霊界物語 第三九巻 舎身活躍 寅の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第三九巻』愛善世界社
2001(平成13)年08月30日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年06月06日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序歌《じよか》
|総説《そうせつ》
第一篇 |伊祖《いそ》の|神風《かみかぜ》
第一章 |大黒主《おほくろぬし》〔一〇六六〕
第二章 |評定《ひようぢやう》〔一〇六七〕
第三章 |出師《すゐし》〔一〇六八〕
第二篇 |黄金清照《わうごんせいせう》
第四章 |河鹿越《かじかごえ》〔一〇六九〕
第五章 |人《ひと》の|心《こころ》〔一〇七〇〕
第六章 |妖霧《えうむ》〔一〇七一〕
第七章 |都率天《とそつてん》〔一〇七二〕
第八章 |母《はは》と|娘《むすめ》〔一〇七三〕
第三篇 |宿世《すぐせ》の|山道《やまみち》
第九章 |九死一生《きうしいつしやう》〔一〇七四〕
第一〇章 |八《はち》の|字《じ》〔一〇七五〕
第一一章 |鼻摘《はなつまみ》〔一〇七六〕
第一二章 |種明志《たねあかし》〔一〇七七〕
第四篇 |浮木《うきき》の|岩窟《がんくつ》
第一三章 |浮木《うきき》の|森《もり》〔一〇七八〕
第一四章 |清春山《きよはるやま》〔一〇七九〕
第一五章 |焼糞《やけくそ》〔一〇八〇〕
第一六章 |親子《おやこ》|対面《たいめん》〔一〇八一〕
第五篇 |馬蹄《ばてい》の|反影《はんえい》
第一七章 テームス|峠《たうげ》〔一〇八二〕
第一八章 |関所守《せきしよもり》〔一〇八三〕
第一九章 |玉山嵐《たまやまあらし》〔一〇八四〕
附録 |大祓祝詞解《おほはらひのりとかい》
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|序歌《じよか》
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜狐《しこぎつね》 |曲鬼《まがおに》|探女《さぐめ》の|蔓《はびこ》れる
|暗黒無道《あんこくぶだう》の|世《よ》の|中《なか》は |仁義《じんぎ》|道徳《だうとく》|影《かげ》も|無《な》く
|常世《とこよ》の|闇《やみ》の|如《ごと》く|也《なり》 |人《ひと》の|心《こころ》は|日《ひ》に|荒《すさ》び
|世道《せだう》は|月《つき》に|頽廃《たいはい》し |親子《おやこ》|疎《うと》んじ|睨《にら》み|合《あ》ひ
|兄弟《けいてい》|互《たがひ》に|相鬩《あひせめ》ぎ |親戚《しんせき》|争《あらそ》ひ|相離《あひはな》れ
|朋友《ほういう》|信《しん》を|忘却《ばうきやく》し |各自《たがひ》に|悪罵嘲笑《あくばてうせう》し
|上下《しやうか》は|常《つね》に|反目《はんもく》し |意志《いし》の|疎隔《そかく》は|恐《おそ》ろしく
|紛擾《ふんぜう》|絶《た》ゆる|暇《ひま》も|無《な》く |資本家《しほんか》|労働者《らうどうしや》|相対《あひたい》し
|農《のう》|商《しやう》|工《こう》は|振起《しんき》せず |不景気風《ふけいきかぜ》は|吹《ふ》き|捲《まく》り
|官民《くわんみん》|互《たがひ》に|卑《いやし》みて |政令《せいれい》|全《まつた》く|行《おこな》へず
|主僕《しゆぼく》|疎遠《そゑん》に|堕《おちい》りて |国家《こくか》|社会《しやくわい》は|刻々《こくこく》に
|危機《きき》に|瀕《ひん》しつ|諸々《もろもろ》の |譎詐《きつさ》の|曲業《まがわざ》|時《とき》を|得《え》て
|暴戻《ばうれい》|盛《さかん》に|行《おこな》はる |忠誠《ちうせい》の|人士《じんし》は|足曳《あしびき》の
|山《やま》に|隠《かく》ろひ|野《の》に|潜《ひそ》み |頭《かしら》をもたぐる|時《とき》を|得《え》ず
|奸邪《かんじや》は|天下《てんか》に|跳梁《てうりやう》し |誠《まこと》の|神《かみ》は|世《よ》に|出《い》でず
|乱《みだ》れ|切《き》つたる|娑婆《しやば》|世界《せかい》 |挽回《ばんくわい》すべき|由《よし》も|無《な》し
|医学《いがく》|衛生《えいせい》|完備《くわんび》して |悪疫《あくえき》|益々《ますます》|蔓延《まんえん》し
|交通機関《かうつうきくわん》は|完備《くわんび》して |有無《うむ》|通《つう》ずるの|途《みち》もなし
|国家《こくか》の|富力《ふりよく》|増進《ぞうしん》し |而《しか》して|饑餓《きが》は|人々《ひとびと》の
|頭《かしら》に|刻々《こくこく》|迫《せま》り|来《く》る |法警《はふけい》|成《な》るに|従《したが》ひて
|殺傷《さつしやう》|頻《しき》りに|行《おこな》はれ |生産《せいさん》|倍々《ますます》|夥多《くわた》にして
|物価《ぶつか》は|時々《じじ》に|凋落《てうらく》し |輸入《ゆにふ》|超過《てうくわ》の|惨状《さんじやう》は
|全《まつた》くその|度《ど》を|失《うしな》ひぬ |国庫《こくこ》|漸《やうや》く|窮乏《きうばふ》し
|兌換《だくわん》|借款《しやくくわん》|滔々《たうたう》と |経済界《けいざいかい》を|危《あやふ》くし
|国防《こくばう》|成《な》るに|従《したが》ひて |国辱《こくじよく》|頻《しき》りに|興《おこ》るあり
|高貴《かうき》は|俗《ぞく》に|親《した》しみて |卑賤《ひせん》は|倍々《ますます》|僣上《せんじやう》す
|富豪《ふがう》|階級《かいきふ》は|押《おし》なべて |皆《みな》|文弱《ぶんじやく》に|流落《りうらく》し
|淫酒《いんしゆ》の|慾《よく》を|漁《あさ》りつつ |日《ひ》に|夜《よ》に|社会《しやくわい》を|汚《けが》し|行《ゆ》く
|貧弱《ひんじやく》|愈《いよいよ》|窮乏《きうばふ》し |怨嗟《ゑんさ》の|声《こゑ》は|弥《いや》|高《たか》し
|都会《とくわい》に|住《す》める|人々《ひとびと》は |安逸《あんいつ》|快楽《けらく》に|馴《な》れ|染《そ》まり
|奢侈《しやし》|限《かぎ》り|無《な》く|増長《ぞうちよう》す |田舎《ゐなか》は|都会《とくわい》の|風《ふう》に|染《そま》み
|淳朴《じゆんぼく》の|気《き》は|地《ち》を|払《はら》ふ |学者《がくしや》の|偏狭陋劣《へんけふろうれつ》さ
|怪論迷説《くわいろんめいせつ》|相《あひ》ひさぎ |宗教《しうけう》|宣布《せんぷ》に|従事《じうじ》する
|僧侶《そうりよ》は|教義《けうぎ》を|曲解《きよくかい》し |宗祖《しうそ》の|教旨《けうし》を|滅《ほろぼ》して
|品行《ひんこう》|月《つき》に|堕落《だらく》しつ |精神界《せいしんかい》を|攪乱《かくらん》し
|武人《ぶじん》は|銭《ぜに》を|愛着《あいちやく》し |士道《しだう》|全《まつた》く|廃《すた》り|行《ゆ》く
|商賈《しやうこ》は|謀計《ぼうけい》|事《こと》と|為《な》し |信用《しんよう》|全《まつた》く|地《ち》に|落《お》ちぬ
|青壮年《せいさうねん》は|悪風《あくふう》に |眼《め》を|眩惑《げんわく》し|世《よ》に|習《なら》ひ
|競《きそ》うてハイカラのみ|好《この》む |良家《りやうか》の|子女《しぢよ》は|学校《がくかう》に
|通《かよ》ひ|乍《なが》らも|蝶《てふ》の|如《ごと》 |紅白粉《べにおしろい》を|塗立《ぬりた》てて
|淫靡《いんび》の|風《かぜ》は|吹《ふ》き|荒《すさ》び |不良《ふりやう》|少年《せうねん》|続出《ぞくしゆつ》し
|社会《しやくわい》の|秩序《ちつじよ》を|混乱《こんらん》し |拾収《しふしう》すべからず|成《な》り|果《は》てぬ
|賢母《けんぼ》|良妻《りやうさい》|家《いへ》に|泣《な》き |蓄妾《ちくせふ》|常《つね》に|逸楽《いつらく》す
|芸妓屋《げいぎや》|娼妓屋《しやうぎや》|繁昌《はんじやう》し |良家《りやうか》|益々《ますます》|相寂《あひさび》し
|国家《こくか》の|元老《げんらう》はただすらに |老後《らうご》を|急《いそ》ぎ|勢力《せいりよく》を
|争《あらそ》ひ|乾児《こぶん》を|相募《あひつの》り |政客《せいかく》|権《けん》を|弄《もてあそ》び
|党弊《たうへい》|擁護《ようご》に|余念《よねん》なく |神聖《しんせい》|無垢《むく》の|議事堂《ぎじだう》に
|禽獣《きんじう》|叫《さけ》び|蛇《へび》を|投《な》げ |雲助輩《くもすけはい》の|行動《かうどう》を
|演出《えんしゆつ》するこそ|慷慨《うたて》けれ |国家《こくか》の|選良《せんりやう》は|大切《たいせつ》な
|国議《こくぎ》を|軽視《けいし》し|侮辱《ぶじよく》して |喧々囂々《けんけんがうがう》|市場《しぢやう》の|如《ごと》し
|国帑《こくど》を|猥《みだり》に|浪費《らうひ》して |民《たみ》の|負担《ふたん》は|日《ひ》に|重《おも》く
|賦課《ふくわ》は|益々《ますます》|大《だい》となり |国家《こくか》|破産《はさん》の|緒《ちよ》を|開《ひら》く
|眼《まなこ》を|転《てん》じて|眺《なが》むれば |外侮《ぐわいぶ》|頻《しき》りに|相到《あひいた》り
|国交《こくかう》|益々《ますます》|非運《ひうん》なり |人《ひと》の|思想《しさう》は|悪化《あくくわ》して
|噴火山上《ふんくわさんじやう》にある|如《ごと》く |何時《いつ》|爆発《ばくはつ》も|計《はか》られず
|此《これ》をば|思《おも》ひ|彼《かれ》|想《おも》ひ |夜《よ》も|碌々《ろくろく》に|眠《ねむ》られず
|涙《なみだ》は|腮辺《しへん》に|滂沱《ばうだ》たり |古今《ここん》|未曾有《みぞう》の|此《この》|惨状《さんじやう》
|救《すく》ひて|松《まつ》の|神《かみ》の|代《よ》に |開《ひら》かむための|神《かみ》の|道《みち》
|樹《た》てさせ|玉《たま》ひし|尊《たふと》さよ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さちは》へましまして |五逆十悪《ごぎやくじふあく》の|濁世《にごりよ》を
|誠《まこと》の|神《かみ》の|現《あら》はれて |治《をさ》め|玉《たま》はる|時《とき》はいつ
|松間《まつま》の|長《なが》き|鶴《つる》の|首《くび》 |亀《かめ》の|齢《よはひ》の|常久《とことは》に
|守《まも》らせたまへと|祈《の》りまつる |天地《てんち》の|神《かみ》も|放《さか》り|坐《ま》し
|風伯《ふうはく》|怒《いか》りを|相発《あひはつ》し |颱風《たいふう》|屡《しばしば》|到来《たうらい》し
|雷電《らいでん》ひらめき|激怒《げきど》して |天津御空《あまつみそら》に|鳴《な》り|渡《わた》る
|水神《すゐじん》|忽《たちま》ち|嚇怒《くわくど》して |水難《すゐなん》|頻《しき》りに|続発《ぞくはつ》し
|海神《かいじん》|怒濤《どたう》を|捲《ま》き|起《おこ》し |地上《ちじやう》の|蒼生《さうせい》を|洗《あら》ひ|去《さ》り
|大地《だいち》の|神《かみ》は|旱魃《かんばつ》を もたらし|地疫《ちえき》を|払《はら》ひまし
|地震《ぢしん》の|神《かみ》は|地軸《ちぢく》をば |時々《じじ》に|動揺《どうえう》し|玉《たま》ひつ
|汚《けが》れし|家屋《かをく》を|焼倒《やきたふ》し |火竜《くわりう》は|紅蓮《ぐれん》の|舌《した》を|吐《は》き
|地上《ちじやう》の|汚穢《をゑ》を|焼《や》き|尽《つく》す |軍神《ぐんしん》|怒《いか》りて|天賊《てんぞく》や
|地妖《ちえう》を|隈《くま》|無《な》く|鏖殺《おうさつ》し |清《きよ》め|玉《たま》ふぞ|畏《かしこ》けれ
|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|幸《さちは》ひて |天来未知《てんらいみち》の|大偉人《だいゐじん》
|現《あら》はれ|来《きた》り|天地《あめつち》の |諸《もも》の|穢《けがれ》を|潔斎《けつさい》し
|誠《まこと》の|道《みち》にかなひしと |神《かみ》に|選《えら》まれ|了《を》ふせたる
|民《たみ》をば|常永《とは》に|救《すく》ひまし |五六七《みろく》の|御代《みよ》と|成《な》るなれば
|爰《ここ》に|初《はじ》めて|天国《てんごく》は |地上《ちじやう》に|芽出度《めでたく》|顕現《けんげん》し
|無上《むじやう》|至楽《しらく》の|世《よ》と|成《な》らむ |邪神《じやしん》を|懲《こら》し|善神《ぜんしん》を
|救《すく》はせ|玉《たま》ふ|御経綸《ごけいりん》 |謂《い》ふも|畏《かしこ》き|限《かぎ》り|也《なり》
|是《これ》ぞ|全《まつた》く|皇神《すめかみ》の |吾等《われら》に|賜《たま》ひし|御遺訓《ごゐくん》ぞ
|万代《よろづよ》|倦《う》まず|皇神《すめかみ》は |神訓《しんくん》|垂《た》れさせ|玉《たま》へども
|世人《よびと》の|心《こころ》いや|曇《くも》り |神意《しんい》を|解《かい》するものも|無《な》く
|大義《たいぎ》を|没《ぼつ》し|名分《めいぶん》を |覚《さと》らざるものばかりなり
|皇大神《すめおほかみ》は|世《よ》を|歎《なげ》き |神《かみ》の|教《をしへ》を|立《た》て|玉《たま》ひ
|世人《よびと》を|導《みちび》き|救《すく》はむと |綾《あや》の|聖地《せいち》に|現《あ》れまして
|皇道本義《くわうだうほんぎ》を|宣《の》り|玉《たま》ふ |尊《たふと》き|世《よ》とは|成《な》りにけり
|神《かみ》の|御綱《みつな》に|曳《ひ》かれつつ |寄《よ》り|来《く》る|人《ひと》は|押並《おしな》べて
|斯《こ》の|御教《みをしへ》を|遵奉《じゆんぽう》し |模範《もはん》を|世界《せかい》に|示《しめ》しなば
|人《ひと》は|次第《しだい》に|善良《ぜんりやう》の |身魂《みたま》と|化《な》りて|世《よ》の|為《ため》に
|尽《つく》す|真人《まびと》となりぬべし さすれば|神《かみ》は|喜《よろこ》ばし
|自然《しぜん》に|天地《てんち》は|清《きよ》まりて |五風十雨《ごふうじふう》の|順序《ついで》よく
|日月《じつげつ》|双《なら》び|輝《かがや》きて |万民《ばんみん》|歓喜《くわんき》の|雨《あめ》に|濡《ぬ》れ
|草木《くさき》は|緑《みどり》に|禽鳥《きんてう》は |神《かみ》の|御国《みくに》に|泰平《たいへい》を
|謳《うた》ひて|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》に |浴《よく》する|御代《みよ》となりぬ|可《べ》し
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神代《かみよ》の|遠《とほ》き|物語《ものがたり》
『|舎身活躍《しやしんくわつやく》』|寅《とら》の|巻《まき》 |序文《じよぶん》に|代《か》へて|述《の》べ|立《た》つる。
大正十一年十月廿日
|総説《そうせつ》
|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》が|八岐大蛇《やまたをろち》を|言向《ことむ》け|和《やは》し、|遂《つひ》に|肥《ひ》の|川上《かはかみ》に|於《おい》て、|手撫槌《てなづち》、|足撫槌《あしなづち》の|娘《むすめ》|稲田姫命《いなだひめのみこと》の|危難《きなん》を|救《すく》ひたまひし|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》を|続行《ぞくかう》するに|就《つい》て、|高加索山《コーカスざん》を|中心《ちうしん》として|先《ま》づ|五天竺《ごてんじく》の|活動《くわつどう》より|口述《こうじゆつ》する|事《こと》と|致《いた》しました。
オロチと|言《い》ふ|意義《いぎ》は|山《やま》の|事《こと》である。|凡《すべ》て|風雲《ふううん》は|山《やま》より|発生《はつせい》するものにして、オロチは|颪《おろし》である。|山《やま》には|古来《こらい》|善神《ぜんしん》も|鎮《しづ》まり|玉《たま》ひ、|又《また》|邪神《じやしん》も|盛《さか》んに|潜伏《せんぷく》して|居《ゐ》た。|故《ゆゑ》に|太古《たいこ》の|所謂《いはゆる》|八王八頭《やつわうやつがしら》は|山《やま》を|根拠《こんきよ》として|其《その》|地方《ちはう》|々々《ちはう》を|鎮《しづ》め|守《まも》られて|居《ゐ》たのも、|要《えう》するに|山岳《さんがく》に|邪神《じやしん》|棲息《せいそく》して|天下《てんか》を|攪乱《かくらん》せしを|以《もつ》て、|邪神《じやしん》の|本拠《ほんきよ》に|向《むか》つて|居所《きよしよ》を|定《さだ》められたのである。|又《また》|肥《ひ》の|川上《かはかみ》といふ|言義《げんぎ》は|日《ひ》の|側陽陰《かはかみ》といふことで、|朝日《あさひ》の|直刺《たださ》す|夕日《ゆふひ》の|日照《ひて》らす、|山《やま》の|意義《いぎ》であつて、|出雲《いづも》とは|雲《くも》の|発生《はつせい》する|高山《かうざん》の|意義《いぎ》で|今日《こんにち》の|伯耆《ほうき》の|大山《だいせん》を|指《さ》したものである。|最後《さいご》に|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》が|自《みづか》ら|登山《とざん》して|邪神《じやしん》を|滅亡《めつぼう》せしめたまひて|大蛇《をろち》より|村雲《むらくも》の|宝剣《ほうけん》を|奪《うば》ひ、|之《これ》を|天照大神《あまてらすおほかみ》に|献《たてまつ》り|赤誠忠良《せきせいちうりやう》の|大精神《だいせいしん》を|発揮《はつき》し|玉《たま》ひし|物語《ものがたり》であります。|素盞嗚《すさのを》とはスバルタンの|意《い》であつて、スは|進展《ス》、バルは|拡張《バル》とか|神権発動《バル》とかの|意《い》であり、タンは|尊《みこと》とか|君《きみ》とか|頭領《とうりやう》とかの|意味《いみ》である。|又《また》|天照大御神《あまてらすおほみかみ》は、アテーナの|女神《めがみ》|又《また》はアポーロの|女神《めがみ》と|謂《い》ふことになる。アポーロは|天原《あまはら》の|意味《いみ》にもなり、|葦原《あしはら》は|亜細亜《アジア》の|意味《いみ》であり、|葦原《あしはら》はアツシリヤとなりアジアとなつたのである。|太古《たいこ》の|亜細亜《アジア》は|現今《げんこん》の|小亜細亜《せうアジア》であつたが|時世《じせい》の|変遷《へんせん》と|共《とも》に、|広大《くわうだい》なる|亜細亜《アジア》となつたのである。
|却説《さて》|五天竺《ごてんじく》は|境周《きやうしう》|九万余里《きうまんより》、|三垂《さんすゐ》は|大海《たいかい》、|北《きた》は|雪山《せつざん》を|背《せ》にし|北《きた》|広《ひろ》く|南《みなみ》|狭《せま》く、|形《かたち》|半月《はんげつ》の|如《ごと》く|野《の》を|劃《くわく》して|区分《くぶん》すること|七千余国《しちせんよこく》、|四時《しじ》|殊《こと》に|暑熱《しよねつ》|激《はげ》しく|地《ち》は|泉湿《せんしつ》|多《おほ》く、|北《きた》は|乃《すなは》ち|山阜《さんぶ》|軫《しん》を|隠《かく》し|丘陵《きうりよう》|斥鹵《せきろ》なり。|東《ひがし》は|即《すなは》ち|川野《せんや》|沃潤《よくじゆん》にして|田園《でんえん》|山壟《さんろう》|膏腴《かうゆ》なり。|南方《なんぱう》は|草木《さうもく》|繁茂《はんも》し|西方《せいはう》は|土地《とち》|磽〓《こうかく》なりと|伝《つた》へられて|居《ゐ》る。
|之《これ》に|依《よ》つて|天竺《てんじく》の|大概《たいがい》の|様子《やうす》は|窺知《きち》されることと|思《おも》ふ。
|天竺《てんじく》の|名称《めいしよう》は|随分《ずゐぶん》|沢山《たくさん》あつて|異議《いぎ》|糾紛《きうふん》し、|容易《ようい》に|一定《いつてい》せなかつた。|太古《たいこ》は|身毒《しんどく》と|云《い》ひ|或《あるひ》は|賢豆《けんとう》と|曰《い》ひ|現代《げんだい》にては|正音《せいおん》に|従《したが》つて|印度《いんど》と|云《い》つて|居《ゐ》る。|印度国《いんどこく》は|地《ち》に|随《したが》つて|国《くに》と|称《とな》へ|殊《こと》に|方俗《はうぞく》を|異《こと》にし|遥《はるか》に|総名《そうめい》を|挙《あ》げて|其《そ》の|最《もつと》も|美《び》なりとする|名《な》を|呼《よ》んで|之《これ》を|印度《いんど》と|謂《い》ふのである。|印度《いんど》を|唐《から》にては|月《つき》と|謂《い》つた。|神代《かみよ》の|名称《めいしよう》も|亦《また》|月《つき》と|称《とな》へられたのは|第一巻《だいいつくわん》に|示《しめ》す|通《とほ》りである。|月《つき》に|多数《たすう》の|名号《めいがう》ありて|印度《いんど》と|称《しよう》するは|其《そ》の|一称《いつしよう》である。|阿毘曇心論《あびどんしんろん》の|音義《おんぎ》にも、
|天竺《てんじく》を|或《あるひ》は|身毒《しんどく》と|云《い》ひ、|或《あるひ》は|賢豆《けんとう》と|言《い》ふは|皆《みな》|訛《なまり》なり。|正《ただ》しくは|印度《いんど》と|言《い》ふ。|印度《いんど》は|月《つき》と|曰《い》ふ。|月《つき》に|千名《せんめい》|有《あ》り。|斯《こ》れ|一称《いつしよう》なり。|一説《いつせつ》に|曰《い》ふ、|賢豆《けんとう》の|本名《ほんみやう》は|因陀羅婆陀那《いんだらばだな》|此《これ》を|主処《しゆしよ》と|曰《い》ふなり。|天帝《てんてい》|護《まも》る|所《ところ》なるを|以《もつ》ての|故《ゆゑ》に|之《これ》を|号《ごう》する|耳《のみ》|云々《うんぬん》。
|又《また》|印度《いんど》の|人民《じんみん》には|四種《ししゆ》の|差別《さべつ》がある。まづ、
|第一《だいいち》を|刹帝利《せつていり》と|云《い》ふ。|是《これ》は|代々《だいだい》|王《わう》となるべき|家柄《いへがら》で|即《すなは》ち|五天竺《ごてんぢく》|七千余国《しちせんよこく》の|国々《くにぐに》の|王《わう》となつて|居《ゐ》るのである。
|第二《だいに》を|婆羅門《ばらもん》といふ。|是《これ》を|翻訳《ほんやく》すれば|浄行《じやうぎやう》と|云《い》ふことで|即《すなは》ち|浄《きよ》き|行《ぎやう》と|書《か》く|詞《ことば》で、|国柄《くにがら》|相当《さうたう》に|有《あ》り|来《きた》つた|学問《がくもん》をして|代々《だいだい》|家《いへ》を|伝《つた》へるものである。
|第三《だいさん》を|毘舎《びしや》といふ、これは|商人《せうにん》である。
|第四《だいよん》を|首陀《しゆだ》と|云《い》ふ。|是《これ》は|農業《のうげふ》を|営《いとな》むもので|所謂《いはゆる》|百姓《ひやくしやう》である。|霊界物語《れいかいものがたり》|第一巻《だいいつくわん》に|婆羅門《ばらもん》には|三階級《さんかいきふ》ある|事《こと》を|口述《こうじゆつ》しておきましたが、それは|太古《たいこ》の|神代《かみよ》の|事《こと》であり、|印度《いんど》|四姓《しせい》の|第二位《だいにゐ》のバラモンの|部族内《ぶぞくない》に|出来《でき》た|階級《かいきふ》である。|釈迦《しやか》の|出現《しゆつげん》した|時代《じだい》にも、|地方《ちはう》に|由《よ》つて|行《おこな》はれて|居《ゐ》たのである。
|以上《いじやう》|言《い》つたのは、|総括《そうくわつ》して|印度《いんど》|全体《ぜんたい》の|制度《せいど》を|説《と》いたので、|今《いま》より|三千年《さんぜんねん》|以前《いぜん》には|印度《いんど》の|人民《じんみん》は|前述《ぜんじゆつ》の|如《ごと》く、|刹帝利《せつていり》、|婆羅門《ばらもん》、|毘舎《びしや》、|首陀《しゆだ》の|四階級《よんかいきふ》と|成《な》つて|居《ゐ》たのであります。|一寸《ちよつと》|茲《ここ》に|混線《こんせん》せない|様《やう》に|重《かさ》ねて|述《の》べておきました。
大正十一年十月二十日 王仁識
第一篇 |伊祖《いそ》の|神風《かみかぜ》
第一章 |大黒主《おほくろぬし》〔一〇六六〕
|遠《とほ》き|神代《かみよ》の|昔《むかし》より |天地《てんち》の|神《かみ》の|大道《おほみち》を
|説《と》きさとしゆく|諸々《もろもろ》の |教《をしへ》は|千《ち》ぐさ|万種《よろづぐさ》
|数《かず》|限《かぎ》りなき|其《その》|中《なか》に |天地《てんち》を|造《つく》り|固《かた》めたる
|元《もと》つ|御祖《みおや》の|御教《みをしへ》を |誠《まこと》の|神《かみ》の|現《あら》はれて
|説《と》きさとすなる|三五教《あななひけう》 |天教山《てんけうざん》や|地教山《ちけうざん》
|貴《うづ》の|都《みやこ》のエルサルム |黄金山下《わうごんさんか》を|初《はじ》めとし
|霊鷲山《りやうしうざん》や|万寿山《まんじゆざん》 |自転倒島《おのころじま》に|渡《わた》りては
|綾《あや》の|聖地《せいち》の|四尾山《よつをやま》 |其《その》|外《ほか》|百《もも》の|国々《くにぐに》に
|教司《をしへつかさ》を|間配《まくば》りて |安《やす》く|楽《たの》しき|神《かみ》の|世《よ》を
|立《た》てて|五六七《みろく》の|御教《みをしへ》に |世人《よびと》を|助《たす》け|守《まも》らむと
|百《もも》の|司《つかさ》を|任《ま》け|玉《たま》ひ |千々《ちぢ》に|心《こころ》を|配《くば》ります
|三大教《さんだいけう》や|五大教《ごだいけう》 |経《たて》と|緯《よこ》との|水火《いき》|合《あは》せ
|固《かた》め|玉《たま》ひし|三五《あななひ》の |教《をしへ》を|損《そこな》ひ|破《やぶ》らむと
|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》や|醜狐《しこぎつね》 |曲鬼《まがおに》|共《ども》の|醜霊《しこみたま》
|天《あめ》が|下《した》をば|蹂躙《じうりん》し |此《この》|世《よ》を|曇《くも》らせ|汚《けが》さむと
|醜女《しこめ》|探女《さぐめ》を|数多《かずおほ》く |四方《よも》に|遣《つか》はし|闇雲《やみくも》に
|猛《たけ》びめぐるぞうたてけり |天足彦《あだるひこ》や|胞場姫《えばひめ》の
|汚《けが》れし|魂《たま》になり|出《い》でし |曲神《まがかみ》|共《ども》は|村肝《むらきも》の
|心《こころ》も|清《きよ》き|神司《かむづかさ》 |塩長彦《しほながひこ》の|体《たい》を|藉《か》り
|或《あるひ》は|大国彦《おほくにひこ》の|神《かみ》 |其《その》|外《ほか》|百《もも》の|神人《かみびと》と
|世《よ》に|現《あら》はれてウラル|教《けう》 バラモン|教《けう》を|開設《かいせつ》し
|三五教《あななひけう》に|対抗《たいかう》し |神《かみ》の|光《ひかり》に|照《てら》されて
メソポタミヤを|遁走《とんそう》し |或《あるひ》はコーカス|山《ざん》|館《やかた》
|見棄《みす》てて|逃《に》げ|行《ゆ》くウラル|姫《ひめ》 |性懲《しやうこ》りもなくどこ|迄《まで》も
|千変万化《せんぺんばんくわ》の|妖術《えうじゆつ》を |使《つか》ひて|正道《せいだう》を|紊《みだ》さむと
|狂《くる》ひ|廻《まは》りし|醜神《しこがみ》の |常住不断《じやうぢうふだん》の|物語《ものがたり》
いよいよここに|述《の》べ|初《そ》むる あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ。
|常世《とこよ》の|国《くに》の|常世城《とこよじやう》にあつて|三葉葵《みつばあふひ》の|旗《はた》を|押立《おした》て、|自《みづか》ら|常世神王《とこよしんわう》と|称《しよう》して|羽振《はぶり》を|利《き》かし|居《ゐ》たる|大国彦《おほくにひこ》は、|三五教《あななひけう》の|為《ため》に|其《その》|悪虐無道《あくぎやくぶだう》を|警《いまし》められ、|部下《ぶか》の|広国別《ひろくにわけ》をして|常世城《とこよじやう》を|守《まも》らしめ、ロツキー|山《ざん》に|日出神《ひのでのかみ》と|偽称《ぎしよう》して|大国姫《おほくにひめ》をば|伊弉冊命《いざなみのみこと》と|偽称《ぎしよう》せしめ、|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|戦《たたか》ひに、|部下《ぶか》の|軍卒《ぐんそつ》は|大敗北《たいはいぼく》し、|遂《つひ》にはロツキー|山《ざん》の|鬼《おに》となり、|茲《ここ》にバラモン|教《けう》を|開設《かいせつ》することとなつた。
|大国彦命《おほくにひこのみこと》の|長子《ちやうし》|大国別《おほくにわけ》はバラモン|教《けう》の|教主《けうしゆ》となり|遠《とほ》く|海《うみ》を|渡《わた》つて、|埃及《エヂプト》のイホの|都《みやこ》に|現《あら》はれ、|其《その》|教《をしへ》は|四方《よも》に|旭《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》るが|如《ごと》く|輝《かがや》き|渡《わた》り、|人心《じんしん》を|惑乱《わくらん》して、|正道《せいだう》|将《まさ》に|亡《ほろ》びむとせし|時《とき》、|三五教《あななひけう》の|夏山彦《なつやまひこ》、|祝姫《はふりひめ》、|行平別《ゆきひらわけ》|外《ほか》|三光《さんくわう》の|神司《かむつかさ》の|為《ため》に、|其《その》|勢力《せいりよく》を|失墜《しつつゐ》し、|遂《つひ》に|葦原《あしはら》の|中津国《なかつくに》と|称《しよう》するメソポタミヤの|顕恩郷《けんおんきやう》に|本拠《ほんきよ》を|構《かま》へ、|小亜細亜《せうアジア》、|波斯《ペルシヤ》、|印度《インド》|等《など》に|神司《かむづかさ》を|数多《あまた》|遣《つか》はして、バラモンの|教《をしへ》を|拡充《くわくじゆう》しつつあつた。
|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》は|天下《てんか》の|人心《じんしん》|日《ひ》に|月《つき》に|悪化《あくくわ》し、|世《よ》は|益々《ますます》|暗黒《あんこく》ならむとするを|憂《うれ》ひ|玉《たま》ひて、|八人《はちにん》の|珍《うづ》の|御子《みこ》を|犠牲的《ぎせいてき》に|顕恩城《けんおんじやう》に|忍《しの》び|入《い》らしめ、バラモン|教《けう》を|帰順《きじゆん》せしめむとし|玉《たま》ひたれ|共《ども》、|大国別命《おほくにわけのみこと》|帰幽《きいう》せしより、|左守《さもり》と|仕《つか》へたる|鬼雲彦《おにくもひこ》は、|忽《たちま》ち|野心《やしん》を|起《おこ》し、|自《みづか》ら|大棟梁《だいとうりやう》と|称《しよう》して、バラモン|教《けう》の|大教主《だいけうしゆ》となり、|大国別《おほくにわけ》の|正統《せいとう》なる|国別彦《くにわけひこ》を|放逐《はうちく》し、|暴威《ばうゐ》を|揮《ふる》ひ|居《ゐ》たりしが、|天《あめ》の|太玉《ふとだま》の|神《かみ》|現《あら》はれ|来《きた》りて、|神力《しんりき》|無辺《むへん》の|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》し|帰順《きじゆん》を|迫《せま》りたれども、|素《もと》より|暴悪無道《ばうあくぶだう》の|鬼雲彦《おにくもひこ》は、|一時《いちじ》|顕恩郷《けんおんきやう》を|脱《ぬ》け|出《いだ》し、|再《ふたた》び|時機《じき》を|待《ま》つて、|捲土重来《けんどぢうらい》、|三五《あななひ》の|道《みち》を|顛覆《てんぷく》せしめむと、|鬼雲姫《おにくもひめ》、|鬼熊別《おにくまわけ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》|其《その》|他《た》|百《もも》の|司《つかさ》と|共《とも》に|黒雲《こくうん》を|起《おこ》し、|邪神《じやしん》の|本体《ほんたい》を|現《あら》はしつつ、|顕恩城《けんおんじやう》を|立出《たちい》で、それよりフサの|国《くに》、|月《つき》の|国《くに》を|横断《わうだん》し、|磯輪垣《しわがき》の|秀妻《ほづま》の|国《くに》と|名《な》に|負《お》ひし|安全《あんぜん》|地帯《ちたい》、|自転倒島《おのころじま》の|中心《ちうしん》|大江山《おほえやま》に|立籠《たてこも》り、|徐《おもむろ》に|天下《てんか》を|席巻《せきけん》すべく|劃策《くわくさく》をめぐらしつつあつた。
|然《しか》るに|又《また》もや|三五教《あななひけう》の|神司《かむつかさ》の|言霊《ことたま》に|辟易《へきえき》し、|再《ふたた》び|海《うみ》を|渡《わた》りてフサの|国《くに》に|向《むか》ひ、|残党《ざんたう》を|集《あつ》めて、バラモンの|再興《さいこう》を|謀《はか》りつつ、|私《ひそ》かに|月《つき》の|国《くに》、ハルナの|都《みやこ》にひそみ、|逐次《ちくじ》|勢力《せいりよく》をもり|返《かへ》し、|今《いま》は|容易《ようい》に|対抗《たいかう》す|可《べか》らざる|大勢力《だいせいりよく》となり、|月《つき》の|国《くに》を|胞衣《えな》として、|再《ふたた》び|天下《てんか》を|掌握《しやうあく》せむとし、|最早《もはや》|三五教《あななひけう》もウラル|教《けう》も|眼中《がんちう》になきものの|如《ごと》くであつた。
|此《この》ハルナの|都《みやこ》は|月《つき》の|国《くに》の|西海岸《せいかいがん》に|位《くらゐ》し、|現今《げんこん》にてはボンベーと|称《とな》へられてゐる。
|鬼雲彦《おにくもひこ》は|大国彦命《おほくにひこのみこと》の|名《な》を|奪《うば》ひて、|自《みづか》ら|大国彦《おほくにひこ》|又《また》は|大黒主神《おほくろぬしのかみ》と|称《しよう》しつつ、|本妻《ほんさい》の|鬼雲姫《おにくもひめ》を|退隠《たいいん》せしめ、|妙齢《めうれい》の|女《をんな》|石生能姫《いそのひめ》といふ|美人《びじん》を|妻《つま》とし、|数多《あまた》の|妾《めかけ》を|蓄《たくは》へて、バラモン|教《けう》の|大教主《だいけうしゆ》となり、ハルナの|都《みやこ》に|側近《そばちか》き|兀山《こつざん》の|中腹《ちうふく》に|大岩窟《だいがんくつ》を|穿《うが》ち、|千代《ちよ》の|住家《すみか》となし、|門口《かどぐち》には|厳重《げんぢう》なる|番人《ばんにん》をおき、|外教徒《ぐわいけうと》の|侵入《しんにふ》を|許《ゆる》さなかつた。
ハルナの|都《みやこ》には|公然《こうぜん》と|大殿堂《だいでんだう》を|建《た》て、|時々《ときどき》|大教主《だいけうしゆ》として|出場《しゆつぢやう》し|数多《あまた》の|神司《かむづかさ》を|支配《しはい》しつつあつた。|夜《よ》は|身辺《しんぺん》の|安全《あんぜん》を|守《まも》る|為《ため》、|兀山《こつざん》の|岩窟《がんくつ》に|隠《かく》れて|居《ゐ》た。|此《この》|兀山《こつざん》は|大雲山《たいうんざん》と|名《な》づけられた。
|鬼雲彦《おにくもひこ》の|大黒主命《おほくろぬしのみこと》は|自《みづか》ら|刹帝利《せつていり》の|本種《ほんしゆ》と|称《しよう》し、|月《つき》の|国《くに》の|大元首《だいげんしゆ》たるべき|者《もの》と|揚言《やうげん》しつつあつた。
|月《つき》の|国《くに》の|七千余ケ国《しちせんよかこく》の|国王《こくわう》は、|風《ふう》を|望《のぞ》むで|大黒主《おほくろぬし》に|帰順《きじゆん》し、|媚《こび》を|呈《てい》する|状態《じやうたい》となつて|来《き》た。|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の|主管《しゆくわん》し|玉《たま》ふコーカス|山《ざん》、ウブスナ|山《やま》の|神館《かむやかた》に|集《あつ》まる|神司《かむづかさ》も、|此《この》|月《つき》の|国《くに》のみは|何故《なにゆゑ》か|余《あま》り|手《て》を|染《そ》めなかつたのである。それ|故《ゆゑ》|大黒主《おほくろぬし》は|無鳥郷《むてうきやう》の|蝙蝠《へんぷく》|気取《きどり》になつて、|驕心《けうしん》|益々《ますます》|増長《ぞうちよう》し、|今《いま》や|全力《ぜんりよく》を|挙《あ》げて、|三五教《あななひけう》の|本拠《ほんきよ》たる|黄金山《わうごんざん》は|云《い》ふも|更《さら》コーカス|山《ざん》、ウブスナ|山《やま》の|神館《かむやかた》をも|蹂躙《じうりん》せむと|準備《じゆんび》を|整《ととの》へつつあつた。|而《しか》して|西蔵《チベツト》と|印度《インド》の|境《さかひ》なる|霊鷲山《りやうしうざん》も|其《その》|山《やま》|続《つづ》きなる|万寿山《まんじゆざん》も、|大黒主《おほくろぬし》の|部下《ぶか》に|襲撃《しふげき》さるること|屡々《しばしば》であつた。
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》は|自転倒島《おのころじま》を|初《はじ》め、フサの|国《くに》、|竜宮島《りうぐうじま》、|高砂島《たかさごじま》、|筑紫島《つくしじま》|等《とう》は|最早《もはや》|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》に|大略《たいりやく》|信従《しんじゆう》したれ|共《ども》、まだ|月《つき》の|国《くに》のみは|思《おも》ふ|所《ところ》ありましてか、|後廻《あとまは》しになしおかれたのである。それ|故《ゆゑ》|大黒主《おほくろぬし》は|思《おも》ふが|儘《まま》に|跋扈跳梁《ばつこてうれう》して、|勢力《せいりよく》を|日《ひ》に|月《つき》に|増殖《ぞうしよく》し、|遂《つひ》に|進《すす》んで|三五教《あななひけう》の|本拠《ほんきよ》を|突《つ》かむとするに|立至《たちいた》つたのである。
|茲《ここ》に|斎苑《いそ》の|館《やかた》の|八尋殿《やひろどの》に|大神《おほかみ》は|数多《あまた》の|神司《かむづかさ》を|集《あつ》めて、|大黒主《おほくろぬし》|調伏《てうふく》の|相談会《さうだんくわい》を|開始《かいし》さるる|事《こと》となつた。|日出別神《ひのでわけのかみ》(|吾勝命《あかつのみこと》)、|八島主神《やしまぬしのかみ》(|熊野樟日命《くまのくすびのみこと》)、|東野別命《あづまのわけのみこと》(|東助《とうすけ》)、|時置師神《ときおかしのかみ》(|杢助《もくすけ》)、|玉治別《たまはるわけ》、|初稚姫《はつわかひめ》、|五十子姫《いそこひめ》、|玉国別《たまくにわけ》(|音彦《おとひこ》)、|幾代姫《いくよひめ》、|照国別《てるくにわけ》(|梅彦《うめひこ》)、|菊子姫《きくこひめ》、|治国別《はるくにわけ》(|亀彦《かめひこ》)、|浅子姫《あさこひめ》、|岩子姫《いはこひめ》、|今子姫《いまこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》、|黄竜姫《わうりようひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》、コーカス|山《ざん》よりは|梅子姫《うめこひめ》、|東彦《あづまひこ》、|高彦《たかひこ》、|北光神《きたてるのかみ》、|高光彦《たかてるひこ》、|玉光彦《たまてるひこ》、|国光彦《くにてるひこ》、|鷹彦《たかひこ》、|秋彦《あきひこ》|等《ら》を|初《はじ》め|数多《あまた》の|神司《かむつかさ》が|集《あつ》まつて|鬼雲彦《おにくもひこ》の|大黒主神《おほくろぬしのかみ》を|言向和《ことむけやは》すべく|協議《けふぎ》をこらされた|結果《けつくわ》、|梅彦《うめひこ》の|照国別《てるくにわけ》、|音彦《おとひこ》の|玉国別《たまくにわけ》、|亀彦《かめひこ》の|治国別《はるくにわけ》|並《ならび》に|黄竜姫《わうりようひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》が|直接《ちよくせつ》に、ハルナの|大黒主《おほくろぬし》の|館《やかた》に|立向《たちむか》ふ|事《こと》となつたのである。
(大正一一・一〇・二一 旧九・二 松村真澄録)
第二章 |評定《ひようぢやう》〔一〇六七〕
バラモン|教《けう》の|教主《けうしゆ》|大黒主《おほくろぬし》の|暴状《ばうじやう》を|懲《こ》らし、|言向和《ことむけやは》して|天下《てんか》の|害《がい》を|除《のぞ》き、|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜神《しこがみ》の|身魂《みたま》を|清《きよ》むべく、ここにウブスナ|山脈《さんみやく》の|頂上《ちやうじやう》|斎苑《いそ》の|館《やかた》の|八尋殿《やひろどの》にて|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の|命《めい》により|厳格《げんかく》なる|相談会《さうだんくわい》が|開《ひら》かれた。|素盞嗚大神《すさのをのおほかみ》は|高座《かうざ》に|現《あら》はれ|一同《いちどう》に|向《むか》つて|歌《うた》を|以《もつ》て|宣示《せんじ》された。|其《その》|御歌《おんうた》、
『|天《あめ》と|地《つち》との|神々《かみがみ》の
|水火《いき》を|合《あは》してなりませる
|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》は
|島《しま》の|八十島《やそしま》|八十《やそ》の|国《くに》
|隈《くま》なく|光《ひか》り|渡《わた》れども
|八岐大蛇《やまたをろち》の|醜神《しこがみ》は
|未《いま》だ|全《まつた》く|服《まつろ》はで
|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》や|河《かは》の|瀬《せ》に
|潜《ひそ》みて|枉《まが》を|朝夕《あさゆふ》に
|拓《ひら》き|行《ゆ》くこそうたてけれ
|三五教《あななひけう》の|神司《かむつかさ》
|清《きよ》けき|明《あか》き|真心《まごころ》を
|力限《ちからかぎ》りに|振《ふ》り|起《おこ》し
|天地《あめつち》|四方《よも》の|神人《しんじん》を
|救《すく》はむ|為《た》めに|現身《うつそみ》の
|身《み》を|粉《こ》になして|遠近《をちこち》と
|荒野《あれの》を|渡《わた》り|海《うみ》を|越《こ》え
|雪《ゆき》を|踏《ふ》みしめ|暑《あつ》さを|耐《こら》へ
|雨《あめ》にはそぼち|荒風《あらかぜ》に
|煽《あふ》られ|乍《なが》ら|進《すす》み|行《ゆ》く
|其《その》|神業《かむわざ》ぞ|雄々《をを》しけれ。
|時《とき》しもあれや|顕恩《けんおん》の
|郷《さと》に|現《あら》はれ|蟠《わだ》かまる
バラモン|教《けう》の|大棟梁《だいとうりやう》
|鬼雲彦《おにくもひこ》は|三五《あななひ》の
|誠《まこと》の|道《みち》に|怯《を》ぢ|恐《おそ》れ
|自転倒島《おのころじま》に|立籠《たてこも》り
|悪《あ》しき|教《をしへ》を|四方《よも》の|国《くに》
|伝《つた》へむとする|其《その》|時《とき》に
わが|遣《つか》はせし|神司《かむつかさ》
|正《ただ》しき|人《ひと》の|言霊《ことたま》に
|恐《おそ》れをなして|逃《に》げ|帰《かへ》り
|再《ふたた》びフサの|国《くに》に|入《い》り
|彼方《かなた》|此方《こなた》と|〓〓《さまよ》ひて
|今《いま》しも|印度《ツキ》の|国《くに》の|都《みやこ》
ハルナに|現《あら》はれ|岩窟《がんくつ》を
|穿《うが》ちて|魔神《まがみ》を|呼《よ》び|集《つど》へ
|其《その》|勢《いきほひ》は|日《ひ》に|月《つき》に
|侮《あなど》り|難《がた》くなりにけり
|八岐大蛇《やまたをろち》は|悉《ことごと》く
これの|都《みやこ》に|集《あつま》りて
|我《わが》|三五《あななひ》の|大道《おほみち》を
|覆《くつ》がへさむと|図《はか》りつつ
|早《はや》くも|斎苑《いそ》の|館《やかた》まで
|攻《せ》め|来《きた》らむず|勢《いきほ》ひに
|四方《よも》の|曲神《まがかみ》|勇《いさ》み|立《た》ち
|振《ふる》ひ|居《を》るこそ|健気《けなげ》なれ
|野立《のだち》の|彦《ひこ》や|野立姫《のだちひめ》
|埴安彦《はにやすひこ》や|埴安姫《はにやすひめ》の
|神《かみ》の|命《みこと》とあれまして
|開《ひら》き|給《たま》ひし|此《この》|道《みち》は
|天《あめ》と|地《つち》との|神々《かみがみ》の
|堅磐常磐《かきはときは》に|動《うご》きなき
|珍《うづ》の|御楯《みたて》となりつれば
|如何《いか》に|魔神《まがみ》の|騒《さや》るとも
いかで|倒《たふ》るる|事《こと》やあらむ
さはさりながら|曲神《まがかみ》の
|伊猛《いたけ》り|狂《くる》ふ|世《よ》の|中《なか》は
|心《こころ》を|許《ゆる》すこと|勿《なか》れ
いざこれよりは|神司《かむつかさ》
|神《かみ》の|光《ひか》りを|身《み》に|浴《あ》びて
|大黒主《おほくろぬし》が|潜《ひそ》みたる
ハルナの|都《みやこ》に|立向《たちむか》ひ
|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|大神《おほかみ》の
|清《きよ》き|正《ただ》しき|大道《おほみち》に
|言向和《ことむけやは》し|来《きた》るべし
これに|就《つ》いては|諸々《もろもろ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》は|真心《まごころ》の
|限《かぎ》りを|尽《つく》して|相図《あひはか》り
|大黒主《おほくろぬし》を|懲戒《こらしめ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》を|選《えら》めかし
われはこれより|奥殿《おくでん》に
|進《すす》みて|天地《てんち》の|大神《おほかみ》に
|厳《いづ》の|言霊《ことたま》|宣《の》り|上《あ》げて
|我《わが》|神軍《しんぐん》の|成功《せいこう》を
|祈《いの》り|奉《まつ》らむいざさらば
|百《もも》の|司《つかさ》よ|神人《かみびと》よ
|謹《つつし》み|畏《かしこ》み|此《この》|度《たび》の
|言向戦《ことむけいくさ》を|各自《めいめい》に
|心《こころ》の|底《そこ》より|打《う》ち|明《あ》かし
|選《えら》みて|神《かみ》の|御心《みこころ》に
|仕《つか》へまつれよ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|瑞霊《みづみたま》
|心《こころ》を|清《きよ》めて|宣《の》りまつる』
と|宣示《せんじ》し|終《をは》つて|奥殿《おくでん》に|姿《すがた》を|隠《かく》し|給《たま》ふた。
|思兼神《おもひかねのかみ》(|議長《ぎちやう》)の|格《かく》に|控《ひか》へたる|日出別神《ひのでわけのかみ》は|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
『|惟神《かむながら》|斎苑《いそ》の|館《やかた》に|集《あつ》まりて
|魔神《まがみ》|討伐《きため》の|神議《かむはか》りせむ。
|大神《おほかみ》の|珍《うづ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて
|並《な》み|居《ゐ》る|司《つかさ》|言議《ことはか》りせよ。
バラモンの|大黒主《おほくろぬし》の|神司《かむづかさ》
ハルナの|都《みやこ》に|事謀《ことはか》ゆらし。
はかゆとも|何《なに》かあらむや|曲神《まがかみ》の
|醜《しこ》の|企《たく》みは|神《かみ》|許《ゆる》すまじ。
|素盞嗚《すさのを》の|神《かみ》の|尊《みこと》の|御教《みをしへ》は
|月日《つきひ》の|如《ごと》く|冴《さ》え|渡《わた》るなり。
|冴《さ》え|渡《わた》る|三五《さんご》の|月《つき》の|御教《みをしへ》に
|言向和《ことむけやは》せ|大黒主《おほくろぬし》を』
|東野別命《あづまのわけのみこと》は|立《た》つて|之《これ》に|答《こた》へた。
『|言霊《ことたま》の|斎苑《いそ》の|館《やかた》の|神司《かむづかさ》
|東《あづま》の|別《わけ》は|言問《ことと》ひまつる。
|大黒主《おほくろぬし》|曲《まが》の|司《つかさ》を|言向《ことむ》くる
|神《かみ》の|司《つかさ》は|何人《なにびと》とせむ。
|聞《き》かまほし|日出《ひので》の|別《わけ》の|御心《みこころ》を
|重《おも》き|使《つかひ》を|定《さだ》めかねつつ。
この|使《つかひ》あまり|多《おほ》くは|要《い》るまじと
|東野別《あづまのわけ》は|思《おも》ひ|居《ゐ》るなり』
|日出別命《ひのでわけのみこと》はこれに|答《こた》へて、
『|日出別《ひのでわけ》|東《あづま》の|空《そら》を|分《わ》け|昇《のぼ》る
|三五《さんご》の|月《つき》の|照《て》らすまにまに。
|何人《なにびと》もわれと|思《おも》はむ|人達《ひとたち》は
|心《こころ》のたけを|宣《の》り|伝《つた》へませ』
|東野別《あづまのわけ》はこれに|答《こた》へて、
『|日出別《ひのでわけ》|神《かみ》の|仰《あふ》せぞ|尊《たふと》けれ
|神言《みこと》のままに|選《えら》み|合《あ》ひせむ』
|時置師神《ときおかしのかみ》は|起《た》ち|上《あが》り、
『この|使《つかひ》|黄竜姫《わうりようひめ》や|蜈蚣姫《むかでひめ》
|先《ま》づ|遣《つか》はして|瀬踏《せぶ》みせしめよ。
|二柱《ふたはしら》|神《かみ》の|命《みこと》はバラモンの
|教《をしへ》にゆかり|居《ゐ》ます|身《み》なれば。
|顕恩《けんおん》の|郷《さと》を|立《た》ち|出《い》で|給《たま》ひてゆ
|久《ひさ》しく|会《あ》はせ|給《たま》はぬ|身《み》|故《ゆゑ》に。
|三五《あななひ》の|神《かみ》の|司《つかさ》の|行《ゆ》くよりも
|蜈蚣姫《むかでひめ》には|心許《こころゆる》さむ。
|蜈蚣姫《むかでひめ》|黄竜姫《わうりようひめ》は|雄々《をを》しくも
|大黒主《おほくろぬし》を|言向和《ことむけやは》さむ』
|黄竜姫《わうりようひめ》は、|立《た》つて|歌《うた》ふ。
『|黄竜姫《わうりようひめ》|神《かみ》の|命《みこと》は|三五《あななひ》の
|道《みち》に|入《い》りしと|彼《かれ》は|知《し》るらむ。
|足乳根《たらちね》の|母《はは》の|命《みこと》は|今《いま》|暫《しば》し
|斎苑《いそ》の|館《やかた》に|仕《つか》へますべし。
|年《とし》|老《お》いし|身《み》をもちながら|敵城《てきじやう》に
|進《すす》まむ|事《こと》の|危《あやふ》く|思《おも》へば』
|蜈蚣姫《むかでひめ》はこれに|答《こた》へて、
『|天地《あめつち》の|神《かみ》に|捧《ささ》げし|此《この》|命《いのち》
いかで|恐《おそ》れむ|水火《すゐくわ》の|中《なか》も。
|大黒主《おほくろぬし》たとへ|如何《いか》なる|力《ちから》あるも
わが|言霊《ことたま》に|言向《ことむ》けて|見《み》む。
|黄竜姫《わうりようひめ》|弱《よわ》き|言霊《ことたま》|吹《ふ》き|放《はな》ち
|母《はは》の|名《な》までも|汚《けが》すまじきぞ。
|吾《われ》こそはハルナの|都《みやこ》に|立《た》ち|向《むか》ひ
|鬼熊別《おにくまわけ》の|夫《つま》を|諭《さと》さむ。
|大黒主神《おほくろぬしかみ》の|司《つかさ》を|始《はじ》めとし
|吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》を|救《すく》はむとぞ|思《おも》ふ。
|勇《いさ》ましき|此《この》|御使《みつかひ》に|仕《つか》へなば
|吾《われ》は|死《し》すとも|悔《くい》ざらましを』
|黄竜姫《わうりようひめ》はこれに|答《こた》へて、
『|健気《けなげ》なる|母《はは》の|命《みこと》の|御言葉《みことば》よ
|神《かみ》の|尊《たふと》さ|今更《いまさら》ぞ|知《し》らるる。
|吾《わが》|母《はは》は|如何《いか》に|雄々《をを》しき|神《かみ》ならむ
|冴《さ》え|渡《わた》りたる|今《いま》の|言霊《ことたま》。
いざさらば|母《はは》の|命《みこと》と|諸共《もろとも》に
ハルナの|都《みやこ》に|向《むか》はむとぞ|思《おも》ふ』
|蜈蚣姫《むかでひめ》はこれに|答《こた》へて
『|健気《けなげ》なる|黄竜姫《わうりようひめ》の|言葉《ことば》かな
|吾《われ》は|勇《いさ》みて|敵城《てきじやう》に|行《ゆ》かむ』
|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|第二《だいに》の|娘《むすめ》|幾代姫《いくよひめ》の|夫《をつと》となりし|照国別《てるくにわけ》(|元《もと》の|名《な》は|梅彦《うめひこ》)は|起《た》ち|上《あが》り、|歌《うた》を|以《もつ》て|所感《しよかん》を|述《の》べた。
『|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の いと|厳《おごそ》かな|御宣言《みことのり》
|其《その》|御心《みこころ》を|細《まつぶ》さに |受《う》け|入《い》れ|給《たま》ひし|神司《かむづかさ》
|日出別《ひのでのわけ》や|八島主《やしまぬし》 |東野別《あづまのわけ》や|時置師《ときおかし》
|尊《たふと》き|神《かみ》が|在《ま》しながら |神《かみ》の|力《ちから》を|身《み》に|魂《たま》に
|満《み》ち|足《た》らはせし|梅彦《うめひこ》を |他所《よそ》に|皆《みな》して|黄竜姫《わうりようひめ》
|蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》を|推薦《すゐせん》し |給《たま》ひし|事《こと》の|恨《うら》めしさ
|吾《われ》は|照国別《てるくにわけ》の|神《かみ》 |尊《たふと》き|神名《みな》を|賜《たま》はりて
|勇気《ゆうき》は|日頃《ひごろ》に|百倍《ひやくばい》し |心《こころ》は|勇《いさ》み|腕《うで》はなり
はや|堪《た》へ|難《がた》くなりにけり |並《なら》び|給《たま》へる|神司《かむづかさ》
|吾《われ》を|選《えら》ませ|給《たま》ひなば |大黒主《おほくろぬし》の|立《た》て|籠《こも》る
ハルナの|都《みやこ》に|立向《たちむか》ひ |千変万化《せんぺんばんくわ》の|言霊《ことたま》を
|縦横無尽《じうわうむじん》に|発射《はつしや》して |魔神《まがみ》を|一人《ひとり》も|残《のこ》さずに
|言向和《ことむけやは》し|神徳《しんとく》を |月日《つきひ》の|如《ごと》く|天地《あめつち》に
|輝《かがや》かさむは|目《ま》のあたり |三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》
|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅彦《うめひこ》を これの|使《つかひ》に|選《えら》まずば
|如何《いか》に|尊《たふと》き|黄竜姫《わうりようひめ》 |蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》の|両人《りやうにん》が
|何程《なにほど》|秘術《ひじゆつ》を|尽《つく》すとも いかで|思《おも》ひを|達《たつ》せむや
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し |宣《の》り|直《なほ》しつつ|梅彦《うめひこ》を
|加《くは》へて|三人《みたり》|月《つき》の|国《くに》 ハルナの|都《みやこ》へ|大神《おほかみ》の
|使《つかひ》とよさし|給《たま》へかし |吾《わが》|胸中《きようちう》は|早《はや》|已《すで》に
|大黒主《おほくろぬし》の|神司《かむづかさ》 |服《まつろ》へ|和《やは》す|心算《しんさん》の
|数《かず》|限《かぎ》りなく|確立《かくりつ》し |命令一下《めいれいいつか》|忽《たちま》ちに
|此《この》|神業《しんげふ》を|完成《くわんせい》し |八岐大蛇《やまたをろち》や|醜神《しこがみ》を
|言向和《ことむけやは》すかさもなくば |根底《ねそこ》の|国《くに》へ|追《お》ひ|落《おと》す
|神算鬼謀《しんさんきぼう》は|胸《むね》にあり |只《ただ》|願《ねが》はくは|梅彦《うめひこ》の
|照国別《てるくにわけ》を|正使《せいし》とし |二人《ふたり》の|女神《めがみ》と|諸共《もろとも》に
|進《すす》ませ|給《たま》へ|惟神《かむながら》 |神《かみ》に|誓《ちか》ひて|乞《こ》ひまつる』
|幾代姫《いくよひめ》は|起《た》ち|上《あ》がり、
『|雄々《をを》しくも|吾《わ》が|背《せ》の|君《きみ》の|宣《の》らすこと
|許《ゆる》させ|給《たま》へ|百《もも》の|司《つかさ》|等《ら》。
|願《ねが》はくは|幾代《いくよ》の|姫《ひめ》も|諸共《もろとも》に
ハルナの|都《みやこ》へ|行《ゆ》かまほしさよ。
|照国別《てるくにわけ》|神《かみ》の|命《みこと》と|名《な》を|負《お》ひし
|吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》の|勇《いさ》ましきかも。
|日出別《ひのでわけ》|神《かみ》の|命《みこと》に|物申《ものまを》す
|吾等《われら》|夫婦《めをと》を|印度《ツキ》に|遣《つか》はせ。
|東野別《あづまのわけ》|神《かみ》の|教《をしへ》の|司《つかさ》たち
|吾等《われら》|夫婦《めをと》の|乞《こ》ひを|許《ゆる》せよ。
|時置師《ときおかし》|神《かみ》の|命《みこと》も|梅彦《うめひこ》や
|吾《わが》|願言《ねぎごと》を|聞《きこ》し|召《め》しませ』
|時置師神《ときおかしのかみ》は|又《また》|歌《うた》もて、
『|汝《な》が|君《きみ》のその|言《こと》の|葉《は》は|清《きよ》けれど
|見合《みあは》せ|給《たま》へ|夫婦《めをと》の|出立《いでたち》。
|三五《あななひ》の|神《かみ》の|使《つかひ》の|夫婦連《めをとづ》れ
|神世《かみよ》も|聞《き》かぬ|例《ためし》なりせば』
|幾代姫《いくよひめ》『|神国《かみくに》を|思《おも》ふ|誠《まこと》のあふれてぞ
|吾《わが》|言霊《ことたま》のいとも|恥《はづ》かし。
いざさらば|吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》を|只《ただ》|一人《ひとり》
|使《つか》はせ|給《たま》へ|印度《ツキ》の|御国《みくに》へ』
|日出別《ひのでわけ》は|答《こた》へて、
『|照国別《てるくにわけ》|神《かみ》の|命《みこと》は|印度《ツキ》の|国《くに》
いと|雄々《をを》しくも|進《すす》み|行《ゆ》きませ』
|日出別命《ひのでわけのみこと》の|宣示《せんじ》によつて|茲《ここ》に|照国別《てるくにわけ》は|愈《いよいよ》|印度《ツキ》の|国《くに》へ|出張《しゆつちやう》することとなつた。
(大正一一・一〇・二一 旧九・二 北村隆光録)
第三章 |出師《すゐし》〔一〇六八〕
|照国別《てるくにわけ》の|梅彦《うめひこ》は|日出別《ひのでわけ》の|教主《けうしゆ》より|月《つき》の|国《くに》のハルナの|都《みやこ》へ|向《むか》ふ|事《こと》を|許《ゆる》され、|意気《いき》|揚々《やうやう》として|座《ざ》につき、
『|有難《ありがた》し|神《かみ》の|心《こころ》に|叶《かな》ひしか
|月《つき》の|国《くに》をば|照国別《てるくにわけ》と|行《ゆ》く。
いざさらばこれより|吾《われ》は|幾代姫《いくよひめ》
やかたを|清《きよ》く|後《あと》に|守《まも》れよ』
|幾代姫《いくよひめ》は|歌《うた》ふ。
『|照国別《てるくにわけ》の|吾《わが》|夫《つま》は |日出別《ひのでのわけ》の|教主《けうしゆ》より
|月《つき》の|御国《みくに》に|潜《ひそ》みたる |大黒主《おほくろぬし》の|神司《かむつかさ》
|其《その》|外《ほか》|百《もも》の|醜神《しこがみ》を |尊《たふと》き|神《かみ》の|御教《みをしへ》に
|言向和《ことむけやは》し|救《すく》ふべく |斎苑《いそ》の|館《やかた》を|立出《たちい》でて
|出《い》でます|今日《けふ》の|雄々《をを》しさよ |妾《わらは》は|後《あと》に|止《とど》まりて
|神《かみ》の|教《をしへ》を|守《まも》りつつ |力限《ちからかぎ》りに|世《よ》の|人《ひと》を
|皇大神《すめおほかみ》の|大道《おほみち》に |導《みちび》き|救《すく》ひまつるべし
わが|背《せ》の|君《きみ》よ|一時《ひととき》も |早《はや》く|館《やかた》を|立出《たちい》でて
|天地《あめつち》|百《もも》の|神人《しんじん》の |苦《くるし》み|悩《なや》む|災《わざはひ》を
|払《はら》はせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》 |神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる』
と|歌《うた》ひ|了《をは》るや、|照国別《てるくにわけ》は、
『いざさらば|曲津《まがつ》の|運《うん》も|月《つき》の|国《くに》
|頭《あたま》ハルナの|都《みやこ》に|進《すす》まむ。
|大黒主《おほくろぬし》|斎苑《いそ》の|館《やかた》の|神軍《しんぐん》に
|驚《おどろ》くならむ|今日《けふ》の|出立《いでた》ち。
|八尋殿《やひろどの》|並《なら》びいませる|司《つかさ》たちよ
|吾《われ》はハルナの|都《みやこ》に|立《た》たむ』
|時置師神《ときおかしのかみ》は|立《た》つて|歌《うた》ふ。
『|照国別《てるくにわけ》|神《かみ》の|命《みこと》はとく|行《ゆ》かせ
われは|館《やかた》に|止《とど》まり|守《まも》らむ』
これより|黄竜姫《わうりようひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》は、|日出別命《ひのでわけのみこと》の|承諾《しようだく》を|得《え》、|数多《あまた》の|司《つかさ》に|讃嘆《さんたん》され|乍《なが》ら、|母娘《おやこ》は|普通《ふつう》の|旅人《たびびと》に|身《み》を|変《へん》じ、フサの|国《くに》を|横断《わうだん》し、フサの|海《うみ》より|舟《ふね》に|乗《の》りて、ハルナの|都《みやこ》へ|進《すす》み|行《ゆ》くこととなつた。|又《また》|梅彦《うめひこ》は|直《ただ》ちに|宣伝使《せんでんし》の|服装《ふくさう》を|整《ととの》へ、|照公《てるこう》、|国公《くにこう》、|梅公《うめこう》の|従者《じゆうしや》と|共《とも》に|河鹿峠《かじかたうげ》をこえ、フサの|国《くに》を|東南《とうなん》さして|進《すす》み、|月《つき》の|国《くに》へ|進《すす》むこととなつた。
|此《この》|時《とき》|玉国別《たまくにわけ》の|音彦《おとひこ》は|立上《たちあが》つて|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『|三五教《あななひけう》に|仕《つか》へたる |玉国別《たまくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|音《おと》に|聞《きこ》えし|音彦《おとひこ》は ペルシヤの|国《くに》を|宣伝《せんでん》し
|海《うみ》に|泛《うか》びて|自転倒《おのころ》の |島《しま》に|渡《わた》りて|遠近《おちこち》と
|神《かみ》の|教《をしへ》を|宣《の》べ|乍《なが》ら |大江《おほえ》の|山《やま》に|立《たて》こもる
バラモン|教《けう》の|大棟梁《だいとうりやう》 |鬼雲彦《おにくもひこ》や|鬼熊別《おにくまわけ》の
|魔神《まがみ》に|向《むか》つて|言霊《ことたま》の |戦《いくさ》を|開《ひら》き|曲神《まがかみ》を
|追《お》ひ|散《ち》らしたる|強者《つはもの》ぞ |梅彦《うめひこ》いかに|勇《ゆう》あるも
|音彦司《おとひこつかさ》に|及《およ》ばむや |日出別《ひのでのわけ》の|大教主《だいけうしゆ》
|照国別《てるくにわけ》を|遣《つか》はして |大黒主《おほくろぬし》の|曲神《まがかみ》を
|言向和《ことむけやは》し|玉《たま》はむと |計《はか》り|玉《たま》ふはいぶかしも
いかに|神徳《しんとく》|充実《じうじつ》し |天地《てんち》をゆるがす|言霊《ことたま》を
|身《み》に|受《う》けゐるとは|云《い》ひ|乍《なが》ら |敵《てき》にも|鋭《するど》き|刃《やいば》あり
いかでかこれの|大敵《たいてき》を |一人《ひとり》や|二人《ふたり》の|力《ちから》にて
|言向和《ことむけやは》し|了《おう》せむや |此《この》|音彦《おとひこ》の|心中《しんちう》は
|実《じつ》に|不安《ふあん》の|雲《くも》|掩《おほ》ひ |前途《ぜんと》を|案《あん》じやられけり
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|心《こころ》に|見直《みなほ》して
|玉国別《たまくにわけ》を|今《いま》|一人《ひとり》 |遣《つか》はし|給《たま》へ|真心《まごころ》を
こめてぞ|祈《いの》り|奉《たてまつ》る |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》を |決《けつ》して|汚《けが》す|事《こと》あらじ
|月日《つきひ》の|如《ごと》く|明《あきら》けく |道《みち》の|光《ひかり》を|現《あら》はして
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|復言《かへりごと》 |申《まを》しまつらむ|惟神《かむながら》
|早《はや》く|許《ゆる》させ|玉《たま》へかし』
と|歌《うた》を|以《もつ》て|希望《きばう》を|述《の》べた。|日出別神《ひのでわけのかみ》は、|歌《うた》を|以《もつ》てこれに|答《こた》ふ。
『|玉国別《たまくにわけ》|神《かみ》の|司《つかさ》は|言霊《ことたま》の
|清《きよ》くいませば|悩《なや》むことなし。
さり|乍《なが》ら|数《かず》|限《かぎ》りなき|八十《やそ》の|国《くに》
|只《ただ》|一柱《ひとはしら》にてせむ|術《すべ》もなけむ。
|玉国別《たまくにわけ》|神《かみ》の|司《つかさ》よ|心《こころ》して
|曲津《まがつ》の|荒《すさ》ぶ|月《つき》へ|出《い》でませ。
|月照彦《つきてるひこ》|神命《かみのみこと》をあがめつつ
|夜《よ》を|日《ひ》についで|進《すす》みませ|君《きみ》』
|玉国別《たまくにわけ》は|欣然《きんぜん》として|立上《たちあが》り、|又《また》も|歌《うた》にて|答《こた》ふ。
『|千早《ちはや》ふる|神《かみ》の|光《ひかり》の|現《あら》はれて
|玉国別《たまくにわけ》の|玉《たま》を|照《て》らさむ。
|月照彦《つきてるひこ》|神命《かみのみこと》の|御光《みひかり》に
|暗路《やみぢ》を|安《やす》く|渡《わた》らむと|思《おも》ふ。
イソイソと|斎苑《いそ》の|館《やかた》を|立出《たちい》でて
|進《すす》む|吾《われ》こそ|楽《たの》し|嬉《うれ》しき。
|東野別《あづまのわけ》|司《つかさ》の|前《まへ》に|物申《ものまを》す
|守《まも》らせ|玉《たま》へ|妻《つま》の|身《み》の|上《うへ》』
|東野別《あづまのわけ》はこれに|答《こた》へて、
『|五十子姫《いそこひめ》|清《きよ》く|雄々《をを》しくましまさば
|音《おと》づれなくも|安《やす》く|行《ゆ》きませ。
|素盞嗚《すさのを》の|神尊《かみのみこと》の|愛娘《まなむすめ》
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》とあれし|君《きみ》はも。
|此《この》|君《きみ》のこれの|館《やかた》にゐます|限《かぎ》り
|安《やす》く|楽《たの》しく|道《みち》は|栄《さか》えむ。
|村肝《むらきも》の|心《こころ》|残《のこ》さず|印度《ツキ》の|国《くに》
ハルナの|都《みやこ》にとく|進《すす》みませ』
|音彦《おとひこ》は|又《また》|歌《うた》ふ。
『|有難《ありがた》し|心《こころ》にかかる|雲《くも》もなく
|道《みち》|伝《つた》へ|行《ゆ》かむ|印度《ツキ》の|御国《みくに》へ。
|時置師神命《ときおかしのかみのみこと》よ|昼夜《ひるよる》を
|守《まも》らせ|玉《たま》へこれの|館《やかた》を。
いざさらば|並《なみ》ゐる|司《つかさ》を|後《あと》にして
|神《かみ》の|随々《まにまに》|別《わか》れて|行《ゆ》かむ。
|五十子姫《いそこひめ》|玉国別《たまくにわけ》が|勇《いさ》ましく
|復言《かへりごと》する|日《ひ》をこそまてよ』
|五十子姫《いそこひめ》は|歌《うた》ふ。
『|勇《いさ》ましき|吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》の|御姿《みすがた》を
|隠《かく》るるまでに|眺《なが》め|守《まも》らな。
|村肝《むらきも》の|心《こころ》を|残《のこ》し|玉《たま》はずに
|神《かみ》のまにまに|進《すす》みませ|君《きみ》』
|玉国別《たまくにわけ》は|一同《いちどう》に|向《むか》ひ|会釈《ゑしやく》し|乍《なが》ら|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひつつ、|三人《さんにん》の|随行《ずゐかう》と|共《とも》に、これ|又《また》|河鹿峠《かじかたうげ》を|踏《ふ》み|越《こ》え、フサの|国《くに》の|原野《げんや》を|渉《わた》りて、|印度《いんど》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》かむとする。
|治国別《はるくにわけ》の|亀彦《かめひこ》は|立上《たちあが》つて|歌《うた》もて|自分《じぶん》の|希望《きばう》を|述《の》べた。
『|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の |隠《かく》れ|玉《たま》ひし|斎苑館《いそやかた》
|教司《をしへつかさ》と|現《あ》れませる |日出別《ひのでのわけ》に|物申《ものまを》す
ウラルの|道《みち》を|奉《ほう》じたる |醜《しこ》の|司《つかさ》の|吾《われ》なれど
フサの|海《うみ》にて|巡《めぐ》り|会《あ》ひ |汝《なれ》が|命《みこと》の|薫陶《くんたう》を
|受《う》けて|誠《まこと》の|人《ひと》となり |名《な》さへめでたき|宣伝使《せんでんし》
|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|四方《よも》の|国《くに》 |自転倒島《おのころじま》まで|打渡《うちわた》り
|醜《しこ》の|魔神《まがみ》を|言向《ことむけ》けて |再《ふたた》びこれの|斎苑館《いそやかた》
|皇大神《すめおほかみ》に|従《したが》ひて |功績《いさを》を|立《た》てしわが|身魂《みたま》
|見向《みむ》きもやらず|梅彦《うめひこ》や |音彦《おとひこ》|二人《ふたり》を|抜擢《ばつてき》し
|大黒主《おほくろぬし》をいましめの |任務《にんむ》を|依《よ》さし|玉《たま》ひたり
あゝ|恨《うら》めしし|恨《うら》めしし われも|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》
いかでか|彼《かれ》に|劣《おと》らむや |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|宣直《のりなほ》しまし|亀彦《かめひこ》を |印度《ツキ》の|御国《みくに》へ|遣《つか》はして
|八岐大蛇《やまたをろち》のかかりたる |醜《しこ》の|司《つかさ》を|悉《ことごと》く
|三五教《あななひけう》の|大道《おほみち》に |救《すく》ひ|助《たす》くる|神使《かみつかひ》
|任《ま》けさせ|玉《たま》へ|逸早《いちはや》く |神《かみ》の|御前《みまへ》に|伺《うかが》ひて
わが|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》を |照《て》らさせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|菊子《きくこ》の|姫《ひめ》と|諸共《もろとも》に |謹《つつし》み|敬《うやま》ひ|祈《ね》ぎ|奉《まつ》る』
と|歌《うた》ひ|了《をは》つた。|日出別命《ひのでわけのみこと》は、これに|答《こた》へて、
『|勇《いさ》ましき|治国別《はるくにわけ》の|言《こと》あげを
|心《こころ》|涼《すず》しく|頼《たの》もしく|思《おも》ふ。
いざさらば|汝《なれ》が|命《みこと》は|印度《ツキ》の|国《くに》
すみずみ|迄《まで》も|巡《めぐ》り|救《すく》へよ。
|言霊《ことたま》の|幸《さち》はふ|国《くに》の|神司《かむつかさ》
|勝鬨《かちどき》あげて|早帰《はやかへ》りませ』
と|歌《うた》もて|印度《ツキ》の|国《くに》への|出陣《しゆつぢん》を|許《ゆる》した。|治国別《はるくにわけ》は|勇《いさ》み|立《た》ち、
『かけ|巻《まく》も|綾《あや》に|畏《かしこ》き|皇神《すめかみ》の
|御言《みこと》のままに|進《すす》みて|行《ゆ》かむ。
|日出別《ひのでわけ》|神《かみ》の|命《みこと》よ|今《いま》しばし
わが|復言《かへりごと》|待《ま》たせ|玉《たま》はれ。
|東野別《あづまのわけ》|司《つかさ》の|前《まへ》に|物申《ものまを》す
|百《もも》の|司《つかさ》を|恵《めぐ》ませ|玉《たま》へよ。
われは|今《いま》|印度《ツキ》の|国《くに》へと|進《すす》みゆく
|守《まも》らせ|玉《たま》へ|菊子《きくこ》の|姫《ひめ》を。
|残《のこ》しおく|妻《つま》の|命《みこと》もつつしみて
|神《かみ》の|教《をしへ》を|宣《の》べ|伝《つた》へせよ』
|東野別《あづまのわけ》は|之《これ》に|答《こた》へて、
『みづみづし|益良武夫《ますらたけを》の|亀彦《かめひこ》は
|名《な》を|万世《よろづよ》に|伝《つた》へますらむ。
|千代《ちよ》|八千代《やちよ》|万代《よろづよ》までも|亀彦《かめひこ》が
|治国別《はるくにわけ》の|名《な》をや|照《て》らさむ。
|治国別《はるくにわけ》|神《かみ》の|命《みこと》のいさをしを
|仰《あふ》ぎて|待《ま》たむ|唐土《もろこし》の|空《そら》』
|菊子姫《きくこひめ》は|又《また》|歌《うた》ふ。
『けなげなる|尊《たふと》き|便《たよ》りを|菊子姫《きくこひめ》
|待《ま》つ|間《ま》の|永《なが》き|真鶴《まなづる》の|首《くび》。
|一足《ひとあし》の|歩《あゆ》みも|心《こころ》|配《くば》らせつ
|進《すす》み|行《ゆ》きませ|吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》は。
|山《やま》を|越《こ》え|荒野《あらの》をわたり|雨《あめ》にぬれ
|進《すす》み|行《ゆ》く|君《きみ》|見《み》れば|雄々《をを》しも』
|初稚姫《はつわかひめ》は|立上《たちあが》り、|金扇《きんせん》を|開《ひら》いて、|自《みづか》ら|歌《うた》ひ|自《みづか》ら|舞《ま》ひ、|五人《ごにん》の|神司《かむづかさ》が|出陣《しゆつぢん》を|祝《しゆく》した。
『|久方《ひさかた》の|天津御空《あまつみそら》の|限《かぎ》りなく |照《て》り|渡《わた》るなる|三五《あななひ》の
|月《つき》の|教《をしへ》に|四方《よも》の|国《くに》 |青人草《あをひとぐさ》や|鳥《とり》|獣《けもの》
|草《くさ》の|片葉《かきは》に|至《いた》るまで |恵《めぐみ》の|露《つゆ》に|霑《うるほ》ひて
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御光《みひかり》を |仰《あふ》ぎ|楽《たの》しむ|葦原《あしはら》の
|八洲《やしま》の|国《くに》の|其《その》|中《なか》に |如何《いか》なる|神《かみ》の|仕組《しぐみ》にや
|取残《とりのこ》されし|印度《ツキ》の|国《くに》 |七千《しちせん》|余《あま》りの|国々《くにぐに》に
|王《きみ》と|現《あ》れます|刹帝利《せつていり》 |八岐大蛇《やまたをろち》の|醜霊《しこたま》に
|惑《まど》はされつつ|日《ひ》に|月《つき》に よからぬ|事《こと》のみ|行《おこな》ひつ
|世《よ》の|常暗《とこやみ》となりて|行《ゆ》く |時《とき》しもあれやバラモンの
|道《みち》に|仕《つか》ふる|神司《かむづかさ》 |大黒主《おほくろぬし》が|現《あら》はれて
ハルナの|都《みやこ》を|根拠《こんきよ》とし バラモン|族《ぞく》を|庇護《ひご》しつつ
|刹帝利族《せつていりぞく》を|押込《おしこ》めて |暴威《ばうゐ》を|揮《ふる》ふぞうたてけれ
それに|付《つ》いては|毘舎《びしや》|首陀《しゆだ》の |三種階級《さんしゆかいきふ》の|民族《みんぞく》も
バラモン|族《ぞく》の|暴虐《ばうぎやく》に |苦《くるし》み|悶《もだ》へ|国原《くにはら》は
|怨嗟《ゑんさ》の|声《こゑ》にみちみちぬ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御霊《みたま》の|幸《さち》はひて |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》は
|時《とき》を|計《はか》らひ|瑞御霊《みづみたま》 |発揮《はつき》し|玉《たま》ひて|印度《ツキ》の|国《くに》
ハルナの|都《みやこ》へ|三五《あななひ》の |神《かみ》の|司《つかさ》を|遣《つか》はして
|世人《よびと》を|救《すく》ひ|玉《たま》はむと |御計《みはか》り|在《あ》りし|尊《たふと》さよ
|日出別《ひのでのわけ》の|教主《つかさ》より |此《この》|大業《たいげふ》を|命《めい》ぜられ
|黄竜姫《わうりようひめ》や|蜈蚣姫《むかでひめ》 |尊《たふと》き|司《つかさ》を|初《はじ》めとし
|心《こころ》も|明《あか》き|照国別《てるくにわけ》 |神《かみ》の|命《みこと》や|玉国別《たまくにわけ》
|治国別《はるくにわけ》の|三柱《みはしら》を おのもおのもにこと|任《ま》けて
|神《かみ》の|御為《おんため》|世《よ》の|為《ため》に |遣《つか》はし|玉《たま》ふぞ|有難《ありがた》き
われも|初稚姫神《はつわかひめのかみ》 |年端《としは》も|行《ゆ》かぬ|身《み》なれ|共《ども》
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の |遣《つか》はし|玉《たま》ひし|八乙女《やおとめ》が
|清《きよ》き|御業《みわざ》に|神《かむ》|傚《なら》ひ |大黒主《おほくろぬし》の|館《やかた》まで
|忍《しの》び|参《まゐ》りて|三五《あななひ》の |誠《まこと》の|道《みち》に|曲神《まがかみ》を
|言向和《ことむけやは》させ|玉《たま》へかし |日出別《ひのでのわけ》や|東野別《あづまのわけ》
|神《かみ》の|司《つかさ》の|御前《おんまへ》に |謹《つつし》み|敬《うやま》ひ|祈《ね》ぎまつる
|父《ちち》とあれます|時置師《ときおかし》 |神《かみ》の|司《つかさ》は|初稚《はつわか》が
|願《ねがひ》を|必《かなら》ず|許《ゆる》すべし |神《かみ》の|御言《みこと》の|幸《さち》はひて
われを|遣《つか》はし|玉《たま》ひなば |如何《いか》なる|悩《なや》みも|堪《た》へ|忍《しの》び
わが|大神《おほかみ》の|御心《みこころ》を うまらにつばらに|説《と》きさとし
|時節《じせつ》を|待《ま》つて|大黒主《おほくろぬし》を |誠《まこと》の|道《みち》に|帰順《きじゆん》させ
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|復言《かへりごと》 |申《まを》し|奉《まつ》らむいざ|早《はや》く
|許《ゆる》させ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》 |神《かみ》の|御前《みまへ》に|祈《ね》ぎまつる』
と|歌《うた》つて、|自分《じぶん》も|単独《たんどく》にて、|大黒主《おほくろぬし》の|館《やかた》に|忍《しの》び|込《こ》み、|曲神《まがかみ》を|帰順《きじゆん》せしむべく、|出陣《しゆつぢん》を|許《ゆる》されむ|事《こと》を|請願《せいぐわん》した。|日出別《ひのでわけ》は|歌《うた》を|以《もつ》てこれに|答《こた》ふ。
