霊界物語 第四二巻 舎身活躍 巳の巻
出口王仁三郎
--------------------
●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第四二巻』愛善世界社
2002(平成14)年04月07日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年07月17日作成
2008年06月23日修正
-------------------------
●目次
|序文《じよぶん》に|代《か》へて
|総説《そうせつ》に|代《か》へて
第一篇 |波瀾重畳《はらんちようでふ》
第一章 |北光照暗《ほくくわうせうあん》〔一一二六〕
第二章 |馬上歌《ばじやうか》〔一一二七〕
第三章 |山嵐《やまあらし》〔一一二八〕
第四章 |下《くだ》り|坂《ざか》〔一一二九〕
第二篇 |恋海慕湖《れんかいぼこ》
第五章 |恋《こひ》の|罠《わな》〔一一三〇〕
第六章 |野人《やじん》の|夢《ゆめ》〔一一三一〕
第七章 |女武者《をんなむしや》〔一一三二〕
第八章 |乱舌《らんぜつ》〔一一三三〕
第九章 |狐狸窟《こりくつ》〔一一三四〕
第三篇 |意変心外《いへんしんぐわい》
第一〇章 |墓場《はかば》の|怪《くわい》〔一一三五〕
第一一章 |河底《かてい》の|怪《くわい》〔一一三六〕
第一二章 |心《こころ》の|色々《いろいろ》〔一一三七〕
第一三章 |揶揄《やゆ》〔一一三八〕
第一四章 |吃驚《びつくり》〔一一三九〕
第四篇 |怨月恨霜《ゑんげつこんさう》
第一五章 |帰城《きじやう》〔一一四〇〕
第一六章 |失恋《しつれん》|会議《くわいぎ》〔一一四一〕
第一七章 |酒月《さかづき》〔一一四二〕
第一八章 |酊苑《ていゑん》〔一一四三〕
第一九章 |野襲《やしふ》〔一一四四〕
第五篇 |出風陣雅《しゆつぷうぢんが》
第二〇章 |入那立《いるなだち》〔一一四五〕
第二一章 |応酬歌《おうしうか》〔一一四六〕
第二二章 |別離《べつり》の|歌《うた》〔一一四七〕
第二三章 |竜山別《たつやまわけ》〔一一四八〕
第二四章 |出陣歌《しゆつぢんか》〔一一四九〕
第二五章 |惜別歌《せきべつか》〔一一五〇〕
第二六章 |宣直歌《のりなほしのうた》〔一一五一〕
------------------------------
|序文《じよぶん》に|代《か》へて
|人種《じんしゆ》を|超越《てうゑつ》し、|地域《ちゐき》を|脱離《だつり》し、|古今《ここん》を|絶《ぜつ》し、|過去《くわこ》と|現在《げんざい》と|未来《みらい》に|亘《わた》りて、|神示《しんじ》の|儘《まま》に|口述《こうじゆつ》|編纂《へんさん》したる|珍書《ちんしよ》は、|此《この》|物語《ものがたり》を|措《お》いて|外《ほか》には|今日《こんにち》|迄《まで》の|賢哲《けんてつ》|知識《ちしき》の|著述《ちよじゆつ》の|中《なか》には|認《みと》むる|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|従《したが》つて|一般《いつぱん》の|読者《どくしや》の|種々《しゆじゆ》|批評《ひひやう》の|種《たね》となるべきは|寧《むし》ろ|当然《たうぜん》かも|知《し》れませぬ。|彼《か》の|仏祖《ぶつそ》|釈迦《しやか》は、|比喩《ひゆ》や|偶言《ぐうげん》、|謎《なぞ》|等《とう》を|甘《うま》く|利用《りよう》して|一大《いちだい》|教典《けうてん》を|作《つく》り、|後世《こうせい》に|伝《つた》へて|人心《じんしん》の|生命《せいめい》の|綱《つな》を|与《あた》へ、キリストは|地上《ちじやう》に|降誕《かうたん》して|天国《てんごく》を|地上《ちじやう》に|建設《けんせつ》すべく|努力《どりよく》した。されど|最早《もはや》|今日《こんにち》となつては|釈迦《しやか》の|教理《けうり》もキリストの|聖訓《せいくん》も|人心《じんしん》を|善導《ぜんだう》するの|実力《じつりよく》なく、|徒《いたづら》に|偽善者《きぜんしや》が|世《よ》を|欺《あざむ》く|原資品《げんしひん》となつたやうな|感《かん》がするのである。|古《ふる》き|宗教《しうけう》、|古《ふる》き|道徳《だうとく》は|影《かげ》を|没《ぼつ》して、|新《あたら》しき|救世《きうせい》の|宗教《しうけう》も|偉人《ゐじん》も|顕《あら》はれず、|千古不磨《せんこふま》の|倫理《りんり》も|道徳教《だうとくけう》も|出現《しゆつげん》を|見《み》ず、|実《じつ》に|世《よ》は|古典《こてん》に|所謂《いはゆる》|天《あま》の|岩戸隠《いはとがく》れの|惨状《さんじやう》を|再《ふたた》び|現出《げんしゆつ》しつつあるのである。|天下《てんか》の|秋気《しうき》|動《うご》いて|山野《さんや》の|草木《さうもく》|既《すで》に|黄紅化《わうこうくわ》するの|時《とき》、|表面《へうめん》|地上《ちじやう》は|黄金《わうごん》の|波《なみ》|漂《ただよ》ふ|時《とき》、|眼《まなこ》を|遠《とほ》く|海外《かいぐわい》に|放《はな》つて|世界《せかい》の|大勢《たいせい》を|見《み》れば、|吾人《ごじん》は|実《じつ》に|人間《にんげん》として|生《うま》れ|出《い》でたる|神柱《ひと》の|責任《せきにん》の|重《ぢゆう》にして|大《だい》なるを|悟《さと》らざるを|得《え》ないのである。
ケマル・パシヤ|一度《ひとたび》|小亜細亜《せうアジア》の|風雲《ふううん》に|叱咤《しつた》して|長剣《ちやうけん》を|撫《ぶ》し|咆哮怒号《はうかうどがう》するや、|欧洲《おうしう》|列強《れつきやう》|悉《ことごと》く|震駭《しんがい》し、|流石《さすが》の|大英帝国《だいえいていこく》|宰相《さいしやう》ロイド・ジヨージも|其《その》|地位《ちゐ》を|失墜《しつつゐ》して|一平民《いちへいみん》となり、|幾度《いくたび》となく|死《し》を|報《はう》ぜられたレーニンは|再《ふたた》び|健康《けんかう》を|恢復《くわいふく》して、|奇策《きさく》を|欧亜《おうあ》の|天地《てんち》に|揮《ふる》ひ、|依然《いぜん》として|一敵国《いちてきこく》の|感《かん》を|為《な》し、|日露《にちろ》の|会議《くわいぎ》は|其《その》|効《かう》を|収《をさ》むること|能《あた》はずして、|武器《ぶき》|問題《もんだい》|倏忽《しゆくこつ》として|起《おこ》り|日本海《にほんかい》の|波浪《はらう》|之《これ》が|為《ため》に|騒《さわ》がしく、|印度《いんど》また|叛乱《はんらん》|勃発《ぼつぱつ》し、|支那《しな》には|独立軍《どくりつぐん》|威《ゐ》を|振《ふる》ふあり、|米国《べいこく》は|自由《じいう》と|正義《せいぎ》を|標榜《へうぼう》しつつ|全国《ぜんこく》に|渡《わた》りて|軍事《ぐんじ》|教育《けういく》を|施《ほどこ》し、|海相《かいしやう》デンビーをして|伊仏《いふつ》|両国《りやうこく》の|海軍《かいぐん》|条約《でうやく》に|批准《ひじゆん》せざる|間《うち》は、|一艦《いつかん》たりとも|之《これ》を|破却《はきやく》せずと|宣告《せんこく》し、|其《そ》の|仮想敵国《かさうてきこく》の|何《いづ》れにあるかを|疑《うたが》はしむ。|然《しか》るに|我《わが》|国《くに》|独《ひと》り|率先《そつせん》して|戦艦《せんかん》を|破《やぶ》り、|海員《かいゐん》を|減《げん》じて、|只管《ひたすら》|華府《くわふ》|会議《くわいぎ》の|条規《でうき》に|対《たい》して|極力《きよくりよく》|忠誠《ちうせい》を|誓《ちか》ふ|実状《じつじやう》である。|世界《せかい》は|今《いま》や|斯《かく》の|如《ごと》く|大動揺《だいどうえう》を|来《きた》しつつあるのである。|欧洲《おうしう》の|大戦《たいせん》、|一度《ひとたび》|鎮静《ちんせい》して|天下《てんか》の|大勢《たいせい》は|再《ふたた》び|累卵《るゐらん》の|危機《きき》に|瀕《ひん》す。|経済界《けいざいかい》の|沈衰《ちんすゐ》と|人心《じんしん》の|悪化《あくくわ》は|並《なら》び|臻《いた》る。アヽこの|危局《ききよく》に|立《た》つて|能《よ》く|人類《じんるゐ》|救済《きうさい》の|大業《たいげふ》を|全《まつた》うせむとする|大偉人《だいゐじん》の|出現《しゆつげん》を|望《のぞ》むや|切《せつ》ならざるを|得《え》ず。|世界《せかい》の|人類《じんるゐ》は|腐敗糜爛《ふはいびらん》の|極《きよく》に|達《たつ》せる|社会《しやくわい》の|現状《げんじやう》を|眺《なが》めて、|救世《きうせい》の|福音《ふくいん》を|翹望《げうぼう》するや|久《ひさ》し矣。しかもキリスト、|釈迦《しやか》を|温《たづ》ねて|満足《まんぞく》を|得《え》ず、|立正《りつしやう》、|見真《けんしん》、|弘法《こうぼう》また|当時《たうじ》|人心《じんしん》の|渇《かつ》を|医《いや》するに|足《た》らず。|煩悶《はんもん》|焦燥《せうさう》の|結果《けつくわ》|今《いま》や|世人《せじん》は|糾然《きうぜん》として|天啓的《てんけいてき》|神書《しんしよ》を|求《もと》め、|之《これ》を|得《え》て|以《もつ》て|人生《じんせい》の|苦悩《くなう》を|医《い》せむとしつつあるのである。|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|大神《おほかみ》は、|茲《ここ》に|天下《てんか》|万類《ばんるゐ》の|為《ため》に|綾《あや》の|聖地《せいち》に|降《くだ》りたまひ、|神《かみ》の|僕《しもべ》と|選《えら》まれたる|瑞月《ずゐげつ》の|肉《にく》の|宮《みや》を|藉《か》りて、|以《もつ》て|救世《きうせい》の|福音《ふくいん》を|宣示《せんじ》し|給《たま》うたのが|即《すなは》ちこの|霊界物語《れいかいものがたり》であります。|世道人心《せだうじんしん》の|廃頽《はいたい》を|歎《なげ》き、|天下《てんか》を|憂《うれ》ふるの|志士《しし》|淑女《しゆくぢよ》は、|心《こころ》を|潜《ひそ》めて|御神慮《ごしんりよ》の|在《あ》る|所《ところ》を|御探究《ごたんきう》あらむことを|希望《きばう》する|次第《しだい》であります。
大正十一年十一月十一日
|総説《そうせつ》に|代《か》へて
○|霊界《れいかい》には|神界《しんかい》、|中界《ちうかい》、|幽界《いうかい》の|三大境域《さんだいきやうゐき》がある。
○|神界《しんかい》は|神道家《しんだうか》の|唱《とな》ふる|高天原《たかあまはら》であり、|仏者《ぶつしや》の|謂《い》ふ|極楽浄土《ごくらくじやうど》であり、|耶蘇《やそ》の|曰《い》ふ|天国《てんごく》である。
○|中界《ちうかい》は|神道家《しんだうか》の|唱《とな》ふる|天《あめ》の|八衢《やちまた》であり、|仏者《ぶつしや》の|謂《い》ふ|六道《ろくだう》の|辻《つじ》であり、キリストの|曰《い》ふ|精霊界《せいれいかい》である。
○|幽界《いうかい》は|神道家《しんだうか》の|唱《とな》ふる|根《ね》の|国《くに》、|底《そこ》の|国《くに》であり、|仏者《ぶつしや》の|謂《い》ふ|八万地獄《はちまんぢごく》であり、キリストの|曰《い》ふ|又《また》|地獄《ぢごく》である。
|故《ゆゑ》に|天《あめ》の|八衢《やちまた》は|高天原《たかあまはら》にもあらず、また|根底《ねそこ》の|国《くに》にもあらず、|両界《りやうかい》の|中間《ちうかん》に|介在《かいざい》する|中《なか》|程《ほど》の|位置《ゐち》にして|即《すなは》ち|情態《じやうたい》である。|人《ひと》の|死後《しご》|直《ただち》に|到《いた》るべき|境域《きやうゐき》にして、|所謂《いはゆる》|中有《ちうう》である。|中有《ちうう》に|在《あ》ること|稍《やや》|久《ひさ》しき|後《のち》、|現界《げんかい》に|在《あ》りし|時《とき》の|行為《かうゐ》の|正邪《せいじや》により、|或《あるひ》は|高天原《たかあまはら》に|上《のぼ》り|或《あるひ》は|根底《ねそこ》の|国《くに》へ|落《お》ち|行《ゆ》くものである。
○|人霊《じんれい》|中有《ちうう》の|情態《じやうたい》(|天《あめ》の|八衢《やちまた》)に|居《ゐ》る|時《とき》は、|天界《てんかい》にもあらず|又《また》|地獄《ぢごく》にもあらず。|仏者《ぶつしや》の|所謂《いはゆる》|六道《ろくだう》の|辻《つじ》|又《また》は|三途《せうづ》の|川辺《かはべ》に|立《た》つて|居《ゐ》るものである。
○|人間《にんげん》に|於《お》ける|高天原《たかあまはら》の|情態《じやうたい》とは、|真《しん》と|善《ぜん》と|美《び》の|相和合《あひわがふ》せし|時《とき》であり、|根底《ねそこ》の|国《くに》の|情態《じやうたい》とは、|邪悪《じやあく》と|虚偽《きよぎ》とが|人間《にんげん》にありて|合致《がつち》せる|時《とき》を|云《い》ふのである。
○|人《ひと》の|霊魂中《れいこんちう》に|在《あ》る|所《ところ》の|真《しん》と|善《ぜん》と|美《び》と|和合《わがふ》する|時《とき》は、その|人《ひと》は|直《ただ》ちに|天国《てんごく》に|上《のぼ》り、|人《ひと》の|霊魂中《れいこんちう》に|在《あ》る|邪悪《じやあく》と|虚偽《きよぎ》と|合致《がつち》したる|時《とき》は、その|人《ひと》は|忽《たちま》ち|地獄《ぢごく》に|落《お》つるものである。|斯《かく》の|如《ごと》きは|天《あめ》の|八衢《やちまた》に|在《あ》る|時《とき》に|於《おい》て|行《おこな》はるるものである。
○|天《あめ》の|八衢《やちまた》(|中有界《ちううかい》)に|居《を》る|人霊《じんれい》は|頗《すこぶ》る|多数《たすう》である。|八衢《やちまた》は|一切《いつさい》のものの|初《はじ》めての|会合所《くわいがふしよ》であつて、|此処《ここ》にて|先《ま》づ|霊魂《れいこん》を|試験《しけん》され|準備《じゆんび》さるるのである。|人霊《じんれい》の|八衢《やちまた》に|彷徨《はうくわう》し|居住《きよぢう》する|期間《きかん》は|必《かなら》ずしも|一定《いつてい》しない。|直《ただ》ちに|高天原《たかあまはら》へ|上《のぼ》るのもあり、|直《ただ》ちに|地獄《ぢごく》に|落《お》ちるのもある。|極善極真《ごくぜんごくしん》は|直《ただ》ちに|高天原《たかあまはら》に|上《のぼ》り、|極邪極悪《ごくじやごくあく》は|直《ただ》ちに|根底《ねそこ》の|国《くに》へ|墜落《つゐらく》して|了《しま》ふのである。|或《あるひ》は|八衢《やちまた》に|数日《すうじつ》|又《また》は|数週日《すうしうじつ》、|数年間《すうねんかん》|居《ゐ》るものもある。されど|此処《ここ》に|三十年《さんじふねん》|以上《いじやう》|居《ゐ》るものは|無《な》い。|此《かく》の|如《ごと》く|時限《じげん》に|於《おい》て|相違《さうゐ》があるのは、|人間《にんげん》の|内外分《ないぐわいぶん》の|間《あひだ》に|相応《さうおう》あると、あらざるとに|由《よ》るからである。
○|人間《にんげん》の|死《し》するや、|神《かみ》は|直《ただ》ちに|其《その》|霊魂《れいこん》の|正邪《せいじや》を|審判《しんぱん》し|給《たま》ふ。|故《ゆゑ》に|悪《あ》しき|者《もの》の|地獄界《ぢごくかい》に|於《お》ける|醜団体《しうだんたい》に|赴《おもむ》くは、|其《その》|人間《にんげん》の|世《よ》にある|時《とき》、その|主《しゆ》とする|所《ところ》の|愛《あい》なるもの|忽《たちま》ち|地獄界《ぢごくかい》に|所属《しよぞく》して|居《ゐ》たからである。|又《また》|善《よ》き|人《ひと》の|高天原《たかあまはら》に|於《お》ける|善美《ぜんび》の|団体《だんたい》に|赴《おもむ》くのも、その|人《ひと》の|世《よ》に|在《あ》りし|時《とき》の|其《その》|愛《あい》、|其《その》|善《ぜん》、|其《その》|真《しん》は|正《まさ》に|天国《てんごく》の|団体《だんたい》に|既《すで》に|加入《かにふ》して|居《ゐ》たからである。
○|天界《てんかい》、|地獄《ぢごく》の|区劃《くくわく》は、|斯《かく》の|如《ごと》く|判然《はんぜん》たりと|雖《いへど》も、|肉体《にくたい》の|生涯《しやうがい》に|在《あ》りし|時《とき》に|於《おい》て、|朋友《ほういう》となり|知己《ちき》となりしものや、|特《とく》に|夫婦《ふうふ》、|兄弟《きやうだい》、|姉妹《しまい》と|成《な》りしものは、|神《かみ》の|許可《きよか》を|得《え》て|天《あめ》の|八衢《やちまた》に|於《おい》て|会談《くわいだん》することが|出来《でき》るものである。
○|生前《せいぜん》の|朋友《ほういう》、|知己《ちき》、|夫婦《ふうふ》、|兄弟《きやうだい》、|姉妹《しまい》と|雖《いへど》も、|一旦《いつたん》この|八衢《やちまた》に|於《おい》て|別《わか》れた|時《とき》は、|高天原《たかあまはら》に|於《おい》ても|根底《ねそこ》の|国《くに》に|於《おい》ても、|再《ふたた》び|相見《あひみ》る|事《こと》は|出来《でき》ない、|又《また》|相識《あひし》ることもない。|但《ただし》|同一《どういつ》の|信仰《しんかう》、|同一《どういつ》の|愛《あい》、|同一《どういつ》の|性情《せいじやう》に|居《を》つたものは、|天国《てんごく》に|於《おい》て|幾度《いくたび》も|相見《あひみ》|相識《あひし》ることが|出来《でき》るのである。
○|人間《にんげん》の|死後《しご》、|高天原《たかあまはら》や|根底《ねそこ》の|国《くに》へ|行《ゆ》くに|先《さき》だつて、|何人《なんぴと》も|経過《けいくわ》すべき|状態《じやうたい》が|三途《さんと》ある。そして|第一《だいいち》は|外分《ぐわいぶん》の|状態《じやうたい》、|第二《だいに》は|内分《ないぶん》の|状態《じやうたい》、|第三《だいさん》は|準備《じゆんび》の|状態《じやうたい》である。|此《この》|状態《じやうたい》を|経過《けいくわ》する|境域《きやうゐき》は|天《あめ》の|八衢《やちまた》(|中有界《ちううかい》)である。|然《しか》るにこの|順序《じゆんじよ》を|待《ま》たずに、|直《ただち》に|高天原《たかあまはら》に|上《のぼ》り|根底《ねそこ》の|国《くに》へ|落《お》つるものもあるのは、|前《まへ》に|述《の》べた|通《とほ》りである。
|直《ただ》ちに|高天原《たかあまはら》に|上《のぼ》り|又《また》は|導《みちび》かるるものは、|其《その》|人間《にんげん》が|現界《げんかい》に|在《あ》る|時《とき》、|神《かみ》を|知《し》り、|神《かみ》を|信《しん》じ、|善道《ぜんだう》を|履《ふ》み|行《おこな》ひ、|其《その》|霊魂《れいこん》は|神《かみ》に|復活《ふくくわつ》して、|高天原《たかあまはら》へ|上《のぼ》る|準備《じゆんび》が|早《はや》くも|出来《でき》て|居《ゐ》るからである。また|善《ぜん》を|表《おもて》に|標榜《へうぼう》して|内心悪《ないしんあく》を|包蔵《はうざう》するもの、|即《すなは》ち|自己《じこ》の|兇悪《きやうあく》を|装《よそほ》ひ|人《ひと》を|欺《あざむ》く|為《ため》に|善《ぜん》を|利用《りよう》した|偽善者《きぜんしや》や、|不信仰《ふしんかう》にして|神《かみ》の|存在《そんざい》を|認《みと》めなかつたものは、|直《ただ》ちに|地獄《ぢごく》に|墜落《つゐらく》し、|無限《むげん》の|永苦《えいく》を|受《う》くる|事《こと》になるのである。
○|死後《しご》|高天原《たかあまはら》に|安住《あんぢう》せむとして|霊的《れいてき》|生涯《しやうがい》を|送《おく》ると|云《い》ふことは、|非常《ひじやう》に|難事《なんじ》と|信《しん》ずるものがある。|世《よ》を|捨《す》て、その|身肉《しんにく》に|属《ぞく》せる|所謂《いはゆる》|情慾《じやうよく》なるものを|一切《いつさい》|脱離《だつり》せなくてはならないからだ、と|言《い》ふ|人《ひと》がある。|此《かく》の|如《ごと》き|考《かんが》への|人《ひと》は、|主《しゆ》として|富貴《ふうき》より|成《な》れる|世間的《せけんてき》|事物《じぶつ》を|斥《しりぞ》け、|神《かみ》、|仏《ほとけ》、|救《すく》ひ、|永遠《ゑいゑん》の|生命《せいめい》と|云《い》ふ|事《こと》に|関《くわん》して、|絶《た》えず|敬虔《けいけん》な|想念《さうねん》を|凝《こ》らし、|祈願《きぐわん》を|励《はげ》み、|教典《けうてん》を|読誦《どくじゆ》して|功徳《くどく》を|積《つ》み、|世《よ》を|捨《す》て、|肉《にく》を|離《はな》れて、|霊《れい》に|住《す》めるものと|思《おも》つて|居《を》るのである。|然《しか》るに|天国《てんごく》は|斯《かく》の|如《ごと》くにして|上《のぼ》り|得《う》るものではない。|世《よ》を|捨《す》て、|霊《れい》に|住《す》み、|肉《にく》に|離《はな》れようと|努《つと》むるものは、|却《かへつ》て|一層《いつそう》|悲哀《ひあい》の|生涯《しやうがい》を|修得《しうとく》し、|高天原《たかあまはら》の|歓楽《くわんらく》を|摂受《せつじゆ》する|事《こと》は|到底《たうてい》|出来《でき》るものでない。|何《なん》となれば、|人《ひと》は|各自《かくじ》の|生涯《しやうがい》が|死後《しご》にも|猶《なほ》|留存《りうぞん》するものなるが|故《ゆゑ》である。|高天原《たかあまはら》に|上《のぼ》りて|歓楽《くわんらく》の|生涯《しやうがい》を|永遠《ゑいゑん》に|受《う》けむと|思《おも》はば、|現世《げんせ》に|於《おい》て|世間的《せけんてき》の|業務《げふむ》を|執《と》り、その|職掌《しよくしやう》を|尽《つく》し、|道徳的《だうとくてき》|民文的《みんぶんてき》|生涯《しやうがい》を|送《おく》り、かくして|後《のち》|始《はじ》めて|霊的《れいてき》|生涯《しやうがい》を|受《う》けねばならぬのである。これを|外《ほか》にしては、|霊的《れいてき》|生涯《しやうがい》を|為《な》しその|心霊《しんれい》をして、|高天原《たかあまはら》に|上《のぼ》るの|準備《じゆんび》を|完《まつた》うし|得《う》べき|途《みち》はないのである。|内的《ないてき》|生涯《しやうがい》を|清《きよ》く|送《おく》ると|同時《どうじ》に、|外的《ぐわいてき》|生涯《しやうがい》を|営《いとな》まないものは、|砂上《さじやう》の|楼閣《ろうかく》の|如《ごと》きものである。|或《あるひ》は|次第《しだい》に|陥没《かんぼつ》し|或《あるひ》は|壁《かべ》|落《お》ち|床《ゆか》|破《やぶ》れ|崩壊《ほうくわい》し|傾覆《けいふく》する|如《ごと》きものである。
あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》
大正十一年十一月十四日
口述者識
第一篇 |波瀾重畳《はらんちようでふ》
第一章 |北光照暗《ほくくわうせうあん》〔一一二六〕
|神《かみ》の|御稜威《みいづ》も|高照山《たかてるやま》の  |堅磐常磐《かきはときは》の|岩窟《がんくつ》に
|天降《あも》り|坐《ま》したる|北光彦《きたてるひこ》の  |天《あめ》の|目一《まひと》つ|神司《かむつかさ》
さしもに|猛《たけ》き|獣族《けもの》まで  |伊豆《いづ》の|慈眼《じがん》に|救《すく》ひつつ
|瑞《みづ》の|教《をしへ》を|遠近《をちこち》に  |開《ひら》かせたまふ|尊《たふと》さよ
その|妻神《つまがみ》と|現《あ》れませる  こころも|直《すぐ》なる|竹野姫《たけのひめ》
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なの|起《おき》【ふし】に  |諸《もも》の|獣族《けもの》を|愛《いつ》くしみ
|美都《みづ》の|御霊《みたま》の|御教《みをしへ》を  |体現《たいげん》しますぞ|畏《かしこ》けれ
|神《かみ》の|御綱《みつな》に|曳《ひ》かれつつ  ここに|耶須陀羅姫《やすだらひめ》の|命《みこと》
テルマン|国《ごく》の|毘舎《びしや》の|家《いへ》  シヤールの|夫《をつと》の|暴状《ばうじやう》に
|堪《たま》り|兼《か》ねたる|時《とき》もあれ  |忠誠《ちうせい》|無比《むひ》の|下男《しもをとこ》
リーダーの|誠《まこと》に|助《たす》けられ  |夜《よ》を|日《ひ》に|次《つ》いで|入那国《いるなこく》
|蓮《はちす》の|川辺《かはべ》に|来《きた》る|折《をり》  |右守《うもり》の|司《つかさ》の|放《はな》ちたる
|数十人《すうじふにん》の|手下《てした》|等《ら》に  |取《と》り|囲《かこ》まれて|主従《しうじゆう》は
|進退《しんたい》|茲《ここ》に|谷《きは》まりし  その|一刹那《いつせつな》|後方《しりへ》より
|声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣伝歌《せんでんか》  |聞《きこ》え|来《きた》ると|思《おも》ふうち
|諸国《しよこく》|巡修《じゆんしう》の|竜雲《りううん》が  |此処《ここ》に|現《あら》はれ|主従《しうじゆう》が
|危難《きなん》を|救《すく》ひ|寄手《よせて》をば  |彼方《かなた》の|野辺《のべ》に|追《お》ひ|退《や》りぬ
|耶須陀羅姫《やすだらひめ》とリーダーは  |危救《ききう》の|恩《おん》を|謝《しや》しながら
|竜雲司《りううんつかさ》に|守《まも》られて  |照山峠《てるやまたうげ》の|麓《ふもと》まで
|進《すす》みて|来《きた》る|折《をり》もあれ  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|黄金姫《わうごんひめ》や|清照姫《きよてるひめ》の  その|一行《いつかう》に|邂逅《かいこう》して
|北光神《きたてるがみ》の|伝言《でんごん》を  |聞《き》きて|歓《よろこ》び|勇《いさ》みつつ
|袂《たもと》を|別《わか》つ|右左《みぎひだり》  |狼《おほかみ》|巣《す》ぐふ|高照《たかてる》の
|深山《みやま》を|指《さ》して|三人《さんにん》は  |膝《ひざ》の|栗毛《くりげ》に|鞭《むち》を|打《う》ち
|漸《やうや》く|谷《たに》を|数《かず》|越《こ》えて  |北光神《きたてるがみ》の|鎮《しづ》まれる
|岩窟館《がんくつやかた》に|着《つ》きにけり  |天《あめ》の|目一《まひと》つ|神司《かむつかさ》
|竹野《たけの》の|姫《ひめ》も|歓《よろこ》びて  この|珍客《ちんきやく》を|優待《もてな》しつ
|誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の  |教《をしへ》を|諭《さと》す|時《とき》も|時《とき》
|黄金姫《わうごんひめ》や|清照姫《きよてるひめ》の  |貴《うづ》の|命《みこと》の|計《はか》らひに
|入那《いるな》の|城主《じやうしゆ》と|時《とき》めきし  セーラン|王《わう》はカル、レーブ
その|他《た》の|従者《じゆうしや》と|諸共《もろとも》に  |駒《こま》に|鞭打《むちう》ち|出《い》で|来《きた》り
|又《また》もや|不思議《ふしぎ》の|対面《たいめん》に  |日頃《ひごろ》|慕《した》ひし|相愛《さうあい》の
|目出度《めでた》き|男女《だんぢよ》の|語《かた》り|合《あ》ひ  |実《げ》にも|割《わり》|無《な》く|見《み》えにける
|北光神《きたてるがみ》は|慇懃《いんぎん》に  |天地《てんち》の|神《かみ》の|経綸《けいりん》を
|心《こころ》を|籠《こ》めて|宣《の》り|伝《つた》へ  さしもに|寂《さび》しき|岩窟《がんくつ》も
|萎《しを》れ|切《き》つたる|夏草《なつくさ》の  |白雨《はくう》に|蘇生《そせい》せし|如《ごと》く
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|花《はな》|咲《さ》きぬ  アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましまして  |四十二巻《しじふにくわん》の|物語《ものがたり》
|車《くるま》の|轍《わだち》もすらすらと  |進《すす》ませたまへ|世《よ》を|守《まも》る
|畏《かしこ》き|神《かみ》の|大前《おほまへ》に  |謹《つつし》み|敬《うやま》ひ|願《ね》ぎ|奉《まつ》る。
|北光《きたてる》の|神《かみ》なる|天《あめ》の|目一《まひと》つの|神《かみ》は|白髯《はくぜん》を|撫《な》でながら、セーラン|王《わう》や|耶須陀羅姫《やすだらひめ》、|竜雲《りううん》その|他《た》を|集《あつ》めて、|神界《しんかい》の|御経綸《ごけいりん》や|神示《しんじ》に|就《つい》て|綿密《めんみつ》なる|解釈《かいしやく》を|与《あた》へつつあつた。
セーラン『|昨日《さくじつ》より|承《うけたま》はりました|世界《せかい》の|終焉《しうえん》に|就《つい》て、|今《いま》|一応《いちおう》|詳細《しやうさい》なる|説明《せつめい》を|御願《おねが》ひ|申上《まをしあ》げ|度《た》きもので|御座《ござ》ります。|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|御神示《ごしんじ》の|中《なか》に、|世《よ》の|終《をは》りの|来《きた》る|時《とき》は|其《その》|日《ひ》の|患難《なやみ》の|後《のち》、|直《ただ》ちに|日《ひ》は|暗《くら》く|月《つき》は|光《ひかり》を|失《うしな》ひ、|星《ほし》は|空《そら》より|墜《お》ち、|天《てん》の|勢《いきほ》ひ|震《ふる》ふべし。|其《その》|時《とき》、|人《ひと》の|子《こ》の|徴《しるし》|天《てん》にあらはる。|又《また》|地上《ちじやう》にある|諸族《もろもろのもの》は|哭《な》き|哀《かな》しみ、|且《か》つ|人《ひと》の|子《こ》の|権威《けんゐ》と|大《だい》なる|栄光《えいくわう》とを|以《もつ》て|天《てん》の|雲《くも》に|乗《の》り|来《きた》るを|見《み》む。|又《また》その|使《つかひ》|等《たち》を|遣《つか》はし、ラツパの|大《だい》なる|声《こゑ》を|出《いだ》さしめて、|天《てん》の|彼《か》の|極《きは》みより|此《こ》の|極《きは》みまで、|四方《しはう》より|其《その》|選《えら》ばれし|者《もの》を|集《あつ》むべし……とあるのは、|其《その》|言葉《ことば》の|通《とほ》りに|解《かい》すれば|如何《どん》なもので|御座《ござ》りませうか、|文字通《もじどほ》りに|解《かい》すべきものとすれば、|最後《さいご》の|神《かみ》の|審判《しんぱん》と|云《い》はれてある|世界《せかい》|終焉《しうえん》の|時《とき》に、|是等《これら》の|恐《おそ》るべき|事件《じけん》が|出現《しゆつげん》すると|見《み》なくてはなりませぬなあ』
『この|予言《よげん》を|以《もつ》て|教示《けうじ》の|文字通《もじどほ》りに|解《かい》するものは|可成《かなり》|沢山《たくさん》あるさうです。|是等《これら》の|人《ひと》は|日月《じつげつ》|光《ひかり》を|失《うしな》ひ、|星《ほし》は|空《そら》より|墜《お》ち、|主《しゆ》なる|神《かみ》の|徴《しるし》|天《てん》に|現《あら》はれ、|又《また》|雲《くも》の|中《なか》よりラツパを|持《も》つた|天使《てんし》は、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|救世主《きうせいしゆ》と|共《とも》に、|現実的《げんじつてき》に|天《てん》より|降《くだ》り|給《たま》ふものと|思考《しかう》して|居《ゐ》るのみならず、|見《み》る|限《かぎ》りの|世界《せかい》は|悉《ことごと》く|滅《ほろ》びて、|茲《ここ》に|始《はじ》めて|新《あたら》しき|天地《てんち》の|出現《しゆつげん》を|見得《みえ》らるるものと|早合点《はやがつてん》して|居《ゐ》るのである。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|中《なか》に|於《おい》ても、|此《かく》の|如《ごと》く|信《しん》じて|居《ゐ》る|人《ひと》があるやうです。|斯《かく》の|如《ごと》く|信《しん》じて|居《ゐ》る|人《ひと》は、|神諭《しんゆ》の|微細《びさい》なる|所《ところ》に|至《いた》るまで|密意《みつい》の|存在《そんざい》しある|事《こと》を|知《し》らないのである。|神諭《しんゆ》の|裡《うち》には|文字《もじ》の|如《ごと》く|解《かい》すべき|自然的《しぜんてき》|世間的《せけんてき》の|事《こと》では|無《な》くして、|心霊的《しんれいてき》、|神界的《しんかいてき》の|秘事《ひじ》を|包含《はうがん》されて|居《を》る。|一文《いちぶん》|一句《いつく》のうちにも、|一々《いちいち》|内義《ないぎ》を|含《ふく》ましめむために、|悉《ことごと》く|相応《さうおう》の|理《り》に|由《よ》りて|示諭《じゆ》されてある。|故《ゆゑ》に|神諭《しんゆ》は、|普通《ふつう》の|知識《ちしき》や|学問《がくもん》の|力《ちから》では、|到底《たうてい》|真解《しんかい》さるるものでは|無《な》い。|是《これ》|即《すなは》ち|神聖《しんせい》なる|神諭《しんゆ》たる|所以《ゆゑん》である。
|主《しゆ》なる|神《かみ》、|大空《おほぞら》の|雲《くも》に|乗《の》りて|来《きた》るとの|神示《しんじ》も|亦《また》|此《この》|内義《ないぎ》に|由《よ》つて、|解釈《かいしやく》すべきものである。
|即《すなは》ち|暗《くら》くならむといふ|日《ひ》は
|愛《あい》の|方面《はうめん》より|見《み》たる|救世主《きうせいしゆ》|厳《いづ》の|御魂《みたま》を|表《あら》はし、
|月《つき》は|信《しん》の|方面《はうめん》より|見《み》たる
|救世主《きうせいしゆ》|瑞《みづ》の|御魂《みたま》を|表《あら》はし、
|星《ほし》は
|善《ぜん》と|信《しん》との|知識《ちしき》|又《また》は
|愛《あい》と|信《しん》との|知識《ちしき》を|表《あら》はし、
|天上《てんじやう》に|於《お》ける|人《ひと》の|子《こ》の|徴《しるし》は
|神真《しんしん》の|顕示《けんじ》を|表《あら》はし、
|地上《ちじやう》に|於《おい》て|哭《な》き|哀《かなし》まむと|云《い》ふ|諸族《もろもろのもの》は
|真《しん》と|善《ぜん》、|又《また》は
|信《しん》と|愛《あい》とより|来《きた》る|万事《ばんじ》を|表《あら》はし、
|天《てん》の|雲《くも》に|乗《の》りて|権威《けんゐ》と|栄光《えいくわう》とを|以《もつ》て|主《しゆ》|即《すなは》ち|救世主《きうせいしゆ》の|来《きた》らむといふのは、
|神諭《しんゆ》の|中《なか》に|救世主《きうせいしゆ》の|現存《げんぞん》することを|表《あら》はし、
かねて|其《そ》の|黙示《もくじ》を|表《あら》はし、
|雲《くも》は
|神諭《しんゆ》の|文字《もじ》に|顕《あら》はれたるを|表《あら》はし、
|栄光《えいくわう》は
|神諭《しんゆ》の|内《うち》に|潜《ひそ》める|意義《いぎ》を|表《あら》はし、
|天人《てんにん》のラツパをもちて、|大《だい》なる|声《こゑ》を|出《だ》すというてあるのは、
|神真《しんしん》の|由《よ》りて|来《きた》るべき|天上界《てんじやうかい》を|表《あら》はしたものである。
この|故《ゆゑ》に|救世主《きうせいしゆ》の|宣《のたま》へる|如上《じよじやう》の|言葉《ことば》は、|何《なん》の|意義《いぎ》なるかと|云《い》へば、
|教《をしへ》の|聖場《せいぢやう》の|終期《しうき》に|当《あた》りて
|信《しん》と|愛《あい》とまた|共《とも》に|滅《ほろ》ぶる|時《とき》
|救世主《きうせいしゆ》は|神諭《しんゆ》の|内意《ないい》を|啓発《けいはつ》し、|神界《しんかい》の|密意《みつい》を|現《あら》はし|給《たま》ふといふ|事《こと》である。|目下《もくか》の|婆羅門教徒《ばらもんけうと》もウラル|教徒《けうと》も|亦《また》|三五教徒《あななひけうと》も、|殆《ほとん》ど|全部《ぜんぶ》|知《し》るものなしと|謂《い》つても|良《よ》い|位《くらゐ》だ。|実《じつ》に|宣伝使《せんでんし》の|職《しよく》にあるものすら、|神諭《しんゆ》のわが|解釈《かいしやく》を|否《いな》まむとする|者《もの》|計《ばか》りだ。そして|彼等《かれら》の|多《おほ》くは|曰《い》ふ。『|何者《なにもの》か、|能《よ》く|神界《しんかい》を|探査《たんさ》し|来《きた》りて、|是等《これら》の|事《こと》を|語《かた》り|得《う》るものぞ』と。|斯《かく》の|如《ごと》き|説《せつ》を|主張《しゆちやう》する|者《もの》、|特《とく》に|世智《せち》に|長《た》けたる|人々《ひとびと》の|中《うち》に|多々《たた》あるを|見《み》る。|其《その》|害毒《がいどく》の|或《あるひ》は|真率純真《しんそつじゆんしん》の|人《ひと》に|及《およ》ぼし、|遂《つひ》に|其《その》|信仰《しんかう》の|壊乱《くわいらん》を|来《きた》すの|恐《おそ》れあるを|歎《なげ》き、|我《われ》は|常《つね》に|霊魂《れいこん》を|浄《きよ》めて|天人《てんにん》と|交《まじ》はり、|之《これ》と|相語《あひかた》り|合《あ》うたのである。|天人《てんにん》と|言語《げんご》を|交換《かうくわん》する|事《こと》、|人間界《にんげんかい》と|同様《どうやう》に|神界《しんかい》より|許《ゆる》されて、|親《した》しく|天界《てんかい》に|起《おこ》る|諸多《しよた》の|事件《じけん》や|地獄《ぢごく》の|有様《ありさま》をも|見《み》ることを|許《ゆる》され、|神界《しんかい》の|真相《しんさう》を|天下万民《てんかばんみん》に|伝《つた》へ|示《しめ》し、|説《と》き|諭《さと》すに|努《つと》めて|居《ゐ》るのは、|無明《むみやう》の|世界《せかい》を|照破《せうは》し、|不信《ふしん》の|災《わざはひ》を|除《のぞ》き|去《さ》らむが|為《ため》である。|例《たと》へ|神諭《しんゆ》に|天地《てんち》が|覆《くつが》へると|示《しめ》してあつても、|泥海《どろうみ》になるとあつても、|人間《にんげん》が|三分《さんぶ》になると|示《しめ》されてあつても、|眩舞《めまひ》が|来《く》るとあつても、|決《けつ》して|之《これ》を|文字《もじ》|其《その》|儘《まま》に|解《かい》すべきものでない。|凡《すべ》て|内義的《ないぎてき》、|神界的《しんかいてき》、|心霊的《しんれいてき》に|解《かい》すべきものである。さうで|無《な》くては、|却《かへつ》て|天下《てんか》に|大《だい》なる|害毒《がいどく》を|流布《るふ》し、|神慮《しんりよ》を|悩《なや》ませ|奉《たてまつ》る|事《こと》になるものである|事《こと》を|承知《しようち》せなくてならぬと|思《おも》ふ。|併《しか》し|乍《なが》ら、|是《これ》は|北光《きたてる》|一家《いつか》の|私言《しげん》だ。|脱線《だつせん》して|居《を》るかも|知《し》れぬ、アハヽヽヽ』
『|御懇篤《ごこんとく》なる|御教示《ごけうじ》を|蒙《かうむ》りまして、|吾々《われわれ》も|漸《やうや》くにして|迷夢《めいむ》を|醒《さ》ましました。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|感涙《かんるい》に|咽《むせ》ぶ。ヤスダラ|姫《ひめ》も|竜雲《りううん》も、|其《その》|他《た》の|一同《いちどう》も|息《いき》も|継《つ》がず、|北光神《きたてるのかみ》の|示教《じけう》を|聴聞《ちやうもん》し、|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|暮《く》れつつあつた。
『サア サア セーラン|王様《わうさま》、ヤスダラ|姫様《ひめさま》、レーブ、カル|殿《どの》、|是《これ》より|入那《いるな》の|城《しろ》に|乗《の》り|込《こ》み、|邪神《じやしん》を|言向和《ことむけやは》すべく|時《とき》を|移《うつ》さず|出陣《しゆつぢん》されよ。|時《とき》|遅《おく》れては|大変《たいへん》だ。|黄金姫《わうごんひめ》、|清照姫《きよてるひめ》|様《さま》も|待《ま》つて|居《を》られます』
と|平素《へいそ》|落着《おちつ》き|払《はら》つた|神《かみ》に|似《に》ず|急《せ》き|立《た》てる。セーラン|王《わう》は|此《こ》の|言葉《ことば》に|立上《たちあが》り、
『|重々《ぢゆうぢゆう》の|御親切《ごしんせつ》に|預《あづ》かりました。|然《しか》らば、|是《これ》より|三五教《あななひけう》の|言霊《ことたま》を|以《もつ》て、|悪人《あくにん》を|善道《ぜんだう》に|導《みちび》く|首途《かどで》に|際《さい》し、|神様《かみさま》に|宣伝歌《せんでんか》を|奏上《そうじやう》|致《いた》しませう』
と|銀扇《ぎんせん》を|開《ひら》いて、|声《こゑ》も|涼《すず》しく|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。その|歌《うた》、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善神《ぜんしん》|邪神《じやしん》を|立別《たてわ》ける
|天地《てんち》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |霊魂《みたま》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |神《かみ》の|御旨《みむね》に|任《まか》すのみ
|怪《け》しき|卑《いや》しき|人《ひと》の|身《み》の  いかでか|正邪《せいじや》を|覚《さと》り|得《え》む
|大黒主《おほくろぬし》の|神司《かむつかさ》  |八岐大蛇《やまたをろち》の|表現《へうげん》と
|吾《われ》は|心《こころ》に|思《おも》へども  |尊《たふと》き|神《かみ》の|摂理《せつり》の|下《もと》に
|弱《よわ》き|身魂《みたま》を|救《すく》はむと  |邪神《じやしん》と|顕現《けんげん》ましまして
|試《ため》させ|給《たま》ふも|計《はか》られず  |他人《ひと》を|悪《あし》しと|思《おも》はずに
|吾《わが》|身《み》の|罪《つみ》を|省《かへり》みて  |日《ひ》に|夜《よ》に|感謝《かんしや》の|生活《せいくわつ》を
|楽《たの》しむならば|天地《あめつち》の  |神《かみ》は|必《かなら》ず|守《まも》るべし
|吾《わが》|身《み》の|罪悪《つみ》の|有様《ありさま》が  |写《うつ》り|給《たま》ひしものならむ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |無抵抗主義《むていかうしゆぎ》の|御教《みをしへ》に
|刃向《はむか》ふ|敵《てき》はあらざらめ  あらゆる|曲津《まがつ》も|醜神《しこがみ》も
|大蛇《をろち》も|凡《すべ》て|他《た》にあらず  |執着心《しふちやくしん》の|雲《くも》|深《ふか》き
|穢《きた》なき|身魂《みたま》に|憑依《ひようい》して  |吾《わが》|身《み》の|罪《つみ》が|自《おのづか》ら
|吾《わが》|身《み》を|苦《くる》しめ|攻《せ》むるなり  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
ヤスダラ|姫《ひめ》と|諸共《もろとも》に  |心《こころ》の|駒《こま》を|立直《たてなほ》し
|邪神《じやしん》と|悪《にく》みしカールチン  テーナの|姫《ひめ》は|言《い》ふも|更《さら》
サマリー|姫《ひめ》を|憐《あは》れみて  |吾等《われら》に|与《あた》へし|無礼《ぶれい》をば
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し  |広《ひろ》き|心《こころ》に|宣《の》り|直《なほ》し
|入那《いるな》の|国《くに》の|民草《たみぐさ》を  |安《やす》く|楽《たの》しく|神国《しんこく》の
|花《はな》|咲《さ》く|春《はる》の|歓《よろこ》びに  |救《すく》ひて|天津神国《あまつかみくに》の
|貴《うづ》の|消息《たより》や|福音《ふくいん》を  |導《みちび》き|諭《さと》し|麻柱《あななひ》の
|誠《まこと》|一《ひと》つの|御教《みをしへ》に  |習《なら》はせ|上下《しやうか》|親《した》しみて
|常世《とこよ》の|春《はる》を|楽《たの》しみつ  |地上《ちじやう》に|降《くだ》りし|天国《てんごく》の
|神《かみ》の|柱《はしら》と|仕《つか》ふべし  |北光神《きたてるがみ》よ|竹野姫《たけのひめ》
いざいざさらば いざさらば  |是《これ》よりお|暇《いとま》|申《まを》し|上《あ》げ
|入那《いるな》の|都《みやこ》へ|堂々《だうだう》と  |轡《くつわ》を|並《なら》べて|立帰《たちかへ》り
|国人《くにびと》|等《ども》の|心《こころ》をば  |安《やす》んじ|救《すく》ひ|大神《おほかみ》の
|誠《まこと》の|教《のり》を|伝《つた》ふべし  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
と|歌《うた》ひ|了《をは》り、|用意《ようい》の|駒《こま》にヒラリと|跨《また》がり、|一行《いつかう》|七人《しちにん》は|北光神《きたてるのかみ》|夫婦《ふうふ》に|別《わか》れを|告《つ》げ、|手綱《たづな》かいくり、|山路《やまみち》を|狼《おほかみ》の|群《むれ》に|送《おく》られ、ハイハイハイと|駒《こま》を|警《いま》しめながら|高照山《たかてるやま》を|降《くだ》り、|入那《いるな》の|都《みやこ》をさして|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・一一・一四 旧九・二六 加藤明子録)
第二章 |馬上歌《ばじやうか》〔一一二七〕
|神《かみ》の|御稜威《みいづ》も|高照山《たかてるやま》の  |厳《いづ》の|岩窟《いはや》を|後《あと》にして
|入那《いるな》の|都《みやこ》の|刹帝利《せつていり》  セーラン|王《わう》の|一行《いつかう》は
|栗毛《くりげ》の|駒《こま》に|跨《またが》りて  |狼《おほかみ》|吼《ほ》える|山路《やまみち》を
|岩《いは》の|根《ね》|木《き》の|根《ね》ふみさくみ  |凩《こがらし》|荒《すさ》ぶ|野路《のぢ》を|越《こ》え
|蹄《ひづめ》の|音《おと》も|勇《いさ》ましく  |音《おと》に|名高《なだか》き|照山《てるやま》の
|峠《たうげ》の|麓《ふもと》に|到着《たうちやく》し  |馬上《ばじやう》|豊《ゆたか》に|歌《うた》ひつつ
|都《みやこ》をさして|進《すす》みゆく。
セーラン|王《わう》は|馬上《ばじやう》|静《しづか》に|歌《うた》ふ。
『|父《ちち》の|命《みこと》の|後《あと》をつぎ  |心《こころ》の|暗《くら》き|吾《わが》|身魂《みたま》
|入那《いるな》の|国《くに》の|王《わう》となり  |徳望《とくばう》|欠《か》けたる|所《ところ》より
|部下《ぶか》の|統率《とうそつ》|誤《あやま》りつ  |遂《つひ》には|右守《うもり》の|司《かみ》をして
|邪神《じやしん》の|群《むれ》におとしける  われは|尊《たふと》きバラモンの
|神《かみ》の|教《をしへ》を|受《う》けつぎて  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》な|国民《くにたみ》に
|誠《まこと》の|模範《もはん》を|示《しめ》すべき  |尊《たふと》き|職《しよく》に|在《あ》りながら
|神《かみ》の|恵《めぐみ》を|軽《かろ》んじつ  |知《し》らず|識《し》らずに|慢心《まんしん》の
|雲立昇《くもたちのぼ》り|村肝《むらきも》の  |心《こころ》は|暗《やみ》に|迷《まよ》ひけり
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はへましまして
|心《こころ》に|千花百花《ちばなももばな》の  |香《かを》る|時《とき》こそ|北光《きたてる》の
|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|助《たす》けられ  |水《みづ》も|漏《も》らさぬ|御教《みをしへ》に
|漸《やうや》く|晴《は》れし|胸《むね》の|闇《やみ》  |空《そら》に|日月《じつげつ》|輝《かがや》きて
|晴《は》れわたりたる|胸《むね》の|空《そら》  |秋野《あきの》を|飾《かざ》る|黄金《わうごん》の
|姫命《ひめのみこと》の|功績《いさをし》は  |清照姫《きよてるひめ》と|輝《かがや》きぬ
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善神《ぜんしん》|邪神《じやしん》を|立別《たてわ》ける
|尊《たふと》き|稜威《いづ》の|御教《おんをしへ》  |悟《さと》りし|上《うへ》はセーランの
|神《かみ》の|司《つかさ》も|潔《いさぎよ》く  |前非《ぜんぴ》を|悔《く》いて|天地《あめつち》に
|誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の  |善言美行《ぜんげんびかう》を|励《はげ》みつつ
|神《かみ》の|司《つかさ》の|天職《てんしよく》を  |完全《うまら》に|委曲《つばら》に|顕現《けんげん》し
|此《この》|世《よ》の|鑑《かがみ》となりぬべし  ヤスダラ|姫《ひめ》よ|竜雲《りううん》よ
|神《かみ》は|汝《なんぢ》と|倶《とも》にあり  |神《かみ》の|大道《おほぢ》に|任《まか》す|身《み》は
|如何《いか》に|大黒主《おほくろぬし》の|神《かみ》  |神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|神力《しんりき》を
|現《あら》はし|来《きた》り|入那城《いるなじやう》  |蹂躙《じうりん》せむと【いらつ】とも
|何《なに》か|恐《おそ》れむ|敷島《しきしま》の  |大和心《やまとごころ》のある|限《かぎ》り
|必《かなら》ず|神《かみ》は|吾々《われわれ》を  |安《やす》きに|救《すく》ひ|給《たま》ふべし
|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》  |天地《てんち》を|開《ひら》く|経綸《けいりん》に
|仕《つか》ふる|身《み》ぞと|知《し》る|上《うへ》は  |骨《ほね》を|粉《こな》にし|身《み》を|砕《くだ》き
|神《かみ》の|御為《おんため》|世《よ》の|為《ため》に  |互《たがひ》に|心《こころ》を|合《あは》せあひ
|力《ちから》を|一《ひと》つに|固《かた》めつつ  |大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|神恩《しんおん》に
|酬《むく》いまつれよ|諸共《もろとも》に  |照山峠《てるやまたうげ》の|坂路《さかみち》は
いかに|峻《さか》しくあるとても  |心《こころ》の|駒《こま》の|脚並《あしな》みの
|揃《そろ》ひし|上《うへ》は|光栄《くわうえい》の  |遂《つひ》には|都《みやこ》に|進《すす》む|如《ごと》
|如何《いか》なる|事《こと》も|成《な》りとげむ  |進《すす》めよ|進《すす》めいざ|進《すす》め
|誠《まこと》の|道《みち》を|踏《ふ》みしめて  |勝利《しようり》の|都《みやこ》に|逸早《いちはや》く
|進《すす》めよ|進《すす》めいざ|進《すす》め  |神《かみ》の|教《をしへ》を|力《ちから》とし
|誠《まこと》の|道《みち》を|杖《つゑ》として  |心《こころ》の|駒《こま》の|勇《いさ》ましく
|上《のぼ》りつ|下《くだ》りつ|村肝《むらきも》の  |心《こころ》は|最早《もはや》|秋《あき》の|空《そら》
|恩頼《みたまのふゆ》は|目《ま》のあたり  |輝《かがや》き|初《そ》めて|春《はる》の|野《の》の
|百花《ももばな》|千花《ちばな》|咲《さ》き|出《い》づる  |嬉《うれ》しき|思《おも》ひに|充《み》たされぬ
|誠《まこと》の|道《みち》に|進《すす》む|身《み》は  いかなる|曲《まが》も|夏草《なつぐさ》の
|上《うへ》に|滴《したた》る|露《つゆ》の|玉《たま》  |朝日《あさひ》に|消《き》ゆる|其《その》|如《ごと》く
|亡《ほろ》び|失《う》せむは|目《ま》のあたり  |勇《いさ》めよ|勇《いさ》め|諸共《もろとも》に
|前途多望《ぜんとたばう》の|神司《かむづかさ》  |身《み》の|行末《ゆくすゑ》ぞ|頼《たの》もしき
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
ヤスダラ|姫《ひめ》はセーラン|王《わう》の|後《あと》について、|声《こゑ》も|静《しづ》かに|馬上《ばじやう》ながら|歌《うた》ひ|進《すす》む。
『|入那《いるな》の|国《くに》の|刹帝利《せつていり》  セーラン|王《わう》の|家筋《いへすぢ》に
|生《うま》れ|合《あ》ひたる|吾《われ》こそは  |親《おや》と|親《おや》との|許嫁《いひなづけ》
セーラン|王《わう》の|妃《ひ》となりて  |入那《いるな》の|国《くに》を|永久《とこしへ》に
|守《まも》らむものと|朝夕《あさゆふ》に  |神《かみ》に|願《ねが》ひを|掛巻《かけまく》も
|畏《かしこ》き|神《かみ》の|御心《みこころ》に  |反《そむ》きしものかゆくりなく
テルマン|国《ごく》に|追《お》ひやられ  |素性《すじやう》|卑《いや》しき|毘舎《びしや》の|家《いへ》
シヤールの|妻《つま》となり|下《さが》り  |面白《おもしろ》からぬ|月日《つきひ》をば
|歎《なげ》きかこちつ|暮《くら》しける  |時《とき》こそあれや|青天《せいてん》の
|霹靂《へきれき》|胸《むね》をとどろかす  |惨状《さんじやう》|吾《わが》|身《み》に|迫《せま》りけり
|梵天帝釈自在天《ぼんてんたいしやくじざいてん》  |神《かみ》は|此《この》|世《よ》にまさずやと
|吾《わが》|身《み》の|不運《ふうん》を|歎《かこ》つ|折《をり》  |忠義《ちうぎ》に|篤《あつ》きリーダーが
|雨風《あめかぜ》|烈《はげ》しき|真夜中《まよなか》に  |吾《わが》とらはれし|牢屋《ひとや》をば
|忠義《ちうぎ》の|槌《つち》を|打振《うちふ》りて  |砕《くだ》き|毀《こぼ》ちて|救《すく》ひ|出《だ》し
|暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|荒野原《あらのはら》  スタスタ|進《すす》み|来《きた》る|折《をり》
|右守《うもり》の|司《かみ》の|捕手《とりて》|等《ら》に  |前後左右《ぜんごさいう》を|取《と》りまかれ
|蓮《はちす》の|川《かは》の|此方《こなた》にて  いかがはせむと|悩《なや》む|折《をり》
|竜雲司《りううんつかさ》に|助《たす》けられ  |又《また》もやここに|高照《たかてる》の
|深山《みやま》の|奥《おく》の|岩窟《がんくつ》に  |危《あやふ》き|身《み》をば|救《すく》はれて
|北光神《きたてるがみ》の|御教《みをしへ》を  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なにかかぶりつ
|曇《くも》りし|胸《むね》も|晴《は》れ|渡《わた》り  |迷《まよ》ひの|雲《くも》は|払拭《ふつしき》し
|真如《しんによ》の|月日《つきひ》は|心天《しんてん》に  |強《つよ》く|輝《かがや》き|給《たま》ひけり
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |悪魔《あくま》のしげき|世《よ》の|中《なか》に
かくも|仁慈《じんじ》に|富《と》み|給《たま》ふ  |誠《まこと》の|神《かみ》もいますかと
|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》|川《かは》となり  |沈《しづ》みし|胸《むね》も|浮《う》き|立《た》ちて
|救《すく》ひの|舟《ふね》に|棹《さを》をさし  |天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|楽園《らくゑん》に
|逍遥《せうえう》しける|折《をり》もあれ  |思《おも》ひがけなき|刹帝利《せつていり》
セーラン|王《わう》の|一行《いつかう》が  |尋《たづ》ね|来《き》ませる|嬉《うれ》しさよ
|絶《た》えて|久《ひさ》しき|二柱《ふたはしら》  |巡《めぐ》り|会《あ》ひたる|睦《むつ》び|言《ごと》
かはす|間《ま》もなく|北光《きたてる》の  |神《かみ》の|司《つかさ》におごそかに
|教《をし》へられたる|神嘉言《かむよごと》  うなじに|分《わ》けて|両人《りやうにん》は
|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》|払《はら》ひつつ  |駒《こま》に|跨《またが》り|岩窟《いはやど》を
|名残《なごり》を|惜《をし》みふり|返《かへ》り  |馬上《ばじやう》ゆたかに|嵐《あらし》|吹《ふ》く
|野路《のぢ》を|踏《ふ》み|越《こ》えやうやうに  |照山峠《てるやまたうげ》に|来《き》て|見《み》れば
|木々《きぎ》の|梢《こずゑ》の|紅葉《もみぢば》は  いつしか|散《ち》りて|淋《さび》しげに
|尾《を》の|上《へ》をわたる|秋《あき》の|風《かぜ》  |淋《さび》しき|山路《やまぢ》も|何《なん》となく
|君《きみ》に|従《したが》ひ|登《のぼ》る|身《み》は  |春《はる》めき|渡《わた》り|村肝《むらきも》の
|心《こころ》は|映《は》ゆる|春心地《はるごこち》  |神《かみ》の|教《をしへ》に|導《みちび》かれ
|進《すす》む|吾《われ》こそ|楽《たの》しけれ  |入那《いるな》の|都《みやこ》に|到《いた》りなば
|右守《うもり》の|司《かみ》の|御子《みこ》とます  サマリー|姫《ひめ》はさぞやさぞ
|吾《わが》|身《み》の|姿《すがた》を|打眺《うちなが》め  |心《こころ》を|悩《なや》ませ|給《たま》ふべし
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |如何《いか》なる|事《こと》も|天地《あめつち》の
|神《かみ》の|御旨《みむね》に|従《したが》ひて  |恋《こひ》の|執着《しふちやく》|秋《あき》の|野《の》の
|木《こ》の|葉《は》の|風《かぜ》に|散《ち》る|如《ごと》く  サラリと|清《きよ》め|睦《むつま》じく
|姉妹《あねいもうと》と|手《て》を|握《と》つて  |誠《まこと》|一《ひと》つを|立《た》て|通《とほ》し
|三五教《あななひけう》の|神力《しんりき》を  |現《あら》はしまつり|入那国《いるなこく》
|都《みやこ》の|花《はな》と|謳《うた》はれて  |誉《ほま》れを|千代《ちよ》に|伝《つた》ふべし
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |大地《だいち》の|竜《りう》と|名《な》を|負《お》ひし
|清《きよ》き|白馬《はくば》に|跨《またが》りつ  |誠《まこと》を|明《あ》かし|奉《たてまつ》る
セーラン|王《わう》よ|聞《きこ》し|召《め》せ  |妾《わらは》を|包《つつ》みし|恋《こひ》の|雲《くも》
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|吹《ふ》き|送《おく》る  |科戸《しなど》の|風《かぜ》に|払《はら》はれて
|塵《ちり》もとめなくなりにける  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|吾等《われら》の|身魂《みたま》に|皇神《すめかみ》は  |清《きよ》く|涼《すず》しく|宿《やど》りまし
|汚《けが》れ|果《は》てたる|吾《わが》|身《み》をば  |雄々《をを》しく|照《て》らさせ|給《たま》ひけり
|進《すす》めよ|進《すす》めいざ|進《すす》め  |誠《まこと》の|道《みち》を|只管《ひたすら》に
|心《こころ》の|限《かぎ》り|進《すす》みゆけ  |勝利《しようり》の|都《みやこ》も|近《ちか》づきぬ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |誠《まこと》|一《ひと》つは|世《よ》を|救《すく》ふ
|誠《まこと》の|道《みち》を|踏《ふ》みしめて  |玉《たま》の|御柱《みはしら》|立直《たてなほ》し
|天地《てんち》の|花《はな》と|謳《うた》はれて  |豊《ゆた》けき|誠《まこと》の|実《みの》りをば
|枝《えだ》もたわわに|結《むす》びつつ  |今迄《いままで》もつれし|心《こころ》をば
ときさばき|行《ゆ》く|奇魂《くしみたま》  |曽富戸《そほど》の|神《かみ》の|幸《さきは》ひに
|進《すす》むわれこそ|雄々《をを》しけれ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
|道《みち》は|益々《ますます》|急坂《きふはん》となり、|鞍上《あんじやう》|最《もつと》も|注意《ちゆうい》を|要《えう》すべき|難路《なんろ》につき|当《あた》つた。されど|何《いづ》れも|乗馬《じやうば》の|達人《たつじん》、|鞍上《あんじやう》|人《ひと》なく、|鞍下《あんげ》|馬《うま》なき|有様《ありさま》にて、|悠々《いういう》として|凩《こがらし》に|面《おもて》を|吹《ふ》かれながら|英気《えいき》に|充《み》ち、|一行《いつかう》は|単縦陣《たんじうぢん》を|張《は》りつつ|登《のぼ》るのであつた。|竜雲《りううん》は|馬上《ばじやう》|豊《ゆた》かに|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。
『ハイハイハイハイ|馬《うま》の|奴《やつ》  |照山峠《てるやまたうげ》の|急坂《きふはん》だ
|気《き》を|付《つ》け|遊《あそ》ばせ|栗毛《くりげ》さま  |顛倒《てんたう》|致《いた》しちや|堪《たま》らない
ハイハイドウドウ ハイドウドウ  |人世《じんせ》の|旅《たび》は|急坂《きふはん》を
|登《のぼ》るが|如《ごと》しと|聞《き》くからは  |有為転変《うゐてんぺん》の|世《よ》のさまを
|思《おも》ひ|浮《うか》べてハイハイハイ  ゆかしさ|胸《むね》に|充《み》ちわきぬ
|月《つき》の|御国《みくに》の|首陀《しゆだ》の|家《や》に  |臍《へそ》の|緒《を》おとした|竜雲《りううん》も
|天馬《てんば》が|空《くう》をかけるよな  |思《おも》はぬ|欲望《よくばう》に|駆使《くし》されて
|波間《なみま》に|浮《うか》ぶシロの|島《しま》  |神地《かうぢ》の|都《みやこ》の|神司《かむづかさ》
ハイハイ|手綱《たづな》をしめ|直《なほ》し  しつかりせなくちや|危《あぶ》ないぞ
サガレン|王《わう》を|放逐《ほうちく》し  |折柄《をりから》|起《おこ》る|風雲《ふううん》に
|乗《じやう》じて|天《てん》へ|舞《ま》ひ|昇《のぼ》り  |心猿意馬《しんゑんいば》は|忽《たちま》ちに
|狂《くる》ひ|出《いだ》してハイハイハイ  |悪虐無道《あくぎやくぶだう》の|張本《ちやうほん》と
なりすましたる|恐《おそ》ろしさ  |心《こころ》に|潜《ひそ》む|鬼《おに》|大蛇《をろち》
|醜神《しこがみ》どもの|勢《いきほひ》は  |鬣《たてがみ》|振《ふ》り|立《た》て|急坂《きふはん》を
|越《こ》え|行《ゆ》く|駒《こま》のその|如《ごと》く  とめどもなくに|味噌汁《みそしる》が
ステツペンへと|飛上《とびあが》り  |意気《いき》|揚々《やうやう》と|雲《くも》の|上《うへ》
ハイハイハイハイドウドウドウ  |天《あめ》の|下《した》をば|睥睨《へいげい》し
|俺《おれ》|程《ほど》|運《うん》のよい|者《もの》が  |三千世界《さんぜんせかい》にあらうかと
|笑壺《ゑつぼ》に|入《い》りし|折《をり》もあれ  |運命《うんめい》つきて|北光《きたてる》の
|神《かみ》の|司《つかさ》に|荒肝《あらぎも》を  |拉《ひ》しがれ|忽《たちま》ち|谷底《たにそこ》へ
|顛落《てんらく》したるあさましさ  オツトドツコイ|馬《うま》の|奴《やつ》
|道《みち》にさやりし|岩角《いはかど》に  |躓《つまづ》きやがつた|確《しつか》りせい
|膝《ひざ》を|摧《くぢ》いちや|堪《たま》らない  お|前《まへ》は|俺《おれ》の|助《たす》け|舟《ぶね》
|神《かみ》の|光《ひかり》に|照《て》らされて  |改心《かいしん》|致《いた》した|其《その》おかげ
|七千余国《しちせんよこく》の|月《つき》の|国《くに》  |何《なん》の|障《さはり》も|荒野原《あらのはら》
|巡《めぐ》りて|進《すす》む|神《かみ》の|道《みち》  ハイハイハイハイ シーシーシー
セーラン|王《わう》に|従《したが》ひて  |誠《まこと》の|道《みち》に|入那城《いるなじやう》
