奉《たてまつ》り
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|神《かみ》に|仕《つか》へむ』
|治国別《はるくにわけ》『|楓姫《かへでひめ》、|心《こころ》|安《やす》けく|思召《おぼしめ》せ
|吾《われ》には|神《かみ》の|守《まも》りありせば。
|皇神《すめかみ》の|道《みち》|伝《つた》へゆく|神司《かむつかさ》
さやる|魔神《まがみ》の|如何《いか》であるべき』
|万公《まんこう》『|俊彦《としひこ》よ|二人《ふたり》の|親《おや》を|大切《たいせつ》に
|又《また》|妹《いもうと》も|慈《いつくし》みませ。
|親《おや》となり|子《こ》と|生《うま》るるも|神《かみ》の|代《かは》の
つきぬ|縁《えにし》と|聞《き》くぞ|目出度《めでた》き。
|人々《ひとびと》に|百《もも》の|行《おこな》ひありとても
|孝《かう》より|外《ほか》によき|道《みち》はなし。
|朝夕《あさゆふ》に|神《かみ》を|敬《ゐやま》ひ|足乳根《たらちね》の
|親《おや》に|仕《つか》へて|世《よ》を|送《おく》りませ。
|年若《としわか》き|汝《な》が|妹《いもうと》を|憐《あは》れみて
|誠《まこと》の|道《みち》に|育《そだ》て|給《たま》はれ』
|晴公《はるこう》『あり|難《がた》し|万公《まんこう》さまの|思召《おぼしめし》
|胸《むね》にたたみて|忘《わす》れざるべし。
|友垣《ともがき》の|情誼《よしみ》を|今《いま》ぞ|悟《さと》りけり
|汝《なれ》の|心《こころ》の|赤《あか》さ|親《した》しさ』
|五三公《いそこう》『|晴公《はるこう》よ|親《おや》を|大切《だいじ》に|妹《いもうと》を
|慈《いつく》しみつつ|神《かみ》を|敬《うやま》へ。
|俺《おれ》は|今《いま》|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》に|従《したが》ひて
|進《すす》みて|行《ゆ》かむ|神《かみ》の|大道《おほぢ》を。
|暇《いとま》あらば|五三公《いそこう》の|事《こと》を|思《おも》ひ|出《だ》し
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|祈《いの》つて|呉《く》れよ。
さり|乍《なが》ら|親兄弟《おやきやうだい》を|後《あと》にして
|俺《おれ》を|祈《いの》れと|云《い》ふのではない』
|晴公《はるこう》『|五三公《いそこう》さまいそいそとして|居《ゐ》ておくれ
お|前《まへ》の|事《こと》は|忘《わす》れないから。
|嚔《くつしやみ》が|出《で》た|時《とき》や|俺《おれ》を|五三公《いそこう》が
|誹《そし》つて|居《を》ると|思《おも》ひ|喜《よろこ》ぶ』
|五三公《いそこう》『|嚔《くつしやみ》の|一《ひと》つ|出《で》るのは|褒《ほ》められて
|居《を》ると|思《おも》うて|腹《はら》を|立《た》てなよ。
|嚔《くつしやみ》の|二《ふた》つ|出《で》るのは|誹《そし》られて
|居《を》るのぢやけれど|俺《おれ》はそしらぬ。
|嚔《くつしやみ》の|三《みつ》つ|出《で》るのは|笑《わら》はれて
|居《ゐ》るのだけれど|俺《おれ》は|笑《わら》はぬ。
|嚔《くつしやみ》の|四《よつ》つ|出《で》るのは|風《かぜ》を|引《ひ》く
|之《これ》を|思《おも》うて|自愛《じあい》なされよ。
|五三公《いそこう》は|蔭口《かげぐち》|言《い》ふ|様《やう》な|男《をとこ》では
|無《な》いと|云《い》ふ|事《こと》|知《し》つて|居《ゐ》るだろ』
|晴公《はるこう》『そらさうだ、お|前《まへ》に|限《かぎ》りそンな|事《こと》
|云《い》ふとは|更《さら》に|俺《おれ》は|思《おも》はぬ』
|竜公《たつこう》『|神様《かみさま》の|御縁《ごえん》で|心《こころ》|安《やす》くなり
もう|別《わか》れるが|情《なさけ》ないぞや。
|晴公《はるこう》さま|二人《ふたり》の|親《おや》を|大切《たいせつ》に
たまには|俺《おれ》の|事《こと》も|思《おも》へよ。
その|代《かは》り|俺《おれ》は|朝夕《あさゆふ》|晴公《はるこう》の
|身《み》の|幸《さいは》ひを|祈《いの》り|居《を》るぞや』
|晴公《はるこう》『|竜公《たつこう》さま|何卒《どうぞ》|宜《よろ》しう|頼《たの》みます
|何時《いつ》かはお|目《め》にかかる|時《とき》まで』
|松彦《まつひこ》『|河鹿山《かじかやま》|峠《たうげ》|険《けは》しく|風《かぜ》|荒《あら》く
|猿《さる》|棲《す》み|居《を》れば|気《き》をつけて|行《ゆ》け。
|玉国別《たまくにわけ》|神《かみ》の|司《つかさ》ぢやなけれども
お|猿《さる》の|奴《やつ》に|祟《たた》られなゆめ。
|逸早《いちはや》く|祠《ほこら》の|森《もり》に|行《ゆ》きまして
|瑞《みづ》の|御舎《みあらか》|仕《つか》へまつれよ。
|道公《みちこう》や|伊太公《いたこう》、|純公《すみこう》の|友垣《ともがき》に
|宜《よろ》しう|云《い》うたと|伝《つた》へて|呉《く》れよ』
|晴公《はるこう》『|松彦《まつひこ》がそンな|事《こと》をば|云《い》はずとも
|俺《おれ》が|宜《よ》いよに|云《い》うておくぞや。
|治国別《はるくにわけ》|神《かみ》の|命《みこと》の|神司《かむづかさ》に
|山《やま》より|高《たか》き|恵《めぐ》みを|感謝《かんしや》す。
いざさらば|之《これ》より|親子《おやこ》|四人《よたり》づれ
|険《けは》しき|坂《さか》を|登《のぼ》り|行《ゆ》かなむ。
|治国別《はるくにわけ》|其《その》|他《た》|三人《みたり》の|司《つかさ》|達《たち》
|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|安《やす》く|進《すす》めよ』
|楓《かへで》『いざさらば|命《いのち》の|親《おや》の|師《し》の|君《きみ》に
|名残《なごり》|惜《をし》くも|立別《たちわか》れなむ』
|治国別《はるくにわけ》『|親《おや》と|子《こ》と|三人《さんにん》|四人《よにん》|睦《むつ》び|合《あ》ひ
|神《かみ》の|大道《おほぢ》を|登《のぼ》り|行《ゆ》きませ』
|斯《か》く|互《たがひ》に|餞別《せんべつ》の|歌《うた》を|歌《うた》ひ|交《かは》し|南《みなみ》と|北《きた》に|袂《たもと》を|分《わか》ちける。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・一二・八 旧一〇・二〇 北村隆光録)
(昭和九・一二・二九 王仁校正)
第一四章 |思《おも》ひ|出《で》の|歌《うた》〔一一八三〕
|治国別《はるくにわけ》|一行《いつかう》は、|河鹿峠《かじかたうげ》の|山口《やまぐち》にて|親子《おやこ》|四人《よにん》に|訣別《けつべつ》し、|再《ふたた》び|足《あし》を|早《はや》めて|山口《やまぐち》の|森《もり》に|向《むか》つた。|万公《まんこう》は|道々《みちみち》|足拍子《あしびやうし》を|取《と》りながら|進軍歌《しんぐんか》を|歌《うた》つた。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立分《たてわ》ける
この|万公《まんこう》は|幼少《えうせう》から あいつは|偉《えら》い|男《をとこ》だと
|村人《むらびと》たちにほめられて |奇童《きどう》|神童《しんどう》と|讃《たた》へられ
|吾《わが》|両親《りやうしん》も|喜《よろこ》びて |家《いへ》の|宝《たから》が|生《うま》れたぞ
キツト|家《いへ》をば|起《おこ》すだらう |天下無双《てんかむさう》の|豪傑《がうけつ》に
|出世《しゆつせ》をするに|違《ちがひ》ない なぞと|頻《しき》りにほめそやし
|蝶《てふ》よ|花《はな》よと|育《そだ》てあげ |二《ふた》つの|眼《まなこ》へ|入《はい》つても
|痛《いた》ない|所《とこ》までかはいがり |噛《か》ンだり|吐《は》いたり|抱《いだ》いたり
|背中《せなか》におぶつて|山路《やまみち》を |助《たす》けて|日夜《にちや》に|甘《あま》やかし
たうとうこンな【ガラクタ】に |寄《よ》つてかかつて|育《そだ》て|上《あ》げ
|里人《さとびと》|達《たち》に|蚰蜒《げぢげぢ》の やうに|嫌《きら》はれ|痰唾《たんつば》を
|吐《は》きかけられて|犬《いぬ》のよに |杓《ひしやく》に|水《みづ》を|汲《く》み|取《と》つて
|追《お》ひかけられるよな|浅《あさ》ましい |極道《ごくだう》|息子《むすこ》にして|仕舞《しま》つた
|親《おや》を|恨《うら》むぢやなけれども |可愛《かあい》がりよが|違《ちご》た|故《ゆゑ》
|鼻垂《はなた》れ|小僧《こぞう》の|俺達《おれたち》に |呑《の》ました|甘茶《あまちや》が|毒《どく》となり
|挺子《てこ》でも|棒《ぼう》でも|動《うご》かない やんちや|男《をとこ》に|作《つく》りあげ
|女《をんな》に|溺《おぼ》れる|賭博《ばくち》|打《う》つ |人《ひと》の|物《もの》こそ|取《と》らないが
|酒泥棒《さけどろぼう》の【やんちやくれ】 |厄介者《やつかいもの》にして|了《しま》うた
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 それでも|尊《たふと》き|神《かみ》さまは
|見捨《みす》て|給《たま》はず|俺《おれ》のよな |仕様《しやう》もようもない|奴《やつ》を
|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|手《て》を|延《の》べて |可愛《かあい》がつて|下《くだ》さつた
|二人《ふたり》の|親《おや》の|愛《あい》よりも |神《かみ》の|恵《めぐみ》は|幾倍《いくばい》か
|分《わか》らない|程《ほど》|有難《ありがた》い |仁慈《じんじ》の|教《をしへ》を|聞《き》いてから
|拗《ねぢ》け|曲《まが》つた|魂《たましひ》も |根本的《こんぽんてき》に|改良《かいりやう》し
|今《いま》は|嬉《うれ》しき|三五《あななひ》の |名《な》さへ|目出度《めでた》き|宣伝使《せんでんし》
|治国別《はるくにわけ》のお|伴《とも》して |悪魔《あくま》の|征討《せいたう》に|上《のぼ》りゆく
|尊《たふと》き|身《み》とはなりにけり |此《この》|世《よ》を|作《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》 |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|救《すく》ひ|玉《たま》ひし|皇神《すめかみ》の |恵《めぐみ》を|思《おも》ひ|浮《うか》べては
|涙《なみだ》の|露《つゆ》の|晴《は》れ|間《ま》なし |俺《おれ》もこれから|赤心《まごころ》を
|一生懸命《いつしやうけんめい》に|研《みが》き|上《あ》げ |押《お》しも|押《お》されもせないよな
|神《かみ》の|司《つかさ》と|選《えら》まれて |先祖《せんぞ》の|御名《みな》は|云《い》ふも|更《さら》
|吾《わが》|両親《りやうしん》の|御名《みな》|迄《まで》も |現《あら》はしまつり|養育《やういく》の
その|大恩《たいおん》に|報《むく》はむと |飯《めし》|食《く》ふ|間《ひま》も|忘《わす》れない
|年《とし》の|薬《くすり》と|云《い》ふものか |此《この》|頃《ごろ》|親《おや》が|恋《こひ》しなり
|早《はや》く|安心《あんしん》させたいと |思《おも》ひは|胸《むね》に|満《み》ち|溢《あふ》れ
|気《き》が|気《き》でならぬ|吾《わが》|身魂《みたま》 |二人《ふたり》の|親《おや》に|孝行《かうかう》を
したい|時分《じぶん》にや|親《おや》はなし それぢやと|云《い》つて|石塔《せきたふ》に
|温《ぬく》い|布団《ふとん》も|着《き》せられず |何程《なにほど》|甘《うま》い|飲食《おんじき》を
|供《そな》へた|処《ところ》で|甘《うま》いとも |何《なん》ともかとも|云《い》はぬよに
なつて|了《しま》つたらどうせうぞ |三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》へ
どンな|事《こと》でも|致《いた》します どうぞ|二人《ふたり》の|親《おや》|達《たち》の
|命《いのち》をのばして|万公《まんこう》が |天晴《あつぱれ》|手柄《てがら》を|致《いた》すまで
|生《い》かして|置《お》いて|下《くだ》さンせ それが|私《わたし》の|第一《だいいち》の
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なの|願《ねが》ひぞや |森《もり》の|木蔭《こかげ》で|晴公《はるこう》が
|恋《こひ》しき|親《おや》に|廻《めぐ》り|会《あ》ひ |妹《いもうと》と|遇《あ》うた|嬉《うれ》しさを
|眺《なが》めた|時《とき》の|吾《わが》|心《こころ》 |飛《と》び|立《た》つばかり|嬉《うれ》しうて
じつと|済《す》まして|居《を》れなンだ |慌者《あわてもの》だと|笑《わら》はれよが
|剽軽者《へうきんもの》だと|誹《そし》られよが あの|場《ば》に|臨《のぞ》むでそンな|事《こと》
|構《かま》うて|居《ゐ》るよな|間《ま》があろか あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|私《わたし》を|育《そだ》てた|両親《りやうしん》も |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|神様《かみさま》に
|両手《りやうて》を|合《あは》せ|万公《まんこう》が |一時《いちじ》も|早《はや》く|改心《かいしん》し
|一人前《いちにんまへ》の|益良雄《ますらを》に なつて|故郷《こきやう》に|錦《にしき》をば
|飾《かざ》つて|帰《かへ》り|来《き》ますやうと |祈《いの》つて|御座《ござ》るに|相違《さうゐ》ない
|山《やま》より|高《たか》い|父《ちち》の|恩《おん》 |海《うみ》より|深《ふか》い|母《はは》の|慈悲《じひ》
それに|増《ま》してなほ|高《たか》い |深《ふか》い|恵《めぐみ》は|神《かみ》の|恩《おん》
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 この|万公《まんこう》の|赤心《せきしん》を
|諾《うづ》なひたまひて|吾《わが》|霊《たま》を |清《きよ》く|守《まも》らせ|玉《たま》へかし
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》に|従《したが》ひて |旗鼓堂々《きこだうだう》と|神《かみ》の|道《みち》
|今《いま》や|進《すす》むで|出《い》でて|往《ゆ》く |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |如何《いか》でか|忘《わす》れむ|親《おや》の|恩《おん》
|忘《わす》れてならうか|神《かみ》の|恩《おん》 |神《かみ》は|吾等《われら》と|倶《とも》にあり
|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》 こンな|嬉《うれ》しき|御教《みをしへ》を
|聞《き》いたる|上《うへ》は|一日《いちにち》も |仇《あだ》に|月日《つきひ》は|送《おく》れない
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |恩頼《みたまのふゆ》を|願《ね》ぎまつる』
|治国別《はるくにわけ》は|道々《みちみち》|歌《うた》ふ。
『|高天原《たかあまはら》はいづくなる |清《きよ》く|正《ただ》しき|神《かみ》の|国《くに》
|栄《さか》え|久《ひさ》しきパラダイス |御霊《みたま》の|清《きよ》き|人々《ひとびと》の
|現世《このよ》の|衣《きぬ》をぬぎすてて |常磐堅磐《ときはかきは》に|栄《さか》えゆく
いと|珍《めづら》しき|神《かみ》の|国《くに》
○
|高天原《たかあまはら》はいづくなる |主《す》の|御神《おんかみ》のあれませる
|夜《よる》なき|清《きよ》き|神《かみ》の|国《くに》 |月日《つきひ》は|清《きよ》く|明《あきら》けく
|星《ほし》の|影《かげ》さへキラキラと |地上《ちじやう》の|世界《せかい》に|比《くら》べては
|幾百倍《いくひやくばい》の|光《ひかり》あり この|楽園《らくゑん》に|住《す》む|人《ひと》は
|皆《みな》|天人《てんにん》と|讃《たた》へられ |不老《ふらう》と|不死《ふし》の|境界《きやうかい》に
|置《お》かれて|主神《すしん》を|信愛《しんあい》し |無上《むじやう》の|正覚《しやうかく》|開《ひら》きつつ
いや|永久《とこしへ》に|栄《さか》えゆく あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御国《みくに》ぞ|尊《たふと》けれ |高天原《たかあまはら》の|天界《てんかい》は
|茲《ここ》に|二《ふた》つの|区別《くべつ》あり |其《その》|第一《だいいち》を|霊国《れいごく》と
|称《とな》へて|神《かみ》の|在《おは》す|国《くに》 |第二《だいに》の|国《くに》を|天国《てんごく》と
|称《とな》へて|清《きよ》き|身霊《みたま》|等《ら》の |地上《ちじやう》を|捨《す》てて|天人《てんにん》と
|成《な》り|済《す》ましたる|人々《ひとびと》の |喜《よろこ》び|勇《いさ》み|遊《あそ》ぶ|国《くに》
|霊国《れいごく》、|天国《てんごく》|諸共《もろとも》に |愛《あい》と|信《しん》との|日月《じつげつ》は
|夜昼《よるひる》なしに|輝《かがや》きて |金《きん》|銀《ぎん》|瑪瑙《めなう》|瑠璃《るり》|〓〓《しやこう》
|玻璃《はり》や|珊瑚《さんご》の|殿堂《でんだう》や |樹木《じゆもく》は|野辺《のべ》に|繁茂《はんも》して
|玲瓏《れいろう》|玉《たま》の|如《ごと》くなる |天人《てんにん》|男女《なんによ》は|永久《とこしへ》に
|手《て》を|携《たづさ》へて|神業《しんげふ》に |勤《いそ》しみ|仕《つか》へまつり|居《を》る
|宇宙《うちう》|唯一《ゆゐいつ》の|神《かみ》の|国《くに》 あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましまして |地上《ちじやう》に|生《うま》れし|吾々《われわれ》の
|身霊《みたま》を|汚《けが》す|事《こと》もなく |現世《うつしよ》の|事《こと》|皆《みな》|終《を》へて
|御魂《みたま》となりて|天国《てんごく》へ |上《のぼ》りし|時《とき》は|主《す》の|神《かみ》の
|尊《たふと》き|恵《めぐ》みに|包《つつ》まれて |安《やす》く|楽《たの》しく|永久《とこしへ》に
|住《す》まはせ|玉《たま》へ|天津神《あまつかみ》 |国治立大神《くにはるたちのおほかみ》や
ミロクの|神《かみ》の|御前《おんまへ》に |畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|願《ね》ぎまつる
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|神《かみ》に|任《まか》せし|吾々《われわれ》は |如何《いか》でか|曲《まが》に|汚《けが》されむ
|至粋《しすゐ》|至純《しじゆん》|神《かむ》ながら |神《かみ》に|禀《う》けたる|御魂《みたま》をば
|信《しん》と|愛《あい》とに|培《つちか》ひて |此《この》|身《み》|此《この》|儘《まま》|天国《てんごく》の
|神《かみ》の|御国《みくに》に|神籍《しんせき》を |置《お》かさせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる |仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|大神《おほかみ》は
|地上《ちじやう》に|人《ひと》の|種《たね》を|蒔《ま》き |肉《にく》の|宮《みや》をば|胞衣《えな》として
|清《きよ》き|御霊《みたま》を|養《やしな》ひつ |成人《せいじん》したる|其《その》|上《うへ》は
|主神《すしん》のまします|天界《てんかい》へ |迎《むか》はせ|玉《たま》ひ|天国《てんごく》の
|大神業《だいしんげふ》に|仕《つか》ふべく |依《よ》さし|玉《たま》ひしものならば
|人《ひと》と|生《うま》れし|神《かみ》の|子《こ》は |善《ぜん》をば|励《はげ》み|悪《あく》を|避《さ》け
|神《かみ》をば|信《しん》じ |且《か》つ|愛《あい》し |神《かみ》の|御子《みこ》たる|本分《ほんぶん》を
|尽《つく》す|身霊《みたま》となるならば |如何《いか》でか|捨《す》てさせ|給《たま》ふべき
|思《おも》へば|思《おも》へば|人《ひと》の|身《み》は |実《げ》に|有難《ありがた》いものぞかし
|万公《まんこう》さまよ|五三公《いそこう》よ |竜公《たつこう》さまよ|皇神《すめかみ》の
|仁慈《じんじ》の|心《こころ》|汲《く》み|取《と》りて |神《かみ》の|教《をしへ》をよく|守《まも》り
|小《ちひ》さき|慾《よく》に|囚《とら》はれて |身霊《みたま》を|汚《けが》す|事《こと》|勿《なか》れ
|限《かぎ》りも|知《し》らぬ|生命《せいめい》を |保《たも》ちて|栄《さか》ゆる|天国《てんごく》の
|御民《みたみ》となりて|地《ち》の|上《うへ》の |青人草《あをひとぐさ》を|守《まも》るべき
|身霊《みたま》とならば|人《ひと》として もはや|欠点《けつてん》なきものぞ
ミロクの|神《かみ》が|現《あら》はれて |現幽神《げんいうしん》の|三界《さんかい》を
|立《た》て|分《わ》け|玉《たま》ふ|世《よ》となりぬ |斯《か》かる|尊《たふと》き|大御代《おほみよ》に
|生《うま》れあひたる|吾々《われわれ》は |至幸《しかう》|至福《しふく》の|者《もの》ぞかし
|喜《よろこ》び|祝《いは》へ|神《かみ》の|恩《おん》 |讃《たた》へまつれよ|神《かみ》の|徳《とく》
|神《かみ》は|吾等《われら》と|倶《とも》にあり |人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》
|決《けつ》して|汚《けが》す|事《こと》|勿《なか》れ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
みたまの|恩頼《ふゆ》を|願《ね》ぎまつる』
|斯《か》く|歌《うた》ひて|治国別《はるくにわけ》|一行《いつかう》|四人《よにん》は|凩《こがらし》|荒《すさ》ぶ|荒野《あらの》を|渡《わた》り、|煌々《くわうくわう》たる|太陽《たいやう》の|光《ひかり》を|面《おも》に|受《う》けながら、|意気《いき》|揚々《やうやう》として、|又《また》もや|山口《やまぐち》の|森《もり》に|差《さし》かかる。|万公《まんこう》は、
『|先生《せんせい》、|夜前《やぜん》の|活劇場《くわつげきぢやう》へ|又《また》もや|到着《たうちやく》|致《いた》しました。|随分《ずゐぶん》|夜前《やぜん》はよい|獲物《えもの》がありましたな。|今晩《こんばん》もここで|一《ひと》つお|宿《やど》をかる|事《こと》に|致《いた》しませう。|今度《こんど》はひよつとしたら、ヒウドロドロがやつて|来《く》るかも|知《し》れませぬぜ』
『ハヽヽヽヽ、|夜前《やぜん》のやうに|蒟蒻《こんにやく》の|幽霊《いうれい》と|早替《はやがは》りせらるると|困《こま》るからなア。|此《この》|森《もり》は|危険《きけん》だよ、サア|今日《けふ》の|中《うち》に|膝栗毛《ひざくりげ》に|鞭《むち》を|打《う》つて|浮木《うきき》の|原《はら》まで|遠乗《とほの》りをせうかい』
『|浮木《うきき》の|森《もり》|迄《まで》は|幾等《いくら》|程《ほど》|里程《りてい》がありますか』
『まアざつと|五十里《ごじふり》|位《くらゐ》のものだらう』
『それや|大変《たいへん》だ。|何《ど》うしてコンパスが|続《つづ》くものですか』
『|又《また》|万公《まんこう》|弱音《よわね》を|吹《ふ》き|出《だ》したなア、|神様《かみさま》のお|力《ちから》を|借《か》れば|五十里《ごじふり》|位《くらゐ》は|一息《ひといき》だ、サア|往《ゆ》かう』
と|山口《やまぐち》の|森《もり》を|一寸《ちよつと》|目礼《もくれい》し、|委細《ゐさい》|構《かま》はずスタスタと、|南《みなみ》を|指《さ》して|急《いそ》ぎ|行《ゆ》く。
(大正一一・一二・八 旧一〇・二〇 加藤明子録)
第三篇 |珍聞万怪《ちんぶんばんくわい》
第一五章 |変化《へんげ》〔一一八四〕
|治国別《はるくにわけ》|一行《いつかう》は|山口《やまぐち》の|森《もり》を|後《あと》にして、|足《あし》を|速《はや》めて|二十里《にじふり》ばかり|南進《なんしん》した。|二十里《にじふり》といつても|極近《ごくちか》いものである。|一里《いちり》といへば|我《わが》|国《くに》の|二百間《にひやくけん》|位《ぐらゐ》なもの、|丁度《ちやうど》|三丁《さんちやう》|強《きやう》に|当《あた》るのである。
|治国別《はるくにわけ》は|道《みち》の|傍《かたへ》の|細《ほそ》き|流《なが》れに|下《お》りて|喉《のど》をうるほし、|空《そら》|行《ゆ》く|雲《くも》を|眺《なが》めて|暫《しば》し|息《いき》を|休《やす》めてゐた。|二十間《にじつけん》ばかり|隔《へだ》つた|田圃《たんぼ》の|中《なか》にコンモリとした|森《もり》が、|巍然《ぎぜん》と|広《ひろ》き|原野《げんや》を|占領《せんりやう》して|吾物顔《わがものがほ》に|立《た》つてゐる。|其《その》|森《もり》の|中《なか》より|騒々《さうざう》しき|女《をんな》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》た。|万公《まんこう》は|早《はや》くも|聞《き》きとり、
『モシ|先生《せんせい》、あの|森《もり》の|中《なか》に|奇妙奇天烈《きめうきてれつ》な|活劇《くわつげき》が|演《えん》じられてゐるやうです。どうです、|今晩《こんばん》は|活劇《くわつげき》|見物《けんぶつ》がてら、あの|森《もり》で|一宿《いつしゆく》|致《いた》しませうか。|森林《しんりん》ホテルも|乙《おつ》なものですでー。|夜前《やぜん》も|森林《しんりん》ホテル、|今晩《こんばん》も|又《また》|同《おな》じくと|云《い》ふのだから|日記帳《につきちやう》につけるのも|大変《たいへん》|便利《べんり》がよろしからう。アレアレ|御聞《おき》きなさいませ。|猿《さる》を|攻《せ》めるやうな|女《をんな》の|声《こゑ》、|此奴《こいつ》は|何《なに》か|秘密《ひみつ》が|伏在《ふくざい》して|居《を》るでせう。|兎《と》も|角《かく》|実地《じつち》|探険《たんけん》に|参《まゐ》りませうか』
|治国別《はるくにわけ》は、
『モウ|少《すこ》し|先《さき》へ|行《ゆ》き|度《た》いのだが、あの|声《こゑ》を|聞《き》いては|宣伝使《せんでんし》として|見逃《みのが》して|通《とほ》る|訳《わけ》には|行《ゆ》かぬ。|大変《たいへん》な|茂《しげ》つた|森《もり》だから、ソツと|忍《しの》び|寄《よ》り、|何事《なにごと》か|様子《やうす》を|考《かんが》へて|見《み》よう』
|五三公《いそこう》は、
『オイ|万公《まんこう》、|又《また》ヒユードロドロだぞ。|肝《きも》をつぶすな』
