霊界物語 第四三巻 舎身活躍 午の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第四三巻』愛善世界社
2002(平成14)年08月20日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年08月06日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|総説《そうせつ》
第一篇 |狂風怪猿《きやうふうくわいゑん》
第一章 |烈風《れつぷう》〔一一五二〕
第二章 |懐谷《ふところだに》〔一一五三〕
第三章 |失明《しつめい》〔一一五四〕
第四章 |玉眼開《ぎよくがんびらき》〔一一五五〕
第五章 |感謝歌《かんしやうた》〔一一五六〕
第二篇 |月下《げつか》の|古祠《ふるほこら》
第六章 |祠前《ほこらのまへ》〔一一五七〕
第七章 |森議《しんぎ》〔一一五八〕
第八章 |噴飯《ふんぱん》〔一一五九〕
第九章 |輸入品《ゆにふひん》〔一一六〇〕
第三篇 |河鹿《かじか》の|霊嵐《れいらん》
第一〇章 |夜《よる》の|昼《ひる》〔一一六一〕
第一一章 |帰馬《きば》〔一一六二〕
第一二章 |双遇《さうぐう》〔一一六三〕
第四篇 |愛縁義情《あいえんぎじやう》
第一三章 |軍談《ぐんだん》〔一一六四〕
第一四章 |忍《しの》び|涙《なみだ》〔一一六五〕
第一五章 |温愛《をんあい》〔一一六六〕
第五篇 |清松懐春《せいしようくわいしゆん》
第一六章 |鰌鍋《どぢようなべ》〔一一六七〕
第一七章 |反歌《はんか》〔一一六八〕
第一八章 |石室《いはむろ》〔一一六九〕
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|序文《じよぶん》
|天地《てんち》|惟神《かむながら》の|御庇護《ごひご》の|下《もと》に|口述《こうじゆつ》|開始《かいし》より|今日《こんにち》に|到《いた》り|殆《ほとん》ど|十三箇月《じふさんかげつ》と|十日《とをか》の|日子《につし》を|費《つひや》し、|瑞月《ずゐげつ》|霊界物語《れいかいものがたり》|第四十三巻《だいしじふさんくわん》を|亀岡《かめをか》に|於《おい》て|編纂《へんさん》し|了《をは》ることを|得《え》ました。|筆記者《ひつきしや》も|極《きは》めて|熱心《ねつしん》に|寝食《しんしよく》を|忘《わす》れて|就事《じうじ》されたのは、|決《けつ》して|普通事《ふつうじ》ではありませぬ。|然《しか》し|本日《ほんじつ》は|大正《たいしやう》|十一年《じふいちねん》|十一月《じふいちぐわつ》|二十八日《にじふはちにち》|陰暦《いんれき》|十月《じふぐわつ》|十日《とをか》と|云《い》ふ、|神《かみ》の|道《みち》に|取《と》つても|最《もつと》も|因縁《いんねん》|深《ふか》き|吉祥日《きつしやうび》であります。|冬《ふゆ》の|初《はじ》めとはいへ|陽気《やうき》も|極《きは》めて|暖《あたた》かく、|梅花《ばいくわ》|匂《にほ》ひ|花鳥《うぐひす》|来《きた》つて|君《きみ》が|代《よ》の|瑞祥《ずゐしやう》の|春《はる》を|謳《うた》ふかとばかり|思《おも》はるるやうな、|気持《きもち》の|良《よ》い|日《ひ》であります。|十《たり》の|月《つき》|十《たり》の|日《ひ》は|是《こ》れ|円満《ゑんまん》|具足《ぐそく》|完全無欠《くわんぜんむけつ》を|意味《いみ》するものです。|口述者《こうじゆつしや》の|瑞月《ずゐげつ》、|侍者《じしや》の|鮮月《せんげつ》、|松《まつ》の|神代《かみよ》(|永遠無窮《ゑいゑんむきう》の|聖代《せいだい》)に|因《ちな》みたる|姓名《せいめい》の|松村《まつむら》|真澄《まさずみ》|氏《し》、|北光《きたてる》の|神《かみ》の|名《な》に|因《ちな》みある|北村《きたむら》|隆光《たかてる》|氏《し》、|加《くは》ふるに|婦人《ふじん》|記録者《きろくしや》として|加藤《かとう》|明子《はるこ》|氏《し》の|三人《さんにん》は、|相変《あひかは》らず|綾部《あやべ》より|出張《しゆつちやう》して|其《その》|健腕《けんわん》を|振《ふる》ひ、|一言一句《いちごんいつく》を|漏《も》らさず|拾《ひろ》ひ|上《あ》げられたことを|瑞月《ずゐげつ》が|衷心《ちうしん》より|感謝《かんしや》する|次第《しだい》であります。|大本《おほもと》|秋季《しうき》|大祭《たいさい》|終了後《しうれうご》、|高熊山《たかくまやま》|参拝《さんぱい》を|済《す》ませ、|其《その》|後《ご》|引続《ひきつづ》き|亀岡《かめをか》にて|目出度《めでた》く|本巻《ほんくわん》を|前後《ぜんご》|三日間《みつかかん》の|光陰《くわういん》に|包《つつ》まれて|漸《やうや》く|講了《かうれう》いたしました。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
大正十一年十一月廿八日 旧十月十日
|総説《そうせつ》
|本巻《ほんくわん》は|波斯国《フサのくに》|産土山《うぶすなやま》の|斎苑館《いそやかた》より|神素盞嗚命《かむすさのをのみこと》の|命《めい》に|依《よ》り|印度《いんど》の|国《くに》ハルナの|都《みやこ》に|婆羅門教《ばらもんけう》の|本拠《ほんきよ》を|構《かま》へ、|五天竺《ごてんぢく》|七千余ケ国《しちせんよかこく》に|有言不実行的《いうげんふじつかうてき》の|教《をしへ》を|開《ひら》き、|世界《せかい》を|攪乱《かくらん》せむとする|大黒主《おほくろぬし》を|始《はじ》め|其《その》|一派《いつぱ》の|神《かみ》|等《たち》を|天地《てんち》|惟神《かむながら》の|大道《だいだう》に|帰順《きじゆん》せしめむと、|黄金姫《わうごんひめ》|母娘《おやこ》の|一行《いつかう》と|照国別《てるくにわけ》の|一行《いつかう》が|早《はや》くも|印度《いんど》に|入《い》りし|後《のち》、|玉国別《たまくにわけ》|一行《いつかう》と|治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》が|河鹿峠《かじかたうげ》の|南坂《みなみざか》に|於《おい》てバラモン|軍《ぐん》の|先鋒《せんぽう》|片彦《かたひこ》、|久米彦《くめひこ》|将軍《しやうぐん》の|一隊《いつたい》と|出会《しゆつくわい》し|言霊《ことたま》を|打出《うちだ》し|敵《てき》を|坂《さか》の|下《した》まで|追還《おひかへ》したる|大体《だいたい》の|物語《ものがたり》であります。|途中《とちう》|玉国別《たまくにわけ》の|遭難《さうなん》より|治国別《はるくにわけ》|兄弟《きやうだい》の|対面《たいめん》、|五十子姫《いそこひめ》が|夫《をつと》|玉国別《たまくにわけ》の|危難《きなん》を|知《し》つて、|負傷《ふしやう》の|夫《をつと》を|介抱《かいほう》せむと|万難《ばんなん》を|忍《しの》びて|祠《ほこら》の|森《もり》まで|尋《たづ》ね|来《き》たりたる、|悲痛《ひつう》な|物語《ものがたり》であります。|又《また》|信仰《しんかう》の|本義《ほんぎ》、|師弟《してい》の|情誼《じやうぎ》、|夫婦《ふうふ》の|親愛《しんあい》、|兄弟《けいてい》の|友誼《いうぎ》、|朋友《ほういう》の|信義《しんぎ》|等《とう》は、|本巻《ほんくわん》に|於《おい》て|説《と》き|示《しめ》されてあります。|幸《さいはひ》に|御一読《ごいちどく》あらむことを|希望《きばう》いたします。
大正十一年十一月廿八日 旧十月十日
第一篇 |狂風怪猿《きやうふうくわいゑん》
第一章 |烈風《れつぷう》〔一一五二〕
|天地《てんち》にさやる|雲霧《くもきり》を |伊吹《いぶき》|払《はら》ひて|世《よ》を|救《すく》ふ
|三五教《あななひけう》の|神柱《かむばしら》 |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の
|神言《みこと》|畏《かしこ》み|音彦《おとひこ》は |玉国別《たまくにわけ》と|名《な》をかへて
|道公《みちこう》|伊太公《いたこう》|純公《すみこう》の |三人《みたり》の|信徒《しんと》を|引率《いんそつ》し
|斎苑《いそ》の|館《やかた》を|立出《たちい》でて |凩《こがらし》すさぶ|秋《あき》の|空《そら》
|河鹿峠《かじかたうげ》の|急坂《きふはん》を |登《のぼ》りつ|下《くだ》りつ|進《すす》み|行《ゆ》く
|目指《めざ》すは|印度《いんど》の|月《つき》の|国《くに》 ハルナの|都《みやこ》に|蟠《わだか》まる
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜狐《しこぎつね》 |曲鬼《まがおに》|醜《しこ》の|曲魂《まがたま》を
|誠《まこと》の|道《みち》に|言向《ことむ》けて |至仁《しじん》|至愛《しあい》の|神国《しんこく》を
|此《この》|地《ち》の|上《うへ》に|建設《けんせつ》し |神《かみ》の|御稜威《みいづ》を|照《てら》さむと
|勇《いさ》み|進《すす》んで|斎苑館《いそやかた》 |後《あと》に|眺《なが》めて|出《い》でて|行《ゆ》く
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
|玉国別《たまくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》 |三人《みたり》の|従者《とも》と|諸共《もろとも》に
はるばる|進《すす》む|首途《かどいで》を |完全《うまら》に|委曲《つばら》に|守《まも》りまし
|千変万化《せんぺんばんくわ》の|活動《くわつどう》を |漏《も》れなく|落《お》ちなくすくすくと
|述《の》べさせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》 |神《かみ》の|御前《みまへ》に|瑞月《ずゐげつ》が
|畏《かしこ》み|畏《かしこ》みねぎまつる。
|玉国別《たまくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》は|三人《さんにん》の|供人《ともびと》と|共《とも》に、|黄金姫《わうごんひめ》、|照国別《てるくにわけ》|一行《いつかう》の|後《あと》より|言依別命《ことよりわけのみこと》の|谷間《たにま》に|転落《てんらく》して、|第一天国《だいいちてんごく》を|探検《たんけん》したりといふ、|河鹿峠《かじかたうげ》を|膝栗毛《ひざくりげ》に|鞭《むちう》ち、|石車《いしぐるま》の|危難《きなん》を|避《さ》け|乍《なが》ら、|声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひつつ、|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》を|渡《わた》り|行《ゆ》く。
|折《をり》から|吹《ふ》き|来《く》る|暴風《ばうふう》はライオンの|数百頭《すうひやくとう》|一時《いちじ》に|吼《ほ》えたけるが|如《ごと》く、|唸《うな》りを|立《た》てて、|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もなく|岩石《がんせき》も|飛《と》べよ、|草木《くさき》も|根底《ねそこ》より|抜《ぬ》け|散《ち》れよと|言《い》はむ|許《ばか》りに|吹《ふ》きまくる。|玉国別《たまくにわけ》は『|何《なに》これしきの|烈風《れつぷう》に|辟易《へきえき》してなるものか、|暴風《ばうふう》|何者《なにもの》ぞ、|雷霆強雨《らいていがうう》|何《なん》ぞ|恐《おそ》れむや』と|勇気《ゆうき》を|鼓《こ》し、|向《むか》ふ|風《かぜ》に|逆《さか》らひ|乍《なが》ら、|急坂《きふはん》を|登《のぼ》り|行《ゆ》く|勇《いさ》ましさ、|壮烈《さうれつ》は、|鬼神《きじん》も|驚《おどろ》く|許《ばか》りに|思《おも》はれた。|漸《やうや》くにして|山上《さんじやう》の|稍《やや》|平坦《へいたん》なる|羊腸《やうちやう》の|小路《こみち》に|登《のぼ》り|着《つ》いた。
|道公《みちこう》『|玉国別《たまくにわけ》|様《さま》、|板《いた》を|立《た》てたやうな|胸突坂《むねつきざか》を|登《のぼ》る|真最中《まつさいちう》、|弱味《よわみ》につけ|込《こ》む|風《かぜ》の|神《かみ》の|奴《やつ》、|滅多矢鱈《めつたやたら》に|暴威《ばうゐ》を|揮《ふる》ひ、|吾々《われわれ》を|中天《ちうてん》に|巻上《まきあ》げむとして、|力《ちから》|一杯《いつぱい》|努力《どりよく》してゐやがつたぢやありませぬか。|一《ひと》つここらで|風《かぜ》の|歇《や》んだのを|幸《さいは》ひ|休養《きうやう》をやつたら|如何《どう》でせう』
|玉国別《たまくにわけ》『アハヽヽヽ|今《いま》からそんな|弱音《よわね》を|吹《ふ》いてたまるものか、モウちつと|度胸《どきよう》を|据《す》ゑなくちやなるまい』
|道公《みちこう》『|決《けつ》して|私《わたし》が|弱音《よわね》を|吹《ふ》くのぢやありませぬ。|風《かぜ》の|神《かみ》の|奴《やつ》、|滅多矢鱈《めつたやたら》に|吹《ふ》きやがるものだから、|私《わたし》も|一寸《ちよつと》|吹《ふ》いてみたのです。かうして|木々《きぎ》の|木《こ》の|葉《は》を|無残《むざん》にも|吹散《ふきち》らし、まるで|雑巾《ざふきん》|以《もつ》ておさん|奴《め》が|縁《えん》の|埃《ほこり》を|拭《ふ》いたやうに|綺麗《きれい》サツパリふきやがつたぢやありませぬか』
|伊太公《いたこう》『オイ|道公《みちこう》、|弱音《よわね》を|吹《ふ》くより|法螺《ほら》なと|吹《ふ》いたら|如何《どう》だ』
|道公《みちこう》『エヽ|伊太公《いたこう》、|貴様《きさま》の|鼻《はな》はまるで|鍛冶屋《かぢや》の|鞴《ふいご》のやうにペコペコさして、フースーフースーと|泡《あわ》まで|吹《ふ》いてるぢやないか。|気息奄々《きそくえんえん》、|呼吸促迫《こきふそくはく》、|体熱《たいねつ》|四十三度《しじふさんど》といふ|弱《よわ》り|方《かた》ぢやないか。|他《ひと》の|事《こと》をゴテゴテ|言《い》ふ|所《どころ》かい、|自分《じぶん》の|蜂《はち》から|払《はら》うてかかれ』
|伊太公《いたこう》『これはこれは【イタ】み|入《い》つたる|御挨拶《ごあいさつ》、|伊太公《いたこう》もサツパリ|頓服《とんぷく》|致《いた》しました』
|道公《みちこう》『|頓服《とんぷく》とは|何《なん》だ。インフルエンザの|風邪《かぜ》を|引《ひ》いて、キニーネでも|飲《の》んだやうなことを|吐《ほざ》くぢやないか』
|玉国別《たまくにわけ》『コリヤコリヤ|両人《りやうにん》、|幸先《さいさき》の|悪《わる》い、|悪魔《あくま》|征討《せいたう》の|道行《みちゆき》の|始《はじ》めに|当《あた》つて、|争論《そうろん》をやるといふことがあるか、チと|沈黙《ちんもく》|致《いた》さぬか』
|道公《みちこう》『ハイ、レコード|破《やぶ》りの|烈風《れつぷう》でさへ|沈黙《ちんもく》したのですから、|時刻《じこく》が|廻《まは》つて|来《く》れば、|自然《しぜん》に|発声器《はつせいき》の|停電《ていでん》を|来《きた》すでせう。|出《で》かけた|声《こゑ》だから、|出《だ》す|丈《だけ》|出《だ》さねば|中途《ちうと》に|止《と》めると、|又《また》もや|痳病《りんびやう》をわづらひますからなア、アハヽヽヽ』
|玉国別《たまくにわけ》『あの|純公《すみこう》を|見《み》よ。|貴様《きさま》のやうに|鳴子《なるこ》か|鈴《すず》のやうにガラガラ|言《い》はず、|沈黙《ちんもく》を|始終《しじう》|守《まも》つてゐるぢやないか。|男《をとこ》といふ|者《もの》はさうベラベラと|下《くだ》らぬことを|喋《しやべ》つたり、|白《しろ》い|歯《は》をさうやすやすと|人《ひと》に|見《み》せるものぢやない。|人間《にんげん》は|黙《だま》つてゐる|位《くらゐ》|床《ゆか》しく|見《み》えるものはないぞ……|口《くち》あけて|腹綿《はらわた》|見《み》せる|蛙《かはづ》|哉《かな》……といふことを|忘《わす》れぬやうにしたがよからうぞ』
|道公《みちこう》『ハイ|承知《しようち》|致《いた》しました。|純公《すみこう》は|貴方《あなた》のお|目《め》からそれ|程《ほど》|床《ゆか》しく|見《み》えますかな。さうすると|此奴《こいつ》も|矢張《やつぱり》、スミにもおけない|代物《しろもの》ですなア。アハヽヽヽ』
|玉国別《たまくにわけ》『いらぬことを|言《い》ふものでない。|沈黙《ちんもく》が|男《をとこ》の|値打《ねうち》だ。まるで|貴様《きさま》と|旅行《りよかう》をして|居《ゐ》ると|雲雀《ひばり》や|雀《すずめ》の|飼主《かひぬし》みたやうだ。|困《こま》つた|奴《やつ》だなア』
|伊太公《いたこう》『|時《とき》に|玉国別《たまくにわけ》|様《さま》、|随分《ずゐぶん》|此《この》|河鹿峠《かじかたうげ》はキツイですが、どうぞ|無難《ぶなん》に|風《かぜ》の|神《かみ》の|鋭鋒《えいほう》を|避《さ》けて|通過《つうくわ》したいものですなア。|暫《しばら》く|沈黙《ちんもく》したと|思《おも》へば、|秋《あき》の|風《かぜ》だから|再《ふたた》び|低気圧《ていきあつ》が|襲来《しふらい》して、|一万《いちまん》ミリメートルの|速力《そくりよく》でやつて|来《こ》られちや、|何程《なにほど》|押《お》しけつの|強《つよ》い|貴方《あなた》でも|堪《たま》りつこはありませぬぜ』
|玉国別《たまくにわけ》『オイ、それ|程《ほど》|発声器《はつせいき》を|虐使《ぎやくし》すると、レコードの|寿命《じゆみやう》が|短縮《たんしゆく》するぞ。|少《すこ》しは|大切《たいせつ》に|使用《しよう》せないか』
|伊太公《いたこう》『|何分《なにぶん》|秋《あき》|漸《やうや》く|深《ふか》く、|木々《きぎ》の|木《こ》の|葉《は》がバラバラバラと|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もなく|落《お》ち|行《ゆ》く|時節《じせつ》ですから|何《なん》とはなしに|寂寥《せきれう》の|気分《きぶん》に|打《う》たれて|沈黙《ちんもく》してゐる|事《こと》が|出来《でき》ませぬワイ。チツとは|喋《しやべ》らして|貰《もら》はぬと、|心細《こころぼそ》いぢやありませぬか』
|玉国別《たまくにわけ》『そんな|馬鹿口《ばかぐち》を|喋《しやべ》る|暇《ひま》があつたら、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つたら|如何《どう》だ。|歌《うた》は|天地神明《てんちしんめい》の|心《こころ》を|感動《かんどう》させ、|山河草木《さんかさうもく》を|悦服《えつぷく》させる|神力《しんりき》のあるものだ』
|伊太公《いたこう》『|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つても|宜《よろ》しいか。そんならこれから|歌《うた》ひませう。オイ|道公《みちこう》、|純公《すみこう》、チツとは|粗製《そせい》|濫造品《らんざうひん》だが、|後学《こうがく》の|為《ため》に|耳《みみ》をすまして|聞《き》くがよからう。|伊太公《いたこう》の|当意即妙《たういそくめう》の|大宣伝歌《だいせんでんか》を……エヘン……』
|道公《みちこう》『|早《はや》く|歌《うた》はぬかい。|前置《まへおき》ばかりダラダラとひつぱりよつて、|辛気《しんき》くさいわい』
|伊太公《いたこう》『|足曳《あしびき》の|山鳥《やまどり》の|尾《を》のしだり|尾《を》の|長々《ながなが》し|夜《よ》を|独《ひと》りかもねむ……といふ|歌《うた》があるだらう。それだから、|足曳《あしびき》の|山《やま》の|上《うへ》で|歌《うた》ふ|歌《うた》はチツとは|足《あし》が|長《なが》いぞ、エツヘン。それ|聞《き》いた』
|道公《みちこう》『|何《なに》を|聞《き》くのだ。|無言《むごん》の|歌《うた》が|聞《き》けるかい』
|伊太公《いたこう》『|不言実行《ふげんじつかう》、|言外《げんぐわい》の|言《げん》、|歌外《かぐわい》の|歌《か》、|隻手《せきしゆ》の|声《こゑ》、といふ|事《こと》があるだらう。|風《かぜ》が|吹《ふ》く|音《おと》も、|鳥《とり》の|囀《さへづ》る|声《こゑ》も、|虫《むし》の|鳴《な》く|音《ね》も、|皆《みな》|自然《しぜん》の|歌《うた》だぞ。|俺《おれ》がかう|囀《さへづ》つてをるのもヤツパリ|恋欲歌《れんよくか》の|一種《いつしゆ》だ。ウタウタと|云《い》はずに|俺《おれ》の|奇妙奇天烈《きめうきてれつ》な|大宣伝歌《だいせんでんか》を|聞《き》いたら|貴様《きさま》のウタがひも|晴《は》れるだらう……
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |直日《なほひ》の|眼《まなこ》で|見渡《みわた》せば
|伊太公《いたこう》さまは|善《ぜん》の|神《かみ》 |道公《みちこう》さまは|悪神《あくがみ》だ
|玉国別《たまくにわけ》は|宣伝使《せんでんし》 |一寸《ちよつと》お|偉《えら》い|方《かた》ぢやぞえ
|黒《くろ》い|顔《かほ》して|墨《すみ》のよに |燻《くすぶ》つて|居《ゐ》るは|純公《すみこう》か
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |叶《かな》はないから|止《や》めておかう』
|道公《みちこう》『コリヤ|伊太《いた》、|何《なに》を|云《い》ふのだ。|何《なん》と|下手《へた》な|歌《うた》だのう』
|伊太公《いたこう》『イタれり|尽《つく》せりといふ|迷歌《めいか》だらう。|歌《うた》といふものは|余《あま》り|上手《じやうづ》にいふと、|風《かぜ》の|神《かみ》|奴《め》が|感動《かんどう》して、|又《また》|暴威《ばうゐ》を|揮《ふる》ふと|困《こま》るからなア。そんな|事《こと》に|抜目《ぬけめ》のある|伊太公《いたこう》ぢやないぞ。|風《かぜ》の|神《かみ》が|呆《あき》れて|蟄伏《ちつぷく》するやうに、ワザとに|拙劣《へた》な|歌《うた》を|歌《うた》つて|風《かぜ》の|神《かみ》|奴《め》を|遠《とほ》ざけたのだ。|或《あ》る|人《ひと》の|狂歌《きやうか》にも……
|歌《うた》よみは|下手《へた》こそよけれ|天地《あめつち》の
|動《うご》き|出《いだ》してたまるものかは。
……といふ|事《こと》を|知《し》つてゐるか、エーン』
と|無暗《むやみ》|矢鱈《やたら》に|喋《しやべ》りちらし、うつつになつて|細路《ほそみち》を|前後左右《ぜんごさいう》に|飛《と》びまはり、|踏《ふ》み|外《はづ》して|一間《いつけん》ばかり|岩道《いはみち》から|辷《すべ》り|落《お》ち、|向脛《むかふづね》をすりむき、
|伊太公《いたこう》『イヽイタい』
と|目《め》を|顰《しか》め、|鼻《はな》にまで|皺《しわ》をよせ、|向脛《むかふづね》をさすり『エヘヽヽ』と|笑《わら》ひ|泣《な》く|其《その》|可笑《をか》しさ。
|道公《みちこう》『そら|見《み》よ、|余《あま》りアゴタが|過《す》ぎると|其《その》|通《とほ》りだ。|腰抜歌《こしぬけうた》|計《ばか》り|詠《よ》むものだから、とうとう|足曳《あしびき》の|山《やま》の|上《うへ》で|足《あし》を|引《ひつ》かき、すりむいて、イタイタしくも、|伊太公《いたこう》の|其《その》ザマ、それだから|伊太公《いたこう》なんて|言《い》ふやうな|名《な》は、つけぬがいゝのだ。のう|純公《すみこう》、さうぢやないか、|伊太公《いたこう》は|丸《まる》で|鼬《いたち》のやうな|奴《やつ》だ。とうと、|最後屁《さいごぺ》をひつて、|伊太張《いたば》つた、イヤイヤくたばつたぢやないか、ウツフヽヽ』
|純公《すみこう》『いた|立《た》てたやうな|坂道《さかみち》ふみ|外《はづ》し
|伊太々々《いたいた》しげに|伊太《いた》さまが|泣《な》く。
【すみ】ずみに|心《こころ》を|配《くば》る|純公《すみこう》は
どこもかしこも【すみ】|渡《わた》りける』
|道公《みちこう》『|神《かみ》の|道《みち》、ふみ|外《はづ》したる|伊太公《いたこう》の
|泣《な》き|苦《くるし》むは|道《みち》さまの|罰《ばち》。
|道々《みちみち》にさやる|曲津《まがつ》を|言向《ことむ》けて
|進《すす》み|出《い》でます|道公司《みちこうつかさ》』
|伊太公《いたこう》『|道公《みちこう》よ、|純公《すみこう》、|貴様《きさま》は|何《なに》をいふ
どの|道《みち》|此《この》|儘《まま》【すみ】はせぬぞよ。
|伊太公《いたこう》が、|今《いま》にイタい|目《め》|見《み》せてやる
|鼬《いたち》の|最後屁《さいごぺ》ひらぬよにせよ』
|玉国別《たまくにわけ》『|道公《みちこう》の|道《みち》をたがへず|伊太公《いたこう》の
|威猛《ゐたけ》り|狂《くる》ふ|舌《した》も【すみ】|公《こう》』
|純公《すみこう》『|玉国《たまくに》の|別命《わけのみこと》に|従《したが》ひて
|今日《けふ》は|不思議《ふしぎ》な|芝居《しばゐ》|見《み》る|哉《かな》』
|道公《みちこう》『|又《また》しても|風《かぜ》の|神《かみ》|奴《め》がソロソロと
|山《やま》の|横面《よこづら》なぐり|相《さう》なる。
サア|行《ゆ》かう、|早行《はやゆ》きませう|宣伝使《せんでんし》
|風《かぜ》の|神《かみ》|奴《め》が|追《お》ひつかぬ|内《うち》』
|玉国別《たまくにわけ》『|又《また》ソロソロと|行《ゆ》かうか、モウ|此《この》|先《さき》は|下《くだ》り|坂《ざか》だ。|併《しか》し|乍《なが》ら|下《くだ》り|坂《ざか》は|用心《ようじん》をせなくては、|石車《いしぐるま》に|乗《の》つて|転落《てんらく》する|虞《おそれ》があるから、|暫《しばら》く|口《くち》を|噤《つま》へて、|足《あし》の|先《さき》に|力《ちから》を|入《い》れ、コチコチとアブト|式《しき》に|下《くだ》るのだ。|余《あま》り|喋《しやべ》つてゐると、|外《ほか》へ|気《き》を|取《と》られて、|足許《あしもと》がお|留守《るす》になるから、|一同《いちどう》に|注意《ちゆうい》を|施《ほどこ》しておく』
|道公《みちこう》『ハイ|畏《かしこ》まりました。オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、|大将軍《だいしやうぐん》の|命令《めいれい》だ。|沈黙《ちんもく》だぞ』
|伊太公《いたこう》『|喋《しやべ》れと|云《い》つたつて、かう|向脛《むかふづね》をすり|剥《む》いては|痛《いた》くつて、|喋《しやべ》る|所《どころ》かい。|足《あし》|計《ばか》りに|気《き》を|取《と》られて|仕方《しかた》がないワ』
|純公《すみこう》『そんなら|伊太公《いたこう》、お|前《まへ》は|道公《みちこう》さまの|後《あと》から|行《ゆ》け、おれが|後《あと》から|気《き》をつけてやる。|宣伝使《せんでんし》の|命令《めいれい》には、|決《けつ》して|今後《こんご》|違背《ゐはい》|伊太《いた》さんと|誓《ちか》ふのだぞ』
|道公《みちこう》『ヤアそろそろと|純公《すみこう》の|奴《やつ》|三千年《さんぜんねん》の|沈黙《ちんもく》を|破《やぶ》つてシヤシヤり|出《だ》したなア。|沈黙《ちんもく》|々々《ちんもく》』
といひ|乍《なが》ら、|玉国別《たまくにわけ》を|先頭《せんとう》に|一足《ひとあし》|々々《ひとあし》|爪先《つまさき》に|力《ちから》を|入《い》れて|降《くだ》り|行《ゆ》く。|伊太公《いたこう》は|足《あし》をチガチガさせ|乍《なが》ら、|又《また》もや|沈黙《ちんもく》の|封《ふう》じ|目《め》が|切《き》れて、|雲雀《ひばり》のやうに|囀《さへづ》り|出《だ》した。
『|玉国別《たまくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》 |此《この》|急坂《きふはん》を|下《くだ》る|時《とき》や
|決《けつ》して|頤《あご》を|叩《たた》くなと |誠《まこと》に|厳《きび》しき|御命令《ごめいれい》
さはさり|乍《なが》ら|伊太《いた》さまは |足《あし》の|痛《いた》みに|堪《た》へかねて
どしても|沈黙《ちんもく》|守《まも》れない ウンウンウンウン アイタタツタ
|痛《いた》いわいな|痛《いた》いわいな|痛《いた》いわいな そんなに|痛《いた》くば|一寸《ちよつと》ぬかうか
イエイエさうではないわいな |朝《あさ》から|晩《ばん》まで|居《ゐ》たいわいな
アイタタタツターアイタタツタ |板《いた》を|立《た》てたよな|坂路《さかみち》に
|尖《とが》つた|小石《こいし》がガラガラと おれを|倒《たふ》さうと|待《ま》つてゐる
|此奴《こいつ》あヤツパリ|月《つき》の|国《くに》 |大黒主《おほくろぬし》の|眷族《けんぞく》が
|玉国別《たまくにわけ》の|征途《せいと》をば |邪魔《じやま》してやらむと|待《ま》ち|構《かま》へ
|小石《こいし》に|化《ば》けて|居《ゐ》るのだろ コリヤコリヤ|道公《みちこう》|気《き》をつけよ
これ|程《ほど》キツい|道公《みちこう》の どうまん|中《なか》にガラクタの
|腐《くさ》つた|石《いし》めが|並《なら》んでる これはヤツパリ|道公《みちこう》の
|身魂《みたま》の|性来《しやうらい》が|現《あら》はれて |道《みち》にさやるに|違《ちがひ》ない
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 ガラガラガラガラ アイタヽツタ
それそれ|俺《おれ》をばこかしよつた |向脛《むかふづね》すりむ【いた】|其《その》|上《うへ》に
|又《また》もやおけつをすりむ【いた】 |前《まへ》と|後《うしろ》に|傷《きず》をうけ
どうしてこんな|急坂《きふはん》が さう|易々《やすやす》とテクられよか
|向《むか》ふの|空《そら》を|眺《なが》むければ |又《また》もや|怪《あや》しい|雲《くも》が|出《で》た
あの|一塊《いつくわい》の|妖雲《えううん》は |風《かぜ》の|鞴《ふいご》に|違《ちがひ》ない
|皆《みな》さま|気《き》をつけなされませ |又《また》もや|前《さき》のよな|烈風《れつぷう》が
|吹《ふ》いて|来《き》たなら|何《なん》としよう |空中滑走《くうちうくわつそう》の|曲芸《きよくげい》を
|演《えん》じて|谷間《たにま》へ|転落《てんらく》し |頭《あたま》も|手足《てあし》もメチヤメチヤに
|木端微塵《こつぱみじん》となるだらう |思《おも》へば|思《おも》へば|此《この》|峠《たうげ》
|劔《つるぎ》の|山《やま》か|針《はり》の|山《やま》 |血《ち》を|見《み》にやおかぬと|見《み》えるわい
|旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|星《ほし》は|天《てん》より|落《お》つるとも |海《うみ》はあせなむ|世《よ》ありとも
|神《かみ》の|恵《めぐみ》のある|限《かぎ》り |怪我《けが》なく|此《この》|山《やま》スクスクと
|通《とほ》らせ|玉《たま》へ|伊太公《いたこう》が ウントコドツコイ、アイタタツタ
|又々《またまた》|石《いし》に|躓《つまづ》いた |神《かみ》も|仏《ほとけ》もないのかと
|心《こころ》|淋《さび》しくなつて|来《き》た こんな|事《こと》だと|知《し》つたなら
お|供《とも》をするのぢやなかつたに コラコラ|道公《みちこう》|純公《すみこう》よ
|貴様《きさま》は|唖《おし》になつたのか |俺《おれ》ばつかりに|物《もの》|言《い》はせ
|返答《へんたふ》せぬとは|余《あま》りぞよ オツト|待《ま》て|待《ま》てコリヤ|違《ちが》うた
|玉国別《たまくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》 |篏口令《かんこうれい》をウントコシヨ
|布《し》かれたことをウントコシヨ サツパリ|忘《わす》れて|居《を》りました
|広《ひろ》き|心《こころ》の|神直日《かむなほひ》 |大直日《おほなほひ》にと|見直《みなほ》して
どうぞお|赦《ゆる》し|下《くだ》さんせ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|叶《かな》はぬ|時《とき》の|神頼《かみだの》み チツとは|聞《き》いてくれるだろ
コリヤ|又《また》きつい|坂《さか》だなア アイタタタツタ|又《また》こけた』
と|言《い》ひながら、|河鹿峠《かじかたうげ》の|大曲《おほまが》りの|山《やま》の|懐《ふところ》に|進《すす》んだ。|天地《てんち》もわるる|許《ばか》りの|強風《きやうふう》、|又《また》もや|猛然《まうぜん》として|吹起《ふきおこ》り、|流石《さすが》の|玉国別《たまくにわけ》も|最早《もはや》|一歩《いつぽ》も|進《すす》む|能《あた》はず、|木《き》の|根《ね》にしがみつき、|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し|乍《なが》ら、|風《かぜ》の|渡《わた》り|行《ゆ》くを|待《ま》つ|事《こと》とした。|三人《さんにん》も|玉国別《たまくにわけ》に|傚《なら》つて、|木《き》の|根《ね》にしがみつき、ふるひふるひ|目《め》をつぶつて、|風《かぜ》の|過《す》ぐるのを|待《ま》つてゐる。
(大正一一・一一・二六 旧一〇・八 松村真澄録)
第二章 |懐谷《ふところだに》〔一一五三〕
|河鹿峠《かじかたうげ》の|岩石《がんせき》も |草木《くさき》も|残《のこ》らず|飛《と》び|散《ち》れと
|云《い》はむばかりに|吹《ふ》きまくる |大山嵐《おほやまあらし》に|進《すす》みかね
|玉国別《たまくにわけ》の|一行《いつかう》は |道《みち》の|傍《かたへ》の|木々《きぎ》の|根《ね》を
シツカと|掴《つか》み|打伏《うちふ》して |風《かぜ》の|過《す》ぐるを|待《ま》ち|居《ゐ》たり
|一時二時《ひとときふたとき》はや|三時《みとき》 |待《ま》てども|止《や》まぬ|暴風《あらかぜ》は
|虎《とら》|狼《おほかみ》の|吼《ほ》ゆるごと |呻《うな》りを|立《た》てて|吹《ふ》きつける
|日《ひ》は|西山《せいざん》に|傾《かたむ》いて |黒白《あやめ》も|分《わか》ぬ|真《しん》の|暗《やみ》
|茲《ここ》に|四人《よにん》の|一行《いつかう》は |施《ほどこ》す|術《すべ》もなきままに
|是非《ぜひ》なく|一夜《ひとよ》を|明《あ》かしけり |丑満《うしみつ》|過《す》ぐる|時《とき》もあれ
さしもに|烈《はげ》しき|科戸辺《しなどべ》の |神《かみ》は|漸《やうや》く|休戦《きうせん》の
|喇叭《ラツバ》を|吹《ふ》いて|鎮《しづ》まりぬ |玉国別《たまくにわけ》の|一行《いつかう》は
|初《はじ》めて|胸《むね》を|撫《な》で|下《おろ》し |心《こころ》を|定《さだ》めて|夜明《よあ》けまで
やすやす|眠《ねむ》りに|就《つ》きにける。
|玉国別《たまくにわけ》|一行《いつかう》は|漸《やうや》く|烈風《れつぷう》の|静《しづ》まりしに|胸《むね》|撫《な》で|下《お》ろし|四辺《あたり》を|見《み》れば、|真黒《しんこく》の|暗《やみ》の|帳《とばり》は|眼前《がんぜん》|迄《まで》|濃《こまやか》に|包《つつ》んでゐる。|已《や》むを|得《え》ず|度胸《どきよう》を|定《さだ》め|道側《みちばた》に|蓑《みの》を|布《し》き|夜《よ》の|明《あ》くるを|待《ま》つこととした。|不図《ふと》|目《め》を|覚《さま》せばホンノリとそこら|中《ぢう》が|明《あかる》くなつて|居《ゐ》る。|道公《みちこう》は|目《め》を|擦《こす》り|乍《なが》ら、
『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、どうやら|夜《よ》が|明《あ》けたやうです。|昨日《さくじつ》は|肝腎《かんじん》の|門出《かどで》の|日《ひ》であるにも|拘《かか》はらず、|暴風《ばうふう》|襲来《しふらい》で|大変《たいへん》に|吾々《われわれ》を|面喰《めんくら》はせたぢやありませぬか。あんな|悪日《あくび》は|何卒《どうぞ》|続《つづ》かない|様《やう》にして|欲《ほ》しいものですな。|今日《けふ》は|新《あたら》しい|日天様《につてんさま》がお|出《で》ましになつたら|一同《いちどう》が|充分《じゆうぶん》にお|願《ねがひ》を|致《いた》しませうか』
|玉国別《たまくにわけ》『どうやら|今日《けふ》も|風模様《かぜもやう》らしい。あんまり、|仕様《しやう》もない|事《こと》を|喋《しやべ》り|立《た》てるものだから、|大神様《おほかみさま》のお|戒《いまし》めに|会《あ》うたのだ。これからは|各自《めいめい》に|口《くち》を|慎《つつし》まねばならないぞ。|言霊《ことたま》の|幸《さちは》ふ|国《くに》だから、|天地《てんち》が|曇《くも》るのも、|風《かぜ》が|吹《ふ》くのも、|大洪水《だいこうずゐ》が|出《で》るのも、みんな|人間《にんげん》|共《ども》の|言霊《ことたま》が|悪《わる》いからだ。|吾々《われわれ》は|言霊《ことたま》を|以《もつ》て、あらゆる|枉津神《まがつかみ》を|言向和《ことむけやは》す|大使命《だいしめい》を|持《も》つて|居《ゐ》るのだから、|仮《かり》にも|縁起《えんぎ》の|悪《わる》い|事《こと》は|云《い》はないが|宜《い》いぞ』
|道彦《みちひこ》『さうですな、|伊太公《いたこう》の|奴《やつ》、しようもない|脱線《だつせん》だらけの|宣伝歌《せんでんか》を|得意《とくい》らしく|大風《おほかぜ》の|向《むか》ふを|張《は》つて|吹立《ふきた》てよるものだから|神罰《しんばつ》が|当《あた》つて、|門出《かどで》の|血祭《ちまつ》りに|向脛《むかふづね》を|擦《す》り|剥《む》き、|赤《あか》い|血《ち》を|出《だ》したのです。|大体《だいたい》|二人連《ふたりづ》れとか|三人連《さんにんづ》れとかなら|宜《よ》かつたでせうが、|一行《いつかう》|四人連《しにんづ》れと|云《い》ふのですから、あまり|縁起《えんぎ》の|宜《よ》い|事《こと》もありませぬわい』
|玉国別《たまくにわけ》『コリヤコリヤ|道公《みちこう》、お|前《まへ》こそ|言霊《ことたま》が|悪《わる》いぢやないか、|四人《しにん》なんて、しようもない|事《こと》を|云《い》ふな、|何是《なぜ》|四人《よにん》と|云《い》はぬのだ』
|道公《みちこう》『|四人《よにん》と|云《い》へば|余《あま》つた|人《ひと》の|様《やう》で|尚更《なほさら》|縁起《えんぎ》が|悪《わる》いぢやありませぬか。|私《わたし》だつて|決《けつ》して|余《あま》り|人間《にんげん》ぢやありませぬ。やつぱり|一人前《いちにんまへ》の|裸百貫《はだかひやくくわん》の|色男《いろをとこ》ですからな』
|玉国別《たまくにわけ》『あれを|見《み》よ、|丑寅《うしとら》の|空《そら》に|怪《あや》しい|黒雲《くろくも》が|出《で》た、あれは|風玉《かぜだま》だ。あいつが|一《ひと》つ|吹《ふ》きつけて|来《こ》ようものなら|昨夜《さくや》の|烈風《れつぷう》どころぢやない。|早《はや》く|行進《かうしん》を|続《つづ》けて|河鹿峠《かじかたうげ》の|懐谷《ふところだに》まで|到着《たうちやく》し、|暫《しばら》く|避難《ひなん》をしようではないか。サア|行《ゆ》かう』
とスツクと|立《た》ち|上《あが》り|慌《あわただ》しく|蓑《みの》を|着《ちやく》し|笠《かさ》を|手《て》にシツカと|握《にぎ》り|杖《つゑ》をつきながら、|急坂《きふはん》を|下《くだ》りつつ、|懐《ふところ》より|麺麭《パン》を|出《だ》してかじりつつ|行《ゆ》く。|漸《やうや》くにして|河鹿峠《かじかたうげ》の|下《くだ》り|坂《ざか》の|中《なか》|程《ほど》の|懐谷《ふところだに》と|云《い》ふ|南向《みなみむ》きの、こんもりとした|日当《ひあた》りのよき|谷間《たにあひ》へ|着《つ》いた。|此《この》|箇所《かしよ》は|山道《やまみち》の|一丁《いつちやう》ばかり|上《かみ》である。|玉国別《たまくにわけ》|一行《いつかう》は|漸《やうや》く|此処《ここ》に|到着《たうちやく》し|蓑《みの》を|敷《し》き|風《かぜ》の|通過《つうくわ》するのを|待《ま》つ|事《こと》とした。
|河鹿峠《かじかたうげ》に|群棲《ぐんせい》する|沢山《たくさん》の|尾長猿《をながざる》は|暴風《ばうふう》の|襲来《しふらい》を|前知《ぜんち》して|何《いづ》れも|此《この》|懐谷《ふところだに》を|屈竟《くつきやう》の|避難所《ひなんじよ》として|幾千《いくせん》とも|知《し》れぬ|程《ほど》|集《あつま》つて|来《き》た。さうして|玉国別《たまくにわけ》|一行《いつかう》の|姿《すがた》を|見《み》て|驚《おどろ》いたと|見《み》え、|四五間《しごけん》ばかり|近寄《ちかよ》り|周囲《ぐるり》をアトラス|形《がた》に|取《とり》まいてキヤツキヤツと|目《め》を|剥《む》き|牙《きば》をならし|啼《な》き|叫《さけ》んでゐる。
|道公《みちこう》は|数千匹《すうせんびき》の|猿《さる》に|囲《かこ》まれたのを|見《み》て、
『|何《なん》とマア|沢山《たくさん》な|庚申《かうしん》の|眷族《けんぞく》だのう。|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|人間《にんげん》に|能《よ》う|似《に》た|姿《すがた》をして|赤《あか》い|顔《かほ》で|吾々《われわれ》を|護衛《ごゑい》してゐる。|此奴《こいつ》もやつぱり|風《かぜ》の|神《かみ》が|恐《こは》いと|見《み》えて|此処《ここ》へ|避難《ひなん》して|来《き》たと|見《み》えるわい。|庚申《かうしん》の|眷族《けんぞく》は|猿《さる》と|云《い》ふ|事《こと》だが|庚申《かうしん》と|云《い》ふ|奴《やつ》は|風《かぜ》を|引《ひ》かす|神《かみ》だ。|庚申《かうしん》の|晩《ばん》に|風邪《ふうじや》に|罹《かか》ると|次《つぎ》の|庚申《かうしん》の|日《ひ》まで|本復《ほんぷく》せぬと|云《い》ふ|事《こと》だが、ヤツパリ|眷族《けんぞく》だけで|風《かぜ》に|恐《おそ》れて|此処《ここ》まで|陣《ぢん》を|引《ひ》いたのだなア。エー、キヤツキヤツと|八釜《やかま》しう|吐《ぬ》かすな、|耳《みみ》が|聾《つんぼ》になつて|了《しま》ふわい。|亡国的《ばうこくてき》の|悲調《ひてう》を|帯《お》びた|哀音《あいおん》を|共唱《きようしやう》しよつてアタ|縁起《えんぎ》の|悪《わる》い。むかつく|代物《しろもの》だなア』
|玉国別《たまくにわけ》『アハヽヽヽまたしても、はつしやぎ|出《だ》したな。アヽ|困《こま》つた|男《をとこ》を|連《つ》れて|来《き》たものだ。おい|道公《みちこう》、お|前《まへ》の|口《くち》は|身体《からだ》より|三千年《さんぜんねん》ばかり|前《さき》へ|生《うま》れてると|見《み》えるな』
|道公《みちこう》『|三千年前《さんぜんねんさき》へ|口《くち》が|生《うま》れるから|三千口《みちこう》と|申《まを》すのです。アハヽヽヽ|三千世界《さんぜんせかい》を|立直《たてなほ》す|宣伝使《せんでんし》のお|供《とも》には|誂《あつら》へ|向《むき》でせう。それ|道《みち》の|以《もつ》て|道《みち》とすべきは|真《しん》の|道《みち》に|非《あら》ず。|道《みち》とせざる|所《ところ》に|真《しん》の|道《みち》あり。|三千年《みちとせ》の|御艱難《ごかんなん》|御苦労《ごくらう》の|神徳《しんとく》|現《あら》はれて|天地《てんち》の|間《あひだ》に|充《み》ち|満《み》ちにけり。…|奥山《おくやま》に|紅葉《もみぢ》は|照《て》れど|道《みち》なくば|如何《いか》でか|人《ひと》の|訪《と》ひ|来《きた》るべき…と|申《まを》しましてな、|世《よ》の|中《なか》に|何《なに》が|大切《たいせつ》だと|云《い》つても|道《みち》|位《くらゐ》|大切《たいせつ》なものはありませぬよ。|道《みち》といふ|字《じ》はコトバと|読《よ》みませう。|神《かみ》の|教《をしへ》に「|太初《はじめ》に|道《ことば》あり。|道《ことば》は|神《かみ》なり、|神《かみ》は|道《ことば》と|偕《とも》にあり。|万物《ばんぶつ》これによつて|造《つく》らる。|総《すべ》て|世《よ》の|中《なか》の|造《つく》られたるもの|一切《いつさい》は|道《ことば》によりて|造《つく》られざるはなし」とチヤンと|神訓《しんくん》に|現《あら》はれてゐませう。それだから|此《この》|道公《みちこう》は|神《かみ》の|道《みち》にはなくてはならぬ|人物《じんぶつ》ですよ。|役者《やくしや》の|子《こ》が|大根《だいこん》を|喰《く》はぬのも|道《みち》の|為《ため》、|浄瑠璃家《じやうるりがたり》の|子《こ》が|根深《ねぶか》を|食《く》はぬのもやつぱり|道《みち》のためですからな。アハヽヽヽ』
|伊太公《いたこう》『モシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|神様《かみさま》の|教《をしへ》には|神《かみ》も|仏事《ぶつじ》も|人民《じんみん》も|鳥類《てうるゐ》|畜類《ちくるゐ》|虫族《むしけら》|迄《まで》も|助《たす》けるとお|示《しめ》しになつてゐるぢやありませぬか。これ|丈《だ》け|沢山《たくさん》に|庚申《かうしん》の|眷族《けんぞく》が|吾々《われわれ》の|尊《たふと》い|言霊《ことたま》を|聞《き》かして|貰《もら》はうと|思《おも》つて|集《あつ》まつて|来《き》たのですから、|一《ひと》つ|広大無辺《くわうだいむへん》の|御神徳《ごしんとく》の|籠《こも》つた|言霊《ことたま》を|振舞《ふれま》つてやつたらどんな|物《もの》でせうなア』
|玉国別《たまくにわけ》『ウン』
|道公《みちこう》『オイ、|伊太公《いたこう》、|措《お》け|措《お》け。|貴様《きさま》の|宣伝歌《せんでんか》にはウンザリして|了《しま》つた。|又《また》|足曳《あしびき》の|山道《やまみち》で|向脛《むかふづね》を|擦《す》り|剥《む》いて|泡《あわ》を|吹《ふ》く|位《くらゐ》がおちだから』
|伊太公《いたこう》『|向《むか》ふの|脛《すね》ならチツとも|痛《いた》くないが、やつぱり|己《おれ》の|脛《すね》だから|一寸《ちよつと》は|困《こま》る。|然《しか》し|乍《なが》ら|前車《ぜんしや》の|覆《くつが》へるは|後車《こうしや》の|警《いまし》めと|云《い》ふ|聖訓《せいくん》を|体得《たいとく》した|伊太公《いたこう》だ。|先《さき》の|失敗《しつぱい》に|懲《こ》りて|今度《こんど》はあんなヘマな|事《こと》はやらぬ|積《つも》りだ。|今度《こんど》こそ|本真剣《ほんしんけん》に|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ふから|謹《つつし》んで|聞《き》け。|初《はじ》めから|馬鹿《ばか》にしてかかられると|根《ね》つから|気乗《きの》りがせぬので|碌《ろく》な|歌《うた》も|歌《うた》へぬぢやないか。エーン』
|道公《みちこう》『さう|偉相《えらさう》に|法螺《ほら》を|吹《ふ》くのなら、|一《ひと》つ|立派《りつぱ》な|宣伝歌《せんでんか》を|奏上《そうじやう》して|見《み》よ』
|伊太公《いたこう》『|俺《おれ》の|宣伝歌《せんでんか》は|今度《こんど》はとつときの|特別《とくべつ》|上等品《じやうとうひん》だ。|山河草木《さんかさうもく》|其《その》|声《こゑ》に|従《したが》ふと|云《い》ふ|生言霊《いくことたま》の|発射《はつしや》だから|用心《ようじん》せないと|千里側《せんりわき》へ|吹《ふ》き|飛《と》ばされて|了《しま》ふぞ。かう|云《い》つても|俺《おれ》の|決《けつ》して|法螺《ほら》でも|自慢《じまん》でもないから|真面目《まじめ》に|聞《き》かうよ。オイ、|純公《すみこう》も|心《こころ》を|清《きよ》め|耳《みみ》を|洗《あら》つて|拝聴《はいちやう》しろ。|抑《そもそ》も|言霊《ことたま》の|権威《けんゐ》と|云《い》ふものは|鬼神《きしん》を|泣《な》かしむる|豪勢《がうせい》なものだ。かうして|宣伝使《せんでんし》のお|供《とも》を|命《めい》ぜられたのも|一方《いつぱう》より|見《み》れば|言霊《ことたま》の|練習《れんしふ》をして|将来《しやうらい》|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》になるためだ。|然《しか》し|乍《なが》ら|貴様《きさま》の|様《やう》な|仕入物《しいれもの》では|到底《たうてい》|満足《まんぞく》な|宣伝使《せんでんし》にはなれないよ。|総《すべ》て|人間《にんげん》は|天才《てんさい》が|手伝《てつだ》はねば|駄目《だめ》だからな』
|道公《みちこう》『|天才《てんさい》が|聞《き》いて|呆《あき》れるわい。|貴様《きさま》が|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ふと|天地《てんち》の|大神様《おほかみさま》が|怒《いか》りを|発《はつ》し|給《たま》ひ|忽《たちま》ち|天災《てんさい》を|下《くだ》し|給《たま》ふから|困《こま》つた|天才《てんさい》だ。アハヽヽヽ、エー|猿《さる》の|奴《やつ》、キヤツ キヤツ|吐《ぬか》しよつて|根《ね》つから|俺《おれ》の|言霊《ことたま》が|不貫徹《ふくわんてつ》に|終《をは》りさうだ。こんな|処《ところ》で|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》する|馬鹿《ばか》があるかい。|貴様《きさま》は|機《き》を|見《み》る|事《こと》を|知《し》らないから|駄目《だめ》だ』
|伊太公《いたこう》『エヘン、|機《き》に|臨《のぞ》み|変《へん》に|応《おう》ずるは|天才《てんさい》|智者《ちしや》の|敢《あへ》てよくする|所《ところ》、|迂愚者《うぐしや》の|測知《そくち》し|得《う》る|限《かぎ》りでない。サア|之《これ》から|庚申《かうしん》の|眷族《けんぞく》に|向《むか》つて|生言霊《いくことたま》の|連発銃《れんぱつじう》を|発射《はつしや》するのだ。いいか、|用心《ようじん》して|居《を》らぬと|昨夜《ゆうべ》の|烈風《れつぷう》の|様《やう》に|吹《ふ》き|飛《と》ばされて|終《しま》ふぞ』
|道公《みちこう》『|足曳《あしびき》の|山鳥《やまどり》の|尾《を》の、|又《また》しても|長々《ながなが》しい|前口上《まへこうじやう》だなア。いい|加減《かげん》に|発射《はつしや》して|見《み》ろ』
|伊太公《いたこう》『かう|尾長猿《をながざる》の|奴《やつ》、|身辺《しんぺん》|近《ちか》く|押寄《おしよ》せ|来《きた》つてはチツとばかり|面食《めんくら》はざるを|得《え》ない。|吾輩《わがはい》の|言霊《ことたま》を|以《もつ》て|一丁《いつちやう》ばかり|退却《たいきやく》をさして|見《み》せるから|伊太公《いたこう》の|腕前《うでまへ》、|否《いな》|言霊《ことたま》の|武者振《むしやぶり》を|拝観《はいくわん》|拝聴《はいちやう》なされませ、エヘン。
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |玉国別《たまくにわけ》の|音彦《おとひこ》に
|従《したが》ひ|来《きた》りし|吾々《われわれ》は |至《いた》つて|尊《たふと》い|伊太公《いたこう》ぞ
|神《かみ》も|仏《ほとけ》も|人民《じんみん》も |禽獣虫魚《きんじうちうぎよ》の|端《はし》までも
|生言霊《いくことたま》の|神力《しんりき》に |助《たす》けて|進《すす》む|宣伝使《せんでんし》
オツトドツコイ|吾々《われわれ》は |神《かみ》の|司《つかさ》の|候補者《こうほしや》ぞ
|庚申《かうしん》さまの|眷族《けんぞく》よ |貴様《きさま》は|風《かぜ》が|恐《こは》いのか
|懐谷《ふところだに》へ|集《あつま》つて キヤツキヤツと|咆《ほ》えるは|何《なん》の|事《こと》
みつともないぞ、こら|畜生《ちくしやう》 |四《よ》つ|手《で》の|化物《ばけもの》やうやうと
|枝《えだ》から|枝《えだ》へと|飛《と》び|廻《まは》り |木《こ》の|実《み》を|喰《くら》ひキヤツキヤツと
|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|咆《ほ》え|猛《たけ》る その|有様《ありさま》の|面白《おもしろ》さ
あんまり|良《よ》い|気《き》になりよると |猿《ましら》も|木《き》からバツサリと
|落《お》ちて|腰《こし》|打《う》ち|足《あし》を|折《を》り |小便《せうべん》|垂《た》れて|斃死《くたば》つて
|非業《ひごう》の|最後《さいご》を|遂《と》げるぞよ |俺《おれ》は|誠《まこと》の|神司《かむづかさ》
|尊《たふと》き|神《かみ》の|生宮《いきみや》ぞ |俺《おれ》の|言葉《ことば》をよつく|聞《き》け
|同《おな》じ|天地《てんち》に|生《うま》れ|来《き》て |人間《にんげん》|擬《まが》ひの|猿《さる》となり
|頭《かみ》の|毛《け》|三本《さんぼん》|足《た》らぬため |畜生《ちくしやう》の|境遇《きやうぐう》に|甘《あま》んじて
|月日《つきひ》を|送《おく》るか|情《なさけ》ない |頭《かみ》の|毛《け》|三本《さんぼん》|足《た》らぬのは
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|神様《かみさま》の |御恩《ごおん》を|忘《わす》れた|罰《ばち》ぢやぞや
|早《はや》く|心《こころ》を|取直《とりなほ》し |天地《てんち》の|神《かみ》の|御前《おんまへ》に
|四《よ》つ|手《で》をついて|拝礼《はいれい》し |生宮様《いきみやさま》の|言霊《ことたま》を
|耳《みみ》をすませて|拝聴《はいちやう》し |一時《いちじ》も|早《はや》く|人間《にんげん》の
|社会《しやくわい》に|生《うま》れて|来《く》るがよい |人《ひと》の|真似《まね》をば|喜《よろこ》んで
|致《いた》した|罰《ばち》で|此《この》|通《とほ》り |体《からだ》は|人間《にんげん》|尾《を》は|獣《けもの》
|畜生道《ちくしやうだう》の|苦《くる》しみを |助《たす》けて|欲《ほ》しいと|思《おも》はぬか
こらこらキヤツキヤツ|吐《ぬか》すなよ |耳《みみ》が|聾《つんぼ》になりよるわ
|雲雀《ひばり》か|燕《つばめ》か|小雀《こすずめ》か |何《なん》の|身霊《みたま》か|知《し》らねども
あんまり|口《くち》が|過《す》ぎるぞや |玉国別《たまくにわけ》のお|言葉《ことば》に
|沈黙《ちんもく》せよと|仰有《おつしや》つた |貴様《きさま》もチツとは|伊太公《いたこう》の
|善言美口《ぜんげんびこう》に|神習《かむなら》ひ しばらく|沈黙《ちんもく》するがよい
|伊太公《いたこう》さまが|今《いま》|此処《ここ》に |千匹猿《せんびきざる》に|打向《うちむか》ひ
|篏口令《かんこうれい》を|布《し》くほどに |我《わが》|憲法《けんぱふ》を|守《まも》らねば
|天則違反《てんそくゐはん》で|天国《てんごく》の |畜生《ちくしやう》|警察《けいさつ》へ|訴《うつた》へる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |如何《いか》に|畜生《ちくしやう》と|云《い》ひ|乍《なが》ら
|天地《てんち》の|神《かみ》の|御水火《みいき》より |生《うま》れ|出《いで》たる|貴様等《きさまら》は
|実《じつ》に|憐《あは》れな|代物《しろもの》だ |一言《いちげん》|天地《てんち》を|震動《しんどう》し
|一声《いつせい》|風雨雷霆《ふううらいてい》を |叱咤《しつた》するてふ|伊太公《いたこう》の
|生言霊《いくことたま》を|謹《つつし》んで |畜生《ちくしやう》ながらも|反省《はんせい》せよ
|吾《われ》は|救《すく》ひの|道《みち》の|者《もの》 |救《すく》ひの|神《かみ》に|捨《す》てられて
|如何《いか》にガヤガヤ|騒《さわ》いでも |決《けつ》して|助《たす》かる|筈《はず》はない
|早《はや》く|改心《かいしん》するが|良《よ》い |改心《かいしん》すれば|其《その》|日《ひ》から
|楽《らく》に|此《この》|世《よ》が|暮《く》れるぞよ それも|知《し》らずに|何時迄《いつまで》も
キヤツキヤツ|吐《ぬ》かして|山棲《やまずま》ひ |木実《このみ》の|蔕《へた》や|渋柿《しぶがき》を
|食《くら》つて|此《この》|世《よ》を|送《おく》るとは |実《じつ》に|可憐相《かはいそ》な|代物《しろもの》だ
とは|云《い》ふものの|吾々《われわれ》も |人間界《にんげんかい》に|向《むか》つては
|大《おほ》きな|声《こゑ》で|言霊《ことたま》を |発射《はつしや》するやうな|力《ちから》ない
|今日《けふ》|宣伝《せんでん》の|門出《かどいで》に |演習《えんしふ》|気取《きど》りで|貴様等《きさまら》に
|言霊戦《ことたません》を|試《こころ》みた これが|利《き》いたらお|慰《なぐさ》み
|人《ひと》を|助《たす》けるばつかりが |決《けつ》して|司《つかさ》の|能《のう》ぢやない
|鳥《とり》|獣《けだもの》は|云《い》ふも|更《さら》 |虫族《むしけら》までも|済度《さいど》して
|助《たす》けて|行《ゆ》くのが|神《かみ》の|道《みち》 これこれもうし|宣伝使《せんでんし》
|玉国別《たまくにわけ》の|神司《かむづかさ》 |俺《わし》の|言葉《ことば》は|違《ちが》ひますか
|違《ちが》ふなら|違《ちが》ふと|云《い》ひなされ あれあれ|皆《みな》さま|猿公《えてこう》が
|両手《りやうて》を|合《あは》せ|拝《をが》みよる よつぽど|俺《わし》の|言霊《ことたま》は
|猿公《さるこう》さまの|琴線《きんせん》に よくよく|触《ふ》れたと|見《み》えまする
|如何《いか》に|畜生《ちくしやう》なればとて |決《けつ》して|馬鹿《ばか》にはなりませぬ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |叶《かな》はないから|止《や》めませう』
|道公《みちこう》『アハヽヽヽ|貴様《きさま》の|言霊《ことたま》はよく|利《き》くと|見《み》えて、おひおひ|吾々《われわれ》の|身辺《しんぺん》に|押寄《おしよ》せて|来《く》るぢやないか』
|伊太公《いたこう》『きまつた|事《こと》だ。|余《あんま》り|有難《ありがた》うて|一言《いちごん》も|洩《も》らさじと|俺《おれ》の|言霊《ことたま》を|拝聴《はいちやう》してゐるのだ。「|苦《くる》しうない、|近《ちか》う|近《ちか》う」と|云《い》ひもせぬのに|身辺《しんぺん》に|近寄《ちかよ》つて|来《く》るのだから|伊太公《いたこう》の|初宣伝《はつせんでん》も|随分《ずゐぶん》|有力《いうりよく》なものだ』
|道公《みちこう》『|目的《もくてき》と|結果《けつくわ》がそれでも|違《ちが》ふぢやないか』
|伊太公《いたこう》『そんなら|貴様《きさま》、|猿公《ゑんこう》を|退却《たいきやく》させて|見《み》い。もし|効能《かうのう》があつたら|俺《おれ》の|首《くび》でも|熨斗《のし》つけて|貴様《きさま》に|献上《けんじやう》するわい』
|玉国別《たまくにわけ》『|猿《さる》の|奴《やつ》も|随分《ずゐぶん》|八釜《やかま》しいが、それにもいやまして|貴様等《きさまら》も|騒《さわ》がしい|奴《やつ》だな。まるで|雷《かみなり》と|同居《どうきよ》してる|様《やう》だ。アハヽヽヽ』
(大正一一・一一・二六 旧一〇・八 北村隆光録)
第三章 |失明《しつめい》〔一一五四〕
|伊太公《いたこう》の|膏汗《あぶらあせ》を|流《なが》しての|飛《と》び|切《き》り|上等《じやうとう》|舶来《はくらい》と|称《しよう》する|宣伝歌《せんでんか》も|寸効《すんかう》なく|尾長猿《をながざる》、|手長猿《てながざる》の|群《むれ》は|時々刻々《じじこくこく》に|其《その》|数《すう》を|増《ま》し、チクリチクリと|一行《いつかう》の|身辺《しんぺん》に|押《お》し|寄《よ》せ|来《きた》る。
|道公《みちこう》『オイ|俄宣伝使《にはかせんでんし》の|伊太公《いたこう》、|偉《えら》さうに|仰有《おつしや》つたが、|根《ね》つから|言霊《ことたま》は|利《き》いたやうにないぢやありませぬか。|猿《さる》の|人真似《ひとまね》をして|掻《か》き|廻《まは》すものだからサツパリ|猿公《ゑんこう》、|立《た》ち|去《さ》る|気配《けはい》も【トン】とないぢやないか、|猿智慧奴《さるぢゑやつこ》さん』
|伊太公《いたこう》『|暫《しばら》く|吾輩《わがはい》に|与《あた》ふるに|時《とき》をもつてせよぢや……「|猿冠者《さるくわんじや》の|猿智慧《さるぢゑ》と|聞《き》きしに|勝《まさ》る|真柴久吉《ましばひさよし》」だ……おれや【|太閤《たいかう》】さまぢやぞ、「【|大功《たいこう》】は【|細瑾《さいきん》】を|顧《かへり》みず」だ、なんぼ|猿公《ゑんこう》が【|最近《さいきん》】へ|寄《よ》せて|来《き》ても|顧《かへり》みないと|云《い》ふのが|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》の|心事《しんじ》だ』
|道公《みちこう》『どれ|此《こ》の|道公《みちこう》が|一《ひと》つ|猿《さる》に|道《みち》を|伝《つた》へ|血路《けつろ》を|聞《き》かしてやらう。|貴様《きさま》のやり|方《かた》とは|些《ちつ》と|製造法《せいざうはふ》が|違《ちが》ふのだからよく|聞《き》いたらよからう、|猿《さる》とは|猿《さる》とは|困《こま》つた|代者《しろもの》だな。|今年《ことし》は|庚申《かうしん》の|年《とし》だから、さう|猿《さる》をボロクソに|云《い》つては|猿公《さるこう》だつて|承知《しようち》しないぞ。|今年《ことし》は|吾々《われわれ》も|猿公《さるこう》さまの|御守護《ごしゆご》を|受《う》けて|居《ゐ》るのぢやからなア。さうして|俺《おれ》も|申《さる》の|年《とし》の|申《さる》の|月《つき》の|申《さる》の|日《ひ》の|申《さる》の|刻《こく》に|生《うま》れたのだからなア、|四輪《しりん》|揃《そろ》うた|道公《みちこう》ぢや、|三輪《さんりん》|揃《そろ》うたら|天下《てんか》の|長者《ちやうじや》になると|云《い》ふ|位《くらゐ》だのに、|此《この》|方《はう》は|猿《さる》が|四《よつ》つも|揃《そろ》うて、「サル|者《もの》あり」と|生《うま》れて|来《き》た|俺《おれ》ぢやから、|猿《さる》だつて|全然《ぜんぜん》|他人《たにん》ぢやない。きつと|降服《かうふく》して|此《この》|場《ば》を|立《た》ち【|去《さ》る】にきまつて|居《ゐ》るわい。ナア|玉国別《たまくにわけ》|様《さま》あんな|仕様《しやう》もない|歌《うた》を|歌《うた》つたつて、|如何《いか》に|畜生《ちくしやう》だつて【|去《さ》る】ものですか、どうぞ|私《わたし》に|一《ひと》つ|特別製《とくべつせい》の|意匠《いしやう》|登録《とうろく》を|得《え》た|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》はして|下《くだ》さいな』
|玉国別《たまくにわけ》『|待《ま》て|待《ま》て、お|前達《まへたち》は|猿智慧《さるぢゑ》だから|困《こま》る。|俺《おれ》が|一《ひと》つ|此処《ここ》で|訓戒《くんかい》をするから、それをよく|腹《はら》へ|入《い》れて|其《その》|上《うへ》で|何《なん》とか|考《かんが》へたら|宜《よ》からう。
|第一《だいいち》、|未申《ひつじさる》の|金神《こんじん》|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|御教《みをしへ》を|忘《わす》れ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|汝《なんぢ》が|心《こころ》の|垢《あか》を【さる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|邪悪《じやあく》|分子《ぶんし》を|根底《こんてい》より【さる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|総《すべ》ての|悪事《あくじ》|災難《さいなん》を|払《はら》ひ【さる】については|大《おほい》に|神心《かみごころ》に|帰《かへ》ら【ざる】|可《べ》から【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|一糸《いつし》みだれ【ざる】|底《てい》の|信仰心《しんかうしん》をもつて|奮起《ふんき》せ【ざる】|可《べ》から【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|天地人道《てんちじんだう》に|背《そむ》か【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|外《はづ》れ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|違《たが》は【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|至誠《しせい》|一貫《いつくわん》|万世《ばんせい》|朽《く》ち【ざる】|香《かんば》しき|名《な》を|伝《つた》ふる|事《こと》
|一《ひとつ》、|天下《てんか》の|為《ため》には|地位《ちゐ》、|名望《めいばう》、|財産《ざいさん》、|生命《せいめい》も|敢《あへ》て|惜《をし》ま【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|至誠《しせい》|天地《てんち》に|恥《は》ぢ【ざる】|行《おこな》ひを|為《な》す|事《こと》
|一《ひとつ》、|善《ぜん》をなす|為《た》めには|如何《いか》なる|妨害《ばうがい》にも|屈《くつ》せ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|肉体《にくたい》は|仮令《たとへ》|死《し》すとも|霊魂《れいこん》は|永遠《ゑいゑん》に|死《し》せ【ざる】|真理《しんり》を|悟《さと》る|事《こと》