|四方《よも》に|輝《かがや》く|黄金姫《わうごんひめ》  |身魂《みたま》も|清照姫命《きよてるひめみこと》
あれます|聖地《せいち》へ|進《すす》み|行《ゆ》く  |吾《わが》|身《み》の|上《うへ》ぞ|楽《たの》しけれ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》をば|助《たす》け|悪神《あくがみ》を  |誠《まこと》の|道《みち》にまつろはせ
|救《すく》はせ|給《たま》ふ|三五《あななひ》の  |神《かみ》こそ|誠《まこと》の|世《よ》の|柱《はしら》
|心《こころ》ねぢけた|竜雲《りううん》も  |心《こころ》の|駒《こま》を|立直《たてなほ》し
|教《をしへ》も|清《きよ》く|照山《てるやま》の  さしもに|嶮《けは》しき|坂路《さかみち》を
|栗毛《くりげ》の|駒《こま》に|助《たす》けられ  |正《ただ》しき|人《ひと》に|従《したが》ひて
|旗鼓堂々《きこだうだう》と|登《のぼ》りゆく  ハイハイハイハイハイドウドウ
|馬《うま》の|合《あ》うたる|人《ひと》ばかり  |一緒《いつしよ》にゆくのが|同道々《どうだうだう》
いよいよ|面白《おもしろ》なつて|来《き》た  |最早《もはや》|絶頂《ぜつちやう》も|近《ちか》づいた
|峠《たうげ》の|上《うへ》で|鹿毛《かげ》さまよ  お|前《まへ》も|一服《いつぷく》するがよい
|重《おも》い|男《をとこ》を|背《せな》に|乗《の》せ  |登《のぼ》る|貴様《きさま》もえらかろが
|乗《の》つてる|俺《おれ》も|楽《らく》でない  さはさりながら|苦《くるし》みの
|後《あと》にはキツト|楽《らく》がくる  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|人馬《じんば》|諸共《もろとも》|神《かみ》の|山《やま》  |登《のぼ》りつめたる|暁《あかつき》は
|四方《よも》を|見《み》はらす|世界晴《せかいばれ》  |晴《は》れて|嬉《うれ》しき|胸《むね》の|暗《やみ》
|忽《たちま》ち|開《ひら》く|天国《てんごく》の  |清《きよ》き|涼《すず》しき|花園《はなぞの》に
|進《すす》むわれこそ|楽《たの》しけれ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|最早《もはや》|峠《たうげ》に|着《つ》きました  |王様《わうさま》|一服《いつぷく》|致《いた》しませう
ヤスダラ|姫様《ひめさま》、テームスよ  レーブよ、カルよ、|一休《ひとやす》み
|四足《よつあし》|泡《あわ》を|吹《ふ》き|出《だ》した  これから|先《さき》は|下《くだ》り|坂《ざか》
|世《よ》の|立替《たてかへ》が|始《はじ》まつて  |上《のぼ》る|身魂《みたま》や|下《くだ》る|魂《たま》
|行合《ゆきあ》ひかち|合《あ》ひ|騒《さわ》がしく  |入那《いるな》の|都《みやこ》の|大空《おほぞら》に
|一悶錯《ひともんさく》の|起《おこ》る|前《まへ》  |縺《もつ》れ|果《は》てたる|小田巻《をだまき》の
いとやすやすと|治《をさ》めませ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
と|歌《うた》ひ|了《をは》り、|馬《うま》をヒラリと|飛《と》び|下《お》り、|傍《かたはら》の|巌《いはほ》に|腰《こし》を|打《うち》かけ、|息《いき》を|休《やす》むるのであつた。セーラン|王《わう》|其《その》|他《た》も|竜雲《りううん》の|言葉《ことば》に|従《したが》ひ、|馬背《ばはい》を|飛《と》び|降《お》り、|人馬《じんば》|共《とも》に、|暫《しば》し|息《いき》を|休《やす》むることとなつた。
(大正一一・一一・一四 旧九・二六 松村真澄録)
第三章 |山嵐《やまあらし》〔一一二八〕
|照山峠《てるやまたうげ》の|頂上《ちやうじやう》に|馬背《ばはい》に|跨《またが》り、|漸《やうや》く|登《のぼ》りついたセーラン|王《わう》の|一行《いつかう》は、|尾上《をのへ》を|渡《わた》る|晩秋《ばんしう》の|風《かぜ》に|面《おもて》を|吹《ふ》かれ|乍《なが》ら、|眼下《がんか》の|原野《げんや》を|瞰下《みおろ》し、|感慨《かんがい》|無量《むりやう》の|気《き》にうたれ、|悲喜《ひき》|交々《こもごも》|心中《しんちう》に|往来《わうらい》しつつ|太《ふと》き|溜息《ためいき》を|吐《つ》いて|居《ゐ》る。|無心《むしん》の|駒《こま》は|嬉《うれ》しげに|頭《かしら》を|擡《もた》げ|嘶《いなな》くもあり、|色《いろ》の|変《かは》つた|黄金色《わうごんしよく》の|芝草《しばくさ》を【むし】るもあり、|人馬《じんば》|共《とも》に|何《なん》の|隔《へだ》てもなく|暫《しば》し|心《こころ》を|緩《ゆる》めて|浩然《こうぜん》の|気《き》を|養《やしな》ひつつあつた。そこへヤスダラ|姫《ひめ》の|捜索隊《さうさくたい》として|五人《ごにん》の|騎士《きし》が|馬《うま》に|跨《またが》り|登《のぼ》つて|来《き》た。|騎士《きし》の|一隊《いつたい》は、ヤスダラ|姫《ひめ》が|王《わう》を|始《はじ》め|四五人《しごにん》の|部下《ぶか》と|共《とも》に|此処《ここ》に|悠然《いうぜん》として|休息《きうそく》して|居《ゐ》るに|肝《きも》を|潰《つぶ》し、|目《め》を|円《まる》くし、|少《すこ》しく|逃《に》げ|腰《ごし》になつて、
|騎士《きし》の一『ヤア、そこに|居《ゐ》らるるはヤスダラ|姫《ひめ》にましまさずや。|吾《われ》こそはテルマン|国《ごく》のシヤール|殿《どの》より|遣《つか》はされたるコルトンと|云《い》ふ|騎士《きし》で|厶《ござ》る。いい|所《ところ》でお|目《め》にかかりました。さアこれから|吾々《われわれ》がお|供《とも》を|致《いた》し、テルマン|国《ごく》へ|帰《かへ》りませう』
と|馬上《ばじやう》より|声《ごゑ》を|震《ふる》はせて|云《い》ふ。
『ヤア|其方《そなた》はシヤールさまから|頼《たの》まれて|来《き》た|騎士《きし》だな。|遠方《ゑんぱう》のところ、|御苦労《ごくらう》で|厶《ござ》りました。|併《しか》しながら、|妾《わたし》は|何《なん》と|云《い》はれてもシヤールの|館《やかた》へは|帰《かへ》りませぬから、|早《はや》く|帰《かへ》つて|其《その》|由《よし》を|復命《ふくめい》して|下《くだ》さい。|又《また》|無実《むじつ》の|難題《なんだい》で|鉄牢《てつらう》へ|放《ほ》り|込《こ》まれては、|堪《たま》りませぬからな。ホヽヽヽヽ』
とヤスダラ|姫《ひめ》は|神力《しんりき》|無双《むさう》の|神司《かむづかさ》を|伴《ともな》うて|居《ゐ》るため、|心強《こころづよ》くなり、|平気《へいき》の|平左《へいざ》で、|顔色《かほいろ》も|変《か》へず|笑《わら》ひながら|答《こた》へてゐる。その|大胆《だいたん》さに|騎士《きし》は|益々《ますます》|気《き》を|呑《の》まれ、|目《め》を|丸《まる》くし、
コルトン『これはしたり|姫様《ひめさま》、|左様《さやう》な|事《こと》を|仰《あふ》せられては、|吾々《われわれ》の|顔《かほ》が|立《た》ちませぬ。|決《けつ》して|今後《こんご》は|左様《さやう》な|残酷《ざんこく》な|事《こと》はせないと、シヤールの|主人《しゆじん》も|悔悟《くわいご》して|居《ゐ》ましたから、お|帰《かへ》り|下《くだ》さつても|大丈夫《だいぢやうぶ》です。|又《また》|私《わたし》がついて|居《を》ります|以上《いじやう》は、|決《けつ》して|左様《さやう》な|事《こと》はさせませぬ。|御安心《ごあんしん》の|上《うへ》|何卒《どうぞ》|吾々《われわれ》と|共《とも》に|御帰国《ごきこく》を|願《ねが》ひます』
『ホヽヽヽヽ|同穴《どうけつ》の|貉《むじな》、|夜分《やぶん》なれば|騙《だま》されるかも|知《し》れませぬが、なんぼ|山《やま》の|中《なか》だと|云《い》つて、その|騙《だま》しは|利《き》きますまい。シヤールの|名《な》を|聞《き》いても|身慄《みぶる》ひが|致《いた》します。もう|左様《さやう》な|繰言《くりごと》はこれきり|一言《ひとこと》も|仰《おつ》シヤールなや。ホヽヽヽヽ』
『これ、お|姫《ひめ》さま、いや|奥様《おくさま》、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|使命《しめい》を|以《もつ》てお|願《ねが》ひ|申《まを》して|居《を》るのに、|滑稽《こつけい》|所《どころ》ぢや|厶《ござ》りますまい。|何卒《どうぞ》|貴女様《あなたさま》も|婦道《ふだう》を|重《おも》んじ、|夫《をつと》の|命《めい》に|従《したが》つてお|帰《かへ》り|遊《あそ》ばすが|正当《せいたう》で|厶《ござ》りませう』
『|妾《わたし》は|飽迄《あくまで》も|婦道《ふだう》を|守《まも》つて|来《き》ました。|今迄《いままで》|微塵《みじん》も|婦道《ふだう》に|欠《か》けた|事《こと》を|致《いた》した|覚《おぼ》えは|厶《ござ》りませぬ。それにも|拘《かか》はらず、|罪《つみ》なき|妾《わたし》を|鉄窓《てつさう》のもとに|投《な》げ|込《こ》み、|虐待《ぎやくたい》をなさるやうな|夫《をつと》の|家《いへ》へは、|護身《ごしん》の|関係上《くわんけいじやう》|剣呑《けんのん》で|帰《かへ》る|事《こと》は|出来《でき》ませぬから、|之《これ》までの|縁《えん》と|諦《あきら》めて|下《くだ》さいと|伝言《でんごん》して|下《くだ》さい。シヤールさまは|夫道《ふだう》を|守《まも》る|方《かた》ぢやありませぬ。|一家《いつか》の|主婦《しゆふ》たる|妾《わたし》に|対《たい》し、|家政上《かせいじやう》について|一回《いつくわい》の|御相談《ごさうだん》を|遊《あそ》ばすぢやないし、|妻《つま》を|無視《むし》して|数多《あまた》の|卑《いや》しき|女《をんな》を|侍《はべ》らせ、|無限《むげん》の|侮辱《ぶじよく》を|加《くは》へたお|方《かた》、|仮令《たとへ》|死《し》んでも|左様《さやう》な|処《ところ》へは|滅多《めつた》に|帰《かへ》りませぬ。かうなつたのもシヤールさまの|心《こころ》の|錆《さび》から|湧《わ》き|出《で》たのですから、|最早《もはや》|回復《くわいふく》の|見込《みこ》みはありませぬ。|覆水盆《ふくすゐぼん》にかへらず、|何程《なにほど》|巧妙《かうめう》な|辞令《じれい》を|以《もつ》て|籠絡《ろうらく》しようとなさつても、そりや|駄目《だめ》ですよ。ヤスダラ|姫《ひめ》だつて|少《すこ》しは|精神《せいしん》もありますから、|何時迄《いつまで》も|無限《むげん》の|侮辱《ぶじよく》に|甘《あま》んずる|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|女権《ぢよけん》|拡張《くわくちやう》|問題《もんだい》の|持上《もちあが》つた|今日《けふ》|此《この》|頃《ごろ》、たとへ|女《をんな》の|端《はし》くれでも|女《をんな》の|権利《けんり》を|保護《ほご》する|点《てん》から|見《み》ても、どうして|左様《さやう》な|馬鹿《ばか》げた|事《こと》が|出来《でき》ませうか。|天下《てんか》の|婦人《ふじん》に|対《たい》しても|妾《わたし》の|責任《せきにん》がすみませぬ。………ヤスダラ|姫《ひめ》は|多数《たすう》|婦人《ふじん》の|面上《めんじやう》に|泥《どろ》を|塗《ぬ》つたと|云《い》はれては|済《す》みませぬ。|最早《もはや》|一個《いつこ》の|婦人《ふじん》として|考《かんが》ふる|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|天下《てんか》の|婦人《ふじん》を|代表《だいへう》して、|女《をんな》の|権利《けんり》を|極力《きよくりよく》|保護《ほご》する|妾《わたし》の|考《かんが》へで|厶《ござ》ります。|何時迄《いつまで》|何《なん》と|仰有《おつしや》つても|金輪奈落《こんりんならく》|帰国《きこく》は|致《いた》しませぬ。|何卒《どうぞ》シヤールさまにもこんな|不貞腐《ふてくさ》れ|女《をんな》を|目《め》にかけずに、|貴方《あなた》のお|気《き》に|入《い》つた|御婦人《ごふじん》と|面白《おもしろ》う|可笑《をか》しくお|暮《くら》し|遊《あそ》ばせと、ヤスダラ|姫《ひめ》が|云《い》つたと|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいませ。なあコルトンさま、さうでせう』
『さう|聞《き》けばさうでもありませうが、そりやあんまり|冷淡《れいたん》ぢやありませぬか。|少《すこ》しは|温情《をんじやう》の|籠《こも》つた|御返事《ごへんじ》を|承《うけたま》はらなくては、|如何《どう》して|旦那様《だんなさま》に|復命《ふくめい》が|出来《でき》ませうか』
『ホヽヽヽヽ|温情《をんじやう》が|聞《き》いて|呆《あき》れますわ。|今《いま》の|資本家《しほんか》は|労働者《らうどうしや》に|対《たい》して|温情《をんじやう》|主義《しゆぎ》だとか|云《い》つて、うまく|自分《じぶん》に|都合《つがふ》のよい|標語《へうご》を|用《もち》ひますが、そんな|有言不実行《ゆうげんふじつかう》のやり|方《かた》はヤスダラ|姫《ひめ》は|大嫌《だいきら》ひで|厶《ござ》ります。シヤールさまもテルマン|国《ごく》の|大富豪《だいふがう》、|大資本家《だいしほんか》だから、|口癖《くちぐせ》の|様《やう》に|温情《をんじやう》|主義《しゆぎ》をまくし|立《た》てて|居《を》られましたな。ホヽヽヽヽ』
コルトンは|頭《あたま》を|掻《か》きながら、
『|奥様《おくさま》、|貴方《あなた》は|俄《にはか》に|此《この》|頃《ごろ》の|空《そら》ぢやないが、|心機一転《しんきいつてん》したのぢや|厶《ござ》りませぬか』
『エー、|辛気《しんき》|臭《くさ》い、|心機一転《しんきいつてん》もしませうかいな。|一天《いつてん》|俄《にはか》にかき|曇《くも》ると|思《おも》へば|忽《たちま》ち|晴《は》れる|秋《あき》の|空《そら》、|妾《わたし》は|已《すで》に|既《すで》にシヤールさまから【あき】られてゐました。|妾《わたし》もあの|様《やう》な|脅迫《けうはく》されたり、|虐待《ぎやくたい》されて|虚偽《きよぎ》の|生活《せいくわつ》をつづける|事《こと》は|最早《もはや》|忍《しの》びませぬ。それよりも|早《はや》くイルナの|都入《みやこい》りをせなくてはなりませぬから、|何卒《どうぞ》|妾《わたし》に|構《かま》はずお|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ』
『これだけ|申《まを》し|上《あ》げてもお|聞《き》き|下《くだ》さらねば、|私《わたし》の|職務上《しよくむじやう》|止《や》むを|得《え》ませぬ。|失礼《しつれい》ながらフン|縛《じば》つてでも|連《つ》れて|帰《かへ》りますから、|其《その》|覚悟《かくご》をなさいませ』
『ホヽヽヽヽ|御勝手《ごかつて》に|成《な》されませえな。|妾《わたし》に|指一本《ゆびいつぽん》でも|触《さ》へるなら|触《さ》へて|御覧《ごらん》』
コルトンは|部下《ぶか》に|目配《めくば》せし、ヤスダラ|姫《ひめ》を|捕縛《ほばく》せしめむとした。|四人《よにん》は|姫《ひめ》に|向《むか》つて|捕繩《とりなは》を【しごき】ながら|武者振《むしやぶ》りつかむとするを、レーブは|此《この》|時《とき》|突然《とつぜん》|身《み》を|起《おこ》し、|大音声《だいおんじやう》を|張《は》り|上《あ》げて、
『|無礼者《ぶれいもの》、|狼藉者《らうぜきもの》』
と|云《い》ひながら、|武者振《むしやぶ》りつかむとする|一人《ひとり》の|襟首《えりくび》をとつてスツテンドウと|谷道《たにみち》へ|投《な》げつけた。
『|何《なに》、|猪口才《ちよこざい》な』
とコルトンは|手《て》に|唾《つばき》し、|武者振《むしやぶ》りつくを、レーブは|向脛《むかふずね》をポンと|蹴《け》つた。コルトンはアツと|一声《ひとこゑ》|其《その》|場《ば》に|倒《たふ》れ、|無念《むねん》の|歯《は》ぎしりをしながら、|向脛《むかふずね》を|顔《かほ》を|顰《しか》めてさすつて|居《ゐ》る。
レーブ『アハヽヽヽコルトンさまがコルトンと
|脛《すね》をけられて|転《ころ》げけるかな。
テルマンの|国《くに》より|来《きた》る|五人《ごにん》づれ
|照山峠《てるやまたうげ》で|泡《あわ》を|吹《ふ》くなり。
イヒヽヽヽ|命《いのち》の|惜《をし》くない|奴《やつ》は
ヤスダラ|姫《ひめ》に|手向《てむか》うてみよ。
ウフヽヽヽうつかりと|手出《てだ》しを|致《いた》す|者《もの》あらば
|首《くび》と|胴《どう》とを|分《わ》けてやるぞよ。
エヘヽヽヽえら|相《さう》に|何《なん》ぢやかんぢやと|世迷言《よまひごと》
|吐《ほざ》いたあとの|其《その》|態《ざま》を|見《み》よ。
オホヽヽヽ|恐《おそ》ろしい|大権幕《だいけんまく》でやつて|来《き》て
|吠面《ほえづら》かわく|浅《あさ》ましの|態《ざま》』
コルトン『【ア】イタヽヽ|呆《あき》れはてたる|奥様《おくさま》の
|強《つよ》い|腰《こし》には|楯《たて》もつかれず。
|詐《【い】つは》つて|連《つ》れ|帰《かへ》らうと|思《おも》ひしに
|今《いま》は|手足《てあし》も|使《つか》ふ|術《すべ》なし。
【ウ】ロウロと|姫《ひめ》の|御後《みあと》を|慕《した》ひつつ
|苦《くる》しき|破目《はめ》に|遇《あ》ひにけるかな。
|選《【え】ら》まれて|捜索隊《さうさくたい》の|長《ちやう》となり
|九死一生《きうしいつしやう》の|今日《けふ》の|災難《わざはひ》。
|鬼《【お】に》|大蛇《をろち》|虎《とら》|狼《おほかみ》は|恐《おそ》れねど
|姫《ひめ》の|剛情《がうじやう》に|吾《われ》は|驚《おどろ》く』
セーラン『|何事《【な】にごと》も|神《かみ》の|御旨《みむね》に|任《まか》すこそ
|人《ひと》のゆくべき|真道《まみち》なるらむ。
|西東《【に】しひがし》|南《みなみ》も|北《きた》も|天地《あめつち》の
|神《かみ》の|守《まも》りのしげき|世《よ》なるよ。
|奴羽玉《【ぬ】ばたま》の|暗路《やみぢ》を|辿《たど》る|人《ひと》の|身《み》は
|転《こ》けつ|輾《まろ》びつ|上《のぼ》りつ|下《くだ》りつ。
|懇《【ね】んごろ》に|諭《さと》す|言《こと》の|葉《は》|聞《き》かずして
|情《つれ》なく|散《ち》りし|仇花《あだばな》あはれ。
|野《【の】》も|山《やま》もはや|羽衣《はごろも》を|脱《ぬ》ぎすてて
|慄《ふる》ひ|戦《をのの》くコルトンの|胸《むね》』
コルトン『|腹立《【は】らだ》たし|峠《たうげ》の|上《うへ》に|倒《たふ》されて
さがる|由《よし》なし|胸《むね》の|溜飲《りういん》。
|昼夜《【ひ】るよる》に|探《たづ》ねまはりし|甲斐《かひ》もなく
こんな|憂目《うきめ》に|遇《あ》うた|悲《かな》しさ。
|冬《【ふ】ゆ》|近《ちか》き|照山峠《てるやまたうげ》の|木枯《こがらし》に
|吹《ふ》かれながらに|泡《あわ》を|吹《ふ》くなり。
|屁放《【へ】つぴ》りの|葦毛《あしげ》の|馬《うま》に|跨《またが》つて
ここで|又《また》もや|閉口頓首《へいこうとんしゆ》す。
ほめられて|手柄《てがら》をしようと|思《おも》ひしに
|骨《【ほ】ね》|挫《くぢ》かれて|痛《いた》み|入《い》るなり』
|竜雲《りううん》『|枉神《【ま】がかみ》の|醜《しこ》の|尾先《をさき》に|使《つか》はれて
わが|身《み》|知《し》らずの|馬鹿《ばか》なコルトン。
|身《【み】》に|代《か》へてヤスダラ|姫《ひめ》を|捉《とら》へむと
|嘘《うそ》を|筑紫《つくし》の|馬《うま》に|蹴《け》られつ。
|昔《【む】かし》より|今《いま》に|変《かは》らぬ|神《かみ》の|道《みち》
|進《すす》む|真人《まびと》を|攻《せ》むる|愚《おろ》かさ。
|珍《【め】づら》しや|照山峠《てるやまたうげ》の|頂上《ちやうじやう》で
|神代《かみよ》も|聞《き》かぬ|芝居《しばゐ》|見《み》るかな。
|諸々《【も】ろもろ》の|企《たく》みを|胸《むね》に|抱《いだ》きたる
|醜《しこ》の|司《つかさ》の|身《み》の|上《うへ》あはれ』
カル『|惟神《【か】むながら》|神《かみ》の|大道《おほぢ》を|進《すす》む|身《み》は
|心《こころ》の|駒《こま》も|勇《いさ》み|立《た》つなり。
|気《【き】》に|入《い》らぬ|夫《をつと》を|捨《す》てて|帰《かへ》り|来《く》る
|姫《ひめ》を|追《お》ひ|掛《か》け|来《きた》る|馬鹿者《ばかもの》。
|苦《【く】る》しさを|堪《こら》へて|脛《すね》をなでながら
まだ|懲《こ》りずまに|事騒《ことさわ》ぐかな。
|怪《【け】》しからぬシヤールの|枉《まが》に|使《つか》はれて
|駒《こま》ひき|出《いだ》す|人《ひと》の|憐《あは》れさ。
|此処《【こ】こ》で|今《いま》|心《こころ》の|駒《こま》を|立《た》て|直《なほ》せ
|罪《つみ》の|重荷《おもに》もカルに|救《すく》はれむ』
テームス『|坂道《【さ】かみち》を|登《のぼ》りて|見《み》ればコルトンが
|姫《ひめ》を|求《もと》めて|来《く》るに|出会《であ》ひぬ。
【シ】トシトと|手綱《たづな》かいくり|駒《こま》の|背《せ》に
|跨《またが》り|来《きた》る|曲《まが》の|捕手《とりて》|等《ら》。
【ス】ワコソと|捕繩《とりなは》とつて|姫《ひめ》の|前《まへ》に
|迫《せま》る|間《ま》もなく|足《あし》を|折《を》られつ。
|背《【せ】》に|腹《はら》は|代《か》へられぬとてコルトンが
|強談判《こはだんぱん》の|腰《こし》は|抜《ぬ》けたり。
|曾志毛里《【そ】しもり》の|里《さと》に|天降《あも》りし|素盞嗚《すさのを》の
|神《かみ》の|警《いまし》め|目《ま》のあたり|見《み》るも』
コルトンは|稍《やや》|足《あし》の|痛《いた》みも|恢復《くわいふく》したれば、|手早《てばや》く|馬《うま》に|打乗《うちの》り、|四人《よにん》の|騎士《きし》に|目配《めくば》せしながら、|照山峠《てるやまたうげ》を|一目散《いちもくさん》に|馬《うま》の|手綱《たづな》をひきしめひきしめ、|生命《いのち》からがら|逃《に》げ|帰《かへ》り|行《ゆ》く。あと|見送《みおく》つてヤスダラ|姫《ひめ》は|又《また》|歌《うた》ふ。
『はるばると|妾《わらは》が|後《あと》を|尋《たづ》ね|来《き》て
シホシホ|帰《かへ》る|人《ひと》の|憐《あは》れさ。
|妾《わらは》とて|鬼《おに》にあらねば|世《よ》の|中《なか》の
|人《ひと》なやめむと|思《おも》はざりしよ。
|思《おも》はずも|吾《われ》を|追《お》ひくる|捕人《とりうど》を
なやめまつりし|事《こと》の|苦《くる》しさ。
さりながら|免《まぬが》れ|難《がた》き|此《この》|場合《ばあひ》
|見直《みなほ》し|給《たま》へ|天地《あめつち》の|神《かみ》。
|逃《に》げて|行《ゆ》く|後姿《うしろすがた》を|見《み》るにつけ
|悲《かな》しくなりぬ|心《こころ》さやぎぬ』
セーラン『|已《や》むを|得《え》ぬ|出来事《できごと》なりと|天地《あめつち》の
|神《かみ》も|見直《みなほ》し|宥《ゆる》し|給《たま》はむ』
|竜雲《りううん》『|勤《つと》むべき|事《こと》のさはなる|世《よ》の|中《なか》に
|捕手《とりて》となりし|人《ひと》の|憐《あは》れさ』
テームス『|彼《かれ》とても|生《うま》れついての|枉《まが》ならじ
やがて|誠《まこと》の|道《みち》に|目覚《めざ》めむ』
レーブ『|照山《てるやま》の|峠《たうげ》に|立《た》ちて|逃《に》げて|行《ゆ》く
|人《ひと》の|姿《すがた》を|見《み》るぞうたてき』
カル『|天地《あめつち》の|神《かみ》の|守《まも》りの|厚《あつ》くして
|虎口《ここう》を|逃《のが》れ|給《たま》ひたる|君《きみ》。
いざさらば|駒《こま》に|跨《またが》りシトシトと
|都《みやこ》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》くべし』
セーラン『シヤールの|遣《つか》はした|騎士《きし》が、|最早《もはや》|此処《ここ》まで|姫《ひめ》の|在処《ありか》を|尋《たづ》ねて|進《すす》み|来《きた》る|上《うへ》は、|決《けつ》して|油断《ゆだん》はなるまい。|此《この》|峠《たうげ》を|下《くだ》れば|益々《ますます》|危険《きけん》|区域《くゐき》だ。|又《また》|坂路《さかみち》は|乗馬《じやうば》は|却《かへつ》て|剣呑《けんのん》|千万《せんばん》、|駒《こま》の|口《くち》をとつてソロソロ|下《くだ》らうではないか。|何《なん》とはなしに|胸騒《むなさわ》がしくなつて|来《き》た。サア、|一同《いちどう》|行《ゆ》かう』
と|先《さき》に|立《た》ち、|急坂《きふはん》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。
|一行《いつかう》は|王《わう》の|後《あと》に|従《したが》ひ、|駒《こま》を|曳《ひ》き|連《つ》れ、ハイハイハイと|声《こゑ》をかけながら|下《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・一一・一四 旧九・二六 北村隆光録)
第四章 |下《くだ》り|坂《ざか》〔一一二九〕
レーブ『|月日《つきひ》は|空《そら》に|照山《てるやま》の  |峠《たうげ》|急坂《きふはん》|下《くだ》りゆく
セーラン|王《わう》に|従《したが》ひて  ハイハイハイハイ ドウドウドウ
どうしても|此《この》|坂《さか》|下《くだ》らねば  イルナの|都《みやこ》に|行《ゆ》かれない
|右守《うもり》の|司《かみ》のカールチン  |欲《よく》の|悪魔《あくま》に|憑依《ひようい》され
|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|企《たく》み|事《ごと》  ここ|迄《まで》やつて|来《き》たけれど
どうしてこんな|企《たく》み|事《ごと》  |成《な》り|遂《と》げさうな|事《こと》はない
ハイハイハイハイこん|畜生《ちくしやう》  |確《しつか》りせぬかい|気《き》をつけよ
|尖《とが》つた|石《いし》に|躓《つまづ》いて  |千尋《ちひろ》の|谷間《たにま》に|落《お》ちたなら
お|前《まへ》は|忽《たちま》ち|死《し》ぬだらう  ハーハーハイハイ|何《なん》とまあ
|嶮《けは》しい|嶮《けは》しい|坂道《さかみち》だ  ヤスダラ|姫《ひめ》の|神司《かむづかさ》
これから|暫《しば》しの|御辛抱《ごしんばう》  やがて|都《みやこ》が|見《み》えまする
カールチン|奴《め》がいろいろと  |善《よ》からぬ|事《こと》を|企《たく》まうと
|天地《てんち》の|神《かみ》のます|限《かぎ》り  |悪《あく》の|栄《さか》ゆる|例《ためし》ない
|忽《たちま》ち|消《き》ゆる|春《はる》の|雪《ゆき》  ハイハイハイハイ|敗亡《はいぼう》は
|鏡《かがみ》にかけて|見《み》るやうだ  ドツコイ|畜生《ちくしやう》|気《き》をつけよ
|豆屁《まめべ》ばつかり|垂《た》れよつて  ほんとに|誠《まこと》にハアハアハア
|大馬鹿者《おほばかもの》|奴《め》、|畜生《ちくしやう》|奴《め》  |何故《なにゆゑ》|俺《おれ》の|馬《うま》だけは
これ|程《ほど》ハイハイ|頓馬《とんま》だらう  ガラガラガラガラ アイタツタ
ヒンヒンヒンヒンこん|畜生《ちくしやう》  おれが|転《ころ》げたがをかしいか
お|前《まへ》は|四《よ》つ|足《あし》レブさまは  |生《うま》れついての|二本足《にほんあし》
|二《ふた》つの|足《あし》と|四《よ》つ|足《あし》と  どうして|競争《きやうそう》がなるものか
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  バラモン|天王《てんわう》ドツコイシヨ
こいつは|云《い》ふのぢやなかつたなア  |天地《てんち》を|造《つく》りし|元《もと》つ|神《かみ》
|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》の  お|守《まも》り|偏《ひと》へに|願《ねが》ひます
こんな|難所《なんしよ》でペツタリと  |右守《うもり》の|司《かみ》の|手下《てした》|等《ら》に
|出会《でつくわ》すならばどうしようぞ  レーブは|些《ちつ》とも|構《かま》はねど
|心《こころ》にかかるは|王様《わうさま》や  ヤスダラ|姫《ひめ》の|身《み》の|上《うへ》だ
|竜雲《りううん》さまよ|確《しつか》りせ  お|前《まへ》さまの|馬《うま》も|怪《あや》しいぞ
|私《わたし》が|後《あと》から|眺《なが》むれば  |屁放《へつぴ》り|腰《ごし》の|馬《うま》のざま
|目玉《めだま》をあけて|見《み》られない  ハーハーハーハー ハイハイハイ
|此《こん》|畜生《ちくしやう》|奴《め》|気《き》をつけよ  |俺《おれ》の|頭《あたま》をなぜ|噛《か》ぶる
すつての|事《こと》で|笠《かさ》の|台《だい》  がぶつとやられる|所《とこ》だつた
|賢《かしこ》いやうでも|畜生《ちくしやう》だ  |此奴《こやつ》は|大《おほ》きな|柄《がら》をして
ヒンヒン|吐《ぬ》かして|屁《へ》を|垂《た》れて  |小《ちひ》さい|男《をとこ》に|扱《あつか》はれ
|背《せな》に|乗《の》られて|鞭《むち》|打《う》たれ  いと|神妙《しんめう》にハアハアハア
ついて|出《で》て|来《く》る|馬鹿者《ばかもの》よ  これこれもうし|竜雲《りううん》さま
お|前《まへ》ばつかり|先《さき》へ|行《い》て  |俺《おれ》をどうして|呉《く》れるのだ
|俺《おれ》のコンパスあ|達者《たつしや》だが  |肝腎要《かんじんかなめ》の|馬《うま》の|奴《やつ》
どうしても|思《おも》よに|歩《ある》かない  |屁古垂《へこた》れ|馬《うま》を|曳《ひ》いて|往《ゆ》く
|俺《おれ》の|心《こころ》になつて|見《み》よ  ほんとに|誠《まこと》にぢれつたい
さはさりながらハイハイハイ  |蛞蝓《なめくぢ》さへも|百千里《ひやくせんり》
|歩《あゆ》めばいつか|目的地《もくてきち》  |達《たつ》する|例《ためし》もありときく
|照山峠《てるやまたうげ》は|名《な》にし|負《お》ふ  イルナで|一《いち》の|難所《なんしよ》ぞや
|此処《ここ》をば|無事《ぶじ》に|馬《うま》|曳《ひ》いて  |下《くだ》り|終《おう》せた|暁《あかつき》は
|再《ふたた》び|駒《こま》を|立《た》て|直《なほ》し  |勇気《ゆうき》を|起《おこ》して|堂々《だうだう》と
|一瀉千里《いつしやせんり》の|勢《いきほ》ひで  |進《すす》みイルナの|聖城《せいじやう》へ
|何《なん》の|苦《く》も|無《な》く|月《つき》の|空《そら》  ハーハーハーハー ハイハイハイ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|照山峠《てるやまたうげ》はさかしとも  いつしか|越《こ》ゆる|此《この》|旅路《たびぢ》
|前途《ぜんと》は|中々《なかなか》|有望《いうばう》だ  |勝利《しようり》の|都《みやこ》も|近《ちか》づいて
|首《くび》をのばして|待《ま》つて|居《ゐ》る  |黄金《わうごん》|世界《せかい》の|神司《かむつかさ》
|黄金姫《わうごんひめ》や|清照姫《きよてるひめ》の  |厳《いづ》のお|顔《かほ》を|拝《をが》むのも
|次第《しだい》に|近《ちか》づき|北光《きたてる》の  |神《かみ》の|教《をしへ》を|遵奉《じゆんぽう》し
イルナの|城《しろ》に|蟠《わだか》まる  |曲司《まがかみ》|等《たち》を|悉《ことごと》く
|誠《まこと》の|道《みち》に|言向《ことむ》けて  |三五教《あななひけう》の|神力《しんりき》を
|宇内《うだい》に|普《あまね》く|輝《かがや》かし  |誉《ほまれ》も|高《たか》き|宣伝使《せんでんし》
レーブと|名乗《なの》つて|月《つき》の|国《くに》  ハイハイハイハイ フサの|国《くに》
|羅馬《ローマ》に|希臘《ギリシヤ》|小亜細亜《せうアジア》  |筑紫《つくし》の|島《しま》の|果《は》てまでも
|吾《わが》|足跡《あしあと》を|印《いん》しつつ  |仕《つか》へまつらむ|吾《わが》|思《おも》ひ
|叶《かな》はせ|給《たま》へ|天津神《あまつかみ》  |国津神《くにつかみ》|等《たち》|八百万《やほよろづ》
|馬《うま》|諸共《もろとも》に|真心《まごころ》を  |捧《ささ》げて|祈《いの》り|奉《たてまつ》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
と|倒徳利《こけどつくり》のやうにドブドブと|出《で》まかせの|熱《ねつ》を|吐《は》きながら、|一行《いつかう》の|最後《さいご》について、|足許《あしもと》|覚束《おぼつか》なく|下《くだ》り|行《ゆ》く。テームスは|馬《うま》を|曳《ひ》きながら|歌《うた》ひはじめた。
『セーラン|王《わう》やヤスダラの  |姫《ひめ》の|命《みこと》の|御尾前《みをさき》を
|守《まも》りて|下《くだ》る|照山《てるやま》の  |嶮《けは》しき|坂《さか》はハイハイハイ
|又《また》とあるまい|難所《なんしよ》ぞや  |追々《おひおひ》|坂《さか》はきつくなり
|足許《あしもと》あやしくなつて|来《き》た  |雨《あめ》の|如《ごと》くに|打出《うちいだ》し
|風《かぜ》に|木《こ》の|葉《は》の|散《ち》る|如《ごと》く  バラバラバツと|追《お》ひ|散《ち》らし
ハイハイハイハイドウドウドウ  |畜生《ちくしやう》|気《き》をつけ|危険《あぶない》ぞ
|何《なん》だえ|泡《あわ》を|吹《ふ》きやがつて  ハーハーハツハイこれしきの
|坂《さか》がそれ|程《ほど》|苦《くる》しいか  とは|云《い》ふものの|俺《おれ》だとて
|矢張《やつぱ》り|苦《くる》しうなつて|来《き》た  |苦《くる》しい|時《とき》の|神頼《かみだの》み
|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》よ  |何卒《なにとぞ》|宜敷《よろしく》|願《ねが》ひます
|人馬《じんば》|諸共《もろとも》|恙《つつが》なく  |此《この》|坂道《さかみち》をハイハイハイ
|下《くだ》らせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》  |誠《まこと》の|道《みち》を|進《すす》み|往《ゆ》く
|此《この》テームスも|神《かみ》の|御子《みこ》  |神《かみ》の|守《まも》りのある|上《うへ》は
|仮令《たとへ》|曲津《まがつ》が|襲来《しふらい》し  |前後左右《ぜんごさいう》を|取《と》り|巻《ま》いて
|猛虎《まうこ》の|勢《いきほひ》|凄《すさま》じく  |槍《やり》のきつ|先《さき》ハイハイハイ
|並《なら》べて|進《すす》み|来《きた》るとも  |如何《いか》で|恐《おそ》れむ|益良雄《ますらを》の
|吾等《われら》が|腕《うで》には|骨《ほね》がある  |日本魂《やまとだましひ》の|生粋《きつすゐ》と
|選《よ》りによつたる|神司《かむづかさ》  |天下《てんか》は|如何《いか》に|広《ひろ》くとも
|吾等《われら》に|敵《てき》するものあろか  |坂《さか》を|登《のぼ》る|時《とき》|重宝《ちようほう》な
|名馬《めいば》も|困《こま》る|下《くだ》り|坂《ざか》  |足手《あして》|纏《まと》ひと|知《し》りながら
|曳《ひ》いて|往《ゆ》かねばハイハイハイ  |大野ケ原《おほのがはら》を|渡《わた》れない
|右守《うもり》の|司《かみ》の|手下《てした》|等《ら》は  |神出鬼没《しんしゆつきぼつ》ドツコイシヨ
|木《こ》の|葉《は》の|下《した》に|隠《かく》れ|居《ゐ》て  |吾等《われら》|一行《いつかう》を|散々《さんざん》に
|艱《なや》ませくれむとハイハイハイ  |固唾《かたづ》をのんで|待《ま》つぢやらう
|仮令《たとへ》|数万《すまん》の|敵軍《てきぐん》が  |押《お》し|寄《よ》せ|来《く》る|事《こと》あるとても
|三五教《あななひけう》にて|学《まな》びたる  |善言美詞《ぜんげんびし》の|言霊《ことたま》を
ハイハイハイハイブウブウブウ  エヽこん|畜生《ちくしやう》|臭《くさ》いわい
|後《あと》から|風《かぜ》の|吹《ふ》く|時《とき》に  さうやられては|耐《たま》らない
|些《ちつと》は|行儀《ぎやうぎ》を|知《し》るがよい  セーラン|王《わう》のお|供《とも》だぞ
|無礼《ぶれい》|極《きは》まる|畜生《ちくしやう》だな  ハーハーハーハイ アイタツタ
|高《たか》い|岩根《いはね》に|躓《つまづ》いた  |皆《みな》さま|用心《ようじん》なされませ
|其処《そこ》らあたりに|転倒《こけ》て|居《ゐ》る  |石《いし》の|車《くるま》に|乗《の》つたなら
|馬《うま》|諸共《もろとも》に|千仭《せんじん》の  |谷間《たにま》に|忽《たちま》ち|顛落《てんらく》し
|再《ふたた》び|此《この》|世《よ》の|明《あか》りをば  |見《み》られぬやうになりますぞ
ハーハーハーハイ ドウドウドウ  お|蔭《かげ》で|難関《なんくわん》|踏《ふ》み|越《こ》えた
|馬《うま》の|畜生《ちくしやう》|喜《よろこ》べよ  これから|先《さき》は|歩《ある》きよい
|俺《おれ》も|面白《おもしろ》なつて|来《き》た  |人《ひと》の|一生《いつしやう》と|云《い》ふものは
|恰度《ちやうど》|此《この》|山《やま》|渡《わた》るよな  ハイハイハイハイものだらう
|一寸《ちよつと》|目放《めばな》ししたときは  ハイハイ|忽《たちま》ち|失脚《しつきやく》し
|世《よ》の|落人《おちびと》となり|果《は》てて  |世界《せかい》の|奴《やつ》に|卑《さ》げしまれ
ハーハーハイハイ|牛馬《うしうま》に  |踏《ふ》まれにやならぬやうになる
さはさりながら|人間《にんげん》が  |何程《なにほど》あせつて|見《み》たとこで
|其《その》|力《ちから》には|限《かぎ》りある  |無限《むげん》の|神力《しんりき》|備《そな》へたる
ハイハイハイハイドウドウドウ  |尊《たふと》き|清《きよ》き|神様《かみさま》の
|摂理《せつり》のもとに|任《まか》すより  |仕様模様《しやうもやう》も|無《な》いものぞ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はへましまして
|神《かみ》に|従《したが》ふ|吾々《われわれ》を  |厚《あつ》く|守《まも》りてハイハイハイ
イルナの|都《みやこ》へ|恙《つつが》なく  |進《すす》ませ|給《たま》へと|願《ね》ぎまつる
ドツコイドツコイ ドツコイシヨ  |道《みち》も|段々《だんだん》|広《ひろ》くなり
|小石《こいし》も|少《すくな》うなつて|来《き》た  |七転八起《ななころびやおき》の|苦《くる》しみも
|漸《やうや》く|越《こ》えた|下《くだ》り|坂《ざか》  |右守《うもり》の|司《かみ》の|醜霊《しこだま》を
|直日《なほひ》の|霊《みたま》に|言向《ことむ》けて  |勝鬨《かちどき》|挙《あ》ぐるも|目《ま》のあたり
あゝ|勇《いさ》ましし|勇《いさ》ましし』
と|歌《うた》ひつつ|漸《やうや》くにして|一行《いつかう》は|峠《たうげ》の|麓《ふもと》に|下《くだ》りついた。
|谷《たに》を|流《なが》るる|清水《しみづ》に|喉《のど》の|乾《かわ》きをいやし、|暫《しば》し|休憩《きうけい》の|上《うへ》|再《ふたた》び|馬上《ばじやう》の|人《ひと》となり、|一同《いちどう》|轡《くつわ》をならべて|鈴《すず》の|音《ね》も|勇《いさ》ましく、|木枯《こがらし》|荒《すさ》ぶ|大野原《おほのはら》、|暴虎馮河《ぼうこひようが》の|勢《いきほひ》にて、|都《みやこ》をさして|駆《か》けりゆく。
(大正一一・一一・一四 旧九・二六 加藤明子録)
第二篇 |恋海慕湖《れんかいぼこ》
第五章 |恋《こひ》の|罠《わな》〔一一三〇〕
イルナの|都《みやこ》の|神館《かむやかた》の|奥《おく》の|間《ま》には、|黄金姫《わうごんひめ》、|清照姫《きよてるひめ》、セーリス|姫《ひめ》の|三人《さんにん》|鼎坐《ていざ》して、ヒソビソ|話《ばなし》に|耽《ふけ》つてゐる。
『ユーフテスが|甘《うま》く|使命《しめい》を|果《はた》して|帰《かへ》るだらうかなア。カールチンの|姿《すがた》を|見《み》る|迄《まで》は、|何《なん》とはなしに|心許《こころもと》ない|感《かん》じが|致《いた》します。|清照姫《きよてるひめ》、|大丈夫《だいぢやうぶ》だらうかなア』
『お|母《か》アさま、そんな|御心配《ごしんぱい》は|要《い》りませぬ、キツと|右守司《うもりのかみ》は|宙《ちう》を|飛《と》んでやつて|来《き》ますよ。|前《まへ》|以《もつ》て|怪《あや》しき|秋波《しうは》を|私《わたし》に|送《おく》つてゐましたもの、メツタに|外《はづ》れつこありませぬワ、オホヽヽ』
『さうだらうかな、|何時《いつ》そんな|微細《びさい》な|所《ところ》|迄《まで》|看破《かんぱ》しておいたのですか、まだ|一度《いちど》より|御会《おあ》ひになつてゐないぢやないか』
『|一度《いちど》|会《あ》うても|二度《にど》|会《あ》うても、カールチンの|顔《かほ》には|変化《へんくわ》はありますまい。どうも|怪《あや》しい|目付《めつき》でしたよ。|余程《よほど》いいデレ|助《すけ》ですわ、オツホヽヽ』
『|油断《ゆだん》のならぬ|娘《むすめ》だなア。そんなことを|云《い》つて|本当《ほんたう》にお|前《まへ》の|方《はう》から|何々《なになに》してるのではあるまいかな。|年頃《としごろ》の|娘《むすめ》を|持《も》つと、|親《おや》も|気《き》が|揉《も》めますワイ。オホヽヽヽ』
と|吹《ふ》き|出《だ》して|笑《わら》ふ。
『お|母《か》アさま、|私《わたし》だつて|女《をんな》ですワ、|異性《いせい》の|匂《にほ》ひを|嗅《か》いでみたい|様《やう》な|心《こころ》もたまには……|起《おこ》りませぬワ、オホヽヽ』
『|何《なん》とマア|貴女《あなた》|等《がた》|母子《おやこ》は|気楽《きらく》な|方《かた》ですな、|娘《むすめ》が|母親《ははおや》を|掴《つか》まへて|惚気《のろけ》るといふ|事《こと》がありますか、|前代《ぜんだい》|未聞《みもん》ですワ。|清照姫《きよてるひめ》|様《さま》はさうすると、|貰《もら》ひ|子《ご》と|見《み》えますなア』
『ハイお|察《さつ》しの|通《とほ》り、|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》で|拾《ひろ》うて|来《き》ましたお|転婆娘《てんばむすめ》で|厶《ござ》いますよ。|今《いま》こそ|斯《か》うして|宣伝使《せんでんし》になつて|真面目《まじめ》な|顔《かほ》をして|居《を》りますが、|随分《ずゐぶん》|拾《ひろ》つた|時分《じぶん》は、|此《この》|育《そだ》ての|親《おや》を|手古摺《てこず》らしたものですよ。|蛇《へび》が|食《く》ひたいの、|蛙《かはづ》が|食《く》ひたいのと|申《まを》しましてなア、|丸《まる》で|雉子《きじ》の|様《やう》な|娘《むすめ》ですワ』
『|雉子《きじ》だの、|友彦《ともひこ》だのと、それ|丈《だけ》は|言《い》はぬやうにして|下《くだ》さい、|顔《かほ》が|赤《あか》うなりますワ』
『|顔《かほ》が|赤《あか》うなる|丈《だけ》、まだどこか|見込《みこみ》がありますなア。|母《はは》もそれ|聞《き》いてチツとばかり|安心《あんしん》しましたよ。カールチンも|定《さだ》めて、お|前《まへ》さまの|口車《くちぐるま》にキツと|乗《の》るでせう。|早《はや》うやつて|来《く》ると|面白《おもしろ》いのだがなア』
セーリス『ユーフテスを|使《つかひ》にやつたのですから、キツと|直《すぐ》に|見《み》えますよ。あの|男《をとこ》も|中々《なかなか》|抜目《ぬけめ》のない|人物《じんぶつ》ですからなア』
|黄金《わうごん》『あなたもユーフテスさまに|余程《よほど》|執着《しふちやく》があると|見《み》えますな。どうぞ|本当《ほんたう》にならぬやうに|願《ねが》ひますよ。|様子《やうす》を|考《かんが》へてると、|何《なん》だか|怪《あやし》くてたまりませぬワ』
『あなたの|慧眼《けいがん》にさへ|怪《あや》しく|見《み》える|位《くらゐ》でなければ、あの|男《をとこ》が|如何《どう》して|擒《とりこ》になりませう。|私《わたし》も|随分《ずゐぶん》|凄《すご》い|腕《うで》を|持《も》つて|居《を》りませうがなア。|神様《かみさま》に|何《なん》だかすまないやうな|気《き》が|致《いた》しますけれど、|之《これ》も|忠義《ちうぎ》の|為《ため》だから、|許《ゆる》して|下《くだ》さるでせう』
|清照《きよてる》『セーリス|姫様《ひめさま》の|上手《じやうづ》な|行方《やりかた》には、|私《わたし》も|感服《かんぷく》して|居《を》ります。|到底《たうてい》|私《わたし》なんぞは|足許《あしもと》へも|寄《よ》れませぬ。|爪《つめ》の|垢《あか》でも|煎《せん》じて|頂《いただ》きたいものですな』
かく|一生懸命《いつしやうけんめい》になつて|馬鹿話《ばかばなし》に|耽《ふけ》つてゐる。そこへチガチガと|跛《びつこ》をひきながらやつて|来《き》たのは|右守司《うもりのかみ》であつた。セーリス|姫《ひめ》は|何《なん》とも|言《い》へぬ|優《やさ》しみを|面《おもて》に|浮《うか》べ、|優《やさ》しい|声《こゑ》で、
『アヽ|貴方《あなた》は|右守司様《うもりのかみさま》、よう|来《き》て|下《くだ》さいました。|大変《たいへん》お|待《ま》ち|申《まを》して|居《を》りましたよ』
『|承《うけたま》はれば、ヤスダラ|姫様《ひめさま》は|少《すこ》しく|御気分《ごきぶん》が|悪《わる》いとのこと、|其《その》|後《ご》の|経過《けいくわ》は|如何《いかが》で|厶《ござ》います』
『ハイ|有難《ありがた》う。|御覧《ごらん》の|通《とほ》り、|此《この》|様《やう》に|元気《げんき》にお|成《な》り|遊《あそ》ばしました。|貴方《あなた》がお|越《こ》し|下《くだ》さるに|相違《さうゐ》ないと、|覚束《おぼつか》ながら|独合点《ひとりがてん》して、|姉《ねえ》さまに|申上《まをしあ》げた|所《ところ》、|不思議《ふしぎ》なことには|大病《たいびやう》はケロリと|忘《わす》れた|様《やう》な|顔《かほ》をして、ニコニコと|何《なに》が|嬉《うれ》しいのか|知《し》りませぬが、|勇《いさ》んでゐらつしやるのですよ』
『それは|何《なに》より|結構《けつこう》でござる。イヤ、ヤスダラ|姫様《ひめさま》、|先日《せんじつ》は|偉《えら》い|御無礼《ごぶれい》を|致《いた》しました。どうぞお|心易《こころやす》う|御願《おねがひ》|致《いた》します。|少《すこ》しくおかげんが|悪《わる》かつたさうですな』
|清照《きよてる》『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|何《なん》だか|知《し》りませぬが、|貴方《あなた》のことを|一寸《ちよつと》|思《おも》ふと|一寸《ちよつと》|悪《わる》くなり、ヤツと|思《おも》ふとヤツと|悪《わる》くなり、|或《あるひ》は|一寸《ちよつと》よくなつたり、|又《また》|大変《たいへん》によくなつたり|致《いた》しますのですよ。|私《わたし》の|身魂《みたま》はどうやら|貴方《あなた》の|身魂《みたま》と|合《あ》つてる|様《やう》な|心持《こころもち》が|致《いた》します。|本当《ほんたう》に|妙《めう》な|塩梅《あんばい》ですワ』
『ヒヨツとしたら、|前世《ぜんせ》に|於《おい》て|身魂《みたま》の|夫婦《ふうふ》だつたかも|分《わか》りませぬな。|私《わたし》も|何《なん》だか|貴女《あなた》のことを|思《おも》ひ|出《だ》すと、|気《き》が|変《へん》になつて|堪《たま》りませぬワ。エツヘヽヽヽ』
セーリス『モシ|右守《うもり》さま、ハンケチをお|使《つか》ひなさいませ、|何《なん》だかおチヨボ|口《ぐち》の|横《よこ》の|方《はう》から、|瑠璃《るり》の|玉《たま》のやうな|物《もの》がしたたつてゐるぢやありませぬか』
『これは|私《わたし》に|取《と》つては|非常《ひじやう》な|神聖《しんせい》にして|且《かつ》|貴重《きちよう》な|物《もの》ですよ。|私《わたし》のヤスダラ|姫《ひめ》さまに|対《たい》する|隠《かく》しても|隠《かく》しきれぬ|喜《よろこ》びの|露《つゆ》ですからなア。エヘヽヽヽ』
と|目《め》を|細《ほそ》くし、|現在《げんざい》|其《その》|場《ば》に|黄金姫《わうごんひめ》が|六ケ《むつか》しい|顔《かほ》をして|控《ひか》へてゐるのも|気《き》がつかず、|清照姫《きよてるひめ》にのみ|視線《しせん》を|集注《しふちう》してゐた。|黄金姫《わうごんひめ》は|右守司《うもりのかみ》の|視線《しせん》を|避《さ》けて|漸《やうや》く|次《つぎ》の|間《ま》に|姿《すがた》をかくし、ヤツと|胸《むね》を|撫《な》でおろした。
『モシ|姉《ねえ》さま、|私《わたし》がここに|居《を》つても|御邪魔《おじやま》にはなりますまいかな』
『|姉《あね》の|処《ところ》に|妹《いもうと》が|居《ゐ》るのに、|何《なに》が|邪魔《じやま》になりませう。|姉妹《きやうだい》|同士《どうし》だから、|他人《たにん》に|言《い》へないことでも、|気《き》を|許《ゆる》して|話《はな》せるぢやありませぬか』
『さうですね。さう|云《い》つて|下《くだ》されば、|私《わたし》だつて|嬉《うれ》しいですワ。|併《しか》し|貴女《あなた》、|右守司様《うもりのかみさま》と|何《なに》か|秘密《ひみつ》の|話《はなし》がおありでせう。|一寸《ちよつと》|気《き》を|利《き》かしませうか、あの|粋《すゐ》を|利《き》かして|別席《べつせき》|致《いた》しませうかなア』
『|決《けつ》して|決《けつ》してお|気遣《きづか》ひ|下《くだ》さいますな。|秘密《ひみつ》のあらう|道理《だうり》はございませぬから、|私《わたし》も|申上《まをしあ》げたい|事《こと》は|赤裸々《せきらら》に|申上《まをしあ》げますから、ヤスダラ|姫様《ひめさま》もどうぞ|遠慮《ゑんりよ》なく|御心中《ごしんちう》をお|話《はな》し|下《くだ》さいませ』
|清照姫《きよてるひめ》はワザとツーンとして、
『|私《わたし》は|別《べつ》に|右守《うもり》さまに|何《なに》も|申上《まをしあ》げる|事《こと》は|厶《ござ》いませぬワ。|女《をんな》の|身《み》を|以《もつ》て|奥《おく》さまのある|御方《おかた》に、|内証話《ないしようばなし》をしては|済《す》みませぬからなア』
セーリス|姫《ひめ》は|思《おも》ひ|切《き》りジラしてやらうと|思《おも》ひ、
『さうだつて|姉《ねえ》さま、あなた|心《こころ》と|口《くち》と|違《ちが》つてゐるでせう。|私《わたし》がゐますと|又《また》|大病《たいびやう》が|起《おこ》ると|互《たがひ》の|迷惑《めいわく》ですから、|暫《しば》らく|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》ります』
『ホヽヽ|甘《うま》いこと|仰有《おつしや》いますこと、ユーフテスさまがあなたの|居間《ゐま》に|待《ま》つてゐられるものだから、|気《き》が|気《き》でないのでせう』
『あなただつて、|私《わたし》がここにゐると|気《き》が|気《き》ぢやありますまい。|思《おも》へば|同《おな》じ|女気《をんなぎ》の、|男恋《をとここひ》しき|秋《あき》の|空《そら》、|顔《かほ》に|紅葉《もみぢ》の|唐紅《からくれなゐ》、とめてとまらぬ|紅葉《もみぢば》の、|色《いろ》……とか|云《い》ひましてなア、|言《い》ふに|云《い》はれぬ、|誰《たれ》だつて|秘密《ひみつ》はありますワ。それなら|姉《ねえ》さま、|一寸《ちよつと》|往《い》つて|来《き》ます。どうぞシツポリとお|楽《たの》しみ|遊《あそ》ばせ。なア|右守《うもり》さま、あまり|御気分《ごきぶん》の|悪《わる》なる|話《はなし》ぢや|御座《ござ》りますまい、オホヽヽヽ』
カールチンは|鼻《はな》をビコつかせながら、
『|左様《さやう》|々々《さやう》、|客《きやく》と|白鷺《しらさぎ》、|立《た》つが|美事《みごと》、|暫《しばら》くユーフテスさまと、|郊外《かうぐわい》の|散歩《さんぽ》でもなさつたら|面白《おもしろ》いでせう』
『|右守《うもり》さまのイヤなこと、そんな|粋《すゐ》を|利《き》かして|貰《もら》はなくても|宜《よろ》しいワ。|何《なん》と|云《い》つても|自由《じいう》|結婚《けつこん》の|流行《りうかう》する|世《よ》の|中《なか》ですもの、そんな|事《こと》は|如才《じよさい》のある|私《わたし》ぢや|御座《ござ》いませぬ。なア|姉《ねえ》さま、|古《ふる》い|道徳《だうとく》に|捉《とら》はれてゐる|連中《れんちう》の|様《やう》に、|吾《わが》|身《み》の|一生《いつしやう》|一代《いちだい》に|関《くわん》する|夫婦《ふうふ》|問題《もんだい》まで、|無理解《むりかい》な|親《おや》に|干渉《かんせふ》されちや|堪《たま》りませぬからなア。それなら|右守《うもり》さま、ユーフテス……イエイエ|自分《じぶん》の|居間《ゐま》へ|暫《しばら》く|下《さが》りますから、ゆつくりとお|話《はなし》を|遊《あそ》ばしませや。そしてよい|結果《けつくわ》を|齎《もたら》して、|私《わたし》にお|目出度《めでた》うといふ|様《やう》にして|下《くだ》さいませ』
『|兎《と》も|角《かく》、|惟神《かむながら》ですからなア』
|斯《か》く|云《い》ふ|所《ところ》へユーフテスは|舌《した》を|切《き》り、|鰓《あご》の|辺《あた》りまで|膨《ふく》らせながら|走《はし》り|来《きた》り、
『あゝゝあなたは、う|右守《うもり》さまでせう、あゝ|余《あま》りぢや|厶《ござ》いませぬか。|人《ひと》をふみこかして|先《さき》へ|出《で》て|来《く》るとは。コヽコレ、セーリス|姫《ひめ》……どの、こんな|無情《むじやう》な|人《ひと》は、|末《すゑ》が|恐《おそ》ろしいから、|姉《ねえ》さまが|何《なん》と|仰有《おつしや》つても、あんたが|水《みづ》を|注《さ》さねば……なりませぬぞや。|清《きよ》……オツトドツコイ、ヤスダラ|姫様《ひめさま》にお|気《き》の|毒《どく》ですから』
セーリス『ユーフテス|様《さま》、|其《その》お|顔《かほ》はどうなさいました。チツと|変《へん》ぢやありませぬか』
『ミヽ|道《みち》でぶつ|倒《たふ》れ、シヽ|舌《した》をかんで、コヽ|此《この》|通《とほ》り、ハヽ|腫《は》れました、イヽ|痛《いた》くて|堪《たま》りませぬ』
『コリヤ、ユーフテス、|何《なん》と|云《い》ふ|無礼《ぶれい》なことを|申《まを》すか。|俺《おれ》が、そして|何時《いつ》|貴様《きさま》を|踏《ふ》んだか』
『|誠《まこと》にスヽ|済《す》みませなんだ。セーリス|姫《ひめ》は、|私《わたし》の|予約済《よやくずみ》だから、|滅多《めつた》に|秋波《しうは》を|送《おく》るやうなことはなさらぬでせうな。|何《なん》だかチツと|様子《やうす》が|変《へん》だから……ワヽ|私《わたし》もキヽ|気《き》が|揉《も》めますワイ』
『ワハヽヽヽ』
|清照《きよてる》『オホヽヽヽ』
『マアいやなこと、ユーフテスさま、サア|私《わたし》の|居間《ゐま》へおいでなさいませ。|私《わたし》が|介抱《かいほう》して|直《なほ》して|上《あ》げませう、|嬉《うれ》しいでせう』
とワザとに|意茶《いちや》ついて、|右守《うもり》の|恋《こひ》を|沸《わ》きたてようとしてゐる。ユーフテスはいい|気《き》になり、|姫《ひめ》の|肩《かた》に|凭《もた》れかかり、ヒヨロリ ヒヨロリとこの|場《ば》を|立《た》つて、セーリス|姫《ひめ》の|居間《ゐま》へ|伴《ともな》はれ|行《い》つてしまつた。
|後《あと》にカールチン、|清照姫《きよてるひめ》は|互《たがひ》に|顔《かほ》を|見合《みあは》せ、|手持無沙汰《てもちぶさた》な|様子《やうす》で|黙《だま》り|込《こ》んで|了《しま》つた。カールチンは|姫《ひめ》の|発言《はつげん》を|何時《いつ》|迄《まで》|待《ま》つても|口切《くちき》りがないので、とうとう|劫《がふ》を|煮《に》やし、|矢庭《やには》に|飛付《とびつ》く|様《やう》にして、|顔《かほ》をそむけながら、|清照姫《きよてるひめ》の|柔《やはら》かい|手《て》を|岩《いは》のやうな|固《かた》い|手《て》でグツと|握《にぎ》つた。|清照姫《きよてるひめ》は、
『エー』
と|一声《ひとこゑ》ふりはなす|途端《とたん》に、ヒヨロ ヒヨロ ヒヨロとカールチンは|一間《いつけん》ばかり、|後《うしろ》に|尻餅《しりもち》をつき、
『あゝコレコレ、ヤスダラ|姫《ひめ》|殿《どの》、|女《をんな》の|身《み》のあられもない、そんな|乱暴《らんばう》なことをするものぢやありませぬぞ』
|清照姫《きよてるひめ》は|恥《はづ》かしさうな|風《ふう》をして、
『それでも|恥《はづ》かしうてたまりませぬワ、モウこらへて|下《くだ》さいな、お|頼《たの》みですから』
『ワハヽヽヽ、|流石《さすが》は|女《をんな》だなア、そこが|尊《たふと》い|所《ところ》だ。|矢張《やつぱり》ウブなものだワイ。|生《うま》れが|違《ちが》ふとどこともなしに|床《ゆか》しい|所《ところ》がおありなさる、ウフヽヽヽ』
と|言《い》ひながら、|今度《こんど》は|姫《ひめ》の|背後《はいご》より|両手《りやうて》をグツと|肩《かた》にかけ、|抱《だ》き|締《し》めようとするのを、|清照姫《きよてるひめ》は、カールチンの|両腕《りやううで》をグツと|取《と》り、ウンと|力《ちから》を|入《い》れた|拍子《ひやうし》に|体《たい》をすくめた。カールチンは|負投《おひなげ》を|喰《くら》つて|一間《いつけん》ばかり|向《むか》ふへ|飛《と》び、|床柱《とこばしら》に|後頭部《こうとうぶ》をカチンと|打《う》ち、
『アイタヽヽヽ、コレコレ|姫《ひめ》さま、|何《なん》といふ|手荒《てあら》いことをなさるのだ。|何時《いつ》の|間《ま》に|柔術《じうじゆつ》を|覚《おぼ》えましたかな、|天晴《あつぱれ》な|御手際《おてぎは》だ。ヤア|感心《かんしん》|々々《かんしん》』
『|余《あま》り|無礼《ぶれい》な|事《こと》をなさいますと、|私《わたし》は|承知《しようち》|致《いた》しませぬぞや』
『|何《なん》と|偉《えら》いヒステリツクだなア。|如何《どう》したら|御機嫌《ごきげん》がとれるかなア。まてまて、|姫《ひめ》の|心《こころ》の|奥底《おくそこ》を|測量《そくりやう》もせずに|無暗《むやみ》に|相手《あひて》になつて、はねるのは|当然《たうぜん》だ。|惚切《ほれき》つた|男《をとこ》にからかはれると、|却《かへつ》て|嬉《うれ》し|驚《おどろ》きに|肱鉄砲《ひぢてつぱう》をかまし、|後《あと》から|後悔《こうくわい》する|女《をんな》が、|間々《まま》あるものだ。|姫《ひめ》もヤツパリ|其《その》|伝《でん》だなア』
と|思《おも》はず|知《し》らず|小声《こごゑ》で|囁《ささや》く。|清照姫《きよてるひめ》は|可笑《をか》しさを|怺《こら》へて、
『|右守《うもり》さま、|何《なん》と|仰有《おつしや》います。|私《わたし》は|決《けつ》してヒステリツクぢやありませぬよ。|此《この》|通《とほ》り、ビチビチ|肥《こ》えとるぢやありませぬか。|何《なん》だか|知《し》らないが、|身魂《みたま》が|合《あ》はないと|見《み》えまして、|守護神《しゆごじん》が|怒《おこ》つて|仕様《しやう》が|厶《ござ》いませぬワ。チツと|此《この》|守護神《しゆごじん》に|鎮魂《ちんこん》でもして|帰順《きじゆん》するやうに|言《い》ひきかして|下《くだ》さいませな。|本当《ほんたう》に|私《わたし》|困《こま》つちまひますワ』
『あゝそれでよく|分《わか》りました。さうすると|貴女《あなた》の|肉体《にくたい》はカールチンに|対《たい》し、|別《べつ》に|嫌忌《けんき》の|情《じやう》をお|持《も》ちになつてるのぢやありませぬなア』
『ハイ』
『|本人《ほんにん》の|肉体《にくたい》さへ|承知《しようち》なら、|守護神《しゆごじん》|位《くらゐ》、|何《なん》と|言《い》つた|所《ところ》で、|物《もの》の|数《かず》でもありませぬワイ』
と|言《い》ひながら、|又《また》もや|姫《ひめ》の|手《て》をグツと|握《にぎ》る。|清照姫《きよてるひめ》はワザと|声《こゑ》を|尖《とが》らし、
『|妾《わらは》はヤスダラ|姫《ひめ》の|副守護神《ふくしゆごじん》、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|清照姫《きよてるひめ》で|厶《ござ》るぞよ。|汝《なんぢ》|苟《いやし》くも|右守司《うもりのかみ》となり、|万民《ばんみん》を|導《みちび》く|身《み》でゐながら|其《その》|卑《いや》しき|振舞《ふるまひ》は|何事《なにごと》ぞや。|容赦《ようしや》は|致《いた》さぬぞ。|今《いま》|其《その》|方《はう》を|投《な》げつけたのは、|此《この》|清照姫《きよてるひめ》の|霊《れい》がしたのぢや。|決《けつ》してヤスダラ|姫《ひめ》の|所為《しよゐ》ではない|程《ほど》に、|誤解《ごかい》をせぬやうにしたがよからう。|清照姫《きよてるひめ》は|最早《もはや》|此《この》|肉体《にくたい》を|立去《たちさ》る|程《ほど》に、|後《あと》は|其《その》|方《ほう》の|自由《じいう》に|致《いた》したが|宜《よ》からうぞや。ウンウン』
ドスンと|飛上《とびあが》り、|清照姫《きよてるひめ》は【おこり】のおちたやうなケロリとした|顔《かほ》をして、カールチンの|顔《かほ》を|打眺《うちなが》め、
『ヤア|貴方《あなた》は|恋《こひ》しい|慕《した》はしい|右守《うもり》さまで|御座《ござ》いましたか、|能《よ》うマア|御多忙《ごたばう》な|職務《しよくむ》をすてて、|妾《わたし》の|願《ねがひ》を|叶《かな》へて|御出《おい》で|下《くだ》さいました、あゝ|嬉《うれ》しう|御座《ござ》います。どうぞ|不束《ふつつか》な|私《わたし》、お|見捨《みすて》なく|末永《すえなが》く|可愛《かあい》がつて|下《くだ》さいませ』
と|右守《うもり》の|膝《ひざ》に|頭《かしら》をなげつけ、|首《くび》を|左右《さいう》にふつて|嬉《うれ》し|泣《なき》の|真似《まね》をして|見《み》せる。カールチンは|悦《えつ》に|入《い》り、
『ウツフヽヽヽ、イヤ|姫《ひめ》、|心配《しんぱい》なさるな。|其方《そち》の|事《こと》なら、|如何《いか》なることでも|吾《わが》|力《ちから》に|叶《かな》ふことならば、|叶《かな》へて|進《しん》ぜませう。どうぞカールチンも|今《いま》の|心《こころ》で|何時《いつ》|迄《まで》も|愛《あい》して|下《くだ》さいや』
となまめかしい|声《こゑ》で、|目《め》を|細《ほそ》くして|喋《しやべ》り|出《だ》した。どこともなく、|桶《をけ》の|輪《わ》がゆるんだやうな|言葉遣《ことばづか》ひである。
『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。それなら|此《この》ヤスダラ|姫《ひめ》の|願《ねがひ》は|何《なん》でも|聞《き》いて|下《くだ》さいますか』
『|申《まを》すに|及《およ》ばず、どんな|事《こと》でも|聞《き》いて|上《あ》げるから|言《い》つて|見《み》なさい』
『それなら|申上《まをしあ》げますが、|決《けつ》してお|腹《はら》を|立《た》てて|下《くだ》さいますなや。|貴方《あなた》も|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り、セーラン|王様《わうさま》は|茲《ここ》|一ケ月《いつかげつ》の|後《のち》には|万事《ばんじ》の|準備《じゆんび》を|整《ととの》へて、|貴方様《あなたさま》に|後《あと》をお|譲《ゆづ》り|遊《あそ》ばすことに|内定《ないてい》して|居《を》りますのは|確《たしか》です。さうすれば|貴方《あなた》は|右守司《うもりのかみ》ではなくて、|入那《いるな》の|都《みやこ》の|刹帝利様《せつていりさま》、さう|御出世《ごしゆつせ》を|遊《あそ》ばした|時《とき》は、こんな|卑《いや》しき|女《をんな》は|体面《たいめん》に|係《かか》はると|仰有《おつしや》つて、キツと|妾《わたし》をお|捨《す》て|遊《あそ》ばすでせう。|貴方《あなた》が|本当《ほんたう》に|私《わたし》を|愛《あい》して|下《くだ》さるのならば、ここで|一《ひと》つどこまでも|捨《す》てないと|云《い》ふ|書付《かきつけ》を|書《か》いて|下《くだ》さいませぬか』
『|如何《いか》なる|難問題《なんもんだい》かと|思《おも》へば、そんな|事《こと》か。ヨシヨシ、|書《か》いてやらう。|何《なん》と|書《か》けばいいのだなア』
