霊界物語 第三〇巻 海洋万里 巳の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第三〇巻』愛善世界社
1999(平成11)年04月04日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2004年05月30日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序《じよ》
|凡例《はんれい》
|総説《そうせつ》
第一篇 |高砂《たかさご》の|松《まつ》
第一章 |主従《しゆじう》|二人《ふたり》〔八四三〕
第二章 |乾《いぬゐ》の|滝《たき》〔八四四〕
第三章 |清《きよ》めの|滝《たき》〔八四五〕
第四章 |懐旧《くわいきう》の|歌《うた》〔八四六〕
第二篇 |珍野瞰下《うづのかんか》
第五章 |下坂《げはん》の|歌《うた》〔八四七〕
第六章 |樹下《じゆか》の|一宿《いつしゆく》〔八四八〕
第七章 |提燈《ちやうちん》の|光《ひかり》〔八四九〕
第八章 |露《つゆ》の|道《みち》〔八五〇〕
第三篇 |神縁《しんえん》|微妙《びめう》
第九章 |醜《しこ》の|言霊《ことたま》〔八五一〕
第一〇章 |妖雲晴《えううんばれ》〔八五二〕
第一一章 |言霊《ことたま》の|妙《めう》〔八五三〕
第一二章 マラソン|競争《きやうそう》〔八五四〕
第一三章 |都入《みやこいり》〔八五五〕
第四篇 |修理固成《しうりこせい》
第一四章 |霊《れい》とパン〔八五六〕
第一五章 |花《はな》に|嵐《あらし》〔八五七〕
第一六章 |荒《あら》しの|森《もり》〔八五八〕
第一七章 |出陣《しゆつじん》〔八五九〕
第一八章 |日暮《ひぐら》シの|河《かは》〔八六〇〕
第一九章 |蜘蛛《くも》の|児《こ》〔八六一〕
第二〇章 |雉《きじ》と|町《まち》〔八六二〕
第五篇 |山河《さんか》|動乱《どうらん》
第二一章 |神王《しんわう》の|祠《ほこら》〔八六三〕
第二二章 |大蜈蚣《おほむかで》〔八六四〕
第二三章 ブール|酒《しゆ》〔八六五〕
第二四章 |陥穽《おとしあな》〔八六六〕
|附記《ふき》 |湯ケ島《ゆがしま》|温泉《をんせん》
|天津祝詞解《あまつのりとかい》
デモ|国民歌《こくみんか》
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|序《じよ》
|伊豆国《いづのくに》|田方郡《たかたぐん》|湯ケ島温泉《ゆがしまをんせん》|安藤《あんどう》|唯夫《ただを》|氏《し》|方《かた》に|於《おい》て、|入浴《にふよく》|傍《かたがた》|隙《すき》を|窺《うかが》ひ、|数多《あまた》の|訪問客《はうもんきやく》に|囲《かこ》まれながら|口述《こうじゆつ》いたしました。|南米《なんべい》(|高砂嶋《たかさごじま》)の|三十万年前《さんじふまんねんぜん》の|神示《しんじ》の|物語《ものがたり》ですから、その|地理《ちり》に|於《おい》ても|地名《ちめい》|等《とう》に|於《おい》ても、|今日《こんにち》より|見《み》れば|非常《ひじやう》に|違《ちが》つて|居《を》ります。|例《たと》へばアルゼンチンをウヅと|言《い》ひ、ブラジルをハルと|言《い》ひ、ペルウをヒルと|言《い》ひ、コロンビアをカルと|言《い》ひ、チリーをテルと|言《い》ふ|様《やう》に、|山河《さんか》の|名《な》に|至《いた》るまで|今日《こんにち》の|地理学《ちりがく》より|見《み》れば|大変《たいへん》に|名称《めいしよう》が|違《ちが》つて|居《を》りますから、そのつもりでお|読《よみ》|下《くだ》さい。
大正十一年八月十四日 於湯ケ島
|凡例《はんれい》
一、|本巻《ほんくわん》の|末尾《まつび》に|収《をさ》めたる『|湯ケ島温泉《ゆがしまおんせん》』は|瑞月師《ずゐげつし》が、|伊豆《いづ》|滞在中《たいざいちう》|実際《じつさい》|肉体《にくたい》にて|行《ゆ》きたる|所《ところ》を|叙景《じよけい》したものではなく、|全《まつた》く|霊《れい》にて|遊《あそ》びたる|儘《まま》を|描《ゑが》いたものであります。
これは|伊豆《いづ》の|信者《しんじや》|達《たち》が|充分《じゆうぶん》|承知《しようち》であらうと|思《おも》ひます。
二、『|天津祝詞解《あまつのりとかい》』は|嘗《かつ》て|皇道《くわうだう》|大本《おほもと》|叢書《そうしよ》の『|祝詞《のりと》|釈義《しやくぎ》』として|出版《しゆつぱん》されたものを、|瑞月師《ずゐげつし》が|更《さら》に|訂正《ていせい》したものであります。
大正十二年八月 編者識
|総説《そうせつ》
|本巻《ほんくわん》は|主《しゆ》として、|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》の|生《う》み|給《たま》へる、|八乙女《やをとめ》の|中《なか》の|一人《ひとり》|末子姫《すゑこひめ》が、|侍女《じぢよ》の|捨子姫《すてこひめ》と|共《とも》に|高砂嶋《たかさごじま》へ|漂着《へうちやく》し、|智利山峠《てるやまたうげ》を|越《こ》え、|途中《とちう》|戌亥《いぬゐ》の|池《いけ》の|竜《りう》を|済度《さいど》し、バラモン|教《けう》の|石熊《いしくま》といふ|教主《けうしゆ》の|危難《きなん》を|救《すく》ひ、|又《また》カールと|言《い》ふ|怪《あや》しき|男《をとこ》に|出会《であ》ひ、カールを|伴人《ともびと》と|為《な》し、アルゼンチンの|辰巳《たつみ》の|池《いけ》の|竜《りう》を|解脱《げだつ》せしめ、ウヅの|都《みやこ》の|松若彦《まつわかひこ》の|出迎《でむか》へを|受《う》け、|数多《あまた》の|国人《くにびと》に|迎《むか》へられて|入城《にふじやう》したる|物語《ものがたり》を|始《はじ》め、|三五教《あななひけう》の|教主《けうしゆ》|言依別命《ことよりわけのみこと》、|国依別《くによりわけ》の|宣伝使《せんでんし》と|共《とも》に|高砂嶋《たかさごじま》に|安着《あんちやく》され、テルとヒルの|国境《こくきやう》|三倉山《みくらやま》の|渓谷《けいこく》に|於《おい》てウラル|教《けう》の|信徒《しんと》を|死《し》より|救《すく》ひ、|言依別命《ことよりわけのみこと》はウヅの|都《みやこ》へ|出立《しゆつたつ》し、|国依別《くによりわけ》はヒルの|都《みやこ》|楓別命《かへでわけのみこと》の|神館《かむやかた》へ|行《ゆ》かむとする|途上《とじやう》、ウラル|教《けう》の|教主《けうしゆ》ブールの|部下《ぶか》が|襲来《しふらい》し、|日暮《ひぐら》シ|川《がは》の|丸木橋《まるきばし》の|畔《ほとり》に|於《おい》て|衝突《しようとつ》したる|後《のち》、アラシカ|峠《たうげ》の|上《うへ》にてエリナと|言《い》ふ|若《わか》き|女《をんな》に|出会《であ》ひたる|等《とう》、|苦集滅道《くしふめつだう》の|理《り》を|平易《へいい》に|説《と》いた|物語《ものがたり》であります。
第一篇 |高砂《たかさご》の|松《まつ》
第一章 |主従《しゆじう》|二人《ふたり》〔八四三〕
|常世《とこよ》の|国《くに》に|現《あ》れませる  |常世神王《とこよしんわう》|自在天《じざいてん》
|大国彦《おほくにひこ》を|主神《しゆしん》とし  バラモン|教《けう》を|開《ひら》きたる
|大国別《おほくにわけ》の|神司《かむづかさ》  |万里《ばんり》の|波《なみ》を|乗越《のりこ》えて
|埃及国《エジプトこく》に|出現《しゆつげん》し  イホの|都《みやこ》にバラモンの
|教《をしへ》の|射場《いば》を|築《きづ》き|上《あ》げ  |一時《いちじ》は|旭《あさひ》の|昇《のぼ》る|如《ごと》
|教《をしへ》の|光《ひかり》も|四方《よも》の|国《くに》  |輝《かがや》き|渡《わた》れどバラモンの
|神《かみ》の|教《をしへ》は|人草《ひとぐさ》の  |生血《いきち》を|見《み》ねば|治《をさ》まらぬ
|残虐無道《ざんぎやくぶだう》の|荒修業《あらしうげふ》  |入信《にふしん》したる|信徒《まめひと》は
|霊主体従《れいしゆたいじう》の|名《な》の|下《もと》に  |釘《くぎ》の|打《う》ちたる|足駄《あしだ》|履《は》き
|裸《はだか》となりて|茨室《いばらむろ》  |飛《と》び|込《こ》み|体《からだ》をかき|破《やぶ》り
|或《あるひ》は|猛火《まうくわ》の|中《なか》に|入《い》り  |水底《みなそこ》|潜《くぐ》りさまざまと
|怺《こら》へ|切《き》れない|苦《くるし》みに  |一度《ひとたび》|寄《よ》り|来《き》し|信徒《まめひと》も
|悲《かな》しみもだえ|日《ひ》に|月《つき》に  |何時《いつ》とはなしに|逃《に》げ|去《さ》りて
|法灯《ほふとう》いまや|滅《めつ》せむと  |悲運《ひうん》に|傾《かたむ》く|折柄《をりから》に
|夏山彦《なつやまひこ》や|祝姫《はふりひめ》  |行平別《ゆきひらわけ》の|神司《かむづかさ》
|埃及都《エジプトみやこ》を|根拠《こんきよ》とし  |霊主体従《れいしゆたいじう》の|真相《しんさう》を
|洽《あまね》く|世人《よびと》に|宣《の》り|伝《つた》へ  |仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|国《くに》の|祖《おや》
|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》の  |厳《いづ》の|御霊《みたま》の|守《まも》ります
|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》は  |月日《つきひ》と|共《とも》に|栄《さか》え|行《ゆ》く。
バラモン|教《けう》の|大棟梁《だいとうりやう》  |鬼雲彦《おにくもひこ》を|始《はじ》めとし
|鬼熊別《おにくまわけ》の|二夫婦《ふたふうふ》  |埃及《イホ》の|都《みやこ》を|後《あと》にして
|数多《あまた》の|信徒《しんと》を|引率《いんそつ》し  |南天王《なんてんわう》の|籠《こも》りたる
|由緒《ゆいしよ》の|深《ふか》き|顕恩郷《けんおんきやう》  エデンの|河《かは》を|打渡《うちわた》り
|茲《ここ》に|再《ふたた》びバラモンの  |道《みち》の|根拠《こんきよ》を|築固《つきかた》め
|巌《いはほ》を|畳《たた》み|石《いし》を|積《つ》み  |難攻不落《なんこうふらく》の|絶壁《ぜつぺき》と
|頼《たの》みて|拠《よ》れる|顕恩城《けんおんじやう》  |曲《まが》の|教《をしへ》は|再生《さいせい》の
|機運《きうん》に|向《むか》ひて|中津国《なかつくに》  メソポタミヤを|始《はじ》めとし
フサの|国《くに》より|印度《つき》の|国《くに》  |勢《いきほひ》|猛《たけ》く|宣《の》りて|行《ゆ》く
さはさり|乍《なが》ら|世《よ》の|人《ひと》は  |野蛮《やばん》|極《きは》まる|荒行《あらげう》に
|堪《たま》りかねてか|遠近《をちこち》に  |怨嗟《えんさ》の|声《こゑ》は|聞《きこ》え|来《き》て
|蚊《か》の|鳴《な》く|如《ごと》き|憐《あは》れさを  |見《み》るに|見兼《みか》ねて|瑞御霊《みづみたま》
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》は  バラモン|教《けう》の|神司《かむづかさ》
|数多《あまた》の|宣伝使《とりつぎ》|言向《ことむ》けて  |天地《てんち》を|造《つく》り|玉《たま》ひたる
|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|大神《おほかみ》の  |大御心《おほみこころ》を|懇《ねんご》ろに
バラモン|人《びと》に|説《と》き|諭《さと》し  |世界《せかい》|揃《そろ》うて|皇神《すめかみ》の
|恵《めぐみ》の|露《つゆ》に|浴《よく》せしめ  |五六七《みろく》の|御世《みよ》の|神政《しんせい》を
|仰《あふ》がしめむと|思《おぼ》し|召《め》し  |八人乙女《やたりをとめ》を|使《つか》はして
バラモン|教《けう》の|信徒《まめひと》と  |表面《うはべ》を|飾《かざ》りて|顕恩郷《けんおんきやう》の
|教館《をしへやかた》に|入《い》らしめぬ  |八人乙女《やたりをとめ》は|大神《おほかみ》の
|深《ふか》き|心《こころ》を|麻柱《あなな》ひて  |尊《たふと》き|御身《おんみ》も|厭《いと》ひなく
|大胆不敵《だいたんふてき》に|曲神《まがかみ》の  |醜《しこ》の|砦《とりで》に|朝夕《あさゆふ》に
|心《こころ》|配《くば》りて|仕《つか》へける。  |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》は
|天《あま》の|岩戸《いはと》を|開《ひら》きたる  |五伴緒《いつとものを》の|其《その》|一人《ひとり》
|太玉神《ふとたまがみ》を|遣《つか》はして  |鬼雲彦《おにくもひこ》の|一類《いちるゐ》を
|誠《まこと》の|道《みち》に|言向《ことむ》けて  メソポタミヤに|神国《かみくに》の
|清《きよ》き|基《もとい》を|開《ひら》かむと  エデンの|河《かは》を|只一人《ただひとり》
|渡《わた》りて|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》る  |後《あと》より|追《お》ひ|来《く》る|神司《かむつかさ》
|駒《こま》の|頭《かしら》を|並《なら》べつつ  |八人乙女《やたりをとめ》の|忍《しの》びます
|顕恩城《けんおんじやう》の|奥《おく》の|間《ま》に  |難《なん》なく|進《すす》めばバラモンの
|鬼雲彦《おにくもひこ》は|出迎《いでむか》へ  |言葉《ことば》|巧《たくみ》に|取《と》りなして
|毒酒《どくしゆ》の|企《たく》みを|始《はじ》めける  |悪《あく》の|企《たく》みは|忽《たちま》ちに
|徹底的《てつていてき》に|曝露《ばくろ》して  おのが|住家《すみか》を|振棄《ふりす》てて
|雲《くも》を|霞《かすみ》と|波斯《フサ》の|国《くに》  |脆《もろ》くも|姿《すがた》|隠《かく》しける。
|茲《ここ》に|太玉《ふとたま》|宣伝使《せんでんし》  |顕恩城《けんおんじやう》に|居残《ゐのこ》りて
|神《かみ》の|教《をしへ》を|伝《つた》へまし  |八人乙女《やたりをとめ》は|各自《めいめい》に
|八洲《やしま》の|国《くに》に|蟠《わだか》まる  |八岐《やまた》の|大蛇《をろち》の|醜魂《しこだま》を
|言向《ことむ》け|和《やは》し|天《あめ》の|下《した》  |百《もも》の|災《わざはひ》|払《はら》はむと
|各《おのおの》|侍女《じぢよ》を|伴《ともな》ひて  |波斯《フサ》の|国《くに》をば|振出《ふりだ》しに
|宣伝《せんでん》せむと|進《すす》む|折《をり》  バラモン|教《けう》の|残党《ざんたう》に
|取押《とりおさ》へられ|別々《べつべつ》に  |棚無《たなな》し|舟《ぶね》に|乗《の》せられて
|海原《うなばら》|遠《とほ》く|流《なが》されぬ  |八人乙女《やたりをとめ》の|末《すゑ》の|子《こ》と
|生《うま》れましたる|末子姫《すゑこひめ》  |尊《たふと》き|生命《いのち》を|捨小舟《すてをぶね》
|波《なみ》に|浮《うか》びて|捨子姫《すてこひめ》  |主人《あるじ》の|君《きみ》を|慰《なぐさ》めつ
|甲斐々々《かひがひ》しくも|艪《ろ》をとりて  |大西洋《たいせいやう》の|中央《まんなか》に
|散在《さんざい》したる|大島《おほしま》や  |小島《こしま》の|間《あひだ》をくぐりつつ
|波《なみ》のまにまにテルの|国《くに》  ハラの|港《みなと》に|上陸《じやうりく》し
|宇都山峠《うづやまたうげ》を|乗越《のりこ》えて  |桃上彦《ももがみひこ》の|旧跡地《きうせきち》
|都《みやこ》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ。
|末子姫《すゑこひめ》は|捨子姫《すてこひめ》と|共《とも》に|漸《やうや》くハラの|港《みなと》に|安着《あんちやく》し、|足《あし》を|早《はや》めて|珍《うづ》の|国《くに》に|進《すす》まむと、テルとウヅとの|国境《くにざかひ》、テル|山峠《やまたうげ》の|麓《ふもと》にさしかかつた。|八日《やうか》の|月《つき》は|高《たか》く|中天《ちうてん》に|楕円形《だゑんけい》の|姿《すがた》を|現《あら》はし|此《この》|愛《あい》らしき|二人《ふたり》の|美女《びぢよ》の|頭《かしら》を|覗《のぞ》かせ|玉《たま》ふ。
|末子姫《すゑこひめ》『|大変《たいへん》な|恐《おそ》ろしい|目《め》に、|幾度《いくたび》ともなく|出会《であ》ひましたが、|神《かみ》さまのおかげで|漸《やうや》く|高砂島《たかさごじま》まで|送《おく》られ、こんな|嬉《うれ》しい|事《こと》はありませぬなア。これも|全《まつた》くバラモン|教《けう》の|手《て》を|使《つか》つて、|妾《わらは》|両人《りやうにん》を|神様《かみさま》の|深《ふか》き|御経綸《おしぐみ》の|下《もと》に、お|遣《つか》はし|遊《あそ》ばしたのでせう。|此《この》|国《くに》は|昔《むかし》、|正鹿山津見《まさかやまづみ》の|神様《かみさま》がお|治《をさ》め|遊《あそ》ばした|所《しよ》と|聞《き》きましたが、これから|珍《うづ》の|都《みやこ》へ|参《まゐ》つて、|三五教《あななひけう》の|今日《こんにち》の|様子《やうす》を|探《さぐ》り、|宣伝《せんでん》を|致《いた》さうぢやありませぬか』
|捨子姫《すてこひめ》『|左様《さやう》で|御座《ござ》いますなア。|貴女《あなた》はまだお|年《とし》がお|若《わか》いのに、|此《この》|広《ひろ》い|国《くに》へお|越《こ》しになり、|宣伝《せんでん》をせうとお|考《かんが》へ|遊《あそ》ばす|其《その》|勇気《ゆうき》には|妾《わたし》も|実《じつ》に|心強《こころづよ》く|存《ぞん》じます。|併《しか》し|乍《なが》ら、バラモン|教《けう》やウラル|教《けう》の|勢力《せいりよく》も|混入《こんにふ》し、|侮《あなど》る|可《べか》らざる|潜勢力《せんせいりよく》があると|云《い》ふことをハラの|港《みなと》に|着《つ》いた|時《とき》、|人々《ひとびと》が|話《はな》して|居《を》りましたから、|決《けつ》して|油断《ゆだん》はなりますまい。|併《しか》し|乍《なが》ら|斯《こ》う|夜分《やぶん》になつては、|山路《やまみち》を|行《ゆ》くのも|何《なん》となく|心許《こころもと》なく、|又《また》|大変《たいへん》に|体《からだ》も|草疲《くたび》れましたから、|此《この》|芝生《しばふ》の|上《うへ》にて|久《ひさ》し|振《ぶ》りで、お|土《つち》に|体《からだ》を|親《した》しみ、|夜明《よあ》けを|待《ま》つて、|此《この》|峠《たうげ》を|越《こ》すことに|致《いた》しませうか』
|末子姫《すゑこひめ》『それが|宜《よろ》しう|御座《ござ》いませう』
と|両人《りやうにん》は|肱《ひぢ》を|枕《まくら》に|眠《ねむ》りに|就《つ》いた。
テル|山峠《やまたうげ》をシトシトと|降《くだ》つて|来《き》た|四五人《しごにん》の|男《をとこ》、|二人《ふたり》が|木蔭《こかげ》の|芝生《しばふ》に|他愛《たあい》もなく|草疲《くたび》れ|果《は》てて|眠《ねむ》つてゐるのも|知《し》らず、|茲《ここ》に|現《あら》はれ|来《きた》り、
甲『オイ、|大分《だいぶん》|足《あし》も|草臥《くたび》れて|来《き》たやうだ。ここらで|一《ひと》つ|休息《きうそく》をしたら|如何《どう》だ』
乙『|膝栗毛《ひざくりげ》の|停電《ていでん》かなア。ヨシヨシ|休《やす》んで|行《ゆ》かう』
丙『そんな|気楽《きらく》な|事《こと》を|言《い》うてをれまいぞ。|石熊《いしくま》の|大将《たいしやう》から|今夜頃《こんやごろ》|三五教《あななひけう》の|女《をんな》|宣伝使《せんでんし》の|一行《いつかう》が|漂着《へうちやく》して|来《く》るに|違《ちが》ひないから、|見《み》つけ|次第《しだい》|捉《つか》まへて、、|高照山《たかてるやま》の|館《やかた》へ|召捕《めしとり》|帰《かへ》れとの|御命令《ごめいれい》だから、|今晩《こんばん》は|余《あんま》り|気楽《きらく》に|休《やす》んでる|訳《わけ》には|往《ゆ》かうまい。ハラの|港《みなと》へキツと|到着《たうちやく》するに|違《ちが》ひないと|云《い》うたが、フサの|国《くに》から|無声霊話《むせいれいわ》で|石熊《いしくま》|様《さま》の|御大将《おんたいしやう》に|通知《つうち》があつたのだ。サアもう|一気張《ひときば》りだ。アリナの|滝《たき》の|方《はう》へでも|行《ゆ》かれちや|大変《たいへん》だから、|休息《きうそく》は|後《のち》にして、|夜《よる》の|涼《すず》しい|中《うち》にモウ|一足《ひとあし》|駆出《かけだ》さうぢやないか』
|丁《てい》、|戊《ぼう》|両人《りやうにん》は|口《くち》を|揃《そろ》へて、
『おりやモウ|交通《かうつう》|機関《きくわん》の|油《あぶら》が|切《き》れて|来《き》たから、|何《なん》と|云《い》つても|駄目《だめ》だ。|慾《よく》にも|得《とく》にも|変《か》へられない。マーさう|云《い》はずと、おつき|合《あ》ひに|一服《いつぷく》したら|何《ど》うだい』
甲『|弱《よわ》い|奴《やつ》だなア。そんなら、ドツと|譲歩《じやうほ》して|少時《しばらく》の|休養《きうやう》を|与《あた》へてやらう』
丁『|朝《あさ》|遅《おそ》う|出《で》て|午後《ごご》に|早《はや》く|帰《かへ》つて|来《く》る|盲判《めくらばん》|押《お》しの|役人《やくにん》でさへも、|此《この》|頃《ごろ》は|暑中《しよちう》|休暇《きうか》が|貰《もら》へるのだから|俺《おれ》だつて、|夜《よる》も|昼《ひる》も|働《はたら》かされちや、やりきれないワ、ハヽヽヽヽ』
甲『|此《この》|頃《ごろ》は|役人《やくにん》だつて、|暑中《しよちう》|休暇《きうか》を|廃止《はいし》されて|了《しま》つたよ』
丙『|暑中《しよちう》|休暇《きうか》を|廃《はい》してまで、|無理《むり》に|鈍物《どんぶつ》を|動《うご》かさうとした|所《ところ》で|駄目《だめ》だ。|却《かへつ》て|能率《のうりつ》が|低下《ていか》する|位《くらゐ》なものだ。チールやネロの|云《い》ふ|通《とほ》り、|今晩《こんばん》はここでグツスリと|休暇《きうか》を|賜《たま》はつて|行《ゆ》くことにせう。なア……イサクの|大将《たいしやう》……』
イサク『イサクさ|言《い》はずに、|仕方《しかた》がない、|休《やす》んで|行《ゆ》け。|黙《だま》つてねるのだよ』
チール『|俺《おれ》はお|前《まへ》の|様《やう》に|寝《ね》てものを|言《い》つたり、そんな|器用《きよう》な|事《こと》は|出来《でき》ないから、|安心《あんしん》してくれ。お|前《まへ》こそズイ|分《ぶん》|能《よ》く|寝言《ねごと》を|云《い》ふ|男《をとこ》だよ。あんな|寝言《ねごと》を|云《い》ひよると、|見《み》つともなくて、そばに|安閑《あんかん》として|居《を》れない|様《やう》な|気分《きぶん》になるワ』
シーナ『|俺《おれ》の|寝言《ねごと》を|貴様《きさま》|聞《き》いたかい。|天下《てんか》|万民《ばんみん》を|安堵《あんど》せしむる|為《ため》の|一心《いつしん》が|凝《こ》り|固《かた》まつて|居《ゐ》るから、|寝《ね》ても|覚《さ》めても、|天下《てんか》を|憂《うれ》ふる|至誠《しせい》の|言葉《ことば》に|充《み》たされて|居《ゐ》るのだ。|貴様《きさま》はあまり|学問《がくもん》がないから、|俺《おれ》の|言葉《ことば》が|分《わか》らないのだろ』
チール『|天下《てんか》の|事《こと》を|思《おも》つてゐるなんぞと|馬鹿《ばか》にするない。|何時《いつ》とても|貴様《きさま》の|宅《うち》は|嬶《かかあ》|天下《てんか》ぢやから、|余程《よほど》|下鶏《したどり》になつとると|見《み》えて、ねると|直《す》ぐ、アア アア アア アアと|大《おほ》きな|口《くち》あけて、|鼾《いびき》をかきやがつて、|痛《いた》い|痛《いた》いとか、|重《おも》たい|重《おも》たいとか、|言《い》ひよるのだ。……なア、ネロ、|何時《いつ》も|此奴《こいつ》の|寝言《ねごと》は|活版《くわつぱん》で|押《お》した|様《やう》なものだろよ』
ネロ『|此奴《こいつ》アな、|何《なん》でも|高照山《たかてるやま》の|谷間《たにあひ》で|通《とほ》りがかりの|旅人《たびびと》をひつとらまへ、|何々《なになに》した|上《うへ》、|何々《なになに》しやがつた|事《こと》があるに|違《ちが》ひない。|何時《いつ》とても|妙《めう》な|寝言《ねごと》を|言《い》ひよるぢやないか。……オイ、シーナ、|貴様《きさま》も|余程《よほど》|今《いま》こそバラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》ぢやと|云《い》うて|威張《ゐば》つて|居《を》るが、|悪《わる》い|事《こと》をやつたと|見《み》えるなア』
シーナ『|知《し》らぬワイ。そんなうるさいことを、|夜《よる》の|夜中《よなか》に|云《い》つて|呉《く》れるな、|気分《きぶん》が|悪《わる》くなつた。|知《し》らぬ|神《かみ》に|祟《たた》りなしだ』
チール『アツハヽヽヽ、|夜分《やぶん》になると、|高照山《たかてるやま》の|話《はなし》を|大変《たいへん》に|怖《こわ》がる|男《をとこ》だなア』
ネロ『きまつた|事《こと》よ。ズイ|分《ぶん》えらい|事《こと》があるのだ。|其《その》|秘密《ひみつ》の|鍵《かぎ》を|握《にぎ》つて|居《ゐ》るのはネロさま|丈《だけ》だ。|此奴《こいつ》の|後《あと》を|何時《いつ》もつけ、ネロさんと|云《い》ふ|亡霊《ばうれい》が、たつた|二人《ふたり》|計《ばか》りついてゐるのだから、エラ|相《さう》に|云《い》つても|夜分《やぶん》になると|門口《もんぐち》|一《ひと》つ|出《で》るのもビリビリものだからな。こんなこと|話《はな》して|居《ゐ》ると、あの|亡霊《ばうれい》がやつて|来《き》て、|又《また》ヒユー、ドロドロだ』
シーナ『|頼《たの》みぢやから、どうぞ|言《い》うてくれな』
ネロ『モウ|是《こ》れで|云《い》ひ|納《をさ》めだから、|半分《はんぶん》|丈《だけ》|云《い》つて|止《や》めたらう。|高照山《たかてるやま》の|谷間《たにあひ》に|於《おい》て、|妙齢《めうれい》の|美人《びじん》|二人《ふたり》に|対《たい》し|何々《なになに》を|致《いた》し、|遂《つひ》には|何々《なになに》をして、|谷底《たにそこ》へ|何々《なになに》し、|其《その》|亡霊《ばうれい》が|何時《いつ》も|此奴《こいつ》の|生首《なまくび》|引抜《ひきぬ》かむと、|夢幻《ゆめまぼろし》に|立《た》つのだよ。……オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、こんなシーナ、オツトドツコイ|代物《しろもの》と|一緒《いつしよ》に|歩《ある》いて|居《ゐ》ると、|何時《いつ》かおかシーナ|手附《てつき》をして、ヒユーと|御出現《ごしゆつげん》|遊《あそ》ばすかも|知《し》れやしないぞ。アヽ|何《なん》だかそこらがゾクゾクし|出《だ》した。モウ|此《この》|話《はなし》は|止《や》めとこかい』
イサク『オイ、シーナ、お|前《まへ》そんな|覚《おぼ》えがあるのか。|何《なん》だかネロの|物語《ものがたり》を|聞《き》いて、|俺《おれ》も|気分《きぶん》が|悪《わる》くなつて|来《き》たワイ。サアもう、こんな|話《はなし》を|止《や》めにして|行《ゆ》かうぢやないか』
ネロ『|俺《おれ》やモウ|何《ど》うしても|動《うご》けないから、ここでチール|計《ばか》りネロとせう、グウ グウ グウ』
カール『ハツハヽヽヽ、【らつち】もない|事《こと》を|言《い》やがつて、シーナにからかつて|居《ゐ》たが、|早《はや》モウ|寝《ね》て|了《しま》ひよつた。|罪《つみ》のない|男《をとこ》だなア。サア|一層《いつそう》のこと|休《やす》んで|行《い》かう』
とカールは|又《また》もやグレンと|肱《ひぢ》を|枕《まくら》に|路《みち》の|傍《かたはら》に|横《よこた》はつた。イサクもチールも|亦《また》|眠《ねむ》りに|就《つ》いた。シーナは|後《あと》に|一人《ひとり》|何《なん》だか|首筋元《くびすぢもと》がオゾオゾするので、|眠《ねむ》りも|得《え》せず、イサクの|腰《こし》に|喰《くら》ひついて|慄《ふる》ひ|戦《をのの》いてゐる。
(大正一一・八・一四 旧六・二二 松村真澄録)
(昭和一〇・六・九 王仁校正)
第二章 |乾《いぬゐ》の|滝《たき》〔八四四〕
シーナは|何《なん》となく|恐怖心《きようふしん》に|駆《か》られて、|慄《ふる》ひ|戦《をのの》いて|居《ゐ》た。|最前《さいぜん》から|五人《ごにん》の|話《はなし》を|寝乍《ねなが》ら|私《ひそ》かに|聞《き》いて|居《ゐ》た|末子姫《すゑこひめ》、|捨子姫《すてこひめ》は、バラモン|教《けう》の|石熊《いしくま》の|部下《ぶか》、|自分等《じぶんら》を|捉《とら》へむとしてここに|来《きた》りし|者《もの》なる|事《こと》を|悟《さと》り、|上衣《うはぎ》を|脱《ぬ》ぎ、|両人《りやうにん》はひそかに|諜《しめ》し|合《あは》せて|白衣《びやくい》となり、|髪《かみ》をおどろに|乱《みだ》して、ダラリと|下《さ》げ|乍《なが》ら、|二人《ふたり》|一度《いちど》に|白《しろ》い|手《て》を|前《まへ》に|出《だ》し、
『|恨《うら》めしやなア、|高照山《たかてるやま》の|谷間《たにあひ》に|於《おい》て……』
と|細《ほそ》い|悲《かな》しい|声《こゑ》でやりかけた。シーナは|此《この》|姿《すがた》をチラリと|見《み》て、イサクを|揺《ゆす》り|起《おこ》し、
シーナ『オイオイ……イサク|起《お》きてくれ……|皆《みな》の|奴《やつ》、タツタツ|大変《たいへん》だー、|出《で》た|出《で》た、|出《で》たワイのう』
と|慄《ふる》ひおののいて|居《ゐ》る。チールは|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》き、あたりを|見《み》れば、|木《き》の|茂《しげ》みの|中《なか》よりいやらしき|姿《すがた》の|白衣《びやくい》を|着《つ》けた|幽霊《いうれい》、ボーツと|浮《う》いた|様《やう》に|現《あら》はれて|居《ゐ》る。
チール『ヤア|此奴《こやつ》ア|大変《たいへん》だー。|逃《に》げろ|逃《に》げろ』
と|先《さき》を|争《あらそ》ひ、イサク、シーナ、チールの|三人《さんにん》は|転《こ》けつ、まろびつ、|命《いのち》カラガラ|何処《いづこ》ともなく|逃《に》げ|散《ち》つて|了《しま》つた。カール、ネロの|両人《りやうにん》は|少《すこ》しも|騒《さわ》がず|泰然《たいぜん》として、|二《ふた》つの|怪《あや》しき|姿《すがた》を|暫《しばら》く|見守《みまも》つて|居《ゐ》た。
カール『|失礼《しつれい》|乍《なが》ら……|貴女《あなた》|様《さま》は|顕恩城《けんおんじやう》を|立出《たちいで》て、|固彦《かたひこ》の|為《ため》に|捉《とら》へられ、ここへ|漂着《へうちやく》|遊《あそ》ばした、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》|様《さま》の|末子《ばつし》、|末子姫《すゑこひめ》|様《さま》、|侍女《じぢよ》の|捨子姫《すてこひめ》|様《さま》の|御両所《ごりやうしよ》では|御座《ござ》いませぬか? |私《わたし》は|実《じつ》の|所《ところ》は|珍《うづ》の|都《みやこ》の|松若彦《まつわかひこ》|様《さま》に|仕《つか》へて|居《を》ります|三五教《あななひけう》のプロパガンデイースト(|宣伝使《せんでんし》)で|御座《ござ》います、|一人《ひとり》の|男《をとこ》はネロと|申《まを》しまして、これもヤツパリ|三五《あななひ》の|道《みち》の|信者《しんじや》で|御座《ござ》いますが、|此《この》|頃《ごろ》|高照山《たかてるやま》にバラモン|教《けう》の|一派《いつぱ》|石熊《いしくま》なる|者《もの》|現《あら》はれ、|珍《うづ》の|都《みやこ》へいろいろと|間者《かんじや》を|入《い》り|込《こ》ませ、|転覆《てんぷく》の|計画《けいくわく》をめぐらして|居《を》りますれば、|吾々《われわれ》は|教主《けうしゆ》|松若彦《まつわかひこ》|様《さま》の|内命《ないめい》を|奉《ほう》じ、バラモン|教《けう》の|様子《やうす》を|探《さぐ》るべく、バラモンの|信者《しんじや》となつて、|今日迄《けふまで》|暮《く》れて|来《き》ました。|然《しか》るに|石熊《いしくま》の|大将《たいしやう》の|言葉《ことば》に、|貴女方《あなたがた》が|今明日《こんみやうにち》の|内《うち》に、|海原《うなばら》を|渡《わた》りハラの|港《みなと》へ|御上陸《ごじやうりく》|遊《あそ》ばし、|珍《うづ》の|国《くに》へお|越《こ》しになるに|相違《さうゐ》ない。もしも|珍《うづ》の|都《みやこ》へ|両人《りやうにん》が|乗込《のりこ》んだが|最後《さいご》バラモン|教《けう》に|対《たい》し、|大変《たいへん》なる|強敵《きやうてき》が|出来《でき》るやうなものだから、テル|山峠《やまたうげ》に|見張《みは》りをして、|両人《りやうにん》を|引捉《ひつとら》へ、|高照山《たかてるやま》に|連《つ》れ|帰《かへ》れとの|命令《めいれい》、|日頃《ひごろ》の|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》が|神様《かみさま》に|御奉公《ごほうこう》するのは、|今此時《いまこのとき》と|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで、|一行《いつかう》の|中《なか》に|加《くは》はり|此処迄《ここまで》やつて|来《き》ました|者《もの》で|御座《ござ》います』
ネロ『|私《わたし》も|貴女方《あなたがた》|御一行《ごいつかう》の|此処《ここ》にお|休《やす》みと|云《い》ふことを、ゆくりなくも|月《つき》にてらして|悟《さと》りました|故《ゆゑ》、ワザとシーナの|旧悪《きうあく》を|知悉《ちしつ》してゐるのを|幸《さいは》ひ、おどして|逃《に》がさむかと|考《かんが》へ、いろいろの|話《はなし》を|貴女様《あなたさま》に|聞《きこ》えよがしに|申上《まをしあ》げました。|早速《さつそく》の|貴女様《あなたさま》の|頓智《とんち》によりて、|三人《さんにん》の|者共《ものども》は、あの|通《とほ》り|逃《に》げ|失《う》せまして|御座《ござ》います。|最早《もはや》|一安心《ひとあんしん》で|御座《ござ》います。サア|是《これ》からカールさまと|此《この》|峠《たうげ》を|今《いま》の|内《うち》に、お|疲労《くたびれ》でせうが、|仮令《たとへ》|少《すこ》しでも|構《かま》ひませぬから、|御登《おのぼ》り|下《くだ》さいませ。|私《わたし》は|今《いま》|逃《に》げ|去《さ》つた|三人《さんにん》の|男《をとこ》が、もしや|後返《あとがへ》りをして|来《き》ましては、|都合《つがふ》が|悪《わる》う|御座《ござ》いますから、|是《これ》から|彼等《かれら》の|後《あと》を|追《お》ひ、|無事《ぶじ》にお|二人様《ふたりさま》が|珍《うづ》の|都《みやこ》へ|御到着《ごたうちやく》|遊《あそ》ばす|様《やう》に、|牽制《けんせい》|運動《うんどう》を|致《いた》しませう』
|末子《すゑこ》『あゝ、あなたは|三五教《あななひけう》の|御方《おかた》で|御座《ござ》いますか? |能《よ》うマア|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|仮令《たとへ》|十人《じふにん》や|二十人《にじふにん》、|押寄《おしよ》せ|来《きた》る|共《とも》、|妾《わたし》に|於《おい》ては|別《べつ》に|心配《しんぱい》でも|御座《ござ》いませぬが、いらぬ|殺生《せつしやう》を|致《いた》すよりも、|無事《ぶじ》に|目的地《もくてきち》へ|参《まゐ》れましたならば|自他《じた》|共《とも》に|是程《これほど》|結構《けつこう》な|事《こと》は|御座《ござ》いませぬ』
捨子『|私《わたし》は|姫様《ひめさま》の|侍女《じぢよ》|捨子姫《すてこひめ》で|御座《ござ》います。|何分《なにぶん》|不束《ふつつか》な|者《もの》|故《ゆゑ》、|宜《よろ》しく|御指導《ごしだう》を|御願《おねがひ》|申《まを》します』
ネロ『|左様《さやう》ならばこれで|暫《しばら》く|御別《おわか》れ|致《いた》し、|後日《ごじつ》|改《あらた》めて|御目《おめ》にかかりませう』
と|云《い》ふより|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》つた。
カール『お|二方様《ふたかたさま》、モウ|大丈夫《だいぢやうぶ》です。サア|私《わたし》が|御案内《ごあんない》を|致《いた》しませう』
|二女《にじよ》『ハイ|有難《ありがた》う』
と|茲《ここ》に|三人《さんにん》は|足《あし》を|早《はや》めて、|夜露《よつゆ》したたるテル|山峠《やまたうげ》を、|足《あし》に|任《まか》せて|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
|登《のぼ》り|八里《はちり》、|降《くだ》り|八里《はちり》のテル|山峠《やまたうげ》の|中央《ちうおう》にまで|登《のぼ》り|着《つ》いた。|夜《よ》は|漸《やうや》く|明《あ》け|放《はな》れたと|見《み》え、|小鳥《ことり》の|声《こゑ》|盛《さかん》に|聞《きこ》えて|来《く》る。|太陽《たいやう》はすでに|地平線下《ちへいせんか》を|出《い》でて、|稍《やや》|高《たか》く|昇《のぼ》り|玉《たま》へ|共《ども》、|東《ひがし》にテル|山《やま》の|峰《みね》を|控《ひか》へたることとて、|其《その》|円満《ゑんまん》な|御姿《おんすがた》を|拝《をが》むことは|出来《でき》なかつた。|風《かぜ》の|吹《ふ》きまはしに|依《よ》つて、|轟々《ぐわうぐわう》と|響《ひび》き|来《きた》る|滝《たき》の|音《おと》に、|末子姫《すゑこひめ》は|耳《みみ》を|欹《そばだ》て、
|末子《すゑこ》『カールさま、|大変《たいへん》な|涼《すず》し|相《さう》な|音《おと》が|聞《きこ》えて|来《き》たぢやありませぬか? どこぞ|此《この》|近《ちか》くに|瀑布《たき》でも|懸《かか》つて|居《ゐ》るのではありますまいか』
カール『ハイ、|二三丁《にさんちやう》|計《ばか》り|北《きた》へ|寄《よ》りますと、|乾《いぬゐ》の|滝《たき》と|云《い》つて、テル|山《やま》の|谷々《たにだに》から|集《あつ》まる、|大《だい》なる|池《いけ》が|山《やま》の|中央《ちうおう》に|在《あ》り、|其《その》|滝《たき》から|落下《らくか》する|大瀑布《だいばくふ》が|布《ぬの》を|〓《さら》したる|如《ごと》くに|懸《かか》つて|居《を》ります』
|末子《すゑこ》『ズイ|分《ぶん》|長《なが》らく|潮風《しほかぜ》に|吹《ふ》かれ、|又《また》|大変《たいへん》な|汗《あせ》を|掻《か》きましたから、|一《ひと》つ|道寄《みちより》をして、お|瀑《たき》にかかつて|見《み》たら|如何《いかが》でせう? なア|捨子姫《すてこひめ》さま』
|捨子《すてこ》『サ、それは|願《ねが》うてもない|事《こと》で|御座《ござ》います。カール|様《さま》に|御案内《ごあんない》を|願《ねが》ひませうか』
カール『サア……|一寸《ちよつと》|考《かんが》へ|物《もの》で|御座《ござ》いますなア。あの|乾《いぬゐ》の|滝《たき》の|上《うへ》の|戌亥《いぬゐ》の|池《いけ》には、|大変《たいへん》な|大蛇《だいじや》が|潜《ひそ》んで|居《を》ります。さうして|大蛇《だいじや》の|子《こ》が|始終《しじう》|滝《たき》の|辺《あた》りに|徘徊《はいくわい》を|致《いた》し、|人《ひと》に|憑《つ》いたり、|或《あるひ》は|咬付《かみつ》いたり|致《いた》しますので、|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》は、|彼処《あこ》を|魔神《まがみ》の|滝《たき》と|申《まを》し、|誰《た》も|立寄《たちよ》つた|者《もの》は|御座《ござ》いませぬ。|時々《ときどき》バラモン|教《けう》の|教主《けうしゆ》|石熊《いしくま》|宣伝使《せんでんし》が|私《ひそ》かに|一人《ひとり》、|伴《とも》をも|連《つ》れず、|滝《たき》にかかりに|行《ゆ》かれると|云《い》ふ|大評判《だいへうばん》で|御座《ござ》います。バラモン|教《けう》は|一時《いちじ》、|火《ひ》の|消《き》えた|様《やう》な|寂寥《せきれう》を|来《きた》して|居《を》りましたが、|石熊《いしくま》の|教主《けうしゆ》が|時々《ときどき》|乾《いぬゐ》の|滝《たき》に|御修行《ごしうげふ》にお|出《い》でになると|云《い》ふのが|呼物《よびもの》になつて、|数多《あまた》の|人々《ひとびと》が|其《その》|神徳《しんとく》に|感《かん》じ、|此《この》|頃《ごろ》は|余程《よほど》|勢力《せいりよく》を|盛《も》り|返《かへ》し、|進《すす》んで|珍《うづ》の|都《みやこ》|近《ちか》く|迄《まで》、|教館《をしへやかた》を|張《は》り、|数多《あまた》の|間者《かんじや》を|都《みやこ》に|入《い》れ、|珍《うづ》の|館《やかた》の|松若彦《まつわかひこ》|様《さま》を|往生《わうじやう》させ、|自教《じけう》の|勢力《せいりよく》|範囲《はんゐ》に|入《い》れようとして、いろいろの|計画《けいくわく》をして|居《ゐ》るので|御座《ござ》いますから、もしや|石熊《いしくま》の|大将《たいしやう》が|滝《たき》に|浸《ひた》るべく|来《き》て|居《を》つたならば、|却《かへつ》て|面倒《めんだふ》が|起《おこ》りますから、|今度《こんど》は|兎《と》も|角《かく》も|此《この》|儘《まま》|道寄《みちより》りをせず、|珍《うづ》の|都《みやこ》|迄《まで》|直行《ちよくかう》なさつたら、どんなもので|御座《ござ》いませう。それの|方《はう》が|第一《だいいち》に|安全《あんぜん》で|御座《ござ》いませう』
|末子《すゑこ》『それもさうで|御座《ござ》いませうが、|妾《わらは》は|何《なん》となくあの|滝《たき》の|音《おと》が|耳《みみ》に|入《い》つてから、どうしても|一度《いちど》|滝《たき》が|見《み》たくなつてたまりませぬ。|一寸《ちよつと》|見《み》る|丈《だけ》でも|宜《よろ》しいから、|立寄《たちよ》らうぢやありませぬか』
|捨子《すてこ》『カール|様《さま》、|何《なん》と|云《い》つても|神力《しんりき》|無双《むさう》の|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》|様《さま》の|御血《おんち》の|流《なが》れの|末子姫《すゑこひめ》|様《さま》の|事《こと》ですから、|決《けつ》して|御案《おあん》じには|及《およ》びますまい。どうぞ|案内《あんない》して|下《くだ》さいませぬか』
カール『さう|強《た》つて|仰有《おつしや》るならば、これも|惟神《かむながら》でせう。……サア|御案内《ごあんない》|申《まを》します』
と|先《さき》に|立《た》つて、|大木《たいぼく》の|茂《しげ》る|林《はやし》の|中《なか》を|斜《ななめ》に|北《きた》へ|北《きた》へと|進《すす》んで|行《ゆ》く。|見《み》れば|幾十丈《いくじふぢやう》とも|知《し》れぬ|大岩石《だいがんせき》の|中央《ちうあう》を|銀河《ぎんが》を|縦《たて》にした|様《やう》な|大瀑布《だいばくふ》が|真直《まつすぐ》に|懸《かか》り、|青《あを》み|立《だ》つた|滝壺《たきつぼ》には|白《しろ》い|泡《あわ》が|濛々《もうもう》として|浮《う》き|立《た》ち、|実《じつ》に|涼味津々《りやうみしんしん》として|夏《なつ》の|暑《あつ》さはどこへやら、|俄《にはか》に|身体《しんたい》|緊張《きんちやう》し|爽快《さうくわい》の|思《おも》ひに|充《み》たされた。|能《よ》く|能《よ》く|見《み》れば、|滝《たき》の|傍《かたはら》に|大《だい》の|男《をとこ》|只一人《ただひとり》、|両手《りやうて》を|合《あは》せた|儘《まま》、|顔《かほ》は|真青《まつさを》になり、|唇《くちびる》は|紫色《むらさきいろ》に|変《かは》り、|目《め》|計《ばか》りキヨロつかせ、|直立《ちよくりつ》|不動《ふどう》の|姿勢《しせい》を|執《と》つて|居《ゐ》る。カールは|目敏《めざと》くも|之《これ》を|見《み》て、『アツ』と|計《ばか》りに|驚《おどろ》いたが、|轟《とどろ》く|胸《むね》を|自《みづか》ら|抑《おさ》へ、|末子姫《すゑこひめ》の|耳《みみ》に|口《くち》を|寄《よ》せ、
カール『モシ、あれを|御覧《ごらん》なさいませ。あそこに|直立《ちよくりつ》|不動《ふどう》の|姿勢《しせい》をとつてる|大《だい》の|男《をとこ》が|居《を》りませう。あれが|最前《さいぜん》|申《まを》した、|高照山《たかてるやま》のバラモンの|教主《けうしゆ》、|石熊《いしくま》の|大将《たいしやう》で|御座《ござ》います。あの|滝《たき》の|上《うへ》から|瞰下《かんか》してゐる|大蛇《をろち》の|恐《おそ》ろしい|眼《め》……キツと|大蛇《をろち》に|魅入《みい》れられ、|身体《からだ》が|動《うご》けなくなつて|居《ゐ》るのでせう。こんな|所《とこ》に|長居《ながゐ》は|恐《おそ》れです。|吾々《われわれ》もあのやうな|目《め》に|会《あ》はされては|大変《たいへん》ですから、|足許《あしもと》の|明《あか》るい|内《うち》にここを|立去《たちさ》らうぢやありませぬか? |又《また》|魅入《みい》れられたら|大変《たいへん》ですよ!』
|末子姫《すゑこひめ》は|頭《かしら》を|左右《さいう》に|振《ふ》り|乍《なが》ら、