『|勇《いさ》ましき|初稚姫《はつわかひめ》の|言霊《ことたま》よ
|聞《き》く|度《たび》|毎《ごと》に|涙《なみだ》こぼるる。
さり|乍《なが》ら|初稚姫《はつわかひめ》は|独《ひと》り|御子《みこ》
いかでか|印度《ツキ》に|遣《つか》はすを|得《え》む』
|初稚姫《はつわかひめ》はこれに|答《こた》へて、
『いぶかしき|日出別《ひのでのわけ》の|言霊《ことたま》よ
|神《かみ》に|捧《ささ》げし|吾《わが》|身《み》ならずや。
|時置師《ときおかし》|父《ちち》の|命《みこと》も|初稚《はつわか》が
|誠《まこと》の|言葉《ことば》を|愛《め》で|許《ゆる》しませ』
|時置師神《ときおかしのかみ》は|歌《うた》もて|答《こた》ふ。
『|天地《あめつち》の|御霊《みたま》にあれし|吾《わが》|娘《むすめ》
|神《かみ》のまにまに|仕《つか》へまつれよ。
|時置師《ときおかし》|神《かみ》の|司《つかさ》は|只《ただ》|一人《ひとり》
いでゆく|汝《なれ》を|雄々《をを》しくぞ|思《おも》ふ』
|日出別命《ひのでわけのみこと》は|又《また》|歌《うた》ふ。
『|勇《いさ》ましき|親子《おやこ》|二人《ふたり》の|心根《こころね》を
|神《かみ》は|喜《よろこ》び|玉《たま》ふなるらむ。
いざさらば|初稚姫《はつわかひめ》の|神司《かむづかさ》
|神《かみ》のまにまに|進《すす》み|行《ゆ》きませ』
|東野別《あづまのわけ》は|立上《たちあが》りて|歌《うた》ふ。
『|年若《としわか》き|初稚姫《はつわかひめ》の|御姿《みすがた》を
|見《み》るにつけても|涙《なみだ》ぐまれつ。
さり|乍《なが》ら|尊《たふと》き|神《かみ》の|守《まも》ります
|司《つかさ》にませば|心《こころ》|痛《いた》めず。
いざ|早《はや》く|御言《みこと》のままに|出《い》でまして
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|復言《かへりごと》せよ』
|初稚姫《はつわかひめ》は|嬉《うれ》しげに|又《また》|歌《うた》ふ。
『|日出別《ひのでわけ》|東野別《あづまのわけ》や|垂乳根《たらちね》の
|父《ちち》の|言葉《ことば》は|妾《われ》を|生《い》かせり。
|有難《ありがた》き|神《かみ》の|恵《めぐみ》を|受《う》け|乍《なが》ら
|印度《ツキ》の|御国《みくに》へ|吾《わ》が|進《すす》みゆかむ』
かく|歌《うた》ひて、|一同《いちどう》に|別《わか》れを|告《つ》げ、|瓢然《へうぜん》として|只《ただ》|一人《ひとり》|供人《ともびと》をもつれず、|万里《ばんり》の|山河《さんか》を|越《こ》えて、|印度《ツキ》の|国《くに》へ|進《すす》み|行《ゆ》く。
|神界《しんかい》の|御経綸《ごけいりん》にて|最初《さいしよ》より|印度《ツキ》の|国《くに》のハルナの|都《みやこ》に|現《あら》はれたる|大黒主《おほくろぬし》を|言向和《ことむけやは》す|為《ため》|出張《しゆつちやう》を|命《めい》ぜらるべき|神司《かむつかさ》は、|略《ほぼ》|決定《けつてい》されてゐたのである。|併《しか》し|乍《なが》ら|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》は|吾《わが》|娘《むすめ》の|夫《をつと》が|三柱《みはしら》|迄《まで》も|加《くは》はり|居《を》る|事《こと》とて、|明《あきら》さまに|言《い》ひ|出《い》でかね|玉《たま》ひ、|日出別神《ひのでわけのかみ》に|命《めい》じて、|相談会《さうだんくわい》を|開《ひら》かせ、|随意《ずゐい》に|此《この》|使《つかひ》に|奉仕《ほうし》する|事《こと》の|手続《てつづき》をとられたのであつた。|又《また》|初稚姫《はつわかひめ》は|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》が|八人《やたり》の|乙女《おとめ》を|一柱《ひとはしら》も|残《のこ》さず、|敵《てき》の|牙城《がじやう》に|使《つか》はし|玉《たま》ひし|尊《たふと》き|清《きよ》き|大御心《おほみこころ》に|感激《かんげき》し、|如何《いか》にもして、|八人乙女《やたりおとめ》の|尽《つく》し|玉《たま》ひたる|如《ごと》き|神務《しんむ》に|従事《じゆうじ》せばやと、|時《とき》の|至《いた》るを|待《ま》ちつつあつたのである。|時置師神《ときおかしのかみ》の|杢助《もくすけ》も、|初稚姫《はつわかひめ》の|健気《けなげ》なる|心《こころ》に|感《かん》じ、|吾《わが》|子《こ》|乍《なが》らも|天晴《あつぱ》れなる|者《もの》よと、ひそかに|感涙《かんるい》に|咽《むせ》んでゐた。
|斯《か》くの|如《ごと》くにして、|愈《いよいよ》|印度《ツキ》の|国《くに》の|大黒主《おほくろぬし》に|対《たい》する|言霊戦《ことたません》の|準備《じゆんび》は|全《まつた》く|整《ととの》うたのである。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・一〇・二一 旧九・二 松村真澄録)
第二篇 |黄金清照《わうごんせいせう》
第四章 |河鹿越《かじかごえ》〔一〇六九〕
|満目蕭条《まんもくせうでう》として|何処《どこ》となくおちついた|秋《あき》の|空《そら》、|四方《よも》の|山辺《やまべ》は|佐保姫《さほひめ》の|錦《にしき》|織《お》りなす|金色《こんじき》の|山野《さんや》を|黄金姫《わうごんひめ》、|清照姫《きよてるひめ》の|二人《ふたり》は|巡礼姿《じゆんれいすがた》|甲斐々々《かひがひ》しく、|河鹿峠《かじかたうげ》の|峻坂《しゆんばん》を、|二本《にほん》の|杖《つゑ》にて|叩《たた》き|乍《なが》らエチエチ|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
|黄金姫《わうごんひめ》と|云《い》ふは|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》より|新《あらた》に|名《な》を|賜《たま》はりたる|蜈蚣姫《むかでひめ》のことである。|又《また》|清照姫《きよてるひめ》といふのは|黄竜姫《わうりようひめ》のことである。|二人《ふたり》は|岩《いは》に|腰《こし》|打《うち》かけ、|息《いき》を|休《やす》め、|所々《ところどころ》に|圭角《けいかく》を|現《あら》はした、まだらに|禿《は》げた|山《やま》の|谷間《たにま》を|流《なが》るる|激流《げきりう》を|打眺《うちなが》め、|斑鳩《はんきう》のここかしこ|飛《と》びまはる|姿《すがた》を|眺《なが》めて|旅情《りよじやう》を|慰《なぐさ》めて|居《ゐ》た。
|清照姫《きよてるひめ》『お|母《か》アさま、|何《なん》と|佳《よ》い|景色《けしき》で|御座《ござ》いますな。|此処《ここ》は|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》が|馬《うま》に|乗《の》りて|烈風《れつぷう》に|吹《ふ》かれ、|従者《じゆうしや》の|玉彦《たまひこ》、|楠彦《くすひこ》、|厳彦《いづひこ》と|共《とも》に|此《この》|谷間《たにま》に|転落《てんらく》し、|人事不省《じんじふせい》となつて|御座《ござ》る|間《あひだ》に、|五十万年《ごじふまんねん》|未来《みらい》の|天国《てんごく》を|探検《たんけん》せられたといふ|有名《いうめい》な|処《ところ》で|御座《ござ》います。|春《はる》|夏《なつ》になると|河鹿《かじか》の|名所《めいしよ》で、|随分《ずゐぶん》いい|声《こゑ》が|谷水《たにみづ》の|流《なが》れを|圧《あつ》して、|此《この》|山上《さんじやう》まで|聞《きこ》えて|来《く》るさうです。|急《いそ》いで|急《いそ》がぬ|旅《たび》ですから、ここでゆつくりと|息《いき》を|休《やす》めて|参《まゐ》りませうか』
|黄金姫《わうごんひめ》『|何《なに》を|言《い》うてもバラモン|教《けう》やらウラル|教《けう》の|間者《まはしもの》が、|斎苑《いそ》の|館《やかた》|近傍《きんばう》へ|沢山《たくさん》に|出没《しゆつぼつ》してるといふことだから、|余《あま》り|油断《ゆだん》はなりますまい。ゆつくりとして|居《ゐ》ては、|予定《よてい》の|所《ところ》までに|日《ひ》が|暮《く》れると|大変《たいへん》だから、ボツボツと|行《ゆ》きませう。|何程《なにほど》|足《あし》が|遅《おそ》くても|根《こん》に|任《まか》せて|行《ゆ》けば|早《はや》いもの、|何程《なにほど》|急《いそ》いで|歩《ある》いても、|休息《きうそく》が|長《なが》いと|却《かへつ》て|道《みち》がはかどらぬもの、サア|行《ゆ》きませう』
と|先《さき》に|立《た》つ。|清照姫《きよてるひめ》も|母《はは》の|言《げん》に|否《いな》む|由《よし》なく、|杖《つゑ》を|力《ちから》に|峻坂《しゆんぱん》を|登《のぼ》りつ|下《くだ》りつ、|谷《たに》を|幾《いく》つとなく|渉《わた》りてフサの|国《くに》の|都《みやこ》を|指《さ》して|急《いそ》ぎ|行《ゆ》く。
|一方《いつぱう》は|嶮《けは》しき|禿山《はげやま》、|一方《いつぱう》は|淙々《そうそう》たる|激流《げきりう》ほとばしる|谷川《たにがは》を|眺《なが》めて、|山《やま》の|腰《こし》に|鉢巻《はちまき》をしたやうに|通《つう》じてゐる|細《ほそ》い|路《みち》の|傍《かたはら》の|岩《いは》に|腰《こし》|打掛《うちか》け|四五人《しごにん》の|男《をとこ》が|此《この》|風景《ふうけい》を|眺《なが》めて|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つてゐる。|此《この》|五人《ごにん》は|鬼熊別《おにくまわけ》の|部下《ぶか》の|者《もの》で、ハム(半六)イール(伊造)ヨセフ(芳二)レーブ(麗二)タール(太郎)の|五人《ごにん》であつた。
ハム『|吾々《われわれ》は|今年《ことし》で|足《あし》かけ|三年《さんねん》、|斯《か》うして|此《この》|附近《ふきん》を|捜《さが》しまはつてゐるのだが、|何《なに》を|言《い》うても|広《ひろ》い|世界《せかい》、|蜈蚣姫《むかでひめ》の|所在《ありか》が|分《わか》る|筈《はず》はないぢやないか。|人相書《にんさうがき》を|何程《なにほど》|持《も》つてゐても、|十年前《じふねんまへ》の|姿《すがた》と|今《いま》とは|余程《よほど》|違《ちが》つてゐるに|相違《さうゐ》ない。|又《また》|一度《いちど》でも、|今迄《いままで》に|会《あ》うて|居《を》ればどこかに|覚《おぼ》えがあるのだけれど、|少《すこ》しく|顔《かほ》が|四角《しかく》いの、|目《め》が|大《おほ》きいの、|背《せい》が|通常《つうじやう》だのと|此《この》|位《くらゐ》のことでは|到底《たうてい》|見当《けんたう》がつかない。|兎《と》も|角《かく》|婆《ば》アさんと|見《み》たら、|小口《こぐち》から|引《ひつ》とらまへて|面《つら》の|検査《けんさ》を、これからはすることにしようかい。|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》を|発見《はつけん》しさへすれば、それこそ|大《たい》したものだから…………』
イール『|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》は|三五教《あななひけう》へ|沈没《ちんぼつ》したといふぢやないか。|一層《いつそう》のこと|三五教《あななひけう》の|霊場《れいぢやう》|々々《れいぢやう》へ|化《ば》け|込《こ》んで|考《かんが》へて|見《み》たら、それが|一番《いちばん》|早道《はやみち》かも|知《し》れぬぞ』
ハム『|何程《なにほど》|早道《はやみち》だつて、さう|敵《かたき》の|中《なか》へ|易々《やすやす》と|這入《はい》れるものか。|三五教《あななひけう》には|天眼通《てんがんつう》とかいつて、すぐに|吾々《われわれ》の|行動《かうどう》を|前知《ぜんち》する|法《はふ》があるから、|迂濶《うつか》り|近寄《ちかよ》れない。ここは|斎苑館《いそやかた》の|近《ちか》くだから、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が|比較的《ひかくてき》|沢山《たくさん》|通《とほ》る。|時節《じせつ》を|待《ま》つてをれば、|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》がお|通《とほ》りになるかも|知《し》れないからな。まづ|慌《あわ》てず|急《いそ》がず、かうして|手当《てあて》を|貰《もら》つて|日《ひ》を|暮《くら》してさへ|居《を》れば|安全《あんぜん》ぢやないか』
イール『それだと|云《い》つて、|足掛《あしか》け|三年《さんねん》も|何《なん》の|手掛《てがか》りも|得《え》ず、|手当《てあて》ばかり|貰《もら》つて|居《を》るのは、|何《なん》とはなしに|気《き》の|毒《どく》のやうな|気《き》になつて|来《く》る。つひには|無能《むのう》|呼《よ》ばはりをされて|免職《めんしよく》の|憂目《うきめ》に|会《あ》ふかも|知《し》れないぞ。さうなつたら|俺達《おれたち》ばかりの|難儀《なんぎ》ぢやない。|妻子《さいし》|眷族《けんぞく》|迄《まで》が|忽《たちま》ち|路頭《ろとう》に|迷《まよ》はねばならぬ|破目《はめ》に|陥《おちい》るから、|第一《だいいち》それが|恐《おそ》ろしいぢやないか。|大黒主《おほくろぬし》の|大教主《だいけうしゆ》に|次《つ》いでの|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》が、あの|勢《いきほ》ひであり|乍《なが》ら、|肝腎《かんじん》の|奥様《おくさま》や|娘《むすめ》が|行《ゆ》きはが|知《し》れず、と|云《い》うてあゝ|云《い》ふ|気《き》の|固《かた》いお|方《かた》だから、|大黒主《おほくろぬし》の|様《やう》に|大切《たいせつ》な|奥様《おくさま》を|放《はう》り|出《だ》して、|綺麗《きれい》な|女《をんな》を|本妻《ほんさい》にしたり、|妾《てかけ》を|沢山《たくさん》|置《お》いて、ひそかに|戯《たはむ》れるといふやうな|不始末《ふしまつ》なことはなさらぬのだから、|実際《じつさい》|聞《き》いても|気《き》の|毒《どく》なものだ。|吾々《われわれ》は|信者《しんじや》で|居《ゐ》|乍《なが》ら、|結構《けつこう》な|手当《てあて》を|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》から|頂《いただ》いて|居《ゐ》るのだから、|早《はや》くお|尋《たづ》ね|致《いた》して、|夫婦《ふうふ》|和合《わがふ》して|御神業《ごしんげふ》に|参加《さんか》なさるやうにして|上《あ》げねばなろまいぞ』
ハム『|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》は|信仰《しんかう》の|強《つよ》い|神様《かみさま》だから、|何事《なにごと》も|一切《いつさい》を|惟神《かむながら》にお|任《まか》せ|遊《あそ》ばし、|妻子《さいし》のことなどはチツとも|気《き》にかけてゐられない。|只《ただ》|神様《かみさま》にお|任《まか》せしておけば|良《よ》いのだと|日夜《にちや》|品行《ひんかう》を|慎《つつし》むで、|信仰《しんかう》|三昧《ざんまい》に|入《い》り、|吾々《われわれ》に|誠《まこと》の|手本《てほん》をお|見《み》せ|下《くだ》さる|救世主《きうせいしゆ》のやうな|方《かた》だが、|此《この》|頃《ごろ》は|大将《たいしやう》の|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》の|嫌疑《けんぎ》がかかつて|大変《たいへん》な|御迷惑《ごめいわく》、ハルナの|城《しろ》へは|御出仕《ごしゆつし》も|欠勤《けつきん》|勝《がち》だといふことだ』
イール『|大《おほ》きな|声《こゑ》では|言《い》はれぬが、|俺達《おれたち》は|大黒主《おほくろぬし》のやうな|放埒不羈《はうらつふき》の|方《かた》を|教主《けうしゆ》と|仰《あふ》ぐよりも、|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》の|吾《わが》|主人《しゆじん》を|教主《けうしゆ》と|仰《あふ》ぐ|方《はう》が|余程《よほど》|心持《こころもち》が|良《よ》いワ。お|二人《ふたり》の|人気《にんき》といふものは|大変《たいへん》な|相違《さうゐ》ぢや。なぜあれ|程《ほど》に|人気《にんき》の|悪《わる》い|大黒主《おほくろぬし》が|羽振《はぶり》を|利《き》かしてゐるのだらうかなア』
ハム『|何《なん》と|云《い》つても、|勢力《せいりよく》に|圧倒《あつたふ》さるる|世《よ》の|中《なか》だから、|仕方《しかた》がない。|誠《まこと》|一《ひと》つの|教《をしへ》を|伝《つた》ふるバラモン|教《けう》の|本城《ほんじやう》でさへも、|勢力《せいりよく》といふ|奴《やつ》には|如何《どう》しても|勝《か》つことが|出来《でき》ないと|見《み》える。|鬼熊別《おにくまわけ》の|奥様《おくさま》やお|一人《ひとり》のお|娘子《むすめご》の|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》が|三五教《あななひけう》へ|降服《かうふく》されたといふことが、|大黒主《おほくろぬし》の|大将《たいしやう》の|耳《みみ》に|入《い》り、それから|大黒主《おほくろぬし》が|鬼熊別《おにくまわけ》に|対《たい》して|猜疑《さいぎ》の|眼《まなこ》を|光《ひか》らし、|妻子《さいし》の|行方《ゆくへ》を|捜《さが》し|出《だ》して、それをバラモン|教《けう》に|心《こころ》の|底《そこ》から|帰順《きじゆん》せしめなければならぬ。さうでなければ|二心《ふたごころ》に|定《きま》つてゐると、|気《き》の|毒《どく》にも|無理難題《むりなんだい》を|仰《あふ》せられるのだから、|俺達《おれたち》の|大将様《たいしやうさま》も|本当《ほんたう》に|御迷惑千万《ごめいわくせんばん》な|事《こと》だ。|云《い》ふに|云《い》はれぬ|御苦《おくるし》みだらう』
レーブ『オイあすこに|何《なん》だか|人影《ひとかげ》が|見《み》えるぢやないか。ソロソロ|此方《こちら》へ|近寄《ちかよ》つて|来《く》るやうだ。|暫《しばら》く|沈黙《ちんもく》して|此《この》|林《はやし》の|中《なか》に|隠《かく》れる|事《こと》としようかい。|彼奴《あいつ》は|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》かも|知《し》れぬぞ』
タール『あのスタイルから|見《み》ると、|巡礼《じゆんれい》のやうだが、どうやら|女《をんな》らしい』
ハム『|若《も》しもあれが|女《をんな》であつたら、イヤ|婆《ばば》アであつたら、|誰《たれ》でも|構《かま》はぬからフン|縛《じば》つて|印度《ツキ》の|国《くに》まで|連《つ》れ|帰《かへ》り、|吾々《われわれ》が|安閑《あんかん》として|手当《てあて》を|頂《いただ》いて|遊《あそ》んでゐるのぢやないといふことを|見《み》せようぢやないか。さうなとせなくては|申訳《まをしわけ》がないからな』
イール『はるばると|偽物《にせもの》を|連《つ》れ|帰《かへ》つたところで、|肝腎《かんじん》の|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》が|一目《ひとめ》|御覧《ごらん》になつたらすぐに|分《わか》るぢやないか。「|貴様《きさま》は|余程《よほど》バカな|奴《やつ》だ」とお|目玉《めだま》を|頂戴《ちやうだい》するだけのことだ、そんな|偽者《にせもの》を|伴《つ》れて|帰《かへ》つた|所《ところ》で、|骨折損《ほねをりぞん》の|疲労《くたび》れまうけだ、|分《わか》らぬ|代物《しろもの》は|相手《あひて》にならぬ|方《はう》が|安全《あんぜん》でいいぞ』
ハム『|素《もと》より|吾々《われわれ》は|身分《みぶん》の|賤《いや》しき|者《もの》で、|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》や|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》のお|顔《かほ》を|知《し》らないのだから|婆《ばば》アや|娘《むすめ》を|見《み》つけたら、これに|違《ちがひ》ないと|思《おも》ひましたと|云《い》つて|伴《つ》れ|帰《かへ》りさへすれば、|仮令《たとへ》|違《ちが》つた|所《ところ》で|温厚《をんこう》|篤実《とくじつ》な|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》は、ソラさうだらう、|見違《みちが》へるも|無理《むり》はない。こんな|簡単《かんたん》な|人相書《にんさうがき》だから……そして|大変《たいへん》に|年《とし》が|老《よ》つて|人相《にんさう》も|変《かは》つてるだらうからと|仰有《おつしや》つて、|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|反対《あべこべ》にお|褒《ほ》めの|言葉《ことば》を|頂《いただ》いて、|又《また》|此《この》|役《やく》を|永《なが》らく|任《にん》じて|貰《もら》ふやうになるかも|知《し》れないぞ。|兎《と》も|角《かく》|熱心振《ねつしんぶり》をあらはさねば|吾々《われわれ》の|役《やく》がすむまい。イヤ|責任《せきにん》が|果《はた》せないからなア』
レーブ『オイオイ|其処《そこ》へ|近付《ちかづ》いて|来《き》たぞ。サア|隠《かく》れた|隠《かく》れた』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|道端《みちばた》の|灌木《くわんぼく》の|茂《しげ》みに|姿《すがた》を|隠《かく》して|了《しま》つた。
|親子《おやこ》|二人《ふたり》の|巡礼《じゆんれい》は、|五人《ごにん》が|此処《ここ》に|潜《ひそ》むとは|知《し》らず、|風景《ふうけい》の|佳《よ》き|谷川《たにがは》を|眺《なが》め|乍《なが》ら、ツト|立止《たちど》まり、
|清照姫《きよてるひめ》『お|母《か》アさま、|河鹿峠《かじかたうげ》は|天下《てんか》の|絶景《ぜつけい》だと|聞《き》きましたが、|本当《ほんたう》に|勇壮《ゆうさう》な|谷川《たにがは》の|流《ながれ》、|錦《にしき》の|様《やう》な|山《やま》の|色《いろ》、|秋《あき》は|殊更《ことさら》|美《うつく》しく、|丸《まる》でお|母《か》アさまの|名《な》の|様《やう》な|黄金色《わうごんしよく》で、|天国《てんごく》を|旅行《りよかう》してゐるやうな|気《き》になりましたなア。|斎苑《いそ》の|御館《おやかた》も|随分《ずゐぶん》|結構《けつこう》な|所《ところ》ですが、|此《この》|風景《ふうけい》に|比《くら》ぶれば|側《そば》へもよれませぬよ』
|黄金姫《わうごんひめ》『|本当《ほんたう》に|美《うつく》しい|景色《けしき》だ。|春《はる》は|花《はな》が|咲《さ》き、|鳥《とり》は|歌《うた》ひ|青芽《あをめ》はふき、そこら|中《ぢう》が|何《なん》とはなしにみづみづしうて、|一層《いつそう》|眺《なが》めが|宜《よろ》しからうが、|秋《あき》の|眺《なが》めも|亦《また》|格別《かくべつ》なものだ。|併《しか》し|乍《なが》らかうして|秋《あき》の|錦《にしき》を|見《み》てゐる|内《うち》に、|又《また》もや|冷《つめた》い|凩《こがらし》が|吹《ふ》いて、|何《ど》の|木《き》も|此《この》|木《き》も|常磐木《ときはぎ》を|除《のぞ》く|外《ほか》は、|羽衣《はごろも》を|脱《ぬ》いだ|枯木《かれき》のやうになつて|了《しま》ふのだから、|人生《じんせい》といふものは|実《じつ》に|果敢《はか》ないものだ。|私《わたし》も|追々《おひおひ》と|年《とし》が|老《よ》つて、どうやら|羽衣《はごろも》を|脱《ぬ》いだ|木《き》の|様《やう》に、|何《なん》ともなしに|心淋《こころさび》しくなりました。お|前《まへ》はまだ|鶯《うぐひす》の|花《はな》の|蕾《つぼみ》、|早《はや》く|良《よ》い|夫《をつと》を|持《も》たせて|私《わたし》も|早《はや》う|安心《あんしん》したいものだが、まだ|神様《かみさま》の|御許《おゆる》しがないと|見《み》えます。|今度《こんど》の|使命《しめい》を|果《はた》して、|早《はや》くよい|夫《をつと》を|持《も》たせ、|楽《たの》しい|家庭《かてい》を|作《つく》り、|私《わたし》も|亦《また》|夫《をつと》に|巡《めぐ》り|合《あ》うて、|夫婦《ふうふ》|同《おな》じ|道《みち》で|暮《くら》したいものだ。|何《な》んとした|私《わたし》も|因果《いんぐわ》な|者《もの》だらう。|現在《げんざい》|夫《をつと》はありながら、|信仰《しんかう》が|違《ちが》ふために、|今《いま》は|夫《をつと》の|所在《ありか》は|分《わか》つて|居《を》つても|名乗《なの》つて|行《ゆ》く|訳《わけ》にもゆかず、|若《わか》い|時《とき》は|何《なん》とも|思《おも》はなかつたが、|斯《か》う|年《とし》が|老《よ》ると、|夫《をつと》のことが|思《おも》ひ|出《だ》さるる』
と|声《こゑ》を|曇《くも》らせ、|涙《なみだ》ぐんで|語《かた》る。|清照姫《きよてるひめ》は、
『お|母《か》アさま、|御心配《ごしんぱい》なされますな。|私《わたし》はまだまだ|年《とし》が|若《わか》い|身《み》の|上《うへ》、さう|慌《あわ》てて|夫《をつと》を|持《も》つにも|及《およ》びますまい。|併《しか》し|乍《なが》ら|広大無辺《くわうだいむへん》の|神様《かみさま》の|御恵《おめぐみ》に|依《よ》つて、キツと|御両親様《ごりやうしんさま》が|御面会《ごめんくわい》|遊《あそ》ばし、|同《おな》じ|三五《あななひ》の|道《みち》にお|仕《つか》へ|遊《あそ》ばすやうになりませう』
|斯《か》く|話《はな》す|折《をり》しも、ガサガサガサと|木《き》を|揺《ゆす》つて、|現《あら》はれ|出《い》でた|五人《ごにん》の|男《をとこ》、|細《ほそ》き|山腹《さんぷく》の|路《みち》に|立《たち》はだかり、
ハム『お|前《まへ》は|今《いま》|聞《き》いて|居《を》れば、|何《なん》でも|神《かみ》の|道《みち》を|開《ひら》きに|歩《ある》いてゐる|者《もの》らしいが、|一体《いつたい》|何処《どこ》の|者《もの》だ。そして|姓名《せいめい》は|何《なん》といふか』
と|居丈高《ゐたけだか》に|肱《ひぢ》をはつて、|頭押《あたまお》さへに|問《と》ひかける。
|黄金姫《わうごんひめ》『|私《わたし》は……お|前《まへ》も|最前《さいぜん》|性《しやう》の|悪《わる》い、ここで|隠《かく》れて|聞《き》いただろが、|此《この》|世《よ》を|黄金世界《わうごんせかい》に|立直《たてなほ》す|黄金姫《わうごんひめ》といふ|者《もの》だ。|何《なん》だかエライ|権幕《けんまく》で|私《わたし》の|姓名《せいめい》を|尋《たづ》ねるに|付《つ》いては|仔細《しさい》があらう』
ハム『あらいでか、|貴様《きさま》は|黄金姫《わうごんひめ》と|吐《ぬか》すからは、|聖地《せいち》エルサレムの|奴《やつ》だらう、|黄金山《わうごんざん》の|下《した》にあつて|三五教《あななひけう》を|開《ひら》いて|居《を》つた、|埴安姫《はにやすひめ》だな。オイ|皆《みな》の|者《もの》、|最前《さいぜん》もいふ|通《とほ》り、|俺達《おれたち》も|御大将《おんたいしやう》に|土産《みやげ》がないから、|此奴《こいつ》を|一《ひと》つふん|縛《じば》つて、はるばるとフサの|海《うみ》|迄《まで》かつぎ|出《だ》し、|御館《おやかた》へ|伴《つ》れ|帰《かへ》ることにしようぢやないか』
|一同《いちどう》『ヨシ、|併《しか》しモ|少《すこ》し|様子《やうす》を|探《さぐ》つてからにしたら|如何《どう》だ。もしもレコだつたら|大変《たいへん》だぞ』
と|稍《やや》|躊躇《ちうちよ》して|居《ゐ》る。|黄金姫《わうごんひめ》は、
『ホヽヽヽヽお|前《まへ》は|山賊《さんぞく》ぢやないか。|大方《おほかた》|此《この》|辺《へん》に|岩窟《いはや》があるのだらう。|同《おな》じ|人間《にんげん》に|生《うま》れ|乍《なが》ら、|往来《ゆきき》の|旅人《たびびと》をおどかして|渡世《とせい》をするとは|実《じつ》に|憐《あは》れな|者《もの》だ。|私《わたし》は|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》だが、|一《ひと》つ|話《はなし》をしてあげるから、トツクリとそこで|聞《き》きなさい』
ハム『オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、|此奴《こいつ》ア|中々《なかなか》|手《て》ごわい|奴《やつ》だ、レコではないと|云《い》ふことは|今《いま》の|言葉《ことば》で|判然《はんぜん》した。サアかかれ、|一《ひ》イ|二《ふ》ウ|三《みい》ツ』
と|号令《がうれい》をする。|清照姫《きよてるひめ》は|笠《かさ》を|被《かぶ》つたまま、
『コレ|耄碌《まうろく》サン、|女《をんな》ばかりと|侮《あなど》つて、いらぬチヨツカイを|出《だ》すと、キツイ|目《め》に|会《あ》はされますよ。|此《この》|物騒《ぶつそう》な|山坂《やまさか》を|僅《わづ》かに|二人《ふたり》の|女《をんな》で|通《とほ》る|位《くらゐ》だから、|腕《うで》に|覚《おぼえ》がなくては|叶《かな》はぬこと、|美事《みごと》|相手《あひて》になるなら、なつて|見《み》たがよからう』
ハム『コリヤ|失敬《しつけい》|千万《せんばん》な、|俺達《おれたち》を|泥棒《どろばう》とは|何《なん》だ。|汝《きさま》こそ|太《ふて》え|奴《やつ》だ、|泥棒《どろばう》の|親方《おやかた》だらう。|何程《なにほど》|親分《おやぶん》でも|駄目《だめ》だぞ。こちらは|屈強《くつきやう》|盛《ざか》りの|男《をとこ》が|五人《ごにん》、そちらは|老耄婆《おいぼればば》アに|小娘《こむすめ》、そんな|負惜《まけをし》みを|吐《ぬか》すより、|神妙《しんめう》に|俺達《おれたち》の|言《い》ふやうにしたらどうだ。|騒《さわ》ぎさへせねば|別《べつ》にひつ|括《くく》りもせず、よい|所《ところ》へ|連《つ》れて|行《い》つてやる、|返答《へんたふ》はどうだ』
と|睨《ね》めつける。|黄金姫《わうごんひめ》は|泰然自若《たいぜんじじやく》として、
『オツホヽヽヽ|蚊《か》トンボのやうな|腕《うで》を|振《ふり》まはして|何《なに》|寝言《ねごと》をいつてるのだ。|斑鳩《いかるが》が|笑《わら》つてゐるぞや。サア|清照姫《きよてるひめ》、こんな|胡麻《ごま》の|蠅《はへ》みたやうな|奴《やつ》に|相手《あひて》になつてる|暇《ひま》がない、|度《ど》し|難《がた》き|代物《しろもの》だ。それよりも|早《はや》く、|霊《れい》に|飢《う》ゑ|渇《かは》いた|神《かみ》の|御子《みこ》を|一人《ひとり》でも|救《すく》ひつつ|目的地《もくてきち》へ|参《まゐ》りませう』
と|娘《むすめ》を|促《うなが》し、|通《とほ》り|過《す》ぎようとするのを、ハムは、
『サアかかれツ』
と|命令《めいれい》をする。|両方《りやうはう》から|両人《りやうにん》|目《め》がけて、|武者振《むしやぶ》りつくのを『エー|面倒《めんだう》』とハム、イールの|両人《りやうにん》を|黄金姫《わうごんひめ》は|苦《く》もなく|谷底《たにぞこ》へ|投《な》げ|込《こ》んで|了《しま》つた。ヨセフは|清照姫《きよてるひめ》の|細腕《ほそうで》に|首筋《くびすぢ》をグツと|握《にぎ》られ、これ|又《また》|眼下《がんか》の|青淵《あをふち》へ|目《め》がけて、|空中《くうちう》を|三四回《さんしくわい》、|回転《くわいてん》し|乍《なが》らザンブとばかりに|落込《おちこ》んだ。
|之《これ》を|眺《なが》めたレーブ、タールの|両人《りやうにん》は|一目散《いちもくさん》にかけ|出《だ》し、|三人《さんにん》が|投《な》げ|込《こ》まれた|谷川《たにがは》に|辿《たど》りつき、|三人《さんにん》を|救《すく》はむと|焦《あせ》れ|共《ども》、|板《いた》を|立《た》てたる|如《ごと》き|大岩壁《だいがんぺき》、|近《ちか》よることも|出来《でき》ず、|十町《じつちやう》ばかり|下手《しもて》へ|逃《に》げ|行《ゆ》き、|漸《やうや》くにして|蔓《つる》などにつかまつて|谷川《たにがは》に|下《お》り、|流《なが》れを|伝《つた》うて、|三人《さんにん》が|落込《おちこ》んだ|青淵《あをふち》を|尋《たづ》ねて|上《のぼ》つて|行《ゆ》く。
|黄金姫《わうごんひめ》、|清照姫《きよてるひめ》は|委細《ゐさい》|構《かま》はず、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|倉皇《さうくわう》として|峠《たうげ》を|東南《とうなん》へ|下《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・一〇・二二 旧九・三 松村真澄録)
第五章 |人《ひと》の|心《こころ》〔一〇七〇〕
レーブ、タールの|両人《りやうにん》は|三人《さんにん》の|同役《どうやく》が|二人《ふたり》の|女《をんな》に|脆《もろ》くも|谷底《たにぞこ》に、とつて|放《ほ》られたるに|肝《きも》を|潰《つぶ》し、|十町《じつちやう》ばかり|逃《に》げのび、そこより|漸《やうや》くにして|谷川《たにがは》に|下《くだ》り|三人《さんにん》を|救《すく》ふべく|岩《いは》を|飛《と》び|越《こ》え|浅瀬《あさせ》を|渡《わた》り、|漸《やうや》くにして|五六丁《ごろくちやう》ばかり|上《のぼ》りつめた。
レーブ『オイ、タール、ひどい|奴《やつ》が|現《あら》はれたものぢやないか。ハムの|大将《たいしやう》、|女《をんな》|子供《こども》と|侮《あなど》つて、|思《おも》はぬ|不覚《ふかく》をとりよつて……あの|熊《ざま》……|俺《おれ》や|女《をんな》の|天狗《てんぐ》かと|思《おも》つたよ』
タール『|随分《ずゐぶん》|肝玉《きもだま》の|太《ふと》い|巡礼《じゆんれい》ぢやないか。あの|口《くち》のきき|様《やう》と|云《い》ひ、|武術《ぶじゆつ》の|鍛錬《たんれん》してる|事《こと》と|云《い》ひ、こりや|一通《ひととほ》りの|女《をんな》ぢやあるまいぞ。|天狗《てんぐ》ぢやあるまいけど|聞《き》けば|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》と|云《い》つて|居《を》つたから、|是《これ》から|女《をんな》に|出会《であ》つても|軽々《かるがる》しく|相手《あひて》にはなれないぞ。|然《しか》し|三人《さんにん》の|奴《やつ》はうまく|助《たす》かつて|居《ゐ》るだらうかな。|俺《おれ》はそれ|計《ばか》りが|案《あん》じられて|仕方《しかた》がないわ』
レーブ『|落《お》ちた|処《ところ》で|直様《すぐさま》、|谷川《たにがは》へ|顛落《てんらく》して|頭《あたま》を|打《う》つと|云《い》ふ|事《こと》もあるまい。これだけ|谷《たに》を|塞《ふさ》ぐ|位《くらゐ》|木《き》が|茂《しげ》つてるのだから、|何《いづ》れ|途中《とちう》で|木《き》にかかつて|居《ゐ》る|者《もの》もあらうし、|三人《さんにん》が|三人《さんにん》|迄《まで》|谷川《たにがは》に|落《お》ちて|死《し》んでゐるやうな|事《こと》もあるまい。|然《しか》しハムの|大将《たいしやう》、ありや|屹度《きつと》|神罰《しんばつ》が|当《あた》つたに|違《ちが》ひないぞ。|不断《ふだん》からの|心掛《こころがけ》が|悪《わる》いからな。もしまだ|虫《むし》の|息《いき》でもあつたら|助《たす》けちやならないぞ。イール、ヨセフの|二人《ふたり》を|前《さき》に|助《たす》けて|彼奴《あいつ》ア、|後《あと》まはしにして|放《ほ》つといてやらうかい』
タール『さうだなあ、それでも|宜《い》いわ。|然《しか》しあの|女《をんな》は|随分《ずゐぶん》|素敵《すてき》な|者《もの》だつたな。あんなナイスを|女房《にようばう》にもつたら|男子《だんし》としては|中々《なかなか》の|光栄《くわうえい》だぜ』
レーブ『そんな|陽気《やうき》な|事《こと》を|云《い》うてる|場合《ばあひ》ぢやあるまい。サア|早《はや》く|三人《さんにん》の|所在《ありか》を|探《さが》して|何《なん》とかせなくてはなるまい。|愚図々々《ぐづぐづ》して、こんな|谷底《たにぞこ》で|日《ひ》を|暮《くら》したら、それこそ|大変《たいへん》だ。|獅子《しし》、|狼《おほかみ》や|大蛇《をろち》の|餌食《ゑじき》にしられて|了《しま》ふぞ。サア|行《い》かう』
と|先《さき》に|立《た》つて、いろいろと|工夫《くふう》し|乍《なが》ら|谷川《たにがは》を|伝《つた》ひ|上《のぼ》り|行《ゆ》く。
|二人《ふたり》は|漸《やうや》くにして|三人《さんにん》の|投《な》げ|込《こ》まれた|谷底《たにぞこ》へ|辿《たど》りつき、|四辺《あたり》を|見渡《みわた》せば|不思議《ふしぎ》にも|岩《いは》と|岩《いは》との|間《あひだ》の|真砂《まさご》の|上《うへ》に|半分《はんぶん》ばかりグサと|体《からだ》を|埋《うづ》めて|横《よこ》たはつて|居《ゐ》る。
レーブ『|何《なん》と|不思議《ふしぎ》な|投《な》げられやうぢやないか。これだけ|沢山《たくさん》な|岩石《がんせき》があるのに|三人《さんにん》が|三人《さんにん》とも|都合《つがふ》よく|真錦《まわた》の|様《やう》な|真砂《すな》の|中《なか》にグツと|投《な》げ|込《こ》まれ、|安閑《あんかん》と|眠《ねむ》つて|居《ゐ》やがる、|投《な》げられるものも|中々《なかなか》|気《き》が|利《き》いて|居《を》るが|投《な》げたものも|中々《なかなか》|気《き》が|利《き》いて|居《ゐ》るなあ』
タール『オイ、そんな|事《こと》ア、|後《あと》でゆつくり|話《はな》す|事《こと》にして|早《はや》く|水《みづ》でも|与《あた》へて|呼《よ》び|生《い》かさぬ|事《こと》にやサツパリ|駄目《だめ》だぞ。|然《しか》し|約束《やくそく》の|通《とほ》りハムだけは|助《たす》けぬ|事《こと》にしようかな。|一層《いつそう》の|事《こと》、|今《いま》の|内《うち》に|川《かは》に|投《な》げ|込《こ》んで|此《この》|儘《まま》|水葬《すゐさう》してやつたら|面倒《めんだう》が|残《のこ》らなくて|宜《い》いぞ』
レーブ『まづ|俺《おれ》はヨセフを|介抱《かいほう》するからお|前《まへ》はイールの|方《はう》を|介抱《かいほう》してやれ。|魂返《たまがへ》しで|遠《とほ》く|肉体《にくたい》を|離《はな》れた|霊魂《れいこん》を|元《もと》の|肉体《にくたい》へ【ヨセフ】と|云《い》ふ|段取《だんどり》だ。タールお|前《まへ》は|一旦《いつたん》|出《で》た|魂《たましひ》を|元《もと》の|体《からだ》へ|易々《やすやす》と【イール】|様《やう》にするのだぞ。ハムは|谷川《たにがは》へ|流《なが》して|置《お》けば、うまく、くたばり|大《おほ》きな|魚《うを》が|出《で》て|来《き》て|頭《あたま》から【ハム】だらう。アハヽヽヽヽ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|二人《ふたり》はヨセフ、イールを|捉《とら》へて|人工《じんこう》|呼吸《こきふ》を|施《ほどこ》してゐる。|一時《いつとき》ばかり|経《た》つて|漸《やうや》くフウフウと|息《いき》を|吹《ふ》き|出《だ》しウーンと|云《い》ひかけた。
レーブ『サア、しめた。もう|二人《ふたり》は|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。ハムの|奴《やつ》、|態《ざま》ア|見《み》やがれ。|此奴《こいつ》ア|後《あと》まはし|処《どころ》か、|日頃《ひごろ》の|行《おこな》ひが|悪《わる》く|憎《にく》まれてゐるものだから、|斯《か》う|云《い》ふ|時《とき》には|誰《たれ》も|助《たす》け|手《て》がない。|神《かみ》さまだつて|素知《そし》らぬ|顔《かほ》して|厶《ござ》るからな。|人間《にんげん》と|云《い》ふものは|憎《にく》まれぬ|様《やう》にせなくてはいかぬぞ。|人《ひと》は|一人《ひとり》で|立《た》つ|事《こと》は|出来《でき》ぬものだ。|持《も》ちつ|持《も》たれつ、お|互《たがひ》に|助《たす》け|合《あ》うて|渡《わた》る|世《よ》の|中《なか》だ。|渡《わた》る|浮世《うきよ》に|鬼《おに》はないと|云《い》ふが、|此《この》ハムは|俺達《おれたち》|同僚《どうれう》にでも|憎《にく》まれて|居《ゐ》やがるから、|此奴《こいつ》ア|本当《ほんたう》の|人鬼《ひとおに》だ。|鬼《おに》が|冥土《めいど》に|行《い》つて|鬼《おに》に|苛責《さいな》まれるのも|面白《おもしろ》からう。ウフヽヽヽ』
ハムはウンウンウンと|呻《うな》り|出《だ》した。
レーブ『ヤア、|此奴《こいつ》は|放《ほ》ツといても|勝手《かつて》に|生《い》き|返《かへ》るぞ。|憎《にく》まれ|子《ご》は|世《よ》に|覇張《はば》る……と|云《い》つて|悪運《あくうん》の|強《つよ》い|奴《やつ》ぢやな。|今《いま》の|中《うち》に|放《ほ》り|込《こ》め|放《ほ》り|込《こ》め。さうせにや|俺達《おれたち》の|頭《あたま》の|上《あが》る|時節《じせつ》がないワ』
タール『そんな|者《もの》にかかつて|居《を》つたら、|此処迄《ここまで》|折角《せつかく》|人工《じんこう》|呼吸《こきふ》したものが|中途《ちうと》に|駄目《だめ》になつて|了《しま》ふワイ』
レーブ『それもさうだ。|俺達《おれたち》|二人《ふたり》は|今《いま》|此《この》|手《て》を|止《や》める|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、さうだと|云《い》つて|放《ほ》つて|置《お》けばハムの|奴《やつ》、だんだん|生《い》き|返《かへ》るなり、も|一人《ひとり》、|連《つ》れが|欲《ほ》しうなつた。これだから|人間《にんげん》は|共同《きようどう》|生活《せいくわつ》の|動物《どうぶつ》と|云《い》ふのだ』
ハムはウン ウン ウンと|大《おほ》きく|呻《うな》り、
『レヽヽヽレーブ、タヽヽヽタール、|其《その》|様《やう》な|無礼《ぶれい》な|事《こと》を|吐《ぬか》すと|罰《ばつ》があタールぞよ。ウフヽヽヽヽ』
レーブ『ヤア、|此奴《こいつ》ア|大変《たいへん》だ。|生《い》き|返《かへ》りやがつたな。オイ、タール、|早《はや》く|埒《らち》をつけぬと|取返《とりかへ》しのつかぬ|事《こと》が|出来《でき》るぞ』
タール『ウン』
ハム『コラコラ、|其《その》|手《て》をゆるめたが|最後《さいご》|二人《ふたり》の|生命《いのち》は|助《たす》からないぞ。|貴様《きさま》の|最前《さいぜん》からの|話《はなし》は|一伍一什《いちぶしじふ》|残《のこ》らず|聞《き》いて|居《ゐ》たのだ。|憎《にく》まれ|子《ご》のハムが、も|一《ひと》つ|覇張《はば》つてやらうか、レーブ、タールの|小童子《こわつぱ》|共《ども》、ハムさまが|一《ひと》つ|水葬《すゐさう》をしてやるから、さう|思《おも》へ。イヒヽヽヽ』
レーブ、タールは|吃驚《びつくり》して、
『ヤア、|此奴《こいつ》ア|大変《たいへん》だ』
と|一目散《いちもくさん》に|二人《ふたり》を|其《その》|場《ば》に|捨《す》てて|谷川《たにがは》を|伝《つた》ひ|伝《つた》ひ|逃《に》げ|出《だ》す。ハムはムツクと|起《お》き|上《あが》り、
『アツハヽヽヽ|人間《にんげん》の|心《こころ》と|云《い》ふものは|分《わか》らぬものだ。レーブ、タールの|二人《ふたり》の|奴《やつ》、|俺《おれ》が|死《し》んだと|思《おも》ひやがつて、|口《くち》を|極《きは》めて|嘲弄《てうろう》し、|助《たす》けよまいとして|相談《さうだん》してゐやがつたが、|天罰《てんばつ》と|云《い》ふものは|恐《おそ》ろしいものだ。|何《なに》は|兎《と》もあれ、イール、ヨセフの|両人《りやうにん》を|助《たす》けてやらねばなるまい』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|谷水《たにみづ》を|掬《すく》ひ|口《くち》に|含《ふく》ませ、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|介抱《かいほう》して|居《ゐ》る。けれども|両人《りやうにん》は|容易《ようい》に|息《いき》を|吹《ふ》き|返《かへ》しさうにもない。
|斯《か》かる|処《ところ》へ|谷《たに》の|木谺《こだま》を|響《ひび》かして|宣伝歌《せんでんか》が|聞《きこ》えて|来《き》た。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善神《ぜんしん》|邪神《じやしん》を|立《た》て|別《わ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し |天ケ下《あめがした》には|鬼《おに》もなく
|醜女《しこめ》|探女《さぐめ》もなき|迄《まで》に |言向和《ことむけやは》し|治《をさ》め|行《ゆ》く
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の |守《まも》らせ|給《たま》ふ|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》 |大黒主《おほくろぬし》に|憑《かか》りたる
|八岐大蛇《やまたをろち》を|言向《ことむ》けて |誠《まこと》の|道《みち》に|救《すく》ひ|上《あ》げ
|世界《せかい》に|名高《なだか》き|印度《ツキ》の|国《くに》 |光《ひか》り|輝《かがや》く|天津日《あまつひ》の
|高天原《たかあまはら》の|楽園《らくゑん》と |立《た》て|直《なほ》すべく|出《い》でて|行《ゆ》く
われは|照国別宣使《てるくにわけせんし》 |鬼雲彦《おにくもひこ》や|其《その》|外《ほか》の
|猛《たけ》き|魔神《まがみ》も|言霊《ことたま》の |伊吹《いぶき》に|払《はら》ひ|清《きよ》めなば
|如何《いか》に|強者《つはもの》|多《おほ》くとも |朝日《あさひ》に|露《つゆ》の|消《き》ゆる|如《ごと》
|悪魔《あくま》は|忽《たちま》ち|退散《たいさん》し |心《こころ》の|空《そら》を|塞《ふさ》ぎたる
|村雲《むらくも》ここに|吹《ふ》き|散《ち》りて |名詮自称《めいせんじしやう》の|月《つき》の|国《くに》
|月照彦《つきてるひこ》の|御守《みまも》りと |治《をさ》まり|行《ゆ》くは|目《ま》のあたり
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|御霊《みたま》を|輝《かがや》かし
|三五教《あななひけう》の|神力《しんりき》を |天地《あめつち》|四方《よも》に|拡充《くわくじゆう》し
|天津御国《あまつみくに》へ|復《かへ》り|言《ごと》 |白《まを》さむ|事《こと》の|楽《たの》しさよ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |大黒主《おほくろぬし》は|強《つよ》くとも
|七千余国《しちせんよこく》に|蟠《わだか》まる |魔神《まがみ》の|数《かず》は|多《おほ》くとも
|誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の |教《をしへ》に|苦《く》もなく|言向《ことむ》けて
|救《すく》ひ|助《たす》くる|天《てん》の|道《みち》 |進《すす》めよ|進《すす》めいざ|進《すす》め
|照公《てるこう》|梅公《うめこう》|国公《くにこう》よ |神《かみ》はわれ|等《ら》と|倶《とも》にあり
|仮令《たとへ》|悪魔《あくま》の|現《あら》はれて |暴威《ばうゐ》を|揮《ふる》ひ|八千尋《やちひろ》の
|深《ふか》き|谷間《たにま》に|落《おと》すとも |神《かみ》の|守《まも》りのある|限《かぎ》り
|如何《いか》でか|魔神《まがみ》を|恐《おそ》れむや |死《し》すべき|時《とき》の|来《きた》りなば
|畳《たたみ》の|上《うへ》に|居《を》るとても |必《かなら》ず|死《まか》るものぞかし
|皇大神《すめおほかみ》の|御心《みこころ》に |叶《かな》ひまつりし|其《その》|上《うへ》は
|一日《ひとひ》も|長《なが》く|世《よ》の|為《た》めに |召《め》し|使《つか》はむと|思召《おぼしめ》し
|水火《すゐくわ》の|中《なか》を|潜《くぐ》るとも |必《かなら》ず|救《すく》はせ|給《たま》ふべし
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ。
○
|河鹿峠《かじかたうげ》の|此《この》|景色《けしき》 |蒔絵《まきゑ》の|如《ごと》く|美《うる》はしく
|錦《にしき》|織《お》りなす|佐保姫《さほひめ》の |袖《そで》ふりはへて|吾《わが》|顔《かほ》を
|撫《な》でさせ|給《たま》ふ|風《かぜ》の|袖《そで》 |今《いま》|吹《ふ》く|風《かぜ》は|神《かみ》の|風《かぜ》
|悪魔《あくま》を|払《はら》ふ|神《かみ》の|水火《いき》 |勢《いきほ》ひ|強《つよ》き|曲神《まがかみ》を
|吹《ふ》き|払《はら》ひ|行《ゆ》く|嵐風《あらしかぜ》 あゝ|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し
|心《こころ》の|駒《こま》に|鞭韃《むちう》ちて |一日《ひとひ》も|早《はや》くフサの|国《くに》
|月《つき》の|国《くに》をば|横断《わうだん》し |枉《まが》の|砦《とりで》を|悉《ことごと》く
|言向和《ことむけやは》して|月《つき》の|国《くに》 |一大都会《いちだいとくわい》と|聞《きこ》えたる
ハルナの|都《みやこ》に|立《た》ち|向《むか》ひ |大黒主《おほくろぬし》を|初《はじ》めとし
|鬼熊別《おにくまわけ》の|醜司《しこづかさ》 |言向和《ことむけやは》さむ|楽《たの》しさよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ』
|此《この》|声《こゑ》、|耳《みみ》に|入《い》ると|共《とも》に|谷底《たにぞこ》に|二人《ふたり》の|介抱《かいほう》して|居《ゐ》たハムは、|忽《たちま》ち|顔色《がんしよく》を|失《うしな》ひ、
『ヤア、これや|大変《たいへん》だ。|最前《さいぜん》の|女《をんな》の|身内《みうち》の|奴《やつ》が|応援《おうゑん》に|来《き》よつたのだ。|愚図々々《ぐづぐづ》しては|居《を》られない。|二人《ふたり》の|生命《いのち》も|大変《たいへん》だが|俺《おれ》の|生命《いのち》が|肝腎《かんじん》だ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|又《また》もや|谷川《たにがは》を|岩《いは》を|飛《と》び|越《こ》え|浅瀬《あさせ》を|渡《わた》り|猿《ましら》の|如《ごと》く|渡《わた》つて|行《ゆ》く。|山腹《さんぷく》の|谷道《たにみち》から|照公《てるこう》はフツと|此《この》|姿《すがた》を|眺《なが》め、
『モシ、|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|此《この》|谷底《たにぞこ》に|妙《めう》な|奴《やつ》が|今《いま》|走《はし》つて|居《ゐ》ます。あれ|御覧《ごらん》なさい』
と|指《ゆびさ》す。|照国別《てるくにわけ》は、
『|何《なに》、|人《ひと》が|此《この》|谷底《たにぞこ》に』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、よくよく|見下《みおろ》せば|顔《かほ》から|血《ち》を|垂《た》らし|乍《なが》ら|猿《ましら》の|如《ごと》く|一人《ひとり》の|男《をとこ》が|駆《か》け|出《だ》すのが、ありありと|見《み》える。
|照公《てるこう》『モシ、|此《この》|谷底《たにぞこ》に|何《なに》か|大惨劇《だいさんげき》が|演《えん》ぜられて|居《ゐ》るのぢやありますまいか。|合点《がつてん》の|行《ゆ》かぬあの|男《をとこ》の|様子《やうす》、|一《ひと》つ|谷底《たにぞこ》へ|下《お》りて|調《しら》べて|見《み》ようぢやありませぬか』
|照国別《てるくにわけ》『ウン、|調《しら》べて|見《み》ようかな』
|国公《くにこう》『オイ、|照公《てるこう》、|此《この》|断岩絶壁《だんがんぜつぺき》を|如何《どう》して|下《お》りる|積《つも》りだ。|三間《さんげん》や|五間《ごけん》の|処《ところ》なら|空中滑走《くうちうくわつそう》してでも|着陸《ちやくりく》を|無事《ぶじ》にする|事《こと》が|出来《でき》ようが、|斯《か》う|深《ふか》い|谷底《たにぞこ》では|如何《いかん》ともする|事《こと》が|出来《でき》ぬぢやないか』
|照公《てるこう》『ウン、さうだなあ。|然《しか》し|彼処《あこ》まであの|男《をとこ》も|行《い》つたのだから、|何処《どこ》かに|道《みち》があるだらう。|先《ま》づ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》にお|任《まか》せして、|調《しら》べよと|仰有《おつしや》るなら|調《しら》べるなり、もう|止《よ》せと|云《い》はるれば|止《よ》しにするのだ。|俺達《おれたち》は|宣伝使《せんでんし》|様《さま》の|命令《めいれい》|通《どほ》りにして|居《を》れば|落度《おちど》はないからな』
|梅公《うめこう》『モシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、あまり|深《ふか》い|谷底《たにぞこ》でハツキリは|分《わか》りませぬが、|如何《どう》らや|二人《ふたり》の|人《ひと》が|殺《ころ》されてる|様《やう》です。|大方《おほかた》|今《いま》|逃《に》げた|奴《やつ》が|殺《ころ》して|逃《に》げたのでせう』
と|息《いき》を|喘《はづ》まして|谷底《たにそこ》を|指《さ》す。|照国別《てるくにわけ》は|谷底《たにそこ》を|眺《なが》めて、
『|如何《いか》にも|怪《あや》しい。|何《なん》とかして|様子《やうす》を|探《さぐ》つて|見《み》ようかな』
(大正一一・一〇・二二 旧九・三 北村隆光録)
第六章 |妖霧《えうむ》〔一〇七一〕
|谷路《たにみち》の|傍《かたはら》のコンモリとした|森《もり》に|古《ふる》ぼけた|一《ひと》つの|祠《ほこら》がある。|其《その》|後《うしろ》にヒソビソ|話《ばなし》をしてゐる|二人《ふたり》の|男《をとこ》があつた。
『オイ、レーブ、|今日《けふ》|位《ぐらゐ》|怖《こは》い|目《め》に|会《あ》うた|事《こと》はないぢやないか、イヤ|怪体《けたい》な|日《ひ》はあるまい。バラかパンヂーか|芍薬《しやくやく》かと|云《い》ふやうな|美《うつく》しいクヰン|様《さま》が|婆《ば》アと|二人連《ふたりづ》れで|河鹿峠《かじかたうげ》を|天降《あまくだ》り|遊《あそ》ばしたので、|俺《おれ》は|一目《ひとめ》|其《その》お|姿《すがた》を|拝《をが》むなり、|魂《たましひ》が|宙《ちう》に|飛《と》び、|仮令《たとへ》|敵《てき》でも|構《かま》はぬ、|一《いつ》ぺんあの|綺麗《きれい》な|手《て》で、|三人《さんにん》の|奴《やつ》のやうにさわつて|貰《もら》ひたかつたが、|併《しか》し|乍《なが》らあんな|目《め》に|会《あ》うても|約《つま》らないし、|一体《いつたい》あれは|何神《なにがみ》さまだらう。|俺《おれ》はそれからこつちといふものは、あの|女神《めがみ》の|姿《すがた》が|目《め》にちらついて、|何《ど》うにも|斯《か》うにも|仕方《しかた》がないワ。|怖《こは》いやうな|何《なん》とも|言《い》へぬ|気分《きぶん》になつて|来《き》たよ』
レーブ『|貴様《きさま》も|余程《よほど》|良《よ》いデレ|助《すけ》だな。そんなこつて|大切《たいせつ》な|使命《しめい》が|勤《つと》まるか。もし|貴様《きさま》、あれが|例《れい》のレコであつたら、|如何《どう》する|積《つもり》だ』
タール『そんな|事《こと》は|先《さき》にならな|分《わか》らぬワイ。|兎《と》も|角《かく》|粋《すゐ》の|利《き》かぬ|奴《やつ》|計《ばか》りがゴロついてるものだから、|施《ほどこ》すべき|手段《しゆだん》がない。|併《しか》し|三人《さんにん》の|奴《やつ》は|仮令《たとへ》|命《いのち》はなくなつても|光栄《くわうえい》だと|思《おも》うて、|成仏《じやうぶつ》するだらう。あんな|高《たか》い|所《ところ》からウンと|一思《ひとおも》ひに|天国《てんごく》へ|行《ゆ》けるのならば、おれもあの|女神《めがみ》に|放《ほ》つて|貰《もら》うて、|天国《てんごく》へ|行《い》つた|方《はう》が|何程《なにほど》|結構《けつこう》だか|知《し》れない。|実際《じつさい》|此《この》|世《よ》の|中《なか》に|居《を》つたつて|面白《おもしろ》くも|何《なん》ともないからなア』
レーブ『それ|程《ほど》|死《し》にたいのなら、なぜハムが|追《お》ひかけた|時《とき》に|殺《ころ》して|貰《もら》はなんだのだ。ヤツパリ|貴様《きさま》は|命《いのち》が|惜《をし》いのだらう』
タール『|馬鹿《ばか》|言《い》ふな。|貴様《きさま》が|逃《に》げるものだから|朋友《ほういう》の|義務《ぎむ》を|重《おも》んじて、|附合《つきあひ》に|逃《に》げてやつたのだ。|何程《なにほど》|天国《てんごく》がよいと|云《い》つても、ハムのやうな|奴《やつ》に|殺《ころ》されてはたまらぬからな。たつた|一《いつ》ぺんより|死《し》ぬ|事《こと》の|出来《でき》ぬ|命《いのち》を、アテーナの|女神《めがみ》の|様《やう》なクヰン|様《さま》の|御手《おて》に|掛《かか》つて|死《し》ぬのならば|死《し》んでも|冥《めい》するが、ゲヂゲヂのやうに|世間《せけん》から|厭《いや》がられてる|鬼面《おにづら》のハムの|手《て》にかかるこたア、|何程《なにほど》|死《し》に|好《ずき》の|俺《おれ》だつて|真平《まつぴら》|御免《ごめん》|蒙《かうむ》りたいワイ。アーアま|一度《いちど》|女神《めがみ》の|御顔《おかほ》が|拝《をが》みたくなつて|来《き》たワイ』
レーブ『|婆《ば》アサンの|御顔《おかほ》は|如何《どう》だ。|万々一《まんまんいち》あのクヰンさまがお|前《まへ》の|女房《にようばう》になつてやると|仰有《おつしや》つたら、|婆《ば》アサンもキツとお|添物《そへもの》に|出《で》て|来《く》るに|違《ちがひ》ないが、|其《その》|時《とき》にや|貴様《きさま》|如何《どう》する|積《つもり》だ』
タール『|婆《ば》アサンだつて|女《をんな》だよ、あんな|娘《むすめ》を|生《う》んだ|位《くらゐ》だから、|若《わか》い|時《とき》は|非常《ひじやう》なナイスに|違《ちがひ》ない、|昔《むかし》のナイスだと|思《おも》へば|余《あま》り|気分《きぶん》も|悪《わる》いこたアない|事《こと》はないワイ。ウツフヽヽヽ』
レーブ『コリヤ|静《しづか》にせい。ハムの|奴《やつ》、|声《こゑ》を|聞《き》きつけてやつて|来《き》やがつたら、それこそ|大変《たいへん》だぞ。|俺《おれ》の|命《いのち》を|今度《こんど》は|取《と》るに|違《ちがひ》ない、|余《あま》り|両人《りやうにん》が|云《い》ひすぎたからなア、|大変《たいへん》に|怒《おこ》つてけつかるに|違《ちがひ》ないから、マア|暫《しばら》く|沈黙《ちんもく》の|幕《まく》をおろして、|潜航艇《せんかうてい》のやうに|祠《ほこら》の|床下《ゆかした》にでも|伏艇《ふくてい》して|居《を》らうぢやないか』
かかる|所《ところ》へ|足音《あしおと》|高《たか》くスースーと|息《いき》をはずませやつて|来《き》たのはハムである。ハムは|祠《ほこら》の|前《まへ》の|置石《おきいし》に|腰《こし》を|打《うち》かけて|独言《ひとりごと》をいつてゐる。
ハム『アーア、|何《なん》といふ|今日《けふ》は|怪体《けつたい》な|日《ひ》だらう。|天女《てんによ》のやうなナイスがやつて|来《き》やがつて、|無限《むげん》の|力《ちから》をあらはし、おれたち|三人《さんにん》を|猫《ねこ》が|蛙《かへる》を|銜《くは》へたやうに、ポイと|谷底《たにそこ》へ|投《な》げこみ、サツサと|行《い》つて|了《しま》ひやがつた。|空中《くうちう》を|七八回《しちはちくわい》も|廻転《くわいてん》したと|思《おも》へば、|真綿《まわた》のやうな|砂《すな》の|上《うへ》へドスンと|落《おと》され、|暫《しばら》くは|気《き》が|遠《とほ》くなつてゐたが、|漸《やうや》くにして|気《き》がつき|起上《おきあが》らうとすれ|共《ども》、|腰《こし》の|骨《ほね》が|如何《どう》なりよつたか、チーツとも|動《うご》けないので|自然《しぜん》|療治《れうぢ》を|待《ま》つてゐると、そこへレーブ、タールの|無情漢《むじやうかん》|奴《め》がやつて|来《き》て、|俺《おれ》を|水葬《すゐさう》するの、|二人《ふたり》を|助《たす》けてやるのと、|吐《ほざ》いてゐやがる。|怪《け》しからぬ|事《こと》を|吐《ぬか》す|奴《やつ》と|腹《はら》が|立《た》つて|堪《たま》らず、|腰《こし》の|痛《いた》みも|打忘《うちわす》れて|起《お》き|上《あが》るや|否《いな》や、|二人《ふたり》の|奴《やつ》ア、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げて|了《しま》ひよつた。モウ|大分《だいぶ》に|行《ゆ》きよつただらう。イール、ヨセフの|両人《りやうにん》をまだ|温《ぬく》みがあるので|生《い》き|返《かへ》らしてやらうと|思《おも》ひ、いろいろ|介抱《かいほう》してると、|何《なん》とも|知《し》れぬ|腹《はら》を|抉《えぐ》るやうな|声《こゑ》で、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》うて|来《く》る|奴《やつ》がある。|此奴《こいつ》ア、キツと|最前《さいぜん》の|母娘《おやこ》の|者《もの》の|身内《みうち》に|違《ちがひ》ない、グヅグヅしてると|大変《たいへん》と|漸《やうや》う|此処《ここ》までやつて|来《き》たが|又《また》もや|腰《こし》が|痛《いた》み|一歩《いつぽ》も|歩《ある》けぬやうになつて|了《しま》つた。ヤレ|嬉《うれ》しやと|気《き》がゆるんだが|口《くち》|計《ばか》り|達者《たつしや》で|身体《からだ》がサツパリ|動《うご》かぬ。アヽ|如何《どう》したら|良《よ》からうかな。もしや|最前《さいぜん》の|宣伝使《せんでんし》がやつて|来《き》よつたら、|又候《またぞろ》|谷底《たにそこ》へ|放《ほ》られて|今度《こんど》こそ|命《いのち》の|終末《しうまつ》だ、アーア、バラモン|教《けう》の|大神様《おほかみさま》、|私《わたし》はお|道《みち》の|為《ため》にやつた|事《こと》で|厶《ござ》いますから、|仮令《たとへ》|少々《せうせう》|不調法《ぶてうはふ》が|厶《ござ》いましても|広《ひろ》き|心《こころ》に|見直《みなほ》して|此《この》|足腰《あしこし》を|早《はや》く|立《た》てて|下《くだ》さいませ、お|願《ねがひ》|致《いた》します』
と|涙声《なみだごゑ》になつて|祈《いの》り|出《だ》した。レーブ、タールの|二人《ふたり》は|祠《ほこら》の|床下《ゆかした》から|此《この》|独言《ひとりごと》をスツカリ|聞《き》いて|了《しま》ひ、|互《たがひ》に|舌《した》を|出《だ》してニタツと|笑《わら》ひ、|何《なに》か|肯《うなづ》き|合《あ》うてゐる。
|俄《にはか》に|河鹿川《かじかがは》の|谷底《たにそこ》から|濛々《もうもう》として|灰色《はひいろ》の|霧《きり》が|立昇《たちのぼ》り、あたりを|包《つつ》んで|了《しま》つた。|最早《もはや》|一足先《ひとあしさき》も|見《み》えなくなつた。|二人《ふたり》はこれ|幸《さいは》ひと|祠《ほこら》の|床下《ゆかした》から|這《は》ひ|出《だ》した。
ハムは|苦痛《くつう》|益々《ますます》|烈《はげ》しくなつたと|見《み》え、ウンウンと|唸《うな》り|出《だ》し、|終《つひ》には、
『アヽ|苦《くる》しい|苦《くる》しい』
と|身《み》をもがく|様子《やうす》が、|霧《きり》を|通《とほ》してボンヤリと|見《み》えて|来《き》た。ハムは|二人《ふたり》のここに|居《ゐ》ることは|夢《ゆめ》にも|知《し》らなかつた。|只《ただ》|宣伝使《せんでんし》の|一行《いつかう》が|追《お》ひかけて|来《き》はせまいかと、それのみが|恐《おそ》ろしくて|震《ふる》ふてゐたのである。
レーブは|婆《ばば》アの|作《つく》り|声《ごゑ》になつて、
『|此《この》|祠《ほこら》の|前《まへ》に|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》にも、|八尺《やさか》の|男《をとこ》が|吠《ほ》え|面《づら》をかわき、|何《なに》をグヅグヅといつてゐるのだ。わしは|河鹿峠《かじかたうげ》でお|前《まへ》を|谷底《たにそこ》へ|放《ほ》り|込《こ》んだ|黄金姫《わうごんひめ》だよ。モウ|今頃《いまごろ》は|十万億土《じふまんおくど》の|旅《たび》をしてゐるかと|思《おも》うたに、またこんな|所《ところ》へ|迷《まよ》うて|来《き》たのか、ヨモヤ|幽霊《いうれい》ではあるまい。|蛇《くちなは》の|生殺《なまごろ》しにしておいても、ハムも|可哀想《かあいさう》だから、スツパリと|殺《ころ》してやらねばなるまい。ここに|尖《とが》つた|岩《いは》がある。コレ|清照姫《きよてるひめ》、お|前《まへ》と|二人《ふたり》で|彼奴《あいつ》の|徳利《とくり》を|叩《たた》きわつてやりませうか。|酒《さけ》の|代《かは》りに|赤《あか》い|血《ち》が|出《で》るだらうから、それを|酒《さけ》の|代《かは》りに|呑《の》んでみたら|随分《ずゐぶん》|甘《うま》からう、|大分《だいぶ》|永《なが》らく|人間《にんげん》の|血《ち》を|吸《す》はなかつたが、|大変《たいへん》|良《よ》い|獲物《えもの》ぢや、かうして|黄金姫《わうごんひめ》と|化《ば》けてゐるのも|随分《ずゐぶん》|辛《つら》いものぢや。アヽ|神《かみ》さまは|結構《けつこう》な|飲食《おんじき》を|与《あた》へて|下《くだ》さる、|臀部《でんぶ》あたりは|随分《ずゐぶん》ポツテリと|肉《にく》がついて|居《ゐ》るから、スキ|焼《やき》にして|食《く》へば|大変《たいへん》に|味《あぢ》が|良《い》いのだけれど、|何《なに》を|云《い》うても|道中《だうちう》の|事《こと》だから、|此《この》|刀《かたな》で|一片々々《ひときれひときれ》ゑぐつて|生《なま》で|食《く》うた|方《はう》が|味《あぢ》がよからうぞや。オツホヽヽヽ』
タールは|若《わか》い|女子《をなご》の|声《こゑ》で、
『お|母《か》アさま、|本当《ほんたう》にお|腹《なか》が|空《す》いて、|此《この》|鬼娘《おにむすめ》も|困《こま》つて|居《を》りました。これも|全《まつた》く|鬼雲彦《おにくもひこ》さまの|大黒主《おほくろぬし》が|与《あた》へて|下《くだ》さつたのでせう。|今日《けふ》で|三年《さんねん》も|蜈蚣姫《むかでひめ》さま、|小糸姫《こいとひめ》さまの|所在《ありか》を|尋《たづ》ねると|云《い》つて、|手当《てあて》ばかりをボツタくり、チツとも|目《め》ざましい|仕事《しごと》を|致《いた》さぬので|罰《ばち》が|当《あた》り、|鬼雲彦《おにくもひこ》さまがキツと|吾々《われわれ》|母娘《おやこ》に|久《ひさ》しぶりで|与《あた》へて|下《くだ》さつたのでせう。どうもグリグリした|厭《いや》らしい|目玉《めだま》だから、あの|目《め》から|先《さき》にゑぐり|出《だ》してやりませうか、ホツホヽヽヽ。なんと|甘《うま》さうな|匂《にほ》ひが|致《いた》しますこと、|鬼《おに》も|時々《ときどき》こんな|事《こと》が|無《な》ければやり|切《き》れませぬワ。イツヒヽヽヽ』
|靄《もや》に|包《つつ》まれて|声《こゑ》のみより|聞《きこ》えぬので、ハムは|以前《いぜん》の|母娘《おやこ》はヤツパリ|鬼《おに》であつたか、コリヤたまらぬ……と|逃《に》げ|出《だ》さうとすれ|共《ども》、|腰《こし》は|痛《いた》み、|足《あし》は|萎《な》え、ビクとも|動《うご》かれない。とうとうハムは|泣声《なきごゑ》を|出《だ》して、
『モシモシ|鬼《おに》の|母娘《おやこ》|様《さま》、どうぞ|今日《けふ》|計《ばか》りは|惜《をし》い|命《いのち》をお|助《たす》け|下《くだ》さいませ。|私《わたし》は|鬼雲彦《おにくもひこ》さまの|家来《けらい》で|厶《ござ》います。|私《わたし》のやうな|者《もの》をおあがりになつては、|却《かへつ》てあなたの|罪《つみ》になり|鬼雲彦《おにくもひこ》さまからお|咎《とが》めの|程《ほど》も|恐《おそ》ろしう|厶《ござ》いませう。|味方《みかた》が|味方《みかた》を|食《く》ふといふ|事《こと》はあり|得《う》|可《べか》らざる|所《ところ》、どうぞ|今日《けふ》の|所《ところ》は|御無礼《ごぶれい》をお|赦《ゆる》し|下《くだ》さいまして、|命《いのち》|計《ばか》りはお|助《たす》けを|願《ねが》ひます』
タール『ホツホヽヽヽあのハムの|白々《しらじら》しい|言葉《ことば》、コレ|鬼婆《おにば》アさま、|何事《なにごと》も|耳《みみ》をふたして|食《く》つてやりませうか。|鬼雲彦《おにくもひこ》さまだつて、こんな|所《ところ》までお|目《め》が|届《とど》く|道理《だうり》もなし、|頭《あたま》からスツカリ|食《く》つて|雪隠《せんち》で|饅頭《まんぢう》|食《く》つたやうな|顔《かほ》さへして|居《を》ればメツタに|分《わか》りはしませぬ。|幸《さいは》ひ|山中《やまなか》の|事《こと》とて|誰一人《たれひとり》|見《み》て|居《ゐ》る|鬼《おに》もなし、こんな|機会《きくわい》はありませぬ。あゝモウたまらぬたまらぬ、|何《なん》ともいへぬ|甘《うま》さうな|人《ひと》の|匂《にほ》ひだ。ナア|鬼婆《おにば》アさま、グヅグヅしてゐると|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が|来《き》たら|大変《たいへん》です』
ハムはあわてて、
『モシモシ|鬼婆《おにば》アさまに|鬼娘《おにむすめ》さま、そりや|余《あま》りお|胴慾《どうよく》ぢや。|味方《みかた》が|味方《みかた》を|殺《ころ》すといふ|事《こと》がどこにありますか。|私《わたし》をバラモン|教《けう》|同士《どうし》のよしみで|助《たす》けて|下《くだ》さいな』
タール『ホツホヽヽヽ|鬼婆《おにば》アさまあれをお|聞《き》きなさいませ。あんな|勝手《かつて》な|事《こと》を|言《い》ひます、|味方《みかた》の|中《なか》にも|敵《てき》があるといふぢやありませぬか。|此《この》ハムといふ|奴《やつ》、|味方《みかた》の|中《なか》の|敵《てき》ですから、|何《なん》の|容捨《ようしや》もいりますまい、|分《わか》つた|所《ところ》で|御褒美《ごほうび》こそ|頂《いただ》け、|鬼雲彦《おにくもひこ》さまからお|叱言《こごと》を|頂《いただ》く|気遣《きづかひ》はありませぬ。|此奴《こいつ》の|同類《どうるゐ》にレーブ、タールと|云《い》ふ|奴《やつ》があつて、|最前《さいぜん》|婆《ば》アさまと|私《わたし》と|二人《ふたり》して|谷底《たにそこ》へ|放《ほ》り|込《こ》んでやつたイール、ヨセフ|等《ら》|三人《さんにん》の|命《いのち》を|助《たす》けにはるばる|谷底《たにそこ》へ|尋《たづ》ね|行《ゆ》き、|同《おな》じ|味方《みかた》であり|乍《なが》ら|此《この》ハムだけは|悪人《あくにん》だから|助《たす》けてやらぬ|方《はう》がよからう、|憎《にく》まれ|子《ご》|世《よ》にはばると|云《い》つて、どうにもかうにも|仕方《しかた》のない|奴《やつ》だと、|現《げん》に|此奴《こいつ》の|部下《ぶか》でさへも|言《い》つてゐた|位《くらゐ》だから、|喰《く》つた|所《ところ》でメツタに|罰《ばち》は|当《あた》りませぬ、のうレーブよ……オツトドツコイ|鬼婆《おにば》アさま』
レーブ『コリヤ|心得《こころえ》てものを|云《い》はぬかい、ハム|公《こう》の|奴《やつ》、|悟《さと》つたら|折角《せつかく》の|狂言《きやうげん》が|水《みづ》の|泡《あわ》になるぢやないか』
タール『ナーニ|悟《さと》つたつて|構《かま》ふものか、ハムは|足腰《あしこし》が|立《た》たぬのだから、|鬼婆《おにばば》でなくても|鬼娘《おにむすめ》でなくても、あの|一升徳利《いつしようどくり》をカチわつて、|生血《なまち》を|絞《しぼ》り|出《だ》し、|臀肉《けつにく》でも|食《く》うてやれば|良《い》いのだ。サアサア、|早《はや》いがお|得《とく》だ、グヅグヅしてると、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》にでも|見《み》つかつたら|大変《たいへん》だぞ』
ハム『モシモシ|鬼婆《おにば》アさま、|鬼娘《おにむすめ》さま、そんなレーブやタールに|化《ば》けたつて|駄目《だめ》です。|私《わたし》はそんな|事《こと》に|騙《だま》されるやうな|善人《ぜんにん》では|厶《ござ》いませぬ、|悪人《あくにん》でも|厶《ござ》いませぬワイ。どうぞ|今日《けふ》|丈《だけ》は|気《き》よう|見《み》のがして|下《くだ》さいな、これ|丈《だけ》|脛腰《すねこし》の|立《た》たぬやうな|者《もの》を|自由《じいう》にするのなら、|三《み》つ|子《ご》でも|致《いた》しますぞや。|弱味《よわみ》につけ|込《こ》んでそんな|事《こと》をなさると、|鬼婆《おにば》アさま|沽券《こけん》が|下《さが》ります、モツト|負惜《まけをし》みの|強《つよ》い|代物《しろもの》の、レーブ、タールが|今《いま》|此《この》|先《さき》|逃《に》げましたから、|彼奴《あいつ》は|私《わたくし》と|違《ちが》つて|肉付《にくづき》もよし|血《ち》も|沢山《たくさん》|厶《ござ》います。どうぞ|今日《けふ》は|彼奴《あいつ》をきこしめし、|私《わたくし》は|親《おや》の|命日《めいにち》だから|許《ゆる》して|下《くだ》さい。|冥土《めいど》に|御座《ござ》る|父母《ちちはは》がどれ|丈《だけ》|歎《なげ》く|事《こと》か|知《し》れませぬ。アンアンアン オンオンオン』
と|狼《おほかみ》のやうに|泣《な》き|出《だ》した。
レーブ『|其《その》レーブ、タールといふ|奴《やつ》は、|貴様《きさま》より|善人《ぜんにん》か|悪人《あくにん》か、それを|聞《き》かして|呉《く》れ』
ハム『ハイハイ|聞《き》かせます|共《とも》、|私《わたくし》は|只《ただ》|職務《しよくむ》|忠実《ちうじつ》に|部下《ぶか》を|厳《きび》しく|使《つか》ひますものだから、|悪人《あくにん》にしられて|居《ゐ》るのです。そして|地位《ちゐ》が|高《たか》いものですから、|猜疑心《さいぎしん》を|起《おこ》して、|何《なん》とかかんとか|悪評《あくひやう》を|立《た》てられてるので、|決《けつ》して|世間《せけん》に|言《い》うてるやうな|悪人《あくにん》ぢや|厶《ござ》いませぬ。あなたも|鬼《おに》さまなら、よく|私《わたし》の|腹《はら》の|底《そこ》が|分《わか》りませう。|善人面《ぜんにんづら》をして|歩《ある》いてる|奴《やつ》にロクな|奴《やつ》ア、|今《いま》の|時節《じせつ》にや|厶《ござ》いませぬ。レーブ、タールの|如《ごと》きは、|実《じつ》に|現代《げんだい》|思潮《してう》の|悪方面《あくはうめん》を|遺憾《ゐかん》なく|具備《ぐび》した|奴《やつ》ですから、まだ|遠《とほ》くも|行《ゆ》きますまい。|此《この》|先《さき》あたりにマゴついてるに|違《ちがひ》ないから、|彼奴《あいつ》を|一《ひと》カブリ カブつてやつて|下《くだ》さい、|然《さう》すりや|鬼《おに》さまのお|役目《やくめ》もつとまり、|此《この》|世《よ》の|中《なか》から|悪《あく》の|断片《だんぺん》が|取除《とりのぞ》かれるといふもの、|私《わたくし》のやうな|腰抜《こしぬけ》の|萎《しな》びた|善人《ぜんにん》は|駄目《だめ》ですよ。どうぞなる|事《こと》ならば、レーブ、タールを|追《お》つかけて|下《くだ》さい』
レーブ『|此《こ》の|鬼婆《おにばば》アは|悪人《あくにん》は|骨《ほね》がこわいから|嫌《いや》だ、お|前《まへ》のやうな|善人《ぜんにん》が|喰《く》ひたくて|捜《さが》してゐたのだよ。|人間《にんげん》を|取《と》つて|食《く》はうと|思《おも》へば|世界《せかい》に|浜《はま》の|真砂《まさご》ほどあるが、|食《く》て|味《あぢ》のよい|善人《ぜんにん》がないから、かうして|母子《おやこ》の|鬼《おに》がひもじい|腹《はら》を|抱《かか》へてそこら|中《ぢう》をウロついてゐるのだ。|善人《ぜんにん》と|聞《き》けばどうしても|喰《く》はずに|居《を》られぬ。コレ|鬼娘《おにむすめ》|今日《けふ》は|何《なん》といふ|吉日《きちじつ》だらう』
タール『|本当《ほんたう》に|鬼婆《おにば》アさまの|仰有《おつしや》る|通《とほ》り、こんな|嬉《うれ》しい|事《こと》は|厶《ござ》いませぬワ。|善人《ぜんにん》の|少《すくな》い|世《よ》の|中《なか》にハムのやうな|善人《ぜんにん》が|見《み》つかつたのは、|掃溜《はきだめ》を|捜《さが》してダイヤモンドを|拾《ひろ》つたやうなものだ。これを|喰《く》はいで|何《なに》を|喰《く》ひませう』
ハム『モシモシ|私《わたくし》の|言《い》ひ|違《ちがひ》で|厶《ござ》います。ハムは|天下一品《てんかいつぴん》の|大悪人《だいあくにん》で|厶《ござ》います。|本当《ほんたう》の|善人《ぜんにん》といつたら、タール、レーブの|両人《りやうにん》で|厶《ござ》います。|最前《さいぜん》お|前《まへ》さまが、ハム、イール、ヨセフの|三人《さんにん》を|谷底《たにそこ》へ|投《な》げ|込《こ》みなさつた|時《とき》、|三人《さんにん》の|者《もの》はすでに|縡切《ことき》れむとする|所《ところ》、|危険《きけん》を|冒《をか》してあの|谷川《たにがは》を|渡《わた》り、|御親切《ごしんせつ》に|三人《さんにん》を|助《たす》けてやらうとした|大善人《だいぜんにん》で|厶《ござ》いますから、キツと|血《ち》の|味《あぢ》もよく、たべ|具合《ぐあひ》が|宜《よろ》しいに|違《ちがひ》はありませぬ。|善人《ぜんにん》が|味《あぢ》がよければ|彼等《かれら》|両人《りやうにん》に|限《かぎ》ります。|私《わたくし》のやうな|者《もの》をおあがりになつても|砂《すな》をかむやうなものですから、どうぞこんなガラクタに|目《め》をくれず、|天下一品《てんかいつぴん》の|彼等《かれら》|善人《ぜんにん》を|早《はや》く|追《お》つかけなさいませ。グヅグヅしてるとどつかへ|沈没《ちんぼつ》して|了《しま》ひます』