|一《ひとつ》、|大業《たいげふ》を|成《な》すに|当《あた》つては|千苦万難《せんくばんなん》に|撓《たゆ》ま【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|道《みち》のためには|屈《くつ》せ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|勁敵《けいてき》に|遇《あ》ふとも|退却《たいきやく》せ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|弱《よわ》ら【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|決《けつ》して|何事《なにごと》にも|悲観《ひくわん》せ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|勇気《ゆうき》を|鼓《こ》して|如何《いか》なる|失敗《しつぱい》をも|挽回《ばんくわい》せ【ざる】|可《べ》から【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|人欲《じんよく》のために|心《こころ》を|乱《みだ》さ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|総《すべ》ての|生物《せいぶつ》を|苦《くる》しめ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|佯《いつは》ら【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|罵《ののし》ら【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|欺《あざむ》か【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|人《ひと》の|成功《せいこう》を|嫉《ねた》ま【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|人《ひと》の|業《げふ》を|妨《さまた》げ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|奪《うば》は【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|傷《きず》つけ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|殺《ころ》さ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|媚《こ》び|諂《へつら》は【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|酒色《しゆしよく》を|好《この》ま【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|道《みち》に|外《はづ》れ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|世界《せかい》の|進運《しんうん》に|後《おく》れ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|何事《なにごと》にも|成功《せいこう》を|急《いそ》が【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|暴富《ばうふ》を|望《のぞ》ま【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|貧乏《びんばふ》を|憂《うれ》へ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|慢《みだり》に|竹木《ちくぼく》を|伐《き》ら【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|軽挙妄動《けいきよもうどう》せ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|人《ひと》を|攻撃《こうげき》せ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|悪所《あくしよ》に|足《あし》を|踏《ふ》み|入《い》れ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|日々《ひび》の|職務《しよくむ》を|怠《おこた》ら【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|四恩《しおん》を|忘《わす》れ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|衣食《いしよく》に|驕《おご》ら【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|何事《なにごと》にも|怒《おこ》ら【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|物《もの》に|動《どう》ぜ【ざる】やう|常《つね》に|心胆《しんたん》を|錬磨《れんま》する|事《こと》
|一《ひとつ》、|欲《よく》のため|危《あやふ》きに|近寄《ちかよ》ら【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|敵《てき》を|恨《うら》ま【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|迷信《めいしん》に|陥《おちい》ら【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|神明《しんめい》に|仕《つか》へ|奉《まつ》る|身《み》は|常《つね》に|清潔《せいけつ》を|尊《たふと》び、|汚《けが》れ【ざる】やう|注意《ちうい》せ【ざる】べから【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|終始一貫《しうしいつくわん》|初一念《しよいちねん》を|変《へん》ぜ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|異端邪説《いたんじやせつ》に|惑《まど》は【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|現代《げんだい》の|悪思想《あくしさう》に|染《そ》ま【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|吾《わが》|良心《りやうしん》を|欺《あざむ》か【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|物《もの》|云《い》ふ|花《はな》に|狂《くる》は【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|惟神《かむながら》の|大道《おほみち》を|外《はづ》さ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|総《すべ》ての|事《こと》に|騒《さわ》が【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|人《ひと》の|悪事《あくじ》を|摘発《てきはつ》せ【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|義理《ぎり》|人情《にんじやう》を|捨《す》て【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|長上《ちやうじやう》に|対《たい》し|反感《はんかん》の|念《ねん》をもた【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|産土神社《うぶすなじんしや》へ|信仰《しんかう》を|怠《をこた》ら【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|衛生《ゑいせい》に|注意《ちうい》し|病《やまひ》にかから【ざる】やう|注意《ちうい》すべき|事《こと》
|一《ひとつ》、|如何《いか》なる|憂目《うきめ》に|遇《あ》ふとも|決《けつ》して|泣《な》き|悲《かな》しま【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|禽獣《きんじう》の|精神《せいしん》に|劣《おと》ら【ざる】やう|身魂《みたま》をみがく|事《こと》
|一《ひとつ》、|交際《かうさい》に|貴賤《きせん》|貧富《ひんぷ》の|別《べつ》を|立《た》て【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|猿《さる》|共《ども》に|揶揄《からか》は【ざる】|事《こと》
|一《ひとつ》、|何事《なにごと》も|見《み》【ざる】、|聞《き》か【ざる】、|云《い》は【ざる】の|三猿主義《さんゑんしゆぎ》を|取《と》る|事《こと》
マアざつと|如上《じよじやう》の|条項《でうかう》を|守《まも》り、|減《へ》らず|口《ぐち》を|叩《たた》かず、|法螺《ほら》を|吹《ふ》かず、|沈黙《ちんもく》を|守《まも》り、|禽獣虫魚《きんじうちうぎよ》の|末《すゑ》に|至《いた》る|迄《まで》、|其《その》|徳《とく》に|悦服《えつぷく》するやう|注意《ちうい》をせなくてはなりませぬぞ』
|伊太公《いたこう》『|何《なん》とまあ【サル】だの【ザル】だのと、【ザル】|籠《かご》に|這入《はい》らぬ|程《ほど》|陳列《ちんれつ》なさいましたなア。さう|云《い》はれて|仕舞《しま》へばモウこれからは|吾々《われわれ》は|唖《おし》とならなくては|仕方《しかた》がありませぬワ。ほんとに|惜《をし》い|事《こと》で|厶《ござ》いますわい』
|道公《みちこう》『それ|見《み》たか|伊太公《いたこう》、|偉《えら》さうに|云《い》つても|忽《たちま》ち|箝口令《かんこうれい》を|布《し》かれて|仕舞《しま》へば、【チウ】の|声《こゑ》も|揚《あが》らぬぢやないか、|本当《ほんたう》に|困《こま》つたものぢやのう』
|伊太公《いたこう》『コリヤコリヤ|道公《みちこう》、|今《いま》|宣伝使《せんでんし》が「|罵《ののし》らざる|事《こと》」と|仰有《おつしや》つたぢやないか。あれ|見《み》よ|猿《さる》の|奴《やつ》あまりに|宣伝使《せんでんし》がサルだのザルだのと|仰有《おつしや》るものだから|得意《とくい》になつて|益々《ますます》|接近《せつきん》して|来《く》るぢやないか』
|道公《みちこう》『|何《なあ》に|猿《さる》はサルとしての、|一《ひと》つの|考案《かうあん》があつて|押寄《おしよ》せて|来《く》るのだ。|何《なん》と|云《い》つても|道公《みちこう》の|様《やう》な|好男子《かうだんし》が|厶《ござ》るものだからなア。あの|猿《さる》は|決《けつ》して|雄《をす》ばかりぢやない、|雌《めす》だつて|沢山《たくさん》|居《を》るからなア』
|伊太公《いたこう》『アハヽヽヽ、|好男子《かうだんし》が|聞《き》いて|呆《あき》れるわい。「|講談師《かうだんし》|見《み》て|来《き》たやうな|嘘《うそ》を|云《い》ひ」と|云《い》つて|目《め》に|見《み》えた|嘘《うそ》を|云《い》ふぢやないか。|貴様《きさま》の|顔《かほ》は|猿《さる》に|似《に》て|居《ゐ》るから|自分《じぶん》|達《たち》の|仲間《なかま》ぢやと|思《おも》つて|寄《よ》つて|来《く》るのだよ』
|道公《みちこう》『|何《なに》、|俺《おれ》が|猿《さる》に|似《に》とるのぢやない、|猿《さる》の|方《はう》から|俺《おれ》に|似《に》てけつかるのだ。アハヽヽ』
|伊太公《いたこう》『どつちから|似《に》て|居《ゐ》ても|同《おな》じ|事《こと》ぢやないかそれそれ、|身動《みうご》きもならぬ|程《ほど》|近《ちか》くへやつて|来《き》やがつた。えゝコン|畜生《ちくしやう》、ちつとそつちへ|行《ゆ》かぬかい』
と|伊太公《いたこう》は|力《ちから》に|任《まか》して|間近《まぢか》にやつて|来《き》た|猿《さる》を|押倒《おしたふ》した。|猿《さる》の|群《むれ》は|俄《にはか》にキヤツキヤツと|叫《さけ》び|出《だ》し、|彼方《あちら》の|山《やま》の|端《はし》からも|此方《こちら》の|山《やま》の|端《はし》からも|幾万《いくまん》とも|知《し》れない|猿《さる》の|数《かず》となり|四人《よにん》に|向《むか》ひ|金切声《かなきりごゑ》を|出《だ》して|掻《か》きつく、|武者振《むしやぶり》つく、|後《うしろ》の|方《はう》の|猿《さる》は|石《いし》を|拾《ひろ》つて|巧《たくみ》になげつける。|四人《よにん》は|衆寡《しうくわ》|敵《てき》せず、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|正当《せいたう》|防衛《ばうゑい》に|力《ちから》を|尽《つく》して|居《ゐ》る。ノソリノソリと|後《うしろ》の|方《はう》からやつて|来《き》た、|一層《いつそう》|大《おほ》きな|白毛《はくまう》の|猿《さる》は|玉国別《たまくにわけ》の|後《うしろ》より|不意《ふい》に|目《め》のあたりをかき【むし】つた。|玉国別《たまくにわけ》はアツと|叫《さけ》んで|其《その》|場《ば》に|打倒《うちたふ》れた。|三人《さんにん》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|猿《さる》に|向《むか》つて|金剛杖《こんがうづゑ》を|打《う》ち|振《ふ》り|防《ふせ》ぎ|戦《たたか》へど、|数万《すうまん》の|猿《さる》は|入《い》り|替《か》はり|立《た》ち|替《か》はり|押寄《おしよ》せ|来《きた》るに|力《ちから》|尽《つ》き|今《いま》や|危《あやふ》くなつて|来《き》た。|時《とき》しもあれ|山岳《さんがく》も|崩《くづ》るる|許《ばか》りの|獅子《しし》の|唸《うな》り|声《ごゑ》、ウーウーと|響《ひび》き|渡《わた》る。|此《この》|声《こゑ》に|数万《すうまん》の|猿群《ゑんぐん》はキヤツキヤツと|悲鳴《ひめい》をあげ|一目散《いちもくさん》に|逃《に》げ|失《う》せて|仕舞《しま》つた。
いづくともなく|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》|爽《さはや》かに|聞《きこ》え|来《く》る。
『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |玉国別《たまくにわけ》の|一行《いつかう》は
|尊《たふと》き|使命《しめい》を|忘却《ばうきやく》し |尾上《をのへ》を|渡《わた》る|荒風《あらかぜ》に
|肝《きも》を|冷《ひや》してぶるぶると |慄《ふる》ひ|戦《をのの》き|懐《ふところ》の
|谷間《たにま》に|隠《かく》れ|暫《しばら》くの |安《やす》きを|盗《ぬす》みし|愚《おろ》かさよ
|天罰《てんばつ》|忽《たちま》ち|報《むく》い|来《き》て |人《ひと》にもあらぬ|猿《さる》の|群《むれ》
|責《せ》めなやまされ|両眼《りやうがん》を |掻《か》きやぶられし|浅《あさ》はかさ
|吾《われ》は|杢助《もくすけ》|宣伝使《せんでんし》 |汝《なんぢ》|一行《いつかう》の|旅立《たびだち》を
|心《こころ》に|案《あん》じわづらひつ |獅子《しし》の|背中《せなか》に|跨《またが》りて
|後《あと》|追《お》ひ|来《きた》り|眺《なが》むれば |悲惨《ひさん》|至極《しごく》のていたらく
|三五教《あななひけう》の|面汚《つらよご》し |天地《てんち》の|神《かみ》に|如何《いか》にして
|此《この》|失策《しつさく》を|謝罪《しやざい》する |月日《つきひ》にたとへし|両眼《りやうがん》を
|掻《か》きやぶられし|宣伝使《せんでんし》 |心《こころ》の|眼《まなこ》くらみなば
|神《かみ》の|光《ひかり》も|知《し》らぬ|火《ひ》の |浪間《なみま》に|漂《ただよ》ふ|如《ごと》くなり
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |誠《まこと》の|心《こころ》に|立《た》ち|帰《かへ》り
|心《こころ》の|駒《こま》の|手綱《たづな》をば |引《ひ》きしめ|引《ひ》きしめ|大神《おほかみ》の
|勅《みこと》のままに|逸早《いちはや》く |月《つき》の|御国《みくに》に|猛進《まうしん》し
|神《かみ》の|依《よ》さしの|神業《かむわざ》を |一日《ひとひ》も|早《はや》くなし|遂《と》げよ
たとへ|眼《まなこ》はやぶるとも |神《かみ》の|御守《みまも》りある|上《うへ》は
|霊《たま》は|開《ひら》けて|天国《てんごく》の |救《すく》ひの|道《みち》を|安々《やすやす》と
|此《この》|地《ち》の|上《うへ》に|開設《かいせつ》し |天《あめ》と|地《つち》との|経綸《けいりん》の
|司《つかさ》と|仕《つか》へ|得《え》らるべし |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |星《ほし》は|天《てん》より|落《お》つるとも
|浜《はま》の|真砂《まさご》は|尽《つ》くるとも |神《かみ》の|依《よ》さしの|言《こと》の|葉《は》は
|決《けつ》して|背《そむ》く|事《こと》なかれ |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》 |直日《なほひ》の|霊《みたま》|幸倍《さちは》ひて
|曇《くも》りし|汝《なれ》が|魂《たましひ》の |眼《まなこ》を|開《ひら》き|助《たす》くべし
いざいざさらば いざさらば |吹《ふ》き|来《く》る|風《かぜ》も|恐《おそ》れなく
|虎《とら》|狼《おほかみ》の|襲来《しふらい》も |臆《おく》せず|屈《くつ》せず|道《みち》のため
|一時《いちじ》も|早《はや》く|進《すす》めかし あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》るや、|忽然《こつぜん》として|四人《よにん》の|前《まへ》に|現《あら》はれたのは、|巨大《きよだい》なるライオンに|跨《またが》つた|時置師《ときおかし》の|神《かみ》の|姿《すがた》であつた。|玉国別《たまくにわけ》は|両眼《りやうがん》を|潰《つぶ》され、|打《う》ち|伏《ふ》して|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》のみを|謹聴《きんちやう》して|居《ゐ》た。|道公《みちこう》、|伊太公《いたこう》、|純公《すみこう》の|三人《さんにん》は|時置師神《ときおかしのかみ》の|雄姿《ゆうし》を|伏拝《ふしをが》み、|滂沱《ばうだ》たる|涙《なみだ》を|腮辺《しへん》に|漂《ただよ》はして|居《ゐ》る。|時置師神《ときおかしのかみ》は|疾風迅雷《しつぷうじんらい》の|如《ごと》く、|獅子《しし》に|跨《またが》り|嶮《けは》しき|山《やま》を|踏《ふ》み|越《こ》えていづこともなく|姿《すがた》を|隠《かく》したり。
(大正一一・一一・二六 旧一〇・八 加藤明子録)
第四章 |玉眼開《ぎよくがんびらき》〔一一五五〕
|伊太公《いたこう》『|思《おも》ひきや きや きや きやと|泣《な》く|猿《さる》に
キヤツといふ|目《め》に|会《あ》はされるとは』
|道公《みちこう》『コリヤコリヤ|伊太公《いたこう》、|気楽相《きらくさう》に|狂歌《きやうか》|所《どころ》かい。|宣伝使《せんでんし》|様《さま》が|今日《けふ》か|明日《あす》か|知《し》らぬよな|目《め》に|会《あ》はされて|苦《くるし》んで|厶《ござ》るのに、|何《なに》を|呆《とぼ》けてゐるのだ。サ、|早《はや》く|谷川《たにがは》へでも|下《お》りて|清水《しみづ》を|汲《く》んで|来《こ》い。|俺《おれ》は|御介抱《ごかいはう》を|申上《まをしあ》げるから……』
|伊太公《いたこう》『そんならお|前達《まへたち》|両人《りやうにん》に、|先生《せんせい》の|御介抱《ごかいはう》を|頼《たの》む|事《こと》にしよう。|俺《おれ》はこれから|谷水《たにみづ》を|汲《く》んで|来《く》るワ』
といひ|乍《なが》ら、|水筒《すゐとう》をブラブラブラ|下《さ》げ、|谷川《たにがは》さしておりて|行《ゆ》く。
|伊太公《いたこう》『ヤア|此所《ここ》に|綺麗《きれい》な|水《みづ》が|流《なが》れてゐる。|之《これ》を|汲《く》んで|洗《あら》つて|上《あ》げたらキツと|癒《なほ》るだろ。
|山猿《やまざる》に|掻《か》きむしられて|何《なに》もかも
|水《みづ》の|御霊《みたま》の|救《すく》ひ|求《もと》むる。
この|水《みづ》は|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|露《つゆ》なれば
|今日《けふ》は|見《み》えると|言《い》ひたくぞある。
|谷川《たにがは》に|落《お》ち|込《こ》み|水《みづ》を|汲《く》みに|来《き》た
|深《ふか》き|心《こころ》を|汲《く》ませ|玉《たま》へよ。
|此《この》【みづ】は|眼《まなこ》ばかりか|命《いのち》まで
|救《すく》ひ|助《たす》くる|恵《めぐみ》の|露《つゆ》ぞ。
|惟神《かむながら》|神《かみ》の|光《ひかり》の|現《あら》はれて
|玉国別《たまくにわけ》の|眼《まなこ》|照《て》らせよ。
みず|知《し》らず|懐谷《ふところだに》の|山猿《やまざる》に
|掻《か》きむしられし|事《こと》の|悔《くや》しさ。
さり|乍《なが》ら|神《かみ》の|使命《しめい》をおろそかに
いたせし|罪《つみ》の|報《むく》い|来《き》しにや。
|時置師《ときおかし》|神《かみ》の|命《みこと》が|現《あら》はれて
|心《こころ》の|眼《まなこ》|開《ひら》き|玉《たま》へり。
|待《ま》てしばしぐづぐづしてるとこぢやない
|早《はや》く|眼《まなこ》をあらはにやならぬ。
|伊太公《いたこう》の|目《め》は|大丈夫《だいぢやうぶ》さり|乍《なが》ら
|師《し》の|君《きみ》|見《み》る|目《め》いたいたしく|思《おも》ふ』
と|口《くち》ずさみ|乍《なが》ら、|清冽《せいれつ》なる|秋《あき》の|谷水《たにみづ》を|水筒《すゐとう》に|盛《も》り、|一刻《いつこく》も|早《はや》く|玉国別《たまくにわけ》を|助《たす》けむと、|小柴《こしば》や|茨《いばら》を|掻《か》きわけ、|息《いき》をはづませ|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|玉国別《たまくにわけ》は|両眼《りやうがん》より|血《ち》を|垂《た》らし|乍《なが》ら、|布《ぬの》にて|血糊《ちのり》を|拭《ふ》き|取《と》り、|手《て》の|掌《ひら》を|両眼《りやうがん》にあてて|痛《いた》さをこらへて|俯《うつむ》いてゐる。|道公《みちこう》、|純公《すみこう》は、
『サア|大変《たいへん》|々々《たいへん》』
と|慌《あわ》てふためき、うろたへ|廻《まは》つて、チツとも|間《ま》しやくに|合《あ》はない。
|玉国別《たまくにわけ》『|道公《みちこう》、|水《みづ》はまだか。|伊太公《いたこう》はまだ|帰《かへ》らぬか』
|道公《みちこう》『ハイ|山路《やまみち》をタツタツタと|下《くだ》つて|行《い》たきり、|今《いま》に|至《いた》り|姿《すがた》を|見《み》せませぬ。|先生《せんせい》が|是《これ》|程《ほど》|傷《きず》で|困《こま》つて|厶《ござ》るのに……エヽ|気《き》の|利《き》かぬ|奴《やつ》ですワイ。オイ|純公《すみこう》、|貴様《きさま》|何《なに》をウロウロしてゐるのだ。|早《はや》く|伊太公《いたこう》の|水《みづ》の|催促《さいそく》に|伊太《いた》|々々《いた》』
|純公《すみこう》『エヽ|洒落《しやれ》どころかい。|大変《たいへん》な|目《め》に|会《あ》うて|吾々《われわれ》は|進路《しんろ》に|迷《まよ》うてゐるのだ。|一寸先《いつすんさき》は|真暗《まつくら》やみだ。そんな|気楽《きらく》なことどこかいやい』
かかる|所《ところ》へ|伊太公《いたこう》はフースーフースーと|鼻息《はないき》|荒《あら》く|登《のぼ》り|来《きた》り、
|伊太公《いたこう》『アヽ|大変《たいへん》|遅《おそ》くなつてすみませぬ。|一刻《いつこく》の|間《ま》も|早《はや》く|帰《かへ》りたいと|思《おも》ひ、|気《き》をあせればあせる|程《ほど》、キツい|坂《さか》で|足《あし》がずり、|漸《やうや》くここ|迄《まで》|到着《たうちやく》|致《いた》しました』
|道公《みちこう》『オイ|早《はや》く|水筒《すゐとう》を|出《だ》さぬかい。|根《ね》つから|持《も》つてゐないぢやないか』
|伊太公《いたこう》は|腰《こし》のあたりを|探《さぐ》り|乍《なが》ら、『アツ』と|一声《いつせい》|打驚《うちおどろ》き、
|伊太公《いたこう》『ヤア|大変《たいへん》だ。|余《あま》り|慌《あわ》てて、|谷底《たにそこ》へ|水《みづ》を|汲《く》んだなり|忘《わす》れて|来《き》たのだ。オイ|道公《みちこう》、|貴様《きさま》|早《はや》く|取《と》つて|来《き》てくれぬかい。|先生《せんせい》の|痛《いた》みが|気《き》の|毒《どく》だから、|早《はや》く|目《め》を|冷《ひや》さぬと|段々《だんだん》|腫《は》れて|来《き》ちや|大変《たいへん》だ』
|道公《みちこう》『エヽ|慌者《あわてもの》だなア、どこらに|置《お》いておいたのだ。それをスツカリ|言《い》はぬかい』
|伊太公《いたこう》『|谷川《たにがは》と|云《い》つたら、|山《やま》の|谷《たに》を|流《なが》れる|川《かは》だ。|其《その》|水《みづ》を|汲《く》んでチヤンと|砂《すな》の|上《うへ》においてあるのだ。サア|早《はや》く|行《ゆ》かぬかい。|一分間《いつぷんかん》でも|先生《せんせい》の|苦痛《くつう》を|助《たす》けにやなるまいぞ』
|純公《すみこう》『オイ|伊太公《いたこう》、|貴様《きさま》が|置《お》いといたのだから、|貴様《きさま》が|行《ゆ》かなグヅグヅ|捜《さが》してゐる|間《ま》がないぢやないか。|本当《ほんたう》に|困《こま》つた|奴《やつ》だな。|丸《まる》で|雉子《きぎす》の|直使《ひたづかひ》だ。|水《みづ》を|汲《く》みに|行《い》つたつて、|持《も》つて|帰《かへ》らにや|何《なに》になるものか』
|伊太公《いたこう》『|貴様《きさま》、|水《みづ》を|汲《く》んで|来《こ》いとぬかしたぢやないか。|別《べつ》に|持《も》つて|帰《かへ》れと|迄《まで》は|言《い》はぬものだから|忘《わす》れたつて|仕方《しかた》がないワイ。オイ|純公《すみこう》、|貴様《きさま》も|来《き》てくれぬかい。|実《じつ》の|所《ところ》はどこで|落《おと》したか|分《わか》らぬのだ。|二人《ふたり》よつて|鵜《う》の|目《め》|鷹《たか》の|目《め》で、|小柴《こしば》の|中《なか》や|枯草《かれくさ》の|間《あひだ》を|捜《さが》し|求《もと》めて|見《み》つけて|来《こ》うぢやないか、……モシモシ|先生様《せんせいさま》、モウ|暫《しばら》くの|御苦痛《ごくつう》、どうぞ|御辛抱《ごしんばう》|下《くだ》さいませ。|誠《まこと》に|気《き》の|利《き》かぬ|男《をとこ》で|厶《ござ》いまして、|御心中《ごしんちう》お|察《さつ》し|申《まを》します。コラ、|道公《みちこう》、|何《なに》を|呆《とぼ》けてゐるのだ、|早《はや》く|御介抱《ごかいはう》を|申《まを》さぬかい』
|道公《みちこう》『|介抱《かいほう》せいと|云《い》つたつて、|仕方《しかた》がないぢやないか。|俺《おれ》やここで|猿《さる》の|再襲来《さいしふらい》を|防禦《ばうぎよ》してゐるから、|貴様《きさま》|等《たち》|両人《りやうにん》、|水筒《すゐとう》|捜《さが》しに|行《い》つて|来《こ》い』
|伊太公《いたこう》、|純公《すみこう》|両人《りやうにん》はブツブツ|呟《つぶや》き|乍《なが》ら、|小柴《こしば》を|分《わ》けて|水筒《すゐとう》の|落《お》ちた|場所《ばしよ》を|探《さが》しに|行《ゆ》く。|漸《やうや》くにして|一丁《いつちやう》ばかり|下《くだ》つた|所《ところ》に、|水筒《すゐとう》は|落《お》ちて|居《ゐ》た。|併《しか》し|乍《なが》ら|入口《いりぐち》を|下《した》に|尻《しり》を|上《うへ》に|落《おと》したのだから、|一滴《いつてき》も|残《のこ》らず|吐《は》き|出《だ》して|了《しま》ひ、|空水筒《からすゐとう》となつて、|天下《てんか》|太平《たいへい》|気分《きぶん》で|横《よこた》はつてゐる。
|伊太公《いたこう》『エヽ|気《き》の|利《き》かない|水筒《すゐとう》だな、|落《お》ちるのなら|何故《なぜ》|上向《うへむ》けに|落《お》ちないのだ。|折角《せつかく》|俺《おれ》が|呑《の》ましてやつた|水《みづ》を、|皆《みな》|吐《は》き|出《だ》して……|何《なん》と|都合《つがふ》の|悪《わる》い|時《とき》にや、|都合《つがふ》の|悪《わる》いものだなア。オイ|純公《すみこう》、|仕方《しかた》がない。マ|一度《いちど》|谷底《たにそこ》まで|一走《ひとはし》り|行《い》つて|来《こ》うかい』
|純公《すみこう》『さうだなア。|水筒《すゐとう》が|見《み》つかつた|以上《いじやう》は|貴様《きさま》|一人《ひとり》でいいのぢやけれど、|元来《ぐわんらい》が|慌者《あわてもの》だから、|又《また》|道《みち》で|落《おと》しよると|何《なん》にもならぬ。|俺《おれ》が|監視役《かんしやく》として|従《つ》いて|行《い》てやらう』
|純公《すみこう》は|水筒《すゐとう》を|懐《ふところ》にねぢ|込《こ》み、|急坂《きふはん》を|小柴《こしば》を|分《わ》け、|草《くさ》に|辷《すべ》り|乍《なが》ら、|伊太公《いたこう》と|共《とも》に|深《ふか》き|谷底《たにそこ》に|下《お》り|立《た》ち、|清泉《せいせん》をドブドブドブと|丸《まる》い|泡《あわ》を|立《た》てさせ、|口《くち》まで|満《み》たした。
|純公《すみこう》『【すみ】|切《き》りし|此《この》|谷水《たにみづ》を|水筒《すゐとう》に
|呑《の》ませて|帰《かへ》る|身《み》こそ|嬉《うれ》しき。
|伊太公《いたこう》が|折角《せつかく》|汲《く》んだ|谷水《たにみづ》は
|水泡《みなわ》となりて|消《き》え|失《う》せにける』
|伊太公《いたこう》『|俺《おれ》だとて|落《おと》す|心《こころ》はなけれ|共《ども》
|目《め》に|見《み》ぬ|智慧《ちゑ》を|落《おと》したるらむ。
|落《おと》したる|瓶《かめ》を|拾《ひろ》うて|音彦《おとひこ》の
|眼《まなこ》を|洗《あら》ふわれ【おと】ましき』
|純公《すみこう》『さア|早《はや》う|伊太公《いたこう》の|奴《やつ》よついて|来《こ》い
|眼《まなこ》|伊太公《いたこう》と|待《ま》つて|厶《ござ》るぞ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|又《また》もや|急坂《きふはん》を|攀《よ》ぢ|登《のぼ》り、|漸《やうや》くにして|玉国別《たまくにわけ》の|傍《そば》に|着《つ》き、|水筒《すゐとう》の|水《みづ》を|手《て》にすくひ、|玉国別《たまくにわけ》の|両眼《りやうがん》を|念入《ねんい》りに|洗滌《せんでき》した。
|玉国別《たまくにわけ》『アヽ|有難《ありがた》い、これでスツカリ|目《め》の|痛《いた》みが|止《と》まつたやうだ』
|伊太公《いたこう》『|先生《せんせい》、|痛《いた》みが|止《と》まりましたか、それは|何《なに》より|嬉《うれ》しい|事《こと》で|厶《ござ》います。|併《しか》し|明《あか》りは|見《み》えますかな』
|玉国別《たまくにわけ》『イヤ|痛《いた》みは|余程《よほど》|軽減《けいげん》したやうだが、チツとも|見《み》えないワ』
|道公《みちこう》『エヽ|何《なん》と|仰有《おつしや》います、お|目《め》が|見《み》えませぬか、コリヤ|大変《たいへん》だ。|大西洋《たいせいやう》の|真中《まんなか》で|蒸気船《じやうきせん》の|機関《きくわん》が|破裂《はれつ》したよなものだ、これから|俺達《おれたち》は|如何《どう》したら|良《よ》からうかなア』
|玉国別《たまくにわけ》『|心配《しんぱい》してくれな。|物《もの》の【あいろ】は|分《わか》らぬが、ボンヤリとそこら|中《ぢう》が|明《あか》く|見《み》えるやうだ。|何《いづ》れ|熱《ねつ》が|下《さが》つたら、|元《もと》の|通《とほ》りになるだらう。これといふのも|吾《わが》|身《み》の|安全《あんぜん》を|第一《だいいち》として|烈風《れつぷう》に|恐《おそ》れ、|肝腎《かんじん》の|神様《かみさま》に|祈願《きぐわん》することや|言霊《ことたま》を|以《もつ》て|風神《かぜのかみ》を|駆逐《くちく》することを|忘《わす》れてゐた|其《その》|罪《つみ》が|報《むく》うて|来《き》たのだ。|実《じつ》によい|教訓《けうくん》を|受《う》けたものだ。せめて|北光神《きたてるのかみ》|様《さま》のやうに|一眼《いちがん》なりと|開《ひら》かして|下《くだ》されば、|結構《けつこう》だがなア』
|道公《みちこう》はつくづくと|玉国別《たまくにわけ》の|両眼《りやうがん》を|打《う》ち|眺《なが》め、
『ヨウこれは|思《おも》つたよりも|大疵《おほきず》だ。モシ|先生《せんせい》、|右《みぎ》の|目《め》はサツパリ|潰《つぶ》れて|了《しま》つてゐますよ。まだも|見込《みこみ》のあるのは|左《ひだり》の|目《め》ですよ』
|玉国別《たまくにわけ》『|左《ひだり》の|目《め》は|日《ひ》の|大神様《おほかみさま》、|右《みぎ》の|目《め》は|月《つき》の|大神様《おほかみさま》だ。|月《つき》の|国《くに》へ|魔神《まがみ》の|征服《せいふく》に|出陣《しゆつぢん》の|途中《とちう》、|月《つき》の|大神《おほかみ》に|配《はい》すべき|右《みぎ》の|目《め》を|猿《さる》に|取《と》られたのは、|全《まつた》く|神罰《しんばつ》に|違《ちがひ》ない。まさしく|坤《ひつじさる》の|大神様《おほかみさま》が、|吾《わが》|目《め》をお|取上《とりあ》げになつたのだらう、あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|道公《みちこう》『オイ|伊太公《いたこう》、|純公《すみこう》、コリヤ|斯《か》うしては|居《を》られまい、これから|三人《さんにん》は|谷底《たにそこ》へ|下《くだ》つて|一生懸命《いつしやうけんめい》に|水垢離《みづごり》を|取《と》り、|先生《せんせい》の|目《め》の|祈願《きぐわん》をさして|頂《いただ》かうぢやないか』
|斯《か》く|話《はな》す|折《をり》しも、|下《した》の|谷道《たにみち》を|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひつつ|東北《とうほく》|指《さ》して|登《のぼ》り|行《ゆ》く|一隊《いつたい》があつた。これはケーリス、タークス、ポーロの|一行《いつかう》が|照国別《てるくにわけ》の|信書《しんしよ》を|携《たづさ》へ、|斎苑館《いそやかた》に|修行《しうぎやう》に|向《むか》ふのであつた。
|道公《みちこう》『ヤアあの|声《こゑ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》ぢやないか。モシ|先生《せんせい》、キツとあれは|吾々《われわれ》の|味方《みかた》に|違《ちがひ》ありませぬ。|一《ひと》つ|後《あと》|追《お》つかけて、|貴方《あなた》の|眼病《がんびやう》を|鎮魂《ちんこん》して|貰《もら》ひませうか』
|玉国別《たまくにわけ》『|苟《いやし》くも|宣伝使《せんでんし》の|身《み》を|以《もつ》て、|山猿《やまざる》に|眼《め》を|掻《か》きむしられ、どうしてそんな|事《こと》が、|恥《はづか》しうて|頼《たの》めるものか。|何事《なにごと》も|神様《かみさま》にお|任《まか》せするより|道《みち》はないのだから、|御親切《ごしんせつ》は|有難《ありがた》いが、それ|丈《だけ》はどうぞ|止《や》めてくれ』
|道公《みちこう》『それだと|申《まを》して、|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|場合《ばあひ》、そんな|事《こと》が|言《い》うてゐられますか。|今《いま》となつては|恥《はぢ》も|外聞《ぐわいぶん》もいつたものぢや|厶《ござ》いませぬ。|何程《なにほど》|神徳《しんとく》|高《たか》き|宣伝使《せんでんし》でも、|怪我《けが》は|廻《まは》りものですからそれが|恥《はぢ》になると|云《い》ふ|事《こと》はありますまい。オイ|伊太公《いたこう》、|純公《すみこう》、|何《なに》をグヅグヅしてるのだ。|千危一機《せんきいつき》の|此《この》|場合《ばあひ》に|泣《な》く|奴《やつ》があるかい。|早《はや》く|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》を|尋《たづ》ねて|頼《たの》んで|来《こ》ぬか』
|伊太公《いたこう》『それもさうだ。オイ|純公《すみこう》、お|前《まへ》も|御苦労《ごくらう》だが、|俺《おれ》に|従《つ》いて|来《き》てくれ』
|純公《すみこう》『ヨーシ、|合点《がつてん》だ。|急《せ》かねばならぬ、|急《せ》いては|事《こと》を|仕損《しそん》ずる。|気《き》をおちつけて、ゆるゆる|急《いそ》いで|行《ゆ》かう』
|道公《みちこう》『|何卒《どうぞ》さうしてくれ。サアサア|早《はや》う|早《はや》う、|手《て》を|合《あ》はして、|今日《けふ》は|俺《おれ》が|頼《たの》むから』
|玉国別《たまくにわけ》『コリヤ|三人《さんにん》、どうしても|俺《おれ》のいふ|事《こと》を|聞《き》かぬのか、|俺《おれ》に|恥《はぢ》をかかす|積《つも》りか』
|道公《みちこう》は|頭《あたま》を|掻《か》き|乍《なが》ら、
|道公《みちこう》『ダツて|貴方《あなた》、これが|如何《どう》して|安閑《あんかん》として|居《を》られませうか』
|玉国別《たまくにわけ》『|神様《かみさま》の|教《をしへ》に、|人《ひと》を|杖《つゑ》につくな、|身内《みうち》を|力《ちから》にするな……といふ|事《こと》がある。|俺《わし》の|目《め》は|俺《わし》が|神様《かみさま》に|祈《いの》つて|何《なん》とかして|貰《もら》ふから、どうぞそれ|丈《だけ》はやめてくれ、|頼《たの》みだから』
|道公《みちこう》『オイ|伊太《いた》、|純《すみ》、どうも|仕方《しかた》がないぢやないか』
|伊太公《いたこう》『|俺《おれ》|達《たち》の|先生《せんせい》だもの、|俺《おれ》|達《たち》|三人《さんにん》が|神様《かみさま》に|祈《いの》つて|直《なほ》して|貰《もら》へばいいのだ。|外《ほか》の|宣伝使《せんでんし》に|先生《せんせい》の|恥《はぢ》を|曝《さら》すのも|済《す》まないからなア』
|玉国別《たまくにわけ》は|天《てん》に|向《むか》つて|合掌《がつしやう》し、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、……|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》の|神名《しんめい》を|称《とな》へて、|罪《つみ》を|謝《しや》した。|其《その》|詞《ことば》、
『|高天原《たかあまはら》の|主宰《しゆさい》にして、|一霊四魂《いちれいしこん》|三元八力《さんげんはちりき》の|大元霊《だいげんれい》にまします|大国治立大神《おほくにはるたちのおほかみ》|様《さま》、|私《わたし》は|貴神《あなた》の|尊《たふと》き|霊力体《れいりよくたい》を|賦与《ふよ》せられ、|此《この》|地上《ちじやう》に|生《うま》れ|来《き》て、|幼少《えうせう》の|頃《ころ》よりいろいろ|雑多《ざつた》の|善《よ》からぬ|事《こと》のみ|致《いた》しまして、|世《よ》を|汚《けが》し、|道《みち》を|損《そこな》ひ、|人《ひと》を|苦《くるし》め、|親《おや》を|泣《な》かせ、|他人《たにん》に|迷惑《めいわく》をかけ、しまひの|果《はて》にはウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》となり、|日《ひ》の|出別神《でわけのかみ》|様《さま》に|救《すく》はれて|一人前《いちにんまへ》の|宣伝使《せんでんし》として|頂《いただ》きました。かかる|罪《つみ》|深《ふか》き|吾々《われわれ》をも|捨《す》て|玉《たま》はず、きため|玉《たま》はず、|広《ひろ》き|厚《あつ》き|大御心《おほみこころ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し|詔直《のりなほ》し|下《くだ》さいまして、|尊《たふと》き|宣伝使《せんでんし》にお|使《つか》ひ|下《くだ》さいました|事《こと》は、|罪《つみ》|深《ふか》き|吾々《われわれ》に|取《と》つては、|無上《むじやう》の|光栄《くわうえい》で|厶《ござ》います。かかる|広大無辺《くわうだいむへん》なる|御恩寵《ごおんちやう》に|浴《よく》し|乍《なが》ら、|知《し》らず|知《し》らずの|間《あひだ》に|慢心《まんしん》を|致《いた》し|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》|気分《きぶん》になつて、|世《よ》の|中《なか》の|盲《めくら》|聾《つんぼ》|唖《おし》|躄《あしなへ》などを|癒《い》やし|助《たす》けむと、|勇《いさ》み|進《すす》んで|此処《ここ》|迄《まで》|参《まゐ》りました|事《こと》を、|誠《まこと》に|恥《はづ》かしく|存《ぞん》じます。|今日《けふ》|只今《ただいま》|山猿《やまざる》の|手《て》を|借《か》つて、|吾々《われわれ》の|両眼《りやうがん》を|刔出《けつしゆつ》し、|汚《けが》れたる|心《こころ》を|清《きよ》め、|曇《くも》りたる|心《こころ》の|眼《まなこ》を|開《ひら》かせ、|身霊《みたま》を|明《あか》きに|救《すく》ひ|玉《たま》ひし|其《その》|御恩徳《ごおんとく》を|有難《ありがた》く|感謝《かんしや》|致《いた》します。|人間《にんげん》の|体《からだ》は|神様《かみさま》の|生宮《いきみや》とある|以上《いじやう》は|何処迄《どこまで》も|大切《たいせつ》に|此《この》|肉体《にくたい》を|守《まも》らねばならないので|厶《ござ》いますが、|自分《じぶん》の|心《こころ》の|愚昧《ぐまい》より|大切《たいせつ》なる|肉《にく》の|宮《みや》を|損《そこな》ひ|破《やぶ》り、|吾々《われわれ》の|霊肉《れいにく》を|与《あた》へ|下《くだ》さいました|貴神《あなた》|様《さま》に|対《たい》してお|詫《わび》の|申上《まをしあ》げやうも|厶《ござ》いませぬ。|誠《まこと》にすまない|無調法《ぶてうはふ》を|致《いた》しました。|仮令《たとへ》|玉国別《たまくにわけ》|両眼《りやうがん》の|明《めい》を|失《しつ》する|共《とも》、せめては|心《こころ》の|眼《まなこ》を|照《て》らさせ|下《くだ》さいますれば|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》|様《さま》より|依《よ》さし|玉《たま》ひし|吾《わが》|使命《しめい》を|飽迄《あくまで》も|果《は》たし、|斎苑《いそ》の|館《やかた》に|復命《ふくめい》をさして|頂《いただ》く|考《かんが》へで|厶《ござ》います。|此《この》|上《うへ》は|御無理《ごむり》な|願《ねがひ》は|決《けつ》して|致《いた》しませぬ。|何卒《なにとぞ》|々々《なにとぞ》|惟神《かむながら》の|御摂理《ごせつり》に|依《よ》りて、|御心《みこころ》の|儘《まま》にお|取成《とりな》し|下《くだ》さいます|様《やう》に|謹《つつし》んで|御願《おねがひ》を|申上《まをしあ》げます』
と|願《ねが》ひ|終《をは》り、|両眼《りやうがん》より|雨《あめ》の|如《ごと》く|涙《なみだ》を|流《なが》してゐる。|三人《さんにん》も|此《この》|有様《ありさま》を|見《み》て、|思《おも》はず|落涙《らくるい》にむせび、|大地《だいち》にかぶり|付《つ》いて|感謝《かんしや》の|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らしてゐる。|玉国別《たまくにわけ》は|尚《なほ》も|一生懸命《いつしやうけんめい》に、|天地《てんち》の|大神《おほかみ》に|対《たい》し、|懴悔《ざんげ》の|告白《こくはく》をなしつつあつた。|不思議《ふしぎ》や|左《ひだり》の|目《め》は|俄《にはか》に|明《あかる》くなり、|四辺《あたり》の|状況《じやうきやう》は|手《て》に|取《と》る|如《ごと》く|見《み》えて|来《き》た。|玉国別《たまくにわけ》は|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|咽《むせ》び|乍《なが》ら、|又《また》もや|拍手《はくしゆ》|再拝《さいはい》して|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》する。
|玉国別《たまくにわけ》『イヤ|道公《みちこう》、|伊太公《いたこう》、|純公《すみこう》、|喜《よろこ》んでくれ。どうやら|片眼《かため》が|見《み》え|出《だ》したやうだ。|神様《かみさま》は|罪《つみ》|深《ふか》き|玉国別《たまくにわけ》を|助《たす》けて|下《くだ》さつた。あゝ|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し』
と|又《また》もや|合掌《がつしやう》。|三人《さんにん》は|此《この》|言葉《ことば》に|驚喜《きやうき》し、
『あゝ|有難《ありがた》し|勿体《もつたい》なし』
と|一斉《いつせい》に|合掌《がつしやう》し、|勢《いきほひ》|込《こ》んで|再《ふたた》び|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|始《はじ》めた。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・一一・二六 旧一〇・八 松村真澄録)
第五章 |感謝歌《かんしやうた》〔一一五六〕
|玉国別《たまくにわけ》『|大神《おほかみ》の|恵《めぐ》み|開《ひら》きぬ|詳細《まつぶ》さに
|清《きよ》き|目《め》の|玉国別《たまくにわけ》の|司《つかさ》。
あり|難《がた》し|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|照《て》らされて
|常夜《とこよ》の|暗《やみ》も|晴《は》れ|渡《わた》りたり。
|北光《きたてる》の|神《かみ》の|司《つかさ》になれとてや
|一《ひと》つの|眼《まなこ》とらせ|給《たま》へり。
これからは|心《こころ》を|片眼《かため》|身《み》を|片眼《かため》
|神《かみ》の|光《ひかり》を|照《て》らし|行《ゆ》くべし。
|盲《めし》ひたる|人《ひと》の|沢《さは》なる|世《よ》の|中《なか》に
|吾《われ》は|嬉《うれ》しき|目一箇《まひとつ》の|神《かみ》か。
|玉国別《たまくにわけ》|神《かみ》の|司《つかさ》は|今《いま》よりは
|身魂《みたま》を|磨《みが》き|道《みち》に|尽《つく》さむ。
【|玉《たま》】しひを|神《かみ》と|御【国】《みくに》に|捧《ささ》げつつ
|道【別】《みちわけ》|進《すす》まむ|荒野ケ原《あらのがはら》を。
|常夜《とこよ》|往《ゆ》く|闇夜《やみよ》も|晴《は》れて|吾《わが》|眼《まなこ》
|一入《ひとしほ》|清《きよ》く|光《ひか》り|初《そ》めたり。
|山猿《やまざる》に|掻《か》きむしられし|吾《わが》|眼《まなこ》
|玉国別《たまくにわけ》の|魂《たま》を|救《すく》ひつ。
|昔《むかし》より|良《よ》からぬ|事《こと》をなし|遂《と》げし
|吾《わが》|身《み》の|仇《あだ》を|悔《くや》しと|思《おも》ふ。
|吾《わが》|魂《たま》は|神《かみ》の|御国《みくに》に|甦《よみがへ》り
|不可知世界《ふかちせかい》の|光《ひかり》|見《み》たりき。
|肉《にく》の|眼《め》を|失《うしな》ひたりし|其《その》|時《とき》ゆ
|悟《さと》り|得《え》にけり|神《かみ》の|世界《せかい》を。
|天ケ下《あめがした》|四方《よも》の|国々《くにぐに》|隈《くま》もなく
|照《て》らし|行《ゆ》くなり|片目司《かためつかさ》は。
|万代《よろづよ》の【かため】と|神《かみ》は|定《さだ》めけむ
|心《こころ》にたちし|国《くに》の|御柱《みはしら》。
|吾《われ》は|今《いま》|一《ひと》つの|眼《まなこ》|失《うしな》ひて
|所存《しよぞん》の|臍《ほぞ》を【かため】たるかな。
|逸早《いちはや》く|神《かみ》の|大道《おほぢ》に|進《すす》み|行《ゆ》かむ
|行手《ゆくて》にさやる|枉《まが》|言向《ことむ》けて。
|三五《あななひ》の|神《かみ》の|教《をしへ》ぞ|有難《ありがた》き
|心《こころ》の|盲目《めしひ》|救《すく》ひ|行《ゆ》く|道《みち》』
|道公《みちこう》『|玉国別《たまくにわけ》|神《かみ》の|命《みこと》は|吾々《われわれ》の
|弱《よわ》き|心《こころ》を【かため】ますらむ。
|河鹿山《かじかやま》|渡《わた》りて|来《く》れば|猿《さる》の|群《むれ》
|吾等《われら》|三人《みたり》の|眼《まなこ》さましつ』
|伊太公《いたこう》『いたいたし|君《きみ》の|眼《まなこ》を|見《み》るにつけ
|吾《わが》|目《め》の|中《なか》に|涙《なみだ》こぼるる。
|時置師《ときおかし》|神《かみ》の|命《みこと》はライオンに
|跨《またが》り|来《き》たり|吾《われ》を|救《すく》ひぬ』
|玉国別《たまくにわけ》『|目《め》の|光《ひかり》|失《うしな》ひゐたる|吾《わが》|身《み》には
|神《かみ》のいでまし|悟《さと》らざりけり。
あな|尊《たふ》と|吾等《われら》|四人《よにん》を|救《すく》はむと
|現《あら》はれますか|時置師神《ときおかしのかみ》。
|天地《あめつち》の|神《かみ》は|吾等《われら》を|守《まも》りまし
|助《たす》け|給《たま》ひし|事《こと》の|尊《たふと》さ』
|純公《すみこう》『|大空《おほぞら》の|澄《す》み|渡《わた》りたる|秋《あき》の|日《ひ》も
|暫《しば》しは|雲《くも》に|包《つつ》まることあり。
|水筒《すゐとう》を|道《みち》に|落《おと》して|伊太公《いたこう》が
|狼狽《うろた》へ|騒《さわ》ぎし|事《こと》の|可笑《をか》しき。
|谷川《たにがは》に|下《お》りて|汲《く》みとる|岩清水《いはしみづ》に
なやみ|去《さ》りけり|水《みづ》の|魂《たましひ》。
|瑞御霊《みづみたま》|神素盞嗚《かむすさのを》の|神徳《しんとく》は
|谷《たに》の|底《そこ》まで|流《なが》れけるかも。
|瑞御霊《みづみたま》|幸《さち》はひまして|世《よ》の|明《あか》り
|五六七《みろく》の|神《かみ》の|救《すく》ひ|尊《たふと》し』
|道公《みちこう》『|道《みち》を|行《ゆ》く|人《ひと》に|会《あ》ふごと|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》を|宣《の》べ|伝《つた》へばや。
|今《いま》となり|神《かみ》の|稜威《みいづ》を|悟《さと》りけり
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》の|目《め》の|開《あ》きしより。
|目《め》も|鼻《はな》もあかざる|事《こと》が|来《く》るぞよとの
|神《かみ》の|教《をしへ》をいまさら|悟《さと》りぬ。
|惟神《かむながら》|神《かみ》に|従《したが》ひ|行《ゆ》く|身《み》には
|何《なに》か|恐《おそ》れむ|世《よ》の|中《なか》の|道《みち》』
|玉国別《たまくにわけ》『|天地《あめつち》の|神《かみ》の|光《ひかり》を|拝《をが》みてゆ
|吾《わが》|身魂《みたま》さへあかくなりぬる。
|照国別《てるくにわけ》|神《かみ》の|命《みこと》は|今《いま》|何処《いづこ》
|大御恵《おほみめぐ》みに|安《やす》く|居《ゐ》まさむ。
|黄金姫《わうごんひめ》|清照姫《きよてるひめ》の|便《たよ》りをも
|聞《き》かま|欲《ほつ》しけれ|旅《たび》なる|吾《われ》は。
|吾《わが》|罪《つみ》を|赦《ゆる》し|給《たま》ひし|大神《おほかみ》の
|心《こころ》|畏《かしこ》み|御世《みよ》を|教《をし》へむ。
|罪《つみ》|深《ふか》き|吾《わが》|身《み》なりとは|今《いま》の|今《いま》
|目《め》を|破《やぶ》るまで|悟《さと》らざりけり。
|省《かへりみ》れば|吾《わが》|身《み》は|枉《まが》の|容器《いれもの》と
なりゐたりしかいとも|恥《はづ》かし』
|道公《みちこう》『|千早《ちはや》|振《ふ》る|天《あま》の|岩戸《いはと》は|開《ひら》けたり
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》の|眼《まなこ》|清《きよ》けく。
|村肝《むらきも》の|心《こころ》を|神《かみ》に|任《まか》せつつ
|進《すす》み|行《ゆ》くべし|荒野ケ原《あらのがはら》を。
|大道《おほみち》に|迷《まよ》ひし|人《ひと》を|悉《ことごと》く
|導《みちび》き|行《ゆ》かむ|神《かみ》の|御国《みくに》へ』
|伊太公《いたこう》『ゆくりなく|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》の|遭難《さうなん》に
|伊太公《いたこう》|今《いま》や|眼《まなこ》|覚《さ》めたり。
|幸《さいは》ひに|二《ふた》つの|眼《まなこ》|光《ひか》れども
|吾《わが》|心眼《しんがん》の|闇《くら》きを|悲《かな》しむ』
|純公《すみこう》『すみ|渡《わた》り|大空《おほぞら》|伝《つた》ふ|月《つき》|見《み》れば
|心《うら》|恥《はづか》しくなりにけるかも。
|月《つき》も|日《ひ》も|下界《げかい》を|照《て》らし|給《たま》へども
|時《とき》に|黒雲《くろくも》さやる|忌々《ゆゆ》しさ』
|玉国別《たまくにわけ》は|左《ひだり》の|目《め》の|光《ひかり》を|得《え》たるを|打喜《うちよろこ》び、|三人《さんにん》を|従《したが》へ|山《やま》を|下《くだ》りて|坂道《さかみち》に|出《い》で、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|下《くだ》り|行《ゆ》く。
『|三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》 |一度《いちど》に|開《ひら》く|木《こ》の|花《はな》の
|咲耶《さくや》の|姫《ひめ》の|御守護《おんまもり》 |杢助司《もくすけつかさ》と|現《あら》はれて
|獅子《しし》の|背中《せなか》に|跨《またが》りつ |伊猛《いたけ》り|狂《くる》ふ|猿《さる》の|群《むれ》
|峰《みね》の|彼方《あなた》に|追《お》ひ|散《ち》らし |吾等《われら》が|盲目《めくら》の|一行《いつかう》を
|救《すく》はせ|給《たま》ひし|有難《ありがた》さ |右《みぎ》の|眼《まなこ》は|失《う》せたれど
|吾等《われら》が|運命《うんめい》まだ|尽《つ》きず |神《かみ》の|司《つかさ》と|選《えら》ばれて
|伊猛《いたけ》り|狂《くる》ふ|枉神《まがかみ》を |言向和《ことむけやは》す|宣伝使《せんでんし》
|許《ゆる》させ|給《たま》ふ|神《かみ》の|愛《あい》 |辱《かたじけ》なみて|今《いま》よりは
|百《もも》の|艱難《なやみ》もいとひなく |天地《てんち》の|神《かみ》の|御為《おんた》めに
|誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の |教《をしへ》を|楯《たて》に|四方《よも》の|国《くに》
|勇《いさ》み|進《すす》んで|開《ひら》き|行《ゆ》く あゝ|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し
|神《かみ》は|吾等《われら》と|倶《とも》にあり |神《かみ》の|御子《おんこ》と|生《うま》れたる
|青人草《あをひとぐさ》は|云《い》ふも|更《さら》 |草木《くさき》の|片葉《かたは》に|至《いた》るまで
|恵《めぐ》みの|露《つゆ》を|施《ほどこ》しつ テームス|峠《たうげ》やライオンの
|激流《げきりう》|渡《わた》り|玉山《たまやま》の |胸突坂《むなつきざか》も|乗《の》り|越《こ》えて
|神《かみ》の|任《よさ》しの|神業《かむわざ》に |仕《つか》へまつらむ|四人連《よたりづ》れ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|御霊《みたま》の|幸《さち》はひて
|完全《うまら》に|委細《つばら》に|神業《しんげふ》を |遂《と》げさせ|給《たま》へと|天地《あめつち》の
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御前《おんまへ》に |玉国別《たまくにわけ》が|真心《まごころ》を
|捧《ささ》げて|祈《いの》り|奉《たてまつ》る |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|深《ふか》きをば |如何《いか》でか|忘《わす》れむ|敷島《しきしま》の
|大和男子《やまとをのこ》の|魂《たましひ》は |岩《いは》をも|射《い》ぬく|桑《くは》の|弓《ゆみ》
ひきて|返《かへ》さぬ|金剛心《こんがうしん》 |空《そら》|照《て》り|渡《わた》る|日月《じつげつ》の
|光《ひかり》も|清《きよ》き|玉国別《たまくにわけ》は |一切万事《いつさいばんじ》|打捨《うちす》てて
|神《かみ》の|御《おん》|為《ため》|世《よ》の|為《ため》に |誠《まこと》を|筑紫《つくし》の|果《は》てまでも
|勇《いさ》み|進《すす》んで|出《い》でて|行《ゆ》く |道公《みちこう》|伊太公《いたこう》|純公《すみこう》よ
|汝《なれ》も|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》 |吾《われ》に|従《したが》ひ|何処《どこ》までも
|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|大神《おほかみ》の |大御心《おほみこころ》に|神習《かむなら》ひ
|清《きよ》き|司《つかさ》と|成《な》りおほせ |四方《よも》の|国々《くにぐに》|島々《しまじま》を
|隈《くま》なく|照《て》らし|救《すく》へかし あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|河鹿峠《かじかたうげ》の|峻坂《しゆんばん》を |神《かみ》に|守《まも》られ|下《くだ》りつつ
|玉国別《たまくにわけ》の|赤誠《まごころ》を |披瀝《ひれき》し|慎《つつし》み|願《ね》ぎまつる』
|道公《みちこう》は|足拍子《あしびやうし》をとり|乍《なが》ら|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『|河鹿峠《かじかたうげ》の|急坂《きふはん》を |玉国別《たまくにわけ》に|従《したが》ひて
|懐谷《ふところだに》の|麓《ふもと》まで やつと|来《き》かかる|折《をり》もあれ
|前代《ぜんだい》|未聞《みもん》の|烈風《れつぷう》に |吹《ふ》き|捲《まく》られし|腑甲斐《ふがひ》なさ
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》を|初《はじ》めとし |吾等《われら》|弱虫《よわむし》|三人《さんにん》は
|木《き》の|根《ね》に|確《しか》としがみつき |冷《つめた》き|風《かぜ》に|煽《あふ》られて
|戦《をのの》き|居《ゐ》たる|浅間《あさま》しさ |夜《よ》は|森々《しんしん》と|更《ふ》け|渡《わた》り
キヤツキヤツキヤツと|猿《さる》の|声《こゑ》 |瞬《またた》く|間《うち》に|数千匹《すせんびき》
|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|取巻《とりま》いて |威喝《ゐかつ》したのが|吾々《われわれ》の
|小癪《こしやく》にさはり|腹《はら》を|立《た》て |睨《にら》み|佇《たたず》む|折《をり》もあれ
|猿《ましら》の|奴《やつ》め|増長《ぞうちやう》して おひおひ|近《ちか》より|攻《せ》めかかる
|伊太公《いたこう》さまが|鼻《はな》|高《たか》く |長《なが》い|口上《こうじやう》|並《なら》べ|立《た》て
|呂律《ろれつ》も|合《あ》はぬ|宣伝歌《せんでんか》 |無性《むしやう》|矢鱈《やたら》に|歌《うた》ひ|出《だ》す
|流石《さすが》の|猿《さる》|奴《め》も|呆《あき》れ|果《は》て ザワザワザワと|騒《さわ》ぎつつ
チクチクチクと|攻《せ》め|寄《よ》する |伊太公《いたこう》の|奴《やつ》は|無謀《むぼう》にも
|猿《さる》の|一匹《いつぴき》|掴《つか》まへて |力《ちから》を|籠《こ》めて|突倒《つつたふ》す
サアそれからが|大変《たいへん》だ |小人数連《こにんずづ》れと|侮《あなど》つて
|衆《しう》を|恃《たの》んで|四方《しはう》から |爪《つめ》を|尖《とが》らせ|迫《せま》り|来《く》る
|中《なか》に|勝《すぐ》れた|大猿《おほざる》は |玉国別《たまくにわけ》の|後《うしろ》より
キヤツとも|何《なん》とも|吐《ぬか》さずに |二《ふた》つの|眼《まなこ》を|掻《か》き|潰《つぶ》し
|勝鬨《かちどき》あげて|逃《に》げて|行《ゆ》く |其《その》|外《ほか》|数多《あまた》の|小猿《こざる》|奴《め》は
|各自《てんで》に|石《いし》を|拾《ひろ》ひ|上《あ》げ |雨《あめ》や|霰《あられ》と|投《な》げつける
|危険《きけん》|刻々《こくこく》|迫《せま》り|来《き》て |如何《いかが》はせむと|思《おも》ふ|折《をり》
かすかに|聞《きこ》ゆる|宣伝歌《せんでんか》 |間《ま》もなく|獅子《しし》の|唸《うな》り|声《ごゑ》
|衆《しう》を|恃《たの》みし|猿《さる》|共《ども》も キヤツと|一声《ひとこゑ》|背《せ》を|向《む》けて
|雲《くも》を|霞《かすみ》と|山《やま》の|尾《を》を |伝《つた》つて|逃《に》げ|行《ゆ》く|面白《おもしろ》さ
|四辺《あたり》を|見《み》れば|此《こ》は|如何《いか》に |玉国別《たまくにわけ》の|神司《かむつかさ》
|眼《まなこ》を|押《おさ》へ|紅《くれなゐ》の |血潮《ちしほ》をトボトボ|落《おと》しつつ
|痛《いた》さを|堪《こら》へて|草《くさ》の|上《へ》に |蹲《しやが》みますこそ|悲《かな》しけれ
|吾等《われら》|三人《みたり》は|狼狽《らうばい》し |一先《ひとま》づ|伊太公《いたこう》を|谷川《たにがは》へ
|水筒《すゐとう》を|持《も》たして|水《みづ》|汲《く》みに |遣《つか》はしやれば|慌者《あわてもの》
|道《みち》に|水筒《すゐとう》を|遺失《ゐしつ》して |手持無沙汰《てもちぶさた》に|帰《かへ》り|来《く》る
|肝腎要《かんじんかなめ》の|此《この》|時《とき》に |間《ま》に|合《あ》はないとぼやきつつ
|純公《すみこう》|添《そ》へて|谷底《たにそこ》へ |再《ふたた》び|水《みづ》を|汲《く》みにやる
|何《なん》ぢや|彼《かん》ぢやと|大騒《おほさわ》ぎ |吾《わが》|師《し》の|君《きみ》は|土《つち》の|上《へ》に
|両手《りやうて》を|合《あは》せ|天地《あめつち》の |神《かみ》に|向《むか》つて|詫《わ》び|玉《たま》ふ
|神徳《しんとく》|忽《たちま》ち|現《あら》はれて |眼《まなこ》の|痛《いた》みは|軽減《けいげん》し
|漸《やうや》く|片目《かため》は|助《たす》かりて |再《ふたた》び|此《この》|世《よ》の|明《あか》りをば
|拝《をが》み|給《たま》ひし|嬉《うれ》しさよ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|恵《めぐみ》は|目《ま》のあたり |吾《われ》もそれより|皇神《すめかみ》の
|深《ふか》き|恵《めぐみ》を|覚《さと》り|得《え》て |心境《しんきやう》たちまち|一変《いつぺん》し
|挺《てこ》でも|棒《ぼう》でも|動《うご》かない |信神《しんじん》|堅固《けんご》の|信徒《まめひと》と
なり|変《かは》りたる|尊《たふと》さよ |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける |尊《たふと》き|道《みち》の|御教《おんをしへ》
|今更《いまさら》|思《おも》ひ|知《し》られたり |如何《いか》に|罪科《つみとが》|深《ふか》くとも
|誠心《まことごころ》に|祈《いの》りなば |広《ひろ》き|心《こころ》に|宣《の》り|直《なほ》し
|見直《みなほ》しまして|速《すみや》けく |許《ゆる》させ|給《たま》ふ|神《かみ》の|愛《あい》
|伊太公《いたこう》|純公《すみこう》|両人《りやうにん》よ |此処《ここ》は|名《な》に|負《お》ふ|急坂《きふはん》だ
|足《あし》の|爪先《つまさき》|気《き》をつけて |何卒《どうぞ》|怪我《けが》などして|呉《く》れな
|俺《おれ》もこれから|気《き》をつけて |板《いた》を|立《た》てた|如《や》うな|坂道《さかみち》を
いと|悠々《いういう》と|下《くだ》り|行《ゆ》く これも|全《まつた》く|皇神《すめかみ》の
|尊《たふと》き|恵《めぐみ》と|知《し》るからは |寸時《すんじ》も|神《かみ》を|忘《わす》れなよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|歌《うた》ひ|一行《いつかう》の|後《あと》について|下《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・一一・二六 旧一〇・八 北村隆光録)
第二篇 |月下《げつか》の|古祠《ふるほこら》
第六章 |祠前《ほこらのまへ》〔一一五七〕
|山猿《やまざる》どものつどひたる |懐谷《ふところだに》を|後《あと》にして
|片目《かため》を|取《と》られし|神司《かむつかさ》 |玉国別《たまくにわけ》の|一行《いつかう》は
|岩石《がんせき》|崎嶇《きく》たる|急坂《きふはん》を |一足《ひとあし》|一足《ひとあし》|力《ちから》|入《い》れ
|南《みなみ》をさして|下《くだ》り|行《ゆ》く |又《また》もや|吹《ふ》き|来《く》る|烈風《れつぷう》に
|笠《かさ》をむしられ|裳裾《もすそ》をば |捲《ま》くられながら【しと】しとと
|眼《まなこ》を|据《す》ゑてアブト|式《しき》に どんどんどんと|膝栗毛《ひざくりげ》
|吾物顔《わがものがほ》に|下《くだ》りゆく |御供《みとも》に|仕《つか》へし|伊太公《いたこう》は
|皺枯声《しわがれごゑ》を|張《は》り|上《あ》げて |一足《ひとあし》|一足《ひとあし》|拍子《へうし》|取《と》り
|汗《あせ》をタラタラ|流《なが》しつつ |冷《つめ》たき|風《かぜ》を|苦《く》にもせず
|伊太公《いたこう》『「ウントコドツコイドツコイシヨ」 |玉国別《たまくにわけ》に|従《したが》ひて
|斎苑《いそ》の|館《やかた》を|出立《しゆつたつ》し |意気《いき》|揚々《やうやう》と|膝栗毛《ひざくりげ》