『ナアニ|昼《ひる》の|幽霊《いうれい》が|恐《こは》くて|怺《たま》るかい。ドロドロでも|泥坊《どろばう》でもかまはぬぢやないか。|大方《おほかた》|泥坊《どろばう》さまが|旅人《たびびと》を|引張《ひつぱ》り|込《こ》ンで|衣類《いるゐ》を|剥《は》ぎ、|厭《いや》がる|女《をんな》を|無理無体《むりむたい》に|捻伏《ねぢふ》せて|念仏講《ねんぶつかう》でもやつて|居《ゐ》るのだらう』
『|念仏講《ねんぶつかう》て|何《なん》だい。|妙《めう》な|事《こと》をいふぢやないか。ハヽヽヽ|幽霊《いうれい》が|出《で》るので|成仏《じやうぶつ》する|様《やう》に|念仏《ねんぶつ》を|唱《とな》へてゐるのだな。それにしては|根《ね》つから|詠歌《えいか》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えぬぢやないか。|薩張《さつぱり》|金切声《きんきりごゑ》のチヤアチヤアだ。|一寸《ちよつと》|聞《き》くと|狐々様《こんこんさま》のやうにもあるし、|猿《さる》のやうにもあるし、|女《をんな》の|様《やう》にも|聞《きこ》えて|来《く》る。|何《なん》だか|怪体《けつたい》な|代物《しろもの》だ。|五三公《いそこう》は|研究《けんきう》の|価値《かち》が|十分《じふぶん》にあるやうに|思《おも》ひますがなア|先生《せんせい》』
『ウン|兎《と》も|角《かく》|行《い》つて|見《み》やう。|併《しか》し|篏口令《かんこうれい》を|布《し》いておくから、|号令《がうれい》が|下《くだ》る|迄《まで》、|何事《なにごと》があつても|発声《はつせい》する|事《こと》は|出来《でき》ないぞ』
『|承知《しようち》|致《いた》しました。|囁《ささや》き|話《ばなし》も|出来《でき》ませんか、|万公《まんこう》も|一寸《ちよつと》|困《こま》るナア』
『ウン|勿論《もちろん》だ』
『|万公別《まんこうわけ》が、|五三公《いそこう》、|竜公《たつこう》に|対《たい》し|篏口令《かんこうれい》を|布《し》く。|堅《かた》く|沈黙《ちんもく》を|守《まも》るのだぞ』
『ハヽヽヽ|直《すぐ》に|受売《うけう》りをやつて|居《ゐ》よるナ。そんな|小売《こう》りをしたつて|俺達《おれたち》ア|買《か》ふ|気《き》づかひは|無《な》いぞ。|物価調節令《ぶつかてうせつれい》が|出《で》て|居《ゐ》るのに、それを|無視《むし》して|小商人《こあきんど》が|暴利《ばうり》を|貪《むさぼ》り、|無性《むしやう》|矢鱈《やたら》にゴンベツたり、ビヤクツたりするから|為政者《ゐせいしや》もこの|五三公《いそこう》さまもなかなか|骨《ほね》の|折《を》れる|事《こと》だワイ、アハヽヽヽヽ』
|治国別《はるくにわけ》は、
『サア|行《い》かう、|沈黙《ちんもく》だ』
と|厳命《げんめい》し|乍《なが》ら|草野《くさの》を|分《わ》けて|進《すす》み|行《ゆ》く。
|見《み》れば|欝蒼《うつさう》たる|森《もり》の|中《なか》に|五六人《ごろくにん》の|荒男《あらをとこ》、|一人《ひとり》の|美人《びじん》を|捕《とら》へ、|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|寄《よ》つてかかつて|打擲《ちやうちやく》を|始《はじ》めてゐる。|治国別《はるくにわけ》は|平然《へいぜん》として|此《この》|光景《くわうけい》を|木《き》の|茂《しげ》みより|眺《なが》めてゐる。|万公《まんこう》は|胸《むね》を|躍《をど》らせ、|口《くち》をパツと|開《あ》け、|両手《りやうて》をひらいて|中腰《ちうごし》になり、|今《いま》にも|飛《と》び|出《だ》さむとする|格好《かくかう》で|歯《は》がゆ|相《さう》に|片唾《かたづ》を|呑《の》ンで、|治国別《はるくにわけ》の|命令一下《めいれいいつか》すれば、|片端《かたつぱし》から|撲《なぐ》り|倒《たふ》し、|虐《さいな》まれてゐる|女《をんな》を|救《すく》ひやらむと|身構《みがま》へしてゐる。|五三公《いそこう》も|竜公《たつこう》もハラハラし|乍《なが》ら、【もどかし】げに|眺《なが》めてゐた。|治国別《はるくにわけ》、|松彦《まつひこ》は|素知《そし》らぬ|顔《かほ》で|微笑《ほほゑみ》をうかべ|乍《なが》ら|愉快気《ゆくわいげ》に|見《み》つめてゐる。|女《をんな》を|仰向《あふむけ》に|寝《ね》させ|胸倉《むなぐら》をグツと|取《と》り|大《だい》の|男《をとこ》が|蠑螺《さざえ》のやうな|拳骨《げんこつ》をふり|上《あ》げ、キア キア|云《い》ふ|女《をんな》を|憎々《にくにく》し|気《げ》に|睨《にら》みつけ|乍《なが》ら、
|甲《かふ》『コリア|尼《あま》ツちよ、|何《ど》うしても|白状《はくじやう》|致《いた》さぬか。しぶとい|奴《やつ》だなア。|貴様《きさま》は|三五教《あななひけう》の|初稚姫《はつわかひめ》といふ|奴《やつ》だらう』
『イエイエ|決《けつ》して|決《けつ》してそんな|女《をんな》ぢや|厶《ござ》いませぬ。|山住居《やまずまゐ》をいたして|居《ゐ》るものの|娘《むすめ》で|厶《ござ》います。|何卒《なにとぞ》|御慈悲《おじひ》に|御助《おたす》け|下《くだ》さいませ』
|甲《かふ》は、
『エーしぶとい|女《をんな》|奴《め》』
と|呶鳴《どな》りつけ、|拳骨《げんこつ》を|固《かた》めて|前額部《ぜんがくぶ》をコツンと|擲《なぐ》る。|撲《なぐ》られて|娘《むすめ》はキヤアキヤアと|叫《さけ》ぶ。
|万公《まんこう》は|今《いま》は|一矢《いつし》の|弦《ゆみづる》を|離《はな》れむとする|如《ごと》き|勢《いきほひ》で、|体《からだ》を|前方《ぜんぱう》に|反《そ》らせ|足《あし》をふン|張《ば》り、マラソン|競争《きやうそう》の|合図《あひづ》の|太鼓《たいこ》が|鳴《な》るのを|待《ま》つやうな|構《かま》へで、|腕《うで》を|唸《うな》らしてゐる。
|一方《いつぱう》の|荒男《あらをとこ》は|又《また》もや|声《こゑ》を|荒《あら》らげ、
『エーしぶとい。|貴様《きさま》は|杢助《もくすけ》の|娘《むすめ》に|間違《まちが》ひなからう。さあ|尋常《じんじやう》に|白状《はくじやう》して|了《しま》へ。|貴様《きさま》の|親《おや》の|杢助《もくすけ》や、|三五教《あななひけう》の|黒姫《くろひめ》はライオン|河《がは》の|畔《ほとり》でランチ|将軍《しやうぐん》|様《さま》の|部下《ぶか》に|捕《とら》へられ、|日夜《にちや》の|責苦《せめく》に|逢《あ》うて|苦《くる》しみてゐるのだ。|貴様《きさま》さへ|白状《はくじやう》すれば|二人《ふたり》の|罪《つみ》は|許《ゆる》され、|貴様《きさま》はランチ|将軍《しやうぐん》|様《さま》のお|妾《めかけ》と|抜擢《ばつてき》されて|出世《しゆつせ》をするのだ。コリヤ|女《をんな》、|此処《ここ》で|殺《ころ》されるのがよいか、|将軍《しやうぐん》|様《さま》のお|妾《めかけ》になつて|親《おや》の|生命《いのち》を|助《たす》けるのがよいか。よく|思案《しあん》をして|返答《へんたふ》いたせ』
『オホヽヽヽ、|彼《あ》のマア|瓢六玉《へうろくだま》わいのう。|何《ど》うなと|勝手《かつて》になさいませ。|杢助《もくすけ》などといふ|父親《てておや》は|持《も》つた|事《こと》は|厶《ござ》いませぬわ。|黒姫《くろひめ》なンて|出逢《であ》つた|事《こと》もありませぬわ。さア、|殺《ころ》すなと|何《なん》なとして|下《くだ》さい』
|男《をとこ》『ヤア|俄《にはか》に|強《つよ》くなりよつたな。ハー、あまりビツクリして|気《き》が|違《ちが》つたのだな。こンな|気違《きちが》ひを|連《つ》れて|行《い》つたとこで、|将軍《しやうぐん》さまの|御用《ごよう》に|立《た》つでも|無《な》し、|併《しか》し|乍《なが》ら|何処迄《どこまで》も|白状《はくじやう》さして|伴《つ》れ|帰《かへ》らねば、|俺達《おれたち》の|役目《やくめ》が|済《す》まぬ。オイ|女《をんな》、|貴様《きさま》はランチ|将軍《しやうぐん》|様《さま》を|怨《うら》ンで|昼《ひる》は|大蛇《をろち》の|窟《あな》に|身《み》を|隠《かく》し、|夜《よる》は|鬼娘《おにむすめ》と|化《ば》けて|呪《のろ》ひの|五寸釘《ごすんくぎ》を|打《う》つてゐよつたのだらうがなア。そンな|事《こと》はチヤンと|探索《たんさく》してあるのだから、モウ|駄目《だめ》だ。|俺《おれ》が|此《この》|間《あひだ》の|夜《よさ》りだつた…|頭《あたま》に|蝋燭《らふそく》を|立《た》つて、|鏡《かがみ》を|下《さ》げ、|凄《すさま》じい|様子《やうす》をして|山口《やまぐち》の|森《もり》へ|行《ゆ》きよつた|時《とき》、|俺《おれ》も|一寸《ちよつと》|気味《きみ》が|悪《わる》かつたけれど、なアにバラモン|教《けう》の|神様《かみさま》に|頼《たの》めば|大丈夫《だいぢやうぶ》だと|思《おも》ひ、|尾行《びかう》して|貴様《きさま》の|言《い》ふ|事《こと》を|聞《き》けば、|何卒《どうぞ》|私《わたし》の|親《おや》の|仇《かたき》が|打《う》てますやうに、さうして|無事《ぶじ》に|逃《のが》れますやう、ランチ|将軍《しやうぐん》が|亡《ほろ》びますやうと|言《い》つては|釘《くぎ》を|打《う》つてゐたではないか。そこ|迄《まで》|手証《てしよう》を|握《にぎ》つてゐるから、モウ|隠《かく》しても|駄目《だめ》だぞ。|大《だい》それた|女《をんな》の|分際《ぶんざい》として|大蛇《をろち》の|窟《あな》に|安閑《あんかん》として|高鼾《たかいびき》をかいて|寝《ね》てゐやがつた|所《ところ》をとつ|捉《つか》まへて|来《き》たのだ。さア、|白状《はくじやう》せい。|昨日《きのふ》の|日暮《ひぐれ》から|殆《ほとん》ど|一日一夜《いちにちいちや》|骨《ほね》を|折《を》らしよつて、ドシ|太《ぶと》い。|俺《おれ》だつて|腹《はら》が|減《へ》つて|怺《たま》らンぢやないか』
『オホヽヽヽ、|何《なん》と|云《い》ふお|前達《まへたち》あ、|間抜《まぬ》けだい。その|女《をんな》は|楓《かへで》といつて|夜前《やぜん》も|釘《くぎ》を|打《う》ちに|行《い》つたよ。|妾《わたし》と|間違《まちが》へられちや|大変《たいへん》だ。|偉《えら》い|災難《さいなん》だよ。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》に|助《たす》けられ、|今頃《いまごろ》は|河鹿峠《かじかたうげ》を|上《のぼ》つてゐる|最中《さいちう》だ。|余程《よつぽど》|好《よ》い|頓馬《とんま》だこと。ホヽヽヽヽ』
『コリヤ|尼《あま》ツちよ、そンな|事《こと》をいつて|俺達《おれたち》を|胡麻化《ごまか》さうとしても|駄目《だめ》だぞ。チヤアンと|証拠《しようこ》が|握《にぎ》つてあるのだから、|好《よ》い|加減《かげん》に|白状《はくじやう》|致《いた》さぬと|親《おや》の|為《ため》に|悪《わる》いぞ。|杢助《もくすけ》や、|黒姫《くろひめ》が|可愛相《かあいさう》とは|思《おも》はぬか』
『ホヽヽヽヽ|杢《もく》さまが|何《ど》うならうと、|此方《こつち》や|一寸《ちよつと》も【|目算《もくさん》】が|外《はづ》れぬのだから|構《かま》やせぬわ。|黒《くろ》さまが|何《ど》うならうとお|前《まへ》さまが【|苦労《くらう》】する|丈《だ》けの|事《こと》ぢや。|殺《ころ》しなつと|煮《たい》て|喰《く》はふと|勝手《かつて》になさいませ』
『コリヤ|女《をんな》、|貴様《きさま》は|親《おや》に|対《たい》し|孝行《かうかう》といふ|事《こと》を|知《し》らぬのだなア。|丸《まる》で|狐狸《こり》のやうな|奴《やつ》だ。|不人情者《ふにんじやうもの》だなア。こンな|優《やさ》しい|顔《かほ》をしよつて、|親不孝《おやふかう》の|魂《たましひ》|見下《みさ》げはてた|女《をんな》だ』
『|妾《わたし》はコンコンさまだよ。お|前達《まへたち》は|馬鹿《ばか》だからつままれてゐるのだ。そンな|枯木杭《かれぼくくひ》をつかまへて|何《なに》をしてゐるのだイ。よい|盲目《めくら》だなア、ホヽヽヽヽ』
『|丸《まる》で|狐《きつね》のやうな|奴《やつ》だ。ドシ|太《ふと》い|何《なん》ぼ|叩《たた》いても|叩《たた》いてもキア キア|吐《ぬか》すばつかりで|往生《わうじやう》しよらぬ。|此奴《こいつ》は|不死身《ふじみ》かもしれぬぞ。|俺《おれ》|一人《ひとり》では|駄目《だめ》だ。|皆《みな》|寄《よ》つてたかつて|叩《たた》き|延《の》ばしてやらうかい』
『ホヽヽヽ、たかが|一人《ひとり》の|女《をんな》を|取《とり》まいて|大《だい》の|荒男《あらをとこ》がよりかかり、|一昼夜《いつちうや》もかかつて|何《ど》うする|事《こと》もようせぬといふやうな|間抜《まぬ》けが|仮令《たとへ》|何万人《なんまんにん》かかつたつて|烏合《うがふ》の|衆《しう》だから、カラツキシ|駄目《だめ》だよ。|御気《おき》の|毒様《どくさま》、お|前《まへ》さまの|手《て》を|御覧《ごらん》なさい。|木《き》の|欠杭《かつくひ》をたたいて|血《ち》だらけになつてますよ』
『|云《い》はしておけば|際限《さいげん》も|無《な》き|雑言《ざふごん》|無礼《ぶれい》、|最早《もはや》|勘忍袋《かんにんぶくろ》の|緒《を》が|切《き》れた。さア|一同《いちどう》|寄《よ》つてたかつて|殺《ころ》して|了《しま》へ』
『よし|合点《がつてん》だ』
と|七八人《しちはちにん》の|荒男《あらをとこ》は|棍棒《こんぼう》を|打振《うちふ》り|一人《ひとり》の|女《をんな》に|打《う》つてかかる。|何《ど》う|間違《まちが》つたか、|互《たがひ》に|入《い》り|乱《みだ》れて|同士討《どうしうち》をやつてゐる。|女《をんな》の|体《からだ》よりパツと|立《た》つた|白煙《しらけぶり》、|太《ふと》い|尾《を》を|下《さ》げた|白狐《びやくこ》が|一匹《いつぴき》、ノソリノソリと|歩《ある》き|出《だ》し、コンコン クワイクワイと|吠《ほ》え|乍《なが》ら、|森《もり》を|見棄《みす》てて|逃《に》げて|行《ゆ》く。
|八人《はちにん》の|男《をとこ》は|女《をんな》が|狐《きつね》と|変《へん》じて|逃《に》げ|失《う》せたるに|気《き》がつかず、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|同士討《どうしう》ちをつづけてゐる。|可笑《をか》しさを|怺《こら》えてゐた|万公《まんこう》は|口《くち》が|破裂《はれつ》した|様《やう》に「グワツハヽヽヽ」と|笑《わら》ひ|声《ごゑ》を|噴出《ふんしゆつ》する。|治国別《はるくにわけ》|外《ほか》|三人《さんにん》もたまりかねて「アハヽヽヽ」と|体《からだ》を|揺《ゆす》つて|笑《わら》ひ|出《だ》した。|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて|八人《はちにん》の|奴《やつ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げて|行《ゆ》く。|万公《まんこう》は、
『グワツハヽヽヽ、|道公《みちこう》さまぢやないが、|到頭《たうとう》|大勢《おほぜい》の|奴《やつ》を|笑《わら》ひ|散《ち》らしてやつた。エヘヽヽヽ』
|一同《いちどう》は、「アハヽヽヽ」と|吹《ふ》き|出《だ》してゐる。
|五三公《いそこう》は|呆《あき》れて、
『|先生《せんせい》、|貴方《あなた》は|本当《ほんたう》に|感心《かんしん》ですよ。|何故《なぜ》あンな|優《やさ》しい|女《をんな》が|虐待《ぎやくたい》されて|居《ゐ》るのに|平気《へいき》で|笑《わら》つて|厶《ござ》るのか、|無情《むじやう》|冷酷《れいこく》な|御方《おかた》だと|内実《ないじつ》は|思《おも》つてゐました。|飛《と》び|出《だ》したいは|山々《やまやま》だつたが|命令《めいれい》が|下《くだ》らぬものだから、|差控《さしひか》へて|居《を》りましたが、|彼奴《あいつ》は|狐《きつね》になぶられてゐたのですなア』
『ウン、あの|御方《おかた》は|三五教《あななひけう》の|御守護神《ごしゆごじん》、|鬼武彦《おにたけひこ》の|御眷族《ごけんぞく》、|月日明神《つきひみやうじん》さまだよ。バラモン|教《けう》の|捕手《とりて》が|山口《やまぐち》の|森《もり》に|隠《かく》れて|厶《ござ》つた|楓《かへで》さまを|召捕《めしと》らうと|大蛇《をろち》の|窟《いはや》|迄《まで》|覗《のぞ》きに|行《ゆ》き|居《を》つたのだから、|月日《つきひ》さまが|楓《かへで》さまの|親子《おやこ》|対面《たいめん》が|出来《でき》る|迄《まで》、あゝして|身代《みがは》りになつてゐて|下《くだ》さつたのだ。|而《しか》して|吾々《われわれ》に|御守護《ごしゆご》あつた|事《こと》を|示《しめ》すために|今迄《いままで》|待《ま》つてゐて|下《くだ》さつたのだよ。お|前達《まへたち》の|目《め》に|娘《むすめ》と|見《み》えたのは|枯木杭《かれぼくくひ》だ。|可愛相《かあいさう》に|娘《むすめ》の|額《ひたひ》だと|思《おも》つてトゲだらけの|欠杭《かつくひ》を|撲《なぐ》りつけ、|血《ち》だらけの|拳《こぶし》になつて|居《を》つたぢやらう』
|万公《まんこう》は、
『ヘー|何《なん》だか|赤《あか》い|手袋《てぶくろ》をはめてゐると|思《おも》つてゐました。|月日《つきひ》さまといふ|明神《みやうじん》さまは|本当《ほんたう》に|偉《えら》い|方《かた》ですなア』
『サア|今晩《こんばん》は|此処《ここ》で|宿《とま》ることにしよう。|先《ま》づ|第一《だいいち》に|天津祝詞《あまつのりと》の|奏上《そうじやう》だ』
と|治国別《はるくにわけ》の|命令《めいれい》に|一同《いちどう》は、
『ハイ|畏《かしこ》まりました』
と|辺《あた》りの|小溝《こみぞ》で|口《くち》を|嗽《そそ》ぎ、|手《て》を|洗《あら》ひ、|型《かた》の|如《ごと》く|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し、|一夜《いちや》を|此処《ここ》に|明《あか》す|事《こと》とはなりける。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・一二・八 旧一〇・二〇 外山豊二録)
(昭和九・一二・二九 王仁校正)
第一六章 |怯風《けふふう》〔一一八五〕
|冷《つめ》たき|初冬《しよとう》の|凩《こがらし》に |吹《ふ》かれて|降《ふ》り|来《く》る|村時雨《むらしぐれ》
|治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》は |珍彦《うづひこ》|親子《おやこ》を|河鹿山《かじかやま》
|登《のぼ》り|口《ぐち》まで|送《おく》りつけ |万公《まんこう》|五三公《いそこう》|竜公《たつこう》や
|松彦《まつひこ》|引《ひき》つれ|大野原《おほのはら》 |時雨《しぐれ》を|冒《をか》して|進《すす》み|行《ゆ》く
|歩《あゆ》みも|早《はや》き|山口《やまぐち》の |森《もり》をば|右手《めて》に|眺《なが》めつつ
|草野《くさの》を|分《わ》けてやうやうに |野中《のなか》の|森《もり》に|到着《たうちやく》し
|怪《あや》しき|声《こゑ》に|木《き》の|茂《しげ》み |身《み》を|忍《しの》びつつ|窺《うかが》へば
|鬼《おに》をもひしぐ|荒男《あらをとこ》 |一人《ひとり》のか|弱《よわ》き|女《をんな》をば
|捉《とら》へて|無体《むたい》の|打擲《ちやうちやく》を なし|居《を》れるこそ|歎《うた》てけれ
|治国別《はるくにわけ》は|木蔭《こかげ》より |此《この》|惨状《さんじやう》を|一瞥《いちべつ》し
|其《その》|成行《なりゆき》に|任《まか》す|内《うち》 |女《をんな》は|忽《たちま》ち|白煙《はくえん》と
なつて|消《き》えしと|思《おも》ふ|間《ま》に |思《おも》ひもよらぬ|白狐《しろぎつね》
のそりのそりと|這《は》ひ|出《いだ》し |野中《のなか》を|指《さ》して|逃《に》げて|行《ゆ》く
|七八人《しちはちにん》の|荒男《あらをとこ》 |互《たがひ》に|棍棒《こんぼう》ふりかざし
|眼《まなこ》くらみて|同士打《どうしうち》 |挑《いど》み|戦《たたか》ふ|可笑《をか》しさに
|万公《まんこう》さまは|吹《ふ》きいだす |治国別《はるくにわけ》も|松彦《まつひこ》も
|五三公《いそこう》|竜公《たつこう》もこらえかね |思《おも》はず|知《し》らず|吹《ふ》き|出《だ》せば
|男《をとこ》は|驚《おどろ》き|雲《くも》|霞《かすみ》 |森《もり》の|奥《おく》へと|一散《いつさん》に
|命《いのち》からがら|逃《に》げて|行《ゆ》く |治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》は
|月日《つきひ》の|白狐《びやくこ》の|出現《しゆつげん》に |驚異《きやうい》の|眼《まなこ》を|見《み》はりつつ
|白狐《びやつこ》の|後《あと》を|伏拝《ふしをが》み |森《もり》の|広場《ひろば》に|蓑《みの》を|布《し》き
|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し |生言霊《いくことたま》を|唱《とな》へつつ
|一夜《いちや》を|茲《ここ》に|明《あ》かさむと |肱《ひぢ》を|枕《まくら》に|横《よこ》たはる
|冷《つめ》たき|風《かぜ》は|容赦《ようしや》なく |森《もり》の|梢《こずゑ》を|揺《ゆる》がして
ザワザワザワと|鳴《な》り|立《た》てる |彼方《あなた》|此方《こなた》にキヤツ キヤツと
|聞《きこ》ゆる|声《こゑ》は|山猿《やまざる》か |但《ただし》は|魔神《まがみ》の|襲来《しふらい》か
|只事《ただごと》ならじと|万公《まんこう》は |一人《ひとり》|胸《むね》をば|躍《をど》らせて
|眠《ねむ》りもえせずパチパチと |目《め》を|繁叩《しばたた》き|座《すわ》りゐる。
|万公《まんこう》は|何《なん》となく、|心《うら》|淋《さび》しく、|思《おも》ふ|様《やう》に|寝《ね》つかれねば、|横《よこ》になつて|見《み》たり、|坐《すわ》つて|見《み》たり、|一行《いつかう》の|寝息《ねいき》を|窺《うかが》つたりなどして、|夜《よ》の|明《あ》けるのを|一時《いつとき》も|早《はや》かれと|待《ま》つてゐる。
『|先生《せんせい》と|言《い》ひ、|松彦《まつひこ》さまと|云《い》ひ、|肝玉《きもだま》の|太《ふと》い|方《かた》|計《ばか》り、|斯《か》う|他愛《たあい》もなく|寝《ね》て|了《しま》はれては|淋《さび》しい|事《こと》だわい、|俺《おり》や|又《また》|何《ど》うして|寝《ね》られぬのか|知《し》らぬがなア、|昨夜《さくや》のやうに|又《また》もや|楓《かへで》の|化者《ばけもの》がやつて|来《き》よつたなら、おらモウ、|仮令《たとへ》|真人間《まにんげん》であらうと|辛棒《しんぼう》が|出来《でき》ないワ。|七八分《しちはちぶ》|迄《まで》|肝玉《きもだま》をどつかへやつて|了《しま》つたのだから、|強《つよ》|相《さう》に|言《い》うてるものの、|実際《じつさい》はビクビクものだ、|誰《たれ》か|起《お》きて|下《くだ》さらぬかいなア。|折角《せつかく》の|安眠《あんみん》を|揺《ゆす》り|起《おこ》してお|目玉《めだま》|頂戴《ちやうだい》してはたまらないし、|何《なん》だか|首筋元《くびすぢもと》がゾクゾクして|来《き》だした。|誰《たれ》か|物《もの》|云《い》ふ|奴《やつ》が|一人《ひとり》あると、|互《たがひ》に|語《かた》り|合《あ》うて|此《この》|淋《さび》しさを|紛《まぎ》らすのだけれど|鼾《いびき》|計《ばか》りでは|根《ね》つから|有難《ありがた》くないわい。|五三公《いそこう》の|奴《やつ》、|怪体《けたい》な|鼾《いびき》を|出《だ》しよつて、|何《なん》だ。がらがらがらがらといふ|鼾《いびき》がどこにあるかい。グツグツグツグツと|鼻《はな》を|鳴《な》らしてゐるのは、コリヤ|竜公《たつこう》だろ、|丸《まる》でお|粥《かゆ》をたいた|様《やう》な|声《こゑ》を|出《だ》しよる。エヽ、こンな|声《こゑ》を|聞《き》くと|益々《ますます》|淋《さび》しうなつて|来《き》た。|一《ひと》つ|鼻《はな》でも|摘《つ》まンで|起《おこ》してやろかな、|怒《おこ》つたら|罪《つみ》のない|喧嘩《けんくわ》を|始《はじ》める|迄《まで》の|事《こと》だ。|何《なん》とかして|紛《まぎ》らさなくちや、|仕方《しかた》がないワ。オウさうださうだ、|言霊《ことたま》を|忘《わす》れて|居《を》つた。|夜前《やぜん》の|先生《せんせい》に|聞《き》いた|言霊《ことたま》を|一《ひと》つ|打出《うちだ》して|見《み》よう。さうすれば、|陰鬱《いんうつ》な|空気《くうき》がどつかへ|退散《たいさん》し、|俺《おれ》の|気分《きぶん》もさえるだろ。エーエ、|副守《ふくしゆ》の|奴《やつ》、|早《はや》から|泣《な》き|声《ごゑ》を|出《だ》しよる。おりやそンな|弱《よわ》い|男《をとこ》だないが、|怪体《けたい》の|悪《わる》い、|弱《よわ》つたらしい|守護神《しゆごじん》がくつついてると|見《み》えるわい』
|五三公《いそこう》は|昨夜《さくや》の|夢《ゆめ》を|見《み》たと|見《み》え、いやらしい|声《こゑ》を|出《だ》して、
『キヤア、|幽霊《いうれい》だア、|鬼娘《おにむすめ》だア、オイ|万公《まんこう》、ウニヤ ウニヤ ウニヤ』
『アヽア、|又《また》ビツクリさしよつたナ、|此奴《こいつ》ア|一《ひと》つ|揺《ゆす》り|起《おこ》してやろ、|襲《おそ》はれてけつかるのだろ。オイオイ|五三公《いそこう》、|起《お》きたり|起《お》きたり、|万公《まんこう》さまだぞ、|大変《たいへん》|魘《うな》されてるぢやないか』
『あ……、|恐《おそ》ろしことだつた。よう|起《おこ》してくれた。|万公《まんこう》、お|前《まへ》|又《また》|無事《ぶじ》で|居《を》つたのか。マアそれで|安心《あんしん》だ』
『|無事《ぶじ》で|居《を》つたかて、……|妙《めう》な|事《こと》を|云《い》ふぢやないか、|俺《おれ》の|夢《ゆめ》でも|見《み》たのかい』
『ウーン、|見《み》た|見《み》た、|貴様《きさま》はなア、|昨夜《さくや》|会《あ》うた|楓《かへで》さまの|変装《へんさう》|以上《いじやう》の……|厭《いや》らしい|怪物《くわいぶつ》が|現《あら》はれて、|赤黒《あかぐろ》い|痩《やせ》た|手《て》を|出《だ》して、|貴様《きさま》の|素《そ》つ|首《くび》をグツと|握《にぎ》り、|山奥《やまおく》へひつ|攫《さら》へて|行《い》つた|夢《ゆめ》を|見《み》たのだ。|其《その》|時《とき》にキヤアキヤアとお|前《まへ》の|泣《な》く|声《こゑ》が|何《なん》とも|知《し》れぬ|厭《いや》らしかつたよ。まだ|誰《たれ》かキヤアキヤア|言《い》つてるぢやないか』
|万公《まんこう》は|身慄《みぶる》ひし|乍《なが》ら、
『|貴様《きさま》は|身魂《みたま》が|曇《くも》つて|居《ゐ》るから、そンなケヽ|怪体《けたい》な、|悪夢《あくむ》に|魘《おそ》はれるのだ。キヤツ キヤツ|云《い》うてるのは|猿《さる》の|声《こゑ》だよ。オイちとしつかりせぬかい。エヽー、|万公《まんこう》だつて|気味《きみ》が|悪《わる》て、たまらぬぢやないか。せうもない|夢《ゆめ》を|聞《き》かされて……』
|五三公《いそこう》は|不安《ふあん》さうに、
『|先生《せんせい》は|此処《ここ》に|居《を》られるかなア』
『|居《ゐ》られえでかい。|現《げん》に|此《この》|通《とほ》り|鼾《いびき》がしてるぢやないか。|余《あま》り|暗《くら》くつてお|姿《すがた》はハツキリせぬが、|大抵《たいてい》|鼾《いびき》で|分《わか》つてるわ』
