霊界物語 第三六巻 海洋万里 亥の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第三六巻』愛善世界社
2000(平成12)年11月03日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年12月30日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|総説《そうせつ》
第一篇 |天意《てんい》か|人意《じんい》か
第一章 |二教《にけう》|対立《たいりつ》〔九八九〕
第二章 |川辺《かはべ》の|館《やかた》〔九九〇〕
第三章 |反間苦肉《はんかんくにく》〔九九一〕
第四章 |無法人《むはふにん》〔九九二〕
第五章 バリーの|館《やかた》〔九九三〕
第六章 |意外《いぐわい》な|答《こたへ》〔九九四〕
第七章 |蒙塵《もうぢん》〔九九五〕
第八章 |悪現霊《あくげんれい》〔九九六〕
第二篇 |松浦《まつうら》の|岩窟《がんくつ》
第九章 |濃霧《のうむ》の|途《みち》〔九九七〕
第一〇章 |岩隠《いはがく》れ〔九九八〕
第一一章 |泥酔《でいすゐ》〔九九九〕
第一二章 |無住居士《むぢうこじ》〔一〇〇〇〕
第一三章 |恵《めぐみ》の|花《はな》〔一〇〇一〕
第一四章 |歎願《たんぐわん》〔一〇〇二〕
第三篇 |神地《かうぢ》の|暗雲《あんうん》
第一五章 |眩代思潮《げんだいしてう》〔一〇〇三〕
第一六章 |門雀《もんじやく》〔一〇〇四〕
第一七章 |一目翁《ひとつめをう》〔一〇〇五〕
第一八章 |心《こころ》の|天国《てんごく》〔一〇〇六〕
第一九章 |紅蓮《ぐれん》の|舌《した》〔一〇〇七〕
第四篇 |言霊神軍《ことたましんぐん》
第二〇章 |岩窟《がんくつ》の|邂逅《かいこう》〔一〇〇八〕
第二一章 |火《ひ》の|洗礼《せんれい》〔一〇〇九〕
第二二章 |春《はる》の|雪《ゆき》〔一〇一〇〕
第二三章 |雪達磨《ゆきだるま》〔一〇一一〕
第二四章 |三六合《みろくがふ》〔一〇一二〕
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|序文《じよぶん》
|現代《げんだい》の|学者《がくしや》は、『|宗教《しうけう》は|芸術《げいじゆつ》の|母《はは》なり』とか、『|宗教《しうけう》が|芸術《げいじゆつ》を|生《う》むのだ』と|謂《い》つて|居《ゐ》るさうである。|私《わたくし》はそれと|反対《はんたい》に『|芸術《げいじゆつ》は|宗教《しうけう》の|母《はは》なり、|芸術《げいじゆつ》は|宗教《しうけう》を|生《う》む』と|主張《しゆちやう》するものである。
|洪大無辺《こうだいむへん》の|大宇宙《だいうちう》を|創造《さうざう》したる|神《かみ》は、|大芸術者《だいげいじゆつしや》でなければならぬ。|天地創造《てんちさうざう》の|原動力《げんどうりよく》、|之《こ》れ|大芸術《だいげいじゆつ》の|萌芽《はうが》である。|宗教《しうけう》なるものは|神《かみ》の|創造力《さうざうりよく》や、その|無限《むげん》の|意志《いし》の|僅《わづ》かに|一端《いつたん》を、|具体的《ぐたいてき》に|人《ひと》の|手《て》を|通《とほ》し|口《くち》を|徹《とほ》して|現《あら》はされたものに|過《す》ぎない。さうでなくては、|宗教《しうけう》が|神《かみ》や|仏《ほとけ》を|仮想《かさう》の|下《もと》に|描《ゑが》いたことになつて|了《しま》ふ。ソンナ|根拠《こんきよ》の|薄弱《はくじやく》なる|神《かみ》|又《また》は|仏《ほとけ》なりとすれば、|吾々《われわれ》は|朝夕《てうせき》|之《これ》に|礼拝《れいはい》し|奉仕《ほうし》する|心《こころ》がどうしても|湧《わ》いて|来《こ》ない|道理《だうり》だ。|然《しか》るに|天地《てんち》の|間《あひだ》には、|何物《なにもの》か|絶対力《ぜつたいりよく》の|存在《そんざい》する|如《ごと》く|心中《しんちう》|深《ふか》く|思惟《しゐ》さるるのは、|要《えう》するにこの|宇宙《うちう》に|人間《にんげん》|以上《いじやう》の|霊力者《れいりよくしや》の|儼存《げんぞん》するものたる|事《こと》を、|朧気《おぼろげ》ながらも|感知《かんち》し|得《え》らるるからである。|如何《いか》なる|無神論者《むしんろんしや》でも、|地震《ぢしん》、|雷鳴《らいめい》、|大洪水《だいこうずゐ》|等《とう》の|災厄《さいやく》に|遭遇《さうぐう》した|時《とき》は、|不知不識《しらずしらず》の|間《あひだ》に|合掌《がつしやう》し、|何《なに》ものかの|救《すく》ひを|求《もと》むるのは|自然《しぜん》の|人情《にんじやう》である。|裏《うら》の|神諭《しんゆ》に|曰《い》ふ
『|雷鳴《らいめい》の|烈《はげ》しき|時《とき》、|地震《ぢしん》の|強《つよ》く|揺《ゆ》る|時《とき》は、|神《かみ》を|祈《いの》らぬものはなし。その|時《とき》の|心《こころ》を|以《もつ》て、|平常《つね》に|神《かみ》を|求《もと》めよ|祈《いの》れよ』
とある。どうしても|宇宙《うちう》には|大芸術者《だいげいじゆつしや》たる|神《かみ》が|儼存《げんぞん》し|玉《たま》ひて、|万有一切《ばんいういつさい》を|保護《ほご》し|給《たま》ふことは|争《あらそ》はれぬ|事実《じじつ》である。|現代《げんだい》の|人《ひと》は|神《かみ》と|云《い》ふのを|愧《は》ぢて、|自然《しぜん》とか|天然力《てんねんりよく》とかの|雅号《ががう》にかくれて、|神《かみ》と|唱《とな》ふることを|避《さ》けようとして|居《ゐ》るものが|多《おほ》いのは、|実《じつ》に|残念《ざんねん》な|事《こと》である。
|出口直子《でぐちなほこ》|刀自《とじ》の|筆先《ふでさき》を|一見《いつけん》して、|低級《ていきふ》な|神《かみ》だとか|拙劣《せつれつ》な|文章《ぶんしやう》だとか、|到底《たうてい》|神《かみ》の|言《ことば》として|見《み》るに|忍《しの》びないとか、|筆先《ふでさき》は|怪乱狂暴《くわいらんきやうばう》|一読《いちどく》の|価値《かち》なきものだとか|謂《い》つて|居《ゐ》る|人《ひと》もソロソロ|現《あら》はれて|来《き》た|様《やう》である。|併《しか》し|乍《なが》ら|私《わたくし》は|決《けつ》してさうは|思《おも》はない。|茲《ここ》に|一《ひと》つの|例《れい》を|挙《あ》げて|曰《い》ふならば、|艮金神《うしとらのこんじん》|国常立尊《くにとこたちのみこと》は|大海《たいかい》の|潮水《しほみづ》の|如《ごと》きものである。そして|出口教祖《でぐちけうそ》は|手桶《てをけ》の|様《やう》なものである。|其《その》|手桶《てをけ》に|汲《く》み|上《あ》げられた|一杯《いつぱい》の|潮水《しほみづ》こそ、|教祖《けうそ》の|手《て》になれる|艮《うしとら》の|金神《こんじん》の|所謂《いはゆる》|筆先《ふでさき》そのものである。|併《しか》し|乍《なが》ら|大海《たいかい》の|潮水《しほみづ》も、|手桶《てをけ》に|汲《く》み|上《あ》げられた|潮水《しほみづ》も、|其《その》|色《いろ》に|於《おい》て、|鹹味《からみ》に|於《おい》て、|少《すこ》しも|変化《へんくわ》は|無《な》きはずである。さすれば|如何《いか》なる|卑近《ひきん》な|言《ことば》を|以《もつ》て|表《あら》はされた|筆先《ふでさき》と|雖《いへど》も、|神様《かみさま》の|意志《いし》|表示《へうじ》に|就《つい》ては|毫末《がうまつ》も|差支《さしつかへ》ないものである。|筆先《ふでさき》にも『|出口直《でぐちなほ》の|落《おち》ぶれものに|書《か》かした|筆先《ふでさき》であるから、|人民《じんみん》が|疑《うたが》うて|誠《まこと》に|致《いた》さぬは|無理《むり》なきことであるぞよ|云々《うんぬん》』と|示《しめ》されてある。|落《お》ちぶれたといふ|言葉《ことば》は|物質的《ぶつしつてき》のみを|指《さ》して|仰《あふ》せられたのではない。|教育《けういく》の|程度《ていど》にも|神魂《しんこん》にも|応用《おうよう》すべきものであります。|水《みづ》は|方円《はうゑん》の|器《うつは》に|従《したが》つて|其《その》|形《かたち》を|変《へん》ずる|如《ごと》く、|神《かみ》|即《すなは》ち|大海《たいかい》の|潮水《しほみづ》も|同様《どうやう》に、その|器《うつは》に|由《よ》つて|変化《へんくわ》し、その|容器《ようき》の|大小《だいせう》と|形状《けいじやう》に|従《したが》つて、|力《ちから》と|形《かたち》に|変化《へんくわ》を|来《き》たすは|自然《しぜん》の|道理《だうり》である。|故《ゆゑ》に|出口教祖《でぐちけうそ》の|筆先《ふでさき》が|如何《いか》に|拙劣《せつれつ》なものでも|艮《うしとら》の|金神《こんじん》|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|権威《けんゐ》を|傷《きず》つくべき|道理《だうり》は|決《けつ》してない。|只《ただ》|今《いま》|迄《まで》|出口教祖《でぐちけうそ》の|身魂《みたま》を、|全《ぜん》|艮《うしとら》の|金神《こんじん》、|全《ぜん》|国常立尊《くにとこたちのみこと》その|儘《まま》の|顕現《けんげん》と|信《しん》じて|居《ゐ》た|人《ひと》の|小言《こごと》に|過《す》ぎないのであります。それ|故《ゆゑ》、|筆先《ふでさき》にも|女子《によし》の|身魂《みたま》が|克《よ》く|調《しら》べてくれと|断《ことわ》つてある|所以《ゆゑん》であります。|要《えう》するに|筆先《ふでさき》そのものは、|神《かみ》の|芸術《げいじゆつ》の|腹《はら》から|産《うま》れた|所《ところ》の|宗教《しうけう》(|演劇《えんげき》)の|脚本《きやくほん》を|作《つく》るべき|台詞書《せりふがき》であることは、|既《すで》に|已《すで》に|霊界物語《れいかいものがたり》|第十二巻《だいじふにくわん》の|序文《じよぶん》に|述《の》べた|通《とほ》りであります。|変性女子《へんじやうによし》そのものも、|決《けつ》して|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|全体《ぜんたい》ではない。|矢張《やはり》|大海《たいかい》の|潮水《しほみづ》を|手桶《てをけ》に|汲《く》みあげたその|一部分《いちぶぶん》であります。|私《わたくし》は|世人《せじん》の|見《み》て、|最《もつと》も|不可解《ふかかい》なる|筆先《ふでさき》の|台詞《せりふ》を|茲《ここ》に|纏《まと》めて、|嘗《かつ》て|神霊界《しんれいかい》を|探険《たんけん》して|見聞《けんぶん》したる|神劇《しんげき》に|合《あは》せて、|教祖《けうそ》の|筆先《ふでさき》の|出所《でどころ》や、|如何《いか》なる|神《かみ》の|台詞《せりふ》なるやを|明《あきら》かにせむため、この|物語《ものがたり》を|口述《こうじゆつ》したのであります。この|神幽《しんいう》|二界《にかい》の|出来事《できごと》を|一巻《いつくわん》の|書物《しよもつ》に|綴《つづ》つたのが|霊界物語《れいかいものがたり》である。|霊界《れいかい》の|幾分《いくぶん》なりとも|消息《せうそく》が|通《つう》じない|人《ひと》の|眼《まなこ》を|以《もつ》て|教祖《けうそ》の|筆先《ふでさき》を|批評《ひひやう》するのは、|実《じつ》に|愚《ぐ》の|至《いた》りであります。
あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》ませ。
大正十一年九月二十四日正午十二時 於瑞祥閣
|総説《そうせつ》
|霊界物語《れいかいものがたり》も|筆録者《ひつろくしや》|諸氏《しよし》の|丹精《たんせい》に|由《よ》つて、|漸《やうや》く|弥勒《みろく》の|神《かみ》に|因《ちな》みたる|三六《みろく》の|巻《まき》を|口述《こうじゆつ》し|了《をは》りました。|本巻《ほんくわん》は|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》の|御愛児《ごあいじ》|八乙女《やをとめ》の|一人《ひとり》なる|第七女《だいしちぢよ》の|君子姫《きみこひめ》が、メソポタミヤの|顕恩郷《けんおんきやう》を|立出《たちい》でて|敵派《てきは》の|邪神《じやしん》に|捕《とら》へられ、|破《やぶ》れた|小舟《こぶね》に|乗《の》せられて、|姉妹《しまい》|五人《ごにん》と|共《とも》に|大海洋《だいかいやう》に|捨《す》てられ、|神助《しんじよ》の|下《もと》にシロの|島《しま》、|現今《げんこん》のセイロン|島《たう》に|漂着《へうちやく》し、|侍女《じぢよ》の|清子姫《きよこひめ》と|共《とも》に、バラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》|友彦《ともひこ》が、|鬼熊別《おにくまわけ》の|愛女《あいぢよ》|小糸姫《こいとひめ》と|隠《かく》れ|居《ゐ》たる|松浦《まつうら》の|里《さと》の|岩窟《がんくつ》に、サガレン|王《わう》を|尋《たづ》ね、|王《わう》を|助《たす》けて|神地《かうぢ》の|城《しろ》の|竜雲《りううん》なる|邪神《じやしん》を|言向和《ことむけやは》し、|又《また》|北光《きたてる》の|神《かみ》なる|天目一《あめのまひとつ》の|神《かみ》の|偉大《ゐだい》なる|応援《おうゑん》の|下《もと》に、|三五教《あななひけう》の|神力《しんりき》を|輝《かがや》かし、|敵味方《てきみかた》の|区別《くべつ》なく|神《かみ》の|仁慈《じんじ》に|悦服《えつぷく》して|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》し、サガレン|王《わう》を|元《もと》の|如《ごと》く|国主《こくしゆ》に|推挙《すゐきよ》し、|上下和合《しやうかわがふ》の|瑞祥《ずゐしやう》を|顕現《けんげん》せしめたる、|尊《たふと》き|面白《おもしろ》き|神代《かみよ》の|古《ふる》き|物語《ものがたり》であります。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
大正十一年九月廿四日 午後一時
第一篇 |天意《てんい》か|人意《じんい》か
第一章 |二教《にけう》|対立《たいりつ》〔九八九〕
|亜細亜大陸《アジアたいりく》の|西南端《せいなんたん》に|突出《とつしゆつ》したる|熱帯《ねつたい》の|月《つき》の|国《くに》は、|後世《こうせい》これを|天竺《てんぢく》と|称《とな》へ、|今《いま》は|印度《いんど》と|云《い》ふ。|此《この》|国《くに》の|東南端《とうなんたん》の|海中《かいちう》に|浮《うか》び|出《い》でたる|大孤島《だいこたう》はシロの|島《しま》といふ。|現代《げんだい》にては|錫蘭島《セイロンたう》と|称《とな》へられて、|仏教《ぶつけう》の|始祖《しそ》|釈迦如来《しやかによらい》が|誕生《たんじやう》したる|由緒《ゆいしよ》|深《ふか》き|島《しま》である。
|釈迦《しやか》は|此《この》|島《しま》より|仏教《ぶつけう》を、|印度《いんど》、|西蔵《チベツト》、|安南《あんなん》、シヤム、|支那《しな》、|朝鮮《てうせん》と、|其《その》|教勢《けうせい》|東漸《とうぜん》して、|遂《つひ》に|自転倒島《おのころじま》の|我《わが》|日本国《にほんこく》にまで、|其《その》|勢力《せいりよく》を|及《およ》ぼしたのである。|仏教《ぶつけう》は|概《がい》して、|有色《いうしよく》|人種《じんしゆ》の|宗教《しうけう》となつてゐる。|之《これ》に|反《はん》してキリスト|教《けう》は、|大部分《だいぶぶん》|白色《はくしよく》|人種《じんしゆ》の|宗教《しうけう》となつてゐる。|土耳古《トルコ》、|希臘《ギリシヤ》の|如《ごと》きコーカス|人種《じんしゆ》も|亦《また》、|仏教《ぶつけう》の|感化《かんくわ》を|受《う》けたこと|最《もつと》も|大《だい》なるものがあつた。
シロの|島《しま》といふ|意義《いぎ》は【シ】は|磯輪垣《しわがき》の|約《つづま》りである。シワ|垣《かき》とは|四方《しはう》|水《みづ》を|以《もつ》て|天然《てんねん》の|要害《えうがい》となし、|垣《かき》を|作《つく》られてゐるといふ|意味《いみ》である。【ロ】といふ|言霊《ことたま》の|意義《いぎ》は、|国主《こくしゆ》あり|人民《じんみん》あり、そして|独立的《どくりつてき》|土地《とち》を|有《いう》し、|城廓《じやうくわく》を|構《かま》へて|王者《わうじや》の|治《をさ》むるといふ|事《こと》である。|神代《じんだい》の|昔《むかし》より|此《この》|島《しま》は|非常《ひじやう》に|人文《じんぶん》が|発達《はつたつ》してゐた。エルサレムに|次《つ》いでの|神代《じんだい》に|於《お》ける|文明国《ぶんめいこく》であつた。|故《ゆゑ》に|之《これ》をシロの|島《しま》といふ。|又《また》シロといふ|別《べつ》の|意味《いみ》はシロは|知《し》るの|転訛《てんくわ》にて、|天下《てんか》をしろしめす|王者《わうじや》の|居《ゐ》ます|島《しま》といふことである。
|序《ついで》に|島《しま》といふのはシは|水《みづ》であり、マは|廻《めぐ》る|言霊《げんれい》である。|故《ゆゑ》に|古《いにしへ》は|島《しま》には|人《ひと》の|家《いへ》もなく、|又《また》|人類《じんるゐ》の|棲息《せいそく》せざりしものの|称《とな》へであつた。|然乍《しかしながら》|此《この》|物語《ものがたり》にも|高砂島《たかさごじま》、|筑紫島《つくしじま》、|自転倒島《おのころじま》などと|島《しま》の|名義《めいぎ》を|以《もつ》て|呼《よ》んでゐるのは、|此《この》|言霊《ことたま》の|意義《いぎ》より|言《い》へば|実《じつ》に|矛盾《むじゆん》せし|如《ごと》く|聞《きこ》ゆるであらう。さり|乍《なが》ら、|今日《こんにち》の|称呼上《しようこじやう》|分《わか》り|易《やす》きを|尊《たつと》んで、|現代的《げんだいてき》に|島《しま》と|称《とな》へた|迄《まで》である。|其《その》|実《じつ》はシロといつた|方《はう》が|適当《てきたう》なのである。
|我《わが》|国《くに》の|武家《ぶけ》が|頭《あたま》を|上《あ》げてから、|各地《かくち》に|群雄割拠《ぐんゆうかつきよ》し、|各自《かくじ》に|居城《きよじやう》を|作《つく》り、|其《その》|武威《ぶゐ》を|誇《ほこ》つた|其《その》|城廓《じやうくわく》|及《およ》び|境域《きやうゐき》を|総称《そうしよう》して|城《しろ》といつたのも、|館《やかた》の|周囲《しうゐ》に|堀《ほり》を|穿《うが》ち、|水《みづ》をめぐらしたから|城《しろ》と|云《い》うたのである。|偶《たま》には|山《やま》の|上《うへ》に|館《やかた》を|建《た》てて|城《しろ》と|呼《よ》んでゐる|変則的《へんそくてき》のものもあつた。|故《ゆゑ》に|之《これ》を|特《とく》に|山城《やましろ》といつて、|山《やま》の|字《じ》を|冠《くわん》してゐたのである。|又《また》|島《しま》といふ|字《じ》は|漢字《かんじ》で|山扁《やまへん》に|鳥《とり》を|書《か》き、|又《また》|山冠《やまかんむり》に|鳥《とり》を|書《か》いてシマと|読《よ》ましてあるのは、|海島《うみじま》に|数多《あまた》の|鳥族《てうぞく》が|棲息《せいそく》してゐたからである。|筑紫《つくし》の|島《しま》とか、オーストラリア|島《たう》とかいふのは、|三水扁《さんずゐへん》に|州《しう》と|書《か》いて、|現代《げんだい》|用《もち》ゐて|居《ゐ》る。|之《これ》は|字義《じぎ》の|上《うへ》からは|最《もつと》も|適当《てきたう》な|称呼《しようこ》である。|此《この》シロの|島《しま》は|後世《こうせい》、|釈迦《しやか》が|現《あら》はれて、|仏教《ぶつけう》を|起《おこ》す|迄《まで》は、|殆《ほとん》どバラモン|教《けう》の|勢力《せいりよく》の|中心《ちうしん》となつて|居《ゐ》たのである。|後世《こうせい》のバラモン|教《けう》は、すべての|人間《にんげん》は|大自在天《だいじざいてん》の|頭《あたま》より|生《うま》れた|種族《しゆぞく》と、|胴《どう》から|生《うま》れた|種族《しゆぞく》と、|足《あし》から|生《うま》れた|種族《しゆぞく》と|三種《さんしゆ》あるといふ|教理《けうり》が、|深《ふか》く|国人《くにびと》の|脳髄《なうずゐ》に|浸《し》み|込《こ》み、|頭《あたま》より|生《うま》れたりと|称《しよう》する|種族《しゆぞく》は|所謂《いはゆる》|此《この》|国《くに》の|貴族《きぞく》にして、|人民《じんみん》の|頭《かしら》に|立《た》ち、|遊逸徒食《いういつとしよく》にのみ|耽《ふけ》り|乍《なが》ら、|之《これ》を|惟神《かむながら》の|真理《しんり》と|誤信《ごしん》してゐたのである。|又《また》|大自在天《だいじざいてん》の|胴《どう》から|生《うま》れた|階級人《かいきふじん》は、すべて|人民《じんみん》の|上《うへ》に|立《た》ち、|政治《せいぢ》を|行《おこな》ふ|治者《ちしや》の|地位《ちゐ》にあつた。|又《また》|足《あし》から|生《うま》れたと|称《しよう》せらるる|階級《かいきふ》に|属《ぞく》する|民族《みんぞく》は、|営々兀々《えいえいこつこつ》として|朝暮勤労《てうぼきんらう》に|服《ふく》し、|上級《じやうきふ》|民族《みんぞく》の|殆《ほとん》ど|衣食住《いしよくぢゆう》の|生産《せいさん》|機関《きくわん》たるの|観《くわん》をなして|居《ゐ》た。
|釈迦《しやか》は|此《この》|国《くに》の|或《ある》|一孤島《いちこたう》の|浄飯王《じやうぼんわう》といふ|王者《わうじや》の|子《こ》と|生《うま》れ、|悉達太子《しつたたいし》といつた。|彼《かれ》は|此《この》バラモン|教《けう》の|不公平《ふこうへい》、|不道理《ふだうり》なる|習慣《しふくわん》を|打破《だは》して、|万民《ばんみん》を|平等《べうどう》に、|天《てん》の|恵《めぐみ》に|浴《よく》せしめむと|思《おも》ひ|立《た》ち、|自他《じた》|平等《べうどう》の|教理《けうり》を|樹立《じゆりつ》し、|生老病死《しやうらうびやうし》の|四苦《しく》を|救《すく》はむとして、|彼《か》の|仏教《ぶつけう》なるものを|創立《さうりつ》したのであつた。そして|此《この》|釈迦《しやか》は、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の|和魂《にぎみたま》、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、|後《のち》には|月照彦神《つきてるひこのかみ》の|再生《さいせい》せし|者《もの》たることは、|霊界物語《れいかいものがたり》|第六巻《だいろくくわん》に|示《しめ》したる|通《とほ》りである。
|地球《ちきう》の|大傾斜《だいけいしや》せしより|以前《いぜん》は、|今《いま》の|如《ごと》く|余《あま》りの|熱帯《ねつたい》ではなかつた。|気候《きこう》|中和《ちうわ》を|得《え》、|極《きは》めて|暮《くら》しよき|温帯《おんたい》に|位置《ゐち》を|占《し》めて|居《ゐ》たのである。|併《しか》し|釈迦《しやか》の|生《うま》れたる|時代《じだい》は、すでに|赤道《せきだう》|直下《ちよくか》に|間近《まぢか》き|島国《しまぐに》となつて|居《ゐ》たのである。|印度《いんど》は|言《い》ふに|及《およ》ばず、|此《この》|錫蘭島《セイロンたう》の|住民《ぢゆうみん》は|何《いづ》れも|色《いろ》|黒《くろ》く、|少《すこ》しく|黄味《きみ》を|帯《お》びたやうな|膚《はだ》をして|居《ゐ》た。
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の|八人乙女《やたりおとめ》の|第七《だいしち》の|娘《むすめ》、|君子姫《きみこひめ》は|侍女《じぢよ》の|清子姫《きよこひめ》と|共《とも》にバラモン|教《けう》の|本山《ほんざん》メソポタミヤの|顕恩城《けんおんじやう》を|後《あと》にして、フサの|国《くに》にて|三五教《あななひけう》の|宣伝《せんでん》に|従事《じうじ》せむとする|折《をり》しも、バラモン|教《けう》の|釘彦《くぎひこ》の|一派《いつぱ》に|捉《とら》へられ、|姉妹《しまい》|五人《ごにん》は|何《いづ》れも|半《なかば》|破《やぶ》れし|舟《ふね》に|乗《の》せられて|波《なみ》のまにまに|放逐《はうちく》されたのである。|君子姫《きみこひめ》は|侍女《じぢよ》と|共《とも》に|激浪《げきらう》|怒濤《どたう》を|渡《わた》り、|漸《やうや》くにしてシロの|島《しま》のドンドラ|岬《みさき》に|漂着《へうちやく》し、それより|夜《よ》を|日《ひ》についで、|先年《せんねん》|友彦《ともひこ》が|小糸姫《こいとひめ》と|共《とも》に|隠《かく》れゐたる、|神館《かむやかた》を|尋《たづ》ねて|進《すす》み|行《ゆ》くこととなつた。
|此《この》|神館《かむやかた》より|数里《すうり》を|隔《へだ》てて|神地《かうぢ》の|都《みやこ》といふがあつた。|此処《ここ》にはサガレン|王《わう》、ケールス|姫《ひめ》の|二人《ふたり》が|館《やかた》を|構《かま》へ、|此《この》|島国《しまぐに》の|殆《ほとん》ど|七分《しちぶ》|許《ばか》りを|統轄《とうかつ》して|居《ゐ》た。そしてサガレン|王《わう》はバラモン|教《けう》を|奉《ほう》じ、|其《その》|妃《ひ》のケールス|姫《ひめ》はウラル|教《けう》を|奉《ほう》じて|居《ゐ》た。
|此《この》|国《くに》の|人々《ひとびと》の|言葉《ことば》は|残《のこ》らずサンスクリツトを|用《もち》ふるは|言《い》ふまでもない。されど|口述者《こうじゆつしや》は|一般《いつぱん》の|読者《どくしや》に|諒解《りやうかい》し|易《やす》からしむる|為《ため》、|成《な》る|可《べ》く|日本語《にほんご》を|以《もつ》て、|述《の》べることとしておく。
|神地《かうぢ》の|都《みやこ》の|少《すこ》しく|南方《なんぱう》に、|娑羅双樹《さらさうじゆ》の|密生《みつせい》したる|小高《こだか》き|風景《ふうけい》よき|丘陵《きうりよう》がある。そこに|二三《にさん》の|中流《ちうりう》|階級《かいきふ》と|覚《おぼ》しき|黒《くろ》い|面《かほ》の|男《をとこ》が、|展開《てんかい》したる|原野《げんや》の|中《なか》に|点々《てんてん》として|咲《さ》き|乱《みだ》れて|居《ゐ》る|白蓮華《びやくれんげ》を|眺《なが》めて、|酒《さけ》|汲《く》みかはし、|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》る。|一人《ひとり》はシルレングといひ、|一人《ひとり》はユーズと|云《い》ひ、も|一人《ひとり》の|男《をとこ》はベールといふ。|何《いづ》れもサガレン|王《わう》に|仕《つか》へて|居《ゐ》る|一部《いちぶ》の|役人《やくにん》であつた。|今日《けふ》は|休暇《きうか》を|賜《たま》はつて、ここに|蓮《はす》の|花見《はなみ》をすべく、|一日《いちにち》の|清遊《せいいう》を|試《こころ》みて|居《ゐ》たのである。
シルレング『オイ、サガレン|王様《わうさま》も|本当《ほんたう》にお|気《き》の|毒《どく》ではないか。あれ|丈《だけ》|好《す》きなバラモン|教《けう》を|公然《こうぜん》と|祀《まつ》ることも|出来《でき》ず、ケールス|姫様《ひめさま》がウラル|教《けう》だから、|姫《ひめ》の|方《はう》の|勢力《せいりよく》が|旺盛《わうせい》になり、|館《やかた》の|内《うち》は|何時《いつ》とはなしに、|信仰《しんかう》|争《あらそ》ひで、|何《なん》ともいへぬ|殺伐《さつばつ》で|冷《つめ》たい|空気《くうき》が|漂《ただよ》うて|居《ゐ》るやうだ。|王様《わうさま》もさぞ|不愉快《ふゆくわい》な|事《こと》であらう。|何《なん》とかして|吾々《われわれ》の|奉《ほう》ずるバラモン|教《けう》に|立替《たてか》へたいものだなア。|王様《わうさま》|計《ばか》りか、|吾々《われわれ》|共《ども》も|本当《ほんたう》に|不愉快《ふゆくわい》で、|政務《せいむ》も|碌《ろく》に|執《と》る|気《き》にならないぢやないか』
ユーズ『|何《なに》を|言《い》つても、ケールス|姫様《ひめさま》がウラル|教《けう》の|神司《かむつかさ》|竜雲《りううん》を|殊《こと》の|外《ほか》|寵愛《ちようあい》し、|今《いま》ではサガレン|王様《わうさま》よりも|尊敬《そんけい》して|居《ゐ》られるといふ|体裁《ていさい》だから、|何《ど》うにも|斯《か》うにも|仕方《しかた》がないぢやないか、|又《また》あの|竜雲《りううん》といふ|怪物《くわいぶつ》は、いろいろと|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|妖術《えうじゆつ》を|使《つか》ひ、ケールス|姫《ひめ》を|甘《うま》く|籠絡《ろうらく》し、|権勢《けんせい》|並《なら》ぶものなき|今日《こんにち》の|有様《ありさま》だから、ウツカリ|斯《こ》んな|話《はな》しでも|竜雲《りううん》の|耳《みみ》へ|這入《はい》らうものなら、それこそ|大変《たいへん》だ。モウ|此《この》|話《はな》しは|打切《うちき》りにしたら|如何《どう》だ』
ベール『ナニ、どこの|牛骨《ぎうこつ》か|馬骨《ばこつ》か|知《し》れもせぬ|風来者《ふうらいもの》の|竜雲《りううん》|如《ごと》きに、|尻尾《しつぽ》を|巻《ま》いてたまるものかい。おれは|何《なん》とかして、あの|怪物《くわいぶつ》を|征伐《せいばつ》し、ケールス|姫様《ひめさま》の|御目《おめ》をさましサガレン|王《わう》さまの|御安心《ごあんしん》を|得《え》たいと|思《おも》うて|居《ゐ》る。これが|吾々《われわれ》|臣下《しんか》たる|者《もの》の、|君《きみ》に|尽《つく》すべき|最善《さいぜん》の|道《みち》だからなア』
シルレング『|時《とき》にあの|竜雲《りううん》の|奴《やつ》、|左守《さもり》の|神《かみ》のタールチン|殿《どの》の|奥様《おくさま》、キングス|姫《ひめ》と○○|関係《くわんけい》があるといふことだが、お|前《まへ》|聞《き》いて|居《ゐ》るか』
ベール『|聞《き》いて|居《ゐ》るとも、|第一《だいいち》|夫《そ》れが|癪《しやく》に|障《さは》るのだ。それだから、タールチンさまに、|此《この》|間《あひだ》も|面会《めんくわい》し、いろいろと|忠告《ちうこく》をしたのだが、|何《なん》といつても、|嬶天下《かかてんか》だから、タールチンさまの|言《い》はれるには……|今日《こんにち》|飛《と》ぶ|鳥《とり》も|落《おと》す|様《やう》な|竜雲《りううん》さまのなさる|事《こと》に、|吾々《われわれ》が|嘴《くちばし》を|容《い》れる|場合《ばあひ》でない、モウそんな|事《こと》は|今後《こんご》|言《い》つてくれな……と|箝口令《かんこうれい》を|布《し》きよるのだ。|本当《ほんたう》に|良《よ》い|腰抜《こしぬけ》だなア。|閨閥《けいばつ》|関係《くわんけい》を|以《もつ》て|自分《じぶん》の|地位《ちゐ》を|保《たも》たうとする、|其《その》|卑怯《ひけふ》さ、|実《じつ》に|吾々《われわれ》の|風上《かざかみ》におくべき|代物《しろもの》でないのだ。|何《なん》とかして|竜雲《りううん》の|面《つら》の|皮《かは》を|剥《む》いてやる|妙案《めうあん》はあろまいかな』
ユーズ『そりや|方法《はうはふ》は|幾《いく》らでもある。|併《しか》しながら|大事《だいじ》を|遂行《すゐかう》せむとする|者《もの》は、|軽々《けいけい》に|事《こと》を|執《と》つてはならない。|先《ま》づ|沈思黙考《ちんしもくかう》して|敵《てき》の|虚《きよ》を|窺《うかが》ひ、|時節《じせつ》を|待《ま》つて|決行《けつかう》するのだナア』
ベール『|其《その》|決行《けつかう》は|如何《どう》するといふのだ』
ユーズ『オイ、ベール、お|前《まへ》はそんなこと|云《い》つて、|竜雲《りううん》の|間者《まはしもの》になつて|来《き》て|居《ゐ》るのではないか。どうも|目付《めつき》が|怪《あや》しいぞ。|自分《じぶん》の|方《はう》から|竜雲《りううん》の|悪口《あくこう》を|言《い》つて、|俺達《おれたち》の|腹《はら》を|探《さぐ》つて|居《ゐ》るのだらう。そんなことの|分《わか》らぬユーズさまぢやないぞ』
ベール『コレは|怪《け》しからぬ。|誰《たれ》があんな|怪物《くわいぶつ》のお|先《さき》に|使《つか》はれてなるものかい。|何程《なにほど》ベールの|様《やう》に|鳴《な》る|男《をとこ》でも、そんな|秘密《ひみつ》は|言《い》ふことは|出来《でき》ないからなア』
ユーズ『ヤツパリ|貴様《きさま》は|自白《じはく》しよつたなア。|秘密《ひみつ》をいふ|事《こと》が|出来《でき》ないとは|何《なん》だ。|竜雲《りううん》に|頼《たの》まれて|俺達《おれたち》の|腹《はら》を|探《さぐ》らうと、|蓮見物《はすけんぶつ》に|事《こと》よせ、ここまでつれ|出《だ》して|来《き》よつたに|違《ちがひ》あるまい。サア|斯《か》うなる|上《うへ》は、モウ|見《み》のがすことは|出来《でき》ぬ……オイ、シルレング、|今《いま》の|中《うち》にベール|奴《め》を|片付《かたづ》けて|了《しま》はうぢやないか』
シルレング『ヨシ、|合点《がつてん》だ』
といひ|乍《なが》ら、ベールに|向《むか》つて|武者振《むしやぶり》ついた。ユーズは|後《うしろ》からベールに|繩《なは》をかけむと|組付《くみつ》く。さすがのベールも|一生懸命《いつしよけんめい》になつて、|二人《ふたり》を|相手《あひて》に|格闘《かくとう》を|始《はじ》め、|三人《さんにん》は|組《く》んづ|組《く》まれつ、|小丘《せうきう》の|上《うへ》から|麓《ふもと》の|蓮池《はすいけ》の|中《なか》へ|一塊《ひとかたまり》になつて、ゴロゴロゴロと|落《お》ち|込《こ》んで|了《しま》つた。
|此《この》|時《とき》すでに|月《つき》は|半円《はんゑん》の|姿《すがた》を|現《あら》はして|頭上《づじやう》に|輝《かがや》き|始《はじ》めた。|銀河《ぎんが》はエルサレムの|方面《はうめん》から|印度洋《いんどやう》の|彼方《あなた》に|清《きよ》く|流《なが》れて|居《ゐ》る。|颯々《さつさつ》たる|風《かぜ》は|蓮《はす》の|池《いけ》の|面《おも》を|撫《な》で、|葉《は》のふれて|鳴《な》る|音《おと》パタパタと|聞《きこ》えて|居《ゐ》る。|三人《さんにん》は|泥池《どろいけ》の|中《なか》で、バサリ、ドブンと|音《おと》を|立《た》てて|泥水《どろみづ》まぶれになつて、|力《ちから》|限《かぎ》りに|互角《ごかく》の|勢《いきほひ》で|掴《つか》み|合《あ》うて|居《ゐ》る。
|娑羅双樹《さらさうじゆ》のこもつた|枝《えだ》から、|梟《ふくろ》が『ホウスケホウホウ、ドロツクドロンボ、ゴロツトカヤセ、ボーボー』と|鳴《な》き|立《た》てて|居《ゐ》る。
(大正一一・九・二一 旧八・一 松村真澄録)
第二章 |川辺《かはべ》の|館《やかた》〔九九〇〕
|神地《かうぢ》の|城《しろ》は|東北西《とうほくせい》の|三方《さんぱう》、|美《うつく》しき|青山《せいざん》に|囲《かこ》まれ、|南方《なんぱう》は|稍《やや》|展開《てんかい》し、|城《しろ》の|東西《とうざい》に|余《あま》り|広《ひろ》からねども、|水《みづ》|清《きよ》く|流《なが》れ|深《ふか》き|清泉《せいせん》が|通《とほ》つて|居《ゐ》る。|奇石《きせき》|怪岩《くわいがん》|最《もつと》も|多《おほ》く、|奇勝《きしよう》|絶景《ぜつけい》の|地点《ちてん》を|選《えら》んで、ケールス|姫《ひめ》の|別宅《べつたく》が|建《た》てられてあつた。|東《ひがし》の|河《かは》は|別館《べつくわん》の|西《にし》を|流《なが》れ、|河《かは》の|中《なか》には|種々雑多《しゆじゆざつた》の|形《かたち》をしたる|大小《だいせう》|無数《むすう》の|岩石《がんせき》が|点在《てんざい》し、|其《その》|間《あひだ》を|淙々《そうそう》と|流《なが》るる|水音《みなおと》、|聞《き》くも|見《み》るも|壮快《さうくわい》の|思《おも》ひに|満《み》たされる。
ケールス|姫《ひめ》は、ウラル|教《けう》の|神司《かむづかさ》|竜雲《りううん》を|此処《ここ》に|招《まね》き、|朝夕《あさゆふ》となく|不義《ふぎ》の|快楽《けらく》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》た。サガレン|王《わう》はいつも|神地《かうぢ》の|館《やかた》にあつて|政務《せいむ》を|見《み》、バラモン|教《けう》の|大自在天《だいじざいてん》を|祭《まつ》りたる|神殿《しんでん》に、|殆《ほとん》ど|閉《と》ぢ|籠《こも》り|祈願《きぐわん》に|余念《よねん》なく、|信仰《しんかう》をもつて|唯一《ゆゐいつ》の|楽《たのし》みとして|居《ゐ》た。
ケールス|姫《ひめ》『|竜雲《りううん》さま、どうして|又《また》|王様《わうさま》は|此《こ》のやうな|結構《けつこう》なウラル|教《けう》の|教《をしへ》が|分《わか》らないのでせう。|何《なん》とかしてウラル|教《けう》を|信奉《しんぽう》さるるやうに、|貴方《あなた》の|神力《しんりき》を|以《もつ》て|悦服《えつぷく》さして|下《くだ》さる|事《こと》は|出来《でき》ますまいかなア』
|竜雲《りううん》『|盤古神王《ばんこしんわう》の|御威勢《ごゐせい》、|天ケ下《あめがした》に|何一《なにひと》つ|御自由《ごじいう》にならない|事《こと》はありませぬ。|王様《わうさま》をウラル|教《けう》に|入信《にふしん》させるのは|朝飯前《あさめしまへ》の|事《こと》で|御座《ござ》いますが、これには|何《なに》か|深《ふか》き|神様《かみさま》の|思召《おぼしめし》があつて、|吾々《われわれ》に|一《ひと》つの|決心《けつしん》を|与《あた》ふべく|仕組《しぐ》まれたので|御座《ござ》いませう。バラモンの|如《ごと》き、|人《ひと》の|血《ち》を|見《み》なくては|到底《たうてい》|承知《しようち》せないと|云《い》ふやうな|神様《かみさま》を|祭《まつ》り、これを|信仰《しんかう》すると|云《い》ふは、|一身上《いつしんじやう》の|不幸《ふかう》のみならず、|延《ひ》いて|国家《こくか》|国民《こくみん》の|大不幸《だいふかう》です。|併《しか》し|乍《なが》ら、この|錫蘭島《セイロンたう》にて|誰一人《たれひとり》|指《ゆび》をさへるものなき|王様《わうさま》の|事《こと》ですから、|吾々《われわれ》|人間《にんげん》としては、|何程《なにほど》|教理《けうり》を|申上《まをしあ》げた|処《ところ》で、いやと|一口《ひとくち》|首《くび》をお|振《ふ》りになつたが|最後《さいご》、もはや|申上《まをしあ》げる|事《こと》は|出来《でき》ますまい』
『|本当《ほんたう》に|困《こま》つたことで|御座《ござ》いますなア。|何《なん》とかよい|分別《ふんべつ》が|貴方《あなた》にありますまいか。かうして|互《たがひ》に|親《した》しうなつた|二人《ふたり》の|仲《なか》、|何《なに》も|遠慮《ゑんりよ》は|要《い》りますまい。どうぞ|貴方《あなた》のお|考《かんが》へを、|包《つつ》まず|匿《かく》さず|私《わたくし》に|打《う》ち|明《あ》けて|下《くだ》さいませ』
『|何《なん》と|仰《あふ》せられても、|是《これ》|許《ばか》りは|口《くち》に|頬張《ほほば》つて、|如何《いか》に|親密《しんみつ》な|貴女様《あなたさま》にでも|申上《まをしあ》げる|事《こと》は|出来《でき》ませぬ』
『|竜雲《りううん》さま、|貴方《あなた》は|随分《ずゐぶん》|冷静《れいせい》な|方《かた》ですなア。|未《ま》だ|私《わたくし》の|心《こころ》が|分《わか》らないのですか、イヤ|信用《しんよう》して|下《くだ》さらないのですか』
『|決《けつ》して|決《けつ》して|信用《しんよう》せない|処《どころ》か、|貴女《あなた》より|外《ほか》に、|此《この》|世《よ》の|中《なか》に|私《わたし》の|力《ちから》になつて|呉《く》れる|方《かた》はありませぬ。|私《わたし》は|貴女《あなた》の|為《た》めには|一《ひと》つより|無《な》い|生命《いのち》|迄《まで》も|捧《ささ》げて|居《を》ります』
『それなら|何故《なぜ》|云《い》つて|下《くだ》さらないのですか』
『|是《これ》|計《ばか》りは|暫《しばら》く|御猶予《ごいうよ》を|願《ねが》ひます』
『ハイ、|宜敷《よろし》う|御座《ござ》います、|貴方《あなた》はタールチンの|女房《にようばう》キングス|姫《ひめ》には|何《なん》でも|仰有《おつしや》る|癖《くせ》に、|信用《しんよう》のない|私《わたくし》にはお|隠《かく》しになるのでせう、|宜敷《よろし》う|御座《ござ》います。それならそれで|私《わたくし》にも|一《ひと》つの|考《かんが》へが|御座《ござ》いますから……』
『さう|悪気《わるぎ》を|廻《まは》されては|大変《たいへん》に|困《こま》るぢやありませぬか。どうぞ|冷静《れいせい》に|胸《むね》に|手《て》をあてて、|今日《こんにち》の|私《わたし》の|地位《ちゐ》と|境遇《きやうぐう》とをお|考《かんが》へ|下《くだ》さいませ』
『|貴方《あなた》は|今日《こんにち》の|地位《ちゐ》がお|気《き》に|入《い》らないのですか。そりやさうでせう。|私《わたくし》だつて|貴方《あなた》を|真《しん》の|夫《をつと》と|仰《あふ》ぎ、この|錫蘭《セイロン》の|島《しま》をして、ウラル|教《けう》の|教《をしへ》に|立替《たてか》へ、|島民《たうみん》を|安《やす》く|楽《たの》しく|暮《くら》さしてやりたいのは|胸《むね》に|一《いつ》ぱいで|御座《ござ》います。|併《しか》し|乍《なが》ら|貴方《あなた》が、エツトキング、サーチ、エール、アイ、シエール、ビーベツトになると|云《い》ふ|事《こと》は|一《ひと》つ|考《かんが》へものです。うつかり|遣《や》り|損《そこな》ふものなら、それこそ、|大変《たいへん》ですからなア』
『|第一《だいいち》|邪魔《じやま》になるのはタールチン、シルレング、ユーズの|頑固派《ぐわんこは》です。あれを|何《なん》とかせなくては、|到底《たうてい》|此《この》|目的《もくてき》は|達成《たつせい》する|事《こと》は|不可能《ふかのう》です』
『そんな|事《こと》は|御心配《ごしんぱい》には|及《およ》びますまい。|併《しか》しながら|蟻穴《ぎけつ》|堤防《ていばう》を|崩《くづ》すとか|云《い》つて、|些《ちつ》とも|油断《ゆだん》はなりますまい』
|竜雲《りううん》は、ケールス|姫《ひめ》の|耳《みみ》に|口《くち》を|寄《よ》せ、
『エールベツト、キング、シヤームン、デー、イツクス、バー』
と|囁《ささや》いた。|此《この》|言葉《ことば》は|如何《いか》なる|意義《いぎ》を|含《ふく》んで|居《ゐ》るか、|読者《どくしや》の|判断《はんだん》に|任《まか》す|事《こと》とする。
かかる|処《ところ》へ、ベールは|泥《どろ》まぶれとなつて|慌《あわただ》しく|馳帰《はせかへ》り、
『モシモシ、ケールス|姫様《ひめさま》に|申上《まをしあ》げます。|大変《たいへん》な、プロテスタントが|現《あら》はれ、|竜雲《りううん》さまをベツトすると|云《い》つて、|計劃《けいくわく》おさおさ|怠《をこた》りなき|有様《ありさま》です。|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》れば、|今《いま》に|竜雲様《りううんさま》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、ケールス|姫様《ひめさま》の|御身辺《ごしんぺん》が|危《あやふ》くなりますから、|命《いのち》からがら|御注進《ごちゆうしん》に|参《まゐ》りました』
ケールス|姫《ひめ》『シルレング、ユーズの|両人《りやうにん》が、|竜雲様《りううんさま》をベツトせむと|云《い》ふ|計劃《けいくわく》を|廻《めぐ》らして|居《ゐ》るのでは|無《な》いか』
『ハイ、|其《その》|通《とほ》りで|御座《ござ》います。|貴女《あなた》さまの|御命令《ごめいれい》により、|蓮《はす》の|花見《はなみ》に|事《こと》よせ、|娑羅双樹《さらさうじゆ》の|森《もり》に|両人《りやうにん》を|誘《おび》き|出《だ》し、|彼《かれ》が|心底《しんてい》を|探《さぐ》りみたる|処《ところ》、|蛙《かはづ》は|口《くち》から、|何《なに》も|彼《か》も|酒《さけ》に|酔《よ》つて|喋《しやべ》つて|仕舞《しま》ひました。さうして|私《わたくし》を|貴女様《あなたさま》の|間者《まはしもの》に|相違《さうゐ》ないと|云《い》つて、|両人《りやうにん》は|双方《さうはう》より|私《わたくし》に|飛《と》びかかり、ベツトせむと|息巻《いきま》き|来《きた》るを、|死物狂《しにものぐるひ》の|力《ちから》を|出《だ》して|格闘《かくとう》の|結果《けつくわ》、|漸《やうや》く|夜《よ》に|紛《まぎ》れてここ|迄《まで》|逃《に》げて|帰《かへ》りました。あなた|方《がた》も|斯様《かやう》な|処《ところ》にお|出《い》で|遊《あそ》ばしては、|生命《いのち》が|危《あやふ》く|御座《ござ》います。どうぞ|早《はや》く|神地《かうぢ》の|館《やかた》にお|引《ひ》き|取《と》り|下《くだ》さいませ。|何時《いつ》|彼等《かれら》は|徒党《とたう》を|組《く》んで|押《お》し|寄《よ》せ|来《きた》るかも|図《はか》られませぬ』
|竜雲《りううん》『それは|大変《たいへん》だ。|姫様《ひめさま》|一先《ひとま》づ|城内《じやうない》へ|立《た》ち|帰《かへ》る|事《こと》と|致《いた》しませう』
ケールス|姫《ひめ》『|別《べつ》に|驚《おどろ》くには|及《およ》びますまい。|盤古神王様《ばんこしんわうさま》が|吾々《われわれ》の|信仰《しんかう》をお|認《みと》めになつた|以上《いじやう》はキツト|御保護《ごほご》をして|下《くだ》さいませう。かう|云《い》ふ|時《とき》に|騒《さわ》がないやう|胆力《たんりよく》を|練《ね》るために|平常《へいじやう》から|信仰《しんかう》を|励《はげ》んで|居《ゐ》るのではありませぬか。|竜雲様《りううんさま》、もしシルレング、ユーズの|押《お》し|寄《よ》せ|来《きた》るとも、|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|貴方《あなた》の|霊力《れいりよく》をもつて|打《う》ち|懲《こら》してやれば、すぐ|埒《らち》のつく|事《こと》では|御座《ござ》いませぬか』
と|迷信《めいしん》しきつたるケールス|姫《ひめ》は、|竜雲《りううん》の|神力《しんりき》を|過信《くわしん》して|平然《へいぜん》と|構《かま》へて|居《ゐ》る。
ベール『モシモシ|姫様《ひめさま》、|何程《なにほど》|竜雲様《りううんさま》に|御神力《ごしんりき》があればとて、|非《ひ》は|理《り》に|勝《か》たず、|理《り》は|法《はふ》に|勝《か》たず、|法《はふ》は|権《けん》に|勝《か》たずと|云《い》ふことが|御座《ござ》います。|身《み》に|寸鉄《すんてつ》も|帯《お》びざる|貴方方《あなたがた》に|対《たい》し|数多《あまた》の|反逆者《はんぎやくしや》|共《ども》が|凶器《きやうき》を|携《たづさ》へ|闖入《ちんにふ》し|来《きた》る|事《こと》あらば、|時《とき》と|場合《ばあひ》に|寄《よ》つては、いかなる|運命《うんめい》に|陥《おちい》るやも|分《わか》りませぬ。|又《また》|貴女《あなた》と|竜雲様《りううんさま》との、トツチケーアイの|一伍一什《いちぶしじふ》を、|彼等《かれら》は|看破《かんぱ》して|居《ゐ》ますから、|何時《いつ》サガレン|王様《わうさま》に、|貴女《あなた》の|御不在《ごふざい》を|窺《うかが》ひ|上申《じやうしん》するやも|分《わか》りませぬ。さうならば、ますますもつて|事《こと》が|面倒《めんだう》となります|故《ゆゑ》、どうぞ|一時《いつとき》も|早《はや》く|此処《ここ》を|立《た》ち|去《さ》り、お|館《やかた》へお|帰《かへ》りになつた|上《うへ》、|姫様《ひめさま》の|御口《おくち》より|王様《わうさま》に|向《むか》ひ、シルレング、ユーズの|一派《いつぱ》は、クーデターを|企劃《きくわく》し、|日《ひ》ならず|館《やかた》へ|侵入《しんにふ》し|来《きた》るべければ、|早《はや》く|王様《わうさま》に|其《その》|御処置《ごしよち》を|遊《あそ》ばすやうと、|申上《まをしあ》げて|下《くだ》さいませ。|先《さき》んずれば|人《ひと》を|制《せい》す、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》て|彼等《かれら》に|計《はか》られては|御身《おんみ》の|一大事《いちだいじ》、|竜雲様《りううんさま》の|御身辺《ごしんぺん》も|気《き》づかはしければ、|何卒《どうぞ》ベールの|申上《まをしあ》げる|事《こと》をお|聞《き》きとどけの|程《ほど》を|願《ねがひ》|上《あ》げ|奉《たてまつ》ります』
と|顔色《かほいろ》|迄《まで》|変《か》へて|述《の》べ|立《た》てた。|竜雲《りううん》は|顔色《かほいろ》をサツと|変《か》へ、
『|兎《と》も|角《かく》、|姫様《ひめさま》|一刻《いつこく》の|猶予《いうよ》もなりますまい。サア|早《はや》く|帰城《きじやう》|致《いた》しませう』
と|惶《あわ》てて|座《ざ》を|立《た》つ。ケールス|姫《ひめ》も|稍《やや》|不安《ふあん》の|念《ねん》にかられながら、|城内《じやうない》さして|立《た》ち|帰《かへ》り、|奥《おく》|深《ふか》く|艶姿《えんし》を|隠《かく》したり。
(大正一一・九・二一 旧八・一 加藤明子録)
第三章 |反間苦肉《はんかんくにく》〔九九一〕
サガレン|王《わう》は|神前《しんぜん》の|間《ま》に|端坐《たんざ》して|冥想《めいさう》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》る。|其処《そこ》へ|慌《あわただ》しく|襖《ふすま》を|押開《おしあ》け|入《い》り|来《きた》りしケールス|姫《ひめ》は、|両眼《りやうがん》に|涙《なみだ》を|湛《たた》へ|乍《なが》らワツとばかりに|泣《な》き|伏《ふ》したり。サガレン|王《わう》は|驚《おどろ》いて、
『|消魂《けたた》ましき|汝《なんぢ》の|其《その》|様子《やうす》、|何事《なにごと》なるぞ』
と|尋《たづ》ぬれば、ケールス|姫《ひめ》は|漸《やうや》くにして|顔《かほ》をあげ、|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ひ、
『|王様《わうさま》、|大変《たいへん》な|事《こと》が|出来《でき》ました。|御用心《ごようじん》なさいませ』
『|大変《たいへん》な|事《こと》とは|何《なん》だ』
『|外《ほか》でも|御座《ござ》いませぬ。シルレング、ユーズの|輩《はい》、|私《ひそか》に|徒党《とたう》を|結《むす》び|反逆《はんぎやく》を|企《くはだ》て、|王様《わうさま》を|始《はじ》め|妾等《わらはら》を|今夜《こんや》の|中《うち》にベツトして、クーデターを|行《おこな》ふ|陰謀《いんぼう》を|企《くはだ》てて|居《を》ります』
『|何《なに》、シルレング、ユーズが|左様《さやう》な|事《こと》を|企劃《きくわく》して|居《ゐ》ると|申《まを》すのか。それは|大方《おほかた》|何《なに》かの|間違《まちが》ひであらう』
『イエイエ、|決《けつ》して|間違《まちが》ひでは|御座《ござ》いませぬ。|先日《せんじつ》より|両人《りやうにん》の|様子《やうす》|如何《いか》にも|怪《あや》しと|存《ぞん》じ、|私《ひそか》にベールを|遣《つか》はして、|彼等《かれら》が|胸中《きようちう》を|探《さぐ》らせし|処《ところ》、|今夜《こんや》を|期《き》して|事《こと》を|挙《あ》ぐる|手筈《てはず》になつて|居《を》ります。|愚図々々《ぐづぐづ》|致《いた》して|居《を》れば|御身《おんみ》の|一大事《いちだいじ》、|社稷《しやしよく》の|顛覆《てんぷく》は|風前《ふうぜん》の|灯火《ともしび》も|同様《どうやう》なれば、|時《とき》を|移《うつ》さず|彼等《かれら》|一派《いつぱ》を|速《すみや》かに|獄《ごく》に|投《とう》じ、|而《しか》して|後《のち》ゆるゆるとお|調《しら》べにならば、|一切《いつさい》の|事実《じじつ》が|判然《はんぜん》する|事《こと》で|御座《ござ》いませう。|万一《まんいち》ベールの|報告《はうこく》にして|誤《あやま》りなりとせば、|之《これ》に|越《こ》したる|喜《よろこ》びは|御座《ござ》いませぬ。|兎《と》も|角《かく》も|彼等《かれら》を|捕縛《ほばく》し、|一時《いちじ》|投獄《とうごく》を|仰《あふ》せ|付《つ》けられるが|安全《あんぜん》で|御座《ござ》います。|此《この》|事《こと》をお|聞《き》き|下《くだ》さるならば、|妾《わらは》も|只今《ただいま》|限《かぎ》りウラル|教《けう》の|信仰《しんかう》を|捨《す》て、バラモン|教《けう》に|入信《にふしん》し、|王《わう》と|共《とも》に|神政《しんせい》に|仕《つか》へ|奉《まつ》るで|御座《ござ》いませう。|王様《わうさま》! |何卒《なにとぞ》|一刻《いつこく》の|猶予《いうよ》もなりませぬから、|早《はや》く|御英断《ごえいだん》をお|願《ねが》ひ|申《まを》します』
『そなたがバラモン|教《けう》に|帰順《きじゆん》してくれるのは|有難《ありがた》い。|第一《だいいち》|家内円満《かないゑんまん》の|曙光《しよくわう》を|認《みと》めた|様《やう》なものだ。|然《しか》し|乍《なが》らシルレング、ユーズに|限《かぎ》つて|左様《さやう》な|不都合《ふつがふ》な|事《こと》を|致《いた》すべき|道理《だうり》がない。|篤《とく》と|取調《とりしら》べた|上《うへ》、|改《あらた》めて|報告《はうこく》せよ。|吾《われ》も|亦《また》ゼム、エール、エームスに|命《めい》じて、|事《こと》の|実否《じつぴ》を|急々《きふきふ》|探《さぐ》らせ|見《み》む。|先《ま》づ|心《こころ》を|落《お》ち|付《つ》けよ』
|姫《ひめ》はワツとばかりに|泣《な》き|出《だ》し、|恨《うら》めしげに|王《わう》の|顔《かほ》を|見上《みあ》げながら、
『お|情《なさけ》ない|其《その》お|言葉《ことば》、|妾《わらは》の|申上《まをしあ》げた|事《こと》を|貴方《あなた》は|信用《しんよう》して|下《くだ》さいませぬか。ゼム、エール、エームスの|如《ごと》き|臣下《しんか》の|方《はう》を、|貴方《あなた》は|妾《わらは》よりも|幾層倍《いくそうばい》|御信任《ごしんにん》なさるのでせう。エーさうなれば|最早《もはや》|妾《わらは》は|是非《ぜひ》に|及《およ》ばぬ。|居《ゐ》ながら|王《わう》の|危難《きなん》を|見《み》るに|忍《しの》びませぬ。|此処《ここ》にて|自害《じがい》を|致《いた》します』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|隠《かく》し|持《も》つたる|懐剣《くわいけん》を|引《ひ》き|抜《ぬ》き、アワヤ|咽《のんど》につき|立《た》てむとする|姫《ひめ》の|狂言《きやうげん》を|王《わう》は|誠《まこと》と|信《しん》じ、|驚《おどろ》いて|座《ざ》を|起《た》ち、|姫《ひめ》の|手《て》をシツカと|握《にぎ》り、
『ヤレ|待《ま》て! ケールス|姫《ひめ》、|早《はや》まるな』
『イエイエ|妾《わらは》は|貴方《あなた》には|捨《す》てられ、|臣下《しんか》にはせめ|立《た》てられ、|此《この》|世《よ》に|生《い》きて|何《なん》の|望《のぞ》みもなく、ムザムザと|臣下《しんか》の|手《て》にかかつて|死恥《しにはぢ》を|〓《さら》さむよりも、|御身《おんみ》の|前《まへ》にて|潔《いさぎよ》く|咽《のど》を|突《つ》き|切《き》り|自害《じがい》を|致《いた》します。|何卒《どうぞ》|其《その》|手《て》をお|放《はな》し|下《くだ》さいませ』
と|泣《な》き|叫《さけ》ぶ。|王《わう》は|黙念《もくねん》として|居《ゐ》たりしが、|暫《しばら》くあつて|口《くち》を|開《ひら》き、
『|然《しか》らば|兎《と》も|角《かく》も、シルレング、ユーズの|件《けん》に|就《つい》ては|其方《そなた》に|一任《いちにん》する。|然《しか》し|乍《なが》ら|一切《いつさい》の|事情《じじやう》の|判明《はんめい》する|迄《まで》は、|決《けつ》して|成敗《せいばい》する|事《こと》はならぬぞ』
|姫《ひめ》は|此《この》|言葉《ことば》を|聞《き》いて、|私《ひそ》かに|舌《した》を|剥《む》き|出《だ》し|乍《なが》ら、|面《おもて》に|涙《なみだ》を|流《なが》しつつ、
『ハイ、|不束《ふつつか》な|妾《わらは》の|願《ねがひ》を|御聞《おき》き|届《とど》け|下《くだ》さいまして|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|然《しか》らばこれよりタールチンに|命《めい》じ、|彼等《かれら》を|獄《ごく》に|投《とう》じます。|就《つい》ては|彼等《かれら》の|罪状《ざいじやう》は|後《あと》で|篤《とつくり》と|取調《とりしら》べ、|御報告《ごはうこく》|申上《まをしあ》げまする』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|此《この》|場《ば》を|立《た》たむとするを、サガレン|王《わう》は、
『ケールス|姫《ひめ》、|暫《しばら》く|待《ま》ちや』
と|声《こゑ》をかけた。ケールス|姫《ひめ》は|後《あと》|振《ふ》り|返《かへ》り、
『|待《ま》てと|仰有《おつしや》るのは、|御心変《おこころがは》りがしたのでは|御座《ござ》りませぬか』
『イヤ|別《べつ》に|心変《こころがは》りは|致《いた》さぬ。|其方《そなた》は|今《いま》ウラル|教《けう》を|捨《す》てて、|只今《ただいま》|限《かぎ》りバラモン|教《けう》になると|云《い》つたであらう。それに|間違《まちが》ひはないか』
『|仰《あふ》せ|迄《まで》もなく、|一旦《いつたん》|申上《まをしあ》げた|事《こと》に|如何《どう》して|間違《まちが》ひが|御座《ござ》いませう』
『ウン、それなら|宜《い》い。|其方《そなた》がウラル|教《けう》を|捨《す》てた|以上《いじやう》は、|最早《もはや》|竜雲《りううん》は|本城《ほんじやう》に|必要《ひつえう》のない|男《をとこ》だ。|速《すみやか》に|退却《たいきやく》を|命《めい》ぜよ。|一刻《いつこく》も|置《お》く|事《こと》はならぬぞ』
『それは|余《あんま》り|急《きふ》な|御命令《ごめいれい》、|竜雲《りううん》にも|篤《とく》と|云《い》ひ|聞《き》かし、|得心《とくしん》をさせて|帰《かへ》さねばなりますまい。|仮令《たとへ》ウラル|教《けう》なればとて、|今《いま》の|今《いま》|迄《まで》|師匠《ししやう》と|仰《あふ》いだ|竜雲《りううん》に|対《たい》し、さう|素気《すげ》なくも|取扱《とりあつか》ふ|事《こと》は|出来《でき》ますまい』
『イヤ、|彼《かれ》こそ|吾《われ》に|対《たい》する|危険《きけん》|人物《じんぶつ》の|張本人《ちやうほんにん》だ。|早《はや》く|退却《たいきやく》を|命《めい》ぜよ』
『|一国《いつこく》の|王《わう》とならせ|給《たま》へる|御身《おんみ》を|以《もつ》て、|左様《さやう》な|無慈悲《むじひ》の|事《こと》を|仰《あふ》せられましては、|如何《どう》して|国民《こくみん》が|悦服《えつぷく》|致《いた》しませうか。そこは|円満《ゑんまん》に|因果《いんぐわ》を|含《ふく》めて|退却《たいきやく》を|命《めい》ずるが、|王《わう》の|為《ため》にも|最前《さいぜん》の|御道《おみち》だと|考《かんが》へます。|然《しか》し|乍《なが》ら|謀反人《むほんにん》の|計画《けいくわく》は、|時々刻々《じじこくこく》に|準備《じゆんび》が|整《ととの》ひますれば、|後《あと》に|至《いた》つて|臍《ほぞ》を|噛《か》むとも|及《およ》びませぬ。|兎《と》も|角《かく》タールチンを|呼《よ》び|出《だ》し、シルレング、ユーズの|両人《りやうにん》を|捕縛《ほばく》させませう』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|欣々《いそいそ》として、ベールを|伴《ともな》ひ|此《この》|場《ば》を|立《た》つて|行《ゆ》く。