|末子《すゑこ》『イエイエ、|妾《わらは》も|神素盞嗚尊《かんすさのをのみこと》の|娘《むすめ》、|敵《てき》を|見《み》て|退却《たいきやく》すると|云《い》ふ|事《こと》は|到底《たうてい》|忍《しの》びませぬ。|最早《もはや》|乗《のり》かけた|船《ふね》、|大蛇《をろち》を|言向《ことむけ》|和《やは》し、|石熊《いしくま》さまとやらを|助《たす》けて|上《あ》げたら、|如何《いかが》でせう。|是《これ》が|吾々《われわれ》|宣伝使《せんでんし》の|職務《しよくむ》だと|思《おも》ひます』
|捨子《すてこ》『|素盞嗚尊《すさのをのみこと》|様《さま》は|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》を|退治《たいぢ》の|為《ため》、|世界中《せかいぢう》を|御廻《おまは》り|遊《あそ》ばす|御神務《ごしんむ》、|就《つ》いてはお|一人《ひとり》にては|此《この》|広《ひろ》い|世界《せかい》、お|手《て》が|廻《まは》らないから、|自分《じぶん》のいたいけな|御娘子《おむすめご》を、|世界《せかい》へお|遣《つか》はし|遊《あそ》ばす|御経綸《ごけいりん》を|惟神的《かむながらてき》に|御始《おはじ》めなさつて|居《を》られるのですから、たかが|知《し》れたあれ|位《くらゐ》の|大蛇《をろち》を|恐《おそ》れるやうな|事《こと》では、|到底《たうてい》アマゾン|河《がは》のモールバンドや、|醜大蛇《しこをろち》を|言霊《ことたま》を|以《もつ》て|退治《たいぢ》することは|出来《でき》ますまい。|斯様《かやう》な|所《ところ》へ|吾々《われわれ》がお|伴《とも》をして|参《まゐ》つたのも、|神様《かみさま》の|御引合《おひきあは》せ……|三五教《あななひけう》には|敵《てき》を|見《み》て、|退却《たいきやく》すると|云《い》ふ|事《こと》は|許《ゆる》されませぬ。ひとつ|誠一《まことひと》つの|言霊《ことたま》を|以《もつ》て|戦《たたか》つて|見《み》やうぢやありませぬか』
カール『ぢやと|申《まを》してそれは|余《あんま》り|無謀《むぼう》では|御座《ござ》いますまいか? |何程《なにほど》|御神力《ごしんりき》があればとて、こちらは|人間《にんげん》の|身体《からだ》……|向《むか》うは|畜生《ちくしやう》、|人間《にんげん》の|言葉《ことば》が|分《わか》る|道理《だうり》もありますまい。|又《また》|外《ほか》の|人《ひと》ならば|兎《と》も|角《かく》も、|極悪無道《ごくあくぶだう》のバラモン|教《けう》の|石熊《いしくま》の|如《ごと》き|者《もの》をお|助《たす》けになつた|所《ところ》で|何《なん》の|功能《こうのう》もありますまい。|天下《てんか》に|害毒《がいどく》を|流《なが》し、|人民《じんみん》を|虐《しひた》げる|悪人《あくにん》を|助《たす》けようものなら、それこそ|天下《てんか》は|紛乱《ふんらん》の|止《や》む|時《とき》なく、|遂《つひ》には|珍《うづ》の|都《みやこ》まで|蹂躙《じうりん》し、|良民《りやうみん》を|虐《しへた》げ|苦《くる》しむるは|目《ま》のあたり、|今《いま》|大蛇《をろち》に|魅《み》せられて、あの|通《とほ》り|身体《しんたい》|強直《きやうちよく》し、|今《いま》や|蛇腹《じやふく》に|葬《ほうむ》られむとしてゐるのも|神《かみ》の|御心《みこころ》で|御座《ござ》いませう。サアサア、|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》らうぢやありませぬか?』
|末子《すゑこ》『|如何《いか》なる|悪人《あくにん》と|雖《いへど》も|元《もと》は|同《おな》じ|神様《かみさま》の|分心分体《ぶんしんぶんたい》、|天《あめ》が|下《した》に|敵《てき》もなければ、|吾々《われわれ》は|仇《あだ》もないと|深《ふか》く|存《ぞん》じて|居《を》ります。|此《この》|惨状《さんじやう》を|見棄《みす》てて、|如何《どう》して|吾々《われわれ》|宣伝使《せんでんし》が|帰《かへ》ることが|出来《でき》ませう。|神様《かみさま》に|対《たい》しても|恥《はづ》かしくてなりませぬ。|是《これ》より|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》し、|大蛇《をろち》を|帰順《きじゆん》させ、|石熊《いしくま》の|命《いのち》を|助《たす》けてやつたら、キツと|善道《ぜんだう》に|立返《たちかへ》るでせう。|情《なさけ》は|人《ひと》の|為《ため》ならずとか|申《まを》しまして、|人《ひと》を|助《たす》けておけば、|又《また》|自分《じぶん》も|神様《かみさま》の|御恵《みめぐみ》に|依《よ》つて、|九死一生《きうしいつしやう》の|場合《ばあひ》、|誰《たれ》かの|手《て》を|通《とほ》して|助《たす》けられるものです。|吾々《われわれ》が|幸《さいは》ひ、|此処《ここ》に|立現《たちあら》はれたのも|全《まつた》く|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|神様《かみさま》の|御摂理《ごせつり》でせう』
|捨子《すてこ》『|姫様《ひめさま》の|仰《あふ》せ|御尤《ごもつと》も……カールさま! |決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》は|要《い》りませぬ。キツと|御安心《ごあんしん》させますから、|此《この》|場《ば》は|妾等《わたしら》にお|任《まか》し|下《くだ》さいませ』
カール『|左様《さやう》なればお|言葉《ことば》に|従《したが》ひませう』
|茲《ここ》に|末子姫《すゑこひめ》は|滝《たき》に|横《よこ》たはつて、|崖下《がいか》の|石熊《いしくま》の|身体《からだ》を|睨《にら》みつめ、|今《いま》や|大口《おほぐち》を|開《あ》けて|一呑《ひとの》みにせむとする|勢《いきほひ》を|示《しめ》してゐる|大蛇《をろち》に|向《むか》つて、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|聞《き》かした。
|末子姫《すゑこひめ》『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立分《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|只《ただ》|何物《なにもの》も|天地《あめつち》の  |神《かみ》の|尊《たふと》き|御水火《みいき》より
|現《あら》はれ|出《い》でし|者《もの》なれば  |四方《よも》の|神人《しんじん》|始《はじ》めとし
|山河草木《さんかさうもく》|云《い》ふも|更《さら》  |禽獣虫魚《きんじうちうぎよ》に|至《いた》る|迄《まで》
|切《き》つても|切《き》れぬ|同胞《はらから》よ  |数多《あまた》|同胞《はらから》ある|中《なか》に
|天地《てんち》の|神《かみ》の|経綸《けいりん》を  |受《う》けて|生《うま》れし|人《ひと》の|身《み》は
|秀《すぐ》れて|尊《たふと》きものぞかし  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして  |乾《いぬゐ》の|池《いけ》に|潜《ひそ》むなる
これの|大蛇《をろち》の|魂《たましひ》に  |尊《たふと》き|神《かみ》の|御水火《みいき》をば
かけさせ|玉《たま》ひて|天地《あめつち》の  |守《まも》りの|神《かみ》と|逸早《いちはや》く
|神徳《しんとく》|充《み》たせ|玉《たま》はれよ  |瑞《みづ》の|御霊《みたま》と|現《あ》れませる
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》は  |豊葦原《とよあしはら》の|国中《くになか》に
さやれる|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》をば  |誠《まこと》の|剣《つるぎ》|抜《ぬ》き|持《も》たし
|恵《めぐみ》の|玉《たま》を|光《ひか》らせて  |大蛇《をろち》の|霊《みたま》を|悉《ことごと》く
|服従《まつろ》ひ|和《やは》し|玉《たま》ふなり  |瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|末《すゑ》の|子《こ》と
|現《あら》はれ|出《い》でたる|末子姫《すゑこひめ》  |顕恩郷《けんおんきやう》を|立出《たちい》でて
|大海原《おほうなばら》を|漕《こ》ぎ|渡《わた》り  |漸《やうや》くここに|来《き》て|見《み》れば
バラモン|教《けう》の|神司《かむづかさ》  |御稜威《みいづ》も|高《たか》き|高照《たかてる》の
|山《やま》の|麓《ふもと》に|宮柱《みやはしら》  |太《ふと》しく|立《た》てて|神《かみ》の|道《みち》
|伝《つた》へ|玉《たま》へる|石熊《いしくま》の  |尊《たふと》き|清《きよ》き|神《かみ》の|宮《みや》
|仮令《たとへ》|教理《けうり》は|変《かは》る|共《とも》  |世人《よびと》を|思《おも》ふ|真心《まごころ》は
|吾等《われら》の|胸《むね》に|違《たが》ふまじ  |旭《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》る|共《とも》
|月《つき》は|盈《み》つ|共《とも》|虧《か》くる|共《とも》  |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》む|共《とも》
|世界《せかい》を|思《おも》ふ|真心《まごころ》に  いかでか|差別《けじめ》あらざらむ
|万《よろづ》の|物《もの》の|霊長《れいちやう》と  |生《うま》れ|出《い》でたる|人《ひと》の|身《み》を
|大蛇《をろち》の|神《かみ》の|現《あら》はれて  |呑《の》まむとするは|何事《なにごと》ぞ
|森羅万象《しんらばんしやう》|悉《ことごと》く  |完美《うまら》に|委曲《つばら》に|守《まも》ります
|皇大神《すめおほかみ》の|御心《みこころ》に  |叶《かな》はぬ|汝《なんぢ》が|振舞《ふるまひ》を
わが|言霊《ことたま》を|聞分《ききわ》けて  |一時《いちじ》も|早《はや》く|改《あらた》めよ
|神《かみ》は|汝《なんぢ》の|身辺《しんぺん》を  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|守《まも》ります
|其《その》|神恩《しんおん》を|知《し》らずして  |神《かみ》の|宮居《みやゐ》の|石熊《いしくま》を
|只《ただ》|一口《ひとくち》に|呑《の》まむとは  |天地《てんち》|許《ゆる》さぬ|醜業《しこわざ》ぞ
|大蛇《をろち》の|神《かみ》よ|長神《ながかみ》よ  |今日《けふ》は|汝《なんぢ》の|玉《たま》の|緒《を》の
|生命《いのち》の|亡《ほろ》ぶ|瀬戸際《せとぎは》ぞ  |吾《わが》|言霊《ことたま》に|服従《まつろ》ひて
|天地《てんち》の|道理《だうり》を|正覚《しやうかく》し  |醜《しこ》の|身体《からだ》を|脱出《だつしゆつ》し
うつしき|女神《めがみ》の|体《たい》となり  |高天原《たかあまはら》に|昇《のぼ》りませ
|吾《わ》れは|神《かみ》の|子《こ》|末子姫《すゑこひめ》  |天《てん》に|代《かは》りて|天津神《あまつかみ》
|依《よ》さし|玉《たま》ひし|言霊《ことたま》を  |汝《なんぢ》の|為《ため》に|宣《の》り|伝《つた》ふ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》れば、|今迄《いままで》|形相《げうさう》|凄《すさま》じく、|石熊《いしくま》を|一呑《ひとの》みにせむと|身構《みがまへ》へ|居《ゐ》たりし|大蛇《をろち》は、|両眼《りやうがん》より|玉《たま》の|如《ごと》き|涙《なみだ》を|流《なが》し、|幾度《いくど》となく|末子姫《すゑこひめ》に|向《むか》つて|頭《あたま》を|下《さ》げ、|感謝《かんしや》の|意《い》を|表《へう》しつつ、|巨大《きよだい》なる|姿《すがた》を|滝《たき》の|中《なか》に|隠《かく》して|了《しま》つた。
|今迄《いままで》|大蛇《をろち》に|魅入《みい》れられ、|身体《しんたい》|強直《きやうちよく》して|身動《みうご》きもならなかつた|石熊《いしくま》は|直《ただち》に|身体《しんたい》の|自由《じいう》を|得《え》、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》を|両眼《りやうがん》に|垂《た》らしつつ、|三人《さんにん》の|前《まへ》に|手《て》をついて|救命《きうめい》の|大恩《たいおん》を|感謝《かんしや》するのであつた。
(大正一一・八・一四 旧六・二二 松村真澄録)
第三章 |清《きよ》めの|滝《たき》〔八四五〕
|高照山《たかてるやま》に|本拠《ほんきよ》を|固《かた》めたるバラモン|教《けう》の|石熊《いしくま》は、|末子姫《すゑこひめ》、|其《その》|他《た》に|感謝《かんしや》の|意《い》を|表《へう》し、|歌《うた》を|以《もつ》て|所感《しよかん》を|述《の》べたり。その|歌《うた》、
『|常世《とこよ》の|国《くに》に|現《あ》れませる  |常世神王《とこよしんわう》|自在天《じざいてん》
|大国彦《おほくにひこ》の|樹《た》てられし  バラモン|教《けう》の|神司《かむつかさ》
|深《ふか》き|恵《めぐみ》も|高砂《たかさご》の  |宝《たから》の|島《しま》に|現《あら》はれて
|高照山《たかてるやま》を|根拠《こんきよ》とし  |心《こころ》も|固《かた》き|石熊《いしくま》が
|信心《しんじん》|堅固《けんご》に|守《まも》りつつ  |教《をしへ》の|法《のり》を|遵奉《じゆんぽう》し
|服従《まつろ》ひ|来《きた》る|信徒《まめひと》に  |何《なん》の|容赦《ようしや》も|荒行《あらげう》の
|火渡《ひわた》り|剣《つるぎ》の|橋《はし》を|越《こ》え  |水底《みなそこ》くぐり|茨室《いばらむろ》
|赤裸《まつぱだか》にて|飛《と》び|込《こ》ませ  |釘《くぎ》の|打《う》ちたる|足駄《あしだ》はき
|神《かみ》より|受《う》けし|肉体《にくたい》を  |損《そこな》ひ|破《やぶ》りて|血《ち》を|出《いだ》し
|神《かみ》に|対《たい》する|贄《いけにえ》と  |思《おも》ひ|詰《つ》めたる|神司《かむづかさ》
|神《かみ》の|怒《いか》りを|和《やはら》げて  |天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|助《たす》けられ
|未来《みらい》の|苦《く》をば|逃《のが》れむと  |迷《まよ》ひ|切《き》つたるバラモンの
|誠《まこと》の|道《みち》に|違《たが》へるを  |今《いま》や|漸《やうや》く|悟《さと》りけり
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|大神《おほかみ》は
|青人草《あをひとぐさ》を|始《はじ》めとし  |禽獣虫魚《きんじうちうぎよ》|造《つく》らしし
|誠《まこと》の|親《おや》と|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》の|末子姫《すゑこひめ》
|宣《の》らせ|玉《たま》ひし|言《こと》の|葉《は》を  |聞《き》くより|吾等《われら》は|村肝《むらきも》の
|心《こころ》の|空《そら》は|冴《さ》えわたり  げにも|尊《たふと》き|言霊《ことたま》の
|御稜威《みいづ》に|魂《たま》をてらしつつ  |大蛇《をろち》の|魔神《まがみ》に|魅《み》せられて
|動《うご》きもならぬ|身体《からたま》を  かばひ|乍《なが》らも|胸《むね》の|内《うち》
|悔悟《くわいご》の|言霊《ことたま》|宣《の》りつれば  |忽《たちま》ち|開《ひら》く|胸《むね》の|暗《やみ》
|末子《すゑこ》の|姫《ひめ》の|言霊《ことたま》に  |流石《さすが》の|大蛇《をろち》も|感歎《かんたん》し
|熱《あつ》き|涙《なみだ》をこぼしつつ  |吾《われ》を|呑《の》まむと|狙《ねら》ひたる
|心《こころ》の|駒《こま》を|立直《たてなほ》し  |修羅《しうら》の|亡執《もうしふ》|忽《たちま》ちに
|晴《は》れて|姿《すがた》を|水煙《みづけぶり》  |心《こころ》の|垢《あか》もおち|滝津《たきつ》
|速川《はやかは》の|瀬《せ》に|現《あ》れませる  |瀬織津姫《せおりつひめ》の|幸《さち》はひて
|仇《あだ》|悉《ことごと》く|消《き》えにける  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》の|幸《さち》を|蒙《かか》ぶりて  |心《こころ》|佞《ねぢ》けし|石熊《いしくま》も
|末子《すゑこ》の|姫《ひめ》の|御恵《みめぐみ》に  |救《すく》ひ|出《いだ》され|今《いま》は|早《はや》
|三五教《あななひけう》の|皇神《すめかみ》の  |光《ひかり》に|深《ふか》く|照《てら》されぬ
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《たて》わける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
|身《み》の|過《あやまち》は|宣《の》り|直《なほ》せ  |誠一《まことひと》つの|言霊《ことたま》に
|世人《よびと》を|救《すく》ふ|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》の|尊《たふ》とさよ
|仮令《たとへ》|天地《てんち》は|変《かは》る|共《とも》  |神《かみ》に|誓《ちか》ひし|吾《わが》|心《こころ》
いかで|変《かは》らむ|高砂《たかさご》の  |国《くに》に|鎮《しづ》まる|竜世姫《たつよひめ》
|国魂神《くにたまがみ》の|御前《おんまへ》に  |真心《まごころ》こめて|只管《ひたすら》に
|誓《ちか》ひまつらむバラモンの  |神《かみ》に|仕《つか》へし|宣伝使《せんでんし》
|高照山《たかてるやま》に|築《きづ》きたる  |教館《をしへやかた》を|今日《けふ》よりは
|三五教《あななひけう》に|献《たてまつ》り  |此《この》|世《よ》を|造《つく》り|玉《たま》ひたる
|世《よ》の|大本《おほもと》の|皇神《すめかみ》に  |麻柱《あななひ》まつり|世《よ》の|為《ため》に
|力《ちから》の|限《かぎ》り|身《み》の|限《かぎ》り  |仕《つか》へまつらむ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御末《みすゑ》の|末子姫《すゑこひめ》  |曲《まが》も|穢《けが》れも|捨子姫《すてこひめ》
|罪《つみ》もカールの|御前《おんまへ》に  |罪科《つみとが》|重《おも》き|石熊《いしくま》が
|心《こころ》を|尽《つく》し|祈《ね》ぎ|奉《まつ》る  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|心《こころ》に|見直《みなほ》して  |珍《うづ》の|都《みやこ》にこれよりは
|吾等《われら》を|伴《ともな》ひ|給《たま》へかし  |珍《うづ》の|館《やかた》の|人々《ひとびと》に
|今迄《いままで》|与《あた》へし|虐《しひた》げの  |罪《つみ》を|陳謝《ちんしや》し|奉《たてまつ》り
|従僕《しもべ》となりて|永久《とことは》に  |珍《うづ》の|都《みやこ》の|門番《もんばん》に
|仕《つか》へまつりて|赤誠《せきせい》を  |現《あら》はしまつる|吾《わが》|心《こころ》
|許《ゆる》させ|給《たま》へ|瑞御霊《みづみたま》  |厳《いづ》の|御霊《みたま》の|御前《おんまへ》に
|謹《つつし》み|敬《うやま》ひ|願《ね》ぎ|奉《まつ》る  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
|捨子姫《すてこひめ》は|又《また》|歌《うた》ひ|出《だ》したり。|其《その》|歌《うた》、
『|天《あめ》の|河原《かはら》を|縦《たて》として  |眺《なが》めし|如《ごと》き|此《この》|瀑布《ばくふ》
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|珍《うづ》の|子《こ》と  |現《あ》れ|出《い》でませる|末子姫《すゑこひめ》
|此《この》|世《よ》の|泥《どろ》を|滌《すす》がむと  |流《なが》れも|清《きよ》きエデン|河《がは》
|身魂《みたま》を|清《きよ》め|足《あし》|洗《あら》ひ  |心《こころ》の|垢《あか》を|捨子姫《すてこひめ》
|従僕《みとも》の|神《かみ》を|召連《めしつ》れて  |汐《しほ》の|八百路《やほぢ》の|八汐路《やしほぢ》を
|秋津《あきつ》の|姫《ひめ》の|御守《みまも》りに  |漸《やうや》う|渡《わた》りテルの|国《くに》
ハラの|港《みなと》に|上陸《じやうりく》し  テルの|国《くに》をば|横断《わうだん》し
テル|山峠《やまたうげ》の|山麓《さんろく》に  |進《すす》み|来《きた》りて|月《げつ》の|宵《よひ》
|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|横《よこ》たはり  |来《こ》し|方《かた》|行《ゆ》く|末《すゑ》|案《あん》じつつ
|眠《ねむ》りにつきし|折柄《をりから》に  |俄《にはか》に|聞《きこ》ゆる|人《ひと》の|声《こゑ》
|何人《なにびと》なるかと|目《め》を|醒《さ》まし  |話《はなし》の|様子《やうす》を|伺《うかが》へば
バラモン|教《けう》の|神司《かむづかさ》  |信徒《まめひと》|共《とも》に|五人連《ごにんつ》れ
|妾《わたし》のいねし|傍《かたはら》に  |腰《こし》|打《うち》かけて|無駄話《むだばなし》
|高照山《たかてるやま》の|石熊《いしくま》が  |神《かみ》の|言葉《ことば》に|従《したが》ひて
|顕恩郷《けんおんきやう》より|渡《わた》り|来《く》る  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|末子《すゑこ》の|姫《ひめ》や|捨子姫《すてこひめ》  ハラの|港《みなと》に|上陸《じやうりく》し
テル|山峠《やまたうげ》を|乗越《のりこ》えて  |珍《うづ》の|都《みやこ》に|進《すす》み|行《ゆ》く
それの|途中《とちう》を|待伏《まちぶ》せて  |二人《ふたり》の|女神《めがみ》|引《ひ》つ|捉《とら》へ
|高照山《たかてるやま》の|館《やかた》まで  |連《つ》れ|帰《かへ》れよとの|石熊《いしくま》の
お|指図《さしづ》なれど|連日《れんじつ》の  |疲《つか》れに|足《あし》も|早痛《はやいた》み
|歩行《ほかう》も|自由《じいう》にならざれば  ここに|一夜《いちや》を|明《あ》かさむと
|語《かた》り|合《あ》ふこそ|不思議《ふしぎ》なれ  |吾等《われら》|二人《ふたり》は|耳《みみ》さとく
|一伍一什《いちぶしじう》を|聞終《ききをは》り  |静《しづか》に|上衣《うはぎ》をぬぎ|捨《す》てて
|髪《かみ》ふり|乱《みだ》し|声《こゑ》を|変《か》へ  |珍姿怪体《ちんしくわいたい》|現《あら》はせば
さて|恐《おそ》ろしや|幽霊《いうれい》が  |現《あら》はれたりと|吾《わ》れ|先《さき》に
|雪崩《なだれ》を|打《う》つて|逃《にげ》て|行《ゆ》く  カールとネロの|両人《りやうにん》は
|少《すこ》しも|騒《さわ》がず|吾々《われわれ》に  |向《むか》つて|言葉《ことば》をかけて|言《い》ふ
(これよりカール|引継《ひきつ》いで|歌《うた》ふ)
|珍《うづ》の|都《みやこ》に|現《あれ》ませる  |松若彦《まつわかひこ》が|神館《かむやかた》
|教《をしへ》に|習《なら》ふカールなり  |二人《ふたり》の|女神《めがみ》が|今《いま》|茲《ここ》に
|現《あら》はれますとバラモンの  |神《かみ》の|司《つかさ》や|信徒《まめひと》が
|中《なか》に|交《まじ》はり|吾《わ》れも|亦《また》  |一味《いちみ》の|中《なか》に|加《くは》はりて
|様子《やうす》を|伺《うかが》ひ|助《たす》けむと  |権謀術数《けんぼうじゆつすう》|皇神《すめかみ》の
|心《こころ》に|合《あ》はぬか|知《し》らね|共《ども》  |二人《ふたり》を|助《たす》けてやうやうに
|乾《いぬゐ》の|滝《たき》に|来《き》て|見《み》れば  |豈《あに》|計《はか》らむや|石熊《いしくま》の
|教司《をしへつかさ》は|滝《たき》の|辺《べ》に  |大蛇《をろち》の|魂《たま》に|魅《み》せられて
|石《いし》の|如《ごと》くに|立《た》ち|給《たま》ふ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|冥罰《めいばつ》|忽《たちま》ちに  |現《あら》はれ|来《きた》りて|石熊《いしくま》の
|知死期《ちしご》の|幕《まく》の|下《お》りしかと  |心《こころ》の|中《なか》に|喜《よろこ》びつ
|見棄《みす》ててゆかむと|両人《りやうにん》の  |神《かみ》の|司《つかさ》に|述《の》べつれば
|末子《すゑこ》の|姫《ひめ》は|首《くび》をふり  |仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|大神《おほかみ》の
|心《こころ》の|中《なか》を|説《と》き|諭《さと》し  |四海同胞《しかいどうはう》|博愛《はくあい》の
|御心《みこころ》|持《も》ちて|天地《あめつち》の  |神《かみ》に|叶《かな》ひし|太祝詞《ふとのりと》
|宣《の》らせ|給《たま》へば|此《こ》は|如何《いか》に  |悪虐無道《あくぎやくむだう》の|大蛇《をろち》まで
|慈愛《じあい》の|言葉《ことば》に|感歎《かんたん》し  |熱《あつ》き|涙《なみだ》を|流《なが》しつつ
さも|凄《すさ》まじき|形相《ぎやうさう》は  |追《お》つて|優《やさ》しく|成《な》り|行《ゆ》きて
|解脱《げだつ》の|滝《たき》に|身《み》を|投《とう》じ  |後白雲《あとしらくも》と|消《き》えて|行《ゆ》く
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|御稜威《みいづ》ぞ|尊《たふと》けれ
|神《かみ》の|御徳《みとく》ぞ|畏《かしこ》けれ』
かく|歌《うた》ひ|終《をは》り、|石熊《いしくま》の|請《こ》ひを|容《い》れて、|一行《いつかう》|五人《ごにん》は、テル|山峠《やまたうげ》を|登《のぼ》り、|珍《うづ》の|都《みやこ》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・八・一四 旧六・二二 松村真澄録)
第四章 |懐旧《くわいきう》の|歌《うた》〔八四六〕
|末子姫《すゑこひめ》は|新《あらた》にバラモン|教《けう》の|石熊《いしくま》の|帰順《きじゆん》を|許《ゆる》し、|捨子姫《すてこひめ》、カールの|四人連《よにんづ》れ、|漸《やうや》くにしてテル|山峠《やまたうげ》の|頂上《ちやうじやう》に|辿《たど》り|着《つ》いた。
|石熊《いしくま》『サア|此処《ここ》が|有名《いうめい》なテル|山峠《やまたうげ》の|頂上《ちやうじやう》で|御座《ござ》います。|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|大戦《たいせん》|以前《いぜん》に、|珍《うづ》の|都《みやこ》の|正鹿山津見《まさかやまづみ》の|神様《かみさま》の|御娘《おんむすめ》、|松《まつ》|竹《たけ》|梅《うめ》の|宣伝使《せんでんし》が|始《はじ》めて|宣伝《せんでん》の|初陣《ういぢん》に|此処《ここ》を、|蚊々虎《かがとら》と|云《い》ふ|天教山《てんけうざん》の|木《こ》の|花姫《はなひめ》の|神様《かみさま》の|化神《けしん》に|導《みちび》かれて、お|通《とほ》り|遊《あそ》ばし、|松《まつ》|竹《たけ》|梅《うめ》の|宣伝使《せんでんし》は|遥々《はるばる》と|珍《うづ》の|都《みやこ》を|振返《ふりかへ》り、|両親《りやうしん》に|訣別《けつべつ》の|歌《うた》を|歌《うた》はれた|所《ところ》です。|随分《ずゐぶん》|連山《れんざん》|重畳《ちようぜう》として|四方《よも》に|拡《ひろ》がり、|大西洋《たいせいやう》の|波《なみ》は|霞《かすみ》の|如《ごと》く|棚引《たなび》き、|何《なん》とも|云《い》へぬ|絶景《ぜつけい》の|地点《ちてん》で|御座《ござ》います。|茲《ここ》で|一《ひと》つ|汗《あせ》を|入《い》れて、ボツボツ|降《くだ》る|事《こと》に|致《いた》しませうか』
|末子《すゑこ》『|何《なん》とも|云《い》へぬ|涼《すず》しい|風《かぜ》が|御座《ござ》いますなア。|勿体《もつたい》ない|事《こと》|乍《なが》ら、|此処《ここ》で|少時《しばらく》|休息《きうそく》して|参《まゐ》る|事《こと》に|致《いた》しませう。どうせ|二日《ふつか》や|三日《みつか》|歩《ある》いたつて|珍《うづ》の|都《みやこ》へは|容易《ようい》に|行《ゆ》けませぬから……』
|捨子《すてこ》『つい|目《め》の|下《した》に|見《み》えて|居《ゐ》るようですが、|随分《ずゐぶん》|里程《みちのり》があると|見《み》えますなア』
カール『モシ、|末子姫《すゑこひめ》|様《さま》、|松《まつ》|竹《たけ》|梅《うめ》の|宣伝使《せんでんし》がここで|懐郷《くわいきやう》の|念《ねん》に|駆《か》られて|訣別《けつべつ》の|歌《うた》をよまれた|旧蹟《きうせき》ですから、|貴女《あなた》も|一《ひと》つテルの|国《くに》を|別《わか》れるに|臨《のぞ》み、|得意《とくい》の|御言霊《おんことたま》を|以《もつ》てお|歌《うた》ひ|下《くだ》さつては|如何《どう》でせう』
|末子《すゑこ》『オホヽヽヽ、お|恥《はづ》かしい|事《こと》ですが、|左様《さやう》な|結構《けつこう》な|宣伝使《せんでんし》の|御歌《おうた》ひになつた|由緒《ゆいしよ》ある|地点《ちてん》と|聞《き》けば、|歌《うた》はずには|居《を》られますまい。……|捨子姫《すてこひめ》さま、あなたも|一《ひと》つ|御歌《おうた》ひになつたら|如何《どう》でせう』
|捨子《すてこ》『|先《ま》づ|貴女《あなた》から|先《さき》にお|口《くち》を|切《き》つて|下《くだ》さいませ。|私《わたし》も|驥尾《きび》に|附《ふ》して|蛇足《だそく》を|添《そ》へますから……』
|末子姫《すゑこひめ》は|山上《さんじやう》の|涼《すず》しき|風《かぜ》に|吹《ふ》かれつつ、|声調《せいてう》ゆるやかに|歌《うた》ひ|始《はじ》めたり。
『|神《かみ》の|都《みやこ》のエルサレム  |天使《てんし》の|長《をさ》と|現《あ》れませる
|桃上彦《ももがみひこ》の|大神《おほかみ》は  |松《まつ》|竹《たけ》|梅《うめ》の|三柱《みはしら》の
いたいけ|盛《ざかり》の|娘子《むすめご》を  |珍《うづ》の|館《やかた》に|残《のこ》しおき
|聖地《せいち》の|混乱《こんらん》|後《あと》にして  |見《み》るもいぶせき|船《ふね》に|乗《の》り
|命《いのち》からがら|和田《わだ》の|原《はら》  |漕《こ》ぎ|出《い》で|玉《たま》ふ|折柄《をりから》に
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》に  |一度《いちど》は|竜宮《りうぐう》の|金門守《かなども》り
|乙米姫《おとよねひめ》に|助《たす》けられ  |悲《かな》しき|月日《つきひ》を|送《おく》る|折《をり》
|天教山《てんけうざん》に|現《あ》れませる  |神伊邪諾大神《かむいざなぎのおほかみ》の
|珍《うづ》の|御子《おんこ》と|現《あ》れませる  |日《ひ》の|出神《でのかみ》に|助《たす》けられ
|琴平別《ことひらわけ》の|亀《かめ》に|乗《の》り  |淤縢山津見《おどやまづみ》と|諸共《もろとも》に
|此《この》|高砂《たかさご》に|安着《あんちやく》し  |珍《うづ》の|都《みやこ》に|出《い》でまして
|三五教《あななひけう》を|広《ひろ》めまし  |珍山峠《うづやまたうげ》を|乗越《のりこ》えて
|心《こころ》の|空《そら》もハルの|国《くに》  |鷹取別《たかとりわけ》の|守《まも》りたる
ハルの|城下《じやうか》に|出《い》でまして  |数多《あまた》の|敵《てき》に|取巻《とりま》かれ
|所《ところ》|構《かま》はず|突《つ》き|刺《さ》され  |沙漠《さばく》の|中《なか》に|埋《うづ》められ
|命《いのち》カラガラハルの|国《くに》  |逃《に》げ|出《い》でまして|珍山《うづやま》の
|谷間《たにま》に|湧《わ》き|出《で》る|温泉《おんせん》に  |病《やまひ》を|養《やしな》ひゐます|折《をり》
|淤縢山津見《おどやまづみ》や|蚊々虎《かがとら》の  |神《かみ》の|司《つかさ》に|巡《めぐ》り|会《あ》ひ
|駒山彦《こまやまひこ》や|五月姫《さつきひめ》  |一行《いつかう》|五人《ごにん》は|天雲《あまくも》の
|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》を|打渉《うちわた》り  |大蛇《をろち》の|船《ふね》に|乗《の》せられて
やうやうウヅの|都《みやこ》まで  |帰《かへ》らせ|玉《たま》ひて|五月姫《さつきひめ》
|珍山彦《うづやまひこ》の|媒酌《なかだち》に  |鴛鴦《をし》の|衾《ふすま》の|契《ちぎり》をば
|結《むす》び|玉《たま》ひし|芽出《めで》たさよ  |五月五日《ごがついつか》の|夕間暮《ゆふまぐれ》
|聖地《せいち》を|後《あと》に|三人《さんにん》の  |松《まつ》|竹《たけ》|梅《うめ》の|愛娘《まなむすめ》
|訪《たづ》ね|来《きた》りて|親《おや》と|子《こ》の  |嬉《うれ》しき|対面《たいめん》|遊《あそ》ばせし
|珍《うづ》の|都《みやこ》は|白雲《しらくも》の  |彼方《あなた》に|幽《かす》かに|見《み》えにけり
|茲《ここ》に|三人《みたり》の|姉妹《おとどい》は  |神《かみ》の|教《をしへ》を|伝《つた》へむと
|草鞋《わらぢ》|脚絆《きやはん》に|身《み》をかため  |父《ちち》の|命《みこと》や|母命《ははみこと》
|二人《ふたり》に|暇《いとま》を|告《つ》げ|乍《なが》ら  |三人《みたり》の|司《つかさ》に|伴《ともな》はれ
|此《こ》れの|峠《たうげ》に|登《のぼ》りまし  |父《ちち》と|母《はは》とに|訣別《けつべつ》の
|名残《なご》を|惜《を》しみ|玉《たま》ひたる  |心《こころ》の|色《いろ》もテル|山《やま》の
|昔《むかし》|思《おも》へばなつかしや  |妾《わらは》も|同《おな》じ|八乙女《やをとめ》の
か|弱《よわ》き|身《み》にて|斎苑館《いそやかた》  |鎮《しづ》まりゐます|父上《ちちうへ》の
|膝元《ひざもと》|離《はな》れて|遥々《はるばる》と  メソポタミヤの|顕恩郷《けんおんきやう》
それより|進《すす》んで|波斯《フサ》の|国《くに》  |教《をしへ》を|開《ひら》く|折柄《をりから》に
バラモン|教《けう》の|人々《ひとびと》に  |捉《とら》まへられて|和田《わだ》の|原《はら》
|便《たよ》り|渚《なぎさ》の|捨小舟《すてをぶね》  |八人乙女《やたりをとめ》はちりぢりに
|神《かみ》の|仕組《しぐみ》か|白波《しらなみ》の  |上漕《うへこ》ぎ|渡《わた》る|悲《かな》しさよ
|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|幸《さち》はひて  |汐《しほ》の|八百路《やほぢ》も|恙《つつが》なく
|魔神《まがみ》を|払《はら》ふハラ|港《みなと》  テルの|国《くに》をばスタスタと
|東《ひがし》を|指《さ》して|進《すす》み|来《く》る  テル|山峠《やまたうげ》の|山麓《さんろく》に
|三五教《あななひけう》の|神司《かむづかさ》  |罪《つみ》もカールの|神人《しんじん》に
|思《おも》ひ|掛《が》けなく|巡《めぐ》り|合《あ》ひ  |乾《いぬゐ》の|滝《たき》に|立寄《たちよ》りて
|其《その》|壮大《さうだい》を|賞《ほ》めゐたる  |時《とき》しもあれや|滝《たき》の|上《へ》に
さも|凄《すさま》じき|目《め》を|見《み》はり  |大口《おほぐち》|開《あ》けて|睨《にら》み|居《ゐ》る
|醜《しこ》の|大蛇《をろち》に|魅《み》せられて  |巌《いはほ》の|片方《かたへ》に|石熊《いしくま》の
|神《かみ》の|司《つかさ》が|直立《ちよくりつ》し  |苦《くるし》み|玉《たま》ふ|憐《あは》れさよ
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》す  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|村肝《むらきも》の
|心《こころ》を|捧《ささ》げて|願《ね》ぎ|奉《まつ》る  |吾《わが》|言霊《ことたま》は|天地《あめつち》に
|忽《たちま》ち|通《かよ》ひて|石熊《いしくま》の  |神《かみ》の|宮居《みやゐ》は|自由自在《じいうじざい》
|大蛇《をろち》は|直《ただち》に|解脱《げだつ》して  |雲《くも》を|霞《かすみ》と|消《き》え|失《う》せぬ
|心《こころ》も|固《かた》き|石熊《いしくま》が  |赤《あか》き|心《こころ》を|推《お》し|測《はか》り
|神《かみ》の|大道《おほぢ》を|共々《ともども》に  |伝《つた》へ|行《ゆ》かむと|宣伝歌《せんでんか》
|歌《うた》ひて|漸《やうや》く|山頂《さんちやう》に  |登《のぼ》りて|後《あと》を|眺《なが》むれば
|山河草木《さんかさうもく》|麗《うるは》しく  |神《かみ》の|恵《めぐみ》の|充《み》ち|足《た》らひ
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|有様《ありさま》を  |隈《くま》なく|現《あらは》し|玉《たま》ひける
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|恵《めぐみ》の|著《いち》じるく
|教《をしへ》の|花《はな》のいと|清《きよ》く  |吾等《われら》は|茲《ここ》にやすやすと
|珍《うづ》とテルとの|国境《くにざかゐ》  |四方《よも》を|見《み》おろす|雲《くも》の|上《へ》に
|立《た》ちしは|神《かみ》の|御恵《みめぐ》みぞ  さは|去《さ》り|乍《なが》ら|吾《わが》|父《ちち》の
|神《かみ》の|尊《みこと》は|今《いま》|何処《いづこ》  あが|姉妹《おとどい》の|五十子姫《いそこひめ》
|愛子《あいこ》の|姫《ひめ》を|始《はじ》めとし  |五人《ごにん》の|姉《あね》は|如何《いか》にして
|此《この》|世《よ》を|過《す》ぐさせ|玉《たま》ふらむ  |行方《ゆくへ》も|知《し》らぬ|波《なみ》の|上《うへ》
|雲《くも》の|彼方《かなた》を|打眺《うちなが》め  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なにあが|父《ちち》や
|姉《あね》の|命《みこと》の|消息《せうそく》を  |思《おも》ひ|煩《わづら》ふあが|心《こころ》
いつしか|晴《は》れむ|常暗《とこやみ》の  |帳《とばり》は|開《あ》けて|天津空《あまつそら》
|月日《つきひ》も|清《きよ》くテル|山《やま》の  |山《やま》の|尾《を》の|上《へ》の|風《かぜ》|清《きよ》く
|心《こころ》|楽《たのし》き|松《まつ》の|世《よ》の  |親子《おやこ》|姉妹《けうだい》|一時《いつとき》に
|嬉《うれ》しき|顔《かほ》を|五六七《みろく》の|世《よ》  |神《かみ》のまにまに|高砂《たかさご》の
|此《この》|神島《かみしま》に|身《み》を|忍《しの》び  |神《かみ》の|教《をしへ》に|仕《つか》へなむ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|述懐《じゆつくわい》の|歌《うた》を|歌《うた》ひ、|恰好《かつかう》な|腰掛岩《こしかけいは》の|上《うへ》に|身《み》を|托《たく》し、|汗《あせ》を|拭《ぬぐ》ふ。|捨子姫《すてこひめ》は|風《かぜ》に|面《おもて》を|吹《ふ》かれつつ、さも|愉快《ゆくわい》げに|四方《しはう》を|見晴《みは》らし|乍《なが》ら、|体《からだ》を|東西南北《とうざいなんぽく》に|回転《くわいてん》しつつ、|歌《うた》ひ|始《はじ》めたり。
『|東《ひがし》や|西《にし》や|北《きた》|南《みなみ》  |四方《よも》の|国型《くにがた》|眺《なが》むれば
|大海原《おほうなばら》に|浮《うか》びたる  |高砂島《たかさごじま》の|名《な》に|恥《は》ぢず
|太平松《たいへいまつ》や|楠堅木《くすかたぎ》  |槻《つき》の|大木《おほき》は|青々《あをあを》と
|見《み》わたす|限《かぎ》り|山々《やまやま》に  |茂《しげ》り|合《あ》ひたる|麗《うるは》しさ
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》も|目《ま》のあたり  |眺《なが》めて|暮《くら》す|心地《ここち》して
|旅《たび》のうさをも|打忘《うちわす》れ  |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の
|珍《うづ》の|御子《おんこ》と|現《あ》れませる  |姿《すがた》|優《やさ》しき|末子姫《すゑこひめ》
|主人《あるじ》の|君《きみ》と|仰《あふ》ぎつつ  |何《いづ》れの|里《さと》か|白雲《しらくも》の
|空《そら》を|眺《なが》めて|海《うみ》の|上《うへ》  やうやうここに|渡《わた》り|来《き》て
|月日《つきひ》も|清《きよ》くテル|山《やま》の  |尾《お》の|上《え》に|登《のぼ》りて|眺《なが》むれば
|吹来《ふきく》る|風《かぜ》も|芳《かん》ばしく  |木々《きぎ》の|梢《こずゑ》は|花盛《はなざか》り
|味《あぢ》よき|木実《このみ》は|限《かぎ》りなく  |枝《えだ》もたわわに|充《み》ち|足《た》らひ
|飢《う》ゆる|事《こと》なく|吾々《われわれ》は  |喉《のど》も|乾《かわ》かず|楽《たのし》みて
|常世《とこよ》の|春《はる》に|会《あ》ふ|心地《ここち》  |天地《てんち》を|造《つく》り|玉《たま》ひたる
|元《もと》つ|御祖《みおや》の|大神《おほかみ》の  |開《ひら》き|玉《たま》ひし|三五《あななひ》の
|教《をしへ》の|司《つかさ》と|任《ま》けられて  |何処《いづこ》を|果《は》てとも|長《なが》の|旅《たび》
|進《すす》み|来《きた》るぞ|楽《たのし》けれ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御霊《みたま》の|幸《さち》はひて  |世人《よびと》の|為《ため》に|玉《たま》の|緒《を》の
|生命《いのち》を|捨子《すてこ》の|神司《かむづかさ》  |末子《すゑこ》の|姫《ひめ》の|側近《そばちか》く
|仕《つか》へ|奉《まつ》りて|永久《とこしへ》に  |太《ふと》き|功績《いさを》を|立《た》てまつり
|神《かみ》の|御子《おんこ》と|生《うま》れたる  あが|天職《てんしよく》をまつぶさに
|尽《つく》させ|玉《たま》へ|天津神《あまつかみ》  |国津神《くにつかみ》たち|八百万《やほよろづ》
|殊《こと》に|尊《たふと》き|国治立《くにはるたち》の  |厳《いづ》の|尊《みこと》や|豊国姫《とよくにひめ》の
|瑞《みづ》の|尊《みこと》の|御前《おんまへ》に  |誠《まこと》をこめて|願《ね》ぎまつる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|御霊《みたま》の|幸《さち》はひて
|天教山《てんけうざん》に|現《あ》れませる  |天照《あまてら》します|大神《おほかみ》の
|珍《うづ》の|御前《みまへ》に|逸早《いちはや》く  |八岐大蛇《やまたをろち》を|言向《ことむ》けて
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》が  |一日《ひとひ》も|早《はや》く|功績《いさをし》を
|高天原《たかあまはら》に|参上《まゐの》ぼり  |大蛇《をろち》の|呑《の》みたる|村雲《むらくも》の
|剣《つるぎ》を|手早《てばや》く|大神《おほかみ》の  |御前《みまへ》に|奉《まつ》らせ|玉《たま》へかし
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》の  |八人乙女《やたりをとめ》の|末《すゑ》の|子《こ》と
|現《あ》れ|出《い》でませる|末子姫《すゑこひめ》  かしづき|奉《まつ》る|捨子姫《すてこひめ》
|新《あらた》に|仕《つか》へし|石熊《いしくま》の  |神《かみ》の|司《つかさ》や|三五《あななひ》の
|道《みち》を|歩《あゆ》めるカール|迄《まで》  |厚《あつ》く|守《まも》らせ|玉《たま》ひつつ
|五六七《みろく》の|御世《みよ》の|神政《しんせい》に  |清《きよ》く|使《つか》はせ|玉《たま》へかし
|神《かみ》は|吾等《われら》と|倶《とも》にます  |吾等《われら》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》
|雲井《くもゐ》の|上《うへ》に|千木《ちぎ》|高《たか》く  |仕《つか》へまつりて|宮柱《みやばしら》
|太《ふと》しく|立《た》てて|大神《おほかみ》の  |御前《みまへ》に|清《きよ》く|復《かへ》り|言《ごと》
|詳《つぶ》さに|申《まを》させ|玉《たま》へかし  |旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  |高砂島《たかさごじま》は|沈《しづ》むとも
|曲津《まがつ》は|猛《たけ》く|攻《せ》め|来《く》とも  |神《かみ》に|仕《つか》へし|吾《わが》|身魂《みたま》
|五六七《みろく》の|御世《みよ》の|末《すゑ》|迄《まで》も  |変《かは》らざらまし|神《かみ》の|前《まへ》