『さうだらうかなア。|俺《おれ》の|夢《ゆめ》には、|貴様《きさま》が|化物《ばけもの》に|引掴《ひつつか》まれ、キヤアキヤア|言《い》つて|逃《に》げた|時《とき》、|治国別《はるくにわけ》の|先生《せんせい》と|松彦《まつひこ》さまとが、|後《あと》|追《お》つかけて|行《い》つて|了《しま》はれた|夢《ゆめ》を|見《み》たのだ』
『そら|夢《ゆめ》だ。|現《げん》に|此処《ここ》に|鼾《いびき》をかいて|居《を》られるのだからマア|安心《あんしん》せい。|時《とき》に|竜公《たつこう》を|一《ひと》つ|揺《ゆす》り|起《おこ》してくれぬか、|貴様《きさま》と|二人《ふたり》で|面白《おもしろ》うない|話《はなし》をしてゐると、だんだん|体《からだ》が|縮《ちぢ》まるやうになつて|来《く》るワ、|何《なん》とマア|陰気《いんき》な|夜《よ》さぢやな』
『それ|程《ほど》|淋《さび》しければ、|俺《おれ》に|喰《くら》ひついて|居《を》れ。|言《い》うても|五三公《いそこう》さまは|肝《きも》つ|玉《たま》が|太《ふと》いからなア』
『さうだらう、|夢《ゆめ》|見《み》てもビツクリするやうな|男《をとこ》だからな、ヘン』
|二三間《にさんげん》|傍《かたはら》に|何《なに》かヒソヒソと|人声《ひとごゑ》が|聞《きこ》えて|来《く》る。|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》は|俄《にはか》に|口《くち》をつめ、|抱《だき》ついた|儘《まま》、|耳《みみ》を|傾《かたむ》け|出《だ》した。
『オイ、テク、|昨夜《さくや》は|随分《ずゐぶん》|驚《おどろ》いたねえ、|今晩《こんばん》もこンな|所《ところ》で|休《やす》むのはいいが、|又《また》ホツホヽなンて|仰有《おつしや》ると、モウ|此《この》|上《うへ》はアクさまも|居《ゐ》たたまらないから、|小声《こごゑ》で|大自在天様《だいじさいてんさま》を|拝《をが》まうぢやないか』
『コリヤ、アク、|貴様《きさま》も|悪人《あくにん》に|似合《にあ》はぬ|気《き》の|弱《よわ》い|奴《やつ》だなア。|人《ひと》に|相談《さうだん》しなくつても、|自分《じぶん》の|口《くち》で|神様《かみさま》に|願《ねが》つたら|何《ど》うだい』
『|俺《おれ》だつて|余《あま》りビツクリしたので、|神《かみ》さままでが|怖《こは》うなつて、|連《つれ》がなくては|拝《をが》めぬぢやないか。どうだ、|三人《さんにん》|声《こゑ》を|揃《そろ》へて|御祈願《ごきぐわん》せうぢやないか。|又《また》ホツホヽヽがやつて|来《き》さうだぞ。どうも|陰欝《いんうつ》になつて|来《き》た。|僅《わづ》か|二十里《にじふり》の|道《みち》を|猫《ねこ》の|様《やう》に、|草原《くさはら》|計《ばか》りやつて|来《き》たのだから、|枯芒《かれすすき》で|手《て》も|足《あし》も|顔《かほ》も|疵《きず》だらけだ。|何《なん》だかピリピリと|体中《からだぢう》が|痛《いた》くて|仕方《しかた》がないワ』
『さうだから、|当《あた》り|前《まへ》の|道《みち》を|俺《おれ》の|名《な》のやうに【テク】らういふのに、|貴様《きさま》が|臆病風《おくびやうかぜ》に|誘《さそ》はれて、|道《みち》もない|所《ところ》を|四這《よつばひ》になつて|歩《ある》きよるものだから……|自業自得《じごふじとく》だよ』
『それだと|云《い》つて、うつかり|立《た》つて|歩《ある》かうものなら、|俺達《おれたち》の|体《からだ》が|見《み》えるぢやないか。もしも|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》にでも|見《み》つけられてみよ。それこそ|大変《たいへん》だ。アクさまの|提案《ていあん》を|遵奉《じゆんぽう》したお|蔭《かげ》に|依《よ》つて、やうやう、|此処《ここ》まで|安着《あんちやく》したではないか。オイ、タク、|何《なん》だ、|糞落着《くそおちつ》きに|落《おち》つきよつて、チと|何《なに》か|話《はなし》でもせぬかい、|淋《さび》しうて|仕方《しかた》がないワ』
『おりやモウ|腰《こし》が|痛《い》【タク】て、|話《はなし》どころかい。|気息奄々《きそくえんえん》だ。|随分《ずゐぶん》|四足《よつあし》の|真似《まね》も|苦《くる》しいものだなア』
『|貴様《きさま》はコンパスが|長《なが》くて、|手《て》の|方《はう》が|比較的《ひかくてき》|短《みじか》いから、|四足《よつあし》になるのもえらかろ、ソリヤ|尤《もつと》もだ。|併《しか》し|足《あし》の|長《なが》いのは|手《て》の|長《なが》いのよりもマシだ。|手《て》が|長《なが》いと|交番所《かうばんしよ》の|前《まへ》が|通《とほ》れぬからのオ』
『|何《なん》だか|知《し》らぬが、|俄《にはか》に|此《この》|森《もり》へテクリ|込《こ》んでから|淋《さび》しくなつたぢやないか。そこらあたりに|死屍累々《ししるゐるゐ》と|横《よこ》たはつてるやうな|怪体《けたい》な|気分《きぶん》がするぢやないか』
『ヒヨツとしたら、ここは|墓場《はかば》ぢやあるまいかな。|鼾《いびき》が|聞《きこ》えるやうだ、|幽霊《いうれい》がタク|山《さん》に|寝《ね》てけつかるのだなからうかな』
『|馬鹿《ばか》|言《い》へ。|幽霊《いうれい》が|鼾《いびき》をかくかい。|大方《おほかた》|狸《たぬき》が|寝《ね》てゐるのだらう。|確《たしか》に|野中《のなか》の|森《もり》だ、|墓場《はかば》の|気遣《きづか》ひないワ、マア|安心《あんしん》せい、テクが|保証《ほしよう》するよ』
『|何《なん》だかお|粥《かゆ》でもタク|否《い》ナ、|炊《た》いてるやうな|音《おと》がするぞ』
『オイ、そんな|怪体《けたい》な|話《はなし》はやめて、トツクリと|寝《ね》やうぢやないか。|寝《ね》さへすれば|怖《こは》い|事《こと》も|何《なん》にも|忘《わす》れて|了《しま》ふからな。|疑心暗鬼《ぎしんあんき》を|生《しやう》ずとか|云《い》つて、|此《この》|暗《やみ》の|晩《ばん》にそンな|事《こと》|計《ばか》り|云《い》うてると、|又《また》それ、アク|魔《ま》がホツホヽヽぢや』
|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》は|二三間《にさんげん》|側《そば》で、|三人《さんにん》の|話《はなし》を|聞《き》き|終《をは》り、|万公《まんこう》は|声低《こゑび》くに、
『オイ|五三公《いそこう》、|此奴《こやつ》ア バラモン|教《けう》の|臆病者《おくびやうもの》だで。|昨夜《さくや》|晴公《はるこう》や|楓《かへで》さまに|脂《あぶら》をとられた|奴《やつ》と|見《み》えるワイ。オイ|一《ひと》つ|俺《おれ》が|晴公《はるこう》になるから、|五三公《いそこう》お|前《まへ》|楓《かへで》になつたらどうだ、お|前《まへ》の|声《こゑ》は|女《をんな》に|似《に》てゐるからなア』
『ウン、そら|面白《おもしろ》い。そンなら|俺《おれ》から|一《ひと》つ|戦闘《せんとう》を|開始《かいし》しようかな。|貴様《きさま》と|俺《おれ》とは|余程《よほど》|臆病者《おくびやうもの》だと|思《おも》つてゐたら、モウ|一段《いちだん》と|臆病者《おくびやうもの》が|現《あら》はれよつた。|上《うへ》には|上《うへ》のあるものだのオ』
と|小声《こごゑ》に|囁《ささや》いてゐる。|三人《さんにん》はそンな|事《こと》とは|知《し》らず、|暗《くら》がりに|手《て》を|繋《つな》ぎ|合《あは》せ、|慄《ふる》ひ|慄《ふる》ひ|小声《こごゑ》で|囁《ささや》いてゐる。
『オイどうも|形勢《けいせい》|不穏《ふをん》だぞ。キヤツキヤツと|吐《ぬか》す|猿《さる》の|声《こゑ》が、|何《なん》とはなしにアク|魔《ま》|否《い》ナ|幽《いう》さまの|声《こゑ》のやうに|聞《きこ》えて|来《く》るぢやないか。こンな|時《とき》には|腹帯《はらおび》をしつかり|締《しめ》て|居《を》らぬと、ヒユードロドロドロとやられちや、おたまり|小坊子《こぼうし》がないからなア』
|五三公《いそこう》は|暗《くら》がり|乍《なが》らも、|両手《りやうて》を|前《まへ》にニユツと|伸《の》ばし、|手首《てくび》をペロツと|下《さ》げ、|少《すこ》し|立膝《たてひざ》をして、|蟷螂《かまきり》の|様《やう》に|体《からだ》を|前《まへ》へつき|出《だ》し、
『ヒユードロドロドロドロ、ホツホヽヽ』
『ソーレ アク、|幽《いう》だ、|逃《に》げろ|逃《に》げろ』
『|逃《に》げろと|云《い》つたつて、テクろと|云《い》つたつて|駄目《だめ》だよ、|又《また》|脱《ぬ》けた』
『あゝあ、|俺《おれ》もぬけた。アク、|俺達《おれたち》|二人《ふたり》をかたげてのいてくれ、タヽタクが|頼《たの》む』
『|俺《おれ》もチヨボチヨボだ、アクものは|口《くち》|斗《ばか》りだ』
『ホツホヽヽ、アツハヽヽ』
『ヤア|昨夜《さくや》の|化州《ばけしう》だ、|執念深《しふねんぶか》い、どこ|迄《まで》もついて|来《き》よるのだな。オイ、タク、テク、かう|幽霊《いうれい》に|魅入《みい》られては|仕方《しかた》がない、アク|胴《どう》を|据《す》ゑようぢやないか』
|斯《か》く|話《はな》す|内《うち》|十九日《じふくにち》の|夜《よる》の|月《つき》は|東天《とうてん》をこがして|一層《いつそう》|鮮《あざや》かな|光《ひかり》を|地上《ちじやう》に|投《な》げた。|丁度《ちやうど》|此処《ここ》は|木《き》の|疎《まばら》な|所《ところ》で、|東《ひがし》がすいてゐるので、|一同《いちどう》の|顔《かほ》はパツと|明《あきら》かになつた。
『アハヽヽヽ、これで|天地開明《てんちかいめい》の|気分《きぶん》になつて|来《き》た、ヤツパリ|月《つき》の|大神様《おほかみさま》のお|蔭《かげ》は|有難《ありがた》いものだな。|肚《はら》の|底《そこ》まで|光《ひか》つたやうな|気《き》がする。モウ|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。オイ|竜《たつ》、|起《お》きぬかい、|万公《まんこう》さまだよ』
「ウン」と|云《い》つて|起《お》きて|来《き》たのは|松彦《まつひこ》である。
『ヤア|良《よ》い|月《つき》だな。|治国別《はるくにわけ》|様《さま》|竜公《たつこう》の|姿《すがた》が|見《み》えぬぢやないか、|何処《どこ》へ|行《ゆ》かれたのだろ』
『ヤア、マンマンマンマン|大変《たいへん》だ。|知《し》らぬ|間《ま》に|何者《なにもの》か|先生《せんせい》を|拐《かど》はかしよつたなア』
『ナアニ|芋《いも》でもイソイソ|埋《い》けに|行《ゆ》かれたのだよ。|何《なに》|俺達《おれたち》を|捨《す》てて|勝手《かつて》に|往《ゆ》くなンて、そンな|不親切《ふしんせつ》な|事《こと》をなさるものかい。なア|松彦《まつひこ》さま』
『ソリヤ|何《なん》とも|分《わか》らぬなア。|何程《なんぼ》|兄弟《きやうだい》だつて、|心《こころ》の|中《なか》|迄《まで》|分《わか》らぬからなア、|松彦《まつひこ》には』
『ヘーン、もしもそンな|事《こと》だつたら|大変《たいへん》ですがな、あイソを|尽《つく》されたのか』
『|師匠《ししやう》を|杖《つゑ》につくな、|人《ひと》を|頼《たよ》りにすなと|神様《かみさま》は|仰有《おつしや》るぢやないか、|一丈《いちぢやう》|二尺《にしやく》の|褌《まはし》をかいた|男《をとこ》がそンな|弱音《よわね》を|吹《ふ》くものぢやない、|之《これ》から|各自《かくじ》|単独《たんどく》で、ランチ|将軍《しやうぐん》の|陣営《ぢんえい》へ|突撃《とつげき》せよと|命《めい》ぜられたら|何《ど》うするか。それでも|行《ゆ》かねばなるまい。お|前達《まへたち》は|生《せい》の|執着《しふちやく》が|強《きつ》いから|恐怖心《きようふしん》が|起《おこ》るのだ。|捨身《すてみ》になれば|何《なに》も|恐《おそ》ろしい|事《こと》はないぢやないか。|最前《さいぜん》から|随分《ずゐぶん》|臆病風《おくびやうかぜ》に|吹《ふ》かれて|居《ゐ》たなア、|松彦《まつひこ》が|聞《き》いて|居《を》れば|何《なん》だホツホヽヽなンてせうもない|余興《よきよう》をやるぢやないか』
『|何程《なにほど》|恐怖心《きようふしん》にかられたといつても、|流石《さすが》に|万公《まんこう》さまは|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》ですわい。|余裕《よゆう》|綽々《しやくしやく》として|滑稽《こつけい》を|演《えん》ずるのですからなア。あれ|御覧《ごらん》なさい、あこに|三匹《さんびき》の|四足《よつあし》が【へた】つて|居《を》りますわ』
『ウン、あれはバラモン|軍《ぐん》の|斥候《せきこう》を|勤《つと》めてるアク、タク、テクの|三人《さんにん》だ、|楓《かへで》さまに|脂《あぶら》を|取《と》られた|連中《れんちう》だらう』
『|松彦《まつひこ》さま、|貴方《あなた》は|鼾《いびき》をかき|乍《なが》ら|聞《き》いてゐたのですかい』
『ウン、|鼾《いびき》は|鼾《いびき》、|聞《き》くのは|聞《き》くのだ、|鼻《はな》は|休《やす》ンで|居《を》つても、|耳《みみ》は|起《お》きてゐるからなア』
アクは|手《て》を|合《あは》せ、
『モシモシ、|三五教《あななひけう》の|先生《せんせい》、|私《わたし》はお|察《さつ》しの|通《とほ》り、アク、タク、テクの|三人《さんにん》で|厶《ござ》います。|決《けつ》して|貴方方《あなたがた》に|仇《あだ》をするものでは|厶《ござ》いませぬから、どうぞ|宜《よろ》しく|頼《たの》みます……とは|申《まを》しませぬが、いぢめぬやうにして|下《くだ》さい、|構《かま》うてさへ|貰《もら》はねば、|何《ど》うなつと|処置《しよち》をつけますから、|本当《ほんたう》に|貴方《あなた》の|家来《けらい》には|意地《いぢ》の|悪《わる》い|方《かた》がありますなア。|吾々《われわれ》|三人《さんにん》の|腰《こし》を|抜《ぬ》いて|了《しま》つたのですから|本当《ほんたう》に|困《こま》りますワ』
『それは|気《き》の|毒《どく》だ。|併《しか》し|乍《なが》ら|二十里《にじふり》の|道《みち》を|四這《よつばひ》になつて|来《く》るのは、|随分《ずゐぶん》|苦《くる》しかつたでせうなア、|松彦《まつひこ》は|感心《かんしん》したよ』
『|何《なに》もかも|皆《みな》|御存《ごぞん》じですな。|其《その》|通《とほ》り|暫《しばら》く|四足《よつあし》の|修行《しうぎやう》をアク|迄《まで》やつてみましたが、|随分《ずゐぶん》|苦《くる》しいもので|厶《ござ》いますよ』
『コンパスの|長《なが》い|手《て》の|短《みじか》いタクさまは|余程《よほど》お|困《こま》りだつたさうですねえ』
『|手《て》の|短《みじか》いのは|正直者《しやうぢきもの》の|証拠《しようこ》ですから、どうぞ|大目《おほめ》に|見《み》て|下《くだ》さいナ、|松彦《まつひこ》さまとやら』
『アハヽヽヽ、マア|此方《こちら》へお|出《いで》なさい、ゆつくり|話《はなし》を|交換《かうくわん》しませう』
『オイ、タク、テク|三五教《あななひけう》の|大将《たいしやう》は|余程《よほど》|開《ひら》けてるぢやないかエヽー、バラモン|教《けう》の|司《つかさ》だつたら、|随分《ずゐぶん》|威張《ゐば》る|所《ところ》だがなア。ヤツパリ|平民《へいみん》|主義《しゆぎ》と|見《み》えるワイ、|俺《おれ》や|平民《へいみん》|主義《しゆぎ》が|大好《だいす》きだ……|三五教《あななひけう》の|先生《せんせい》、そンなら|一切《いつさい》の|障壁《しやうへき》を|除《のぞ》いて|御昵懇《ごぢつこん》に|預《あづ》かりませう』
|松彦《まつひこ》は、
『ハア、お|互《たがひ》に|御心《おこころ》|安《やす》う|頼《たの》みますよ』
と|軽《かる》くうなづく。
『モシモシ|先生《せんせい》、あンな|事《こと》を|言《い》つて、|様子《やうす》を|考《かんが》へてゐるのですよ、|万公《まんこう》は|気懸《きがか》りですワ。モ|一《ひと》つホヽヽヽヽでおどかして|逃《に》がしてやりませう』
『ホツホヽヽ、モシモシ|万公《まんこう》さま、|正体《しやうたい》が|現《あら》はれた|以上《いじやう》は、ホヽヽもアハヽヽヽも|笑《わら》ひの|種《たね》にこそなれチヨツとも|恐《おそ》ろしくありませぬよ。アク|迄《まで》も|得意《とくい》のホヽヽヽヽをやつて|御覧《ごらん》なさい』
『オイ、|五三公《いそこう》、|最《も》う|駄目《だめ》だ、|仕方《しかた》が|無《な》いなア』
『|松彦《まつひこ》さまがあゝ|仰有《おつしや》るのだもの、|俺達《おれたち》は|泣《な》き|寝入《ねいり》かな。|無条件《むでうけん》|降服《かうふく》だ……|否《いな》|無条件《むでうけん》|還附《くわんぷ》だ。|之《これ》から|臥薪嘗胆《ぐわしんしやうたん》、|十年《じふねん》の|苦《く》をなめて、|捲土重来《けんどぢうらい》|復讐戦《ふくしうせん》をやるのだなア、アツハヽヽヽ』
と|始《はじ》めて|愉快《ゆくわい》げに|五三公《いそこう》は|笑《わら》ひ|出《だ》した。|此《この》|笑《わら》ひ|声《ごゑ》は|四辺《しへん》の|陰鬱《いんうつ》を|破《やぶ》つて|一同《いちどう》は|俄《にはか》に|陽気《やうき》となり、|敵《てき》も|味方《みかた》も|声《こゑ》を|揃《そろ》へて、「ワハヽヽヽ」と|高笑《たかわら》ひする、|今迄《いままで》|吾物顔《わがものがほ》に|梢《こずゑ》に|飛《と》び|交《か》ひ、キヤツキヤツ|囁《さへづ》つてゐた|猿《さる》は|一度《いちど》に|声《こゑ》を|潜《ひそ》めて|了《しま》つた。
(大正一一・一二・九 旧一〇・二一 松村真澄録)
(昭和九・一二・二九 於湯ケ島 王仁校正)
第一七章 |罵狸鬼《ばりき》〔一一八六〕
|松彦《まつひこ》は|宣伝使格《せんでんしかく》となり、|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》、|及《および》バラモン|教《けう》のアク、タク、テクの|六人《ろくにん》は、|敵味方《てきみかた》の|牆壁《しやうへき》を|忘《わす》れ、|和気靄々《わきあいあい》として|俄《にはか》に|笑《わら》ひ|興《きよう》じ|出《だ》した。|月《つき》はますます|冴《さ》えて|木立《こだち》のまばらな|此《この》|森《もり》は|昼《ひる》の|如《ごと》く|明《あかる》くなつて|来《き》た。
|万公《まんこう》は|俄《にはか》に|元気《げんき》づいて|喋《しやべ》り|出《だ》した。
『|松彦《まつひこ》さま、|治国別《はるくにわけ》の|先生《せんせい》が|居《を》られなくなつた|以上《いじやう》は、|入信《にふしん》の|順序《じゆんじよ》として|先《ま》づ|万公《まんこう》が|宣伝使《せんでんし》|代理《だいり》を|勤《つと》むべき|所《ところ》ですな。|神《かみ》の|道《みち》には|依怙贔屓《えこひいき》はチツトも|無《な》いのだから、|神徳《しんとく》の|高《たか》きものが|一行《いつかう》を|統一《とういつ》するのが|当然《たうぜん》でせうなア』
『こりや|万公《まんこう》、|何《なん》と|云《い》ふ|矛盾《むじゆん》した|事《こと》を|吐《ほざ》くのだ。|入信順《にふしんじゆん》から|云《い》へば|万公《まんこう》がなる|所《ところ》だと|云《い》ふかと|思《おも》へば、|神徳《しんとく》のあるものが|当《あた》るべきものとは|前後《ぜんご》|矛盾《むじゆん》も|甚《はなはだ》しいではないか、|五三公《いそこう》には|合点《がてん》が|行《ゆ》かないワ』
『ウン、|順序《じゆんじよ》から|云《い》へば|万公《まんこう》さまが|宣伝使《せんでんし》|代理《だいり》を|勤《つと》むべき|処《ところ》だが、|松彦《まつひこ》さまは|後入信《あといり》でも、バラモン|教《けう》で|素地《そち》が|作《つく》つてあるから|神徳《しんとく》が|高《たか》い、それだから|松彦《まつひこ》さまが|宣伝使《せんでんし》|代理《だいり》になられたが|宜《よ》からうと|云《い》つたのだよ。|宣伝使《せんでんし》の|弟《おとうと》だつて、|何《なん》にも|神徳《しんとく》のない|木偶《でく》の|坊《ぼう》だつたら、|吾々《われわれ》は|統率者《とうそつしや》と|仰《あふ》ぐ|事《こと》が|出来《でき》ないと|云《い》つた|迄《まで》だ。それが|何処《どこ》に|矛盾《むじゆん》して|居《ゐ》るか。お|前達《まへたち》は|根性《こんじやう》が|曲《まが》つてゐるから|怪体《けたい》の|処《ところ》へ|気《き》をまはすのだナ。エー』
『|後《あと》の|烏《からす》が|先《さき》になるぞよと|云《い》ふことがあるからな。|何程《なにほど》|万公《まんこう》さまが|先輩《せんぱい》でも|駄目《だめ》だよ。|昨夜《さくや》の|言霊戦《ことたません》には|先輩《せんぱい》が|濁《にご》つて|全敗《ぜんぱい》し、|今晩《こんばん》も|亦《また》|哀《あは》れつぽい|泣声《なきごゑ》を|出《だ》して|全敗《ぜんぱい》したのだから、|頼《たよ》りのない|先輩《せんぱい》だよ』
『コリヤ|五三公《いそこう》、|千輩《せんぱい》どころかい。|俺《おれ》は|万輩《まんぱい》だ。それだから|俺《おれ》は|万公《まんこう》さまだよ。|貴様《きさま》の|様《やう》な|東海道《とうかいだう》とは|違《ちが》ふわい』
『|東海道《とうかいだう》とは|何《なん》だ。|馬鹿《ばか》にするない』
『それでも|五十三次《ごじふさんつぎ》の|五三公《いそこう》でないか。|破《やぶ》れた|着物《きもの》は|東海道《とうかいだう》と|云《い》ふぢやないか。エー、|襤褸布《ぼろきれ》を|五千三次《ごせんさんつぎ》つぎ|合《あは》して|着《き》て|居《ゐ》る|乞食《こじき》の|代名詞《だいめいし》だ。さうだから|貴様《きさま》は|破《やぶ》れ|宣伝使《せんでんし》と|云《い》ふのだよ』
『|誰《たれ》が|何《なん》と|云《い》つても、|此《この》|五三公《いそこう》さまは|万敗《まんぱい》さまよりも|松彦《まつひこ》さまを|信用《しんよう》するワ。|松《まつ》は|千年《ちとせ》の|色深《いろふか》しと|云《い》つて|末代代物《まつだいしろもの》だからな』
『|何《なん》と|云《い》つても|万公《まんこう》の|俺《おれ》には|人望《じんばう》がないのだから|仕方《しかた》がない。そンなら、さうとして|置《お》いて、|俺《おれ》の|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》だけは|認《みと》めるだらうな』
『ハヽヽヽヽ|笑《わら》はしやがるわい。|何《なに》が|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》だ。|全敗万敗《ぜんぱいまんぱい》の|破《やぶ》れ|宣伝使《せんでんし》|奴《め》が』
『その|笑《わら》はせやがるのが|俺《おれ》ぢやないか。|率先《そつせん》して|笑《わら》つたのは|此《この》|万公《まんこう》さまだぞ。|四辺《しへん》の|陰鬱《いんうつ》な|空気《くうき》を|拭《ふ》きとつた|様《やう》に|笑《わら》ひ|散《ち》らしたのだからな。|笑《わら》ふと|云《い》ふ|事《こと》は|即《すなは》ち|歓喜《くわんき》の|表徴《へうちよう》だ。|薄《すすき》の|穂《ほ》にも|怖《お》ぢ|恐《おそ》れビリついて|居《を》つた|貴様《きさま》|等《たち》の|魂《たましひ》に|光明《くわうみやう》を|与《あた》へ、|力《ちから》を|与《あた》へたのも|万公《まんこう》さまが|笑《わら》ひの|言霊《ことたま》の|原料《げんれう》を|提供《ていきよう》したからだ。ウーピーの|主人公《しゆじんこう》だよ。|凡《すべ》て|人《ひと》の|神霊《しんれい》と|云《い》ふものは|歓喜楽天《くわんきらくてん》に|存在《そんざい》するものだからな。|悲哀《ひあい》の|念《ねん》を|起《おこ》し|嘆声《たんせい》を|洩《も》らすと、|神霊《しんれい》|忽《たちま》ち|萎縮《ゐしゆく》し、|遂《つひ》には|亡《ほろ》びて|了《しま》ふものだ。|抑《そもそ》も|人《ひと》の|神霊《しんれい》は|善《ぜん》をなせば|増《ま》し、|悪《あく》をなせば|減《げん》ず、|歓喜《くわんき》によつて|発達《はつたつ》し、|悲哀《ひあい》によつて|消滅《せうめつ》す。かかる|真理《しんり》の|蘊奥《うんあう》を|理解《りかい》した|万公《まんこう》さまは|実《じつ》に|偉《えら》いものだらう。|五三公《いそこう》が|何程《なにほど》|藻掻《もが》いた|処《ところ》で、|斯《か》くの|如《ごと》き|深遠《しんゑん》|微妙《びめう》なる|宇宙《うちう》の|真理《しんり》は|分《わか》るまい。エヘン』
『それ|丈《だ》けの|真理《しんり》が|分《わか》つて|居《ゐ》ながら、|何故《なぜ》|女々《めめ》しく|悲哀《ひあい》の|語調《ごてう》を|並《なら》べて|慄《ふる》うて|居《ゐ》たのだ』
『それは|臨機《りんき》|応変《おうへん》の|処置《しよち》だ。|婦人《ふじん》|小児《せうに》の|敢《あへ》て|知《し》る|所《ところ》でない』
『アハヽヽヽヽ|婦人《ふじん》|小児《せうに》は|何処《どこ》に|居《ゐ》るのだ。|俺《おれ》は|決《けつ》して|婦人《ふじん》でも|小児《せうに》でもないぞ』
『|居《ゐ》ないから|云《い》つたのだ。そこが|臨機《りんき》|応変《おうへん》だよ。|時《とき》にバラモンの|御三体《ごさんたい》さまを|如何《どう》|処置《しよち》する|積《つも》りだ。|鱠《なます》にする|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|吸物《すゐもの》にし|様《やう》と|思《おも》つても|骨《ほね》は|硬《かた》いなり、ナイフはあつても|之《これ》は|人斬《ひとき》り|包丁《はうちやう》なり、|四足《よつあし》を|料理《れうり》する|出刃《でば》の|持合《もちあはせ》はなし、|何《ど》うしたら|宜《よ》からうかな』
『|貴様《きさま》、|出歯《でつぱ》を|持《も》つてるぢやないか。|山桜《やまざくら》の|万公《まんこう》と|云《い》つて|花《はな》(|鼻《はな》)より|葉《は》(|歯《は》)が|先《さき》に|出《で》て|居《ゐ》るだらう。|餅《もち》の|見《み》せられぬ|代物《しろもの》だよ』
『|何故《なぜ》この|万公《まんこう》さまに|餅《もち》が|見《み》せられぬのだイ』
『それでも|出歯《でつぱ》に|餅見《もちみ》せなと|云《い》ふぢやないか。アハヽヽヽヽ』
|松彦《まつひこ》は|声《こゑ》を|強《つよ》めて、
『おい|両人《りやうにん》、いゝ|加減《かげん》に|揶揄《からか》つて|置《お》かぬか。アク、タク、テクさまが|笑《わら》ふて|厶《ござ》るぞ。|三五教《あななひけう》にもあンな|没分暁漢《わからずや》が|居《ゐ》るかと|思《おも》はれちや、|神《かみ》さまの|面汚《つらよご》しだからのう』
アクは、にじり|寄《よ》り、
『ヤア|松彦《まつひこ》の|先生《せんせい》、どうせ|人《ひと》に|使《つか》はれて|歩《ある》く|様《やう》な|連中《れんちう》に|碌《ろく》な|者《もの》はありませぬわ。よう|似《に》て|居《ゐ》ますわ、|私《わたし》のつれてゐる|此《この》|両人《りやうにん》も|矢張《やつぱ》り|担《にの》うたら|棒《ぼう》の|折《を》れる|代物《しろもの》ですよ。それは|万々々《まんまんまん》、|話《はなし》にも|杭《くひ》にもかからぬ|五三々々《ござござ》した|奴《やつ》ですわ。アハヽヽヽヽ』