レーブ『|此《この》|鬼婆《おにばば》アは|時々《ときどき》|虫《むし》が|変《かは》つて|刹那《せつな》|々々《せつな》に|気《き》の|持方《もちかた》が|違《ちが》つて|来《く》る。|最前《さいぜん》は|善人《ぜんにん》が|喰《く》ひたいと|思《おも》うたが、|余《あま》り|歯《は》ごたへがないから、|一《ひと》つ|天下一品《てんかいつぴん》の|大悪人《だいあくにん》たるお|前《まへ》が|喰《く》つてみたいのだ。サア|覚悟《かくご》をしたがよからう、お|念仏《ねんぶつ》でも|申《まを》さいのう。オツホヽヽヽウツフヽヽヽ|足腰《あしこし》も|立《た》たずに|口《くち》|計《ばか》り|達者《たつしや》なハムも|気《き》の|毒《どく》なものだ。|此《この》|通《とほ》り|霧《きり》が|四方《しはう》を|立《た》ちこめ、|日輪《にちりん》さまの|御光《おひかり》も|無《な》くなれば、|鬼《おに》の|得意《とくい》|時代《じだい》だ。|此《この》|世《よ》の|名残《なご》りにモ|一度《いちど》|日輪様《にちりんさま》の|御光《おひかり》を|見《み》せてやりたいは|山々《やまやま》なれど、そしては|此方《こちら》の|働《はたら》きが|出来《でき》ぬ。サア、タール、オツトドツコイ|鬼娘《おにむすめ》、|一層《いつそう》の|事《こと》|喰《く》つてやらうかい』
かく|云《い》ふ|内《うち》、サツと|吹来《ふきく》る|山嵐《やまあらし》に|灰色《はひいろ》の|霧《きり》はガラリと|晴《は》れて、|三人《さんにん》の|姿《すがた》はハツキリと|分《わか》つて|来《き》た。
レーブ『アツハヽヽヽ、とうとう|化《ば》けが|現《あら》はれた。オイ、ハム、|貴様《きさま》も|随分《ずゐぶん》よい|腰抜《こしぬけ》だなア。サア|二人《ふたり》の|後《あと》を|追《お》ひかけて|見《み》よ。|腰抜《こしぬけ》の|分際《ぶんざい》としてメツタに|追《お》つかける|訳《わけ》には|行《ゆ》くまい』
ハム『|何《なん》だ、いらぬ|心配《しんぱい》をさせやがつて、|覚《おぼ》えてけつかれ、|今《いま》に|仇《かたき》を|打《う》つてやるから』
と|安心《あんしん》と|腹立《はらだち》が|一緒《いつしよ》になつてハムは|腰《こし》の|痛《いた》みも|足《あし》の|悩《なや》みも|忘《わす》れ、スツクと|立上《たちあが》つた。|二人《ふたり》は|肝《きも》を|潰《つぶ》し『|此奴《こいつ》アたまらぬ』と|細谷道《ほそたにみち》をバラバラと|命《いのち》|限《かぎ》りに|何処《いづこ》となく|駆出《かけだ》し|逃《に》げて|行《ゆ》く。
(大正一一・一〇・二二 旧九・三 松村真澄録)
第七章 |都率天《とそつてん》〔一〇七二〕
|紫色《むらさきいろ》の|丈《たけ》の|短《みじか》い|芝草《しばくさ》|一面《いちめん》に|大地《だいち》に|生《は》え|茂《しげ》り、|岩《いは》もなければ|高《たか》い|木《き》もない|茫々《ばうばう》たる|大原野《だいげんや》に、|赤《あか》|白《しろ》|黄《き》などの|小《ちひ》さき|花《はな》が|星《ほし》のやうに|咲《さ》き|満《み》ちてゐる。|空《そら》は|紺碧《こんぺき》の|雲《くも》|漂《ただよ》ひ、|太陽《たいやう》の|影《かげ》も、|太陰《たいいん》の|姿《すがた》も|見《み》えねども、|何《なん》とはなしに|爽快《さうくわい》な|気分《きぶん》の|漂《ただよ》ふ、|露《つゆ》の|玉《たま》|光《ひか》る|野原《のはら》をヒヨロリヒヨロリと|通《とほ》つてゐる|二人《ふたり》の|男《をとこ》、|四辺《あたり》の|光景《くわうけい》の|現界《げんかい》とはどこともなく|違《ちが》つてゐるに|不審《ふしん》を|起《おこ》し、|茫然《ばうぜん》として|足《あし》を|止《とど》め、
イール『オイ、ヨセフ、|何時《いつ》の|間《ま》にこんな|所《ところ》へ|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》はやつて|来《き》たのだらうか、|河鹿峠《かじかたうげ》の|細谷路《ほそたにみち》で|母娘《おやこ》|二人《ふたり》の|女《をんな》|巡礼《じゆんれい》に|出会《であ》ひ、|谷底《たにそこ》へ|取《と》つて|放《はう》られたと|思《おも》つたが、あとは|夢現《ゆめうつつ》、|如何《どう》してこんな|所《ところ》へ|如何《どう》いふ|手続《てつづ》きをしてやつて|来《き》たのか|合点《がつてん》がいかぬ。|貴様《きさま》|何《なに》か|記憶《きおく》に|残《のこ》つてはゐはせぬかな』
ヨセフ『|俺《おれ》の|記憶《きおく》に|残《のこ》つてゐるのは|外《ほか》でもない、|夢《ゆめ》ばかりだ。|河鹿峠《かじかたうげ》で|母娘《おやこ》の|巡礼《じゆんれい》に|会《あ》うたと|思《おも》つたのは、あれこそ|本当《ほんたう》の|夢《ゆめ》だ、ここが|本当《ほんたう》の|現実《げんじつ》|世界《せかい》だ、|現界《げんかい》は|夢《ゆめ》の|浮世《うきよ》といふのだから、|現界《げんかい》にあつた|事《こと》は|皆《みな》|夢《ゆめ》だよ。|愈《いよいよ》|吾々《われわれ》の|魂《みたま》の|故郷《こきやう》|現実《げんじつ》|世界《せかい》へ|帰《かへ》つて|来《き》た、こんな|結構《けつこう》な|所《ところ》へ|出《で》て|来《き》て|極楽《ごくらく》の|余《あま》り|風《かぜ》をソヨソヨとうけ|乍《なが》ら、|誰《たれ》に|憚《はばか》る|所《ところ》もなく|気儘《きまま》に|旅行《りよかう》してるのは|愉快《ゆくわい》ぢやないか。|現界《げんかい》のやうに|此処《ここ》は|誰《たれ》の|領分《りやうぶん》だ、|何某《なにがし》の|土地《とち》だとせせつこましい|区劃《くくわく》をうけてるよりも、|何《なん》の|制縛《せいばく》もないこんな|花園《はなぞの》に|逍遥《せうえう》するのは、|到底《たうてい》|現界人《げんかいじん》の|夢《ゆめ》にだも|知《し》らざる|所《ところ》だ。アヽ|有難《ありがた》い、|仮令《たとへ》|夢《ゆめ》にしても|此《この》|夢《ゆめ》は|千年《せんねん》も|万年《まんねん》も|去《さ》らせ|度《た》くないワ』
イール『オイあれを|見《み》よ、|向《むか》ふの|空《そら》を、|何《なん》だか|妙《めう》な|雲《くも》が|出《で》たぢやないか。|一分間《いつぷんかん》|先《さき》にはホンの|毬《まり》のやうな|斑点《はんてん》が|西北《せいほく》の|空《そら》にパツと|現《あら》はれたと|思《おも》ふ|間《ま》もなく、|追々《おひおひ》あの|通《とほ》り|膨脹《ばうちやう》し、|五色《ごしき》の|雲《くも》が|鮮《あざや》かになつて|来《き》て、|俺達《おれたち》の|顔《かほ》までに|五色《ごしき》の|光彩《くわうさい》が|輝《かがや》き|初《はじ》めたぢやないか』
|五色《ごしき》の|雲《くも》は|見《み》る|間《ま》に|満天《まんてん》に|拡《ひろ》がり、|美《うる》はしき|衣裳《いしやう》を|着《つ》けたる|二人《ふたり》の|女神《めがみ》、|一人《ひとり》は|年老《としお》い|一人《ひとり》は|若《わか》く、|五色《ごしき》の|盛裳《せいしやう》をこらして、|雲《くも》に|乗《の》つて|此方《こちら》に|向《むか》つて|降《くだ》り|来《きた》る|様子《やうす》であつた。|二人《ふたり》の|立《た》つてゐる|紫野《むらさきの》の|原野《げんや》はいつとはなしに|天《てん》へ|浮上《うきあが》つた|如《ごと》く|感《かん》ぜられ、|雲《くも》が|下《さが》つたか|地《ち》が|上《あが》つたか、|区画《くくわく》のつかないやうな|塩梅《あんばい》で、いつのまにか|二人《ふたり》の|女神《めがみ》は|二人《ふたり》の|前《まへ》に|立現《たちあら》はれた。よくよく|見《み》れば|河鹿峠《かじかたうげ》で|谷底《たにそこ》へ|投《な》げすてて|行《い》つた、|二人《ふたり》の|母娘《おやこ》である。イール、ヨセフは|不意《ふい》の|対面《たいめん》に|打驚《うちおどろ》き、|頭《かしら》を|下《さ》げ、
イール『これはこれは|黄金姫《わうごんひめ》さま|誠《まこと》に|御無礼《ごぶれい》を|致《いた》しました。どうぞお|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
ヨセフ『あなたは|清照姫《きよてるひめ》さま、こんな|尊《たふと》き|神《かみ》さまとは|知《し》らずに|御無礼《ごぶれい》を|致《いた》しました。どうぞ|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ』
|黄金姫《わうごんひめ》『|其《その》|断《ことわ》りを|言《い》はれては|困《こま》ります。|私《わたくし》こそ|女《をんな》のくせに、あられもない|荒男《あらをとこ》を|谷川《たにがは》へ|放《ほ》り|込《こ》んだり、イヤもう|御無礼《ごぶれい》ばかり|致《いた》しました』
|清照姫《きよてるひめ》『|私《わたくし》も|若《わか》い|女《をんな》の|身《み》を|以《もつ》て、|荒男《あらをとこ》を|放《ほ》り|込《こ》むなどと|乱暴《らんばう》なことを|致《いた》しましたが、どうぞ|許《ゆる》して|下《くだ》さい』
イール『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|併《しか》し|乍《なが》らここは|何《なん》といふ|所《ところ》で|御座《ござ》いますか、|一向《いつかう》|合点《がつてん》が|参《まゐ》りませぬが』
|黄金姫《わうごんひめ》『ここは|未来《みらい》の|夢想国《むさうこく》ですよ。あなたが|此処《ここ》へ|来《き》たのは、|娑婆《しやば》に|於《おい》て|神《かみ》さまの|為《ため》に|大活動《だいくわつどう》をなし、|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|依《よ》つてかやうな|天国《てんごく》|浄土《じやうど》へ|救《すく》はれたのです。お|互《たがひ》にこんな|結構《けつこう》なことはありませぬ、お|喜《よろこ》び|申《まを》します』
イール『|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》は|現界《げんかい》に|於《おい》て、ロクなことは|一《ひと》つもやらず、|何一《なにひと》つ|神《かみ》さまの|為《ため》にお|役《やく》に|立《た》つた|事《こと》はありませぬ。それに|斯《か》やうな|所《ところ》へ|救《すく》はれるとは|合点《がつてん》が|行《ゆ》きませぬ、ヨモヤ|人違《ひとちがひ》では|御座《ござ》いますまいかな』
|黄金姫《わうごんひめ》『まだお|前《まへ》さまは、|今日《こんにち》の|所《ところ》では、これといふ|手柄《てがら》は|一《ひと》つもしてゐない。どちらかと|云《い》へば|悪《わる》い|事《こと》の|方《はう》が|多《おほ》いので、|公平《こうへい》な|神《かみ》さまのお|審《さば》きに|会《あ》へば、こんな|所《ところ》へ|来《く》る|身分《みぶん》ぢやない、|吾々《われわれ》だつて|其《その》|通《とほ》りです。|併《しか》し|乍《なが》ら|神《かみ》さまは|過去《くわこ》|現在《げんざい》|未来《みらい》をお|見透《みとう》しだから、お|前《まへ》さまがこれから|現界《げんかい》にをつて、|善《ぜん》の|行《おこな》ひをなし、|現界《げんかい》を|去《さ》つてから|後《あと》に|来《きた》るべき|世界《せかい》を|一寸《ちよつと》のぞかして|貰《もら》うてゐるのですよ』
ヨセフ『まだこれから|善《ぜん》をなす|為《ため》に、|斯《か》やうな|所《ところ》へよせて|頂《いただ》くとは、|合点《がつてん》が|往《ゆ》きませぬ。|天晴《あつぱ》れ|世《よ》の|中《なか》に|功《こう》を|立《た》てた|上《うへ》のことなれば、いざ|知《し》らず、|吾々《われわれ》のやうな|汚《けが》れた|霊《みたま》が|斯《か》やうな|所《ところ》へ|来《く》るとは、|如何《どう》しても|合点《がつてん》がいきませぬ、コリヤ|夢《ゆめ》ではありますまいかな』
|黄金姫《わうごんひめ》『|夢《ゆめ》|所《どころ》か|現実《げんじつ》です。それでもお|前《まへ》さまが、これから|先《さき》へ|善《よ》くない|事《こと》をしようものなら、キツとこんな|結構《けつこう》な|所《ところ》へは|来《こ》られない、これと|反対《はんたい》の|所《ところ》へ|行《ゆ》かねばなりませぬ。サアこれから|私《わたし》が、|都率天《とそつてん》の|世界《せかい》を|案内《あんない》して|上《あ》げよう』
|両人《りやうにん》『ハイ|有難《ありがた》う』
とさしうつむく。|自分《じぶん》の|立《た》つてゐた|地上《ちじやう》は、フワリフワリと|何処《どこ》ともなく|浮上《うきあが》るやうになつて|来《き》た。そして|四人《よにん》の|一行《いつかう》は|立《た》つた|儘《まま》、|青雲《あをくも》の|空《そら》を|目《め》がけて|昇《のぼ》り|行《ゆ》く。
|見《み》れば、|忽《たちま》ち|眼前《がんぜん》に|現《あら》はれた|朱欄碧瓦《しゆらんへきぐわ》の|美《うる》はしき|殿堂《でんだう》、まはりは|紅色《べにいろ》の|玉垣《たまがき》をめぐらし、|金銀《きんぎん》の|砂《すな》が|一面《いちめん》に|敷《し》きつめられ、ダイヤモンドの|砂《すな》が|所々《ところどころ》に|交《まじ》つて、|銀河《ぎんが》の|如《ごと》く|輝《かがや》いてゐる。|二人《ふたり》は|夢《ゆめ》かとばかり|顔《かほ》|見合《みあは》せ、|呆気《あつけ》にとられて|居《ゐ》た。
|清照姫《きよてるひめ》『コレ|両人《りやうにん》さま、ここは|都率天《とそつてん》の|月照彦《つきてるひこ》さまのお|宮《みや》で|御座《ござ》います。これからは|何《なに》も|云《い》ふことは|出来《でき》ませぬぞえ、|吾々《われわれ》|二人《ふたり》の|後《あと》についてお|出《い》でなさい。|神《かみ》さまが|何《なん》と|仰有《おつしや》つても、お|返事《へんじ》をしてはなりませぬ。|神《かみ》さまと|人間《にんげん》とは|階級《かいきふ》が|違《ちが》ひますから、|神《かみ》さまの|思召《おぼしめし》を|聞《き》くばかりで|一口《ひとくち》も|御返事《ごへんじ》することはなりませぬ。|物《もの》が|言《い》ひたくば|此《この》|門《もん》をくぐる|迄《まで》に|言《い》うておきなさい。|此《この》|門《もん》をくぐるや|否《いな》や、|仮令《たとへ》|如何《いか》なる|者《もの》に|会《あ》うても|只《ただ》|俯《うつ》むいてお|辞儀《じぎ》さへして|居《を》れば|良《よ》いのだから』
イール『ハイ|畏《かしこ》まりました。|何《なん》と|思《おも》うても|本当《ほんたう》にはしられませぬワ。|本当《ほんたう》に|私《わたし》は|斯様《かやう》な|所《ところ》へ、|未来《みらい》とやらに|救《すく》はれるでせうか』
|黄金姫《わうごんひめ》『|只《ただ》|神《かみ》さまの|仰《あふ》せを|承《うけたま》はり、|其《その》|通《とほ》り|遵奉《じゆんぽう》して|居《を》りさへすれば、|未来《みらい》は|斯様《かやう》な|結構《けつこう》な|所《ところ》へお|参《まゐ》りが|出来《でき》ます。|何事《なにごと》も|言《い》つちやなりませぬぞえ』
イール『ハイこれ|限《かぎ》り|申《まを》しませぬ。オイ、ヨセフお|前《まへ》も|今《いま》の|内《うち》にお|尋《たづ》ねしておくがいいぞ。|此《この》|門内《もんない》へ|這入《はい》れば|最早《もはや》|言論《げんろん》|機関《きくわん》を|使用《しよう》することは|出来《でき》ないから』
ヨセフは|畏《かしこ》まり、|静《しづか》に|首《くび》を|傾《かたむ》けたきり、|一言《ひとこと》も|発《はつ》しない。|黄金姫《わうごんひめ》、|清照姫《きよてるひめ》は|無言《むごん》の|儘《まま》、|門番《もんばん》に|目礼《もくれい》し、|静《しづか》に|奥《おく》へ|奥《おく》へと|進《すす》み|入《い》る。
|嚠喨《りうりやう》たる|音楽《おんがく》の|響《ひび》き|何処《いづこ》ともなく|聞《きこ》え|来《きた》り、|芳香《はうこう》|四辺《しへん》に|薫《くん》じ、|門内《もんない》の|内庭《うちには》には|白蓮華《しろれんげ》の|花《はな》|咲《さ》きほこり、|牡丹《ぼたん》|白梅《しらうめ》|薔薇《ばら》|等《とう》の|垣《かき》は|其《その》|艶《えん》を|競《きそ》ひ、|現界《げんかい》で|見《み》たこともないやうな|美《うつく》しき|羽《はね》の|小鳥《ことり》は、|爽《さはや》かな|声《こゑ》を|出《だ》して、|天国《てんごく》の|春《はる》を|歌《うた》うてゐる。|黄金《わうごん》の|玉盃《たまもひ》を|手《て》にして|黄金色《わうごんしよく》の|衣類《いるゐ》を|着《つ》けた|美《うる》はしき|女神《めがみ》、|白装束《しろしやうぞく》に|紅《くれなゐ》の|袴《はかま》にて、|四人《よにん》しづしづと|出《い》で|迎《むか》へ|玉盃《たまもひ》より|紫《むらさき》の|色《いろ》したる|水《みづ》を|指《ゆび》にぬらして、|一人《ひとり》|々々《ひとり》、|唇《くちびる》にひたす。|其《その》|味《あぢ》と|云《い》ひ|香《かほ》りと|云《い》ひ、|何《なん》とも|譬《たと》へやうのなきものである。|四柱《よはしら》の|女神《めがみ》は|四人《よにん》を|導《みちび》いて|奥深《おくふか》く|進《すす》み|入《い》る。
|奥殿《おくでん》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》り、|正面《しやうめん》を|眺《なが》むれば、|金銀《きんぎん》を|以《もつ》てちりばめたる|須弥壇《しゆみだん》の|上《うへ》に、|紫磨黄金《しまわうごん》の|肌《はだへ》をあらはし、|儼然《げんぜん》として|控《ひか》へ|玉《たま》ふ|一柱《ひとはしら》の|神《かみ》があつた。やさしみのある|内《うち》にどこともなく|威厳《ゐげん》|備《そな》はつて、|面《おもて》を|向《む》けるもまばゆいやうな|心持《こころもち》がすると|共《とも》に、|何《なん》ともいへぬ|懐《なつ》かしみがした。|此《この》|神《かみ》は|月照彦命《つきてるひこのみこと》であつた。|四人《よにん》をゆかしげに|見《み》やり、|黄金《わうごん》の|御手《みて》を|伸《の》べて、|膝元《ひざもと》に|来《き》たれと|招《まね》かれる。|左右《さいう》に|控《ひか》へたる|沢山《たくさん》の|童子《どうじ》は|手《て》に|種々《いろいろ》の|花《はな》を|携《たづさ》へ、|無言《むごん》のまましとやかに|須弥壇《しゆみだん》の|前《まへ》に|舞《ま》ひ|狂《くる》うてゐる。|馥郁《ふくいく》たる|芳香《はうかう》に|美妙《びめう》の|音楽《おんがく》はたえず|鼻耳《びじ》をつき、|燦爛《さんらん》たる|殿内《でんない》の|光《ひかり》は|目《め》を|新《あたら》しく|照《てら》すのみである。
|黄金姫《わうごんひめ》は|後振返《あとふりかへ》り、|三人《さんにん》を|手招《てまね》きする。|三人《さんにん》は|無言《むごん》のまま|黄金姫《わうごんひめ》の|後《あと》に|従《したが》ひ|行《ゆ》けば|紫《むらさき》の|色《いろ》|漂《ただよ》ふ|丸《まる》い|穴《あな》が、|殿堂《でんだう》の|裏《うら》より、|斜《ななめ》に|低《ひく》く|穿《うが》たれ、|紫《むらさき》の|階段《かいだん》がついてゐる。|黄金姫《わうごんひめ》はつかつかと|階段《かいだん》を|降《くだ》り|行《ゆ》く。|三人《さんにん》も|其《その》|後《あと》に|従《したが》つて|際限《さいげん》もなく|下《くだ》り|行《ゆ》けば、そこに|雑草《ざつさう》の|茂《しげ》る|葦《あし》の|生《は》えた|沼《ぬま》が|横《よこ》たはつて|居《ゐ》る。
|二人《ふたり》は|何時《いつ》の|間《ま》にか|此《この》|沼《ぬま》の|中《なか》におち|込《こ》んでゐた。|余《あま》り|深《ふか》からね|共《ども》、|直立《ちよくりつ》して|口《くち》のあたり|迄《まで》|水《みづ》がついて|来《く》る。|少《すこ》しく|風《かぜ》が|吹《ふ》いて|浪《なみ》|高《たか》くなれば、|鼻《はな》をおそひ、|息苦《いきぐる》しくなつて|来《く》る。|黄金姫《わうごんひめ》、|清照姫《きよてるひめ》は|如何《いか》にと、|四辺《あたり》を|見《み》れ|共《ども》、|其《その》|姿《すがた》だになく、|今迄《いままで》|美《うる》はしかりし|殿堂《でんだう》は|煙《けむり》の|如《ごと》く|消《き》え|失《う》せ、|只《ただ》|葦《あし》の|生《お》ひ|茂《しげ》る|沼《ぬま》の|上《うへ》を|秋風《あきかぜ》が|吹《ふ》きわたる|其《その》|淋《さび》しさ。
|斯《か》かる|所《ところ》へ|何処《いづこ》ともなく、レーブ、タールの|両人《りやうにん》あわただしく|走《はし》り|来《きた》り、|沼《ぬま》のまはりに|立《た》つて、|二人《ふたり》の|名《な》を|呼《よ》び、
『|早《はや》く|此方《こちら》に|来《きた》れ』
と|差招《さしまね》く。イール、ヨセフの|両人《りやうにん》は|身《み》を|〓《もが》き、|二人《ふたり》の|側《そば》に|泳《およ》ぎ|行《ゆ》かむとすれ|共《ども》、|如何《どう》したものか|二人《ふたり》の|足《あし》は|沼底《ぬまそこ》に|漆喰《しつくひ》の|如《ごと》く|吸《す》ひつけられ、|身動《みうご》きもならず、|風《かぜ》に|煽《あふ》られて、|時々《ときどき》|高《たか》き|波《なみ》|鼻目《びもく》のあたりをおそひ|来《きた》り、|苦《くるし》さ|限《かぎ》りなし。|二人《ふたり》は|声《こゑ》もえ|上《あ》げず、|苦《くるし》み|悶《もだ》えて|居《ゐ》ると、|何処《どこ》ともなく、ハムはレーブ、タールの|前《まへ》に|現《あら》はれて、|三人《さんにん》はここに|何事《なにごと》か|口論《こうろん》を|始《はじ》め|出《だ》した。イール、ヨセフの|両人《りやうにん》は|沼《ぬま》の|中《なか》にて|懶《ものう》げに|三人《さんにん》の|争《あらそ》ひを|眺《なが》めてゐる。ハムの|後《うしろ》には|口《くち》|耳《みみ》まで|裂《さ》けた|赤裸《まつぱだか》の|赤鬼《あかおに》がついてゐた。|暫《しばら》くすると、レーブ、タールの|両人《りやうにん》は|沼《ぬま》の|堤《つつみ》を|一目散《いちもくさん》に|東南《とうなん》さして|走《はし》りゆく。ハムは|二人《ふたり》の|沼《ぬま》の|中《なか》に|苦《くるし》んでゐるのを|見《み》て、|助《たす》けやらむと、|赤裸《まつぱだか》となり|沼《ぬま》の|中《なか》に|飛《と》びこまむとすれ|共《ども》、|後《うしろ》に|立《た》つた|赤鬼《あかおに》が、グーツと|首筋《くびすぢ》を|掴《つか》んで|離《はな》さないので、ハムは|一生懸命《いつしやうけんめい》に|身《み》をもがいてゐる。イール、ヨセフの|両人《りやうにん》は、|息《いき》もたえだえになつて、|早《はや》く|助《たす》けてくれよ………と|叫《さけ》ばむとすれ|共《ども》、|如何《いか》にしけむ、|一言《ひとこと》も|声《こゑ》が|出《で》なかつた。|何処《どこ》ともなしに|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》が|中空《ちうくう》に|聞《きこ》えて|居《ゐ》る。|此《この》|声《こゑ》を|聞《き》くと|共《とも》にハムについてゐた|鬼《おに》の|姿《すがた》は|煙《けむり》と|消《き》えた。ハムはレーブ、タールの|逃《に》げ|去《さ》つた|後《あと》を|追《お》うて、|地響《ぢひびき》させ|乍《なが》ら|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|二人《ふたり》は|此《この》|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》を|聞《き》くと|共《とも》に|身体《しんたい》|軽《かる》く|浮《う》き|上《あが》り、いつの|間《ま》にやら|沼《ぬま》の|畔《ほとり》についてゐた。そして|濡《ぬ》れた|着物《きもの》は|何時《いつ》の|間《ま》にか|乾《かわ》いてゐる。ハテ|不思議《ふしぎ》なことがあるものだなア………と|両人《りやうにん》は|顔《かほ》を|見合《みあは》せつつ、ハムの|走《はし》つた|後《あと》を|追《お》うて|駆出《かけだ》すと、|一本《いつぽん》の|大《おほ》きな|松《まつ》の|木《き》が|枝振《えだぶり》よく|立《た》つてゐて、|沼《ぬま》の|上《うへ》に|枝《えだ》を|垂《た》れてゐる。|其《その》|松《まつ》の|木《き》を|見上《みあ》ぐれば、えもいはれぬ|恐《おそ》ろしき|大蛇《をろち》が|三間《さんげん》ばかりの|首《くび》を|伸《の》ばして|樹下《じゆか》を|眺《なが》め、|大口《おほぐち》を|開《ひら》いて|何者《なにもの》か|呑《の》まむとしてゐる。|二人《ふたり》は|初《はじ》めて|口《くち》を|開《ひら》き、
イール『オイ、ヨセフ、|大変《たいへん》ぢやないか』
ヨセフ『|如何《いか》にもイールの|云《い》ふ|通《とほ》り、|此《この》|松《まつ》の|木《き》には|妙《めう》な|奴《やつ》が|居《ゐ》るではないか。|大方《おほかた》|最前《さいぜん》の|三人《さんにん》は|此《この》|大蛇《をろち》に|呑《の》まれて|了《しま》うたのだろ。コリヤ、グヅグヅしてはゐられまいぞ』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|松《まつ》の|根元《ねもと》をよくよく|見《み》れば、|土《つち》の|中《なか》から|首《くび》が|生《は》えてゐる。|上《うへ》には|大蛇《をろち》|下《した》には|生首《なまくび》、ハテ|厭《いや》らしやと、|逃《に》げ|出《だ》さうとすれ|共《ども》、|如何《どう》したものか、|身体《しんたい》|強直《きやうちよく》してビクともならぬやうになつてゐる。
|二人《ふたり》は|因果腰《いんぐわごし》を|定《き》め、|地中《ちちう》から|生《は》えた|首《くび》をよく|見《み》れば、|豈計《あにはか》らむや、バラモン|教《けう》の|大棟梁《だいとうりやう》|大黒主《おほくろぬし》である。|二人《ふたり》はビツクリして|顔色《かほいろ》をかへ|乍《なが》らあわただしく、
イール『アヽ、あなたは|大黒主《おほくろぬし》の|神《かみ》さまぢや|御座《ござ》いませぬか。|如何《どう》してマアこんな|所《ところ》へ|首《くび》ばかり|出《だ》してゐられます。あれ|御覧《ごらん》なさいませ、|此《この》|松《まつ》の|枝《えだ》には|大蛇《をろち》が|蟠《わだかま》つて、|今《いま》や|一口《ひとくち》に|呑《の》まむとしてゐるぢや|御座《ござ》いませぬか、サア|早《はや》くここを|私《わたくし》と|一緒《いつしよ》に|逃《に》げませう』
|大黒主《おほくろぬし》『ヨウ|其方《そなた》はイール、ヨセフの|両人《りやうにん》、こんな|所《ところ》へ|来《く》るものではない。|今《いま》の|内《うち》に|後《あと》へ|引返《ひつかへ》したがよからうぞ』
ヨセフ『|引返《ひつかへ》さうと|申《まを》して、|何処《どこ》へ|行《い》つてよいやら、|訳《わけ》が|分《わか》りませぬ。して|又《また》あなたの|首《くび》から|血《ち》がにじんで|居《を》りますが、コリヤまあ|如何《どう》した|訳《わけ》ですか』
|大黒主《おほくろぬし》『|私《わし》は|天地《てんち》の|大神《おほかみ》の|罰《ばつ》をうけ、|此《この》|松《まつ》の|木《き》の|下《もと》に|於《おい》て、|手足《てあし》を|縛《しば》られ、|自分《じぶん》の|作《つく》つた|配下《はいか》の|鬼共《おにども》に|土中《どちう》に|埋《うづ》められ、|此《この》|通《とほ》り|首《くび》のみ|地上《ちじやう》に|現《あら》はし、|鷹《たか》や|烏《からす》に|頭《あたま》をこつかれ、|毒虫《どくむし》に|首《くび》を|咬《か》まれ、こんな|苦《くる》しい|目《め》に|会《あ》うてゐるのだ。お|前《まへ》も|早《はや》く|改心《かいしん》いたして、|誠《まこと》の|道《みち》に|立返《たちかへ》つたがよからうぞ、|私《わし》の|如《ごと》くなつて|了《しま》へばモウ|駄目《だめ》だ。まだまだこれから|沢山《たくさん》の|苦労《くらう》をいたして|罪《つみ》を|赦《ゆる》して|貰《もら》へるか|貰《もら》へぬか|分《わか》らぬ|所《ところ》だ。|早《はや》く|三五教《あななひけう》の|神文《しんもん》を|唱《とな》へて|此《この》|急場《きふば》をのがれよ』
イール『コレは|又《また》、|異《い》なることを|承《うけたま》はります。あなたはバラモン|教《けう》の|大教主《だいけうしゆ》であり|乍《なが》ら、|何《なに》を|以《もつ》て|三五教《あななひけう》の|神文《しんもん》を|唱《とな》へと|申《まを》されますか、|少《すこ》しも|合点《がつてん》が|参《まゐ》りませぬ』
|大黒主《おほくろぬし》は|苦《くる》しげに、
『|現界《げんかい》に|於《おい》ては|今《いま》は|時《とき》めく|勢《いきほひ》なれども、|未来《みらい》の|吾《わが》|霊魂《れいこん》は|此《この》|通《とほ》り、|松《まつ》の|下《した》に|於《おい》て|無限《むげん》の|責苦《せめく》をうけねばならぬことになつてゐるのだ。|三五教《あななひけう》は|神《かみ》より|出《い》でたる|教《をしへ》、|其《その》|他《た》の|教《をしへ》は|皆《みな》|枝神《えだがみ》や|人間《にんげん》の|作《つく》つた|教《をしへ》であるから、|御神慮《ごしんりよ》の|程《ほど》が|分《わ》からない。|否々《いやいや》|神慮《しんりよ》に|違反《ゐはん》した|教《をしへ》を|致《いた》して|居《を》るから、バラモン|教《けう》の|代表者《だいへうしや》たる|此《この》|方《はう》が|斯《か》やうな|責苦《せめく》に|会《あ》うてゐるのだ。とはいふものの、|吾《われ》の|肉体《にくたい》は|副守護神《ふくしゆごじん》の|勢《いきほ》ひ|中々《なかなか》|猛烈《まうれつ》にして|到底《たうてい》|容易《ようい》に|改心《かいしん》は|致《いた》さない。|改心《かいしん》さへ|致《いた》したらこんな|苦悩《くなう》は|免《まぬが》るるのだが、|大黒主《おほくろぬし》の|肉体《にくたい》がどうしても|改心《かいしん》してくれぬので、|本尊《ほんぞん》の|此《この》|方《はう》がこんな|責苦《せめく》にあふのだ。|百年後《ひやくねんご》の|大黒主《おほくろぬし》の|行末《ゆくすゑ》は、|即《すなは》ち|今《いま》の|有様《ありさま》であるぞ。サア、|早《はや》くここを|立去《たちさ》れ』
|斯《か》かる|所《ところ》へ、|又《また》もや|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》がかすかに|聞《きこ》え、|宣伝使《せんでんし》が|三人《さんにん》の|供人《ともびと》と|共《とも》に|沼《ぬま》の|辺《ほとり》に|現《あら》はれて|来《き》た。|此《この》|声《こゑ》を|聞《き》くと|共《とも》に、|大黒主《おほくろぬし》の|体《からだ》は|地上《ちじやう》へガワとばかりに|浮上《うきあが》つた。|樹上《じゆじやう》の|大蛇《をろち》は|大黒主《おほくろぬし》を|大口《おほぐち》|開《あ》けて、グツと|一口《ひとくち》に|呑《の》んだまま、|黒雲《くろくも》を|呼起《よびおこ》し、|一目散《いちもくさん》に|中天《ちうてん》に|姿《すがた》をかくして|了《しま》つた。
|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》の|姿《すがた》を|見《み》るより、フツと|気《き》が|着《つ》きそこらあたりを|見《み》れば、|河鹿峠《かじかたうげ》の|谷底《たにそこ》に|陥《おちい》り、|舞埃《まひごみ》の|砂《すな》の|中《なか》に|半身《はんしん》を|埋《うづ》めてゐたことが|分《わか》つた。|谷《たに》の|流《なが》れはゴウゴウと|四辺《あたり》に|響《ひび》いてゐる。|気《き》をおちつけてよくよく|見《み》れば、|照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》を|始《はじ》め、|梅公《うめこう》、|照公《てるこう》、|国公《くにこう》の|三人《さんにん》は|二人《ふたり》の|身体《からだ》を|介抱《かいほう》し、|一生懸命《いつしやうけんめい》に、|魂呼《たまよ》びの|神業《かむわざ》を|修《しう》してゐたことに|気《き》が|着《つ》いた。
イール、ヨセフの|両人《りやうにん》は|宣伝使《せんでんし》|一行《いつかう》に|向《むか》ひ|黄金姫《わうごんひめ》|一行《いつかう》に|無礼《ぶれい》を|加《くは》へて、|此《この》|谷底《たにそこ》に|投《な》げ|込《こ》まれた|一条《いちでう》より、|鬼熊別《おにくまわけ》に|雇《やと》はれて、|蜈蚣姫《むかでひめ》、|小糸姫《こいとひめ》の|所在《ありか》を|尋《たづ》ね|求《もと》めつつあることを|詳《つまびらか》に|物語《ものがた》り、ここに|翻然《ほんぜん》として|悟《さと》り、|宣伝使《せんでんし》に|従《したが》つて、|谷《たに》を|下《くだ》り、|山路《やまぢ》に|出《い》で、トボトボと|後《あと》に|従《したが》ひ|行《ゆ》く。|二人《ふたり》は|何《なん》となく、|宣伝使《せんでんし》の|威光《ゐくわう》に|打《う》たれて、|恐《おそ》ろしくなり、あたり|暗《やみ》に|包《つつ》まれし|頃《ころ》、|隙《すき》を|窺《うかが》うて|逃《に》げ|失《う》せて|了《しま》つた。
|照国別《てるくにわけ》は|道端《みちばた》の|古《ふる》き|祠《ほこら》の|前《まへ》に、|三人《さんにん》の|供人《ともびと》と|共《とも》に|一夜《いちや》を|明《あ》かすこととした。
(大正一一・一〇・二二 旧九・三 松村真澄録)
第八章 |母《はは》と|娘《むすめ》〔一〇七三〕
|月《つき》てり|渡《わた》る|月《つき》の|国《くに》 |梵天王《ぼんてんわう》の|守《まも》ります
|清《きよ》き|尊《たふと》き|国《くに》なれば バラモン|国《こく》と|称《とな》へけり
|抑《そもそ》も|月《つき》の|神国《かみくに》は |所《ところ》を|以《もつ》て|国《くに》となし
|其《その》|数《かず》|七千有余国《しちせんいうよこく》 |刹帝利族《せつていりぞく》を|王《わう》となし
バラモン|族《ぞく》は|浄行《じやうぎやう》を |唯一《ゆゐいつ》の|勤《つと》めと|励《はげ》みしが
|古《ふる》き|風習《ふうしふ》も|今《いま》ははや |時《とき》の|力《ちから》に|抗《かう》しかね
|刹帝利族《せつていりぞく》は|散々《さんざん》な |憂目《うきめ》に|遭《あ》ひて|屏息《へいそく》し
|今《いま》は|全《まつた》くバラモンの やからの|掌握《しやうあく》する|迄《まで》に
|国《くに》の|秩序《ちつじよ》は|紊《みだ》れたり |七千余国《しちせんよこく》の|其《その》|内《うち》に
|最《もつと》も|広《ひろ》きハルナ|国《こく》 ハルナの|都《みやこ》に|現《あら》はれて
|梵天王《ぼんてんわう》の|末裔《まつえい》と |僣称《せんしよう》したる|曲津神《まがつかみ》
|鬼雲彦《おにくもひこ》は|葦原《あしはら》の |中津御国《なかつみくに》をあとにして
フサの|国《くに》をば|横断《わうだん》し |自転倒島《おのころじま》に|打《う》ち|渡《わた》り
|暴威《ばうゐ》を|揮《ふる》ひゐたりしが |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の
|守《まも》り|玉《たま》へる|三五《あななひ》の |教司《をしへつかさ》に|退《やら》はれて
|雲《くも》を|霞《かすみ》と|中空《ちうくう》を かけりて|逃《に》げゆく|印度《ツキ》の|国《くに》
ハルナの|都《みやこ》に|現《あら》はれて |梵天王《ぼんてんわう》の|自在天《じざいてん》
|大国主《おほくにぬし》を|祀《まつ》りつつ |霊主体従《れいしゆたいじう》を|標榜《へうぼう》し
|惨虐無道《ざんぎやくぶだう》の|教《をしへ》をば |開《ひら》きゐるこそ|忌々《ゆゆ》しけれ
|遠《とほ》き|神代《かみよ》の|昔《むかし》より |王《わう》の|位《くらゐ》を|継承《けいしよう》し
|此《この》|国々《くにぐに》の|王位《わうゐ》をば |占《し》めたる|清《きよ》き|刹帝利《せつていり》
|国《くに》の|貴族《きぞく》を|虐《しひた》げて バラモン|族《ぞく》と|聞《きこ》えたる
|大黒主《おほくろぬし》はわが|部下《ぶか》を |其《その》|国々《くにぐに》に|遣《つか》はしつ
|現《げん》と|幽《いう》との|全権《ぜんけん》を |握《にぎ》らせおきて|自《みづか》らは
|印度《いんど》の|国《くに》の|大王《だいわう》と なりすましたる|時《とき》もあれ
ウブスナ|山《やま》の|斎苑館《いそやかた》 |守《まも》り|玉《たま》へる|更生神《かうせいしん》
|数多《あまた》の|神人《かみびと》|従《したが》へて |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|天地《あめつち》に
|塞《ふさ》がる|鬼雲《おにくも》やらはむと ここに|神《かみ》たちよび|集《つど》へ
|日出別《ひのでのわけ》の|御言《みこと》もて |黄金姫《わうごんひめ》や|清照姫《きよてるひめ》
|神《かみ》の|命《みこと》を|初《はじ》めとし |照国別《てるくにわけ》や|玉国別《たまくにわけ》
|治国別《はるくにわけ》の|神司《かむづかさ》 |初稚姫《はつわかひめ》に|言任《ことま》けて
|印度《いんど》の|国《くに》を|三方《さんぱう》より |進《すす》ませ|玉《たま》ふ|御経綸《ごけいりん》
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
|此《この》|物語《ものがたり》スクスクと |言霊車《ことたまぐるま》よく|走《はし》り
|万里《ばんり》をめぐる|月《つき》の|国《くに》 |残《のこ》る|隈《くま》なく|調査《てうさ》せし
|神代《かみよ》の|深《ふか》き|物語《ものがたり》 |述《の》べさせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる。
|黄金姫《わうごんひめ》、|清照姫《きよてるひめ》は|河鹿峠《かじかたうげ》を|巡礼姿《じゆんれいすがた》に|身《み》をやつし、|上《のぼ》りつ|下《くだ》りつ、|谷間《たにま》の|絶景《ぜつけい》を|眺《なが》めて、|憩《いこ》ふ|折《をり》しもハム、イール、|外《ほか》|三人《さんにん》の|鬼熊別《おにくまわけ》が|部下《ぶか》に|出会《しゆつくわい》し、|遂《つひ》に|道《みち》ならぬ|事《こと》とは|知《し》り|乍《なが》ら、|正当防衛上《せいたうばうゑいじやう》|止《や》むを|得《え》ずして、ハム、イール、ヨセフの|三人《さんにん》を、|千仭《せんじん》の|谷間《たにま》を|目《め》がけて|投込《なげこ》み、|外《ほか》|二人《ふたり》の|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げゆく|姿《すがた》を|冷《ひや》やかに|見守《みまも》り|乍《なが》ら、あたりに|心《こころ》をくばりつつ、|母娘《おやこ》|二人《ふたり》はシトシトと|崎嶇《きく》たる|羊腸《やうちやう》の|坂路《さかみち》を|進《すす》み|行《ゆ》きつつ|歌《うた》ふ。
『バラモン|教《けう》の|副棟梁《ふくとうりやう》 |鬼熊別《おにくまわけ》の|妻《つま》となり
|埃及国《エヂプトこく》に|現《あら》はれて |教《をしへ》を|伝《つた》ふる|折柄《をりから》に
|天理《てんり》にたがひし|曲業《まがわざ》を |知《し》らずに|勤《つと》めゐたりしが
|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|三五《あななひ》の |神《かみ》の|光《ひかり》に|照《て》らされて
イホの|都《みやこ》を|逐電《ちくでん》し |鬼雲彦《おにくもひこ》に|従《したが》ひて
|顕恩郷《けんおんきやう》に|身《み》を|隠《かく》し |月日《つきひ》を|重《かさ》ねて|漸《やうや》くに
バラモン|教《けう》の|礎《いしづゑ》を |固《かた》めゐたりし|折《をり》もあれ
|太玉命《ふとたまみこと》の|宣伝使《せんでんし》 |現《あら》はれ|玉《たま》ひて|天地《あめつち》を
|震撼《しんかん》せむず|言霊《ことたま》を |発射《はつしや》し|玉《たま》へば|大棟梁《だいとうりやう》
|鬼雲彦《おにくもひこ》を|初《はじ》めとし |彼等《かれら》|一族《いちぞく》|雲《くも》|霞《かすみ》
|副守《ふくしゆ》の|大蛇《をろち》につれられて |安全《あんぜん》|地帯《ちたい》と|聞《きこ》えたる
|自転倒島《おのころじま》の|中心地《ちうしんち》 なる|果物《くだもの》も|大江山《おほえやま》
|厳《いづ》の|岩屋《いはや》に|立《たて》こもり |三岳《みたけ》の|山《やま》や|鬼ケ城《おにがじやう》
|部署《ぶしよ》を|定《さだ》めてバラモンの |教《をしへ》を|四方《よも》に|宣伝《せんでん》し
|豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》 |百八十島《ももやそしま》の|果《は》てまでも
バラモン|教《けう》に|帰順《きじゆん》させ |梵天王《ぼんてんわう》の|御教《みをしへ》や
|御稜威《みいづ》を|四方《よも》にてらさむと |思《おも》ひし|事《こと》も|水《みづ》の|泡《あわ》
|英子《ひでこ》の|姫《ひめ》に|仕《つか》へたる |神《かみ》の|御国《みくに》の|強者《つはもの》に
|追《お》ひやらはれて|果敢《はか》なくも |鬼雲彦《おにくもひこ》は|逃《に》げて|行《ゆ》く
わが|背《せ》の|君《きみ》も|後《あと》を|追《お》ひ |姿《すがた》をかくし|玉《たま》ひけり
|女心《をんなごころ》のどこまでも |初心《しよしん》を|徹《とほ》さにやおかないと
|鬼ケ城《おにがじやう》をばふりすてて |安全《あんぜん》|地帯《ちたい》のかくれ|場所《ばしよ》
|雲《くも》をとほして|三国岳《みくにだけ》 |岩窟《いはや》に|深《ふか》く|忍《しの》び|入《い》り
|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|使役《しえき》して |捲土重来《けんどぢうらい》バラモンの
|復興《ふくこう》はかる|折《をり》もあれ |神《かみ》の|恵《めぐみ》か|白雲《しらくも》の
|空《そら》わけ|登《のぼ》る|宣伝使《せんでんし》 |悪事《あくじ》は|忽《たちま》ち|露顕《ろけん》して
|住《す》むによしなき|悲《かな》しさに |心《こころ》の|駒《こま》ははやり|立《た》ち
|善《ぜん》と|悪《あく》との|瀬戸《せと》の|海《うみ》 |小豆ケ島《せうどがしま》の|岩窟《がんくつ》に
|身《み》をかくしつつバラモンの |教《をしへ》を|開《ひら》く|傍《かたはら》に
|小糸《こいと》の|姫《ひめ》の|所在《ありか》をば |焦《こが》れ|尋《たづ》ぬる|真最中《まつさいちう》
|心《こころ》|曲《まが》れる|友彦《ともひこ》と |思《おも》はずここに|邂逅《かいこう》して
わが|子《こ》の|消息《せうそく》|略《ほぼ》|悟《さと》り |棚《たな》なし|舟《ぶね》を|操《あやつ》りて
|三五教《あななひけう》の|高姫《たかひめ》と |力《ちから》を|合《あは》せ|海原《うなばら》を
|渡《わた》りて|進《すす》む|一《ひと》つ|島《じま》 |地恩《ちおん》の|郷《さと》にまゐ|上《のぼ》り
|黄竜姫《わうりようひめ》の|愛娘《まなむすめ》 |嬉《うれ》しくここに|面会《めんくわい》し
|三五教《あななひけう》の|神人《しんじん》に |導《みちび》かれつつスワの|湖《うみ》
|玉依姫《たまよりひめ》の|隠《かく》れます |尊《たふと》き|霊地《れいち》に|参拝《さんぱい》し
|麻邇《まに》の|宝珠《ほつしゆ》の|神業《しんげふ》に |仕《つか》へまつりし|嬉《うれ》しさよ
|四尾《よつを》の|山《やま》の|山麓《さんろく》に |大宮柱《おほみやばしら》|太知《ふとし》りて
しづまり|玉《たま》ふ|大神《おほかみ》の |宮居《みやゐ》に|朝夕《あさゆふ》|仕《つか》へつつ
|言依別《ことよりわけ》の|御言《みこと》もて |再《ふたた》び|来《き》たるフサの|国《くに》
ウブスナ|山《やま》の|霊場《れいぢやう》に |身魂《みたま》を|研《みが》きゐたりしが
いよいよここに|月《つき》の|国《くに》 ハルナの|都《みやこ》に|現《あら》はれし
|大黒主《おほくろぬし》の|曲業《まがわざ》を ため|直《なほ》しつつ|天地《あめつち》の
|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|浴《よく》せしめ |醜《しこ》の|司《つかさ》を|初《はじ》めとし
|七千余国《しちせんよこく》の|国人《くにびと》を |安《やす》きに|救《すく》ひ|助《たす》けむと
|神《かみ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて |進《すす》み|行《ゆ》くこそ|嬉《うれ》しけれ
|河鹿峠《かじかたうげ》の|山路《やまみち》を |辿《たど》る|折《をり》しも|吾《わが》|夫《つま》の
|守《まも》らせ|玉《たま》ふバラモン|教《けう》 |配下《はいか》に|仕《つか》ふる|魔神《まがみ》たち
|虎《とら》|狼《おほかみ》の|心《こころ》もて われら|母娘《おやこ》を|迫害《はくがい》し
|暴威《ばうゐ》をふるひ|来《きた》るより |天則違反《てんそくゐはん》と|知《し》り|乍《なが》ら
やむに|止《や》まれず|手《て》のすさび いで|来《く》る|奴《やつ》をひつ|掴《つか》み
|何《なん》の|容赦《ようしや》も|荒川《あらかは》の |谷間《たにま》に|向《むか》つて|投《な》げやれば
|残《のこ》る|魔神《まがみ》は|逸早《いちはや》く |雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|失《う》せぬ
さはさり|乍《なが》ら|彼等《かれら》とて |天地《てんち》の|神《かみ》の|御水火《みいき》より
|生《うま》れ|出《い》でたる|神《かみ》の|御子《みこ》 |悔《く》い|改《あらた》めて|速《すみ》やかに
|身魂《みたま》を|清《きよ》め|美《うる》はしき |高天原《たかあまはら》の|都率天《とそつてん》
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御前《おんまへ》に |霊《みたま》を|救《すく》ひ|玉《たま》ひつつ
|其《その》|醜業《しこわざ》を|一日《いちにち》も |早《はや》く|改《あらた》めさせ|玉《たま》へ
|清照姫《きよてるひめ》と|諸共《もろとも》に |河鹿峠《かじかたうげ》の|山《やま》みちに
|心《こころ》の|垢《あか》を|拭《ぬぐ》ひつつ |三五教《あななひけう》を|守《まも》ります
|皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に |畏《かしこ》み|畏《かしこ》みねぎまつる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
|清照姫《きよてるひめ》は|坂《さか》を|下《くだ》りつつ|母《はは》の|後《あと》について|歌《うた》ふ。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善神《ぜんしん》|邪神《じやしん》を|別《わ》け|玉《たま》ふ
バラモン|教《けう》の|神司《かむづかさ》 |鬼雲彦《おにくもひこ》に|仕《つか》へたる
|父《ちち》の|命《みこと》の|鬼熊別《おにくまわけ》は |無限絶対《むげんぜつたい》|無始無終《むしむしう》
|雲力体《れいりよくたい》の|大元首《だいげんしゆ》 |梵天王《ぼんてんわう》と|聞《きこ》えたる
|大国彦《おほくにひこ》の|神霊《しんれい》を |自在天神《じざいてんじん》とあがめつつ
|常世《とこよ》の|国《くに》をあとにして |埃及国《エヂプトこく》に|打渡《うちわた》り
|顕恩郷《けんおんきやう》にあれまして |教《をしへ》を|開《ひら》き|玉《たま》ひしが
|其《その》|勢力《せいりよく》は|日《ひ》に|月《つき》に |八桑枝《やくはえ》の|如《ごと》|茂久栄《むくさか》に
|栄《さか》え|茂《しげ》りて|権力《けんりよく》は |並《なら》ぶ|者《もの》なき|神司《かむづかさ》
|数多《あまた》の|侍神《じしん》を|従《したが》へて ヤツと|心《こころ》を|安《やす》んじつ
|副棟梁《ふくとうりやう》に|任《ま》けられて |母命《ははのみこと》を|相娶《あひめと》り
|夫婦《ふうふ》|仲《なか》よく|道《みち》の|為《ため》 |仕《つか》へ|給《たま》ひし|雄々《をを》しさよ
|二人《ふたり》の|仲《なか》に|生《うま》れたる |小糸《こいと》の|姫《ひめ》は|幼時《えうじ》より
|栄耀《えいえう》|栄華《えいぐわ》に|育《そだ》てられ |世《よ》の|荒波《あらなみ》も|知《し》らぬ|身《み》の
|弁《わきま》へもなく|友彦《ともひこ》に |心《こころ》を|奪《うば》はれ|海山《うみやま》の
|恩《おん》ある|父母《ふぼ》をふりすてて |心《こころ》の|暗《やみ》に|紛《まぎ》れつつ
|恋《こひ》しき|男《をとこ》に|手《て》を|引《ひ》かれ エデンの|河《かは》を|伝《つた》ひつつ
フサの|海原《うなばら》|乗越《のりこ》えて |波《なみ》に|漂《ただよ》ふシロの|島《しま》
|松浦《まつら》の|郷《さと》に|身《み》を|忍《しの》び |一年《ひととせ》ここにゐたりしが
|友彦司《ともひこつかさ》の|行《おこな》ひに |愛想《あいさう》をつかし|夜《よ》に|紛《まぎ》れ
|館《やかた》を|後《あと》に|舟人《ふなびと》の チヤンキー(長吉)モンキー(茂吉)と|諸共《もろとも》に
|千波万波《せんぱまんぱ》を|押分《おしわ》けて はるばる|進《すす》む|竜宮島《りうぐうじま》
|五十子《いそこ》の|姫《ひめ》や|梅子姫《うめこひめ》 |三五教《あななひけう》を|守《まも》ります
|神《かみ》の|司《つかさ》に|巡《めぐ》り|会《あ》ひ |身魂《しんこん》|共《とも》に|救《すく》はれて
|神《かみ》の|威徳《ゐとく》もオスタリヤ |地恩《ちおん》の|郷《さと》にかけ|向《むか》ひ
|高山彦《たかやまひこ》や|黒姫《くろひめ》の |蔭《かげ》の|力《ちから》に|守《まも》られて
|一時《いちじ》は|時《とき》めくクヰンの|身《み》 |月日《つきひ》の|如《ごと》き|勢《いきほひ》を
|四方《よも》に|照《て》らしてゐたりしが |神《かみ》の|守《まも》りの|浅《あさ》からず
|恋《こひ》しき|母《はは》に|巡《めぐ》り|会《あ》ひ |麻邇《まに》の|宝珠《ほつしゆ》の|神業《しんげふ》に
|仕《つか》へてやうやう|自転倒《おのころ》の |島《しま》に|初《はじ》めて|立向《たちむか》ひ
|錦《にしき》の|宮《みや》に|暫《しばら》くは |真心《まごころ》こめて|仕《つか》へしが
|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》より |斎苑《いそ》の|館《やかた》に|母《おや》と|子《こ》は
さし|遣《つか》はされ|朝夕《あさゆふ》に |恵《めぐみ》の|露《つゆ》に|浴《よく》しつつ
|清照姫《きよてるひめ》と|名《な》を|賜《たま》ひ |母娘《おやこ》|二人《ふたり》は|潔《いさぎよ》く
|三五教《あななひけう》の|宣伝《せんでん》に |仕《つか》ふる|折《をり》しも|日出別《ひのでわけ》
|神《かみ》の|司《つかさ》の|命令《めいれい》に |恋《こひ》しき|父《ちち》のますと|聞《き》く
|月《つき》の|都《みやこ》に|進《すす》めよと |仰《あふ》せ|玉《たま》ひし|嬉《うれ》しさよ
|神《かみ》に|任《まか》せし|此《この》|体《からだ》 いかなる|悩《なや》みの|来《きた》る|共《とも》
いかで|恐《おそ》れむ|神《かみ》の|道《みち》 さやる|曲津《まがつ》を|悉《ことごと》く
|尊《たふと》き|稜威《いづ》の|言霊《ことたま》に |言向和《ことむけやは》しいち|早《はや》く
|神《かみ》の|御国《みくに》を|立直《たてなほ》し |月《つき》|照《て》りわたる|月《つき》の|国《くに》
|空《そら》もハルナの|都《みやこ》とし |照《て》らさむ|為《ため》の|此《この》|首途《かどで》
あゝ|勇《いさ》ましし|勇《いさ》ましし |如何《いか》に|嶮《けは》しき|山坂《やまさか》も
|心《こころ》の|駒《こま》の|勇《いさ》むまに |千里《せんり》の|道《みち》も|遠《とほ》からず
|進《すす》み|行《ゆ》くこそ|楽《たの》しけれ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして |吾等《われら》|母子《おやこ》の|神業《かむわざ》を
|守《まも》らせ|玉《たま》へと|村肝《むらきも》の |心《こころ》も|清《きよ》く|照《て》りわたる
|清照姫《きよてるひめ》がねぎまつる あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|秋風《あきかぜ》に|面《おもて》をふかれ、|蓑《みの》をあふられ、|杖《つゑ》を|力《ちから》に|河鹿峠《かじかたうげ》を|降《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・一〇・二七 旧九・八 松村真澄録)
第三篇 |宿世《すぐせ》の|山道《やまみち》
第九章 |九死一生《きうしいつしやう》〔一〇七四〕
|鬼熊別《おにくまわけ》の|部下《ぶか》に|仕《つか》へたるガランダ|国《こく》の|刹帝利《せつていり》、|親重代《おやぢうだい》のハムの|位《くらゐ》を|大黒主《おほくろぬし》の|部下《ぶか》にとり|剥《は》がれ、|僅《わづ》かに|鬼熊別《おにくまわけ》の|部下《ぶか》となり、|卑《いや》しき|目付役《めつけやく》に|成《な》り|下《さが》り|居《ゐ》たれども、|彼《かれ》の|部下《ぶか》は|数十人《すうじふにん》|密《ひそ》かに|彼《かれ》の|頤使《いし》に|甘《あま》んじて|忠実《ちうじつ》に|仕《つか》へ、|昔《むかし》のハムの|果《は》てとして、|相当《さうたう》に|尊敬《そんけい》を|国民《こくみん》より|払《はら》はれて|居《ゐ》た。
|今《いま》しも|鬼熊別《おにくまわけ》が|命《めい》によつて|蜈蚣姫《むかでひめ》、|小糸姫《こいとひめ》の|所在《ありか》を|索《たづ》ねる|一方《いつぱう》、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》を|一人《いちにん》にても|多《おほ》く|捕縛《ほばく》し|帰《かへ》らば、もとのガランダ|国《こく》の|王《わう》に|復《ふく》しやらむとの|契約《けいやく》の|下《もと》に|四人《よにん》の|小頭株《こがしらかぶ》を|引《ひ》き|率《つ》れ、|此《この》|河鹿峠《かじかたうげ》に|待《ま》ちつつあつたのである。|然《しか》し|乍《なが》ら|四人《よにん》の|男《をとこ》は|此《この》ハムの|素姓《すじやう》を|知《し》らず、|何《なん》となく|横柄《わうへい》な|奴《やつ》、|虫《むし》の|好《す》かない|奴《やつ》と|猜疑《さいぎ》の|眼《まなこ》を|怒《いか》らし、|何《なに》か|失敗《しつぱい》ある|時《とき》は、これを|嗅出《かぎいだ》し|一々《いちいち》|鬼熊別《おにくまわけ》に|内報《ないはう》し、|目《め》の|上《うへ》の|瘤《こぶ》なるハムを|失墜《しつつゐ》せしめむと|心《こころ》|密《ひそ》かに|諜《しめ》し|合《あは》せつつあつた。
かかる|処《ところ》へ|母娘《おやこ》の|巡礼《じゆんれい》、|進《すす》み|来《きた》るに|出会《でつくわ》し、|何《なん》の|容赦《ようしや》も|荒繩《あらなは》に、|縛《しば》つてハルナの|都《みやこ》まで、|立《た》ち|帰《かへ》らむと|四人《よにん》に|下知《げち》を|下《くだ》した。|四人《よにん》は|吾《われ》|劣《おと》らじと|母娘《おやこ》に|向《むか》つて|武者《むしや》|振《ぶ》りつき、|苦《く》もなく|谷間《たにま》に|投《な》げ|捨《す》てられ、ハムも|亦《また》|脆《もろ》くも|谷底《たにそこ》に|捨《す》てられて|了《しま》つた。|流石《さすが》|刹帝利《せつていり》の|直系《ちよくけい》とて|何処《どこ》となく|身魂《しんこん》|堅固《けんご》なりしかば、イール、ヨセフの|如《ごと》く|容易《ようい》に|失神《しつしん》せず|谷底《たにそこ》の|真砂《まさご》に|埋《うづ》められて|痛《いた》さを|堪《こら》へて|自然《しぜん》の|恢復《くわいふく》を|待《ま》つ|折《をり》しも、レーブ、タールの|両人《りやうにん》は|谷《たに》を|渡《わた》つて|近寄《ちかよ》り|来《きた》り、|散々《さんざん》にハムの|悪口《あくこう》を|並《なら》べ|立《た》て、|此《この》|際《さい》|二人《ふたり》を|助《たす》けハムを|谷川《たにがは》へ|投《な》げ|捨《す》てやらむとの|密談《みつだん》を|聞《き》くより|憤怒《ふんど》のあまり|病《やまひ》の|苦痛《くつう》を|忘《わす》れて、
ハム『おのれ|憎《につ》くき|両人《りやうにん》』
と|立《た》ち|上《あが》ればレーブ、タールはイール、ヨセフを|捨《す》て、|谷川《たにがは》|伝《づた》ひに|生命《いのち》|辛々《からがら》|逃《に》げて|行《ゆ》く。ハムは|無念《むねん》の|歯《は》を|喰《く》ひしばり、イール、ヨセフを|介抱《かいほう》し|居《ゐ》る|折《をり》しも、|頭上《づじやう》に|聞《きこ》ゆる|宣伝歌《せんでんか》『こりや|堪《たま》らぬ』と|韋駄天《ゐだてん》|走《ばし》りに|岩《いは》を|飛《と》び|越《こ》え|浅瀬《あさせ》を|渉《わた》り、|漸《やうや》く|山道《やまみち》に|攀上《よぢのぼ》り|片方《かたへ》の|森《もり》を|眺《なが》むれば、|此処《ここ》に|一《ひと》つの|古《ふる》き|祠《ほこら》がある。|一先《ひとま》づ|此処《ここ》に|息休《いきやす》め、レーブ、タール|両人《りやうにん》が|所在《ありか》を|探《たづ》ね、|懲《こ》らしめ|呉《く》れむと|息《いき》まきつつ、|社前《しやぜん》の|石《いし》に|腰《こし》うち|掛《か》け|息《いき》を|休《やす》めむとする|時《とき》しも、|張《は》り|詰《つ》めたる|勇気《ゆうき》は|茲《ここ》にガタリと|弛《ゆる》み、|再《ふたた》び|腰《こし》|痛《いた》み|足《あし》うづき、|身動《みうご》きならぬ|苦《くる》しさに、レーブ、タールの|両人《りやうにん》が|仕打《しうち》ちを|憤慨《ふんがい》し|怨《うら》み|涙《なみだ》に|暮《く》れてゐる。|忽《たちま》ち|祠《ほこら》の|後《うしろ》より|二人《ふたり》の|巡礼《じゆんれい》の|声《こゑ》、ハムは|又《また》もや|二度《にど》|吃驚《びつくり》、
『アヽ|彼《かれ》は|普通《ふつう》の|巡礼《じゆんれい》ではなく、|人《ひと》を|取《と》り|喰《く》ふ|鬼婆《おにばば》|鬼娘《おにむすめ》であつたか』
と|濃霧《のうむ》に|包《つつ》まれて|怨《うら》みの|的《まと》なるレーブ、タールの|両人《りやうにん》が|作《つく》り|声《ごゑ》とは|知《し》らなかつた。レーブ、タールはハムの|独言《ひとりごと》を|聞《き》き|足腰《あしごし》|立《た》たぬにつけ|込《こ》んで|侮《あなど》りきつて|揶揄《からか》つて|居《ゐ》たが、|忽《たちま》ち|吹《ふ》き|来《く》る|山風《やまかぜ》に|濃霧《のうむ》は|晴《は》れ|其《その》|真相《しんさう》が|暴露《ばくろ》すると|共《とも》に、|怒《いか》り|心頭《しんとう》に|徹《てつ》し、|怒髪《どはつ》|天《てん》を|衝《つ》いて|立《た》ち|上《あが》り|苦《くる》しき|病《やまひ》の|身《み》を|忘《わす》れ、|逃《に》げゆく|二人《ふたり》の|後《あと》|追《お》うて、
『|逃《にげ》しはせじ、|思《おも》ひ|知《し》れや』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら|握《にぎ》り|拳《こぶし》を|固《かた》めつつ、さしも|嶮《けは》しき|坂道《さかみち》をトントントンと|地響《ぢひび》きさせ|阿修羅王《あしゆらわう》の|荒《あ》れし|如《ごと》く|進《すす》み|行《ゆ》くこそすさまじき。
ハムは|痛《いた》さを|忘《わす》れ、|一足《ひとあし》|々々《ひとあし》|拍子《ひやうし》をとり|乍《なが》ら|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『|時世時節《ときよじせつ》と|云《い》ひ|乍《なが》ら ガランダ|国《こく》の|刹帝利《せつていり》
|親《おや》|代々《だいだい》のハムの|俺《おれ》 |鬼熊別《おにくまわけ》の|部下《ぶか》となり
|時《とき》|待《ま》つ|尊《たふと》き|身《み》と|知《し》らず |卑《いや》しきレーブやタール|奴《め》が
|侮《あなど》りきつたる|其《その》|態度《たいど》 |小癪《こしやく》に|触《さは》る|俺《おれ》の|胸《むね》
|一度《いちど》は|懲《こ》らしめやらむずと |思《おも》ひは|胸《むね》に|満《み》ちぬれど
|吾《わが》|目的《もくてき》を|遂《と》ぐるまで |怒《おこ》つちや|損《そん》だと|辛抱《しんばう》して
|知《し》らぬ|顔《かほ》にて|過《す》ぎて|来《き》た |河鹿峠《かじかたうげ》の|山道《やまみち》で
テツキリ|会《あ》うた|母娘連《おやこづれ》 |此奴《こいつ》あテツキリ|蜈蚣姫《むかでひめ》
|小糸《こいと》の|姫《ひめ》と|知《し》つたれど さう|言《い》つたなら|彼奴《きやつ》め|等《ら》は
|腐《くさ》つた|肉《にく》を|犬《いぬ》の|子《こ》が |争《あらそ》ふ|如《ごと》くに|啀《いが》み|合《あ》ひ
|互《たがひ》に|手柄《てがら》の|取《と》りやりを おつ|始《ぱじ》めるに|違《ちが》ひない
|一《ひと》つも|取《と》らず|二《に》も|取《と》らず チヤツチヤ ムチヤクになるだろと
|思案《しあん》を|定《さだ》めて|空惚《そらとぼ》け |婆《ばばあ》と|娘《むすめ》であつたなら
ハルナの|都《みやこ》へ|連《つ》れ|帰《かへ》り |鬼熊別《おにくまわけ》の|御前《おんまへ》に
|奉《たてまつ》らうかとあやつりて |彼等《かれら》|四人《よにん》を|誑《たぶら》かし
|首尾《しゆび》よう|目的《もくてき》|達《たつ》しなば |途中《とちう》に|彼《かれ》を|追《お》ひ|散《ち》らし
|愈《いよいよ》|此処《ここ》で|名乗《なの》り|合《あ》ひ |忠臣《ちうしん》|義士《ぎし》となりすまし
|一人《ひとり》|甘《うま》い|事《こと》してやらうと |思《おも》うた|事《こと》も|水《みづ》の|泡《あわ》
ウントコ ドツコイ アイタタツタ
あんまり|吾《わが》|身《み》の|慾《よく》ばかり |企《たく》んだおかげで|罰当《ばちあた》り
|蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》や|小糸姫《こいとひめ》 |二人《ふたり》の|司《つかさ》に|谷底《たにそこ》へ
|不敵《ふてき》の|力《ちから》で|投《な》げ|込《こ》まれ くたばりきつた|果敢《はか》なさよ
|後悔《こうくわい》|胸《むね》に|迫《せま》り|来《き》て |涙《なみだ》に|暮《く》るる|折《をり》からに
|悪運《あくうん》|強《つよ》い|両人《りやうにん》が |虎口《ここう》を|逃《のが》れて|谷底《たにそこ》へ
|尋《たづ》ね|来《きた》りて|囁《ささや》くを |死《し》んだ|真似《まね》して|聞《き》き|居《を》れば
|口《くち》を|極《きは》めて|罵《ののし》りつ イール ヨセフは|助《たす》けても
ハムは|助《たす》けちや|堪《たま》らない |人事不省《じんじふせい》を|幸《さいは》ひに
|此《この》|谷川《たにがは》に|水葬《すゐさう》と |無礼《ぶれい》な|事《こと》を|吐《ぬ》かす|故《ゆゑ》
あまりの|事《こと》に|立腹《りつぷく》し |痛《いた》さを|忘《わす》れて|立《た》ち|上《あが》り
|拳《こぶし》を|固《かた》めて|睨《にら》まへば |卑怯《ひけふ》|未練《みれん》な|両人《りやうにん》は
|親《した》しき|友《とも》の|危難《きなん》をば |後《あと》に|見捨《みす》てて|逃《に》げて|行《ゆ》く
|後《あと》に|残《のこ》りしハム|公《こう》は |二人《ふたり》の|生命《いのち》を|助《たす》けむと
|人工《じんこう》|呼吸《こきふ》の|真最中《まつさいちう》 |三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》
|雷《らい》の|如《ごと》くに|聞《きこ》え|来《く》る |頭《あたま》は|痛《いた》み|胸《むね》|塞《ふさ》ぎ
|身《み》の|苦《くる》しさは|限《かぎ》りなく |二人《ふたり》の|奴《やつ》を|見殺《みごろ》しに
レーブ タールの|後《あと》|追《お》うて |祠《ほこら》の|前《まへ》に|来《き》て|見《み》れば
グタリと|弛《ゆる》んだ|心持《こころもち》 |再《ふたた》び|腰《こし》は|痛《いた》み|出《だ》し
|足《あし》は|痺《しび》れて|動《うご》けない |二人《ふたり》の|奴《やつ》が|床下《ゆかした》に
|忍《しの》び|居《ゐ》るとは|知《し》らずして |愚痴《ぐち》の|繰言《くりごと》|並《なら》べたて
|悔《くや》む|折《をり》しも|婆《ばば》の|声《こゑ》 |続《つづ》いて|娘《むすめ》の|声《こゑ》|聞《きこ》ゆ
|俺《おれ》は|鬼婆《おにばば》|鬼娘《おにむすめ》 |喰《く》つてやらうとの|御挨拶《ごあいさつ》
|蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》や|小糸姫《こいとひめ》 |二人《ふたり》と|見《み》たのは|目《め》のひがみ
|人《ひと》をとり|喰《く》ふ|鬼母娘《おにおやこ》 しまつた|事《こと》になつたわい
|何程《なにほど》|強《つよ》いハムさまも |神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|魔力《まりよく》ある
|鬼《おに》に|向《むか》つちや|堪《たま》らない |何《なん》とか|云《い》つて|此《この》|場合《ばあひ》
|逃《のが》れにやならぬと|色々《いろいろ》の |言葉《ことば》を|構《かま》へて|宣《の》りつれば
|鬼婆《おにばば》|益々《ますます》|図《づ》に|乗《の》つて |無体《むたい》の|事《こと》を|喋《しやべ》り|出《だ》す
|俺《おれ》も|今《いま》こそ|身《み》を|落《おと》し |捕手《とりて》|目付《めつけ》となりつれど
|其《その》|源《みなもと》を|尋《たづ》ぬれば ガランダ|国《こく》の|刹帝利《せつていり》
|国人《くにびと》|達《たち》にハムさまと |尊敬《そんけい》せられた|身《み》の|上《うへ》ぢや
|心《こころ》|弱《よわ》くちや|堪《たま》らない |仮令《たとへ》|脛腰《すねこし》|立《た》たずとも
|卑怯《ひけふ》な|最後《さいご》を|遂《と》げむより |玉《たま》と|砕《くだ》けて|死《し》なうかと
|覚悟《かくご》を|極《きは》むる|時《とき》も|時《とき》 |俄《にはか》に|吹《ふ》き|来《く》る|山嵐《やまあらし》
|四辺《しへん》を|包《つつ》みし|雲霧《くもきり》も |茲《ここ》に|漸《やうや》く|晴《は》れ|渡《わた》り
よくよく|見《み》れば|此《こ》は|如何《いか》に レーブ タールの|両人《りやうにん》|奴《め》
|身体《からだ》の|不自由《ふじゆう》をつけ|込《こ》んで |刹帝利族《せつていりぞく》のハムさまを
|侮《あなど》りきつて|馬鹿《ばか》にして |居《ゐ》やがる|態度《たいど》の|面憎《つらにく》さ
|忽《たちま》ち|怒髪《どはつ》|天《てん》を|衝《つ》き |腰《こし》の|痛《いた》みも|打忘《うちわす》れ
|此処《ここ》まで|追《お》つかけ|来《きた》りしが |又《また》もや|腰《こし》が|痛《いた》み|出《だ》し
|足《あし》が|怪《あや》しくなつて|来《き》た あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|恵《めぐ》みを|蒙《かうむ》りて |何卒《なにとぞ》ハムが|足腰《あしこし》を
いと|速《すみや》かに|健《すこ》やかに |治《なほ》し|給《たま》はれ|惟神《かむながら》
お|願《ねがひ》|申《まを》し|奉《たてまつ》る アイタヽタツタ アイタツタ
もう|一歩《ひとあし》も|行《ゆ》かれない |天地《てんち》の|神《かみ》もバラモンの
|百《もも》の|神々《かみがみ》|一柱《ひとはしら》 |聞《き》いて|下《くだ》さる|神《かみ》なきか
|愚痴《ぐち》を|云《い》ふのぢやなけれども こんな|時《とき》こそ|神様《かみさま》に
|助《たす》けて|欲《ほ》しさに|朝夕《あさゆふ》に バラモン|教《けう》の|御為《おんため》に
|尽《つく》して|居《ゐ》るのぢや|厶《ござ》らぬか |思《おも》へば|思《おも》へば|残念《ざんねん》や
もう|一寸《いつすん》も|進《すす》めない |大方《おほかた》|俺《おれ》は|野《の》たれ|死《じに》
|不運《ふうん》な|者《もの》は|何処《どこ》までも |不運《ふうん》で|終《をは》はらにやならないか
|虎《とら》|狼《おほかみ》や|獅子《しし》|熊《くま》の |餌食《ゑじき》となつてしまふのか
ガランダ|国《こく》のハムの|身《み》も |斯《こ》うなり|行《ゆ》くとは|白雲《しらくも》の
|遠《とほ》き|異国《いこく》の|山《やま》の|道《みち》 |空《そら》|行《ゆ》く|雲《くも》も|心《こころ》あらば
|吾《わが》|消息《せうそく》をガランダの |妻《つま》の|御許《みもと》におとづれよ
|頼《たの》みの|綱《つな》もつきはてし |悲惨《ひさん》|至極《しごく》の|今日《けふ》の|身《み》は
|悪《あく》の|鑑《かがみ》と|天地《あめつち》の |神《かみ》の|心《こころ》に|出《い》でますか
|遠津御祖《とほつみおや》の|尽《つく》してし |百《もも》の|罪科《つみとが》|身《み》にうけて
|此処《ここ》で|死《し》なねばならないか |思《おも》へば|思《おも》へば|残念《ざんねん》ぢや
これほど|神《かみ》に|祈《いの》れども しるしなければ|是非《ぜひ》もない
|最早《もはや》|決心《けつしん》した|上《うへ》は |死《し》をも|恐《おそ》れぬ|吾《わが》|体《からだ》
|神《かみ》の|御手《おんて》に|任《まか》します |屍《かばね》は|野辺《のべ》に|曝《さら》すとも
|不老不死《ふらうふし》なる|霊魂《れいこん》は |高天原《たかあまはら》の|都率天《とそつてん》
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御前《おんまへ》に |救《すく》はせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》
バラモン|教《けう》の|大御神《おほみかみ》 |御前《みまへ》に|祈《いの》り|奉《たてまつ》る』
と|涙《なみだ》の|声《こゑ》を|絞《しぼ》り|山道《やまみち》にドツと|倒《たふ》れ、|観念《かんねん》の|目《め》を|瞬《しばたた》いて|知死期《ちしご》を|待《ま》つ|事《こと》となつた。
|此《この》|時《とき》|何処《いづこ》ともなく|微妙《びめう》の|音楽《おんがく》|聞《きこ》え|来《きた》り、|翩翻《へんぽん》として|白蓮華《しろれんげ》の|花片《はなびら》、|天《てん》より|降《くだ》り|来《きた》ると|見《み》る|間《ま》に、ハムの|体《からだ》は|俄《にはか》に|清涼水《せいりやうすゐ》を|嚥下《えんか》したるが|如《ごと》き|気分《きぶん》に|漂《ただよ》ひ|瞬《またた》く|間《うち》にもとの|健全体《けんぜんたい》となり|変《かは》つた。ハムは|喜《よろこ》びのあまり、|天地《てんち》に|感謝《かんしや》し、|今《いま》までの|言心行《げんしんかう》の|一致《いつち》せざりし|罪《つみ》を|謝《しや》し、|悠々《いういう》として|坂道《さかみち》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・一〇・二七 旧九・八 北村隆光録)
第一〇章 |八《はち》の|字《じ》〔一〇七五〕
レーブ、タールは、|河鹿峠《かじかたうげ》の|谷底《たにそこ》に|投《な》げ|込《こ》まれたるイール、ヨセフの|両人《りやうにん》を|人工《じんこう》|呼吸《こきふ》を|以《もつ》て|助《たす》けむと|丹精《たんせい》を|凝《こ》らす|折《をり》しも、|人事不省《じんじふせい》に|陥《おちい》りしと|思《おも》ひ|居《ゐ》たるハムは|俄《にはか》に|立《た》ち|上《あが》り、|怒《いか》りの|声《こゑ》を|放《はな》ちて|二人《ふたり》を|懲《こら》さむとせしより、『こりや|堪《た》まらぬ』と|行歩《かうほ》|艱難《かんなん》の|谷間《たにま》を|猿《ましら》の|如《ごと》く|伝《つた》ひて、|漸《やうや》く|道傍《みちばた》の|古《ふる》き|祠《ほこら》の|下《した》に|身《み》を|潜《ひそ》め|息《いき》を|休《やす》めて|居《ゐ》た。そこへハムがやつて|来《き》て|脛腰《すねこし》たたぬ|様《やう》になり、|喞《かこ》ち|嘆《なげ》くを|聞《き》いて|俄《には》かに|元気《げんき》づき、|弱身《よわみ》につけ|込《こ》む|風《かぜ》の|神《かみ》ならねども、|鬼婆《おにばば》|鬼娘《おにむすめ》の|声色《こわいろ》を|使《つか》つて、ハムを|恐喝《きようかつ》しつつ|得意《とくい》がつて|居《ゐ》る。|折《をり》しもあれやサツト|吹《ふ》き|来《く》る|山颪《やまおろし》に|四辺《あたり》を|包《つつ》みし|濃霧《のうむ》は|拭《ぬぐ》ふが|如《ごと》く|晴《は》れ|渡《わた》り、|互《たがひ》に|見合《みあは》す|顔《かほ》と|顔《かほ》、ハムは|益々《ますます》|怒《いか》り、|身《み》の|苦痛《くつう》を|打忘《うちわす》れて|立《た》ち|上《あが》り、
『|無礼者《ぶれいもの》、|懲《こら》して|呉《く》れむ、|思《おも》ひ|知《し》れや』
と|韋駄天《ゐだてん》|走《ばし》りに|追駆《おつか》け|来《きた》る|凄《すさま》じさ。|二人《ふたり》は|心《こころ》も|心《こころ》ならず|一目散《いちもくさん》に|木《こ》の|葉《は》|散敷《ちりし》く|山道《やまみち》を|地響《ぢひび》きさせて、トントントンと|下《くだ》り|行《ゆ》く。
レーブは|途々《みちみち》|足拍子《あしびやうし》をとり|乍《なが》ら|唄《うた》ひ|始《はじ》めた。
『バラモン|国《こく》に|名《な》も|高《たか》き ハルナの|都《みやこ》に|現《あら》はれし
|大黒主《おほくろぬし》に|仕《つか》へたる |鬼熊別《おにくまわけ》の|部下《ぶか》となり
|蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》や|小糸姫《こいとひめ》 |君《きみ》の|御言《みこと》を|蒙《かうむ》りて
|所在《ありか》を|探《たづ》ぬる|折柄《をりから》に |斎苑《いそ》の|館《やかた》に|程《ほど》|近《ちか》き
|河鹿峠《かじかたうげ》に|来《き》て|見《み》れば |山《やま》の|小路《こみち》を|伝《つた》ひ|来《く》る
|母娘《おやこ》|二人《ふたり》の|巡礼姿《じゆんれいすがた》 ハムの|司《つかさ》は|躍《をど》り|立《た》ち
|今《いま》や|吾々《われわれ》|五人連《ごにんづ》れ |手柄《てがら》|現《あら》はす|時《とき》|来《き》ぬと
|手《て》に|唾《つばき》して|待《ま》ち|居《ゐ》たり かくとは|知《し》らぬ|母娘連《おやこづ》れ
|草鞋脚絆《わらぢきやはん》に|身《み》を|固《かた》め |扮装《みなり》も|軽《かる》き|蓑笠《みのかさ》の
|金剛杖《こんがうづゑ》にて|地《ち》を|叩《たた》き |降《くだ》り|来《きた》れる|面白《おもしろ》さ
|母娘《おやこ》|二人《ふたり》の|巡礼《じゆんれい》は |谷間《たにま》の|景色《けしき》を|打眺《うちなが》め
|千黄万紅《せんくわうばんこう》|輝《かがや》きし |錦《にしき》の|山《やま》を|打眺《うちなが》め
|感賞《かんしやう》したる|隙《すき》を|見《み》て ハムの|目配《めくば》せ|諸共《もろとも》に
|木《こ》の|葉《は》の|茂《しげ》みをかき|分《わ》けて |大手《おほて》を|拡《ひろ》げ|衝《つ》つ|立《た》てば
|母娘《おやこ》の|巡礼《じゆんれい》は|腹《はら》を|立《た》て |武者振《むしやぶ》りついた|荒男《あらをとこ》
|物《もの》をも|云《い》はず|鷲掴《わしづか》み |千尋《ちひろ》の|谷間《たにま》に|投《な》げ|棄《す》てぬ
ヨセフ イールやハム|三人《みたり》 |果敢《はか》なき|姿《すがた》を|見《み》るにつけ
|張《は》りきり|居《ゐ》たる|勇気《ゆうき》まで |何時《いつ》の|間《ま》にやら|消滅《せうめつ》し
|臆病風《おくびやうかぜ》に|煽《あふ》られて |命《いのち》あつての|物種《ものだね》と
|後《あと》をも|見《み》ずに|逃《に》げて|行《ゆ》く |足《あし》を|早《はや》めて|七八丁《しちはつちやう》
|下手《しもて》の|方《かた》に|現《あら》はれて |激潭飛沫《げきたんひまつ》の|谷川《たにかは》に
|藤蔓《ふぢづる》|伝《つた》ひ|下《くだ》り|立《た》ち |又《また》もや|川《かは》を|遡《さかのぼ》り
|至《いた》りて|見《み》れば|此《こ》は|如何《いか》に |三人《みたり》は|此処《ここ》に|舞埃《まひごみ》の
|中《なか》に|棄《す》てられ|身《み》も|魂《たま》も |半死半生《はんしはんしやう》の|其《そ》の|刹那《せつな》
|救《すく》ひやらむと|両人《りやうにん》が |谷《たに》の|清水《しみづ》を|手《て》に|掬《すく》ひ
イール ヨセフに|呑《の》ませつつ |人工《じんこう》|呼吸《こきふ》の|介抱《かいほう》に
|暫《しば》し|時《とき》をば|移《うつ》しける |死《し》んだと|思《おも》うたハムの|奴《やつ》
|悪運《あくうん》|強《つよ》く|生《いき》かへり |二人《ふたり》を|目蒐《めが》けて|追《お》ひ|来《きた》る
こりや|堪《たま》らぬと|両人《りやうにん》は |虎口《ここう》を|逃《のが》れし|心地《ここち》して
|命《いのち》からがら|逃《に》げて|行《ゆ》く 「ウントコ ドツコイ アイタツタ」
タールよ|気《き》をつけ|石《いし》がある |此処《ここ》は|大蛇《をろち》の|棲処《すみか》ぞや
|漸《やうや》う|谷川《たにかは》|下《くだ》り|来《き》て |道《みち》の|傍《かたへ》の|古祠《ふるほこら》
|床下《ゆかした》|深《ふか》く|忍《しの》び|込《こ》み |慄《ふる》ひ|居《ゐ》たりし|折柄《をりから》に
|又《また》もやハムがやつて|来《き》て |拳固《げんこ》をかためて|追《お》ひ|来《きた》る
|其《その》|勢《いきほ》ひに|辟易《へきえき》し |二度《にど》|吃驚《びつくり》の|吾々《われわれ》は
|躰《からだ》も|宙《ちう》に|飛《と》ぶ|如《ごと》く |此《この》|坂《さか》|降《くだ》る|恐《おそ》ろしさ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》ける |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》 |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|宣《の》り|直《なほ》しつつ|両人《りやうにん》が |身《み》の|過《あやま》ちを|許《ゆる》せかし
|吾等《われら》の|頭《かしら》と|仰《あふ》ぎたる ハムに|決死《けつし》の|勇《ゆう》あるも
|神《かみ》の|力《ちから》を|現《あら》はして |言向和《ことむけやは》せ|吾々《われわれ》が
|身《み》の|災《わざはひ》を|払《はら》ひませ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ』
と|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|細《ほそ》き|谷道《たにみち》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。
タールは|又《また》|歌《うた》ひ|出《だ》す。
『ガランダ|国《こく》から|現《あら》はれた ガラクタ|男《をとこ》のハム|公《こう》が