『|私《わたし》の|要求《えうきう》は|到底《たうてい》|貴方《あなた》には|聞入《ききい》れられますまい。いざと|云《い》ふ|場合《ばあひ》になれば、キツと|拒絶《きよぜつ》なさるにきまつて|居《を》りますワ』
『|武士《ぶし》の|言葉《ことば》に|二言《にごん》はない。|女《をんな》の|一人《ひとり》|位《くらゐ》|誑《たぶ》かつて|何《なん》になるか。|早《はや》く|其《その》|要求《えうきう》の|次第《しだい》を|細々《こまごま》と|言《い》つて|見《み》なさい』
『|貴方《あなた》が|刹帝利《せつていり》にお|成《な》り|遊《あそ》ばした|暁《あかつき》は、キツと|妾《わたし》を|正妃《せいひ》にして|下《くだ》さるでせうなア』
『ウーン、そりや、せぬでもないが、|私《わたし》にはテーナ|姫《ひめ》といふ|女房《にようばう》があるぢやないか』
『|其《その》テーナさまは、|貴方《あなた》が|右守司《うもりのかみ》としての|奥《おく》さまでせう。|決《けつ》して|刹帝利《せつていり》の|奥《おく》さまでは|厶《ござ》いますまい。|刹帝利《せつていり》の|奥《おく》さまには|誰《たれ》をお|選《えら》みですか。ヤツパリ|依然《いぜん》として|古《ふる》いのを|御使用《ごしよう》|遊《あそ》ばしますか。それでは|折角《せつかく》|貴方《あなた》が|一切《いつさい》の|規則《きそく》を|革新《かくしん》しようとなさつても、|城内《じやうない》の|空気《くうき》を|新《あたら》しくする|事《こと》は|出来《でき》ますまい。|能《よ》う|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい。バラモン|教《けう》の|大教主《だいけうしゆ》|大黒主《おほくろぬし》の|神柱《かむばしら》は、|永《なが》らく|共《とも》に|苦労《くらう》を|遊《あそ》ばした|糟糠《さうかう》の|妻《つま》を|放逐《はうちく》し、|新規《しんき》|蒔《ま》き|直《なほ》しの|若《わか》い|美《うる》はしい|石生能姫《いそのひめ》|様《さま》を|正妃《せいひ》と|遊《あそ》ばしたぢや|厶《ござ》いませぬか。|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》でさへも|遊《あそ》ばしたことを、|貴方《あなた》が|出来《でき》ない|道理《だうり》はありますまい。サア|何卒《どうぞ》これからきめて|下《くだ》さい。おイヤですかな。おイヤならばお|厭《いや》とキツパリ|言《い》つて|下《くだ》さい。|私《わたし》にも|一《ひと》つ|覚悟《かくご》がありますから』
『|成程《なるほど》さう|聞《き》けばそれも|尤《もつと》もだ。それなら|貴女《あなた》を|正妃《せいひ》とすることを|固《かた》く|約《やく》しませう』
『|有難《ありがた》う|厶《ござ》います、それなら|今日《けふ》から|私《わたし》はあなた|様《さま》の|誠《まこと》の|妻《つま》ですなア』
となまめかしい|声《こゑ》を|出《だ》し、|満面《まんめん》に|笑《ゑみ》を|湛《たた》へて|凭《もた》れかかつた。|其《その》しをらしさにカールチンは|骨《ほね》も|魂《たま》も|抜《ぬ》けた|如《ごと》くグニヤ グニヤとなつて|了《しま》ひ、|顔《かほ》の|相好《さうがう》を|崩《くづ》して|平素《へいそ》のさがり|目《め》を|一入《ひとしほ》|下《さ》げ、|声《こゑ》の|調子《てうし》まで|狂《くる》はしながら、
『ウンウンよしよし、お|前《まへ》の|云《い》ふことなら、|命《いのち》でもやらう。ホンに|可愛《かあい》い|奴《やつ》だなア、エヘヽヽヽ』
『それなら|妾《わたし》に|一《ひと》つの|願《ねがひ》が|厶《ござ》います。|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り、|最早《もはや》|刹帝利《せつていり》の|授受《じゆじゆ》は|円満《ゑんまん》|解決《かいけつ》の|曙光《しよくわう》を|認《みと》めてゐるのですから、|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》の|軍隊《ぐんたい》を|借用《しやくよう》するのはお|止《や》めになつたら|如何《どう》ですか、|何程《なにほど》|円満《ゑんまん》|解決《かいけつ》とは|言《い》ひながら、カールチンは|刹帝利《せつていり》の|位《くらゐ》を|奪《うば》はむ|為《ため》に、|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》の|軍隊《ぐんたい》を|借用《しやくよう》して|脅迫《けうはく》したといはれては|末代《まつだい》までの|不名誉《ふめいよ》、|又《また》|国民《こくみん》|一般《いつぱん》に|対《たい》しても|治政上《ちせいじやう》|大変《たいへん》な|障害《しやうがい》となるぢやありませぬか。どうぞ|妾《わたし》の|御願《おねがひ》ですから、|一時《いちじ》も|早《はや》く|早馬使《はやうまづかひ》をハルナの|都《みやこ》にさし|向《む》け、|軍隊《ぐんたい》の|派遣《はけん》を|断《ことわ》つて|下《くだ》さいませ。|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》だつて、|近国《きんごく》に|動乱《どうらん》が|起《おこ》つてゐるのですから、|大変《たいへん》な|御迷惑《ごめいわく》でせう。|一層《いつそう》の|事《こと》、|貴方《あなた》の|軍隊《ぐんたい》を|全部《ぜんぶ》|応援《おうゑん》の|為《ため》お|差向《さしむ》けになつたならば、|貴方《あなた》の|武勇《ぶゆう》は|天下《てんか》に|轟《とどろ》き|又《また》|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》のお|覚《おぼ》えはますます|目出度《めでた》く、|遂《つひ》にはハルナの|都《みやこ》の|後継《あとつぎ》にお|成《な》りなさる|端緒《たんちよ》を|開《ひら》くといふものです。これ|位《くらゐ》の|決断《けつだん》がなくては|到底《たうてい》|駄目《だめ》ですからなア』
『|成程《なるほど》さう|聞《き》けばさうだなア。それなら|一先《ひとま》づ|吾《わが》|館《やかた》へ|立帰《たちかへ》り、|早馬使《はやうまづかひ》を|走《はし》らせて、|軍隊《ぐんたい》の|派遺《はけん》を|御辞退《ごじたい》|申上《まをしあ》げ、|味方《みかた》の|勇士《ゆうし》をして、|残《のこ》らず|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》の|為《ため》に|応援《おうゑん》させよう。ヤア、ヤスダラ|姫《ひめ》、|又《また》ゆつくりとお|目《め》にかからう。キツと|明日《あす》は|早朝《さうてう》から|登城《とじやう》するから、|安心《あんしん》して|待《ま》つてゐるがよい。|左守殿《さもりどの》へも|其方《そち》から|宜《よろ》しく|言《い》つて|下《くだ》さい。|私《わたし》から|云《い》ふのは|何《なん》だか|都合《つがふ》が|悪《わる》い|様《やう》だから』
『|父《ちち》の|左守《さもり》は|最早《もはや》|妾《わたし》の|切《せつ》なる|恋《こひ》を|看破《かんぱ》し、|夜前《やぜん》も|厳《きび》しく|膝詰談判《ひざつめだんぱん》を|致《いた》しました|故《ゆゑ》、|命《いのち》をかけて、いろいろと|陳弁《ちんべん》しました|所《ところ》、ヤツと|得心《とくしん》して|呉《く》れまして……|流石《さすが》は|俺《おれ》の|娘《むすめ》だ。よい|所《ところ》へ|気《き》がついた、お|前《まへ》がさうなつてくれれば、|右守司《うもりのかみ》との|暗闘《あんとう》もこれでサツパリ|解《と》けるだらう……と|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|別《わか》れた|位《くらゐ》ですから、|父《ちち》の|方《はう》は|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》くださいますなや』
『ヤスダラ|姫《ひめ》|殿《どの》、お|名残《なごり》|惜《を》しいが、|明日《あす》|又《また》お|目《め》にかからう』
と|云《い》ひながら、|滴《したた》る|涎《よだれ》をソツとたぐり、イソイソとして|己《おの》が|館《やかた》へ|立帰《たちかへ》るのであつた。|後《あと》に|清照姫《きよてるひめ》は|帰《かへ》り|行《ゆ》く|姿《すがた》を、|首《くび》を|伸《の》ばして|眺《なが》めてゐたが、|何時《いつ》の|間《ま》にやら|姫《ひめ》の|首《くび》は|三《み》つ|四《よ》つ|縦《たて》に|動《うご》き、|赤《あか》い|舌《した》まで【はみ】|出《だ》して|居《ゐ》た。
(大正一一・一一・一四 旧九・二六 松村真澄録)
第六章 |野人《やじん》の|夢《ゆめ》〔一一三一〕
カールチンは|吾《わが》|館《やかた》の|奥《おく》の|間《ま》に|只《ただ》|一人《ひとり》ニコニコしながら|恋《こひ》の|瞑想《めいさう》に|耽《ふけ》つてゐる。そこへやつて|来《き》たのはユーフテス、セーリス|姫《ひめ》の|二人《ふたり》であつた。
『|右守《うもり》さま、|最前《さいぜん》はようこそ|御登城《ごとじやう》の|上《うへ》、|姉《あね》にお|会《あ》ひ|下《くだ》さいまして、|誠《まこと》に|有難《ありがた》う|御座《ござ》ります。|貴方《あなた》がお|帰《かへ》り|遊《あそ》ばしたその|後《あと》で|姉《あね》も|非常《ひじやう》に|気分《きぶん》がよくなつたと|申《まを》し、それはそれは|偉《えら》い|御機嫌《ごきげん》で|厶《ござ》ります。|就《つ》いては|姉《あね》の|申《まを》しますのには、|男心《をとこごころ》と|秋《あき》の|空《そら》、|如何《どう》|変《かは》るやら|心許《こころもと》ない。|右守《うもり》の|司様《かみさま》に、も|一度《いちど》お|目《め》にかかる|迄《まで》は|安心《あんしん》ならない。もしや|奥様《おくさま》に|感《かん》づかれ|遊《あそ》ばして、|種々《いろいろ》と|御争《おいさか》ひの|結果《けつくわ》、お|心変《こころがは》りをなされはすまいかと|申《まを》しまして、|妾《わたし》に|一遍《いつぺん》|御様子《ごやうす》を|伺《うかが》つて|来《き》てくれと、まるで|狂人《きちがひ》の|様《やう》に|申《まを》しますの。|貴方《あなた》に|限《かぎ》つてそんな|水臭《みづくさ》い|方《かた》ぢやないから|御安心《ごあんしん》|遊《あそ》ばせと|何度《なんど》|云《い》つても|聞《き》きませぬ。それ|故《ゆゑ》|夜中《やちう》にも|拘《かかは》らず、|御邪魔《おじやま》をいたした|様《やう》な|次第《しだい》で|厶《ござ》ります。|夜中《やちう》|御門前《ごもんぜん》が|通《とほ》れないと|存《ぞん》じまして、ユーフテス|様《さま》について|来《き》て|頂《いただ》きました』
カールチンは|小声《こごゑ》で、
『あゝさうでしたか、それは|御苦労《ごくらう》でした。|屹度《きつと》|心変《こころがは》りするなと|姫《ひめ》に|云《い》つてやつて|下《くだ》さい。さうすりや|安心《あんしん》するでせう』
と|早《はや》くも|女房扱《にようばうあつかひ》にしてゐる。セーリス|姫《ひめ》は|可笑《をか》しさを|堪《こら》へ、|故意《わざ》と|湿《しめ》つぽい|声《こゑ》を|出《だ》して、
『ハイ|有難《ありがた》い|其《その》お|言葉《ことば》、|妾《わたし》の|夫《をつと》になつて|下《くだ》さつた|様《やう》に|嬉《うれ》しう|厶《ござ》りますわ、ホヽヽヽヽ』
『これこれセーリス|姫《ひめ》|殿《どの》、|気《き》の|多《おほ》い|事《こと》を|云《い》つちやなりませぬぞ。|貴女《あなた》の|最愛《さいあい》のユーフテスが|其処《そこ》に|居《ゐ》るぢやありませぬか。|大変《たいへん》に|気《き》を|揉《も》んで、|顔《かほ》の|色《いろ》まで|変《か》へて|居《を》りますよ。アハヽヽヽヽ』
『ホヽヽヽヽこんな|口《くち》の|腫《は》れた、|物《もの》も|碌《ろく》に|云《い》へぬ|様《やう》な|男《をとこ》、|妾《わたし》|俄《にはか》に|嫌《いや》になつちまつたのですよ…………と|云《い》ふのは|表向《おもてむ》き、ねえユーフテスさま、|貴方《あなた》、|私《わたし》の|心《こころ》の|中《うち》はよく|知《し》つてゐますね。|人《ひと》の|前《まへ》でさう|惚気《のろけ》も|云《い》へませぬからな』
ユーフテスは|嬉《うれ》しさうな|顔《かほ》して、
『ウフヽヽヽ』
と|笑《わら》ふ。
『あのマア|好《す》かぬたらしい|笑《わら》ひ|様《やう》わいな。|本当《ほんたう》に|嫌《いや》になつてしまふワ。|如何《どう》して、こんな|好《す》かぬたらしい|男《をとこ》が|好《す》きになつたのだらう。|吾《われ》と|吾《わが》|心《こころ》で|判断《はんだん》がつかぬワ』
『これこれセーリスさま、あまりぢやありませぬか。|何《なに》か|一《ひと》つ|奢《おご》つて|貰《もら》ひませう。たつぷりとお|惚気《のろけ》を|聞《き》かされまして』
『お|惚気《のろけ》はお|互《たがひ》|様《さま》ですわ。|奢《おご》るだけは|倹約《けんやく》を|致《いた》しまして、|為替《かはせ》に|願《ねが》ひませうか。|時《とき》にカールチンさま、|奥様《おくさま》の|処置《しよち》は|如何《どう》なさいましたの。それを|承《うけたま》はらねば、|姉《あね》が|矢張《やつぱ》り|気《き》を|揉《も》みますから、なあユーフテスさま、さうでしたね』
『そ……それが|肝腎要《かんじんかなめ》の|只今《ただいま》の|御用《ごよう》ですわ。もし|旦那様《だんなさま》、|如何《どう》なりましたか。|屹度《きつと》|直様《すぐさま》、|何《なん》とか|御処置《ごしよち》を|取《と》られたでせうな』
『|実《じつ》の|所《ところ》、|今日《けふ》はマンモス、サモア|姫《ひめ》に|招《まね》かれて、テーナは|未《ま》だ|帰《かへ》つて|来《こ》ないのだ。|然《しか》しながら|出《だ》し|抜《ぬ》けにそんな|事《こと》|云《い》つたら、|此《この》|際《さい》|一悶錯《ひともんさく》が|起《おこ》るから、|暫《しば》らく|執行《しつかう》|猶予《いうよ》を|願《ねが》ひたいものだ。|何《いづ》れ|折《をり》を|見《み》て|甘《うま》くやる|積《つも》りだから、ヤスダラ|姫《ひめ》にもカールチンの|心《こころ》は|大磐石心《だいばんじやくしん》だから|安心《あんしん》せよと|伝《つた》へて|下《くだ》さい。それよりも|姫《ひめ》の|方《はう》に|心変《こころがは》りのせないやうと|此《この》|方《はう》から|却《かへつ》て|気《き》を|揉《も》んでゐる|位《くらゐ》だ。アハヽヽヽヽ』
『|好《よ》い|男《をとこ》さまに|生《うま》れると|気《き》の|揉《も》める|事《こと》ですな。|妾《わたし》の|様《やう》なお|多福《たふく》の|方《はう》が|却《かへつ》て|幸《さいは》ひかも|知《し》れませぬわ。それでも|世間《せけん》は|広《ひろ》いもので、|干瓢《かんぺう》に|目鼻《めはな》をつけた|様《やう》なユーフテスさまが|秋波《しうは》を|送《おく》つて|下《くだ》さいますもの、お|多福《たふく》だつて、さう|悲観《ひくわん》したものぢや|厶《ござ》りませぬな』
『あゝ|何《なん》だか|妙《めう》な|気分《きぶん》になつて|来《き》ましたわい。|貴女《あなた》も|気《き》が|利《き》きませぬな。ユーフテスの|様《やう》な|男《をとこ》をつれずに、|何故《なぜ》|姉《ねえ》さまをソツと|連《つ》れて|来《こ》ないのですか。さうすれば|何事《なにごと》も|直《すぐ》に|氷解《ひようかい》が|出来《でき》ますがね。|矢張《やはり》|姉《ねえ》さまよりもユーフテスの|方《はう》が|宜《よ》いと|見《み》えますな』
『そりやさうでせうとも。|何程《なにほど》|姉《ねえ》さまが|綺麗《きれい》だと|云《い》つても、|女《をんな》|同士《どうし》|世帯《しよたい》を|持《も》つ|訳《わけ》には|行《い》かぬぢやありませぬか。|何程《なにほど》ヒヨツトコでも|瓢箪《へうたん》でも|干瓢《かんぺう》さまでも|蜥蜴《とかげ》の|欠伸《あくび》した|様《やう》な|男《をとこ》でも、|夫《をつと》とすれば、ヤツパリ|贔屓《ひいき》がつきますわ。オホヽヽヽヽ』
『|時《とき》にセーリス|姫様《ひめさま》、|追《お》つ|立《た》てる|様《やう》で|済《す》みませぬが、|今《いま》に|女房《にようばう》が|帰《かへ》つて|来《き》て|感《かん》づかれては|大変《たいへん》ですから、|何卒《どうぞ》ユーフテスと|共《とも》に|此処《ここ》を|立退《たちの》いて|下《くだ》さいますまいか』
『はい、|承知《しようち》|致《いた》しました。|気《き》の|利《き》かぬ|女《をんな》だと|思召《おぼしめ》すでせう。これが|姉《あね》だつたら、そんな|事《こと》|滅多《めつた》に|仰有《おつしや》いますまいに。お|多福《たふく》はヤツパリ|仕方《しかた》がありませぬわ。|奥様《おくさま》がお|待《ま》ち|兼《か》ねでせう。|何卒《どうぞ》|御夫婦《ごふうふ》|睦《むつ》まじうお|暮《くら》しなさいませ。|姉《あね》も|御親密《ごしんみつ》な|御夫婦《ごふうふ》だと|聞《き》いたら、|嘸《さぞ》|気《き》を|揉《も》みませう、いや|喜《よろこ》びませう。|誠《まこと》にいけすかない|女《をんな》が|参《まゐ》りまして|済《す》みませぬでした。|何卒《なにとぞ》|神直日《かむなほひ》、|大直日《おほなほひ》に|見直《なほ》し|聞直《ききなほ》して|下《くだ》さいまして、|永当々々《えいたうえいたう》|御贔屓《ごひいき》に|願《ねが》ひまアす』
『(|東西屋《とうざいや》|口調《くてう》)チヨン チヨン チヨン、えー|今晩《こんばん》はこれで|大切《おほぎ》りと|致《いた》しまして、|又《また》|明晩《みやうばん》は|新手《あらて》を|入《い》れ|替《か》へ、|大序《だいじよ》より|大切《おほぎ》りまで|御覧《ごらん》に|入《い》れます。|芸題《げだい》は|入那《いるな》の|城《しろ》|入那《いるな》の|城《しろ》、|登場《とうぢやう》|役者《やくしや》は|右守《うもり》の|司《かみ》カールチン|殿《どの》、ヤスダラ|姫《ひめ》のローマンスの|情味《じやうみ》|津々《しんしん》たる|艶場《つやば》をお|目《め》にかけますれば、|近所合壁《きんじよがつぺき》|誘《さそ》ひ|合《あは》せ、|賑々《にぎにぎ》しく|御観覧《ごくわんらん》の|程《ほど》を|偏《ひとへ》に|乞《こ》ひ|願《ねが》ひあげ【よこ】|奉《まつ》ります。アハヽヽヽヽ』
セーリス『ウツフヽヽヽヽ』
『(|義太夫《ぎだいふ》)「|右守《うもり》は|悠然《いうぜん》として|立上《たちあが》り、テーナ|姫《ひめ》の|館《やかた》をさして、|入《い》りにける。|後《あと》に|残《のこ》りし|両人《りやうにん》は、|四辺《あたり》をキツと|打見《うちみ》やり、|互《たがひ》に|手《て》に|手《て》を|取《と》り|交《か》はし、ヤイノ ヤイノと|意茶《いちや》つく|間《ま》もなく、|表《おもて》に|聞《きこ》ゆる|人《ひと》の|足音《あしおと》、コリヤ|叶《かな》はぬと、|暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|逃《に》げ|失《う》せたりチヨン」と|云《い》ふ|所《ところ》ですな。イヒヽヽヽヽ』
カールチン『セーリス|姫《ひめ》|殿《どの》、|又《また》|改《あらた》めてお|目《め》にかかりませう』
と|云《い》ひすて|足早《あしばや》に|奥《おく》の|間《ま》|指《さ》して|姿《すがた》をかくした。|二人《ふたり》は|是非《ぜひ》なく|暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|館《やかた》を|出《い》で、|木枯《こがらし》|烈《はげ》しき|野道《のみち》をよぎり、|城内《じやうない》|指《さ》して|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
カールチンは|二人《ふたり》に|別《わか》れ、|奥《おく》の|大広間《おほひろま》に|座蒲団《ざぶとん》を|幾枚《いくまい》も|積《つ》み|重《かさ》ね、【ばい】の|化物然《ばけものぜん》とすまし|込《こ》み、|頻《しき》りに|首《くび》をかたげて|時々《ときどき》|堪《こら》へきれぬ|様《やう》な|笑《ゑみ》を|洩《もら》し、|鼻糞《はなくそ》をほぜくつたり、|手《て》の|甲《かふ》で|歯糞《はくそ》を|取《と》つたり、|眉毛《まゆげ》の|癖《くせ》を|直《なほ》したり、|首筋《くびすぢ》を|撫《な》で|上《あ》げたり|等《など》して、|俄《にはか》に|若《わか》やいだ|気分《きぶん》になつて|上機嫌《じやうきげん》で|納《をさ》まり|返《かへ》つてゐる。そこへマンモスに|送《おく》られて|帰《かへ》つて|来《き》たのはテーナ|姫《ひめ》であつた。
『|旦那様《だんなさま》、|今日《けふ》は|奥様《おくさま》に|穢《むさくる》しい|処《ところ》へ|御入来《おいで》を|願《ねが》ひまして|実《じつ》に|光栄《くわうえい》で|御座《ござ》いました。サモア|姫《ひめ》も|大変《たいへん》に|満足《まんぞく》|致《いた》しましたと、|旦那様《だんなさま》へお|礼《れい》を|申上《まをしあ》げて|呉《く》れよと|申《まを》しました。|今日《けふ》はツイにない|御機嫌《ごきげん》なお|顔《かほ》を|拝《はい》し、マンモスに|於《おい》ても|恐悦《きようえつ》|至極《しごく》に|存《ぞん》じます』
『マンモス、よう|送《おく》つて|来《き》てくれた。も|少《すこ》し|遅《おそ》くても|構《かま》はなかつたになあ』
テーナ|姫《ひめ》は|不機嫌《ふきげん》な|顔《かほ》をして|一杯《いつぱい》|機嫌《きげん》を|幸《さいは》ひ、カールチンの|前《まへ》に|進《すす》み|出《い》で|矢庭《やには》に|胸倉《むなぐら》をグツと|取《と》り、
『これ、|旦那《だんな》さま、|薬鑵老爺《やくわんおやぢ》さま、もちつと|長《なが》くともよいとは、そりや|何《なん》と|云《い》ふ|事《こと》を|仰有《おつしや》いますか。|大方《おほかた》|貴方《あなた》は|妾《わたし》の|帰《かへ》つて|来《く》るのがお|気《き》に|入《い》らぬのでせう。|二三日前《にさんにちぜん》から、|何《なん》だかソワソワして|落着《おちつ》かぬ|風《ふう》ぢやと|思《おも》つてゐましたが、|到頭《たうとう》|本音《ほんね》を|吹《ふ》いたぢやありませぬか。ツイ|二三日前《にさんにちぜん》まで|妾《わたし》が|一息《ひといき》の|間《ま》|居《を》らなくても|八釜《やかま》しく|仰有《おつしや》つたぢやありませぬか。|貴方《あなた》は|何《なに》か|外《ほか》に|増《ま》す|花《はな》が|出来《でき》たのでせう。いやもの|云《い》ふ|花《はな》を|手折《たお》つて|来《き》たのでせう。サア|今日《けふ》は|何処迄《どこまで》も|調《しら》べ|上《あ》げねばおきませぬぞ。|女房《にようばう》は|手《て》の|下《した》の|罪人《ざいにん》だと|思《おも》つて|何時《いつ》も|馬鹿《ばか》にしてゐなさるが、もう|私《わたし》も|今日《けふ》は|了簡《れうけん》しませぬ。さあ|白状《はくじやう》しなさい、|男《をとこ》らしう』
と|云《い》ひながら|力限《ちからかぎ》り|襟髪《えりがみ》をとつて|前後《ぜんご》にシヤクリまはす。
『アハヽヽヽ、|悋気《りんき》も|宜《い》い|加減《かげん》にしたが|良《よ》からうぞ。|十九《つづ》や|二十《はたち》の|身《み》ぢやあるまいし、|四十女《しじふをんな》の|姥桜《うばざくら》の|分際《ぶんざい》として、その|態《ざま》は|何《なん》だ。あまり|見《み》つともよくないぢやないか』
『|雀《すずめ》|百《ひやく》まで|雄鳥《をんどり》を|忘《わす》れぬと|云《い》ふぢやありませぬか。|四十女《しじふをんな》がいやなら、|元《もと》の|十七《じふしち》にして|返《かへ》しなさい。お|前《まへ》さまに|嫁《かし》づいて|年《とし》をとらされたのだから、|元《もと》のスタイルにさへして|貰《もら》へば|何時《いつ》にても|帰《かへ》りますわ。サア|何処《どこ》で|何奴《どいつ》と|意茶《いちや》ついて|来《き》た。|白状《はくじやう》しなさい。|実《じつ》の|処《ところ》は|今日《けふ》マンモスに|招《まね》かれて|行《い》つたのも、お|前《まへ》さまの|秘密《ひみつ》を|探《さぐ》る|為《た》めだつた。|隠《かく》しても|駄目《だめ》ですよ。|何《なに》もかも|皆《みな》ユーフテスやセーリス|姫《ひめ》のドスベタの|取持《とりも》ちでやつて|居《ゐ》る|事《こと》はチヤンとマンモスに|探偵《たんてい》がさしてあるのですよ。あまり|人《ひと》を|盲目《めくら》にしなさるな。サア|之《これ》でもお|前《まへ》さまは|知《し》らぬと|云《い》ひますか』
『|何《なん》と|偉《えら》い|権幕《けんまく》だな。まるで|狂人《きちがひ》の|様《やう》ぢやないか』
『|良妻賢母《りやうさいけんぼ》も|夫《をつと》の|仕打《しうち》が|悪《わる》いと、こんなになるのですよ。|権幕《けんまく》が|荒《あら》くなつたのも|狂人《きちがひ》になつたのも、|何《なに》かの|素因《そいん》がなくてはなりますまい。あゝ|残念《ざんねん》や、くゝゝゝ|口惜《くや》しやな。こんな|事《こと》と|知《し》つたなら、|何故《なぜ》|二十年《にじふねん》も|昔《むかし》に|命《いのち》までかけて|恋慕《こひした》うて|居《を》つたキユールさまに、|添《そ》はなかつたのだらう』
と|焼糞《やけくそ》になつて|悋気《りんき》の|角《つの》を|生《は》やし、|襖《ふすま》や|畳《たたみ》や|其処辺《そこら》の|道具《だうぐ》にあたり|散《ち》らす。|忽《たちま》ち|箪笥《たんす》は|顛覆《てんぷく》する、|襖《ふすま》は|倒《たふ》れる、|土瓶《どびん》は|腹《はら》を|破《やぶ》つて|小便《せうべん》を|垂《た》れる、|火鉢《ひばち》は|宙《ちう》に|舞《ま》ふ。|座敷《ざしき》|一面《いちめん》|灰煙《はひけむり》が|濛々《もうもう》と|包《つつ》む。|手《て》も|足《あし》もつけられなくなつて|了《しま》つた。
『マンマンマン モスモスモスもすこし|待《ま》つて|下《くだ》さい。|奥《おく》さま、さう|腹《はら》を|立《た》てちやお|身体《からだ》に|障《さは》ります。まだ|確《たしか》なことは|見届《みとど》けてないのですから、さう|早《はや》くから|予行《よかう》|演習《えんしふ》をやられちや、|旦那様《だんなさま》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、マンモスまでが|忽《たちま》ち|迷惑《めいわく》を|致《いた》します。|先《ま》づ|先《ま》づお|鎮《しづ》まりを|願《ねが》ひます』
カールチンはマンモスをハツタと|睨《ね》めつけ、|声《こゑ》を|震《ふる》はせて、
『こりや、マヽヽヽマン、|左様《さやう》な|不届《ふとど》きな|事《こと》を|申《まを》して|右守《うもり》の|館《やかた》を|攪乱《かくらん》せむとするのか。|不忠《ふゆう》|不義《ふぎ》の|痴《し》れ|者《もの》|奴《め》、|今日《けふ》|限《かぎ》り|暇《ひま》を|遣《つか》はす。トツトと|出《で》て|行《ゆ》かう』
『これカールチンさま、マンモスが|居《ゐ》ると|大変《たいへん》に|御都合《ごつがふ》がお|悪《わる》いでせう。|序《ついで》に|妾《わたし》も|此処《ここ》に|居《を》りますと|貴方《あなた》の|御都合《ごつがふ》が|嘸《さぞ》お|悪《わる》う|御座《ござ》いませう。|妾《わたし》はこれから|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》ります。|何程《なにほど》|貴方《あなた》に|棄《す》てられても、|決《けつ》して|難儀《なんぎ》は|致《いた》しませぬ。|広《ひろ》い|世界《せかい》に|女《をんな》の|廃《すた》り|物《もの》はありませぬぞや。|男《をとこ》【やもめ】に|蛆《うぢ》が|湧《わ》きませぬぞえ。|大《おほ》きに|永々《ながなが》|御世話《おせわ》になりました。|何卒《どうぞ》|鬼薊《おにあざみ》の|様《やう》なお|方《かた》と|末永《すえなが》うお|添《そ》ひなさいませ。これマンモス、|捨《す》てる|神《かみ》があれば|拾《ひろ》ふ|神《かみ》もある。|妾《わたし》の|財産《ざいさん》だつて、|云《い》ふと|済《す》まぬが、|旦那様《だんなさま》より|倍《ばい》|以上《いじやう》もあるから|心配《しんぱい》なさるな、|屹度《きつと》|養《やしな》うて|上《あ》げますぞや。えーえー、こんな|所《ところ》にようも|二十年《にじふねん》も|居《を》つた|事《こと》だ』
と|足《あし》で|畳《たたみ》を|蹴《け》り|立《た》て|髪《かみ》ふり|乱《みだ》し、|恥《はぢ》も|外聞《ぐわいぶん》も|構《かま》はばこそ、オンオンと|狼泣《おほかみな》きしながら|館《やかた》を|後《あと》に|何処《いづこ》ともなく|姿《すがた》を|隠《かく》した。
|後《あと》|見送《みおく》つてカールチンは、さも|嬉《うれ》し|気《げ》に|肩《かた》を|聳《そび》やかし、|頤《あご》をしやくり|独言《ひとりごと》を|云《い》つてゐる。
『アハヽヽヽヽ、|都合《つがふ》の|好《い》い|時《とき》には|何処《どこ》までも|都合《つがふ》の|好《よ》いものだな。|如何《どう》して|追放《おつぽ》り|出《だ》さうかと、そればかり|思案《しあん》してゐたのに、|自分《じぶん》の|方《はう》から|飛《と》び|出《だ》すと|云《い》ふのは、|何《な》したマア|都合《つがふ》のいい|事《こと》だらう。あれ|丈《だけ》|乱暴《らんばう》して|行《い》つた|以上《いじやう》は、よもやテーナも|帰《かへ》つて|来《く》る|考《かんが》へぢやあるまいし、|俺《おれ》だつてあれだけ|踏《ふ》みつけられた|女《をんな》を、|又《また》ノメノメと|家《うち》において|置《お》く|様《やう》な|事《こと》では、|右守《うもり》の|司《かみ》の|威勢《ゐせい》も|空《から》つきり|駄目《だめ》になつて|了《しま》ふ。もう|何人《なんぴと》が|仲裁《ちうさい》に|這入《はい》つても|聞《き》く|必要《ひつえう》はない。エヘヽヽヽヽ|福《ふく》の|神《かみ》の|御入来《ごじゆらい》、|貧乏神《びんばふがみ》の|御退却《ごたいきやく》、|実《じつ》に|恐《おそ》れ|入谷《いりや》の|鬼子母神《きしぼじん》、そこへヤスダラ|姫《ひめ》の|弁財天《べんざいてん》が|御降臨《ごかうりん》|遊《あそ》ばし、|暫《しばら》く|天之御柱《あめのみはしら》、|国之御柱《くにのみはしら》を|巡《めぐ》り|合《あ》ふうち、|忽《たちま》ち|布袋《ほてい》さまと|早変《はやがは》り、|大黒天《だいこくてん》さまもお|羨《うらや》み|遊《あそ》ばすやうな|円満《ゑんまん》な|家庭《かてい》を|作《つく》り、|仮令《たとへ》|女房《にようばう》の|素性《すじやう》が|毘舎門天《びしやもんてん》でも|美人《びじん》でさへあれば、それで|本能《ほんのう》が|満足《まんぞく》するのだ。それさへあるにヤスダラ|姫《ひめ》は|刹帝利《せつていり》の|御種《おんたね》、こんな|結構《けつこう》な|事《こと》が、ようマア|如何《どう》して|勃発《ぼつぱつ》したのだらうかな。|南無大自在天《なむだいじさいてん》|大国彦大神《おほくにひこのおほかみ》、|謹《つつし》み|敬《うやま》ひ|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》ります。あゝあ|今日《けふ》|位《くらゐ》|目《め》の|上《うへ》の|瘤《こぶ》がとれて|愉快《ゆくわい》な|事《こと》があらうか。エヘヽヽヽヽもう|誰《たれ》に|遠慮《ゑんりよ》も|要《い》らぬ、|天下《てんか》|晴《は》れての|夫婦《ふうふ》だ』
と|独言《ひとりごと》を|独《ひと》り|喜《よろこ》んでゐる。そこへ|隣《となり》の|襖《ふすま》をガラリと|引《ひ》き|開《あ》け、|髪《かみ》ふり|乱《みだ》し、|馮河暴虎《ひようがばうこ》の|勢《いきほひ》で|現《あら》はれたのはテーナ|姫《ひめ》であつた。|矢庭《やには》に|首筋《くびすぢ》を|剛力《がうりき》に|任《まか》せてグツと|抑《おさ》へ、
『えーえ、|何《なに》もかも|知《し》らぬかと|思《おも》うて|蛙《かへる》は|口《くち》から|白状《はくじやう》|致《いた》したな。もう|此《この》|上《うへ》はテーナ|姫《ひめ》が|死物狂《しにものぐる》、|生首《なまくび》|引《ひ》き|抜《ぬ》き|地獄《ぢごく》の|八丁目《はつちやうめ》まで|担《かた》げて|行《い》つて|鬼《おに》に|喰《く》はしてやるから|左様《さう》|思《おも》へ、|如何《どう》ぢや|如何《どう》ぢや』
と|頭《あたま》が【めしや】げる|程《ほど》|畳《たたみ》に|圧《おさ》へつける。カールチンは|苦《くる》しさに|堪《た》へかね、キヤツと|悲鳴《ひめい》をあげる|途端《とたん》に、
『これこれ|旦那様《だんなさま》』
と|揺《ゆ》り|起《おこ》したのはテーナ|姫《ひめ》であつた。
『|旦那様《だんなさま》、えらう|魘《うな》されてゐましたな。しつかりなさいませ。えらい|冷汗《ひやあせ》が|出《で》てゐますよ』
『あゝあ、|夢《ゆめ》だつたか、ま、|夢《ゆめ》でよかつた。|貴様《きさま》も|余程《よほど》ひどい|奴《やつ》だな』
『|何《なん》ですか、|妾《わたし》の|夢《ゆめ》を|御覧《ごらん》になりましたの。へー、|何《なに》か|妾《わたし》に|怒《おこ》られるやうな|事《こと》をなさつてゐられるので、そんな|夢《ゆめ》を|御覧《ごらん》になつたのでせう』
『|何《なに》、お|前《まへ》の|武者振《むしやぶり》を|夢《ゆめ》に|見《み》たのだ。それはなア|随分《ずゐぶん》、|白馬《はくば》の|上《うへ》に|跨《また》がつて|軍隊《ぐんたい》を|指揮《しき》する|勢《いきほひ》は|目覚《めざま》しいものだつたよ。あれが|俺《わし》の|女房《にようばう》かと|驚嘆《きやうたん》のあまり|目《め》が|覚《さ》めたのだよ、アハヽヽヽ』
『オホヽヽヽ』
(大正一一・一一・一四 旧九・二六 北村隆光録)
第七章 |女武者《をんなむしや》〔一一三二〕
|秋《あき》も|漸《やうや》く|深《ふか》くして  |澄《す》み|渡《わた》りたる|朝日影《あさひかげ》
|東《ひがし》の|窓《まど》をおしあけて  |今日《けふ》は|心《こころ》もカールチン
テーナの|姫《ひめ》と|諸共《もろとも》に  |目出度《めでた》い|目出度《めでた》い、お|目出度《めでた》い
|鯛《たひ》や|鰹《かつを》の|生魚《なまざかな》  |夫婦《ふうふ》はここにさし|向《むか》ひ
|水《みづ》も|漏《も》らさぬ|親《した》しみの  |色《いろ》を|表《おもて》に|現《あら》はして
|酒《さけ》|汲《く》み|交《かは》す|右守司《うもりつかさ》  ホロ|酔《よひ》|機嫌《きげん》の|高笑《たかわら》ひ
|盃《さかづき》|重《かさ》ねてフナフナと  |腰《こし》のあたりも|怪《あや》しげに
|恋《こひ》(鯉)に|迷《まよ》うた|目《め》の|光《ひか》り  どことはなしにキラキラと
|月《つき》(盃)にさし|込《こ》む|朝日子《あさひこ》の  |眩《まばゆ》きばかりヤスダラ|女《によ》
|女房《にようばう》となつてほしの|空《そら》  |天《あま》の|河原《かはら》を|中《なか》にして
|年《ねん》に|一度《いちど》は|七夕《たなばた》の  |逢《あ》ふ|瀬《せ》も|清《きよ》き|恋《こひ》の|川《かは》
そしらぬ|顔《かほ》に|盃《さかづき》を  |女房《にようばう》にさせばテーナ|姫《ひめ》
さも|嬉《うれ》しげに|頂《いただ》いて  これが|別《わか》れの|盃《さかづき》と
|知《し》らぬが|仏《ほとけ》|神心《かみごころ》  |胸《むね》に|一物《いちもつ》たたみたる
|右守《うもり》の|司《かみ》の|布袋顔《ほていがほ》  やうやう|右守《うもり》は|顔《かほ》をあげ
『テーナの|姫《ひめ》よ、|吾《わが》|妻《つま》よ  いよいよ|願望《ぐわんまう》|成就《じやうじゆ》の
|時《とき》こそ|迫《せま》り|来《きた》りけり  |吾《われ》はイルナの|刹帝利《せつていり》
|汝《なれ》は|妃《きさき》の|貴《たか》き|身《み》よ  |陰《いん》と|陽《やう》との|息《いき》|合《あ》はせ
イルナの|国《くに》を|永久《とこしへ》に  |守《まも》るも|嬉《うれ》し|松《まつ》の|御代《みよ》
|待《ま》つ|甲斐《かひ》あつて|妹《いも》と|背《せ》の  |夫婦《ふうふ》の|喜《よろこ》び|千代《ちよ》の|縁《えん》
|勇《いさ》み|喜《よろこ》び|舞《ま》ひ|歌《うた》へ  |梵天帝釈自在天《ぼんてんたいしやくじざいてん》
|大国彦《おほくにひこ》の|御恵《みめぐ》みは  |天津御空《あまつみそら》も|只《ただ》ならず
|大海原《おほうなばら》のいと|広《ひろ》く  |恵《めぐ》みの|露《つゆ》を|遠近《をちこち》の
|青人草《あをひとぐさ》に|垂《た》れ|給《たま》ふ  |蒼生《あをひとぐさ》は|神《かみ》の|御子《みこ》
|尊《たふと》き|神《かみ》の|珍《うづ》の|宮《みや》  |御子《みこ》と|宮《みや》とを|預《あづ》かりて
イルナの|国《くに》に|君臨《くんりん》し  |堅磐常磐《かきはときは》に|世《よ》を|守《まも》る
|吾《わが》|身《み》の|上《うへ》ぞ|楽《たの》しけれ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ  |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|汝《なれ》と|吾《われ》とは|永久《とこしへ》に  |夫婦《ふうふ》の|仲《なか》も|睦《むつま》じく
|八千代《やちよ》の|椿《つばき》|優曇華《うどんげ》の  |花《はな》|咲《さ》く|春《はる》を|楽《たの》しみて
|神《かみ》の|大道《おほぢ》に|仕《つか》ふべし  |梵天帝釈自在天《ぼんてんたいしやくじざいてん》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|真心《まごころ》を  |誓《ちか》ひて|祈《いの》り|奉《たてまつ》る』
と|一杯《いつぱい》|機嫌《きげん》で、|右守《うもり》の|司《かみ》は|妻《つま》のテーナ|姫《ひめ》と|共《とも》に|酒《さけ》|酌《く》み|交《かは》しながら|歌《うた》つて|居《ゐ》る。テーナ|姫《ひめ》は|気《き》もさえざえしく|笑《ゑみ》を|満面《まんめん》に|湛《たた》へて、|夫《をつと》に|盃《さかづき》をさしながら|節《ふし》|面白《おもしろ》く|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。
『|大梵天王自在天《だいぼんてんわうじざいてん》  |大国彦《おほくにひこ》の|大神《おほかみ》の
|恩頼《みたまのふゆ》は|目《ま》のあたり  |現《あら》はれ|来《きた》り|吾《わが》|夫《つま》は
イルナの|国《くに》の|刹帝利《せつていり》  |四民《しみん》の|親《おや》と|仰《あふ》がれて
|時《とき》めき|給《たま》ふ|時《とき》は|来《き》ぬ  |妾《わらは》も|同《おな》じ|妻司《つまがみ》の
|麻《あさ》に|連《つ》れ|添《そ》ふ|蓬《よもぎ》ぞよ  |君《きみ》が|高《たか》きにのぼりなば
|妾《わらは》も|高《たか》き|位《くらゐ》につき  |月日《つきひ》|並《なら》べて|永久《とこしへ》に
|天津御空《あまつみそら》の|星《ほし》のごと  |群集《うごな》はり|居《を》る|蒼生《たみぐさ》を
いと|平《たひら》けく|安《やす》らけく  |神《かみ》のまにまに|治《をさ》めゆき
イルナの|国《くに》の|生神《いきがみ》と  |名《な》を|万世《よろづよ》に|轟《とどろ》かし
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御柱《みはしら》と  なるぞ|嬉《うれ》しき|夫婦仲《ふうふなか》
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はへましまして
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|片時《かたとき》も  |此《この》|目的《もくてき》を|委曲《まつぶさ》に
|立《た》てさせ|給《たま》へと|願《ね》ぎまつる  |思《おも》へば|思《おも》へば|先《さき》の|世《よ》で
|吾等《われら》|夫婦《ふうふ》は|天地《あめつち》の  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|身《み》を|尽《つく》し
|誠《まこと》を|尽《つく》せしものならむ  |忽《たちま》ち|入《い》り|来《く》る|福《ふく》の|神《かみ》
|大黒主《おほくろぬし》は|云《い》ふも|更《さら》  |右守《うもり》の|司《かみ》の|恵比須顔《ゑびすがほ》
|小事《せうじ》を|苦《く》にせぬ|布袋《ほて》つ|腹《ばら》  |命《いのち》も|長《なが》く|福禄寿頭《げほあたま》
|弁財天《べんざいてん》の|御利益《ごりやく》で  |珍《うづ》の|宝《たから》を|積《つ》み|重《かさ》ね
|毘舎門天《びしやもんてん》の|武勇《ぶゆう》をば  |四方《よも》の|国々《くにぐに》|果《は》てしなく
|発揮《はつき》しまつり|天国《てんごく》の  |目出度《めでた》き|様《さま》を|地《ち》の|上《うへ》に
|築《きづ》き|上《あ》ぐるも|目《ま》のあたり  あゝ|頼《たの》もしや|頼《たの》もしや
|神《かみ》は|吾等《われら》を|守《まも》りまし  |吾等《われら》は|神《かみ》を|敬《うやま》ひつ
|神人和合《しんじんわがふ》し|敬愛《けいあい》し  |名位寿富《めいゐじゆふう》の|大徳《だいとく》を
|千代万代《ちよよろづよ》に|永久《とこしへ》に  |授《さづ》け|給《たま》へよ|自在天《じざいてん》
|元津御祖《もとつみおや》の|大神《おほかみ》の  |御前《みまへ》に|畏《かしこ》み|願《ね》ぎまつる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
『テーナ|姫《ひめ》、|日頃《ひごろ》の|大望《たいまう》もどうやら|成功《せいこう》の|機運《きうん》に|向《むか》つたやうだなア。|今日《けふ》は|一入《ひとしほ》|酒《さけ》の|味《あぢ》もよいぢやないか。お|前《まへ》も|前祝《まへいは》ひに|今日《けふ》は|十分《じふぶん》|飲《の》んだらよからう。エーン』
『|左様《さやう》で|厶《ござ》いますなア、これと|云《い》ふのも|日頃《ひごろ》|信《しん》ずる|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》の|御利益《ごりやく》で|厶《ござ》いませう。|何卒《どうぞ》|旦那様《だんなさま》、|貴方《あなた》は|御出世《ごしゆつせ》なさつても|私《わたし》を|捨《す》てない|様《やう》にして|下《くだ》さいませや。|出世《しゆつせ》をなさればなさる|程《ほど》|気《き》の|揉《も》めるは|女《をんな》の|常《つね》です。お|見捨《みす》てない|様《やう》に|呉《く》れ|呉《ぐ》れもお|願《ねがひ》|申《まを》して|置《お》きますよ』
『アハヽヽヽまたしてもまたしても、|取越《とりこ》し|苦労《くらう》をする|女《をんな》だなア。|仮令《たとへ》|三千世界《さんぜんせかい》を|手《て》に|入《い》れるとも、お|前《まへ》と|別《わか》れて|暮《くら》すのなら、|何《なん》の|楽《たの》しみもないぢやないか。お|前《まへ》は|二十年《にじふねん》|以上《いじやう》も|添《そ》うて|置《お》いて、まだ|私《わし》の|心《こころ》が|分《わか》らぬのぢやなあ。エーン』
『|旦那様《だんなさま》が|其《その》お|心《こころ》ならば|私《わたし》は|嬉《うれ》しう|厶《ござ》います。その|代《かは》りどんな|事《こと》を|仰有《おつしや》つても、|決《けつ》して|背《そむ》きは|致《いた》しませぬわ。こんな|親切《しんせつ》な|旦那様《だんなさま》に|背《そむ》くやうな|事《こと》があつては、|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》の|御冥罰《ごめいばつ》が|恐《おそ》ろしう|厶《ござ》いますからなア』
『イヤ|好《よ》く|云《い》つて|呉《く》れた。それでこそ|俺《おれ》の|女房《にようばう》だ。|併《しか》しお|前《まへ》に|一《ひと》つ|相談《さうだん》があるが、キツト|聞《き》いて|呉《く》れるだらうなア』
『オホヽヽヽ、|聞《き》いて|呉《く》れえなんて、そりや|又《また》|何《なに》を|仰有《おつしや》います。|夫《をつと》が|女房《にようばう》に|頼《たの》むお|人《ひと》が|何処《どこ》の|世界《せかい》に|厶《ござ》いませうか。|貴方《あなた》のお|望《のぞ》みとは|何事《なにごと》で|厶《ござ》いますか。|何卒《なにとぞ》|手取《てつと》り|早《ばや》く|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さい、|貴方《あなた》のお|頼《たの》みが|一刻《いつこく》も|早《はや》く|聞《き》きたう|厶《ござ》います』
『アハヽヽヽ、|実《じつ》の|処《ところ》は|是《これ》からお|前《まへ》にハルナの|都《みやこ》まで|出陣《しゆつぢん》して|貰《もら》ひ|度《た》いのだ。|夫《をつと》の|言葉《ことば》をよもや|背《そむ》きは|致《いた》すまいなア。エーン』
『ハテ|心得《こころえ》ぬ|其《その》お|言葉《ことば》、|今《いま》や|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》から|五百騎《ごひやくき》の|兵士《つはもの》をお|送《おく》り|下《くだ》さる|筈《はず》になつて|居《を》るぢやありませぬか。それに|又《また》|反対《はんたい》に|此方《こちら》から|軍隊《ぐんたい》を|連《つ》れて|行《ゆ》くとは、どういふお|考《かんが》へでございますか』
『もはやセーラン|王様《わうさま》は|御決心《ごけつしん》|遊《あそ》ばしたなり、|軍隊《ぐんたい》の|必要《ひつえう》は|些《すこ》しもないのぢや。|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》は|近国《きんごく》に|騒動《さうだう》が|起《おこ》り、|沢山《たくさん》の|兵《へい》を|御派遣《ごはけん》になり、ハルナの|城《しろ》は|守備《しゆび》|全《まつた》く|薄弱《はくじやく》となつて|居《ゐ》る。|一方《いつぱう》は|三五教《あななひけう》|征伐《せいばつ》に|鬼春別《おにはるわけ》を|出《だ》し、|一方《いつぱう》はウラル|教《けう》|征伐《せいばつ》に|大足別《おほだるわけ》が|出陣《しゆつぢん》して|居《ゐ》る。|云《い》はば|国家《こくか》|多事《たじ》の|時《とき》だ。こんな|時《とき》に|戦争《いくさ》もないのに|援軍《ゑんぐん》を|乞《こ》ふとは|全《まつた》く|済《す》まないぢやないか。さうしてカールチンは|神力《しんりき》が|足《た》らないものだから、|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》から|軍隊《ぐんたい》をかりて、|非望《ひばう》を|遂《と》げたなど|云《い》はれては|末代《まつだい》の|恥《はぢ》だ。それよりも|此方《こなた》より|軍隊《ぐんたい》をさしむけ|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》のお|手伝《てつだ》ひをしようものなら、|吾々《われわれ》の|武勇《ぶゆう》は|天下《てんか》に|轟《とどろ》き、|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》の|御覚《おんおぼ》えも|目出度《めでた》う、|吾々《われわれ》の|守護《しゆご》する|社稷《しやしよく》は|金剛不壊《こんがうふゑ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》のやうなものだ。エーン、テーナ、|合点《がてん》が|行《い》つたか』
『|旦那様《だんなさま》のお|言葉《ことば》に|背《そむ》く|訳《わけ》ぢや|厶《ござ》いませぬが、さう|楽観《らくくわん》も|出来《でき》ますまい。|寸善尺魔《すんぜんしやくま》の|世《よ》の|中《なか》、|何時《なんどき》どんな|事《こと》が|突発《とつぱつ》するか|分《わか》つたものぢや|厶《ござ》いませぬ。こればかりは|篤《とつく》り|御思案《ごしあん》を|願《ねが》ひたいものです』
『|英雄《えいゆう》の|胸中《きようちう》が|女童《をんなわらべ》に|分《わか》つて|耐《たま》らうか。オイ、テーナ、|其《その》|方《はう》は|夫《つま》の|命令《めいれい》に|反抗《はんかう》する|積《つも》りか。ヨシ、ヨーシ、それならそれで|此《この》|方《はう》にも|了簡《れうけん》がある。|今日《こんにち》|限《かぎ》り|夫《をつと》でないぞ、|女房《にようばう》でないぞ、サア|一時《いちじ》も|早《はや》く|此《この》|館《やかた》を|立《た》ち|去《さ》り|召《め》され。エーン』
と|声《こゑ》を|尖《とが》らし|語気《ごき》を|強《つよ》めて|叱《しか》りつけた。
『それは|余《あま》り|非道《ひだう》なお|言葉《ことば》、あまりと|云《い》へば|余《あま》り|水臭《みづくさ》いぢやございませぬか』
『|決《けつ》して|俺《おれ》は|水臭《みづくさ》い|事《こと》はない、|其《その》|方《はう》こそ|夫《をつと》の|言葉《ことば》に|背《そむ》く|冷淡《れいたん》|至極《しごく》の|女《をんな》だ。|俺《おれ》だつて|長《なが》らく|添《そ》うて|来《き》た|女房《にようばう》を|放《はふ》り|出《だ》すやうな|約《つま》らぬ|事《こと》は|致《いた》し|度《た》くないのだ。お|前《まへ》が|余《あま》り|頑固《ぐわんこ》だから|腹《はら》が|立《た》つたのだ。エーン』
『|貴方《あなた》は|実際《じつさい》|私《わたし》を|愛《あい》して|呉《く》れては|居《ゐ》ませぬなア。どうも|此《この》ごろの|御様子《ごやうす》がちつと|怪《あや》しいぢや|厶《ござ》いませぬか』
『|嫌《いや》ぢや、|嫌《いや》ぢやで|十年《じふねん》|暮《く》れた、|到底《とても》|々々《とても》で|添《そ》ひ|遂《と》げた、と|云《い》ふ|世間《せけん》の|噂《うはさ》もあるぢやないか、さう|気《き》に|入《い》つた|女房《にようばう》ばかりあるものぢやない。|併《しか》し|俺《おれ》はお|前《まへ》に|対《たい》して|一度《いちど》も|嫌《いや》なイの|字《じ》も|思《おも》うた|事《こと》はない。お|前《まへ》のやうなよい|女房《にようばう》がどこにあらうかと|実《じつ》は|感謝《かんしや》して|居《ゐ》るのだ。|余《あま》り|可愛《かあい》いものだから、つひこんな|事《こと》を|云《い》うたのだ。これテーナ|姫《ひめ》、|堪忍《こら》へて|呉《く》れ、この|通《とほ》りだから』
と|手《て》を|合《あは》して|拝《をが》んで|見《み》せる。テーナ|姫《ひめ》は|俄《にはか》に|機嫌《きげん》を|直《なほ》し、いそいそとして|肩《かた》を|揺《ゆす》ぶりながら、
『ホヽヽヽ、あのまア|男《をとこ》らしいお|顔《かほ》だち、|今更《いまさら》のやうに|新枕《にひまくら》の|昔《むかし》が|思《おも》ひ|出《だ》されて|嬉《うれ》し|涙《なみだ》が|零《こぼ》れます。それなら|吾《わが》|夫様《つまさま》、|仰《あふ》せに|従《したが》ひハルナの|都《みやこ》に|参《まゐ》りませう』
カールチンは|仕済《しすま》したりと|私《ひそ》かに|打《う》ち|喜《よろこ》び、|態《わざ》と|厳《おごそ》かな|口調《くてう》で、
『ヤア|天晴《あつぱ》れ|天晴《あつぱ》れ、サアこれより|汝《なんぢ》はハルナの|国《くに》に|立《た》ち|向《むか》ひ、|五百騎《ごひやくき》の|応援軍《おうゑんぐん》を|元《もと》へ|帰《かへ》し、|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》の|御加勢《ごかせい》に|出陣《しゆつぢん》|致《いた》せ。|吾《われ》は|都《みやこ》に|留《とど》まり、|汝《なんぢ》が|凱旋《がいせん》の|日《ひ》を|指折《ゆびを》り|数《かぞ》へて|待《ま》ち|暮《く》らさむ。サア|一時《いつとき》も|早《はや》く』
とせき|立《た》てる。テーナ|姫《ひめ》は|部下《ぶか》の|士卒《しそつ》を|残《のこ》らず|集《あつ》め、|茲《ここ》に|三百余騎《さんびやくよき》を|引《ひ》き|連《つ》れ、イルナの|都《みやこ》を|後《あと》にハルナの|都《みやこ》をさして|遠征《ゑんせい》の|途《と》に|上《のぼ》る|事《こと》となつた。
|後《あと》にカールチンは、やれ、|股《また》の|腫物《できもの》が【うん】で|潰《つぶ》れたと|云《い》ふやうな|心持《こころもち》で、|一人《ひとり》|笑壺《ゑつぼ》に|入《い》り、
『エヘヽヽヽ、|遉《さすが》は|右守《うもり》さまだ。|吾々《われわれ》の|神謀《しんぼう》|奇策《きさく》には|疑《うたが》ひ|深《ぶか》い|女房《にようばう》も、とうとう|納得《なつとく》して|出《で》て|行《ゆ》きやがつた。エヘヽヽヽ、|三寸《さんずん》の|舌鋒《ぜつほう》をもつて|五百《ごひやく》の|応援軍《おうゑんぐん》を|喰《く》ひとめ、|女房《にようばう》を|動《うご》かして、|又《また》もや|三百《さんびやく》の|兵士《へいし》を|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》に|差《さ》し|向《む》けた|俺《おれ》の|力《ちから》には、|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》だつて|舌《した》を|巻《ま》き|給《たま》ふだらう。あゝしてテーナ|姫《ひめ》を|陣頭《ぢんとう》に|立《た》たせた|以上《いじやう》は、|討死《うちじに》するは|当然《たうぜん》だ。ウフヽヽヽ、イヤもう、とんともう|根《ね》つから|葉《は》つから|面白《おもしろ》くなつて|来《き》たワイ。サアこれから|弁財天《べんざいてん》のやうな、ヤスダラ|姫《ひめ》のお|顔《かほ》を|拝見《はいけん》して|来《こ》うかなア』
と|思《おも》はず|知《し》らず|大声《おほごゑ》を|出《だ》した。|隣室《りんしつ》に|居《ゐ》たサモア|姫《ひめ》は、すつかりカールチンの|独言《ひとりごと》を|聞《き》いて|了《しま》ひ、|目《め》を|丸《まる》くし|舌《した》を|巻《ま》いて|呆《あき》れかへつて|居《ゐ》た。|併《しか》し|何喰《なにく》はぬ|顔《かほ》をして|足《あし》の|運《はこ》びも|淑《しと》やかにカールチンの|傍《そば》に|進《すす》み、
『|旦那様《だんなさま》、お|奥様《おくさま》が|御出陣《ごしゆつぢん》|遊《あそ》ばし、|嘸《さぞ》お|淋《さび》しい|事《こと》で|厶《ござ》いませうなア。|私《わたくし》も|女《をんな》で|厶《ござ》いますが、まさか|奥様《おくさま》の|代理《だいり》を|勤《つと》めると|云《い》ふ|訳《わけ》にも|参《まゐ》らず、|御心中《ごしんちう》お|察《さつ》し|申上《まをしあ》げます。|併《しか》し|乍《なが》ら、|旦那様《だんなさま》は|本当《ほんたう》に|偉《えら》い|方《かた》ですなア。ヤスダラ|姫様《ひめさま》がお|待《ま》ち|兼《か》ねでせうから、|一度《いちど》お|顔《かほ》を|拝《をが》ましてお|上《あ》げなされましたらどうでせうか』
『これこれサモア、|滅多《めつた》なことを|云《い》ふではないぞ。ヤスダラ|姫《ひめ》|如《ごと》きにこの|方《はう》は|用事《ようじ》はないわ』
『ホヽヽヽヽ、さうでせうとも、|御用事《ごようじ》はありさうな|筈《はず》はありませぬわねえ』
『これサモア|姫《ひめ》、|今日《けふ》は|俺《おれ》の|出勤日《しゆつきんび》だから|登城《とじやう》して|来《く》る、|留守《るす》を|頼《たの》むぞ。さうして|下僕《しもべ》|共《ども》の|行動《かうどう》を|監督《かんとく》して|呉《く》れ』
『ハイ|畏《かしこ》まりました。|急《いそ》いで|又《また》|転《ころ》げないやうになさいませや。ホヽヽヽヽ』
『エー、いらぬ|事《こと》を|云《い》ふな』
とゆるゆる|叱《しか》りつけ、|供《とも》をも|連《つ》れず|唯《ただ》|一人《ひとり》、|裏門《うらもん》より|城内《じやうない》さして|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・一一・一四 旧九・二六 加藤明子録)
第八章 |乱舌《らんぜつ》〔一一三三〕
『|凩《こがらし》|荒《すさ》ぶ|秋《あき》の|空《そら》  |妻《つま》|恋《こ》ふ|鹿《しか》の|鳴《な》く|声《こゑ》も
|細《ほそ》りて|早《はや》くも|冬《ふゆ》の|空《そら》  |冷《つめ》たき|風《かぜ》は|窓《まど》を|吹《ふ》き
|錦《にしき》|飾《かざ》りし|野《の》も|山《やま》も  |木《こ》の|葉《は》の|衣《きぬ》を|脱《ぬ》ぎすてて
|漸《やうや》く|裸《はだか》となりにける  |時《とき》しもあれやユーフテス
わが|身《み》を|思《おも》ふ|恋衣《こひぎぬ》は  いよいよ|厚《あつ》く|重《かさ》なりて
|百度《ひやくど》|以上《いじやう》の|上《のぼ》せ|方《かた》  |冬《ふゆ》と|夏《なつ》とを|間違《まちが》へて
|猛《たけ》り|狂《くる》ふぞ|浅猿《あさま》しき  |誠《まこと》の|道《みち》にありながら
|右守司《うもりつかさ》に|比《くら》ぶれば  |稍《やや》|正直《しやうぢき》な|男《をとこ》をば
|詐《いつは》り|操《あやつ》る|吾《わが》|心《こころ》  げに|恥《はづ》かしく|思《おも》へども
セーラン|王《わう》や|国《くに》の|為《ため》  |仮令《たとへ》|地獄《ぢごく》に|堕《お》つるとも
|騙《だま》さにやならぬ|此《この》|場合《ばあひ》  |天地《てんち》の|神《かみ》もセーリスが
|心《こころ》を|諾《うべな》ひ|遊《あそ》ばして  |曲行《まがおこな》ひを|惟神《かむながら》
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し  |宣《の》り|直《なほ》されて|此《この》|度《たび》の
イルナの|国《くに》の|大変《たいへん》を  |未発《みはつ》に|防《ふせ》がせ|給《たま》へかし
|騙《だま》され|切《き》つたユーフテス  さぞ|今頃《いまごろ》は|勇《いさ》み|立《た》ち
|舌《した》をかみ|切《き》り|腮《あご》をうち  |苦《くる》しい|身《み》をも|打忘《うちわす》れ
|吾《わが》|身《み》の|事《こと》を|一心《いつしん》に  |思《おも》ひこらしてスタスタと
|家路《いへぢ》を|出《い》でて|大道《だいだう》を  |急《いそ》ぎて|進《すす》み|来《きた》るらむ
|又《また》もや|大道《だいだう》に|顛倒《てんたふ》し  |大《おほ》きな|怪我《けが》のなき|様《やう》に
|梵天帝釈自在天《ぼんてんたいしやくじざいてん》  |厚《あつ》く|守《まも》らせ|給《たま》へかし
ユーフもヤツパリ|天地《あめつち》の  |神《かみ》の|御水火《みいき》に|生《うま》れたる
|神《かみ》の|御子《みこ》なり|神《かみ》の|宮《みや》  |妾《わらは》も|憎《にく》しと|思《おも》はねど
セーラン|王《わう》の|御《おん》|為《ため》に  |忠義《ちうぎ》の|犠牲《ぎせい》と|心得《こころえ》て
|心《こころ》にもなき|詐《いつは》りを  |図々《づうづう》しくも|白昼《はくちう》に
|振舞《ふるま》ひ|来《きた》るぞ|悲《かな》しけれ  |天地《てんち》の|神《かみ》よ|百神《ももがみ》よ
セーリス|姫《ひめ》の|罪業《ざいごふ》を  |咎《とが》め|給《たま》はず|速《すみや》かに
|許《ゆる》させ|給《たま》へ|惟神《かむながら》  |神《かみ》の|御前《みまへ》にねぎ|奉《まつ》る』
と|二絃琴《にげんきん》に|合《あ》はして|淑《しと》やかに|歌《うた》つてゐるのは、|歌《うた》の|文句《もんく》に|現《あら》はれたセーリス|姫《ひめ》である。
|廊下《らうか》に|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせながら、あたりを|窺《うかが》ひ、ソツと|這入《はい》つて|来《き》たのはユーフテスである。|痩犬《やせいぬ》が|臭《くさ》い|乞食《こじき》の|飯《めし》を|嗅《か》ぎつけたやうなスタイルで、|負傷《ふしやう》した|舌《した》を|五分《ごぶ》ばかりニヨツと|出《だ》し、|下唇《したくちびる》の|上《うへ》に|大切《だいじ》さうにチヤンと|載《の》せ、|腰《こし》と|首《くび》と|互《たがひ》ちがひに|振《ふ》りながら、|少《すこ》しく|屈《かが》んで、|左右《さいう》の|手《て》を|妙《めう》な|恰好《かつかう》にパツと|広《ひろ》げ、|掌《てのひら》を|上向《うへむ》けにして、|乞食《こじき》が|物《もの》を|貰《もら》ふ|様《やう》な|手《て》つき|可笑《をか》しく、
『モシ…………モシ…………|姫《ひめ》さま』
と|言《い》ひ|憎《にく》さうに|口《くち》を|切《き》つた。セーリス|姫《ひめ》は……あゝ|又《また》|嫌《いや》な|男《をとこ》がやつて|来《き》た、|暫《しばら》く|虫《むし》を|抑《おさ》へて、|一活動《ひとくわつどう》やらねばならぬ、|何《なに》ほど|嫌《いや》でも|嫌《いや》さうな|顔《かほ》は|出来《でき》ない。「いやなお|客《きやく》に|笑《わら》うて|見《み》せて、ソツと|泣《な》き|出《だ》す|好《す》きの|膝《ひざ》」といふ|事《こと》もある。ここは|遺憾《ゐかん》なく|愛嬌《あいけう》を|振《ふ》りまくのが|孫呉《そんご》の|兵法《へいはふ》だ…………と|敏《さと》くも|心《こころ》に|決《けつ》し、|笑《ゑみ》を|十二分《じふにぶん》に|湛《たた》へて、
『ユーフテス|様《さま》、|御怪我《おけが》は|如何《どう》で|御座《ござ》いますか、|御用心《ごようじん》して|下《くだ》さいませや。あたえ|心配《しんぱい》|致《いた》しまして、|昨夜《ゆふべ》も|碌《ろく》に|寝《ね》なかつたのですよ。|貴郎《あなた》が|此《この》|世《よ》の|中《なか》に|生存《せいぞん》して|居《ゐ》られなかつたら、あたえも|最早《もはや》|社会《しやくわい》に|生存《せいぞん》の|希望《きばう》はありませぬワ。ねえ|貴郎《あなた》、|可愛《かあい》いものでせう、オホヽヽヽおゝ|恥《はづか》し………』
ユーフテスは|之《これ》を|聞《き》いて|頭《あたま》のぎりぎりまでザクザクさせ、|自由《じいう》のきかぬ|舌《した》の|側面《そくめん》から|止《と》め|度《ど》もなく|涎《よだれ》を|迸出《へいしゆつ》しながら、|慌《あわ》てて|袂《たもと》で|拭《ふ》き|取《と》り、
『(|言《い》ひにくさうに|言《い》ふ)お|姫《ひめ》さま………|有難《ありがた》う………お|蔭《かげ》|様《さま》で………|大《たい》した|事《こと》は………ありませぬから、マア、|安心《あんしん》して|下《くだ》さい………|至極《しごく》………|健全《けんぜん》です。|昨日《さくじつ》は|大変《たいへん》に|痛《いた》みましたが、|今日《こんにち》はお|蔭《かげ》で|大《だい》ウヅキがとまり、|気分《きぶん》も|余程《よほど》よくなりました』
『|本当《ほんたう》にそれ|聞《き》いて、あてえ|嬉《うれ》しいワ。そらさうでせうよ、|終日《しうじつ》|終夜《しゆうや》、|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》に|御祈願《ごきぐわん》をこらしてゐたのだもの、|貴郎《あなた》の|為《ため》なら、|仮令《たとへ》あたえの|命《いのち》がなくなつても、チツとも|惜《を》しくないワネエ』