『こりやアク、|貴様《きさま》の|口《くち》をアク|所《ところ》ぢやないぞ。|万々々《まんまんまん》て、|何《なん》だい。|俺《おれ》の|事《こと》を|諷《ふう》して|居《ゐ》よるのだな』
『|万更《まんざら》さうでもありますまい。|然《しか》し【まん】と|云《い》ふ|名《な》のついたものに、あまり|宜《よ》い|物《もの》はありませぬな。|慢心《まんしん》に|自慢《じまん》、|高慢《かうまん》、|我慢《がまん》、|驕慢《けうまん》、|万引《まんびき》に|満鉄《まんてつ》、それから|病気《びやうき》には|脹満《ちやうまん》、と|云《い》ふ|様《やう》なものですな。も|一《ひと》つ|悪《わる》いのは|三面《さんめん》|記者《きしや》の|持《も》つて|居《ゐ》る|万年筆《まんねんひつ》、それから|慢性《まんせい》の|痴呆性《ちほうせい》|位《ぐらゐ》のものですワイ。アハヽヽヽヽ』
『|賛成《さんせい》|々々《さんせい》、|仲々《なかなか》バラモンにも|気《き》の|利《き》いた|奴《やつ》がある。やア、もうずつと|気《き》に|入《い》つた。おいアクさま、それほどお|前《まへ》は|物《もの》の|道理《だうり》を|知《し》つて|居《を》り|乍《なが》ら、|何故《なぜ》|人間《にんげん》の|身《み》を|以《もつ》て|四足《よつあし》の|真似《まね》をして|来《き》たのだ、その|理由《りいう》をこの|五三公《いそこう》さまに|聞《き》かして|呉《く》れぬか』
『|別《べつ》に|四足《よつあし》の|真似《まね》はし|度《た》くなかつたのですが、|友達《ともだち》が|先《さき》へ|来《き》て|待《ま》つてゐるものですからナ』
『その|友達《ともだち》と|云《い》ふのは|誰《たれ》の|事《こと》だい』
『そこに|鎮座《ちんざ》まします|出歯彦命《でばひこのみこと》さまの|事《こと》ですよ。|万公《まんこう》さまと|云《い》ふぢやありませぬか。アクは|又《また》|早聞《はやぎ》きをして|馬公《うまこう》さまと|聞《き》いて|居《を》りました。|大分《だいぶん》|馬鹿《うましか》の|様《やう》なお|顔付《かほつき》だからな』
『|五三公《いそこう》が|聞《き》いて|居《を》れば、|山口《やまぐち》の|森《もり》でも、|馬《うま》と|鹿《しか》と|鼬《いたち》の|変化《へんげ》した|狸《たぬき》が|現《あら》はれたぢやないか』
『アハヽヽヽヽそりや【テンゴ】(|冗談《じようだん》)ですよ。|吾々《われわれ》|三人《さんにん》が|互《たがひ》に|罵《ののし》り|合《あ》つて|居《を》つたのです。|然《しか》し|乍《なが》ら、|正真正銘《しやうしんしやうめい》の|人間《にんげん》ばかりだから、あまり|見《み》くびつて|貰《もら》ひますまいかい、アク|性《しやう》な』
『そンなら|此《この》|万公《まんこう》さまも|矢張《やつぱ》り|人間《にんげん》だ。あまり|失敬《しつけい》な|事《こと》を|云《い》つちやいけないよ』
『|此《この》|万公《まんこう》さまは|常世姫命《とこよひめのみこと》の|分霊《ぶんれい》|山竹姫《やまたけひめ》の|口《くち》から|生《うま》れた|子《こ》でせう』
|五三公《いそこう》は|訝《いぶ》かり|乍《なが》ら、
『|何《なに》、そンな|事《こと》があるものか。|何故《なぜ》|又《また》そンな|事《こと》を|云《い》ふのだ』
『|常世姫命《とこよひめのみこと》さまがエルサレムの|都《みやこ》で|思《おも》ふ|様《やう》にゆかないので、|自分《じぶん》の|霊《れい》を|分《わ》けて|山竹姫《やまたけひめ》と|現《あら》はれ、|何《なん》とかして|人間《にんげん》の|生宮《いきみや》を|生《う》まうと|天《てん》に|祈《いの》り、|口《くち》から|吐《は》き|出《だ》した|玉《たま》が、|俄《にはか》に|膨脹《ばうちやう》して|大《おほ》きな|四足《よつあし》の|子《こ》となつた。そこで|山竹姫《やまたけひめ》が|吃驚《びつくり》して|目《め》を|円《まる》うし、|口《くち》を|尖《とが》らし|両手《りやうて》を|拡《ひろ》げ、|体《からだ》まで|反《そ》りかへつて「【まん】まん【うま】あ」と|仰有《おつしや》つた。それから|馬《うま》と|云《い》ふのだ。|馬《うま》も|万《まん》も|矢張《やつぱ》り|山竹姫《やまたけひめ》さまの|口《くち》から|出《で》たのだから、|馬《うま》の|先祖《せんぞ》かと|思《おも》ひましたよ。|随分《ずゐぶん》|長《なが》い|顔《かほ》ですな』
|五三公《いそこう》は|手《て》を|打《う》つて、
『アハヽヽヽ|此奴《こいつ》あ|面白《おもしろ》い。|話《はな》せるわい』
『ヘン、あまり|馬鹿《うましか》にして|貰《もら》ふまいかい。そンならアクと|云《い》ふ|奴《やつ》の|因縁《いんねん》を|聞《き》かしてやらうか』
『そンな|事《こと》ア|聞《き》かして|貰《もら》はなくとも、とつくに|御存《ごぞん》じだ。|抑《そもそ》もアクのアは|天《あま》のアだ。クは|国《くに》のクだ。|天津神《あまつかみ》、|国津神《くにつかみ》の|御水火《みいき》によつて|生《うま》れ|給《たま》うた|天勝国勝《あまかつくにかつ》の|名《な》をかねたる|大神人《だいしんじん》だが、|一寸《ちよつと》|下界《げかい》の|様子《やうす》を|探《さぐ》るため、【アク】せくと|人間界《にんげんかい》にまはつて|隅々《すみずみ》|迄《まで》|歩《ある》いて|居《ゐ》る|艮金神《うしとらのこんじん》さまだよ。|悪《あく》に|見《み》せて|善《ぜん》を|働《はたら》く|神様《かみさま》だから、|暗夜《あんや》を|照《て》らすとは、アーク|灯《とう》と|云《い》ふぢやないか。あまり|口《くち》をアークと【すこたん】を|喰《く》ひますぞや』
『アハヽヽヽヽクヽヽヽヽぢや、|抑《そもそ》も|万公《まんこう》さまの|考《かんが》へでは、アクと|云《い》ふ|奴《やつ》ア、|凡《すべ》て|始末《しまつ》におへないものだ。その|灰汁《あく》がぬけさへすれば|食《く》へぬものでも|食《く》へるだらう。|果物《くだもの》でも|野菜《やさい》でも|灰汁《あく》の|強《つよ》い|奴《やつ》は|水《みづ》に|漬《つ》けておくのだからな。|藁《わら》にだつて|灰汁《あく》がある。|溝《どぶ》に|流《なが》れてゐるのは|皆《みな》|悪水《あくすゐ》だ。その|悪水《あくすゐ》に|喜《よろこ》ンで|棲《す》ンでゐる|奴《やつ》が|所謂《いはゆる》|溝鼠《どぶねずみ》だ。|鼬《いたち》も|矢張《やは》り|溝水《どぶみづ》に|近《ちか》い|処《ところ》に|棲《す》むものだ。つまり|要《えう》するに|即《すなは》ちアクと|云《い》ふのは|溝狸《どぶたぬき》の|事《こと》だ。アハヽヽヽヽ』
|五三公《いそこう》は|吹《ふ》き|出《だ》し、
『|国常立之尊《くにとこたちのみこと》と|溝狸《どぶたぬき》とは|天地霄壌《てんちせうじやう》の|相違《さうゐ》ぢやないか』
『|至大無外《しだいむぐわい》|至小無内《しせうむない》、|無遠近《むゑんきん》、|無広狭《むくわうけふ》、|無大小《むだいせう》、|過去《くわこ》|現在《げんざい》|未来《みらい》の|区別《くべつ》なく、|或《ある》|時《とき》は|天《てん》の|大神《おほかみ》となり、|或《ある》|時《とき》は|狸《たぬき》は|云《い》ふも|更《さら》、|蠑〓《いもり》|蚯蚓《みみず》と|身《み》を|潜《ひそ》め、|天地《てんち》の|神業《しんげふ》に|参加《さんか》するのが|即《すなは》ちアクだよ。|艮金神様《うしとらのこんじんさま》は|悪神《あくがみ》|祟神《たたりがみ》と|人《ひと》に|云《い》はれて、|三千世界《さんぜんせかい》をお|構《かま》ひ|遊《あそ》ばして|厶《ござ》つたと|云《い》ふ|事《こと》を|三五教《あななひけう》では|云《い》ふぢやないか。|三五教《あななひけう》のアと|国常立《くにとこたち》の【ク】と|頭《かしら》と|頭《かしら》をとつて【アク】さまと|云《い》ふのだからな。|馬《うま》の|子孫《しそん》とは|大分《だいぶん》に|訳《わけ》が|違《ちが》ふのだよ。ヒヒーンだ。ヒヽヽヽヽ』
『ウツフヽヽヽヽ|何《なん》だか|知《し》らぬが|松彦《まつひこ》には|人間界《にんげんかい》を|離《はな》れて、|畜生国《ちくしやうごく》の|会議《くわいぎ》に|臨席《りんせき》した|様《やう》な|気《き》がするわい。もつと【らしい】|問題《もんだい》を|提出《ていしゆつ》するものはないのかな』
『そりや|何程《いくら》でもありますよ。バラモン|教《けう》に|於《おい》て|智識《ちしき》の|宝庫《はうこ》と|称《とな》へられたるアクですからな』
『|何《なん》とまア|万々々《まんまんまん》|吹《ふ》いたものだな。|三百十日《さんびやくとをか》が|聞《き》いて|呆《あき》れるわ。フヽヽヽ』
|斯《か》く|話《はな》す|時《とき》しも|一天《いつてん》|黒雲《こくうん》に|包《つつ》まれ、|俄《にはか》に|真黒《しんこく》の|暗《やみ》となつて|了《しま》つた。|万公《まんこう》はそろそろ|慄《ふる》ひ|出《だ》した。
『オイ、いゝゝゝ|五三公《いそこう》、もつと|此方《こつち》や|寄《よ》らぬかい。さう|遠慮《ゑんりよ》するものぢやないわ』
『お|前《まへ》から|此方《こつち》へ|寄《よ》つてくれ。かう|暗《くら》くては|仕方《しかた》がないわ。|俺《おれ》や|何《なん》だか|体《からだ》が|地《ち》にくつついた|様《やう》な|気《き》がして|動《うご》けなくなつたのだ、|根《ね》つから|五三々々《いそいそ》せぬワイ』
『おい、|何《ど》うやら|怪《あや》しくなつて|来《き》たぞ、|何程《なにほど》|気張《きば》つても|腹《はら》の|底《そこ》から|慄《ふる》うて|来《く》るぢやないか。|何《ど》うも|合点《がつてん》がゆかぬ。|歓喜楽天《くわんきらくてん》の|奴《やつ》、いつの|間《あひだ》にか|万《まん》わるく|遁走《とんそう》して|了《しま》ひよつた。|俺《おれ》の|神霊《しんれい》もそろそろ|脱出《だつしゆつ》したと|見《み》えるわい。|五三公《いそこう》お|前《まへ》だけなつと、しつかりしてゐてくれよ』
『|何《なに》、|心配《しんぱい》するな。|松彦《まつひこ》さまがついて|厶《ござ》るわい。あまり|頬桁《ほほげた》を|叩《たた》くから|神様《かみさま》から|戒《いまし》めを|受《う》けたのだよ。サア|祈《いの》れ|祈《いの》れ』
『もし|皆《みな》さま、どうも|怪《あや》しくアクなつて|来《き》たぢやありませぬか』
『|本当《ほんたう》に|気遣《きづか》ひな|状況《じやうきやう》になりましたな。|皆《みな》さま|御遠慮《ごゑんりよ》は|要《い》りませぬ。|一所《ひとところ》へ|五三《いそ》ぎ|密集《みつしふ》しませうか』
『おいアク、|一所《ひとところ》へ|寄《よ》つちやいかないよ。もしも|空《そら》から|爆弾《ばくだん》でも|落《お》ちて|来《き》たら|全滅《ぜんめつ》だ。|何事《なにごと》も|散兵線《さんぺいせん》が|安全《あんぜん》だからな、|生命《せいめい》は|捨《すて》【タク】|無《な》いからなア』
『それもさうだ。|然《しか》し|何《なん》とはなしにアクの|守護神《しゆごじん》がよりたがつて|仕様《しやう》がないわ』
タク|小声《こごゑ》で、
『この|暗《くら》がりに|三五教《あななひけう》の|側《そば》へ|寄《よ》ると、あの|懐剣《くわいけん》でグサツとやられるかも|知《し》れぬぞ。あまり|気《き》を|許《ゆる》しちや|大変《たいへん》だからな』
アクは|故意《わざ》と|大《おほ》きな|声《こゑ》で、
『|何《なに》、|暗《くら》がりで|側《そば》へ|寄《よ》ると、|三五教《あななひけう》が|懐剣《くわいけん》で|突《つ》くかも|知《し》れぬと|云《い》ふのか。|何《なに》|突《つ》いても|構《かま》はぬさ、|突《つ》かしておけばよいのさ。|敵《てき》も|味方《みかた》も|牆壁《しやうへき》をとつて|親《した》しく【つき】|合《あ》ひと|云《い》ふのだから、【つく】のは|結構《けつこう》だ。【つかれる】のも|結構《けつこう》だ。やがて|黒雲《くろくも》|排《はい》して【|月《つき》】も|出《で》るだらう』
タクは|袖《そで》を|引《ひ》つ|張《ぱ》つて、
『おい、アク、さう|大《おほ》きな|口《くち》を|開《あ》くものぢやないわ。タク|山《さん》のタク|宣《せん》を、そンな|大声《おほごゑ》でさらけ|出《だ》されちや|堪《たま》らぬぢやないか』
『|大声《おほごゑ》の|方《はう》がいいのだよ。|大声《たいせい》|俚耳《りじ》に|入《い》らずと|云《い》うてな。|却《かへつ》てこそこそ|話《はなし》をしてゐると|聞《きこ》えるものだよ』
|斯《か》く|話《はなし》してゐる|処《ところ》へ、|暗《やみ》の|中《なか》から|光《ひかり》の|無《な》い|薄青《うすあを》い|火《ひ》の|玉《たま》が|永《なが》い|褌《ふんどし》を|引《ひき》ずつて、|地上《ちじやう》|五六尺《ごろくしやく》の|処《ところ》をフワリフワリとやつて|来《き》た。
|松彦《まつひこ》は|火《ひ》の|玉《たま》に|向《むか》ひ、
『|廻《まは》れ|右《みぎ》へ』
と|号令《がうれい》を|掛《かけ》るや|火《ひ》の|玉《たま》は|松彦《まつひこ》の|言葉《ことば》に|従《したが》ひ|俄《にはか》に|頭《かうべ》を|転《てん》じ|右《みぎ》の|方《はう》へクルリと|廻《まは》つた。さうして|松彦《まつひこ》の|額《ひたひ》のあたりを|尾《を》にて|撫《な》で|乍《なが》らスツと|通《とほ》り、|中央《ちうあう》にブンブンブンと|呻《うな》つて、|尾《を》を|直立《ちよくりつ》させ|火柱《くわちう》を|立《た》てた|様《やう》になつた。
|万公《まんこう》はビツクリしながら、
『|松彦《まつひこ》さま、「|廻《まは》れ|帰《かへ》れ」と|云《い》つて|下《くだ》さいな。|随分《ずゐぶん》|厭《いや》らしいものがやつて|来《く》るぢやありませぬか』
『アハヽヽヽありや|狸《たぬき》だよ。|最前《さいぜん》から|狸《たぬき》|々《たぬき》と|罵《ののし》つたお|前《まへ》の|言霊《ことたま》が|実地《じつち》に|現《あら》はれたのだから、お|前《まへ》が|処置《しよち》をつけねば|誰《たれ》が|処置《しよち》をつけるのだ。それそれ|火《ひ》の|玉《たま》がお|前《まへ》の|方《はう》へ|近寄《ちかよ》つて|来《く》るぢやないか』
『こりや|火《ひ》の|玉《たま》、|貴様《きさま》の|本家《ほんけ》は|万公《まんこう》ぢやないぞ。バラモンのアクさまだ。アクさまの|方《はう》へトツトと|行《ゆ》け。|戸惑《とまど》ひするのも|程《ほど》がある。エー』
|火《ひ》の|玉《たま》はジリジリと|万公《まんこう》|目蒐《めが》けて|迫《せま》つて|来《く》る。|万公《まんこう》は|一生懸命《いつしやうけんめい》になつて|両手《りやうて》を|組《く》みウンウンと|鎮魂《ちんこん》の|姿勢《しせい》をとつた。|火《ひ》の|玉《たま》は|益々《ますます》|太《ふと》く|長《なが》く|膨脹《ばうちやう》するばかり、|見《み》る|見《み》る|間《うち》に|鬼女《きぢよ》の|顔《かほ》が|現《あら》はれ|頭《あたま》に|三本《さんぼん》の|蝋燭《らふそく》が|光《ひか》つて|来《き》だした。|胸《むね》には|鏡《かがみ》をかけてゐる。|夜前《やぜん》の|楓姫《かへでひめ》そつくりである。|万公《まんこう》は|目《め》を|閉《ふさ》ぎ|耳《みみ》をつめて|蹲《しやが》むで|了《しま》つた。アク、タク、テクの|三人《さんにん》はアツと|云《い》つたきり|大地《だいち》に|横《よこ》たはつた。|目《め》を【ぎよろ】つかせ|口《くち》を|開《あ》いたぎり、アフンとしてゐる。|怪物《くわいぶつ》は|長《なが》い|舌《した》をペロペロ|出《だ》し|乍《なが》ら|嫌《いや》らしい|声《こゑ》で、
『|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》、アク、タク、テクの|五人《ごにん》の|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》、|大雲山《たいうんざん》から|迎《むか》へに|来《き》たのだ。さア|俺《わし》について|出《で》て|厶《ござ》れ。(|大声《おほごゑ》)|違背《ゐはい》に|及《およ》べば|噛《か》み|殺《ころ》さうか』
『たゝゝゝゝゝ|狸《たぬき》の|化物《ばけもの》|奴《め》、なゝゝゝゝ|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだイ。だゞゞゞゞ|誰《たれ》が|大雲山《たいうんざん》まで|行《ゆ》く|奴《やつ》があるか、ばゞゞ|馬鹿《ばか》、|五三公《いそこう》の|神力《しんりき》を|知《し》らぬかい』
と|冷汗《ひやあせ》をかき|乍《なが》ら|呶鳴《どな》りつける。|怪物《くわいぶつ》の|姿《すがた》は|象《ざう》が|屁《へ》を|放《ひ》つた|様《やう》にボスンと|云《い》つたまま|消《き》えて|了《しま》つた。|中天《ちうてん》に|昇《のぼ》つた|月《つき》は、もとの|如《ごと》くに|皎々《かうかう》と|輝《かがや》いてゐる。|四辺《あたり》を|見《み》れば|一匹《いつぴき》の|白《しろ》い|動物《どうぶつ》が|太《ふと》い|尾《を》を|垂《た》らしノソリノソリと|森《もり》の|中《なか》を|目蒐《めが》け|逃《に》げて|行《ゆ》く。
『アハヽヽヽヽヽ|又《また》やられたな』
『ヘヽヽヽヽ』
と|一同《いちどう》のかすかな|笑《わら》ひ|声《ごゑ》でつき|合《あ》ひ|笑《わら》ひをやつてゐる。これより|松彦《まつひこ》は|五三公《いそこう》、|万公《まんこう》、アク、タク、テクの|五人《ごにん》を|従《したが》へ|夜明《よあ》けを|待《ま》ち|浮木《うきき》の|森《もり》をさして|出《い》でて|行《ゆ》く。
(大正一一・一二・九 旧一〇・二一 北村隆光録)
(昭和九・一二・二九 王仁校正)
第一八章 |一本橋《いつぽんばし》〔一一八七〕
|松彦《まつひこ》|一行《いつかう》は|野中《のなか》の|森《もり》を|後《あと》にして、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|浮木ケ原《うききがはら》をさして|進《すす》み|往《ゆ》く。|此処《ここ》には|河鹿川《かじかがは》の|下流《かりう》が|横《よこ》たはつて|居《ゐ》る。|此《こ》の|河《かは》は、ライオン|川《がは》に|注《そそ》ぐと|伝《つた》へられて|居《ゐ》る。
|可《か》なり|広《ひろ》い|河《かは》に、|天然《てんねん》の|河《かは》の|中《なか》の|岩《いは》を|土台《どだい》として、|一本橋《いつぽんばし》が|架《か》けられてある。|橋《はし》を|渡《わた》つて|帰《かへ》つて|来《く》る|二人《ふたり》の|女《をんな》があつた。|一人《ひとり》は|中年増《ちうどしま》、|一人《ひとり》は|十五六才《じふごろくさい》の|少女《せうぢよ》である。|一行《いつかう》|六人《ろくにん》は|橋《はし》の|詰《つ》めに|立《た》つて|清《きよ》らかな|激流《げきりう》を|眺《なが》めて|息《いき》を|休《やす》めて|居《ゐ》た。|万公《まんこう》は|二人《ふたり》の|女《をんな》に|向《むか》ひ、
『|随分《ずゐぶん》、|烈《はげ》しい|流《なが》れだが、こンな|一本橋《いつぽんばし》を|女《をんな》の|身《み》としてよく|渡《わた》れたものだなア、|一体《いつたい》お|前《まへ》さまは、|何処《どこ》から|来《き》たのだイ』
『ハイ|私《わたくし》は|浮木《うきき》の|里《さと》の|者《もの》で|厶《ござ》いますが、|此《この》|間《あひだ》から|沢山《たくさん》の|軍人《ぐんじん》が|私《わたし》の|村《むら》に|陣取《ぢんど》り、|女《をんな》と|云《い》ふ|女《をんな》を|軒別《けんべつ》に|徴集《ちようしふ》して|炊事《すゐじ》をさせたり、いろいろと|辱《はづかしめ》たりするので、|誰《たれ》も|彼《かれ》も|皆《みな》|逃《に》げて|仕舞《しま》ひました。|私《わたし》は|婆《ばば》の|事《こと》なり、|相手《あひて》にはして|呉《く》れませなンだが、|段々《だんだん》と|女《をんな》が|減《へ》るにつけ、|婆《ばば》でも|少女《こども》でも|構《かま》はぬ、|女《をんな》でさへあれば|引張《ひつぱ》つて|帰《かへ》りますので|吾《わが》|村《むら》を|逃《に》げ|出《だ》し、|此《この》|橋《はし》を|渡《わた》つて|小北山《こぎたやま》の|神様《かみさま》のお|館《やかた》へ|身《み》を|隠《かく》して|居《を》りましたが、あまり|沢山《たくさん》の|女《をんな》で|寝《ね》る|所《ところ》もなく|断《ことわ》られて、|親子《おやこ》|二人《ふたり》が|此処《ここ》|迄《まで》|帰《かへ》つて|来《き》たので|厶《ござ》います』
アクは|言葉《ことば》せはしく、
『ウン、|女《をんな》|計《ばか》りが|小北山《こぎたやま》に|隠《かく》れて|居《ゐ》るとは|一体《いつたい》|幾十人《いくじふにん》|程《ほど》|居《ゐ》るのだい』
『ハイ、|一寸《ちよつと》|百人《ひやくにん》|計《ばか》り|集《あつ》まつて|居《を》りますが、|私《わたし》は|後《あと》から|行《い》つたものですから、|部屋《へや》と|云《い》ふ|部屋《へや》は|酢司詰《すしづめ》の|有様《ありさま》で|軒下《のきした》にも|寝《ね》る|所《ところ》がないので|厶《ござ》ります。それ|故《ゆゑ》|帰《かへ》つて|参《まゐ》りました。|此《この》|先《さき》|何《ど》うしたらよからうかと|思案《しあん》に|暮《く》れて|居《ゐ》ます。|貴方《あなた》の|笠《かさ》には|十曜《とえう》の|紋《もん》がついて|居《ゐ》ますが、|不思議《ふしぎ》の|事《こと》には|小北山《こぎたやま》の|神様《かみさま》にも|十曜《とえう》の|紋《もん》がつけてありました』
『さうして|何《なん》といふ|神様《かみさま》が|祭《まつ》つてあるのだ』
『ハイ|国治立命《くにはるたちのみこと》|様《さま》とか|承《うけたま》はりました』
『ハテ|国治立命《くにはるたちのみこと》|様《さま》を|祭《まつ》つてあるとは|合点《がてん》が|往《ゆ》かぬ。|三五教《あななひけう》の|一派《いつぱ》ではあるまいかなア』
『|何《なん》だか|知《し》りませぬが、|小北山《こぎたやま》の|神様《かみさま》と|云《い》うて|参《まゐ》つて|居《を》ります。|一寸《ちよつと》|外《そと》からは|分《わか》りませぬが、あれ|御覧《ごらん》なさい、|細《ほそ》い|煙《けぶり》が|立《た》ち|上《のぼ》つて|居《を》りませう、あすこが|神様《かみさま》を|祭《まつ》つてある|所《ところ》です。そして|門《もん》もあり、|沢山《たくさん》の|神様《かみさま》も|祭《まつ》つてあつて|一々《いちいち》|名《な》は|覚《おぼ》えて|居《ゐ》ませぬが|何《なん》でも|六ケ敷《むつかしき》|名《な》のついた|神様《かみさま》|計《ばか》りで|厶《ござ》います』
『|松彦《まつひこ》さま、|此《この》|婆《ばあ》さまの|話《はなし》は|耳寄《みみよ》りぢやありませぬか。|国治立神《くにはるたちのかみ》|様《さま》が|祭《まつ》つてあると|云《い》ひ|十曜《とえう》の|紋《もん》がついて|居《ゐ》ると|云《い》つたでせう。ひよつとしたら|治国別《はるくにわけ》の|先生《せんせい》が、|其処《そこ》へ|往《ゆ》かれたのではありますまいかな』
『さうでもあるまいが、|松彦《まつひこ》もその|小北山《こぎたやま》とやらへ|一寸《ちよつと》|立寄《たちよ》つて|様子《やうす》を|考《かんが》へて|見度《みた》いものだなア』
『そンならお|伴《とも》|致《いた》しませうか。オイ、|五三《いそ》さま、|万公《まんこう》さま、タク、テク、お|前等《まへら》も|賛成《さんせい》だらうなア』
|四人《よにん》|一度《いちど》に「|賛成《さんせい》|々々《さんせい》」と【ばつ】を|合《あは》した。
『ヤア|小生《せうせい》の|提案《ていあん》を|満場《まんぢやう》|一致《いつち》|賛成《さんせい》|下《くだ》さいまして、アクの|身《み》に|取《と》り|有《あ》り|難《がた》う|厶《ござ》います』
『ハヽヽヽヽ、アクさま、この|二人《ふたり》の|女《をんな》は|見殺《みごろし》にする|積《つも》りかな、|何《なん》とかして|連《つ》れて|往《い》つてやらねば、|可愛《かあい》さうぢやないか。|百人《ひやくにん》も|居《ゐ》る|処《ところ》へ|二人《ふたり》|位《くらゐ》|融通《ゆうづう》のつかぬ|筈《はず》はあるまい。|此《この》|婆《ば》さまは|何《なに》か|万《まん》びきでもやつたのぢやあるまいかな』
『さうだなア、やりよつたのだらう。|随分《ずゐぶん》|手癖《てくせ》の|悪《わる》い|奴《やつ》が、|女《をんな》の|中《なか》にもあるからなア』
『これこれあなた|方《がた》、|私《わたし》を|手癖《てくせ》が|悪《わる》いと|仰有《おつしや》つたが、さう【どん】どんと|仰有《おつしや》るからには|何《なん》ぞ|証拠《しようこ》がありますかな、サアそれを|聞《き》かして|貰《もら》はう、こンな|事《こと》を|聞《き》いては、|何程《なにほど》|女《をんな》だと|云《い》うて|聞《き》き|捨《ず》てになりませぬ、|盗人《ぬすびと》の|名《な》をきせられて、|先祖《せんぞ》に|対《たい》して|申訳《まをしわけ》がありますか、|娘《むすめ》にだつて|合《あは》す|顔《かほ》がない。|何《なに》を|証拠《しようこ》にそンな|事《こと》を|仰有《おつしや》いますか』
と|眉《まゆ》を|逆立《さかだ》て、|睨《にら》みつける。
『ヤアこいつは|失敗《しくじ》つた、まことに|粗疎千万《そさうせんばん》アク|言《げん》を|申上《まをしあ》げました。つい|口《くち》が|辷《すべ》りましてなア』
『|口《くち》が|辷《すべ》つたの、|足《あし》が|辷《すべ》つたのと、そンな|事《こと》で|云《い》ひ|訳《わけ》が|立《た》ちますか。|私《わたし》に|着《き》せた|濡《ぬ》れ|衣《ぎぬ》をサアどうして|乾《かわ》かして|下《くだ》さる。お|前《まへ》さまも|世界《せかい》の|人《ひと》を|導《みちび》いて|歩《ある》くお|方《かた》だと|見《み》えるが、そンな|事《こと》でどうして|神様《かみさま》の|御用《ごよう》が|出来《でき》ますか』
『イヤ|誠《まこと》に|閉口頓首《へいこうとんしゆ》だ、アクの|身魂《みたま》はやられた|哩《わい》』
『オイ、アクさま、|態《ざま》を|見《み》ろ、|余《あま》り|言霊《ことたま》を|使《つか》ひ|過《す》ぎると、|七尺《しちしやく》|以上《いじやう》の|男《をとこ》が|女《をんな》に|屁古《へこ》まされるやうな|事《こと》が|起《おこ》るのだよ。アハヽヽヽ|万《まん》の|悪《わる》い|代物《しろもの》だなア』
『さうするとお|前《まへ》はアクと|云《い》ふのかい、|道理《だうり》で|万引《まんびき》の|様《やう》な|面《つら》をして|厶《ござ》るわい。オヽ|恐《おそ》ろしい|恐《おそ》ろしい、こンな|所《ところ》で|追剥《おひはぎ》せられては|大変《たいへん》だ、サア|菊《きく》、|長居《ながゐ》は|恐《おそ》れ、|早《はや》く|帰《かへ》りませう』
『お|母《かあ》さま、|浮木《うきき》の|里《さと》へ|帰《かへ》ればバラモンの|軍人《ぐんじん》に|追剥《おひはぎ》をされたり、|念仏講《ねんぶつかう》に|合《あ》はされたりしては|耐《たま》りませぬから、|一層《いつそう》|此処《ここ》へ|身《み》を|投《な》げて|死《し》にませうか。|小北山《こぎたやま》へ|行《い》つても|放《はふ》り|出《だ》される、ここへ|来《く》れば|追剥《おひはぎ》にせられる。|家《いへ》へ|帰《かへ》れば|軍人《ぐんじん》に|訶《さいな》まれる、|何《ど》うする|事《こと》も|出来《でき》ぬぢやありませぬか』