チヨン|猪口才《ちよこざい》な|吾々《われわれ》を |追《お》ひ|駆《か》けまはすは|何《なん》の|事《こと》
|抜山蓋世《ばつざんがいせ》の|勇《ゆう》あるも バラモン|教《けう》にて|鍛《きた》へたる
|吾《わが》|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》に |木《こ》の|葉《は》の|風《かぜ》に|散《ち》る|如《ごと》く
|吹《ふ》き|散《ち》らさむかと|思《おも》へども やつぱり|俺《おれ》は|弱《よわ》い|奴《やつ》
『コラ』と|一声《ひとこゑ》|云《い》つたきり |頭《あたま》の|頂《てん》から|足《あし》の|尖《さき》
|強《つよ》き|電気《でんき》に|打《う》たれし|如《ごと》く ビリビリビリと|震《ふる》ひ|出《だ》す
|不思議《ふしぎ》な|力《ちから》を|持《も》つた|奴《やつ》 |強《つよ》い|奴《やつ》にはドツと|逃《に》げ
|弱《よわ》い|奴《やつ》には|攻《せ》めて|行《ゆ》く |之《これ》が|孫呉《そんご》の|兵法《へいはふ》だ
|抑《そもそも》|軍《いくさ》の|掛引《かけひき》は |三十六計《さんじふろくけい》ありと|云《い》へ
|命《いのち》を|大事《だいじ》に|逃《に》げ|出《だ》すが |一番《いちばん》|利巧《りかう》なやり|方《かた》だ
|何程《なにほど》|神《かみ》の|道《みち》ぢやとて |命《いのち》をとられちや|堪《たま》らない
「ウントコ ドツコイ ドツコイシヨ」
レーブの|足《あし》は|遅《おそ》いぞよ |愚図々々《ぐづぐづ》してると|追着《おひつ》いて
ハムの|奴《やつ》めが|後《うしろ》から |俺《おれ》の|頭《あたま》をポカポカと
|鬼《おに》の|蕨《わらび》をふりあげて |打《くらは》すが|最後《さいご》「ウントコシヨ」
ウンと|一声《ひとこゑ》|果敢《はか》なくも |此《この》|世《よ》の|別《わか》れ|死出《しで》の|旅《たび》
こんなつまらぬ|事《こと》はない こりやこりやもつと|早《はや》う|走《はし》れ
|俺《おれ》から|先《さき》へ|走《はし》らうか お|前《まへ》の|様《やう》な|足遅《あしべた》が
|先《さき》へ|行《ゆ》くのは|物騒《ぶつそう》な せめて|俺《おれ》だけ|一人《ひとり》なと
|命《いのち》を|保《たも》たにやなるまいぞ 「ウントコ、ドツコイ|辛気《しんき》やな」
|耄禄爺《まうろくおやぢ》の|道連《みちづ》れは ほんに|心《こころ》が|揉《も》めるわい
それそれ|近寄《ちかよ》る|足音《あしおと》が ドンドンドンと|聞《きこ》えてる
「ウントコ ドツコイ こら|違《ちが》うた」 |谷間《たにま》を|流《なが》るる|水《みづ》の|音《おと》
さはさり|乍《なが》ら|吾々《われわれ》は |愚図々々《ぐづぐづ》しては|居《を》られない
|一方《いつぱう》は|谷川《たにかは》|一方《いつぱう》は |嶮《けは》しき|山《やま》に|囲《かこ》まれし
|喉首《のどくび》|見《み》た|様《やう》な|一筋道《ひとすぢみち》 |木《こ》の|葉《は》の|茂《しげ》みがあるならば
|一寸《ちよつと》|潜《ひそ》んで|見《み》たいけれど |生憎《あいにく》|此処《ここ》は|禿山《はげやま》だ
|此奴《こいつ》ア|堪《たま》らぬ どうしようぞ |地獄《ぢごく》の|旅《たび》をする|様《やう》な
|怪態《けたい》な|心《こころ》になつて|来《く》る 「アイタヽタツタ アイタツタ」
レーブ|一寸《ちよつと》|待《ま》て|俺《おれ》や|倒《こ》けた |擦《す》り|剥《む》けよつた|膝頭《ひざがしら》
タラタラ|流《なが》れる|赤《あか》い|血《ち》が こんな|処《ところ》へ|追《お》ひついて
|頭《あたま》をポカポカやられたら おたまりこぼしは|無《な》い|程《ほど》に
こらこらレーブ|一寸《ちよつと》|待《ま》て |友達《ともだち》|甲斐《がひ》のない|男《をとこ》
|友《とも》の|難儀《なんぎ》をふり|棄《す》てて |後白雲《あとしらくも》と|走《はし》り|行《ゆ》く
お|前《まへ》の|薄情《はくじやう》な|其《その》|仕打《しうち》 アーアー|痛《いた》い|足《あし》|疼《うづ》く
こんな|事《こと》だと|知《し》つたなら |早《はや》く|逃《に》げたらよかつたに
|二人《ふたり》の|奴《やつ》が|助《たす》けたさ |恐《おそ》ろし|谷間《たにま》に|下《お》り|立《た》つて
|虻蜂《あぶはち》とらずの|惨《むご》い|目《め》に |遭《あ》うたるタールの|苦《くる》しさよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さちは》ひましまして
レーブの|足《あし》を|留《とど》めるか ハムの|脛腰《すねこし》|抜《ぬ》かすなと
|二《ふた》つに|一《ひと》つの|御願《おんねが》ひ |何卒《どうぞ》|許《ゆる》して|下《くだ》さんせ
|勝手《かつて》の|事《こと》とは|知《し》り|乍《なが》ら |九死一生《きうしいつしやう》の|此《この》|場合《ばあひ》
|無理《むり》かは|知《し》らねど|願《ねが》ひます アーアー|怖《こは》い|恐《おそ》ろしい
こんな|処《ところ》に|倒《たふ》れたら |仮令《たとへ》ハム|奴《め》が|来《こ》なくても
|虎《とら》|狼《おほかみ》が|現《あら》はれて |生命《いのち》をとつて|喰《く》うだらう
|思《おも》へば|悲《かな》しき|今《いま》の|身《み》の |詮術《せんすべ》もなき|有様《ありさま》よ
|絶望《ぜつばう》の|淵《ふち》に|沈《しづ》みたる タールの|心《こころ》を|憐《あは》れみて
バラモン|教《けう》の|神様《かみさま》よ |何卒《どうぞ》お|助《たす》け|下《くだ》さんせ
|命《いのち》からがら|願《ねが》ひます あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ』
と|道傍《みちばた》に|倒《たふ》れ|膝頭《ひざがしら》の|関節《くわんせつ》を|挫《くじ》き、|泣《な》き|声《ごゑ》となつて|呻《ぞめ》いてゐる。|其処《そこ》へ|息《いき》せききつてやつて|来《き》たのはハムであつた。レーブは|如何《いかが》なりしと|頭《かしら》を|上《あ》げて|眺《なが》むれば、|彼《かれ》は|遠《とほ》くも|逃《に》げ|去《さ》つて|三歳《さんさい》の|童子《どうじ》の|如《ごと》く|其《その》|姿《すがた》の|小《ちひ》さく|見《み》ゆる|処《ところ》まで|禿山道《はげやまみち》を|走《はし》つて|居《ゐ》る。ハムの|足音《あしおと》はドンドンと|刻々《こくこく》に|近寄《ちかよ》り|来《きた》る。
ハムは|一生懸命《いつしやうけんめい》|坂道《さかみち》を|降《くだ》り|来《きた》る。|勢《いきほひ》づいた|降《くだ》り|道《みち》、|俄《にはか》に|身《み》の|留《とど》めやうもなく|細谷道《ほそたにみち》に|倒《たふ》れたるタールの|躰《からだ》をグサグサと|踏越《ふみこ》え、|頭《かしら》に|躓《つまづ》き、|勢《いきほひ》あまつて|二三間《にさんげん》ばかり|坂道《さかみち》の|下《した》に、|投《な》げつけられた|様《やう》に|打《ぶ》つ|倒《たふ》れ、これ|又《また》|膝頭《ひざがしら》を|擦《す》り|剥《む》き『アイタヽタツタ』と|云《い》ひながら|顔《かほ》を|顰《しか》め|膝頭《ひざがしら》を|撫《な》でて|居《ゐ》る。|怒《いか》りに|乗《じやう》じて|忘《わす》れて|居《ゐ》た|腰《こし》の|痛《いた》みが|又《また》もや|烈《はげ》しくなつて|来《き》た。|二人《ふたり》は|坂道《さかみち》に|八《はち》の|字形《じがた》に|打倒《うちたふ》れ、『アイタツタ、ウンウン』の|言霊戦《ことたません》を|惟神的《かむながらてき》に|開始《かいし》してゐる。|岩《いは》も|飛《と》べよとばかり|俄《にはか》に|吹《ふ》き|来《く》る|暴風《ばうふう》に|着物《きもの》の|裾《すそ》を|捲《まく》られ、ハム、タールの|両人《りやうにん》は|揃《そろ》ひも|揃《そろ》うて|太《ふと》い|黒《くろ》い|臀部《でんぶ》を|風《かぜ》に|丸曝《まるざらし》にしてゐる。|無心《むしん》の|風《かぜ》は|容赦《ようしや》なく|吹《ふ》き|荒《すさ》み、|両人《りやうにん》の|呻声《うめきごゑ》と|相和《あいわ》してウーン ウーンと|呻《うな》り|立《た》てて|居《ゐ》る。|風《かぜ》のまにまに|聞《きこ》え|来《く》る|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》にタール、ハムは|耳《みみ》をすませ、『こりや|堪《たま》らぬ』と|両手《りやうて》を|合《あは》せ|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祈《いの》つて|居《ゐ》る。
(大正一一・一〇・二七 旧九・八 北村隆光録)
第一一章 |鼻摘《はなつまみ》〔一〇七六〕
バラモン|国《こく》の|天地《あめつち》を |塞《ふさ》ぎて|暗《くら》き|妖雲《えううん》を
|吹《ふ》き|払《はら》ひつつ|三五《あななひ》の |神《かみ》の|教《をしへ》を|敷《しき》ひろめ
|心《こころ》も|暗《くら》き|大黒主《おほくろぬし》を |言向和《ことむけやは》し|日月《じつげつ》の
|光《ひかり》をてらす|月《つき》の|国《くに》 |照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|照国梅《てるくにうめ》の|三人《さんにん》を |従《したが》へ|坂路《さかみち》|下《くだ》り|来《く》る
|国公《くにこう》は|路々《みちみち》|宣伝歌《せんでんか》 |歌《うた》ひ|乍《なが》らに|進《すす》むなり。
○
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|河鹿峠《かじかたうげ》は|其《その》|昔《むかし》 |言依別《ことよりわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|栗毛《くりげ》の|馬《うま》に|打乗《うちの》りて |渡《わた》らせ|玉《たま》ふ|時《とき》もあれ
レコード|破《やぶ》りの|烈風《れつぷう》に |吹《ふ》きまくられて|谷底《たにそこ》に
|陥《おちい》り|玉《たま》ひ|天国《てんごく》を |探検《たんけん》したる|旧蹟地《きうせきち》
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|御霊《みたま》の|幸《さち》はひて
|今《いま》|吹来《ふききた》る|烈風《れつぷう》を |止《とど》めて|吾等《われら》の|一行《いつかう》を
|月《つき》の|都《みやこ》へ|易々《やすやす》と |進《すす》ませ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|使《つかひ》の|宣伝使《せんでんし》 |御供《みとも》に|仕《つか》ふる|国公《くにこう》が
|真心《まごころ》こめて|願《ね》ぎまつる |秋《あき》も|漸《やうや》く|深《ふか》くして
|千黄万紅《せんくわうばんこう》|綾錦《あやにしき》 |機《はた》を|織《お》りなす|佐保姫《さほひめ》の
|姿《すがた》もいとど|美《うる》はしく |常世《とこよ》の|春《はる》の「ドツコイシヨ」
|秋《あき》の|紅葉《もみぢ》の|如《ごと》くなり |今《いま》|吹《ふ》く|風《かぜ》は|曲風《まがかぜ》か
|但《ただし》は|尊《たふと》き|神風《かみかぜ》か |誠《まこと》に|危《あぶ》ない|風《かぜ》の|玉《たま》
ドンと|計《ばか》りにつき|当《あた》り もろくも|空中滑走《くうちうくわつそう》して
|此《この》|谷底《たにそこ》に|陥《おちい》らば |天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|旅立《たびだち》が
|出来《でき》るに|定《きま》つてあるならば チツとも|恐《おそ》れはせぬけれど
|吾等《われら》の|如《ごと》き|罪《つみ》|重《おも》き |身魂《みたま》が|如何《どう》して「ウントコシヨ
ドツコイ ドツコイ ドツコイシヨ」 ホンに|危《あぶな》い|坂路《さかみち》ぢや
|根底《ねそこ》の|国《くに》に|転落《てんらく》し |八寒《はちかん》|地獄《ぢごく》に|陥《おちい》りて
|万劫末代《まんごふまつだい》|苦《くるし》みの |門《もん》を|開《ひら》くは|知《し》れた|事《こと》
|暫《しば》し|此《この》|世《よ》に|永《なが》らへて |神《かみ》に|対《たい》して|功績《いさをし》を
|少《すこ》しは|立《た》てし|後《のち》ならば |決《けつ》して|悔《く》ゆる|事《こと》はない
さはさり|乍《なが》ら|今《いま》の|内《うち》 さやうな|事《こと》があつたなら
どうして|神《かみ》の|御前《おんまへ》に |進《すす》み|行《ゆ》く|事《こと》|出来《でき》やうか
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |此《この》|風《かぜ》とめて|下《くだ》さんせ
|私《わたし》は|危《あぶな》うてたまらない |先《さき》に|進《すす》みし|黄金姫《わうごんひめ》
|清照姫《きよてるひめ》は|今頃《いまごろ》は |何地《いづち》を|進《すす》み|玉《たま》ふやら
|定《さだ》めて|母娘《おやこ》お|二人《ふたり》は |此《この》|難風《なんぷう》になやまされ
|尻《しり》をまくられスタスタと |赤《あか》い|顔《かほ》して|居《ゐ》るだらう
|今《いま》|見《み》るやうに|思《おも》はれて そいつが|第一《だいいち》|気《き》にかかる
|黄金姫《わうごんひめ》は|兎《と》も|角《かく》も |清照姫《きよてるひめ》のあの|姿《すがた》
|案《あん》じすごさでおかれようか ホンに|毒性《どくしやう》な|風《かぜ》ぢやなア
「ウントコドツコイ|梅公《うめこう》よ」 「ヤツトコドツコイ|照《てる》さまよ」
|互《たがひ》に|気《き》をつけ|足元《あしもと》に |風《かぜ》ばつかりぢやない|程《ほど》に
これ|程《ほど》キツイ|坂路《さかみち》に |尖《とが》つた|石《いし》がムクムクと
|頭《あたま》を|抬《もた》げてゐよるぞよ |虎《とら》|狼《おほかみ》や|獅子《しし》|熊《くま》も
|此《この》|烈風《れつぷう》にあふられて |谷間《たにま》を|這《は》ひ|出《い》で|行《ゆ》く|路《みち》に
|必《かなら》ずしやがむで|居《ゐ》るだらう ウツカリ|相手《あひて》に「ドツコイシヨ」
なつてはならぬぞ|照《てる》|梅《うめ》よ モーシモーシ|宣伝使《せんでんし》
あなたも|元《もと》は|梅彦《うめひこ》と |世《よ》に|謳《うた》はれし|神司《かむづかさ》
|四方《しはう》|八方《はつぱう》の|国々《くにぐに》を おまはりなさつたお|方《かた》なら
|烈風《れつぷう》|豪雨《がうう》に|遭遇《さうぐう》した |其《その》|経験《けいけん》はありませう
|何卒《なにとぞ》|話《はな》して|下《くだ》さんせ |月《つき》の|国《くに》にて|臍《へそ》の|緒《を》を
|切《き》つて|此《この》|方《かた》こんな|目《め》に |会《あ》うたる|例《ため》しは|荒男《あらをとこ》
|強《つよ》そに|言《い》つても|腹《はら》の|中《うち》 |胸《むね》はドキドキ|早鐘《はやがね》を
つくよな|思《おも》ひになりました これこれモーシ|宣伝使《せんでんし》
これ|程《ほど》|私《わたし》が|頼《たの》むのに |沈黙《ちんもく》するとは|胴慾《どうよく》な
|何《なに》ほど|沈黙《ちんもく》したとても |此《この》|烈風《れつぷう》は|易々《やすやす》と
|容易《ようい》に|沈黙《ちんもく》|致《いた》すまい 「ウントコドツコイ アイタヽヽ」
エーエー|怪体《けたい》の|悪《わる》い|事《こと》ぢや どうやら|足許《あしもと》「ドツコイシヨ」
|危《あやふ》うなつて|来《き》たわいな |路《みち》の|片方《かたへ》の|古祠《ふるほこら》
|此《この》|烈風《れつぷう》に|煽《あふ》られて バラバラ バラバラ メチヤメチヤに
|姿《すがた》もとめず|散《ち》り|失《う》せぬ |神《かみ》を|祀《まつ》つた|祠《ほこら》さへ
これ|程《ほど》ムゴク|散《ち》るものを |梵天王《ぼんてんわう》の|鎮《しづ》まれる
|国公《くにこう》さまの|肉《にく》の|宮《みや》 これが|散《ち》らずに|居《を》りませうか
ホンに|思《おも》へば|気《き》にかかる 「ウントコ ドツコイ ドツコイシヨ」
アレアレ|向《むか》うに|人《ひと》の|影《かげ》 |此奴《こいつ》も|風《かぜ》にあふられて
|斃《くたば》りよつてかメソメソと |泣《な》いたか|泣《な》かぬかおれや|知《し》らぬ
|八《はち》の|字形《じがた》にふんのびて |黒《くろ》いお|尻《しり》をむき|出《いだ》し
ウンウン|呻《うめ》いてゐるやうだ |彼処《あこ》は|何《なん》でも|風玉《かぜたま》の
|当《あた》る|難所《なんしよ》に|違《ちがひ》ない |照国別《てるくにわけ》の|神司《かむづかさ》
|一寸《ちよつと》|一服《いつぷく》しませうか |鉢植《はちうゑ》みたよな|木《き》ぢやけれど
ヤツパリ|此奴《こいつ》にや|根《ね》が|厶《ござ》る |此《この》|根《ね》をシツカリ|捉《つか》まへて
|四人《よにん》が|互《たがひ》に|手《て》をつなぎ |科戸《しなど》の|風《かぜ》の|災《わざはひ》を
しばしのがれて|休《やす》まうか あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして |照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|何卒《なにとぞ》|一言《ひとこと》|国公《くにこう》に |休《やす》んで|行《ゆ》けよと「ドツコイシヨ」
|言霊《ことたま》|宣《の》らして|下《くだ》さんせ |唖《おし》の|旅行《りよかう》ぢやあるまいし
|沈黙《ちんもく》するにも|程《ほど》がある |照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》
レコード|破《やぶ》りの|烈風《れつぷう》に |肝《きも》をつぶして|胸《むね》をつめ
|俄《にはか》に|唖《おし》となつたのか 「ウントコ ドツコイ ドツコイシヨ」
|如何《どう》しても|斯《こ》しても|吾《わが》|足《あし》は |膝《ひざ》がキヨクキヨク|笑《わら》ひ|出《だ》し
|腰《こし》まで|怪《あや》しくなつて|来《き》て |最早《もはや》|一歩《いつぽ》も|進《すす》めない
「アイタヽタツタ アイタヽヽ」 |蜈蚣《むかで》が|足《あし》をかんだよな
キツイ|痛《いた》みにふりかへり |眺《なが》むる|途端《とたん》に|尖《とが》り|石《いし》
あつかましくも|足《あし》の|血《ち》を |甘《うま》そな|顔《かほ》して|吸《す》うてゐる
「ウントコ ドツコイ ドツコイシヨ」 |同《おな》じ|旅路《たびぢ》をするならば
モウこれからは|山路《やまみち》を よけて|平《たひら》らな|大野原《おほのはら》
|草《くさ》ふみ|分《わ》けて|進《すす》む|方《はう》が |何程《なにほど》|楽《らく》か|分《わか》らない
|急《いそ》がばまはれと|言《い》ふ|事《こと》を |子供《こども》の|時《とき》から|聞《き》いてゐた
|照国別《てるくにわけ》も|気《き》が|利《き》かぬ コレコレもうし|宣伝使《せんでんし》
|何《なに》が|不足《ふそく》でそんな|顔《かほ》 コレ|程《ほど》|私《わたし》が|頼《たの》むのに
|聞《き》かぬふりしてスタスタと |坂路《さかみち》|行《ゆ》くとは|曲《きよく》がない
こんな|無慈悲《むじひ》な|神司《かむづかさ》 |照国別《てるくにわけ》に|導《みちび》かれ
はるばる|月《つき》の|御国《みくに》まで どうしてお|供《とも》が|出来《でき》やうか
|私《わたくし》は|前途《ぜんと》が|案《あん》じられ |悲《かな》しう|苦《くる》しうなつて|来《き》た
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|歌《うた》ひ、|烈風《れつぷう》に|煽《あふ》られつつ|下《くだ》り|行《ゆ》く。
さしもに|烈《はげ》しかりし|山颪《やまおろし》はピタリとやんで、|木々《きぎ》の|騒《さや》ぎもおとなしく|鎮《しづ》まり|返《かへ》つた|天地《てんち》の|光景《くわうけい》、|空《そら》は|紺青《こんじやう》に|彩《いろど》られ、|地《ち》は|一面《いちめん》の|錦《にしき》の|野辺《のべ》、|天《あま》つ|日《ひ》の|神《かみ》は|山《やま》の|端《は》にうすづき|玉《たま》ひ、|黄昏《たそがれ》の|気《き》、|追々《おひおひ》に|迫《せま》り|来《く》る。どこともなしに|響《ひび》き|来《く》る|鐘《かね》の|声《こゑ》、|諸行無常《しよぎやうむじやう》と|告《つ》げわたる。|鳥《とり》は|塒《ねぐら》を|求《もと》めて|早《はや》くも|棲処《すみか》をさして|帰《かへ》るものの|如《ごと》く|羽使《はづか》ひ|忙《いそが》がしさうに|西山《せいざん》の|峰《みね》をさして、|十羽《じつぱ》|二十羽《にじつぱ》|三十羽《さんじつぱ》と|列《れつ》を|作《つく》つて|翔《かけ》り|行《ゆ》く。|照国別《てるくにわけ》は|初《はじ》めて|口《くち》を|開《ひら》き、
『アヽ|国公《くにこう》さま、お|前《まへ》もこれで|安心《あんしん》だらう。|風《かぜ》も|随分《ずゐぶん》|騒《さわ》いだが、お|前《まへ》も|中々《なかなか》|負《ま》けず|劣《おと》らず|騒《さわ》いだねい。|余程《よほど》|怖《こは》かつたと|見《み》える、|肝《きも》の|小《ちひ》さい|男《をとこ》だなア。|人《ひと》の|心《こころ》はすべて|言行《げんかう》に|現《あら》はれるものだ。モウ|少《すこ》し|沈着《ちんちやく》の|態度《たいど》をとらないと、|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》は|到底《たうてい》|駄目《だめ》だらうよ』
|国公《くにこう》『|滅相《めつさう》もない、|私《わたし》はあの|風《かぜ》が|自分等《じぶんら》の|前途《ぜんと》を|祝《しゆく》するかのやうで、|勇《いさ》ましき|気分《きぶん》が|漂《ただよ》ひ|愉快《ゆくわい》でたまらなかつたのです。|死《し》んだか|生《い》きたか|知《し》れぬやうな|閑寂《かんじやく》な|秋《あき》の|天地《てんち》を、|亡者然《まうじやぜん》とトボトボと|歩《ある》くのは|余《あま》り|男《をとこ》らしくありませぬ。|私《わたし》の|騒《さわ》いだのは|所謂《いはゆる》|沈着《ちんちやく》の|表徴《へうちよう》です。|静中動《せいちうどう》ありといふ|筆法《ひつぱふ》だから、それに|付《つ》いても|照公《てるこう》、|梅公《うめこう》の|御両人《ごりやうにん》|真青《まつさを》な|顔《かほ》をして、チウの|声《こゑ》|一《ひと》つヨウあげず、|本当《ほんたう》に|気《き》の|毒《どく》でたまらなかつたので、|二人《ふたり》の|恐怖心《きようふしん》を|代表《だいへう》して|一寸《ちよつと》あんな|洒落《しやれ》を|言《い》つてみたのです。|心《こころ》から|卑怯者《ひけふもの》と|思《おも》はれてはたまりませぬからなア。アツハヽヽヽ』
と|肩《かた》をゆすつて|豪傑《がうけつ》|笑《わら》ひをしてみせる。
|照国別《てるくにわけ》は、
『マア|何《なん》でもいい、|元気《げんき》でさへあれば|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|決《けつ》して|悲観《ひくわん》はせぬがよい。|随分《ずゐぶん》|国公《くにこう》さまを|初《はじ》め|二人《ふたり》は|恐怖心《きようふしん》にかられてゐましたなア』
|照公《てるこう》『ハイ|仰《あふ》せの|通《とほ》り|随分《ずゐぶん》|荒肝《あらぎも》をとられました』
|梅公《うめこう》『|私《わたし》も|一寸《ちよつと》【おつ】な|風《かぜ》が|吹《ふ》きやがるなア……と|思《おも》ひながら、|震《ふる》つてゐました。|併《しか》し|怖《こは》うて|震《ふる》ふのではありませぬ。|薄着《うすぎ》の|肌《はだ》に|吹《ふ》きつける|風《かぜ》が|寒《さむ》いので、|一寸《ちよつと》|景物《けいぶつ》に|震動《しんどう》してみたのです』
|国公《くにこう》『アハヽヽヽ|何《なん》と|負惜《まけをし》みの|強《つよ》い|奴《やつ》だなア。|名《な》が|梅公《うめこう》|丈《だけ》あつて、ウメイ|事《こと》を|吐《ほざ》きやがる。モシモシ|照国別《てるくにわけ》さま、あこに|二人《ふたり》、|梅《うめ》さまの|様《やう》な|豪傑《がうけつ》が|昼寝《ひるね》をしてゐるぢやありませぬか。|一《ひと》つ|起《おこ》してやりませうか』
|照国別《てるくにわけ》『あれはどうやら|怪我《けが》をしてゐるやうだ。オイ|国公《くにこう》さま、お|前《まへ》に|一任《いちにん》するから、|鎮魂《ちんこん》を|施《ほどこ》して|助《たす》けてやりなさい。これが|首途《かどで》の|功名《こうみやう》|手柄《てがら》だ。そして|照公《てるこう》、|梅公《うめこう》の|両人《りやうにん》は|吾《われ》に|従《つ》いて|早《はや》く|此《この》|山坂《やまさか》を|下《くだ》るのだ。|此《この》|谷口《たにぐち》に|一寸《ちよつと》した|岩屋《いはや》がある、そこで|今宵《こよひ》を|明《あ》かす|事《こと》にする。|国《くに》さま|早《はや》く|両人《りやうにん》を|助《たす》けて、あとから|来《き》て|下《くだ》さい、|吾々《われわれ》はお|先《さき》へ|失礼《しつれい》するから』
|国公《くにこう》『モシ、そりやチと|御了見《ごれうけん》が|違《ちがひ》はしませぬか、|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》が|道《みち》に|倒《たふ》れてゐる|旅人《たびびと》を|見《み》すてて、|冷淡《れいたん》|至極《しごく》にも|私《わたくし》|一人《ひとり》に|介抱《かいほう》させようとは|無慈悲《むじひ》にも|程《ほど》がある。ヘン|馬鹿《ばか》らしい、そんな|事《こと》で|宣伝使《せんでんし》がつとまりますかい。ナア|照公《てるこう》、|梅公《うめこう》、さうぢやないか』
|照公《てるこう》『ウンさうぢやない』
|梅公《うめこう》『|動中静《どうちうせい》ありといふお|前《まへ》の|役目《やくめ》だよ。それで|日出別《ひのでわけ》さまがお|前《まへ》もお|供《とも》をして、|道中《だうちう》【せい】(|動中静《どうちうせい》)と|仰有《おつしや》つたのだ。ナア|照公《てるこう》さま、|大分《だいぶん》に|日《ひ》も|暗《くら》くなつて|来《き》たし、グヅグヅしてゐるとそこら|中《ぢう》が|暗《くら》くなつて|来《き》ちや、|何程《なにほど》【くらく】(|苦楽《くらく》)|不二《ふじ》でもやり|切《き》れないワ。|何《なん》とマア|蛙《かへる》をブツけたやうによく|斃《くた》ばつてゐる|事《こと》わいのう』
|国公《くにこう》『モシ、|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|一層《いつそう》のこと|吾々《われわれ》|四人《よにん》が|鎮魂《ちんこん》を|彼等《かれら》に|与《あた》へて、|手早《てばや》くここを|切上《きりあ》げたら|如何《どう》でせう』
|照国別《てるくにわけ》『|宣伝使《せんでんし》の|言《げん》に|二言《にごん》はない。お|前《まへ》はあとに|残《のこ》つて|旅人《たびびと》の|介抱《かいほう》を|命《めい》ずる。サア|照《てる》、|梅《うめ》の|両人《りやうにん》|早《はや》く|行《ゆ》かう』
と|二人《ふたり》をつれて、ドシドシと|坂路《さかみち》を|下《くだ》りゆく。あとに|国公《くにこう》は|呆然《ばうぜん》|自失《じしつ》、|為《な》す|所《ところ》を|知《し》らず、だんだんそこらが|暗《くら》くなつて|来《く》る。|二人《ふたり》の|旅人《たびびと》は、|半死半生《はんしはんしやう》の|体《てい》で|苦《くる》しむ|声《こゑ》が、ウンウンと|聞《きこ》えて|来《き》た。
|国公《くにこう》はタールの|側《そば》に|立《たち》より、
『オイ|旅人《たびびと》、ウンウンと|何《なに》をきばつてゐるのだ。|赤《あか》ん|坊《ばう》か|何《なん》ぞのやうに|寝《ね》|乍《なが》らウンコをたれる|奴《やつ》がどこにあるか』
と|体《からだ》を|一寸《ちよつと》|撫《な》でて|見《み》て、
『|何《なん》とマア|長《なが》い|男《をとこ》だなア、ハハー|此奴《こいつ》あモウ|駄目《だめ》だ、|九死一生《きうしいつしやう》だ。こんな|男《をとこ》の|命《いのち》を|助《たす》けて、|娑婆《しやば》で|辛《つら》い|苦労《くらう》をさすよりも|一層《いつそう》の|事《こと》|一思《ひとおも》ひにやつつけてやつた|方《はう》が、|俺《おれ》も|手間《てま》がいらず、|当人《たうにん》もさぞ|満足《まんぞく》だらう。ウフヽヽヽ』
タール『モシモシ|旅《たび》のお|方《かた》、どうぞ|私《わたし》の|命《いのち》を|助《たす》けて|下《くだ》さい』
|国公《くにこう》『ヤアお|前《まへ》はヤツパリ|人間《にんげん》かなア』
タール『|殺生《せつしやう》な、|人間《にんげん》でなくて|何《なん》としませう』
|国公《くにこう》『おれや|又《また》|野狸《のだぬき》が|化《ば》けてゐやがるのかと|早合点《はやがつてん》したから、|殺《ころ》してやろと|言《い》つたのだ。|人間《にんげん》さまと|聞《き》くからは|助《たす》けにやおかれまい。(|芝居《しばゐ》|口調《くてう》)|最前《さいぜん》|照国別《てるくにわけ》|殿《どの》に|別《わか》れて|帰《かへ》る|暗《くら》まぎれ、|山越《やまこ》す|獅子《しし》に|出会《であ》ひ、|二《ふた》つ|玉《だま》にて|撃《うち》とめ、|近《ちか》より|見《み》れば、|狸《たぬき》にはあらで|旅《たび》の|人《ひと》、|薬《くすり》はないかと|懐中《くわいちゆう》を|探《さぐ》りみれば、|財布《さいふ》に|入《い》つたる|此《この》|金《かね》、|道《みち》ならぬ|事《こと》とは|思《おも》へども、|天《てん》の|与《あた》へと|押頂《おしいただ》き、|亡君《ばうくん》の|石塔料《せきたふれう》に|使《つか》つてくれむ。コリヤ|旅人《たびびと》の|幽霊《いうれい》、|金《かね》の|所在《ありか》をハツキリ|申《まを》さぬか』
タール『モシモシ|泥坊《どろばう》|様《さま》、お|金《かね》はここに|幾《いく》らでも|持《も》つて|居《を》ります。|命《いのち》|計《ばか》りはお|助《たす》け|下《くだ》さいませ。|此《この》|通《とほ》り|膝頭《ひざがしら》を|打《うち》くじき、|身動《みうご》きならぬ|弱味《よわみ》をつけ|込《こ》んで、|金《かね》も|命《いのち》も|取《と》らうとは、|余《あま》り|虫《むし》がよすぎます』
|国公《くにこう》『オイ|旅人《たびびと》、|泥坊《どろばう》ではないぞ。|世界《せかい》を|助《たす》けまはる|宣伝使《せんでんし》……ではない、|其《その》お|供《とも》だ。|言《い》はば|宣伝使《せんでんし》の|卵《たまご》だ。どうかして|助《たす》けてやりたいは|山々《やまやま》なれど、|生憎《あひにく》|此《この》|山《やま》は|禿山《はげやま》で|薬草《やくさう》はなし、|谷水《たにみづ》を|呑《の》ましてやりたいけれど、|谷《たに》は|深《ふか》く、かう|暗《やみ》の|帳《とばり》がおりては、|人《ひと》を|助《たす》ける|所《どころ》か、|自分《じぶん》の|命《いのち》が|危《あやふ》うなつて|来《き》た。どうぞ|私《わたし》を|助《たす》けると|思《おも》うて、そんな|無理《むり》をいはずに|早《はや》く|去《い》なしてくれ、|此《この》|通《とほ》り|手《て》を|合《あ》はして、|泥坊《どろばう》オツトドツコイ、こなさまが|拝《をが》みます』
タール『アハヽヽヽ|何《なん》とマア|面白《おもしろ》いお|方《かた》ですこと、|私《わたし》も|最前《さいぜん》の|烈風《れつぷう》に|肝《きも》を|潰《つぶ》した|一刹那《いつせつな》、|一寸《ちよつと》|膝頭《ひざがしら》から|血《ち》は|出《で》たけれど、|俄《にはか》に|病気《びやうき》が|治《なほ》り、こんな|坂路《さかみち》|位《くらゐ》は|屁《へ》でもないのだが、|寝《ね》た|序《ついで》に|日《ひ》の|暮《くれ》にも|近《ちか》いから、|此《この》|儘《まま》|夜明《よあ》かししようと|思《おも》うてゐたのだ。さうした|所《ところ》がお|前《まへ》さま|等《ら》の|一行《いつかう》が、|面白《おもしろ》|相《さう》に|歌《うた》を|歌《うた》つて|出《で》て|来《く》るので、|一寸《ちよつと》なぶつてやらうと、|半死半生人《はんしはんしやうにん》の|真似《まね》をしてゐた。|半鐘《はんしよう》|泥棒《どろばう》だよ。ウツフヽヽヽ』
|国公《くにこう》|頭《あたま》をかき|乍《なが》ら、
『エーいまいましい、|一杯《いつぱい》くはされたか、|今日《けふ》に|限《かぎ》つて|照国別《てるくにわけ》さまが、なぜあんな|無慈悲《むじひ》な|事《こと》を|吐《ぬ》かすのだろと、|聊《いささ》か|憤慨《ふんがい》してゐたが、|流石《さすが》|照国別《てるくにわけ》さまは|偉《えら》いワイ、ヤツパリおれの|先生《せんせい》だ。チヤツと|此奴《こいつ》の|狂言《きやうげん》を|見《み》ぬかれた|其《その》|天眼力《てんがんりき》は|天晴《あつぱれ》なものだ。イヤもう|感《かん》じ|入《い》りました』
タール『お|前《まへ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》のお|供《とも》をいたす|三人《さんにん》の|中《なか》でも|一番《いちばん》よりぬきの、【はね】|代物《しろもの》だなア』
|国公《くにこう》『コラ|失礼《しつれい》な|事《こと》をぬかすか。おれには|親《おや》があるぞよ』
タール『アハヽヽヽ|広《ひろ》い|世界《せかい》に|親《おや》のない|者《もの》があらうか、たわけた|事《こと》を|言《い》ふない』
|国公《くにこう》『ヘン、チとすまぬが、|俺《おれ》の|親《おや》はチツと|違《ちが》ふのだ。|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》といふ|親神《おやがみ》があるのだ。それだから|国公《くにこう》さまと|言《い》ふのだよ。オイ|貴様《きさま》の|名《な》は|何《なん》といふか』
タール『|俺《おれ》の|名《な》かい。|俺《おれ》はタールさまだ』
|国公《くにこう》『|失礼《しつれい》な|寝《ね》もつて|挨拶《あいさつ》をする|奴《やつ》があるかい、|何《なん》でも|酒《さけ》くらひのやうなスタイルだと|思《おも》うてゐたら、ヤツパリ|名詮自称《めいせんじしやう》タールとぬかす|代物《しろもの》か、それでは|親《おや》のないのも|尤《もつと》もだ。お|前《まへ》はバラモン|教《けう》のケレ|又《また》だらう。タールといふやうな|神《かみ》さまはどこにあるか。|大黒主《おほくろぬし》の|神《かみ》を|祖神《おやがみ》にもつならば、|黒《くろ》といふ|名《な》がつき|相《さう》なものだのに、タールなどとは、チツと|物《もの》ターランぢやないか、|足《あし》がタールなつて、|大方《おほかた》ここで|平太《へた》ばつてゐやがるのだらう』
タール『コリヤ|国《くに》とやら、そんな|劫託《ごふたく》をほざくと|罰《ばち》があタールぞよ』
|国公《くにこう》『エー|此《この》|位《くらゐ》ウソ|気味《きみ》|悪《わる》いのに|化物然《ばけものぜん》と|洒落《しやれ》やがるない、チツと|起《お》きたら|如何《どう》だい』
タール『ザワザワ|騒《さわ》いで|立《たち》くらすのも|一日《いちにち》なら、|安楽《あんらく》に|寝《ね》てくらすのも|一日《いちにち》だ。|俺《おれ》は|俺《おれ》の|主義《しゆぎ》がある。|道《みち》に|平《へ》タール|主義《しゆぎ》と|申《まを》すのだよ』
|国公《くにこう》『オイ|俺《おれ》もそこで|一寸《ちよつと》|添寝《そへね》をさしてくれないか。モウ|斯《か》うなつちや、|一寸《いつすん》も|歩《ある》けないぢやないか』
タール『ヨーシ、|一緒《いつしよ》に|寝《ね》んねをさしてやろ……ネンネンねんこの|穴《けつ》に|蟹《かに》が|這《は》ひ|込《こ》んだ──いたかゆ かゆかゆ|取《と》つて|呉《く》れ──ヤツトの|事《こと》で|引《ひき》ずり|出《だ》したら、|又《また》|這《は》ひ|込《こ》んだ──いたかゆ かゆかゆとつて|呉《く》れ。……|坊《ばう》ヤのもりはどこへいた、|山《やま》をこえて|里《さと》へいた、|里《さと》の|土産《みやげ》に|何《なに》|貰《もら》うた、ハルナの|饅頭《まんぢう》に|笙《しやう》の|笛《ふえ》、ねんねんよう ねんねんよう、ねんねんコロリ ねんコロリ、|年中《ねんぢう》コロリとねて|居《を》れば、これ|程《ほど》|楽《らく》な|事《こと》はない』
|国公《くにこう》『コリヤ|洒落《しやれ》ない、おれや|赤《あか》ン|坊《ばう》ぢやないぞ』
タール『お|前《まへ》は|赤《あか》ン|坊《ばう》|所《どころ》かい、まだ|卵《たまご》ぢやないか、それだからコロリコロリと|歌《うた》つたのぢやい、|大人《おとな》なら|大人《おとな》らしうお|前《まへ》に|一《ひと》つ|註文《ちうもん》がある。|何《なん》と|聞《き》いてはくれまいかなア』
|国公《くにこう》『|斎苑《いそ》の|館《やかた》に|其《その》|人《ひと》ありと|聞《きこ》えたる|国治立命《くにはるたちのみこと》の|名《な》を|賜《たま》はつた|国公《くにこう》さまだ。|何事《なにごと》なりと|天地《てんち》の|間《あひだ》の|事《こと》ならば|叶《かな》へてつかはす。サア|遠慮《ゑんりよ》はいらぬ、ドシドシと|申上《まをしあ》げよ』
タール『ハヽヽヽヽ、|何《なに》をぬかしやがるのだ。けたいな|法螺吹《ほらふき》だなア』
|国公《くにこう》『|風《かぜ》でさへも|大変《たいへん》に|吹《ふ》いたぢやないか。ホラ|吹《ふ》くの|神様《かみさま》とはおれの|事《こと》だ。|何《なん》でも|叶《かな》ふ|事《こと》なら|聞《き》いてやろ。|併《しか》し|乍《なが》ら|今《いま》おれに|金《かね》を|一万両《いちまんりやう》くれと|云《い》つても、ソリヤ|一寸《ちよつと》|聞《き》く|事《こと》は|出来《でき》ぬ。|女房《にようばう》の|代《かは》りになれといつても、それも|叶《かな》はぬ。|其《その》|外《ほか》の|事《こと》ならば、|一切《いつさい》|万事《ばんじ》|叶《かな》へてつかはす|程《ほど》に、|其《その》|代《かは》りに|一生《いつしやう》|火物断《ひものだ》ちを|致《いた》せよ』
タール『エー|何《なん》でも|良《よ》いワ。|実《じつ》の|所《ところ》は|俺《おれ》の|仇《かたき》が、ソレそこにウンウン|唸《うな》つてゐやがるのだ。|彼奴《あいつ》を|殺《ころ》さねば、|俺《おれ》が|殺《ころ》されるのだから、|今《いま》の|内《うち》に|殺《ころ》しておきたいのだが、|折角《せつかく》|横《よこ》になつたのだから|動《うご》くのが|面倒《めんだう》|臭《くさ》いので、|一時《いつとき》|延《の》ばしに|延《の》ばしてゐた|所《ところ》だ。オイそこな|岩《いは》でも|一《ひと》つグツと|抱《かか》へて、|彼奴《あいつ》のドタマへドスンと|当《あ》ててくれ。そしたらそれで|此《この》タールさまは|至極《しごく》|安全《あんぜん》、|天下《てんか》|泰平《たいへい》、|五穀《ごこく》|成就《じやうじゆ》だ』
|国公《くにこう》『アハヽヽヽ|何《なん》と|気楽《きらく》な|奴《やつ》だなア、|最前《さいぜん》から|所在《ありか》が|見《み》えたけれど、モウ|斯《か》う|暗《くら》くなつちや、|足元《あしもと》もロクに|見《み》えないワ。|夜《よ》が|明《あ》けてから、ゆつくり|俺《おれ》が|自《みづか》ら|神占《くじ》をやつて、タールを|殺《ころ》すか、ハムを|殺《ころ》すか、どちらを|殺《ころ》さうかといふ|事《こと》を|伺《うかが》つてみて、|其《その》|上《うへ》の|事《こと》にしようかい。|若《も》しタールを|殺《ころ》せといふ【おみくじ】が|出《で》たら、|気《き》の|毒《どく》|乍《なが》ら|観念《くわんねん》してくれねば、なるまいぞ。アーア|今晩《こんばん》はかう|言《い》うて|噪《さは》いでゐるが、|明日《あす》の|朝《あさ》になつたらヒヨツとしたら|俺《おれ》の|手《て》にかかつて|死《し》ぬかと|思《おも》へば、いささか|以《もつ》て|気《き》の|毒《どく》でも|何《なん》でもないワイ。ウツフヽヽヽ』
タール『コラ|馬鹿《ばか》にすない。よい|加減《かげん》にからかつておけ』
|国公《くにこう》『|唐《から》が|勝《か》つても|印度《いんど》が|勝《かつ》ても、そんな|事《こと》にお|構《かま》ひがあるかい』
|二人《ふたり》は|何時《いつ》の|間《ま》にか|抱《だき》ついた|儘《まま》、|道《みち》の|真《ま》ん|中《なか》でグツと|寝《ね》て|了《しま》つた。|雷《らい》のやうな|鼾声《いびきごゑ》が|競争的《きやうさうてき》に|聞《きこ》えて|来《き》た。ハムはニツコと|笑《わら》つて|起《お》き|上《あが》り|四這《よつば》ひになつて|探《さぐ》り|寄《よ》り、|二人《ふたり》の|髪《かみ》の|毛《け》を|固《かた》く|結《むす》び|合《あは》せ、|息使《いきづか》ひを|考《かんが》へて、タールの|鼻《はな》をむしれる|程《ほど》|捻《ね》ぢた。タールは|痛《いた》さに|目《め》をさまし、
『イヽヽイツタイワイ、コラ|国公《くにこう》、しやれた|事《こと》をすな、|人《ひと》の|鼻《はな》を|咬《か》みやがつて、|何《なん》ぞ|蛸《たこ》でも|喰《くら》うてる|夢《ゆめ》を|見《み》やがつたのかな』
|国公《くにこう》はウニヤ ウニヤ ウニヤと|何事《なにごと》か|口《くち》の|内《うち》にて|言《い》ひ|乍《なが》ら、|又《また》もやグーグーと|大鼾《おほいびき》をかく。
タール『ハハー|此奴《こいつ》|夢《ゆめ》をみやがつて、おれの|鼻《はな》を|摘《つま》みやがつたのだな、エー|仕方《しかた》がない、|夢《ゆめ》で|為《し》た|事《こと》を|咎《とが》める|訳《わけ》にも|行《い》こまい。|一樹《いちじゆ》の|蔭《かげ》の|雨宿《あまやど》り、|一河《いちが》の|流《なが》れを|汲《く》むさへも|深《ふか》い|縁《えにし》と|聞《き》くからは、よくよくの|因縁《いんねん》だらう。|見《み》ず|知《し》らずの|旅人《たびびと》|同士《どうし》が、|雲天井《くもてんじやう》に|石枕《いしまくら》、|夫婦《ふうふ》か|何《なん》ぞのやうに、|抱《だき》ついて|寝《ね》るのも、|何《なに》かの|因縁《いんねん》がなくてはなろまい。あゝモウ|寝《ね》よう』
と|独言《ひとりごと》をいひ|乍《なが》ら、|早《はや》くもグーグーと|鼾《いびき》をかき|出《だ》した。ハムは|又《また》もや|手探《てさぐ》りに|国公《くにこう》の|鼻《はな》をむしる|程《ほど》|捻《ね》ぢた。
|国公《くにこう》『イヽイターい、ハナハナハナ|放《はな》せ|放《はな》せ、|放《はな》さぬか|放《はな》さぬか』
ハムはあわてて|手《て》を|放《はな》す。
|国公《くにこう》『コラ、タール、|俺《おれ》を|計略《けいりやく》にかけやがつて、|寝《ね》とる|間《ま》に、|鼻《はな》をねぢて|殺《ころ》さうとしよつたなア。|待《ま》て|待《ま》て|鼻《はな》ねぢなら、|俺《おれ》も|負《まけ》はせぬぞ。アイタタ、メツタ|矢鱈《やたら》に|人《ひと》の|髪《かみ》の|毛《け》を|引張《ひつぱ》りやがる。ヤイ、タール|一寸《ちよつと》|髪《かみ》の|毛《け》を|放《はな》せ』
ハム『コリヤ|国公《くにこう》、|此《この》タールを|何《なん》と|心得《こころえ》てゐるか、|甘《あま》く|計略《けいりやく》にかけてやつたのだ。|此《この》|髪《かみ》の|毛《け》をグツと|握《にぎ》り、|鼻《はな》を|捻《ね》ぢて|殺《ころ》してやろとの|計略《けいりやく》を|知《し》らないのか、|余程《よほど》|良《よ》い|頓馬《とんま》だなア。ウツフヽヽヽ』
『|何《なに》|糞《くそ》ツ』と|国公《くにこう》は|力一杯《ちからいつぱい》|鼻《はな》と|言《い》はず、|目《め》といはず、|爪《つめ》|立《た》ててグツとかきむしつた。よく|寝込《ねこ》んでゐたタールはビツクリして|目《め》をさまし、
『アイタヽヽコリヤ|猿《さる》|奴《め》、おれの|顔《かほ》をかきやがつたな、オイ|国公《くにこう》|貴様《きさま》も|起《お》きぬかい、|猿《さる》が|出《で》やがつたぞ。ヤア|俺《おれ》の|髪《かみ》の|毛《け》を|引張《ひつぱ》つてゐやがる』
|国公《くにこう》『コラ、タール|俺《おれ》が|知《し》らぬかと|思《おも》つて、|頭《あたま》の|毛《け》を|引張《ひつぱ》つたり、|鼻《はな》をやたらに|捻《ね》ぢやがつて、おまけに|俺《おれ》を|殺《ころ》さうと|企《たく》みやがつたなア、サアもう|斯《か》うなつた|上《うへ》は|了見《れうけん》ならぬ』
と|手《て》を|伸《の》ばして、|又《また》タールの|顔《かほ》をかく。
タール『オイ|国公《くにこう》、マア|待《ま》て、|此奴《こいつ》あチト|可怪《をか》しいぞ』
ハム『オイ、タール、|国《くに》さまの|頭《あたま》を|無性《むしやう》|矢鱈《やたら》に|引張《ひつぱ》りやがつて|如何《どう》する|積《つもり》だ。コリヤ|睾丸《きんたま》を|握《にぎ》りしめてやろか』
|国公《くにこう》『ヤア、おれの|代理《だいり》をする|奴《やつ》が|出来《でき》て|来《き》よつたぞ。いつの|間《ま》にか|副守護神《ふくしゆごじん》|奴《め》が|飛《と》び|出《だ》しやがつて、|此《この》|方《はう》さまの|意思《いし》に|反《はん》した|事《こと》を|囀《さへづ》りやがるものだから、サツパリ|事《こと》が|面倒《めんだう》だ』
ハム『コリヤ|国公《くにこう》、トボケない、そんな|事《こと》を|食《く》ふタールぢやないぞ。タールの|腕《うで》には|肉《にく》があるぞ』
|国公《くにこう》『コリヤ、タール、|貴様《きさま》の|肉《にく》よりも|俺《おれ》の|骨《ほね》の|方《はう》がチツと|固《かた》いぞ。|大人《おとな》なぶりの|骨《ほね》なぶり、サア|是《これ》からは|睾丸《きんたま》の|掴《つか》み|合《あひ》だ。|一《ひ》イ|二《ふ》ウ|三《み》ツ、アイタツタ、コラ|髪《かみ》の|毛《け》を|放《はな》さぬかい』
ハム『アツハヽヽヽ|阿呆《あほう》|奴《め》が、オホヽヽヽ|臆病者《おくびやうもの》|奴《め》、ウツフヽヽヽうろたへ|者《もの》、エツヘヽヽヽエタイの|知《し》れぬ|化者《ばけもの》にいらはれてゐる【うつ】け|者《もの》、イツヒヽヽヽ|意地《いぢ》くね|悪《わる》いハムさまの|御出現《ごしゆつげん》、サアもう|斯《か》うなる|上《うへ》はタールを|殺《ころ》そか、|国公《くにこう》をやつつけようか、|明日《あす》の|朝《あさ》|手製《てせい》の|神籤《みくじ》で|伺《うかが》つて|見《み》よう。モシ、タールさま、お|前《まへ》を|殺《ころ》せと|御《お》みくじが|出《で》たら|気《き》の|毒《どく》|乍《なが》ら、お|前《まへ》の|命《いのち》を|取《と》らねばならぬ。それを|思《おも》へば、おれやモウ|可哀相《かあいさう》で、|気《き》の|毒《どく》でも|何《なん》でもないワイ。ウツフヽヽヽ』
|国公《くにこう》『コリヤ|俺《おれ》の|受売《うけうり》をしやがる|奴《やつ》は、ダダ|誰奴《だいつ》だい』
ハム『|最前《さいぜん》からここに|寝《ね》てゐたバラモン|教《けう》のハムさまだ。これからタールをやつつけるのだから、|国《くに》さま|一《ひと》つ|加勢《かせい》をしてくれないか』
|国公《くにこう》『|折角《せつかく》|斯《か》うして|抱《だ》き|付《つ》いて|親《した》しうなつたタールぢやもの、|如何《どう》して|之《これ》を|殺《ころ》すことが|出来《でき》ようかい、おれやそんな|事《こと》を|聞《き》くと、|貴様《きさま》が|憎《にく》らしくなつて|来《き》て、|腹《はら》が|一寸《ちよつと》も|立《た》たないワ。オツホヽヽヽ』
|斯《か》かる|所《ところ》へ|山《やま》の|尾《を》を|登《のぼ》り|来《く》る|満月《まんげつ》の|光《ひかり》、ハムは|手早《てばや》く|両人《りやうにん》の|髪《かみ》をほどき、
『ヤア、タール、モウ|許《ゆる》してやらう。|以後《いご》はキツと|慎《つつし》んであの|様《やう》な|悪戯《いたづら》を|致《いた》すでないぞ、そしてあのやうな|水臭《みづくさ》い|事《こと》を|思《おも》ふと、|今度《こんど》はモウ|了見《れうけん》せぬからさう|思《おも》へ。|今日《けふ》はこれきり|忘《わす》れて|遣《つか》はす』
タール『|俺《おれ》もお|前《まへ》がさう|出《で》れば、|万更《まんざら》|憎《にく》いとは|思《おも》はない、|只今《ただいま》|限《かぎ》り|忘《わす》れタールから、マア|安心《あんしん》|致《いた》すがよからう。ナア|国《くに》さま、|余《あま》り|物《もの》をクニクニと|苦《く》にすると、|病気《びやうき》になつて、しまひにや|国替《くにがへ》をせなくてはなりませぬからなア』
|国公《くにこう》『|国替《くにがへ》なぞと|縁起《えんぎ》の|悪《わる》い|事《こと》をいつてくれるない』
ハム『アツハヽヽヽ』
タール『イツヒヽヽヽ』
|国公《くにこう》『ウツフヽヽヽ、サアもう|夜《よ》があけた。|行《ゆ》かうぢやないか』
と|三人《さんにん》は|兄弟《きやうだい》の|如《ごと》く|親《した》しくなつて、|無駄口《むだぐち》を|叩《たた》き|乍《なが》ら|坂路《さかみち》さして|降《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・一〇・二七 旧九・八 松村真澄録)
第一二章 |種明志《たねあかし》〔一〇七七〕
|国公《くにこう》、ハム、タールの|三人《さんにん》は|夜明《よあ》けと|共《とも》に|朝《あさ》の|空気《くうき》を|吸《す》ひ|乍《なが》ら、|不思議《ふしぎ》な|事《こと》より|情意《じやうい》|投合《とうがふ》して|兄弟《きやうだい》の|如《ごと》くになり、|道々《みちみち》|無駄話《むだばなし》をし|乍《なが》ら、|河鹿峠《かじかたうげ》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。|照国別《てるくにわけ》の|待《ま》つてゐるといふ|岩窟《がんくつ》に|到《いた》り|見《み》れば、|照国別《てるくにわけ》|一行《いつかう》の|姿《すがた》は|見《み》えず、|只《ただ》|二人《ふたり》の|男《をとこ》が|岩窟《がんくつ》の|小隅《こすみ》に|小《ちひ》さくなつて|震《ふる》うて|居《ゐ》た。ハムは|無雑作《むざふさ》に|余《あま》り|広《ひろ》からぬ|岩窟《がんくつ》に|飛込《とびこ》み、よくよく|調《しら》べ|見《み》ればイール、ヨセフの|両人《りやうにん》であつた。
ハム『オイ、イール、ヨセフの|亡者《もうじや》ぢやないか。|何時《いつ》の|間《ま》にこんな|所《ところ》へふん|迷《まよ》うて|来《き》たのだ』
イール『ヤア、ハムさまか、ようマア|無事《ぶじ》で|助《たす》かつてくれたなア。|俺達《おれたち》|二人《ふたり》も|何《なに》が|何《なん》だか、サツパリ|合点《がつてん》がゆかぬのだ。|実際《じつさい》|現界《げんかい》か|幽界《いうかい》か、|如何《どう》|考《かんが》へてもハツキリせぬ。お|前《まへ》は|何《なん》と|思《おも》ふか』
ハム『|確《しつか》りせぬかい。ここは|河鹿山麓《かじかさんろく》の|南口《みなみぐち》の|岩窟《いはや》の|中《なか》だよ』
ヨセフ『さうするとヤツパリ|生復《いきかへ》つたのだなア。|夜前《やぜん》ここ|迄《まで》|逃《に》げて|来《き》て、スツ|込《こ》んで|居《ゐ》ると、|頭《あたま》のわれるやうなキツい|声《こゑ》で|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて、|此《この》|岩窟《いはや》の|中《なか》へ|這入《はい》らうとする|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》があつた。こんな|奴《やつ》に|這入《はい》られたら|大変《たいへん》だと、|二人《ふたり》が|中《なか》から|岩《いは》の|戸《と》に|突張《つつぱ》りをかい、|力限《ちからかぎ》りに|押《お》して|居《を》つたら、とうとう|根負《こんまけ》をして|通《とほ》り|過《す》ぎて|了《しま》つた。それから|今《いま》まで|二人《ふたり》が|岩戸《いはと》を|力限《ちからかぎ》り|押《お》してゐたのだが、どうやら|宣伝使《せんでんし》が|遠《とほ》く|行《い》つたやうな|塩梅《あんばい》だから、|余《あま》り|息《いき》がこむるので、|新《あたら》しい|空気《くうき》を|注入《ちうにふ》してゐた|所《とこ》だよ』
ハム『オイお|前《まへ》の|救主《すくひぬし》が|此処《ここ》に|二人《ふたり》も|来《き》てゐる、|早《はや》く|御礼《おれい》を|申《まを》さぬか、タールさまに|国公《くにこう》さまだ』
ヨセフ『|何《なに》、|俺《おれ》を|助《たす》けてくれた|救主《すくひぬし》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|一行《いつかう》|四人《よにん》だよ。タールの|奴《やつ》、|男《をとこ》|甲斐《がひ》もない、|母娘《おやこ》の|巡礼《じゆんれい》に|俺達《おれたち》がさいなまれてゐるのを|見捨《みす》て、|逃《に》げ|出《だ》すといふ|卑怯《ひけふ》|千万《せんばん》な|不親切漢《ふしんせつかん》だから、そんな|事《こと》を|言《い》つても|駄目《だめ》だ。ヘン、|大《おほ》きに|憚《はばか》りさま、なあイール、|貴様《きさま》も|知《し》つてゐるだらう、|三五教《あななひけう》の|照国別《てるくにわけ》とか|云《い》ふ|宣伝使《せんでんし》に|違《ちがひ》ない。お|前《まへ》も|其《そ》の|記憶《きおく》は|確《たしか》にあるだらう』
イール『|確《たしか》にさうだ。ここを|通《とほ》つた|宣伝使《せんでんし》もヤツパリ|照国別《てるくにわけ》さまに|違《ちがひ》ないが、|余《あま》り|神力《しんりき》が|強《つよ》いので、|却《かへつ》て|俺《おれ》の|方《はう》がこはくなり、|近《ちか》よりさへせねばよいと|思《おも》うて|此処迄《ここまで》|助《たす》けて|貰《もら》うた|宣伝使《せんでんし》にスツパ|抜《ぬ》きをくはして、|潜《ひそ》んで|居《を》つたのだ。オイ、ハム、お|前《まへ》|如何《どう》して|助《たす》かつたのだい』
ハム『|俺《おれ》は|元《もと》から|死《し》んでは|居《ゐ》なかつたのだ。きさま|等《ら》|二人《ふたり》が|真砂《まさご》の|中《なか》に|半身《はんしん》を|埋《うづ》めて|目《め》をまはしてゐたのを|俺《おれ》はよく|側《そば》に|見《み》てゐた。|併《しか》し|如何《どう》したものか|足腰《あしこし》が|立《た》たないので、|三人《さんにん》|一緒《いつしよ》に|頭《あたま》を|並《なら》べて、|時《とき》を|待《ま》つてゐた|所《ところ》、レーブ、タールの|両人《りやうにん》が【うし】やがつて、|俺《おれ》の|悪口《あくこう》を|散々《さんざん》|吐《ほざ》いた|上《うへ》、|此《この》ハムさまを|谷川《たにがは》へ|水葬《すゐさう》しようなどと|善《よ》からぬ|事《こと》を|吐《ほざ》きやがるものだから、おのれツと|云《い》ひさま、|立上《たちあが》ると、ここに|居《ゐ》るタールを|初《はじ》めレーブの|奴《やつ》、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|失《う》せ、|谷路《たにみち》にふん|伸《の》びてゐやがつた。|天罰《てんばつ》は|恐《おそ》ろしいものだ。|踏殺《ふみころ》してやらうと、|思《おも》うたら|又《また》もや|俺《おれ》の|腰《こし》が|変《へん》になり、|谷路《たにみち》に|一蓮托生的《いちれんたくしやうてき》にふん|伸《の》びてゐた|所《ところ》へ、|照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》が|通《とほ》りかかり、|此《この》|国公《くにこう》さまに|介抱《かいほう》を|命《めい》じて、|此《この》|岩窟《いはや》|迄《まで》|行《ゆ》くと|云《い》つて、スタスタと|下《くだ》られたが、|貴様《きさま》が|中《なか》から|邪魔《じやま》をするものだから、とうとう|行《ゆ》かれて|了《しま》つたのだよ。|其《その》|中《なか》の|一人《ひとり》は|此《この》|国公《くにこう》さまだ。|早《はや》く|御礼《おれい》を|申《まを》さぬか』
イール、ヨセフの|両人《りやうにん》は|嬉《うれ》しさうな|怖《こは》さうな|態度《たいど》で、|無暗《むやみ》に|腰《こし》を|屈《かが》め、|頭《あたま》を|五六遍《ごろくぺん》ペコペコ|上《あ》げ|下《さ》げし|乍《なが》ら、
『モウ|何《なん》にも|申《まを》しませぬ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います、どうぞ|堪忍《かんにん》して|下《くだ》され』
|国公《くにこう》『お|前《まへ》は|妙《めう》な|事《こと》を|言《い》ふ|奴《やつ》だ、|命《いのち》を|助《たす》けてやつた|宣伝使《せんでんし》の|玉子《たまご》が|如何《どう》してお|前《まへ》を|苦《くるし》めるものか、マア|安心《あんしん》したがよからう』
イール『そんなら|三五教《あななひけう》の|巡礼《じゆんれい》に|御無礼《ごぶれい》した|事《こと》を|許《ゆる》してくれますか』
|国公《くにこう》『|三五教《あななひけう》の|巡礼《じゆんれい》とはどんな|風《ふう》をして|居《を》つたか、|一寸《ちよつと》|耳《みみ》よりだ。|詳《くは》しく|聞《き》かしてくれ』
イール『|婆《ば》アさまと|娘《むすめ》と|二人《ふたり》の|巡礼《じゆんれい》だ。|中々《なかなか》|強《つよ》い|奴《やつ》で、とうとうハムの|大将《たいしやう》|迄《まで》|谷底《たにそこ》へとつて|放《ほ》られた|位《くらゐ》だから、|手《て》にも|足《あし》にも|合《あ》ふものぢやない』
|国公《くにこう》はワザと|口《くち》を|尖《とが》らし、
『それは|怪《け》しからぬ、おれの|母《はは》と|女房《にようばう》とが|一足先《ひとあしさき》に、|巡礼姿《じゆんれいすがた》になつて|此々《ここ》を|通《とほ》つた|筈《はず》だ。そんなら|吾《わが》|母《はは》と|女房《にようばう》に|対《たい》し、|無礼《ぶれい》を|加《くは》へた|奴《やつ》だなア、さう|聞《き》く|上《うへ》は、モウ|了見《れうけん》はならぬぞよ』
イール『モシ|国《くに》さま、|私《わたくし》ばかりぢや|厶《ござ》いませぬ。|現《げん》に|此処《ここ》に|居《ゐ》るハムの|命令《めいれい》で、|抵抗《ていかう》しました。ヨセフもタールもまだ|外《ほか》にレーブといふ|奴《やつ》、|私《わたくし》は|例外《れいぐわい》として|都合《つがふ》|〆《しめ》て|五人《ごにん》、|反対的《はんたいてき》|行動《かうどう》を|執《と》つたのだから、どうぞハムから|戒《いまし》めてやつて|下《くだ》さい、|私《わたくし》は|何《なに》も|彼《か》も|白状《はくじやう》した|褒美《ほうび》に|命《いのち》|丈《だけ》は|助《たす》けて|下《くだ》さい。|其《その》|代《かは》り|国様《くにさま》が|鼻《はな》をかめと|仰有《おつしや》つたら、|鼻《はな》でも|拭《ふ》いて|上《あ》げます。|尻《しり》をふけと|仰有《おつしや》つたら|尻《しり》でも|拭《ふ》きます。アーンアーンアーン』
ハム『アハヽヽヽ|悪《あく》の|張本人《ちやうほんにん》は|此《この》ハムさまだ。コレ|国《くに》さま、|私《わたし》から|先《さき》へ|成敗《せいばい》して|下《くだ》さい、|部下《ぶか》の|罪悪《ざいあく》を|一身《いつしん》に|引受《ひきう》けるのは|衆《しう》に|将《しやう》たるものの|正《まさ》に|行《おこな》ふべき|道《みち》だ。サア|早《はや》くお|望《のぞ》み|次第《しだい》……』
とニユツと|首《くび》をつき|出《だ》し、|早《はや》く|首《くび》をとれと|云《い》はぬばかりにして|居《ゐ》る。
|国公《くにこう》『ヨシヨシ|首《くび》を|取《と》れなら、|取《と》つてもやらう。|併《しか》し|乍《なが》ら|今《いま》はの|際《きは》に|貴様等《きさまら》の|素性《すじやう》を|一々《いちいち》|白状《はくじやう》せよ。|其《その》|上《うへ》にて|事《こと》と|品《しな》によつたら|許《ゆる》してやらぬ|事《こと》もない』
ハムは|悪《わる》びれたる|色《いろ》もなく、さも|落着《おちつ》き|払《はら》つた|態度《たいど》で|物語《ものがた》る。
『|天津御空《あまつみそら》を|照《て》りわたる |光《ひかり》も|強《つよ》き|月《つき》の|国《くに》
|生《うま》れはデカタン|高原《かうげん》の |南《みなみ》の|端《はし》に|青山《あをやま》を
|四方《よも》にめぐらすガランダの テームス|王《わう》の|子《こ》と|生《うま》れ
|親《おや》の|名《な》をつぎ|民草《たみぐさ》を |安《やす》く|治《をさ》むる|折《をり》もあれ
バラモン|教《けう》の|神司《かむづかさ》 |大黒主《おほくろぬし》の|手下《てした》なる
|釘彦《くぎひこ》|片彦《かたひこ》|両人《りやうにん》が |何時《いつ》の|間《ま》にやら|国内《こくない》に
ひそみて|国人《くにびと》|悉《ことごと》く バラモン|教《けう》に|帰順《きじゆん》させ
|徒党《とたう》を|組《く》んで|王城《わうじやう》へ |夜陰《やいん》に|乗《じやう》じて|迫《せま》りくる
|其《その》|勢《いきほひ》のすさまじさ |妻子《さいし》を|初《はじ》め|家来《けらい》|共《ども》
|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|散《ち》りて |影《かげ》も|形《かたち》も|泣《な》き|寝入《ねい》り
|取残《とりのこ》されたハム|一人《ひとり》 |刃向《はむか》ふ|術《すべ》もなきままに
|命《いのち》|惜《を》しさに|降服《かうふく》し |大黒主《おほくろぬし》の|御前《おんまへ》に
|引出《ひきいだ》されて|已《や》むを|得《え》ず |先祖《せんぞ》|代々《だいだい》|伝《つた》はりし
|王《わう》の|位《くらゐ》を|打棄《うちす》てて フサの|国《くに》へと|追《お》ひ|出《だ》され
|彼方《あちら》|此方《こちら》をトボトボと さまよひ|巡《めぐ》り|妻《つま》や|子《こ》の
|所在《ありか》を|尋《たづ》ぬる|折《をり》もあれ バラモン|教《けう》の|副棟梁《ふくとうりやう》
|鬼熊別《おにくまわけ》の|神司《かむづかさ》 タルの|都《みやこ》の|手前《てまへ》にて
|思《おも》はず|知《し》らず|巡《めぐ》り|会《あ》ひ |厳《きび》しく|素性《すじやう》を|尋《たづ》ねられ
|大黒主《おほくろぬし》の|手下等《てしたら》に さいなまれたる|物語《ものがたり》
|申上《まをしあ》ぐれば|鬼熊別《おにくまわけ》の |神《かみ》の|司《つかさ》は|涙《なみだ》ぐみ
|妻子《さいし》を|尋《たづ》ねてさまよふか お|前《まへ》は|不憫《ふびん》な|奴《やつ》だのう
われも|妻子《さいし》の|行方《ゆくへ》をば |尋《たづ》ねて|暮《くら》す|身《み》の|上《うへ》ぞ
お|前《まへ》の|心《こころ》は|察《さつ》し|入《い》る |大黒主《おほくろぬし》の|大将《たいしやう》が
|如何《いか》に|言《い》ふとも|鬼熊別《おにくまわけ》が |甘《うま》く|取《と》りなし|助《たす》けむと
|云《い》はれし|時《とき》の|嬉《うれ》しさよ |喜《よろこ》び|勇《いさ》み|此《この》ハムは
|鬼熊別《おにくまわけ》に|従《したが》ひて ハルナの|都《みやこ》に|立向《たちむか》ひ
|抜擢《ばつてき》されて|部下《ぶか》となり |蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》や|小糸姫《こいとひめ》
|続《つづ》いてハムが|妻子《さいし》をば |尋《たづ》ねむものと|遠近《をちこち》を
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なにさまよひて ここまで|来《きた》りし|折《をり》もあれ
|蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》によく|似《に》たる |母娘《おやこ》の|巡礼《じゆんれい》にめぐり|会《あ》ひ
|実《じつ》を|聞《き》かむと|声高《こわだか》に |母娘《おやこ》の|巡礼《じゆんれい》に|立向《たちむか》ひ
つめかけ|見《み》れば|吾《わが》|胸《むね》に グツとこたへた|蜈蚣姫《むかでひめ》
|小糸《こいと》の|姫《ひめ》に|違《ちがひ》ない |秘密《ひみつ》の|洩《も》れむ|恐《おそ》ろしさ
|四人《よにん》の|奴等《やつら》を|追《お》ひ|散《ち》らし |後《あと》に|残《のこ》りしハム|一人《ひとり》
|鬼熊別《おにくまわけ》の|命令《めいれい》を |母娘《おやこ》の|方《かた》に|伝《つた》へむと
|思《おも》うた|事《こと》も|水《みづ》の|泡《あわ》 |取《と》つて|放《ほ》られた|谷《たに》の|底《そこ》
|折角《せつかく》|会《あ》うた|母《おや》と|娘《こ》に |別《わか》れし|事《こと》の|残念《ざんねん》さ
|推量《すゐりやう》あれよ|国《くに》さまよ |私《わたし》は|悪《わる》い|者《もの》でない
|素性《すじやう》をあかせば|此《この》|通《とほ》り |何卒《なにとぞ》お|許《ゆる》し|願《ねが》ひます
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |心《こころ》の|善悪《ぜんあく》|立別《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|大神《おほかみ》の |御霊《みたま》|幸《さち》はふ|国《くに》さまは
ハムの|誠《まこと》の|心根《こころね》を |詳《くは》しく|悟《さと》り|玉《たま》ふらむ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|悠々《いういう》と|歌《うた》を|以《もつ》て|答《こた》へた。
|国公《くにこう》『さうするとハムさま、お|前《まへ》は|鬼熊別《おにくまわけ》さまの|命令《めいれい》で、|蜈蚣姫《むかでひめ》、|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》の|所在《ありか》を|尋《たづ》ねがてら、|妻子《さいし》の|行方《ゆくへ》を|探《さぐ》つてゐるのだな。ソリヤ|感心《かんしん》だ。|併《しか》し|蜈蚣姫《むかでひめ》、|小糸姫《こいとひめ》は|決《けつ》して|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》でも|宣伝使《せんでんし》でもない、|併《しか》し|母娘《おやこ》|共《とも》に|健全《けんぜん》にゐらせられること|丈《だけ》は|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。そして|先《さき》にお|前達《まへたち》を|投《な》げた|母娘《おやこ》の|巡礼《じゆんれい》は、あれは|黄金姫《わうごんひめ》、|清照姫《きよてるひめ》といふ|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》で、|決《けつ》してお|前《まへ》の|言《い》ふやうな|方《かた》ではないぞ』
と|意味《いみ》ありげに|三人《さんにん》の|前《まへ》でワザとに|言葉《ことば》を|濁《にご》してゐる。ハムは|早《はや》くも|国公《くにこう》の|腹中《ふくちう》を|悟《さと》り、ワザと|空呆《そらとぼ》けて、
『アヽさうでしたか、さう|承《うけたま》はれば|人相書《にんさうがき》に|合《あ》はない|所《ところ》が|沢山《たくさん》あります。……オイ、タール|外《ほか》|二人《ふたり》、お|前《まへ》は|如何《どう》|思《おも》ふか』
タール『|俺《おれ》は|余《あま》りの|恐《おそ》ろしさで、|婆《ば》アさまと|娘《むすめ》|位《ぐらゐ》の|事《こと》は|承知《しようち》してゐるが、|人相《にんさう》を|検《あらた》めるなんてそんな|余裕《よゆう》があるものかい』
ハム『イール、ヨセフの|両人《りやうにん》、|貴様《きさま》は|如何《どう》|思《おも》ふか』
ヨセフ『|俺《おれ》は|言《い》ふとすまぬが、|鬼熊別《おにくまわけ》さまの|女房子《にようばうこ》に、あんな|立派《りつぱ》な|方《かた》があらう|筈《はず》がないと|思《おも》うてゐるのだ。あのお|方《かた》の|身魂《みたま》は、すでにすでに|都率天《とそつてん》の|月照彦《つきてるひこ》の|神《かみ》さまのお|側《そば》で|御用《ごよう》をして|厶《ござ》る|結構《けつこう》な|神様《かみさま》の|肉《にく》の|宮《みや》だから………』
イール『|俺《おれ》もさう|思《おも》ふ。|何程《なにほど》|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》、|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》が|豪傑《がうけつ》だと|云《い》つても、あんな|力《ちから》が|出《で》る|筈《はず》がない。|又《また》そんな|力《ちから》のある|方《かた》なら、|母娘《おやこ》の|武勇《ぶゆう》は|天下《てんか》に|鳴轟《なりとどろ》いてゐる|筈《はず》だからなア』
|国公《くにこう》『そらさうだらう、あの|母娘《おやこ》を|蜈蚣姫《むかでひめ》|小糸姫《こいとひめ》などと|思《おも》ふのが、|大変《たいへん》な|的外《まとはづ》れだ。それさへ|分《わか》れば、|最早《もはや》あの|母娘《おやこ》を|追跡《つゐせき》するのも|無駄骨折《むだぼねをり》だ。それよりもハムさまの|様《やう》に|一《ひと》つ|素性《すじやう》を|明《あ》かしたら|如何《どう》だい』
イール『そんなら|何《なに》も|彼《か》も|棚卸《たなおろ》しをしてお|目《め》にかけませう。|私《わたし》はデカタン|高原《かうげん》のサワラといふ|小《ちひ》さい|国《くに》の|首陀《しゆだ》の|家《いへ》に|生《うま》れた|者《もの》ですが、|大黒主《おほくろぬし》の|部下《ぶか》なるテーグスといふ|宣伝使《せんでんし》がやつて|来《き》て、|片《かた》つ|端《ぱし》から|国人《くにびと》をバラモン|教《けう》に|引入《ひきい》れるので、ムカついてたまらず、ウラル|教《けう》の|教理《けうり》を|真向《まつかう》にふりかざし|防《ふせ》ぎ|戦《たたか》うたけれど、|遂《つひ》に|衆寡《しうくわ》|敵《てき》せず、サワラの|牢獄《らうごく》に|投込《なげこ》まれ、|百日百夜《ひやくにちひやくや》の|責苦《せめく》に|会《あ》ひ、とうとう|初心《しよしん》を|翻《ひるがへ》してバラモン|教《けう》に|心《こころ》の|空《そら》から|帰順《きじゆん》して|助《たす》けて|貰《もら》つたのだ』
ハム『オイオイ、|心《こころ》の|空《そら》からぢやなからう、|底《そこ》からぢやないか』
イール『ソラ|底《そこ》が|底《そこ》ぢや』
ハム『|大方《おほかた》|貴様《きさま》は|嘘《そら》|使《つか》つてゐやがるのだろ』
イール『ソラそこに|底《そこ》もあり|蓋《ふた》もある、|何《なん》と|云《い》つても|長《なが》い|者《もの》には|巻《ま》かれ、|強《つよ》い|者《もの》には|従《したが》はねばならぬ|現状《げんじやう》だから、|俺《おれ》の|肉体《にくたい》はバラモン|教《けう》だ』
ハム『|肉体《にくたい》はバラモン|教《けう》で、|精神《せいしん》はウラル|教《けう》だな。|何《なん》と|都合《つがふ》の|好《よ》い|宣伝使《せんでんし》だなア』
イール『ハムさま、お|前《まへ》だつてチヨボチヨボぢやないか』
ハム『|人間《にんげん》の|分際《ぶんざい》として|人《ひと》の|心《こころ》の|奥底《おくそこ》が|如何《どう》して|忖度《そんたく》|出来《でき》るものか、|如何《いか》なる|法《はふ》の|力《ちから》も|武力《ぶりよく》も、|圧制《あつせい》も|思想上《しさうじやう》の|強圧《きやうあつ》は|到底《たうてい》|出来《でき》ない。|目《め》に|見《み》えぬ|世界《せかい》の|事《こと》だから、まして|今《いま》の|盲《めくら》|共《ども》の|窺知《きち》すべき|限《かぎ》りにあらずだ。そんな|野暮《やぼ》な|事《こと》を|言《い》ふものではないよ』
ヨセフ『つまり|時《とき》の|天下《てんか》に|従《したが》へといふ|筆法《ひつぱふ》だな』
イール『コリヤ、ヨセフ、|貴様《きさま》は|信仰《しんかう》の|土台《どだい》はどこにあるか』
ヨセフ『|俺《おれ》の|本当《ほんたう》の|信仰《しんかう》は|三五教《あななひけう》だ。|三五教《あななひけう》は|世界第一《せかいだいいち》の|優秀教《いうしうけう》だからなア』
イール『アハヽヽヽ|現金《げんきん》な|奴《やつ》だなア、|三五教《あななひけう》の|国公《くにこう》さまの|前《まへ》だと|思《おも》つて、|甘《うま》く|胡麻《ごま》をすりやがつたな。|此《この》|胡麻摺坊主《ごますりばうず》|奴《め》』
とピシヤリと|横面《よこづら》を|平手《ひらて》でなぐつた。
ヨセフ『コリヤ、|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》に|対《たい》して|何《なん》と|云《い》ふ|無礼《ぶれい》な|事《こと》を|致《いた》すのだ。|俺《おれ》はモウ|斯《か》うなつては|包《つつ》むに|由《よし》なし、|本当《ほんたう》の|事《こと》を|教《をし》へてやらう。|実《じつ》の|所《ところ》は|顕恩郷《けんおんきやう》にまします|太玉命《ふとたまのみこと》の|御家来《ごけらい》に、|其《その》|人《ひと》ありと|聞《きこ》えたる|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|依彦《よりひこ》さまとは|俺《おれ》の|事《こと》だぞ。バラモン|教《けう》の|内情《ないじやう》を|探《さぐ》るべく|鬼熊別《おにくまわけ》の|部下《ぶか》となり、|貴様等《きさまら》と|一緒《いつしよ》に|交《まじ》はつて|猫《ねこ》を|被《かぶ》つてゐたのだ。|本当《ほんたう》に|盲《めくら》ばかりの|寄合《よりあひ》だと|思《おも》つて、|密《ひそか》にホクソ|笑《ゑみ》をして|居《ゐ》たのだ。ウフヽヽヽ』
イール『コラ、ヨセフ、そんな|嘘《うそ》を|云《い》つても、|辻《つじ》つまが|合《あ》はないぞ。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が|三五教《あななひけう》の|黄金姫《わうごんひめ》に|取《と》つて|放《ほ》られるといふ、そんな|矛盾《むじゆん》がどこにあるか』
ヨセフ『そこは|貴様等《きさまら》を|詐《いつは》る|為《ため》に、|八百長《やほちやう》で|一寸《ちよつと》|放《ほ》られて|見《み》たのだ』
イール『|何《なん》と|高価《かうか》な|八百長《やほちやう》だのう。|一《ひと》つ|違《ちが》へば|命《いのち》がなくなる|様《やう》な|八百長《やほちやう》は|昔《むかし》から|聞《き》いた|事《こと》がない』
ヨセフ『さうだから|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|照国別《てるくにわけ》さまがやつて|来《き》て|命《いのち》を|助《たす》けてくれたぢやないか。|要《えう》するに|惟神的《かむながらてき》の|八百長《やほちやう》だといふ|事《こと》が|今《いま》|分《わか》つたのだ。アハヽヽヽ』
イール『|負惜《まけをし》みの|強《つよ》い|事《こと》を|吐《ぬか》すない。そんなら|何故《なにゆゑ》|照国別《てるくにわけ》さま|一行《いつかう》を|恐《おそ》れてブルブル|震《ふる》ひ|乍《なが》ら|暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|逃《に》げたり、|岩戸《いはと》を|力一杯《ちからいつぱい》あけさせじと|骨《ほね》を|折《を》つたのだ』
ヨセフ『マアあつて|過《す》ぎた|事《こと》を、さう|細《こま》かく|詮議《せんぎ》するものぢやない。|掃溜《はきだめ》をほぜくるとしまひにや|蚯蚓《みみず》が|出《で》るぞ。アヽ|今日《けふ》はマアよい|天気《てんき》だな、|一寸《ちよつと》|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|外《そと》へ|出《で》て|御覧《ごらん》、|連山黄金色《れんざんわうごんしよく》に|彩《いろど》られ、まるで|錦絵《にしきゑ》を|見《み》るやうですワ』
イール『コリヤ、ヨセフ、そんな|所《ところ》へ|脱線《だつせん》しやがつて、|急場《きふば》をつくらはうと|思《おも》うても|駄目《だめ》だぞ、ナア|国公《くにこう》さま、|本当《ほんたう》に|油断《ゆだん》のならぬ|代物《しろもの》ばかりですな』
|国公《くにこう》『どれもこれも|打揃《うちそろ》うて|油断《ゆだん》のならぬ|人物《じんぶつ》ばかりだ。|併《しか》し|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》は|世界中《せかいぢう》|皆《みな》|此《この》|通《とほ》りだ。お|前達《まへたち》は|現世界《げんせかい》の|縮図《しゆくづ》だから|何《いづ》れも|立派《りつぱ》な|悪神《あくがみ》の|代表者《だいへうしや》だよ。アハヽヽヽ』
ハム『オイ、タールの|奴《やつ》、|貴様《きさま》も|素性《すじやう》をここで|明《あ》かさぬか、|何《なん》だか|物臭《ものくさ》い|代物《しろもの》だぞ』
タール『|俺《おれ》はお|前達《まへたち》の|様《やう》な|人種《じんしゆ》とは|元来《ぐわんらい》からして、|種《たね》が|違《ちが》ふのだ。|勿体《もつたい》なくも|盤古神王様《ばんこしんわうさま》を|尊敬《そんけい》|遊《あそ》ばすウラル|彦《ひこ》ウラル|姫様《ひめさま》の|御娘子《おむすめご》、|高宮姫《たかみやひめ》|様《さま》といふ|別嬪《べつぴん》さまの|情夫《いろをとこ》だ』
ヨセフ『ヘン、|甘《うま》い|事《こと》を|吐《ぬか》すない。ウラル|教《けう》だと|云《い》へば、|俺達《おれたち》が|勝手《かつて》を|知《し》らぬかと|思《おも》つて、|貴様《きさま》のやうな【しやつ】|面《つら》に、|仮令《たとへ》|悪神《あくがみ》の|娘《むすめ》でも、あの|有名《いうめい》だつた|美人《びじん》の|高宮姫《たかみやひめ》が|惚《ほ》れる|道理《だうり》があるかい。|第一《だいいち》|年《とし》が|違《ちが》ふぢやないか、|高宮姫《たかみやひめ》の|十七八《じふしちはち》の|花盛《はなざか》りには|貴様《きさま》はまだ|此《この》|世《よ》へ|生《うま》れて|来《き》て|居《を》らぬ|筈《はず》だ』