『そりや………|有難《ありがた》いなア………お|姫《ひめ》さまの………|御精神《ごせいしん》が………そこまで………|熱誠《ねつせい》だとは………|夢《ゆめ》にも|思《おも》はなかつたですよ。|始《はじ》めの|内《うち》は|何《なに》か、|気《き》をひかれてゐるのぢやなからうかと、|疑《うたが》つてゐましたが………ヤツパリ|疑《うたが》ふのは………|私《わたし》の|心《こころ》が|汚《きたな》いからでした………どうぞ、お|姫《ひめ》さま、こんなつまらぬ|男《をとこ》でも、ここまでも|解《と》け|合《あ》うたのですから、どうぞ|末永《すえなが》う|可愛《かあい》がつて|下《くだ》さい………|其《その》|代《かは》りに、|貴女《あなた》の|為《ため》ならば|鬼《おに》の|巣窟《さうくつ》へでも、|獅子狼《ししおほかみ》の|岩窟《いはや》へでも、|飛込《とびこ》めと|仰有《おつしや》れば|飛込《とびこ》みます。|猛獣《まうじう》の|棲処《すみか》は|愚《おろ》か、|猛火《まうくわ》の|中《なか》でも|水底《みなそこ》へでも、|御命令《ごめいれい》ならば………いやお|頼《たの》みならば………|何《なん》でも|忠実《ちうじつ》に|御用《ごよう》を|承《うけたま》はりますワ』
『オホヽヽ、|貴郎《あなた》そんな|叮嚀《ていねい》な|事《こと》いつて|下《くだ》さると、あたえ、|何《なん》だか|他人《たにん》|行儀《ぎやうぎ》のやうになつて|気《き》が|術《じゆつ》なうてなりませぬワ。どうぞこれから、そんな|虚偽《きよぎ》の|辞令《じれい》は|抜《ぬ》きにして、あたえを|女房《にようばう》|扱《あつか》ひに|呼《よ》んで|下《くだ》さいねえ。そしておくれやしたら、あたえ、|何《なん》ぼ|嬉《うれ》しいか|知《し》れませぬワ。オホヽヽ』
『|時《とき》にお|姫《ひめ》さま、|否《いな》セーリス|姫《ひめ》、|喜《よろこ》べ、|偉《えら》い|事《こと》が|出来《でき》たぞ。|天《てん》が|地《ち》になり、|地《ち》が|天《てん》になる………と|云《い》ふ|大事変《だいじへん》だ。それもヤツパリ|智謀《ちぼう》|絶倫《ぜつりん》のユーフテスとセーリス|姫《ひめ》との|方寸《はうすん》から|捻《ひね》りだした|結果《けつくわ》だから、|剛勢《がうせい》なものだよ、オツホヽヽ。アイタヽヽ、|余《あま》り|笑《わら》ふと、ヤツパリ|舌《した》が|痛《いた》いワイ。アーン』
『|大変《たいへん》とは|何《なん》ですか。|早《はや》う|言《い》つて|下《くだ》さいな。あたえ、|気《き》にかかつて|仕様《しやう》がありませぬワ。|吉《きち》か|凶《きよう》か、|善《ぜん》か|悪《あく》か、サ|早《はや》う|聞《き》かして|頂戴《ちやうだい》』
と、|目《め》を|細《ほそ》うし|首《くび》を|傾《かたむ》け|腮《あご》を|前《まへ》へ|突《つ》き|出《だ》し、|舌《した》を|右《みぎ》の|唇《くちびる》の|縫目《ぬひめ》へニユツと|出《だ》し、|色目《いろめ》を|使《つか》つて|見《み》せた。ユーフテスは|益々《ますます》|得意《とくい》になり、|十分《じふぶん》に|手柄話《てがらばなし》を|針小棒大《しんせうぼうだい》にやつて|見《み》たいのは|山々《やまやま》だが、|思《おも》ふ|様《やう》に|舌《した》が|命令《めいれい》を|聞《き》かぬので、もどかしがり、|目《め》をしばしばさせながら、
『|天地《てんち》が|変《かは》るといふのは………それ、お|前《まへ》の|心配《しんぱい》してゐた、|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》の|御派遣《ごはけん》|遊《あそ》ばす、|五百騎《ごひやくき》を【ぼつ】|返《かへ》す|様《やう》になつたのだ』
『エヽいよいよ|決行《けつかう》されましたかなア。さぞ|清照姫《きよてるひめ》さまも|喜《よろこ》ばれる|事《こと》でせう、|清照姫《きよてるひめ》さまはヤツパリ|偉《えら》いですなア』
『そらさうですとも、セーリス|姫《ひめ》さまの………ドツコイ、お|前《まへ》の|贋《にせ》の|姉《あね》になるといふ|腕前《うでまへ》だからなア、|偉《えら》いと|云《い》へば|偉《えら》いものだが、|併《しか》しながら|其《その》|八九分《はちくぶ》|迄《まで》の|功績《こうせき》は、ヤツパリ、ユーフテスとセーリス|姫《ひめ》にあるのだからなア。|何程《なにほど》|智慧《ちゑ》があつても、|器量《きりやう》がよくても、|一人《ひとり》で|芝居《しばゐ》は|出来《でき》ないから、|吾々《われわれ》|夫婦《ふうふ》は|千両《せんりやう》|役者《やくしや》と|云《い》つても………|過言《くわごん》ではあるまい。アーン』
『オホヽヽ、|正式《せいしき》|結婚《けつこん》もせない|内《うち》から、|夫婦《ふうふ》なんて|言《い》ふものぢやありませぬよ。もしも|口《くち》さがなき|京童《きやうわらべ》の|耳《みみ》へでも|這入《はい》らうものなら、ユーフテスの|夫婦《ふうふ》は|自由《じいう》|結婚《けつこん》をやつたとか、セーリス|姫《ひめ》はお|転婆《てんば》の|標本《へうほん》だとか、|新《あたら》しい|女《をんな》だとか|言《い》はれちや、|互《たがひ》の|迷惑《めいわく》ですからなア』
『それなら|何《なん》と|言《い》つたらいいのだ。|夫婦《ふうふ》と|言《い》はれても、|余《あま》り|気《き》が|悪《わる》くなる|問題《もんだい》ぢやあるまい。アーン』
『そらさうですとも、|一刻《いつこく》も|早《はや》く、|互《たがひ》に|夫《をつと》よ|妻《つま》よと|意茶《いちや》ついて|暮《くら》したいのは|山々《やまやま》ですワ。|余《あま》り|嬉《うれ》しうて、|一寸《ちよつと》【すねて】|見《み》たのですよ。オホヽヽ』
『エヽ|肚《はら》の|悪《わる》い|女《をんな》だなア。さう|夫《をつと》をジラすものぢやないワ』
『|夫《をつと》でも|男《をとこ》でも、オツトセーでも、ナツトセーでも|良《い》いぢやありませぬか。|本当《ほんたう》の|私《わたし》のオツトセーになるのは、|此《この》|広《ひろ》い|世界《せかい》に|貴郎《あなた》|丈《だけ》ですワネエ。なつと|千匹《せんびき》に|夫《をつと》|一匹《いつぴき》と|云《い》ひまして、|択捉島《えとろふじま》あたり|沢山《たくさん》に|棲息《せいそく》してゐる|膃肭臍《おつとせい》も、|真実《しんじつ》は|千匹《せんびき》の|中《なか》で|真《しん》のオツトセーは|只《ただ》の|一匹《いつぴき》より|居《ゐ》ないさうです。|九百九十九匹《きうひやくきうじふきうひき》|迄《まで》は|皆《みな》【なつとせい】ださうですからな。アホツホヽヽ』
『なつとせい………なんて、そんな|事《こと》は|初耳《はつみみ》だがなア、オツトセーと【なつとせい】と|何処《どこ》で|区別《くべつ》がつくのだらうかな』
『そりや|確《たしか》に|区別《くべつ》がありますワ。ナツトセーといふのは、|人間《にんげん》でいへば【やくざ】|男《をとこ》の|事《こと》ですよ。|婿《むこ》えらみをした|結果《けつくわ》、どれを|見《み》ても|帯《おび》には|短《みじか》し|襷《たすき》に|長《なが》し、|意中《いちう》の|夫《をつと》が|見《み》つからない、さうかうする|内《うち》に|月日《つきひ》の|駒《こま》は|矢《や》の|如《ごと》く|進《すす》み、|綻《ほころ》びかけた|桜《さくら》の|花《はな》は、グヅグヅしてゐると|既《すで》に|梢《こずゑ》を|去《さ》らむとするやうになつて|来《く》る。そこで|慌《あわ》てて|背《せ》となる|人《ひと》を|俄《にはか》にきめます。|其《その》|時《とき》にどれを|見《み》ても、|甲乙丙丁《かふおつへいてい》の|区別《くべつ》がつかぬ、|併《しか》し|此《この》|男《をとこ》は|鼻《はな》が|高《たか》いとか、|口元《くちもと》がしまつてるとか、|目《め》が|涼《すず》しいとか、|一《ひと》つの|気《き》に|入《い》る|点《てん》を|掴《つか》まへ|出《だ》し、コレナツと|夫《をつと》にしようか………と|云《い》つて、|女《をんな》の|方《はう》からきめるのが、|所謂《いはゆる》ナツトセーですワ。オツホヽヽ』
『さうすると、|俺《おれ》はナツトセーの|方《はう》かなア。それを|聞《き》くと|余《あま》り|有難《ありがた》くもないやうだ。アーンアーン』
『|貴郎《あなた》はオツトセーですよ。|毛《け》の|皮《かは》は|柔《やはら》かいし、|皮《かは》むいて|首巻《くびまき》にしたつて|大変《たいへん》な|高貴《かうき》なものなり、|皮《かは》になつても、|女《をんな》の|首《くび》|丈《だけ》はきつと、ホコホコするといふ|大事《だいじ》の|大事《だいじ》のオツトセーですワ。どの|男《をとこ》を|婿《むこ》に|持《も》たうかと、あたえも|永《なが》らく|調《しら》べてゐましたが、あなたのやうな|色《いろ》の|白《しろ》い、|目《め》のパツチリとした、|鼻筋《はなすぢ》の|通《とほ》つた、|口元《くちもと》のリリしい、カイゼル|髯《ひげ》の|生《は》えた、|背《せ》のスラリと|高《たか》い、|肌《はだ》の|柔《やはら》かい、しかも|智謀《ちぼう》|絶倫《ぜつりん》と|来《き》てゐるのだから、オツトマカセに|喰《くは》へ|込《こ》んだのだから、オツト|待《ま》つてましたといふ|具合《ぐあひ》に、|猫《ねこ》のやうに|喉《のど》をゴロゴロならして|飛付《とびつ》いたのですもの、|真《しん》の|誠《まこと》のオツトセーですワ。オホヽヽ』
『アハヽヽ、アハヽ、アイタヽヽ、|何《なん》だか|笑《わら》ふと|舌《した》が|痛《いた》い、|困《こま》つた|事《こと》だ。|有難《ありがた》いなア』
『コレ|丈《だけ》|恋慕《こひした》うてゐる|女房《にようばう》ですもの、あなただつて、|何《なに》もかも|腹蔵《ふくざう》なく|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいますわねえ。|夫婦《ふうふ》の|間《あひだ》といふものは、|本当《ほんたう》に|親《した》しいもので、|生《う》んでくれた|親《おや》にも|見《み》せない|所《ところ》まで|見《み》せたり、|話《はな》さない|事《こと》まで|話《はな》すのですもの。|夫婦《ふうふ》は|家庭《かてい》の|日月《じつげつ》|天地《てんち》の|花《はな》ですワ』
『|俺《おれ》はお|前《まへ》の|事《こと》なら、|何《なん》でも|皆《みな》|秘密《ひみつ》を|明《あ》かしてやる|覚悟《かくご》だ。|時《とき》に|何《なん》だよ………|五百騎《ごひやくき》を|差止《さしと》めたばかりでなく、テーナ|姫《ひめ》さまが|三百余騎《さんびやくよき》の|強者《つはもの》を|皆《みな》|引率《いんそつ》して、ハルナの|国《くに》まで|行《い》つて|了《しま》つたのだから、カールチンの|部下《ぶか》は|最早《もはや》|一人《ひとり》も|残《のこ》つてゐないのだ。もう|斯《か》うなつちや、|何程《なにほど》|謀叛《むほん》を|企《たく》まうたつて、|駄目《だめ》だからなア。|後《あと》に|残《のこ》つてる|奴《やつ》ア、|目《め》ツかちや、|跛《びつこ》や|聾《つんぼ》、|間《ま》しやくに|合《あ》はぬ|奴《やつ》ばかりウヨウヨしてるのだ。|屈強《くつきやう》|盛《ざか》りの|豪傑連《がうけつれん》は、|皆《みな》テーナ|姫《ひめ》に|従軍《じゆうぐん》したのだから、|之《これ》を|一時《いちじ》も|早《はや》く、|清照《きよてる》さまに………|報告《はうこく》して|喜《よろこ》ばしたいものだ。アーン』
『ホヽヽ、そんな|事《こと》ですかい。それなら|夜前《やぜん》|私《わたし》の|許《もと》へチヤンと|無言霊話《むげんれいわ》がかかりましたワ。|清照姫《きよてるひめ》|様《さま》も|既《すで》に|既《すで》に|御存《ごぞん》じですよ。そんな|遅《おそ》い|報告《はうこく》は|駄目《だめ》です。モチツト|早《はや》く|報告《はうこく》して|貰《もら》はぬと、|女房《にようばう》のあてえが|清照姫《きよてるひめ》|様《さま》へ|申上《まをしあ》げて|手柄《てがら》にする|訳《わけ》には|行《ゆ》かぬぢやありませぬか』
『|何分《なにぶん》|舌《した》を|怪我《けが》したものだから、|舌《した》が|遅《おく》れたのだよ。それは|惜《を》しい|事《こと》を【した】ものだ。ウツフヽヽヽ、|此奴《こいつ》ア|一《ひと》つガツカリ【した】』
『オツホヽヽヽ|時《とき》に|右守《うもり》は|如何《どう》して|居《を》られますか、|随分《ずゐぶん》|御機嫌《ごきげん》が|良《よ》いでせうなア』
ユーフテスは|最前《さいぜん》から|余《あま》り|舌《した》を|無暗《むやみ》に|使《つか》つたので、チツとばかり|腫《は》れて|来《き》たと|見《み》え、
『アヽヽ』
と|言《い》ひながら、|手《て》を|拡《ひろ》げて|不恰好《ぶかつかう》な|仕方《しかた》をして|見《み》せて|居《ゐ》る。
『オホヽヽまるで|蟷螂《かまきり》が|踊《をど》つとる|様《やう》だワ。モウ|一《ひと》つ|違《ちが》うたら|米搗《こめつき》バツタの|手踊《てをどり》みたやうですワ。あたえ、そんなスタイル|見《み》るの、|嫌《いや》になつたワ。オツホヽヽヽ』
『アーンアーンアーン、ウーウーウー、シシ|舌《した》が、オオ|思《おも》ふよに、きけなくなつた』
セーリス|姫《ひめ》は|両手《りやうて》を|組《く》み、|鎮魂《ちんこん》の|姿勢《しせい》を|取《と》り、|心《こころ》|静《しづ》かにユーフテスの|舌《した》に|向《むか》つて、
『|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》』
と|天《あま》の|数歌《かずうた》を|三四回《さんしくわい》|繰返《くりかへ》し|祈願《きぐわん》をこらした。|不思議《ふしぎ》やユーフテスの|舌《した》は|其《その》|場《ば》で|腫《はれ》が|引《ひ》き、|痛《いた》みもとまり、|又《また》もや|水車《みづぐるま》の|如《ごと》く|運転《うんてん》し|始《はじ》めた。
『ヤア|有難《ありがた》う、|不思議《ふしぎ》の|御神徳《ごしんとく》で|輪転機《りんてんき》の|破損《はそん》が|全部《ぜんぶ》|修繕《しうぜん》したと|見《み》え、|運転《うんてん》が|自由自在《じいうじざい》になつて|来《き》ました。サア|是《これ》から|三寸《さんずん》の|舌鋒《ぜつぽう》を|縦横無尽《じうわうむじん》にふりまはし、|懸河《けんが》の|弁舌《べんぜつ》|滔々《たうたう》と|神算秘策《しんさんひさく》を|陳述《ちんじゆつ》する|事《こと》としよう。|女房《にようばう》|喜《よろこ》べ、|天《あま》の|瓊矛《ぬぼこ》は|恢復《くわいふく》したぞや、アハヽヽヽ』
『オホヽヽヽあの|元気《げんき》な|事《こと》、わたしも|之《これ》で|一安心《ひとあんしん》しま【した】。イヒヽヽ』
かく|云《い》ふ|所《ところ》へやさしい|女《をんな》の|声《こゑ》で、|襖《ふすま》の|外《そと》から、
『モシモシ、ユーフテス|様《さま》、あてえはセーリスで|厶《ござ》います、どうぞ|開《あ》けて|下《くだ》さいな』
『ハテ|合点《がてん》が|行《ゆ》かぬ|様《やう》になつて|来《き》たワイ。|俺《おれ》が|今《いま》セーリス|姫《ひめ》と|話《はなし》をしてゐるに、なアんだ。|又《また》チツトも|違《ちが》はぬ|声《こゑ》を|出《だ》しよつて………ユーフテスさま、|開《あ》けて|下《くだ》さい………と|吐《ぬか》しよる、ウーン、|此奴《こいつ》はチツト|変《へん》だぞ』
と|首《くび》をかたげ、|眉毛《まゆげ》に|唾《つば》をぬりつけ|始《はじ》めた。
セーリス『オホヽヽ』
|襖《ふすま》の|外《そと》から、|同《おな》じ|声色《こわいろ》で、
『オホヽヽ』
(大正一一・一一・一五 旧九・二七 松村真澄録)
第九章 |狐狸窟《こりくつ》〔一一三四〕
ユーフテスは|外《そと》から|呼《よ》んだ|女《をんな》の|声《こゑ》に|不審《ふしん》の|念《ねん》|晴《は》れやらず、|腕《うで》を|組《く》んで|暫《しばら》く「ウーン」と|溜息《ためいき》をついてゐる。|外《そと》より|以前《いぜん》の|女《をんな》の|声《こゑ》、
『もしもしユーフテス|様《さま》、セーリス|姫《ひめ》で|厶《ござ》います。|這入《はい》りましてもお|差支《さしつかへ》は|厶《ござ》いませぬかな』
『|差支《さしつかへ》がないとは|申《まを》さぬ。|二人《ふたり》もセーリス|姫《ひめ》があつて|堪《たま》るかい。ばヽヽヽ|化物《ばけもの》|奴《め》、|早《はや》く|退却《たいきやく》せい。ユーフテスには|腕《うで》があるぞ』
『オホヽヽヽ|御両人《ごりやうにん》さまが|密約《みつやく》|御成立《ごせいりつ》の|間際《まぎは》に、|白首《しらくび》が|参《まゐ》りましては、|嘸《さぞ》|御迷惑《ごめいわく》でせう。|然《しか》しながら、あたえは|本当《ほんたう》のセーリスですから、|何《なん》と|仰有《おつしや》つても|侵入《しんにふ》|致《いた》しますよ』
『|主人《しゆじん》の|許可《きよか》もないのに|無断《むだん》で|闖入《ちんにふ》すると、|治警法《ちけいほふ》|嘘八百条《うそはつぴやくでう》によつて|告発《こくはつ》してやるぞ。それでも|承知《しようち》なら、|闖入《ちんにふ》なつと|乱入《らんにふ》なつと、やつたら|宜《よ》からう。アーン、オホン』
『|何方《どなた》か|知《し》りませぬが、|何卒《どうぞ》お|這入《はい》り|下《くだ》さいませ。あなたも|矢張《やつぱり》セーリス|姫《ひめ》さまで|厶《ござ》いますか。|妙《めう》な|事《こと》もあるものですな』
『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|同名《どうめい》|同人《どうにん》のセーリス|姫《ひめ》ですよ』
『こりやこりや|女房《にようばう》、オツトセーの|俺《おれ》に|答《こた》へもなく、|勝手《かつて》に|女《をんな》を|吾《わが》|居間《ゐま》へ|引《ひ》き|入《い》れると|云《い》ふ|事《こと》があるか。|婦人《ふじん》|道徳《だうとく》をチツトは|考《かんが》へたがよからうぞ』
『オホヽヽヽヽようそんな|事《こと》|仰有《おつしや》いますな。|女《をんな》の|居間《ゐま》へ|女《をんな》が|来《く》るのが、|何《なに》がそれ|程《ほど》|悪《わる》いのですか。|貴郎《あなた》|如何《どう》です、|私《わたし》|一人《ひとり》の|女《をんな》の|居間《ゐま》へ|何時《いつ》もニヨコニヨコやつて|来《く》るぢやありませぬか。|外《そと》のセーリス|姫《ひめ》さまが|御入来《おいで》になるのが|不道徳《ふだうとく》ならば、|貴郎《あなた》の|方《はう》が|余程《よほど》|不道徳《ふだうとく》ですわ、あゝもう|貴郎《あなた》の|御面相《ごめんさう》が|俄《にはか》に|怪体《けたい》になつて|来《き》て、|私《わたし》は|兎《と》も|角《かく》、|腹《はら》の|虫《むし》が|排日《はいにち》|運動《うんどう》をやりかけました。|国際《こくさい》|問題《もんだい》の|起《おこ》らぬうちに|早《はや》く|退却《たいきやく》して|下《くだ》さい。ねえ、オツトセーのユーフテスさま』
『こりやこりや|女房《にようばう》、|何《なん》と|云《い》ふ|暴言《ばうげん》を|吐《は》くのだ。|千年《せんねん》も|万年《まんねん》も|添《そ》うて|呉《く》れと|云《い》つたぢやないか。|心機一転《しんきいつてん》と|云《い》ふも|実《じつ》に|甚《はなは》だしい』
『|手《て》を|翻《ひるがへ》せば|雨《あめ》となり、|手《て》を|覆《くつが》へせば|風《かぜ》となる、|君《きみ》|見《み》ずや|管鮑貧時《くわんぱうひんじ》の|交《かう》、|此《この》|道《みち》|近人《きんじん》すてて|土《つち》の|如《ごと》し、オホヽヽヽヽ』
『|女《をんな》と|云《い》ふものは|本当《ほんたう》に|分《わか》らぬものだな。|八尺《はつしやく》の|男子《だんし》を|三寸《さんずん》の|舌鋒《ぜつぽう》で、|肉《にく》を|剔《えぐ》り|骨《ほね》を|挫《くじ》き、|血《ち》を|搾《しぼ》るやうな|目《め》に|遇《あ》はしやがる。|貴様《きさま》は|大方《おほかた》|化州《ばけしう》だらう。アーン』
『ホヽヽヽヽ|貴郎《あなた》も|余程《よほど》|頓馬《とんま》ですな、|開闢《かいびやく》|以来《いらい》|女《をんな》は|化物《ばけもの》と|云《い》ふぢやありませぬか。そんな|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|様《やう》な|野呂作《のろさく》では、|婦人《ふじん》に|対《たい》し|彼是《かれこれ》|云《い》ふ|資格《しかく》はありますまい。ねえ|外《そと》からお|出《い》でやしたセーリス|姫《ひめ》さま、どつちが|化物《ばけもの》だか|分《わか》つたものぢやありませぬねえ』
『どうせ|化物《ばけもの》ばかりの|跳梁跋扈《てうりやうばつこ》する|世《よ》の|中《なか》ですもの、このユーフテスさまだつてヤハリ|化物《ばけもの》ですわ。|恋《こひ》と|云《い》ふ|曲者《くせもの》の|魔《ま》の|手《て》に|誑惑《きやうわく》されて、|三代《さんだい》|相恩《さうおん》の|主人《しゆじん》の|陰謀《いんぼう》を|残《のこ》らず|相手方《あひてがた》へ|密告《みつこく》なさる|様《やう》な|世《よ》の|中《なか》ですもの、|百鬼昼行《ひやくきちうかう》は|現代《げんだい》の|世相《せさう》だから、|如何《いかん》ともする|事《こと》は|出来《でき》ますまい。|是《これ》から|二人《ふたり》の|女《をんな》が|両方《りやうはう》から|膏《あぶら》を|搾《しぼ》つてあげませうか。|女《をんな》と|云《い》ふ|字《じ》を|二《ふた》つ|書《か》いて|真中《まんなか》に|男《をとこ》の|字《じ》をはさむと|嫐《なぶ》られるとか|読《よ》むさうですな。オホヽヽヽヽ』
『|男《をとこ》の|字《じ》を|二《ふた》つ|並《なら》べて|女《をんな》を|一字《いちじ》はさめると|嬲《なぶ》るとか|読《よ》むさうですわ。|何《いづ》れ|恋《こひ》とか|鮒《ふな》とかに|嫐《なぶ》られてゐる|天下《てんか》の|色男《いろをとこ》だから、|嬲《なぶ》るのも|嫐《なぶ》られるのも|光栄《くわうえい》でせう。サア|遠慮《ゑんりよ》は|要《い》りませぬ。|外《そと》のセーリス|姫《ひめ》さま、お|這入《はい》り|下《くだ》さい』
『|何《なに》が|何《なん》だか|狐《きつね》に|魅《つま》されてる|様《やう》だ。ハテ、|如何《どう》したら|此《この》|真偽《しんぎ》が|分《わか》るだらうかな』
と|頻《しき》りに|首《くび》を|捻《ひね》る。|其《その》|間《ま》に|外《そと》の|女《をんな》は|襖《ふすま》をガラリと|引《ひ》き|開《あ》け、|転《こ》け|込《こ》む|様《やう》にしてユーフテスの|前《まへ》にドスンと|音《おと》を|立《た》てて|坐《すわ》り|込《こ》んだ。|其《その》|反動《はんどう》でユーフテスは|一尺《いつしやく》ばかり|大《だい》の|図体《づうたい》を|撥《は》ね|上《あ》げられ、|惰力《だりよく》が|余《あま》つて|二《ふた》つ|三《み》つ|餅搗《もちつ》きの|演習《えんしふ》をやつてゐる。
『これ、ユーフテスさま、お|怪我《けが》は|如何《いかが》ですか。あてえ、|本当《ほんたう》に|心配《しんぱい》しましたわ』
『こりやこりや|女《をんな》、|何《なに》を|吐《ぬ》かしやがる、セーリス|姫《ひめ》の|真似《まね》をしやがつて、|馬鹿《ばか》にするな。そんな|事《こと》で【ちよろまか】される|様《やう》なユーさまぢやないぞ』
『ホヽヽヽヽ|已《すで》に|已《すで》に|騙《だま》されてゐるぢやありませぬか。ユーさまの|舌《した》が|俄《にはか》に|直《なほ》つたのは|何《なん》とお|考《かんが》へです。|本当《ほんたう》の|人間《にんげん》なれば、さう|即座《そくざ》に|神言《かみごと》を|称《とな》へたつて|直《なほ》るものぢやありますまい。セーリス|姫《ひめ》ぢやと|思《おも》うて|居《ゐ》なさるのは、|其《その》|実《じつ》は|狐々《こんこん》さまですよ。ねえセーリス|姫《ひめ》さま、さうでせう』
『お|察《さつ》しの|通《とほ》り|狐々《こんこん》さまかも|知《し》れませぬ。あたい|何《なん》だか|肌《はだ》に|薄《うす》い|毛《け》がモシヤモシヤ|生《は》え|出《だ》した|様《やう》な|気《き》が|致《いた》しますわ。オホヽヽヽヽ、イヤらしいわいの。こんな|毛《け》の|生《は》えたものを、それでも|女房《にようばう》にしてくれると|仰有《おつしや》る、|涙《なみだ》もろい|慈悲《じひ》|深《ぶか》い|頓馬《とんま》|野郎《やらう》があるのですからね。まるつきり|女《をんな》でも|捨《す》てたものぢやありませぬわ。イヒヽヽヽ』
『こりやこりや、セーリス、|到頭《たうとう》|貴様《きさま》は|発狂《はつきやう》しよつたな。オイ、ちつとシツカリして|呉《く》れぬかい』
『あなた、チツとシツカリなさいませや。あてえ|今《いま》までセーリスさまになつて|化《ば》けてゐたのよ。ユーさまの|睫《まつげ》の|毛《け》が|何本《なんぼん》あると|云《い》ふ|事《こと》も、みんな|知《し》つてゐますわ。そして|気《き》の|毒《どく》ながら、お|尻《しり》の|毛《け》は|一本《いつぽん》もない|様《やう》に|頂戴《ちやうだい》しておきました。ウフヽヽヽヽ』
ユーフテスは|俄《にはか》に|懐《ふところ》から|手《て》を|伸《のば》し、|尻《しり》に|手《て》をあて、|尻毛《しりげ》の|有無《うむ》を|調《しら》べて|見《み》、|指《ゆび》でクツと|毛《け》を|引《ひ》つ|張《ぱ》つて|見《み》て、
『アイタヽヽヤツパリ|毛《け》は|依然《いぜん》として|蓬々《ぼうぼう》たりだ。オイ、セーリス|姫《ひめ》、|憚《はばか》りながら|一本《いつぽん》だつて|紛失《ふんしつ》はして|居《ゐ》ないぞ』
『オツホヽヽヽ、いつも|肛門《こうもん》から|糞出《ふんしゆつ》さして|御座《ござ》るぢやありませぬか。フヽーン』
『えー|糞《くそ》|面白《おもしろ》うもない。|糞慨《ふんがい》の|至《いた》りだ。オイ、|外《そと》から|来《き》た|女《をんな》、|貴様《きさま》は|早《はや》く|去《い》んでくれ、|俺《おれ》の|家内《かない》が|貴様《きさま》の|邪気《じやき》にうたれてサツパリ|発狂《はつきやう》して|了《しま》つた。アーン、さあ|早《はや》く|去《い》なぬかい』
|女《をんな》は|涙《なみだ》をホロホロと|流《なが》し、|悲《かな》しさうな|声《こゑ》で、
『これ|旦那《だんな》さま、|否《いえ》オツトセー|様《さま》、チツト|確《しつか》りして|下《くだ》さいませ。あたいは|本当《ほんたう》のセーリス|姫《ひめ》ですよ』
『これ|旦那様《だんなさま》、チツト|確《しつか》りして|下《くだ》さいや。あてえこそ|本当《ほんたう》のセーリス|姫《ひめ》よ』
と|右左《みぎひだり》よりユーフテスの|袖《そで》に|取《と》りすがり、|両手《りやうて》を|一本《いつぽん》づつ|握《にぎ》つて「ヤイノヤイノ」と|言《い》ひながら|変《かは》つた|方面《はうめん》へ|力限《ちからかぎ》りに|引張《ひつぱ》る。ユーフテスの|腕《かひな》は|関節《くわんせつ》の|骨《くろろ》が|如何《どう》かなつたと|見《み》えて、パチンと|怪《あや》しき|音《おと》を|立《た》てた。
『アイタヽヽヽ|待《ま》つた|待《ま》つた、さう|両方《りやうはう》から|腕《かひな》を|引張《ひつぱ》られちや|男《をとこ》が|立《た》たぬぢやないか、いや|俺《おれ》の|体《からだ》が|立《た》たぬぢやないか。|許《ゆる》せ|許《ゆる》せ、|色男《いろをとこ》と|云《い》ふものは|叶《かな》はぬものぢや。|何故《なぜ》かう|女《をんな》に|惚《ほ》れられる|様《やう》に|生《うま》れて|来《き》たのだらう。|二人《ふたり》の|美人《びじん》に|攻《せ》められて、|判別《はんべつ》も|付《つ》かず、|烏《からす》の|雌雄《しゆう》を|何《ど》うして|識別《しきべつ》し|得《え》むやだ。|五里霧中《ごりむちゆう》に|彷徨《はうくわう》するとはこんな|事《こと》をいふのかな』
『ホヽヽヽ、|五里霧中《ごりむちゆう》|所《どころ》か|無理《むり》|夢中《むちう》ですわ。それも|一理《いちり》ありませう。エヘヽヽヽ、さあ|後《あと》のセーリスさま、|力《ちから》|一杯《いつぱい》|可愛《かあい》い|男《をとこ》を|引張《ひつぱ》つて|下《くだ》さい。あたいも|引張《ひつぱ》りますから……』
『アヽヽアイタツタヽヽ|待《ま》つた|待《ま》つた、|待《ま》てと|申《まを》さば、|二人《ふたり》の|女房《にようばう》、|暫《しば》らく|待《ま》ちやいのう』
|女《をんな》『もしユーさま、|両手《りやうて》に|花《はな》、|右《みぎ》と|左《ひだり》に|月《つき》と|雪《ゆき》、|貴郎《あなた》も|今《いま》が|花《はな》ですよ。|男《をとこ》と|生《うま》れたからは|一度《いちど》はこんな|事《こと》もなくては、この|世《よ》に|生《うま》れた|甲斐《かひ》がないぢやありませぬか』
『|何程《なんぼ》、|甲斐《かひ》があると|云《い》つても、さう|引張《ひつぱ》られちや|腕《かひな》がなくなるぢやないか。もうもう|女《をんな》は|懲《こ》り|懲《こ》りだ。|只今《ただいま》|限《かぎ》り|綺麗《きれい》サツパリと|断念《だんねん》する。さう|心得《こころえ》たがよからうぞよ』
『オホヽヽヽ、|何《なん》と|気《き》の|弱《よわ》い|男《をとこ》だこと。|僅《わづ》か|二人《ふたり》や|三人《さんにん》の|女《をんな》に|嫐《なぶ》られて|弱音《よわね》を|吹《ふ》くとは|見下《みさ》げはてたる|瓢六玉《へうろくだま》だな。さうだと|云《い》つて、|一旦《いつたん》|思《おも》ひ|詰《つ》めたユーさまを|如何《どう》して|思《おも》ひきる|事《こと》が|出来《でき》ませうぞ。ねえ、|後《あと》から|御出《おい》でたセーリスさま、さうぢやありませぬか』
『|本当《ほんたう》に|意志《いし》の|薄弱《はくじやく》なユーさまには、あたいも|唖然《あぜん》と|致《いた》しましたよ。|女《をんな》にかけたら|男《をとこ》と|云《い》ふ|奴《やつ》ア|話《はなし》にならぬ|程《ほど》|弱《よわ》いものですな。|私《わたし》だつて|一旦《いつたん》|約束《やくそく》したユーさまには|如何《どう》しても|離《はな》れませぬわ。|今更《いまさら》|別《わか》れる|様《やう》な|事《こと》なら、|潔《いさざよ》う|睾丸《きんたま》|噛《か》んで|死《し》んで|了《しま》ひますよ。オホヽヽヽ、これユーさま、|此《この》|中《うち》で|一人《ひとり》は|本真物《ほんまもの》、|一人《ひとり》は|化物《ばけもの》だが、どつちが|本真物《ほんまもの》か|調《しら》べて|下《くだ》さい』
『どちらを|見《み》ても|何処《どこ》|一《ひと》つ|変《かは》つた|点《てん》がないのだから、|俺《おれ》は|実《じつ》は、その|真偽《しんぎ》|判別《はんべつ》に|苦《くる》しんでゐるのだ』
『それなら、その|真偽《しんぎ》の|分《わか》る|方法《はうはふ》を|教《をし》へてあげませう。|貴郎《あなた》の|頬辺《ほほべた》を|二人《ふたり》の|女《をんな》に|抓《つめ》らして|御覧《ごらん》、|痛《いた》さのひどい|方《はう》が|本物《ほんもの》ですわ。|何程《なにほど》よく|似《に》たと|云《い》つても、ヤハリ|妖怪《えうくわい》は|妖怪《えうくわい》、|肝腎《かんじん》の|時《とき》に|力《ちから》がありませぬからね』
『うん、そりやさうだ。よい|事《こと》を|聞《き》かして|下《くだ》さつた。それなら|両方《りやうはう》の|頬辺《ほほべた》を|一時《いつとき》に|抓《つめ》つて|見《み》い』
『|力《ちから》|一杯《いつぱい》あてえも|抓《つめ》りますから、セーリス|姫《ひめ》さまも|抓《つめ》つておあげやす。|一《ひ》|二《ふ》|三《み》つ』
と|云《い》ひながら|二人《ふたり》の|女《をんな》はユーフテスの|両方《りやうはう》の|頬《ほほ》を|力《ちから》|一杯《いつぱい》|捻《ね》ぢる。
『おー|随分《ずゐぶん》|痛《いた》いものだな。あんまり|痛《いた》くて|度《ど》が|分《わか》らぬわい。どちらも|同《おな》じ|様《やう》な|痛《いた》さだよ。オイも|一《ひと》つ|気張《きば》つて|抓《つめ》つて|見《み》い』
|二人《ふたり》は|顔《かほ》|見合《みあは》せながら、|又《また》グツと|抓《つめ》る。
『いゝゝゝ|痛《いた》いわい。あゝゝゝゝもういゝもういゝ、さつぱり|分《わか》らぬ。|意地《いぢ》の|悪《わる》い、どつちも|同《おな》じやうに|痛《いた》いわい。こりやヤツパリ、|先《せん》の|嬶《かかあ》|嘘《うそ》つかぬと|云《い》ふから、|前《まへ》のが|本当《ほんたう》だらう。オイ|後《あと》の|奴《やつ》、|今日《けふ》から|暇《ひま》をくれてやるからトツトと|帰《かへ》れ』
『いえいえ、|何《なん》と|仰有《おつしや》つても、これが|如何《どう》して|帰《かへ》られませうか。|姉《あね》のヤスダラ|姫様《ひめさま》に|対《たい》しても|合《あは》す|顔《かほ》がありませぬ。お|父様《とうさま》の|前《まへ》にも|大《おほ》きな|顔《かほ》して|帰《かへ》られませぬ。それなら|何卒《どうぞ》あなたの|手《て》にかけて|殺《ころ》して|下《くだ》さい。それがせめても|貴方《あなた》の|御親切《ごしんせつ》で|厶《ござ》います。オホヽヽヽヽ』
『|益々《ますます》|分《わか》らぬ|様《やう》になつて|来《き》よつた。オイ|一寸《ちよつと》|待《ま》つてくれ、|両人《りやうにん》、|之《これ》から|手水《てうづ》を|使《つか》つて|来《き》て、|沈思黙考《ちんしもくかう》せなくちや|真偽《しんぎ》の|審神《さには》が|出来《でき》ないわ』
セーリス『あなた|今《いま》まで|活動《くわつどう》なさつた|事《こと》に|就《つい》て|最善《さいぜん》を|尽《つく》したと|思《おも》つて|居《ゐ》ますか。|或《あるひ》は|横道《よこみち》を|通《とほ》つたとお|考《かんが》へにはなりませぬの。それを|一寸《ちよつと》|聞《き》かして|下《くだ》さいな』
『|縦横無尽《じうわうむじん》に|活動《くわつどう》するのが|智者《ちしや》の|道《みち》だ。|縦《たて》も|横《よこ》もあつたものかい。|正邪不二《せいじやふじ》、|明暗一如《めいあんいちによ》だ。|兎《と》も|角《かく》|善《ぜん》の|目的《もくてき》を|達《たつ》しさへすれば、それが|神様《かみさま》へ|対《たい》して|孝行《かうかう》となるのだ。|此《この》ユーフテスは|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|右守《うもり》の|司《かみ》の|陰謀《いんぼう》を|探査《たんさ》して、|王様《わうさま》の|為《ため》に|獅子奮迅《ししふんじん》の|活動《くわつどう》をやつてゐるのだから、|決《けつ》して|悪《わる》い|行動《かうどう》をとつたとは|微塵《みじん》も|思《おも》つて|居《ゐ》ないよ。|忠臣《ちうしん》の|鑑《かがみ》と|云《い》ふのは、|天下《てんか》|広《ひろ》しと|雖《いへど》も|此《この》ユーフテスより|外《ほか》にはないからな。|是《これ》から|三十万年《さんじふまんねん》の|未来《みらい》になると、|晋《しん》の|予譲《よじやう》だとか、|楠正成《くすのきまさしげ》とか|大石凡蔵之助《おほいしぼんくらのすけ》とかが|現《あら》はれて、|忠臣《ちうしん》の|名《な》を|擅《ほしいまま》にする|時代《じだい》が|来《く》るが、|今日《こんにち》では|正《まさ》に|俺《おれ》|一人《ひとり》だ。|此《この》|忠臣《ちうしん》を|夫《をつと》に|持《も》つセーリス|姫《ひめ》は|余程《よほど》の|果報者《くわほうもの》だ。(|義太夫《ぎだいふ》)「|女房《にようばう》|喜《よろこ》べユーフテスは|王様《わうさま》のお|役《やく》に|立《た》つたぞや…………とズツと|通《とほ》るは|松王丸《まつわうまる》、|源蔵《げんざう》|夫婦《ふうふ》は|二度《にど》ビツクリ、|夢《ゆめ》|現《うつつ》か|夫婦《ふうふ》かと|呆《あき》れはてたるばかりなり」と|云《い》ふ|次第柄《しだいがら》だ。ウツフヽヽヽ』
セーリス|姫《ひめ》はユーフテスの|横面《よこづら》を|平手《ひらて》でピシヤピシヤと|殴《なぐ》りながら、
『これユーさま、おきやんせいな。|何《なに》をユーフテスのだい。|好《す》かぬたらしい』
|女《をんな》『イツヒヽヽヽ、それなら|化物《ばけもの》のセーリスさまは|一先《ひとま》づ|化《ばけ》を|現《あら》はして|退却《たいきやく》|致《いた》します。ユーフテスさま、|目《め》を|開《あ》けて|御覧《ごらん》、あてえ、こんな|者《もの》ですよ』
と|花《はな》も|羞《はぢ》らふ|様《やう》な|美人《びじん》が|忽《たちま》ちクレツと|尻《しり》を|捲《まく》り、ユーフテスの|目《め》の|前《まへ》につき|出《だ》した。|見《み》れば|真白《まつしろ》の|毛《け》が|密生《みつせい》し、|太《ふと》い|白《しろ》い|尻尾《しりを》がブラ|下《さが》つてゐる。ユーフテスは「アツ」と|叫《さけ》んで|其《その》|場《ば》に|顛倒《てんたふ》した。|女《をんな》は|忽《たちま》ち|巨大《きよだい》なる|白狐《びやくこ》と|化《くわ》し、セーリス|姫《ひめ》に|叮嚀《ていねい》に|辞儀《じぎ》をしながら、ノソリノソリと|此《この》|場《ば》を|立《た》つて|何処《どこ》ともなく|姿《すがた》を|隠《かく》した。
『オホヽヽヽ、まアまア|旭《あさひ》さまのお|化《ばけ》の|上手《じやうず》な|事《こと》、|斯《か》うなると|自分《じぶん》も|白狐《びやくこ》になつて|見《み》たいわ。どれどれユーフテスの|倒《たふ》れてる|間《あひだ》に、|一《ひと》つ|化《ば》けて|見《み》ようかな』
と|云《い》ひながら|俄《にはか》に|鏡台《きやうだい》の|前《まへ》に|坐《すわ》り、|狐《きつね》の|顔《かほ》に|作《つく》り|変《か》へ、ユーフテスの|面部《めんぶ》に|清水《せいすゐ》を|吹《ふ》きかけた。ユーフテスはウンウンと|呻《うめ》くと|共《とも》に|起《お》き|上《あが》り、|目《め》をパチつかせてゐる。セーリス|姫《ひめ》は|狐《きつね》に|作《つく》つた|顔《かほ》をニユツと|出《だ》し、
『これユーさま、|気《き》がつきましたか。ホヽヽヽヽ』
ユーフテスはセーリス|姫《ひめ》の|姿《すがた》を|見《み》て|二度《にど》ビツクリし、
『やあ|此奴《こいつ》あ|堪《たま》らぬ』
とノタノタノタと|自分《じぶん》も|狐《きつね》の|様《やう》に|這《は》ひ|出《だ》し、|長廊下《ながらうか》をさして|己《おの》が|館《やかた》へ|逃《に》げて|行《ゆ》く。
(大正一一・一一・一五 旧九・二七 北村隆光録)
第三篇 |意変心外《いへんしんぐわい》
第一〇章 |墓場《はかば》の|怪《くわい》〔一一三五〕
『イルナの|都《みやこ》に|名《な》も|高《たか》き  |右守《うもり》の|司《かみ》と|仕《つか》へたる
|吾《われ》は|賢《かしこ》きカールチン  |千思万慮《せんしばんりよ》の|其《その》|結果《けつくわ》
バラモン|教《けう》の|大棟梁《だいとうりやう》  |大黒主《おほくろぬし》のお|見出《みだ》しに
|預《あづ》かりまして|今《いま》ははや  |右守《うもり》の|司《かみ》を|尊《たふと》しと
|思《おも》うた|事《こと》も|夢《ゆめ》となり  |左守《さもり》や|右守《うもり》を|使《つか》ふ|身《み》の
イルナの|都《みやこ》の|刹帝利《せつていり》  セーラン|王《わう》の|後《あと》を|継《つ》ぎ
|時《とき》めき|渡《わた》るも|目《ま》のあたり  うれしき|事《こと》が|重《かさ》なれば
よくも|重《かさ》なるものだなア  |天女《てんによ》を|欺《あざむ》く|美貌《びばう》|持《も》ち
ヤスダラ|姫《ひめ》に|慕《した》はれて  |思《おも》はず|知《し》らず|顔《かほ》の|皺《しわ》
|俄《にはか》にのびて|来《き》たやうだ  |文珠菩薩《もんじゆぼさつ》の|再来《さいらい》か
|曾富戸《そほど》の|神《かみ》の|生宮《いきみや》か  |何《なん》だか|知《し》らぬが|俺《おれ》は|又《また》
|尊《たふと》き|知識《ちしき》があるだらう  |古《ふる》くなつたるテーナ|姫《ひめ》
どうしてやろかと|朝夕《あさゆふ》に  |思案《しあん》なげ|首《くび》|息《いき》を|吐《つ》き
|困《こま》りぬいたる|折《をり》もあれ  ヤスダラ|姫《ひめ》の|忠告《ちうこく》に
|渡《わた》りに|船《ふね》と|喜《よろこ》んで  テーナの|姫《ひめ》に|遥々《はるばる》と
|軍《いくさ》を|率《ひき》ゐて|遠国《ゑんごく》に  |出陣《しゆつぢん》せよと|命《めい》ずれば
|天下《てんか》に|武名《ぶめい》を|現《あら》はして  イルナの|花《はな》と|謳《うた》はれむ
あゝ|面白《おもしろ》しと|勇《いさ》み|立《た》ち  |進《すす》み|行《ゆ》くこそ|嬉《うれ》しけれ
|定《さだ》めしテーナは|途中《とちう》にて  |敵《てき》の|軍勢《ぐんぜい》に|出会《でつくは》し
|奮戦《ふんせん》|苦闘《くとう》の|其《その》|結果《けつくわ》  |必《かなら》ず|討死《うちじに》するだらう
さうなりや|俺《おれ》の|活舞台《くわつぶたい》  これから|自由《じいう》に|開《ひら》け|往《ゆ》く
|畳《たたみ》の|古《ふる》くなつたのと  |居宅《きよたく》が|焼《や》けて|女房《にようばう》が
|死《し》んだのは|泣《な》き|泣《な》き|新《あたら》しく  なるものなりと|聞《き》く|上《うへ》は
ほんに|嬉《うれ》しい|俺《わし》の|胸《むね》  もはや|女房《にようばう》に|対《たい》しては
|絶対《ぜつたい》|気兼《きがね》はいるまいぞ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|梵天帝釈自在天《ぼんてんたいしやくじざいてん》  |神《かみ》の|御目《おんめ》に|叶《かな》うたか
よい|事《こと》ばかりが|続々《ぞくぞく》と  |吾《わが》|身《み》を|襲《おそ》うて|来《き》たやうだ
それはさておき|今頃《いまごろ》は  ヤスダラ|姫《ひめ》は|首《くび》のばし
カールチンさまはなぜ|遅《おそ》い  |心《こころ》|変《かは》つたのぢやあるまいか
|何《なん》とはなしに|気《き》がもめる  |一時《いつとき》さへも|千秋《せんしう》の
|思《おも》ひがすると|首《くび》のばし  |案《あん》じて|待《ま》つて|居《ゐ》るだらう
エヘヽヽヘツヘ エヘヽヽヽ  イヒヽヽヒツヒイあゝぼろい
|年《とし》をとつたと|思《おも》へども  |惚《ほ》れた|女《をんな》の|眼《まなこ》より
|見《み》た|時《とき》や|若《わか》く|見《み》えるのか  ほんに|合点《がてん》のゆかぬ|事《こと》
さはさりながらカールチン  |色《いろ》は|黒《くろ》ても|跛《びつこ》でも
|惚《ほ》れた|弱身《よわみ》の|姫様《ひめさま》の  |心《こころ》にうつるは|天教《てんけう》の
|山《やま》に|在《ま》します|日《ひ》の|出別《でわけ》  |司《つかさ》の|如《ごと》くに|見《み》えるだらう
|俺《おれ》は|矢張《やつぱ》り|女《をんな》|等《ら》に  もてる|男《をとこ》に|違《ちが》ひない
エヘヽヽヘヽヽヽエヘヽヽヽ  |涎《よだれ》の|奴《やつ》めが|知《し》らぬ|間《ま》に
|俺《おれ》に|許《ゆる》しもうけぬ|間《ま》に  |勝手気儘《かつてきまま》に|流《なが》れよる
アハヽヽヽヽヽ|面白《おもしろ》い  |此奴《こいつ》また|偉《えら》いエラしこぢや
|右守《うもり》の|司《かみ》も|恋路《こひぢ》には  |話《はなし》にならぬ|呆《とぼ》け|方《かた》
|嘸《さぞ》や|他人《たにん》が|見《み》たならば  |吹《ふ》き|出《だ》すだらうと|思《おも》へども
そこがかはつた|恋《こひ》の|路《みち》  |唐変木《たうへんぼく》には|分《わか》らない
アイタヽタツタ|躓《つまづ》いた  |誰《たれ》だか|知《し》らぬがスタスタと
|向《むか》ふの|方《はう》からやつて|来《く》る  もうよい|加減《かげん》に|切《き》り|上《あ》げて
|惚《のろ》けの|歌《うた》はやめようか  |勿体《もつたい》なやと|思《おも》へども
|心猿意馬《しんゑんいば》|奴《め》が|狂《くる》ひたち  |中々《なかなか》|容易《ようい》にや|納《をさ》まらぬ
ヤスダラ|姫《ひめ》の|事《こと》|思《おも》や  |思《おも》はず|知《し》らずドシドシと
|自然《しぜん》に|足《あし》が|早《はや》くなる  |女《をんな》の|力《ちから》と|云《い》ふやつは
ほんとに|偉《えら》いものだなア  |時《とき》めき|渡《わた》る|右守《うもり》さへ
|涼《すず》しい|目玉《めだま》をさしむけて  |自由自在《じいうじざい》に|翻弄《ほんろう》し
|中々《なかなか》|苦労《くらう》をかけよるな  とは|云《い》ふものの|苦労《くらう》せにや
|誠《まこと》の|花《はな》は|咲《さ》かないと  |三五教《あななひけう》でも|云《い》つて|居《ゐ》る
|恋《こひ》の|花《はな》|咲《さ》くイルナ|城《じやう》  |男《をとこ》は|沢山《たくさん》ありとても
|此《この》|花《はな》|手折《たを》る|主人公《しゆじんこう》は  カールチンさまより|外《ほか》にない
|山《やま》も|田地《でんぢ》も|家倉《いへくら》も  |靨《ゑくぼ》の|中《なか》へ|吸《す》ひ|込《こ》んで
|俺《おれ》の|魂《たま》までグチヤグチヤに  |分《わか》らぬやうにして|了《しま》ふ
|女《をんな》は|魔神《まがみ》と|聞《き》きつれど  あんな|優《やさ》しい|顔《かほ》をして
|右守《うもり》の|司《かみ》やヤスダラ|姫《ひめ》の  |心《こころ》が|貴方《あなた》に|分《わか》らぬか
|悲《かな》しう|御座《ござ》ると|泣《な》いた|時《とき》や  |俺《おれ》もチヨツクリ|泣《な》きかけた
|右守《うもり》は|男《をとこ》だ|悲《かな》しうて  |決《けつ》して|泣《な》いたのぢやないほどに
|余《あま》り|嬉《うれ》して|嬉《うれ》し|泣《な》き  あんな|所《ところ》をテーナ|奴《め》が
|一寸《ちよつと》のぞいた|事《こと》ならば  |地震《ぢしん》|雷《かみなり》|火《ひ》の|雨《あめ》が
ガラガラ ビシヤビシヤ ピカピカと  |乱痴気《らんちき》|騒《さわ》ぎが|起《おこ》るだらう
|桑原々々《くはばらくはばら》|惟神《かむながら》  |危《あぶ》ないところであつたわい
アイタヽタツタ、イツタイ……』
と|云《い》つた|途端《とたん》に、ドスンと|何者《なにもの》にか|衝《つ》き|当《あた》られ、|大道《だいだう》の|真中《まんなか》に|仰向《あふむけ》に|倒《たふ》れて|了《しま》つた。|衝《つ》き|当《あた》つた|男《をとこ》は、セーリス|姫《ひめ》に|嚇《おど》かされて、|命《いのち》からがら|尻引《しりひ》きまくり、|頭《あたま》を|先《さき》に|尻《しり》を|一間《いつけん》ばかりつき|出《だ》して、|向《むか》ふ|見《み》ずに|飛《と》んで|来《き》たユーフテスであつた。
『タヽ|誰《たれ》ぢやい。|往来《わうらい》を|歩《ある》くのに、ちつと|気《き》をつけぬか。|人《ひと》に|衝突《しようとつ》しよつて|何者《なにもの》ぢや。|勿体《もつたい》なくも|俺《おれ》はイルナの|城《しろ》の|右守司《うもりのかみ》だぞ。もはや|了簡《れうけん》ならぬ。|姓名《せいめい》を|名乗《なの》れ。|後《あと》から|捕吏《ほり》を|遣《つか》はして|相当《さうたう》の|処分《しよぶん》をなしてやる』
と|呶鳴《どな》る|声《こゑ》も|慄《ふる》つて|居《ゐ》る。ユーフテスは|此《この》|声《こゑ》に|初《はじ》めて|右守《うもり》たる|事《こと》を|知《し》り、|衝突《しようとつ》したる|頭《あたま》の|痛《いた》さを|耐《こら》へ|顔《かほ》を|顰《しか》めながら、
『マヽ|誠《まこと》にすみませぬ。タヽ|大変《たいへん》ですよ。|何《ど》うにも|斯《か》うにも、ドテライ|女《をんな》に|出会《でつくわ》して|私《わたし》はもう|懲々《こりこり》|致《いた》しました。|貴方《あなた》もこれから|女《をんな》の|所《ところ》へ|行《ゆ》くのでせう。|悪《わる》い|事《こと》は|云《い》ひませぬ。おきなさい。【むき】ますぜ。それはそれは|大《おほ》きな|奴《やつ》を、おまけに|同《おな》じ|奴《やつ》が|二人《ふたり》も|出《で》ますぜ。あゝ|恐《こは》い|恐《こは》い、あた|嫌《いや》らしい』
『ナヽ|何《なん》と|申《まを》す。【むく】とは|何《なに》をむくのぢや。|膝節《ひざぶし》を|擦《す》り【むい】たのか、|大変《たいへん》な|慌方《あわてかた》ぢやないか』
『これが|慌《あわ》てずに|何《なん》としませう。それはそれは【むき】ましたぜ。セーリス|姫《ひめ》だと|思《おも》うて|居《を》つたら、ドテライ|狐《きつね》でした。もう|私《わたし》は|諦《あきら》めました。|旦那様《だんなさま》、|悪《わる》い|事《こと》は|云《い》ひませぬ。サアこれから|私《わたし》と|館《やかた》へ|帰《かへ》りませう』
『|貴様《きさま》の|云《い》ふ|事《こと》は、|何《なに》が|何《なん》だか|曖昧《あいまい》|模糊《もこ》として|捕捉《ほそく》する|事《こと》が|出来《でき》ないぢやないか。もつとハツキリ|分《わか》るやうに|云《い》はぬかい。|一体《いつたい》|何《なに》が|出《で》たと|云《い》ふのぢや』
『それが|分《わか》るやうな|事《こと》なら、|何《ど》うして|逃《に》げて|帰《かへ》りますものか。|偉《えら》い|事《こと》|頬辺《ほつぺた》をつめりますぜ、|痛《いた》いの|痛《いた》くないのつて、|涙《なみだ》が|一升《いつしよう》|程《ほど》|出《で》ました』
『|一升《いつしよう》も|涙《なみだ》がどこから|出《で》たのだ』
『|尿道《ねうだう》から|出《で》ました』
『エヽ|貴様《きさま》のやうな|没分暁漢《わからずや》に|相手《あひて》になつて|居《ゐ》る|所《ところ》ぢない。ヤスダラ|姫《ひめ》が|待《ま》つて|居《を》るわい、|大方《おほかた》|貴様《きさま》は|肱鉄《ひぢてつ》を|喰《く》はされよつたのだなア』
と|云《い》ひながら、|又《また》もや|尻引《しりひ》つからげ|駆《か》け|出《だ》さうとするのを、ユーフテスは|後《うしろ》から|腰《こし》をグツと|掴《つか》んだ。カールチンは|向《むか》ふに|気《き》を|取《と》られ、ユーフテスが|剛力《がうりき》に|任《まか》せ|腰《こし》を|抱《だ》いて|居《ゐ》るのにも|気《き》が|付《つ》かず、|同《おな》じ|所《ところ》ばかり|手《て》を|振《ふ》つて|石《いし》づきをやつて|居《を》る。|恰度《ちやうど》|横槌《よこづち》を|縦《たて》にして、|柄《え》に|石亀《いしがめ》をのせたやうなスタイルである。
『あゝ、|何《なん》ぼう|歩《ある》いても|捗《はかど》らぬ|道《みち》だなア。|近《ちか》いやうでも|遠《とほ》いのは|恋《こひ》の|道《みち》だワイ。ウントコドツコイ ドツコイ、これでも|進《すす》めば、|何時《いつ》かは|行《ゆ》くだらう。|何《なん》だか|後髪《うしろがみ》を|引《ひ》かれるやうだ。|俄《にはか》に|体《からだ》が|重《おも》くなつて|来《き》よつた』
と|益々《ますます》|石亀《いしがめ》の|地団駄《ぢだんだ》を|踏《ふ》んで|居《ゐ》る。ユーフテスはとうとう|根負《こんまけ》をして|手《て》を|放《はな》した。|其《その》|勢《いきほひ》にバタバタバタと|三間《さんげん》ばかり|急進《きふしん》し、バタリと|倒《たふ》れ、
『アイタツタツタ、|又《また》|膝頭《ひざがしら》を|擦《す》りむいた』
と|云《い》ひながら、|覚束《おぼつか》ない|足《あし》を|無理《むり》に|踏《ふ》ん|張《ば》り、タヽヽヽと|一目散《いちもくさん》に|駆《か》けて|行《ゆ》く。|勢《いきほひ》あまつて|左《ひだり》へおりる|道《みち》を|一町《いつちやう》ばかり|右《みぎ》へ|取《と》り、|小栗《をぐり》の|森《もり》に|飛《と》び|込《こ》んで|了《しま》つた。|此《この》|森《もり》はイルナの|城《しろ》に|仕《つか》へて|居《ゐ》る|神司《かむつかさ》の|先祖《せんぞ》や|身内《みうち》のものが|葬《はうむ》つてある|墓場《はかば》であつた。|矢庭《やには》に|墓場《はかば》に|飛《と》び|込《こ》み、|石塔《せきたふ》に|頭《あたま》を|打《う》つて、
『アイタツタツタ』
と|叫《さけ》ぶと|共《とも》に|目《め》から|星《ほし》のやうにパツと|火《ひ》が|出《で》た。|自分《じぶん》の|目《め》から|出《で》た|火《ひ》に|驚《おどろ》いてドスンと|腰《こし》をおろし、どうしたものか|一声《ひとこゑ》も|出《で》なくなつて|了《しま》つた。カールチンは|昼《ひる》|頃《ごろ》から|一《いち》のくらみになる|迄《まで》ビクとも|動《うご》かず、ウンとも|得言《えい》はず、|墓《はか》の|石塔《せきたふ》と|睨《にら》み|合《あ》ひをして|居《ゐ》た。|心《こころ》のせいか、|何《なに》か|知《し》らず|石塔《せきたふ》の|後《うしろ》から|婆《ばば》が|赤黒《あかぐろ》い|手《て》を【しう】と|前《まへ》に|垂《た》らし、|蚊《か》の|鳴《な》くやうな|声《こゑ》で、
『|恨《うら》めしや』
とやり|出《だ》した。カールチンは|益々《ますます》|驚《おどろ》きよくよく|見《み》れば|女房《にようばう》のテーナ|姫《ひめ》の|顔《かほ》にそつくりである。
『ヤア|貴様《きさま》はテーナぢやないか………ハ……テーナ……いつの|間《ま》に、こんな|所《ところ》へ|来《き》やがつたのだ。エーン』
『お|前《まへ》はカールチンぢやないか。ヤスダラ|姫《ひめ》に|現《うつつ》を|抜《ぬ》かし、|私《わたし》をハルナの|都《みやこ》へ|軍《いくさ》に|出《だ》し、|其《その》|間《あひだ》に|甘《うま》い|事《こと》、|恋《こひ》の|欲望《よくばう》を|遂《と》げようとした|悪性男《あくしやうをとこ》だ。|此《この》テーナは|途中《とちう》に|於《おい》て|非業《ひごふ》の|最後《さいご》を|遂《と》げ、|先祖《せんぞ》の|骨《ほね》の|埋《うづ》めてある|此《この》|墓《はか》へ|幽霊《いうれい》となつて|出《で》て|来《き》たのだ。|併《しか》し|此《この》|婆《ばば》も、かう|幽霊《いうれい》になつた|上《うへ》は、お|前《まへ》と|添《そ》ふ|訳《わけ》にも|往《ゆ》かぬ。|見《み》て|見《み》ぬ|振《ふり》をして|居《を》るから、|仲《なか》よくヤスダラ|姫《ひめ》と|添《そ》ふがよからう』
と|蟷螂《かまきり》のやうなスタイルをして、|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を|喋《しやべ》りたて、クルクルと|毬《まり》のやうな|目《め》を|剥《む》いて|見《み》せた。
『コリヤコリヤ、|貴様《きさま》は|狸《たぬき》ぢやな。|俺《おれ》の|女房《にようばう》はそんな|弱《よわ》いものと|違《ちが》ふわい。|馬鹿《ばか》にさらすと|了簡《れうけん》ならぬぞ。|早《はや》く|俺《おれ》の|腰《こし》を|癒《なほ》さぬか』
と|何時《いつ》の|間《ま》にやら|言論《げんろん》|機関《きくわん》が|円滑《ゑんくわつ》に|働《はたら》き|出《だ》した。
『|実《じつ》の|処《ところ》は|俺《おれ》は|小栗《をぐり》の|森《もり》の|古狸《ふるだぬき》だよ。どうぞこれぎり、キツト|出《で》ませぬとは|申《まを》さぬから、|許《ゆる》して|下《くだ》さい。|左様《さやう》なら、|又《また》|明晩《みやうばん》|改《あらた》めてお|目《め》にかかりませう』
ブスツと|象《ざう》が|屁《へ》を【こい】たやうな|音《おと》をして|消《き》えて|了《しま》つた。カールチンは|漸《やうや》く|立《た》ち|上《あが》り、
『|何《なん》だ|狸《たぬき》|奴《め》、|馬鹿《ばか》にしやがつた。|何時《いつ》の|間《ま》にか|慌《あわ》ててこんな|所《ところ》へ|飛《と》び|込《こ》んで|来《き》たと|見《み》えるわい。|俺《おれ》もやつぱり|恋《こひ》の|暗路《やみぢ》に|迷《まよ》うて|居《を》るのかなア。|女《をんな》|一人《ひとり》|関係《くわんけい》をつけようと|思《おも》へば|大抵《たいてい》の|事《こと》ぢやない、|命《いのち》がけだ』
と|呟《つぶや》いて|居《ゐ》る。そこへ|提灯《ちやうちん》を|灯《とぼ》してスタスタとやつて|来《き》た|美《うつく》しい|女《をんな》がある。カールチンは|其《その》|女《をんな》の|顔《かほ》を|怪《あや》しみながら、こはごは|窺《のぞ》いて|見《み》ると、|豈計《あにはか》らむやヤスダラ|姫《ひめ》であつた。
『ヤア|貴女《あなた》はヤスダラ|様《さま》ぢやありませぬか。どうしてまアこんな|物騒《ぶつそう》な|所《ところ》へ、|女《をんな》の|身《み》としてお|越《こ》しなさつたのですか』
『ハイ、|私《わたし》|日《ひ》が|暮《く》れたので、|貴方《あなた》のお|越《こ》しを|待《ま》つて|居《ゐ》ました|処《ところ》、お|出《いで》が|遅《おそ》いものだから、じれつたくて|仕方《しかた》がなく、そこで|一寸《ちよつと》|人目《ひとめ》を|忍《しの》び、|裏門《うらもん》からお|迎《むか》へに|参《まゐ》りました。こんな|恐《おそ》ろしい|所《ところ》に、ようまア|独《ひと》り|何《なん》ともありませなんだなア。|私《わたし》ならよう|参《まゐ》りませぬわ。|恋《こひ》しい|貴方《あなた》が|御座《ござ》ると|思《おも》へばこそ、ここ|迄《まで》お|迎《むか》へに|来《き》たのですよ』
カールチンは|嬉《うれ》しさうに、
『あゝさうでしたか、|御親切《ごしんせつ》にようまア|迎《むか》へに|来《き》て|下《くだ》さつた』
『|何《なに》も|変《かは》つた|事《こと》は|厶《ござ》いませなんだかなア』
『|私《わたし》の|名《な》がカールチンだと|思《おも》うて、|余程《よほど》カールたチン(|変《かは》つた|珍《ちん》)な|事《こと》を|古狸《ふるだぬき》の|奴《やつ》やつて|見《み》せたのですよ。|随分《ずゐぶん》|大《おほ》きな|目《め》を【むき】ましたよ。|其《その》|時《とき》には|私《わたし》も|随分《ずゐぶん》|肝《きも》を|潰《つぶ》しました』
『|悪戯《いたづら》な|狸《たぬき》もあつたものですなア。どんなに|大《おほ》きな|目《め》でしたか、こんなんですか』
と|団栗《どんぐり》のやうな|目《め》を【むい】て|見《み》せた。
カールチンは|何《なん》だか|少《すこ》し|怪《あや》しいと|思《おも》ひながら、
『そんな|小《ちひ》さなのぢやありませぬ、|随分《ずゐぶん》|大《おほ》きな|目《め》でしたよ』
『こんなんか』
と|大《おほ》きな|声《こゑ》を|出《だ》し、|耳《みみ》まで|裂《さ》けた|口《くち》を|開《あ》け、|蛇《じや》の|目《め》の|傘《かさ》のやうな|目《め》を、クリクリと【むい】て|見《み》せた。カールチンはビツクリして|一生懸命《いつしやうけんめい》に|闇《やみ》の|道《みち》をスタスタとイルナ|城《じやう》の|表門《おもてもん》さして|逃《に》げて|行《ゆ》く。
(大正一一・一一・一五 旧九・二七 加藤明子録)
第一一章 |河底《かてい》の|怪《くわい》〔一一三六〕
|墓場《はかば》に|迷《まよ》ひ|込《こ》み、|怪物《くわいぶつ》に|荒肝《あらぎも》をとられて|二度《にど》ビツクリをしながら、|息《いき》を|喘《はづ》ませ、イルナ|城《じやう》のヤスダラ|姫《ひめ》に|会《あ》はむものと、|宵暗《よひやみ》の|路《みち》を|駆《か》け|出《だ》した。|十五夜《じふごや》の|満月《まんげつ》は、ソロソロ|地上《ちじやう》に|光《ひかり》を|投《な》げ|始《はじ》めた。カールチンは|月《つき》の|光《ひかり》に|漸《やうや》く|安心《あんしん》し、|立止《たちど》まつて、|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|月神《げつしん》を|拝《はい》しながら|独言《ひとりごと》、
『あゝあ、|恋《こひ》の|闇《やみ》が|何《ど》うやら|明《あか》るくなつて|来《き》たやうだ。むすびの|神《かみ》は|月下氷人《げつかひようじん》とか|言《い》ふさうだから、|恋路《こひぢ》の|暗《やみ》を|照《て》らすお|月様《つきさま》は、|俺《おれ》にとつては|助《たす》け|神《がみ》のやうなものだ。あゝ|月《つき》なる|哉《かな》|月《つき》なる|哉《かな》。これからヤスダラ|姫《ひめ》の|居間《ゐま》に【ツキ】、いろいろ|雑多《ざつた》と|意茶《いちや》【ツキ】、|粘《ねば》り【ツキ】、|武者《むしや》ぶりツキ、|終《しま》ひには|悋気《りんき》の|角《つの》を|生《は》やして|咬《か》み【ツキ】、|食《く》ひ【ツキ】といふ|段取《だんどり》になるかも|知《し》れないぞ。エヘヽヽヽ』
と|涎《よだれ》をたぐりつつ|入那川《いるながは》の|橋詰《はしづめ》|迄《まで》やつて|来《き》た。|不思議《ふしぎ》や|深《ふか》さ|一丈《いちぢやう》|余《あま》りもある|川底《かはぞこ》が|水晶《すゐしやう》の|如《ごと》く|透《す》き|通《とほ》り、|月夜《つきよ》にも|拘《かかは》らず、|小魚《こうを》の|泳《およ》ぐの|迄《まで》がハツキリと|見《み》えて|来《き》た。カールチンは、
『|不思議《ふしぎ》な|事《こと》があるものだ。|昼《ひる》でさへも|此《この》|川《かは》はうす|濁《にご》りで|底《そこ》の|見《み》えた|事《こと》はないのに、|今日《けふ》は|又《また》|何《ど》うしたものだらう、|透《す》きとほつた|水晶《すゐしやう》の|水《みづ》が|流《なが》れてゐるワイ。ヤツパリ|之《これ》も|月《つき》の|大神様《おほかみさま》が、|俺達《おれたち》の|恋《こひ》の|前途《ぜんと》を|祝《しゆく》して|下《くだ》さるのだらう』
と|独言《ひとりご》ちつつ、|覗《のぞ》き|込《こ》んでゐる。そこへ|水底《みなそこ》をもがきながら、|流《なが》れて|来《き》たのがテーナ|姫《ひめ》であつた。
『ヤア、テーナの|奴《やつ》、この|川上《かはかみ》で|落馬《らくば》して|川《かは》へはまり、|此処《ここ》まで|流《なが》れて|来《き》よつたと|見《み》えるワイ。|何《なん》だか、まだ|川《かは》の|底《そこ》で|動《うご》いてゐるやうだ。ヤア、|此処《ここ》で、とうとう|沈澱《ちんでん》するらしいぞ』
どこともなく|声《こゑ》ありて、
『テーナ|姫《ひめ》は|其《その》|方《はう》の|女房《にようばう》ではないか。なぜ|命《いのち》を|的《まと》に|河中《かちう》に|飛込《とびこ》み|救《すく》うてやらぬのか。ホンに|水臭《みづくさ》い|男《をとこ》だなア』
と|叫《さけ》ぶ|者《もの》がある。|後《あと》ふり|返《かへ》り|見《み》れば、ユーフテスであつた。
『コリヤ、ユーフテス、どこから|来《き》たのだい。|救《すく》はうと|救《すく》ふまいと、|俺《おれ》の|女房《にようばう》だ。|貴様等《きさまら》の|敢《あへ》て|干渉《かんせう》する|範囲《はんゐ》ぢやないわい。|黙《だま》つて|居《ゐ》よう』
テーナ|姫《ひめ》は|川底《かはそこ》に|坐《すわ》り|込《こ》み、|何《なん》だか|手《て》をあげて|救《すく》ひを|叫《さけ》ぶ。|其《その》|声《こゑ》は|残《のこ》らず|水《みづ》の|泡《あわ》となつて、ブクブクブクと|屁《へ》の|玉《たま》が|風呂《ふろ》の|中《なか》で|行列《ぎやうれつ》して|浮《う》き|上《あが》る|様《やう》になつて|居《ゐ》る。
『|旦那《だんな》さま、あんた|俄《にはか》に|水臭《みづくさ》くなりましたなア。|何程《なにほど》|恋《こひ》の|邪魔《じやま》になると|云《い》つても、|女房《にようばう》を|見殺《みごろ》しにするのは、チツト|不道徳《ふだうとく》ぢやありませぬか』
『どうで|不道徳《ふだうとく》だらうよ、|併《しか》し|事《こと》の|成行《なりゆき》ならば|仕方《しかた》がないぢやないか』
かく|話《はなし》してゐる|所《ところ》へ、|又《また》もや|川底《かはそこ》をゴロリゴロリと|流《なが》れて|来《く》る|女《をんな》の|姿《すがた》が|手《て》に|取《と》るやうに|見《み》える。|二人《ふたり》は|目《め》を|見《み》はつて、よくよく|見《み》れば、|妙齢《めうれい》の|美人《びじん》ヤスダラ|姫《ひめ》が|綺麗《きれい》な|着物《きもの》を|着飾《きかざ》つた|儘《まま》、|髪《かみ》を|垂《た》らして|流《なが》れて|来《き》た。そしてテーナ|姫《ひめ》の|沈《しづ》んでゐる|所《ところ》へ|折《をり》よく|沈澱《ちんでん》した。
『ヤア、|此奴《こいつ》ア|大変《たいへん》だ、|肝腎《かんじん》の|目的物《もくてきぶつ》が|身投《みなげ》をしたと|見《み》える。|此奴《こいつ》ア、|助《たす》けにやなるまい』
と|赤裸《まつばだか》にならうとするのを、ユーフテスは|其《その》|手《て》をグツと|握《にぎ》り、
『モシモシ|旦那《だんな》さま、|危《あぶ》ない|危《あぶ》ない、こんな|所《ところ》へ|飛《と》び|込《こ》まうものなら、それこそテーナ|姫《ひめ》さまと|情死《じやうし》するやうなものだ。おきなさいな』
『ナーニ、|俺《おれ》はヤスダラ|姫《ひめ》と|心中《しんぢう》するのだ。かもてくれない』
と|赤裸《まつぱだか》になり、|飛込《とびこ》まうとするのを、グツと|襟髪《えりがみ》をつかみ、