『これこれ|母子《おやこ》|御両人《ごりやうにん》さま、|私《わたし》は|五三公《いそこう》と|申《まを》すもの、|決《けつ》して|盗人《どろぼう》ぢやありませぬ。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》のお|伴《とも》だ。|決《けつ》して|人《ひと》を|難《なや》めたり、|追剥《おひはぎ》なンどはして|呉《く》れと|云《い》はれても|致《いた》しませぬから|安心《あんしん》して|下《くだ》さい。|大切《たいせつ》な|命《いのち》をこンな|所《ところ》で|果《はた》すとは|悪《わる》い|了見《れうけん》だ。|気《き》の|短《みじか》いにも|程《ほど》がある。これお|菊《きく》さま、この|叔父《おぢ》さまはそンな|怖《こは》い|者《もの》ぢやない、まア|安心《あんしん》してお|呉《く》れ』
『イエイエお|前《まへ》さまは|泥棒《どろばう》だよ。そこに|厶《ござ》る|三人《さんにん》のお|方《かた》は、|此《この》|間《あひだ》|私《わたし》の|村《むら》へ|出《で》て|来《き》て「|女《をんな》|徴集《ちようしふ》だ」と|云《い》つて、|掻《か》つ|攫《さら》ひに|来《き》たお|方《かた》ぢや。|顔《かほ》に|見覚《みおぼえ》があります。そんな|事《こと》を|仰有《おつしや》つても|私《わたし》は|承知《しようち》は|出来《でき》ませぬよ。なアお|母《かあ》さま、さうでせう』
『|成《な》る|程《ほど》、そこの|三人《さんにん》の|男《をとこ》は|家《うち》へもやつてきた|男《をとこ》だ。|隣《となり》のお|亀《かめ》を|攫《さら》へよつたのはそこの|三人《さんにん》だ。バラモン|教《けう》の|目付《めつ》けだと|云《い》つて|威張《ゐば》りよつた。こら|三人《さんにん》の|奴《やつ》、|此《この》|婆《ばば》はかう|見《み》えても|浮木ケ原《うききがはら》のお|寅《とら》と|云《い》つて|若《わか》い|時《とき》には|賭場《とば》を|開帳《かいちやう》して|居《を》つた|白浪女《しらなみをんな》だ。もはや|娘《むすめ》が|命《いのち》を|捨《す》てると|覚悟《かくご》した|以上《いじやう》は、このお|寅《とら》も|足手《あして》|纏《まと》ひがなくて|力《ちから》|一《いつ》ぱい|活動《くわつどう》が|出来《でき》る。サア|小童《こわつぱ》|共《ども》このお|寅《とら》が|河《かは》へ|投《な》げ|込《こ》ンで|村《むら》の|人《ひと》の|仇《あだ》を|打《う》つてやらう。サアどうぢや』
と|目《め》を|釣上《つりあ》げ、|偉《えら》い|剣幕《けんまく》で|睨《ね》めつけた。アク、タク、テクの|三人《さんにん》はお|寅婆《とらばば》の|勢《いきほひ》に|辟易《へきえき》し、|後《あと》ずさりして|頭《あたま》を|掻《か》いて|居《ゐ》る。
『ハヽヽヽヽ、オイ、アク、|貴様等《きさまら》|三人《さんにん》|偉《えら》さうに|云《い》つて|居《を》るが|随分《ずゐぶん》|悪《わる》い|事《こと》をしよつたなア、|年貢《ねんぐ》の|納《をさ》め|時《どき》だ。|一《ひと》つ|婆《ば》アサンとこの|激流《げきりう》に|投《な》げ|込《こ》まれて|見《み》よ、|俺《おれ》も|何《なん》なら|婆《ば》アさまの|助太刀《すけだち》をせぬ|事《こと》もないワ、|万公末代《まんこうまつだい》の|善《ぜん》の|鏡《かがみ》だから』
『これこれお|婆《ばあ》さま、さう|怒《おこ》つて|呉《く》れては|困《こま》る、アクの|俺《おれ》は|役目《やくめ》で|止《や》むを|得《え》ず|女徴集《をんなちようしふ》と|出《で》たのだ。|役目《やくめ》だと|思《おも》うてまア|見直《みなほ》して|呉《く》れ』
『|何《なん》と|云《い》つてもお|寅婆《とらばば》が|死物狂《しにものぐる》ひ、|許《ゆる》すものかい。これや|万公《まんこう》とやら|貴様《きさま》も|同類《どうるゐ》であらう。これお|菊《きく》、お|前《まへ》は|死《し》ぬと|覚悟《かくご》を|極《き》めた|上《うへ》は|一人《ひとり》|死《し》ぬのも|勿体《もつたい》ない。これ|等《ら》|六人《ろくにん》を|残《のこ》らず|河《かは》へ|投《な》げ|込《こ》ンで、|大活動《だいくわつどう》をし、|天晴《あつぱ》れ|勇者《ゆうしや》となつて、|冥途《めいど》に|行《い》つた|時《とき》に|其《その》|勇名《ゆうめい》を|誇《ほこ》らうぢやないか』
『お|母《かあ》さまそンなら|一《ひと》つ|私《わたし》も|死物狂《しにものぐるひ》の|活動《くわつどう》を|致《いた》しませう。|仮令《たとへ》|一人《ひとり》でも|道連《みちづれ》にしてやらねば|腹《はら》が|癒《い》へませぬからなア』
|松彦《まつひこ》は|初《はじ》めて|口《くち》を|開《ひら》き、
『もしもし、お|寅《とら》さま、お|菊《きく》さま、|先《ま》づお|静《しづ》まりなさい、|決《けつ》して|吾々《われわれ》は|悪人《あくにん》ではありませぬよ。バラモン|教《けう》の|中《なか》にもたまには|善人《ぜんにん》が|混《まじ》つて|居《を》りますからなア。|此《この》|三人《さんにん》は|成《な》る|程《ほど》|女徴集《をんなちようしふ》に|往《い》つたのは|事実《じじつ》でせう。|併《しか》し|今日《こんにち》は|最早《もはや》|改心《かいしん》をして|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》のお|伴《とも》して|歩《ある》いて|居《ゐ》るのだから、どうぞ|許《ゆる》してやつて|下《くだ》さい』
『お|前《まへ》さまは|一寸《ちよつと》|賢《かしこ》さうな|顔《かほ》をして|居《ゐ》るだけに|一寸《ちよつと》|分《わか》つた|事《こと》を|仰有《おつしや》る。|許《ゆる》し|難《がた》き|餓鬼《がき》なれども、|今日《けふ》は|見逃《みのが》しておきませう。そのかはり|三人《さんにん》の|餓鬼《がき》に「どうも|悪《わる》かつた」と|犬蹲《いぬつくば》ひになつてお|詫《わび》をさせにや|承知《しようち》しませぬよ。|命《いのち》だけは|助《たす》けてやります』
『オイ、アク、テク、タク|三人《さんにん》|薩張《さつぱり》|顔色《がんしよく》|無《な》しだナ、|女《をんな》の|一人《ひとり》や|二人《ふたり》にこみわられて|慄《ふる》つて|居《を》るやうな|事《こと》で、どうして|男《をとこ》の|顔《かほ》が|立《た》つか。|是《これ》を|思《おも》へば|悪《わる》い|事《こと》は|出来《でき》ぬものぢやなア。|万公末代万年《まんこうまつだいまんねん》の|恥《はぢ》だよ。アハヽヽヽ』
『|何《なに》も|俺《おれ》は|此《この》|婆《ばあ》さまにあやまりの|条《すぢ》がないのだ。|婆《ばあ》さまや|娘《むすめ》の|体《からだ》に|指一本《ゆびいつぽん》さへたのでもない、|隣《となり》の|家《うち》まで|往《い》つたのみだ。オイ|婆《ばあ》さま、|隣《となり》の|家《うち》の|敵打《かたきうち》だなンて|旧《ふる》いぢやないか。お|前《まへ》も|随分《ずゐぶん》|頭《あたま》が|旧《ふる》いなア』
『エヽつべこべと|今《いま》の|奴《やつ》は|青表紙《あをべうし》や|蟹文字《かにもじ》を|噛《かぢ》つてけつかるから、そンな|小理屈《こりくつ》を|吐《ぬか》すのぢや、|強太《しぶと》う|致《いた》して|謝罪《あやま》らぬなら|謝罪《あやま》らないでもよい。|此方《こちら》にも|覚悟《かくご》があるのだから』
『ハヽヽヽヽ|剛情《がうじやう》な|婆《ばば》だな、|江戸《えど》の|敵《かたき》を|長崎《ながさき》で|打《う》たうとして|居《ゐ》る。オイ、|俺達《おれたち》|三人《さんにん》はこの|一本橋《いつぽんばし》を|向《むか》ふへ|渡《わた》つて、|婆《ばば》の|来《こ》ぬやうに、この|橋《はし》を|落《おと》してやらうぢやないか、タク、テク、サア|来《こ》い』
と|尻《しり》を|引《ひ》き|捲《まく》り|一本橋《いつぽんばし》を|無性《むしやう》|矢鱈《やたら》に|渡《わた》らむとし|慌《あわて》てアクは|渦《うづ》まく|激流《げきりう》にドブンと|落《お》ち|込《こ》ンだ。タク、テクの|両人《りやうにん》は|辛《から》うじて|向《むか》ふへ|渡《わた》る。お|寅《とら》とお|菊《きく》は|両手《りやうて》を|上《あ》げて、ウワイ ウワイとぞめいて|居《ゐ》る。
|松彦《まつひこ》は|驚《おどろ》き、
『オイ、|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》、これやかうしては|居《を》られない。|婆《ばあ》さまも|婆《ばあ》さまだがアクを|助《たす》けてやらねばなるまい、サア|渡《わた》らう』
と|云《い》ひながら|松彦《まつひこ》は|先《さき》に|立《た》つて|一本橋《いつぽんばし》を|渡《わた》り|初《はじ》める。|続《つづ》いて|五三公《いそこう》も|渡《わた》り|出《だ》した。|万公《まんこう》は、
『アクを|助《たす》けるとは|妙《めう》だなア、|俺《おれ》だつたら|善《ぜん》を|助《たす》けるがなア』
とほざいて|居《ゐ》る。|後《あと》からお|寅《とら》は|万公《まんこう》の|首筋《くびすぢ》をグツと|引《ひ》き、お|菊《きく》は|足《あし》を|浚《さら》へ、ドスンと|河端《かはばた》に|倒《たふ》して|仕舞《しま》つた。
『バヽヽヽ|婆《ば》さま、ナヽヽ|何《なに》をするのだ。|俺《おれ》はスヽヽ|些《すこ》しもシヽヽ|知《し》らぬぢやないか』
『|知《し》つても|知《し》らぬでもよいわ。|貴様《きさま》は|敵《かたき》の|片割《かたわ》れだから|親子《おやこ》|寄《よ》つて|集《たか》つて|命《いのち》を|取《と》つてやるのだ』
|万公《まんこう》は|吃驚《びつくり》して、
『オイ|松彦《まつひこ》さま、|五三公《いそこう》さま、|人殺《ひとごろし》だ、|救《たす》けて|呉《く》れ』
と|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|叫《さけ》び|居《ゐ》る。|激流《げきりう》の|音《おと》に|遮《さへぎ》られて|向《むか》ふ|岸《ぎし》には|聞《きこ》えなかつた。|四人《よにん》はアクを|助《たす》けむと|右往左往《うわうさわう》に|周章《うろた》へ|廻《まは》つて|居《ゐ》る。アクはどうしたものか|二三町《にさんちやう》|下手《しもて》の|岸《きし》に|漸《やうや》く|泳《およ》ぎつき、|真裸体《まつぱだか》となつて|濡《ぬ》れた|着物《きもの》を|圧搾《あつさく》し|初《はじ》めた。
『アーもう|大丈夫《だいぢやうぶ》だ、|矢張《やつぱり》アクは|偉《えら》い|奴《やつ》だ。|松彦《まつひこ》も|感心《かんしん》した。|悪運《あくうん》|強《つよ》いとは|此《この》|事《こと》であらう、ハヽヽヽヽ』
『もし|松彦《まつひこ》さま、|万公《まんこう》が|居《を》らぬぢやありませぬか』
『|何《なに》、|五三公《いそこう》、|万公《まんこう》が|居《を》らぬか』
と|云《い》ひながら|向《むか》ふの|岸《きし》を|見《み》ると、|二人《ふたり》の|女《をんな》に|押《おさ》へられ|藻掻《もが》いて|居《ゐ》る。
|松彦《まつひこ》は|言《ことば》せはしく、
『オイ、タク、テクの|両人《りやうにん》はアクの|方《はう》へ|往《い》つて|世話《せわ》をしてやつて|呉《く》れ、|五三公《いそこう》は|御苦労《ごくらう》ぢやが|一本橋《いつぽんばし》を|渡《わた》つて|万公《まんこう》を|助《たす》けて|来《こ》い』
『ヘイ|承知《しようち》|致《いた》しました、|併《しか》し|貴方《あなた》はどうなさるお|積《つも》りです』
『|私《わたし》は|宣伝使《せんでんし》|代理《だいり》だから|先《ま》づ|中央《ちうあう》に|坐《ざ》を|占《し》めて|両軍《りやうぐん》の|戦闘振《せんとうぶり》を|講評《かうひやう》する|積《つも》りだ、サア|早《はや》くゆかないか』
『エヽ|仕方《しかた》がない』
と|五三公《いそこう》は|一本橋《いつぽんばし》を|又《また》もや|渡《わた》り、
『これやツ!!』
と|呶鳴《どな》りつけるを、お|寅《とら》にお|菊《きく》は|平気《へいき》なもので、
『これお|前《まへ》さま|何《なに》を|邪魔《じやま》をするのだイ。|向《むか》ふに|先生《せんせい》が|待《ま》つて|厶《ござ》るぢやないか、とつととあちらに|往《ゆ》かつしやれ。|此奴《こいつ》は|万公《まんこう》と|云《い》つてな、|私《わたし》の|娘《むすめ》をチヨロマカした|奴《やつ》だよ。お|菊《きく》の|姉《あね》のお|里《さと》が|野良《のら》へ|往《い》つた|処《ところ》を|待《ま》ち|伏《ぶせ》して|野倒《のだふ》しをやり、たうとう|夫婦《ふうふ》|気取《きど》りで、|一年《いちねん》|計《ばか》りも|私《わたし》の|家《うち》で|暮《くら》して|居《を》つた|奴《やつ》ぢや。お|里《さと》は|悪縁《あくえん》で|腹《はら》が|膨《ふく》れ、|其《その》ために|難産《なんざん》をした|揚句《あげく》に|死《し》ンで|仕舞《しま》ひよつた。さうするとこの|薄情男《はくじやうをとこ》|奴《め》|後足《あとあし》で|砂《すな》をかけて|逃《に》げてしまひよつたのだ。どこへ|往《い》つたかと|探《さが》して|居《ゐ》たが、|天命《てんめい》|遁《のが》れず|此処《ここ》で|廻《めぐ》り|合《あ》つたのだ、|娘《むすめ》の|敵《かたき》だ、どうしても|殺《ころ》さねや|承知《しようち》しないのだ。|目《め》が|悪《わる》いと|思《おも》うて|万公《まんこう》の|奴《やつ》|知《し》らぬ|顔《かほ》して|居《ゐ》るが、そンな|事《こと》の|分《わか》らぬ|婆《ば》さまぢやない。|娘《むすめ》の|敵《かたき》この|鉄拳《てつけん》でも|喰《くら》へ』
と|握《にぎ》り|拳《こぶし》をふり|上《あ》げてコンコンと|叩《たた》く。
『アイタヽヽヽ|万々々《まんまんまん》どうぞ|勘弁《こら》へてお|呉《く》れ』
『|姉《ねえ》さまの|敵《かたき》|承知《しようち》しないぞ』
と|又《また》|拳《こぶし》を|固《かた》めてコンコンと|打《う》つ。
『オイ|五三公《いそこう》の|奴《やつ》、|助《たす》けて|呉《く》れないか。|私《わたし》も|三人《さんにん》や|四人《よつたり》の|女《をんな》に|弱《よわ》るやうな|男《をとこ》ぢやないが、お|寅婆《とらば》アさまは|柔道《じうだう》|百段《ひやくだん》だから、グツと|掴《つか》まれたら、どうする|事《こと》も|出来《でき》ないのだ』
『オホヽヽヽ、これ|五三公《いそこう》とやらこの|婆《ばば》に|指一本《ゆびいつぽん》でもこの|体《からだ》にさへたら|承知《しようち》せぬぞ』
『これや|五三公《いそこう》も|手《て》の|出《だ》しやうがないわい、|滅多《めつた》に|命《いのち》を|取《と》るやうな|事《こと》もあるまいから、|精《せい》|出《だ》して|叩《たた》いて|貰《もら》へ。なアお|婆《ばあ》さま|何《ど》うぞ|強《き》つく、|柔《やはら》かう|頼《たの》みますよ』
『お|母《かあ》さま、こンな|腰抜《こしぬ》け|男《をとこ》を|叩《たた》いても|仕方《しかた》がない。もう|勘忍《かんにん》してやりませうか。それよりも|浮木ケ原《うききがはら》へ|帰《かへ》り、ランチ|将軍《しやうぐん》の|陣営《ぢんえい》に|飛《と》び|込《こ》み、|斬《き》つて|斬《き》つて|斬《き》り|死《じに》をした|方《はう》が|死甲斐《しにがひ》があるかも|知《し》れませぬぜ』
『さうだ、こンな|蠅虫《はへむし》の|二匹《にひき》や|三匹《さんびき》|相手《あひて》にしたつて|仕方《しかた》がない、|許《ゆる》してやらう。|命冥加《いのちみやうが》の|奴《やつ》だ。|今後《こんご》はきつと|慎《つつし》め、|万公《まんこう》|奴《め》』
『ハイ|謹《つつし》みます』
『|私《わたし》の|云《い》ふ|事《こと》を|何時《いつ》|迄《まで》も|覚《おぼ》えて|居《を》つて、あの|先生《せんせい》の|云《い》ふ|事《こと》を|好《よ》う|聞《き》いて|善心《ぜんしん》に|立《た》ち|帰《かへ》るのだよ。サア|三千世界《さんぜんせかい》の|放《はな》ち|飼《が》ひ、|何処《いづこ》へなりと|万公《まんこう》|勝手《かつて》に|往《ゆ》け』
と|掴《つか》むで|居《ゐ》た|手《て》をパツと|放《はな》した。|万公《まんこう》はムクムクと|起《お》き|上《あが》り、
『|婆《ばあ》さま|大《おほ》きにお|世話《せわ》になりました。お|蔭《かげ》で|肩《かた》の|凝《こ》りが|癒《なほ》りました』
と|捨台詞《すてぜりふ》を|残《のこ》して|逃《に》げて|行《ゆ》く。
『|仕方《しかた》のない|男《をとこ》だな。|彼奴《あいつ》はまだ、どせう|骨《ほね》が|直《なほ》つて|居《ゐ》ないと|見《み》える。|後《あと》より|追《お》つついて、も|一《ひと》つ|折檻《せつかん》してやらう、サアお|菊《きく》』
と|一本橋《いつぽんばし》を|渡《わた》らうとする。|五三公《いそこう》は|両手《りやうて》を|拡《ひろ》げ、
『お|婆《ばあ》さま、まあまあ|待《ま》つて|下《くだ》さい、|私《わたし》がとつくと|言《い》うて|聞《き》かしますから、もうこれ|切《き》り|許《ゆる》してやつて|下《くだ》さい。|貴女《あなた》も|一旦《いつたん》|許《ゆる》すと|仰有《おつしや》つたのだから、もう、これ|切《き》り|許《ゆる》して|下《くだ》さい。さう|執念深《しふねんぶか》く|追駆《おつかけ》ないでもよいぢやありませぬか』
『|憎《にく》い|奴《やつ》ではあるけれど、たとへ|一年《いちねん》でも|可愛《かあい》|娘《むすめ》の|可愛《かあい》がつて|居《ゐ》た|男《をとこ》だから、|十分《じふぶん》|言《い》うて|聞《き》かして|懲《こら》してやり、|一人前《いちにんまへ》の|男《をとこ》にしてやりたい|計《ばか》りに、かうして|母子《おやこ》が|手荒《てあら》い|事《こと》をしたのだ。|万公《まんこう》を|打擲《ちやうちやく》したのは|矢張《やつぱり》|可愛《かあい》いからだよ。|何《なに》しに|憎《にく》うて|頭《あたま》の|一《ひと》つも|叩《たた》かれやうぞ』
と|云《い》ひながら|涙《なみだ》を|袖《そで》に|拭《ぬぐ》ふ。お|菊《きく》も|顔《かほ》を|隠《かく》し|涙《なみだ》をそつと|拭《ふ》いて|居《ゐ》る。
『アヽ|親《おや》の|恩《おん》と|云《い》ふものは|有《あ》り|難《がた》いものぢやなア。お|婆《ばあ》さま|左様《さやう》なら』
と|云《い》ひ|捨《す》て、|五三公《いそこう》は|又《また》もや|一本橋《いつぽんばし》を|慌《あわただ》しく|渡《わた》つて|仕舞《しま》ひ、|小北《こぎた》の|霊場《れいぢやう》へと|急《いそ》ぎける。
(大正一一・一二・九 旧一〇・二一 加藤明子録)
(昭和九・一二・二九 於湯ケ島 王仁校正)
第一九章 |婆口露《ばくろ》〔一一八八〕
|松彦《まつひこ》は|山道《やまみち》の|傍《かたはら》に|屹立《きつりつ》せる|大岩《おほいは》の|傍《そば》に、|五人《ごにん》の|従者《じゆうしや》を|集《あつ》め|息《いき》を|休《やす》めて|話《はなし》に|耽《ふけ》つてゐる。
『アクさま、|随分《ずゐぶん》|危《あぶ》ない|事《こと》だつたな。マア|結構《けつこう》だつたよ』
『|婆《ばば》におどかされて|走《はし》る|途端《とたん》に|足《あし》をふみ|外《はづ》し、|随分《ずゐぶん》|冷《ひや》つ【こい】|目《め》に|逢《あ》ひました。|併《しか》し|乍《なが》ら|水泳《すゐえい》に|得意《とくい》な|私《わたし》ですから|助《たす》かつたのですよ。タク、テクの|両人《りやうにん》だつたら、サツパリ|駄目《だめ》ですわ』
『そらさうぢや。マアよかつた。|万公《まんこう》さま、お|前《まへ》は|偉《えら》う|親子《おやこ》の|女《をんな》にやられて|居《を》つたぢやないか。|随分《ずゐぶん》|弱《よわ》い|男《をとこ》だなア』
『ヘーヘ、|悪《あく》に|弱《よわ》い、|善《ぜん》に|強《つよ》い|万公《まんこう》ですもの、|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》の|三五教《あななひけう》でなかつたら、|婆《ばば》を|河《かは》へほりこンで|了《しま》ふ【とこ】でしたけれども、|成《な》る|可《べ》く|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》して、|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》を|固《かた》く|守《まも》つてをつたのですよ。さうしたところ|婆《ばば》と|娘《むすめ》とが|按摩《あんま》をしてくれました。|肩《かた》をうつやら|腰《こし》をもむやら、|足《あし》を|引《ひつ》ぱるやら、おかげで|体《からだ》が|楽《らく》になりましたよ』
|五三公《いそこう》はふき|出《だ》し、
『アハヽヽヽ|負惜《まけをし》みのつよい|男《をとこ》だな。キヤアキヤア|云《い》つて|泣《な》いて|居《を》つたぢやないか』
『ナーニあれは【こそばいとこ】を|揉《も》むものだから|笑《わら》つてゐたのだよ。|貴様《きさま》には|泣《な》いた|様《やう》に|聞《きこ》えるか』
『それでも|人殺《ひとごろし》、|助《たす》けてくれと|云《い》つたぢやないか』
『ウン|一寸《ちよつと》テンゴに|言《い》つて|見《み》たのだ。その|証拠《しようこ》には|婆《ばあ》さまと|娘《むすめ》とが|泣《な》いてをつたぢやろ。|俺《おれ》は|一寸《ちよつと》も|泣《な》きはせぬよ、|大丈夫《だいぢやうぶ》たるもの|女《をんな》|位《ぐらゐ》に|泣《な》かされてたまるかい』
|五三公《いそこう》は、
『モシモシ|松彦《まつひこ》さま、|此奴《こいつ》の|秘密《ひみつ》を|探《さぐ》つて|来《き》ました。|仕方《しかた》のない|奴《やつ》ですでー』
『ナニツ、|秘密《ひみつ》をさぐつたと、そりや|面白《おもしろ》い。どンな|事《こと》だ、|差支《さしつかへ》なくば|聞《き》かしてくれ』
『コリヤコリヤ|五三公《いそこう》、|他人《ひと》の|秘密《ひみつ》をあばくやうな|不道徳《ふだうとく》はないぞ、|慎《つつし》まぬかい』
『それなら|仕方《しかた》がない、|五三公《いそこう》も|沈黙《ちんもく》しようかな、お|里《さと》がわかると|気《き》の|毒《どく》だからなア』
『コリヤお|里《さと》の|事《こと》は|云《い》はぬやうにしてくれ。さう|親友《しんいう》の|事《こと》を|公衆《こうしう》の|前《まへ》にさらけ|出《だ》すものぢやないわ』
『|松彦《まつひこ》さま、あー|云《い》つて|頼《たの》みますから、|五三公《いそこう》も|友情《いうじやう》を|以《もつ》て、|或《ある》|時期《じき》まで|保留《ほりう》しておきませう。その|代《かは》りに、|万公《まんこう》が|私《わたし》の|命令《めいれい》を|奉《ほう》じない|時《とき》には、さらけ|出《だ》します。なア|万公《まんこう》、その|条件附《でうけんつき》で|暫《しばら》く|沈黙《ちんもく》を|守《まも》ることにしようかい』
『どうぞ|頼《たの》む、|万公末代《まんこうまつだい》|云《い》はぬやうに』
『ヨシヨシその|代《かは》りに|俺《おれ》の|尻《しり》を|拭《ふ》けといつても|拭《ふ》くのだぞ。|滅多《めつた》に|違背《ゐはい》はあるまいなア』
『ヘン|馬鹿《ばか》らしい。|誰《たれ》が|貴様《きさま》の|尻《けつ》をアタ|汚《きたな》い|拭《ふ》く|奴《やつ》があるかい。|体《からだ》ばかりか|心《こころ》|迄《まで》|汚《きたな》い|代物《しろもの》だからなア。|吝《けち》ン|坊《ばう》で|悪口《わるくち》|言《い》ひで|穴《あな》さがしで、|奸黠《かんきつ》で、|狡猾《かうくわつ》で、|不道徳《ふだうとく》で、|権謀術数家《けんぼうじゆつすうか》で、|強慾《がうよく》で|丸《まる》で|旃陀羅《せんだら》の【けつ】に|醤油《しやうゆ》の|実《み》をつけて|甜《ねぶ》つてるやうな|奴《やつ》だ。こンな|奴《やつ》に|秘密《ひみつ》を|握《にぎ》られて|居《ゐ》ると|一生《いつしやう》|頭《あたま》が|上《あが》らぬから、イツソの|事《こと》|俺《おれ》の|方《はう》から|松彦《まつひこ》さまの|前《まへ》で|公開《こうかい》をするから|構《かま》うて|呉《く》れな。オイ|五三公《いそこう》さま、えらい|御心配《ごしんぱい》をかけました。|別《べつ》に|人《ひと》のものをチヨロマカシたのでも|無《な》し、|聞《き》いたら|涎《よだれ》の|出《で》るよなボロイ|面白《おもしろ》い|話《はなし》だから、|別《べつ》に|恥《はぢ》にもなるまい。|誰《たれ》だつて|多少《たせう》のローマンスはあるのだからなア。|女《をんな》なンか|胸《むね》が|悪《わる》いと|云《い》ふやうな|顔《かほ》をしてゐ|乍《なが》ら、|人《ひと》の|見《み》ぬところでは、|女《をんな》に|湯巻《ゆまき》の|紐《ひぼ》でしばかれて|涎《よだれ》を|繰《く》つて|居《ゐ》る|奴《やつ》が|多《おほ》いのだから、|多少《たせう》の|恋物語《こひものがたり》があるのは|寧《むし》ろ|誇《ほこ》りだ。|貴様《きさま》の|様《やう》な|唐変木《たうへんぼく》では、|春《はる》が|来《き》ても|花《はな》は|咲《さ》きはせぬぞ』
『|何《ど》うなと|勝手《かつて》にほざいたが|好《よ》いわい。|俺《おれ》やもう|干渉《かんせう》せぬわ。その|代《かは》り|貴様《きさま》が|失敗《しつぱい》しても|五三公《いそこう》は|高見《たかみ》から|見物《けんぶつ》するから、さう|思《おも》つたがよからう』
『なンだか|様子《やうす》ありげな|口振《くちぶり》だな。そのローマンスとやらをアクも|聞《きき》たいものだよ』
|万公《まんこう》は|肱《ひぢ》を|張《は》り、
『きかしてやらう、|謹聴《きんちやう》せい』
と|今《いま》や|話《はなし》の|糸口《いとぐち》を|解《ほど》かむとしてゐる|所《ところ》へ、|以前《いぜん》のお|寅《とら》、お|菊《きく》はスタスタとやつて|来《き》た。
『モシモシ、|万《まん》は|其処《そこ》に|居《を》りますかなア、あの|悪《あく》たれ|男《をとこ》は』
『そーれ、やつて|来《き》たぞ。|万公《まんこう》、|喜《よろこ》べ、モ|一遍《いつぺん》|按摩《あんま》をして|貰《もら》つたら|何《ど》うだイ』
『お|婆《ばあ》さま、モウ|沢山《たくさん》で|厶《ござ》います、イヤもうズンと|万公《まんこう》も|改心《かいしん》いたしました。|何卒《どうぞ》|帰《かへ》つて|下《くだ》さいませ』
『イヤイヤ|未《ま》だ|改心《かいしん》が|出来《でき》て|居《を》らぬ。|娘《むすめ》と|二人《ふたり》よつて|折檻《せつかん》をしてやるのに|結構《けつこう》な|按摩《あんま》で|肩《かた》の|凝《こり》が|下《さが》つたと|捨台詞《すてぜりふ》を|残《のこ》して|逃《に》げて|行《ゆ》くよな|男《をとこ》だからな。|死《し》なねば|治《なを》らぬカク|病《やまひ》だ、エーエ、|骨《ほね》の|折《を》れた|事《こと》だが|思《おも》ひ|切《き》つて|荒療治《あられうぢ》をしてやらう。オイ|万《まん》、|此方《こつち》やへ|来《こ》い』
|万公《まんこう》は|小《ちひ》さくなつて|慄《ふる》ひ|戦《をのの》いてゐる。