|後《あと》に|王《わう》は|只《ただ》|一人《ひとり》|黙念《もくねん》として|差俯向《さしうつむ》き、|思案《しあん》に|暮《く》れて|居《ゐ》る。かかる|処《ところ》へゼム、エールの|両人《りやうにん》は、|足音《あしおと》|何《なん》となく|忙《いそが》しく|現《あら》はれ|来《きた》り、|恭《うやうや》しく|両手《りやうて》をつき、
ゼム『|恐《おそ》れ|乍《なが》ら|王《わう》に|申《まを》し|上《あ》げます。|竜雲《りううん》なるもの、|此《この》|頃《ごろ》の|挙動《きよどう》|何《なん》となく|怪《あや》しく、|一時《ひととき》も|早《はや》く|退却《たいきやく》を|命《めい》じ|給《たま》はずば、|如何《いか》なる|事《こと》を|仕出《しで》かすかも|分《わか》りませぬ|故《ゆゑ》、|何《なん》とか|御英断《ごえいだん》を|以《もつ》て|彼《かれ》を|放逐《はうちく》して|下《くだ》さいませ』
『ウン』
と|云《い》つたきり|又《また》|俯向《うつむ》いて|居《ゐ》る。
エール『サア|早《はや》く|何《なん》とか|御命令《ごめいれい》を|待《ま》ちまする。|彼《かれ》が|如《ごと》き|怪物《くわいぶつ》は|最早《もはや》|一刻《いつこく》も|此《この》|城内《じやうない》に|留《とど》め|置《お》かせられては|王《わう》の|為《ため》になりませぬ。|云《い》はば|暗剣殺《あんけんさつ》も|同様《どうやう》ですから、|吾々《われわれ》は|死《し》を|決《けつ》して|忠言《ちうげん》を|申上《まをしあ》げます』
|王《わう》『|竜雲《りううん》は|何《なに》かよくない|事《こと》を|計画《けいくわく》して|居《ゐ》るか』
エール『ハイ|確《たしか》にレール、キング、ベツトの|計画《けいくわく》を|立《た》てて|居《を》りますれば、|何卒《なにとぞ》|一時《いちじ》も|早《はや》く|本城《ほんじやう》より|放逐《はうちく》あらむ|事《こと》を|御願《おねが》ひ|申《まを》します』
|王《わう》『|竜雲《りううん》が|左様《さやう》な|不覊《ふき》を|企《たく》み|居《ゐ》ると|云《い》ふ|確《たしか》な|証拠《しようこ》がつかまつたのか』
エール『ハイ、これと|云《い》ふ|証拠《しようこ》は|御座《ござ》いませぬが、|吾々《われわれ》|一同《いちどう》の|考《かんが》へには、|如何《どう》しても|彼《かれ》の|面上《めんじやう》に|殺気《さつき》が|現《あら》はれて|居《を》ります。|一刻《いつこく》も|留《とど》めおかせらるべき|人物《じんぶつ》では|御座《ござ》いませぬ』
|王《わう》は『ウン』と|云《い》つたきり|又《また》もや|両手《りやうて》を|組《く》んで|俯向《うつむ》いて|居《ゐ》る。
そこへ|慌《あわただ》しく|入《い》り|来《きた》るは|以前《いぜん》のケールス|姫《ひめ》、ベールの|両人《りやうにん》である。
|姫《ひめ》はゼム、エールの|二人《ふたり》の|姿《すがた》が|王《わう》の|前《まへ》にあるを|見《み》て|大《おほい》に|怒《いか》り、|目《め》を|釣《つ》り|上《あ》げ|乍《なが》ら、
『|汝《なんぢ》は|奸佞邪智《かんねいじやち》の|大悪人《だいあくにん》、|城内《じやうない》の|秩序《ちつじよ》を|攪乱《かくらん》|致《いた》す|不忠者《ふちうもの》、|今宵《こよひ》の|中《うち》に|本城《ほんじやう》を|乗取《のりと》らむとする|憎《につく》き|曲者《くせもの》!』
と|呶鳴《どな》りつけられ、ゼム、エールの|二人《ふたり》は|案《あん》に|相違《さうゐ》の|姫《ひめ》の|言葉《ことば》に|呆《あき》れ|返《かへ》り、
ゼム『これは|又《また》|思《おも》ひも|寄《よ》らぬ|姫様《ひめさま》のお|言葉《ことば》、|何《なに》を|証拠《しようこ》に|左様《さやう》な|反逆者《はんぎやくしや》|呼《よ》ばはりをなされますか』
エール『|仮令《たとへ》|姫様《ひめさま》の|御言葉《おことば》なりとて|証拠《しようこ》もなき|其《その》|暴言《ばうげん》、|卑《いや》しき|臣下《しんか》なりとも|吾々《われわれ》は|聞《き》き|捨《ず》てはなりませぬ。|何《なに》を|証拠《しようこ》に|左様《さやう》な|事《こと》を|仰《あふ》せられますか』
|姫《ひめ》『|黙《だま》れ! |悪人《あくにん》|猛々《たけだけ》しとは|汝等《なんぢら》の|事《こと》、|汝《なんぢ》はシルレング、ユーズと|私《ひそ》かに|諜《しめ》し|合《あは》せ、レール、キング、ベツトの|計画《けいくわく》を|立《た》てて|居《を》つたであらう……|王様《わうさま》これも|一味《いちみ》の|奴原《やつばら》、|決《けつ》して|油断《ゆだん》はなりませぬ。|早《はや》く|投獄《とうごく》を|仰《あふ》せつけられます|様《やう》に……』
|王《わう》は|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》り、|稍《やや》|不機嫌《ふきげん》な|面持《おももち》にて|言葉《ことば》|鋭《するど》く|姫《ひめ》に|向《むか》ひ、
『ゼム、エールの|両人《りやうにん》は|予《よ》が|最《もつと》も|信任《しんにん》するもの、|両人《りやうにん》に|限《かぎ》つて|左様《さやう》な|不心得《ふこころえ》は|決《けつ》して|致《いた》すまい。|汝《なんぢ》は|居間《ゐま》に|帰《かへ》りて|休息《きうそく》|致《いた》せよ』
と|儼然《げんぜん》として|宣示《せんじ》した。|流石《さすが》のケールス|姫《ひめ》も|王《わう》の|一言《いちごん》には|返《かへ》す|言葉《ことば》もなく、|両人《りやうにん》を|睨《ね》めつけ|後《あと》に|心《こころ》を|残《のこ》しつつ|吾《わが》|居間《ゐま》さして|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・九・二一 旧八・一 北村隆光録)
第四章 |無法人《むはふにん》〔九九二〕
|神地《かうぢ》の|都《みやこ》に|程《ほど》|遠《とほ》からぬ、|青木ケ岡《あをきがをか》の|麓《ふもと》に|館《やかた》を|構《かま》へたタールチンの|奥座敷《おくざしき》には、|妻《つま》のキングス|姫《ひめ》と|共《とも》にヒソビソ|話《ばなし》が|始《はじ》まつて|居《ゐ》る。
タールチン『|何《なん》と|御館《おやかた》には|困《こま》つた|事《こと》が|出来《でき》て|来《き》たものぢやないか。ケールス|姫様《ひめさま》を|竜雲《りううん》の|奴《やつ》|巧《うま》く|取《と》り|込《こ》み、|横暴《わうぼう》|日《ひ》に|夜《よ》に|募《つの》り、サガレン|王様《わうさま》を|見《み》る|事《こと》|恰《あだか》も|配下《はいか》の|如《ごと》き|態度《たいど》である。|此《この》|儘《まま》に|放任《はうにん》しおかば、|神地城《かうぢじやう》も、シロの|国《くに》も|木端微塵《こつぱみぢん》、|滅茶《めつちや》|苦茶《くちや》に|瓦解《ぐわかい》し|大騒乱《だいさうらん》をかもすは、|火《ひ》を|見《み》るよりも|明《あきら》かであらう。|今《いま》にして|何《なん》とか|能《よ》き|手段《しゆだん》を|廻《めぐ》らし、|彼《か》の|怪物《くわいぶつ》を|排除《はいじよ》せなくては、|王《わう》さまの|御身辺《ごしんぺん》も|案《あん》じやられる。|何《な》んとかそなたに|良《よ》い|考《かんが》へはなからうかな』
キングス|姫《ひめ》『|本当《ほんたう》に|困《こま》つた|事《こと》が|出来《でき》て|来《き》ました。バラモン|教《けう》を|以《もつ》て|民《たみ》を|治《をさ》むる|此《この》|御国《みくに》へ、|宗旨《しうし》の|違《ちが》つたウラル|教《けう》を|植《う》ゑ|付《つ》けられては、|到底《たうてい》|紛乱《ふんらん》の|絶《た》える|間《ま》は|御座《ござ》いますまい。それに|付《つ》けても、|竜雲《りううん》の|悪僧《あくそう》、|千変万化《せんぺんばんくわ》の|妖術《えうじゆつ》を|使《つか》ひ、ケールス|姫様《ひめさま》の|心《こころ》を|奪《うば》ひ、|今《いま》は|誰《たれ》|恐《おそ》るるものもなく、|無法《むはふ》の|限《かぎ》りを|尽《つく》す|憎《につく》き|奴《やつ》で|厶《ござ》います。|何《な》んとか|之《これ》は|致《いた》さねばなりますまい』
『あの|忠良《ちうりやう》なるシルレング、ユーズなども|竜雲《りううん》のために|獄《ごく》に|投《とう》ぜられ、|今《いま》は|無辜《むこ》の|罪《つみ》に|悩《なや》んでゐる。どうかして|之《これ》を|救《すく》ひ|出《だ》さむと、|千苦万慮《せんくばんりよ》すれ|共《ども》、ケールス|姫《ひめ》の|疑《うたが》ひ|深《ふか》く、|竜雲《りううん》の|勢《いきほ》ひ|侮《あなど》る|可《べか》らず。|吾々《われわれ》|左守《さもり》の|神《かみ》としても、|之《これ》を|如何《いかん》ともする|事《こと》が|出来《でき》ないのは、|時世時節《ときよじせつ》とはいひ|乍《なが》ら|実《じつ》に|残念《ざんねん》な|事《こと》である。|此《この》|儘《まま》にしておけば|善人《ぜんにん》は|悉《ことごと》く|竜雲《りううん》の|毒舌《どくぜつ》にかかり、|残《のこ》らず|亡《ほろ》ぼされ、|悪人《あくにん》のみ|跋扈跳梁《ばつこてうりやう》して、|遂《つひ》には|竜雲《りううん》は|如何《いか》なることを|仕出《しで》かすかも|知《し》れない。|彼《かれ》は|決《けつ》して、|現在《げんざい》の|地位《ちゐ》に|甘《あま》んずる|者《もの》ではない。|野心《やしん》|満々《まんまん》たる|怪物《くわいぶつ》であるから|先《ま》づ|大樹《たいじゆ》を|切《き》るに|先立《さきだ》ち|其《その》|枝《えだ》を|切《き》る|如《ごと》く、|吾等《われら》も|何時《いつ》|如何《いか》なる|運命《うんめい》に|陥《おと》し|入《い》れらるるやも|計《はか》り|難《がた》い。|彼《かれ》を|誅伐《ちうばつ》するは、|今《いま》を|措《お》いて|他《た》にある|可《べか》らず、どうだキングス|姫《ひめ》、そなたは|竜雲《りううん》より|艶書《えんしよ》を|受取《うけと》つたさうぢやなア』
キングス|姫《ひめ》は|夫《をつと》の|言葉《ことば》にやや|顔《かほ》を|赤《あか》らめ、
『ハイ、|仰《あふ》せの|通《とほ》りで|御座《ござ》います。|余《あま》りの|事《こと》で|申上《まをしあ》げやうもなく、|心《こころ》の|内《うち》にて|大変《たいへん》に|煩悶《はんもん》|致《いた》して|居《を》りました。|併《しか》し|乍《なが》ら、あなた|様《さま》が|御存《ごぞん》じの|上《うへ》は|何《なに》をか|隠《かく》しませう。|之《これ》を|御覧《ごらん》|下《くだ》さいませ』
と|差出《さしだ》す|一通《いつつう》の|艶書《えんしよ》、タールチンは|手早《てばや》く|受取《うけと》り、|押開《おしひら》いて|読《よ》み|下《くだ》せば|左《さ》の|通《とほ》りである。
『|竜雲《りううん》よりキングス|姫《ひめ》に|私《ひそ》かに|此《こ》の|手紙《てがみ》を|差上《さしあ》げる。|此《こ》の|手紙《てがみ》を|夫《をつと》にお|見《み》せになる|様《やう》なことがあらば、|貴女《あなた》の|生命《いのち》はなくなりますぞ。|又《また》|決《けつ》して|他言《たごん》はなりませぬ。|竜雲《りううん》は|貴女《あなた》の|御登場《ごとうじやう》の|際《さい》、|一目《ひとめ》お|姿《すがた》を|拝《はい》してより、|恋慕《れんぼ》の|心《こころ》|禁《きん》じ|難《がた》く、|朝夕《てうせき》|煩悶《はんもん》の|鬼《おに》に|捉《とら》へられ、|青息吐息《あをいきといき》をついて|居《を》ります。|就《つい》ては|竜雲《りううん》は|近《ちか》き|将来《しやうらい》に|於《おい》て|或《ある》|目的《もくてき》を|達《たつ》し、シロの|島国《しまぐに》のキングと|相成《あひな》る|考《かんが》へなれば、|今《いま》の|内《うち》に|夫《をつと》を|棄《す》て、|表面《へうめん》|独身《どくしん》を|装《よそほ》ひ、|竜雲《りううん》の|隠《かく》し|妻《つま》となつて|貰《もら》ひたい。|又《また》あなたの|御願《おねがひ》とあれば、タールチンを|従前《じうぜん》の|如《ごと》く|重《おも》く|用《もち》ゐるであらう。|貴女《あなた》の|一身《いつしん》の|浮沈《ふちん》、|夫《をつと》の|存亡《そんばう》に|関《くわん》する|一大事《いちだいじ》ですから、|何卒《なにとぞ》|色好《いろよ》き|返詞《へんじ》を|賜《たま》はり|度《た》く、|指折《ゆびを》り|数《かぞ》へて、|貴女《あなた》の|御返詞《ごへんじ》を|待《ま》つて|居《を》ります。|左様《さやう》なら……』
と|書《か》き|記《しる》してあつた。タールチンはニツコと|笑《わら》ひ、
『アハヽヽヽ、|馬鹿《ばか》な|奴《やつ》だなア。|之《これ》さへあれば、|面白《おもしろ》い、どんな|計略《けいりやく》でも|出来《でき》るであらう……コレ、キングス|姫《ひめ》……』
と|側近《そばちか》く|耳《みみ》に|口《くち》を|寄《よ》せ、|何事《なにごと》か|囁《ささや》けば、キングス|姫《ひめ》は|莞爾《くわんじ》として|打諾《うちうなづ》き、
『|仰《あふ》せに|従《したが》ひ|美事《みごと》|成功《せいこう》させて|見《み》せませう』
と|稍《やや》|確信《かくしん》あるものの|如《ごと》く|肯《うなづ》いた。
それより|二日目《ふつかめ》の|夕方《ゆふがた》、|竜雲《りううん》の|側《そば》へキングス|姫《ひめ》の|手紙《てがみ》がそツと|届《とど》いた。|竜雲《りううん》は|願望《ぐわんまう》|成就《じやうじゆ》と|打喜《うちよろこ》び|乍《なが》ら|封《ふう》|押切《おしき》つてよくよく|見《み》れば、|左《さ》の|如《ごと》き|文面《ぶんめん》が|記《しる》してある。
『|竜雲《りううん》さま、|妾《わらは》のやうな|不束《ふつつか》な|女《をんな》に、|神力《しんりき》|無双《むさう》の|生神《いきがみ》さまより、|懇切《こんせつ》なる|御手紙《おてがみ》を|頂《いただ》きましたことは、|妾《わらは》|身《み》に|取《と》つて|一生《いつしやう》の|光栄《くわうえい》で|御座《ござ》います。|早速《さつそく》|御返詞《ごへんじ》を|申上《まをしあ》げたいと|存《ぞん》じて|居《を》りましたが、|何《なに》を|云《い》つても、|夫《をつと》ある|身《み》の|上《うへ》、|御返詞《ごへんじ》を|書《か》きます|暇《いとま》もなく、やうやう|今日《こんにち》、|夫《をつと》タールチンが|小糸《こいと》の|館《やかた》に|参《まゐ》りました|不在中《ふざいちゆう》を|幸《さいは》ひ、|此《この》|手紙《てがみ》を|認《したた》めました。|夫《をつと》は|四五日《しごにち》|帰《かへ》りますまい。|就《つ》いては|詳《くは》しき|御話《おはな》しを|承《うけたま》はりたく、|又《また》|妾《わらは》の|心《こころ》の|中《うち》も|申上《まをしあ》げたう|御座《ござ》いますから、どうぞ|藤《ふじ》の|森《もり》の|森林《しんりん》|迄《まで》、|万障《ばんしやう》|繰合《くりあは》はせ、|明後晩《みやうごばん》|御越《おこ》し|下《くだ》さいませぬか。もしも|御越《おこ》し|下《くだ》さることならば、|此《この》|使《つかひ》に|厳封《げんぷう》して、|返詞《へんじ》の|御手紙《おてがみ》を|頂《いただ》きたう|御座《ござ》います。|吾《わが》|家《や》にてお|目《め》にかかるのはいと|易《やす》き|事《こと》なれ|共《ども》、|数多《あまた》の|人々《ひとびと》の|出入《しゆつにふ》|多《おほ》く、|且《か》つ|夫《をつと》の|不在中《ふざいちゆう》にあなたと|御話《おはな》しをしてゐたと|言《い》はれては、|世間体《せけんてい》も|何《なん》となく|面白《おもしろ》からず|存《ぞん》じます|故《ゆゑ》、|何卒《なにとぞ》|藤《ふぢ》の|森《もり》の|頂上《いただき》まで|御足労《ごそくらう》を、|強《た》つて|御願《おねがひ》|申上《まをしあ》げたう|御座《ござ》います』
と|記《しる》しあるを|見《み》て|竜雲《りううん》は|大《おほ》いに|喜《よろこ》び、|直《ただ》ちに|返書《へんしよ》を|認《したた》め、|使《つかひ》の|男《をとこ》に|渡《わた》した。
タールチンは|藤《ふぢ》の|森《もり》の|或《ある》|処《ところ》に|陥穽《おとしあな》を|掘《ほ》り、|其《その》|上《うへ》に|落葉《おちば》を|沢山《たくさん》に|被《かぶ》せ、|竜雲《りううん》の|来《きた》るを|今《いま》や|遅《おそ》しと|木《こ》かげに|潜《ひそ》んで|待《ま》つてゐた。
|竜雲《りううん》は|斯《か》かる|企《たく》みのあるとは|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|神《かみ》ならぬ|身《み》の|悲《かな》しさ、|得意然《とくいぜん》として、|城内《じやうない》をソツと|脱《ぬ》け|出《い》で|面部《めんぶ》を|深《ふか》く|包《つつ》み、|藤《ふぢ》の|森《もり》の|頂《いただ》きさして、|月《つき》|照《て》る|山路《やまみち》を|登《のぼ》つて|行《ゆ》く。
|細《ほそ》い|路《みち》の|中央《まんなか》に|深《ふか》き|陥穽《おとしあな》のあるのも|知《し》らず、|悠々《いういう》として、キングス|姫《ひめ》に|会《あ》はむと|登《のぼ》り|行《ゆ》く|途端《とたん》、|踏《ふ》み|外《はづ》して、|陥穽《おとしあな》にバツサリと|落込《おちこ》んで|了《しま》つた。タールチンは|物《もの》をも|言《い》はず、|土《つち》をかきあつめ、|陥穽《おとしあな》を|埋《うづ》めて|素知《そし》らぬ|顔《かほ》して|吾《わが》|家《や》を|指《さ》して|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|此《この》|時《とき》エームスは|藤《ふぢ》の|森《もり》の|山上《さんじやう》に|月《つき》を|賞《しやう》しつつ、|二三《にさん》の|部下《ぶか》と|共《とも》に|登《のぼ》つて|居《ゐ》たが、|夜中頃《よなかごろ》|帰《かへ》りに|就《つ》き、|知《し》らず|知《し》らずに|其《その》|陥穽《おとしあな》を|踏《ふ》み|外《はづ》し、|自分《じぶん》も|亦《また》それに|陥《おちい》つた。されど|俄《にはか》に|柔《やはら》かき|土《つち》を|以《もつ》て|埋《うづ》めたることとて|引《ひき》ならしたる|土《つち》も|四五尺《しごしやく》|許《ばか》りゴソツと|落込《おちこ》んで|了《しま》つた。|其《その》|時《とき》|何《なん》だか、|足許《あしもと》に|暖《あたた》かい|毛《け》のやうな|物《もの》が|触《さは》つた|様《やう》な|感《かん》じがした。エームスは|二三《にさん》の|部下《ぶか》と|共《とも》に、|鋤鍬《すきくは》を|吾《わが》|館《やかた》より|持《も》ち|来《きた》らせ、|汗《あせ》をタラタラ|流《なが》し|乍《なが》ら、|何人《なにびと》か|生埋《いきう》めにされて|居《を》るならむ、|救《すく》ひ|与《あた》へむと、|一生懸命《いつしよけんめい》に|土《つち》を|掘《ほ》り|上《あ》げ、|救《すく》ひ|出《だ》して|見《み》れば|豈計《あにはか》らむや、|日頃《ひごろ》|城中《じやうちう》に|暴威《ばうゐ》を|振《ふる》ふウラル|教《けう》の|竜雲《りううん》なりとは。エームスは|心《こころ》の|内《うち》にて……あゝ|失敗《しま》つた|奴《やつ》を|助《たす》けたものだ、こんな|事《こと》なら、|救《すく》ひ|出《だ》すぢやなかつたに……と|後悔《こうくわい》すれ|共《ども》、|最早《もはや》|及《およ》ばなかつた。
|竜雲《りううん》は|救《すく》ひ|出《だ》されて、
『|危《あやふ》い|所《ところ》を|助《たす》けてくれた、|恩人《おんじん》は|何人《なにびと》なりや?』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|顔《かほ》を|覗《のぞ》き|込《こ》み、
『アヽお|前《まへ》はエームスか、|能《よ》くマア|助《たす》けて|呉《く》れた。|何《いづ》れ|帰城《きじやう》の|上《うへ》、|何分《なにぶん》の|沙汰《さた》を|致《いた》すから、|何処《どこ》へも|行《ゆ》かず|待《ま》つて|居《ゐ》て|呉《く》れよ』
と|云《い》ひ|捨《す》て、|早々《さうさう》|藤《ふぢ》の|森《もり》の|岡《をか》を|下《くだ》りて|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
○
エームスはサール|外《ほか》|二人《ふたり》の|部下《ぶか》と|共《とも》に、|竜雲《りううん》の|居間《ゐま》に、|稍《やや》|不安《ふあん》の|念《ねん》に|駆《か》られ|乍《なが》ら、|生命《いのち》を|助《たす》けてやつたのだから、|決《けつ》して|不足《ふそく》は|云《い》はうまい、|何《なに》かキツと|詞《ことば》の|礼《れい》|位《くらゐ》は|云《い》ふのだらうと、|腹《はら》をきめてやつて|来《き》たのである。
|竜雲《りううん》は|心《こころ》の|内《うち》にて、エームスの|吾《わが》|生命《いのち》を|救《すく》つて|呉《く》れた|事《こと》に|就《つ》いては|好感情《かうかんじやう》を|持《も》つて|居《ゐ》た。されどエームスはサガレン|王《わう》の|右守《うもり》の|神《かみ》として|声名《せいめい》あり、|且《か》つバラモン|教《けう》の|熱心《ねつしん》なる|信者《しんじや》であつて、|常《つね》に|自分《じぶん》の|目《め》の|上《うへ》の|瘤《こぶ》として|憎《にく》んでゐた。それ|故《ゆゑ》|竜雲《りううん》は|此《この》|機《き》を|逸《いつ》せず、|自分《じぶん》の|目的《もくてき》の|妨害《ばうがい》になる|者《もの》は|善悪《ぜんあく》に|係《かかは》らず、|何《いづ》れ|亡《ほろぼ》さねば|止《や》まぬと|云《い》ふ|悪心《あくしん》を|発揮《はつき》し、|言葉《ことば》|厳《おごそ》かにエームスに|向《むか》つていふ。
『|昨夜《さくや》は|危《あやふ》き|生命《いのち》を|助《たす》けられ、|其《その》|段《だん》は|竜雲《りううん》にとつても|感謝《かんしや》する|次第《しだい》である。さり|乍《なが》ら|汝等《なんぢら》は、タールチン、キングス|姫《ひめ》|等《ら》と|諜《しめ》し|合《あは》せ、|此《この》|竜雲《りううん》を|始《はじ》め、ケールス|姫《ひめ》、サガレン|王《わう》をレース、ベツトせむとの|野心《やしん》を|抱《いだ》く|者《もの》たる|事《こと》は、|歴然《れきぜん》たる|事実《じじつ》であれば|見《み》せしめの|為《ため》、|汝《なんぢ》を|反逆罪《はんぎやくざい》に|定《さだ》むるに|依《よ》つて、さう|覚悟《かくご》を|致《いた》したが|宜《よ》からう』
と|儼然《げんぜん》として|言《い》ひ|渡《わた》したるにぞ、エームスは|案《あん》に|相違《さうゐ》の|竜雲《りううん》の|言葉《ことば》に|呆《あき》れ|返《かへ》り、
『|吾々《われわれ》を|反逆者《はんぎやくしや》とは|何《なに》を|証拠《しようこ》に|仰《あふ》せらるるや。|人命《じんめい》を|救助《きうじよ》し|乍《なが》ら、|思《おも》ひもよらぬ|冤罪《ゑんざい》に|問《と》はるるとは|前代未聞《ぜんだいみもん》の|事《こと》で|御座《ござ》る。|竜雲《りううん》|殿《どの》は|狂気《きやうき》めされたのではあるまいか』
と|気色《けしき》ばんで|詰《つ》めよるを、|竜雲《りううん》は|冷然《れいぜん》として|聞流《ききなが》し、ワザと|作《つく》り|笑《わら》ひをし|乍《なが》ら、
『アハヽヽヽ、|能《よ》くもマア|白《しら》ばくれたものだなア。|其《その》|弁解《べんかい》は|後《のち》にゆつくり|聞《き》かう……ヤアヤア|者共《ものども》、|反逆人《はんぎやくにん》のエームスを|早《はや》く|縛《しば》り|上《あ》げ、|獄《ごく》に|投《とう》ぜよ!』
と|呼《よ》ばはつた。かねて|待構《まちかま》へたる|数名《すうめい》の|捕手《とりて》は、|有無《うむ》を|言《い》はせずエームスを|引捕《ひきとら》へ、|直《ただ》ちに|暗黒《あんこく》なる|獄屋《ごくや》に|無理無体《むりむたい》に|投込《なげこ》んで|了《しま》つた。
|竜雲《りううん》とケールス|姫《ひめ》の|命令《めいれい》にて、タールチン、キングス|姫《ひめ》も|亦《また》|同《おな》じ|運命《うんめい》の|下《もと》に|捉《とら》へられ、|獄舎《ごくしや》に|呻吟《しんぎん》する|身《み》の|上《うへ》となつて|了《しま》つたのである。
サールは|僅《わづか》に|身《み》を|以《もつ》て|此《この》|場《ば》を|逃《のが》れ|直《ただ》ちにゼム、エールの|館《やかた》に|駆《か》け|至《いた》つて、|其《その》|実状《じつじやう》を|一々《いちいち》|報告《はうこく》した。ゼム、エールはサールと|共《とも》に、|時《とき》をうつさずサガレン|王《わう》の|館《やかた》に|参《まゐ》り、|竜雲《りううん》が|暴状《ばうじやう》を|陳奏《ちんそう》した。サガレン|王《わう》は|大《おほい》に|驚《おどろ》き、|直《ただ》ちに|侍臣《じしん》をしてケールス|姫《ひめ》、|竜雲《りううん》を|召《め》し|出《い》だした。
|竜雲《りううん》、ケールス|姫《ひめ》の|二人《ふたり》は|予《かね》て|覚悟《かくご》の|事《こと》とて、|驚《おどろ》きたる|色《いろ》もなく、|悠々《いういう》として|入《い》り|来《きた》り、
|姫《ひめ》『|今《いま》お|呼《よ》びになつたのは、|如何《いか》なる|御用《ごよう》で|御座《ござ》いますか』
サガレン|王《わう》は|目《め》をしば|叩《たた》き、
『ケールス|姫《ひめ》!』
と|言《ことば》を|強《つよ》め|乍《なが》ら、
『|其《その》|方《はう》は|左守《さもり》の|神《かみ》、タールチン|夫婦《ふうふ》を|始《はじ》め、エームスを|獄《ごく》に|投《とう》じたのは|如何《いか》なる|罪《つみ》あつての|事《こと》か、|一応《いちおう》|吾《われ》の|裁断《さいだん》を|得《え》た|上《うへ》にて|決行《けつかう》|致《いた》すべきものなるに、|汝《なんぢ》|一了簡《いちりやうけん》を|以《もつ》て、|斯《か》かる|重臣《ぢゆうしん》を|徒《いたづら》に|投《とう》ずるは|不届《ふとど》きならずや。|又《また》|汝《なんぢ》はウラル|教《けう》を|捨《す》て、|竜雲《りううん》を|放逐《はうちく》すると、|吾《われ》に|誓《ちか》ひながら、|相変《あひかは》らず|竜雲《りううん》を|側近《そばちか》く|招《まね》き、|種々《しゆじゆ》|良《よ》からぬ|計画《けいくわく》をなすとは、|言語道断《ごんごどうだん》の|行方《やりかた》、|今日《こんにち》より|汝《なんぢ》を|始《はじ》め|竜雲《りううん》の|両人《りやうにん》を|放逐《はうちく》いたす、サア|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》れ!』
と|怒髪天《どはつてん》を|衝《つ》いて|呶鳴《どな》り|立《た》てたれば、|竜雲《りううん》はケールス|姫《ひめ》に|目配《めくば》せし、
|竜雲《りううん》『|苟《いやし》くも|王者《わうじや》の|身《み》を|以《もつ》て|斯《か》くの|如《ごと》き|暴言《ばうげん》を|吐《は》き|玉《たま》ふは、|普通《ふつう》の|精神《せいしん》に|非《あら》ざるべし。|王《わう》には|発狂《はつきやう》の|兆《てう》あり、|否《いな》|既《すで》に|発狂《はつきやう》し|居《を》れり。|早《はや》く|座敷牢《ざしきらう》に|入《い》れまつり、|御摂養《ごせつやう》を|遊《あそ》ばさねば、|此《この》|上《うへ》|病勢《びやうせい》|募《つの》る|時《とき》は、|第一《だいいち》|本城《ほんじやう》の|為《ため》には|不幸《ふかう》|此《この》|上《うへ》なく、|国民《こくみん》の|迷惑《めいわく》は|一方《ひとかた》ならざるべし。ケールス|姫殿《ひめどの》、|如何《いかが》|遊《あそ》ばす|御考《おかんが》へなりや』
ケールス|姫《ひめ》は|黙《だま》つて|俯《うつむ》いてゐる。サガレン|王《わう》は|益々《ますます》|怒《いか》り、
『|汝《なんぢ》|竜雲《りううん》、|吾《われ》に|向《むか》つて|発狂《はつきやう》とは|何事《なにごと》ぞ。|手打《てう》ちに|致《いた》して|呉《く》れむ』
と|大刀《だいたう》をスラリと|引抜《ひきぬ》き、|斬《き》つてかからむとす。|数多《あまた》の|近従《きんじう》は|王《わう》の|背後《はいご》よりムンヅと|許《ばか》り|抱《だ》き|止《と》めた。|竜雲《りううん》は|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
『|王《わう》さまは|御病気《ごびやうき》におはしませば、|御全快《ごぜんくわい》|遊《あそ》ばすまで、|座敷牢《ざしきらう》にお|隠《かく》し|申《まを》せよ』
と|下知《げち》する。ケールス|姫《ひめ》は|何《なん》とも|云《い》はず、|首《くび》を|垂《た》れて、サガレン|王《わう》に|顔《かほ》を|見《み》せぬやうに|努《つと》めてゐる。
|其《その》|間《あひだ》に|憐《あは》れや|王《わう》は|竜雲《りううん》の|腹心《ふくしん》の|部下《ぶか》の|為《ため》に、|発狂《はつきやう》ならざる|身《み》を|発狂者《はつきやうしや》として|一室《いつしつ》に|監禁《かんきん》さるる|事《こと》となつて|了《しま》つたのである。
(大正一一・九・二一 旧八・一 松村真澄録)
此日風強く雨さへ降り来り頗る冷気を覚ゆ
第五章 バリーの|館《やかた》〔九九三〕
|竜雲《りううん》は、サガレン|王《わう》を|発狂者《はつきやうしや》として|幽閉《いうへい》し、|左守神《さもりのかみ》のタールチン|夫婦《ふうふ》を|初《はじ》め、|右守神《うもりのかみ》のエームス、ゼム、エール、シルレング、ユーズ|等《ら》のバラモン|教《けう》|信者《しんじや》にして|王《わう》に|誠忠《せいちう》なる|人物《じんぶつ》を|残《のこ》らず|獄《ごく》に|投《とう》じたれば、|今《いま》は|誰《たれ》|憚《はばか》る|者《もの》もなく、ケールス|姫《ひめ》と|共《とも》に|国王《こくわう》|気取《きど》りになつて、|益々《ますます》|傍若無人《ばうじやくぶじん》の|行動《かうどう》をなし、|悪逆《あくぎやく》|日《ひ》に|増長《ぞうちよう》して、|怨嗟《ゑんさ》の|声《こゑ》は|国内《こくない》に|轟《とどろ》き|渡《わた》る|事《こと》となつた。|竜雲《りううん》も|遉《さすが》は|人心《じんしん》の|向背《かうはい》|如何《いかん》を|顧《かへり》み、|公然《こうぜん》|王《わう》と|名乗《なのり》る|事《こと》をなさず、ケールス|姫《ひめ》を|表《おもて》に|立《た》て、|自分《じぶん》は|黒幕《くろまく》となつて|国政《こくせい》を|掌握《しやうあく》し、ケリヤを|左守神《さもりのかみ》とし、ハルマを|右守神《うもりのかみ》となし、ベール、メール、ヨールの|三人《さんにん》を|抜擢《ばつてき》して|重要《ぢゆうえう》なる|位置《ゐち》に|据《す》ゑ、|日夜《にちや》、|茗宴《めいえん》に|耽《ふけ》り、|放埒不覊《はうらつふき》の|生活《せいくわつ》を|送《おく》りつつあつた。
さうしてサール、アナン、セール、ウインチなぞの|正義派《せいぎは》を|盡《ことごと》く|捕《とら》へて|獄《ごく》に|投《とう》ぜむと、|部下《ぶか》を|四方《しはう》に|派《は》して|捜索《そうさく》し|初《はじ》めた。されど|四人《よにん》は、|早《はや》くも|姿《すがた》をかくし、バリーの|山中《さんちう》に|隠《かく》れ、|数多《あまた》の|正《ただ》しき|王《わう》の|部下《ぶか》を|集《あつ》めて、|竜雲《りううん》を|滅《ほろ》ぼし、|王《わう》をして|再《ふたた》び|元《もと》の|地位《ちゐ》に|立《た》たせむと|企劃《きくわく》しつつあつた。さうして、タールチン|以下《いか》の|冥窓《めいそう》に|苦《くる》しむ|人々《ひとびと》を|一日《いちにち》も|早《はや》く|救《すく》ひ|出《だ》さむと、|昼夜《ちうや》|肝胆《かんたん》を|砕《くだ》きつつあつたのである。
|竜雲《りううん》は|秘蔵《ひざう》の|弟子《でし》と|頼《たの》みたるテーリスをして|牢獄《ろうごく》の|番人頭《ばんにんがしら》となし、|一同《いちどう》の|動静《どうせい》を|監視《かんし》せしめつつあつた。されど|此《この》テーリスは|最《もつと》も|思慮《しりよ》|深《ふか》き|人物《じんぶつ》にして、サガレン|王《わう》の|今日《こんにち》の|境遇《きやうぐう》を|予知《よち》し|居《ゐ》たれば、|初《はじ》めよりケールス|姫《ひめ》、|竜雲《りううん》に|取《と》り|入《い》り、|絶対的《ぜつたいてき》の|信任《しんにん》を|受《う》けて|居《ゐ》た。それ|故《ゆゑ》に|竜雲《りううん》はテーリスを|抜擢《ばつてき》して|牢獄《ろうごく》を|守《まも》らしめ、これにて|大丈夫《だいぢやうぶ》と|安堵《あんど》の|胸《むね》を|撫《な》で|卸《おろ》しつつあつたのである。
バリーの|山奥《やまおく》には|巨大《きよだい》なる|岩窟《がんくつ》があつて、|中《なか》は|天然《てんねん》の|住家《すみか》となつて|居《ゐ》る。|此処《ここ》にサガレン|王《わう》に|忠実《ちうじつ》なる|人々《ひとびと》は|暫《しば》し|姿《すがた》を|隠《かく》し、|竜雲《りううん》|誅伐《ちうばつ》の|計画《けいくわく》を|廻《めぐ》らしつつあつた。
サールは|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
『|最早《もはや》|今日《こんにち》となつては、|竜雲《りううん》も|稍《やや》|安心《あんしん》の|胸《むね》を|撫《な》で|卸《おろ》し|気《き》を|許《ゆる》し|居《を》るならむ。|何《なん》とか|致《いた》して|夜襲《やしふ》を|試《こころ》み|彼《かれ》を|引《ひ》き|捕《とら》へ、|目《め》に|物《もの》|見《み》せてやらずば、|王様《わうさま》を|初《はじ》め|忠実《ちうじつ》なる|人々《ひとびと》の|身辺《しんぺん》は|刻々《こくこく》に|危険《きけん》|迫《せま》り、|呑臍《どんぜい》の|悔《くい》を|残《のこ》す|事《こと》あるべし。|如何《いか》にすれば|宜敷《よろし》からむや』
と|一同《いちどう》に|計《はか》れば、アナンは|進《すす》み|出《い》で、
『|先《ま》づ|第一《だいいち》にタールチン|以下《いか》を|救《すく》ひ|出《だ》し、|短兵急《たんぺいきふ》に|攻《せ》め|寄《よ》せて|竜雲《りううん》を|奪《うば》ひとり、|徐《おもむろ》にケールス|姫《ひめ》の|御改心《ごかいしん》を|願《ねが》ふをもつて|穏健《おんけん》なるやり|方《かた》と|考《かんが》へます。|漫《みだ》りに|人《ひと》を|殺《ころ》すは|天《てん》の|許《ゆる》さざる|処《ところ》、|止《や》むを|得《え》ざれば|彼《かれ》を|誅伐《ちうばつ》するも|詮《せん》なけれど、|成《な》らう|事《こと》なら|一旦《いつたん》|彼《かれ》を|捕縛《ほばく》して|改心《かいしん》をせまり、どうしても|聞《き》かざれば|其《その》|時《とき》の|手段《しゆだん》に|致《いた》さうでは|御座《ござ》らぬか』
ウインチ『この|期《ご》に|及《およ》んで、そんな|手緩《てぬる》き|事《こと》はして|居《を》られますまい。|斯《かく》の|如《ごと》く|忠臣《ちうしん》|義士《ぎし》の|集《あつ》まりし|上《うへ》からは、|一挙《いつきよ》に|攻《せ》めよせ|竜雲《りううん》を|滅《ほろぼ》し、|国家《こくか》の|為《た》め|害《がい》をのぞくに|如《し》くはありますまい』
セール『|先《ま》ず|第一《だいいち》に、タールチン、エームス|以下《いか》を|救《すく》ひ|出《だ》すのが|肝腎《かんじん》で|御座《ござ》らう。|併《しか》し|乍《なが》らこれは|容易《ようい》の|業《わざ》では|御座《ござ》らぬ。|皆《みな》さまは|何《なに》か|確信《かくしん》が|御座《ござ》いますかな』
アナン『|確《たしか》にあります。テーリスと|内外《ないぐわい》|相応《あひおう》じ、|先《ま》づ|彼《かれ》をして|時《とき》を|窺《うかが》ひタールチン|以下《いか》を|救《すく》ひ|出《だ》さしめ、それを|機会《きくわい》に|攻《せ》め|寄《よ》せなば|易々《いい》たる|業《わざ》で|御座《ござ》らう』
ウインチ『|何《なに》を|云《い》うても|名利《めいり》に|走《はし》る|世《よ》の|中《なか》、|悪《あく》に|従《したが》ふものは|大多数《だいたすう》、|吾等《われら》は|寡《くわ》をもつて|衆《しう》に|当《あた》る|事《こと》なれば、|余《あま》り|楽観《らくくわん》は|出来《でき》|申《まを》さぬ。|又《また》テーリスは|竜雲《りううん》の|股肱《ここう》と|頼《たの》む|大《だい》の|味方《みかた》、さう|註文《ちうもん》|通《どほ》り|彼《かれ》が|返《かへ》り|忠《ちう》を|致《いた》す|気遣《きづか》ひもありますまい』
アナン『|決《けつ》して|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》は|御無用《ごむよう》で|御座《ござ》る。テーリスは|今日《こんにち》ある|事《こと》を|予知《よち》し、わざと|竜雲《りううん》の|喉下《のどもと》に|這入《はい》り、|甘《うま》く|彼《かれ》が|股肱《ここう》となつた|者《もの》|故《ゆゑ》、|牢獄《ろうごく》の|監督《かんとく》を|命《めい》じたので|御座《ござ》います。きつとテーリスは|吾々《われわれ》の|至《いた》るを|待《ま》つて|居《を》るでせう』
ウインチ『|果《はた》して|夫《そ》れが|真《しん》なりとすれば、|実《じつ》に|此《この》|上《うへ》なき|好都合《かうつがふ》で|御座《ござ》る。|何《なん》とか|彼《かれ》に|面会《めんくわい》する|機会《きくわい》は|御座《ござ》るまいかなア』
アナンはニツコと|笑《わら》ひ、
『|沢山《たくさん》に|手段《しゆだん》は|御座《ござ》る。|先《ま》づ|御一同《ごいちどう》が|夜討《ようち》の|計画《けいくわく》を|整《ととの》へられた|上《うへ》、|私《わたし》は|神地城《かうぢじやう》|近《ちか》く|進《すす》み|入《い》り、|態《わざ》と|竜雲《りううん》の|部下《ぶか》に|捕《とら》へられ、|入牢《にふらう》してテーリスに|遇《あ》ひ、この|計画《けいくわく》を|窃《ひそか》に|示《しめ》し|合《あは》せ、|事《こと》を|計《はか》るで|御座《ござ》らう。|先《ま》ず|私《わたし》は|是《これ》より|神地《かうぢ》の|都《みやこ》|近《ちか》くに|進《すす》みませう。こちらの|方《はう》に|準備《じゆんび》が|整《ととの》へば|牢獄《ろうごく》の|近辺《きんぺん》に|夜《よる》|窃《ひそか》に|現《あら》はれて、|爆竹《ばくちく》の|合図《あひづ》をして|下《くだ》さい。さすれば|私《わたし》はテーリスと|共《とも》に、|内部《ないぶ》の|人々《ひとびと》を|牢獄《らうごく》より|放《はな》ちし|上《うへ》、|爆竹《ばくちく》をもつて|合図《あひづ》を|致《いた》しませう。その|音《おと》を|聞《き》くと|共《とも》に|表門《おもてもん》に|殺到《さつたう》されたし。|必《かなら》ず|内《うち》より|門《もん》を|開《ひら》き、|共《とも》に|共《とも》に|大活動《だいくわつどう》を|致《いた》しませう。これより|外《ほか》に|計略《けいりやく》はありませぬ』
サール『なる|程《ほど》|結構《けつこう》な|謀《はかりごと》ではありますが、|竜雲《りううん》も|亦《また》、|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|妖術《えうじゆつ》を|使《つか》ふ|奴《やつ》なれば、|吾々《われわれ》の|計略《けいりやく》を|前知《ぜんち》し|却《かへつ》て|敵《てき》に|計《はか》られ、|反対《はんたい》に|滅《ほろぼ》さるるやうな|事《こと》はありますまいかなア』
アナン『|決《けつ》して|左様《さやう》な|心配《しんぱい》は|入《い》りませぬ。|竜雲《りううん》は|些《すこ》しも|神通力《じんつうりき》はもつて|居《ゐ》ませぬ。もし、|果《はた》して|彼《かれ》に|神通力《じんつうりき》がありとすれば、テーリスの|心《こころ》を|看破《かんぱ》せずには|居《を》りますまい』
ウインチ、サール、セールは『|成程《なるほど》』と|打《う》ち|諾《うなづ》き、|思《おも》はず|知《し》らず『アハヽヽヽ』と|打《う》ち|笑《わら》ふ。
アナンは|門出《かどで》の|祝《いはひ》として|歌《うた》を|謡《うた》ふ。
『あゝ|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し |不倶戴天《ふぐたいてん》の|仇《あだ》を|討《う》ち
|君《きみ》を|助《たす》くる|時《とき》は|来《き》ぬ ウラルの|教《をしへ》の|竜雲《りううん》が
いつの|間《ま》にやら|錫蘭《シロ》の|島《しま》 |神地《かうぢ》の|都《みやこ》に|現《あら》はれて
|種々《いろいろ》|雑多《ざつた》と|計画《けいくわく》し ケールス|姫《ひめ》の|傍近《そばちか》く
|侍《はべ》りて|姫《ひめ》を|誑惑《けふわく》し |日《ひ》に|日《ひ》につのる|悪逆無道《あくぎやくむだう》
|左守神《さもりのかみ》のタールチン キングス|姫《ひめ》を|初《はじ》めとし
エームス、ユーズ、ゼム、エール シルレング|迄《まで》も|無残《むざん》にも
|牢獄《ひとや》の|中《なか》に|投《な》げ|込《こ》みて |自己《われ》に|従《したが》ふ|悪者《わるもの》を
|近《ちか》づけ|遂《つひ》に|野心《やしん》をば |遂行《すゐかう》せむと|朝夕《あさゆふ》に
よからぬ|事《こと》を|企《たく》みつつ サガレン|王《わう》を|幽閉《いうへい》し
|飛《と》ぶ|鳥《とり》さへも|落《おと》すよな その|勢《いきほひ》のすさまじく
|侮《あなど》り|難《がた》く|見《み》えにけり さはさりながら|天地《あめつち》の
|皇大神《すめおほかみ》はいかにして |此《この》|狂暴《きやうばう》を|許《ゆる》すべき
|天地《てんち》の|道理《だうり》に|背《そむ》きたる |曲《まが》の|司《つかさ》の|竜雲《りううん》を
|滅《ほろ》ぼしたまふ|時《とき》は|来《き》ぬ あゝ|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し
|精忠《せいちう》|無比《むひ》の|人々《ひとびと》は この|隠家《かくれや》に|集《あつ》まりて
|君《きみ》の|御為《おんため》|国《くに》の|為《ため》 |軍《いくさ》を|整《ととの》へ|神地城《かうぢじやう》
さして|堂々《だうだう》|進《すす》み|行《ゆ》く |天地《てんち》の|神《かみ》も|吾々《われわれ》が
|誠《まこと》を|諾《うべな》ひたまひつつ |太《ふと》き|功《いさを》を|永久《とこしへ》に
|立《た》てさせたまはむ|逸早《いちはや》く |準備《じゆんび》を|整《ととの》へ|曲神《まがかみ》を
|打《う》ち|平《たひら》げて|天ケ下《あめがした》 |四方《よも》の|民草《たみぐさ》|安《やす》らけく
いと|平《たひら》けく|治《をさ》むべし |吾《われ》はこれより|一走《ひとはし》り
|神地《かうぢ》の|都《みやこ》に|立《た》ち|向《むか》ひ |彼《か》の|竜雲《りううん》が|手下《てした》|等《ら》に
|甘《うま》く|捕《とら》はれ|入獄《にふごく》し テーリスさまに|廻《めぐ》り|遇《あ》ひ
すべての|計画《けいくわく》|打《う》ち|合《あは》せ サール、セールやウインチの
|神軍《しんぐん》|攻《せ》めて|来《きた》る|迄《まで》 |総《すべ》ての|準備《じゆんび》を|整《ととの》へむ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ
|忠義《ちうぎ》に|逸《はや》る|吾々《われわれ》が |願《ねが》ひを|漏《も》らさず|聞《きこ》し|召《め》せ
|神地《かうぢ》の|城《しろ》は|高《たか》くとも |周囲《めぐり》の|堀《ほり》は|深《ふか》くとも
|忠義《ちうぎ》|一途《いちづ》の|真心《まごころ》に |刃向《はむか》ふ|敵《てき》はよもあらじ
あゝ|勇《いさ》ましや|勇《いさ》ましや |君《きみ》を|助《たす》くる|時《とき》は|来《き》ぬ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |数多《あまた》の|正《ただ》しき|人々《ひとびと》よ
|後《あと》より|用意《ようい》を|整《ととの》へて |進《すす》んで|来《きた》れ|逸早《いちはや》く
|吾《われ》は|一先《ひとま》づ|立《た》ち|出《い》でむ |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》てわける |三五教《あななひけう》ではなけれども
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》す |神《かみ》の|心《こころ》に|顧《かへり》みて
|悪逆無道《あくぎやくむだう》の|竜雲《りううん》も |心《こころ》を|改《あらた》めまつろへば
|必《かなら》ず|命《いのち》は|助《たす》くべし いざいざさらばいざさらば
いづれも|無事《ぶじ》で|神軍《しんぐん》を |指揮《しき》して|後《あと》より|来《きた》りませ』
と|足早《あしばや》に|旅装束《たびしやうぞく》を|調《ととの》へ、|神地《かうぢ》の|都《みやこ》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・九・二一 旧八・一 加藤明子録)
第六章 |意外《いぐわい》な|答《こたへ》〔九九四〕
アナンはサール、セール、ウインチの|同志《どうし》に|別《わか》れを|告《つ》げ、テーリスに|会《あ》つて|内外《ないぐわい》|相《あひ》|呼応《こおう》し、|一挙《いつきよ》に|竜雲《りううん》を|捕《とら》へむと|計画《けいくわく》を|定《さだ》め、ブラリブラリと|神地城《かうぢじやう》|近《ちか》く|現《あら》はれた。メール、ヨールの|両人《りやうにん》は|忽《たちま》ちアナンを|捕《とら》へ|獄《ごく》に|投《とう》じた。
アナンはテーリスが|依然《いぜん》として|牢獄《らうごく》の|監督《かんとく》たるべしと|確信《かくしん》して|居《ゐ》たが、|豈《あに》|図《はか》らむやベールの|悪人《あくにん》が|何時《いつ》の|間《ま》にか|代《かは》つて|居《ゐ》る。|竜雲《りううん》もテーリスを|固《かた》く|信《しん》じ|吾《わが》|股肱《ここう》と|頼《たの》み、|大切《たいせつ》なる|牢獄《らうごく》の|監督《かんとく》を|命《めい》じて|居《ゐ》たが、|彼《かれ》も|悪者《しれもの》、|万一《まんいち》|正義派《せいぎは》に|款《くわん》を|通《つう》じ|如何《いか》なる|事《こと》を|仕出《しで》かすやも|計《はか》り|難《がた》しと、|奸智《かんち》に|長《た》けた|竜雲《りううん》は、ベールをして|之《これ》に|代《かは》らしめたのである。アナンは|斯《か》うなつては|恰《あたか》も|飛《と》んで|火《ひ》に|入《い》る|夏《なつ》の|虫《むし》も|同様《どうやう》であつた。|凡《すべ》ての|計画《けいくわく》はこれにてサツパリ|齟齬《そご》して|了《しま》ふ|事《こと》を|非常《ひじやう》に|恐《おそ》れざるを|得《え》なかつた。アナンは|獄中《ごくちう》にて|私《ひそ》かに|謡《うた》ふ、|其《その》|歌《うた》、
『|天《あめ》と|地《つち》とを|造《つく》らしし |誠《まこと》の|神《かみ》のいます|世《よ》は
|如何《いか》なる|事《こと》か|恐《おそ》るべき |天《てん》に|煌《きら》めく|星《ほし》の|影《かげ》
|地《ち》は|青々《あをあを》と|生茂《おひしげ》り |山河《やまかは》|清《きよ》く|美《うる》はしく
|蓮《はちす》の|花《はな》は|遠近《をちこち》に |咲《さ》き|匂《にほ》ひたる|神《かみ》の|国《くに》
|吾等《われら》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》 いかでか|曲《まが》のをかすべき
|如何《いか》なる|艱《なや》みに|遇《あ》ふとても |心《こころ》も|身《み》をも|皇神《すめかみ》に
|任《まか》せ|奉《まつ》りて|信仰《あななひ》の |誠《まこと》を|尽《つく》す|吾《われ》こそは
|神《かみ》も|照覧《せうらん》|遊《あそ》ばさむ |一度《いちど》は|敵《てき》に|悩《なや》まされ
|百《もも》の|責苦《せめく》に|遭《あ》ふとても いつしか|開《ひら》く|神《かみ》の|門《もん》
|此《この》シロ|島《しま》はサガレン|王《わう》の |君《きみ》の|命《みこと》の|永久《とこしへ》に
|鎮《しづ》まり|居《ゐ》まして|国民《くにたみ》を いと|平《たひら》けく|安《やす》らけく
|知《し》ろし|召《め》すべき|神《かみ》の|国《くに》 ウラルの|道《みち》の|神司《かむづかさ》
|竜雲《りううん》いかに|暴力《ばうりよく》を |揮《ふる》ふといへど|曲神《まがかみ》の
いかでか|正義《せいぎ》に|敵《てき》し|得《え》む |籠《かご》に|飼《か》はれし|鳥《とり》さへも
いつしか|破《やぶ》れて|天地《あめつち》の |広《ひろ》き|御園《みその》に|悠々《いういう》と
|春《はる》をば|謡《うた》ふ|時《とき》あらむ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|霊《みたま》の|幸《さち》はひて サガレン|王《わう》を|始《はじ》めとし
|忠義《ちうぎ》に|厚《あつ》きタールチン キングス|姫《ひめ》やゼム、エール
エームス、ユーズ、シルレング |尊《たふと》き|正《ただ》しき|人々《ひとびと》の
|身魂《みたま》を|安《やす》く|守《まも》りませ アナンは|敵《てき》に|捕《とら》へられ
|苦《くる》しき|月日《つきひ》を|送《おく》るとも |君《きみ》の|御《おん》|為《た》め|国《くに》の|為《た》め
|世人《よびと》の|為《た》めとなるならば |如何《いか》でか|命《いのち》を|惜《をし》まむや
いかなる|敵《てき》の|現《あら》はれて |水責《みづぜ》め|火責《ひぜ》めはまだ|愚《おろ》か
|剣《つるぎ》の|責苦《せめく》に|遭《あ》ふとても |君《きみ》に|捧《ささ》げし|此《この》|生命《いのち》
|心《こころ》も|広《ひろ》きシロの|島《しま》 |神地《かうぢ》の|獄舎《ひとや》に|囚《とら》はれて
|身《み》は|儘《まま》ならぬ|籠《かご》の|鳥《とり》 なれども|心《こころ》は|清々《すがすが》と
|天地《あめつち》|四方《よも》の|国原《くにばら》を |自由自在《じいうじざい》に|逍遥《せうえう》し
|皇大神《すめおほかみ》の|御光《みひかり》は |吾《わが》|身《み》の|上《うへ》を|照《てら》しまし
|歓喜《くわんき》は|胸《むね》に|湧《わ》き|満《み》ちぬ |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|八岐大蛇《やまたをろち》の|憑《かか》りたる |醜《しこ》の|司《つかさ》を|言向《ことむ》けて
|此《この》|神国《かみくに》を|永久《とこしへ》に |守《まも》らにやおかぬ|吾《わが》|心《こころ》
|生《い》きては|御国《みくに》の|楯《たて》となり |死《し》しては|護国《ごこく》の|鬼《おに》となり
|誠《まこと》|一《ひと》つを|天地《あめつち》に |貫《つらぬ》き|通《とほ》す|楽《たの》しさよ
ベールの|眼《まなこ》は|光《ひか》るとも |夜《よる》は|見《み》えない|人《ひと》の|身《み》の
いかでかわれ|等《ら》の|心根《こころね》を |探《さぐ》りあてむや|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|教《をしへ》に|背《そむ》きつつ |一時《いちじ》の|栄華《えいぐわ》に|憧《あこが》れて
|魔神《まがみ》に|媚《こ》びつ|諂《へつら》ひつ |吾《わが》|身一《みひと》つの|栄達《えいだつ》を
|計《はか》らむとする|卑劣《ひれつ》さよ |思《おも》へば|思《おも》へばベールこそ
|実《げ》にも|憐《あは》れな|者《もの》ぞかし あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
エームスは|又《また》|獄中《ごくちう》にありて、|私《ひそか》に|述懐《じゆつくわい》を|述《の》べて|居《ゐ》る、|其《その》|歌《うた》。
『|天地《てんち》を|造《つく》り|固《かた》めたる |国治立大御神《くにはるたちのおほみかみ》
|大地《だいち》の|力《ちから》と|現《あ》れませる |神素盞嗚大御神《かむすさのをのおほみかみ》
|大地《だいち》の|霊《れい》と|現《あら》はれし |金勝要大神《きんかつかねのおほかみ》の
|守《まも》らせ|給《たま》ふ|瑞穂国《みづほくに》 |中《なか》にも|尊《たふと》きシロの|島《しま》
|此《この》|神国《かみくに》は|天地《あめつち》の |殊更《ことさら》|深《ふか》き|御恵《みめぐみ》に
|栄《さか》えて|進《すす》む|珍《うづ》の|国《くに》 |此《この》|神国《かみくに》を|知《し》ろしめす
サガレン|王《わう》は|民草《たみぐさ》の |主《あるじ》と|居《ゐ》まし|師《し》と|居《ゐ》まし
|親《おや》とまします|厳《いづ》の|神《かみ》 |高《たか》き|御稜威《みいづ》はヒマラヤの
|山《やま》も|物《もの》かは|行《ゆ》く|雲《くも》も |伊行《いゆ》き|憚《はばか》る|珍《うづ》の|王《きみ》
ウラルの|道《みち》の|竜雲《りううん》が |非望《ひばう》の|企《たく》みに|乗《の》せられて
|今《いま》は|苦《くる》しみ|給《たま》へども |如何《いか》でか|神《かみ》は|許《ゆる》さむや
ケールス|姫《ひめ》や|竜雲《りううん》の |悪逆無道《あくぎやくむだう》の|振舞《ふるまひ》は
|天地《てんち》|容《い》れざる|逆罪《ぎやくざい》ぞ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あ》れまして |善悪正邪《ぜんあくせいじや》を|分《わか》ちまし
|魔神《まがみ》を|亡《ほろ》ぼし|善神《ぜんしん》を |救《すく》はせ|給《たま》ふは|目《ま》の|当《あた》り
|吾等《われら》は|獄舎《ひとや》に|投《な》げ|込《こ》まれ |無限《むげん》の|苦痛《くつう》に|遭《あ》ふとても
|心《こころ》は|広《ひろ》き|天《あま》の|原《はら》 |空《そら》|行《ゆ》く|鳥《とり》の|如《ごと》くなり
|如何《いか》に|無道《むだう》の|竜雲《りううん》も |吾等《われら》が|清《きよ》き|魂《たましひ》を
|縛《しば》り|苦《くる》しむ|枉業《まがわざ》は |如何《いか》に|心《こころ》を|尽《つく》すとも
|到底《たうてい》|行《おこな》ひ|得《え》ざらまし |心《こころ》の|空《そら》に|日月《じつげつ》の
|輝《かがや》き|渡《わた》る|正義《せいぎ》の|士《し》 |如何《いか》でか|獄舎《ひとや》を|恐《おそ》れむや
|神《かみ》は|吾等《われら》と|倶《とも》に|坐《ま》す バラモン|教《けう》の|自在天《じざいてん》
|大国彦《おほくにひこ》の|御前《おんまへ》に |心《こころ》を|清《きよ》め|身《み》を|浄《きよ》め
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|吾《わが》|王《きみ》の |心《こころ》を|安《やす》んじ|苦《くる》しみを
|救《すく》はせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》 |神《かみ》の|御水火《みいき》に|生《うま》れたる
サガレン|王《わう》の|側近《そばちか》く |右守神《うもりのかみ》と|仕《つか》へたる
|道《みち》の|司《つかさ》のエールスが ひそかにひそかに|祈《ね》ぎ|奉《まつ》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|謡《うた》ふ|折《をり》しも、ベールは|足音《あしおと》|高《たか》く|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|来《きた》り、|獄舎《ひとや》の|外《そと》より、
『エームスさま、|只今《ただいま》|竜雲殿《りううんどの》より、|貴方《あなた》に|対《たい》する|疑《うたが》ひは|全《まつた》く|晴《は》れたから、|許《ゆる》してやれとの|御言葉《おことば》で|御座《ござ》います。|貴方《あなた》は|竜雲様《りううんさま》の|危難《きなん》を|救《すく》うた|殊勲者《しゆくんしや》だから、|何卒《どうぞ》|早《はや》く|此処《ここ》を|出《で》て|下《くだ》さい』
と|声《こゑ》を|和《やはら》げて、|慇懃《いんぎん》に|打《う》つて|変《かは》つた|態度《たいど》で|言《い》ひ|渡《わた》すにぞ、エームスは|頭《かうべ》を|左右《さいう》に|振《ふ》り、
『それは|誠《まこと》に|以《もつ》て|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|然《しか》し|乍《なが》ら|私《わたし》は|最早《もはや》|社会《しやくわい》へ|出《で》て|働《はたら》かうとは|思《おも》ひませぬ。それ|故《ゆゑ》|此《この》|別荘《べつさう》が|殊《こと》の|外《ほか》|気楽《きらく》で|御座《ござ》いますれば、|何卒《どうぞ》|永《なが》く|獄《ごく》において|下《くだ》さる|様《やう》|竜雲《りううん》|殿《どの》にお|願《ねが》ひをして|下《くだ》さい。|折角《せつかく》|居馴《ゐな》ずんだ|処《ところ》で|御座《ござ》いますから、|出《で》るのが|惜《を》しくなりました。アハヽヽヽ』
『これはしたり、エームスさま、|獄舎《ひとや》の|中《なか》が|結構《けつこう》だとは、そりや|本心《ほんしん》でおつしやるのですか』
『|私《わたし》は|此処《ここ》で|一生《いつしやう》を|送《おく》り|度《た》く|希望《きばう》して|居《を》ります。|到底《たうてい》|竜雲《りううん》さまに|許《ゆる》され、|或《あるひ》はお|役《やく》に|使《つか》はれましても、|不運《ふうん》な|者《もの》は|何処迄《どこまで》も|不運《ふうん》、|又《また》|候《さふらふ》、|人《ひと》を|助《たす》けて|牢獄《らうごく》に|打《う》ち|込《こ》まれる|様《やう》な|事《こと》が|出来《しゆつたい》|致《いた》しても|詰《つま》りませぬから、|此処《ここ》に|斯《か》うして|居《を》れば、|罪《つみ》を|作《つく》らず|心《こころ》を|悩《なや》まさず|結構《けつこう》で|御座《ござ》います。|何卒《どうぞ》|私《わたし》を|解放《かいはう》して|此《この》|上《うへ》|苦労《くらう》をさせぬやうに|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ。どうも|私《わたし》の|性質《せいしつ》として、|悪《わる》い|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|悪《わる》い|事《こと》を|平気《へいき》で|巧《うま》くやつて|除《の》ける|人間《にんげん》は|竜雲様《りううんさま》の|御引立《おひきたて》によりましてズンズンと|御出世《ごしゆつせ》|遊《あそ》ばすなり、|命《いのち》をお|助《たす》け|申《まを》して|善事《ぜんじ》をなしたる|私《わたし》は|獄《ごく》に|投《とう》ぜらるると|云《い》ふ|様《やう》な|逆様《さかさま》の|世《よ》の|中《なか》ですから、|到底《たうてい》|社会《しやくわい》へ|出《で》て|活動《くわつどう》する|場所《ばしよ》が|御座《ござ》いませぬ。|何時《いつ》までも|此処《ここ》に|置《お》いて|貰《もら》ひ|度《た》いと|申《まを》すのは|左様《さやう》の|次第《しだい》でありますから、|悪《あし》からず|竜雲《りううん》|殿《どの》に|此《この》|由《よし》をお|伝《つた》へ|下《くだ》さいませ』
『これは|又《また》|変《かは》つた|御意見《ごいけん》、ベールも|一向《いつかう》|合点《がつてん》が|参《まゐ》りませぬ。|何《なに》は|兎《と》もあれ、|一応《いちおう》|竜雲様《りううんさま》にお|伺《うかが》ひ|致《いた》して|参《まゐ》りませう』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、スタスタと|此《この》|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》る。