タール『それは|俺《おれ》の|親爺《おやぢ》のことだ。|俺《おれ》の|父《おやぢ》は|随分《ずゐぶん》|色男《いろをとこ》だつたよ。アーメニヤの|都《みやこ》から、ウラル|姫命《ひめのみこと》の|最愛《さいあい》の|娘《むすめ》、|高宮姫《たかみやひめ》と|手《て》に|手《て》を|取《と》つて|逐電《ちくでん》し、|或《ある》|事情《じじやう》の|為《ため》に|身《み》をかくし、それから|再《ふたた》びアーメニヤへ|帰《かへ》つて|立派《りつぱ》な|女房《にようばう》を|持《も》つた|其《その》|女房《にようばう》の|名《な》は|香具耶姫《かぐやひめ》と|云《い》つて、つまり|俺《おれ》の|母親《ははおや》だ。|父《ちち》の|名《な》は|香具耶彦《かぐやひこ》といふ|男《をとこ》だよ。コーカス|山《ざん》から|北光神《きたてるのかみ》がやつて|来《き》て、|言霊戦《ことたません》を|開《ひら》いたので、|父子《おやこ》|兄弟《きやうだい》チリチリバラバラに|逃《に》げ|失《う》せ、|今《いま》では|親《おや》も|分《わか》らな、|兄弟《きやうだい》も|知《し》れないのだ。これが|俺《おれ》の|詐《いつは》らざる|素性《すじやう》だよ』
|国公《くにこう》はタールの|言葉《ことば》を|聞《き》いて、|双手《もろて》を|組《く》み|思案《しあん》にくれてゐたが、ツツと|立《た》つてタールの|首筋《くびすぢ》を|打眺《うちなが》め、|思《おも》はず|知《し》らずアツと|叫《さけ》んだ。タールは|此《この》|叫《さけ》び|声《ごゑ》に|不審《ふしん》を|起《おこ》し、
『モシ|国公《くにこう》さま、|何《なん》ぞ|私《わたし》に|憑依《ひようい》して|居《を》りますかな』
|国公《くにこう》『お|前《まへ》は|若《わか》い|時《とき》に|春公《はるこう》とは|言《い》はなんだか』
タール『ハイ、|私《わたし》の|名《な》は|春公《はるこう》です。そして|私《わたし》の|兄《あに》はお|前《まへ》さまと|同《おな》じ|名《な》のついた|国公《くにこう》といひました。モウ|生《い》きて|居《ゐ》るか|死《し》んで|居《ゐ》るか、|今《いま》にテンと|分《わか》りませぬ。|何分《なにぶん》エライ|騒《さわ》ぎで、|親子《おやこ》が|四方《しはう》に|逃《に》げ|散《ち》つて|了《しま》つたものだから……』
|国公《くにこう》『|兎《と》も|角《かく》これからお|前《まへ》と|兄弟《きやうだい》の|様《やう》になつて|仲《なか》よくしよう。オイ|皆《みな》の|連中《れんちう》、これから|貴様達《きさまたち》は|一切《いつさい》の|障壁《しやうへき》を|去《さ》つて、|俺《おれ》と|一緒《いつしよ》に|三五教《あななひけう》の|為《ため》に|活動《くわつどう》しようぢやないか。キツと|俺《おれ》が|照国別《てるくにわけ》|様《さま》にお|目《め》にかかつて、よき|様《やう》に|取持《とりも》つてやるから』
|一同《いちどう》『ハイ|有難《ありがた》う、そんなら|国公《くにこう》さま、|宜《よろ》しく|頼《たの》みます』
|国公《くにこう》『サア|早《はや》く|行《ゆ》かう、|照国別《てるくにわけ》|様《さま》が|途中《とちう》で|待《ま》ちあぐんで|厶《ござ》るだらう』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|岩窟《がんくつ》を|後《あと》に|四人《よにん》を|伴《ともな》ひ、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|崎嶇《きく》たる|山路《やまぢ》を|足早《あしばや》に|下《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・一〇・二八 旧九・九 松村真澄録)
第四篇 |浮木《うきき》の|岩窟《がんくつ》
第一三章 |浮木《うきき》の|森《もり》〔一〇七八〕
|印度《つき》と|波斯《ふさ》との|国境《くにざかひ》 |天地《てんち》の|神《かみ》の|御稜威《みいづ》をば
アフガニスタンの|大原野《だいげんや》 |浮木ケ原《うききがはら》の|森蔭《もりかげ》に
|佇《たたず》む|母娘《おやこ》の|宣伝使《せんでんし》 |斎苑《いそ》の|館《やかた》をたち|出《い》でて
ハルナの|都《みやこ》に|立《た》ち|向《むか》ふ その|御姿《みすがた》ぞ|雄々《をを》しけれ
|秋野《あきの》の|木《こ》の|葉《は》|色《いろ》づきて |黄金姫《わうごんひめ》や|清照姫《きよてるひめ》
|神《かみ》の|命《みこと》の|御気色《おんけしき》 |実《げ》に|麗《うらら》かに|照妙《てるたへ》の
さながら|小春《こはる》の|如《ごと》くなり。
|母娘《おやこ》の|宣伝使《せんでんし》とは|云《い》はずと|知《し》れた|黄金姫《わうごんひめ》、|清照姫《きよてるひめ》である。|清照姫《きよてるひめ》は|四方《よも》の|風景《ふうけい》を|眺《なが》め|乍《なが》ら、
『お|母《かあ》さま、|随分《ずゐぶん》お|足《あし》が|疲《つか》れたでせう。|河鹿峠《かじかたうげ》で|悪漢《わるもの》に|出会《であ》つてから|最早《もはや》|十日《とをか》ばかり|山坂《やまさか》を|無難《ぶなん》に|此処《ここ》まで|参《まゐ》りました。これも|全《まつた》く|神様《かみさま》の|御守護《ごしゆご》の|厚《あつ》き|所以《ゆゑん》で|御座《ござ》いませう』
|黄金姫《わうごんひめ》『|私《わし》は|何《なん》と|云《い》つても|年《とし》をとつた|丈《だけ》|世《よ》の|中《なか》の|辛酸《しんさん》を|嘗《な》め|尽《つく》して|居《ゐ》るから|別《べつ》に|何《なん》とも……これ|位《くらゐ》の|旅行《りよかう》は|苦《く》にもならぬが、|年若《としわか》きそなたは|随分《ずゐぶん》|苦痛《くつう》を|感《かん》じたであらう。|早《はや》くお|父《とう》さまに|会《あ》はして|上《あ》げ|度《た》いは|胸一杯《むねいつぱい》だが、|肝腎要《かんじんかなめ》の|信仰《しんかう》を|異《こと》にして|居《ゐ》るのだから|思想上《しさうじやう》から|云《い》へば|矢張《やつぱり》|敵味方《てきみかた》の|仲《なか》、|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》には|天ケ下《あめがした》には|他人《たにん》もなければ|鬼《おに》もない、|何《いづ》れも|尊《たふと》き|神《かみ》の|御子《みこ》ぢやと|教《をし》へられてある、けれどもバラモンの|教《をしへ》はさう|広《ひろ》く|道理《だうり》が|判《わか》つてゐないのだから|折角《せつかく》|親子《おやこ》の|対面《たいめん》をした|所《ところ》で|其《その》|結果《けつくわ》は|如何《どう》なるやら|判《わか》つたものぢやない。これを|思《おも》へば|嬉《うれ》しいやら|悲《かな》しいやらテンと|心《こころ》が|落《お》ち|着《つ》きませぬ』
|清照姫《きよてるひめ》『お|母《かあ》さま、|決《けつ》してそんな|心配《しんぱい》は|要《い》りませぬ。|三五教《あななひけう》の|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|言霊《ことたま》を|以《もつ》て|如何《いか》なる|鬼《おに》|大蛇《をろち》|曲神《まがかみ》も|言向和《ことむけやは》さねばならぬ|吾々《われわれ》の|天職《てんしよく》、|況《ま》して|血《ち》を|分《わ》けた|親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》、|如何《いか》に|頑強《ぐわんきやう》な|父上《ちちうへ》ぢやとて、|吾等《われら》|母娘《おやこ》が|熱心《ねつしん》に|誠《まこと》を|以《もつ》て|説《と》きつければ、|屹度《きつと》|改心《かいしん》して|下《くだ》さるでせう』
|黄金姫《わうごんひめ》『お|前《まへ》も|一《ひと》つ|島《じま》のクヰーンと|迄《まで》なつた|丈《だけ》の|腕前《うでまへ》を|持《も》つて|居《ゐ》るのだから|大丈夫《だいぢやうぶ》とは|思《おも》へども、|此《この》|思想上《しさうじやう》の|問題《もんだい》ばかりはさう|易々《やすやす》と|動《うご》かせるものではない。|何《なに》は|兎《と》もあれ|神様《かみさま》にお|願《ねが》ひ|申《まを》して|一時《いちじ》も|早《はや》く|夫《をつと》の|館《やかた》に|到着《たうちやく》し、|御神力《ごしんりき》を|以《もつ》て|天地《てんち》の|真理《しんり》をお|話《はな》し|申上《まをしあ》げ、|悪逆無道《あくぎやくぶだう》のバラモン|教《けう》を|脱退《だつたい》……|否々《いないな》|改良《かいりやう》せなくてはなりませぬが、これこそ|私《わたし》にとつては|非常《ひじやう》に|重大《ぢうだい》な|任務《にんむ》だ。|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》|様《さま》の|御心《みこころ》は|実《じつ》に|寛仁大度《くわんじんたいど》、いやもう|有難《ありがた》うて、|涙《なみだ》がこぼれます。|鬼熊別《おにくまわけ》の|妻《つま》たり、|娘《むすめ》たる|吾等《われら》を|見込《みこ》んで|此《この》|大任《たいにん》を|仰《あふ》せつけられた|其《その》|襟度《きんど》の|広《ひろ》い|事《こと》、|到底《たうてい》|凡神《ぼんしん》の|企《くはだ》て|及《およ》ぶ|所《ところ》でない。ここ|迄《まで》|良《よ》く|人《ひと》を|信《しん》じ|玉《たま》ふ|其《その》|御心《みこころ》に|対《たい》しても、|仮令《たとへ》|吾等《われら》|母娘《おやこ》が|如何《いか》なる|運命《うんめい》に|陥《おちい》るとも|此《この》|大神《おほかみ》の|御心《みこころ》は|背《そむ》く|事《こと》は|出来《でき》ませぬ』
|清照姫《きよてるひめ》『|左様《さやう》で|御座《ござ》います。たとへ|父上様《ちちうへさま》がお|怒《いか》り|遊《あそ》ばしてお|母《かあ》さまと|私《わたし》をお|殺《ころ》し|遊《あそ》ばしても、|決《けつ》してバラモン|教《けう》へ|帰順《きじゆん》する|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。お|母《かあ》さまも|其《その》|御決心《ごけつしん》で|御座《ござ》いませうなあ』
|黄金姫《わうごんひめ》『それは|勿論《もちろん》のことだ。|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|大神様《おほかみさま》の|仰《あふ》せには|背《そむ》かれぬ。どこ|迄《まで》も|誠《まこと》|一《ひと》つを|立《た》てぬかねばなりませぬ』
|斯《か》く|話《はな》す|折《をり》しも、|馬《うま》に|跨《また》がり|数十人《すうじふにん》の|部下《ぶか》を|率《ひき》ゐて、|浮木ケ原《うききがはら》の|宝《たから》の|森《もり》を|目蒐《めが》けて|進《すす》み|来《く》るバラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》があつた。|矢庭《やには》に|馬《うま》を|飛《と》び|下《お》り|同勢《どうぜい》を|引《ひき》つれ、|二人《ふたり》が|休息《きうそく》せる|前《まへ》に|堂々《だうだう》と|進《すす》み|来《きた》り|眼《め》を|怒《いか》らして、
『|此《この》|方《はう》はバラモン|教《けう》の|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》の|御家来《ごけらい》|大足別《おほだるわけ》と|云《い》ふ|宣伝使《せんでんし》だ。レーブの|注進《ちゆうしん》に|依《よつ》て|汝等《なんぢら》|母娘《おやこ》を|召捕《めしと》らむ|為《た》め|部下《ぶか》を|引率《ひきつ》れここに|立向《たちむか》うたり。サア|尋常《じんじやう》に|手《て》を|廻《まは》せよ』
と|大音声《だいおんじやう》に|突立《つつた》ち|乍《なが》ら|呶鳴《どな》つて|居《ゐ》る。|瞬《またた》く|間《うち》に|数十人《すうじふにん》の|部下《ぶか》は|母娘《おやこ》の|周囲《しうゐ》を|満月《まんげつ》の|形《かたち》に|取《と》り|囲《かこ》んで|了《しま》つた。|清照姫《きよてるひめ》は|笠《かさ》を|脱《ぬ》ぎ|棄《す》て|花《はな》の|如《ごと》き|顔《かんばせ》をさらし|乍《なが》ら、
『|妾《わらは》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|心《こころ》も|清《きよ》く|照《て》り|渡《わた》る|清照姫《きよてるひめ》であるぞよ。これなるは|清照姫《きよてるひめ》の|母《はは》、|黄金世界《わうごんせかい》を|建設《けんせつ》する|大任《たいにん》を|帯《お》び|給《たま》ふ|黄金姫《わうごんひめ》だ。|汝《なんぢ》|大足別《おほだるわけ》とやら|其《その》|気張《きば》り|様《やう》は|何事《なにごと》だ。も|少《すこ》し|肩《かた》を|削《けづ》り|腰《こし》を|屈《かが》めおだやかに|掛合《かけあ》つては|如何《どう》だ。|頭抑《あたまおさ》へに|女《をんな》と|侮《あなど》つて|抑《おさ》へつけようと|致《いた》すのはバラモン|教《けう》の|教理《けうり》ではあるまい。|少《すこ》しは|心得《こころえ》たがよからうぞ』
|大足別《おほだるわけ》『|此《この》|者《もの》こそは|繊弱《かよわ》き|女《をんな》の|分際《ぶんざい》として|強力無双《がうりきむさう》の|曲者《くせもの》、レーブの|注進《ちゆうしん》によつて|何《なに》も|彼《か》も|手《て》にとる|如《ごと》く|判《わか》つてゐる。|到底《たうてい》|一筋繩《ひとすぢなは》では|行《ゆ》かぬ|母娘《おやこ》の|巡礼《じゆんれい》と|化《ば》けたる|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|搦《から》め|捕《と》つてハルナの|都《みやこ》へ|立帰《たちかへ》り、|大黒主《おほくろぬし》の|神様《かみさま》に|御褒美《ごほうび》の|詞《ことば》を|頂戴《ちやうだい》せむ。|者《もの》|共《ども》かかれ』
と|下知《げち》すれば『オー』と|応《こた》へて|四方《しはう》より|母娘《おやこ》を|目蒐《めが》けて|十手《じつて》を|打振《うちふ》り|打振《うちふ》り|攻《せ》めかくる。|母娘《おやこ》は『|心得《こころえ》たり』と|金剛杖《こんがうづゑ》を|水車《みづぐるま》の|如《ごと》くに|空気《くうき》を|鳴動《めいどう》させ|乍《なが》ら|防《ふせ》ぎ|戦《たたか》ふ|勢《いきほひ》に、|何《いづ》れも|辟易《へきえき》し、|遠巻《とほまき》に|巻《ま》き|乍《なが》ら『あれよあれよ』と|口々《くちぐち》に|叫《さけ》ぶのみ。|大足別《おほだるわけ》は|劫《ごふ》を|煮《に》やし、
『えー、|言《い》ひ|甲斐《がひ》なき|味方《みかた》の|小童子《こわつぱ》|共《ども》、|御供《ごく》にも|足《た》らぬ|蠅虫《はへむし》|奴《め》|等《ら》、|控《ひか》へ|居《を》れ』
と|呶鳴《どな》りつけ|長剣《ちやうけん》をスラリと|引《ひき》ぬき、|母娘《おやこ》に|向《むか》つて|斬《き》りかくるを、|二人《ふたり》は|笠《かさ》を|以《もつ》て|右《みぎ》に|左《ひだり》に|受《う》けとめ、かい|潜《くぐ》り|隙《すき》を|狙《ねら》つて|清照姫《きよてるひめ》は|敵《てき》の|足《あし》を|杖《つゑ》の|先《さき》にて|力限《ちからかぎ》りに|打《うち》たたけば|何条《なんでう》|以《もつ》て|堪《たま》るべき、|大足別《おほだるわけ》はアツと|叫《さけ》んで|其《その》|場《ば》に|顛倒《てんたふ》し|目《め》をぱちつかせ|呻《うめ》きゐる。|数多《あまた》の|手下《てした》|共《ども》は|此《この》|態《てい》を|眺《なが》めて『|素破《すは》|一大事《いちだいじ》』と|命《いのち》を|的《まと》に|武者振《むしやぶ》りつく。|此《この》|方《はう》は|名《な》うての|勇者《ゆうしや》、|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|息《いき》の|根《ね》を|止《と》めて|呉《く》れむは|易《やす》けれど|神《かみ》に|仕《つか》ふる|身《み》の|上《うへ》、|仮令《たとへ》|虫族《むしけら》|一匹《いつぴき》でも|殺《ころ》すと|云《い》ふ|訳《わけ》には|行《ゆ》かないので、|何《いづ》れも|金剛杖《こんがうづゑ》の|先《さき》にて|猫《ねこ》が|蛇《へび》にじやれる|様《やう》な|態度《たいど》でチヨイチヨイと|扱《あしら》つて|居《ゐ》る。かかる|所《ところ》へ|四五人《しごにん》の|部下《ぶか》の|注進《ちゆうしん》によつて|武装《ぶさう》を|整《ととの》へたるバラモン|教《けう》の|軍勢《ぐんぜい》、|鋭利《えいり》なる|鎗《やり》を|日光《につくわう》に|閃《ひらめ》かし|乍《なが》ら|幾百千《いくひやくせん》とも|限《かぎ》りなく|轡《くつわ》を|並《なら》べて|攻《せ》め|来《きた》り、|二人《ふたり》の|母娘《おやこ》を|十重二十重《とへはたへ》に|取囲《とりかこ》み、|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|鎗《やり》にて|突《つ》きかけ|来《きた》る|物凄《ものすご》さ、|流石《さすが》の|母娘《おやこ》も|衆寡《しうくわ》|敵《てき》せず、もう|此《この》|上《うへ》は|天則《てんそく》を|破《やぶ》り|寄《よ》せ|来《く》る|武士《つはもの》を|片端《かたつぱし》から|打殺《うちころ》して|呉《く》れむと|覚悟《かくご》を|極《きは》めし|折柄《をりから》に|天地《てんち》も|揺《ゆる》ぐばかりの|呻《うな》り|声《ごゑ》、|森《もり》の|木蔭《こかげ》より|忽然《こつぜん》として|現《あら》はれ|来《きた》れる|数十頭《すうじつとう》の|狼《おほかみ》は|敵《てき》の|集団《しふだん》に|向《むか》つて|目《め》を|怒《いか》らせ|大口《おほぐち》を|開《ひら》いて|驀地《まつしぐら》に|襲撃《しふげき》する。|其《その》|早業《はやわざ》にエール|将軍《しやうぐん》は|部下《ぶか》を|纏《まと》めて|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|散《ち》つたり。|此《この》|時《とき》|打倒《うちたふ》れたる|大足別《おほだるわけ》の|肉体《にくたい》も|運《はこ》び|去《さ》られて|敵《てき》の|影《かげ》だにも|見《み》えなくなつてゐた。
|二人《ふたり》はハツと|息《いき》をつき、|森《もり》の|木《こ》の|間《ま》より|湧《わ》き|出《い》づる|清水《しみづ》を|掬《すく》ひて|咽《のど》を|湿《うるほ》してゐた。
|数十《すうじふ》の|狼《おほかみ》は|敵《てき》を|四方《しはう》に|追《お》ひ|散《ち》らし、|頭《かうべ》を|下《さ》げ|尾《を》を|垂《た》らし|乍《なが》ら|謹慎《きんしん》の|態度《たいど》を|装《よそほ》ひつつ|母娘《おやこ》が|前《まへ》に|現《あら》はれ、|二列《にれつ》となつて『ウー』と|一声《ひとこゑ》|呻《うな》ると|共《とも》に|煙《けむり》の|如《ごと》く|消《き》え|失《う》せて|了《しま》つた。
|森《もり》の|彼方《あなた》より|何人《なにびと》とも|知《し》れぬ|涼《すず》しき|声《こゑ》の|宣伝歌《せんでんか》が|聞《きこ》えて|来《き》た。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|道《みち》 |吾等《われら》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》
とは|云《い》ひ|乍《なが》ら|人《ひと》の|身《み》の いかでか|神《かみ》を|審《さば》かむや
|神《かみ》は|尚更《なほさら》|世《よ》の|人《ひと》の |善悪正邪《ぜんあくせいじや》が|分《わか》らうか
|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》|性来《しやうらい》を |立別《たてわ》けむとする|醜司《しこつかさ》
|彼方《かなた》|此方《こなた》に|現《あら》はれて |誠《まこと》の|道《みち》を|蹂躙《じうりん》し
|世《よ》を|常暗《とこやみ》と|汚《けが》し|行《ゆ》く あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御霊《みたま》の|幸《さちは》ひて |三五教《あななひけう》は|云《い》ふも|更《さら》
バラモン|教《けう》やウラル|教《けう》 |教《をしへ》の|道《みち》に|仕《つか》へたる
|神《かみ》の|司《つかさ》を|悉《ことごと》く |魂《たま》の|御柱《みはしら》|建《た》て|直《なほ》し
|五六七《みろく》の|御世《みよ》を|永久《とこしへ》に たてさせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》に|仕《つか》ふる|国公《くにこう》が |慎《つつし》み|敬《いやま》ひ|願《ね》ぎ|奉《まつ》る。
○
|照国別《てるくにわけ》に|従《したが》ひて |斎苑《いそ》の|館《やかた》を|出《い》でしより
|夜《よ》を|日《ひ》に|次《つ》いで|河鹿山《かじかやま》 |西《にし》の|峠《たうげ》に|差《さ》しかかり
|不思議《ふしぎ》な|事《こと》よりバラモンの |道《みち》に|仕《つか》ふる|神司《かむつかさ》
イール、ヨセフの|両人《りやうにん》が |命《いのち》を|救《すく》ひ|助《たす》けつつ
|照国別《てるくにわけ》や|梅《うめ》|照《てる》の |後《あと》に|従《したが》ひ|来《きた》る|折《をり》
|坂《さか》の|此方《こなた》に|倒《たふ》れたる |二人《ふたり》の|男《をとこ》を|救《すく》へよと
|命令《めいれい》しながら|出《い》でて|行《ゆ》く |後《あと》に|残《のこ》りし|国公《くにこう》は
|二人《ふたり》の|男《をとこ》を|救《すく》はむと |立寄《たちよ》り|見《み》れば|此《こ》は|如何《いか》に
ガランダ|国《こく》のハム|初《はじ》め |香具耶《かぐや》の|彦《ひこ》の|子《こ》と|生《あ》れし
タールの|二人《ふたり》の|物語《ものがたり》 |神《かみ》の|仕組《しぐみ》と|喜《よろこ》びて
|互《たがひ》に|心《こころ》を|打明《うちあ》かし |三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》させ
ここまで|進《すす》み|来《きた》りけり あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|尊《たふと》き|神《かみ》が|現《あら》はれて |善神《ぜんしん》|邪神《じやしん》を|立別《たてわ》ける
|互《たがひ》の|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》を |神《かみ》のまにまに|説《と》き|諭《さと》し
|救《すく》はせ|玉《たま》ひし|有難《ありがた》さ |尊《たふと》き|神《かみ》の|御威光《ごゐくわう》を
アフガニスタンの|高原地《かうげんち》 |浮木ケ原《うききがはら》の|此《この》|森《もり》に
|俄《にはか》に|聞《きこ》ゆる|鬨《とき》の|声《こゑ》 |唯事《ただごと》ならじと|一行《いつかう》が
|駒《こま》を|早《はや》めてシトシトと ここ|迄《まで》|進《すす》み|来《き》て|見《み》れば
さも|騒《さわ》がしき|鬨《とき》の|声《こゑ》 |今《いま》は|松《まつ》|吹《ふ》く|風《かぜ》となり
|四辺《あたり》に|人《ひと》の|影《かげ》もなし あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|息吹《いぶき》に|退《やら》はれて |荒振《あらぶ》る|神《かみ》は|逸早《いちはや》く
|逃《に》げ|失《う》せたるかいぶかしや |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|悪魔《あくま》の|猛《たけ》びは|強《つよ》くとも |三五教《あななひけう》に|仕《つか》へたる
|誠《まこと》を|守《まも》るわれわれに |刃向《はむか》ふ|敵《てき》はあるべきぞ
|吾等《われら》は|正《ただ》しき|神《かみ》の|御子《みこ》 |尊《たふと》き|神《かみ》の|生《あ》れませる
|珍《うづ》の|宮居《みやゐ》ぞ|何者《なにもの》か |恐《おそ》るる|事《こと》のあるべきや
|進《すす》めよ|進《すす》め、いざ|進《すす》め |浮木《うきき》の|森《もり》の|麓《ふもと》まで
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ』
と|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|母娘《おやこ》の|憩《いこ》ふとは|夢《ゆめ》にも|知《し》らず|駒《こま》を|早《はや》めて|進《すす》み|来《く》る。
|国公《くにこう》は|駒《こま》をとどめてツカツカと|二人《ふたり》の|前《まへ》に|現《あら》はれ、
『ヤア、|貴方《あなた》は』
|黄金《こがね》『シー』
|国公《くにこう》『|黄金姫《わうごんひめ》|様《さま》、もはやお|隠《かく》しには|及《およ》びませぬ。|此処《ここ》へ|参《まゐ》りましたタール、ハム、イール、ヨセフの|四人《よにん》は|全《まつた》く|三五教《あななひけう》に|心《こころ》の|底《そこ》より|帰順《きじゆん》|致《いた》しました|善人《ぜんにん》で|御座《ござ》いますから、|何卒《なにとぞ》|可愛《かあい》がつてやつて|下《くだ》さいませ。|重々《ぢうぢう》の|御無礼《ごぶれい》は|私《わたし》が|代《かは》つてお|詫《わ》び|致《いた》しますから|何卒《どうぞ》|御許《おゆる》しを|願《ねが》ひます』
|黄金姫《わうごんひめ》『そなたは|照国別《てるくにわけ》のお|供《とも》に|仕《つか》へた|国公《くにこう》さまぢやないか。|照国別《てるくにわけ》|様《さま》は|如何《どう》なつたのだ。|心《こころ》もとなし、|早《はや》く|其《その》お|所在《ありか》を|知《し》らしてお|呉《く》れ』
|国公《くにこう》『|実《じつ》の|所《ところ》はタール、ハムの|両人《りやうにん》、|河鹿峠《かじかたうげ》の|山道《やまみち》に|負傷《ふしやう》を|致《いた》し|倒《たふ》れて|居《ゐ》たので、|照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》は|此《この》|国公《くにこう》に|介抱《かいほう》を|命《めい》じおき、サツサと|先《さき》に|立《た》つて|行《ゆ》かれました。それより|群《むら》がる|野馬《やば》を|引捉《ひつとら》へ|吾々《われわれ》|一行《いつかう》|五人《ごにん》|照国別《てるくにわけ》|様《さま》のお|後《あと》を|追《おひ》かけて|此処《ここ》まで|参《まゐ》りましたが、まだお|行衛《ゆくへ》が|判《わか》らず、ヒヨツとしたら|私達《わたくしたち》が|先《さき》になつたかも|知《し》れませぬ』
|黄金姫《わうごんひめ》『|一足先《ひとあしさき》へ|出《で》た|妾《わし》でさへも、まだここ|迄《まで》|到着《たうちやく》した|所《ところ》だから、|屹度《きつと》|後《あと》からおいでになるのだらう。|清春山《きよはるやま》の|岩窟《がんくつ》にバラモン|教《けう》の|悪神《あくがみ》|共《ども》が|立籠《たてこも》り|国人《くにびと》を|悩《なや》ますとの|噂《うはさ》があるから、|大方《おほかた》|照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》はそこへ|御出《おいで》になつたのだらうよ』
|国公《くにこう》『これから|私《わたし》は|貴方《あなた》|様《さま》|母娘《おやこ》のお|供《とも》をしてハルナの|都《みやこ》まで|参《まゐ》りませう、|何卒《なにとぞ》お|許《ゆる》し|下《くだ》さるまいか』
|黄金姫《わうごんひめ》『ウン』
|清照姫《きよてるひめ》『|国公《くにこう》さま、そんな|勝手《かつて》な|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|吾々《われわれ》|母娘《おやこ》は|供《とも》をも|許《ゆる》されず、|神様《かみさま》の|深《ふか》き|思召《おぼしめし》あつてお|使《つかひ》に|参《まゐ》る|者《もの》、|其方《そなた》は|照国別《てるくにわけ》|様《さま》のお|供《とも》に|仕《つか》ふるものだ。|他人《ひと》の|供人《ともびと》を|横取《よこど》りにしたと|云《い》はれては|神様《かみさま》に|申訳《まをしわけ》たたず、|又《また》|宣伝使《せんでんし》の|吾々《われわれ》として|義務《ぎむ》が|立《た》たない。サア|早《はや》く|国公《くにこう》さま、|清春山《きよはるやま》の|岩窟《がんくつ》に|引返《ひきかへ》し|照国別《てるくにわけ》|様《さま》の|危難《きなん》をお|救《すく》ひなされ、|決《けつ》して|吾々《われわれ》|母娘《おやこ》の|後《あと》へついて|来《く》る|事《こと》はなりませぬぞえ』
|国公《くにこう》『|照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》は|二人《ふたり》の|男《をとこ》をお|伴《つ》れ|遊《あそ》ばします|以上《いじやう》は、|国公《くにこう》|一人《ひとり》|居《ゐ》なくても|大丈夫《だいぢやうぶ》でせう。|何《なに》を|云《い》つても|貴方《あなた》は|女《をんな》の|二人連《ふたりづ》れ、|魔神《まがみ》の|猛《たけ》び|狂《くる》ふ|此《こ》の|荒野ケ原《あらのがはら》をお|渡《わた》りなさるのは、|何《なん》とはなしに|案《あん》じられてなりませぬ。|照国別《てるくにわけ》|様《さま》が|私《わたし》を|後《あと》に|残《のこ》して|行《ゆ》かれたのは|貴方《あなた》のお|供《とも》をせよとの|謎《なぞ》であつたかとも|考《かんが》へられます。|何卒《どうぞ》タルの|港《みなと》までなりとお|供《とも》をさせて|下《くだ》さいませ』
|清照姫《きよてるひめ》『|折角《せつかく》の|御親切《ごしんせつ》なれどもこればかりは|平《ひら》にお|断《ことわ》り|致《いた》します』
|黄金姫《わうごんひめ》『|国公《くにこう》さまの|誠心《まごころ》は|有難《ありがた》く|受《う》けまする。|然《しか》し|乍《なが》ら|前《まへ》|申《まを》した|通《とほ》り|私《わたし》のお|供《とも》は|許《ゆる》しませぬ。|一時《いちじ》も|早《はや》く|清春山《きよはるやま》の|岩窟《がんくつ》へお|越《こ》しなされ、|照国別《てるくにわけ》|様《さま》は|敵《てき》の|計略《けいりやく》にかかつて|大変《たいへん》|危《あやふ》い|所《ところ》で|厶《ござ》いますぞ。|今《いま》|私《わたし》の|霊眼《れいがん》に|映《えい》じました。|時《とき》おくれては|一大事《いちだいじ》、|僅《わづ》かに|十里《じふり》ばかりの|道程《みちのり》、|早《はや》く|引返《ひつかへ》しなされよ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|母娘《おやこ》|二人《ふたり》は|国公《くにこう》|一行《いつかう》を|振棄《ふりす》てて|荒野ケ原《あれのがはら》をイソイソと|足早《あしばや》に|進《すす》み|行《ゆ》く。|国公《くにこう》はハム、イール、ヨセフ、タールの|四人《よにん》を|従《したが》へ|駒《こま》の|頭《かしら》を|並《なら》べて|元来《もとき》し|道《みち》を|一目散《いちもくさん》に|清春山《きよはるやま》の|岩窟《がんくつ》さして|進《すす》み|行《ゆ》く。|野路《のぢ》を|渉《わた》る|秋風《あきかぜ》は|中空《ちうくう》に|笛《ふえ》を|吹《ふ》き|乍《なが》ら|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もなく|森《もり》の|梢《こずゑ》を|渡《わた》り|行《ゆ》く。
(大正一一・一〇・二八 旧九・九 北村隆光録)
第一四章 |清春山《きよはるやま》〔一〇七九〕
フサと|月《つき》との|国境《くにざかひ》に|屹山《きつりつ》せる|半禿山《はんはげやま》の|山奥《やまおく》に|大岩窟《だいがんくつ》を|構《かま》へて、バラモン|教《けう》を|開設《かいせつ》し、|一方《いつぱう》|無暗《むやみ》に|地方民《ちはうみん》の|生産物《せいさんぶつ》を|暴力《ばうりよく》を|以《もつ》て|奉納《ほうなふ》せしめ、|驕慢《けうまん》|日《ひ》に|募《つの》り|怨嗟《ゑんさ》の|声《こゑ》は|地上《ちじやう》に|充《み》ちてゐる。バラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》は|清春山《きよはるやま》の|部下《ぶか》に|限《かぎ》り、|左手《ゆんで》にコーランを|持《も》ち|右手《めて》に|剣《つるぎ》を|携《たづさ》へて|無理《むり》|往生《わうじやう》に|信仰《しんかう》を|強要《きやうえう》しつつあつた。
|照国別《てるくにわけ》は|照公《てるこう》、|梅公《うめこう》の|両人《りやうにん》と|共《とも》に、|河鹿峠《かじかたうげ》を|難《なん》なく|打越《うちこ》え|清春山《きよはるやま》の|山麓《さんろく》にさしかかる|時《とき》しもあれや、|俄《にはか》に|谷底《たにそこ》に|聞《きこ》える|女《をんな》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》に|一同《いちどう》|立止《たちど》まり|暫《しば》し|首《かうべ》を|傾《かたむ》けてゐた。|叫《さけ》び|声《ごゑ》は|益々《ますます》|烈《はげ》しくなつて|来《き》た。|只事《ただごと》ならじと|照国別《てるくにわけ》|一行《いつかう》は|悲鳴《ひめい》を|尋《たづ》ねて|谷底《たにそこ》に|近寄《ちかよ》り|見《み》れば、|大《だい》の|男《をとこ》|四五人《しごにん》、|女《をんな》を|後手《うしろで》に|縛《しば》り|打擲《ちやうちやく》してゐる。|人《ひと》を|助《たす》くる|宣伝使《せんでんし》、これが|見《み》すてておかれやうかと、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|其《その》|場《ば》に|間近《まぢか》くかけつけた。|五人《ごにん》の|荒男《あらをとこ》は|三人《さんにん》の|姿《すがた》を|見《み》るより、あわてふためき、|女《をんな》をそこに|残《のこ》して、チリヂリバラバラに|思《おも》ひ|思《おも》ひの|方《はう》へ|逃《に》げて|行《ゆ》く。|照国別《てるくにわけ》は|女《をんな》の|側近《そばちか》く|立寄《たちよ》り、
『|吾々《われわれ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|此《この》|街道《かいだう》を|通《とほ》る|折《をり》しも、|俄《にはか》に|女《をんな》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》、コリヤ|何事《なにごと》か|惨劇《さんげき》が|演《えん》ぜられてゐるのであらう、|何《なに》は|兎《と》もあれ|助《たす》けねばなるまいとここ|迄《まで》|尋《たづ》ねて|来《き》たもの、|最早《もはや》|吾々《われわれ》が|現《あら》はれた|以上《いじやう》は|大丈夫《だいぢやうぶ》だから、|御安心《ごあんしん》なされよ』
と|親切《しんせつ》に|労《いた》はれば、|女《をんな》は|目《め》をしばたき、
『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います、ようマア|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|場合《ばあひ》をお|助《たす》け|下《くだ》さいました。これと|云《い》ふのも|全《まつた》く|神様《かみさま》のお|助《たす》けで|厶《ござ》いませう。|何《なに》を|隠《かく》しませう、|妾《わたし》は|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》、|兄《あに》の|行方《ゆくへ》を|尋《たづ》ねて|巡礼《じゆんれい》する|者《もの》、|女《をんな》の|一人旅《ひとりたび》、ここ|迄《まで》|参《まゐ》りますとバラモン|教《けう》の|連中《れんちう》に|取巻《とりま》かれ、|高手小手《たかてこて》に|縛《いまし》められ、|無体《むたい》の|要求《えうきう》に|立腹《りつぷく》の|余《あま》り、|口《くち》を|極《きは》めて|罵《ののし》つてやりました|所《ところ》、|五人《ごにん》の|男《をとこ》は|大《おほい》に|怒《いか》り|殺《ころ》してくれむと|四方《しはう》|八方《はつぱう》より、|刀《かたな》の|鞘《さや》にて|体《からだ》|一面《いちめん》|所《ところ》かまはず、|突《つ》いて|突《つ》いて|突《つ》きまはし、|苦痛《くつう》に|堪《た》へかね、|卑怯《ひけふ》にも|悲鳴《ひめい》を|上《あ》げた|所《ところ》で|厶《ござ》います。よくマアお|助《たす》け|下《くだ》さいました』
|照国別《てるくにわけ》『それは|危《あぶな》い|事《こと》、マアマア|安心《あんしん》なさい。オイ、|照公《てるこう》、|梅公《うめこう》、|此《この》|婦人《ふじん》の|縛《いましめ》を|解《と》け』
『ハイ』と|答《こた》へて|両人《りやうにん》は|手早《てばや》く|縛《いましめ》をときにかかつた。
|照公《てるこう》『|何《なん》とマア|惨酷《ざんこく》な|縛《しば》りやうだ。|藤蔓《ふぢづる》で|肉《にく》にくひ|入《い》る|様《やう》に|縛《しば》つてゐやがる』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら|守刀《まもりがたな》をスラリと|引《ひき》ぬき、|蔓《つる》を|切《き》り|放《はな》し、|女《をんな》を|漸《やうや》くにして|縛《いましめ》よりとき|放《はな》つた。
|女《をんな》『おかげで|安心《あんしん》|致《いた》しました。あなたは|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|私《わたし》はコーカス|山《ざん》に|参《まゐ》り|或《ある》|動機《どうき》より|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》になつた|者《もの》で|厶《ござ》います。|私《わたし》の|兄《あに》は|梅彦《うめひこ》といつて|盤古神王様《ばんこしんわうさま》の|教《をしへ》を|伝《つた》ふべく、|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》へ|参《まゐ》つたきり、|今《いま》に|行方《ゆくへ》が|判《わか》りませぬ。|父母《ふぼ》はそれを|苦《く》にして|最早《もはや》|世《よ》を|去《さ》り、|後《あと》に|残《のこ》つた|妾《わたし》は|只《ただ》|一人《ひとり》、|家《うち》にゐる|事《こと》も|出来《でき》ず、|噂《うはさ》に|聞《き》けば、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》に|梅彦《うめひこ》といふ|方《かた》があると|承《うけたまは》り、コーカス|山《ざん》に|元《もと》は|信者《しんじや》と|化《ば》け|込《こ》んで|様子《やうす》を|探《さぐ》る|折《をり》しも、いつとはなしに|三五《あななひ》の|教理《けうり》が|有難《ありがた》くなり、とうとう|誠《まこと》の|信者《しんじや》となつて|了《しま》ひました。|承《うけたま》はれば|兄《あに》の|梅彦《うめひこ》は|自転倒島《おのころじま》とやらへ|宣伝使《せんでんし》となつて|参《まゐ》つたと|云《い》ふこと、そして|日出別《ひのでわけ》の|神様《かみさま》のお|弟子《でし》になつた|事《こと》まで|承《うけたま》はり、|斎苑《いそ》の|館《やかた》の|日出別《ひのでわけ》|様《さま》にお|目《め》にかかり、|兄《あに》の|所在《ありか》を|尋《たづ》ねむと、アーメニヤを|後《あと》にはるばる|此処《ここ》まで|参《まゐ》る|途中《とちう》に、|悪者《わるもの》に|出会《であ》つてかかる|憂目《うきめ》に|会《あ》うた|所《ところ》で|厶《ござ》います。|此《この》|近《ちか》くには|清春山《きよはるやま》といふ|高山《かうざん》があつて、|其《その》|山奥《やまおく》に|大足別《おほだるわけ》といふ|悪神《わるがみ》の|大将《たいしやう》が|巣窟《さうくつ》を|構《かま》へて|居《を》りまする。|其《その》|部下《ぶか》|共《ども》に|捉《とら》へられ、|大足別《おほだるわけ》の|女房《にようばう》になれよとの|無体《むたい》の|要求《えうきう》に|腹《はら》を|立《た》てこんな|憂目《うきめ》に|会《あ》うてゐた|所《ところ》、よくマア|助《たす》けて|下《くだ》さいました。たつた|一人《ひとり》の|兄妹《きやうだい》を|尋《たづ》ねて|参《まゐ》る|憐《あは》れな|女《をんな》で|厶《ござ》います。あなた|様《さま》も|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》と|承《うけたま》はりましたが、|梅彦《うめひこ》の|所在《ありか》は|御存《ごぞん》じでは|厶《ござ》いませぬか』
|照公《てるこう》『ヤア|其《その》|梅彦《うめひこ》とやら|梅公《うめこう》とやら|云《い》ふ|男《をとこ》は|此処《ここ》にザツと|一対《いつつゐ》|居《を》られますよ』
|女《をんな》『エヽそれは|本当《ほんたう》で|厶《ござ》いますか』
|照公《てるこう》『|梅公《うめこう》といふのは|此《この》|男《をとこ》、|照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》は|今迄《いままで》|梅彦《うめひこ》さまと|言《い》つてゐました。ナアもし|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、あなたは|何時《いつ》やら、|一人《ひとり》の|妹《いもうと》があると|仰有《おつしや》つたやうに|覚《おぼ》えて|居《を》ります。ヨモヤ|此《この》お|方《かた》ではありますまいか、|三日月《みかづき》|眉毛《まゆげ》にクルリとした|目《め》の|具合《ぐあひ》、よく|似《に》て|居《を》りますで』
|梅公《うめこう》『ホンにホンに|似《に》たりや|似《に》たりや、|瓜二《うりふた》つだ。|何《なん》と|云《い》つても|照国別《てるくにわけ》|様《さま》の|妹《いもうと》に|違《ちがひ》ない』
|照国別《てるくにわけ》は|黙然《もくねん》として|女《をんな》の|顔《かほ》をマジマジと|眺《なが》めてゐる。|女《をんな》も|亦《また》|宣伝使《せんでんし》の|顔《かほ》を|穴《あな》のあく|程《ほど》|首《くび》をかたげ|乍《なが》ら|見《み》つめてゐた。|暫《しばら》くあつて|女《をんな》は|思《おも》ひ|切《き》つた|様《やう》に、
『あなたは|兄上《あにうへ》ぢや|厶《ござ》いませぬか、お|懐《なつ》かしう|存《ぞん》じます』
|照国別《てるくにわけ》『お|前《まへ》の|幼名《えうめい》は|何《なん》と|云《い》つたか』
『ハイ|私《わたし》の|幼名《えうめい》は|菖蒲《あやめ》と|申《まを》しました』
|照国別《てるくにわけ》『そんなら|擬《まが》ふ|方《かた》なき|吾《わが》|妹《いもうと》、ようマア|無事《ぶじ》でゐてくれた。|併《しか》し|乍《なが》ら|海山《うみやま》の|御恩《ごおん》|深《ふか》き|御両親《ごりやうしん》は、|此《この》|梅彦《うめひこ》の|事《こと》を|苦《く》にやんでお|国替《くにがへ》なさつたか、アヽ|残念《ざんねん》やなア。|如何《どう》して|両親《りやうしん》に|申訳《まをしわけ》が|立《た》たうか、|余《あま》り|神様《かみさま》のお|道《みち》に|一生懸命《いつしやうけんめい》になつて|今迄《いままで》|両親《りやうしん》の|事《こと》や|妹《いもうと》の|事《こと》を|忘《わす》れてゐた。|妹《いもうと》、どうぞ|許《ゆる》してくれ』
|菖蒲《あやめ》『|勿体《もつたい》ない|兄上様《あにうへさま》、|許《ゆる》すも|許《ゆる》さぬも|厶《ござ》いませぬ、|斯《か》うなる|上《うへ》は|最前《さいぜん》|申《まを》しました|事《こと》は|取消《とりけ》します。|実《じつ》の|処《ところ》は|吾々《われわれ》の|両親《りやうしん》は|清春山《きよはるやま》の|岩窟《がんくつ》に|捕《とら》はれて|居《ゐ》るさうで|厶《ござ》います。|要《えう》するに|私《わたし》を|女房《にようばう》にくれよと、バラモン|教《けう》の|大足別《おほだるわけ》が|幾度《いくど》となく|使《つかひ》を|遣《つか》はしましたなれども、|教理《けうり》が|違《ちが》ふので、|両親《りやうしん》はやらぬと|申《まを》しますなり、|私《わたし》も|兄上《あにうへ》に|巡《めぐ》り|会《あ》うた|上《うへ》でなければ、|返答《へんたふ》は|出来《でき》ないと|申《まを》してゐましたら、|何時《いつ》の|間《ま》にやら、|私《わたし》の|山《やま》に|行《い》つてゐる|不在中《るすちう》に、|両親《りやうしん》をかつさらへて、|清春山《きよはるやま》の|岩窟《がんくつ》に|立帰《たちかへ》り、|私《わたし》に|女房《にようばう》になるならば、|両親《りやうしん》の|命《いのち》を|助《たす》けてやらう、さなくば|両親《りやうしん》を|殺《ころ》して|了《しま》うとの|悪虐無道《あくぎやくぶだう》の|掛合《かけあひ》、|両親《りやうしん》も|最早《もはや》|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》となつた|以上《いじやう》は、|何程《なにほど》|苦《くる》しき|責苦《せめく》に|会《あ》うても、バラモン|教《けう》には|降伏《かうふく》せないと|頑張《ぐわんば》つて|居《を》りましたから、さぞ|今頃《いまごろ》は|悪神《わるがみ》の|為《ため》に|苦《くるし》んでゐる|事《こと》でせう。|私《わたし》は|心《こころ》も|心《こころ》ならず、|何《なん》とかして|兄上《あにうへ》の|所在《ありか》を|尋《たづ》ね|兄妹《きやうだい》|力《ちから》を|合《あは》せて|両親《りやうしん》を|救《すく》ひ|出《だ》さむと、|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|進《すす》む|途中《とちう》で|厶《ござ》いました』
とワツと|許《ばか》りに|声《こゑ》をあげて|泣《な》き|倒《たふ》れる|其《その》|憐《あは》れさ。|照国別《てるくにわけ》は|吐息《といき》をつき|乍《なが》ら|落涙《らくるい》に|沈《しづ》んでゐる。
|照公《てるこう》『ヤア|菖蒲様《あやめさま》、あなたの|今《いま》のお|話《はなし》で、|何《なに》もかもハツキリ|致《いた》しました。サアこれから|宣伝使《せんでんし》|様《さま》のお|供《とも》して、|清春山《きよはるやま》の|征伐《せいばつ》に|向《むか》ひませう』
|照国別《てるくにわけ》『|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》より|大切《たいせつ》な|使命《しめい》を|受《う》け|乍《なが》ら、|如何《いか》に|両親《りやうしん》の|危難《きなん》を|救《すく》ふとは|云《い》へ、|使命《しめい》も|果《はた》さずに、そんな|私上《しじやう》の|事《こと》は|致《いた》されまい、ハテ|困《こま》つたことだなア。|両親《りやうしん》を|救《すく》はむとすれば、|大神《おほかみ》の|使命《しめい》が|遅《おく》れる、|神《かみ》の|命《めい》に|従《したが》はむとすれば|両親《りやうしん》の|身《み》の|上《うへ》はいかに|成行《なりゆ》くかも|計《はか》られない。ハテ|困《こま》つた|事《こと》が|出来《でき》たワイ』
|梅公《うめこう》『モシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|何程《なにほど》|御神命《ごしんめい》なればとて、|途中《とちう》に|悪者《わるもの》のために|虐《さいな》まれてゐる|者《もの》があれば、これを|見《み》のがして|行《ゆ》く|事《こと》は|出来《でき》ますまい。|却《かへつ》て|世界《せかい》を|救《すく》ふ|宣伝使《せんでんし》の|職務《しよくむ》に|反《はん》するもので|厶《ござ》いませう。|谷底《たにそこ》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》を|尋《たづ》ねて、ここへ|道寄《みちよ》りしたも|同《おな》じ|事《こと》、そんな|斟酌《しんしやく》は|決《けつ》していりますまい、サア|早《はや》く|清春山《きよはるやま》|征伐《せいばつ》に|参《まゐ》りませう』
|照国別《てるくにわけ》『お|前《まへ》のいふのも|一応《いちおう》|尤《もつと》もだ。そんならすまぬ|事《こと》|乍《なが》ら、|両親《りやうしん》の|危難《きなん》を|救《すく》ふ|事《こと》に|致《いた》さう』
|菖蒲《あやめ》『|兄上様《あにうへさま》、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。そんなら|私《わたし》が|先導《せんと》に|立《た》ちます。|最早《もはや》|之《これ》から|三里《さんり》ばかり|奥《おく》まで|行《ゆ》けばそこが|敵《てき》の|岩窟《がんくつ》|否《いな》|御両親《ごりやうしん》の|捉《とら》はれ|場所《ばしよ》、かういふ|内《うち》にも|心《こころ》が|急《いそ》ぎます。サア|早《はや》く|行《い》つて|下《くだ》さい』
|照国別《てるくにわけ》『そんなら|照《てる》さま、|梅《うめ》さま、|御苦労《ごくらう》だが|一緒《いつしよ》に|来《き》てくれるか』
|両人《りやうにん》『ハイあなたのお|供《とも》だもの、どこへでも|参《まゐ》ります』
|照国別《てるくにわけ》は|二人《ふたり》の|言葉《ことば》に|勢《いきほひ》を|得《え》、|一行《いつかう》|四人《よにん》|山奥《やまおく》の|岩窟《がんくつ》さして、|天津祝詞《あまつのりと》をひそかに|奏上《そうじやう》し|乍《なが》ら|尋《たづ》ね|行《ゆ》く。|菖蒲《あやめ》は|道々《みちみち》|歌《うた》ふ。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
|世《よ》の|過《あやまち》は|宣《の》り|直《なほ》せ |此《この》|御教《みをしへ》は|三五《あななひ》の
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御託宣《ごたくせん》 とは|云《い》ひ|乍《なが》ら|両親《ふたおや》を
|悪魔《あくま》の|司《つかさ》に|奪《うば》はれて どうして|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し
|宣《の》り|直《なほ》す|事《こと》が|出来《でき》ようか |山《やま》より|高《たか》き|父《ちち》の|恩《おん》
|海《うみ》より|深《ふか》き|母《はは》の|恩《おん》 |報《むく》い|返《かへ》さでおくべきか
|神《かみ》は|吾等《われら》と|共《とも》にあり |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|照国別《てるくにわけ》とはわが|兄《あに》と |分《わか》りし|時《とき》の|嬉《うれ》しさよ
|曲津《まがつ》の|神《かみ》は|多《おほ》くとも |悪魔《あくま》の|猛《たけ》びは|強《つよ》くとも
いかでか|恐《おそ》れむ|三五《あななひ》の |誠《まこと》|一《ひと》つの|神司《かむづかさ》
|仁義《じんぎ》の|軍《いくさ》に|如何《いか》にして |刃向《はむか》ふ|術《すべ》のあるべきぞ
|照国別《てるくにわけ》を|初《はじ》めとし |照《てる》さま|梅《うめ》さま|菖蒲《あやめ》まで
|心《こころ》を|合《あは》せ|力《ちから》をば |一《ひと》つになして|進《すす》むなら
|大足別《おほだるわけ》の|醜神《しこがみ》が |何程《なにほど》|手下《てした》は|多《おほ》くとも
|旭《あさひ》に|露《つゆ》の|消《き》ゆる|如《ごと》 |亡《ほろ》び|行《ゆ》かむは|目《ま》のあたり
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
|曲津《まがつ》の|神《かみ》に|苦《くるし》みし |父《ちち》と|母《はは》との|生命《せいめい》を
|救《すく》はせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》 |神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる
|旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |三五教《あななひけう》に|仕《つか》へたる
|女心《をんなごころ》の|一《ひと》すぢに |岩《いは》をも|射《い》ぬく|吾《わが》|覚悟《かくご》
|言向和《ことむけやは》さでおくべきか |照国別《てるくにわけ》の|神司《かむづかさ》
|神《かみ》の|力《ちから》をうけ|玉《たま》ひ |今《いま》は|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》
|其《その》|風采《ふうさい》も|何《なん》とやら |高尚《かうしやう》|優美《いうび》に|変《かは》りまし
|昔《むかし》の|面影《おもかげ》どこへやら |英雄《えいゆう》|君子《くんし》の|御姿《みすがた》と
ならせ|玉《たま》ひし|尊《たふと》さよ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|思《おも》ひの|晴《は》るる|今《いま》や|時《とき》 |花《はな》さく|春《はる》の|至《いた》る|時《とき》
アヽ|勇《いさ》ましや|勇《いさ》ましや |大足別《おほだるわけ》は|強《つよ》くとも
|神《かみ》の|力《ちから》に|如《し》かざらむ |清春山《きよはるやま》は|高《たか》くとも
|此《この》|谷路《たにみち》はさかしとも なぞや|恐《おそ》れむ|三五《あななひ》の
|誠《まこと》|一《ひと》つの|言霊《ことたま》に |言向和《ことむけやは》しバラモンの
|砦《とりで》にひそむ|醜神《しこがみ》を まつろへ|和《やは》さでおくべきか
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|梅公《うめこう》は|後《うしろ》より|歌《うた》ふ。
『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |照国別《てるくにわけ》に|従《したが》ひて
|河鹿峠《かじかたうげ》を|打《うち》わたり いろいろ|雑多《ざつた》と|面白《おもしろ》き
|景色《けしき》をながめ|来《き》てみれば |千尋《ちひろ》の|谷間《たにま》に「ウントコシヨ
ヤツトコドツコイきつい|坂《さか》」 グヅグヅしてゐちや|危《あぶな》いぞ
キヤツと|一声《ひとこゑ》「ウントコシヨ けたたましくもドツコイシヨ」
|女《をんな》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》がする |照国別《てるくにわけ》に|従《したが》ひて
|声《こゑ》を|尋《たづ》ねて|来《き》てみれば |思《おも》ひもよらぬ|菖蒲《あやめ》さま
|兄妹《きやうだい》|名乗《なの》りをあげ|乍《なが》ら |二人《ふたり》の|親《おや》の|御難儀《ごなんぎ》を
|救《すく》はむ|為《ため》と|勇《いさ》みたち |此《この》|山坂《やまさか》を|上《のぼ》り|行《ゆ》く
|其《その》いでたちの|勇《いさ》ましさ 「ウントコドツコイ、ハーハーハー」
|本当《ほんたう》にきつい|坂路《さかみち》ぢや コレコレまうし|菖蒲《あやめ》さま
|足元《あしもと》|用心《ようじん》なされませ ここには|蛇《へび》や|蜈蚣《むかで》めが
|沢山《たくさん》|路《みち》に|横《よこ》たはり |手具脛《てぐすね》|引《ひ》いて|待《ま》つてゐる
|此奴《こいつ》も|矢張《やつぱ》りバラモンの |大足別《おほだるわけ》の|醜魂《しこみたま》
|蛇《へび》や|蜈蚣《むかで》となりかはり |害《がい》を|加《くは》へて「ドツコイシヨ」
|困《こま》らしやらむと|待《ま》つのだろ |虫《むし》|一匹《いつぴき》と|言《い》うたとて
|決《けつ》して|油断《ゆだん》はなりませぬ 「ウントコドツコイドツコイシヨ」
これ|程《ほど》きつい|山路《やまみち》を |越《こ》えて|行《ゆ》かねばならぬよな
|山奥《やまおく》|深《ふか》き|岩窟《がんくつ》に |潜《ひそ》んでゐる|奴《やつ》あ「ドツコイシヨ」
ロクな|奴《やつ》ではあるまいに |本当《ほんたう》に|力《ちから》があるならば
|正々堂々《せいせいだうだう》と|広原《くわうげん》に |館《やかた》を|構《かま》へてゐるだらう
|獣《けもの》もロクに|通《かよ》へない |此《この》|谷路《たにみち》のドン|奥《おく》に
|鳥《とり》なき|里《さと》の|蝙蝠《かうもり》を |気取《きど》つてゐやがる|馬鹿神《ばかがみ》は
どうで|弱虫《よわむし》|腰抜《こしぬけ》の |張本人《ちやうほんにん》に|違《ちが》ひない
|脾肉《ひにく》の|歎《たん》にたへかぬる |梅公《うめこう》さまが|只《ただ》|一人《ひとり》
あつたら「ドツコイドツコイシヨ」 バラモン|教《けう》の|奴原《やつばら》を
|片《かた》つ|端《ぱし》からなで|切《ぎ》りに するのは|手間暇《てまひま》いらね|共《ども》
ヤツパリ|一人《ひとり》は|危《あぶな》いと |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|宣直《のりなほ》し
|四人《よにん》|一度《いちど》に|上《のぼ》り|行《ゆ》く |力《ちから》が|余《あま》りて|仕様《しやう》がない
|千引《ちびき》の|岩《いは》もて|鶏《にはとり》の |玉子《たまご》をわるより|易《やす》からう
あゝ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い |清春山《きよはるやま》はまだ|来《こ》ぬか
|何《なに》をグヅグヅしてゐるぞ アタ|邪魔臭《じやまくさ》い|邪魔臭《じやまくさ》い
ヤツパリ|俺《おれ》が【てく】らねば |山《やま》はどうしても|動《うご》かない
「ウントコドツコイドツコイシヨ」 |向《むか》ふに|見《み》ゆる|黒煙《くろけむり》
どうやらあこが|岩窟《がんくつ》だ さぞ|今頃《いまごろ》は|御両親《ごりやうしん》
われ|等《ら》の|到《いた》るを|待《ま》ちかねて |厶《ござ》るであらう「ドツコイシヨ」
|悪《あく》のみたまの|年《ねん》のあき いよいよこれから|正念場《しやうねんば》
|進《すす》めや|進《すす》めいざ|進《すす》め |照国別《てるくにわけ》や|菖蒲《あやめ》さま
|照公《てるこう》さまも|潔《いさぎよ》く |駒《こま》に|鞭《むち》|打《う》ち|進《すす》みませ
それそれそこに|高《たか》い|石《いし》 |遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》も「ドツコイシヨ」
|知《し》らぬ|顔《かほ》して|立《た》つてゐる |一時《いちじ》も|早《はや》く|岩窟《がんくつ》に
|進《すす》んで|曲津《まがつ》の|首《かうべ》をば |片《かた》つ|端《ぱし》から|切《き》りおとし
|勝鬨《かちどき》あげて|三五《あななひ》の |教《をしへ》を|照《て》らし|世《よ》の|人《ひと》の
|悩《なや》みを|救《すく》ひ|助《たす》くべし あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして われ|等《ら》|一行《いつかう》|四人《よにん》づれ
|神《かみ》の|御為《おんため》|世《よ》の|為《ため》に |雄々《をを》しき|功績《いさを》をたてぬいて
|二人《ふたり》の|親《おや》の|生命《せいめい》を |救《すく》ひて|月《つき》の|都《みやこ》まで
|進《すす》ませ|玉《たま》へ|大神《おほかみ》の |御前《みまへ》に|慎《つつし》みねぎまつる』
と|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|勢《いきほひ》よく|秋風《あきかぜ》に|吹《ふ》かれつつ|谷間《たにま》を|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・一〇・二八 旧九・九 松村真澄録)
第一五章 |焼糞《やけくそ》〔一〇八〇〕
|梵天王《ぼんてんわう》の|自在天《じざいてん》 バラモン|国《こく》に|名《な》も|高《たか》き
ハルナの|都《みやこ》に|現《あら》はれし |大黒主《おほくろぬし》の|片腕《かたうで》と
|選《えら》まれゐたる|神司《かむづかさ》 |大足別《おほだるわけ》はフサの|国《くに》
|印度《ツキ》の|御国《みくに》の|国境《くにざかひ》 |清春山《きよはるやま》の|岩窟《がんくつ》に
|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|呼《よ》び|集《つど》へ |暴威《ばうゐ》を|振《ふる》ふ|其《その》|内《うち》に
|三五教《あななひけう》の|神司《かむづかさ》 |照国別《てるくにわけ》の|妹《いもと》なる
|菖蒲《あやめ》の|方《かた》に|目《め》をくれて |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|諸人《もろびと》を
|彼《かれ》が|館《やかた》に|遣《つか》はしつ |千言万語《せんげんばんご》を|費《つひや》して
|口説《くど》けど|説《と》けど|磐石《ばんじやく》の |揺《ゆる》がぬ|固《かた》き|決心《けつしん》に
|流石《さすが》の|魔神《まがみ》も|辟易《へきえき》し ここに|全《まつた》く|手《て》を|変《か》へて
レール(四郎)セーム(清六)や シヤム(三六)ハール(八郎)
ポーロ(保道)の|五人《ごにん》を|河鹿山《かじかやま》 |麓《ふもと》の|道《みち》に|遣《つか》はして
|菖蒲《あやめ》の|方《かた》がウブスナの |斎苑《いそ》の|館《やかた》に|行《ゆ》く|道《みち》を
|取押《とりおさ》へむと|待《ま》ちゐたる |時《とき》しもあれや|三五《あななひ》の
|教《をしへ》を|慕《した》ふ|梅彦《うめひこ》が |妹《いもと》と|生《うま》れし|花菖蒲《はなあやめ》
|女《をんな》の|繊弱《かよわ》き|一人旅《ひとりたび》 |来《き》かかる|前《まへ》に|塞《ふさ》がりて
|有無《うむ》を|云《い》はせずフン|縛《じば》り |清春山《きよはるやま》の|谷間《たにあひ》に
|引《ひき》つれ|来《きた》りて|各自《めいめい》に |大足別《おほだるわけ》の|望《のぞ》みをば
|徹《とほ》さむものと|左右《さいう》より |嚇《おど》しつすかしつ|努《つと》むれど
|信仰《しんかう》|堅固《けんご》の|菖蒲子《あやめこ》は |頭《かうべ》を|左右《さいう》に|打《うち》ふりて
いつかな|動《うご》かぬ|権幕《けんまく》に |流石《さすが》の|曲津《まがつ》も|持《も》ちあぐみ
|困《こま》りぬいたる|折柄《をりから》に |遥《はるか》に|聞《きこ》ゆる|宣伝歌《せんでんか》
|五人《ごにん》は|一度《いちど》に|肝冷《きもひや》し |逃《に》げ|隠《かく》れむとする|時《とき》に
|現《あら》はれ|来《きた》りし|宣伝使《せんでんし》 |照国別《てるくにわけ》の|眼力《がんりき》に
|睨《にら》まれ|恐《おそ》れて|雲《くも》|霞《かすみ》 |逃《に》げ|行《ゆ》く|後《あと》に|菖蒲子《あやめこ》が
|涙《なみだ》ながらの|物語《ものがたり》 よくよく|聞《き》けば|両親《りやうしん》は
|大足別《おほだるわけ》に|捕《とら》へられ |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なの|責苦《せめく》をば
|忍《しの》びゐますと|聞《き》きしより |照国別《てるくにわけ》は|驚《おどろ》いて
|日頃《ひごろ》|尋《たづ》ねし|父母《ちちはは》は バラモン|教《けう》の|岩窟《がんくつ》に
|囚《とら》はれ|給《たま》ふか いぢらしや |日頃《ひごろ》|尋《たづ》ねし|妹《いもうと》は
|汝《なんぢ》なりしや|嬉《うれ》しやと |心《こころ》も|勇《いさ》み|身《み》も|勇《いさ》み
|照公《てるこう》|梅公《うめこう》|諸共《もろとも》に |清春山《きよはるやま》の|岩窟《がんくつ》に
|登《のぼ》り|行《ゆ》くこそ|雄々《をを》しけれ。
|清春山《きよはるやま》の|岩窟《がんくつ》には|大将《たいしやう》の|大足別《おほだるわけ》が|数百人《すうひやくにん》の|武卒《ぶそつ》を|率《ひき》ゐ、|大黒主《おほくろぬし》の|命《めい》によつてデカタン|高原《かうげん》に|蟠居《ばんきよ》せるウラル|教《けう》の|集団《しふだん》を|勦滅《さうめつ》せむと|出陣《しゆつぢん》した|後《あと》であつた。|目《め》の|上《うへ》の|瘤《こぶ》と|嫌《いや》がつてゐた|大足別《おほだるわけ》の|大将《たいしやう》が|出陣《しゆつぢん》した|後《あと》は、|恐《こわ》い|者《もの》なしの|連中《れんちう》、|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|酒《さけ》をとり|出《だ》し、『|会《あ》うた|時《とき》に|笠《かさ》ぬげ』|式《しき》で、ビールやポートワインを|穴倉《あなぐら》より|取《と》り|出《だ》し、|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|管《くだ》の|巻《ま》きつづけをやつてゐた。
|二十人《にじふにん》ばかりの|留守番《るすばん》は|各《おのおの》|八畳《はちじやう》ばかりの|間《ま》に|胡坐《あぐら》をかき|乍《なが》ら、|遠慮《ゑんりよ》なしに|秘蔵《ひざう》の|酒《さけ》をとり|出《だ》しウラル|教《けう》|式《しき》に、
|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ
|暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る
と|唄《うた》ひ|乍《なが》らヘベレケに|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れ、|脱線《だつせん》|振《ぶ》りを|盛《さか》んに|発揮《はつき》してゐる。
レール『オイ、ポーロ、|貴様《きさま》は|何時《いつ》も|御大将《おんたいしやう》を|笠《かさ》に|着《き》て|俺達《おれたち》を|腮《あご》の|先《さき》でコキ|使《つか》ひやがつたが、もう|今日《けふ》となつては|駄目《だめ》だ。これからレールさまが|留守《るす》|師団長《しだんちやう》だから|其《その》|命令《めいれい》を|遵奉《じゆんぽう》するのだよ。|万々一《まんまんいち》レールの|御命令《ごめいれい》に|服従《ふくじゆう》せないと、|此《この》|間《あひだ》のタルチン(太郎吉)の|様《やう》に|岩上《がんじやう》から|深谷川《ふかたにがは》へ|空中滑走《くうちうくわつそう》の|曲芸《きよくげい》を|演《えん》じて|谷底《たにそこ》に|伏艇《ふくてい》し、|其《その》まま|三途《さんづ》の|川《かは》へタダ|走《ばし》りにならねばならぬから、チツとは|神妙《しんめう》にしたが|宜《よ》からうぞ。|貴様《きさま》が|何時《いつ》も|飲食物《いんしよくぶつ》に【ケチ】をつけゴテゴテ|吐《ぬか》すものだから、|胃《ゐ》の|腑《ふ》の|格納庫《かくなふこ》は|空虚《くうきよ》になり、|碌《ろく》に|働《はたら》きも|出来《でき》やしない。コンパスのプロペラがチツとも|云《い》ふ|事《こと》をきかないから、それで|是非《ぜひ》なく|斯《か》うしてヘタばつて|酒《さけ》を|飲《の》んで|居《ゐ》るのだ。オイ、|皆《みな》の|奴《やつ》、|大将《たいしやう》は|印度《ツキ》の|国《くに》の|都《みやこ》まで|行《い》つて、それから|大黒主《おほくろぬし》の|軍隊《ぐんたい》と|合《がつ》し、デカタン|高原《かうげん》へ|行《ゆ》くのだから、|先《ま》づ|一年《いちねん》|位《ぐらゐ》は|帰《かへ》つて|来《こ》ない|事《こと》は|請合《うけあひ》だ。あるだけの|酒《さけ》を|飲《の》んでパンを|喰《く》ひ|尽《つく》し、|無《な》くなつたら|今度《こんど》はアーメニヤに|長駆《ちやうく》|進撃《しんげき》してウラル|彦《ひこ》の|館《やかた》を|襲《おそ》ひ、ここも|亦《また》|蚕《かひこ》の|虫《むし》が|桑《くは》の|葉《は》を|喰《く》ふ|様《やう》に|喰《く》ひつぶしさへすれば|吾々《われわれ》の|天下《てんか》は|太平《たいへい》だ。こんな|甘《うま》い|酒《さけ》も|飲《の》まずに|河鹿峠《かじかたうげ》を|痩馬《やせうま》|追《お》ふ|様《やう》に|朝《あさ》から|晩《ばん》までハイハイと|云《い》つて|居《ゐ》るのも|気《き》が|利《き》かねい。こんな|事《こと》が|出《で》て|来《く》ると|思《おも》つて|待《ま》つてゐたのだ。|俺達《おれたち》は|大将《たいしやう》から|腰抜《こしぬけ》|野郎《やらう》の、|裏返《うらがへ》り|者《もの》と|認識《にんしき》されてゐるのだから、|肝腎《かんじん》の|戦争《せんそう》にも|連《つ》れて|行《ゆ》きやがらなんだのだよ』
ポーロ『それが|却《かへつ》て|此方《こち》とらの|好都合《かうつがふ》だ。|俺《おれ》も|今迄《いままで》は|大将《たいしやう》の|命令《めいれい》で|威張《ゐば》つてゐたものの|心《こころ》の|底《そこ》をたたいたらヤツパリお|前達《まへたち》と|同一《どういつ》だ』
レール『さう|聞《き》けば|牛《うし》の|爪《つめ》だ、|先《さき》からよく|分《わか》つてる。|然《しか》し|分《わか》らぬのは|奥《おく》の|岩窟《がんくつ》に|隠《かく》してある|老夫婦《らうふうふ》ぢやないか。あんな|柔順《おとなし》い|老人《らうじん》を|何故《なぜ》|何時《いつ》までもあんな|暗室《あんしつ》に|突《つ》つ|込《こ》んでおくのだらう。|第一《だいいち》それが|俺《おれ》は|気《き》に|喰《く》はないのだ、………ポーロ、|貴様《きさま》は|凡《すべ》ての|様子《やうす》を|知《し》つてゐる|筈《はず》だ。キレイサツパリとここで|白状《はくじやう》して|了《しま》へ』
ポーロ『もう|斯《か》うなる|上《うへ》は|何《なに》をか|包《つつ》まむやだ。|大《おほ》きな|声《こゑ》では|云《い》はれぬが|此処《ここ》の|大将《たいしやう》は|天下《てんか》|無類《むるゐ》のデレ|助《すけ》だ。バラモン|教《けう》で|居《ゐ》|乍《なが》らウラル|教《けう》の|娘《むすめ》にゾツコン|惚込《ほれこ》んで『|女房《にようばう》に|呉《く》れえ』と|掛合《かけあ》つた|所《ところ》、|宗旨《しうし》が|違《ちが》ふので|今《いま》|幽閉《いうへい》されている|夫婦《ふうふ》が|容易《ようい》に|首《くび》を|縦《たて》にふらない。そこで|大足別《おほだるわけ》の|大将《たいしやう》が|手《て》を|代《か》へ|品《しな》をかへ、|沢山《たくさん》な|贈物《おくりもの》をして|夫婦《ふうふ》を|説《と》きつけたけれども、どうしても|駄目《だめ》だつた。そこで|今度《こんど》は|焼糞《やけくそ》になつて|老夫婦《らうふうふ》がコーカス|山《ざん》に|参拝《さんぱい》する|途中《とちう》を|待《ま》ち|受《う》け|高手小手《たかてこて》に|縛《いま》しめ|象《ざう》の|背《せ》にフン|縛《じば》つて|亦《また》も|馬《うま》の|背《せ》にのせ|到頭《たうとう》|此《この》|岩窟《がんくつ》まで|連《つ》れ|帰《かへ》り、|朝《あさ》から|晩《ばん》まで『|姫《ひめ》を|渡《わた》すか、|渡《わた》せば|助《たす》けてやる、|嫌《いや》ぢや|何《なん》ぞと|吐《ぬか》すが|最後《さいご》、|貴様《きさま》の|素首《そつくび》を|引《ひき》ぬいてやらう』と|執念深《しふねんぶか》くも、|御大《おんたい》|自《みづか》ら|幽閉室《いうへいしつ》の|前《まへ》に|現《あら》はれて|口説《くど》きたてるのだから|堪《たま》らない。あんな|大将《たいしやう》に|見込《みこ》まれたら、|丸《まる》で|蛇《へび》に|狙《ねら》はれた|蛙《かへる》の|様《やう》なものだらう』
レール『|其《その》|娘《むすめ》は|何処《どこ》に|居《ゐ》るのだ。|肝腎《かんじん》の|代物《しろもの》が|無《な》いのに|爺《ぢぢ》や|婆《ばば》を|苛《いぢ》めて|居《を》つても|仕方《しかた》がないぢやないか。|大足別《おほだるわけ》の|大将《たいしやう》も|余程《よほど》|訳《わけ》の|分《わか》らぬ【ケレ】|又《また》|人足《にんそく》だのう』
ポーロ『オイ、コラ、そんな|事《こと》を|吐《ぬか》すと|剣呑《けんのん》だぞ。|此《この》|中《なか》にも|矢張《やつぱり》|犬《いぬ》が|潜《ひそ》んで|居《ゐ》るぞ。|俺達《おれたち》の|行動《かうどう》を|密告《みつこく》する|代物《しろもの》が|何喰《なにく》はぬ|顔《かほ》して|潜入《せんにふ》してゐるのだから、あんまりの|事《こと》は|言《い》はぬがよからう。|敵《てき》の|中《なか》にも|味方《みかた》があれば、|味方《みかた》の|中《なか》にも|敵《てき》がある|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》、チツト|気《き》をつけぬかい』
レール『その|犬《いぬ》と|云《い》ふのはチヤンと|俺《おれ》の|天眼通《てんがんつう》で|看破《かんぱ》してあるのだ。|大方《おほかた》エルマの|事《こと》だらう』
ポーロ『それさへ|分《わか》つて|居《を》れば|俺《おれ》も|安心《あんしん》だ。|此奴《こいつ》は|俺等《おれたち》の|中《なか》に|身《み》を|低《ひく》うして|交《まじ》つてゐるが、|実《じつ》の|処《ところ》は|大足別《おほだるわけ》の|従弟《いとこ》に|当《あた》る|奴《やつ》だ。|然《しか》しながら|斯《か》うなつた|以上《いじやう》はエルマを|許《ゆる》しておく|訳《わけ》には|行《ゆ》くまい。|酒《さけ》に|酔《よ》うた|紛《まぎ》れに、|此奴《こいつ》をフン|縛《じば》つて|谷川《たにがは》へドブ|漬《づ》け|茄子《なすび》とやつてこまさうかい』
エルマ『コリヤコリヤ、|何《なに》を|吐《ぬか》すのだ。|間違《まちが》ふにも|程《ほど》があるぞ。|大将《たいしやう》の|従弟《いとこ》はポーロぢやないか』
レール『エルマとポーロと|間違《まちが》つた|所《ところ》でたつた|一人《ひとり》の|事《こと》だ。もう|斯《か》う|酒《さけ》がまはつては|何《ど》ちらが|善《ぜん》か|悪《あく》か|分《わか》らない。|一層《いつそう》の|事《こと》|二人《ふたり》ともドブンとやつて|了《しま》へばいいぢやないか、|一人《ひとり》の|奴《やつ》は|時《とき》の|災難《さいなん》ぢやと|思《おも》つて|諦《あきら》めさへすれば|宜《い》いのだ。ウフヽヽヽ』
ポーロ『コラコラ、|味方《みかた》|同志《どうし》が|内乱《ないらん》を|起《おこ》しちやつまらないぞ。ここは|吾々《われわれ》|一同《いちどう》が|腹帯《はらおび》をしめ|結束《けつそく》を|固《かた》くして|居《を》らねば、|主人《あるじ》の|留守《るす》を|考《かんが》へて|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》が|襲撃《しふげき》して|来《き》たら|如何《どう》する。「|兄弟《けいてい》|牆《かき》に|鬩《せめ》ぐとも|外《そと》|其《その》|侮《あなどり》を|防《ふせ》ぐ」と|云《い》ふ|金言《きんげん》を|心得《こころえ》ぬかい』
レール『|金言《きんげん》も|心得《こころえ》もあつたものかい。|主人《あるじ》の|留守《るす》の|真鍋《まなべ》|焚《た》き、|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|無礼講《ぶれいかう》を|開《ひら》いて|各自《めいめい》|心《こころ》の|塵芥《ごもくた》を|払《はら》ひ|出《だ》し|水晶魂《すゐしやうだま》となりさへすればバラモン|教《けう》の|御神慮《ごしんりよ》に|叶《かな》ふのだ。|酒《さけ》さへ|飲《の》めば|何《なん》でも|彼《かん》でも|腹《はら》の|底《そこ》まで|打明《うちあか》すものだから|酒《さけ》ほど|偉《えら》いものはない。アヽ|酒《さけ》なる|哉《かな》|酒《さけ》なる|哉《かな》だ。【さけ】もさけも|世《よ》の|中《なか》に|酒《さけ》ほど|愛嬌《あいけう》のものあろか、イヒヽヽヽヽ。|何《なん》とうまい|酒《さけ》だのう、こんな|時《とき》に|喧嘩《けんくわ》をする|様《やう》な|野暮《やぼ》が|何処《どこ》にあるかい。|酒《さけ》さへ|飲《の》めば|善《ぜん》もなければ|悪《あく》もない。|敵《てき》もなければ|味方《みかた》もない。|喧嘩《けんくわ》の|仲裁《ちうさい》する|奴《やつ》はヤツパリ|酒《さけ》だ。|仲裁《ちうさい》の|権威《けんゐ》を|保有《ほいう》する|酒《さけ》を|先《さき》に|飲《の》んで|置《お》き|乍《なが》ら|喧嘩《けんくわ》をすると|云《い》ふ|事《こと》があるものけえ、アーン』
エルマ『さうともさうとも|一切万事《いつさいばんじ》|酒《さけ》で|解決《かいけつ》のつく|世《よ》の|中《なか》だ。(|歌口調《うたくてう》)「アヽ、|世《よ》の|中《なか》|豊年《ほうねん》ぢや、|万作《まんさく》ぢや、|万作《まんさく》|々々《まんさく》|万作《まんさく》ぢや」(|都々逸《どどいつ》)「|酒《さけ》を|飲《の》む|人《ひと》|心《しん》から|可愛《かあい》い、|酔《よ》うて|管巻《くだま》きやなほ|可愛《かあい》い」とけつかるワイ、ウー、ゲツプ、ウーン、|酒《さけ》の|奴《やつ》、|不謹慎《ふきんしん》|千万《せんばん》にも|俺達《おれたち》の|密談《みつだん》を|聞《き》かうと|思《おも》うて|喉元《のどもと》から|一寸《ちよつと》|覗《のぞ》きやがつた。エー|不従順《ふじうじゆん》な|代物《しろもの》だなア』
ポーロ『コラ、レール、ポーロ ポーロと|涙《なみだ》をこぼしもつて|酒《さけ》を|喰《くら》ふ|奴《やつ》があるかい。|酒《さけ》を|飲《の》んだら|飲《の》んだらしう|何故《なぜ》|勇《いさ》まぬのか。|貴様《きさま》は|泣上戸《なきじやうご》だな』
レール『あんまりの|酒《さけ》の|洪水《こうずゐ》でレールが|沈没《ちんぼつ》し|汽車《きしや》が|方向《はうかう》を|取違《とりちが》へて|脱線《だつせん》したのだ。|乗客《じやうきやく》は|忽《たちま》ち|顛覆《てんぷく》の|厄《やく》に|会《あ》ひ|阿鼻叫喚《あびけうくわん》|恰《あだか》も|地獄《ぢごく》の|如《ごと》しだ。|其《その》|惨状《さんじやう》を|見《み》るに|忍《しの》びず、|一掬《いつきく》|同情《どうじやう》の|涙《なみだ》をそそいだのだ。|貴様《きさま》の|様《やう》な|奴《やつ》が|英雄《えいゆう》の|心事《しんじ》が|分《わか》つて|堪《たま》るかい。えーウーゲツプウーン、|酒《さけ》の|奴《やつ》、|又《また》しても|法則《はふそく》を|破《やぶ》つて|秘密室《ひみつしつ》を|覗《のぞ》かうとしやがる。|怪《け》しからぬ|奴《やつ》だな。こらヤツコス、|貴様《きさま》、|何《なん》だ、|真面目《まじめ》|腐《くさ》つた|顔《かほ》しやがつて|貴様《きさま》こそ|剣呑《けんのん》だ。これ|丈《だ》け|皆《みな》がうま|酒《ざけ》に|酔《よ》うて|居《ゐ》るのに|貴様《きさま》だけ|真面目《まじめ》な|顔《かほ》をしやがつて、|何《なん》の|事《こと》だい、|大方《おほかた》|貴様《きさま》は|大将《たいしやう》が|帰《かへ》つて|来《き》たら|俺達《おれたち》の|行動《かうどう》を|一々《いちいち》|上申《じやうしん》するつもりだらう。アーン』