『アハヽヽヽ、やつぱり|何処《どこ》か|心《こころ》に|光明《くわうみやう》があると|見《み》えて、|恥《はぢ》を|知《し》つて|顔《かほ》を|隠《かく》しよる。マア|頼《たの》もしいものだ。コレコレお|前《まへ》さまは|万《まん》の|親方《おやかた》と|見《み》えるが、こンな|厄介物《やくかいもの》を|連《つ》れて|旅《たび》をなさるのは、|嘸《さぞ》お|骨《ほね》が|折《を》れる|事《こと》でせう。|此《この》|婆《ばば》が|物語《ものがたり》をするのを|聞《き》いて|下《くだ》さいませ。|此奴《こいつ》の|欠点《けつてん》をよく|呑《の》み|込《こ》ンでおいて|貰《もら》ひませぬと、|貴方《あなた》の|御迷惑《ごめいわく》になるといけませぬから、|後《あと》へ|引返《ひつかへ》して|参《まゐ》りました』
『|何事《なにごと》か|存《ぞん》じませぬが|承《うけたま》はりませう。|此《この》|男《をとこ》には|一《ひと》つの|秘密《ひみつ》があるさうですなア』
『お|寅《とら》さま、|殺生《せつしやう》な、コレお|菊《きく》、どうぞお|前《まへ》|仲裁《ちうさい》して|止《と》めてくれぬか。あンな|事《こと》を|云《い》はれちや|顔《かほ》が|赤《あか》くなつて、ついて|行《ゆ》く|事《こと》が|出来《でき》ぬからなア』
『お|母《かあ》さま、|一《ひと》つか|二《ふた》つ|程《ほど》にして、みんな|云《い》はないやうにして|上《あ》げて|下《くだ》さい。|押《おし》かけ|婿《むこ》に|入《はい》つて|来《き》た|事《こと》やら、|私《わたし》を|手込《てごめ》にしかけた|事《こと》は|云《い》はないやうにしてねー』
『コラお|菊《きく》、そンな|秘密《ひみつ》が|何処《どこ》にあるか。|肝腎《かんじん》の|事《こと》を|皆《みな》|云《い》つて|了《しま》つたぢやないか、|万公《まんこう》さまを|馬鹿《ばか》にするない』
『|私《わたし》は|子供上《こどもあが》りだから|何《なに》|云《い》ふかしれないよ。|気《き》にかけずに|許《ゆる》して|頂戴《ちやうだい》ね』
『アハヽヽヽ、ウフヽヽヽ|到頭《たうとう》|面《つら》の|皮《かは》をむかれよるのか。イヒヽヽヽ』
と|五三公《いそこう》、アク、タク、テクの|四人《よにん》は|手《て》を|拍《う》ち|踊《をど》り|上《あが》つて|喜《よろこ》ぶ。
『|松彦《まつひこ》の|先生様《せんせいさま》、|此《こ》の|婆《ばば》の|云《い》ふ|事《こと》|一通《ひととほ》り|聞《き》いて|下《くだ》さい。|此《こ》の|万《まん》と|云《い》ふ|男《をとこ》は|酢《す》でも|菎蒻《こんにやく》でも|行《ゆ》かぬ|動物《どうぶつ》で|厶《ござ》いますよ。|一昨年《おととし》の|冬《ふゆ》だつたか、|凩《こがらし》のピユーピユーと|吹《ふ》く|夕間《ゆふま》ぐれ、|家《うち》の|門前《もんぜん》に|見《み》すぼらしい|乞食《こじき》が【ふるう】てゐると、|僕《しもべ》の|者《もの》が|奥《おく》へ|知《しら》しに|来《き》たものですから、|私《わたし》も|小北山《こぎたやま》の|神様《かみさま》を|信心《しんじん》して|居《ゐ》るのだから、|人《ひと》を|助《たす》けるのは|神様《かみさま》の|御奉公《ごほうこう》だと|思《おも》ひ|握《にぎ》り|飯《めし》を|一《ひと》つ|持《も》つて|門口《かどぐち》|迄《まで》|出《で》て|見《み》れば、|若布《わかめ》の|行列《ぎやうれつ》か、シメシの|親分《おやぶん》と|云《い》ふよなツヅレの|錦《にしき》を|着《き》て、|蓆《むしろ》をかぶつて|慄《ふる》うて|居《ゐ》る|奴乞食《どこじき》があるぢやありませぬか。そこでアー|可愛相《かあいさう》に|同《おな》じ|様《やう》に|神様《かみさま》の|息《いき》から|生《うま》れた|人間《にんげん》だ、|助《たす》けてやるのが|神様《かみさま》への|孝行《かうかう》だと|思《おも》ひ、|握《にぎ》り|飯《めし》を|一《ひと》つお|盆《ぼん》にのせて、アタ|汚《きたな》い|乞食《こじき》に|御叮嚀《ごていねい》に、さア|嘸《さぞ》おひもじう|厶《ござ》いませう。さあ、これでも|食《た》べて|帰《かへ》つて|下《くだ》さいと|云《い》ふと、その|乞食《こじき》は|黒《くろ》い|黒《くろ》い|顔《かほ》から、|眼《め》をむき|出《だ》し、|吐《ぬか》すことには「アー|世界《せかい》に|鬼《おに》はない、|誠《まこと》に|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|此《この》|御恩《ごおん》は|忘《わす》れませぬ」と|米搗《こめつき》バツタの|様《やう》に|腰《こし》をペコペコ|百遍《ひやつぺん》|計《ばか》りも|曲《ま》げて|拝《をが》むぢやありませぬか、|私《わたし》も|不愍《ふびん》が|重《かさ》なつて|何《なん》とかして|湯巻《ゆまき》の|古手《ふるて》でも|探《さが》して|被《かぶ》せてやりたいと|思《おも》つて|居《を》りました。お|盆《ぼん》に|握《にぎ》り|飯《めし》をのせて|突出《つきだ》して|居《ゐ》るのに|取《と》らうともせず、|腰《こし》ばつかりペコペコさして|居《ゐ》る。|辛気《しんき》くさくて|仕方《しかた》がないから、お|前《まへ》、|此《こ》の|握《にぎ》り|飯《めし》が|気《き》に|入《い》らぬのかいと|聞《き》くと、その|乞食《こじき》の|云《い》ふには|今《いま》|近所《きんじよ》で|葬式《さうれん》の|残《のこ》りの|御馳走《ごちそう》を|鱈腹《たらふく》|頂《いただ》いて|来《き》たところだから、|握《にぎ》り|飯《めし》は|欲《ほ》しくはありませぬ、|暖《あたた》かいお|茶《ちや》が|一杯《いつぱい》|頂《いただ》きたいと|云《い》ふので、|私《わたし》も|浮木《うきき》の|村《むら》のお|寅《とら》と|云《い》つて|仇名《あだな》を|取《と》つた|女侠客《をんなけふかく》だから|人《ひと》を|助《たす》けてやらぬ|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|苔《こけ》だらけの|手《て》を|握《にぎ》つて|奥《おく》へつれて|行《ゆ》き、たぎつて|居《を》つた|茶《ちや》を|出《だ》して、サア|之《これ》をお|上《あが》りなさいと|茶椀《ちやわん》を|添《そ》へて|出《だ》しておきました。|而《さう》して|奥《おく》の|間《ま》へ|入《はい》つて|障子《しやうじ》の|破《やぶ》れから|考《かんが》へてゐると|生《うま》れついての|乞食《こじき》だと|見《み》えて、アタ|行儀《ぎやうぎ》がわるい。|土瓶《どびん》の|口《くち》から|煮《に》え|切《き》つた|茶《ちや》をグツと|呑《の》み|込《こ》み、|喉《のど》に|焼傷《やけど》をして|目《め》をクルクルとむき、|泡《あわ》を|吹《ふ》き|七転八倒《しちてんはつたう》してゐるぢやありませぬか。エー|怪体《けたい》のわるい、ド|乞食《こじき》を|引張《ひつぱり》|込《こ》ンだものだと|思《おも》ひ、|慌《あわて》て|行《い》つて|見《み》れば、|大切《だいじ》にしておいた|青土瓶《あをどびん》はポカツと|二《ふた》つに|破《わ》れ、|折角《せつかく》|沸《わ》かした|茶《ちや》は|畳《たたみ》にこぼれ、|畳《たたみ》が|御馳走《ごちそう》とも|何《なん》とも|言《い》はずに【けろり】となめて、|細《ほそ》い|目《め》を|沢山《たくさん》ならべて|睨《にら》ンでゐるぢやありませぬか。ホヽヽヽヽ、そのド|乞食《こじき》が|仰向《あふむけ》に|倒《たふ》れてゐるとこを|見《み》れば、|煤《すす》で|煮〆《にしめ》たような|褌《ふんどし》を|垂《た》らし、|吊柿《つるしがき》のよな|真黒気《まつくろけ》のものを|出《だ》して|倒《たふ》れてゐる。サア|大変《たいへん》だと|家内中《かないぢう》がよつてたかつて|水《みづ》をのませ、いろいろと|介抱《かいほう》した|結果《けつくわ》、ようよう|息《いき》を|吹《ふ》きかへした。|併《しか》し|乍《なが》ら|舌《した》を【やけど】したものだから、|舌《した》も|口《くち》も|腫《は》れ|上《あが》り、|国所《くにところ》を|尋《たづ》ねようにも|名《な》を|聞《き》こうにも|物《もの》が|言《い》へないので、|聞《き》く|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|筆紙《ひつし》を|持《も》つて|来《き》て|名《な》を|書《か》けと|云《い》つても、|此奴《こいつ》は|明《あ》き【めくら】と|見《み》えて|一字《いちじ》もよう|書《か》かず、|仕方《しかた》なしに|藪医者《やぶいしや》を|頼《たの》ンで|来《き》て|裏門《うらもん》から|灌腸《くわんちやう》して|到頭《たうとう》|物《もの》を|云《い》ふ|様《やう》にしてやりました。それから|虱《しらみ》だらけの|衣物《きもの》を|油《あぶら》をかけて、|焼《や》いて|了《しま》ひ、|亡《な》くなつた|爺《ぢい》さまの|一番《いちばん》|古《ふる》い|衣物《きもの》を|着《き》せてやつて、|行《ゆ》く|処《ところ》もない|代物《しろもの》だと|云《い》ふから|下僕《しもべ》につかつて|野良《のら》|仕事《しごと》に|使《つか》つて|居《を》りました』
|五三公《いそこう》は|首《くび》をかたむけ|乍《なが》ら、
『そら|誰《たれ》の|事《こと》ですか、よもや|万公《まんこう》さまでは|有《あ》りますまいナ』
『|云《い》はいでも|知《し》れたこつちや、|此《こ》の|万《まん》のことだよ』
『|何《なん》と【マン】のわるいとこに|出会《でつくは》したものだなア、|万公《まんこう》さま』
『アハヽヽヽ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、お|婆《ばあ》さま、しつかり|頼《たの》みますデ。|千両《せんりやう》|々々《せんりやう》アクアクするワ』
『コリヤ、アクの|奴《やつ》|馬鹿《ばか》にすない、|俺《おれ》は|瑞《みづ》の【みたま】だ。アクの|鏡《かがみ》が|映《うつ》つとるのだから、|俺《おれ》の|事《こと》ぢやない、|世間《せけん》の|奴《やつ》の|悪《わる》い|事《こと》が|奇麗《きれい》な【みたま】の|俺《おれ》にうつつたのだ。|其《そ》のつもりでお|婆《ばあ》さまの|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》けよ。|取違《とりちが》ひと|慢心《まんしん》は|大怪我《おほけが》の|基《もと》だから、お|婆《ばあ》さまの|云《い》ふ|事《こと》をよく|味《あぢ》はうて|聞《き》くがよいぞよ。|人《ひと》の|事《こと》だと|思《おも》へば|皆《みな》|吾《わが》|身《み》の|事《こと》であるぞよ。|世界中《せかいぢう》がかうなつて|居《ゐ》ると|云《い》ふ|事《こと》を|変性女子《へんじやうによし》の|身魂《みたま》にさして|見《み》せてあるぞよ。…………と|云《い》ふ|教《をしへ》をきいて|居《ゐ》るだろ、それが|俺《おれ》の|事《こと》だからのう』
『フヽヽヽヽお|婆《ばあ》さま、その|次《つぎ》を|松彦《まつひこ》にお|聞《き》かせ|願《ねが》ひます』
『|一寸《ちよつと》|此処《ここ》で|中入《なかいり》といたしまして、|又《また》|後《あと》はゆるゆると|御清聴《ごせいちやう》を|煩《わづら》はします。オホヽヽ、|万公《まんこう》さま|随分《ずゐぶん》|耳《みみ》が|痛《いた》からうなア』
『チヨツ、|万公《まんこう》も|万《まん》がわるいワイ』
『アーア、こンな|事《こと》は|云《い》ひたい|事《こと》ないけれど、これも|万公《まんこう》の|将来《しやうらい》の|為《ため》だから、モウ|一息《ひといき》|先生《せんせい》のお|耳《みみ》をわづらはしませうかなア。コレ|万公《まんこう》さま、お|前《まへ》が|決《けつ》して|憎《にく》うて|云《い》ふのぢやない、たとへ|三日《みつか》でも|因縁《いんねん》があればこそだ。お|前《まへ》の|為《ため》に|云《い》ふのだから、|聞《き》いて|下《くだ》さい。どうせチツトは|耳《みみ》が|痛《いた》いのは|請合《うけあひ》だが、|罪亡《つみほろ》ぼしだと|思《おも》つて|辛抱《しんばう》しなさい』
『ナント|御親切《ごしんせつ》なお|婆《ばあ》さまだなア、|五三公《いそこう》もこンな|親切《しんせつ》に|云《い》うて|呉《く》れるお|婆《ばあ》さまに|逢《あ》ひたいわ。それからお|婆《ばあ》さま、|後《あと》は|何《ど》うなつたのだい』
『それからお|前《まへ》さま、|此《こ》の|万《まん》を|野良《のら》|仕事《しごと》にやつて|置《お》いたところが、|鼠《ねづみ》かなンぞのよに|大根《だいこん》を|作《つく》つておけば|噛《か》ぢつて|食《く》ふ。|蕪《かぶら》をひいて|食《く》ふ、サツマ|芋《いも》は|根《ね》からひいて|食《く》つて|了《しま》ふ。まるで|土竜《もぐらもち》を|飼《か》うてをるよなものだ。こンなものを|飼《か》うてゐちや|百姓《ひやくしやう》をせぬがましだと|思《おも》つて、|仕方《しかた》なしに|娘《むすめ》の|見守《みまも》り|役《やく》にしてやつた。それがサツパリ|災《わざはひ》の|種《たね》となつたのだ。|此《こ》の|婆《ばば》が|熱病《ねつびやう》をわづらつて|今日《けふ》か|明日《あす》か|分《わか》らぬといふやうになつたので、|孝行《かうかう》な|娘《むすめ》のお|里《さと》が|此《この》|万《まん》をつれて|氏神《うぢがみ》の|社《やしろ》へ|参拝《さんぱい》をしたのだ。ソーすると|何時《いつ》の|間《ま》にかお|里《さと》の|腹《はら》がポテレンと|太《ふと》つて|来《き》た。|婿《むこ》も|貰《もら》はぬのに|腹《はら》がふくれるといふのは、コリヤ|屹度《きつと》|脹満《ちやうまん》に|違《ちが》ひないと|藪医《やぶい》|先生《せんせい》を|頼《たの》ンで|見《み》て|貰《もら》つたら、|娘《むすめ》の|氏神《うぢがみ》|参《まゐ》りの|御《お》かげで|私《わたし》の|病気《びやうき》は|直《なほ》つて|了《しま》うたが|娘《むすめ》が|脹満《ちやうまん》になつて|了《しま》つた。|医者《いしや》も|医者《いしや》だ。|脹満《ちやうまん》だ|脹満《ちやうまん》だといつて|矢鱈《やたら》に|苦《にが》いものを|飲《の》ます、ソレでも|十月目《とつきめ》にターンクの|口《くち》が|開《あ》いてホギヤアと|一声《ひとこゑ》、|娘《むすめ》はビツクリして|其《その》|場《ば》に|気絶《きぜつ》して|了《しま》つたわいのー、アンアン。それから|上《うへ》を|下《した》へと|大騒動《おほさうどう》を|始《はじ》め、|朝鮮人蔘《てうせんにんじん》を|飲《の》ましたおかげで、ヤツトの|事《こと》で|気《き》がつき、おかげで|娘《むすめ》の|生命《いのち》はとりとめたが、|肝腎《かんじん》の|乳《ちち》が|出《で》ぬものだから、|生《うま》れた|子《こ》は|骨《ほね》と|皮《かは》とになり、|到頭《とうとう》|死《し》ンで|了《しま》つた。アーンアーン』
『ソリヤどうも|気《き》の|毒《どく》な|事《こと》だなア。そしてその|子《こ》は|一体《いつたい》|誰《たれ》の|子《こ》だい』
|婆《ばば》は【ところまだら】に|残《のこ》つた|歯《は》をかみしめ、イーンイーンと|頤《あご》をつき|出《だ》し、|妙《めう》な|手《て》つきで|万公《まんこう》の|肩《かた》をこづくやうな|手振《てぶ》りをして、
『|此奴《こいつ》だ|此奴《こいつ》だ、|此《こ》のガキだよ。アーンアーン』
『オイ|万公《まんこう》さま、まンざらでもないのー。エー、アクにも|一杯《いつぱい》おごつて|貰《もら》はうかい』
『ウン』
『それからいろいろと|詮議《せんぎ》の|結果《けつくわ》、お|里《さと》が|言《い》ふには|万《まん》さまの|子《こ》だ。こうなるのも|前生《ぜんしやう》の|因縁《いんねん》づくぢやから、|何卒《どうぞ》|乞食《こじき》|上《あが》りの|万《まん》さまでも|私《わたし》の|夫《をつと》に|違《ちが》ひない。|此《この》|人《ひと》と|添《そ》はしてくれなければ|死《し》にます|死《し》にますと|駄々《だだ》をこねるのだ。|此《この》|道《みち》ばかりは|親《おや》が|何《ど》うする|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず|気《き》に|入《い》らぬ|男《をとこ》だと|思《おも》つたが、|何《なに》を|言《い》うても|肝腎《かんじん》の|娘《むすめ》がゾツコン|惚《ほれ》こンでゐるのだから、|此《この》|婆《ばば》も|我《が》を|折《を》つて|泣《な》き|寝入《ねい》りにしたのだ。|所《ところ》が|運《うん》の|悪《わる》いお|里《さと》は|産後《さんご》の|肥立《ひだ》ちが|悪《わる》うて、|帰《かへ》らぬ|旅《たび》に|行《ゆ》きました。アーンアーン』
と|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ふ。
|五三公《いそこう》はホツと|息《いき》をつぎ|乍《なが》ら、
『ナント|万公《まんこう》といふ|奴《やつ》は|罪《つみ》な|事《こと》をしたものだなア。|刃物《はもの》|持《も》たずに|二人《ふたり》も|人《ひと》を|殺《ころ》しやがつたなア。|道理《だうり》で|野中《のなか》の|森《もり》で|暗《くら》うなるとビリビリふるひよると|思《おも》つた。やつぱり|斯《か》う|云《い》ふ|原因《げんいん》があるのだから、|怖《おそ》ろしがるのだワイ』
|万公《まんこう》は、
『コリヤ|五三公《いそこう》、|批評《ひひやう》はやめてシツカリきけ。これからが|性念場《しやうねんば》だぞ』
と|焼糞《やけくそ》になつて|怒鳴《どな》り|立《た》ててゐる。
お|寅《とら》は|言《ことば》を|次《つ》いで、
『それから|此《この》|万《まん》の|恩《おん》|知《し》らず|奴《め》、|増長《ぞうちよう》しよつて、まだ|蕾《つぼみ》の|花《はな》のお|菊《きく》を|手込《てご》めにし、|二代目《にだいめ》の|女房《にようばう》にしようと|企《たく》みをつたのだ。|流石《さすが》に|偉《えら》い|女《をんな》だからお|菊《きく》はポンと|肱鉄《ひぢてつ》をくはした。すると|万公《まんこう》|奴《め》、|妹《いもうと》に|肱鉄《ひぢてつ》をくはされて|逢《あ》はす|顔《かほ》がないと|遺書《おきがき》を|書《か》いて|吾《わが》|家《や》を|出《で》た|切《き》り、|膿《う》んだ|鼻《はな》が、つぶれたとも、|河童《かつぱ》の|屁《へ》がくさくないとも|云《い》つて|来《こ》ず、|本当《ほんたう》に|困《こま》つたガラクタ|男《をとこ》だ。|妾《わたし》は|今日《けふ》|小北山《こぎたやま》の|神様《かみさま》に、|浮木《うきき》の|森《もり》の|村《むら》に|一時《いちじ》も|早《はや》く|軍人《いくさびと》が|居《を》らぬ|様《やう》になります|様《やう》と|祈《いの》つて|居《ゐ》る|所《ところ》へ、|娘《むすめ》に|神憑《かむがかり》があり「|今《いま》|早《はや》く|行《ゆ》けば|万公《まんこう》に|出逢《であ》ふ」との|御指図《おさしづ》で、|実《じつ》の|処《ところ》は|万公《まんこう》に|意見《いけん》をしてやらうと|思《おも》つて|出《で》て|来《き》たのだ。|此《この》|上《うへ》の|神様《かみさま》には|沢山《たくさん》な|人《ひと》がこもつて|居《ゐ》るが、まだ|三人《さんにん》や|五人《ごにん》|寝《ね》られぬ|筈《はず》はないが、|万公《まんこう》の|様子《やうす》を|探《さぐ》らうと|思《おも》つてあンな|事《こと》を|云《い》つて|居《を》つたのだ。……|松彦《まつひこ》の|先生《せんせい》さま、|私《わたし》の|家《うち》では|斯《か》ういふ|事《こと》をやつて|居《ゐ》ましたから、|嘸《さぞ》|世間《せけん》でも|悪《わる》い|事《こと》をして|歩《ある》くでせう。|何卒《なにとぞ》|気《き》をつけて|真人間《まにんげん》にして|下《くだ》さい。|因縁《いんねん》あればこそ|娘《むすめ》の|腹《はら》をふくらしたのですから、|娘《むすめ》の|惚《ほれ》て|居《を》つた|男《をとこ》を|憎《にく》いとは|思《おも》つて|居《ゐ》ませぬ、|何卒《どうぞ》|一人前《いちにんまへ》の|人間《にんげん》にして|貰《もら》ひたいと|思《おも》つて|再《ふたた》び|引返《ひつかへ》して|来《き》ました』
と|涙《なみだ》|乍《なが》らに|語《かた》り|終《をは》る。
『|何《なに》もかもわかりました。|何卒《なにとぞ》|御安心《ごあんしん》なさいませ。|私《わたし》ばかりか|治国別《はるくにわけ》|様《さま》といふ|立派《りつぱ》な|先生《せんせい》がついて|居《を》られますから、|万公《まんこう》の|事《こと》は|御案《おあん》じ|下《くだ》さいますな』
『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います、|何卒《どうぞ》よろしう|御願《おねが》ひいたします。サアお|菊《きく》、|失礼《しつれい》して|一足《ひとあし》お|先《さき》へ|行《ゆ》きませう。お|竜《たつ》さまが|待《ま》つてゐられますから』
『|皆《みな》さま|御面倒《ごめんだう》いたしました。|菊《きく》はお|先《さき》へ|失礼《しつれい》いたします』
『|左様《さやう》ならば|御機嫌《ごきげん》よう』
|五三《いそ》『アハヽヽヽ』
アク『オツホヽヽヽ』
タク、テクは|飛《と》び|上《あが》つて、
『ワツハヽヽヽ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》いオツホヽヽヽ』
『アーア、|悪《わる》い|夢《ゆめ》を|見《み》たものだ。|薩張《さつぱ》り|俺《おれ》の|顔《かほ》は|台《だい》なしだ。ドーレこれから|一《ひと》つ|花々《はなばな》しい|功名《こうみやう》をして|万公末代《まんこうまつだい》|世界《せかい》に|名《な》を|残《のこ》し、お|里《さと》の|霊《れい》を|慰《なぐさ》めてやらうかなア』
『アハヽヽヽ、|五三公《いそこう》にまで、|万公《まんこう》、|到頭《たうとう》お|里《さと》が|解《わか》つたぢやないか。イヒヽヽヽ』
(大正一一・一二・九 旧一〇・二一 外山豊二録)
第二〇章 |脱線歌《だつせんか》〔一一八九〕
|松彦《まつひこ》はお|寅《とら》、お|菊《きく》の|後《あと》を|見送《みおく》つて、
『|万公《まんこう》がお|寅婆《とらば》さまに|巡《めぐ》り|会《あ》ひ
|恨《うら》みの|数々《かずかず》お|菊《きく》さま|哉《かな》。
|万更《まんざら》に|捨《す》てたものではあるまいと
たかを|括《くく》つた|五三公《いそこう》の|口《くち》。
|川《かは》の|辺《べ》で|昔《むかし》の|垢《あか》を|流《なが》しけり
|万公末代《まんこうまつだい》|取《と》れぬ|罪《つみ》とがを。
|荒波《あらなみ》の|伊猛《いたけ》り|狂《くる》ふ|河鹿川《かじかがは》
|丸木《まるき》の|橋《はし》を|渡《わた》る|危《あやふ》さ。
|猿《さる》|叫《さけ》ぶ|野中《のなか》の|森《もり》を|立出《たちい》でて
|婆《ば》さンとはまつた|万公《まんこう》の|破目《はめ》』
|万公《まんこう》『お|寅《とら》さま、お|菊《きく》をつれて|河《かは》の|辺《べ》に
|万公《まんこう》|来《く》ると|茲《ここ》に|松彦《まつひこ》。
あま|相《さう》なお|里《さと》の|浮名《うきな》を|永久《とこしへ》に
|流《なが》しける|哉《かな》|河鹿川原《かじかがはら》に』
|五三《いそ》『|身《み》の|油《あぶら》とられた|上《うへ》に|小言《こごと》をば
|菊子《きくこ》の|姫《ひめ》の|耳《みみ》の|痛《いた》さよ。
|偉相《えらさう》に|此《この》|行先《ゆくさき》は|言《い》はれまい
お|里《さと》の|分《わか》つた|万公《まんこう》の|身《み》は』
|万公《まんこう》『コラ|五三公《いそこう》、おればつかりぢやない|程《ほど》に
|貴様《きさま》も|尻《しり》の|臭《くさ》い|奴《やつ》だよ。
|吾《わが》|尻《しり》の|赤《あか》いを|知《し》らぬ|山猿《やまざる》が
|人《ひと》の|事《こと》をばかきまはすなり』
|五三《いそ》『|恥《はぢ》をかき|頭《あたま》をかきてベソをかき
お|寅婆《とらば》さまにかき|毬《むし》られる。
アハヽヽヽ|開《あ》いた|口《くち》さへ|塞《ふさ》がらぬ
ローマンスのロは|口《くち》と|申《まを》せば。
|大根畑《だいこんばた》|荒《あら》す|野鼠《のねずみ》|土竜《もぐらもち》
お|里《さと》の|芋《いも》の|穴《あな》までねらふか』
|万公《まんこう》『|穴尊《あなたふ》と|穴《あな》ない|教《をしへ》の|穴《あな》を|見《み》よ
|宣伝使《せんでんし》にも|妹《いも》が|居《ゐ》るぞよ』
|五三《いそ》『|芋《いも》をほり|蕪《かぶら》をぬいてくらふ|奴《やつ》
|三五教《あななひけう》の|大根役者《だいこんやくしや》よ』
|万公《まんこう》『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな|蕪《かぶら》をぬいた|其《その》|跡《あと》に
てまりの|様《やう》な|穴《あな》があるぞよ。
|三五《あななひ》の|神《かみ》の|教《をしへ》と|誰《た》が|言《い》うた
|貴様《きさま》の|顔《かほ》にも|抜穴《ぬけあな》がある。
|抜《ぬ》けた|面口《つらくち》あンぐりとあけ|乍《なが》ら
|三五教《あななひけう》とはよくぬかしたり。
|五三公《いそこう》のローマンスをば|尋《たづ》ぬれば
|磯《いそ》の|鮑《あわび》の|片思《かたおも》ひかも。
|万公《まんこう》は|何《なん》と|云《い》うても|色男《いろをとこ》
お|里《さと》の|方《かた》に|思《おも》はれたぞや。
|思《おも》はれて|思《おも》ひ|返《かへ》すは|益良男《ますらを》の
|権威《けんゐ》と|知《し》らぬ|馬鹿者《ばかもの》もあり』
アク『アク|垂《た》れのババに|悪《あく》|垂《た》れ|口《ぐち》いはれ
へこ|垂《た》れよつた|万公《まんこう》の|面《つら》』
|万公《まんこう》『こりやアク|奴《め》、|何《なに》も|知《し》らずに|喧《やか》ましう
きさまが|口《くち》をアク|所《とこ》でない。
|山猿《やまざる》の|様《やう》な|面《つら》した|其《その》|方《はう》に
|恋《こひ》が|分《わか》つてたまるものかい』
アク『|仕殺《しころ》したお|里《さと》の|事《こと》を|思《おも》ひ|出《だ》し
ホヽヽヽとほほゑみをする。
|幾度《いくたび》もホヽヽヽヽと|森《もり》の|中《なか》
|暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|死嬶《しにかか》が|慕《した》ふ。
おかし|奴《やつ》、|何程《なにほど》こがれ|慕《した》うとも
|幽霊《いうれい》|抱《だ》いては|寝《ね》られまいぞや』
|万公《まんこう》『こらアクよ、|貴様《きさま》は|何《なに》を|幽霊《いうれい》か
|無礼《ぶれい》を|云《い》ふも|程《ほど》があるぞや』
タク『コレは|又《また》|面白《おもしろ》うなつて|来《き》よつたぞ
お|里《さと》が|墓《はか》からお|出《い》でお|出《い》でする』
|万公《まんこう》『タクの|奴《やつ》|何《なに》も|知《し》らずに|八釜《やかま》しい
|子供《こども》に|恋《こひ》が|分《わか》るものかい』
タク『タクさまは、タク|山《さん》に|姫《ひめ》を|持《も》つたぞよ
|天下無双《てんかむさう》のナイスばかりを』
|万公《まんこう》『|何《なに》ぬかす|蜥蜴《とかげ》のやうな|面《つら》をして
ナイスもクソもあつたものかい』
テク『こりやタクよ|慢心奴《まんしんやつこ》を|捉《とら》まへて
|相手《あひて》にするな|人《ひと》が|笑《わら》ふぞ』
タク『|笑《わら》うてもかまふものかい|笑《わら》はれて