|慎《つつし》み|誓《ちか》ひ|奉《たてまつ》る  さはさり|乍《なが》らコーカスの
|山《やま》にゐませし|素盞嗚《すさのを》の  |神《かみ》の|尊《みこと》は|今《いま》|何処《いづこ》
|日《ひ》の|出別《でのわけ》や|言依別《ことよりわけ》の  |神《かみ》の|命《みこと》は|如何《いか》にして
|道《みち》に|尽《つく》させ|玉《たま》ふらむ  |五十子《いそこ》の|姫《ひめ》や|愛子姫《あいこひめ》
|英子《ひでこ》の|姫《ひめ》は|今《いま》|何処《いづこ》  |別《わか》れて|程経《ほどへ》し|吾々《われわれ》は
|音《おと》づる|由《よし》も|波《なみ》の|上《うへ》  |清《きよ》く|泛《うか》べる|高砂《たかさご》の
テル|山峠《やまたうげ》の|頂上《ちやうじやう》に  |後《あと》|振返《ふりかへ》り|振返《ふりかへ》り
|哀別離苦《あいべつりく》の|感《かん》|深《ふか》し  あゝ|皇神《すめかみ》よ|皇神《すめかみ》よ
|御霊《みたま》のふゆを|幸《さち》はひて  |一日《ひとひ》も|早《はや》く|大神《おほかみ》に
|吾等《われら》を|会《あ》はせ|玉《たま》へかし  |女心《をんなごころ》の|一筋《ひとすぢ》に
|遥《はるか》に|拝《をが》み|奉《たてまつ》る  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましせよ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》り、これより|末子姫《すゑこひめ》を|先頭《せんとう》に|一行《いつかう》|四人《よにん》はテル|山峠《やまたうげ》を|東《ひがし》に|降《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・八・一四 旧六・二二 松村真澄録)
(昭和一〇・六・九 王仁校正)
第二篇 |珍野瞰下《うづのかんか》
第五章 |下坂《げはん》の|歌《うた》〔八四七〕
|一行《いつかう》|四人《よにん》は|初夏《しよか》の|炎天《えんてん》に|曝《さら》され|乍《なが》ら、|吹《ふ》き|来《く》る|涼風《りやうふう》に|衣《ころも》の|袖《そで》を|翻《ひるがへ》しつつ、|岩石《がんせき》|起伏《きふく》の|急坂《きふはん》を、アブト|式《しき》に|一足々々《ひとあしひとあし》|爪先《つまさき》に|力《ちから》を|入《い》れ|乍《なが》ら|降《くだ》り|行《ゆ》く。
|少《すこ》しく|緩勾配《くわんこうばい》の|山路《やまみち》に|差《さし》かかつた。|新《あらた》に|帰順《きじゆん》したる|石熊《いしくま》はテル|山峠《やまたうげ》の|山上《さんじやう》にて|末子姫《すゑこひめ》、|捨子姫《すてこひめ》の|驥尾《きび》に|附《ふ》し|述懐歌《じゆつくわいか》を|歌《うた》はむと、|心中《しんちう》|深《ふか》く|期《き》する|所《ところ》ありしが、|意外《いぐわい》にも|末子姫《すゑこひめ》の|休息《きうそく》を|早《はや》く|切《き》り|上《あ》げて|坂《さか》を|降《くだ》り|始《はじ》めしより、|止《や》むを|得《え》ず|沈黙《ちんもく》を|守《まも》り、|急坂《きふはん》を|降《くだ》りつつあつた。|今《いま》しも|稍《やや》|緩勾配《くわんこうばい》の|安全《あんぜん》なる|坂道《さかみち》に|差《さし》かかりたるを|機会《きくわい》に、|歩《あゆ》み|乍《なが》ら|足拍子《あしびやうし》を|取《と》り、|石熊《いしくま》は|述懐《じゆつくわい》の|歌《うた》を|唄《うた》ひ|始《はじ》めたり。
『あゝ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い  テル|山峠《やまたうげ》の|頂上《ちやうじやう》に
|古今無双《ここんむさう》の|二人《ふたり》のナイス  |天津乙女《あまつをとめ》の|降来《かうらい》か
|木《こ》の|花姫《はなひめ》の|出現《しゆつげん》か  |木石《ぼくせき》ならぬ|石熊《いしくま》も
バラモン|教《けう》の|御教《みをしへ》を  |固《かた》く|守《まも》りて|今迄《いままで》は
|巌《いはほ》の|如《ごと》く|頑強《ぐわんきやう》に  |教《をしへ》を|楯《たて》にバラモンの
|神《かみ》の|教《をしへ》の|信徒《しんと》|等《ら》に  |化石《くわせき》したかと|笑《わら》はれた
|此《この》|堅蔵《かたざう》も|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》に|入信《にふしん》し
|優《やさ》しき|姿《すがた》|顔容《かんばせ》に  |心《こころ》の|動《うご》いた|恥《はづ》かしさ
さはさり|乍《なが》ら|吾々《われわれ》は  |素《もと》より|賤《いや》しき|身《み》の|上《うへ》ぞ
|高根《たかね》に|咲《さ》ける|松《まつ》の|花《はな》  |如何《いか》に|憔《あこが》れ|慕《した》うとも
|天津御空《あまつみそら》の|星影《ほしかげ》を  |竿《さを》の|先《さき》にてがらつよな
|極《きは》めて|至難《しなん》の|事《こと》であろ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》の|頼《ふゆ》を|蒙《かうむ》りて  |三五教《あななひけう》に|服従《まつろ》ひし
|此《この》|石熊《いしくま》が|心根《こころね》を  |厳《きび》しく|鞭撻《べんたつ》なし|玉《たま》ひ
|怪《け》しき|怪《あや》しき|恋《こひ》の|暗《やみ》  |忍《しの》びて|来《きた》る|曲鬼《まがおに》を
|早《はや》く|征服《せいふく》させ|玉《たま》へ  バラモン|教《けう》の|神《かみ》の|法《のり》
|別《べつ》に|変《かは》りしこともなし  さは|去《さ》り|乍《なが》ら|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》に|比《くら》ぶれば  どこやら|一《ひと》つ|物足《ものた》らぬ
|吾《わ》がバラモンの|主唱《しゆしやう》する  |霊主体従《れいしゆたいじう》の|御教《みをしへ》は
|神《かみ》に|貰《もら》うた|肉体《にくたい》を  |損《そこな》ひ|破《やぶ》ること|許《ばか》り
|普《あまね》く|世界《せかい》の|人々《ひとびと》を  |大事《だいじ》の|大事《だいじ》の|神徳《しんとく》に
|助《たす》くる|道《みち》に|欠《か》けてゐる  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|教《をしへ》は|皆《みな》|一《ひと》つ  |只《ただ》|実行《じつかう》と|不実行《ふじつかう》の
|差別《けじめ》に|依《よ》りて|変《かは》るのみ  |高天原《たかあまはら》を|退《や》らはれし
|此《この》|世《よ》を|救《すく》ふ|生神《いきがみ》の  |尊《たふと》き|御子《みこ》と|現《あ》れませる
|心《こころ》も|澄《す》める|末子姫《すゑこひめ》  |世人《よびと》の|為《ため》に|身《み》を|捨《す》てて
|教《をしへ》を|開《ひら》く|捨子姫《すてこひめ》  か|弱《よわ》き|女《をんな》の|身《み》|乍《なが》らに
|遠《とほ》き|山河《やまかは》|踏《ふ》みさくみ  |長《なが》き|潮路《しほぢ》を|打渡《うちわた》り
はるばるここにテル|山《やま》の  |雲《くも》|突《つ》く|峰《みね》に|現《あら》はれて
|神《かみ》の|御為《おんため》|世《よ》の|為《ため》に  |尽《つく》させ|玉《たま》ふ|尊《たふと》さよ
|吾《われ》は|常世《とこよ》の|目《め》の|国《くに》に  |生《うま》れて|茲《ここ》にバラモンの
|神《かみ》の|教《をしへ》に|入信《にふしん》し  |鬼熊別《おにくまわけ》に|導《みちび》かれ
バラモン|教《けう》の|御教《みをしへ》を  |誹《そし》り|走《ばし》りに|聞《き》き|覚《おぼ》え
|高照山《たかてるやま》の|山麓《さんろく》に  |教《をしへ》の|館《やかた》を|造《つく》りつつ
|天地《てんち》の|間《あひだ》|此《この》|道《みち》に  |優《まさ》りし|教《のり》はあらざらむ
|実《げ》にも|尊《たふと》き|教《をしへ》ぞと  |心《こころ》も|身《み》をも|打任《うちまか》せ
|身《み》もたなしらに|朝夕《あさゆふ》に  |沐雨櫛風《もくうしつぷう》の|労《らう》を|積《つ》み
|教《をしへ》は|日々《ひび》に|天津日《あまつひ》の  |豊栄《とよさか》|昇《のぼ》ります|如《ごと》く
|月日《つきひ》と|共《とも》に|栄《さか》えけり  さはさり|乍《なが》らバラモンの
|教《をしへ》に|一《ひと》つ|疵《きず》がある  |生血《なまち》を|出《だ》して|大神《おほかみ》の
|御目《おんめ》に|示《しめ》し|犠牲《いけにへ》の  |誠《まこと》と|思《おも》ひ|謬《あやま》りし
|其《その》|醜業《しこわざ》に|信徒《まめひと》は  |朝日《あさひ》に|氷《こほり》の|解《と》くる|如《ごと》
|次第々々《しだいしだい》に|衰《おとろ》へて  |法灯《ほふとう》|消《き》えむとなしければ
|茲《ここ》に|一計《いつけい》|案出《あんしゆつ》し  テル|山峠《やまたうげ》に|名《な》も|高《たか》き
|大蛇《をろち》の|棲処《すみか》と|聞《きこ》えたる  さも|恐《おそ》ろしき|大瀑布《だいばくふ》
|人《ひと》の|恐《おそ》れて|近《ちか》よらぬ  |乾《いぬゐ》の|瀑《たき》に|朝夕《あさゆふ》に
しげしげ|通《かよ》ひて|水垢離《みづごうり》  |取《と》りて|身魂《みたま》を|清《きよ》めつつ
|二年《ふたとせ》|計《ばか》り|荒行《あらげふ》を  |励《はげ》み|居《ゐ》たるを|何時《いつ》しかに
|四方《よも》の|国々《くにぐに》|知《し》れ|渡《わた》り  |吾《わが》|熱誠《ねつせい》に|感歎《かんたん》し
|又《また》もや|枯木《かれき》に|花《はな》|咲《さ》きて  |教《をしへ》は|高《たか》く|照《て》りわたる
|高照山《たかてるやま》の|聖場《せいぢやう》は  |残枝《ざんし》|忽《たちま》ち|花《はな》|開《ひら》き
いと|賑《にぎ》はしくなりにけり  |此《この》|機《き》を|逸《いつ》せずバラモンの
|教《をしへ》を|四方《よも》に|伝《つた》へむと  |珍《うづ》の|国《くに》まで|教線《けうせん》を
|張《は》らむとすれば|国彦《くにひこ》の  |御子《みこ》と|生《うま》れし|神司《かむづかさ》
|松若彦《まつわかひこ》の|熱誠《ねつせい》に  |三五教《あななひけう》の|信仰《しんかう》は
|雷《いかづち》の|如《ごと》|鳴《な》り|渡《わた》り  バラモン|教《けう》に|相対《あひたい》し
|侮《あなど》り|難《がた》き|教敵《けうてき》と  |今《いま》は|全《まつた》くなりにけり
|三五教《あななひけう》が|倒《たふ》れるか  バラモン|教《けう》が|倒《たふ》れるか
|生死《せいし》の|境《さかひ》と|肝胆《かんたん》を  |砕《くだ》いて|茲《ここ》に|一計《いつけい》を
ひねり|出《いだ》して|神司《かむづかさ》  ウヅの|都《みやこ》の|三五《あななひ》の
|教《をしへ》の|館《やかた》にさし|廻《まは》し  |三五教《あななひけう》の|信徒《まめひと》と
|佯《いつは》らせつつ|日《ひ》に|夜《よる》に  |内外《うちと》の|様子《やうす》を|窺《うかが》ひつ
|善《よか》らぬ|事《こと》と|知《し》り|乍《なが》ら  |権謀術数《けんぼうじゆつすう》の|有《あ》り|丈《だけ》を
|今迄《いままで》|尽《つく》し|来《きた》りける  |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の
|珍《うづ》の|御子《おんこ》と|現《あ》れませる  |末子《すゑこ》の|姫《ひめ》の|主従《しゆじゆう》が
テルの|国《くに》へと|出《い》でまして  テル|山峠《やまたうげ》を|打渉《うちわた》り
|進《すす》み|来《き》ますとバラモンの  |道《みち》の|根本《こんぼん》|霊場《れいぢやう》より
|無言霊話《むげんれいわ》をかけ|来《きた》る  |容易《ようい》ならざる|出来事《できごと》と
|信任《しんにん》|厚《あつ》き|神司《かむづかさ》  イサク、カールを|始《はじ》めとし
シーナ、チールやネロ|五人《ごにん》  テル|山峠《やまたうげ》の|西麓《せいろく》に
|差遣《さしつか》はして|両人《りやうにん》の  |道《みち》を|遮《さへぎ》り|高照《たかてる》の
|山《やま》の|館《やかた》に|連《つ》れ|帰《かへ》り  |其《その》|目的《もくてき》を|達《たつ》せむと
|乾《いぬゐ》の|滝《たき》に|現《あら》はれて  |何時《いつ》も|慣《な》れたる|水垢離《みづこうり》
|一心不乱《いつしんふらん》に|祈《いの》る|折《をり》  |忽《たちま》ち|身体《しんたい》|強直《きやうちよく》し
ビクともならぬ|苦《くるし》さに  |空《そら》を|仰《あふ》いで|滝《たき》の|上《うへ》
|見上《みあ》ぐる|途端《とたん》に|恐《おそ》ろしき  |醜《しこ》の|大蛇《をろち》が|口《くち》を|開《あ》け
|目《め》を|怒《いか》らして|眺《なが》めゐる  |心《こころ》|戦《をのの》き|体《たい》|縮《ちぢ》み
|進退《しんたい》|維《ここ》に|谷《きは》まりて  |覚悟《かくご》の|臍《ほぞ》を|固《かた》めたる
|時《とき》しもあれや|末子姫《すゑこひめ》  |二人《ふたり》の|伴《とも》を|引連《ひきつ》れて
|現《あら》はれ|来《き》まし|三五《あななひ》の  |清《きよ》き|尊《たふと》き|言霊《ことたま》を
|宣《の》らせ|玉《たま》へば|曲神《まがかみ》は  |雲《くも》を|霞《かすみ》と|消《き》え|失《う》せぬ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |末子《すゑこ》の|姫《ひめ》の|来《きた》らずば
|吾《わ》れは|蛇腹《じやふく》に|葬《ほうむ》られ  |漸《やうや》く|茲《ここ》まで|築《きづ》きたる
バラモン|教《けう》は|忽《たちま》ちに  |嵐《あらし》に|木葉《このは》の|散《ち》る|如《ごと》く
|崩壊《ほうくわい》せむは|目《ま》のあたり  |吾《われ》は|尊《たふと》き|生命《せいめい》を
|実《げ》にも|畏《かしこ》き|大神《おほかみ》の  |珍《うづ》の|御子《おんこ》に|助《たす》けられ
|天下無二《てんかむに》なる|果報者《くわほうもの》  |思《おも》へば|思《おも》へば|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》は|大空《おほぞら》に  |輝《かがや》き|亘《わた》る|日月《じつげつ》の
|光《ひかり》に|優《まさ》る|如《ごと》くなり  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|今迄《いままで》|犯《をか》せし|罪悪《ざいあく》を  |乾《いぬゐ》の|滝《たき》の|水《みづ》|清《きよ》く
|洗《あら》ひ|清《きよ》めて|永久《とこしへ》に  |生《うま》れ|赤子《あかご》と|成《な》り|変《かは》り
|命《いのち》の|続《つづ》く|其《その》|限《かぎ》り  |皇大神《すめおほかみ》の|御道《おんみち》に
|使《つか》はせ|玉《たま》へ|天津神《あまつかみ》  |国津神《くにつかみ》たち|八百万《やほよろづ》
|国魂神《くにたまがみ》の|御前《おんまへ》に  |謹《つつし》み|敬《うやま》ひ|願《ね》ぎまつる
|末子《すゑこ》の|姫《ひめ》や|捨子姫《すてこひめ》  |何卒《なにとぞ》|吾等《われら》が|佯《いつ》はらぬ
|此《この》|告白《こくはく》を|平《たひら》かに  いと|安《やす》らかに|聞《きこ》し|召《め》し
|汝《なれ》が|命《みこと》の|従僕《しもべ》とし  |千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|末永《すえなが》く
|伴《ともな》ひ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》  |神《かみ》かけ|祈《いの》り|奉《たてまつ》る
|神《かみ》かけ|祈《いの》り|奉《たてまつ》る』
と|歌《うた》ひ|終《をは》り、|潔《いさぎよ》く|急坂《きふはん》を|降《くだ》り|行《ゆ》く。|再《ふたた》び|山路《やまぢ》は|峻《さか》しくなつて|来《き》た。|一行《いつかう》は|一歩々々《ひとあしひとあし》、|坂路《さかみち》に|起伏《きふく》せる|岩《いは》の|頭《あたま》に|足《あし》を|踏《ふ》みしめ|乍《なが》ら|下《くだ》り|行《ゆ》く。カールは|此《この》|山路《やまみち》に|相当《さうたう》したる、|声調《せいてう》も|碌《ろく》に|整《ととの》はぬ|歌《うた》を|唄《うた》ひ|乍《なが》ら、|三人《さんにん》の|後《あと》に|従《したが》ひ|下《くだ》り|行《ゆ》く。
『ドツコイシヨウ ドツコイシヨウ  テル|山峠《やまたうげ》は|高《たか》い|山《やま》
|岩石《がんせき》|起伏《きふく》の|谷道《たにみち》を  |危《あぶ》ない|危《あぶ》ないアブト|式《しき》
|力《ちから》を|入《い》れる|指《ゆび》の|先《さき》  まかり|違《ちが》へば|転倒《てんたふ》し
|虻蜂《あぶはち》|取《と》らずになるだらう  |皆《みな》さま|気《き》をつけなさりませ
|敵《てき》の|中《なか》にもドツコイシヨ  |味方《みかた》が|隠《かく》れて|居《を》りまする
オツト|辷《すべ》つた|危《あぶ》ないぞ  |味方《みかた》の|中《なか》にもドツコイシヨ
|敵《てき》が|隠《かく》れて|居《を》るであろ  |人間《にんげん》|万事《ばんじ》|塞翁《さいをう》の
|馬《うま》と|聞《き》いたがドツコイシヨ  コラ|又《また》|危《あぶな》い|石車《いしぐるま》
|乗《の》つて|怪我《けが》をばなさるなや  ドツコイドツコイ|災《わざはひ》の
|後《あと》にはキツと|福《ふく》が|来《く》る  |福《ふく》が|来《き》たとて|油断《ゆだん》すな
|油断《ゆだん》をすれば|此《この》|通《とほ》り  キツい|坂道《さかみち》ドツコイシヨ
|下《くだ》つて|行《ゆ》くよな|者《もの》ぢやぞえ  |三五教《あななひけう》の|神司《かむづかさ》
|松若彦《まつわかひこ》の|命令《めいれい》で  |高照山《たかてるやま》の|神館《かむやかた》
|飛《と》ぶ|鳥《とり》までも|落《おと》すよな  |勢《いきほひ》|強《つよ》き|石熊《いしくま》の
ドツコイドツコイ ドツコイシヨ  オツト|危《あぶな》い|石車《いしぐるま》
お|側《そば》|仕《つか》ひとなりすまし  |一伍一什《いちぶしじふ》を|偵察《ていさつ》し
|隙《ひま》|行《ゆ》く|駒《こま》のドツコイシヨ  |悪《あく》の|企《たく》みを|細々《こまごま》と
|珍《うづ》の|館《やかた》に|報告《はうこく》し  |今迄《いままで》|来《き》たのはドツコイシヨ
|天《てん》の|与《あた》へに|違《ちが》ひない  |罷《まか》り|違《ちが》へばバラモンの
|石熊《いしくま》さまに|嗅出《かぎだ》され  |五体《ごたい》も|何《なに》もグタグタに
バラモン|教《けう》とバラされて  |惜《を》しき|命《いのち》の|安売《やすう》りを
やつて|居《を》つたか|分《わか》らない  ドツコイシヨウ ドツコイシヨウ
|知《し》らぬが|仏《ほとけ》の|石熊《いしくま》さま  バラモン|教《けう》に|一心《いつしん》に
なつて|御座《ござ》つた|其《その》|為《ため》か  |間者《かんじや》となつて|入《い》り|込《こ》みし
カールとネロの|両人《りやうにん》を  オツト|危《あぶな》い、|又《また》|辷《すべ》る
|此上《こよ》なき|者《もの》と|愛《あい》しつつ  |重《おも》く|用《もち》ゐて|下《くだ》さつた
|深《ふか》い|情《なさけ》に|絆《ほだ》されて  |三五教《あななひけう》の|信仰《しんかう》も
|時々《ときどき》|怪《あや》しくなつて|来《き》た  |一向《いつかう》|私《わたし》もバラモンの
|神《かみ》の|教《をしへ》に|入信《にふしん》し  |一《ひと》つ|腕《うで》をば|研《みが》き|上《あ》げ
|珍《うづ》の|都《みやこ》の|人々《ひとびと》を  アフンとさしてやらうかと
|副守護神《ふくしゆごじん》が|囁《ささや》いて  ドツコイシヨ ドツコイシヨ
|危《あぶな》い|危《あぶな》い|誘惑《いうわく》の  |手《て》を|伸《の》ばしたる|事《こと》もある
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》に|貰《もら》うたドツコイシヨ
|直日《なほひ》の|霊魂《みたま》が|輝《かがや》いて  オツトドツコイそりや|悪《わる》い
|誠《まこと》の|神《かみ》の|御教《みをしへ》と  |偽《いつは》り|神《がみ》の|教《をしへ》とを
|神《かみ》に|貰《もら》うたドツコイシヨ  |稜威《いづ》の|霊《みたま》に|省《かへり》みて
|必《かなら》ず|迷《まよ》ふこと|勿《なか》れ  |天国《てんごく》|地獄《ぢごく》の|国境《くにざかひ》
|胸《むね》に|手《て》を|当《あ》て|思案《しあん》せと  |何《なに》か|知《し》らぬが|囁《ささや》いた
アイタタ、ドツコイ|躓《つまづ》いた  |拇指《おやゆび》|小指《こゆび》をしたたかに
|尖《とが》つた|岩《いは》に|突《つ》きあてて  |千尋《ちひろ》の|谷間《たにま》に|危《あやふ》くも
|辷《すべ》りおちむとドツコイシヨ  ドツコイドツコイ ドツコイシヨ
|傾《かたむ》く|身体《からだ》を|手《て》を|広《ひろ》げ  |中心《ちうしん》|取《と》つてドツコイシヨ
おかげで|体《からだ》が|立直《たてなほ》り  ヤツと|命《いのち》を|取《と》り|止《と》めた
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》|程《ほど》|尊《たふと》い|方《かた》はない
モウシ|末子《すゑこ》のお|姫《ひめ》さま  |捨子姫《すてこひめ》さまお|二方《ふたかた》
|足許《あしもと》|用心《ようじん》なさりませ  ズイ|分《ぶん》|高《たか》い|石熊《いしくま》が
ゴロゴロゴロと|坂道《さかみち》に  |転《こ》かしてやらうと|待《ま》つてゐる
ドツコイ|油断《ゆだん》は|大敵《たいてき》ぢや  |人《ひと》の|心《こころ》は|分《わか》らない
とは|云《い》ふものの|石熊《いしくま》さま  お|前《まへ》の|事《こと》ではない|程《ほど》に
|気《き》を|悪《わる》なさつて|下《くだ》さるな  |躓《つまづ》く|石《いし》も|縁《えん》の|端《はし》
|一樹《いちじゆ》の|蔭《かげ》の|雨宿《あまやど》り  |一河《いちが》の|流《なが》れを|汲《く》むさへも
|深《ふか》い|因縁《いんねん》あればこそ  お|前《まへ》の|館《やかた》に|住《す》み|込《こ》んで
|朝晩《あさばん》|同《おな》じ|物《もの》を|食《く》ひ  |水《みづ》も|洩《も》らさぬ|親切《しんせつ》を
|尽《つく》して|貰《もら》うた|其《その》|時《とき》の  |私《わたし》の|心《こころ》の|苦《くる》しさは
|口《くち》で|言《い》ふよな|事《こと》でない  |一層《いつそう》お|前《まへ》に|真実《しんじつ》を
|心《こころ》の|底《そこ》から|打明《うちあ》けて  |白状《はくじやう》せうかと|思《おも》うたが
ドツコイドツコイ|待《ま》て|暫《しば》し  |松若彦《まつわかひこ》の|神司《かむづかさ》
|私《わたし》を|男《をとこ》と|見込《みこ》んでの  |最上《さいじやう》|破格《はかく》の|御信任《ごしんにん》
|無《む》にしちやならぬとドツコイシヨ  |再《ふたた》び|心《こころ》を|立直《たてなほ》し
|猫《ねこ》を|被《かぶ》つてやつて|来《き》た  カールは|腹《はら》のドツコイシヨ
|汚《きたな》い|奴《やつ》ぢやと|思《おも》はずに  |今迄《いままで》お|前《まへ》を|詐《いつは》つた
|心《こころ》の|罪《つみ》を|赦《ゆる》してよ  ドツコイドツコイ|其《その》|代《かは》り
お|前《まへ》の|深《ふか》い|計《はか》らひで  ウヅの|都《みやこ》に|遣《つか》はした
|間者《かんじや》は|幾人《いくにん》あるとても  |末子《すゑこ》の|姫《ひめ》の|御前《おんまへ》に
|俺《おれ》が|代《かは》つてお|詫《わび》して  |綺麗《きれい》に|綺麗《きれい》に|帳消《てうけ》しと
|流《なが》れ|勘定《かんぢやう》にして|貰《もら》ふ  |皆《みな》さま|危《あぶな》い|足許《あしもと》に
|気《き》をつけなされよ|坂路《さかみち》は  ますます|急《きふ》になつて|来《き》た
ウツカリ|辷《すべ》つて|谷底《たにそこ》へ  |転落《てんらく》したら|大変《たいへん》だ
|胸《むね》がドキドキ|騒《さわ》ぎ|出《だ》す  |三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》よ
どうぞ|一行《いつかう》|四人連《よにんづ》れ  |此《この》|急坂《きふはん》を|恙《つつが》なく
あなたの|厚《あつ》き|御守《みまも》りに  |通過《つうくわ》をさせて|下《くだ》さんせ
|偏《ひとへ》に|御願《おねがひ》|申《まを》します  ドツコイドツコイ ドツコイシヨ
アイタタ、ドツコイ|又《また》|転《こ》けた  あんまり|調子《てうし》に|乗《の》り|過《す》ぎて
|知《し》らずに|乗《の》つた|石車《いしぐるま》  |背中《せなか》は|少《すこ》し|打《う》つたれど
|生命《いのち》は|別状《べつじやう》はない|程《ほど》に  |皆《みな》さま|安心《あんしん》しておくれ
ウントコ、ドツコイ ドツコイシヨ  |降《くだ》れば|広《ひろ》きウヅの|国《くに》
|青野ケ原《あをのがはら》の|右左《みぎひだり》  |青葉《あをば》の|蔭《かげ》に|身《み》を|休《やす》め
ゆつくり|一服《いつぷく》|致《いた》しませう  ホントに|長《なが》い|峠《たうげ》ぢやなア
グヅグヅしてると|日《ひ》が|暮《く》れる  さうだと|云《い》つて|無茶苦茶《むちやくちや》に
|走《はし》つて|降《くだ》れば|又《また》|転《こ》ける  |坊主《ばうづ》と|尼《あま》ならケがないが
|俺等《おいら》の|様《やう》な|長髪《ちやうはつ》は  |中々《なかなか》|此《この》|道《みち》や|物騒《ぶつそう》な
あゝ|惟神《かむながら》ドツコイシヨ  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ
|旭《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》る|共《とも》  |月《つき》は|盈《み》つ|共《とも》|虧《か》くる|共《とも》
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |再《ふたた》びこんな|山路《やまみち》を
|私《わたし》は|通《とほ》ろと|思《おも》はない  |本当《ほんたう》に|危《あぶ》ない|坂道《さかみち》ぢや
|神《かみ》の|御為《おんため》|世《よ》の|人《ひと》を  |助《たす》ける|道《みち》と|思《おも》やこそ
|音《おと》に|名高《なだか》き|此《この》|坂《さか》を  |登《のぼ》りつ|下《くだ》りつ|致《いた》すのだ
|天地《てんち》の|神《かみ》も|吾々《われわれ》が  |此《この》|真心《まごころ》を|御照覧《ごせうらん》
|遊《あそ》ばしまして|世《よ》に|高《たか》く  |誉《ほまれ》を|残《のこ》させ|玉《たま》へかし
|淤縢山津見《おどやまづみ》や|駒山《こまやま》の  |彦命《ひこのみこと》や|珍山《うづやま》の
|神《かみ》の|司《つかさ》の|通《とほ》りたる  |此《この》|山坂《やまさか》を|改《あらた》めて
|二人《ふたり》の|美人《びじん》に|導《みちび》かれ  |黄金《こがね》の|橋《はし》を|渡《わた》るよな
|危《あぶ》ない|気分《きぶん》で|下《くだ》りゆく  |天教山《てんけうざん》ではなけれ|共《ども》
|木《こ》の|花《はな》|匂《にほ》ふウヅの|国《くに》  |花《はな》の|都《みやこ》にドツコイシヨ
ドツコイドツコイ ドツコイシヨ  |上《のぼ》り|行《ゆ》くこそ|楽《たの》しけれ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |早《はや》|言霊《ことたま》の|油《あぶら》きれ
|停電《ていでん》するより|仕様《しやう》がない  |二人《ふたり》の|親《おや》が|遺《かた》みとて
|残《のこ》して|呉《く》れた|膝栗毛《ひざくりげ》  どうやら|怪《あや》しくなつて|来《き》た
そこには|丁度《ちやうど》|恰好《かつかう》な  |腰掛岩《こしかけいは》が|並《なら》んでる
|皆《みな》さま|一服《いつぷく》せうぢやないか  |叔母《をば》が|死《し》んでも|直休《ぢきやす》み
|暑中《しよちう》|休暇《きうか》の|避暑《ひしよ》|旅行《りよかう》  |青葉《あをば》の|蔭《かげ》に|横《よこ》たはり
|息《いき》をついだら|如何《どう》であろ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|一歩々々《ひとあしひとあし》、|九十九折《つくもを》りの|石《いし》だらけの|危《あぶ》なき|急坂《きふはん》を|下《くだ》つて|来《き》たが、|稍《やや》|少《すこ》し|計《ばか》り|緩勾配《くわんこうばい》の|坂《さか》の|左側《さそく》に|腰掛《こしかけ》の|如《ごと》く|並《なら》んでゐる|天然《てんねん》|椅子《いす》に|一行《いつかう》|四人《よにん》は|腰《こし》を|卸《おろ》し|息《いき》をつぎ、|汗《あせ》を|涼風《りやうふう》に|拭《ぬぐ》ふ。
(大正一一・八・一四 旧六・二二 松村真澄録)
第六章 |樹下《じゆか》の|一宿《いつしゆく》〔八四八〕
|四人《よにん》は|天然《てんねん》|椅子《いす》の|岩《いは》の|上《うへ》に|端座《たんざ》し、|稍《やや》|少時《しばらく》|息《いき》を|休《やす》めた。|捨子姫《すてこひめ》は、
『カールさま、|随分《ずゐぶん》|偉《えら》いメートルを|上《あ》げましたねえ。おかげで|面白《おもしろ》く|急坂《きふはん》を|知《し》らぬ|間《ま》にここまで|下《くだ》つて|来《き》ました。|歌《うた》と|云《い》ふものは|本当《ほんたう》に|旅《たび》には|欠《か》く|可《べ》からざるものだと|感《かん》じました。|面白《おもしろ》く|節《ふし》をつけて|歌《うた》つて|下《くだ》さつたおかげで、|重《おも》たい|足《あし》も|体《からだ》も|躍動《やくどう》|致《いた》しまして|大変《たいへん》に|愉快《ゆくわい》でしたワ』
『ハイ|私《わたくし》のカールい|口《くち》で|出鱈目《でたらめ》を|喋《しやべ》りました。|其《その》|御神徳《おかげ》で|貴女《あなた》の|御足《みあし》がカール|動《うご》きましただらう、アハヽヽヽ。|併《しか》し|石熊《いしくま》がゴロゴロして|居《を》るので、|邪魔《じやま》になつて、|随分《ずゐぶん》|目《め》を|使《つか》はれたでせう』
|石熊《いしくま》『|何《なん》だか|知《し》らぬが、|此《この》|急坂《きふはん》に|団子石《だんごいし》かカール|石《いし》のやうな|物《もの》がゴロゴロしてをつて、カールはづみには|足《あし》も|運《はこ》べず、あまり|可笑《をか》しい|歌《うた》で、|膝坊主《ひざばうづ》まで|笑《わら》つて|居《ゐ》ましたよ、|石原《いしはら》に|薬鑵《やかん》を|引摺《ひきづ》る|様《やう》な|声《こゑ》で、ズイ|分《ぶん》|有難迷惑《ありがためいわく》を|感《かん》じました。アハヽヽヽ』
カール『|有難迷惑《ありがためいわく》とはチツと|口《くち》が|悪《わる》いぢやありませぬか。お|前《まへ》さまはヤツパリ|意地苦根《いぢくね》が……オツトドツコイ |石熊《いしくま》が|善《よ》くないと|見《み》えますなア』
|石熊《いしくま》『サア|皆《みな》さま、|又《また》ボツボツとテクリませうか』
|末子《すゑこ》『ハイそろそろと|参《まゐ》りませう。……カールさま、どうぞ|又《また》|頼《たの》みますよ』
カール『オイ|石熊《いしくま》さま、|如何《どう》だい、|能《よ》く|持《も》てたものだろ。お|前《まへ》の|歌《うた》はどうだつたい、|見《み》つともない、|二人《ふたり》のナイスに|一寸《ちよつと》ホの|字《じ》とレの|字《じ》だつたなどと、|亡国的《ばうこくてき》の|哀音《あいおん》を|駄句《だく》つたぢやないか。チツとしつかりして|貰《もら》ひませうかい』
|石熊《いしくま》『やかましう|云《い》ふな、|佯《いつは》らざる|情《じやう》の|執着《しふちやく》だ』
カール『|兎《と》も|角《かく》|石熊《いしくま》さまの|改心《かいしん》|帰順《きじゆん》で、|此《この》カール|大宣伝使《だいせんでんし》も|心《こころ》の|底《そこ》より|祝着《しうちやく》に|存《ぞん》ずるワイ、アツハヽヽヽ。サア|又《また》|言霊車《ことたまぐるま》を|運転《うんてん》しますから、……|一《いち》|二《に》|三《さん》、|全体《ぜんたい》|進《すす》めツ』
|石熊《いしくま》『アハヽヽヽ、|仕方《しかた》のない|男《をとこ》だなア……サア|姫様《ひめさま》、|御立《おた》ち|遊《あそ》ばせ、お|伴《とも》を|致《いた》しませう』
カール『アハヽヽヽ、|変《かは》ればカール|世《よ》の|中《なか》だなア。|今迄《いままで》は|石《いし》の|様《やう》な|無情漢《むじやうかん》で|女《をんな》を|見《み》れば|苦虫《にがむし》をかみ|潰《つぶ》したやうな|面構《つらがま》へをして|御座《ござ》つた、バラモン|教《けう》の|教主様《けうしゆさま》が|鰐口《わにぐち》を|俄《にはか》におチヨボ|口《ぐち》にしたり、|団栗目《どんぐりめ》を|細《ほそ》うしたり|遊《あそ》ばして……サア|姫様《ひめさま》お|立《た》ち|遊《あそ》ばせ、お|伴《とも》を|致《いた》しませう……ナンノカンノつて、|抱腹絶倒《ほうふくぜつたう》の|至《いた》りだ。|余《あま》り|姫様《ひめさま》のスタイル|許《ばか》りに|気《き》を|取《と》られてゐると、それこそ|坂路《さかみち》で|転覆《てんぷく》|絶倒《ぜつたう》せなくてはならなくなるよ。|困《こま》つた|唐変木《たうへんぼく》が|道伴《みちづ》れになつたものだ。|併《しか》し|枯木《かれき》も|山《やま》の|賑《にぎは》ひだ、ないよりましかい』
|末子《すゑこ》『あのマア、カールさまのお|口《くち》の|悪《わる》いこと』
|石熊《いしくま》『いゝえ、|此《この》カールは|口《くち》が|善過《よす》ぎて、よく|囀《さへづ》るのですよ。|百舌《もず》といふ|鳥《とり》の|様《やう》な|男《をとこ》ですから、|何《いづ》れ|地獄《ぢごく》へ|往《い》つたら、|釘抜《くぎぬき》の|御厄介《ごやくかい》になる|代物《しろもの》ですよ。アハヽヽヽ』
|捨子《すてこ》『オホヽヽヽ、サアいよいよ|発足《はつそく》|致《いた》しませう。|今度《こんど》は|妾《わたし》が|猿田彦《さるたひこ》となつて、お|先《さき》へ|参《まゐ》ります』
と|先《さき》に|立《た》ち、|急坂《きふはん》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。|調子《てうし》に|乗《の》つてカールは|又《また》もや|一歩々々《ひとあしひとあし》|拍子《へうし》を|取《と》り、ヤツコス|神《がみ》が|六方《ろくぱう》を|踏《ふ》むやうなスタイルで|唄《うた》ひ|出《だ》した。
カール『ウントコドツコイ、ドツコイシヨ  |石熊《いしくま》だらけの|山路《やまみち》を
|末子《すゑこ》の|姫《ひめ》や|捨子姫《すてこひめ》  |二人《ふたり》のお|方《かた》の|御伴《おとも》して
|崎嶇《きく》たる|坂路《さかみち》|下《くだ》り|行《ゆ》く  |日輪様《にちりんさま》はカンカンと
|頭《あたま》の|上《うへ》にテルの|国《くに》  テル|山峠《やまたうげ》の|急坂《きふはん》を
オツトドツコイ|危《あぶな》いぞ  |又《また》|石熊《いしくま》に|乗《の》りました
ゴウゴウ|云《い》ふのは|谷川《たにがは》か  ジヤンジヤン|吐《ぬか》すな|油蝉《あぶらぜみ》
ドツコイシヨウ ドツコイシヨウ  |汗《あせ》も|脂《あぶら》も|一絞《ひとしぼ》り
うちのお|嬶《かか》がドツコイシヨ  |夜《よ》の|目《め》もねずに|親切《しんせつ》に
|縫《ぬ》うてくれたる|単衣《ひとへもの》  ドツコイドツコイびしよ|濡《ぬ》れに
なつて|了《しま》うたドツコイシヨ  |二人《ふたり》のナイスが|此《この》|通《とほ》り
お|先《さき》に|立《た》つてドシドシと  お|下《くだ》り|遊《あそ》ばすスタイルは
|天《あめ》の|八重雲《やへくも》かき|分《わ》けて  |棚機姫《たなばたひめ》の|天降《あまくだ》り
|遊《あそ》ばす|様《やう》ないさぎよさ  |鼻息《はないき》|荒《あら》くフウフウと
|弱《よわ》り|切《き》つたる|石熊《いしくま》の  |其《その》|足並《あしなみ》は|何《なん》のザマ
|一丈《いちぢやう》|二尺《にしやく》の|褌《ふんどし》を  かいた|手前《てまへ》もあらうぞよ
|昔《むかし》の|神代《かみよ》にウヅの|国《くに》  |桃上彦《ももがみひこ》の|御娘《おんむすめ》
|松《まつ》|竹《たけ》|梅《うめ》のドツコイシヨ  オツト|危《あぶな》い|躓《つまづ》いた
|花《はな》を|欺《あざむ》く|宣伝使《せんでんし》  |淤縢山津見《おどやまづみ》や|駒山彦《こまやまひこ》の
ドツコイドツコイすさび|男《を》の  お|先《さき》に|立《た》つて|蚊々虎《かがとら》の
|神《かみ》の|化身《けしん》と|諸共《もろとも》に  |此《この》|急坂《きふはん》をドシドシと
|登《のぼ》つてハラの|港《みなと》まで  お|出《い》でなさつた|事《こと》|思《おも》や
きついと|云《い》つても|下《くだ》り|坂《ざか》  |何《なん》の|苦《くるし》い|事《こと》あろか
ウントコドツコイ、ドツコイシヨ  |意地《いぢ》くね|悪《わる》い|石熊《いしくま》が
そこらにゴロゴロ|転《ころ》げてる  |皆《みな》さま|気《き》をつけなされませ
|若《も》し|過《あやま》つて|仰向《あふむ》けに  |玉《たま》の|御舟《みふね》を|坂道《さかみち》に
ドツコイ ドツコイ ドツコイシヨ  オツト|失礼《しつれい》コリヤ|失敗《しも》うた
|調子《てうし》に|乗《の》つて|舟《ふね》のこと  |車《くるま》の|梶《かぢ》を|取《と》り|外《はづ》し
|知《し》らず|知《し》らずにドツコイシヨ  |脱線振《だつせんぶり》を|発揮《はつき》した
それに|付《つ》けてもネロの|奴《やつ》  |何処《どこ》に|如何《どう》して|居《ゐ》るだろか
シーナ、チールやイサクをば  |甘《うま》くドツコイ、チヨロまかし
|二人《ふたり》のナイスを|助《たす》けむと  |従《つ》いて|行《い》たのは|気《き》の|毒《どく》ぢや
|石熊《いしくま》さまが|三五《あななひ》の  |神《かみ》のお|道《みち》に|帰順《きじゆん》して
|当《たう》の|仇敵《かたき》と|狙《ねら》ひたる  |二人《ふたり》のナイスの|従者《とも》となり
ウヅの|都《みやこ》へドツコイシヨ  お|伴《とも》をしたと|聞《き》いたなら
イサク、シーナ、チールの|奴《やつ》  どれ|丈《だけ》ビツクリするであらう
あゝ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い  |昨日《きのふ》に|変《かは》る|今日《けふ》の|空《そら》
|晴天《せいてん》|忽《たちま》ち|雨《あめ》となり  |蒼海《さうかい》|変《へん》じて|土《つち》となる
|天候《てんこう》|忽《たちま》ち|激変《げきへん》し  |敵《てき》の|陣地《ぢんち》に|降参《かうさん》し
|鉾《ほこ》を|〓《をさ》めて|旗《はた》を|巻《ま》き  ドツコイ ドツコイ|痩犬《やせいぬ》が
|甘《あま》い|顔《かほ》した|旅人《たびびと》に  |尻尾《しつぽ》をふつてドツコイシヨ
|従《つ》いて|来《く》るよなスタイルで  バラモン|教《けう》の|神司《かむづかさ》
お|伴《とも》をしたと|聞《き》いたなら  さぞやビツクリ|仰天《ぎやうてん》し
|肝玉《きもたま》|天《てん》に|飛《と》びあがり  ドツコイ ドツコイ|睾丸《きんたま》は
|忽《たちま》ち|洋行《やうかう》するであろ  ドツコイ、|辷《すべ》つたアイタヽヽ
|円転滑脱《ゑんてんかつだつ》|遅滞《ちたい》なく  |甘《うま》く|転《ころ》んだ|口車《くちぐるま》
|序《ついで》にモ|一《ひと》つ|石車《いしぐるま》  |油断《ゆだん》のならぬ|下《くだ》り|坂《ざか》
|皆《みな》さま|確《しつか》り|頼《たの》みます  ウントコドツコイ、|危《あぶ》ないぞ
これから|少《すこ》し|下《くだ》つたら  |八岐《やまた》の|大蛇《をろち》の|乾児《こぶん》|等《ら》が
|潜《ひそ》んで|居《ゐ》ると|聞《きこ》えたる  |巽《たつみ》の|池《いけ》が|青々《あをあを》と
|鏡《かがみ》の|様《やう》に|光《ひか》つてる  |噂《うはさ》にきけばドツコイシヨ
|乾《いぬゐ》の|池《いけ》の|大蛇《をろち》|奴《め》が  |片割《かたわ》れなりと|云《い》ふ|事《こと》だ
モウシ|末子《すゑこ》のお|姫様《ひめさま》  |一層《いつそう》|序《ついで》に|立寄《たちよ》りて
|大蛇《をろち》の|霊《みたま》を|言霊《ことたま》の  |威力《ゐりよく》に|征服《せいふく》|遊《あそ》ばして
ドツコイ ドツコイ|行掛《ゆきがけ》の  |功名《こうみやう》|手柄《てがら》を|遊《あそ》ばせよ
|私《わたし》が|案内《あんない》|致《いた》します  |臆病風《おくびやうかぜ》に|襲《おそ》はれた
|石熊《いしくま》さまは|何《ど》うか|知《し》ら  |私《わたし》はどしても|行《い》て|見《み》たい
あなたの|清《きよ》き|言霊《ことたま》は  |邪神《じやしん》|悪鬼《あくき》も|忽《たちま》ちに
ドツコイ ドツコイ|危《あぶ》ないぞ  |危《あぶ》ないきつい|道《みち》だなア
キツと|帰順《きじゆん》をするであろ  |又《また》と|得《え》られぬ|此《この》|機会《きくわい》
|平《ひら》に|御願《おねがひ》|申《まを》します  アルゼンチンの|国人《くにびと》が
|日夜《にちや》に|悩《なや》む|悪神《あくがみ》の  |災《わざはひ》|除《のぞ》かせ|玉《たま》ひなば
|貴女《あなた》はウヅの|神柱《かむばしら》  |国民《こくみん》|一同《いちどう》|悦服《えつぷく》し
|宏大無辺《くわうだいむへん》の|神徳《しんとく》を  |仰《あふ》ぎまつつて|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|御徳《みとく》になづくだろ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|心《こころ》を|発揮《はつき》して  |必《かなら》ず|断行《だんかう》|願《ねが》ひます
これぞカールが|一生《いつしやう》の  |生命《いのち》かけての|御願《おんねが》ひ
|謹《つつし》み|畏《かしこ》み|御二方《おふたかた》  |珍《うづ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|歌《うた》ひ|了《をは》り、|三人《さんにん》の|後《あと》から|蚤取《のみとり》|眼《まなこ》で、|一歩々々《ひとあしひとあし》、|気《き》を|附《つ》け|乍《なが》ら、|馬《うま》の|背《せ》を|立《た》てた|様《やう》な、|細《ほそ》き|険《さか》しき|石原路《いしはらみち》を、|右《みぎ》に|左《ひだり》に|体《たい》をかはし、|千鳥《ちどり》が|坂《さか》を|下《くだ》る|様《やう》なスタイルで|跟《つ》いて|行《ゆ》く。|元来《ぐわんらい》|此《この》|男《をとこ》は|少《すこ》しく|両足《りやうあし》に、|生《うま》れ|乍《なが》ら|長短《ちやうたん》があるので、|下《くだ》り|坂《ざか》には|非常《ひじやう》に|困難《こんなん》を|感《かん》じ、|一歩々々《ひとあしひとあし》|拍子《へうし》を|取《と》らねば|容易《ようい》に|歩《あゆ》めないのであつた。
|漸《やうや》くにして|下《くだ》り|八里《はちり》の|急坂《きふはん》を|黄昏《たそが》るる|頃《ころ》、|麓《ふもと》に|下《くだ》り、|樟《くす》の|森《もり》に、|夜露《よつゆ》を|凌《しの》ぎ、|一行《いつかう》|四人《よにん》|息《いき》を|休《やす》めて、|又《また》もや|話《はなし》に|耽《ふけ》る。
|末子《すゑこ》『おかげ|様《さま》で|楽《らく》に|難関《なんくわん》を|越《こ》えて|参《まゐ》りました。|言霊《ことたま》の|徳《とく》と|云《い》ふものは、|本当《ほんたう》に|結構《けつこう》なものですなア』
カール『|御尤《ごもつと》も|千万《せんばん》です。|特《とく》に|私《わたし》の|言霊《ことたま》はハーモニーがよく|取《と》れますから、|天地神明《てんちしんめい》も|感動《かんどう》|遊《あそ》ばし、|焼《や》きつく|様《やう》な|日輪様《にちりんさま》もとうとう、|吾々《われわれ》を|可愛《かあい》がつて、|地平線下《ちへいせんか》にお|隠《かく》れになつたでせう』
|石熊《いしくま》『アハヽヽヽ|何《なに》を|吐《ぬか》すのだ。|暮《く》れる|時《とき》が|来《く》れば、|貴様《きさま》の|言霊《ことたま》がなく|共《とも》、|日輪様《にちりんさま》は|勝手《かつて》にお|入《はい》り|遊《あそ》ばすのだ。|余《あま》り|調子《てうし》に|乗《の》つて|自惚《うぬぼれ》をすな』
カール『コリヤ|一寸《ちよつと》|景物《けいぶつ》だ。|余《よ》つ|程《ぽど》|融通《ゆうづう》の|利《き》かぬ|馬鹿正直《ばかしやうぢき》な|男《をとこ》だなア。|長短《ちやうたん》|宜《よろ》しきを|得《え》て|社会《しやくわい》に|処《しよ》するのが|人生《じんせい》の|最《もつと》も|貴《たつと》ぶべき|手段《しゆだん》だ。これではバラモン|教《けう》の|教主《けうしゆ》も|駄目《だめ》だなア』