(大正一一・九・二一 旧八・一 北村隆光録)
第七章 |蒙塵《もうぢん》〔九九五〕
サガレン|王《わう》は|一室《いつしつ》に|取込《とりこ》められ、|発狂者《はつきやうしや》と|誣《し》いられ、|厳重《げんぢゆう》なる|監視人《かんしにん》|付《づ》きにて|昼夜《ちうや》の|別《べつ》なく|見張《みは》られてゐた。サガレン|王《わう》は|一絃琴《いちげんきん》を|取出《とりいだ》し、|声《こゑ》も|静《しづ》かに|歌《うた》ふ。
『|父《ちち》は|大国別《おほくにわけ》の|神《かみ》 イホの|都《みやこ》に|現《あ》れまして
|教《をしへ》を|開《ひら》き|玉《たま》ひしが |三五教《あななひけう》の|神司《かむつかさ》
|夏山彦《なつやまひこ》や|祝姫《はふりひめ》 |其《その》|他《ほか》|百《もも》の|神人《かみびと》に
|追《お》ひ|払《はら》はれて|顕恩《けんおん》の |郷《さと》に|鬼雲彦《おにくもひこ》を|伴《つ》れ
|教《をしへ》を|開《ひら》き|玉《たま》ひしが |間《ま》もなく|父《ちち》は|世《よ》を|去《さ》りて
|鬼雲彦《おにくもひこ》はバラモンの |教司《をしへつかさ》となり|終《を》ほせ
われを|見《み》すてて|顧《かへり》みず やむなく|吾《われ》はシロの|島《しま》
|神地《かうぢ》の|都《みやこ》に|現《あら》はれて |漸《やうや》く|教《をしへ》を|四方《よも》の|国《くに》
|布《し》き|拡《ひろ》めつつ|国民《くにたみ》を |教《をし》へ|導《みちび》き|王《わう》となり
これの|国地《くぬち》は|穏《おだや》かに |治《をさ》まりゐたる|折《をり》もあれ
ウラルの|道《みち》の|竜雲《りううん》が |何処《いづこ》ともなく|現《あら》はれて
ケールス|姫《ひめ》を|籠絡《ろうらく》し |日《ひ》に|日《ひ》に|勢力《せいりよく》|扶植《ふしよく》して
|傍若無人《ばうじやくぶじん》の|彼《かれ》が|業《わざ》 |此《この》|神城《かみしろ》を|奪《うば》はむと
|善《よ》からぬことを|企《くはだ》てつ |心《こころ》の|狂《くる》ひしわれなりと
|今《いま》は|無残《むざん》に|籠《かご》の|鳥《とり》 |詮術《せんすべ》なさに|泣《な》く|涙《なみだ》
|止《とど》むる|由《よし》も|荒浪《あらなみ》の |海《うみ》に|漂《ただよ》ふ|如《ごと》くなり
|危険《きけん》|刻々《こくこく》|身《み》に|迫《せま》り |明日《あす》をも|知《し》れぬ|吾《わが》|生命《いのち》
|誠《まこと》の|神《かみ》のましまさば |一日《ひとひ》も|早《はや》く|曲神《まがかみ》を
きため|玉《たま》ひて|元《もと》の|如《ごと》 われをば|再《ふたた》び|王《わう》となし
|忠誠《ちうせい》|無比《むひ》のタールチン キングス|姫《ひめ》やエームスや
ユーズ、サールにゼム、エール シルレングをば|救《すく》ひませ
|名利《めいり》に|狂《くる》ふ|曲神《まがかみ》の われの|恩顧《おんこ》を|打忘《うちわす》れ
|心《こころ》|汚《きたな》き|竜雲《りううん》が |前《まへ》に|腰《こし》をば|屈《かが》めつつ
|髭《ひげ》の|塵《ちり》をば|払《はら》ふ|奴《やつ》 |館《やかた》の|内外《うちと》に|充満《じうまん》し
|正義《せいぎ》は|亡《ほろ》び|邪《じや》は|栄《さか》え |世《よ》は|常闇《とこやみ》と|成《な》り|果《は》てて
|心《こころ》の|空《そら》は|村雲《むらくも》に |包《つつ》まれ|了《を》へぬ|十重二十重《とへはたへ》
|晴《は》らさむ|由《よし》も|泣《な》く|計《ばか》り あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御霊《みたま》の|幸《さち》はひて |一日《ひとひ》も|早《はや》く|片時《かたとき》も
|此《この》|苦《くるし》みを|除《のぞ》かせよ |神《かみ》は|吾等《われら》と|倶《とも》にます
|神《かみ》の|心《こころ》に|叶《かな》ひなば いかなることか|成《な》らざらむ
|善《ぜん》をば|助《たす》け|曲神《まがかみ》を |亡《ほろぼ》し|給《たま》ふ|神《かみ》の|道《みち》
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|吾《わが》|胸《むね》に |照《て》らさせ|玉《たま》へ|自在天《じざいてん》
|大国彦《おほくにひこ》の|御前《おんまへ》に |謹《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎまつる
|旭《あさひ》は|照《てる》とも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|魔神《まがみ》は|如何《いか》に|荒《すさ》ぶとも |誠《まこと》の|神《かみ》のある|限《かぎ》り
|誠《まこと》の|道《みち》をひたすらに |守《まも》る|真人《まびと》を|如何《いか》にして
|守《まも》らで|居《ゐ》ます|事《こと》あらむ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》よ|吾等《われら》を|憐《あはれ》みて |一日《ひとひ》も|早《はや》く|救《すく》ひませ
|吾《わが》|身《み》|一《ひと》つの|為《ため》ならず シロの|島根《しまね》に|生《お》ひ|立《た》てる
|青人草《あをひとぐさ》を|救《すく》う|為《ため》 |守《まも》らせ|玉《たま》へと|願《ね》ぎまつる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|心《こころ》|静《しづ》かに、|琴《こと》の|音《ね》に|合《あは》せて、|述懐《じゆつくわい》を|歌《うた》ひつつありぬ。
テーリスは|此処《ここ》に|現《あら》はれ|来《きた》り、あたりに|人《ひと》|無《な》きを|幸《さいは》ひ、|室《しつ》の|外《そと》より|声《こゑ》も|静《しづか》に|歌《うた》ひてサガレン|王《わう》に、アナンの|一派《いつぱ》が|君《きみ》を|救《すく》ひ|出《だ》すべく|計画《けいくわく》しつつありとの|事《こと》を、|歌《うた》に|装《よそほ》ひて|述《の》べ|立《た》てたり。|其《その》|歌《うた》。
『シロの|島根《しまね》の|真秀良場《まほらば》や |青垣山《あをがきやま》の|頂《いただ》きに
そそり|立《た》ちたる|常磐木《ときはぎ》の |色《いろ》も|青々《あをあを》|若緑《わかみどり》
|枝葉《えだは》も|茂《しげ》る|勢《いきほひ》に |醜《しこ》の|魔風《まかぜ》の|吹《ふ》きすさび
|其《その》|大木《たいぼく》を|倒《たふ》さむと |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|計《はか》らひつ
|心《こころ》も|猛《たけ》き|【竜】巻《たつまき》の |【雲】《くも》の|勢《いきほひ》|強《つよ》くして
|一度《いちど》は|峰《みね》を|包《つつ》め|共《ども》 |神《かみ》の|御息《みいき》に|吹《ふ》きうつる
|科戸《しなど》の|風《かぜ》はいつまでも |吹《ふ》かずにあるべき|惟神《かむながら》
|神《かみ》に|御心《みこころ》|任《まか》せつつ |八重雲《やへくも》|四方《よも》に|吹《ふ》き|分《わ》くる
|強《つよ》き|力《ちから》の|時津風《ときつかぜ》 |今《いま》|吹《ふ》かむとすサガレンの
|君《きみ》の|命《みこと》よ|今《いま》|暫《しば》し |待《ま》たせ|玉《たま》へよ|汝《な》が|上《うへ》に
|清《きよ》き|月日《つきひ》はテーリスや アナン、サールを|始《はじ》めとし
セール、ウインチ、エームスの |清《きよ》き|身魂《みたま》は|雨《あめ》となり
|風《かぜ》ともなりて|君《きみ》の|辺《べ》を |洗《あら》ひ|清《きよ》めむ|待《ま》て|暫《しば》し
|神《かみ》の|御霊《みたま》の|幸《さち》はひて |八岐大蛇《やまたをろち》や|醜狐《しこぎつね》
|巣《す》ぐふ|身魂《みたま》をサラサラに |払《はら》ひ|除《のぞ》くる|喜《よろこ》びは
|有明月《ありあけづき》の|真夜中《まよなか》|頃《ごろ》 |水《みづ》も|眠《ねむ》れる|丑満《うしみつ》の
|時《とき》を|伺《うかが》ひ|汝《な》が|命《みこと》 |救《すく》ひまつりて|元《もと》の|如《ごと》
|此《この》|神国《かみくに》にサヤサヤに |御稜威《みいづ》|輝《かがや》き|国人《くにびと》の
|大主師親《だいしゆししん》と|仰《あふ》がれて |月日《つきひ》と|共《とも》に|其《その》|光《ひか》り
|競《きそ》ひ|玉《たま》ふも|目《ま》のあたり |心《こころ》|平《たひら》に|安《やす》らかに
|月日《つきひ》を|待《ま》たせ|玉《たま》へかし エームス、テーリス|両人《りやうにん》は
|君《きみ》の|御側《みそば》を|伺《うかが》ひつ |如何《いか》なる|曲《まが》の|猛《たけ》びをも
|一指《ひとゆび》だにもさえさせず |心《こころ》の|限《かぎ》り|身《み》の|限《かぎ》り
|守《まも》りまつらむ|心安《うらやす》く |思召《おぼしめ》されよテーリスが
ひそかにひそかに|村肝《むらきも》の |心《こころ》を|明《あ》かし|奉《たてまつ》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
わが|大君《おほきみ》はすこやかに |日《ひ》に|夜《よ》に|身魂《みたま》|清《きよ》らけく
すごさせ|玉《たま》へ|大国彦《おほくにひこ》の |神《かみ》の|命《みこと》の|御前《おんまへ》に
|謹《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎまつる』
サガレン|王《わう》はテーリスの|歌《うた》を|聞《き》いて、アナン|以下《いか》|忠誠《ちうせい》の|臣《しん》が、やがて|吾《われ》を|救《すく》ひ|出《だ》すべき|時《とき》の|来《きた》る|事《こと》を|悟《さと》り、|大《おほい》に|心《こころ》を|強《つよ》くし|其《その》|日《ひ》を|待《ま》てり。
|竜雲《りううん》はケールス|姫《ひめ》を|伴《ともな》ひ、|王《わう》を|監禁《かんきん》せる|居間《ゐま》の|前《まへ》に|儼然《げんぜん》として|現《あら》はれ|来《きた》り、|窓《まど》よりソツと|室内《しつない》を|眺《なが》め|声《こゑ》|高々《たかだか》と|歌《うた》ふ。
『サガレン|王《わう》よ|聞《き》こし|召《め》せ ウラルの|神《かみ》の|司《つかさ》なる
|神徳《しんとく》|強《つよ》き|竜雲《りううん》が |汝《なれ》に|一言《ひとこと》|宣《の》り|伝《つた》ふ
|此《この》シロ|島《しま》はサガレン|王《わう》の |君《きみ》の|治《し》らする|国《くに》ならず
|常世神王《とこよしんわう》の|末裔《まつえい》と |名乗《なの》りて|世人《よびと》を|迷《まよ》はせし
|其《その》|天罰《てんばつ》は|目《ま》のあたり |神《かみ》より|受《う》けし|生霊《いくたま》は
|今《いま》や|狂《くる》ひて|憐《あは》れにも |前後《ぜんご》|不覚《ふかく》の|発狂者《はつきやうしや》
さはさり|乍《なが》ら|汝《なれ》も|亦《また》 |天地《てんち》の|神《かみ》の|御水火《みいき》より
|生《うま》れ|出《い》でたる|者《もの》なれば |如何《いか》に|暴悪無道《ばうあくむだう》とて
|殺《ころ》しすつるに|忍《しの》びむや これより|汝《なれ》は|村肝《むらきも》の
|心《こころ》を|清《きよ》め|真心《まごころ》に |省《かへり》み|直《なほ》して|一日《いちじつ》も
とく|速《すむ》やけく|汝《な》が|位《くらゐ》 |退《しりぞ》き|吾《わ》れに|譲《ゆづ》れかし
さすれば|吾《わ》れは|汝《なれ》をして |安《やす》く|楽《たの》しく|永久《とこしへ》に
|生命《いのち》を|保《たも》たせ|参《まゐ》らせむ |盤古神王《ばんこしんわう》の|霊《たま》の|裔《すゑ》
ウラルの|彦《ひこ》の|系統《けいとう》と |其《その》|名《な》も|高《たか》き|竜雲《りううん》が
ケールス|姫《ひめ》と|諸共《もろとも》に |神地《かうぢ》の|城《しろ》に|現《あら》はれて
|数多《あまた》の|国民《くにたみ》|悉《ことごと》く いと|平《たひら》けく|安《やす》らけく
|神代《かみよ》の|姿《すがた》に|導《みちび》きて |世《よ》を|永久《とこしへ》に|守《まも》るべし
もしも|否《いな》ませ|玉《たま》ひなば われにも|深《ふか》き|仕組《しぐみ》あり
|汝《なれ》が|命《みこと》の|御命《みいのち》は |嵐《あらし》の|前《まへ》の|灯火《ともしび》と
|消《き》えて|失《う》せむは|目《ま》のあたり あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御霊《みたま》に|省《かへり》みて わが|言霊《ことたま》を|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》く|大直日《おほなほひ》 よく|見直《みなほ》せよ|聞直《ききなほ》せ
|最早《もはや》|運命《うんめい》つきし|汝《なれ》 いかに|心《こころ》を|砕《くだ》くとも
|此《この》|大勢《たいせい》を|如何《いか》にして |挽回《ばんくわい》すべき|時《とき》あらむ
|人《ひと》は|心《こころ》が|第一《だいいち》よ |心《こころ》|一《ひと》つの|持様《もちやう》で
|今日《けふ》より|気楽《きらく》に|暮《くら》さうと |苦《くるし》み|悶《もだ》え|玉《たま》の|緒《を》の
|命《いのち》を|捨《す》てて|根《ね》の|国《くに》や |底《そこ》の|国《くに》なる|苦《くる》しみを
なめ|味《あぢ》はふも|汝《な》が|心《こころ》 たつた|一《ひと》つの|使《つか》ひ|方《かた》
|否《いな》か|応《おう》かの|返《かへ》り|言《ごと》 |早《はや》く|聞《き》かさせ|玉《たま》へかし
ケールス|姫《ひめ》と|諸共《もろとも》に |汝《なれ》が|命《みこと》の|決心《けつしん》を
|促《うなが》しまつる|竜雲《りううん》が |慈愛《じあい》の|心《こころ》を|諒解《りやうかい》し
|今《いま》|目《め》の|前《まへ》で|御位《みくらゐ》を われに|譲《ゆづ》ると|一言《ひとこと》の
|玉《たま》の|御声《みこゑ》を|賜《たま》へかし あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》に|誓《ちか》ひて|竜雲《りううん》が |汝《なれ》が|命《みこと》に|打向《うちむか》ひ
|答《いら》へを|糺《ただ》し|奉《たてまつ》る あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|勝手《かつて》な|理屈《りくつ》を|並《なら》べ|立《た》て、サガレン|王《わう》を|密室《みつしつ》に|監禁《かんきん》し、|自由《じいう》を|束縛《そくばく》し、|無理往生《むりわうじやう》に|譲位《じやうゐ》せしめむと、|悪逆無道《あくぎやくむだう》の|言霊《ことたま》を|臆面《おくめん》もなく|発射《はつしや》してゐる。|王《わう》は|余《あま》りの|竜雲《りううん》の|暴言《ばうげん》に|呆《あき》れ|返《かへ》り、|黙然《もくねん》として|俯《うつむ》いたまま、|何《なん》の|応《いら》へもなく|竜雲《りううん》の|声《こゑ》する|方《はう》を|見《み》つめゐたり。
|斯《か》かる|所《ところ》へ|城《しろ》の|外面《そとも》に|爆竹《ばくちく》の|声《こゑ》|響《ひび》くと|共《とも》に『ワアワア』と|数百人《すうひやくにん》の|人《ひと》の|叫声《さけびごゑ》、|只事《ただごと》ならじと|竜雲《りううん》を|始《はじ》めケールス|姫《ひめ》は、|蒼皇《さうくわう》として|此《この》|場《ば》を|立出《たちい》で、
|竜雲《りううん》『|正《まさ》しく、アナン|一派《いつぱ》の|敵《てき》の|襲来《しふらい》ならむ、|早《はや》く|防戦《ばうせん》の|用意《ようい》なせ』
とケリヤ、ハルマの|臨時《りんじ》|左守《さもり》、|右守《うもり》の|神《かみ》に|向《むか》つて|下知《げち》を|下《くだ》せば、|両人《りやうにん》は|城内《じやうない》の|人々《ひとびと》を|集《あつ》め|俄《にはか》に|武装《ぶさう》せしめ、|上《うへ》を|下《した》へと|周章狼狽《しうしやうらうばい》しながら、|防戦《ばうせん》の|準備《じゆんび》にさしかかりたるに、|早《はや》くもアナンの|一軍《いちぐん》は|表門《おもてもん》を|打破《うちやぶ》り、|城内《じやうない》|深《ふか》く|鬨《とき》を|作《つく》つて|乱入《らんにふ》し|来《く》る。
エームス、テーリスの|両人《りやうにん》は|此《この》|声《こゑ》に|勢《いきほひ》を|得《え》て|勇《いさ》み|立《た》ち、|竜雲《りううん》、ケールス|姫《ひめ》|其《その》|他《た》の|一同《いちどう》が|防戦《ばうせん》の|用意《ようい》に|精神《せいしん》を|奪《うば》はれゐる|隙《すき》を|伺《うかが》ひ、サガレン|王《わう》を|抱《かか》へ、|裏門《うらもん》より|人目《ひとめ》を|忍《しの》びて、いづくともなく|逃《に》げ|出《だ》しにける。
(大正一一・九・二一 旧八・一 松村真澄録)
第八章 |悪現霊《あくげんれい》〔九九六〕
アナン、セールの|一隊《いつたい》は|館《やかた》に|向《むか》ひ、サール、ウインチはタールチン、キングス|姫《ひめ》、ゼム、エール、シルレング、ユーズを|救《すく》ひ|出《だ》さむと、|牢獄《らうごく》の|方《はう》に|猛進《まうしん》した。
ベールは|部下《ぶか》の|獄卒《ごくそつ》と|共《とも》に|死力《しりよく》を|竭《つく》して|戦《たたか》うたが、つひにコリヤ|叶《かな》はぬと|思《おも》ひしか|雲《くも》を|霞《かすみ》と|姿《すがた》を|隠《かく》して|了《しま》つた。
サール、ウインチは|一同《いちどう》の|忠臣《ちうしん》を|首尾《しゆび》よく|救《すく》ひ|出《い》だし、|次《つぎ》にアナン、セールの|隊《たい》に|合《がつ》すべく|王《わう》の|館《やかた》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。|竜雲《りううん》、ケールス|姫《ひめ》は|奥《おく》の|間《ま》に|顔《かほ》の|色《いろ》を|変《か》へ、|手鎗《てやり》を|小脇《こわき》に|抱《かか》へ、|寄《よ》らば|突《つ》かむと|身構《みがま》へしてゐる。
|真先《まつさき》に|進《すす》んだアナン、セールを|始《はじ》め、シルレング、ユーズは|不運《ふうん》にも、|館《やかた》の|中《なか》の|俄作《にはかづく》りの|深《ふか》き|陥穽《おとしあな》におち|込《こ》んで|了《しま》つた。
サール、ウインチを|始《はじ》め、タールチン、キングス|姫《ひめ》、ゼム、エールは、|此《この》|上《うへ》|深入《ふかい》りするは|如何《いか》なる|羽目《はめ》に|陥《おちい》るやも|計《はか》り|難《がた》しと、|大事《だいじ》をふんで|後《あと》へ|引返《ひきかへ》し、|表《おもて》に|出《い》でて|再《ふたた》び|戦《たたか》ひを|継続《けいぞく》しつつあつた。
ケリヤ、ハルマは|采配《さいはい》を|打《うち》ふり|打《うち》ふり、|所在《あらゆる》|精鋭《せいえい》の|武器《ぶき》を|揃《そろ》へて、|命《いのち》|限《かぎ》りに|防《ふせ》ぎ|戦《たたか》ひ|寄《よ》せ|手《て》の|人数《にんず》は|殆《ほとん》ど|三分《さんぶ》|以上《いじやう》|瞬《またた》く|間《うち》に|斬《き》り|倒《たふ》されて|了《しま》つた。サール、ウインチは|止《や》むを|得《え》ず、タールチン、キングス|姫《ひめ》、|其《その》|他《た》と|共《とも》に|一先《ひとま》づここを|退却《たいきやく》し、|再《ふたた》び|捲土重来《けんどぢうらい》の|策《さく》を|構《かう》ぜむと、バリーの|館《やかた》に|軍《ぐん》を|返《かへ》した。
|竜雲《りううん》は|見方《みかた》の|将卒《しやうそつ》を|集《あつ》め、|今日《けふ》の|防戦《ばうせん》の|偉勲《ゐくん》を|口《くち》を|極《きは》めて|賞揚《しやうやう》し、|城《しろ》の|外部《ぐわいぶ》を|念入《ねんい》りに|警護《けいご》せしめた。そしてサガレン|王《わう》を|始《はじ》め、|信用《しんよう》し|切《き》つたるエームス、テーリスの|姿《すがた》の|見《み》えざるに|驚《おどろ》き、|再《ふたた》びケリヤ、ハルマに|命《めい》じ、|捕手《とりて》を|四方《しはう》に|遣《つか》はして、|王《わう》、|外《ほか》|二人《ふたり》の|所在《ありか》を|厳《きび》しく|捜索《そうさく》せしめた。|併《しか》し|乍《なが》ら、|王《わう》の|行方《ゆくへ》は|到底《たうてい》|分《わか》らなくなつて|了《しま》つたのである。
|竜雲《りううん》は|部下《ぶか》の|将卒《しやうそつ》を|労《ねぎら》ふべく、|城《しろ》の|広庭《ひろには》に|草蓆《くさむしろ》を|布《し》き、|四方《しはう》を|警戒《けいかい》し|乍《なが》ら、|大祝宴《だいしゆくえん》を|開《ひら》いた。|其《その》|席上《せきじやう》にて|竜雲《りううん》は|声《こゑ》|高々《たかだか》と|歌《うた》ふ。
『|此《この》|世《よ》の|御祖《みおや》とあれませる |塩長彦大神《しほながひこのおほかみ》の
|御稜威《みいづ》は|今《いま》や|輝《かがや》きて ウラルの|教《をしへ》の|世《よ》となりぬ
|大国彦《おほくにひこ》の|系統《けいとう》と |世《よ》に|誇《ほこ》りたるサガレン|王《わう》の
|醜《しこ》の|魔神《まがみ》は|竜雲《りううん》が |広大無辺《くわうだいむへん》の|神徳《しんとく》に
|吹《ふ》き|払《はら》はれて|影《かげ》もなく |煙《けむり》となつて|消《き》え|失《う》せぬ
われは|是《これ》よりシロ|島《しま》の |司《つかさ》となりて|百司《ももつかさ》
|百人達《ももびとたち》を|悉《ことごと》く ウラルの|神《かみ》の|御教《みをしへ》に
まつろひ|合《あは》せ|御恵《みめぐみ》の |露《つゆ》を|普《あまね》くうるほさむ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |塩長彦《しおながひこ》の|御威勢《ごゐせい》は
|今《いま》に|始《はじ》めぬ|事《こと》|乍《なが》ら |四方《よも》の|草木《くさき》も|悉《ことごと》く
|片葉《かきは》もとめず|伏《ふ》しなびく かかる|尊《たふと》き|大神《おほかみ》の
|教《をしへ》にまつろふ|竜雲《りううん》は |天津神《あまつかみ》たち|八百万《やほよろづ》
|国津神《くにつかみ》たち|国魂《くにたま》の |神《かみ》の|力《ちから》を|身《み》に|受《う》けて
|月日《つきひ》の|如《ごと》く|永久《とこしへ》に |輝《かがや》きわたるわが|御稜威《みいづ》
|称《たた》へまつれよ|百司《ももつかさ》 ケールス|姫《ひめ》を|始《はじ》めとし
|左守《さもり》|右守《うもり》の|神司《かむつかさ》 ケリヤ、ハルマは|云《い》ふも|更《さら》
ベールやメール、ヨール|迄《まで》 |吾《わが》|神徳《しんとく》にまつろひて
|清《きよ》く|仕《つか》へよ|吾《わが》|前《まへ》に われは|此《この》|世《よ》を|平《たひら》けく
|治《をさ》むる|救《すく》ひの|神《かみ》なるぞ |此《この》シロ|島《しま》に|竜雲《りううん》の
|納《をさ》まる|限《かぎ》り|鬼《おに》|大蛇《をろち》 いかなる|曲津《まがつ》の|攻《せ》め|来《く》|共《とも》
|恐《おそ》るる|事《こと》はなき|程《ほど》に |上《うへ》と|下《した》とは|睦《むつ》び|合《あ》ひ
|心《こころ》を|合《あは》せ|力《ちから》をば |一《ひと》つになしてわが|治《し》らす
|此《この》|神国《かみくに》を|守《まも》れかし あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|真心《まごころ》を ささげて|祈《いの》り|奉《たてまつ》る』
と|悪《あく》にも|三分《さんぶ》の|理屈《りくつ》があるとやら、|一《いつ》かどよい|気《き》になつて、|臆面《おくめん》もなく|大勢《おほぜい》の|前《まへ》に|厚《あつ》かましくも|其《その》|千枚張《せんまいば》りの|面《つら》の|皮《かは》をさらし、|得々《とくとく》としてゐる。
ケールス|姫《ひめ》は|其《その》|尾《を》に|付《つ》けて|機嫌《きげん》よく|自《みづか》ら|歌《うた》ひ、|自《みづか》ら|舞《ま》ひ、|竜雲《りううん》の|武運《ぶうん》と|其《その》|幸福《かうふく》を|祈《いの》りたる、|其《その》|歌《うた》。
『|高天原《たかあまはら》に|現《あ》れませる |塩長彦《しおながひこ》の|大神《おほかみ》の
|守《まも》り|玉《たま》へるウラル|教《けう》 |神《かみ》の|司《つかさ》の|竜雲師《りううんし》
|広大無辺《くわうだいむへん》の|御神徳《ごしんとく》 |現《あら》はれまして|今《いま》ここに
シロの|島《しま》をば|平《たひら》けく いと|安《やす》らけく|治《をさ》めます
|聖《ひじり》の|世《よ》とはなりにけり |喜《よろこ》び|勇《いさ》めよ|百司《ももつかさ》
|国人達《くにびとたち》も|諸共《もろとも》に |竜雲司《りううんつかさ》の|神徳《しんとく》を
|心《こころ》の|底《そこ》より|喜《よろこ》びて |称《たた》へまつれよ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|力《ちから》は|目《ま》のあたり |心《こころ》の|弱《よわ》きサガレン|王《わう》の
|君《きみ》の|命《みこと》は|汚《けが》れたる バラモン|教《けう》を|朝夕《あさゆふ》に
|命《いのち》の|如《ごと》く|崇《あが》めつつ |此《この》|世《よ》を|紊《みだ》し|玉《たま》ひけり
|曲津《まがつ》の|神《かみ》の|猛《たけ》びにて |神地《かうぢ》の|城《しろ》は|日《ひ》に|月《つき》に
|衰《おとろ》へ|行《ゆ》きて|刈《かり》ごもの |乱《みだ》れ|果《は》てたる|有様《ありさま》を
|治《をさ》むる|由《よし》も|泣《な》きね|入《い》り |苦《くるし》み|切《き》つたる|折柄《をりから》に
ウラルの|道《みち》の|神司《かむつかさ》 |神徳《しんとく》|高《たか》き|竜雲《りううん》が
|天津御空《あまつみそら》の|雲《くも》にのり はるばる|茲《ここ》に|下《くだ》りまし
|千変万化《せんぺんばんくわ》の|神力《しんりき》を |現《あら》はし|玉《たま》ひて|吾々《われわれ》を
|神《かみ》の|大道《おほぢ》に|導《みちび》きつ |尊《たふと》き|神《かみ》の|御国《おんくに》に
|救《すく》ひ|玉《たま》ふぞ|尊《たふと》けれ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|妾《わらは》はいかなる|仕合《しあは》せか |今《いま》まで|曇《くも》りし|胸《むね》のやみ
|科戸《しなど》の|風《かぜ》に|影《かげ》もなく |吹《ふ》き|払《はら》はれて|村肝《むらきも》の
|心《こころ》の|空《そら》に|月《つき》は|照《て》り |星《ほし》の|光《ひかり》はキラキラと
|輝《かがや》きわたる|身《み》となりぬ ケリヤ、ハルマを|始《はじ》めとし
|其《その》|他《た》の|百《もも》の|司《つかさ》たち |吾《わが》|言霊《ことたま》を|諾《うべ》なひて
|今《いま》より|先《さき》は|真心《まごころ》の |限《かぎ》りを|尽《つく》し|身《み》を|尽《つく》し
|竜雲司《りううんつかさ》の|御教《みをしへ》を |心《こころ》に|放《はな》さずよく|守《まも》り
|天ケ下《あめがした》なる|民草《たみぐさ》を |救《すく》ひ|助《たす》けて|永久《とこしへ》に
ゆるがぬ|朽《く》ちざる|御世《みよ》となし |天津誠《あまつまこと》の|大道《おほみち》に
まつろひまつれよ|惟神《かむながら》 |塩長彦《しほながひこ》の|御前《おんまへ》に
ケールス|姫《ひめ》が|真心《まごころ》の あらむ|限《かぎ》りを|打《うち》あけて
つつしみ|敬《ゐやま》ひねぎまつる あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|陽気《やうき》になつて|歌《うた》ひ|舞《ま》ひ|納《をさ》め、|竜雲《りううん》の|手《て》を|曳《ひ》いて、|奥《おく》の|間《ま》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》る。
ケリヤは|一同《いちどう》の|司《つかさ》|及《およ》び|雑役《ざつやく》|等《ら》に|向《むか》つて、|鼻高々《はなたかだか》と|歌《うた》を|以《もつ》て|宣《の》り|伝《つた》へた、|其《その》|歌《うた》。
『げにも|目出《めで》たき|御世《みよ》なるか |天《あま》の|河原《かはら》にさをさして
あもりましたる|竜雲師《りううんし》 |広大無辺《くわうだいむへん》の|神力《しんりき》を
|発揮《はつき》し|玉《たま》ひて|今《いま》ここに |神地《かうぢ》の|都《みやこ》の|君《きみ》となり
ケールス|姫《ひめ》と|諸共《もろとも》に |普《あまね》く|仁政《じんせい》を|布《し》かむとて
|言《こと》あげ|玉《たま》ひし|尊《たふと》さよ |尊《たふと》き|君《きみ》に|見出《みい》だされ
|吾《われ》は|左守神《さもりのかみ》となり |此《この》|城内《じやうない》の|一切《いつさい》は
わが|身《み》|一《ひと》つに|責任《せきにん》を |負《お》はせ|玉《たま》ひて|天ケ下《あめがした》
|四方《よも》の|民草《たみぐさ》|撫《な》で|玉《たま》ふ げに|有難《ありがた》き|珍《うづ》の|御代《みよ》
われ|等《ら》は|尊《たふと》き|御恵《みめぐみ》の |万分一《まんぶんいち》に|報《むく》いむと
|心《こころ》の|限《かぎ》りを|尽《つく》しつつ |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|大神《おほかみ》と
|君《きみ》の|御前《みまへ》にいそしみて |仕《つか》へまつらむ|覚悟《かくご》なり
|右守神《うもりのかみ》を|始《はじ》めとし |其《その》|外《ほか》|百《もも》の|司《つかさ》たち
|青人草《あをひとぐさ》に|至《いた》る|迄《まで》 |天《あめ》より|降《くだ》りし|此《この》|君《きみ》の
|御稜威《みいづ》を|畏《かしこ》み|敬《うやま》ひて |只《ただ》|一言《ひとこと》も|叛《そむ》くなよ
さはさり|乍《なが》ら|腹《はら》|黒《くろ》き タールチンやエームスや
テーリス、ゼムやエール|等《ら》が |再《ふたた》び|軍《いくさ》を|整《ととの》へて
|攻《せ》め|来《きた》らむも|計《はか》られず |其《その》|時《とき》|汝等《なんぢら》|一同《いちどう》は
|怯《お》めず|臆《おく》せず|大神《おほかみ》の |力《ちから》を|楯《たて》に|君《きみ》の|為《ため》
|世人《よびと》の|為《ため》に|玉《たま》の|緒《を》の |命《いのち》を|惜《を》しまず|戦《たたか》へよ
|仮令《たとへ》|生命《いのち》はすつる|共《とも》 |神《かみ》の|御《おん》|為《ため》|君《きみ》の|為《ため》
|捨《す》てし|生命《いのち》は|天国《てんごく》の |神《かみ》の|御前《みまへ》に|行《ゆ》きし|時《とき》
|珍《うづ》の|宝座《ほうざ》を|与《あた》へられ |其《その》|魂《たましひ》は|永久《とこしへ》に
|安《やす》く|楽《たの》しく|喜《よろこ》びの |園《その》に|楽《たの》しく|救《すく》はれむ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|御前《みまへ》に|真心《まごころ》を
|捧《ささ》げてケリヤが|今《いま》ここに |心《こころ》の|丈《たけ》を|誓《ちか》ひおく
われと|思《おも》はむ|人々《ひとびと》は |一日《ひとひ》も|早《はや》く|村肝《むらきも》の
|心《こころ》を|研《みが》き|体《たい》を|練《ね》り |此《この》|土《ど》を|守《まも》るつはものと
なりて|尽《つく》せよ|惟神《かむながら》 |神《かみ》は|汝《なんぢ》を|守《まも》りつつ
|千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|亡《ほろ》びなき |高《たか》きほまれを|現《あら》はして
|栄《さか》えの|身魂《みたま》となさしめむ ケリヤが|今《いま》|宣《の》る|言霊《ことたま》を
|心《こころ》に|刻《きざ》みて|片時《かたとき》も |決《けつ》して|忘《わす》るる|事《こと》|勿《なか》れ
|左守神《さもりのかみ》が|今《いま》|茲《ここ》に |竜雲司《りううんつかさ》に|成《な》り|代《かは》り
|一同《いちどう》に|向《むか》つて|述《の》べておく あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|宣示《せんじ》し、|悠々《いういう》として|座《ざ》につく。
|右守神《うもりのかみ》のハルマを|始《はじ》め、|其《その》|他《た》の|人々《ひとびと》の|脱線的《だつせんてき》|歌《うた》は|沢山《たくさん》あれ|共《ども》、|余《あま》りくだくだしければ|省略《しやうりやく》する|事《こと》とする。
(大正一一・九・二一 旧八・一 松村真澄録)
第二篇 |松浦《まつうら》の|岩窟《がんくつ》
第九章 |濃霧《のうむ》の|途《みち》〔九九七〕
|常世《とこよ》の|国《くに》の|自在天《じざいてん》 |大国別《おほくにわけ》の|珍《うづ》の|子《こ》と
|生《うま》れ|出《い》でたるサガレン|王《わう》は |顕恩郷《けんおんきやう》を|後《あと》にして
ペルシヤの|国《くに》を|横断《わうだん》し |印度《インド》の|国《くに》を|遠近《をちこち》と
さまよひ|廻《めぐ》り|漸《やうや》くに シロの|島《しま》へと|安着《あんちやく》し
バラモン|教《けう》の|御教《みをしへ》を |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|宣《の》り|伝《つた》へ
|漸《やうや》く|茲《ここ》に|時《とき》を|得《え》て |神地《かうぢ》の|都《みやこ》のバンガロー
|青垣山《あをがきやま》を|三方《さんぱう》に |清《きよ》くめぐらす|絶頂《ぜつちやう》の
|地点《ちてん》に|館《やかた》を|立《た》て|並《なら》べ シロ|一国《いつこく》の|主権者《しゆけんじや》と
|仰《あふ》がれここにケールス|姫《ひめ》を |娶《めと》りて|御代《みよ》を|治《をさ》めしが
|漸次《ぜんじ》に|悪魔《あくま》のつけ|狙《ねら》ふ |其《その》|有様《ありさま》は|味《あぢ》のよき
|木《こ》の|実《み》に|虫《むし》のわく|如《ごと》く |八岐大蛇《やまたをろち》の|醜霊《しこみたま》
いろいろさまざま|身《み》を|変《へん》じ |妖術《えうじゆつ》|使《つか》ふ|竜雲《りううん》と
|現《あら》はれ|来《きた》りてバンガロー |神地《かうぢ》の|館《やかた》に|侵入《しんにふ》し
あらゆる|手段《しゆだん》をめぐらして ケールス|姫《ひめ》の|側《そば》|近《ちか》く
|進《すす》み|寄《よ》りたる|凄《すさま》じさ |蟻穴《ぎけつ》は|遂《つひ》に|堤防《ていばう》を
|崩《くづ》すの|比喩《たとへ》に|漏《も》れずして さしもに|固《かた》き|神館《かむやかた》
サガレン|王《わう》の|居城《きよじやう》をば |苦《く》もなく|茲《ここ》に|占領《せんりやう》し
|暴威《ばうゐ》を|揮《ふる》ふ|憎《にく》らしさ |忠臣《ちうしん》|義士《ぎし》に|助《たす》けられ
やうやく|危難《きなん》を|免《まぬが》れて |九五《きうご》の|位《くらゐ》に|立《た》ち|乍《なが》ら
|其《その》|身《み》を|以《もつ》て|逃《のが》れたる サガレン|王《わう》は|大野原《おほのはら》
|吹《ふ》き|来《く》る|風《かぜ》にも|心魂《しんこん》を |痛《いた》めながらも|河森《かうもり》の
|河辺《かはべ》を|伝《つた》ひてスタスタと テーリス、エームス|両人《りやうにん》と
セムの|里《さと》へと|忍《しの》び|来《く》る |深《ふか》き|谷間《たにま》に|霧《きり》こめて
|水音《みなおと》ばかり|淙々《そうそう》と |響《ひび》き|渡《わた》れる|川《かは》の|辺《べ》に
|進《すす》み|来《きた》れる|折《をり》もあれ |心《こころ》|汚《きたな》き|竜雲《りううん》が
|差《さし》まはしたる|目附役《めつけやく》 |数人《すうにん》|許《ばか》りの|若者《わかもの》は
|一方口《いつぱうぐち》の|谷路《たにみち》に |霧《きり》に|紛《まぎ》れて|身《み》を|隠《かく》し
|手具脛《てぐすね》ひいて|待《ま》ちゐたり かかる|企《たく》みのあることは
|夢《ゆめ》にも|知《し》らぬ|主従《しゆじう》が |声《こゑ》も|静《しづ》かに|宣伝歌《せんでんか》
|歌《うた》ひながらにシトシトと |下《くだ》り|行《ゆ》くこそ|危《あや》ふけれ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ。
テーリスは|路々《みちみち》|歌《うた》ふ。
『|天津御空《あまつみそら》の|雲《くも》|分《わ》けて あもりましたる|世《よ》の|元《もと》の
|神《かみ》の|御祖《みおや》と|現《あ》れませる |常世《とこよ》の|国《くに》の|自在天《じざいてん》
|大国彦《おほくにひこ》の|其《その》|御裔《みすゑ》 |国別彦《くにわけひこ》の|神司《かむつかさ》
サガレン|王《わう》の|吾《わが》|君《きみ》は |神地《かうぢ》の|都《みやこ》、バンガロー
|珍《うづ》の|館《やかた》に|現《あ》れまして |天《あめ》の|下《した》なる|人草《ひとぐさ》を
|恵《めぐ》み|守《まも》らせ|玉《たま》ひつつ |仁慈無限《じんじむげん》の|政事《まつりごと》
|開《ひら》かせ|玉《たま》ふ|折柄《をりから》に |此《この》|世《よ》を|紊《みだ》す|曲津神《まがつかみ》
|醜《しこ》の|大蛇《をろち》の|現《あら》はれて ケールス|姫《ひめ》を|誑惑《きやうわく》し
|遂《つひ》に|進《すす》んで|王位《わうゐ》をば |占領《せんりやう》せむと|村肝《むらきも》の
|心《こころ》を|砕《くだ》き|朝夕《あさゆふ》に |名利《めいり》にはやる|曲人《まがびと》を
|説《と》きつ|諭《さと》しつ|知《し》らぬ|間《ま》に |同気《どうき》|求《もと》むる|悪党《あくたう》の
|団結《だんけつ》|強《つよ》くつき|固《かた》め |忠誠《ちうせい》の|士《し》を|悉《ことごと》く
|無辜《むこ》の|罪名《ざいめい》|負《お》はせつつ |一人《ひとり》も|残《のこ》らず|牢獄《らうごく》に
|投込《なげこ》みおきて|竜雲《りううん》は おのれが|非望《ひばう》を|達《たつ》せむと
|企《たく》み|居《ゐ》たりし|恐《おそ》ろしさ |吾《われ》は|始《はじ》めて|竜雲《りううん》が
|神地《かうぢ》の|都《みやこ》に|来《きた》りしゆ |怪《あや》しき|者《もの》と|推量《すゐりやう》し
|彼《かれ》が|心《こころ》を|探《さぐ》らむと |心《こころ》にもなき|阿諛《へつらひ》を
|会《あ》ふ|度《たび》|毎《ごと》に|並《なら》べ|立《た》て |漸《やうや》く|彼《かれ》に|見出《みいだ》だされ
すべての|計画《けいくわく》|一々《いちいち》に それとはなしにあちこちと
|探《さぐ》り|得《え》たりし|嬉《うれ》しさよ さはさり|乍《なが》ら|徒《いたづら》に
あばき|立《た》てなば|悪神《あくがみ》の |仕組《しぐみ》の|罠《わな》に|陥《おちい》らむ
|心《こころ》は|千々《ちぢ》に|逸《はや》れども ヂツと|胸《むね》をば|抑《おさ》へつつ
|尚《なほ》も|進《すす》みて|竜雲《りううん》が |腹《はら》を|叩《たた》けば|案《あん》の|定《ぢやう》
レール、キングス、ベツトする |其《その》|謀計《ぼうけい》はありありと
|手《て》に|取《と》る|如《ごと》く|見《み》えにける あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|大国彦大御神《おほくにひこのおほみかみ》 |何卒《なにとぞ》|彼《かれ》が|計略《けいりやく》を
|根本的《こんぽんてき》に|覆《くつが》やし |心《こころ》の|底《そこ》より|曲神《まがかみ》を
|改《あらた》めしめてバラモンの |誠《まこと》の|道《みち》に|降服《かうふく》し
サガレン|王《わう》の|御前《おんまへ》に |清《きよ》き|正《ただ》しき|真心《まごころ》を
|捧《ささ》げまつりて|誠忠《せいちう》の |臣《おみ》となさしめ|玉《たま》へよと
|祈《いの》りし|事《こと》も|水《みづ》の|泡《あわ》 |悪心《あくしん》|益々《ますます》|増長《ぞうちよう》し
ケールス|姫《ひめ》を|踏台《ふみだい》に |種々《しゆじゆ》の|画策《くわくさく》|日《ひ》に|月《つき》に
|進《すす》みて|茲《ここ》にクーデターの |大惨劇《だいさんげき》を|演《えん》じけり
さはさり|乍《なが》ら|天地《あめつち》に |正《ただ》しき|神《かみ》のます|限《かぎ》り
|善《ぜん》を|助《たす》けて|悪神《あくしん》を こらさせ|玉《たま》ふは|目《ま》のあたり
|只《ただ》|今日《けふ》の|身《み》は|是非《ぜひ》もなし |暫《しばら》く|姿《すがた》を|山奥《やまおく》に
|隠《かく》して|時《とき》を|松風《まつかぜ》の |尾《を》の|上《へ》を|吹《ふ》きて|竜雲《たつくも》を
|打《う》ち|払《はら》ふべき|神策《しんさく》を |心《こころ》|静《しづ》かにめぐらせつ
|捲土重来《けんどぢゆうらい》バンガロー |再《ふたた》び|王《わう》の|都《みやこ》とし
|吾等《われら》|二人《ふたり》が|忠誠《ちうせい》を |現《あら》はし|君《きみ》の|御心《みこころ》を
|慰《なぐさ》めまつらむ|今《いま》|暫《しば》し |忍《しの》ばせ|玉《たま》へサガレン|王《わう》
テーリス、エームス|両人《りやうにん》が |心《こころ》の|限《かぎ》り|身《み》のきはみ
|千変万化《せんぺんばんくわ》の|大秘術《だいひじゆつ》 |尽《つく》して|御身《おんみ》を|始《はじ》めとし
|之《これ》の|御国《みくに》を|泰山《たいざん》の |安《やす》きに|救《すく》ひまつるべし
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|霧込《きりこ》むる|河森川《かうもりがは》の|谷道《たにみち》を|伝《つた》ひ|伝《つた》ひて、セムの|里《さと》を|越《こ》え、|松浦《まつうら》の|里《さと》の|小糸《こいと》の|館《やかた》を|指《さ》して、|忍《しの》び|行《ゆ》かむと|道《みち》を|急《いそ》ぎぬ。
エームスは|又《また》|歌《うた》ふ。
『|渺茫千里《べうばうせんり》の|海原《うなばら》に |浮《うか》びて|清《きよ》きシロの|島《しま》
|神《かみ》の|司《つかさ》や|国《くに》の|君《きみ》 |二《ふた》つを|兼《か》ねて|治《しろ》しめす
|国別彦《くにわけひこ》のサガレン|王《わう》 |其《その》|仁徳《じんとく》は|天ケ下《あめがした》
|四方《よも》の|草木《くさき》に|至《いた》るまで |恵《めぐみ》の|露《つゆ》を|垂《た》れ|玉《たま》ひ
|君《きみ》のほまれは|大空《おほぞら》を |輝《かがや》きわたる|天津日《あまつひ》か
|夜《よる》の|守《まも》りとあれませる |月《つき》の|如《ごと》くに|輝《かがや》きて
きらめき|渡《わた》る|星《ほし》の|如《ごと》 まつろひ|来《きた》る|神人《かみびと》も
|数《かず》ある|中《なか》に|黒雲《くろくも》は |忽《たちま》ち|中空《ちうくう》に|巻《ま》き|起《おこ》り
|雲入道《くもにふだう》と|現《あら》はれし |曲《まが》の|変化《へんげ》の|竜雲《りううん》が
|月日《つきひ》を|隠《かく》し|諸星《もろぼし》の |光《ひかり》を|包《つつ》みて|此《この》|国《くに》は
|暫《しば》しは|常夜《とこよ》の|闇《やみ》となり |天《あま》の|岩戸《いはと》は|閉《と》ざされて
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜狐《しこぎつね》 |曲鬼《まがおに》|探女《さぐめ》|醜女《しこめ》|等《ら》は
|五月蠅《さばへ》の|如《ごと》く|湧《わ》きみちて |黒白《あやめ》も|分《わ》かぬ|世《よ》となりぬ
|曲《まが》に|組《くみ》する|悪神《あくがみ》の ケリヤ、ハルマを|始《はじ》めとし
ベールやメール、ヨール|迄《まで》 |名利《めいり》の|慾《よく》に|晦《くら》まされ
|大恩《たいおん》|深《ふか》き|吾《わが》|君《きみ》を |見棄《みす》つるのみか|危害《きがい》まで
|加《くは》へて|一味《いちみ》の|慾望《よくばう》を |立《た》てむとしたる|愚《おろか》さよ
|御空《みそら》は|雲《くも》に|包《つつ》まれて |星《ほし》さへ|見《み》えぬ|世《よ》ありとも
|神《かみ》の|伊吹《いぶき》の|神風《かみかぜ》は |何時迄《いつまで》|吹《ふ》かであるべきぞ
|天地《てんち》は|元《もと》より|活物《いきもの》と |神《かみ》の|教《をしへ》を|聞《き》くからは
|又《また》もや|吹《ふ》かむ|時津風《ときつかぜ》 |満天《まんてん》|墨《すみ》を|流《なが》す|如《ごと》
|包《つつ》みし|醜《しこ》の|黒雲《くろくも》も |拭《ぬぐ》ふが|如《ごと》く|晴《は》れわたり
|光輝《くわうき》|赫々《かくかく》|万物《ばんぶつ》を |伊照《いて》らし|玉《たま》ふ|日月《じつげつ》の
|光《ひかり》を|見《み》むは|目《ま》のあたり |神《かみ》の|司《つかさ》よ|大君《おほぎみ》よ
|必《かなら》ず|心《こころ》を|悩《なや》まして |身《み》をば|弱《よわ》らせ|玉《たま》ふまじ
テーリス、エームス|始《はじ》めとし サール、ウインチ、シルレング
ユーズ、アナンやゼム、エール セールの|司《つかさ》の|真心《まごころ》は
|必《かなら》ず|天《てん》に|貫徹《くわんてつ》し |誠《まこと》の|花《はな》の|咲《さ》き|出《い》でて
|再《ふたた》び|君《きみ》の|御治世《ごぢせい》の |実《みの》りを|結《むす》ぶは|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|心《こころ》にましまさむ |吾等《われら》は|之《これ》より|大君《おほぎみ》を
|松浦《まつら》の|里《さと》のバラモンの |小糸《こいと》の|館《やかた》に|導《みちび》きて
|茲《ここ》に|神示《しんじ》を|奉戴《ほうたい》し |時節《じせつ》を|待《ま》つて|竜雲《りううん》が
|醜《しこ》の|望《のぞ》みを|根底《こんてい》より |顛覆《てんぷく》させむ|待《ま》て|暫《しば》し
|神《かみ》の|御水火《みいき》に|現《あ》れませる |科戸《しなど》の|風《かぜ》の|空《そら》|高《たか》く
|吹《ふ》きすさぶまで|日月《じつげつ》の |再《ふたた》び|此《この》|世《よ》に|現《あら》はれて
|悪魔《あくま》の|頭《かしら》をてらすまで あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》のまにまに|村肝《むらきも》の |心《こころ》を|洗《あら》ひ|身《み》を|清《きよ》め
サガレン|王《わう》の|御為《おんため》に |仮令《たとへ》|生命《いのち》はすつるとも
|忠義《ちうぎ》に|固《かた》き|武夫《もののふ》の |誠《まこと》を|徹《とほ》さでおくべきや
|赤《あか》き|心《こころ》のいつ|迄《まで》も |輝《かがや》きわたらでおくべきか
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |大国彦大神《おほくにひこのおほかみ》の
|御前《みまへ》に|慎《つつし》み|願《ね》ぎまつる |御前《みまへ》に|畏《かしこ》み|願《ね》ぎまつる』
と|声《こゑ》も|静《しづ》かに|祈《いの》りつつ、|轟々《がうがう》たる|激流《げきりう》の|音《おと》を|便《たよ》りに|川辺伝《かはべつた》ひに|霧《きり》の|中《なか》を|進《すす》み|行《ゆ》く。
|此《この》|谷川《たにがは》には|常《つね》に|濃霧《のうむ》|立《た》ちこめ、|数多《あまた》の|大蛇《をろち》、|猛獣《まうじう》などの|好適《かうてき》の|棲息所《せいそくしよ》と|自然《しぜん》になつてゐた。|山賊《さんぞく》などの|白昼《はくちう》|出没《しゆつぼつ》するも、|大部分《だいぶぶん》|此《この》|道筋《みちすぢ》である。|王《わう》の|一行《いつかう》は|竜雲《りううん》の|捕手《とりて》の|追及《つゐきふ》を|恐《おそ》れて、|心《こころ》ならずも|此《この》|難路《なんろ》を|選《えら》まれたのである。
(大正一一・九・二二 旧八・二 松村真澄録)
第一〇章 |岩隠《いはがく》れ〔九九八〕
サガレン|王《わう》は|路々《みちみち》|歌《うた》ふ。
『|常世《とこよ》の|国《くに》の|自在天《じざいてん》 |大国彦《おほくにひこ》の|裔《すゑ》の|子《こ》と
|生《うま》れ|出《い》でたる|吾《われ》こそは |国別彦《くにわけひこ》の|神司《かむつかさ》
イホの|都《みやこ》をやらはれて メソポタミヤの|顕恩郷《けんおんきやう》
|鬼雲彦《おにくもひこ》と|諸共《もろとも》に |教《をしへ》を|伝《つた》ふる|折柄《をりから》に
|三五教《あななひけう》の|神司《かむつかさ》 |太玉神《ふとだまかみ》が|現《あら》はれて
|善言美辞《ぜんげんびじ》の|言霊《ことたま》を |放《はな》ちたまへばバラモンの
|大棟梁《だいとうりやう》と|僣称《せんしよう》する |鬼雲彦《おにくもひこ》はおぢ|恐《おそ》れ
|其《その》|醜体《しうたい》を|暴露《ばくろ》して いづくともなく|逃《に》げ|失《う》せぬ
|大国別《おほくにわけ》の|子《こ》と|現《あ》れし |幼《をさな》き|吾《われ》を|奇貨《きくわ》となし
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|虐《しひた》げて |暴威《ばうゐ》を|振《ふる》ひし|天罰《てんばつ》の
|誡《いまし》めこそは|畏《おそ》ろしき |吾《われ》は|夫《それ》より|顕恩《けんおん》の
|郷《さと》を|逃《のが》れてフサの|国《くに》 |月《つき》の|国《くに》をば|逍遥《せうえう》し
あらゆる|山河《さんが》を|跋渉《ばつせふ》し |千辛万苦《せんしんばんく》を|忍《しの》びつつ
ボーナの|海峡《かいけふ》|打《う》ち|渡《わた》り |錫蘭《シロ》の|島根《しまね》に|安着《あんちやく》し
|沐雨櫛風《もくうしつぷう》の|難《なん》をへて |漸《やうや》くここにバンガロー
|神地《かうぢ》の|都《みやこ》に|進《すす》み|入《い》り |御祖《みおや》の|神《かみ》の|開《ひら》きてし
バラモン|教《けう》を|遠近《をちこち》と |布《し》き|拡《ひろ》めたる|甲斐《かひ》ありて
|万民《ばんみん》|悉《ことごと》|悦服《えつぷく》し |遂《つひ》に|推《お》されて|王《わう》となり
サガレン|王《わう》と|呼《よ》ばれつつ ケールス|姫《ひめ》と|諸共《もろとも》に
|神《かみ》の|教《をしへ》や|祭《まつ》り|事《ごと》 |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|大神《おほかみ》に
|誓《ちか》ひて|仕《つか》ふる|折《をり》もあれ |雲《くも》を|起《おこ》して|下《くだ》り|来《く》る
|醜《しこ》の|曲津《まがつ》の|竜雲《りううん》が |剣《つるぎ》の|舌《した》に|屠《ほふ》られて
|姫《ひめ》は|全《まつた》く|捕虜《ほりよ》となり |吾《われ》に|向《むか》つてウラル|教《けう》
|信仰《しんかう》せよと|責《せ》め|来《きた》る あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|大国彦大神《おほくにひこのおほかみ》の |御裔《みすゑ》とあれし|吾《わが》|身魂《みたま》
|如何《いか》でかウラルの|御教《みをしへ》に |仕《つか》へまつらむ|事《こと》を|得《え》む
|神《かみ》の|怒《いか》りもおそろしと |心《こころ》を|極《きは》めて|唯《ただ》|一人《ひとり》
|教《をしへ》を|守《まも》り|居《ゐ》たりしが |魔神《まがみ》の|勢《いきほ》ひ|日《ひ》に|月《つき》に
|栄《さか》え|来《きた》りて|今《いま》|此処《ここ》に |吾《われ》はつれなき|草枕《くさまくら》
|寄《よ》る|辺《べ》|渚《なぎさ》の|捨小舟《すてをぶね》 |頼《たの》む|蔭《かげ》とて|立《た》ちよれば
|猶《なほ》|袖《そで》ぬらす|常磐木《ときはぎ》の |松《まつ》の|下露《したつゆ》|冷《つめ》たけれ
さはさりながら|皇神《すめかみ》の |恵《めぐみ》の|露《つゆ》は|乾《かわ》かずに
|吾《わが》|身《み》を|霑《うるほ》したまひつつ テームス、エームス|両人《りやうにん》が
|誠忠《せいちう》|無比《むひ》の|真心《まごころ》に |漸《やうや》く|危難《きなん》を|助《たす》けられ
|此《この》|身《み》|一《ひと》つはやすらかに |此処迄《ここまで》|落《おち》のび|来《きた》りけり
|思《おも》へば|思《おも》へば|有難《ありがた》や |三五教《あななひけう》を|奉《ほう》じたる
テーリス、エームス|両人《りやうにん》が われに|仕《つか》へし|時《とき》よりも
バラモン|教《けう》を|奉《ほう》じつつ |心《こころ》の|中《なか》は|麻柱《あななひ》の
|誠《まこと》|一《ひと》つを|立《た》て|通《とほ》し |吾《われ》を|助《たす》けて|今《いま》|此処《ここ》に
|誘《いざな》ひ|来《きた》りし|真心《まごころ》は |天地《てんち》の|神《かみ》も|明《あきら》かに
|知《し》ろしめすらむ|惟神《かむながら》 |神《かみ》の|御前《みまへ》に|真心《まごころ》を
|捧《ささ》げて|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |魔神《まがみ》は|如何《いか》に|猛《たけ》るとも
|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ |誠《まこと》|一《ひと》つを|立《た》て|通《とほ》し
|唯《ただ》|身《み》を|神《かみ》に|打任《うちまか》し |過去《くわこ》を|憂《うれ》へず|将来《しやうらい》を
|案《あん》じ|過《すご》さず|今《いま》のみを やすく|守《まも》りて|神《かみ》の|道《みち》
この|瞬間《しゆんかん》に|善《ぜん》を|云《い》ひ |善《ぜん》を|行《おこな》ひ|善《ぜん》|思《おも》ふ
これぞ|天地《てんち》の|神《かみ》の|子《こ》と |生《うま》れ|出《い》でたる|人《ひと》の|身《み》の
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|慎《つつし》みて |尽《つく》しまつらむ|道《みち》ならめ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|御霊《みたま》の|幸《さち》はひて
|松浦《まつら》の|里《さと》に|至《いた》るまで |如何《いか》なる|曲《まが》もさはりなく
|心《こころ》|平《たひら》にやすらかに |進《すす》ませたまへ|惟神《かむながら》
|国治立大御神《くにはるたちのおほみかみ》 |大国彦大神《おほくにひこのおほかみ》の
|御前《みまへ》にかしこみねぎまつる あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
|一行《いつかう》は|嶮岨《けんそ》な|谷道《たにみち》を、|夜《よ》を|日《ひ》についで|逃《のが》れ|来《きた》りしこととて、|足《あし》も|疲《つか》れ|体《からだ》も|何《なん》となく|倦怠《けんたい》の|気分《きぶん》になつて|来《き》た。もはや|此処迄《ここまで》|落《お》ち|延《の》ぶれば|一安心《ひとあんしん》と、|谷道《たにみち》の|傍《かたへ》に|土《つち》から|生《は》えたるが|如《ごと》く|現《あらは》れたる|大巨岩《だいきよがん》の|傍《かたはら》に|休息《きうそく》して、|一昨夜《いつさくや》の|騒動《さうだう》を|追懐《つゐくわい》しながら、|窈々《ひそひそ》と|話《はなし》に|耽《ふけ》りつつあつた。
|早《はや》くも|竜雲《りううん》の|部下《ぶか》の|捕吏《ほり》は、ヨールに|引率《いんそつ》され、|名自《めいめい》|鋭利《えいり》なる|手槍《てやり》を|提《ひつさ》げ、|装束《しやうぞく》もいと|軽々《かるがる》しく、|草鞋《わらぢ》、|脚絆《きやはん》の|扮装《いでたち》にて、|黒頭巾《くろづきん》を|被《かぶ》り|黒《くろ》の|衣《ころも》を|甲斐々々《かひがひ》しく|纒《まと》ひながら、サガレン|王《わう》|一行《いつかう》の|落《お》ち|延《の》び|来《きた》るを|今《いま》や|遅《おそ》しと|待《ま》つて|居《ゐ》た。|此《この》|谷道《たにみち》は|東西《とうざい》に|嶮《けは》しき|山《やま》、|壁《かべ》の|如《ごと》くに|屹立《きつりつ》し、|其《その》|谷間《たにま》を|流《なが》るる|河森川《かうもりがは》の|細道伝《ほそみちづた》ひに|霧《きり》|籠《こ》む|中《なか》を|下《くだ》り|来《き》たのである。|濃霧《のうむ》のため、|二三間《にさんげん》|先《さき》の|人影《ひとかげ》はどうしても|見《み》る|事《こと》は|出来《でき》なかつた。
|三人《さんにん》は|漸《やうや》くにして|身体《しんたい》の|疲《つか》れも|回復《くわいふく》し、|又《また》もや|立《た》つて|谷道《たにみち》を|下《くだ》らうとする|時《とき》、|些《すこ》しく|下手《しもて》に|当《あた》つて|怪《あや》しき|人声《ひとごゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》た。テーリスは|其《その》|声《こゑ》にどこともなく|聞《き》き|覚《おぼ》えがあつた。テーリスは|小声《こごゑ》になり、
『もし|王様《わうさま》、あの|声《こゑ》は|確《たしか》に|竜雲《りううん》の|部下《ぶか》ヨールの|声《こゑ》で|御座《ござ》います。|悪《あく》に|抜目《ぬけめ》のなき|竜雲《りううん》|奴《め》、|王様《わうさま》を|道《みち》にて|捕《とら》へむと、すばしこくも|此処《ここ》に|先廻《さきまは》りをして|待《ま》たせて|居《ゐ》ると|見《み》えまする。コリヤうつかりしては|居《を》られますまい。|先《ま》づ|暫《しば》し|声《こゑ》を|潜《ひそ》めて……|幸《さいは》ひ|霧《きり》の|中《なか》、|彼等《かれら》が|通過《つうくわ》するのを|待《ま》つ|事《こと》に|致《いた》しませうか?』
|王《わう》『どこ|迄《まで》も|水《みづ》も|漏《も》らさぬ|彼等《かれら》が|計略《けいりやく》、|実《じつ》に|呆《あき》れたものだ。|汝《なんぢ》が|云《い》ふ|如《ごと》く、|暫《しばら》く|此処《ここ》に|潜《ひそ》むで|彼等《かれら》が|動静《どうせい》を|窺《うかが》ふ|事《こと》と|致《いた》さう』
エームス『もし|王様《わうさま》、アレあの|通《とほ》り|四五人《しごにん》の|声《こゑ》がザワザワと|近《ちか》よつて|参《まゐ》りました。|早《はや》く|此《こ》の|岩《いは》の|後《うしろ》に|隠《かく》れませう』
|王《わう》はうなづきながら、|大岩石《だいがんせき》の|後《うしろ》に|二人《ふたり》と|共《とも》に|身《み》を|隠《かく》した。|直径《ちよくけい》|四丈《しぢやう》|許《ばか》りもあらうと|思《おも》ふ|大岩石《だいがんせき》である。|三人《さんにん》は|濃霧《のうむ》に|包《つつ》まれ、|其《その》|岩《いは》の|後《うしろ》に|忍《しの》んで、ヨールの|部下《ぶか》の|通過《つうくわ》するのを|待《ま》つ|事《こと》とした。
ヨールはサガレン|王《わう》の|一行《いつかう》が|此《この》|岩《いは》の|後《うしろ》に|隠《かく》れ|居《ゐ》るとは|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|何事《なにごと》か|小声《こごゑ》に|囁《ささや》きながら|大岩《おほいは》の|前《まへ》に|来《きた》り、