『|待《ま》てと|申《まを》さば、|先《ま》づ|先《ま》づお|待《ま》ちなさいませ』
『エヽ|邪魔《じやま》ひろぐな、グヅグヅしてると、ヤスダラ|姫《ひめ》の|息《いき》の|根《ね》が|切《き》れてしまふぢやないか』
|川《かは》の|底《そこ》では|二人《ふたり》の|女《をんな》が、|組《く》んづ|組《く》まれつ、|力限《ちからかぎ》りに|格闘《かくとう》を|始《はじ》め|出《だ》した。カールチンは、
『コラ、テーナ|姫《ひめ》、|何《なに》をする、|俺《おれ》が|了簡《れうけん》せぬぞ』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|着物《きもの》を|着《き》たまま、ザンブと|飛込《とびこ》んだ|途端《とたん》に、ブルブルブルと|石《いし》を|投込《なげこ》んだ|様《やう》に|沈《しづ》んで|了《しま》つた。|橋《はし》の|袂《たもと》には|凩《こがらし》が|笛《ふえ》を|吹《ふ》いて|通《とほ》つてゐる。ユーフテスと|見《み》えた|男《をとこ》は|忽《たちま》ち|巨大《きよだい》な|白狐《びやくこ》となり、のそりのそりと|橋《はし》を|渡《わた》つてイルナ|城《じやう》さして|進《すす》み|行《ゆ》く。
テーナ|姫《ひめ》の|出陣《しゆつぢん》の|後《のち》、|館《やかた》の|守備《しゆび》に|任《にん》ぜられ、ハルナの|応援軍《おうゑんぐん》から|取残《とりのこ》された|大男《おほをとこ》、ハルマンは|此《この》|頃《ごろ》カールチンの|挙動《きよどう》の|常《つね》ならぬのに|不審《ふしん》を|起《おこ》し、|日《ひ》が|暮《く》れても|主人《しゆじん》の|帰《かへ》りなきを|案《あん》じて|橋詰《はしづめ》|迄《まで》やつて|来《き》た。|川《かは》の|面《おもて》は|月《つき》の|光《ひかり》でキラキラと|光《ひか》つてゐる。|忽《たちま》ちムクムクと|川底《かはそこ》から|浮上《うきあが》つた|黒《くろ》い|影《かげ》がある。ハルマンは|透《す》かし|見《み》て、
『ヤアやこれは|誰《たれ》かが|川《かは》へ【はま】つて|死《し》にかけてゐるのだ。|助《たす》けにやならぬ』
と|衣類《いるゐ》を|脱《ぬ》ぎ|捨《す》て、|身《み》を|躍《をど》らしてザンブとばかり|飛込《とびこ》み、|黒《くろ》い|影《かげ》を|矢庭《やには》に|引掴《ひつつか》み、|抜《ぬ》き|手《て》を|切《き》つて|一方《いつぱう》の|手《て》で|水《みづ》をかき|分《わ》け、|泳《およ》いで|岸《きし》に|取《と》りつき、|救《すく》ひ|上《あ》げ、いろいろと|介抱《かいほう》して|呼《よ》び|生《い》かし、よくよく|見《み》れば|右守司《うもりのかみ》のカールチンであつた。ハルマンは|二度《にど》ビツクリ、|言葉《ことば》もせはしく、
『ヤア、|貴方《あなた》は|旦那様《だんなさま》ぢや|厶《ござ》いませぬか。|危《あぶ》ないこつて|厶《ござ》いました。チと|確《しつ》かりして|下《くだ》さいませ』
カールチンは|漸《やうや》くにして|気《き》が|付《つ》き、
『あゝお|前《まへ》はヤスダラ|姫《ひめ》か、|危《あぶ》ない|事《こと》だつた。|俺《おれ》も|一生懸命《いつしやうけんめい》にお|前《まへ》の|命《いのち》を|助《たす》けてやらうと|思《おも》うて|飛込《とびこ》んだのだ、マアよかつた。サア|之《これ》から|城内《じやうない》へ|行《ゆ》かう、こんな|所《ところ》にグヅグヅして|居《を》つて、|人《ひと》に|見付《みつ》けられちや|大変《たいへん》だから』
『モシモシ|旦那様《だんなさま》、|確《しつか》りなさいませ。ここは|何処《どこ》だと|思《おも》つて|厶《ござ》るのですか』
『ここは|入那川《いるながは》の|堤《つつみ》ぢやないか、サア|早《はや》く|行《ゆ》かう。ヨモヤ|又《また》|目《め》を|剥《む》いたり、|妙《めう》な|手付《てつき》をして|俺《おれ》をおどかす|狸村喜平《たぬきむらきへい》ぢやあろまいな、エーン』
『モシモシ|旦那様《だんなさま》、|私《わたし》はヤスダラ|姫《ひめ》ぢや|厶《ござ》いませぬよ、|家来《けらい》のハルマンですがな。チと|確《しつ》かりして|下《くだ》さいな』
『ヤスダラ|姫《ひめ》の|命《いのち》は|助《たす》かつたか、|何《ど》うだ。|早《はや》く|様子《やうす》を|聞《き》かしてくれないか』
『そんな|人《ひと》は|如何《どう》なつたか、|私《わたし》や|分《わか》りませぬ。|只《ただ》|貴方《あなた》さへ|助《たす》ければ|私《わたし》の|役《やく》がすむのぢやありませぬか。ヤスダラ|姫《ひめ》なんて、テルマン|国《ごく》から|逃《に》げて|来《き》たやうなアバズレ|女《をんな》に|構《かま》ふことがあるものですか。あんな|奴《やつ》ア、|死《し》なうと|生《い》きようと|放《ほ》つときやいいのですよ。|貴方《あなた》もヤスダラ|姫《ひめ》を|大変《たいへん》に|憎《にく》んで|居《ゐ》らつしやつたぢやありませぬか。サマリー|姫《ひめ》|様《さま》が|此《この》|頃《ごろ》の|貴方《あなた》の|御精神《ごせいしん》が|変《かは》つて、|如何《どう》やらヤスダラ|姫《ひめ》を|王様《わうさま》の|女房《にようばう》にしさうだと|云《い》つて、|大変《たいへん》に|疳《かん》を|立《た》てて|泣《な》いてばかりゐられますよ。|私《わたし》はそれが|気《き》の|毒《どく》で|見《み》て|居《を》れないので、かうして|捜《さが》しに|来《き》たのです。|何《なん》で|又《また》こんな|川《かは》へ、|盲《めくら》でもないのに|落込《おちこ》みなさつたのですか』
『|今《いま》は|何時《なんどき》だ、テンと|訳《わけ》が|分《わか》らぬやうになつて|来《き》たワイ』
『|夜《よる》の|五《いつ》つ|時《どき》、あの|通《とほ》りお|月様《つきさま》が|東《ひがし》の|空《そら》へお|上《あが》りになつてるぢやありませぬか。サア、|私《わたし》がお|供《とも》して|帰《かへ》りませう。お|召物《めしもの》もズクズクになり、|風《かぜ》に|当《あた》つてお|風邪《かぜ》でも|召《め》したら|大変《たいへん》です』
と|言《い》ひながら、|無理《むり》にカールチンを|引抱《ひつかか》へ、|大力《たいりき》|無双《むさう》のハルマンは|右守司《うもりのかみ》の|館《やかた》を|指《さ》して、トントントンと|地響《ぢひびき》させながら|帰《かへ》つて|行《ゆ》く。
(大正一一・一一・一六 旧九・二八 松村真澄録)
第一二章 |心《こころ》の|色々《いろいろ》〔一一三七〕
カールチンの|奥《おく》の|間《ま》にはハルマン、サマリー|姫《ひめ》と|主人《しゆじん》の|三人《さんにん》が|鼎坐《かなへざ》となりて、ヒソビソ|話《ばなし》に|夜《よ》の|明《あ》くるのも|知《し》らず、|耽《ふけ》つてゐる。
『|旦那《だんな》さま、|貴方《あなた》はお|昼前《ひるまへ》から、|館《やかた》をソツとお|立出《たちい》でになり、お|帰《かへ》りが|夜《よ》になつてもないので、|若《も》しや|御城内《ごじやうない》で、お|酒《さけ》でもおすごし|遊《あそ》ばし、クダを|巻《ま》いて|皆《みな》の|者《もの》を、いつものやうに|困《こま》らせて|厶《ござ》るのではあるまいかと|心配《しんぱい》でならず、ソツと|城内《じやうない》を|窺《うかが》うて|見《み》た|所《ところ》が、|門番《もんばん》の|話《はなし》にも、|今日《けふ》は|右守《うもり》さまのお|姿《すがた》は|見《み》なかつたと|言《い》ひ、|女中《ぢよちう》|共《ども》に|聞《き》いて|見《み》ても、お|越《こ》しがないと|言《い》つて|居《ゐ》ましたので、そこら|中《ぢう》を|捜《さが》しまはつて|居《を》りました|所《ところ》、|入那川《いるながは》の|水面《すゐめん》に|怪《あや》しい|音《おと》がするので、ハテ|不思議《ふしぎ》と|立止《たちど》まり|様子《やうす》を|考《かんが》へてゐると、|大《おほ》きな|狐《きつね》がノソノソと|橋《はし》を|渡《わた》つて|北《きた》の|方《はう》へ|行《ゆ》く。|此奴《こいつ》ア|変《へん》だと|水面《すゐめん》を|眺《なが》めてると、パツと|浮上《うきあが》つた|黒《くろ》い|影《かげ》、|命《いのち》カラガラ|飛込《とびこ》んで|救《すく》ひ|上《あ》げ、よくよく|見《み》れば|旦那様《だんなさま》、|取止《とりと》めもないことを|仰有《おつしや》つて、|本当《ほんたう》に|此《この》ハルマンも|如何《どう》なる|事《こと》かと|気《き》を|揉《も》みました。|奥様《おくさま》の|御不在中《ごふざいちう》に、|若《も》しもの|事《こと》があつたら、|此《この》ハルマンは|申訳《まをしわけ》がありませぬからなア、マアマア|結構《けつこう》で|厶《ござ》いました』
『お|父《とう》さま、|此《この》|頃《ごろ》はお|母《か》アさまの|不在中《ふざいちゆう》ですから、|何卒《なにとぞ》どつこへも|行《ゆ》かずに|内《うち》に|居《を》つて|下《くだ》さい。|心配《しんぱい》でなりませぬ。もし|御登城《ごとじやう》|遊《あそ》ばすなら、|何時《いつ》ものやうに|二三人《にさんにん》の|家来《けらい》を|伴《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さい。|苟《いやし》くも|右守司《うもりのかみ》の|職掌《しよくしやう》でありながら、|一人《ひとり》|歩《ある》きをなさるとは、|余《あま》り|軽々《かるがる》しいではありませぬか』
『ナアニ、|一人《ひとり》|歩《ある》くのにも、|之《これ》には|言《い》ふに|云《い》はれぬ|秘密《ひみつ》があるのだ。|俺《おれ》の|神謀鬼策《しんぼうきさく》は|女童《をんなわらべ》の|知《し》る|所《ところ》でない。マア|俺《おれ》のする|様《やう》に|任《まか》しておいたが|宜《よ》からうぞ』
『|日中《につちう》ならばソリヤお|一人《ひとり》でも|宜《よろ》しからうが、|今夜《こんや》の|様《やう》な|事《こと》があつては|大変《たいへん》ですから、|何卒《どうぞ》|日《ひ》の|暮《く》れない|内《うち》に|之《これ》からお|帰《かへ》り|遊《あそ》ばす|様《やう》に|願《ねが》ひます。|若《わか》い|男《をとこ》が|恋女《こひをんな》の|後《あと》を|追《お》ふ|様《やう》に、|夜分《やぶん》にコソコソと|一人《ひとり》|歩《ある》きするのは、|何卒《どうぞ》|心得《こころえ》て|下《くだ》さいませ。|姫《ひめ》さまも|大変《たいへん》に|御心配《ごしんぱい》|遊《あそ》ばしますから……』
『イヤ|実《じつ》の|所《ところ》は、お|前《まへ》の|知《し》つてる|通《とほ》り、|女房《にようばう》が|出陣《しゆつぢん》をしたのだから、|先《ま》づ|第一《だいいち》に|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》に|御祈願《ごきぐわん》を|凝《こ》らし、|御先祖《ごせんぞ》の|墓《はか》へも|参《まゐ》り、|女房《にようばう》の|武勇《ぶゆう》を|発揮《はつき》するやう|祈《いの》つて|居《を》つたのだ。そした|所《ところ》が、|御先祖様《ごせんぞさま》の|石塔《せきたふ》の|後《うしろ》から、テーナ|姫《ひめ》の|顔《かほ》|其《その》|儘《まま》の|怪物《くわいぶつ》が|現《あら》はれ、|恨《うら》めしの|冷飯《ひやめし》の……と|吐《ほざ》きやがつて、|怪体《けつたい》な|手付《てつき》を|致《いた》し、|終焉《をはり》の|果《はて》にや、|毬《まり》のやうな|目《め》を|剥《む》きよつた。そこへ|又《また》|一人《ひとり》の|化物《ばけもの》がやつて|来《き》て、|傘《からかさ》のやうな|目玉《めだま》を|剥《む》きよつたものだから、|流石《さすが》の|俺《おれ》も|一寸《ちよつと》おつたまげて、わが|家《や》を|指《さ》して|逃帰《にげかへ》る|途中《とちう》、|誤《あやま》つて|入那川《いるながは》へ|陥没《かんぼつ》したのだ。そこを|貴様《きさま》が|折《をり》よく|通《とほ》つて|助《たす》けてくれたのだ、マア|有難《ありがた》い、|御礼《おれい》を|申《まを》さねばなるまい。|併《しか》しながら、エー……ン、|彼奴《あいつ》の|命《いのち》は|如何《どう》なつたか|知《し》らぬてな』
『|彼奴《あいつ》の|命《いのち》も|此奴《こいつ》の|命《いのち》もあつたものですか。|貴方《あなた》は|大変《たいへん》に、ヤスダラ ヤスダラと|仰有《おつしや》いましたが、ヤスダラ|姫《ひめ》に|対《たい》し、|何《なに》かお|考《かんが》へがあるのですか』
『|何《なに》、|別《べつ》に|之《これ》といふ|考《かんが》へもあるのぢやない、|彼奴《あいつ》の|生死《せいし》に|就《つ》いて、|少《すこ》しばかり|気《き》にかかつてならないのだ』
『|私《わたし》もヤスダラ|姫《ひめ》さまの|事《こと》が|気《き》に|係《かか》つてならないのですよ。|噂《うはさ》に|聞《き》けば、テルマン|国《ごく》からお|帰《かへ》りになつたといふ|事《こと》、|若《も》しや|王様《わうさま》と|御夫婦《ごふうふ》にでもなられようものなら、|私《わたし》は|如何《どう》しようかと、そればかりが|心配《しんぱい》でなりませぬワ』
『コリヤ|娘《むすめ》、そんな|心配《しんぱい》は|少《すこ》しも|要《い》らない。お|前《まへ》はどこまでもセーラン|王《わう》の|妃《きさき》だ。|俺《おれ》がキツと|保証《ほしよう》して|添《そ》はしてやるから|安心《あんしん》せい。|併《しか》しながら、|若《も》しも|俺《おれ》の|女房《にようばう》が、|今度《こんど》の|戦《たたか》ひで|命《いのち》を|奪《と》られるやうな|事《こと》があつたら、お|前《まへ》|何《なん》と|思《おも》ふか』
『それは|申《まを》すまでもなく、|悲《かな》しう|厶《ござ》います。お|父《とう》さまも|矢張《やつぱ》り|悲《かな》しいでせう』
『そりや|俺《おれ》だつて、|悲《かな》しい……のは|当《あた》り|前《まへ》だ。|併《しか》しながらウーン……』
『お|父《とう》さま、|其《その》|後《あと》を|言《い》つて|下《くだ》さい。|如何《どう》なさると|仰有《おつしや》るのですか』
『マア|刹那心《せつなしん》を|楽《たの》しむのだな。|其《その》|時《とき》や|其《その》|時《とき》の|又《また》|風《かぜ》が|吹《ふ》くだらうから』
『モシ|姫《ひめ》さま、|御心配《ごしんぱい》なさいますな、|旦那《だんな》さまの|心《こころ》の|中《うち》には、|行先《ゆくさき》の|事《こと》までチヤンと|成案《せいあん》があるのですから……それはそれは|抜目《ぬけめ》のない|旦那《だんな》さまですから、|流石《さすが》は|貴女《あなた》のお|父《とう》さまだけあつて、よく|注意《ちうい》の|行届《ゆきとど》いたものです。ヤスダラ|山《やま》の|春風《はるかぜ》が|吹《ふ》いて、|此《この》お|館《やかた》は|軈《やが》て|百花爛漫《ひやくくわらんまん》、|天国《てんごく》の|花園《はなぞの》と|変《かは》るかも|知《し》れませぬ』
『お|父《とう》さま、|貴方《あなた》は|此《この》|頃《ごろ》、|大変《たいへん》にヤスダラ|姫《ひめ》さまを|御贔屓《ごひいき》|遊《あそ》ばすさうですが、ヨモヤ、セーラン|王様《わうさま》の|御妃《おきさき》になさる|御考《おかんが》へぢやありますまいな。さうなりや、|私《わたし》はどうしたら|良《い》いのですか』
『すべて|人間《にんげん》は、|何事《なにごと》も|十分《じふぶん》といふ|事《こと》はいかぬものだ。|恋《こひ》を|得《え》むと|欲《ほつ》すれば|位《くらゐ》を|捨《す》てなくてはならず、|位《くらゐ》を|得《え》むと|欲《ほつ》すれば|恋《こひ》そのものを|放擲《はうてき》せなくてはならぬ。|両方《りやうはう》|良《よ》いのは|頬被《ほほかぶ》りと○○だけだ。それさへお|前《まへ》に|合点《がてん》が|行《ゆ》けば、お|前《まへ》の|恋《こひ》は|永遠《ゑいゑん》に|継続《けいぞく》させてやるが、どうだ、|此《この》|間《あひだ》からお|前《まへ》に|相談《さうだん》しようと|思《おも》うてゐたが、|丁度《ちやうど》|今日《けふ》は|好《よ》い|機会《きくわい》だから|聞《き》いて|見《み》るのだ』
『|妙《めう》なことを|仰有《おつしや》います。|私《わたし》はイルナの|国《くに》では|最高級《さいかうきふ》のセーラン|王《わう》の|妃《きさき》、|又《また》|国内《こくない》|第一《だいいち》の|立派《りつぱ》な|夫《をつと》に|恋《こひ》してゐるのです。それをどちらか|捨《す》てねばならぬとは、ヤツパリさうすると、|貴方《あなた》は|王様《わうさま》を|退隠《たいいん》させ、|自分《じぶん》が|年来《ねんらい》の|野心《やしん》を|遂《と》げるといふ、|面白《おもしろ》からぬ|御考《おかんが》へでせう』
『イヤ、|俺《おれ》の|方《はう》から|無理《むり》に|迫《せま》るのぢやない。|今《いま》までは|武力《ぶりよく》に|訴《うつた》へてでも|目的《もくてき》を|達《たつ》しようと|思《おも》つてゐたのだが、お|前《まへ》の|知《し》つてゐる|通《とほ》り、|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》の|応援軍《おうゑんぐん》|迄《まで》お|断《ことわ》り|申《まを》し、|部下《ぶか》の|武士《ぶし》|迄《まで》|残《のこ》らず|遠征《ゑんせい》の|途《と》に|上《のぼ》らせた|位《くらゐ》だから、|何事《なにごと》も|円満《ゑんまん》|解決《かいけつ》のつく|見込《みこみ》が|十分《じふぶん》|立《た》つてゐるのだ。|王様《わうさま》の|口《くち》から|仰有《おつしや》つたのだから、お|前《まへ》が|何程《なにほど》|頑張《ぐわんば》つた|所《ところ》で、|王様《わうさま》の|御決心《ごけつしん》は|動《うご》かす|事《こと》は|出来《でき》まい。さうだから、|位《くらゐ》をすてて|恋《こひ》を|選《えら》めといつたのだ。お|前《まへ》の|夫《をつと》が|刹帝利《せつていり》になるのも、|親《おや》がなるのも、お|前《まへ》としては|別《べつ》に|差支《さしつかへ》がないぢやないか。チツとは|親《おや》の|養育《やういく》の|恩《おん》も|考《かんが》へて|呉《く》れたらどうだ』
『オホヽヽヽ、|何《なん》とマア|虫《むし》のよいお|考《かんが》へですこと。あの|王様《わうさま》に|限《かぎ》つて、そんなこと|仰有《おつしや》る|筈《はず》がありませぬワ。そりや|貴方《あなた》の|独合点《ひとりがてん》でせう。さうでなくは、|城内《じやうない》の|悪者《わるもの》|共《ども》にチヨロまかされ、|油断《ゆだん》をさされて|厶《ござ》るのでせう。あゝ|困《こま》つた|事《こと》をなさいましたなア。あゝ|併《しか》しながら、これで|安心《あんしん》しました。|貴方《あなた》に|軍隊《ぐんたい》を|抱《かか》へさしておくと、|勢《いきほひ》に|任《まか》せて|脱線《だつせん》をなさるから|気《き》が|気《き》でありませなんだ。これで|王様《わうさま》、|一安心《ひとあんしん》なさりませう。キツと|貴方《あなた》は|翼《つばさ》|剥《は》がれた|鳥《とり》のやうなものだから、|叛逆人《はんぎやくにん》として|入那《いるな》の|牢獄《らうごく》にブチ|込《こ》まれるにきまつてゐます。それは|私《わたし》が|気《き》の|毒《どく》でなりませぬ。|併《しか》しながら|海山《うみやま》の|養育《やういく》の|恩《おん》に|酬《むく》ゆる|為《ため》、|命《いのち》に|代《か》へてでも|貴方《あなた》を|助《たす》ける|様《やう》に|王様《わうさま》へ|願《ねが》ひますから、どうぞ|之《これ》からは、|悪《わる》い|考《かんが》へを|出《だ》さないやうにして|下《くだ》さい。そしてヤスダラ|姫《ひめ》|様《さま》に、どうぞ|接近《せつきん》しないやうに|心得《こころえ》て|下《くだ》さい。|頼《たの》みますから………』
『|実《じつ》の|所《ところ》は、|何《なに》もかもブチあけて|言《い》ふが、ヤスダラ|姫《ひめ》は|最早《もはや》|俺《おれ》の|女房《にようばう》だ。いろいろと|悪魔《あくま》が|邪魔《じやま》をしやがつて、|恋《こひ》の|妨害《ばうがい》を|致《いた》しよる、お|前《まへ》がゴテゴテいふのも、|決《けつ》してお|前《まへ》の|本心《ほんしん》からではあるまい。|副守《ふくしゆ》の|奴《やつ》、お|前《まへ》の|口《くち》を|借《か》つて、|俺《おれ》の|金剛心《こんがうしん》を|鈍《にぶ》らさうとかかつて|居《ゐ》るだらう。モウ|斯《か》うなつては|俺《おれ》も|命《いのち》がけだ。|誰《たれ》が|何《なん》と|云《い》つても、|梃子《てこ》でも|棒《ぼう》でも|動《うご》くやうなチヨロい|決心《けつしん》ぢやないから、モウ|下《くだ》らぬ|意見《いけん》は|止《や》めてくれ。ハルマン、|貴様《きさま》も|俺《おれ》が|出世《しゆつせ》をすれば|一緒《いつしよ》について|昇《のぼ》るのだから、|邪魔《じやま》を|致《いた》しては|後日《ごじつ》の|為《ため》にならないぞ、よいか。|賢明《けんめい》な|主人《しゆじん》の|本心《ほんしん》がチツとは|分《わか》つたか』
『ハイ、|分《わか》つたでもなし、|分《わか》らぬでもありませぬ。|併《しか》しながら、|国家《こくか》の|為《ため》に|自重《じちよう》せなくてはならない|大切《たいせつ》な|御身《おみ》の|上《うへ》、|今後《こんご》は|私《わたし》がどこへお|出《い》でになるにも、お|供《とも》を|致《いた》しますから、どうぞお|一人《ひとり》で|館《やかた》を|出《で》ないやうに|願《ねが》ひます』
『エヽ|小《こ》ざかしし、ツベコベと|主人《しゆじん》の|行動《かうどう》に|就《つい》て|干渉《かんせう》するのか。|今日《こんにち》|限《かぎ》りグヅグヅぬかすと、|暇《いとま》を|遣《つか》はすから、トツトと|出《で》て|行《ゆ》け。サマリー|姫《ひめ》、|其方《そなた》も、|俺《おれ》のする|事《こと》に|喙《くちばし》を|入《い》れるのならば、|最早《もはや》|了簡《れうけん》は|致《いた》さぬぞ。|何《なん》だ|偉《えら》さうに、|夫《をつと》に|嫌《きら》はれて、のめのめと|親《おや》の|内《うち》へ|逃帰《にげかへ》り、|世話《せわ》になつてゐながら、|何時《いつ》までも|親《おや》に|対《たい》し、|主人《しゆじん》|気取《きど》りで|居《ゐ》るとは|何《なん》の|事《こと》だ。いゝ|加減《かげん》に|慢心《まんしん》しておくがよからうぞ。|最早《もはや》|俺《おれ》は|入那《いるな》の|国《くに》の|刹帝利《せつていり》だ。|国中《くにぢう》に|於《おい》て|俺《おれ》に|一口《ひとくち》でも|逆《さか》らふ|者《もの》があつたら、|忽《たちま》ち|追放《つゐはう》だから、さう|思《おも》へ。エーン』
|斯《か》かる|所《ところ》へ|慌《あわただ》しくやつて|来《き》たのは|例《れい》のユーフテスであつた。|三人《さんにん》はユーフテスの|落着《おちつ》かぬ|姿《すがた》を|見《み》て、|稍《やや》|怪《あや》しみながら、ハルマンは|膝《ひざ》を|立《た》て|直《なほ》し、
『ヤア|其方《そなた》はユーフテス|殿《どの》、いつもに|変《かは》る|今日《けふ》の|御様子《ごやうす》、|何《なに》か|城内《じやうない》に|変《かは》つたことが|起《おこ》つたのぢやありませぬか』
と|言葉《ことば》せはしく|問《と》ひかける。ユーフテスは|真青《まつさを》な|顔《かほ》をしながら、
『|城内《じやうない》には|大変《たいへん》な|事《こと》が|突発《とつぱつ》しましたぞ。グヅグヅしてゐると、|何時《いつ》|目玉《めだま》が|飛出《とびで》るか、|尾《を》が|下《さが》るか|知《し》れませぬ、|気《き》をつけなさいませ。|旦那様《だんなさま》も|御注意《ごちうい》をなさらぬと、|馬鹿《ばか》を|見《み》られちやお|気《き》の|毒《どく》だと|思《おも》つて|御注進《ごちゆうしん》に|参《まゐ》りました。|私《わたし》は|大変《たいへん》にやられて|来《き》ました。|前車《ぜんしや》の|覆《くつが》へるは|後車《こうしや》の|戒《いまし》め、|私《わたし》のやうな|失敗《しつぱい》を|旦那様《だんなさま》にさしちや|申訳《まをしわけ》がないと|思《おも》ひ、|忠義《ちうぎ》の|心《こころ》|抑《おさ》へ|難《がた》く|取《と》る|物《もの》も|取敢《とりあへ》ず、|痛《いた》い|足《あし》を|引摺《ひきず》つて|参《まゐ》つたので|厶《ござ》います』
『テンと|貴方《あなた》のお|言葉《ことば》は|要領《えうりやう》を|得《え》ぬぢやありませぬか。その|頬《ほほ》べたは|如何《どう》なさいました。|紫色《むらさきいろ》に|腫《は》れ|上《あが》つてるぢやありませぬか』
『|天下無双《てんかむさう》の|美人《びじん》が|両《りやう》ホウから|私《わたし》の|両《りやう》ホホを、|可愛《かあい》さ|余《あま》つて|憎《にく》らしいと|云《い》つて、|抓《つめ》りよつたのです。ズイ|分《ぶん》|痛《いた》い|同情《どうじやう》に|預《あづ》かつて|来《き》ました。モシ|旦那様《だんなさま》、|何卒《どうぞ》ここ|四五日《しごにち》は|登城《とじやう》なさらぬやうに|心得《こころえ》て|下《くだ》さい。|又《また》|頬《ほほ》ベタを|抓《つめ》られちや|堪《たま》りませぬからなア』
『|美人《びじん》に|頬《ほほ》を|抓《つめ》られたのを、お|自慢《じまん》で|俺《おれ》に|見《み》せに|来《き》たのだろ。|随分《ずゐぶん》|気分《きぶん》がよかつたらうのう』
『ハイ、|宜《よ》かつたり、|悪《わる》かつたり、|嬉《うれ》しかつたり、|怖《こは》かつたり、つまり|喜怒哀楽《きどあいらく》|愛憎慾《あいぞうよく》の|七情《しちじやう》が|遺憾《ゐかん》なく|発露《はつろ》|致《いた》しました。|立派《りつぱ》なセーリス|姫《ひめ》だと|思《おも》へば、|其奴《そいつ》が|大《おほ》きな|白狐《びやくこ》になつてノソノソと|歩《ある》き|出《だ》す。|一人《ひとり》は|本当《ほんたう》のセーリス|姫《ひめ》だと|思《おも》へば、|其奴《そいつ》が|又《また》|目《め》がつり|上《あが》り|口《くち》が|尖《とが》り、|忽《たちま》ち|狐《きつね》の|御面相《ごめんそう》になつて|了《しま》ふ。イヤもう|入那《いるな》の|城内《じやうない》は、|此《この》|頃《ごろ》はサーパリ|妖怪変化窟《えうくわいへんげくつ》となつて|了《しま》ひました。|何《なん》とかして|本当《ほんたう》のセーリス|姫《ひめ》を|発見《はつけん》しなくてはなりませぬ。|旦那様《だんなさま》も|今《いま》お|出《い》でになつたら、キツと|私《わたし》の|二《に》の|舞《まひ》をやつて|馬鹿《ばか》を|見《み》せられるに|違《ちが》ひありませぬ。さうだから|四五日《しごにち》は|御見合《おみあは》せを|願《ねが》ひたいと|言《い》つてるのですよ』
『アハヽヽヽ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、|狐《きつね》でも|狸《たぬき》でも|何《なん》でも|構《かま》はぬ。そこを|看破《かんぱ》するのが|天眼通力《てんがんつうりき》だ。|貴様《きさま》は|恋《こひ》の|為《ため》に|眼《め》がくらんでゐるから、そんな|目《め》に|遇《あ》ふのだ。そこは|流石《さすが》のカールチンさまだ。|城内《じやうない》の|妖怪《えうくわい》を|残《のこ》らず|看破《かんぱ》して、|至治泰平《しちたいへい》の|天国《てんごく》を|築《きづ》き|上《あ》げるのが|此《この》|方《はう》の|役《やく》だから、|先《ま》づ|黙《だま》つて|俺《おれ》の|御手際《おてぎは》を|見《み》てゐるがよからう。ハルマン、|貴様《きさま》も|今《いま》が|思案《しあん》のし|時《どき》だ。ここで|改心《かいしん》|致《いた》し、|主人《しゆじん》の|自由《じいう》|行動《かうどう》を|妨《さまた》げないといふ|誓《ちか》ひを|立《た》てるなら、|従前《じゆうぜん》の|通《とほ》り、|家来《けらい》に|使《つか》つてやらう。オイ、|娘《むすめ》、|貴様《きさま》もその|通《とほ》りだ。|今日《こんにち》の|場合《ばあひ》、|神力無双《しんりきむさう》、|旭日昇天《きよくじつしようてん》の|御威勢《ごゐせい》|高《たか》き|俺《おれ》に|向《むか》つて、ツベコベ|横槍《よこやり》を|入《い》れると、|親子《おやこ》の|縁《えん》も|今日《けふ》|限《かぎ》りだ。どうだ、|分《わか》つたか、エーン』
ハルマンはヤツと|胸《むね》を|撫《な》で|下《おろ》し、|兎《と》も|角《かく》も|放《ほ》り|出《だ》されちや|大変《たいへん》と、ワザとに|嬉《うれ》しさうな|顔《かほ》をして、
『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》いました。|今後《こんご》は|決《けつ》して|何《なに》も|申《まを》しませぬ。|絶対《ぜつたい》|服従《ふくじゆう》を|誓《ちか》ひますから、どうぞ|末永《すえなが》く|可愛《かあい》がつて|使《つか》つて|下《くだ》さいませ』
『ウン、ヨシヨシ、それさへ|慎《つつし》まば、|俺《おれ》だつて|貴様《きさま》に|暇《ひま》をやりたいことはないのだ』
ハルマン『|時《とき》にユーフテスさま、|実際《じつさい》そんな|不思議《ふしぎ》が|城内《じやうない》に|突発《とつぱつ》してるのか、チツと|合点《がてん》が|行《ゆ》かぬぢやないか』
『ウン、|本当《ほんたう》に|不可思議千万《ふかしぎせんばん》だ』
サマリー『それなら、カールチン|殿《どの》、|暫《しばら》く|妾《わたし》は|沈黙《ちんもく》して、|時《とき》の|移《うつ》るを|待《ま》つであらう、さらば』
と|言《い》ひ|棄《す》て、|裾《すそ》をゾロリゾロリと|引摺《ひきず》りながら、|奥《おく》の|間《ま》|指《さ》して|進《すす》み|入《い》る。ハルマンも、ユーフテスも|続《つづ》いて、|自分《じぶん》の|家路《いへぢ》へ|指《さ》して|一先《ひとま》づ|立帰《たちかへ》る|事《こと》となつた。カールチンは、
『ヤレヤレ|邪魔物《じやまもの》が|払《はら》はれた』
と|打喜《うちよろこ》び、|化粧室《けしやうしつ》に|入《い》つて、いろいろと|顔《かほ》の|整理《せいり》を|終《をは》り、|美《うる》はしき|衣服《いふく》を|身《み》に|纒《まと》ひ、|裏門《うらもん》よりニコニコとして、|城内《じやうない》|指《さ》して|又《また》もや|進《すす》み|行《ゆ》くのであつた。
(大正一一・一一・一六 旧九・二八 松村真澄録)
第一三章 |揶揄《やゆ》〔一一三八〕
イルナ|城《じやう》の|奥《おく》の|一間《ひとま》には、|黄金姫《わうごんひめ》、|清照姫《きよてるひめ》、セーリス|姫《ひめ》が|鼎坐《かなへざ》となつて|何事《なにごと》か|笑《わら》ひ|興《きよう》じてゐる。
|黄金《わうごん》『セーリスさま、|貴女《あなた》も|随分《ずゐぶん》|思《おも》ひきつたお|転婆《てんば》ですね。ユーフテスを|到頭《たうとう》|胆玉《きもだま》の|宿替《やどがへ》をさして【ぼつ】|帰《かへ》したぢやありませぬか。|今《いま》そんな|事《こと》なさると、|肝腎《かんじん》の|目的《もくてき》が|画餅《ぐわべい》に|帰《き》しちや|困《こま》るぢやありませぬか』
『ハイ、さう|心配《しんぱい》をして|下《くだ》さいますな。|屹度《きつと》ユーフテスは|又々《またまた》やつて|来《き》ますよ。|大象《だいざう》も|女《をんな》の|髪《かみ》の|毛《け》|一条《ひとすぢ》にひかれると|云《い》ひますからな。|妾《わたし》の|婉曲《ゑんきよく》な|言霊《ことたま》が、|彼《かれ》の|脳裡《なうり》に|深《ふか》く|深《ふか》くつぎ|込《こ》んでありますから、|如何《どう》あつても、よう|忘《わす》れはしませぬわ。|一寸《ちよつと》|妾《わたし》の|横目《よこめ》を|使《つか》つただけでも、|大《だい》の|男《をとこ》がグナグナに|肝《きも》も|骨《ほね》もなくなつて、|茹《ゆ》でた|蛸《たこ》の|様《やう》になるのですもの、オホヽヽヽヽ』
『あなたは|惜《を》しいものだな。|三十万年《さんじふまんねん》|未来《みらい》の|二十世紀《にじつせいき》の|世《よ》に|生《うま》れさしたら、|定《さだ》めて|良《よ》い|芸妓《げいしや》になるでせう。|荒男《あらをとこ》を|毬《まり》の|如《ごと》くに|翻弄《ほんろう》すると|云《い》ふ|凄《すご》い|女《をんな》だから、|如何《いか》な|黄金姫《わうごんひめ》も|荒肝《あらぎも》をとられましたよ。オホヽヽヽ』
『ホヽヽヽヽ、あのまア|黄金姫《わうごんひめ》|様《さま》の|仰有《おつしや》います|事《こと》わいの。|妾《わたし》よりも、も|一《ひと》つ|先生《せんせい》がここに|居《を》られますわ』
と|清照姫《きよてるひめ》を|指《ゆび》さす。
『|清照姫《きよてるひめ》はまだ|試験中《しけんちう》だ。あなたは|最早《もはや》|優等《いうとう》|卒業生《そつげふせい》で|銀時計《ぎんどけい》の|口《くち》ですよ。|然《しか》しあなたのお|眼鏡《めがね》で|清照姫《きよてるひめ》がさうお|転婆《てんば》に|見《み》えますかな。|親《おや》|位《ぐらゐ》、|子《こ》にかけたら|馬鹿《ばか》なものはありませぬから、|娘《むすめ》の|事《こと》は|私《わたし》では|十分《じふぶん》に|分《わか》りませぬわ。|貴女《あなた》の|側面観《そくめんくわん》でさうお|認《みと》めになれば、|或《あるひ》はお|言葉《ことば》の|通《とほ》りかも|知《し》れませぬ。|何《なん》とまア|困《こま》つた|娘《むすめ》を|持《も》つたものですわい。|然《しか》し|貴女《あなた》は|狐《きつね》に|化《ば》けて|嚇《おど》かしたぢやありませぬか。|城内《じやうない》|一般《いつぱん》の|偉《えら》い|評判《ひやうばん》になつてゐますよ。|余《あま》り|腕《うで》を|揮《ふる》うて|茶目式《ちやめしき》を|発揮《はつき》なさるものですから、|今後《こんご》の|清照姫《きよてるひめ》の|活動《くわつどう》に|支障《ししやう》が|起《おこ》りはせぬかと、チツとばかり|心配《しんぱい》ですわ』
『|何《なに》、そこは|又《また》|私《わたし》が|砲兵隊《はうへいたい》を|繰《く》り|出《だ》して、|白兵戦《はくへいせん》を|掩護《えんご》|致《いた》しますから|大丈夫《だいぢやうぶ》ですよ。なア|清照姫《きよてるひめ》|様《さま》、あなたの|方寸《はうすん》にチヤンとあるでせう』
『オホヽヽヽ、|愈《いよいよ》|面白《おもしろ》くなつて|来《き》ましたね。|早《はや》くカールチンさまがやつて|来《き》て|呉《く》れれば|宜《い》いに。あの|恋人《こひびと》は|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》してゐやんすかいな。|此《この》|頃《ごろ》の|空《そら》の|様《やう》に|俄《にはか》に|模様《もやう》がグレンと|変《かは》り、|途中《とちう》に|於《おい》て|私《わたくし》|以上《いじやう》のナイスに|出会《でつくは》し、|例《れい》の|垂涎《すゐえん》|三尺《さんじやく》、|細目《ほそめ》の|幕《まく》が|下《お》りてゐるのではあるまいかと|心配《しんぱい》でなりませぬわ。ほんにほんに|恋男《こひをとこ》を|持《も》つと|気《き》の|揉《も》めた|事《こと》だ。あたい、もしカールチンさまのお|心変《こころがは》りでもしてゐたら|如何《どう》しまほうか。なアお|母《か》アさま、チツと|娘《むすめ》の|心《こころ》も|推量《すゐりやう》して|下《くだ》さいませ。フヽヽヽヽ』
|黄金姫《わうごんひめ》は|怪訝《けげん》な|顔《かほ》をして|手鼻《てばな》をツンとかみ、|唇《くちびる》の|泡《あわ》を|拭《ぬぐ》ひながら|一寸《ちよつと》|目《め》を|丸《まる》くし、|皺《しわ》のよつた|口《くち》を|尖《とが》らし、|清照姫《きよてるひめ》の|顔《かほ》をマジマジと|覗《のぞ》き|込《こ》んで、
『これこれ|清《きよ》さま、お|前《まへ》チツと|様子《やうす》が|変《かは》つて|来《き》たぢやないか。|本当《ほんたう》に|惚《ほ》れて|貰《もら》つちや|此《この》|芝居《しばゐ》が|打《う》てぬぢやないか』
『ホヽヽヽヽ、|油断《ゆだん》のならぬは|娘《むすめ》ですよ。|妾《わたし》だつて|初《はじ》めの|内《うち》は|好《す》かんたらしい、あのカールチン|奴《め》、うまく|三寸《さんずん》の|舌《した》でチヨロまかし、サアとなつたら|背負投《せおひなげ》を|喰《く》はし、エツパツパを|喰《く》はしてアフンとさしてやらう、|其《その》|顔《かほ》を|見《み》るが|面白《おもしろ》いと|不人情《ふにんじやう》の|事《こと》を|考《かんが》へてゐましたが、|深夜《しんや》|密《ひそか》に|考《かんが》へて|見《み》れば|私《わたし》だつて|女《をんな》だもの、|異性《いせい》が|嫌《きら》ひと|云《い》ふ|道理《だうり》もないぢやありませぬか。カールチンさまが|何程《なにほど》ヒヨツトコでも、|友彦《ともひこ》の|事《こと》を|思《おも》へば、|幾層倍《いくそうばい》|男振《をとこぶり》が|宜《い》いか|知《し》れませぬわ。お|母《かあ》さま、あなたの|目《め》から|見《み》てもさうでせう。もう|今《いま》となつては|芝居《しばゐ》どころか、|真剣《しんけん》にカールチンさまを|思《おも》ふ|様《やう》になりました。|何処迄《どこまで》もヤスダラ|姫《ひめ》で|引張《ひつぱ》るつもりですから、|何卒《どうぞ》|親《おや》の|慈悲《じひ》で|私《わたし》の|恋《こひ》を|叶《かな》へさして|下《くだ》さい、お|願《ねが》ひ|申《まを》します』
『これは|怪《け》しからぬ。|女《をんな》と|云《い》ふものは|油断《ゆだん》のならぬものだ。あゝあ|如何《どう》したら|宜《よ》からうかな。セーリス|姫《ひめ》|様《さま》、お|前《まへ》さまは|本当《ほんたう》に|偉《えら》い、|男《をとこ》に|耽溺《たんでき》せないだけ|見上《みあ》げたものだ。|此《この》|清照姫《きよてるひめ》は|小《ちひ》さい|時《とき》から|癖《くせ》が|悪《わる》うて、|男《をとこ》の|側《そば》へ|寄《よ》せると|直《すぐ》|此《この》|通《とほ》り【デレ】て|了《しま》ふのだから|困《こま》つたものだ。|何卒《どうぞ》お|前《まへ》さまからトツクリと|清《きよ》さまに|云《い》うて|聞《き》かして|下《くだ》さいな。|今《いま》となつて、こんな|事《こと》を|云《い》はれちや|気《き》が|気《き》ぢやありませぬ』
『ホヽヽヽヽ、|清照姫《きよてるひめ》|様《さま》はヤツパリ|新《あたら》しいですな。それが|本当《ほんたう》でせう。|妾《わたし》の|様《やう》な|骨董品《こつとうひん》は|最早《もはや》|時代《じだい》|遅《おく》れですよ。いやもう|感心《かんしん》|致《いた》しました』
『お|母《かあ》さま、よく|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさいませ。|猫《ねこ》に|鼠《ねづみ》、|男《をとこ》に|女《をんな》と|云《い》ふぢやありませぬか。|猫《ねこ》の|前《まへ》に|鰹節《かつをぶし》を|出《だ》しておけば、いつかは|喰《くら》ひつくものですよ。|一旦《いつたん》|香《かん》ばしい|味《あぢ》を|覚《おぼ》えたが|最後《さいご》、|誰《たれ》が|何《なん》と|云《い》つたつて|放《はな》すものぢやありませぬからな。ホヽヽヽヽ、|誰《たれ》が|何《なん》と|云《い》つてもカールチンさま|程《ほど》|気《き》の|利《き》いた|方《かた》が|外《ほか》にあるものですか。|早《はや》く|来《き》てくれぬかいなア。|仮令《たとへ》お|母様《かあさま》が|何《なん》と|云《い》つても|妾《わたし》の|夫《をつと》は|妾《わたし》がきめるが|正当《せいたう》だ。お|母《かあ》さまの|夫《をつと》ぢやあるまいし、|私《わたし》の|夫《をつと》を|人《ひと》にきめて|貰《もら》ふ|様《やう》な、そんな|不見識《ふけんしき》な|事《こと》が|如何《どう》して|出来《でき》ますものか。ねえ、セーリス|姫《ひめ》さま、さうぢやありませぬか』
『オホヽヽヽヽ|又《また》しても|清《きよ》さま、お|前《まへ》は|私《わし》に|揶揄《からか》つて|居《ゐ》るのだな。|親《おや》の|前《まへ》でそんな|事《こと》を|云《い》ふ|娘《こ》が|何処《どこ》にありますか。|世間《せけん》|慣《な》れて、|如何《どう》にも|斯《か》うにも|始末《しまつ》のつかぬド|転婆《てんば》になつたものぢやな』
『|如何《どう》です|私《わたし》の|腕前《うでまへ》は、お|母《かあ》さまでさへも|本当《ほんたう》になさるでせう。これ|位《くらゐ》うまくやつてのけねば、|如何《どう》しても|麦飯《むぎめし》で|鯉《こひ》は|釣《つ》れませぬからな。|誰《たれ》がすかんたらしいカールチン|如《ごと》き|悪人《あくにん》に|恋慕《れんぼ》する|奴《やつ》がありますか。オホヽヽヽ』
『それでチヨツと|此《この》|婆《ばば》も|安心《あんしん》しました。|何卒《どうぞ》うまくやつて|下《くだ》さいや』
『|然《しか》しお|母《かあ》さま、|前《まへ》|以《もつ》て|断《ことわ》つておきますが、|人《ひと》の|心《こころ》は|生物《いきもの》ですから|何時《なんどき》|心機一転《しんきいつてん》して|嘘《うそ》が|誠《まこと》になるかも|知《し》れませぬから、|其《その》|時《とき》こそは|因縁《いんねん》ぢやと|思《おも》つて|諦《あきら》めて|下《くだ》さるでせうな。|三浦之助義村《みうらのすけよしむら》が|時姫《ときひめ》に|向《むか》つて|云《い》ひますだらう。「|親《おや》につくか|夫《をつと》につくか、おちつく|道《みち》はたんだ|一《ひと》つ、|返答《へんたふ》|如何《いか》に、|思案《しあん》|如何《いか》にとせりかけられ、どちらが|重《おも》い|軽《かる》いとは、|恩《おん》と|恋《こひ》との|義理《ぎり》づめに|言葉《ことば》は|涙《なみだ》|諸共《もろとも》に………|思《おも》ひ|切《き》つて|打《う》ち|明《あ》けませう。|父《とと》さま、|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ」と|云《い》ふでせう。さうだからマサカになつたら、|棺桶《くわんをけ》へ|片足《かたあし》つつ|込《こ》んだ|末《すゑ》の|短《みじか》い|頼《たよ》りないお|母《かあ》さまよりも|本当《ほんたう》の|力《ちから》になつてくれる|末長《すゑなが》い|夫《をつと》につく|方《はう》が|本当《ほんたう》の|利益《りえき》ですわ』
『えー|仕方《しかた》のない|女《をんな》だな。|如何《どう》なつと|為《な》さいませ。お|前《まへ》さまの|恋愛《れんあい》までも|干渉《かんせう》する|余裕《よゆう》がありませぬわい』
『オホヽヽヽヽ|何《なん》と|面白《おもしろ》い|活劇《くわつげき》を|拝見《はいけん》|致《いた》しました。フランスのオリオン|劇場《げきぢやう》へでも|持《も》つて|行《い》つて|上演《じやうえん》したら、|随分《ずゐぶん》|人気《にんき》を|呼《よ》ぶ|事《こと》でせうよ』
『|何《なん》と|云《い》つても|三五教《あななひけう》きつての|千両《せんりやう》|役者《やくしや》ですから、うまいものですわい。|僅《わづ》かに|十五《じふご》やそこらで|肩揚《かたあげ》のとれない|中《うち》から|男《をとこ》と|駆落《かけおち》をしたり、|肱鉄砲《ひぢでつぱう》を|喰《くら》はしたり、|両親《りやうしん》を|置去《おきざ》りにして|竜宮島《りゆうぐうじま》まで|飛出《とびだ》し、|平気《へいき》で|黄竜姫《わうりようひめ》と|名乗《なの》り、|女王《ぢよわう》さまになつて|澄《す》まし|込《こ》んで|居《ゐ》ると|云《い》ふ|竦腕家《らつわんか》だから、|到底《たうてい》|親《おや》の|私《わたし》でもお|側《そば》へは|寄《よ》れませぬわい。オホヽヽヽ』
|斯《か》く|割《わ》りなき|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》る|折《をり》しも、|受付《うけつけ》のミルは|慌《あわただ》しく|入《い》り|来《きた》り、|三人《さんにん》の|前《まへ》に|両手《りやうて》をついて、
『|只今《ただいま》|右守《うもり》さまがお|入来《いで》になりました』
セーリス『それは|御苦労《ごくらう》、|直《すぐ》こちらへお|通《とほ》り|遊《あそ》ばす|様《やう》に|云《い》つておくれ』
ミルは、
『ハイ』
と|答《こた》へて|表《おもて》へ|駆出《かけだ》す。|黄金姫《わうごんひめ》はニタツと|笑《わら》ひを|残《のこ》し、|王《わう》の|籠《こも》り|室《しつ》へ|手早《てばや》く|姿《すがた》を|隠《かく》して|了《しま》つた。
(大正一一・一一・一六 旧九・二八 北村隆光録)
第一四章 |吃驚《びつくり》〔一一三九〕
|右守司《うもりのかみ》のカールチンは|意気《いき》|揚々《やうやう》として|清照姫《きよてるひめ》、セーリス|姫《ひめ》の|話《はな》してゐる|奥《おく》の|間《ま》へ|入《い》り|来《きた》り、
『あゝヤスダラ|姫《ひめ》|殿《どの》、セーリス|姫《ひめ》|殿《どの》、えらい|御無沙汰《ごぶさた》を|致《いた》しました。|昨日《きのふ》はお|目《め》にかかる|積《つも》りで|居《を》りましたが、|少《すこ》しく|差支《さしつかへ》が|出来《でき》まして|到頭《とうとう》|失礼《しつれい》を|致《いた》しました』
『それはお|忙《いそが》しいことで|厶《ござ》りましたな。|道中《だうちう》で|頭《あたま》の|鉢合《はちあは》せをしたり、|親切《しんせつ》にお|墓《はか》|参《まゐ》りをなされたり、|狸《たぬき》に|騙《だま》されたり、|河《かは》へ|飛《と》び|込《こ》んだり、|大変《たいへん》な|御活動《ごくわつどう》で|厶《ござ》りましたさうですな。|流石《さすが》は|右守《うもり》さまだと|云《い》つて、|姉《ねえ》さまも|感心《かんしん》して|居《ゐ》やはりました。さう|立《た》ちはだかつて|居《を》らずに、マアここにお|坐《すわ》りなさいませ。|昨日《きのふ》の|一伍一什《いちぶしじふ》を|一《ひと》つ|聞《き》かして|頂《いただ》きたいもので|厶《ござ》ります』
カールチンは|頭《あたま》を|掻《か》きながら、
『ヘー、|別《べつ》に|活動《くわつどう》したと……|云《い》ふ|訳《わけ》でもありませぬ。|時《とき》の|勢《いきほひ》やむを|得《え》ず、|惟神的《かむながらてき》にさされたのですよ。|誰《たれ》が|又《また》そんな|事《こと》を|御報告《ごはうこく》に|参《まゐ》りましたかな』
『|私《わたし》の|天眼通《てんがんつう》で|一寸《ちよつと》|此処《ここ》から|透視《とうし》して|居《を》りましたよ。まづまづお|怪我《けが》がなくて|結構《けつこう》でしたな。|時《とき》にユーフテスさまは|如何《どう》してゐられますかな。|昨日《きのふ》から|待《ま》つてゐますが、お|顔《かほ》を|見《み》せなさらぬので|大変《たいへん》に|気《き》を|揉《も》んで|居《を》ります』
『エ、|何《なん》と|仰有《おつしや》います。ユーフテスは|昨日《きのふ》|来《き》たぢやありませぬか。|大変《たいへん》に|頬辺《ほほべた》を|抓《つめ》られて|顔《かほ》を|腫《は》らして|居《ゐ》ましたよ。|大変《たいへん》|苛《いぢ》めなさつたと|云《い》ふ|事《こと》ですが、さう|悪戯《いたづら》をするものぢやありませぬぞ。|女《をんな》はヤツパリ|女《をんな》らしう|為《な》さる|方《はう》が|床《ゆか》しいですな』
『この|間《あひだ》からユーフテス|様《さま》のお|顔《かほ》を|拝《をが》んだ|事《こと》はありませぬ。そりや|何《なに》かのお|考《かんが》へ|違《ちが》ひでせう。|大方《おほかた》|私《わたし》だと|思《おも》つて|仇志野《あだしの》の|古狐《ふるぎつね》にでも|弄《もてあそ》ばれて|居《ゐ》らつしやつたのでせう。|何《なん》とまア|困《こま》つた|人《ひと》だなア』
『|何分《なにぶん》|此《この》|頃《ごろ》は|悪魔《あくま》|横行《わうかう》しまして、|彼方《あつち》にも|此方《こつち》にも|古狸《ふるだぬき》や|狐《きつね》が|出現《しゆつげん》し、|男《をとこ》を|悩《なや》ますと|見《み》えますわい。ワハヽヽヽ』
『もしもし|姉《ねえ》さま、|何《なに》|恥《はづ》かしさうに|俯向《うつむ》いて|居《を》られますの。あれほど|八釜《やかま》しく|焦《こが》れて|居《ゐ》ながら|気《き》の|弱《よわ》い、|何《なん》です、|早《はや》く|御挨拶《ごあいさつ》をなさいませぬか』
|清照姫《きよてるひめ》、|細《ほそ》い|声《こゑ》で|恥《はづ》かしさうに、
『ハイ』
と|云《い》つたきり|益々《ますます》|俯向《うつむ》く。
『アハヽヽヽ、|余程《よほど》|恥《はづ》かしくなつて|来《き》たと|見《み》えるな。|流石《さすが》はお|嬢《ぢやう》さまだ。いやさうなくては|女《をんな》の|価値《ねうち》がない。|今時《いまどき》の|女《をんな》は|男《をとこ》を|三文《さんもん》とも|思《おも》つてゐないから|困《こま》るのだ。いやズンと|気《き》に|入《い》つた。|海棠《かいだう》の|花《はな》でも|雨《あめ》に|湿《しめ》つてチツとばかり|俯向《うつむ》いて|居《ゐ》る|所《ところ》に、|得《え》もいはれぬ|風情《ふぜい》のあるものだ。エヘヽヽヽ』
『もし|右守《うもり》さま、|口《くち》から|何《なん》だか|長《なが》い|紐《ひも》が|下《さ》がつて|居《ゐ》るぢやありませぬか。|早《はや》うお|手繰《たぐ》り|遊《あそ》ばせ。|姉《ねえ》さまが|御覧《ごらん》になつたら、あまり|見《み》つともよくありませぬよ。ホヽヽヽヽ、あのまア|細《ほそ》い|目《め》わいのう。|本当《ほんたう》に|右守《うもり》さまも、|姉《ねえ》さまにスウヰートハートして|居《を》られると|見《み》えますな。お|目出度《めでた》いお|目出度《めでた》い。これ|姉《ねえ》さま、お|顔《かほ》を|上《あ》げなさらぬか。|何《なん》ですか|十二《じふに》か|十三《じふさん》の|娘《むすめ》の|様《やう》に、そんな|気《き》の|弱《よわ》い|事《こと》で|如何《どう》して|恋《こひ》が|成功《せいこう》しますか。|私《わたし》、|側《そば》に|見《み》てゐても|本当《ほんたう》にジレツたいわ』
『どうやら|恥《はづ》かしいと|見《み》えるわい。いやセーリス|姫《ひめ》さま、|姉妹《きやうだい》の|貴女《あなた》がここに|居《ゐ》らつしやると、|姫《ひめ》も|気《き》がひけて|思《おも》ふ|事《こと》も|云《い》へないと|見《み》えます。|何卒《どうぞ》|少《すこ》し|席《せき》を|外《はづ》して|貰《もら》ふ|事《こと》は|出来《でき》ますまいかな』
『ホヽヽヽヽ、それはお|易《やす》い|御用《ごよう》で|厶《ござ》います。それなら|邪魔者《じやまもの》は|暫《しばら》く|姿《すがた》を|隠《かく》しますから、|何卒《どうぞ》シツポリと|御両人様《ごりやうにんさま》お|楽《たの》しみ』
と|態《わざ》とにプリンとして|見《み》せ、|畳《たたみ》を|二《ふた》つ|三《み》つボンボンと|蹶《け》つて|早々《さうさう》に|自分《じぶん》の|居間《ゐま》へ|走《はし》つて|行《ゆ》く。
『オホヽヽヽ、|何《なん》と|面白《おもしろ》いものだなア。|然《しか》し、あこに|云《い》ふに|云《い》はれぬ|妙味《めうみ》があるのだ。チツとセーリス|姫《ひめ》は|俺達《おれたち》のローマンスを|妬《や》いてゐると|見《み》えるわい。いやヤスダラ|姫《ひめ》|殿《どの》、セーちやまは|帰《かへ》りました。サアもう|誰《たれ》に|遠慮《ゑんりよ》は|入《い》りませぬ。お|顔《かほ》をあげなさい。さうしてトツクリと|将来《しやうらい》の|御相談《ごさうだん》を|遂《と》げておかうぢやありませぬか』
『オホヽヽヽ、|好《す》かぬたらしい|男《をとこ》だこと、|貴方《あなた》は|立派《りつぱ》なイルナ|城《じやう》の|右守様《うもりさま》、さうして、テーナ|姫《ひめ》|様《さま》と|云《い》ふ|立派《りつぱ》な|立派《りつぱ》な|牡丹餅《ぼたもち》のやうなお|顔《かほ》の|奥《おく》さまがあるぢやありませぬか。|私《わたし》の|様《やう》な|出戻《でもど》りの|女《をんな》を|捉《とら》へて、そんな|事《こと》|仰有《おつしや》いますと、|貴方《あなた》の|名誉《めいよ》に|関《かか》はるぢやありませぬか。|宜《い》い|加減《かげん》におやめなさいませ』
『これはしたり、|案《あん》に|相違《さうゐ》の|姫《ひめ》の|御言葉《おことば》、そんな|筈《はず》ではなかつたに。|何《なん》とした|変《かは》りやうだらう』
『|妾《わたし》は|些《ちつと》も|変《かは》つては|居《ゐ》ないのよ。|変《かは》つたのは|貴方《あなた》のお|心《こころ》ですわ』
『イヤ|吾々《われわれ》は|些《ちつと》も|変《かは》つてゐない。|姫《ひめ》の|心《こころ》がスツカリ|変《かは》つてるぢやないか』
『さうですかな。|貴方《あなた》が|好《す》きで|好《す》きで|仕方《しかた》がなかつたのだが、|今日《けふ》は|又《また》|何《なん》だか|知《し》らぬが、ぞぞ|毛《け》が|立《た》つ|程《ほど》|嫌《いや》になりました。|好《す》きな|貴方《あなた》が|嫌《きら》ひな|貴方《あなた》と|変《かは》つてゐるのですから、ヤツパリ|本人《ほんにん》は|貴方《あなた》でせう。|本人《ほんにん》が|変《かは》ればこそ、|相手方《あひてがた》の|妾《わたし》の|目《め》から|変《かは》つて|見《み》えるのですわ』
『そんなこたア|如何《どう》でも|宜《い》い。サア|愈《いよいよ》|今日《けふ》は|情約《じやうやく》|締結《ていけつ》を|致《いた》しませう。|私《わたし》が|当城《たうじやう》の|主人《しゆじん》|刹帝利《せつていり》と|今《いま》になりますから、|貴女《あなた》は|私《わたし》の|正妃《せいひ》、よもやお|不足《ふそく》はありますまい』
『|妾《わたし》は|貴方《あなた》の|様《やう》な|水臭《みづくさ》いお|方《かた》は|末《すゑ》の|見込《みこみ》が|厶《ござ》りませぬから、|嫌《きら》ひで|厶《ござ》ります。|昔《むかし》からいろいろと|艱難辛苦《かんなんしんく》をして、ヤツと|此処《ここ》まで|夫婦《ふうふ》が|位置《ゐち》を|築《きづ》き|上《あ》げ、|今《いま》や|進《すす》んで|刹帝利《せつていり》におなりなさると|云《い》ふ|所《ところ》で|慢心《まんしん》を|遊《あそ》ばし、|不人情《ふにんじやう》にも|女房《にようばう》を|殺《ころ》しにやつた|後《あと》で、|妾《わたし》の|様《やう》な|何《なん》にも|経験《けいけん》のない、つまらぬ|女《をんな》を|女房《にようばう》にしようと|思《おも》ふ|様《やう》なお|方《かた》は、|私《わたし》|絶対《ぜつたい》に|嫌《きら》ひで|厶《ござ》ります。|又《また》|外《ほか》に|綺麗《きれい》な|方《かた》が|見付《みつ》かつたら、|私《わたし》は|第二《だいに》のテーナ|姫《ひめ》|様《さま》にしられて|了《しま》ひ、|生命《いのち》をとられるやらも|図《はか》られませぬから、まアそんな|剣呑《けんのん》な|方《かた》にお|相手《あひて》になるのは|止《や》めておきませうかい』
『|今更《いまさら》そんな|事《こと》を|云《い》つて|貰《もら》つちや|困《こま》るぢやありませぬか。|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》から|吾々《われわれ》の|目的《もくてき》を|達成《たつせい》する|為《た》めに、|五百騎《ごひやくき》の|軍勢《ぐんぜい》を|応援《おうゑん》の|為《た》め|御派遣《ごはけん》|下《くだ》さるのをば、|貴女《あなた》の|希望《きばう》によりお|断《ことわ》り|申上《まをしあ》げ、|其《その》|上《うへ》また|味方《みかた》を|残《のこ》らず|呼《よ》び|集《あつ》め、ハルナの|国《くに》へ|遠征《ゑんせい》の|旅《たび》に|出《だ》して|了《しま》ひ、|最早《もはや》|守《まも》り|少《すく》なくなつた|此《この》|際《さい》、お|前《まへ》さまに|尻《いど》を|振《ふ》り|向《む》けられて、|如何《どう》して|此《この》|右守司《うもりのかみ》が|立《た》ち|行《ゆ》きますか。チツとは|推量《すゐりやう》して|貰《もら》ひませうかい。エーン』
『ホヽヽヽヽ、お|前《まへ》さまはそんな|頓馬《とんま》だから|妾《わたし》が|嫌《きら》ふのだよ。|女《をんな》にかけたら|目《め》も|鼻《はな》もないのだから、|本当《ほんたう》に|困《こま》つた|唐変木《たうへんぼく》だな。ウフヽヽヽ』
『これ、ヤスダラ|姫《ひめ》さま、|腹《はら》の|黒《くろ》い。いゝ|加減《かげん》に【いちや】つかして|於《おい》て|下《くだ》され。|男冥加《をとこみやうが》につきますぞや』
|隣《となり》の|室《しつ》にはオホンオホンと、|男《をとこ》の|咳払《せきばら》ひが|聞《きこ》えて|来《き》た。これは|黄金姫《わうごんひめ》が|二人《ふたり》の|掛合《かけあひ》を|面白《おもしろ》|可笑《をか》しく|立聞《たちぎ》きし、わざとセーラン|王《わう》の|声色《こわいろ》で|咳払《せきばら》ひをして|見《み》せたのであつた。|清照姫《きよてるひめ》は|小声《こごゑ》になり、
『あの|通《とほ》り、|襖《ふすま》|一枚《いちまい》|次《つぎ》の|間《ま》に|王様《わうさま》が|控《ひか》へて|厶《ござ》るのですから、|貴方《あなた》の|様《やう》にさうヅケヅケと|何《なに》もかも|云《い》つて|貰《もら》つちや|困《こま》るぢやありませぬか。チと|気《き》を|付《つ》けて|下《くだ》さいな』
カールチンは|二《ふた》つ|三《み》つ|首《くび》を|縦《たて》に|振《ふ》りながら|小声《こごゑ》になり、
『ウン、よしよし、あ! それで|分《わか》つた。|何《なん》だか|妙《めう》な|事《こと》を|云《い》ふと|思《おも》つたが、|王《わう》が|隣室《りんしつ》に|居《を》られるので、あんな|事《こと》を|云《い》つたのだなア。よし|分《わか》つた。もう|俺《おれ》も|諒解《りやうかい》したから|心配《しんぱい》して|呉《く》れな』
『ホヽヽヽ|何《なに》が|諒解《りやうかい》ですか。|妾《わたし》の|様《やう》な|女《をんな》を|相手《あひて》にせずに、もつと|立派《りつぱ》なお|方《かた》にお|掛合《かけあひ》|遊《あそ》ばせ』
|斯《か》く|云《い》ふ|折《をり》しも、ミルは|慌《あわただ》しく|走《はし》り|来《きた》り、
『もし|右守《うもり》さま、ヤスダラ|姫様《ひめさま》、|今《いま》|王様《わうさま》とヤスダラ|姫《ひめ》と|云《い》ふ|貴女《あなた》にソツクリのお|方《かた》が|帰《かへ》られました』
カールチンは、
『|何《なに》、ヤスダラ|姫《ひめ》が|帰《かへ》つた。|王様《わうさま》がお|帰《かへ》り、ハテ、|如何《どう》したものかな』
と|腕《うで》を|組《く》み|胡坐《あぐら》をかいて、|暫《しば》し|思案《しあん》に|沈《しづ》みつつあつた。
(大正一一・一一・一六 旧九・二八 北村隆光録)
第四篇 |怨月恨霜《ゑんげつこんさう》
第一五章 |帰城《きじやう》〔一一四〇〕
|天《あめ》の|目一《まひと》つ|神司《かむつかさ》  |竹野《たけの》の|姫《ひめ》の|鎮《しづ》まれる
|高照山《たかてるやま》の|岩窟《がんくつ》を  |後《あと》に|見捨《みす》ててスタスタと
|狼《おほかみ》|猛《たけ》ぶ|山道《やまみち》を  |黄金姫《わうごんひめ》を|初《はじ》めとし
|四方《よも》の|景色《けしき》も|清照姫《きよてるひめ》の  |神《かみ》の|命《みこと》や|竜雲《りううん》や
テームス、レーブ、カル、リーダー  |数多《あまた》の|供人《ともびと》|従《したが》へて
セーラン|王《わう》やヤスダラの  |姫《ひめ》の|命《みこと》は|悠々《いういう》と
|駒《こま》に|跨《またが》り|荒野原《あらのはら》  |吹《ふ》く|凩《こがらし》にさらされつ
|照山峠《てるやまたうげ》も|乗《の》り|越《こ》えて  |轡《くつわ》を|並《なら》べ|帰《かへ》り|来《く》る
|其《その》|御姿《みすがた》の|雄々《をを》しさよ  イルナの|都《みやこ》の|入口《いりぐち》に
|帰《かへ》り|来《きた》れる|折《をり》もあれ  |左守《さもり》の|司《かみ》のクーリンス
|家《いへ》の|子《こ》|郎党《らうたう》|引《ひ》き|連《つ》れて  いと|慇懃《いんぎん》に|出迎《いでむか》へ
セーラン|王《わう》の|帰館《きくわん》をば  |悦《よろこ》び|勇《いさ》み|前後《まへうしろ》
|兵士《つはもの》|共《ども》に|守《まも》らせて  |旗鼓堂々《きこだうだう》と|城内《じやうない》に
|漸《やうや》く|帰《かへ》り|来《きた》りけり  |奥《おく》の|一間《ひとま》に|黄金《わうごん》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》は|立《た》て|籠《こも》り  セーラン|王《わう》の|声色《こわいろ》を
|使《つか》つて|右守《うもり》の|神司《かむつかさ》  |縦横無尽《じうわうむじん》に|操《あやつ》りつ
|清照姫《きよてるひめ》はヤスダラの  |姫《ひめ》の|命《みこと》と|仮名《かめい》して
|言霊剣《ことたまつるぎ》ふりかざし  |恋《こひ》に|狂《くる》ひし|右守《うもり》をば
いとサンザンに|悩《なや》ませる  |時《とき》しもあれや|受付《うけつけ》に
|慎《つつ》しみ|畏《かしこ》み|仕《つか》へたる  |腰《こし》の|曲《まが》りしミル|司《つかさ》
|右守《うもり》の|司《かみ》の|前《まへ》に|出《い》で  セーラン|王《わう》の|一行《いつかう》が
|数多《あまた》の|供人《ともびと》|諸共《もろとも》に  いよいよ|只《ただ》|今《いま》|御帰館《ごきくわん》と
|其《その》|報告《はうこく》に|肝《きも》|潰《つぶ》し  |四辺《あたり》キロキロ|見廻《みまは》しつ
|両手《りやうて》を|組《く》んでドツと|坐《ざ》し  |摩訶不思議《まかふしぎ》なる|出来事《できごと》に
|煩慮《はんりよ》するこそをかしけれ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましまして  |縺《もつ》れに|縺《もつ》れし|物語《ものがたり》
いとながながと|説《と》いてゆく  |此《この》|有様《ありさま》を|諾《うべ》ないて
いとスクスクと|口車《くちぐるま》  |辷《すべ》らせまたへ|麻柱《あななひ》の
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|瑞月《ずゐげつ》が  |謹《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎまつる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ。
セーラン|王《わう》|一行《いつかう》は、|奥《おく》の|間《ま》に|進《すす》み|入《い》り、|見《み》れば|清照姫《きよてるひめ》、カールチンの|二人《ふたり》が|黙然《もくねん》として|俯向《うつむ》いて|居《ゐ》る。セーラン|王《わう》は、|直《ただち》に|三十一文字《みそひともじ》をもつて|怪《あや》しみ|問《と》ふ。
『|思《おも》ひきや|右守司《うもりのつかさ》のカールチン
|千代《ちよ》に|栄《さか》ゆるわが|居間《ゐま》にありと。
|何事《なにごと》の|起《おこ》りし|事《こと》か|知《し》らねども
|清《きよ》けき|居間《ゐま》を|犯《をか》す|痴者《しれもの》。
|逸早《いちはや》く|右守《うもり》の|司《つかさ》わが|居間《ゐま》を
|清《きよ》めて|去《さ》れよ|神《かみ》のまにまに。
|怪《あや》しかもイルナの|城《しろ》の|内外《うちそと》を
|包《つつ》む|魔神《まがみ》の|声《こゑ》さやぐなり』
ヤスダラ『なれこそは|妾《わらは》が|身《み》をば|虐《しひた》げし
|右守司《うもりつかさ》のカールチンかも。
カールチンよ|一日《ひとひ》も|早《はや》く|村肝《むらきも》の
|心《こころ》|清《きよ》めて|誠《まこと》にかへれ。
ヤスダラ|姫《ひめ》|神《かみ》の|命《みこと》は|一柱《ひとはしら》
|二人《ふたり》あるとは|思《おも》はざりけり』
|清照《きよてる》『ヤスダラ|姫《ひめ》|神《かみ》の|命《みこと》の|魂《たましひ》は
|清照姫《きよてるひめ》と|輝《かがや》きませば。
|今《いま》しばし|尊《たふと》き|御名《みな》を|借《か》りにけり
|醜《しこ》|助《たす》けむと|思《おも》ふばかりに』