|石熊《いしくま》『お|前《まへ》の|如《や》うに、|片《かた》つ|方《ぱう》の|足《あし》が|短《みじか》く|出来《でて》て|居《を》る|人間《にんげん》は、それや|又《また》|採長補短《さいちやうほたん》がないのだから、|到底《たうてい》お|前《まへ》の|真似《まね》は|出来《でき》ないよ』
カール『|馬鹿《ばか》|言《い》うな。|片足《かたあし》が|短《みじか》いのだない、|片足《かたあし》がお|前達《まへたち》よりは|長《なが》いのだ、アハヽヽヽ』
|石熊《いしくま》『|負《まけ》ん|気《ぎ》の|強《つよ》い、|跛理窟《ちんばりくつ》を|云《い》ふ|男《をとこ》だなア。コーカス|山《さん》だないが、ビツコス|神《がみ》がヤツコスの|六方《ろくぱう》を|踏《ふ》むと|云《い》ふスタイルで、|急坂《きふはん》を|下《くだ》るのだから、ズイ|分《ぶん》|見《み》てゐると|滑稽《こつけい》だつた』
|捨子《すてこ》『ホヽヽヽヽ、あなた|方《がた》と|旅行《りよかう》して|居《ゐ》ると、|随分《ずゐぶん》|愉快《ゆくわい》ですなア』
カール『そら|其《その》|筈《はず》ですよ。【ゆかい】も|現界《げんかい》も|神界《しんかい》も|一目《ひとめ》に|見《み》すかしたチーチヤーだから、|当然《たうぜん》の|帰結《きけつ》ですワ。アハヽヽヽ』
|石熊《いしくま》『|帰結《きけつ》も|転《こ》けつもあつたものかい。コレつぱかしの|急坂《きふはん》に、こけつ|輾《まろ》びつと|云《い》ふ|豪傑《がうけつ》だからなア』
カール『ケツはケツだが、ジヤンヂヤヒエールの|英傑《えいけつ》だ。|人民《じんみん》の|分際《ぶんざい》として、ケツケツ|云《い》ふない』
|末子《すゑこ》『オホヽヽヽ、|顕恩郷《けんおんきやう》を|出発《しゆつぱつ》|以来《いらい》、|今日《けふ》|位《くらゐ》|愉快《ゆくわい》な|思《おも》ひをした|事《こと》はありませぬ。……|併《しか》しカールさま、あなた|最前《さいぜん》|巽《たつみ》の|池《いけ》とかに、|乾《いぬゐ》の|池《いけ》の|大蛇《をろち》の|片割《かたわ》れが|潜《ひそ》んでゐて、|国民《こくみん》に|害《がい》を|与《あた》へるとか|仰有《おつしや》いましたねえ』
カール『ハイ、|是《これ》から|三里《さんり》|許《ばか》り|南《みなみ》へ|参《まゐ》りますと、|大変《たいへん》な|深《ふか》い|広《ひろ》い|池《いけ》が|御座《ござ》います。そこに|大蛇《をろち》の|魔神《まがみ》が|何時《いつ》の|程《ほど》にか|棲処《すみか》を|致《いた》し、|通《とほ》りかかりの|若《わか》い|男《をとこ》を|見《み》ると、|直《すぐ》に|妙齢《めうれい》の|美人《びじん》と|変化《へんくわ》し、|甘《うま》く|偽《いつは》つて|池《いけ》の|中《なか》へ|連《つ》れ|込《こ》み|呑《の》んで|了《しま》ふのです。|大蛇《をろち》の|為《ため》に|生命《いのち》を|取《と》られた|者《もの》は|幾百人《いくひやくにん》あるか|分《わか》りませぬ。それで|貴女《あなた》に|一《ひと》つ|御願《おねがひ》したいと|思《おも》ふので|御座《ござ》います』
|末子《すゑこ》『それは|面白《おもしろ》う|御座《ござ》いませう。|今晩《こんばん》はここで|雨宿《あまやど》りを|致《いた》しまして、|明朝《みやうてう》|早々《さうさう》|巽《たつみ》の|池《いけ》へ|立寄《たちよ》り、|言霊戦《ことたません》を|始《はじ》めて|見《み》ませう。……|捨子姫《すてこひめ》さま、あなた|如何《どう》|思《おも》ひますか?』
|捨子《すてこ》『|至極《しごく》|賛成《さんせい》です。|明日《あす》の|日《ひ》を|楽《たの》しんで、|今宵《こよひ》は|此処《ここ》で|待《ま》つことに|致《いた》しませう』
カール『|早速《さつそく》の|御承知《ごしようち》、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。……オイ|石熊《いしくま》さま、お|前《まへ》は|又《また》|強直《きやうちよく》|状態《じやうたい》になつて|了《しま》うと、|気《き》の|毒《どく》だから、|免除《めんぢよ》する|事《こと》にしてやらう』
|石熊《いしくま》『モシ、お|二方様《ふたかたさま》……どうぞ|私《わたくし》も|見学《けんがく》の|為《ため》、|随行《ずゐかう》さして|下《くだ》さいませぬか』
|末子《すゑこ》『どうぞ|跟《つ》いて|来《き》て|下《くだ》さい』
|石熊《いしくま》『|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|私《わたくし》も|明日《あす》は|千騎一騎《せんきいつき》の|活動《くわつどう》を|致《いた》しまして、カールさまに|一《ひと》つビツクリさしてやらねばなりませぬからなア』
|捨子《すてこ》『さうなさいませ』
|茲《ここ》に|四人《よにん》は|楠《くすのき》の|空《そら》を|封《ふう》じたる|密林《みつりん》に|雨露《うろ》を|凌《しの》ぎ|夜《よ》を|明《あ》かすこととなりける。
(大正一一・八・一四 旧六・二二 松村真澄録)
第七章 |提燈《ちやうちん》の|光《ひかり》〔八四九〕
|楠《くすのき》の|森《もり》のこかげに|蓑《みの》を|布《し》き、|木《こ》の|間《ま》をもるる|九日《ここのか》の|月《つき》の|光《ひかり》を|浴《あ》び|乍《なが》ら、|早速《さつそく》|眠《ねむ》りもならず、|今日《けふ》|一日《いちにち》に|起《おこ》りし|不思議《ふしぎ》の|運命《うんめい》を|物語《ものがた》りつつ、|夜《よ》を|更《ふ》かした。はしやぎ|切《き》つたカールは|末子姫《すゑこひめ》、|捨子姫《すてこひめ》の|渡来《とらい》に|何《なん》となく|心《こころ》|欣々《いそいそ》として|勇《いさ》み|立《た》ち、|又《また》バラモン|教《けう》の|石熊《いしくま》|教主《けうしゆ》が|苦《く》もなく、|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》した|嬉《うれ》しさに|心気《しんき》|興奮《こうふん》して|眠《ねむ》られぬ|儘《まま》に、|日頃《ひごろ》の|饒舌車《しやべりぐるま》を|運転《うんてん》し|始《はじ》めた。
『|空《そら》に|飛《と》ぶ|天狗《てんぐ》の|鼻《はな》の|高照山《たかてるやま》の|谷底《たにそこ》に、|教《をしへ》の|館《やかた》を|構《かま》へつつ、バラモン|教《けう》を|遠近《をちこち》に、|開《ひら》いて|人《ひと》を|導《みちび》きし、|心《こころ》も|固《かた》き|石熊《いしくま》が、|館《やかた》に|仕《つか》へし|神司《かむづかさ》、|中《なか》にも|分《わ》けて|男振《をとこぶ》り、|人《ひと》に|優《すぐ》れたカールさま、あまたの|女《をんな》にチヤホヤと、|持囃《もてはや》されて|朝夕《あさゆふ》に、|姿《すがた》をうつす|水鏡《みづかがみ》、|心《こころ》の|波《なみ》も|静《しづ》まりて、|教《をしへ》の|庭《には》に|穿《うが》ちたる、|鏡《かがみ》の|池《いけ》に|立向《たちむか》ひ、イヽヽヽ、|吾《わ》れと|吾《わが》|手《て》にすかし|見《み》て、|呆《あき》れ|果《は》てたる|色男《いろをとこ》、|田舎娘《いなかむすめ》がガヤガヤとカールさまよと|取《と》り|巻《ま》いて、|騒《さわ》ぐは|強《あなが》ち|無理《むり》でない、げにも|五月蠅《うるさ》き|人《ひと》の|世《よ》や。|何《なん》の|因果《いんが》で|此《この》|様《やう》に、|玉子《たまご》に|目鼻《めはな》を|付《つ》けたような、お|色《いろ》の|白《しろ》い|好《よ》い|男《をとこ》、|惚《ほれ》られる|男《をとこ》は|見目《みめ》よしと、|立派《りつぱ》に|生《うま》れた|身《み》の|因果《いんが》、|宅《うち》の|女房《にようばう》が|気《き》を|揉《も》んで、|悋気《りんき》するのも|無理《むり》でない。うるさの|娑婆《しやば》に|永《なが》らへて、|惚《ほ》れた|女《をんな》の|顔《かほ》を|見《み》る、|私《わし》の|心《こころ》のうるささよ。|思《おも》へば|思《おも》へば|先《さき》の|世《よ》に、|如何《いか》なる|善事《ぜんじ》を|尽《つく》せしか、|今更《いまさら》|云《い》ふも|野暮《やぼ》|乍《なが》ら、なぜにモ|少《すこ》しヒヨツトコに、|生《うま》れて|来《こ》なんだであらう、|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|神《かみ》の|前《まへ》、どうぞ|煩雑《うるさ》いナイス|奴《め》が|私《わし》の|事《こと》を|思《おも》ひ|切《き》り、|後足《あとあし》で|砂《すな》でもかけて|唾《つば》|吐《は》いて、|肱鉄砲《ひぢでつぱう》の|数々《かずかず》を|喰《く》はして|呉《く》れる|醜男《ぶをとこ》に、|造《つく》り|直《なほ》して|下《くだ》さんせ、シーナの|様《やう》なヒヨツトコが、|去年《きよねん》の|秋《あき》の|末《すゑ》つ|頃《ごろ》、|見目《みめ》|容《かたち》よき|二人《ふたり》の|女《をんな》、|高照山《たかてるやま》の|麓《ふもと》まで、|漸《や》う|漸《や》う|進《すす》み|来《きた》るのを、|目敏《めざと》く|眺《なが》めて|涎《よだれ》くり、|目《め》を|細《ほそ》くしてにじり|寄《よ》り、コレコレモウシ|旅《たび》の|人《ひと》、どこの|何方《どなた》か|知《し》らね|共《ども》、|私《わたし》はシーナと|申《まを》す|者《もの》、|仮令《たとへ》|姿《すがた》は|此《この》|様《やう》に、|蜥蜴《とかげ》の|様《やう》な|顔《かほ》なれど、|心《こころ》の|中《なか》のドン|底《そこ》に、|誠《まこと》の|花《はな》は|咲《さ》き|乱《みだ》れ、|実《げ》に|芳《かん》ばしき|男《をとこ》ぞや、|馬《うま》には|乗《の》つて|見《み》よ、|人《ひと》には|添《そ》うて|見《み》よ、|世《よ》の|諺《ことわざ》もあるなれば、バラモン|教《けう》の|神司《かむづかさ》、|中《なか》にも|分《わ》けて|神徳《しんとく》の、|備《そな》はりゐます|此《この》わしに、|秋波《しうは》を|送《おく》り|一時《ひととき》も、|早《はや》く|私《わたし》の|側《そば》に|寄《よ》り、|麝香《じやかう》の|様《やう》な|男《をとこ》の|匂《にほひ》、|一度《いちど》は|嗅《か》いで|見《み》やしやんせ、|男《をとこ》ひでりもない|世《よ》の|中《なか》に、お|前《まへ》の|様《やう》な|鯱面男《しやつつらをとこ》、いかに|男《をとこ》にかつえたとて、どうしてこれが|忍《しの》ばれよう、なんぞと|野暮《やぼ》な|撥《は》ね|言葉《ことば》、|言《い》はしやんすかは|知《し》らね|共《ども》、|人《ひと》は|見《み》かけに|寄《よ》らぬ|者《もの》、|仮令《たとへ》|南瓜《かぼちや》と|言《い》はれても、|色好《いろよ》い|茄子《なす》に|比《くら》ぶれば、|天地《てんち》|隔《へだ》つる|味《あぢ》がある。【いが】で|包《つつ》んだ|柴栗《しばくり》も、|恐《こわ》いようには|見《み》ゆれ|共《ども》、|開《ひら》いて|見《み》れば|芳《かん》ばしき、|三《み》つの|御霊《みたま》が|御座《ござ》るぞえ。|渋皮《しぶかは》|一《ひと》つ|剥《は》いだなら、|女《をんな》の|好《す》きな|薩摩芋《さつまいも》、|芝居《しばゐ》|蒟蒻《こんにやく》|南瓜《かぼちや》より、|百倍《ひやくばい》|千倍《せんばい》いやまさる、|云《い》ふに|言《い》はれぬ|味《あぢ》がある。|私《わたし》の|願《ねがひ》を|一通《ひととほ》り、|聞《き》いてお|呉《く》れとすり|寄《よ》つて、|口説《くど》けば|二人《ふたり》は|立止《たちど》まり、どこの|何方《どなた》か|知《し》らね|共《ども》、|砂原夕立《すなばらゆふだち》か|土手《どて》|南瓜《かぼちや》、|薬鑵頭《やくわんあたま》に|瓢箪面《へうたんづら》、|万金丹《まんきんたん》を|計《はか》るよな、デコボコだらけの|其《その》|顔《かほ》に、|何程《なにほど》|醜《みにく》い|女《をんな》ぢやとて、どうして、どうして|秋波《しうは》が|送《おく》られう。|是《これ》ばつかりはシーナさま、お|許《ゆる》しなされて|下《くだ》さりませと、|態《てい》|能《よ》く|打出《うちだ》す|肱鉄砲《ひぢでつぱう》、|此方《こなた》は|中々《なかなか》|屈《くつ》せばこそ、|情火《じやうくわ》の|光《ひかり》|炎々《えんえん》と、|天《てん》に|冲《ちう》する|凄《すさ》まじさ、|一旦《いつたん》|男《をとこ》の|言《い》ひ|出《だ》した、|言葉《ことば》をお|前《まへ》に|反古《ほご》にされ、|如何《どう》して|男《をとこ》が|立《た》つ|者《もの》か、|破《やぶ》れかぶれの|此《この》|私《わたし》、ウンと|言《い》はさにやおきませぬと、|又《また》も|執拗《しつか》う|摺寄《すりよ》つて、|恋《こひ》の|涙《なみだ》の|一雫《ひとしづく》、|落《おと》せば|二人《ふたり》はあざ|笑《わら》ひ、コレコレシーナの|爺《ぢい》さまへ、お|前《まへ》の|顔《かほ》と|御相談《ごさうだん》、|遊《あそ》ばしませよ|余《あんま》りぢや、|私《わたし》の|好《すき》なはカールさま、あんなお|方《かた》と|末永《すえなが》う、|添《そ》はれる|事《こと》はさて|措《お》いて、|仮令《たとへ》|一夜《いちや》の|仮枕《かりまくら》、それも|叶《かな》はぬ|事《こと》なれば、せめてお|側《そば》にさぶらうて、|水仕事《みづしごと》|門掃《かどは》きや、|褌《まはし》の|洗濯《せんたく》|喜《よろこ》んで、|致《いた》しませうと|朝夕《あさゆふ》に、|頼《たの》む|神様《かみさま》|仏様《ほとけさま》、|妙見様《めうけんさま》もチヨロ|臭《くさ》い、ガラクタ|国《こく》の|法螺貝山《ほらがひやま》に、|止《とど》まり|給《たま》ふ|天狗様《てんぐさま》に、お|願《ぐわん》を|朝夕《あさゆふ》かけ|巻《まく》も、|畏《かしこ》き|神《かみ》の|御利益《ごりやく》で、どうぞ|会《あ》はして|会《あ》はしてと、|思《おも》ふ|女《をんな》の|真心《まごころ》を、|仇《あだ》になされたカールさま、|恨《うら》めしいわいなと、|目《め》を|拭《ぬぐ》ひイヽヽ、|悔《くや》み|歎《なげ》けばシーナさま、ハツと|計《ばか》りに|腹《はら》を|立《た》て、|男《をとこ》の|意地《いぢ》は|此《この》|通《とほ》り|百里《ひやくり》|二百里《にひやくり》|三百里《さんびやくり》、|筑紫《つくし》の|国《くに》の|果《はて》までもお|前《まへ》の|後《あと》を|付《つ》け|狙《ねら》ひ、|思《おも》ひ|通《とほ》さでおくものか、|厭《いや》なら|厭《いや》でシーナにも、|覚悟《かくご》があると|云《い》ひ|乍《なが》ら、|無残《むざん》や|二人《ふたり》を|谷川《たにがは》に、|力限《ちからかぎ》りに|突落《つきおと》し、|人《ひと》の|花《はな》と|眺《なが》めむよりは|一層《いつそう》|殺《ころ》して|了《しま》うたら、|恋《こひ》の|亡執《まうしう》は|晴《は》れるだろと、|無法《むはふ》を|尽《つく》した|其《その》|酬《むく》い、|二人《ふたり》の|女《をんな》の|怨霊《をんりやう》は、|夜《よ》な|夜《よ》な|青《あを》い|火玉《ひだま》となり、|或《あるひ》は|髪《かみ》を|振乱《ふりみだ》し、あゝ|恨《うら》めしや|恨《うら》めしや、お|前《まへ》は|気強《きつよ》いシーナさま、|私《わたし》は|深《ふか》い|谷底《たにそこ》に、|突落《つきおと》されて|死《し》にました。|恨《うら》みを|晴《は》らさでおくものかと、|夜《よ》な|夜《よ》な|出《い》づる|幽霊《いうれい》|姿《すがた》、さすがのシーナも|弱《よわ》り|果《は》て、カールの|館《やかた》に|尋《たづ》ね|来《き》て、コレコレモウシ、カールさま、お|前《まへ》に|済《す》まぬ|事《こと》|乍《なが》ら、テルとハルとの|亡霊《ばうれい》を、どうぞ|鎮《しづ》めて|下《くだ》さんせ、お|前《まへ》の|様《やう》な|好《よ》い|男《をとこ》、テルとハルとの|亡霊《ばうれい》に、たつた|一言《ひとこと》|鎮《しづ》まれと、|云《い》うて|呉《く》れたら|俺達《おれたち》が、|千言万語《せんげんばんご》を|費《つゐや》して、|言訳《ことわけ》するより|効《かう》がある。バラモン|教《けう》のお|経《きやう》をば、|千僧万僧《せんそうまんそう》|寄《よ》り|合《あ》うて、|唱《とな》へるよりも|喜《よろこ》んで、|一度《いちど》に|成仏《じやうぶつ》するであろ、|一人《ひとり》の|男《をとこ》のあつたら|生命《いのち》、|助《たす》けてやらうと|思《おも》ふなら、|慈悲《じひ》ぢや|情《なさけ》ぢや|聞《き》いてたべ、などと|五月蠅《うるさ》い|矢《や》の|使《つかひ》、お|門《かど》の|広《ひろ》い|此《この》|男《をとこ》、どうして|死《し》んだ|女《をんな》にまで、|応対《おうたい》してやる|暇《いとま》があらう。あちら|此方《こちら》の|女《をんな》|奴《め》に、|袖《そで》を|引《ひ》かれて|何時《いつ》とても、|女房《にようばう》の|小言《こごと》を|聞《き》く|計《ばか》り、こんな|詰《つま》らぬ|事《こと》あろか、どうぞ|此《この》|苦《く》が|逃《のが》れたさ、|珍《うづ》の|都《みやこ》に|現《あ》れませる、|松若彦《まつわかひこ》の|神司《かむづかさ》に、|一伍一什《いちぶしじふ》を|打《うち》あけて、|神《かみ》の|司《つかさ》に|助《たす》けられ、やうやう|此処《ここ》まで|安楽《あんらく》に、|女難《ぢよなん》に|逃《のが》れて|来《き》た|男《をとこ》、|思《おも》へば|思《おも》へば|夢《ゆめ》ぢやつた……アハヽヽヽ』
|石熊《いしくま》『アハヽヽヽ、|喧《やかま》しい|奴《やつ》だなア。|丸《まる》で|蜂《はち》の|巣《す》を|側《そば》においた|様《やう》なものだ。モウいい|加減《かげん》に|沈黙《ちんもく》せぬか』
カール『ハーイ、ハイ、|沈黙《ちんもく》|致《いた》すで|御座《ござ》いませう。|時《とき》は|早子《はやね》の|正刻《しやうこく》|何《いづ》れも|様《さま》も、|早《はや》くお|休《やす》みなされませい。|某《それがし》は|少《すこ》し|用事《ようじ》も|御座《ござ》らば、|後程《のちほど》|寝所《しんじよ》に|参《まゐ》りませう』
|石熊《いしくま》『|馬鹿《ばか》ツ』
と|大喝《だいかつ》する。
|末子姫《すゑこひめ》『カールさま|能《よ》く|滑車《かつしや》が|運転《うんてん》しましたねい』
カール『|是《これ》が|所謂《いはゆる》カール|口《くち》と|申《まを》します。アハツハヽヽ』
|末子姫《すゑこひめ》を|始《はじ》め|三人《さんにん》は|漸《やうや》く|寝《しん》に|就《つ》いた。カールはどうしても|眠《ねむ》られぬが|儘《まま》に|森《もり》を|立出《たちい》で、|路傍《みちばた》に|涼《すず》み|乍《なが》ら、|小声《こごゑ》に|鼻唄《はなうた》を|唄《うた》つて|涼《すず》んで|居《ゐ》る。|向《むか》うの|方《はう》より|十曜《とえう》の|紋《もん》の|印《しるし》の|入《い》つた|丸提灯《まるちやうちん》をブラつかせ|乍《なが》ら、|二三《にさん》|人《ひと》の|話声《はなしごゑ》|刻々《こくこく》と|近寄《ちかよ》つて|来《く》る。カールは|透《す》かし|見《み》て、
カール『ハハー、|来《き》よつたなア。ウヅの|都《みやこ》から|松若彦《まつわかひこ》のお|使《つかひ》として|末子姫《すゑこひめ》、|捨子姫《すてこひめ》|様《さま》を|御迎《おむか》への|為《ため》、|出張《しゆつちやう》したのらしい。|一《ひと》つ|此《この》|木蔭《こかげ》に|潜《ひそ》んで、からかつて|見《み》てやらう。|余《あま》り|暑《あつ》くつて|寝《ね》る|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|三人《さんにん》の|連中《れんぢう》さまは|寝《ね》て|了《しま》ふなり、|俺《おれ》|一人《ひとり》|斯《か》うしてブラついてをつても|仕方《しかた》ない。|狐《きつね》でも|狸《たぬき》でも|来《き》やがつたら、|一《ひと》つ|相手《あひて》になつて|見《み》ようと|思《おも》つて|居《を》つた|所《ところ》だ。どうやら|向《むか》うも|三人《さんにん》と|見《み》える、ヤア|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い』
と|独言《ひとりごと》を|云《い》ひ|乍《なが》ら、|三人《さんにん》の|通《とほ》りかかるを|待《ま》つて|居《ゐ》た。|三人《さんにん》はカールがこんな|所《ところ》に|潜《ひそ》んで|居《を》るとは|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|行過《ゆきす》ぎむとする。カールは|俄《にはか》に|女《をんな》の|作《つく》り|声《ごゑ》、
カール『モシモシ|旅《たび》のお|方《かた》さま、あなたの|提灯《ちやうちん》には|十曜《とえう》のお|印《しるし》が|入《はい》つて|居《を》ります。もしや|三五教《あななひけう》のお|方《かた》では|御座《ござ》いませぬか? |妾《わらは》ははるばると|海原《うなばら》を|渡《わた》り|参《まゐ》つた|者《もの》で|御座《ござ》います。|余《あま》りの|急坂《きうはん》で|思《おも》ひの|外《ほか》、|暇取《ひまど》りまして、|此処《ここ》で|一夜《いちや》を|明《あ》かさむと|主従《しゆじゆう》|二人《ふたり》が|心《こころ》|安《やす》き|雨宿《あまやど》り、|珍《うづ》の|都《みやこ》へはまだ|余程《よほど》|里程《みちのり》が|御座《ござ》いますかなア?』
|提灯《ちやうちん》|持《も》つた|男《をとこ》『ハイ、お|察《さつ》しの|通《とほ》り、|私《わたくし》は|珍《うづ》の|都《みやこ》の|松若彦《まつわかひこ》|様《さま》の|身内《みうち》の|者《もの》で|御座《ござ》います。そう|仰有《おつしや》る|貴女様《あなたさま》は|失礼《しつれい》|乍《なが》ら、|素盞嗚大神《すさのをのおほかみ》|様《さま》の|御娘子《おんむすめご》、|末子姫《すゑこひめ》|様《さま》では|御座《ござ》いませぬか?』
カール『|御察《おさつ》しの|通《とほり》|妾《わらは》は|末子姫《すゑこひめ》で|御座《ござ》んす。さう|云《い》ふあなたは|何方《どちら》へお|越《こ》し|遊《あそ》ばすので|御座《ござ》いますか?』
甲『ハイ、|良《よ》い|所《ところ》でお|目《め》にかかりました。|実《じつ》は|御神勅《ごしんちよく》に|依《よ》つて|貴女様《あなたさま》|主従《しゆじゆう》、ウヅの|都《みやこ》へお|越《こ》し|下《くだ》さる|事《こと》を|教主様《けうしゆさま》がお|伺《うかが》ひ|遊《あそ》ばされ、|吾々《われわれ》|三人《さんにん》に……サア|是《これ》からお|迎《むか》ひに|参《まゐ》れキツとテル|山峠《やまたうげ》の|近辺《きんぺん》でお|出会《であ》ひ|申《まを》すであらう……と|仰《あふ》せられましたので、|実《じつ》は|足《あし》の|達者《たつしや》な|者《もの》ばかりお|迎《むか》へに|参《まゐ》りました。……サア|是《これ》からお|伴《とも》を|致《いた》しませう』
カール『それはそれは|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|併《しか》し|乍《なが》ら|妾《わらは》は|生《うま》れ|付《つ》き|一方《いつぱう》の|足《あし》が|長過《ながす》ぎますので、あなた|方《がた》の|御伴《おとも》は|到底《たうてい》|叶《かな》ひませぬ。|何程《なにほど》カールでも|草臥《くたびれ》|果《は》てて、お|足《みや》が|重《おも》くなりまして、|森蔭《もりかげ》に|休息《きうそく》……|否《いな》|安眠《あんみん》|致《いた》して|居《を》りまする。どうぞ|明日《みやうにち》にして|下《くだ》さいませ』
乙『それは|又《また》|妙《めう》な|事《こと》を|仰《あふ》せられます。|安眠《あんみん》して|御座《ござ》るお|方《かた》が|立《た》つてものを|仰有《おつしや》るとは、|少《すこ》しく|合点《がてん》が|参《まゐ》りませぬ』
カール『|所《ところ》|変《かは》れば|品《しな》|変《かは》る、お|家《いへ》|変《かは》れば|風《ふう》|変《かは》る、|嬶《かか》が|変《かは》れば|顔《かほ》|変《かは》ると|申《まを》しまして、|妾《わたくし》の|国《くに》では|立《た》つた|儘《まま》|安眠《あんみん》を|致《いた》し、|寝《ね》|乍《なが》らものを|申《まを》すのが|国《くに》の|習慣《しふくわん》で|御座《ござ》います』
乙『|何《なん》と|妙《めう》で|御座《ござ》いますなア。さうするとあなたは|女《をんな》でゐらつしやいますけ|共《ども》、|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|御守護《ごしゆご》で|御座《ござ》いますか? |瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|守護神《しゆごじん》とか|申《まを》して、|霊界物語《れいかいものがたり》を|作《つく》る|男《をとこ》は、|横《よこ》にねたまま、|鼾《いびき》をかき|乍《なが》ら|話《はなし》をするとか|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》きましたが、ヤツパリそんな、|国《くに》に|依《よ》つて|風俗《ふうぞく》があるので|御座《ござ》いますかなア』
カール『それはいろいろと|国《くに》に|依《よ》つてカール……オツトドツコイ、アールさうで|御座《ござ》いますワイ。|何分《なにぶん》|三人《さんにん》の|連中《れんぢう》が|白河夜船《しらかはよぶね》で|森《もり》の|中《なか》にお|休《やす》みになつたものですから、|仕方《しかた》なしに|一寸《ちよつと》|此処《ここ》まで、|末子姫《すゑこひめ》|様《さま》の|守護神《しゆごじん》が|出張店《しゆつちやうてん》を|開《ひら》いてゐられる|所《ところ》で|御座《ござ》います。アハヽヽヽ』
甲『ヤア|其《その》|声《こゑ》はカールさまぢやないか』
カール『カールだから、|声《こゑ》もカール、|末子姫《すゑこひめ》|様《さま》に|一寸《ちよつと》カール(|代《かは》る)と|云《い》ふ|言霊《ことたま》だ、オツホヽヽヽ』
甲『|何《なん》だチツト|可怪《をか》しいと|思《おも》つて|居《を》つた。|一方《いつぱう》の|足《あし》が|長《なが》すぎると|云《い》つた|時《とき》から、チと|臭《くさ》いと|考《かんが》へて|居《を》つたが、まさか|貴様《きさま》がそんな|洒落《しやれ》をするとは|思《おも》はなかつた』
カール『|足引《あしひき》のチンバのカールが、したり|顔《がほ》、|中々《なかなか》|甘《うま》く|人《ひと》をたばかる……アハヽヽヽ。これが|新派《しんぱ》の|百人一首《ひやくにんいつしゆ》だ……|否《いや》|悪人《あくにん》|一首《いつしゆ》だ。アハヽヽヽ』
甲『さうして、|姫様《ひめさま》はどこに|休《やす》んで|御座《ござ》るのだ。|案内《あんない》して【|呉《く》れないか】』
カール『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな。とうに|暮《く》れて|了《しま》つて、|最早《もはや》|子《ね》の|刻《こく》だ。【くれない】……なんて、|何《なに》を|言《い》ふのだ』
乙『|相変《あひかは》はらず|馬鹿口《ばかぐち》を|叩《たた》く|男《をとこ》だなア。|早《はや》く|御所在《おんありか》を|知《し》らして|呉《く》れぬか』
カール『|御知《おし》らせ|申《まを》したいは|山々《やまやま》なれど、|何分《なにぶん》|御存知《ごぞんぢ》の|通《とほ》り、|暗夜《やみよ》の|事《こと》とて|御行方《おゆくへ》を|見失《みうしな》ひ、どこにどうして|御座《ござ》るかと、|暗《やみ》にさまよふ、いぢらしさ、せめて|提灯《ちやうちん》|一《ひと》つあつたなら、そこらブラブラ ブラついて、|見付《みつ》け|出《だ》したいとは|思《おも》へ|共《ども》、|何《なに》を|云《い》うても、|畜生《ちくしやう》ならぬ|人《ひと》の|身《み》は、|悲《かな》しや|夜《よる》は|目《め》が|見《み》えぬ、|推量《すゐりやう》あれや|旅《たび》の|人《ひと》』
甲『|何《なに》を|吐《ぬ》かすのだ。|真面目《まじめ》に|云《い》はないか』
カール『|折角《せつかく》お|草臥《くたびれ》になつて、お|休《やす》みの|最中《さいちう》だ。お|前達《まへたち》がガサガサとお|側《そば》へ|寄《よ》らうものなら、お|目《め》をさましては|済《す》まないから、|俺《おれ》が|斯《こ》うして|一息《ひといき》でも|御安眠《ごあんみん》|遊《あそ》ばす|様《やう》に、|喰《く》ひ|止《と》めてゐるのだ。マア|茲《ここ》でゆつくりしたらどうだ。お|前《まへ》は|春《はる》に、|幾《いく》に|鷹《たか》の|三人《さんにん》ぢやないか』
甲『オウさうだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|折角《せつかく》|此処《ここ》まで|来《き》たのだから、|一寸《ちよつと》|御挨拶《ごあいさつ》をしたいものだなア』
カール『|分《わか》らぬ|奴《やつ》だなア。|明日《あす》になつたら、いやと|云《い》ふ|程《ほど》|御挨拶《ごあいさつ》をさしてやる。|今頃《いまごろ》にお|目《め》をさまして|安眠《あんみん》|妨害《ばうがい》をすると、|警察犯《けいさつはん》|処罰令《しよばつれい》でやられるぞ。|夫《そ》れ|共《とも》|御挨拶《ごあいさつ》がしたけら、お|前達《まへたち》|提灯《ちやうちん》を|持《も》つてるのだから、|勝手《かつて》に|捜索隊《さうさくたい》を|組織《そしき》して|捜《さが》したがよからう』
|四人《よにん》は|路傍《ろばう》に|立《た》つて|喧《やか》ましく|掛合《かけあ》うて|居《ゐ》る|話声《はなしごゑ》が、|夜敏《よざと》い|末子姫《すゑこひめ》の|耳《みみ》に|響《ひび》いた。|末子姫《すゑこひめ》はやをら|身《み》を|起《おこ》し、|向《むか》うを|見《み》れば|十曜《とえう》の|紋《もん》の|記《しる》された|丸提灯《まるちやうちん》が|一張《ひとはり》、|二三人《にさんにん》の|影《かげ》が、|森《もり》の|中《なか》の|木間《このま》をすかして|見《み》えてゐる。|末子姫《すゑこひめ》は|折角《せつかく》|能《よ》く|寝入《ねい》つてゐる|捨子姫《すてこひめ》、|石熊《いしくま》の|両人《りやうにん》に|眼《め》をさまさしては|気《き》の|毒《どく》と|思《おも》ひ|煩《わづら》ひ|乍《なが》ら、|明《あか》りを|目当《めあて》に|探《さぐ》り|足《あし》にて、|街道《かいだう》に|漸《やうや》く|姿《すがた》を|現《あら》はした。
|末子姫《すゑこひめ》『あなたはカールさまぢや|御座《ござ》いませぬか。|其《その》お|提灯《ちやうちん》のお|光《ひかり》は|何《いづ》れのお|方《かた》で|御座《ござ》いますかなア』
|此《この》|声《こゑ》に|四人《よにん》は|驚《おどろ》き、
『ハイ|只今《ただいま》|松若彦《まつわかひこ》|様《さま》の|命令《めいれい》に|依《よ》つて、あなた|様《さま》|御一行《ごいつかう》をお|迎《むか》へに|参《まゐ》つた|使《つかひ》の|者《もの》で|御座《ござ》います』
|末子姫《すゑこひめ》『それはそれは|御親切《ごしんせつ》に、|遠方《ゑんぱう》の|所《ところ》、|能《よ》くマア|来《き》て|下《くだ》さいました。どうぞ|此方《こちら》へお|越《こ》し|下《くだ》さいませ』
カール『|誠《まこと》に|御一同様《ごいちどうさま》、|見《み》るもいぶせき|茅屋《あばらや》なれど、カールの|住宅《ぢうたく》、サア|御遠慮《ごゑんりよ》なうトツトと|奥《おく》へ|御通《おとほ》り|遊《あそ》ばせや』
|末子姫《すゑこひめ》『ホヽヽヽ』
|三人《さんにん》『アハヽヽヽ』
と|笑《わら》ひ|乍《なが》ら、|末子姫《すゑこひめ》の|後《あと》に|従《したが》ひ、|二人《ふたり》の|眠《ねむ》れる|森蔭《もりかげ》に|探《さぐ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・八・一四 旧六・二二 松村真澄録)
第八章 |露《つゆ》の|道《みち》〔八五〇〕
|久方《ひさかた》の|天津御空《あまつみそら》の|月《つき》も|日《ひ》も  いとうららかにテル|山峠《やまたうげ》の
|山《やま》の|麓《ふもと》の|樟《くす》の|森《もり》  |露《つゆ》の|宿《やど》りの|夢枕《ゆめまくら》
|夜《よ》は|漸《やうや》くに|明《あ》け|放《はな》れ  |鵲《かささぎ》の|声《こゑ》、|小雀《こすずめ》の
|囀《さへづ》る|声《こゑ》に|目《め》を|醒《さ》まし  あたりを|見《み》れば|草《くさ》も|木《き》も
|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|露《つゆ》にうるほひ  |昼《ひる》の|暑《あつ》さに|萎《しほ》れたる
|姿《すがた》も|水《みづ》のしたたりて  |涼味《れうみ》うるほふ|夏《なつ》の|朝《あさ》
|気《き》もサヤサヤと|勇《いさ》み|立《た》ち  |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》が
|八人乙女《やたりをとめ》の|末子姫《すゑこひめ》  |旦《あした》の|風《かぜ》にゆらぎつつ
デリケートなる|山百合《やまゆり》の  |花《はな》の|色《いろ》こそ|床《ゆか》しけれ
|百合《ゆり》の|花《はな》にも|擬《まが》ふなる  |乙女《をとめ》の|姿《すがた》ユラユラと
|楠《くすのき》の|森《もり》の|下蔭《したかげ》に  |佇《たたず》む|姿《すがた》は|芍薬《しやくやく》か|牡丹《ぼたん》の|花《はな》か
|菖蒲《あやめ》も|薫《かを》る|五月空《さつきぞら》  |見《み》るも|涼《すず》しき|優《やさ》しの|姿《さま》よ
|末子《すゑこ》の|姫《ひめ》に|近《ちか》く|侍《はべ》りて  まめまめしくも|朝夕《あさゆふ》に
|心《こころ》の|有《あ》らむ|限《かぎ》りを|尽《つく》し  |身《み》もたなしらに|主《ぬし》の|為《ため》
|舎身《しやしん》の|活動《くわつどう》|続《つづ》けたる  |神《かみ》の|教《をしへ》の|司人《つかさびと》
|捨子《すてこ》の|姫《ひめ》のあだ|姿《すがた》  |何《いづ》れ|劣《おと》らぬ|花《はな》と|花《はな》
|色香《いろか》も|淡《あは》き|濃《こ》きあり  |雲《くも》|突《つ》く|計《ばか》りの|荒男《あらを》の|子《こ》
|心《こころ》も|固《かた》く|骨節《ほねぶし》の  |巌《いはほ》の|如《ごと》き|石熊《いしくま》が
|足《あし》の|運《はこ》びもカールの|司《つかさ》  |心《こころ》も|口《くち》も|身《み》も|共《とも》に
カールカールと|鳴《な》く|烏《からす》  |羽《はね》の|色《いろ》にも|擬《まが》へたる
|日《ひ》に|焼《や》きつけられし|黒面《くろおもて》  あゝされどされど|神《かみ》の|御前《みまへ》に|只管《ひたすら》に
|尽《つく》す|心《こころ》も|血《ち》も|赤《あか》く  |雲《くも》|焼《や》けしたる|東《あづま》の|空《そら》に
|日《ひ》の|大神《おほかみ》の|豊栄《とよさか》|昇《のぼ》りに|昇《のぼ》ります|如《ごと》く  |清《きよ》き|心《こころ》ぞ|雄々《をを》しけれ
アルゼンチンの|宇都《うづ》の|国《くに》  |其《その》|名《な》も|高《たか》き|正鹿山津見《まさかやまづみ》の|神《かみ》の
|永久《とこしへ》に|鎮《しづ》まりゐましける  |教《をしへ》の|館《やかた》を|預《あづか》りし
|従僕《しもべ》の|神《かみ》の|国彦《くにひこ》が  |御子《みこ》と|生《うま》れし|松若彦《まつわかひこ》は
|主《あるじ》の|君《きみ》に|三五《あななひ》の  |教《をしへ》の|道《みち》を|任《ま》けられて
|謹《つつし》み|仕《つか》へまつりつつ  |日々《ひび》に|栄《さか》ゆる|言霊《ことたま》の|花《はな》|芳《かむ》ばしく
|教《をしへ》の|林《はやし》も|日《ひ》に|月《つき》に  |茂《しげ》り|合《あ》ひたる|宇都《うづ》の|国《くに》
|道《みち》のほまれも|高砂《たかさご》の  |花《はな》と|歌《うた》はれ|来《きた》りける
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |誠《まこと》の|神《かみ》の|功績《いさをし》に
|集《あつ》まり|来《きた》る|撫子《なでしこ》の  |汚《けが》れに|染《そ》まぬ|神心《かみごころ》
|誠一《まことひと》つに|身《み》を|固《かた》め  |松若彦《まつわかひこ》の|教司《をしへつかさ》に
|左守《さもり》の|神《かみ》と|仕《つか》へたる  |心《こころ》も|清《きよ》き|正純彦《まさずみひこ》や
|魂《たま》も|直《すぐ》なる|竹彦《たけひこ》の  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なの|起伏《おきふし》にも
|心《こころ》を|配《くば》り|大神《おほかみ》の|御為《おんため》  |世人《よびと》の|為《ため》に|村肝《むらきも》の
|心《こころ》|尽《つく》すぞ|雄々《をを》しけれ  |宇都《うづ》の|館《やかた》の|松若彦《まつわかひこ》が
|山海万里《さんかいばんり》を|越《こ》えさせ|玉《たま》ひ  はるばる|茲《ここ》に|出《い》でませし
|珍《うづ》の|乙女《をとめ》の|神司《かむづかさ》  |迎《むか》へむ|為《ため》に|遥々《はるばる》と
|春《はる》、|幾《いく》、|鷹《たか》の|三人《さんにん》を  |心《こころ》も|厚《あつ》き|出迎《いでむか》へ
|赤《あか》き|心《こころ》は|提灯《てうちん》の|明《あか》りの|如《ごと》く  |十曜《とえう》の|神紋《しんもん》|唐紅《からくれなゐ》の|色《いろ》に|見《み》えにける
|末子《すゑこ》の|姫《ひめ》は|捨子姫《すてこひめ》  |石熊司《いしくまつかさ》、|春《はる》、|幾《いく》、|鷹《たか》の|大丈夫《ますらを》を
|或《あるひ》は|前《まへ》|或《あるひ》は|後《うしろ》に  |守《まも》らせ|乍《なが》らしづしづと
|晨《あした》の|露《つゆ》を|踏《ふ》み|分《わ》けて  |宇都《うづ》の|国《くに》にて|名《な》も|高《たか》き
|巽《たつみ》の|池《いけ》に|荒《あら》ぶる|神《かみ》を|皇神《すめかみ》の  |生言霊《いくことたま》に|言向《ことむ》け|和《やは》さむと
か|弱《よわ》き|女《をんな》の|身《み》にも|似《に》ず  いそいそ|進《すす》み|出《い》で|給《たま》ふ
|実《げ》にも|尊《たふと》き|神人《しんじん》の  |厳《いづ》の|雄健《をたけ》び|言霊《ことたま》の
|如何《いか》に|照《て》るらむ|如何《いか》に|輝《かがや》き|渡《わた》るらむ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|皇大神《すめおほかみ》の|御経綸《ごけいりん》  |仰《あふ》ぐも|尊《たふと》し|三十余万年《さんじふよまんねん》の
|清《きよ》き|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》  |厳《いづ》の|御霊《みたま》の|名《な》に|負《お》へる
|伊豆《いづ》の|神国《かみくに》|田方《たかた》の|郡《ごほり》  |狩野《かりの》の|川《かは》の|激流《げきりう》を
|眺《なが》めて|茲《ここ》にあらあらと  |述《の》べ|伝《つた》ふこそ|楽《たの》しけれ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ。
|樟《くす》の|森《もり》を|立出《たちい》でて、|巽《たつみ》の|池《いけ》の|大蛇《をろち》の|魔神《まがみ》を|帰順《きじゆん》せしめむと、|末子《すゑこ》の|姫《ひめ》に|従《したが》ひて、|一行《いつかう》は|心《こころ》もいそいそ、|三里《さんり》の|道程《だうてい》を|朝露《あさつゆ》をふみしめ|乍《なが》ら、|涼《すず》しき|朝風《あさかぜ》に|送《おく》られ、|霧《きり》こむる|山野《さんや》を、|南《みなみ》へ|南《みなみ》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。
カールはコンパスの|長短《ちやうたん》の|醜《みにく》さを|隠《かく》す|為《ため》、|又《また》もや|歌《うた》を|謡《うた》ひ、ヤツコス|踊《をど》りをし|乍《なが》ら、|大地《だいち》をドンドン|威嚇《ゐくわく》させつつ、|先頭《せんとう》に|立《た》つて|進《すす》み|行《ゆ》く。
『|悪魔《あくま》の|大蛇《をろち》が|潜《ひそ》むなる  |池《いけ》の|堤《つつみ》に|立出《たちい》でて
|動《うご》きの|取《と》れぬ|言霊《ことたま》を  |遠慮《ゑんりよ》|会釈《ゑしやく》も|荒波《あらなみ》の
おのもおのもに|発射《はつしや》して  |神《かみ》の|力《ちから》を|発揚《はつやう》し
|霧立《きりたち》|昇《のぼ》る|魔《ま》の|池《いけ》を  |隈《くま》なく|払《はら》ひ|清《きよ》めつつ
|汚《けが》れ|切《き》つたる|曲霊魂《まがみたま》  |心《こころ》の|底《そこ》より|帰順《きじゆん》させ
|栄《さか》え|久《ひさ》しき|松《まつ》の|世《よ》を  |治《しろ》し|召《め》します|大神《おほかみ》の
|神素盞嗚《かむすさのをの》の|神《かみ》の|水火《いき》  |世界《せかい》の|曲《まが》を|払《はら》ひつつ
|底《そこ》ひも|知《し》れぬ|此《この》|池《いけ》に  |立籠《たてこも》りたる|醜大蛇《しこをろち》
|力《ちから》と|頼《たの》む|三五《あななひ》の  |尽《つ》きせぬ|神《かみ》の|御光《みひかり》に
|照《て》らし|清《きよ》めて|潔《いさぎよ》く  |艮《とど》めを|刺《さ》さむ|此《この》カール
|七人《ななひと》|揃《そろ》ふ|其《その》|中《なか》に  |二人《ににん》のナイスを|別《べつ》にして
|抜《ぬ》き|出《で》て|偉《えら》い|此《この》|男《をとこ》  |根底《ねそこ》の|国《くに》に|潜《ひそ》むとも
|望《のぞ》みの|通《とほ》り|口鉾《くちほこ》に  |屠《ほふ》り|散《ち》らして|暗《やみ》の|世《よ》を
|日《ひ》の|出《で》の|御代《みよ》と|立直《たてなほ》し  |古《ふる》き|司《つかさ》や|新《あたら》しの
|隔《へだ》て|構《かま》はぬ|吾《わ》れ|先《さき》に  |屠《ほふ》り|散《ち》らさむ|今日《けふ》の|旅《たび》
|魔神《まがみ》の|猛《たけ》ぶ|此《この》|池《いけ》を  |見《み》すてて|是《これ》が|帰《かへ》られうか
|昔《むかし》の|神《かみ》の|神力《しんりき》に  |目出《めで》たく|大蛇《をろち》を|言向《ことむ》けて
|百《もも》の|人々《ひとびと》|平《たひら》けく  |安《やす》らかなれと|只管《ひたすら》に
|祈《いの》る|誠《まこと》の|宣伝使《せんでんし》  |雪《ゆき》より|清《きよ》き|神心《かみごころ》
|選《え》りに|選《え》りたる|七人《しちにん》が  |世人《よびと》の|為《ため》に|今《いま》|茲《ここ》に
ラリルレローと|濁《にご》りたる  |悪神《あくがみ》|共《ども》の|棲処《すみか》をば
|一時《いちじ》も|早《はや》く|掃《は》き|清《きよ》め  |珍《うづ》の|国《くに》なる|人々《ひとびと》の
|疫病《えやみ》|災禍《わざはひ》|平《たひ》らけく  |鬼《おに》も|大蛇《をろち》も|打払《うちはら》ふ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |五十鈴川《いそすずがは》の|言霊《ことたま》に
|汚《けが》れを|洗《あら》ふ|勇《いさ》ましさ  |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける  |巽《たつみ》の|池《いけ》に|潜《ひそ》みたる
|醜《しこ》の|大蛇《をろち》を|逸早《いちはや》く  |誠《まこと》の|道《みち》の|言霊《ことたま》に
|服従《まつろ》ひ|和《やは》し|世《よ》の|人《ひと》の  |曲《まが》をことごと|払拭《ふつしき》し
カール|司《つかさ》の|腕前《うでまへ》は  |先《ま》づ|先《ま》づ|斯《か》くの|通《とほ》りだと
|宇都《うづ》の|都《みやこ》に|立帰《たちかへ》り  |松若彦《まつわかひこ》の|御前《おんまへ》に
|法螺《ほら》|吹《ふ》き|立《た》てる|頼《たの》もしさ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御霊《みたま》の|幸《さち》はひて  |石熊《いしくま》さまの|言霊《ことたま》に
|必《かなら》ず|兆《しるし》のなき|様《やう》に  カールが|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る
|乾《いぬゐ》の|滝《たき》に|現《あら》はれた  |大蛇《をろち》の|牡《おす》に|狙《ねら》はれて
|此《この》|世《よ》|乍《なが》らの|活不動《いきふどう》  |思《おも》ひ|廻《まは》せばまはす|程《ほど》
あんな|恥《はづか》し|事《こと》はない  それでもヤツパリ|石熊《いしくま》は
|早《はや》|慢心《まんしん》の|登《のぼ》り|口《くち》  |末子《すゑこ》の|姫《ひめ》に|打向《うちむか》ひ
|巽《たつみ》の|池《いけ》の|醜神《しこがみ》に  |向《むか》つて|宣《の》らむ|言霊《ことたま》は
|私《わたし》に|任《まか》して|下《くだ》されと  |頼《たの》んだ|心《こころ》の|可憐《いぢ》らしさ
それ|程《ほど》|任《まか》して|欲《ほ》しければ  |遠慮《ゑんりよ》は|要《い》らぬドシドシと