『サア|皆《みな》の|者《もの》、|此処《ここ》で|暫《しばら》く|息《いき》をやすめ|鋭気《えいき》を|養《やしな》ひ、サガレン|王《わう》、テーリス、エームスの|悪人《あくにん》|共《ども》が|落《お》ちのびて|来《く》るのを|待《ま》つ|事《こと》にしよう。|此《この》|地点《ちてん》は|実《じつ》に|絶好《ぜつかう》の|場所《ばしよ》だ。|東西《とうざい》に|岩山《いはやま》は|屹立《きつりつ》し、|一方《いつぱう》は|細《ほそ》き|喉首《のどくび》のやうな|谷道《たにみち》、|北《きた》は|胸《むね》|突《つ》く|許《ばか》りの|急坂《きふはん》、|此処《ここ》へやつて|来《く》るに|相違《さうゐ》ない。さうすれば|袋《ふくろ》の|鼠《ねずみ》も|同様《どうやう》だ。マア|悠《ゆつく》りと|水《みづ》でも|飲《の》んで|鋭気《えいき》を|養《やしな》ひ、|首尾《しゆび》|克《よ》く|三人《さんにん》を|生擒《いけど》り、|竜雲様《りううんさま》にお|誉《ほ》めの|言葉《ことば》を|頂《いただ》かうぢやないか。|今《いま》が|出世《しゆつせ》のしどきだ。この|期《き》を|失《しつ》しては、いつの|日《ひ》か|抜群《ばつぐん》の|巧妙《かうめう》を|現《あら》はす|事《こと》が|出来《でき》よう。|思《おも》へば|思《おも》へば|実《じつ》に|幸運《かううん》が|向《む》いて|来《き》たものだワイ』
レツト『ヨールさま、|万々一《まんまんいち》サガレン|王《わう》が|此《この》|道《みち》へ|来《こ》なかつたらどうしませう。それこそ|薩張《さつぱり》|駄目《だめ》ですなア。|屹度《きつと》|南下《なんか》して|来《く》るには|限《かぎ》つて|居《を》りますまい。もしも|王《わう》が|道《みち》を|北《きた》に|採《と》り、|遠《とほ》くボーカ|湾《わん》を|越《こ》えて、|印度《いんど》のデカタン|高原《かうげん》の|方《はう》へでも|逃《に》げて|居《ゐ》たら、それこそ|骨折損《ほねをりぞん》の|疲労《くたびれ》まうけ、どうする|事《こと》も|出来《でき》ないぢやありませぬか』
ヨール『そこが|運否《うんぷ》|天賦《てんぷ》だ。|吾々《われわれ》に|幸福《かうふく》の|神《かみ》が|守《まも》つて|居《を》れば、キツと|王《わう》の|一行《いつかう》は|此《この》|道《みち》を|採《と》るに|違《ちが》ひない。もしも|又《また》カールの|一行《いつかう》に|幸福《かうふく》の|神《かみ》が|宿《やど》つて|居《ゐ》るならば、キツと|王《わう》の|一行《いつかう》は、ボーカ|海峡《かいけふ》を|渡《わた》つて|印度《いんど》に|走《はし》る|道《みち》を|採《と》るに|違《ちが》ひない。それだと|云《い》つて、|一《ひと》つの|体《からだ》で|両方《りやうはう》へ|行《ゆ》く|訳《わけ》にも|往《ゆ》かず、|諺《ことわざ》に……|二兎《にと》を|追《お》ふものは|一兎《いつと》をも|得《え》ず……と|云《い》ふ|事《こと》がある。|吾々《われわれ》は|神《かみ》の|思召《おぼしめ》しのまにまに|遵奉《じゆんぽう》するに|若《し》くはない。さすれば|神様《かみさま》は|吾々《われわれ》の|至誠《しせい》を|御照覧《ごせうらん》|遊《あそ》ばして、キツと|手柄《てがら》をさして|下《くだ》さるに|違《ちが》ひないわ。それよりも|計略《はかりごと》が|漏《も》れては|一大事《いちだいじ》だ。ここ|暫《しばら》く|沈黙《ちんもく》を|守《まも》つて、|王《わう》の|一隊《いつたい》の|近《ちか》づくのを|待《ま》ち|受《う》ける|事《こと》にしよう。|今《いま》|迄《まで》は|随分《ずゐぶん》|各自《めいめい》に|発言《はつげん》|機関《きくわん》を|虐待《ぎやくたい》して|来《き》たが、もはや|戦場《せんぢやう》に|向《むか》つたも|同様《どうやう》だから、|言霊《ことたま》の|停電《ていでん》を|厳命《げんめい》する。|皆《みな》の|奴《やつ》、|静《しづか》にものを|云《い》へ。イヤ、だまつてものを|云《い》ひたければ|云《い》つたがよい』
ビツト『もはや|膝栗毛《ひざくりげ》も|疲《つか》れ|果《は》て、|言霊《ことたま》も|亦《また》|原料《げんれう》が|欠乏《けつぼう》し、|止《や》むを|得《え》ず|口脚《こうきやく》|共《とも》に|停電《ていでん》の|余儀《よぎ》なき|羽目《はめ》に|陥《おちい》つて|了《しま》つた。どうでせう|皆《みな》さま、|胃《ゐ》の|腑《ふ》の|倉庫《さうこ》が、|余程《よほど》|空虚《くうきよ》になつたと|見《み》え、|喉《のど》が|汽笛《きてき》を|吹《ふ》き|出《だ》しました。|一《ひと》つ|此処《ここ》で|弁当《べんたう》を|胃《ゐ》の|腑《ふ》へ|格納《かくなふ》して|鋭気《えいき》を|養《やしな》ひ、|時期《じき》を|待《ま》つ|事《こと》にしませうか』
ヨール『それもよからう。サア|早《はや》く|掻《か》き|込《こ》め|掻《か》き|込《こ》め』
と|各自《めいめい》に、|握飯《むすび》を|出《だ》して|甘《うま》さうに|頬張《ほほば》つて|居《ゐ》る。
|王《わう》の|一行《いつかう》は|息《いき》を|凝《こ》らして、|此《この》|話《はなし》を|一言《ひとこと》も|漏《も》らさじと|聞《き》き|耳《みみ》|立《た》てて|居《ゐ》た。
レツト『もう|是《こ》れで|腹《はら》は|出来《でき》た。|腹《はら》の|虫《むし》|奴《め》が|頻《しき》りに|催促《さいそく》の|矢《や》を|放射《はうしや》し|居《を》つたが|格納庫《かくなふこ》の|所有者《しよいうしや》たる|吾々《われわれ》も、もはや|是《これ》で|責任《せきにん》が|果《はた》せたと|云《い》ふものだ。|悠々自適《いういうじてき》、|国家《こくか》の|興亡《こうばう》われ|関《くわん》せず|焉《えん》と|云《い》つたやうな|気分《きぶん》になつて|来《き》た。おいビツト、|其《その》|瓢箪《へうたん》をこちらへ|借《か》せ。|何《なん》と|云《い》つても|神徳《しんとく》の|高《たか》きサガレン|王《わう》に|向《むか》ふのだから、|一杯《いつぱい》|機嫌《きげん》でなくては|到底《たうてい》|刃向《はむか》ふ|事《こと》は|出来《でき》ないからなア』
ヨール『おいビツト、|一《ひと》つ|此処《ここ》で|元気《げんき》をつけて|敵《てき》を|待《ま》つ|事《こと》にしよう。|其《その》|酒《さけ》をここへ|出《だ》せ。|併《しか》し|乍《なが》ら、こいつは|余程《よほど》|酒精《アルコール》がきついから|沢山《たくさん》|飲《の》んではいけない。|第一《だいいち》|足《あし》を|先《さき》に|取《と》られるから|用心《ようじん》して|飲《の》め。|決《けつ》して|度《ど》を|過《すご》してはいけないぞ』
と、|先《ま》づ|自分《じぶん》から|五升《ごしよう》|許《ばか》り|入《はい》る|瓢《ひさご》の|口《くち》から、グウグウとラツパ|呑《の》みを|始《はじ》め、|瓢《ふくべ》をレツトに|渡《わた》し|終《をは》り、|両方《りやうはう》の|手《て》で|自分《じぶん》の|額《ひたひ》をピシヤツと|叩《たた》き、
『アヽ|何《なん》と|云《い》ふ|酒《さけ》だ。こんな|甘《うま》い|酒《さけ》は|生《うま》れてから|飲《の》んだことはない。どうしてまアこれ|程《ほど》|甘《うま》くなつたのだらう』
ビツト『そりやさうでせうとも。|瓢箪酒《へうたんざけ》と|云《い》つて、|特別《とくべつ》|酒《さけ》の|味《あぢ》がよくなるものです。さうして|今日《けふ》で|三日間《みつかかん》も、ドブドブドブと|揺《ゆす》つて|来《き》たのだから、|本当《ほんたう》に|呑《の》み|加減《かげん》になつて|居《ゐ》ます。そこへ|体《からだ》がどことはなしにホツとして|居《ゐ》ますから、|一入《ひとしほ》|味《あぢ》がよくなつたやうに|見《み》えるのですよ。……|喉《のど》のかわいた|時《とき》や|泥田《どろた》の|水《みづ》も、|飲《の》めば|甘露《かんろ》の|味《あぢ》がする……と、|都々逸《どどいつ》にもあるぢやありませぬか』
ヨール『おいレツト、|貴様《きさま》|計《ばか》り|独占《どくせん》して|居《を》らずに|早《はや》く|俺《おれ》の|方《はう》へも|廻《まは》さぬか』
ビツト『もしもしヨールの|大将《たいしやう》、そりやちつと|御無理《ごむり》です。あなたは|先《さき》に|一口《ひとくち》お|飲《あが》りになつたぢやありませぬか。|今《いま》レツトが|飲《の》んだのだから|次《つぎ》が|私《わたし》の|番《ばん》だ。それからランチ、ルーズの|両人《りやうにん》にも|分配《ぶんぱい》してやらねばなりますまい。|一順《いちじゆん》まはる|迄《まで》まつて|下《くだ》さい。|最前《さいぜん》から|喉《のど》の|虫《むし》がゴロゴロ|云《い》つて|催促《さいそく》をして|居《ゐ》ますから……』
レツト『そんなら|早《はや》く|呑《の》め。さうして|早《はや》く|一順《いちじゆん》すまして、ヨールさまに|渡《わた》すのだぞ』
ビツト『|承知《しようち》|致《いた》しました』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|逢《あ》うた|時《とき》に|笠《かさ》ぬげ|主義《しゆぎ》で、ガブガブと|瓢箪《へうたん》の|口《くち》から|口呑《くちのみ》をはじめた。それからクルリクルリと|廻《まは》り|呑《のみ》にして、いつしか|自分《じぶん》の|使命《しめい》も|忘《わす》れてしまひ、|瓢《ひさご》の|酒《さけ》をすつぱりと|空《そら》にしてしまつた。|五人《ごにん》は|漸《やうや》く|酒《さけ》が|廻《まは》り|足《あし》を|取《と》られ、|互《たがひ》に|大《おほ》きな|声《こゑ》で|管《くだ》をまき|始《はじ》めた。
(大正一一・九・二二 旧八・二 加藤明子録)
第一一章 |泥酔《でいすゐ》〔九九九〕
ヨール、レツト、ビツト、ランチ、ルーズの|一行《いつかう》は|瓢《ひさご》の|酒《さけ》に|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れ、|足《あし》をとられて|其《その》|場《ば》に|倒《たふ》れたまま、|廻《まは》らぬ|舌《した》の|根《ね》からソロソロと|下《くだ》らぬ|熱《ねつ》を|吹《ふ》き|立《た》てる。|酒《さけ》を|飲《の》めば|腰《こし》を|抜《ぬ》かす、|愚図《ぐづ》をこねる、|飲《の》まねば|悪事《あくじ》をする、|博奕《ばくち》を|打《う》つ、|女《をんな》を|追《お》ひ|掛《か》ける、|如何《どう》にも|斯《か》うにも|始末《しまつ》にをへぬ|代物《しろもの》ばかりである。
レツト『オイ、|兄弟《きやうだい》、|何《なん》といい|気分《きぶん》になつて|来《き》たぢやないか。|舌《した》は|適度《てきど》に|縺《もつ》れて|来《く》る、|足《あし》は|舟《ふね》に|乗《の》つた|様《やう》に|地《ち》の|上《うへ》に|浮《う》いて|来《き》た。もう|斯《か》うなつては|此《この》|急坂《きうはん》をセツセと|汗《あせ》を|流《なが》して、【テク】の|継続《けいぞく》|事業《じげふ》をやる|必要《ひつえう》もなくなつたぢやないか……|乱雑骨灰《らんざつこつぱひ》|落花微塵《らくくわみぢん》、|煙塵《えんぢん》|空《くう》を|捲《ま》いて|風《かぜ》に|散《ち》る……と|云《い》ふ|様《やう》な|大騒動《おほさうどう》が|起《おこ》つて|来《き》てもビクとも|致《いた》さぬ|某《それがし》だ。かう|巧《うま》く|酒《くす》の|神《かみ》の|御守護《ごしゆご》が|幸《さち》はひ|給《たま》ふと、|何《なん》とはなしに|此《この》|間《あひだ》の|晩《ばん》のサガレン|王《わう》の|身《み》の|上《うへ》に、|一掬《いつきく》|同情《どうじやう》の|涙《なみだ》を|濺《そそ》ぎたくなつたぢやないか。|大《おほい》に|多恨《たこん》の|才士《さいし》をして|懐旧《くわいきう》の|情《なさけ》を|起《おこ》さしむるに|足《た》るだ。|何《なん》と|胃《ゐ》の|腑《ふ》の|格納庫《かくなふこ》は|充実《じうじつ》し、|腹中《ふくちう》の|酒樽《さかだる》は|恰《あだか》も|祝詞《のりと》の|文句《もんく》ぢやないが……|甕瓶高知《みかのへたかし》り、|甕《みか》の|腹満《はらみて》|並《なら》べて|赤丹《あかに》の|穂《ほ》に|聞《きこ》し|召《め》せと、|畏《かしこ》み|畏《かしこ》みも|申《まを》す……と|云《い》つた|塩梅式《あんばいしき》だ。なあヨールの|大将《たいしやう》、もう|斯《こ》んな|良《い》い|気分《きぶん》になつて|来《く》ればヨールもヒールもあつたものぢやない。|一《ひと》つ|此処《ここ》でゴロンと|木《き》の|根《ね》に|薬罐《やつかん》を|載《の》せて|一眠《ひとねむ》りする|事《こと》にしようかい。|枕《まくら》と|云《い》ふ|字《じ》は|木扁《きへん》に|尤《もつとも》と|書《か》くのだからな。エー、エプツ、ガラガラガラガラ……』
ビツト『あゝ|臭《くさ》い|臭《くさ》い、チツと|心得《こころえ》ぬか、|風上《かざかみ》に|廻《まは》りよつて……|八月《はちぐわつ》の|大風《おほかぜ》ぢやないが|蕎麦《そば》の|迷惑《めいわく》だぞ。|如何《どう》やら|心《こころ》の|土台《どだい》がグラつき|出《だ》して、|俺《おれ》やもうサガレン|王様《わうさま》の|心《こころ》がおいとしうなつて|来《き》た。|何程《なにほど》|出世《しゆつせ》さして|呉《く》れると|云《い》つても、|猫《ねこ》の|目《め》の|玉《たま》ほどクレクレと|変《かは》る|竜雲《りううん》の|親方《おやかた》では、チツと|心細《こころぼそ》いぢやないか』
ヨール『コラコラ、|宜《よ》い|加減《かげん》に|心得《こころえ》ぬかい。それだから|余《あんま》り|酒《さけ》を|飲《の》むなと|云《い》ふのだ。|困《こま》つた|代物《しろもの》だなア。|大事《だいじ》な|用《よう》を|持《も》ち|乍《なが》ら|肝腎《かんじん》の|時《とき》に|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れよつて、|何故《なにゆゑ》|腹《はら》の|中《なか》と|相談《さうだん》して|飲《の》まないのだ。|身《み》|知《し》らず|奴《め》が!』
ビツト『エー、|八釜《やかま》しう|云《い》ふない。|何《いづ》れ|腰《こし》が|抜《ぬ》けるのだ。サガレン|王《わう》の|御威勢《ごゐせい》に|恐《おそ》れて|腰《こし》を|抜《ぬ》かすか、|酒《さけ》に|酔《よ》うて|腰《こし》を|抜《ぬ》かすか、|何《いづ》れ|腰《こし》を|抜《ぬ》かす|十分《じふぶん》の|可能性《かのうせい》を|具備《ぐび》してるのだよ。|人《ひと》の|頭《かしら》に|立《た》つ|者《もの》は、さう|何《なん》でもない|事《こと》を|捉《とら》まへてコセコセ|云《い》ふものぢやないわ。チツと|腹《はら》を|広《ひろ》う|持《も》ち、|肝玉《きもだま》を|太《ふと》くし、|心《こころ》を|大《おほ》きうしたら|如何《どう》だ。|頭《かしら》が|廻《まは》らにや|尾《を》が|廻《まは》らぬと|云《い》ふぢやないか。|一体《いつたい》ヨールの|大将《たいしやう》は|偉《えら》さうに|云《い》つてるが|腰《こし》が|立《た》つのかい』
ヨール『|事《こと》にヨールと|立《た》つ|事《こと》もあり、|立《た》たぬ|事《こと》もあるわ。|兎《と》も|角《かく》|大将《たいしやう》たるものは|自《みづか》ら|働《はたら》くを|要《えう》せず、|克《よ》く|人《ひと》に|任《にん》じ、|大局《たいきよく》に|当《あた》り|小事《せうじ》に|焦慮《あせ》らず|拘泥《こうでい》せず、|部下《ぶか》の|賢愚《けんぐ》|良否《りやうひ》を|推知《すゐち》して、|各《おのおの》|其《その》|能力《のうりよく》を|揮《ふる》はしむるものだよ。|人《ひと》の|将《しやう》たるべき|者《もの》|将《まさ》に|務《つと》むべき|事《こと》は|大将《たいしやう》の|襟度《きんど》だ。|俺《おれ》あアル|中《ちう》で|腰《こし》が|立《た》たなくても、|貴様達《きさまたち》を|指揮《しき》する|権能《けんのう》があるのだから、そんな|心配《しんぱい》をして|呉《く》れるな。ただ|貴様達《きさまたち》は|此《こ》のヨールの|命令《めいれい》に|従《したが》つて、|犬馬《けんば》の|労《らう》を|執《と》りさへすれば|宜《よ》いのだ。エーエー、|貴様達《きさまたち》の|面《つら》は|何《なん》だ。|四角《しかく》になるかと|思《おも》へば|三角《さんかく》になり、|目玉《めだま》を|七《なな》つも|八《やつ》つも|十《とを》も|顔《かほ》にひつ|付《つ》けよつて、|醜面《しこつら》の|包囲《はうゐ》|攻撃《こうげき》は|如何《いか》に|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》のヨールさまだつて、あまりいい|気持《きもち》はせぬワ。チツと|配下《はいか》の|奴《やつ》どもシツカリ|致《いた》さぬかい。|何《なん》だ|千騎一騎《せんきいつき》の|場合《ばあひ》になつて、|腰《こし》が|抜《ぬ》けたの、サガレン|王《わう》が|恐《おそ》ろしいのと|亡国的《ばうこくてき》の|哀音《あいおん》を|吐《は》き、|絶望的《ぜつばうてき》の|悲哀《ひあい》を|帯《お》びた|其《その》|弱《よわ》い|言霊《ことたま》、|実《じつ》に|吾々《われわれ》も|斯様《かやう》な|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》な|部下《ぶか》を|引《ひき》ずり|出《だ》して|来《き》たかと|思《おも》へば、|豈《あに》|絶望《ぜつばう》の|淵《ふち》に|沈《しづ》まざるを|得《え》むやだ……ゲー、ウツ、プ、ガラガラガラ、アヽ|苦《くる》しい、|酒《さけ》の|奴《やつ》まで|大腹川《おほはらがは》を|逆流《ぎやくりう》しだしたワ』
レツト『ヤイ、ヨールの|大将《たいしやう》、もう|徐々《そろそろ》と|現《あら》はれる|刻限《こくげん》ですぜ。|今《いま》にエームスやテーリスの|謀反人《むほんにん》が|出《で》て|来《き》たら|如何《どう》|処置《しよち》する|考《かんが》へだ。それを|一《ひと》つ|今《いま》の|中《うち》に|決定《けつてい》して|置《お》かねば、さあ|今《いま》となつて、|盗人《ぬすびと》を|捕《とら》へてソロソロ|繩《なは》を|綯《な》ふ|様《やう》な【へま】な|事《こと》も|出来《でき》ますまいぜ』
ヨール『|何《なに》、|心配《しんぱい》するな。|此《この》ヨールさまには|一《ひと》つの|考案《かうあん》があるのだ。|君子的《くんしてき》|否《いな》|紳士的《しんしてき》|文明的《ぶんめいてき》のやり|方《かた》を|以《もつ》て、|力《ちから》|一杯《いつぱい》|舌《した》の|推進機《すゐしんき》を|廻転《くわいてん》し、|戦《たたか》はずして|敵《てき》をプロペラペラと|言向和《ことむけやは》す|成算《せいさん》があるのだ。ジヤンジヤヘールの|胸中《きようちう》が、|貴様達《きさまたち》の|様《やう》なガラクタに|分《わか》つて|堪《たま》るかい。|何《なん》といつても|其処《そこ》はヨールさまだよ』
|斯《か》く|話《はな》す|折《をり》しも|大岩《おほいは》の|後《うしろ》の|方《はう》から|声《こゑ》も|涼《すず》しく|謡《うた》ふ|者《もの》がある。|五人《ごにん》の|奴《やつ》は|余《あま》りの|泥酔《でいすゐ》に|目《め》も|碌《ろく》に|見《み》えず、|耳《みみ》はガンガンと|警鐘《けいしよう》を|乱打《らんだ》した|様《やう》に、|物《もの》の|音色《ねいろ》も|弁別《べんべつ》がつかない|処《ところ》まで|聴音機《ちやうおんき》が|狂《くる》うて|居《ゐ》る。
ヨール『そら|如何《どう》だ。|天《てん》は|正義《せいぎ》に|与《くみ》すると|云《い》つてな、|俺達《おれたち》の|誠忠《せいちう》を|憐《あは》れみ|給《たま》ひ、|天《てん》の|一方《いつぱう》より|妙音菩薩《めうおんぼさつ》が、|此《この》|千引《ちびき》の|岩《いは》の|後《うしろ》より|天《あめ》の|八重雲《やへくも》を|掻《か》き|分《わ》けて|現《あら》はれ|給《たま》ひ、|鈴虫《すずむし》か|松虫《まつむし》かと|云《い》ふ|様《やう》な|美音《びおん》を|放《はな》つて|酒《さけ》の|興《きよう》を|添《そ》へ、|疲《つか》れきつた|精神《せいしん》に|新生命《しんせいめい》を|授《さづ》けて|下《くだ》さるぢやないか。|斯《か》うなるとヨールさまも|余《あま》り|馬鹿《ばか》にならないぞ。アーン』
レツト『|何《なん》だか|知《し》らぬが、|俺達《おれたち》には|如何《どう》も|苛性曹達《かせいさうだ》を|耳《みみ》の|穴《あな》へ|突《つ》つ|込《こ》んだ|様《やう》な|気分《きぶん》になつて|来《き》たワイ。オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、シツカリせぬか。どうやら|怪《あや》しいぞ。|雨《あめ》か、|風《かぜ》か、はた|雷鳴《らいめい》か、|地震《ぢしん》か、|親爺《おやぢ》か、|火事《くわじ》か、|何《な》んだか|知《し》らぬが、|余《あんま》りよい|気分《きぶん》がせぬぢやないか』
ヨール『|八釜《やかま》しう|云《い》ふな。|心《こころ》|一《ひと》つの|持《も》ち|様《やう》で、|善言美詞《ぜんげんびし》の|言霊《ことたま》も|悪言暴語《あくげんぼうご》に|聞《きこ》えたり、|又《また》|甘露《かんろ》も|泥水《どろみづ》の|味《あぢ》がしたりするのだ。|貴様《きさま》は|余《あんま》り|向《むか》ふ|見《み》ずに|酒《さけ》を|喰《くら》ひよつたものだから、|聴声器《ちやうせいき》に|異状《いじやう》をきたし、こんな|妙音菩薩《めうおんぼさつ》の|御託宣《ごたくせん》が|鬼哭愁々然《きこくしうしうぜん》として|響《ひび》くのだ。それよりも|胴《どう》を|据《す》ゑてモ|一杯《いつぱい》やれ』
レツト『やれと|云《い》つたつて|瓢箪《へうたん》の|奴《やつ》、|早《はや》くも|売切《うりき》れ|品切《しなぎ》れの|札《ふだ》を|出《だ》しよつたぢやないか。|何程《なにほど》|尻《けつ》を|叩《たた》いて|見《み》た|処《ところ》で、もう|此《この》|上《うへ》は|一滴《いつてき》の|酒《さけ》だつて|出《で》るものぢやない。|百姓《ひやくしやう》と|糠袋《ぬかぶくろ》は|絞《しぼ》れば|絞《しぼ》る|程《ほど》|出《で》ると|云《い》ふけれど、|是《これ》は|又《また》|如何《どう》した|拍子《ひやうし》の|瓢箪《へうたん》やら、|蚊《か》の|涙《なみだ》|程《ほど》も|出《で》て|来《こ》ぬぢやないか。アーアもう|何《なに》もかも|嫌《いや》になつてしまつた。|俺《おれ》はもうサツパリ|改心《かいしん》したよ。|万々一《まんまんいち》|王様《わうさま》が|此処《ここ》へお|越《こ》しになつたら、|低頭平身《ていとうへいしん》|七重《ななへ》の|膝《ひざ》を|八重《やへ》|九重《ここのへ》|十重《とへ》|二十重《はたへ》に|折《を》つてお|詫《わび》をして、それでも|許《ゆる》さぬと|仰有《おつしや》つたら|首《くび》でも|刎《は》ねて|貰《もら》ふ|積《つも》りだ。|乍然《しかしながら》|俺《おれ》の|首《くび》はチツとばかり|必要《ひつえう》があるから|尚早論《しやうさうろん》を|主張《しゆちやう》し、ヨールの|素首《そつくび》を|代表的《だいへうてき》|犠牲物《ぎせいぶつ》として|刎《は》ねて|貰《もら》ふのだな。|大将《たいしやう》となれば、それだけの|覚悟《かくご》がなくては|部下《ぶか》を|用《もち》ふる|事《こと》は|到底《たうてい》|不可能《ふかのう》だ。なあヨールの|大将《たいしやう》、|吾輩《わがはい》の|云《い》ふことがチツとは|肯綮《こうけい》に|嵌《はま》りますかな、|否《いな》|肯定《こうてい》するでせうなア』
ヨール『|八釜《やかま》しいわい。|何《なん》と|冴《さ》えきつた|音色《ねいろ》ぢやないか。サガレン|王《わう》とか|何《なん》とか|聞《きこ》えて|来《く》る。ヤイモウ|宜《い》い|加減《かげん》にシツカリして|腰《こし》を|上《あ》げぬかい』
ビツト『|何程《なにほど》|上《あ》げと|云《い》つても、|此《この》|方《はう》は|万劫末代《まんごふまつだい》ビツトも|動《うご》かぬのだから|実《じつ》に|大《たい》したものだ。アツハヽヽヽのオツホヽヽヽだ』
|歌《うた》の|声《こゑ》は|益々《ますます》|冴《さ》え|来《きた》る。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》す |尊《たふと》き|神《かみ》の|御教《おんをしへ》
|曲津《まがつ》の|神《かみ》に|迷《まよ》はされ |神地《かうぢ》の|都《みやこ》に|現《あ》れませる
サガレン|王《わう》に|刃向《はむか》ひて |悪逆無道《あくぎやくむだう》の|罪科《つみとが》を
|重《かさ》ね|来《きた》りし|人々《ひとびと》も その|源《みなもと》を|尋《たづ》ぬれば
|高皇産霊《たかみむすび》や|神皇産霊《かむみむすび》 |陰《いん》と|陽《やう》との|神々《かみがみ》の
|水火《いき》より|生《うま》れし|者《もの》なれば |何《いづ》れも|尊《たふと》き|神《かみ》の|御子《みこ》
|時世時節《ときよじせつ》の|力《ちから》にて |醜《しこ》の|魔風《まかぜ》に|吹《ふ》かれつつ
|知《し》らず|知《し》らずに|罪《つみ》の|淵《ふち》 |陥《おちい》る|者《もの》も|最多《いとおほ》し
|皇大神《すめおほかみ》も|憐《あは》れみて |罪《つみ》や|穢《けがれ》に|染《そ》まりたる
|其《その》|曲人《まがひと》を|助《たす》けむと |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|御心《みこころ》を
|配《くば》らせ|給《たま》ひ|三五《あななひ》の |神《かみ》の|教《をしへ》やバラモンの
|珍《うづ》の|教《をしへ》を|開《ひら》きまし |此《この》シロ|島《じま》に|現《あ》れまして
|四方《よも》を|包《つつ》みし|村雲《むらくも》を |科戸《しなど》の|風《かぜ》に|吹《ふ》き|散《ち》らし
|闇《やみ》に|迷《まよ》へる|国人《くにびと》を |明《あか》きに|救《すく》ひ|上《あ》げ|給《たま》ふ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》は|吾等《われら》と|倶《とも》にあり
|心《こころ》|穢《きたな》き|竜雲《りううん》に |媚《こ》び|諂《へつら》ひて|諸々《もろもろ》の
|曲《まが》を|尽《つく》せし|人々《ひとびと》を |誠《まこと》の|道《みち》の|教《をしへ》にて
|言向《ことむ》け|和《やは》し|天国《てんごく》の |栄《さか》えの|園《その》に|導《みちび》きて
|救《すく》ひ|奉《まつ》らむサガレン|王《わう》の |神《かみ》の|命《みこと》の|御心《おんこころ》
|仰《あふ》げば|高《たか》し|久方《ひさかた》の |天津御空《あまつみそら》に|聳《そそ》り|立《た》つ
|地教《ちけう》の|山《やま》も|啻《ただ》ならず |天教山《てんけうざん》に|厳高《いづたか》く
|鎮《しづ》まりいます|皇神《すめかみ》の |恵《めぐみ》の|露《つゆ》は|四方《よも》の|国《くに》
|青人草《あをひとぐさ》は|云《い》ふも|更《さら》 |鳥《とり》|獣《けだもの》や|草木《くさき》まで
|清《きよ》き|生命《いのち》を|与《あた》へつつ |神世《かみよ》を|永遠《とは》に|開《ひら》きます
|其《その》|功績《いさをし》ぞ|畏《かしこ》けれ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして ビツト、レツトやヨール|外《ほか》
|二人《ふたり》の|御子《みこ》を|憎《にく》まずに |救《すく》はせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎ|奉《まつ》る |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|助《たす》けにや|措《お》かぬ|岩《いは》の|前《まへ》 |酒《さけ》の|力《ちから》に|倒《たふ》れたる
|五《いつ》つの|身魂《みたま》に|日月《じつげつ》の |清《きよ》き|光《ひか》りを|与《あた》へつつ
|誠《まこと》の|道《みち》に|帰順《きじゆん》させ |救《すく》ひ|与《あた》へむサガレン|王《わう》
テーリス、エームス|三人連《みたりづれ》 |五人《ごにん》の|男《をとこ》に|打《う》ち|向《むか》ひ
|悟《さと》りの|道《みち》を|説《と》き|聞《き》かす あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
ヨール『オイ|皆《みな》の|奴等《やつら》、もう|斯《か》うなつちや|悪《あく》の|身魂《みたま》の|年《ねん》の|明《あ》きだよ。|今《いま》の|歌《うた》を|聞《き》いたか。あれを|聞《き》いた|以上《いじやう》は|俺達《おれたち》の|耳《みみ》は|爽《さはや》かになり、|心《こころ》の|眼《まなこ》は|開《ひら》き、|腹《はら》の|中《なか》は|清《きよ》まり、|胸《むね》の|雲《くも》は|晴《は》れ、|抜《ぬ》かした|腰《こし》は|立上《たちあが》り、|手《て》は|舞《ま》ひ|足《あし》は|踊《をど》り、|何《なん》ともかとも|云《い》へぬ|天地開明《てんちかいめい》の|気分《きぶん》が|漂《ただよ》ひ、|生《うま》れ|変《かは》つた|様《やう》になつて|来《き》たぢやないか。サア|貴様等《きさまら》は|何事《なにごと》も|俺《おれ》の|云《い》ふ|様《やう》にすると|云《い》つたのだから、|今日《けふ》|限《かぎ》り|改心《かいしん》をして|今《いま》|迄《まで》の|悪心《あくしん》を|翻《ひるがへ》し、サガレン|王《わう》に|忠義《ちうぎ》を|尽《つく》すのだよ。ヨモヤ|俺《おれ》の|言葉《ことば》に|違背《ゐはい》する|奴《やつ》はあるまいな』
と|廻《まは》らぬ|舌《した》から、|四人《よにん》の|部下《ぶか》に|朧気《おぼろげ》に|説《と》き|諭《さと》して|居《ゐ》る。
レツト『|誰《たれ》だつて、|悪《あく》を|好《この》んでする|様《やう》な|大馬鹿者《おほばかもの》が|何処《どこ》にあるものかい。お|前《まへ》はサガレン|王《わう》が|悪《あく》だ、あれをベツトして|了《しま》はなくちや|善《ぜん》の|道《みち》がたたぬ。|竜雲様《りううんさま》が|誠《まこと》の|善《ぜん》の|神様《かみさま》だと、|耳《みみ》が|蛸《たこ》になる|程《ほど》お|説教《せつけう》を|聞《き》かしたぢやないか。|俺《おれ》アもうかうなつて|来《く》ると|何方《どちら》が|善《ぜん》だか|悪《あく》だかサツパリ|見当《けんたう》がとれなくなつて|来《き》た。|一体《いつたい》|本当《ほんたう》のことはサガレン|王《わう》が|善《ぜん》か、|竜雲《りううん》が|善《ぜん》か、と|云《い》ふ|事《こと》をハツキリ|聞《き》かして|呉《く》れ。|善《ぜん》と|悪《あく》との|衝突《しようとつ》がなければ、|元《もと》よりこんな|騒動《さうだう》がオツ|始《ぱじ》まる|道理《だうり》がないのだからなア』
ビツト『こらレツト、そんな|劣等《れつと》な|事《こと》を|云《い》ふな。もとより|王様《わうさま》に|反抗《はんかう》すると|云《い》ふのは|悪《あく》に|決《きま》つてるぢやないか』
レツト『それでも|貴様《きさま》、|竜雲《りううん》さまが|斯《か》う|云《い》つて|居《ゐ》たよ。エー、|君《きみ》、|君《きみ》たらずんば|臣《しん》、|臣《しん》たるべからず、|父《ちち》、|父《ちち》たらずんば|子《こ》、|子《こ》たるべからず、と|云《い》はれたぢやないか。それだから|俺《おれ》は|竜雲様《りううんさま》は|本当《ほんたう》に|偉《えら》い|神様《かみさま》だと|信《しん》じて|居《を》るのだ。|天下《てんか》|国家《こくか》の|救主《すくひぬし》だから、|竜雲様《りううんさま》のために|働《はたら》くのは|即《すなは》ち|神様《かみさま》の|為《ため》に|働《はたら》くのだ、|国民《こくみん》|一般《いつぱん》の|為《ため》に|働《はたら》く|善行《ぜんかう》だと|確信《かくしん》して|居《ゐ》るから、|夜《よる》も|碌《ろく》に|眠《ねむ》らず|捨身的《しやしんてき》の|活動《くわつどう》をして|居《ゐ》るのだ。|誰《たれ》でも|竜雲《りううん》を|悪《あく》だと|知《し》つたら、|其《その》|意志《いし》に|従《したが》つて|活動《くわつどう》する|奴《やつ》があるものかい』
ビツト『|君《きみ》、|君《きみ》たらずとも|臣《しん》は|以《もつ》て|臣《しん》たるべし、|父《ちち》、|父《ちち》たらずとも|子《こ》は|以《もつ》て|子《こ》たるべしと|云《い》ふのが、|天津誠《あまつまこと》の|麻柱《あななひ》の|大道《だいだう》だよ。|如何《いか》なる|無理難題《むりなんだい》も|甘《あま》んじて|受《う》けるのが、|忠《ちう》ともなり|孝《かう》ともなるのだ。そんな|貴様《きさま》の|様《やう》な|小理屈《こりくつ》を|云《い》つて|居《ゐ》ては、|何時迄《いつまで》も|世《よ》の|中《なか》は|無事《ぶじ》|太平《たいへい》に|治《をさ》まるものぢやないよ』
ヨール『|兎《と》も|角《かく》も、|此《この》ヨールさまの|命令《めいれい》に|服従《ふくじう》するのだ。サアこれからサガレン|王様《わうさま》にお|詫《わび》だよ』
|一同《いちどう》『はい、|仕方《しかた》がないなア』
(大正一一・九・二二 旧八・二 北村隆光録)
第一二章 |無住居士《むぢうこじ》〔一〇〇〇〕
|松浦《まつうら》の|谷間《たにあひ》|小糸《こいと》の|里《さと》は、|一方《いつぱう》は|千丈《せんぢやう》の|深《ふか》き|谷間《たにま》、|南北《なんぽく》に|流《なが》れ、|岩山《いはやま》の|斜面《しやめん》に|天然《てんねん》の|大岩窟《だいがんくつ》が|穿《うが》たれてゐる。|此《この》|岩窟《がんくつ》に|達《たつ》せむとするには、|細《ほそ》き|岩《いは》の|路《みち》を|右左《みぎひだり》に|飛《と》び|越《こ》え|漸《やうや》くにして|渡《わた》り|得《う》る|実《じつ》に|危険《きけん》|極《きは》まる|場所《ばしよ》である。|一卒《いつそつ》これを|守《まも》れば|万卒《ばんそつ》|越《こ》ゆる|能《あた》はずと|云《い》ふ|天然的《てんねんてき》|要害《えうがい》の|地点《ちてん》である。かつてバラモン|教《けう》の|友彦《ともひこ》が|小糸姫《こいとひめ》と|共《とも》に|草庵《さうあん》を|結《むす》び、|教《をしへ》を|開《ひら》きゐたる|場所《ばしよ》は、|此《この》|岩窟《がんくつ》より|四五丁《しごちやう》|手前《てまへ》の、|極《ごく》|平坦《へいたん》な|地点《ちてん》であつて、そこには|細谷川《ほそたにがは》が|流《なが》れてゐる。
サガレン|王《わう》は|此《この》|平地《へいち》に|俄作《にはかづく》りの|館《やかた》を|結《むす》び、テーリス、エームスなどに|守《まも》らしめ、|自《みづか》らは|岩窟内《がんくつない》|深《ふか》く|入《い》りて、|回天《くわいてん》の|謀《はかりごと》をめぐらしてゐた。|谷路《たにみち》の|大岩《おほいは》の|傍《かたはら》に|王《わう》の|一行《いつかう》を|捉《とら》へむと|手具脛《てぐすね》|引《ひ》いて|待《ま》つてゐた|竜雲《りううん》の|部下《ぶか》、ヨール、ビツト、レツト、ルーズの|改心組《かいしんぐみ》を|初《はじ》め、サール、ウインチ、ゼム、エール、タールチン、キングス|姫《ひめ》は|此《この》|館《やかた》と|岩窟《いはや》の|間《あひだ》を|往復《わうふく》して、|暫《しば》し|此処《ここ》に|足《あし》を|止《とど》め、|王《わう》の|為《ため》に|心身《しんしん》を|悩《なや》ましつつあつた。
テーリス、エームスの|両人《りやうにん》は|平地《へいち》の|館《やかた》に|於《おい》て、|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|集《あつ》め、|武術《ぶじゆつ》を|練《ね》り、|竜雲《りううん》|討伐《たうばつ》の|準備《じゆんび》にかかつてゐる。|其処《そこ》へ|白髪《はくはつ》|異様《いやう》の|老人《らうじん》|只《ただ》|一人《ひとり》、コツコツと|杖《つゑ》の|音《おと》をさせながら|岩路《いはみち》を|登《のぼ》り|来《きた》り、|館《やかた》の|前《まへ》に|立《た》つてバラモン|教《けう》の|神文《しんもん》を|一生懸命《いつしよけんめい》に|称《とな》へてゐる。エームスは|一目《ひとめ》|見《み》るより|慇懃《いんぎん》に|其《その》|老翁《らうをう》を|館《やかた》に|引入《ひきい》れ、|湯《ゆ》を|与《あた》へ|食《しよく》を|供《きよう》し、|四方山《よもやま》の|話《はなし》に|夜《よ》を|更《ふ》かしながら、|遂《つひ》には|其《その》|老翁《らうをう》が|来歴《らいれき》を|尋《たづ》ぬる|事《こと》となつた。
エームス『モシ、あなたの|様《やう》な|御老体《ごらうたい》として、|此《この》|山路《やまみち》を|登《のぼ》り|来《きた》り、|且《かつ》|又《また》|道伴《みちづ》れもなく|行脚《あんぎや》をなされるのは、|何《なに》か|深《ふか》き|御様子《ごやうす》のある|事《こと》でせう。どうぞ|差支《さしつか》へなくば、|概略《あらまし》|御物語《おものがた》りを|願《ねが》ひたう|御座《ござ》います』
『|私《わたし》は|無住居士《むぢゆうこじ》といつて、|生《うま》れた|所《ところ》も|知《し》らねば、|親《おや》も|知《し》らず、|子《こ》もなし、つまり|言《い》へば|天下《てんか》の|浮浪人《ふらうにん》だ。|途中《とちう》にて|承《うけたま》はれば、|此《この》お|館《やかた》にはバラモン|教《けう》の|立派《りつぱ》な|方々《かたがた》がお|集《あつ》まりになり、|武術《ぶじゆつ》の|稽古《けいこ》をなさると|云《い》ふ|事《こと》、|私《わたくし》も|斯《か》う|年《とし》は|老《よ》つて|居《を》れども、|武術《ぶじゆつ》が|大《だい》の|好物《かうぶつ》、|一《ひと》つ|其《その》お|稽古場《けいこば》を|拝見《はいけん》したいもので|御座《ござ》る』
『|無住《むぢゆう》さま、あなたは|遥々《はるばる》と|此処《ここ》へお|越《こ》しになつたのは、|只《ただ》|単《たん》に|武術《ぶじゆつ》の|稽古《けいこ》を|見《み》たい|為《ため》ではありますまい』
『|武術《ぶじゆつ》の|稽古《けいこ》を|見《み》せて|貰《もら》ひたいと|云《い》ふのは、ホンのお|前達《まへたち》に|対《たい》する|体好《ていよ》き|挨拶《あいさつ》だ。|実《じつ》の|所《ところ》はサガレン|王様《わうさま》の|御危難《ごきなん》と|承《うけたま》はり、|此《この》|館《やかた》にお|隠《かく》れ|遊《あそ》ばすと|聞《き》き、はるばると|尋《たづ》ねて|来《き》たのだ』
『|其《その》|王様《わうさま》を|尋《たづ》ねて|何《なん》となさる|御所存《ごしよぞん》か、それが|承《うけたま》はりたい!』
と|稍《やや》|気色《けしき》ばんで、|声《こゑ》を|知《し》らず|知《し》らずに|高《たか》め|問《と》ひかける。
『アハヽヽヽ、|竜雲《りううん》|如《ごと》き|悪神《あくがみ》に|蹂躙《じうりん》され、|金城鉄壁《きんじやうてつぺき》とも|云《い》ふべき|牙城《がじやう》を|捨《す》てて、|女々《めめ》しくも|二人《ふたり》の|部下《ぶか》と|共《とも》に|斯様《かやう》な|所《ところ》まで|生命《いのち》|惜《を》しさに|逃《に》げ|来《きた》り、|岩蜂《いはばち》か|何《なん》ぞの|様《やう》に|岩窟《いはや》の|中《なか》に|身《み》を|潜《ひそ》め、|捲土重来《けんどぢうらい》の|準備《じゆんび》をなすとは、|甚《はなはだ》|以《もつ》て|迂愚千万《うぐせんばん》なやり|方《かた》では|御座《ござ》らぬか。|此方《こちら》に|準備《じゆんび》が|整《ととの》へば、|向方《むかふ》にも|亦《また》それ|相当《さうたう》の|準備《じゆんび》が|出来《でき》るはずだ。|目的《もくてき》を|達《たつ》せむとすれば、|先《ま》づ|第一《だいいち》に|間髪《かんぱつ》を|容《い》れざる|底《てい》の|早業《はやわざ》を|以《もつ》て、|短兵急《たんぺいきふ》に|攻《せ》めよせねば、|到底《たうてい》|勝算《しようさん》の|見込《みこ》みはない。|今《いま》や|竜雲《りううん》は|勝《か》ちに|乗《じやう》じ、|心《こころ》おごり、|殆《ほとん》ど|常識《じやうしき》を|失《うしな》つてゐる|場合《ばあひ》だから、|此《この》|際《さい》に|事《こと》を|挙《あ》げねば、|曠日瀰久《くわうじつびきう》、|無勢力《むせいりよく》なる|味方《みかた》を|集《あつ》め|居《ゐ》る|内《うち》には|向方《むかふ》も|亦《また》|漸《やうや》く|目《め》が|醒《さ》め、|一層《いつそう》|厳重《げんぢゆう》な|警備《けいび》もし、|防禦力《ばうぎよりよく》も|蓄《たくは》へ、まさか|違《ちが》へば|雲霞《うんか》の|如《ごと》き|大軍《たいぐん》を|以《もつ》て、|一挙《いつきよ》に|攻《せ》め|来《きた》るやも|計《はか》り|難《がた》い。|何程《なにほど》|要害《えうがい》|堅固《けんご》の|絶処《ぜつしよ》なればとて、|敵《てき》に|長年月《ちやうねんげつ》|包囲《はうゐ》されようものなら、|水道《すゐだう》は|断《た》たれ、|糧食《りやうしよく》は|欠乏《けつぼう》し、|居《ゐ》|乍《なが》らにして|降服《かうふく》せなくてはなろまい。これ|位《くらゐ》な|考《かんが》へなくして、|如何《どう》して|奸智《かんち》に|長《た》けたる|竜雲《りううん》を|討伐《たうばつ》する|事《こと》が|出来《でき》ようぞ。|又《また》|味方《みかた》の|中《なか》にも|敵《てき》がある|世《よ》の|中《なか》、|能《よ》く|気《き》をつけたがよからうぞや』
『|如何《いか》にも|御説《おせつ》|御尤《ごもつと》も、|併《しか》し|乍《なが》ら|吾々《われわれ》|同志《どうし》は|王《わう》に|対《たい》しては、|誠忠《せいちう》|無比《むひ》の|義士《ぎし》ばかりの|集団《しふだん》なれば、|外《ほか》は|知《し》らず、|決《けつ》して|左様《さやう》な|醜類《しうるゐ》は|混入《こんにふ》してゐない|筈《はず》で|御座《ござ》ります。あなたのお|目《め》にはさう|映《うつ》りますかな』
『アハヽヽヽ、|若《わか》い|若《わか》い、|現《げん》に|此《この》|中《ちう》には|間者《かんじや》が|交《まじ》つて|居《ゐ》る。それが|気《き》もつかぬやうな|事《こと》では、|如何《いか》なる|目的《もくてき》を|立《た》つるとも|九分九厘《くぶくりん》にて、|顛覆《てんぷく》させられて|了《しま》ふであらう』
『|其《その》|間者《まはしもの》といふのは|誰々《たれたれ》で|御座《ござ》いますか』
『それは|今《いま》|茲《ここ》では|申《まを》しますまい。|其《その》|間者《まはしもの》を|看破《かんぱ》する|丈《だけ》の|眼識《がんしき》がなくては|到底《たうてい》|駄目《だめ》だ。|此《この》|館《やかた》に|出入《しゆつにふ》する|人々《ひとびと》の|目《め》の|使《つか》ひ|方《かた》、|足《あし》の|歩《ある》き|方《かた》、|体《からだ》の|動《うご》かし|方《かた》などを、トツクと|御考《おかんが》へなされ! |一目《ひとめ》にして|正邪《せいじや》が|分《わか》るであらう』
エームスは|歎息《たんそく》の|色《いろ》を|表《あら》はし、|双手《もろて》を|組《く》み、さし|俯《うつ》むいて|思案《しあん》にくれてゐる。
テーリスは|始《はじ》めて|口《くち》を|開《ひら》き、
『|無住《むぢゆう》さま、|今回《こんくわい》の|吾々《われわれ》の|計画《けいくわく》は|完全《くわんぜん》に|成功《せいこう》するでせうか。|何卒《なにとぞ》|御神策《ごしんさく》があらば|御教授《ごけうじゆ》を|願《ねが》ひたい』
『アハヽヽヽ、|成功《せいこう》するかせないか、|知《し》らしてくれと|云《い》ふのかな。|左様《さやう》な|確信《かくしん》のないアヤフヤな|事《こと》で、|如何《どう》して|大事《だいじ》が|遂《と》げられるか。|第一《だいいち》お|前達《まへたち》は|心《こころ》の|置《お》き|所《どころ》が|違《ちが》つてゐる。サガレン|王《わう》に|忠義《ちうぎ》の|為《ため》に|心身《しんしん》を|用《もち》ゐるは、|実《じつ》に|臣下《しんか》として|感《かん》ずるの|至《いた》りである。が、|併《しか》し|乍《なが》ら、サガレン|王《わう》|以上《いじやう》の|尊《たふと》き|方《かた》のある|事《こと》は|知《し》つて|御座《ござ》るか。それが|分《わか》らねば|今度《こんど》の|目的《もくてき》は、|気《き》の|毒《どく》|乍《なが》ら|全然《ぜんぜん》|画餅《ぐわへい》に|帰《き》すだらう。|否《いや》|却《かへつ》て|大災害《だいさいがい》を|招《まね》く|因《いん》となるにきまつてゐる。それよりも|今《いま》の|内《うち》に|甲《かぶと》をぬぎ、|竜雲《りううん》の|膝下《しつか》に|茨《いばら》の|鞭《むち》を|負《お》ひ、|降伏《かうふく》を|申《まを》し|込《こ》む|方《はう》が|近道《ちかみち》だ。アハヽヽヽ』
と|肩《かた》をゆすつて、|大《おほ》きく|笑《わら》ふ。テーリスは|少《すこ》しも|無住《むぢゆう》の|言《げん》が|腑《ふ》におちず、たたみかけて|息《いき》もせはしく|問《と》ひかける。
『|吾々《われわれ》は|此《この》シロの|国《くに》に|於《おい》て、サガレン|王《わう》よりも|尊《たふと》い|者《もの》はないと|心得《こころえ》て|居《を》ります。|王《わう》|以上《いじやう》の|尊《たふと》き|者《もの》とは|如何《いか》なる|方《かた》で|御座《ござ》いますか。どうぞ|御教諭《ごけうゆ》を|願《ねが》ひます』
『|其方《そなた》はバラモン|教《けう》の|神司《かむづかさ》、|兼《けん》、|王《わう》の|臣下《しんか》であらう。|三五教《あななひけう》に|信従《しんじゆう》し|乍《なが》ら、|時《とき》の|天下《てんか》に|従《したが》へと|言《い》つたやうな|柔弱《にうじやく》な|考《かんが》へより、|吾《わが》|身《み》の|栄達《えいたつ》を|計《はか》る|為《ため》、サガレン|王《わう》の|奉《ほう》ずるバラモン|教《けう》に|入信《はい》つたのであらうがな。どうぢや、|此《この》|無住《むぢゆう》の|申《まを》す|事《こと》に|間違《まちがひ》があるか』
『ハイ、|仰《あふ》せの|通《とほ》りです。|併《しか》し|乍《なが》ら|決《けつ》して|決《けつ》して|心《こころ》の|底《そこ》より|三五教《あななひけう》を|捨《す》てては|居《を》りませぬ。|何《いづ》れの|神《かみ》の|道《みち》も|元《もと》は|一株《ひとかぶ》だから|吾々《われわれ》の|行動《かうどう》に|付《つ》いては|神《かみ》さまに|対《たい》し、|少《すこ》しも|矛盾《むじゆん》はないと|心得《こころえ》ますが……』
『|何《いづ》れの|道《みち》に|入《い》るも|誠《まこと》の|道《みち》に|変《かは》りはない。|其《その》|事《こと》は|別《べつ》に|咎《とが》めもありますまい。さり|乍《なが》らそこ|迄《まで》|真心《まごころ》を|尽《つく》して|王《わう》の|為《ため》に|努《つと》めむとするならば、|至上《しじやう》|至尊《しそん》の|神《かみ》さまの|為《ため》に、なぜ|真心《まごころ》を|尽《つく》さないのか。|神《かみ》|第一《だいいち》といふ|教《をしへ》の|真諦《しんたい》を|忘《わす》れたのか。|左様《さやう》な|心掛《こころがけ》では|何程《なにほど》|千慮万苦《せんりよばんく》をなすとも|到底《たうてい》|駄目《だめ》だ。|神《かみ》の|御力《おちから》にすがり|奉《まつ》りて、サガレン|王《わう》を|助《たす》けむとする|心《こころ》にならば、|彼《か》の|竜雲《りううん》|如《ごと》き|曲者《くせもの》は、|物《もの》の|数《かず》でもあるまい。|誠《まこと》の|神力《しんりき》さへ|備《そな》はらば、|竜雲《りううん》|如《ごと》きは|日向《ひなた》に|氷《こほり》をさらした|如《ごと》く、|自然《しぜん》の|力《ちから》に|依《よ》りて|自滅《じめつ》するは|当然《たうぜん》の|帰結《きけつ》である。|何《なに》を|苦《くる》しんで、|数多《あまた》の|同志《どうし》を|集《あつ》め、|殺伐《さつばつ》なる|武術《ぶじゆつ》を|練習《れんしふ》するか。|武《ぶ》は|如何《いか》に|熟練《じゆくれん》すればとて|一人《ひとり》を|以《もつ》て|一人《ひとり》に|対《たい》するのみの|働《はたら》きより|出来《でき》まい。|無限絶対《むげんぜつたい》の|神《かみ》の|力《ちから》に|依《よ》り、|汝《なんぢ》が|霊魂《れいこん》の|上《うへ》に|真《まこと》の|神力《しんりき》|備《そな》はらば、|一人《いちにん》の|霊《れい》を|以《もつ》て|一国《いつこく》の|霊《れい》に|対《たい》し|又《また》は|億兆無数《おくてうむすう》の|霊《れい》に|対《たい》しても|恐《おそ》るる|事《こと》はなき|筈《はず》、|又《また》|霊力《れいりよく》さへ|完全《くわんぜん》に|備《そな》はらば、|汝《なんぢ》|一人《いちにん》の|力《ちから》を|以《もつ》て|億兆無数《おくてうむすう》の|力《ちから》に|対《たい》し、|又《また》|汝《なんぢ》|一人《いちにん》の|体《たい》を|以《もつ》て|億兆無数《おくてうむすう》の|体《たい》に|対抗《たいかう》し、よく|其《その》|目的《もくてき》を|貫徹《くわんてつ》する|事《こと》を|得《う》るであらう』
テーリス『|重《かさ》ね|重《がさ》ねの|御教訓《ごけうくん》、|身《み》にしみ|渡《わた》つて|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます。|就《つ》いては|奥《おく》の|岩窟《がんくつ》にサガレン|王《わう》が|居《を》られますから、|御案内《ごあんない》|致《いた》します。どうぞ|一度《いちど》|御面会《ごめんくわい》を|願《ねが》ひます』
『|別《べつ》に|王《わう》に|面会《めんくわい》する|必要《ひつえう》も|認《みと》めぬ。|王《わう》に|於《おい》てわれに|面会《めんくわい》を|望《のぞ》むとあらば、|暫時《ざんじ》の|間《あひだ》タイムをさいてやらう』
エームス『|何《いづ》れの|御方《おかた》かは|知《し》りませぬが、さう|固《かた》く|仰有《おつしや》らずに、どうぞ|王《わう》さまの|前《まへ》までお|越《こ》し|下《くだ》さいませ。|王《わう》は|定《さだ》めてお|喜《よろこ》び|遊《あそ》ばす|事《こと》でせうから……』
『アハヽヽヽ、そこが|矛盾《むじゆん》してゐるといふのだ。われは|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》、|五大洲《ごだいしう》を|股《また》にかけて|万民《ばんみん》の|不朽不滅《ふきうふめつ》の|魂《たましひ》に|永遠無窮《ゑいゑんむきう》の|命《いのち》を|与《あた》ふる|神《かみ》の|使《つかひ》の|宣伝使《せんでんし》だ。|僅《わづか》にかかる|小国《せうこく》を|治《をさ》めかぬる|如《ごと》きサガレン|王《わう》に|対《たい》して、われより|訪問《はうもん》するとは、|天地《てんち》|転倒《てんたう》も|甚《はなはだ》しきものだ。サガレン|王《わう》は|単《たん》に|此《この》|島国《しまぐに》の|人間《にんげん》の|肉体《にくたい》の|短《みじか》き|生命《せいめい》を|保護《ほご》し|監督《かんとく》するだけの|役目《やくめ》だ。|霊魂上《れいこんじやう》の|支配権《しはいけん》は|絶無《ぜつむ》だ。かかる|体主霊従的《たいしゆれいじうてき》|精神《せいしん》の|除《と》れざる|内《うち》は、いかに|神軍《しんぐん》を|起《おこ》すとも、|悪魔《あくま》の|竜雲《りううん》を|言向和《ことむけやは》す|事《こと》は|思《おも》ひも|寄《よ》らぬ|事《こと》である。|最早《もはや》われは|此《この》|場《ば》に|用《よう》なし、さらば……』
と|云《い》ふより|早《はや》く、いそいそとして|立去《たちさ》らむとするを、テーリス、エームス|両人《りやうにん》はあわてて|袖《そで》を|引《ひき》とめ、
『もしもし|無住居士《むぢゆうこじ》さま、|暫《しばら》くお|待《ま》ち|下《くだ》さいませ。|只《ただ》|今《いま》|承《うけたま》はれば、あなたは|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》と|仰有《おつしや》いましたが、|宣伝使《せんでんし》ならば、|何卒《なにとぞ》|吾等《われら》が|誠忠《せいちう》を|憐《あはれ》み、|最善《さいぜん》の|方法《はうはふ》を|教《をし》へ|下《くだ》さいませ。そして|貴方《あなた》は|何教《なにけう》の|宣伝使《せんでんし》で|御座《ござ》いますか。それが|一言《ひとこと》|承《うけたま》はりたう|御座《ござ》います』
『|別《べつ》に|竜雲《りううん》の|如《ごと》き|悪魔《あくま》を|言向和《ことむけやは》すに|就《つ》いては|議論《ぎろん》もヘチマもあつたものでない。|只《ただ》|汝《なんぢ》が|心《こころ》にひそむ|執着心《しふちやくしん》と|驕慢心《けうまんしん》と|自負心《じふしん》を|脱却《だつきやく》し、|只々《ただただ》|惟神《かむながら》の|正道《せいだう》に|立返《たちかへ》りなばそれで|十分《じふぶん》だ。|一《ひと》つの|計画《けいくわく》も|何《なに》も|要《い》つたものでない。アハヽヽヽ』
と|言《い》ひ|棄《す》て、|又《また》もや|袖《そで》ふり|切《き》つて|立去《たちさ》らむとする。テーリスは|泣《な》かぬ|許《ばか》りに|跪《ひざまづ》き、|無住《むぢゆう》の|杖《つゑ》をグツト|握《にぎ》りながら、
『エームスよ、|早《はや》く|王《わう》さまをここへお|迎《むか》へ|申《まを》して|来《こ》よ。|無住居士《むぢゆうこじ》に|今《いま》|帰《かへ》られては、|吾々《われわれ》は|暗夜《あんや》に|航海《かうかい》する|舟《ふね》の|艫櫂《ろかい》を|失《うしな》うたやうなものだ。サア|早《はや》く|早《はや》く……』
と|急《せ》き|立《た》つれば、エームスは|打頷《うちうなづ》きながら、|急《いそ》いで|危《あやふ》き|岩《いは》の|壁《かべ》を|伝《つた》ひ|岩窟《がんくつ》さして|急《いそ》ぎ|行《ゆ》く。
|無住《むぢゆう》『|貴重《きちよう》なタイムを、|仮令《たとへ》|一息《ひといき》の|間《ま》も|空費《くうひ》するは、|天地《てんち》の|神《かみ》さまに|対《たい》して、|誠《まこと》にすまない。|最早《もはや》|無住《むぢゆう》の|用《よう》はなき|筈《はず》、よく|本心《ほんしん》に|立帰《たちかへ》り、|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|自分《じぶん》の|心《こころ》と|相談《さうだん》をなされ』
テーリス『ハイ、|重《かさ》ね|重《がさ》ねの|御教訓《ごけうくん》、|誠《まこと》に|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|就《つ》いては|今《いま》|暫《しばら》くの|間《あひだ》|御待《おま》ちを|願《ねが》ひます。|王《わう》さまの|此処《ここ》へお|出《い》でになる|迄《まで》……』
『サガレン|王《わう》が|今《いま》の|如《ごと》き|精神《せいしん》にてわれに|面会《めんくわい》が|叶《かな》ふと|思《おも》うてゐるか。|取違《とりちがひ》するにも|程《ほど》があるぞよ。われの|正体《しやうたい》を|感知《かんち》する|事《こと》が|出来《でき》るか』
テーリス『ハイ|神様《かみさま》とも|宣伝使《せんでんし》とも|見分《みわ》けがつきませぬ。|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|暫《しばら》くの|御猶予《ごいうよ》を|御願《おねがひ》|申《まを》します』
と|合掌《がつしやう》し、|熱涙《ねつるゐ》を|頬《ほほ》に|流《なが》し|乍《なが》ら|頼《たの》み|入《い》る。
|無住居士《むぢゆうこじ》は|声《こゑ》|爽《さはや》かに、|老人《らうじん》にも|似《に》ず、|勇《いさ》ましき|声音《せいおん》にて|歌《うた》ひ|出《だ》したり。
『あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける とは|云《い》ふものの|世《よ》の|中《なか》は
|顕幽一致《けんいういつち》|善悪不二《ぜんあくふじ》 |善《ぜん》もなければ|悪《あく》もない
|心《こころ》|一《ひと》つの|持《も》ちやうぞ サガレン|王《わう》に|仕《つか》へたる
テーリス、エームス|両人《りやうにん》よ |神《かみ》を|力《ちから》に|誠《まこと》を|杖《つゑ》に
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|真心《まごころ》を |洗《あら》ひ|浄《きよ》めてサガレン|王《わう》の
|君《きみ》の|命《みこと》は|云《い》ふも|更《さら》 |此《この》|世《よ》の|祖《おや》と|現《あ》れませる
|皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に |天地《てんち》|自然《しぜん》の|飾《かざ》りなき
|誠《まこと》の|心《こころ》を|捧《ささ》げつつ |祈《いの》れよ|祈《いの》れ|国《くに》の|為《ため》
|天地《てんち》の|間《あひだ》に|生《お》ひ|立《た》てる すべての|物《もの》になり|代《かは》り
|罪《つみ》を|贖《あがな》ひ|千万《ちよろづ》の |悩《なや》みをわが|身《み》に|甘受《かんじゆ》して
|神《かみ》の|大道《おほぢ》にまつろひし |其《その》|真心《まごころ》を|現《あら》はせよ
|神《かみ》は|汝《なんじ》と|倶《とも》にあり とは|云《い》ふものの|汝《な》が|心《こころ》
いかでか|神《かみ》の|守《まも》らむや |神《かみ》の|守《まも》らす|身魂《みたま》には
|塵《ちり》もなければ|曇《くも》りなし |心《こころ》の|空《そら》は|日月《じつげつ》の
|光《ひかり》さやけく|照《て》りわたり |平和《へいわ》の|風《かぜ》は|永遠《とは》に|吹《ふ》き
|花《はな》は|匂《にほ》ひ|鳥《とり》|歌《うた》ひ |実《みの》りゆたけき|神《かみ》の|国《くに》を
|心《こころ》の|世界《せかい》に|建設《けんせつ》し |宇宙《うちう》の|外《そと》に|身《み》を|置《お》いて
|森羅万象《しんらばんしやう》|睥睨《へいげい》し |元《もと》の|心《こころ》に|帰《かへ》りなば
|汝《なんぢ》は|最早《もはや》|神《かみ》の|宮《みや》 |神《かみ》の|身魂《みたま》となりぬべし
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|大道《おほぢ》をつつしみて
|進《すす》めよ|進《すす》めバラモンの |教《をしへ》を|奉《ほう》ずる|神司《かむづかさ》
それに|従《したが》ふ|人々《ひとびと》よ |此《この》|老翁《らうをう》が|一言《ひとこと》を
|別《わか》れに|臨《のぞ》みてのこしおく あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
われの|姿《すがた》を|村肝《むらきも》の |心《こころ》を|定《さだ》めてよく|悟《さと》れ
サガレン|王《わう》の|来《きた》る|迄《まで》 |待《ま》ちてやりたく|思《おも》へども
タイムの|力《ちから》は|何時《いつ》|迄《まで》も |元《もと》へ|返《かへ》さむ|由《よし》もなし
いざいざさらば いざさらば |二人《ふたり》の|誠《まこと》の|神司《かむづかさ》
ここにて|袂《たもと》を|別《わか》つべし』
といふかと|見《み》れば、|飛鳥《ひてう》の|如《ごと》く|老躯《ろうく》を|物《もの》の|苦《く》にもせず、|足《あし》を|速《はや》めて、|早《はや》くも|濃霧《のうむ》の|中《なか》に|消《き》えて|了《しま》つた。|此《この》|老人《らうじん》は|果《はた》して|何神《なにがみ》の|化身《けしん》であらうか?