ヤツコス『ヤイ、レール、そんな|殺生《せつしやう》な|事《こと》を|云《い》つてくれるない。|俺《おれ》は|貴様等《きさまら》の|知《し》つてる|通《とほ》り|極端《きよくたん》な|下戸《げこ》ぢやないか。|下戸《げこ》が|如何《どう》して|酒《さけ》が|飲《の》めるかい』
レール『|酒《さけ》|好《この》む|人《ひと》が|奈良漬《ならづけ》|食《く》はずして|酒《さけ》|好《す》かぬ|人《ひと》が|粕汁《かすじる》を|喰《くら》ふ………と|云《い》ふことがある。|貴様《きさま》、|粕汁《かすじる》ならチツとばかり|喰《く》ふだらう。|粕汁《かすじる》でもあまり|馬鹿《ばか》にならないぞ。ドツサリ|飲《の》めば|酔《よ》ふぞ。|貴様《きさま》も|粕汁《かすじる》でも|飲《の》んで|古今独歩《ここんどくぽ》|珍無類《ちんむるゐ》の|管《くだ》を|巻《ま》いたら|如何《どう》だ(|歌口調《うたくてう》)「|酒《さけ》を|飲《の》まぬ|奴《やつ》ア|心《しん》から|憎《にく》い、|管《くだ》も|巻《ま》かぬ|奴《やつ》ア、なほ|憎《にく》い」と|云《い》ふ|事《こと》があるぞ、ヤイ、ヤツコス|奴《め》|一《ひと》ツ|飲《の》んだら|如何《どう》だい。|酒《さけ》が|強《きつ》うて|飲《の》めなけりや|湯《ゆ》でもさして|緩《ゆる》うしてやらうか』
ヤツコス『イヤ、もう|沢山《たくさん》だ。|決《けつ》してお|前等《まへら》の|行動《かうどう》を|上申《じやうしん》する|様《やう》な|不道徳《ふだうとく》な|事《こと》はせぬから|安心《あんしん》して|呉《く》れえ』
レール『|酒《さけ》の|席《せき》に|酒《さけ》|飲《の》まぬ|奴《やつ》が|坐《すわ》つてると|何《なん》ともなしに|気《き》がひけて、|座《ざ》が|白《しら》けて|仕方《しかた》がないワ。そして|女《をんな》のお|給仕《きふじ》がないと|云《い》ふから|殺風景《さつぷうけい》な|事《こと》|此《この》|上《うへ》なしだ。|時《とき》に|此処《ここ》の|大将《たいしやう》が|恋着《れんちやく》してる「アヤメ」と|云《い》ふナイスは|何処《どこ》に|居《ゐ》るだらうな。|俺《おれ》はそのナイスの|事《こと》が|苦《く》になつて|忘《わす》れられぬわいのう。オヽヽヽヽ(|義太夫《ぎだいふ》)|思《おも》へば|思《おも》へば いぢらしいやあ、|父《ちち》と|母《はは》とは|名《な》も|高《たか》きコーカス|山《ざん》のお|宮詣《みやまう》での|其《その》|砌《みぎり》、バラモン|教《けう》の|曲津神《まがつかみ》……………』
ポーロ『コリヤコリヤ、|曲津神《まがつかみ》と|云《い》ふ|事《こと》があるかい』
レール『(|義太夫《ぎだいふ》)バラモン|教《けう》の|神司《かむづかさ》、|大黒主《おほくろぬし》に|捕《とら》へられ|荒風《あらかぜ》すさぶ|山野《さんや》を|渡《わた》りやうやうに、|象《ざう》の|背中《せなか》に|乗《の》せられて、ここまで|来《き》たのがアヽヽヽ|運《うん》の|尽《つ》き、|暗《くら》き|牢屋《らうや》に|投《な》げ|込《こ》まれ、|朝《あさ》な、|夕《ゆふ》なの|御飯《ごはん》さへ、|碌々《ろくろく》|味《あぢ》はふ|事《こと》も|得《え》ず、|苦《くる》しみ|歎《なげ》く あゝゝゝり|様《さま》はアヽヽ、よその|見《み》る|目《め》も|憐《あは》れなり、|一時《いちじ》も|早《はや》く|吾《わが》|娘《むすめ》、ここに|尋《たづ》ねて|来《く》るなれば、|大足別《おほだるわけ》の|大将《たいしやう》も、|目《め》を|細《ほそ》うして|涎《よだれ》こき、|以《もつ》ての|外《ほか》の|御満足《ごまんぞく》、とは|云《い》ひ|乍《なが》ら|情《なさけ》なや、|三五教《あななひけう》の|司《つかさ》なら、|可愛《かあい》い|娘《むすめ》を|女房《にようばう》に、|熨斗《のし》までつけて|奉《たてまつ》らむと|思《おも》へども、|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|大黒主《おほくろぬし》がオツトドツコイヽヽヽ|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|大黒主《おほくろぬし》が、|左守《さもり》の|神《かみ》にも|譬《たと》ふべき、|清春山《きよはるやま》の|岩窟《がんくつ》に、|勢《いきほ》ひ|並《なら》ぶものもなき、|大足別《おほだるわけ》と|云《い》ひ|乍《なが》ら、これが|女房《にようばう》にやられようか、ほんに|思《おも》へば|前《さき》の|世《よ》で、|如何《いか》なる|事《こと》の|罪《つみ》せしか、|憐《あは》れみ|玉《たま》へや|三五《あななひ》の、|皇大神《すめおほかみ》と|口説《くど》きたて、くどき|立《た》つれエヽヽばアヽヽヽレールさま、………と|云《い》ふ|様《やう》な|老夫婦《らうふうふ》の|心情《しんじやう》だ。オイ|一《ひと》つ|脱線《だつせん》つづけに|婆《ばば》でも|女《をんな》に|違《ちが》ひないから|牢屋《らうや》から|引張《ひつぱ》り|出《だ》してお|給仕《きふじ》でもさしたらどうだ。あまり|心持《こころもち》|悪《わる》くはあるめいぞ。アーン』
|一同《いちどう》『イヒヽヽヽ』
と|歯《は》を|剥《む》き|出《だ》し|腮《あご》をシヤクつて|笑《わら》ふ|折《をり》しも、|入口《いりぐち》の|番《ばん》をして|居《ゐ》たキルク(喜久雄)は|宙《ちう》をとんで|馳《は》せ|来《きた》り、
キルク『モシモシ ポーロさま、たゝゝゝゝ|大変《たいへん》だ|大変《たいへん》だ。|立派《りつぱ》な|美人《びじん》が|来《き》ましたぜ』
ポーロ『ナニ、|美人《びじん》が|来《き》た。そりや|大変《たいへん》な|面白《おもしろ》い|事《こと》だ。|早《はや》く|引張《ひつぱ》つて|来《こ》い』
レール『それだから|時節《じせつ》は|待《ま》たねばならぬものだ。|別嬪《べつぴん》と|聞《き》いちや|俺《おれ》も|堪《たま》らないわ。ヤツパリ|目《め》が|二《ふた》つあるだらうな、アーン』
キルク『|別嬪《べつぴん》が|一人《ひとり》に、|強《つよ》い|怖《こは》さうな|宣伝使《せんでんし》が|三人《さんにん》です』
『ヤア、そりや|大変《たいへん》だ』
と|一同《いちどう》は|俄《にはか》に|酒《さけ》の|酔《よひ》も|醒《さ》め、|徳利《とくり》を|蹴飛《けと》ばし|鉢《はち》を|割《わ》り|乍《なが》ら|右往左往《うわうさわう》に|狼狽《うろた》へまはる。
(大正一一・一〇・二八 旧九・九 北村隆光録)
第一六章 |親子《おやこ》|対面《たいめん》〔一〇八一〕
セーム、シヤムの|二人《ふたり》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|尋《たづ》ね|来《きた》りしと|聞《き》くより、ポーロの|命《めい》に|依《よ》つて|岩窟《がんくつ》の|入口《いりぐち》に|揉手《もみて》し|乍《なが》ら|米《こめ》つきバツタのやうに|頭《あたま》や|腰《こし》をピヨコピヨコ|屈《かが》め、
セーム『エーこれはこれは|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、よくこそ|御入来《ごじゆらい》|下《くだ》さいました。|折角《せつかく》|遠路《ゑんろ》の|所《ところ》、お|越《こ》し|下《くだ》さつて、|何《なん》とも|早《はや》|御礼《おんれい》の|申上《まをしあ》げやうも|厶《ござ》いませぬ。|生憎《あいにく》|主人《しゆじん》は|御不在《おるす》で、|大教主様《だいけうしゆさま》の|御命令《ごめいれい》を|奉《ほう》じ、デカタン|高原《かうげん》まで|出陣《しゆつぢん》なさいました。|其《その》|不在中《るすちう》は|何人《なにびと》たり|共《とも》、ここへ|入《い》れてはならぬとの|厳《きび》しき|命令《めいれい》、|折角《せつかく》|乍《なが》ら、どうぞお|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ。なあシヤム、|俺《おれ》の|言《い》ふ|事《こと》は|決《けつ》して|嘘《うそ》ぢやあろまい。セームが|佝僂《せむし》になる|所《ところ》まで|頭《あたま》をピヨコピヨコ、|腰《こし》をペコペコさせて|御願《おねがひ》してゐるのだから、そこはどうぞ|宣伝使《せんでんし》の|雅量《がりやう》を|以《もつ》てお|帰《かへ》り|下《くだ》さらば|誠《まこと》に|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。ヘヽヽヽ|決《けつ》して|決《けつ》して|悪意《あくい》で|申《まを》すのでは|厶《ござ》いませぬ、|又《また》|三五教《あななひけう》の|老夫婦《らうふうふ》は|決《けつ》して|此《この》|岩窟《いはや》の|中《なか》に|閉《と》ぢ|込《こ》めては|厶《ござ》いませぬから、|折角《せつかく》お|査《しら》べ|下《くだ》さいましても|徒労《とらう》で|厶《ござ》います。トツトと|御退却《ごたいきやく》を、|偏《ひとへ》に|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》ります』
|照国別《てるくにわけ》『イヤ|今日《けふ》はどうしても|此《この》|儘《まま》では|帰《かへ》る|事《こと》は|出来《でき》ないのだ。アーメニヤから|樫谷彦《かしやひこ》|樫谷姫《かしやひめ》といふ|二人《ふたり》の|夫婦《ふうふ》が|捉《とら》へられて|来《き》てゐる|筈《はず》だ』
セーム『|滅相《めつさう》もないことを|仰有《おつしや》いませ。こんな|山奥《やまおく》にアーメニヤなんぞからお|出《い》でる|物好《ものずき》がどこに|厶《ござ》いませう、ソリヤ|何《なに》かのお|間違《まちがひ》でせう』
|菖蒲《あやめ》『|何《なん》と|言《い》はれても、|私《わたし》は|両親《りやうしん》に|会《あ》はねばならぬ。お|邪魔《じやま》なさると|却《かへつ》てお|為《ため》になりませぬぞえ』
セーム『ヤア|此奴《こいつ》ア|手《て》ごはい|談判《だんぱん》だ、|到底《たうてい》|俺《おれ》の|一力《いちりき》では|行《ゆ》きかねる。オイ、シヤム、|奥《おく》へ|行《い》つて|此《この》|由《よし》をポーロさまに|早《はや》く|注進《ちゆうしん》せぬかい。そして|今《いま》の|何々《なになに》を|何々《なになに》しておくのだぞ』
|照国別《てるくにわけ》『|一刻《いつこく》の|間《ま》も|猶予《いうよ》はならぬ、|罷《まか》り|通《とほ》るから|案内《あんない》を|致《いた》せ』
セーム『|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さいませ。|不在《るす》|師団長《しだんちやう》のポーロの|御意見《ごいけん》を|伺《うかが》つた|上《うへ》にして|貰《もら》はねば|岩窟《がんくつ》|侵入罪《しんにふざい》になりますから』
|照国別《てるくにわけ》『ハヽヽヽヽ|大変《たいへん》なうろたへ|方《かた》だな。|此《この》|様子《やうす》ではキツと|碌《ろく》な|事《こと》ではあるまい。|両親《りやうしん》の|身《み》の|上《うへ》が|案《あん》じられる。サア|早《はや》く|菖蒲殿《あやめどの》、|奥《おく》へ|進《すす》みませう』
セーム『あゝモシモシ|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さい、|御夫婦《ごふうふ》は|至極《しごく》|御健全《ごけんぜん》に|御安泰《ごあんたい》に|御座《ござ》|遊《あそ》ばします。|決《けつ》して|虐待《ぎやくたい》なんかしてはをりませぬ』
|照国別《てるくにわけ》『アハヽヽヽ、さうだらう。|蚋《ぶと》|一疋《いつぴき》|通《かよ》はないやうな|要心《えうじん》|堅固《けんご》な|岩窟内《がんくつない》へ|御保護《ごほご》を|申上《まをしあ》げてゐると|見《み》えるワイ。イヤ|御好意《ごかうい》は|後《あと》から|御礼《おれい》|申《まを》す』
|話《はなし》|変《かは》つて|奥《おく》の|一間《ひとま》では|今迄《いままで》|酔《よ》ひつぶれてゐた|酒《さけ》も|俄《にはか》にさめ、|蒼白《まつさを》な|顔《かほ》をして|岩窟《がんくつ》の|戸《と》をあけ、|夫婦《ふうふ》を|引張《ひつぱ》り|出《だ》すやら|丼鉢《どんぶりばち》を|抱《かか》へて|逃《に》げ|廻《まは》るやら、|大乱痴気《だいらんちき》|騒《さわ》ぎの|真最中《まつさいちう》である。そこへシヤムが|飛《と》んで|来《き》て、|息《いき》を|喘《はづ》ませながら、
『タヽヽヽ|大変《たいへん》|々々《たいへん》、これこれポーロの|大将《たいしやう》、レールさま、どうしたら|宜《よ》からうか、|思案《しあん》を|貸《か》して|下《くだ》さい』
と|頻《しき》りに|地《ち》を|両手《りやうて》でパタパタと|叩《たた》きもがく。
ポーロ『|何《なん》だ、あわただしい|其《その》|騒《さわ》ぎ|方《かた》、どうしたといふのだ』
シヤム『|何《ど》うも|斯《か》うもあつたものですか、|息子《むすこ》が|来《き》たのですよ。ソレあの|娘《むすめ》が、|何《ど》うしても|斯《か》うしても、|強《た》つて|入《はい》らうと|致《いた》します』
ポーロ『|立《た》つて|入《はい》らうと|這《は》うて|入《はい》らうと、そんな|事《こと》は|頓着《とんちやく》ないが、|息子《むすこ》|娘《むすめ》とは|何《なん》の|事《こと》だ』
シヤム『あの|奥《おく》に|隠《かく》してあつた|老夫婦《らうふうふ》の|伜《せがれ》と|娘《むすめ》がやつて|来《き》たのですよ。カヽ|敵討《かたきうち》だと|云《い》つて、|数十万《すうじふまん》の|軍勢《ぐんぜい》を|引連《ひきつ》れ、|先頭《せんとう》に|立《た》つて|立向《たちむか》ひました』
ポーロ『|此《こ》の|細谷路《ほそたにみち》を|数十万《すうじふまん》の|軍勢《ぐんぜい》がどうして|来《こ》られるものか』
シヤム『|何《なん》だか|知《し》りませぬが、|随分《ずゐぶん》|沢山《たくさん》な|白衣《びやくい》の|軍卒《ぐんそつ》が|中空《ちうくう》からやつて|来《き》ました。モシモシ|大将《たいしやう》、グヅグヅしてゐると|岩窟《いはや》|退治《たいぢ》が|始《はじ》まります。|何《なん》とか|用意《ようい》をなされませ』
ポーロ『エヽ|仕方《しかた》がない、|俺《おれ》が|一先《ひとま》づ|表口《おもてぐち》に|立向《たちむか》ひ、|掛合《かけあ》つて|見《み》よう』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、レールに|何《なに》か|囁《ささや》きつつ、|表口《おもてぐち》に|駆《か》け|出《だ》し、|叮嚀《ていねい》に|腰《こし》を|屈《かが》めて、
ポーロ『|私《わたし》は|此《この》|岩窟《がんくつ》を|預《あづか》つて|居《を》りまするポーロと|申《まを》す【はした】|者《もの》、|何卒《なにとぞ》お|見知《みし》りおかれまして|今後《こんご》|御贔屓《ごひいき》にお|願《ねがひ》いたします。サアどうぞ、お|見《み》かけ|通《どほり》の|茅屋《ばうをく》なれど、|御遠慮《ごゑんりよ》なく、トツトとお|入《はい》り|下《くだ》さいませ』
|照国別《てるくにわけ》『|当岩窟内《たうがんくつない》に|樫谷彦《かしやひこ》|樫谷姫《かしやひめ》の|夫婦《ふうふ》の|方《かた》はお|見《み》えになつてをるか』
ポーロ『ハイお|見《み》えになつて|居《を》ります。それはそれは|御機嫌《ごきげん》|麗《うるは》しく、あなた|方《がた》のお|出《い》でを、|欣喜雀躍《きんきじやくやく》の|体《てい》でお|待《ま》ちかねで|厶《ござ》います。サア|早《はや》くお|通《とほ》りあつて、|御対面《ごたいめん》の|程《ほど》をお|願《ねがひ》|致《いた》します』
|照国別《てるくにわけ》『|何《なに》を|言《い》つても|不案内《ふあんない》なる|岩窟《がんくつ》、|如何《いか》なる|計略《けいりやく》の|罠《わな》に|陥《おちい》らむも|計《ばか》り|難《がた》い、|御苦労《ごくらう》ながら、|其《その》|夫婦《ふうふ》の|方《かた》をここ|迄《まで》|案内《あんない》して|来《き》てくれ。|吾々《われわれ》は|此処《ここ》にて|御対面《ごたいめん》|申上《まをしあ》ぐるから』
ポーロ『それも|御尤《ごもつと》も|乍《なが》ら、|此《この》|頃《ごろ》は|御大将《おんたいしやう》の|大足別《おほだるわけ》|様《さま》が、ハルナの|都《みやこ》より、|大教主《だいけうしゆ》のお|召《め》しにより、|数万《すうまん》の|軍卒《ぐんそつ》を|引率《いんそつ》して、デカタン|高原《かうげん》へ|出陣《しゆつぢん》された|御不在中《おるすちう》|故《ゆゑ》、|残《のこ》りの|人間《にんげん》は|僅《わづ》かに|二十《にじふ》|有余人《いうよにん》、|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|留守事《るすごと》に|酒《さけ》を|呑《の》み、|他愛《たあい》なく|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れて|居《を》りますから、|決《けつ》して|計略《けいりやく》などは|致《いた》して|御座《ござ》いませぬ。どうぞお|入《はい》り|下《くだ》さいませ』
|菖蒲《あやめ》『モシ|兄上様《あにうへさま》、ウツカリ|進《すす》んではなりませぬぞ。コレコレここの|番人《ばんにん》とやら、|早《はや》く|妾《わらは》が|父母《ふぼ》をここへお|伴《つ》れ|申《まを》して|来《く》るがよい。グヅグヅ|致《いた》すと、お|前《まへ》さまたちの|御為《おため》にはなりますまいぞや』
ポーロは|頭《あたま》をかき|乍《なが》ら、
『エー|御説《おせつ》|御尤《ごもつと》もながら|御夫婦《ごふうふ》は|持病《ぢびやう》が|起《おこ》り、|脚気《かつけ》が|起《おこ》つて、|足《あし》に|頭痛《づつう》がすると|仰有《おつしや》り、チヨツとも|動《うご》けませぬ。|又《また》|奥《おく》さまの|方《はう》は|産後《さんご》の|血《ち》の|道《みち》とか、|尾《を》の|道《みち》とかが|目《め》を|出《だ》して、ウンウン キヤツキヤツ|唸《うな》つてばかり、|身動《みうご》きもならぬ|御不自由《ごふじゆう》さ、どうぞあなたの|方《はう》から|進《すす》んで|御面会《ごめんくわい》を|願《ねが》ひたう|存《ぞん》じます』
|照国別《てるくにわけ》『そんなら|仕方《しかた》がない、|案内《あんない》を|致《いた》せ』
ポーロ『サア|斯《か》うお|出《い》でなさいませ』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら|先《さき》に|立《た》つ。|一行《いつかう》|四人《よにん》は|後《あと》に|従《したが》ひ、あたりに|心《こころ》を|配《くば》りつつ、|奥《おく》へ|奥《おく》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。|忽《たちま》ちカラクリ|仕掛《じかけ》の|板《いた》の|間《ま》はクレンと|引繰《ひつくり》|返《かへ》り、|四人《よにん》はドツと|一度《いちど》に|暗《くら》き|陥穽《おとしあな》に|落《お》ち|込《こ》んで|了《しま》つた。ポーロはしすましたりと、|返《かへ》し|戸《ど》に|錠《ぢやう》を|卸《おろ》し、|重《おも》き|石《いし》を|二《ふた》つ|三《み》つのせて、ホツと|一息《ひといき》|胸《むね》|撫《な》でおろし、
『オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、モウ|安心《あんしん》だ。|気《き》をおちつけよ。|彼奴《あいつ》は|大足別《おほだるわけ》|様《さま》の|恋慕《れんぼ》して|厶《ござ》つた|菖蒲《あやめ》といふナイスだ。そして|一人《ひとり》は|兄《あに》の|照国別《てるくにわけ》といふ|三五教《あななひけう》の|有名《いうめい》な|豪傑《がうけつ》|宣伝使《せんでんし》だ。|彼奴《あいつ》の|言霊《ことたま》にかかつたが|最後《さいご》、|手足《てあし》も|何《なに》もビリビリとしびれて|了《しま》ふ|無双《むさう》の|神力《しんりき》がある。|併《しか》し|乍《なが》らかうやつて|奈落《ならく》の|底《そこ》へおとして|置《お》けば、|最早《もはや》|此《この》|岩窟内《がんくつない》は|無事《ぶじ》|安穏《あんをん》だ。モ|一《ひと》つ|祝《いはひ》に|二次会《にじくわい》を|開《ひら》かうぢやないか』
とニコニコとして|喚《わめ》き|立《た》てる。レール、シヤム、ハールは|嬉々《きき》として|集《あつ》まり|来《きた》り、
レール『|流石《さすが》はポーロさま、|留守《るす》|師団長《しだんちやう》|丈《だけ》の|資格《しかく》は|十分《じふぶん》に|具備《ぐび》してゐる。ヤア|天晴《あつぱ》れ|天晴《あつぱ》れかくなる|上《うへ》は|何《なに》をか|恐《おそ》れむ、|飲《の》んで|飲《の》んで、|飲《の》み|倒《たふ》し、|蛇《じや》の|子《こ》になるか、|虎《とら》になる|所《ところ》まで、お|神酒《みき》をあがらうかい』
と、|又《また》もや|酒徳利《さけどつくり》を|穴倉《あなぐら》より|運《はこ》び|出《だ》し、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|歌《うた》を|唄《うた》つて、|悪事《あくじ》|災難《さいなん》を|逃《のが》れたる|祝宴《しゆくえん》を|張《は》り|出《だ》した。
|一旦《いつたん》|驚《おどろ》きの|余《あま》り、さめかけてゐた|酒《さけ》は|再《ふたたび》まはり|出《だ》した。|其《その》|上《うへ》に|又《また》もやガブガブとやつたものだから|堪《たま》らない。|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》もグタグタになつて|無我夢中《むがむちう》に|下《くだ》らぬ|事《こと》を|喋舌《しやべ》り|出《だ》した。
レール『コレコレポーロさま、|随分《ずゐぶん》ポーロい|事《こと》が|出来《でき》たぢやないか、|酒《さけ》は|鱈腹《たらふく》|呑《の》めるなり、|爺《ぢぢ》イ|婆《ばば》アの|仇《かたき》を|討《う》ちに|来《き》たと|思《おも》うた|息子《むすこ》|娘《むすめ》は|奈落《ならく》の|底《そこ》へ|落《おと》し|込《こ》んだなり、|最早《もはや》|天《あめ》が|下《した》に|恐《おそ》るべき|者《もの》は|一人《ひとり》もなくなつて|了《しま》つた。サアこれから|爺《ぢぢ》イ|婆《ばば》アをここへ|連《つ》れ|出《だ》して|来《き》てお|酌《しやく》をさそうかい。オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、|婆《ばば》アでも|女《をんな》だぞ、|男《をとこ》ばかりの|此《この》|岩窟《いはや》、|滅多《めつた》に|不足《ふそく》はあろまいがな、アーン』
シヤム『|何《なん》ぼ|女《をんな》だつて、|婆《ばば》アでは【はづ】まぬぢやないか。|俺《おれ》は|今《いま》|来《き》た|菖蒲《あやめ》とか【さつき】とかいふナイスを|引張《ひつぱ》り|出《だ》して、|酌《しやく》をさしたら|如何《どう》だらうかと|思《おも》つてるのだ』
レール『|馬鹿《ばか》を|言《い》ふな、あんな|奴《やつ》を|引張《ひつぱ》り|出《だ》して|来《こ》ようものなら、|丸《まる》で|爆裂弾《ばくれつだん》を|投《な》げたやうなものだ。|恐《おそ》ろしい|代物《しろもの》だぞ。オイ、ヤツコス、|何《なに》をグヅグヅしてるのだ。|爺《ぢぢ》イ|婆《ばば》アをここへ|引張《ひつぱ》つて|来《こ》ぬかい』
ヤツコス『|喧《やかま》し|言《い》ふない、あんな|目汁《めしる》|水《みづ》【ばな】を|垂《た》れてる|汚《きたな》い|爺婆《ぢぢばば》をこんな|所《ところ》へ|連《つ》れて|来《き》ちや、|酒《さけ》の|御座《おざ》がさめて|了《しま》うぞ。それよりも|俺《おれ》が|一《ひと》つ|品《しな》よう|踊《をど》つて|見《み》せてやるからそれで|辛抱《しんばう》せい』
と、|早《はや》くも|手拭《てぬぐひ》を|姐《ねえ》さんかぶりにして、|一寸《ちよつと》|裾《すそ》をからげ、|手《て》や|尻《しり》をふりピシヤピシヤと|時々《ときどき》|手《て》を|叩《たた》き、
『|私《わたし》が|在所《ざいしよ》はコーカス|山《ざん》の
|麓《ふもと》の|麓《ふもと》のその|麓《ふもと》
ヤツトコセー ドツコイシヨ
|樫谷《かしや》の|彦《ひこ》や|樫谷姫《かしやひめ》
ウラルの|神《かみ》の|御取次《おとりつぎ》
こんな|牢屋《らうや》へ|突《つ》つ|込《こ》まれ
ヨーイトサー ヨーイトサー
|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|娘《むすめ》をくれいと|責《せ》められる
どうして|娘《むすめ》がやられようか
|鬼雲彦《おにくもひこ》の|眷族《けんぞく》に
ドツコイシヨー ドツコイシヨー』
レール『オイ|貴様《きさま》、|人《ひと》の|代理《だいり》をするのか、しやうもない、モツと|気《き》の|利《き》いた|事《こと》を|唄《うた》はぬかい』
ヤツコス『|老人《らうじん》|夫婦《ふうふ》の|守護神《しゆごじん》が|憑《うつ》つて|唄《うた》つてゐるのだ。サアこれから、|又《また》|一《ひと》つ|憑《うつ》られてやらうかな。|今度《こんど》は|大足別《おほだるわけ》ぢや、ウツフヽヽヽ、
|鬼雲彦《おにくもひこ》の|大将《たいしやう》が イホの|都《みやこ》を|追《お》ひまくられて
ヤツトコサー ヤツトコサー メソポタミヤの|顕恩郷《けんおんきやう》に
ヤツとお|尻《しり》をすゑた|時《とき》 ヤートサー ヤートサー
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |肝太玉《きもふとだま》の|神司《かむづかさ》
|家来《けらい》をつれてやつて|来《き》て |大《おほ》きな|目玉《めだま》をむきよつた
ドツコイシヨー ドツコイシヨー |鬼雲彦《おにくもひこ》の|大将《たいしやう》は
|大蛇《をろち》の|姿《すがた》を|現《あら》はして |一目散《いちもくさん》に|自転倒《おのころ》の
|大江《おほえ》の|山《やま》へ【とつ】|走《ぱし》り |又《また》もやここを|追《お》ひまくられて
|命《いのち》カラガラ フサの|国《くに》 |逃《に》げ|帰《かへ》りたる|弱虫《よわむし》が
|時世時節《ときよじせつ》の|力《ちから》にて |再《ふたた》び|大黒主《おほくろぬし》となり
|羽《は》ぶりを|利《き》かしてゐた|所《とこ》へ |尾《を》をふり|頭《あたま》を|下《さ》げ|乍《なが》ら
|追従《つゐしよう》タラダラお|髯《ひげ》の|塵《ちり》を |払《はら》つてのけた|利巧者《りかうもの》
ヨーイトサー ヨーイトサー それが|誰《たれ》やと|尋《たづ》ねたら
|清春山《きよはるやま》の|岩窟《がんくつ》に |時《とき》めき|玉《たま》ふ|御大将《おんたいしやう》
|大足別《おほだるわけ》の|醜神《しこがみ》だ オツトドツコイ コラしまうた
|大足別《おほだるわけ》の|神司《かむづかさ》 |大樽《おほたる》あけて|燗《かん》をして
|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|呑《の》むがよい |呑《の》めよ|呑《の》め|呑《の》め|山《やま》も|田《た》も
|家《いへ》|倉《くら》|屋敷《やしき》に|至《いた》るまで |呑《の》んで|並《なら》べたフラスコの
|徳利《とつくり》トンのトントコトン |面白《おもしろ》うなつておいでたな
|俺《おれ》は|酒《さけ》は|呑《の》まないが けたいな|匂《にほ》ひで|酔《よ》うて|来《き》た
レール ポーロの|両人《りやうにん》が |尋《たづ》ねてうせた|神司《かむづかさ》
|照国別《てるくにわけ》といふ|奴《やつ》に |肝《きも》を|潰《つぶ》して|陥穽《おとしあな》
|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》と|知《し》り|乍《なが》ら |甘《うま》くやつたる|御手柄《おんてがら》
|天地《てんち》の|神《かみ》も|御照覧《ごせうらん》 |梵天王《ぼんてんわう》の|自在天《じざいてん》
|大国彦《おほくにひこ》の|神様《かみさま》も さぞやさぞさぞ|喜《よろこ》んで
|泣《な》いて|厶《ござ》るに|違《ちがひ》ない |泣《な》いたり|笑《わら》うたり|怒《おこ》つたり
お|前《まへ》ら|一体《いつたい》|酒《さけ》|食《くら》うて |何《なに》が|不足《ふそく》で|怒《おこ》るのか
|泣《な》いて|明石《あかし》の|浜千鳥《はまちどり》 |泣《な》いた|序《ついで》に|可哀相《かあいさう》な
さぞ|今頃《いまごろ》は|菖蒲子《あやめこ》が |奈落《ならく》の|底《そこ》でベソベソと
|泣《な》いて|厶《ござ》るに|違《ちがひ》ない それを|思《おも》へば|俺《おれ》だとて
チツとは|泣《な》かずにや|居《を》られない ウントコドツコイ ドツコイシヨ
|呑《の》めよ|呑《の》め|呑《の》め|騒《さわ》げよ|騒《さわ》げ |一寸先《いつすんさき》は|真《しん》の|暗《やみ》
|後《あと》から|月《つき》が|出《で》るけれど |其《その》|月《つき》こそは|運《うん》の【つき】
うろ【つき】|間誤《まご》【つき】ウソ【つき】の ヤクザばかりが|寄《よ》り|合《あ》うて
バラモン|教《けう》を|開《ひら》くとは |呆《あき》れて|物《もの》が|言《い》はれない
ウントコドツコイ ドツコイシヨー |照国別《てるくにわけ》や|菖蒲子《あやめこ》を
|甘《うま》くおとして|喜《よろこ》んで |酒《さけ》にくらひ|酔《よ》て|居《ゐ》る|内《うち》に
|剛力《がうりき》|無双《むさう》の|宣伝使《せんでんし》 |又《また》もや|現《あら》はれ|来《き》たならば
|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》もうろたへて |一泡《ひとあわ》|吹《ふ》くに|違《ちがひ》ない
あゝ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い |俺《おれ》は|高見《たかみ》で|見物《けんぶつ》だ
|大足別《おほだるわけ》の|腰抜《こしぬけ》が さぞ|今頃《いまごろ》は|馬《うま》に|乗《の》り
デカタン|高原《かうげん》トボトボと |数多《あまた》の|軍勢《ぐんぜい》を|引《ひき》つれて
|冥途《めいど》の|旅《たび》とは|知《し》らずして |歩《ある》いて|居《ゐ》るか|情《なさけ》ない
とは|云《い》ふものの|俺達《おれたち》は チツとも|苦《くる》しうない|程《ほど》に
|其《そ》れの|乾児《こぶん》と|選《えら》まれた レール ポーロやシヤム ハール
|其《その》|外《ほか》|百《もも》のガラクタが やりをる|事《こと》が|面《つら》にくい
ホンに|呆《あき》れた|奴《やつ》ばかり |神《かみ》の|布教《ふけう》を|楯《たて》となし
|其《その》|内実《ないじつ》は|泥坊《どろばう》を |本職《ほんしよく》とする|奴《やつ》ばかり
|此《この》|岩窟《がんくつ》は|神様《かみさま》の |聖場《せいぢやう》どころか|狼《おほかみ》や
|獅子《しし》|熊《くま》|大蛇《をろち》の|跳梁場《てうりやうば》 |早《はや》く|尊《たふと》い|神《かみ》が|来《き》て
|此奴《こいつ》ら|一同《いちどう》|悉《ことごと》く |平《たひら》げくれればよいものに
あゝ|叶《かな》はむからたまらない かんかんチキチン カンチキチン
ドツコイドツコイドツコイシヨー ホンに|困《こま》つた|奴《やつ》ばかり
|顔《かほ》|見《み》てさへも|腹《はら》が|立《た》つ』
レール『コラコラ|怪《け》しからぬ|事《こと》を|吐《ほざ》く|奴《やつ》だ。|貴様《きさま》は|三五教《あななひけう》の|間者《まはしもの》だらう、コーカス|山《ざん》のヤツコスの|子孫《しそん》だなんて|吐《ぬか》してけつかつたが、|貴様《きさま》はウラル|教《けう》をすてて、とうとう|三五教《あななひけう》に|沈没《ちんぼつ》してケツカルのに|違《ちがひ》ない。サア|有体《ありてい》に|白状《はくじやう》せい、|蛙《かはづ》は|口《くち》からだ、|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》や|大足別《おほだるわけ》の|大将《たいしやう》の|悪口《わるくち》ばかり|吐《ほざ》きやがつたぢやないか』
ヤツコス『|馬鹿《ばか》だなア、|俺《おれ》の|素性《すじやう》を|今迄《いままで》|知《し》らなかつたのか。|俺《おれ》は|三五教《あななひけう》の|岩彦《いはひこ》といふ|宣伝使《せんでんし》だ。|神様《かみさま》の|内命《ないめい》に|依《よ》つて|貴様等《きさまら》の|行動《かうどう》を|調査《てうさ》してゐるのを|知《し》らぬのかい。サア|何《なん》ぼなつともがけ、アタいやらしい、ドツサリ|盗《ぬす》み|酒《ざけ》に|喰《くら》ひ|酔《よ》うて、|脛腰《すねこし》も|立《た》たぬ|態《ざま》して、|如何《どう》して|俺《おれ》に|手向《たむか》ふ|事《こと》が|出来《でき》ようか。|丸《まる》で|躄《ゐざり》の|病院《びやうゐん》へ|来《き》たやうなものだ。サアこれから|此《この》|岩彦《いはひこ》さまが、|此《この》|出刃庖丁《でばぼうちやう》で、|親《おや》ゆづりの|裘《かはごろも》を|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|剥《は》いでやらう、|覚悟《かくご》を|致《いた》せ。アハヽヽヽ』
と|出刃庖丁《でばぼうちやう》をグツと|握《にぎ》つてレールの|前《まへ》に|突《つ》き|出《だ》した。レールは|逃《に》げようとすれ|共《ども》、|余《あま》りの|泥酔《でいすゐ》に|口《くち》ばかり|達者《たつしや》で、|手足《てあし》の|自由《じいう》を|失《うしな》つてゐた。
レール『オイ、ポーロ、シヤム、ハール、|何《なに》してゐるのだ。|此《この》ヤツコスを|貴様等《きさまら》|寄《よ》つて|叩《たた》き|殺《ころ》して|了《しま》へ』
ポーロ、ヘベレケになつて、
『オイ、レール、|貴様《きさま》のいふこた、|一体《いつたい》、|一寸《ちよつと》も|分《わか》らぬぢやないか。|殺《ころ》すとか|殺《ころ》さぬとかぬかして|居《ゐ》るが、あゝしておけば|四人《よにん》の|奴《やつ》ア、そんなに|骨《ほね》を|折《を》らなくても、ひとり|木乃伊《みいら》になつて|了《しま》ふワ。マア|酒《さけ》でもゆつくり|呑《の》め、|俺《おれ》やモウ|一足《ひとあし》も|立《た》つ|事《こと》も|出来《でき》やしないワ、アーア|苦《くる》しい、|酒《さけ》と|云《い》ふ|奴《やつ》ア、|呑《の》まれる|時《とき》にや|甘《うま》い|味《あぢ》をしてゐやがるが、|腹中《はらんなか》に|這入《はい》つてから|盛《さかん》に|活動《くわつどう》しやがるとみえて、|何《ど》うにも|斯《か》うにも|苦《くるし》くて|仕方《しかた》がない。ゲー、ガラガラ ガラガラ、ウツプー』
レール『エヽ|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も、|酔《よひ》どればかりぢやなア。さうぢやから|酒《さけ》を|身知《みし》らずに|食《くら》ふなというて|聞《き》かしてあるのだ』
シヤム『オイ、レール、|偉相《えらさう》に|言《い》ふない、お|前《まへ》だつて、|脛腰《すねこし》が|立《た》たぬとこまで|酔《よ》うてゐるぢやないか』
レール『|俺《おれ》は|俺《おれ》で|特別《とくべつ》だ。|俺《おれ》の|真似《まね》をすると|云《い》ふ|事《こと》があるものかい。アーン、コレコレお|化《ば》けのヤツコスさま、そんな|出刃《でば》のやうな|危《あぶな》いものをふりまはさずに|早《はや》く|陥穽《おとしあな》の|戸《と》をあけ、|早《はや》く|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》を|助《たす》けぬかい。そして|俺達《おれたち》の|代表者《だいへうしや》となつて、|御無礼《ごぶれい》をお|詫《わ》びしてくれないか。ナア、イワイワ|岩彦《いはひこ》の|宣伝使《せんでんし》、お|前《まへ》も|中々《なかなか》ぬかりのない|男《をとこ》だ。|俺《おれ》もカンチンした、|流石《さすが》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だワイ。アーン』
ヤツコス『オヽ|貴様《きさま》のいふ|通《とほ》り、|早《はや》く|宣伝使《せんでんし》|様《さま》をお|助《たす》け|致《いた》さねばならぬ。シツカリ|顔《かほ》を|見《み》なかつたが、|何《なん》でも|梅彦《うめひこ》によく|似《に》て|居《を》つたやうだ。ドレこれから|四人《よにん》を|救《すく》ひあげて、|貴様等《きさまら》|一同《いちどう》を|其《その》|後《あと》へほり|込《こ》んでやらうか。|此奴《こいつ》ア|面白《おもしろ》い』
と|立上《たちあが》らうとするのを、レールは|矢庭《やには》にヤツコスの|足《あし》にくらひつき、
『|俺《おれ》はレール|酔《よ》うたのだから、|寝鳥《ねとり》の|首《くび》を|締《し》めるやうな|事《こと》をやられちや|浮《うか》む|瀬《せ》がないワ。マアマア|一《ひと》つ|鍋《なべ》を|食《く》た|仲《なか》だから、|其《その》|誼《よし》みで|俺《おれ》|丈《だけ》は|免除《めんぢよ》してくれ。|其《その》|代《かは》りにポーロ、シヤム、ハール、エルマ、エム|等《など》は|一寸《ちよつと》も|遠慮《ゑんりよ》いらぬから、ドシドシと|放《ほ》り|込《こ》んでくれ。モウ|斯《か》うなると|吾《わが》|身《み》が|大事《だいじ》ぢや、|人《ひと》が|死《し》なうが|倒《たふ》れやうが、|吾《われ》さへ|良《よ》けらよい|時節《じせつ》だ。コレ|丈《だけ》|道理《だうり》を|解《わ》けて|頼《たの》むのにお|前《まへ》は|聞《き》いてくれぬのか。アーン』
|斯《か》かる|所《ところ》へキルクは|慌《あわただ》しくやつて|来《き》た。
キルク『オイオイポーロ、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》がタール、ハム、イール、ヨセフを|供《とも》としてやつて|来《き》ました。|如何《どう》|致《いた》しませうかな』
ポーロ『ナニ、|又《また》|宣伝使《せんでんし》がやつて|来《き》た? そしてハムの|兄哥《あにき》が|居《を》るといふのか、ソラ|洒落《しやれ》てる、|流石《さすが》はハムだ。|甘《うま》く|引張《ひつぱ》り|込《こ》んで|来《き》やがつたな』
キルク『イエイエ|滅相《めつさう》もない。ハム、タール、イール、ヨセフはスツカリ|三五教《あななひけう》の|味方《みかた》をして、ここへやつて|来《き》よつたのだ』
ポーロ『ハハー|彼奴《あいつ》ア|鬼熊別《おにくまわけ》さまの|子分《こぶん》だけれど、|同《おな》じ|教《をしへ》だと|思《おも》つて、|俺達《おれたち》に|手柄《てがら》をさそうと|連《つ》れて|来《き》たのだらう。|本当《ほんたう》に|気《き》の|利《き》いた|奴《やつ》だ』
ヤツコス『ナニ、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が|来《き》たか、|其奴《そいつ》ア|面白《おもしろ》い、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|酔《よ》ひつぶれて|居《ゐ》やがる、|決《けつ》して|老人《らうじん》|夫婦《ふうふ》に|対《たい》し|後顧《こうこ》の|憂《うれ》ひがないから、|俺《おれ》が|一《ひと》つ|出迎《でむか》へに|行《い》て|来《こ》う』
と、|岩戸《いはと》の|入口《いりぐち》に|走《はし》り|出《い》で、
『これはこれは|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、お|名《な》は|存《ぞん》じませぬが、マア|奥《おく》へお|入《はい》り|下《くだ》さい。|照国別《てるくにわけ》|一行《いつかう》が|今《いま》|陥穽《おとしあな》へおとされて|困《こま》つてゐる|所《ところ》です。サア|早《はや》く|飛込《とびこ》んで|岩窟《いはや》|征伐《せいばつ》をして|下《くだ》さい。|吾々《われわれ》もお|手伝《てつだひ》ひを|致《いた》しませう』
|国公《くにこう》『ハテ、|合点《がつてん》のいかぬ|事《こと》を|云《い》ふぢやないか、お|前《まへ》はバラモン|教《けう》の|眷族《けんぞく》だらう』
ヤツコス『|実《じつ》の|所《ところ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|岩彦命《いはひこのみこと》だ。|大神様《おほかみさま》の|内命《ないめい》に|依《よ》つて、|此《この》|岩窟《がんくつ》へ|信者《しんじや》と|化《ば》けこみ、|今迄《いままで》|時《とき》を|待《ま》つてゐたのだ。お|前《まへ》もまだ|新米《しんまい》と|見《み》えるが、ナーニ|案《あん》じる|事《こと》はない。トツトと|這入《はい》つてくれ、|随分《ずゐぶん》|面白《おもしろ》い|事《こと》が|始《はじ》まつてゐるから』
と|鷹揚《おうやう》に|言《い》ひ|放《はな》ち、ニコニコとして|奥《おく》に|入《い》る。|国公《くにこう》は|合点《がつてん》|行《ゆ》かず、|四人《よにん》を|従《したが》へ|奥深《おくふか》く|進《すす》み|入《い》り、|酔《よ》ひどれの|姿《すがた》を|見《み》て、|顔《かほ》をしかめ、
『アヽいやな|匂《にほ》がするぢやないか、|何《なん》だムサ|苦《くる》しい、そこら|中《ぢう》に|店出《みせだ》しをしよつて、オイ|何《なに》か|芳香水《はうかうすゐ》がないか、イヤ|防臭液《ばうしうえき》でもいい、チトふりかけてくれ』
|岩彦《いはひこ》『それは|兎《と》も|角《かく》、|照国別《てるくにわけ》|外《ほか》|三人《さんにん》を|救《すく》ひ|上《あ》げねばならぬ。そんな|末梢的《まつせうてき》|問題《もんだい》はどうでもいい、|中々《なかなか》|戸《と》が|重《おも》たくて|俺《おれ》|一人《ひとり》では|如何《いかん》ともする|事《こと》が|出来《でき》ない。ヤイ、|一同《いちどう》の|連中《れんちう》さま、|俺《おれ》に|力《ちから》を|貸《か》してくれ、ここだ|此《この》|丸《まる》い|穴《あな》へ|一人《ひとり》づつ|指《ゆび》を|突込《つつこ》んでグイと|引上《ひきあ》げてくれ』
|国公《くにこう》は『ヨシ|来《き》た』と|言《い》ひながら|六人《ろくにん》|力《ちから》を|併《しかし》せて、|非常《ひじやう》に|重《おも》たい|板《いた》の|戸《と》を|引《ひ》きあけた。|中《なか》には|四人《よにん》の|男女《だんぢよ》が|一生懸命《いつしやうけんめい》に|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》してゐた。|国公《くにこう》は|穴《あな》を|覗《のぞ》いて、
『ヤア|照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|危《あぶな》い|所《ところ》でありました。|黄金姫《わうごんひめ》|様《さま》、|清照姫《きよてるひめ》|様《さま》の|命令《めいれい》に|依《よ》つて、あなた|方《がた》をお|助《たす》けに|参《まゐ》りました』
|照国別《てるくにわけ》『ヤアそれは|御苦労《ごくらう》だつた、|曲津神《まがつかみ》|奴《め》、とうとうこんな|所《ところ》へおとしよつて|流石《さすが》の|俺《おれ》も|如何《どう》なる|事《こと》かと、|聊《いささ》か|心配《しんぱい》してゐた。|持《も》つべき|者《もの》は|家来《けらい》なりけりだ。|早《はや》く|繩梯子《なはばしご》でもおろしてくれないか』
|岩彦《いはひこ》は|何処《いづこ》よりか|繩梯子《なはばしご》を|持来《もちきた》り、バラリとかけ|下《お》ろした。|照国別《てるくにわけ》を|初《はじ》め、|菖蒲《あやめ》、|照公《てるこう》、|梅公《うめこう》は|猿《ましら》の|如《ごと》く|繩梯子《なはばしご》を|伝《つた》うてかけ|上《のぼ》り、|国公《くにこう》の|前《まへ》に|首《くび》を|一寸《ちよつと》|下《さ》げ、
『ヤア|有難《ありがた》う』
と|挨拶《あいさつ》する。|岩彦《いはひこ》は|照国別《てるくにわけ》の|背《せな》を|二《ふた》つ|三《み》つポンポンと|叩《たた》き、
『ヤア|梅彦《うめひこ》、|久《ひさ》し|振《ぶり》だつたねい、こんな|所《ところ》で|会《あ》はうとは|夢《ゆめ》にも|思《おも》はなかつたよ』
|照国別《てるくにわけ》『ヨーお|前《まへ》は|岩彦《いはひこ》だつたか、|何《なん》と|不思議《ふしぎ》な|所《ところ》で|会《あ》うたものだ。|併《しか》し|老人《らうじん》|夫婦《ふうふ》はどうしてゐるか、|聞《き》かしてくれ』
|岩彦《いはひこ》『|心配《しんぱい》すな、|俺《おれ》がいつもかくれ|忍《しの》んで|十分《じふぶん》の|御馳走《ごちそう》を|与《あた》へ、|大切《たいせつ》に|守《まも》つてゐたから、お|二人《ふたり》|共《とも》|至極《しごく》|健全《けんぜん》だ。|聞《き》けばお|前《まへ》の|両親《りやうしん》だつたさうだねい』
|照国別《てるくにわけ》『|両親《りやうしん》はどこにゐられるか、|案内《あんない》してくれないか』
|岩彦《いはひこ》『ヨシ|俺《おれ》に|従《つ》いて|来《こ》い、|陥穽《おとしあな》はモウこれ|丈《だけ》だ』
と|言《い》ひつつ、|牢屋《らうや》の|前《まへ》に|導《みちび》いた。|見《み》れば|牢獄《らうごく》の|戸《と》はパツと|開《ひら》いてある。|照国別《てるくにわけ》がここへ|来《き》た|時《とき》にシヤムの|奴《やつ》、|驚《おどろ》いて|戸《と》を|開《あ》けておいたからである。されど|老人《らうじん》|夫婦《ふうふ》は|仮令《たとへ》|此《この》|牢獄《ひとや》を|出《で》た|所《ところ》で、ヤツパリ|岩窟《がんくつ》の|中《なか》だ、どんな|目《め》に|会《あ》はされるか|知《し》れないと、|小隅《こすみ》に|夫婦《ふうふ》は|抱合《だきあ》つて、|震《ふる》うてゐた。
|照国別《てるくにわけ》は|声《こゑ》をくもらせ、
『モシお|父《とう》さま、お|母《か》アさま、|私《わたし》は|梅彦《うめひこ》で|御座《ござ》います、|妹《いもうと》の|菖蒲《あやめ》もここに|参《まゐ》つて|居《を》ります。どうぞ|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
|此《この》|声《こゑ》を|聞《き》くより|老人《らうじん》|夫婦《ふうふ》は|牢獄《ひとや》を|飛《と》び|出《い》で、|樫谷彦《かしやひこ》は|菖蒲《あやめ》に|樫谷姫《かしやひめ》は|照国別《てるくにわけ》に|抱《だき》つき、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》にかきくれ、|暫《しば》しは|無言《むごん》の|幕《まく》をつづけて、|熱《あつ》き|涙《なみだ》を|滝《たき》の|如《ごと》くに|流《なが》すのみなり。
これよりポーロ、レールを|初《はじ》め|一同《いちどう》の|罪《つみ》を|赦《ゆる》し、|照国別《てるくにわけ》は|両親《りやうしん》を|初《はじ》め、|妹《いもうと》|菖蒲《あやめ》を|国公《くにこう》に|守《まも》らせ、タール、イール、ハム、ヨセフも|前後《あとさき》を|守《まも》つて、アーメニヤの|故郷《こきやう》へ|帰《かへ》らしめ、|自分《じぶん》は|大神《おほかみ》の|使命《しめい》を|果《はた》すべく、|照公《てるこう》、|梅公《うめこう》|及《および》|岩彦《いはひこ》を|伴《ともな》ひ、|岩窟《いはや》を|後《あと》にフサの|国《くに》をさして、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひつつ、|勇《いさ》み|進《すす》んで|出《い》でて|行《ゆ》く。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・一〇・二八 旧九・九 松村真澄録)
第五篇 |馬蹄《ばてい》の|反影《はんえい》
第一七章 テームス|峠《たうげ》〔一〇八二〕
|黄金姫《わうごんひめ》、|清照姫《きよてるひめ》の|母娘《おやこ》は|巡礼姿《じゆんれいすがた》に|身《み》をやつし、|金剛杖《こんがうづゑ》にて|地《ち》を|叩《たた》きつつ、|霧《きり》こむ|野辺《のべ》を|西南《せいなん》|指《さ》して|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|浮木ケ原《うききがはら》をさして|進《すす》み|行《ゆ》く。|道《みち》につき|当《あた》つた|可《か》なり|高《たか》き|山《やま》がある。|此《この》|山《やま》を|何《ど》うしても|越《こ》えねば|道《みち》がない。|日《ひ》は|已《すで》に|山《やま》の|端《は》に|没《ぼつ》して|四面《しめん》|暗黒《あんこく》に|包《つつ》まれた。|此《この》|山《やま》の|名《な》はテームス|山《ざん》といふ。|登《のぼ》りが|三里《さんり》|下《くだ》りが|三里《さんり》、|可《か》なり|大《おほ》きな|峠《たうげ》でフサの|国《くに》より|月《つき》の|国《くに》へ|渉《わた》る|境域《きやういき》である。|母娘《おやこ》|二人《ふたり》は|山麓《さんろく》の|路傍《みちばた》の|岩《いは》の|上《うへ》に|腰打掛《こしうちか》け|息《いき》を|休《やす》めてゐた。そこへ|二人《ふたり》の|馬方《うまかた》|駻馬《かんば》を|引《ひき》つれ、ハイハイと|言《い》ひ|乍《なが》ら、|現《あら》はれ|来《きた》り、
『モシモシ|旅《たび》のお|方《かた》、|此《この》テームス|山《ざん》はアフガニスタンで|有名《いうめい》な|峻坂《しゆんぱん》で|厶《ござ》います。|女《をんな》の|足《あし》では|到底《たうてい》|跋渉《ばつせふ》する|事《こと》は|出来《でき》ますまい。|私《わたし》はこれから|此《この》|峠《たうげ》を|渉《わた》りて|月《つき》の|国《くに》へ|帰《かへ》る|者《もの》、どうぞ|此《この》|馬《うま》に|乗《の》つて|下《くだ》さい。|帰《かへ》りがけだから|何時《いつ》もとは|半分《はんぶん》の|賃金《ちんぎん》に|致《いた》しておきます』
|黄金姫《わうごんひめ》『|折角《せつかく》なれど|吾々《われわれ》は|達者《たつしや》な|足《あし》を|持《も》つてゐるから|馬《うま》の|世話《せわ》になるのは|止《や》めておきませう』
|馬方《うまかた》『エヽ|馬鹿《ばか》にすない。|足《あし》があるなんて、|分《わか》り|切《き》つた|事《こと》をいやがつて、|足《あし》のない|奴《やつ》が|旅《たび》する|筈《はず》があるかい。いやなら|厭《いや》でいいワ。|乗《の》らぬと|吐《ぬか》しやがるが、|此方《こちら》の|方《はう》から|乗《の》せてやらぬワイ』
|黄金姫《わうごんひめ》『オホヽヽこれ|馬方《うまかた》さま、お|前《まへ》さまは|本当《ほんたう》の|馬方《うまかた》ぢやあるまいがな。お|前《まへ》のひいてゐる|馬《うま》はそこらに|居《を》つた|野馬《やば》を|臨時《りんじ》|引《ひつ》つかんで|来《き》た|証拠《しようこ》には|轡《くつは》も|無《な》し、|馬《うま》の|爪《つめ》が|大変《たいへん》に|伸《の》びてゐる、そしてお|前《まへ》の|言葉《ことば》は|馬方《うまかた》|言葉《ことば》ぢやない。バラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》の|供《とも》でもしてゐた|代物《しろもの》だろ。そんな|事《こと》をして|吾々《われわれ》|母娘《おやこ》を|馬《うま》に|乗《の》せ、|急坂《きふはん》になつた|所《ところ》で、|馬《うま》の|足《あし》を|叩《たた》き、|馬《うま》を|転倒《てんたう》させて、|吾々《われわれ》|母娘《おやこ》を○○しようといふ|悪《わる》い|了見《れうけん》だろ、お|前《まへ》の|顔《かほ》にチヤンと|書《か》いてある。そんなウソツパチを|喰《く》ふやうな|婆《ばば》アぢやありませぬぞ。|又《また》|河鹿峠《かじかたうげ》のやうに|谷底《たにそこ》へつまんで|放《ほ》つて|上《あ》げようか、お|前《まへ》は|五人《ごにん》の|中《なか》の|一人《ひとり》、|運《うん》よく|助《たす》かつて|逃《に》げた|男《をとこ》だらう、どこともなしに|面《おもて》に|見覚《みおぼ》えがあるから|騙《だま》したつて|駄目《だめ》だよ』
|馬方《うまかた》『イヤもうそこ|迄《まで》|看破《かんぱ》されては|仕方《しかた》がありませぬ。|実《じつ》の|所《ところ》はあの|時《とき》|五人《ごにん》の|中《うち》に|加《くは》はつてゐたレーブといふ、|余《あま》りよくない|代物《しろもの》です。お|前《まへ》さまが|大変《たいへん》な|神力《しんりき》を|現《あら》はして|自分《じぶん》の|同僚《どうれう》を|三人《さんにん》|迄《まで》|谷底《たにそこ》へ|投込《なげこ》んだ|時《とき》の|恐《おそ》ろしさ。|何《なん》とかしてお|前《まへ》さま|母娘《おやこ》を|亡《な》き|者《もの》に|致《いた》さねば、|吾々《われわれ》の|思惑《おもわく》は|何時《いつ》になつても|立《た》たない。|又《また》|可哀《かあい》さうに|俺達《おれたち》の|友達《ともだち》|二人《ふたり》まで、|冥途《めいど》の|旅《たび》をしたのだから、|友《とも》の|仇敵《かたき》を|討《う》つてやらねばならぬ、|何《いづ》れ|此《この》|峠《たうげ》を|越《こ》すに|違《ちがひ》ないと|思《おも》うて、|野馬《やば》を|引捉《ひつとら》へ、|道《みち》に|会《あ》うた|一人《ひとり》の|友達《ともだち》と、|一目散《いちもくさん》にここ|迄《まで》|走《はし》つて|来《き》て、|待《ま》つてゐました。|併《しか》しながらお|前《まへ》さまが|私《わし》の|計略《けいりやく》を|看破《かんぱ》した|上《うへ》は、|手《て》も|足《あし》も|出《だ》すことは|出来《でき》ない。そんなら|馬《うま》に|乗《の》るのは|止《や》めて|貰《もら》ひませう。|油断《ゆだん》をせない|旅人《たびびと》を|乗《の》せて|行《い》つたところで、|思惑《おもわく》は|立《た》ちませぬからな』
と|怖《こは》さうに|逃《に》げ|腰《ごし》になつて|喋《しやべ》つて|居《ゐ》る。
|黄金姫《わうごんひめ》『コレ、レーブとやら、お|前《まへ》は|鬼熊別《おにくまわけ》さまの|部下《ぶか》ではないか。|但《ただし》は|臨時雇《りんじやとひ》で|働《はたら》いてゐるのか』
レーブ『ハイ、|三年《さんねん》ばかり|前《まへ》から|結構《けつこう》なお|手当《てあて》を|頂戴《ちやうだい》して、|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》の|奥様《おくさま》の|蜈蚣姫《むかでひめ》や|小糸姫《こいとひめ》さまの|所在《ありか》が|分《わか》らないので、|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》も|今《いま》は|立派《りつぱ》な|身《み》の|上《うへ》にお|成《な》り|遊《あそ》ばし、|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》と|肩《かた》を|並《なら》べられ、|世間《せけん》の|信用《しんよう》は|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》よりもズツと|宜《よろ》しい。それ|故《ゆゑ》|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》に|従《したが》ふ|者《もの》が|日《ひ》に|月《つき》に|増《ふ》えて|来《き》まして、|私《わたし》も|御恩顧《ごおんこ》を|蒙《かうむ》つてゐる|者《もの》、|奥様《おくさま》や|娘子《むすめご》の|所在《ありか》を|尋《たづ》ねむ|為《ため》に、ハムを|初《はじ》め|吾々《われわれ》|四人《よにん》が|一隊《いつたい》となつて、|其《その》|所在《ありか》を|尋《たづ》ねてゐました。|併《しか》し|乍《なが》らいくら|尋《たづ》ねても|此《この》|広《ひろ》い|世《よ》の|中《なか》|自転倒島《おのころじま》へはそれぞれ|手分《てわ》けをして|捜《さが》しに|行《い》つて|居《を》りますが、|今《いま》にお|行方《ゆくへ》は|分《わか》りませぬ。|噂《うはさ》に|聞《き》けば|三五教《あななひけう》に|入信《はい》られたとの|事《こと》、ウブスナ|山《やま》の|斎苑館《いそやかた》には|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が|集《あつ》まつてゐられるといふ|話《はなし》なので、|河鹿峠《かじかたうげ》を|越《こ》えて|参《まゐ》る|途中《とちう》、あなた|様《さま》に|出会《でつくは》し、|仮令《たとへ》|蜈蚣姫《むかでひめ》でなくても|小糸姫《こいとひめ》でなくても、|丁度《ちやうど》|都合《つがふ》のよい|婆《ば》アさまと|娘《むすめ》、|有無《うむ》をいはせず|伴《つ》れ|帰《かへ》り、|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》にお|目《め》にかけたならば、コリヤ|人違《ひとちがひ》だ、|併《しか》し|乍《なが》らそれも|無理《むり》はない、|人相書《にんさうがき》|位《くらゐ》では|分《わか》るものではないから、|併《しか》しよくマアここ|迄《まで》|骨《ほね》を|折《を》つたと、お|賞《ほ》めの|言《ことば》を|頂《いただ》かねば、|三年《さんねん》も|手当《てあて》を|貰《もら》うて|居《を》つた|印《しるし》がないと|思《おも》ひ、|一寸《ちよつと》|失礼《しつれい》をも|省《かへり》みず、|一狂言《ひときやうげん》をやつて|見《み》ました。|右様《みぎやう》の|次第《しだい》で|厶《ござ》いますから、|決《けつ》して|泥棒《どろばう》でも|何《なん》でも|厶《ござ》いませぬ。|只《ただ》お|手当《てあて》に|対《たい》する|義務上《ぎむじやう》、あなた|様《さま》を|犠牲《ぎせい》にしようとズルイ|考《かんが》へを|起《おこ》したので|厶《ござ》います。|併《しか》し|乍《なが》ら|私《わたし》はホンの|端《はし》くれ|役人《やくにん》、これにはハムといふ|発頭人《ほつとうにん》が|厶《ござ》います。|到底《たうてい》あなた|母娘《おやこ》に|睨《にら》まれては|堪《たま》りませぬから、どうぞ|三五教《あななひけう》ならば|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、これも|神《かみ》の|御都合《ごつがふ》だと|宣《の》り|直《なほ》して|助《たす》けて|下《くだ》さいませ。|心《こころ》の|底《そこ》から|改心《かいしん》して|此《この》|通《とほ》り|手《て》を|合《あは》してお|詫《わび》|致《いた》します。コリヤ、テク、|貴様《きさま》もお|詫《わび》の|加勢《かせい》をしてくれぬか。|御立腹《ごりつぷく》がひどいと|見《み》えて、|容易《ようい》にお|気色《きしよく》が|直《なほ》らぬぢやないか』
|黄金姫《わうごんひめ》『お|前《まへ》のいふ|事《こと》は|寸分《すんぶん》|間違《まちがひ》はないか』
レーブ『ヘーヘー、どうして|嘘《うそ》を|申《まを》しませう』
|清照姫《きよてるひめ》『コレ、レーブとやら、|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》は|本当《ほんたう》に|御壮健《ごさうけん》でゐらせられますかなア。|綺麗《きれい》な|奥様《おくさま》を|迎《むか》へてゐられる|様《やう》な|事《こと》はないかな』
レーブ『どうしてどうして、|品行方正《ひんかうはうせい》な|慈悲《じひ》|深《ぶか》いそれはそれは、ハルナの|都《みやこ》でも|名《な》の|高《たか》い、|聖人君子《せいじんくんし》と、バラモン|国《こく》|一体《いつたい》に|仰《あふ》がれて|厶《ござ》るお|方《かた》で|厶《ござ》います』
|清照姫《きよてるひめ》『|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》は|壮健《さうけん》でゐらせられますか』
レーブ『ヘーヘー、|壮健《さうけん》も|壮健《さうけん》、|先《さき》の|奥様《おくさま》が|古《ふる》くなつたというて、|小《ち》つぽけな|家《いへ》を|建《た》てて|隠居《いんきよ》をさせ、|其《その》|後《あと》へ|天人《てんにん》のやうな|若《わか》い|女房《にようばう》を|据《す》ゑ、|沢山《たくさん》な|妾《めかけ》を|囲《かこ》つて、|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|酒池肉林《しゆちにくりん》の|乱痴気《らんちき》|騒《さわ》ぎ、|誰《たれ》も|彼《かれ》も|眉《まゆ》を|顰《ひそ》めて|居《を》りますけれど、|何《なに》を|云《い》うても|沢山《たくさん》の|軍隊《ぐんたい》を|抱《かか》へてゐる|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》、そして|梵天王《ぼんてんわう》の|御子孫《ごしそん》といふので、|何事《なにごと》をなさつても|御意見《ごいけん》|申上《まをしあ》げる|者《もの》も|無《な》し、|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》に|比《くら》ぶれば、|其《その》|信用《しんよう》の|点《てん》に|於《おい》ても、|品行《ひんかう》の|点《てん》に|於《おい》ても|天地黒白《てんちこくびやく》の|相違《さうゐ》で|厶《ござ》います。|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》は|余《あま》り|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》の|御信用《ごしんよう》が|高《たか》うなつたので、|少《すこ》しく|猜疑心《さいぎしん》が|起《おこ》り、|何《なに》かにつけて|御主人様《ごしゆじんさま》のなさる|事《こと》を、ゴテゴテとケチをつけ、|無理難題《むりなんだい》を|吹《ふつ》かけ、|種々雑多《しゆじゆざつた》の|圧迫《あつぱく》を|加《くは》へられますが、|御忍耐《ごにんたい》の|強《つよ》い|私《わたし》の|御主人《ごしゆじん》は、|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》が|何《なん》と|仰有《おつしや》つても、|平気《へいき》な|顔《かほ》で|唯々諾々《ゐゐだくだく》として|従《したが》うていらつしやいます。|家来《けらい》の|私《わたし》でさへも|気《き》の|毒《どく》でなりませぬ』
と|差俯《さしうつ》むいて|涙《なみだ》をハラハラと|流《なが》す、|其《その》|涙《なみだ》に|真実《しんじつ》が|現《あら》はれてゐた。
|黄金姫《わうごんひめ》『それを|聞《き》いて|私《わたし》も|安心《あんしん》した。|実《じつ》は|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》の|女房《にようばう》|蜈蚣姫《むかでひめ》は|私《わし》だよ』
レーブは|此《この》|言《げん》に|驚《おどろ》いて|大地《だいち》に|平伏《ひれふ》し、
『コレハコレハ|奥様《おくさま》で|御座《ござ》いましたか。|存《ぞん》ぜぬこととて|重々《ぢうぢう》の|御無礼《ごぶれい》、|何卒《どうぞ》お|赦《ゆる》し|下《くだ》さいませ。そんなら|此《この》|娘《むすめ》|様《さま》は|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》で|厶《ござ》いますか』
と|又《また》サメザメと|嬉《うれ》し|泣《な》きに|泣《な》く。
|清照姫《きよてるひめ》『|私《わたし》は|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》の|娘《むすめ》|小糸姫《こいとひめ》だ。|十五《じふご》の|時《とき》に|心《こころ》の|曇《くも》りから|家《いへ》を|飛出《とびだ》し、|両親《りやうしん》に|御心配《ごしんぱい》をかけた|者《もの》だ。お|前《まへ》は|私《わたし》の|来歴《らいれき》を|聞《き》いて|居《ゐ》るだらうな』
レーブ『ハイ|詳《くは》しい|事《こと》は|存《ぞん》じませぬが、チヨイチヨイ、|同僚間《どうれうかん》の|話頭《わとう》に|上《のぼ》りますので、ウスウス|承《うけたま》はつて|居《を》りました。それを|聞《き》きます|上《うへ》は|奥様《おくさま》お|娘子《むすめご》に|違《ちがひ》は|厶《ござ》いませぬ。どうぞ|御安心《ごあんしん》の|上《うへ》|此《この》|馬《うま》に|乗《の》つて、|私《わたし》にハルナの|都《みやこ》まで|送《おく》らせて|下《くだ》さいませ。さうしますれば|御主人様《ごしゆじんさま》に|対《たい》しても|忠義《ちうぎ》が|立《た》つといふもの、お|願《ねがひ》で|厶《ござ》います』
|黄金姫《わうごんひめ》『アヽ|何《なん》と|神様《かみさま》は|水《みづ》も|洩《も》らさぬ|深《ふか》いお|仕組《しぐみ》、|到底《たうてい》|凡人《ただびと》の|窺《うかが》ひ|知《し》る|所《ところ》でない。|併《しか》し|乍《なが》ら|吾《わが》|夫《をつと》|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》は|其《その》|様《やう》な|立派《りつぱ》な|御方《おかた》になつてゐられるか、ホンに|嬉《うれ》しいことだ。それ|丈《だけ》|御忍耐《ごにんたい》の|深《ふか》い|神司《かむづかさ》とお|成《な》り|遊《あそ》ばした|以上《いじやう》は、キツと|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》をお|説《と》き|申《まを》したならば、|三五教《あななひけう》になつて|下《くだ》さるだらう。アヽ|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い……。コレ|清照姫《きよてるひめ》、モウ|大丈夫《だいぢやうぶ》だ|御安心《ごあんしん》なさい』
|清照姫《きよてるひめ》『お|母《か》アさま、|本当《ほんたう》に|嬉《うれ》しう|厶《ござ》いますなア』
レーブ『モシモシ|奥様《おくさま》、|私《わたし》の|前《まへ》だから、そんなことを|仰有《おつしや》つても|宜《よろ》しいが、モウこれきり|三五教《あななひけう》の|事《こと》は|仰有《おつしや》らぬが|宜《よろ》しい、|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》の|御迷惑《ごめいわく》になります。それでなくても|奥様《おくさま》や|娘《むすめ》|様《さま》が、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》に|成《な》つてゐられるといふ|噂《うはさ》が、|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》の|耳《みみ》に|入《はい》つてからといふものは、|大変《たいへん》な、|旦那様《だんなさま》に|対《たい》し、|圧迫《あつぱく》が|加《くは》はつて|来《き》てゐます。|旦那様《だんなさま》は|聖人君子《せいじんくんし》、|兵馬《へいば》の|権《けん》は|少《すこ》しもお|握《にぎ》り|遊《あそ》ばさず、|大黒主《おほくろぬし》に|睨《にら》まれたが|最後《さいご》|御身《おんみ》の|破滅《はめつ》、それ|故《ゆゑ》|一切《いつさい》を|神様《かみさま》に|任《まか》して|御隠忍《ごいんにん》|遊《あそ》ばして|厶《ござ》る|其《その》|矢先《やさき》、|旦那様《だんなさま》が|三五教《あななひけう》のお|話《はなし》をお|聞《き》きになつたといふことが|大黒主《おほくろぬし》に|聞《き》かれたが|最後《さいご》、|亡《ほろ》ぼされて|了《しま》ひます。どうぞ|今日《けふ》|限《かぎ》り|言《い》はない|様《やう》にして|下《くだ》さる|方《はう》が、|旦那様《だんなさま》|初《はじ》め|御両人様《ごりやうにんさま》のお|為《ため》で|厶《ござ》いませう』
|黄金姫《わうごんひめ》は|心《こころ》の|裡《うち》に………ナーニ、|大黒主《おほくろぬし》|何者《なにもの》ぞ、|何程《なにほど》|兵馬《へいば》の|権《けん》を|握《にぎ》るとはいへ、|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|三五《あななひ》の|言霊《ことたま》の|伊吹《いぶき》に|依《よ》つて|言向和《ことむけやは》すは|朝飯前《あさめしまへ》だ。|併《しか》し|乍《なが》らこんな|奴《やつこ》にそんな|事《こと》を|云《い》つて|気《き》を|揉《も》ますも|可哀相《かあいさう》だ………と|胸《むね》を|定《き》めて、
『お|前《まへ》のいふ|通《とほ》り、|旦那様《だんなさま》の|御難儀《ごなんぎ》になることだから、モウ|三五教《あななひけう》のことは|云《い》ひますまい………ナア|清照姫《きよてるひめ》、お|前《まへ》もこれきり|言《い》はない|様《やう》にして|下《くだ》さいや』
レーブ『アヽそれを|聞《き》いて|此《この》|奴《やつこ》も|安心《あんしん》|致《いた》しました。|併《しか》し|乍《なが》らここに|一《ひと》つの|大心配《だいしんぱい》が|厶《ござ》います。|都《みやこ》の|入口《いりぐち》に|大黒主《おほくろぬし》の|軍隊《ぐんたい》が|警護《けいご》し、|一々《いちいち》|人物《じんぶつ》|検《あらた》めを|致《いた》し、|信仰《しんかう》の|試験《しけん》をして|居《を》りますから、|其《その》|時《とき》にどうぞ|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》じみたことは|一《ひと》つも|言《い》はないやうにして|下《くだ》さらぬと、|九分九厘《くぶくりん》で|失敗《しつぱい》してはなりませぬから……』
|黄金姫《わうごんひめ》『あゝヨシヨシ、|安心《あんしん》しておくれ、|私《わたし》も|元《もと》はバラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》だから、そこは|如才《じよさい》なうやつてのけるから………』
レーブ『|誠《まこと》に|済《す》まないことで|厶《ござ》いますが、|旦那様《だんなさま》にお|会《あ》ひなさる|迄《まで》、|蜈蚣姫《むかでひめ》であつたとか、|小糸姫《こいとひめ》であつたとか|云《い》ふやうなことを|仰有《おつしや》つてはなりませぬぞや。|旦那様《だんなさま》は|旦那様《だんなさま》で、あなた|方《がた》を|恋慕《こひした》うて|私《ひそ》かに|呼《よ》び|寄《よ》せたいと|思召《おぼしめ》し、|吾々《われわれ》を|四方《よも》の|国《くに》にお|遣《つか》はしになり、|御行方《おんゆくへ》を|探《さが》させてゐられますなり、|又《また》|一方《いつぱう》の|大黒主《おほくろぬし》の|方《はう》では……|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》の|奥様《おくさま》|娘子《むすめご》が|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》になつてゐるさうだから、|何時《いつ》かは|帰《かへ》つて|来《く》るだらう、|其《その》|時《とき》に|鬼熊別《おにくまわけ》が|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》しようものなら、バラモン|教《けう》は|根底《こんてい》から|覆《かへ》つて|了《しま》ふ。|鬼熊別《おにくまわけ》に|親子《おやこ》の|対面《たいめん》|致《いた》させては|大変《たいへん》だ、それ|以前《いぜん》に|取《と》つ|捉《つか》まへて|命《いのち》を|取《と》り、|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》にソツと|内証《ないしよう》で|居《を》らうといふ|大将《たいしやう》のズルイお|考《かんが》へ、かういふ|具合《ぐあひ》で、|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》と|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》とは|始終《しじう》|暗闘《あんとう》が|続《つづ》けられて|居《を》りますから、|中々《なかなか》|都《みやこ》の|関門《くわんもん》をくぐることは|容易《ようい》なことでは|厶《ござ》いませぬ。|甚《はなは》だ|申《まをし》にくいこと|乍《なが》ら、あなた|様《さま》|母娘《おやこ》を|科人《とがにん》として|縛《しば》り|上《あ》げ、|馬《うま》の|背《せ》に|括《くく》りつけて|関門《くわんもん》をくぐりお|館《やかた》まで|送《おく》るより|手段《しゆだん》はないので|厶《ござ》います』
|黄金姫《わうごんひめ》はニタリと|笑《わら》ひ、|心《こころ》の|中《うち》にて………ナニそれ|程《ほど》|驚《おどろ》くことがあるものか、|吾々《われわれ》にはキツと|神様《かみさま》が|守護《しゆご》して|厶《ござ》る、そんなことは|心配《しんぱい》すな……と|口《くち》まで|出《だ》さうとしたが、|俄《にはか》に|呑《の》み|込《こ》み、ワザと|心配《しんぱい》さうに、
『|何《なに》から|何《なに》まで|気《き》をつけて|呉《く》れるお|前《まへ》の|親切《しんせつ》、|黄金姫《わうごんひめ》も|有難《ありがた》う|思《おも》ふぞや』
レーブ『ハイ、|勿体《もつたい》ない|其《その》お|言葉《ことば》、|左様《さやう》ならば|今夜《こんや》はここで|寝《やす》むことに|致《いた》しませう。|実《じつ》は|此《この》テームス|峠《たうげ》は|剣呑《けんのん》で|厶《ござ》います。|大黒主《おほくろぬし》の|一派《いつぱ》の|奴《やつ》が|関所《せきしよ》を|構《かま》へて|往来《ゆきき》の|人《ひと》を|査《しら》べて|居《を》りますから、|夜分《やぶん》は|尚更《なほさら》|剣呑《けんのん》なれば、|夜《よ》の|明《あ》けるのを|待《ま》ち、|姿《すがた》を|変《か》へて|此《この》|峠《たうげ》を|越《こ》えることと|致《いた》しませう』
|清照姫《きよてるひめ》『お|母《か》アさま、|昼《ひる》よりもそんな|危険《きけん》な|処《ところ》なら、|夜分《やぶん》の|方《はう》が|面白《おもしろ》いぢやありませぬか。|大黒主《おほくろぬし》の|部下《ぶか》が|仮令《たとへ》|何万《なんまん》|押寄《おしよ》せ|来《きた》る|共《とも》、|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》や、|生《うま》れつきの|吾《わが》|武勇《ぶゆう》にて、|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|谷底《たにそこ》へ|投《な》げやり、|懲《こら》しめてやつたら、|眠気《ねむけ》さましになつて|面白《おもしろ》いぢやありませぬか。そんなことを|聞《き》くと、|如何《どう》してこんな|所《ところ》に、|夜明《よあ》かしが|出来《でき》ませう。どうも|肉《にく》が|躍《をど》つて|腕《うで》が|鳴《な》り|堪《た》へられなくなつて|来《き》ました』
|黄金姫《わうごんひめ》『コレコレ|清照姫《きよてるひめ》、|大事《だいじ》の|前《まへ》の|小事《せうじ》だ。|小童武者《こわつぱむしや》に|相手《あひて》になり、ハルナの|都《みやこ》へ|入城《にふじやう》の|妨害《ばうがい》になつては、それこそ|大変《たいへん》だから、レーブの|云《い》ふ|通《とほ》り、|都《みやこ》へ|着《つ》く|迄《まで》は|柔順《おとな》しうして|行《ゆ》きませう。まして|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》の|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》がそんな|事《こと》をしてはなりませぬぞや、|賢《かしこ》いやうでもまだ|年《とし》が|若《わか》いから、……アヽ|困《こま》りますワイ、かうなると|老人《としより》も|矢張《やつぱり》|必要《ひつえう》だなア。オホヽヽヽヽ』
|清照姫《きよてるひめ》『|何事《なにごと》も|神様《かみさま》とお|母《か》ア|様《さま》にお|任《まか》せ|致《いた》しませう』
|黄金姫《わうごんひめ》『アヽそれが|良《よ》い それが|良《よ》い。|神様《かみさま》も|嘸《さぞ》お|前《まへ》の|其《その》お|言《ことば》を|御満足《ごまんぞく》に|思召《おぼしめ》すであらう。そんならレーブ、|今夜《こんや》はここで|夜《よ》を|明《あ》かすことにしよう』
レーブ『ハイ、さうなされませ。|私《わたし》もこれで|安心《あんしん》を|致《いた》しました』
と|主従《しゆじゆう》|四人《よにん》は|岩《いは》の|上《うへ》に|蓑《みの》を|布《し》き、|一夜《いちや》を|明《あか》すこととなつた。|四辺《あたり》に|聞《きこ》ゆる|狼《おほかみ》の|唸《うな》り|声《ごゑ》、|凩《こがらし》の|声《こゑ》と|共《とも》に|物凄《ものすご》く|聞《きこ》え|来《き》たる。
(大正一一・一〇・二九 旧九・一〇 松村真澄録)
第一八章 |関所守《せきしよもり》〔一〇八三〕
テームス|峠《たうげ》の|山上《さんじやう》にはバラモン|教《けう》の|関所《せきしよ》が|設《まう》けられ|四五人《しごにん》の|人《ひと》が|往来《ゆきき》の|人《ひと》の|信仰《しんかう》|調《しら》べをやつて|居《ゐ》る。と|云《い》ふのは|表面《へうめん》の|理由《りいう》で|其《その》|実《じつ》は|大黒主《おほくろぬし》の|命《めい》によつて|蜈蚣姫《むかでひめ》、|黄竜姫《わうりようひめ》の|所在《ありか》を|捜索《そうさく》し、|見付《みつ》け|次第《しだい》フン|縛《じば》つて|大黒主《おほくろぬし》の|館《やかた》へソツと|連《つ》れ|帰《かへ》れよとの|命令《めいれい》を|下《くだ》して|日夜《にちや》|見張《みは》りをさして|居《ゐ》たのである。|此《この》|関守《せきもり》は|春公《はるこう》、|清公《きよこう》、|道公《みちこう》、|紅葉《もみぢ》、|雪公《ゆきこう》と|云《い》ふ|五人《ごにん》であつた。|五人《ごにん》は|朝《あさ》から|晩《ばん》まで、|日《ひ》によると|一人《ひとり》も|道通《みちどほ》りがない|此《この》|関所《せきしよ》で|大《おほ》きな|口《くち》をあけ、|両手《りやうて》を|逆八《さかはち》の|字《じ》に|天井《てんじやう》へグツと|伸《の》ばし『アヽヽ』と|欠伸《あくび》の|共進会《きやうしんくわい》を|仕事《しごと》にして|居《ゐ》た。|仕方《しかた》がなしにそこら|中《ぢう》の|果物《くだもの》を【むし】つて|来《き》て|果物《くだもの》の|酒《さけ》を|造《つく》り|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|飲《の》んで|飲《の》んで|飲《の》み|暮《くら》し【ズブ】|六《ろく》になつてゐる。こんな|関守《せきもり》が|仮令《たとへ》|千人《せんにん》あつたとて|屁《へ》の|突張《つつぱ》りにもならぬのは、もとよりである。|春公《はるこう》はソロソロ|酔《よひ》がまはり|出《だ》し、