ヤスダラ『|黄金《わうごん》の|姫《ひめ》の|命《みこと》は|今《いま》いづこ
その|御消息《みたより》の|聞《き》かまほしさよ』
|清照《きよてる》『|黄金《わうごん》の|姫《ひめ》の|命《みこと》は|奥《おく》の|間《ま》に
セーラン|王《わう》の|声音《こわね》つかひつ。
カールチン|醜《しこ》の|身魂《みたま》を|洗《あら》はむと
|母娘《おやこ》|二人《ふたり》は|心《こころ》|砕《くだ》きつ』
カールチン『|吾《われ》こそは|恋《こひ》の|擒《とりこ》となり|果《は》てて
|恥《はぢ》をかくとは|思《おも》はざりけり。
|兵士《つはもの》をハルナの|国《くに》に|遣《つか》はして
|翼《つばさ》とられしやもめ|鳥《どり》あはれ。
かくならば|最早《もはや》|右守《うもり》の|神司《かむづかさ》
|君《きみ》の|御前《みまへ》に|命《いのち》|捧《ささ》げむ。
いざさらば|命《いのち》を|召《め》せよセーラン|王《わう》
|欲《よく》と|恋《こひ》とに|迷《まよ》ひし|吾《われ》を』
セーラン『|何程《なにほど》の|罪《つみ》や|汚《けが》れのあるとても
|直日《なほひ》の|神《かみ》は|許《ゆる》しますらむ。
いろいろと|恋《こひ》の|魔神《まがみ》に|操《あやつ》られ
|汝《なれ》が|司《つかさ》の|目《め》や|醒《さ》めにけむ』
|黄金姫《わうごんひめ》は|奥《おく》の|間《ま》より、|隔《へだ》ての|襖《ふすま》を|押《お》しあけて|微笑《びせう》しながら|出《い》で|迎《むか》へ、セーラン|王《わう》、ヤスダラ|姫《ひめ》に|向《むか》ひ、|会釈《ゑしやく》しながら|三十一文字《みそひともじ》を|詠《よ》む。
『|有難《ありがた》し いと|畏《かしこ》しと|思《おも》ふかな
|尊《たふと》き|君《きみ》の|無事《ぶじ》の|帰城《きじやう》を。
|大君《おほぎみ》の|御後《みあと》を|守《まも》る|親《おや》と|子《こ》が
|摩訶不思議《まかふしぎ》なる|夢《ゆめ》を|見《み》しかな。
カールチン、ユーフテス|等《ら》がいろいろと
|恋路《こひぢ》に|迷《まよ》ふ|様《さま》のをかしさ。
|腸《はらわた》も|破《やぶ》るるばかりの|可笑《をか》しさを
こらへて|今日《けふ》が|日《ひ》をば|待《ま》ちける』
カールチン『|二世《にせ》までと|契《ちぎ》りし|妻《つま》を|振《ふ》り|捨《す》てて
|思《おも》はぬ|方《かた》に|心《こころ》|寄《よ》せつつ。
|思《おも》はざる|人《ひと》に|思《おも》はれ|恋《こ》はれしと
|思《おも》ひし|事《こと》を|悲《かな》しくぞ|思《おも》ふ。
|今《いま》ははや|心《こころ》の|闇《やみ》も|晴《は》れ|渡《わた》り
|真如《しんによ》の|月《つき》の|光《ひかり》|見《み》るかも』
|竜雲《りううん》『|吾《われ》とても|右守《うもり》の|司《つかさ》に|相似《あひに》たる
|醜業《しこわざ》|仕《つか》へし|事《こと》もありけり。
さりながら|御恵《みめぐみ》|深《ふか》き|大神《おほかみ》は
|咎《とが》め|給《たま》はず|吾《われ》を|生《い》かしつ。
カールチン|神《かみ》の|司《つかさ》よ|聞《きこ》し|召《め》せ
|悔《く》い|改《あらた》めは|人《ひと》の|宝《たから》ぞ』
カールチン『|畏《かしこ》しや|竜雲司《りううんつかさ》の|御言葉《みことば》は
|救《すく》ひの|神《かみ》の|声《こゑ》と|響《ひび》きぬ。
|今《いま》よりは|生《うま》れ|赤子《あかご》になり|変《かは》り
|神《かみ》と|王《きみ》とに|誠《まこと》|捧《ささ》げむ』
テームス『イルナ|城《じやう》|内外《うちと》を|包《つつ》みし|村雲《むらくも》も
|晴《は》れて|嬉《うれ》しき|今日《けふ》の|空《そら》かな』
リーダー『|遥々《はるばる》とテルマン|国《ごく》を|立《た》ち|出《い》でて
|今日《けふ》は|嬉《うれ》しき|夢《ゆめ》を|見《み》しかも』
レーブ『|吾《われ》とても|元《もと》よりめでたきものならず
|君《きみ》に|叛《そむ》きし|曲津神《まがつかみ》なる。
さりながら|尊《たふと》き|神《かみ》の|御光《みひかり》に
|照《て》らされ|今《いま》は|真人《まびと》となれるも』
カル『|大黒主《おほくろぬし》|神《かみ》の|軍《いくさ》に|従《したが》ひて
|道《みち》|踏《ふ》み|外《はづ》し|谷間《たにま》に|倒《たふ》れぬ。
|此《この》|世《よ》をば|照国別《てるくにわけ》の|現《あら》はれて
|救《すく》ひたまひし|事《こと》の|嬉《うれ》しさ』
|清照《きよてる》『|有難《ありがた》し|忝《かたじけ》なしと|大前《おほまへ》に
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|太祝詞《ふとのりと》|宣《の》れ。
セーランの|君《きみ》の|命《みこと》はイルナ|城《じやう》の
|誉《ほまれ》も|高《たか》き|元《もと》の|刹帝利《せつていり》。
いろいろと|曲《まが》を|企《たく》みし|右守《うもり》をば
|見直《みなほ》しまして|救《すく》はせ|給《たま》へ。
|清照姫《きよてるひめ》|神《かみ》の|命《みこと》の|悪戯《いたづら》を
|怒《いか》らせ|給《たま》ふな|右守《うもり》の|司《つかさ》よ』
セーリス|姫《ひめ》は|王《わう》の|帰城《きじやう》と|聞《き》きて|慌《あわただ》しくかけ|来《きた》り、
『|珍《めづ》らしやセーラン|王《わう》と|姉《あね》の|君《きみ》
|百《もも》の|司《つかさ》の|帰城《きじやう》を|祝《いは》はむ。
ヤスダラの|姉《あね》かへりますと|聞《き》きしより
|高照山《たかてるやま》の|空《そら》を|仰《あふ》ぎつ』
(大正一一・一一・一六 旧九・二八 加藤明子録)
第一六章 |失恋《しつれん》|会議《くわいぎ》〔一一四一〕
|右守《うもり》の|館《やかた》の|奥《おく》の|一間《ひとま》には、サマリー|姫《ひめ》とサモア|姫《ひめ》の|二人《ふたり》が、|此《この》|頃《ごろ》|右守司《うもりのかみ》の|行動《かうどう》の|何《なん》となく|遽《そはそは》として|落着《おちつ》きのないのに|心《こころ》を|痛《いた》めつつ、|密々《ひそびそ》と|前後策《ぜんごさく》を|攻究《こうきう》しつつあつた。
『サモア|殿《どの》、|其方《そなた》は|此《この》|頃《ごろ》の|父上《ちちうへ》の|御様子《ごやうす》に|就《つい》て、|何《なに》か|不思議《ふしぎ》に|思《おも》ふ|事《こと》はないか、|私《わたし》|何《な》ンだか|心配《しんぱい》になつて|仕方《しかた》がないのよ。|母上《ははうへ》がハルナ|国《こく》へ|御出陣《ごしゆつぢん》になつてからは、|家《いへ》を|外《そと》にして|出歩《である》き|通《どほ》し、|家事《かじ》|一切《いつさい》は|其方除《そつちの》けの|有様《ありさま》、それに|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬは|俄《にはか》に|髪《かみ》を|揃《そろ》へたり|髯《ひげ》をいぢつたり、|男《をとこ》の|癖《くせ》に|顔《かほ》に|白粉《おしろい》を|塗《ぬ》つたり|眉《まゆ》を|揃《そろ》へたり、|衣服《いふく》を|毎日《まいにち》|着替《きか》へたり、まるで|若《わか》い|男《をとこ》のする|様《やう》な|事《こと》ばかり|為《し》て|居《を》られるぢやありませぬか。|大方《おほかた》ヤスダラ|姫《ひめ》さまに|口先《くちさき》でチヨロマカされて、アンナ|狂気《きやうき》じみた|事《こと》を|為《な》さるのぢやなからうかと、|案《あん》じられて|仕様《しやう》がありませぬよ』
『|私《わたし》の|察《さつ》する|所《ところ》では、|旦那《だんな》|様《さま》はどうやらヤスダラ|姫《ひめ》|様《さま》に|恋慕《れんぼ》|遊《あそ》ばされ、|現《うつつ》をぬかして|居《ゐ》らつしやる|様《やう》に|思《おも》はれます。マンモスの|話《はなし》から|考《かんが》へて|見《み》ると、|旦那《だんな》には|大変《たいへん》な|悪魔《あくま》が|付《つ》けねらつて|居《ゐ》る|様《やう》ですわ。コリヤどうしても|姫《ひめ》さまから|一応《いちおう》|御諫言《ごかんげん》をして|戴《いただ》かねば、|到底《たうてい》|私《わたし》なぞが|御諫《おいさ》め|申上《まをしあ》げてもダメですわ』
『|困《こま》つた|事《こと》がで|来《き》ましたなア。|父《ちち》は|到底《たうてい》|私《わたし》どもの|言《い》ふ|事《こと》は|耳《みみ》に|入《い》れる|気遣《きづか》ひはないから、|旦那様《だんなさま》の|御信任《ごしんにん》|厚《あつ》きユーフテスから|申上《まをしあ》げる|様《やう》にしたらドンなものだらうかな』
『それは|全然《ぜんぜん》ダメでせうよ。ユーフテスが|旦那様《だんなさま》の|精神《せいしん》を|混乱《こんらん》させたのですもの』
『あのユーフテスが? そんな|事《こと》を|父上《ちちうへ》に|勧《すす》めたのかい。|何《な》ンとマア|悪《わる》い|男《をとこ》だなア。これからユーフテスを|呼《よ》び|出《だ》して|厳重《げんぢう》に|調《しら》べて|見《み》ませう。コレコレ、マンモス、|其処《そこ》に|居《ゐ》ないか、|一寸《ちよつと》|用事《ようじ》がある。|早《はや》く|来《き》て|下《くだ》さい』
と|呼《よ》ばはる|声《こゑ》に|襖《ふすま》を|押開《おしあ》けて|入《い》り|来《きた》るはマンモスであつた。|彼《かれ》は|二人《ふたり》の|密談《みつだん》を|不道徳《ふだうとく》にも|隣室《りんしつ》に|息《いき》を|殺《ころ》して|立聞《たちぎ》きして|居《ゐ》たのであつた。
『|姫《ひめ》さま、|御呼《およ》びになつたのは|私《わたくし》で|御座《ござ》りますか。|何《なん》なりと、|御用《ごよう》を|仰《あふ》せ|付《つ》け|下《くだ》さりませ』
サマリー『アヽマンモス、|偉《えら》う|早《はや》いぢやないか。|大方《おほかた》|最前《さいぜん》からの|二人《ふたり》の|談話《だんわ》をすつかり|聞《き》いて|了《しま》つたのだらう』
『ハイ|御推量《ごすゐりやう》に|違《たが》はず、|一切《いつさい》の|経緯《いきさつ》を|残《のこ》らず|承《うけたま》はりました。|実《じつ》に|困《こま》つた|事《こと》になりましたねえ。|是《これ》と|云《い》ふも|全《まつた》くユーフテスの|為《な》す|行《わざ》で、|決《けつ》して|旦那様《だんなさま》の|心《こころ》より|出《で》た|事《こと》ではありませぬ。それだからマンモスが|何時《いつ》も|旦那様《だんなさま》や|奥様《おくさま》|始《はじ》め|姫様《ひめさま》にも|申上《まをしあ》げたでせう。ユーフテスは|実《じつ》に|右守家《うもりけ》の|爆裂弾《ばくれつだん》だから、|一時《いちじ》も|早《はや》く|放逐《はうちく》|遊《あそ》ばし、|彼《かれ》の|代《かは》りに|此《この》マンモスを|御採用《ごさいよう》|下《くだ》されと。|私《わたし》は|決《けつ》して|私利私欲《しりしよく》に|駆《か》られて|人《ひと》を|落《おと》し、|自分《じぶん》が|出世《しゆつせ》をしようと|思《おも》ふやうなケチな|心《こころ》ではありませぬ。|只々《ただただ》お|家《いへ》の|大事《だいじ》を|思《おも》へばこそ、|死《し》を|決《けつ》して|御忠告《ごちうこく》|申上《まをしあ》げたのです』
『|兎《と》も|角《かく》もお|前《まへ》|御苦労《ごくらう》だが、|父上《ちちうへ》の|在処《ありか》を|一時《いちじ》も|早《はや》く|探《さぐ》つて|連《つ》れ|帰《かへ》つてお|呉《く》れ。|愚図々々《ぐづぐづ》しては|居《を》られないから』
『エヽ|承知《しようち》|致《いた》しました。|併《しか》しながら|今日《けふ》は|貴女《あなた》|様《さま》の|予《かね》ての|御許《おんゆる》しのサモア|姫《ひめ》と|改《あらた》めて|夫婦《ふうふ》の|結婚《けつこん》をなすべきマンモス|一生《いつしやう》の|大事《だいじ》の|日《ひ》で|厶《ござ》りますから、|何卒《なにとぞ》|此《この》|御用《ごよう》はハルマンに|申付《まをしつ》けて|下《くだ》さいませ。|私《わたくし》|一生《いつしやう》の|祝日《しゆくじつ》ですから、|今日《けふ》|一日《いちにち》や|二日《ふつか》に|旦那様《だんなさま》がドウカウといふ|訳《わけ》でありませぬからなア』
『コレコレ マンモス、お|前《まへ》とそんな|約束《やくそく》は|私《わたし》はした|覚《おぼえ》はない。|神妙《しんめう》に|忠義《ちうぎ》を|竭《つく》した|暁《あかつき》は、|都合《つがふ》に|依《よ》つたらサモア|姫《ひめ》の|様《やう》な|美人《びじん》をお|前《まへ》の|女房《にようばう》にしてやらうと|言《い》つたまでだよ。|斯《か》う|言《い》ふと|済《す》まぬが、|先達《さきだつ》ての|様《やう》に|左守《さもり》の|邸宅《ていたく》へ|忍術《にんじゆつ》を|以《もつ》て|忍《しの》び|込《こ》み、|下手《へた》をして|捕《とら》へられ、|男《をとこ》らしくもない、|主人《しゆじん》に|頼《たの》まれた|秘密《ひみつ》まで|悉皆《すつかり》|敵方《てきがた》に|打明《うちあ》けて、|生命《いのち》を|惜《をし》み|逃《に》げ|帰《かへ》つて|来《く》る|様《やう》な|卑怯《ひけふ》な|男《をとこ》には、|何程《なにほど》サモア|姫《ひめ》だつて|愛想《あいさう》を|尽《つ》かさずには|居《を》られないぢやないかえ。モウそんな|野望《やばう》は|思《おも》ひ|切《き》つたが|宜《よ》からう。|第一《だいいち》|家筋《いへすぢ》からして|段《だん》が|違《ちが》つてるのだから』
『ハイ|宜敷《よろし》う|厶《ござ》います。|一寸《いつすん》の|虫《むし》にも|五分《ごぶ》の|魂《たましひ》、|月夜《つきよ》ばかりぢやありませぬ。|暗《やみ》の|夜《よ》もありますから、|随分《ずゐぶん》|御注意《ごちうい》なさいませ。サマリー|姫《ひめ》|様《さま》、サモア|殿《どの》、|左様《さやう》なら』
と|凄《すご》い|文句《もんく》を|残《のこ》してスタスタと|足音《あしおと》|荒《あら》く|表《おもて》を|指《さ》して|出《で》て|行《い》つた。
|後見送《あとみおく》つて|両人《りやうにん》は、|暫《しば》し|茫然《ばうぜん》として|居《ゐ》た。
『オホヽヽヽ|何《なん》と|男《をとこ》の|恋《こひ》に|呆《はう》けたのは|見《み》つともないものだなア。サモア|殿《どの》、あのスタイルを|御覧《ごらん》になつたら、|定《さだ》めし|満足《まんぞく》でせうなア』
『オホヽヽヽ、|心《こころ》の|底《そこ》から、|属根《ぞつこん》|嫌《いや》になつて|了《しま》ひますわ。エヘヽヽヽ』
|話変《はなしかは》つて、マンモスは|二人《ふたり》の|女《をんな》に|手痛《ていた》き|肱鉄《ひぢてつ》の|言霊《ことたま》を|浴《あ》びせられ、|無念《むねん》やる|方《かた》なく、|失恋者《しつれんしや》|同士《どうし》の|応援《おうゑん》を|求《もと》めむため、|犬猿《けんゑん》も|啻《ただ》ならざりしユーフテスの|館《やかた》へさして、トントントントン|駆《か》けて|行《ゆ》く。ユーフテスはマンモスの|来訪《らいほう》に|際《さい》し、|一度《いちど》も|吾《わが》|家《や》の|敷居《しきゐ》を|跨《また》げた|事《こと》がないマンモスが|飛《と》んで|来《き》たのは、|唯事《ただごと》ではあるまいと、いつもなら|塩《しほ》|振《ふ》りかけて|箒《はうき》を|立《た》てる|処《ところ》だが、|自分《じぶん》も|失恋《しつれん》の|結果《けつくわ》、|何《なん》となく|心細《こころぼそ》くなつて|居《ゐ》たので、いつもの|敵《てき》も|今日《けふ》は|強《つよ》い|味方《みかた》が|出来《でき》たやうな|心持《こころもち》で|門口《もんぐち》に|迎《むか》へに|出《い》で、
『ヤア、マンモス|殿《どの》、|其《その》|慌《あわ》て|方《かた》は|何《なん》で|厶《ござ》るか。よもやサモア|鉄道《てつだう》の|脱線《だつせん》|顛覆《てんぷく》ではありませぬかなア』
『|脱線《だつせん》も|顛覆《てんぷく》も|通《とほ》り|越《こ》えて、メチヤメチヤに|破壊《はくわい》してしまひましたよ。セーリス|姫《ひめ》さまはどうなりましたか』
『どうなつたか、かうなつたか、サツパリ|見当《けんたう》が|付《つ》かないのですよ。|彼奴《あいつ》は、ババ|化物《ばけもの》でした』
『ヘーン、あのセーリス|姫《ひめ》が……どう|云《い》ふ|意味《いみ》の|化物《ばけもの》ですか。|矢張《やは》りサモア|姫《ひめ》のやうに|貴方《あなた》を|今《いま》まで|甘《うま》くチヨロまかし、|最後《さいご》の|五分間《ごふんかん》になつて|伏兵《ふくへい》が|現《あら》はれ、クリツプ|砲《はう》で|砲撃《はうげき》と|出《で》かけたのですか』
『|何《なに》、それならまだ|気《き》が|利《き》いて|居《ゐ》るが、セーリス|姫《ひめ》と|思《おも》つたのは|大変《たいへん》な|古狐《ふるぎつね》でしたよ。|大方《おほかた》|狐《きつね》の|奴《やつ》、|本物《ほんもの》のセーリス|姫《ひめ》をいつの|間《ま》にかバリバリとやつて|了《しま》ひ、|旨《うま》く|化《ば》けて|居《ゐ》やがつたと|見《み》えますわい、いやもう|女《をんな》には|懲《こ》り|懲《こ》りだ。|今《いま》|思《おも》ひ|出《だ》してもゾツとするやうだ』
『|何《なに》、そんな|事《こと》があるものか。|今朝《けさ》もセーリス|姫《ひめ》さまが|本当《ほんたう》に|心配《しんぱい》して「|此《この》|頃《ごろ》ユーフテスさまのお|顔《かほ》が|見《み》えぬ」と|云《い》うて|居《ゐ》たよ。|併《しか》し|彼奴《あいつ》もサモアの|亜流《ありう》だ。|惚《ほ》れられて|居《ゐ》たと|思《おも》ふと|違《ちが》ふから、まア|断念《だんねん》するのだなア』
『|如何《いか》にも|断念《だんねん》(残念)|至極《しごく》だ。|併《しか》しながら、|右守《うもり》の|神様《かみさま》の【レコ】はどうなつたらう、|此《この》|間《あひだ》から|舌《した》を|痛《いた》めたので|外出《ぐわいしゆつ》もせず|燻《くす》ぼつて|居《ゐ》たので、|一寸《ちよつと》も|御様子《ごやうす》が|分《わか》らぬが、キツト、【アフン】の|幕《まく》が|下《お》りたに|違《ちが》ひなからうなア』
『サア|其《その》|事《こと》について、|大変《たいへん》サマリー|姫《ひめ》とサモアとが|御心配《ごしんぱい》の|体《てい》だ。|俺《おれ》もそれを|思《おも》ふと|大変《たいへん》|気《き》の|毒《どく》で|堪《た》へられぬ……|事《こと》はないわい。いや|寧《むし》ろ|小気味《こきみ》がよいやうだ』
かく|話《はな》す|処《ところ》へ|門口《かどくち》より、
『ユーフテス ユーフテス』
と|呼《よ》びながら|入《い》り|来《きた》るは|右守《うもり》の|司《かみ》のカールチンであつた。ユーフテスは、|其《その》|姿《すがた》を|見《み》て|口《くち》を|尖《とが》らし、
『ヤア|旦那様《だんなさま》、|血相《けつさう》|変《か》へて、|何事《なにごと》で|厶《ござ》いますか』
『ヤア|大変《たいへん》だ|大変《たいへん》だ。|王《わう》が|二《ふた》つもあり、ヤスダラ|姫《ひめ》が|二人《ふたり》も|居《ゐ》るのだから、あんまり|恐《おそ》ろしくて|居《を》られた|態《ざま》ぢやない。スツテの|事《こと》で……|無事《ぶじ》に|命《いのち》が|助《たす》かるかと|思《おも》つた|城内《じやうない》は、どいつもこいつも|化物《ばけもの》ばかりだ。|甘《うま》い|事《こと》、|柔《やさ》しい|事《こと》|吐《ぬか》しやがつて|俺達《おれたち》を|安心《あんしん》させ、ソツと|召《め》しとらうといふ|計劃《けいくわく》だから、|俺《おれ》も|強者《しれもの》、|改心《かいしん》したやうな|顔《かほ》をして|歌《うた》をよんで|其《その》|場《ば》を|誤魔化《ごまくわ》し、|便所《べんじよ》へ|行《ゆ》くと|云《い》つて|便所《べんじよ》の|穴《あな》からソツと|逃《に》げて|帰《かへ》つた|所《ところ》だ。|何《なん》でも|一人《ひとり》は|本物《ほんもの》で|一人《ひとり》は|化物《ばけもの》だ。もうかう|露顕《ろけん》した|上《うへ》はユーフテス、お|前《まへ》も|助《たす》かるまい、|俺《おれ》もどうかせなけりやならないと、|此処《ここ》へ|相談《さうだん》に|来《き》たのだ。ヤア、マンモス、|貴様《きさま》も|此処《ここ》へ|来《き》て|居《ゐ》たのか、|三人《さんにん》|寄《よ》れば|文珠《もんじゆ》の|智慧《ちゑ》だから、|此処《ここ》|一《ひと》つ|相談《さうだん》をしようぢやないか』
『|旦那様《だんなさま》、あの|奥《おく》の|間《ま》から、セーラン|王《わう》の|声音《こわね》を|使《つか》つて|居《ゐ》るのは、|三五教《あななひけう》の|黄金姫《わうごんひめ》と|云《い》ふ|奴《やつ》です。さうしてヤスダラ|姫《ひめ》と|名乗《なの》つて|居《ゐ》る|奴《やつ》は、|矢張《やはり》|贋者《にせもの》で|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|清照姫《きよてるひめ》と|云《い》ふ、|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》の|妻子《さいし》ですよ』
『そんな|詳《くは》しい|事《こと》を|貴様《きさま》は|誰《たれ》に|聞《き》いたのか』
『|何《なん》と|云《い》うても|蛇《じや》の|道《みち》は|蛇《へび》ですわ。|或《ある》|方法《はうはふ》をもつて【すつかり】|偵察《ていさつ》しましたわい』
『そいつは|大変《たいへん》だ。|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》ては|俺達《おれたち》の|命《いのち》がなくなるかも|知《し》れないぞ。サア|今晩《こんばん》のうちに|吾々《われわれ》|三人《さんにん》が|城内《じやうない》に|忍《しの》び|込《こ》み、|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|斬《き》り|殺《ころ》して|了《しま》はねば、|枕《まくら》を|高《たか》うする|事《こと》は|出来《でき》まいぞ』
マンモス『こんどは|忍術《にんじゆつ》の|奥《おく》の|手《て》を|出《だ》しますから|滅多《めつた》に|失敗《しつぱい》は|致《いた》しませぬ。サアお|二人様《ふたりさま》、|奥《おく》へお|出《いで》なさいませ。|私《わたし》が|秘密《ひみつ》を|教《をし》へます』
と|奥《おく》の|離室《はなれ》に|進《すす》み|入《い》る。|茲《ここ》に|三人《さんにん》は|今夜《こんや》の|十二時《じふにじ》を|期《き》して、|黄金姫《わうごんひめ》|以下《いか》|重《おも》なる|幹部《かんぶ》を|殺害《さつがい》せむと、|鳩首《きうしゆ》|謀議《ぼうぎ》をこらして|居《ゐ》た。ユーフテスの|家《いへ》に|仕《つか》へて|居《ゐ》る|下女《げぢよ》のチールは|三人《さんにん》の|隠謀《いんぼう》を|残《のこ》らず|立聞《たちぎ》きし、|何《なに》|食《く》はぬ|顔《かほ》をして、そつと|裏口《うらぐち》をぬけ|出《だ》し、|右守《うもり》の|娘《むすめ》サマリー|姫《ひめ》にその|顛末《てんまつ》をすつかり|密告《みつこく》して|了《しま》つた。サマリー|姫《ひめ》は|今後《こんご》|如何《いか》なる|活動《くわつどう》をなすであらうか。
(大正一一・一一・一七 旧九・二九 加藤明子録)
第一七章 |酒月《さかづき》〔一一四二〕
|頃《ころ》しも|冬《ふゆ》の|初《はじ》め、|木枯《こがらし》の|樹々《きぎ》を|渡《わた》る|声《こゑ》は|猛獣《まうじう》の|吼《ほ》え|猛《たけ》るが|如《ごと》く|烈《はげ》しき|夕間暮《ゆふまぐれ》、イルナ|城《じやう》の|表門《おもてもん》を|警固《けいご》してゐたミル、ボルチーの|両人《りやうにん》は、|門番《もんばん》の|常《つね》として|無聊《むれう》を|慰《なぐさ》むる|為《た》め、|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|碁《ご》を|打《う》つ、|将棋《しやうぎ》をさす、|日没後《にちぼつご》は|最早《もはや》|門《もん》の|開閉《かいへい》を|要《えう》しないので、|強《きつ》い|酒《さけ》に|舌鼓《したつづみ》を|打《う》ち、|下宿《げしゆく》の|二階《にかい》で|天下《てんか》を|論《ろん》ずる|書生《しよせい》|気分《きぶん》になり、|性《しやう》にも|似合《にあ》はぬ|議論《ぎろん》に|時《とき》を|移《うつ》してゐた。
『オイ、ボルチー、|今日《けふ》は|久《ひさ》しぶりでセーラン|王様《わうさま》が|沢山《たくさん》な|御家来《ごけらい》をつれてお|帰《かへ》り|遊《あそ》ばしたので、|俺達《おれたち》も|何《なん》とはなしに、|其処等《そこら》|中《ぢう》が|暖《あたた》かい|気分《きぶん》になつて|来《き》たよ。|肝腎《かんじん》な|主人《しゆじん》が|不在《ふざい》だと、|何処《どこ》ともなしに|冷《つめ》たい|淋《さび》しいものだ。|一《ひと》つ|今日《けふ》は|祝《いはひ》に、トロツピキ|酔《よ》ふ|事《こと》にしようかい』
『|何《なん》だか|俺《おれ》も|酒《さけ》の|加減《かげん》で、|冷《つめ》たい|体《からだ》が|暖《あたた》かうなつて|来《き》たよ。|併《しか》しながら|貴様《きさま》、|聞《き》いてるだらうが、あのカールチンにお|位《くらゐ》を|譲《ゆづ》らるると|云《い》ふ|事《こと》だが、|実際《じつさい》だらうかな。|何《なん》で|又《また》|物好《ものず》きな、|王位《わうゐ》を|捨《す》てて、あんな|受《うけ》のよくないカールチンに|位《くらゐ》を|譲《ゆづ》つたりなさるのだらう。|余《あんま》り|世《よ》の|中《なか》が|物騒《ぶつそう》なので、|政治《せいぢ》にお|飽《あ》き|遊《あそ》ばして、|吾々《われわれ》|臣下《しんか》や|国民《こくみん》を|捨《す》て、|山林《さんりん》に|隠遁《いんとん》して|光風霽月《くわうふうせいげつ》を|友《とも》とすると|云《い》ふ|風流《ふうりう》な|生活《せいくわつ》を|送《おく》られる|考《かんが》へだらうかな』
『|何《なん》と|云《い》つても、|時節《じせつ》の|力《ちから》には|神様《かみさま》でも|叶《かな》はぬのだから|仕方《しかた》がないさ。|禅譲放伐《ぜんじやうはうばつ》と|云《い》つて、|何時《いつ》|迄《まで》も|世《よ》は|持《も》ちきりと|云《い》ふ|事《こと》はない。あひさに|頭《あたま》が|代《かは》るのも|亦《また》|人気《にんき》が|新《あたら》しくなつて|宜《よ》いかも|知《し》れないよ。カールチンさまも、|矢張《やつぱり》|神界《しんかい》の|御都合《ごつがふ》で|刹帝利《せつていり》にお|成《な》り|遊《あそ》ばす|時節《じせつ》が|来《き》たのだらう』
『|左守司様《さもりのかみさま》を|差措《さしお》いて|一段下《いちだんした》な|右守司様《うもりのかみさま》に|位《くらゐ》を|譲《ゆづ》られるとは、チツと|順序《じゆんじよ》が|違《ちが》ふぢやないか』
『|漢朝《かんてう》に|帝尭《ていげう》と|云《い》ふ|天子《てんし》があつた。|在位《ざいゐ》|七十年《しちじふねん》、|年《とし》|既《すで》に|老《お》いたれば、|何人《なにぴと》に|天下《てんか》を|譲《ゆづ》るべきかと|大臣《だいじん》|等《ら》に|御尋《おたづ》ねになつた。|大臣《だいじん》は|皆《みな》|諂《へつら》つて、|幸《さいはひ》に|皇太子様《くわうたいしさま》|御在《おは》しまさば、|丹朱《たんしゆ》にこそ|御譲《おゆづ》りなさいませと|申上《まをしあ》げた。さうすると|帝尭《ていげう》といふ|天子《てんし》の|言《げん》に、|天下《てんか》は|是《これ》|一人《いちにん》の|天下《てんか》ではない、|何《なに》を|以《もつ》てか|吾《わが》|太子《たいし》なればとて、|徳《とく》|足《た》らず|政《まつりごと》の|真義《しんぎ》を|知《し》らないものに|位《くらゐ》を|譲《ゆづ》り、|四海《しかい》の|民《たみ》を|苦《くる》しむべきやと|仰《あふ》せられ、|皇太子《くわうたいし》たる|丹朱《たんしゆ》に|譲《ゆづ》り|給《たま》はず、|何処《いづこ》の|野《や》に|賢人《けんじん》あらむと、|隠遁《いんとん》の|者《もの》までも|尋《たづ》ね|給《たま》ひ、|遂《つひ》に|箕山《きざん》といふ|所《ところ》に、|許由《きよいう》といふ|賢人《けんじん》が|世《よ》を|捨《す》て|光《ひかり》を|韜《つつ》み、|唯《ただ》|苔《こけ》|深《ふか》く|松《まつ》|痩《や》せたる|岩《いは》の|上《うへ》に|一瓢《いつぺう》を|掛《か》け、|瀝々《れきれき》たる|風《かぜ》の|音《おと》に|人間《にんげん》|迷情《めいじやう》の|夢《ゆめ》を|覚《さま》して|居《ゐ》た。|帝尭《ていげう》|之《これ》を|聞《きこ》しめして|勅使《ちよくし》を|立《た》て、|御位《みくらゐ》を|譲《ゆづ》るべき|由《よし》を|仰《あふ》せ|出《いだ》されたが、|許由《きよいう》は|遂《つひ》に|勅《みことのり》に|答《こた》へず、|剰《あま》つさへ、|松風渓水《しようふうけいすゐ》の|清《きよ》き|音《おと》を|聞《き》きて|折角《せつかく》|爽《さはや》かになつた|耳《みみ》が、|富貴栄華《ふうきえいぐわ》の|賤《いや》しき|事《こと》を|聞《き》かされて、|心《こころ》までが|汚《けが》れたやうだ、と|云《い》つて|穎川《えいせん》の|水《みづ》に|耳《みみ》を|洗《あら》つて|居《ゐ》た。|同《おな》じ|山中《さんちう》に|身《み》を|捨《す》て|隠居《いんきよ》して|居《ゐ》た|巣父《さうふ》といふ|賢人《けんじん》が|牛《うし》を|曳《ひ》いて|来《きた》り、|水《みづ》を|呑《の》まさむとして、|許由《きよいう》が|頻《しき》りに|耳《みみ》を|洗《あら》つて|居《ゐ》るのを|見《み》て、|何故《なにゆゑ》に|汝《なんぢ》は|耳《みみ》を|洗《あら》つて|居《を》らるるか、と|不思議《ふしぎ》さうに|尋《たづ》ねた。そこで|許由《きよいう》は、|帝尭《ていげう》|吾《われ》に|天下《てんか》を|譲《ゆづ》らむと|仰《あふ》せられたのを|聞《き》いて、|耳《みみ》が|汚《けが》れたやうな|心地《ここち》がしてならないから、|耳《みみ》を|洗《あら》つて|居《ゐ》るのだと|答《こた》へた。|巣父《さうふ》もまた|首《くび》を|振《ふ》つて、|如何《いか》にもそれでこの|水流《すゐりう》が|常《つね》より|濁《にご》つて|見《み》えたのだなア、|左様《さやう》な|汚《けが》れた|耳《みみ》を|洗《あら》つた|水《みづ》を|牛《うし》に|飲《の》ますと|大事《だいじ》の|牛《うし》が|汚《けが》れると|云《い》つて、|牛《うし》を|曳《ひ》き|連《つ》れて|帰《かへ》つて|了《しま》つた。そこで|帝尭《ていげう》|様《さま》が、ハテ|困《こま》つたことだ、この|天下《てんか》を|誰《たれ》に|譲《ゆづ》つたが|宜《よ》からうかと、|四方《しはう》|八方《はつぱう》|隈《くま》なく|尋《たづ》ね|求《もと》め|給《たま》うた|結果《けつくわ》は、|冀州《きしう》に|虞舜《ぐしゆん》といふ|賤《いや》しい|人《ひと》があつた。その|人《ひと》の|父《ちち》は|盲目者《めくら》なり、|母《はは》は|精神《せいしん》ねぢけて|忠信《ちうしん》の|言《げん》を|道《まも》らず、|徳義《とくぎ》の|経《けい》に|則《のつと》らずといふ|女《をんな》なり、その|弟《おとうと》は|象《しやう》といふ|驕慢悖戻《けふまんはいれい》の|曲者《くせもの》であつた。|独《ひと》り|虞舜《ぐしゆん》のみは|孝行《かうかう》の|心《こころ》|深《ふか》くして、|父母《ふぼ》を|養《やしな》はむが|為《ため》に|歴山《れきざん》に|行《い》つて|耕《たがや》すに、|其《その》|他《た》の|人々《ひとびと》はその|徳《とく》に|感動《かんどう》して|畔《くろ》を|譲《ゆづ》り、|雷沢《らいたく》に|下《くだ》つて|漁《すなど》る|時《とき》は|其《その》|浦《うら》の|人々《ひとびと》|居《きよ》を|譲《ゆづ》り、|河浜《かひん》に|陶《すえもの》するに|器皆苦窪《うつはみなゆがみいじま》からず、|舜《しゆん》の|往《ゆ》きて|居《ゐ》る|所《ところ》に|二年《にねん》|在《あ》れば|邑《いふ》をなし、|三年《さんねん》あれば|都《と》を|成《な》すといふ|調子《てうし》で、|万人《まんにん》が|其《その》|徳《とく》を|慕《した》つて|来《き》たといふ|立派《りつぱ》な|人《ひと》である。|年《とし》|二十《はたち》の|時《とき》には|孝行《かうかう》の|誉《ほまれ》|天下《てんか》に|聞《きこ》えたので、|帝尭《ていげう》|様《さま》は|此《この》|男《をとこ》に|天下《てんか》を|譲《ゆづ》らむと|思召《おぼしめ》して、|先《ま》づ|内外《ないぐわい》に|付《つ》いて、|其《その》|行《おこな》ひを|観《み》むと|欲《ほつ》し、|娥皇女《がくわうぢよ》、|英《えい》といふ|姫宮《ひめみや》を|二人《ふたり》まで|舜《しゆん》に|妻《めあは》せられた。そして|其《その》|御子《みこ》|九人《くにん》を|舜《しゆん》の|臣下《しんか》として|其《その》|左右《さいう》に|慎《つつし》み|随《したが》はせられた|事《こと》が、|三十万年《さんじふまんねん》|未来《みらい》の|支那国《しなこく》にあつた。カールチン|様《さま》も|矢張《やつぱり》|神徳《しんとく》に|由《よ》つて|王様《わうさま》から|位《くらゐ》を|譲《ゆづ》られ|給《たま》ふのだから、|大《たい》したものだなア、ゲーウツプーガラガラガラ、|又《また》しても|酒《さけ》の|奴《やつ》、|天気《てんき》が|悪《わる》いので|逆流《ぎやくりう》して|来《き》よつた。アーン』
『|妙《めう》な|処《ところ》へ|話《はなし》を|持《も》つて|行《ゆ》くぢやないか。|然《しか》しながら|漢朝《かんてう》の|帝尭《ていげう》といふ|王様《わうさま》は|変《かは》つたものだな。|一点《いつてん》の|私利私慾《しりしよく》もなく、|子孫《しそん》の|為《た》めに|美田《びでん》を|買《か》ふと|云《い》ふ|様《やう》な|利己主義《りこしゆぎ》は|微塵《みじん》もなく、|聖人《せいじん》|賢人《けんじん》に|世《よ》を|譲《ゆづ》つて|世界《せかい》|万民《ばんみん》を|安堵《あんど》させようと|遊《あそ》ばす|其《その》|御精神《ごせいしん》は、|人主《じんしゆ》たるものの|模範《もはん》とすべきものではないか。|吾《わが》セーラン|王様《わうさま》も、さうするとヤツパリ|帝尭《ていげう》|様《さま》の|様《やう》な|名君《めいくん》だと|見《み》えるな。|然《しか》しながら|俺《おれ》の|考《かんが》へでは|右守司《うもりのかみ》のカールチンは、それ|程《ほど》|聖人《せいじん》|賢人《けんじん》ぢやと|思《おも》ふ|事《こと》が|出来《でき》ないわ。|只《ただ》サマリー|姫《ひめ》|様《さま》のお|父《とう》さまだと|云《い》ふ|点《てん》が、ひつかかりで、|刹帝利《せつていり》を|譲《ゆづ》られるのかも|知《し》れぬ。それだつたら|吾々《われわれ》|初《はじ》め|国民《こくみん》は|大変《たいへん》な|迷惑《めいわく》をせなくてはなるまいぞ』
『そんな|事《こと》が|吾々《われわれ》|門番《もんばん》に|分《わか》つて|堪《たま》らうかい。|善悪正邪《ぜんあくせいじや》は|神《かみ》でなければ|分《わか》るものぢやないよ。|卑《いや》しき|臣下《しんか》の|分際《ぶんざい》として、そんな|事《こと》を|非難《ひなん》してみた|所《ところ》で|屁《へ》の|突張《つつぱ》りにもなりやせぬわ。それよりも|機嫌《きげん》よく|磐若湯《はんにやたう》を|召《め》し|上《あが》つたら|如何《どう》だい』
『|其《その》|許由《きよいう》と|云《い》ふ|奴《やつ》、|賢人《けんじん》か|知《し》らぬが、|俺《おれ》から|見《み》ると|余程《よつぽど》いゝ|馬鹿《ばか》だなア。|普天《ふてん》の|下《した》、|率土《そつと》の|浜《ひん》、|皆《みな》|王臣王土《わうしんわうど》に|非《あら》ざるなしと|云《い》ふぢやないか。その|王様《わうさま》の|御守護《ごしゆご》|遊《あそ》ばす|山林《さんりん》にもせよ、|国土《こくど》に|住《す》みながら|王《わう》の|勅命《ちよくめい》を|拝受《はいじゆ》せず、|一箪《いつたん》の|食《しい》、|一瓢《いつぺう》の|飲《いん》、|光風霽月《くわうふうせいげつ》を|楽《たの》しむと|云《い》ふ、|利己主義《われよし》の|仙人《せんにん》|気取《きど》りになつて、|国家《こくか》を|忘却《ばうきやく》すると|云《い》ふ|馬鹿者《ばかもの》が|何処《どこ》にあるか。|今《いま》の|奴《やつ》はさう|云《い》ふ|拗者《すねもの》を|指《さ》して|聖人《せいじん》|賢人《けんじん》と|持《も》てはやしてゐる|奴《やつ》が|多《おほ》いからサツパリ|呆《あき》れて|了《しま》ふわ。|巣父《さうふ》も|巣父《さうふ》で、|担《にな》うたら|棒《ぼう》の|折《を》れる|様《やう》な|馬鹿者《ばかもの》だ。|余程《よつぽど》|貧乏相《びんぼふさう》と|見《み》えるわい。|耳《みみ》を|洗《あら》うた|川水《かはみづ》を|牛《うし》に|呑《の》ますと|牛《うし》が|汚《けが》れるなんて、|何処《どこ》まで|馬鹿《ばか》だか|見当《けんたう》がつかぬぢやないか。そこになると|虞舜《ぐしゆん》は|偉《えら》いわい。|王様《わうさま》の|姫君《ひめぎみ》を|二人《ふたり》まで|女房《にようばう》に|貰《もら》ひ、|到頭《たうとう》|天下《てんか》をゾロリと|頂戴《ちやうだい》したのだから、|俺等《おれたち》から|考《かんが》へて|見《み》ると|余程《よほど》|理想的《りさうてき》の|人物《じんぶつ》だ。|末代《まつだい》|迄《まで》も|尭舜《げうしゆん》の|世《よ》と|云《い》つて、かけかまへのない|後世《こうせい》の|人間《にんげん》にまで|持囃《もてはや》される|様《やう》になつたのも、ヤツパリ|虞舜《ぐしゆん》が|円転滑脱《ゑんてんくわつだつ》、|自由自在《じいうじざい》の|身魂《みたま》の|働《はたら》きをやつたからだ。|許由《きよいう》、|巣父《さうふ》なんて、|舜《しゆん》に|比《くら》ぶればお|話《はなし》にならぬぢやないか』
『そらさうだ。|俺《おれ》でも|許由《きよいう》だつたら、|耳《みみ》を|洗《あら》ふ|処《どころ》か|二《ふた》つ|返事《へんじ》で、|猫《ねこ》が|鰹節《かつをぶし》に|飛《と》びついた|様《やう》にニヤンのカンのなしにチユウチユウチユウと|吸《す》ひつくのだけどな。|然《しか》しカールチン|様《さま》もヤツパリ|虞舜流《ぐしゆんりゆう》だ。|一《いち》も|二《に》もなく|刹帝利《せつていり》を|受《う》けるのだからヤツパリ|偉《えら》いわい。|三百余騎《さんびやくよき》の|士《し》を|抱《かか》へ、うまく|大黒主《おほくろぬし》の|喉元《のどもと》へ|飛《と》び|込《こ》み|睾丸《きんたま》を|握《にぎ》つてゐるのだから、|今日《こんにち》の|運《うん》が|向《む》いて|来《き》たのだ。|左守《さもり》さまの|様《やう》に|兵《へい》は|凶器《きやうき》|也《なり》、|誠《まこと》の|道《みち》を|以《もつ》て|民《たみ》を|治《をさ》むるに|軍人《ぐんじん》|等《など》が|要《い》るものかと|云《い》つて、|王様《わうさま》|始《はじ》め|自分《じぶん》|迄《まで》が|軍人《ぐんじん》らしきものをお|抱《かか》へ|遊《あそ》ばさぬのだから、|已《や》むを|得《え》ず|時《とき》の|勢《いきほひ》|抗《かう》すべからずと|云《い》ふ|塩梅《あんばい》で|譲位《じやうゐ》さるる|事《こと》になつたのだらうよ。これを|思《おも》へばヤツパリ|人間《にんげん》は|勢力《せいりよく》が|肝腎《かんじん》だ。|交際術《かうさいじゆつ》に|長《ちやう》じ、|権門勢家《けんもんせいか》に|尾《を》を|掉《ふ》り、|頭《かしら》を|傾《かたむ》け、|敏捷《すばしこ》くまはるのが|社会《しやくわい》の|勝利者《しようりしや》だ』
『オイ、ミル、|貴様《きさま》はカールチンさまが|刹帝利《せつていり》になられても、ヤツパリ|神妙《しんめう》に|門番《もんばん》を|勤《つと》める|考《かんが》へか。よもや、そんな|馬鹿《ばか》な|事《こと》はしよまいね。|忠臣《ちうしん》|二君《にくん》に|仕《つか》へずと|云《い》ふ|事《こと》があるからな』
『そんなことは|今《いま》|発表《はつぺう》する|限《かぎ》りでないわい。|俺《おれ》は|俺《おれ》としての|一《ひとつ》の|見識《けんしき》を|持《も》つてゐるのだから……|夜《よ》も|大分《だいぶ》に|更《ふ》けて|来《き》た|様《やう》だ。ドレ、モウ|寝《やす》まうぢやないか』
と|云《い》ふかと|思《おも》へば、|其《その》|儘《まま》ゴロンと|酔《よ》ひ|倒《たふ》れ、|白河夜船《しらかはよぶね》を|漕《こ》いで|忽《たちま》ち|華胥《くわしよ》の|国《くに》へ|行《い》つて|了《しま》つた。ボルチーはミルの|高鼾《たかいびき》に|寝就《ねつ》かれず、|微酔《ほろよひ》|機嫌《きげん》で|潜《くぐ》り|門《もん》をガラリと|開《あ》け、ほてつた|顔《かほ》を|夜風《よかぜ》にさらし|酔《よひ》を|覚《さ》まさむと、ブラリブラリと|門前《もんぜん》を|迂路《うろ》つき|始《はじ》めた。|折柄《をりから》|雲《くも》を|排《はい》して|現《あら》はれた|月《つき》の|光《ひかり》は|容赦《ようしや》なくボルチーの|頭《かしら》を|照《て》らした。
『あゝあ、いゝ|気分《きぶん》だ。|秋《あき》の|月《つき》も|気分《きぶん》が|宜《よ》いが、|冬《ふゆ》の|夜《よ》の|空《そら》にかかる|月《つき》は、|何処《どこ》ともなしに|凄味《すごみ》があつて|之《これ》も|亦《また》|一種《いつしゆ》の|風流《ふうりう》だ。|月《つき》と|云《い》ふ|餓鬼《がき》や、いつ|見《み》ても、あまり|気分《きぶん》の|悪《わる》くないものだ。|其《その》|代《かは》りに|日天様《につてんさま》に|比《くら》ぶれば|気《き》の|利《き》かぬこたア|夥《おびただ》しい。|豆明月《まめめいげつ》だとか、|薯明月《いもめいげつ》だとか、|月見《つきみ》の|宴《えん》だとか、|何《なん》だとか|云《い》つて、|人間《にんげん》さまの|翫弄《おもちや》にしられて|平気《へいき》の|平座《へいざ》で|空《そら》に|控《ひか》へてゐるのだからなア。ゲー、ガラガラガラ、あゝあ|苦《くる》しい|苦《くる》しい、あまり|月《つき》の|叱言《こごと》を|云《い》つたので、|嘔吐《へど》を【つき】さうだ。サツパリ|嘔吐《へど》【つき】、|間誤《まご》【つき】、きよろ【つき】さがして、|寝《ね》【つき】が|悪《わる》くて、こんな|処《ところ》まで【つき】|出《だ》されて|来《き》たのだな。|日天様《につてんさま》と|云《い》ふお|方《かた》は|神威《しんゐ》|赫々《くわくくわく》として|犯《をか》すべからず、【ど】|日中《ひなか》に|月《つき》さまの|様《やう》に|酒肴《さけさかな》を|拵《こしら》へて、|日輪見《にちりんみ》をしようと|云《い》つてお|顔《かほ》を|拝《をが》まうものなら、|忽《たちま》ち|目《め》は|晦《くら》くなり、|頭《あたま》はガンガンする、|神罰《しんばつ》は|覿面《てきめん》に|当《あた》る。|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》は|日輪様《にちりんさま》だ。|三五教《あななひけう》は|月天様《みろくさま》だと|云《い》つてゐるが、|大自在天《だいじざいてん》と|弥勒《みろく》さまとは、これだけ|神力《しんりき》が|違《ちが》ふのだから、ヤツパリ|俺達《おれたち》の|奉《ほう》ずるバラモン|教《けう》は|天下一品《てんかいつぴん》の|教《をしへ》だ』
と|管《くだ》を|巻《ま》き|一人《ひとり》|囀《さへづ》つてゐる。
そこへ|慌《あわただ》しく|十数人《じふすうにん》の|部下《ぶか》を|引率《ひきつ》れやつて|来《き》たのは、|失恋組《しつれんぐみ》の|大将《たいしやう》カールチンを|初《はじ》め、ユーフテス、マンモスの|面々《めんめん》であつた。ボルチーは|先頭《せんとう》に|立《た》つたマンモスにドンと|突当《つきあた》り、ヒヨロ ヒヨロ ヒヨロと|五歩六歩《いつあしむあし》|後《あと》しざりしながら、|路傍《ろばう》の|枯草《かれくさ》の|上《うへ》にドスンと|腰《こし》を|下《おろ》した。|草《くさ》の|上《うへ》には|霜《しも》の|剣《つるぎ》が|月《つき》に|照《て》らされて|閃《きら》めいてゐる。
『あいたゝゝ、|誰《たれ》ぢやい、|人《ひと》に|衝突《しようとつ》しやがつて、|御免《ごめん》なさいと|吐《ぬか》さぬかい、アーン。|礼儀《れいぎ》を|知《し》らぬも|程《ほど》があるわい。|一体《いつたい》きゝゝ|貴様《きさま》はいゝゝ|一体《いつたい》|何処《どこ》の|馬骨《ばこつ》だ。|俺《おれ》を|何様《どなた》と|心得《こころえ》てゐる。|勿体《もつたい》なくもイルナ|城《じやう》の|門番《もんばん》のボルチーさまだぞ』
マンモス『ヤア、よい|処《ところ》で|会《あ》うた。|貴様《きさま》、これから|俺等《おれたち》の|先頭《せんとう》をして|表門《おもてもん》を|開《ひら》くのだ。サア|立《た》てい』
『|俺《おれ》はチツとばかり|酩酊《めいてい》してゐるから、|暫《しばら》く|此処《ここ》で|月《つき》を|眺《なが》め|酔《よひ》を|醒《さ》ますから、|先《さき》へ|行《い》つてくれ。|潜《くぐ》り|門《もん》を|開《ひら》いておいたから……ヤア|何《なん》と|沢山《たくさん》の|黒頭巾《くろづきん》だなア』
マンモス『|近《ちか》き|未来《みらい》の|刹帝利《せつていり》カールチン|様《さま》のお|通《とほ》りだ』
と|肩肱《かたひじ》|怒《いか》らし、|一行《いつかう》と|共《とも》に|城内《じやうない》さして|進《すす》み|入《い》る。
(大正一一・一一・二四 旧一〇・六 北村隆光録)
第一八章 |酊苑《ていゑん》〔一一四三〕
|表門《おもてもん》の|潜《くぐ》りの|開《あ》いて|居《ゐ》たのを|幸《さいは》ひ、カールチン、ユーフテス、マンモスの|失恋党《しつれんたう》は|十数人《じふすうにん》の|部下《ぶか》と|共《とも》に|玄関《げんくわん》の|戸《と》を|蹴破《けやぶ》り、|大刀《だいとう》をズラリと|引《ひ》き|抜《ぬ》き、セーラン|王《わう》の|居間《ゐま》に|闖入《ちんにふ》し、ヤスダラ|姫《ひめ》を|除《のぞ》くの|外《ほか》、|王《わう》を|初《はじ》め|黄金姫《わうごんひめ》、|清照姫《きよてるひめ》、セーリス|姫《ひめ》|其《その》|他《た》の|近侍《きんじ》|共《ども》を|手当《てあた》り|次第《しだい》に|斬《き》り|捨《す》てむと、|王《わう》の|居間《ゐま》|近《ちか》く|進《すす》み|寄《よ》り、カールチンは|大音声《だいおんじやう》にて、
『|吾《われ》こそは、|右守《うもり》の|司《かみ》、カールチンで|厶《ござ》る。|日頃《ひごろ》の|目的《もくてき》を|達《たつ》せむ|為《ため》、|夜陰《やいん》に|乗《じやう》じ、|右守《うもり》の|司《かみ》、|御首《おんくび》|頂戴《ちやうだい》せむ|為《ため》|立向《たちむか》ふたり。|最早《もはや》|叶《かな》はぬ|所《ところ》、|尋常《じんじやう》に|割腹《かつぷく》あるか、|但《ただし》はカールチンが|手《て》を|下《くだ》さうか、|返答《へんたふ》|承《うけたま》はらむ……|黄金姫《わうごんひめ》、|清照姫《きよてるひめ》の|魔神《まがみ》を|使《つか》うてイルナ|城《じやう》を|攪乱《かくらん》し、|人《ひと》を|迷《まよ》はす|悪神《あくがみ》の|張本《ちやうほん》、|最早《もはや》|叶《かな》はぬ|百年目《ひやくねんめ》、|覚悟《かくご》せよ』
と|呶鳴《どな》りつけた。|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて|黄金姫《わうごんひめ》、|清照姫《きよてるひめ》、セーリス|姫《ひめ》|其《その》|他《た》の|近侍《きんじ》は、|槍《やり》、|薙刀《なぎなた》を|各自《かくじ》に|引提《ひつさ》げ、
『|何《なに》|猪口才《ちよこざい》な|反逆人《はんぎやくにん》|共《ども》、この|神譴《しんけん》を|食《くら》へ』
と|云《い》ふより|早《はや》く|突《つ》いてかかる。カールチン、ユーフテスは「|何《なに》|猪口才《ちよこざい》な」と|獅子奮迅《ししふんじん》の|勢《いきほひ》|凄《すさま》じく、|松明《たいまつ》を|打《う》ち|振《ふ》り|打《う》ち|振《ふ》り|斬《き》つてかかる。|一上一下《いちじやういちげ》、|上段《じやうだん》|下段《げだん》と|火花《ひばな》を|散《ち》らす|其《その》|凄《すさま》じさ。|漸《やうや》くにして|王《わう》を|始《はじ》め|黄金姫《わうごんひめ》、|清照姫《きよてるひめ》、ヤスダラ|姫《ひめ》、セーリス|姫《ひめ》|其《その》|他《た》は|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|打《う》たれて|仕舞《しま》つた。カールチン|一派《いつぱ》の|持《も》てる|刃《やいば》は、|或《あるひ》は|折《を》れ|或《あるひ》は|鋸《のこぎり》の|歯《は》の|如《ごと》くになつて|居《ゐ》た。カールチンは|死骸《しがい》を|部下《ぶか》に|命《めい》じ|一々《いちいち》|門外《もんぐわい》に|持《も》ち|運《はこ》ばしめ、イルナ|河《がは》の|激流《げきりう》|目蒐《めが》けてザンブとばかり|水葬《すゐさう》をなし、|先《ま》づ|凱旋《がいせん》の|酒宴《しゆえん》を|張《は》らむと|再《ふたた》び|奥殿《おくでん》に|進《すす》み|入《い》り、|酒《さけ》|汲《く》み|交《か》はし、|自慢話《じまんばなし》、|成功話《せいこうばなし》に|時《とき》を|移《うつ》し、ゲラゲラと|笑《わら》ふ|其《その》|高声《たかごゑ》は|門外《もんぐわい》にまで|響《ひび》き|渡《わた》つて|来《き》た。
|正座《しやうざ》にはカールチン、|王者然《わうじやぜん》として|脇息《きようそく》に|凭《もた》れ、|酒倉《さかぐら》より|秘蔵《ひざう》の|美酒《びしゆ》を|取《と》り|出《だ》さしめ、|十五六人《じふごろくにん》の|一隊《いつたい》は、|胡坐《あぐら》をかいて|無礼講《ぶれいかう》の|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》る。
『|右守《うもり》さま、いやいや|刹帝利様《せつていりさま》、|随分《ずゐぶん》|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|御活動《ごくわつどう》を|遊《あそ》ばしましたなア。|先《ま》づこれで|一安心《ひとあんしん》でございます。どうぞ|今日《けふ》はお|目出度《めでた》い|日《ひ》だから、|十分《じふぶん》お|過《すご》し|下《くだ》さいませ。このユーフテスも、|何《なん》だか|気分《きぶん》がいそいそ|致《いた》します』
『|何《なん》と|云《い》つても|智謀《ちぼう》|絶倫《ぜつりん》の|某《それがし》、|作戦《さくせん》|計劃《けいくわく》に|些《すこ》しの|違算《ゐさん》もないのだから、|今日《けふ》の|成功《せいこう》は|前《まへ》|以《もつ》て|分《わか》つて|居《ゐ》たのだ。ハヽヽヽヽ、|此《この》カールチンに|向《むか》つて、|夜叉《やしや》の|如《ごと》く|突《つつ》かけ|来《きた》るヤスダラ|姫《ひめ》、こいつばかりは|助《たす》けたいと|何程《なにほど》|焦《あせ》つたか|知《し》れなかつたが、|扱《あしら》うて|居《を》れば|遂《つひ》には|己《おのれ》の|命《いのち》が|危《あぶ》なくなつたものだから、|手練《しゆれん》の|槍先《やりさき》、ヤツとかけた|一声《いつせい》に、ヤスダラ|姫《ひめ》の|首《くび》は|宙《ちう》に|舞《ま》ひ|上《あが》つた|時《とき》の|嬉《うれ》しさ|惜《を》しさ、こればかりは|千載《せんざい》の|恨事《こんじ》だよ、エーン』
『どうせこんな|大望《たいもう》を|遂行《すゐかう》せむとすれば、|多少《たせう》の|犠牲《ぎせい》は|払《はら》はなくてはなりますまい。|併《しか》しながら|此《この》ユーフテスだつて、セーリス|姫《ひめ》を【バラ】した|時《とき》の|残念《ざんねん》さ、|愉快《ゆくわい》さ、|何《なん》と|云《い》つてよいか、|思《おも》へば|思《おも》へば|愛恋《あいれん》の|涙《なみだ》が|零《こぼ》れますわい、アーン』
マンモスは|早《はや》くも|舌《した》を|縺《もつ》らせながら、
『エヘヽヽヽ、|誠《まこと》に|掌中《しやうちう》の|玉《たま》を|無残《むざん》に|砕《くだ》いた|御両人様《ごりやうにんさま》、お|察《さつ》し|申《まを》します。サモア|姫《ひめ》はお|蔭様《かげさま》で|此処《ここ》へ|出《で》て|来《こ》なんだものだから、|命《いのち》が|助《たす》かつて|居《を》ります。それを|思《おも》へば、このマンモス|位《くらゐ》|幸福《かうふく》な|者《もの》はありませぬなア』
『ウフヽヽヽ、|何《なに》を|云《い》ふのだ。|肱鉄《ひぢてつ》を|喰《く》はされたサモア|姫《ひめ》に、まだヤツパリ|執着心《しふちやくしん》をもつて|居《ゐ》るのか、|困《こま》つた|代物《しろもの》だなア。|貴様《きさま》のやうに|不幸《ふかう》なものはない。カールチン|様《さま》もいや|刹帝利様《せつていりさま》も、このユー|様《さま》も|恋《こひ》の|敵《かたき》、|肱鉄《ひぢてつ》をかました|女《をんな》をバラしたのだから、もはや|執着心《しふちやくしん》はとつて|仕舞《しま》つたのだから、こんな|幸福《かうふく》はない。|貴様《きさま》はまだサモアが|此《この》|世《よ》に|残《のこ》つて|居《ゐ》るのだから、|嘸《さぞ》|気《き》の|揉《も》める|事《こと》だらう。エヘヽヽヽ、|云《い》うと|済《す》まぬが、サモア|姫《ひめ》は、キツト|俺《おれ》に【ホ】の|字《じ》と【レ】の|字《じ》だ。そんな|事《こと》はチヤンと|此《この》|間《あひだ》|面会《めんくわい》した|時《とき》に|黙契《もくけい》してあるのだ。このユーさまに|向《むか》つて|放《はな》つた|視線《しせん》は、|誠《まこと》に|至誠《しせい》が|籠《こも》つて|居《ゐ》たよ。|俺《おれ》の|目《め》が|眩《まぶ》しい|程《ほど》|電波《でんぱ》を|送《おく》つたのだ。もうかうなつちや、マンモス、|貴様《きさま》も|好《よ》い|加減《かげん》に|見切《みき》つたら……いや|断念《だんねん》したらよからうぞ』
かかる|所《ところ》へ、サマリー|姫《ひめ》、サモア|姫《ひめ》、ハルマンの|三人《さんにん》|慌《あわただ》しく|入《い》り|来《きた》り、|此《この》|体《てい》を|見《み》て、
サマリー『お|父様《とうさま》、セーラン|王様《わうさま》は|定《さだ》めて|御健全《ごけんぜん》にゐらせられませうなア』
『ウン、まアまア|何処《どこ》かの|国《くに》で|御健全《ごけんぜん》であらうよ』
『よもや、|貴方《あなた》は|不軌《ふき》を|謀《はか》つたのぢやありますまいな。|万々一《まんまんいち》|左様《さやう》な|事《こと》をなされたとすれば、|妾《わらは》はセーラン|王《わう》の|妃《きさき》、|王《わう》の|仇《あだ》を|討《う》たねばなりませぬ。|時《とき》あつて|親子《おやこ》|主従《しゆじゆう》|斬《き》り|合《あ》ひ|争《あらそ》ふは|武士《もののふ》の|道《みち》、|其《その》|覚悟《かくご》は|十分《じふぶん》|厶《ござ》りませうなア』
『|如何《いか》に|夫《をつと》の|為《ため》だとて、|親《おや》に|刃向《はむか》ふ|奴《やつ》が|何処《どこ》にあるか。|不孝者《ふかうもの》|奴《め》、|下《さが》り|居《を》らう』
と、|勝《か》ち|誇《ほこ》りたる|心《こころ》より|叱《しか》りつけるやうに|云《い》ひ|放《はな》つた。
|此《この》|時《とき》|茫然《ばうぜん》として|煙《けむり》とも|霧《きり》とも|分《わか》らぬモヤモヤの|中《なか》から、|白装束《しろしやうぞく》でパツと|現《あら》はれたのは|王《わう》の|幽霊《いうれい》であつた。|王《わう》は|幽《かす》かな|声《こゑ》で、
『カールチンに|夜襲《やしふ》せられ、|命《いのち》を|取《と》られたワイ……|汝《なんぢ》サマリー|姫《ひめ》、|夫《をつと》を|大事《だいじ》と|思《おも》へば、カールチンの|命《いのち》を|取《と》つて|呉《く》れよ』
『ヤア、さては|其《その》|方《はう》カールチン、|王様《わうさま》を|殺《ころ》したのだな。もう|此《この》|上《うへ》は|了簡《れうけん》|致《いた》さぬ。このサマリー|姫《ひめ》が|刃《やいば》の|錆《さび》、|覚悟《かくご》めされ』
と|其所《そこ》に|落《お》ちてあつた|薙刀《なぎなた》を|取《と》るより|早《はや》く、|水車《みづぐるま》の|如《ごと》く|振《ふ》り|廻《まは》し|荒《あ》れ|狂《くる》ふ。カールチンも|死物狂《しにものぐる》ひ、|大刀《だいたう》をスラリと|引《ひ》き|抜《ぬ》き、サマリー|姫《ひめ》に|向《むか》つて|斬《き》りつくれば、|無残《むざん》やサマリー|姫《ひめ》は|肩先《かたさき》を|七八寸《しちはつすん》ばかり|斬《き》り|下《さ》げられ、タヂタヂと|七八歩《しちはつぽ》|後《あと》しざりして|打《う》ち|倒《たふ》れ、|無念《むねん》の|歯噛《はがみ》をなし、|其《その》|場《ば》に|息《いき》|絶《た》えて|了《しま》つた。
『アハヽヽヽ、|女童《をんなわらべ》が|大事《だいじ》の|場所《ばしよ》へ|出《だ》しやばつて、|此《この》|方《はう》の|大望《たいまう》の|邪魔《じやま》をなし、|天罰《てんばつ》|忽《たちま》ち|到《いた》つてこの|惨《むご》い|態《ざま》、|吾《わが》|子《こ》ながらも|愛想《あいさう》がつきたわい。アハヽヽヽ』
と|豪傑《がうけつ》|笑《わら》ひに|紛《まぎ》らして|居《を》れど、|何《なん》となく|悲《かな》しみの|籠《こも》つた|声《こゑ》であつた。サモア|姫《ひめ》は|又《また》もや|薙刀《なぎなた》を|小脇《こわき》に|掻《か》い|込《こ》み、
『|姫様《ひめさま》の|敵《かたき》、|思《おも》ひ|知《し》れよ』
と|云《い》ひも|終《を》へず、カールチンに|斬《き》つてかかる、カールチンはヒラリと|体《たい》をかはし、|前後左右《ぜんごさいう》に|飛《と》びまはり、
『まづまづ|待《ま》つた』
と|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|制《せい》しつつ|逃《に》げ|廻《まは》る。サモア|姫《ひめ》は|耳《みみ》にもかけず、カールチン|目蒐《めが》けて|斬《き》りつくる。|遉《さすが》のカールチンも|逃《に》げ|場《ば》を|失《うしな》ひ、|井戸《ゐど》の|中《なか》に【ざんぶ】とばかり|落《お》ち|込《こ》んで|了《しま》つた。ユーフテス、マンモスは、
『|狼藉者《らうぜきもの》、|容赦《ようしや》はならぬ』
と|左右《さいう》よりサモア|姫《ひめ》に|向《むか》つて|斬《き》つて|掛《かか》る。サモア|姫《ひめ》のキツ|先《さき》の|冴《さ》えに|二人《ふたり》は|肝《きも》を|潰《つぶ》し、|大地《だいち》に|太刀《たち》を|投《な》げ|捨《す》て、|両手《りやうて》を|合《あは》せて|救《すく》ひを|求《もと》むる|腑甲斐《ふがひ》なさ。ハルマンは|井戸《ゐど》の|底《そこ》に|落《お》ち|入《い》りたるカールチンを|漸《やうや》くにして|救《すく》ひ|上《あ》げ、サモア|姫《ひめ》に|向《むか》つて|言葉《ことば》|激《はげ》しく、
『|暫《しばら》く|待《ま》てエー』
と|一喝《いつかつ》した。|此《この》|時《とき》カールチンに|斬《き》り|殺《ころ》されたサマリー|姫《ひめ》は、いつの|間《ま》にか|元《もと》の|姿《すがた》となり、|又《また》もや|薙刀《なぎなた》を|水車《みづぐるま》の|如《ごと》く|振《ふ》り|廻《まは》し、カールチン|目蒐《めが》けて|斬《き》り|付《つ》ける。カールチンも、
『もう|此《この》|上《うへ》は|破《やぶ》れかぶれだ』
と|云《い》ひながら、|再《ふたた》び|薙刀《なぎなた》を|振《ふ》り|翳《かざ》し、カチンカチンと|刀《かたな》を|合《あは》せ、|火花《ひばな》を|散《ち》らして|戦《たたか》ふ。|十二三人《じふにさんにん》の|従者《じゆうしや》は|瞬《またた》く|間《ひま》にサマリー|姫《ひめ》、サモア|姫《ひめ》の|薙刀《なぎなた》に|斬《き》り|倒《たふ》されて|仕舞《しま》つた。かかる|所《ところ》へ|何所《いづこ》ともなく|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》た。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》す  |誠《まこと》の|神《かみ》の|御教《おんをしへ》
バラモン|教《けう》の|神館《かむやかた》  イルナの|城《しろ》の|刹帝利《せつていり》
|夜陰《やいん》に|乗《じやう》じて|襲撃《しふげき》し  |打《う》ち|亡《ほろ》ぼして|其《その》|後《のち》を
|掠奪《りやくだつ》せむと|企《たく》みたる  |心《こころ》|汚《きたな》きカールチン
|其《その》|運命《うんめい》も|月《つき》の|国《くに》  イルナの|城《しろ》の|庭先《にはさき》で
|血《ち》で|血《ち》を|洗《あら》ふ|親《おや》と|子《こ》の  |無残《むざん》|至極《しごく》の|活劇《くわつげき》は
|何《いづ》れも|心《こころ》の|迷《まよ》ひより  |突発《とつぱつ》したるものぞかし
|欲《よく》に|心《こころ》の|眩《くら》みたる  |右守《うもり》の|司《かみ》よ、よつく|聞《き》け
|天地《てんち》は|神《かみ》の|造《つく》らしし  |貴《うづ》の|聖所《すがど》と|聞《き》くからは
|仮令《たとへ》|深山《みやま》の|奥《おく》までも  |神《かみ》の|在《いま》さぬ|処《ところ》なし
|恋《こひ》と|欲《よく》とに|踏《ふ》み|迷《まよ》ひ  |直日《なほひ》の|魂《みたま》を|曇《くも》らして
|自《みづか》ら|地獄《ぢごく》に|落《お》ちて|往《ゆ》く  |其《その》|惨状《さんじやう》を|救《すく》はむと
|高照山《たかてるやま》を|後《あと》にして  |漸《やうや》く|此処《ここ》に|北光《きたてる》の
|吾《われ》は|目一《まひと》つ|神司《かむづかさ》  |右守《うもり》の|司《かみ》のカールチン
|恋《こひ》に|迷《まよ》へるユーフテス  マンモス|諸共《もろとも》よつく|聞《き》け
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |誠《まこと》|一《ひと》つは|世《よ》を|救《すく》ふ
|誠《まこと》|一《ひと》つの|麻柱《あななひ》の  |道《みち》に|外《はづ》れて|世《よ》の|中《なか》に
どうして|人《ひと》は|立《た》つものか  |一日《ひとひ》も|早《はや》く|片時《かたとき》も
|悔《く》い|改《あらた》めよ|三人《みたり》|共《とも》  |至仁《しじん》|至愛《しあい》の|大神《おほかみ》は
|汝《なんぢ》|三人《みたり》の|悪心《あくしん》を  |洗《あら》ひ|清《きよ》めて|天国《てんごく》へ
|救《すく》はむ|為《ため》に|朝夕《あさゆふ》に  |心《こころ》を|配《くば》らせたまひつつ
|汝《な》が|身辺《しんぺん》を|守《まも》ります  |其《その》|御心《みこころ》を|知《し》らずして
|私欲《しよく》や|恋《こひ》に|踏《ふ》み|迷《まよ》ひ  |根底《ねそこ》の|国《くに》の|門口《かどぐち》を
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|開《ひら》かむと  |焦《あ》せるは|愚《おろか》の|至《いた》りなり
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はへましまして
|此《この》|三人《さんにん》の|曲霊《まがたま》を  |洗《あら》ひ|清《きよ》めて|天地《あめつち》の
|神《かみ》より|受《う》けし|大本《おほもと》の  |厳《いづ》の|御霊《みたま》となさしめよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