|上《のぼ》りつ|下《くだ》りつ|進《すす》み|来《く》る |今《いま》|吹《ふ》く|風《かぜ》よりひどいやつ
どつと|許《ばか》りにやつて|来《き》て |俺等《わしら》の|体《からだ》を|中天《ちうてん》に
|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》も|荒風《あらかぜ》|奴《め》 |吹《ふ》き|散《ち》らさむとした|故《ゆゑ》に
|用心《ようじん》|深《ぶか》い|宣伝使《せんでんし》 |吾《わが》|師《し》の|君《きみ》は|吾々《われわれ》を
|労《いた》はりたまひ|道端《みちばた》の |木《き》の|根《ね》に|確《しつか》と【しがみ】つき
「ウントコドツコイ|危《あぶ》ないぞ」 |又《また》もや|風《かぜ》が|吹《ふ》いて|来《き》た
うつかりしてると|散《ち》らされる これこれ|二人《ふたり》の|供《とも》の|者《もの》
|確《しつか》り|木《き》の|根《ね》に|喰《くら》ひつき |風《かぜ》の|通《とほ》るを|待《ま》つがよい
などとドツコイ|仰有《おつしや》つた これ|幸《さいは》ひと|三人《さんにん》は
|轟《とどろ》く|胸《むね》を|撫《な》でながら |慄《ふる》ひ|戦《をのの》き|夜《よ》を|明《あ》かし
|又《また》もや|吹《ふ》き|来《く》る|荒風《あらかぜ》に |吾《わが》|身《み》|大事《だいじ》と|一散《いつさん》に
|懐谷《ふところだに》に|駆《か》けつけて |避難《ひなん》なしける|折柄《をりから》に
「アイタヽヽタツタ コン|畜生《ちくしやう》」 |高《たか》い|石《いし》めに|躓《つまづ》いた
|猿公《さるこう》の|奴《やつ》めがやつて|来《き》て |畜生《ちくしやう》だてら|吾々《われわれ》に
|揶揄《からか》ひやがる「ウントコシヨ」 それ|見《み》る|度《たび》に「ウントコシヨ」
|癪《しやく》に|触《さは》つて|耐《たま》らない |遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》も|知《し》らぬ|奴《やつ》
とうとう|側《そば》へやつて|来《き》た |伊太公《いたこう》さまは「ウントコシヨ」
|腕《うで》に|力《ちから》を|籠《こ》めながら お|猿《さる》を|一匹《いつぴき》|突《つ》き|倒《たふ》す
キヤツ キヤツ キヤツ キヤツと|吠《ほえ》|乍《なが》ら |縦横無尽《じうわうむじん》に「ウントコシヨ」
|群《むら》がり|掛《かか》る|恐《おそ》ろしさ |大猿《おほざる》の|奴《やつ》めが|飛《と》んで|来《き》て
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》の|両眼《りやうがん》を キヤツとも|何《なん》とも|吐《ほざ》かずに
|背中《せなか》の|方《はう》から|掻《か》きむしり ドテライ|羽目《はめ》に|落《おと》しよつた
|俺《おれ》は|谷川《たにがは》へ|水汲《みづく》みに いつた|所《ところ》が「ドツコイシヨ」
|肝腎要《かんじんかなめ》の|水筒《すゐとう》を |小柴《こしば》の|中《なか》へ「ヤツトコシヨ」
|落《おと》した|時《とき》の|阿呆《あはう》らしさ |道公《みちこう》さまにクドクドと
お|小言《こごと》|計《ばか》り|頂戴《ちやうだい》し |俺《おれ》の|立《た》つ|瀬《せ》はあるものか
アタ|阿呆《あはう》らしい「ドツコイシヨ」 |純公《すみこう》さまの|手《て》を|引《ひ》いて
|水筒《すゐとう》の|所在《ありか》を|尋《たづ》ねむと |下《くだ》つて|往《ゆ》けば|草《くさ》の|上《うへ》
|平気《へいき》の|平左《へいざ》で|水筒《すゐとう》|奴《め》が |素知《そし》らぬ|顔《かほ》して|寝《ね》て|居《ゐ》よる
|確《しつか》りせぬかと|尻《しり》たたき |純公《すみこう》さまが【ひん】|握《にぎ》り
|深《ふか》き|谷間《たにま》に|下《お》りたつて |突《つ》つ|込《こ》む|水筒《すゐとう》ブルブルブル
|屁《へ》のよな|泡《あわ》を|吹《ふ》き|乍《なが》ら |腹《はら》|一杯《いつぱい》に|飲《の》みよつた
|今度《こんど》は|落《おと》しちやならないと グツと|素首《そつくび》【ひん】|握《にぎ》り
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》の|御前《おんまへ》に |持《も》ち|帰《かへ》り|来《き》て|両眼《りやうがん》を
|洗《あら》へば「ドツコイドツコイシヨ」 |俄《にはか》に|止《と》まる|眼《め》の|痛《いた》み
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|御神徳《ごしんとく》 あゝ|有難《ありがた》や|尊《たふと》やと
|両手《りやうて》を|合《あは》せ|拝《をが》む|折《をり》 |脚下《きやくか》に|聞《きこ》ゆる|宣伝歌《せんでんか》
こいつはテツキリ|三五《あななひ》の |神《かみ》の|司《つかさ》に|相違《さうゐ》ない
これより|後《あと》を|追《お》つかけて 「ウントコドツコイ」|鎮魂《ちんこん》を
|願《ねが》つて|眼病《がんびやう》の|全快《ぜんくわい》を |祈《いの》つて|貰《もら》はふと|願《ねが》うたら
|律儀《りちぎ》|一方《いつぱう》の|宣伝使《せんでんし》 なかなか|縦《たて》に|首《くび》ふらぬ
|吾《われ》は|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》 |心《こころ》の|油断《ゆだん》につけ|込《こ》まれ
|畜生原《ちくしやうばら》に|目《め》をとられ |何《なん》の|顔色《かんばせ》あるものぞ
|頼《たの》むでないと「ウントコシヨ」 「ヤツトコドツコイ」|危《あぶ》ないぞ
なかなか|許《ゆる》して|下《くだ》さらぬ |俺《おれ》も|因果《いんぐわ》の|腰《こし》を|据《す》ゑ
もう|此《この》|上《うへ》は|神様《かみさま》に お|願《ねが》ひするより|道《みち》はない
|枯草《かれくさ》の|上《へ》にどつと|坐《ざ》し |両手《りやうて》を|合《あは》せ|惟神《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませと |祈《いの》りし|甲斐《かひ》もありありと
パツと|開《ひら》いた|左《ひだり》の|目《め》 あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|恵《めぐみ》は|目《ま》のあたり 「ウントコドツコイ ドツコイシヨ」
これから|先《さき》はだんだんと |坂《さか》がはげしくなるやうだ
|純公《すみこう》|気《き》をつけ|道公《みちこう》さま お|前《まへ》の|足許《あしもと》|危《あぶ》ないぞ
|俺《おれ》もなんだか|膝坊子《ひざばうず》 キヨクリ キヨクリと|吐《ぬか》しよる
ほんに|困《こま》つた|坂《さか》だなア アイタヽヽヽつまづいた
|躓《つまづ》く|石《いし》も|縁《えん》のはし |一樹《いちじゆ》の|影《かげ》の|雨宿《あまやど》り
|一河《いつか》の|流《なが》れを|汲《く》むさへも |深《ふか》き|縁《えにし》と|聞《き》く|上《うへ》は
「ウントコドツコイ|躓《つまづ》いた」 |憎《にく》い|石《いし》でも「ドツコイシヨ」
|余《あんま》り|捨《す》てたものぢやない あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましまして |一日《ひとひ》も|早《はや》く|月《つき》の|国《くに》
ハルナの|都《みやこ》へドウドウと |進《すす》ませ|給《たま》へ|三五《あななひ》の
|皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に |慎《つつし》み|敬《うやま》ひ|願《ね》ぎまつる
「アイタタツタ|又《また》|倒《こ》けた」』
|純公《すみこう》は|又《また》|唄《うた》ふ。
『|河鹿峠《かじかたうげ》の|山《やま》の|尾《を》を |吹《ふ》く|木枯《こがらし》に|木々《きぎ》の|葉《は》は
|敢《あへ》なく|散《ち》りて|羽衣《はごろも》を |脱《ぬ》いで|捨《す》てたる|枯木原《かれきはら》
|冬野《ふゆの》の|如《ごと》くなりにけり |秋《あき》の|山野《やまの》を|飾《かざ》りたる
|黄金姫《わうごんひめ》の|紅葉《こうえう》も |夕日《ゆふひ》に|清照姫《きよてるひめ》の|木《き》も
|今《いま》は|全《まつた》く「ドツコイシヨ」 |憐《あは》れ|果《は》かなくなりにけり
|小猿《こざる》の|奴《やつ》に|目《め》の|玉《たま》を 「ウントコドツコイ」|引抜《ひきぬ》かれ
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》は|嘸《さぞ》やさぞ |残念《ざんねん》だらう|無念《むねん》だらう
「ヤツトコドツコイ ドツコイシヨ」 |足許《あしもと》|用心《ようじん》するがよい
|高《たか》い|石《いし》|奴《め》が|並《なら》んで|居《ゐ》る |小面《こづら》の|憎《にく》い|猿《さる》の|奴《やつ》
|天《あめ》と|地《つち》との|経綸者《けいりんしや》 |万《よろづ》の|物《もの》の|霊長《れいちやう》と
|生《うま》れ|出《い》でたる|人間《にんげん》を |馬鹿《ばか》にしやがる「ドツコイシヨ」
どうしてこれが|世《よ》の|人《ひと》に |話《はなし》がならうか|恥《はづ》かしや
|三人《みたり》の|供《とも》がありながら |肝腎要《かんじんかなめ》のお|師匠《ししやう》を
「ウントコドツコイ」むごい|目《め》に |遇《あ》はして|何《なん》と|申《まを》し|訳《わけ》
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の |御前《みまへ》に|申《まを》し|上《あ》げられよか
|思《おも》へば|思《おも》へば|腑甲斐《ふがひ》ない |話《はなし》にならぬ|御供達《おともたち》
これから|何《いづ》れも|気《き》をつけて |吾《わが》|師《し》の|君《きみ》の|身辺《しんぺん》を
|守《まも》らにやならぬ|道公《みちこう》よ |伊太公《いたこう》も|確《しつか》りするがよい
アイタヽタツタ|躓《つまづ》いた |厄介《やくかい》|至極《しごく》の|坂道《さかみち》だ
うかうかしとれば|玉《たま》の|緒《を》の |命《いのち》も|取《と》られて|仕舞《しま》ふぞよ
こんなところで|斃《くた》ばつて どうして|天地《てんち》の|神様《かみさま》へ
|何《なん》と|云《い》ひ|訳《わけ》|立《た》つものか 「ウントコドツコイ コレワイナ」
|又々《またまた》きつい|風《かぜ》が|吹《ふ》く |頭《あたま》の|先《さき》から|爪《つめ》の|先《さき》
|腰《こし》の|廻《まは》りに|気《き》をつけて |一歩々々《ひとあしひとあし》|力《ちから》|籠《こ》め
「ウントコドツコイ」|此《この》|坂《さか》を エンヤラヤツと|下《くだ》らうか
|黄金姫《わうごんひめ》や|清照姫《きよてるひめ》の |貴《うづ》の|司《つかさ》は|此《この》|坂《さか》を
どうして|下《くだ》つて|往《ゆ》かれたか その|御艱難《ごかんなん》こそ|思《おも》ひやる
|照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》 |三人《みたり》の|供《とも》と|諸共《もろとも》に
|此所《ここ》を|通《とほ》らせたまうたに |違《ちが》ひあるまい「ウントコシヨ」
キツト|功名《こうみやう》お|手柄《てがら》を |七千余国《しちせんよこく》の|国々《くにぐに》で
お|立《た》てなさるで|厶《ござ》らうぞ |何程《なにほど》|大将《たいしやう》が|偉《えら》うても
|附《つ》き|添《そ》ふ|奴《やつ》が|悪《わる》ければ |力《ちから》|一《いつ》ぱい|動《うご》けない
|純公《すみこう》さまの|云《い》ふ|事《こと》が お|前《まへ》のお|気《き》に|触《さは》つたら
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ |決《けつ》して|決《けつ》して|悪《わる》い|事《こと》は
「ウントコドツコイ」|云《い》はぬぞよ』
|斯《か》く|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|八分《はちぶ》|許《ばか》り|毀《こは》れた|祠《ほこら》の|前《まへ》に|下《くだ》りついた。
|玉国別《たまくにわけ》『お|蔭《かげ》で|目《め》の|痛《いた》みも|余程《よほど》|軽減《けいげん》したが|何《なん》だか|些《すこ》し|許《ばか》り|頭《あたま》がメキメキして|来《き》た。|幸《さいは》ひ|此処《ここ》に|広場《ひろば》があり、|毀《こぼ》れた|祠《ほこら》が|立《た》つて|居《ゐ》る、|何神様《なにがみさま》がお|祭《まつ》りしてあるか|知《し》らぬが、|此処《ここ》で|一息《ひといき》して|往《ゆ》かうぢやないか』
|道公《みちこう》『ハイ、それが|宜敷《よろし》う|厶《ござ》いませう、|貴方《あなた》は|御病症《ごびやうしやう》の|御身《おんみ》の|上《うへ》、|無理《むり》をなさつてはいけませぬ。|今日《けふ》|計《ばか》りでない|明日《あす》も|明後日《あさつて》もあるのですから、|緩《ゆる》りと|御休息《ごきうそく》なさいませ。|道公《みちこう》も|大変《たいへん》|疲《つか》れましたからおつきあひを|致《いた》しませう』
|玉国別《たまくにわけ》は|諾《うなづ》き|乍《なが》ら|蓑《みの》を|大地《だいち》にパツと|敷《し》いて|其《その》|上《うへ》にドツカと|腰《こし》を|下《おろ》し、|古祠《ふるほこら》の|前《まへ》に|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|初《はじ》めた。|三人《さんにん》も|同《おな》じく|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》する。
|玉国別《たまくにわけ》『|何神《なにがみ》を|祭《まつ》りし|祠《ほこら》かしらねども
いたいたしくもなりましにける。
よし|宮《みや》は|毀《こは》れたりとも|神実《かむざね》は
|常磐堅磐《ときはかきは》に|鎮《しづ》まりまさむ。
|国治立神《くにはるたちのかみ》の|命《みこと》も|時《とき》を|得《え》ず
|根底《ねそこ》の|国《くに》に|隠《かく》れましぬる。
あゝ|吾《われ》は|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》|蒙《かかぶ》りて
|此《この》|地《ち》の|上《うへ》に|勇《いさ》み|居《を》るかな。
|神様《かみさま》の|国《くに》に|生《うま》れて|神様《かみさま》を
|斎《いつ》かぬ|奴《やつ》ぞ|醜《しこ》の|曲津見《まがつみ》。
この|社《やしろ》|見《み》るにつけても|思《おも》ふかな
|天《あま》の|日澄《ひす》みの|宮《みや》は|如何《いか》にと。
エルサレム|昔《むかし》の|姿《すがた》|消《き》え|果《は》てて
|今《いま》は|淋《さび》しき|凩《こがらし》の|吹《ふ》く。
|惟神《かむながら》|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あ》れまして
|世《よ》を|治《をさ》めます|時《とき》ぞ|待《ま》たるる。
|吾《わが》|思《おも》ふ|心《こころ》の|儘《まま》になるならば
|千木高知《ちぎたかし》れる|宮居《みやゐ》を|建《た》てむ。
たてとほす|誠《まこと》の|道《みち》の|強《つよ》ければ
|珍《うづ》の|宮居《みやゐ》もやがて|建《た》つべし。
|伏《ふ》し|拝《をが》む|祠《ほこら》の|前《まへ》に|涙《なみだ》して
|我《わが》|大神《おほかみ》の|行方《ゆくへ》しのばゆ。
|世《よ》をしのび|人草《ひとぐさ》を|救《すく》ふ|素盞嗚《すさのを》の
|神《かみ》の|命《みこと》ぞ|尊《たふと》かりけり。
|自凝《おのころ》の|島《しま》にまします|国武彦《くにたけひこ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|慕《した》はしきかな。
|玉照彦《たまてるひこ》|貴《うづ》の|命《みこと》や|玉照姫《たまてるひめ》
|如何《いかが》まさむと|空《そら》を|仰《あふ》ぎつ』
|道公《みちこう》『|神《かみ》の|道《みち》|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|進《すす》む|身《み》は
やがて|届《とど》かむ|勝利《しようり》の|都《みやこ》へ。
|瑞御魂《みづみたま》|厳《いづ》の|御魂《みたま》と|諸共《もろとも》に
|三五教《あななひけう》を|築《きづ》きましけり。
|三五《あななひ》の|道《みち》に|仕《つか》へし|吾《われ》なれば
|醜《しこ》の|曲津《まがつ》の|如何《いか》で|襲《おそ》はむ。
|惟神《かむながら》|神《かみ》より|外《ほか》に|何《なに》もなし
|親《おや》も|子《こ》もなき|吾《わが》|身《み》なりせば』
|伊太公《いたこう》『|吾《われ》は|今《いま》|神《かみ》の|司《つかさ》に|従《したが》ひて
|神《かみ》の|大路《おほぢ》の|坂《さか》|歩《あゆ》むなり。
|此《この》|祠《ほこら》|如何《いか》なる|神《かみ》のましますか
|知《し》らずながらも|祈《いの》りたくなりぬ。
いろいろと|神《かみ》の|御名《おんな》はかはれども
|国治立《くにはるたち》のみすゑなるらむ。
|皇神《すめかみ》よ|行先《ゆくさき》|幸《さき》く|守《まも》りませ
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》の|御身《おんみ》はことさら。
|行《ゆ》く|先《さき》に|如何《いか》なる|曲《まが》のさやるとも
|神《かみ》の|息吹《いぶき》に|払《はら》はせたまへ』
|純公《すみこう》『|村肝《むらきも》の|心《こころ》の|月《つき》の|清《きよ》ければ
|如何《いか》なる|曲《まが》もさやらざらまし。
|三五《あななひ》の|月《つき》の|教《をしへ》を|守《まも》りつつ
|月《つき》の|御国《みくに》へ|吾《われ》|進《すす》むなり。
|月《つき》の|国《くに》ハルナの|都《みやこ》に|蟠《わだかま》る
|八岐大蛇《やまたをろち》を|如何《いか》に|救《すく》はむ。
|曲神《まがかみ》も|皆《みな》|皇神《すめかみ》の|御子《みこ》ならば
|吾等《われら》は|如何《いか》で|憎《にく》むべしやは』
|玉国別《たまくにわけ》『|玉国別《たまくにわけ》|神《かみ》の|司《つかさ》は|今日《けふ》よりは
|神《かみ》のまにまに|進《すす》み|往《ゆ》くべし。
|斎苑館《いそやかた》|神《かみ》の|御言《みこと》を|蒙《かかぶ》りて
|吾等《われら》|四人《よにん》は|大道《おほぢ》ゆくなり。
|河鹿山《かじかやま》|峰《みね》の|嵐《あらし》は|強《つよ》くとも
|如何《いか》で|恐《おそ》れむ|神《かみ》の|兵士《つはもの》。
|吹《ふ》く|風《かぜ》に|煽《あふ》られながら|進《すす》み|行《ゆ》く
|神《かみ》の|司《つかさ》ぞ|雄々《をを》しかりけり。
バラモンの|軍《いくさ》の|司《つかさ》|行《ゆ》く|先《さき》に
|攻《せ》め|来《きた》るとも|刃向《はむか》ふなゆめ。
さり|乍《なが》ら|千騎一騎《せんきいつき》の|時《とき》|来《く》れば
|神《かみ》のゆるしを|受《う》けて|動《うご》かむ。
|動《うご》きなき|玉《たま》の|御柱《みはしら》|撞固《つきかた》め
|愛善《あいぜん》の|道《みち》|伝《つた》へ|行《ゆ》くなり』
|道公《みちこう》『|皇神《すめかみ》の|道《みち》にさやりし|曲神《まがかみ》を
|言向《ことむ》け|進《すす》む|身《み》の|幸《さち》|楽《たの》しも。
|此《この》|森《もり》の|千歳《ちとせ》の|松《まつ》に|言《こと》とはむ
|国治立《くにはるたち》の|神《かみ》の|昔《むかし》を。
|此《この》|森《もり》の|千歳《ちとせ》の|松《まつ》の|物《もの》|言《い》はば
|神代《かみよ》の|昔《むかし》|聞《き》かましものを。
|過《す》ぎ|去《さ》りし|昔《むかし》の|夢《ゆめ》を|辿《たど》りつつ
|夢《ゆめ》の|浮世《うきよ》に|長《なが》らへてゆく。
|現世《うつしよ》も|又《また》|幽世《かくりよ》も|神《かみ》の|世《よ》も
すべ|守《まも》ります|国《くに》の|祖神《おやがみ》。
|三五《あななひ》の|道《みち》を|立《た》てたる|神柱《かむばしら》
|神素盞嗚《かむすさのを》の|尊《みこと》|畏《かしこ》き。
|素盞嗚《すさのを》の|瑞《みづ》の|御魂《みたま》にかなひなば
|如何《いか》なる|曲《まが》も|背《そむ》かざるらむ。
|吾《われ》は|今《いま》|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|守《まも》られて
|師《し》の|君《きみ》に|従《したが》ひ|宣伝《せんでん》の|旅《たび》|行《ゆ》く。
ゆく|先《さき》は|空《そら》|照《て》り|渡《わた》る|月《つき》の|国《くに》
ハルナの|都《みやこ》と|聞《き》くは|勇《いさ》まし』
|伊太公《いたこう》『|暫《しばら》くは|嵐《あらし》|吹《ふ》けどもやがて|又《また》
|花《はな》|咲《さ》く|春《はる》に|遇《あ》はむと|楽《たの》しむ。
|山々《やまやま》の|諸木《もろき》の|末《すゑ》に|至《いた》るまで
|冬《ふゆ》ごもりして|時《とき》をまつなり。
|田鶴《たづ》|巣《すく》ふ|此《こ》の|松ケ枝《まつがえ》は|夏冬《なつふゆ》の
わかちも|知《し》らに|栄《さか》えけるかも。
|鶯《うぐひす》の|谷《たに》の|戸《と》あけて|出《で》る|春《はる》を
まつも|嬉《うれ》しき|宣伝《せんでん》の|旅《たび》。
|杜鵑《ほととぎす》|八千八声《はつせんやこゑ》を|鳴《な》き|涸《か》らし
|黄金《こがね》|花《はな》|咲《さ》く|秋《とき》をまちぬる。
|冬《ふゆ》|来《き》ぬと|目《め》にはさやかに|見《み》えねども
|空《そら》|吹《ふ》く|風《かぜ》にそれと|偲《しの》ばる。
|此《この》|森《もり》に|常磐堅磐《ときはかきは》に|在《いま》す|神《かみ》
|吾等《われら》を|永久《とは》に|守《まも》らせ|給《たま》へ』
|純公《すみこう》『|澄《す》み|渡《わた》る|秋《あき》の|大空《おほぞら》|眺《なが》むれば
|忽《たちま》ち|起《おこ》る|醜《しこ》の|黒雲《くろくも》。
|時雨《しぐれ》して|晴《は》れ|往《ゆ》く|後《あと》に|初冬《はつふゆ》の
|月《つき》は|御空《みそら》に|輝《かがや》きにけり。
|日《ひ》は|既《すで》に|西山《にしやま》の|端《は》に|舂《うすづ》きて
うら|淋《さび》しくもなりにけらしな。
さりながら|神《かみ》の|心《こころ》にかへりなば
|夜昼《よるひる》しらに|賑《にぎは》しと|思《おも》ふ。
いざさらば|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》よ|立《た》ち|給《たま》へ
やがては|広《ひろ》き|道《みち》に|出《い》でまさむ』
|玉国別《たまくにわけ》『|有難《ありがた》し|眼《まなこ》の|痛《いた》み|今《いま》は|早《はや》
うち|忘《わす》れたり|神《かみ》の|恵《めぐ》みに。
いざさらば|三人《みたり》の|供《とも》よ|神《かみ》の|前《まへ》に
|祝詞《のりと》|捧《ささ》げて|立《た》ち|出《い》で|往《ゆ》かむ。
|有《あ》り|難《がた》し|尊《たふと》き|神《かみ》の|御前《おんまへ》に
|息《いき》やすめたる|恵《めぐみ》を|嬉《うれ》しむ。
|御恵《みめぐみ》の|露《つゆ》は|木《こ》の|葉《は》の|末《すゑ》までも
きらめき|渡《わた》る|月《つき》の|夜半《よは》なり。
|望《もち》の|夜《よ》の|月《つき》は|御空《みそら》に|出《い》でましぬ
|山蔭《やまかげ》あかくなりしと|思《おも》へば』
|斯《か》く|歌《うた》ひ|終《をは》り|祠《ほこら》の|神《かみ》に|別《わか》れを|告《つ》げ、|立《た》ち|出《い》でむとする|時《とき》しもあれ、|前方《ぜんぱう》より|駒《こま》の|蹄《ひづめ》の|音《おと》|騒々《さうざう》しく|聞《きこ》え|数百騎《すうひやくき》の|兵士《つはもの》|時々刻々《じじこくこく》|此方《こなた》をさして|進《すす》み|来《きた》る。|玉国別《たまくにわけ》|外《ほか》|三人《さんにん》は|此《この》|物音《ものおと》に|耳《みみ》をすませ|何者《なにもの》ならむと|双手《もろて》を|組《く》み|思案《しあん》に|暮《く》れて|居《ゐ》た。|今《いま》の|物音《ものおと》は|大黒主《おほくろぬし》の|部下《ぶか》|鬼春別《おにはるわけ》|将軍《しやうぐん》の|先鋒隊《せんぽうたい》が|斎苑《いそ》の|館《やかた》に|向《むか》つて|進軍《しんぐん》し|来《きた》るのである。あゝ|玉国別《たまくにわけ》|一行《いつかう》の|運命《うんめい》は|如何《いか》に|成《な》り|行《ゆ》くならむか。
(大正一一・一一・二六 旧一〇・八 加藤明子録)
第七章 |森議《しんぎ》〔一一五八〕
|斎苑《いそ》の|館《やかた》を|立出《たちい》でて |悪魔《あくま》の|征討《せいたう》に|上《のぼ》りゆく
|玉国別《たまくにわけ》の|一行《いつかう》は |河鹿峠《かじかたうげ》に|出会《でくわ》した
レコード|破《やぶ》りの|烈風《れつぷう》を |遁《のが》れむものと|懐《ふところ》の
|谷間《たにま》に|身《み》をば|忍《しの》ばせつ |山猿《やまざる》|共《ども》に|両眼《りやうがん》を
|掻《か》きむしられて|暫《しばら》くは |悲惨《ひさん》の|幕《まく》を|下《おろ》せしが
|漸《やうや》く|神《かみ》の|御助《みたす》けに |一眼《いちがん》のみは|全快《ぜんくわい》し
|勇《いさ》み|進《すす》んで|河鹿山《かじかやま》 |峠《たうげ》の|南《みなみ》に|下《くだ》り|行《ゆ》く
|日《ひ》は|西山《せいざん》に|舂《うすづ》きて |黄昏《たそがれ》|近《ちか》き|晩秋《ばんしう》の
|空《そら》に|輝《かがや》く|月影《つきかげ》を |力《ちから》と|頼《たの》み|古《ふる》ぼけし
|祠《ほこら》の|前《まへ》に|一行《いつかう》は |息《いき》を|休《やす》らひ|立上《たちあが》り
|互《たがひ》に|歌《うた》を|詠《よ》みかはし |又《また》もやここを|立出《たちい》でて
|前進《ぜんしん》せむと|思《おも》ふ|折《をり》 |坂《さか》の|下《した》より|聞《きこ》え|来《く》る
|駒《こま》の|嘶《いなな》き|人《ひと》の|声《こゑ》 |訝《いぶ》かしさよと|立《た》ち|止《ど》まり
|耳《みみ》をすまして|窺《うかが》へば |鬼春別《おにはるわけ》の|率《ひき》ゐたる
|先鋒隊《せんぽうたい》と|知《し》られたり スワ|一大事《いちだいじ》|兎《と》も|角《かく》も
|敵《てき》の|様子《やうす》を|探《さぐ》らむと |常磐木《ときはぎ》|茂《しげ》る|森蔭《もりかげ》を
これ|幸《さいは》ひと|奥《おく》|深《ふか》く |忍《しの》びて|待《ま》つこそ|危《あやふ》けれ。
|玉国別《たまくにわけ》は|俄《にはか》に|聞《きこ》ゆる|人馬《じんば》の|物音《ものおと》に|噂《うはさ》に|聞《き》くハルナの|都《みやこ》の|大黒主《おほくろぬし》の|軍勢《ぐんぜい》、|我《わが》|大神《おほかみ》の|鎮《しづ》まります|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|魔軍《まぐん》を|引《ひき》つれ|進撃《しんげき》せむとするものならむ、|何《なに》は|兎《と》もあれ、|此《この》|森蔭《もりかげ》を|幸《さいは》ひ|様子《やうす》を|窺《うかが》はむ……と|三人《さんにん》に|目配《めくば》せし|乍《なが》ら、|祠《ほこら》の|裏《うら》|深《ふか》く、|樹蔭《こかげ》に|身《み》を|隠《かく》した。|望《もち》の|夜《よ》の|月《つき》は|皎々《かうかう》と|照《て》り|輝《かがや》け|共《ども》、|常磐木《ときはぎ》の|老樹《らうじゆ》の|枝《えだ》を|以《もつ》て|天《てん》を|封《ふう》じた|祠《ほこら》の|森《もり》は、|際立《きはだ》つて|暗《くら》い。|併《しか》し|乍《なが》ら|祠《ほこら》の|前《まへ》は|少《すこ》し|広庭《ひろには》があつて、|木立《こだち》も|疎《まばら》なる|為《ため》、|森《もり》の|中《なか》よりハツキリと|庭《には》の|小石《こいし》|迄《まで》が|見《み》えてゐる。|道公《みちこう》は|声《こゑ》をひそめて、
『モシ|先生様《せんせいさま》、アリヤ|一体《いつたい》|何者《なにもの》で|厶《ござ》いませうかな。あの|物音《ものおと》にて|察《さつ》すれば、|余程《よほど》の|人数《にんず》と|見《み》えます。|此《この》|様《やう》な|急坂《きふはん》を|隊《たい》を|組《く》んで|登《のぼ》つて|来《く》るとは、|合点《がてん》の|行《い》かぬ|話《はなし》ぢやありませぬか。|貴方《あなた》は|其《その》|物音《ものおと》を|聞《き》くなり、|直様《すぐさま》|此《この》|森蔭《もりかげ》にお|忍《しの》びになりましたが、|又《また》しても|卑怯《ひけふ》な|奴《やつ》と、|神様《かみさま》にお|叱《しか》りを|蒙《かうむ》り、|折角《せつかく》|助《たす》けて|貰《もら》つた|一箇《ひとつ》の|目《め》を|猿《さる》どもにえぐり|取《と》られるやうな|事《こと》は|厶《ござ》いますまいか。|烈風《れつぷう》に|恐《おそ》れて|右《みぎ》の|目《め》を|神様《かみさま》から|間接《かんせつ》に|取上《とりあ》げられ、|貴方《あなた》は|神業《しんげふ》をおろそかに|致《いた》した|罪《つみ》ぢやと|云《い》つて、|神様《かみさま》にお|詫《わび》をなさつたでせう。まだ|其《そ》の|舌《した》の|根《ね》の|乾《かわ》かぬ|先《さき》に、|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》が|人馬《じんば》の|足音《あしおと》を|聞《き》いて、|斯様《かやう》な|所《ところ》へお|忍《しの》びになるとはチツと|卑怯《ひけふ》ではありますまいか。|若《も》しも|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|進撃《しんげき》するバラモン|教《けう》の|軍隊《ぐんたい》であらうものなら、それこそ|宣伝使《せんでんし》の|職務《しよくむ》はゼロでせう。どうしてもここで|喰《く》ひ|止《と》めなくては、|貴方《あなた》のお|顔《かほ》が|立《た》ちますまい。アレアレ|早《はや》くも|祠《ほこら》の|前《まへ》に|騎馬《きば》の|軍卒《ぐんそつ》が|現《あら》はれました。|一《ひと》つ|此《この》|辺《へん》で|出《だ》しぬけに|言霊《ことたま》を|打出《うちだ》さうぢやありませぬか』
|玉国別《たまくにわけ》は|小声《こごゑ》になつて、|手《て》で|空《くう》を|押《おさ》へるやうにして、
『お|前《まへ》のいふも|一応《いちおう》|尤《もつと》もだが、さう|急《いそ》ぐに|及《およ》ばない。マアとつくりと|様子《やうす》を|聞《き》いた|上《うへ》、|臨機《りんき》|応変《おうへん》の|策《さく》を|施《ほどこ》せば|良《い》いぢやないか。わしも|今《いま》|頭《あたま》が|痛《いた》んで|仕方《しかた》がないから、|言霊《ことたま》の|使用《しよう》|機関《きくわん》たる|肉体《にくたい》を|完全《くわんぜん》に|修理《しうり》した|上《うへ》でなくては|思《おも》ふやうに|働《はたら》けない。お|前等《まへたち》|三人《さんにん》の|言霊《ことたま》に|力《ちから》さへあれば、わしは|只《ただ》|司令官《しれいくわん》の|地位《ちゐ》に|立《た》つて|采配《さいはい》を|揮《ふる》つて|居《を》れば|良《よ》いのだが、|一切万事《いつさいばんじ》|今《いま》の|所《ところ》では、|自分《じぶん》|一人《ひとり》で|主要《しゆえう》なる|職務《しよくむ》をやつてのけねばならぬのだから、マアさう|急《いそ》がずに|私《わし》の|言《い》ふ|通《とほ》りになつて|居《ゐ》るがよからうぞ』
|道公《みちこう》『モシ|先生《せんせい》、|信心《しんじん》に|古《ふる》い|新《あたら》しいはないぢやありませぬか。|私《わたし》の|言霊《ことたま》が|信用《しんよう》|出来《でき》ないやうに|仰有《おつしや》いましたが、|貴方《あなた》のお|声《こゑ》も|吾々《われわれ》の|声《こゑ》も、ヤツパリ|其《その》|原料《げんれう》は|同《おな》じ|神様《かみさま》の|水火《すゐくわ》のイキを|調合《てうがふ》されたものでせう。|千騎一騎《せんきいつき》になれば、キツと|神様《かみさま》は|応援《おうゑん》して|下《くだ》さるでせう。あれ|御覧《ごらん》なさいませ、|祠《ほこら》の|前《まへ》にだんだんと|妙《めう》な|影《かげ》が|殖《ふ》えて|来《く》るぢやありませぬか。|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|皆《みんな》|馬《うま》に|乗《の》つて|居《を》ります。エーエ、|腕《うで》が|鳴《な》りますわい、これだから|猪突主義《ちよとつしゆぎ》も|何《なん》だが、|余《あま》り|退嬰主義《たいえいしゆぎ》の|先生《せんせい》も|困《こま》つたものだ。|予定《よてい》の|退却《たいきやく》ばかりやつてゐては、|千年《せんねん》|万年《まんねん》|経《た》つたとても、ハルナの|都《みやこ》までは|行《ゆ》けませぬぞえ』
|玉国別《たまくにわけ》『さう|血気《けつき》にはやるものではない。|軽々《かるがる》しく|進《すす》んで|却《かへつ》て|敵《てき》に|利益《りえき》を|与《あた》へるよりも|落着《おちつ》き|払《はら》つて|前後《ぜんご》を|考《かんが》へ、|徐《おもむろ》に|言霊《ことたま》を|必要《ひつえう》と|認《みと》むれば、|全力《ぜんりよく》を|集注《しふちゆう》して、|打出《うちだ》す|迄《まで》のことだ。|先《ま》づ|先《ま》づ|鎮《しづ》まつたがよからう。|少《すこ》しく|冷静《れいせい》になつて|呉《く》れ』
|道公《みちこう》『|忠勇義烈《ちうゆうぎれつ》の|熱血《ねつけつ》|男子《だんし》、|最早《もはや》|全身《ぜんしん》の|血《ち》が|沸《わ》き|返《かへ》り|立《た》つてもゐても|居《ゐ》られなくなりました。そんなら|先生《せんせい》、|貴方《あなた》は|貴方《あなた》の|御考《おかんが》へが|厶《ござ》いませうから、どうぞ|私《わたし》に|単独《たんどく》|行動《かうどう》を|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ。|何程《なにほど》|先生《せんせい》だつて、|神様《かみさま》の|為《ため》|活動《くわつどう》する|吾々《われわれ》の|行動《かうどう》を、|頭抑《あたまおさ》へに|阻止《そし》なさる|訳《わけ》には|行《ゆ》きますまい』
|玉国別《たまくにわけ》は|冷静《れいせい》に|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》り|乍《なが》ら、|三人《さんにん》の|顔《かほ》を|見廻《みまは》し、
|玉国別《たまくにわけ》『|道公《みちこう》、お|前《まへ》の|言《い》ふものも|一応《いちおう》|尤《もつと》もだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|一行《いつかう》|四人《よにん》の……|私《わたし》は|支配者《しはいしや》だ。|何程《なにほど》|道公《みちこう》が|天才家《てんさいか》だと|云《い》つても、|六韜三略《りくたうさんりやく》の|奥《おく》の|手《て》は|分《わか》らない。さう|神様《かみさま》の|道《みち》は|単調《たんてう》なものではない、|千変万化《せんぺんばんくわ》の|秘策《ひさく》があるのだから、|先《ま》づ|暫《しばら》く|控《ひか》へたがよからうぞ』
と|言葉尻《ことばじり》に|力《ちから》をこめて、|睨《ね》めつけるやうに|言《い》つた。|道公《みちこう》は『ヘー』と|厭《いや》|相《さう》な|返詞《へんじ》をし|乍《なが》ら|黙《だま》り|込《こ》んで|了《しま》つた。|祠《ほこら》の|前《まへ》には|片彦《かたひこ》、|久米彦《くめひこ》の|先鋒隊長《せんぽうたいちやう》が|人員《じんゐん》|点呼《てんこ》をやつてゐる|声《こゑ》、|一《いち》|二《に》|三《さん》|四《し》|五《ご》|六《ろく》|七《なな》|八《はち》|九《く》|十《じふ》|十一《じふいち》|十二《じふに》………と|順々《じゆんじゆん》に|大小高低《だいせうかうてい》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えてゐる。|何《いづ》れの|声《こゑ》も|皆《みな》|言葉尻《ことばじり》が|坂道《さかみち》のやうに|立向《うはむ》けに【はね】てゐる|様《やう》に|聞《きこ》えた。|玉国別《たまくにわけ》は|小《ちひ》さい|声《こゑ》で|落《おち》つき|払《はら》つて、
|玉国別《たまくにわけ》『ヤツパリあれはバラモン|教《けう》の|先鋒隊《せんぽうたい》と|見《み》えるなア。どうやら|斎苑《いそ》の|館《やかた》に|向《むか》つて|攻撃《こうげき》に|参《まゐ》るものらしい。|神様《かみさま》の|御経綸《ごけいりん》は|今《いま》となつて|考《かんが》へれば、|実《じつ》に|巧妙《かうめう》を|極《きは》めたものだ。|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、これでこそ|吾々《われわれ》の|首途《かどで》の|功名《こうみやう》をあらはす|事《こと》が|出来《でき》る』
|道公《みちこう》は|又《また》もや|口《くち》を|開《ひら》き、|玉国別《たまくにわけ》の|膝《ひざ》|近《ちか》く【にぢり】|寄《よ》り、|木蔭《こかげ》に|蔽《おほ》はれた|宣伝使《せんでんし》の|顔《かほ》を|覗《のぞ》き|込《こ》み、|稍《やや》|息《いき》を|喘《はづ》ませ、
『|先生《せんせい》、|今《いま》のお|言葉《ことば》では|貴方《あなた》もヤツパリ、|斎苑館《いそやかた》へ|攻《せ》めよせる|敵軍《てきぐん》とお|認《みと》めになつたやうですなア。それが|分《わか》つて|居《ゐ》|乍《なが》ら、なぜ|泰然自若《たいぜんじじやく》として|活動《くわつどう》を|開始《かいし》なさらぬのか、|首途《かどで》の|功名《こうみやう》を|現《あら》はす|時《とき》だと|仰有《おつしや》いましたが、ムザムザ|敵《てき》を|見遁《みのが》し、お|館《やかた》へ|進入《しんにふ》させて、|如何《どう》してそれが|手柄《てがら》になりませう。|貴方《あなた》も|片眼《かため》をお|取《と》られ|遊《あそ》ばして、|心気《しんき》|頓《とみ》に|沮喪《そさう》し、|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》の|雲《くも》に|包《つつ》まれ|遊《あそ》ばしたのぢや|厶《ござ》いませぬか』
|玉国別《たまくにわけ》は|冷静《れいせい》に、
『マア|待《ま》て、これには|深《ふか》い|戦略《せんりやく》のあることだ』
|道公《みちこう》『ヘエー、|妙《めう》な|戦略《せんりやく》もあるものですなア。クロパトキンの|様《やう》に|予定《よてい》の|退却《たいきやく》を|以《もつ》て|唯一《ゆゐいつ》の|戦略《せんりやく》と|思召《おぼしめ》すのですか』
|伊太公《いたこう》『オイ|道公《みちこう》、|三十六計《さんじふろくけい》の|奥《おく》の|手《て》だよ』
|道公《みちこう》『ソリヤ|怪《け》しからぬ。|如何《どう》して|吾々《われわれ》の|顔《かほ》が|立《た》つものか、|第一《だいいち》|先生《せんせい》のお|顔《かほ》も|立《た》つまい。|勇将《ゆうしやう》の|下《もと》に|弱卒《じやくそつ》なし、といふことがある。|併《しか》し|乍《なが》ら|弱将《じやくしやう》の|下《もと》に|勇卒《ゆうそつ》ありだから、チツと|勝手《かつて》が|違《ちが》ふわい。|併《しか》し|乍《なが》ら|何程《なにほど》|大将《たいしやう》が|弱《よわ》くても|部下《ぶか》さへ|強《つよ》ければ|大将《たいしやう》の|名《な》があがるものだ。オイ、|伊太公《いたこう》、|純公《すみこう》、|一《ひと》つ|俺《おれ》と|同盟《どうめい》して|先生《せんせい》に|退隠《たいいん》を|迫《せま》り、|一大改革《いちだいかいかく》を|断行《だんかう》し、|道公《みちこう》が|司令官《しれいくわん》となつて|大活躍《だいくわつやく》を|試《こころ》みようぢやないか』
|純公《すみこう》『|匹夫下郎《ひつぷげらう》の|分際《ぶんざい》として|何《なに》を|云《い》ふのだ。|先生《せんせい》の|御胸中《ごきようちう》が|吾々《われわれ》に|分《わか》つて|堪《たま》らうか。|吾々《われわれ》が|測量《そくりやう》し|得《え》らるるやうな|先生《せんせい》なら、|大抵《たいてい》|貫目《くわんめ》はきまつてゐるぢやないか。|瞹昧《あいまい》|模糊《もこ》として|捕捉《ほそく》す|可《べか》らざる|所《ところ》に|先生《せんせい》の|大人格《だいじんかく》が|勇躍《ゆうやく》してゐるのだ。|何事《なにごと》も|指揮《しき》|命令《めいれい》に|従《したが》ふのが|俺達《おれたち》の|勤《つと》めだ。|先生《せんせい》の|職権《しよくけん》まで、|下郎《げろう》の|分際《ぶんざい》として|批評《ひひやう》する|価値《かち》があるか。それに|貴様《きさま》は|猪武者《ゐのししむしや》だから、|前後《ぜんご》の|弁《わきま》へもなく、|先生《せんせい》|放逐論《はうちくろん》まで|持出《もちだ》しよつて|何《なん》の|事《こと》だ。チツと|落着《おちつ》かないか。|少《すこ》し|風《かぜ》が|吹《ふ》いてもバタバタ|騒《さわ》ぐ|木《こ》の|葉《は》の|様《やう》な|木端武者《こつぱむしや》が、|如何《どう》して|此《この》|御神業《ごしんげふ》が|勤《つと》まるか』
|道公《みちこう》『ソリヤさうかも|知《し》れないが、アレ|見《み》よ、|腹《はら》が|立《た》つてたまらぬぢやないか。|祠《ほこら》の|前《まへ》は|黒山《くろやま》の|如《ごと》く|敵《てき》が|集《あつま》り、|人員《じんゐん》|点呼《てんこ》|迄《まで》やりよつて、|旗鼓堂々《きこだうだう》と|行《ゆ》きよる|此《この》|姿《すがた》を|見《み》て、|如何《どう》して|之《これ》が|看過《かんくわ》|出来《でき》ようか。|三尺《さんじやく》の|秋水《しうすゐ》があらば|月光《げつくわう》に|閃《ひら》めかし、|獅子奮迅《ししふんじん》の|勢《いきほひ》を|以《もつ》て、|片《かた》つぱしから|斬《き》り|立《た》て|薙《な》ぎ|立《た》て、|一泡《ひとあわ》|吹《ふ》かしてくれたいは|山々《やまやま》なれど、|何《なん》と|云《い》つても|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》の|三五教《あななひけう》、|吾々《われわれ》の|武器《ぶき》と|云《い》つたら、|言霊《ことたま》の|発射《はつしや》か、マサカ|違《ちが》へば|巌《いは》の|如《ごと》き|拳骨《げんこつ》の|武器《ぶき》を|有《いう》するのみだ。エヽ|残念《ざんねん》な|事《こと》だなア』
|伊太公《いたこう》『|俺《おれ》も|何《なん》だか、|体中《からだぢう》が|躍動《やくどう》して|仕方《しかた》がない。それに|引替《ひきか》へ|先生《せんせい》は|勁敵《けいてき》を|前《まへ》に|控《ひか》へ|乍《なが》ら、|冷然《れいぜん》として|岩《いは》の|如《ごと》く、|黙然《もくねん》として|唖《おし》の|如《ごと》しだ。こりやマア|如何《どう》したら|良《よ》いのだらうかなア』
|玉国別《たまくにわけ》は|静《しづか》に|両手《りやうて》をパツと|開《ひら》き、|三人《さんにん》を|押《おさ》へつける|様《やう》な|真似《まね》をして|二三回《にさんくわい》|空中《くうちう》を|抑《おさ》へ、
|玉国別《たまくにわけ》『まてしばし|神《かみ》の|御言《みこと》の|下《くだ》るまで
|海《うみ》より|深《ふか》き|天地《てんち》の|仕組《しぐみ》を』
|道公《みちこう》『これが|又《また》ジツと|見《み》のがし|居《を》れませう
みすみす|敵《てき》を|前《まへ》に|控《ひか》へて』
|玉国別《たまくにわけ》『|何事《なにごと》も|神《かみ》の|心《こころ》に|任《まか》すこそ
|汝等《なれら》|三人《みたり》の|勤《つと》めと|覚《さと》れ』
|道公《みちこう》『これはしたり|思《おも》ひもよらぬ|師《し》の|君《きみ》の
へらず|口《ぐち》には|呆《あき》るる|而已《のみ》なり』
|純公《すみこう》『|道公《みちこう》よ|貴様《きさま》は|分《わか》らぬことを|言《い》ふ
|玉国別《たまくにわけ》の|教《をしへ》に|背《そむ》くか』
|伊太公《いたこう》『|背《そむ》かぬが|道《みち》か|誠《まこと》か|知《し》らね|共《ども》
|何《なん》とはなしに|心《こころ》せかるる』
|道公《みちこう》『|伊太公《いたこう》の|心《こころ》は|俺《おれ》と|同《おな》じこと
いざいざさらば|二人《ふたり》|立《た》たうか』
|玉国別《たまくにわけ》『|皇神《すめかみ》に|受《う》けし|命《いのち》を|棄《す》て|鉢《ばち》に
さやぎける|哉《かな》|醜《しこ》のたぶれが』
|道公《みちこう》『それは|又《また》|思《おも》ひもよらぬ|仰《あふ》せ|哉《かな》
|醜《しこ》のたぶれは|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》よ』
|純公《すみこう》『コリヤ|二人《ふたり》|失礼《しつれい》なことをぬかすない
|唐変木《たうへんぼく》に|何《なに》が|分《わか》らう』
|道公《みちこう》『|卑怯者《ひけふもの》|二人《ふたり》|豪傑《がうけつ》|又《また》|二人《ふたり》
いよいよ|茲《ここ》に|立《た》て|別《わか》れたり』
|玉国別《たまくにわけ》『|面白《おもしろ》い|勇《いさ》み|言葉《ことば》の|二人連《ふたりづ》れ
|真理《しんり》に|反《そむ》きて|過《あやま》ちをすな』
|玉国別《たまくにわけ》は|決《けつ》して|片彦《かたひこ》、|久米彦《くめひこ》の|一隊《いつたい》の|勢《いきほひ》に|辟易《へきえき》し、|此《この》|森蔭《もりかげ》に|隠《かく》れたのではない。|片彦《かたひこ》、|久米彦《くめひこ》の|一隊《いつたい》を|無事《ぶじ》に|通過《つうくわ》させ、|彼《かれ》が|懐谷《ふところだに》の|方面《はうめん》|迄《まで》|登《のぼ》つた|頃《ころ》には、|治国別《はるくにわけ》|一行《いつかう》がやつて|来《く》るに|違《ちがひ》ない。さうすれば|敵《てき》をやりすごし、|前後《ぜんご》より|一斉《いつせい》に|言霊《ことたま》を|打出《うちだ》し、|敵《てき》を|袋《ふくろ》の|鼠《ねづみ》として|帰順《きじゆん》せしめようとの、|神算鬼謀《しんさんきぼう》を|抱《いだ》いてゐたからである。|併《しか》し|乍《なが》ら|三人《さんにん》の|部下《ぶか》に|其《その》|秘策《ひさく》を|示《しめ》すのは|余《あま》り|価値《かち》なき|様《やう》に|思《おも》はれたからであつた。|道公《みちこう》は|玉国別《たまくにわけ》の|態度《たいど》に|憤慨《ふんがい》し、|言葉《ことば》つよく、
|道公《みちこう》『モシ|先生《せんせい》、|只今《ただいま》|限《かぎ》りお|暇《ひま》を|頂戴《ちやうだい》|致《いた》します』
|玉国別《たまくにわけ》『ウン|望《のぞ》みとあれば|暇《ひま》を|与《や》らう。|大分《だいぶ》|敵《てき》が|恐《おそ》ろしくなつたと|見《み》えるのう。|其《その》|挙措《きよそ》|動作《どうさ》は|何《なん》だ。|丸《まる》で|蒟蒻《こんにやく》の|様《やう》だ』
|道公《みちこう》『ハイ|恐《おそ》ろしくなりました。|余《あま》り|貴方《あなた》の|腰《こし》が|弱《よわ》いので、それが|恐《おそ》ろしいのですよ。|神様《かみさま》につくか、|師匠《ししやう》に|従《つ》くか、|其《その》|軽重《けいちよう》を|考《かんが》へねばなりませぬ。|決《けつ》して|先生《せんせい》を|捨《す》てる|心《こころ》は|微塵《みじん》もありませぬが、|神様《かみさま》の|為《ため》には|涙《なみだ》をのんで|反《そむ》きます。|師《し》の|影《かげ》は|三尺《さんじやく》|隔《へだ》てて|踏《ふ》まずといふことさへあるに、|貴方《あなた》に|背《そむ》く|私《わたし》の|心根《こころね》、|熱鉄《ねつてつ》を|呑《の》むよりも|辛《つら》う|厶《ござ》いますが、どうぞ|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ。|此《この》|道公《みちこう》は|命《いのち》を|的《まと》に|敵《てき》に|向《むか》つて|突喊《とつかん》|致《いた》します。|幸《さいはひ》にして|勝利《しようり》を|得《え》ましても、|決《けつ》して|私《わたし》の|手柄《てがら》には|致《いた》しませぬ。ヤツパリ|先生《せんせい》の|御手柄《おてがら》になるので|厶《ござ》いますから……』
|玉国別《たまくにわけ》は|涙《なみだ》を|流《なが》し|乍《なが》ら、|小《ちひ》さい|声《こゑ》で、
|玉国別《たまくにわけ》『|道公《みちこう》、|近《ちか》う|寄《よ》れ、|耳《みみ》よりの|話《はなし》がある』
|道公《みちこう》は|甦生《よみがへ》つたやうな|気分《きぶん》になり、|二足三足《ふたあしみあし》|思《おも》はず|飛《と》び|上《あが》り、|犬《いぬ》が|暫《しばら》く|会《あ》はなかつた|主人《しゆじん》に|出会《であ》うた|時《とき》のやうに|飛《と》び|付《つ》き|抱《かか》へつき、|玉国別《たまくにわけ》の|口元《くちもと》に|耳《みみ》を|寄《よ》せた。
|道公《みちこう》は|幾度《いくたび》も|首《くび》を|縦《たて》に|振《ふ》り、
|道公《みちこう》『ハイ|分《わか》りました。それならば|私《わたし》も|安心《あんしん》|致《いた》します。|流石《さすが》は|先生《せんせい》だ。|如何《いか》にも|妙案《めうあん》|奇策《きさく》です。|到底《たうてい》|匹夫下郎《ひつぷげらう》の|企《くはだ》て|及《およ》ぶ|所《ところ》では|厶《ござ》いませぬ。オイ|純公《すみこう》、|伊太公《いたこう》、|安心《あんしん》せい、ヤツパリ|俺《おれ》の|先生《せんせい》は|偉《えら》いワ。|普通《ふつう》|一般《いつぱん》のお|師匠《ししやう》さまとは|聊《いささ》か|選《せん》を|異《こと》にしてゐるのだ。こんな|先生《せんせい》を|持《も》つた|俺達《おれたち》は|実《じつ》に|幸福《かうふく》なものだぞ』
|伊太公《いたこう》『さうか、そりや|有難《ありがた》い。どんな|事《こと》だい。|一寸《ちよつと》|洩《も》らしてくれないか』
|道公《みちこう》『|副司令官《ふくしれいくわん》の|俺《おれ》が|知《し》つて|居《を》りさへすれば、それでいいのだ。|匹夫《ひつぷ》|下郎《げろう》の|分際《ぶんざい》として|英雄《えいゆう》の|心事《しんじ》を|伺《うかが》はむとするは|以《もつ》ての|外《ほか》だ。|貴様《きさま》|二人《ふたり》にお|明《あ》かしなさるのならば、|如何《どう》して|俺《おれ》の|耳許《みみもと》へ|小声《こごゑ》で|囁《ささや》きなさる|道理《だうり》があらう。|天機《てんき》|洩《も》らすなとの|謎《なぞ》に|相違《さうゐ》ない。そんな|事《こと》に|気《き》の|付《つ》かぬやうな|道公《みちこう》ぢやない。マア|神妙《しんめう》に、|俺《おれ》のするままに|盲従《まうじゆう》する|方《はう》が、お|前達《まへたち》の|天職《てんしよく》だ。エーン』
|純公《すみこう》『イヤお|前《まへ》さへ|得心《とくしん》すれば、|俺《おれ》や|何《なん》にも|尋《たづ》ねる|必要《ひつえう》はないのだ。ナア|伊太公《いたこう》、さうぢやないか。|道公《みちこう》が|得心《とくしん》する|位《くらゐ》だから|大抵《たいてい》|定《きま》つてるワ。|先《ま》づ|先《ま》づ|安心《あんしん》したがよからうぞ』
|祠《ほこら》の|前《まへ》より|進軍歌《しんぐんか》が|聞《きこ》えて|来《く》る。|四人《よにん》は|耳《みみ》を|澄《す》まして、|一言《ひとこと》も|洩《も》らさじと|聞《き》いてゐる。
『|此《この》|世《よ》を|造《つく》り|玉《たま》ひたる |梵天帝釈自在天《ぼんてんたいしやくじざいてん》
|大国彦《おほくにひこ》の|魂《たま》の|裔《すゑ》 ハルナの|都《みやこ》に|現《あ》れまして
|大黒主《おほくろぬし》と|名乗《なの》りつつ |豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》
|青人草《あをひとぐさ》の|末《すゑ》までも |恵《めぐ》みの|露《つゆ》を|垂《た》れ|玉《たま》ひ
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》を|地《ち》の|上《うへ》に |開《ひら》かせ|玉《たま》ふぞ|尊《たふと》けれ
さはさり|乍《なが》ら|世《よ》の|中《なか》は |月《つき》に|村雲《むらくも》|花《はな》に|風《かぜ》
|醜《しこ》の|曲津《まがつ》は|遠近《をちこち》に さやりて|世《よ》をば|紊《みだ》しゆく
|中《なか》にも|分《わ》けて|素盞嗚《すさのを》の |醜《しこ》の|魔神《まがみ》は|斎苑館《いそやかた》
|数多《あまた》の|魔神《まがみ》を|呼《よ》び|集《つど》ひ |大黒主《おほくろぬし》の|神業《かむわざ》を
|覆《くつが》へさむと|朝夕《あさゆふ》に |企《たく》みゐるこそゆゆしけれ
|吾等《われら》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》 |神《かみ》に|等《ひと》しき|身《み》を|以《もつ》て
|此《この》|世《よ》を|荒《あら》す|醜神《しこがみ》を ゆめゆめ|許《ゆる》しおくべきか
|来栖《くるす》の|森《もり》に|来《き》て|見《み》れば |神素盞嗚《かむすさのを》の|悪神《わるがみ》が
|差遣《さしつか》はしし|宣伝使《せんでんし》 |照国別《てるくにわけ》の|一行《いつかう》に
|思《おも》はず|知《し》らず|出会《でつく》はし |変幻出没《へんげんしゆつぼつ》|自由自在《じいうじざい》
|妖術《えうじゆつ》|幻術《げんじゆつ》|使《つか》ひたて |吾等《われら》|一行《いつかう》は|荒風《あらかぜ》に
|木《こ》の|葉《は》の|散《ち》りゆく|其《その》|如《ごと》く |一度《いちど》は|予定《よてい》の|退却《たいきやく》を
|余儀《よぎ》なくされし|悔《くや》しさよ さはさり|乍《なが》ら|世《よ》の|中《なか》は
|悪《あく》がいつ|迄《まで》|続《つづ》かうか |天《あま》の|岩戸《いはと》を|閉《とざ》したる
|速素盞嗚《はやすさのを》の|悪神《あくがみ》も |吾々《われわれ》|一行《いつかう》|堂々《だうだう》と
|轡《くつわ》を|並《なら》べて|攻《せ》め|込《こ》めば |何条《なんでう》|以《もつ》てたまるべき
|風《かぜ》をくらつて|逃《に》げちるか |但《ただし》は|降参《かうさん》|致《いた》さむと
|吠面《ほえづら》かわいてあやまるか ビワの|湖《みづうみ》|乗越《のりこ》えて
|日《ひ》も|漸《やうや》くにくれの|海《うみ》 コーカス|山《ざん》に|逃《に》げ|行《ゆ》くか
|何《なに》は|兎《と》もあれ|吾《わが》|軍《ぐん》の |勝利《しようり》は|手《て》に|取《と》る|如《ごと》く|也《なり》
あゝ|勇《いさ》ましし|勇《いさ》ましし |勝鬨《かちどき》あぐるは|時《とき》の|間《ま》ぞ
|進《すす》めや|進《すす》めいざ|進《すす》め |正義《せいぎ》に|刃向《はむか》ふ|刃《やいば》なし
|大黒主《おほくろぬし》の|御言《みこと》もて |進《すす》む|吾《わ》れこそ|神《かみ》の|宮《みや》
|神《かみ》の|軍《いくさ》ぞ|堂々《だうだう》と |進《すす》めよ|進《すす》めいざ|進《すす》め
|河鹿峠《かじかたうげ》は|峻《さか》しとも |吹来《ふきく》る|風《かぜ》は|強《つよ》くとも
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |仮令《たとへ》|幾万《いくまん》|来《きた》るとも
|嵐《あらし》の|前《まへ》の|灯火《ともしび》と はかなく|消《き》ゆるは|案《あん》の|内《うち》
|進《すす》めよ|進《すす》めいざ|進《すす》め |悪魔《あくま》の|軍勢《ぐんぜい》の|亡《ほろ》ぶ|迄《まで》』
と|声《こゑ》|勇《いさ》ましく、|悪神《あくがみ》は|悪神《あくがみ》としてヤハリ|自分《じぶん》の|味方《みかた》を|善《ぜん》と|信《しん》じてゐるものの|如《ごと》く、|天地《てんち》に|恥《は》ぢず|進軍歌《しんぐんか》を|歌《うた》つてゐる。|伊太公《いたこう》は|逆上《のぼ》せあがり、|其《その》まま|物《もの》をも|言《い》はず、|韋駄天《ゐだてん》|走《ばし》りに|密集《みつしふ》|部隊《ぶたい》を|指《さ》して、|金剛杖《こんがうづゑ》を|打《うち》ふり|打《うち》ふり|夜叉《やしや》の|如《ごと》くにあばれ|込《こ》んで|了《しま》つた。
|片彦《かたひこ》、|久米彦《くめひこ》の|率《ひき》ゐる|軍隊《ぐんたい》は|俄《にはか》にどよめき|立《た》ち、|嶮《けは》しき|細《ほそ》き|谷路《たにみち》を|右往左往《うわうさわう》に|駆《かけ》まはり|喚《わめ》き|叫《さけ》ぶ|声《こゑ》、|谷《たに》の|木霊《こだま》を|響《ひび》かせてゐる。
(大正一一・一一・二七 旧一〇・九 松村真澄録)
第八章 |噴飯《ふんぱん》〔一一五九〕
|玉国別《たまくにわけ》は、|伊太公《いたこう》の|命令《めいれい》も|肯《き》かず|森影《もりかげ》を|飛《と》び|出《だ》しバラモン|教《けう》の|先鋒隊《せんぽうたい》に|向《むか》つて|只《ただ》|一人《ひとり》|突入《とつにふ》し、|祠《ほこら》の|前《まへ》にて|敵軍《てきぐん》は|算《さん》を|紊《みだ》し|右往左往《うわうさわう》に|驚《おどろ》いて|往来《わうらい》する|有様《ありさま》を|遥《はるか》に|見《み》やり、|冷然《れいぜん》として|救《すく》ひに|行《ゆ》かうともせず|控《ひか》へてゐる。|純公《すみこう》は|気《き》をいらち|両手《りやうて》で|膝《ひざ》をピシヤピシヤと|思《おも》はず|叩《たた》き|乍《なが》ら|言葉《ことば》せはしく|玉国別《たまくにわけ》に|向《むか》ひ、
『モシ、|先生様《せんせいさま》、|如何《どう》|致《いた》しませうか。|勇敢《ゆうかん》|決死《けつし》、|敵軍《てきぐん》の|中《なか》へ|伊太公《いたこう》|只《ただ》|一人《ひとり》|師《し》の|君《きみ》の|御命令《ごめいれい》を|肯《き》かず|飛《と》び|込《こ》みましたが、|何程《なにほど》|伊太公《いたこう》|鬼神《きしん》を|挫《ひし》ぐ|勇《ゆう》ありとも|飛《と》んで|火《ひ》に|入《い》る|夏《なつ》の|虫《むし》、|寡《くわ》を|以《もつ》て|衆《しう》に|当《あた》るのだから|屹度《きつと》|亡《ほろ》ぼされて|了《しま》ふでせう。サアこれから|道公《みちこう》と|両人《りやうにん》|心《こころ》を|協《あは》せ|援兵《ゑんぺい》と|出掛《でかけ》ませう。|貴方《あなた》はお|目《め》が|悪《わる》いのだから|何卒《どうぞ》|此処《ここ》にお|潜《ひそ》み|遊《あそ》ばし|吾々《われわれ》の|奮闘《ふんとう》|振《ぶ》りを|御覧《ごらん》なさいませ。サア|道公《みちこう》|行《ゆ》かう』
|玉国別《たまくにわけ》は|平然《へいぜん》として|詞《ことば》も|徐《おもむろ》に、
『|待《ま》て、|純公《すみこう》、|今《いま》|飛《と》び|出《だ》すのは|余《あま》り|無謀《むぼう》ぢや』
|純公《すみこう》『だと|云《い》つて|貴方《あなた》は|見《み》す|見《み》す|部下《ぶか》を|見殺《みごろ》しになさる|御所存《ごしよぞん》ですか。|私《わたし》だつて|親友《しんいう》の|危難《きなん》をどうして|高見《たかみ》から|見物《けんぶつ》する|事《こと》が|出来《でき》ませう』
|道公《みちこう》『|伊太公《いたこう》の|奴《やつ》、とうとう|荒魂《あらみたま》をおつ|放《ぽ》り|出《だ》しよつたな』
|玉国別《たまくにわけ》『|伊太公《いたこう》のは|荒魂《あらみたま》ではない。|暴魂《あれみたま》だ。|荒魂《あらみたま》と|云《い》ふのは|陰忍《いんにん》|自重《じちよう》の|心《こころ》だ、|彼《かれ》は|匹夫《ひつぷ》の|勇《ゆう》だ。|総《すべ》て|武士《つはもの》には|二種類《にしゆるゐ》がある』
|純公《すみこう》『|二種類《にしゆるゐ》とは|如何《いか》なるもので|厶《ござ》いますか』
|玉国別《たまくにわけ》『|夫《そ》れ|兵《つはもの》は|血気《けつき》の|勇者《ゆうしや》と|仁義《じんぎ》の|勇者《ゆうしや》との|二種類《にしゆるゐ》がある。|抑《そもそ》も|血気《けつき》の|勇者《ゆうしや》とは|合戦《がつせん》に|臨《のぞ》む|毎《ごと》に|勇《いさ》み|進《すす》んで|臂《ひぢ》を|張《は》り|強《つよ》きを|破《やぶ》り|堅《かた》きを|砕《くだ》く|事《こと》|鬼《おに》の|如《ごと》く|忿神《ふんしん》の|如《ごと》く|速《すみや》かである。されど|此《これ》|等《ら》の|兵《つはもの》は|敵《てき》の|為《ため》に|利《り》を|以《もつ》て|含《ふく》め、|味方《みかた》の|勢《いきほひ》を|失《うしな》ふ|日《ひ》は|逋《の》がるるに|便《べん》あれば|或《あるひ》は|敵《てき》に|降伏《かうふく》して|恥《はぢ》を|忘《わす》れ、|或《あるひ》は|心《こころ》にも|発《おこ》らぬ|世《よ》を|背《そむ》くものだ。|斯《かく》の|如《ごと》きものは|則《すなは》ち|血気《けつき》の|勇者《ゆうしや》だ。|又《また》|仁義《じんぎ》の|勇者《ゆうしや》といふものは、|必《かなら》ずしも|人《ひと》と|先《せん》を|争《あらそ》ひ、|敵《てき》を|見《み》て|勇《いさ》むに|高声多言《かうせいたげん》にして|勢《いきほひ》を|振《ふ》るひ|臂《ひぢ》を|張《は》らねども、|一度《ひとたび》|約束《やくそく》をして|憑《たの》まれた|以上《いじやう》は|決《けつ》して|二心《ふたごころ》を|存《そん》せず、|変心《へんしん》もせず、|大節《たいせつ》を|臨《のぞ》み、その|志《こころざし》を|奪《うば》はず|傾《かたむ》く|所《ところ》に|命《いのち》を|軽《かろ》んずる、|斯《かく》の|如《ごと》きは|則《すなは》ち|仁義《じんぎ》の|勇者《ゆうしや》だ。|現代《げんだい》に|於《おい》ては|聖人《せいじん》|賢者《けんじや》|去《さ》りて|久《ひさ》しく|梟悪《けうあく》に|染《そ》まること|多《おほ》きが|故《ゆゑ》に|仁義《じんぎ》の|勇者《ゆうしや》は|尠《すくな》いのだよ』
|純公《すみこう》『|成程《なるほど》、よく|判《わか》りましたが|然《しか》し|此《この》|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|場合《ばあひ》、|血気《けつき》の|勇者《ゆうしや》も|仁義《じんぎ》の|勇者《ゆうしや》もそんな|区別《くべつ》を|立《た》ててゐる|余裕《よゆう》がありませうか。|吾々《われわれ》は|二者《にしや》|合併《がつぺい》し|血気《けつき》の|勇者《ゆうしや》となり、|仁義《じんぎ》の|勇者《ゆうしや》となつて|大活動《だいくわつどう》を|演《えん》じ|兎《と》も|角《かく》|伊太公《いたこう》を|救《たす》けねばならぬぢやありませぬか』
|道公《みちこう》『それもさうだが、|何事《なにごと》も|神様《かみさま》の|御心《みこころ》にあるのだから|如何《どう》なるのも|仕組《しぐみ》だ。|神《かみ》のまにまに|任《まか》すが|宜《よ》からうぞ。|吾々《われわれ》はこうなつた|以上《いじやう》は|先生《せんせい》の|御命令《ごめいれい》|通《どほ》り|遵奉《じゆんぽう》するより|外《ほか》に|道《みち》はないのだから』
|純公《すみこう》『|何《なん》として|又《また》|今夜《こんや》はこんな|軟風《なんぷう》が|吹《ふ》くのだらう。|昨日《きのふ》の|強風《きやうふう》に|引《ひ》き|替《か》へ、|天地顛倒《てんちてんたふ》も|実《じつ》に|甚《はなはだ》しい。|此《この》|森《もり》にはどうやら|柔弱神《じうじやくしん》が|巣《す》くつてゐると|見《み》える。|如何《いか》に|落着《おちつ》かうと|思《おも》つたつて|友《とも》の|危難《きなん》を|見捨《みす》てて|如何《どう》して|安閑《あんかん》として|居《を》られやうか』
|玉国別《たまくにわけ》『さう|騒《さわ》ぐものでない。|神様《かみさま》に|於《おい》て|何《なに》か|仕組《しぐみ》のある|事《こと》だらう。|何事《なにごと》も|惟神《かむながら》の|御摂理《ごせつり》だ』
|純公《すみこう》『|先生《せんせい》、さう|惟神《かむながら》|中毒《ちうどく》をなさつては|仕方《しかた》がないぢやありませぬか。ここは|惟人《ひとながら》も|必要《ひつえう》でせう。|人事《じんじ》を|尽《つく》して|天命《てんめい》を|待《ま》つと|云《い》ふぢやありませぬか。|袖手傍観《しうしゆばうくわん》|難《なん》を|避《さ》け|安《やす》きにつく|卑怯《ひけふ》の|限《かぎ》りを|尽《つく》して|惟神《かむながら》の|摂理《せつり》といつて|遁辞《とんじ》を|設《まう》け、すましこんでゐるとは|何《なん》の|事《こと》ですか。|宣伝使《せんでんし》の|体面《たいめん》にも|係《かか》はりませう。エーもう|仕方《しかた》がない。|此《この》|純公《すみこう》も|伊太公《いたこう》の|為《た》めに|殉死《じゆんし》の|覚悟《かくご》で|厶《ござ》います。これが|此《この》|世《よ》のお|暇乞《いとまご》ひ、|先生様《せんせいさま》、|随分《ずゐぶん》|御壮健《ごさうけん》で|御神業《ごしんげふ》に|奉仕《ほうし》なさいませ。|道公《みちこう》、|之《これ》が|顔《かほ》の|見納《みをさ》めになるかも|知《し》れない。|随分《ずゐぶん》|健《まめ》でお|目《め》の|悪《わる》い|先生《せんせい》の|事《こと》だからお|世話《せわ》をして|上《あ》げて|呉《く》れ。|貴様《きさま》もこれから|段々《だんだん》|寒天《さむぞら》に|向《むか》ふから|随分《ずゐぶん》|体《からだ》に|注意《ちゆうい》して|風《かぜ》を|引《ひ》かない|様《やう》にして|呉《く》れよ』