『オイ、|雪公《ゆきこう》、|貴様《きさま》は|冷《つめた》い|白《しろ》い|名《な》だが、|矢張《やつぱ》り|酒《さけ》を|喰《くら》うと|体《からだ》が|熱《あつ》くなり|顔《かほ》まで|赤《あか》くなるのが、|俺《おれ》や|不思議《ふしぎ》で|堪《たま》らぬワイ。それだから、|化物《ばけもの》の|多《おほ》い|世《よ》の|中《なか》と|云《い》ふのだよ。ゲーガラガラガラ』
|雪公《ゆきこう》『|何《なに》が|化物《ばけもの》だい。|世《よ》の|中《なか》は|凡《すべ》てこんなものだよ。|善悪一如《ぜんあくいちによ》、|正邪《せいじや》|不二《ふじ》、|表裏《へうり》|一体《いつたい》だ。「|一羽《いちは》の|鳥《とり》も|鶏《にはとり》と|言《い》ひ、|葵《あふひ》の|花《はな》も|赤《あか》に|咲《さ》く、|雪《ゆき》と|云《い》ふ|字《じ》を|墨《すみ》で|書《か》く」と|云《い》ふ|歌《うた》を|貴様《きさま》は|知《し》つてるか。|貴様《きさま》の|名《な》は|春《はる》ぢやないか、|春公《はるこう》の|癖《くせ》に|此《この》|秋《あき》になつて|行《ゆ》くのに|鼻《はな》を|高《たか》うし|鼻唄《はなうた》を|唄《うた》ひ、【はな】はなしう|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|浮《う》かれきつて|居《ゐ》るのが|一体《いつたい》|全体《ぜんたい》|訳《わけ》が|分《わか》らぬ。|貴様《きさま》こそネツトプライスの|正札《しやうふだ》の|化物《ばけもの》だ。|否《いな》|馬鹿者《ばかもん》だよ。あんまり|他人《ひと》の|事《こと》を|誹《そし》ると|自分《じぶん》の|事《こと》におちて|来《く》るのを|知《し》らぬか。|丁度《ちやうど》|空《そら》を|向《む》いて|天《てん》に|唾《つば》を|吐《は》いた|様《やう》なものだよ。アーア、|酔《よ》うた|酔《よ》うた、ヨタンボばかりの|中《なか》に|混入《こんにふ》してゐると|俺《おれ》|迄《まで》ヨタンボ|病《びやう》が|伝染《でんせん》して、|嫌《いや》でもない|酒《さけ》を|飲《の》まされて|喉《のど》の|虫《むし》がグイグイ|喜《よろこ》びよつて、|腹《はら》が|立《た》つて|仕方《しかた》がないワ。|本当《ほんたう》にこんな|関守《せきもり》を|大黒主《おほくろぬし》の|大将《たいしやう》だつて|飼《か》うておくのは|大抵《たいてい》ぢやない。|俺《おれ》だつたら|斯《こ》んな|者《もの》は|遠《とほ》の|昔《むかし》に|免職《めんしよく》するけどな、|流石《さすが》|大黒主《おほくろぬし》だけあつて|大舞台《おほぶたい》だワイ』
|春公《はるこう》『|何《なに》、|大黒主《おほくろぬし》の|神様《かみさま》だつて、こんな|現状《げんじやう》を|見付《みつ》けたら|一遍《いつぺん》に|免職《めんしよく》さすのは|請合《うけあひ》だ。|何分《なにぶん》|遠《とほ》い|所《ところ》だから|分《わか》らないので|俺達《おれたち》も、かうして|毎日《まいにち》|睾丸《きんたま》の|皺《しわ》のばしを|安閑《あんかん》とやつて|居《を》られるのだ。(|都々逸《どどいつ》)「|他処《よそ》で|妻《つま》もちや|遠山林《とほやまばやし》、|誰《たれ》がかるやら|盗《ぬす》むやら」とか|何《なん》とか|云《い》つて|遠距離《ゑんきより》に|居所《ゐどころ》を|構《かま》へて|居《を》りさへすれば、|少々《せうせう》の|脱線《だつせん》も|矛盾《むじゆん》も|無事《ぶじ》|通過《つうくわ》するものだ。それだから|俺《おれ》はお|膝元《ひざもと》のハルナの|大都会《だいとくわい》に|居《を》るよりも、かう|云《い》ふ|山奥《やまおく》の|関守《せきもり》となつて|田園《でんえん》|生活《せいくわつ》オツト|簡易《かんい》|生活《せいくわつ》をやつて|自然《しぜん》を|楽《たの》しむのだ。|人間《にんげん》は|自然《しぜん》の|風光《ふうくわう》に|接《せつ》せなくちや|嘘《うそ》だよ。|紅塵万丈《こうぢんばんぢやう》|雑閙《ざつたう》を|極《きは》めた|大都市《だいとし》に|煙突《えんとつ》の|煙《けむり》を|吸入《きふにふ》して|虚空如来《こくうによらい》の|様《やう》に|燻《くすぼ》つてブラブラしてゐるよりも|何程《なにほど》|愉快《ゆくわい》だか|知《し》れやしない。|三百年《さんびやくねん》の|寿命《じゆみやう》が|斯《か》う|云《い》ふ|所《ところ》に|居《を》ると、|嘘八百年《うそはつぴやくねん》も|延《の》びるやうだ。うまいうまいうまいのは|此《この》|酒《さけ》だ。「|酒屋《さかや》へ|三里《さんり》|豆腐屋《とうふや》へ|一里《いちり》」と|十八世紀《じふはちせいき》の|人間《にんげん》は|吐《ほざ》きよるが、|至治《しぢ》|至楽《しらく》の|神代生活《しんだいせいくわつ》は|自《みづか》ら|田《た》を|耕《たがや》して|喰《く》ひ、|自《みづか》ら|井《ゐ》を|穿《うが》つて|飲《の》み、そこらあたり|枝《えだ》もたわわに|実《みの》つてゐる|果物《くだもの》を|手《て》づから【むし】り、|手《て》づから|酒《さけ》を|造《つく》つて|賞翫《しやうぐわん》する|程《ほど》|結構《けつこう》なものはない。|仁《じん》ぢやとか|義《ぎ》ぢやとか、|礼《れい》ぢやとか、そんな|詐偽的《さぎてき》|言辞《げんじ》を|並《なら》べて|暗黒《あんこく》|世界《せかい》に|住《す》むよりも|山《やま》|青《あを》く|水《みづ》|清《きよ》く、|空《そら》|高《たか》き|此《この》|山頂《さんちやう》に|四方《しはう》を|見晴《みは》らし、|王者《わうじや》|気《き》どりになつて|簡易《かんい》|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けて|居《ゐ》る|位《くらゐ》|安楽《あんらく》なものはない。|何《なん》せよ|霊主体従《れいしゆたいじう》だとか、|慈悲《じひ》ぢやとか、|情《なさけ》とか、|道徳《だうとく》とか、|下《くだ》らぬ|屁理屈《へりくつ》を|囀《さへづ》つて|居《ゐ》るよりも、|善悪《ぜんあく》を|超越《てうゑつ》し、|道理《だうり》を|通過《つうくわ》して、|惟神的《かむながらてき》|風光《ふうくわう》を|楽《たの》しみ、|安逸《あんいつ》に|一生《いつしやう》を|送《おく》る|位《ぐらゐ》、|利口《りこう》なものはないワイ。|何《なん》といつても|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》ぢや、|此《この》|瞬間《しゆんかん》が|吾々《われわれ》の|自由《じいう》|意志《いし》を|遂行《すゐかう》する|黄金時代《わうごんじだい》だ。(唄)「|飲《の》めよ|喰《くら》へよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ、|酒《さけ》を|飲《の》むなら|土瓶《どびん》で|沸《わ》かせ」|土瓶《どびん》で|沸《わ》かした|酒《さけ》を|飲《の》んで|薬鑵頭《やくわんあたま》を|沸《たぎ》らすのもいいコントラストだ。|俺《おれ》やもうハルナの|都《みやこ》のハムにしてやらうと|云《い》つても、|斯《こ》んな|自由《じいう》|生活《せいくわつ》を|覚《おぼ》えた|以上《いじやう》は|煩雑《はんざつ》な|都会《とくわい》へ|行《い》つて|追従《つゐしやう》タラダラ|虚偽《きよぎ》ばかりの|生活《せいくわつ》をするよりも|俺《おれ》は|此《この》|関守《せきもり》ばかりは|何時《いつ》になつても|思《おも》ひきる|事《こと》は|出来《でき》ないワ。
「|山《やま》に|伐《き》る|木《き》は|沢山《たくさん》あれど
|思《おも》ひきる|気《き》はないわいな」
とけつかるワイ。アハヽヽヽ』
|紅葉《もみぢ》『オイ|春公《はるこう》、|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|職務《しよくむ》を|忘《わす》れて|酒《さけ》ばかり|喰《くら》ひ|酔《よ》うて|居《を》ると|冥加《みやうが》が|危《あぶな》いぞ。バラモン|教《けう》の|大黒主《おほくろぬし》は|神様《かみさま》だと|云《い》つても、|人間《にんげん》のサツクを|被《かぶ》つてゐるから|誤魔化《ごまくわ》しはチトはきくが、|梵天王《ぼんてんわう》|大自在天《だいじざいてん》バラモン|大神《おほかみ》、|大国彦命《おほくにひこのみこと》|様《さま》の|御目《おんめ》を|晦《くら》ます|事《こと》は|出来《でき》ぬぞよ。いい|加減《かげん》に|心得《こころえ》ぬと、|習《なら》ひ|性《せい》となり、|放埒不羈《はうらつふき》の|人間《にんげん》になつて|世《よ》の|中《なか》の|爪弾《つまはじ》きものにしられてしまふが、それでも|構《かま》はぬか。|困《こま》つた|奴《やつ》だな』
|春公《はるこう》『|放埒不羈《はうらつふき》の|極点《きよくてん》に|達《たつ》した|春公《はるこう》さまは、|実際《じつさい》の|事《こと》|云《い》へば|世間《せけん》から|爪弾《つまはぢ》きされてハルナの|都《みやこ》に|居《を》る|所《ところ》がないので、|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》が|持《も》て|余《あま》し、|適材適所《てきざいてきしよ》といつて、あんな【ヤンチヤ】はテームス|峠《たうげ》の|関守《せきもり》にするのが|匹適《ひつてき》だと、あつぱれの|御眼力《ごがんりき》で|御任命《ごにんめい》なさつたのは、|貴様等《きさまら》|小人輩《せうじんはい》の|了解《れうかい》すべき|限《かぎ》りではないワ、|紅葉《もみぢ》は|紅葉《もみぢ》らしうして|地《ち》に|這《は》うて|沈黙《ちんもく》せぬかい。|今《いま》は|何時《いつ》だと|思《おも》うてゐる、|秋《あき》の|末《すゑ》で|紅葉《もみぢ》の|葉《は》の|風《かぜ》に|叩《たた》かれ、|地《ち》に|落《お》ちるシーズンだ。こんな|時《とき》に|浮《う》き|出《だ》さずにジツとして|酒《さけ》でも|喰《くら》つて、|秋《あき》の|時雨《しぐれ》の|様《やう》な|涙《なみだ》の|雨《あめ》でも|降《ふ》らしてシーズンで|居《を》る|方《はう》が|余程《よほど》ましだよ』
|紅葉《もみぢ》『|貴様《きさま》にそんな|忠告《ちうこく》を|受《う》けなくとも、|俺《おれ》は|故郷《こきやう》の|女房《にようばう》の|事《こと》を|思《おも》ひ|出《だ》してシーズンで|居《を》るのだ。(|都々逸《どどいつ》)「|花《はな》と|月《つき》とに|間違《まちが》ふやうな|女房《にようばう》もつ|身《み》の|気《き》はもみぢ」と|云《い》つて|貴様《きさま》のやうな|唐変木《たうへんぼく》とはチツと|選《せん》を|異《こと》にして|居《を》るのだ。|一《いつ》ぺんも|女《をんな》に|接《せつ》した|事《こと》のない|酒喰《さけくら》ひの|貴様《きさま》に、|浮世《うきよ》の|味《あぢ》が|分《わか》るものかい、|浮《う》いては|沈《しづ》み|沈《しづ》んでは|浮《うか》み、|浮沈《うきしづ》み|七度《ななたび》の|世《よ》の|中《なか》だ。お|前等《まへら》のやうな|連中《れんちう》さまは|酒《さけ》より|外《ほか》に|慰安《ゐあん》してくれるものが|無《な》いのだからな』
|春公《はるこう》『|時《とき》に|大黒主《おほくろぬし》の|神様《かみさま》に|対《たい》し|俺達《おれたち》もチツとは|義務《ぎむ》と|云《い》ふ|事《こと》を|尽《つく》さねばならぬが、こんな|人通《ひとどほ》りの|無《な》い|関守《せきもり》をさされては|丸《まる》で|島流《しまなが》しに|遭《あ》うたやうなものだから、ツイ|焼糞《やけくそ》になつて|酒《さけ》をあふるやうになるのだが、|鬼熊別《おにくまわけ》の|女房《にようぼう》|蜈蚣姫《むかでひめ》|小糸姫《こいとひめ》の|両人《りやうにん》は|何時《いつ》になつたら|此処《ここ》を、|通《とほ》るだらうかな。ナア|雪公《ゆきこう》、|貴様《きさま》|一《ひと》つ|天眼通《てんがんつう》で|考《かんが》へて|見《み》てくれないか』
|雪公《ゆきこう》『|俺《おれ》は|雪《ゆき》の|様《やう》に、|神《かみ》の|様《やう》に|身魂《みたま》の|清《きよ》い|執着心《しふちやくしん》のない、|白紙《はくし》|主義《しゆぎ》の|男《をとこ》だから、|腹《はら》の|中《なか》|迄《まで》|水晶《すゐしやう》だ。それが|違《ちが》ふと|思《おも》ふなら|人込《ひとご》みの|中《なか》ででも、ステーシヨンででも|構《かま》はぬ、|一《ひと》つ|貴様《きさま》の|短刀《あいくち》で|俺《おれ》の|血《ち》を|調《しら》べて|見《み》い………どこを|切《き》つても|出《で》る|血《ち》は|紅《あか》い、|俺《おれ》の|心《こころ》もその|通《とほ》り………だよ』
|春公《はるこう》『コリヤ|貴様《きさま》はいつとても|身魂《みたま》の|自慢《じまん》ばかりしやがつて、|肝腎《かんじん》の|天眼通《てんがんつう》は|如何《どう》するつもりだい。|早《はや》く|天眼通《てんがんつう》で|調《しら》べてくれないか。|貴様《きさま》のやうな|腰抜《こしぬけ》でも、ここへ|連《つ》れて|来《き》たのは|望遠鏡《ばうゑんきやう》の|代用《だいよう》にするつもりだから、|早《はや》く|親子《おやこ》の|所在《ありか》を|透視《とうし》せぬかい。|貴様《きさま》は|都《みやこ》を|出《で》る|時《とき》に|屹度《きつと》、テームス|峠《たうげ》を|近《ちか》い|内《うち》に|蜈蚣姫《むかでひめ》と|小糸姫《こいとひめ》が|通《とほ》るに|違《ちが》ひないと|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》に|申上《まをしあ》げよつたものだから、こんな|処《ところ》に|関所《せきしよ》を|拵《こしら》へて|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|待《ま》たされて|居《ゐ》るのぢやないか』
|雪公《ゆきこう》『あの|時《とき》は|天眼通《てんがんつう》の|持合《もちあは》せが|大分《だいぶ》にあつたが、ここへ|来《き》てから|貴様等《きさまら》の|悪身魂《あくみたま》が|感染《かんせん》して、サツパリ|天眼通《てんがんつう》が|利《き》かぬやうになつて|了《しま》つたのよ。|俺《おれ》の|考《かんが》へでは|此《この》|広《ひろ》い|世《よ》の|中《なか》、|峠《たうげ》も|沢山《たくさん》あるし、|二人《ふたり》の|母娘《おやこ》が|此《この》|峠《たうげ》を|一代《いちだい》の|中《うち》に|通《とほ》るとも|通《とほ》らぬとも、|見当《けんたう》がつかぬ|様《やう》になつたワイ』
|春公《はるこう》『|貴様《きさま》はさうすると|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》を|誑《たばか》つたのだなア。|本当《ほんたう》に|太《ふと》い|奴《やつ》だ。|早《はや》く|本当《ほんたう》の|事《こと》を|吐《こ》かぬか』
|雪公《ゆきこう》『ヨシ、こかぬ|事《こと》はない、|太《ふと》い|奴《やつ》だな』
と|真黒《まつくろ》の|尻《けつ》をまくり|上《あ》げ|春公《はるこう》の|前《まへ》に|左巻《ひだりまき》を|捻《ひね》り|出《だ》した。
|春公《はるこう》『エー|糞奴《くそやつこ》め、|糞《くそ》の|間《ま》にもあはぬ|代物《しろもの》だな』
|雪公《ゆきこう》『ひどい|奴《やつ》だ。こけと|吐《ぬか》したぢやないか。これでも|俺《おれ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》だぞ』
|春公《はるこう》『エー|仕方《しかた》のない、|穀潰《ごくつぶ》しの|製糞器《せいふんき》だな』
とぼやいてゐる。そこへ|黄金姫《わうごんひめ》、|清照姫《きよてるひめ》は|駻馬《かんば》に|跨《またが》り、|二人《ふたり》の|男《をとこ》は|馬《うま》の|口《くち》をとり、『ハイハイハイ』と|勇《いさ》ましく|登《のぼ》つて|来《き》た。
|春公《はるこう》と|雪公《ゆきこう》は|目《め》を|怒《いか》らし、
|春公《はるこう》『オイ、|一寸《ちよつと》|待《ま》つた。|其《その》|馬《うま》をここへ|止《と》めエ』
レーブ『ヨシ、|止《と》めなら|止《と》めもしよう。|然《しか》し|乍《なが》ら|吠面《ほえづら》かわかぬやうにせえよ。|此《この》|方《かた》は|貴様等《きさまら》の|朝晩《あさばん》|探《たづ》ねて|居《を》る|鬼熊別《おにくまわけ》の|奥様《おくさま》|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》と|一人娘《ひとりむすめ》の|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》だ。よく|拝《をが》んでおけ、|目《め》が|潰《つぶ》れるぞよ。|光芒陸離《くわうばうりくり》たる|懐剣《くわいけん》を|呑《の》んで|厶《ござ》る|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》のやうな|御方《おかた》だから|生命《いのち》が|惜《をし》くなければ|調《しら》べたがよからう』
|春公《はるこう》『これやレーブ、そんな|嘘《うそ》を|吐《ぬか》しても|承知《しようち》せないぞ。|人《ひと》を|盲《めくら》にするにも|程《ほど》がある。そいつア|化物《ばけもの》ぢやないか。|目《め》の|玉《たま》が|五《いつ》つも|六《む》つもあり|口《くち》が|又《また》|四《よつ》つも|五《いつ》つもある|化物《ばけもの》を|馬《うま》に|乗《の》せよつて、|蜈蚣姫《むかでひめ》も|小糸姫《こいとひめ》もあつたものかい。|早《はや》く|通《とほ》れ、|貴様《きさま》が|出《で》て|来《く》ると|此《この》|関小屋《せきごや》までが|頻《しき》りに|廻転《くわいてん》を|始《はじ》め|出《だ》した。|此《この》|坂道《さかみち》|迄《まで》が|上《うへ》になり、|下《した》になり|地異天変《ちいてんぺん》の|大騒《おほさわ》ぎだ。|早《はや》うここを|通過《つうくわ》せぬかい。|気味《きび》が|悪《わる》いワイ。|俺《おれ》の|探《さが》して|居《ゐ》るのは、そんな|化物《ばけもの》の|婆《ばば》アや|娘《むすめ》ぢやない。|正真正銘《しやうしんしやうめい》の|蜈蚣姫《むかでひめ》、|小糸姫《こいとひめ》だ』
レーブ『|化物《ばけもの》だからここに|下《おろ》してやらうと|云《い》ふのだ。|随分《ずゐぶん》|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|芸当《げいたう》をやりよるぞ。まあ|一《ひと》つ|首筋《くびすぢ》でも|掴《つか》んで|此《この》|谷底《たにそこ》へでも「プリン プリン ドスン、キヤーツ」とやつて|貰《もら》へよ。イヒヽヽヽ』
|春公《はるこう》『コラ、レーブ、|可笑《おか》しさうに|何《なん》だ。|妙《めう》な|笑《わら》ひ|声《ごゑ》を|出《だ》しよつて、|俺《おれ》の|頼《たの》みぢやからトツトと|此処《ここ》を|通過《つうくわ》してくれ、|俺《おれ》は|暫《しばら》く|目《め》を|塞《ふさ》いでゐるから……』
レーブ『さう|吐《ぬか》しや|仕方《しかた》がない、|俺《おれ》も|同《おな》じ|信者《しんじや》の|厚誼《よしみ》で|貴様《きさま》の|要求《えうきう》を|無下《むげ》に|拒絶《きよぜつ》する|訳《わけ》にも|行《ゆ》かないから、|特別《とくべつ》を|以《もつ》て|貴様《きさま》の|嘆願《たんぐわん》を|許容《きよよう》してやる。モシモシ|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》、|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》、|関守《せきもり》があのやうにいつて|嘆願《たんぐわん》しますから、|貴女《あなた》も|手荒《てあら》いことをせずに|許《ゆる》してやつて|下《くだ》さい。|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》の|武勇《ぶゆう》を|発揮《はつき》されやうものなら|此奴等《こいつら》|五人《ごにん》の|笠《かさ》の|台《だい》は|飛《と》んで|了《しま》ふのみならず、|四肢《しこ》|五体《ごたい》メチヤメチヤになりますから。|人《ひと》を|助《たす》けるのは|宣伝使《せんでんし》の|御役《おやく》、|今日《けふ》ばかりは|見逃《みのが》し、|聞逃《ききのが》しを|彼等《かれら》|五人《ごにん》に|代《かは》つて、レーブがお|願《ねが》ひ|致《いた》します』
|黄金姫《わうごんひめ》『|許《ゆる》し|難《がた》き|関守《せきもり》なれどもお|前《まへ》の|願《ねが》ひによつて|苛《いぢ》める|事《こと》だけは|止《や》めてやらう。|其《その》|代《かは》りにレーブ、お|前《まへ》も|一杯《いつぱい》|関守《せきもり》の|酒《さけ》を|頂戴《ちやうだい》して|元気《げんき》をつけて|行《い》つたらよからうぞ』
レーブ『|何《なん》と|気《き》の|利《き》いたお|客《きやく》さまだこと。オイ|春公《はるこう》、|賄賂《わいろ》だ。|見逃《みのが》し|賃《ちん》に|其《その》|徳利《とつくり》を|一本《いつぽん》|貸《か》せ、グヅグヅ|吐《ぬか》すと|此《この》|馬《うま》は|一寸《ちよつと》も|動《うご》かないぞ』
|春公《はるこう》『|徳利《とくり》|一本《いつぽん》で|宜《よろ》しいか。|二人《ふたり》の|馬方《うまかた》ならば|二《ふた》つ|要《い》りませう』
レーブ『|何《なん》とまあ、|気《き》の|利《き》いたもの|同志《どうし》の|寄合《よりあひ》だ。お|客《きやく》さまもお|客《きやく》さまなら|関守《せきもり》も|関守《せきもり》だな。そんなら|気《き》の|毒《どく》なれど|二本《にほん》|頂戴《ちやうだい》して|行《ゆ》かう。|道々《みちみち》【トツクリ】と|飲《の》んでお|供《とも》をしようかい』
と|春公《はるこう》の|突《つ》き|出《だ》す|二本《にほん》の|徳利《とつくり》を|受取《うけと》り『ハーイハイハイハイ』『ブーブーブー』
レーブ『エーこん|畜生《ちくしやう》、|屁《へ》ばかり|垂《た》れよつて、|臭《くさ》いワイ。オイ|皆《みな》の|関守《せきもり》、これでヤツト|安心《あんしん》しただらう。|何事《なにごと》も|羽織《はおり》の|紐《ひも》だ、|皆《みな》|胸《むね》にある。|以心伝心《いしんでんしん》|教外別伝《けうげべつでん》、|云《い》はぬは|云《い》ふにいやまさる。|俺《おれ》の|雅量《がりやう》も|分《わか》つただらうな』
|春公《はるこう》『オイ、レーブ、|春公《はるこう》さまの|雅量《がりやう》も|買《か》つてくれるだらうな』
レーブ『|恐怖心《きようふしん》に|駆《か》られ|仕様《しやう》ことなしの|雅量《がりやう》だ。チツとお|粗末《そまつ》ぢやけど、こんな|処《ところ》で|荒仕事《あらしごと》するのも|面倒《めんだう》だから、|粗製《そせい》|濫造品《らんざうひん》の|雅量《がりやう》を|酒《さけ》|二升《にしよう》の|熨斗《のし》をつけて|買《か》つてやらう。ハイハイハイ』
と|馬《うま》をいましめ|乍《なが》ら|坂道《さかみち》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。
|春公《はるこう》はヤツと|胸《むね》を|撫《な》で|下《お》ろし、
『アーア、ドテライ|奴《やつ》が、やつて|来《き》よつて、ビツクリ|虫《むし》が|飛出《とびだ》し、|肝玉《きもたま》が|洋行《やうかう》する|処《ところ》だつた。|睾玉《きんたま》の|奴《やつ》、|俺《おれ》にこたへもなしに|何処《どこ》かへ|消滅《せうめつ》して|了《しま》ひよつたな』
|雪公《ゆきこう》『|俺《おれ》も|睾丸《きんたま》の|所在《ありか》が|分《わか》らなくなつて|了《しま》つた。|一方《いつぱう》の|睾丸《きんたま》は|婆《ばば》なり、|一方《いつぱう》は|娘《むすめ》だ。|何処《どこ》へ|取《と》り|逃《に》がしたか|残念《ざんねん》な|事《こと》をしたワイ。|折角《せつかく》テームス|峠《たうげ》でピツタリ|出会《であ》ひ|乍《なが》ら、|日頃《ひごろ》の|元気《げんき》は|何処《どこ》へやら|睾丸《きんたま》の|奴《やつ》|三十六計《さんじふろくけい》の|奥《おく》の|手《て》を|出《だ》して、|何処《どこ》かへ|姿《すがた》をかくすものだから、|此《この》|雪公《ゆきこう》さまも|手《て》の|出《だ》しやうが|無《な》く、|殆《ほとん》ど【ゆき】|詰《つま》りだ。オイ|紅葉《もみぢ》、|貴様《きさま》の|睾丸《きんたま》は|大丈夫《だいぢやうぶ》かな』
|紅葉《もみぢ》『|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。よつぽど|俺《おれ》とは|利口《りこう》なと|見《み》えるワイ。|俺《おれ》の|金助《きんすけ》は|矢張《やつぱ》り|君子《くんし》だなア。|危《あやふ》きに|近《ちか》よらずと|云《い》つて|逸早《いちはや》く|飛行船《ひかうせん》へ|乗《の》つて|天国《てんごく》へ|避難《ひなん》しよつたらしいワイ。アハヽヽヽ』
|雪公《ゆきこう》『あれこそ、|本当《ほんたう》の|蜈蚣姫《むかでひめ》、|小糸姫《こいとひめ》に|違《ちが》ひないのう。|然《しか》し|乍《なが》らどこともなしに|威厳《ゐげん》が|備《そな》はり|面《おもて》を|向《む》ける|事《こと》も|出来《でき》ないやうな|神力《しんりき》が|輝《かがや》いて|居《ゐ》るので、|一目《ひとめ》|見《み》るなりギヨツとしたよ。|到底《たうてい》|俺等《おれたち》の|手《て》にあふ|代物《しろもの》ぢやないワ。|然《しか》し|乍《なが》ら|俺《おれ》の|天眼通《てんがんつう》はヤツパリ|的中《てきちう》しただらう』
|春公《はるこう》『コラコラ、これ|限《き》り|何《なに》も|云《い》うてはならないぞ。|肝腎《かんじん》の|目的物《もくてきぶつ》を|見《み》す|見《み》す|取逃《とりにが》したのだから、こんな|事《こと》が|見付《みつ》かつたら|忽《たちま》ち|罷《ひ》の|字《じ》と|免《めん》の|字《じ》だ。|只今《ただいま》|限《かぎ》り|沈黙《ちんもく》を|厳命《げんめい》する』
|雪公《ゆきこう》『アハヽヽヽ、|日頃《ひごろ》の|業託《ごふたく》に|似《に》ず、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|猫《ねこ》に|出会《であ》うた|鼠《ねずみ》の|様《やう》なスタイルで|其《その》|態《ざま》つたら|見《み》られたものぢやないわ。|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》もこんな|厄介《やくかい》な|代物《しろもの》を|抱《かか》へて|居《ゐ》ちや|本当《ほんたう》にお|気《き》の|毒《どく》だ。|前途《ぜんと》が|思《おも》ひやられるワイ。ウフヽヽヽ』
|今迄《いままで》|空《そら》を|包《つつ》んで|居《ゐ》た|淡雲《たんうん》はカラリと|晴《は》れて|小春《こはる》の|太陽《たいやう》は|手厳《てきび》しく|酒《さけ》に|酔《よ》うた|五人《ごにん》の|頭《あたま》を|金槌《かなづち》で|叩《たた》く|様《やう》にガンガンと|照《て》らさせ|給《たま》うた。|五人《ごにん》は|頭《あたま》を|抱《かか》へ、ウンウンと|呻《うめ》き|乍《なが》ら|其《その》|場《ば》に|蹲《しやが》んで|了《しま》つた。
(大正一一・一〇・二九 旧九・一〇 北村隆光録)
第一九章 |玉山嵐《たまやまあらし》〔一〇八四〕
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |秋野《あきの》を|彩《いろ》どる|黄金姫《わうごんひめ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》を|初《はじ》めとし |月日《つきひ》も|四方《よも》に|清照姫《きよてるひめ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》と|只《ただ》|二人《ふたり》 |雲《くも》つく|山《やま》を|駒《こま》に|乗《の》り
|漸《やうや》く|頂上《ちやうじやう》にいざり|着《つ》き |二人《ふたり》の|馬子《まご》に|送《おく》られて
|胸突坂《むなつきざか》を|下《くだ》りつつ |夜《よ》を|日《ひ》についでフサの|国《くに》
ライオン|河《がは》に|着《つ》きにける。
レーブ『モシ|奥様《おくさま》、ここが|有名《いうめい》な|波斯《フサ》のライオン|河《がは》で|厶《ござ》います。|橋梁《けうりやう》は|無《な》し、|如何《どう》しても|馬《うま》で|越《こ》さねばなりませぬが、|私《わたし》は|馬丁《べつとう》の|事《こと》ですから、|向《むか》ふへ|泳《およ》ぎ|渡《わた》りを|致《いた》します。どうぞ|此《この》|馬《うま》に|乗《の》つて|向《むか》ふ|岸《ぎし》へお|渡《わた》り|下《くだ》さい。|水馬《すゐば》に|乗《の》るのはお|心得《こころえ》でせうが、|馬《うま》の|腹帯《はらおび》を|緩《ゆる》め、|手綱《たづな》を|一方《いつぱう》の|手《て》にグツと|握《にぎ》り、|一方《いつぱう》の|手《て》を|放《はな》して、|馬《うま》も|人《ひと》も|水《みづ》に|浮《う》き|綱《つな》と|鬣《たてがみ》とを|一緒《いつしよ》に|握《にぎ》つて|渡《わた》らねば、|河《かは》の|真《ま》ん|中《なか》で|溺没《できぼつ》する|虞《おそれ》があります、|其《その》|積《つもり》で|渡《わた》つて|下《くだ》さい』
|黄金姫《わうごんひめ》『|私《わたし》もエデンの|河《かは》で|水馬《すゐば》を|稽古《けいこ》した|覚《おぼえ》がある、|私《わたし》は|大丈夫《だいぢやうぶ》だが、|清照姫《きよてるひめ》はまだ|水馬《すゐば》の|経験《けいけん》がないから|案《あん》じられたものだ。|何《なん》とか|良《よ》い|工夫《くふう》はあるまいかな』
|清照姫《きよてるひめ》『|決《けつ》して|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さるな、|私《わたし》も|地恩城《ちおんじやう》に|於《おい》て|時々《ときどき》エーリス|河《がは》に|馬《うま》を|馳《は》せ、|水馬《すゐば》の|遊《あそ》びをやつた|経験《けいけん》があります』
|黄金姫《わうごんひめ》『アヽそれなら|安心《あんしん》だ、サア|用意《ようい》に|取《とり》かからう』
レーブ『|其《その》|儘《まま》にしてゐて|下《くだ》さい、|腹帯《はらおび》を|私《わたし》が|緩《ゆる》めます』
と|河渡《かはわた》りの|準備《じゆんび》を|整《ととの》へ、レーブは|両馬《りやうば》の|尻《しり》を|鞭《むち》にて|力限《ちからかぎ》りにぶちすゑた。|駻馬《かんば》は|躍《をど》り|上《あが》つて、さしもの|激流《げきりう》にザンブと|計《ばか》り|飛込《とびこ》み、|首《くび》|丈《だけ》を|現《あら》はして|難《なん》なく|横巾《よこはば》|一里《いちり》|許《ばか》りの|大河《おほかは》を|向《むか》ふへ|渡《わた》つて|了《しま》つた。|二人《ふたり》の|馬子《まご》は|馬《うま》の|後《あと》に|従《したが》つて|漸《やうや》く|向岸《むかふぎし》に|渡《わた》りつき、|各自《かくじ》に|着衣《ちやくい》を|絞《しぼ》り、|馬《うま》を|休養《きうやう》させてゐた。
|其処《そこ》へ|数十人《すうじふにん》の|部下《ぶか》を|引《ひき》つれてやつて|来《き》たのは|大黒主《おほくろぬし》の|股肱《ここう》と|頼《たの》む|釘彦《くぎひこ》、|久米彦《くめひこ》の|両人《りやうにん》である。|采配《さいはい》を|打振《うちふ》り|打振《うちふ》り、|荒馬《あらうま》に|跨《またが》つてライオン|河《がは》の|岸《きし》を|目《め》がけて|一目散《いちもくさん》にかけ|来《きた》り、その|勢《いきほひ》に|乗《じやう》じて、ザバザバザバと|数十騎《すうじつき》の|騎馬隊《きばたい》は|黄金姫《わうごんひめ》|一行《いつかう》の|姿《すがた》に|目《め》もかけず、|向岸《むかふぎし》へ|渡《わた》つて|了《しま》つた。レーブは|之《これ》を|眺《なが》めて|胸《むね》なでおろし、
『アヽ|大変《たいへん》な|事《こと》になる|所《ところ》だつたが、|神様《かみさま》のおかげで|貴女《あなた》を|捜索《そうさく》してゐる|釘彦《くぎひこ》の|一隊《いつたい》は|向《むか》ふへ|渡《わた》りました。|併《しか》し|乍《なが》ら|彼奴《あいつ》は|先鋒隊《せんぽうたい》に|違《ちが》ひありませぬ。まだまだ|油断《ゆだん》はなりますまい。|浮木《うきき》の|森《もり》の|失敗《しつぱい》を|回復《くわいふく》せむと、|大軍《たいぐん》を|引《ひき》つれてやつて|来《き》たのでせう、|言《い》はば|今《いま》|渡《わた》つた|奴《やつ》は|斥候《せきこう》|兼《けん》|先鋒隊《せんぽうたい》のやうな|役《やく》まはりです。これから|此処《ここ》に|馬《うま》を|棄《す》てて|乞食《こじき》の|姿《すがた》に|化《ば》けて|無事《ぶじ》に|難関《なんくわん》を|通過《つうくわ》し、タルの|港《みなと》まで|参《まゐ》りませう』
|清照姫《きよてるひめ》『レーブ、さう|心配《しんぱい》するには|及《およ》ばぬ。|吾々《われわれ》には|尊《たふと》き|神《かみ》の|御守《おまも》りがある。|無限絶対《むげんぜつたい》|無始無終《むしむしう》の|神力《しんりき》を|具備《ぐび》し|玉《たま》ふ|国治立命《くにはるたちのみこと》の|厚《あつ》き|御守《おまも》りあれば|如何《いか》なる|敵《てき》も|決《けつ》して|恐《おそ》るるには|及《およ》びますまい。|臆病風《おくびやうかぜ》に|襲《おそ》はれ、|水禽《みづどり》の|羽音《はおと》に|驚《おどろ》くやうな|愚《ぐ》を|学《まな》んでは、|宣伝使《せんでんし》としての|貫目《くわんめ》はゼロです。ナアお|母《か》アさま、|汚《けが》らはしい|乞食《こじき》の|風《ふう》なんかして|行《ゆ》くよりも、|正々堂々《せいせいだうだう》と|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ、|四辺《あたり》の|木魂《こだま》を|響《ひび》かせ|乍《なが》ら|進《すす》まうぢやありませぬか』
|黄金姫《わうごんひめ》『お|前《まへ》の|言《い》ふ|通《とほ》り、|心《こころ》が|弱《よわ》くては|猛獣《まうじう》の|猛《たけ》び|狂《くる》ふ|荒野ケ原《あらのがはら》を|横断《わうだん》する|事《こと》は|出来《でき》ない。レーブ、お|前《まへ》はモウこれから|帰《かへ》つてくれ、イヤ|自由《じいう》|行動《かうどう》を|取《と》つたがよかろ、|万一《まんいち》|途中《とちう》に|於《おい》て、|数万《すうまん》の|敵《てき》に|出会《でつくは》した|時《とき》は|足手纏《あしてまとひ》になつて、|却《かへつ》て|味方《みかた》の|不利《ふり》だから……』
レーブ『モシ|奥様《おくさま》、それは|余《あんま》り|惨酷《ざんこく》ぢやありませぬか、|私《わたし》をここまでお|供《とも》さしておき|乍《なが》ら、|見限《みかぎ》り|遊《あそ》ばしたのぢや|御座《ござ》いませぬか。|何《なん》と|仰有《おつしや》つても|足《あし》の|続《つづ》く|丈《だけ》はお|供《とも》を|致《いた》します』
|黄金姫《わうごんひめ》『|凡《すべ》て|戦《いくさ》といふものは|大多数《だいたすう》の|味方《みかた》を|以《もつ》て|敵《てき》に|向《むか》ふか、さなくば|只《ただ》|一人《ひとり》|敵《てき》に|向《むか》つて|突《つ》き|入《い》る|方《はう》が|大変《たいへん》な|利益《りえき》だ。|獅子奮迅《ししふんじん》の|勇気《ゆうき》を|揮《ふる》ふには|一人《ひとり》に|限《かぎ》る、|手当《てあて》り|次第《しだい》、|斬《き》つた|奴《やつ》は|皆《みな》|敵《てき》だ。|余《あま》り|慌《あわ》てて|味方《みかた》を|斬《き》りはせぬかといふやうな|気遣《きづか》ひがあつては、|到底《たうてい》|充分《じうぶん》の|活動《くわつどう》は|出来《でき》ない、ここの|道理《だうり》を|聞分《ききわ》けて、どうぞ|別《わか》れて|下《くだ》さい。ハルナの|都《みやこ》でお|目《め》にかからうから……』
レーブ『あなたは|一人《ひとり》の|方《はう》が|良《よ》いと|仰有《おつしや》つたが|清照姫《きよてるひめ》|様《さま》は|如何《どう》なさるのですか』
|黄金姫《わうごんひめ》『|清照姫《きよてるひめ》は|女《をんな》だから、|何程《なにほど》|戦《いくさ》の|中《なか》でも|目《め》につき|易《やす》い、メツタに|同士討《どうしうち》をする|気遣《きづか》ひはないが、お|前等《まへら》|二人《ふたり》は|男《をとこ》だから、モシ|間違《まちが》つてお|前《まへ》を|斃《たふ》しでもしやうものなら|大変《たいへん》だ。|喧嘩《けんくわ》は|一人《ひとり》が|最《もつと》も|利益《りえき》だ。|鬼熊別《おにくまわけ》の|女房《にようぼう》|蜈蚣姫《むかでひめ》や、|娘《むすめ》の|小糸姫《こいとひめ》はバラモン|教《けう》の|寄手《よせて》に|対《たい》し、|馬丁《べつとう》に|加勢《かせい》をさしたといはれては、|末代《まつだい》まで|武勇《ぶゆう》の|汚《けが》れになる。どうぞ|頼《たの》みぢやから|別《わか》れて|下《くだ》さい』
レーブ『さやうならば|是非《ぜひ》に|及《およ》びませぬ、お|別《わか》れ|致《いた》しませう。|併《しか》し|主従《しゆじゆう》の|縁《えん》は|切《き》らぬやうに|願《ねが》ひます』
|黄金姫《わうごんひめ》『|互《たがひ》に|了解《れうかい》した|上《うへ》の|別《わか》れだから|安心《あんしん》して|下《くだ》さい、|決《けつ》してお|前《まへ》は|捨《す》てませぬから……』
レーブ『ハイ|有難《ありがた》う、|左様《さやう》なれば、ここでお|別《わか》れ|致《いた》します。|随分《ずゐぶん》|道々《みちみち》|気《き》をつけてお|出《い》でなさいませ。お|姫様《ひめさま》|左様《さやう》なれば、|奥様《おくさま》のお|身《み》の|上《うへ》をどうぞ|御注意《ごちうい》|下《くだ》さいますやうに』
|清照姫《きよてるひめ》『ハア|宜《よろ》しい、|気遣《きづか》ひしてくれな、|私《わたし》が|附《つ》いて|居《を》れば|大丈夫《だいぢやうぶ》だ、|否々《いないな》|神様《かみさま》がついて|御座《ござ》るから、|大磐石《だいばんじやく》だよ。サアお|母《か》アさま|参《まゐ》りませう』
と|先《さき》に|立《た》つて|進《すす》み|行《ゆ》く。|後《あと》にレーブは|二人《ふたり》の|姿《すがた》のかくるるまで|見送《みおく》つてゐた。|一人《ひとり》の|馬子《まご》は|物《もの》をも|言《い》はず、|何《なん》に|感《かん》じてか、|傍《かたはら》の|森林《しんりん》に|手早《てばや》く|姿《すがた》をかくした。レーブは|双手《もろて》を|組《く》んで、|独言《ひとりごと》を|言《い》つてゐる。
『アヽ|又《また》|私《わたし》は|一人《ひとり》になつて|了《しま》つた。よくよく|連《つれ》に|縁《えん》の|無《な》い|男《をとこ》だなア、|併《しか》し|乍《なが》らどうも|奥様《おくさま》や|姫様《ひめさま》の|事《こと》が|気《き》に|掛《かか》つて|仕方《しかた》がないワ。ハテ|如何《どう》したらよからうかなア』
と|双手《もろて》を|組《く》み|大地《だいち》に|胡坐《あぐら》をかいて、|俯《うつ》むいたまま|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》つてゐる。
かくする|所《ところ》へ|以前《いぜん》|向《むか》ふへ|渡《わた》つた|騎馬隊《きばたい》の|内《うち》|二三人《にさんにん》の|男《をとこ》、|一鞭《ひとむち》あてて|再《ふたた》び|河《かは》に|飛込《とびこ》み|此方《こなた》を|指《さ》して|渡《わた》り|来《く》る。レーブは……『ハテ|不思議《ふしぎ》だ、|無事《ぶじ》に|此処《ここ》を|渡《わた》りよつたと|思《おも》つたら、|釘彦《くぎひこ》の|奴《やつ》、|奥様《おくさま》や|嬢様《ぢやうさま》の|姿《すがた》を|見《み》つけ、|召捕《めしと》らむと|引返《ひきかへ》して|来《き》よつたのだらう。|逃《に》げた|所《ところ》で|仕方《しかた》がない、|此方《こちら》は|徒歩《とほ》だ、|向《むか》ふは|馬上《ばじやう》、|到底《たうてい》|追《お》つつかれずには|居《を》られない。それよりも|自分《じぶん》がここに|頑張《ぐわんば》つて、|彼等《かれら》の|行進《かうしん》を|妨《さまた》げ、お|二人様《ふたりさま》が|一足《ひとあし》でも|敵《てき》に|遠《とほ》ざかり|遊《あそ》ばすやうに、|暇《ひま》|取《と》らせるのが|俺《おれ》の|務《つとめ》だ。こんな|事《こと》があらうとて、|奥様《おくさま》は|別《わか》れてくれと|仰有《おつしや》つたのだなア、なんと|偉《えら》いものだなア。|矢張《やつぱり》|凡人《ぼんじん》とはどことはなしに|変《かは》つてゐるワイ………』
と|感心《かんしん》し|乍《なが》ら|一人《ひとり》|呟《つぶや》いてゐる。そこへ|三人《さんにん》の|騎馬《きば》|武者《むしや》、|蹄《ひづめ》の|音《おと》をカツカツと|響《ひび》かせ|乍《なが》ら|進《すす》み|来《きた》り、レーブの|姿《すがた》を|見《み》て、
『オイ、|其《その》|方《はう》が|今《いま》ここで|話《はな》して|居《を》つた|女《をんな》は|何者《なにもの》であつたか、|逐一《ちくいち》|陳述《ちんじゆつ》|致《いた》せ』
レーブは|何《なん》とか|言《い》つて|暇《ひま》を|取《と》らせようと|思《おも》ひ、ワザと|空呆《そらとぼ》けて、
『ハイ、|何《なん》でも|人間《にんげん》の|様《やう》で|厶《ござ》いました』
|武士《ぶし》『|馬鹿《ばか》、そんな|事《こと》を|尋《たづ》ねてゐるのぢやない、|何《なん》といふ|女《をんな》だかそれを|聞《き》かせといふのだ』
レーブは|暫《しばら》く|思案《しあん》をして|漸《やうや》くに|顔《かほ》をあげ、ポカンとした|阿呆面《あはうづら》をさらして、
『ハーイ、|婆《ば》アといふ|女《をんな》と|娘《むすめ》といふ|女《をんな》と|二人《ふたり》|通《とほ》りました』
|武士《ぶし》『|馬鹿《ばか》な|奴《やつ》だなア、|姓名《せいめい》は|何《なん》と|申《まを》すか』
レーブ『ハイ、|姓名《せいめい》ですか、|姓名《せいめい》は|生命《いのち》と|申《まを》します。|命《いのち》あつての|物種《ものだね》、お|前《まへ》さまも|一《ひと》つここで|一服《いつぷく》しなさい、|長《なが》い|月日《つきひ》に|短《みじか》い|命《いのち》だ、|生命《せいめい》が|肝腎《かんじん》だよ。|清明無垢《せいめいむく》の|尊《たふと》き|神《かみ》のお|道《みち》に|仕《つか》へ|玉《たま》ふバラモン|教《けう》の|神司《かむづかさ》ぢやありませぬか』
|武士《ぶし》『エヽ|辛気《しんき》|臭《くさ》い、|貴様《きさま》は|天下一品《てんかいつぴん》の|馬鹿者《ばかもの》だな』
レーブ『ハイ、|馬《うま》の|上《うへ》に|鹿《しか》が|乗《の》つて|居《を》ります、それは|鹿馬者《かばもの》と|申《まを》します。|鹿《しか》の|上《うへ》に|馬《うま》が|乗《の》つた|奴《やつ》が|馬鹿者《ばかもの》です』
|武士《ぶし》『エヽグヅグヅしてゐると、|時《とき》が|遅《おく》れては|一大事《いちだいじ》だ』
と|駒《こま》に|鞭《むちう》ち|駆《か》け|出《だ》さうとするを、レーブは|先頭《せんとう》に|立《た》つた|馬《うま》の|轡《くつわ》をグツと|握《にぎ》り、
『|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さい、こんな|細《ほそ》い|道《みち》、さうあわてると|危《あぶ》なう|厶《ござ》いますで、|何《なん》なら|馬《うま》を|此処《ここ》に|乗《の》り|棄《す》ててお|上《のぼ》りなさつたらどうですか、|此《こ》の|山《やま》は|中々《なかなか》キツイ|山《やま》で|馬《うま》が|辷《すべ》りこけた|途端《とたん》に、あなたも|一緒《いつしよ》に|谷底《たにぞこ》へでも|落《お》ちようものなら、それこそ|大変《たいへん》です。|最前《さいぜん》の|婆《ば》アといふ|女《をんな》も、ここに|馬《うま》を|乗《の》り|棄《す》てて|上《のぼ》つた|位《くらゐ》ですから……』
|武士《ぶし》『|何《なん》と|言《い》つても|人間《にんげん》が|歩《ある》くより|馬《うま》の|方《はう》が|早《はや》い、グヅグヅしてると、|女《をんな》を|見失《みうしな》つちや|大変《たいへん》だ。ヤアお|二方《ふたかた》、|私《わたし》に|構《かま》はず、さきへ|馬《うま》で|行《い》つて|下《くだ》さい、|二人《ふたり》の|姿《すがた》を|見失《みうしな》はぬ|内《うち》に……』
レーブ『ハヽヽヽ、|先《さき》へ|行《ゆ》かうと|言《い》つたつて、こんな|羊腸《やうちやう》の|小路《こみち》、|而《しか》も|胸突坂《むなつきざか》と|来《き》てゐるのだから、|先《さき》の|馬《うま》が|止《とま》つた|以上《いじやう》には|乗越《のりこ》す|訳《わけ》には|行《ゆ》きますまい。|此《この》|馬《うま》はレーブさまが|轡《くつは》を|握《にぎ》つた|以上《いじやう》は、|一時《ひととき》|計《ばか》りは|微躯《びく》とも|動《うご》かさぬのだ。|其《その》|間《あひだ》に|逃《に》げて|下《くだ》さると|良《よ》いのだけれどなア』
と|小声《こごゑ》に|呟《つぶや》く。
|武士《ぶし》『エヽ|仕方《しかた》のない|奴《やつ》だ、|各《おのおの》|方《がた》、ここに|馬《うま》をつないで|一走《ひとはし》り、|追《お》つかけませうか』
レーブ『アヽさうなされませ、それの|方《はう》が|余程《よほど》|安全《あんぜん》で|宜《よろ》しい。|併《しか》しあんな|婆《ば》アや|娘《むすめ》を|追《お》つかけて|如何《どう》なさる|御考《おかんが》へですか、|大方《おほかた》あなたはあの|婆《ばば》アや|娘《むすめ》を|蜈蚣姫《むかでひめ》、|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》だと|思《おも》つて、|追《お》つかけてお|出《い》でなさるでせう。それならばお|止《や》めになさつた|方《はう》がよかろ、|実《じつ》は|私《わたし》も|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》の|家来《けらい》で、|母子《おやこ》の|顔《かほ》を|見覚《みおぼ》えてゐるのを|幸《さひは》ひ、|旦那様《だんなさま》から|女房《にようばう》や|娘《むすめ》を|捜《さが》して|来《き》たならば、|褒美《ほうび》は|望《のぞ》み|次第《しだい》と|仰有《おつしや》つたので、ここ|迄《まで》|捜《さが》しに|参《まゐ》りました。|所《ところ》がよう|似《に》た|婆《ばば》、|娘《むすめ》だと|思《おも》ひ、|出世《しゆつせ》をする|時節《じせつ》が|来《き》たのだと、|雀躍《こをど》りし|乍《なが》ら、|河《かは》を|横切《よこぎ》り|渡《わた》つて|来《き》て|見《み》れば、|豈《あに》|計《はか》らむや、|妹《いもうと》|計《はか》らむや、|一目《ひとめ》|見《み》てもゾツとするやうな、|人品骨柄《じんぴんこつがら》の|卑《いや》しい|菊石《あばた》だらけの|虱《しらみ》の|這《は》うた|糞婆《くそばば》に|乞食《こじき》|娘《むすめ》、イヤもう|私《わたし》もガツカリして|了《しま》ひました。こんな|約《つま》らぬ|事《こと》は|厶《ござ》いませぬ。あの|母子《おやこ》が|果《はた》して|蜈蚣姫《むかでひめ》、|小糸姫《こいとひめ》さまならば、|私《わたし》は|手柄《てがら》になるのだから、あなた|方《がた》のお|力《ちから》を|借《か》つて|一緒《いつしよ》に|捉《とら》へたいのだが、|余《あま》りの|事《こと》に|呆《あき》れて、|婆《ばば》アの|頭《あたま》を|三《み》つ|四《よ》つくらはし、|乞食《こじき》|娘《むすめ》の|尻《しり》を|擲《なぐ》りつけて、オイオイメソメソと|吠面《ほえづら》かわかせおき、ここに|呆然《ばうぜん》として|失望《しつばう》|落胆《らくたん》の|淵《ふち》に|沈《しづ》んでる|所《ところ》で|厶《ござ》います』
|武士《ぶし》『お|前《まへ》は|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》の|部下《ぶか》の|者《もの》だなア、|矢張《やつぱり》|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》も|女房子《にようばうこ》の|行方《ゆくへ》を|尋《たづ》ねてゐられるのかなア』
レーブ『そらさうでせうかい、|天《てん》にも|地《ち》にも|一人《ひとり》よりない|女房《にようばう》や|娘《むすめ》が|居《を》らなくては、|何程《なにほど》|御出世《ごしゆつせ》をなさつても|世《よ》の|中《なか》が|淋《さび》しい、|妻子《つまこ》に|憧憬《あこが》れ|遊《あそ》ばすのは|尤《もつと》もでせう』
|武士《ぶし》『|如何《いか》にもさうだ、お|前《まへ》の|言《い》ふ|通《とほり》ならば、|彼等《かれら》|母子《おやこ》は|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》の|女房子《にようばうこ》ではあるまい、エーエ、|要《い》らぬ|苦労《くらう》をして|河《かは》を|渡《わた》つたものだ、ヤアお|邪魔《じやま》をした。お|二方《ふたかた》、コレから|元《もと》へ|引返《ひきかへ》しませう』
と|馬背《ばはい》に|鞭《むち》|打《う》ち、|勢《いきほひ》に|乗《じやう》じて、ライオン|河《がは》を|驀地《まつしぐら》に|三騎《さんき》|首《くび》を|並《なら》べて|渡《わた》り|行《ゆ》く。
|後《あと》|見送《みおく》つてレーブは|大口《おほぐち》をあけ、
『アツハヽヽヽイヒヽヽヽウフヽヽヽ|何《なん》とマア、|神様《かみさま》の|御仕組《おしぐみ》は|大《たい》したものだナ。|結構《けつこう》な|手柄《てがら》をさして|下《くだ》さつた。|何事《なにごと》も|悧巧《りかう》|出《だ》しては|失敗《しくじ》るぞよ、|阿呆《あはう》になつてゐて|下《くだ》されよといふ、|三五教《あななひけう》の|神諭《みさとし》が|今更《いまさら》の|如《ごと》く|思《おも》ひ|出《だ》されて|有難《ありがた》いワイ。|世《よ》の|中《なか》は|阿呆《あはう》になつてゐるに|限《かぎ》る、|大賢《たいけん》は|愚《ぐ》なるが|如《ごと》し、|愚者《ぐしや》は|賢人《けんじん》の|如《ごと》しとは|此処《ここ》のことだ。|俺《おれ》も|天下一品《てんかいつぴん》の|極端《きよくたん》な|阿呆《あはう》になつて、|真《しん》の|智恵《ちゑ》を|働《はたら》かすことが|出来《でき》た。ヤア|辱《かたじけ》ない|此《この》|役目《やくめ》が|済《す》んだ|以上《いじやう》は、これより|後追《あとお》つかけて、|奥様《おくさま》や|嬢様《ぢやうさま》について|行《い》つても、|何《なん》とも|仰有《おつしや》るまい、ヤア|大分《だいぶ》に|時《とき》も|経《た》つた、モウ|余程《よほど》|行《ゆ》かれただらう。サア|急《いそ》がう』
と|独言《ひとりごと》いひ|乍《なが》ら|一目散《いちもくさん》に|峻坂《しゆんぱん》をかけ|登《のぼ》り、|峠《たうげ》に|佇《たたず》み、ハーハースースーと|息《いき》を|休《やす》め、
レーブ『あれ|丈《だけ》の|敵《てき》を|甘《うま》く|撒散《まきち》らし、|抜群《ばつぐん》の|功名《こうみやう》|手柄《てがら》を|現《あら》はして|此《この》|山頂《さんちやう》に|登《のぼ》りつめ、|四方《よも》の|景色《けしき》を|見下《みお》ろす|時《とき》の|心持《こころもち》は|又《また》|格別《かくべつ》だ。サアもうこれから|下《くだ》り|坂《ざか》、|走《はし》ろまいと|思《おも》つても|走《はし》れるワイ、|併《しか》し|乍《なが》ら|余《あま》り|屈曲《くつきよく》があるから|勢《いきほひ》に|任《まか》して|谷底《たにそこ》へでも|飛込《とびこ》んぢや|堪《たま》らない。|一《ひと》つ|足拍子《あしびやうし》を|取《と》つておりてやらうかな』
と|帯《おび》を|締《し》め|直《なほ》し|鉢巻《はちまき》をグツと|固《かた》め、|両手《りやうて》の|拳《こぶし》をグツと|握《にぎ》り|爪先《つまさき》まで|力《ちから》を|入《い》れ、ボツボツと|下《くだ》り|出《だ》した。レーブは|道々《みちみち》|歌《うた》ふ。
『ウントコドツコイ|玉山《たまやま》は |小《ちひ》さい|峠《たうげ》といひ|乍《なが》ら
|意外《いぐわい》にキツイ|坂路《さかみち》だ |男《をとこ》でさへも|此《この》|通《とほ》り
|歩《あゆ》みに|困《こま》る|坂路《さかみち》を さぞや|奥《おく》さまお|嬢《ぢやう》さま
|困難《こんなん》|遊《あそ》ばしましたらう お|道《みち》の|為《ため》とは|云《い》ひ|乍《なが》ら
|鬼熊別《おにくまわけ》の|奥様《おくさま》と ならせ|玉《たま》ひし|身《み》を|以《もつ》て
|荒野《あらの》を|渡《わた》り|川《かは》を|越《こ》え いろいろ|雑多《ざつた》と|御艱難《ごかんなん》
|御苦労《ごくらう》なさるも|神《かみ》の|為《ため》 |世人《よびと》の|為《ため》と|聞《き》くからは
|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》が|湧《わ》いて|来《く》る |鬼熊別《おにくまわけ》の|神様《かみさま》に
|大事《だいじ》に|大事《だいじ》にされた|俺《おれ》 |御恩返《ごおんがへ》しの|万分一《まんぶいち》
|何時《いつ》しか|報《むく》はななるまいと |思《おも》ひつめたる|真心《まごころ》が
いよいよ|現《あら》はれ|出《い》づる|時《とき》 あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|守《まも》りの|深《ふか》くして お|二方《ふたかた》をば|初《はじ》めとし
レーブの|奴《やつ》も|諸共《もろとも》に |何卒《なにとぞ》|無事《ぶじ》に|月《つき》の|国《くに》
ハルナの|都《みやこ》へ|易々《やすやす》と 「ウントコドツコイきつい|坂《さか》」
|勢《いきほひ》|余《あま》つて|谷川《たにがは》へ スツテンコロリと|落《お》ちかけた
|帰《かへ》らせ|玉《たま》へバラモンの |梵天帝釈《ぼんてんたいしやく》|自在天《じざいてん》
|大国彦《おほくにひこ》の|御前《おんまへ》に |慎《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎ|奉《まつ》る
ライオン|河《がは》を|横《よこ》わたり |奥様《おくさま》|嬢様《ぢやうさま》お|二人《ふたり》に
|暇《ひま》を|貰《もら》つた|怪訝顔《けげんがほ》 |面《つら》ふくらした|時《とき》もあれ
|大黒主《おほくろぬし》に|仕《つか》へてる |釘彦《くぎひこ》|久米彦《くめひこ》|両人《りやうにん》が
|手下《てした》の|奴《やつ》ばら|只《ただ》|三人《みたり》 |駻馬《かんば》に|鞭《むちう》ち|荒河《あらかは》を
|渡《わた》り|来《きた》れる|恐《おそ》ろしさ |此奴《こいつ》あテツキリお|二人《ふたり》の
|姿《すがた》をみとめて|捉《とら》へむと やつてうせたに|違《ちがひ》ない
|一時《ひととき》なりと|暇取《ひまと》らせ お|二人様《ふたりさま》を|安全《あんぜん》に
|守《まも》らむものと|真心《まごころ》の |限《かぎ》りを|尽《つく》して|阿呆《あはう》と|化《ば》け
スツタ|揉《も》んだと|馬鹿口《ばかぐち》を |叩《たた》いた|揚句《あげく》に|村肝《むらきも》の
|心《こころ》にもなき|詐《いつは》りを ベラベラ|喋《しやべ》つた|其《その》おかげ
|追手《おつて》の|奴《やつ》らは|忽《たちま》ちに レーブの|弁《べん》に|欺《あざむ》かれ
|失望《しつばう》|落胆《らくたん》し|乍《なが》らも |河《かは》を|渡《わた》つて|帰《かへ》り|行《ゆ》く
|其《その》|可笑《おか》しさに|堪《た》へかねて |思《おも》はず|知《し》らずアハヽヽヽ
イヒヽヽヽヽヽヒウフヽヽヽ |笑《わら》ひ|溢《あふ》れて|面白《おもしろ》い
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 これ|丈《だけ》|賢《かしこ》い|智慧《ちゑ》あれば
これから|何事《なにごと》あらう|共《とも》 |決《けつ》して|恐《おそ》るる|事《こと》はない
「ウントコ ドツコイ ドツコイシヨ コラマアきつい|坂《さか》ぢやなア」
これ|丈《だけ》|急《いそ》いで|下《くだ》るなら キツと|二人《ふたり》のお|姿《すがた》を
|時《とき》を|移《うつ》さず|拝《をが》むだろ あゝ|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い
お|二人様《ふたりさま》は|今頃《いまごろ》は |悠々然《いういうぜん》と|鼻唄《はなうた》を
|唄《うた》うてレーブの|事《こと》を|言《い》ひ |勇《いさ》み|進《すす》んで|厶《ござ》るだろ
あゝ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い |一伍一什《いちぶしじふ》の|有様《ありさま》を
お|二人様《ふたりさま》にこまごまと |報告《はうこく》|申《まを》し|上《あ》げたなら
キツと|喜《よろこ》びなさるだろ これが|第一《だいいち》|楽《たのし》みだ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|歌《うた》ひつつ、ドンドンドンと|地響《ぢひびき》うたせ、さしもの|峻坂《しゆんばん》を|矢《や》を|射《い》る|如《ごと》く|下《くだ》つて|行《ゆ》く。|道端《みちばた》の|岩《いは》に|母子《おやこ》|二人《ふたり》が|腰打《こしうち》かけ、|息《いき》を|休《やす》めてゐるのも|気《き》がつかず、|大声《おほごゑ》に|呶鳴《どな》り|乍《なが》ら|下《くだ》り|行《ゆ》くのを、|黄金姫《わうごんひめ》は、
『オーイオーイ レーブ|暫《しばら》く|待《ま》て』
と|大音声《だいおんじやう》に|呼《よ》び|止《と》めた。|此《この》|声《こゑ》を|聞《き》くよりレーブは|驚《おどろ》いて|止《と》まらうとすれども、|急坂《きふはん》を|下《くだ》り|切《き》つた|速力《そくりよく》の|惰力《だりよく》は|容易《ようい》に|止《と》まらず、|十間《じつけん》|許《ばか》りズルズルと|石道《いしみち》に|体《からだ》を|止《と》めようとして|倒《たふ》れ、|転《ころ》げ|落《お》ち『アイタタ』と|顔《かほ》をしかめ、|腰《こし》のあたりを|撫《な》で|乍《なが》ら、エチエチと|二人《ふたり》の|前《まへ》に|引返《ひきかへ》し|来《きた》り、
『|奥様《おくさま》|嬢様《ぢやうさま》、|有難《ありがた》う|厶《ござ》いました』
|黄金姫《わうごんひめ》『アヽ|御苦労《ごくらう》であつたなア、|私《わたし》もお|前《まへ》がキツと|追返《おひかへ》しただろと|思《おも》うて、ここに|悠《ゆつ》くりとお|前《まへ》の|来《く》るのを|待《ま》つてゐたのだ。|一人《ひとり》の|馬方《うまかた》は|甘《うま》く【まい】ただらうなア』
レーブ『ハイ|自分《じぶん》の|方《はう》から|勝手《かつて》に|森林《しんりん》の|中《なか》へ|沈没《ちんぼつ》して|了《しま》ひました。|三人《さんにん》の|騎馬《きば》の|士《さむらひ》が|奥様《おくさま》|嬢様《ぢやうさま》を|捉《とら》へむと、|再《ふたた》び|河《かは》を|渡《わた》つてやつて|来《き》ましたが、|俄《にはか》に|私《わたし》は|馬鹿《ばか》となつて|甘《うま》く|追《お》つ|返《かへ》してやりました』
|黄金姫《わうごんひめ》『アヽさうだろ、お|前《まへ》の|身魂《みたま》を|見込《みこ》んであゝ|言《い》つたのだ。|本当《ほんたう》の|事《こと》を|云《い》つてやりたかつたが、|怪《あや》しい|奴《やつ》がついてゐたので、あんなスゲない|事《こと》を|言《い》つたのだから、|気《き》を|悪《わる》うせないでおいて|下《くだ》さい』
レーブ『どうしてどうして|御勿体《ごもつたい》ない、|気《き》を|悪《わる》う|致《いた》しませうかい、サア|是《これ》から|参《まゐ》りませう』
と|話《はな》す|折《をり》しも、|吹来《ふきく》る|風《かぜ》につれて|聞《きこ》え|来《く》る|人馬《じんば》の|物音《ものおと》、|金鼓《きんこ》の|響《ひびき》、|矢叫《やさけ》びの|声《こゑ》、|物凄《ものすご》くも|此方《こなた》に|向《むか》つて|進《すす》み|来《く》る。|黄金姫《わうごんひめ》は|立上《たちあが》り、
『サアこれからが|本当《ほんたう》の|神軍《しんぐん》と|魔軍《まぐん》との|戦争《せんそう》だ。|清照姫《きよてるひめ》|用意《ようい》をなされ。レーブ、|覚悟《かくご》はよいか………』
(大正一一・一〇・二九 旧九・一〇 松村真澄録)
(昭和一〇・六・一〇 王仁校正)
附録 |大祓祝詞解《おほはらひのりとかい》
(一)
|大祓祝詞《おほはらひのりと》は|中臣《なかとみ》の|祓《はらひ》とも|称《とな》へ、|毎年《まいねん》|六月《ろくぐわつ》と|十二月《じふにぐわつ》の|晦日《みそか》を|以《もつ》て|大祓《おほはらひ》|執行《しつかう》に|際《さい》し、|中臣《なかとみ》が|奏上《そうじやう》する|祭文《さいぶん》で|延喜式《えんぎしき》に|載録《さいろく》されてある。
|従来《じうらい》|此《この》|祝詞《のりと》の|解説《かいせつ》は|無数《むすう》に|出《で》て|居《ゐ》るが、|全部《ぜんぶ》|文章《ぶんしやう》|辞義《じぎ》の|解釈《かいしやく》のみに|拘泥《こうでい》し、|其《その》|中《なか》に|籠《こも》れる|深奥《しんあう》の|真意義《しんいぎ》には|殆《ほとん》ど|一端《いつたん》にさへ|触《ふ》れて|居《ゐ》ない。|甚《はなは》だしきは|本文《ほんぶん》の|中《なか》から『|己《おの》が|母《はは》|犯《をか》せる|罪《つみ》、|己《おの》が|子《こ》|犯《をか》せる|罪《つみ》、|母《はは》と|子《こ》と|犯《をか》せる|罪《つみ》、|子《こ》と|母《はは》と|犯《をか》せる|罪《つみ》、|畜《けもの》|犯《をか》せる|罪《つみ》』の|件《くだり》を|削除《さくぢよ》するなどの|愚劣《ぐれつ》を|演《えん》じて|居《ゐ》る。|自己《じこ》の|浅薄《せんぱく》|卑近《ひきん》なる|頭脳《づなう》を|標準《へうじゆん》としての|軽挙妄動《けいきよもうどう》であるから、|神界《しんかい》でも|笑《わら》つて|黙許《もくきよ》に|附《ふ》せられて|居《ゐ》るのであらうが、|実《じつ》は|言語道断《ごんごどうだん》の|所為《しよゐ》と|云《い》はねばならぬ。|大祓祝詞《おほはらひのりと》の|真意義《しんいぎ》は|古事記《こじき》と|同様《どうやう》に、|大本言霊学《おほもとげんれいがく》の|鍵《かぎ》で|開《ひら》かねば|開《ひら》き|得《え》られない。さもなければ|古事記《こじき》が|一《いつ》の|幼稚《えうち》なる|神話《しんわ》としか|見《み》えぬと|同様《どうやう》に、|大祓祝詞《おほはらひのりと》も|下《くだ》らぬ|罪悪《ざいあく》の|列挙《れつきよ》、|形容詞《けいようし》|沢山《たくさん》の|長文句《ながもんく》|位《くらゐ》にしか|見《み》えない。|所《ところ》が|一旦《いつたん》|言霊《ことたま》の|活用《くわつよう》を|以《もつ》て|其《その》|秘奥《ひあう》を|開《ひら》いて|見《み》ると、|偉大《ゐだい》と|云《い》はうか、|深遠《しんゑん》といはうか、ただただ|驚嘆《きやうたん》の|外《ほか》はないのである。|我《わが》|国体《こくたい》の|精華《せいくわ》が|之《これ》によりて|発揮《はつき》せらるるは|勿論《もちろん》のこと、|天地《てんち》の|経綸《けいりん》、|宇宙《うちう》の|神秘《しんぴ》は|精《くは》しきが|上《うへ》にも|精《くは》しく|説《と》かれ、|明《あきら》かなる|上《うへ》にも|明《あきら》かに|教《をし》へられて|居《ゐ》る。|之《これ》を|要《えう》するに|皇道《くわうだう》の|真髄《しんずゐ》は|大祓祝詞《おほはらひのりと》|一篇《いつぺん》の|裡《うち》に|結晶《けつしやう》して|居《ゐ》るので、|長短《ちやうたん》|粗密《そみつ》の|差異《さい》こそあれ、|古事記《こじき》、|及《およ》び|大本神諭《おほもとしんゆ》と|其《その》|内容《ないよう》は|全然《ぜんぜん》|符節《ふせつ》を|合《がつ》するものである。
|言霊《ことたま》の|活用《くわつよう》が|殆《ほとん》ど|無尽蔵《むじんざう》である|如《ごと》く、|大祓祝詞《おほはらひのりと》の|解釈法《かいしやくはふ》も|無尽蔵《むじんざう》に|近《ちか》く、|主要《しゆえう》なる|解釈法《かいしやくはふ》|丈《だけ》でも|十二通《じふにとほ》りあるが、|成《な》るべく|平易《へいい》|簡単《かんたん》に、|現時《げんじ》に|適切《てきせつ》と|感《かん》ぜらるる|解釈《かいしやく》の|一箇《ひとつ》をこれから|試《こころ》みようと|思《おも》ふ。|時運《じうん》は|益々《ますます》|進展《しんてん》し、|人《ひと》としての|資格《しかく》の|有無《うむ》を|問《と》はるべき|大審判《だいしんぱん》の|日《ひ》は|目前《もくぜん》に|迫《せま》つて|居《ゐ》るから、|心《こころ》ある|読者《どくしや》|諸子《しよし》は、これを|読《よ》んで、|真《しん》の|理解《りかい》と|覚醒《かくせい》の|途《と》に|就《つ》いて|戴《いただ》きたい。
(二)
『|高天原《たかあまはら》に|神《かみ》つまります、|皇親《すめらがむつ》|神漏岐《かむろぎ》、|神漏美《かむろみ》の|命《みこと》もちて、|八百万《やほよろづ》の|神等《かみたち》を|神集《かむつど》へに|集《つど》へ|賜《たま》ひ|神議《かむはか》りに|議《はか》り|玉《たま》ひて、|我皇孫命《あがすめみまのみこと》は|豊葦原《とよあしはら》の|水穂《みづほ》の|国《くに》を、|安国《やすくに》と|平《たひら》けく|所知食《しろしめせ》と|事依《ことよさ》し|奉《まつ》りき』
△【高天原に】『タカアマハラ』と|読《よ》むべし、|従来《じうらい》『タカマガハラ』|又《また》は『タカマノハラ』と|読《よ》めるは|誤《あやま》りである。|古事記《こじき》|巻頭《くわんとう》の|註《ちゆう》に『訓高下【天】云阿麻』と|明白《めいはく》に|指示《しじ》されて|居《を》り|乍《なが》ら|従来《じうらい》|何《いづ》れの|学者《がくしや》も|之《これ》を|無視《むし》して|居《ゐ》たのは、|殆《ほとん》ど|不思議《ふしぎ》な|程《ほど》である。|一音《いちおん》づつの|意義《いぎ》を|調《しら》ぶれば、【タ】は|対照力《たいせうりよく》|也《なり》、|進《すす》む|左《さ》|也《なり》、|火《ひ》|也《なり》、|東北《とうほく》より|鳴《な》る|声《こゑ》|也《なり》、|父《ちち》|也《なり》。|又《また》【カ】は|輝《かがや》く|也《なり》、|退《しりぞ》く|右《いう》|也《なり》、|水《みづ》|也《なり》、|西南《せいなん》より|鳴《な》る|声《こゑ》|也《なり》、|母《はは》|也《なり》。|父《ちち》を『【タタ】』といひ、|母《はは》を『【カカ】』と|唱《とな》ふるのもこれから|出《で》るのである。|又《また》【ア】は|現《あら》はれ|出《いづ》る|言霊《ことたま》、【マ】は|球《たま》の|言霊《ことたま》、【ハ】は|開《ひら》く|言霊《ことたま》、【ラ】は|螺旋《らせん》の|言霊《ことたま》。|即《すなは》ち『タカアマハラ』の|全意義《ぜんいぎ》は【|全大宇宙《ぜんだいうちう》】の|事《こと》である。|尤《もつと》も|場合《ばあひ》によりては|全大宇宙《ぜんだいうちう》の|大中心地点《だいちうしんちてん》をも|高天原《たかあまはら》と|云《い》ふ。|所謂《いはゆる》|宇宙《うちう》に|向《むか》つて|号令《がうれい》する|神界《しんかい》の|中府《ちうふ》|所在地《しよざいち》の|意義《いぎ》で『|地《ち》の|高天原《たかあまはら》』と|称《しよう》するなどがそれである。この|義《ぎ》を|拡張《くわくちやう》して|小高天原《せうたかあまはら》は|沢山《たくさん》ある|訳《わけ》である。|一家《いつか》の|小高天原《せうたかあまはら》は|神床《かむどこ》であり、|一身《いつしん》の|小高天原《せうたかあまはら》は、|臍下丹田《さいかたんでん》であらねばならぬ。ここでは|後《あと》の|意義《いぎ》ではなく、|全大宇宙《ぜんだいうちう》|其《その》|物《もの》の|意義《いぎ》である。|之《これ》を|従来《じうらい》は、|地名《ちめい》であるかの|如《ごと》く|想像《さうざう》して、|地理的《ちりてき》|穿鑿《せんさく》を|試《こころ》みて|居《ゐ》たのである。
△【神つまります】 【かみ】は|日月《じつげつ》、|陰陽《いんやう》、|水火《すゐくわ》、|霊体《れいたい》|等《とう》の|義《ぎ》|也《なり》。|陰陽《いんやう》、|水火《すゐくわ》の|二元《にげん》|相合《あひがつ》して|神《かみ》となる。|皇典《くわうてん》に|所謂《いはゆる》|産霊《むすび》とは|此《この》|正反対《せいはんたい》の|二元《にげん》の|結合《けつがふ》を|指《さ》す。|日月地星辰《じつげつちせいしん》、|神人《しんじん》|其《その》|他《た》|宇宙《うちう》|万有《ばんいう》|一切《いつさい》の|発生《はつせい》|顕現《けんげん》は|悉《ことごと》くこの|神秘《しんぴ》なる|産霊《むすび》の|結果《けつくわ》でないものはない。|又《また》【つまり】とは|充実《じうじつ》の|義《ぎ》で、|鎮坐《ちんざ》の|義《ぎ》ではない。【ます】はましますと|同《おな》じ。
△【|皇親《すめらがむつ》】 【皇】(スメラ)は|澄《すま》すの|義《ぎ》、|全世界《ぜんせかい》、|全宇宙《ぜんうちう》を|清澄《せいちよう》することを|指《さ》す。【親】(ムツ)は『ムスビ【ツ】ラナル』の|義《ぎ》で、|即《すなは》ち|連綿《れんめん》として|継承《けいしよう》さるべき|万世一系《ばんせいいつけい》の|御先祖《ごせんぞ》の|事《こと》である。
△【|神漏岐《かむろぎ》】、【|神漏美《かむろみ》】 |神漏岐《かむろぎ》は|霊系《れいけい》の|祖神《そしん》にして|天《てん》に|属《ぞく》し、|神漏美《かむろみ》は|体系《たいけい》の|祖神《そしん》にして|地《ち》に|属《ぞく》す。|即《すなは》ち|天地《てんち》、|陰陽《いんやう》|二系《にけい》の|神々《かみがみ》の|義《ぎ》である。
△【命もちて】 |命《みこと》(ミコト)は|神言《かみごと》|也《なり》、|神命《しんめい》|也《なり》。|即《すなは》ち|水火《すゐくわ》の|結合《けつがふ》より|成《な》る|所《ところ》の|五十音《ごじふおん》を|指《さ》す。|元来《ぐわんらい》|声音《こゑ》は「|心《こころ》の|柄《え》」の|義《ぎ》にて、|心《こころ》の|活用《くわつよう》の|生《しやう》ずる|限《かぎ》り、|之《これ》を|運用《うんよう》する|声音《こゑ》が|無《な》ければならぬ。|心《こころ》(|即《すなは》ち|霊魂《れいこん》)の|活用《くわつよう》を|分類《ぶんるゐ》すれば、|奇魂《くしみたま》、|荒魂《あらみたま》、|和魂《にぎみたま》、|幸魂《さちみたま》の|四魂《しこん》と|之《これ》を|統括《とうくわつ》する|所《ところ》の|全霊《ぜんれい》に|分《わか》ち|得《う》る。|所謂《いはゆる》|一霊四魂《いちれいしこん》であるが、|此《この》|根源《こんげん》の|一霊四魂《いちれいしこん》を|代表《だいへう》する|声音《せいおん》はアオウエイの|五大父音《ごだいふおん》である。【|宇宙根本《うちうこんぽん》の|造化作用《ざうくわさよう》は|要《えう》するに|至祖神《しそしん》の|一霊四魂《いちれいしこん》の|運用《うんよう》の|結果《けつくわ》であるから】、【|至祖神《しそしん》の|御活動《ごくわつどう》につれて|必然的《ひつぜんてき》にアオウエイの|五大父音《ごだいふおん》が|先《ま》づ|全大宇宙間《ぜんだいうちうかん》に|発生《はつせい》し】、【そして|其《その》|声音《せいおん》は|今日《こんにち》といへども|依然《いぜん》として|虚空《こくう》に|充《み》ち|満《み》ちて|居《ゐ》るのだが、|余《あま》りに|大《だい》なる|声音《せいおん》なので】、【|余《あま》りに|微細《びさい》なる|声音《せいおん》と|同様《どうやう》に】、【|普通《ふつう》|人間《にんげん》の|肉耳《にくじ》には|感《かん》じないまでである】。|併《しか》し|余《あま》り|大《だい》ならざる|中間音《ちうかんおん》は|間断《かんだん》なく|吾人《ごじん》の|耳朶《じだ》に|触《ふ》れ、|天音地籟《てんおんちらい》|一《いつ》として|五大父音《ごだいふおん》に|帰着《きちやく》せぬは|無《な》い。|鎮魂《ちんこん》して|吾人《ごじん》の|霊耳《れいじ》を|開《ひら》けば、|聴《き》こゆる|範囲《はんゐ》は|更《さら》に|更《さら》に|拡大《くわくだい》する。|扨《さて》|前《まへ》にも|述《の》ぶるが|如《ごと》く、|声音《せいおん》は|心《こころ》の|柄《え》、|心《こころ》の|運用《うんよう》|機関《きくわん》であるから|天神《てんしん》の|一霊四魂《いちれいしこん》の|活用《くわつよう》が|複雑《ふくざつ》に|赴《おもむ》けば|赴《おもむ》く|丈《だ》け、|声音《せいおん》の|数《すう》も|複雑《ふくざつ》に|赴《おもむ》き|停止《ていし》する|所《ところ》はない。|其《その》|中《なか》に|在《あ》りて|宇宙間《うちうかん》に|発生《はつせい》した|清音《せいおん》のみを|拾《ひろ》ひ|集《あつ》むれば|四十五音《しじふごおん》(|父母音《ふぼおん》を|合《あは》せて)|濁音《だくおん》、|半濁音《はんだくおん》を|合《がつ》すれば【|七十五音《しちじふごおん》】である。これは|声音《せいおん》|研究者《けんきうしや》の|熟知《じゆくち》する|所《ところ》である。|拗音《えうおん》、|捉音《そくおん》、|鼻音《びおん》|等《とう》を|合併《がつぺい》すれば|更《さら》に|多数《たすう》に|上《のぼ》るが、|要《えう》するに|皆《みな》|七十五音《しちじふごおん》の|変形《へんけい》で、あらゆる|音声《おんせい》、あらゆる|言語《げんご》は|根本《こんぽん》の|七十五声音《しちじふごせいおん》の|運用《うんよう》と|結合《けつがふ》との|結果《けつくわ》に|外《ほか》ならぬ。【されば|宇宙《うちう》の|森羅万象《しんらばんしやう》|一切《いつさい》は|是等《これら》|無量無辺《むりやうむへん》の|音声《おんせい》|即《すなは》ち|言霊《ことたま》の|活用《くわつよう》の|結果《けつくわ》と|見《み》て|差支《さしつかへ》ない】。これは|人間《にんげん》の|上《うへ》に|照《てら》して|見《み》ても|其《その》|通《とほ》りである|事《こと》がよく|分《わか》る。|人間《にんげん》の|心《こころ》の|活用《くわつよう》のある|限《かぎ》り、|之《これ》を|表現《へうげん》する|言霊《ことたま》がある。『|進《すす》め』と|思《おも》ふ|瞬間《しゆんかん》には|其《その》|言霊《ことたま》は|吾人《ごじん》の|身体《しんたい》の|中府《ちうふ》から|湧《わ》き、『|退《しりぞ》け』と|思《おも》ふ|瞬間《しゆんかん》にも、『|寝《ね》よう』と|思《おも》ふ|瞬間《しゆんかん》にも、『|行《や》らう』と|思《おも》ふ|瞬間《しゆんかん》にも、|其《その》|他《た》|如何《いか》なる|場合《ばあひ》にも、|常《つね》に|其《その》|言霊《ことたま》は|吾人《ごじん》の|中心《ちうしん》から|湧出《ゆうしゆつ》する。|即《すなは》ち|人間《にんげん》の|一挙一動《いつきよいちどう》|悉《ことごと》く|言霊《ことたま》の|力《ちから》で|左右《さいう》されるというても|宜《よろ》しい。|従《したが》つて|言霊《ことたま》の|活用《くわつよう》の|清純《せいじゆん》で、|豊富《ほうふ》な|人《ひと》|程《ほど》|其《そ》の|使命《しめい》|天職《てんしよく》も|高潔《かうけつ》|偉大《ゐだい》でなければならぬ。
△【|八百万《やほよろづ》の|神等《かみたち》】 |万百《やほ》のヤは|人《ひと》、ホは|選良《せんりやう》の|義《ぎ》、|万《よろづ》は|沢山《たくさん》、|多数《たすう》の|義《ぎ》である。
△【|神集《かむつど》へに|云々《うんぬん》】 |神《かみ》の|集会《しふくわい》で|神廷《しんてい》|会議《くわいぎ》を|催《もよほ》すことである。
△【|我皇御孫之命《あがすめみまのみこと》】 |五十音《ごじふおん》の|中《なか》で【ア】は|天系《てんけい》に|属《ぞく》し、【ワ】は|地系《ちけい》に|属《ぞく》す。|故《ゆゑ》に|至上人《しじやうにん》に|冠《くわん》する|時《とき》に【我】は【ワガ】と|言《い》はずして【アガ】といふ|也《なり》。【皇】(スメ)は|澄《すま》し|治《をさ》め、|一切《いつさい》を|見通《みとほ》す|事《こと》、【御】(ミ)は|充《み》つる、|円満《ゑんまん》|具足《ぐそく》の|義《ぎ》、【孫】(マ)はマコトの|子《こ》、|直系《ちよくけい》を|受《う》けたる|至貴《しき》の|玉体《ぎよくたい》。【|命《みこと》】は|体異体別《たいいたいべつ》の|義《ぎ》、|即《すなは》ち|独立《どくりつ》せる|人格《じんかく》の|義《ぎ》にして、|前《まへ》に|出《い》でたる|命《みこと》(神言)から|発足《ほつそく》せる|第二義《だいにぎ》である。|全体《ぜんたい》は|単《たん》に『|御子《みこ》』といふ|事《こと》である。|元来《ぐわんらい》|霊《れい》も|体《たい》も|其《その》|根本《こんぽん》に|溯《さかのぼ》れば、|皆《みな》|祖神《そしん》の|賜《たまもの》、|天地《てんち》の|賜《たまもの》である。|故《ゆゑ》に|皇典《くわうてん》では|常《つね》に|敬称《けいしやう》を|附《ふ》するを|以《もつ》て|礼《れい》となし、|人間《にんげん》に|自他《じた》の|区別《くべつ》は|設《まう》けられてないのである。
△【|豊葦原《とよあしはら》の|水穂国《みづほのくに》】 |全世界《ぜんせかい》|即《すなは》ち|五大洲《ごだいしう》の|事《こと》である。|之《これ》を|極東《きよくとう》の|或《ある》|国《くに》の|事《こと》とせるが|従来《じゆうらい》の|学者《がくしや》の|謬見《びうけん》であつた。|日本《にほん》を|指《さ》す|時《とき》には、|豊葦原《とよあしはら》の|中津国《なかつくに》、|又《また》は|根別国《ねわけのくに》などと|立派《りつぱ》に|古事記《こじき》にも|区別《くべつ》して|書《か》いてある。