(大正一一・九・二二 旧八・二 松村真澄録)
第一三章 |恵《めぐみ》の|花《はな》〔一〇〇一〕
|無住居士《むぢゆうこじ》と|自称《じしよう》する|白髪《はくはつ》の|老人《らうじん》が|蒼惶《さうくわう》として|立去《たちさ》りたる|後《あと》に、テーリスは|腕《うで》を|組《く》み、さし|俯向《うつむ》いて|何事《なにごと》か|考《かんが》へ|込《こ》んで|居《ゐ》る。|今《いま》の|今《いま》まで|勇壮活溌《ゆうさうくわつぱつ》にして|孤骸胡羯《こがいこかつ》を|呑《の》む|的《てき》|武勇《ぶゆう》の|気《き》に|満《み》たされたるテーリスの|耳《みみ》にも「ヤー、エー、トー」と|打《う》ち|合《あ》ふ|竹刀《しなひ》の|音《おと》、|何《なん》となく|物憂《ものう》げに|響《ひび》くやうになつて|来《き》た。|広大無辺《くわうだいむへん》の|神《かみ》の|力《ちから》に|比《くら》ぶれば、|一人対一人《いちにんたいいちにん》の|撃剣術《げきけんじゆつ》に|対《たい》し|何《なん》となく|力《ちから》なく、|自《おのづか》ら|軽侮《けいぶ》の|念《ねん》の|漂《ただよ》はざるを|得《え》なかつた。テーリスは|四辺《あたり》を|見廻《みまは》し|人《ひと》|無《な》きを|見《み》て|独言《ひとりごと》。
『アヽ|今《いま》|此処《ここ》に|飄然《へうぜん》として|現《あら》はれたまひし|宣伝使《せんでんし》と|称《しよう》する|白髪《はくはつ》の|老人《らうじん》は、|果《はた》して|何神《なにがみ》の|化身《けしん》であつたか。|但《ただし》は|何教《なにけう》の|有力《いうりよく》なる|宣伝使《せんでんし》であつたか。|実《じつ》に|其《その》|教訓《けうくん》は|大神《おほかみ》の|示現《じげん》の|如《ごと》くに|感《かん》じられた……|思《おも》へば|思《おも》へば|吾《われ》は|今《いま》まで、|何《なん》と|云《い》ふ|誤解《ごかい》をして|居《ゐ》たのであらう。|幼年《えうねん》の|頃《ころ》より|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》の|三五教《あななひけう》の|道《みち》を|聞《き》きながら、|神《かみ》の|大御心《おほみこころ》を|忘却《ばうきやく》し、|暴《ばう》に|対《たい》するに|暴《ばう》をもつてし、|悪魔《あくま》の|憑依《ひようい》せる|竜雲《りううん》を|討伐《たうばつ》せむとしたる|吾《わが》|心《こころ》の|愚《おろか》さよ、|否《いな》|無残《むざん》さや。|兵《へい》は|所謂《いはゆる》|凶器《きやうき》である。|先《さき》|頃《ごろ》も|一挙《いつきよ》にして|彼《かれ》|竜雲《りううん》を|討伐《たうばつ》せむとし、|数多《あまた》の|部下《ぶか》に|武装《ぶさう》を|凝《こ》らさせ、|神地城《かうぢじやう》の|表門《おもてもん》より|闖入《ちんにふ》し、|敵《てき》を|打《う》ち|悩《なや》まさむとして|却《かへつ》て|味方《みかた》を|傷《きず》つけ|殺《ころ》したる|事《こと》、|返《かへ》す|返《がへ》すも|迂愚《うぐ》の|骨頂《こつちやう》、|拙《せつ》の|拙《せつ》なるもの、|悔《く》いても|及《およ》ばぬ|殺生《せつしやう》をしたものだ。|如斯《かくのごとく》|部下《ぶか》の|人命《じんめい》を|損《そん》し、|天地《てんち》の|神《かみ》の|愛児《あいじ》を|殺《ころ》したる|大罪人《だいざいにん》、|如何《いか》でか|彼《かれ》|竜雲《りううん》を|討伐《たうばつ》する|事《こと》を|得《え》む。|竜雲《りううん》|如何《いか》に|無道《むだう》なればとてタールチン、キングス|姫《ひめ》|其《その》|他《た》の|人々《ひとびと》を|牢獄《らうごく》に|投《とう》じ|苦《くる》しめたれども、|相当《さうたう》の|飲食《いんしよく》を|与《あた》へ、|且《か》つ|身体《しんたい》に|危害《きがい》を|及《およ》ぼさざりしは|実《じつ》に|見上《みあ》げたやり|方《かた》である。|吾《われ》は|彼《かれ》に|勝《まさ》りて|豺狼《さいらう》の|心《こころ》|深《ふか》く、|王《わう》を|思《おも》ひ、|彼《かれ》を|憎《にく》むの|余《あま》り、|竜雲《りううん》に|従《したが》ふ|悪人《あくにん》どもを|片端《かたつぱし》より|鏖殺《おうさつ》し|国家《こくか》の|禍《わざはひ》を|絶《た》たむとして、|却《かへ》つて|敵《てき》の|一人《いちにん》をも|傷《きず》つくる|事《こと》を|得《え》ず、|味方《みかた》の|三分《さんぶ》|迄《まで》|死傷《ししやう》を|生《しやう》じたるは|全《まつた》く|天《てん》の|誡《いまし》めならむ。|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》けたまふとは|此《この》|事《こと》であらう。|竜雲《りううん》も|亦《また》|天地《てんち》|容《い》れざる|大罪人《だいざいにん》なれども|吾《われ》も|亦《また》|彼《かれ》に|劣《おと》らざる|大罪人《だいざいにん》なり。|然《しか》るに|忠臣《ちうしん》|義士《ぎし》と|自任《じにん》して|討伐《たうばつ》を|企《くはだ》てたる|吾《わが》|心《こころ》の|浅《あさ》はかさよ。|彼《かれ》|老人《らうじん》の|言葉《ことば》の|中《なか》に|自負心《じふしん》を|脱却《だつきやく》せよ! と|力《ちから》を|込《こ》め|教《をし》へられたのは|此《この》|事《こと》であらう。|神《かみ》は|一片《いつぺん》の|依怙贔屓《えこひいき》もない。|総《すべ》て|世界《せかい》の|人類《じんるゐ》を|初《はじ》め、|森羅万象《しんらばんしやう》を|平等的《べうどうてき》に|愛《あい》したまふ、|斯《か》かる|仁慈《じんじ》の|大御心《おほみこころ》を|悟《さと》らず、|自分《じぶん》|免許《めんきよ》の|誠《まこと》を|楯《たて》に、|竜雲《りううん》にも|劣《おと》る|罪悪《ざいあく》を|行《おこな》はむとし、|得々《とくとく》として|兵《へい》を|養《やしな》ひ|武《ぶ》を|練《ね》り|居《ゐ》たる|此《この》|恥《はづ》かしさ。サガレン|王《わう》を|初《はじ》め、|吾等《われら》にして|真《しん》に|神《かみ》の|大御心《おほみこころ》を|悟《さと》り、|神《かみ》に|叶《かな》へる|誠《まこと》を|尽《つく》さば、|無限絶対力《むげんぜつたいりよく》の|神《かみ》は|如何《いか》でか|是《これ》を|助《たす》けたまはざらむや。アヽ|誤《あやま》れり|誤《あやま》れり……|国《くに》の|大御祖《おほみおや》|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》、|豊国姫大神《とよくにひめのおほかみ》、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》、|許《ゆる》させたまへ! |惟神《かむながら》|霊《たま》|幸《ち》はへませ……』
と|涙《なみだ》にかき|暮《く》れながら|祈願《きぐわん》に|時《とき》を|移《うつ》す。
|斯《か》かる|処《ところ》へエームスは|危険《きけん》|極《きは》まる|岩壁《がんぺき》を|伝《つた》ひ、サガレン|王《わう》に|従《したが》ひ、|此《この》|館《やかた》の|前《まへ》にいそいそとして|入《い》り|来《きた》り、|四辺《あたり》をキヨロキヨロ|見廻《みまは》し、|以前《いぜん》の|老人《らうじん》の|姿《すがた》の|見《み》えざるに|不審《ふしん》を|抱《いだ》きながらテーリスに|向《むか》ひ、
『オー、テーリス|殿《どの》、|王様《わうさま》をお|迎《むか》へ|申《まを》して|参《まゐ》つた。|彼《あ》の|老人《らうじん》はどこに|居《を》られますかな』
テーリスは|今《いま》|迄《まで》|万感《ばんかん》|交々《こもごも》|胸《むね》に|浮《うか》んで|悔悟《くわいご》の|涙《なみだ》にくれ、|吾《わが》|身《み》の|此処《ここ》にあるをも|殆《ほとん》ど|忘《わす》れて|居《ゐ》たが、エームスの|此《この》|声《こゑ》に、【ハツ】と|気《き》が|付《つ》いたやうに|四辺《あたり》を|見廻《みまは》し、サガレン|王《わう》を|見《み》て|恭《うやうや》しく|頭《かしら》を|下《さ》げ|一礼《いちれい》し|終《をは》つて、
『サガレン|王様《わうさま》、アーよくこそ|御光臨《ごくわうりん》|下《くだ》さいました。|異様《いやう》の|老人《らうじん》|飄然《へうぜん》として|此処《ここ》に|現《あら》はれ、|種々《しゆじゆ》と|尊《たふと》き|教訓《けうくん》を|垂《た》れさせられ、テーリスも|今《いま》|迄《まで》の|愚《ぐ》を|今更《いまさら》の|如《ごと》く|悔悟《くわいご》|致《いた》しました……|唯今《ただいま》|王様《わうさま》が|御出臨《ごしゆつりん》になるから、しばらく|待《ま》つて|下《くだ》さい……と|百方《ひやつぱう》|礼《れい》を|尽《つく》してお|願《ねが》ひ|致《いた》しましたが、|無住居士《むぢゆうこじ》と|名乗《なの》る|老人《らうじん》は……|吾《われ》は|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》だから、|一刻《いつこく》のタイムも|空費《くうひ》する|訳《わけ》には|往《ゆ》かない……と|云《い》つて、|何程《なにほど》お|止《と》め|申《まを》してもお|聞《き》き|入《い》れなく、|袖《そで》を|払《はら》つて|電光石火《でんくわうせきくわ》の|如《ごと》く|立《た》ち|帰《かへ》つて|仕舞《しま》はれました。|折角《せつかく》|此処迄《ここまで》お|越《こ》し|下《くだ》さいまして、|誠《まこと》に|申上《まをしあ》げやうもなき|不都合《ふつがふ》なれども、|何卒《なにとぞ》お|許《ゆる》しを|願《ねが》ひ|上《あ》げまする』
サガレン|王《わう》『|老人《らうじん》の|言葉《ことば》に|汝《なんぢ》は|得《う》る|処《ところ》があつたか、|参考《さんかう》のためわれに|詳細《しやうさい》を|伝《つた》へて|呉《く》れないか』
テーリス『お|言葉《ことば》|迄《まで》も|御座《ござ》いませぬ』
と、|以前《いぜん》の|老人《らうじん》の|教《をしへ》を|諄々《じゆんじゆん》として、|一言《ひとこと》も|漏《も》らさず|王《わう》の|前《まへ》に|上申《じやうしん》するに、|王《わう》は|頭《かうべ》を|傾《かたむ》け|腕《うで》を|組《く》み、しばし|思案《しあん》に|暮《く》れけるが、|漸《やうや》くにして|頭《かうべ》を|上下《じやうげ》に|幾度《いくど》となくふり、
『|成《な》る|程《ほど》! |成《な》る|程《ほど》!』
と|云《い》ひながら、|落涙《らくるゐ》|滂沱《ぼうだ》として|腮辺《しへん》に|伝《つた》ふ。
エームス『|吾等《われら》は|老人《らうじん》の|教《をしへ》を|聞《き》いて、|心《こころ》の|底《そこ》より|悔悟《くわいご》せし|上《うへ》は、もはや|物々《ものもの》しき|武術《ぶじゆつ》の|修練《しうれん》も|必要《ひつえう》なし。|唯《ただ》|天地《てんち》|惟神《かむながら》の|大道《だいだう》に|則《のつと》り、|皇神《すめかみ》の|仁慈無限《じんじむげん》なる|大御心《おほみこころ》に|神《かむ》|倣《なら》ひ、|愛《あい》と|誠《まこと》とを|第一《だいいち》の|武器《ぶき》として|戦《たたか》はむ。テーリス|殿《どの》、|如何《いかが》|思召《おぼしめ》さるるや』
『|王様《わうさま》にして|御同意《ごどうい》|下《くだ》さらば、|唯今《ただいま》|限《かぎ》り|武術《ぶじゆつ》の|練習《れんしふ》を|廃止《はいし》し、|先《ま》ず|第一《だいいち》|着手《ちやくしゆ》として|御魂磨《みたまみが》きにかかりませう』
と|憮然《ぶぜん》として|語《かた》る。サガレン|王《わう》は|莞爾《くわんじ》としてエームスを|伴《ともな》ひ、|再《ふたた》び|元《もと》の|岩窟《がんくつ》の|間《ま》に|帰《かへ》り|往《ゆ》く。
|後《あと》にテーリスは、|武術《ぶじゆつ》|修練場《しうれんば》に|立《た》ち|現《あら》はれ、|稍《やや》|高《たか》き|処《ところ》に|直立《ちよくりつ》して|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
『|今日《けふ》|唯今《ただいま》より|武術《ぶじゆつ》の|修練《しうれん》を|全廃《ぜんぱい》すべし。|汝等《なんぢら》は|王《わう》の|命《めい》に|従《したが》ひ、|今日《けふ》|唯今《ただいま》より|心《こころ》を|清《きよ》め、|身《み》を|清《きよ》め、|仁慈無限《じんじむげん》の|大神《おほかみ》の|大御心《おほみこころ》を|拝戴《はいたい》し、|誠《まこと》|一《ひと》つの|修業《しうげふ》をなせ!』
と|厳然《げんぜん》として|云《い》ひ|渡《わた》したるに、|一同《いちどう》の|中《なか》より|最《もつと》も|撃剣《げきけん》に|上達《じやうたつ》したる、チールと|云《い》ふ|男《をとこ》、テーリスの|前《まへ》に|現《あら》はれ|来《きた》り、
『これはこれは、お|師匠様《ししやうさま》のお|言葉《ことば》とも|覚《おぼ》えず、|大敵《たいてき》を|前《まへ》に|控《ひか》へながら、|肝腎要《かんじんかなめ》の|武術《ぶじゆつ》を|廃止《はいし》したまふは|何故《なにゆゑ》ぞ。|武術《ぶじゆつ》はもつて|国《くに》を|守《まも》るもの、|国家《こくか》の|実力《じつりよく》は|武術《ぶじゆつ》をもつて|第一《だいいち》とす。|然《しか》るに|何《なに》を|血迷《ちまよ》つてか、|斯《かく》の|如《ごと》き|命令《めいれい》を|発《はつ》せらるるや』
と、|息《いき》を|喘《はづ》ませ、|些《すこ》しく|怒気《どき》を|帯《お》びて|言葉《ことば》せはしく|詰《つ》め|寄《よ》つた。テーリスは|冷然《れいぜん》として|答《こた》ふるやう、
『つらつら|考《かんがへ》ふれば、|天《あめ》の|下《した》には|敵《てき》もなければ|味方《みかた》もなし。|総《すべ》ての|敵《てき》は|皆《みな》|吾々《われわれ》の|心《こころ》より|発生《はつせい》し、|次第《しだい》に|成長《せいちやう》して|遂《つひ》には|吾《わが》|身《み》を|亡《ほろ》ぼすに|至《いた》るものである。|心《こころ》に|慈悲《じひ》の|日月《じつげつ》|輝《かがや》き|渡《わた》る|時《とき》は、|天地《てんち》|清明《せいめい》にして|一点《いつてん》の|暗雲《あんうん》もなければ|混濁《こんだく》もない。|凡《すべ》て|敵《てき》と|云《い》ひ|味方《みかた》と|云《い》ふも、|心《こころ》の|迷《まよ》ひから|生《しやう》ずるのだ』
と|事《こと》も|無《な》げに|云《い》ひ|放《はな》つを、チールは、
『|仰《あふ》せの|如《ごと》く|個人《こじん》としての|敵《てき》は、|心《こころ》の|持《も》ちやう|一《ひと》つに|依《よ》つて|自然《しぜん》と|消滅《せうめつ》するでせう。さりながら、|恐《おそ》れ|多《おほ》くも|神地《かうぢ》の|都《みやこ》の|神司《かむづかさ》、サガレン|王《わう》に|向《むか》つて|反逆《はんぎやく》を|企《くはだ》てたる|大悪人《だいあくにん》|竜雲《りううん》なるものは、|王《わう》の|敵《てき》ではありませぬか。|吾々《われわれ》は|王《わう》の|忠良《ちうりやう》なる|臣下《しんか》として、どうして|是《これ》を|看過《かんくわ》する|事《こと》が|出来《でき》ませうか。|何卒《なにとぞ》|御再考《ごさいかう》をお|願《ねが》ひ|致《いた》します』
『|成《な》る|程《ほど》|汝《なんぢ》の|云《い》ふ|如《ごと》く、|竜雲《りううん》は|実《じつ》に|悪逆無道《あくぎやくむだう》の|曲者《くせもの》にして、|主君《しゆくん》の|為《ため》には|大《だい》の|仇敵《きうてき》だ。|臣下《しんか》の|分際《ぶんざい》として|之《これ》を|看過《かんくわ》するは|所謂《いはゆる》|臣《しん》の|道《みち》に|背《そむ》くものである。とは|云《い》へ、|如何《いか》に|竜雲《りううん》|暴悪非道《ばうあくひだう》なりとは|雖《いへど》も、|此《この》|方《はう》より|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|至誠《しせい》をもつて|彼《かれ》に|当《あた》らむか、|必《かなら》ずやその|仁慈《じんじ》の|鞭《むち》に|打《う》たれて、|心《こころ》の|底《そこ》より|王《わう》に|服《まつろ》ひまつり、|今《いま》|迄《まで》の|罪《つみ》を|謝《しや》し|忠実《ちうじつ》なる|臣下《しんか》となりて|仕《つか》ふるは|決《けつ》して|難事《なんじ》ではない。|吾々《われわれ》にして|彼《かれ》|竜雲《りううん》|如《ごと》き|悪人《あくにん》を|言向《ことむ》け|和《やは》し、|悔悟《くわいご》せしむる|事《こと》を|得《え》ずとすれば、これ|全《まつた》く|誠《まこと》の|足《た》らざるものである。|如何《いか》なる|悪魔《あくま》といへども、|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|大神《おほかみ》の|御心《みこころ》を|奉戴《ほうたい》し、|至誠《しせい》|至実《しじつ》を|旨《むね》とし|打《う》ち|向《むか》ふ|時《とき》は、|必《かなら》ずや|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで、|感謝《かんしや》とともに|従《したが》ひまつるは、|火《ひ》を|睹《み》るよりも|明《あきら》かならむ。|先《ま》づ|先《ま》づ|武術《ぶじゆつ》を|思《おも》ひ|止《とど》まり、|一刻《いつこく》も|早《はや》く|魂《たま》を|磨《みが》けよ』
と|再《ふたた》び|宣示《せんじ》した。
チール『|何《なに》は|兎《と》もあれ、|知識《ちしき》に|暗《くら》き|吾々《われわれ》、|長者《ちやうじや》の|言《げん》に|従《したが》ふより|道《みち》はありませぬ。|何卒《なにとぞ》|十二分《じふにぶん》の|御注意《ごちうい》をもつて、|王《わう》の|為《ため》に|尽《つく》されむ|事《こと》を|希望《きばう》|致《いた》します』
テーリス『|然《しか》らばいよいよ|唯今《ただいま》|限《かぎ》り、|此《この》|道場《だうぢやう》は|稽古《けいこ》を|廃止《はいし》して、|御魂磨《みたまみが》きの|神聖《しんせい》なる|道場《だうぢやう》と|致《いた》します。ついては、|今《いま》|此《この》|列座《れつざ》の|中《なか》に|竜雲《りううん》の|密使《みつし》として、|王《わう》|其《その》|他《た》の|有志《いうし》を|捕縛《ほばく》せむと|表面《へうめん》|帰順《きじゆん》を|装《よそほ》ひ|来《きた》れるヨール、ビツト|外《ほか》|三人《さんにん》に|対《たい》し、|今夜《こんや》の|子《ね》の|刻《こく》を|期《き》して|誅戮《ちうりく》を|加《くは》へむ|計劃《けいくわく》なりしも、|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|大神《おほかみ》の|大御心《おほみこころ》に|神《かむ》|倣《なら》ひ、|唯今《ただいま》|限《かぎ》り|其《その》|罪《つみ》を|許《ゆる》すべし。ヨール、ビツト|以下《いか》|三人《さんにん》、|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》つて|神地《かうぢ》の|館《やかた》に|立帰《たちかへ》れ』
と|宣示《せんじ》するや、ヨール|外《ほか》|四人《よにん》はテーリスの|前《まへ》に|恐《おそ》る|恐《おそ》る|現《あらは》れ|来《きた》り、|大地《だいち》に|平伏《へいふく》し、
『|唯今《ただいま》の|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》の|御教《みをしへ》、|仁慈《じんじ》のお|心《こころ》に|感《かん》じ、|吾々《われわれ》はもはや|竜雲《りううん》に|仕《つか》ふる|事《こと》は|断念《だんねん》|致《いた》しました。|罪《つみ》|深《ふか》き|悪人《あくにん》なれども、|何卒《なにとぞ》|広《ひろ》き|心《こころ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し|下《くだ》さいまして、|貴方《あなた》がたの|弟子《でし》の|中《うち》に|御加《おくは》へ|下《くだ》さらば、|此《この》|上《うへ》なき|有難《ありがた》き|仕合《しあは》せに|存《ぞん》じます。|嗚呼《ああ》|何《なん》として|吾々《われわれ》は|斯《かか》る|悪人《あくにん》に|媚《こ》び|諂《へつら》ひ、|恩顧《おんこ》を|受《う》けし|王様《わうさま》に|刃向《はむか》はむとせしや。|思《おも》へば|思《おも》へば|実《じつ》に|吾《わが》|心《こころ》の|汚《きたな》さが|恥《はづ》かしくなつて|参《まゐ》りました。|何卒《なにとぞ》|今《いま》|迄《まで》の|御無礼《ごぶれい》はお|許《ゆる》し|下《くだ》さいまして、お|引《ひ》き|立《た》ての|程《ほど》を|偏《ひとへ》に|希《こひねが》ひ|上《あげ》|奉《たてまつ》ります』
と|誠心《まごころ》を|面《おもて》に|現《あらは》して、|涙《なみだ》ながらに|懺悔《ざんげ》する|其《その》しをらしさ。ヨールは|立《た》ち|上《あが》り、|一同《いちどう》の|中《なか》に|立《た》つて|述懐《じゆつくわい》を|謡《うた》ふ。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善神《ぜんしん》|邪神《じやしん》を|委曲《まつぶさ》に
|立《た》て|別《わ》けたまふ|時《とき》は|来《き》ぬ |邪非道《よこしまひだう》の|竜雲《りううん》が
お|鬚《ひげ》の|塵《ちり》を|払《はら》ひつつ |身《み》の|栄達《えいたつ》を|一向《ひたすら》に
|急《いそ》ぎし|余《あま》り|畏《かしこ》くも |恩顧《おんこ》を|受《う》けし|神司《かむづかさ》
サガレン|王《わう》の|御前《おんまへ》に |汚《きたな》き|心《こころ》を|現《あらは》して
|罪《つみ》さへ|深《ふか》き|谷道《たにみち》に |行幸《みゆき》を|待《ま》ちて|捕《とら》へむと
|勢《いきほ》ひこんで|来《きた》りたる |曲《まが》の|心《こころ》の|恐《おそ》ろしさ
|斯《か》かる|尊《たふと》き|仁愛《じんあい》の |神《かみ》の|司《つかさ》と|知《し》らずして
|心《こころ》|汚《きたな》き|曲神《まがかみ》に |媚《こ》び|諂《へつら》ひし|浅《あさ》はかさ
|万死《ばんし》に|比《ひ》すべき|吾《わが》|罪《つみ》を |罰《きた》めたまはず|惟神《かむながら》
|誠《まこと》の|道《みち》を|説《と》き|示《しめ》し |許《ゆる》したまひし|有難《ありがた》さ
かかる|尊《たふと》きバラモンの |神《かみ》の|司《つかさ》と|現《あ》れませる
|君《きみ》をば|捨《す》てていづくんぞ |曲津《まがつ》のかかりし|竜雲《りううん》に
|従《したが》ひまつる|事《こと》を|得《え》む |神《かみ》の|司《つかさ》のテーリスよ
|吾等《われら》|五人《ごにん》は|心《こころ》より |悔《く》い|改《あらた》めてバラモンの
|神《かみ》の|教《をしへ》に|神《かむ》|倣《なら》ひ サガレン|王《わう》に|真心《まごころ》の
|限《かぎ》りを|尽《つく》し|身《み》を|尽《つく》し |骨《ほね》を|粉《こな》にし|身《み》を|砕《くだ》き
|此《この》|御君《おんきみ》の|為《ため》ならば |仮令《たとへ》|屍《かばね》は|風《かぜ》|荒《すさ》ぶ
|荒野ケ原《あらのがはら》に|曝《さら》[#愛世版「曝」]すとも |海《うみ》の|藻屑《もくづ》となるとても
などか|厭《いと》はむ|敷島《しきしま》の |誠《まこと》の|心《こころ》を|現《あらは》して
|清《きよ》く|正《ただ》しく|仕《つか》ふべし あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして |吾等《われら》に|宿《とま》る|曲神《まがかみ》を
|伊吹《いぶき》の|狭霧《さぎり》に|吹《ふ》き|払《はら》ひ |救《すく》はせたまへ|天津神《あまつかみ》
|国津御神《くにつみかみ》の|御前《おんまへ》に |謹《つつし》み|拝《をろが》み|奉《たてまつ》る
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |皇大神《すめおほかみ》の|御道《おんみち》に
|仁慈《じんじ》の|君《きみ》の|御《おん》|為《ため》に |尽《つく》しまつらむ|神《かみ》の|前《まへ》
|確《たしか》に|誓《ちか》ひ|奉《たてまつ》る あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|謡《うた》ひ|終《をは》り、テーリスに|向《むか》つてわが|改心《かいしん》の|次第《しだい》を|述《の》べ|立《た》てる。
テーリスはさも|愉快《ゆくわい》げに、ヨール|外《ほか》|四人《よにん》に|向《むか》ひ|慇懃《いんぎん》に|誠《まこと》の|道《みち》を|説《と》き|諭《さと》し、|一同《いちどう》の|部下《ぶか》に|対《たい》しても|一場《いちぢやう》の|訓戒《くんかい》を|垂《た》れ、これより|日夜《にちや》|魂磨《たまみが》きに|浮身《うきみ》を|窶《やつ》し、|神《かみ》の|救《すく》ひを|求《もと》むる|事《こと》となりぬ。
(大正一一・九・二二 旧八・二 加藤明子録)
第一四章 |歎願《たんぐわん》〔一〇〇二〕
サガレン|王《わう》は|館《やかた》をたつて、|再《ふたた》び|元《もと》の|岩窟《がんくつ》にエームスを|従《したが》へ|立帰《たちかへ》り、|奥《おく》の|間《ま》に|端坐《たんざ》し|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|且《かつ》|神歌《しんか》を|謡《うた》ふ、|其《その》|歌《うた》。
『あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |広大無辺《くわうだいむへん》の|天地《あめつち》の
|神《かみ》の|慈愛《じあい》に|比《くら》ぶれば |吾《われ》は|小《ちひ》さき|者《もの》なりし
セイロン|島《たう》の|浮島《うきじま》に |神《かみ》の|司《つかさ》と|現《あらは》れて
バラモン|教《けう》の|御教《みをしへ》を |世人《よびと》に|伝《つた》へ|居《ゐ》たりしが
|已《や》むを|得《え》ずして|王《きみ》となり |顕幽一致《けんいういつち》の|政治《まつりごと》
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|仕《つか》へつつ |天地《てんち》の|神《かみ》に|相対《あひたい》し
|尊《たふと》き|清《きよ》き|神業《かむわざ》を |心《こころ》の|底《そこ》より|仕《つか》へしと
|思《おも》ひ|居《ゐ》たりし|愚《おろか》さよ |広大無辺《くわうだいむへん》の|大宇宙《だいうちう》
|五十六億《ごじふろくおく》|七千万《しちせんまん》 |宇宙《うちう》の|数《かず》はありと|聞《き》く
|僅《わづ》かに|一《ひと》つの|小宇宙《せううちう》 |照《て》らさせ|給《たま》ふ|天津日《あまつひ》や
|月《つき》の|光《ひかり》の|照《て》る|限《かぎ》り |青人草《あをひとぐさ》や|鳥《とり》|獣《けもの》
|草木《くさき》の|生《お》ひ|立《た》つ|葦原《あしはら》の |瑞穂《みづほ》の|国《くに》の|片傍《かたほと》り
|大海原《おほうなばら》に|漂《ただよ》ひし |此《この》|神国《かみくに》は|大海《おほうみ》に
|投《な》げ|捨《す》てられし|一粒《ひとつぶ》の |粟《あは》より|小《ちひ》さき|物《もの》なりし
かかる|天地《てんち》に|跼蹐《きよくせき》し |善《ぜん》ぢや|悪《あく》ぢやと|争《あらそ》ひて
|無限《むげん》の|欲《よく》に|取《と》りまかれ |仁慈無限《じんじむげん》の|大神《おほかみ》の
|大御心《おほみこころ》も|悟《さと》らずに |来《きた》りし|吾《われ》は|愚者《おろかもの》
|定《さだ》めし|天地《てんち》の|大神《おほかみ》は |吾等《われら》が|小《ちひ》さき|心根《こころね》を
|嘸《さぞ》や|笑《わら》はせ|給《たま》ふらむ |仮令《たとへ》|宇宙《うちう》を|吾《われ》|一人《ひとり》
|知《し》ろしめすべき|世《よ》ありとも |広大無辺《くわうだいむへん》の|大宇宙《だいうちう》
|其《その》|現状《げんじやう》に|比《くら》ぶれば |例《たと》へにならぬ|物《もの》ぞかし
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》は|宇宙《うちう》を|知《し》ろしめす
|其《その》|神徳《しんとく》を|省《かへり》みて |今《いま》より|後《のち》は|村肝《むらきも》の
|心《こころ》を|改《あらた》め|信仰《あななひ》の |誠《まこと》の|道《みち》に|服《まつろ》ひて
|此《この》|身《み》の|続《つづ》かむ|其《その》|限《かぎ》り |吾《わが》|身《み》に|及《およ》ぶ|麻柱《あななひ》の
|誠《まこと》を|捧《ささ》げ|大神《おほかみ》の |其《その》|功績《いさをし》の|万分一《まんぶいち》に
|謹《つつし》み|報《むく》い|奉《まつ》るべし |左守《さもり》の|神《かみ》と|仕《つか》へたる
タールチンやキングスの |姫《ひめ》の|命《みこと》よエームスよ
|其《その》|他《た》の|百《もも》の|司《つかさ》|達《たち》 |汝《なれ》も|今《いま》より|魂《たましひ》を
|清《きよ》く|正《ただ》しく|宣《の》り|直《なほ》し |小《ちひ》さき|浮世《うきよ》の|執着《しふちやく》を
|科戸《しなど》の|風《かぜ》に|払拭《ふつしき》し |仕《つか》へまつれよ|惟神《かむながら》
|神《かみ》に|誓《ちか》ひてサガレン|王《わう》の |神《かみ》の|司《つかさ》は|宣《の》り|伝《つた》ふ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
タールチンはサガレン|王《わう》の|歌《うた》を|聞《き》き|嬉《うれ》しく|立《た》ち|上《あが》り、|心《こころ》|欣々《いそいそ》として|謡《うた》ひ|舞《ま》ふ。
『あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|恵《めぐ》みの|深《ふか》くして
|無明《むみやう》の|闇《やみ》は|開《あ》けにけり |水《みづ》も|眠《ねむ》れる|丑満《うしみつ》の
|時刻《じこく》はたちて|寅《とら》の|刻《こく》 |卯《う》の|正刻《しやうこく》となりぬれば
|東《あづま》の|空《そら》を|輝《かがや》かし |豊栄《とよさか》|昇《のぼ》る|日《ひ》の|御影《みかげ》
|尊《たふと》き|清《きよ》き|御姿《みすがた》を |現《あらは》し|給《たま》ひて|葦原《あしはら》の
|神《かみ》の|御国《みくに》を|照《て》らしまし |青人草《あをひとぐさ》は|云《い》ふも|更《さら》
|鳥《とり》|獣《けだもの》や|虫族《むしけら》や |草木《くさき》の|片葉《かきは》に|至《いた》る|迄《まで》
|守《まも》らせ|給《たま》ふ|珍《うづ》の|国《くに》 |其《その》|海原《うなばら》の|片隅《かたすみ》に
|弥《いや》|永久《とこしへ》に|浮《う》かみたる |七五三《しめ》を|張《は》りたるシロの|島《しま》
|其《その》|真秀良場《まほらば》に|現《あ》れまして |神《かみ》の|御代《おんよ》に|大国彦《おほくにひこ》の
|君《きみ》の|命《みこと》とあれませる |力《ちから》もわけて|自在天《じざいてん》
|神《かみ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて |世人《よびと》の|為《た》めにたてられし
バラモン|教《けう》の|神司《かむづかさ》 |人子《ひとご》の|王《きみ》とあれまして
|吾等《われら》を|治《をさ》め|給《たま》ひたる |其《その》|功績《いさをし》は|弥《いや》|高《たか》く
|天教山《てんけうざん》の|如《ごと》く|也《なり》 |空《そら》ゆく|雲《くも》も|憚《はばか》りて
|影《かげ》さへかくす|王《きみ》の|稜威《いづ》 |包《つつ》ませ|給《たま》ひて|今《いま》|此処《ここ》に
|珍《うづ》の|言霊《ことたま》|宣《の》り|給《たま》ひ |謙譲《へりくだ》ります|尊《たふと》さよ
|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神宮《かみみや》と |昔《むかし》の|人《ひと》は|宣《の》りつれど
|八岐大蛇《やまたをろち》のはびこりて |青人草《あをひとぐさ》の|身霊《みたま》をば
|千代《ちよ》の|棲家《すみか》と|定《さだ》めたる |今《いま》の|世人《よびと》は|悉《ことごと》く
|名《な》ばかり|清《きよ》き|神《かみ》の|宮《みや》 |誠《まこと》は|曲《まが》の|容器《いれもの》ぞ
|小《ちひ》さき|慾《よく》にからまれて |憎《にく》み|争《あらそ》ひ|泣《な》き|叫《さけ》び
|焦熱地獄《せうねつぢごく》や|水地獄《みづぢごく》 |修羅《しゆら》の|巷《ちまた》はまだ|愚《おろ》か
|根底《ねそこ》の|国《くに》に|陥《おちい》りて |阿鼻叫喚《あびけうくわん》の|呻《うめ》き|声《ごゑ》
|聞《きこ》えもせずに|得々《とくとく》と |知《し》らず|知《し》らずに|魔《ま》の|道《みち》を
|辿《たど》る|世人《よびと》の|憐《あは》れさよ |吾等《われら》も|神《かみ》に|朝夕《あさゆふ》を
|仕《つか》へ|奉《まつ》れる|身《み》なれども |心《こころ》の|闇《やみ》は|晴《は》れやらず
|身魂《みたま》の|穢《けが》れは|何時《いつ》|迄《まで》も |洗《あら》ひきれない|罪人《つみびと》よ
されども|神《かみ》は|御心《みこころ》を |天《てん》より|広《ひろ》く|神直日《かむなほひ》
|大直日《おほなほひ》にと|見直《みなほ》して |許《ゆる》し|給《たま》へる|有難《ありがた》さ
|罪《つみ》や|穢《けが》れになづみたる |卑《いや》しき|人《ひと》の|身《み》を|以《もつ》て
|如何《いか》でか|神《かみ》の|御心《みこころ》に かなひ|奉《まつ》らむ|由《よし》もなし
|只《ただ》|何事《なにごと》も|吾々《われわれ》は |神《かみ》の|心《こころ》を|心《こころ》とし
|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|神《かみ》の|道《みち》 |普《あまね》く|世人《よびと》に|宣《の》り|伝《つた》へ
|心《こころ》を|筑紫《つくし》の|果《は》て|迄《まで》も |仕《つか》へ|奉《まつ》らむ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|謹《つつし》みて |畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|祈《ね》ぎ|奉《まつ》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
キングス|姫《ひめ》は|白扇《はくせん》を|開《ひら》き|立《た》ち|上《あが》り、|長袖《ちやうしう》しとやかに|自《みづか》ら|謡《うた》ひ|自《みづか》ら|舞《ま》ふ。
『|豊葦原《とよあしはら》の|珍《うづ》の|島《しま》 |神《かみ》の|御国《みくに》と|称《とな》へたる
|四方《しはう》は|海《うみ》に|包《つつ》まれし |清《きよ》き|尊《たふと》きシロの|島《しま》
|神地《かうぢ》の|都《みやこ》に|現《あ》れまして |恵《めぐ》みの|露《つゆ》に|四方《よも》の|国《くに》
|青人草《あをひとぐさ》に|隈《くま》もなく |注《そそ》がせ|給《たま》ひし|大君《おほぎみ》は
|如何《いか》なる|枉《まが》の|猛《たけ》びにや |尊《たふと》き|九五《きうご》の|身《み》を|以《もつ》て
|痛々《いたいた》しくも|松浦《まつうら》の |小糸《こいと》の|里《さと》に|下《くだ》りまし
|天津日影《あまつひかげ》も|碌々《ろくろく》に |通《かよ》ひもはてぬ|岩窟《がんくつ》に
|尊《たふと》き|御身《おんみ》を|忍《しの》ばせて |国《くに》の|御《おん》|為《た》め|人《ひと》の|為《た》め
|心《こころ》を|尽《つく》し|給《たま》ふこそ |実《げ》に|有難《ありがた》き|極《きは》みなり
|何処《いづこ》の|空《そら》より|来《きた》りしか |心《こころ》|汚《きたな》き|竜雲《りううん》が
|聞《き》くも|尊《たふと》き|姫君《ひめきみ》を |醜《しこ》の|手振《てぶり》に|誑《たぶ》らかせ
|掻《か》き|乱《みだ》したる|悲《かな》しさよ |仮令《たとへ》|此《この》|身《み》は|海原《うなばら》の
|藻屑《もくづ》となりて|朽《く》つるとも |王《きみ》に|仇《あだ》する|曲者《くせもの》を
|誠《まこと》の|神《かみ》の|言霊《ことたま》に |言向《ことむ》け|和《やは》し|世《よ》の|中《なか》に
|騒《さわ》ぎ|渡《わた》れる|黒雲《くろくも》を |払《はら》ひ|清《きよ》めで|置《お》くべきか
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|御霊《みたま》の|幸《さち》はひて
|吾等《われら》|夫婦《めをと》が|真心《まごころ》を |大御心《おほみこころ》も|平《たひら》かに
|聞《きこ》し|召《め》されてシロの|島《しま》 |無事《ぶじ》|太平《たいへい》に|風《かぜ》もなく
|曇《くも》りも|知《し》らぬ|神国《かみくに》と |守《まも》らせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|祈《ね》ぎ|奉《まつ》る |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |悪魔《あくま》は|如何《いか》に|強《つよ》くとも
|誠《まこと》の|神《かみ》の|在《ま》す|限《かぎ》り |弥《いや》|永遠《とことは》に|君ケ代《きみがよ》は
|安《やす》く|穏《おだひ》に|治《をさ》まりて |百《もも》の|民草《たみぐさ》|打《う》ち|揃《そろ》ひ
|喜《よろこ》び|勇《いさ》みて|君ケ代《きみがよ》を |群《むら》がり|来《きた》る|小雀《こすずめ》の
|千代万代《ちよよろづよ》と|称《たた》へまし |上下和楽《しやうかわらく》し|神人《しんじん》の
|睦《むつ》び|親《した》しむ|御代《みよ》となり |国《くに》の|栄《さか》えをミロクの|世《よ》
|厳《いづ》と|瑞《みづ》との|言霊《ことたま》に |救《すく》はせ|給《たま》へと|祈《ね》ぎ|奉《まつ》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
エールは|立《た》つて|謡《うた》ふ。
『|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》 |誠《まこと》|一《ひと》つを|立《た》て|通《とほ》し
|道《みち》にかなひし|行《おこな》ひを |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|励《はげ》みなば
|天ケ下《あめがした》には|恐《おそ》るべき |仇《あだ》も|曲津《まがつ》もあらざらめ
さはさり|乍《なが》らバラモンの |王《きみ》に|仕《つか》へし|神司《かむづかさ》
アナン、セールやシルレング ユーズの|友《とも》は|竜雲《りううん》が
|枉《まが》の|企《たく》みに|捕《とら》はれて |底《そこ》ひも|知《し》らぬ|陷穽《おとしあな》
|陥《おちこ》みたりと|聞《き》き|及《およ》ぶ かかる|便《たよ》りを|聞《き》く|吾等《われら》
|此《この》まま|袖手傍観《しうしゆばうくわん》し |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|友垣《ともがき》の
|艱《なや》みを|眺《なが》めて|過《すご》さむや |天則違反《てんそくゐはん》か|知《し》らねども
|吾等《われら》は|親《した》しき|友《とも》の|為《た》め |生命《いのち》を|的《まと》に|立《た》ち|向《むか》ひ
|神地《かうぢ》の|都《みやこ》に|蔓《はびこ》れる |心《こころ》|汚《きたな》き|竜雲《りううん》や
|枉人《まがひと》|達《たち》を|打《う》ち|鞫《きた》め |四人《よにん》の|友《とも》を|逸早《いちはや》く
|救《すく》ひ|出《いだ》さでおくべきか |一日《ひとひ》も|早《はや》く|片時《かたとき》も
|此《この》|目的《もくてき》を|達成《たつせい》し |神《かみ》の|大道《おほぢ》に|仕《つか》へたる
|信徒《まめひと》たるの|誠《まこと》をば |尽《つく》しまつらむ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|司《つかさ》のサガレン|王《わう》 |御心《みこころ》|安《やす》く|聞《きこ》し|召《め》し
|吾等《われら》が|願《ねがひ》を|許《ゆる》しませ |神《かみ》は|吾等《われら》と|倶《とも》にあり
|悪《あく》を|言向《ことむ》け|善人《ぜんにん》を |救《すく》ひて|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》に
|霑《うる》はせ|給《たま》へ|神司《かむづかさ》 わが|大君《おほぎみ》の|御前《おんまへ》に
|慎《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|祈《ね》ぎ|奉《まつ》る あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|王《わう》に|向《むか》つて|四人《よにん》の|神司《かむづかさ》を|救《すく》ふべく、|神地《かうぢ》の|都《みやこ》に|遣《つか》はされむ|事《こと》を|懇願《こんぐわん》する。サガレン|王《わう》を|始《はじ》めとし、タールチンやキングス|姫《ひめ》、テーリス、エームスの|上司《じやうし》は、エールの|言霊《ことたま》に|頭《かうべ》を|傾《かたむ》け、|両手《りやうて》を|組《く》んで、|稍《やや》|暫《しば》し|無念《むねん》の|涙《なみだ》に|暮《く》れて|居《ゐ》た。
かかる|処《ところ》へ|美《うる》はしき|女《をんな》の|宣伝歌《せんでんか》、|谷《たに》に|木霊《こだま》を|響《ひび》かせつ|音楽《おんがく》の|如《ごと》く|聞《きこ》え|来《く》る。あゝ|果《は》たして|如何《いか》なる|人《ひと》の|宣伝歌《せんでんか》であらうか。
(大正一一・九・二二 旧八・二 北村隆光録)
第三篇 |神地《かうぢ》の|暗雲《あんうん》
第一五章 |眩代思潮《げんだいしてう》〔一〇〇三〕
|久方《ひさかた》の|天津御空《あまつみそら》はドンヨリとして、|暗雲《あんうん》|低迷《ていめい》し、|四方《よも》の|山々《やまやま》は|白雲《しらくも》の|断片《だんぺん》を|胸腹《きようふく》のあたりに|纓《ちりば》め、|何《なん》とはなしに|蒸《む》しあつく、|風《かぜ》は|殆《ほとん》ど|其《その》|権威《けんゐ》を|失《うしな》ひ、|白楊樹《はくやうじゆ》のデリケートな|柔《やはら》かな|新芽《しんめ》さへビクとも|動《うご》かぬ|陰鬱《いんうつ》の|気《き》|漂《ただよ》ふ。|神地《かうぢ》の|城《しろ》の|別殿《べつでん》は、|幾十丈《いくじふぢやう》とも|知《し》れぬ|岩石《がんせき》、|地球《ちきう》の|中心《ちうしん》より|根《ね》ざしたるかと|思《おも》はるる|如《ごと》く|抜《ぬ》き|出《いだ》し、|其《その》|上面《じやうめん》は|殆《ほとん》ど|西瓜《すいくわ》を|縦《たて》に|切《き》つたやうな|平面《へいめん》を|現《あら》はしてゐる、|風景《ふうけい》よき|上津岩根《うはついはね》に|建設《けんせつ》されてある。
|竜雲《りううん》、ケールス|姫《ひめ》の|二人《ふたり》は、|涼《すず》しさうな|布《ぬの》を|以《もつ》て|織上《おりあ》げたる|白衣《びやくえ》を|身《み》に|着《ちやく》し、|窓《まど》を|引《ひき》あけ、|展開《てんかい》せる|山野《さんや》の|緑《みどり》を|眺《なが》めて|酒《さけ》|酌《く》みかはし、|心地《ここち》よげに|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つてゐる。さしもに|暑《あつ》き|夏《なつ》の|空《そら》、|何《なん》とはなしに、|四肢五体《ししごたい》より|滲《にじ》み|出《い》だす|汗水《あせみづ》に|麻《あさ》の|衣《きぬ》までアトラスの|如《ごと》き|斑紋《はんもん》を|描《ゑが》いてゐる。ふとケールス|姫《ひめ》は|竜雲《りううん》の|背《せな》を|眺《なが》むれば、|何《なん》の|制縛《せいばく》も|受《う》けないと|云《い》つた|様《やう》に、|恣《ほしいまま》に|滲《にじ》み|出《い》でたる|汗《あせ》は|衣《ころも》を|少《すこ》しくこげ|茶色《ちやいろ》に|染《そ》め、|輪廓《りんくわく》|正《ただ》しく、|不思議《ふしぎ》な|斑紋《はんもん》が|現《あら》はれてゐるので、|近寄《ちかよ》り|見《み》れば、|人《ひと》が|立《た》つてゐる|様《やう》に|見《み》える。|姫《ひめ》は|何《なん》となく|心《こころ》|掛《かか》り、|竜雲《りううん》の|背《せな》に|近寄《ちかよ》つてよくよく|覗《のぞ》き|見《み》れば、|頭部《とうぶ》に|角《つの》を|生《は》やした|鬼《おに》の|形《かたち》であつた。「アツ」と|驚《おどろ》き|竜雲《りううん》の|前《まへ》に|廻《まは》つて|泣《な》き|伏《ふ》しつつ、
『|竜雲様《りううんさま》、|竜雲様《りううんさま》』
と|連呼《れんこ》し、
『|早《はや》く|其《その》|衣《ころも》を|脱《ぬ》がせ|玉《たま》へ。あなたには|鬼《おに》が|付《つ》け|狙《ねら》つて|居《を》りまする。|妾《わらは》はそれを|見《み》るより、|俄《にはか》に|貴方《あなた》が|怖《こは》くなつて|参《まゐ》りました。|否々《いないな》サツパリ|厭《いや》になりました。どうぞ|其《その》|麻衣《あさぎぬ》を|脱《ぬ》ぎ|捨《す》てて|下《くだ》さいませ』
|竜雲《りううん》はカラカラと|打笑《うちわら》ひ、
『アハヽヽヽ、どうせ|鬼《おに》も|居《を》らうし、|大蛇《をろち》も|居《ゐ》るであらう。|何《なん》と|云《い》つても|一国《いつこく》の|主《あるじ》を|放逐《はうちく》し、|天下《てんか》の|覇権《はけん》を|握《にぎ》ると|云《い》ふ|英雄《えいゆう》にはすべて|半面《はんめん》のあるものだ。|神仏《しんぶつ》の|心《こころ》を|以《もつ》て|如何《どう》して|此《この》|大望《たいまう》が|遂行《すゐかう》されようか。そんな|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|弱音《よわね》を|吹《ふ》くものでない。そして|自然的《しぜんてき》に|滲《にじ》み|出《で》た|汗《あせ》の|斑痕《はんこん》を|見《み》て、|驚《おどろ》くといふ|者《もの》が|何処《どこ》にあらうか。|其方《そなた》も|此《この》|竜雲《りううん》と|心《こころ》を|協《あは》せ、ここ|迄《まで》|大事《だいじ》をやつつけた|位《くらゐ》の|悪人《あくにん》だから、モウ|少《すこ》し|度胸《どきよう》を|据《す》ゑないと、|到底《たうてい》|生存競争《せいぞんきやうそう》の|激烈《げきれつ》なる|現代《げんだい》に|立《た》つて、|完全《くわんぜん》な|生活《せいくわつ》を|続《つづ》くる|事《こと》は|出来《でき》なからうよ』
『|何《なに》は|兎《と》もあれ、|俄《にはか》に|吾《わが》|身《み》が|恐《おそ》ろしくなつて|参《まゐ》りました。どうぞお|頼《たの》みですから|私《わたし》にお|暇《ひま》を|下《くだ》さいませ。|不義不道《ふぎふだう》の|行為《かうゐ》を|以《もつ》て、|神《かみ》に|対《たい》し|忠実《ちうじつ》なる|勤《つと》めをなしたとは|如何《どう》しても|考《かんが》へられませぬ。|私《わたし》は|第一《だいいち》にあなたに|帰依《きえ》し、|次《つぎ》にウラルのお|道《みち》に|帰依《きえ》し、|次《つい》で|盤古神王様《ばんこしんわうさま》の|神徳《しんとく》に|帰依《きえ》した|者《もの》で|御座《ござ》います。|盤古神王様《ばんこしんわうさま》は|決《けつ》して|悪神《あくがみ》では|御座《ござ》いますまい。さすればあなたの|行為《かうゐ》を|決《けつ》してお|許《ゆる》し|遊《あそ》ばす|筈《はず》はなからうと|存《ぞん》じます。|今《いま》に|如何《いか》なる|天罰《てんばつ》が|酬《むく》い|来《く》るやも|知《し》れますまい。あなたは|飽《あ》く|迄《まで》も|初心《しよしん》を|貫徹《くわんてつ》せなくては、|後《あと》へは|引《ひ》かない|御気性《ごきしやう》だから、|何程《なにほど》|私《わたし》がお|諫《いさ》め|申《まを》しても、|到底《たうてい》|駄目《だめ》でせう』
『これは|又《また》|異《い》なる|事《こと》を|云《い》ふではないか。|人《ひと》の|心《こころ》は|持方《もちかた》が|肝腎《かんじん》だ。|此《この》|竜雲《りううん》だとて|今日《こんにち》の|地位《ちゐ》に|納《をさ》まり|返《かへ》つて|居《を》られるやうになつたのは、|八九分《はちくぶ》|迄《まで》|其方《そなた》の|内助《ないじよ》に|依《よ》つたからである。|言《い》はば|其方《そなた》は、|竜雲《りううん》に|悪逆無道《あくぎやくむだう》を|勧《すす》めた|張本人《ちやうほんにん》だ』
『エヽ|何《なん》と|言《い》はれます。|私《わたし》が|悪《あく》の|張本人《ちやうほんにん》とは|聞《き》き|捨《ず》てならぬ|其《その》お|言葉《ことば》……』
|竜雲《りううん》は|嘲笑《あざわら》ひ、
『|何《なに》を|云《い》つても|同《おな》じ|穴《あな》に|棲《す》む|貉《むじな》だから、|此《この》|責任《せきにん》は|二人《ふたり》で|分担《ぶんたん》せなくてはならないのだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》は、|奸者侫人《かんじやねいじん》、|悪逆無道《あくぎやくむだう》を|敢行《かんかう》する|丈《だけ》の|器量《きりやう》ある|者《もの》を|称《しよう》して、|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》、|紳士紳商《しんししんしやう》、|国民《こくみん》の|選良《せんりやう》と|持《も》て|囃《はや》すのだ。|現代《げんだい》|思潮《してう》の|真髄《しんずゐ》を|極端《きよくたん》に|体験《たいけん》したる|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》は、|実《じつ》に|現代《げんだい》に|於《お》ける|勇者《ゆうしや》だ、|覇者《はしや》だ。|善悪《ぜんあく》といふものは、|時《とき》と|所《ところ》と|地位《ちゐ》とに|依《よ》つて|変《かは》るものである。|人間《にんげん》も|肉体《にくたい》のある|限《かぎ》りは、|何《なん》と|云《い》つても|衣食住《いしよくぢゆう》の|完全《くわんぜん》を|望《のぞ》まなければ、|人生《じんせい》は|嘘《うそ》だ。|下《くだ》らぬ|古《ふる》き|道徳《だうとく》|観念《かんねん》に|捉《とら》はれ、|半死人的《はんしにんてき》|行為《かうゐ》をなすを|以《もつ》て|至善《しぜん》の|道《みち》と|迷信《めいしん》してゐるやうな|人物《じんぶつ》は、|最早《もはや》|此《この》|世界《せかい》に|生存《せいぞん》の|価値《かち》もなければ、|見識《けんしき》もない|馬鹿《ばか》の|骨頂《こつちやう》だ。それだからこの|竜雲《りううん》は|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》を|標榜《へうぼう》する|人類愛善《じんるいあいぜん》の|教《をしへ》の|三五教《あななひけう》や、|人間《にんげん》の|階級《かいきふ》を|三段《さんだん》に|分《わ》けて、|上中下《じやうちうげ》|三流《さんりう》に|対《たい》し|社会的《しやくわいてき》|待遇《たいぐう》を|異《こと》にするやうな|矛盾《むじゆん》を、|平気《へいき》でやつてゐるバラモン|教《けう》は|猶更《なほさら》|嫌《きら》ひだ。すべて|世界《せかい》の|人種《じんしゆ》は|有色《いうしよく》|無色《むしよく》を|問《と》はず、|一切《いつさい》|平等《びやうどう》に|神《かみ》の|恩恵《おんけい》……|語《ご》を|換《か》へて|言《い》へば、|自然《しぜん》の|天恵《てんけい》は|偏頗《へんぱ》なく|均霑《きんてん》さるべきものだ。|今日《こんにち》の|矛盾《むじゆん》|不合理《ふがふり》|極《きは》まる|社会《しやくわい》の|習慣《しふくわん》を|打破《だは》し、|智者《ちしや》をして|其《その》|智《ち》を|振《ふる》はしめ、|勇者《ゆうしや》をして|其《その》|勇《ゆう》を|活躍《くわつやく》せしめ、|自由《じいう》|競争《きやうそう》を|以《もつ》て|社会《しやくわい》の|原則《げんそく》となさねばならない。さすれば|力一杯《ちからいつぱい》の|大活動《だいくわつどう》もする|事《こと》が|出来《でき》、|野《の》に|叫《さけ》ぶ|聖人《せいじん》は|頭《かしら》を|抬《もた》げて、|平素《へいそ》|懐抱《くわいはう》せる|其《その》|妙智《めうち》|妙案《めうあん》を|発揮《はつき》する|様《やう》になるのが|所謂《いはゆる》|一切《いつさい》|平等《びやうどう》、|偏頗《へんぱ》なき|自然《しぜん》の|神慮《しんりよ》に|叶《かな》つたものである。さうだから|姫《ひめ》も|今《いま》|迄《まで》の|旧慣《きうくわん》をスツカリ|放擲《はうてき》し、|日進月歩《につしんげつぽ》の|今日《こんにち》だから、|吾《わが》|教《をしへ》に|従《したが》つて、|世界第一《せかいだいいち》の|新《あたら》しき|女《をんな》となつて、|其《その》|驍名《げうめい》を|竜雲《りううん》と|共《とも》に|世界《せかい》に|輝《かがや》かすだけの|覚悟《かくご》を|持《も》つて|貰《もら》はなくちやアならない。|此《この》|夫《をつと》にして|此《この》|妻《つま》あり、|諺《ことわざ》にも|鬼《おに》の|夫《をつと》に|蛇《じや》の|女房《にようばう》といふ|事《こと》がある。これは|取《と》りも|直《なほ》さず|此《この》|世界《せかい》を|造《つく》り|玉《たま》うた|盤古神王《ばんこしんわう》さまが、|比喩《ひゆ》を|作《つく》つて、|世界《せかい》|万民《ばんみん》の|口《くち》に|知《し》らず|知《し》らずの|間《あひだ》に|伝《つた》へさせ|玉《たま》うたのである。これ|程《ほど》|鬼《おに》|大蛇《をろち》|悪魔《あくま》の|蔓《はびこ》る|世《よ》の|中《なか》に|処《しよ》するには、それ|以上《いじやう》の|強圧力《きやうあつりよく》がなくては|到底《たうてい》|駄目《だめ》だ。|鬼《おに》と|蛇《じや》との|夫婦《ふうふ》が|現《あら》はれて、|世界《せかい》を|統一《とういつ》するといふ|予言《よげん》を|神《かみ》さまがしておかれたのだ。|其《その》|予言《よげん》の|体顕者《たいけんしや》は|即《すなは》ち|吾等《われら》|両人《りやうにん》だ。|自由自在《じいうじざい》に|行使《かうし》すべき|独特《どくとく》の|権能者《けんのうしや》だ。|仮令《たとへ》|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》が|仮《か》りにありとしても、|此《この》|現幽神《げんいうしん》の|三界《さんかい》は|残《のこ》らず|盤古神王様《ばんこしんわうさま》の|掌握《しやうあく》し|玉《たま》ふ|所《ところ》、|盤古神王《ばんこしんわう》の|御意《ぎよい》に|叶《かな》うた|行動《かうどう》をなす|者《もの》が|如何《どう》して|罪《つみ》になるものか。|姫《ひめ》も|少《すこ》しは|胸《むね》に|手《て》を|当《あ》てて、よく|考《かんが》へて|見《み》たがよからう。|善悪不二《ぜんあくふじ》、|正邪一如《せいじやいちによ》と|云《い》ふではないか。|人《ひと》の|体《からだ》だつて|前後《まへうし》ろがある。|吾《わが》|背中《せなか》の|鬼《おに》の|斑紋《はんもん》は|吾《わが》|唯一《ゆゐいつ》の|守護神《しゆごじん》が|顕現《けんげん》したのだ。|前《まへ》から|見《み》れば|実《じつ》に|円満具足《ゑんまんぐそく》の|好男子《かうだんし》、|真善美《しんぜんび》の|極致《きよくち》に|達《たつ》した|立派《りつぱ》な|竜雲王《りううんわう》である。|裏面《りめん》より|見《み》れば|即《すなは》ち|悪鬼羅刹《あくきらせつ》の|首魁《しゆくわい》である。|床《とこ》の|間《ま》の|掛物《かけもの》を|見《み》てもさうではないか。あの|通《とほ》り|美《うつく》しい|絵画《くわいぐわ》が|描《ゑが》かれてあるが、|彼《か》の|軸《ぢく》の|裏面《りめん》は|実《じつ》に|粗末《そまつ》な|紙《かみ》|計《ばか》りの|殺風景《さつぷうけい》な|品物《しなもの》ではないか。|人間《にんげん》の|同《おな》じ|一《ひと》つの|体《からだ》にも、|清浄無垢《せいじやうむく》にして|日月《じつげつ》にも|比喩《たと》ふべき|両眼《りやうがん》のあると|共《とも》に|汚穢《をくわい》|極《きは》まる|大小便《だいせうべん》の|噴出口《ふんしゆつこう》があるであらう。|此《この》|噴出口《ふんしゆつこう》が|汚穢《をくわい》だと|云《い》つて|取《と》り|去《さ》つて|了《しま》ふものなら、|到底《たうてい》|全身《ぜんしん》の|安静《あんせい》を|保《たも》つ|事《こと》は|出来《でき》ない、|従《したが》つて|何程《なにほど》|美《うつく》しい|両眼《りやうがん》も|忽《たちま》ち|其《その》|光明《くわうみやう》を|失《うしな》つてしまふであらう。|葱《ねぎ》の|白根《しろね》を|見《み》てもさうではないか。|土《つち》にかくれた|汚《きたな》い|臭気《しうき》のある|所《ところ》に|却《かへつ》て|無限《むげん》の|味《あぢ》がある。|屍《かばね》のある|所《ところ》には|鷲《わし》|集《あつま》り、|濁《にご》れる|水《みづ》には|数多《あまた》の|魚《うを》|集《あつ》まり|来《きた》る。これ|位《くらゐ》な|天地《てんち》の|道理《だうり》が|分《わか》らなくて、|如何《どう》して|神地《かうぢ》の|城《しろ》の|花形役者《はながたやくしや》となつて、|世《よ》に|時《とき》めく|事《こと》が|出来《でき》るであらうか。チツと|其方《そなた》も|改心《かいしん》をして|貰《もら》はねば、|此《この》|竜雲《りううん》の|社稷《しやしよく》は|到底《たうてい》|保《たも》たれないぢやないか』
『そんなら|盤古神王《ばんこしんわう》さまのお|為《ため》になる|事《こと》、お|心《こころ》に|叶《かな》ふことならば、|人《ひと》の|認《みと》めて|悪逆無道《あくぎやくむだう》とする|所《ところ》も、|敢《あ》へて|神《かみ》さまはお|咎《とが》めなさらないのですか。そんなら|一《ひと》つ|伺《うかが》ひますが、それだけ|智謀《ちぼう》|絶倫《ぜつりん》、|神力《しんりき》|無双《むさう》の|竜雲《りううん》さまの|危《あやふ》き|生命《いのち》を|助《たす》けたエームスは、なぜ|牢獄《らうごく》へ|投《とう》ぜられたのです。エームスは|言《い》つてゐたぢやありませぬか……|人《ひと》の|生命《いのち》を|助《たす》くるのは、|人間《にんげん》として|最善《さいぜん》の|行《おこな》ひだと|思《おも》ふ。|然《しか》るに|思《おも》はざりき、|人《ひと》を|助《たす》けて|罪人《つみびと》となり、|暗《くら》き|獄舎《ごくや》につながれて、|日夜《にちや》|苦悶《くもん》をつづけねばならぬならば、|吾々《われわれ》は|最早《もはや》|此《この》|社会《しやくわい》に|手《て》も|足《あし》も|出《だ》す|事《こと》は|出来《でき》ない……と|云《い》つて|居《を》りましたでせう。それは|如何《どう》いふ|解釈《かいしやく》になるのでせう。|一向《いつかう》|此《この》|点《てん》が|合点《がてん》が|参《まゐ》りませぬ。|盤古神王《ばんこしんわう》さまの|御為《おんため》に|働《はたら》きながら、|又《また》もや|盤古神王《ばんこしんわう》の|為《ため》に|根底《ねそこ》の|国《くに》の|牢獄《らうごく》に|身魂《みたま》を|投込《なげこ》まれるやうな|悲惨《ひさん》な|事《こと》は|出来《でき》はしますまいか』
『|天《てん》に|風雨《ふうう》の|障《さは》りあり、|人《ひと》に|病《やまひ》の|悩《なや》みあり、|心《こころ》に|雲《くも》のかかる|事《こと》あり。|仮令《たとへ》|日月《じつげつ》|晃々《くわうくわう》として|下界《げかい》を|照《て》らすと|雖《いへど》も、|中空《ちうくう》に|今日《こんにち》の|如《ごと》く|暗雲《あんうん》とざす|時《とき》は、|日月《じつげつ》の|光《ひかり》も|地上《ちじやう》に|透徹《とうてつ》せない|如《ごと》く、|此《この》|竜雲《りううん》だとてヤハリ|宇宙《うちう》の|模型《もけい》、|天地《てんち》の|断片《だんぺん》だから、|心天《しんてん》の|日月《じつげつ》、|黒雲《こくうん》に|閉《と》ざさるる|事《こと》も|偶《たま》にはあるであらう。されど|疑《うたがひ》の|雲《くも》|一度《いちど》|晴《は》れなば、|心天《しんてん》|忽《たちま》ち|清明《せいめい》となり、|真如《しんによ》の|日月《じつげつ》は|其《その》|光《ひかり》を|放《はな》つやうになつて|来《く》る。それは|一時《いちじ》の|雲《くも》の|障《さは》りだ。|決《けつ》して|曇《くも》つた|空《そら》は|永遠《ゑいゑん》に|晴《は》らさないといふ|盤古神王《ばんこしんわう》さまは|御約束《おやくそく》はなさらない。そんな|小問題《せうもんだい》に|齷齪《あくせく》してゐて、|此《この》|一国《いつこく》をどうして|支《ささ》へ|保《たも》つて|行《ゆ》く|事《こと》が|出来《でき》ようか。|賢《かしこ》いやうでも|流石《さすが》は|女《をんな》の|愚痴《ぐち》、イヤもう|呆《あき》れて|物《もの》が|言《い》はれないわい、アツハヽヽヽ』
と|肩《かた》をゆすつて|豪傑《がうけつ》|笑《わら》ひに|紛《まぎ》らす。|其《その》|狡猾《ずる》さ|加減《かげん》、|流石《さすが》の|盤古神王《ばんこしんわう》も|呆《あき》れて|三舎《さんしや》を|避《さ》け|玉《たま》ふであらう。
ケールス|姫《ひめ》は|黙然《もくねん》として|差《さ》し|俯《うつ》むき、|暫《しばら》くは|善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|判断《はんだん》に|苦《くる》しみ、|或《あるひ》は|鬼《おに》となり、|或《あるひ》は|神《かみ》となり、|獣《けもの》となり、|大蛇《をろち》となり、|時々刻々《じじこくこく》に|吾《わが》|心《こころ》の|変化《へんくわ》を|目撃《もくげき》して|益々《ますます》|迷路《めいろ》にふみこみ、|咫尺暗澹《しせきあんたん》として|壺中《こちう》につめこめられたる|如《ごと》き|心理《しんり》|状態《じやうたい》となつて|了《しま》つた。|一方《いつぱう》|竜雲《りううん》も|空威張《からゐばり》して、|前《さき》の|如《ごと》く|言《い》ひ|放《はな》つてみたものの、|何《なん》とはなしに|良心《りやうしん》の|囁《ささや》きは|彼《かれ》が|論旨《ろんし》を|一々《いちいち》|否定《ひてい》せむと、|勢《いきほひ》|猛《たけ》くいき|巻《ま》き|来《きた》るやうであつた。|二人《ふたり》は|黙然《もくねん》として|暫《しばら》く|無言《むごん》の|幕《まく》をつづけてゐた。
かかる|所《ところ》へあわただしく|顔色《かほいろ》|変《か》へて|駆込《かけこ》み|来《きた》る|一人《ひとり》の|男《をとこ》は、|竜雲《りううん》が|常《つね》に|懐刀《ふところがたな》として|寵愛《ちようあい》してゐるテールといふ|青年《せいねん》である。|彼《かれ》は|自分《じぶん》の|居間《ゐま》に|閉《と》ぢ|籠《こも》り、ウラル|教《けう》の|経文《きやうもん》を|一心不乱《いつしんふらん》に|研究《けんきう》しつつあつた|熱心《ねつしん》なる|竜雲《りううん》|崇拝者《すうはいしや》である。
『モシモシ|御二方様《おふたかたさま》、タヽ|大変《たいへん》な|珍事《ちんじ》が|突発《とつぱつ》|致《いた》しました。|悠々《いういう》|閑々《かんかん》として|御座《ござ》る|時《とき》ではありますまい。サア|一時《いちじ》も|早《はや》く|繩梯子《なはばしご》をかけ、|此《この》|岩窟《がんくつ》をお|下《くだ》り|遊《あそ》ばし、|谷川《たにがは》を|越《こ》えて|暫《しば》し|御身《おんみ》を|忍《しの》ばせ|玉《たま》へ、|危険《きけん》|刻々《こくこく》に|迫《せま》り|来《きた》る!』
と|顔色《かほいろ》|変《か》へて、|何《なん》となく|落付《おちつ》かぬ|体《てい》にて|言《い》ひ|放《はな》つを|竜雲《りううん》、ケールス|姫《ひめ》はテールの|言《げん》に|打驚《うちおどろ》き、|竜雲《りううん》は|立膝《たてひざ》しながら、
『|一大事《いちだいじ》とは|何事《なにごと》なるか』
と|忽《たちま》ち|形《かたち》を|更《あらた》め、|言葉《ことば》せはしく|問《と》ひつめるを、テールは|其《その》|前《まへ》に|据《す》ゑおかれたる|瓶《かめ》の|水《みづ》を|二口《ふたくち》|三口《みつくち》グツと|呑《の》み、|胸《むね》を|撫《な》で|下《おろ》し、
『されば|候《さふらふ》、テールの|吾《われ》は|書斎《しよさい》に|閉《と》ぢこもり、|神書《しんしよ》を|研究《けんきう》する|折《をり》しもあれ、|俄《にはか》に|騒《さわ》ぐ|庭《には》の|群烏《むれがらす》、|人馬《じんば》の|物音《ものおと》かまびすしく、|風《かぜ》が|持《も》て|来《く》る|攻《せ》め|太鼓《だいこ》、はげしく|追々《おひおひ》|近寄《ちかよ》る|金鼓《きんこ》の|響《ひびき》、|敵《てき》は|間近《まぢか》く|押寄《おしよ》せたり。|何者《なにもの》の|反逆《はんぎやく》なるかと、あたりを|見《み》れば|廊下《らうか》の|勾欄《こうらん》、コレ|幸《さいは》ひと|云《い》ふより|早《はや》く、|猿《ましら》の|如《ごと》くかけ|登《のぼ》り、|眼下《がんか》の|村手《むらて》をキツと|見渡《みわた》し|眺《なが》むれば、|思《おも》ひ|掛《がけ》なき|三《み》つ|葉《ば》|葵《あふひ》の|旗印《はたじるし》、|合点《がてん》|行《ゆ》かぬと|見《み》る|内《うち》に、|先《さき》に|立《た》つたるサガレン|王《わう》を|始《はじ》めとしテーリス、エームス|其《その》|他《た》の|勇将《ゆうしやう》、|武備《ぶび》をととのへ、|雲霞《うんか》の|如《ごと》き|大軍《たいぐん》を|引率《いんそつ》し、|単梯陣《たんていじん》の|構《かま》へを|以《もつ》て|三方《さんぱう》よりチクリチクリと|攻《せ》め|来《きた》る、|其《その》|光景《くわうけい》の|物々《ものもの》しさ。こは|一大事《いちだいじ》と、テールは|味方《みかた》の|守兵《しゆへい》を|駆《かけ》り|集《あつ》め、|勇敢決死《ゆうかんけつし》の|若者《わかもの》|数十人《すうじふにん》、|手鎗《てやり》を|揃《そろ》へて|寄《よ》せ|来《く》る|敵《てき》に|向《むか》つて、|真一文字《まいちもんじ》に|突進《とつしん》し、|縦横無尽《じうわうむじん》に|突《つ》き|立《た》て|薙《な》ぎ|立《た》て、|斬《き》りまくり、|暴虎馮河《ぼうこひようが》の|勢《いきほひ》を|以《もつ》て|詰《つ》め|寄《よ》れば、|流石《さすが》の|敵《てき》も|辟易《へきえき》し、|雪崩《なだれ》を|打《う》つて|三町《さんちやう》|許《ばか》り、|数多《あまた》の|死傷者《ししやうしや》を|残《のこ》こしつつ|退却《たいきやく》したりと|思《おも》ひきや、|左右《さいう》の|林《はやし》の|中《なか》より、|俄《にはか》に|現《あらは》れ|来《きた》る|数万《すうまん》の|軍勢《ぐんぜい》、こは|一大事《いちだいじ》、|深入《ふかい》りしては|却《かへつ》て|敵《てき》に|謀《はか》られむ、|無念《むねん》ながらも、|予定《よてい》の|退却《たいきやく》をなさむと、|表門《おもてもん》へと|引返《ひきかへ》す|数十《すうじふ》の|味方《みかた》は、|或《あるひ》は|討《う》たれ|或《あるひ》は|遁走《とんそう》し、|残《のこ》るはテール|只《ただ》|一人《ひとり》と|脆《もろ》くもなりにけり。ケリヤ、ハルマの|両人《りやうにん》は、|見《み》る|見《み》る|内《うち》に|敵《てき》の|為《ため》に|捕《とら》へられ、|其《その》|他《た》の|部下《ぶか》は|卑怯《ひけふ》にも|甲《かぶと》をぬぎ、|白旗《しらはた》を|掲《かか》げ、|敵《てき》に|降服《かうふく》したる|其《その》|腑甲斐《ふがひ》なさ。テール|一人《ひとり》|如何《いか》に|切歯扼腕《せつしやくわん》すればとて、|大廈《たいか》の|将《まさ》に|覆《くつが》へらむとする|時《とき》、|一木《いちぼく》の|支《ささ》ふ|能《あた》はざるの|如《ごと》く、|無念《むねん》|乍《なが》らも|只《ただ》|一人《ひとり》、|此《この》|危急《ききふ》を|君《きみ》に|報《はう》ぜむが|為《ため》に、|群《むら》がる|敵《てき》を|伐立《きりた》て|薙立《なぎた》て、|此処《ここ》まで|無事《ぶじ》に|立帰《たちかへ》つて|候《さふらふ》。イザ|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立退《たちの》き|玉《たま》へ。|長居《ながゐ》は|恐《おそ》れ、|早《はや》く|早《はや》く……』
と|夢中《むちう》になつて|急《せ》き|立《た》てる。|其《その》|様子《やうす》の|決《けつ》して|虚偽《きよぎ》とも|思《おも》はれねば、|二人《ふたり》は|忽《たちま》ち|顔色《かほいろ》を|変《か》へ|轟《とどろ》く|胸《むね》を|無理《むり》に|鎮《しづ》めむとすれども、|俄《にはか》の|驚異《きやうい》にハートの|鼓動《こどう》は|暴風雨《ばうふうう》の|吹《ふ》き|荒《すさ》ぶが|如《ごと》く、|大地震《だいぢしん》の|如《ごと》く|鎮静《ちんせい》すべくも|見《み》えず、|歯《は》はガチガチと|震《ふる》ひ|出《だ》し、|手足《てあし》は|戦《をのの》き|見《み》るも|憐《あは》れな|光景《くわうけい》なりけり。