と|涙《なみだ》を|払《はら》ひ|乍《なが》ら|決心《けつしん》の|色《いろ》|固《かた》く|早《はや》くも|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》り、|敵《てき》の|群《むれ》に|向《むか》つて|突入《とつにふ》せむとする|其《その》|勢《いきほ》ひ|容易《ようい》に|制止《せいし》し|難《がた》くぞ|見《み》えてゐる。|玉国別《たまくにわけ》は|少《すこ》しく|言葉《ことば》を|尖《とが》らし、
『|純公《すみこう》、|其《その》|方《はう》は|吾《わが》|命令《めいれい》を|無視《むし》するのか、|吾《わが》|命令《めいれい》は|即《すなは》ち|神《かみ》の|命令《めいれい》だ。|神《かみ》に|背《そむ》いて|天地《てんち》の|間《あひだ》に|如何《どう》して|活動《くわつどう》をする|積《つも》りだ。チツと|荒魂《あらみたま》を|放《ほ》り|出《だ》したら|如何《どう》だ。なる|堪忍《かんにん》は|誰《たれ》もする、ならぬ|堪忍《かんにん》するが|堪忍《かんにん》だ。|忍《しの》ぶべからざるを|忍《しの》ぶのが|所謂《いはゆる》|荒魂《あらみたま》の|発動《はつどう》だ、|仁義《じんぎ》の|勇者《ゆうしや》だ』
|純公《すみこう》『それだつて|敵《てき》の|奴《やつ》、|伊太公《いたこう》ばかりか|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|吾等《われら》の|奉《ほう》ずる|神柱《かむばしら》|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》|様《さま》を、|悪神《わるがみ》|呼《よば》はりし|打亡《うちほろ》ぼし|呉《く》れむと、|貴方《あなた》もお|聞《き》きの|通《とほ》り|進軍歌《しんぐんか》を|歌《うた》つて|居《を》つたぢやありませぬか。|之《これ》が|如何《どう》して|看過《かんくわ》する|事《こと》が|出来《でき》ませうぞ。|君《きみ》|恥《はづかし》められて|臣《しん》|死《し》すとは|此処《ここ》の|事《こと》、|私《わたし》はこれから|死《し》にます。|何卒《どうぞ》|其《その》|手《て》を|放《はな》して|下《くだ》さいませ』
|玉国別《たまくにわけ》『|士《し》は|己《おのれ》を|知《し》るもののために|死《し》す、|玉国別《たまくにわけ》だとて|忠誠《ちうせい》|無比《むひ》の|伊太公《いたこう》をムザムザ|敵《てき》に|渡《わた》して|何《なに》|安閑《あんかん》としてゐるものか。|胸《むね》に|万斛《ばんこく》の|涙《なみだ》を|湛《たた》へ|灼熱《しやくねつ》の|血《ち》を|漂《ただよ》はして|居《ゐ》る|千万無量《せんばんむりやう》の|吾《わが》|心裡《しんり》、ちとは|推量《すゐりやう》してくれても|宜《よ》からう』
|純公《すみこう》『ヘエー』
|道公《みちこう》『|何《なん》と|云《い》つても|先生《せんせい》の|仰有《おつしや》る|通《とほ》り|暫《しばら》く|時機《じき》を|待《ま》てい。|何程《なにほど》|貴様《きさま》が|賢《かしこ》いと|云《い》つてもヤツパリ|先生《せんせい》の|智慧《ちゑ》には|叶《かな》ふまいぞ。|屹度《きつと》|伊太公《いたこう》は|仮令《たとへ》|敵《てき》に|捕《とら》はれても|無事《ぶじ》に|生命《いのち》は|保《たも》つてゐるに|違《ちが》ひない。|敵《てき》の|奴《やつ》、|伊太公《いたこう》をムザムザ|殺《ころ》さうものなら、|此方《こちら》の|様子《やうす》が|分《わか》らないから|屹度《きつと》|生命《いのち》を|保《たも》たしておくに|相違《さうゐ》ない。|如何《どう》なり|行《ゆ》くも|道《みち》のため、|世《よ》の|為《た》めだ。あまり|心配《しんぱい》するな』
|玉国別《たまくにわけ》は|益々《ますます》|冷然《れいぜん》として、
『どうで|伊太公《いたこう》は|吾々《われわれ》の|命令《めいれい》を|肯《き》かずに|単独《たんどく》|行動《かうどう》を|採《と》つたのだから、|表向《おもてむ》きから|云《い》へば|反抗者《はんかうしや》と|云《い》つてもいいのだが、|彼《かれ》の|心《こころ》も|亦《また》|酌《く》みとつてやらねばなるまい。|何《いづ》れ|敵《てき》に|捕《とら》はれ|大変《たいへん》な|苦《くるし》みをするだらうが|決《けつ》して|神様《かみさま》はお|見捨《みす》て|遊《あそ》ばさぬから、なるべく|伊太公《いたこう》の|苦痛《くつう》の|軽減《けいげん》する|様《やう》に|吾々《われわれ》は|祈《いの》るより|道《みち》はない。|最前《さいぜん》も|道公《みちこう》にソツと|吾々《われわれ》の|策戦《さくせん》|計劃《けいくわく》を|打明《うちあ》かし、|純公《すみこう》には|云《い》はなかつたのは|深《ふか》き|考《かんが》へのあつての|事《こと》だ。|伊太公《いたこう》の|様《やう》な|慌者《あわてもの》が|飛《と》び|出《だ》し|敵《てき》に|捕《とら》へられてウツカリ|喋《しやべ》られては|大変《たいへん》だと|思《おも》つたから、|純公《すみこう》は|水臭《みづくさ》いと|思《おも》つただらうが、それも|已《や》むを|得《え》なかつたのだ。|今《いま》となつては|何《なに》も|隠《かく》す|必要《ひつえう》もない。|何《なに》もかも|安心《あんしん》する|様《やう》に|云《い》つてやらう。|実《じつ》の|処《ところ》はバラモンの|軍隊《ぐんたい》を|無事《ぶじ》|通過《つうくわ》させたならば|屹度《きつと》|懐谷《ふところだに》の|方面《はうめん》で|治国別《はるくにわけ》|様《さま》の|一隊《いつたい》と|出会《でくは》すであらう。さうすれば|前《まへ》と|後《うしろ》から|治国別《はるくにわけ》、|玉国別《たまくにわけ》の|言霊隊《ことたまたい》が|攻撃《こうげき》を|開始《かいし》し、|敵《てき》を|怪我《けが》なしに|帰順《きじゆん》させ|誠《まこと》の|道《みち》に|引入《ひきい》れようと|云《い》ふ|考《かんが》へだ。|最前《さいぜん》も|道公《みちこう》に|一寸《ちよつと》|此《この》|大略《たいりやく》を|洩《も》らしたのだから|道公《みちこう》もそれがために|発動《はつどう》を|中止《ちゆうし》したのだ。アハヽヽヽ』
|純公《すみこう》『イヤ、それで|私《わたし》も|安心《あんしん》|致《いた》しました。|何時《いつ》の|間《ま》にか|敵軍《てきぐん》は|行《い》つて|了《しま》つたぢやありませぬか。|伊太公《いたこう》は|首尾《しゆび》|克《よ》く|敵《てき》の|捕虜《ほりよ》となつたでせうなア』
|玉国別《たまくにわけ》『ウン、そりや|確《たしか》に|捕虜《ほりよ》となつてゐる。|何《なに》は|兎《と》もあれ|月夜《つきよ》を|幸《さいは》ひ|祠《ほこら》の|前《まへ》まで|出張《でば》らうぢやないか。|然《しか》し|乍《なが》らまだ|敵《てき》の|片割《かたわ》れが|残《のこ》つてゐないとも|限《かぎ》らないから|声《こゑ》を|立《た》てぬ|様《やう》、|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせて|祠《ほこら》の|前《まへ》まで|行《い》つて|見《み》ようぢやないか』
|道公《みちこう》『|先生《せんせい》、|貴方《あなた》はお|目《め》が|悪《わる》い|上《うへ》に|少《すこ》しく|頭痛《づつう》がなさるのだから|何卒《どうぞ》|此処《ここ》に|純公《すみこう》と|一緒《いつしよ》に|休息《きうそく》してゐて|下《くだ》さい。|私《わたし》が|一寸《ちよつと》|斥候隊《せきこうたい》の|役《やく》を|勤《つと》めて|来《き》ます。さうして|何者《なにもの》も|居《ゐ》ないと|思《おも》へば|手《て》を|拍《う》つて|合図《あひづ》を|致《いた》しますから、|手《て》がなりましたら|何卒《なにとぞ》ボツボツお|出《い》で|下《くだ》さいませ』
|玉国別《たまくにわけ》は|頭《あたま》を|両手《りやうて》で|押《おさ》へ|乍《なが》ら、
『ウン、そんなら|御苦労《ごくらう》だが|敵《てき》の|様子《やうす》を|窺《うかが》つて|来《き》て|呉《く》れ。|暫《しばら》くの|間《あひだ》|此《こ》の|森影《もりかげ》で|純公《すみこう》とヒソヒソ|話《ばなし》でもやつて|待《ま》つ|事《こと》としよう』
|道公《みちこう》『|左様《さやう》ならば|一足《ひとあし》お|先《さき》へ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|祠《ほこら》をさして|足《あし》を|忍《しの》ばせノソリノソリと|進《すす》んで|行《ゆ》く。
|玉国別《たまくにわけ》『|純公《すみこう》、|心配《しんぱい》を|致《いた》すな。もう|一時《ひととき》ばかりは|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|一時《ひととき》|経《た》つと|敵軍《てきぐん》は|屹度《きつと》|治国別《はるくにわけ》の|言霊《ことたま》に|打《う》たれて|此処《ここ》へ|逃《に》げ|帰《かへ》つて|来《く》るに|相違《さうゐ》ない。それ|迄《まで》に|十分《じふぶん》の|休養《きうやう》をなし、|英気《えいき》を|養《やしな》うておくが|宜《よ》からうぞ』
|純公《すみこう》『イヤ、それは|勇《いさ》ましい|事《こと》で|厶《ござ》いますな。そんなら|此処《ここ》で|居《ゐ》|乍《なが》ら|治国別《はるくにわけ》|様《さま》のお|余《あま》りを|頂戴《ちやうだい》すると|云《い》ふのですか。それを|承《うけたま》はりますと|思《おも》はず|腕《うで》がリユウリユウと|鳴《な》り|出《だ》しました。どれ|今《いま》の|内《うち》に|両腕《りやううで》に|撚《より》をかけて|敵《てき》を|待《ま》つ|事《こと》としませう』
|玉国別《たまくにわけ》『|腕力《わんりよく》の|必要《ひつえう》はない。お|前《まへ》の|身魂《みたま》に|撚《より》をかけて|何者《なにもの》が|現《あら》はれても|騒《さわ》がず、|焦《あせ》らず、|泰然自若《たいぜんじじやく》として|大山《たいざん》の|如《ごと》き|魂《みたま》を|作《つく》つておかねばならないぞ。|一寸《ちよつと》した|事《こと》にも|慌《あわて》ふためき|軽挙妄動《けいきよもうどう》する|様《やう》な|事《こと》では|悪魔《あくま》|征服《せいふく》の|御用《ごよう》は|到底《たうてい》|駄目《だめ》だ』
|純公《すみこう》『|時《とき》に|道公《みちこう》は|根《ね》つから|手《て》を|拍《う》たぬぢやありませぬか。これを|思《おも》へばまだ|残党《ざんたう》が|祠《ほこら》の|附近《ふきん》に|居《を》るのでせうなア』
|玉国別《たまくにわけ》『ウン、|確《たしか》に|居《を》る|筈《はず》だ。|二人《ふたり》ばかり|見張《みはり》がついてゐるだらう』
|純公《すみこう》『|貴方《あなた》お|目《め》の|悪《わる》いのに、|而《しか》も|夜分《やぶん》ぢやありませぬか。|祠《ほこら》の|前《まへ》に|居《を》る|人間《にんげん》が|如何《どう》して|見《み》えますか。|私《わたし》は|道公《みちこう》の|姿《すがた》さへ、テンデ|分《わか》りませぬがな』
|玉国別《たまくにわけ》『さうだらう。|肉眼《にくがん》では|見《み》えない。|心《こころ》の|眼《まなこ》で|見《み》たのだ。|祠《ほこら》の|前《まへ》には|二人《ふたり》の|男《をとこ》、|種々《いろいろ》と|妙《めう》な|話《はなし》をしてゐる。|道公《みちこう》は|祠《ほこら》の|後《うしろ》から|息《いき》を|凝《こ》らして|一言《いちごん》も|洩《もら》さじと|聞《き》いてゐる』
|純公《すみこう》『ヘエ、その|声《こゑ》が|聞《きこ》えますかな。|貴方《あなた》のお|頭《つむ》が|異状《いじやう》を|来《きた》しガンガン|鳴《な》つて|居《ゐ》るのでそれが|人声《ひとごゑ》に|聞《きこ》えるのぢやありませぬか。|私《わたし》の|壮健《さうけん》な|頭《あたま》でも|耳《みみ》には|入《はい》りませぬがな』
|玉国別《たまくにわけ》『|俺《おれ》も|心《こころ》の|耳《みみ》で|聞《き》いてゐるのだ。|天耳通《てんじつう》の|力《ちから》だよ』
|純公《すみこう》『いやもう|感心《かんしん》|致《いた》しました。ヤツパリ|私《わたし》の|先生《せんせい》は|何処《どこ》か|違《ちが》つた|所《ところ》がありますな』
|一方《いつぱう》|祠《ほこら》の|前《まへ》には|甲乙《かふおつ》|二人《ふたり》のバラモン|教《けう》の|目付《めつけ》、|祠《ほこら》の|前《まへ》にドツカと|坐《ざ》し、|後《あと》から、もしや|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が|現《あら》はれ|来《きた》りはせぬかと|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|厳命《げんめい》によつて|臨時《りんじ》|関守《せきもり》を|勤《つと》めてゐる。
|甲《かふ》『オイ、|俄《にはか》に|祠《ほこら》の|裏《うら》から|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》が|一匹《いつぴき》|飛《と》び|出《だ》しやがつて|大変《たいへん》な|番狂《ばんくるは》せを|喰《くら》はせやがつたぢやないか。|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》|様《さま》も|彼奴《あいつ》の|痛棒《つうぼう》を|喰《くら》つて|目《め》から|火《ひ》を|出《だ》し|落馬《らくば》なさつたが|本当《ほんたう》に|危《あぶ》ない|事《こと》だつた。|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》は|生命《いのち》|知《し》らずだからな』
|乙《おつ》『|本当《ほんたう》に|盲滅法《めくらめつぱふ》|向《むか》ふ|見《み》ずと|云《い》ふ|奴《やつ》だな。|何《なん》と|云《い》つても|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|眷族《けんぞく》だから|荒《あら》つぽい|事《こと》をしよるわい。クルスの|森《もり》では|照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》|一行《いつかう》に|追《お》ひ|捲《まく》られ|金剛杖《こんがうづゑ》を|以《もつ》て|縦横無尽《じうわうむじん》に|叩《たた》きつけられ、|無残《むざん》にも|散々《ちりぢり》バラバラに|敗走《はいそう》し、|漸《やうや》くライオン|川《がは》で|勢揃《せいぞろ》ひし|此処迄《ここまで》やつて|来《き》た|位《くらゐ》だから、|此《この》|軍《いくさ》は|中々《なかなか》|容易《ようい》の|事《こと》で|勝利《しようり》は|得《え》られまいぞ。|何《なん》と|云《い》つても|三五教《あななひけう》は|天下《てんか》の|強敵《きやうてき》だからな』
|甲《かふ》『|併《しか》し、|何《なん》だよ、|照国別《てるくにわけ》の|一行《いつかう》の|次《つぎ》にやつて|来《く》るのは|玉国別《たまくにわけ》と|云《い》ふ|事《こと》だ。チヤーンと|斥候《せきこう》の|報告《はうこく》によつて|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》には|分《わか》つてゐるのだよ。|大方《おほかた》|最前《さいぜん》|現《あら》はれた|猪武者《ゐのししむしや》は|玉国別《たまくにわけ》の|部下《ぶか》かも|知《し》れないぞ。さすれば|玉国別《たまくにわけ》の|奴《やつ》、|此《この》|祠《ほこら》の|近所《きんじよ》に|潜伏《せんぷく》してゐるのぢやあるまいか。そんな|事《こと》だつたら、それこそ|大変《たいへん》だがな』
|乙《おつ》『もう|三五教《あななひけう》の|話《はなし》はいい|加減《かげん》に|切《き》り|上《あ》げたら|如何《どう》だ。あななひ|所《どころ》かあぶないわ。もうこれきりあぶない|教《けう》の|事《こと》は|話《はな》さぬ|様《やう》にして、|何《なに》か|一《ひと》つ|口直《くちなほ》しに|生言霊《いくことたま》をチツとばかり|匂《にほ》はしたらどうだ』
|甲《かふ》『さうだね、|吾々《われわれ》は|殿《しんがり》を|勤《つと》めて|居《ゐ》るのだから|矢受《やう》けになる|気遣《きづか》ひもなし、|先《ま》づ|先《ま》づ|安全《あんぜん》|地帯《ちたい》に|居《を》る|様《やう》なものだ。|一《ひと》つ|昔噺《むかしばなし》でも|思《おも》ひ|出《だ》して|博覧会《はくらんくわい》でも|開《ひら》かうかな』
|乙《おつ》『そりや|面白《おもしろ》からう。|賛成《さんせい》|々々《さんせい》、|入場料《にふぢやうれう》は|何程《いくら》|要《い》るのだ』
|甲《かふ》『|貴様《きさま》は|創立《さうりつ》|委員《ゐゐん》だから|特別《とくべつ》|優待券《いうたいけん》を|交附《かうふ》する。|随分《ずゐぶん》|面白《おもしろ》い|俺《おれ》のローマンスを|聞《き》かしてやつたら|歯《は》が|浮《う》く|様《やう》だぞ。エーン』
|乙《おつ》『|何《なに》を|吐《ぬか》しやがるのだい。|南瓜《かぼちや》に|目鼻《めはな》をつけた|様《やう》な|御面相《ごめんさう》で、ローマンスもあつたものかい』
|甲《かふ》『それでもあつたのだから|仕方《しかた》がない。あつた|事《こと》を|有《あ》りのまま|曝《さら》け|出《だ》したならば|如何《いか》に|頑強《ぐわんきやう》な|貴様《きさま》だつて|自然《しぜん》に|目《め》が|細《ほそ》くなり|口《くち》が|開《あ》き|鼻《はな》がむけつき|垂涎《すゐえん》|三尺《さんじやく》|止《と》め|度《ど》なしと|云《い》ふ|愉快《ゆくわい》な|境遇《きやうぐう》に|引入《ひきい》れられるかも|知《し》れないぞ』
|乙《おつ》『アハヽヽヽ|何《なに》を|吐《ぬか》すのだい。そんなら|落《おと》し|話《ばなし》でも|聞《き》くと|思《おも》つて|辛抱《しんばう》して|聞《き》いてやらう。|折角《せつかく》|博覧会《はくらんくわい》を|開設《かいせつ》しても|観覧者《くわんらんしや》がなければ|会計《くわいけい》がもてないからな』
|甲《かふ》『|俺《おれ》の|生《うま》れは|貴様《きさま》の|知《し》つてる|通《とほ》りチルの|国《くに》だ。そこにチルとばかり|渋皮《しぶかは》の|剥《む》けた、|否《いな》|大《おほい》に|渋皮《しぶかは》の|剥《む》けた|雪《ゆき》か|花《はな》かと|云《い》ふ|様《やう》なホールと|云《い》ふナイスがあつたのだ。|年《とし》は|二八《にはち》か|二九《にく》からぬ|花《はな》も|羞《はぢ》らふ|優姿《やさすがた》、そいつが|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|乳母《うば》に|手《て》を|引《ひ》かれて|天王《てんわう》の|森《もり》へ|参拝《さんぱい》しよるのだ。その|通《とほ》り|路《みち》が|丁度《ちやうど》|俺《おれ》の|宅《うち》の|前《まへ》だ。|往復《わうふく》|共《とも》に|俺《おれ》が|何時《いつ》もお|経《きやう》を|調《しら》べて|居《を》ると、|見《み》るともなし、|見《み》ぬともなし、|妙《めう》な|目付《めつき》をして|通《とほ》りやがるぢやないか』
|乙《おつ》『ウン、そらさうだらう。|貴様《きさま》の|様《やう》な|南瓜面《かぼちやづら》は、|滅多《めつた》に|類例《るゐれい》がないからな。|只《ただ》で|化物《ばけもの》|見《み》ると|思《おも》つて|通《とほ》つてゐたのだらうよ』
|甲《かふ》『|馬鹿《ばか》を|云《い》ふない、|思案《しあん》の|外《ほか》と|云《い》ふ|事《こと》を|知《し》つてるか。そこが|恋《こひ》の|妙味《めうみ》だ。|俺《おれ》だつて|自分《じぶん》|乍《なが》ら|愛想《あいさう》のつきる|様《やう》な|此《この》|面相《めんさう》、|乞食《こじき》の|子《こ》だつて、|旃陀羅《せんだら》の|子《こ》だつて、|一瞥《いちべつ》もくれないだらうと|予期《よき》して|居《ゐ》たのだ。それが|貴様《きさま》、|豈《あに》|図《はか》らむや、|天王《てんわう》の|森《もり》|詣《まゐ》りは|表向《おもてむき》で|其《その》|実《じつ》は|俺《おれ》に|何々《なになに》して|居《ゐ》たのだといの、エヘヽヽヽ』
|乙《おつ》『ウフヽヽヽコラ、いい|加減《かげん》に|落《おと》し|話《ばなし》は|切《き》り|上《あ》げぬかい』
|甲《かふ》『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな。こんなローマンスを|落《おと》したり|放《ほか》したりして|堪《たま》らうか。|俺《おれ》が|一生《いつしやう》の|昔噺《むかしばなし》だから、|錦《にしき》のお|守袋《まもり》さまに|入《い》れて|固《かた》く|保護《ほご》してゐるのだ。|夢《ゆめ》にだつてこんな|事《こと》を|忘《わす》れて|堪《たま》るかい』
|乙《おつ》『それから|如何《どう》したと|云《い》ふのだ。|早《はや》く|後《あと》を|云《い》はぬかい』
|甲《かふ》『|追徴金《つゐちようきん》は|何程《いくら》|出《だ》すか。こんな|正念場《しやうねんば》になつてから|天機《てんき》を|洩《もら》して、|貴様等《きさまら》に|幾分《いくぶん》でも【かき】とられて|了《しま》つちや|忽《たちま》ち|大損耗《だいそんもう》を|来《きた》し|家資《かし》|分散《ぶんさん》の|厄《やく》に|会《あ》ふかも|知《し》れないからな』
|乙《おつ》『エー、|口上《こうじやう》の|長《なが》い|奴《やつ》だな。そんならもう|聞《き》いてやらぬわ。|俺《おれ》の|方《はう》から|真平御免《まつぴらごめん》だ、|平《ひら》に|此《この》|儀《ぎ》はお|断《ことわり》|申《まを》しませうかい』
|甲《かふ》『ウン、|其《その》|御免《ごめん》で|思《おも》ひ|出《だ》した。さうやつたさうやつた|俺《おれ》が|経典《きやうてん》を|一生懸命《いつしやうけんめい》になつて|奉読《ほうどく》してゐると|松虫《まつむし》の|様《やう》な|声《こゑ》で|窓《まど》の|外《そと》に「オホヽヽヽ|何《なん》とマア|鶯《うぐひす》の|様《やう》な|立派《りつぱ》な|声《こゑ》だ|事《こと》、あんな|涼《すず》しい|声《こゑ》を|出《だ》す|方《かた》は|屹度《きつと》|心《こころ》の|綺麗《きれい》な|人《ひと》でせうね。|妾《あたい》あんな|人《ひと》を|夫《をつと》に|仮令《たとへ》|一日《いちにち》でも|持《も》つ|事《こと》が|出来《でき》たならば|死《し》んでも|得心《とくしん》だわ。ナア|乳母《うば》や」と|恥《はづ》かし|相《さう》な|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|来《く》る。|経典《きやうてん》|拝読《はいどく》に|耽《ふけ》つて|居《を》つた|俺《おれ》もフツと|顔《かほ》を|上《あ》げて|窓外《さうぐわい》を|眺《なが》むれば|嬋妍窈窕《せんけんえうてう》たる|美人《びじん》|薔薇《しやうび》の|花《はな》の|雨《あめ》に|潤《うるほ》ふ|如《ごと》き|絶世《ぜつせい》の|美人《びじん》、ハテ|不思議《ふしぎ》よとよくよく|見《み》れば|何時《いつ》も|吾《わが》|門先《かどさき》を|通《とほ》るホールさまだつた。チルの|国《くに》のホールさまと|云《い》へば|美人《びじん》で|名高《なだか》いものだ。ハルナの|都《みやこ》の|石生能姫《いそのひめ》だつて|真裸足《まつぱだし》で|逃《に》げ|出《だ》すと|云《い》ふ|尤物《いうぶつ》だからね、エーン』
|乙《おつ》『|何《なん》ぢや、みつともない。しまりのない|声《こゑ》を|出《だ》しやがつて、|頤《あご》の|紐《ひも》が|解《ほど》けて|居《ゐ》るぢやないか』
|甲《かふ》『ほどけるのは|当然《あたりまへ》だ「とけて|嬉《うれ》しき|二人《ふたり》の|仲《なか》」と|云《い》ふのだからな』
|乙《おつ》『それから|如何《どう》したと|云《い》ふのだ』
|甲《かふ》『それからが|正念場《しやうねんば》だ。|俺《おれ》が|一寸《ちよつと》|気《き》を|利《き》かして「|何方《どなた》か|知《し》りませぬが、そこは|日《ひ》が|当《あた》つてお|暑《あつ》いでせう。|破家《あばらや》なれどテクシの|住宅《ぢゆうたく》、サアサア|御遠慮《ごゑんりよ》なくお|二人《ふたり》ともお|這入《はい》りなさい」と【かま】した|所《ところ》、ホールさまはパツと|頬《ほう》に|紅《くれなゐ》を|散《ち》らし|起居振舞《たちゐふるまひ》も|淑《しと》やかに|裾模様《すそもやう》に|梅花《ばいくわ》を|散《ち》らしたお|小袖《こそで》でゾロリゾロリと|庭土《にはつち》を|撫《な》で|乍《なが》ら|欣然《きんぜん》として|御入来《ごじゆらい》と|云《い》ふ|光景《くわうけい》だ。|俺《おれ》も|男《をとこ》と|生《うま》れた|甲斐《かひ》にはこんなナイスと|一言《ひとくち》|話《はなし》するさへも|光栄《くわうえい》だと|思《おも》つてゐるのに、エヘヽヽヽ|俺《おれ》のお|館《やかた》へお|這入《はい》り|遊《あそ》ばすぢやないか。|其《その》|時《とき》の|嬉《うれ》しさと|云《い》つたら|天《てん》もなければ|地《ち》もなく、|一切万事《いつさいばんじ》|只《ただ》|此《この》|美人《びじん》|一人《いちにん》テクシ|一人《いちにん》、|宇宙《うちう》の|中心《ちうしん》に|立《た》つて|居《ゐ》る|様《やう》な|心地《ここち》がした。エーンそりやお|前《まへ》、エヘヽヽヽウフヽヽヽ』
|乙《おつ》『そりや|何《なに》|吐《ぬか》すのだ。さう|意茶《いちや》つかさずに|早《はや》く|云《い》つて|了《しま》はないか』
|甲《かふ》『さうするとホールさま、ニタリと|笑《わら》ひ|紅《べに》の|小《ちひ》さい|唇《くちびる》をパツと|開《ひら》き「これなテクシさま、あたいが|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|天王《てんわう》の|森《もり》へ|参拝《さんぱい》するのは|何《なん》のためだと|思《おも》つて|下《くだ》さいますか」、とやさしい|声《こゑ》で|吐《ぬか》しやがるのだ。エヘヽヽヽあゝ|涎《よだれ》が|主人《しゆじん》の|許《ゆる》しもなく|滅多《めつた》|矢鱈《やたら》に|出動《しゆつどう》しやがるわい。さうしてな、|暖《あたた》かい|柔《やはら》らかい|真白気《まつしろけ》の|手《て》で|俺《おれ》の|手《て》をグツと|握《にぎ》り|三《み》つ|四《よ》つ|体《からだ》を|揺《ゆす》りよつた|時《とき》の|嬉《うれ》しさ、エヘヽヽヽ』
|乙《おつ》『それから|如何《どう》したのだ』
|甲《かふ》『|後《あと》は|云《い》はいでも|知《し》れた|事《こと》だ。|大抵《たいてい》そこ|迄《まで》|云《い》つたら|何《なん》ぼ|頭脳《づなう》の|空気《くうき》がぬけた|貴様《きさま》でも|推量《すゐりやう》がつくだらう』
|乙《おつ》『そんな|正念場《しやうねんば》で|中止《ちゆうし》されちや|今迄《いままで》|辛抱《しんばう》して|聞《き》いた|効能《かうのう》がないわい。ドツと|張《は》り|込《こ》んで|其《その》|後《あと》を|引続《ひきつづ》きお|耳《みみ》に|達《たつ》せぬかい』
|甲《かふ》『バベルの|塔《たふ》から|飛《と》んだ|様《やう》な|心持《こころもち》でドツと|奮発《ふんぱつ》して|秘密《ひみつ》の|庫《くら》を|開《あ》けてやらうかな。|実《じつ》は|此《この》テクシもホールさまの|柔《やはら》かい|手《て》でグツと|握《にぎ》られ|柳《やなぎ》の|様《やう》な|視線《しせん》を|注《そそ》がれた|時《とき》にや、まるで|章魚《たこ》のやうにグニヤ グニヤ グニヤとなつて|了《しま》ひ|四肢《しこ》|五体《ごたい》|五臓六腑《ござうろつぷ》が|躍動《やくどう》し|心臓寺《しんざうでら》の|和尚《おせう》は|警鐘《けいしよう》を|乱打《らんだ》する。まるで|天変地異《てんぺんちい》が|突発《とつぱつ》した|心持《こころもち》がしたが、そこは|恋《こひ》の|名人《めいじん》は|違《ちが》つたものだ。|天変《てんぺん》も|地異《ちい》も|警鐘《けいしよう》もグツと|鎮圧《ちんあつ》し|素知《そし》らぬ|顔《かほ》してキツとなり、|儼然《げんぜん》たる|態度《たいど》を|以《もつ》てホールさまに|向《むか》ひ|態《わざ》と|渋柿《しぶがき》でも|噛《か》んだやうな|面《つら》を|装《よそほ》ひ「これはこれは|大家《たいか》のお|嬢《ぢやう》さまの|身《み》を|以《もつ》て|吾々《われわれ》|如《ごと》き|青二才《あをにさい》の|手《て》を|握《にぎ》られるとは|御冗談《ごじやうだん》にも|程《ほど》がある」と【かま】した|所《ところ》、ホールさまもよつぽど|俺《おれ》にホールさまと|見《み》えて、|思《おも》ひ|切《き》つたやうに「エーもう|斯《か》うなつては|構《かま》ひませぬ、どうなつと|貴方《あなた》の|勝手《かつて》にして|下《くだ》さい」と|柔《やはら》かい|白《しろ》いデツプリとした|体《からだ》を|俺《おれ》の|膝《ひざ》に|投《な》げつけられた|時《とき》の|嬉《うれ》しさ、エヘヽヽヽこれが|何《なん》と|喜《よろこ》ばずに|居《を》れやうか。それで|俺《おれ》も|男《をとこ》だ、|据膳《すゑぜん》|食《く》はねば|恥《はぢ》だと|思《おも》ひ|嫌《いや》ぢやないけれど|一《ひと》つ|箸《はし》を|取《と》つてやらうかと|柔《やはら》かいフサフサした|乳《ちち》の|辺《あた》りをグツと|握《にぎ》るや|否《いな》や、|豈《あに》|図《はか》らむや|妹《いもうと》|図《はか》らむやホールさまはピーンと|肱鉄砲《ひぢでつぱう》を|喰《か》ましよつた。ハア…………よつぽどよく|俺《おれ》においでて|居《を》るな。|乳母《うば》の|前《まへ》だからあんな|体裁《ていさい》を|作《つく》つてゐるのだな。|益々《ますます》|前途《ぜんと》|有望《いうばう》だ、|八尺《はつしやく》の|男子《だんし》、|箸《はし》を|採《と》らずんばある|可《べ》からずと、|又《また》もやグツと|取《と》りつく|途端《とたん》にホールさまは「エー」と|一声《ひとこゑ》|強力《がうりき》に|任《まか》せて|俺《おれ》の|体《からだ》を|窓《まど》の|外《そと》へホール|出《だ》しよつた。|放《ほ》り|出《だ》された|俺《おれ》は|門《かど》の|尖《とが》つた|石《いし》で|腰《こし》を|打《う》ち「アイタヽヽ」と|思《おも》つた|途端《とたん》に|目《め》が|覚《さ》めた。そしたら|貴様《きさま》|蚤《のみ》の|奴《やつ》、|俺《おれ》の|腰《こし》を|一生懸命《いつしやうけんめい》に|噛《か》んでけつかつたのだ、アハヽヽヽ』
|乙《おつ》『ウフヽヽヽ、|大方《おほかた》そんな|事《こと》だと|思《おも》つてゐたよ』
|祠《ほこら》の|後《うしろ》から|割鐘《われがね》の|様《やう》な|笑《わら》ひ|声《ごゑ》、
『クワツハヽヽヽ』
|甲乙《かふおつ》|二人《ふたり》は|此《この》|声《こゑ》に|肝《きも》を|潰《つぶ》し、
『ヤア|大変《たいへん》だ。|化物《ばけもの》|現《あら》はれたり』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|坂道《さかみち》さしてフース フースと|息《いき》を|喘《はづ》ませ|逃《に》げて|行《ゆ》く。
(大正一一・一一・二七 旧一〇・九 北村隆光録)
第九章 |輸入品《ゆにふひん》〔一一六〇〕
|月《つき》|照《て》り|渡《わた》る|森《もり》の|木蔭《こかげ》に|小声《こごゑ》で|話《はな》し|合《あ》つて|居《ゐ》る|二人《ふたり》があつた。これは|玉国別《たまくにわけ》、|純公《すみこう》の|二人《ふたり》なる|事《こと》は|云《い》ふ|迄《まで》もない。|今迄《いままで》|銅色《あかがねいろ》の|雲《くも》の|衣《きぬ》をかぶつて|居《ゐ》た|円満《ゑんまん》|具足《ぐそく》の|望《もち》の|月《つき》は|心《こころ》ありげに|二人《ふたり》の|対話《たいわ》を|窺《のぞ》くものの|如《ごと》くであつた。|数十間《すうじつけん》|隔《へだ》たつた|祠《ほこら》の|森《もり》の|辺《あた》りには|二三人《にさんにん》の|男《をとこ》の|笑《わら》ひ|声《ごゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》た。
|純公《すみこう》『|先生《せんせい》、|此《この》|殺風景《さつぷうけい》な|魔軍《まぐん》の|通《とほ》つた|後《あと》に、|何《なん》とも|知《し》れぬ|砕《くだ》けたやうなあの|笑《わら》ひ|声《ごゑ》、|修羅道《しゆらだう》の|後《あと》へ|歓楽郷《くわんらくきやう》が|開《ひら》けた|様《やう》な|光景《くわうけい》ぢやありませぬか。|極端《きよくたん》と|極端《きよくたん》ですなア』
|玉国別《たまくにわけ》『ウン、|窮《きう》すれば|達《たつ》す、|悲《かな》しみの|極《きよく》は|喜《よろこ》びだ。|喜《よろこ》びの|極《きは》みは|又《また》|悲《かな》しみだ。|祠《ほこら》を|中心《ちうしん》に|何《なに》か|喜劇《きげき》が|演《えん》ぜられて|居《ゐ》ると|見《み》える。あの|笑《わら》ひ|声《ごゑ》を|聞《き》くと|私《わし》の|頭痛《づつう》も|拭《ぬぐ》ふが|如《ごと》く|消《き》え|散《ち》つて|仕舞《しま》つたやうだ。|凡《すべ》て|病《やまひ》に|悩《なや》む|時《とき》は|笑《わら》ふのが|一番《いちばん》ぢや。|大口《おほぐち》をあけて|他愛《たあい》もなく|笑《わら》ひ|興《きよう》ずるその|瞬間《しゆんかん》こそ|無上天国《むじやうてんごく》の|境涯《きやうがい》ぢや。ヤア|私《わし》も|何《なん》となく|面白《おもしろ》くなつて|来《き》た。アハヽヽヽ』
|純公《すみこう》『ヤア|初《はじ》めて|麗《うるは》しき|月《つき》の|大神様《おほかみさま》のお|顔《かほ》を|拝《はい》したかと|思《おも》へば|又《また》もや|先生《せんせい》の|玲瓏《れいろう》|玉《たま》の|如《ごと》き|温顔《をんがん》に|笑《わら》ひを|湛《たた》へられた|所《ところ》を|拝《をが》みました。|何《なん》だか|私《わたし》も|嬉《うれ》しく|勇《いさ》んで|参《まゐ》りました。アハヽヽヽ』
|玉国別《たまくにわけ》『あの|大《おほ》きな|笑《わら》ひ|声《ごゑ》は、どうやら|道公《みちこう》の|声《こゑ》のやうだつたなア』
|純公《すみこう》『|似《に》たやうな|声《こゑ》でしたな。あの|男《をとこ》があれだけ|大《おほ》きな|声《こゑ》で|笑《わら》つたのは|今《いま》が|聞初《ききはじ》めです。|併《しか》し、なぜ|貴方《あなた》の|御命令《ごめいれい》|通《どほ》り|手《て》を|拍《う》たないのでせうか。|察《さつ》する|処《ところ》バラモン|教《けう》の|奴《やつ》、|酒《さけ》にでも|酔《よ》つぱらつて|凱旋《がいせん》|気分《きぶん》になり|哄笑《こうせう》して|居《ゐ》るのぢやありますまいかな』
|玉国別《たまくにわけ》『さうではあるまい。|道公《みちこう》も|矢張《やはり》|笑《わら》ひの|渦中《くわちう》に|投《とう》じて|居《ゐ》るのだらう』
|純公《すみこう》『かう|平和《へいわ》の|風《かぜ》が|祠《ほこら》の|近辺《きんぺん》に|吹《ふ》いて|居《ゐ》るのに、いつ|迄《まで》|此処《ここ》に|楽隠居《らくいんきよ》して|居《ゐ》た|処《ところ》で|仕方《しかた》がありますまい。バラモン|教《けう》の|軍隊《ぐんたい》が|治国別《はるくにわけ》|様《さま》の|言霊《ことたま》に|打《う》たれて|遁走《とんそう》して|来《く》るのにもう|間《ま》もありますまい。|兎《と》も|角《かく》もあの|祠《ほこら》を|指《さ》して|参《まゐ》りませうか。ヤア|手《て》が|鳴《な》りました。あれはキツと|道公《みちこう》の|合図《あひづ》でせう。サア|参《まゐ》りませう』
|玉国別《たまくにわけ》『そんなら|行《ゆ》かう』
と|立《た》ち|上《あが》り、|二《ふた》つの|笠《かさ》は|空中《くうちう》に|二本《にほん》の|杖《つゑ》は|白《しろ》く|月《つき》に|照《て》り|乍《なが》ら|地《ち》を|叩《たた》いて|下《くだ》つて|往《ゆ》く。
|祠《ほこら》の|前《まへ》には、ニコニコした|顔《かほ》を|月光《げつくわう》に|曝《さら》し、|道公《みちこう》が|唯《ただ》|一人《ひとり》|踞《しやが》んで|居《ゐ》る。
|純公《すみこう》『オイ|道公《みちこう》さま、お|前《まへ》|一人《ひとり》だつたか』
|道公《みちこう》『ウン|合計《がふけい》|〆《しめ》て|一人《いちにん》だ。|何《なに》も|居《ゐ》ないよ。あいさに|木《き》の|葉《は》がそよ|風《かぜ》に|吹《ふ》かれて|何《なん》だか|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を、|舌《した》を|出《だ》してペラペラと|喋《しやべ》つて|居《ゐ》よるが、|俺《おれ》の|耳《みみ》には|植物《しよくぶつ》の|声《こゑ》はトンと|聞《きこ》えないわ』
|純公《すみこう》『お|前《まへ》|一人《ひとり》で|二人《ふたり》も|三人《さんにん》もの|声《こゑ》を|一時《いつとき》に|出《だ》したのか、|余程《よほど》|器用《きよう》な|男《をとこ》だねえ、|先生様《せんせいさま》のお|越《こ》しだ。|挨拶《あいさつ》をせぬか』
|道公《みちこう》『|今《いま》|其処《そこ》で|別《わか》れた|計《ばか》りぢやないか。|師弟《してい》の|間柄《あひだがら》、|十間《じつけん》や|二十間《にじつけん》|分《わか》れたつて|七六ケ敷《しちむつかし》う|挨拶《あいさつ》が|要《い》るものか。そんな|繁文縟礼《はんぶんじよくれい》の|事《こと》をやつて|居《ゐ》ると|埒《らち》は|明《あ》かないぞ。|先生《せんせい》、|貴師《あなた》は|私《わたし》の|心《こころ》を|御存《ごぞん》じでせうね』
|玉国別《たまくにわけ》『ウンよく|分《わか》つて|居《ゐ》る。|時《とき》に|道公《みちこう》|誰《たれ》も|居《ゐ》なかつたか、|二人《ふたり》|計《ばか》り|居《を》つただらう』
|道公《みちこう》『ハイ、|猿《さる》の|子孫《しそん》が|〆《しめ》て|二人《ふたり》|計《ばか》り|祠《ほこら》の|前《まへ》に|犬《いぬ》|踞《つくば》ひになつて|唸《うな》り|合《あ》つて|居《を》りましたよ。|私《わたし》の|神力《しんりき》で、とうとう|笑《わら》ひ|散《ち》らしてやりました。アハヽヽヽ』
|玉国別《たまくにわけ》『アヽ|月《つき》の|光《ひかり》を|浴《あ》び|乍《なが》ら|此《この》|祠《ほこら》の|御前《みまへ》を|借用《しやくよう》して|敵軍《てきぐん》の|帰《かへ》り|来《きた》るのを|待《ま》つ|事《こと》にしよう』
と|云《い》ひながら|祠前《しぜん》の|恰好《かつかう》の|石《いし》に|腰《こし》|打《う》ちかけた。
|道公《みちこう》『オイ、|今《いま》|二人《ふたり》の|奴《やつ》の|話《はなし》を|聞《き》けば|伊太公《いたこう》はどうやら|敵《てき》の|捕虜《ほりよ》になつたらしいよ。|併《しか》し|乍《なが》ら、|今《いま》となつては|悔《くや》んでも|及《およ》ばぬ|事《こと》だ。|此《この》|後《ご》|吾々《われわれ》は|伊太公《いたこう》を|救《すく》ふため、|友人《いうじん》の|義務《ぎむ》を|尽《つく》さうではないか』
|純公《すみこう》『さうだなア、|仕方《しかた》がないなア。|神様《かみさま》が|伊太公《いたこう》にも|御守護《ごしゆご》を|遊《あそ》ばすからさう|悲観《ひくわん》するにも|及《およ》ぶまい』
|道公《みちこう》『これから|半時《はんとき》|以上《いじやう》も、こんな|所《ところ》でチヨコナンとして|狛犬然《こまいぬぜん》と|待《ま》つて|居《ゐ》るのも|気《き》が|利《き》かぬぢやないか。|月《つき》の|光《ひかり》を|浴《あ》びながら、|谷川《たにがは》へ|下《お》りて|水《みづ》でもいぢつて|来《く》るか、さうでなければ|昔話《むかしばなし》でもして|時《とき》の|到《いた》るを|待《ま》つたらどうだ』
|純公《すみこう》『それでも|先生様《せんせいさま》が|沈黙《ちんもく》を|守《まも》れと|堅《かた》く|仰有《おつしや》つたぢやないか』
|道公《みちこう》『モシ|先生《せんせい》、あんまり|黙言《だまつ》て|居《ゐ》ますと、|口《くち》の|中《なか》で|蜘蛛《くも》の|巣《す》が|張《は》ります。|又《また》|耳《みみ》の|穴《あな》にも|棚蜘蛛《たなくも》が|巣《す》をかけますから|蜘蛛《くも》|払《はら》ひのために|少《すこ》し|昔話《むかしばなし》でもさして|下《くだ》さいな。|手《て》なと|足《あし》なと、|口《くち》なつと|赤坊《あかんぼ》のやうに|始終《しじう》|動《うご》かして|居《を》らねば|虫《むし》の|納《をさ》まらない|厄介《やくかい》の|奴《やつ》だから、どうか|広《ひろ》き|心《こころ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、ここは|一《ひと》つ|宣《の》り|直《なほ》しを|願《ねが》ひます』
|玉国別《たまくにわけ》『ウンそれも|差支《さしつか》へはない。|併《しか》し|言霊戦《ことたません》の|準備《じゆんび》は|整《ととの》うて|居《ゐ》るかな』
|道公《みちこう》『プロペラーも、|余《あま》り|長《なが》らく|使用《しよう》しないと|錆《さび》がついて|思《おも》ふやうに|円滑《ゑんくわつ》に|回転《くわいてん》しませぬから、|言霊戦《ことたません》の|予行《よかう》|演習《えんしふ》だと|思《おも》つてチツと|発声《はつせい》|機関《きくわん》を|使用《しよう》さして|下《くだ》さい』
|玉国別《たまくにわけ》『ウンよしよし、もう|暫《しばら》くすれば|実戦期《じつせんき》に|入《い》るのだから|夫《そ》れ|迄《まで》|何《なに》なりと|話《はな》したがよからうぞ』
|道公《みちこう》『オイ|純公《すみこう》、|忽《たちま》ち|願《ねが》ひ|済《ず》みだ。サア|最早《もはや》|誰人《たれ》に|遠慮《ゑんりよ》も|要《い》らぬ、|天下《てんか》|唯一《ゆゐいつ》の|雄弁家《ゆうべんか》|道公《みちこう》さまが|布婁那《ふるな》の|弁《べん》を|縦横無尽《じうわうむじん》にまくし|立《た》てるから、|聞《き》き|役《やく》になつて|呉《く》れ。そして|間《あい》さには、ウンとか、なる|程《ほど》とか、|其《その》|次《つぎ》はどうなつたとか|云《い》うて|呉《く》れなくては|旨《うま》く|話《はなし》の|結末《けつまつ》がつかないから|頼《たの》むよ。|先《ま》づ|俺《おれ》の|若《わか》い|時《とき》のローマンスでも|陳列《ちんれつ》してお|慰《なぐさ》みにお|耳《みみ》に|入《い》れることにしよう』
|純公《すみこう》『オイ、|道公《みちこう》、お|前《まへ》のやうな|青瓢箪《あをべうたん》に|目鼻《めはな》をつけたやうな|男《をとこ》でも|矢《や》つ|張《ぱ》りローマンスはあるのか、|妙《めう》だねえ』
|道公《みちこう》『|余《あま》り|馬鹿《ばか》にして|貰《もら》ふまいか、|蛇《じや》の|道《みち》は|蛇《へび》の|道《みち》の|道公様《みちこうさま》だ。|種々《いろいろ》の|素晴《すばら》しい|歯《は》の|浮《う》く|様《やう》な|道行話《みちゆきばなし》が|胸中《きようちう》に|満《み》ち|溢《あふ》れて|居《ゐ》るのだ。|俺《おれ》|計《ばか》り|宝《たから》の|持《も》ち|腐《くさ》りをして|居《ゐ》ても|天下《てんか》|国家《こくか》のためにならないから、|一《ひと》つ|此処《ここ》で|祠《ほこら》の|森《もり》の|神様《かみさま》に|奉納《ほうなふ》の|積《つも》りで|余興《よきよう》に|昔語《むかしがた》りをやつて|見《み》るから|謹《つつし》んで|拝聴《はいちやう》せよ。エヘン|抑《そもそも》|此《この》|道公《みちこう》さまの|御年《おんとし》|十八才《じふはつさい》の|頃《ころ》、|俺《おれ》の|生《うま》れ|在所《ざいしよ》にホールと|云《い》ふ|素的滅法界《すてきめつぱふかい》の|美人《びじん》があつたのだ。そした|所《ところ》が、|其《その》ホールさまが、|乳母《うば》と|一緒《いつしよ》にオペラパツクを|細《ほそ》い|腕《うで》にプリンと|提《さ》げ、シヨールに|蝙蝠傘《かふもりがさ》を|携《たづさ》へ|裾模様《すそもやう》に|梅《うめ》の|花《はな》を|散《ち》らした|素晴《すばら》しい|衣装《いしやう》をお|召《め》しになり|桜見物《さくらけんぶつ》にお|出《いで》なさつたのだ。その|時《とき》|俺《おれ》はまだ|十八《じふはち》の|色盛《いろざか》り|顔《かほ》の|艶《つや》も|好《よ》く、ブラリブラリと|公休日《こうきうび》を|幸《さいは》ひ|片手《かたて》を|懐《ふところ》に|入《い》れ|握《にぎ》り|睾丸《きんたま》をしながら|桜《さくら》のステツキの|乙《おつ》に|曲《まが》つたやつを|小脇《こわき》に|挟《はさ》みやつて|行《い》つたと|思《おも》ひ|給《たま》へ。さうすると|彼方《かなた》にも|此方《こなた》にも、|瓢箪酒《へうたんざけ》を|呑《の》んで|居《ゐ》る|三人《さんにん》|五人《ごにん》|七人《しちにん》の|団隊《だんたい》があつたと|思《おも》ひ|給《たま》へ。ウラル|教《けう》の|奴《やつ》も、バラモン|教《けう》の|奴《やつ》も|沢山《たくさん》|居《ゐ》たと|見《み》えて「|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》は|闇《やみ》よ、|闇《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る。|月《つき》は|月《つき》でも|縁《えん》のつき」だなんてぬかしやがつて、【ヘベレケ】に|酔《よ》つて|居《ゐ》る。そこへホールさまが|花《はな》も|恥《はぢ》らふ|優姿《やさすがた》、|乳母《おんば》に|手《て》を|曳《ひ》かれ|天教山《てんけうざん》の|木花姫《このはなひめ》|様《さま》のやうなスラリとした|姿《すがた》でお|出《いで》なさつた。そこへ|又《また》|道公《みちこう》さまが|最前《さいぜん》いつた|様《やう》な|意気《いき》な|姿《すがた》でブラついて|居《ゐ》た|様《さま》は|実《じつ》に|詩的《してき》だつたネー。まるで|画中《ぐわちう》の|人《ひと》のやうだつたよ。ホールさまは、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|妙《めう》な|顔《かほ》をして|酒《さけ》に|酔《よ》ひ|喰《くら》つて|居《ゐ》るのを|打《う》ち|眺《なが》め、|梅花《ばいくわ》の|露《つゆ》に|綻《ほころ》ぶやうな|優《やさ》しい|口許《くちもと》で「ホヽヽヽヽ」と|笑《わら》ひたまうたと|思《おも》ひたまへ。さうすると|酒喰《さけくら》ひの|奴《やつ》、そろそろお|嬢《ぢやう》さまを|見《み》て|喰《く》つてかかつたのだ』
|純公《すみこう》は|道公《みちこう》の|話《はなし》に|釣《つ》り|込《こ》まれ、|思《おも》はず|知《し》らず|膝《ひざ》を|寄《よ》せ|目《め》を|丸《まる》くしながら、
『エ、それから|其《その》|後《あと》はどうなつたのだ、|早《はや》く|云《い》はないか』
|道公《みちこう》『この|先《さき》は|天機《てんき》|漏《も》らすべからずだ。これからが|肝腎要《かんじんかなめ》の|正念場《しやうねんば》だからな。オイ|袖《そで》の|下《した》の|流行《りうかう》する|世《よ》の|中《なか》だ。こんな|神秘的《しんぴてき》の|話《はなし》を|聞《き》かうと|思《おも》ふなら、|些《ちつと》|酒代《さかて》をはり|込《こ》め、ハルナの|大劇場《だいげきぢやう》だつてこんな|実歴談《じつれきだん》は|聞《き》く|事《こと》は|出来《でき》ないぞ』
|玉国別《たまくにわけ》『アツハヽヽヽ』
|純公《すみこう》『サア|早《はや》く|次《つぎ》を|云《い》はぬかい。もどかしいぢやないか』
|道公《みちこう》『|後《あと》はどうなりますか。|又《また》|明晩《みやうばん》のお|楽《たの》しみと|云《い》ふべき|処《ところ》だが、どつと|張《は》り|込《こ》んでこの|後《あと》を|漏《も》らさうかなア、エヘヽヽヽヽあゝ|涎《よだれ》の|奴《やつ》、|主人公《しゆじんこう》の|許《ゆる》しも|得《え》ずに|自由自在《じいうじざい》に|迸出《へいしゆつ》せむとする|不届《ふとど》きの|奴《やつ》だ。エヘヽヽヽもう|云《い》ふまいかな。イヤイヤ|矢張《やつぱり》|祠《ほこら》の|森《もり》の|神様《かみさま》に|奉納《ほうなふ》すると|云《い》うたから|出惜《だしをし》みをしては|済《す》むまい。エヘヽヽヽ|然《しか》り|而《しか》うして|泥酔者《よいどれ》の|中《なか》から|顔《かほ》|一面《いちめん》に|熊襲髯《くまそひげ》を|生《はや》し、|目《め》と|鼻《はな》とのぐるり|計《ばか》り|赤黒《あかぐろ》い|肌《はだ》を|現《あら》はした|大男《おほをとこ》が【ムツク】と|立《た》ち|上《あが》り、|姫様《ひめさま》の|首筋《くびすぢ》をぐつと|鷲掴《わしづか》み「コリヤ|阿魔《あま》つちよ、|何《なん》だ|失礼《しつれい》な、|此《この》|方《はう》が|折角《せつかく》|機嫌《きげん》よく|酩酊《めいてい》して|居《ゐ》るのに|何《なに》がをかしいのだ、エーン|俺《おれ》の|面《つら》を|見《み》て|笑《わら》うたが|笑《わら》ふに|付《つ》けては|何《なに》か|訳《わけ》があらう。サア|貴様《きさま》の|手《て》で|俺《おれ》に|一杯《いつぱい》|酒《さけ》をつげ」とかう|大《おほ》きく|出《で》やがつたのだ。ホールさまは|忽《たちま》ち|顔色《かほいろ》を|変《か》へ「アレ|恐《こは》い|乳母《うば》どうしようか」とおろおろ|声《こゑ》を|出《だ》して|狼狽《うろたへ》|廻《まは》つて|厶《ござ》るのだ。|大《だい》の|男《をとこ》は|益々《ますます》|威猛高《ゐたけだか》になり「|俺《おれ》を|誰《たれ》だと|思《おも》つて|居《ゐ》る。おれこそは|月《つき》の|国《くに》にても|名《な》の|売《う》れた|色《いろ》の|黒《くろ》い|純公《すみこう》だぞ、|繊弱《かよわ》い|阿魔《あま》つちよに|嘲弄《てうろう》されてどうして|男《をとこ》が|立《た》つか。サア|神妙《しんめう》に|酌《しやく》をせい」と|吐《ぬ》かすのぢや、ホールさまは|一生懸命《いつしやうけんめい》「アレ|恐《こは》い |助《たす》けて |助《たす》けて」と|悲《かな》しさうな|声《こゑ》を|出《だ》して|叫《さけ》ばれたのだ。さうすると|其辺《そこら》|中《ぢう》に|酒《さけ》に|酔《よ》つて|居《ゐ》た|泥酔者《よひどれ》が「ヤ|何《なん》だ|何《なん》だ、|喧嘩《けんくわ》だ|喧嘩《けんくわ》だ」と|姫様《ひめさま》と|純公《すみこう》の|廻《まは》りを|取《と》り|巻《ま》く、|其《その》|光景《くわうけい》と|云《い》つたら|実《じつ》に|物々《ものもの》しいものだつた。|殆《ほとん》ど|蟻《あり》の|這《は》ひ|出《で》る|隙《すき》もない|迄《まで》に、|寄《よ》つたりな、|寄《よ》つたりな、|人《ひと》の|山《やま》。そこで|此《この》|道公《みちこう》は「まつた まつた、|暫《しばら》く|待《ま》つた」と|大手《おほて》を|拡《ひろ》げ、|捻鉢巻《ねぢはちまき》を【グツ】と|締《し》め、|二人《ふたり》の|中《なか》に|割《わ》つて|入《い》る。|純公《すみこう》は|怒《いか》り|立《た》ち「どこの|何者《なにもの》か|知《し》らないが、|邪魔《じやま》をするとお|為《ため》にならないぞ」と|白浪言葉《しらなみことば》で|睨《ね》めつける。|俺《おれ》もさる|者《もの》|日頃《ひごろ》|覚《おぼ》えた|柔道《じうだう》|百段《ひやくだん》の|腕前《うでまへ》で|純公《すみこう》の|素《そ》つ|首《くび》|引《ひつ》とらへ、|空中《くうちう》|目蒐《めが》けて、プリン プリン プリンと|投《な》げやれば、|遉《さすが》の|大男《おほをとこ》も|草原《くさはら》へドスンと|転落《てんらく》し、|痛《いた》いとも|何《なん》とも|云《い》はず、|恨《うら》めしげに|後《あと》を|眺《なが》めてスゴスゴと|帰《かへ》つて|往《い》つた|愉快《ゆくわい》さ、|心地《ここち》よさ。|今《いま》|思《おも》うてもなぜあんな|力《ちから》が|出《で》たかと|不思議《ふしぎ》のやうだ。そこでホールさまはどうして|厶《ござ》るかと|四辺《あたり》を|見《み》れば、|乳母《おんば》に|手《て》を|引《ひ》かれ|人込《ひとごみ》を|押《おし》わけ【サツサ】と|逃《に》げて|往《ゆ》かれる。|後姿《うしろすがた》を|見《み》て|俺《おれ》も|何《なん》となく、|人《ひと》の|居《ゐ》るのも|構《かま》はず、|指《ゆび》を|銜《くわ》へ|伸《の》びあがつて|見《み》て|居《ゐ》たよ』
|純公《すみこう》『アハヽヽヽ、|骨折《ほねを》り|損《ぞん》の|疲労《くたびれ》|儲《まう》けと|云《い》ふ|幕《まく》が|下《お》りたのだな。|大方《おほかた》そんな|事《こと》だらうと|思《おも》うて|居《ゐ》た。お|気《き》の|毒《どく》|様《さま》、ウフヽヽヽ|俺《おれ》だつたら、も|一《ひと》つ|進《すす》んで|優《やさ》しい|姫様《ひめさま》の|口《くち》からお|礼《れい》を|云《い》はすのだが、お|前《まへ》は|矢張《やつぱり》|気《き》が|弱《よわ》いと|見《み》えるのう。ウフヽヽヽ』
|道公《みちこう》『|何《なに》これで|終極《しうきよく》ぢやないよ、これからが|正念場《しやうねんば》だ。エヘヽヽヽ、それからな、|俺《おれ》も|何《なん》となく|聊《いささ》か|恋慕《れんぼ》の|心《こころ》が|起《おこ》り、も|一度《いちど》|天女《てんによ》のやうなホールさまのお|顔《かほ》が|見《み》たいと、どれだけ|気《き》を|揉《も》んだか|分《わか》らない。|併《しか》し|名《な》に|負《お》ふ|富豪《ふうがう》、|隙間《すきま》の|風《かぜ》にさへ|当《あ》てられないで|育《そだ》つて|居《ゐ》るお|嬢《ぢやう》さまだからどうしても|遇《あ》ふことは|出来《でき》はしない。いろいろと|考《かんが》へた|結果《けつくわ》|俺《おれ》はそこの|風呂焚《ふろたき》に|入《はい》つたのだ。|即《すなは》ち|三助《さんすけ》に|入《い》り|込《こ》んだのだ。さうすればいつか|姫様《ひめさま》のお|顔《かほ》を|拝《はい》する|事《こと》が|出来《でき》るであらうと|思《おも》うたから、エーン』
|純公《すみこう》『|何《なん》と|気《き》の|弱《よわ》い|奴《やつ》だな。|俺《おれ》だつたら、「|先日《せんじつ》は|甚《えら》いお|危《あぶ》ない|事《こと》で|厶《ござ》いましたね。|別《べつ》にお|身体《からだ》にお|障《さは》りは|厶《ござ》いませぬか。|花見《はなみ》の|時《とき》お|嬢様《ぢやうさま》が|悪漢《わるもの》にお|遇《あ》ひなされた|時《とき》お|助《たす》け|申《まを》した|私《わたし》は|道公《みちこう》だ」と|両親《りやうしん》に|名乗《なの》り|優《やさ》しい|姫様《ひめさま》の|手《て》からお|茶《ちや》の|一杯《いつぱい》も|汲《く》んで|貰《もら》つて|来《く》るのだに、|貴様《きさま》は|薄惚《うすのろ》だから|殆《ほとん》ど|掌中《しやうちう》の|玉《たま》を|失《うしな》うて|来《き》たのだ。そんな|失恋話《しつれんばなし》は|好《よ》い|加減《かげん》に|切《き》り|上《あ》げぬかい。|徒《いたづら》に|時間《じかん》を|空費《くうひ》する|計《ばか》りぢや』
|玉国別《たまくにわけ》『オツホヽヽヽ』
|道公《みちこう》『|是《これ》からが|三段目《さんだんめ》だ。|確《しつ》かり|聞《き》かうよ。|風呂焚《ふろた》きの|三助《さんすけ》に|入《い》り|込《こ》んで|丸《まる》に|十字《じふじ》のついた|法被《はつぴ》を|着用《ちやくよう》に|及《およ》び、|姫様《ひめさま》が|今日《けふ》は|入浴《にふよく》か、|明日《あす》は|入浴《にふよく》かと|待《ま》つて|居《ゐ》たが、|豈《あに》|図《はか》らむやその|風呂《ふろ》は|上女中《かみぢよちう》の|入《い》る|風呂《ふろ》で、|姫様《ひめさま》は|根《ね》つから|覗《のぞ》きもしない。|其《その》|時《とき》の|俺《おれ》の|失望《しつばう》と|云《い》つたらあつたものぢやない。エーン』
|純公《すみこう》『アハヽヽヽ、|梟《ふくろどり》の|宵企《よひだく》み、|夜食《やしよく》に|外《はづ》れたと|云《い》ふ|光景《くわうけい》だな。ウフヽヽヽ』
|道公《みちこう》『コリヤ、あまり|軽蔑《けいべつ》すな、まだ|先《さき》があるのだ。|斯《かく》の|如《ごと》くにして、|三助《さんすけ》を|勤《つと》むる|事《こと》|満一年《まんいちねん》に|及《およ》んだ|暁《あかつき》、お|嬢様《ぢやうさま》は|隣国《りんごく》のペンチ|国《こく》の|或《ある》|富豪《ふうがう》の|家《いへ》へお|嫁入《よめい》りと|云《い》ふ|事《こと》になつたのだ。「アヽしまつた。こんな|事《こと》なら|一年《いちねん》も|三助《さんすけ》をするのぢやなかつたに、お|声《こゑ》も|聞《き》かねばお|姿《すがた》も|見《み》ず|杜鵑《ほととぎす》よりも|酷《ひど》い」と|歎《なげ》き|悲《かな》しんだのも|夢《ゆめ》の|間《ま》、|番頭《ばんとう》のテンプラ|奴《め》が「|一寸《ちよつと》|三助《さんすけ》お|前《まへ》に|用《よう》があるから|此方《こちら》へ|来《こ》い」と|云《い》うて|来《き》よつた。|何事《なにごと》ならむと|稍《やや》|望《のぞ》みを|抱《いだ》きながら、|恐《おそ》る|恐《おそ》るテンプラの|前《まへ》に|罷《まか》りつん|出《で》ると|思《おも》ひも|掛《か》けなく、「お|嬢様《ぢやうさま》のお|嫁入《よめい》りだから|貴様《きさま》|駕籠舁《かごかき》にいつて|呉《く》れないか」とお|出《いで》なさつた。「ヤレ|嬉《うれ》しや、|願望《ぐわんまう》|成就《じやうじゆ》|時《とき》|到《いた》れり」と|二十遍《にじつぺん》も|首《くび》を|縦《たて》に|振《ふ》り「|御用《ごよう》を|承《うけたま》はりませう」と|云《い》つた|処《ところ》、|其《その》|翌日《よくじつ》いよいよお|嫁入《よめい》りの|段《だん》となつた。|駕籠《かご》にお|這《はい》りの|時《とき》のお|姿《すがた》を|見《み》た|時《とき》は|魂《こん》|奪《うば》はれ、|魄《はく》|消《き》えむと|思《おも》ふばかり、|殆《ほとん》ど|卒倒《そつたふ》しかけたよ。それからお|姫様《ひめさま》の|駕籠《かご》を|相棒《あいぼう》の|奴《やつ》と|舁《かつ》ぎながら|歌《うた》うて|見《み》たのだ。その|歌《うた》がまた|奇抜《きばつ》だつたよ。
|俺《おれ》は|十八《じふはち》お|嬢《ぢやう》さまは|十七《じふしち》の|花盛《はなざか》り |一人《ひとり》の|乳母《おんば》に|手《て》を|曳《ひ》かれ
|梅《うめ》を|散《ち》らした|裾模様《すそもやう》 |黒縮緬《くろちりめん》の|扮装《いでたち》で
ぞろ ぞろ ぞろと|桜《さくら》|見《み》に お|越《こ》しなさつた|其《その》|時《とき》に
|彼方《あちら》に|五人《ごにん》|此方《こちら》には |又《また》|七人《しちにん》と|酒《さけ》を|呑《の》み
|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさきや》|暗夜《やみよ》 |闇《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る
|月《つき》は【つき】だが|縁《えん》の【つき】 ウントコドツコイ ドツコイシヨ
|髯武者男《ひげむしやをとこ》の|純公《すみこう》が |花《はな》も|恥《はぢ》らふお|嬢《ぢやう》さまを
とつ|捕《つか》まへて|酌《しやく》せいと |駄々《だだ》を|捏《こ》ねたる|最中《さいちう》に
|飛《と》んで|出《で》たのは|俺《おれ》だつた |純公《すみこう》の|奴《やつ》めが|腹《はら》を|立《た》て
|武者振《むしやぶ》りつくのをとつかまへ |習《なら》ひ|覚《おぼ》えた|柔道《じうだう》で
ウンと|一声《ひとこゑ》なげやつた |空中《くうちう》|二三度《にさんど》|回転《くわいてん》し
|命《いのち》|辛々《からがら》|逃《に》げて|往《ゆ》く |後《あと》|振《ふ》りかへり|眺《なが》むれば
ホールの|姫《ひめ》は|逸早《いちはや》く |乳母《おんば》にお|手《て》を|引《ひ》かれつつ
|館《やかた》をさして|帰《かへ》り|往《ゆ》く あれ|程《ほど》|美《うつく》しいお|姫《ひめ》さま
も|一度《いちど》お|顔《かほ》が|拝《をが》みたい |何《なん》とか|工夫《くふう》はないものか
|手蔓《てづる》を|求《もと》めて|三助《ふろばん》と なつて|月日《つきひ》を|待《ま》つ|中《うち》に
|思《おも》ひも|掛《か》けぬ|御結婚《ごけつこん》 あゝ|是非《ぜひ》もなし|是非《ぜひ》もなし
|爺《おやぢ》が|鳶《とび》に|油揚《あぶらあげ》 もつていなれた|心地《ここち》して
せめては|駕籠《かご》の|御供《おんとも》を さして|貰《もら》つたを|幸《さいは》ひと
|此処迄《ここまで》ウントコついて|来《き》た ウントコドツコイ ドツコイシヨ
と|足《あし》に|合《あは》せて|唄《うた》つたら、|駕籠《かご》の|中《なか》から|細《ほそ》い|涼《すず》しいホールさまの|声《こゑ》として、「この|駕籠《かご》|一寸《ちよつと》|待《ま》つた。|俄《にはか》にお|腹《なか》が|痛《いた》み|出《だ》したから、|今日《けふ》の|結婚《けつこん》|嫌《いや》だ|嫌《いや》だ |帰《かへ》る」と|仰有《おつしや》つてお|聞《き》きにならぬ。サア|大変《たいへん》だ、|結婚《けつこん》の|途中《とちう》お|姫様《ひめさま》が|引返《ひつかへ》したのだから、どつちの|家《いへ》も|大騒動《おほさうどう》、それからとうとう|駕籠《かご》は|家《いへ》に|帰《かへ》り、|奥《おく》の|間《ま》にサツサとお|姫《ひめ》さまは|腹痛《はらいた》も|忘《わす》れて|入《はい》つて|仕舞《しま》つた。よくよく|聞《き》けば「あの|駕籠舁《かごか》きと|夫婦《ふうふ》にして|呉《く》れねば|妾《わたし》は|死《し》ぬ」と|駄々《だだ》を|捏《こ》ねたと|思《おも》ひ|給《たま》へ。サアこれからがボロイのだ。とうとう|俺《おれ》はホールさまの|座敷《ざしき》に|呼《よ》び|入《い》れられ、|山野河海《さんやかかい》の|珍肴《ちんかう》、|姫《ひめ》の|細《ほそ》い|白《しろ》い|手《て》でお|酌《しやく》をして|貰《もら》ひ、|初《はじ》めて|結婚《けつこん》の|式《しき》を|挙《あ》げて|夫婦《ふうふ》となり、|沢山《たくさん》の|財産《ざいさん》を|与《あた》へて|貰《もら》ふ|事《こと》になつたのだ。さうすると、|月《つき》に|村雲《むらくも》|花《はな》に|嵐《あらし》、|姫様《ひめさま》と|俺《おれ》と|盃《さかづき》を|交《か》はして|居《ゐ》る|所《ところ》へ、|阿修羅王《あしゆらわう》の|荒《あ》れ|狂《くる》ふが|如《ごと》く|入《はい》つて|来《き》たのは|純公《すみこう》だつた。サア|此方《こちら》の|襖《ふすま》は|叩《たた》き|毀《こは》す、|火鉢《ひばち》をなげつける。|乱暴狼藉《らんばうろうぜき》、そこで|俺《おれ》も、も|一度《いちど》|姫《ひめ》に|吾《わが》|手並《てなみ》を|見《み》せておく|必要《ひつえう》があると|思《おも》ひ、「サア|来《こ》い|来《きた》れ」と|手《て》を|拡《ひろ》げた|途端《とたん》、|目《め》が|醒《さ》めたら、|何《なん》の|事《こと》だ、|破《やぶ》れ|小屋《ごや》の|二畳敷《にでふじき》で|汗《あせ》ビツシヨリかいて|夢《ゆめ》を|見《み》て|居《ゐ》たのだつた、アハヽヽヽ』
|玉国別《たまくにわけ》『ウツフヽヽヽ』
|純公《すみこう》『ワハヽヽヽ、|馬鹿《ばか》にするない』
|道公《みちこう》『|何《なに》、バラモン|国《こく》から|直輸入《ちよくゆにふ》した|計《ばか》りの|舶来品《はくらいひん》の|卸《おろ》し|売《う》りだ、アハヽヽヽ』
(大正一一・一一・二七 旧一〇・九 加藤明子録)
第三篇 |河鹿《かじか》の|霊嵐《れいらん》
第一〇章 |夜《よる》の|昼《ひる》〔一一六一〕
|斎苑《いそ》の|館《やかた》に|現《あ》れませる |瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|救主《すくひぬし》
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の |神言《みこと》|畏《かしこ》み|亀彦《かめひこ》は
|治国別《はるくにわけ》と|改《あらた》めて |万公《まんこう》|晴公《はるこう》|五三公《いそこう》の
|三人《みたり》の|御供《みとも》を|従《したが》へつ |神《かみ》の|教《をしへ》を|菊子姫《きくこひめ》
|妻《つま》の|命《みこと》に|相別《あひわか》れ |凩《こがらし》|荒《すさ》ぶ|秋《あき》の|野《の》を
|足《あし》に|任《まか》せてテクテクと |河鹿峠《かじかたうげ》の|山麓《さんろく》に
|進《すす》み|来《きた》れる|折《をり》もあれ |千引《ちびき》の|岩《いは》も|飛《と》び|散《ち》れと
いはぬ|計《ばか》りに|吹《ふ》きつける |科戸《しなど》の|風《かぜ》に|面《おもて》をば
さらして|漸《やうや》く|頂上《ちやうじやう》に |息《いき》をはづませ|登《のぼ》りつき
あたりの|厳《いはほ》に|腰《こし》をかけ |四方《よも》の|原野《げんや》を|見《み》はらして
|吾《わが》|身《み》のこし|方《かた》|行末《ゆくすゑ》を |思《おも》ひまはすぞ|床《ゆか》しけれ。
|万公《まんこう》『|先生様《せんせいさま》、|何《なん》と|佳《よ》い|風景《ふうけい》ぢやありませぬか。|河鹿峠《かじかたうげ》の|頂上《ちやうじやう》から|四方《しはう》を|見《み》はらす|光景《くわうけい》は|何時《いつ》も|素的《すてき》ですが、あれを|御覧《ごらん》なさいませ。|広大《くわうだい》なる|原野《げんや》の|果《はて》に、|白雲《しらくも》の|衣《きぬ》を|被《かぶ》つて、|頭《あたま》をチヨツクリと|出《だ》してる|彼《あ》の|高山《かうざん》は、|何《なん》とも|云《い》へぬ|正《ただ》しい|姿《すがた》ぢやありませぬか。|八合目《はちがふめ》|以下《いか》は|綿《わた》の|衣《ころも》に|包《つつ》まれ、|頭《あたま》の|上《うへ》は|常磐木《ときはぎ》が|鬱蒼《うつさう》と|生《は》え|茂《しげ》り、|腰《こし》あたりに|白雲《しらくも》の|帯《おび》を|引締《ひきし》めてゐる|光景《くわうけい》と|言《い》つたら、|何《なん》とも|云《い》へない|床《ゆか》しさ|否《いな》、|眺《なが》めですなア。|斯《か》う|四方《しはう》を|見《み》はらした|山《やま》の|上《うへ》に|立《た》つてゐると、|何《なん》だか|第一天国《だいいちてんごく》へでも|登《のぼ》りつめたやうな|気分《きぶん》が|漂《ただよ》ふぢやありませぬか。|願《ねが》はくはいつ|迄《まで》も|斯様《かやう》な|崇高《すうかう》な|景色《けしき》を|眺《なが》めて、ここに|千年《せんねん》も|万年《まんねん》も|粘着《ねんちやく》して|居《を》りたいものですなア』