△【|所知食《しろしめせ》】 は|衣食住《いしよくぢう》の|業《げふ》を|安全《あんぜん》に|示《しめ》し|教《をし》ふる|事《こと》を|云《い》ふ。|地球《ちきう》は|祖神《そしん》の|御体《おんからだ》であるから、|人間《にんげん》としては|土地《とち》の|領有権《りやういうけん》は|絶対《ぜつたい》に|無《な》い。|例《たと》へば|人体《じんたい》の|表面《へうめん》に|寄生《きせい》する|極微生物《ごくびせいぶつ》に|人体《じんたい》|占領《せんりやう》の|権能《けんのう》がないのと|同様《どうやう》である。|人間《にんげん》は|神様《かみさま》から|土地《とち》を|預《あづか》り、|神様《かみさま》に|代《かは》りて|之《これ》を|公平《こうへい》|無私《むし》に|使用《しよう》する|迄《まで》である。【うしはぐ】(|領有《りやういう》)ものは|天地《てんち》の|神《かみ》で|主治者《しゆぢしや》は|飽迄《あくまで》【|知《し》ろしめす】であらねばならぬ。|国土《こくど》の|占領《せんりやう》|地所《ぢしよ》の|独占《どくせん》|等《とう》は、|根本《こんぽん》から|天則違反《てんそくゐはん》|行為《かうゐ》である。|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|暁《あかつき》には|独占《どくせん》は|無《な》くなつて|了《しま》ふ。
(|大意《たいい》)|全大宇宙間《ぜんだいうちうかん》には|陰陽《いんやう》|二系《にけい》の|御神霊《ごしんれい》が|実相《じつさう》|充塞《じうそく》しそれは|即《すなは》ち|一切《いつさい》|万有《ばんいう》の|父《ちち》であり|又《また》|母《はは》である。|陰陽《いんやう》|二神《にしん》の|神秘的《しんぴてき》|産霊《むすび》の|結果《けつくわ》は|先《ま》づ|一切《いつさい》の|原動力《げんどうりよく》とも|云《い》ふべき|言霊《ことたま》の|発生《はつせい》となつた。|所謂《いはゆる》|八百万《やほよろづ》の|天津神《あまつかみ》の|御出現《ごしゆつげん》であり、|御完成《ごくわんせい》である。|天界《てんかい》|主宰《しゆさい》の|大神《おほかみ》は|云《い》ふまでもなく|天照皇大神《あまてらすすめおほかみ》|様《さま》であらせらるるが、|其《その》|次《つ》ぎに|起《おこ》る|問題《もんだい》は|地《ち》の|世界《せかい》の|統治権《とうぢけん》の|確定《かくてい》である。|是《ここ》に|於《おい》て|神廷《しんてい》|会議《くわいぎ》の|開催《かいさい》となり|其《その》|結果《けつくわ》は|天照大神《あまてらすおほかみ》|様《さま》の|御霊統《ごれいとう》を|受《う》けさせられた|御方《おかた》が|全世界《ぜんせかい》の|救治《きうぢ》に|当《あた》らるる|事《こと》に|確定《かくてい》し、|治国平天下《ちこくへいてんか》の|大道《だいだう》を|執行《しつかう》|監督《かんとく》さるべき|天《てん》の|使命《しめい》を|帯《お》びさせらるる|事《こと》になつたのである。|無論《むろん》|人間《にんげん》の|肉体《にくたい》は|世《よ》に|生死《せいし》|往来《わうらい》するを|免《まぬが》れないが、|其《その》|霊魂《れいこん》は|昔《むかし》も|今《いま》も|変《かは》ることなく|千万世《せんばんせい》に|亘《わた》りて|無限《むげん》の|寿《じゆ》を|保《たも》ちて|活動《くわつどう》さるるのである。
(三)
かく|依《よ》さし|奉《まつ》りし|国中《くぬち》に|荒振神等《あらぶるかみども》をば、|神《かむ》|問《と》はしに|問《と》はし|玉《たま》ひ、|神《かむ》|掃《はら》ひに|掃《はら》ひ|給《たま》ひて、|語問《ことと》ひし|磐根樹根立《いはねきねたち》|草《くさ》の|片葉《かきは》をも|語止《ことや》めて、|天之磐座《あめのいはくら》|放《はな》ち、|天之八重雲《あめのやへくも》を|伊頭《いづ》の|千別《ちわき》に|千別《ちわき》て、|天降《あまくだ》し|依《よ》さし|奉《まつ》りき。
△【|荒振神《あらぶるかみ》】 |天界《てんかい》の|御命令《ごめいれい》にまつろはぬ|神《かみ》、|反抗神《はんかうしん》の|意《い》である。
△【|神《かむ》|問《と》はしに|云々《うんぬん》】 |神《かみ》の|御会議《ごくわいぎ》。|罪《つみ》あるものは|神《かみ》に|向《むか》ひて|百万遍《ひやくまんぺん》|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》すればとて、|叩頭《こうとう》を|続《つづ》くればとてそれで|何《なん》の|効能《かうのう》があるのではない。|況《いは》ンや|身慾《みよく》|信心《しんじん》に|至《いた》つては、|言語道断《ごんごどうだん》である。|神様《かみさま》に|御厄介《ごやくかい》を|懸《か》けるばかり、|碌《ろく》な|仕事《しごと》もせぬ|癖《くせ》に、いざ|大審判《だいしんぱん》の|開始《かいし》されむとする|今日《こんにち》、|綾部《あやべ》を|避難地《ひなんち》でもあるが|如《ごと》くに|考《かんが》ふるやうな|穿《は》き|違《ちが》ひの|偽信仰《にせしんかう》は、それ|自身《じしん》に|於《おい》て|大罪悪《だいざいあく》である。|神《かみ》は|先《ま》づ|其様《そん》な|手合《てあひ》から|問《と》はせらるるに|相違《さうゐ》ない。
△【|神《かむ》|掃《はら》ひに|云々《うんぬん》】 |掃《はら》ひ|清《きよ》むること、|神諭《しんゆ》の|所謂《いはゆる》|大掃除《おほさうぢ》|大洗濯《おほせんだく》である。
△【|語問《こととひ》し】 |諸々《もろもろ》の|罪《つみ》の|糾弾《きうだん》である。
△【|磐根樹立《いはねきねたち》】 |草《くさ》の|枕詞《まくらことば》、|即《すなは》ち|磐《いは》の|根《ね》に|立《た》てる|樹木《じゆもく》の、その|又《また》|根《ね》に|立《た》てる|草《くさ》の|義《ぎ》。
△【|草《くさ》の|片葉《かきは》】 |草《くさ》は|青人草《あをひとぐさ》、|人《ひと》のこと、|又《また》|片葉《かきは》は|下賤《げせん》の|人草《ひとくさ》の|意《い》である。
△【|語止《ことや》めて】 |議論《ぎろん》なしに|改悟《かいご》せしむるの|意《い》である。
△【|天之磐座《あめのいはくら》|放《はな》ち】 |磐座《いはくら》は|高御座《たかみくら》|也《なり》、【いは】も【くら】も|共《とも》に|巌石《がんせき》の|義《ぎ》。|放《はな》ちは|離《はな》ち|也《なり》。|古事記《こじき》には、『離天之石位』とあり。
△【|八重雲《やへくも》】 |弥《いや》が|上《うへ》にも|重《かさ》なりたる|雲《くも》。
△【|伊頭《いづ》の|千別《ちわき》に|云々《うんぬん》】 |伊頭《いづ》は|稜威《みいづ》|也《なり》。|即《すなは》ち|鋭《するど》き|勢《いきほひ》を|以《もつ》て|道《みち》を|別《わ》けに|別《わ》けの|義《ぎ》。
△【|天降《あまくだ》し|依《よ》さし|奉《まつ》りき】 『|天降《あまくだ》し……の|件《けん》を|依《よ》さし|奉《まつ》りき』の|義《ぎ》にて|中間《ちうかん》に|神秘《しんぴ》あり。【|天降《あまくだ》し】は|天孫《てんそん》をして|降臨《かうりん》せしむる|事《こと》、|換言《くわんげん》すれば|天祖《てんそ》の|御分霊《ごぶんれい》を|地《ち》に|降《くだ》し、|八百万《やほよろづ》の|国津神達《くにつかみたち》の|主宰《しゆさい》として|神胤《しんいん》が|御発生《ごはつせい》ある|事《こと》である。
(|大意《たいい》)|既《すで》に|地《ち》の|神界《しんかい》の|統治者《とうぢしや》は|確定《かくてい》したが、|何《なに》しろ|宇宙《うちう》の|間《あひだ》は|尚《なほ》|未製品《みせいひん》|時代《じだい》に|属《ぞく》するので、|自由《じいう》|行動《かうどう》を|執《と》り、|割拠《かつきよ》|争奪《そうだつ》を|事《こと》とする|兇徒界《きやうとかい》が|多《おほ》い。これは|最《もつと》も|露骨《ろこつ》に|大本《おほもと》|開祖《かいそ》の|御神諭《ごしんゆ》に|示《しめ》されて|居《ゐ》る|所《ところ》で、|決《けつ》して|過去《くわこ》の|事《こと》のみではない。|小規模《せうきぼ》の|救世主《きうせいしゆ》|降臨《かうりん》は|過去《くわこ》にあつたが、|大規模《だいきぼ》の|真《しん》の|救世主《きうせいしゆ》|降臨《かうりん》は|現在《げんざい》である。『|七王《ななわう》も|八王《やわう》も|王《わう》が|世界《せかい》にあれば、|此《この》|世《よ》に|口舌《くぜつ》が|絶《た》えぬから、|神《かみ》の|王《わう》で|治《をさ》める|経綸《しぐみ》が|致《いた》してあるぞよ』とあるなどは|即《すなは》ち|之《これ》を|喝破《かつぱ》されたものである。|其《その》|結果《けつくわ》|是等《これら》|悪鬼《あくき》|邪神《じやしん》の|大審判《だいしんぱん》、|大掃除《おほさうぢ》、|大洗濯《おほせんだく》が|開始《かいし》され|所謂《いはゆる》|世《よ》の|大立替《おほたてかへ》の|大渦中《だいくわちう》に|突入《とつにふ》する。さうなると|批評《ひひやう》も|議論《ぎろん》も|疑義《ぎぎ》も|反抗《はんかう》も|全部《ぜんぶ》|中止《ちゆうし》となり|稜威赫々《みいづかくかく》として|宇内《うだい》を|統治《とうぢ》し|玉《たま》ふ|神《かみ》の|御子《みこ》の|世《よ》となるのである。
(四)
|如此《かく》|依《よ》さし|奉《まつ》りし|四方《よも》の|国中《くになか》と|大日本日高見之国《おほやまとひたかみのくに》を|安国《やすくに》と|定《さだ》め|奉《まつ》りて、|下津磐根《したついはね》に|宮柱太敷立《みやはしらふとしきたて》、|高天原《たかあまはら》に|千木多加知《ちぎたかし》りて、|皇御孫命《すめみまのみこと》の|美頭《みづ》の|御舎《みあらか》|仕《つか》へ|奉《まつ》りて、|天《あめ》の|御蔭《みかげ》|日《ひ》の|御蔭《みかげ》と|隠《かく》り|坐《ま》して、|安国《やすくに》と|平《たひら》けく|所知食《しろしめさ》む|国中《くぬち》に|成出《なりい》でむ|天《あめ》の|益人等《ますひとら》が|過《あやま》ち|犯《おか》しけむ|雑々《くさぐさ》の|罪事《つみこと》は。
△【|四方《よも》の|国中《くになか》】 |宇宙《うちう》の|大中心《だいちうしん》。
△【|大日本日高見之国《おほやまとひたかみのくに》】 |四方真秀《よもまほ》、|天津日《あまつひ》の|隈《くま》なく|照《て》り|亘《わた》る|国土《こくど》を|称《とな》へていふ。|但《ただし》|宇宙《うちう》の|大修祓《だいしうばつ》が|済《す》んでから|初《はじ》めて|理想的《りさうてき》になるのである。
△【|下津磐根《したついはね》】 |地質《ちしつ》が|一大磐石《いちだいばんじやく》の|地《ち》で|即《すなは》ち|神明《しんめい》の|降臨《かうりん》ある|霊域《れいゐき》を|指《さ》す。
『|福知山《ふくちやま》、|舞鶴《まひづる》は|外囲《そとがこ》ひ、|十里四方《じふりしはう》は|宮《みや》の|内《うち》』とあるも|亦《また》|下津磐根《したついはね》である。
△【|宮柱太敷立《みやはしらふとしきたて》】 |宮居《みやゐ》の|柱《はしら》を|立派《りつぱ》に|建《た》てる|事《こと》。
△【|千木多加知《ちぎたかしり》】 |屋根《やね》の|千木《ちぎ》を|虚空《こくう》(|高天原《たかあまはら》)に|高《たか》く|敷《し》きの|義《ぎ》。|千木《ちぎ》は|垂木《たるき》|也《なり》。【タリ】を|約《つ》めて【チ】といふ。
△【|美頭《みづ》】 |麗《うるは》しき|瑞々《みづみづ》しき|意《い》。
△【|仕《つか》へ|奉《まつ》り】 |御造営《ござうえい》の|義《ぎ》。
△【|天《あめ》の|御蔭《みかげ》|云々《うんぬん》】 |天津神《あまつかみ》の|御蔭《みかげ》、|日《ひ》の|大神様《おほかみさま》の|御蔭《みかげ》と|自分《じぶん》の|徳《とく》を|隠《かく》したまふ|義《ぎ》。|神政成就《しんせいじやうじゆ》、|神人《しんじん》|合一《がふいつ》の|時代《じだい》に|於《おい》ては|人《ひと》は|悉《ことごと》く|神《かみ》の|容器《いれもの》である。|世界《せかい》|統一《とういつ》を|実行《じつかう》すとて、|其《その》|功績《こうせき》は|之《これ》は|天地《てんち》の|御恩《ごおん》に|帰《き》し|奉《たてまつ》るが|道《みち》の|真随《しんずゐ》で、|忠孝《ちうかう》|仁義《じんぎ》の|大道《だいだう》は|根源《こんげん》をここから|発《はつ》する。|坐《ゐ》ながらにして|其《その》|御威徳《ごゐとく》は|宇内《うだい》に|光被《くわうひ》し、|世《よ》は|自然《しぜん》と|平《たひら》けく|安《やす》らけく|治《をさ》まるのである。
△【|天《あめ》の|益人《ますひと》】 |天《あめ》は|敬称《けいしやう》である。|益人《ますひと》は|世界《せかい》の|全人類《ぜんじんるゐ》を|指《さ》す。【マスラヲ】といふ|時《とき》は|男子《だんし》のみを|指《さ》す。【マ】は|完全《くわんぜん》、【ス】は|統治《とうぢ》の|義《ぎ》。|又《また》【ヒ】は|霊《れい》、【ト】は|留《とど》まる|義《ぎ》。
△【|罪事《つみこと》】 【ツミ】は|積《つ》み|也《なり》、|又《また》|包《つつ》み|也《なり》。|金銭《きんせん》、|財宝《ざいほう》、|糧食《りやうしよく》|等《とう》を|山積《さんせき》|私有《しいう》するは|個人《こじん》|本位《ほんゐ》、|利己《りこ》|本位《ほんゐ》の|行為《かうゐ》で、|天則《てんそく》に|背反《はいはん》して|居《ゐ》る。|又《また》|物品《ぶつぴん》を|包《つつ》み|隠《かく》したり、|邪心《じやしん》を|包蔵《はうざう》したり、|利用《りよう》|厚生《こうせい》の|道《みち》の|開発《かいはつ》を|怠《おこた》つたりする|事《こと》も|堕落《だらく》|腐敗《ふはい》の|源泉《げんせん》である。かく|罪《つみ》の|語源《ごげん》から|調《しら》べてかかれば|罪《つみ》の|一語《いちご》に|含《ふく》まるる|範囲《はんゐ》のいかに|広《ひろ》いかが|分《わか》る。|法律《はふりつ》|臭《くさ》い|思想《しさう》ではとても|其《その》|真意義《しんいぎ》は|解《かい》し|難《がた》い。
(|大意《たいい》)|天祖《てんそ》の|御依託《ごいたく》によりて|救世主《きうせいしゆ》が|御降臨《ごかうりん》|遊《あそ》ばさるるに|就《つ》きては、|宇宙《うちう》の|中心《ちうしん》、|世界《せかい》の|中心《ちうしん》たる|国土《こくど》を|以《もつ》て|宇内経綸《うだいけいりん》、|世界《せかい》|統一《とういつ》の|中府《ちうふ》と|定《さだ》め|給《たま》ひ、|天地創造《てんちさうざう》の|際《さい》から|特別製《とくべつせい》に|造《つく》り|上《あ》げてある|神定《しんてい》の|霊域《れいゐき》に、|崇厳《すうごん》|無比《むひ》の|神殿《しんでん》を|御造営《ござうえい》|遊《あそ》ばされ、|惟神《かむながら》の|大道《だいだう》によりて|天下《てんか》を|知《し》ろしめされる|事《こと》になる。|神諭《しんゆ》の|所謂《いはゆる》『|神国《しんこく》の|行《おこな》ひを|世界《せかい》へ|手本《てほん》に|出《だ》して|万古末代《まんごまつだい》|動《うご》かぬ|神《かみ》の|世《よ》で|三千世界《さんぜんせかい》の|陸地《おつち》の|上《うへ》を|守護《しゆご》』さるるのである。それに|就《つ》きては|直接《ちよくせつ》|天津神《あまつかみ》の|手足《てあし》となり、|股肱《ここう》となりて|活動《くわつどう》せねばならぬ|責任《せきにん》が|重《おも》い。いかなる|事《こと》を|為《せ》ねばならぬか、|又《また》|如何《いか》なる|事《こと》を|為《し》てはならぬか、|明確《めいかく》なる|観念《くわんねん》を|所有《しよいう》せねばならぬ。|次節《じせつ》に|列挙《れつきよ》せらるる|雑々《くさぐさ》の|罪事《つみごと》といふのは|悉《ことごと》く|人《ひと》として|日夕《にちせき》|服膺《ふくよう》せねばならぬ|重要《ぢうえう》|事項《じかう》のみである。
(五)
|天津罪《あまつつみ》とは、|畔放《あはな》ち|溝埋《みぞう》め、|樋放《ひはな》ち|頻蒔《しきま》き|串差《くしさ》し、|生剥《いけはぎ》|逆剥《さかはぎ》|尿戸《くそへ》|許々太久《ここたく》の|罪《つみ》を、|天津罪《あまつつみ》と|詔別《のりわ》けて、|国津罪《くにつつみ》とは、|生膚断《いきはだだち》、|死膚断《しにはだだち》、|白人胡久美《しらひとこくみ》、|己《おの》が|母《はは》|犯《をか》せる|罪《つみ》、|己《おの》が|子《こ》|犯《をか》せる|罪《つみ》、|母《はは》と|子《こ》と|犯《をか》せる|罪《つみ》、|子《こ》と|母《はは》と|犯《をか》せる|罪《つみ》、|畜《けもの》|犯《をか》せる|罪《つみ》、|昆虫《はふむし》の|災《わざはひ》、|高津神《たかつかみ》の|災《わざはひ》、|高津鳥《たかつとり》の|災《わざはひ》、|畜殪《けものたほ》し|蠱物《まじもの》せる|罪《つみ》、|許々太久《ここたく》の|罪《つみ》|出《いで》む。
△【|天津罪《あまつつみ》】 |天然《てんねん》|自然《しぜん》に|賊与《ふよ》せられたる|水力《すゐりよく》、|火力《くわりよく》、|電磁力《でんじりよく》、|地物《ちぶつ》、|砿物《くわうぶつ》、|山物《さんぶつ》、|動植物《どうしよくぶつ》|等《とう》の【|利用開発《りようかいはつ》を|怠《おこた》る|罪《つみ》】をいふ。|前《まへ》にも|言《い》へる|如《ごと》く、|所謂《いはゆる》|積《つ》んで|置《お》く|罪《つみ》、|包《つつ》んで|置《お》く|罪《つみ》|也《なり》。|宝《たから》の|持腐《もちぐさ》れをやる|罪《つみ》|也《なり》。|従来《じうらい》は|文明《ぶんめい》だの|進歩《しんぽ》だのと|云《い》つた|所《ところ》が、|全然《ぜんぜん》|穿《は》き|違《ちがひ》の|文明《ぶんめい》|進歩《しんぽ》で|一《ひと》ツ|調子《てうし》が|狂《くる》へば|忽《たちま》ち|饑餓《きが》に|苦《くる》しむやうなやり|方《かた》、|現在《げんざい》|世界《せかい》|各国《かくこく》の|四苦し八苦《しくはつく》の|有様《ありさま》を|見《み》ても、|人間《にんげん》が|如何《いか》に|天津罪《あまつつみ》を|犯《をか》して|居《ゐ》るかが|解《わか》る。|神諭《しんゆ》に『|結構《けつこう》な|田地《でんぢ》に|木苗《きなへ》を|植《うゑ》たり、|色々《いろいろ》の|花《はな》の|苗《なへ》を|作《つく》りたり、|大切《たいせつ》な|土地《とち》を|要《い》らぬ|事《こと》に|使《つか》ふたり|致《いた》し|人民《じんみん》の|肝腎《かんじん》の|生命《いのち》の|親《おや》の|米《こめ》、|豆《まめ》、|粟《あは》を|何《なん》とも|思《おも》はず、|米《こめ》や|豆《まめ》や|麦《むぎ》は|何程《いくら》でも|外国《ぐわいこく》から|買《か》へると|申《まを》して|居《を》るが、|何時《いつ》までもさう|行《ゆ》かぬ|事《こと》があるから|猫《ねこ》の|居《を》る|場《ば》にも|五穀《ごこく》を|植付《うゑつ》けねばならぬやうになりて|来《く》るぞよ。|皆《みな》|物質本位《ぶつしつほんゐ》の|教《をしへ》であるから、|神《かみ》の|国《くに》には|神国《しんこく》の|世《よ》の|行方《やりかた》に|致《いた》さして、モーぼつぼつと|木苗《きなへ》も|掘《ほ》り|起《おこ》させるぞよ』とあるなどは|実《じつ》に|痛切《つうせつ》|骨《ほね》に|徹《てつ》する|御訓戒《ごくんかい》である。|現在《げんざい》の|神国人《しんこくじん》とても|欧米人《おうべいじん》と|同《おな》じく|決《けつ》して|天津罪人《あまつつみびと》の|数《かず》には|漏《も》れぬ|人間《にんげん》ばかりである。|採鉱《さいくわう》|事業《じげふ》などになると|今《いま》の|人間《にんげん》は|余程《よほど》|進歩《しんぽ》して|居《ゐ》る|所存《つもり》で|居《ゐ》るが、|試掘《しくつ》と|分析《ぶんせき》|位《くらゐ》で|地底《ちてい》に|埋没《まいぼつ》せる|金銀《きんぎん》|宝玉《ほうぎよく》|等《とう》が|出《で》るものではない。|之《これ》に|比《くら》べると、|幾分《いくぶん》|霊覚《れいかく》を|加味《かみ》した|佐藤信淵《さとうしんえん》の|金気観測法《きんきくわんそくはふ》などの|方《はう》が|何《ど》れ|丈《だけ》か|進歩《しんぽ》して|居《ゐ》る。|神霊《しんれい》の|御命令《ごめいれい》と|御指示《ごしじ》がなくんば、|金銀《きんぎん》|其《その》|他《た》は|決《けつ》して|出《で》ない。|大本神諭《おほもとしんゆ》に『|五六七大神《みろくのおほかみ》の|御出《おで》ましにお|成《なり》なさるるにつき、|国常立尊《くにとこたちのみこと》が|現《あら》はれるなり、|国常立尊《くにとこたちのみこと》が|現《あら》はれると、|乙姫《をとひめ》|殿《どの》は|次《つ》ぎに|結構《けつこう》な|大望《たいまう》な|御用《ごよう》が|出来《でき》て|乙姫《をとひめ》|殿《どの》の|御宝《おたから》を|上《あ》げて|新規《さらつ》の|金銀《きんぎん》を|綾部《あやべ》の|大本《おほもと》に………。|二度目《にどめ》の|立替《たてかへ》を|致《いた》して、|何《なに》も|新規《さらつ》に|成《な》るのであるから、|乙姫《をとひめ》|殿《どの》の|御財宝《おたから》を|綾部《あやべ》の|大本《おほもと》へ|持運《もちはこ》びて、|新規《さらつ》の|金銀《きんぎん》を|吹《ふ》く|準備《じゆんび》を|致《いた》さな|成《な》らぬから|云々《うんぬん》』とあるなどは|時節《じせつ》|到来《たうらい》と|共《とも》に|実現《じつげん》して、|物質《ぶつしつ》|万能《ばんのう》|機械《きかい》|一点張《いつてんば》りの|連中《れんぢう》を|瞠苦《だうじやく》たらしむ|事柄《ことがら》なのである。|又《また》|現在《げんざい》|人士《じんし》は|電力《でんりよく》、|火力《くわりよく》、|水力《すゐりよく》、|其《その》|他《た》の|利用《りよう》にかけて|余程《よほど》|発達《はつたつ》|進歩《しんぽ》を|遂《と》げた|心算《つもり》で|居《ゐ》るが、|一歩《いつぽ》|高所《かうしよ》から|達観《たつくわん》すると、|利用《りよう》どころか|悪用《あくよう》ばかり|間接《かんせつ》|又《また》は|直接《ちよくせつ》に|人類《じんるゐ》の|破滅《はめつ》、|天然《てんねん》の|破壊《はくわい》に|使用《しよう》されぬものが|幾何《いくばく》かある。|是等《これら》の|点《てん》にかけて|現在《げんざい》の|人士《じんし》は、|所謂《いはゆる》|知識《ちしき》|階級《かいきふ》、|学者《がくしや》|階級《かいきふ》ほど|血迷《ちまよ》ひ|切《き》つて|居《ゐ》る、|天津罪《あまつつみ》の|犯罪者《はんざいしや》である。
△【|畔放《あはな》ち】 |天然力《てんねんりよく》、|自然力《しぜんりよく》の|開発《かいはつ》|利用《りよう》の|事《こと》。【畔】(ア)は|当字《あてじ》にて【アメ】を|約《つづ》めたもの|也《なり》。|田《た》の|畔《あぜ》を|開《はな》つなどは|単《たん》に|表面《へうめん》の|字義《じぎ》に|囚《とら》はれたる|卑近《ひきん》の|解釈《かいしやく》である。
△【|溝埋《みぞう》め】 |水力《すゐりよく》の|利用《りよう》を|指《さ》す。【|埋《う》め】には【|補足《ほそく》】の|義《ぎ》と【|生育《せいいく》】の|義《ぎ》とを|包《つつ》む。|湯《ゆ》に|水《みづ》を【うめる】、|根《ね》を|土中《どちう》に【うめる】、|種子《たね》を|地《ち》に【うめる】、|孔《あな》を【うめる】、|鶏《にはとり》が|卵《たまご》を【うむ】など|参考《さんかう》すべし。
△【|樋放《ひはな》ち】 |樋《ひ》は|火《ひ》|也《なり》。|電気《でんき》、|磁気《じき》、|蒸気《じやうき》、|光力《くわうりよく》|等《とう》|天然《てんねん》の|火力《くわりよく》の|開発《かいはつ》|利用《りよう》を|指《さ》す。
△【|頻蒔《しきま》き】 |山《やま》の|奥《おく》までも|耕作《かうさく》し|不毛《ふまう》の|地所《ぢしよ》などを|作《つく》らぬ|事《こと》。|頻《しき》(シキ)は、|敷地《しきち》の【シキ】|也《なり》、|地所《ぢしよ》|也《なり》。|蒔《ま》きは|捲《ま》き|也《なり》、|捲《ま》き|収《をさ》める|也《なり》、|席巻《せきけん》|也《なり》、|遊《あそ》ばせて|置《お》かぬ|也《なり》、|遊猟地《いうれふち》や、クリケツト、グラウンドなどに|広大《くわうだい》なる|地所《ぢしよ》を|遊《あそ》ばせて、|貴族風《きぞくかぜ》を|吹《ふ》かせて、|傲然《がうぜん》たりし|某国《ぼうこく》の|現状《げんじやう》は|果《はた》して|如何《いかん》。|彼等《かれら》が|世界《せかい》の|土地《とち》を|横領《わうりやう》せる|事《こと》の|大《だい》なりし|丈《だけ》、|彼等《かれら》が|頻蒔《しきまき》の|天則《てんそく》を|無視《むし》せる|罪悪《ざいあく》も|蓋《けだ》し|世界《せかい》|随一《ずゐいつ》であらう。|併《しか》し|其《その》|覚醒《かくせい》の|時《とき》もモー|接近《せつきん》した、これではならぬと|衷心《ちうしん》から|覚《さと》る|時《とき》はモー|目前《もくぜん》にある。イヤ|半分《はんぶん》はモー|其《その》|時期《じき》が|到着《たうちやく》して|居《ゐ》る。|併《しか》しこれは|程度《ていど》の|差違《さゐ》|丈《だけ》で、|其《その》|罪《つみ》は|各国《かくこく》とも|皆《みな》|犯《をか》して|居《ゐ》る。
△【|串差《くしさ》し】 【カクシサガシ】の|約《つまり》にて、|前人《ぜんじん》|未発《みはつ》の|秘奥《ひおう》を|発見《はつけん》する|事《こと》。
△【|生剥《いけは》ぎ】 |一般《いつぱん》の|生物《いきもの》の|天職《てんしよく》を|開発《かいはつ》|利用《りよう》する|事《こと》。|生物《いきもの》といふ|生物《いきもの》は|悉《ことごと》く|相当《さうたう》の|本務《ほんむ》のあるもので、|軽重《けいちよう》|大小《だいせう》の|差異《さい》こそあれそれぞれ|役目《やくめ》がある。|鼠《ねずみ》でも|天井《てんじやう》に|棲《す》みて|人間《にんげん》に|害《がい》を|与《あた》ふる|恙虫《つつがむし》などを|殺《ころ》すので、|絶対的《ぜつたいてき》|有害《いうがい》|無効《むかう》の|動物《どうぶつ》ではない。|剥《は》ぎは|開《ひら》く|義《ぎ》、|発揮《はつき》せしむる|義《ぎ》|也《なり》。|蚕《かひこ》を【はぐ】などの|語《ご》を|参考《さんかう》すべし。
△【|逆剥《さかはぎ》】 |逆《さか》(サカ)は、|栄《さか》えのサカ|也《なり》。|酒《さけ》なども|此《この》|栄《さか》えの|意義《いぎ》から|発生《はつせい》した|語《ご》である。|剥《はぎ》(ハギ)は|生剥《いけはぎ》の|剥《はぎ》と|同《おな》じく|開発《かいはつ》の|義《ぎ》。|即《すなは》ち|全体《ぜんたい》の|義《ぎ》は【|栄《さか》え|開《ひら》く】|事《こと》で、|廃物《はいぶつ》をも|利用《りよう》し|荒蕪《くわうぶ》の|地《ち》を|開墾《かいこん》し、|豊満《ほうまん》|美麗《びれい》の|楽天地《らくてんち》を|現出《げんしゆつ》せしむる|事《こと》を|指《さ》す。
△【|尿戸《くそへ》】 |宇宙《うちう》|一切《いつさい》を|整頓《せいとん》し、|開発《かいはつ》する|義《ぎ》。【ク】は|組織経綸《けいりん》、【ソ】は|揃《そろ》へる|事《こと》、|整頓《せいとん》する|事《こと》、【へ】は|開発《かいはつ》する|事《こと》。
△【|許々太久《ここたく》】 |其《その》|他《た》|種々雑多《しゆじゆざつた》の|義《ぎ》。
△【|天津罪《あまつつみ》と|詔別《のりわけ》て】 |以上《いじやう》|列挙《れつきよ》せる|天然力《てんねんりよく》、|自然物《しぜんぶつ》の|利用《りよう》|開発《かいはつ》を|怠《おこた》る|事《こと》を、|天津罪《あまつつみ》と|教《をし》へ|給《たま》ふ|義《ぎ》|也《なり》。
△【|国津罪《くにつつみ》】 |天賦《てんぷ》の|国《くに》の|徳《とく》、|人《ひと》の|徳《とく》を|傷《きず》つくる|罪《つみ》を|指《さ》す。
△【|生膚断《いきはだだち》】 |天賦《てんぷ》の|徳性《とくせい》を|保《たも》ち|居《ゐ》る|活物《いきもの》の|皮膚《ひふ》を|切《き》ること|也《なり》。|必要《ひつえう》も|無《な》きに|動物《どうぶつ》を|害傷《がいしやう》し、|竹木《ちくぼく》を|濫伐《らんばつ》する|事《こと》|等《とう》は|矢張《やはり》|罪悪《ざいあく》である。|霊気《れいき》|充満《じゆうまん》せる|肉体《にくたい》に|外科《げくわ》|手術《しゆじゆつ》を|施《ほどこ》さずとも、|立派《りつぱ》に|治癒《ちゆ》する|天賦《てんぷ》の|性能《せいのう》を|有《いう》して|居《ゐ》る。|人工的《じんこうてき》に|切断《せつだん》したり|切開《せつかい》したりするのは|天則違反《てんそくゐはん》で、|徒《いたづら》に|人体毀損《きそん》の|罪《つみ》を|積《かさ》ぬる|訳《わけ》になる。
△【|死膚断《しにはだだち》】 |刃物《はもの》を|以《もつ》て|生物《せいぶつ》|一切《いつさい》を|殺《ころ》す|罪《つみ》。
△【|白人胡久美《しらひとこくみ》】 |白昼《はくちう》|姦淫《かんいん》の|事《こと》。|白日床組《しらひとこくみ》といふ|醜穢《しうわい》|文字《もじ》を|避《さ》け、|態《わざ》と|当字《あてじ》を|用《もち》ひたのである。|淫慾《いんよく》は|獣肉嗜好《じうにくしかう》|人種《じんしゆ》に|随伴《ずゐはん》せる|特徴《とくちやう》で、|支那《しな》、|欧米《おうべい》の|人士《じんし》は|概《がい》して|此《この》|方面《はうめん》の|弊害《へいがい》が|多《おほ》い。|日本人《にほんじん》も|明治《めいぢ》に|入《い》つてから|大分《だいぶ》|其《その》|影響《えいきやう》を|受《う》けて|居《ゐ》るが、|元来《ぐわんらい》は|此《この》|点《てん》に|於《おい》ては|世界中《せかいぢう》で|最《もつと》も|淡白《たんぱく》な|人種《じんしゆ》である。|淫慾《いんよく》の|結果《けつくわ》は|肺病《はいびやう》となり、|又《また》|癩病《らいびやう》となる|故《ゆゑ》に|白人胡久美《しらひとこくみ》を|第二義《だいにぎ》に|解釈《かいしやく》すれば【|白人《しらひと》】は|肺病《はいびやう》|患者《くわんじや》、|又《また》は|白癩疾者《しろかつたい》を|指《さ》し、【|胡久美《こくみ》】は|黒癩疾者《くろかつたい》を|指《さ》す。
△【|己《おの》が|母《はは》|犯《をか》せる|罪《つみ》】 |母《はは》の|一字《いちじ》は、|父《ちち》、|祖先《そせん》、|祖神《そしん》|等《とう》をも|包含《はうがん》し、|極《きは》めて|広義《くわうぎ》を|有《いう》するのである。|大体《だいたい》に|於《おい》て|親《おや》といふ|如《ごと》し。|犯《をか》すとは|其《その》|本来《ほんらい》の|権能《けんのう》を|無視《むし》する|義《ぎ》|也《なり》。|換言《くわんげん》すれば|親《おや》、|祖先《そせん》、|祖神《そしん》に|対《たい》して|不孝《ふかう》の|罪《つみ》を|重《かさ》ぬる|事《こと》である。
△【|己《おの》が|子《こ》|犯《をか》せる|罪《つみ》】 |自己《じこ》の|子孫《しそん》の|権能《けんのう》を|無視《むし》し、|非道《ひだう》の|虐待《ぎやくたい》|酷使《こくし》を|敢《あへ》てする|事《こと》。|元来《ぐわんらい》|自分《じぶん》の|子《こ》も、|実《じつ》は|神《かみ》からの|預《あづ》かり|物《もの》で、|人間《にんげん》が|勝手《かつて》に|之《これ》を|取扱《とりあつか》ふ|事《こと》は|出来《でき》ない。それに|矢鱈《やたら》に|親風《おやかぜ》を|吹《ふ》かせ、|娘《むすめ》や|伜《せがれ》などを|自己《じこ》の|食《く》ひ|物《もの》にして|顧《かへり》みぬなどは|甚《はなは》だしき|罪悪《ざいあく》といふべきである。
△【|母《はは》と|子《こ》と|犯《をか》せる|罪《つみ》】、【|子《こ》と|母《はは》と|云々《うんぬん》】 |上《うへ》の|二句《にく》『|己《おの》が|母《はは》|犯《をか》せる|罪《つみ》、|己《おの》が|子《こ》|犯《をか》せる|罪《つみ》』を|更《さら》に|畳句《でふく》として|繰返《くりかへ》せる|迄《まで》で|別《べつ》に|意義《いぎ》はない。
△【|畜《けもの》|犯《をか》せる|罪《つみ》】 |獣類《じうるゐ》の|天賦《てんぷ》の|徳性《とくせい》を|無視《むし》し、|酷待《こくたい》したり、|殺生《せつしやう》したりする|事《こと》。
△【|昆虫《はふむし》の|災《わざはひ》】 |天則違反《てんそくゐはん》の|罪《つみ》をいふ。|蝮《まむし》、【ムカデ】などに|刺《さ》されるのは|皆《みな》|偶然《ぐうぜん》にあらず、|犯《をか》せる|罪《つみ》があるにより|天罰《てんばつ》として|刺《さ》されるのである。|故《ゆゑ》にかかる|場合《ばあひ》には|直《ただち》に|反省《はんせい》し、|悔悟《くわいご》し、|謹慎《きんしん》して、|神様《かみさま》にお|詫《わび》を|申《ま》を|上《しあ》ぐべきである。
△【|高津神《たかつかみ》の|災《わざはひ》】 |天災《てんさい》、|地変《ちへん》、|気候《きこう》、|風力《ふうりよく》|等《とう》の|不順《ふじゆん》は|皆《みな》これ|高津神《たかつかみ》の|業《わざ》にして|罪過《めぐり》の|甚《ひど》い|所《ところ》に|起《おこ》るのである。|災《わざはひ》は【|業《わざ》はひ】|也《なり》、|所為《しよゐ》|也《なり》。|鬼神《きしん》から|主観的《しゆくわんてき》に|観《み》れば|一《ひとつ》の|所為《わざ》であるが、|人間《にんげん》から|客観的《きやくくわんてき》に|観《み》れば|災難《さいなん》である。|今度《こんど》の|国祖《こくそ》の|大立替《おほたてかへ》に、|雨《あめ》の|神《かみ》、|風《かぜ》の|神《かみ》、|岩《いは》の|神《かみ》、|荒《あれ》の|神《かみ》、|地震《ぢしん》の|神《かみ》、|其《その》|他《た》|八百万《やほよろづ》の|眷属《けんぞく》を|使《つか》はるるのも|祝詞《のりと》の|所謂《いはゆる》|高津神《たかつかみ》の|災《わざはひ》である。|皆《みな》|世界《せかい》の|守護神《しゆごじん》、|人民《じんみん》の|堕落《だらく》が|招《まね》ける|神罰《しんばつ》である。
△【|高津鳥《たかつとり》の|災《わざはひ》】 |鳥《とり》が|穀物《こくもつ》を|荒《あら》す|事《こと》などを|指《さ》すので|矢張《やは》り|神罰《しんばつ》である。
△【|畜殪《けものたふ》し】 |他家《たけ》の|牛馬鶏豚《ぎうばけいとん》|等《とう》を|斃死《へいし》せしむる|事《こと》。|一種《いつしゆ》のマジナヒ|也《なり》。
△【|蠱物《まじもの》】 |呪咀《じゆそ》|也《なり》、マジナヒ|物《もの》|也《なり》。|丑《うし》の|時参《ときまゐ》りだの、|生木《なまき》に|釘《くぎ》を|打《う》つだのは|皆《みな》|罪悪《ざいあく》である。
(|大意《たいい》)|人間《にんげん》は|神《かみ》の|容器《いれもの》として|宇内経綸《うだいけいりん》の|天職《てんしよく》がある。|殊《こと》に|日本人《にほんじん》の|使命《しめい》は|重大《ぢうだい》を|極《きは》め|世界《せかい》の|安否《あんぴ》、|時運《じうん》の|興廃《こうはい》、|悉《ことごと》く|其《その》|責任《せきにん》は|日本人《にほんじん》に|係《かか》るのである。|神諭《しんゆ》に『|日本《にほん》は|神《かみ》の|初発《しよつぱつ》に|修理《こしら》へた|国《くに》、|元《もと》の|祖国《おやぐに》であるから、|世界中《せかいぢう》を|守護《しゆご》する|役目《やくめ》であるぞよ。|日本神国《にほんしんこく》の|人民《じんみん》なら、チトは|神《かみ》の|心《こころ》も|推量《すゐりやう》|致《いた》して、|身魂《みたま》を|磨《みが》いて|世界《せかい》の|御用《ごよう》に|立《た》ちて|下《くだ》されよ』とある|通《とほ》り、|天賦《てんぷ》の|霊魂《れいこん》を|磨《みが》き、|天下《てんか》|独特《どくとく》の|霊智《れいち》|霊覚《れいかく》によりて、|天然造化力《てんねんざうくわりよく》の|利用《りよう》|開発《かいはつ》に|努《つと》めると|同時《どうじ》に、|他方《たはう》に|於《おい》ては|天賦《てんぷ》の|国《くに》の|徳《とく》、|人《ひと》の|徳《とく》を|発揮《はつき》することに|努《つと》め、そして|立派《りつぱ》な|模範《もはん》を|世界中《せかいぢう》に|示《しめ》さねばならぬのである。|然《しか》るに|実際《じつさい》は|大《おほい》に|之《これ》に|反《はん》し、|徒《いたづら》に|物質文明《ぶつしつぶんめい》の|糟粕《さうはく》を|嘗《な》め、|罪《つみ》の|上《うへ》に|罪《つみ》を|重《かさ》ねて|現在《げんざい》|見《み》るが|如《ごと》き|世界《せかい》の|大擾乱《だいぜうらん》となつて|来《き》た。|無論《むろん》|日本人《にほんじん》は|此《この》|責任《せきにん》を|免《まぬが》るる|事《こと》は|出来《でき》ない。|併《しか》しこれは|天地創造《てんちさうざう》の|際《さい》からの|約束《やくそく》で、|進化《しんくわ》の|道程《だうてい》として、|蓋《けだ》し|免《まぬが》れ|難《がた》き|事柄《ことがら》には|相違《さうゐ》ない。されば|此《この》|祝詞《のりと》の|中《なか》に『|許々太久《ここたく》の|罪《つみ》|出《いで》む』とあり、|又《また》|国祖《こくそ》の|神諭《しんゆ》にも『|斯《こ》うなるのは|世《よ》の|元《もと》から|分《わか》つて|居《ゐ》る』と|仰《あふ》せられて|居《ゐ》る。|要《えう》するに|過去《くわこ》の|事《こと》は|今更《いまさら》|悔《くや》むには|及《およ》ばぬ。|吾々《われわれ》は|現在《げんざい》|及《およ》び|将来《しやうらい》に|向《むか》つて、いかなる|態度《たいど》を|執《と》り、いかなる|処置《しよち》を|講《かう》ずれば|宜《よ》いかを|考究《かうきう》すべきである。|次節《じせつ》に|其《その》|要道《えうだう》を|示《しめ》されて|居《を》る。
(六)
|如此《かく》|出《い》でば、|天津宮言《あまつみやこと》|以《も》て、|天津金木《あまつかなぎ》を|本打切《もとうちきり》|末打断《すゑうちたて》て、|千座《ちくら》の|置座《おきくら》に|置足《おきたら》はして、|天津菅曾《あまつすがそ》を|本苅絶《もとかりたち》|末苅切《すゑかりきり》て、|八針《やはり》に|取裂《とりさ》きて|天津祝詞《あまつのりと》の|太祝詞言《ふとのりとごと》を|宣《の》れ、|如此《かく》|宣《の》らば、|天津神《あまつかみ》は|天《あま》の|磐戸《いはと》を|推披《おしひら》|来《き》て、|天《あめ》の|八重雲《やへくも》を|伊頭《いづ》の|千別《ちわき》に|千別《ちわき》て|所聞召《きこしめさ》む。|国津神《くにつかみ》は|高山《たかやま》の|末《すゑ》|短山《ひきやま》の|末《すゑ》に|登《のぼ》り|坐《まし》て、|高山《たかやま》の|伊保理《いほり》|短山《ひきやま》の|伊保理《いほり》を|掻分《かきわ》けて|所聞召《きこしめさ》む。
△【|天津宮言《あまつみやこと》】 |宮言《みやこと》は『ミヤビノコトバ』の|義《ぎ》|也《なり》。|正《ただ》しき|言霊《ことたま》|也《なり》。|宇宙《うちう》の|経綸《けいりん》は|言霊《ことたま》の|力《ちから》によりて|行《おこな》はるる|事《こと》は、|前《まへ》にも|述《の》べた。|我《わが》|天孫《てんそん》|民族《みんぞく》は|世界《せかい》の|経綸《けいりん》を|行《おこな》ひ、|天下《てんか》を|太平《たいへい》に|治《をさ》むべき、|重大《ぢゆうだい》なる|使命《しめい》を|帯《お》びて|居《ゐ》る。|然《しか》るに|現在《げんざい》は|肝腎《かんじん》の|日本人《にほんじん》が、|霊主体従《れいしゆたいじう》の|天則《てんそく》を|誤《あやま》り|天津罪《あまつつみ》、|国津罪《くにつつみ》、|数々《かずかず》の|罪《つみ》を|重《かさ》ねて、|其《その》|結果《けつくわ》|世界《せかい》の|大擾乱《だいぜうらん》を|来《きた》して|居《ゐ》る。|之《これ》を|修祓《しうばつ》し、|整理《せいり》するの|途《みち》は、|言霊《ことたま》を|正《ただ》し、|大宇宙《だいうちう》と|同化《どうくわ》するが|根本《こんぽん》である。|換言《くわんげん》すれば、|肚《はら》の|内部《なか》から|芥塵《ごもく》を|一掃《いつさう》し、|心身《しんしん》|共《とも》に|浄化《じやうくわ》して、|常《つね》に|善言美詞《ぜんげんびし》のみを|発《はつ》するやうにせねばならぬ。【|悪声《あくせい》を|放《はな》ち|蔭口《かげぐち》をきき|又《また》は|追従軽薄《つゐしやうけいはく》を|並《なら》べるやうな|人間《にんげん》はそれ|丈《だけ》で|其《その》|人格《じんかく》の|下劣邪悪《げれつじやあく》な|事《こと》が|分《わか》る】。【|世界《せかい》の|経綸《けいりん》どころか|人《ひと》として|次《つ》ぎの|新理想時代《しんりさうじだい》に|生存《せいぞん》すべき|資格《しかく》の|有無《うむ》さへ|疑問《ぎもん》である】。|日夕《につせき》|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》しても、|斯《こ》んな|肝要《かんえう》|至極《しごく》の|点《てん》が、さつぱり|実行《じつかう》が|出来《でき》ぬでは|仕方《しかた》がない。お|互《たがひ》に|反省《はんせい》の|上《うへ》にも|反省《はんせい》を|加《くは》へねばならぬ|事《こと》と|思《おも》ふ。
△【|天津金木《あまつかなぎ》】 |則《すなはち》|神算木《かなぎ》|也《なり》。|周易《しうえき》の|算木《さんぎ》に|相当《さうたう》するものであるが、より|以上《いじやう》に|神聖《しんせい》で|正確《せいかく》である。|本来《ほんらい》は|長《なが》さ|二尺《にしやく》の|四寸角《しすんかく》の|檜材《ひのきざい》なのであるが、|運用《うんよう》の|便宜上《べんぎじやう》、|長《なが》さ|二寸《にすん》の|四分角《しぶかく》に|縮製《しゆくせい》さる。|其《その》|数《すう》|三十二本《さんじふにほん》を|並《なら》べて、|十六結《じふろくけつ》を|作製《さくせい》し、|其《その》|象《しやう》を|観《み》て、|天地《てんち》の|経綸《けいりん》、|人道《じんだう》|政事《せいじ》|一切《いつさい》の|得失興廃《とくしつこうはい》|等《とう》を|察《さつ》するのである。それは|宇内《うだい》|統治《とうぢ》の|主《しゆ》が|大事《だいじ》に|際《さい》して|運用《うんよう》すべきもので、|普通《ふつう》|人民《じんみん》が|矢鱈《やたら》に|吉凶《きつきよう》|禍福《くわふく》などを|卜《ぼく》するに|使用《しよう》すべきものではない。|無意《むい》|無心《むしん》の|器物《きぶつ》を|用《もち》ゐて|神勅《しんちよく》を|受《う》くるのであるから、ややもすれば|肉体心《にくたいごころ》の|加味《かみ》し|勝《が》ちな|普通《ふつう》の|神憑《かむがか》りよりも、|一倍《いちばい》|正確《せいかく》な|事《こと》は|云《い》ふ|迄《まで》もない。
△【|本打切《もとうちきり》|末打断《すゑうちたち》】 |神算木《かなぎ》を|直方形《ちよくはうけい》に|作製《さくせい》する|仕方《しかた》を|述《の》べたまでである。
△【|千座《ちくら》の|置座《おきくら》|云々《うんぬん》】 |無数《むすう》の|神算木台《かなぎだい》に|後《あと》からズンズン|置《お》き|並《なら》べる|事《こと》。
△【|天津菅曾《あまつすがそ》】 |周易《しうえき》の|筮竹《ぜいちく》に|相当《さうたう》するが|其《その》|数《すう》は|七十五本《しちじふごほん》である。これは|七十五声《しちじふごせい》を|代表《だいへう》するのである。|長《なが》さは|一尺《いつしやく》|乃至《ないし》|一尺《いつしやく》|二寸《にすん》、|菅曾《すがそ》は|俗称《ぞくしよう》『ミソハギ』と|称《しよう》する|灌木《くわんぼく》、|茎細長《くきほそなが》にして|三四尺《さんししやく》に|達《たつ》す。|之《これ》を|本《もと》と|末《すゑ》とを|切《き》り|揃《そろ》へて|使用《しよう》する|也《なり》。
△【|八針《やはり》に|取裂《とりさき》て】 |天津菅曾《あまつすがそ》の|運用法《うんようはふ》は|先《ま》づ|総数《そうすう》|七十五本《しちじふごほん》を|二分《にぶん》し、それから|八本《はちほん》づつ|取《と》り|減《へ》らし|其《その》|残数《ざんすう》によりて|神算木《かなぎ》を|配列《はいれつ》するのである。
△【|天津祝詞《あまつのりと》の|太祝詞《ふとのりと》】 |即《すなは》ち|御禊祓《みそぎはらひ》の|祝詞《のりと》の|事《こと》で、|正式《せいしき》に|奏上《そうじやう》する|場合《ばあひ》には|爰《ここ》で|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》するのである。|大体《だいたい》に|於《おい》て|述《の》べると、あの|祝詞《のりと》は|天地間《てんちかん》|一切《いつさい》の|大修祓《だいしうばつ》を、|天神地祇《てんしんちぎ》に|向《むか》つて|命《めい》ぜらるる|重大《ぢうだい》な|祝詞《のりと》である。|太《ふと》(フト)は|美称《びしよう》で、|繰返《くりかへ》して、|天津祝詞《あまつのりと》を|称《とな》へた|迄《まで》である。
△【|宣《の》れ】 |神《かみ》に|向《むか》つて|願事《ねがひごと》を|奏上《そうじやう》するの|義《ぎ》|也《なり》。
△【|天《あま》の|磐戸《いはと》】 |天津神《あまつかみ》のまします|宮門《きうもん》から|御出動《ごしゆつどう》の|義《ぎ》にて、|人格的《じんかくてき》に|写《うつ》し|出《だ》せるのである。
△【|伊頭《いづ》の|千別《ちわ》き|云々《うんぬん》】 |前《まへ》に|出《で》たから|略《りやく》す。
△【|国津神《くにつかみ》】 |地《ち》の|神界《しんかい》に|属《ぞく》する|神々《かみがみ》、|及《およ》び|霊魂《みたま》の|神《かみ》を|以《もつ》て|成立《せいりつ》し、|各自《かくじ》の|霊的《れいてき》|階級《かいきふ》に|応《おう》じて|大小《だいせう》|高下《かうげ》、それぞれの|分担《ぶんたん》|権限《けんげん》を|有《いう》す。
△【|高山《たかやま》の|末《すゑ》|云々《うんぬん》】 |末《すゑ》は|頂上《ちやうじやう》の|義《ぎ》。
△【|伊保理《いほり》】 |隠棲《いんせい》|也《なり》、|隠《かく》れたる|也《なり》。|伊保理《いほり》の|伊保《いほ》も、いぶかしの【いぶ】も、|烟《けむり》などの【いぶる】も、|皆《みな》|通音《つうおん》で|同意義《どういぎ》である。
(|大意《たいい》)|天津罪《あまつつみ》、|国津罪《くにつつみ》の|続発《ぞくはつ》は|悲《かな》しむべき|不祥事《ふしやうじ》ではあるが、|出来《でき》た|上《うへ》は|致方《いたしかた》がない。よく|治乱興廃《ちらんこうはい》、|得失存亡《とくしつそんばう》の|理《り》を|明《あきら》かにし、そして|整理《せいり》|修祓《しうばつ》の|法《はふ》を|講《かう》ぜねばならぬ。|世界《せかい》|主宰《しゆさい》の|大君《おほきみ》としては、|天津金木《あまつかなぎ》を|運用《うんよう》して|宇内《うだい》の|現勢《げんせい》を|察知《さつち》し、そして|正《ただ》しき|言霊《ことたま》を|活用《くわつよう》して|天津祝詞《あまつのりと》を|天津神《あまつかみ》と|国津神《くにつかみ》とに|宣《の》り|伝《つた》へて、|其《その》|活動《くわつどう》を|促《うなが》すべきである。これが|根本《こんぽん》の|祭事《さいじ》であると|同時《どうじ》に、|又《また》|根本《こんぽん》の|政事《せいじ》であつて、|祭《さい》と|政《せい》とは|決《けつ》して|別途《べつと》に|出《いづ》るものではない。さうすると、|天津神《あまつかみ》も|国津神《くにつかみ》もよく|之《これ》に|応《おう》じて|威力《ゐりよく》を|発揮《はつき》せられる。|神諭《しんゆ》の|所謂《いはゆる》『|罪穢《めぐり》の|甚《ひど》い|所《ところ》には、それぞれの|懲罰《みせしめ》がある』|又《また》は『|地震《ぢしん》、|雷《かみなり》、|火《ひ》の|雨《あめ》|降《ふ》らして|体主霊従《たいしゆれいじう》をつぶす』といふやうな|神力《しんりき》の|発動《はつどう》ともなるのである。
(七)
|如此《かく》|所聞食《きこしめし》ては、|罪《つみ》といふ|罪《つみ》は|不在《あらじ》と、|科戸《しなど》の|風《かぜ》の|天《あめ》の|八重雲《やへくも》を|吹放《ふきはな》つ|事《こと》の|如《ごと》く、|朝《あした》の|御霧《みきり》|夕《ゆふべ》の|御霧《みきり》を、|朝風《あさかぜ》|夕風《ゆふかぜ》の|吹掃《ふきはら》ふ|事《こと》の|如《ごと》く、|大津辺《おほつべ》に|居《をる》|大船《おほふね》を、|舳解《へとき》|放《はな》ち|艫解《ともとき》|放《はな》ちて|大海原《おほわだのはら》に|押放《おしはな》つ|事《こと》の|如《ごと》く、|彼方《をちかた》の|繁木《しげき》が|本《もと》を、|焼鎌《やきかま》の|敏鎌《とかま》|以《も》て|打掃《うちはら》ふ|事《こと》の|如《ごと》く、|遺《のこ》る|罪《つみ》は|不在《あらじ》と、|祓賜《はらひたま》ひ|清《きよ》め|玉《たま》ふ|事《こと》を。
△【かく|所食《きこしめし》ては】 【きこしめす】の|意義《いぎ》は、|単《たん》に|耳《みみ》に|聴《き》くといふよりも|遥《はるか》に|広《ひろ》く|深《ふか》い。【きく】は|利《き》く|也《なり》。|腕《うで》が|利《き》く、|鼻《はな》が【きく】、|眼《め》が【きく】、|酒《さけ》を【きく】、(|酒《さけ》の|品位《ひんゐ》を|飲《の》み|分《わ》けること)などの【きく】にて|一般《いつぱん》に|活用《くわつよう》を|発揮《はつき》し、|威力《ゐりよく》を|利用《りよう》する|義《ぎ》である。|天津神《あまつかみ》、|国津神《くにつかみ》|達《たち》が|整理修祓《しうばつ》の|命《めい》に|応《おう》じて|活動《くわつどう》を|開始《かいし》する|事《こと》を|指《さ》していふ。
△【|罪《つみ》といふ|罪《つみ》は|不在《あらじ》と】 |罪《つみ》といふ|限《かぎ》りの|罪《つみ》は|一《ひと》つも|残《のこ》さずの|意《い》。
△【|科戸《しなど》の|風《かぜ》の|云々《うんぬん》】 |以下《いか》|四聯句《しれんく》は|修祓《しうばつ》の|形容《けいよう》で、|要《えう》するに『|遺《のこ》る|罪《つみ》は|不在《あらじ》と|祓賜《はらひたま》ひ|清《きよ》め|賜《たま》ふ』|事《こと》を|麗《うるは》しき|文字《もじ》で|比喩的《ひゆてき》に|描《ゑが》いたものである。|科戸《しなど》は|風《かぜ》の|枕詞《まくらことば》、|古事記《こじき》に|此《この》|神《かみ》の|名《な》は|志那都比古《しなどひこ》と|出《で》て|居《ゐ》る。【シ】は|暴風《ばうふう》(アラシ)の【シ】と|同《おな》じく|風《かぜ》の|事《こと》である。【ナ】は【ノ】に|同《おな》じく、【ト】は【|処《ところ》】の|義《ぎ》。
△【|朝《あした》の|御霧《みきり》|云々《うんぬん》】 |御霧《みきり》は|深《ふか》き|霧《きり》の|義《ぎ》。
△【|朝風《あさかぜ》|夕風《ゆふかぜ》|云々《うんぬん》】 |朝風《あさかぜ》は|前《まへ》の『|朝《あした》の|御霧《みきり》』に|掛《かか》り、|夕風《ゆふかぜ》は『|夕《ゆうべ》の|御霧《みきり》』に|掛《かか》る。
△【|大津辺《おほつべ》に|居《を》る|云々《うんぬん》】 |地球《ちきう》に|於《おい》て、|肉体《にくたい》を|具備《ぐび》されたる|神《かみ》の|御出生《ごしゆつせい》ありしは、|琵琶湖《びはこ》の|竹生島《ちくぶしま》からは、|多紀理毘売命《たぎりひめのみこと》、|市寸島比売命《いちきしまひめのみこと》、|狭依毘売命《さよりひめのみこと》の|三姫神《さんひめがみ》、|又《また》|蒲生《がまふ》からは|天之菩卑能命《あまのほひのみこと》、|天津彦根命《あまつひこねのみこと》、|天之忍穂耳命《あめのおしほみみのみこと》、|活津日子根命《いくつひこねのみこと》、|熊野久須毘命《くまのくすびのみこと》の|五彦神《ごひこがみ》が|御出生《ごしゆつせい》に|成《な》つた。これが|世界《せかい》に|於《お》ける|人類《じんるゐ》の|始祖《しそ》である。かく|琵琶湖《びはこ》は|神代史《しんだいし》と|密接《みつせつ》の|関係《くわんけい》あるが|故《ゆゑ》に、|沿岸《えんがん》|附近《ふきん》の|地名《ちめい》が|大祓祝詞《おほはらひのりと》|中《ちう》に|数箇所《すうかしよ》|出《で》て|居《ゐ》る。|大津《おほつ》の|地名《ちめい》も|斯《か》くして|読《よ》み|込《こ》まれたものである。
△【|舳解放《へときはなち》|云々《うんぬん》】 |泊《とまり》|居《ゐ》る|時《とき》に|舳艪《ぢくろ》を|繋《つな》いで|置《お》くが、それを|解《と》き|放《はな》つ|意《い》。
△【|大海原《おほうなばら》】 |海洋《かいやう》|也《なり》。
△【|繁木《しげき》が|下《もと》】 |繁茂《はんも》せる|木《き》の|下《した》。
△【|焼鎌《やきかま》の|敏鎌《とかま》】 |焼鎌《やきかま》とは、|鎌《かま》で|焼《や》きて|造《つく》る|故《ゆゑ》にいふ。|敏鎌《とかま》は|利《と》き|鎌《かま》の|義《ぎ》。
△【|遺《のこ》る|罪《つみ》は|不在《あらじ》と】 |前《まへ》に『|罪《つみ》といふ|罪《つみ》は|不在《あらじ》』とあるのに、|更《さら》に|重《かさ》ねてかく|述《の》ぶるは、|徹底的《てつていてき》に|大修祓《だいしうばつ》を|行《おこな》ふ|事《こと》を|力強《ちからづよ》く|言《い》ひなしたのであらう。
(|大意《たいい》)|八百万《やほよろづ》の|天津神《あまつかみ》と|国津神《くにつかみ》との|御活動《ごくわつどう》|開始《かいし》となると、|罪《つみ》といふ|罪《つみ》、|穢《けがれ》といふ|穢《けがれ》は|一《ひと》つも|残《のこ》らず|根本《こんぽん》から|一掃《いつさう》されて|仕舞《しま》ふ。|大《だい》は|宇宙《うちう》の|修祓《しうばつ》、|国土《こくど》の|修祓《しうばつ》から、|小《せう》は|一身一家《いつしんいつか》の|修祓《しうばつ》に|至《いた》るまで、|神力《しんりき》の|御発動《ごはつどう》が|無《な》ければ、|到底《たうてい》|出来《でき》るものではない。|殊《こと》に|現代《げんだい》の|如《ごと》く|堕落《だらく》し|切《き》つた|世《よ》の|中《なか》が、|何《ど》うしても|姑息的《こそくてき》|人為的《じんゐてき》の|処分《しよぶん》|位《ぐらゐ》で|埒《らち》が|附《つ》くものでない。|清潔法《せいけつはふ》|執行《しつかう》の|声《こゑ》は|高《たか》くても、|益々《ますます》|疾病《しつぺい》は|流行《りうかう》|蔓延《まんえん》し、|社会《しやくわい》|改良《かいりやう》の|工夫《くふう》は|種々《しゆじゆ》に|凝《こ》らされても、|動揺《どうえう》|不穏《ふおん》の|空気《くうき》はいよいよ|瀰蔓《びまん》するではないか。|艮之金神《うしとらのこんじん》|国常立尊《くにとこたちのみこと》が|御出動《ごしゆつどう》に|相成《あひな》り、|世《よ》の|立替立直《たてかへたてなほ》しを|断行《だんかう》さるるのも|誠《まこと》に|万《ばん》|止《や》むを|得《え》ざる|話《はなし》である。されば|大祓祝詞《おほはらひのりと》は、|無論《むろん》|何《いづ》れの|時代《じだい》を|通《つう》じても|必要《ひつえう》で、|神人《しんじん》|一致《いつち》、|罪《つみ》と|穢《けがれ》の|累積《るゐせき》を|祓清《はらひきよ》むる|様《やう》に|努力《どりよく》せねばならぬのだが、|殊《こと》に|現在《げんざい》に|於《おい》ては、それが|痛切《つうせつ》に|必要《ひつえう》である。|自己《じこ》の|身体《からだ》からも、|家庭《かてい》からも、|国土《こくど》からも、|更《さら》に|進《すす》んで|全地球《ぜんちきう》、|全宇宙《ぜんうちう》から|一時《いちじ》も|迅速《じんそく》に|邪気《じやき》|妖気《えうき》を|掃蕩《さうたう》してうれしうれしの|神代《かみよ》に|為《せ》ねば、|神《かみ》に|対《たい》して|実《じつ》に|相済《あひす》まぬ|儀《ぎ》ではないか。
|大修祓《だいしうばつ》に|際《さい》して、|神《かみ》の|御活動《ごくわつどう》は|大別《たいべつ》して|四方面《しはうめん》に|分《わか》れる。|所謂《いはゆる》|祓戸四柱《はらひどよはしら》の|神々《かみがみ》の|御働《おはたら》きである。【|祓戸《はらひど》の|神《かみ》といふ|修祓《しうばつ》|専門《せんもん》の|神様《かみさま》が|別《べつ》に|存在《そんざい》するのではない】、【|正神界《せいしんかい》の|神々《かみがみ》が|修祓《しうばつ》を|行《おこな》ふ|時《とき》には】、【|此《この》|四方面《しはうめん》に|分《わか》れて|御活動《ごくわつどう》ある|事《こと》を|指《さ》すのである】。|以下《いか》|末段《まつだん》|迄《まで》は|各方面《かくはうめん》の|御分担《ごぶんたん》を|明記《めいき》してある。
(八)
|高山《たかやま》の|末《すゑ》|短山《ひきやま》の|末《すゑ》より、|作久那太理《さくなだり》に|落《おち》、|多岐《たき》つ|速川《はやかは》の|瀬《せ》に|坐《ま》す|瀬織津比売《せおりつひめ》と|云《い》ふ|神《かみ》、|大海原《おほわだのはら》に|持出《もちいで》なむ、|如此《かく》|持出往《もちいでいな》ば、|荒塩《あらしほ》の|塩《しほ》の|八百道《やほぢ》の|八塩道《やしほぢ》の|塩《しほ》の|八百会《やほあひ》に|坐《ま》す|速秋津比売《はやあきつひめ》といふ|神《かみ》、|持可々呑《もちかかのみ》てむ。|如此《かく》|可々呑《かかのみ》ては、|気吹戸《いぶきど》に|坐《ま》す|気吹戸主《いぶきどぬし》といふ|神《かみ》、|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》に|気吹《いぶき》|放《はな》ちてむ。|如此《かく》|気吹《いぶき》|放《はな》ちては、|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》に|坐《ま》す|速佐須良比売《はやさすらひめ》といふ|神《かみ》、|持佐須良比失《もちさすらひうしな》ひてむ。|如此《かく》|失《うしな》ひては、|現身《うつそみ》の|身《み》にも|心《こころ》にも|罪《つみ》と|云《い》ふ|罪《つみ》は|不在《あらじ》と、|祓給《はらひたま》へ、|清《きよ》め|給《たま》へと|申《まを》す|事《こと》を|所聞食《きこしめせ》と|恐《かしこ》み|恐《かしこ》みも|白《まを》す。
△【|高山《たかやま》の|末《すゑ》|云々《うんぬん》】 |高《たか》き|山《やま》の|頂《いただき》、|低《ひく》き|山《やま》の|頂《いただき》からの|義《ぎ》。
△【|作久那太理《さくなだり》に】 【|佐久《さく》】は|谷《たに》|也《なり》、|峡《けふ》|也《なり》。【|那太理《なだり》】は【なだれ|落《お》つる】|義《ぎ》、|山《やま》から|水《みづ》が|急転直下《きふてんちよくか》し|来《きた》る|事《こと》の|形容《けいよう》。
△【|落多岐《おちたき》つ】 |逆巻《さかま》き、|湧《わ》き|上《あが》りつつ|落《お》つる|事《こと》。|滝《たき》(タキ)、|沸《ふつ》(タギル)|等《とう》|皆《みな》|同一《どういつ》|語源《ごげん》から|出《い》づ。
△【|速川《はやかは》】 |急流《きふりう》|也《なり》。
△【|瀬織津比売《せおりつひめ》|云々《うんぬん》】 |古事記《こじき》の|伊邪那岐命《いざなぎのみこと》|御禊《みそぎ》の|段《だん》に、『於是詔之上瀬者瀬速。下瀬者瀬弱而。初於中瀬降迦豆伎而。滌時。所成坐神名八十禍津日神、次大禍津日神。此二神者所到其穢繁国之時因汚垢而。所成之神者也』と|出《で》て|居《ゐ》るが、|瀬織津《せおりつ》の|織《おり》は|借字《しやくじ》にて【|瀬下津《せおりつ》】の|義《ぎ》、|即《すなは》ち|於中瀬降迦豆伎《なかつせにおりかつき》たまふとある|意《い》の|御名《みな》である。|此《この》|神《かみ》は|即《すなは》ち|禍津日神《まがつひのかみ》である。|世人《せじん》は|大概《たいがい》|禍津日神《まがつひのかみ》と|禍津神《まがつかみ》とを|混同《こんどう》して|居《ゐ》るが、|実《じつ》は|大変《たいへん》な|間違《まちがひ》である。|禍津神《まがつかみ》は|邪神《じやしん》であるが、|禍津日神《まがつひのかみ》は|正神界《せいしんかい》の|刑罰係《けいばつかかり》である。|現界《げんかい》で|言《い》へば|判検事《はんけんじ》、|警察官《けいさつくわん》、|又《また》は|軍人《ぐんじん》なぞの|部類《ぶるい》に|属《ぞく》す。|罪穢《ざいゑ》が|発生《はつせい》した|場合《ばあひ》には、|常《つね》に|此《この》|修祓係《しうばつかかり》、|刑罰係《けいばつかかり》たる|禍津日神《まがつひのかみ》の|活動《くわつどう》を|必要《ひつえう》とする。|修祓《しうばつ》には|大中小《だいちうせう》の|区別《くべつ》がある。|大《だい》は|天上《てんじやう》|地上《ちじやう》の|潔斎《けつさい》、|中《ちう》は|人道《じんだう》|政事《せいじ》の|潔斎《けつさい》、|小《せう》は|一身一家《いつしんいつか》の|潔斎《けつさい》である。|若《も》し|地球《ちきう》に|瀬織津比売《せおりつひめ》の|働《はたら》きが|無《な》くんば、|万《よろづ》の|汚穢《をゑ》は|地上《ちじやう》に|堆積《たいせき》して|新陳代謝《しんちんたいしや》の|働《はたら》きが|閉塞《へいそく》する。|所《ところ》が|地《ち》の|水分《すゐぶん》が|間断《かんだん》なく|蒸発《じようはつ》して、それが|雲《くも》となり、|雨《あめ》となり、|其《その》|結果《けつくわ》|谷々《たにだに》の|小川《をがは》の|水《みづ》が|流《なが》れ|出《で》て|末《すゑ》は|一《ひと》つに|成《な》りて|大海原《おほうなばら》に|持出《もちだ》して|呉《く》れるから、|天然《てんねん》|自然《しぜん》に|地《ち》の|清潔《せいけつ》が|保《たも》たれるのである。|現在《げんざい》は|地《ち》の|表面《へうめん》が|極度《きよくど》に|腐敗《ふはい》し|切《き》り、|汚染《をせん》し|切《き》り、|邪霊《じやれい》|小人《せうじん》|時《とき》を|得顔《えがほ》に|跋扈《ばつこ》して|居《を》る。|神諭《しんゆ》に『|今《いま》の|世界《せかい》は|服装《みなり》ばかり|立派《りつぱ》に|飾《かざ》りて|上《うへ》から|見《み》れば|結構《けつこう》な|人民《じんみん》で、|神《かみ》も|叶《かな》はぬやうに|見《み》えるなれど|誠《まこと》の|神《かみ》の|眼《め》から|見《み》れば、|全部《さつぱり》|四《よ》つ|足《あし》の|守護《しゆご》に|成《な》りて|居《を》るから、|頭《あたま》に|角《つの》が|生《は》えたり、|尻《しり》に|尾《を》が|出来《でき》たり、|無暗《むやみ》に|鼻《はな》|計《ばか》り|高《たか》い|化物《ばけもの》の|覇張《はば》る、|闇雲《やみくも》の|世《よ》に|成《な》りて|居《を》るぞよ』『|余《あま》り|穢《きたな》うて|眼《め》を|開《あ》けて|見《み》られぬぞよ』『|能《よ》うも|爰《ここ》まで|汚《けが》したものぢや。|足《あし》|片足《かたあし》|踏《ふ》み|込《こ》む|所《ところ》もない』|等《など》と|戒《いまし》められて|居《ゐ》る|通《とほ》りである。|此《この》|際《さい》|是非《ぜひ》とも|必要《ひつえう》なるは、|世界《せかい》の|大洗濯《おほせんだく》、|大清潔法《だいせいけつはふ》の|施行《しかう》であらねばならぬ。|爰《ここ》に|於《おい》てか|先《ま》づ|瀬織津姫《せおりつひめ》の|大活動《だいくわつどう》と|成《な》りて|現《あら》はれる。|七十五日《しちじふごにち》も|降《ふ》りつづく|大猛雨《だいまうう》なぞは|此《この》|神《かみ》の|分担《ぶんたん》に|属《ぞく》する。|到底《たうてい》お|手柔《てやはらか》な|事《こと》では|現世界《げんせかい》の|大汚穢《だいをゑ》の|洗濯《せんたく》は|出来《でき》さうも|無《な》いやうだ。|神諭《しんゆ》にも『|罪穢《めぐり》の|甚大《ひど》い|所《ところ》には|何《なに》があるやら|知《し》れぬぞよ』と|繰返《くりかへ》し|繰返《くりかへ》し|警告《けいこく》されて|居《ゐ》る。|世界《せかい》の|表面《へうめん》を|見《み》れば、そろそろ|瀬織津比売《せおりつひめ》の|御活動《ごくわつどう》は|始《はじ》まりつつあるやうだ。|足下《あしもと》に|始《はじ》まらなくては|気《き》が|附《つ》かぬやうでは|困《こま》つたものだ。
△【|荒塩《あらしほ》の|塩《しほ》の|八百道《やほぢ》の|云々《うんぬん》】 |全体《ぜんたい》は|荒《あら》き|潮《しほ》の|弥《いや》が|上《うへ》に|数多《あまた》|寄《よ》り|合《あ》ふ|所《ところ》の|義《ぎ》。|八《や》は|弥《いや》の|意《い》、【|八百道《やほぢ》】は|多《おほ》くの|潮道《しほぢ》の|事《こと》、|八塩道《やしほぢ》は|上《うへ》の|塩《しほ》の|八百《はつぴやく》|道《みち》を|受《う》け|重《かさ》ねていへる|丈《だけ》である。|八百会《やほあひ》は|沢山《たくさん》の|塩道《しほぢ》の|集《あつ》まり|合《あ》ふ|所《ところ》。
△【|速秋津比売《はやあきつひめ》】 |古事記《こじき》に『|水戸神《みなとのかみ》、|名速秋津日子神《なははやあきつひこのかみ》。|次妹秋津比売命《つぎにいもあきつひめのみこと》』とあるが|如《ごと》く|河海《かかい》の|要所《えうしよ》を|受持《うけも》ちて|働《はたら》く|神《かみ》|也《なり》。
△【|持可々呑《もちかかのみ》てむ】 |声《こゑ》|立《た》ててガブガブ|呑《の》むの|義《ぎ》|也《なり》。|汚《けが》れたる|世界《せかい》の|表面《へうめん》を|洗滌《せんでう》する|為《ため》には|既《すで》に|瀬織津比売《せおりつひめ》の|働《はたら》きが|起《おこ》りて|大雨《たいう》などが|降《ふ》りしきるが、|河海《かかい》の|水門《みなと》|々々《みなと》に|本拠《ほんきよ》を|有《いう》する|秋津比売《あきつひめ》が、|次《つ》ぎに|相呼応《あひこおう》して|活動《くわつどう》を|開始《かいし》する。|大洪水《だいこうずゐ》、|大海嘯《おほつなみ》、|大怒濤《だいどたう》、|此《この》|神《かみ》にガブ|呑《の》みされては|田園《でんえん》も|山野《さんや》も、|町村《ちやうそん》も|耐《たま》つたものではない。|所謂《いはゆる》|桑田《さうでん》|変《へん》じて|碧海《へきかい》と|成《な》るのである。
△【|気吹戸《いぶきど》】 |近江《あふみ》の|伊吹山《いぶきやま》は|気象学上《きしやうがくじやう》|極《きは》めて|重要《ぢうえう》な|場所《ばしよ》である。|伊吹《いぶき》は【|息《いき》を|吹《ふ》く|所《ところ》】の|義《ぎ》で、|地球上《ちきうじやう》に|伊吹戸《いぶきど》は|無数《むすう》あるが、|伊吹戸中《いぶきどちう》の|伊吹戸《いぶきど》とも|云《い》ふべきは|近江《あふみ》の|伊吹山《いぶきやま》である。|最近《さいきん》|伊吹山《いぶきやま》に|気象《きしやう》|観測所《くわんそくしよ》が|公設《こうせつ》されたのは、|新聞紙《しんぶんし》の|伝《つた》ふる|所《ところ》であるが、|大本《おほもと》では|十年《じふねん》も|二十年《にじふねん》も|以前《いぜん》から|予知《よち》の|事実《じじつ》である。
△【|気吹戸主《いぶきどぬし》】 |大雨《たいう》、|洪水《こうずゐ》、|海嘯《つなみ》|等《とう》の|活動《くわつどう》に|続《つづ》いては、|気象上《きしやうじやう》の|大活動《だいくわつどう》が|伴《ともな》うて|妖気《えうき》|邪気《じやき》の|掃蕩《さうたう》を|行《おこな》はねばならぬ。|元寇《げんこう》の|役《えき》に|吹《ふ》き|起《おこ》つた|神風《かみかぜ》の|如《ごと》きも、|無論《むろん》この|伊吹戸主《いぶきどぬし》の|神《かみ》の|御活動《ごくわつどう》の|一端《いつたん》である。
△【|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》】 |地球《ちきう》|表面《へうめん》に|於《おい》ては|北極《ほくきよく》である。|神諭《しんゆ》に『|今迄《いままで》は|世《よ》の|元《もと》の|神《かみ》を、|北《きた》へ|北《きた》へ|押籠《おしこ》めて|置《お》いて、|北《きた》を|悪《わる》いと|世界《せかい》の|人民《じんみん》が|申《まをし》て|居《を》りたが、|北《きた》は|根《ね》の|根《ね》、|元《もと》の|国《くに》であるから、|北《きた》が|一番《いちばん》|善《よ》く|成《な》るぞよ………。|人民《じんみん》は|北《きた》が|光《ひか》ると|申《まを》して|不思議《ふしぎ》がりて、いろいろと|学《がく》や|智慧《ちゑ》で|考《かんが》へて|居《を》りたが、|誠《まこと》の|神《かみ》が|一処《ひとところ》に|集《よ》りて、|神力《しんりき》の|光《ひかり》を|現《あら》はして|居《を》る|事《こと》を|知《し》らなんだぞよ』とあるが、|真《まこと》に|人間《にんげん》の|智慧《ちゑ》や|学問《がくもん》では|解釈《かいしやく》の|出来《でき》ない|神秘《しんぴ》は|北《きた》に|隠《かく》されて|居《ゐ》る。|北光《ほくくわう》、|磁力《じりよく》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|気流《きりう》や、|気象《きしやう》なども|北極《ほくきよく》とは|密接《みつせつ》の|関係《くわんけい》がある。|即《すなは》ち|地球《ちきう》の|罪穢《ざいゑ》|邪気《じやき》は、|悉《ことごと》く|一旦《いつたん》|北極《ほくきよく》に|吹《ふ》き|放《はな》たれ、|爰《ここ》で|遠大《ゑんだい》なる|神力《しんりき》により|処分《しよぶん》されるのである。|序《ついで》に|一言《いちげん》して|置《お》くが、|罪《つみ》を|犯《をか》した|者《もの》が|根《ね》の|国《くに》、|底《そこ》の|国《くに》に|落《お》ちるのは、|詰《つ》まり|神罰《しんばつ》で、これも|一《ひと》つの|修祓法《しうばつはう》|執行《しつかう》の|意義《いぎ》である。|別《べつ》に|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》といふ|地獄《ぢごく》めきたる|国土《こくど》が|存在《そんざい》するのではない。|何処《どこ》に|居《ゐ》ても|神罰《しんばつ》|執行中《しつかうちう》は|其処《そこ》が|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》である。
△【|速佐須良比売《はやさすらひめ》】 【|佐須良《さすら》】は|摩擦《まさつ》(サスル)|也《なり》、|揉《も》むこと|也《なり》、|空《そら》にありては|雷《かみなり》、|地《ち》にありては|地震《ぢしん》、|皆《みな》これ|佐須良比売《さすらひめ》の|活動《くわつどう》である。|要《えう》するに|全世界《ぜんせかい》の|大修祓法《だいしうばつはう》は、|大雨《おほあめ》で|流《なが》し、|洪水《こうずゐ》|海嘯《つなみ》|等《とう》で|掃《はら》ひ、|大風《おほかぜ》で|吹《ふ》き|飛《と》ばし、|最後《さいご》に|地震《ぢしん》|雷《かみなり》で|揺《ゆ》つて|揺《ゆ》つて|揺《ゆ》り|滅《ほろぼ》すのである。それが|即《すなは》ち|神諭《しんゆ》の|世界《せかい》の|大洗濯《おほせんだく》、|大掃除《おほさうぢ》、|第二次《だいにじ》の|大立替《おほたてかへ》である。『|天《てん》の|大神様《おほかみさま》がいよいよ|諸国《しよこく》の|神《かみ》に、|命令《めいれい》を|降《くだ》しなされたら、|艮金神《うしとらのこんじん》|国常立尊《くにとこたちのみこと》が|総大将《そうだいしやう》となりて|雨《あめ》の|神《かみ》、|風《かぜ》の|神《かみ》、|岩《いは》の|神《かみ》、|荒《あれ》の|神《かみ》、|地震《ぢしん》の|神《かみ》、|八百万《やほよろづ》の|眷族《けんぞく》を|使《つか》ふと|一旦《いつたん》は|激《はげ》しい』とあるのは、|祓戸四柱《はらひどよはしら》の|神々《かみがみ》の|活動《くわつどう》を|指《さ》すのである。|詳《くは》しく|言《い》へば|雨《あめ》、|荒《あれ》、|風《かぜ》、|地震《ぢしん》の|神々《かみがみ》がそれぞれ|瀬織津比売《せおりつひめ》、|秋津比売《あきつひめ》、|気吹戸主《いぶきどぬし》、|佐須良比売《さすらひめ》の|神々《かみがみ》の|働《はたら》きをされるので、|岩《いは》の|神《かみ》が|統治《とうぢ》の|位置《ゐち》に|立《た》つのである。|学問《がくもん》の|末《すゑ》に|囚《とら》はれた|現代人士《げんだいじんし》は、|是等《これら》の|自然力《しぜんりよく》を|科学《くわがく》の|領分内《りやうぶんない》に|入《い》れて|解釈《かいしやく》しようと|試《こころ》みて|居《ゐ》るがそれは|駄目《だめ》だ。|実《じつ》は|皆《みな》|一定《いつてい》の|規律《きりつ》と|方針《はうしん》の|下《もと》に|行《おこな》はるる|所《ところ》の|神力《しんりき》の|大発動《だいはつどう》である。その|事《こと》は、|今年《こんねん》よりは|来年《らいねん》、|来年《らいねん》よりは|来々年《らいらいねん》といふ|具合《ぐあひ》に、|段々《だんだん》|世界《せかい》の|人士《じんし》が|承服《しようふく》する|事《こと》に|成《な》るであらう。
△【|所聞食《きこしめせ》と】 |八百万《やほよろづ》の|神達《かみたち》に|宣《の》り|上《うへ》ぐる|言葉《ことば》である。|神々《かみがみ》に|向《むか》つて|活動《くわつどう》|開始《かいし》、|威力《ゐりよく》|発揮《はつき》を|祈願《きぐわん》する|言葉《ことば》である。|即《すなは》ち|天地《てんち》の|神々様《かみがみさま》も、|此《この》|宣詞《のりと》をしつかり|腹《はら》に|入《い》れ、|四方面《しはうめん》に|分《わか》れて、|大修祓《だいしうばつ》の|為《ため》に|活力《くわつりよく》を|発揮《はつき》し|玉《たま》へと|云《い》ふ|事《こと》である。|我《わが》|惟神《かむながら》の|大道《だいだう》がいかに|拝《をが》み|信心《しんじん》、|縋《すが》り|信心《しんじん》と|天地《てんち》の|相違《さうゐ》あるかは、|此《この》|辺《へん》の|呼吸《こきふ》を|観《み》ても|分《わか》るであらう。|末段《まつだん》|祓戸四柱神《はらひどよはしらがみ》の|解釈《かいしやく》|説明《せつめい》を|下《くだ》すに|当《あた》り、|自分《じぶん》は|全体《ぜんたい》の|統一《とういつ》を|慮《おもんばか》り、|又《また》|大本神諭《おほもとしんゆ》との|一致《いつち》を|失《うしな》はぬやう、|主《しゆ》として|地球《ちきう》|全体《ぜんたい》|世界《せかい》|全体《ぜんたい》|経綸《けいりん》の|見地《けんち》から|筆《ふで》を|下《くだ》した。|併《しか》しこれは、より|大《おほ》きくも、|又《また》より|小《ちひ》さくも|解釈《かいしやく》が|出来《でき》る|事《こと》は|前《まへ》にも|述《の》べた|通《とほ》りである。|宇宙《うちう》の|神人《しんじん》、|万有一切《ばんいういつさい》の|事《こと》は|皆《みな》|同一理法《どういつりほふ》に|支配《しはい》せられ、|宇宙《うちう》に|真《しん》なる|事《こと》は|地球《ちきう》にも|真《しん》、|地球《ちきう》に|真《しん》なる|事《こと》は|一身一家《いつしんいつか》にも|又《また》|真《しん》である。|参考《さんかう》の|為《た》めに|爰《ここ》に|簡単《かんたん》に|他《た》の|一二《いちに》の|解釈法《かいしやくはふ》を|附記《ふき》して|置《お》かう。|個人《こじん》|潔斎《けつさい》の|上《うへ》から|述《の》べると|瀬織津比売《せおりつひめ》の|働《はたら》きは|行水《ぎやうずゐ》、|沐浴《もくよく》|等《とう》の|事《こと》、|秋津比売《あきつひめ》は|合嗽《うがひ》の|事《こと》、|伊吹戸主《いぶきどぬし》は|深呼吸《しんこきふ》などの|事《こと》、|佐須良比売《さすらひめ》は|冷水《れいすゐ》|摩擦《まさつ》、|按摩《あんま》|等《とう》の|事《こと》である。|人身《じんしん》|生理《せいり》の|上《うへ》から|述《の》べると、|瀬織津比売《せおりつひめ》は|口中《こうちう》にて|食物咀嚼《しよくもつそしやく》の|機能《きのう》、|秋津比売《あきつひめ》は|食道《しよくだう》から|胃腸《ゐちやう》に|食物《しよくもつ》を|運《はこ》ぶ|機能《きのう》、|気吹戸主《いぶきどぬし》は|咀嚼《そしやく》して|出《で》た|乳汁《にうじふ》を|肺臓《はいざう》に|持《も》ち|出《だ》す|機能《きのう》、|佐須良比売《さすらひめ》は|肺臓《はいざう》にて|空気《くうき》に|触《ふ》れ、それから|心臓《しんざう》に|帰《かへ》り、そして|全身《ぜんしん》へ|脈管《みやくくわん》で|分布《ぶんぷ》せらるる|機能《きのう》を|指《さ》すのである。かくの|如《ごと》く|大祓祝詞《おほはらひのりと》は|大小《だいせう》に|拘《かか》はらず、ありとあらゆる|有機《いうき》|組織《そしき》|全部《ぜんぶ》に|必要《ひつえう》なる|新陳代謝《しんちんたいしや》の|自然法《しぜんはふ》を|述《の》べたものである。
(|大意《たいい》)さて|地球《ちきう》の|表面《へうめん》の|清潔法《せいけつはふ》|施行《しかう》のためには、|先《ま》づ|大小《だいせう》の|河川《かせん》を|司《つかさ》どる|瀬織津姫《せおりつひめ》が|御出動《ごしゆつどう》になり、いよいよとなれば、|大雨《おほあめ》を|降《ふ》らして|苛《いやし》くも|汚《けが》れたものは|家庫《いへくら》たると、|人畜《じんちく》たるの|区別《くべつ》なく|大海《たいかい》へ|一掃《いつさう》して|了《しま》ふ。|之《これ》に|応《おう》じて|速秋津姫《はやあきつひめ》の|活動《くわつどう》が|起《おこ》り、|必要《ひつえう》あれば|逆《ぎやく》に|陸地《りくち》までも|押《お》し|寄《よ》せ、あらゆる|物《もの》を|鵜呑《うの》みにする。|邪気《じやき》|妖気《えうき》|掃除《さうぢ》の|目的《もくてき》には|気吹戸主神《いぶきどぬしのかみ》が|控《ひか》へて|居《を》り、|最後《さいご》の|大仕上《おほしあ》げには|佐須良姫《さすらひめ》が|待《ま》ち|構《かま》へて、|揉《も》みに|揉《も》み|砕《くだ》き、|揺《ゆ》りに|揺《ゆ》り|潰《つぶ》す。これでは|如何《いか》に|山積《さんせき》せる|罪穢《ざいゑ》も|此《こ》の|世《よ》から|一掃《いつさう》されて|品切《しなぎ》れになる。|従来《じゆうらい》は|大祓《おほはらひ》の|祝詞《のりと》は|世《よ》に|存在《そんざい》しても|其《その》|意義《いぎ》すら|分《わか》らず、|従《したが》つて|其《その》|実行《じつかう》が|少《すこ》しも|出来《でき》て|居《ゐ》なかつた。|其《その》|大実行着手《だいじつかうちやくしゆ》が|国祖《こくそ》|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|御出動《ごしゆつどう》である。|神国人《しんこくじん》の|責務《せきむ》は|重《おも》いが|上《うへ》にも|重《おも》い。|天地《てんち》の|神々《かみがみ》の|御奮発《ごふんぱつ》と|御加勢《ごかせい》とを|以《もつ》て|首尾《しゆび》|克《よ》く|此《この》|大経綸《だいけいりん》の|衝《しよう》に|当《あた》り|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》するといふのが、これが|大祓《おほはらひ》|奏上者《そうじやうしや》の|覚悟《かくご》であらねばならぬ。(完)
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霊界物語 第三九巻 舎身活躍 寅の巻
終り