|斯《か》かる|所《ところ》へ|悠々《いういう》として|入《い》り|来《きた》る|左守神《さもりのかみ》のケリヤは、テールの|様子《やうす》と|言《い》ひ、|竜雲《りううん》、ケールス|姫《ひめ》のそはそはしき|行体《ぎやうてい》を|眺《なが》めて|不審《ふしん》に|堪《た》へず、|三人《さんにん》の|顔《かほ》を|見比《みくら》べ、テールはケリヤの|此処《ここ》に|入《い》り|来《きた》りしを|見《み》て、|言葉《ことば》せはしく、
『|貴殿《きでん》は|左守神《さもりのかみ》のケリヤ|殿《どの》では|御座《ござ》らぬか。かかる|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|場合《ばあひ》、|何《なに》|悠々《いういう》として|御座《ござ》る。|早《はや》く|防戦《ばうせん》の|用意《ようい》をなし、|敵《てき》を|千里《せんり》に|撃退《げきたい》し、|君《きみ》の|御身辺《ごしんぺん》をお|守《まも》りなさらぬか』
といきり|切《き》つてまくし|立《た》てる。ケリヤは|少《すこ》しも|合点《がてん》|往《ゆ》かず、
『|今日《けふ》の|如《ごと》き|天地《てんち》|寂然《せきぜん》として|声《こゑ》もなく、|風《かぜ》もなき|夏《なつ》の|日《ひ》に、|何《なに》をうろたへ|召《め》さるか。|又《また》|竜雲《りううん》さま、ケールス|姫《ひめ》さまは、|何《なん》としてかくもそはそはしく|遊《あそ》ばすや、|合点《がてん》が|参《まゐ》りませぬ。|何《なん》とか|是《これ》には|深《ふか》き|仔細《しさい》が|御座《ござ》いませう。つぶさに|仰《あふ》せ|付《つ》け|下《くだ》さいますれば、ケリヤはケリヤとしてのベストを|尽《つく》し、|君《きみ》の|御心《みこころ》を|安《やす》んじ|奉《たてまつ》りませう』
|竜雲《りううん》は|言《ことば》せはしく、
『ケリヤ、|其《その》|方《はう》は|今日《こんにち》の|敵《てき》の|攻撃《こうげき》を|何《なん》と|心得《こころえ》|居《ゐ》るか。|一刻《いつこく》の|猶予《いうよ》もあるまい。|早《はや》く|防戦《ばうせん》の|用意《ようい》を|致《いた》せ!』
『コレは|心得《こころえ》ぬ|其《その》|言葉《ことば》、|敵《てき》なきに|何《なに》を|以《もつ》て|防戦《ばうせん》の|用意《ようい》に|及《およ》びませう。ナニ、|是《これ》は|大方《おほかた》|何《なに》かの|御考《おかんが》へ|違《ちがひ》では|御座《ござ》いますまいか』
『エー|腑甲斐《ふがひ》なき|其方《そなた》の|言葉《ことば》、|斯《か》くの|如《ごと》く|押《お》しよせ|来《きた》るサガレン|王《わう》の|大軍《たいぐん》を、|其方《そなた》は|何《なん》と|心得《こころえ》て|居《を》らるるか。イヤ|分《わか》つた、|其方《そなた》はサガレン|王《わう》に|内通《ないつう》し、|王《わう》の|神軍《しんぐん》を|甘《うま》く|引入《ひきい》れ、|妾《わらは》を|滅《ほろぼ》さむとする、|憎《につく》き|張本人《ちやうほんにん》であらう。モウ|斯《か》うなる|上《うへ》は|容赦《ようしや》はせぬ、|覚悟《かくご》せよ!』
とケールス|姫《ひめ》は、|長押《なげし》の|薙刀《なぎなた》|取《と》るより|早《はや》く、ケリヤに|向《むか》つて|伐《き》つてかかる。|上《うへ》を|薙《な》ぎ|下《した》を|払《はら》ひ|一進一退《いつしんいつたい》、|水車《みづぐるま》の|如《ごと》く|薙刀《なぎなた》を|使《つか》ふ。|其《その》|修練《しうれん》の|早業《はやわざ》、|鬼神《おにがみ》も|近付《ちかづ》く|可《べか》らざる|勢《いきほひ》なり。
ケリヤは|身《み》に|寸鉄《すんてつ》も|帯《お》びず、|又《また》|余《あま》りの|驚《おどろ》きに|度《ど》を|失《うしな》ひ、|逃場《にげば》を|求《もと》めて|迷《まよ》ひ|居《ゐ》る。|憐《あは》れやケールス|姫《ひめ》の|薙刀《なぎなた》はケリヤの|足《あし》をかすつた。「アツ」と|悲鳴《ひめい》を|上《あ》げ|其《その》|場《ば》に|打倒《うちたふ》るるを|姫《ひめ》は|見向《みむき》もなさず、
『|竜雲《りううん》どの、|其《その》|鎗《やり》を|以《もつ》てわれに|続《つづ》かせ|玉《たま》へ…』
と|表《おもて》をさして|襷《たすき》|十字《じふじ》にあやどり、|後鉢巻《うしろはちまき》リンとしめ、|女武者《をんなむしや》の|凛々《りり》しき|姿《すがた》、|阿修羅王《あしゆらわう》の|荒《あ》れたる|如《ごと》く|駆出《かけだ》し|見《み》れば、|人《ひと》の|影《かげ》は|何処《いづく》にもなく、|門番《もんばん》のシール、ベスの|両人《りやうにん》は|門館《もんやかた》に|胡坐《あぐら》かき、|気楽《きらく》さうに|鼻唄《はなうた》をうたひ|乍《なが》ら、チビリチビリと|酒《さけ》を|酌《く》みかはしてゐた。ケールス|姫《ひめ》は|合点《がてん》|行《ゆ》かず、|吾《わが》|居間《ゐま》に|引返《ひきかへ》せば、|竜雲《りううん》は|奥《おく》の|間《ま》に|腰《こし》をぬかして|身動《みうご》きならぬまま、|鈍栗眼《どんぐりまなこ》をギロつかせてゐる。|報告《はうこく》に|出《で》て|来《き》たテールは|亦《また》|同《おな》じく|肝玉《きもだま》を|潰《つぶ》し、|以前《いぜん》の|場所《ばしよ》につくばつた|儘《まま》|身動《みうご》きもせず|目《め》をパチつかせてゐた。ケールス|姫《ひめ》は|言葉《ことば》きびしく、
『テール、|汝《なんぢ》テール、|虚偽《きよぎ》の|報告《はうこく》をなして、|吾等《われら》の|心《こころ》を|動《うご》かしたる|不届《ふとど》きな|奴《やつ》、サア|汝《なんぢ》は|何者《なにもの》に|頼《たの》まれたか、|一伍一什《いちぶしじふ》を|白状《はくじやう》|致《いた》せ』
『ハイ、|今《いま》になつて|能《よ》く|考《かんが》へて|見《み》ますれば、あまり|御両人様《ごりやうにんさま》の|御身《おみ》の|上《うへ》を|案《あん》じ|過《すご》して|居《を》つたもので|御座《ござ》いますから、|知《し》らず|知《し》らずに|眠《ねむ》つた|間《あひだ》に、あんな|恐《おそ》ろしい|夢《ゆめ》を|見《み》たので|御座《ござ》いませう』
|竜雲《りううん》は|安心《あんしん》と|怒《いか》りの|混線《こんせん》した|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて、
『|不都合《ふつがふ》|至極《しごく》の|卑怯者《ひけふもの》、|否《いな》|馬鹿者《ばかもの》だなア。|以後《いご》はキツと|慎《つつし》んだがよからうぞ』
『ハイ、|誠《まこと》に|誠《まこと》にソソウ|致《いた》しました……』
『ホヽヽヽヽ、えらい|夢《ゆめ》の|相伴《しやうばん》をしたものだ』
(大正一一・九・二三 旧八・三 松村真澄録)
第一六章 |門雀《もんじやく》〔一〇〇四〕
|神地《かうぢ》の|城《しろ》の|表門《おもてもん》には、|門番《もんばん》のシール、ベスの|両人《りやうにん》が、あまりの|無聊《むれう》と|暑《あつ》さとを|忘《わす》れむため、チビリチビリと|胡坐《あぐら》をかいて|酒《さけ》を|汲《く》み|交《かは》し|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》る。
『オイ、ベス、ケールス|姫様《ひめさま》が|血相《けつさう》|変《か》へて|襷《たすき》|十字《じふじ》に|綾取《あやど》り、|後鉢巻《うしろはちまき》を|凛《りん》と|締《し》め、|裾《すそ》もあらはに|大薙刀《おほなぎなた》を|小脇《こわき》に|抱込《かいこ》み、|此処迄《ここまで》|現《あら》はれ|来《きた》り、|手持無沙汰《てもちぶさた》のお|面貌《かほつき》でコソコソと|再《ふたた》び|元《もと》のお|館《やかた》に|引《ひ》つ|返《かへ》されたのは|一体《いつたい》|何《なん》だらう。まるで|戦場《せんぢやう》に|於《お》ける|女武者《をんなむしや》のやうぢやないか。|俺《おれ》は|此処《ここ》に|門番《もんばん》を|酒《さけ》と|一緒《いつしよ》に|神妙《しんめう》につとめて|居《ゐ》るから、|貴様《きさま》|一寸《ちよつと》お|館《やかた》へ|入《い》つて|様子《やうす》を|探《さぐ》つて|来《き》て|呉《く》れ。|何《なん》だか|気《き》が|落《お》ち|付《つ》かないやうな|心持《こころもち》がして|来《き》たからなア』
『さうだなア。|合点《がてん》の|往《ゆ》かぬ|姫様《ひめさま》の|御様子《ごやうす》、|之《これ》には|何《なに》か|訳《わけ》があるのであらう。|叱《しか》られるか|知《し》らないが|一寸《ちよつと》|奥《おく》|迄《まで》|往《い》つて|来《く》る。|俺達《おれたち》は|門番《もんばん》の|分際《ぶんざい》として、|昇殿《しようでん》は|許《ゆる》されない|身《み》の|上《うへ》だが、|何《なん》でも|非常《ひじやう》の|事《こと》が|大奥《おほおく》には|突発《とつぱつ》して|居《ゐ》るに|違《ちが》ひない。|万々一《まんまんいち》|竜雲様《りううんさま》の|御身《おみ》の|上《うへ》に|一大事《いちだいじ》があつては、|吾々《われわれ》も|悠々《いういう》|閑々《かんかん》として|居《ゐ》る|訳《わけ》には|往《ゆ》かない。|叱《しか》られても|構《かま》はぬ、|奥《おく》|迄《まで》|踏込《ふみこ》んで|来《く》る。|様子《やうす》は|後《あと》から|詳《くは》しく|分《わか》るであらう』
と|云《い》ひのこし、ベスは|白鉢巻《しろはちまき》を|締《し》め|襷《たすき》|十字《じふじ》に|綾取《あやど》りながら、|尻引《しりひ》つからげ|無雑作《むざふさ》に|奥殿《おくでん》さして|進《すす》み|入《い》り、ケリヤの|負傷《ふしやう》や、|竜雲《りううん》、ケールス|姫《ひめ》、テールの|驚《おどろ》きの|場面《ばめん》を|一見《いつけん》し、|且《か》つ|大体《だいたい》の|様子《やうす》を|垣間《かいま》|見《み》ながら、|此《この》|分《ぶん》ならば|余《あま》り|大《たい》した|事《こと》はあるまい、|夢《ゆめ》の|騒動《さうだう》だと|呟《つぶや》きながらスタスタと|踵《きびす》を|返《かへ》さむとする|時《とき》、|目敏《めざと》くもケールス|姫《ひめ》はベスの|姿《すがた》を|見《み》て|声《こゑ》を|尖《とが》らせ、
『お|前《まへ》は|門番《もんばん》のベスではないか。|館《やかた》の|禁制《きんせい》を|破《やぶ》り、|斯《か》かる|大奥《おほおく》|迄《まで》|何《なに》しに|来《き》たのだい』
と|呶鳴《どな》りつけられ、ベスは|慄《ふる》ひながら|頭《あたま》を|掻《か》き、
『ハヽハイ、マヽ|誠《まこと》に|申訳《まをしわけ》が|御座《ござ》りませぬ。|実《じつ》はケールス|姫様《ひめさま》の|唯《ただ》ならぬ|御様子《ごやうす》を|拝《をが》みまして、|此《この》|大奥《おほおく》には|何事《なにごと》か|珍事《ちんじ》|突発《とつぱつ》せしならむ、|如何《いか》に|卑《いや》しき|門番《もんばん》なりとて、|君《きみ》の|危難《きなん》を|救《すく》はずには|居《を》られない、|昇殿《しようでん》の|御禁制《ごきんせい》は|百《ひやく》も|千《せん》も|承知《しようち》|致《いた》しては|居《を》りますが、|斯《か》かる|非常時《ひじやうじ》にはそんな|事《こと》を|守《まも》つて|居《ゐ》る|事《こと》は|出来《でき》ない、とも|角《かく》お|二方《ふたかた》を|助《たす》け|申《まを》さねばならないと、シールと|申《ま》を|合《しあは》せ、|不都合《ふつがふ》を|顧《かへり》みずここ|迄《まで》|参《まゐ》りました。どうぞ|御勘弁《ごかんべん》を|願《ねが》ひます』
『|許《ゆる》し|難《がた》き|汝《なんぢ》の|行動《かうどう》、|常《つね》ならば|此《この》|儘《まま》に|差措《さしお》くべきではないが、|汝《なんぢ》の|吾等《われら》を|思《おも》ふ|誠忠《せいちう》に|免《めん》じて|唯今《ただいま》|限《かぎ》り|忘《わす》れて|遣《つか》はす。|気《き》をつけて|厳重《げんぢゆう》に|門《もん》を|守《まも》れよ。さうして|大奥《おほおく》の|此《この》|有様《ありさま》を、|何人《なんぴと》にも|口外《こうぐわい》してはならないぞ。|堅《かた》く|口留《くちどめ》して|置《お》く』
『ハイ|有《あ》り|難《がた》う|御座《ござ》います。|決《けつ》して|決《けつ》して|首《くび》が|飛《と》んでも|申《まを》しませぬから|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
|竜雲《りううん》は|声《こゑ》を|尖《とが》らせて、
『ベス、|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|退却《たいきやく》|致《いた》せ!』
「ハイ」と|答《こた》へてベスは|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》る。ケリヤは|姫《ひめ》に|足《あし》を|切《き》られて|苦悶《くもん》の|声《こゑ》を|放《はな》ち「ウン ウン」と|唸《うな》つて|居《ゐ》る。テールは|腰《こし》を|抜《ぬ》かした|儘《まま》、|目玉《めだま》|計《ばか》りヂヤイロコンパスのやうに|急速度《きふそくど》をもつて|白黒《しろくろ》|交替《かうたい》に|転回《てんくわい》させて|居《ゐ》る。
|心《こころ》|汚《きたな》き|竜雲《りううん》が |寵児《ちようじ》となりて|朝夕《あさゆふ》に
|近《ちか》く|仕《つか》へし|青年《せいねん》テールは |一間《ひとま》に|入《い》りてウラル|教《けう》の
|神《かみ》の|御文《みふみ》を|拝読《はいどく》し |知《し》らず|知《し》らずに|夢《ゆめ》に|入《い》り
|前後《ぜんご》も|知《し》らぬ|其《その》|隙《すき》を |心《こころ》に|潜《ひそ》む|曲鬼《まがおに》は
|自由自在《じいうじざい》に|跳梁《てうりやう》し |夢路《ゆめぢ》をたどる|時《とき》もあれ
|神地《かうぢ》の|城《しろ》の|表門《おもてもん》 |人馬《じんば》の|物音《ものおと》|物《もの》|凄《すご》く
|攻《せ》め|来《く》る|敵《てき》の|鬨《とき》の|声《こゑ》 |訝《いぶ》かしさよと|飛《と》び|起《お》きて
|館《やかた》の|勾欄《こうらん》かけ|登《のぼ》り |眼下《がんか》をきつと|見渡《みわた》せば
|今《いま》|迄《まで》|主《あるじ》と|頼《たの》みたる サガレン|王《わう》は|勇《いさ》ましく
|連銭葦毛《れんせんあしげ》の|馬《うま》に|乗《の》り |金覆輪《きんぷくりん》の|鞍《くら》|置《お》いて
|駒《こま》の|嘶《いなな》き|勇《いさ》ましく |采配《さいはい》|振《ふ》つて|寄《よ》せ|来《きた》る
|続《つづ》いて|青鹿毛《あをかげ》|黒鹿毛《くろかげ》に |跨《また》がる|勇士《ゆうし》は|何人《なんびと》と
|眼《まなこ》を|据《す》ゑて|眺《なが》むれば テーリス、エームス|両勇士《りやうゆうし》
|黄金《こがね》の|采配《さいはい》|打《う》ち|揮《ふる》ひ |厳《きび》しき|下知《げち》に|兵士《つはもの》は
|潮《うしほ》の|如《ごと》く|打《う》ち|寄《よ》する スワ|一大事《いちだいじ》とかけ|下《くだ》り
|数十《すじふ》の|勇士《ゆうし》を|引率《いんそつ》し |敵《てき》に|向《むか》つて|斬《き》り|込《こ》めば
|衆《しう》を|頼《たの》みて|押《お》し|寄《よ》せし |遉《さすが》の|敵《てき》も|辟易《へきえき》し
|寄《よ》せては|返《かへ》す|磯《いそ》の|浪《なみ》 |旗色《はたいろ》|悪《わる》く|見《み》えけるが
|膝下《しつか》に|響《ひび》く|鬨《とき》の|声《こゑ》 |雲霞《うんか》の|如《ごと》き|大軍《たいぐん》は
|単梯陣《たんていぢん》を|張《は》りながら |少数《せうすう》の|味方《みかた》と|侮《あなど》つて
|阿修羅王《あしゆらわう》の|如《ごと》|攻《せ》め|来《きた》る |味方《みかた》は|慄悍《へうかん》|決死《けつし》の|士《し》
|鬼神《きしん》も|挫《ひし》ぐ|豪傑《がうけつ》が |如何《いかが》はしけむバタバタと
|鋭《するど》き|刃《やいば》に|貫《つらぬ》かれ |苦《く》もなく|其《その》|場《ば》に|倒《たふ》れたり
テールは|驚《おどろ》き|唯《ただ》|一人《ひとり》 |門内《もんない》|深《ふか》く|忍《しの》び|入《い》り
|門《もん》を|鎖《とざ》してスタスタと ケールス|姫《ひめ》や|竜雲《りううん》の
|居間《ゐま》をばさして|進《すす》み|入《い》り |敵《てき》は|間近《まぢか》く|迫《せま》つたり
|此《この》|場《ば》を|早《はや》く|遁走《とんそう》し |後日《ごじつ》の|備《そな》へをなしませと
|誠《まこと》しやかに|述《の》べ|立《た》つる |昼寝《ひるね》の|夢《ゆめ》の|物語《ものがたり》
|誠《まこと》となして|竜雲《りううん》は |顔《かほ》の|色《いろ》までサツと|変《か》へ
|忽《たちま》ち|其《その》|場《ば》に|腰抜《こしぬ》かし |慄《ふる》ひ|戦《をのの》くをかしさよ
まさかの|時《とき》に|強《つよ》いのは |女心《をんなごころ》の|一心《いつしん》ぞ
ケールス|姫《ひめ》は|立《た》ち|上《あが》り |長押《なげし》の|薙刀《なぎなた》おつ|取《と》つて
|表《おもて》をさして|駆出《かけいだ》し |寄《よ》せ|来《く》る|敵《てき》を|一騎《いつき》だも
|余《あま》す|事《こと》なくなぎ|払《はら》ひ |女《をんな》の|武勇《ぶゆう》を|現《あら》はすは
|今《いま》|此《この》|時《とき》と|勇《いさ》み|立《た》ち |立出《たちい》でなむとするところ
|左守《さもり》のケリヤは|入《い》り|来《きた》り |平穏《へいおん》|無事《ぶじ》の|此《この》|城《しろ》に
|何《なに》をもつてか|姫様《ひめさま》は |仰々《ぎやうぎやう》しくも|其《その》|姿《すがた》
|止《とど》まり|給《たま》へと|云《い》ひければ |姫《ひめ》は|怒《いか》つて|忽《たちま》ちに
ケリヤの|足《あし》を|薙《な》ぎ|払《はら》ふ ウンと|一声《ひとこゑ》|叫《さけ》びつつ
|其《その》|場《ば》に|倒《たふ》れし|憐《あは》れさよ |死物狂《しにものぐるひ》のケールス|姫《ひめ》は
|後鉢巻《うしろはちまき》|凛《りん》としめ |襷《たすき》|十字《じふじ》に|綾取《あやど》りて
|強敵《きやうてき》こそは|御参《ござん》なれ |唯今《ただいま》|思《おも》ひ|知《し》らせむと
|猛虎《まうこ》の|如《ごと》く|駆出《かけだ》せば こは|抑《そも》|如何《いか》に|門前《もんぜん》は
ソヨ|吹《ふ》く|風《かぜ》の|音《おと》も|無《な》く |天地《てんち》|静《しづか》に|寝《い》ぬるごと
|閑寂《かんじやく》の|気《き》は|漂《ただよ》ひぬ |姫《ひめ》は|不審《ふしん》に|堪《た》へずして
|再《ふたた》び|館《やかた》の|奥《おく》の|間《ま》へ |手持無沙汰《てもちぶさた》に|帰《かへ》り|来《く》る
とくと|様子《やうす》を|調《しら》ぶれば テールが|夢《ゆめ》の|空騒《からさわ》ぎ
|張《は》りつめ|居《ゐ》たる|魂《たましひ》も グタリと|緩《ゆる》みケールス|姫《ひめ》は
テールの|司《つかさ》に|打《う》ち|向《むか》ひ その|不都合《ふつがふ》を|責《せ》めかくる
|夢《ゆめ》に|夢見《ゆめみ》た|慌《あは》て|者《もの》 テールは|頭《あたま》|掻《か》きながら
やつと|許《ゆる》され|虎口《ここう》をば |逃《のが》れし|如《ごと》き|心地《ここち》して
|胸《むね》なで|下《おろ》すぞをかしけれ |此《この》|世《よ》に|鬼《おに》はなけれども
|吾《わが》|身《み》の|作《つく》りし|村肝《むらきも》の |心《こころ》の|鬼《おに》に|責《せ》められて
|苦《くる》しみなやむはテールのみか ケールス|姫《ひめ》も|竜雲《りううん》も
|同《おな》じく|心《こころ》を|痛《いた》めつつ |挙措《きよそ》|其《その》|度《ど》をば|失《うしな》ひて
|慄《ふる》ひ|居《ゐ》たるぞおそろしき。
|幸《さいはひ》にケリヤの|薙刀《なぎなた》の|創《きず》は|思《おも》つたよりは|浅《あさ》く、|切口《きりくち》に|粘土《ねんど》をつけ|繃帯《はうたい》を|施《ほどこ》したれば、|数日《すうじつ》の|後《のち》には|殿中《でんちう》|歩行《ほかう》の|自由《じいう》を|僅《わづか》に|得《う》る|処《ところ》|迄《まで》|回復《くわいふく》したりける。
|是《これ》より|城内《じやうない》は|間断《かんだん》なく|不可解《ふかかい》なる|事《こと》のみ|続出《ぞくしゆつ》し、|竜雲《りううん》を|初《はじ》め|上下《じやうげ》の|司《つかさ》|達《たち》は|戦々兢々《せんせんきやうきやう》として|安《やす》き|心《こころ》もなく、|淋《さび》しげに|其《その》|月日《つきひ》を|送《おく》りつつありしといふ。
(大正一一・九・二三 旧八・三 加藤明子録)
第一七章 |一目翁《ひとつめをう》〔一〇〇五〕
|神地《かうぢ》の|城《しろ》の|表門《おもてもん》の|番人《ばんにん》シールは、|只《ただ》|一人《ひとり》チビリチビリと|酒《さけ》を|傾《かたむ》けながら、|奥殿《おくでん》に|進《すす》み|入《い》つたるベスの|帰《かへ》りを|今《いま》や|遅《おそ》しと|待《ま》ち|居《ゐ》たり。かかる|処《ところ》へニコニコとして|立《た》ち|帰《かへ》り|来《きた》りしベスの|顔《かほ》を|見《み》るより|噛《か》みつく|様《やう》に|忙《いそが》しく、
『オイ、ベス、|如何《どう》だつたい。|大奥《おほおく》の|首尾《しゆび》はイヤ|様子《やうす》は……』
『|大山《たいざん》|鳴動《めいどう》して|鼠一匹《ねずみいつぴき》だ。|何事《なにごと》ならむと|身《み》をかため、|恐《おそ》れ|気《げ》もなく|竜雲王《りううんわう》の|奥殿《おくでん》に|忍《しの》び|入《い》り、ケールス|姫様《ひめさま》のあの|御様子《ごやうす》にては|何事《なにごと》の|大事変《だいじへん》|突発《とつぱつ》せしかと|窺《うかが》ひ|見《み》れば、|豈《あに》|図《はか》らむや、|平穏《へいおん》|無事《ぶじ》、|天下《てんか》|太平《たいへい》、|国土成就《こくどじやうじゆ》、|四民《しみん》|安堵《あんど》、|瑞祥《ずゐしやう》の|気《き》が|殿内《でんない》に|漲《みなぎ》り|渡《わた》り、|床《とこ》に|飾《かざ》られた|福禄寿《げほう》の|置物《おきもの》が……ベスさまお|早《はや》う……と|腰《こし》を|屈《かが》めて|挨拶《あいさつ》をして|居《ゐ》ると|云《い》ふ|長閑《のどか》さだつたよ。も|早《はや》|此《この》|上《うへ》は|一言《いちごん》も|口外《こうぐわい》は|出来《でき》ない。|先《ま》づこれが|俺《おれ》の|使命《しめい》だ。アハヽヽヽ』
『そんな|事《こと》で|如何《どう》して|全権《ぜんけん》|公使《こうし》が|勤《つと》まるか。も|少《すこ》し|戦況《せんきやう》を|詳細《しやうさい》に|報告《はうこく》|致《いた》さぬかい』
『|報告《はうこく》しようにも|実《じつ》の|処《ところ》は|仕方《しかた》がないのだ。サツパリ【アフン】が|宙《ちう》に|迷《まよ》つて|了《しま》つた。|驚異《きやうい》の|面相《めんさう》を|遺憾《ゐかん》なく|陳列《ちんれつ》してある|羅漢堂《らかんだう》を|覗《のぞ》いて|来《き》た|様《やう》なものだつた。されども|明智《めいち》の|某《それがし》、|黒雲《こくうん》|深《ふか》く|包《つつ》みたる|不可解《ふかかい》の|事実《じじつ》も、|遺憾《ゐかん》なく|道破《だうは》して|来《き》たのだから|偉《えら》いものだらう。|何《なん》と|云《い》つても|明敏《めいびん》な|頭脳《づなう》の|持《も》ち|主《ぬし》だから、|凡《すべ》ての|事実《じじつ》の|核心《かくしん》に|触《ふ》れるのは|此《この》ベスに|限《かぎ》つて|居《ゐ》るワイ、ウフヽヽヽフツフ。アヽ、|小便《せうべん》の|大《だい》タンクが|溢《あふ》れて|腎臓《じんざう》が|破裂《はれつ》しさうだ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、エチエチと|怪《あや》しき|足許《あしもと》にて|便所《べんじよ》に|姿《すがた》を|隠《かく》す。シールは|腕《うで》を|組《く》み|独語《ひとりごと》。
『マア、|何《なん》と|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》が|出来《でき》たのだらう。ベスの|奴《やつ》、|一向《いつかう》|不得要領《ふとくえうりやう》の|返答《へんたふ》ばかりを|並《なら》べ|立《た》て|肝腎《かんじん》の|問題《もんだい》を|外《はづ》さうとつとめて|居《ゐ》よる。これには|何《なに》か|深《ふか》い|訳《わけ》がなくてはならぬ。|一《ひと》つ|巧《うま》く|酒《さけ》を|勧《すす》めて|酔《よ》ひ|潰《つぶ》し、|泥《どろ》を|吐《は》かしてやらなくちや、|一通《ひととほ》りの|料理《れうり》では|駄目《だめ》だ。|背骨《せぼね》を|抜《ぬ》き|取《と》り、|腹《はら》の|中《なか》|迄《まで》|開《ひら》きにして、|鰌鍋《どぜうなべ》の|様《やう》に|何《なに》もかも|暴露《ばくろ》させてやらうかナ』
と|呟《つぶや》き|乍《なが》ら|待《ま》つて|居《ゐ》る。ベスは|漸《やうや》く|小用《こよう》を|済《す》ませ|帰《かへ》り|来《きた》るを、
シール『オイ、チツと|酒《さけ》でも|聞《きこ》し|召《め》したら|如何《どう》だい。|斯《か》う|四辺《しへん》|暗雲《あんうん》に|包《つつ》まれ、|蒸《む》し|暑《あつ》き|無風《むふう》|地帯《ちたい》にあつては、やり|切《き》れないぢやないか。ドツと|奮発《ふんぱつ》して|鯨飲馬食《げいいんばしよく》と|洒落《しやれ》て、|暑《あつ》さを|凌《しの》がうぢやないか。ウラル|教《けう》の|古《ふる》い|教《をしへ》にも……|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ、|暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る……と|云《い》つてあるからにや、|酒《さけ》さへ|飲《の》めば|屹度《きつと》|御神慮《ごしんりよ》に|叶《かな》つて、|大空《おほぞら》の|陰鬱《いんうつ》の|雲《くも》も|晴《は》れ、|涼風《りやうふう》|颯々《さつさつ》として|面《おもて》を|吹《ふ》き、|天《てん》|青《あを》く|日《ひ》は|清《きよ》く、|天《あま》の|岩戸開《いはとびら》きが|出来《でき》るであらうよ。|酒《さけ》なくて|何《なん》の|己《おのれ》がナイスかなだ。|何程《なにほど》|立派《りつぱ》なナイスの|給仕《きふじ》でも、|飯《めし》ばつかりでは|機《はづ》まないからな。|酒《さけ》は|百薬《ひやくやく》の|長《ちやう》だ、|酒《さけ》は【やつこす】だ。|薬師如来《やくしによらい》だ、|般若湯《はんにやたう》だ、|甘露水《かんろすゐ》だ、|釈迦《しやか》だ、イエスだ。|吾等《われら》を|天国《てんごく》に|救《すく》ふ|大救世主《だいきうせいしゆ》は|盤古神王《ばんこしんわう》でもなければ|常世神王《とこよしんわう》でもない。|飲《の》めば|直《ただち》に|心《こころ》|浮《う》き|立《た》ち、|天国《てんごく》を|自由自在《じいうじざい》に|逍遥《せうえう》せしめ|給《たま》ふ|酒《くし》の|神様《かみさま》だ。|現実《げんじつ》に|天国《てんごく》に|救《すく》ひ|下《くだ》さる|神様《かみさま》は|吾《わが》|前《まへ》に|出現《しゆつげん》ましますぞよ』
『あまり|酒《くし》の|神《かみ》の|御厄介《ごやくかい》になると、|門番《もんばん》の|役《やく》が|疎《おろ》そかになつて、|免《めん》の|字《じ》に|職《しよく》の|字《じ》を|頂戴《ちやうだい》せなくては、ならなくなつて|了《しま》ふぞ。チツと|心得《こころえ》ねばなるまい』
『|酒《さけ》の|用意《ようい》はもう|宜《よ》い。これで|沢山《たくさん》だ。|此《この》|上《うへ》は|一滴《いつてき》も|飲《の》めない。アヽえらく|酔《よ》うた……と|云《い》ひ|出《だ》した|時《とき》が|本当《ほんたう》の|酒《さけ》の|興味《きようみ》を|覚《おぼ》えた|時《とき》だ。|強《し》ひられない|酒《さけ》は|飲《の》めぬと|云《い》ふから、|此《この》シールさまが|斯《か》うしてお|前《まへ》に|酒《さけ》を【シール】のだ。アハヽヽヽ』
ベスは|喉《のど》の|虫《むし》がキユーキユーと|催促《さいそく》をして|居《ゐ》る。|到頭《たうとう》|堪《たま》らなくなつてシールの|言葉《ことば》に|従《したが》ひ、|度胸《どきよう》を|据《す》ゑてグイグイと|飲《の》み|始《はじ》めた。|忽《たちま》ち|舌《した》は|縺《もつ》れ|出《だ》し、|近《ちか》くに|居《を》つてさへ|其《その》|言霊《ことたま》は|聞《き》き|分《わ》け|難《がた》き|迄《まで》|酔《よ》つぱらつて|了《しま》つた。|酔《よ》へば|如何《いか》なる|秘密《ひみつ》も|喋《しやべ》り|立《た》てるは|小人《せうじん》の|常《つね》だ。
シールはベスを|一寸《ちよつと》むかつかせ、|其《その》|勢《いきほひ》に|一切《いつさい》の|秘密《ひみつ》を|吐《は》かしてやらうと、|稍《やや》|声《こゑ》を|高《たか》めて、
『オイ、ハベルの|塔《たふ》、|貴様《きさま》は|何時《いつ》までも|此《この》|門番《もんばん》に|仕《つか》へ【ハベル】|名物男《めいぶつをとこ》で、|云《い》つてもよい|事《こと》はチツとも|言《い》はず、|云《い》はいでも|宜《よ》い|人《ひと》の|蔭口《かげぐち》は|能《よ》くハベル……オツトドツコイ|喋《しやべ》る|代物《しろもの》だから、|今日《けふ》は|何《なに》もかも|俺《おれ》の|前《まへ》で|白状《はくじやう》するのだ。サア、|最前《さいぜん》の|復命《ふくめい》を|細《つぶ》さに|吾《わが》|前《まへ》に|陳列《ちんれつ》するのだぞ』
『あんまり|馬鹿《ばか》らしくて、|話《はな》すだけの|実《じつ》は|価値《かち》がないのだよ。テールの|青二才《あをにさい》|奴《め》、サガレン|王様《わうさま》が|数多《あまた》の|軍勢《ぐんぜい》を|引率《ひきつ》れ、|此《この》|館《やかた》に|押《お》し|寄《よ》せ|来《きた》り|給《たま》ひし|夢《ゆめ》を|見《み》よつて、|竜雲様《りううんさま》やケールス|姫《ひめ》に|慌《あは》てて|報告《はうこく》しよつたのが|元《もと》で、あの|様《やう》な|空騒《からさわ》ぎがオツ|始《ぱじ》まつたのだ。あまり|馬鹿《ばか》らしいから|誰《たれ》にもこんな|事《こと》は|口外《こうぐわい》してはならないぞと、ケールス|姫様《ひめさま》から|箝口令《かんこうれい》を|布《し》かれて|了《しま》つたのだ。|然《しか》し|秘密《ひみつ》は|何処迄《どこまで》も|秘密《ひみつ》だから、|天機《てんき》|洩《も》らすべからず、|此《この》|先《さき》は|諸君《しよくん》の|御推量《ごすゐりやう》に|任《まか》すより|仕方《しかた》がないのだ。アハヽヽヽ』
『オイ、|俺《おれ》|一人《ひとり》に|向《むか》つて、|諸君《しよくん》とは|何《なん》だ。チト|脱線《だつせん》ぢやないか』
『|脱線《だつせん》するのも|当然《たうぜん》だよ。|脱線《だつせん》に|始《はじ》まつて|脱線《だつせん》に|終《をは》つたのだからな。こんな|事《こと》を|誰《たれ》が|聞《き》いても|皆《みな》|唖然《あぜん》として|笑《わら》ふにも|笑《わら》はれない|事《こと》になる。|共鳴《きようめい》するものは|森《もり》の|烏《からす》|位《くらゐ》なものだ。ケールス|姫様《ひめさま》があの|美《うつく》しき|身体《からだ》に|満艦飾《まんかんしよく》を|施《ほどこ》して、|甲斐々々《かひがひ》しくも|薙刀《なぎなた》を|小脇《こわき》にかい|込《こ》み、|赤《あか》い|裾《すそ》をべらつかせ、|白《しろ》き|脛《すね》を|顕《あら》はして……|強敵《きやうてき》|御座《ござ》んなれ……と|立現《たちあら》はれ|給《たま》ひし|時《とき》の|其《その》|健気《けなげ》さ、|凛々《りり》しさ。|一目《ひとめ》|拝《をが》んでも、|胸《むね》に|清涼水《せいりやうすゐ》を|注入《ちゆうにふ》した|様《やう》な|感《かん》じがするぢやないか』
『テールの|近侍《きんじ》はそんな|馬鹿《ばか》な|事《こと》を|申《まを》し|上《あ》げた|以上《いじやう》は、|竜雲様《りううんさま》の|怒《いか》りに|触《ふ》れ、|屹度《きつと》お|手打《てう》ちになるだらうなア』
『ならいでかい、|毎日《まいにち》|日日《ひにち》お|手打《てう》ちを|得意《とくい》になつて、|姫様《ひめさま》とケラケラ|云《い》ひ|乍《なが》ら|続行《ぞくかう》して|居《を》られるではないか』
『|何《なん》と|俺《おれ》は|今《いま》まで|知《し》らなかつた。|三十万年《さんじふまんねん》|未来《みらい》の|殷《いん》の|紂王《ちうわう》か|姐己《だつき》の|様《やう》な|悪逆無道《あくぎやくむだう》を|喜《よろこ》んで|遊《あそ》ばすのか。そんな|暴君《ばうくん》に|心《こころ》を|安《やす》んじて|仕《つか》へて|居《ゐ》る|事《こと》はチツと|考《かんが》へねばなるまいぞ。|一《ひと》つ|風向《かざなみ》が|悪《わる》ければ、|直《すぐ》にお|手打《てう》ちとやられちや|堪《たま》らないからな。オイ、ベス、それ|丈《だけ》|毎日《まいにち》お|手打《てう》ちをして|後《あと》は|如何《どう》|片《かた》づけて|仕舞《しま》はれるのだらう。|根《ね》つから|此《この》|門《もん》を|潜《くぐ》つたお|手打者《てうちもの》は|無《な》い|様《やう》だがのう』
『|何《なに》|造作《ざうさ》があるものか、|皆《みな》|雪隠《せつちん》へ|落《おと》して|了《しま》はれるのだ』
『|雪隠《せついん》の|中《なか》は|随分《ずゐぶん》|沢山《たくさん》な|亡者《まうじや》だらうなア』
『|何《なん》と|云《い》つても、|竜雲様《りううんさま》と|姫様《ひめさま》が|箸《はし》の|先《さき》にひつかけて、ツルツルと|口《くち》から|飲《の》み|込《こ》んで|了《しま》はれるのだから|埒《らち》の|宜《い》いものだ、|近侍《きんじ》の|奴等《やつら》は|目《め》を|三角《さんかく》にして、【そば】から|指《ゆび》をくはへて|見《み》て|居《ゐ》るさうだが、|何《なん》と|気《き》の|利《き》かぬ【ウドン】な|代物《しろもの》ぢやないか』
『|何《なん》だい、|手打《てうち》とは|蕎麦《そば》の|事《こと》だつたか。|要《い》らぬ|事《こと》に|強《きつ》う|気《き》を|揉《も》ましよつた、ウフヽヽヽ。|然《しか》しベスよ、よく|考《かんが》へて|見《み》ると|世《よ》の|中《なか》は|宜《い》い|加減《かげん》なものだな。|神《かみ》さま|神《かみ》さまと|朝《あさ》から|晩《ばん》まで、|下手《へた》な|調髪師《てうはつし》の|様《やう》に|云《い》つて|御座《ござ》つたサガレン|王様《わうさま》は、|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》の|御保護《ごほご》もなく、あんな|惨《みぢ》めな|目《め》にお|遭《あ》ひなされ、|今《いま》に|行方《ゆくへ》も|判然《はんぜん》せず、|何処《どこ》かの|山野《さんや》を|落《お》ちぶれて|逍遥《さまよ》うて|御座《ござ》るであらうが、それに|引換《ひきか》へ、あんな|没義道《もぎだう》な|事《こと》をやつた|竜雲《りううん》が、ヌツケリコと|王様《わうさま》|気取《きど》りになつて、|姫様《ひめさま》と|相対《あひたい》し、|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|手打《てうち》をしたり、|手《て》を|曳《ひ》き|合《あ》うたり、|抱擁《はうよう》|接吻《キツス》したり、|所在《あらゆる》|体主霊従《たいしゆれいじう》の|限《かぎ》りを|尽《つく》して|脂下《やにさが》つて|御座《ござ》るのは、コレは|又《また》|何《なん》とした|世《よ》の|中《なか》は|矛盾《むじゆん》であらうか。|俺《おれ》ヤもうこれを|思《おも》へば|此《この》|世《よ》の|中《なか》に|大自在天《だいじざいてん》もなければ、|盤古神王《ばんこしんわう》も|名《な》のみあつて、|其《その》|実《じつ》なきものと|断定《だんてい》せざるを|得《え》なくなつて|来《き》たよ。|本当《ほんたう》に|無明暗黒《むみやうあんこく》の|世《よ》の|中《なか》だ。|如何《どう》したらこれが|誠《まこと》の|世《よ》の|中《なか》になるだらうかな』
『オイ|門番《もんばん》の|分際《ぶんざい》としてそんな|大《だい》それた|事《こと》を|囀《さへづ》つて、|若《も》しも|竜雲様《りううんさま》のお|耳《みみ》に|達《たつ》したら|如何《どう》する|積《つも》りだい。チツと|嗜《たしな》まないか。|何程《なにほど》|貴様《きさま》が|心《こころ》を|苛《いら》ち、|忙殺的《ばうさつてき》|足踏《あしぶ》みをして|藻掻《もが》いた|処《ところ》で、|決《けつ》して|其《その》|意志《いし》の|万分一《まんぶんいち》も|貫徹《くわんてつ》するものでない。|門番《もんばん》は|門番《もんばん》らしく|上《うへ》の|方《かた》の|評定《ひやうぢやう》をやめて、おとなしく|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|此処《ここ》に|沈澱《ちんでん》するのが、それが|第一《だいいち》の|安全弁《あんぜんべん》だよ』
『オイ、ベス、お|前《まへ》は|竜雲様《りううんさま》の|将来《しやうらい》は|如何《どう》なると|考《かんが》へるか』
『|俺達《おれたち》がそんな|事《こと》を|干渉《かんせう》する|丈《だ》けの|権能《けんのう》は|無《な》い。|兎《と》も|角《かく》|喉元《のどもと》へ|這入《はい》つて、お|鬚《ひげ》の|塵《ちり》さへ|払《はら》つて|居《を》れば|宜《い》いぢやないか。|袖《そで》の|下《した》からも|廻《まは》る|子《こ》は|可愛《かあい》いと|云《い》ふことがあるよ。テールの|奴《やつ》、|力《ちから》も|何《なに》もない|癖《くせ》に|敏《すば》しこく|廻《まは》りよつて、アレあの|通《とほ》り、|竜雲様《りううんさま》の|丸《まる》で|懐刀《ふところがたな》の|様《やう》な|地位《ちゐ》に|立《た》ち、|羽振《はぶ》りを|利《き》かして|居《ゐ》よるぢやないか。|下《くだ》らぬ|道徳論《だうとくろん》に|囚《とら》へられて|理窟《りくつ》を|喋《しやべ》つて|居《ゐ》ると、|彼奴《あいつ》は|頭《あたま》が|古《ふる》い、|時代遅《じだいおく》れだ、|一《ひと》つ|頭脳《づなう》のキルクを|抜《ぬ》いて|古《ふる》い|血《ち》をぬき|取《と》り、|新《あたら》しく|入《い》れ|替《か》へて|今《いま》|一度《いちど》|鍛《きた》へ|上《あ》げてやらねば、こんな|寝息《ねいき》ものは|夜店《よみせ》へ|出《だ》した|処《ところ》で、|乞食《こじき》も|買《か》つて|呉《く》れないと|云《い》つて、|親切《しんせつ》に|頭脳《づなう》の|解剖《かいばう》をやられて|了《しま》ふよ。|兎《と》も|角《かく》、|人間《にんげん》は|自己《じこ》の|生活《せいくわつ》を|安全《あんぜん》にするのが|第一《だいいち》だ。|道《みち》の|為《た》め、|君《きみ》の|為《た》め、|世《よ》の|為《た》め、|人《ひと》の|為《た》め|等《など》と|巧《うま》い|雅号《ががう》を|表《おもて》に|使《つか》つて、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|羊頭《やうとう》を|掲《かか》げて|狗肉《くにく》を|売《う》つてるのだから、|世《よ》の|中《なか》が|斯《か》う|堕落《だらく》して|了《しま》つちや、|到底《たうてい》|昔気質《むかしかたぎ》の|馬鹿正直《ばかしやうぢき》では、|牛馬《ぎうば》にだつて|噛《か》み|殺《ころ》されて|了《しま》ふよ。チツとシツカリせないと|社会《しやくわい》の|無用物《むようぶつ》となつて|了《しま》はねばならぬからなア。アハヽヽヽ』
|斯《か》く|話《はな》す|折《をり》しも、|何処《いづこ》ともなく|門前《もんぜん》|近《ちか》くに|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》|聞《きこ》え|来《きた》る。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善悪正邪《ぜんあくせいじや》を|立《た》て|別《わ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》す |尊《たふと》き|神《かみ》の|御教《おんをしへ》
|仮令《たとへ》|天地《てんち》は|変《かは》るとも |誠《まこと》|一《ひと》つの|正道《まさみち》は
ミクロの|御世《みよ》の|末《すゑ》|迄《まで》も |堅磐常磐《かきはときは》に|変《かは》らまじ
|一時《いちじ》の|欲《よく》に|踏《ふ》み|迷《まよ》ひ |焼《や》け|朽《く》ち|錆《さ》びて|腐《くさ》るてふ
|形《かたち》の|上《うへ》の|御宝《みたから》に |天《てん》より|受《う》けたる|分霊《ぶんれい》と
|心《こころ》を|曇《くも》らせ|身《み》を|穢《けが》し |知《し》らず|知《し》らずに|根《ね》の|国《くに》や
|底《そこ》の|国《くに》へと|落《お》ち|行《ゆ》きて |吾《われ》と|吾《わが》|手《て》に|苦《くる》しめる
|世人《よびと》の|艱《なや》みを|救《すく》はむと |天津御神《あまつみかみ》や|国津神《くにつかみ》
|此《この》|世《よ》を|救《すく》ふ|生神《いきがみ》の |教《をしへ》をもちて|四方《よも》の|国《くに》
|導《みちび》き|諭《さと》す|宣伝使《せんでんし》 |此処《ここ》に|現《あら》はれ|来《きた》りけり
|勢《いきほ》ひ|強《つよ》き|竜雲《りううん》も |今《いま》は|桜《さくら》の|花盛《はなざか》り
|常世《とこよ》の|春《はる》と|楽《たの》しみて |不義《ふぎ》の|快楽《けらく》に|耽《ふけ》る|折《をり》
|天津御空《あまつみそら》は|忽《たちま》ちに |黒雲《くろくも》|起《おこ》りて|無残《むざん》にも
|嵐《あらし》となりて|吹《ふ》き|散《ち》らす |明日《あす》|明後日《あさつて》も|来年《らいねん》も
|百年《ひやくねん》|千年《せんねん》|先《さき》|迄《まで》も |此《この》|儘《まま》|栄《さか》え|行《ゆ》くべしと
|思《おも》ふ|心《こころ》の|徒桜《あだざくら》 |忽《たちま》ち|強《つよ》き|夜嵐《よあらし》に
|打《う》ちたたかれて|諸人《もろびと》に もて|囃《はや》されし|桜《さくら》さへ
|嵐《あらし》に|散《ち》りて|老若《らうにやく》の |足《あし》に|踏《ふ》まれる|世《よ》の|習《なら》ひ
|因果応報《いんぐわおうはう》|忽《たちま》ちに |廻《めぐ》る|浮世《うきよ》の|有様《ありさま》を
|知《し》らず|知《し》らずに|日《ひ》を|送《おく》る |曲津《まがつ》の|業《わざ》ぞ|悲《かな》しけれ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|竜雲《りううん》が |心《こころ》に|棲《す》める|曲神《まがかみ》を
|神《かみ》の|御水火《みいき》の|弥高《いやたか》く |払《はら》はせ|給《たま》へケールス|姫《ひめ》の
|君《きみ》の|命《みこと》の|迷《まよ》ひをば |科戸《しなど》の|風《かぜ》のいと|清《きよ》く
|払《はら》ひ|清《きよ》めて|旧《もと》の|如《ごと》 |赤《あか》き|心《こころ》となさしめよ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|誠《まこと》は|此《この》|世《よ》の|宝《たから》ぞや |悪《あく》の|身魂《みたま》も|一時《ひととき》は
|茂《しげ》り|栄《さか》ゆる|事《こと》あるも |天地《てんち》の|神《かみ》の|敏《さと》き|目《め》に
|如何《いか》でか|洩《も》れむ|枉《まが》の|罪《つみ》 |亡《ほろ》ぼされむは|目《ま》の|前《あたり》
|早《はや》く|心《こころ》を|立《た》て|直《なほ》せ さすれば|神《かみ》は|汝等《なんぢら》が
|心《こころ》に|潜《ひそ》む|曲鬼《まがおに》を |罰《きた》め|給《たま》ひて|天地《あめつち》の
|神《かみ》の|御霊《みたま》になりませる |清《きよ》き|御霊《みたま》を|授《さづ》けまし
|此《この》|世《よ》の|宝《たから》となさしめむ |神世《かみよ》の|柱《はしら》となさしめむ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|謡《うた》ひ|終《をは》ると|共《とも》に、|早《はや》くも|歌《うた》の|主《ぬし》は|門前《もんぜん》に|姿《すがた》を|現《あら》はしにけり。
シール、ベスの|両人《りやうにん》は|酔眼《すゐがん》|朦朧《もうろう》としながら、|此《この》|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》に|胸《むね》も|刺《さ》さるる|如《ごと》き|心地《ここち》して、|恐《おそ》る|恐《おそ》る|表門《おもてもん》をパツと|開《ひら》き|見《み》れば、|白髪《はくはつ》|異様《いやう》の|老人《らうじん》、|左手《ゆんで》に|太《ふと》き|杖《つゑ》をつき、|右手《めて》に|扇《あふぎ》を|固《かた》く|握《にぎ》り、|儼然《げんぜん》として|仁王立《にわうだ》ちになつて|居《ゐ》る。シールは|老人《らうじん》の|異様《いやう》の|姿《すがた》に|驚《おどろ》いて|舌《した》を|縺《もつ》らしながら、
『お|前《まへ》は|何処《どこ》の|爺《ぢい》さまか|知《し》らぬが、|今日《けふ》は|此《この》お|城《しろ》の|館《やかた》は|公休日《こうきうび》だから|帰《かへ》つて|下《くだ》され。|明日《あす》は|又《また》|日曜《にちえう》、|明後日《あさつて》は|国際日《こくさいび》、|其《その》|翌日《よくじつ》は|王様《わうさま》のお|父様《とうさま》の|御命日《ごめいにち》、|其《その》|又《また》|翌日《よくじつ》は|御誕生日《おたんじやうび》、|其《その》|又《また》|翌日《よくじつ》はお|姫様《ひめさま》の|御誕生日《おたんじやうび》だ。さうして|其《その》|先《さき》は|役人《やくにん》|共《ども》の|誕生日《たんじやうび》や|両親《りやうしん》の|命日《めいにち》が|続《つづ》くのだから、|何卒《どうぞ》|其《その》|日《ひ》を|除《のぞ》いて|来《き》て|下《くだ》され。これ|丈《だけ》|機嫌《きげん》|好《よ》う|般若湯《はんにやたう》に|喰《くら》ひ|酔《よ》うて|居《ゐ》る|処《ところ》へ、|殺風景《さつぷうけい》な|独眼爺《ひとつめぢい》さまがやつて|来《き》ちや|面白《おもしろ》くない。|何《なん》とか|竜雲様《りううんさま》の|悪心《あくしん》を|直《なほ》してやらうと|思《おも》うて|来《き》て|呉《く》れたのだらうが|到底《たうてい》|駄目《だめ》だ。そんな|老爺心《らうやしん》は|誰《たれ》も|聞《き》くものはないから、|可惜口《あつたらぐち》に|風《かぜ》|引《ひ》かすよりもトツトと|帰《かへ》つた|方《はう》が、お|前《まへ》の|為《た》めにお|得《とく》だ。|物《もの》|言《い》へば|唇《くちびる》|寒《さむ》し|秋《あき》の|風《かぜ》、サアサア|帰《い》んだり|帰《い》んだり』
『アハヽヽヽ|何《なん》と|面白《おもしろ》い|門番《もんばん》もあつたものだな。|門番《もんばん》にしてこれ|丈《だ》けの|粋人《すゐじん》が|居《を》る|以上《いじやう》は、|随分《ずゐぶん》|大奥《おほおく》は|百花爛漫《ひやくくわらんまん》たる|天国《てんごく》の|光景《くわうけい》が|展開《てんかい》されて|居《ゐ》るだらう。|和気靄々《わきあいあい》として|上下一致《しやうかいつち》、|其《その》|楽《たの》しみを|倶《とも》にする|竜雲《りううん》のやり|方《かた》、|誠《まこと》に|以《もつ》て|感服《かんぷく》の|至《いた》りだ。イヤもう|人《ひと》は|斯《か》うなくては|叶《かな》はぬ。|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》は|闇《やみ》よ、|闇《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る。アハヽヽヽ』
ベス『やア|此奴《こいつ》ア|面白《おもしろ》い|死損《しにぞこな》ひだ。あまり|大奥《おほおく》が|何々《なになに》だから、|一《ひと》つ|竜雲様《りううんさま》に|申《まを》し|上《あ》げて、|城内《じやうない》の|空気《くうき》を|一洗《いつせん》して|貰《もら》ふ|事《こと》に|取計《とりはか》らふて|見《み》ませう。これこれ|老爺《おやぢ》どの、|其処《そこ》に|暫《しばら》く|待《ま》つて|居《ゐ》ておくれ』
『アハヽヽヽ|別《べつ》に|竜雲《りううん》の|返答《へんたふ》を|待《ま》つまでもなく、|此《この》|独眼老爺《ひとつめおやぢ》がどしどしと|侵入《しんにふ》するであらう』
ベス『アもしもし、そんな|事《こと》をして|貰《もら》つてはタヽヽ|大変《たいへん》です。|此《この》|門番《もんばん》も|忽《たちま》ち|今日《けふ》から|足袋屋《たびや》の|看板《かんばん》で|足上《あしあが》りになつちや|堪《たま》りませぬ、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》れば|首《くび》が|飛《と》びます。|何卒《どうぞ》|大奥《おほおく》のお|返事《へんじ》を|聞《き》いて|来《く》る|迄《まで》|暫時《ざんじ》の|猶予《いうよ》を|願《ねが》ひます。|門番《もんばん》は|門番《もんばん》としての|職務《しよくむ》を|固《かた》く|守《まも》らねばなりませぬからな』
『アハヽヽヽ、お|前達《まへたち》はそれだから|現代《げんだい》に|容《い》れられないのだ。あまり|謹《つつし》んで|門番《もんばん》を|勤《つと》めるものだから、|到頭《たうとう》|大将《たいしやう》に……|彼奴《あいつ》ア|門番《もんばん》には|最《もつと》も|適当《てきたう》な|人物《じんぶつ》だ……と|鑑定《かんてい》されて|了《しま》ひ、|一生一代《いつしやういちだい》|卑《いや》しき|門番《もんばん》を|勤《つと》めて|居《を》らねばならないのだ。|常世《とこよ》の|国《くに》の|常世城《とこよじやう》の|門番《もんばん》は、|失敗《しつぱい》の|結果《けつくわ》|抜擢《ばつてき》されて|右守《うもり》の|神《かみ》に|昇進《しようしん》したことがあるぞよ。|此《この》|世《よ》の|中《なか》にお|前《まへ》の|様《やう》な|馬鹿正直《ばかしやうぢき》な|者《もの》が、|如何《どう》して|生活《せいくわつ》を|完全《くわんぜん》に|続《つづ》けて|行《ゆ》く|事《こと》が|出来《でき》るか。さてもさても|可憐相《かはいさう》な|腰抜男《こしぬけをとこ》だなア。アハヽヽヽ』
と|肩《かた》を|揺《ゆす》つて|大《おほ》きく|笑《わら》ふ。
シール『ヤア|此奴《こいつ》は|中々《なかなか》|話《はな》せる|爺《ぢい》さまだ。|一々《いちいち》|肯綮《こうけい》に|中《あた》る|名論卓説《めいろんたくせつ》を|吐《は》きよる。オイ、ベス、|仲々《なかなか》|前途有望《ぜんというばう》だ。|早《はや》く|大奥《おほおく》へ|報告《はうこく》して|来《こ》い。|屹度《きつと》ウラル|教《けう》だぞ……|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》は|闇《やみ》よ……と|云《い》つたらう』
ベス『オウさうだ。|此奴《こいつ》ア|面白《おもしろ》い!』
とベスは|慌《あわただ》しく|大奥《おほおく》さして|進《すす》み|入《い》る。
(大正一一・九・二三 旧八・三 北村隆光録)
第一八章 |心《こころ》の|天国《てんごく》〔一〇〇六〕
アナン、セール、ユーズ、シルレングの|四人《よにん》は、|兵《へい》を|起《おこ》して|夜襲《やしふ》を|試《こころ》み、|神地城《かうぢじやう》の|奥《おく》の|間《ま》に|軽進《けいしん》して、|遂《つひ》に|臨時《りんじ》|作《づく》りの|陥穽《かんせい》に|墜落《つゐらく》し、|捉《とら》へられて|四人《よにん》は|一緒《いつしよ》に|牢獄《らうごく》に|投《とう》ぜられ、ヒソビソとサガレ|王《わう》の|身《み》の|上《うへ》に|付《つ》き、|案《あん》じ|過《すご》して|囁《ささや》いてゐる。アナンは|小声《こごゑ》になつて、
『とうとう|竜雲《りううん》の|曲神《まがかみ》が|陥穽《おとしあな》に|深《ふか》くおち|込《こ》み、こんなザマになつて|了《しま》つた。モウ|斯《か》うなる|上《うへ》は|何時《いつ》|解放《かいはう》されるかも|分《わか》りやしないし、|活殺《くわつさつ》の|権《けん》は|竜雲《りううん》が|握《にぎ》つてゐるのだから、|俺達《おれたち》|一同《いちどう》の|生命《いのち》は、|丸《まる》で|暴風《ばうふう》の|前《まへ》の|桜《さくら》の|様《やう》なものぢやないか。バラモンの|大神《おほかみ》さまも|余《あま》り|聞《きこ》えぬぢやないか。|悪人《あくにん》は|自由自在《じいうじざい》に|白昼《はくちう》に|横行《わうかう》|濶歩《くわつぽ》し、|吾々《われわれ》|如《ごと》き|至誠《しせい》|至実《しじつ》の|人間《にんげん》は|斯《かく》の|如《ごと》く|惨酷《みじめ》な|縲絏《るいせつ》の|辱《はづかしめ》を|受《う》け、|鉄窓《てつさう》の|下《もと》に|昼夜《ちうや》|呻吟《しんぎん》せなくてはならぬとは、|何《なん》とした|事《こと》だらう』
と|少《すこ》しく|弱音《よわね》を|吹《ふ》きかけるを、セールはニヤリと|打笑《うちわら》ひ、
『|日頃《ひごろ》|剛胆《がうたん》なアナンにも|似《に》ず、|何《なん》と|云《い》ふ|弱音《よわね》を|吹《ふ》くのだい。お|前《まへ》が|吾々《われわれ》|四人《よにん》の|内《うち》では|最《もつと》も|先輩《せんぱい》だ。そして|此《この》|中《なか》でも|智勇《ちゆう》|兼備《けんび》の|大将《たいしやう》と|仰《あふ》がれてゐる|身分《みぶん》ぢやないか。|今日《けふ》は|又《また》なぜそんな|心《こころ》|淋《さび》しい|事《こと》をいつてくれるのだ』
アナン『|俺《おれ》やモウ|世《よ》の|中《なか》の|無常《むじやう》を|感《かん》じて|来《き》たのだ。|何程《なにほど》|人間《にんげん》があせつた|所《ところ》で、|吉凶《きつきよう》|禍福《くわふく》は|到底《たうてい》|吾々《われわれ》の|左右《さいう》し|得《う》べきものでない。|何事《なにごと》も|運命《うんめい》だと|諦《あきら》めるより、|最早《もはや》|途《みち》はないからのう』
ユーズ『ナーニ、そんな|弱々《よわよわ》しい|事《こと》を|言《い》ふものでない。お|前達《まへたち》は|信仰《しんかう》が|足《た》りないのだ。このユーズはナ、|斯《か》うして|肉体《にくたい》は|束縛《そくばく》されてゐるが、|肝腎要《かんじんかなめ》の|御本尊《ごほんぞん》たる|霊魂《れいこん》は、|自由自在《じいうじざい》に|快活《くわいくわつ》に|宇宙間《うちうかん》を|逍遥《せうえう》してゐるのだよ。|肉体《にくたい》は|仮令《たとへ》|殺《ころ》し|得《う》るとも、|吾々《われわれ》の|霊魂《れいこん》|迄《まで》|殺《ころ》す|丈《だけ》の|力《ちから》はない。|霊魂《れいこん》も|肉体《にくたい》もすべて|殺《ころ》す|力《ちから》のあるものは|只《ただ》|神《かみ》さま|丈《だけ》だ。|俺達《おれたち》は|俗人輩《ぞくじんばら》の|自由人《じいうじん》の|目《め》から|見《み》た|時《とき》は、|実《じつ》に|窮屈《きうくつ》な|憐《あは》れな|境遇《きやうぐう》に|陥《おちい》つた|者《もの》だと|思《おも》ふだらうが、ユーズに|云《い》はしむれば、|却《かへつ》て|竜雲《りううん》|如《ごと》き|悪魔《あくま》に|媚《こ》び|諂《へつ》らふケリヤ、ハルマ、ベール|等《など》の|心情《しんじやう》が|憐《あは》れになつて|来《く》るワ。|竜雲《りううん》だつてヤツパリ|同《おな》じ|事《こと》だ。|彼奴《あいつ》らは|天《てん》の|牢獄《らうごく》につながれてゐるのだ。|名位《めいゐ》だとか|位置《ゐち》だとか、|財産《ざいさん》だとか、|下《くだ》らぬ|小利小欲《せうりせうよく》に|魂《たま》をぬかれ、|執着心《しふちやくしん》といふ|地獄《ぢごく》の|鬼《おに》に|自由自在《じいうじざい》の|霊魂《れいこん》を|束縛《そくばく》されて、|呻吟《しんぎん》してゐる|憐《あは》れ|至極《しごく》の|人物《じんぶつ》だ。ベールだつて|何時《いつ》も|偉相《えらさう》に|牢番頭《らうばんがしら》になつたと|思《おも》ひ、|横柄面《わうへいづら》をさらして、|日《ひ》に|二三度《にさんど》|此《この》|窓外《まどそと》をテクつて|居《ゐ》よるが、|思《おも》つて|見《み》れば|実《じつ》に|憐《あは》れな|代物《しろもの》だ。|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|職務《しよくむ》|大切《たいせつ》だと|言《い》つて、|行《ゆ》きたい|所《ところ》へも|能《よ》う|行《ゆ》かず、|夜《よる》は|夜《よる》でスベタ|嬶《かか》の|側《そば》でロクロク|寝《ね》る|事《こと》も|出来《でき》ず、|自分《じぶん》の|子供《こども》だつて、|碌《ろく》に|顔《かほ》を|見《み》る|事《こと》は|出来《でき》ない|憐《あは》れな|代物《しろもの》だよ。|朝《あさ》|早《はや》く|暗《くら》い|内《うち》から|吾《わが》|家《や》を|飛出《とびだ》し、|夜《よる》|遅《おそ》く|吾《わが》|家《や》へ|帰《かへ》つて|行《ゆ》くのだから、|子供《こども》は|何時《いつ》も|熟睡《じゆくすゐ》してゐる。それだからベールの|子供《こども》は、キツと|父《てて》なし|子《ご》だと|思《おも》つてゐるに|違《ちが》ひない。|思《おも》へば|思《おも》へば|憐《あは》れ|至極《しごく》な|代物《しろもの》ぢやないか。
|憂《う》き|事《こと》の|品《しな》こそ|変《かは》れ|世《よ》の|中《なか》に
|心《こころ》|安《やす》くて|住《す》む|人《ひと》はなし
と|云《い》ふ|古歌《こか》の|通《とほ》り、|誰《たれ》だつてこんな|暗黒無明《あんこくむみやう》の|現世《げんせ》に|安穏《あんをん》に|暮《くら》してゐる|奴《やつ》ア|一人《ひとり》だつて、|半分《はんぶん》だつて、ありやアしない。|其《その》|事《こと》を|思《おも》へば、|俺《おれ》たちは|実《じつ》に|幸福《かうふく》な|者《もの》だ。|衣食住《いしよくぢゆう》の|保証《ほしよう》はしてくれるなり、|仮令《たとへ》|毒刃《どくじん》にかかつて|斃《たふ》れた|所《ところ》で、|最早《もはや》|使《つか》ひ|古《ふる》した|肉《にく》の|衣《ころも》だ。|御本尊《ごほんぞん》は|如何《いかん》ともする|事《こと》は|出来《でき》ないのだから、|鼎〓《ていくわく》|甘《あま》き|事《こと》|飴《あめ》の|如《ごと》しといふ|様《やう》な|気分《きぶん》だ。|何《なに》も|心配《しんぱい》する|事《こと》はない、|一切万事《いつさいばんじ》を|神《かみ》さまの|大御心《おほみこころ》に|任《まか》しておきさへすれば|極《きは》めて|安心《あんしん》だ。|過去《くわこ》を|悔《くや》むも|最早《もはや》|詮《せん》なし。|未来《みらい》を|案《あん》じて|取越苦労《とりこしくらう》をやつて|見《み》た|所《ところ》で、|屁《へ》の|突張《つつぱり》りにもなるものでない。|只今《ただいま》といふ|此《この》|瞬間《しゆんかん》こそ、|吾々《われわれ》の|自由意志《じいういし》を|発揮《はつき》し|楽《たのし》む|所《ところ》の|権能《けんのう》を|与《あた》へられたる|貴重《きちよう》な|時間《じかん》だ。|刹那《せつな》|々々《せつな》に|楽《たのし》んで|行《ゆ》きさへすれば、|刹那《せつな》は|積《つ》んで|一時《ひととき》となり、|時《とき》は|積《つ》んで|一日《いちにち》となり、|一月《ひとつき》となり、|一年《いちねん》となり、|十年《じふねん》|百年《ひやくねん》|千年《せんねん》|万年《まんねん》となるのだ……|大神《おほかみ》の|恵《めぐみ》の|露《つゆ》にうるほふて、|今日《けふ》も|喜《よろこ》び|昨日《きのふ》も|明日《あす》も|喜《よろこ》びに|充《み》つ……といふ|様《やう》な|心《こころ》の|持様《もちやう》|一《ひと》つで、|結構《けつこう》な|世《よ》の|中《なか》と|忽《たちま》ち|立直《たちなほ》つて|了《しま》ふのだ。アヽ|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い、こんな|安楽《あんらく》な|所《ところ》が|又《また》と|世《よ》の|中《なか》にあらうかい』
と|元気《げんき》な|顔《かほ》してはツしやいでゐる。シルレングは|三人《さんにん》の|問答《もんだふ》を|聞《き》いて、|片隅《かたすみ》に|腕《うで》を|組《く》み|何《なに》か|思案《しあん》にくれてゐたが、
『イヤもうユーズの|説《せつ》には|大賛成《だいさんせい》だ。|俺《おれ》も|俄《にはか》に|気《き》が|晴々《はればれ》として|来《き》た。モウ|此《この》|上《うへ》は|何事《なにごと》も|思《おも》ふまい』
とシルレングの|元気《げんき》な|詞《ことば》に、|窓《まど》の|外《ほか》を|忍《しの》び|足《あし》に|廻《まは》つて|来《き》たのは|牢番頭《らうばんがしら》の|悪党者《あくたうもの》のベールである。ベールは、
『オイ、アナン、|其《その》|他《た》の|者共《ものども》|静《しづか》に|致《いた》さぬか。ここを|何処《どこ》と|心得《こころえ》てゐる』
と|威丈高《ゐたけだか》に|呶鳴《どな》る。
ユーズ『なんだ、|貴様《きさま》はつい|此《この》|間《あひだ》|迄《まで》|此《この》ユーズの|下役《したやく》に|使《つか》つて|居《を》つたベールぢやないか。ここを|何処《どこ》と|心得《こころえ》とるとは|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|質問《しつもん》ぢやないか。|余程《よほど》|良《よ》い|頓馬《とんま》ぢやのう。|分《わか》らな|云《い》つて|聞《き》かしてやらう。ここは|天空快濶《てんくうくわいくわつ》として、|曇《くも》りもなければ|汚《けが》れもない、|悩《なや》みもなければ|苦《くるし》みもない|神霊界《しんれいかい》の|天国《てんごく》だ。|貴様《きさま》は|執着心《しふちやくしん》に|手足《てあし》を|縛《しば》られ、|魂《たま》をからまれ、|娑婆《しやば》といふ|牢獄《らうごく》に|呻吟《しんぎん》してゐる|気《き》の|利《き》かない|馬鹿者《ばかもの》だろ。さやうな|馬鹿者《ばかもの》が|此《この》|天国《てんごく》|浄土《じやうど》が|見《み》えないのも|強《あなが》ち|無理《むり》もない。|咎《とが》め|立《だ》てをするのも|可哀相《かあいさう》だから|許《ゆる》してやるが、|以後《いご》はキツと|心得《こころえ》て、|只今《ただいま》の|如《ごと》き|馬鹿《ばか》げた|事《こと》は|言《い》はぬがよからうぞ』
ベールは|声《こゑ》を|尖《とが》らせ、
『|汝《なんぢ》|科人《とがにん》の|分際《ぶんざい》として、|吾《われ》に|向《むか》つて|其《その》|暴言《ばうげん》、|聞捨《ききすて》にならぬぞ。ヨシ|待《ま》て、|今《いま》に|懲《こら》してくれむ。|其《その》|時《とき》は|吠面《ほえづら》かわかぬやうに|致《いた》せ。|水責《みづぜめ》|火《ひ》ぜめはまだ|愚《おろ》か、|槍《やり》の|穂先《ほさき》で|嬲殺《なぶりごろし》にしてやるから、|其《その》|積《つも》りで|楽《たの》しんで|待《ま》つて|居《を》れ、テモさても|憐《あは》れな|者《もの》だワイ、イツヒヽヽヽ』
『|何《なに》を|吐《ぬか》すのだ。|主客《しゆきやく》|転倒《てんたふ》も|実《じつ》に|甚《はなは》だしいわい。|貴様《きさま》こそ|天地《てんち》|容《い》れざる|悪逆無道《あくぎやくむだう》の|科人《とがにん》だ。|吾々《われわれ》は|至誠《しせい》|忠良《ちうりやう》の|士《し》だ。|決《けつ》して|天地《てんち》に|対《たい》し|一点《いつてん》の|恥《は》づる|所《ところ》もなき|志士《しし》だ。|汝《なんぢ》|科人《とがにん》の|身《み》を|以《もつ》て|至誠《しせい》|忠実《ちうじつ》の|吾《われ》ユーズに|対《たい》し、|暴言《ばうげん》を|吐《は》くとは|聞《き》き|捨《ず》てならぬ。|今《いま》に|覚《おぼ》えて|居《を》れ。|地震《ぢしん》|雷《かみなり》|火事《くわじ》|爺《おやじ》、|火《ひ》の|雨《あめ》ふらしてこらしめてくれむに。テもいぢらしい|者《もの》だのう、イツヒヽヽヽ』
『コリヤ、ユーズ、|貴様《きさま》は|発狂《はつきやう》|致《いた》したのか。|牢獄《らうごく》へ|捕《とら》へられながら、|自分《じぶん》の|境遇《きやうぐう》も|弁《わきま》へず、ズケズケと|憎《にく》まれ|口《ぐち》を|叩《たた》く|大馬鹿者《おほばかもの》、|貴様《きさま》の|不利益《ふりえき》になることを|知《し》らぬか』
『アハヽヽヽ、ヤツパリ|貴様《きさま》は|此《この》|世《よ》が|恋《こひ》しいと|見《み》えるな。|汝《なんぢ》の|小《ちひ》さき|汚《きたな》き|心《こころ》を|以《もつ》て、|吾々《われわれ》の|英雄《えいゆう》の|心事《しんじ》を|忖度《そんたく》せむとするは、|実《じつ》に|僭越《せんゑつ》も|甚《はなは》だしい。|其《その》|方《はう》こそ|社会《しやくわい》|亡者《まうじや》の|発狂人《はつきやうにん》だ。チツと|良心《りやうしん》に|尋《たづ》ねて|見《み》よ。どちらが|気違《きちがひ》か、いかな|頑冥《ぐわんめい》な|貴様《きさま》でも|分《わか》るであらう。|悪人《あくにん》の|蔓《はびこ》る|世《よ》の|中《なか》、|貴様《きさま》たちの|悪《あく》の|眼《め》より|吾々《われわれ》を|見《み》れば、|気違《きちがひ》と|見《み》えるであらう。なる|程《ほど》|吾々《われわれ》は|気違《きちがひ》には|間違《まちがひ》ない、|併《しか》し|乍《なが》ら|気《き》の|違《ちが》ひ|方《かた》が|違《ちが》つて|居《ゐ》るのだ。|気違《きちがひ》といつても|決《けつ》して|貴様《きさま》のやうな|発狂者《はつきやうしや》ではないから、|混線《こんせん》せないやうに|耳《みみ》を|浚《さら》へて|聞《き》くがよい。|今《いま》の|極悪《ごくあく》|世界《せかい》の|人間《にんげん》|共《ども》の|気《き》に|合《あ》ふやうにしようと|思《おも》へば|至粋《しすゐ》|至純《しじゆん》の|誠《まこと》の|神《かみ》の|御心《みこころ》に|叶《かな》はない。|俗悪《ぞくあく》|世界《せかい》の|大気違《おほきちがひ》|共《ども》の|心《こころ》に|合《あ》ふやうにすれば、|大神様《おほかみさま》の|御心《みこころ》に|叶《かな》はないのだ。|人生《じんせい》|僅《わづ》か|一百年《いつぴやくねん》、|永《なが》い|歳月《としつき》に|比《くら》ぶれば、|夢《ゆめ》の|断片《だんぺん》みたやうなものだ。|神《かみ》より|賜《たま》はつた|吾々《われわれ》の|生命《せいめい》は、|万劫末代《まんごふまつだい》|生《い》き|通《とほ》しだ。|僅《わづ》か|一百年《いつぴやくねん》の|肉体《にくたい》を|楽《たのし》まむとして、|永遠無窮《ゑいゑんむきう》の|生命《せいめい》に|罪《つみ》を|残《のこ》すやうな|馬鹿《ばか》な|事《こと》は|致《いた》さない。そこが|吾々《われわれ》と|貴様等《きさまら》と|大《おほい》に|気《き》の|違《ちが》つてる|点《てん》だ。|貴様《きさま》もよい|加減《かげん》に|改心《かいしん》を|致《いた》して、|現代《げんだい》に|於《お》ける|最善《さいぜん》と|思《おも》ふ|事《こと》を|行《おこな》つて、|俺《わし》たちの|様《やう》にこんな|天国《てんごく》へ|這入《はい》つて|来《こ》い。|昔《むかし》のよしみで|忠告《ちうこく》してやる。オツホン』
『|益々《ますます》|以《もつ》て|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を|云《い》ふ|奴《やつ》だ。|実《じつ》の|所《ところ》は|今日《けふ》|竜雲殿《りううんどの》より、|四人《よにん》の|奴《やつ》を|放免《はうめん》せよと|命令《めいれい》が|下《くだ》つたのだが、|左様《さやう》なへらず|口《ぐち》を|叩《たた》く|奴《やつ》は、|到底《たうてい》|改悛《かいしゆん》の|状《じやう》が|現《あら》はれてゐないから、|無制限《むせいげん》にここに|繋留《けいりう》しておく。サア、アナン、セール、シルレングの|三人《さんにん》、お|許《ゆる》しが|出《で》たから、|早《はや》くここを|逃《のが》れるがよい。|誰《たれ》だつて|何時《いつ》|迄《まで》もこんな|窮屈《きうくつ》な|所《ところ》に|居《ゐ》たい|事《こと》はあるまい。サア|早《はや》く|此《この》|戸《と》をあけるから|出《で》たがよからう』
と|錠《ぢやう》をガタリと|外《はづ》し、|入口《いりぐち》の|鉄戸《かなど》をパツと|開《ひら》く。
アナン『|竜雲《りううん》の|赦《ゆる》しならば|決《けつ》して|俺《おれ》は|出《で》ないよ。あんな|奴《やつ》が|許《ゆる》すといふ|資格《しかく》がどこにあるか。|畏《おそれおほ》くもサガレン|王《わう》さまに|対《たい》し、|刃向《はむか》ひまつつた|大罪人《だいざいにん》、|吾々《われわれ》|如《ごと》き|誠忠《せいちう》の|士《し》を、|罪人《ざいにん》の|分際《ぶんざい》として|許《ゆる》すとは|以《もつ》ての|外《ほか》だ。|左様《さやう》な|不都合《ふつがふ》な|事《こと》を|申《まを》すと、アナンが|承知《しようち》|致《いた》さぬと、|竜雲《りううん》の|奴《やつ》に|伝達《でんたつ》|致《いた》せ、アハヽヽヽ』