|治国別《はるくにわけ》『さうだ、お|前《まへ》の|言《い》ふ|通《とほ》り、|雄大《ゆうだい》な|景色《けしき》だなア。|佐保姫《さほひめ》もこれ|丈《だけ》の|錦《にしき》を、|広大無辺《くわうだいむへん》の|原野《げんや》に|一時《いちじ》に|織《おり》なすといふのは、|余程《よほど》|骨《ほね》の|折《を》れる|事《こと》だらう。これを|思《おも》へば|天然力《てんねんりよく》|否《いな》|神《かみ》の|力《ちから》は|偉大《ゐだい》なものだ。|造化《ざうくわ》の|妙機《めうき》|活動《くわつどう》に|比《くら》ぶれば、|実《じつ》に|吾々《われわれ》の|活動《くわつどう》は|九牛《きうぎう》の|一毛《いちまう》にも|足《た》らないやうな|感《かん》じがして、|実《まこと》に|神様《かみさま》へ|対《たい》しお|恥《はづ》かしいやうだ。アヽかかる|美《うる》はしき|地上《ちじやう》の|天国《てんごく》に|晏如《あんじよ》として|生《せい》を|送《おく》らして|頂《いただ》く|吾々《われわれ》|神《かみ》の|子《こ》は|何《なん》たる|幸福《かうふく》なことであらう。|神《かみ》の|造《つく》られし|山河原野《さんかげんや》は|俺達《おれたち》のやうに|別《べつ》に|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|喧《やかま》しく|言問《ことと》ひせなくても、|花《はな》の|咲《さ》く|時分《じぶん》には|一切《いつさい》|平等《べうどう》に|花《はな》を|咲《さ》かし、|実《み》を|結《むす》ぶ|時《とき》には|統一的《とういつてき》に|実《み》を|結《むす》ぶ。|実《じつ》に|神《かみ》の|力《ちから》は|絶大《ぜつだい》なものだ』
|晴公《はるこう》『|実《じつ》に|晴々《はればれ》とした|光景《くわうけい》ですなア。|天《てん》か|地《ち》か|地《ち》か|天《てん》か、|殆《ほとん》ど|判別《はんべつ》がつかないやうな|極楽《ごくらく》の|光景《くわうけい》ぢやありませぬか。|此《この》|無限《むげん》|絶大《ぜつだい》なる|世界《せかい》に|生《せい》を|禀《う》け、|自然《しぜん》の|天恵《てんけい》を|十二分《じふにぶん》に|楽《たのし》み、|自由自在《じいうじざい》に|一切《いつさい》|万物《ばんぶつ》を|左右《さいう》し|得《う》る|権能《けんのう》を|与《あた》へられ|乍《なが》ら、|小《ちひ》さい|欲《よく》に|捉《とら》はれて|屋敷《やしき》の|堺《さかひ》を|争《あらそ》うたり、|田畑《たはた》の|畦《くろ》を|取合《とりあ》ひしたりしてゐる|人間《にんげん》の|心《こころ》が|分《わか》らぬぢやありませぬか。|私《わたし》は|今《いま》となつて|此《この》|景色《けしき》を|見《み》るに|付《つ》け、|神様《かみさま》のお|力《ちから》の|偉大《ゐだい》なるに|驚《おどろ》きました。ヤツパリ|人間《にんげん》は|低《ひく》い|所《ところ》に|齷齪《あくせく》して|世間《せけん》を|見《み》ずに|暮《くら》してると、|自然《しぜん》|気《き》が|小《ちひ》さくなり、|小利小欲《せうりせうよく》に|捉《とら》はれて、|自《みづか》ら|苦悩《くなう》の|種《たね》を|蒔《ま》くやうになるものですなア。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|治国別《はるくにわけ》『|併《しか》し|乍《なが》ら|大神様《おほかみさま》に|承《うけたま》はれば、バラモン|教《けう》の|大黒主《おほくろぬし》の|軍勢《ぐんぜい》が|此《この》|峠《たうげ》を|渉《わた》りて|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|攻《せ》め|来《きた》るとの|事《こと》だ。|吾々《われわれ》|宣伝使《せんでんし》を|四組《よくみ》も|五組《いつくみ》も|月《つき》の|国《くに》へ|御派遣《ごはけん》|遊《あそ》ばしたのも、|深《ふか》き|思召《おぼしめし》のあることだらう。ハルナの|都《みやこ》などは|黄金姫《わうごんひめ》|様《さま》の|御一行《ごいつかう》がお|出《い》でになれば|十分《じふぶん》だ。|要《えう》するに|吾々《われわれ》は|大黒主《おほくろぬし》の|軍隊《ぐんたい》に|向《むか》つて|言霊戦《ことたません》を|開始《かいし》すべく|派遣《はけん》されたのであらう。さうでなくては、|何程《なにほど》|勢力《せいりよく》|無限《むげん》の|大黒主《おほくろぬし》だとて|斎苑《いそ》の|館《やかた》の|宣伝使《せんでんし》、|殆《ほとん》ど|総出《そうで》といふやうな|大袈裟《おほげさ》なことは|神様《かみさま》が|遊《あそ》ばす|筈《はず》がない。お|前達《まへたち》も|其《その》|考《かんが》へで|居《を》らなくてはならないぞ。|月《つき》の|国《くに》は|名《な》に|負《お》ふ|大国《たいこく》|五天竺《ごてんじく》といつて|五州《ごしう》に|大別《たいべつ》され、|七千余ケ国《しちせんよかこく》の|刹帝利族《せつていりぞく》が|国王《こくわう》となつて、|互《たがひ》に|鎬《しのぎ》を|削《けづ》り、|此《この》|美《うる》はしき|地上《ちじやう》の|天国《てんごく》に|修羅道《しゆらだう》を|現出《げんしゆつ》してゐるのだから、|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|大神《おほかみ》の|心《こころ》を|奉戴《ほうたい》し、|吾々《われわれ》|一行《いつかう》は|如何《どう》しても|五六七《みろく》|神政《しんせい》|出現《しゆつげん》の|為《た》めに|粉骨砕身的《ふんこつさいしんてき》の|活動《くわつどう》を|励《はげ》まねばなるまい、|実《じつ》に|重大《ぢゆうだい》なる|使命《しめい》を|与《あた》へられたものだ。|天地《てんち》の|大神様《おほかみさま》に|十分《じふぶん》に|感謝《かんしや》をせなくてはならない。あゝ|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|合掌《がつしやう》し|瞑目傾首《めいもくけいしゆ》してゐる。
|五三公《いそこう》『モシ|先生様《せんせいさま》、お|話《はなし》の|通《とほ》りならば、|大黒主《おほくろぬし》の|軍隊《ぐんたい》はキツと|途中《とちう》で|吾々《われわれ》と|遭遇《でくわ》すでせうなア』
|治国別《はるくにわけ》『ウン、|最早《もはや》|間《ま》もあるまい。|各自《かくじ》に|腹帯《はらおび》を|確《しつか》り|締《し》めておかねばなるまいぞ』
|五三公《いそこう》『ハイ、それは|斎苑館《いそやかた》|出立《しゆつたつ》の|時《とき》から、|腹《はら》が|瓢箪《へうたん》になる|程《ほど》|細帯《ほそおび》でしめて|来《き》ました。|赤《あか》い|筋《すぢ》がついて|痛《いた》い|位《くらゐ》ですもの、|大丈夫《だいぢやうぶ》ですワ。|併《しか》し|少《すこ》しく|腹《はら》が|減《へ》りましたから、ここでパンでも|頂《いただ》きますか。さうでなくては、マ|一度《いちど》|締《し》め|直《なほ》さなくちやズリさうになつて|来《き》ました』
|治国別《はるくにわけ》『アハヽヽヽ』
|万公《まんこう》『オイ|五三《いそ》、|分《わか》らぬ|男《をとこ》だなア。そんな|腹帯《はらおび》ぢやないワイ。|心《こころ》の|腹帯《はらおび》をしめ……と|仰有《おつしや》るのだ』
|五三公《いそこう》『|心《こころ》の|腹帯《はらおび》て、どんなものだい。|無形《むけい》の|腹帯《はらおび》を|如何《どう》して|締《し》めるのだ。そんな|荒唐無稽《くわうたうむけい》のことをいふと、|人心《じんしん》|惑乱《わくらん》の|罪《つみ》で、バラモン|署《しよ》へ|拘引《こういん》されるぞ』
|万公《まんこう》『アツハヽヽヽ|徹底的《てつていてき》に|没分暁漢《わからずや》だなア。|天《てん》の|配剤《はいざい》|宜《よろ》しきを|得《え》たりといふべしだ。|至聖《しせい》|大賢《たいけん》|計《ばか》りが|斯《か》う|揃《そろ》つてゐると、|道中《だうちう》は|固苦《かたくる》しくて|根《ね》つから|興味《きようみ》がないと|思《おも》つてゐたが、|五三公《いそこう》のやうなゴサゴサ|人足《にんそく》が|混入《こんにふ》してゐるとは、|面白《おもしろ》いものだ。|悪《わる》く|言《い》へば|天《てん》の|悪戯《いたづら》、よく|言《い》へば|天《てん》の|配剤《はいざい》だ。チツとばかり|貴様《きさま》がゐると|虫《むし》の|薬《くすり》になるかも|知《し》れない。アハヽヽヽ』
|五三公《いそこう》『コリヤ|余《あま》り|口《くち》が|過《す》ぎるぢやないか。|何《なん》だ、|結構《けつこう》な|神《かみ》の|生宮《いきみや》さまを|掴《つか》まへて|竹《たけ》の|子《こ》|医者《いしや》か|何《なん》ぞのやうに、|天《てん》の|配剤《はいざい》だとは、|余《あま》りバカにするぢやないか』
|万公《まんこう》『クス クス クス』
|五三公《いそこう》『コリヤ、|狸《たぬき》を|青松葉《あをまつば》で|燻《くす》べた|時《とき》のやうに、|何《なに》をクスクス|吐《ぬか》すのだ。チツと|俺《おれ》のいふことも|能《よ》く【せんやく】(|煎薬《せんやく》)して|聞《き》け、【こうやく】(|膏薬《かうやく》)の|為《ため》になるから、ヤクザ|人足《にんそく》|奴《め》、そんな|事《こと》でマサカの|時《とき》のお【やく】に|立《た》つかい、エヽー』
|万公《まんこう》『そんなこた、|如何《どう》でもいゝワ。|早《はや》くパンでも|頂《いただ》いて|腹《はら》をドツシリと|拵《こしら》へ、|敵《てき》の|襲来《しふらい》に|備《そな》へるのだ。グヅグヅしてはゐられないぞ』
|五三公《いそこう》『|敵《てき》に|供《そな》へてやる|丈《だけ》のパンがあるかい。|自分《じぶん》の|生宮《いきみや》に|鎮座《ちんざ》まします|喉《のど》の|神様《かみさま》や|仏様《ほとけさま》に|供《そな》へる|丈《だけ》より|持《も》つてゐないのだから、|余計《よけい》な|敵《てき》の|世話《せわ》|迄《まで》やく|必要《ひつえう》があるか。|敵《てき》に|兵糧《ひやうらう》を|与《あた》へる|奴《やつ》ア、|馬鹿《ばか》の|骨頂《こつちやう》だ』
|万公《まんこう》『|神様《かみさま》の|道《みち》からいへば、|敵《てき》も|味方《みかた》も|決《けつ》してあるものでない。|三十万年《さんじふまんねん》|未来《みらい》に、|自転倒島《おのころじま》に|謙信《けんしん》、|信玄《しんげん》といふ|大名《だいみやう》があつて、|戦争《せんそう》をやつた|時《とき》に、|一方《いつぱう》の|敵《てき》へ|向《む》けて|塩《しほ》を|贈《おく》つたといふ|美談《びだん》があるさうだから、|敵《てき》を|仁慈《じんじ》を|以《もつ》て|言向和《ことむけやは》すのには、|恩威《おんゐ》|並《なら》び|行《おこな》はねば|到底《たうてい》|駄目《だめ》だ。|貴様《きさま》の|筆法《ひつぱふ》で|言《い》へば|丸切《まるき》りウラル|教《けう》|式《しき》だ。|自分《じぶん》さへよければ|人《ひと》はどうでもいいといふ|邪神的《じやしんてき》|主義精神《しゆぎせいしん》だから、そんなことでは|大任《たいにん》を|双肩《さうけん》に|担《にな》ひ|玉《たま》ふ|治国別《はるくにわけ》|先生《せんせい》のお|供《とも》は|叶《かな》はぬぞ。アーン』
|治国別《はるくにわけ》『オイ|万公《まんこう》、|五三公《いそこう》、いらざる|兄弟喧嘩《けうだいげんくわ》はやめたがよからうぞ。サア|是《これ》からがお|前達《まへたち》の|活動《くわつどう》|舞台《ぶたい》だ』
|万公《まんこう》『|敵《てき》の|片影《へんえい》を|見《み》ず、|今《いま》から|捻鉢巻《ねぢはちまき》をして|気張《きば》つた|所《ところ》で、マサカの|時《とき》になつたら|待《ま》ち|草臥《くたび》れて|力《ちから》が|脱《ぬ》けて|了《しま》ふぢやありませぬか』
|治国別《はるくにわけ》『イヤイヤ|半時《はんとき》|許《ばか》り|経《た》てばキツと|敵軍《てきぐん》に|出会《しゆつくわい》するにきまつてゐる。|玉国別《たまくにわけ》と|吾々《われわれ》とが|坂《さか》の|上下《うへした》から|言霊《ことたま》を|打出《うちだ》して、|誠《まこと》の|道《みち》に|帰順《きじゆん》せしむべき|段取《だんどり》がチヤンとついてゐるのだ。|能《よ》く|心《こころ》を|落着《おちつ》けて、|騒《さわ》がない|様《やう》にせなくちやならぬぞ。|千載一遇《せんざいいちぐう》の|好機《かうき》だ、|之《これ》を|逸《いつ》しては、|神《かみ》の|大前《おほまへ》に|勲功《くんこう》を|現《あら》はす|時期《じき》はないぞ』
|万公《まんこう》『それ|程《ほど》|敵《てき》は|間近《まぢか》に|押寄《おしよ》せて|居《を》りますか。さう|承《うけたま》はらば|吾々《われわれ》もウカウカしては|居《を》られませぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら|黄金姫《わうごんひめ》|様《さま》や|照国別《てるくにわけ》|様《さま》の|一行《いつかう》は|大衝突《だいしようとつ》をやられたでせうなア』
|治国別《はるくにわけ》『|多少《たせう》の|衝突《しようとつ》はあつたであらう。|併《しか》し|何《いづ》れも|御無事《ごぶじ》だ。あの|方々《かたがた》と|吾々《われわれ》とは|使命《しめい》が|違《ちが》ふのだから……|丁度《ちやうど》|此《この》|下《くだ》り|坂《ざか》を|楯《たて》にとつて、|言霊戦《ことたません》を|開始《かいし》すれば|屈竟《くつきやう》の|地点《ちてん》だ』
|五三公《いそこう》は、
『ヤアそれは|大変《たいへん》、|時《とき》こそ|到《いた》れり、|敵《てき》は|間近《まぢか》に|押《おし》よせたり。|吾《われ》こそは|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|治国別《はるくにわけ》の|幕下《ばくか》|五三公命《いそこうのみこと》だ。バラモン|教《けう》の|奴原《やつばら》、サア|来《こ》い|来《きた》れ。|一人《ひとり》|二人《ふたり》は|邪魔《じやま》|臭《くさ》いイヤ|面倒《めんだう》だ。|百人《ひやくにん》|千人《せんにん》|束《そく》に|結《ゆ》うて|束《たば》ねて|一度《いちど》にかかれ。ウンウンウン』
と|左右《さいう》の|拳《こぶし》を|固《かた》め、|稍《やや》|反《そ》り|気味《ぎみ》になつて、|胸《むね》の|辺《あた》りをトントントンとなぐつてゐる。
|治国別《はるくにわけ》『アツハヽヽ|五三公《いそこう》の|武者振《むしやぶ》りは|今《いま》|始《はじ》めて|拝見《はいけん》した。|何時迄《いつまで》も|其《その》|勢《いきほひ》を|続《つづ》けて|貰《もら》ひたいものだなア』
|万公《まんこう》『コリヤ|五三《いそ》の|蔭弁慶《かげべんけい》、|何《なん》だ|今《いま》からさうはしやぐと、|肝腎要《かんじんかなめ》の|時《とき》になつて、|精力《せいりよく》|消耗《せうもう》し、|弱腰《よわごし》を|抜《ぬ》かし、|泣面《なきづら》を|天日《てんぴ》に|曝《さら》さねばならぬやうになるぞ。モウ|少《すこ》し|沈着《ちんちやく》に|構《かま》へぬかい。|狼狽者《あわてもの》だなア』
|五三公《いそこう》『|敵《てき》の|間近《まぢか》き|襲来《しふらい》と|聞《き》いて、|如何《どう》してこれが|騒《さわ》がずに|居《を》られようか。|弓腹《ゆはら》ふり|立《た》て|堅庭《かたには》に|向股《むかもも》ふみなづみ、|淡雪《あはゆき》なせる|蹴《く》えちらし、|厳《いづ》の|雄健《をたけ》びふみ|健《たけ》び、|厳《いづ》の|嘖譲《ころび》を|起《おこ》して、|海《うみ》|往《ゆ》かば|水潜屍《みづくかばね》、|山《やま》|往《ゆ》かば|草生屍《くさむすかばね》|大神《おほかみ》の|辺《へ》にこそ|死《し》なめ、|閑《のど》には|死《し》なじ、|額《ひたひ》に|矢《や》は|立《た》つ|共《とも》|背中《そびら》に|矢《や》は|立《た》てじ、|顧《かへり》みは|為《せ》じと、|弥進《いやすす》みに|進《すす》み、|弥逼《いやせま》りに|逼《せま》り、|山《やま》の|尾毎《をごと》に|追《お》ひ|伏《ふ》せ、|河《かは》の|瀬毎《せごと》に|追《お》ひ|散《ち》らし、|服《まつろ》へ|和《やは》し|言向和《ことむけやは》す|五三公《いそこう》さまの|獅子奮迅《ししふんじん》の|武者振《むしやぶり》だ。|此《この》|位《くらゐ》の|勢《いきほひ》がなくて、|如何《どう》して|大敵《たいてき》に|当《あた》られるものかい』
|万公《まんこう》『|貴様《きさま》は|頻《しき》りに|愚問《ぐもん》を|発《はつ》するから、|此奴《こいつ》ア、チト|低能児《ていのうじ》だと|思《おも》つてゐたが、|比較的《ひかくてき》|悧巧《りかう》なことを|並《なら》べ|立《た》てるぢやないか』
|五三公《いそこう》『きまつたことだい。|三五教《あななひけう》の|祝詞仕込《のりとじこみ》だ。|祝詞《のりと》|其《その》ままだ。|群《むらが》りよせ|来《く》る|敵《てき》を|払《はら》ひ|玉《たま》へ|清《きよ》め|玉《たま》へと|申《まを》すことの|由《よし》を、|平《たひら》らけく|安《やす》らけく|聞《きこ》し|召《め》せと|申《まを》す。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|万公《まんこう》『アツハヽヽヽ|此奴《こいつ》ア|又《また》|偉《えら》い|空威張《からゐば》りだなア、のう|晴公《はるこう》、|余程《よほど》いゝ|掘出《ほりだ》し|物《もの》ぢやないか。マサカの|時《とき》になつたら、|尻《しり》に|帆《ほ》かけてスタコラヨイサと|逃《に》げ|出《だ》す|代物《しろもの》だぜ』
|晴公《はるこう》『ウツフヽヽヽ』
|万公《まんこう》『|一《ひと》つ|此処《ここ》で|風流《ふうりう》|気分《きぶん》を|養《やしな》つて|参《まゐ》りませうか。|大敵《たいてき》を|前《まへ》に|控《ひか》へ|悠々《いういう》として|余裕綽々《よゆうしやくしやく》たりといふ|益良男《ますらを》の|一団《いちだん》ですからなア』
|治国別《はるくにわけ》『ウン、|一《ひと》つやつて|見《み》よ』
|万公《まんこう》『|見《み》わたせば|四方《よも》の|山野《やまの》は|錦《にしき》|着《き》て
|吾《わが》|一行《いつかう》を|迎《むか》へゐる|哉《かな》』
|五三公《いそこう》『なあんだ、そんな|怪体《けたい》な|歌《うた》があるかい、かう|歌《うた》ふのだ、エヽー……
|見《み》わたせば、|山野《やまの》の|木々《きぎ》は|枯《か》れはてて
|錦《にしき》のやうに|見《み》えにける|哉《かな》』
|万公《まんこう》『ハツハヽヽヽ|何《なん》と|名歌《めいか》だなア、|柿本人麿《かきのもとひとまろ》が|運上取《うんじやうと》りに|来《く》るぞ』
|五三公《いそこう》『|柿《かき》の|本《もと》ぢやないワ、|山上赤人《やまのうへのあかひと》だ。|一《ひと》つ|足曳《あしびき》の|山鳥《やまどり》の|尾《を》をやつてみようかな、エヽー』
|万公《まんこう》『そりや|面白《おもしろ》からう。サアサア|詠《よ》んだり|詠《よ》んだり|三十一文字《みそひともじ》を……』
|五三公《いそこう》『|山《やま》の|上《へ》にあかん|人《ひと》こそ|立《た》ちにけり
|万更《まんざら》|馬鹿《ばか》とは|見《み》えぬ|万公《まんこう》』
|万公《まんこう》『コリヤ|五三《いそ》、チツと|御無礼《ごぶれい》ぢやないか。|礼儀《れいぎ》といふことを|弁《わきま》へてゐるか』
|五三公《いそこう》『|礼儀《れいぎ》を|知《し》らぬ|奴《やつ》がどこにあるかい。|擂鉢《すりばち》の|中《なか》へ|味噌《みそ》を|入《い》れてする|奴《やつ》ぢやないか、エヽー。それが|違《ちが》うたら、|売僧坊主《まいすばうず》が|失敗《しつぱい》の|言訳《いひわけ》に|腹《はら》を|切《き》る|真似《まね》する|道具《だうぐ》だ。エヽー』
|万公《まんこう》『アハヽヽヽ|此奴《こいつ》アいよいよ|馬鹿《ばか》だ。レンギと|礼儀《れいぎ》と|間違《まちが》へてゐやがる』
|五三公《いそこう》『|其《その》|位《くらゐ》な|間違《まちがひ》は|当然《たうぜん》だよ、|間違《まちがひ》だらけの|世《よ》の|中《なか》だ。|石屋《いしや》と|医者《いしや》と|間違《まちが》へたり、|役者《やくしや》と|学者《がくしや》と|混同《こんどう》したり、|大鼓《たいこ》と|大根《だいこ》とを|一《ひと》つにしたりする|世《よ》の|中《なか》だもの、|当然《たうぜん》だ。エヽー』
|万公《まんこう》『ウツフヽヽヽだ、イツヒヽヽヽだ、アツハヽヽヽ|阿呆《あはう》らしいワイ。そんな|馬鹿《ばか》なことをいつてゐると、それ|見《み》ろ、|鳶《とび》の|奴《やつ》、|大《おほ》きな|口《くち》をあけて|笑《わら》つてゐやがるワ』
|五三公《いそこう》『きまつたことだよ。|飛《と》び|放《はな》れた|脱線《だつせん》|振《ぶ》りを|発揮《はつき》してるのだもの。|鳶《とび》だつて、|笑《わら》つたり|呆《あき》れたり|舌《した》を|巻《ま》いたりするだらうかい』
|治国別《はるくにわけ》『|三人《さんにん》ともパンを|食《く》つたかなア、まだなら|早《はや》く|食《く》つておかないと、|時期《じき》が|切迫《せつぱく》したやうだ』
|五三公《いそこう》『ハイ|時機《じき》|切迫《せつぱく》と|仰有《おつしや》いましたが、|畏《かしこ》まりました。ジキに|切迫《せつぱく》とパクついて|腹《はら》でも|拵《こしら》へませう。ハラヒ|玉《たま》へ|清《きよ》め|玉《たま》へだ』
と|無駄口《むだぐち》を|叩《たた》き|乍《なが》ら、パンを|取出《とりだ》し、パクつき|始《はじ》めた。
|風《かぜ》がもて|来《く》る|人馬《じんば》の|物音《ものおと》|騒々《さうざう》しく|手《て》に|取《と》る|如《ごと》く|耳《みみ》に|入《い》る。
|万公《まんこう》『ヤアお|出《いで》たなア。コリヤア|面白《おもしろ》い。|先生《せんせい》、|一《ひと》つ|万公《まんこう》の|活躍《くわつやく》ぶりを|御覧《ごらん》|下《くだ》さい、|花々《はなばな》しき|大活躍《だいくわつやく》を|演《えん》じて|見《み》ませう』
|治国別《はるくにわけ》『|心《こころ》を|落《おち》つけて|三五教《あななひけう》の|精神《せいしん》を|落《おと》さない|様《やう》に|一番槍《いちばんやり》の|功名《こうみやう》をやつて|見《み》たがよからう。サア|行《ゆ》かう』
と|蓑笠《みのかさ》をつけ、|杖《つゑ》を|左手《ゆんで》に|握《にぎ》り、|登《のぼ》り|来《く》る|敵《てき》に|向《むか》つて|悠々《いういう》|迫《せま》らざる|態度《たいど》を|持《ぢ》し、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|降《くだ》つて|行《ゆ》く。
|治国別《はるくにわけ》『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|国《くに》の|祖《おや》 |国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》の
|守《まも》り|玉《たま》へる|神《かみ》の|道《みち》 |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|身《み》を|尽《つく》し
|心《こころ》を|尽《つく》す|三五《あななひ》の |神《かみ》の|柱《はしら》と|現《あ》れませる
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の |吾《わ》れこそ|珍《うづ》の|神司《かむつかさ》
|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》 |万世《よろづよ》|祝《いは》ふ|亀彦《かめひこ》が
|名《な》さへ|目出《めで》たき|万公《まんこう》や |暗夜《やみよ》を|晴《はら》す|晴公《はるこう》さま
|三五《さんご》の|月《つき》の|御教《みをしへ》に ゆかりの|深《ふか》き|五三公《いそこう》の
|三人《みたり》の|司《つかさ》と|諸共《もろとも》に |七千余国《しちせんよこく》の|月《つき》の|国《くに》
|天地《てんち》を|塞《ふさ》ぐ|曲神《まがかみ》を |神《かみ》の|賜《たま》ひし|言霊《ことたま》に
|服《まつろ》ひ|和《やは》し|天国《てんごく》を |地上《ちじやう》に|立《た》てむ|御神策《ごしんさく》
|岩石《がんせき》|崎嶇《きく》たる|河鹿山《かじかやま》 |烈《はげ》しき|風《かぜ》に|吹《ふ》かれつつ
|苦《く》もなく|越《こ》えて|来《きた》りけり あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして ハルナの|都《みやこ》に|蟠《わだか》まる
|八岐大蛇《やまたをろち》の|化身《けしん》なる |大黒主《おほくろぬし》の|軍隊《ぐんたい》を
これの|難所《なんしよ》に|待《ま》ち|受《う》けて |一人《ひとり》も|残《のこ》さず|言霊《ことたま》に
|打平《うちたひら》げて|斎苑館《いそやかた》 |珍《うづ》の|御前《みまへ》に|復《かへ》り|言《ごと》
|申《まを》さむ|時《とき》こそ|来《きた》りけり あゝ|勇《いさ》ましし|勇《いさ》ましし
|旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|嵐《あらし》は|如何《いか》に|強《つよ》くとも |敵《てき》は|幾万《いくまん》|攻《せ》め|来《く》とも
いかでか|恐《おそ》れむ|生神《いきがみ》の |教《をしへ》を|守《まも》る|吾《わが》|一行《いつかう》
|朝日《あさひ》に|露《つゆ》か|春《はる》の|雪《ゆき》 |脆《もろ》くも|消《き》ゆる|曲津日《まがつひ》の
|魂《みたま》の|行方《ゆくへ》ぞ|憐《あは》れ|也《なり》 |此《この》|世《よ》を|造《つく》り|玉《たま》ひたる
|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》は |吾等《われら》|一行《いつかう》の|信徒《まめひと》に
|広大無辺《くわうだいむへん》の|神徳《しんとく》を |下《くだ》し|玉《たま》ひて|此《この》|度《たび》の
|吾等《われら》が|征途《せいと》を|照《て》らしまし |紅葉《もみぢ》あやなす|秋《あき》の|野《の》の
|木々《きぎ》の|梢《こずゑ》に|吹《ふ》き|当《あた》る |醜《しこ》の|嵐《あらし》に|会《あ》ひし|如《ごと》
|曲《まが》を|千里《せんり》に|追《お》ひ|散《ち》らし |敵《てき》を|誠《まこと》に|言向《ことむ》けて
|救《すく》ひやらむは|目《ま》のあたり |玉国別《たまくにわけ》の|一行《いつかう》は
|神《かみ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて |祠《ほこら》の|森《もり》の|木下蔭《こしたかげ》
|月《つき》の|光《ひかり》を|浴《あ》び|乍《なが》ら |吾等《われら》の|一行《いつかう》を|待《ま》つならむ
|上《うへ》と|下《した》より|挟《はさ》み|打《うち》 |神算鬼謀《しんさんきぼう》の|此《この》|仕組《しぐみ》
|暗黒無明《あんこくむみやう》の|魂《みたま》|持《も》つ |片彦《かたひこ》|久米彦《くめひこ》|将軍《しやうぐん》は
|飛《と》んで|火《ひ》に|入《い》る|夏《なつ》の|虫《むし》 |袋《ふくろ》の|鼠《ねづみ》も|同《おな》じこと
|思《おも》へば|思《おも》へば|気《き》の|毒《どく》や |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|詔直《のりなほ》しつつ|天地《あめつち》の |教《をしへ》の|道《みち》に|救《すく》ひ|行《ゆ》く
|吾《わが》|身《み》の|上《うへ》ぞ|楽《たの》しけれ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
|万公《まんこう》は|足《あし》の|爪先《つまさき》に|力《ちから》を|入《い》れ、|再《ふたた》び|吹《ふ》き|来《く》る|夜嵐《よあらし》に|面《おもて》を|向《む》け|乍《なが》ら、|月《つき》|照《て》る|道《みち》を|歌《うた》ひつつ|下《くだ》りゆく。
『|今宵《こよひ》の|月《つき》は|望《もち》の|月《つき》 |昼《ひる》の|白昼《はくちう》の|如《ごと》くなり
|河鹿《かじか》の|山《やま》の|頂上《ちやうじやう》に |立《た》ちて|四方《しはう》を|見《み》はらせば
|大野ケ原《おほのがはら》は|綾錦《あやにしき》 |紅葉《もみぢ》の|園《その》となり|果《は》てぬ
|吾等《われら》|一行《いつかう》|四人連《よにんづれ》 |昼《ひる》と|夜《よる》とを|間違《まちが》へて
|峠《たうげ》の|上《うへ》に|佇立《ちよりつ》して |四方《しはう》を|見《み》はらす|時《とき》もあれ
|目下《ました》に|聞《きこ》ゆる|鬨《とき》の|声《こゑ》 |風《かぜ》がもて|来《く》る|足音《あしおと》に
つつ|立《た》ち|上《あが》りウントコシヨ バラモン|教《けう》の|魔軍《まいくさ》の
|攻《せ》め|来《きた》りしと|覚《おぼ》えたり いざいざさらば いざさらば
|千変万化《せんぺんばんくわ》の|言霊《ことたま》を |打出《うちだ》し|敵《てき》を|悉《ことごと》く
|天《あめ》と|地《つち》との|正道《まさみち》に |服《まつろ》ひ|和《やは》し|天国《てんごく》の
|其《その》|楽《たの》しみを|地《ち》の|上《うへ》に |常磐堅磐《ときはかきは》に|立《た》てむとて
さしもに|嶮《けは》しき|坂路《さかみち》を |勢《いきほひ》|込《こ》んで|下《くだ》りゆく
あゝ|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し |神《かみ》に|任《まか》せし|吾々《われわれ》は
|仮令《たとへ》|数万《すまん》の|敵軍《てきぐん》も |如何《いか》でか|恐《おそ》れひるまむや
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|守《まも》りを|蒙《かうむ》りて
|晴公《はるこう》|五三公《いそこう》|二人《ふたり》とも シツカリ|致《いた》せよ|今《いま》や|時《とき》
|敵《てき》は|間近《まぢか》に|押《おし》よせた あれあれあの|声《こゑ》|聞《き》いたかい
|半死半生《はんしはんしやう》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》 |兵児《へこ》|垂《た》れよつた|塩梅《あんばい》だ
|駒《こま》に|跨《またが》りハイハイと |登《のぼ》つて|来《きた》る|声《こゑ》がする
|俺等《おれら》は|坂《さか》のてつぺから |生言霊《いくことたま》を|打出《うちだ》せば
|不意《ふい》を|打《う》たれし|敵軍《てきぐん》は |面《めん》を|喰《くら》つて|忽《たちま》ちに
|潰走《くわいそう》するは|目《ま》のあたり |面白《おもしろ》うなつてお|出《い》でたな
|旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |三五教《あななひけう》はやめられぬ
お|道《みち》を|守《まも》つてゐたおかげ こんな|勇壮《ゆうさう》|活溌《くわつぱつ》な
|実地《じつち》の|戦《いくさ》が|出来《でき》るのだ |向《むか》ふは|兇器《きようき》|数多《かずおほ》く
|槍《やり》の|切先《きつさき》|揃《そろ》へ|立《た》て |林《はやし》の|如《ごと》く|抜《ぬ》き|翳《かざ》し
|迫《せま》り|来《きた》るに|引《ひ》きかへて |此方《こちら》は|神変不可思議《しんぺんふかしぎ》の
|無形《むけい》の|言霊《ことたま》|潔《いさぎよ》く ドンドンドンと|打《う》ち|出《いだ》し
|上《うへ》を|下《した》への|大戦《おほいくさ》 |力《ちから》を|試《ため》す|時《とき》は|来《き》ぬ
ウントコドツコイ ドツコイシヨ |今《いま》こそ|大事《だいじ》の|体《からだ》ぞや
|一人《ひとり》を|以《もつ》て|幾百《いくひやく》の |魔神《まがみ》に|当《あた》る|貴重《きちよう》の|身《み》
|指《ゆび》|一《ひと》つでも|怪我《けが》したら |大神様《おほかみさま》に|済《す》まないぞ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|光《ひかり》を|目《ま》のあたり
|輝《かがや》かし|照《て》らす|時《とき》は|来《き》ぬ |進《すす》めよ|進《すす》めいざ|進《すす》め
|神《かみ》は|吾等《われら》と|共《とも》にあり アイタヽタツタ|夜《よる》の|道《みち》
|目玉《めだま》が|狂《くる》うてしくじつた これこれモウシ|宣伝使《せんでんし》
ここが|適当《てきたう》の|場所《ばしよ》でせう |敵《てき》の|登《のぼ》るを|待《ま》ち|伏《ぶ》せて
|不意《ふい》に|打出《うちだ》す|言霊《ことたま》の |大接戦《だいせつせん》をやりませうか』
|治国別《はるくにわけ》『|余《あま》り|慌《あわ》てて|下《くだ》るにも|及《およ》ぶまい。ここが|屈竟《くつきやう》の|場所《ばしよ》だ。|先《ま》づ|歌《うた》でも|歌《うた》つて、|敵《てき》の|近付《ちかづ》くのを|待《ま》つ|事《こと》にしよう。|名《な》に|負《お》ふ|急坂《きふはん》だから、|近《ちか》くに|見《み》えてゐても|容易《ようい》に|登《のぼ》つては|来《こ》られまい』
|万公《まんこう》『ハアさうですなア。|先《ま》づ|先《ま》づ|敵《てき》の|行列《ぎやうれつ》を|拝見《はいけん》して|徐《おもむろ》に|不意打《ふいうち》を|喰《く》はしてやりませうかい。アハヽヽヽ』
(大正一一・一一・二七 旧一〇・九 松村真澄録)
第一一章 |帰馬《きば》〔一一六二〕
|治国別《はるくにわけ》|一行《いつかう》は、|片彦《かたひこ》、|久米彦《くめひこ》の|一隊《いつたい》|馬上《ばじやう》に|跨《またが》り、いとも|困難《こんなん》の|態《てい》にて|登《のぼ》り|来《きた》る|様子《やうす》を|面白気《おもしろげ》に|見下《みおろ》して|居《ゐ》る。
|万公《まんこう》『ヨウ、おいでた おいでた|強敵《きやうてき》|御参《ござん》なれだ。この|細《ほそ》い|坂道《さかみち》を|蜿蜒《えんえん》として|長蛇《ちやうだ》の|登《のぼ》るが|如《ごと》く|行進《かうしん》し|来《きた》る|光景《くわうけい》は|丸《まる》で|絵巻物《ゑまきもの》を|見《み》る|様《やう》だなア。|霜黒葛《しもくろかづら》|来《く》るや|来《く》るや|痩馬《やせうま》の、|毛曽呂《もそろ》|毛曽呂《もそろ》に|屁《へ》を|放《こ》き|来《きた》るといふ|珍妙奇天烈《ちんめうきてれつ》の|大部隊《だいぶたい》だ。マアゆつくりと|此処《ここ》に|待《ま》つて|居《ゐ》ませう。|仮令《たとへ》|何百人《なんびやくにん》|居《を》つた|所《ところ》で|一列《いちれつ》より|進《すす》む|事《こと》は|出来《でき》ないのだから、|一人《ひとり》|々々《ひとり》|将棋倒《しやうぎだふ》しにやつつければ|手間《てま》も|暇《ひま》も|要《い》つたものぢやない、さてもさても|運《うん》の|悪《わる》い|奴《やつ》だな。|一卒《いつそつ》|之《これ》を|守《まも》れば、|万卒《ばんそつ》|進《すす》む|能《あた》はざる|絶所《ぜつしよ》と|云《い》ふものは|此処《ここ》の|事《こと》だらう。アハヽヽヽ、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》、|何《なん》と|愉快《ゆくわい》ぢやありませぬか』
|治国別《はるくにわけ》『|仇人《あだびと》の|攻《せ》め|来《く》る|見《み》れば|流石《さすが》にも
|八岐大蛇《やまたをろち》の|姿《すがた》なるかな』
|万公《まんこう》『|面白《おもしろ》し|蜈蚣《むかで》の|陣《ぢん》を|張《は》り|乍《なが》ら
|寄《よ》せくる|敵《てき》も|竜頭蛇尾《りうとうだび》に|終《をは》はらむ』
|晴公《はるこう》『|遥々《はるばる》とハルナの|都《みやこ》を|立《た》ち|出《い》でて
|河鹿峠《かじかたうげ》で|泡《あわ》を|吹《ふ》くかな』
|五三公《いそこう》『|風《かぜ》が|吹《ふ》く|此《この》|山道《やまみち》で|泡《あわ》を|吹《ふ》く
|五三公《いそこう》|之《これ》|見《み》て|法螺《ほら》を|吹《ふ》くなり』
|治国別《はるくにわけ》『|心《こころ》せよ|三人《みたり》の|司《つかさ》|惟神《かむながら》
|神《かみ》に|任《まか》せて|刃向《はむか》ふな|夢《ゆめ》』
|万公《まんこう》『|大神《おほかみ》の|館《やかた》を|汚《けが》す|枉神《まがかみ》を
|見逃《みのが》し|返《かへ》す|事《こと》やあるべき』
|晴公《はるこう》『|人《ひと》は|皆《みな》|天《あめ》と|地《つち》との|御子《みこ》なれば
|仇《あだ》と|云《い》へども|憎《にく》むべしやは』
|五三公《いそこう》『|一条《いちでう》の|此《この》|急坂《きふはん》を|登《のぼ》り|来《く》る
|馬《うま》の|足並《あしなみ》|危《あやふ》く|見《み》ゆるも』
|治国別《はるくにわけ》は|悠然《いうぜん》として|坂道《さかみち》の|傍《かたへ》に|腰《こし》を|卸《おろ》し、|上《のぼ》り|来《く》る|敵《てき》の|大部隊《だいぶたい》を|見下《みおろ》し|乍《なが》ら、
『ヤ、|三人《さんにん》の|者《もの》|共《ども》、|此《この》|治国別《はるくにわけ》が|敵《てき》の|大将《たいしやう》に|掛合《かけあひ》を|初《はじ》むるまで、お|前等《まへたち》の|方《はう》から|慌《あわ》て|出《だ》しては|可《い》かないぞ、|呉々《くれぐれ》も|注意《ちゆうい》しておく』
|万公《まんこう》『さうだと|申《まを》して|素知《そし》らぬ|顔《かほ》して|居《を》れば、いゝ|気《き》になつて|斎苑館《いそやかた》へ|進撃《しんげき》するぢやありませぬか。|今《いま》となつて、そんな|事《こと》を|仰有《おつしや》ると、|何《なん》だか|張《は》りきつた|力《ちから》がサツパリ|抜《ぬ》けて|了《しま》ふぢやありませぬか』
|治国別《はるくにわけ》『これしきの|敵軍《てきぐん》に|対《たい》し、かかる|有利《いうり》の|地点《ちてん》に|陣取《ぢんど》り|乍《なが》ら、|別《べつ》に|力《ちから》も|何《なに》も|要《い》つたものぢやない。|一人《ひとり》|々々《ひとり》|捉《つかま》へて|善言美詞《ぜんげんびし》の|言霊《ことたま》を|浴《あび》せかけ、|誠《まこと》の|道《みち》に|帰順《きじゆん》さすれば|可《い》いぢやないか。|然《しか》し|乍《なが》らお|前等《まへたち》が|慌《あわ》て|出《だ》すと、|却《かへつ》て|折角《せつかく》の|作戦《さくせん》|計画《けいくわく》が|画餅《ぐわへい》に|帰《き》す|様《やう》の|事《こと》があれば、|千仭《せんじん》の|功《こう》を|一簣《いつき》に|欠《か》く|様《やう》なものだ。まづまづ|落《お》ち|着《つ》いたが|宜《よ》からう』
|万公《まんこう》『さうだと|云《い》つて|何《なん》だか|気《き》が|勇《いさ》んでなりませぬわ。|此《この》|言霊戦《ことたません》は|私《わたし》に|先陣《せんぢん》を|仰付《おほせつ》け|下《くだ》されますれば|有難《ありがた》う|厶《ござ》います』
|治国別《はるくにわけ》『ウン、しつかりやれ、|私《わし》はここでお|前《まへ》の|言霊《ことたま》の|発射《はつしや》|振《ぶ》りを|観戦《くわんせん》する。|晴公《はるこう》、|五三公《いそこう》を|貸《か》してやるから、|三人《さんにん》|心《こころ》を|協《あわ》せ|敵《てき》に|向《むか》つて|慈悲《じひ》の|弾丸《だんぐわん》を|打出《うちだ》すのだ。いゝか、|分《わか》つたかな』
|五三公《いそこう》『エ、|今《いま》|自費《じひ》の|弾丸《だんぐわん》を|打出《うちだ》せと|仰有《おつしや》いましたが、|私《わたし》は|自費《じひ》の|弾丸《だんぐわん》も|官費《くわんぴ》の|弾丸《だんぐわん》も|持《も》つてゐませぬが|如何《どう》|致《いた》しませうかな』
|万公《まんこう》『エー、|分《わか》りもせぬ|癖《くせ》に|喋《しやべ》くるない。|慈悲《じひ》と|云《い》ふ|事《こと》は|恵《めぐみ》と|云《い》ふ|事《こと》だ。ま|一《ひと》つわつて|云《い》へば|情《なさけ》と|云《い》ふ|事《こと》だ。シンパシイの|心《こころ》を|以《もつ》て|敵《てき》に|向《むか》へと|仰有《おつしや》るのだ。|貴様《きさま》は|如何《どう》しても|現界的《げんかいてき》の|頭《あたま》が|脱《ぬ》けぬと|見《み》えて、|直《すぐ》に|何事《なにごと》でも|統計的《とうけいてき》に|解釈《かいしやく》し、|官費《くわんぴ》だの|自費《じひ》だのと|会計係《くわいけいがかり》か|何《なに》かの|様《やう》に|直《すぐ》に、そんな|処《ところ》へ|持《も》つて|行《ゆ》きやがるのだ。|物質的《ぶつしつてき》|欲望《よくばう》の|垢《あか》がとれぬと|見《み》えるわい。|本当《ほんたう》に|困《こま》つたものだな。モシ|先生《せんせい》、こんな|奴《やつ》を|言霊戦《ことたません》に|参加《さんか》させちや、|却《かへつ》て|味方《みかた》の|不利《ふり》です。|五三公《いそこう》だけは|謹《つつし》んで|返上《へんじやう》|致《いた》しますから、|何卒《なにとぞ》、|塵紙《ちりがみ》にでも|包《つつ》んで|明日《あす》の|十二時《じふにじ》まで、|懐《ふところ》か|袂《たもと》へ|入《い》れてしまつておいて|下《くだ》さい』
|五三公《いそこう》『|何《なに》を|吐《ぬか》しやがるのだい。|俺《おれ》を|虫族《むしけら》|扱《あつかひ》にしてるぢやないか。そんな|事《こと》で|善言美詞《ぜんげんびし》の|言霊《ことたま》を|使《つか》ふ|神司《かむつかさ》と|云《い》へるかい。|本当《ほんたう》に|言霊《ことたま》の|悪《わる》い|奴《やつ》だな』
|敵《てき》の|軍隊《ぐんたい》は|峻坂《しゆんぱん》をエチエチと|漸《やうや》く|四五間前《しごけんまへ》まで|登《のぼ》つて|来《き》た。ズツと|谷底《たにそこ》を|見渡《みわた》せば|二三十丁《にさんじつちやう》ばかりも|騎馬隊《きばたい》が|続《つづ》いてゐる。|万公《まんこう》はツカツカと|先鋒《せんぽう》に|立《た》つた|騎士《きし》の|前《まへ》に|進《すす》みより、|大手《おほて》を|拡《ひろ》げて、
『バラモン|教《けう》の|軍人《いくさびと》|共《ども》、|暫《しばら》く|待《ま》つた』
|騎士《きし》『|其《その》|方《はう》は|吾々《われわれ》の|進軍《しんぐん》を|妨《さまた》げ|様《やう》と|致《いた》すのか、|怪《け》しからぬ|奴《やつ》だ。そこ|除《ど》け、|愚図々々《ぐづぐづ》|致《いた》すと、|此《この》|槍《やり》の|切先《きつさき》がお|見舞《みまひ》|申《まを》すぞ』
|万公《まんこう》『アハヽヽヽ|吐《ぬか》したりな|吐《ぬか》したりな、ヘナチヨコ|士《ざむらひ》|奴《め》、|俺《おれ》を|誰《たれ》だと|心得《こころえ》てゐる。|勿体《もつたい》なくも|辱《かたじけ》なくも、|天地《てんち》の|御先祖《ごせんぞ》と|現《あら》はれ|給《たま》ふ|大国治立尊《おほくにはるたちのみこと》の|御守護《ごしゆご》|遊《あそ》ばす|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|見習生《みならひせい》だ、|今日《こんにち》|只今《ただいま》|汝等《なんぢら》の|一隊《いつたい》|河鹿峠《かじかたうげ》を|渡《わた》り|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|攻《せ》め|寄《よ》せ|来《きた》ると|聞《き》き、|此処《ここ》に|待《ま》ち|伏《ぶ》せて|居《を》つたのだ。サア|此《この》|先《さき》、|一足《ひとあし》でも|進《すす》めるものなら|進《すす》んで|見《み》たがよからうぞ』
と|大手《おほて》を|拡《ひろ》げ|眉《まゆ》を|上《あ》げ|下《さ》げし|目《め》をクリクリと|回転《くわいてん》させ、|芝居《しばゐ》|気取《きどり》になつて|見《み》えを|切《き》つた。
|騎士《きし》『アハヽヽヽ|御供《ごく》にも|立《た》たぬ|蠅虫《はいむし》|奴《め》|等《ら》、|其《その》|広言《くわうげん》は|後《のち》に|聞《き》かう。サア|之《これ》からは|槍《やり》の|錆《さび》だ、|観念《くわんねん》|致《いた》せ』
|万公《まんこう》『エー、|愚図々々《ぐづぐづ》|吐《ぬか》すと|言霊《ことたま》の|発射《はつしや》だぞ』
|騎士《きし》『アハヽヽヽヽ|怪体《けたい》な|奴《やつ》が|現《あら》はれたものだな』
|先鋒隊《せんぽうたい》の|一人《ひとり》が|立《た》ち|止《と》まつたので、|追々《おひおひ》やつて|来《き》た|騎馬隊《きばたい》は|急坂《きふはん》に|立止《たちど》まり、|立往生《たちわうじやう》の|態《てい》である。|後《うしろ》の|方《はう》から|久米彦《くめひこ》|将軍《しやうぐん》は|采配《さいはい》を|打《う》ち|振《ふ》り、『|進《すす》め|進《すす》め』と|厳《きび》しき|下知《げち》をやつて|居《ゐ》る。|殿《しんがり》には|又《また》もや|一人《ひとり》の|将軍《しやうぐん》、|采配《さいはい》を|打《う》ち|振《ふ》り『|進《すす》め|進《すす》め』と|叱咤《しつた》してゐる。|先《さき》に|立《た》つた|騎士《きし》は|万公《まんこう》に|遮《さへぎ》られて|進《すす》みも|得《え》ず、|仏頂面《ぶつちやうづら》を|馬上《ばじやう》に|曝《さら》し、|髪《かみ》|逆立《さかだ》てて|呶鳴《どな》つてゐる。
|騎士《きし》『コリヤ、|小童子《こわつぱ》|共《ども》、|道《みち》を|開《あ》け』
|万公《まんこう》『ハヽヽヽヽ|弱《よわ》つたか。|何程《なにほど》|敵《てき》が|沢山《たくさん》|攻《せ》め|寄《よ》せ|来《きた》るとも|此《この》|難所《なんしよ》、|一度《いちど》に|二人《ふたり》とかかる|事《こと》は|出来《でき》ようまい。|一人々々《ひとりひとり》|虱殺《しらみごろ》しにやつてやらうかい』
|治国別《はるくにわけ》『コリヤコリヤ|万公《まんこう》、|争《あらそ》ひを|致《いた》せとは|決《けつ》して|命令《めいれい》しない。|何故《なぜ》|善言美詞《ぜんげんびし》の|言霊《ことたま》を|用《もち》ひないのか』
|万公《まんこう》『|言霊《ことたま》よりも|私《わたし》の|腕《うで》が|先陣《せんぢん》を|勤《つと》めたがつて|仕方《しかた》がありませぬわ。|言霊軍隊《ことたまぐんたい》はサツパリ|休戦《きうせん》の|喇叭《ラツパ》を|吹《ふ》いたと|見《み》えます。|如何《どう》しても|出《で》て|来《き》ませぬがな』
|治国別《はるくにわけ》『そんなら|晴公《はるこう》、お|前《まへ》|代《かは》つて|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》せよ』
|晴公《はるこう》『ハイ、|確《たしか》に|承知《しようち》|致《いた》しました。
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |治国別《はるくにわけ》に|従《したが》ひて
ここに|現《あら》はれ|来《きた》りしは |御空《みそら》も|清《きよ》く|晴《は》れ|渡《わた》る
|晴公《はるこう》さまの|宣伝使《せんでんし》 |吾《わが》|言霊《ことたま》を|放《はな》ちなば
|一歩《いつぽ》も|此《この》|山《やま》|進《すす》めまい |早《はや》く|馬《うま》より|下《くだ》り|来《き》て
|善言美詞《ぜんげんびし》の|三五《あななひ》の |世人《よびと》を|救《すく》ふ|御教《みをしへ》を
|心《こころ》を|鎮《しづ》めて|聞《き》くがよい |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|星《ほし》は|天《てん》より|落《お》つるとも |悪《あく》の|栄《さか》えし|例《ためし》ない
|大黒主《おほくろぬし》に|従《したが》ひし |枉《まが》の|軍《いくさ》の|人々《ひとびと》よ
|一時《いちじ》も|早《はや》く|村肝《むらきも》の |心《こころ》の|駒《こま》を|立直《たてなほ》し
|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|大神《おほかみ》の |清《きよ》き|教《をしへ》を|聞《き》くがよい
|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》 |同《おな》じ|天地《てんち》に|生《うま》れ|来《き》て
|争《あらそ》ひ|憎《にく》み|戦《たたか》ふは |皇大神《すめおほかみ》の|御神慮《みこころ》に
|背反《はいはん》したる|醜業《しこわざ》ぞ |今《いま》|打出《うちいだ》す|言霊《ことたま》を
|心《こころ》を|据《す》ゑてよつく|聞《き》け |大黒主《おほくろぬし》は|強《つよ》くとも
|手下《てした》は|如何《いか》に|多《おほ》くとも |天地《てんち》を|造《つく》り|給《たま》ひたる
|神《かみ》に|対《たい》して|刃向《はむか》ふも |如何《いか》でか|終《をはり》を|完《まつた》うせむ
|一時《いちじ》も|早《はや》く|目《め》を|覚《さ》ませ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》に|誓《ちか》ひて|晴公《はるこう》が |汝等《なんぢら》|一同《いちどう》に|気《き》をつける』
|晴公《はるこう》が|熱誠《ねつせい》をこめて|宣《の》り|上《あ》げた|生言霊《いくことたま》を|耳《みみ》にもかけず、|馬《うま》に|鞭撻《むちう》ち|一目散《いちもくさん》に|坂道《さかみち》を|上《のぼ》り|行《ゆ》かうとする。|万公《まんこう》は|只《ただ》|一騎《いつき》にても|此《この》|峠《たうげ》を|通過《つうくわ》させてはならないと、|雷《らい》の|如《ごと》き|大音声《だいおんぜう》を|張《は》り|上《あ》げ、
|万公《まんこう》(|大声《おほごゑ》で)『|待《ま》て、|曲者《くせもの》』
と|呶鳴《どな》りつけた。|先《さき》に|立《た》つた|騎士《きし》は|此《この》|声《こゑ》に|辟易《へきえき》し、|馬《うま》は|驚《おどろ》いて|危険《きけん》な|谷道《たにみち》で|荒《あ》れ|狂《くる》ふ。|先頭《せんとう》に|立《た》つた|馬《うま》の|足並《あしなみ》|乱《みだ》れたるを|見《み》て、|次《つぎ》の|馬《うま》も|亦《また》|何《なん》に|驚《おどろ》いてか|荒《あ》れ|狂《くる》ひ|出《だ》した。|一匹《いつぴき》の|馬《うま》が|狂《くる》へば|千匹《せんびき》の|馬《うま》が|狂《くる》ふ|譬《たと》へ、|次《つぎ》から|次《つぎ》へ|伝染《でんせん》して、|数百頭《すうひやくとう》の|馬《うま》はヒンヒンと|嘶《いなな》き|乍《なが》ら|飛《と》び|上《あが》り、|何《いづ》れの|騎士《きし》も|其《その》|制御《せいぎよ》にもちあぐんでゐた。
|万公《まんこう》『ハヽヽ、|晴公《はるこう》の|婉曲《ゑんきよく》な|生言霊《いくことたま》よりも|俺《おれ》の|一喝《いつかつ》が|余程《よほど》|利《き》いたと|見《み》えるわい。|一人《ひとり》でも|万公《まんこう》だから|万倍《まんばい》の|力《ちから》が|備《そな》はつてゐると|云《い》ふ|事《こと》を|今《いま》|実験《じつけん》した。エヘヽヽヽ|愉快《ゆくわい》だ|愉快《ゆくわい》だ、|何《ど》の|馬《うま》も|此《こ》の|馬《うま》も|一度《いちど》に|狂《くる》ひ|出《だ》したぢやないか』
|晴公《はるこう》『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな、|晴駒《はるこま》が|狂《くる》うたのだ。|晴公《はるこう》の|言霊《ことたま》で|駒《こま》が|狂《くる》ふから|春駒《はるこま》と|云《い》ふのだよ。「|咲《さ》いた|桜《さくら》に|何故《なぜ》|駒《こま》つなぐ、|駒《こま》が|勇《いさ》めば|花《はな》が|散《ち》る」エヘヽヽヽヽ|一番槍《いちばんやり》の|功名《こうみやう》はやつぱり|晴公《はるこう》だよ』
|治国別《はるくにわけ》はいと|荘重《さうちよう》な|声《こゑ》にて|歌《うた》ひ|初《はじ》めたり。
『|誠《まこと》の|神《かみ》が|現《あら》はれて |河鹿峠《かじかたうげ》の|峻坂《しゆんぱん》で
|善神邪神《ぜんしんじやしん》を|立《た》て|別《わ》ける バラモン|教《けう》の|司《つかさ》|等《たち》
|吾《わが》|言霊《ことたま》を|聞召《きこしめ》せ |人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》
|天《あめ》と|地《つち》との|御水火《みいき》より |生《うま》れ|出《い》でたるものぞかし
|月《つき》は|御空《みそら》に|照《て》り|渡《わた》り |日《ひ》は|晃々《くわうくわう》と|輝《かがや》ける
|無事《ぶじ》|太平《たいへい》の|天国《てんごく》に |憎《にく》み|争《あらそ》ひあるべきぞ
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|三五《あななひ》の |仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|御教《みをしへ》に
|眼《まなこ》を|覚《さ》ませ|耳《みみ》すませ |吾《わが》|言霊《ことたま》を|聞《きこ》し|召《め》せ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |星《ほし》は|空《そら》より|落《お》つるとも
|印度《いんど》の|海《うみ》はあするとも |大黒主《おほくろぬし》の|軍隊《ぐんたい》は
|如何《いか》に|勢《いきほ》ひ|強《つよ》くとも |皇大神《すめおほかみ》の|御道《おんみち》に
|背《そむ》きて|事《こと》の|成《な》るべきぞ |省《かへり》み|給《たま》へバラモンの
|神《かみ》の|教《をしへ》の|司《つかさ》|等《たち》 |其《その》|外《ほか》|百《もも》の|軍人《いくさびと》
|吾等《われら》は|茲《ここ》に|謹《つつし》みて |汝《なんぢ》ら|一同《いちどう》|神《かみ》の|代《よ》に
|安《やす》く|楽《たの》しく|救《すく》はむと |真心《まごころ》こめて|言霊《ことたま》の
|光《ひかり》を|現《あら》はし|奉《たてまつ》る |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》 |只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し |身《み》の|過《あやまち》を|宣《の》り|直《なほ》す
|誠《まこと》の|神《かみ》の|御教《みをしへ》を |諾《うべな》ひませよ|惟神《かむながら》
|神《かみ》に|誓《ちか》ひて|亀彦《かめひこ》が |治国別《はるくにわけ》と|現《あら》はれて
|汝等《なんぢら》|一同《いちどう》に|宣《の》り|伝《つた》ふ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》るや、|先《さき》に|立《た》つた|騎士《きし》は|馬《うま》をヒラリと|飛《と》び|下《お》り、|一目散《いちもくさん》に|道《みち》なき|山腹《さんぷく》を|駆《か》け|下《くだ》る。|一同《いちどう》の|騎士《きし》は|之《これ》に|做《なら》つて、|何《いづ》れも|吾遅《われおく》れじと|馬《うま》を|飛《と》び|下《お》り|一目散《いちもくさん》に|引《ひ》き|返《かへ》す、|其《その》|可笑《をか》しさ。|馬《うま》も|是非《ぜひ》なく|妙《めう》な|腰付《こしつき》し|乍《なが》らコツリコツリと|引《ひ》き|返《かへ》し|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|万公《まんこう》『アハヽヽヽヽ|何《なん》と|脆《もろ》いものだな。|如何《いか》に|鬼神《きしん》だとてこんな|時《とき》に|敵《てき》に|出会《でつくは》したら|堪《たま》つたものぢやないわ。|何《なん》と|神様《かみさま》はいい|時《とき》に|出会《であ》はして|下《くだ》さるものだ。|之《これ》だからあまり|急《せ》いても、|遅《おく》れても、|不可《いかん》と|云《い》ふのだ。もしも|登《のぼ》り|坂《ざか》で|出会《でつくは》さうものなら|斯《か》う|埒《らち》よく|行《ゆ》かないが|都合《つがふ》のいい|地点《ちてん》だつた。アハヽヽヽ|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い|治国別《はるくにわけ》|様《さま》、|万公《まんこう》の|初陣《うひぢん》は|如何《いかが》で|厶《ござ》いましたな。|屹度《きつと》|金鵄勲章《きんしくんしやう》が|頂戴《ちやうだい》|出来《でき》るでせう』
|治国別《はるくにわけ》『ウン、|遺憾《ゐかん》|乍《なが》ら|改心《かいしん》させずに【ぼつ】|返《かへ》して|了《しま》つた。|然《しか》し|乍《なが》ら|此《この》|峠《たうげ》で|喰《く》ひとめた|丈《だ》けが、まだしも|吾々《われわれ》の|職務《しよくむ》が|勤《つと》まつたと|云《い》ふものだ。|先《ま》づ|一服《いつぷく》したら|宜《よ》からう。|逃《に》げ|行《ゆ》く|敵《てき》に|玉国別《たまくにわけ》の|一隊《いつたい》が|祠《ほこら》のあたりで|又《また》もや|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》してるだらう。|敵《てき》になつても|堪《たま》つたものぢやないわ』
|五三公《いそこう》『|何《なん》と|先生《せんせい》の|言霊《ことたま》はよく|利《き》きますなア。|晴公《はるこう》の|言霊《ことたま》が|十五点《じふごてん》なら|先生《せんせい》のは|万点《まんてん》ですわ。いやもう|恐《おそ》れ|入《い》りました。オイ|万公《まんこう》、|敵《てき》の|勢《いきほひ》に|辟易《へきえき》して|今迄《いままで》の|広言《くわうげん》に|似《に》ず|絶句《ぜつく》して|一言《いちげん》も|発射《はつしや》|出来《でき》なかつたぢやないか。|大方《おほかた》|開《あ》いた|口《くち》がすぼまらなんだのか、すぼんだ|口《くち》が|早速《さつそく》に|開《あ》かなんだのか、|何《なん》と|云《い》ふ|惨目《みぢめ》な|態《ざま》だつたい』
|万公《まんこう》『ナニ、|俺《おれ》のは|荒木細工《あらきざいく》だ。|荒木棟梁《あらきとうりやう》だ。|晴公《はるこう》のは|小細工棟梁《こざいくとうりやう》だ。|先《ま》づ|此《この》|万公《まんこう》さまが、うまうまと|荒削《あらけづ》りをやつて|置《お》いたものだから、|晴公《はるこう》の|言霊《ことたま》も|如何《どう》なり|斯《か》うなり|発射《はつしや》|出来《でき》たのだよ。|先生《せんせい》のは、こりや|特別《とくべつ》だ。さぞ|今頃《いまごろ》は|敵《てき》の|奴《やつ》、|狼狽《らうばい》してゐることだらう。ヤア、|月《つき》が|俄《にはか》に|雲《くも》の|衣《きぬ》を|被《かむ》り|給《たま》うた。あの|雲《くも》さへのけば|敵《てき》の|敗亡《はいばう》を|見下《みお》ろすに|都合《つがふ》が|好《い》いのだけどな。アハヽヽヽエヘヽヽヽヽ』
|治国別《はるくにわけ》『サア、ボツボツと|出掛《でかけ》ようか。|玉国別《たまくにわけ》さまと|屹度《きつと》|衝突《しようとつ》してるだらう。|之《これ》から|後《あと》おつかけて、もう|一戦《ひといくさ》しよう』
と|立《た》ち|上《あが》り|先《さき》に|立《た》つて|下《くだ》りゆく。|谷間《たにま》の|彼方《かなた》|此方《こなた》には|敵《てき》の|乗《の》り|捨《す》てた|馬《うま》が|嘶《いなな》いてゐる。|万公《まんこう》は|得意《とくい》になつて|月下《げつか》の|道《みち》を|下《くだ》りつつ|歌《うた》ひ|初《はじ》めた。
『ウントコ ドツコイ ドツコイシヨ |河鹿峠《かじかたうげ》はきつい|坂《さか》
やうやう|登《のぼ》りつめた|時《とき》 |月《つき》の|光《ひかり》は|皎々《かうかう》と
|数十里《すうじふり》にも|亘《わた》りたる |原野《げんや》を|照《て》らし|給《たま》ひつつ
|吾等《われら》|一行《いつかう》|守《まも》ります あゝ|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し
|治国別《はるくにわけ》に|従《したが》ひて |二人《ふたり》の|弱虫《よわむし》|諸共《もろとも》に
|坂《さか》の|此方《こなた》に|来《き》て|見《み》れば |風《かぜ》が|持《も》て|来《く》る|鐘《かね》の|音《おと》
こりや|堪《たま》らぬと|雀躍《こをどり》し |待《ま》つ|間《ま》|程《ほど》なく|登《のぼ》り|来《く》る
|数百人《すうひやくにん》の|騎士《きし》の|隊《たい》 |忽《たちま》ち|万《まん》さま|躍《をど》り|出《い》で
|疾風迅雷《しつぷうじんらい》|息《いき》つかず |大喝《たいかつ》|一声《いつせい》|言霊《ことたま》を
ドンと|一発《いつぱつ》|打出《うちだ》せば |先登《せんとう》に|立《た》つた|騎士《きし》の|奴《やつ》
|忽《たちま》ち|青《あを》い|顔《かほ》をして |地震《ぢしん》の|孫《まご》か|菎蒻《こんにやく》の
|幽霊《いうれい》|見《み》たよにブルブルと |震《ふる》ひ|出《だ》したる|可笑《をか》しさよ
ウントコドツコイ|危《あぶな》いよ |夜目《よめ》にはしかと|分《わか》らねど
|馬《うま》の|足形《あしがた》|沢山《たくさん》に |所狭《ところせ》き|迄《まで》ついてゐる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |一時《いちじ》も|早《はや》く|此《この》|坂《さか》を
トントントンと|下《くだ》りつき |祠《ほこら》の|森《もり》に|待《ま》ち|給《たま》ふ
|玉国別《たまくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》 |其《その》|他《た》の|一行《いつかう》におひついて
バラモン|教《けう》の|敵軍《てきぐん》を |片《かた》つ|端《ぱし》から|薙《な》ぎ|倒《たふ》し
|善言美詞《ぜんげんびし》の|言霊《ことたま》を |雪《ゆき》か|霰《あられ》か|夕立《ゆふだち》の
|降《ふ》り|濺《そそ》ぐ|如《ごと》|浴《あ》びせかけ |誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の
|教《をしへ》を|深《ふか》く|暁《さと》らしめ ウントコドツコイ|曲《まが》り|道《みち》
ウツカリすると|滑《すべ》るぞよ コリヤコリヤ|五三公《いそこう》|気《き》をつけよ
|晴公《はるこう》も|同《おな》じ|事《こと》ぢやぞや |治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|貴方《あなた》も|気《き》をつけなさいませ |何処《どこ》かそこらの|木《き》の|蔭《かげ》に
|敵《てき》の|片割《かたわれ》|潜伏《せんぷく》し |不意《ふい》に|手槍《てやり》を|扱《しご》きつつ
|突掛《つつかけ》|来《きた》るも|図《はか》られず あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神素盞嗚神《かむすさのをのかみ》|様《さま》よ |何卒《どうぞ》|吾等《われら》が|一行《いつかう》を
|守《まも》らせ|給《たま》ひて|逸早《いちはや》く |曲津《まがつ》の|軍《いくさ》を|帰順《きじゆん》させ
|貴方《あなた》の|御側《おそば》へ|復言《かへりごと》 |申《まを》させ|給《たま》へと|万公《まんこう》が
|満腔《まんこう》の|熱誠《ねつせい》|捧《ささ》げつつ |謹《つつし》み|敬《うやま》ひ|願《ねが》ひます
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》|黒雲《くろくも》に|隠《かく》るとも
|此《この》|山道《やまみち》は|如何《どう》しても |渡《わた》らにやならぬ|吾々《われわれ》は
|神《かみ》の|恵《めぐ》みを|蒙《かうむ》りて |依《よ》さしの|使命《しめい》を|果《はた》さぬと
|何《ど》しても|斯《こ》しても|済《す》みませぬ ウントコ ドツコイ ドツコイシヨ
|又《また》もやそこに|曲《まが》り|道《みち》 |殊更《ことさら》きつい|坂《さか》がある
|斯《こ》う|云《い》ふ|内《うち》にも|気《き》が|急《せ》いて |玉国別《たまくにわけ》の|身《み》の|上《うへ》を
|案《あん》じ|出《だ》されて|仕方《しかた》ない あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ』
(大正一一・一一・二七 旧一〇・九 北村隆光録)
第一二章 |双遇《さうぐう》〔一一六三〕
|晴公《はるこう》は|夜道《よみち》を|下《くだ》りながら、|猿《さる》の|人真似《ひとまね》|気分《きぶん》で|歌《うた》ひだした。
『|昼《ひる》さへ|嶮岨《けんそ》な|山道《やまみち》を ドンドンドンと|下《くだ》りゆく
こりや|又《また》|何《なん》とした|事《こと》か ウントコドツコイ ヤツトコシヨ
|是《これ》も|矢張《やつぱり》お|月《つき》さまの |吾等《われら》を|照《て》らしたまふ|為《た》め
どうしても|月日《つきひ》は|世《よ》の|中《なか》に なければドツコイをさまらぬ
|月日《つきひ》の|駒《こま》は|矢《や》の|如《ごと》く |早暮《はやく》れかかる|夜《よる》の|道《みち》
ヒンヒンヒンと|遠近《をちこち》に |馬《うま》の|嘶《いなな》き|聞《きこ》え|来《く》る