|大蛇《をろち》に|巻《まか》してやりませう  まかれて|石熊《いしくま》|舌《した》を|巻《ま》き
|尾《を》を|巻《ま》き|乍《なが》ら|鉢巻《はちまき》を  |前《まへ》に|結《むす》んでスタスタと
|生命《いのち》カラガラ|一散《いつさん》に  |逃《に》げて|行《ゆ》くのは|目《ま》のあたり
カールの|歌《うた》ふ|言霊《ことたま》を  |聞《き》いて|恨《うら》むでない|程《ほど》に
お|前《まへ》の|大事《だいじ》と|思《おも》ふから  |悪《わる》い|事《こと》は|言《い》はないぞ
|末子《すゑこ》の|姫《ひめ》の|御座《ござ》るのに  |力《ちから》も|足《た》らぬ|石熊《いしくま》が
|虎《とら》の|威《ゐ》を|仮《か》る|古狐《ふるぎつね》  |池《いけ》の|大蛇《をろち》を|言霊《ことたま》に
|服従《まつろ》へますとは|何《なん》の|事《こと》  |身《み》の|上《うへ》|知《し》らずも|程《ほど》がある
|早《はや》く|心《こころ》を|改《あらた》めて  |謙遜《へりくだ》りつつ|姫様《ひめさま》の
|御後《みあと》に|従《したが》ひ|来《く》るが|良《よ》い  |何程《なにほど》|弱《よわ》そに|見《み》えたとて
お|前《まへ》は|大蛇《をろち》に|相対《あひたい》し  |服従《まつろ》ひ|和《やは》す|資格《しかく》なし
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|心《こころ》に|省《かへり》みよ
|昨日《きのふ》が|日《ひ》|迄《まで》|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》に|敵対《てきた》うて
|千変万化《せんぺんばんくわ》の|計略《けいりやく》を  |包《つつ》み|来《きた》れる|曲津神《まがつかみ》
お|前《まへ》の|放《はな》つた|醜犬《しこいぬ》は  |珍《うづ》の|館《やかた》にヤツと|居《を》る
|改心《かいしん》したとは|云《い》ひ|乍《なが》ら  お|前《まへ》は|神《かみ》の|罪人《とがにん》ぞ
|如何《いか》に|末子《すゑこ》の|姫様《ひめさま》が  お|許《ゆる》しありとて|鼻高《はなたか》く
|先頭《せんとう》に|立《た》つは|何事《なにごと》ぞ  お|前《まへ》の|前途《ぜんと》が|案《あん》じられ
|口《くち》がカールか|知《し》らね|共《ども》  |友達《ともだち》|甲斐《がひ》に|言《い》うておく
|俺《おれ》の|誠《まこと》の|親切《しんせつ》が  チとでもお|前《まへ》に|分《わか》つたら
|今日《けふ》は|遠慮《ゑんりよ》をするが|良《よ》い  |呉《く》れ|呉《ぐ》れ|気《き》を|付《つ》けおきまする
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ。
|旭《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》る|共《とも》  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くる|共《とも》
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  お|前《まへ》の|様《やう》な|魂《たましひ》で
|大蛇《をろち》が|言向《ことむ》け|和《やは》されよか  |控《ひか》えて|居《ゐ》るが|第一《だいいち》だ
くどい|乍《なが》らも|気《き》を|付《つ》ける  |必《かなら》ず|必《かなら》ず|俺《おれ》のこと
|悪《わる》くは|取《と》つて|呉《く》れるなよ  |神々様《かみがみさま》も|見《み》そなはせ
カールの|赤《あか》き|胸《むね》の|内《うち》  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|心《こころ》に|立帰《たちかへ》れ  |神《かみ》の|心《こころ》に|通《かよ》へよや』
と|歌《うた》ひつつ|足拍子《あしべうし》を|取《と》り|進《すす》んで|行《ゆ》く。|石熊《いしくま》はカールの|此《この》|歌《うた》に|首《かうべ》を|傾《かたむ》け、|手《て》を|組《く》み、|思案《しあん》に|暮《く》れ|乍《なが》ら、|力《ちから》なげに|従《したが》ひ|行《ゆ》く。
(大正一一・八・一五 旧六・二三 松村真澄録)
第三篇 |神縁《しんえん》|微妙《びめう》
第九章 |醜《しこ》の|言霊《ことたま》〔八五一〕
テル|高山《かうざん》の|百谷千谷《ももたにちたに》より|流《なが》れ|集《あつ》まる|巽《たつみ》の|大池《おほいけ》は、|紺碧《こんぺき》の|波《なみ》を|湛《たた》へ、|底《そこ》|知《し》らずの|池《いけ》と|称《とな》へられ、|時々《ときどき》|風《かぜ》もなきに、|池中《ちちう》の|此処彼処《ここかしこ》に、|波《なみ》の|円《ゑん》を|画《えが》き、|鯨《くぢら》が|潮《うしほ》を|吐《は》く|如《ごと》き|水煙《みづけぶり》、|天《てん》に|沖《ちう》する|凄《すさま》じさ、|普通《ふつう》の|池《いけ》にあらざる|事《こと》は|之《これ》を|見《み》ても|知《し》らるるのである。
|末子姫《すゑこひめ》の|一行《いつかう》は|漸《やうや》くにして、|少《すこ》しく|街道《かいだう》を|右《みぎ》に|取《と》り|問題《もんだい》の|巽《たつみ》の|池《いけ》の|畔《ほとり》に|着《つ》いた。|今迄《いままで》|晃々《くわうくわう》と|輝《かがや》き|玉《たま》ひし|天津日《あまつひ》の|神《かみ》は|黒雲《くろくも》に|包《つつ》まれ、|雲《くも》は|次第《しだい》に|濃厚《のうこう》の|度《ど》を|増《ま》し、|追々《おひおひ》|低下《ていか》して|暗《やみ》の|帳《とばり》は|池《いけ》の|近辺《きんぺん》に|下《くだ》つて|来《き》た。|形勢《けいせい》|容易《ようい》ならざる|恐怖《きようふ》と|暗澹《あんたん》の|幕《まく》は|下《お》りた。|波《なみ》の|音《おと》は|轟然《ぐわうぜん》として、|百雷《ひやくらい》の|一時《いちじ》に|轟《とどろ》く|如《ごと》く、|身《み》の|毛《け》もよだつ|計《ばか》りである。|末子姫《すゑこひめ》は|言葉《ことば》|静《しづ》かに|石熊《いしくま》に|向《むか》ひ、
|末子《すゑこ》『|石熊《いしくま》さま、ここへ|参《まゐ》る|途中《とちう》に|於《おい》て、カールさまの|周到《しうたう》なる|御注意《ごちうい》が|御座《ござ》いました。されど|妾《わらは》が|口《くち》より|一旦《いつたん》|許《ゆる》した|以上《いじやう》は|取消《とりけ》す|訳《わけ》には|参《まゐ》りませぬ。|又《また》あなたも|折角《せつかく》の|希望《きばう》を|中途《ちうと》に|放棄《はうき》|遊《あそ》ばすのも、|御無念《ごむねん》でせう。サアどうぞあなた、|先陣《せんぢん》を|勤《つと》めて|下《くだ》さいませ』
|石熊《いしくま》は|真青《まつさを》になり、|唇《くちびる》をビリビリ|慄《ふる》はせ、|歯《は》をガチガチと|鳴《な》らせ|乍《なが》ら、
|石熊《いしくま》『ハイ、アヽ|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます。|実《じつ》の|所《ところ》はさう|思《おも》ひましたけれど、|途中《とちう》に|於《おい》てカールさまの|御意見《ごいけん》を|承《うけたま》はり、|如何《いか》にもまだ|身魂《みたま》の|研《みが》けない|吾々《われわれ》、|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》さまを|差《さし》おき、|先陣《せんぢん》の|功《こう》を|贏《か》ち|得《え》ようなどとは、|以《もつ》ての|外《ほか》の|不心得《ふこころえ》で|御座《ござ》いました。どうぞ|是《これ》|計《ばか》りは|御取消《おとりけ》しを|御願《おねが》ひ|申《まを》します』
と|半泣《はんな》きになつて|断《ことわ》つて|居《ゐ》る。|末子姫《すゑこひめ》は|可笑《をか》しさを|怺《こら》へ、ワザと|姿勢《しせい》を|正《ただ》し、|言葉《ことば》も|荘重《さうちよう》に、
|末子《すゑこ》『|石熊《いしくま》さま!|宣伝使《せんでんし》の|言葉《ことば》に|取消《とりけし》は|御座《ござ》いませぬ。|三五教《あななひけう》には|難《なん》を|見《み》て|退却《たいきやく》すると|云《い》ふ|事《こと》は|御座《ござ》いませぬ。|又《また》|初一念《しよいちねん》を|貫徹《くわんてつ》するのは、|男子《だんし》たる|者《もの》の|本分《ほんぶん》で|御座《ござ》いませう』
とまだ|歳若《としわか》き、|花《はな》なれば|莟《つぼみ》の|末子姫《すゑこひめ》にきめつけられ、|返《かへ》す|言葉《ことば》もなく、|頭《あたま》を|掻《か》き|乍《なが》ら、
|石熊《いしくま》『ハイ……|左様《さやう》ならば|仰《あふ》せに|従《したが》ひ、|言霊《ことたま》を……ハヽ|発射《はつしや》|致《いた》しませう』
カール『アハヽヽヽ、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、|石熊《いしくま》さまの|抜群《ばつぐん》の|功名《かうみやう》、ドレ|中立《ちうりつ》|地帯《ちたい》に|身《み》を|置《お》いて、|今日《けふ》の|戦闘《せんとう》を|観戦《くわんせん》|致《いた》しませう……|石熊《いしくま》さま!シツカリ|頼《たの》みますよ。|胴《どう》を|据《す》えてお|掛《かか》りなさい、|腹帯《はらおび》もシツカリ|締《し》めて|居《ゐ》なさらぬと、|産後《さんご》は|逆上《ぎやくじやう》の|虞《おそれ》がありますから、|取上《とりあ》げ|婆《ばば》アでも|呼《よ》んで|来《き》ませうか、モルヒネ|注射《ちうしや》の|用意《ようい》でもしておきませうかなア アハヽヽヽ』
|末子《すゑこ》『コレ、カールさま!|暫《しばら》く|御控《おひか》えなされませ』
カール『ハイ、キツと|謹慎《きんしん》|致《いた》します』
|捨子《すてこ》『|大分《だいぶん》に|大蛇《をろち》の|方《はう》も|戦闘《せんとう》|準備《じゆんび》が|調《ととの》ふたと|見《み》えまして、|黒雲《くろくも》|四辺《しへん》を|包《つつ》み、|荒波《あらなみ》|立《たち》さわぎ、|大粒《おほつぶ》の|雨《あめ》はパラパラやつて|来《き》ました。|第一《だいいち》|此《この》|雲《くも》を|打払《うちはら》ひ、|言霊《ことたま》によつて|雨《あめ》を|止《とど》め|次《つい》で|大蛇《をろち》の|帰順《きじゆん》と|云《い》ふ|段取《だんどり》に|願《ねが》ひます』
|石熊《いしくま》『ハイ、そんなら|取《と》つときの|勇気《ゆうき》を|放《ほ》り|出《だ》して、|一《ひと》つ|奮戦《ふんせん》|激闘《げきとう》|致《いた》して|見《み》ませう』
と|轟《とどろ》く|胸《むね》をジツと|鎮《しづ》め、|大蛇《をろち》の|帰順歌《きじゆんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めたり。
『|巽《たつみ》の|池《いけ》に|潜《ひそ》みたる  |醜《しこ》の|大蛇《をろち》よ|能《よ》つく|聞《き》け
|今《いま》は|昨日《きのふ》の|俺《おれ》でない  |乾《いぬゐ》の|池《いけ》に|巣《す》を|構《かま》へ
|貴様《きさま》の|牡《おす》が|滝《たき》の|上《うへ》  |俺《おれ》の|水行《みづげう》を|睨《ね》めつけて
|野心《やしん》を|企《たく》んで|居《を》りよつた  バラモン|教《けう》の|神司《かむづかさ》
|心《こころ》も|固《かた》き|石熊《いしくま》は  |腕節《うでふし》までも|固《かた》いぞよ
|大蛇《をろち》の|奴《やつ》が|口《くち》あけて  でかい|目玉《めだま》を|剥《む》き|乍《なが》ら
|猪口才千万《ちよこざいせんばん》|一呑《ひとの》みと  |狙《ねら》つてゐよる|可笑《をか》しさよ
|直立《ちよくりつ》|不動《ふどう》の|姿勢《しせい》にて  |大蛇《をろち》も|出《で》て|来《こ》い|鬼《おに》も|来《こ》い
|仮令《たとへ》|千匹《せんびき》|万匹《まんびき》|一度《いちど》に|出《い》で|来《きた》り  |俺《おれ》に|向《むか》つて|攻《せ》め|来《く》|共《とも》
|何《なに》をか|恐《をそ》れむ|高照山《たかてるやま》の  |流《なが》れも|清《きよ》き|谷《たに》あひに
|教《をしへ》の|館《やかた》を|広《ひろ》く|建《た》て  |教主《けうしゆ》の|君《きみ》と|仰《あふ》がれた
|天下無双《てんかむさう》の|豪傑《がうけつ》ぞ  バラモン|教《けう》の|司《つかさ》さへ
|是丈《これだけ》|勇気《ゆうき》が|有《あ》るものを  |此《この》|世《よ》を|造《つく》り|固《かた》めたる
|三五教《あななひけう》の|主宰神《しゆさいしん》  |国治立大神《くにはるたちのおほかみ》の
|珍《うづ》の|御弟子《みでし》となつた|俺《おれ》  |瑞《みづ》の|御霊《みたま》と|現《あ》れませる
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の  |珍《うづ》の|御子《おんこ》の|末子姫《すゑこひめ》
|言霊《ことたま》すぐれさせ|玉《たま》ふ  |貴《たふと》きお|方《かた》の|弟子《でし》となり
|只今《ただいま》|茲《ここ》に|向《むか》うたり  |昨日《きのふ》も|強《つよ》く|出《で》たけれど
|今日《けふ》は|一層《いつそう》|強《つよ》いぞや  |神力《しんりき》|無双《むさう》の|石熊《いしくま》が
|天《あま》の|沼矛《ぬほこ》を|振《ふ》りまはし  |宣《の》る|言霊《ことたま》を|味《あぢ》はひて
|早《はや》く|兜《かぶと》を|脱《ぬ》ぐがよい  |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善神《ぜんしん》|邪神《じやしん》を|立《たて》わける  |悪《あく》の|企《たく》みは|何時《いつ》までも
|続《つづ》きはせないと|心得《こころえ》て  お|前《まへ》も|心《こころ》を|立直《たてなほ》し
|早《はや》く|解脱《げだつ》をするがよい  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして  |大蛇《をろち》の|魔術《まじゆつ》に|包《つつ》みたる
|八重《やへ》の|黒雲《くろくも》|打払《うちはら》ひ  |礫《つぶて》の|様《やう》な|此《この》|雨《あめ》を
|早《はや》く|晴《は》らさせ|玉《たま》へかし  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|心《こころ》も|体《からだ》も|石熊《いしくま》が  |鉄石心《てつせきしん》を|発揮《はつき》して
|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|大神《おほかみ》の  |恵《めぐみ》に|救《すく》ひ|与《あた》へむと
いよいよ|此処《ここ》に|向《むか》うたり  お|前《まへ》は|大蛇《をろち》の|牝《めす》だらう
|牡《おす》の|大蛇《をろち》は|末子姫《すゑこひめ》  |宣《の》らせ|玉《たま》ひし|言霊《ことたま》に
|嬉《うれ》し|涙《なみだ》を|流《なが》しつつ  |畜生《ちくしやう》|仲間《なかま》を|解脱《げだつ》して
|天《てん》にいそいそ|昇《のぼ》り|行《ゆ》く  さぞ|今頃《いまごろ》は|天上《てんじやう》の
|神《かみ》の|御許《みもと》に|参上《まゐのぼ》り  |高天《たかま》の|原《はら》に|安々《やすやす》と
|皇大神《すめおほかみ》の|右《みぎ》に|座《ざ》し  |下界《げかい》を|覗《のぞ》き|居《ゐ》るであらう
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|力《ちから》を|蒙《かうむ》りて
|言霊戦《ことたません》を|開始《かいし》する  |俺《おれ》の|言葉《ことば》が|分《わか》らねば
お|前《まへ》の|勝手《かつて》にするがよい  |心《こころ》|一《ひと》つの|持様《もちやう》で
|此《この》|世《よ》に|苦《くる》しう|暮《くら》さうと  |勇《いさ》んで|楽《らく》に|暮《くら》さうと
|天《てん》に|昇《のぼ》つて|神《かみ》となり  |世《よ》を|安々《やすやす》と|渡《わた》らうと
|何時《いつ》まで|池《いけ》の|底《そこ》に|棲《す》み  |日《ひ》に|三熱《さんねつ》と|三寒《さんかん》の
|悩《なや》みを|受《う》けて|何時迄《いつまで》も  |悩《なや》み|暮《くら》さうとお|前《まへ》の|心《こころ》の|胸《むね》|一《ひと》つ
|早《はや》く|改心《かいしん》するがよい  |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける  |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|青人草《あをひとぐさ》は|云《い》ふも|更《さら》  |大蛇《をろち》や|鬼《おに》の|霊《みたま》まで
|安《やす》きに|救《すく》ひ|助《たす》けます  |神《かみ》の|恵《めぐみ》を|喜《よろこ》んで
|吾《わが》|言霊《ことたま》に|服従《まつろ》へよ  |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|誠《まこと》|一《ひと》つの|言霊《ことたま》で  |生命《いのち》の|続《つづ》く|其《その》|限《かぎ》り
|俺《おれ》はお|前《まへ》を|助《たす》けにやおかぬ  |俺《おれ》の|尊《たふと》い|真心《まごころ》を
よく|汲《く》み|取《と》つて|逸早《いちはや》く  |天《あめ》の|八重雲《やへくも》|吹《ふ》きはらし
|怪《あや》しき|雨《あめ》を|降《ふ》り|止《や》めて  |再《ふたた》び|天津御光《あまつみひか》りを
|現《あら》はし|奉《まつ》れ|醜大蛇《しこをろち》  お|前《まへ》を|救《すく》ふ|真心《まごころ》の
あふれて|茲《ここ》に|池《いけ》の|水《みづ》  |深《ふか》き|恵《めぐみ》を|汲《く》み|取《と》れよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|歌《うた》ひ|了《をは》つた。|何故《なにゆゑ》か|雲《くも》は|益々《ますます》|舞《ま》ひさがり|水面《すゐめん》はいよいよ|波《なみ》|高《たか》く、|雨《あめ》は|礫《つぶて》の|如《ごと》くポツリポツリと|所《ところ》まんだらに、|池《いけ》の|面《おも》に|小石《こいし》を|投《な》げたやうな|波紋《はもん》を|印《いん》して|降《ふ》り|注《そそ》いでゐる。されど|不思議《ふしぎ》にも、|一行《いつかう》|七人《しちにん》の|肉体《にくたい》には|一粒《ひとつぶ》の|雨《あめ》もかからなかつた。
カール『アハヽヽヽ、なんとマアよう|利《き》く|言霊《ことたま》ですなア。お|前《まへ》さまが|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》する|度《たび》|毎《ごと》に|戦《たたか》ひ|益々《ますます》|酣《たけなは》なりといふ|調子《てうし》で、|波《なみ》は|次第々々《しだいしだい》に|高《たか》まつて|来《く》る、|雲《くも》は|追々《おひおひ》|濃厚《のうこう》となる、|大粒《おほつぶ》の|雨《あめ》は|刻々《こくこく》に|繁《しげ》く|降《ふ》つて|来《く》る、|何《なん》と|言霊《ことたま》も|使《つか》ひ|手《て》に|依《よ》つては、どうでもなるものだなア! こんな|男《をとこ》に|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》させるのは、|丁度《ちやうど》|気違《きちがひ》に|松明《たいまつ》を|持《も》たして、|放《ほ》り|出《だ》した|様《やう》なものだ、|危険《きけん》|至極《しごく》で|見《み》て|居《を》られない。それだから|俺《おれ》が|道々《みちみち》|御遠慮《ごゑんりよ》したら|宜《よ》からうと、|忠告《ちうこく》を|与《あた》へてやつたのだ、いらぬチヨツカイを|出《だ》して、いい|恥《はぢ》をかいたものだなア。|俺《おれ》はどうかしてお|前《まへ》に|失敗《しつぱい》をさせともないと|思《おも》つて、|止《と》めたのだよ。|要《えう》するに|抜《ぬ》かぬ|太刀《たち》の|功名《こうみやう》をさせてやりたかつたばかりだ。|世界一《せかいいち》の|力《ちから》の|強《つよ》い|角力《すまう》の|神《かみ》さま、|摩利支天《まりしてん》にだつて、|一度《いちど》も|負《まけ》た|事《こと》のない、|此《こ》のカールの|忠告《ちうこく》、なぜ|聞《き》かなかつたのだ。|仮令《たとへ》|姫様《ひめさま》がお|勧《すす》めなさつても、|遠慮《ゑんりよ》をするのが|道《みち》ではないか』
|石熊《いしくま》『さう|責《せ》めて|呉《く》れない。|今《いま》に|言霊《ことたま》の|効用《かうよう》が|現《あら》はれるだらうから、|暫《しばら》く|時間《じかん》を|与《あた》へて、|俺《おれ》の|腕前《うでまへ》を|拝観《はいくわん》するが|良《い》いワ。さうして、|今《いま》|御前《おまへ》はあの|摩利支天様《まりしてんさま》にも|負《まけ》たことがないと|云《い》つたが、どこで|何時《いつ》|角力《すまう》を|取《と》つたのだ』
カール『|世界一《せかいいち》の|力強《ちからづよ》の|角力《すまう》の|神《かみ》でも、|組合《くみあ》ひせなかつたら、|負《まけ》る|例《ため》しはないぢやないか。それだからお|前《まへ》も|沈黙《ちんもく》して、|姫様《ひめさま》にお|任《まか》せしておけば、|大蛇《をろち》に|負《まけ》たと|言《い》はれて、|末代《まつだい》の|恥《はぢ》をさらすにも|及《およ》ぶまいと|思《おも》つたから、|親切《しんせつ》に|云《い》つてやつたのだ。|良薬《りやうやく》は|口《くち》に|苦《にが》く、|諫言《かんげん》は|耳《みみ》に|逆《さか》らうと|云《い》ふ|事《こと》があるから、|俺《おれ》の|露骨《ろこつ》な|忠告《ちうこく》は、キツとお|前《まへ》に|喜《よろこ》ばれさうな|筈《はず》はない。けれ|共《ども》|俺《おれ》は|阿諛諂佞《あゆてんねい》の|徒《と》ではないから、|正々堂々《せいせいだうだう》と|至誠《しせい》を|吐露《とろ》して|注意《ちうい》したのだ。|併《しか》し|乍《なが》らモウ|斯《こ》うなつては|取返《とりかへ》しはつかない。あゝ|困《こま》つたものだ、……それ|見《み》よ! ますます|波《なみ》は|高《たか》く|荒《あ》れ|狂《くる》ひ|出《だ》したぢやないか!』
|石熊《いしくま》『|大方《おほかた》|俺《おれ》の|言霊《ことたま》の|威力《ゐりよく》に|打《う》たれて、|大蛇《をろち》の|奴《やつ》、|地底《ちてい》に|苦悶《くもん》して、のた|打《うち》|廻《まは》つて|荒《あ》れてゐるのだらう。さうでなくば、あれ|丈《だけ》|浪《なみ》が|立《たち》さわぐ|道理《だうり》がないぢやないか。|細工《さいく》は|流々《りうりう》マア|仕上《しあ》げを|見《み》てゐて|下《くだ》されよだ、アハヽヽヽ』
と|空元気《からげんき》を|付《つ》け|乍《なが》ら、|心中《しんちう》|不安《ふあん》の|念《ねん》に|駆《か》られて|居《ゐ》る。
|末子《すゑこ》『|石熊《いしくま》さま、どうもあなたの|言霊《ことたま》は|少《すこ》し|不結果《ふけつくわ》でした。マ|一度《いちど》|宣《の》り|直《なほ》しなさいませ』
|石熊《いしくま》『ハイ、|最早《もはや》|言霊《ことたま》の|材料《ざいれう》|欠乏《けつぼう》|致《いた》しまして、|何《なん》とも|仕方《しかた》が|御座《ござ》いませぬ。どうぞ|少《すこ》し|資本《しほん》を|御貸《おか》し|下《くだ》さいませぬか』
|末子《すゑこ》『ホヽヽヽヽ、あのマア|気楽《きらく》なこと|仰有《おつしや》つて、|早《はや》くなさらないと、|大変《たいへん》なことが|出来《しゆつたい》|致《いた》しますよ。あなたが|起《おこ》した|事《こと》は、あなたが|結末《けつまつ》をつけなくては、|外《ほか》の|者《もの》が|如何《どう》ともする|事《こと》が|出来《でき》ませぬ。サア|茲《ここ》で|早《はや》く|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|歌《うた》ひ|上《あ》げ、|更《あらた》めて、|心《こころ》を|清《きよ》め、|再《ふたた》び|大蛇《をろち》に|向《むか》つて、|言霊《ことたま》を|御発《おはつ》しなさいませ』
カール『それ|見《み》よ……それだから、|初《はじめ》から|手出《てだ》しをすなと|云《い》うたぢやないか。|二進《につち》も|三進《さつち》もならぬとは|此《この》|事《こと》だ。|丸《まる》でとりもち|桶《をけ》へ|足《あし》をふんごんだ|様《やう》な|破目《はめ》に|陥《おちい》つたぢやないか。サアお|姫様《ひめさま》の|仰《あふ》せの|通《とほ》り、シツカリ|胴《どう》を|据《す》えて、ウンと|息《いき》を|臍下丹田《さいかたんでん》に|詰《つ》め、|円満《ゑんまん》|晴朗《せいらう》な|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》せよ。そして|大蛇《をろち》に|対《たい》し、|余《あま》り|軽蔑的《けいべつてき》|言辞《げんじ》を|用《もち》ゐてはならないぞ。|善言美詞《みやび》の|神嘉言《かむよごと》を|以《もつ》て、|万有《ばんいう》を|帰順《きじゆん》せしむるのが|神事《しんじ》の|兵法《へいはふ》だ。サア|早《はや》く、|心《こころ》の|立替《たてかへ》|立直《たてなほ》しをして、|臍下丹田《あまのいはと》を|押開《おしひら》き、|生言霊《いくことたま》を|発射《はつしや》せよ』
|石熊《いしくま》は|是非《ぜひ》なく、|又《また》もや|池《いけ》の|面《おも》に|向《むか》つて|一生懸命《いつしやうけんめい》に|言霊《ことたま》を|宣《の》り|始《はじ》めた。|池《いけ》の|波《なみ》は|時々刻々《じじこくこく》に|高《たか》まり、|山《やま》の|如《ごと》くになつて|来《き》た。|其《その》|光景《くわうけい》の|凄《すさま》じさ、|到底《たうてい》|筆舌《ひつぜつ》の|尽《つく》す|限《かぎ》りではなかつた。
(大正一一・八・一五 旧六・二三 松村真澄録)
第一〇章 |妖雲晴《えううんばれ》〔八五二〕
|石熊《いしくま》は|改《あらた》めて|姿勢《しせい》を|正《ただ》し、|再《ふたた》び|水面《すゐめん》に|向《むか》つて、|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》し|始《はじ》めた。|此《この》|男《をとこ》は|得意《とくい》の|時《とき》には|無茶苦茶《むちやくちや》に|威張《ゐば》るなり、|少《すこ》し|弱《よわ》り|目《め》になつて|来《く》ると、|顔色《かほいろ》|迄《まで》|真青《まつさを》にかへる、|精神《せいしん》の|未《いま》だ|安定《あんてい》しない|男《をとこ》であつた。|末子姫《すゑこひめ》に|再《ふたた》び|宣《の》り|直《なほ》しを|命《めい》ぜられ、|且《かつ》|又《また》カールの|忠言《ちうげん》を|痛《いた》く|気《き》にして|心《こころ》を|痛《いた》め|乍《なが》ら、|引《ひ》くに|引《ひ》かれぬ|因果腰《いんぐわごし》を|定《さだ》めて|又《また》もや|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。されど|何処《どこ》ともなしにハーモニーを|欠《か》いた|悲哀《ひあい》の|情《じやう》を|遺憾《ゐかん》なく|現《あら》はして|居《ゐ》た。|其《その》|歌《うた》、
『|仰《あふ》げば|高《たか》し|久方《ひさかた》の  |高天原《たかあまはら》に|現《あ》れませる
|皇大神《すめおほかみ》の|御言《みこと》もて  |豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》
|造《つく》り|固《かた》め|玉《たま》ひつつ  |世人《よびと》の|為《ため》に|御心《みこころ》を
|配《くば》らせ|玉《たま》ひし|国治立《くにはるたち》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|御仕組《おんしぐみ》
|普《あまね》く|世人《よびと》を|助《たす》けむと  |三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》を
|野立《のだち》の|神《かみ》と|現《あ》れまして  |数多《あまた》の|神《かみ》を|呼《よ》びつどひ
|開《ひら》き|玉《たま》ひし|尊《たふと》さよ  |天照《あまてら》します|大神《おほかみ》の
|弟神《おとうとがみ》と|現《あ》れませる  |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》は
|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|瑞御霊《みづみたま》  |鬼《おに》や|大蛇《をろち》や|曲神《まがかみ》の
|日々《ひび》に|悩《なや》める|苦《くるし》みを  |生言霊《いくことたま》の|幸《さち》はひに
|清《きよ》く|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し  |宣《の》り|直《なほ》さむと|八洲国《やしまくに》
|雨《あめ》の|晨《あした》や|風《かぜ》の|宵《よひ》  |雪《ゆき》|積《つ》む|野辺《のべ》も|厭《いと》ひなく
|遠《とほ》き|山河《やまかは》|打《うち》わたり  |大海原《おほうなばら》を|越《こ》えまして
|森羅万象《しんらばんしやう》|悉《ことごと》く  |助《たす》け|玉《たま》へる|有難《ありがた》さ
|皇大神《すめおほかみ》の|珍《うづ》の|子《こ》と  |現《あら》はれませる|末子姫《すゑこひめ》
|乾《いぬゐ》の|滝《たき》に|現《あ》れまして  バラモン|教《けう》の|石熊《いしくま》が
|大蛇《をろち》の|神《かみ》に|狙《ねら》はれて  |命《いのち》も|危《あやふ》き|折柄《をりから》に
|三五教《あななひけう》の|御心《みこころ》を  |完美《うまら》に|委曲《つばら》に|現《あら》はして
|大蛇《をろち》の|神《かみ》は|云《い》ふも|更《さら》  |此《この》|石熊《いしくま》が|身魂《みたま》まで
|合《あは》せて|救《すく》ひ|玉《たま》ひけり  |吾《わ》れは|賤《いや》しき|人《ひと》の|身《み》の
|天地《てんち》に|怖《お》ぢず|暗雲《やみくも》の  |高照山《たかてるやま》の|聖域《せいゐき》に
|館《やかた》を|構《かま》へて|世《よ》の|人《ひと》に  |神《かみ》の|使《つかひ》と|誇《ほこ》りつつ
|濁《にご》り|汚《けが》れし|言霊《ことたま》を  |打出《うちだ》し|乱《みだ》す|四方《よも》の|国《くに》
|知《し》らず|知《し》らずに|悪神《あくがみ》の  |醜《しこ》の|擒《とりこ》となりにける
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》の|幸《さち》を|蒙《かうむ》りて
|天地《てんち》に|充《み》ちし|罪穢《つみけが》れ  |末子《すゑこ》の|姫《ひめ》の|言霊《ことたま》に
|伊吹《いぶき》|払《はら》はれ|救《すく》はれて  |今《いま》は|全《まつた》く|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|僕《しもべ》となりにけり  |巽《たつみ》の|池《いけ》の|底《そこ》|深《ふか》く
|堅磐常磐《かきはときは》に|鎮《しづ》まれる  |大蛇《をろち》の|神《かみ》の|御前《おんまへ》に
|吾《わ》れは|謹《つつし》み|畏《かしこ》みて  |生言霊《いくことたま》を|宣《の》りまつる
|大蛇《をろち》の|神《かみ》よ|生神《いきがみ》よ  |汝《なんぢ》も|天地《てんち》の|皇神《すめかみ》の
|御水火《みいき》に|生《あ》れし|神《かみ》の|御子《みこ》  |仮令《たとへ》|姿《すがた》は|変《かは》る|共《とも》
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御心《みこころ》に  |清《きよ》き|御目《おんめ》に|照《て》らしなば
いかで|差別《けじめ》のあるべきや  |汝《なれ》も|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》
|吾《わ》れも|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》  |互《たがひ》に|睦《むつ》び|親《した》しみて
|天地《てんち》の|教《のり》を|伝《つた》へたる  |三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|道《みち》
|開《ひら》き|玉《たま》ひし|言霊《ことたま》の  |珍《うづ》の|力《ちから》を|味《あぢ》はひて
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|村肝《むらきも》の  |心《こころ》の|岩戸《いはと》を|開《ひら》きつつ
|月日《つきひ》の|影《かげ》も|美《うる》はしく  |汝《なれ》が|心《こころ》に|照《て》らせかし
|吾《わ》れは|賤《いや》しき|人《ひと》の|身《み》よ  |汝《なれ》は|尊《たふと》き|神《かみ》の|御子《みこ》
|汝《なれ》に|向《むか》つて|言霊《ことたま》を  |宣《の》り|伝《つた》ふべき|力《ちから》なし
さは|去《さ》り|乍《なが》ら|吾《わ》れも|又《また》  |尊《たふと》き|神《かみ》の|御守《みまも》りに
|珍《うづ》の|柱《はしら》と|選《えら》ばれて  |汝《なれ》の|霊《みたま》を|救《すく》はむと
|遥々《はるばる》|尋《たづ》ねて|来《きた》りけり  |大蛇《をろち》の|神《かみ》よ|生神《いきがみ》よ
|心《こころ》|平《たひ》らに|安《やす》らかに  |賤《いや》しき|者《もの》の|言霊《ことたま》を
さげすみ|玉《たま》はず|御心《みこころ》を  |鎮《しづ》めて|深《ふか》く|聞《き》き|玉《たま》へ
これの|天地《てんち》はいと|広《ひろ》し  いかに|御池《みいけ》は|広《ひろ》くとも
いかに|水底《みなそこ》|深《ふか》くとも  |限《かぎ》りも|知《し》らぬ|大空《おほぞら》に
|比《くら》べて|見《み》れば|此《この》|池《いけ》も  |物《もの》の|数《かず》に|這入《はい》らない
|斯《か》かる|処《ところ》に|潜《ひそ》むより  |天地《てんち》に|充《み》てる|言霊《ことたま》の
|力《ちから》に|心《こころ》を|清《きよ》めまし  |大空《たいくう》|高《たか》く|翔登《かけのぼ》り
|尊《たふと》き|神《かみ》の|右《みぎ》に|座《ざ》し  |雨《あめ》をば|降《ふ》らせ|風《かぜ》|吹《ふ》かせ
|青人艸《あをひとぐさ》に|霑《うるほ》ひを  |与《あた》へて|神《かみ》の|経綸《けいりん》に
|仕《つか》ふる|神《かみ》となりませよ  |幸《さいは》ひ|汝《なれ》の|身体《からたま》は
|時《とき》を|得《え》ずして|池底《いけそこ》に  |身《み》を|潜《ひそ》む|共《とも》|時津風《ときつかぜ》
|吹《ふき》|来《く》る|風《かぜ》は|忽《たちま》ちに  |天地《てんち》の|間《あひだ》に|蟠《わだか》まり
|風雨電雷《ふううでんらい》|叱咤《しつた》して  |神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》|守《まも》ります
|素質《そしつ》のゐます|生神《いきがみ》ぞ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|心《こころ》を|推《お》し|量《はか》り  |吾《わが》|言霊《ことたま》を|詳細《まつぶさ》に
|聞《きこ》し|召《め》しませ|惟神《かむながら》  |大蛇《をろち》の|神《かみ》の|御前《おんまへ》に
|三五教《あななひけう》に|仕《つか》へたる  |神《かみ》の|僕《しもべ》の|石熊《いしくま》が
|謹《つつし》み|敬《うやま》ひ|八平手《やひらで》を  |拍《う》ちて|勧告《くわんこく》|仕《つかまつ》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
|今度《こんど》は|最《もつと》も|叮嚀《ていねい》に|善言美詞的《ぜんげんびしてき》に|言霊《ことたま》を|宣《の》り|上《あ》げた。され|共《ども》|水面《すゐめん》の|光景《くわうけい》は|依然《いぜん》として|元《もと》の|如《ごと》くであつた。
|末子姫《すゑこひめ》『|今度《こんど》のあなたの|言霊《ことたま》は|実《じつ》に|神《しん》に|入《い》り、|妙《めう》に|達《たつ》したと|云《い》つても|宜《よろ》しい。|併《しか》し|乍《なが》ら、|其《その》|効果《かうくわ》の|現《あら》はれないのは、あなた|如何《どう》|御考《おかんが》へなさいますか』
|石熊《いしくま》『ハイ、|何《なん》と|云《い》うても|過去《くわこ》の|罪《つみ》が|深《ふか》いもので|御座《ござ》いますから、|大蛇《をろち》の|神様《かみさま》も|馬鹿《ばか》にして、あの|汚《けが》らはしい|小僧《こぞう》|奴《め》、|何《なに》を|猪口才《ちよこざい》な、|殊勝《しゆしよう》らし|事《こと》を|言《い》ひよるのだ!……と|云《い》ふ|様《やう》なお|心持《こころもち》で|聞《き》いて|下《くだ》さらないのでせう。|実《じつ》にお|恥《はづ》かしう|御座《ござ》います』
|末子《すゑこ》『あゝさう|御考《おかんが》へになりましたか、それは|実《じつ》に|善《よ》き|御考《おかんが》へで|御座《ござ》います。どうぞ|其《その》|心《こころ》を|忘《わす》れない|様《やう》にして|下《くだ》さい。さうしてあなたは|別《べつ》に|三五教《あななひけう》にお|這入《はい》りにならなくても|宜《よろ》しい。|又《また》|高照山《たかてるやま》とかの|立派《りつぱ》な|館《やかた》を|三五教《あななひけう》へ|献《たてまつ》るとか|仰有《おつしや》つたように|記憶《きおく》して|居《を》りますが、|決《けつ》してそんな|御心配《ごしんぱい》は|要《い》りませぬ。|神《かみ》さまの|誠《まこと》の|御教《みをしへ》は|左様《さやう》な|小《ちい》さい|区別《くべつ》されたものでは|御座《ござ》いませぬ。|三五教《あななひけう》だとか、バラモン|教《けう》だとか、ウラル|教《けう》だとか、いろいろ|小《ちい》さき|雅号《ががう》を|拵《こしら》へ、|各自《かくじ》に|其《その》|区劃《くくわく》の|中《なか》に|詰《つ》め|込《こ》まれて|蝸牛角上《くわぎうかくじやう》の|争《あらそ》ひをして|居《ゐ》る|様《やう》なことでは、|到底《たうてい》|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|大神《おほかみ》の|御神慮《ごしんりよ》には|叶《かな》ひませぬ。|誠《まこと》の|道《みち》は|古今《ここん》に|通《つう》じ、|東西《とうざい》に|亘《わた》り、|単一無雑《たんいつむざつ》にして、|悠久《いうきう》|且《か》つ|宏大《くわうだい》な|物《もの》、|決《けつ》して|教会《けうくわい》とか|霊場《れいぢやう》とか、|左様《さやう》な|名《な》に|囚《とら》はれて|居《ゐ》る|様《やう》なことでは、|誠《まこと》の|神《かみ》の|御心《みこころ》は|分《わか》るものでは|御座《ござ》りませぬ。あなたも|三五教《あななひけう》の|中《なか》に|宜《よろ》しい|点《てん》があるとお|認《みと》めになれば、そこを|御用《おもち》ゐになり、バラモン|教《けう》で|宜《よろ》しいから、|悪《わる》いと|気《き》のついた|所《ところ》は|削《けづ》り、|又《また》|良《よ》いことがあれば、|誰《たれ》の|言《い》つた|言葉《ことば》でも|少《すこ》しも|構《かま》ひませぬ。|長《ちやう》を|採《と》り|短《たん》を|補《おぎな》ひ、|完全《くわんぜん》|無欠《むけつ》の|神様《かみさま》の|御教《みをしへ》を|何卒《なにとぞ》|天下《てんか》に|拡充《くわくじゆう》されむことを|希望《きばう》|致《いた》します。|妾《わらは》も|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》なぞと|言《い》はれる|度《たび》|毎《ごと》に、|何《なん》だか|狭苦《せまくる》しい|箱《はこ》の|中《なか》へでも|押込《おしこ》められる|様《やう》な|心持《こころもち》が|致《いた》しまして、|実《じつ》に|苦《くる》しう|御座《ござ》います。すべて|神《かみ》の|教《をしへ》は|自由自在《じいうじざい》に|解放《かいはう》されて、|一《ひと》つの|束縛《そくばく》もなく、|惟神的《かむながらてき》でなくてはならないものですよ。どうぞ|其《その》お|積《つも》りで|今後《こんご》は|世界《せかい》の|為《ため》に、|神様《かみさま》の|御為《おんため》に|力一杯《ちからいつぱい》|誠《まこと》を|御尽《おつく》し|下《くだ》さいませ。これが|此《この》|世《よ》を|造《つく》り|玉《たま》ひし|元津御祖《もとつみおや》の|大神《おほかみ》、|国治立命《くにはるたちのみこと》|様《さま》|其《その》|外《ほか》の|尊《たふと》き|神々様《かみがみさま》に|対《たい》する|三五《あななひ》の|道《みち》の|真相《しんさう》で|御座《ござ》いますから……』
|石熊《いしくま》は|涙《なみだ》をハラハラと|流《なが》し、
|石熊《いしくま》『|如何《いか》にも|公平《こうへい》|無私《むし》にして、|理義《りぎ》|明白《めいはく》なる|姫様《ひめさま》の|御教訓《ごけうくん》、いやモウ|実《じつ》に|今日《けふ》は|結構《けつこう》な|御神徳《ごしんとく》を|頂《いただ》きました。|今後《こんご》はキツと|今迄《いままで》の|様《やう》な|小《ちい》さい|心《こころ》を|持《も》たず、|努《つと》めて|大神様《おほかみさま》の|御心《みこころ》に|叶《かな》ひまつるべく、|努力《どりよく》する|考《かんが》へで|御座《ござ》います。|何卒《なにとぞ》|御見捨《おみす》てなく、|愚者《おろかもの》の|私《わたし》、|御指導《ごしだう》の|程《ほど》|幾重《いくへ》にも|念《ねん》じ|上《あ》げ|奉《たてまつ》ります』
と|合掌《がつしやう》し、|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|声《こゑ》さへかすんでゐた。
|末子《すゑこ》『モシ|捨子姫《すてこひめ》|様《さま》! あなた|御苦労《ごくらう》ですが、|大蛇《をろち》の|神様《かみさま》に|言霊《ことたま》をお|手向《たむ》け|下《くだ》さいませぬか? |石熊様《いしくまさま》があの|通《とほ》りの|不結果《ふけつくわ》に|終《をは》られましたから、|其《その》|補充《ほじゆう》として、|貴女《あなた》に|御奮戦《ごふんせん》を|御願《おねがひ》|致《いた》します』
|捨子《すてこ》『|左様《さやう》なれば、|仰《あふ》せに|従《したが》ひ、|言霊《ことたま》を|宣《の》らして|頂《いただ》きませう』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|山岳《さんがく》の|如《ごと》く、|波《なみ》|立《た》ちさわぐ|水面《すゐめん》に|向《むか》つて、|言葉《ことば》|涼《すず》しく|清《きよ》く|言霊《ことたま》を|宣《の》り|始《はじ》めたり。
『|巽《たつみ》の|池《いけ》に|永久《とこしへ》に  |鎮《しづ》まりゐます|生神《いきがみ》の
いづの|御前《みまへ》に|捨子姫《すてこひめ》  |天《あめ》と|地《つち》との|神々《かみがみ》が
|授《さづ》け|玉《たま》ひし|言霊《ことたま》を  |茲《ここ》に|慎《つつし》み|宣《の》りまつる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|造《つく》りし|神《かみ》の|国《くに》
|神《かみ》の|守《まも》りし|神《かみ》の|国《くに》  |成《な》り|出《い》でませる|人艸《ひとぐさ》や
|森羅万象《しんらばんしやう》|悉《ことごと》く  |神《かみ》と|神《かみ》との|御恵《みめぐみ》を
|受《う》けざるものはあらざらむ  |大蛇《をろち》の|神《かみ》よ|生神《いきがみ》よ
|神《かみ》より|受《う》けし|其《その》|身魂《みたま》  |時世時節《ときよじせつ》と|言《い》ひ|乍《なが》ら
|底《そこ》ひも|知《し》れぬ|此《この》|池《いけ》に  |忍《しの》びゐますは|何故《なにゆゑ》ぞ
|天津御空《あまつみそら》もいや|高《たか》く  |翔《かけ》りて|此《この》|世《よ》を|守《まも》るべき
|汝《な》が|身《み》は|実《げ》にも|皇神《すめかみ》の  |珍《うづ》の|御楯《みたて》と|選《えら》ばれし
|尊《たふと》き|身魂《みたま》にあらざるか  |森羅万象《しんらばんしやう》|悉《ことごと》く
|永遠無窮《えいゑんむきう》の|生命《せいめい》を  |与《あた》へ|助《たす》くる|言霊《ことたま》の
|神《かみ》の|御水火《みいき》を|諾《うべな》ひて  |一日《ひとひ》も|早《はや》く|片時《かたとき》も
|御池《みいけ》の|波《なみ》を|掻《か》き|分《わ》けて  |天津御空《あまつみそら》の|生神《いきがみ》と
|返《かへ》らせ|玉《たま》へ|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》に|仕《つか》へたる