『アーア、どれもこれも|皆《みな》|逆上《ぎやくじやう》して|了《しま》ひよつたと|見《み》えるわい。それも|無理《むり》はない。こんな|暗《くら》い|所《ところ》へ|突込《つつこ》まれて|居《を》つちや、|誰《たれ》だつて|気《き》の|狂《くる》はぬ|訳《わけ》に|行《ゆ》くまい。アーア|可哀相《かあいさう》な|代物《しろもの》だなア。そんならセール、お|前《まへ》は|出《で》るのは|嬉《うれ》しいだろ。|早《はや》く|出《で》たがよからうぞ』
セール『コラ、ベール、|随分《ずゐぶん》|能《よ》くサーベール|男《をとこ》だなア。|蛇《へび》のやうな|舌《した》の|先《さき》でベールベールと|竜雲《りううん》にこび|諂《へつ》らひ、エンヤラヤツと|見《み》つともない、|男《をとこ》らしくもない、|牢番頭《らうばんがしら》に|選抜《せんばつ》して|貰《もら》つて、|無上《むじやう》の|光栄《くわうえい》と|思《おも》つて、ホクホクしてゐる|代物《しろもの》だから、|到底《たうてい》|吾々《われわれ》の|心《こころ》の|中《なか》の|快楽《くわいらく》は|味《あぢ》はふ|事《こと》は|出来《でき》まい。ホンに|憐《あは》れな|代物《しろもの》だ。|俺《おれ》は|決《けつ》して|牢獄《らうごく》へは|這入《はい》つてゐない。|貴様《きさま》こそ|無間地獄《むげんぢごく》の|牢獄《らうごく》に|捕《とら》へられて|苦《くるし》んでゐる|憐《あは》れ|至極《しごく》な|代物《しろもの》だ。|如何《どう》かして|解放《かいはう》してやりたいと|思《おも》つてゐるが、|何《なに》を|云《い》つても|随分《ずゐぶん》|貴様《きさま》は|罪《つみ》が|重《おも》いから、|容易《ようい》に|放免《はうめん》してやる|訳《わけ》にも|行《ゆ》かぬ。|誠《まこと》に|以《もつ》て|憫然《びんぜん》の|至《いた》りだ』
ベールは|首《くび》を|傾《かたむ》け、|不審顔《ふしんがほ》、
『アーア|又《また》|此処《こいつ》も|駄目《だめ》だ。|沢山《たくさん》な|気違《きちがひ》が|簇生《ぞくせい》したものだ。|此《この》|様《やう》な|暗黒《あんこく》な|苦《くる》しい|牢獄《らうごく》を|無上《むじやう》の|楽園地《らくゑんち》のやうに|思《おも》つてゐるのだから|仕方《しかた》がない。|到底《たうてい》|此奴《こいつ》は|魂《たま》から|焼《や》き|直《なほ》さねば|元々《もともと》にはなるまい。オイ、シルレング、|貴様《きさま》だけはチツと|正気《しやうき》があるだらう。サア|早《はや》くここを|出《で》たり|出《で》たり』
『オイ、ベール、やめとかうかい。|出《で》た|所《ところ》で|又《また》もや|何《なん》とか|彼《か》とか、|難《なん》くせをつけ、|風向《かざなみ》が|悪《わる》いと、|又《また》もや|引捕《ひきとら》へてブチ|込《こ》まれると、|何《なん》にもならない。|面倒《めんだう》|臭《くさ》いから、|此処《ここ》に|永遠無窮《ゑいゑんむきう》に|鎮座《ちんざ》まします|考《かんが》へだ。|御親切《ごしんせつ》は|有難《ありがた》いが、|却《かへつ》て|吾々《われわれ》の|為《ため》に|迷惑《めいわく》となる。どうぞそんな|事《こと》は|断念《だんねん》したがよからうぞ。|人《ひと》の|疝気《せんき》を|頭痛《づつう》にやむよりも、|一刻《いつこく》の|間《ま》も|時間《じかん》を|大切《たいせつ》にして、|厳重《げんぢゆう》に|無実《むじつ》の|科人《とがにん》を|逃《のが》さない|様《やう》に|努《つと》める|方《はう》が、|貴様《きさま》の|後生《ごしやう》の|為《ため》だ。|何《なに》もかも|大《だい》の|字《じ》|逆《さか》さまの|現代《げんだい》だから、|石《いし》が|流《なが》れて|木《こ》の|葉《は》が|沈《しづ》む、|親爺《おやぢ》が|女郎《ぢよらう》|買《か》ふ、|子《こ》が|念仏《ねんぶつ》|三昧《ざんまい》に|入《い》ると|云《い》ふ|世《よ》の|中《なか》だ。|貴様《きさま》も|体主霊従《たいしゆれいじう》、|矛盾《むじゆん》|撞着《どうちやく》のあらむ|限《かぎ》りを|尽《つく》して、|天《てん》の|牢獄《らうごく》に|投《とう》ぜらるるのを|楽《たの》しんで|待《ま》つがよからう、ウフヽヽヽ……
|身《み》はたとへ|牢獄《ひとや》の|中《うち》にひそむとも
|心《こころ》は|神《かみ》の|神苑《みその》に|遊《あそ》べり
|慾《よく》と|云《い》ふ|百《もも》の|魔神《まがみ》に|捉《とら》へられ
|苦《くるし》むベールの|憐《あは》れなるかも
|曇《くも》りたる|曲《まが》のベールの|心《こころ》には
|牢獄《ひとや》を|地獄《ぢごく》と|思《おも》ひそめけむ
|日月《じつげつ》の|光《ひかり》かがやく|心《こころ》には
|鬼《おに》もなければ|牢獄《らうごく》もなし
|六尺《ろくしやく》の|肉《にく》の|宮《みや》をば|縛《しば》るとも
|心《こころ》は|高《たか》く|大空《おほぞら》に|舞《ま》ふ
ヤイ、ベール|早《はや》く|心《こころ》を|立直《たてなほ》し
|牢獄《ひとや》に|来《きた》れ|誠《まこと》を|聞《き》かさむ
われよりも|貴様《きさま》の|方《はう》が|辛《つら》からう
|夜昼《よるひる》|寝《ね》ずにテクテクとして』
ユーズは|又《また》|中《なか》より、
『ユーズこそ|神《かみ》の|誠《まこと》の|宮代《みやしろ》よ
|鬼《おに》や|悪魔《あくま》も|襲《おそ》ひ|得《え》ざれば
|竜雲《りううん》やケールス|姫《ひめ》の|曲業《まがわざ》を
いかでか|神《かみ》は|憎《にく》まざらまし
|憎《にく》むより|神《かみ》は|憐《あは》れと|思《おぼ》すらむ
|自《みづか》らおつる|地獄《ぢごく》|餓鬼道《がきだう》
サガレンの|王《きみ》の|命《みこと》は|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|守《まも》りに|安《やす》く|居《ゐ》まさむ
|今《いま》|暫《しば》し|暴風《あらし》|吹《ふ》けどもやがて|又《また》
|風《かぜ》|凪《な》ぎ|渡《わた》り|栄《さか》えにあふべし
|竜巻《たつまき》の|雲《くも》の|勢《いきほひ》|強《つよ》くとも
|科戸《しなど》の|風《かぜ》に|吹《ふ》かれ|散《ち》るべし』
セールは|又《また》|歌《うた》ふ。
『|大奥《おほおく》の|床《ゆか》まで|穿《うが》ちブルブルと
|震《ふる》ひてくらす|奴《やつ》ぞ|可笑《をか》しき
|誠《まこと》さへあらば|天地《てんち》に|何者《なにもの》も
|恐《おそ》るべき|者《もの》あらざらましを
|君《きみ》をすて|誠《まこと》をすてて|竜雲《りううん》が
やがて|吾《わが》|身《み》の|生命《いのち》を|捨《す》つべし』
アナンは|又《また》|歌《うた》ふ。
『アナンをば|座敷《ざしき》の|中《なか》に|放《ほ》り|置《お》いて
|人《ひと》を|地底《ちそこ》へおとし|穴《あな》|掘《ほ》る
ケールスの|姫《ひめ》の|命《みこと》の|陥穽《おとしあな》
|知《し》らず|知《し》らずに|竜雲《りううん》|落《お》ちける
|待《ま》て|暫《しば》し|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|曲津《まがつ》の|首《くび》を|薙《な》ぎ|放《ほ》りまさむ
|竜雲《りううん》やベールが|歎《なげ》きて|頼《たの》むとも
いかでか|出《い》でむこれの|牢獄《ひとや》を
|面白《おもしろ》く|牢獄《ひとや》の|中《なか》に|微笑《ほほゑ》みて
|曲津《まがつ》の|手振《てぶり》|眺《なが》めくらさむ』
ベールは|途方《とはう》に|暮《く》れ、|自分《じぶん》も|亦《また》|四人《よにん》の|詞《ことば》に|何時《いつ》とはなしに|釣《つ》り|込《こ》まれて、|知《し》らぬ|間《ま》に|牢獄《らうごく》の|中《なか》に|這入《はい》つて|了《しま》ひ、|中《なか》からピシヤリと|戸《と》を|閉《し》めた|途端《とたん》に、|錠《ぢやう》はガタリとおりた。|肝腎《かんじん》の|鍵《かぎ》は|窓《まど》の|外《そと》に|黙《だま》つて|横《よこ》たはつてゐる。
ユーズ『オイ、ベール、とうとう|貴様《きさま》も|改心《かいしん》しよつたな。サアもう|斯《か》うなる|以上《いじやう》は、|活殺《くわつさつ》の|権《けん》はユーズ|外《ほか》|三人《さんにん》が|握《にぎ》つて|居《ゐ》るのだ。どうだ、|俺《おれ》の|言霊《ことたま》には|降服《かうふく》|致《いた》したか』
ベールは|初《はじ》めて|気《き》が|付《つ》き、
『ヤア|此奴《こいつ》ア|失敗《しま》つた! |取返《とりかへ》しのならぬ|事《こと》が|出来《でき》たわい』
アナン『マアさうお|急《せ》きになるにも|及《およ》びませぬ。|折角《せつかく》はるばると|御訪問《ごはうもん》|下《くだ》さいまして、|吾々《われわれ》|一同《いちどう》は|実《じつ》に|感謝《かんしや》に|堪《た》へませぬ。お|茶《ちや》なつと|差上《さしあ》げたきは|山々《やまやま》なれど、|御存《ごぞん》じの|通《とほ》りお|館《やかた》が|貧乏《びんばふ》ですから、|碌《ろく》なお|茶《ちや》も|御座《ござ》いませぬ。ここにアナンの|魔法瓶《まはふびん》が|御座《ござ》います。これなら|少《すこ》しは|温《あたた》かいでせうから、|御遠慮《ごゑんりよ》なうおあがり|下《くだ》さい』
と|前《まへ》をまくらうとする。ベールは|慌《あわ》てて|首《くび》をふり、|両手《りやうて》を|合《あは》せながら、
『イヤもう、お|構《かま》ひ|下《くだ》さいますな。|茶《ちや》は|実《じつ》は|飲《の》まないのです。|盤古神王《ばんこしんわう》さまに|茶断《ちやだ》ちを|致《いた》しましたから………』
ユーズ『|何《なに》は|兎《と》もあれ、ユーズの|家内《かない》が|一人《ひとり》|殖《ふ》ゑたのだから、お|目出度《めでた》い。どうぞ|御入魂《ごじつこん》に|願《ねが》ひますよ。|同《おな》じ|天地《てんち》の|神《かみ》さまの|分霊《わけみたま》、|四海同胞《しかいどうはう》だから、|互《たがひ》に|相親《あひした》しみ|相愛《あひあい》し、この|天国《てんごく》の|春《はる》を|楽《たのし》む|事《こと》に|致《いた》しませうかい』
セール『|折角《せつかく》のベールさまの|御入来《ごじゆらい》だから、|何《なん》ぞお|愛想《あいさう》に|上《あ》げたいものだ。オウ|幸《さいは》ひ、|此処《ここ》にセール|親譲《おやゆづ》りの|蠑螺《さざえ》の|壺焼《つぼやき》がある。|之《これ》を|進《しん》ぜうかい』
と|目配《めくば》せした。|四人《よにん》は|一時《いちじ》に|握《にぎ》り|拳《こぶし》を|固《かた》めながら、
『|悪逆無道《あくぎやくむだう》の|竜雲《りううん》に|与《くみ》するベール、|思《おも》ひ|知《し》れよ!』
と|四方《しはう》より|拳骨《げんこつ》の|雨《あめ》を|叩《たた》きつけられ、ベールは|力《ちから》|限《かぎ》りの|悲鳴《ひめい》をあげて|救《すく》ひを|呼《よ》ぶ。|此《この》|声《こゑ》を|聞《き》き|付《つ》けて|一人《ひとり》の|牢番《らうばん》はあわただしく|駆《か》けつけ|来《きた》る。
(大正一一・九・二三 旧八・三 松村真澄録)
第一九章 |紅蓮《ぐれん》の|舌《した》〔一〇〇七〕
|門番《もんばん》のベスは|再《ふたた》び|竜雲《りううん》、ケールス|姫《ひめ》の|居間《ゐま》へ|慌《あわただ》しく|伺候《しこう》し、|恭《うやうや》しく|両手《りやうて》をつかへ、
『|畏《おそ》れながら|申上《まをしあ》げます。|只今《ただいま》|門前《もんぜん》に|現《あら》はれました、|白髪《はくはつ》|異様《いやう》の|老人《らうじん》が、|老人《らうじん》かと|思《おも》へば|平《ひら》たくなつたり、|長《なが》くなつたり、|顔《かほ》が|四《よつ》つも|五《いつ》つもあり、|身体《からだ》が|背継《せつ》ぎしたやうに|見《み》えたり、|眼《め》も|鼻《はな》も|随分《ずゐぶん》|沢山《たくさん》|持《も》つた|化物《ばけもの》が|現《あら》はれました。|何《なん》と|云《い》つても|頑張《ぐわんば》つて|帰《かへ》らうとは|致《いた》しませぬ。|到底《たうてい》|吾々《われわれ》|門番《もんばん》の|非力《ひりき》では|追払《おつぱら》ふ|訳《わけ》には|行《ゆ》きませぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら、|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》は|暗《やみ》よ、|暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る……と、ヘヽヽヽヽ|随分《ずゐぶん》|気《き》に|入《い》る|事《こと》を|云《い》ひます。|屹度《きつと》あれはウラル|教《けう》の|神様《かみさま》が|化《ば》けて|御座《ござ》つたのかも|知《し》れませぬ。|善《ぜん》とも|悪《あく》とも、たとへ|方《がた》なきもので|御座《ござ》います』
|竜雲《りううん》はベスの|言葉《ことば》を|聞《き》き、|暫《しばら》く|首《くび》を|傾《かた》げて|居《ゐ》たが、|俄《にはか》に|口《くち》を|尖《とが》らして、
『ベス、お|前《まへ》は|大変《たいへん》に|酩酊《めいてい》して|居《ゐ》るではないか。|目《め》がチラチラして|居《ゐ》るぞ。お|前《まへ》の|酔《よ》うた|眼《まなこ》で|見《み》たものだから、さう|種々《いろいろ》と|姿《すがた》が|変《かは》つて|見《み》えたのであらう。|決《けつ》して|化物《ばけもの》ではあるまい』
『ハイ、|些《すこ》し|許《ばか》り|聞《きこ》し|召《め》したもので|御座《ござ》いますから、|眼《め》の|調子《てうし》が|狂《くる》つても|居《を》りませうが、|何《なに》は|兎《と》もあれ、|一風《いつぷう》|変《かは》つた|人物《じんぶつ》で|御座《ござ》います。|何卒《どうぞ》お|目通《めどほ》りをお|許《ゆる》しになつて|篤《とく》とお|調《しら》べ|下《くだ》さいませ』
ケールス|姫《ひめ》は|傍《そば》より|静《しづか》な|声《こゑ》にて、
『|何《なに》は|兎《と》もあれ、|其《その》|男《をとこ》を|此処《ここ》へ|案内《あんない》して|来《き》たがよからう』
『ハイ、|畏《かしこ》まりました』
とベスは|座《ざ》を|立《た》ち、ヒヨロリヒヨロリと|廊下《らうか》を|危《あやふ》く|踏《ふ》み|鳴《な》らしながら|表《おもて》へ|出《で》て|行《ゆ》く。|暫《しばら》くありて|以前《いぜん》のベスは|白髪《はくはつ》の|老人《らうじん》を|導《みちび》き、|竜雲《りううん》の|前《まへ》に|恐《おそ》る|恐《おそ》る|現《あら》はれ、
『|唯今《ただいま》|申上《まをしあ》げました|化物《ばけもの》とは、これで|御座《ござ》います。どうぞ|篤《とく》とお|調《しら》べの|上《うへ》、ウラル|教《けう》の|神力《しんりき》をもつてお|退治《たいぢ》|下《くだ》さいませ。|彼様《かやう》なものが|徘徊《はいくわい》|致《いた》すと|吾々《われわれ》は|門番《もんばん》も|碌《ろく》に|勤《つと》まりませぬ』
|竜雲《りううん》『オイ、ベス、|余計《よけい》な|事《こと》を|申《まを》すな。|早《はや》く|立《た》ち|去《さ》れ!』
ベス『ハイ、オイ|化州《ばけしう》、|確《しつか》りやらないと|駄目《だめ》だぞ』
と|口汚《くちぎたな》く|罵《ののし》りながら|此《この》|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》つた。
|老人《らうじん》『|神地《かうぢ》の|都《みやこ》の|城主《じやうしゆ》、サガレン|王《わう》の|後《あと》を|襲《おそ》うて|政治《せいぢ》を|執《と》る|竜雲《りううん》とは|其方《そなた》の|事《こと》か?』
と|雷《らい》の|如《ごと》き|大声《おほごゑ》を|発《はつ》して|問《と》ひかける。どこともなく|底力《そこぢから》のある|声《こゑ》に、|遉《さすが》の|竜雲《りううん》も|面喰《めんくら》つて|後《うしろ》へ|二足三足《ふたあしみあし》タヂタヂと|退《しりぞ》き、
『ハイ、|仰《あふ》せの|通《とほ》り|竜雲《りううん》は|私《わたし》で|御座《ござ》る。|貴方《あなた》は|此《この》|竜雲《りううん》に|対《たい》し|御訪問《ごはうもん》|下《くだ》さつたのは、|如何《いか》なる|御用《ごよう》で|御座《ござ》るか。さうして|其《その》|御姓名《ごせいめい》は|何《なん》と|申《まを》さるるか、お|聞《き》かせを|願《ねが》ひ|度《た》い』
『|吾《われ》こそは|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|天《あま》の|岩戸開《いはとびら》きの|神業《しんげふ》に|仕《つか》へたる|天《あめ》の|目一《まひと》つの|神《かみ》で|御座《ござ》る。|汝《なんぢ》に|対《たい》し|訓誡《くんかい》を|与《あた》へ|度《た》き|事《こと》あれば、|老駆《らうく》ををかし|遥々《はるばる》と|此処《ここ》に|参《まゐ》りしものぞ』
|竜雲《りううん》は|三五教《あななひけう》と|聞《き》いて、|些《すこ》しく|顔色《かほいろ》を|変《へん》じたが、|何《なん》となく|犯《おか》し|難《がた》き|其《その》|威貌《ゐばう》に|度肝《どぎも》をぬかれ、
『|音《おと》に|聞《きこ》えし|天《あめ》の|目一《まひと》つの|神様《かみさま》で|御座《ござ》いましたか。これはこれは|遠路《ゑんろ》の|処《ところ》、ようこそ|御入来《ごじゆらい》|下《くだ》さいました。|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|至《いた》らぬ|竜雲《りううん》、|宜敷《よろし》く|御指導《ごしだう》をお|願《ねが》ひ|申《まを》す』
『アハヽヽヽ、|随分《ずゐぶん》|其《その》|方《はう》も|外交的《ぐわいかうてき》|手腕《しゆわん》は|立派《りつぱ》なものだ、|余程《よほど》|現代化《げんだいくわ》して|御座《ござ》ると|見《み》える。|併《しか》し|乍《なが》ら|竜雲殿《りううんどの》にお|尋《たづ》ね|致《いた》したい|事《こと》が|御座《ござ》る。|其《その》|尋《たづ》ねたいと|申《まを》すのは|外《ほか》でもない、サガレン|王《わう》の|今日《こんにち》の|境遇《きやうぐう》だ。|苟《いやし》くもバラモン|教《けう》の|教司《をしへつかさ》、|一国《いつこく》の|王者《わうじや》の|身《み》をもつて、|山野《さんや》に|流浪《るらう》し|給《たま》ふやうになつたのは、|何《なに》かの|理由《りいう》がなくては|叶《かな》はぬ。|此《この》|経緯《いきさつ》を|詳細《つぶさ》に|吾《わが》|前《まへ》に|告白《こくはく》されたい』
『ハイ、これには|種々《いろいろ》の|訳《わけ》も|御座《ござ》いまするが、あまり|込《こ》み|入《い》つての|御干渉《ごかんせう》は|迷惑千万《めいわくせんばん》、|何卒《なにとぞ》|此《この》|話《はなし》は|打《う》ち|切《き》つて、|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|御教示《ごけうじ》あらむ|事《こと》を|希望《きばう》|致《いた》します』
『ハヽヽヽヽ、|吾々《われわれ》の|干渉《かんせう》|地帯《ちたい》でないから|問《と》うて|呉《く》れなと|云《い》はるるのかな。イヤ|尤《もつと》もだ、|秘密《ひみつ》の|暴露《ばくろ》を|恐《おそ》るるは|人情《にんじやう》の|常《つね》だ。たつて|辞退《じたい》せらるるものを|無理《むり》には|強要《きやうえう》|致《いた》さぬ。|併《しか》し|乍《なが》らよく|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なされ! もしも|此処《ここ》に|或《ある》|王者《わうじや》があり、|其《その》|王者《わうじや》には|后《きさき》があつて、|夫婦《ふうふ》|相並《あひなら》び|神《かみ》を|敬《うやま》ひ|政治《せいぢ》をとり、|円満《ゑんまん》に|民《たみ》を|治《をさ》めて|居《ゐ》る。|其処《そこ》へ|何処《いづく》ともなく|一人《ひとり》の|妖僧《えうそう》が|現《あら》はれ|来《き》たつて、|其《その》|后《きさき》を|誑惑《きやうわく》し、|変《かは》つた|信仰《しんかう》を|強《し》ひ、|漸次《ぜんじ》にして|其《その》|后《きさき》の|心《こころ》を|奪《うば》ひ、|遂《つひ》には|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|夫《をつと》たり|国王《こくわう》たる|神司《かむつかさ》を、|妖僧《えうそう》と|共《とも》に|腹《はら》を|合《あは》して|放逐《はうちく》し、|後《あと》に|晏然《あんぜん》として|其《その》|后《きさき》を|妻《つま》となし、|自《みづか》らは|王者然《わうじやぜん》として|控《ひか》へて|居《ゐ》る|悪逆無道《あくぎやくむだう》の|怪物《くわいぶつ》ありとすれば、|竜雲殿《りううんどの》は|如何《いかが》|思召《おぼしめ》さるるか。|神《かみ》の|教《をしへ》を|宣伝《せんでん》する|宣伝使《せんでんし》として|是《これ》が|黙過《もくくわ》する|事《こと》が|出来《でき》ようか、|如何《いかが》で|御座《ござ》るアハヽヽヽ。|之《これ》は|要《えう》するに|譬《たとへ》で|御座《ござ》れば、|決《けつ》してお|気《き》にさへられな。|竜雲殿《りううんどの》の|明敏《めいびん》なる|頭脳《づなう》によつて、|其《その》|解決《かいけつ》を|与《あた》へて|貰《もら》ひたいのだ』
『ハイ、|成《な》る|程《ほど》|六《むつ》かしい|問題《もんだい》で|御座《ござ》る』
『|六《むつ》ケ|敷《し》き|問題《もんだい》は|問題《もんだい》だ。|併《しか》し|如何《どう》|解決《かいけつ》をつけたらよいかと|聞《き》いて|居《ゐ》るのだ。イヤそこに|俯《うつ》むいて|居《ゐ》るのはケールス|姫殿《ひめどの》で|御座《ござ》らう。|其方《そなた》の|意見《いけん》を|承《うけたま》はらう』
『ハイ|誠《まこと》に|恐《おそ》れ|入《い》つた|次第《しだい》で|御座《ござ》います。|何《なん》ともお|答《こた》への|致《いた》しやうが|御座《ござ》いませぬ。|貴方《あなた》の|御判断《ごはんだん》にお|任《まか》せ|申《まを》すより、もはや|手段《しゆだん》は|御座《ござ》いませぬ』
『|今《いま》の|中《うち》に|心《こころ》を|改《あらた》め、|其方《そなた》|両人《りやうにん》が、|計略《けいりやく》をもつて|逐出《おひだ》したるサガレン|王《わう》を|探《たづ》ね|出《だ》し、|茨《いばら》の|鞭《むち》を|負《お》うて|王《わう》に|心《こころ》の|底《そこ》より|謝罪《しやざい》をなし、|其《その》|罪《つみ》を|清《きよ》めなければ、|天罰《てんばつ》|立所《たちどころ》に|至《いた》り、|地震《ぢしん》|雷《かみなり》|火《ひ》の|雨《あめ》の|誡《いまし》めに|遇《あ》ふは|最早《もはや》|眼前《がんぜん》に|迫《せま》つて|居《ゐ》る。|両人《りやうにん》|早《はや》く|決心《けつしん》をなさらぬと、|其方《そなた》が|身辺《しんぺん》の|危険《きけん》は|刻々《こくこく》に|迫《せま》りつつありますぞ。いらざる|目一《まひと》つの|神《かみ》が|差出口《さしでぐち》とけなさるるならばそれ|迄《まで》だ。|目一《まひと》つの|神《かみ》は|此《この》|上《うへ》|両人《りやうにん》に|対《たい》して|忠告《ちうこく》すべき|事《こと》はない。よく|良心《りやうしん》に|尋《たづ》ねて、|最善《さいぜん》の|方法《はうはふ》を|取《と》られたがよからう。|縁《えん》あらば|又《また》もやお|目《め》にかからうも|知《し》れない。|左様《さやう》なら……』
と|云《い》ふより|早《はや》く、コツンコツンと|廊下《らうか》に|杖《つゑ》の|音《おと》を|響《ひび》かせ、|表《おもて》を|指《さ》して|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|竜雲《りううん》、ケールス|姫《ひめ》は、|目一《まひと》つの|神《かみ》の|後姿《うしろすがた》を|見送《みおく》り、|茫然自失《ばうぜんじしつ》|為《な》す|処《ところ》を|知《し》らず、|顔色《がんしよく》|忽《たちま》ち|蒼白《さうはく》に|変《へん》じ、|太《ふと》き|溜息《ためいき》を|吐《は》いて|居《ゐ》る。
|三五教《あななひけう》に|仕《つか》へたる |北光彦《きたてるひこ》の|宣伝使《せんでんし》
|天《あめ》の|目一《まひと》つ|神司《かむつかさ》 |松浦《まつら》の|郷《さと》を|後《あと》にして
|河森河《かうもりがは》を|遡《さかのぼ》り |神地《かうぢ》の|都《みやこ》に|現《あら》はれて
|心《こころ》|汚《きたな》き|竜雲《りううん》や ケールス|姫《ひめ》に|打向《うちむか》ひ
|悪逆無道《あくぎやくむだう》の|行動《かうどう》を |悔悟《くわいご》せしめて|天国《てんごく》の
|園《その》に|導《みちび》き|助《たす》けむと |老《おい》の|歩《あゆ》みもトボトボと
|恐《おそ》れげもなく|進《すす》み|来《く》る |門番《もんばん》ベスに|伴《ともな》はれ
|奥殿《おくでん》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》り |竜雲《りううん》ケールス|両人《りやうにん》に
|向《むか》つて|真理《しんり》を|説《と》き|諭《さと》し |其《その》|改心《かいしん》を|迫《せま》りおき
|悠々《いういう》として|長廊下《ながらうか》 コツリコツリと|杖《つゑ》の|音《おと》
|次第《しだい》|々々《しだい》に|遠《とほ》ざかり |何時《いつ》の|間《ま》にやら|崇高《すうかう》な
|神《かみ》の|姿《すがた》は|消《き》えにける あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ サガレン|王《わう》を|初《はじ》めとし
|服《まつろ》ひまつる|忠誠《ちうせい》の |神《かみ》の|司《つかさ》や|信人《まめひと》を
|誠《まこと》の|道《みち》にまつろひて |天授《てんじゆ》の|真理《しんり》を|悟《さと》らしめ
|八十《やそ》の|曲津《まがつ》に|疲《つか》れたる |竜雲《りううん》ケールス|両人《りやうにん》を
|尊《たふと》き|神《かみ》の|正道《まさみち》に |眼《め》を|醒《さ》まさしめ|朝夕《あさゆふ》に
|神《かみ》の|教《をしへ》にまつろはせ |百《もも》の|司《つかさ》の|御魂《みたま》まで
|洗《あら》ひやらむと|雄々《をを》しくも |守《まも》りも|固《かた》き|此《この》|城《しろ》に
|単身《たんしん》|進《すす》み|入《い》りにける |神《かみ》の|御霊《みたま》の|幸《さち》はひて
|醜《しこ》の|曲津《まがつ》も|影《かげ》|隠《かく》し |天津御神《あまつみかみ》のたまひたる
|元《もと》つみたまに|立《た》ち|帰《かへ》り |神人和合《しんじんわがふ》の|天国《てんごく》を
|神地《かうぢ》の|城《しろ》の|棟《むね》|高《たか》く |照《て》らさせたまへ|惟神《かむながら》
|神《かみ》のみ|前《まへ》に|願《ね》ぎまつる。
|二人《ふたり》は|目一《まひと》つの|神《かみ》の|立《た》ち|去《さ》りし|後《あと》にて、|又《また》もやひそひそと|話《はなし》に|耽《ふけ》り|居《ゐ》る。
『モシ|竜雲《りううん》さま、|今《いま》|見《み》えた|目一《まひと》つの|神様《かみさま》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だと|云《い》はれましたが、|何《なん》とマア|御神徳《ごしんとく》の|高《たか》い|方《かた》でせう。お|顔《かほ》は|目《め》つかちで、|何《なん》とはなしに|見劣《みおと》りがするやうですが、どこともなしに|犯《おか》すべからざる|威厳《ゐげん》が|備《そな》はつて|居《ゐ》ました。かういふと|済《す》みませぬが、|常々《つねづね》|神徳《しんとく》|高《たか》き|竜雲様《りううんさま》だと|思《おも》つて|居《ゐ》ましたが、|傍《そば》に|寄《よ》せるとまるで|比《くら》べものにはなりませぬ。|象《ざう》の|傍《そば》によつた|猫《ねこ》のような|気分《きぶん》が|致《いた》しましたワ』
『|是《これ》はしたり、|余《あま》りと|云《い》へば|余《あま》りの|無礼《ぶれい》ではないか。|吾々《われわれ》を|猫《ねこ》にたとへるとは|不埒《ふらち》|千万《せんばん》、それ|程《ほど》|此《この》|竜雲《りううん》が|小《ちひ》さきものに|見《み》えるならば、なぜ|其方《そなた》は|目一《まひと》つの|神《かみ》を|引《ひ》き|止《と》めて|夫《をつと》となし、|此《この》|竜雲《りううん》を|放逐《はうちく》せないのか』
と|声《こゑ》を|尖《とが》らせてゐる。
『|何《なに》も|貴方《あなた》を|疎外《そぐわい》したのぢや|御座《ござ》いませぬ。|目一《まひと》つの|神様《かみさま》の|御神徳《ごしんとく》を|讃《たた》へたので|御座《ござ》いますワ。|貴方《あなた》は|見《み》れば|見《み》る|程《ほど》、|交際《つきあ》へばつきあふ|程《ほど》|小《ちひ》さくなり|汚《きたな》くなり、|弱《よわ》くならつしやるやうですワ。こんな|事《こと》なら、なぜ|神徳《しんとく》|高《たか》きサガレン|王《わう》に|背《そむ》いたであらうかと、|今更《いまさら》|悔悟《くわいご》の|念《ねん》に|堪《た》へませぬ。|此《この》|館《やかた》は|妾《わらは》が|住家《すみか》、|今《いま》はいい|気《き》になつて|王者然《わうじやぜん》と|構《かま》へて|居《を》られますが、|実際《じつさい》を|云《い》へば|私《わたし》の|館《やかた》、お|気《き》に|召《め》さねば|何時《いつ》なりと|帰《かへ》つて|下《くだ》さい』
『これケールス|姫殿《ひめどの》、|其方《そなた》は|狂気《きやうき》したのか、|其《その》|言霊《ことたま》は|何《なん》で|御座《ござ》る』
『ハイ、|一《いつ》たん|悪魔《あくま》に|誑惑《きやうわく》され、|大蛇《をろち》のかかつた|竜雲様《りううんさま》に|従《したが》つて|居《ゐ》ましたが、|今《いま》|漸《やうや》く|病気《びやうき》|全快《ぜんくわい》しまして|正気《しやうき》に|立《た》ち|帰《かへ》りました。もはや|正気《しやうき》に|立《た》ち|帰《かへ》つた|上《うへ》は、|今《いま》|迄《まで》の|罪《つみ》が|恐《おそ》ろしく、|又《また》|竜雲《りううん》の|悪心《あくしん》が|憎《にく》らしくなつて|来《き》ましたよ』
『|心機一転《しんきいつてん》も|甚《はなは》だしいぢやないか。これケールス|姫《ひめ》、よい|加減《かげん》に|此《この》|竜雲《りううん》を|揶揄《からか》つて|置《お》くがよい。|下《くだ》らぬ|事《こと》を|云《い》つてさう|気《き》を|揉《も》ますものではないよ』
『|妾《わたし》はもはや|此《この》|世《よ》に|生《い》きて|居《を》る|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|大罪《だいざい》を|犯《おか》した|者《もの》で|御座《ござ》いますから、|潔《いさぎよ》く|自殺《じさつ》を|致《いた》します。|仮令《たとへ》|三日《みつか》でも|五日《いつか》でも、|縁《えん》あればこそ|不義《ふぎ》の|契《ちぎり》を|結《むす》んだ|妾《わたし》、|臨終《いまは》の|際《きは》にのぞんで|一口《ひとくち》|忠告《ちうこく》を|致《いた》して|置《お》かねばなりませぬ。|悪《あく》は|何時《いつ》|迄《まで》も|続《つづ》くものではありませぬよ。|貴方《あなた》はこれから|男《をとこ》らしく|割腹《かつぷく》して、サガレン|王様《わうさま》に|罪《つみ》を|謝《しや》すか、|但《ただし》は|世捨人《よすてびと》になつて|再《ふたた》び|難業《なんげふ》|苦業《くげふ》をなし|誠《まこと》の|神《かみ》の|司《つかさ》とおなりなさるか、それは|貴方《あなた》の|自由意志《じいういし》に|任《まか》しませうが、たとへ|如何《いか》なる|事《こと》があつても、|悪《あく》を|企《たく》んだり|策略《さくりやく》を|廻《めぐ》らしたり、|今《いま》|迄《まで》のやうに|嘘《うそ》をいつてはなりませぬよ。これが|私《わたし》の|竜雲《りううん》に|対《たい》する|忠告《ちうこく》だ。|此《この》|世《よ》に|生《い》きて|何《なん》の|詮《せん》もなし、|左様《さやう》ならば|竜雲殿《りううんどの》、お|別《わか》れ|致《いた》しますぞや』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|懐中《くわいちゆう》より|懐剣《くわいけん》をとり|出《だ》し、|今《いま》や|喉《のんど》に【ガバ】と|許《ばか》り|突《つ》き|立《た》てむとす。|竜雲《りううん》は|慌《あわ》てて|姫《ひめ》の|手《て》を|確《しつか》りと|押《おさ》へ、|声《こゑ》を|慄《ふる》はせて、
『ケールス|姫殿《ひめどの》、|暫《しば》し|待《ま》たれよ。|短気《たんき》は|損気《そんき》、|死《し》なうと|思《おも》へばいつでも|死《し》ねる。|此《この》|竜雲《りううん》も|唯今《ただいま》|限《かぎ》り|改心《かいしん》を|致《いた》すから、どうぞ|死《し》ぬ|事《こと》だけは|止《や》めて|下《くだ》さい。|可惜《あつたら》|神地《かうぢ》の|城《しろ》の|名花《めいくわ》を|散《ち》らすは|誠《まこと》に|惜《を》しい、|先《ま》づ|思《おも》ひ|止《とど》まつて|下《くだ》され』
と|姫《ひめ》の|手《て》を|力《ちから》|限《かぎ》りに|握《にぎ》りしめて|居《ゐ》る。
『イエイエ、|何《なん》と|云《い》つて|下《くだ》さつても|罪《つみ》|多《おほ》き|此《この》|体《からだ》、|死《し》を|選《えら》ぶより|外《ほか》に|道《みち》はありませぬ。どうぞ|其《その》|手《て》を|放《はな》して|下《くだ》さい!』
と|身《み》を|藻掻《もが》く。|其《その》|騒動《さうだう》を|聞《き》きつけて|走《はし》り|入《い》つたる|右守《うもり》の|神《かみ》のハルマは、|此《この》|体《てい》を|見《み》て|打驚《うちおどろ》き、
『|竜雲様《りううんさま》、|姫様《ひめさま》、|尊《たふと》き|御身《おんみ》を|持《も》ちながら、|何《なん》の|不自由《ふじゆう》もなきに|夫婦《ふうふ》|喧嘩《げんくわ》をなさるとは、|盤古神王様《ばんこしんわうさま》に|対《たい》し|畏《おそ》れ|多《おほ》いでは|御座《ござ》らぬか。|苟《いやし》くも|王者《わうじや》の|身《み》をもつて、|俗人輩《ぞくじんばら》のなすが|如《ごと》き|刃物《はもの》|三昧《ざんまい》とは|何事《なにごと》で|御座《ござ》るか』
ケールス|姫《ひめ》は|泣《な》き|声《ごゑ》を|絞《しぼ》りながら、
『ヤア|其《その》|方《はう》は|右守《うもり》の|神《かみ》のハルマであらう。|吾《われ》は|決《けつ》して|竜雲殿《りううんどの》と|争《あらそ》ひはして|居《ゐ》ない。|余《あま》りの|罪《つみ》の|恐《おそ》ろしさに、|自害《じがい》をしようとして|居《ゐ》るのだ。それを|竜雲殿《りううんどの》が|執念深《しふねんぶか》くも|止《と》めようとなさるのだから、どうぞ|其方《そなた》、|私《わたし》の|頼《たの》みだ、|竜雲殿《りううんどの》の|手《て》を|放《はな》させてお|呉《く》れ!』
『これこれ|姫様《ひめさま》、|自殺《じさつ》は|罪悪中《ざいあくちう》の|大罪悪《だいざいあく》と|申《まを》すぢやありませぬか。|如何《いか》なる|事情《じじやう》かは|存《ぞん》じませぬが、|私《わたくし》が|此処《ここ》へ|現《あら》はれた|以上《いじやう》は、|決《けつ》して|死《し》なしは|致《いた》しませぬ』
と|云《い》ひながら、|強力《がうりき》に|任《まか》せて|姫《ひめ》の|手《て》より|剣《つるぎ》を|奪《うば》ひ、|手早《てばや》く|窓《まど》を|開《あ》けて|眼下《がんか》の|谷川《たにがは》へ|投《な》げ|捨《す》つれば、|竜雲《りううん》はやれ|安心《あんしん》と|吐息《といき》を|吐《つ》く|時《とき》しも、|慌《あわた》だしく|此《この》|場《ば》に|馳来《はせきた》るテールは|両手《りやうて》を|仕《つか》へ、
『モシモシ、|此《この》|城内《じやうない》に|火災《くわさい》|起《おこ》り、|非常《ひじやう》な|勢《いきほひ》で|火《ひ》は|風《かぜ》に|煽《あふ》られ、|火炎《くわえん》の|舌《した》は|瞬《またた》く|間《うち》に|城《しろ》の|大部分《だいぶぶん》を|舐尽《なめつく》し、|早《はや》くも|此《この》|館《やかた》に|延焼《えんせう》しました。サア|早《はや》く、|立退《たちの》きを|願《ねが》ひます』
と|云《い》ふ|間《ま》もあらず、|黒煙《こくえん》|濛々《もうもう》として|四辺《あたり》を|包《つつ》み、|竜雲《りううん》、ケールス|姫《ひめ》、ハルマは、|見《み》る|見《み》る|黒煙《こくえん》に|包《つつ》まれにける。
(大正一一・九・二三 旧八・三 加藤明子録)
第四篇 |言霊神軍《ことたましんぐん》
第二〇章 |岩窟《がんくつ》の|邂逅《かいこう》〔一〇〇八〕
|松浦《まつうら》の|里《さと》の|天然《てんねん》の|岩窟《がんくつ》の|前《まへ》に|聞《きこ》えて|来《き》た|女《をんな》の|宣伝歌《せんでんか》。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》す |三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|道《みち》
|抑《そもそ》も|起《おこ》りを|尋《たづ》ぬれば |国《くに》の|御祖《みおや》と|現《あ》れませる
|国治立大御神《くにはるたちのおほみかみ》 |豊国姫大御神《とよくにひめのおほみかみ》
|厳《いづ》と|瑞《みづ》との|二柱《ふたはしら》 |塩長彦《しほながひこ》や|大国彦《おほくにひこ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|枉業《まがわざ》に |虐《しひた》げられて|一度《ひとたび》は
|根底《ねそこ》の|国《くに》に|下《くだ》りまし |百《もも》の|艱《なや》みを|受《う》けさせて
|下津岩根《したついはね》の|底《そこ》|深《ふか》く |隠《かく》れ|給《たま》ひつ|神人《かみびと》を
|恵《めぐみ》ませ|給《たま》ふ|御心《みこころ》は |天津空《あまつそら》より|尚《なほ》|高《たか》く
|竜宮海《りうぐうかい》より|尚《なほ》|深《ふか》し |野立《のだち》の|彦《ひこ》や|野立姫《のだちひめ》
|救《すく》ひの|神《かみ》と|現《あ》れまして |厳《いづ》の|霊《みたま》を|分《わ》け|給《たま》ひ
|埴安彦《はにやすひこ》や|埴安姫《はにやすひめ》の |神《かみ》の|命《みこと》の|分霊《わけみたま》
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の |瑞《みづ》の|御霊《みたま》と|諸共《もろとも》に
|至厳《しげん》|至重《しちやう》の|神界《しんかい》の |清《きよ》き|大智《だいち》を|世《よ》に|照《て》らし
|天地《あめつち》|四方《よも》の|神人《かみびと》の |身魂《みたま》を|四方《よも》に|生《う》ませつつ
|教司《をしへつかさ》を|遠近《をちこち》に |配《くば》らせ|給《たま》ふ|尊《たふと》さよ
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の |御子《みこ》と|生《うま》れし|君子《きみこ》われは
|父《ちち》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて メソポタミヤの|顕恩郷《けんおんきやう》
バラモン|教《けう》の|神館《かむやかた》 |鬼雲彦《おにくもひこ》の|側《そば》|近《ちか》く
|仕《つか》へ|奉《まつ》りて|三五《あななひ》の |清《きよ》き|教《をしへ》を|伝《つた》へむと
|思《おも》ひそめしも|束《つか》の|間《ま》の |今《いま》は|夢《ゆめ》とぞなりにけり
|吾等《われら》|姉妹《おとどい》|八人《はちにん》は |顕恩郷《けんおんきやう》を|後《あと》にして
|各自々々《おのもおのも》に|宣伝歌《せんでんか》 |謡《うた》ひて|進《すす》む|折柄《をりから》に
バラモン|教《けう》の|釘彦《くぎひこ》が |一派《いつぱ》のものに|捕《とら》へられ
|悲《かな》しや|姉妹《おとどい》|五人連《ごにんづ》れ おのもおのもに|棚《たな》なしの
|破《やぶ》れ|小船《をぶね》に|乗《の》せられて |波《なみ》のまにまに|捨《す》てられぬ
|神《かみ》の|恵《めぐ》みを|受《う》け|乍《なが》ら |千波万波《せんぱばんぱ》を|乗《の》り|越《こ》えて
|大海中《おほわだなか》に|漂《ただよ》へる |眺《なが》めも|清《きよ》きシロの|島《しま》
ドンドラ|岬《みさき》に|安着《あんちやく》し |夜《よ》を|日《ひ》についで|大神《おほかみ》の
|大道《おほぢ》を|伝《つた》へ|宣《の》べながら |漸《やうや》く|此処《ここ》に|来《きた》りけり
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
|小糸《こいと》の|館《やかた》にあれませる シロの|神島《みしま》の|神国《かみくに》に
サガレン|王《わう》の|神司《かむつかさ》 タールチン|司《つかさ》やキングス|姫《ひめ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》を|始《はじ》めとし テーリス、エームス、ゼム、エール
|其《その》|外《ほか》|百《もも》の|司《つかさ》|達《たち》 |恵《めぐ》みの|露《つゆ》に|霑《うるほ》ひて
|心《こころ》|汚《きたな》き|竜雲《りううん》が |醜《しこ》の|企《たく》みを|根底《ねそこ》より
|顛覆《てんぷく》させて|元《もと》の|如《ごと》 |王位《わうゐ》に|復《ふく》させ|給《たま》へかし
さはさりながら|大神《おほかみ》の |仁慈無限《じんじむげん》の|御心《みこころ》は
|決《けつ》して|人《ひと》をば|傷《きず》つけず |生命《いのち》をとらず|麻柱《あななひ》の
|仁慈無限《じんじむげん》の|正道《まさみち》を |心《こころ》の|空《そら》に|照《て》り|明《あ》かし
|救《すく》ひ|助《たす》くる|思召《おぼしめし》 |必《かなら》ず|大事《だいじ》を|過《あやま》らず
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|貴《うづ》の|子《こ》と |生《うま》れ|出《い》でたる|君子《きみこ》われ
|御供《みとも》に|仕《つか》ふる|清子姫《きよこひめ》 |只今《ただいま》|此処《ここ》に|現《あら》はれて
バラモン|教《けう》の|人々《ひとびと》に |誠《まこと》の|心《こころ》を|打《う》ち|明《あ》けて
|進《すす》め|参《まゐ》らす|言霊《ことたま》を |完美《うまら》に|委曲《つばら》に|聞《きこ》し|召《め》せ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|竜雲《りううん》|如何《いか》に|強《つよ》くとも |誠《まこと》の|神《かみ》の|現《あら》はれて
|誠《まこと》|一《ひと》つの|言霊《ことたま》を |射放《いはな》ち|給《たま》へば|曲神《まがかみ》も
|忽《たちま》ち|神威《しんゐ》に|相《あひ》うたれ |雲《くも》を|霞《かすみ》と|消《き》え|失《う》せむ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|足拍子《あしびやうし》を|取《と》つて|勇《いさ》ましく|謡《うた》ひ|乍《なが》ら|館《やかた》の|前《まへ》に|進《すす》み|来《きた》る。
エームスは|知《し》らず|知《し》らずに|此《この》|宣伝歌《せんでんか》に|引《ひ》きつけられ、|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》の|前《まへ》に|進《すす》み|寄《よ》り|丁寧《ていねい》に|礼《れい》をなせば|二人《ふたり》も|恭《うやうや》しく|答礼《たふれい》し、
『|妾《わらは》は|三五教《あななひけう》の|若《わか》き|女《をんな》の|宣伝使《せんでんし》で|御座《ござ》います。|今《いま》|此処《ここ》に|伴《ともな》つて|居《を》りますのは|清子姫《きよこひめ》と|云《い》ふこれも|宣伝使《せんでんし》で|御座《ござ》います。|妾《わらは》は|或《ある》|事情《じじやう》の|為《た》め、|鬼雲彦《おにくもひこ》|様《さま》の|部下《ぶか》に|捕《とら》へられ、|此処《ここ》まで|流《なが》されて|漸《やうや》く|漂着《へうちやく》して|来《き》た|者《もの》で|御座《ござ》います。サガレン|王様《わうさま》と|申《まを》すのは、|大国別神《おほくにわけのかみ》|様《さま》の|御子息《ごしそく》|国別彦《くにわけひこ》|様《さま》では|御座《ござ》いますまいか。お|差支《さしつかへ》なくば、|何卒《どうぞ》|拝顔《はいがん》が|致《いた》したいもので|御座《ござ》います』
『ハイ|左様《さやう》ならば|暫《しばら》くお|待《ま》ち|下《くだ》さいませ。エームスこれより|奥《おく》へ|参《まゐ》り|伺《うかが》つて|来《き》ます。|何卒《どうぞ》それ|迄《まで》お|腰《こし》を|卸《おろ》してお|休《やす》みを|願《ねが》ひます』
『|早速《さつそく》の|御承知《ごしようち》、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|左様《さやう》なれば|清子姫《きよこひめ》|様《さま》、|暫《しばら》く|休息《きうそく》さして|頂《いただ》きませう』
|暫《しばら》くあつてエームスは|恭《うやうや》しく|出《い》で|来《きた》り、|君子姫《きみこひめ》、|清子姫《きよこひめ》の|先《さき》に|立《た》ち、サガレン|王《わう》の|潜《ひそ》みたる|岩窟《いはや》に|進《すす》み|入《い》る。サガレン|王《わう》は|君子姫《きみこひめ》の|姿《すがた》を|見《み》るより|今更《いまさら》の|如《ごと》く|打《う》ち|驚《おどろ》きぬ。|其《その》|故《ゆゑ》はメソポタミヤの|顕恩郷《けんおんきやう》に|於《おい》て|常《つね》に|顔《かほ》を|合《あは》して|居《ゐ》た|為《ため》に、|見覚《みおぼ》えが|何処《どこ》ともなくあつたからである。サガレン|王《わう》は|歌《うた》ふ。
『|思《おも》へば|高《たか》し|神《かみ》の|恩《おん》 |計《はか》り|知《し》られぬ|顕恩《けんおん》の
|郷《さと》に|潜《ひそ》みてバラモンの |教《をしへ》をきはむる|折柄《をりから》に
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の |御子《みこ》と|生《うま》れし|君子姫《きみこひめ》
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|健《まめ》やかに |鬼雲彦《おにくもひこ》の|側《そば》|近《ちか》く
|仕《つか》へ|給《たま》ひし|神姿《みすがた》を それとはなしに|朝夕《あさゆふ》に
|眺《なが》めて|暮《くら》し|居《ゐ》たりける |吾《われ》は|大国別神《おほくにわけのかみ》
|教司《をしへつかさ》の|貴《うづ》の|御子《みこ》 |国別彦命《くにわけひこのみこと》なり
|鬼雲彦《おにくもひこ》が|暴虐《ばうぎやく》の |醜《しこ》の|魔風《まかぜ》に|煽《あふ》られて
|已《や》むなくお|城《しろ》を|脱出《だつしゆつ》し エデンの|川《かは》を|打渡《うちわた》り
フサの|海原《うなばら》|横断《わうだん》し |波《なみ》に|漂《ただよ》ひ|印度洋《いんどやう》
|千波万波《せんぱばんぱ》をかき|分《わ》けて |漸《やうや》くシロの|島影《しまかげ》を
|認《みと》めし|時《とき》の|嬉《うれ》しさよ |神《かみ》の|恵《めぐみ》に|抱《いだ》かれて
|漸《やうや》く|神地《かうぢ》の|都路《みやこぢ》に |進《すす》みて|教《をしへ》を|宣《の》りつるが
|心《こころ》|正《ただ》しき|国人《くにびと》は |一人《ひとり》|残《のこ》らず|吾《わが》|道《みち》に
|服《まつろ》ひ|来《きた》りて|神館《かむやかた》 |瞬《またた》く|間《うち》に|建《た》て|終《をは》り
|要害《えうがい》|堅固《けんご》の|絶勝《ぜつしよう》をば |選《えら》みて|此処《ここ》に|城《しろ》|造《つく》り
|吾《われ》は|推《お》されてシロの|島《しま》 |神地《かうぢ》の|都《みやこ》の|王《わう》となり
|神《かみ》を|敬《うやま》ひ|民《たみ》を|撫《な》で |世《よ》は|平《たひら》けく|安《やす》らけく
|治《をさ》まりかへつて|四海波《しかいなみ》 |静《しづか》にそよぐ|折《をり》もあれ
|岩井《いはゐ》の|里《さと》の|酋長《しうちやう》が |娘《むすめ》と|生《うま》れしケールス|姫《ひめ》の
|君《きみ》の|命《みこと》を|発見《はつけん》し |愈《いよいよ》|此処《ここ》に|妻《つま》となし
|厳《いづ》と|瑞《みづ》とは|相並《あひなら》び |顕幽一致《けんいういつち》の|政体《せいたい》を
|開《ひら》く|折《をり》しも|腹《はら》|黒《くろ》き |醜《しこ》の|曲津《まがつ》の|竜雲《りううん》が
|何処《いづこ》ともなく|入《い》り|来《きた》り |忽《たちま》ち|館《やかた》を|蹂躙《じうりん》し
|悪逆《あくいぎやく》|日々《ひび》に|募《つの》りつつ |遂《つひ》には|吾《われ》を|追《お》ひ|出《いだ》し
|今《いま》や|暴威《ばうゐ》を|揮《ふる》ひつつ |世《よ》を|乱《みだ》すこそ|悲《かな》しけれ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|御霊《みたま》の|幸《さち》はひて
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |天《あめ》の|目一《まひと》つ|神様《かみさま》は
|此処《ここ》に|現《あら》はれ|来《きた》りまし |顕幽一致《けんいういつち》の|真諦《しんたい》を
|完美《うまら》に|委曲《つばら》に|説《と》き|給《たま》ひ |喜《よろこ》ぶ|間《ま》もなく|素盞嗚《すさのを》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|御裔《みすゑ》なる |汝《なれ》の|命《みこと》は|今《いま》|此処《ここ》に
|現《あら》はれ|給《たま》ひし|雄々《をを》しさよ |君子《きみこ》の|姫《ひめ》よ|清子姫《きよこひめ》
|吾《われ》は|尊《たふと》きバラモンの |教《をしへ》を|奉《ほう》ずる|身《み》なれども
|皇大神《すめおほかみ》の|御心《みこころ》に もとより|変《かは》りはあるまじく
|思《おも》へば|思《おも》へば|有難《ありがた》し |汝《なれ》と|吾《われ》とは|今《いま》よりは
|心《こころ》を|協《あは》せ|力《ちから》をば |一《ひと》つになしてシロの|島《しま》
|四方《よも》の|国人《くにびと》|悉《ことごと》く |尊《たふと》き|神《かみ》の|御道《おんみち》に
|服《まつろ》へ|和《やは》し|竜雲《りううん》が |心《こころ》に|潜《ひそ》む|曲神《まがかみ》を
|千里《せんり》の|外《そと》に|追《お》ひ|払《はら》ひ |迷《まよ》ひきつたるケールス|姫《ひめ》の
|君《きみ》の|命《みこと》を|善道《ぜんだう》に |導《みちび》き|救《すく》ひ|麻柱《あななひ》の
|誠《まこと》の|道《みち》を|永久《とこしへ》に |経《たて》と|緯《よこ》との|機《はた》を|織《お》り
|治《をさ》めて|行《ゆ》かむ|惟神《かむながら》 |神《かみ》に|誓《ちか》ひて|真心《まごころ》を
ここに|披瀝《ひれき》し|奉《たてまつ》る あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|謡《うた》へば、|君子姫《きみこひめ》はこれに|答《こた》へて、
『あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |尊《たふと》き|神《かみ》の|御裔《おんすゑ》と
|生《あ》れ|出《い》でませる|国別彦《くにわけひこ》の |神《かみ》の|命《みこと》の|言霊《ことたま》よ
|天教山《てんけうざん》に|現《あ》れませる |日《ひ》の|出神《でのかみ》や|木花《このはな》の
|咲耶《さくや》の|姫《ひめ》の|神言《みこと》もて |父大神《ちちおほかみ》に|従《したが》ひて
|三五教《あななひけう》を|天ケ下《あめがした》 |豊葦原《とよあしはら》の|国々《くにぐに》に
|開《ひら》き|伝《つた》ふる|宣伝使《せんでんし》 |吾《われ》は|君子《きみこ》の|姫《ひめ》なるぞ
|父《ちち》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて バラモン|教《けう》の|大棟梁《だいとうりやう》
|鬼雲彦《おにくもひこ》の|側《そば》|近《ちか》く |仕《つか》へまつりて|三五《あななひ》の
|誠《まこと》の|道《みち》を|諭《さと》さむと |心《こころ》を|尽《つく》し|身《み》を|竭《つく》し
|千々《ちぢ》に|説《と》けども|諭《さと》せども |霊《たま》の|曇《くも》りし|神司《かむつかさ》
|千言万語《せんげんばんご》の|言《こと》の|葉《は》も |豆腐《とうふ》に|鎹《かすがひ》|糠《ぬか》に|釘《くぎ》
|寄《よ》り|処《どころ》なき|悲《かな》しさに あらぬ|月日《つきひ》を|送《おく》る|内《うち》
|太玉神《ふとたまがみ》の|現《あら》はれて |厳《いづ》の|言霊《ことたま》|打《う》ち|出《いだ》し
|雄健《をたけ》び|給《たま》へば|鬼雲彦《おにくもひこ》の |神《かみ》の|司《つかさ》は|逸早《いちはや》く
|見《み》るも|恐《おそ》ろし|其《その》|姿《すがた》 |大蛇《をろち》となりて|黒雲《くろくも》の
|中《なか》に|姿《すがた》を|隠《かく》しける |妾《わらは》|姉妹《おとどい》|八人《はちにん》は
|右《みぎ》や|左《ひだり》に|相別《あひわか》れ |流《なが》れも|清《きよ》きエデン|川《がは》
|後《あと》に|見捨《みす》ててエルサレム フサの|国《くに》をば|遠近《をちこち》と
|彷徨《さまよ》ひ|巡《めぐ》りて|御教《みをしへ》を |伝《つた》ふる|折《をり》しもバラモンの
|神《かみ》の|司《つかさ》の|釘彦《くぎひこ》が |手下《てした》の|者《もの》に|捕《とら》へられ
|無残《むざん》や|五人《ごにん》の|姉妹《おとどい》は |見《み》るも|危《あやふ》き|捨小舟《すてをぶね》
|艪櫂《ろかい》もなしに|海原《うなばら》に つき|出《いだ》されし|恐《おそ》ろしさ
|神《かみ》を|力《ちから》に|三五《あななひ》の |誠《まこと》を|杖《つゑ》に|両人《りやうにん》は
|潮《しほ》の|八百路《やほぢ》を|打渡《うちわた》り |波《なみ》のまにまに|漂《ただよ》ひて
|大海中《おほわだなか》に|浮《うか》びたる |木草《きぐさ》も|茂《しげ》るシロの|島《しま》
ドンドラ|岬《みさき》に|上陸《じやうりく》し |夜《よ》を|日《ひ》に|次《つ》いで|今《いま》|此処《ここ》に
サガレン|王《わう》が|行末《ゆくすゑ》を |救《すく》はむ|為《た》めに|来《きた》りけり
|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》 |慈愛《じあい》の|深《ふか》き|大神《おほかみ》の
|其《その》|懐《ふところ》に|抱《いだ》かれて |誠《まこと》|一《ひと》つに|進《すす》みなば
|如何《いか》なる|曲《まが》の|猛《たけ》ぶとも |何《なに》か|恐《おそ》れむ|神心《かみごころ》
いざ|之《これ》よりは|汝《な》が|命《みこと》 バラモン|教《けう》や|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》と|云《い》ふ|様《やう》な |小《ちひ》さき|隔《へだ》てを|撤回《てつくわい》し
|互《たがひ》に|手《て》を|執《と》り|助《たす》け|合《あ》ひ |此《この》シロ|島《しま》に|蟠《わだか》まる
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜狐《しこぎつね》 |曲鬼《まがおに》どもを|言向《ことむ》けて
|昔《むかし》の|儘《まま》の|神国《かみくに》に |完美《うまら》に|委曲《つばら》に|樹《た》て|直《なほ》し
ミロクの|御世《みよ》を|永久《とこしへ》に |開《ひら》き|仕《つか》へむ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|君子姫《きみこひめ》 |謹《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|祈《ね》ぎ|奉《まつ》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|謡《うた》ひ|終《をは》り、|茲《ここ》にサガレン|王《わう》、|君子姫《きみこひめ》は|胸襟《きようきん》を|開《ひら》いて|久濶《きうくわつ》を|叙《じよ》し、|相提携《あひていけい》して、|竜雲《りううん》|始《はじ》めケールス|姫《ひめ》|其《その》|他《た》の|神司《かむつかさ》|達《たち》に|憑依《ひようい》せる|曲津神《まがつかみ》を|打払《うちはら》ひ、|本然《ほんぜん》の|心《こころ》に|立《た》ち|帰《かへ》らしめ、|再《ふたた》びシロの|島《しま》の|神地《かうぢ》の|都《みやこ》をして|至治太平《しぢたいへい》の|楽園《らくゑん》と|復《かへ》すべく、|王《わう》を|先頭《せんとう》にタールチン、キングス|姫《ひめ》、テーリス、エームス|其《その》|他《た》の|幹部《かんぶ》を|始《はじ》め、|数多《あまた》の|至誠《しせい》の|男女《だんぢよ》を|引率《いんそつ》し、|旗鼓堂々《きこだうだう》として|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、|馬《うま》に|跨《またが》り|都《みやこ》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・九・二三 旧八・三 北村隆光録)
第二一章 |火《ひ》の|洗礼《せんれい》〔一〇〇九〕
サガレン|王《わう》に|真心《まごころ》を |捧《ささ》げて|仕《つか》へまつりたる
|誠忠《せいちう》|無比《むひ》の|神司《かむつかさ》 アナン、セールを|始《はじ》めとし
ユーズの|司《つかさ》シルレング |数多《あまた》の|同志《どうし》と|諸共《もろとも》に
|義勇《ぎゆう》の|軍《ぐん》を|召集《せうしふ》し |夜陰《やいん》に|乗《じやう》じて|竜雲《りううん》が
|秘《ひそ》む|神地《かうぢ》の|城塞《じやうさい》に |破竹《はちく》の|勢《いきほひ》|凄《すさま》じく
|侵入《しんにふ》するや|竜雲《りううん》が |深《ふか》き|企《たく》みの|陥穽《おとしあな》
ありとも|知《し》らず|軽進《けいしん》し |思《おも》はぬ|奇禍《きくわ》に|陥《おちい》りて
|高手《たかて》や|小手《こて》に|縛《ばく》せられ |無残《むざん》や|四人《よにん》は|牢獄《らうごく》に
|投入《なげい》れられて|朝夕《あさゆふ》に サガレン|王《わう》の|身《み》の|上《うへ》を
|案《あん》じ|煩《わづら》ひまちまちの |噂《うはさ》をなして|日《ひ》を|送《おく》る
|時《とき》しもあれや|曲津神《まがつかみ》 |牢番頭《らうばんがしら》のベール|奴《め》が
|曲津《まがつ》の|神《かみ》の|命令《めいれい》を |固《かた》く|守《まも》りて|朝夕《あさゆふ》に
|四人《よにん》の|司《つかさ》の|身辺《しんぺん》を |監視《かんし》するこそ|恐《おそ》ろしき
|如何《いかが》はしけむ|竜雲《りううん》は |俄《にはか》に|心機一転《しんきいつてん》し
|四人《よにん》の|司《つかさ》を|牢獄《ひとや》より |一時《いちじ》も|早《はや》く|解放《かいはう》し
|救《すく》ひ|出《だ》せよと|下知《げち》すれば |醜《しこ》のベールはブツブツと
|小言《こごと》タラタラ|面《おもて》をば |南瓜《かぼちや》の|如《ごと》くふくらせて
スタスタ|来《きた》る|牢《らう》の|前《まへ》 いろいろ|雑多《ざつた》と|押問答《おしもんだふ》
|四人《よにん》は|一同《いちどう》|口《くち》|揃《そろ》へ |竜雲《りううん》|如《ごと》き|悪神《あくがみ》の
|指図《さしづ》をうけて|吾々《われわれ》は いかで|此《この》|場《ば》を|動《うご》かむや
それより|汝《なんぢ》を|初《はじ》めとし |曲津《まがつ》の|憑《かか》りし|竜雲《りううん》が
|一時《いちじ》も|早《はや》く|悔悟《くわいご》して |誠《まこと》の|道《みち》を|表白《へうはく》し
|尻尾《しつぽ》を|下《さ》げて|吾《わが》|前《まへ》に |来《く》るにあらずば|何時《いつ》|迄《まで》も
|出獄《しゆつごく》ばかりは|拒絶《きよぜつ》すと やり|返《かや》したる|健《けな》げさよ
ベール|司《つかさ》は|怪《あや》しがり |固《かた》き|鉄扉《かなど》を|引《ひき》あけて
|思《おも》はず|知《し》らず|中《なか》に|入《い》り |一言《ひとこと》|二言《ふたこと》|言霊《ことたま》の
|征矢《そや》を|放《はな》ちし|間《ま》もあらず |無残《むざん》やベールはアナン|等《ら》が
|同士《どうし》に|拳固《げんこ》の|雨霰《あめあられ》 |所《ところ》|構《かま》はず|打撲《ぶんなぐ》され
|悲鳴《ひめい》をあげて|救《すく》ひをば |求《もと》むる|折《をり》しも|牢獄《らうごく》を
|見《み》まはり|来《きた》りし|獄卒《ごくそつ》の |敏《さと》くも|耳《みみ》に|轟《とどろ》きて
|靴音《くつおと》|高《たか》く|駆来《かけきた》る ヤツトは|驚《おどろ》きベールをば
|救《すく》ひ|出《だ》さむと|戸《と》を|開《ひら》き |一足《ひとあし》|二足《ふたあし》|進《すす》み|入《い》り
あたり|見《み》まはす|折《をり》もあれ アナン、セールやシルレング
ユーズの|四人《よにん》は|二人《ふたり》をば |高手《たかて》や|小手《こて》に|縛《いま》しめて
|悠々《いういう》|牢獄《ひとや》を|立出《たちい》でぬ |二人《ふたり》は|歯《は》がみをなしながら
|目《め》を|剥《む》き|口《くち》を|尖《とが》らして |曲者《くせもの》|今《いま》や|逃《のが》れたり
|数多《あまた》の|獄卒《ごくそつ》|逸早《いちはや》く |彼等《かれら》|四人《よにん》を|縛《ばく》せよと
|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|呼《よ》ばはれど |何《なん》の|響《ひびき》もなくばかり
|吠《ほ》え|面《づら》かわくを|一同《いちどう》は |尻《しり》|目《め》にかけて|嘲笑《あざわら》ひ
|悪《あく》の|報《むく》いは|此《この》|通《とほ》り |早《はや》く|改心《かいしん》|現《あら》はせと
|言葉《ことば》を|残《のこ》してどことなく |思《おも》ひ|思《おも》ひに|城内《じやうない》の
あなたこなたに|隠《かく》れける |俄《にはか》に|吹来《ふきく》る|山颪《やまおろし》
|大木《おほき》を|倒《たふ》し|枝《えだ》を|裂《さ》き |無残《むざん》に|家屋《やね》を|滅茶々々《めちやめちや》に
|吹飛《ふきと》ばすこそ|物凄《ものすご》き |風《かぜ》の|力《ちから》に|城内《じやうない》の
|建築物《けんちくぶつ》の|中《なか》よりは |炎々《えんえん》|濛々《もうもう》|噴《ふ》き|出《いだ》す
|煙《けむり》の|中《なか》よりペロペロと |紅蓮《ぐれん》の|舌《した》をばはき|出《だ》して
|瞬《またた》く|間《うち》に|館《やかた》をば |将棋倒《しやうぎだふ》しに|嘗《な》めつくす
|数多《あまた》の|男女《なんによ》は|右左《みぎひだり》 うろたへ|廻《まは》りて|泣《な》き|叫《さけ》ぶ
|阿鼻叫喚《あびけうくわん》の|地獄道《ぢごくだう》 |見《み》るも|無残《むざん》の|次第《しだい》なり
○
ケールス|姫《ひめ》や|竜雲《りううん》は |火焔《くわえん》の|舌《した》に|包《つつ》まれて
|息《いき》もふさがり|闇雲《やみくも》に うろたへ|騒《さわ》ぎ|息《いき》の|根《ね》の
|今《いま》や|切《き》れむとする|所《ところ》 |忽《たちま》ち|聞《きこ》ゆる|宣伝歌《せんでんか》
ゴウゴウ ガラガラ バタバタと |館《やかた》の|棟《むね》のおつる|音《おと》
|勢《いきほひ》|猛《たけ》き|風《かぜ》の|鳴《な》り |老若男女《らうにやくなんによ》の|声《こゑ》|限《かぎ》り
|救《すく》ひを|叫《さけ》ぶ|叫喚《けうくわん》の |声《こゑ》を|圧《あつ》して|聞《きこ》え|来《く》る
|其《その》|言霊《ことたま》の|勇《いさ》ましさ |甦《よみがへ》りたる|心地《ここち》して
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御救《みすく》ひと |仰《あふ》ぎ|喜《よろこ》ぶ|胸《むね》の|内《うち》
|咫尺《しせき》|弁《べん》ぜぬ|所《ところ》|迄《まで》 |煙《けむり》に|包《つつ》まれ|苦《くる》しみし
ケールス|姫《ひめ》は|意外《いぐわい》にも |俄《にはか》に|心《こころ》をおちつけて
|館《やかた》の|棟《むね》のバチバチと |燃《も》え|行《ゆ》くさまを|打眺《うちなが》め
|覚悟《かくご》をきはめ|居《ゐ》たりしが |之《これ》に|反《はん》して|竜雲《りううん》は
あわてふためき|右左《みぎひだり》 |前《まへ》や|後《うしろ》とかけめぐり
|柱《はしら》に|頭《あたま》を|打《うち》つけて アイタヽヽツタあゝ|苦《くる》しい
|息《いき》はふさがる|血《ち》は|滲《にじ》む |誰《たれ》か|忠義《ちうぎ》の|人《ひと》が|来《き》て
われをば|救《すく》ひ|出《いだ》せよと もがき|苦《くる》しむ|憐《あは》れさよ。
○
|間近《まぢか》く|聞《きこ》ゆる|宣伝歌《せんでんか》 |其《その》|言霊《ことたま》を|調《しら》ぶれば
サガレン|王《わう》を|始《はじ》めとし |瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|君子姫《きみこひめ》
タールチン|司《つかさ》や|清子姫《きよこひめ》 キングス|姫《ひめ》を|始《はじ》めとし
エームス、テーリス、ゼム、ルーズ ヨール、レツトやターレンの
|涼《すず》しき|声《こゑ》と|聞《きこ》えたり。
『あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善悪正邪《ぜんあくせいじや》を|立《た》て|別《わ》ける |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》 |只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し |竜雲司《りううんつかさ》の|過《あやま》ちは
|只今《ただいま》ここで|焼《や》き|直《なほ》す |三五教《あななひけう》やバラモンの
|教《をしへ》に|仕《つか》ふる|宣伝使《せんでんし》 |吾《われ》は|君子《きみこ》の|神司《かむつかさ》
|吾《われ》は|国別彦《くにわけひこ》の|神《かみ》 |神《かみ》の|力《ちから》を|身《み》に|受《う》けて
|神地《かうぢ》の|城《しろ》に|立《た》て|籠《こも》る |曲津《まがつ》の|魂《みたま》を|焼《や》き|直《なほ》し
|火《ひ》の|洗礼《せんれい》を|施《ほどこ》して すべての|汚《けが》れを|焼《や》き|清《きよ》め
|焦熱地獄《せうねつぢごく》は|忽《たちま》ちに |高天原《たかあまはら》と|一変《いつぺん》し
|仁慈無限《じんじむげん》の|大神《おほかみ》の |教《をしへ》を|伝《つた》へ|仁政《じんせい》を
|布《し》き|施《ほどこ》して|国民《くにたみ》を |安《やす》きに|救《すく》ひ|助《たす》けむと
|吾等《われら》はここに|向《むか》うたり |曲《まが》のかかれる|竜雲《りううん》や
ケールス|姫《ひめ》を|始《はじ》めとし テール、ハルマや|其《その》|外《ほか》の
|醜《しこ》の|醜人《しこびと》|悉《ことごと》く |汝《なんぢ》が|胸《むね》に|秘《ひそ》みたる
|八十《やそ》の|曲津《まがつ》を|追《お》ひ|出《いだ》し |誠《まこと》の|道《みち》に|帰《かへ》れよや
|神《かみ》は|至愛《しあい》にましませば いかに|心《こころ》の|曲《まが》りたる
|汝等《なんぢら》なりとて|徒《いたづら》に |命《いのち》は|取《と》らせ|玉《たま》ふまじ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|恵《めぐみ》を|尊《たふと》みて
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|村肝《むらきも》の |心《こころ》を|直《なほ》せ|身《み》を|清《きよ》め
|元《もと》つ|身魂《みたま》になれよかし |神地《かうぢ》の|城《しろ》は|今日《けふ》よりは
サガレン|王《わう》のしろしめす |珍《うづ》の|聖場《せいぢやう》となりにけり
|牢獄《ひとや》の|中《なか》に|繋《つな》がれし アナン、セールやシルレング
ユーズの|司《つかさ》は|今《いま》|何処《いづこ》 |早《はや》く|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれて
|彼等《かれら》|曲津《まがつ》の|逃《に》げまどひ |苦《くる》しみ|悩《なや》む|友輩《ともがら》を
|煙《けむり》の|中《なか》に|飛《と》び|込《こ》んで |一人《ひとり》も|残《のこ》さず|救《すく》ひ|出《だ》せ
|神《かみ》は|吾等《われら》を|守《まも》りまし |尊《たふと》き|清《きよ》き|汝等《なんぢら》を
|厚《あつ》く|守《まも》らせ|玉《たま》ふらむ |進《すす》めよ|進《すす》めいざ|進《すす》め
|紅蓮《ぐれん》の|舌《した》を|吐《は》き|出《いだ》す |火焔《くわえん》の|中《なか》も|何《なん》のその
|神《かみ》に|叶《かな》へる|吾々《われわれ》は |火《ひ》にさへ|焼《や》けず|水《みづ》にさへ