バラモン|教《けう》の|奴原《やつばら》が |乗《の》り|捨《す》て|置《お》いたお|馬《うま》さま
|声《こゑ》まで|貧相《ひんさう》な|奴《やつ》ぢやなア |貧《ひん》すりや|鈍《どん》すと|云《い》ふ|事《こと》は
|俺《おれ》も|前《まへ》から|聞《き》いて|居《ゐ》る ヒンヒン|吠《ほ》える|痩馬《やせうま》に
|鈍《どん》な|男《をとこ》が|乗《の》つて|来《き》た |河鹿峠《かじかたうげ》の|峻坂《しゆんぱん》で
|一泡《ひとあわ》|吹《ふ》いて|逃《に》げかかる その|為体《ていたらく》を|見《み》るにつけ
|愛想《あいさう》が|尽《つ》きてウントコシヨ |早速《さつそく》|口《くち》が|塞《ふさ》がらぬ
|片彦《かたひこ》|久米彦《くめひこ》|将軍《しやうぐん》は |余程《よつぽど》|弱《よわ》いやつぢやなア
|唯《ただ》|一人《いちにん》の|晴《はる》さまの |生言霊《いくことたま》に|怯《お》ぢ|恐《おそ》れ
|全体《ぜんたい》|残《のこ》らず|総崩《そうくづ》れ バラバラバラと|坂道《さかみち》に
|小石《こいし》を|打《う》ちあけたその|如《ごと》く |味方《みかた》を|踏《ふ》み|越《こ》え|乗《の》り|越《こ》えて
|命《いのち》からがら|逃《に》げ|失《う》せぬ よい|腰脱《こしぬ》けもあるものぢや
|大黒主《おほくろぬし》がウントコシヨ |何程《なにほど》|軍勢《ぐんぜい》|持《も》つとても
あれ|程《ほど》|弱《よわ》い|代者《しろもの》を ウントコドツコイ ヤツトコシヨ
|連《つ》れて|道中《だうちう》がなるものか |足手《あして》|纏《まと》ひにドツコイシヨ
なる|奴《やつ》ばかり、エンヤラヤ |三千世界《さんぜんせかい》の|穀潰《ごくつぶ》し
お|米《こめ》が|貴《たか》うなつたのも ガラクタ|共《ども》が|沢山《たくさん》に
ウヨウヨして|居《ゐ》るその|為《ため》だ この|調子《てうし》ではどうしても
|食料《しよくれう》|問題《もんだい》ドツコイシヨ |持《も》ち|上《あが》らねば|治《をさ》まらぬ
お|蔭《かげ》で|月《つき》を|隠《かく》したる |雲《くも》の|衣《ころも》がぬげたよだ
|道《みち》が|俄《にはか》に|白《しろ》みえる |此《この》|足形《あしがた》は|何《なん》だらう
|痩馬《やせうま》|共《ども》の|爪先《つまさき》に |堅《かた》く|打《う》ちたる|蹄鉄《ていてつ》の
|半月形《はんげつけい》が|沢山《たくさん》に あちらこちらに|落《お》ちて|居《ゐ》る
あゝ|面白《おもしろ》や|面白《おもしろ》や |神《かみ》の|御稜威《みいづ》に|照《て》らされて
|虎《とら》|狼《おほかみ》の|咆《ほ》えたける |噂《うはさ》に|高《たか》き|此《この》|山《やま》を
|苦《く》もなく|進《すす》む|吾々《われわれ》は ウントコドツコイ|天下一《てんかいち》
|古今無双《ここんむさう》の|豪傑《がうけつ》ぞ |治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|嘸《さぞ》や|得意《とくい》で|厶《ござ》いませう |私《わたし》のやうなよい|弟子《でし》を
よくマア|探《さが》し|当《あ》てたもの |何程《なにほど》|世界《せかい》を|探《さが》しても
|二人《ふたり》と|決《けつ》してありませぬ オツトドツコイ ドツコイシヨ
|知《し》らず|識《し》らずに|慢心《まんしん》の |鬼《おに》|奴《め》が|角《つの》を|振《ふ》りたてて
つまらぬ|事《こと》をドツコイシヨ |晴公《はるこう》の|口《くち》から|吐《ほざ》きよつた
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |尊《たふと》き|神《かみ》のお|守《まも》りに
|稜威《いづ》の|宮居《みやゐ》の|此《この》|体《からだ》 |悪魔《あくま》の|襲《おそ》ふ|事《こと》もなく
いと【すく】すくと|神《かみ》の|道《みち》 |進《すす》ませ|給《たま》へ|天地《あめつち》の
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御前《おんまへ》に |心《こころ》も|晴《は》るる|晴公《はるこう》が
|畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|願《ね》ぎまつる あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
|五三公《いそこう》は|又《また》|歌《うた》ひ|出《だ》したり。
『|朝日《あさひ》は|輝《かがや》く|月《つき》は|盈《み》つ |斎苑《いそ》の|館《やかた》の|神風《かみかぜ》に
|吹《ふ》かれて|進《すす》む|吾々《われわれ》は |治国別《はるくにわけ》に|従《したが》ひて
|河鹿峠《かじかたうげ》の|頂上《ちやうじやう》で |又《また》もや|風《かぜ》にドツコイシヨ
|吹《ふ》きまくられて|行《ゆ》き|悩《なや》む あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》は|吾等《われら》をウントコシヨ |捨《す》てさせたまはず|直々《すくすく》と
さしも|難所《なんしよ》の|坂道《さかみち》を |心《こころ》|平《たひら》に|安《やす》らかに
|渡《わた》らせたまひし|有難《ありがた》さ バラモン|教《けう》の|神司《かむづかさ》
|片彦《かたひこ》|久米彦《くめひこ》|両人《りやうにん》は |数多《あまた》の|兵士《へいし》を|引率《いんそつ》し
|吾等《われら》|一行《いつかう》のウントコシヨ |彼等《かれら》を|待《ま》つと|知《し》らずして
|駒《こま》に|鞭《むちう》ちエイエイと |行《ゆ》き|難《なや》みたる|坂《さか》の|道《みち》
|登《のぼ》り|来《きた》るぞをかしけれ |治国別《はるくにわけ》の|御許《おゆる》しを
|受《う》けて|万公《まんこう》が|飛《と》び|出《いだ》し |胸突坂《むなつきざか》に|大手《おほて》をば
|拡《ひろ》げて|忽《たちま》ち|仁王立《にわうだ》ち |似合《にあ》ふか|似《に》あはぬか|知《し》らないが
|言霊機関《ことたまきくわん》が|閉塞《へいそく》し |眼玉《めだま》をキヨロキヨロ|剥《む》きだして
|絶句《ぜつく》したるぞをかしけれ ウントコドツコイ ドツコイシヨ
|又々《またまた》|月《つき》に|黒雲《くろくも》が すつかりかかつて|来《き》たやうだ
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》よ|皆《みな》さまよ |足許《あしもと》|気《き》をつけ|下《くだ》りませ
|祠《ほこら》の|森《もり》も|近《ちか》づいた |懐谷《ふところだに》を|右手《めて》に|見《み》て
|猿《ましら》の|声《こゑ》を|聞《き》きながら |心《こころ》いそいそ|進《すす》み|行《ゆ》く
|吾《われ》は|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》 とは|云《い》ふもののドツコイシヨ
|大《おほ》きな|声《こゑ》では|云《い》はれない やつとの|事《こと》で|候補生《こうほせい》の
まだ【ぬく】ぬくの|俺達《おれたち》だ ウントコドツコイ ドツコイシヨ
|又々《またまた》|月《つき》が|現《あら》はれた |矢張《やつぱり》|俺等《おれら》はドツコイシヨ
ドツコイドツコイ ヤツトコシヨ |武運《ぶうん》が|強《つよ》いに|違《ちが》ひない
|五三公《いそこう》|五三公《いそこう》と|沢山《たくさん》に |万公《まんこう》さまが|仰有《おつしや》るが
この|五三公《いそこう》があればこそ |前代未聞《ぜんだいみもん》の|面白《おもしろ》い
|山路《やまぢ》の|旅《たび》が|出来《でき》るのだ アイタヽヽタツタ|躓《つまづ》いた
あんまり|喋《しや》べつて|足許《あしもと》が お|留守《るす》になつたと|見《み》えるわい
|坂《さか》を|下《くだ》るに|第一《だいいち》の |注意《ちゆうい》を|要《えう》する|足《あし》の|先《さき》
|口《くち》が|過《す》ぎるとウントコシヨ |吾《わが》|師《し》の|君《きみ》にウントコシヨ
|沈黙《ちんもく》|守《まも》れと|叱《しか》られる ほんとにきつい|坂路《さかみち》だ
み|空《そら》に|月《つき》は|輝《かがや》きて |吾《わが》|胸《むね》さへも|晴《は》れ|渡《わた》り
|吹《ふ》き|来《く》る|風《かぜ》も|何《なん》のその |些《ちつと》も|心《こころ》にかからない
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|恵《めぐみ》を|今更《いまさら》に
|謹《つつし》み|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》|黒雲《くろくも》に|隠《かく》るとも |虎《とら》|狼《おほかみ》の|咆《ほ》ゆる|野《の》も
|悪魔《あくま》の|征討《せいたう》の|旅立《たびだ》ちは |金輪奈落《こんりんならく》やめられぬ
こんな|愉快《ゆくわい》の|事《こと》あろか あゝ|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し
アイタタツタツタまた|倒《こ》けた ドテライお|尻《しり》を|台《だい》なしに
ウンと|云《い》ふ|程《ほど》|打《う》ちました こりやこりや|晴公《はるこう》|万公《まんこう》よ
|暫《しばら》く|待《ま》つて|呉《く》れぬかい |足《あし》が|怪《あや》しくなつて|来《き》た
|折角《せつかく》|此処《ここ》まで|従《つ》いて|来《き》た |友《とも》を|見捨《みす》ててスタスタと
|進《すす》み|往《ゆ》くとは|何《なん》の|事《こと》 |友達《ともだち》|甲斐《がひ》のない|男《をとこ》
そんな|薄情《はくじやう》な|事《こと》すると |此《この》|世《よ》を|去《さ》つて|幽界《いうかい》へ
|落《お》ちた|其《その》|時《とき》ドツコイシヨ かういふもののアイタタツタ
アイタタツタツタ|痛《いた》いわいな |地獄《ぢごく》の|鬼《おに》|奴《め》がやつて|来《き》て
|八万地獄《はちまんぢごく》へ|突落《つきおと》し きつと|成敗《せいばい》するだらう
|後生《ごしやう》の|為《ため》を|思《おも》ふなら |俺《おれ》を|助《たす》けて|往《ゆ》くがよい
|決《けつ》して|俺《おれ》の|為《ため》ぢやない お|前《まへ》が|来世《らいせ》にウントコシヨ
|善因善果《ぜんいんぜんくわ》の|喜《よろこ》びを |人《ひと》にも|分《わ》けずまる|貰《もら》ひ
|其《その》|種蒔《たねま》きぢやドツコイシヨ |俺《おれ》に|同情《どうじやう》して|呉《く》れよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|大地《おほぢ》にありながら
|仁義《じんぎ》をしらぬ|万公《まんこう》や |晴公《はるこう》さまのすげなさよ
これこれモーシ|宣伝使《せんでんし》 |二人《ふたり》を|叱《しか》つて|下《くだ》しやんせ
|神《かみ》かけ|念《ねん》じ|奉《たてまつ》る』
|万公《まんこう》は|立《た》ち|止《ど》まり、|腰《こし》を|屈《かが》めて|下《くだ》りゆく|五三公《いそこう》を|眺《なが》め、
『チエ、|何《なん》だい、|肝腎要《かんじんかなめ》の|時《とき》に|斃《くたば》りやがつて|一体《いつたい》|其《その》|腰付《こしつき》はどうしたのだい、まるで|二重腰《にぢゆうごし》ぢやないか』
|五三公《いそこう》『さうだから、|最前《さいぜん》から|待《ま》つて|呉《く》れと|云《い》つたぢやないか、どうやら|腰《こし》の|骨《ほね》が|外《はづ》れたやうだ。|一寸《ちよつと》|見《み》て|呉《く》れないか』
|万公《まんこう》『|馬鹿《ばか》|云《い》へ、|腰《こし》が|外《はづ》れたものが|一足《ひとあし》だつて|歩《ある》けるかい。|大方《おほかた》|大腿骨《だいたいこつ》を|岩角《いはかど》で|打《う》つたのだらう。エヽ|厄介者《やつかいもの》だなア。グヅグヅして|居《ゐ》ると|宣伝使《せんでんし》|様《さま》に|後《おく》れて|仕舞《しま》ふ。|併《しか》し|是《これ》も|乗《の》りかけた|船《ふね》だ、サア|癒《なほ》してやらう』
と|云《い》ひながら、|平手《ひらて》で|三《み》つ|四《よ》つ|五三公《いそこう》の|腰《こし》のあたりをピシヤピシヤと|打《う》つた。
|五三公《いそこう》『アイタタツタ、これで|息《いき》が|楽《らく》になつた。ヤア|有難《ありがた》う、|持《も》つべきものは|矢張《やつぱり》|親友《しんいう》だ』
|万公《まんこう》『サア|早《はや》う|往《ゆ》かう。とうとう|先生《せんせい》の|影《かげ》が|見《み》えなくなつて|了《しま》つた。いそげ いそげ』
|五三公《いそこう》は、『よし|来《き》た。|駆歩々々《かけあしかけあし》』と|云《い》ひ|乍《なが》ら|万公《まんこう》の|後《あと》について|嶮《けは》しき|坂路《さかみち》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。
○
|話《はなし》は|元《もと》へ|戻《もど》る。|玉国別《たまくにわけ》、|道公《みちこう》、|純公《すみこう》の|三人《さんにん》は、|伊太公《いたこう》の|行方《ゆくへ》|不明《ふめい》となつたのを|打《う》ち|案《あん》じ|乍《なが》ら、|今《いま》や|治国別《はるくにわけ》の|言霊《ことたま》に|打《う》たれて|帰《かへ》り|来《く》るべき|敵《てき》を、|言向和《ことむけやは》さむと、|手具脛《てぐすね》ひいて|待《ま》つて|居《ゐ》た。
|純公《すみこう》『|随分《ずゐぶん》|道公《みちこう》も|妙《めう》な|夢《ゆめ》を|見《み》たものだなア。|矢張《やつぱり》|常平生《つねへいぜい》から、|仕様《しやう》もない|事《こと》を|考《かんが》へて|居《ゐ》るから、|貘《ばく》も|食《く》はないやうな、|怪《け》つ|体《たい》な|夢《ゆめ》を|見《み》よつたのだ。|本当《ほんたう》に|是《これ》を|思《おも》へばお|前《まへ》の|身魂《みたま》は|開闢《かいびやく》|以来《いらい》の【デレ】さまと|見《み》えるのう、ウフヽヽヽ』
|道公《みちこう》『|俺達《おれたち》の|夢《ゆめ》は|先《ま》づザツトあのやうな|華々《はなばな》しいものだ。お|前達《まへたち》の|見《み》る|夢《ゆめ》は、|鬼婆《おにばば》に|追《お》ひかけられたり、|逃《に》げ|損《そこ》なつて|糞壺《くそつぼ》に|落《お》ち|込《こ》んだ|位《ぐらゐ》なものだ。|夢《ゆめ》だつて|余《あま》り|馬鹿《ばか》にならぬぞ。|夢《ゆめ》の|浮世《うきよ》だから、|何時《いつ》かはそれが|現実《げんじつ》になるのだ。|前途多望《ぜんとたばう》の|良青年《りやうせいねん》だからなア』
|純公《すみこう》『|良青年《りやうせいねん》がそんな|厭《いや》らしい|夢《ゆめ》を|見《み》るものか、ジヤラジヤラとした……|先生様《せんせいさま》の|前《まへ》だぞ、|不謹慎《ふきんしん》にも|程《ほど》があるわ。ナア|先生《せんせい》、|本当《ほんたう》に|可笑《をか》しいやつですね。あまりの|事《こと》で|臍《へそ》が|転宅《てんたく》しかけましたよ』
|玉国別《たまくにわけ》は|目《め》を|押《おさ》へながら、いとも|冷然《れいぜん》として『ウフヽヽヽ』と|静《しづ》かに|笑《わら》つて|居《ゐ》る。この|時《とき》|坂《さか》の|彼方《かなた》より|騒々《さうざう》しき|物音《ものおと》が|聞《きこ》えて|来《き》た。|見《み》るまに|鞍《くら》をおいた|荒馬《あれうま》|七八頭《しちはつとう》|速力《そくりよく》を|出《だ》して|祠《ほこら》の|前《まへ》を|逃《に》げて|往《ゆ》く。
|道公《みちこう》『ヤア|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、いよいよ|出会《でつくは》したな。|落花狼藉《らくくわらうぜき》、|馬《うま》|迄《まで》が|驚《おどろ》いて|敗走《はいそう》と|見《み》えるわい。|軈《やが》て|落武者《おちむしや》|共《ども》がやつて|来《く》るだらう、サアこれから|一《ひと》つ|捻鉢巻《ねじはちまき》だ。|生言霊《いくことたま》の|連発銃《れんぱつじう》だ、オイ|純公《すみこう》、|確《しつか》り|頼《たの》むぞ』
と|捻鉢巻《ねじはちまき》きをしながらお|相撲《すもう》さまのやうにトントンと|四股踏《しこふ》んで|雄猛《をたけ》びして|居《ゐ》る。
かかる|所《ところ》へ|死物狂《しにものぐるひ》となつた|数十人《すうじふにん》の|敵《てき》は|祠《ほこら》の|森《もり》にて|残党《ざんたう》を|集《あつ》めむとやつて|来《き》た。|玉国別《たまくにわけ》|一行《いつかう》の|姿《すがた》を|見《み》て|片彦《かたひこ》は|声《こゑ》を|怒《いか》らせ、
|片彦《かたひこ》『ヤア|其《その》|方《はう》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、いい|所《ところ》で|出会《であ》つた。|貴様《きさま》の|家来《けらい》を|生擒《いけどり》に|致《いた》して、|連《つ》れて|帰《かへ》つたのも|知《し》らず、【のめ】のめとよう|出《で》て|来《き》やがつた。サア|貴様《きさま》も|三五教《あななひけう》の|片割《かたわ》れ、|江戸《えど》の|仇《かたき》を|長崎《ながさき》かも|知《し》らぬが|腹《はら》いせにやつてやらう。オイ|者《もの》|共《ども》、|此奴等《こいつら》に|槍《やり》の|切《き》つ|先《さき》を|揃《そろ》へて|取《と》り|掛《かか》れ』
と|厳《きび》しく|号令《がうれい》して|居《ゐ》る。|数人《すうにん》の|敵《てき》は|三人《さんにん》を|目蒐《めが》けて|猛虎《まうこ》の|勢《いきほひ》|凄《すさま》じく|突《つ》いて|掛《かか》る。|三人《さんにん》は|不意《ふい》を|喰《くら》つて|手早《てばや》く|身《み》をかはし|祠《ほこら》を|楯《たて》にとつて|防《ふせ》ぎ|戦《たたか》はむとする。されども|大将《たいしやう》の|玉国別《たまくにわけ》は|目《め》を|痛《いた》め、|激烈《げきれつ》なる|頭痛《づつう》に|悩《なや》んで|居《ゐ》る。|如何《いか》に|勇《ゆう》ありとて|無茶《むちや》で|出《で》て|来《く》る|敵《てき》には|無茶《むちや》で|行《ゆ》かねばならず、|敵《てき》は|目《め》に|余《あま》る|大軍《たいぐん》、あはや|三人《さんにん》の|命《いのち》は|風前《ふうぜん》の|灯火《ともしび》と|云《い》ふ|危機一髪《ききいつぱつ》の|際《さい》|俄《にはか》に|聞《きこ》ゆる|獅子《しし》の|唸《うな》り|声《ごゑ》|山岳《さんがく》も|崩《くづ》るる|許《ばか》りであつた。|此《この》|声《こゑ》に|敵《てき》は|顫《ふる》ひ|戦《をのの》き|思《おも》はず|知《し》らず|大地《だいち》に|耳《みみ》を|押《おし》つけて|踞《しやが》んで|了《しま》つた。|見《み》れば|巨大《きよだい》なる|獅子《しし》に|時置師神《ときおかしのかみ》が|跨《またが》つて|居《ゐ》る。|玉国別《たまくにわけ》はこれを|見《み》て|思《おも》はず|知《し》らず|両手《りやうて》を|合《あは》せ、
『|木花咲耶姫命《このはなさくやひめのみこと》|様《さま》、|有《あ》り|難《がた》う|厶《ござ》います』
と|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|咽《むせ》ぶ。|獅子《しし》に|乗《の》つた|時置師神《ときおかしのかみ》は【もの】も|云《い》はず|嶮《けは》しき|山《やま》を|駆《か》け|登《のぼ》り|何処《いづく》ともなく|姿《すがた》を|隠《かく》した。
|坂道《さかみち》の|彼方《かなた》より|盛《さかん》に|宣伝歌《せんでんか》が|聞《きこ》えて|来《き》た。|一旦《いつたん》|大地《だいち》に|踞《しやが》んだ|敵《てき》はムクムクと|起《お》き|上《あが》り、|先《さき》を|争《あらそ》ひバラバラと|人馬《じんば》|諸共《もろとも》、|下《くだ》り|坂《ざか》|目蒐《めが》けて|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|逃《に》げて|往《ゆ》く。
|道公《みちこう》『ハヽヽヽヽ、|御神力《ごしんりき》と|云《い》ふものは|偉《えら》いものだなア、|三五教《あななひけう》には|立派《りつぱ》な|生神様《いきがみさま》が|御守護《ごしゆご》していらつしやるから【うま】いものだ。モシ|先生様《せんせいさま》、|結構《けつこう》ぢや|厶《ござ》いませぬか、|虎口《ここう》を|逃《のが》れるとは|此《この》|事《こと》で|厶《ござ》いませう』
|玉国別《たまくにわけ》『ウン、|実《じつ》に|有難《ありがた》い|事《こと》ぢや。|併《しか》し|今《いま》|聞《きこ》える|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》は|正《まさ》しく|治国別《はるくにわけ》|様《さま》ぢや、お|出迎《でむか》へするがよからうぞ』
|道公《みちこう》『ナニ、|治国別《はるくにわけ》さまですか、ヤそいつは|有難《ありがた》い、よい|所《ところ》へ|来《き》て|下《くだ》さつた。|如何《いか》にも|先生《せんせい》の|仰有《おつしや》つた|通《とほ》り|一分一厘《いちぶいちりん》|間違《まちが》ひは|厶《ござ》いませぬねえ。いやもう|感心《かんしん》|致《いた》しました。オイ|純公《すみこう》|何《なに》をキヨロキヨロして|居《ゐ》るのだ、|早《はや》くお|迎《むか》への|用意《ようい》をせぬかい。エ、|辛気《しんき》|臭《くさ》い|奴《やつ》ぢや』
|純公《すみこう》『|余《あま》り|有難《ありがた》いのと|嬉《うれ》しいのとで、どうしてよいか|分《わか》りやしないわ。こりや|道公《みちこう》|夢《ゆめ》ぢやあるまいかな。|今《いま》お|前《まへ》は|夢《ゆめ》の|話《はなし》をして|居《を》つたであらう、|俺《おれ》は|如何《どう》しても|本当《ほんたう》と|思《おも》へないわ。モシモシ|先生様《せんせいさま》、|現実《げんじつ》ですか』
『ウン、|確《たしか》に|現実《げんじつ》だ。|早《はや》く|一足《ひとあし》なりとお|迎《むか》へに|往《ゆ》かねば|済《す》むまいぞ』
|純公《すみこう》『ヤア|本当《ほんたう》とあればキヨロキヨロしては|居《を》られない、オイ|道公《みちこう》サア|往《ゆ》かう。それそれそこにどうやら|黒《くろ》い|姿《すがた》が|見《み》えて|来《き》た。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
(大正一一・一一・二七 旧一〇・九 加藤明子録)
第四篇 |愛縁義情《あいえんぎじやう》
第一三章 |軍談《ぐんだん》〔一一六四〕
|数十年《すうじふねん》の|雨風《あめかぜ》に|弄《もてあそ》ばれて、|屋根《やね》は|飛散《とびち》り|柱《はしら》は|歪《ゆが》み、|見《み》るかげもなき|古祠《ふるほこら》の|前《まへ》に、|薄雲《はくうん》を|被《かぶ》つてボンヤリ|輪廓《りんくわく》を|不明瞭《ふめいれう》に|現《あら》はした|月《つき》の|光《ひかり》を|浴《あ》び|乍《なが》ら、|話《はなし》に|耽《ふけ》る|七人《しちにん》の|男《をとこ》があつた。これは|勿論《もちろん》|治国別《はるくにわけ》、|玉国別《たまくにわけ》の|一行《いつかう》である。
|玉国別《たまくにわけ》『|治国別《はるくにわけ》さま、|昨日来《さくじつらい》の|大風《おほかぜ》には|随分《ずゐぶん》お|艱《なや》みでしたらうなア。それに|又《また》バラモン|教《けう》の|軍勢《ぐんぜい》がやつて|来《き》たので、|一段《いちだん》と|御骨《おほね》の|折《を》れたことでせう』
|治国別《はるくにわけ》『|河鹿峠《かじかたうげ》を|此方《こちら》へ|下《くだ》る|折《をり》しも|片彦《かたひこ》、|久米彦《くめひこ》の|軍勢《ぐんぜい》と|出会《でつくは》し、|兎《と》も|角《かく》も|屈竟《くつきやう》の|難所《なんしよ》に|陣《ぢん》を|構《かま》へ、|徐《おもむろ》に|言霊《ことたま》を|打出《うちだ》した|所《ところ》、|昨日《さくじつ》の|暴風《ばうふう》に|木々《きぎ》の|木《こ》の|葉《は》が|散《ち》る|如《ごと》く、|隊伍《たいご》を|乱《みだ》し、|這々《はふばふ》の|体《てい》で|逃《に》げ|散《ち》つて|了《しま》ひましたよ。|貴方《あなた》は|此《この》|森蔭《もりかげ》に|於《おい》て、キツと|敵《てき》の|潰走《くわいそう》を|待受《まちう》け、|言霊《ことたま》を|打出《うちだ》しなさるだらう、|両方《りやうはう》より|言霊《ことたま》の|挟《はさ》み|打《うち》も|面白《おもしろ》からうと|考《かんが》へて|居《を》りました。そしてさぞ|祠《ほこら》の|森《もり》の|前《まへ》には|沢山《たくさん》な|帰順者《きじゆんしや》が|居《を》るだらうと、イヤもう|楽《たのし》んで|参《まゐ》りました。|敵《てき》は|此《この》|谷道《たにみち》を|通《とほ》らなかつたですか』
|玉国別《たまくにわけ》『ヤアもう|残念《ざんねん》なことを|致《いた》しました。|神様《かみさま》に|神罰《しんばつ》を|蒙《かうむ》り、|大怪我《おほけが》を|致《いた》し、|心気沮喪《しんきそさう》したと|見《み》え、|雪崩《なだれ》の|如《ごと》く|逃《に》げくる|敵《てき》を|無念《むねん》|乍《なが》らも、|皆《みな》|取逃《とりに》がして|了《しま》ひました』
|治国別《はるくにわけ》『それは|何《なん》とも|仕方《しかた》がありませぬ。|何事《なにごと》も|神界《しんかい》の|御都合《ごつがふ》でせう。|併《しか》し|乍《なが》ら|大怪我《おほけが》をなさつたとは……』
|玉国別《たまくにわけ》『ハイ|猿《さる》の|奴《やつ》に|両眼《りやうがん》をかき【むし】られ、|一旦《いつたん》は|失明《しつめい》|致《いた》しましたが、|有難《ありがた》き|御神徳《ごしんとく》によつて|漸《やうや》く|片目《かため》を|救《すく》はれ、|此《この》|森蔭《もりかげ》に|休息《きうそく》して|頭痛《づつう》や|目《め》の|痛《いた》みの|癒《なほ》るのを|待《ま》つて|居《を》りました』
|治国別《はるくにわけ》『それは|誠《まこと》に|気《き》の|毒《どく》|千万《せんばん》、|月夜《つきよ》とはいへ、|余《あま》りボンヤリとしてゐて、お|顔《かほ》が|見《み》えませなんだが、ドレ|一寸《ちよつと》|見《み》せて|下《くだ》さい』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|玉国別《たまくにわけ》の|顔《かほ》を|覗《のぞ》き|込《こ》んだ。
『ヤア|大変《たいへん》だ。|目《め》のまはりがただれて|居《を》ります。|余程《よほど》きつく|掻《か》いたものと|見《み》えますなア』
|玉国別《たまくにわけ》『|吾々《われわれ》が|心《こころ》の|油断《ゆだん》より|自《みづか》ら|災《わざわひ》を|招《まね》いたのです。|実《じつ》に|宣伝使《せんでんし》として|顔《かほ》がありませぬ』
|治国別《はるくにわけ》『ここでは|何《なん》だかきまりが|悪《わる》いやうですが、どこぞ|良《よ》い|場所《ばしよ》でゆつくり|話《はな》さうぢやありませぬか』
|玉国別《たまくにわけ》『|一町《いつちやう》|許《ばか》り|此《この》|森《もり》を|登《のぼ》つて|行《ゆ》きますると、|恰好《かつかう》な|休息所《きうそくしよ》があります。|実《じつ》の|所《ところ》は|今宵《こよひ》も|其《その》|森蔭《もりかげ》で|養生《やうじやう》がてら、|敵軍《てきぐん》の|進《すす》むのを|眺《なが》めて|居《を》りました』
|治国別《はるくにわけ》『そんなら、|其《その》|森蔭《もりかげ》の|休息所《きうそくしよ》までお|供《とも》を|致《いた》しませう』
|玉国別《たまくにわけ》『|何《いづ》れ|又《また》|敵《てき》の|残党《ざんたう》が|通過《つうくわ》するやら、|再《ふたた》び|蒸《む》し|返《かへ》しに|来《く》るやら|分《わか》りませぬから、|此処《ここ》に|二人《ふたり》|程《ほど》|見張《みはり》をさしておいて|参《まゐ》りませうかなア』
|治国別《はるくにわけ》『オイ|五三公《いそこう》、お|前《まへ》|御苦労《ごくらう》だが、|此《この》|祠《ほこら》の|前《まへ》で|暫《しばら》く|関所守《せきしよもり》をやつてくれないか』
|五三公《いそこう》『ハイ|承知《しようち》|致《いた》しました。|玉国別《たまくにわけ》さまの|部下《ぶか》の|方《かた》を|一人《ひとり》|拝借《はいしやく》したいものですなア。なることならば|私《わたし》と|能《よ》く|馬《うま》の|合《あ》ふ|伊太公《いたこう》と|関守《せきもり》を|勤《つと》めませう』
|玉国別《たまくにわけ》『|残念《ざんねん》ながら|伊太公《いたこう》は|貴方《あなた》にお|渡《わた》しする|訳《わけ》には|参《まゐ》りませぬ』
|五三公《いそこう》『|誰《たれ》だつて|同《おな》じことぢやありませぬか。|私《わたし》の|先生《せんせい》も|斯《こ》うして|一人《ひとり》|留守番《るすばん》をお|命《めい》じになつたのだから、|貴方《あなた》だつて、|伊太公《いたこう》の|一人《ひとり》|位《ぐらゐ》ここにお|残《のこ》しになつても|宜《よ》かりさうなものですなア』
|道公《みちこう》『|実《じつ》の|所《ところ》は|伊太公《いたこう》の|奴《やつ》、|敵《てき》の|捕虜《ほりよ》となつて|了《しま》つたのだ。これから|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》は|伊太公《いたこう》を|取返《とりかへ》しに|敵中《てきちう》へ|飛込《とびこ》まふと|思《おも》つてゐるのだが、|何分《なにぶん》|先生《せんせい》が|目《め》を|痛《いた》め、|頭《あたま》を|痛《いた》めて|厶《ござ》るものだから|行《ゆ》くことも|出来《でき》ず、|気《き》が|気《き》でないのだ』
|五三公《いそこう》『ヤアさうか、そりや|大変《たいへん》だ。|俺《おれ》も|先生《せんせい》の|許《ゆる》しさへあれば|伊太公《いたこう》の|所在《ありか》を|尋《たづ》ねに|行《ゆ》きたいものだなア』
|治国別《はるくにわけ》『ヤア、|玉国別《たまくにわけ》さま、|伊太公《いたこう》が|敵《てき》の|捕虜《ほりよ》になつたのですか』
|玉国別《たまくにわけ》『|残念《ざんねん》ながら……』
|治国別《はるくにわけ》『ヤアそりや|困《こま》つたことが|出来《でき》たものだ。マアマアゆつくりと|森蔭《もりかげ》で|御相談《ごさうだん》を|致《いた》しませう。そんなら|五三公《いそこう》、|御苦労《ごくらう》だが、お|前《まへ》|一人《ひとり》ここに|関守《せきもり》をやつてゐてくれ』
|五三公《いそこう》『ハイやらぬことはありませぬが、|何《なん》だか|私《わたし》|一人《ひとり》|捨《す》てられた|様《やう》な|気分《きぶん》になりますワ。どうぞ|晴公《はるこう》なりと|残《のこ》して|下《くだ》さいなア』
|玉国別《たまくにわけ》『イヤ|宜《よろ》しい、|純公《すみこう》を|此処《ここ》に|残《のこ》して|置《お》きませう。オイ|純公《すみこう》、お|前《まへ》|御苦労《ごくらう》なれど、|五三公《いそこう》さまと|臨時《りんじ》|関守《せきもり》を|頼《たの》む』
|純公《すみこう》『|承知《しようち》|致《いた》しました。どうしても|私《わたし》は|雑兵《ざふひやう》だとみえて、|将校《しやうかう》|会議《くわいぎ》に|参列《さんれつ》は|許《ゆる》されないのですなア、|敵《てき》を|遠《とほ》くに|追《お》ひちらし、|稍《やや》|小康《せうかう》を|得《え》たる|此《この》|場合《ばあひ》、|仕方《しかた》がありませぬから、|私《わたし》は|五三公《いそこう》さまと|又《また》|別働隊《べつどうたい》を|造《つく》つて、|将校《しやうかう》|会議《くわいぎ》を|開設《かいせつ》|致《いた》しませう。サア、|両《りやう》|先生《せんせい》|初《はじ》め|道公《みちこう》、|晴公《はるこう》、|万公《まんこう》、ゆつくりと|休《やす》んでおいでなさいませ』
|玉国別《たまくにわけ》『|確《しつか》り|頼《たの》む。|変《かは》つたことがあれば|手《て》を|拍《う》つて|合図《あひづ》をしてくれ』
|純公《すみこう》『|万事《ばんじ》|呑込《のみこ》んで|居《を》ります』
|玉国別《たまくにわけ》『そんなら|宜《よろ》しう|頼《たの》む』
と|玉国別《たまくにわけ》は|先《さき》に|立《た》つて、|以前《いぜん》の|森蔭《もりかげ》に|登《のぼ》つて|行《ゆ》く。
|両宣伝使《りやうせんでんし》|及《およ》び|三人《さんにん》は|木《こ》の|葉《は》の|堆《うづだか》く|積《つ》んだ|上《うへ》に|蓑《みの》を|敷《し》き、|言霊戦《ことたません》の|状況《じやうきやう》や、|懐谷《ふところだに》の|遭難《さうなん》の|顛末《てんまつ》などを|包《つつ》まず|隠《かく》さず|互《たがひ》に|打明《うちあ》けて|談《だん》じ|合《あ》うてゐる。
|此方《こちら》は|古祠《ふるほこら》の|前《まへ》、|純公《すみこう》、|五三公《いそこう》は|近《ちか》い|西山《せいざん》に|隠《かく》れた|月《つき》を|見送《みおく》り|乍《なが》ら、
|純公《すみこう》『ヤア|月様《つきさま》もとうとうアリヨースとお|帰《かへ》り|遊《あそ》ばした。どうも|俄《にはか》に|山影《やまかげ》が|襲《おそ》うて|来《き》たと|云《い》ふものか、|暗黒界《あんこくかい》になつたぢやないか』
|五三公《いそこう》『どうせお|月《つき》さまだつて、|同《おな》じとこに|止《とど》まつていらつしやる|道理《だうり》がない。やがて|又《また》|夜《よ》|計《ばか》りぢやない、|夜明《よあ》けも|近付《ちかづ》いたのだから、|暫《しばら》くグツとここで|横《よこた》はり、バラモン|征伐《せいばつ》の|夢《ゆめ》でも|見《み》ようぢやないか』
|純公《すみこう》『お|前《まへ》|寝《ね》たけら|寝《ね》てくれ、|関守《せきもり》がそんなことぢや|勤《つと》まらないから、|俺《おれ》は|此処《ここ》に|目《め》をあけて|職務《しよくむ》|忠実《ちうじつ》に|勤《つと》めてゐる。ヤア|言霊戦《ことたません》で|随分《ずゐぶん》お|前《まへ》も|疲労《くたび》れただらう、|無理《むり》もない|俺《おれ》の|蓑《みの》も|貸《か》してやるから、サア|寝《ね》たり|寝《ね》たり』
|五三公《いそこう》『お|前《まへ》の|寝《ね》られないのは、モ|一《ひと》つ|原因《げんいん》があるのだらう。|伊太公《いたこう》の|行方《ゆくへ》が|気《き》にかかつてゐるのだらうがなア』
|純公《すみこう》『それが|第一《だいいち》の|心配《しんぱい》だ。|一秒間《いちべうかん》だつて|彼奴《あいつ》の|事《こと》を|忘《わす》れやうたつて、|忘《わす》れられるものか。|俺《おれ》は|斯《か》うして|安閑《あんかん》とここに|関守《せきもり》を|勤《つと》めてゐるものの、|伊太公《いたこう》はエラい|責苦《せめく》に|会《あ》はされてゐるかと|思《おも》へば、|如何《どう》して|眠《ねむ》ることが|出来《でき》ようぞ』
|五三公《いそこう》『アハヽヽヽそれ|程《ほど》|苦《く》になるか。|人《ひと》の|一人《ひとり》|位《くらゐ》|如何《どう》なつてもいいぢやないか、|貴様《きさま》さへ|安全《あんぜん》にあつたら|何《なに》よりも|大慶《たいけい》だらう。たつた|今迄《いままで》ピチピチして|居《を》つた|人間《にんげん》が|死《し》といふ|魔風《まかぜ》に|吹《ふ》かれて、ウンと|一声《ひとこゑ》|冥土《めいど》へ|旅立《たびだ》ちする|奴《やつ》もあるのだ。|何程《なにほど》|貴様《きさま》がハートに|波《なみ》を|立《た》ててもがいた|所《ところ》で|如何《どう》する|事《こと》も|出来《でき》ぬぢやないか。そんな|人《ひと》の|疝気《せんき》を|頭痛《づつう》に|病《や》むやうな|馬鹿《ばか》な|事《こと》は|思《おも》はぬが|良《よ》いぞ。|終《しま》ひにや|貴様《きさま》の|体《からだ》まで|毀《こは》して|了《しま》ふぢやないか』
|純公《すみこう》『|貴様《きさま》は|余程《よほど》|良《よ》い|冷血漢《れいけつかん》だなア。|何程《なにほど》|吾《わが》|身《み》が|大事《だいじ》だといつて、|友《とも》の|危難《きなん》を|平気《へいき》で|見遁《みのが》すことが|出来《でき》ようかい。それが|朋友《ほういう》の|義務《ぎむ》だ。|否《いな》|義務《ぎむ》どころか|情《なさけ》ぢやないか』
|五三公《いそこう》『さう|心配《しんぱい》するな。|伊太公《いたこう》は|決《けつ》して|嬲殺《なぶりごろし》になつたり、|虐待《ぎやくたい》されたりするやうな|男《をとこ》ぢやない。|彼奴《あいつ》は【じゆん】|才《さい》な|男《をとこ》だから、そこは|甘《うま》く|合槌《あひづち》を|打《う》ち、|敵《てき》でさへも|可愛《かあい》がるやうな|交際振《かうさいぶり》を|発揮《はつき》してゐるよ。キツと|敵《てき》に|同情《どうじやう》を|受《う》けてゐるに|定《きま》つて|居《ゐ》るワ』
|純公《すみこう》『さうだらうかなア、それが|本当《ほんたう》ならば、|俺《おれ》もチツと|許《ばか》り|安心《あんしん》だ』
|五三公《いそこう》『|伊太公《いたこう》はまた|如何《どう》して|捕虜《ほりよ》になりよつたのだ。|其《その》|顛末《てんまつ》をチツと|聞《き》かして|呉《く》れないか』
|純公《すみこう》『ウーン、|俺達《おれたち》が|先生《せんせい》とあの|森蔭《もりかげ》で|休息《きうそく》してゐると、バラモン|教《けう》の|軍勢《ぐんぜい》が|此《この》|祠《ほこら》の|前《まへ》で|休息《きうそく》し|人員《じんゐん》|点呼《てんこ》までやつてゐやがるぢやないか。そして|素盞嗚大神《すさのをのおほかみ》|様《さま》を|征伐《せいばつ》すると|云《い》つて、ヒドイ|進軍歌《しんぐんか》を|歌《うた》つてゐやがるのだ。それを|聞《き》いて|吾々《われわれ》|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》が|如何《どう》して|堪《こら》へて|居《ゐ》ることが|出来《でき》ようか。……|不意《ふい》に|飛《と》んで|出《で》て、|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|打懲《うちこら》してやらうと|思《おも》つたが、|何分《なにぶん》|先生《せんせい》の|目《め》が|悪《わる》いものだから、|一息《ひといき》も|離《はな》れる|訳《わけ》に|行《ゆ》かず、|切歯扼腕《せつしやくわん》|悲憤《ひふん》の|涙《なみだ》を|流《なが》してゐると|伊太公《いたこう》の|奴《やつ》|堪《たま》りかねて、|金剛杖《こんがうづゑ》を|縦横無尽《じうわうむじん》に|打振《うちふ》り、|命《いのち》を|的《まと》に|敵中《てきちう》へ|只《ただ》|一人《ひとり》|飛《と》び|込《こ》んだきり、|帰《かへ》つて|来《こ》ないのだ。|実《じつ》に|残念《ざんねん》なことをしたワイ。|先生様《せんせいさま》のお|止《と》めなさるのも|聞《き》かずに|行《い》つたものだから、|神様《かみさま》の|罰《ばち》で|敵《てき》に|捕《とら》はれよつたのだ。アヽ|思《おも》へば|思《おも》へば|又《また》|悲《かな》しくなつて|来《き》たワイ』
|五三公《いそこう》『|何《なん》とした|向意気《むかふいき》の|強《つよ》い|男《をとこ》だらうなア、|後前《あとさき》も|考《かんが》へず、|匹夫《ひつぷ》の|勇《ゆう》を|揮《ふる》ふと、そんな|目《め》に|会《あ》はねばならぬ。|何事《なにごと》も|先生《せんせい》の|命令《めいれい》さへ、|神妙《しんめう》に|聞《き》いて|居《を》れば|良《よ》いのだのになア』
|純公《すみこう》『|久方《ひさかた》の|空《そら》に|消《き》えたる|月《つき》みれば
|友《とも》の|身《み》の|上《うへ》|慕《した》はるる|哉《かな》。
|吾《わが》|友《とも》は|今《いま》やいづくの|何人《なにびと》に
|救《すく》はれゐるか|心許《こころもと》なし』
|五三公《いそこう》『|惟神《かむながら》|尊《たふと》き|神《かみ》に|仕《つか》へたる
|神《かみ》の|子《こ》ならば|安《やす》くいまさむ』
|純公《すみこう》『アーア、|余《あま》りの|心配《しんぱい》で、|歌《うた》を|詠《よ》んでみようと|思《おも》うたが、|歌《うた》もハツキリ|出《で》ては|来《こ》ないワ。|先生《せんせい》はあの|通《とほ》り|目《め》をわづらひ、|頭《あたま》を|痛《いた》め、|伊太公《いたこう》は|行方《ゆくへ》|不明《ふめい》となり、|何《なん》とした|俺達《おれたち》の|一行《いつかう》は、|運《うん》の|悪《わる》いものだらう、|神様《かみさま》に|見離《みはな》されたのぢやあるまいかなア』
|五三公《いそこう》『そんな|事《こと》は|吾々《われわれ》にや|分《わか》らないワイ。|善悪正邪《ぜんあくせいじや》を|区別《くべつ》するのは|神《かみ》ばかりだ。それだから|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて、|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》けると、|基本歌《きほんか》に|出《で》て|居《ゐ》るのだ。|兎《と》も|角《かく》も|伊太公《いたこう》の|為《ため》に、|何神《なにがみ》の|祠《ほこら》か|知《し》らぬが、ここで|祈《いの》ることにしようかい』
|純公《すみこう》『ヤアそりや|有難《ありがた》い、|伊太公《いたこう》の|為《ため》に|祈《いの》つてやらうと|云《い》ふのか』
と|涙声《なみだごゑ》を|出《だ》し|乍《なが》ら、|手《て》を|合《あは》せて|暗祈《あんき》|黙祷《もくたう》をなすこと|稍《やや》|暫《しば》し、|漸《やうや》くにして|夜《よ》はカラリと|明《あ》けた。
|慌《あわ》てて|谷間《たにま》に|落《お》ちた|二三頭《にさんとう》の|馬《うま》、|主人《しゆじん》の|所在《ありか》を|索《もと》めてノソリノソリと|急坂《きふはん》を|下《くだ》つて|来《き》た。
|純公《すみこう》『ヤア|敵《てき》の|馬《うま》が|逃《に》げそそくれたと|見《み》えて、|今頃《いまごろ》にやつて|来《き》よつた。ヤア|此奴《こいつ》ア、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|足《あし》を|痛《いた》めてゐる|塩梅《あんばい》だ。|畜生《ちくしやう》といひ|乍《なが》ら|可哀相《かあいさう》だなア。|一《ひと》つ|神様《かみさま》に|願《ねが》つて|馬《うま》の|脚《あし》を|直《なほ》してやらうかなア』
|五三公《いそこう》『|俄《にはか》に|獣医《じうい》でも|開業《かいげふ》する|積《つも》りかなア、|免状《めんじやう》を|持《も》つてゐるか。|今《いま》の|時節《じせつ》は|何程《なにほど》|技能《ぎのう》があつても|免状《めんじやう》がなければ|駄目《だめ》だぞ。どんな|筍医者《たけのこいしや》でも、|開業《かいげふ》|試験《しけん》といふ|関門《くわんもん》を|何《ど》うなり|斯《こ》うなり|通過《つうくわ》さへしておけば、|立派《りつぱ》なドクトルだ。|何《なに》を|云《い》つても|規則《きそく》づくめの|杓子定規《しやくしぢやうぎ》の|行方《やりかた》だからなア』
|純公《すみこう》『アヽ|馬《うま》の|奴《やつ》……|皆《みな》さまお|早《はや》うとも|何《なん》とも|吐《ぬか》さずに、|俺達《おれたち》の|好意《かうい》を|無《む》にして|通過《つうくわ》して|了《しま》ひやがつた、ヤツパリ|畜生《ちくしやう》は|畜生《ちくしやう》だなア』
|五三公《いそこう》『|純公《すみこう》、|馬《うま》も|助《たす》けてやるのは|良《よ》いが、|馬《うま》よりも|大切《たいせつ》な|者《もの》があるだろ』
|純公《すみこう》『いかにも、|馬《うま》も|助《たす》けねばなるまいが、|第一《だいいち》|先生《せんせい》の|御病気《ごびやうき》を|癒《なほ》す|様《やう》に|鎮魂《ちんこん》をせなくてはならなかつたなア。|併《しか》し|俺《おれ》は|畜生《ちくしやう》の|鎮魂《ちんこん》|位《ぐらゐ》が|性《しやう》に|合《あ》うてゐるのだ。|到底《たうてい》|先生《せんせい》の|御病気《ごびやうき》を|鎮魂《ちんこん》で|癒《なほ》すといふやうなこたア|出来《でき》やしないワ』
|五三公《いそこう》『|誠心《まごころ》さへ|天《てん》に|通《つう》じたら、|先生《せんせい》の|病気《びやうき》だつてキツと|癒《なほ》るよ』
|純公《すみこう》『さう|聞《き》けばさうかも|知《し》れぬなア、|何《なん》だか|知《し》らぬが、|気《き》が|落《お》ちつかないワイ。|斯《か》う|夜《よ》がカラツと|明《あ》けては、|此《こ》の|坂路《さかみち》は|稍《やや》|安心《あんしん》だが、|併《しか》し|乍《なが》ら|昨夜《さくや》|逃去《にげさ》つた|敵《てき》の|集団《しふだん》が、|此《この》|谷路《たにみち》に|吾々《われわれ》の|前途《ぜんと》を|閉塞《へいそく》して、|一人《ひとり》も|残《のこ》らず、|虜《とりこ》にせむと、|待構《まちかま》へてゐるやうな|気《き》がしてならないワ』
|五三公《いそこう》『そりやキツトさうだらうよ。|面白《おもしろ》いぢやないか、エヽー。これからが|吾々《われわれ》の|真剣《しんけん》の|舞台《ぶたい》となるのだ、そんな|弱々《よわよわ》したこと|言《い》はずにチツと|確《しつか》りせぬかい』
|斯《か》く|話《はな》す|時《とき》しも、|馬《うま》から|転落《てんらく》し、|足《あし》を|傷《きず》つけた|逃《に》げ|遅《おく》れのバラモン|教《けう》の|男《をとこ》、|槍《やり》を|杖《つゑ》につき、|二人連《ふたりづれ》でヒヨクリ ヒヨクリと|跛《びつこ》をひき|乍《なが》ら、|此処《ここ》へ|現《あら》はれて|来《き》た。|此《この》|二人《ふたり》は|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|秘書役《ひしよやく》ともいふべき、マツ、タツの|両人《りやうにん》であつた。|二人《ふたり》は|純公《すみこう》、|五三公《いそこう》の|祠《ほこら》の|前《まへ》に|狛犬然《こまいぬぜん》と|坐《すわ》つてゐるのに|気《き》が|着《つ》き、|馴々《なれなれ》しく、
マツ|公《こう》『ヤア|三五教《あななひけう》の|大先生《だいせんせい》、お|早《はや》うさまで|厶《ござ》います。|夜前《やぜん》は|大変《たいへん》|御苦労《ごくらう》で|厶《ござ》いましたなア。|随分《ずゐぶん》|御疲労《おくたびれ》になつたでせう。|私《わたし》も|大変《たいへん》お|疲労《くたびれ》になりました。これ|御覧《ごらん》なさいませ、|一方《いつぱう》のコンパスがチツと|許《ばか》り|破損《はそん》|致《いた》しまして、|此《この》|手槍《てやり》をコンパス|代用《だいよう》に、|無理槍《むりやり》にここ|迄《まで》|下《くだ》つて|来《き》た|所《ところ》です、|此処《ここ》でゆつくりと|休《やす》んで|行《ゆ》かうと|思《おも》つて|楽《たのし》んで|参《まゐ》りました。|良《い》い|所《ところ》でお|目《め》にかかりました。|世《よ》の|中《なか》は|相身互《あひみたがひ》だから、|貴方《あなた》も|赤十字班《せきじふじはん》の|衛生隊《ゑいせいたい》と|思召《おぼしめ》して|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》の|看護《かんご》をして|下《くだ》さいな。|見《み》れば|貴方《あなた》のお|召物《めしもの》には|丸《まる》に|十《じふ》がついてゐる。キツと|白十字社《はくじふじしや》の|救護班《きうごはん》と|思《おも》ひますが、|違《ちが》ひますかな』
|五三公《いそこう》『アハヽヽヽ|此奴《こいつ》ア|面白《おもしろ》い|吾《わが》|党《たう》の|士《し》だ。オイ、コンパスの|破損《はそん》|先生《せんせい》、ドクトルが|一《ひと》つ|診察《しんさつ》をしてやらう』
マツ|公《こう》『イヤ|其奴《そいつ》ア|有難《ありがた》い、|何分《なにぶん》|宜《よろ》しう|頼《たの》みます。|敵《てき》と|云《い》ひ|味方《みかた》といふのも、|人間《にんげん》が|勝手《かつて》につけた|名称《めいしよう》で、ヤツパリ|神様《かみさま》の|目《め》から|見《み》れば|皆《みな》|兄弟《きやうだい》だからなア』
|純公《すみこう》『ヤアま|一人《ひとり》|負傷者《ふしやうしや》があるぢやないか』
マツ|公《こう》『ハイこれはタツと|言《い》ひまして、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|秘書役《ひしよやく》ですよ。|私《わたし》も|一寸《ちよつと》|新米《しんまい》ではあるが、|夏《なつ》でもないのに、【ヒシヨ】(|避暑《ひしよ》)をやつて|居《を》ります。アハヽヽヽ、まだまだ|七八人《しちはちにん》の|負傷者《ふしやうしや》が|谷底《たにそこ》に|呻吟《しんぎん》してゐますから、|一《ひと》つ|担架隊《たんかたい》でも|出《だ》して、|此処《ここ》まで|持《も》ち|運《はこ》び、|此《この》|祠《ほこら》を|臨時《りんじ》|野戦《やせん》|病院《びやうゐん》として、|治療《ちれう》を|与《あた》へてやつて|貰《もら》ひたいものですなア。|三五教《あななひけう》は|敵《てき》でも|助《たす》けるといふ|教《をしへ》だと|聞《き》いたから、|此《この》マツ|公《こう》もスツカリと|気《き》を|許《ゆる》し、|親《おや》の|側《そば》へ|帰《かへ》つて|来《き》たやうな|気分《きぶん》になりました』
|何程《なにほど》|憎《にく》い|敵《てき》でも|悪人《あくにん》でも、|向《むか》ふの|方《はう》から|打解《うちと》け、|開《あ》けつ|放《はな》しでやつて|来《こ》られると|人間《にんげん》といふものは|妙《めう》なもので、|何《なん》となく|贔屓《ひいき》がつき、|吾《わが》|身《み》を|忘《わす》れて|助《たす》けてやりたくなるものである。バラモン|教《けう》のマツ|公《こう》、タツ|公《こう》は|流石《さすが》に|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|秘書《ひしよ》を|勤《つと》むる|丈《だけ》あつて、|先《さき》んずれば|人《ひと》を|制《せい》するといふ|筆法《ひつぱふ》を|能《よ》く|呑込《のみこ》んでゐた。|其《その》|実《じつ》は|酢《す》でも|蒟蒻《こんにやく》でもいかぬ【しれ】|者《もの》なのだ。|五三公《いそこう》、|純公《すみこう》もそんなことを|知《し》らぬ|様《やう》な|馬鹿《ばか》ではないが、|敵《てき》の|方《はう》から|斯《こ》う|出《で》られると、|知《し》らず|識《し》らずの|間《あひだ》に|受太刀《うけだち》にならざるを|得《え》ないのであつた。
|五三公《いそこう》『|三五教《あななひけう》|独特《どくとく》の|鎮魂《ちんこん》の|妙術《めうじゆつ》を|施《ほどこ》してやるから、|先《ま》づそこで|横《よこ》になつて|見《み》よ』
マツ|公《こう》『イヤ|有難《ありがた》う、|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》はさうなくてはならぬ。|如何《いか》にも|良《い》い|教《をしへ》だなア。|博愛《はくあい》|主義《しゆぎ》だ。あゝ|敵《てき》|乍《なが》ら|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、カタキ|乍《なが》ら|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|五三公《いそこう》『アハヽヽヽ|此奴《こいつ》ア|面白《おもしろ》い|奴《やつ》だ。|遺憾《ゐかん》|乍《なが》ら|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。イヤイヤ|乍《なが》ら|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。|仕方《しかた》がない|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
マツ|公《こう》『アハヽヽヽアイタヽヽヽ、|余《あま》り|笑《わら》ふと、|骨《ほね》に|響《ひび》いて|痛《いた》くて|仕方《しかた》がないワ。オイ、タツ|公《こう》、|貴様《きさま》も|一《ひと》つ|治療《ちれう》を|受《う》けないか、|何程《なにほど》|大治療《だいちれう》を|受《う》けても|薬礼《やくれい》も|要《い》らず、|入院料《にふゐんれう》も|要《い》らぬのだから、|嬶《かか》の|湯巻《ゆまき》まで|六一銀行《ろくいちぎんかう》へ|無期徒刑《むきとけい》にやる|必要《ひつえう》もなし、|極《きは》めて|安全《あんぜん》なものだぞ』
タツ|公《こう》『|俺《おれ》の|傷《きず》は|余程《よほど》|深《ふか》いのだから、さう|直《ぢき》に|治《なほ》らうかなア』
|五三公《いそこう》『さう|心配《しんぱい》をするな。|俺《おれ》の|技術《ぎじゆつ》を|信用《しんよう》してくれ。|白十字《はくじふじ》|病院長《びやうゐんちやう》、|死学博士《しがくはくし》だ、|千人《せんにん》の|患者《くわんじや》を|扱《あつか》つたら、|九百九十九人《くひやくくじふくにん》までは|皆《みな》|霊壇《れいだん》へ|直《なほ》し、|墓場《はかば》へ|送《おく》るのだから、|死学博士《しがくはくし》といふのだよ、|随分《ずゐぶん》|偉《えら》い|者《もの》だらう。そして|天国《てんごく》へ|復活《ふくくわつ》さしてやるのだ。|生《い》かさうと|殺《ころ》さうと|自由自在《じいうじざい》、|耆婆扁鵲《きばへんじやく》も|跣足《はだし》で|逃《に》げるといふ|大博士《だいはくし》だからなア。ウツフヽヽヽ』
マツ|公《こう》『いい|加減《かげん》に|洒落《しやれ》をやめて、|早《はや》く|俺《おれ》の|苦痛《くつう》を|助《たす》けて|呉《く》れないか。|白十字《はくじふじ》|病院《びやうゐん》の|金看板《きんかんばん》を|掲《かか》げ|乍《なが》ら|俺《おれ》の|苦痛《くつう》を|外《よそ》にみて、|仁術者《じんじゆつしや》の|身分《みぶん》としてクツクツと|笑《わら》ふ|奴《やつ》があるかい、エーン、|余程《よほど》|此《この》|医者《いしや》は|筍《たけのこ》と|見《み》えるなア』
|純公《すみこう》『|副院長《ふくゐんちやう》の|俺《おれ》がタツ|公《こう》の|治療《ちれう》をするから、|五三公《いそこう》さま|否《いな》|院長《ゐんちやう》さま、|貴方《あなた》はマツ|公《こう》を|受持《うけも》つて、|完全無欠《くわんぜんむけつ》なコンパスにしてやつて|下《くだ》さい。どちらが|早《はや》く|癒《なほ》るか|一《ひと》つ|競走《きやうそう》をやつて|見《み》ませうかなア。|有名《いうめい》な|死学博士《しがくはくし》|計《ばか》りがよつて|居《ゐ》るのだからなア、アハヽヽヽ』
マツ、タツ|一度《いちど》に『ウツフヽヽヽ、アイタヽヽヽ、アハヽヽヽ、アイタヽヽヽ』
マツ|公《こう》『コリヤ|余《あま》り|笑《わら》はして|呉《く》れない』
|純公《すみこう》『|笑《わら》ふのは|病気《びやうき》の|薬《くすり》だ。|笑《わら》ふ|門《かど》には|恢復《くわいふく》|来《きた》るといつてな、|俺《おれ》は|笑《わら》はすのが|得意《とくい》だ。それが|医術《いじゆつ》の|奥《おく》の|手《て》だよ。イヒヽヽヽ』
マツ|公《こう》『モシモシ|院長《ゐんちやう》さま、どうぞ|早《はや》う|治療《ちれう》にかかつて|下《くだ》さいな』
|五三公《いそこう》『|貴様《きさま》の|内《うち》には|家《いへ》もあるだろ。|田地《でんぢ》も|倉《くら》も|林《はやし》もあるだらうなア』
マツ|公《こう》『|俺《おれ》だつて|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|秘書役《ひしよやく》を|勤《つと》める|位《くらゐ》だから、|相当《さうたう》の|地位《ちゐ》も|名望《めいばう》も|財産《ざいさん》も|持《も》つてゐるわい』
|五三公《いそこう》『ウンさうか、|其奴《そいつ》ア|掘出《ほりだ》し|者《もの》だ。|早速《さつそく》|癒《なほ》すと|俺《おれ》の|商売《しやうばい》が|干上《ひあが》つて|了《しま》うワイ。コーツと、いつやらの|話《はなし》だ……|或《ある》|所《ところ》に|医者《いしや》があつた、|大変《たいへん》ようはやる|医者《いしや》で、|山井養仙《やまゐやうせん》さまといつて|名高《なだか》いものだつた、|其奴《そいつ》に|一人《ひとり》の|山井養洲《やまゐやうしう》といふ|弟子《でし》があつた。そこへ|土地《とち》の|富豪《ふがう》が|病気《びやうき》に|罹《かか》り|養仙《やうせん》の|薬《くすり》を|服用《ふくよう》してゐた。|少《すこ》し|快《よ》くなると|又《また》|悪《わる》くなる、|又《また》|快《よ》くなる|又《また》|悪《わる》くなる。|三年《さんねん》|許《ばか》りもブラブラして、|養仙《やうせん》の|薬《くすり》を|神《かみ》のやうに|思《おも》つて|服薬《ふくやく》してゐた。|或時《あるとき》|養仙《やうせん》が|二三日《にさんにち》|急用《きふよう》が|出来《でき》て、|他行《たぎやう》した|不在《ふざい》の|間《ま》に、|書生《しよせい》の|養洲《やうしう》|奴《め》|其《その》|男《をとこ》を|留守《るす》|師団長《しだんちやう》|気分《きぶん》で|診察《しんさつ》し、|薬《くすり》をもり|与《あた》へた|所《ところ》、|三日目《みつかめ》にスツカリ|全快《ぜんくわい》してお|礼《れい》にやつて|来《き》よつた。|四五日《しごにち》たつと、|養仙《やうせん》|先生《せんせい》が|帰宅《きたく》したので、|書生《しよせい》の|養洲《やうしう》|奴《め》、したり|顔《がほ》で……|先生《せんせい》あの|松兵衛《まつべゑ》を、|貴方《あなた》の|不在中《るすちう》|私《わたし》が|診察《しんさつ》して|薬《くすり》をもりましたら、|三日目《みつかめ》にスツカリ|全快《ぜんくわい》し、|最早《もはや》|薬《くすり》に|親《した》しむ|必要《ひつえう》がないから、お|礼《れい》に|来《き》ましたと|云《い》つて、|薬価《やくか》を|勘定《かんぢやう》し、チツと|許《ばか》り|菓子料《くわしれう》を|置《お》いて|帰《かへ》りました。これが|菓子料《くわしれう》で|厶《ござ》いますと|差出《さしだ》し、|褒《ほ》められるかと|思《おも》ひの|外《ほか》|養仙《やうせん》は|目《め》に|角《かど》を|立《た》て……|大馬鹿者《おほばかもの》ツ、|貴様《きさま》は|医者《いしや》の|資格《しかく》はない……と|呶鳴《どな》りつけた。そこで|養洲《やうしう》が【むき】になり……|医者《いしや》は|仁術《じんじゆつ》といつて、|人《ひと》の|病気《びやうき》を|助《たす》けるのが|商売《しやうばい》ぢやありませぬか、|何故《なぜ》お|叱《しか》り|遊《あそ》ばすか……といへば、|養仙《やうせん》は|一寸《ちよつと》ダラ|助《すけ》をねぶつたやうな|顔《かほ》して……|貴様《きさま》は|馬鹿《ばか》だなア。|松兵衛《まつべゑ》の|内《うち》にはまだ|倉《くら》もある、|家《いへ》も|山林《さんりん》|田畑《でんぱた》も|残《のこ》つて|居《ゐ》るぢやないか、エーン、さう|早《はや》く|癒《なほ》して|何《ど》うなるか、|彼奴《あいつ》の|財産《ざいさん》が|全部《ぜんぶ》|俺《おれ》の|懐《ふところ》へ|這入《はい》るまでは|癒《なほ》されぬのだ、バカツ……と|言《い》つたさうだ、|実《じつ》に|偉《えら》い|医者《いしや》だ。|其《その》|心得《こころえ》がなくては、|如何《どう》しても|院長《ゐんちやう》にはなれないワ。さうだから|俺《おれ》も|其《その》|養仙《やうせん》さまに|做《なら》つて、|貴様《きさま》の|負傷《ふしやう》を|如何《どう》ともヨウセンのだ、アハヽヽヽ、イヒヽヽヽ』
マツ|公《こう》『エヘヽヽヽ、イヽイタイ イタイ イタイ イタイ、ウツフヽヽアイタヽヽヽ』
タツ|公《こう》『エヘヽヽヽアイタヽヽヽ』
|純公《すみこう》『それ|丈《だけ》|笑《わら》つたら、やがて|本復《ほんぷく》するだらう。マア|安心《あんしん》したがいいワ』
タツ|公《こう》『オイ|藪医先生《やぶいせんせい》、|何時《いつ》になつたら|癒《なほ》るだらうかなア』
|純公《すみこう》『マアマア|一寸《ちよつと》|予後不良《よごふりやう》だから、|計算《けいさん》がつかぬワイ。すべて|病《やまひ》には……エヘン……|二大別《にだいべつ》がある。|一《いち》を|先天性《せんてんせい》|疾病《しつぺい》といひ、|一《いち》を|後天性《こうてんせい》|疾病《しつぺい》と|云《い》ふ。|而《しか》して|予後良《よごりやう》あり|不良《ふりやう》あり、|良不良《りやうふりやう》を|決《けつ》し|難《がた》きものありだ。|治《ぢ》すべき|病《やまひ》と、|治《ぢ》すべからざる|病《やまひ》と、|治不治《ぢふぢ》を|決《けつ》し|難《がた》き|病《やまひ》と、|自然《しぜん》に|放擲《はうてき》して|置《お》いて|癒《なほ》る|病《やまひ》と|四種類《よんしゆるゐ》ある。それから|内科《ないくわ》|外科《げくわ》|産科《さんくわ》と|分《わか》れてゐる。|又《また》|婦人科《ふじんくわ》|小児科《せうにくわ》といふのも|此《この》|頃《ごろ》はふえて|来《き》た。そして|薬《くすり》には|内服用《ないふくよう》|外用《ぐわいよう》と|大別《たいべつ》され、|頓服剤《とんぷくざい》も|必要《ひつえう》があり、|食塩《しよくえん》|注射《ちうしや》にモルヒネ|注射《ちうしや》、|此《この》|頃《ごろ》は|六〇六注射《ろくぴやくろくちうしや》|迄《まで》|開《ひら》けて|来《き》たのだ、エーン。|随分《ずゐぶん》|医者《いしや》になるのも|学資《がくし》が|要《い》るよ。(|狂歌《きやうか》)|千人《せんにん》を|殺《ころ》して|医者《いしや》になる|奴《やつ》は、|己《おのれ》|一人《ひとり》の|口《くち》すぎもならず……といふのだから、|俺《おれ》だつて|今《いま》まで|九百九十九人《くひやくくじふくにん》まで|殺《ころ》してきたのだ。モ|一人《ひとり》|殺《ころ》せば|一人前《いちにんまへ》の|医者《いしや》になるのだ。それだから|丁度《ちやうど》|貴様《きさま》を|一人《ひとり》|霊前《れいぜん》に|直《なほ》す、|有体《ありてい》にいへば|殺《ころ》すのだ。そこで|始《はじ》めて|此《この》|純公《すみこう》も|一人前《いちにんまへ》のドクトルになるのだからなア。|何《なん》とよい|研究《けんきう》|材料《ざいれう》が|出来《でき》たものだ。アハヽヽヽ』
マツ|公《こう》『アハヽヽヽ|何時《いつ》の|間《ま》にか|俺《おれ》の|足痛《そくつう》は|尻《しり》に|帆《ほ》かけて|遁走《とんそう》したと|見《み》えるワイ。オイ、タツ|公《こう》|貴様《きさま》もいい|加減《かげん》に|癒《なほ》つたら|如何《どう》だ。イヒヽヽヽ』
|五三公《いそこう》『コリヤなまくらな、|足痛《そくつう》の|真似《まね》をしてゐたのだな。|仕方《しかた》のない|奴《やつ》だ』
マツ|公《こう》『さうだから、|痛《いた》いか|痛《いた》くないか|診察《しんさつ》してくれと|云《い》つたぢやないか。|実《じつ》の|所《ところ》は|負傷者《ふしやうしや》だといつて、お|前達《まへたち》の|同情《どうじやう》を|買《か》ひ、ここを|無事《ぶじ》に|通過《つうくわ》する|積《つも》りだつたが、|余《あま》り|貴様《きさま》の|言分《いひぶん》が|気《き》にいつたから、|何《なに》もかも|白状《はくじやう》するワ。|実《じつ》は|全軍《ぜんぐん》の|逃走《たうそう》した|後始末《あとしまつ》をつけて|帰《かへ》つて|来《き》たのだ。|足《あし》はかうして|繃帯《はうたい》で|巻《ま》いてゐるが、チツとも|怪我《けが》してゐないのだよ、のうタツ|公《こう》、アハヽヽヽ』
|五三公《いそこう》『アハヽヽこいつア|誤診《ごしん》だつた』
マツ|公《こう》『|誤診《ごしん》か|御親切《ごしんせつ》か|知《し》らぬが、|打診《だしん》もないやうだつたね』
|五三公《いそこう》『|随分《ずゐぶん》|聴診《ちやうしん》にのつて|大変《たいへん》な|失敗《しつぱい》をした。サア|之《これ》から|貴様《きさま》も|望診々々《ぼしんぼしん》と|行《い》つたらどうだ。|問診《もんしん》も|道《みち》で|片彦《かたひこ》に|会《あ》うたら、|死学博士《しがくはくし》が|宜《よろ》しう|言《い》つて|居《ゐ》たと|言《い》うて|呉《く》れ、アーン』
マツ|公《こう》『オイオイ|院長《ゐんちやう》さま、なぜ|鼻《はな》の|下《した》をさう|撫《な》でてゐるのだ。|妙《めう》な|恰好《かつかう》ぢやないか』
|五三公《いそこう》『ウン|之《これ》かい。|髭《ひげ》はないけれど、|気分《きぶん》だけは|八《はち》の|字《じ》|髯《ひげ》を|揉《も》んでゐる|積《つも》りだ。アハヽヽ』
|純公《すみこう》『オイ、モウ|病院《びやうゐん》|遊《あそ》びはやめにしようかい。そしてゆつくりと|軍話《いくさばなし》でもしたらどうだ。|随分《ずゐぶん》|面白《おもしろ》いだらうよ』
マツ|公《こう》『|敗軍《はいぐん》の|将《しやう》、|兵《へい》を|語《かた》る……かな。|葬礼《さうれい》すんで|医者話《いしやばなし》と|同《おな》じ|事《こと》だが、これも|成行《なりゆき》だ。ここで|一《ひと》つ|物語《ものがたり》をやつてみよう。|随分《ずゐぶん》|潔《いさぎよ》いぞ、エツヘヽヽヽ』
|五三公《いそこう》『|何《なん》と|気楽《きらく》な|奴《やつ》が|揃《そろ》うたものだなア。|丁度《ちやうど》|祠《ほこら》の|前《まへ》で|四人《よにん》|打揃《うちそろ》ひ、|軍談《ぐんだん》を|始《はじ》めるのも|面白《おもしろ》からう。アヽ|愉快《ゆくわい》だ|愉快《ゆくわい》だ』
マツ|公《こう》は|講談師《かうだんし》|気取《きどり》になつて|長方形《ちやうはうけい》の|岩《いは》の|前《まへ》に|坐《すわ》り、|鉄扇《てつせん》にて|岩《いは》をビシヤビシヤ|叩《たた》き|乍《なが》ら|唸《うな》り|出《だ》した。