|捨子《すてこ》の|姫《ひめ》が|真心《まごころ》を  こめて|偏《ひとへ》に|請《こ》ひまつる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|御霊《みたま》を|受《う》けまして
|限《かぎり》も|知《し》れぬ|大空《おほそら》の  |尊《たふと》き|神《かみ》と|現《あ》れませよ
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の  |珍《うづ》の|御子《みこ》なる|末子姫《すゑこひめ》
|其《その》|言霊《ことたま》を|蒙《かうむ》りて  |汝《な》が|身《み》に|勧《すす》め|奉《たてまつ》る
|汝《な》が|身《み》に|勧《すす》め|奉《たてまつ》る  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして  |捨子《すてこ》の|姫《ひめ》の|言霊《ことたま》を
|空《そら》|吹《ふ》く|風《かぜ》や|川《かは》の|瀬《せ》の  |音《おと》と|見逃《みのが》し|玉《たま》ふまじ
|大蛇《をろち》の|神《かみ》の|御前《おんまへ》に  |心《こころ》をこめて|宣《の》べまつる
|心《こころ》の|丈《たけ》を|明《あ》かしつる』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つた。|捨子姫《すてこひめ》の|言霊《ことたま》は|極《きは》めて、|簡単《かんたん》なれ|共《ども》、|天授《てんじゆ》の|精魂《せいこん》|清《きよ》らかにして、|一点《いつてん》の|汚点《をてん》もなく、|暗雲《あんうん》もなく、|真如《しんによ》の|月《つき》は|心《こころ》の|海《うみ》に|鏡《かがみ》の|如《ごと》く|照《て》り|輝《かがや》き|居《ゐ》たれば、|其《その》|言霊《ことたま》の|効用《かうよう》|著《いちじる》しく|現《あら》はれて、さしもに|高《たか》かりし|荒波《あらなみ》は|次第々々《しだいしだい》に|静《しづ》まり、|四辺《あたり》を|包《つつ》みし|黒雲《くろくも》は|忽《たちま》ち|晴《は》れわたり、マバラの|雨《あめ》は|俄《にはか》に|降《ふ》りやみ、|天津御空《あまつみそら》には|金色《きんしよく》の|太陽《たいやう》|晃々《くわうくわう》と|輝《かがや》き|始《はじ》め|玉《たま》うた。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・八・一五 旧六・二三 松村真澄録)
第一一章 |言霊《ことたま》の|妙《めう》〔八五三〕
|言霊《ことたま》の|妙用《めうよう》は|一声《いつせい》よく|天地《てんち》を|震動《しんどう》し、|一音《いちおん》よく|風雨雷霆《ふううらいてい》を|駆使《くし》し|叱咤《しつた》する|絶対《ぜつたい》|無限《むげん》の|権力《けんりよく》あれ|共《ども》、|之《これ》を|使用《しよう》する|人々《ひとびと》の|正邪《せいじや》に|依《よ》りて、|非常《ひじやう》なる|径庭《けいてい》のあるものである。|昨日《きのふ》|迄《まで》バラモン|教《けう》を|開《ひら》き、|誤《あやま》りたる|信仰《しんかう》を|続《つづ》け、|心《こころ》は|拗《ねぢ》け、|魂《たま》は|曇《くも》り、|言霊《ことたま》の|曇《くも》りたる|者《もの》は、|如何《いか》に|完全《くわんぜん》に、|能弁《のうべん》に|善言美詞《ぜんげんびし》を|述《の》べ|立《た》つればとて、|万有一切《ばんいういつさい》に|対《たい》し|毫末《がうまつ》も、|其《その》|感動《かんどう》を|与《あた》へざるは、|実《じつ》に|神律《しんりつ》の|厳《げん》として|冒《をか》す|可《べか》らざる|所以《ゆゑん》である。|又《また》|魂《こん》よく|研《みが》け|慈愛《じあい》に|富《と》み、|心中《しんちう》|常《つね》に|寛容《くわんよう》の|徳《とく》ある|捨子姫《すてこひめ》の|言霊《ことたま》は、|前者《ぜんしや》に|比《ひ》して|極《きは》めて|簡単《かんたん》なものであつた。されど|暴悪無道《ばうあくぶだう》の|醜《しこ》の|大蛇《をろち》も、|厳《げん》として|動《うご》かす|可《べか》らざる|捨子姫《すてこひめ》の|清明《せいめい》|無垢《むく》の|臍下丹田《さいかたんでん》より|迸《ほとばし》れる|万有《ばんいう》|愛護《あいご》の|至誠《しせい》より|出《い》でたる|言霊《ことたま》には、|如何《いか》に|頑強《ぐわんきやう》なる|邪神《じやしん》と|雖《いへど》も、|到底《たうてい》|之《こ》れに|抵抗《ていかう》するの|余地《よち》なく、|漸《やうや》く|心《こころ》|和《やは》らぎ、|浪《なみ》|静《しづ》まり、|雨《あめ》は|止《や》みあたりを|包《つつ》む|黒雲《くろくも》も|次第《しだい》に、|言霊《ことたま》の|権威《けんゐ》に|依《よ》つて|払拭《ふつしき》されて|了《しま》つたのである。これにしても|神界《しんかい》の|最大《さいだい》|重宝《ぢうはう》たる|言霊《ことたま》の|神器《しんき》は、|混濁《こんだく》せる|身魂《みたま》の|容易《ようい》に|使用《しよう》し|得《う》|可《べ》からざる|事《こと》を|知《し》らるるであらう。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
|末子姫《すゑこひめ》は|厳然《げんぜん》として|立上《たちあが》り、|漸《やうや》く|凪《なぎ》|渡《わた》りし|水面《すゐめん》に|向《むか》ひ|言葉《ことば》さわやかに|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。|其《その》|歌《うた》、
『|誠《まこと》の|神《かみ》の|造《つく》らしし  |此《この》|天地《あめつち》の|不思議《ふしぎ》さよ
|天津御空《あまつみそら》は|青雲《あをくも》の  |底《そこ》ひも|知《し》らぬ|天《あま》の|川《かは》
|森羅万象《しんらばんしやう》|睥睨《へいげい》し  |清《きよ》く|流《なが》れて|果《は》てしなく
|星《ほし》の|光《ひかり》はキラキラと  |永遠《とは》に|輝《かがや》く|美《うる》はしさ
|天津日《あまつひ》の|神《かみ》|東天《とうてん》に  |昇《のぼ》りましては|又《また》|西《にし》に
|清《きよ》き|姿《すがた》を|隠《かく》しまし  |夜《よ》は|又《また》|月《げつ》の|大御神《おほみかみ》
|清《きよ》き|光《ひかり》を|投《な》げ|玉《たま》ひ  |下界《げかい》の|万有一切《ばんいういつさい》に
|恵《めぐみ》の|露《つゆ》を|垂《た》れ|玉《たま》ふ  |月日《つきひ》は|清《きよ》く|天渡《あまわた》り
|浜《はま》の|真砂《まさご》の|数《かず》の|如《ごと》  |光《ひかり》|眩《まば》ゆき|百星《ひやくせい》の
|或《あるひ》は|白《しろ》く|又《また》|赤《あか》く  |淡《あは》き|濃《こ》き|色《いろ》|取交《とりま》ぜて
|際涯《はてし》も|知《し》らぬ|大空《おほぞら》を  |飾《かざ》らせ|玉《たま》ふ|尊《たふと》さよ
|眼《まなこ》を|転《てん》じて|葦原《あしはら》の  |瑞穂《みづほ》の|国《くに》を|眺《なが》むれば
|山野《さんや》は|青《あを》く|茂《しげ》り|合《あ》ひ  |野辺《のべ》の|千草《ちぐさ》はまちまちに
|青赤白黄紫《あおあかしろきむらさき》と  |咲《さ》き|乱《みだ》れたる|楽《たの》しさよ
|河《かは》の|流《なが》れはいと|清《きよ》く  |稲麦豆粟黍《いねむぎまめあはきび》の|類《るゐ》
|所狭《ところせ》きまで|稔《みの》りつつ  |味《あぢ》よき|木実《このみ》は|野《の》に|山《やま》に
|枝《えだ》もたわわに|香《かを》りけり  |天津御空《あまつみそら》の|神国《かみくに》を
|此《この》|土《ど》の|上《うへ》に|相写《あひうつ》し  |四方《よも》の|神人《かみびと》|木《き》や|草《くさ》や
|鳥《とり》|獣《けだもの》や|虫族《むしけら》の  |小《ちい》さきものに|至《いた》る|迄《まで》
|神《かみ》の|御水火《みいき》をかけ|玉《たま》ひ  |尊《たふと》き|霊《みたま》を|配《くば》らせて
|天《あめ》と|地《つち》とは|睦《むつ》び|合《あ》ひ  |影《かげ》と|日向《ひなた》は|抱《いだ》き|合《あ》ひ
|男子女子《をのこをみな》は|相睦《あひむつ》び  |上《かみ》と|下《しも》とは|隔《へだ》てなく
|互《たがひ》に|心《こころ》を|打明《うちあ》けて  |暮《くら》す|此《この》|世《よ》は|神《かみ》の|国《くに》
|高天原《たかあまはら》の|活映《いきうつ》し  |天地《てんち》の|合《あは》せ|鏡《かがみ》ぞや
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|御霊《みたま》の|幸《さち》はひて
|風《かぜ》|吹渡《ふきわた》り|荒波《あらなみ》の  |巽《たつみ》の|池《いけ》に|現《あ》れませる
|神《かみ》の|御水火《みいき》に|生《うま》れたる  |大蛇《をろち》の|神《かみ》よ|活神《いきがみ》よ
|汝《なれ》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》  |吾《わ》れも|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》
|汝《なれ》と|妾《わらは》とのみならず  |山河木草鳥獣《やまかはきくさとりけもの》
|大魚小魚《おほうをこうを》|虫族《むしけら》も  |神《かみ》の|恵《めぐみ》に|漏《も》れざらめ
|况《ま》して|尊《たふと》き|汝《な》が|姿《すがた》  |人《ひと》の|体《からだ》にいや|優《まさ》り
いよいよ|太《ふと》くいや|長《なが》く  |陸《くが》にも|棲《す》めば|水《みづ》に|棲《す》み
|雲《くも》にも|乗《の》りて|大空《おほぞら》を  |翔《かけ》りて|昇《のぼ》る|神力《しんりき》を
|生《うま》れ|乍《なが》らに|持《も》たせつつ  |何故《なにゆゑ》|狭《せま》き|此《この》|池《いけ》に
|鎮《しづ》まりまして|世《よ》の|人《ひと》に  |悪《あし》き|災《わざはひ》なし|玉《たま》ふや
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》が  |八洲《やしま》の|国《くに》に|蟠《わだかま》る
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜神《しこがみ》を  |稜威《いづ》の|言霊《ことたま》|宣《の》べ|伝《つた》へ
|伊吹《いぶき》の|狭霧《さぎり》|吹棄《ふきす》てて  すべての|物《もの》に|安息《あんそく》を
|与《あた》へ|給《たま》はる|大神業《おほみわざ》  |此《この》|神業《かむわざ》の|一《ひと》つだも
|補《おぎな》ひ|奉《まつ》り|万有《ばんいう》に  |恵《めぐみ》の|乳《ちち》を|含《ふく》ませて
|救《すく》はむものと|末子姫《すゑこひめ》  |捨子《すてこ》の|姫《ひめ》を|伴《ともな》ひて
まだ|十六《じふろく》の|莟《つぼみ》の|身《み》をば  |雨《あめ》に|〓《さら》され|荒風《あらかぜ》に
|梳《くしけ》づりつつ|霜《しも》をふみ  |雪《ゆき》を|渉《わた》りてやうやうに
|浜辺《はまべ》に|着《つ》きて|荒波《あらなみ》に  |猛《たけ》り|狂《くる》へる|和田《わだ》の|原《はら》
|漸《やうや》く|越《こ》えてテルの|国《くに》  テル|山峠《やまたうげ》の|急坂《きふはん》を
|登《のぼ》りつ|下《くだ》りつ|膝栗毛《ひざくりげ》  |鞭《むち》うち|進《すす》む|二人連《ふたりづ》れ
かよわき|女《をんな》の|身《み》を|持《も》つて  |天涯万里《てんがいばんり》の|此《この》|島《しま》に
|渡《わた》り|来《きた》るも|何故《なにゆゑ》ぞ  |顕幽神《けんいうしん》の|三界《さんかい》の
|身魂《みたま》を|助《たす》け|救《すく》ふ|為《ため》  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|水火《いき》より|生《うま》れたる  |末子《すゑこ》の|姫《ひめ》の|言霊《ことたま》を
|完美《うまら》に|委曲《つばら》にきこしめし  |一日《ひとひ》も|早《はや》く|此《この》|池《いけ》を
|見《み》すてて|天《あめ》に|昇《のぼ》りませ  |如何《いか》なる|罪《つみ》のあるとても
|千座《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》ひ|玉《たま》ふ  |神素盞嗚《かむすさのを》の|贖《あがな》ひに
|忽《たちま》ち|消《き》ゆる|春《はる》の|雪《ゆき》  |花《はな》は|紅《くれなゐ》、|葉《は》は|緑《みどり》
|吾《わが》|言霊《ことたま》に|汝《な》が|命《みこと》  |感《かん》じ|玉《たま》はば|今直《いますぐ》に
|此《こ》れの|古巣《ふるす》を|振棄《ふりす》てて  |元《もと》つ|御座《みくら》に|返《かへ》りませ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つた。|不思議《ふしぎ》や|池水《ちすゐ》は|左右《さいう》にパツと|開《ひら》けて、|白竜《はくりう》の|姿《すがた》|忽然《こつぜん》として|現《あら》はれ、|末子姫《すゑこひめ》が|側近《そばちか》く|進《すす》み|来《きた》り、|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》をハラハラと|流《なが》し、|頭首《かうべ》を|垂《た》れ、|暫《しば》しは|身動《みうご》きもせず|俯伏《ふふく》しゐる。|稍《やや》あつて|白竜《はくりう》は|其《その》|体《たい》を|縮小《しゆくせう》し、|遂《つひ》には|目《め》に|止《と》まらなくなつて|了《しま》つた。──|頭上《づじやう》に|聞《きこ》ゆる|音楽《おんがく》の|声《こゑ》、|一同《いちどう》|空《そら》を|仰《あふ》ぎ|眺《なが》むれば、|竜神《りうじん》|解脱《げだつ》の|喜《よろこ》びに|数多《あまた》の|天人《てんにん》|舞《ま》ひ|下《くだ》り|来《きた》り、さも|麗《うるは》しき|女神《めがみ》の|姿《すがた》と|化《くわ》したる|巽《たつみ》の|池《いけ》の|竜神《りうじん》を|守《まも》りつつ、|天空《てんくう》|高《たか》く|消《き》えて|行《ゆ》くのであつた。
(大正一一・八・一五 旧六・二三 松村真澄録)
第一二章 マラソン|競争《きやうそう》〔八五四〕
|茲《ここ》に|末子姫《すゑこひめ》は|捨子姫《すてこひめ》、カール、|春公《はるこう》、|幾公《いくこう》、|鷹公《たかこう》、|石熊《いしくま》の|一行《いつかう》と|共《とも》に|芽出《めで》たく|巽《たつみ》の|池《いけ》の|大蛇《をろち》を|言向《ことむ》け|和《やは》し、|解脱《げだつ》せしめ、|池《いけ》に|向《むか》つて|感謝《かんしや》の|詞《ことば》を|述《の》べ、|向後《こうご》|決《けつ》して|此《この》|池《いけ》に、|従前《じゆうぜん》の|如《ごと》き|竜蛇神《りうじやしん》の|棲居《せいきよ》して、|世人《よびと》を|苦《くるし》めざる|様《やう》と|深《ふか》く|鎮魂《ちんこん》を|修《しう》し、|災《わざはひ》を|封《ふう》じおき、いよいよ|珍《うづ》の|都《みやこ》に|向《むか》つて|進《すす》むこととなりにけり。
|此《この》|時《とき》|不思議《ふしぎ》にもカールの|足《あし》の|長短《ちやうたん》は|何時《いつ》の|間《ま》にか|両足《りやうあし》|相揃《あひそろ》ひ、|行歩《かうほ》|極《きは》めて|容易《ようい》になつてゐた。されどカールは|少《すこ》しも|気付《きづ》かず、|依然《いぜん》として|跛《びつこ》の|不具者《かたは》と|信《しん》じてゐるものの|如《ごと》くであつた。|末子姫《すゑこひめ》は|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|歌《うた》ひ|上《あ》げ、|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
|末子姫《すゑこひめ》『サア|皆様《みなさま》、|御苦労《ごくらう》で|御座《ござ》いました。これからボツボツと|参《まゐ》りませう』
と|先《さき》に|立《た》つて|進《すす》み|行《ゆ》く。
|石熊《いしくま》『モシモシ|皆様《みなさま》! |待《ま》つて|下《くだ》さい。どうしたものか、チツとも|足《あし》が|動《うご》かなくなりました。どうぞ|鎮魂《ちんこん》をして|下《くだ》さいませ。|何《なん》だか|締《しめ》つけられる|様《やう》で、|仕方《しかた》が|御座《ござ》いませぬ』
カール『もし、|末子姫《すゑこひめ》|様《さま》、|石熊《いしくま》の|大将《たいしやう》、|足《あし》が|立《た》たないと|云《い》つてゐます。|困《こま》つた|者《もの》ですなア』
|末子《すゑこ》『イエイエ|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》には|及《およ》びませぬ。キツと|時節《じせつ》が|参《まゐ》れば、|立《た》つ|様《やう》になります……なア、カールさま、|不言実行《ふげんじつかう》と|云《い》ふことを|御存《ごぞん》じですか?』
カール『ハイ、|分《わか》りました。どうぞ、そんなら|姫様《ひめさま》、|一足《ひとあし》お|先《さき》へお|越《こ》し|下《くだ》さいませ。|捨子姫《すてこひめ》|様《さま》も|御一緒《ごいつしよ》に|御願《おねがひ》|致《いた》します……オイ|春《はる》、|幾《いく》、|鷹《たか》の|三公《さんこう》、お|前《まへ》はお|二人様《ふたりさま》のお|伴《とも》して|帰《かへ》つて|呉《く》れ。|俺《おれ》は|少《すこ》し|石熊《いしくま》の|大将《たいしやう》の|足《あし》を|直《なほ》してから|帰《かへ》るから……』
|春《はる》『オイ、カール、いい|加減《かげん》にしとかぬかい。|余《あま》り|今迄《いままで》|悪党《あくたう》なこと|計《ばか》りやつて|来《き》た|酬《むく》いで|神罰《しんばつ》が|当《あた》つたのだ。お|前《まへ》がどれ|丈《だけ》|言霊《ことたま》が|上手《じやうづ》でも|御祈《おいの》りが|立派《りつぱ》でも|駄目《だめ》だよ。|神様《かみさま》が|御許《おゆる》しがなければ|到底《たうてい》|足《あし》が|立《た》つ|筈《はず》がないワ。|余《あま》り|汚《けが》れた|身魂《みたま》だから、|神様《かみさま》がウヅの|聖地《せいち》へ|来《こ》ないようと、|不動《ふどう》の|金縛《かなしば》りをかけて|御座《ござ》るのだよ。いい|加減《かげん》に|帰《かへ》つたらどうだ』
カール『そんな|訳《わけ》に|行《ゆ》くものか。|人《ひと》の|難儀《なんぎ》を|見《み》て、それを|救《すく》はずに|帰《かへ》る|様《やう》なことで、|如何《どう》して|神様《かみさま》の|取次《とりつぎ》が|出来《でき》るものか。|何《なに》は|兎《と》もあれ|姫様《ひめさま》の|御命令《ごめいれい》だ。グツグヅ|云《い》はずに|早《はや》く|姫様《ひめさま》の|御伴《おとも》をして|帰《かへ》つて|呉《く》れ。すぐに|俺《おれ》は|追《お》ひ|付《つ》くから……』
|春《はる》『さうか、ソリヤ|実《じつ》に|感心《かんしん》な|心《こころ》になつたものだなア』
と|嘲《あざけ》る|様《やう》に|言《い》ひ|乍《なが》ら、|二人《ふたり》の|後《あと》に|従《したが》ひ、ウヅの|都《みやこ》をさして|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|後《あと》に|二人《ふたり》は|稍《やや》|少時《しばし》、|水面《すゐめん》に|向《むか》つて|暗祈黙祷《あんきもくたう》を|続《つづ》けて|居《ゐ》た。
カール『オイ|石熊《いしくま》の|大将《たいしやう》! |今迄《いままで》|俺《おれ》はお|前《まへ》の|弟子《でし》となつて、エライお|世話《せわ》になつたものだ。|今日《けふ》は|其《その》|御恩《ごおん》|返《がへ》しと|罪亡《つみほろ》ぼしの|為《ため》に、|邪《じや》が|非《ひ》でもお|前《まへ》の|足《あし》を|直《なほ》して、やらねばならぬ。|如何《どう》しても|足《あし》が|立《た》たなければ、|俺《おれ》が|背中《せなか》に|負《お》うてでもウヅの|都《みやこ》へ|連《つ》れて|行《ゆ》く|覚悟《かくご》だからマア|安心《あんしん》せよ』
|石熊《いしくま》『ソリヤどうも|有難《ありがた》い。|苦労《くらう》をかけて|済《す》まぬなア』
カール『|世《よ》の|中《なか》は|相身互《あひみたがひ》だ。さう|病気《びやうき》も|直《なほ》らない|内《うち》から|礼《れい》を|云《い》つてくれると、|如何《どう》|云《い》つて|良《よ》いやら、|俺《おれ》も|返答《へんたふ》に|困《こま》つて|了《しま》ふ。マアゆつくりと|気《き》をしづめたが|良《よ》からう。マア|待《ま》て、|俺《おれ》が|是《これ》から|新規《しんき》|蒔直《まきなほ》しの|言霊《ことたま》を|奏上《そうじやう》するから、キツとお|前《まへ》の|足《あし》が|巽《たつみ》の|池《いけ》となるのは|受合《うけあひ》だ。さうなつたら|二人《ふたり》|手《て》に|手《て》を|取《と》つて|潔《いさぎよ》く|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひ、ウヅの|都《みやこ》をさしてサツサと【|乾《いぬゐ》】の|池《いけ》だよ。|水《みづ》も|洩《も》らさぬ|二人《ふたり》の|仲《なか》だ。【|池《いけ》】ないことは|互《たがひ》に【|堤《つつみ》】かくさず、|打明《うちあ》けて、|兄弟《きやうだい》の|如《ごと》く|親切《しんせつ》を|尽《つく》し|合《あ》はうぢやないか。|此《この》|池《いけ》の|様《やう》に|水《みづ》がタツプリ|過《す》ぎて、|水臭《みづくさ》い|交際《かうさい》は|最早《もはや》|改《あらた》めねばならないよ。サア|是《これ》から|一《ひと》つカールさまの|生言霊《いくことたま》だ。マアそこへ|足《あし》をニヨツと|出《だ》せ。|一《ひと》つ|鎮魂《ちんこん》を|御願《おねがひ》してやらう。さうして|言霊歌《ことたまうた》を|奏上《そうじやう》することにせう。|笑《わら》ふなよ!』
|石熊《いしくま》『|勿体《もつたい》ない、|祈念《きねん》をして|貰《もら》つて|笑《わら》ふ|奴《やつ》があるものか。|併《しか》し|乍《なが》ら|病気《びやうき》が|直《なほ》つたら、|余《あま》り|嬉《うれ》しくて、|笑《わら》ひ|泣《な》きをするかも|知《し》れないから、|夫丈《それだけ》は|前以《まへもつ》てお|断《ことわ》りをしておく』
カール『|嬉《うれ》し|笑《わら》ひなら、ドツサリ|笑《わら》つて|呉《く》れ。|俺《おれ》も|手《て》を|拍《う》つて|嬉《うれ》し|笑《わら》ひをするからなア』
|石熊《いしくま》は|池《いけ》の|畔《ほとり》の|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|足《あし》をヌツと|揃《そろ》へ、|突出《つきだ》してゐる。カールは|例《れい》に|依《よ》り、|叮嚀《ていねい》に|大腿骨《だいたいこつ》の|辺《あた》りから|爪先《つまさき》まで、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|謡《うた》ひ|乍《なが》ら、|幾回《いくくわい》となく|撫《な》でおろし、そろそろ|祈願《きぐわん》の|歌《うた》を|謡《うた》ひ|始《はじ》めた。|其《その》|歌《うた》、
『|天津神《あまつかみ》|様《さま》|八百万《やほよろづ》  |国津神《くにつかみ》|様《さま》|八百万《やほよろづ》
|此奴《こいつ》は|余《あんま》り|悪《あく》が|過《す》ぎた|故《ゆゑ》  |最早《もはや》|運命《うんめい》は|月照彦《つきてるひこ》の
|神様《かみさま》どうぞ|此《この》|足《あし》を  カールに|直《なほ》して|下《くだ》さんせ
|高砂島《たかさごじま》を|守《まも》ります  |生国魂《いくくにたま》の|神様《かみさま》よ
|石熊《いしくま》さまの|両足《りやうあし》が  |一時《いちじ》も|早《はや》く|竜世姫《たつよひめ》
|立《た》つて|踊《をど》つてシヤンシヤンと  ウヅの|国《くに》へと|喜《よろこ》んで
|勇《いさ》んで|参《まゐ》ります|様《やう》に  お|守《まも》りなさつて|下《くだ》さりませい
|一時《いちじ》も|早《はや》く|此《この》|躄《いざり》  |巽《たつみ》の|池《いけ》の|竜神《たつがみ》の
|罪《つみ》はほどけて|天上《てんじやう》に  |立帰《たちかへ》りました|其《その》|如《ごと》く
|忽《たちま》ち|平癒《へいゆ》さしてたべ  |腰《こし》から|上《うへ》はどうもない
なぜ|此《この》|足《あし》が|悪《わる》いだろ  ヤツパリあしき|事《こと》をした
|深《ふか》いめぐりが|来《き》たのだろ  |悪《あし》きを|払《はら》うて|助《たす》け|玉《たま》へ
|転輪王《てんりんわう》ではなけれ|共《ども》  |天《てん》にまします|神様《かみさま》よ
|地《つち》にまします|神様《かみさま》よ  カールが|代《かは》つて|御願《おんねがひ》
|完美《うまら》に|委曲《つばら》にきこし|召《め》し  |早《はや》く|助《たす》けて|下《くだ》さりませい
|私《わたし》もこんな|男《をとこ》をば  |連《つ》れにするのは|厭《いや》なれど
|旅《たび》は|道伴《みちづ》れ|世《よ》は|情《なさけ》  |神《かみ》の|戒《いまし》め|恐《こは》い|故《ゆゑ》
せうことなさに|介抱《かいほう》する  オツトドツコイ|石熊《いしくま》さま
これは|私《わたし》の|冗談《ぜうだん》だ  |瓢箪《へうたん》からは|駒《こま》が|出《で》る
|冗談《ぜうだん》からは|隙《ひま》が|出《で》る  |灰吹《はひふ》きからは|蛇《じや》アが|出《で》る
|一時《いちじ》も|早《はや》く|石熊《いしくま》に  |憑依《ひようい》|致《いた》した|悪霊《あくれい》が
|出《で》る|様《やう》に|守《まも》つて|下《くだ》さんせ  |此奴《こいつ》の|体《からだ》に|這入《はい》つた|以上《いじやう》
キツと|入口《いりぐち》あるであろ  |出口《でぐち》の|神《かみ》さま|一時《いつとき》も
|早《はや》く|追《お》ひ|出《だ》し|下《くだ》さんせ  |百人一首《ひやくにんいつしゆ》ぢやなけれ|共《ども》
|足《あし》を|痛《いた》めた|足引《あしびき》の  |山鳥《やまどり》の|尾《を》のしだり|尾《を》の
|長々《ながなが》しくも|何時迄《いつまで》も  |斯《か》うしてゐては|堪《たま》らない
どうで|罪《つみ》をば|重《かさ》ねた|男《をとこ》  |御無礼《ごぶれい》の|数々《かずかず》いつとなく
|尽《つく》しましたで|御座《ござ》いませう  お|腹《はら》の|立《た》つのは|尤《もつと》もぢや
|併《しか》し|神様《かみさま》|私《わたくし》の  |願《ねがひ》を|容《い》れて|腹立《はらた》てず
|足《あし》の|立《た》つよにしてお|呉《く》れ  |夜明《よあ》けに|立《た》つは○○ぢや
|親《おや》と|一度《いちど》に|生《うま》れたる  |伜《せがれ》は|見《み》ん|事《ごと》|立《た》つなれど
|此奴《こいつ》の|足《あし》はどうしてか  |容易《ようい》に|立《た》たうと|致《いた》さない
|如何《いか》なる|罪《つみ》があらうとも  |今度《こんど》|計《ばか》りはお|助《たす》けを
たつて|御願《おねがひ》|申《まを》します  こりや|又《また》|不思議《ふしぎ》|何時《いつ》の|間《ま》に
|俺《おれ》の|一方《いつぱう》の|長《なが》い|足《あし》  |誰《たれ》が|盗《ぬす》んで|帰《い》んだのか
いつの|間《あひだ》にやら|両足《りやうあし》が  |高低《たかひく》なしに|揃《そろ》うてゐる
かうなる|上《うへ》は|俺《おれ》とても  |採長補短《さいちやうほたん》の|融通《ゆうづう》は
コレから|利《き》かすこた|出来《でき》ぬ  いやまて|暫《しば》し|待《ま》てしばし
そんな|不足《ふそく》は|云《い》はれない  これも|尊《たふと》き|神様《かみさま》が
|一方《いつぱう》の|足《あし》を|縮《ちぢ》めたか  |但《ただし》は|一方《いつぱう》を|伸《の》ばしたか
|何《なん》ぢや|知《し》らぬが|嬉《うれ》しいぞ  |心《こころ》もカールなつて|来《き》た
|石熊《いしくま》さまよ! これ|見《み》やれ  |誠《まこと》が|天地《てんち》に|通《つう》じたら
|一生《いつしやう》|病《やまひ》のド|跛《ちんば》も  いつの|間《ま》にやら|神《かみ》さまが
|頼《たの》みもせぬのに|気《き》を|利《き》かし  チヤンと|直《なほ》して|下《くだ》さつた
お|前《まへ》の|足《あし》は|真直《まつすぐ》に  |長《なが》い|短《みじか》いない|足《あし》だ
こんな|所《ところ》で|腰《こし》ぬかし  |立《た》つも|立《た》たぬもあるものか
|気《き》を|引立《ひきた》てて|立《た》つてみよ  |三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》に
|経《たて》と|緯《よこ》との|御仕組《おんしぐみ》  |艮《うしとら》|鬼門《きもん》|金神《こんじん》の
|気勘《きかん》に|叶《かな》うたことなれば  |錦《にしき》の|綾《あや》の|機《はた》をあげ
|天晴《あつぱ》れ|神《かみ》の|太柱《ふとはしら》  |下《した》つ|岩根《いはね》に|立《た》て|通《とほ》し
|上《うは》つ|岩根《いはね》につきこらし  |信仰《しんかう》の|徳《とく》をつむならば
どんな|悪魔《あくま》もたてつかぬ  |立《た》てよ|立《た》て|立《た》て|早《はや》く|立《た》て
|立《た》てと|云《い》うたら|立《た》たぬかい  お|前《まへ》は|余程《よつぽど》|腰抜《こしぬけ》だ
|巽《たつみ》の|池《いけ》の|竜神《りうじん》の  あの|勢《いきほひ》に|辟易《へきえき》し
|肝玉《きもだま》つぶして|腰《こし》をぬき  アタ|恥《はづ》かしい|荒男《あらをとこ》
|腰《こし》をぬかして|何《なん》とする  |俺《おれ》のぬかすは|口《くち》|計《ばか》り
|何時《いつ》もグヅグヅ|吐《ぬか》す|奴《やつ》  |黙《だま》つて|居《を》れよと|何時《いつ》の|日《ひ》か
|俺《おれ》を|叱《しか》つたことがあろ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|叶《かな》はぬなれば|立《たち》あがれ  |性《たち》のよくない|此《この》|病《やまひ》
|耆婆扁鵲《きばへんじやく》が|現《あら》はれて  |忽《たちま》ち|直《なほ》して|呉《く》れまいか
|俺《おれ》の|言霊《ことたま》|立所《たちどこ》に  |御兆候《みしるし》がなければならぬ|筈《はず》
|恥《はづか》し|乍《なが》ら|是程《これほど》に  |言霊車《ことたまぐるま》を|運転《うんてん》し
きばつて|見《み》れどまだ|立《た》たぬ  |立《た》つた |立《た》つた |立《た》つた |立《た》つたラツパ|節《ぶし》
|法螺貝《ほらがい》|吹《ふ》いた|其《その》|酬《むく》い  こんな|憂目《うきめ》に|合《あ》ふのだろ
|竜世《たつよ》の|姫《ひめ》の|神《かみ》さまよ  お|前《まへ》の|水火《いき》に|生《うま》れた|子《こ》
なぜに|立《た》たして|下《くだ》さらぬ  |私《わたし》は|痛《いた》うも|痒《か》ゆもない
さは|去《さ》り|乍《なが》ら|心《こころ》の|中《なか》は  ホンに|歯痒《はがゆ》い|痛《いた》ましい
いたつて|口《くち》のやかましい  |此《この》|石熊《いしくま》も|今《いま》は|早《はや》
|往生《わうじやう》|致《いた》して|居《を》りまする  |最早《もはや》|慢心《まんしん》|致《いた》すまい
|改心《かいしん》|記念《きねん》に|今《いま》|一度《いちど》  |足《あし》が|立《た》つよに|頼《たの》みます
|衝《つ》き|立《た》つ|船戸《ふなど》の|神様《かみさま》の  |御名《おんな》を|負《お》へる|此《この》|杖《つゑ》を
|力《ちから》にチヨツと|立《た》つて|見《み》よ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
どうして|是程《これほど》お|前《まへ》の|病《やまひ》  しぶとう|直《なほ》らぬ|事《こと》だらう
|末子《すゑこ》の|姫《ひめ》の|御一行《ごいつかう》  |立《た》つて|行《ゆ》かれた|其《その》|跡《あと》で
|気《き》が|気《いき》でならぬ|二人連《ふたりづれ》れ  |神《かみ》さまたつて|頼《たの》みます
オイオイ|石熊《いしくま》|立《た》つて|見《み》よ  |立《た》つて|立《た》てない|事《こと》はない
お|前《まへ》の|心《こころ》を|引立《ひきた》てて  |誠《まこと》の|道《みち》を|立《た》て|通《とほ》し
|猜疑《さいぎ》の|心《こころ》を|絶《た》つならば  キツと|此《この》|足《あし》|立《た》つだらう
たつからお|前《まへ》を|眺《なが》めても  |横《よこ》から|見《み》ても|気《き》にくはぬ
ハラの|立《た》つよなスタイルだ  これでは|役《やく》に|立《た》つまいぞ
ヤレ|立《た》て ソラ|立《た》て |早《はや》う|立《た》て  ドツコイドツコイ ドツコイシヨ
|転《こ》けつ|輾《まろ》びつ|気《き》を|引立《ひきた》つて  カールの|後《あと》に|跟《つ》いて|来《こ》い
|最早《もはや》|俺《おれ》さまは|立《た》つ|程《ほど》に  |石熊《いしくま》さまよ|御《ご》ゆつくり
そこで|御隠居《ごいんきよ》なされませ  お|腹《はら》が|立《た》つかは|知《し》らね|共《ども》
|立《た》たねばならぬ|此《この》|場合《ばあひ》  |早《はや》く|帰《かへ》りて|姫様《ひめさま》の
お|役《やく》に|立《た》つが|俺《おれ》の|役《やく》  サアサア|行《ゆ》かうサア|行《ゆ》かう
ドツコイドツコイ ドツコイシヨ  ウントコ|立《た》つたり|石熊《いしくま》さま
|気張《きば》つて|立《た》つたり|石熊《いしくま》さま  |左《ひだり》のお|足《あし》を|一寸《ちよつと》|屈《かが》め
|右《みぎ》の|御足《おあし》を|一寸《ちよつと》|屈《かが》め  |神《かみ》さま|力《ちから》に|立《た》つて|見《み》よ
|立《た》つに|立《た》たれぬことはない  |心《こころ》|一《ひと》つの|持様《もちやう》だ
さらばさらば』と|立帰《たちかへ》る  |後《あと》に|石熊《いしくま》|只一人《ただひとり》
|石熊《いしくま》『オイオイカール|待《ま》つて|呉《く》れ  |俺達《おれたち》|一人《ひとり》をこんな|所《とこ》に
|捨《す》てておくのは|胴慾《どうよく》ぢや  こんな|無情《むじやう》な|事《こと》されて
|腹《はら》が|立《た》たずにおかうかい  |腹《はら》が|立《た》たずに|済《す》むものか
|残念《ざんねん》|至極《しごく》|思《おも》ひ|知《し》れ』  |無念《むねん》の|歯《は》がみし|乍《なが》らも
|怒《いか》りにまぎれて|両足《りやうあし》の  |痛《いたみ》を|忘《わす》れて|立上《たちあ》がり
『コラコラカール|一寸《ちよつと》|待《ま》て  |貴様《きさま》は|誠《まこと》に|済《す》まぬ|奴《やつ》
コレから|素首《そつくび》|引抜《ひきぬ》いて  |命《いのち》を|取《と》らねばおかうか』と
|尻《しり》ひつからげドンドンと  カールの|後《あと》を|追《お》うて|行《ゆ》く。
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|御霊《みたま》の|幸《さち》はひて
カールの|願《ねがひ》も|竜世姫《たつよひめ》  |完美《うまら》に|委曲《つばら》に|聞《きこ》し|召《め》し
|助《たす》け|玉《たま》ひし|有難《ありがた》さ  |足《あし》の|立《た》つたる|石熊《いしくま》は
|始《はじ》めて|天地《てんち》の|神徳《しんとく》を  |悟《さと》ると|共《とも》に|逃《にげ》て|行《ゆ》く
カールの|心《こころ》を|能《よ》く|悟《さと》り  |忽《たちま》ち|両手《りやうて》を|合《あは》せつつ
『コレコレカール|待《ま》つて|呉《く》れ  お|前《まへ》のおかげで|立《た》ちました
|忽《たちま》ち|神徳《しんとく》|現《あら》はれて  |俺《おれ》の|体《からだ》は|此《この》|通《とほ》り
|決《けつ》してお|前《まへ》を|恨《うら》まない  |一口《ひとくち》お|前《まへ》に|追《お》ひついて
|今《いま》の|御礼《おれい》が|申《まを》したい  たつて|頼《たの》みぢや|待《ま》つて|呉《く》れ』
|声《こゑ》を|限《かぎ》りにドンドンと  |後《あと》おつかけて|走《はし》り|行《ゆ》く
カールは|後《あと》を|振返《ふりかへ》り
カール『ここまで|厶《ござ》れ|早《はや》|厶《ござ》れ  |甘酒《あまざけ》|飲《の》まして|上《あ》げませう
ウヅの|都《みやこ》に|末子姫《すゑこひめ》  |捨子《すてこ》の|姫《ひめ》の|両人《りやうにん》が
|首《くび》を|伸《のば》して|待《ま》つて|御座《ござ》る  お|前《まへ》の|様《やう》なヒヨツトコに
|話《はなし》する|間《ま》があるものか  |用《よう》があるなら|従《つ》いて|来《こ》い
ウヅの|都《みやこ》でトツクリと  お|前《まへ》の|合点《がてん》が|行《ゆ》く|様《やう》に
|詳《くは》しう|説明《せつめい》してやらう  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませ』と  |二人《ふたり》はマラソン|競争《きやうそう》の
|決勝点《けつしようてん》を|競《きそ》ふよに  |大地《だいち》を|威喝《ゐかつ》させ|乍《なが》ら
|阿修羅《あしうら》の|荒《あれ》たる|勢《いきほひ》で  |進《すす》み|行《ゆ》くこそ|勇《いさ》ましき。
これぞカールが|大神《おほかみ》に  |教《をし》へられたる|神策《しんさく》を
|実地《じつち》に|活用《くわつよう》|致《いた》したる  |千変万化《せんぺんばんくわ》の|働《はたら》きぞ
いよいよ|茲《ここ》に|両人《りやうにん》は  ウヅの|都《みやこ》に|安着《あんちやく》し
|互《たがひ》に|胸《むね》を|打割《うちわ》つて  |慈愛《じあい》の|神《かみ》の|御心《みこころ》を
|涙《なみだ》と|共《とも》に|語《かた》り|合《あ》ひ  |感謝《かんしや》するこそ|畏《かしこ》けれ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ。
(大正一一・八・一五 旧六・二三 松村真澄録)
第一三章 |都入《みやこいり》〔八五五〕
|巽《たつみ》の|池《いけ》の|曲神《まがかみ》を  |神《かみ》の|伊吹《いぶき》の|言霊《ことたま》に
|言向《ことむ》け|和《やは》し|末子姫《すゑこひめ》  |捨子《すてこ》の|姫《ひめ》を|従《したが》ひて
|焼《や》きつく|如《ごと》き|炎天《えんてん》を  かよわき|足《あし》を|運《はこ》びつつ
|春《はる》、|幾《いく》、|鷹《たか》に|送《おく》られて  |草野《くさの》をわたり|河《かは》をこえ
|再《ふたた》び|山《やま》を|乗越《のりこ》えて  |又《また》もや|谷間《たにま》を|辿《たど》りつつ
|旅《たび》の|枕《まくら》も|数《かず》|重《かさ》ね  |桃上彦《ももがみひこ》の|鎮《しづ》まりし
|三五教《あななひけう》の|神館《かむやかた》  ウヅの|聖地《せいち》の|間近《まぢか》まで
|漸《やうや》く|進《すす》み|来《きた》りける。  |松若彦《まつわかひこ》は|馬《うま》に|乗《の》り
|御輿《みこし》|二挺《にちやう》を|舁《か》つがせつ  |数多《あまた》の|国人《くにびと》|引率《いんそつ》し
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の  |珍《うづ》の|御子《みこ》なる|末子姫《すゑこひめ》
|捨子《すてこ》の|姫《ひめ》を|迎《むか》へむと  |威儀《ゐぎ》を|正《ただ》して|白旗《しらはた》に
|赤《あか》き|十曜《とえう》の|紋《もん》を|染《そ》め  |風《かぜ》に|靡《なび》かせ|堂々《だうだう》と
|長蛇《ちやうだ》の|陣《ぢん》を|張《は》り|乍《なが》ら  ウヅの|都《みやこ》の|町外《まちはづ》れ
カリナの|里《さと》に|現《あら》はれぬ  |松若彦《まつわかひこ》の|一行《いつかう》は
|末子《すゑこ》の|姫《ひめ》の|一行《いつかう》と  カリナの|里《さと》に|出会《しゆつくわい》し
|忽《たちま》ち|馬《うま》を|飛《と》び|下《お》りて  |末子《すゑこ》の|姫《ひめ》の|前《まへ》に|寄《よ》り
|松若彦《まつわかひこ》『|珍《うづ》の|都《みやこ》の|国彦《くにひこ》が  |御子《みこ》と|生《うま》れし|神司《かむづかさ》
|松若彦《まつわかひこ》は|今《いま》|茲《ここ》に  |瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|末《すゑ》の|御子《みこ》
|末子《すゑこ》の|姫《ひめ》や|捨子姫《すてこひめ》  |御二方《おんふたかた》の|御出《おで》ましを
|神《かみ》の|御告《おつげ》に|知《し》らされて  |新《あらた》に|御輿《みこし》を|造《つく》り|上《あ》げ
|茲《ここ》にお|迎《むか》へ|申《まを》したり  |殊更《ことさら》|暑《あつ》きウヅの|国《くに》
|尊《たふと》き|御身《おんみ》を|持《も》ち|乍《なが》ら  |神《かみ》の|御為《おんため》|道《みち》の|為《ため》
|世人《よびと》の|為《ため》とは|云《い》ひ|乍《なが》ら  よくも|御出《おで》まし|下《くだ》さつた
|指《ゆび》|折《を》り|数《かぞ》へて|国人《くにびと》が  |瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|御降臨《ごかうりん》
|今《いま》か|今《いま》かと|待佗《まちわび》て  |喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|居《を》りまする
|尊《たふと》き|珍《うづ》の|姫様《ひめさま》よ  |従《したが》ひませる|捨子様《すてこさま》
|茲《ここ》にてお|休《やす》み|願《ねが》ひます』
いと|慇懃《いんぎん》に|宣《の》りつれば  |末子《すゑこ》の|姫《ひめ》も|会釈《ゑしやく》して
|末子姫《すゑこひめ》『|噂《うはさ》に|高《たか》きウヅ|館《やかた》  |松若彦《まつわかひこ》は|汝《な》が|事《こと》か
|吾等《われら》|一行《いつかう》を|親切《しんせつ》に  テル|山峠《やまたうげ》の|麓《ふもと》まで
|春《はる》、|幾《いく》、|鷹《たか》の|御三方《おさんかた》  |迎《むか》への|為《ため》に|遥々《はるばる》と
よくも|遣《つか》はし|玉《たま》ひしぞ  おかげで|道中《だうちう》|恙《つつが》なく
いよいよ|此処《ここ》へ|着《つ》きました  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|尊《たふと》き|神《かみ》の|引合《ひきあは》せ  はてしも|知《し》らぬ|白雲《しらくも》の
メソポタミヤを|立出《たちい》でて  |教《をしへ》を|開《ひら》く|折柄《をりから》に
|吾等《われら》が|姉妹《けうだい》|主従《しゆじゆう》は  バラモン|教《けう》の|司《つかさ》|等《ら》に
|虐《しへた》げられて|棚無《たなな》しの  |寄《よ》るべなぎさの|捨小舟《すてをぶね》
さも|恐《おそ》ろしき|荒波《あらなみ》に  つき|放《はな》されし|苦《くる》しさよ
|妾《わらは》は|幸《さいは》ひ|天地《あめつち》の  |神《かみ》の|恵《めぐみ》を|蒙《かか》ぶりて
|捨子《すてこ》の|姫《ひめ》と|諸共《もろとも》に  ハラの|港《みなと》に|安着《あんちやく》し
テル|山峠《やまたうげ》を|乗越《のりこ》えて  |巽《たつみ》の|池《いけ》に|潜《ひそ》みたる
|大蛇《をろち》の|神《かみ》を|服従《まつろ》はせ  |心《こころ》も|勇《いさ》み|身《み》も|勇《いさ》み
|松若彦《まつわかひこ》の|現《あ》れませる  ウヅの|都《みやこ》を|当途《あてど》とし
いよいよ|此処《ここ》に|現《あら》はれぬ  |松若彦《まつわかひこ》の|神司《かむつかさ》
|妾《わらは》は|未《いま》だ|手弱女《たをやめ》の  |力《ちから》|少《すく》なきまな|娘《むすめ》
|何卒《なにとぞ》|宜《よろ》しく|頼《たの》み|入《い》る  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|教《をしへ》に|服従《まつろ》へる  |教司《をしへつかさ》の|御前《おんまへ》に
|始《はじ》めて|述《の》ぶる|御挨拶《ごあいさつ》  |完美《うまら》に|委曲《つばら》に|聞《きこ》し|召《め》せ』
|言葉《ことば》|静《しづ》かに|宣《の》りつれば  |松若彦《まつわかひこ》は|腰《こし》|屈《かが》め
|揉手《もみで》し|乍《なが》ら|喜《よろこ》んで  |末子《すゑこ》の|姫《ひめ》の|御手《みて》を|取《と》り
|力《ちから》の|限《かぎ》り|握《にぎ》りしめ
|松若彦《まつわかひこ》『あゝ|姫様《ひめさま》よ|姫様《ひめさま》よ  いよいよ|是《これ》よりウヅの|国《くに》
|汝《なれ》が|命《みこと》の|降臨《かうりん》に  いと|平《たひら》けく|安《やす》らけく
|戸《と》ざさぬ|御世《みよ》と|治《をさ》まりて  |鬼《おに》も|大蛇《をろち》も|荒風《あらかぜ》に
|吹《ふ》かれて|散《ち》りて|影《かげ》もなく  |神《かみ》の|御稜威《みいづ》はいやちこに