|溺《おぼ》るる|事《こと》なき|強者《つはもの》ぞ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
サガレン|王《わう》は|黒焔《こくえん》の|中《なか》に|立《た》つて、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|指揮《しき》し、|城内《じやうない》の|老若男女《らうにやくなんによ》を|救《すく》ひ|出《だ》さしめむと|努力《どりよく》して|居《ゐ》る。
|君子姫《きみこひめ》、|清子姫《きよこひめ》は|奥殿《おくでん》|深《ふか》く|猛火《まうくわ》の|中《なか》に|進《すす》み|入《い》り、|死《し》を|決《けつ》し、|観念《かんねん》の|臍《ほぞ》を|固《かた》めて、|泰然自若《たいぜんじじやく》たるケールス|姫《ひめ》を|小脇《こわき》に|抱《かか》へ|城《しろ》の|馬場《ばば》に|救《すく》ひ|出《だ》し、|清子姫《きよこひめ》は|甲斐々々《かひがひ》しく、|度《ど》を|失《うしな》うて|狂《くる》ひ|居《を》る|悪魔《あくま》の|張本人《ちやうほんにん》|竜雲《りううん》を|引抱《ひきかか》へ、|君子姫《きみこひめ》に|従《したが》ひて、|城《しろ》の|広場《ひろば》に|救《すく》ひ|出《だ》しぬ。|其《その》|外《ほか》|数多《あまた》の|人々《ひとびと》を|一人《ひとり》も|残《のこ》さず、サガレン|王《わう》の|率《ひき》ゐ|来《きた》れる|至誠《しせい》の|勇士《ゆうし》、|煙《けむり》の|中《なか》をかけ|巡《めぐ》り、|無事《ぶじ》に|人命《じんめい》を|救《すく》ひたるこそ、|全《まつた》く|神《かみ》の|御助《みたす》けと|知《し》られける。どこともなしに|又《また》もや|聞《きこ》ゆる|宣伝歌《せんでんか》、|敵《てき》と|味方《みかた》の|区別《くべつ》なくいと|殊勝《しゆしよう》げに|耳《みみ》に|入《い》る。
『|此《この》|世《よ》を|造《つく》り|固《かた》めたる |誠《まこと》の|神《かみ》が|現《あら》はれて
|善悪正邪《ぜんあくせいじや》を|立別《たてわ》ける われは|北光神司《きたてるかむつかさ》
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の |神言《みこと》|畏《かしこ》み|斎苑館《いそやかた》
|後《あと》に|眺《なが》めてはるばると フサの|国原《くにはら》|横断《わうだん》し
|月《つき》の|国中《くになか》|南行《なんかう》し |海《うみ》を|渡《わた》りてシロの|島《しま》
サガレン|王《わう》や|君子姫《きみこひめ》 |竜雲司《りううんつかさ》やケールスの
|姫《ひめ》の|命《みこと》を|助《たす》けむと |雲路《くもぢ》を|分《わ》けて|下《くだ》り|来《こ》し
|天《あめ》の|目一《まひと》つ|神《かみ》なるぞ |火《ひ》の|洗礼《せんれい》は|恙《つつが》なく
|神《かみ》のまにまに|終《をは》りけり |此《この》|城内《じやうない》に|立籠《たてこも》る
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜狐《しこぎつね》 |曲鬼《まがおに》|共《ども》の|眷族《けんぞく》は
|火《ひ》の|洗礼《せんれい》に|怖《お》ぢおそれ |黒雲《くろくも》|起《おこ》し|雨《あめ》を|呼《よ》び
|風《かぜ》のまにまに|逃《に》げ|散《ち》りぬ |今《いま》や|神地《かうぢ》の|聖場《せいぢやう》は
|汚《けが》れも|曲《まが》も|払拭《ふつしき》し |水晶《すゐしやう》の|如《ごと》く|清《きよ》まりぬ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|御水火《みいき》を|授《さづ》かりて
|此《この》|世《よ》に|生《うま》れ|出《い》で|来《きた》る |万《よろづ》の|物《もの》の|霊長《れいちやう》と
|称《たた》へられたる|人《ひと》の|身《み》は |神《かみ》に|等《ひと》しきものなれば
いかでか|曲《まが》のあるべきぞ |名位寿富《めいゐじゆふう》の|正欲《せいよく》に
|清《きよ》き|心《こころ》を|悩《なや》まされ |遂《つひ》には|体主霊従《たいしゆれいじう》の
|悪魔《あくま》の|風《かぜ》にそそられて |利己《りこ》|一辺《いつぺん》の|魂《たま》となり
|清《きよ》き|身魂《みたま》は|忽《たちま》ちに そこなひ|破《やぶ》れ|汚《けが》れはて
|曲《まが》の|棲処《すみか》となるものぞ |曲津《まがつ》の|巣《す》くふ|竜雲《りううん》も
|心《こころ》に|悔悟《くわいご》の|花《はな》|咲《さ》きて |今《いま》は|罪《つみ》なき|神《かみ》の|宮《みや》
|汚《けが》れも|咎《とが》めも|更《さら》になし ケールス|姫《ひめ》を|始《はじ》めとし
|竜雲司《りううんつかさ》に|諂《へつら》ひて |体主霊従《たいしゆれいじう》をきはめたる
|百《もも》の|司《つかさ》や|下人《しもびと》よ |老若男女《らうにやくなんによ》の|嫌《きら》ひなく
|心《こころ》を|安《やす》らに|平《たひら》かに |吾《わが》|身《み》の|前《まへ》に|現《あら》はれて
|今《いま》|迄《まで》|犯《おか》せし|過《あやま》ちを |皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に
|早《はや》く|謝罪《しやざい》し|奉《たてまつ》れ |大恩《たいおん》|受《う》けしサガレン|王《わう》の
|神《かみ》の|命《みこと》は|今《いま》ここに |魂《たま》の|光《ひか》りを|現《あら》はして
|清《きよ》く|現《あら》はれ|玉《たま》ひけり |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の
|八人乙女《やたりをとめ》の|其《その》|中《なか》に |目立《めだ》ちて|健《けな》げな|君子姫《きみこひめ》
|御供《みとも》に|仕《つか》ふる|清子姫《きよこひめ》 タールチン|司《つかさ》やキングス|姫《ひめ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》やエームスの |清《きよ》き|司《つかさ》も|今《いま》ここに
|汝等《なんぢら》|百《もも》の|人々《ひとびと》を |救《すく》はむ|為《ため》に|現《あ》れましぬ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 かくなる|上《うへ》は|天ケ下《あめがした》
|四方《よも》の|国《くに》には|仇《あだ》もなく |曇《くも》りも|汚《けが》れもなきものぞ
|老若男女《らうにやくなんによ》の|隔《へだ》てなく |上《うへ》と|下《した》との|分《わか》ちなく
|城《しろ》の|馬場《ばんば》のいや|広《ひろ》く |心《こころ》を|清《きよ》めて|一所《ひととこ》に
|集《あつ》まり|来《きた》れよ|惟神《かむながら》 |神《かみ》に|誓《ちか》ひて|目一《まひと》つの
|神《かみ》の|司《つかさ》が|今《いま》|此処《ここ》に |汝《なんぢ》の|為《ため》に|宣《の》り|伝《つた》ふ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|歌《うた》ひ|了《をは》ると|共《とも》に、|天《あめ》の|目一《まひと》つの|神《かみ》は|煙《けむり》を|分《わ》けて、コツコツと|杖《つゑ》をつき|乍《なが》ら、|一同《いちどう》が|避難《ひなん》の|場《ば》に|微笑《びせう》を|浮《うか》べつつ|現《あら》はれにける。
(大正一一・九・二四 旧八・四 松村真澄録)
第二二章 |春《はる》の|雪《ゆき》〔一〇一〇〕
|神地《かうぢ》の|城《しろ》は、|天恵的《てんけいてき》に|火《ひ》の|洗礼《せんれい》を|施《ほどこ》され、|城内《じやうない》の|悪魔《あくま》は|残《のこ》らず|退散《たいさん》し、すべての|建造物《けんざうぶつ》は|烏有《ういう》に|帰《き》し、|天《てん》|清《きよ》く|風《かぜ》|爽《さはや》かに、|土《つち》また|総《すべ》ての|塵芥《ぢんかい》を|焼《や》き|尽《つく》し、|天清浄《てんしやうじやう》、|地清浄《ちしやうじやう》、|人清浄《じんしやうじやう》、|六根清浄《ろくこんしやうじやう》の|娑婆即寂光土《しやばそくじやくくわうど》を|現出《げんしゆつ》した。
サガレン|王《わう》の|率《ひき》ゐ|来《きた》れる|正義《せいぎ》の|人々《ひとびと》をはじめ、|城内《じやうない》に|止《とど》まりて|竜雲《りううん》の|頤使《いし》に|甘《あま》んじ、|知《し》らず|知《し》らず|邪道《じやだう》に|陥《おちい》り|居《ゐ》たる|数多《あまた》の|人々《ひとびと》も|残《のこ》らず|目《め》を|醒《さま》し、|広《ひろ》き|城《しろ》の|馬場《ばんば》に|集《あつ》まつて、|何《いづ》れも|身《み》に|微傷《びしやう》だにも|負《お》はざりし|神徳《しんとく》に|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》を|流《なが》しつつ、|天《あめ》の|目一《まひと》つの|神《かみ》の|導師《だうし》の|下《もと》に、|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》、|塩長彦大神《しほながひこのおほかみ》、|大国彦大神《おほくにひこのおほかみ》を|斎《いつ》くべく、|俄作《にはかづく》りの|祭壇《さいだん》の|前《まへ》に、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|神徳《しんとく》を|讃美《さんび》し、|悔《く》い|改《あらた》めの|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らし、|敵《てき》と|味方《みかた》の|障壁《しやうへき》もなく、|宗教《しうけう》の|異同《いどう》も|忘却《ばうきやく》して|只管《ひたすら》|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》するのみにして|忽《たちま》ち|地上《ちじやう》の|天国《てんごく》は|築《きづ》かれけり。
|神地《かうぢ》の|城《しろ》は|火《ひ》の|洗礼《せんれい》によりて、|地上《ちじやう》に|一物《いちもつ》も|止《とど》めず|烏有《ういう》に|帰《き》したれども、サガレン|王《わう》がまさかの|時《とき》の|用意《ようい》にと、|新《あらた》に|造《つく》り|置《お》きたる|河森川《かうもりがは》の|向岸《むかふぎし》の|八尋殿《やひろどの》は、|未《いま》だ|一人《ひとり》の|住込《すみこ》みたるものもなきままに、|完全《くわんぜん》に|残《のこ》されありしかば、サガレン|王《わう》は|一同《いちどう》の|人々《ひとびと》を|率《ひき》ゐて|新《あたら》しき|八尋殿《やひろどの》に|立入《たちい》り、|都下《とか》の|人々《ひとびと》が|先《さき》を|争《あらそ》うて、|火事《くわじ》|見舞《みまひ》として|奉《たてまつ》りたる|諸々《もろもろ》の|飲食《おんじき》を|並《なら》べ|一同《いちどう》を|饗応《きやうおう》し、|且《か》つ|天《あめ》の|目一《まひと》つの|神《かみ》、|君子姫《きみこひめ》、|清子姫《きよこひめ》を|主賓《しゆひん》として、|感謝《かんしや》|慰労《ゐらう》の|宴会《えんくわい》を|開《ひら》く|事《こと》とはなりぬ。
ケールス|姫《ひめ》も|竜雲《りううん》も|亦《また》|悄然《せうぜん》として、|此《この》|席《せき》に|恥《はづ》かしげに|小《ちひ》さくなつて|片隅《かたすみ》に|控《ひか》へ|居《ゐ》る。|人《ひと》の|性《せい》は|善《ぜん》なりとは|宜《むべ》なるかな、ケールス|姫《ひめ》は|一時《いちじ》、|妖邪《えうじや》の|気《き》に|迷《まよ》はされ、|心《こころ》|汚《きたな》き|竜雲《りううん》が|計略《けいりやく》の|罠《わな》に|陥《おちい》り、|恐《おそ》れ|多《おほ》くもわが|夫《をつと》たり|君《きみ》たる|国別彦《くにわけひこ》の|神司《かむつかさ》を|無視《むし》し、|且《か》つ|放逐《はうちく》したる|其《その》|悪業《あくげふ》を|心《こころ》の|底《そこ》より|悔《く》い、|身《み》も|世《よ》もあられぬ|思《おも》ひにて、|良心《りやうしん》に|責《せ》められながら、つつましやかに|片隅《かたすみ》に|息《いき》を|殺《ころ》して|畏《かしこ》まり|居《ゐ》る。|又《また》|竜雲《りううん》も|一時《いちじ》の|慾《よく》に|搦《から》まれ、|悪鬼《あくき》|邪神《じやしん》の|捕虜《ほりよ》となり、|悪逆無道《あくぎやくむだう》の|醜業《しこわざ》を|繰返《くりかへ》したることを|深《ふか》く|悔《く》い、|今《いま》|迄《まで》|犯《おか》せし|罪《つみ》の|恐《おそ》ろしく|心《こころ》の|呵責《かしやく》に|身《み》の|置《お》き|処《どころ》もなく、|人々《ひとびと》に|顔《かほ》を|向《む》ける|勇気《ゆうき》もなく、|頭《かしら》を|下《さ》げて|片隅《かたすみ》に|縮《ちぢ》こまり|居《ゐ》る。|今《いま》|迄《まで》の|竜雲《りううん》は|大兵肥満《たいひやうひまん》にして、|一見《いつけん》|温良《おんりやう》の|神人《しんじん》の|如《ごと》く|見《み》え|居《ゐ》たりしが、|己《おのれ》が|悪事《あくじ》を|悔悟《くわいご》すると|共《とも》に、|深《ふか》く|身魂《しんこん》に|浸《し》み|渡《わた》り|居《ゐ》たる|曲神《まがかみ》の、|身内《しんない》より|脱出《だつしゆつ》し|終《をは》りたる|彼《かれ》の|身《み》は、|忽《たちま》ち|縮小《しゆくせう》し、|萎微《ゐび》し、|以前《いぜん》の|如《ごと》き|気品《きひん》もなければ、|打《う》つて|変《かは》つた|痩坊主《やせばうず》の|見《み》るもいぶせき|姿《すがた》となりしぞ|憐《あは》れなり。
これを|思《おも》へば、|総《すべ》ての|人《ひと》は|憑霊《ひようれい》の|如何《いかん》によつて|其《その》|身魂《しんこん》を|向上《かうじやう》せしめ、|或《あるひ》は|向下《かうか》せしめ、|善悪正邪《ぜんあくせいじや》、|種々雑多《しゆじゆざつた》の|行動《かうどう》を|知《し》らず|知《し》らずに|行《おこな》ふものなるを|悟《さと》らるるなり。|神諭《しんゆ》にも、
『|善《ぜん》の|神《かみ》が|守護《しゆご》|致《いた》せば|善《ぜん》の|行《おこな》ひのみをなし、|悪《あく》の|霊《みたま》が|其《その》|肉体《にくたい》を|守護《しゆご》すれば|悪《あく》の|行《おこな》ひをなすものだ』
と|示《しめ》されてあるは|宜《うべ》なりと|謂《い》ふべし。|又《また》|悪魔《あくま》は|決《けつ》して|悪相《あくさう》をもつて|顕現《けんげん》するものではなく、|必《かなら》ず|善《ぜん》の|仮面《かめん》を|被《かぶ》りて|人《ひと》の|眼《まなこ》を|眩《くら》ませ、|悪《あく》を|敢行《かんかう》せむとするものである。|一見《いつけん》して|至正《しせい》|至直《しちよく》の|君子人《くんしじん》と|見《み》え、|温良《おんりやう》|慈悲《じひ》の|聖者《せいじや》と|見《み》ゆる|人々《ひとびと》にも、また|柔順《じうじゆん》にして|女《をんな》の|如《ごと》く|淑《しと》やかに|見《み》ゆる|男子《だんし》の|中《なか》にも、|悪逆無道《あくぎやくむだう》の|行《おこな》ひをなすものがあるのは、|要《えう》するに|悪神《あくがみ》の|憑依《ひようい》して、|其《その》|人《ひと》の|身魂《しんこん》を|自由自在《じいうじざい》に|使役《しえき》するからである。|又《また》|一見《いつけん》して|鬼《おに》の|如《ごと》く、|悪魔《あくま》の|如《ごと》く|恐《おそ》ろしく|見《み》ゆる|人々《ひとびと》の|中《なか》に、|却《かへつ》て|誠《まこと》の|神《かみ》の|身魂《みたま》|活動《くわつどう》し、|善事《ぜんじ》|善行《ぜんかう》をなすものも|非常《ひじやう》に|沢山《たくさん》あるものである。|故《ゆゑ》に|人間《にんげん》の|弱《よわ》き|眼力《がんりき》にては|到底《たうてい》|人《ひと》の|善悪正邪《ぜんあくせいじや》は|判別《はんべつ》し|得《え》らるるものでない。|人《ひと》を|裁《さば》くは|到底《たうてい》|人《ひと》の|力《ちから》の|能《よ》くし|能《あた》はざる|処《ところ》、これを|裁《さば》く|権力《けんりよく》を|享有《きやういう》し|給《たま》ふものは、|只《ただ》|神様《かみさま》|計《ばか》りである。|故《ゆゑ》に|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》にも、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》ける』
|云々《うんぬん》と|宣示《せんじ》されてあるのである。|漫《みだ》りに|人《ひと》の|善悪正邪《ぜんあくせいじや》を|裁《さば》くは|所謂《いはゆる》|神《かみ》の|権限《けんげん》を|冒《をか》すものであつて、|正《ただ》しき|神《かみ》の|御目《おんめ》よりは|由々《ゆゆ》しき|大罪人《だいざいにん》である。|又《また》|心魂《しんこん》の|清《きよ》く|行《おこな》ひの|正《ただ》しき|人《ひと》が|一見《いつけん》して|其《その》|心《こころ》の|儘《まま》が|現《あら》はれ、|至善《しぜん》|至美《しび》|至直《しちよく》の|善人《ぜんにん》と|見《み》ゆる|事《こと》もある。|又《また》|心《こころ》の|中《なか》の|曲《まが》り|汚《けが》れて|悪事《あくじ》をなす|人《ひと》の|肉体《にくたい》が、|一見《いつけん》して|悪《あく》に|見《み》え|卑劣《ひれつ》に|見《み》える|事《こと》もある。|総《すべ》ての|人《ひと》の|容貌《ようばう》は|心《こころ》の|鏡《かがみ》であるから|諺《ことわざ》にも|云《い》ふ|通《とほ》り、
『|思《おも》ひ|内《うち》にあれば|色《いろ》|必《かなら》ず|外《そと》に|現《あら》はる』
の|箴言《しんげん》に|漏《も》れないものも|沢山《たくさん》にある。|然《しか》るに|凶悪《きやうあく》|獰猛《だうまう》なる|邪神《じやしん》は|容易《ようい》に|其《その》|醜状《しうじやう》を|憑依《ひようい》せる|人《ひと》の|容貌《ようばう》に|現《あら》はさず、|却《かへ》つて|聖人君子《せいじんくんし》の|如《ごと》き|面貌《めんばう》を|表《あら》はし、|悪《あく》を|行《おこな》ひ|世人《せじん》を|苦《くる》しめ、|以《もつ》て|自《みづか》ら|快《こころよ》しとする|者《もの》も|沢山《たくさん》にある。|故《ゆゑ》に|徒《いたづら》に|人《ひと》の|容貌《ようばう》の|善悪美醜《ぜんあくびしう》を|見《み》て|其《その》|人《ひと》の|善悪《ぜんあく》や|人格《じんかく》を|品評《ひんぺう》する|事《こと》は|到底《たうてい》|不可能《ふかのう》なる|事《こと》を|考《かんが》へねばならぬ。
|千変万化《せんぺんばんくわ》、|変幻出没《へんげんしゆつぼつ》|極《きは》まりなく、|白昼《はくちう》に|悪事《あくじ》を|敢行《かんかう》するは|悪魔《あくま》の|得意《とくい》とする|処《ところ》である。|悪魔《あくま》は|清明《せいめい》を|嫌《きら》ひ、|暗黒《あんこく》を|喜《よろこ》び、|暗《やみ》にかくれて|種々雑多《しゆじゆざつた》の|罪悪《ざいあく》を|喜《よろこ》んで|行《おこな》ふものである。|然《しか》しこれは|一般的《いつぱんてき》|悪魔《あくま》の|為《な》すべき|働《はたら》きである。|大悪魔《だいあくま》に|至《いた》つては|然《しか》らず、|却《かへ》つて|清明《せいめい》なる|天地《てんち》に|公然《こうぜん》|横行《わうかう》し、|万民《ばんみん》を|誑惑《きやうわく》し、|白日《はくじつ》の|下《もと》|正々堂々《せいせいだうだう》と|其《その》|悪事《あくじ》を|敢行《かんかう》し、|却《かへ》つて|心《こころ》|暗《くら》き|人々《ひとびと》より、|聖人君子《せいじんくんし》|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》の|尊称《そんしよう》を|与《あた》へられ、|得々《とくとく》として|誇《ほこ》り、|世人《せじん》|与《くみ》し|易《やす》しと|蔭《かげ》に|廻《まは》つて、そつと|舌《した》を|吐《は》き|出《だ》す|者《もの》も|沢山《たくさん》ないとは|云《い》へない|世《よ》の|中《なか》である。
|一旦《いつたん》|悪魔《あくま》の|容器《ようき》となつて|縦横無尽《じうわうむじん》に|暴威《ばうゐ》を|振《ふる》ひ、|旭日昇天《きよくじつしようてん》の|勢《いきほひ》を|以《もつ》て|数多《あまた》の|部下《ぶか》に|臨《のぞ》みたる|竜雲《りううん》も、|悪霊《あくれい》の|神威《しんゐ》に|恐《おそ》れて|雲《くも》を|霞《かすみ》と|脱出《だつしゆつ》したるより、|今《いま》|迄《まで》|威風堂々《ゐふうだうだう》たりし|彼《かれ》も|今《いま》は|全《まつた》く|別人《べつじん》の|如《ごと》く、|身体《しんたい》の|各部《かくぶ》に|変異《へんい》を|来《きた》し、|非力《ひりき》|下劣《げれつ》の|生《うま》れながらの|劣等人格者《れつとうじんかくしや》となつてしまつた。されどもこの|竜雲《りううん》にして、|再《ふたた》び|正義《せいぎ》|公道《こうどう》を|踏《ふ》み、|信仰《しんかう》を|重《かさ》ね、|神《かみ》の|恩寵《おんちやう》に|浴《よく》しなば、|以前《いぜん》に|勝《まさ》る|聖人君子《せいじんくんし》の|身魂《しんこん》を|授《さづ》けられ、|温厚《をんこう》|篤実《とくじつ》の|君子人《くんしじん》と|改造《かいざう》さるるは|当然《たうぜん》である。ケールス|姫《ひめ》は|竜雲《りううん》に|一歩《いつぽ》|先《さき》んじて|心《こころ》の|妖雲《えううん》を|払《はら》ひ、|心魂《しんこん》に|真如《しんによ》の|日月《じつげつ》を|輝《かがや》かし、|前非《ぜんぴ》を|悔《く》ゆるに|至《いた》りしかば、|今《いま》|此《この》|場《ば》になつても|比較的《ひかくてき》|身魂《しんこん》を|動揺《どうえう》せしめず、|自若《じじやく》として|神《かみ》に|一身《いつしん》を|任《まか》せつつあつた。
|竜雲《りううん》は|恥《はづ》かしげに|立《た》ち|上《あが》り|一同《いちどう》に|向《むか》つて|懺悔《ざんげ》の|歌《うた》を|謡《うた》ひ、|天地《てんち》の|神明《しんめい》に|謝罪《しやざい》の|誠《まこと》を|尽《つく》した。|其《その》|歌《うた》、
『|天《あめ》と|地《つち》とは|古《いにしへ》の |無限絶対《むげんぜつたい》|無始無終《むしむしう》
|神徳《しんとく》|無辺《むへん》の|大神《おほかみ》が |陰《いん》と|陽《やう》との|息《いき》をもて
|造《つく》り|固《かた》めし|御国《みくに》なり |国治立大神《くにはるたちのおほかみ》は
|天津御神《あまつみかみ》の|勅《みこと》もて |尊《たふと》き|御身《おんみ》を|顧《かへり》みず
|豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》 |下津岩根《したついはね》にあもりまし
|大海原《おほうなばら》に|漂《ただよ》へる |島《しま》の|八十島《やそしま》|八十国《やそくに》を
|完美《うまら》に|委曲《つばら》に|造《つく》り|終《を》へ |百《もも》の|神人《かみびと》|悉《ことごと》く
|守《まも》らせたまふ|有難《ありがた》さ |神世《かみよ》はやすく|平《たいら》けく
|治《をさ》まりまして|吹《ふ》き|荒《すさ》ぶ |醜《しこ》の|魔風《まかぜ》の|跡《あと》もなく
|罪《つみ》も|汚《けが》れも|無《な》かりしが |神《かみ》の|御息《みいき》に|生《うま》れたる
|蒼生《あをひとぐさ》の|親《おや》とます |天足《あだる》の|彦《ひこ》や|胞場姫《えばひめ》の
|天地《てんち》の|道《みち》を|踏《ふ》み|外《はづ》し |皇大神《すめおほかみ》の|御心《みこころ》に
|背《そむ》きたるより|天ケ下《あめがした》 |四方《よも》の|国《くに》には|汚《けが》れたる
|妖邪《えうじや》の|息《いき》は|充満《じうまん》し |其《その》|息《いき》|凝《こ》りて|鬼《おに》となり
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜狐《しこぎつね》 |醜女《しこめ》|探女《さぐめ》を|発生《はつせい》し
|世《よ》は|常闇《とこやみ》となりにけり それより|漸《やうや》く|世《よ》の|中《なか》に
|悪魔《あくま》は|盛《さかん》に|蔓《はびこ》りて |天地《てんち》|曇《くも》らせ|現身《うつそみ》の
|世人《よびと》の|身魂《みたま》を|蹂躙《じうりん》し |尊《たふと》き|神《かみ》の|生宮《いきみや》と
|生《うま》れ|出《い》でたる|人《ひと》の|身《み》を いつとはなしに|曲神《まがかみ》の
|珍《うづ》の|住家《すみか》となし|終《を》へぬ |吾《われ》も|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》
|恵《めぐみ》に|漏《も》れぬ|身《み》なれども いつとはなしに|曲神《まがかみ》に
つけ|狙《ねら》はれて|由々《ゆゆ》しくも |天地《てんち》|容《い》れざる|大罪《だいざい》を
|重《かさ》ね|来《きた》りし|恐《おそ》ろしさ |至仁《しじん》|至愛《しあい》の|大神《おほかみ》は
|吾等《われら》が|汚《きたな》き|行《おこな》ひを |憐《あはれ》みたまひて|忽《たちま》ちに
|各自《てんで》に|洗礼《せんれい》|与《あた》へまし |心《こころ》に|潜《ひそ》む|曲神《まがかみ》を
|苦《く》もなく|追《お》ひ|出《だ》し|給《たま》ひけり あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましまして サガレン|王《わう》に|背《そむ》きたる
|吾等《われら》が|罪《つみ》を|許《ゆる》させよ ケールス|姫《ひめ》を|朝夕《あさゆふ》に
|汚《けが》しまつりし|醜業《しこわざ》は |天地《てんち》|容《い》れざる|罪《つみ》なれど
|神《かみ》の|尊《たふと》き|御心《みこころ》に |清《きよ》く|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し
|宣《の》り|直《なほ》しませ|天地《あめつち》の |尊《たふと》き|百《もも》の|神《かみ》の|前《まへ》
|罪《つみ》に|沈《しづ》みし|竜雲《りううん》が |今《いま》|迄《まで》|犯《おか》せし|罪《つみ》を|悔《く》い
|心《こころ》を|清《きよ》めて|大前《おほまへ》に |慎《つつし》み|敬《うやま》ひ|詫《わ》びまつる
|天《あめ》の|目一《まひと》つ|神司《かむつかさ》 |君子《きみこ》の|姫《ひめ》や|清子姫《きよこひめ》
|其《その》|外《ほか》|百《もも》の|人々《ひとびと》の |尊《たふと》き|今日《けふ》の|働《はたら》きを
|喜《よろこ》びゐやまひ|心《こころ》より |慎《つつし》み|讃美《さんび》し|奉《たてまつ》る
|斯《か》くなる|上《うへ》は|竜雲《りううん》が |今《いま》|迄《まで》|悩《なや》みし|村肝《むらきも》の
|胸《むね》の|曇《くも》りも|晴《は》れ|渡《わた》り |黒雲《くろくも》|遠《とほ》く|吹《ふ》き|散《ち》りて
|大空《おほぞら》|渡《わた》る|日月《じつげつ》の |光《ひかり》を|拝《をが》む|心地《ここち》よさ
|国別彦《くにわけひこ》の|神様《かみさま》よ ケールス|姫《ひめ》よ|竜雲《りううん》が
|今《いま》|迄《まで》|汝《なれ》に|加《くは》へたる きたなき|罪《つみ》や|曲業《まがわざ》を
|広《ひろ》き|心《こころ》に|宣《の》り|直《なほ》し |許《ゆる》させ|給《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》に|誓《ちか》ひて|将来《ゆくすゑ》の わが|改心《かいしん》を|開陳《かいちん》し
|身《み》を|退《しりぞ》きて|天《あめ》の|下《した》 |四方《よも》の|国々《くにぐに》|駆廻《かけめぐ》り
|命《いのち》の|限《かぎ》り|身《み》の|限《かぎ》り |世人《よびと》を|救《すく》ひ|身《み》の|罪《つみ》を
|亡《ほろ》ぼしまつるわが|覚悟《かくご》 |安《やす》く|諾《うべな》ひたまへかし
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる』
ケールス|姫《ひめ》は|又《また》|謡《うた》ふ。
『|醜《しこ》の|魔神《まがみ》に|迷《まよ》はされ |神《かみ》の|末裔《みすゑ》と|現《あ》れませる
|国別彦《くにわけひこ》の|神司《かむつかさ》 わが|背《せ》の|君《きみ》に|相背《あひそむ》き
|曲《まが》のかかりし|醜人《しこびと》に |心《こころ》の|限《かぎ》り|身《み》の|限《かぎ》り
|媚《こ》び|諂《へつら》ひて|何時《いつ》となく |罪《つみ》の|淵《ふち》へと|沈淪《ちんりん》し
あらむかぎりの|罪悪《ざいあく》を |尽《つく》し|来《きた》りし|恐《おそ》ろしさ
|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|大神《おほかみ》の |霊《みたま》の|光《ひか》りに|照《て》らされて
|曇《くも》りし|胸《むね》も|晴《は》れ|渡《わた》り |眩《くら》みし|眼《まなこ》も|明《あきら》かに
|輝《かがや》き|渡《わた》りて|身《み》の|罪《つみ》を |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し
|顧《かへり》みすれば|恐《おそ》ろしや |天地《てんち》の|神《かみ》の|許《ゆる》さざる
|重《おも》き|罪《つみ》をば|知《し》らずして |重《かさ》ね|来《きた》りしうたてさよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
|日《ひ》の|出神《でのかみ》や|木《こ》の|花《はな》の |咲耶姫《さくやのひめ》の|神言《みこと》もて
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》が |世人《よびと》を|普《あまね》く|救《すく》はむと
|三五教《あななひけう》の|御道《おんみち》を |四方《よも》の|国々《くにぐに》|島々《しまじま》に
|開《ひら》かせ|給《たま》ふ|神司《かむつかさ》 |数《かず》ある|中《なか》に|取《と》りわけて
|清《きよ》き|尊《たふと》き|北光《きたてる》の |神《かみ》の|司《つかさ》や|君子姫《きみこひめ》
|清子《きよこ》の|姫《ひめ》を|下《くだ》しまし |火《ひ》の|洗礼《せんれい》を|施《ほどこ》して
|神地《かうぢ》の|都《みやこ》に|蟠《わだか》まる |醜《しこ》の|魔神《まがみ》を|吹《ふ》き|払《はら》ひ
|清《きよ》めたまひし|尊《たふと》さよ |心《こころ》の|闇《やみ》は|晴《は》れ|渡《わた》り
|元《もと》つ|御霊《みたま》に|嬉《うれ》しくも |立《た》ち|帰《かへ》りたる|吾《われ》なれど
|一度《ひとたび》|魔神《まがみ》に|汚《けが》されし |吾《わが》|身体《からたま》を|如何《いか》にせむ
|寄辺渚《よるべなぎさ》の|捨小舟《すてをぶね》 |取《と》りつく|島《しま》もなく|涙《なみだ》
いづれに|向《むか》つて|吐却《ときやく》せむ サガレン|王《わう》の|御心《みこころ》は
|仮令《たとへ》|吾等《われら》を|許《ゆる》すとも |重《かさ》ねし|罪《つみ》の|吾《わ》が|体《からだ》
|如何《いか》でか|元《もと》に|帰《かへ》るべき |妾《わらは》は|是《これ》より|聖城《せいじやう》を
|後《あと》に|眺《なが》めて|葦原《あしはら》の |瑞穂《みづほ》の|国《くに》を|隈《くま》もなく
|風雲雷雨《ふううんらいう》をしのぎつつ |三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》を
|開《ひら》きて|世人《よびと》を|善道《ぜんだう》に |導《みちび》きまつり|皇神《すめかみ》の
|恵《めぐみ》の|露《つゆ》の|万分一《まんぶいち》 |報《むく》いまつらむ|吾《わが》|心《こころ》
|許《ゆる》させたまへ|天津神《あまつかみ》 |国津神《くにつかみ》|達《たち》|八百万《やほよろづ》
|国魂神《くにたまがみ》の|御前《おんまへ》に ケールス|姫《ひめ》が|誠心《まごころ》を
|誓《ちか》ひて|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|謡《うた》ひ|終《をは》り、|恥《はづ》かしげに|片隅《かたすみ》に|身《み》を|潜《ひそ》めて|蹲《うづく》まり|居《を》る|様《さま》、|人《ひと》の|見《み》る|目《め》も|哀《あは》れげに|感《かん》ぜられ、|一同《いちどう》は|期《き》せずして|同情《どうじやう》の|涙《なみだ》にかき|暮《く》れにける。
(大正一一・九・二四 旧八・四 加藤明子録)
第二三章 |雪達磨《ゆきだるま》〔一〇一一〕
サガレン|王《わう》は|悠然《いうぜん》として|立《た》ち|上《あが》り、|金扇《きんせん》を|拡《ひろ》げて|中央《ちうあう》の|高座《かうざ》に|登《のぼ》り|堂々《だうだう》として|歌《うた》ひ|舞《ま》ふ。
『あゝ|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し |天地《てんち》の|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》は
|伊行《いゆ》きたらひて|隈《くま》もなく |吾等《われら》を|始《はじ》め|人々《ひとびと》の
|身魂《みたま》を|照《て》らし|給《たま》ひけり |荒風《あらかぜ》すさぶシロの|島《しま》
|白雲山《はくうんざん》の|頂《いただ》きに |吹《ふ》き|起《おこ》りたる|竜雲《りううん》が
|醜《しこ》の|御息《みいき》に|包《つつ》まれて バラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》
|国別彦《くにわけひこ》の|神司《かむつかさ》 サガレン|王《わう》の|身辺《しんぺん》は
|日《ひ》に|夜《よ》に|危《あやふ》くなりにけり |時《とき》しもあれや|真心《まごころ》の
|岩《いは》より|固《かた》き|兵士《つはもの》の |現《あら》はれ|来《きた》りて|災《わざはひ》を
|逃《のが》れて|吾《われ》を|救《すく》ひつつ |花《はな》|咲《さ》く|春《はる》を|松浦《まつうら》の
|小糸《こいと》の|館《やかた》に|守《まも》り|行《ゆ》く |千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|揺《ゆる》ぎなき
|固《かた》き|岩窟《いはや》に|隠《かく》ろひて |白雲山《はくうんざん》の|雲霧《くもきり》を
|科戸《しなど》の|風《かぜ》に|吹《ふ》き|払《はら》ひ |神地《かうぢ》の|都《みやこ》を|十重《とへ》|二十重《はたへ》
|包《つつ》みて|曇《くも》らす|竜雲《りううん》を |神《かみ》の|軍《いくさ》を|励《はげ》まして
|取《と》り|除《のぞ》かむと|朝夕《あさゆふ》に |武道《ぶだう》を|励《はげ》む|折《をり》もあれ
|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|浅《あさ》からず |深霧《ふかぎり》|分《わ》けて|北光《きたてる》の
|三五教《あななひけう》の|神司《かむつかさ》 |鳩《はと》の|如《ごと》くに|降《くだ》りまし
|天地《てんち》の|神《かみ》の|御心《みこころ》を |完美《うまら》に|委曲《つばら》に|説《と》き|給《たま》ひ
|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|心《こころ》もて |曲《まが》の|砦《とりで》に|向《むか》へよと
|教《をし》へ|給《たま》ひし|尊《たふと》さよ タールチンやエームスの
|忠誠《ちうせい》|無比《むひ》の|司《つかさ》|等《ら》は |翁《おきな》の|言葉《ことば》に|悦服《えつぷく》し
|日《ひ》に|夜《よ》に|励《はげ》みし|武術《ぶじゆつ》をば |全廃《ぜんぱい》なして|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|跪《ひざまづ》き |誠《まこと》|一《ひと》つの|言霊《ことたま》を
|放《はな》ちて|曲《まが》を|悉《ことごと》く |言向和《ことむけやは》し|天国《てんごく》の
|恵《めぐ》みに|浴《よく》し|救《すく》はむと |心《こころ》を|定《さだ》むる|折《をり》もあれ
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|救《すく》ひ|主《ぬし》 |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の
|八人乙女《やたりをとめ》の|君子姫《きみこひめ》 |心《こころ》の|色《いろ》も|清子姫《きよこひめ》
|又《また》もや|此処《ここ》に|来《きた》りまし |再《ふたた》び|神《かみ》の|御教《みをしへ》を
|宣《の》らせ|給《たま》ひし|有難《ありがた》さ |吾《われ》はそれより|君子姫《きみこひめ》
|其《その》|他《た》の|司《つかさ》を|引連《ひきつ》れて |白雲山《はくうんざん》の|山麓《さんろく》に
|薨《いらか》|輝《かがや》く|神地城《かうぢじやう》 |来《きた》りて|見《み》れば|城内《じやうない》は
|黒煙《こくえん》|四方《よも》に|立《た》ち|昇《のぼ》り |紅蓮《ぐれん》の|舌《した》は|遠近《をちこち》の
|建造物《けんざうぶつ》を|悉《ことごと》く |嘗《な》め|尽《つく》さむず|勢《いきほひ》に
|暫《しば》し|見《み》とれて|居《ゐ》たりしが |忽《たちま》ち|響《ひび》く|神《かみ》の|声《こゑ》
|神《かみ》の|御子《みこ》なる|諸人《もろびと》を |救《すく》ふは|今《いま》や|此《この》|時《とき》と
|吾《わが》|身《み》を|忘《わす》れて|黒煙《こくえん》の |中《なか》に|自《みづか》ら|突進《とつしん》し
|采配《さいはい》|振《ふ》つて|下知《げち》すれば |君子《きみこ》の|姫《ひめ》や|清子姫《きよこひめ》
タールチンやエームスや キングス|姫《ひめ》やテーリスの
|清《きよ》き|司《つかさ》は|逸早《いちはや》く |煙《けむり》に|包《つつ》まれ|悩《なや》み|居《ゐ》る
|数多《あまた》の|人《ひと》を|救《すく》ひ|出《だ》し |城《しろ》の|馬場《ばんば》に|連《つ》れ|来《きた》り
|色々《いろいろ》|様々《さまざま》|介抱《かいほう》し |労《いた》はり|守《まも》るぞ|尊《たふと》けれ
|折《を》りしも|聞《きこ》ゆる|宣伝歌《せんでんか》 |謹《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|心《こころ》をば
すまして|嬉《うれ》しみ|聞《き》く|程《ほど》に |小糸《こいと》の|里《さと》に|現《あら》はれし
|天《あま》の|目一《まひと》つ|神司《かむつかさ》 |涼《すず》しき|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて
|煙《けむり》を|分《わ》けて|響《ひび》きたる |其《その》|神姿《みすがた》ぞ|雄々《をを》しけれ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》は|吾等《われら》を|守《まも》りまし
|道《みち》に|背《そむ》きし|人々《ひとびと》も |残《のこ》らず|助《たす》け|給《たま》ひけり
|吾等《われら》も|一度《いちど》は|竜雲《りううん》が |汚《きたな》き|仕業《しわざ》を|憎《にく》みしが
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し |反省《かへりみ》すれば|尊《たふと》しや
|彼《かれ》も|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》 もとより|汚《けが》れし|者《もの》ならず
|知《し》らず|知《し》らずに|曲神《まがかみ》に |心《こころ》の|根城《ねじろ》を|奪《うば》はれて
|道《みち》に|外《はづ》れし|曲業《まがわざ》を |行《おこな》ひ|居《ゐ》たる|憐《あは》れさよ
|決《けつ》して|責《せ》むべきものならず |責《せ》むべきものは|吾《わが》|心《こころ》
|少《すこ》しの|油断《ゆだん》ありしより |神地《かうぢ》の|都《みやこ》の|上下《うへした》を
|騒《さわ》がせたるも|吾《われ》なりと |思《おも》へば|恐《おそ》ろし|神《かみ》の|前《まへ》
|詫《わ》ぶる|由《よし》なき|吾《わが》|罪《つみ》を |許《ゆる》させ|給《たま》へ|天地《あめつち》の
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|慴伏《ひれふ》して |畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|祈《ね》ぎ|奉《まつ》る
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |神地《かうぢ》の|城《しろ》は|焼《や》けるとも
|神《かみ》の|心《こころ》の|弥広《いやひろ》く |吾《われ》の|身魂《みたま》のいと|清《きよ》く
|怨《うら》みも|仇《あだ》も|谷川《たにがは》の |早瀬《はやせ》に|捨《す》ててスクスクと
|清《きよ》き|心《こころ》のパラダイス |上下《じやうげ》|尊卑《そんぴ》の|分《わか》ちなく
|老若男女《らうにやくなんによ》の|隔《へだ》てなく |教《をしへ》の|道《みち》の|如何《いかん》をば
|省《かへり》みずして|相共《あひとも》に |仕《つか》へ|奉《まつ》らむ|神《かみ》の|前《まへ》
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
ケールス|姫《ひめ》や|竜雲《りううん》の |醜《しこ》の|司《つかさ》を|始《はじ》めとし
|従《したが》ひ|奉《まつ》りし|諸人《もろびと》の |罪《つみ》をば|許《ゆる》させ|給《たま》へかし
サガレン|王《わう》が|今《いま》|此処《ここ》に |心《こころ》の|誠《まこと》を|現《あら》はして
|皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に |畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|祈《ね》ぎ|奉《まつ》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
|天《あめ》の|目一《まひと》つの|神《かみ》は|立《た》ち|上《あが》り|祝歌《しゆくか》を|謡《うた》ふ。
『|天《あめ》と|地《つち》とを|造《つく》らしし |此《この》|世《よ》の|御祖《みおや》と|現《あ》れませる
|国治立《くにはるたち》の|厳霊《いづみたま》 |豊国姫《とよくにひめ》の|瑞霊《みづみたま》
|御霊《みたま》を|十字《じふじ》に|綾《あや》なして |三五《さんご》の|月《つき》の|御教《みをしへ》を
|四方《よも》に|開《ひら》かせ|給《たま》ひけり |瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|神霊《かむみたま》
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》は |厳《いづ》と|瑞《みづ》との|御教《みをしへ》を
|麻柱《あなな》ひ|給《たま》ひて|八乙女《やおとめ》を メソポタミヤに|遣《つか》はされ
バラモン|教《けう》に|立《た》て|籠《こも》る |鬼雲彦《おにくもひこ》を|言向《ことむ》けて
|豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》 |残《のこ》る|隈《くま》なく|三五《あななひ》の
|仁慈無限《じんじむげん》の|御教《みをしへ》に |百《もも》の|神人《かみびと》|救《すく》はむと
|心《こころ》|配《くば》らせ|給《たま》ひけり さはさり|乍《なが》ら|曲神《まがかみ》の
|勢《いきほ》ひ|仲々《なかなか》|猛《たけ》くして |山《やま》の|尾《を》の|上《へ》や|川《かは》の|瀬《せ》に
|砦《とりで》を|造《つく》り|汚《けが》れたる |教《をしへ》を|四方《よも》に|布《し》き|並《なら》べ
|世《よ》は|益々《ますます》に|曇《くも》り|行《ゆ》く |天《あめ》の|下《した》なる|神人《かみびと》は
|苦《くる》しみ|歎《なげ》き|山河《やまかは》は |何処《いづこ》の|果《は》ても|枯《か》れ|干《ほ》して
|木葉《このは》の|露《つゆ》も|光《ひか》りなく |月日《つきひ》は|雲《くも》に|包《つつ》まれぬ
かくも|怪《あや》しき|常暗《とこやみ》の |大海原《おほうなばら》を|晴《は》らさむと
|天教《てんけう》|地教《ちけう》の|山上《さんじやう》に |百《もも》の|神《かみ》|等《たち》|呼《よ》び|集《つど》へ
|此《この》|世《よ》を|救《すく》ふ|生神《いきがみ》の |大御心《おほみこころ》を|照《て》らすべく
|神《かみ》の|司《つかさ》を|任《ま》け|給《たま》ひ |国《くに》の|八十国《やそくに》|八十《やそ》の|島《しま》
|洩《も》れなく|落《お》ちなく|救世《きうせい》の |大福音《だいふくいん》を|宣《の》べ|給《たま》ふ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて
|沐雨櫛風《もくうしつぷう》|厭《いと》ひなく |教《をしへ》を|伝《つた》ふる|宣伝使《せんでんし》
|中《なか》にも|尊《たふと》き|君子姫《きみこひめ》 |清子《きよこ》の|姫《ひめ》の|神司《かむつかさ》
|鬼雲彦《おにくもひこ》に|仕《つか》へたる |曲《まが》の|司《つかさ》に|捕《とら》はれて
|百千万《ももちよろづ》の|苦《くる》しみを |受《う》けさせ|給《たま》ひ|荒波《あらなみ》の
|伊猛《いたけ》り|狂《くる》ふ|海原《うなばら》を |半《なか》ば|破《やぶ》れし|棚《たな》なしの
|小舟《こぶね》に|乗《の》りて|海中《わだなか》に |清《きよ》く|浮《うか》びしシロの|島《しま》
ドンドラ|岬《みさき》に|安着《あんちやく》し |神《かみ》の|恵《めぐ》みの|弥深《いやふか》く
|河森川《かうもりがは》の|谷道《たにみち》を |遡《さかのぼ》りつつ|松浦《まつうら》の
|小糸《こいと》の|里《さと》に|着《つ》き|給《たま》ひ |千代《ちよ》の|住家《すみか》の|岩窟《いはやど》に
|隠《かく》ろひ|居《ゐ》ます|神司《かむつかさ》 サガレン|王《わう》に|面会《めんくわい》し
|誠《まこと》の|道《みち》を|説《と》き|明《あ》かし |神《かみ》の|軍《いくさ》を|引率《いんそつ》し
|白雲山《はくうんざん》の|山麓《さんろく》に |薨《いらか》も|高《たか》く|聳《そそ》りたつ
|神《かみ》の|館《やかた》に|蟠《わだか》まる |醜《しこ》の|司《つかさ》の|竜雲《りううん》や
ケールス|姫《ひめ》を|救《すく》はむと サガレン|王《わう》と|諸共《もろとも》に
|葦毛《あしげ》の|駒《こま》に|跨《またが》りて |進《すす》み|来《きた》れる|雄々《をを》しさよ
シロの|館《やかた》の|四方《しはう》より |黒煙《こくえん》|忽《たちま》ち|立《た》ち|昇《のぼ》り
|紅蓮《ぐれん》の|舌《した》は|許々多久《ここたく》の |建造物《けんざうぶつ》を|嘗《な》め|尽《つく》し
ケールス|姫《ひめ》や|其《その》|外《ほか》の |人《ひと》の|生命《いのち》は|風前《ふうぜん》の
|灯火《ともしび》の|如《ごと》く|見《み》えければ |吾《わが》|身《み》を|忘《わす》れて|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》を|始《はじ》めとし バラモン|教《けう》の|神司《かむつかさ》
サガレン|王《わう》は|逸早《いちはや》く |身《み》を|躍《をど》らして|黒煙《こくえん》の
|中《なか》に|進《すす》ませ|給《たま》ひつつ |厳《きび》しき|下知《げち》の|其《その》|下《もと》に
|神地《かうぢ》の|城《しろ》の|人々《ひとびと》は |一人《ひとり》も|残《のこ》らず|救《すく》はれて
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》を |感謝《かんしや》せしこそ|尊《たふと》けれ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
|醜《しこ》の|魔神《まがみ》に|襲《おそ》はれて |身《み》を|隠《かく》したるサガレン|王《わう》の
|司《つかさ》の|命《みこと》も|恙《つつが》なく |神《かみ》の|恵《めぐ》みに|相浴《あひよく》し
タールチンやキングスや テーリス、エームス、ゼム、エール
|其《その》|外《ほか》|百《もも》の|司《つかさ》|達《たち》 |心《こころ》の|底《そこ》より|打《う》ち|解《と》けて
|今日《けふ》の|酒宴《うたげ》に|相並《あひなら》ぶ |上下和楽《しやうかわらく》の|楽《たの》しみは
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》も|目《ま》の|前《あたり》 |娑婆即寂光浄土《しやばそくじやくくわうじやうど》ぞと
|祝《いは》ふも|尊《たふと》し|神《かみ》の|前《まへ》 |謹《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|祝《ほ》ぎ|奉《まつ》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
(大正一一・九・二四 旧八・四 北村隆光録)
第二四章 |三六合《みろくがふ》〔一〇一二〕
キングス|姫《ひめ》は|立上《たちあが》り、|銀扇《ぎんせん》を|拡《ひろ》げて|歌《うた》ひ|舞《ま》ふ。
『|白雲山《はくうんざん》の|山麓《さんろく》に そそり|立《た》ちたる|神館《かむやかた》
|天地《てんち》を|包《つつ》みし|黒雲《くろくも》も |今《いま》や|全《まつた》く|晴《は》れわたり
|正義《せいぎ》の|光《ひかり》は|日月《じつげつ》の |輝《かがや》く|御代《みよ》となりにけり
タールチンの|吾《わが》|夫《つま》は サガレン|王《わう》に|見出《みいだ》だされ
|左守《さもり》の|神《かみ》と|任《ま》けられて |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|真心《まごころ》を
|尽《つく》して|仕《つか》へゐたりしが |何処《いづこ》ともなく|降《くだ》り|来《く》る
|曲《まが》の|司《つかさ》の|竜雲《りううん》が |舌《した》の|剣《つるぎ》に|貫《つらぬ》かれ
|其《その》|身《み》も|危《あやふ》くなりければ バラモン|教《けう》の|大神《おほかみ》に
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|真心《まごころ》を |捧《ささ》げて|祈《いの》りし|時《とき》もあれ
|心《こころ》|傲《たか》ぶる|竜雲《りううん》が |妾《わらは》に|向《むか》つて|恐《おそ》ろしや
|天地《てんち》|許《ゆる》さぬ|恋雲《こひぐも》の |心《こころ》|汚《きたな》き|其《その》|艶書《えんしよ》
|吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》の|目《め》を|忍《しの》び いらへをなせと|迫《せま》り|来《く》る
|余《あま》りの|無道《むだう》に|呆《あき》れ|果《は》て |天地《てんち》に|神《かみ》はなきものか
|誠《まこと》の|神《かみ》のいますなら |此《この》|黒雲《くろくも》を|逸早《いちはや》く
|晴《は》らさせ|玉《たま》へと|祈《いの》る|折《をり》 |吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》は|側《そば》|近《ちか》く
|進《すす》ませ|玉《たま》ひて|竜雲《りううん》が |艶書《えんしよ》を|見《み》せよと|恥《はづ》かしや
|迫《せま》りますこそ|是非《ぜひ》なけれ |顔《かほ》|赤《あか》らめて|竜雲《りううん》が
|心《こころ》|乱《みだ》れし|艶書《つやぶみ》を |吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》に|相渡《あひわた》し
|夫婦《ふうふ》|和合《わがふ》の|謀計《はかりごと》 |茲《ここ》に|返書《へんしよ》を|認《したた》めて
|恋《こひ》に|迷《まよ》ひし|竜雲《りううん》を |夏風《なつかぜ》|涼《すず》しき|藤《ふぢ》の|森《もり》
|大木《おほき》の|下《もと》に|誘《いざな》ひつ |企《たく》みも|深《ふか》き|陥穽《おとしあな》
|道《みち》の|真中《まなか》に|相穿《あひうが》ち |今《いま》や|遅《おそ》しと|待《ま》つ|内《うち》に
|神《かみ》ならぬ|身《み》の|竜雲《りううん》は かかる|企《たく》みのある|事《こと》を
|夢《ゆめ》にも|知《し》らず|夜《よ》に|紛《まぎ》れ |館《やかた》を|一人《ひとり》|立出《たちい》でて
|恋《こひ》しき|女《をんな》の|只《ただ》|一人《ひとり》 |空《そら》を|眺《なが》めてわれ|待《ま》つと
|思《おも》ひ|詰《つ》めたる|愚《おろか》さよ |竜雲《りううん》|忽《たちま》ち|坂路《さかみち》に
|吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》の|穿《うが》ちたる |無残《むざん》や|穴《あな》におち|込《こ》めば
|木蔭《こかげ》に|潜《ひそ》みしタールチン |君《きみ》の|仇《あだ》をば|滅《ほろぼ》すは
|今《いま》|此《この》|時《とき》と|勇《いさ》み|立《た》ち かねて|用意《ようい》の|鍬《くは》をもち
|苦《くる》しみ|悶《もだ》ゆる|竜雲《りううん》の |頭《あたま》の|上《うへ》よりバラバラと
|岩石《がんせき》|交《まじ》りの|土塊《つちくれ》を |蔽《おほ》ひかぶせて|何気《なにげ》なく
|吾《わが》|家《や》をさして|帰《かへ》りけり |悪運《あくうん》|尽《つ》きざる|竜雲《りううん》は
|思《おも》ひ|掛《がけ》なくエームスの |神《かみ》の|司《つかさ》に|助《たす》けられ
|命《いのち》カラガラ|城内《じやうない》に |慄《ふる》ひ|慄《ふる》ひて|立帰《たちかへ》り
あくるを|待《ま》つてエームスを |吾《わが》|側《そば》|近《ちか》く|呼《よ》び|出《いだ》し
|汝《なんぢ》はわれの|危難《きなん》をば |救《すく》ひし|功績《いさを》はよみすれど
タールチンやテーリスと |心《こころ》を|協《あは》せて|吾《わが》|身《み》をば
ベツトせむとの|企《たく》|皆《みな》り かくなる|上《うへ》は|一時《ひととき》も
|容赦《ようしや》はならぬと|言《い》ひ|放《はな》ち |情容赦《なさけようしや》も|荒繩《あらなは》に
|手足《てあし》を|縛《しば》りて|牢獄《らうごく》に |投込《なげこ》みけるぞ|無残《むざん》なれ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|御霊《みたま》の|幸《さち》はひて
|吾等《われら》|夫婦《ふうふ》は|牢獄《らうごく》に |捕《とら》へられたる|身《み》|乍《なが》らも
|少《すこ》しの|苦痛《くつう》も|感《かん》じなく |神《かみ》の|賜《たま》ひし|吾《わが》|魂《たま》は
|天地《てんち》を|広《ひろ》く|逍遥《せうえう》し |東雲《しののめ》|近《ちか》く|旭《あさひ》かげ
|昇《のぼ》らせ|玉《たま》ひて|六合《りくがふ》を |照《て》らさむ|時《とき》を|待《ま》つ|内《うち》に
アナン、ユーズの|神司《かむつかさ》 |義兵《ぎへい》を|起《おこ》して|城内《じやうない》に
|鬨《とき》を|作《つく》つて|攻《せ》め|来《きた》る |其《その》|勢《いきほひ》ぞ|勇《いさ》ましき
|吾等《われら》|夫婦《ふうふ》は|忠勇《ちうゆう》の |神《かみ》の|司《つかさ》に|助《たす》けられ
サガレン|王《わう》の|隠《かく》れます |小糸《こいと》の|里《さと》の|岩窟《がんくつ》に
|暫《しば》しかくれて|竜雲《りううん》を |誅伐《ちうばつ》せむと|謀計《はかりごと》
めぐらす|折《をり》しも|三五《あななひ》の |神《かみ》の|司《つかさ》の|宣伝使《せんでんし》
|北光神《きたてるかみ》の|現《あ》れまして |神《かみ》の|誠《まこと》の|御心《みこころ》を
|完美《うまら》に|委曲《つばら》に|説《と》き|諭《さと》し |心《こころ》にかかりし|村雲《むらくも》を
|洗《あら》ひ|玉《たま》ひし|嬉《うれ》しさよ サガレン|王《わう》を|始《はじ》めとし
|君子《きみこ》の|姫《ひめ》や|清子姫《きよこひめ》 |吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》やエームスや
テーリス、ウインチ、ゼム、エール |百《もも》の|司《つかさ》と|諸共《もろとも》に
|言霊軍《ことたまぐん》を|編成《へんせい》し |風《かぜ》に|旗《はた》をば|翻《ひるがへ》し
|旗鼓堂々《きこだうだう》と|山路《やまみち》を |単縦陣《たんじうぢん》をはり|乍《なが》ら
|攻《せ》めよせ|来《きた》りし|勇《いさ》ましさ |又《また》もや|北光彦神《きたてるひこのかみ》
ここに|現《あら》はれましまして |善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|道《みち》を|説《と》き
|敵《てき》と|味方《みかた》の|隔《へだ》てなく |心《こころ》の|空《そら》の|村雲《むらくも》を
|伊吹《いぶき》|払《はら》ひて|救《すく》ひまし |神人和楽《しんじんわらく》の|瑞祥《ずゐしやう》を
|八尋《やひろ》の|殿《との》に|集《あつ》まりて |祝《ことほ》ぎまつるぞ|嬉《うれ》しけれ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|命《いのち》はすつるとも |神《かみ》の|御《おん》|為《ため》|国《くに》の|為《ため》
|心《こころ》|尽《つく》しの|大丈夫《ますらを》が |神《かみ》と|君《きみ》とに|捧《ささ》げたる
|其《その》|真心《まごころ》は|永久《とこしへ》に |千引《ちびき》の|岩《いは》のいや|固《かた》く
|千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|動《うご》かざれ |神《かみ》は|吾等《われら》を|守《まも》ります
|吾等《われら》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》 |神《かみ》に|等《ひと》しき|行《おこな》ひを
|現《あら》はしまつり|世《よ》の|人《ひと》を |神《かみ》の|大道《おほぢ》に|導《みちび》くは
|神《かみ》の|司《つかさ》と|任《ま》けられし |吾等《われら》の|尊《たふと》き|務《つと》めなり
|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》や |塩長彦大御神《しほながひこのおほみかみ》
|大国彦《おほくにひこ》の|御前《おんまへ》に |真心《まごころ》|捧《ささ》げて|願《ね》ぎまつる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
エームスは|立上《たちあが》り|祝歌《しゆくか》を|謡《うた》ふ。
『|常世《とこよ》の|国《くに》の|自在天《じざいてん》 |大国彦《おほくにひこ》を|祀《まつ》りたる
バラモン|教《けう》の|神館《かむやかた》 |顕恩城《けんおんじやう》にあれませし
|大国別《おほくにわけ》の|貴《うづ》の|御子《みこ》 |国別彦《くにわけひこ》の|吾《わが》|君《きみ》は
|心《こころ》|汚《きたな》き|曲神《まがかみ》に |虐《しひた》げられて|聖地《せいち》をば
|後《あと》に|見《み》すててはるばると |百《もも》の|悩《なや》みに|堪《た》へながら
|大海原《おほうなばら》を|乗越《のりこ》えて |波《なみ》に|浮《うか》べるシロの|島《しま》
|珍《うづ》の|御国《みくに》に|着《つ》き|玉《たま》ひ バラモン|教《けう》の|大道《おほみち》を
|心《こころ》をつくして|遠近《をちこち》に |開《ひら》かせ|玉《たま》ふ|有難《ありがた》さ
セイロン|島《たう》の|国人《くにびと》は |君《きみ》の|御徳《みとく》を|慕《した》ひつつ
|遠《とほ》き|近《ちか》きの|隔《へだ》てなく |集《あつ》まり|来《きた》りて|大神《おほかみ》の
|恵《めぐみ》に|浴《よく》し|吾《わが》|君《きみ》の |其《その》|仁徳《じんとく》に|感激《かんげき》し
|遂《つひ》には|君《きみ》を|王《わう》となし |大峡《おほがひ》|小峡《をがひ》の|木《き》を|伐《き》りて
|珍《うづ》の|館《やかた》を|建設《けんせつ》し サガレン|王《わう》と|奉称《ほうしよう》し
|主師親《しゆししん》|三徳《さんとく》|兼備《けんび》せる |神《かみ》の|司《つかさ》よ|大君《おほぎみ》と
|上下《しやうか》|一般《いつぱん》|喜《よろこ》びて |仕《つか》へまつれる|時《とき》もあれ
|醜《しこ》の|魔風《まかぜ》のふきすさび |隙《ひま》|行《ゆ》く|駒《こま》の|恐《おそ》ろしく
|城内《じやうない》|深《ふか》く|侵入《しんにふ》し ケールス|姫《ひめ》を|手《て》に|入《い》れて
ウラルの|教《をしへ》を|隈《くま》もなく |此《この》|国内《こくない》に|拡《ひろ》めむと
|企《たく》みし|曲津《まがつ》の|竜雲《りううん》が |天運《てんうん》ここに|相《あひ》|尽《つ》きて
|今《いま》は|全《まつた》く|旧悪《きうあく》を |吾《わが》|大君《おほぎみ》の|御前《おんまへ》に
つつまずかくさず|言上《ごんじやう》し |救《すく》ひを|求《もと》むる|世《よ》となりぬ
|思《おも》へば|思《おも》へば|過《す》ぎし|夜半《よは》 |月見《つきみ》をせむと|藤《ふぢ》の|森《もり》
|峰《みね》に|上《のぼ》りて|吹《ふ》き|来《きた》る |夜風《よかぜ》に|汗《あせ》を|拭《ぬぐ》ひつつ
|月《つき》の|光《ひかり》をほめながら |坂道《さかみち》|下《くだ》る|折柄《をりから》に
|辷《すべ》り|落《お》ちたる|陥穽《おとしあな》 |訝《いぶか》しさよと|窺《うかが》へば
|思《おも》ひもかけぬ|人《ひと》の|声《こゑ》 こは|何者《なにもの》の|悪業《あくげふ》か
おちたる|人《ひと》は|何人《なにびと》と |供《とも》を|家路《いへぢ》に|走《はし》らせて
|鋤《すき》や|鍬《くは》をば|数多《かずおほ》く |使《つか》ひて|漸《やうや》く|救《すく》ひ|上《あ》げ
|月《つき》にすかして|眺《なが》むれば |豈計《あにはか》らむや|朝夕《あさゆふ》に
|君《きみ》に|仇《あだ》する|曲津神《まがつかみ》 |心《こころ》|汚《きたな》き|竜雲《りううん》と
|悟《さと》りし|時《とき》の|残念《ざんねん》さ |斯《か》うなる|上《うへ》は|是非《ぜひ》もなし
|天地《てんち》の|神《かみ》の|御心《みこころ》に |任《まか》さむものと|断念《だんねん》し
|家路《いへぢ》に|帰《かへ》り|一夜《ひとよ》さを |明《あ》かす|間《ま》もなく|竜雲《りううん》が
|捕手《とりて》の|奴《やつ》に|捕《とら》へられ |案《あん》に|相違《さうゐ》の|牢獄《らうごく》に
|投込《なげこ》まれたる|無念《むねん》さよ あゝさり|乍《なが》らさり|乍《なが》ら
|神《かみ》は|至愛《しあい》にましませば いかでか|悪魔《あくま》の|竜雲《りううん》を
|見《み》のがし|玉《たま》ふ|事《こと》やある あゝ|待《ま》て|暫《しば》し|待《ま》て|暫《しば》し
|心《こころ》を|清《きよ》め|身《み》を|清《きよ》め |尊《たふと》き|神《かみ》の|御救《みすく》ひに
これの|牢獄《ひとや》をぬけ|出《いだ》し サガレン|王《わう》の|御為《おんため》に
|八岐大蛇《やまたをろち》の|宿《やど》りたる |醜神《しこがみ》たちを|悉《ことごと》く
|神《かみ》の|伊吹《いぶき》に|吹《ふ》き|払《はら》ひ |清明無垢《せいめいむく》の|聖場《せいぢやう》と
|立直《たてなほ》さむは|目《ま》のあたり あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|大国彦《おほくにひこ》の|御神《おんかみ》よ われらが|尽《つく》す|誠忠《せいちう》を
|憐《あはれ》み|玉《たま》へと|祈《いの》る|折《をり》 アナン、セールやウインチや
ゼムの|司《つかさ》が|時《とき》を|得《え》て |義勇《ぎゆう》の|軍《いくさ》を|編成《へんせい》し
|進《すす》み|来《きた》りて|吾々《われわれ》を |救《すく》ひ|玉《たま》ひし|嬉《うれ》しさよ
|勇気《ゆうき》はここに|百倍《ひやくばい》し |勢《いきほひ》|込《こ》んで|竜雲《りううん》が
|居室《きよしつ》をさして|進《すす》み|行《ゆ》く あはれやユーズを|始《はじ》めとし
アナン、セールやシルレング |誠《まこと》の|司《つかさ》は|室内《しつない》の
|俄作《にはかづく》りの|陥穽《おとしあな》に おち|入《い》り|玉《たま》へば|諸人《もろびと》は
|曲《まが》の|巣《す》くへる|此《この》|館《やかた》 |深入《ふかい》りするは|虞《おそれ》あり
|一先《ひとま》づここを|引返《ひきかへ》し |再《ふたた》び|軍備《ぐんび》をととのへて
|彼《かれ》|竜雲《りううん》が|輩《ともがら》を |剣《つるぎ》の|威徳《ゐとく》に|斬《き》りはふり
|殲滅《せんめつ》せむといひ|乍《なが》ら |軍《いくさ》を|返《かへ》すもどかしさ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|此《この》|世《よ》にましまさば
|悪《あく》を|退《しりぞ》け|善神《ぜんしん》を |何故《なにゆゑ》|助《たす》け|玉《たま》はざる
などと|愚痴《ぐち》をばこぼしつつ |思《おも》ひ|思《おも》ひに|一同《いちどう》は
|一先《ひとま》づ|姿《すがた》をかくしける サガレン|王《わう》はテーリスや
エームス|二人《ふたり》に|助《たす》けられ |河森川《かうもりがは》の|坂道《さかみち》を
|下《くだ》りて|時《とき》を|松浦《まつうら》の |小糸《こいと》の|里《さと》に|至《いた》りまし
|正義《せいぎ》の|勇士《ゆうし》を|駆《か》り|集《あつ》め |再《ふたた》び|竜雲《りううん》|誅伐《ちうばつ》の
|準備《じゆんび》をすすませ|玉《たま》ふ|折《をり》 |北光彦《きたてるひこ》の|神司《かむつかさ》
|鳩《はと》の|如《ごと》くに|降《くだ》りまし |続《つづ》いていでます|君子姫《きみこひめ》
|清子《きよこ》の|姫《ひめ》の|宣伝使《せんでんし》 |吾《わが》|大君《おほぎみ》と|諸共《もろとも》に
|心《こころ》を|協《あは》せ|御力《みちから》を |一《ひと》つになして|宣伝歌《せんでんか》
|歌《うた》ひて|進《すす》む|勇《いさ》ましさ |神《かみ》の|恵《めぐみ》の|幸《さち》はひて
|今日《けふ》の|喜《よろこ》び|松《まつ》の|世《よ》の |堅磐常磐《かきはときは》の|礎《いしずゑ》を
|築《きづ》き|玉《たま》ひて|永久《とこしへ》に |白雲山《はくうんざん》の|雲《くも》もはれ
|神地《かうぢ》の|都《みやこ》の|庭《には》|固《かた》く |千引《ちびき》の|岩《いは》の|其《その》|上《うへ》に
|千代《ちよ》の|住処《すみか》を|固《かた》めつつ |神《かみ》を|敬《うやま》ひ|民《たみ》を|撫《な》で
|治《をさ》め|玉《たま》はむ|今日《けふ》の|日《ひ》は |五六七《みろく》の|御代《みよ》の|開《ひら》け|口《ぐち》
|一度《いちど》に|開《ひら》く|木《こ》の|花《はな》の |咲耶《さくや》の|姫《ひめ》の|御姿《おんすがた》
|蓮《はちす》の|花《はな》の|一時《ひととき》に |匂《にほ》ひ|出《い》でたる|目出度《めでた》さよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
|此《こ》の|外《ほか》|数多《あまた》の|神司《かむつかさ》の|祝歌《しゆくか》は|沢山《たくさん》あれども、|紙面《しめん》の|都合《つがふ》に|依《よ》りて|省略《しやうりやく》したり。
|因《ちなみ》にサガレン|王《わう》は|天《あめ》の|目一《まひと》つの|神《かみ》の|媒酌《ばいしやく》に|依《よ》り、|君子姫《きみこひめ》を|娶《めと》つて|妃《ひ》となし、シロの|島《しま》に|永久《とこしへ》に|君臨《くんりん》する|事《こと》となりぬ。|又《また》エームスは|目一《まひと》つの|神《かみ》の|媒酌《ばいしやく》にて|清子姫《きよこひめ》を|娶《めと》り、サガレン|王《わう》が|側《そば》|近《ちか》く|右守神《うもりがみ》となつて、|顕幽一致《けんいういつち》の|神政《しんせい》に|奉仕《ほうし》し、ケールス|姫《ひめ》は|悔《く》い|改《あらた》め、|天《あめ》の|目一《まひと》つの|神《かみ》の|弟子《でし》となり、|宣伝使《せんでんし》を|許《ゆる》されて|天《あめ》の|下《した》|四方《よも》の|国々《くにぐに》を|巡教《じゆんけう》し、|竜雲《りううん》は|此《この》|島《しま》を|放逐《はうちく》され、|本国《ほんごく》|印度《いんど》に|帰《かへ》り、|心《こころ》を|改《あらた》めて|大道《おほぢ》の|宣伝《せんでん》に|従事《じうじ》せしといふ。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・九・二四 旧八・四 松村真澄録)
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霊界物語 第三六巻 海洋万里 亥の巻
終り