『ハルナの|都《みやこ》に|名《な》も|高《たか》き、|梵天帝釈自在天《ぼんてんたいしやくじざいてん》、|大黒主《おほくろぬし》といふ|智勇《ちゆう》|兼備《けんび》の|勇将《ゆうしやう》あり。それに|従《したが》ふ|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》、|綺羅星《きらほし》の|如《ごと》く|立《た》ち|並《なら》び、|中《なか》にもわけて|大黒主《おほくろぬし》の|三羽烏《さんばがらす》と|聞《きこ》えたる|鬼春別《おにはるわけ》|将軍《しやうぐん》、|大足別《おほだるわけ》|将軍《しやうぐん》、マツ|公《こう》|将軍《しやうぐん》こそは|英雄中《えいゆうちう》の|英雄《えいゆう》なり。|此《この》|度《たび》|斎苑《いそ》の|館《やかた》に|天地《てんち》に|輝《かがや》く|神徳《しんとく》|高《たか》き、|酒《さけ》の|燗素盞嗚尊《かんすさのをのみこと》、|数多《あまた》の|軍勢《ぐんぜい》を|引《ひき》つれ、アブナイ|教《けう》を|組織《そしき》して、|大黒主《おほくろぬし》の|守《まも》らせ|給《たま》ふ、|天《てん》に|輝《かがや》く|月《つき》の|国《くに》、|五天竺《ごてんぢく》をば|蹂躙《じうりん》し|勢《いきほひ》|益々《ますます》|猖獗《しやうけつ》を|極《きは》め|天下《てんか》は|騒然《さうぜん》として|麻《あさ》の|如《ごと》くに|乱《みだ》れ、|人民《じんみん》|塗炭《とたん》の|苦《く》に|陥《おちい》りぬ。|然《しか》る|所《ところ》へ、|又《また》もやデカタン|高原《かうげん》の|北方《ほつぱう》なるカルマタ|国《こく》に、|盤古神王《ばんこしんわう》|塩長彦《しほながひこ》を|奉《ほう》じて|現《あら》はれ|出《い》でたる、ウラル|教《けう》の|常暗彦《とこやみひこ》が|軍勢《ぐんぜい》、|雲霞《うんか》の|如《ごと》く、|地教山《ちけうざん》を|背景《はいけい》とし、|集《あつ》まりゐる。|今《いま》や|天下《てんか》は|三分《さんぶん》せむとするの|勢《いきほひ》なれば、|何条《なんでう》|以《もつ》て|大黒主《おほくろぬし》の|許《ゆる》し|給《たま》ふべき、|三羽烏《さんばがらす》を|征夷大将軍《せいいたいしやうぐん》に|任《にん》じ、|大足別《おほだるわけ》はカルマタ|国《こく》へ、|鬼春別《おにはるわけ》は|斎苑館《いそやかた》へ、テンデに|部署《ぶしよ》を|定《さだ》め、|進軍《しんぐん》の|真最中《まつさいちう》なり。|秋《あき》は|漸《やうや》く|深《ふか》くして|木々《きぎ》の|梢《こずゑ》はバラバラバラバラ、|散《ち》りゆく|無残《むざん》の|光景《くわうけい》を|心《こころ》にもとめず、|数多《あまた》の|軍勢《ぐんぜい》|率《ひき》つれて、|先鋒隊《せんぽうたい》には|片彦《かたひこ》|久米彦《くめひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》、あとから|出《で》て|来《く》る|一部隊《いちぶたい》は、ランチ|将軍《しやうぐん》、|数千騎《すうせんき》を|率《ひき》ゐ、|最後《さいご》の|本隊《ほんたい》は|鬼春別《おにはるわけ》|将軍《しやうぐん》、|全軍《ぜんぐん》を|指揮《しき》し、|秋風《しうふう》に|三《みつ》つ|葉《ば》|葵《あふひ》の|旗《はた》を|林《はやし》の|如《ごと》く|翻《ひるがへ》し|乍《なが》ら|旗鼓堂々《きこだうだう》と|攻《せ》め|来《きた》る|其《その》|物々《ものもの》しさ|鬼神《きしん》も|驚《おどろ》く|許《ばか》り|也《なり》。|先陣《せんぢん》に|仕《つか》へし|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》は|今《いま》や|河鹿峠《かじかたうげ》の|絶頂《ぜつちやう》に、|全軍《ぜんぐん》を|指揮《しき》し|轡《くつわ》を|並《なら》べ、|蹄《ひづめ》の|音《おと》カツカツカツ、|鈴《すず》の|音《おと》シヤンコ シヤンコと、|威風堂々《ゐふうだうだう》あたりを|払《はら》ひ|天地《てんち》を|圧《あつ》して|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|百千万《ひやくせんまん》の|阿修羅王《あしゆらわう》が|進軍《しんぐん》も|斯《か》くやと|思《おも》はれにける。|然《しか》る|所《ところ》に|豈計《あにはか》らむや、|思《おも》ひがけなや、アタ|恐《こは》や、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|治国別《はるくにわけ》、|万公《まんこう》、|晴公《はるこう》、|五三公《いそこう》の|木端武者《こつぱむしや》を|引《ひき》つれ、|一卒《いつそつ》|之《これ》を|守《まも》れば|万卒《ばんそつ》|進《すす》む|能《あた》はざる|嶮路《けんろ》を|扼《やく》し、|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|言霊《ことたま》を|速射砲《そくしやはう》の|如《ごと》く|打《うち》かけ、|向《むか》ひ|来《く》る|其《その》|勢《いきほひ》の|凄《すさま》じさ。|不意《ふい》を|喰《くら》つて|味方《みかた》の|軍卒《ぐんそつ》、|忽《たちま》ち|総体《そうたい》|崩《くづ》れ、|狼狽《うろた》へ|騒《さわ》いで、|元来《もとき》し|道《みち》へと、|馬《うま》を|乗《の》り|棄《す》て、|風《かぜ》に|木《こ》の|葉《は》の|散《ち》る|如《ごと》く、バラバラバツと、|群《むれ》ゐる|千鳥《ちどり》|群千鳥《むらちどり》、あはれ|果敢《はか》なき|次第《しだい》|也《なり》。|無念《むねん》の|涙《なみだ》を|押《おさ》へ|乍《なが》ら、バラモン|軍《ぐん》の|武運《ぶうん》のつたなきを|嘆《なげ》き|悲《かな》しみ、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|秘書官《ひしよくわん》、マツ|公《こう》タツ|公《こう》|両人《りやうにん》は、|騒《さわ》がず、|焦《あせ》らず|悠々然《いういうぜん》として、|戦場《せんぢやう》の|後《あと》を|片《かた》づけ、|負傷者《ふしやうしや》と|詐《いつは》つて、ここ|迄《まで》やうやう|帰《かへ》りける。アハヽヽヽ、エー|後《あと》は|如何《いかが》なりまするか、|実地《じつち》|検分《けんぶん》の|上《うへ》ボツーボツと|講談《かうだん》|仕《つかまつ》りますれば、|明晩《みやうばん》は|何卒《なにとぞ》|十二分《じふにぶん》の|御《ご》ヒイキを|以《もつ》て、|賑々《にぎにぎ》しく|御来聴《ごらいちやう》あらむことを|希望《きばう》いたします。チヨン チヨン チヨンだ』
|五三公《いそこう》、|純公《すみこう》、タツ|公《こう》|一度《いちど》に|大口《おほぐち》をあけ、
『アハヽヽヽ』
と|腹《はら》を|抱《かか》へ、|転《ころ》げて|笑《わら》ふ。
(大正一一・一一・二八 旧一〇・一〇 松村真澄録)
第一四章 |忍《しの》び|涙《なみだ》〔一一六五〕
|祠《ほこら》の|前《まへ》には|四人《よにん》の|敵味方《てきみかた》|頤《あご》の|紐《ひも》を|解《ほど》いて|他愛《たあい》もなく|笑《わら》ひ|興《きよう》じてゐる。
|五三公《いそこう》『ヤア|随分《ずゐぶん》バラモン|教《けう》にも|面白《おもしろ》い|男《をとこ》が|混入《こんにふ》してゐるね。|俺《おれ》も|今日《けふ》は|本当《ほんたう》に|睾丸《きんたま》の|皺伸《しわのば》しをしたよ。|旅《たび》と|云《い》ふものは|愉快《ゆくわい》なものだなア』
マツ|公《こう》『|俺《おれ》だつてこんな|面白《おもしろ》い|動物《どうぶつ》に|出会《であ》つたのは|今日《けふ》が|初《はじ》めてだ。チツトも|戦争《せんそう》|気分《きぶん》がせないわ。まるで|喜劇《きげき》をロハで|見《み》てゐるやうだつた。|一層《いつそう》の|事《こと》、|俺《おれ》も|秘書役《ひしよやく》を|止《や》めて|喜劇師《きげきし》となりハルナの|都《みやこ》の|大劇場《だいげきぢやう》で|一《ひと》つ|腕《うで》を|揮《ふる》つて|見度《みた》くなつた』
|五三公《いそこう》『そりや|貴様《きさま》のスタイルと|云《い》ひ、|饒舌《ぜうぜつ》と|云《い》ひ、|気転《きてん》の|利《き》く|点《てん》から|滑稽諧謔《こつけいかいぎやく》を、のべつ|幕《まく》なしに|吹《ふ》き|立《た》てる|点《てん》は|随分《ずゐぶん》|見上《みあ》げたものだ。|屹度《きつと》|千両《せんりやう》|役者《やくしや》になれるかも|知《し》れぬよ』
マツ|公《こう》『ナーニ|駄目《だめ》だ。|斎苑《いそ》の|館《やかた》を|千両《せんりやう》(|占領《せんりやう》)|役者《やくしや》と|出掛《でか》けた|処《ところ》、こんな|嵐《あらし》に|吹《ふ》き|散《ち》らされ、|惨《みぢ》めな|敗軍《はいぐん》をやつたのだからな』
|五三公《いそこう》『さうだから|貴様《きさま》は|軍人《ぐんじん》には|適《てき》しないのだ。|如何《どう》しても|役者《やくしや》|代物《しろもの》だよ』
マツ|公《こう》『さうかな、|何《なん》だか|俺《おれ》もさう|聞《き》くと|役者《やくしや》を|志願《しぐわん》したくなつた。こんな|殺風景《さつぷうけい》な、|何時《いつ》|首《くび》が|飛《と》ぶかも|知《し》れぬ|様《やう》な|危険《きけん》|千万《せんばん》な|商売《しやうばい》は|嫌《いや》になつて|了《しま》つたよ』
|五三公《いそこう》『そんなら|俺《おれ》と|此処《ここ》で|会《あ》うたのも|何《なに》かの|因縁《いんねん》だらうから、|一《ひと》つ|奮発《ふんぱつ》して|改心《かいしん》とでかけ|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》のお|供《とも》となつたら|如何《どう》だ。|修業《しうげふ》が|出来《でき》た|上《うへ》は|又《また》|宣伝使《せんでんし》となれぬとも|限《かぎ》らぬからな』
マツ|公《こう》『ヤ、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》のお|供《とも》も|駄目《だめ》だ。|猿《さる》に|目《め》を|引《ひつ》かかれたり、|捕虜《とりこ》にせられて|岩窟《いはや》の|中《なか》へ|打《ぶ》ち|込《こ》まれる|様《やう》な|事《こと》になると、さつぱり|詮《つま》らぬからな、アハヽヽヽ』
|純公《すみこう》は|膝《ひざ》をにじり|寄《よ》り、グツとマツ|公《こう》の|右手《めて》を|握《にぎ》り|声《こゑ》を|慄《ふる》はして、
『|何《なに》、|貴様《きさま》、|誰《たれ》にそんな|事《こと》を|聞《き》いたのだ。チと|可笑《をか》しいぢやないか。|何《なに》も|彼《か》も|此処《ここ》で|白状《はくじやう》しろ』
マツ|公《こう》『|誰《たれ》にも|聞《き》きやせぬわい。|宣伝使《せんでんし》のお|供《とも》して|居《ゐ》た|伊太公《いたこう》を|捕虜《ほりよ》にして|訊問《じんもん》した|所《ところ》、|俺《おれ》の|先生《せんせい》の|玉国別《たまくにわけ》さまは|猿《さる》に|目《め》を|引掻《ひつか》かれたと|白状《はくじやう》したのだよ』
|純公《すみこう》『その|伊太公《いたこう》は|一体《いつたい》|何処《どこ》に|居《ゐ》るのだ。|貴様《きさま》|知《し》つてるだらう。サア|早《はや》く|白状《はくじやう》せぬかい』
マツ|公《こう》『そりや|知《し》つてる。|然《しか》し|乍《なが》ら|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》から|秘密《ひみつ》を|守《まも》れと|云《い》はれてゐるのだから|如何《どう》しても|所在《ありか》は|云《い》ふ|事《こと》は|出来《でき》ないわい。|併《しか》し|乍《なが》ら|生命《いのち》には|別条《べつでう》ないから|安心《あんしん》するが|宜《よ》からう。|彼奴《あいつ》は|何《なん》でも|尋《たづ》ねされすればベラベラ|喋《しやべ》るから|大変《たいへん》|重宝《ちようほう》だと|云《い》つてバラモン|教《けう》の|連中《れんちう》が|岩窟《いはや》に|入《い》れ|毎日《まいにち》|酒《さけ》を|飲《の》まして|酔《よ》はして|斎苑館《いそやかた》の|秘密《ひみつ》を|皆《みんな》して|聞《き》く|事《こと》にしてゐるのだ。あんなに|口《くち》の|軽《かる》い|奴《やつ》は|本当《ほんたう》に|困《こま》つたものだね。|尋《たづ》ねもせぬのに|猿《さる》に|掻《か》かれた|事《こと》もベラベラ|喋《しやべ》つて|了《しま》つたのだ。さうだから|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》も|久米彦《くめひこ》|将軍《しやうぐん》も|玉国別《たまくにわけ》が|負傷《ふしやう》したと|聞《き》いて|大安心《だいあんしん》の|体《てい》で|河鹿峠《かじかたうげ》を|登《のぼ》つて|行《い》つたのだ。さうした|処《ところ》が|前門《ぜんもん》の|狼《おほかみ》は|弱《よわ》りよつたが|後門《こうもん》の|虎《とら》に|出会《でくは》し|昨日《ゆうべ》のあの|敗軍《はいぐん》だ』
|純公《すみこう》『|何《なん》と|貴様《きさま》も|尋《たづ》ねもせぬ|事《こと》に|秘密《ひみつ》をベラベラ|喋《しやべ》るぢやないか。|伊太公《いたこう》|以上《いじやう》だぞ』
マツ|公《こう》『ナニ、|斯《か》うして|貴様等《きさまたち》と|兄弟《きやうだい》|同様《どうやう》になつたのだから、それ|位《ぐらゐ》の|秘密《ひみつ》は|喋《しやべ》つたつて|宜《い》いぢやないか。|怪我《けが》もしとらぬ|足《あし》を|癒《なほ》して|呉《く》れた|親切《しんせつ》なお|前《まへ》だからな、アハヽヽヽ』
|五三公《いそこう》『そこ|迄《まで》|打解《うちと》けた|以上《いじやう》は|伊太公《いたこう》の|所在《ありか》を|知《し》らしても|宜《い》いぢやないか。どつと|奮発《ふんぱつ》して|祠《ほこら》の|神様《かみさま》へ|寄附《きふ》すると|思《おも》つて|伊太公《いたこう》の|所在《ありか》を|奏上《そうじやう》せぬかい。|御神殿《ごしんでん》に……エーン』
マツ|公《こう》『オイ、タツ|公《こう》、|如何《どう》しようかな。|何《なん》だか|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》に|済《す》まない|様《やう》な|気《き》がするぢやないか』
タツ|公《こう》『ウン|何《なん》だか|不徳義《ふとくぎ》の|様《やう》で|言《い》はれないな。|秘密《ひみつ》の|守《まも》れぬ|様《やう》な|男《をとこ》は|男子《をとこ》でないからな』
|純公《すみこう》『そんな|出《だ》し|惜《をし》みをせずに|打《う》たぬ|博奕《ばくち》に|負《ま》けたと|思《おも》つてどうだ、アツサリと|云《い》つて|呉《く》れたら。|俺《おれ》だつて|友達《ともだち》の|難儀《なんぎ》をジツとして|見逃《みのが》す|訳《わけ》にも|行《ゆ》かぬからな』
マツ|公《こう》『ウン、|云《い》つて|呉《く》れと|云《い》ふのなら|言《い》つてやつてもいいが、|最前《さいぜん》のやうに|頭抑《あたまおさ》へに|白状《はくじやう》せいなどと|呶鳴《どな》りつけると、|俺《おれ》だつて|少《すこ》し|腹《はら》に|虫《むし》があるから、|云《い》ひ|度《た》くても|云《い》へぬぢやないか』
|純公《すみこう》『いや|済《す》まなかつた。そら、さうぢや、|人間《にんげん》は|感情《かんじやう》の|動物《どうぶつ》だからな、|矢張《やつぱり》|穏《おだや》かに|下《した》から|出《で》て|掛合《かけあ》ふのが|利益《りえき》だな』
マツ|公《こう》『ハヽヽヽヽ、|到頭《たうとう》|兜《かぶと》を|脱《ぬ》いでマツ|公《こう》さまの|軍門《ぐんもん》に|降《くだ》ると|云《い》ふ|場面《ばめん》だな。ヨシヨシお|前《まへ》がさう|出《で》りや|俺《おれ》だつて【まんざら】|悪人《あくにん》でもない|事《こと》はないから|人情《にんじやう》に|絆《ほだ》されて、チツと|位《ぐらゐ》は|知《し》らしてやつてもいいわ。|併《しか》し|乍《なが》ら|此《この》マツ|公《こう》は|云《い》はない。|俺《おれ》の|肉体《にくたい》に|憑依《ひようい》してゐる|邪霊《じやれい》が|云《い》ふのだからな。|今後《こんご》|屹度《きつと》マツ|公《こう》に|聞《き》いたなんて|云《い》つちや|不可《いけな》いよ。|悪神《わるがみ》の|守護神《しゆごじん》に|聞《き》いたと|云《い》つて|貰《もら》はぬと|困《こま》るからな』
|五三公《いそこう》『アハヽヽヽ、|中々《なかなか》うまくやりをるわい。|流石《さすが》は|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|秘書役《ひしよやく》だけあるわい。|何《なに》につけても|巧妙《かうめう》なものだ。いや|此《この》|五三公《いそこう》も|大《おほい》に|感服《かんぷく》|仕《つかまつ》つた』
マツ|公《こう》『オイ、|俺《おれ》はバラモン|教《けう》の|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の、やつぱり|部下《ぶか》だから|三五教《あななひけう》のお|前達《まへたち》に|云《い》ふ|訳《わけ》にや|行《ゆ》かない。|何程《なにほど》|邪神《じやしん》だつて|俺《おれ》の|体《からだ》に|憑《つ》いてゐるのだから|直接《ちよくせつ》|三五教《あななひけう》には|明《あか》されない。|兎《と》も|角《かく》|此《この》|祠《ほこら》の|神様《かみさま》に|御祈願《ごきぐわん》するから|其《その》|祝詞《のりと》を|拝聴《はいちやう》する|方《はう》がよからう。|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|呉《く》れ、|谷川《たにがは》へ|下《お》りて|口《くち》を|濺《すす》ぎ|手《て》を|洗《あら》つて|来《く》るから』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|只《ただ》|一人《ひとり》|谷川《たにがは》へ|下《お》り|立《た》ち、|口《くち》や|手《て》を|清《きよ》め|再《ふたた》び|此《この》|祠《ほこら》の|前《まへ》に|帰《かへ》つて|来《き》た。マツ|公《こう》は|二拍手《にはくしゆ》|再拝《さいはい》|終《をは》つて|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し|始《はじ》めた。
『|掛巻《かけまく》も|畏《かしこ》き|祠《ほこら》の|森《もり》に|宮柱太敷建《みやばしらふとしきた》て|高天原《たかあまはら》に|千木《ちぎ》|高《たか》|知《し》りて|堅磐常磐《かきはときは》に|鎮《しづ》まり|給《たま》ふ|大自在天《だいじざいてん》|大国彦《おほくにひこ》の|大前《おほまへ》にバラモン|教《けう》の|軍《いくさ》の|司《つかさ》、|千歳《ちとせ》の|緑《みどり》|栄《さか》えに|栄《さか》ゆマツ|公《こう》|矣《い》|慎《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|畏《かしこ》み|畏《かしこ》みも|白《まを》す。|抑《そもそも》|秋《あき》の|紅葉《もみぢ》は|色《いろ》づき|初《はじ》め|小男鹿《さをしか》の|妻《つま》|恋《こ》ふ|河鹿山《かじかやま》の|水《みづ》|清《きよ》き|谷川《たにがは》の|辺《ほとり》、|十月《じふぐわつ》|十六日《じふろくにち》の|朝日《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》りに|願《ね》ぎまつる。|大黒主《おほくろぬし》の|神《かみ》の|大御言《おほみこと》を|蒙《かかぶ》りて|斎苑《いそ》の|館《やかた》に|鎮《しづ》まり|給《たま》ふ|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》を|言向和《ことむけやは》し|糺《きた》めむとランチ|将軍《しやうぐん》を|初《はじ》めとし|片彦《かたひこ》、|久米彦《くめひこ》|将軍《しやうぐん》、|征討《せいたう》に|百《もも》の|軍《いくさ》を|従《したが》へて|上《のぼ》りましき。|先鋒隊《せんぽうたい》として|両将軍《りやうしやうぐん》は|十五日《じふごにち》の|夕間暮《ゆふまぐれ》、|月《つき》の|輝《かがや》き|渡《わた》る|祠《ほこら》の|前《まへ》に|進《すす》みまし、|暫《しば》し|息《いき》を|休《やす》らひ|兵士《つはもの》の|数《かず》を|調《しら》べ|進軍《しんぐん》の|御歌《みうた》を|歌《うた》ふ|折《をり》しも、|森《もり》の|木蔭《こかげ》より|現《あら》はれ|出《い》でたる、|三五教《あななひけう》の|伊太公《いたこう》|伊《い》、|物《もの》をも|言《い》はず|軍《いくさ》の|群《むれ》に|打《う》ち|入《い》り|縦横無尽《じうわうむじん》に|荒《あ》れ|狂《くる》ひ、|恨《うら》めしくも|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》を|打《う》ち|奉《たてまつ》りたれば|馬《うま》は|驚《おどろ》きて|跳《は》ね|廻《まは》り|飛《と》び|上《あが》り|将軍《しやうぐん》は|佐久奈多里《さくなだり》に|道《みち》の|辺《へ》に|落《お》ち|給《たま》ひぬ。スワ|強者《しれもの》|現《あら》はれたりと、おのれマツ|公《こう》は|其《その》|強者《しれもの》に|組《く》みつき|高手小手《たかてこて》に|縛《いまし》め|三人《みたり》の|軍人《いくさびと》に|護《まも》らせて、|教《をしへ》も|清晴《きよはる》の|山《やま》の|岩窟《いはや》に|隠《かく》しおきぬ。|掛巻《かけまく》も|畏《かしこ》き|皇大神《すめおほかみ》、|厳《いづ》の|御魂《みたま》を|照《て》らさせ|給《たま》ひて|吾《わが》|捕《とら》へたる|伊太公《いたこう》を|何処《どこ》までも|敵《てき》の|手《て》に|帰《かへ》らざる|様《やう》|守《まも》り|幸《さきは》へ|給《たま》へ。|又《また》|大黒主《おほくろぬし》の|軍人《いくさびと》|共《ども》は|一人《ひとり》も|過《あやま》ちなく|平《たひら》けく|安《やす》らけく|守《まも》らせ|給《たま》ひて、|大黒主《おほくろぬし》の|御前《みまへ》に|復言《かへりごと》|申《まを》させ|給《たま》へと|鹿児自物膝折伏《かごじものひざをりふせ》|鵜自物頸根突抜天《うじものうなねつきぬきて》|畏《かしこ》み|畏《かしこ》みも|祈願奉《こひのみまつ》らくと|白《まを》す。かなはぬからたまちはへませ、ポンポン』
|純公《すみこう》『イヤ|斎主《さいしゆ》|御苦労《ごくらう》で|厶《ござ》いました。あゝ|貴方《あなた》の|熱誠《ねつせい》な|御祈願《ごきぐわん》に|感《かん》じ|純公《すみこう》|大明神《だいみやうじん》も|其《その》|願事《ねがひごと》を|隅《すみ》から|隅《すみ》までお|聞《き》きなさつたでせう、アハヽヽヽ』
マツ|公《こう》『エー、|時《とき》にお|前等《まへたち》の|先生《せんせい》は|如何《どう》なつたのだ。|根《ね》つから|其処辺《そこら》にお|姿《すがた》が|見《み》えぬぢやないか』
|純公《すみこう》『|此《この》|森《もり》のチツと|向《むか》ふに|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》、|玉国別《たまくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》と|共《とも》に|三人《さんにん》の|俺達《おれたち》の|友達《ともだち》と|休息《きうそく》して|居《を》られるのだ。|何《なん》なら|面会《めんくわい》したら|如何《どう》だ』
マツ|公《こう》『イヤ、そりや|願《ねが》うてもない|事《こと》だ、おいタツ|公《こう》、どうだ。|一《ひと》つ|拝顔《はいがん》の|栄《えい》を|賜《たまは》つたら』
タツ|公《こう》『そいつア|有難《ありがた》いなア。|何程《なにほど》|神力《しんりき》の|強《つよ》い|恐《おそろ》しい|宣伝使《せんでんし》だつて、よもや|吾々《われわれ》を|頭《あたま》から|噛《かぶ》りもなさるまいからな』
|五三公《いそこう》『|何《なに》、|頭《あたま》から|直《すぐ》にかぶりなさるぞ』
タツ|公《こう》『ヤアそりや|大変《たいへん》だ。まるで|狼《おほかみ》の|様《やう》な|宣伝使《せんでんし》だな』
|五三公《いそこう》『きまつた|事《こと》だよ。|大神《おほかみ》の|教《をしへ》を|伝《つた》ふる|宣伝使《せんでんし》だもの。|頭《あたま》からかぶらいで|如何《どう》して|役《やく》が|勤《つと》まろかい』
タツ|公《こう》『ヤアそいつア|大変《たいへん》だ。おいマツ|公《こう》、|御免《ごめん》|蒙《かうむ》つて|退却《たいきやく》しようぢやないか』
|五三公《いそこう》『アハヽヽヽ|頭《あたま》からかぶると|云《い》ふのは|宣伝使《せんでんし》の|必要《ひつえう》な|古代冠《こだいくわん》だよ』
タツ|公《こう》『なんだ。|吃驚《びつくり》させやがつた。|俺《おれ》だつて|口《くち》からかぶるよ、|無花果《いちぢゆく》や|林檎《りんご》|位《くらゐ》なら、アハヽヽヽ』
|純公《すみこう》『オイ、お|前達《まへたち》|二人《ふたり》は|何処《どこ》ともなしに|親《した》しみのある|男《をとこ》だ。|何《いづ》れバラモン|教《けう》へ|這入《はい》つた|位《くらゐ》だから|一通《ひととほ》りではあるまい。|一《ひと》つ|経歴談《けいれきだん》でも|聞《き》かして|呉《く》れないか』
マツ|公《こう》『ウン、|俺《おれ》の|生《うま》れはな、|実《じつ》はアーメニヤだ』
|五三公《いそこう》『|何《なに》、アーメニヤ?』
マツ|公《こう》『ウン、|其《その》アーメニヤが|不思議《ふしぎ》なのか』
|五三公《いそこう》『|実《じつ》の|所《ところ》は|俺《おれ》の|先生《せんせい》も|純公《すみこう》の|先生《せんせい》も|生《うま》れはアーメニヤだからな』
マツ|公《こう》『アーメニヤの|生《うま》れならウラル|教《けう》ぢやないか。それが|又《また》|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》になつてゐるのか。|俺《おれ》もアーメニヤの|生《うま》れだが|三五教《あななひけう》は|今《いま》におき、|一人《ひとり》も|居《ゐ》やせぬ。チツと|可怪《をか》しいな』
|五三公《いそこう》『|俺《おれ》の|先生《せんせい》はな、|今迄《いままで》は|亀彦《かめひこ》さまと|云《い》つてウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》だつたのだ。さうしてウラル|彦《ひこ》の|神様《かみさま》の|命令《めいれい》で|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》へ|三年《さんねん》も|宣伝《せんでん》に|行《い》つて|厶《ござ》つた|所《ところ》、さつぱり|駄目《だめ》になつて|帰《かへ》る|途中《とちう》フサの|海《うみ》で|難風《なんぷう》に|会《あ》ひ|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|日《ひ》の|出別《でわけ》に|助《たす》けられ、それから|国許《くにもと》へも|帰《かへ》らず|三五教《あななひけう》になつて|了《しま》はれたのだ。そりや|何《なん》とも|神徳《しんとく》の|高《たか》い|先生《せんせい》だぞ』
マツ|公《こう》『|何《なに》、ウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》で|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》へ|宣伝《せんでん》に|行《い》つて|居《を》つた? はてな、そしてその|名《な》が|亀彦《かめひこ》と|云《い》ふのか』
|五三公《いそこう》『ウンさうだ。|随分《ずゐぶん》|以前《いぜん》は|面白《おもしろ》い|人《ひと》だつたさうだ。|今《いま》こそ|真面目《まじめ》|臭《くさ》つて|偉《えら》い|人《ひと》だがな』
マツ|公《こう》『そのお|連《つ》れの|名《な》は|聞《き》いてゐるのか』
|五三公《いそこう》『ウン、|聞《き》いてゐる。|梅彦《うめひこ》に|岩彦《いはひこ》、|鷹彦《たかひこ》、|音彦《おとひこ》、|駒彦《こまひこ》、そこへ|俺《おれ》の|先生《せんせい》の|亀彦《かめひこ》|様《さま》と|六人連《ろくにんづ》れだ。|半《はん》ダース|宣伝使《せんでんし》と|云《い》つて|随分《ずゐぶん》|名高《なだか》いものだつたらしいぞ』
マツ|公《こう》『その|亀彦《かめひこ》|宣伝使《せんでんし》は|此《この》|森《もり》の|中《なか》に|休《やす》んでゐられるのか』
|五三公《いそこう》『ウン、|居《ゐ》られる』
マツ|公《こう》『|一遍《いつぺん》|会《あ》ひたいものだな』
|五三公《いそこう》『お|前《まへ》は|又《また》|先生《せんせい》の|事《こと》|云《い》ふと|顔色《かほいろ》まで|変《か》へて|熱心《ねつしん》に|尋《たづ》ねるが|何《なに》か|縁由《ゆかり》があるのか』
マツ|公《こう》『|有《あ》るの|無《な》いのつて、その|亀彦《かめひこ》さまなら|俺《おれ》の|永《なが》らく|尋《たづ》ねてゐる|兄《にい》さまだよ。|今《いま》は|斯《こ》うしてバラモン|教《けう》に|這入《はい》つてゐるが、もしや|兄《にい》さまの|所在《ありか》が、|何《なに》かの|機《はづみ》に|分《わか》りはせぬかと、そればつかり|苦《く》にしてゐるのだ。アヽ|有難《ありがた》い、その|亀彦《かめひこ》は|俺《おれ》の|兄《にい》さまに|違《ちが》ひない。アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|声《こゑ》まで|曇《くも》らせて|感謝《かんしや》の|意《い》を|表《へう》するのであつた。|五三公《いそこう》は|忽《たちま》ち|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
それのみならず|三五《あななひ》の |吾等《われら》を|守《まも》る|神様《かみさま》は
|親兄弟《おやきやうだい》の|所在《ありか》をば いと|審《つまびらか》に|知《し》らします
|森《もり》の|木蔭《こかげ》に|憩《いこ》ひたる |吾《わが》|師《し》の|君《きみ》よ|亀彦《かめひこ》よ
|地異天変《ちいてんぺん》も|啻《ただ》ならぬ |突発《とつぱつ》|事件《じけん》が|出来《でき》ました
さあさあ|早《はや》く|腰《こし》|上《あ》げて |祠《ほこら》の|前《まへ》に|出《い》でませよ
|思《おも》ひもよらぬ|松《まつ》さまが トボトボ|此処《ここ》に|現《あら》はれて
|亀彦《かめひこ》さまに|会《あ》ひ|度《た》いと |両手《りやうて》を|合《あは》して|待《ま》つてゐる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|恵《めぐみ》は|目《ま》のあたり
バラモン|教《けう》の|片彦《かたひこ》が |一方《いつぱう》の|腕《うで》と|仕《つか》へたる
|神《かみ》の|司《つかさ》のマツさまは |吾《わが》|師《し》の|君《きみ》の|弟《おとうと》に
|間違《まちが》ひないと|知《し》れました |治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|何《なに》は|兎《と》もあれ|逸早《いちはや》く |祠《ほこら》の|前《まへ》に|下《くだ》り|来《き》て
|別《わか》れて|程経《ほどへ》し|兄弟《きやうだい》の |目出度《めでた》き|対面《たいめん》なされませ
|此《この》|五三公《いそこう》も|嬉《うれ》しうて |手《て》の|舞《まひ》|足《あし》の|踏《ふ》む|所《ところ》
|知《し》らぬばかりになりました |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|兄弟《きやうだい》|二人《ふたり》の|其《その》|縁由《えにし》 なかなか|尽《つ》きは|致《いた》すまい
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|宣《の》り|直《なほ》す
|三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|道《みち》 |仮令《たとへ》マツ|公《こう》バラモンの
|神《かみ》のお|道《みち》にあればとて |改心《かいしん》したれば|天地《あめつち》の
|清《きよ》き|氏子《うぢこ》に|違《ちが》ひない |吾《わが》|師《し》の|君《きみ》よ|逸早《いちはや》く
|此処《ここ》までお|出《い》で|下《くだ》さんせ |歓天喜地《くわんてんきち》の|花《はな》|開《ひら》く
|前代《ぜんだい》|未聞《みもん》の|御慶事《ごけいじ》が |今《いま》|目《め》の|前《まへ》に|展開《てんかい》し
|面白《おもしろ》う|嬉《うれ》しうなりまする |貴方《あなた》に|仕《つか》へし|五三公《いそこう》が
|真心《まごころ》|籠《こ》めて|願《ねが》ひます あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|歌《うた》つてゐる。
|森《もり》の|木蔭《こかげ》に|息《いき》を|休《やす》めてゐた|五人《ごにん》の|男《をとこ》、|五三公《いそこう》の|高《たか》らかに|歌《うた》ふ|声《こゑ》に|耳《みみ》を|澄《す》ませてゐる。
|晴公《はるこう》『モシ|先生《せんせい》、あの|歌《うた》の|声《こゑ》は|五三公《いそこう》でせう。|何《なん》だか|妙《めう》な|事《こと》を|云《い》ふぢやありませぬか』
|治国別《はるくにわけ》『ウン、|何《なん》だか|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|事《こと》を|云《い》つてゐる|様《やう》だ』
|晴公《はるこう》『|先生《せんせい》|貴方《あなた》は|兄弟《きやうだい》がおありなさるのですか』
|治国別《はるくにわけ》『ウン、あると|云《い》へばある、ないと|云《い》へばないやうなものだ』
|晴公《はるこう》『それでも|今《いま》|五三公《いそこう》の|歌《うた》に|先生《せんせい》の|弟《おとうと》が|来《き》たから|会《あ》つてやつて|呉《く》れえと|云《い》つてるぢやありませぬか』
|治国別《はるくにわけ》『さう|云《い》つた|様《やう》だな。|如何《どう》しても|合点《がてん》のゆかぬ|話《はなし》だ。|然《しか》し|乍《なが》ら|日頃《ひごろ》|念《ねん》ずる|神様《かみさま》のお|蔭《かげ》で|兄弟《きやうだい》の|対面《たいめん》をさして|下《くだ》さるのかも|知《し》れない』
と|言葉《ことば》も|静《しづ》かに|落着《おちつ》き|払《はら》つてゐる。
|玉国別《たまくにわけ》『|治国別《はるくにわけ》さま、どうも|私《わたし》は|御兄弟《ごきやうだい》が|見《み》えたやうな|気《き》がしますがね。|然《しか》し|乍《なが》ら|御兄弟《ごきやうだい》とすれば|如何《どう》して|斯《こ》んなバラモン|教《けう》の|軍隊《ぐんたい》の|中《なか》を|潜《くぐ》つて|来《こ》られたのでせうか』
|治国別《はるくにわけ》『|大方《おほかた》バラモン|教《けう》へでも|落《お》ち|込《こ》んでゐたのでせう。|何《なん》だか|最前《さいぜん》から|純公《すみこう》や|五三公《いそこう》の|笑《わら》ひ|声《ごゑ》が|聞《きこ》え、|又《また》|外《ほか》に|二人《ふたり》ばかりも|笑《わら》ひ|声《ごゑ》が|聞《きこ》えてゐた|様《やう》です。どうもあの|声《こゑ》に|何《なん》だか|聞《き》き|覚《おぼ》えがある|様《やう》に|思《おも》ひましたよ』
かく|話《はな》し|居《を》る|所《ところ》へスタスタとやつて|来《き》たのは|狼狽者《あわてもの》の|五三公《いそこう》であつた。|五三公《いそこう》は|上《のぼ》り|坂《ざか》で|苦《くる》しかつた|息《いき》を|喘《はづ》ませ|乍《なが》ら、
『セヽヽ|先生《せんせい》、|最前《さいぜん》から……|私《わたし》があの|通《とほ》り|大《おほ》きな|声《こゑ》で……|歌《うた》つて|知《し》らしてゐるのに、|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》られるのだ。サア|早《はや》く|来《き》て|下《くだ》さいな。|偉《えら》い|事《こと》になりましたぞ。それはそれは|吃驚虫《びつくりむし》が|洋行《やうかう》する|様《やう》な|突発《とつぱつ》|事件《じけん》ですわ。サア|早《はや》う|下《お》りて|下《くだ》さい。そして|又《また》|伊太公《いたこう》の|所在《ありか》が|分《わか》りました』
|玉国別《たまくにわけ》は|慌《あわ》てて、
『|何《なに》? |伊太公《いたこう》の|所在《ありか》が|分《わか》りましたか。ヤアそれは|有難《ありがた》い』
|治国別《はるくにわけ》『|俺《おれ》の|弟《おとうと》が|分《わか》つたと|云《い》ふのか』
|五三公《いそこう》『|分《わか》つたも|分《わか》らぬもあつたものですかい。|最前《さいぜん》からあれ|程《ほど》|八釜《やかま》しう|騒《さわ》いでゐるのに|貴方《あなた》は|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》してゐるのですか。サア|早《はや》く|来《き》てマツ|公《こう》さまに|喜《よろこ》ばしてやつて|下《くだ》さい』
|治国別《はるくにわけ》は|平然《へいぜん》として|少《すこ》しも|騒《さわ》がず、|笑《わら》ひもせず、|別《べつ》に|喜《よろこ》びもせずと|云《い》ふ|態度《たいど》で、
『ウン、|弟《おとうと》が|分《わか》つたら、それで|宜《い》い。やつぱり|此《この》|世《よ》に|生《い》きて|居《を》つたかな』
|五三公《いそこう》『|何《なん》と|先生《せんせい》は|兄弟《きやうだい》に|水臭《みづくさ》い|人《ひと》ですな。|兄弟《きやうだい》は|他人《たにん》の|初《はじ》まりとか|聞《き》きますが|如何《いか》にも|古人《こじん》は|嘘《うそ》は|云《い》ひませぬな。あれだけ|焦《こが》れ|慕《した》うて|久《ひさ》し|振《ぶ》りに|兄《にい》さまの|所在《ありか》が|分《わか》り|飛《と》びつき|武者振《むしやぶ》りつきし|度《た》い|様《やう》に|思《おも》つて|厶《ござ》るのに、|旃陀羅《せんだら》が|榎《えのき》で|鼻《はな》を|擦《こす》つた|様《やう》な|事《こと》を|仰有《おつしや》つちやマツ|公《こう》さまの|折角《せつかく》の|期待《きたい》を|裏切《うらぎ》ると|云《い》ふものだ。も|少《すこ》し|優《やさ》しく|云《い》つて|下《くだ》さいな。エー|私《わたし》までが|悲《かな》しくなつて|来《き》た』
|治国別《はるくにわけ》『|何《なに》は|兎《と》もあれ|祠《ほこら》の|前《まへ》|迄《まで》|下《くだ》る|事《こと》としよう。ヤア|玉国別《たまくにわけ》さま、|三人《さんにん》の|者《もの》|共《ども》ボツボツ|此《この》|天然《てんねん》|別荘《べつさう》を|出立《しゆつたつ》する|事《こと》にしようかなア、アハヽヽヽ』
|玉国別《たまくにわけ》、|治国別《はるくにわけ》は|悠々《いういう》として|四人《よにん》と|共《とも》に|森《もり》の|坂道《さかみち》を|下《くだ》り|祠《ほこら》の|前《まへ》に|着《つ》いた。
|純公《すみこう》『ヤア、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》、お|目出度《めでた》う|厶《ござ》います。|貴方《あなた》の|御兄弟《ごきやうだい》が|分《わか》りました。サア|何卒《どうぞ》お|名乗《なの》りをなさいませ』
|治国別《はるくにわけ》は|以前《いぜん》の|如《ごと》く|冷然《れいぜん》として、
『アヽ|左様《さやう》か、|大変《たいへん》な|御看病《ごかんびやう》に|預《あづ》かつたさうだな。マツ|公《こう》さまの|仮病《けびやう》も|全快《ぜんくわい》しただらう。|白十字《はくじふじ》|病院《びやうゐん》も|余程《よほど》|繁昌《はんじやう》してゐたさうですな』
|純公《すみこう》『モシ|先生《せんせい》、そんな|洒落《しやれ》はどうでも|宜《よろ》しい、|弟《おとうと》さまですよ。|早《はや》くお|名乗《なのり》なさらぬか』
|治国別《はるくにわけ》『|左様《さやう》、|弟《おとうと》に|間違《まちが》ひはあるまい。|別《べつ》に|名乗《なの》る|必要《ひつえう》もないから』
|玉国別《たまくにわけ》『ウフヽヽヽ』
|道公《みちこう》『|此奴《こいつ》ア、|妙《めう》なコントラストだ、アハヽヽヽ』
(大正一一・一一・二八 旧一〇・一〇 北村隆光録)
第一五章 |温愛《をんあい》〔一一六六〕
|治国別《はるくにわけ》は|儼然《げんぜん》としてマツ|公《こう》に|向《むか》ひ、
『|何処《いづこ》の|何人《なにびと》の|弟《おとうと》か|知《し》らぬが、まづまづ|無事《ぶじ》で|目出《めで》たいなア。|随分《ずゐぶん》|苦労《くらう》をしたと|見《み》えて|年《とし》の|割《わ》りには|窶《やつ》れて|居《ゐ》るぢやないか』
マツ|公《こう》は|飛《と》びつくやうにして|膝《ひざ》をにじり|寄《よ》せ、
『|貴方《あなた》は|私《わたし》の|兄様《にいさま》、|亀彦《かめひこ》さまで|厶《ござ》いませう。ようマア|無事《ぶじ》で|居《ゐ》て|下《くだ》さいました。|嬉《うれ》しう|厶《ござ》います』
と|早《はや》くも|涙《なみだ》をハラハラと|垂《た》らして|居《ゐ》る。
|治国別《はるくにわけ》『ヨウ、これは|近頃《ちかごろ》|迷惑《めいわく》、この|治国別《はるくにわけ》は|其方《そなた》のやうな|弟《おとうと》は|持《も》つた|覚《おぼ》えがない。|何《なに》かの|間違《まちが》ひではあるまいか』
マツ|公《こう》『それはあまり|胴慾《どうよく》のお|言葉《ことば》、よく|此《この》|顔《かほ》を|御覧《ごらん》|下《くだ》さいませ』
|治国別《はるくにわけ》『ちつとも|覚《おぼ》えがない』
タツ|公《こう》『モシ|亀彦《かめひこ》|様《さま》、|否《いや》|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|私《わたくし》はマツ|公《こう》の|女房《にようばう》の|弟《おとうと》、タツと|申《まを》します。|縦《たて》から|見《み》ても|横《よこ》から|見《み》ても|瓜二《うりふた》つ、|御兄弟《ごきやうだい》に|間違《まちが》ひはありますまい。そんなに【じら】さずに|早《はや》く|名乗《なの》つて|下《くだ》さいませ。|義兄《ぎけい》も|気《き》を|揉《も》んで|居《ゐ》ますから』
|治国別《はるくにわけ》『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|玉国別《たまくにわけ》の|供《とも》を|虜《とりこ》にし|剰《あま》つさへ|畏《おそれおほ》くも|斎苑《いそ》の|館《やかた》の|大神様《おほかみさま》を|攻《せ》め|滅《ほろ》ぼさむと|致《いた》す、バラモン|教《けう》の|悪神《あくがみ》の|手先《てさき》となるやうな|弟《おとうと》は|持《も》つた|覚《おぼ》えがない……かく|申《まを》す|治国別《はるくにわけ》の|胸中《きようちう》は|千万無量《せんまんむりやう》、|推量《すゐりやう》|致《いた》せよ。バラモン|教《けう》の|神司《かむづかさ》、|否《いや》|軍人《いくさびと》』
マツ|公《こう》『イヤ、|兄様《にいさま》ではない|治国別命《はるくにわけのみこと》|様《さま》、|軽率《けいそつ》に|兄弟《きやうだい》|呼《よば》はりを|致《いた》しまして、|誠《まこと》に|御無礼《ごぶれい》で|厶《ござ》いました。|何卒《どうぞ》お|咎《とが》めなくお|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》しを|願《ねが》ひ|上《あ》げます』
|玉国別《たまくにわけ》『イヤ|治国別《はるくにわけ》さま、|決《けつ》して|御遠慮《ごゑんりよ》には|及《およ》びませぬ。|折角《せつかく》の|御対面《ごたいめん》……』
と|云《い》はむとするを、|治国別《はるくにわけ》は|玉国別《たまくにわけ》の|口元《くちもと》を|押《おさ》へるやうな|手《て》つきして、
『|貴方《あなた》の|御親切《ごしんせつ》は|有難《ありがた》う|厶《ござ》いますが、|是《これ》が|如何《どう》して|名乗《なの》られませうか。|決《けつ》して|治国別《はるくにわけ》は|兄弟《きやうだい》は|持《も》ちませぬ。マツ|公《こう》とやら|大神様《おほかみさま》の|御前《おんまへ》に|三五《あななひ》の|誠《まこと》を|現《あらは》す|気《き》はないか』
マツ|公《こう》『ハイ|然《しか》らば|是《これ》より|私《わたし》の|真心《まごころ》を|御覧《ごらん》に|入《い》れます。|其《その》|上《うへ》にて|兄弟《きやうだい》の|名乗《なの》りをお|願《ねが》ひ|申《まを》します』
と|又《また》もや|泣《な》き|崩《くづ》るる|可憐《しほ》らしさ。|治国別《はるくにわけ》は|目《め》を|繁叩《しばたた》き、|悲《かな》しさを|耐《こら》へ|黙然《もくねん》として|居《ゐ》る。
タツ|公《こう》『サア|兄貴《あにき》|往《ゆ》かう、|到底《たうてい》|誠《まこと》を|表《あら》はさねば|何程《なにほど》|実《じつ》の|兄様《にいさま》だつて|名乗《なの》つて|下《くだ》さる|筈《はず》がない』
と|涙声《なみだごゑ》を|絞《しぼ》りながら|立《た》ち|上《あが》る。マツ|公《こう》も|立《た》ち|上《あが》り、
『|宣伝使《せんでんし》|其《その》|他《た》のお|方々《かたがた》、|暫時《しばらく》お|別《わか》れ|致《いた》します。|明日《みやうにち》はきつと|此処《ここ》でお|目《め》に|懸《かか》りませう。|此《この》|山口《やまぐち》にはランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》、|久米彦《くめひこ》|初《はじ》め|鬼春別《おにはるわけ》の|大将《たいしやう》が|勢揃《せいぞろひ》をして|居《を》りますれば、|随分《ずゐぶん》|御用心《ごようじん》なさいませ。|今《いま》|此処《ここ》をお|立《た》ちなされては、|如何《いか》に|神力無双《しんりきむさう》の|宣伝使《せんでんし》なればとて、|剣呑《けんのん》で|厶《ござ》います。|左様《さやう》ならば』
と|立《た》ち|別《わか》れ、|両人《りやうにん》は|急坂《きふはん》を|南《みなみ》へ|下《くだ》り|行《ゆ》く。|後《あと》|見送《みおく》つて|治国別《はるくにわけ》は|涙《なみだ》を|押隠《おしかく》し、
『|焦《こ》がれたる|人《ひと》に|相見《あひみ》し|今日《けふ》の|身《み》は
|昔《むかし》にましていとも|苦《くる》しき。
|走《はし》り|往《ゆ》く|人《ひと》の|姿《すがた》を|眺《なが》むれば
|知《し》らず|知《し》らずに|涙《なみだ》ぐまるる。
|過《あやまち》を|改《あらた》め|直《なほ》し|大神《おほかみ》の
|道《みち》にかへれよ|二人《ふたり》|往《ゆ》く|人《ひと》。
|秋《あき》の|日《ひ》の|淋《さび》しさ|吾《われ》に|迫《せま》りけり
|思《おも》はぬ|人《ひと》を|見《み》るにつけても。
|懐《なつか》しき|恋《こひ》しき|人《ひと》は|曲津見《まがつみ》の
|醜《しこ》の|司《つかさ》となり|下《さが》りける。
|吾《われ》とても|心《こころ》は|鬼《おに》にあらねども
|神《かみ》の|大道《おほぢ》を|外《はづ》すよしなし。
|吾《わが》|身魂《みたま》|如何《いか》なる|罪《つみ》を|造《つく》りしか
|淋《さび》しさ|身《み》に|沁《し》む|秋《あき》の|山路《やまみち》。
|不意《ゆくり》なくめぐり|遭《あ》ひたる|愛人《うづひと》は
|神《かみ》の|仇《あだ》とぞ|聞《き》きし|悲《かな》しさ』
|玉国別《たまくにわけ》『|治国別《はるくにわけ》|神《かみ》の|御心《みこころ》|思《おも》ひやり
|吾《われ》も|思《おも》はず|涙《なみだ》おとしぬ。
やがて|又《また》|花《はな》|咲《さ》く|春《はる》も|来《きた》るらむ
|冬籠《ふゆごも》りして|待《ま》つ|人《ひと》の|身《み》は。
|霜《しも》を|踏《ふ》み|雪《ゆき》をかぶりて|咲《さ》く|花《はな》は
|香《かをり》めでたき|庭《には》の|白梅《しらうめ》』
|治国別《はるくにわけ》『|有難《ありがた》し|玉国別《たまくにわけ》の|言《こと》の|葉《は》よ
|三月《やよひ》の|木々《きぎ》の|心地《ここち》なしぬる。
|吾《われ》は|今《いま》|悲《かな》しきヂレンマにかかりけり
|誠《まこと》と|愛《あい》の|枷《かせ》に|責《せ》められ』
|道公《みちこう》『|惟神《かむながら》|神《かみ》の|心《こころ》に|任《まか》しませ
やがて|晴《は》れゆく|秋《あき》の|大空《おほぞら》』
|万公《まんこう》『|親《おや》となり|子《こ》となり|又《また》も|兄弟《きやうだい》と
|生《うま》るも|神《かみ》の|仕組《しぐみ》なるらむ。
さりながら|生者必滅《しやうじやひつめつ》|会者定離《ゑしやぢやうり》
|浮世《うきよ》の|様《さま》を|如何《いか》にとやせむ』
|晴公《はるこう》『|師《し》の|君《きみ》の|深《ふか》き|心《こころ》を|思《おも》ひやり
|晴《はる》の|心《こころ》も|曇《くも》りけるかな』
|五三公《いそこう》『|師《し》の|君《きみ》よ|心《こころ》|安《やす》けく|思召《おぼしめ》せ
|頼《たよ》りまつ|身《み》の|花《はな》や|開《ひら》かむ。
|清春《きよはる》の|山《やま》に|潜《ひそ》みし|伊太公《いたこう》を
|伴《ともな》ひ|帰《かへ》るマツ タツ|二人《ふたり》。
マツ タツの|二人《ふたり》の|友《とも》はやがて|此処《ここ》に
|笑《ゑみ》を|湛《たた》へて|帰《かへ》り|来《く》るらむ』
|玉国別《たまくにわけ》『|最前《さいぜん》マツ|公《こう》の|話《はなし》に|聞《き》けば、|此《この》|山道《やまみち》には|鬼春別《おにはるわけ》の|軍勢《ぐんぜい》が|数多《あまた》|待《ま》ち|伏《ぶ》せ|居《を》る|様子《やうす》、|吾々《われわれ》は|別《べつ》に|急《いそ》ぐ|必要《ひつえう》も、かうなつてはありますまい。|暫《しばら》く|敵軍《てきぐん》の|此《この》|山道《やまみち》を|通過《つうくわ》する|迄《まで》|待《ま》つ|事《こと》に|致《いた》しませうか』
|治国別《はるくにわけ》『それも|一《ひと》つの|神策《しんさく》でせう。|仮令《たとへ》|幾万《いくまん》の|敵軍《てきぐん》ありとも|神《かみ》に|任《まか》せた|吾々《われわれ》、|些《すこ》しも|驚《おどろ》きは|致《いた》しませぬが、|敵《てき》を|四方《しはう》に|追《お》ひ|散《ち》らした|処《ところ》が、|飯《めし》の|上《うへ》の|蠅《はへ》を|追《お》ふやうなもの、|再《ふたた》び|斎苑館《いそやかた》へ|攻《せ》め|来《きた》るは|必然《ひつぜん》でせう。どうしても|心《こころ》の|底《そこ》より|帰順《きじゆん》さすか、|但《ただし》は|此《この》|難所《なんしよ》を|扼《やく》して|其《その》|進路《しんろ》を|遮《さへぎ》り|留《とめ》るより|外《ほか》、|名案《めいあん》もありますまい』
|玉国別《たまくにわけ》『|私《わたくし》は|祠《ほこら》の|前《まへ》で|暫《しばら》く|眼痛《がんつう》の|軽減《けいげん》する|迄《まで》|祈《いの》りませう。|何卒《どうぞ》|貴方《あなた》はもとの|場所《ばしよ》へお|出《いで》なさつて|英気《えいき》を|養《やしな》ひ|捲土重来《けんどじうらい》の|敵《てき》に|備《そな》へて|下《くだ》さいませ』
|治国別《はるくにわけ》『|左様《さやう》ならば|暫《しばら》く|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》りませう。サアサア|万公《まんこう》、|晴公《はるこう》、|往《ゆ》かう』
と|先《さき》に|立《た》つ。|後《あと》には|玉国別《たまくにわけ》、|道公《みちこう》の|両人《りやうにん》が|残《のこ》つて|居《ゐ》る。|五三公《いそこう》、|純公《すみこう》も|治国別《はるくにわけ》に|従《したが》つて|森蔭《もりかげ》に|身《み》を|没《ぼつ》した。|晩秋《ばんしう》の|風《かぜ》は|又《また》もや|烈《はげ》しく|吹《ふ》いて|来《き》た。|半《なかば》|毀《こは》れし|祠《ほこら》はギクギクと|怪《あや》しき|声《こゑ》を|立《た》て、|鳴《な》き|出《だ》した。|木々《きぎ》の|梢《こずゑ》はヒウヒウと|笛《ふえ》を|吹《ふ》く。バラバラバラと|枯葉《かれは》が|落《お》ちる。|冷《つめ》たき|雨《あめ》さへ|混《まじ》つて、|無雑作《むざふさ》に|目《め》の|悪《わる》い|玉国別《たまくにわけ》の|頭《あたま》を|打《う》ち|叩《たた》く。|二人《ふたり》は|手早《てばや》く|蓑《みの》を|被《かぶ》り、|笠《かさ》を|確《しつか》と|結《むす》びつけ、|祠《ほこら》の|後《うしろ》に|雨《あめ》と|風《かぜ》とを|辛《から》うじて|避《さ》ける|事《こと》を|得《え》た。
|日《ひ》は|漸《やうや》く|西山《せいざん》に|傾《かたむ》いて、|塒《ねぐら》|定《さだ》むる|鳥《とり》の|声《こゑ》|彼方《かなた》|此方《こなた》の|谷間《たにま》より|喧《かまびす》しく|聞《きこ》え|来《きた》る。|薄衣《うすぎぬ》の|肌《はだ》を|冷《ひ》やす|風《かぜ》、|時々《ときどき》|降《ふ》り|来《きた》る|村時雨《むらしぐれ》、|日《ひ》の|暮《く》れると|共《とも》に|寂寥《せきれう》|益々《ますます》|身《み》に|迫《せま》り|来《きた》る。|道公《みちこう》は|玉国別《たまくにわけ》の|身体《からだ》を|後《うしろ》よりグツと|抱《だ》いて|体《からだ》の|暖《だん》を|保《たも》つべく、|吾《わが》|身《み》の|寒《さむ》さを|忘《わす》れて|労《いたは》つて|居《ゐ》る。|発作的《ほつさてき》に|出《で》てくる|頭《あたま》の|痛《いた》み、|間歇的《かんけつてき》に|出《で》て|来《く》る|眼《め》の|痛《いた》み、|得《え》も|云《い》はれぬ|苦《くる》しみである。|玉国別《たまくにわけ》は|私《ひそ》かに|神《かみ》に|祈《いの》り、|且《か》つ|身《み》の|罪《つみ》を|謝罪《しやざい》して|居《ゐ》た。|此《この》|時《とき》|夕《ゆふべ》の|谷間《たにま》を|圧《あつ》して|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》た。
『|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|大神《おほかみ》の |大御心《おほみこころ》になりませる
|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》を |豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》
くまなく|開《ひら》き|照《て》らさむと |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の
|神言《みこと》|畏《かしこ》み|出《い》でませる |吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》の|音彦《おとひこ》は
|今《いま》や|何処《いづこ》にましますか |斎苑《いそ》の|館《やかた》の|神殿《かむどの》に
|額《ぬかづ》きまつり|吾《わが》|夫《つま》の |功《いさを》をたてさせ|給《たま》へよと
|祈《いの》る|折《をり》しも|摩訶不思議《まかふしぎ》 |吾《わが》|目《め》にうつりし|光景《くわうけい》は
|河鹿峠《かじかたうげ》に|名《な》も|高《たか》き |懐谷《ふところだに》に|現《あ》れまして
|子猿《こざる》の|群《むれ》に|十重二十重《とへはたへ》 |取《と》り|囲《かこ》まれし|其《その》|揚句《あげく》
|二《ふた》つの|眼《まなこ》を|失《うしな》ひて |苦《くる》しみたまふ|有様《ありさま》を
|窺《うかが》ひまつりし|吾《わが》|心《こころ》 |何《なん》に|譬《たと》へむすべもなし
|心《こころ》を|定《さだ》め|肝《きも》を|練《ね》り |神《かみ》の|御前《みまへ》に|額《ぬか》づきて
|大神勅《だいしんちよく》を|伺《うかが》へば |皇大神《すめおほかみ》の|御言葉《みことば》に
|斎苑《いそ》の|館《やかた》の|五十子姫《いそこひめ》 |夫《をつと》の|難《なん》を|救《すく》ふべく
|今子《いまこ》の|姫《ひめ》を|従《したが》へて |片時《へんじ》も|早《はや》く|出《い》でませと
|詔《の》らせ|給《たま》ひし|有難《ありがた》さ |天《てん》にも|登《のぼ》る|心地《ここち》して
|心《こころ》いそいそ|河鹿山《かじかやま》 |渉《わた》りて|此処《ここ》まで|来《きた》りけり
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
|吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》の|遭難《さうなん》を |救《すく》ひたまひて|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|依《よ》さしの|神業《かむわざ》を |完全《うまら》に|委曲《つばら》に|成《な》し|遂《と》げる
|御稜威《みいづ》を|与《あた》へ|給《たま》へかし |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|神《かみ》に|仕《つか》へし|吾《わが》|夫《つま》の |二《ふた》つの|眼《まなこ》は|失《う》するとも
|如何《いか》でかひるみ|給《たま》はむや |遠《とほ》き|山野《さんや》を|打《う》ち|渡《わた》り
|吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》の|後追《あとお》うて |其《その》|神業《しんげふ》を|詳細《まつぶさ》に
|補《おぎな》ひまつり|五十子姫《いそこひめ》 |今子《いまこ》の|姫《ひめ》と|諸共《もろとも》に
|此《この》|神業《しんげふ》を|果《はた》さねば |仮令《たとへ》|百年《ひやくねん》かかるとも
|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|帰《かへ》らじと |盟《ちか》ひまつりし|悲《かな》しさよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |此《この》|急坂《きふはん》を|吹《ふ》きつける
|醜《しこ》の|嵐《あらし》の|一時《いつとき》も |早《はや》く|静《しづ》まり|冬《ふゆ》も|過《す》ぎ
|花《はな》|咲《さ》く|春《はる》の|来《きた》るごと |吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》の|眼病《がんびやう》を
|開《ひら》かせたまへ|惟神《かむながら》 |神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる』
|斯《か》く|歌《うた》つて|下《くだ》り|来《きた》るのは|歌《うた》の|文句《もんく》に|現《あら》はれた|玉国別《たまくにわけ》の|妻《つま》|五十子姫《いそこひめ》であつた。
『|玉国別《たまくにわけ》の|妻神《つまがみ》と |仕《つか》へたまひし|五十子姫《いそこひめ》
|夫《をつと》の|危難《きなん》を|救《すく》はむと |神《かみ》の|御許《みゆる》し|受《う》けたまひ
|孱弱《かよわ》き|女《をんな》の|身《み》をもつて |荒風《あらかぜ》すさぶ|荒野原《あらのはら》
|漸《やうや》く|越《こ》えて|河鹿山《かじかやま》 |淋《さび》しき|山野《やまの》を|打《う》ち|渡《わた》り
|又《また》もや|吹《ふ》き|来《く》る|烈風《れつぷう》に |髪《かみ》|梳《くしけづ》り|雨《あめ》に|濡《ぬ》れ
|木《き》の|根《ね》に|躓《つまづ》き|足《あし》|破《やぶ》り |種々《いろいろ》|雑多《ざつた》と|艱苦《かんく》して
|尋《たづ》ね|来《き》ますぞ|雄々《をを》しけれ |今子《いまこ》の|姫《ひめ》は|今《いま》|此処《ここ》に
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》の|後《あと》を|追《お》ひ |女《をんな》ながらも|皇神《すめかみ》の
|道《みち》にさやれる|曲津見《まがつみ》を |厳《いづ》の|言霊《ことたま》|打《う》ち|出《だ》して
|言向《ことむ》け|和《やは》し|月《つき》の|国《くに》 |四方《よも》にさやれる|鬼《おに》|大蛇《をろち》
|醜神司《しこがみつかさ》を|払《はら》はむと |岩《いは》の|根《ね》|木《き》の|根《ね》|踏《ふ》みさくみ
|足《あし》にまかして|進《すす》み|来《く》る あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|吾等《われら》|一行《いつかう》の|出《い》で|立《た》ちを |憐《あは》れみたまひ|逸早《いちはや》く
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》の|御前《おんまへ》に |進《すす》ませたまへ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|今子姫《いまこひめ》 |誠心《まごころ》|捧《ささ》げ|願《ね》ぎまつる
|獅子狼《ししおほかみ》は|猛《たけ》るとも |如何《いか》に|木枯《こがらし》|強《つよ》くとも
|河鹿峠《かじかたうげ》は|嶮《けは》しとも などか|恐《おそ》れむ|皇神《すめかみ》の
|恵《めぐみ》を|受《う》けし|此《この》|体《からだ》 |勇《いさ》み|進《すす》んで|何処《どこ》までも
|往《ゆ》かねばおかぬ|吾《わが》|思《おも》ひ |遂《と》げさせたまへ|天地《あめつち》の
|御親《みおや》とまします|大御神《おほみかみ》 |神素盞嗚大御神《かむすさのをのおほみかみ》
|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》や|木《こ》の|花《はな》の |姫《ひめ》の|命《みこと》の|大前《おほまへ》に
|頸根突《うなねつ》き|抜《ぬ》き|願《ね》ぎまつる』
と|歌《うた》つて|祠《ほこら》の|森《もり》の|前《まへ》に|向《むか》つて|下《くだ》り|来《く》るのが|今子姫《いまこひめ》であつた。|五十子姫《いそこひめ》、|今子姫《いまこひめ》は、|玉国別《たまくにわけ》が|此《この》|祠《ほこら》の|後《うしろ》に|雨風《あめかぜ》を|凌《しの》ぎ|居《ゐ》るとは|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、
|五十子姫《いそこひめ》『アヽ|今子《いまこ》さま、やうやう|祠《ほこら》の|森《もり》|迄《まで》|参《まゐ》りました。お|蔭《かげ》で|風《かぜ》も|静《しづ》まり|雨《あめ》もやみましたから、|此処《ここ》で|御祈念《ごきねん》をして|暫《しばら》く|足《あし》をやすめる|事《こと》に|致《いた》しませう。かうスツポリと|日《ひ》が|暮《く》れては|坂道《さかみち》は|剣呑《けんのん》で|厶《ござ》いますからなア』
|今子姫《いまこひめ》『ハイさう|致《いた》しませう。|何《なん》だか|床《ゆか》しい|森《もり》で|厶《ござ》います。|私《わたし》はどうしても|此《この》|森《もり》に|玉国別《たまくにわけ》さまが|居《を》られるやうな|気《き》がしてなりませぬわ』
|五十子姫《いそこひめ》『|貴女《あなた》もさう|思《おも》ひますか。|私《わたし》も|何《なん》となく、なつかしい|森《もり》だと|思《おも》ひます。サア|此処《ここ》で|一服《いつぷく》|致《いた》しませう』
|両人《りやうにん》は|拍手《はくしゆ》|再拝《さいはい》、|半《なかば》|破《やぶ》れし|祠《ほこら》に|向《むか》つて|祈願《きぐわん》を|籠《こ》めて|居《ゐ》る。
|此《この》|時《とき》|玉国別《たまくにわけ》は|道公《みちこう》に|抱《いだ》かれ|心地《ここち》よく|睡《ねむり》について|居《ゐ》たがフト|目《め》を|醒《さ》まし、
『ヤア|道公《みちこう》、|御苦労《ごくらう》だつた。|吾《われ》を|抱《かか》へて|居《を》つて|呉《く》れたのだなア。お|蔭《かげ》で|温《あたた》かく|睡《ねむ》らして|貰《もら》つた。|頭《あたま》の|痛《いた》みも|癒《なほ》つた。|眼《め》の|痛《いた》みも|忘《わす》れたやうな|気《き》がする。アヽ|有《あ》り|難《がた》い、|此《この》|嬉《うれ》しさは|何時《いつ》までも|忘《わす》れはせぬぞ』
|道公《みちこう》『|先生《せんせい》、そりや|何《なに》を|仰有《おつしや》います。|弟子《でし》に|礼《れい》を|言《い》ふといふ|事《こと》がありますか。|私《わたし》だつて|貴方《あなた》を|抱《かか》へさして|頂《いただ》いたお|蔭《かげ》で、|真《まこと》に|暖《あたた》かく|知《し》らず|識《し》らず|安眠《あんみん》|致《いた》しました。これも|先生《せんせい》の|御余光《ごよくわう》で|厶《ござ》います。|礼《れい》を|言《い》はれては|困《こま》ります。|私《わたし》の|方《はう》からお|礼《れい》を|申上《まをしあ》げねばなりませぬ』
|玉国別《たまくにわけ》『|惟神《かむながら》なれが|情《なさけ》のあつ|衣《ごろも》
|冷《つめ》たき|風《かぜ》を|凌《しの》ぎけるかな』
|道公《みちこう》『|師《し》の|君《きみ》の|御身《おんみ》の|温《ぬく》み|身《み》にうけて
|蘇《よみが》へりけり|吾《われ》の|魂《たましひ》』
|玉国別《たまくにわけ》『|旅《たび》に|出《で》て|人《ひと》の|情《なさけ》を|悟《さと》りけり
|神《かみ》と|道《みち》とに|仕《つか》へゆく|身《み》は』
|道公《みちこう》『|毀《こは》れたる|古宮《ふるみや》なれど|新《あたら》しき
|恵《めぐみ》の|露《つゆ》を|下《くだ》したまひぬ』
|玉国別《たまくにわけ》『|治国《はるくに》の|別《わけ》の|命《みこと》の|神司《かむつかさ》
|夜風《よかぜ》にさぞや|苦《くる》しみたまはむ。