|輝《かがや》き|渡《わた》り|玉《たま》ふべし  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御末《みすゑ》の|末子姫《すゑこひめ》  |珍《うづ》の|身魂《みたま》の|御前《おんまへ》に
|松若彦《まつわかひこ》が|赤誠《せきせい》を  |捧《ささ》げて|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る』
と|互《たがひ》に|挨拶《あいさつ》を|終《をは》り、|麗《うるは》しき|森蔭《もりかげ》に|立入《たちい》りて、|少時《しばし》|息《いき》を|休《やす》むる|事《こと》となつた。
|松若彦《まつわかひこ》は|詞《ことば》|丁寧《ていねい》に、|末子姫《すゑこひめ》、|捨子姫《すてこひめ》に|向《むか》ひ、|腰《こし》を|屈《かが》め|乍《なが》ら、
|松若《まつわか》『|噂《うはさ》に|高《たか》き|瑞《みづ》の|御霊《みたま》、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》|様《さま》の|珍《うづ》の|御子《みこ》と|現《あらは》れませる|末子姫《すゑこひめ》|様《さま》、|並《ならび》にお|付添《つきそ》ひの|捨子姫《すてこひめ》|様《さま》、よくマア|遥々《はるばる》と|此《この》|熱国《ねつこく》へ|御降臨《ごかうりん》|下《くだ》さいました。|私《わたし》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、ウヅの|都《みやこ》の|神殿《しんでん》に|仕《つか》へ|奉《まつ》る|神司《かむづかさ》を|始《はじ》め、|数多《あまた》の|国人《くにびと》はどんなに|喜《よろこ》ぶことで|御座《ござ》いませう。|全《まつた》く|私《わたし》は|救世主《きうせいしゆ》の|御降臨《ごかうりん》と|欣喜雀躍《きんきじやくやく》の|余《あま》り、|二三日《にさんにち》|以前《いぜん》から、|余《あま》りの|嬉《うれ》しさに|夜《よる》も|碌々《ろくろく》に|休《やす》むことも|出来《でき》ませなんだ。|余《あま》り|俄《にはか》に|拵《こしら》へました|此《この》|御輿《みこし》、お|粗末《そまつ》では|御座《ござ》いますが、どうぞ|是《これ》から、これにお|乗《め》し|下《くだ》さいまして、|御入城《ごにふじやう》の|程《ほど》|偏《ひとへ》に|希《こひねが》ひ|上《あ》げ|奉《たてまつ》ります』
と|頼《たの》み|入《い》る。|末子姫《すゑこひめ》は|首《かうべ》を|左右《さいう》に|振《ふ》り、
|末子《すゑこ》『|折角《せつかく》の|思召《おぼしめし》、|無《む》に|致《いた》すは|誠《まこと》に|済《す》まない|訳《わけ》で|御座《ござ》いますが、|勿体《もつたい》ない、|結構《けつこう》な|神様《かみさま》より、|足《あし》を|頂戴《ちやうだい》|致《いた》し|乍《なが》ら、どうして|輿《こし》なんかに|乗《の》ることが|出来《でき》ませう。|折角《せつかく》|乍《なが》ら|是《これ》|計《ばか》りはお|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
|捨子《すてこ》『|姫様《ひめさま》もあの|様《やう》に|仰《あふ》せられまするから、どうぞ|是《これ》|計《ばか》りは|御無用《ごむよう》にして|下《くだ》さいませ。|又《また》|妾《わたし》は|姫様《ひめさま》の|侍女《じぢよ》として、お|側近《そばちか》く、|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|御奉公《ごほうこう》|致《いた》す|婢女《はしため》なれば、|仮令《たとへ》|姫様《ひめさま》が|御召《おめ》しになつても、|妾《わたし》は|左様《さやう》な|勿体《もつたい》ないことは、|到底《たうてい》|出来《でき》ませぬから、|悪《あ》しからず|御収《おをさ》め|下《くだ》さいませ』
|松若《まつわか》『|左様《さやう》では|御座《ござ》いませうが、あなた|様《さま》の|御降臨《ごかうりん》を|国人《くにびと》が|喜《よろこ》び、|寄《よ》つて|集《たか》つて|昼夜《ちうや》の|別《べつ》なく|作《つく》り|上《あ》げた|御輿《みこし》で|御座《ござ》いますれば、どうぞ|国人《くにびと》の|至誠《しせい》に|免《めん》じ|御乗用《おめ》し|下《くだ》さいます|様《やう》、|一同《いちどう》に|代《かは》り、たつて|御願《おねがひ》|申上《まをしあ》げます』
|末子《すゑこ》『|頑固《ぐわんこ》のようで|御座《ござ》いますが、|妾《わたし》の|様《やう》な|若《わか》い|女《をんな》、|神徳《しんとく》もない|者《もの》が、|如何《どう》して|此《この》|様《やう》な|立派《りつぱ》な、|神様《かみさま》の|御召《おめ》し|遊《あそ》ばす|御輿《みこし》に|乗《の》せて|頂《いただ》くことが|出来《でき》ませうか』
|松若《まつわか》『|貴女様《あなたさま》は|神様《かみさま》の|御経綸《ごけいりん》に|依《よ》つて、ウヅの|国《くに》の|司《つかさ》として|御出《おい》で|遊《あそ》ばしたので|御座《ござ》いませう。|貴女様《あなたさま》に|取《と》つては|左様《さやう》な|事《こと》は|御考《おかんが》へ|遊《あそ》ばさないでせうが、|正鹿山津見《まさかやまづみ》の|神様《かみさま》が、|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|戦《たたか》ひに、|御出陣《ごしゆつぢん》の|際《さい》、|私《わたし》の|父《ちち》の|国彦《くにひこ》に|向《むか》つて|仰《あふ》せらるる|様《やう》……|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》|様《さま》の|姫御子《ひめみこ》が|此《この》|国《くに》へ|降臨《かうりん》|遊《あそ》ばして、|宇都《うづ》の|国《くに》|一円《いちゑん》をお|治《をさ》め|遊《あそ》ばす|時《とき》が|来《く》るから、それ|迄《まで》は|汝《なんぢ》|国彦《くにひこ》、|吾《わが》|館《やかた》を|預《あづか》り|能《よ》く|守《まも》り|居《を》れよ、|珍《うづ》の|御子《みこ》|降臨《かうりん》の|時《とき》は、|是《これ》を|奉《ほう》じて|国《くに》の|司《つかさ》となし、|汝《なんぢ》は|左守《さもり》|右守《うもり》の|神《かみ》となつて、|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》せよ……との|御教示《ごけうじ》で|御座《ござ》いました。|吾《わが》|父《ちち》は|最早《もはや》|国替《くにがへ》を|致《いた》しましたが、|其《その》|後《あと》を|継《つ》いだ|此《この》|松若彦《まつわかひこ》、|父《ちち》の|言葉《ことば》を|無寐《むび》にも|忘《わす》れず、|珍《うづ》の|御子《みこ》の|降臨《かうりん》あるまでは、|大切《たいせつ》に|守《まも》らねばならぬと、|今日《けふ》まで|力《ちから》の|及《およ》ぶ|限《かぎ》り|守《まも》つて|参《まゐ》りました。|貴女《あなた》はいよいよ|此《この》|国《くに》の|女王《ぢよわう》となつて、|国民《こくみん》を|治《をさ》め、|又《また》|教主《けうしゆ》となつて|国人《くにびと》を|尊《たふと》き|神《かみ》の|御道《おみち》に|教《をし》へ|導《みちび》き|下《くだ》さらねばならぬ|御役目《おやくめ》で|御座《ござ》います』
|末子《すゑこ》『|及《およ》ばぬ|乍《なが》ら、|其《その》|使命《しめい》は|妾《わらは》も|父大神《ちちおほかみ》より|承《うけたま》はつて|居《を》りました。|何卒《どうぞ》|宜《よろ》しく|御輔導《ごほだう》の|程《ほど》を|御頼《おたの》み|申《まを》します』
|松若《まつわか》『|御勿体《ごもつたい》ない|其《その》お|言葉《ことば》……|松若彦《まつわかひこ》|身《み》に|取《と》り、|実《じつ》に|無上《むじやう》の|光栄《くわうえい》に|存《ぞん》じます。|至《いた》らぬ|愚者《おろかもの》なれ|共《ども》、|宜《よろ》しく|御指導《ごしだう》|下《くだ》さいまして、|永《なが》くお|使《つか》ひ|下《くだ》さりませ。|偏《ひとへ》に|願《ねがひ》|奉《たてまつ》ります』
|末子《すゑこ》『|御互様《おたがひさま》に|宜《よろ》しく|願《ねが》ひます』
|松若《まつわか》『あなた|様《さま》は|父大神《ちちおほかみ》より、|此《この》|国《くに》の|女王《ぢよわう》とならせ|玉《たま》ふことを|御存《ごぞん》じとあらば|猶更《なほさら》の|事《こと》|此《この》|御輿《みこし》に|御乗《おめ》し|下《くだ》さらねばなりますまい。|決《けつ》して|御輿《みこし》にお|召《め》し|遊《あそ》ばすのは|贅沢《ぜいたく》の|為《ため》でも、|又《また》は|楽《らく》に|道中《だうちう》を|遊《あそ》ばす|為《ため》でも|御座《ござ》いませぬ。|此《この》|世界《せかい》は|天地《てんち》の|御恩《ごおん》に|依《よ》つて|造《つく》られた|以上《いじやう》は、|天《てん》はさて|置《お》き、|地《ち》には|至《いた》る|所《ところ》に|国魂神《くにたまがみ》の|神霊《しんれい》|宿《やど》らせ|玉《たま》へば、|大地《だいち》の|上《うへ》を|踏《ふ》み|歩《ある》くも、|吾々《われわれ》|人民《じんみん》は|恐《おそ》れ|多《おほ》い|次第《しだい》で|御座《ござ》います。ぢやと|申《まを》して、|国人《くにびと》|一般《いつぱん》が|大地《だいち》を|踏《ふ》むことを|恐《おそ》れて|居《を》りましては、|道《みち》|行《ゆ》くことも|出来《でき》ず、|耕《たがや》し|一《ひと》つすることも|出来《でき》ませぬ|道理《だうり》、そこで|国《くに》の|司《つかさ》と|現《あら》はれます|女王様《ぢよわうさま》は、|万民《ばんみん》に|代《かは》り、|天《てん》に|跼《せぐく》まり、|地《ち》に|蹐《ぬきあし》して、|神祇《しんぎ》を|尊敬《そんけい》|遊《あそ》ばし、|国民《くにたみ》の|代表《だいへう》となつて、お|土《つち》を|御踏《おふ》み|遊《あそ》ばさないのが|御天職《ごてんしよく》で|御座《ござ》いますから、どうぞ|此処《ここ》の|道理《だうり》を|聞分《ききわ》け|下《くだ》さいまして、これより|先《さき》は|城下《じやうか》で|御座《ござ》いますれば、せめて|城下《じやうか》|丈《だけ》なりと、お|土《つち》をふまない|様《やう》に、|吾々《われわれ》に|代《かは》つて|御苦労《ごくらう》に|預《あづか》りたう|存《ぞん》じます。|又《また》|捨子姫《すてこひめ》|様《さま》も|御近侍《ごきんじ》の|役《やく》、どうぞ|姫様《ひめさま》に|御伴《おとも》|遊《あそ》ばすので|御座《ござ》いますれば、|此《この》|御輿《みこし》に|是非是非《ぜひぜひ》|御乗《おめ》しを|願《ねが》はねばなりませぬ。|此《この》|儀《ぎ》|偏《ひとへ》に|御願《おねがひ》|申《まを》し|上《あ》げます』
|末子《すゑこ》『さう|承《うけたま》はらば、|否《いな》むに|由《よし》なきことで|御座《ござ》います。|左様《さやう》ならば|仰《あふ》せの|通《とほ》り、|御世話《おせわ》になりませう。……|捨子姫《すてこひめ》|殿《どの》、|妾《わらは》が|許《ゆる》します、|否《いな》|命令《めいれい》します、あの|輿《こし》に|乗《の》つて|妾《わらは》が|後《あと》に|従《したが》ひ|来《こ》られよ』
と|漸《やうや》く|末子姫《すゑこひめ》の|言葉《ことば》は|何処《どこ》となく|権威《けんゐ》を|帯《お》びて|来《き》た。|捨子姫《すてこひめ》は|否《いな》むに|由《よし》なく、|素直《すなほ》に『ハイ』と|答《こた》へて、|末子姫《すゑこひめ》の|輿《こし》の|後《うしろ》より|外《ほか》の|輿《こし》に|乗《の》せられ、|数多《あまた》の|国人《くにびと》の|歓呼《くわんこ》の|声《こゑ》に|送《おく》られ、|賑々《にぎにぎ》しく|入城《にふじやう》することとなつた。
ウヅの|都《みやこ》の|入口《いりぐち》には|非常《ひじやう》な|立派《りつぱ》な|門《もん》が|建《た》てられてある。|末子姫《すゑこひめ》は|此《この》|表門《おもてもん》より|輿《こし》に|舁《か》つがれ、|行列《げうれつ》|勇《いさ》ましく|本城《ほんじやう》さして|進《すす》み|入《い》る。|通路《つうろ》は|白砂《はくしや》を|布《し》き|詰《つ》め、|道《みち》の|左右《さいう》には|数多《あまた》の|国人《くにびと》、|地上《ちじやう》に|跪《ひざまづ》き、|救世主《きうせいしゆ》の|降臨《かうりん》と|涙《なみだ》を|流《なが》し、|感喜《かんき》の|真情《しんじやう》に|暮《く》れてゐる。いろいろの|音楽《おんがく》の|音《ね》に|送《おく》られ|黄昏前《たそがれまへ》、|奥殿《おくでん》に|安着《あんちやく》した。
カールは|途中《とちう》に|石熊《いしくま》に|追《お》つ|付《つ》かれ、|茲《ここ》に|両人《りやうにん》は|手《て》に|手《て》を|取《と》つて、|白砂《はくしや》の|布《し》きつめたる|道《みち》を、|息《いき》もせきせき|城内《じやうない》|指《さ》して|進《すす》み|入《い》る。
(大正一一・八・一五 旧六・二三 松村真澄録)
第四篇 |修理固成《しうりこせい》
第一四章 |霊《れい》とパン〔八五六〕
テルの|港《みなと》に|安着《あんちやく》した|高島丸《たかしままる》を|乗《のり》すてて、|言依別神《ことよりわけのかみ》、|国依別《くによりわけ》は|北《きた》へ|北《きた》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。|此処《ここ》には|御倉山《みくらやま》と|云《い》ふ|高山《かうざん》があり、|国人《くにびと》の|信仰《しんかう》に|依《よ》りて、|竜世姫命《たつよひめのみこと》を|奉斎《ほうさい》したる|可《か》なり|立派《りつぱ》な|社《やしろ》が|建《た》つてゐる。|之《これ》を|御倉《みくら》の|社《やしろ》と|云《い》ふ。テルとヒルとの|国境《くにざかひ》に|秀立《しうりつ》せる|大山脈《だいさんみやく》の|最《もつと》もすぐれて|高《たか》き|峰《みね》である。|祠《ほこら》は|御倉山《みくらやま》の|麓《ふもと》にあつた。さうして|清《きよ》き|広《ひろ》き|谷川《たにがは》が|飛沫《ひまつ》を|飛《と》ばして|唸《うな》りを|立《た》てて|居《ゐ》る。|言依別命《ことよりわけのみこと》は|国依別《くによりわけ》と|共《とも》に、|先《ま》づ|第一《だいいち》に|此処《ここ》に|参詣《さんけい》した。
|此《この》|谷川《たにがは》に|限《かぎ》つて、|御倉魚《みくらうを》と|称《しよう》する、|長《なが》さ|五六尺《ごろくしやく》のいろいろ|雑多《ざつた》の|斑紋《はんもん》ある|美《うつく》しき|魚《うを》が|沢山《たくさん》に|棲《す》んで|居《ゐ》る。されど|国人《くにびと》はこれ|全《まつた》く|御倉《みくら》の|社《やしろ》の|御使《おんつかひ》と|信《しん》じて、|之《これ》を|捕獲《ほくわく》せむとする|者《もの》は|一人《ひとり》もなかつた。もしも|此《この》|魚《うを》を|取《と》り|食《くら》ふ|者《もの》ある|時《とき》は、|忽《たちま》ち|口《くち》|歪《ゆが》み、|唖《おし》となり、|顔面《がんめん》|全部《ぜんぶ》に|青《あを》|赤《あか》|白《しろ》|黄《き》|紫《むらさき》|萌黄《もえぎ》などの|斑紋《はんもん》が|現《あら》はれるので、|誰《た》も|之《これ》を|捕獲《ほくわく》する|者《もの》なきのみならず、|此《この》|魚《うを》を|見《み》れば|神《かみ》の|如《ごと》くに|尊敬《そんけい》し、|手《て》を|合《あは》せて|吾《わが》|願望《ぐわんもう》を|祈願《きぐわん》するを|常《つね》としてゐた。
|此《この》|頃《ころ》ヒルとテルとの|国境《くにざかひ》に|於《お》ける|殆《ほと》んど|五十里《ごじふり》|四方《しはう》の|地域《ちゐき》は|連日《れんじつ》|雨《あめ》|降《ふ》らず、|草木《さうもく》は|殆《ほと》んど|枯葉《かれは》の|如《ごと》く、|果物《くだもの》は|実《み》|入《い》らず、|五穀《ごこく》も|亦《また》|一粒《ひとつぶ》も|取《と》れなかつた。|夫《そ》れが|為《ため》|路傍《ろばう》に|餓孚《がへう》|充《み》ち、|其《その》|惨状《さんじやう》|目《め》も|当《あ》てられない|計《ばか》りであつた。|数多《あまた》の|国人《くにびと》は|御倉山《みくらやま》の|山麓《さんろく》に|集《あつ》まり、|此《この》|御倉魚《みくらうを》に|向《むか》つて、|饑饉《ききん》を|免《のが》れむことを|祈願《きぐわん》する|者《もの》|引《ひ》きも|切《き》らず、|此《この》|谷間《たにま》は|殆《ほとん》ど|人《ひと》を|以《もつ》て|埋《うづ》もれてゐた。
|言依別命《ことよりわけのみこと》は|国依別《くによりわけ》と|共《とも》に|此《この》|有様《ありさま》を|眺《なが》め|憐愍《れんびん》の|情《じやう》に|堪《た》へかね、|如何《いか》にもして|彼等《かれら》が|飢《うゑ》を|救《すく》ひ、|大切《たいせつ》なる|生命《いのち》を|保《たも》たしめむと、|首《くび》を|傾《かたむ》けて|思案《しあん》に|暮《くれ》て|居《ゐ》る。|谷底《たにそこ》|深《ふか》く|見渡《みわた》せば、|白衣《びやくい》を|着《き》たるウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》|四五人《しごにん》|現《あら》はれて、|切《しき》りに|天国《てんごく》の|福音《ふくいん》を|説《と》き|諭《さと》して|居《ゐ》る。|人々《ひとびと》は|宣伝使《せんでんし》の|前《まへ》に|蝟集《ゐしふ》し、|空腹《くうふく》を|抱《かか》へて、いろいろと|質問《しつもん》を|試《こころ》みてゐた。
|甲《かふ》、|細《ほそ》き|声《こゑ》にて、
甲『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、どうして|此《この》|様《やう》な|饑饉《ききん》が|参《まゐ》つたので|御座《ござ》いませう? |吾々等《われわれたち》は|最早《もはや》|生命《いのち》は|旦夕《たんせき》に|迫《せま》り、|死《し》を|待《ま》つより|途《みち》なき|者《もの》、|両親《りやうしん》は|四五日《しごにち》|前《まへ》に|餓死《がし》し|妻《つま》は|乳児《ちのみご》を|抱《だ》いたまま、|之《こ》れ|亦《また》|餓死《がし》し、|後《あと》に|私《わたし》|一人《ひとり》|取残《とりのこ》されましたが、|最早《もはや》|三日《みつか》の|寿命《じゆみやう》もむづかしくなつて|来《き》ました。|此《この》|世《よ》を|救《すく》ひ|給《たま》ふ|神様《かみさま》、|真《まこと》におはしますならば、なぜ|斯様《かやう》な|罪《つみ》のない|子供《こども》までが、|饑餓《きが》の|苦《くるし》みを|受《う》けて|居《ゐ》るのに、どうもして|下《くだ》さらないのでせうか? |私等《わたくしら》は|今日《こんにち》に|至《いた》つて、|神様《かみさま》の|存在《そんざい》を|疑《うたが》はねばならなくなりました。|私《わたし》の|村《むら》は|最早《もはや》|七八分《しちはちぶ》まで、ウラル|教《けう》を|信《しん》じて|居乍《ゐなが》ら、|餓死《がし》して|了《しま》ひました。|斯《こ》うやつて|此処《ここ》に|参《まゐ》つて|居《ゐ》る|人々《ひとびと》は、|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り|痩《や》せ|衰《おとろ》へ、|何程《なにほど》|達者《たつしや》な|者《もの》でも、ここ|十日《とをか》の|間《あひだ》には|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|餓死《がし》をせなくてはならぬ|運命《うんめい》におかれてる|者《もの》|計《ばか》りです。どうか|此《この》|苦《くるし》みをお|助《たす》け|下《くだ》さる|訳《わけ》には|参《まゐ》らぬものでせうか?』
|宣伝使《せんでんし》『|迷《まよ》へる|者《もの》よ! |汝等《なんぢら》ウラル|教《けう》の|神《かみ》の|福音《ふくいん》を|聞《き》け! |人《ひと》の|斯世《このよ》に|生《うま》れ|来《きた》るや、|幽窮《いうきう》|無限《むげん》の|天地《てんち》に|比《くら》ぶれば、|旦《あした》の|露《つゆ》の|短《みじか》き|命《いのち》のみ。|現世《げんせ》は|仮《かり》の|浮世《うきよ》なるぞ、|苦《くるし》みの|家《いへ》なるぞ、|火宅《くわたく》なるぞ。|何《なに》を|苦《くるし》んで|現世《げんせ》にあこがれ、|苦《くるし》みを|求《もと》めむとするか。|時《とき》は|近《ちか》づきたり、|審判《さばき》の|時《とき》は……|汝等《なんぢら》、わが|前《まへ》に|悔《く》い|改《あらた》め、|盤古大神《ばんこだいじん》の|前《まへ》に|今迄《いままで》の|重《おも》き|罪《つみ》を|謝《しや》せよ。|然《しか》らば|汝《なんぢ》が|生命《せいめい》は|仮令《たとへ》|飢《う》ゑ|死《じ》にする|共《とも》、|其《その》|霊魂《れいこん》は|永遠《ゑいゑん》の|花《はな》|咲《さ》きみのる|天国《てんごく》に|救《すく》はれ、|無限《むげん》の|栄楽《ゑいらく》を|受《う》け、|常世《とこよ》の|春《はる》を|楽《たのし》む|事《こと》を|得《え》む。|悔《く》い|改《あらた》むるは|今《いま》なるぞ。あゝ|愚《おろか》なる|者《もの》よ、|汝等《なんぢら》は|神《かみ》の|国《くに》の|尊《たふと》きことを|知《し》らず、|物質上《ぶつしつじやう》の|慾《よく》に|囚《とら》はれて、|焦熱《せうねつ》|地獄《ぢごく》の|消《き》えぬ|火《ひ》に|焼《や》かれて、|身《み》を|苦《くるし》まむとするか。|天国《てんごく》は|近《ちか》づけり、|悔《く》い|改《あらた》めて、|救世《きうせい》の|福音《ふくいん》をきけ! |神《かみ》は|汝《なんぢ》と|倶《とも》にあり、|汝《なんぢ》は|清《きよ》き|神《かみ》の|僕《しもべ》として、|日夜《にちや》に|神《かみ》をほめ|称《たた》へよ!』
と|諄々《じゆんじゆん》として|説《と》いてゐる。
乙『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、あなたの|御話《おはなし》は|誠《まこと》に|結構《けつこう》で|御座《ござ》いますが、|吾々《われわれ》|五人《ごにん》は|今《いま》や|瀕死《ひんし》の|境《さかひ》に|陥《おちい》り|現《げん》に|地獄《ぢごく》の|苦《くるし》みを|受《う》けてをります。|現在《げんざい》|目《め》の|前《まへ》に|恋《こひ》しき|父《ちち》は|飢《うゑ》に|倒《たふ》れ、|妻《つま》|亦《また》|倒《たふ》れ、|兄弟《けうだい》|姉妹《しまい》|幼児《ようじ》に|至《いた》る|迄《まで》、|飢饉《ききん》の|為《ため》に|斃《たほ》れ|亡《ほろ》び|行《ゆ》く|此《この》|有様《ありさま》、|天国《てんごく》に|救《すく》ひ|給《たま》ふは|有難《ありがた》しとは|思《おも》へ|共《ども》、パンを|与《あた》へ|給《たま》はずば、|吾等《われら》は|生《い》くるを|得《え》ず、|如何《いか》なれば|此《この》|惨状《さんじやう》を|神《かみ》は|救《すく》ひ|給《たま》はざるか!』
|宣伝使《せんでんし》『|吾《わ》れは|天国《てんごく》の|福音《ふくいん》を|汝等《なんぢら》に|伝《つた》ふる|聖職《せいしよく》なり。|汚《けが》れ、|濁《にご》り|切《き》つたる|此《この》|現世《げんせ》に|執着《しふちやく》せず、|神《かみ》の|御召《おめ》しの|手《て》に|曳《ひ》かれて、|現世《げんせ》を|後《あと》に|天国《てんごく》に|至《いた》るこそ、|最上《さいじやう》|至極《しごく》の|楽《たのし》みならむ。|汝等《なんぢら》|神《かみ》の|国《くに》の|真相《しんさう》を|悟《さと》らば、|現世《げんせ》を|厭《いと》ひて、|直《ただち》に|死《し》を|見《み》ること、|眠《ねむ》るが|如《ごと》く|且《か》つ|甘露《かんろ》を|嘗《な》むるが|如《ごと》き|法悦《はふえつ》の|喜《よろこ》びに|充《み》たされむ。|信仰《しんかう》|浅《あさ》き|者《もの》よ! |汝等《なんぢら》|神《かみ》に|来《きた》りて|神《かみ》を|称《たた》へよ、|神《かみ》は|汝《なんぢ》と|倶《とも》にましますぞ、|神《かみ》の|御手《みて》にひかれて|天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|至《いた》るはこれ|人生《じんせい》の|最大《さいだい》|目的《もくてき》の|遂行《すゐかう》であるぞよ』
乙『|何卒《どうぞ》|一塊《いつくわい》の|食物《しよくもつ》を|与《あた》へて|下《くだ》さることは|出来《でき》ますまいか? あなたは|神《かみ》の|福音《ふくいん》を|伝《つた》へ|給《たま》ふ|宣伝使《せんでんし》ならば、|現在《げんざい》の|吾等《われら》を|救《すく》ひ、|吾等《われら》をして|生《い》き|乍《なが》ら|天国《てんごく》の|福音《ふくいん》を|悟《さと》り、|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せしめ|給《たま》はずや。|今《いま》|吾々《われわれ》は|如何《いか》に|有難《ありがた》き|福音《ふくいん》なればとて、|飢《うゑ》に|迫《せま》りし|苦《くる》しき|身《み》の|上《うへ》、|現世《げんせ》に|於《おい》て|救《すく》はれず|斯《かく》の|如《ごと》き|悲惨《ひさん》の|境遇《きやうぐう》にある|者《もの》、いかでか|天国《てんごく》の|春《はる》を|楽《たのし》むことを|得《え》む、……|宣伝使《せんでんし》|様《さま》! |斯《かく》の|如《ごと》く|此《この》|谷間《たにあひ》には|御倉魚《みくらうを》が|沢山《たくさん》に|居《を》りますが、|之《これ》を|頂《いただ》いて|食物《しよくもつ》となし、|飢《うゑ》を|凌《しの》ぐことは|許《ゆる》されぬでせうか?』
|宣伝使《せんでんし》『|生《せい》ある|者《もの》を|殺《ころ》す|勿《なか》れ、|汝《なんぢ》も|亦《また》|殺《ころ》されむ!』
丙『あーあ、サツパリモウ|駄目《だめ》だ、|何程《なにほど》|有難《ありがた》い|事《こと》を|聞《き》かして|貰《もら》うても、|吾々《われわれ》を|救《すく》ふ|者《もの》は、|食物《しよくもつ》より|外《ほか》にはないと|思《おも》ふ。|此《この》|通《とほ》り|沢山《たくさん》の|魚《うを》が|泳《およ》ぎ|居《ゐ》るを|見乍《みなが》ら、|捉《とら》へて|食《く》ふことを|許《ゆる》されず、もし|食《くら》はば|忽《たちま》ち|神罰《しんばつ》にふれ、|眼《め》は|眩《くら》み、|口《くち》は|曲《まが》り、|顔《かほ》には|斑紋《はんもん》を|生《しやう》じ、|忽《たちま》ち|吾身《わがみ》が|吾《わが》|姿《すがた》に|恐《おそ》るる|如《ごと》き|形相《ぎやうさう》になつて|了《しま》ふ……あゝ、|如何《どう》したらよからうかなア』
と|数多《あまた》の|飢人《うゑびと》は|吐息《といき》をもらし、|溌溂《はつらつ》たる|谷川《たにがは》の|魚《うを》を|眺《なが》めつつあつた。
|言依別命《ことよりわけのみこと》は|国依別《くによりわけ》と|共《とも》に、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|国魂《くにたま》の|神《かみ》を|祭《まつ》りたる|御倉《みくら》の|社《やしろ》に|参拝《さんぱい》し、|声《こゑ》も|涼《すず》しく|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|天《あま》の|数歌《かずうた》を|唄《うた》ひ|了《をは》り、ウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》が|数多《あまた》の|信徒《しんと》に|向《むか》ひ、|天国《てんごく》の|福音《ふくいん》を|宣《の》べ|伝《つた》へ|居《ゐ》たる|前《まへ》に|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|進《すす》み|行《ゆ》く。
|言依別《ことよりわけ》『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《たて》わける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
|過《あやま》ちあれば|宣《の》り|直《なほ》す  |仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|三五《あななひ》の
|教《をしへ》を|守《まも》らす|百《もも》の|神《かみ》  |此《この》|国人《くにびと》の|惨状《さんじやう》を
|完美《うまら》に|委曲《つばら》に|見《み》そなはし  |飢《うゑ》に|悩《なや》める|民草《たみくさ》の
|生命《いのち》を|助《たす》け|給《たま》へかし  |其《その》|生魂《いくたま》は|天国《てんごく》の
|恵《めぐみ》を|如何《いか》に|受《う》くる|共《とも》  |今《いま》|目《ま》のあたり|身体《からたま》の
|悩《なや》みを|救《すく》ひ|与《あた》へずば  |心《こころ》は|拗《ねぢ》け|魂《たま》くもり
|神《かみ》の|御国《みくに》に|昇《のぼ》るべき  |珍《うづ》の|身魂《みたま》も|忽《たちま》ちに
|根底《ねそこ》の|国《くに》に|陥《おちい》らむ  |此《この》|谷川《たにがは》を|見《み》わたせば
|所狭《ところせ》き|迄《まで》|泳《およ》ぎ|居《ゐ》る  げに|美《うる》はしき|御倉魚《みくらうを》
|彼等《かれら》に|与《あた》へ|給《たま》へかし  |神《かみ》は|霊界《れいかい》のみならず
|此《この》|世《よ》に|住《す》める|人々《ひとびと》を  |一人《ひとり》も|残《のこ》さず|御恵《みめぐみ》の
|露《つゆ》にうるはせ|永久《とこしへ》の  |命《いのち》を|守《まも》らせ|給《たま》ふなり
|三五教《あななひけう》の|神司《かむづかさ》  |言依別《ことよりわけ》や|国依別《くによりわけ》の
|教司《をしへつかさ》は|今《いま》ここに  |国魂神《くにたまがみ》に|詣《まう》で|来《き》て
これの|谷間《たにま》に|寄《よ》り|来《きた》る  |飢《うゑ》になやめる|人々《ひとびと》を
|視《み》るに|忍《しの》びず|天地《あめつち》の  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|請《こ》ひまつる
|神《かみ》の|使《つかひ》の|魚《うを》ならば  |世人《よびと》の|命《いのち》を|保《たも》つ|為《ため》
|神《かみ》よ! |吾等《われら》に|賜《たま》へかし  |吾《わ》れはこれより|諸人《もろびと》に
|谷間《たにま》の|魚《うを》を|生捕《いけど》らせ  |命《いのち》を|助《たす》け|与《あた》へなむ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|進《すす》み|来《きた》る。|此《この》|宣伝歌《せんでんか》を|聞《き》いて、ウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》は|眼《め》を|釣《つ》りあげ、|言依別《ことよりわけ》の|前《まへ》にツカツカと|進《すす》み|寄《よ》り、
|宣伝使《せんでんし》『|私《わたし》はウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》ブールと|申《まを》す|者《もの》、|只今《ただいま》あなたの|宣伝歌《せんでんか》を|承《うけたま》はらば、|実《じつ》に|怪《け》しからぬことを|仰《あふ》せらるる|様《やう》で|御座《ござ》る。|神《かみ》は|一切《いつさい》の|生物《せいぶつ》を|殺《ころ》す|勿《なか》れと|諭《さと》させ|給《たま》ふ。|然《しか》るに|神《かみ》の|使《つか》はせ|給《たま》ふ|谷間《たにま》の|魚《うを》を|生捕《いけど》り、|数多《あまた》の|人々《ひとびと》に|食《く》はしめ、|命《いのち》を|助《たす》けやらむとの|御言葉《おことば》……|天則違反《てんそくゐはん》も|実《じつ》に|甚《はなはだ》しと|申《まを》さねばなりますまい。それだから|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》はいつ|迄《まで》も|世《よ》を|暗黒《あんこく》に|導《みちび》くもので|御座《ござ》る。|速《すみやか》に|神《かみ》に|向《むか》つて|宣《の》り|直《なほ》しをなさるが|良《よ》からう。|吾々《われわれ》は|其《その》|言葉《ことば》を|聞《き》いては|聞捨《ききずて》なりませぬ。サア|返答《へんたふ》を|承《うけたまは》りませう』
|言依別《ことよりわけ》『|成程《なるほど》|神《かみ》は|至仁《しじん》|至愛《しあい》にましませば、|其《その》|御心《みこころ》より|生物《せいぶつ》の|命《いのち》を|取《と》ることを|嫌《きら》はせ|給《たま》ふは、|当然《たうぜん》の|理《り》で|御座《ござ》る。さり|乍《なが》ら|人《ひと》の|生命《いのち》が|大切《たいせつ》か、|魚《うを》の|命《いのち》が|大切《たいせつ》で|御座《ござ》るか? |能《よ》く|御考《おかんが》へになれば|分《わか》るでせう』
ブール『|人間《にんげん》は|罪《つみ》の|塊《かたまり》なれば、|生《い》き|乍《なが》ら、|地獄《ぢごく》の|苦《くるし》みを|受《う》くるは|当然《たうぜん》で|御座《ござ》る。|夫《そ》れ|故《ゆゑ》に|無限絶対力《むげんぜつたいりよく》のおはします|世界《せかい》の|造《つく》り|主《ぬし》|盤古神王《ばんこしんわう》の|御徳《みとく》を|賛美《さんび》し、|苦《くる》しみ、|悩《なや》み|災《わざはひ》|多《おほ》き|現《うつ》し|世《よ》を|捨《す》てて、|一時《いちじ》も|早《はや》く|天国《てんごく》に|上《のぼ》るを|以《もつ》て、|人生《じんせい》の|本領《ほんりやう》と|致《いた》すでは|御座《ござ》らぬか? |罪《つみ》もなき|神《かみ》の|御使《おんつかひ》の|御倉魚《みくらうを》を|取《と》り|食《くら》ひ、|汚《けが》れたる|人間《にんげん》の|腹《はら》に|葬《はうむ》らむか、|神罰《しんばつ》|立所《たちどころ》に|至《いた》り、|永遠《えいゑん》に|地獄《ぢごく》の|苦《くるし》みを|受《う》くるは、|神教《しんけう》のきめさせ|給《たま》ふ|所《ところ》で|御座《ござ》る。あなたは|天《あめ》が|下《した》の|人民《じんみん》を|真《しん》に|愛《あい》し|給《たま》ふにあらず、|神《かみ》の|心《こころ》に|背《そむ》かせ、|永遠《えいゑん》に|地獄《ぢごく》の|苦《くる》しみを|受《う》けさせむとし|給《たま》ふ|無慈悲《むじひ》の|御仕打《おんしうち》、|吾々《われわれ》は|天下《てんか》|万民《ばんみん》の|為《ため》、|飽《あ》く|迄《まで》もあなたと|主義《しゆぎ》の|為《ため》に|戦《たたか》はねばなりませぬ。|論《ろん》より|証拠《しようこ》、|此《この》|谷川《たにがは》の|魚《うを》を|取食《とりくら》ふ|者《もの》たまたまある|時《とき》は、|神《かみ》の|怒《いか》りにふれて、|天罰《てんばつ》|立所《たちどころ》に|至《いた》るは|国人《くにびと》の|既《すで》に|既《すで》に|知悉《ちしつ》する|所《ところ》、あなたは|此《この》|国《くに》の|風習《ふうしふ》をも|知《し》らず、|又《また》|神《かみ》の|掟《をきて》をも|弁《わきま》へず、|左様《さやう》な|乱暴《らんばう》な|事《こと》を|仰《あふ》せらるるは、|甚《はなはだ》|以《もつ》て|悪虐無道《あくぎやくぶだう》の|御精神《ごせいしん》と|申《まを》さねばなりますまい』
|言依別《ことよりわけ》『|今日《こんにち》は|人民《じんみん》|将《まさ》に|餓死《がし》せむとする|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|場合《ばあひ》なれば、|如何《いか》に|神《かみ》の|御使《みつかい》なればとて、|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|神《かみ》の|之《これ》を|許《ゆる》させ|給《たま》はざる|道理《だうり》がありませうか? モシ|左様《さやう》な|神《かみ》ありとせば、|取《と》りも|直《なほ》さず|八岐大蛇《やまたをろち》の|醜神《しこがみ》か、|或《あるひ》は|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪狐《あくこ》か、|又《また》は|曲鬼《まがおに》の|所為《しよゐ》で|厶《ござ》らう。|吾々《われわれ》はあなたの|御言葉《おことば》こそ、|神《かみ》の|御子《みこ》たる|人間《にんげん》を|魔道《まだう》に|導《みちび》き|苦《くるし》むる、|悪虐無道《あくぎやくぶだう》の|行方《やりかた》と|思《おも》はねばならなくなりました。|決《けつ》して|決《けつ》して|此《この》|魚《うを》を|取《と》り|食《くら》へばとて、|神罰《しんばつ》の|当《あた》るべき|理由《りいう》は|毛頭《まうとう》ありませぬ。|私《わたし》は|断言《だんげん》|致《いた》しますよ』
ブール『|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》は|実《じつ》に|無道《ぶだう》|極《きは》まる|無慈悲《むじひ》の|教《をしへ》では|御座《ござ》らぬか。|然《しか》らばあなた|試《こころ》みに、|斯《かく》の|如《ごと》く|沢山《たくさん》な|魚《うを》の|中《うち》、|仮令《たとへ》|小魚《こうを》の|一匹《いつぴき》でも|吾《わが》|目《め》の|前《まへ》にて|捉《とら》へ|食《く》つて|御覧《ごらん》なさい。|忽《たちま》ち|神罰《しんばつ》|至《いた》ることは|火《ひ》を|睹《み》るよりも|明《あき》らかな|事実《じじつ》で|御座《ござ》る。|何程《なにほど》|理窟《りくつ》は|立派《りつぱ》に|立《た》つても、|事実《じじつ》|其《その》|物《もの》には|勝《か》つことは|出来《でき》ますまい……サアこれでもお|食《あが》りになる|勇気《ゆうき》がありますか?』
|国依別《くによりわけ》『ウラル|教《けう》のブールさまとやら、|何《なん》とあなたは、|訳《わけ》のわからぬことを|云《い》ひますなア。ウラル|教《けう》はそんな|狭義《けふぎ》な|教《をしへ》で|御座《ござ》いますか? それでは|誠《まこと》の|神様《かみさま》とは|申《まを》されますまい。|論《ろん》より|証拠《しようこ》、|私《わたくし》が|今《いま》、|目《め》の|前《まへ》にて、|神《かみ》の|使《つかひ》と|称《しよう》する|御倉魚《みくらうを》を|捉《とら》へ、|茲《ここ》にて|作《つく》り|身《み》と|致《いた》し、|食《く》つてお|目《め》にかけませう。|其《その》|代《かは》り|万々一《まんまんいち》、|私《わたくし》の|身《み》の|上《うへ》に|対《たい》し、|此《この》|場《ば》に|於《おい》て|神罰《しんばつ》|至《いた》ることあらば|三五教《あななひけう》|全部《ぜんぶ》を|挙《あ》げてウラル|教《けう》の|軍門《ぐんもん》に|兜《かぶと》を|脱《ぬ》ぎませう。|之《こ》れに|反《はん》して、|私《わたくし》が|此《この》|魚《うを》を|取《と》り|食《くら》ひ|何《なに》の|反応《はんのう》もなしとせば、あなたは|如何《どう》して|下《くだ》さる|考《かんが》へですか? |先《ま》づこれから|第一《だいいち》にお|約束《やくそく》をして|置《お》かねばなりますまい。|御返答《ごへんたふ》は|如何《いかが》で|御座《ござ》いますか?』
ブール『それは|面白《おもしろ》う|御座《ござ》らう。サア|美事《みごと》、|神《かみ》の|使《つかひ》の|御倉魚《みくらうを》、|私《わたし》の|目《め》の|前《まへ》で|捕獲《ほくわく》して|取《と》り|食《くら》つて|御覧《ごらん》なさい。|何《なん》の|反応《はんのう》もなければ、|吾々《われわれ》はウラル|教《けう》|全部《ぜんぶ》を|引率《いんそつ》して、|貴教《きけう》の|軍門《ぐんもん》に|兜《かぶと》を|脱《ぬ》ぎませう』
|国依別《くによりわけ》『|確《たし》かですか? キツト|間違《まちがひ》はありますまいなア』
ブール『|苟《いやし》くも|宣伝使《せんでんし》の|言葉《ことば》に|二言《にごん》があつて|堪《たま》らうか。サア|早《はや》く|御決行《ごけつかう》なされよ』
|国依別《くによりわけ》『ヤア|有難《ありがた》い! |同《おな》じ|事《こと》なら|一《ひと》つ、|一番《いちばん》|大《おほ》きさうな|奴《やつ》から|取《と》つて、|舌鼓《したつづみ》を|打《う》たうかなア。ズイ|分《ぶん》|甘《うま》さうな|魚《さかな》だ。|何《なに》を|食《く》つてゐるのか|知《し》らぬが|能《よ》くマア|肥太《こえふと》つてゐよるワイ。……モシモシ|教主様《けうしゆさま》、|面白《おもしろ》い|事《こと》になつて|来《き》ました。あなた|能《よ》くブール|宣伝使《せんでんし》の|言葉《ことば》を|腹《はら》へ|入《い》れておいて|下《くだ》さいませや。あゝ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い!』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|国依別《くによりわけ》は、|谷川《たにがは》に|下《お》り|立《た》ち、|水《みづ》と|魚《うを》と|殆《ほとん》ど|等分《とうぶん》になつて|居《を》る|数多《あまた》の|魚《うを》の|群《むれ》に|飛《と》んで|入《い》り、|三尺《さんじやく》|計《ばか》りの|溌溂《はつらつ》たる|斑紋《はんもん》の|美《うる》はしき|御倉魚《みくらうを》を|一尾《いちび》|抱《かか》えて、ブールの|前《まへ》に|現《あら》はれ|来《きた》り、
|国依別《くによりわけ》『どうも|此奴《こいつ》は|最《もつと》も|尤物《いうぶつ》と|見《み》えます。|同《おな》じ|神《かみ》のお|使《つかひ》でも、|一寸《ちよつと》|師団長格《しだんちやうかく》と|云《い》ふ|代物《しろもの》ですから、|同《おな》じ|殺《ころ》して|食《く》つて|神罰《しんばつ》が|当《あた》るのなら、|大《おほ》きな|甘《うま》さうな|奴《やつ》を|平《たひら》げる|方《はう》が|利益《りえき》ですからなア。|何程《なにほど》|霊主体従《れいしゆたいじう》だと|云《い》つても、|肉体《にくたい》のある|限《かぎ》り、|胃《ゐ》の|腑《ふ》の|虫《むし》が|食物《しよくもつ》を|請求《せいきう》する。ジツとして|怺《こら》へ|切《き》れるものではない。……サア、ブールさま|始《はじ》めそこに|居並《ゐなら》ぶ|数多《あまた》の|人々《ひとびと》、|今《いま》|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|国依別《くによりわけ》が、|神《かみ》さまの|禁《きん》じ|給《たま》うたと|云《い》ふ|此《この》|魚《うを》を|叩《たた》き|殺《ころ》して|作《つく》りとなし、|皆《みな》さまの|目前《もくぜん》に|於《おい》て、ムシヤ ムシヤ ムシヤとやつて|見《み》ませう。|私《わたくし》が|食《く》つて|神罰《しんばつ》が|当《あた》らなければ、|皆《みな》さまにもキツと|神罰《しんばつ》の|当《あた》るものでない。|人《ひと》はパンのみにて|活《い》くる|者《もの》に|非《あら》ずとか|言《い》つて|威張《ゐば》つて|居《ゐ》るどこやらの|宣伝使《せんでんし》の|様《やう》に、|私《わたくし》はそんな|気楽《きらく》なことは|出来《でき》ませぬよ。|人《ひと》は|霊《れい》のみにて|活《い》くる|者《もの》に|非《あら》ずと、|反対《はんたい》に|云《い》ひたくなつて|来《く》るのです。……パンなくて|何《なん》のおのれが|人間《にんげん》かな……だ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|短刀《たんたう》を|取出《とりだ》し、|溌溂《はつらつ》たる|此《この》|大魚《たいぎよ》を、|喉《のど》のあたりをグサと|刺《さ》し、|一思《ひとおも》ひに|殺《ころ》し、|手早《てばや》く|肉片《にくへん》を|取《と》つては|頬張《ほうば》り|頬張《ほうば》り、
|国依別《くによりわけ》『アハヽヽヽ、|何《なん》とも|云《い》へぬ|甘《うま》い|味《あぢ》が|致《いた》すワイ。これ|丈《だけ》|魚《うを》が|無尽蔵《むじんざう》に|居《を》る|以上《いじやう》は、|五十万《ごじふまん》や|百万《ひやくまん》の|人間《にんげん》を|養《やしな》ふのは|易《やす》いことだ。あゝ|早《はや》く|口《くち》が|歪《ゆが》まぬかいなア、|物《もの》が|云《い》へぬようにならぬかいなア、|眼《め》がつぶれさうなものだ、|顔《かほ》|一面《いちめん》に|斑紋《はんもん》がなぜ|出来《でて》てくれぬのだ。|出来《でき》ぬ|筈《はず》だよ、|神様《かみさま》が|人間《にんげん》に|与《あた》へて|生命《いのち》をつながさうと|思召《おぼしめ》し、|此《この》|国《くに》に|限《かぎ》つて|此《この》|魚《うを》をお|造《つく》り|遊《あそ》ばしたのだ。|斯《こ》う|云《い》ふ|饑饉《ききん》が|来《き》た|時《とき》の|用意《ようい》に、|神様《かみさま》が|食《く》つてはならないと|云《い》つて、|平素《ふだん》はワザとお|差止《さしと》めになり、|蓄《たくは》へておいて|下《くだ》さつたのだ。……モシ、ブールさま、どうで|御座《ござ》います。|気《き》の|毒《どく》|乍《なが》ら、ウラル|教《けう》は|三五教《あななひけう》の|軍門《ぐんもん》に|降服《かうふく》をなさらにやなりますまい……ヤアヤア|皆《みな》の|方々《かたがた》、|決《けつ》して|決《けつ》して|驚《おどろ》くには|及《およ》びませぬ。|此《この》|通《とほ》り|私《わたくし》がお|手本《てほん》を|示《しめ》しました。|神様《かみさま》の|与《あた》へて|下《くだ》さつた、|此《この》|餌《ゑ》さを|頂《いただ》きもせずに、|餓《かつ》ゑて|死《し》ぬとは|何《なん》の|事《こと》でせう。サア|早《はや》くお|食《あが》りなさい』