|油《あぶら》|取《と》られた|万公《まんこう》ぢやもの』
テク『|三五《あななひ》の|教《をしへ》の|道《みち》の|万公《まんこう》は
|婆《ばば》と|娘《むすめ》にくはれける|哉《かな》』
|万公《まんこう》『テク|迄《まで》が|何《なに》ゴテゴテと|囀《さへづ》るか
|俺《おれ》の|心《こころ》を|知《し》つて|居《ゐ》るかい。
|万公《まんこう》は|今《いま》こそ|負《まけ》て|居《ゐ》るけれど
お|菊《きく》|成人《せいじん》した|時《とき》を|見《み》よ』
|五三《いそ》『お|菊《きく》さま|大《おほ》きくなつたら|又《また》やろと
|万《まん》が|一《いち》をばあてにしてるのか』
|万公《まんこう》『コリヤ|五三公《いそこう》、|急《いそ》いで|事《こと》はなるものか
|先《さき》を|三年《みとせ》の|春《はる》を|見《み》て|居《を》れ』
|五三《いそ》『|又《また》してもそンな|野心《やしん》を|起《おこ》すなよ
|今度《こんど》は|首《くび》と|胴《どう》と|別《わか》れる』
|万公《まんこう》『|三年《さんねん》の|先《さき》になつたらお|寅《とら》さま
|冥途《めいど》の|旅《たび》に|行《い》つたあとだよ。
|何事《なにごと》も|万《まん》さまなればお|菊《きく》ぢやと
|今《いま》から|秋波《しうは》を|送《おく》り|居《ゐ》るらし』
|松彦《まつひこ》『|腰折《こしを》れのみ|歌《うた》ばかりをうたひ|上《あ》げ
うたてき|事《こと》の|限《かぎ》りつくせし。
サア|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》、アク、タク、テク|五人《ごにん》
もうボツボツと|山《やま》に|登《のぼ》ろか』
|万公《まんこう》『|宜《よろ》しかろお|寅婆《とらば》さまはさておいて
お|菊《きく》の|奴《やつ》が|待《ま》つてゐるから』
|五三《いそ》『|執着《しふちやく》の|深《ふか》い|奴《やつ》ぢやと|思《おも》たけれど
これ|程《ほど》|迄《まで》とは|思《おも》はなかつた』
|万公《まんこう》『|呆《あき》れたかオツたまげたか|五三公《いそこう》よ
|人《ひと》は|見《み》かけによらぬ|者《もの》だよ。
さり|乍《なが》ら|俺《おれ》も|誠《まこと》の|道《みち》をゆく
|万公《まんこう》なれば|恋《こひ》は|廃《はい》した。
|心配《しんぱい》をどうぞなさつて|下《くだ》さるな
メツタにお|菊《きく》は|思《おも》はないから』
|五三《いそ》『さうだらう、|何程《なにほど》|思《おも》うてみた|所《とこ》が
|向《むか》ふが|厭《いや》なら|仕方《しかた》なからう』
アク『コレは|又《また》|面白《おもしろ》うなつて|来《き》たわやい
|旅《たび》の|慰《なぐさ》め|此《この》|上《うへ》もなし』
テク『テクついて|川《かは》の|畔《ほとり》に|来《き》て|見《み》れば
|婆《ば》さンに|追《お》はれてバサンとはまる。
アク|運《うん》の|強《つよ》いお|方《かた》が|助《たす》かつて
|世《よ》に|珍《めづら》しき|話《はなし》きく|哉《かな》』
|万公《まんこう》『|万《まん》さまがあつたらこされお|前等《まへら》も
|歓喜《くわんき》の|笑《ゑみ》に|漂《ただよ》うたのだ。
|心霊《しんれい》の|餌《ゑ》さは|歓喜《くわんき》と|云《い》ふぢやないか
おれを|命《いのち》の|親《おや》と|尊《たふと》め』
|松彦《まつひこ》は|先《さき》に|立《た》つて|歩《あゆ》み|出《だ》せば、|五三公《いそこう》は|一足《ひとあし》|々々《ひとあし》|坂道《さかみち》を|登《のぼ》り|乍《なが》ら|笑《わら》ひ|半分《はんぶん》に|歌《うた》ひ|始《はじ》むる。
『|神《かみ》が|表《おもて》にはれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立分《たてわ》ける
ババが|川辺《かはべ》に|現《あら》はれて |万公《まんこう》とアクを|苦《くる》しめる
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|此《この》|世《よ》の|鬼《おに》に|巡《めぐ》り|会《あ》ひ |心《こころ》もひどく|悄気返《せうげかへ》り
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|宣直《のりなほ》し
|只《ただ》|何遍《なんべん》も|人《ひと》の|前《まへ》 なぶられものに|会《あ》はされて
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣直《のりなほ》せ |身《み》の|過《あやま》ちを|述《の》べられて
|万公《まんこう》の|奴《やつ》がベソをかく |旭《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》る|共《とも》
アク|公《こう》は|川《かは》へはまる|共《とも》 |月《つき》は|盈《み》つ|共《とも》|虧《か》くる|共《とも》
|罪《つみ》のあり|丈《だけ》さらす|共《とも》 |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》む|共《とも》
|譬《たとへ》|方《かた》なき|大痴呆《だいちほう》 |誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|万公《まんこう》の|畜生《ちくしやう》は|夜這《よば》ひする |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
ウラルの|教《をしへ》の|穴捜《あなさが》し ウブスナ|山《やま》を|後《あと》にして
|河鹿峠《かじかたうげ》をよぢ|登《のぼ》り ウツカリ|川辺《かはべ》に|巡《めぐ》り|会《あ》ひ
|嬶《かか》の|親《おや》になぐられる |祠《ほこら》の|森《もり》に|来《き》て|見《み》れば
|玉国別《たまくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》 |野中《のなか》の|森《もり》を|立出《たちい》でて
たまたま|会《あ》うた|婆娘《ばばむすめ》 |猿《さる》に|目玉《めだま》をかき|取《と》られ
|気《き》の|毒《どく》なりける|次第《しだい》なり |皿《さら》のよな|目玉《めだま》をむき|出《だ》され
|気《き》が|気《き》でならぬ|次第《しだい》なり |険《けは》しき|坂《さか》をエチエチと
|下《くだ》りて|漸《やうや》く|山口《やまぐち》の |険《けは》しき|流《なが》れを|打《うち》わたり
やうやう|茲《ここ》に|息《いき》|休《やす》め |魔性《ましやう》の|女《をんな》に|出会《でつく》はし
|荒肝《あらきも》とられし|可笑《をか》しさよ |万公《まんこう》が|婆《ばば》に|追《お》ひつかれ
|欠点《あら》さらされし|可笑《をか》しさよ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ あゝ|叶《かな》はぬから|叶《かな》はぬから
|目玉《めだま》|飛出《とびだ》しましませよ アハヽヽツハ アハヽヽヽ
イヒヽヽツヒ イヒヽヽヽ ウントコドツコイきつい|坂《さか》
|万公《まんこう》は|足《あし》が【だる】からう おれも|一度《いちど》はお|菊《きく》さまに
|何《なん》とか|都合《つがふ》よく|巡《めぐ》り|会《あ》ひ マ|一度《いちど》|万公《まんこう》の|臆病《おくびやう》|振《ぶ》り
|一伍一什《いちぶしじふ》を|打明《うちあ》けて |愛想《あいさう》をつかさせやらうかい
それが|万公《まんこう》の|一生《いつしやう》の お|為《ため》になるに|違《ちがひ》ない
これこれもうし|松《まつ》さまへ |私《わたし》の|云《い》ふのが|違《ちが》うたら
どうぞ|叱《しか》つて|下《くだ》さンせ ウントコドツコイ|小北山《こぎたやま》
ウラナイ|教《けう》の|本山《ほんざん》に |一寸《ちよつと》よう|似《に》た|名称《めいしよう》だ
|此奴《こいつ》ア|大方《おほかた》|高姫《たかひめ》や |黒姫《くろひめ》さまの|慢心《まんしん》の
|其《その》ほとばりが|芽《め》をふいて |怪体《けたい》な|教《をしへ》を|立《た》て|通《とほ》し
|十曜《とえう》の|紋《もん》を|引《ひき》つけて |世界《せかい》をごまかし|居《ゐ》るのだろ
|何《なん》だか|知《し》らぬが|五三公《いそこう》は |一寸《ちよつと》も|気乗《きのり》がせないぞや
お|寅《とら》のよな|皺苦茶《しわくちや》の |婆《ば》さまばかりがウヨウヨと
|両手《りやうて》を|合《あは》せ|水鼻汁《みづばな》を |啜《すす》りまはして|八釜《やかま》しう
|下《くだ》らぬ|事《こと》を|囁《ささや》きつ |曲津《まがつ》を|拝《をが》みてゐるのだろ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |目玉《めだま》|飛出《とびだ》しましませよ
アハヽヽハツハ アハヽヽヽ |最早《もはや》ここらでやめておこ
これから|万公《まんこう》の|番《ばん》ぢやぞや あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|息《いき》がつまつて|出《で》て|来《こ》ない』
|万公《まんこう》は|負《まけ》ぬ|気《き》になつて|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『ウントコドツコイドツコイシヨ |五三公《いそこう》の|奴《やつ》めが|悋気《りんき》して
|何《なん》ぢやかンぢやと|誂《そし》りよる |貴様《きさま》の|事《こと》ぢやあるまいし
かもうておくれなホツトイテ |法界悋気《ほふかいりんき》も|程《ほど》がある
|昔《むかし》におうた|古疵《ふるきず》が |一寸《ちよつと》|物言《ものい》うたばつかりだ
これも|一《ひと》つの|御愛嬌《ごあいけう》 |昔《むかし》はつまらぬ|奴《やつ》なれど
|今《いま》は|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》 |治国別《はるくにわけ》の|片腕《かたうで》だ
ゴテゴテ|言《い》うて|貰《もら》うまい おれにはおれの|権利《けんり》ある
|松彦《まつひこ》さンが|偉《えら》うても ウブスナ|山《やま》の|神様《かみさま》に
|許《ゆる》して|貰《もら》うた|事《こと》もなく ホンの|内証《ないしよう》の|宣伝使《せんでんし》
|治国別《はるくにわけ》の|留守役《るすやく》だ |本当《ほんたう》の|事《こと》を|云《い》うたなら
|万公《まんこう》さまが|宣伝使《せんでんし》 |臨事《りんじ》|代理《だいり》となる|所《とこ》だ
コラコラ|五三公《いそこう》アク|公《こう》よ タク、テク|両人《りやうにん》よつく|聞《き》け
すべて|此《この》|世《よ》に|大業《たいげふ》を なさうと|思《おも》ふ|人物《じんぶつ》は
|大《おほ》きな|影《かげ》のあるものだ それをばお【かげ】といふのだぞ
|冷血漢《れいけつかん》の|五三公《いそこう》が どうして|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》の
|心裡《しんり》が|分《わか》つてたまらうか |子供《こども》は|子供《こども》のやうにして
|沈黙《ちんもく》してるが|悧巧《りかう》だぞ モウ|之《これ》からは|万公《まんこう》も
|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》はせぬ|程《ほど》に |正々堂々《せいせいだうだう》|先《さき》に|立《た》ち
|治国別《はるくにわけ》の|代弁《だいべん》を |努《つと》めて|見《み》よう|皆《みな》の|奴《やつ》
おれの|命令《めいれい》に|反《そむ》くのは |治国別《はるくにわけ》の|命令《めいれい》に
つまり|反《そむ》くといふものだ |旭《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》る|共《とも》
|五三公《いそこう》はこける|共《とも》|辷《すべ》る|共《とも》 |月《つき》は|盈《み》つ|共《とも》|虧《か》くる|共《とも》
|狐《きつね》は|啼《な》く|共《とも》|吼《ほ》えるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》む|共《とも》
|仮令《たとへ》|五三公《いそこう》は|平太《へた》る|共《とも》 |誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|曲津《まがつ》の|五三公《いそこう》は|世《よ》を|紊《みだ》す |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|此《この》|山《やま》|登《のぼ》る|神《かみ》の|御子《みこ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|乞食《こじき》|上《あが》りの|皆《みな》の|奴《やつ》 |只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|高《たか》い|山路《やまみち》シトシトと |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
|並《なみ》ンでドシドシ|登《のぼ》りゆけ |身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》せ
|皆《みな》|過《あやま》つてふン|伸《の》びよ |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
アブナイ|教《けう》のセンチ|虫《むし》 |治国別《はるくにわけ》に|従《したが》ひて
ハアハア|山路《やまみち》|分《わ》け|登《のぼ》る |悪魔《あくま》の|征途《せいと》に|上《のぼ》りゆく
|飽迄《あくまで》つづくセンチ|虫《むし》 あははツは アハヽヽヽ
どうやら|種《たね》が|切《き》れて|来《き》た |小北《こぎた》の|山《やま》の|真中《まんなか》で
ババを|垂《た》れるか【こきた】ない たうとう|俺《おれ》もへこたれた
ハーハー フーフー フースースー
オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、ドウコイ、|皆《みな》の|立派《りつぱ》なお|方《かた》、|万々《まんまん》ここで|御休息《ごきうそく》なさつたら|何《ど》うですか。|歌《うた》のまづい|松彦《まつひこ》さまに、テクの|下手《へた》なテク|公《こう》、ゴータクの|上手《じやうづ》なタク|公《こう》、|悪運《あくうん》の|強《つよ》いアク|公《こう》、|東海道《とうかいだう》の|五十三次《ごじふさんつぎ》、|一《ひと》つここらで、|休《やす》まう……かい』
|松彦《まつひこ》は|吹《ふ》き|出《だ》し、
『ハハー、たうとう|弱《よわ》りよつたなア、|川端《かはばた》ではいぢめられ、|森《もり》の|中《なか》ではおどかされ、|又《また》|山路《やまみち》で|苦《くるし》められ、よくよく|万《まん》の|悪《わる》い|男《をとこ》だなア。アハヽヽヽ、|併《しか》し|何《なん》だか|松彦《まつひこ》も|足《あし》が|変《へん》になつて|来《き》た。|幸《さいはひ》ここにロハ|台《だい》が|並《なら》ンでゐる。|全体《ぜんたい》とまれツ』
|此《この》|声《こゑ》の|終《をは》るか|終《をは》らぬに|万公《まんこう》はドスンと|腰《こし》をおろす。|続《つづ》いて|一同《いちどう》は|嬉《うれ》し|相《さう》に|腰《こし》を|下《お》ろし|休息《きうそく》する。
(大正一一・一二・九 旧一〇・二一 松村真澄録)
(昭和九・一二・二九 王仁校正)
第二一章 |小北山《こぎたやま》〔一一九〇〕
|松彦《まつひこ》|一行《いつかう》は|暫《しばら》く|休憩《きうけい》の|後《のち》、|一町《いつちやう》|計《ばか》り|峻坂《しゆんぱん》を|登《のぼ》り、|細《ほそ》い|階段《きざはし》を|二百《にひやく》|計《ばか》り|刻《きざ》み|乍《なが》ら|漸《やうや》く|小北山神館《こぎたやまかむやかた》の|門口《かどぐち》に|着《つ》きける。そこには|白髪《はくはつ》の|老人《らうじん》が|机《つくゑ》を|前《まへ》に|据《す》ゑ、|白衣《びやくい》に|白袴《しろはかま》で|置物《おきもの》の|様《やう》にキチンと|坐《すわ》つてゐる。|奥《おく》の|方《はう》にはザワザワと|祈念《きねん》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|居《ゐ》る。|松彦《まつひこ》は、
『お|爺《ぢ》イさま、|私《わたし》は|旅《たび》の|者《もの》ですが、|結構《けつこう》な|神様《かみさま》がお|祀《まつ》りになつてあると|承《うけたま》はり|参拝《さんぱい》をさして|頂《いただ》きました、ここの|教《をしへ》は|何《なん》と|申《まを》しますか』
『お|前《まへ》さまはどこの|方《かた》か|知《し》らぬが、ようマア、|御参詣《ごさんけい》になりました。|私《わたし》は|目《め》が|見《み》えぬので、かうして|受付《うけつ》けをやつてゐるのだが、それでも|有難《ありがた》いもので、|人《ひと》の|声《こゑ》を|聞《き》けば、|男《をとこ》か|女《をんな》か|年寄《としより》か|若《わか》い|者《もの》か|心《こころ》のよい|人《ひと》か|悪《わる》い|人《ひと》か、よく|分《わか》るのだから|有難《ありがた》いものだ。そしてチヨコチヨコ|人《ひと》に|頼《たの》まれて、|此《この》|通《とほ》り|絵《ゑ》を|書《か》いてるのだ』
『|何《なん》と|妙《めう》ですなア、|一寸《ちよつと》|見《み》せて|御覧《ごらん》』
『ハイハイ|見《み》て|下《くだ》さい、これでも|信者《しんじや》の|人《ひと》が|喜《よろこ》ンで|額《がく》にしたり、|掛地《かけぢ》にしたりするのだから……』
『なる|程《ほど》、|目《め》の|見《み》えぬ|人《ひと》の|書《か》いた|絵《ゑ》にしては|感心《かんしん》なものだ。ヤア|松《まつ》に|竜神《りうじん》さまが|巻《ま》きついたり、|蕪《かぶら》に|大根《だいこん》、|円山応挙《まるやまおうきよ》でも|跣《はだし》で|逃《に》げ|相《さう》だ。オイ|万公《まんこう》さま、お|前《まへ》|蕪《かぶら》に|大根《だいこん》は|好物《かうぶつ》だないか、|一《ひと》つ|頂《いただ》いたら|何《ど》うだ』
|万公《まんこう》『|松彦《まつひこ》さま、あなたも|余程《よほど》|身魂《みたま》が|悪《わる》いと|見《み》えて、|此《この》|絵《ゑ》を|御覧《ごらん》なさい、お|前《まへ》さまの|名《な》の|松《まつ》に|一本《いつぽん》の|角《つの》の|生《は》えた|黒蛇《くろくちなは》が|巻《ま》いてるぢやありませぬか』
『|何処《どこ》の|方《かた》か|知《し》らぬが、これは|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまの|御神体《ごしんたい》だ。|黒蛇《くろくちなは》なぞと|勿体《もつたい》ない|事《こと》をいひなさるな』
|万公《まんこう》『それでも|大《おほ》きな|口《くち》があつて|黒《くろ》い|縄《なは》が|引《ひつ》ついとるぢやないか。それで|私《わたし》は|黒《くろ》い|口繩《くちなは》だといつたのだ』
『アハヽヽヽ、お|前《まへ》さまは|絵《ゑ》を|見《み》る|目《め》が|無《な》いから|困《こま》つたものだナア』
|万公《まんこう》『|此方《こちら》に|目《め》の|無《な》いのは|当然《たうぜん》だ。|目《め》の|無《な》いお|爺《ぢ》イさまの|書《か》いたのだもの、こら|大方《おほかた》|冥土《めいど》の|竜神《りうじん》さまかも|知《し》れぬぞ』
『お|前《まへ》さまは|此《この》お|館《やかた》へ|冷《ひや》かしに|来《き》たのだな、そンな|人《ひと》は|帰《い》ンで|下《くだ》さい、アタ|万《まん》の|悪《わる》い』
|松彦《まつひこ》『お|爺《ぢ》イさま、|此奴《こいつ》ア、チと|気《き》が|触《ふ》れてますから、|何卒《どうぞ》|了見《れうけん》してやつて|下《くだ》さい。|実《じつ》の|所《ところ》は|此《この》|気違《きちが》ひを|直《なほ》して|頂《いただ》かうと|思《おも》つて|連《つ》れて|来《き》ましたのぢや、|田圃《たんぼ》の|中《なか》へ|這入《はい》つて、|大根《だいこん》や|蕪《かぶら》の|生《なま》を|噛《かぢ》つたり、|薩摩芋《さつまいも》を|土《つち》のついたなり、ほほばるのですから、|困《こま》つた|癲狂院代物《てんきやうゐんしろもの》ですわい。|何《なん》とか|直《なほ》して|頂《いただ》く|工夫《くふう》はありますまいかな』
『|成《な》る|程《ほど》さう|聞《き》けばチツと|此《この》|方《かた》は|気《き》が|触《ふ》れてると|見《み》えますわい、どうも|私《わたし》の|霊《れい》に|其《その》|様《やう》に|始《はじ》めから|感《かん》じました。|気《き》の|毒《どく》で|厶《ござ》いますなア。この|気違《きちが》ひは|容易《ようい》に|直《なほ》りますまいから、|暫《しばら》く|気《き》の|鎮《をさ》まる|迄《まで》、|石《いし》の|牢《らう》がして|厶《ござ》いますから、お|預《あづ》かり|申《まを》して|三週間《さんしうかん》|計《ばか》り|暗《くら》い|所《ところ》へ|突《つ》つ|込《こ》ンでおきませうよ』
|万公《まんこう》『イヤもうお|爺《ぢ》イさま|結構《けつこう》です。|貴方《あなた》のお|顔《かほ》を|拝《をが》ンでから、|次第々々《しだいしだい》に|気分《きぶん》がよくなり|何《ど》うやらモウ|正気《しやうき》になりました。モウ|結構《けつこう》で|厶《ござ》います』
『それでも|再発《さいはつ》したりすると|困《こま》るから、|二三日《にさんにち》|入《い》れて|見《み》ませうかな。|松彦《まつひこ》さまとやらお|考《かんが》へは|何《ど》うですか』
|万公《まんこう》は|松彦《まつひこ》の|袖《そで》を|頻《しき》りに|引《ひつ》ぱつてゐる。
『ヤア|之《これ》|位《くらゐ》なら|大《たい》した|事《こと》はありますまい。マア|暫《しばら》く|容子《ようす》を|見《み》た|上《うへ》でお|願《ねがひ》する|事《こと》に|致《いた》しませう』
『そンなら|貴方《あなた》の|御意見《ごいけん》に|任《まか》しませう。|何時《なんどき》でも|御預《おあづ》かり|致《いた》しますから』
『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|何卒《どうぞ》|宜《よろ》しう|頼《たの》みます』
|五三公《いそこう》は|小声《こごゑ》で|万公《まんこう》の|袖《そで》をチヨイチヨイと|引《ひつ》ぱり、
『オーイ|松《まつ》に|黒蛇《くろくちなは》、|大根《だいこん》に|蕪《かぶら》|計《ばか》り|書《か》いてるぢやないか、|丸《まる》で|二十世紀《にじつせいき》の|三五教《あななひけう》の|五六七殿《みろくでん》に|居《ゐ》る|四方《しかた》|文蔵《ぶんざう》さまの|様《やう》なお|爺《ぢ》イさまだねえ』
『ウフヽヽオイあこに|髭《ひげ》の|生《は》えた|人《ひと》が|居《ゐ》るぢやないか。あの|人《ひと》こそ|本当《ほんたう》の|神《かみ》さまみた|様《やう》だなア。あの|先生《せんせい》に|拝《をが》ンで|貰《もら》うたら、|有難《ありがた》いに|違《ちが》ひないぞ』
『ナアにあれは|謡《うたひ》の|先生《せんせい》だ。|大分《だいぶん》に|酒《さけ》が|好《す》きだと|見《み》えて、あの|顔《かほ》の|色《いろ》みい、ホテつてるぢやないか』
『コリヤ|大《おほ》きな|声《こゑ》で|言《い》ふな。|聞《きこ》えるぞ』
|松彦《まつひこ》は、
『|此《この》|教会《けうくわい》の|縁起《えんぎ》が|聞《きき》たいものですなア』
と|云《い》へば、|老爺《おやぢ》は|心《こころ》よく、
『ハイ|此《この》|小北山《こぎたやま》のお|広間《ひろま》は|元《もと》はフサの|国《くに》の|北山村《きたやまむら》にあつたのだ。|高姫《たかひめ》|黒姫《くろひめ》といふ|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》があり、|高姫《たかひめ》さまが|教祖《けうそ》で、|黒姫《くろひめ》さまが|副教祖《ふくけうそ》であつた。たうとうあの|人《ひと》も|惜《をし》い|事《こと》になつたものだ。アブナイ|教《けう》とかへ|首《くび》を|突込《つつこ》ンで|了《しま》ひ、|今《いま》はどうならしやつたか、|便《たよ》りもなし、|実《じつ》にアブナイ|事《こと》をしたものだ。そこで|総務《そうむ》をして|厶《ござ》つた|蠑〓別《いもりわけ》さまが|魔我彦《まがひこ》といふ|弟子《でし》を|連《つ》れてここへお|出《いで》になり、|小北山《こぎたやま》の|神殿《しんでん》というて、|高姫《たかひめ》の|遺鉢《ゐはつ》を|受《う》け、ここで|教《をしへ》を|開《ひら》かれたのだ。|随分《ずゐぶん》|沢山《たくさん》の|神様《かみさま》が|集《あつ》まつて|厶《ござ》る|地《ち》の|高天原《たかあまはら》ぢやぞえ。お|前《まへ》さまも|神様《かみさま》の|因縁《いんねん》があればこそ|引寄《ひきよ》せられなさつたのだよ』
|松彦《まつひこ》は、
『|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|其《その》|蠑〓別《いもりわけ》さまはゐられますかなア』
『ハイ|大奥《おほおく》にゐられますが、|余《あま》りいろいろの|神様《かみさま》が|御出入《おでい》り|遊《あそ》ばすので、お|忙《いそが》しうてお|酒《さけ》の|接待《せつたい》|計《ばか》りしてゐられます』
『|蠑〓別《いもりわけ》|様《さま》の|一《ひと》つの|体《からだ》にさう|大勢《おほぜい》お|集《あつ》まりになるのですかなア。ソリヤ|大抵《たいてい》ぢやありませぬなア』
『|今《いま》は【かむづまり】|彦命《ひこのみこと》と|仰有《おつしや》いましてな、ウラナイ|教《けう》の|教祖《けうそ》で|厶《ござ》いますぞ。それだから|随分《ずゐぶん》|沢山《たくさん》の|神様《かみさま》が|御出入《おでい》り|遊《あそ》ばし、お|神酒《みき》をあがるので、|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|本性《ほんしやう》はチツとも|厶《ござ》いませぬ、|本当《ほんたう》に|妙《めう》ですワ。|今《いま》|仰有《おつしや》つた|事《こと》と、|少《すこ》し|後《あと》で|仰有《おつしや》つた|事《こと》とは、クレリツと|違《ちが》ふのですから、そこが|所謂《いはゆる》|八百万《やほよろづ》の|神様《かみさま》のお|集《あつ》まりなさる|証拠《しようこ》です。|何《なん》と|偉《えら》いお|方《かた》もあつたものですワイ』
『さうするとお|憑《うつ》りになる|神様《かみさま》は|何《なん》と|申《まを》しますかな』