|吾《わが》|宿《やど》に|残《のこ》せし|妻《つま》は|嘸《さぞ》やさぞ
|吾《わが》|身《み》の|行《ゆ》く|方《へ》|尋《たづ》ね|居《を》るらむ』
|五十子姫《いそこひめ》、|今子姫《いまこひめ》は|敏《さと》くも、|祠《ほこら》の|後《うしろ》より|幽《かす》かに|漏《も》れ|来《く》る|歌《うた》を|聞《き》きて、|飛《と》び|上《あが》るばかり|打《う》ち|悦《よろこ》び「|吾《わが》|夫《つま》はここにましませしか」と|轟《とどろ》く|胸《むね》をぢつと|抑《おさ》へ、
|五十子姫《いそこひめ》『|懐《なつか》しき|吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》の|声《こゑ》|聞《き》きて
|冴《さ》え|渡《わた》りけり|胸《むね》の|月影《つきかげ》』
|今子姫《いまこひめ》『|懐《なつか》しき|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》や|皇神《すめかみ》の
|影《かげ》に|包《つつ》まれ|安《やす》くいませる』
|道公《みちこう》は|小声《こごゑ》になり、
『モシ|先生《せんせい》、あの|歌《うた》をお|聞《き》きになりましたか、どうやら|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》のやうで|御座《ござ》いますなア』
|玉国別《たまくにわけ》『ウン|確《たしか》に|五十子姫《いそこひめ》だ。|一人《ひとり》は|今子姫《いまこひめ》に|間違《まちが》ひなからう』
|道公《みちこう》『そんな|事《こと》を|仰有《おつしや》らずに、|早《はや》くお|会《あ》ひになつたらどうでせうか。|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》は|遥々《はるばる》|此処迄《ここまで》お|後《あと》を|慕《した》つてお|出《いで》なさつたので|厶《ござ》います』
|玉国別《たまくにわけ》『ウン、|会《あ》うてやり|度《た》いは|山々《やまやま》だが、|今《いま》|会《あ》ふ|事《こと》は|出来《でき》ぬ。|不愍《ふびん》ながら|斎苑館《いそやかた》へ|追《お》つ|帰《かへ》さねばなるまい』
|五十子姫《いそこひめ》『モシ|其処《そこ》に|居《を》られますのは、|吾《わが》|夫《つま》|玉国別《たまくにわけ》|様《さま》ぢや|厶《ござ》いませぬか。|貴方《あなた》は|大変《たいへん》な|怪我《けが》をなされましたと、|神様《かみさま》に|承《うけたま》はり|心《こころ》も|心《こころ》ならず、|今子《いまこ》さまとお|後《あと》を|慕《した》つて|参《まゐ》りました。|御容態《ごようだい》は|如何《いかが》で|厶《ござ》いますか、どうぞお|知《し》らせ|下《くだ》さいませ』
|玉国別《たまくにわけ》『|盲目《めしひ》たる|心《こころ》の|眼《まなこ》|開《ひら》けけり
|右《みぎ》りの|目《め》をば|猿《さる》にとられて』
|五十子姫《いそこひめ》『|情《なさけ》なや|吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》の|御眼《おんまなこ》
|剔《えぐ》り|取《と》りたる|猿《さる》ぞ|恨《うら》めし』
|今子姫《いまこひめ》『|兎《と》も|角《かく》も|吾《わが》|師《し》の|御君《おんきみ》|出《い》でませよ
|五十子《いそこ》の|姫《ひめ》の|心《こころ》あはれみて』
|玉国別《たまくにわけ》『|妻《つま》の|君《きみ》に|一目《ひとめ》|会《あ》ひたく|欲《ほり》すれど
|神《かみ》の|使命《しめい》はおろそかならねば。
|玉国《たまくに》の|別《わけ》の|司《つかさ》は|妻神《つまがみ》に
|助《たす》けられしと|人《ひと》に|云《い》はれむ。
|恥《はづ》かしき|吾《わが》|眼《まなこ》をば|若草《わかぐさ》の
|妻《つま》の|命《みこと》に|如何《いか》でか|会《あ》はさむ』
|道公《みちこう》『モシ|先生《せんせい》、そんな|几帳面《きちやうめん》の|事《こと》|仰有《おつしや》らいでも|宜《よろ》しいぢやありませぬか。|奥様《おくさま》がお|出《いで》になつて|居《ゐ》るのですから、|誰《たれ》が|何《なん》と|申《まを》しませう。そこが|夫婦《ふうふ》の|情愛《じやうあい》で|厶《ござ》いますから、サア|祠《ほこら》の|前《まへ》|迄《まで》|参《まゐ》りませう』
|玉国別《たまくにわけ》『そんなら|兎《と》も|角《かく》も|出《で》て|見《み》ようかなア』
と|道公《みちこう》に|手《て》を|曳《ひ》かれ、|杖《つゑ》を|力《ちから》に|祠《ほこら》の|前《まへ》に|出《で》て|行《い》つた。|五十子姫《いそこひめ》は|十七夜《じふしちや》の|月《つき》の|漸《やうや》く|山《やま》の|端《は》に|上《のぼ》つた|光《ひかり》に|夫《をつと》の|顔《かほ》を|打《う》ち|眺《なが》め、
|五十子姫《いそこひめ》『ヤア|思《おも》つたよりも|酷《ひど》い|掻《か》き|創《きづ》、マアどうしたら|宜《よろ》しからうなア、|今子姫《いまこひめ》さま』
|今子姫《いまこひめ》『お|気《き》の|毒《どく》な|事《こと》で|厶《ござ》います、|何《なん》と|申《まを》し|上《あ》げて|宜《よろ》しいやら、|言《こと》の|葉《は》も|出《で》ませぬ。|併《しか》し|御心配《ごしんぱい》なさいますな、キツト|神様《かみさま》が|癒《なほ》して|下《くだ》さいませう』
|五十子姫《いそこひめ》『モシ|吾《わが》|夫様《つまさま》、|余《あま》り|痛《いた》みは|致《いた》しませぬか』
|玉国別《たまくにわけ》『ウン|些《ちつと》ばかり|痛《いた》むやうだ』
(大正一一・一一・二八 旧一〇・一〇 加藤明子録)
第五篇 |清松懐春《せいしようくわいしゆん》
第一六章 |鰌鍋《どぢようなべ》〔一一六七〕
|清春山《きよはるやま》の|峻坂《しゆんぱん》を|歌《うた》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|登《のぼ》つて|行《ゆ》く|二人《ふたり》の|男《をとこ》があつた。これは|祠《ほこら》の|森《もり》を|立出《たちい》でて|伊太公《いたこう》を|奪《うば》ひ|返《かへ》さむと|進《すす》み|行《ゆ》くバラモン|教《けう》のマツ|公《こう》、タツ|公《こう》の|両人《りやうにん》である。マツ|公《こう》は|急坂《きふはん》を|上《のぼ》り|乍《なが》ら|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『|大足別《おほだるわけ》の|神司《かむづかさ》 |難攻不落《なんこうふらく》と|頼《たの》みたる
|清春山《きよはるやま》の|岩窟《がんくつ》も |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|照国別《てるくにわけ》の|一行《いつかう》に |不在《るす》を|守《まも》りしポーロさま
|其《その》|外《ほか》|一同《いちどう》|悉《ことごと》く |生言霊《いくことたま》に|打《うち》ぬかれ
|忽《たちま》ち|心《こころ》を|翻《ひるがへ》し |善《ぜん》か|悪《あく》かは|知《し》らねども
|三五教《あななひけう》が|結構《けつこう》だと |部下《ぶか》を|引《ひき》つれ|河鹿山《かじかやま》
|峠《たうげ》を|越《こ》えて|二三日《にさんにち》 |以前《いぜん》にここを|登《のぼ》りしと
|聞《き》いたる|時《とき》の|驚《おどろ》きは |寝耳《ねみみ》に|水《みづ》のやうだつた
ウントコドツコイ ハーハーハー |之《これ》から|先《さき》はだんだんと
|道《みち》は|峻《けは》しくなつてくる タツ|公《こう》さまよ|気《き》をつけよ
|家来《けらい》の|奴《やつ》に|言《い》ひつけて ポーロの|帰《かへ》つた|脱殻《ぬけがら》へ
|三五教《あななひけう》の|伊太公《いたこう》を |高手《たかて》や|小手《こて》にふん|縛《じば》り
|一先《ひとま》づ|隠《かく》しておいたのを コリヤ|又《また》えらいドツコイシヨ
|地異天変《ちいてんぺん》が|勃発《ぼつぱつ》し おれが|捕《とら》へた|人物《じんぶつ》を
|又《また》もや|俺《おれ》がスタスタと |息《いき》の|切《き》れるよな|急坂《きふはん》を
|登《のぼ》つてスツパリ|取返《とりかへ》し |治国別《はるくにわけ》の|兄《に》いさまに
お|返《かへ》し|申《まを》さにや|如何《どう》しても |水《みづ》も|洩《も》らさぬ|兄弟《きやうだい》の
ウントコ ドツコイ ドツコイシヨ |名乗《なのり》を|天晴《あつぱ》れしてくれぬ
バラモン|教《けう》に|這入《はい》るよな |俺《おれ》は|弟《おとうと》|持《も》たないと
ダラ|助《すけ》ねぶつたやうな|顔《かほ》 ウントコドツコイ ヤツトコシヨ
なかなか|縦《たて》に|首《くび》ふらぬ お|前《まへ》の|知《し》つて|居《ゐ》る|通《とほ》り
|一度《いちど》|兄貴《あにき》に|会《あ》ひたいと バラモン|教《けう》の|神様《かみさま》に
|今日《けふ》|迄《まで》|祈《いの》つた|甲斐《かひ》あつて |思《おも》ひもよらぬ|谷間《たにあひ》で
ベツタリコーと|出会《でつく》はし ヤレヤレ|嬉《うれ》しとドツコイシヨ
|喜《よろこ》んで|見《み》たのは|水《みづ》の|泡《あわ》 |梃《てこ》でも|棒《ぼう》でも|受《う》けつけぬ
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |昔《むかし》の|兄《あに》ぢやと|思《おも》うたら
コリヤ|又《また》エライ|変《かは》りやう さうぢやと|言《い》つてマツ|公《こう》も
|折角《せつかく》|兄貴《あにき》に|会《あ》ひ|乍《なが》ら |此《この》|儘《まま》|別《わか》れるこたいやだ
|畏《おそれおほ》くも|素盞嗚《すさのをの》の |神《かみ》の|館《やかた》へ|攻《せ》めよせる
|魔神《まがみ》の|軍《いくさ》に|従《したが》つて やつて|来《き》たのもバラモンの
|神《かみ》の|御為《おんため》|身《み》を|尽《つく》し |其《その》|褒賞《はうしやう》にウントコシヨ
|恋《こひ》しき|兄《あに》に|如何《どう》かして |会《あ》はして|貰《もら》はうと|思《おも》うた|故《ゆゑ》
|天地《てんち》の|間《あひだ》にドツコイシヨ ますます|坂《さか》がキツウなつた
|転《ころ》んで|怪我《けが》をしてくれな モウ|一人《ひとり》ともない|両親《ふたおや》に
|先立《さきだ》たれたる|淋《さび》しさに |兄貴《あにき》のことを|思《おも》ひ|出《だ》し
ウラルの|教《をしへ》の|本山《ほんざん》や |所々《ところどころ》の|広前《ひろまへ》を
|捜《さが》してみたれどウントコシヨ ドツコイドツコイ ヤツトコセー
|影《かげ》も|形《かたち》も|見当《みあた》らぬ |兄貴《あにき》は|竜宮《りうぐう》の|離《はな》れ|島《じま》
|宣伝《せんでん》|功《こう》を|奏《そう》せずに |此方《こちら》の|国《くに》へ|帰《かへ》り|来《き》て
|大方《おほかた》|死《し》んだであらうかと |観念《くわんねん》してはみたものの
|虫《むし》が|知《し》らすか|如何《どう》しても |諦《あきら》め|切《き》れぬ|身《み》の|因果《いんぐわ》
|所《ところ》もあらうに|三五《あななひ》の |斎苑《いそ》の|館《やかた》に|居《を》つたとは
|夢《ゆめ》にも|知《し》らぬ|驚《おどろ》きだ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして |私《わたし》が|知《し》らずに|手《て》にかけた
|三五教《あななひけう》の|伊太公《いたこう》を |家来《けらい》の|奴《やつ》をチヨロまかし
|四《し》の|五《ご》のなしに|取返《とりかへ》し お|前《まへ》と|俺《おれ》と|両人《りやうにん》が
|治国別《はるくにわけ》の|兄《あに》の|前《まへ》 ゾロリと|出《だ》してやらなけりや
|兄貴《あにき》の|顔《かほ》も|立《た》つまいし |俺《おれ》も|大《おほ》きなドツコイシヨ
|面《つら》をばさげて|帰《いな》れない あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして |此《この》|坂《さか》|安《やす》く|平《たひら》けく
|登《のぼ》り|下《くだ》りをさしてたべ タツ|公《こう》お|前《まへ》も|宣伝歌《せんでんか》
|一《ひと》つ|歌《うた》つてドツコイシヨ |岩窟《いはや》の|前《まへ》まで|行《ゆ》かうかい
ウントコドツコイ、ハーハーハー |息《いき》が|苦《くる》しうて|言霊《ことたま》の
どうやら|原料《げんれう》が|切《き》れさうだ ハー|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ。
ドレ|一服《いつぷく》して|行《ゆ》かうかい。|寒《さむ》い|風《かぜ》は|吹《ふ》いてをつても、|坂《さか》の|上《のぼ》り|下《くだ》りは|随分《ずゐぶん》|汗《あせ》の|出《で》るものだなア。ここに|丁度《ちやうど》よい|岩《いは》がある、|気《き》は|急《せ》いて|仕方《しかた》がないが、チツとは|体《からだ》と|相談《さうだん》しなくちや|体《からだ》も|大切《たいせつ》だからなア、ハーハー フーフー』
と|息《いき》をはづませつつ|言《い》ふ。
タツ|公《こう》『|俺《おれ》も|一《ひと》つ|此処《ここ》で|一休《ひとやす》みして、|元気《げんき》を|付《つ》け、|三人《さんにん》の|奴《やつ》がゴテゴテ|吐《ぬか》したら、|蹴《け》り|倒《たふ》し、|陥穽《おとしあな》へ|突込《つつこ》んでおいて、|伊太公《いたこう》|一人《ひとり》を|連《つ》れ|帰《かへ》ることにしようかなア』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|西《にし》の|空《そら》を|眺《なが》め、|脚下《あしもと》の|谷川《たにがは》の|白布《しらぬの》を|晒《さら》したやうな|泡立《あわだ》つ|激流《げきりう》が|木々《きぎ》の|梢《こずゑ》の|間《あひだ》からチラついてゐるのを|打《う》ち|眺《なが》め、|愉快《ゆくわい》げに|汗《あせ》を|入《い》れてゐる。
タツ|公《こう》は|急坂《きふはん》を|攀《よ》ぢ|乍《なが》ら、|細《ほそ》い|声《こゑ》で|千切《ちぎ》れ|千切《ちぎ》れに|歌《うた》ひ|出《だ》した。ここからは|一層《いつそう》|道《みち》が|嶮《けは》しくなり、|団子石《だんごいし》が|狭《せま》い|山路《やまみち》に|無遠慮《ぶゑんりよ》にころがつてる。
『|清春山《きよはるやま》で|第一《だいいち》の |難所《なんじよ》と|聞《きこ》えし|蜈蚣坂《むかでざか》
|道《みち》の|真中《まなか》に|団子石《だんごいし》 |遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》も|知《し》らぬ|顔《かほ》
|俺等《おれら》を|転倒《こか》そと|待《ま》つてゐる ホンに|物騒《ぶつそう》な|世《よ》の|中《なか》だ
チツとも|油断《ゆだん》は|出来《でき》はせぬ ウントコドツコイ|人《ひと》の|手《て》に
|持《も》つてゐる|物《もの》でも|引《ひ》つたくり |吾《わが》|懐《ふところ》を|肥《こ》やさむと
|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|企《たく》みゐる |悪魔《あくま》ばかりの|世《よ》の|中《なか》だ
|折角《せつかく》|口《くち》へ|頬張《ほうば》つた パンでも|隙《すき》があつたなら
|食指《しよくし》を|大《おほい》に|動《うご》かして ヤツトコドツコイ|剔《えぐ》り|出《だ》し
|直様《すぐさま》|自分《じぶん》の|口中《こうちう》へ |捻込《ねぢこ》む|様《やう》なウントコシヨ
|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|奴《やつ》ばかり バラモン|教《けう》の|神司《かむづかさ》
|大黒主《おほくろぬし》こそ|天地《あめつち》の |神《かみ》の|心《こころ》に|叶《かな》うたる
|誠《まこと》のお|方《かた》と|思《おも》うた|故《ゆゑ》 ウントコドツコイ、マツ|公《こう》が
|入信《にふしん》したのを|幸《さいは》ひに |俺《おれ》も|一寸《ちよつと》|出来心《できごころ》
|這入《はい》つて|見《み》たが|思《おも》うたより |中身《なかみ》の|悪《わる》いバラモン|教《けう》
こんな|事《こと》だと|知《し》つたなら ヤツパリ|元《もと》の|百姓《ひやくしやう》で
|暮《くら》して|居《を》つたがよかつたと |後悔《こうくわい》してもハーハーハー
|後《あと》の|祭《まつり》で|仕方《しかた》ない ジツと|堪《こら》へて|開運《かいうん》の
|時節《じせつ》を|待《ま》ちし|其《その》|内《うち》に |鬼春別《おにはるわけ》に|従《したが》ひて
|俺等《おいら》の|主人《しゆじん》の|片彦《かたひこ》が |斎苑《いそ》の|館《やかた》に|堂々《だうだう》と
|攻《せ》め|行《ゆ》く|時《とき》の|秘書役《ひしよやく》に |選《えら》まれたるを|幸《さいは》ひに
|一角《いつかど》|今度《こんど》は|手柄《てがら》して |頭《あたま》を|上《あ》げてみようかと
|思《おも》うた|事《こと》も|水《みづ》の|泡《あわ》 |河鹿峠《かじかたうげ》の|八合目《はちがふめ》
|三五教《あななひけう》の|言霊《ことたま》を |雨《あめ》や|霰《あられ》と|浴《あ》びせられ
|脆《もろ》くも|逃行《にげゆ》く|片彦《かたひこ》や |久米彦《くめひこ》さまの|敗軍《はいぐん》を
|眺《なが》めた|時《とき》の|馬鹿《ばか》らしさ |俺等《おいら》は|愛想《あいさう》がつきた|故《ゆゑ》
モウこれきりで|御免《ごめん》をば ヤツトコドツコイ|蒙《かうむ》らうと
お|前《まへ》と|密《ひそか》にドツコイシヨ |諜《しめ》し|合《あは》せてトボトボと
|皆《みんな》に|遅《おく》れて|坂道《さかみち》を |下《くだ》つてみればこれは|又《また》
|思《おも》ひもよらぬ|三五《あななひ》の |神《かみ》の|司《つかさ》の|御供《みとも》たち
|祠《ほこら》の|前《まへ》に|端坐《たんざ》して |何《なに》かは|知《し》らぬがブツブツと
|分《わか》らぬことを|話《はな》してる コリヤ|堪《たま》らぬと|思《おも》へ|共《ども》
|逃《に》げ|路《みち》のない|一筋《ひとすぢ》の |此《この》|谷間《たにあひ》が|如何《どう》なろか
|俄《にはか》に|剽軽者《へうきんもの》となり |滑稽諧謔《こつけいかいぎやく》あり|丈《だけ》を
|尽《つく》して|相手《あひて》を|笑《わら》はせつ |心《こころ》を|和《やはら》げゐたる|折《をり》
フトした|事《こと》からマツ|公《こう》の |兄《あに》の|亀彦《かめひこ》ドツコイシヨ
ヤツトコドツコイ ハーハーハー |三五教《あななひけう》に|使《つか》はれて
|世《よ》にもめでたき|宣伝使《せんでんし》 |治国別《はるくにわけ》となつてゐた
それをば|聞《き》いた|俺《おれ》の|胸《むね》 |地異天変《ちいてんぺん》が|一時《いちどき》に
|起《おこ》りし|如《ごと》き|心地《ここち》した これもヤツパリ|神様《かみさま》の
|水《みづ》も|洩《も》らさぬお|仕組《しぐみ》の |何《なに》かの|端《はし》であらうかと
|轟《とどろ》く|胸《むね》を|撫《な》で|下《お》ろし ヤツと|悲劇《ひげき》の|幕《まく》を|上《あ》げ
|玉国別《たまくにわけ》の|御供《みとも》なる |伊太公《いたこう》さまを|救《すく》ひ|出《だ》し
それを|土産《みやげ》にマツ|公《こう》の |兄弟《きやうだい》|名乗《なのり》を|遂《と》げさせて
|俺《おれ》もこれから|三五《あななひ》の |信者《しんじや》にならうと|決心《けつしん》し
|心《こころ》イソイソやつて|来《き》た あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
|話《はなし》かはつて|岩窟《いはや》の|中《なか》には|伊太公《いたこう》を|始《はじ》め|甲《かふ》|乙《おつ》|丙《へい》の|三人《さんにん》が|車座《くるまざ》になつて、|面白《おもしろ》|可笑《をか》しく|打《う》ち|興《きよう》じ|乍《なが》ら、|雑談《ざつだん》をやつてゐる。ポーロの|留守役《るすやく》が|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|一同《いちどう》を|引《ひき》つれて|出《で》た|跡《あと》は、|生物《いきもの》と|云《い》つたら、|蝙蝠《かうもり》がここ|幸《さいは》ひと|吾物顔《わがものがほ》に|出入《でいり》を|始《はじ》めかけてゐた|位《ぐらゐ》であつた。そこへマツ|公《こう》の|家来《けらい》に|准《じゆん》ずべき|三人《さんにん》の|男《をとこ》、マツ|公《こう》の|命令《めいれい》で、|伊太公《いたこう》を|縛《しば》り|上《あ》げ、|此処迄《ここまで》|送《おく》り|来《きた》り|監視《かんし》の|役《やく》を|勤《つと》めてゐたのである。|併《しか》し|乍《なが》ら|三人《さんにん》の|男《をとこ》は|伊太公《いたこう》の|弁舌《べんぜつ》にチヨロまかされ、|縛《いまし》めの|繩《なは》を|解《と》き、ポーロが|残《のこ》しおいた|酒壺《さけつぼ》から|残《のこ》りの|酒《さけ》を|汲《く》み|出《だ》し、チビリチビリと|呑《の》み|乍《なが》ら、|面白《おもしろ》さうに|他愛《たあい》なく|喋《しや》べつてゐる。
|甲《かふ》『エーもう|今頃《いまごろ》は|先鋒隊《せんぽうたい》の|片彦《かたひこ》、|久米彦《くめひこ》|将軍《しやうぐん》は、|首尾《しゆび》よく|難関《なんくわん》を|突破《とつぱ》し、|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|着《つ》かれる|時分《じぶん》だろ。|斎苑《いそ》の|館《やかた》に|於《おい》ても|随分《ずゐぶん》|心配《しんぱい》だらうなア』
|伊太公《いたこう》『アハヽヽヽ、|斎苑《いそ》の|館《やかた》には|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|神術《かむわざ》を|備《そな》へてゐる|生神《いきがみ》ばかりだから、さう|容易《ようい》には|行《ゆ》くまいぞ。|俺《おれ》だつて、|事《こと》と|品《しな》に|依《よ》れば|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》|位《くらゐ》は|屁《へ》|一《ひと》つ|放《ひ》つたら、|吹《ふ》き|飛《と》ばすのは|何《なん》でもないのだが、|昨夜《よんべ》の|様《やう》に|谷底《たにそこ》へ|辷《すべ》り|落《お》ち、|向脛《むかふずね》を|打《う》つて|動《うご》けぬ|所《ところ》を|括《くく》られちや、|何程《なにほど》|豪傑《がうけつ》でもたまらないからのう』
|甲《かふ》『ソラさうだ。|誰《たれ》だつて|寝鳥《ねとり》を|締《しめ》るやうな|目《め》に|会《あ》はされちや|叶《かな》ひつこはないワ。ナア|伊太公《いたこう》さま、|実《じつ》ア|俺《おれ》も|君《きみ》に|同情《どうじやう》してゐるのだ。マツ|公《こう》の………|大将《たいしやう》、|厳《きび》しく|牢獄《らうごく》へ|放《ほ》り|込《こ》んでおけと|言《い》やがつたが、それでも|俺《おれ》はかうして|君《きみ》に|同情《どうじやう》をよせ、チツとも|虐待《ぎやくたい》はせないのだから、チツとは|俺《おれ》の|心《こころ》も|買《か》つてくれな|困《こま》るよ』
|伊太公《いたこう》『ソラさうだ、|敵《てき》の|中《なか》にも|味方《みかた》ありと|云《い》ふからなア、|併《しか》しお|前達《まへたち》は|大黒主《おほくろぬし》の|神《かみ》は|本当《ほんたう》に|偉《えら》い|神《かみ》さまだと|思《おも》つてゐるか』
|甲《かふ》『さうだなア、|何《なに》を|云《い》つても|化物《ばけもの》の|世《よ》の|中《なか》だから、|善悪正邪《ぜんあくせいじや》の、|俺達《おれたち》に|判断《はんだん》はつかないワ。………|苔《こけ》むす|巌《いはほ》は|変《へん》じて|金殿玉楼《きんでんぎよくろう》となり、|虎狼野干《こらうやかん》は|化《くわ》して|卿相雲客《けいしやううんきやく》となり、|獅子《しし》は|化《くわ》して|万乗《ばんじやう》の|尊《そん》となり、|王位《わうゐ》の|座《ざ》に|装《よそほ》ひを|堆《うづたか》くし、|袞竜《こんりう》の|袖《そで》に|薫香《くんかう》を|散《ち》らす|世《よ》の|中《なか》だからなア。|大黒主《おほくろぬし》もキツと|其《その》|選《せん》に|洩《も》れないだらうよ。|昔《むかし》は|鬼雲彦《おにくもひこ》とか|云《い》つたさうだから、どうせ|立派《りつぱ》な|神様《かみさま》の|系統《けいとう》ぢやあるまい。|併《しか》し|乍《なが》らこんな|事《こと》はここ|限《かぎ》りだ。ノウ|乙《おつ》|丙《へい》、メツタに|喋《しやべ》りやしようまいのう』
|乙《おつ》『そんな|事《こと》|喋《しやべ》らうものなら、|俺《おれ》の|首《くび》がなくなるワイ、ナア|丙《へい》、さうぢやないか』
|丙《へい》『さうともさうとも、こんな|話《はなし》を|聞《き》いた|以上《いじやう》は|直様《すぐさま》|甲《かふ》の|首《くび》をチヨン|切《ぎ》るか、|後手《うしろで》にフン|縛《じば》つて|将軍《しやうぐん》|様《さま》の|前《まへ》へ|突《つ》き|出《だ》すのが|本当《ほんたう》だ。それを|看過《かんくわ》しておくと|云《い》ふのはヤツパリ|同罪《どうざい》だからなア。|甲《かふ》の|云《い》つたのは|俺達《おれたち》が|言《い》うたやうなものだ。それだから|言《い》へと|云《い》つたつて|言《い》ふ|気遣《きづか》ひないワ。マア|安心《あんしん》してくれ』
|伊太公《いたこう》『|併《しか》し|大分《だいぶ》|酒《さけ》がまはつたやうだが、モウいい|加減《かげん》に|帰《かへ》つたら|如何《どう》だ。|俺《おれ》も|実《じつ》はお|師匠《ししやう》さまが|待《ま》つてゐるのだからなア』
|甲《かふ》『|其奴《そいつ》ア|一寸《ちよつと》|困《こま》る、|何程《なにほど》|親密《しんみつ》なお|前《まへ》と|俺《おれ》との|仲《なか》でも、お|前《まへ》を|取逃《とりに》がしたことが|分《わか》れば、|俺《おれ》はサーツパリだからなア。どないでも|大切《たいせつ》にするから、|一遍《いつぺん》マツ|公《こう》の|大将《たいしやう》が|査《しら》べに|来《く》るまでここに|斯《か》うして|居《を》つてくれ。お|前《まへ》にや|気《き》の|毒《どく》だけれど、|俺《おれ》だつてヤツパリ|気《き》の|毒《どく》ぢやないか』
|伊太公《いたこう》『さう|言《い》はれると|俺《おれ》も|先生《せんせい》が|大事《だいじ》だから|帰《かへ》りたいのだが、|情誼《じやうぎ》に|絆《ほだ》されて|帰《かへ》ることも|出来《でき》なくなつた。|何《なん》と|人間《にんげん》と|云《い》ふものは|気《き》の|弱《よわ》いものだなア、|自分《じぶん》|乍《なが》ら|自分《じぶん》がでに|愛想《あいさう》がつきて|来《き》たわい』
|岩窟《いはや》の|入口《いりぐち》からマツ|公《こう》の|声《こゑ》、
『オーイ、イル、|居《ゐ》るかなア』
イル『イルは|此処《ここ》に|居《を》ります』
マツ『|三五教《あななひけう》の○○は|如何《どう》したツ』
イル『オイ、|伊太公《いたこう》、|頼《たの》みぢや、|一寸《ちよつと》|暫《しばら》く|牢《ろう》へ|這入《はい》つとつて|呉《く》れぬか、こんな|所《ところ》みられちやそれこそサツパリだ。あれあの|通《とほ》り|大将《たいしやう》が|臨検《りんけん》に|来《き》よつた。オイ|乙《おつ》、|丙《へい》|早《はや》く|伊太公《いたこう》さまを、|一寸《ちよつと》の|間《ま》でいいから、|牢《ろう》へ|入《い》れといてくれ、|俺《おれ》や|出口《でぐち》まで|行《い》つて|何《なん》とか|彼《かん》とか|云《い》つて|隠《かく》す|時間《じかん》を|保《たも》つてゐるから、|手早《てばや》くやつてくれよ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|入口《いりぐち》へ|駆《か》け|出《だ》し、
イル『これはこれはマツ|公《こう》の|御大将《おんたいしやう》、|御臨検《ごりんけん》|御苦労《ごくらう》で|厶《ござ》います。|貴方《あなた》の|仰《あふ》せの|通《とほ》り、|後手《うしろで》に|縛《しば》り、どこもかも、|雁字搦《がんじがら》みにして|石牢《いしらう》へブチ|込《こ》み、|昨日《ゆふべ》から|叩《たた》いて|叩《たた》いて、キヤアキヤア|言《い》はして|苦《くるし》めてやりました。モウあゝしておけばメツタに|逃《に》げる|気遣《きづか》ひありませぬ。|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ。サア、|斎苑館《いそやかた》の|方《はう》の|戦《いくさ》が|大変《たいへん》|忙《いそが》がしいでせう、どうぞ|門《もん》を|這入《はい》らずにトツトとお|越《こ》し|下《くだ》さいませ。|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》|様《さま》がお|待兼《まちかね》で|厶《ござ》いませう』
マツ|公《こう》『|逃《に》げないやうに、|此《この》|岩窟《いはや》の|中《なか》で|貴様《きさま》たち|番《ばん》をして|居《を》れと|言《い》つたのだが、そんな|打擲《ちようちやく》を|為《せ》いとは|言《い》はないぞ。|本当《ほんたう》に|左様《さやう》な|目《め》にあはしたのか、エーン』
イル『イエイエ|滅相《めつさう》もない、|誰《たれ》がそんな|残酷《ざんこく》なことを|致《いた》しますものか』
マツ|公《こう》『そんなら、|如何《どう》しておいたのだ』
イル『ヘー、|実《じつ》の|所《ところ》は………エヽ|一寸《ちよつと》|相手《あひて》に|致《いた》しました、|随分《ずゐぶん》|面白《おもしろ》い|奴《やつ》で|厶《ござ》いますよ』
マツ|公《こう》『|何《なに》、|一寸《ちよつと》|相手《あひて》にした? |随分《ずゐぶん》|手《て》が|利《き》いてゐるだらうなア』
イル『ヘーヘー、|中々《なかなか》|好《よ》う|利《き》いてゐますワ、|特《とく》に|左《ひだり》が|一番《いちばん》|能《よ》う|利《き》きますよ。|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ………と|申《まを》しましてなア、それはそれは|面白《おもしろ》いお|相手《あひて》で|厶《ござ》いますワ』
マツ|公《こう》『ハヽヽヽヽさうすると、お|酒《さけ》でも|出《だ》して|大切《たいせつ》に|扱《あつか》うてゐたのだなア』
イル『ヘー、マアざつと、そんなもので|厶《ござ》います』
マツ|公《こう》『ウン、|其奴《そいつ》ア|偉《えら》いことをした。|定《さだ》めて|満足《まんぞく》して|居《を》るだらうなア』
イル『ヘイヘイ、|十二分《じふにぶん》に|満足《まんぞく》して|居《を》ります。ソラ|昨夜《ゆふべ》も|賑《にぎ》やかう|厶《ござ》いましたよ。ステテコを|踊《をど》つたり、|舞《まひ》をまうたり、|賑《にぎや》かいこつて|厶《ござ》いました』
マツ|公《こう》『ポーロの|大将《たいしやう》はどこに|居《ゐ》るのだ。|根《ね》つから|人《ひと》が|居《を》らぬやうぢやないか』
イル『ポーロですか、アリヤもう|二三日前《にさんにちぜん》に|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|行《い》つて|了《しま》ひましたよ』
マツ|公《こう》『ナーニ、|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ?………|沢山《たくさん》|連《つ》れて|行《い》つたのか』
イル『ヘーヘー|何《なん》でも|十五六人《じふごろくにん》|連《つ》れてゐたやうです、チヤンと|遺書《かきおき》がして|厶《ござ》いました。|而《しか》も|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》になりましてなア』
マツ|公《こう》『|何《なに》は|兎《と》もあれ、|伊太公《いたこう》さまに|会《あ》はしてくれ。オイ、タツ|公《こう》、サア|這入《はい》らう』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら|細《ほそ》き|入口《いりぐち》を|潜《くぐ》つてイルの|後《あと》に|従《したが》ひ、|奥《おく》へ|奥《おく》へと|進《すす》み|入《い》る。
(大正一一・一一・二八 旧一〇・一〇 松村真澄録)
第一七章 |反歌《はんか》〔一一六八〕
イルの|案内《あんない》で|松公《まつこう》、|竜公《たつこう》|両人《りやうにん》は|岩窟《いはや》の|奥《おく》の|間《ま》に|行《い》つて|見《み》ると|伊太公《いたこう》、サール、イクの|三人《さんにん》が|一生懸命《いつしやうけんめい》に|組《く》み|付《つ》き|合《あ》ひを|始《はじ》めて|居《を》る。サール、イクは|伊太公《いたこう》を|牢獄《らうごく》へ|打《ぶ》ち|込《こ》まうとする、|伊太公《いたこう》は|這入《はい》らうまいと|抵抗《ていかう》する、|揉《も》み|合《あ》ひの|最中《さいちう》であつた。|松公《まつこう》はこれを|見《み》て、
『コラコラ、|待《ま》て』
と|呶鳴《どな》りつけた。イク、サール|二人《ふたり》は|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて、パツと|手《て》を|放《はな》した。
|松公《まつこう》『コリヤ|両人《りやうにん》、|大切《たいせつ》な|客人《きやくじん》を|掴《つかま》へて|何《なに》を|打擲《ちようちやく》|致《いた》すのか』
イク『へえ、イクイク【イク】ら|這入《はい》れと|云《い》つても|此奴《こいつ》|頑固《ぐわんこ》で|這入《はい》らぬものですから|一寸《ちよつと》イクサールをやつて|居《を》りました』
サール『なかなか|剛情《がうじやう》な|奴《やつ》で|厶《ござ》います。|此《この》|伊太公《いたこう》はチツと【イタ】い|目《め》に|合《あ》はしてやらねば|懲《こ》りませぬからなア。イクとサールと|両人《りやうにん》が|伊太公《いたこう》に|向《むか》ひ|臨時《りんじ》イクサールをやつて|居《を》つた|処《ところ》で|厶《ござ》います。|牢《ろう》の|中《なか》へ|行《ゆ》けと|云《い》ふのに【イク】とか|行《ゆ》かぬとか|云《い》ふものですから、いや、もう|偉《えら》い|骨《ほね》を|折《を》りました』
|松公《まつこう》『|大変《たいへん》に|酩酊《めいてい》してるぢやないか。|其《その》|足許《あしもと》は|何《なん》だい』
|両人《りやうにん》|一度《いちど》に|頭《あたま》を|掻《か》き|乍《なが》ら、
『ハイ』
と|云《い》つて|蹲《うづく》まる。
|松公《まつこう》は|言葉《ことば》を|改《あらた》め、
『|貴方《あなた》は|伊太公《いたこう》さま、|玉国別《たまくにわけ》|様《さま》のお|供《とも》のお|方《かた》、えらい|昨夜《ゆふべ》は|御無礼《ごぶれい》|致《いた》しました。|今日《けふ》はお|迎《むか》へに|参《まゐ》りましたから|何卒《どうぞ》|私《わたし》について|祠《ほこら》の|森《もり》まで|帰《かへ》つて|下《くだ》さいませ』
|伊太公《いたこう》『ヤアお|前《まへ》は|昨夜《ゆふべ》|俺《おれ》をフン|縛《じば》つた|奴《やつ》だな、|又《また》してもひどい|目《め》に|会《あ》はす|心算《つもり》だらう。|俺《おれ》やもう|此処《ここ》へ|来《き》た|以上《いじやう》は|動《うご》くのは|嫌《いや》だ。そんなむつかしい|顔《かほ》せずに|一杯《いつぱい》やつたら|如何《どう》だ。|伊太公《いたこう》は|此《この》|岩窟《いはや》の|主人公《しゆじんこう》だ。|遠慮《ゑんりよ》はいらぬから、サアサア|飲《の》んだり|飲《の》んだり、|世《よ》の|中《なか》はさう|七六《しちむ》つかしくやつた|処《ところ》で|同《おな》じ|事《こと》だ。|人《ひと》に|憎《にく》まれて|此《この》|世《よ》を|送《おく》るよりも|四海同胞主義《しかいどうばうしゆぎ》を|発揮《はつき》して|互《たがひ》に|人間《にんげん》|同志《どうし》|睦《むつ》み|親《した》しみ|手《て》を|引《ひ》きあうて|渡《わた》つたらどうだ。ちつぽけな|人間《にんげん》|同志《どうし》が|戦《いくさ》をしたり|喧嘩《けんくわ》をしたりしたつて、はづまぬぢやないか』
|松公《まつこう》『イヤ|如何《どう》も|恐《おそ》れ|入《い》りました。|先《ま》づ|先《ま》づ|御壮健《ごさうけん》なお|顔《かほ》を|拝《はい》し|此《この》|松公《まつこう》もやつと|胸《むね》を|撫《な》で|下《お》ろしました。|此処《ここ》に|居《を》るのは|竜公《たつこう》と|申《まを》しまして|私《わたし》の|義弟《ぎてい》です。つまり|女房《にようばう》の|兄弟《きやうだい》ですからな、|何分《なにぶん》|宜《よろ》しく|可愛《かあい》がつてやつて|下《くだ》さいませ』
|伊太公《いたこう》『|何《なに》が|何《なん》だか、チツとも|訳《わけ》が|分《わか》らなくなつて|来《き》た。|一体《いつたい》|松公《まつこう》とやら、お|前《まへ》は|何処《どこ》の|人《ひと》だ』
|松公《まつこう》『ハイ、|私《わたし》の|生《うま》れはアーメニヤです』
|伊太公《いたこう》『|何《なに》、アーメニヤですと、そら|妙《めう》だ。|三五教《あななひけう》にはアーメニヤ|出《で》の|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》が|沢山《たくさん》|居《を》られますよ。|私《わたし》の|先生《せんせい》の|玉国別《たまくにわけ》さまもアーメニヤ|生《うま》れなり、まだ|外《ほか》にも|沢山《たくさん》にアーメニヤの|方《かた》が|居《を》られますよ』
|松公《まつこう》『|私《わたし》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|治国別《はるくにわけ》の|弟《おとうと》で|厶《ござ》います。|何《なに》とぞ|御入魂《ごじつこん》に|今後《こんご》は|願《ねが》ひ|度《た》いものです』
|伊太公《いたこう》『|成《な》る|程《ほど》、さう|聞《き》けば|治国別《はるくにわけ》|様《さま》に|生写《いきうつ》しだ。|何《なん》と|妙《めう》な|処《ところ》でお|目《め》に|掛《かか》つたものだな』
|松公《まつこう》『|其《その》|治国別《はるくにわけ》は|今《いま》|祠《ほこら》の|森《もり》に|玉国別《たまくにわけ》さまと|休《やす》んで|居《を》ります。|然《しか》しながら|私《わたし》がバラモン|教《けう》に|仕《つか》へて|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|攻《せ》め|寄《よ》せる|軍《いくさ》の|中《なか》へ|加《くは》はつてゐたものですから、|如何《どう》しても|兄貴《あにき》は|名乗《なの》つて|呉《く》れないのです。「お|前《まへ》の|誠《まこと》が|現《あら》はれたら」と|申《まを》しますので、こりや|如何《どう》しても|伊太公《いたこう》さまをここに|隠《かく》した|罪《つみ》を|詫《わ》び|玉国別《たまくにわけ》さまに|貴方《あなた》をお|渡《わた》しせねば|許《ゆる》して|呉《く》れないと|合点《がつてん》して|二人《ふたり》が|取《と》る|物《もの》も|取《と》り|敢《あへ》ず、お|迎《むか》へに|参《まゐ》つた|次第《しだい》です』
|伊太公《いたこう》『ヤア、それは|奇縁《きえん》ですな。さうして|治国別《はるくにわけ》、|玉国別《たまくにわけ》の|両宣伝使《りやうせんでんし》は|機嫌《きげん》は|宜《い》いでせうかな』
|松公《まつこう》『どちらも|機嫌《きげん》が|宜《よろ》しい。|然《しか》し|乍《なが》ら|玉国別《たまくにわけ》さまは|少《すこ》しお|怪我《けが》を|遊《あそ》ばしたさうで|気分《きぶん》が|悪《わる》さうにして|居《を》られました』
|伊太公《いたこう》『ア、それは|心配《しんぱい》な|事《こと》だ。そんならお|供《とも》をしようかな』
|此処《ここ》に|松公《まつこう》、|竜公《たつこう》、|伊太公《いたこう》を|始《はじ》め|外《ほか》|三人《さんにん》は|岩窟《いはや》を|後《あと》にし、|清春山《きよはるやま》の|峻坂《しゆんぱん》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。|伊太公《いたこう》は|先《さき》に|立《た》ち|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。
『|雲《くも》の|帯《おび》をば|引《ひ》きしめて |中空《ちうくう》|高《たか》く|聳《そび》えたる
|清春山《きよはるやま》に|来《き》て|見《み》れば |景色《けしき》は|四方《よも》に|展開《てんかい》し
|広袤《くわうぼう》|千里《せんり》の|彼方《かなた》には |大山脈《だいさんみやく》がうすうすと
|幻《まぼろし》の|如《ごと》|横《よこ》たはり |見渡《みわた》す|限《かぎ》り|黄金《わうごん》の
|錦《にしき》の|野辺《のべ》となりにけり |祠《ほこら》の|森《もり》に|息《いき》|休《やす》め
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》と|諸共《もろとも》に |一夜《ひとよ》を|明《あ》かす|折《をり》もあれ
|人馬《じんば》の|物音《ものおと》かしましく |谷道《たにみち》さして|登《のぼ》り|来《く》る
スワ|一大事《いちだいじ》バラモンの |枉神《まがかみ》なりと|耳《みみ》すませ
|月《つき》に|透《すか》して|眺《なが》むれば |祠《ほこら》の|前《まへ》に|人《ひと》の|影《かげ》
|駒《こま》の|嘶《いなな》き|騒《さわ》がしく |人員《じんゐん》|点呼《てんこ》の|声《こゑ》までも
|高《たか》く|聞《きこ》えて|何《なん》となく |腕《かひな》は|呻《うな》り|肉《にく》|踊《をど》り
|此《この》|伊太公《いたこう》は|忽《たちま》ちに |吾《わが》|身《み》を|忘《わす》れ|杖《つゑ》を|揮《ふ》り
|群《むら》がる|軍《いくさ》に|突進《とつしん》し |足《あし》|踏《ふ》み|外《はづ》し|谷川《たにがは》へ
|落《お》ちたる|隙《すき》を|無残《むざん》にも |高手《たかて》や|小手《こて》に|縛《しば》られて
|名《な》も|恐《おそ》ろしき|岩窟《がんくつ》に |連《つ》れ|来《こ》られしぞ|果敢《はか》なけれ
|悪鬼《あくき》|羅刹《らせつ》の|集《あつ》まりて |吾《われ》を|虐待《ぎやくたい》するものと
|心《こころ》を|定《さだ》め|来《き》て|見《み》れば |豈《あに》|図《はか》らむや|三人《さんにん》の
|男《をとこ》は|忽《たちま》ち|打《う》ち|解《と》けて |酒倉《さかぐら》|開《ひら》き|胡床《あぐら》かき
|四人《よにん》|一所《いつしよ》に|向《むか》ひ|合《あ》ひ |秋《あき》の|夜長《よなが》をヱラヱラと
|歓《ゑら》ぎ|楽《たの》しむ|面白《おもしろ》さ |案《あん》に|相違《さうゐ》の|伊太公《いたこう》は
|心《こころ》の|腹帯《はらおび》ゆるみ|出《だ》し |三五教《あななひけう》やバラモンの
|教《をしへ》の|蘊奥《おくが》を|談《かた》りつつ |漸《やうや》く|一夜《いちや》を|明《あか》したり
かかる|所《ところ》へ|入口《いりぐち》に |突然《とつぜん》|聞《きこ》ゆる|人《ひと》の|声《こゑ》
イルの|司《つかさ》は|驚《おどろ》いて |松公《まつこう》|大将《たいしやう》がやつて|来《き》た
|暫《しばら》くお|前《まへ》は|牢獄《らうごく》へ |這入《はい》つて|呉《く》れえと|頼《たの》めども
|神《かみ》の|使《つかひ》の|吾々《われわれ》が |汚《けが》れ|果《は》てたる|牢獄《らうごく》に
|如何《どう》して|忍《しの》び|入《い》られうか イクとサールの|両人《りやうにん》が
|力限《ちからかぎ》りに|伊太公《いたこう》を |投《な》げ|込《こ》みやらむとする|故《ゆゑ》に
|伊太公《いたこう》は|是非《ぜひ》なく|逆《さか》らひて |揉《も》みつ|揉《も》まれつする|折《をり》に
|松公《まつこう》さまが|入《い》り|来《きた》り |万事《ばんじ》の|事情《じじやう》|判明《はんめい》し
こんな|嬉《うれ》しき|事《こと》はない |之《これ》もやつぱり|三五《あななひ》の
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御恵《おんめぐ》み ウントコドツコイ ドツコイシヨ
|河鹿峠《かじかたうげ》の|急坂《きふはん》も ここ|程《ほど》きつい|事《こと》はない
|何故《なぜ》|又《また》こんな|難所《なんしよ》をば バラモン|教《けう》はドツコイシヨ
|選《えら》んでゐるのか|気《き》が|知《し》れぬ |馬《うま》も|通《かよ》はぬ|高山《たかやま》に
|砦《とりで》を|構《かま》へて|何《なん》にする あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御稜威《みいづ》の|現《あら》はれて |敵《てき》と|思《おも》ひし|松公《まつこう》に
|会《あ》ひ|度《た》い|見《み》たいと|恋慕《こひした》ふ |玉国別《たまくにわけ》の|御前《おんまへ》に
|連《つ》れて|行《ゆ》かれる|事《こと》となり |手《て》の|舞《ま》ひ|足《あし》の|踏《ふ》む|所《ところ》
|知《し》らぬばかりになつて|来《き》た あゝ|勇《いさ》ましし|勇《いさ》ましし
|神《かみ》は|確《たしか》に|天地《あめつち》の |中《なか》に|居《ゐ》ますと|云《い》ふ|事《こと》は
これでも|確《たしか》に|分《わか》るだらう これこれ|松公《まつこう》|竜公《たつこう》さま
|其《その》|外《ほか》|三人《みたり》の|番卒《ばんそつ》よ これから|心《こころ》を|改《あらた》めて
|誠《まこと》の|道《みち》に|立《た》ち|帰《かへ》り |救《すく》ひの|神《かみ》と|現《あ》れませる
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の |御前《みまへ》に|誠《まこと》を|捧《ささ》げつつ
|神《かみ》の|御子《おんこ》と|生《うま》れたる |其《その》|本分《ほんぶん》を|務《つと》めあげ
ヤツトコ ドツコイ ドツコイシヨ |此《この》|世《よ》を|去《さ》りし|其《その》|後《のち》は
|千代万代《ちよよろづよ》の|花《はな》|開《ひら》く |無上天国《むじやうてんごく》|浄土《じやうど》へと
|上《あが》り|行《ゆ》くべき|其《その》|準備《じゆんび》 やつておかねばならないぞ
|物《もの》|言《い》ふ|暇《ひま》も|死《し》の|影《かげ》は |吾等《われら》の|周囲《まはり》につきまとふ
|口《くち》ある|内《うち》に|神《かみ》を|称《ほ》め |手足《てあし》の|働《はたら》く|其《その》|中《うち》に
|誠《まこと》の|行《おこな》ひ|励《はげ》みつつ |天《あめ》と|地《つち》との|経綸《けいりん》に
|任《にん》ずる|身魂《みたま》となりませよ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|伊太公《いたこう》が |誓《ちか》ひて|汝《なれ》に|宣《の》べ|伝《つた》ふ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
ウントコ ドツコイ ドツコイシヨ |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|此《この》|世《よ》を|救《すく》ふ|生神《いきがみ》は |国治立《くにはるたち》の|大御神《おほみかみ》
|豊国主《とよくにぬし》の|大御神《おほみかみ》 |神素盞嗚《かむすさのを》の|三柱《みはしら》ぞ
この|大神《おほかみ》を|差措《さしお》いて |吾等《われら》を|助《たす》くる|神《かみ》はない
|天教山《てんけうざん》や|地教山《ちけうざん》 コーカス|山《ざん》やウブスナの
|山《やま》に|建《た》ちたる|斎苑館《いそやかた》 |霊鷲山《りやうしうざん》や|四尾山《よつをやま》
|所々《ところどころ》に|神柱《かむばしら》 |配《くば》りて|世人《よびと》を|救《すく》ひ|行《ゆ》く
|三五教《あななひけう》は|天下一《てんかいち》 |世界《せかい》に|目出度《めでた》き|教《をしへ》なり
|祈《いの》れよ|祈《いの》れ|皆《みな》|祈《いの》れ |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|慎《つつし》みて
|信仰《しんかう》|怠《をこた》る|事《こと》|勿《なか》れ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ』
と|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|時雨《しぐれ》のまぜつた|晩秋《ばんしう》の|風《かぜ》に|面《おもて》をさらしつつ、さしもに|嶮《けは》しき|清春山《きよはるやま》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・一一・二八 旧一〇・一〇 北村隆光録)
第一八章 |石室《いはむろ》〔一一六九〕
|谷《たに》の|下《くだ》り|道《みち》、|半分《はんぶん》|許《ばか》りの|所《ところ》に|七八人《しちはちにん》|這入《はい》れる|石室《いはむろ》が|穿《うが》たれてあつた。|俄《にはか》に|吹《ふ》き|来《く》る|山颪《やまおろし》、|大粒《おほつぶ》の|雨《あめ》さへ|混《まじ》つてゐる。|松公《まつこう》は、
『オイ、|伊太公《いたこう》さま、|其《その》|外《ほか》|一同《いちどう》の|者《もの》、かう|雨風《あめかぜ》が|一度《いちど》に|襲来《しふらい》しては|下《お》りる|事《こと》も|出来《でき》ない。|幸《さいは》ひ|此《この》|石室《いはむろ》で|雨風《あめかぜ》の|過《す》ぐるを|待《ま》つ|事《こと》にしようではないか』
|竜公《たつこう》『そりや|結構《けつこう》だなア、|皆《みな》さま、|一服《いつぷく》しませうかい』
|伊太公《いたこう》『|大変《たいへん》に|気《き》もせきますが、|仰《あふ》せに|随《したが》つて|雨《あめ》をまつ|事《こと》に|致《いた》しませう、|別《べつ》に|吾々《われわれ》の|体《からだ》は|紙《かみ》で|拵《こしら》へたのではないから、|少々《せうせう》の|雨《あめ》|位《くらゐ》|構《かま》ひませぬが、|皆様《みなさま》がお|気《き》の|毒《どく》だからおつきあひに|憩《やす》ませて|貰《もら》ひませう』
|入口《いりぐち》の|戸《と》もない|石室《いはむろ》に|侵入《しんにふ》し、|天然《てんねん》の|岩椅子《いはいす》に|各自《めいめい》|腰《こし》をかけ、|暫《しばら》く|足《あし》をやすめて|居《ゐ》た。|竜公《たつこう》は|俄《にはか》に|顔色《かほいろ》|蒼《あをざ》め、|冷汗《ひやあせ》をかき、ブルブルと|慄《ふる》ひ|出《だ》した。|一同《いちどう》は|驚《おどろ》いて『ヤア|何《なん》だ|何《なん》だ|竜公《たつこう》|確《しつか》りせぬか』と|周囲《ぐるり》からよつて|集《たか》つて|撫《な》でさする。|竜公《たつこう》は|汗《あせ》を|滲《にじ》ませながら|歯《は》をガチガチ|云《い》はせ、|団栗眼《どんぐりまなこ》を【むき】|出《だ》した。
|松公《まつこう》『ヤアこいつは|困《こま》つた、とうとう|瘧《おこり》に|襲《おそ》はれやがつたなア、モシモシ|伊太公《いたこう》さま、どうしたらよろしからう』
|伊太公《いたこう》『|困《こま》つた|事《こと》になつたものだ、こりや|瘧《おこり》に|違《ちが》ひない。|途中《とちう》の|事《こと》と|云《い》ひ、どうも|仕方《しかた》がない。|瘧《おこり》をおとすには|病人《びやうにん》の|頭《あたま》へ|擂鉢《すりばち》をかぶせ、|艾《もぐさ》を|一《ひと》つかみ|其《その》|上《うへ》にのせて|灸《きう》を|据《す》ゑると|直《すぐ》|落《お》ちるのだけれど、|擂鉢《すりばち》もなし、|艾《もぐさ》もなし|困《こま》つたものだ』
|松公《まつこう》『|一体《いつたい》|瘧《おこり》と|云《い》ふのは|何神《なにがみ》の|仕業《しわざ》でせうかなア』
|伊太公《いたこう》『|瘧《おこり》は|皆《みな》|死霊《しりやう》の|業《わざ》だ。|谷川《たにがは》へ|陥《はま》つたり、|池《いけ》や|沼《ぬま》に|落《お》ち|込《こ》んだ|奴《やつ》の|亡霊《ばうれい》が|憑依《ひようい》するのだ。|硫黄《いわう》|温泉《をんせん》でもあれば、そこへ|突込《つつこ》んでやれば|直《すぐ》|退散《たいさん》するのだけれど、|困《こま》つたところで|瘧《おこり》をふるつたものだわい』
|松公《まつこう》『|温泉《をんせん》へ|入《い》れたら|瘧《おこり》が|落《お》ちますか、ヤアそりや|聞《き》き|初《はじ》めだ。|幸《さいは》ひこの|谷道《たにみち》を|一丁《いつちやう》ばかり|右《みぎ》へ|下《お》りると、|昔《むかし》から|硫黄《いわう》|温泉《をんせん》が|湧《わ》いて|居《を》るとの|事《こと》です、そこへ|浴《い》れてやつたら|何《ど》うでせうなア。|貴方《あなた》もお|急《せ》きでせうが、どうせ|玉国別《たまくにわけ》さまも|治国別《はるくにわけ》さまも|祠《ほこら》の|森《もり》をお|離《はな》れなさる|気遣《きづか》ひはないから、|一寸《ちよつと》そこ|迄《まで》|廻《まは》つて|貰《もら》へますまいかなア』
|伊太公《いたこう》『そりやお|易《やす》い|事《こと》です、|人《ひと》の|苦《くる》しんで|居《を》るのを|見捨《みす》てて|行《ゆ》く|訳《わけ》にも|行《ゆ》きませぬから』
|松公《まつこう》『そりや|有難《ありがた》い、そんなら|御苦労《ごくらう》になりませうかなア』
|竜公《たつこう》は|歯《は》をキリキリと|云《い》はせながら|目《め》を|怒《いか》らせ、
『オヽ|俺《おれ》は|決《けつ》して|死霊《しりやう》ではないぞ、|瘧《おこり》でもないぞ、|大黒主《おほくろぬし》に|仕《つか》へ|奉《まつ》る|八岐大蛇《やまたをろち》の|片割《かたわれ》だ。|汝等《なんぢら》|五人《ごにん》の|不届者《ふとどきもの》|奴《め》、|俺達《おれたち》の|仲間《なかま》を|滅《ほろぼ》さむと|計《はか》る、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|手下《てした》、|玉国別《たまくにわけ》や|治国別《はるくにわけ》に|甲《かぶと》を|脱《ぬ》ぎ|吾々《われわれ》に|背《そむ》くやつ、|決《けつ》して|許《ゆる》しは|致《いた》さぬぞ。|此《この》|竜公《たつこう》が|命《いのち》を|取《と》り、|次《つぎ》には|松公《まつこう》が|命《いのち》をとり、イル、イク、サール|三人《さんにん》の|奴《やつ》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|伊太公《いたこう》|迄《まで》もとり|殺《ころ》してやるのだから、|其《その》|覚悟《かくご》を|致《いた》したらよからう』
|松公《まつこう》は|口《くち》を|尖《とが》らし|乍《なが》ら、
『|伊太公《いたこう》、あんな|事《こと》を|云《い》ひますわ、これでは|温泉《をんせん》も|駄目《だめ》でせう、|何《なん》とか|工夫《くふう》はありますまいかな』
|伊太公《いたこう》『|瘧《おこり》でないと|分《わか》れば、|又《また》|方法《はうはふ》もあります。サアこれから|三五教《あななひけう》|独特《どくとく》の|鎮魂《ちんこん》を|以《もつ》て|悪魔《あくま》を|見事《みごと》|退散《たいさん》さして|見《み》ませう』
|松公《まつこう》『どうぞ|宜《よろ》しう|願《ねが》ひます。オイ|三人《さんにん》のもの|貴様《きさま》も|一《ひと》つ|祈《いの》つて|呉《く》れい』
|茲《ここ》に|伊太公《いたこう》、|外《ほか》|四人《よにん》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》を|十回《じつくわい》|許《ばか》り|唱《とな》へた|後《のち》、|伊太公《いたこう》はポンポンと|手《て》を|拍《う》ち|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|終《をは》つて|天《あま》の|数歌《かずうた》を|二三回《にさんくわい》|唱《うた》ひ|上《あ》げた。|大蛇《をろち》の|憑霊《ひようれい》は、|天《あま》の|数歌《かずうた》に|怯《お》ぢ|恐《おそ》れ、|竜公《たつこう》を|其《その》|場《ば》に|倒《たふ》して|逃《に》げ|去《さ》つて|了《しま》つた。|竜公《たつこう》は【けろり】として|汗《あせ》をふきながら、
『ヤア|苦《くる》しい|事《こと》だつた。ようマア|伊太公《いたこう》さま|助《たす》けて|下《くだ》さつた、|何《なん》とマア|三五教《あななひけう》のお|経《きやう》はよく|利《き》きますねえ』
|伊太公《いたこう》『マア|何《なに》より|結構《けつこう》でした。|三五教《あななひけう》ではお|経《きやう》とは|申《まを》しませぬ、これは|重要《ぢうえう》なる|讃美歌《さんびか》で、|天《あま》の|数歌《かずうた》と|云《い》ひます。|皆《みな》さまもこれから|間《ま》があれば、この|数歌《かずうた》をお|唱《うた》ひなさい』
|松公《まつこう》『イヤもう|義弟《おとうと》の|命《いのち》を|助《たす》けて|頂《いただ》き、|此《こ》の|御恩《ごおん》は|忘《わす》れませぬ。サア|雨《あめ》も|余程《よほど》|小降《こぶ》りになり、|風《かぜ》も|熄《や》んだやうです。も|一気張《ひときば》りですから、ポツポツ|下《くだ》りませうか』
と|先《さき》に|立《た》ち、|又《また》もや|足拍子《あしびやうし》をとつて|歌《うた》ふ。
『|清春山《きよはるやま》の|下《くだ》り|路《みち》 |天下《てんか》にまれなる|難関所《なんくわんじよ》
|下《くだ》る|折《をり》しも|竜公《たつこう》が |石室中《いはむろなか》に|飛《と》び|込《こ》んで
ガタガタ ブルブル|慄《ふる》ひ|出《だ》す これぞ|正《まさ》しく「ウントコシヨ」
「ヤツトコドツコイ|六《む》つかしい |足《あし》|踏《ふ》み|入《い》れる|所《とこ》もない」
|瘧《おこり》のやつに|違《ちが》ひないと |心《こころ》をいため|谷間《たにあひ》に
|滾々《こんこん》|湧《わ》き|出《で》る|硫黄《いわう》の|湯《ゆ》 そいつへ|入《い》れて|助《たす》けよと
|評定《ひやうじやう》して|居《ゐ》る|最中《さいちう》に |竜公《たつこう》のやつが|口《くち》をきり
|俺《おれ》は|死霊《しりやう》ぢやない|程《ほど》に |八岐大蛇《やまたをろち》の|片割《かたわれ》ぢや
|俺等《おれら》の|仲間《なかま》を|倒《たふ》さうと |企《たく》んで|居《ゐ》よる|素盞嗚《すさのを》の
|神《かみ》の|手下《てした》に|帰順《きじゆん》して 「ヤツトコドツコイ」|怪《け》しからぬ
|事《こと》をするから|竜公《たつこう》の |命《いのち》を|先《さき》に|奪《うば》ひとり
|松公《まつこう》さまや|三人《さんにん》の |大事《だいじ》の|大事《だいじ》の|命《いのち》まで
|取《と》つてやらうと|嚇《おど》しよる |俺《おれ》も|些《ち》つとは「ドツコイシヨ」
|吃驚《びつくり》せずには|居《を》られない |狼狽《うろた》へ|騒《さわ》ぎ|居《を》る|中《うち》に
|三五教《あななひけう》の|伊太公《いたこう》は |神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|鎮魂《ちんこん》と
|一《ひと》|二《ふた》|三《み》ツ|四《よ》ツ|五《いつ》ツ|六《む》ツ |七《なな》|八《や》ツ|九《ここの》ツ|十《たり》|百《もも》|千《ち》
|万《よろづ》の|曲《まが》を|払《はら》はむと |声《こゑ》も|涼《すず》しく「ドツコイシヨ」
|天《あま》の|数歌《かずうた》|歌《うた》ひあげ |雄建《をたけ》びませば|悪神《わるがみ》は
|其《その》|神力《しんりき》に|怯《お》ぢ|恐《おそ》れ |雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げよつた
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|恵《めぐみ》は|目《ま》のあたり
|俺《おれ》もこれからバラモンの |醜《しこ》の|教《をしへ》を|思《おも》ひ|切《き》り
|神徳《しんとく》|高《たか》き|三五《あななひ》の |神《かみ》の|御教《みのり》に|従《したが》ひて
|種々《いろいろ》|雑多《ざつた》と|修業《しうげふ》なし |名《な》さへ|目出度《めでた》き|神司《かむづかさ》
|松公別《まつこうわけ》と|名乗《なの》りつつ |普《あまね》く|世人《よびと》の|悩《なや》みをば
|助《たす》けにや|置《お》かぬ|惟神《かむながら》 |兄《あに》の|命《みこと》とあれませる
|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》 |同《おな》じ|腹《はら》から|生《うま》れたる
「ウントコドツコイ」|俺《おれ》の|身《み》は |兄貴《あにき》の|真似《まね》が|出来《でき》ないと
|云《い》ふよな|理屈《りくつ》はあるまいぞ あゝ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い
|前途《ぜんと》の|光明《くわうみやう》が|見《み》えて|来《き》た |神徳《しんとく》|高《たか》き|素盞嗚《すさのを》の
|誠《まこと》の|神《かみ》に|刃向《はむか》ふは |命《いのち》|知《し》らずのする|事《こと》だ
|俺《おれ》はこれから|心境《しんきやう》を |根本的《こんぽんてき》に|改良《かいりやう》し
|神《かみ》の|御子《おんこ》と|生《うま》れたる |其《その》|天職《てんしよく》を|詳細《まつぶさ》に
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|尽《つく》すべし |竜公《たつこう》お|前《まへ》も|神様《かみさま》に
|苦《くる》しい|所《ところ》を|助《たす》けられ |尊《たふと》き|事《こと》が「ドツコイシヨ」
|漸《やうや》く|分《わか》つたであらうぞや |何程《なにほど》|人《ひと》が|偉《えら》いとて
|蠅《はひ》|一匹《いつぴき》の|寿命《じゆみやう》さへ |一秒《いちべう》|時間《じかん》|延《の》ばす|事《こと》
|出来《でき》ないやうな|身《み》を|以《もつ》て |神《かみ》に|刃向《はむか》ひなるものか
|思《おも》へば|思《おも》へば|人間《にんげん》は |神《かみ》の|力《ちから》に|比《くら》ぶれば
|塵《ちり》か|芥《あくた》の|如《ごと》きもの もうこれからは|神様《かみさま》に
|体《からだ》も|魂《たま》も|打《う》ち|任《まか》せ |一心不乱《いつしんふらん》に|善道《ぜんだう》を
|進《すす》んで|道《みち》の|御《おん》|為《ため》に |力限《ちからかぎ》りに|尽《つく》さうか
あゝ|勇《いさ》ましし|勇《いさ》ましし |長《なが》い|坂《さか》でもドンドンと
|一足《ひとあし》|々々《ひとあし》|下《くだ》りなば |遂《つひ》には|麓《ふもと》につく|如《ごと》く
|如何《いか》に|小《ちひ》さい|信仰《しんかう》も |積《つも》れば|遂《つひ》に|山《やま》となる
|山《やま》より|高《たか》く|海《うみ》よりも |深《ふか》き|尊《たふと》き|神《かみ》の|恩《おん》
|報《むく》いまつらで|置《お》くべきか |此《この》|世《よ》|計《ばか》りか|神界《しんかい》へ
|国替《くにが》へしても|神様《かみさま》が |矢張《やは》り|構《かま》うて|下《くだ》される
|真《まこと》の|親《おや》は|神様《かみさま》だ |恋《こひ》しい|親《おや》に|死別《しにわか》れ
|今迄《いままで》|悔《くや》んで|居《ゐ》たけれど それは|此《この》|世《よ》の|親様《おやさま》だ
|万劫末代《まんがふまつだい》|変《かは》らない |吾《わが》|身《み》を|救《すく》ふ|親様《おやさま》は
|神様《かみさま》よりは|外《ほか》に|無《な》い |思《おも》へば|思《おも》へば|有難《ありがた》や
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |神《かみ》に|任《まか》せた|其《その》|上《うへ》は
|如何《いか》なる|事《こと》か|恐《おそ》れむや |地震《ぢしん》|雷《かみなり》|火《ひ》の|車《くるま》
|大洪水《だいこうずゐ》の|来《きた》るとも |一旦《いつたん》|覚悟《かくご》をした|上《うへ》は
|誠《まこと》の|神《かみ》の|立《た》てませる |三五教《あななひけう》の|御道《おんみち》は
|決《けつ》して|決《けつ》して|捨《す》てはせぬ 「ウントコ ドツコイ ドツコイシヨ」
|大分《だいぶん》|坂《さか》も|下《お》りて|来《き》た もう|一気張《ひときば》りだ|皆《みな》さまよ
|足許《あしもと》|用心《ようじん》するがよい ここは|悪魔《あくま》の|巣窟《さうくつ》だ
うかうかしとると|大蛇《をろち》|奴《め》が |何時《なんどき》|憑《つ》くか|分《わか》らない
|竜公《たつこう》の|奴《やつ》が|好《よ》い|手本《てほん》 |御魂《みたま》に|気《き》をつけ|足許《あしもと》に
|心《こころ》を|配《くば》つて|下《くだ》りませ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはひ》ましませよ』
と|節《ふし》|面白《おもしろ》く|歌《うた》ひつつ、|玉国別《たまくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》が|休息《きうそく》して|居《を》る|祠《ほこら》の|森《もり》をさして|急《いそ》ぎ|行《ゆ》く。
(大正一一・一一・二八 旧一〇・一〇 加藤明子録)
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霊界物語 第四三巻 舎身活躍 午の巻
終り