|此《この》|声《こゑ》にカールチン、ユーフテス、マンモスはフト|気《き》がつき|見《み》れば、サマリー|姫《ひめ》もサモア|姫《ひめ》も|影《かげ》も|形《かたち》もなく、|又《また》ハルマンの|姿《すがた》もない。|月《つき》|冴《さ》え|渡《わた》る|城内《じやうない》の|庭先《にはさき》の|土《つち》の|上《うへ》に、|何《いづ》れもドツカと|坐《ざ》して|居《ゐ》た|事《こと》が|分《わか》つた。かく|幻覚《げんかく》を|見《み》せられたのは、|全《まつた》く|神《かみ》の|御経綸《ごけいりん》であつて、|旭《あさひ》、|月日《つきひ》、|高倉明神《たかくらみやうじん》の|活動《くわつどう》の|結果《けつくわ》であつた。|併《しか》し|酒《さけ》を|飲《の》んだことだけは、|矢張《やはり》|事実《じじつ》であつて、|何《いづ》れも|目《め》はチラつき、|足腰《あしこし》も|立《た》たないばかりに|泥酔《でいすゐ》して|居《ゐ》た。さうかうする|中《うち》、|東天《とうてん》|紅《くれなゐ》を|呈《てい》し、|夜《よ》はガラリと|明《あ》け|放《はな》れ、|煌々《くわうくわう》たる|冬《ふゆ》の|太陽《たいやう》は|斜《ななめ》に|下界《げかい》を|照《て》らしたまうた。
|門番《もんばん》のミル、ボルチーは|目《め》を|醒《さ》まし、|庭先《にはさき》の|土《つち》の|上《うへ》に|右守《うもり》の|司《かみ》|以下《いか》の|泥酔《でいすゐ》して|居《ゐ》るに|打《う》ち|驚《おどろ》き、|奥殿《おくでん》さして|駆入《かけい》つた。
(大正一一・一一・二四 旧一〇・六 加藤明子録)
第一九章 |野襲《やしふ》〔一一四四〕
|入那城《いるなぢやう》の|奥《おく》の|一間《ひとま》には、|黄金姫《わうごんひめ》、|清照姫《きよてるひめ》、ヤスダラ|姫《ひめ》、セーリス|姫《ひめ》の|四人《よにん》は|火鉢《ひばち》を|中《なか》に|囲《かこ》みながら、|神話《しんわ》に|耽《ふけ》り、|話《はなし》は|転《てん》じてカールチンの|身《み》の|上《うへ》に|移《うつ》つた。
|黄金《わうごん》『|右守司《うもりつかさ》も|種々《いろいろ》|雑多《ざつた》として|刹帝利《せつていり》の|位《くらゐ》にならうと|思《おも》ひ、|工夫《くふう》に|工夫《くふう》を|廻《めぐ》らしてゐたが、とうとう|清《きよ》さまの|美貌《びばう》に|迷《まよ》ひ、|欲《よく》と|恋《こひ》との|二道《ふたみち》を|歩《あゆ》まむとして、|一《いち》も|取《と》らず|二《に》も|取《と》らず、しまひの|果《はて》には|諦《あきら》めたと|見《み》え………|兵士《つはもの》をハルナの|国《くに》へ|遣《つか》はして、|翼《つばさ》|奪《と》られし【やもめ】|鳥《どり》あはれ………なぞと|王様《わうさま》の|前《まへ》で|泣言《なきごと》をいつて|帰《かへ》つて|了《しま》つたが、|併《しか》しあれは|本気《ほんき》で|改心《かいしん》をしたのではありますまい。キツと|今晩《こんばん》あたり、|失恋組《しつれんぐみ》を|語《かた》らうて【むし】|返《かへ》しに|来《く》るかも|知《し》れませぬから、|皆《みな》さま、|決《けつ》して|油断《ゆだん》はなりませぬぞや』
セーリス『|左様《さやう》な|御心配《ごしんぱい》は|要《い》りますまい。………かくならば|最早《もはや》|右守《うもり》の|神司《かむづかさ》、|君《きみ》の|御前《みまへ》に|命《いのち》|捧《ささ》げむ………と|云《い》つたのですから、ヨモヤそんな|事《こと》は|出来《でき》ますまい。|三百騎《さんびやくき》の|味方《みかた》は|既《すで》にハルナの|国《くに》へ|派遣《はけん》し、|武力《ぶりよく》は|既《すで》に|既《すで》に|根底《こんてい》から|削《そ》がれてゐるのだから、|何程《なにほど》|向《むか》ふ|見《み》ずの|右守《うもり》だつて、そんな|馬鹿《ばか》なことは|致《いた》しますまいよ。………いざさらば|命《いのち》をめせよセーラン|王《わう》、|欲《よく》と|恋《こひ》とに|迷《まよ》ひし|吾《われ》を………と|云《い》つて、|命《いのち》まで|差出《さしだ》したのですからな』
|清照《きよてる》『さう|楽観《らくくわん》は|出来《でき》ますまいよ。|恋《こひ》の|意地《いぢ》といふものは|恐《おそ》ろしいものですからなア。|私《わたし》がヤスダラ|姫《ひめ》|様《さま》になりすまして、|力一杯《ちからいつぱい》|翻弄《ほんろう》したのだから、|男《をとこ》の|面《つら》を|下《さ》げて、どうしてあのまま|泣《な》き|寝入《ねい》りが|出来《でき》ますものか。お|母《かあ》アさまの|仰有《おつしや》る|通《とほ》り、キツと|今晩《こんばん》あたり、|失恋組《しつれんぐみ》が|暗殺隊《あんさつたい》を|組織《そしき》してやつて|来《く》るに|違《ちが》ひありませぬ………|思《おも》はざる|人《ひと》に|思《おも》はれ|恋《こ》はれしと、|思《おも》ひしことを|悲《かな》しくぞ|思《おも》ふ………と|云《い》つて、|未練《みれん》らしく|愚痴《ぐち》をこぼしてゐましたもの、キツと|此《この》|儘《まま》で|泣《な》き|寝入《ねい》りは|致《いた》しますまい』
セーリス『それでも|右守司《うもりつかさ》は………|今《いま》よりは|生《うま》れ|赤子《あかご》になり|変《かは》り、|神《かみ》と|君《きみ》とに|誠《まこと》|捧《ささ》げむ………と|王様《わうさま》の|前《まへ》で|言明《げんめい》したではありませぬか。あの|時《とき》こそ|私《わたし》は|右守司《うもりつかさ》の|心《こころ》の|底《そこ》から|出《で》た|言葉《ことば》と|感《かん》じました』
ヤスダラ『|如何《どう》してマア|此《この》|入那《いるな》の|城《しろ》は|暗闘《あんとう》が|絶《た》えないのでせう。|昔《むかし》から|左守《さもり》、|右守《うもり》は|犬猫《いぬねこ》|同様《どうやう》ぢやと|聞《き》いてゐました。|仲《なか》の|悪《わる》い|者《もの》|同志《どうし》の|標語《へうご》は|犬《いぬ》と|猿《さる》とではなくて、|入那城《いるなじやう》の|左守《さもり》、|右守《うもり》と|云《い》ふ|用語《ようご》|迄《まで》|出来《でき》てゐるではありませぬか。|何《なん》とかしてかういふことのないやうに|守《まも》つて|貰《もら》ひたいものでありますなア』
|黄金《わうごん》『ヤア|是《これ》も|誠《まこと》の|道《みち》の|開《ひら》ける|径路《けいろ》かも|知《し》れませぬ。イヤ|之《これ》が|却《かへつ》て|神様《かみさま》の|尊《たふと》き|御守護《ごしゆご》ですよ。|王者争臣《わうじやさうしん》|五人《ごにん》あれば|其《その》|位《くらゐ》を|失《うしな》はず、|諸侯争臣《しよこうさうしん》|三人《さんにん》あれば|其《その》|国《くに》を|失《うしな》はず、|大夫争臣《たいふさうしん》|二人《ににん》あれば|其《その》|家《いへ》を|失《うしな》はずとかいひまして、|如何《どう》しても|争《あらそ》ひといふものは|根絶《こんぜつ》するものではありませぬ。|又《また》|争《あらそ》ひの|根絶《こんぜつ》した|時《とき》は|国家《こくか》の|亡《ほろ》ぶる|時《とき》ですから、|動中静《どうちうせい》あり、|静中動《せいちうどう》ありといふ|惟神《かむながら》の|御経綸《ごけいりん》でせう。|右守司《うもりつかさ》の|陰謀《いんぼう》があつた|為《ため》、セーラン|王様《わうさま》も|御威勢《ごゐせい》が|天下《てんか》に|輝《かがや》くのでせう。いつもかも|平穏《へいおん》|無事《ぶじ》であれば、|王様《わうさま》を|始《はじ》め|人心《じんしん》|弛緩《ちくわん》して|国家《こくか》はますます|衰頽《すゐたい》し、|政治《せいぢ》を|怠《をこた》り、|遂《つひ》には|国家《こくか》|自滅《じめつ》の|悲運《ひうん》に|陥《おちい》るものです。これを|思《おも》へば|右守司《うもりつかさ》だつてヤツパリ|入那《いるな》の|国《くに》の|柱石《ちうせき》、|心《こころ》の|企《たく》みは|憎《にく》むべきであるが、|彼《かれ》が|謀反《むほん》を|企《たく》んだ|為《ため》に|王《わう》の|位置《ゐち》はますます|鞏固《きようこ》となり、|入那城《いるなじやう》の|弛《ゆる》んで|居《を》つた|箍《たが》は|緊張《きんちやう》し、|国家《こくか》|百年《ひやくねん》の|基礎《きそ》を|造《つく》つたやうなものですから、|右守司《うもりつかさ》にして|改心《かいしん》した|以上《いじやう》は、|何処《どこ》までも|許《ゆる》してやらねばなりますまい。なア、ヤスダラ|姫《ひめ》|様《さま》、|貴女《あなた》は|如何《いか》に|思召《おぼしめ》しますか』
『|何事《なにごと》も|善悪正邪《ぜんあくせいじや》は|神様《かみさま》が|御審判《おさばき》|遊《あそ》ばすのですから、|吾々《われわれ》としては|右守司《うもりつかさ》の|罪《つみ》を|糺弾《きうだん》することは|出来《でき》ますまい。|又《また》|自分《じぶん》に|省《かへり》みて|見《み》れば、|罪《つみ》に|汚《けが》れた|吾々《われわれ》|同志《どうし》が、|如何《いか》にして|人《ひと》を|審判《さば》く|事《こと》が|出来《でき》ませうぞ。|只《ただ》|惟神《かむながら》に|御任《おまか》せするより|仕方《しかた》はありませぬ』
『さうですなア。|右守司《うもりつかさ》だつて|吾々《われわれ》と|同《おな》じ|神様《かみさま》の|分霊《ぶんれい》、もとより|悪人《あくにん》ではありませぬ。|悪神《あくがみ》に|憑依《ひようい》されて、|良心《りやうしん》の|許《ゆる》さぬ|野心《やしん》を|遂行《すゐかう》しようとしたのですから、|其《その》|悪神《あくがみ》を|憐《あは》れみ|肉体《にくたい》を|憐《あは》れんで、|善道《ぜんだう》に|立帰《たちかへ》るやうにせなくては、|吾々《われわれ》|宣伝使《せんでんし》の|職務《しよくむ》が|勤《つと》まりますまい。|同《おな》じ|神様《かみさま》の|氏子《うぢこ》だから、|只《ただ》の|一人《ひとり》でもツツボにおとしては|神界《しんかい》へ|済《す》みませぬ。|右守司《うもりつかさ》は|春秋《しゆんじう》の|筆法《ひつぱふ》を|以《もつ》て|論《ろん》ずれば、|右守司《うもりつかさ》|王位《わうゐ》を|守《まも》る|入那城《いるなじやう》に|忠勤《ちうきん》を|励《はげ》むと|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》すことも|出来《でき》ませう。|言《い》はば|入那城《いるなじやう》に|対《たい》する|救《すく》ひの|神《かみ》ですワ。あの|鷹《たか》といふ|鳥《とり》は、|生餌《なまゑ》ばかり|食《く》つて|生《い》きてる|猛鳥《まうてう》だが、|冬《ふゆ》になると|爪先《つまさき》が|冷《ひ》えて、|吾《わが》|身《み》が|持《も》てないので、|温《ぬく》め|鳥《どり》といつて、|小鳥《ことり》を|捕獲《ほくわく》し、|両足《りやうあし》の|爪《つめ》でソツと|握《にぎ》り、|吾《わが》|爪《つめ》を|温《あたた》め、ソツと|放《はな》してやるといふことだ。そして|其《その》|小鳥《ことり》の|逃《に》げて|行《い》つた|方向《はうかう》をよく|認《みと》めておいて、|三日《みつか》が|間《あひだ》は|其《その》|方面《はうめん》の|小鳥《ことり》を|捕《とら》へないといふぢやありませぬか。|鳥《とり》でさへもそれ|丈《だけ》の|勘弁《かんべん》があるのだから、いはば|王様《わうさま》は|鷹《たか》で、|右守司《うもりつかさ》は|温《ぬく》め|鳥《どり》のやうなものだ。キツと|賢明《けんめい》な|王様《わうさま》は|右守司《うもりつかさ》の|罪《つみ》をお|赦《ゆる》し|遊《あそ》ばすでせう。どうで|今宵《こよひ》は|夜襲《やしふ》に|来《く》るでせうが、|大江山《たいかうざん》の|眷族《けんぞく》|旭《あさひ》、|月日《つきひ》、|高倉明神様《たかくらみやうじんさま》がお|守《まも》りある|以上《いじやう》は、キツと|目的《もくてき》を|得達《えたつ》せず、|改心《かいしん》を|致《いた》すでせう』
かく|話《はな》す|所《ところ》へ、セーラン|王《わう》は|竜雲《りううん》|其《その》|他《た》の|忠実《ちうじつ》なる|臣下《しんか》を|従《したが》へ|現《あら》はれ|来《きた》り、|黄金姫《わうごんひめ》に|向《むか》ひ、
『いろいろ|雑多《ざつた》の|御心配《おこころくば》りに|依《よ》つて、|入那城《いるなじやう》も|稍《やや》|安泰《あんたい》の|曙光《しよくくわう》を|認《みと》めました。|全《まつた》く|黄金姫《わうごんひめ》|様《さま》|母子《おやこ》の|御守護《ごしゆご》の|賜物《たまもの》で|厶《ござ》います。|返《かへ》す|返《がへ》すも|有難《ありがた》く|存《ぞん》じます』
と|感謝《かんしや》の|意《い》を|述《の》べ|立《た》てる。|黄金姫《わうごんひめ》は|歌《うた》を|以《もつ》て|之《これ》に|答《こた》ふ。
『|月《つき》も|日《ひ》も|入那《いるな》の|城《しろ》に|現《あら》はれて
|三五《さんご》の|月《つき》の|教《をしへ》|照《て》らせり。
|三五《あななひ》の|神《かみ》の|教《をしへ》を|畏《かしこ》みて
これの|大道《おほぢ》を|守《まも》りませ|君《きみ》。
|世《よ》の|中《なか》に|善《よ》しも|悪《あ》しきも|分《わか》ちなく
|守《まも》らせ|給《たま》ふ|神《かみ》の|御稜威《みいづ》は』
セーラン『|今《いま》となり|神《かみ》の|教《をしへ》の|尊《たふと》さを
|悟《さと》りし|吾《われ》ぞ|愚《おろか》なりけり。
|愚《おろ》かなる|心《こころ》に|智慧《ちゑ》の|御光《みひかり》を
|照《て》らさせ|給《たま》ひし|三五《あななひ》の|神《かみ》』
ヤスダラ『|大君《おほぎみ》の|御為《おんため》|国《くに》の|御為《おんため》と
|思《おも》ひ|悩《なや》みて|神《かみ》を|忘《わす》れつ。
|神《かみ》なくて|如何《いか》でか|国《くに》の|治《をさ》まらむ
われはこれより|神《かみ》に|一筋《ひとすぢ》。
|神《かみ》と|君《きみ》|仰《あふ》ぎまつりて|国民《くにたみ》に
|誠《まこと》を|教《をし》へ|諭《さと》し|行《ゆ》かなむ』
|竜雲《りううん》『|三五《あななひ》の|大道《おほぢ》を|進《すす》む|身《み》なりせば
|醜《しこ》の|曲津《まがつ》もさやるべきかは。
|村肝《むらきも》の|心《こころ》ねぢけし|竜雲《りううん》も
|神《かみ》に|照《て》らされ|真人《まびと》となりぬ。
|神《かみ》を|知《し》り|教《をしへ》を|知《し》るは|人《ひと》の|身《み》の
|先《ま》づ|第一《だいいち》の|務《つと》めなるらむ』
|清照《きよてる》『|皇神《すめかみ》の|御稜威《みいづ》は|空《そら》に|清照姫《きよてるひめ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》も|心《こころ》|輝《かがや》く。
|今《いま》ははや|入那《いるな》の|城《しろ》を|包《つつ》みたる
|雲霧《くもきり》|払《はら》ひし|心地《ここち》こそすれ』
|黄金《わうごん》『|今《いま》しばし|醜《しこ》の|雲霧《くもきり》|包《つつ》むとも
|神《かみ》の|伊吹《いぶき》に|払《はら》ひよけなむ。
セーランの|王《きみ》の|命《みこと》よきこしめせ
|今宵《こよひ》は|右守《うもり》のすさびあるべき』
セーラン『よしやよし|右守司《うもりつかさ》の|荒《すさ》ぶとも
|神《かみ》の|守《まも》りの|繁《しげ》き|吾《わが》|身《み》ぞ。
|惟神《かむながら》|神《かみ》の|教《をしへ》に|任《まか》してゆ
|心《こころ》にかかる|村雲《むらくも》もなし。
|悲《かな》しみも|亦《また》|戦《をのの》きも|消《き》え|失《う》せぬ
|神《かみ》の|光《ひかり》に|照《て》らされし|吾《あ》は』
セーリス『|大君《おほぎみ》よ|心《こころ》ゆるさせ|給《たま》ふまじ
ひまゆく|駒《こま》の|繁《しげ》き|世《よ》なれば』
レーブ『われは|今《いま》|神《かみ》の|司《つかさ》に|従《したが》ひて
|高天原《たかあまはら》に|住《す》む|心地《ここち》なり。
さりながら|高天原《たかあまはら》も|苦《くる》しみの
|交《まじ》らふ|世《よ》ぞと|心《こころ》|許《ゆる》さず』
カル『かけまくも|畏《かしこ》き|神《かみ》の|御光《みひかり》を
|仰《あふ》ぎ|敬《うやま》ふ|身《み》こそ|安《やす》けれ。
|黄金姫《わうごんひめ》|貴《うづ》の|命《みこと》に|従《したが》ひて
|入那《いるな》の|城《しろ》に|来《きた》りし|嬉《うれ》しさ』
テームス『|照《て》りわたる|尊《たふと》き|神《かみ》の|御教《みをしへ》に
|常世《とこよ》の|国《くに》の|暗《やみ》を|照《て》らさむ。
|常世《とこよ》ゆく|天《あま》の|岩戸《いはと》に|隠《かく》れます
|皇大神《すめおほかみ》を|引出《ひきだ》しまつれ。
|今《いま》は|早《はや》|天《あま》の|岩戸《いはと》の|開《ひら》け|口《ぐち》
イルナの|国《くに》もやがて|栄《さか》えむ』
|清照《きよてる》『|大神《おほかみ》と|君《きみ》と|国《くに》との|其《その》|為《ため》に
|心《こころ》|尽《つく》しの|果《はて》までゆかむ』
セーリス『よからざる|事《こと》と|知《し》りつつユーフテスを
あやつり|来《きた》りし|心《こころ》|恥《はづか》し。
さはいへど|神《かみ》と|君《きみ》との|為《ため》ならば
|許《ゆる》させ|給《たま》へ|三五《あななひ》の|神《かみ》』
|清照《きよてる》『われも|亦《また》よからぬ|事《こと》と|知《し》りながら
|右守《うもり》の|司《かみ》をあやなしにけり。
カールチン|右守《うもり》の|司《つかさ》よ|赦《ゆる》せかし
|清照姫《きよてるひめ》のいたづら|事《ごと》を。
|右守《うもり》をばもとより|憎《にく》しと|思《おも》はねど
|道《みち》の|為《ため》には|是非《ぜひ》もなければ』
|竜雲《りううん》『|何事《なにごと》も|皇大神《すめおほかみ》は|許《ゆる》すべし
|身欲《みよく》の|為《ため》のわざにあらねば』
かく|歌《うた》ふ|時《とき》しも、|俄《にはか》に|玄関口《げんくわんぐち》の|騒《さわ》がしさに、レーブは|一同《いちどう》の|許《ゆる》しを|受《う》け、|視察《しさつ》のために|表《おもて》へ|駆《か》け|出《だ》した。レーブは|息《いき》を|凝《こ》らして|外《そと》の|様子《やうす》を|窺《うかが》ひ|見《み》るに、|右守司《うもりつかさ》を|始《はじ》めユーフテス、マンモス|其《その》|他《た》|十数人《じふすうにん》は、|庭《には》に|敷物《しきもの》も|敷《し》かずドツカと|坐《ざ》し、|携《たづさ》へ|持《も》つた|瓢《ひさご》の|酒《さけ》をグビリグビリと|呑《の》みながら、|手《て》を|拍《う》つて|切《しき》りに|歌《うた》つてゐる。かと|思《おも》へば、|大刀《だいたう》を|引抜《ひきぬ》き|空《くう》を|切《き》り、|右《みぎ》へ|左《ひだり》へかけまはりつつ、バタリと|倒《たふ》れては|起上《おきあが》り、|一種《いつしゆ》|異様《いやう》の|狂態《きやうたい》を|演《えん》じてゐる。レーブは|不審《ふしん》|晴《は》れやらず、|直《ただち》に|奥殿《おくでん》に|引返《ひつかへ》し、|王《わう》の|前《まへ》に|復命《ふくめい》した。
『|申上《まをしあ》げます、|庭先《にはさき》の|騒々《さうざう》しさに、|命《めい》に|依《よ》つて|何事《なにごと》ならむと|覗《うかが》ひみれば、|豈《あに》はからむや、|右守司《うもりつかさ》、|門先《もんさき》に|十数人《じふすうにん》の|部下《ぶか》と|共《とも》にドツカと|坐《ざ》し、|酒《さけ》を|汲《く》み|交《かは》し、|歌《うた》つて|居《ゐ》るかと|見《み》れば、|長刀《なぎなた》を|引抜《ひきぬ》き、|前後左右《ぜんごさいう》に|切《き》り|捲《まく》つて|居《を》りました。|察《さつ》する|所《ところ》、|白狐《びやくこ》さまに|騙《だま》されて、|月《つき》|照《て》る|土《つち》の|上《うへ》によい|気《き》になつて|酒宴《しゆえん》を|催《もよほ》してゐるのでせう。|右守司《うもりつかさ》は|大変《たいへん》ないい|声《こゑ》で|詩吟《しぎん》をやつてゐました………|月卿雲客《げつけいうんきやく》|或《あるひ》は|長汀《ちやうてい》の|月《つき》に|策《むち》をあげ、|或《あるひ》は|曲浦《きよくほ》の|波《なみ》に|棹《さを》をさし|給《たま》へば、|巴猿《はゑん》|一度《ひとたび》|叫《さけ》んで|舟《ふね》を|明月峡《めいげつけふ》の|辺《ほとり》に|停《とど》め、|胡馬《こば》|忽《たちま》ち|嘶《いなな》いて|道《みち》を|黄沙磧《くわうさせき》の|裏《うら》に|失《うしな》ふ………なんて|意気《いき》|揚々《やうやう》と|剣舞《けんぶ》をやつてゐましたよ。あの|詩《し》から|考《かんが》へて|見《み》ますれば、|畏《おそれおほ》くも|王様《わうさま》を|放逐《はうちく》し、あとの|天下《てんか》を|握《にぎ》つた|夢《ゆめ》を|見《み》てゐるらしう|厶《ござ》います。|実《じつ》に|乱痴気《らんちき》|騒《さわ》ぎといつたら|見《み》られたものぢや|厶《ござ》いませぬ』
『|軈《やが》て|目《め》が|醒《さ》めるだらうから、|明日《あす》の|朝《あさ》まで|打《う》ちやつておくがよからう。|折角《せつかく》|天下《てんか》を|取《と》つた|夢《ゆめ》を|見《み》て|喜《よろこ》んでゐるのに、|中途《ちうと》に|醒《さま》してやるのは|気《き》の|毒《どく》だ。|夢《ゆめ》になりとも|一度《いちど》|天下《てんか》を|取《と》つて|見《み》たいといふ|者《もの》がある|世《よ》の|中《なか》だから、|一刻《いつこく》も|長《なが》く|目《め》の|醒《さ》めぬやうに|楽《たのし》ましてやるがよからう。アハヽヽヽ』
|黄金《わうごん》『オホヽヽヽ|王様《わうさま》も|余程《よほど》|仁慈《じんじ》の|心《こころ》が|発達《はつたつ》しましたねえ。|其《その》|御心《おこころ》でなくては、|人《ひと》の|頭《かしら》にはなれませぬぞ。サア|皆《みな》さま、|明日《あす》の|朝《あさ》まで、ゆつくりと|就寝《しうしん》|致《いた》しませう。|明日《あす》は|又《また》|面白《おもしろ》い|芝居《しばゐ》が|見《み》られませうからなア』
『お|母《か》アさま、|御願《おねがひ》ですが、|私《わたし》だけ|一寸《ちよつと》|其《その》|場《ば》へ|出張《しゆつちやう》させて|頂《いただ》く|訳《わけ》には|行《ゆ》きませぬか。メツタに|心機一転《しんきいつてん》して、|右守司様《うもりのかみさま》に|秋波《しうは》を|送《おく》るやうなことは|致《いた》しませぬから………』
『オホヽヽヽ|何《なん》と|云《い》つても|剣呑《けんのん》で|堪《たま》らないから、|清《きよ》さまは|母《はは》の|側《そば》を|一寸《ちよつと》も|離《はな》れちやなりませぬ、|猫《ねこ》に|鰹節《かつをぶし》だからなア。オホヽヽ』
『お|母《か》アさまの|御心配《ごしんぱい》なさらぬやうに、セーリス|姫《ひめ》|様《さま》、|貴女《あなた》と|二人《ふたり》|参《まゐ》りませうかねえ。さうすりや、お|母《か》アさまだつて|心配《しんぱい》はなされますまい』
『イエイエ、それでも|貴女《あなた》はカールチンさまに、|私《わたし》はユーフテスさまに|揶揄《からか》つた|覚《おぼ》えがあるのだもの、|袖《そで》ふり|合《あ》ふも|多生《たしやう》の|縁《えん》と|云《い》つて、|万更《まんざら》の|他人《たにん》ではありませぬからねえ。ヒヨツとして|出来心《できごころ》が|起《おこ》つたら、|又《また》お|母《か》アさまに|要《い》らぬ|気《き》を|揉《も》ませねばなりますまい。モウやめませうか』
『だつて|貴女《あなた》、|此《この》|儘《まま》|寝《ね》るのも、|何《なん》だか|気《き》が|利《き》きませぬワ』
『コレ|清《きよ》さま、|腹《はら》の|悪《わる》い。|又《また》しても|老人《としより》に|気《き》を|揉《も》まさうと|思《おも》つて|揶揄《からか》つてゐるのだなア。モウ|何時《なんどき》だと|思《おも》つてゐなさる。|山河草木《さんかさうもく》も|眠《ねむ》る|丑満《うしみつ》の|刻《こく》ですよ』
『|王様《わうさま》の|前《まへ》だから………|左様《さやう》ならば、|今晩《こんばん》はドツと|譲歩《じやうほ》しまして、お|母《か》アさまの|提案《ていあん》に|盲従《まうじゆう》|致《いた》しませう。|盲従組《まうじゆうぐみ》のお|方《かた》は|起立《きりつ》を|願《ねが》ひます。オホヽヽヽ』
セーラン|王《わう》は|微笑《びせう》を|泛《うか》べながら|独《ひと》り|寝室《しんしつ》に|入《い》る。|黄金姫《わうごんひめ》|其《その》|他《た》|一同《いちどう》も|微笑《びせう》しながら、それぞれ|設《まう》けられた|寝室《しんしつ》に|入《い》つて|夜《よ》を|明《あ》かす|事《こと》となつた。
(大正一一・一一・二四 旧一〇・六 松村真澄録)
第五篇 |出風陣雅《しゆつぷうぢんが》
第二〇章 |入那立《いるなだち》〔一一四五〕
サマリー|姫《ひめ》は|父《ちち》カールチンの|夜《よ》|更《ふ》けて|帰《かへ》り|来《きた》らざるに|心《こころ》を|痛《いた》め、サモア|姫《ひめ》、ハルマン|其《その》|他《た》|二三《にさん》の|家僕《かぼく》を|従《したが》へ、イルナ|城《じやう》の|表門《おもてもん》を|潜《くぐ》つて|広庭《ひろには》|迄《まで》やつて|来《き》た。|東雲《しののめ》の|空《そら》|漸《やうや》く|紅《あか》く、|霜柱《しもばしら》の|立《た》つてゐる|庭《には》の|芝生《しばふ》や|土《つち》の|上《うへ》に【ぶつ】|倒《たふ》れて、カールチン|始《はじ》め|十数人《じふすうにん》の|家《いへ》の|子《こ》はふんのびてゐる。サマリー|姫《ひめ》は|眉《まゆ》をひそめながら、
『エヽ|情《なさけ》ない、|何《なん》として|又《また》|斯様《かやう》な|処《ところ》に、|父《ちち》を|始《はじ》めユーフテス、マンモスが|倒《たふ》れてゐるのだらう。ハルマン、|一《ひと》つ|揺《ゆ》り|起《おこ》してくれないか』
『ハイ|承知《しようち》|致《いた》しました』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|捻鉢巻《ねぢはちまき》に|襷《たすき》をかけ、まづ|第一《だいいち》にカールチンを|抱《だ》き|起《おこ》した。カールチンは|目《め》をこすりながら、あたりをキヨロキヨロ|見廻《みまは》し、
『ヤア|其方《そなた》はサマリー|姫《ひめ》、サモア、|一体《いつたい》ここは|何処《どこ》だ。|俺《おれ》が|酒《さけ》に|酔《よ》つたと|思《おも》つて、|屋外《をくぐわい》へ|放《ほふ》り|出《だ》しよつたのだなア。|怪《け》しからぬ|事《こと》を|致《いた》す、ヨーシ、|此《この》|方《はう》にも|考《かんが》へがある』
と|立上《たちあが》らうとする。|何人《なんぴと》の|悪戯《いたづら》か|知《し》らぬが、|庭先《にはさき》の|巨大《きよだい》なる|捨石《すていし》に|紐《ひも》を|以《もつ》て|腰《こし》から|括《くく》りつけられ、|動《うご》く|事《こと》が|出来《でき》ぬ。
『カールチンさま、しつかりなさいませ。ここは|入那城内《いるなじやうない》の|大広庭《おほひろには》で|厶《ござ》いますよ。|貴方《あなた》は|昨夜《さくや》よからぬ|事《こと》を|考《かんが》へて、|城内《じやうない》へ|闖入《ちんにふ》し|来《き》たのでせう。|神罰《しんばつ》|立所《たちどころ》に|当《あた》つて、こんな|態《ざま》の|悪《わる》い|乞食《こじき》のやうに|野天《のてん》で|倒《たふ》れてゐたのでせう。コレ、ユーフテス、お|前《まへ》もシツカリせないか、|何《なん》といふ|黒《くろ》い|顔《かほ》をしてゐるのだ。|顔中《かほぢう》|墨《すみ》が|一杯《いつぱい》ぬつてあるぢやないか』
『ヘー、|兎《と》も|角《かく》、|旦那様《だんなさま》のお|供《とも》を|致《いた》しまして、うまく|敵《てき》を|殲滅《せんめつ》し、いよいよ|刹帝利《せつていり》になられた|御祝《おいはひ》にお|酒《さけ》を|頂戴《ちやうだい》|致《いた》し、|余《あま》り|酔《よ》うた|揚句《あげく》、こんな|所《ところ》まで、|副守護神《ふくしゆごじん》が|肉体《にくたい》を|伴《つ》れて、|酔《よひ》ざましに|出張《しゆつちやう》したと|見《み》えます。イヤもう、ラツチもないことで|厶《ござ》いました。アツハヽヽヽ』
『ナニ、|其《その》|方《はう》はカールチンと|共《とも》に、セーラン|王様《わうさま》を|暗殺《あんさつ》しよつたのだなア。モウかうなる|上《うへ》は|王様《わうさま》の|仇敵《かたき》、|覚悟《かくご》をしたがよからう』
と|懐剣《くわいけん》をスラリと|抜《ぬ》いて|逆手《さかて》に|持《も》ち、ユーフテスに|向《むか》ひ|斬《き》つてかかるを、ハルマンは|後《うしろ》より|姫《ひめ》の|両腕《りやううで》をグツとかかへ、
『|先《ま》づ|先《ま》づお|待《ま》ちなさいませ。これには|何《なに》か|様子《やうす》のある|事《こと》で|厶《ござ》いませう。|狼狽《あわて》て|仕損《しそん》じてはなりませぬ』
マンモス『ヤアここは|城《しろ》の|馬場《ばば》だつた。サツパリ|狐《きつね》にやられたと|見《み》えるワイ。モシモシ カールチン|様《さま》、|陰謀《いんぼう》|露顕《ろけん》に|及《およ》んでは|大変《たいへん》です、サア|早《はや》く|逃《に》げませう。オイ、ユーフテス、お|前《まへ》も|早《はや》く|逃《に》げたり|逃《に》げたり』
『コリヤコリヤ、|両人《りやうにん》、|何《なに》も|騒《さわ》ぐ|事《こと》はない。|先《ま》づ|俺《おれ》の|綱《つな》をほどいて、|俺《おれ》が|逃《に》げたあとで|逃《に》げるのだ。|主人《しゆじん》を|捨《す》てて、|貴様《きさま》ばかり|自由《じいう》|行動《かうどう》をとるといふ|事《こと》があるか、エーン』
サマリー『オホヽヽヽヽ、|何《なん》とマア、とぼけ|人足《にんそく》ばかり|集《よ》つたものだなア』
サモア『|見《み》れば|旦那様《だんなさま》にユーフテスにマンモスの|三人《さんにん》、|失恋党《しつれんたう》の|領袖連《りやうしうれん》ばかりが、お|揃《そろ》ひで………|何《なん》と|面白《おもしろ》い|夢《ゆめ》を|見《み》られたものですなア』
カールチンは|目《め》に|角《かど》を|立《た》て、
『コリヤ コリヤ サモア、|失恋党《しつれんたう》とは|何《なん》だ。マ|一度《いちど》|言《い》つて|見《み》よ。|了簡《れうけん》|致《いた》さぬぞ』
『|誠《まこと》に|御無礼《ごぶれい》なことを|申《まを》しましたなア。|余《あま》り|可笑《をか》しいものですから、ツイ|脱線《だつせん》しました。オホヽヽヽ』
かかる|所《ところ》へ|竜雲《りううん》、レーブ、カル、テームスの|四人《よにん》、|館《やかた》の|玄関《げんくわん》をパツと|開《ひら》き|現《あら》はれ|来《きた》り、
|竜雲《りううん》『ヤア、カールチン|殿《どの》、サマリー|姫《ひめ》|様《さま》、|先《ま》づ|奥《おく》へお|越《こ》し|下《くだ》さいませ。|王様《わうさま》がお|待兼《まちかね》で|厶《ござ》います』
サマリー|姫《ひめ》は|嬉《うれ》しげに、
『ハイ、お|前《まへ》さまは|竜雲《りううん》さまとやら、|此《この》カールチンの|悪人《あくにん》をよく|戒《いまし》めて|帰《かへ》して|下《くだ》さい。|妾《わたし》は|一時《いちじ》も|早《はや》く|王様《わうさま》に|御面会《ごめんくわい》を|願《ねが》ひませう。コレ、ハルマン、|案内《あんない》をしておくれ』
と|云《い》ひながら、サマリー|姫《ひめ》は|王《わう》の|居間《ゐま》をさして、ハルマンと|共《とも》に|進《すす》み|行《ゆ》く。
カールチン『|到頭《たうとう》|酒《さけ》に|食《くら》ひ|酔《よ》うて、|知《し》らず|知《し》らずに|登城《とじやう》の|途中《とちう》、|斯様《かやう》な|所《ところ》で【くたば】つたと|見《み》える。|何者《なにもの》か|悪戯《いたづら》をしよつて、|某《それがし》が|腰《こし》に|紐《ひも》を|括《くく》りつけよつたと|見《み》える。|兎《と》も|角《かく》も|竜雲《りううん》|殿《どの》、|拙者《せつしや》の|紐《ひも》をほどいて|下《くだ》され。|手《て》も|一緒《いつしよ》に|括《くく》られてゐるやうだ』
『アハヽヽヽ、|念《ねん》の|入《い》つた|泥酔《よひどれ》だなア』
と|云《い》ひながら、|手早《てばや》く|縛《いまし》めをほどいた。これはレーブが|昨夜《さくや》ソツと|悪戯《いたづら》をしておいたのである。ユーフテスの|顔《かほ》の|黒《くろ》くなつたのも、|矢張《やつぱ》りレーブの|副守《ふくしゆ》の|悪戯《いたづら》であつた。
カールチン『ヤア|有難《ありがた》い、サア、|是《これ》から|館《やかた》へ|帰《かへ》らう。オイ、ユーフテス、マンモス、|後《あと》につづけ』
テームス『|待《ま》つた|待《ま》つた、さうはなりませぬぞ。|今《いま》|王様《わうさま》が|右守司《うもりつかさ》に|面会《めんくわい》したいと|仰有《おつしや》つて|奥《おく》に|待《ま》つてゐられます。|一《ひと》つ|御礼《おれい》を|申上《まをしあ》げたい|事《こと》があると|言《い》はれますから、サア|遠慮《ゑんりよ》なしに|奥《おく》へお|通《とほ》りなされませ。ユーフテスさまも|手水《てうづ》を|使《つか》つて|一緒《いつしよ》に|拝謁《はいえつ》をなさいませ。マンモスも|同様《どうやう》だ』
ユーフテス『イヤ、|滅相《めつさう》もない、|王様《わうさま》に|御礼《おれい》を|云《い》はれるやうな|悪《わる》い|事《こと》は|致《いた》して|居《を》りませぬワイ。|此《この》|場《ば》はこれで|御見逃《おみのが》しを|願《ねが》ひます』
『さう|心配《しんぱい》を|致《いた》すな、|案《あん》じるより|生《う》むが|易《やす》い。マア|行《ゆ》く|所《ところ》まで|行《い》つて|見《み》な、|善《ぜん》か|悪《あく》か|吉《きち》か|凶《きよう》か|分《わか》つたものぢやない。|一《ひと》つ|悪《わる》い|気《き》がした|所《ところ》で、たつた|一《ひと》つの|首《くび》をとられると|思《おも》やいゝぢやないか。|首《くび》の|一《ひと》つ|位《くらゐ》|何《なん》ぢやい。アーン』
ユーフテスは|首《くび》のあたりを|手《て》で|探《さぐ》りながら、
『ヤア、ヤツパリ|俺《おれ》の|首《くび》は|依然《いぜん》として|密着《みつちやく》してゐるワイ、どうぞ|今日《けふ》は|大目《おほめ》に|見逃《みのが》してくれ。|命《いのち》の|親《おや》だから』
『|何《なん》と|云《い》つても|勅命《ちよくめい》だ。|綸言《りんげん》|汗《あせ》の|如《ごと》し。|一度《いちど》|出《い》づれば|之《これ》を|引込《ひつこ》める|訳《わけ》には|行《ゆ》かぬ。サア|行《ゆ》かう』
と|素首《そつくび》をグツと|引掴《ひつつか》んだ。ユーフテスは|弥之助人形《やのすけにんぎやう》のやうに、ビツクリ|腰《ごし》をぬかし、|手《て》も|足《あし》もブラブラになつた|儘《まま》、テームスに|引張《ひつぱ》られて、|奥殿《おくでん》へ|運《はこ》ばれた。|竜雲《りううん》はカールチンを|引抱《ひつかか》へ、これ|亦《また》|奥《おく》へ|進《すす》み|入《い》る。レーブ、カルはマンモスを|二人《ふたり》して|引担《ひつかつ》ぎながら、これ|亦《また》|奥殿《おくでん》へ|運《はこ》び|入《い》れた。
|失恋党《しつれんたう》の|三人《さんにん》は|王《わう》の|前《まへ》に|引出《ひきだ》され、|色《いろ》|青《あを》ざめ、|唇《くちびる》を|紫色《むらさきいろ》に|染《そ》めてガチガチと|歯《は》を|鳴《な》らしてゐる。
『|右守司殿《うもりつかさどの》、|随分《ずゐぶん》|昨夜《さくや》は|御愉快《ごゆくわい》で|厶《ござ》つたらうなア』
『ハイ、|夢《ゆめ》の|中《なか》で|夢《ゆめ》を|見《み》まして、イヤもう|何《なん》とも|申上《まをしあ》げやうが|厶《ござ》いませぬ』
と|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を|恐《おそ》る|恐《おそ》る|答《こた》へた。
『アハヽヽ、|天下《てんか》をとると|云《い》ふ|事《こと》は、|随分《ずゐぶん》|愉快《ゆくわい》なものだらうなア。どうだ、|是《これ》から|其《その》|方《はう》は|刹帝利《せつていり》の|後《あと》をついでくれる|気《き》はないか』
『メヽ|滅相《めつさう》もない、|何事《なにごと》も|王様《わうさま》の|御意《ぎよい》に|任《まか》します。|王様《わうさま》のお|言葉《ことば》とあらば、|一言《ひとこと》も|背《そむ》きは|致《いた》しませぬ』
『|余《よ》が|言葉《ことば》ならば|一言《ひとこと》も|背《そむ》かぬと|申《まを》したなア。それに|間違《まちがひ》はないか』
『ハイ、|武士《ぶし》の|言葉《ことば》に|二言《にごん》は|厶《ござ》いませぬ』
『|然《しか》らば|汝《なんぢ》|右守司《うもりつかさ》、|叛逆《はんぎやく》|未遂《みすゐ》の|罪《つみ》に|依《よ》つて|割腹《かつぷく》|仰《あふ》せ|付《つ》ける』
カールチンは|此《この》|言葉《ことば》に|肝《きも》を|潰《つぶ》しひつくり|返《かへ》り「アツ」と|叫《さけ》んだ。
『|割腹《かつぷく》|仰《あふ》せ|付《つ》けるといふは|表向《おもてむ》き、|其《その》|方《はう》は|今日《けふ》|限《かぎ》りテーナ|姫《ひめ》が|凱旋《がいせん》あるまで、|閉門《へいもん》|仰《あふ》せ|付《つ》ける。|有難《ありがた》く|思《おも》へ』
カールチンはヤツと|胸《むね》を|撫《な》で|下《おろ》し、
『ハイ、|割腹《かつぷく》に|比《くら》ぶれば、|閉門《へいもん》|位《ぐらゐ》は|何《なん》とも|厶《ござ》いませぬ。|私《わたくし》|一人《ひとり》で|厶《ござ》いますか』
『イヤ、ユーフテス、マンモスも|同様《どうやう》だ。|一人《ひとり》|々々《ひとり》|別個《べつこ》に|閉門《へいもん》する|時《とき》は、|妙《めう》な|心《こころ》を|出《だ》し、|悲観《ひくわん》に|陥《おちい》つては|却《かへつ》て|為《ため》にならぬから、|其方等《そのはうら》|三人《さんにん》は|右守《うもり》の|館《やかた》に|同居閉門《どうきよへいもん》を|命《めい》ずる。|勝手《かつて》に|酒《さけ》でも|飲《の》んで|失恋《しつれん》|会議《くわいぎ》でも|開《ひら》いたがよからうぞ』
ユーフテス『ハイ、|何《なん》と|粋《すゐ》の|利《き》いた|王様《わうさま》、|誠《まこと》に|以《もつ》て|重々《ぢゆうぢゆう》の|御厚恩《ごこうおん》、|御礼《おんれい》の|申上《まをしあ》げやうも|厶《ござ》いませぬ』
『|汝等《なんぢら》|三人《さんにん》、|男《をとこ》ばかりにては|炊事《すゐじ》|其《その》|外《ほか》|万端《ばんたん》に|支障《ししやう》を|来《きた》すであらう。これよりヤスダラ|姫《ひめ》、セーリス|姫《ひめ》、サモア|姫《ひめ》をお|給仕《きふじ》として|百日間《ひやくにちかん》|共々《ともども》に|汝《なんぢ》の|側《そば》に|侍《はべ》らすから、|有難《ありがた》く|思《おも》へ』
カールチンは|不思議《ふしぎ》さうな|顔《かほ》をして、|王《わう》の|面体《めんてい》を|打眺《うちなが》め、|呆然《ばうぜん》としてゐる。
『アハヽヽ、|今日《こんにち》より、この|入那城《いるなじやう》は|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|遵奉《じゆんぽう》し、|喜《よろこ》ばして|改心《かいしん》をさせる|方針《はうしん》だから、|汝等《なんぢら》も|満足《まんぞく》であらう。イヤ|清照姫《きよてるひめ》|殿《どの》、セーリス|姫《ひめ》|殿《どの》、サモア|姫《ひめ》|殿《どの》、|御苦労《ごくらう》ながら|百日間《ひやくにちかん》|閉門《へいもん》を|致《いた》す、|三人《さんにん》の|失恋党《しつれんたう》を|満足《まんぞく》させてやつて|貰《もら》ひたい』
|清照《きよてる》『|王様《わうさま》、お|戯談《じようだん》を|仰有《おつしや》るも|程《ほど》があります。|苟《いやし》くも|王者《わうじや》として、|戯談《じようだん》を|仰有《おつしや》るといふ|事《こと》はありますまい』
『|決《けつ》して|戯談《じようだん》は|申《まを》さぬ。|清照姫《きよてるひめ》|殿《どの》は|王《わう》の|危難《きなん》を|救《すく》ひ、|入那城《いるなじやう》の|安泰《あんたい》を|計《はか》つて|下《くだ》さつた|殊勲者《しゆくんしや》である。さりながら|三五教《あななひけう》の|道《みち》に|在《あ》りながら、|権謀術数《けんぼうじゆつすう》を|以《もつ》て|敵《てき》を|籠絡《ろうらく》するは|大道《だいだう》に|違反《ゐはん》するもの、|是非々々《ぜひぜひ》カールチン、ユーフテス、マンモスの|仮令《たとへ》|百日《ひやくにち》なりとも、|閉門中《へいもんちう》の|世話《せわ》をなし、|彼等《かれら》|三人《さんにん》を|心《こころ》の|底《そこ》より|満足《まんぞく》して|改心《かいしん》|致《いた》すやうになさるのが、そなたの|罪亡《つみほろ》ぼしだ。|黄金姫《わうごんひめ》|殿《どの》、|左様《さやう》では|厶《ござ》らぬか』
『オホヽヽそれ|見《み》なさい、|清《きよ》さま、|余《あま》り|智慧《ちゑ》が|走《はし》ると、こんな|天罰《てんばつ》を|受《う》けねばなりませぬぞや。これだから|誠正直《まことしやうぢき》で|行《ゆ》かねばならぬといふのだ、|自分《じぶん》の|美貌《びばう》を|看板《かんばん》に|男《をとこ》をチヨロまかし、|王《わう》の|危難《きなん》を|救《すく》ふのはよいが、|其《その》|権謀術数《けんぼうじゆつすう》が|宣伝使《せんでんし》としての|行《おこな》ひに|反《はん》してゐるのだから|仕方《しかた》がありませぬ。サア|清《きよ》さま、セーリス|姫《ひめ》さま、サモアさまも、|男《をとこ》をチヨロまかした|神罰《しんばつ》が|酬《むく》うて|来《き》たのだから、|百日《ひやくにち》の|閉門《へいもん》の|間《あひだ》、|三人《さんにん》の|方《かた》に|虫《むし》の|得心《とくしん》する|所《ところ》まで|親切《しんせつ》を|尽《つく》すのだよ。オツホヽヽ、エライことになつたものだ。|王様《わうさま》のお|言葉《ことば》には、|一言《ひとこと》も|反《そむ》かうと|思《おも》うても、|背《そむ》く|余地《よち》がありませぬワイ』
|清照《きよてる》『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|三人《さんにん》|閉門《へいもん》の|処《ところ》へ|又《また》|三人《さんにん》の|女《をんな》が|附添《つきそ》ふとは、|何《なん》とマア|都合《つがふ》の|好《よ》い|事《こと》でせう。お|母《か》アさま、|百日《ひやくにち》も|一緒《いつしよ》に|居《を》りますと、どんな|気《き》になるかも|知《し》れませぬから|予《あらかじ》め|御承知《ごしようち》を|願《ねが》つておきますよ。なア、セーリス|姫《ひめ》さま、|貴女《あなた》だつて、フトした|機《はづ》みから、|本当《ほんたう》にユーフテスさまがゾツコンお|好《す》きになられるかも|知《し》れませぬわねえ。サモアさまだつて|其《その》|通《とほ》りでせう。オホヽヽ』
『エヽ|仕方《しかた》がない、|男女《だんぢよ》の|道《みち》は|何程《なにほど》|親《おや》が|目《め》を|光《ひか》らして|居《を》つても、|防《ふせ》ぐことは|出来《でき》ない、まして|百日《ひやくにち》も|離《はな》れて|居《を》れば、|如何《いかん》ともすることが|出来《でき》ないから、|清《きよ》さまの|自由《じいう》|意思《いし》に|任《まか》しませう』
『|右守司《うもりつかさ》|殿《どの》、サア|三人《さんにん》の|女《をんな》と|共《とも》に|男女《だんぢよ》|六人《ろくにん》、|早《はや》くここをお|立《た》ちなされ』
『|閉門《へいもん》は|確《たしか》にお|受《う》け|致《いた》しました。|併《しか》しながら、|今《いま》の|王様《わうさま》のお|言葉《ことば》にて|満足《まんぞく》|致《いた》しました|以上《いじやう》は、|清照姫《きよてるひめ》|様《さま》のお|附添《つきそ》ひは|御無用《ごむよう》で|厶《ござ》います。|私《わたし》が|悪《わる》いので|厶《ござ》いますから、|清照姫《きよてるひめ》|様《さま》が|私《わたし》をいろいろと|操《あやつ》り|遊《あそ》ばしたのも、|決《けつ》して|恨《うら》みとも|無理《むり》とも|思《おも》ひませぬ。かへつて|清照姫《きよてるひめ》|様《さま》に|来《き》て|貰《もら》つては|迷惑《めいわく》を|致《いた》します。|又《また》|百日《ひやくにち》の|閉門中《へいもんちう》に|心《こころ》の|悪神《あくがみ》を|放《はふ》り|出《だ》し、|誠《まこと》の|精神《せいしん》に|立復《たちかへ》りたく|存《ぞん》じますれば、|異性《いせい》が|側《そば》に|居《を》りましては、|満足《まんぞく》に|修行《しうぎやう》も|出来《でき》ませぬから、|何卒《なにとぞ》こればかりは|御取消《おとりけし》を|願《ねが》ひます。ユーフテス、マンモスも|私《わたし》と|同意見《どういけん》だと|思《おも》ひますから、|何卒《なにとぞ》|宜《よろ》しくお|取上《とりあ》げを|願《ねが》ひます』
『|然《しか》らば|汝《なんぢ》の|望《のぞ》みに|任《まか》す』
『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|心《こころ》の|曇《くも》つた|吾々《われわれ》、|悪逆無道《あくぎやくぶだう》をお|咎《とが》めもなく、|閉門《へいもん》|位《ぐらゐ》でお|許《ゆる》し|下《くだ》さるとは|御礼《おんれい》の|申《まを》し|様《やう》も|厶《ござ》いませぬ。|今後《こんご》は|何処《どこ》までも|誠《まこと》を|尽《つく》し、|王様《わうさま》の|御恩《ごおん》に|報《はう》ずる|考《かんが》へで|厶《ござ》いますれば、|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|御見捨《おみす》てなく、|百日後《ひやくにちご》は|下僕《しもべ》の|端《はし》になりとお|使《つか》ひ|下《くだ》さらば|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます』
サマリー|姫《ひめ》は|声《こゑ》も|涼《すず》しく|三十一文字《みそひともじ》を|歌《うた》ふ。
『|大君《おほぎみ》の|恵《めぐみ》の|露《つゆ》にうるほひて
|野《の》べの|醜草《しこぐさ》も|甦《よみがへ》りける。
|重々《ぢゆうぢゆう》の|罪汚《つみけが》れをもカールチン
|宣直《のりなほ》します|君《きみ》ぞかしこき。
カールチン|父《ちち》の|命《みこと》よ|今《いま》よりは
|二心《ふたごころ》なく|君《きみ》に|仕《つか》へませ』
カールチン『|有難《ありがた》しセーラン|王《わう》の|勅言《みことのり》
|千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|忘《わす》れざらまし。
|罪《つみ》|深《ふか》き|吾《われ》を|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|宣《の》り|直《なほ》します|三五《あななひ》の|神《かみ》。
|恋雲《こひぐも》も|今《いま》や|全《まつた》く|晴《は》れにけり
|三五《さんご》の|月《つき》の|光《ひかり》|見《み》しより』
ユーフテス『いろいろと|恋《こひ》の|魔《ま》の|手《て》にあやつられ
よからぬ|事《こと》を|企《たく》みてし|哉《かな》。
|村肝《むらきも》の|心《こころ》に|住《す》める|鬼《おに》|大蛇《をろち》
|今《いま》は|全《まつた》く|消《き》え|失《う》せにけり』
セーリス『ユーフテス|神《かみ》の|司《つかさ》よ|聞《きこ》し|召《め》せ
|恋《こひ》と|欲《よく》との|二道《ふたみち》は|立《た》たず。
|欲《よく》に|迷《まよ》ひ|恋《こひ》に|迷《まよ》ひていろいろと
あやつられたる|人《ひと》ぞいぢらしき。
われも|亦《また》よからぬことと|知《し》りながら
|君《きみ》|迷《まよ》はせし|心《こころ》は|恥《はづか》し』
サモア『マンモスを|舌《した》の|先《さき》にていろいろと
|弄《もてあそ》びたる|吾《われ》ぞうたてき』
マンモス『|恥《はづか》しや|恋《こひ》の|囚《とりこ》となり|果《は》てて
|思《おも》はず|恥《はぢ》をさらしける|哉《かな》。
|大君《おほぎみ》の|恵《めぐみ》の|露《つゆ》の|深《ふか》くして
|重《おも》き|罪科《つみとが》|赦《ゆる》されにけり』
|竜雲《りううん》『|月《つき》も|日《ひ》も|入那《いるな》の|城《しろ》の|暗雲《やみくも》も
|晴《は》れて|日《ひ》の|出《で》の|御代《みよ》となりけり』
|黄金《わうごん》『|三五《あななひ》の|神《かみ》の|光《ひかり》の|現《あら》はれて
|入那《いるな》の|城《しろ》に|旭《あさひ》かがやく』
セーラン『|有難《ありがた》き|神《かみ》の|御稜威《みいづ》に|守《まも》られて
|入那《いるな》の|城《しろ》に|月《つき》は|輝《かがや》く』
ヤスダラ『はるばるとテルマン|国《ごく》を|逃《に》げ|出《だ》して
|尊《たふと》き|君《きみ》に|会《あ》ひにけるかな。
さりながら|神《かみ》の|光《ひかり》に|照《て》らされて
|吾《わが》|恋雲《こひぐも》は|消《き》え|失《う》せにけり。
サマリー|姫《ひめ》|貴《うづ》の|命《みこと》よ|今《いま》よりは
セーラン|王《わう》に|仕《つか》へましませ。
ヤスダラ|姫《ひめ》|貴《うづ》の|命《みこと》は|黄金姫《わうごんひめ》の
|教《をしへ》に|従《したが》ひ|神《かみ》の|道《みち》|行《ゆ》かむ』
テームス『|四方八方《よもやも》を|深《ふか》く|包《つつ》みし|雲霧《くもきり》も
はれて|嬉《うれ》しき|今日《けふ》の|空《そら》|哉《かな》』
カル『|足曳《あしびき》の|山野《やまの》も|清《きよ》く|晴《は》れにけり
|入那《いるな》の|城《しろ》の|神《かみ》の|伊吹《いぶき》に』
レーブ『|何事《なにごと》もなくて|治《をさ》まる|君《きみ》が|代《よ》は
さながら|神代《かみよ》の|心地《ここち》せらるる。
われも|亦《また》|黄金姫《わうごんひめ》に|従《したが》ひて
ハルナの|空《そら》に|向《むか》ふ|嬉《うれ》しさ』
|茲《ここ》にいよいよヤスダラ|姫《ひめ》は|神《かみ》の|教《をしへ》に|照《て》らされて、セーラン|王《わう》を|恋《こ》ひ|慕《した》ふ|心《こころ》を|転《てん》じ、|天下万民《てんかばんみん》の|為《ため》に|誠《まこと》の|道《みち》を|四方《よも》に|宣伝《せんでん》せむことを|誓《ちか》ひ、|黄金姫《わうごんひめ》の|一行《いつかう》と|共《とも》にハルナの|都《みやこ》に|進《すす》むこととなつた。セーラン|王《わう》は|今《いま》まで|忌《い》み|嫌《きら》うてゐたサマリー|姫《ひめ》を|深《ふか》く|愛《あい》し、|夫婦《ふうふ》|相並《あひなら》びて|入那《いるな》の|城《しろ》に|三五《あななひ》の|教《をしへ》を|布《し》き、|国家《こくか》|百年《ひやくねん》の|基礎《きそ》を|固《かた》むる|事《こと》となつた。そしてカールチンは|改心《かいしん》の|結果《けつくわ》、|右守司《うもりのかみ》と|元《もと》の|如《ごと》く|任《にん》ぜられ、テーナ|姫《ひめ》の|凱旋《がいせん》を|待《ま》つて|夫婦《ふうふ》|睦《むつま》じく|王《わう》に|仕《つか》へた。セーリス|姫《ひめ》は|王《わう》の|媒酌《ばいしやく》によつてユーフテスの|妻《つま》となり、|又《また》サモア|姫《ひめ》も|王《わう》の|媒酌《ばいしやく》に|依《よ》つてマンモスの|妻《つま》となり、|入那城《いるなじやう》に|仕《つか》へて|子孫《しそん》|繁栄《はんゑい》した。|黄金姫《わうごんひめ》は|清照姫《きよてるひめ》、ヤスダラ|姫《ひめ》|及《およ》びハルマンと|共《とも》にハルナ|城《じやう》に|向《むか》つて|進《すす》むこととなり、レーブ、カル、テームス、|竜雲《りううん》は|別《べつ》に|一隊《いつたい》を|組織《そしき》し、|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて|各地《かくち》を|巡教《じゆんけう》しつつ、ハルナの|都《みやこ》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》くこととなつた。リーダーは|王《わう》の|忠実《ちうじつ》なる|臣下《しんか》となつて|側近《そばちか》く|仕《つか》ふる|事《こと》となつた。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・一一・二五 旧一〇・七 松村真澄録)
第二一章 |応酬歌《おうしうか》〔一一四六〕
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善神《ぜんしん》|邪神《じやしん》を|立別《たてわ》ける
|抑《そもそも》|神《かみ》が|人間《にんげん》を  |此《この》|世《よ》に|下《くだ》し|給《たま》ひしは
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|繁栄《はんゑい》を  |開《ひら》かむための|思召《おぼしめ》し
|選《え》り|清《きよ》めたる|魂《たま》と|魂《たま》  |高天原《たかあまはら》に|現《あら》はれて
|夫婦《めをと》の|道《みち》を|開《ひら》きつつ  |現界人《げんかいじん》と|同様《どうやう》に
|霊的《れいてき》|活動《くわつどう》を|開始《かいし》して  |情《じやう》と|情《じやう》との|結《むす》び|合《あ》ひ
|天人《てんにん》|男女《なんによ》は|相共《あひとも》に  |美斗能麻具倍比《みとのまぐはひ》なしながら
|清《きよ》き|正《ただ》しき|霊子《たまのこ》を  |地上《ちじやう》の|世界《せかい》に|生《う》み|落《おと》し
|人間界《にんげんかい》に|活動《くわつどう》する  |夫婦《ふうふ》の|体《たい》に|蒔《ま》きつける
|天《てん》より|降《くだ》せし|霊子《たまのこ》は  |父《ちち》と|母《はは》との|御水火《みいき》にて
|忽《たちま》ち|母体《ぼたい》に|浸入《しんにふ》し  |動静解凝引弛分合《どうせいかいぎよういんちぶんがふ》の
|八《や》つの|力《ちから》や|剛柔流《がうじうりう》  |三《み》つの|体《たい》をもととして
|十月《とつき》の|間《あひだ》|母《おや》の|身《み》に  |潜《ひそ》みて|身体《しんたい》|完成《くわんせい》し
|霊子《れいし》の|宮《みや》を|機関《きくわん》とし  |此《この》|世《よ》に|現《あら》はれ|来《きた》るなり
|人《ひと》の|子《こ》として|生《うま》れたる  |神《かみ》の|御子《みこ》なる|人々《ひとびと》は
|地上《ちじやう》に|於《お》ける|教育《けういく》を  |完全無欠《くわんぜんむけつ》に|受《う》けながら
|霊肉《れいにく》ともに|発達《はつたつ》し  |其《その》|成人《せいじん》の|暁《あかつき》は
|此《この》|世《よ》を|捨《す》てて|天国《てんごく》の  |御園《みその》に|帰《かへ》るものぞかし
|抑《そも》|人間《にんげん》の|肉体《にくたい》は  |天津御国《あまつみくに》に|住《すま》ひたる
|天人《てんにん》どもの|霊《たま》の|子《こ》が  |発育《はついく》|遂《と》ぐる|苗代《なはしろ》ぞ
|種《たね》|蒔《ま》き|苗《なへ》|立《た》ち|天国《てんごく》の  |田畑《たはた》に|移植《いしよく》する|時《とき》は
|人《ひと》は|愈《いよいよ》|現界《げんかい》を  |離《はな》れて|天《てん》に|復活《ふくくわつ》し
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|神業《しんげふ》に  |参加《さんか》しまつる|時《とき》ぞかし
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|御国《みくに》は|目《ま》のあたり
|此《この》|地《ち》の|上《うへ》に|建設《けんせつ》し  |天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|移写《いしや》として
|短《みじか》き|此《この》|世《よ》を|楽《たの》しみつ  |元津御霊《もとつみたま》を|健《すこや》かに
|磨《みが》きつ|育《そだ》てつ|雲霧《くもきり》を  |押分《おしわ》け|帰《かへ》る|神《かみ》の|国《くに》
あゝ|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し  イルナの|都《みやこ》の|刹帝利《せつていり》
セーラン|王《わう》も|今《いま》までは  |天津御国《あまつみくに》の|消息《せうそく》を
|知《し》らざるために|種々《いろいろ》と  |地上《ちじやう》に|於《お》ける|欲望《よくばう》に
|心《こころ》を|駆《か》られ|居《ゐ》たりしが  |三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》を
|聞《き》きてやうやう|人生《じんせい》の  |尊《たふと》き|使命《しめい》を|悟《さと》りつつ
|短《みじか》き|此《この》|世《よ》に|欲望《よくばう》を  |達成《たつせい》せむと|企《たく》みたる
|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|右守《うもり》をば  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|救《すく》ひ|与《あた》へし|健気《けなげ》さよ  |吾《われ》は|北光彦《きたてるひこ》の|神《かみ》
|天《あめ》の|目一《まひと》つ|神司《かむつかさ》  |高照山《たかてるやま》を|立《た》ち|出《い》でて
|汝《なれ》が|命《みこと》の|身辺《しんぺん》を  |守《まも》り|救《すく》はむその|為《ため》に
|暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|来《き》て|見《み》れば  |実《げ》にも|目出度《めでた》き|今日《けふ》の|空《そら》
|月日《つきひ》の|光《ひかり》も|爽《さはや》かに  |入那《いるな》の|城《しろ》は|永久《とこしへ》に
|花《はな》|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|世《よ》となりぬ  |黄金姫《わうごんひめ》や|清照姫《きよてるひめ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》やヤスダラ|姫《ひめ》  |竜雲司《りううんつかさ》を|始《はじ》めとし
テームス、レーブ、カル、リーダー  |其《その》|他《ほか》|百《もも》の|司《つかさ》|等《ら》の
|清《きよ》き|心《こころ》の|花《はな》を|見《み》て  |喜《よろこ》び|勇《いさ》む|胸《むね》の|裡《うち》
|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》が  |普《あまね》く|地上《ちじやう》に|亘《わた》りなば
|敵《てき》もなければ|味方《みかた》なし  |善悪邪正《ぜんあくじやせい》おしなべて
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》に  |潤《うるほ》ひまつり|天国《てんごく》の
|姿《すがた》を|地上《ちじやう》に|現《あら》はすは  |今《いま》|目《ま》のあたり|見《み》る|如《ごと》し
|実《げ》にも|尊《たふと》き|国《くに》の|祖《おや》  |国治立大御神《くにはるたちのおほみかみ》
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大御神《おほみかみ》  |天教山《てんけうざん》に|在《あ》れませる
|木花咲耶姫《このはなさくやひめ》の|神《かみ》  |大地《だいち》をかねて|守《まも》ります
|金勝要大御神《きんかつかねのおほみかみ》  |御稜威《みいづ》|輝《かがや》く|日《ひ》の|出別《でわけ》
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|神徳《しんとく》に  |忽《たちま》ち|開《ひら》く|常暗《とこやみ》の
|天《あま》の|岩戸《いはと》は|永久《とことは》に  |塞《ふさ》がであれや|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|北光《きたてる》の  |天《あめ》の|目一《まひと》つ|神司《かむつかさ》
|至仁至愛《みろく》の|神《かみ》の|心《こころ》もて  |天地《てんち》|万有《ばんいう》|一切《いつさい》に
|代《かは》りて|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
と|歌《うた》ひながら、|北光《きたてる》の|神《かみ》は|悠然《いうぜん》として|奥《おく》の|間《ま》より|現《あら》はれ|来《きた》る|其《その》|不思議《ふしぎ》さ。セーラン|王《わう》|始《はじ》め|一同《いちどう》は|突然《とつぜん》の|目一《まひと》つ|神《のかみ》の|降臨《かうりん》に|驚嘆《きやうたん》やるかたなく、|最敬礼《さいけいれい》を|以《もつ》て|之《これ》を|遇《ぐう》し、|北光神《きたてるのかみ》を|正座《しやうざ》に|招《お》ぎ|奉《まつ》つた。
|北光神《きたてるのかみ》は|莞爾《くわんじ》として|一同《いちどう》を|見廻《みまは》し、
『|千早振《ちはやぶ》る|神《かみ》の|教《をしへ》の|開《ひら》け|口《ぐち》
|誠《まこと》|一《ひと》つの|手力男神《たぢからをのかみ》。
|手力男《たぢからを》|神《かみ》の|命《みこと》は|何処《いづく》なる
|誠《まこと》を|守《まも》る|人《ひと》の|心《こころ》に。
|高天《たかあま》の|原《はら》の|御国《みくに》は|何処《いづく》なる
|誠《まこと》に|強《つよ》き|人《ひと》の|心《こころ》に。
|国治《くにはる》の|立命《たちのみこと》の|御舎《みあらか》は
|汝《な》が|肉体《からたま》の|臍下丹田《したついはね》に。
|入那山《いるなやま》|木《こ》の|葉《は》のさやぐ|醜風《しこかぜ》も
|凪《な》ぎて|静《しづ》けき|今日《けふ》の|空《そら》かな。
|高照《たかてる》の|山《やま》を|立出《たちい》で|北光《きたてる》の
|神《かみ》の|光《ひかり》は|輝《かがや》きにけむ』
セーラン『|霊《たま》|幸《ち》はふ|神《かみ》の|光《ひかり》に|照《て》らされて
|入那《いるな》の|闇《やみ》は|晴《は》れ|渡《わた》りけり。
|恋《こ》ひ|慕《した》ふヤスダラ|姫《ひめ》の|肉体《からたま》を
|忘《わす》れ|果《は》てけり|神《かみ》のまにまに。
ヤスダラ|姫《ひめ》|神《かみ》の|命《みこと》よ|心《こころ》せよ
|汝《なれ》をば|憎《にく》む|心《こころ》にあらぬを。
さりながら|誠《まこと》の|道《みち》に|照《て》らされて
|消《き》え|失《う》せにけり|恋《こひ》の|黒雲《くろくも》。
|美《うる》はしくいとしく|思《おも》ふ|吾《わが》|胸《むね》は
|今《いま》も|昔《むかし》も|変《かは》らざりけり。
|道《みち》の|為《た》め|世人《よびと》のために|荒《あ》れ|狂《くる》ふ
|心《こころ》の|駒《こま》を|引《ひ》きしばり|行《ゆ》く。
|心《こころ》にもあらぬ|美辞《よごと》を|述《の》ぶるより
|神《かみ》のまにまに|打明《うちあ》かしおく』
ヤスダラ『|有難《ありがた》し|吾《わが》|大君《おほぎみ》の|御心《みこころ》は
|幾世《いくよ》|経《へ》ぬとも|忘《わす》れざらまし。
|大君《おほぎみ》よサマリー|姫《ひめ》と|常永遠《とことは》に
|御国《みくに》を|守《まも》れ|神《かみ》のまにまに。
|今《いま》よりは|三五教《あななひけう》の|神司《かむつかさ》
|世人《よびと》のために|鹿島立《かしまだ》ちせむ。
サマリーの|姫《ひめ》の|命《みこと》に|物《もの》|申《まを》す
|誠《まこと》を|捧《ささ》げ|王《きみ》に|仕《つか》へよ』
サマリー『|心安《うらやす》く|思召《おぼしめ》しませ|姫命《ひめみこと》