『|余《あま》り|沢山《たくさん》で|早速《さつそく》には|数《かぞ》へる|事《こと》も|出来《でき》ませぬが、|何《なに》を|言《い》つても、|八百万《やほよろづ》の|神《かみ》さまですからな。|先《ま》づ|第一《だいいち》|神集《かむつど》ひ|彦《ひこ》の|神《かみ》、|神議姫命《かむはかりひめのみこと》|様《さま》、|葦原《あしはら》の|瑞穂彦命《みづほひこのみこと》|様《さま》、|八洲国平姫命《やすくにたひらひめのみこと》|様《さま》、|言依《ことよ》さしまつりの|命様《みことさま》、|荒《あら》ぶる|神様《かみさま》、|言問《こととひ》し|姫命《ひめのみこと》|様《さま》、|神払彦命《かむはらひひこのみこと》|様《さま》、|岩根木根立彦命《いはねきねたちひこのみこと》|様《さま》、|片葉言止《かきはことや》め|姫命《ひめのみこと》|様《さま》、|天《あめ》の|岩座放《いはくらはな》ちの|命様《みことさま》、|天《あめ》の|八重雲姫命《やへくもひめのみこと》|様《さま》、|厳《いづ》の|千別彦命《ちわけひこのみこと》|様《さま》、|四方《よも》の|国中彦命《くになかひこのみこと》|様《さま》、|下《した》つ|岩根彦命《いはねひこのみこと》|様《さま》、|宮柱太《みやばしらふと》しき|立《た》ての|命様《みことさま》、|天《あめ》の|御影彦《みかげひこ》、|日《ひ》のみかげ|姫《ひめ》、|益人姫《ますひとひめ》、|過《あやま》ち|犯《をか》し|彦《ひこ》、くさぐさの|罪《つみ》の|姫《ひめ》、|畔放《あはな》ち|彦《ひこ》、みぞうめ|姫《ひめ》、ひ|放《はな》ちしきまき|姫《ひめ》、|串《くし》さし|様《さま》……といふ|様《やう》な|立派《りつぱ》な|神様《かみさま》が|沢山《たくさん》に|祀《まつ》つて|厶《ござ》います』
|万公《まんこう》はあきれ|顔《がほ》で、
『|丸《まる》で|三五教《あななひけう》の|祝詞《のりと》そつくりぢやないか。|妙《めう》な|名《な》のついた|神《かみ》さまもあつたものぢやなア』
|爺《ぢ》イは|真面目《まじめ》な|顔《かほ》して、
『|神様《かみさま》は|其《その》お|働《はたら》きに|依《よ》つてお|名《な》が|現《あら》はれて|居《ゐ》るのだから、お|名《な》さへ|聞《き》けば|何《なに》を|御守護《ごしゆご》|下《くだ》さるといふ|事《こと》がよく|分《わか》るやうに、|蠑〓別《いもりわけ》の|教祖《けうそ》がおつけ|遊《あそ》ばしたのだ。|元《もと》より|神様《かみさま》に|御名《おな》はない、|人間《にんげん》が|皆《みな》お|名《な》を|差上《さしあ》げて|称《たた》へまつるのだからなア』
『|成《な》る|程《ほど》、|如何《いか》にも|御尤《ごもつと》も。|流石《さすが》は|蠑〓別《いもりわけ》の|教祖様《けうそさま》ですなア、お|爺《ぢい》さま、|一《ひと》つ|松彦《まつひこ》に|神様《かみさま》の|因縁《いんねん》を|聞《き》かして|下《くだ》さいな、|今《いま》|仰有《おつしや》つた|神様《かみさま》はどこに|祀《まつ》られて|厶《ござ》いますか』
『|其《その》|神様《かみさま》は|神言殿《かみごとでん》といふ|御殿《ごてん》を|立《た》てて|祀《まつ》らねばならぬのだが、まだ|準備中《じゆんびちう》だ。かうして|山《やま》のどてつ|辺《ぺん》まで|沢山《たくさん》の|宮《みや》が|建《た》つてゐるが、|一番《いちばん》|下《した》の|大《おほ》きな|御殿《ごてん》が|大門神社《おほもんじんしや》と|云《い》つて、|世界《せかい》|根本《こんぽん》の|生《は》えぬきの|神様《かみさま》が|祀《まつ》つてあるのだ』
『そして|其《その》|神様《かみさま》の|名《な》は|御存《ごぞん》じですか』
『アハヽヽヽ、|肝腎《かんじん》の|御仕《おつか》へしてる|神様《かみさま》の|名《な》が|分《わか》らいで|何《ど》うなりますか、お|前《まへ》さまも|余程《よほど》|分《わか》らずやだなア』
『|分《わか》らないからお|尋《たづ》ねしとるのぢやありませぬか』
『|一番《いちばん》|此《この》|世《よ》の|御先祖《ごせんぞ》さまが、|国治立命《くにはるたちのみこと》|様《さま》、それから|左《ひだり》のお|脇立《わきだち》が【ゆらり】|彦命《ひこのみこと》、|右《みぎ》のお|脇立《わきだち》が、|上義姫命《じやうぎひめのみこと》|様《さま》だ。そして【ゆらり】|彦命《ひこのみこと》|様《さま》の|又《また》の|御名《みな》|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|大神様《おほかみさま》と|申《まを》しますのだ。それから|日照《ひてら》す|大神《おほかみ》さまといふのが|祀《まつ》つてある、|其《その》|神様《かみさま》の|御分霊《ごぶんれい》が|羊姫《ひつじひめ》|様《さま》、|羊姫《ひつじひめ》の|妹様《いもうとさま》が|常世姫命《とこよひめのみこと》|様《さま》だよ。そして|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》|様《さま》は|艮《うしとら》の|金神様《こんじんさま》|坤《ひつじさる》の|金神様《こんじんさま》の|御娘子《おんむすめご》だ』
『|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さい。ソリヤ|少《すこ》し|配列《はいれつ》が|違《ちがひ》はしませぬか』
『お|黙《だま》りなさい。|神様《かみさま》の|戸籍《こせき》|調《しら》べをしてゐるのに、|勿体《もつたい》ない|何《なに》をグヅグヅ|云《い》ひなさる。|気《き》にいらな|聞《き》いて|下《くだ》さるな。モウいひませぬぞや』
『イヤこれはこれは|不調法《ぶてうはふ》|申《まを》しました。どうぞ|御教訓《ごけうくん》を|願《ねが》ひます』
『それなら|聞《き》かして|上《あ》げやう。|確《しつか》り|聞《き》きなされ。|此《この》|大門《おほもん》|神社《じんじや》にはそれ|丈《だけ》の|神様《かみさま》と、まだ|外《ほか》に|沢山《たくさん》の|神様《かみさま》がお|祀《まつ》りしてあるのだ。|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》|様《さま》が|天地《てんち》から|御預《おあづ》かり|遊《あそ》ばした|八人《はちにん》の|結構《けつこう》な|神様《かみさま》がある。|第一《だいいち》に|義理天上《ぎりてんじやう》|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》、|第二《だいに》に|青森白木上《あをもりしらきじやう》の|命様《みことさま》、|次《つぎ》に|天地尋常様《てんちじんじやうさま》、これ|丈《だけ》が|男《をとこ》の|神様《かみさま》、|次《つぎ》に|常世姫《とこよひめ》|様《さま》、|次《つぎ》が|金竜姫《きんりようひめ》|様《さま》、|次《つぎ》が|大足姫《おほだるひめ》|様《さま》、|次《つぎ》が|琴上姫《ことじやうひめ》|様《さま》、|其《その》|次《つぎ》が|金山姫《かなやまひめ》|様《さま》|此《この》|三男五女《さんなんごぢよ》が|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《ひつぱう》で|厶《ござ》いますぞや。それから|又《また》|常世姫《とこよひめ》|様《さま》が|天地《てんち》の|神様《かみさま》から|始《はじ》めてお|預《あづ》かりになり|育《そだ》て|上《あ》げられた|神様《かみさま》が|八柱《やはしら》、これは|五男三女《ごなんさんぢよ》だ、|第一《だいいち》に|地上大臣様《ちじやうだいじんさま》、|次《つぎ》がたがやし|大臣様《だいじんさま》、|次《つぎ》が|地上丸様《ちじやうまるさま》、|次《つぎ》が【きつく】|姫様《ひめさま》、|次《つぎ》が|旭子姫《あさこひめ》|様《さま》、|次《つぎ》が|花依姫《はなよりひめ》|様《さま》、|此《この》|神様《かみさま》の|霊《みたま》が|猿彦姫《さるひこひめ》と|変化《へんげ》、|又《また》|変化《へんげ》|遊《あそ》ばして【みのり】|姫《ひめ》とやがてお|成《な》り|遊《あそ》ばすさうだ。それから|早里姫《はやさとひめ》、|地上姫《ちじやうひめ》、|以上《いじやう》|十六柱《じふろくはしら》が|魂《みたま》の|根本《こつぽん》の|元《もと》の|誠《まこと》の|生粋《きつすゐ》の|大和魂《やまとだましひ》の|因縁《いんねん》の|神様《かみさま》で|厶《ござ》います。これを|合《あは》して|四々十六《ししじふろく》の|菊《きく》の|神様《かみさま》と|申《まを》します。それから|又《また》、|義理天上《ぎりてんじやう》さまが|預《あづか》つて|育《そだ》てた|神様《かみさま》が|七人《しちにん》|厶《ござ》る。|第一《だいいち》に|天照彦《あまてるひこ》、|天若彦《あまわかひこ》、|次《つぎ》が|八王大神《やつわうだいじん》、|大野大臣《おほのだいじん》、それから|道城《だうじやう》よしのり、|大広木正宗《おほひろきまさむね》、|柔道行成《じうだうゆきなり》、|都合《つがふ》|二十三柱《にじふさんばしら》の|神様《かみさま》が|天地根本《てんちこつぽん》、|生粋《きつすゐ》の|霊《みたま》の|元《もと》の|神様《かみさま》だ。これ|位《くらゐ》|結構《けつこう》な|神様《かみさま》の|教《をしへ》を|聞《き》き|乍《なが》ら、|第一《だいいち》の|教祖《けうそ》の|高姫《たかひめ》さまはアブナイ|教《けう》へ|沈没《ちんぼつ》して|了《しま》つたのだから|惜《をし》いものですわい』
|万公《まんこう》『もし|松彦《まつひこ》さま、サツパリ|支離滅裂《しりめつれつ》ぢやありませぬか。|親《おや》かと|思《おも》へば|子《こ》になつたり、|子《こ》かと|思《おも》へば|親《おや》になつたり、なンと|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|神《かみ》さまですな。マンマンマンマー』
『コレ、|支離滅裂《しりめつれつ》とは|何《なに》を|云《い》ふのだ。ヤツパリお|前《まへ》は|気違《きちが》ひだな、|黙《だま》つて|聞《き》かつしやらぬかいな』
『ハイ|万々《まんまん》|聞《き》かして|貰《もら》ひませぬワイ』
『|此奴《こいつ》あキ|印《じるし》ですから、どうぞ|気《き》にさえずに|居《を》つて|下《くだ》さい。|松彦《まつひこ》はお|詫《わび》します』
『ヨシヨシ、|今《いま》|言《い》うた|二十三柱《にじふさんばしら》の|神様《かみさま》が|天地《てんち》をお|造《つく》り|遊《あそ》ばし、|人間《にんげん》の|姿《すがた》を|現《あら》はして、|現界《げんかい》の|政治《せいぢ》を|遊《あそ》ばしたが|大将軍様《だいしやうぐんさま》、|常世姫《とこよひめ》|様《さま》の|夫婦《ふうふ》で|厶《ござ》います。それが|又《また》、|大将軍《だいしやうぐん》|御夫婦《ごふうふ》が|余《あま》り|我《が》が|強《つよ》いので、|折角《せつかく》の|神政《しんせい》が|破《やぶ》れ、|御退隠《ごたいいん》なされ、|第二《だいに》の|政治《せいぢ》をなされたのが、|地上大臣様《ちじやうだいじんさま》、|耕《たがや》し|大臣様《だいじんさま》、そこへ|地上丸様《ちじやうまるさま》が|御手伝《おてつだひ》|遊《あそ》ばして、|三人世《さんにんよ》の|元《もと》|結構《けつこう》な|世《よ》が|開《ひら》きかけてをつたが、|又《また》もや|慢心《まんしん》が|出《で》て|現界《げんかい》の|政治《せいぢ》が|潰《つぶ》れ、|止《や》むを|得《え》ず|又《また》|大将軍様《だいしやうぐんさま》が|変化《へんげ》てサダ|彦王《ひこわう》となり、|常世姫《とこよひめ》|様《さま》が|変化《へんげ》てサダ|子姫《こひめ》となり、きつく|姫《ひめ》、|旭子姫《あさこひめ》、|花依姫《はなよりひめ》といふ|三人《さんにん》の|子《こ》をお|生《う》み|遊《あそ》ばしたが、|又《また》|其《その》|政治《せいぢ》が|潰《つぶ》れ|高天原《たかあまはら》は|大騒動《おほさうどう》が|始《はじ》まりました。それから|今度《こんど》は|四代目《よだいめ》の|天下《てんか》の|政治《せいぢ》を|遊《あそ》ばしたのが、|八王大神様《やつわうだいじんさま》と|王竜姫《わうりやうひめ》|様《さま》、|王竜姫《わうりやうひめ》は|後《のち》に|大鶴姫《おほづるひめ》とおなり|遊《あそ》ばした。|又《また》|其《その》|政治《せいぢ》がつぶれ、|五代目《ごだいめ》の|政治《せいぢ》をなさつたのが|大野大臣様《おほのだいじんさま》、|大野姫《おほのひめ》のお|二方《ふたかた》、|此《この》|時《とき》は|非常《ひじやう》に|盛《さかん》であつて、|世界中《せかいぢう》が|一《ひと》つに|治《をさ》まり、|後《あと》にも|先《さき》にもないやうな|世《よ》の|中《なか》の|政治《せいぢ》が|行《おこな》はれた。そして|青森行成《あをもりゆきなり》さまや、|義理天上《ぎりてんじやう》さま、|天地尋常《てんちじんじやう》さまがお|手伝《てつだひ》ひをなさつたので、|非常《ひじやう》な|勢《いきほひ》になつて|来《き》た。そした|所《ところ》が|余《あま》り|世《よ》が|上《のぼ》りつめて|又《また》|大野大臣《おほのだいじん》さまの|政治《せいぢ》がメチヤメチヤに|破《やぶ》れ、|第六番目《だいろくばんめ》には|道場美成様《だうぢやうよしなりさま》と|事足姫《ことたりひめ》の|御夫婦《ごふうふ》が|御政治《ごせいぢ》を|遊《あそ》ばし、|大広木正宗《おほひろきまさむね》、|柔道行成《じうだうゆきなり》といふ|二人《ふたり》のお|子《こ》さまが|出来《でき》、いよいよ|神政成就《しんせいじやうじゆ》が|成上《なりあが》がつたと|思《おも》へば|少《すこ》しの|間《ま》に|又《また》もや、|慢心《まんしん》を|遊《あそ》ばし、|八岐大蛇《やまたをろち》や|金毛九尾《きんまうきうび》|曲鬼《まがおに》の|悪霊《あくれい》に|蹂躙《じうりん》されて、|世《よ》の|中《なか》がサーパリ【わや】になつて|了《しま》ひ、そこへ|変性女子《へんじやうによし》の|素盞嗚尊《すさのをのみこと》が|現《あら》はれて、|悪《あく》の|鏡《かがみ》を|出《だ》したものだから、|今日《こんにち》のやうな|強《つよ》い|者勝《ものがち》の|世界《せかい》が|出来《でき》たのだ。|此《この》ウラナイ|教《けう》は|御覧《ごらん》の|通《とほ》り|天下太平《てんかたいへい》|上下一致《じやうかいつち》だが|三五教《あななひけう》にバラモン|教《けう》、ウラル|教《けう》などは|戦《いくさ》ばかりしてゐるぢやないか。|神様《かみさま》が|喧嘩《けんくわ》なさるといふ|事《こと》はある|可《べ》からざる|事《こと》だ、お|前《まへ》さまもそンな|喧嘩好《けんくわずき》の|神様《かみさま》を|信仰《しんかう》せずにウラナイ|教《けう》の|神様《かみさま》を|信仰《しんかう》をなされ、|昔《むかし》の|昔《むかし》のさる|昔《むかし》の|因縁《いんねん》から、|根本《こつぽん》の|根本《こつぽん》から、|大先祖《おほせんぞ》の|因縁《いんねん》、|霊魂《みたま》の|性来《しやうらい》、|手《て》に|取《と》る|如《ごと》くに|分《わか》りますぞや。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
『アハヽヽヽ|万公《まんこう》は|満口《まんこう》が|閉《ふ》さがらぬワ、イヒヽヽヽ』
『|又《また》|気《き》が|違《ちが》ひ|出《だ》した、|困《こま》つた|奴《やつ》だなア、ウツフヽヽ、|松彦《まつひこ》も|困《こま》りますよ』
『これで|此《この》|大門《おほもん》|神社《じんじや》の|神様《かみさま》の|因縁《いんねん》はあらまし|分《わか》つたでせう』
『ハイ、よく|分《わか》りました。|有難《ありがた》う|厶《ござ》いました。|貴方《あなた》は|随分《ずゐぶん》|詳《くは》しいお|爺《ぢい》さまだが、お|名《な》は|何《なん》と|申《まを》しますかな』
『|私《わたし》は【おちたきつ】|彦《ひこ》と|申《まを》しますよ』
『ヘー、|長《なが》いお|名《な》ですな』
『|蠑〓別《いもりわけ》|様《さま》に|頂《いただ》いた|神名《しんめい》だから、|長《なが》くても|仕方《しかた》がありませぬ。|名《な》が|長《なが》い|者《もの》は|長生《ながいき》をするとかいひますから、モ|少《すこ》し|長《なが》くてもいいのですが、まだ|修行《しうぎやう》が|足《た》らぬので、ここらで|止《と》められて|居《を》るので|厶《ござ》います。|私《わたし》の|修行《しうぎやう》が|積《つ》みた|上《うへ》は、【おちたきつ】|速川《はやかは》の|瀬《せ》にます|彦命《ひこのみこと》といふ|名《な》をやらうと|仰有《おつしや》いました』
『ウツフヽヽ、エツヘヽヽ』
と|一同《いちどう》は|笑《わら》ふ。
『サア|是《これ》から、|種物神社《たねものじんしや》へ|案内《あんない》|致《いた》しませう』
『|老爺《おぢい》さま、|目《め》のお|悪《わる》いのにすみませぬなア』
『|目《め》が|悪《わる》いと|云《い》つても、|神様《かみさま》の|御用《ごよう》ならば|何《なん》でも|出来《でき》るのだ。サアついて|来《き》なさい。きつい|山《やま》だぞえ、|辷《すべ》りこけて|向脛《むかうずね》を|打《う》つたり、|腰《こし》をぬかさぬやうになさいませや』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|種物《たねもの》|神社《じんじや》の|前《まへ》へエチエチと|登《のぼ》りつめた。
『ここには|石造《いしづく》りの|宮《みや》と|木造《もくざう》の|拝殿《はいでん》が|建《た》つて|居《を》りますなア。|何《なん》とマア|偉《えら》い|断岩絶壁《だんがんぜつぺき》を|開《ひら》いて|建《た》てられたものですなア』
『ハイ|之《これ》は|大将軍様《だいしやうぐんさま》の|生宮《いきみや》と|地上丸《ちじやうまる》さまの|生宮《いきみや》が|鶴嘴《つるばし》の|先《さき》が|擂粉木《すりこぎ》になる|所《ところ》|迄《まで》|岩《いは》をこついてお|造《つく》り|遊《あそ》ばしたのだ。|何《なん》と|感心《かんしん》なもので|厶《ござ》いませうがなア。|此《この》|神様《かみさま》に|地《ち》の|世界《せかい》の|大神様《おほかみさま》と|日《ひ》の|丸姫《まるひめ》の|大神様《おほかみさま》が|祀《まつ》つてある。そして|右《みぎ》の|方《はう》に|義理天上《ぎりてんじやう》さまと|玉乗姫《たまのりひめ》|様《さま》と|祀《まつ》る|事《こと》になつて|居《を》ります。|左《ひだり》の|方《はう》には|大将軍様《だいしやうぐんさま》と|常世姫《とこよひめ》|様《さま》のお|宮《みや》が|建《た》つのです。これは|世界《せかい》の|万物《ばんぶつ》の|種物《たねもの》をお|始《はじ》め|遊《あそ》ばした|結構《けつこう》な|結構《けつこう》な|根本《こつぽん》の|神様《かみさま》ですから、よく|拝《をが》みておきなさい。お|前《まへ》さまも|若《わか》いからどうせ|種《たね》まきをせにやならぬのだろ。|神《かみ》の|生宮《いきみや》をポイポイと|拵《こしら》へるのが|神《かみ》の|役目《やくめ》だから、|今《いま》こそ|男《をとこ》と|女《をんな》が|暗《くら》がりで、かが|安《やす》う|生宮《いきみや》を|拵《こしら》へるやうになつたが、|昔《むかし》は|人間《にんげん》|一人《ひとり》|仲々《なかなか》|並《なみ》や|大抵《たいてい》で|作《つく》れたものでありませぬぞや。|其《その》お|徳《とく》にあやかる|為《ため》に|種物《たねもの》|神社《じんじや》に|祭《まつ》つてあるのだ』
『ハイ|有難《ありがた》う』
と|松彦《まつひこ》はうつむく。
『サア|之《これ》から、【おちたきつ】|彦《ひこ》がモ|一《ひと》つの|上《うへ》のお|宮様《みやさま》を|御案内《ごあんない》|致《いた》しませう』
|万公《まんこう》は、
『モシモシお|爺《ぢ》イさま、そンな【きつい】|岩石《がんせき》を|目《め》の|悪《わる》いのに|登《のぼ》つて、|何卒《どうぞ》|谷底《たにそこ》へ|落《お》ちたきつ|彦《ひこ》にならぬ|様《やう》に|願《ねが》ひますで。サア|五三公《いそこう》、アク、タク、テク、お|爺《ぢ》イさまのお|伴《とも》だ。|何《なん》とマアきつい|坂《さか》だなア』
『あゝあ、|人《ひと》に|改心《かいしん》さそうと|思《おも》へば|仲々《なかなか》の|苦労《くらう》だ。ソレ|御覧《ごらん》なさい、ここに|木造《きづく》りの|宮《みや》が|三社《さんしや》|建《た》つてをるだろ。|中央《ちうあう》が|生場神社《いきばじんしや》の|大神様《おほかみさま》、|岩照姫《いはてるひめ》の|大神様《おほかみさま》、|此《この》|御夫婦《ごふうふ》が|祀《まつ》つてある。|右《みぎ》のお|社《やしろ》は【りんとう】|美天大臣様《びてんだいじんさま》、|木曽義姫《きそよしひめ》の|大神様《おほかみさま》の|御夫婦《ごふうふ》が|祀《まつ》つてあるのだ。そして|左《ひだり》の|方《はう》の|宮《みや》には|五六七上十《みろくじやうじふ》の|大神様《おほかみさま》、|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》りの|大神様《おほかみさま》|御夫婦《ごふうふ》が|祀《まつ》つてあるのだ。モ|一《ひと》つ|上《うへ》に|三社《さんしや》あるけれど、これから|上《うへ》は|道《みち》がないから、ここからお|話《はなし》しておかう。|石《いし》の|宮《みや》が|三社《さんしや》あつて、|正中《まんなか》が|月《つき》の|大神様《おほかみさま》、|日《ひ》の|大神様《おほかみさま》|御夫婦《ごふうふ》が|祀《まつ》つてある。|右《みぎ》の|石《いし》の|宮《みや》は|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|大神様《おほかみさま》|上義姫大神《じやうぎひめのおほかみ》|様《さま》|御夫婦《ごふうふ》がお|祀《まつ》りになつてゐる。|左《ひだり》の|方《はう》が|日照《ひて》らす|大神様《おほかみさま》、|大照皇大神宮様《だいせうくわうだいじんぐうさま》|御夫婦《ごふうふ》が|御祀《おまつ》りだ。|何《なん》と|結構《けつこう》な|地《ち》の|高天原《たかあまはら》が|開《ひら》けたものでせうがな』
『モウ|此《この》|外《ほか》に|神様《かみさま》の|祀《まつ》つてある|所《ところ》はありませぬかナ』
『まだない|事《こと》はないが、さう|一遍《いつぺん》にお|話《はな》しすると、|話《はなし》の|種《たね》が|切《き》れるから、|又《また》|今度《こんど》にのけておきませうかい。お|前《まへ》さまも|一遍《いつぺん》に|食滞《しよくたい》しては|困《こま》るからなア』
『アツハヽヽヽお|爺《ぢ》イさま、|御苦労《ごくらう》でした。|実《じつ》の|所《ところ》は|私《わたし》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|治国別命《はるくにわけのみこと》の|片腕《かたうで》の|万公《まんこう》さまだ。|気違《きちがひ》でも|何《なん》でもないのだから、さう|思《おも》うて|下《くだ》さい。|随分《ずゐぶん》|怪体《けつたい》な|神《かみ》さまばかり、|能《よ》う|拝《をが》まして|下《くだ》さつた。これも|話《はなし》の|種《たね》になりますわい。『|霊界物語《れいかいものがたり》』にのせたら、キツと|大喝采《だいかつさい》を|得《え》ませう。お|前《まへ》さまの|方《はう》では|種物《たねもの》|神社《じんじや》だが、|此《この》|万公《まんこう》さまは|種取《たねと》り|神社《じんしや》だ。|義理《ぎり》かき|天上《てんじやう》の|神様《かみさま》となつて、これからウラナイ|教《けう》を|一生懸命《いつしやうけんめい》に|信神《しんじん》しませぬワ。オツホヽヽ』
『この|年寄《としより》を|此処《ここ》|迄《まで》|連《つ》れて|来《き》て、|何《なん》と|云《い》ふ|愛想《あいさう》づかしを|云《い》ふのだい。それだから|三五教《あななひけう》は|悪《あく》の|教《をしへ》といふのだよ。|大方《おほかた》お|前《まへ》も|変性女子《へんじやうによし》の|廻《まは》し|者《もの》だろ、|油断《ゆだん》のならぬ|代物《しろもの》だなア』
『|此奴《こいつ》ア、お|爺《ぢ》イさま|気《き》が|違《ちが》うてるのですから、どうぞ|気《き》に|触《さ》へて|下《くだ》さいますな』
『あゝさうださうだ、|気《き》の|触《ふ》れた|方《かた》だつたなア。|何《なん》ぼ|気違《きちがひ》でも|余《あま》りな|事《こと》|云《い》ふと|気《き》の|宜《よ》うないものだ。|併《しか》し|気違《きちが》ひとあれば|咎《とが》める|訳《わけ》にもゆかぬ、|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》しておかう』
『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》いました。お|年寄《としより》に|高《たか》い|所《ところ》|迄《まで》|御苦労《ごくらう》になりまして|申訳《まをしわけ》が|厶《ござ》いませぬ』
『お|前《まへ》さま|達《たち》、|下《した》の|大広間《おほひろま》で|今晩《こんばん》はお|泊《とま》りなされ、|女《をんな》ばかり|百人《ひやくにん》あまりも|鮨詰《すしづめ》になつて|寝《ね》て|居《を》ります』
|五三公《いそこう》はにやりとしながら、
『オイ、アク、タク、テク、|泊《と》めて|貰《もら》はうかなア』
『なンだ、|女《をんな》ばかり|鮨詰《すしづめ》になつてると、|爺《ぢい》さまが|言《い》つたら、|顔《かほ》の|紐《ひも》|迄《まで》|解《ほど》きよつて、アタ|見《み》つともない、|女《をんな》の|側《そば》は|険呑《けんのん》だ。サア|松彦《まつひこ》さま、|遅《おく》れちやなりませぬ、|折角《せつかく》のお|爺《ぢい》さまの|御親切《ごしんせつ》だが、|今日《けふ》はマア|御免《ごめん》|被《かふむ》つて、|又《また》|改《あらた》めてお|世話《せわ》になりませうか』
『あゝそれがよからう、お|爺《ぢ》イさま、どうぞ|蠑〓別《いもりわけ》さまに|宜《よろ》しう|言《い》つて|下《くだ》さい。|今日《けふ》は|急《いそ》ぎますから、これで|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》ります』
『|万《まん》さまとやらを|気《き》を|付《つ》けて|上《あ》げて|下《くだ》さいや、|危《あぶ》ない|一本橋《いつぽんばし》がありますから、|川《かは》の|中《なか》へでも、|気《き》の|触《ふ》れた|人《ひと》は|飛込《とびこ》むかも|知《し》れませぬからな』
『ハイ|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。サア|一同《いちどう》の|者《もの》、お|暇乞《いとまご》ひして|急《いそ》がう。|発車《はつしや》|時間《じかん》に|遅《おく》れちや|今夜中《こんやぢう》に|万寿山《まんじゆざん》へ|帰《かへ》れぬからなア。お|爺《ぢい》さま|左様《さやう》なら』
『【おちたきつ】|速川《はやかは》の|瀬《せ》にます|彦《ひこ》の|神《かみ》さま、|万々々公《まんまんまんこう》|有難《ありがた》う|厶《ござ》いました』
『アハヽヽヽ、|気《き》を|付《つ》けてお|帰《かへ》りなさい、|万公《まんこう》さまとやら』
(大正一一・一二・九 旧一〇・二一 松村真澄録)
(昭和九・一二・二九 於湯ケ嶋 王仁校正)
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霊界物語 第四四巻 舎身活躍 未の巻
終り