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|清《きよ》く|仕《つか》へむ。
|君《きみ》|行《ゆ》かば|後《あと》に|残《のこ》りし|吾々《われわれ》は
|心《こころ》|淋《さび》しく|日《ひ》を|送《おく》るらむ。
さりながら|神《かみ》の|御手《おんて》に|抱《いだ》かれし
|吾《わが》|身《み》の|上《うへ》を|案《あん》じ|給《たま》ふな。
|大君《おほぎみ》に|誠心《まことごころ》を|捧《ささ》げつつ
|吾《わが》|国民《くにたみ》を|安《やす》く|守《まも》らむ』
|黄金《わうごん》『|村肝《むらきも》の|心《こころ》の|悩《なや》み|失《う》せにけり
|姫《ひめ》と|姫《ひめ》との|和《やは》らぎを|見《み》て』
|清照《きよてる》『|天津日《あまつひ》は|御空《みそら》に|高《たか》く|清照《きよてる》の
|姫《ひめ》の|心《こころ》は|輝《かがや》き|渡《わた》る。
カールチン|右守《うもり》の|司《つかさ》に|物《もの》|申《まを》す
|吾《わが》|悪戯《いたづら》を|許《ゆる》し|給《たま》はれ。
|何事《なにごと》も|見直《みなほ》しするは|神《かみ》の|道《みち》
もとより|悪《あ》しき|心《こころ》ならねば』
カールチン『|有難《ありがた》し|清照姫《きよてるひめ》の|御言葉《みことば》は
|淋《さび》しき|吾《われ》の|生命《いのち》なりけり。
|今日《けふ》よりは|賤《いや》しき|心《こころ》|取直《とりなほ》し
|神《かみ》と|君《きみ》とに|誠《まこと》を|尽《つく》さむ』
セーリス『|斯《か》くすれば|斯《か》くなるものと|知《し》りながら
|引《ひ》くに|引《ひ》かれぬ|場合《ばあひ》なりけり
|天地《あめつち》の|皇大神《すめおほかみ》よ|許《ゆる》しませ
|知《し》りて|犯《をか》せし|詐《いつは》りの|罪《つみ》を』
|北光《きたてる》『|何事《なにごと》も|皆《みな》|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|霊《たま》|幸《ち》はへませ|教子《をしへご》の|上《へ》に。
|善《よ》しと|云《い》ひ|悪《あ》ししと|云《い》ふも|人《ひと》の|世《よ》の
かりの|隔《へだ》てと|聞直《ききなほ》す|神《かみ》。
|吾《われ》こそは|天津誠《あまつまこと》の|御教《みをしへ》を
|四方《よも》の|国々《くにぐに》|開《ひら》く|神司《みつかさ》。
さりながら|月《つき》に|村雲《むらくも》|花《はな》に|風《かぜ》
|雪《ゆき》に|朝日《あさひ》のあたる|世《よ》の|中《なか》。
|何事《なにごと》も|神《かみ》の|御胸《みむね》にまかすこそ
|高天《たかま》の|原《はら》にのぼる|架橋《かけはし》』
セーラン|王《わう》は|声《こゑ》も|涼《すず》しく|歌《うた》ふ。|其《その》|歌《うた》、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  イルナの|城《しろ》に|蟠《わだか》まる
|醜《しこ》の|枉津《まがつ》を|追《お》ひ|払《はら》ひ  |言向《ことむ》け|給《たま》ひし|尊《たふと》さよ
|吾《われ》はイルナの|刹帝利《せつていり》  バラモン|教《けう》の|神司《かむつかさ》
|鬼熊別《おにくまわけ》の|御教《みをしへ》を  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|謹《つつし》みて
|仕《つか》へまつりし|甲斐《かひ》ありて  |妻子《さいし》と|在《あ》れます|黄金《わうごん》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》や|清照《きよてる》の  |貴《うづ》の|司《つかさ》に|助《たす》けられ
|又《また》もや|北光神司《きたてるかむづかさ》  |其《その》|外《ほか》|忠義《ちうぎ》の|人々《ひとびと》に
|身《み》を|守《まも》られて|入那城《いるなじやう》  |再《ふたた》び|王《わう》と|君臨《くんりん》し
|世《よ》を|常久《とことは》に|守《まも》り|行《ゆ》く  |嬉《うれ》しき|身《み》とはなりにけり
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》は
|堅磐常磐《かきはときは》に|忘《わす》れまじ  |三五教《あななひけう》やウラル|教《けう》
バラモン|教《けう》と|種々《いろいろ》に  |教《をしへ》の|名称《めいしよう》は|変《かは》れども
|天地《てんち》を|造《つく》り|給《たま》ひたる  |誠《まこと》の|神《かみ》は|一柱《ひとはしら》
|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》の  |一《ひと》つに|帰《き》するものぞかし
|梵天帝釈自在天《ぼんてんたいしやくじざいてん》  |盤古大神《ばんこだいじん》|塩長《しほなが》の
|彦《ひこ》の|命《みこと》の|御守護《おんまもり》  |愈《いよいよ》|高《たか》く|深《ふか》くして
|宇内《うだい》|唯一《ゆゐいつ》の|三五《あななひ》の  |教《をしへ》に|導《みちび》き|給《たま》ひたる
|宏大無辺《くわうだいむへん》の|神徳《しんとく》を  |謹《つつし》み|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る
|左守《さもり》の|司《かみ》のクーリンス  |右守《うもり》の|司《かみ》のカールチン
|心《こころ》を|清《きよ》め|身《み》を|浄《きよ》め  いざこれよりは|入那城《いるなじやう》
セーラン|王《わう》の|聖職《せいしよく》を  |輔翼《ほよく》しまつり|国民《くにたみ》に
|塗炭《とたん》の|苦《くる》しをば|逃《のが》れしめ  |天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|真諦《しんたい》を
|導《みちび》き|諭《さと》し|天国《てんごく》を  |地上《ちじやう》に|細《つぶ》さに|建設《けんせつ》し
|人《ひと》と|生《うま》れし|天職《てんしよく》を  |上下《うへした》|睦《むつ》み|親《した》しみて
|仕《つか》へまつらむ|吾《わが》|心《こころ》  |麻柱《あなな》ひませよ|惟神《かむながら》
|神《かみ》に|誓《ちか》ひて|諸々《もろもろ》の  |司《つかさ》の|前《まへ》に|宣《の》り|伝《つた》ふ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
(大正一一・一一・二五 旧一〇・七 北村隆光録)
第二二章 |別離《べつり》の|歌《うた》〔一一四七〕
|黄金姫《わうごんひめ》は|別《わか》れに|臨《のぞ》んで|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ふ。
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の
|教《をしへ》の|道《みち》は|世《よ》を|救《すく》ふ  |斎苑《いそ》の|館《やかた》を|出《い》でしより
|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|守《まも》られて  |虎《とら》|狼《おほかみ》や|獅子《しし》|熊《くま》の
|伊猛《いたけ》り|狂《くる》ふ|荒野原《あらのはら》  |漸《やうや》く|渉《わた》り|高照《たかてる》の
|珍《うづ》の|岩窟《いはや》に|導《みちび》かれ  |神徳《しんとく》|無限《むげん》の|北光《きたてる》の
|神《かみ》の|薫陶《くんたう》を|受《う》けながら  |親子《おやこ》は|勇《いさ》み|入那城《いるなじやう》
|四方《よも》に|塞《ふさ》がる|黒雲《くろくも》を  |神《かみ》の|力《ちから》に|吹《ふ》き|払《はら》ひ
セーラン|王《わう》の|危難《きなん》をば  |救《すく》ひ|助《たす》けて|今《いま》は|早《はや》
|天地清明《てんちせいめい》|日月《じつげつ》は  |天津御空《あまつみそら》に|輝《かがや》きて
|冬《ふゆ》とは|云《い》へど|花《はな》|香《にほ》ふ  |常世《とこよ》の|春《はる》の|心地《ここち》しつ
|曲津《まがつ》の|荒《すさ》みをさまりて  |出《いで》|行《ゆ》く|吾《われ》こそ|楽《たの》しけれ
セーラン|王《わう》よ|聞《きこ》し|召《め》せ  |如何《いか》なる|事《こと》のあるとても
|天地《てんち》の|神《かみ》の|与《あた》へたる  |妃《きさき》の|君《きみ》のサマリー|姫《ひめ》
|必《かなら》ず|見捨《みす》て|給《たま》ふまじ  |天《あめ》と|地《つち》とにたとへたる
|夫婦《めをと》の|道《みち》はどこまでも  |厳《きび》しく|守《まも》り|進《すす》みませ
|夫婦《めをと》は|道《みち》の|大本《おほもと》ぞ  ヤスダラ|姫《ひめ》の|神司《かむつかさ》
|汝《なれ》が|命《みこと》の|御心《みこころ》に  かけさせ|給《たま》ふ|事《こと》もなく
|科戸《しなど》の|風《かぜ》に|執着《しふちやく》の  |雲《くも》|吹《ふ》き|払《はら》ひ|天地《あめつち》の
|誠《まこと》を|千代《ちよ》に|永久《とこしへ》に  |立《た》てさせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》に|誓《ちか》ひて|願《ね》ぎまつる  |吾《われ》はこれより|天地《あめつち》の
|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|助《たす》けられ  |魔神《まがみ》の|荒《すさ》ぶ|荒野原《あらのはら》
|夜《よ》を|日《ひ》についで|進《すす》みつつ  |歓喜《くわんき》の|花《はな》|咲《さ》くハルナ|城《じやう》
|大黒主《おほくろぬし》の|肉体《からたま》に  |巣《す》ぐふ|曲神《まがみ》を|言向《ことむ》けて
|神《かみ》の|司《つかさ》の|天職《てんしよく》を  |尽《つく》しまつらむ|惟神《かむながら》
|神《かみ》は|吾等《われら》と|倶《とも》にあり  |北光神《きたてるがみ》よセーラン|王《わう》よ
|吾《わが》|往《ゆ》く|先《さき》を|恙《つつが》なく  |守《まも》らせ|給《たま》へと|神床《かむどこ》に
|心《こころ》|静《しづ》めて|祈《いの》りませ  |天《あめ》と|地《つち》とは|清照《きよてる》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》と|諸共《もろとも》に  |治《をさ》まる|御代《みよ》もヤスダラ|姫《ひめ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》の|神司《かむつかさ》  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|駒彦司《こまひこつかさ》のハルマンと  |茲《ここ》に|一行《いつかう》|四人連《よにんづ》れ
|清《きよ》き|尊《たふと》き|聖城《せいじやう》を  |名残《なごり》|惜《を》しくも|後《あと》に|見《み》て
|吾《われ》はこれより|出《い》でて|行《ゆ》く  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
|清照姫《きよてるひめ》は|又《また》|歌《うた》ふ。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善神《ぜんしん》|邪神《じやしん》を|立《た》て|別《わ》ける
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |清照姫《きよてるひめ》の|神司《かむつかさ》
|清《きよ》き|尊《たふと》き|御教《みをしへ》に  |心《こころ》の|駒《こま》を|立《た》て|直《なほ》し
|鞭《むちう》ち|進《すす》む|膝栗毛《ひざくりげ》  |心《こころ》も|軽《かる》き|蓑笠《みのかさ》の
|草鞋脚絆《わらぢきやはん》に|身《み》を|固《かた》め  |猛虎《まうこ》のたけぶ|荒野原《あらのはら》
|善言美辞《ぜんげんびし》の|言霊《ことたま》を  |打《う》ち|出《だ》しながら|堂々《だうだう》と
|進《すす》み|行《ゆ》くこそ|勇《いさ》ましき  |行手《ゆくて》に|如何《いか》なる|曲神《まがかみ》の
さやりて|進路《しんろ》を|塞《ふさ》ぐとも  |何《なに》かは|恐《おそ》れむ|敷島《しきしま》の
|大和心《やまとごころ》は|清《きよ》く|照《て》る  |仁慈《じんじ》の|駒《こま》に|矢《や》を|放《はな》つ
|醜《しこ》の|曲霊《まがひ》はあらざらめ  あゝ|勇《いさ》ましや|勇《いさ》ましや
|入那《いるな》の|城《しろ》の|黒雲《くろくも》は  |清《きよ》く|涼《すず》しく|晴《は》れ|渡《わた》り
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|有様《ありさま》を  |現出《げんしゆつ》したる|今日《けふ》の|空《そら》
|心《こころ》の|残《のこ》る|事《こと》もなし  いざこれよりは|親《おや》と|子《こ》が
|心《こころ》を|合《あは》せ|力《ちから》をば  |一《ひと》つに|固《かた》め|月《つき》の|国《くに》
さやる|曲津《まがつ》を|悉《ことごと》く  |瑞《みづ》の|霊《みたま》に|言向《ことむ》けて
|進《すす》みて|往《ゆ》かむ|惟神《かむながら》  |北光神《きたてるがみ》やセーラン|王《わう》の
|君《きみ》の|命《みこと》に|嬉《うれ》しくも  |謹《つつし》み|別《わか》れを|告《つ》げまつる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
ヤスダラ|姫《ひめ》は|又《また》|歌《うた》ふ。
『|入那《いるな》の|国《くに》の|刹帝利《せつていり》  |尊《たふと》き|家系《かけい》に|生《うま》れたる
|左守司《さもりつかさ》のクーリンス  |神《かみ》の|司《つかさ》の|貴《うづ》の|子《こ》と
|生《うま》れあひたるヤスダラ|姫《ひめ》は  |神命《しんめい》|降《くだ》り|今《いま》|茲《ここ》に
|恋《こひ》しき|父《ちち》や|大君《おほぎみ》の  あれます|国《くに》を|後《あと》にして
|実《げ》にも|尊《たふと》き|三五《あななひ》の  |黄金姫《わうごんひめ》の|神司《かむつかさ》
|清照姫《きよてるひめ》に|従《したが》ひて  |悪魔《あくま》の|征途《せいと》に|上《のぼ》りゆく
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
ヤスダラ|姫《ひめ》の|魂《たましひ》に  |無限《むげん》|無窮《むきう》の|神力《しんりき》を
|濺《そそ》がせ|給《たま》へ|天地《あめつち》の  |皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に
|謹《つつし》み|敬《いやま》ひ|願《ね》ぎまつる  |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ  |誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の
|教《をしへ》を|守《まも》りいつまでも  イルナの|国《くに》を|浦安《うらやす》く
|守《まも》らせ|給《たま》へ|大君《おほぎみ》の  |御前《みまへ》に|謹《つつし》みヤスダラ|姫《ひめ》が
|謹《つつし》み|畏《かしこ》み|今《いま》|此処《ここ》に  |別《わか》れに|臨《のぞ》み|願《ね》ぎまつる
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|花《はな》も|咲《さ》く  ミロクの|神世《みよ》も|北光《きたてる》の
|天《あめ》の|目一《まひと》つ|神司《かむづかさ》  |高照山《たかてるやま》に|帰《かへ》りなば
|汝《な》が|妻神《つまがみ》の|竹野姫《たけのひめ》  |御前《みまへ》に|対《たい》しヤスダラ|姫《ひめ》
|道《みち》の|司《つかさ》が|種々《いろいろ》と  |恵《めぐみ》を|受《う》けし|嬉《うれ》しさを
|感謝《かんしや》し|居《ゐ》たりと|委細《まつぶさ》に  |伝《つた》へたまはれ|惟神《かむながら》
|神《かみ》に|誓《ちか》ひて|願《ね》ぎまつる  |吾《われ》は|是《これ》より|黄金《わうごん》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》に|従《したが》ひて  |荒野ケ原《あらのがはら》を|打《う》ち|渉《わた》り
|嵐《あらし》に|髪《かみ》を|梳《くしけづ》り  |霰《あられ》や|雪《ゆき》に|身《み》をそぼち
|身《み》なりも|卑《いや》しき|蓑笠《みのかさ》の  いと|軽々《かるがる》と|進《すす》み|行《ゆ》く
セーラン|王《わう》よサマリー|姫《ひめ》  |吾《わが》|往《ゆ》く|後《あと》は|睦《むつま》じく
|天地《てんち》の|神《かみ》の|神業《しんげふ》を  |互《たがひ》に|助《たす》け|助《たす》け|合《あ》ひ
|勤《いそ》しみたまへヤスダラ|姫《ひめ》の  |神《かみ》の|司《つかさ》が|旅立《かしまだち》の
|別《わか》れに|臨《のぞ》み|願《ね》ぎまつる  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
ハルマンは|又《また》|歌《うた》ふ。
『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |吾《われ》は|駒彦《こまひこ》|神司《かむづかさ》
|言依別《ことよりわけ》の|御言《みこと》もて  イルナの|国《くに》に|身《み》を|窶《やつ》し
|忍《しの》び|入《い》りしは|三年前《みとせまへ》  |上下《しやうか》に|時《とき》めく|右守司《うもりつかさ》
カールチン|館《やかた》に|身《み》を|寄《よ》せて  |卑《いや》しき|下僕《しもべ》となり|下《さが》り
バラモン|教《けう》に|迷《まよ》ひたる  |曲人達《まがびとたち》を|悉《ことごと》く
|誠《まこと》の|道《みち》に|言向《ことむ》けて  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|復《かへ》り|言《ごと》
|申《まを》さむものと|朝夕《あさゆふ》に  |神《かみ》に|祈《いの》りし|甲斐《かひ》ありて
いよいよ|吹《ふ》き|来《く》る|時津風《ときつかぜ》  |吾《わが》|職責《しよくせき》も|今《いま》は|早《はや》
|漸《やうや》く|尽《つく》しあらためて  |三五教《あななひけう》の|神柱《かむばしら》
|黄金姫《わうごんひめ》と|諸共《もろとも》に  |曲津《まがつ》の|猛《たけ》ぶ|月《つき》の|国《くに》
ハルナの|都《みやこ》に|蟠《わだか》まる  |八岐大蛇《やまたをろち》の|征服《せいふく》に
|進《すす》み|往《ゆ》くこそ|勇《いさ》ましき  コーカス|山《ざん》の|聖場《せいぢやう》を
|立《た》ち|出《い》で|茲《ここ》に|早三年《はやみとせ》  |仇《あだ》に|月日《つきひ》を|送《おく》りしを
|心《こころ》に|嘆《なげ》き|居《ゐ》たりしに  |一陽来復《いちやうらいふく》|三五《あななひ》の
|誠《まこと》の|花《はな》は|咲《さ》き|出《い》でて  |心《こころ》も|勇《いさ》む|春駒《はるこま》の
|名《な》もハルマンと|改《あらた》めて  |正々堂々《せいせいだうだう》|進《すす》み|往《ゆ》く
あゝ|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し  |北光神《きたてるがみ》よ|大君《おほぎみ》よ
|吾《わが》|往《ゆ》く|後《あと》は|天地《あめつち》の  |神《かみ》の|教《をしへ》を|朝夕《あさゆふ》に
|照《て》らし|給《たま》ひて|永久《とこしへ》に  |蒼生《あをひとぐさ》を|平《たひら》けく
いと|安《やす》らけく|守《まも》りませ  |吾《われ》は|尊《たふと》き|大神《おほかみ》の
|御霊《みたま》を|背《せな》に|負《お》ひながら  |第二《だいに》の|故郷《こきやう》と|住《す》みなれし
イルナの|都《みやこ》を|後《あと》にして  |茲《ここ》に|別《わか》れを|告《つ》げまつる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ。
いざさらば|心《こころ》の|駒彦《こまひこ》|勇《いさ》み|立《た》ち
ハルナの|都《みやこ》へ|立《た》ちて|向《むか》はむ。
|大君《おほぎみ》よ|心安《こころやす》けくましませよ
|汝《なれ》が|魂《みたま》に|神《かみ》ましませば。
|北光《きたてる》の|神《かみ》の|命《みこと》に|物《もの》|申《まを》す
|吾《わが》|往《ゆ》く|先《さき》を|守《まも》らせ|給《たま》へ』
|北光《きたてる》『|汝《なれ》こそは|三五教《あななひけう》の|神司《かむづかさ》
|駒彦《こまひこ》なりしかいとも|珍《めづ》らし。
|天地《あめつち》の|神《かみ》の|経綸《しぐみ》はどこまでも
ゆき|渡《わた》りけれ|尊《たふと》しの|世《よ》や。
ハルマンの|神《かみ》の|司《つかさ》を|駒彦《こまひこ》と
|悟《さと》り|得《え》ざりし|吾《われ》の|愚《おろか》さ』
|清照《きよてる》『|清照《きよてる》の|姫《ひめ》の|司《つかさ》も|駒彦《こまひこ》も
みな|化物《ばけもの》の|類《たぐひ》なりしか。
|吾《われ》こそは|小化物《こばけもの》なり|駒彦《こまひこ》は
|大化物《おほばけもの》よ|恐《おそ》ろしく|思《おも》ふ』
|駒彦《こまひこ》『|清照《きよてる》の|姫《ひめ》の|命《みこと》に|言問《ことと》はむ
|汝《なれ》が|心《こころ》は|化物《ばけもの》ならずや。
|吾《われ》よりも|汝《な》が|命《みこと》こそ|恐《おそ》ろしき
|右守《うもり》の|司《かみ》をもてあそびまし。
|吾《われ》こそは|右守《うもり》の|司《つかさ》に|使《つか》はれて
|下僕《しもべ》の|恥《はぢ》を|忍《しの》び|居《ゐ》たりし。
|顧《かへり》みれば|吾《われ》こそ|汝《なれ》に|比《くら》べては
|実《げ》にも|小《ちひ》さき|化物《ばけもの》ぞかし』
|黄金《わうごん》『|世《よ》の|終《をは》り|大化物《おほばけもの》が|現《あら》はれて
|智者《ちしや》と|学者《がくしや》を|噛《か》み|殺《ころ》すなり。
|現界《うつしよ》に|時《とき》めく|人《ひと》の|大方《おほかた》は
|大化物《おほばけもの》の|器《うつは》なりけり。
|世《よ》の|中《なか》の|大化物《おほばけもの》を|尽《ことごと》く
|言向和《ことむけやは》す|三五《あななひ》の|道《みち》』
ヤスダラ『|面白《おもしろ》し|大化物《おほばけもの》のさやる|世《よ》に
|現《あら》はれ|出《い》でし|神《かみ》の|化物《ばけもの》。
|化《ば》かされて|魂《たま》を|洗《あら》ひしカールチン
|吾《われ》も|騙《だま》されたくぞ|思《おも》ひぬ』
カールチン『|清照《きよてる》の|姫《ひめ》の|命《みこと》に|操《あやつ》られ
|揉《も》み|潰《つぶ》されて|真人《まびと》となりぬ。
|世《よ》の|中《なか》は|善悪不二《ぜんあくふじ》|正邪一如《せいじやいちによ》
その|理《ことわり》を|今《いま》や|悟《さと》りぬ。
|善《ぜん》と|云《い》ひ|悪《あく》と|称《とな》ふも|人《ひと》の|世《よ》の
|中《なか》を|隔《へだ》つる|玉垣《たまがき》と|知《し》る』
(大正一一・一一・二五 旧一〇・七 加藤明子録)
第二三章 |竜山別《たつやまわけ》〔一一四八〕
|竜雲《りううん》は|言葉《ことば》しづかに|歌《うた》ふ。
『|神《かみ》が|出現《しゆつげん》ましまして  |善悪邪正《ぜんあくじやせい》を|立別《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|直日《なほひ》の|御霊《みたま》を|経《たて》となし  |瑞《みづ》の|御霊《みたま》を|緯《ぬき》として
|織《お》りなされたる|綾錦《あやにしき》  |御旗《みはた》に|輝《かがや》く|十曜《とえう》の|紋《もん》
|善《ぜん》をば|助《たす》け|曲津見《まがつみ》を  |誠《まこと》の|道《みち》にまつろはす
|清《きよ》き|正《ただ》しき|神《かみ》の|道《みち》  われは|竜雲《りううん》|神司《かむつかさ》
ウラルの|道《みち》を|遵奉《じゆんぽう》し  セーロン|島《たう》に|打渡《うちわた》り
|彼方《あなた》|此方《こなた》とさまよひし  |時《とき》しもあれや|神地城《かうぢじやう》
ケーリス|姫《ひめ》のお|見出《みだ》しに  あづかりここに|登竜《とうりう》の
|門戸《もんこ》は|漸《やうや》く|開《ひら》け|来《き》て  |鰻登《うなぎのぼ》りに|登《のぼ》りつめ
|心《こころ》|傲《たか》ぶり|末《すゑ》|遂《つひ》に  |悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|限《かぎ》りをば
|尽《つく》しをへたる|醜司《しこつかさ》  |北光神《きたてるがみ》のお|諭《さと》しに
|前非《ぜんぴ》を|悔《く》いて|真心《まごころ》に  |復活《ふくくわつ》したる|嬉《うれ》しさよ
|心《こころ》にかかりし|醜雲《しこぐも》も  サラリと|晴《は》れて|日月《じつげつ》の
|胸《むね》に|輝《かがや》く|身《み》となりぬ  これぞ|全《まつた》く|三五《あななひ》の
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御恵《おんめぐ》み  |御礼《おれい》は|言葉《ことば》に|尽《つく》されず
|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|竜雲《りううん》も  |仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|大神《おほかみ》の
|尊《たふと》き|心《こころ》に|見直《みなほ》され  |聞直《ききなほ》されて|村肝《むらきも》の
|心《こころ》に|期《き》せぬ|修験者《しうげんじや》  |北光神《きたてるがみ》の|御教《みをしへ》に
|七千余国《しちせんよこく》の|月《つき》の|国《くに》  |検《あらた》め|巡《めぐ》る|嬉《うれ》しさよ
|沐雨櫛風《もくうしつぷう》も|何《なん》のその  |昔《むかし》の|罪《つみ》に|比《くら》ぶれば
|万分一《まんぶんいち》の|恩《おん》|報《はう》じ  げにも|尊《たふと》き|限《かぎ》りなり
|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|幸《さち》はひて  |心《こころ》も|清《きよ》く|照《て》り|渡《わた》る
|清照姫《きよてるひめ》や|黄金《わうごん》の  |姫命《ひめのみこと》に|伴《ともな》はれ
|入那《いるな》の|都《みやこ》に|現《あら》はれて  セーラン|王《わう》の|御為《おんため》に
|心《こころ》を|尽《つく》し|身《み》を|尽《つく》し  |仕《つか》へ|奉《まつ》りし|嬉《うれ》しさよ
かくなり|果《は》てし|上《うへ》からは  |入那《いるな》の|都《みやこ》に|竜雲《りううん》は
|心《こころ》を|残《のこ》す|術《すべ》もなし  あゝ|勇《いさ》ましや|勇《いさ》ましや
|晴《は》れて|嬉《うれ》しき|宣伝使《せんでんし》  |竜山別《たつやまわけ》と|改《あらた》めて
|四方《しはう》にさやる|曲津霊《まがつひ》を  |風《かぜ》に|草葉《くさば》のなびく|如《ごと》
|一《ひと》つも|残《のこ》さず|言向《ことむ》けて  |勝鬨《かちどき》あぐる|神《かみ》の|国《くに》
|末《すゑ》|頼《たの》もしき|首途《かどで》かな  いざいざさらばいざさらば
|北光神《きたてるがみ》よセーラン|王《わう》よ  サマリー|姫《ひめ》よカールチン
|左守司《さもりつかさ》のクーリンス  |其《その》|他《ほか》|百《もも》の|司《つかさ》たち
|茲《ここ》に|別《わか》れを|告《つ》げまつる  テームス、レーブ、カル|司《つかさ》
いよいよ|吾《われ》が|預《あづ》かりて  |月《つき》の|御国《みくに》を|巡歴《じゆんれき》し
|尊《たふと》き|清《きよ》き|大神《おほかみ》の  |柱《はしら》と|造《つく》り|育《そだ》て|上《あ》げ
ウブスナ|山《やま》のイソ|館《やかた》  |日出《ひので》の|別《わけ》の|御前《おんまへ》に
いと|勇《いさ》ましく|復《かへ》り|言《ごと》  |申《まを》しまつらむ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる。
|千早振《ちはやぶ》る|神《かみ》と|君《きみ》との|言《こと》の|葉《は》を
|普《あまね》く|照《て》らす|身《み》こそ|嬉《うれ》しき。
|曲神《まがかみ》にかき|乱《みだ》されし|吾《わが》|魂《たま》も
|科戸《しなど》の|風《かぜ》に|吹払《ふきはら》はれにけり。
いざさらば|竜山別《たつやまわけ》と|改《あらた》めて
|世人《よびと》の|為《ため》に|道《みち》を|伝《つた》へむ。
レーブ、カル、テームス|司《つかさ》と|諸共《もろとも》に
|荒野《あらの》を|進《すす》む|身《み》こそ|嬉《うれ》しき。
|惟神《かむながら》|尊《たふと》き|神《かみ》の|御守《みまも》りに
|安《やす》く|進《すす》まむ|荒野ケ原《あらのがはら》を。
|黄金姫《わうごんひめ》|神《かみ》の|命《みこと》の|神柱《かむばしら》
|進《すす》ませ|給《たま》ふハルナぞ|恋《こひ》しき。
これよりは|月《つき》の|国々《くにぐに》|経巡《へめぐ》りて
やがて|進《すす》まむハルナ|都《みやこ》へ。
|君《きみ》ゆかば|鬼熊別《おにくまわけ》の|御柱《みはしら》に
|竜山別《たつやまわけ》をよきに|伝《つた》へよ。
|竜雲《りううん》の|魔神《まがみ》の|道《みち》にありと|聞《き》かば
|鬼熊別《おにくまわけ》も|舌《した》をまかさむ。
さりながら|悪《あ》しきをすてて|真心《まごころ》の
|花《はな》|咲《さ》き|出《い》でしわれは|真人《まびと》ぞ』
|黄金《わうごん》『|竜山別《たつやまわけ》|神《かみ》の|司《つかさ》の|言《こと》の|葉《は》を
わが|背《せ》の|君《きみ》によきに|伝《つた》へむ。
|大黒主《おほくろぬし》|神《かみ》の|司《つかさ》の|耳《みみ》に|入《い》らば
|忽《たちま》ち|心《こころ》ひるがへしなむ。
|竜雲《りううん》の|神《かみ》の|司《つかさ》を|竜山別《たつやまわけ》と
|名乗《なのり》るも|誰《たれ》か|誠《まこと》とやせむ』
|竜雲《りううん》『|竜巻《たつまき》の|雲《くも》|晴《は》れ|行《ゆ》きし|其《その》|後《あと》に
|輝《かがや》き|渡《わた》る|月《つき》かげもあり
|日《ひ》も|月《つき》も|皆《みな》|竜巻《たつまき》につつまれて
|曇《くも》りし|空《そら》も|晴《は》らす|松風《まつかぜ》。
|松《まつ》が|枝《え》を|吹渡《ふきわた》りゆく|科戸辺《しなどべ》の
|風《かぜ》こそ|神《かみ》の|御水火《みいき》なりけり』
|清照《きよてる》『|面白《おもしろ》し|竜山別《たつやまわけ》のいでたちを
|見送《みおく》るわれはほほゑまれぬる。
|照《て》りわたる|頭《あたま》に|鉢巻《はちまき》しめながら
|出《い》でます|姿《すがた》|面白《おもしろ》きかな』
|竜雲《りううん》『|禿頭《はげあたま》ピカピカ|光《ひか》る|鉢巻《はちまき》は
|曲《まが》に|舌《した》をば|巻《ま》かせむ|為《ため》ぞや。
まかすとは|弱《よわ》きをくじく|故《ゆゑ》ならず
|誠《まこと》の|道《みち》にまかすのみなり。
|魔訶不思議《まかふしぎ》|悪神《あくがみ》|忽《たちま》ち|善《ぜん》となり
|今《いま》は|尊《たふと》き|神《かみ》の|司《つかさ》よ』
ヤスダラ『|勇《いさ》ましき|竜山別《たつやまわけ》の|其《その》|姿《すがた》
|坊主鉢巻《ばうずはちまき》よくも|似合《にあ》へる』
|竜山別《たつやまわけ》『いざさらばこれの|館《やかた》を|竜山別《たつやまわけ》の
|此《この》|武者振《むしやぶり》をよくみそなはせ。
|野《の》も|山《やま》も|草木《くさき》も|川《かは》も|忽《たちま》ちに
てらしてゆかむ|此《この》|禿頭《はげあたま》。
|照《て》りわたる|神《かみ》の|大道《おほぢ》を|歩《あゆ》む|身《み》は
|神《かみ》ぞ|宿《やど》りて|頭《かうべ》てるなり。
|禿頭《はげあたま》|隈《くま》なく|光《ひか》り|清照《きよてる》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》と|現《あら》はれて|行《ゆ》く。
|年《とし》|老《お》いてあが|顔色《かんばせ》は|黄金《わうごん》の
|姫《ひめ》の|色香《いろか》にうつろひにけり』
|黄金《わうごん》『|馬鹿々々《ばかばか》し|吾《わが》|肉体《からたま》は|老《お》いぬれど
|心《こころ》は|若《わか》き|春《はる》の|野草《のぐさ》よ。
|神国《かみくに》に|進《すす》み|行《ゆ》く|身《み》は|老《おい》と|若《わか》きの
|隔《へだ》てなければいつも|勇《いさ》みぬ。
|吾《わが》|身《み》こそ|六十路《むそぢ》の|坂《さか》を|越《こ》えぬれど
|心《こころ》は|二八《にはち》の|優姿《やさすがた》かも』
|竜山別《たつやまわけ》『これはしたりわが|言霊《ことたま》のすべりすぎて
|思《おも》はぬ|方《かた》におち|行《ゆ》きにける。
|黄金《わうごん》の|姫《ひめ》の|命《みこと》よ|赦《ゆる》せかし
|君《きみ》を|老《お》いしと|言《い》ひし|過《あやま》ち。
|諺《ことわざ》に|雀《すずめ》|百《ひやく》まで|牡鳥《をんどり》を
|忘《わす》れぬと|云《い》ふ|謎《なぞ》を|忘《わす》れし。
|何事《なにごと》も|広《ひろ》き|心《こころ》に|神直日《かむなほひ》
|見直《みなほ》し|給《たま》へ|黄金姫司《わうごんひめつかさ》』
|黄金《わうごん》『|不老不死《ふらうふし》|神《かみ》の|御国《みくに》に|身《み》を|置《お》いて
|常世《とこよ》の|春《はる》をゑらぎ|楽《たの》しむ。
|此《この》|世《よ》をば|捨《す》てて|御国《みくに》へ|上《のぼ》るとも
|忘《わす》れざらまし|君《きみ》の|姿《すがた》は』
|竜山別《たつやまわけ》『|竜山別神《たつやまわけかみ》の|命《みこと》の|禿頭《はげあたま》
|忘《わす》れむとして|忘《わす》れざらまし。
|月《つき》も|日《ひ》もこれの|頭《かうべ》にてりわたり
|心《こころ》にしみて|胸《むね》|明《あきら》けくなりぬ』
セーラン『|面白《おもしろ》し|誠《まこと》の|道《みち》にまつろひし
|人《ひと》の|言《こと》の|葉《は》|罪科《つみとが》もなし』
(大正一一・一一・二五 旧一〇・七 松村真澄録)
第二四章 |出陣歌《しゆつぢんか》〔一一四九〕
レーブは|歌《うた》ふ。
『ライオン|川《がは》を|打渡《うちわた》り  |玉山峠《たまやまたうげ》の|峻坂《しゆんぱん》を
|黄金姫《わうごんひめ》の|一行《いつかう》に  |従《したが》ひ|駒《こま》を|引《ひ》きながら
テームス|峠《たうげ》の|関所《せきしよ》をば  |漸《やうや》く|無事《ぶじ》に|乗《の》り|越《こ》えて
|大黒主《おほくろぬし》の|軍隊《ぐんたい》に  |坂《さか》の|麓《ふもと》に|出会《しゆつくわい》し
|千尋《ちひろ》の|谷間《たにま》に|顛落《てんらく》し  カルの|司《つかさ》と|諸共《もろとも》に
|三途《さんづ》の|川《かは》を|打渡《うちわた》り  |天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|門口《もんぐち》を
|探険《たんけん》したる|折《をり》もあれ  |照国別《てるくにわけ》の|一行《いつかう》に
|呼《よ》び|覚《さ》まされて|甦《よみがへ》り  |葵《あふひ》の|沼《ぬま》の|傍《かたはら》に
|又《また》もや|敵《てき》に|包囲《はうゐ》され  |危《あやふ》き|生命《いのち》を|助《たす》かりつ
|沼《ぬま》の|彼方《あなた》に|来《き》て|見《み》れば  |黄金姫《わうごんひめ》や|清照姫《きよてるひめ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》の|御休息《ごきうそく》  いよいよ|再生《さいせい》の|思《おも》ひして
レーブとカルとの|両人《りやうにん》は  |黄金姫《わうごんひめ》に|随伴《ずゐはん》し
|入那《いるな》の|森《もり》に|来《き》て|見《み》れば  |右守《うもり》の|司《かみ》の|放《はな》ちたる
テル、テク、アルマに|出会《しゆつくわい》し  |漸《やうや》く|敵《てき》を|追《お》ひ|散《ち》らし
テームス|司《つかさ》と|諸共《もろとも》に  |入那《いるな》の|城《しろ》へ|進《すす》み|入《い》り
|暫《しばら》く|此処《ここ》にやすらへば  |北光神《きたてるがみ》に|招《まね》かれて
セーラン|王《わう》は|九重《ここのへ》の  |雲《くも》|押分《おしわ》けて|高照《たかてる》の
|深山《みやま》をさして|出《い》で|給《たま》ふ  |暗《くら》さは|暗《くら》し|闇《やみ》の|道《みち》
テームス、レーブ、カル|三人《みたり》  |轡《くつわ》を|並《なら》べて|戞々《かつかつ》と
|王《わう》に|従《したが》ひ|高照山《たかてるやま》の  |岩窟《いはや》をさして|進《すす》み|行《ゆ》く
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|恵《めぐ》みの|深《ふか》くして
|思《おも》ひもよらぬヤスダラの  |姫《ひめ》の|命《みこと》に|出会《しゆつくわい》し
|暫《しば》らく|此処《ここ》に|日《ひ》を|送《おく》り  |北光神《きたてるがみ》に|促《うなが》され
|駒《こま》に|跨《またが》り|堂々《だうだう》と  |夜陰《やいん》に|乗《じやう》じ|入那城《いるなじやう》
|帰《かへ》りて|見《み》ればカールチン  |畏《おそ》れ|多《おほ》くも|万乗《ばんじやう》の
|吾《わが》|大君《おほぎみ》を|退《しりぞ》けて  |己《おの》が|慾望《よくばう》を|達《たつ》せむと
|計《はか》り|居《を》るこそ|嘆《うた》てけれ  |天地《てんち》の|神《かみ》は|何時迄《いつまで》も
|魔神《まがみ》の|荒《すさ》びを|如何《いか》にして  やすく|見逃《みのが》し|給《たま》ふべき
|忽《たちま》ち|陰謀《いんぼう》|露顕《ろけん》して  |右守《うもり》の|司《かみ》に|潜《ひそ》みたる
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜神《しこがみ》は  |掻《か》き|消《け》す|如《ごと》く|逃《に》げ|去《さ》りぬ
あゝ|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し  |神《かみ》の|御稜威《みいづ》は|忽《たちま》ちに
|輝《かがや》き|渡《わた》る|四方《よも》の|国《くに》  |天《てん》|明《あき》らけく|地《つち》|豊《ゆた》に
|瑞祥《ずゐしやう》の|御代《みよ》となりにけり  セーラン|王《わう》の|神勅《みこと》もて
|竜山別《たつやまわけ》に|従《したが》ひて  |三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》を
|四方《よも》の|国々《くにぐに》|島々《しまじま》に  |隈《くま》なく|教《をし》へ|伝《つた》へ|行《ゆ》く
|名《な》さへ|目出度《めでた》き|宣伝使《せんでんし》  |霊魂《みたま》の|限《かぎ》り|身《み》の|限《かぎ》り
|誠《まこと》を|筑紫《つくし》の|果《はて》までも  |開《ひら》きて|行《ゆ》かむ|神《かみ》の|道《みち》
|北光神《きたてるがみ》よいざさらば  セーラン|王《わう》よサマリー|姫《ひめ》
|左守《さもり》|右守《うもり》の|司《つかさ》|等《ら》よ  |吾《わが》|行《ゆ》く|後《あと》は|天地《あめつち》の
|神《かみ》に|誠《まこと》を|捧《ささ》げつつ  |入那《いるな》の|国《くに》は|云《い》ふも|更《さら》
テルマン|国《ごく》を|初《はじ》めとし  |其《その》|他《ほか》|百《もも》の|国々《くにぐに》へ
|三五教《あななひけう》の|御光《みひかり》を  |照《て》らさせ|給《たま》へ|天地《あめつち》の
|神《かみ》に|誓《ちか》ひて|神司《かむつかさ》  レーブは|偏《ひとへ》に|願《ね》ぎ|奉《まつ》る
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |神《かみ》に|任《まか》せし|吾《わが》|体《からだ》
|生命《いのち》の|続《つづ》く|其《その》|限《かぎ》り  |曇《くも》りと|汚《けが》れに|充《み》ち|果《は》てし
|豊葦原《とよあしはら》の|国中《くになか》を  |清《きよ》めすかして|天国《てんごく》の
|至喜《しき》と|至楽《しらく》の|状態《じやうたい》を  |出現《しゆつげん》せずにおくべきか
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の
|五六七《みろく》の|神《かみ》の|御前《おんまへ》に  |謹《つつし》み|敬《うやま》ひ|願《ね》ぎ|奉《まつ》る。
|千早振《ちはやぶ》る|神《かみ》の|恵《めぐみ》を|蒙《かかぶ》りて
|世人《よびと》を|救《すく》ふ|身《み》こそ|嬉《うれ》しき。
|悪《あく》を|捨《す》て|誠《まこと》の|道《みち》に|入那城《いるなじやう》
|後《あと》に|見捨《みす》てて|進《すす》み|行《ゆ》くかな。
|北光《きたてる》の|神《かみ》の|司《つかさ》よ|吾《わが》|魂《たま》を
いや|永遠《とこしへ》に|守《まも》り|給《たま》はれ。
|素盞嗚《すさのをの》の|神《かみ》の|命《みこと》の|守《まも》ります
|三五教《あななひけう》は|世《よ》を|救《すく》ふ|道《みち》。
|人《ひと》は|皆《みな》|天《あめ》と|地《つち》との|大神《おほかみ》の
|珍《うづ》の|宮居《みやゐ》と|聞《き》くぞ|嬉《うれ》しき。
|今《いま》よりは|心《こころ》の|駒《こま》を|立直《たてなほ》し
|魔神《まがみ》の|荒《すさ》ぶ|荒野《あらの》|分《わ》け|行《ゆ》く。
|苦《くる》しさの|中《なか》にも|楽《たの》しみある|世《よ》には
|如何《いか》な|枉津《まがつ》の|来《く》るも|恐《おそ》れじ』
カルは|又《また》|歌《うた》ふ。
『|入那《いるな》の|城《しろ》を|後《あと》にして  レーブ、テームス|両人《りやうにん》と
|心《こころ》を|協《あは》せ|手《て》をとりて  |悪魔《あくま》の|征討《せいたう》に|上《のぼ》り|行《ゆ》く
|吾《われ》は|尊《たふと》き|神司《かむつかさ》  |竜雲司《りううんつかさ》も|今日《けふ》よりは
|竜山別《たつやまわけ》と|名《な》を|変《か》へて  |魔神《まがみ》の|荒《すさ》ぶ|山川《やまかは》を
いと|易々《やすやす》と|宣伝歌《せんでんか》  |歌《うた》ひて|進《すす》み|出《い》でませよ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|御空《みそら》の|星《ほし》は|落《お》つるとも  |海《うみ》はあせなむ|世《よ》ありとも
|一旦《いつたん》|神《かみ》に|任《まか》したる  |吾等《われら》|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》
|決《けつ》して|変心《へんしん》する|勿《なか》れ  |神《かみ》を|忘《わす》れし|其《その》|時《とき》は
|身魂《みたま》に|忽《たちま》ち|苦《くるし》みを  |覚《おぼ》ゆる|時《とき》と|知《し》る|上《うへ》は
|如何《いか》なる|艱難《なやみ》に|遭《あ》ふとても  |神《かみ》を|力《ちから》に|三五《あななひ》の
|誠《まこと》を|杖《つゑ》にいそいそと  |道《みち》の|真中《まなか》を|驀進《ばくしん》し
|魔神《まがみ》の|集《あつ》まる|巣窟《さうくつ》を  |根本的《こんぽんてき》に|掃蕩《さうたう》し
|吾《わが》|三五《あななひ》の|大道《おほみち》を  |世界《せかい》に|照《て》らし|大神《おほかみ》の
|御稜威《みいづ》を|四方《よも》に|拡充《くわくじゆう》し  |神《かみ》と|人《ひと》との|中《なか》に|立《た》ち
|善悪正邪《ぜんあくせいじや》を|超越《てうゑつ》し  |只《ただ》|何事《なにごと》も|大神《おほかみ》の
|任《よさ》し|給《たま》ひし|神直日《かむなほひ》  |清《きよ》き|心《こころ》に|宣《の》り|直《なほ》し
|見直《みなほ》し|行《ゆ》かむ|宣伝使《せんでんし》  あゝ|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し
|神《かみ》は|吾等《われら》と|倶《とも》にあり  |吾等《われら》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》
|如何《いか》なる|枉《まが》の|来《きた》るとも  いかでか|神《かみ》に|敵《てき》し|得《え》む
あゝ|勇《いさ》ましや|勇《いさ》ましや  |入那《いるな》の|城《しろ》を|後《あと》にして
|足並《あしなみ》|揃《そろ》へて|四人連《よたりづ》れ  |旗鼓堂々《きこだうだう》と|恙《つつが》なく
|勝利《しようり》の|都《みやこ》に|立向《たちむか》ひ  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|勝鬨《かちどき》を
|現《あら》はしまつるは|目《ま》のあたり  いざいざさらば、いざさらば
|北光神《きたてるがみ》や|其《その》|他《ほか》の  |百《もも》の|司《つかさ》の|御前《おんまへ》に
|茲《ここ》に|暇《いとま》を|告《つ》げまつる  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ。
|惟神《かむながら》|神《かみ》の|大道《おほぢ》を|四方《よも》の|国《くに》
|開《ひら》き|行《ゆ》く|身《み》ぞ|楽《たの》しかりけり。
|天地《あめつち》は|如何《いか》に|広《ひろ》しと|云《い》ひながら
|神《かみ》の|守《まも》らぬ|国土《くにつち》はなし。
|天地《あめつち》の|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|抱《いだ》かれて
|神《かみ》の|御国《みくに》を|開《ひら》き|行《ゆ》くかな。
|北光《きたてる》の|神《かみ》の|司《つかさ》や|大君《おほぎみ》に
|今《いま》|別《わか》れ|行《ゆ》く|吾《われ》ぞ|悲《かな》しき。
さりながら|生者必滅《しやうじやひつめつ》|会者定離《ゑしやぢやうり》
|別《わか》れて|後《のち》に|会《あ》はむとぞ|思《おも》ふ』
(大正一一・一一・二五 旧一〇・七 北村隆光録)
第二五章 |惜別歌《せきべつか》〔一一五〇〕
テームスは|又《また》|歌《うた》ふ。
『ハルナの|都《みやこ》にあれませる  |大黒主《おほくろぬし》の|神司《かむつかさ》
|右守《うもり》の|司《かみ》と|語《かた》らひて  イルナの|城《しろ》を|占領《せんりやう》し
セーラン|王《わう》を|放逐《はうちく》し  |右守《うもり》の|司《かみ》は|刹帝利《せつていり》
|富貴《ふうき》|栄華《えいぐわ》を|極《きは》めむと  |企《たくら》み|居《を》れる|由々《ゆゆ》しさに
|左守《さもり》の|司《かみ》のクーリンス  |社稷《しやしよく》を|憂《うれ》ひましまして
|大梵天王《だいぼんてんわう》|大前《おほまへ》に  |額《ぬかづ》き|祈《いの》りたまふ|折《をり》
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |黄金《わうごん》|世界《せかい》の|神柱《かむばしら》
|秋野《あきの》|彩《いろ》どる|紅葉《もみぢば》の  |神《かみ》の|御稜威《みいづ》も|清照《きよてる》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|二柱《ふたはしら》  イルナの|国《くに》を|横《よこ》ぎりつ
ハルナの|都《みやこ》に|出《い》でませば  |二人《ふたり》を|途中《とちう》に|迎《むか》へ|入《い》れ
イルナの|都《みやこ》の|危難《きなん》をば  |取《と》り|除《のぞ》けよと|御宣示《ごせんじ》の
いと|尊《たふと》さに|左守司《さもりがみ》  |吾《われ》を|間近《まぢか》く|呼《よ》びたまひ
|四五《しご》の|従者《じゆうしや》を|引《ひ》きつれて  |神力《しんりき》|無双《むさう》の|神司《かむつかさ》
|迎《むか》へまつりて|来《きた》れよと  |仰《あふ》せられしぞ|尊《たふと》けれ
イルナの|城《しろ》を|後《あと》にして  |秋風《あきかぜ》|渡《わた》る|野路《のぢ》を|越《こ》え
イルナの|森《もり》の|手前《てまへ》にて  |地底《ちそこ》の|関所《せきしよ》に|君《きみ》|待《ま》てば
|声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣伝歌《せんでんか》  |歌《うた》ひて|来《きた》る|神司《かむつかさ》
あゝ|有難《ありがた》や|尊《たふと》やと  |心《こころ》の|中《うち》に|伏《ふ》し|拝《をが》み
|喜《よろこ》ぶ|間《ま》もなく|二柱《ふたはしら》  いづくともなく|御姿《みすがた》を
|隠《かく》したまひし|悲《かな》しさよ  |暫《しば》らくありて|二柱《ふたはしら》
イルナの|都《みやこ》に|出《い》でまして  |悪魔《あくま》になやみたまひたる
セーラン|王《わう》を|救《すく》ひ|出《だ》し  |高照山《たかてるやま》の|岩窟《がんくつ》に
|導《みちび》きたまひて|千万《ちよろづ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》を|宣《の》りたまひ
|北光神《きたてるがみ》の|御恵《みめぐみ》に  |傾《かたむ》きかけしイルナ|城《じやう》
|元《もと》に|復《かへ》して|今《いま》|此処《ここ》に  |妖雲《えううん》|忽《たちま》ち|払拭《ふつしき》し
|至治太平《しちたいへい》の|瑞祥《ずゐしやう》を  |認《みと》めたるこそ|嬉《うれ》しけれ
セーラン|王《わう》やクーリンス  |神《かみ》の|司《つかさ》の|御教《みをしへ》に
|従《したが》ひまつりテームスは  |名《な》さへ|尊《たふと》き|宣伝使《せんでんし》
|竜山別《たつやまわけ》に|従《したが》ひて  |魔神《まがみ》の|猛《たけ》る|荒野原《あらのはら》
|言霊《ことたま》|戦隊《せんたい》|組織《そしき》して  |出《いで》|行《ゆ》く|身《み》とはなりにけり
|思《おも》へば|思《おも》へば|天地《あめつち》の  |神《かみ》の|恵《めぐみ》の|浅《あさ》からず
|心《こころ》の|雲《くも》も|晴《は》れ|渡《わた》り  |清《きよ》き|尊《たふと》き|宣伝使《せんでんし》
|四方《よも》に|打《う》ち|出《だ》す|言霊《ことたま》の  |恵《めぐみ》の|露《つゆ》は|草《くさ》や|木《き》の
|堅磐常磐《かきはときは》の|末《すゑ》までも  |助《たす》けてゆかむ|惟神《かむながら》
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御前《おんまへ》に  |吾等《われら》|一行《いつかう》の|成功《せいこう》を
|慎《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎまつる  |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|神《かみ》に|仕《つか》へし|宣伝使《せんでんし》  |如何《いか》で|心《こころ》を|変《へん》ずべき
|虎《とら》|狼《おほかみ》や|獅子《しし》|熊《くま》の  |醜《しこ》の|餌食《ゑじき》となるとても
|神《かみ》のたまひし|吾《わが》|身魂《みたま》  |天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|参上《まゐのぼ》り
|神霊界《しんれいかい》の|消息《せうそく》を  |明《あきら》め|来《きた》りて|地《ち》の|上《うへ》に
|又《また》もや|嬉《うれ》しく|降臨《かうりん》し  |七度《ななたび》|八度《やたび》|生《い》きかはり
|死《し》にかはりつつ|三五《あななひ》の  |教《をしへ》を|開《ひら》かで|置《お》くべきか
|今日《けふ》は|目出度《めでた》く|宣伝使《せんでんし》  |悪魔《あくま》|征討《せいたう》の|首途《かどで》ぞや
|竜山別《たつやまわけ》よレーブ、カル  |勇《いさ》めよ|勇《いさ》めよよく|勇《いさ》め
|祈《いの》れよ|祈《いの》れよよく|祈《いの》れ  |下《くだ》らぬ|理屈《りくつ》を|取《と》り|除《のぞ》き
|仁慈《じんじ》の|道《みち》を|一条《ひとすぢ》に  |四方《よも》の|国々《くにぐに》|委曲《まつぶさ》に
|開《ひら》きて|世人《よびと》を|天国《てんごく》に  |救《すく》ひて|進《すす》む|宣伝使《せんでんし》
|実《げ》にも|尊《たふと》き|限《かぎ》りなり  セーラン|王《わう》よ|北光《きたてる》の
|神《かみ》の|司《つかさ》よ、いざさらば  |吾《われ》はこれより|暇乞《いとまご》ひ
|七千余国《しちせんよこく》の|月《つき》の|国《くに》  |隈《くま》なく|廻《めぐ》り|大神《おほかみ》の
|尊《たふと》き|道《みち》を|宣伝《せんでん》し  |尚《なほ》も|進《すす》んで|筑紫国《つくしくに》
|竜宮島《りうぐうじま》はまだ|愚《おろ》か  |高砂島《たかさごじま》や|常世国《とこよくに》
|自凝島《おのころじま》の|果《は》てまでも  |神《かみ》の|光《ひかり》に|照《て》らされて
|吾《わが》|天職《てんしよく》を|完全《くわんぜん》に  |尽《つく》しまつらむ|勇《いさ》ましさ
|国治立大御神《くにはるたちのおほみかみ》  |豊国主大御神《とよくにぬしのおほみかみ》
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の  |御前《みまへ》に|慎《つつし》み|願《ね》ぎまつる。
|此《この》|世《よ》をば|造《つく》り|給《たま》ひし|国治《くにはる》の
|立《たち》の|命《みこと》の|御稜威《みいづ》|尊《たふと》き。
|吾《われ》は|今《いま》イルナの|都《みやこ》を|後《あと》にして
|誠《まこと》の|道《みち》に|進《すす》むうれしさ。
|進《すす》み|行《ゆ》く|大野《おほの》が|原《はら》にさやりたる
|醜《しこ》の|身魂《みたま》を|照《て》らし|行《ゆ》くかも。
|竜山《たつやま》の|別《わけ》の|命《みこと》の|頭《かうべ》|照《て》る
|後《あと》に|従《したが》ふ|吾《われ》ぞ|目出度《めでた》き。
|闇《やみ》の|夜《よ》も|竜山別《たつやまわけ》と|諸共《もろとも》に
|進《すす》み|行《ゆ》く|身《み》は|暗《くら》からじとぞ|思《おも》ふ』
(大正一一・一一・二五 旧一〇・七 加藤明子録)
第二六章 |宣直歌《のりなほしのうた》〔一一五一〕
|竜山別《たつやまわけ》『|常暗《とこやみ》の|曇《くも》り|果《は》てたる|世《よ》の|中《なか》は
|竜山別《たつやまわけ》の|頭《かしら》|尊《たふと》き。
|身《み》も|魂《たま》も|光《ひか》る|印《しるし》に|頭《かうべ》まで
|清《きよ》く|照《て》るなり|竜山別《たつやまわけ》は』
テームス『|有難《ありがた》し|頭《かうべ》まで|照《て》る|神司《かむづかさ》
|吾《われ》に|与《あた》へし|神《かみ》ぞ|畏《かしこ》き。
レーブ、カル|汝《なれ》も|喜《よろこ》べ|頭《かうべ》|照《て》る
|神《かみ》の|御供《みとも》に|仕《つか》へし|身《み》をば』
|清照《きよてる》『|面白《おもしろ》し|竜山別《たつやまわけ》の|神司《かむつかさ》
|常世《とこよ》の|国《くに》まで|照《て》らしたまはむ』
|黄金《わうごん》『|照《て》り|渡《わた》る|竜山別《たつやまわけ》の|頭《あたま》こそ
|機動《きどう》|演習《えんしふ》の|道場《だうぢやう》なるらむ。
|月《つき》も|日《ひ》も|皆《みな》てり|渡《わた》る|頭《かしら》こそ
|天《あめ》と|地《つち》とをわがものにせむ』
|竜山別《たつやまわけ》『|月《つき》も|日《ひ》も|星《ほし》も|照《て》るなる|吾《わが》|頭《かうべ》に
なほも|宿《やど》らす|天地《あめつち》の|神《かみ》。
|正直《しやうぢき》の|頭《かうべ》に|神《かみ》は|宿《とま》るてふ
その|神柱《かむばしら》いとど|目出度《めでた》き』
カル『|月《つき》も|日《ひ》も|星《ほし》さへ|宿《やど》をカル|頭《かうべ》
|竜山別《たつやまわけ》は|神《かみ》にまします』
|竜山別《たつやまわけ》『アハヽヽヽあきれ|果《は》てたる|人々《ひとびと》の
その|言《こと》の|葉《は》に|吾《わが》|顔《かほ》|照《て》れるも』
サマリー『お|頭《つむ》りは|光《ひか》りて|老人《おいと》と|見《み》えぬれど
|赤《あか》らむ|顔《かほ》に|若《わか》きをぞ|知《し》る』
|竜山別《たつやまわけ》『|若《わか》がへり|若《わか》がへりして|現《うつ》し|世《よ》に
|生《うま》れ|来《きた》りし|竜山別《たつやまわけ》よ。
|吾《われ》こそは|言霊別《ことたまわけ》の|御子《みこ》なりし
|竜山別《たつやまわけ》の|生《うま》れ|変《かは》りぞ。
|顕幽《けんいう》に|幾度《いくたび》となく|出入《でいり》して
|又《また》も|此《この》|世《よ》で|恥《はぢ》をかきしよ。
わが|霊《たま》は|神代《かみよ》の|昔《むかし》エルサレム
|醜原別《しこはらわけ》に|従《したが》ひし|曲《まが》。
|国照《くにてる》の|姫《ひめ》の|命《みこと》に|背《そむ》きたる
|竜山別《たつやまわけ》の|霊《たま》の|御末《みすゑ》ぞ。
さりながら|神《かみ》は|許《ゆる》させたまひけむ
|今日《けふ》|改《あらた》めて|司《つかさ》となりぬ。
ここだくの|罪《つみ》や|汚《けが》れも|荒磯《あらいそ》の
|浪《なみ》に|捨《す》てたる|吾《われ》ぞ|嬉《うれ》しき』
テームス『いざさらば|君《きみ》の|御前《みまへ》を|竜山別《たつやまわけ》の
|司《つかさ》と|共《とも》に|首途《かどいで》せむかな』
|竜山別《たつやまわけ》『レーブ、カル、テームス|三人《みたり》|吾《われ》と|共《とも》に
|三五《あななひ》の|道《みち》|開《ひら》きゆくべし』
|清照《きよてる》『いざさらば|右守《うもり》の|司《かみ》のカールチン
|縁《えにし》は|尽《つ》きじ|又《また》も|会《あ》はなむ。
くれぐれも|許《ゆる》したまはれ|吾《わが》|罪《つみ》を
|恨《うら》みたまはず|憎《にく》みたまはず』
カールチン『|清照《きよてる》の|姫《ひめ》の|司《つかさ》をヤスダラ|姫《ひめ》の
|司《つかさ》と|思《おも》ひし|吾《われ》の|愚《おろ》かさ。
|心《こころ》から|思《おも》はれ|恋《こ》はれ|居《を》るものと
|笑壺《ゑつぼ》に|入《い》りし|吾《われ》の|愚《おろ》かさ。
いざさらば|清照姫《きよてるひめ》よ|大神《おほかみ》の
|道《みち》にまさしく|進《すす》みましませ』
セーリス『|心《こころ》にもなき|恋衣《こひごろも》|着飾《きかざ》りて
|化《ば》け|終《おう》せたる|吾《われ》ぞうたてき。
|大君《おほぎみ》のみこと|畏《かしこ》みユーフテスを
わが|背《せ》の|君《きみ》と|仰《あふ》ぎまつらむ。
はしたなき|女《をんな》とおぼし|給《たま》ふまじ
まことより|出《で》し|嘘《うそ》の|悪戯《いたづら》。
|嘘《そら》ごとも|今《いま》はまこととなりにけり
|操《あやつ》りし|人《ひと》に|今《いま》は|添《そ》ひつつ』
ユーフテス『|何事《なにごと》も|神《かみ》の|任《よ》さしのままならば
|心《こころ》|安《やす》かれセーリスの|姫《ひめ》。
|恋衣《こひごろも》|幾重《いくへ》かさねて|今《いま》ははや
|脱《ぬ》ぎ|捨《す》て|難《がた》き|身《み》とはなりぬる』
サモア『|吾《われ》とても|神《かみ》の|大道《おほぢ》に|背《そむ》きたる
|醜《しこ》の|醜業《しこわざ》|敢《あへ》てせしかな。
|厭《いと》ひてし|人《ひと》と|夫婦《めをと》の|契《ちぎり》をば
|結《むす》ぶも|神《かみ》の|心《こころ》なるらむ。
|今《いま》はただ|恋《こひ》しくなりぬマンモスの
わが|背《せ》の|君《きみ》と|千代《ちよ》を|契《ちぎ》らむ。
マンモスよ|許《ゆる》させたまへ|偽《いつは》りの
|心《こころ》|汚《きたな》き|吾《わが》|行《おこな》ひを』
マンモス『|何事《なにごと》も|晨《あした》の|露《つゆ》と|消《き》え|果《は》てし
|今日《けふ》は|心《こころ》に|朝日《あさひ》|照《て》るなり。
|朝日影《あさひかげ》|漸《やうや》く|西《にし》にイルナ|城《じやう》
|夕《ゆふべ》の|契《ちぎ》り|頼《たの》もしきかな。
|常暗《とこやみ》の|夜《よ》に|睦《むつ》びあふ|恋《こひ》の|道《みち》に
しばしば|雲《くも》のかからざらめや』
サモア『|頼《たの》もしきわが|背《せ》の|君《きみ》の|言《こと》の|葉《は》は
|花《はな》|咲《さ》く|春《はる》に|逢《あ》ふ|心地《ここち》せり。
|千代《ちよ》|八千代《やちよ》|変《かは》らず|睦《むつ》び|親《した》しみて
|世人《よびと》のために|道《みち》を|開《ひら》かむ』
|北光《きたてる》『|天地《あめつち》を|包《つつ》む|雲霧《くもきり》くまもなく
|晴《は》れ|渡《わた》りたる|今日《けふ》ぞ|尊《たふと》き』
セーラン『|常夜《とこよ》|行《ゆ》く|暗《やみ》は|晴《は》れけり|三五《あななひ》の
|月《つき》の|光《ひかり》に|照《て》らされし|身《み》は』
|黄金《わうごん》『|月《つき》も|日《ひ》も|西《にし》にイルナの|城《しろ》の|上《へ》に
|千代《ちよ》を|寿《ことほ》ぐ|群烏《むらがらす》かな』
|清照《きよてる》『|大神《おほかみ》の|光《ひかり》|隈《くま》なく|照《て》り|渡《わた》り
イルナの|城《しろ》は|魔《ま》の|影《かげ》もなし』
|竜山別《たつやまわけ》『いざさらば|吾《わが》|大君《おほぎみ》に|暇乞《いとまご》ひ
|月《つき》の|山路《やまぢ》を|照《て》らしゆくべし』
ハルマン『|駒彦《こまひこ》が|心《こころ》の|駒《こま》にむちうちて
ハルナの|都《みやこ》へかけりゆくかも。
|春駒《はるこま》の|勇《いさ》み|進《すす》んで|三五《あななひ》の
|道《みち》|伝《つた》へゆく|吾《われ》ぞ|嬉《うれ》しき』
ヤスダラ『|大君《おほぎみ》に|悲《かな》しき|袂《たもと》を|分《わか》ちつつ
|嬉《うれ》しき|道《みち》の|旅《たび》をなすかな』
カールチン『いざさらば|百《もも》の|司《つかさ》よ|恙《つつが》なく
|神《かみ》の|大道《おほぢ》に|進《すす》み|行《ゆ》きませ』
クーリンス『|常闇《とこやみ》の|夜《よ》は|晴《は》れ|渡《わた》るイルナ|城《じやう》
|左守《さもり》の|司《つかさ》も|心《こころ》|勇《いさ》めり。
ヤスダラの|姫《ひめ》の|命《みこと》よ|心《こころ》して
|虎伏《とらふ》す|野辺《のべ》を|進《すす》み|行《ゆ》きませ。
|惟神《かむながら》|神《かみ》の|教《をしへ》をよく|守《まも》り
|安《やす》く|往《ゆ》きませハルナの|都《みやこ》へ』
ヤスダラ『いざさらば|父《ちち》の|命《みこと》よまめやかに
|命《いのち》ながらへ|君《きみ》に|仕《つか》へませ』
かく|各《おのおの》|歌《うた》を|詠《よ》み|交《かは》し、|惜《を》しき|別《わか》れを|告《つ》げて、|宣伝《せんでん》の|旅《たび》に|出立《しゆつたつ》する|事《こと》となつた。|冬《ふゆ》の|太陽《たいやう》は|煌々《くわうくわう》として|斜《ななめ》に|宣伝使《せんでんし》の|頭上《づじやう》を|照《て》らさせ|給《たま》うた。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・一一・二五 旧一〇・七 加藤明子録)
-----------------------------------
霊界物語 第四二巻 舎身活躍 巳の巻
終り