|此《この》|声《こゑ》に|数多《あまた》の|人々《ひとびと》はヤツと|安心《あんしん》したものの|如《ごと》く、|矢庭《やには》に|川《かは》に|飛《と》び|込《こ》み、|手頃《てごろ》の|魚《うを》を|抱《いだ》き|上《あ》げ、|其《その》|場《ば》で|嬉《うれ》しさうに|舌鼓《したつづみ》をうつて|食《く》つてゐる。ウラル|教《けう》のブール|始《はじ》め|四五《しご》の|宣伝使《せんでんし》は|何時《いつ》の|間《ま》にか、コソコソと|此《この》|場《ば》より|姿《すがた》を|隠《かく》して|了《しま》つた。
これより、|此《この》|国人《くにびと》はウラル|教《けう》に|愛想《あいさう》を|尽《つ》かし、|国魂《くにたま》の|神《かみ》の|社《やしろ》を|日夜《にちや》に|崇敬《すうけい》し、|且《か》つ|三五教《あななひけう》の|固《かた》き|信者《しんじや》となつて|了《しま》つた。
|言依別命《ことよりわけのみこと》は|国依別《くによりわけ》に|向《むか》ひ、
『|私《わたし》は|是《これ》からテルの|国《くに》を|越《こ》え、|直《ただ》ちにウヅの|都《みやこ》に|直行《ちよくかう》|致《いた》しますから、あなたは|此処《ここ》に|暫《しばら》く|止《とどま》つて、|国人《くにびと》に|教《をしへ》を|宣《の》べ|伝《つた》へ、それよりヒルの|都《みやこ》に|渡《わた》りハルの|国《くに》を|一巡《ひとめぐ》りしてウヅへ|廻《まは》つて|下《くだ》さい。|其《その》|上《うへ》でゆつくり、|改《あらた》めて|御相談《ごさうだん》を|致《いた》しませう』
|国依別《くによりわけ》『|委細《ゐさい》|承知《しようち》|仕《つかまつ》りました。|左様《さやう》ならば、|是非《ぜひ》に|及《およ》びませぬ。ここでお|別《わか》れ|致《いた》します。どうぞ|御健勝《ごけんしやう》にて|御神務《ごしんむ》に|御奉仕《ごほうし》|遊《あそ》ばします|様《やう》|祈《いの》ります』
|言依別《ことよりわけ》『ハイ|有難《ありがた》う』
と|宣伝歌《せんでんか》を|谷《たに》の|谺《こだま》に|響《ひびき》かせつつ、ウヅの|国《くに》を|目当《めあ》てに|進《すす》み|行《ゆ》く。
|国依別《くによりわけ》は|御倉《みくら》の|社《やしろ》に|暫《しばら》く|足《あし》を|止《とど》め、|詣《まゐ》り|来《く》る|国人《くにびと》に|教《をしへ》を|伝《つた》へ|洗礼《せんれい》を|施《ほどこ》した。|是《これ》より|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》は|旭日昇天《きよくじつしようてん》の|勢《いきほ》ひとなりける。
(大正一一・八・一五 旧六・二三 松村真澄録)
第一五章 |花《はな》に|嵐《あらし》〔八五七〕
|言依別命《ことよりわけのみこと》、|国依別《くによりわけ》の|宣伝使《せんでんし》の|理解《りかい》に|依《よ》りて、|此《この》|地方《ちはう》|一帯《いつたい》の|住民《ぢうみん》は|殆《ほとん》ど|全滅《ぜんめつ》せむとしたるを、|御倉魚《みくらうを》を|食《しよく》することを|許《ゆる》されてより、|忽《たちま》ち|元気《げんき》|恢復《くわいふく》し、|且《か》つ|言依別命《ことよりわけのみこと》を|始《はじ》め|国依別《くによりわけ》の|宣伝使《せんでんし》を|神《かみ》の|如《ごと》く|尊敬《そんけい》し、|直《ただち》に|救世済民《きうせいさいみん》の|教《をしへ》は|三五教《あななひけう》に|若《し》くものなしと、|数十万人《すうじふまんにん》の|人々《ひとびと》はウラル|教《けう》を|脱退《だつたい》して|悉《ことごと》く|三五教《あななひけう》に|入信《にふしん》して|了《しま》つた。|併《しか》し|乍《なが》ら|言依別命《ことよりわけのみこと》は|早《はや》くも|此《この》|地《ち》を|去《さ》りたれば、|跡《あと》に|国依別《くによりわけ》|只一人《ただひとり》、|御倉《みくら》の|社《やしろ》を|中心《ちうしん》として|教勢《けうせい》|忽《たちま》ちに|振《ふる》ひ、|猫《ねこ》も|杓子《しやくし》も、|三五教《あななひけう》にあらざれば|救《すく》はれ|難《がた》し、|又《また》|正《ただ》しき|人間《にんげん》には|非《あら》ざるべしとまで|崇拝《すうはい》するに|到《いた》りける。
|国依別《くによりわけ》は|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|諄々《じゆんじゆん》として|説《と》きさとし、|且《か》つ|天津祝詞《あまつのりと》や|神言《かみごと》を|教《をし》へ、|御倉《みくら》の|社《やしろ》に|国治立命《くにはるたちのみこと》、|豊国姫命《とよくにひめのみこと》|其《その》|他《た》の|諸神霊《しよしんれい》を|合祀《がふし》し、|崇敬《すうけい》の|的《まと》と|定《さだ》めた。|国依別《くによりわけ》は、|又《また》|一種《いつしゆ》の|宣伝歌《せんでんか》を|作《つく》り、|国人《くにびと》に|平素《へいそ》|高唱《かうしやう》すべく|教《をし》へ|導《みちび》きける。
|国依別《くによりわけ》『|高天原《たかあまはら》に|現《あ》れませる  |国《くに》の|御祖《みおや》の|大御神《おほみかみ》
|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》は  |普《あまね》く|世人《よびと》を|救《すく》はむと
|天《あめ》の|御柱《みはしら》つき|固《かた》め  |国《くに》の|御柱《みはしら》つきこらし
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》と|現《あ》れませる  |豊国姫大神《とよくにひめのおほかみ》と
|力《ちから》を|合《あは》せ|玉《たま》ひつつ  |神世《かみよ》を|開《ひら》かせ|玉《たま》ひけり
|天足彦《あだるのひこ》や|胞場姫《えばひめ》の  |醜《しこ》の|霊《みたま》に|現《あ》れませる
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜狐《しこぎつね》  |曲鬼《まがおに》|共《ども》がはびこりて
|世《よ》は|常暗《とこやみ》となり|果《は》てぬ  |皇大神《すめおほかみ》は|是非《ぜひ》もなく
|千座《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》ひ|玉《たま》ひ  |天教山《てんけうざん》の|火坑《くわかう》より
|根底《ねそこ》の|国《くに》に|落《お》ち|玉《たま》ひ  |豊国姫《とよくにひめ》と|諸共《もろとも》に
|深《ふか》く|其《その》|身《み》を|忍《しの》ばせつ  |此《この》|世《よ》を|守《まも》り|玉《たま》ひけり。
ウラルの|彦《ひこ》やウラル|姫《ひめ》  |大国彦《おほくにひこ》や|大国《おほくに》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|枝神《えだがみ》は  |天地《あめつち》|四方《よも》の|国々《くにぐに》を
|醜《しこ》の|煙《けぶり》に|包《つつ》まむと  |曲《まが》の|教《をしへ》を|開《ひら》きつつ
|世《よ》を|曇《くも》らせし|忌々《ゆゆ》しさよ  |天津御空《あまつみそら》に|現《あ》れませる
|神伊弉諾大神《かむいざなぎのおほかみ》は  |妹《いも》|伊弉冊《いざなみ》の|大神《おほかみ》と
|大空《おほぞら》|高《たか》く|渡《わた》したる  |天浮橋《あめのうきはし》に|立《た》ち|玉《たま》ひ
|泥《どろ》に|沈《しづ》みし|海原《うなばら》を  コオロ コオロに|掻《か》き|鳴《な》らし
|神生《かみう》み|国生《くにう》み|人《ひと》を|生《う》み  |天教山《てんけうざん》にましませる
|日《ひ》の|出神《でのかみ》や|木《こ》の|花姫《はなひめ》の  |貴《うづ》の|命《みこと》に|神業《しんげふ》を
|授《さづ》け|玉《たま》ひて|葦原《あしはら》の  |瑞穂《みづほ》の|国《くに》を|開《ひら》きけり
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|御稜威《みいづ》のいや|高《たか》く
|教《をしへ》の|道《みち》のいや|広《ひろ》く  |埴安彦《はにやすひこ》や|埴安姫《はにやすひめ》の
|神《かみ》の|命《みこと》と|身《み》を|変《か》へて  |黄金山下《わうごんさんか》に|出現《しゆつげん》し
|三五《さんご》の|月《つき》の|御教《みをしへ》を  |完美《うまら》に|委曲《つばら》に|説《と》き|玉《たま》ふ
これぞ|誠《まこと》の|三五《あななひ》の  |錦《にしき》の|機《はた》の|御教《みをしへ》ぞ
あゝ|諸人《もろびと》よ|諸人《もろびと》よ  |尊《たふと》き|神《かみ》の|御光《みひか》りに
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|目《め》を|覚《さ》ませ  |朝日《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》る|共《とも》
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》を  |夢《ゆめ》にも|忘《わす》るること|勿《なか》れ
|神《かみ》を|忘《わす》れし|其《その》|時《とき》は  |身《み》に|苦《くる》しみの|来《きた》る|時《とき》
|心《こころ》の|悩《なや》みの|来《く》る|時《とき》ぞ  |如何《いか》なる|事《こと》のありとても
|神《かみ》を|忘《わす》れな|三五《あななひ》の  |道《みち》の|誠《まこと》に|離《はな》れなよ
|神《かみ》は|汝《なんぢ》と|倶《とも》にあり  |神《かみ》の|御水火《みいき》を|受《うけ》つぎし
|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》  |神《かみ》に|次《つい》での|第一《だいいち》に
|尊《たふと》き|者《もの》ぞ|人《ひと》の|身《み》は  |決《けつ》して|賤《いや》しき|者《もの》ならず
|曇《くも》り|汚《けが》れし|人《ひと》の|身《み》と  |教《をし》へて|諭《さと》す|御教《みをしへ》が
ありと|知《し》るなら|逸早《いちはや》く  |互《たがひ》に|心《こころ》を|注《そそ》ぎ|合《あ》ひ
|邪道《じやだう》に|陥《おちい》ること|勿《なか》れ  |国魂神《くにたまがみ》を|斎《まつ》りたる
|御倉《みくら》の|山《やま》の|竜世姫《たつよひめ》  |大地《だいち》の|主《ぬし》と|現《あ》れませる
|金勝要大神《きんかつかねのおほかみ》の  |珍《うづ》の|御霊《みたま》の|分霊《わけみたま》
|高砂島《たかさごじま》に|永久《とこしへ》に  |鎮《しづ》まりゐまして|国人《くにびと》の
|幸《さち》を|守《まも》らせ|玉《たま》ふなり  |如何《いか》なる|教《をしへ》の|来《きた》る|共《とも》
|国魂神《くにたまがみ》を|余所《よそ》にして  |心《こころ》を|曇《くも》らす|事《こと》|勿《なか》れ
|竜世《たつよ》の|姫《ひめ》を|祀《まつ》りたる  |御倉《みくら》の|山《やま》の|社《やしろ》こそ
|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》に  |次《つい》で|尊《たふと》き|神《かみ》なるぞ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|心《こころ》に|立返《たちかへ》り
すべての|物《もの》を|慈《いつくし》み  |互《たがひ》に|争《あらそ》ふこと|勿《なか》れ
|神《かみ》を|尊《たふと》び|国《くに》の|君《きみ》  |敬《うやま》ひまつり|世《よ》の|人《ひと》に
|神《かみ》の|恵《めぐみ》を|隈《くま》もなく  |輝《かがや》き|渡《わた》すは|神《かみ》の|子《こ》と
|生《うま》れ|出《い》でたる|人草《ひとぐさ》の  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|守《まも》るべき
|誠《まこと》|一《ひと》つの|務《つと》めなり  |三五教《あななひけう》の|神司《かむづかさ》
|国依別《くによりわけ》が|此《この》|地《ち》をば  |去《さ》るに|臨《のぞ》んで|国人《くにびと》に
|記念《きねん》の|歌《うた》を|作《つく》りおく  アヽ|国人《くにびと》よ|国人《くにびと》よ
|暇《ひま》ある|毎《ごと》に|読《よ》み|慣《なら》ひ  |歌《うた》に|踊《をど》りに|音楽《おんがく》に
|合《あは》して|心《こころ》を|慰《なぐさ》めつ  |此《この》|世《よ》を|守《まも》り|玉《たま》ひます
|皇大神《すめおほかみ》の|御心《みこころ》を  |和《なご》めまつれよ|此《この》|歌《うた》に
|歌《うた》は|天地《てんち》の|神霊《しんれい》を  |感動《かんどう》さする|神秘《しんぴ》ぞや
|世間話《せけんばなし》や|無駄話《むだばなし》  |云《い》ふ|暇《ひま》あらば|一時《ひととき》も
|夢《ゆめ》にも|忘《わす》れず|此《この》|歌《うた》を  |神《かみ》の|御前《みまえ》は|云《い》ふも|更《さら》
|山《やま》の|上《へ》|行《ゆ》くも|又《また》|河《かは》へ  |浸《ひた》る|時《とき》しも|村肝《むらきも》の
|心《こころ》|長閑《のどか》に|歌《うた》へかし  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ  |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》  |只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ  |過《あやま》ちあれば|宣《の》り|直《なほ》す
|三五教《あななひけふ》を|呉々《くれぐれ》も  |忘《わす》れざらまし|何時迄《いつまで》も
|世人《よびと》の|為《ため》に|残《のこ》しおく』
|斯《か》く|歌《うた》を|作《つく》りて、|最《もつと》も|熱心《ねつしん》なる|信者《しんじや》の|中《なか》にて|気《き》の|利《き》いたるパークスと|云《い》ふ|男《をとこ》に、|足彦《たるひこ》と|云《い》ふ|名《な》を|与《あた》へ、|宣伝使《せんでんし》の|列《れつ》に|加《くは》へ|御倉《みくら》の|社《やしろ》を|守《まも》りつつ、|国人《くにびと》に|三五《あななひ》の|教理《けうり》を|説《と》き|諭《さと》すべく|命《めい》じおき、|国依別《くによりわけ》は|又《また》もやここを|立出《たちい》でて、ヒルの|国《くに》の|都《みやこ》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
チルの|里《さと》の|荒《あら》しの|森《もり》に|差《さし》かかる|時《とき》しもあれや、|黄昏《たそがれ》の|暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|現《あら》はれ|出《い》でたる|四五人《しごにん》の|男《をとこ》、|国依別《くによりわけ》の|前《まへ》に|大手《おほで》を|拡《ひろ》げ、
甲『|其《その》|方《はう》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、よくも|吾々《われわれ》に|恥《はぢ》を|見《み》せよつたなア。かく|申《まを》さば|別《べつ》に|名乗《なの》らずとも、|此《この》|方《はう》の|名《な》は|分《わか》つて|居《ゐ》る|筈《はず》、サアどうぢや。|如何《いか》に|其《その》|方《はう》、|弁舌《べんぜつ》|巧《たくみ》なりとて、|実行力《じつかうりよく》には|叶《かな》ふまい。|尋常《じんじやう》に|手《て》をまはすか、|但《ただし》はチルの|渓谷《けいこく》に、|吾々《われわれ》|監視《かんし》の|下《もと》に|身《み》を|投《な》げて|自滅《じめつ》いたすか、それも|不服《ふふく》とあらば、|吾々《われわれ》|一同《いちどう》|気《き》の|毒《どく》|乍《なが》ら、|剣《つるぎ》の|錆《さび》となし|呉《く》れむ。いかに|汝《なんぢ》|勇猛《ゆうまう》なればとて、|数百人《すうひやくにん》の|味方《みかた》を|以《もつ》て、|十重二十重《とへはたへ》に|取巻《とりまき》あらば、いつかないつかな、|身《み》を|逃《のが》るるの|余地《よち》なかるべし。|吾《わ》れは|云《い》はずと|知《し》れたウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》、ブール、ユーズ、アナンの|面々《めんめん》だ。|御倉《みくら》の|谷間《たにあひ》に|於《おい》て|神《かみ》の|禁《きん》じた|神魚《しんぎよ》を|食《くら》ひ、|剰《あま》つさへ|国人《くにびと》に|残《のこ》らず|食《く》はしめたる|憎《につ》くき|天則《てんそく》|違反《ゐはん》の|張本人《ちやうほんにん》! ウラル|教《けう》が|数百年《すうひやくねん》の|努力《どりよく》を|一朝《いつてう》にして|水泡《すゐほう》に|帰《き》せしめたる|悪人輩《あくにんばら》、サア|覚悟《かくご》を|致《いた》せ!』
と|呼《よ》ばはる|声《こゑ》に、|自然《しぜん》に|集《あつ》まる|数十人《すうじふにん》の|人影《ひとかげ》、『ワーイワーイ』とどよめき|来《きた》る|騒々《さうざう》しさ。|国依別《くによりわけ》|大口《おほぐち》あけて|高笑《たかわら》ひ、
『アツハヽヽ、|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》な|汝等《なんぢら》が|振舞《ふるまひ》、|御倉山《みくらやま》の|谷《たに》あひに|於《おい》て、|猫《ねこ》に|追《お》はれし|鼠《ねずみ》の|如《ごと》くチウの|声《こゑ》さへ|得《え》あげず、コソコソと|逃《に》げ|帰《かへ》りたる|卑怯者《ひけふもの》、かかる|為体《ていたらく》にて、いかで|神《かみ》の|御子《みこ》たる|人草《ひとぐさ》を|教化《けうか》せむ|事《こと》、|思《おも》ひもよらず。|汝等《なんぢら》|卑怯《ひけふ》にも|衆《しう》を|恃《たの》んで、|只一人《ただひとり》の|宣伝使《せんでんし》を|苦《くるし》めむとする|腰抜共《こしぬけども》、|見事《みごと》、|相手《あひて》になるならなつて|見《み》よ。|吾《わが》|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》に|依《よ》つて|一人《ひとり》も|残《のこ》さず|誠《まこと》の|道《みち》に|言向《ことむ》け|和《やは》し、|汝《なんぢ》が|奉《ほう》ずるウラル|教《けう》を|根底《こんてい》より|改革《かいかく》しくれむ。あゝ|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し』
と|又《また》もやカラカラと|打笑《うちわら》ふ。ブール、ユーズ、アナンの|大将連《たいしやうれん》は|寄《よ》り|来《きた》れる|数十人《すうじふにん》の|味方《みかた》に|何事《なにごと》か|合図《あひづ》をなすや、|一斉《いつせい》にバラバラと|国依別《くによりわけ》に|向《むか》つて|武者《むしや》ぶり|付《つ》かむとする|其《その》|可笑《をか》しさ。|国依別《くによりわけ》は『ウン』と|一声《ひとこゑ》|息《いき》をこめ、|右手《みぎて》の|示指《ひとさしゆび》を|以《もつ》て、|彼等《かれら》|一同《いちどう》に|速射砲的《そくしやはうてき》に|左《ひだり》から|右《みぎ》へ|振《ふ》りまはせば、|球《きう》の|玉《たま》の|神力《しんりき》を|身《み》に|納《をさ》めたる|国依別《くによりわけ》の|霊光《れいくわう》は|一《ひと》しほ|光《ひかり》|強《つよ》く、|何《いづ》れも|眼《まなこ》|眩《くら》み|這《は》う|這《ば》うの|体《てい》にて|逃《に》げ|去《さ》るもあり、|其《その》|場《ば》に|打倒《うちたふ》れて|苦悶《くもん》するもあり、|恰《あたか》も|嵐《あらし》に|花《はな》の|散《ち》る|如《ごと》く、ムラムラパツと|逃《に》げ|散《ち》る|可笑《をか》しさ。|国依別《くによりわけ》は|此《この》|浅《あさ》ましき|敵《てき》の|姿《すがた》を|見《み》て、|又《また》もや|大声《おほごゑ》に、
『アツハヽヽ、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い』
(大正一一・八・一五 旧六・二三 松村真澄録)
第一六章 |荒《あら》しの|森《もり》〔八五八〕
|頭《かしら》に|淡雲《たんうん》を|頂《いただ》き  |腰《こし》に|霞《かすみ》の|帯《おび》を|引《ひき》まはし
ヒルとテルとの|国堺《くにざかひ》  |大山脈《だいさんみやく》の|其《その》|中《なか》に
|屹然《きつぜん》として|立《た》ち  |青葉《あをば》の|衣《ころも》|纏《まと》ひたる
|御倉山《みくらやま》の|麓《ふもと》の|渓流《けいりう》は  |淙々《そうそう》として|天然《てんねん》の|琴《こと》を|弾《だん》じ
|涼風《りやうふう》|常《つね》に|新鮮《しんせん》の|空気《くうき》を|送《おく》る  |天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|此《この》|仙境《せんきやう》も
|百日百夜《ひやくにちひやくや》|雨《あめ》|降《ふ》らず|風《かぜ》|吹《ふ》かず  |木々《きぎ》の|梢《こずゑ》は|萎《しほ》れて
|恰《あたか》も|枯葉《こえふ》の|如《ごと》し  あゝ|如何《いか》なる|天《てん》の|戒《いまし》めか
|国魂神《くにたまがみ》の|御怒《みいか》りに|出《い》でたるか  |実《げ》に|恐《おそ》ろしき|残酷《ざんこく》の|中《うち》に
|陥《おちい》りし|如《ごと》き|国人《くにびと》の|悲哀《ひあい》の|声《こゑ》  |晨《あした》に|父《ちち》に|死《し》に|別《わか》れ
|夕《ゆふ》べに|母《はは》を|見《み》えぬ|境《きやう》に|送《おく》る  |幼児《をさなご》はかわける|慈母《じぼ》の|乳《ちち》にすがり
|悲《かな》しげに|泣《な》き|叫《さけ》ぶ  あゝ|天地《あめつち》の|間《あひだ》に
|神《かみ》はまさずや、おはさずや  |御倉山《みくらやま》の|谷川《たにがは》|水《みづ》|清《きよ》く
|魚《うを》は|溌溂《はつらつ》として|激流《げきりう》を|泳《およ》ぎ  |人間《にんげん》の|此《この》|苦《くるし》める|惨状《さんじやう》を
|夢《ゆめ》にも|知《し》らぬ|人《ひと》の|身《み》の  あゝ|神《かみ》の|子《こ》と|生《うま》れし|人間《にんげん》の
|饑〓《きかつ》の|幕《まく》に|包《つつ》まれて  |餓鬼道《がきだう》の|巷《ちまた》に|迷《まよ》ひ
|苦《くるし》める|此《この》|憐《あは》れさ  |人《ひと》は|飢《うゑ》に|苦《くるし》み
|魚《うを》は|洋々《やうやう》として|清流《せいりう》に|遊《あそ》ぶ  |果《はた》して|何《なに》の|天意《てんい》ぞや
あゝ|此《この》|矛盾《むじゆん》、あゝ|此《この》|悲惨《ひさん》よ  |天地《てんち》の|神《かみ》も|見《み》そなはせ
|国魂神《くにたまがみ》も|国人《くにびと》を  |守《まも》りまさずや|朝夕《あさゆふ》に
|空《そら》|打仰《うちあふ》ぎ|地《つち》に|俯《ふ》し  |祈《いの》りし|甲斐《かひ》もあらざりしや
|今《いま》は|手《て》を|束《つか》ね|眼《め》は|閉《と》ぢて  |黄泉《よもつ》の|国《くに》よりうとび|来《く》る
|死《し》の|手《て》に|任《まか》すより  |詮術《せんすべ》もなき|此《この》|悲惨《ひさん》さよ。
|国人《くにびと》は|老若男女《らうにやくなんによ》の|隔《へだ》てもなく  |国魂《くにたま》の|社《やしろ》を|指《さ》して
|家路《いへぢ》を|後《あと》に|竜世姫《たつよひめ》  |谷川《たにがは》の|辺《べ》に|跪《ひざまづ》き
|声《こゑ》も|弱《よわ》りて|虫《むし》の|音《ね》の  |秋野《あきの》にすだく|如《ごと》くなる
|目《め》も|当《あて》られぬ|悲惨《ひさん》の|幕《まく》  |切《き》つて|下《お》ろした|時《とき》しもあれや
|時《とき》を|窺《うかが》ひ|隙《すき》|狙《ねら》ひ  |待《ま》ちに|待《ま》ちたるウラル|教《けう》の
|神《かみ》の|司《つかさ》のブール  アナン、ユーズの|三人《さんにん》
|外《ほか》に|二三《にさん》の|伴人《ともびと》と|共《とも》に  |忽《たちま》ち|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれて
|軽生重死《けいせいぢうし》の|教理《けうり》を|説《と》きぬ  されどされど|人々《ひとびと》は
|今《いま》|目《ま》のあたり|飢《うゑ》に|泣《な》き  |玉《たま》の|緒《を》の|命《いのち》も|切《き》れなむとする
|今《いま》や|此《この》|時《とき》この|際《さい》は  |如何《いか》に|尊《たふと》き|神《かみ》の|教《をしへ》なればとて
パンを|離《はな》れて|神《かみ》の|慈愛《じあい》の|心《こころ》  いかで|肯定《こうてい》し|得《え》む
|否定《ひてい》の|暗《やみ》は|谷川《たにがは》の  |空気《くうき》を|濁《にご》して|物凄《ものすご》し
あゝ|天道《てんだう》は|人《ひと》を|殺《ころ》さず  |人生一期《じんせいいちご》の|九分九厘《くぶくりん》
|早《はや》|玉《たま》の|緒《を》の|切《き》れなむとする  |其《その》|時《とき》もあれ
|仁慈《じんじ》に|充《み》てる|神《かみ》の|司《つかさ》  |言依別《ことよりわけ》の|大教主《だいけうしゆ》
|国依別《くによりわけ》を|伴《ともな》ひて  |鳩《はと》の|如《ごと》くに|降《くだ》りまし
あゝ|死《し》か|生《せい》か|大神《おほかみ》の|心《こころ》  |老若男女《らうにやくなんによ》の|胸《むね》の|内《うち》
|谷川《たにがは》の|水音《みなおと》ならで  |胸《むね》のとどろき
|喜《よろこ》びの|飛沫《ひまつ》、|悲《かな》しみの|波《なみ》  |漲《みなぎ》りおつる|滝津瀬《たきつせ》の
|否定《ひてい》の|涙《なみだ》ぞ|憐《あはれ》なる。  ウラルの|教《をしへ》の|神司《かむづかさ》
|熱弁《ねつべん》を|揮《ふる》ひ  |口角《こうかく》|飛沫《ひまつ》をとばし
|切《しき》りに|天国《てんごく》の|福音《ふくいん》を|宣示《せんじ》す  |神《かみ》は|霊《れい》なり|人《ひと》はパンのみにて
|活《い》くるものにあらず。  あゝ|霊《れい》なる|哉《かな》|霊《れい》なる|哉《かな》
|生命《いのち》の|水《みづ》にかわける|者《もの》よ  かわく|事《こと》なく|尽《つ》くる|事《こと》なき
|霊《たま》の|真清水《ましみづ》に|活《い》きよ  |天国《てんごく》は|汝《なんぢ》のものなり
|大三災《だいさんさい》や|小三災《せうさんさい》  こもごも|来《きた》る|暗《やみ》の|世《よ》に
|暇《いとま》を|告《つ》げて|神《かみ》の|御国《みくに》に  |今《いま》や|救《すく》はれむとする
|審判《さばき》の|御手《みて》は|下《くだ》されたり  あゝ|汝等《なんぢら》|神《かみ》の|慈愛《じあい》に|活《い》き
|混濁《こんだく》せる|下界《げかい》に  |心《こころ》を|置《お》くなと|教《をし》ゆ
あゝ|何《なん》たる|悲惨《ひさん》ぞ|残酷《ざんこく》ぞ  |人《ひと》はパンのみにて|生《いく》る|者《もの》に
あらざると|共《とも》に|又《また》|人《ひと》の|身《み》は  |霊《れい》のみにて|活《い》くる|者《もの》にあらず
|霊《れい》と|肉《にく》とは|陰陽《いんやう》の|如《ごと》く  |夫婦《ふうふ》の|如《ごと》し
ウラル|教《けう》は|霊《れい》を|偏重《へんぢう》し  |天《てん》に|堕落《だらく》し、|神《かみ》に|苦《くるし》む
|現幽一致《げんいういつち》、|霊肉《れいにく》|同根《どうこん》の  |教理《けうり》を|説《と》き
|先《ま》づ|肉《にく》の|悩《なや》みを|救《すく》ひ  |霊《れい》を|救《すく》ふ
|三五教《あななひけう》は|是《こ》れ|救世《きうせい》の|真理《しんり》  |瑞《みづ》の|御霊《みたま》と|現《あ》れませる
|言依別《ことよりわけ》の|神司《かむづかさ》  |国依別《くによりわけ》の|慈愛《じあい》の|言葉《ことば》
|同情《どうじやう》の|涙《なみだ》に  かわきたる|人《ひと》は|甦《よみがへ》り
|其《その》|肉《にく》は|栄《さか》え、|霊《れい》は|笑《わら》ひ  |枯野《かれの》の|如《ごと》く|地獄《ぢごく》の|如《ごと》く
|荒《すさ》みし|土《つち》の|上《うへ》も  |此《この》|谷川《たにがは》の|水《みづ》にうるほひ
|肉《にく》に|飽《あ》き  |忽《たちま》ち|地獄《ぢごく》は|天国《てんごく》と|化《くわ》する
|神《かみ》は|必《かなら》ずしも|遠《とほ》きにまさず  |高《たか》きにあらず
|天国《てんごく》の|楽《たのし》みは|眼前《がんぜん》にあり  |身《み》の|内《うち》にあり
|心《こころ》の|内《うち》に|法悦《はふえつ》の|花《はな》は|開《ひら》き  |歓喜《よろこび》の|水《みづ》は|永久《とこしへ》に|湧《わ》く
あゝ|何《なん》たる|神《かみ》の|慈愛《じあい》ぞ  |御恵《みめぐみ》ぞ
|言依別《ことよりわけ》の|慈愛《じあい》の|涙《なみだ》  |暗澹《あんたん》たる|天地《てんち》の|暗《やみ》をてらし
|国依別《くによりわけ》の|世《よ》を|思《おも》ふ  |赤《あか》き|心《こころ》は|森羅万象《しんらばんしやう》を
|天津日《あまつひ》の|光《ひか》りに|染《そ》む  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|目《ま》のあたり|天国《てんごく》を|眺《なが》め  |浄土《じやうど》を|楽《たの》しむ
|三五教《あななひけう》が|善《ぜん》か  ウラルの|教《をしへ》が|善《ぜん》か
|霊《れい》に|活《い》きむとして|体《たい》に|死《し》し  |体《たい》に|生《い》きむとして|霊《れい》に|死《し》す
かかる|悲惨《ひさん》を|天地《あめつち》の  |神《かみ》はいかでか|看過《かんくわ》せむ
|霊《れい》に|生《い》き|肉《にく》に|活《い》き  |霊肉一致《れいにくいつち》、|顕幽《けんいう》|一本《いつぽん》の|真諦《しんたい》を|説《と》く
|経《たて》と|緯《よこ》との|綾錦《あやにしき》  |織《お》り|成《な》し|玉《たま》ふ|栲幡姫《たくはたひめ》の
|操《あやつ》る|糸《いと》のいと|長《なが》く  いや|永久《とこしへ》に|神《かみ》の|栄光《えいくわう》と
|恵《めぐみ》は|神《かみ》の|御子《おんこ》と|生《うま》れ  |神《かみ》の|生宮《いきみや》と|現《あ》れます
|人々《ひとびと》の|上《うへ》に|下《くだ》れかし  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|鰭伏《ひれふ》して  まだ|来《こ》ぬ|先《さき》の|世《よ》の|中《なか》の
|世人《よびと》の|為《ため》に|祈《いの》り|奉《たてまつ》る。  |国依別《くによりわけ》は|御倉山《みくらやま》の|渓間《けいかん》に
|神《かみ》の|教《をしへ》を|説《と》きさとし  |飢《うゑ》に|苦《くるし》む|国人《くにびと》の|命《いのち》を|救《すく》ひ
|永久《とこしへ》に|変《かは》らず|動《うご》かず  |悩《なや》みもなく|滅《ほろ》びもなき
|神《かみ》の|御国《みくに》の|真相《しんさう》を|説《と》き  |娑婆《しやば》|即《そく》|寂光浄土《じやくくわうじやうど》の|真諦《しんたい》を
|人々《ひとびと》の|眼前《がんぜん》に|顕示《けんじ》し  |神《かみ》の|威徳《ゐとく》と|慈光《じくわう》に|浴《よく》せしめ
|国人《くにびと》の|中《なか》より  いとも|秀《すぐ》れたる
パークスなる|男《をとこ》に  |詳《くは》しく|教《をしへ》を|説《と》き|示《しめ》し
|名《な》も|足彦《たるひこ》と|改《あらた》めさせ  |御倉《みくら》の|宮司《みやつかさ》として
|数多《あまた》の|人々《ひとびと》に|暇《いとま》を|告《つ》げ  |宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら
|山伝《やまづた》ひに|惟神《かむながら》に|身《み》を|任《まか》せ  やうやうチルの|村《むら》
|荒《あら》しの|森《もり》に|差《さし》かかる  |折《を》りしもウラル|教《けう》の|神司《かむづかさ》
|御倉《みくら》の|山《やま》の|谷川《たにがは》にて  |言依別《ことよりわけ》や|国依別《くによりわけ》に
|神退《かむやら》ひに|退《やら》はれたる  |遺恨《いこん》を|晴《は》らさむと
|宣伝使《せんでんし》ブールを|先頭《せんとう》に  アナン、ユーズの|神司《かむづかさ》
|数多《あまた》の|信徒《しんと》を|使嗾《しそう》し  |天国《てんごく》の|破壊者《はくわいしや》として
|十重二十重《とへはたへ》に|取巻《とりま》き  |玉《たま》の|緒《を》の|命《いのち》を|奪《うば》はむと
|猛《たけ》り|狂《くる》ふ|其《その》|可笑《をか》しさ  |国依別《くによりわけ》は|鍛《きた》え|切《き》つたる|魂《たましひ》の
|光《ひかり》に|加《くは》へて|球《きう》の|玉《たま》  |其《その》|霊光《れいくわう》に|身《み》を|浸《ひた》し
|今《いま》や|神徳《しんとく》の|現《あら》はれ|時《どき》と  |衆《しう》に|向《むか》つて|右手《みぎて》の|指頭《しとう》より
さも|強烈《きやうれつ》なる  |五色《ごしき》の|霊光《れいくわう》を|発射《はつしや》したれば
ブール、アナン  ユーズを|始《はじ》めとし
|生命《いのち》カラガラ|逃《に》げて|行《ゆ》く。
|国依別《くによりわけ》はウラル|教《けう》の|寄《よ》せ|手《て》の、|蜘蛛《くも》の|子《こ》を|散《ち》らすが|如《ごと》く、|四方《しはう》に|散乱《さんらん》した|間《ま》に、|暫《しばら》く|息《いき》を|休《やす》め、|荒《あら》しの|森《もり》の|木蔭《こかげ》に|腰打《こしうち》かけて、しばし|瞑想《めいさう》に|耽《ふけ》りつつ、|国依別《くによりわけ》は|独語《ひとりごと》、
『アヽ|宣伝使《せんでんし》も|実《じつ》に|愉快《ゆくわい》な|者《もの》だワイ。|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》に、|宣伝使《せんでんし》は|一人《ひとり》の|者《もの》と|定《さだ》められてある。|言依別《ことよりわけ》|様《さま》が|御倉《みくら》の|谷間《たにあひ》に|於《おい》て、すげなくも|袂《たもと》を|別《わか》ち|玉《たま》ひし|時《とき》、|何《なん》となく|淋《さび》しみを|感《かん》じ、|且《か》つ|命《みこと》の|冷酷《れいこく》を|恨《うら》んだ。|併《しか》し|乍《なが》ら、|大教主《だいけうしゆ》の|言葉《ことば》を|深《ふか》く|謹《つつし》み、|只《ただ》|一言《ひとこと》の|反問《はんもん》さへせなかつた。|併《しか》し|乍《なが》ら|今《いま》になつて|見《み》れば、|実《じつ》に|一人旅《ひとりたび》|位《くらゐ》|愉快《ゆくわい》なものはない。|否々《いないな》|決《けつ》して|吾《われ》は|一人旅《ひとりたび》にあらず、|神《かみ》は|汝《なんぢ》と|倶《とも》にありとの|神示《しんじ》は、|炳乎《へいこ》として|日星《につせい》の|如《ごと》く|輝《かがや》き|給《たま》ふ。|正義《せいぎ》に|敵《てき》する|仇《あだ》もなく、|誠《まこと》を|傷《きず》つくる|刃《やいば》もなし。あゝ|面白《おもしろ》き|哉《かな》|宣伝《せんでん》の|旅《たび》! あゝ|勇《いさ》ましき|哉《かな》|宣伝使《せんでんし》の|職掌《しよくしやう》! |広大無辺《くわうだいむへん》の|大宇宙《だいうちう》を|住処《ぢうしよ》とし、|天地《てんち》の|間《あひだ》を|跋渉《ばつせふ》する|心《こころ》の|愉快《ゆくわい》さ! ねぢけ|曲《まが》れるウラル|教《けう》の|神司《かむづかさ》、|信徒《しんと》を、いざ|是《こ》れよりは|救《すく》ひ|助《たす》けて、|娑婆《しやば》|即《そく》|寂光浄土《じやくくわうじやうど》の|真諦《しんたい》を|説《と》きさとし、|現代《げんだい》を|面白《おもしろ》く、|楽《たの》しく|勇《いさ》ましく、|過《すご》させ、|又《また》|霊魂《れいこん》に|喜《よろこ》びと|安《やす》きを|与《あた》へ、|以《もつ》て|神《かみ》の|御国《みくに》を|地上《ちじやう》に|建設《けんせつ》せむ。アヽ|惟神《かむながら》、|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして、|天《あめ》が|下《した》の|青人草《あをひとぐさ》を、|夏《なつ》の|木草《きくさ》の|青々《あをあを》と|栄《さか》ゆるが|如《ごと》く、|笑《ゑ》み|栄《さか》えしめ|玉《たま》へ! |国依別《くによりわけ》、|天《てん》に|跼《せぐく》まり、|地《ち》に|蹐《ぬきあし》して、|大神《おほかみ》の|御前《みまへ》に|祈願《きぐわん》し|奉《たてまつ》る』
と|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|法悦《はふえつ》の|喜《よろこ》びを|味《あぢ》はふ。
|此《この》|時《とき》|慌《あわた》だしく|此《この》|場《ば》に|向《むか》つて|走《はし》り|来《きた》る|二《ふた》つの|影《かげ》があつた。|国依別《くによりわけ》は|此《この》|影《かげ》を|星明《ほしあか》りにすかし|眺《なが》め、
『ヤアそれなる|人《ひと》よ、|吾《わ》れは|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|国依別《くによりわけ》なり。|慌《あわた》だしく|何《いづ》れに|向《むか》つて|行《ゆ》き|玉《たま》ふか?』
と|突然《とつぜん》に|森《もり》の|木蔭《こかげ》より|声《ごゑ》をかけられ、|二人《ふたり》は|忽《たちま》ち|大地《だいち》に|蹲《しや》がみ|乍《なが》ら、
『ハイ|私《わたくし》はあなたに|救《すく》はれました、キジと|申《まを》す|者《もの》で|御座《ござ》います、……|私《わたくし》はマチと|申《まを》す|者《もの》で|御座《ござ》います。……|両親《りやうしん》は|餓死《がし》し、|妻子《さいし》|亦《また》|饑餓《きが》に|迫《せま》られて|帰幽《きいう》、|今《いま》は|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》|共《とも》、|両親《りやうしん》|妻子《さいし》を|失《うしな》ひし|不運《ふうん》の|身《み》の|上《うへ》、|最早《もはや》|此《この》|世《よ》に|活《い》きて|何《なに》の|楽《たの》しみもなしと|死《し》を|決《けつ》し、|御倉《みくら》の|山《やま》の|谷川《たにがは》に|横《よこた》はり|死《し》を|待《ま》つ|内《うち》、|有難《ありがた》くも、あなた|様《さま》|御二人《おふたり》、|何処《いづこ》よりか|現《あら》はれ|玉《たま》ひ、|吾々《われわれ》|国人《くにびと》の|生命《いのち》を|助《たす》け|玉《たま》ひし|有難《ありがた》さ。かかる|尊《たふと》き|神恩《しんおん》に|浴《よく》し|乍《なが》ら、|其《その》|御恩《ごおん》も|報《はう》ぜず、のめのめと|酔生夢死《すゐせいむし》するに|忍《しの》びず。|吾々《われわれ》が|救《すく》はれし|如《ごと》く|亦《また》|世《よ》の|人《ひと》を|救《すく》ひまつり、|神恩《しんおん》を|報《はう》ぜむと、お|後《あと》を|慕《した》ひ|遥々《はるばる》|参《まゐ》つた|者《もの》で|御座《ござ》います。どうぞあなた|様《さま》の|従僕《じゆうぼく》となし、お|伴《とも》をさして|頂《いただ》きたう|存《ぞん》じまして、ここまで|参《まゐ》りました。|幾重《いくへ》にも|宜《よろ》しく|御許《おゆる》しの|程《ほど》を|御願《おねが》ひ|致《いた》します』
|国依別《くによりわけ》は|心《こころ》の|中《うち》に、
『ハテ|困《こま》つたなア、|折角《せつかく》|一人旅《ひとりたび》の|愉快《ゆくわい》を|覚《さと》り、|天空海濶《てんくうかいくわつ》|何《なん》の|気遣《きづか》ひもなく、|自由自在《じいうじざい》に|神《かみ》の|国《くに》を|跋渉《ばつせふ》せむと|喜《よろこ》び|勇《いさ》んだのも|束《つか》の|間《ま》だ。……|折角《せつかく》ここまで|遠《とほ》き|山坂《やまさか》を|越《こ》え、|慕《した》うて|来《き》た|二人《ふたり》の|男《をとこ》、|無下《むげ》に|断《ことわ》る|訳《わけ》にも|行《ゆ》こまい。アヽ|仕方《しかた》がない。これも|神様《かみさま》の|大御心《おほみこころ》だらう……』
と|口《くち》の|内《うち》に|呟《つぶ》やき|乍《なが》ら、|思《おも》ひ|切《き》つた|様《やう》に、|国依別《くによりわけ》は|二人《ふたり》に|向《むか》ひ、
『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》は|一人旅《ひとりたび》するのが、|神《かみ》の|掟《をきて》である。されど|今回《こんくわい》に|限《かぎ》り|許《ゆる》しませう』
キジ『|早速《さつそく》の|御許《おゆる》し、|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます』
マチ『|何卒《なにとぞ》|不束《ふつつか》な|者《もの》で|御座《ござ》いますが、|宜《よろ》しく|御願《おねが》ひ|致《いた》します』
と|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|暮《く》れる。|之《これ》より|国依別《くによりわけ》は、キジ、マチの|若者《わかもの》を|引連《ひきつ》れ、ヒルの|都《みやこ》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・八・一六 旧六・二四 松村真澄録)
第一七章 |出陣《しゆつじん》〔八五九〕
|秘露《ひる》の|国《くに》|日暮《ひぐら》シ|山《やま》の|山腹《さんぷく》に|広大《くわうだい》なる|岩窟《がんくつ》を|掘《ほ》り、ウラル|教《けう》の|霊場《れいぢやう》を|作《つく》り、ロツキー|山《ざん》の|本山《ほんざん》と|相応《あひおう》じて、|一旦《いつたん》|亡《ほろ》びかけたるウラル|教《けう》も|再《ふたた》び|頭《かしら》を|擡《もた》げ、|巴留《はる》の|国《くに》の|西北部《せいほくぶ》よりヒル|全体《ぜんたい》に|其《その》|勢力《せいりよく》を|拡大《くわくだい》して|居《ゐ》る。|此《この》|岩窟《がんくつ》を|日暮《ひぐら》シ|山《やま》の|聖場《せいぢやう》と|称《とな》へてゐた。|此処《ここ》にはブールを|教主《けうしゆ》とし、ユーズ、アナンの|両宣伝使《りやうせんでんし》はブールを|助《たす》け、|数多《あまた》の|宣伝使《せんでんし》を|四方《しはう》に|派《は》し、|大《おほ》いにウラル|教《けう》|宣伝《せんでん》に|力《ちから》を|尽《つく》しつつあつた。
|奥《おく》の|一間《ひとま》には|教主《けうしゆ》のブールを|始《はじ》め、アナン、ユーズの|二人《ふたり》、|色《いろ》|麗《うるは》しき|香《かほ》り|高《たか》き|林檎《りんご》を|堆《うづだか》く|盛《も》り、|互《たがひ》に|皮《かは》を|剥《む》き、|舌鼓《したつづみ》を|打《う》つて|味《あぢ》はひ|乍《なが》ら、|幹部《かんぶ》|会議《くわいぎ》を|開《ひら》いて|居《ゐ》た。
ブール『|此《この》ヒルの|国《くに》には|紅葉彦命《もみぢひこのみこと》の|伜《せがれ》|楓別命《かへでわけのみこと》|三五教《あななひけう》を|宣伝《せんでん》|致《いた》し、|其《その》|勢《いきほひ》|中々《なかなか》|侮《あなど》る|可《べか》らず、|加之《しかのみならず》バラモン|教《けう》の|石熊《いしくま》の|一派《いつぱ》、|此《この》|頃《ごろ》|又《また》もや|俄《にはか》に|頭《あたま》を|擡《もた》げ、|吾々《われわれ》ウラル|教《けう》の|牙城《がじやう》に|向《むか》つて|突進《とつしん》し|来《きた》り、|数多《あまた》の|国人《くにびと》は|去就《きよしう》に|迷《まよ》ひ、|今《いま》は|殆《ほとん》ど|両教《りやうけう》の|為《ため》に|数百年《すうひやくねん》のウラル|教《けう》の|努力《どりよく》も、|根底《こんてい》より|覆《くつが》へされむとしてゐる。|吾々《われわれ》は|何《なん》とかして、|彼等《かれら》|両教《りやうけう》の|徒《と》を|駆追《くつゐ》せなくては、ロツキー|山《さん》の|本山《ほんざん》に|対《たい》し、|申訳《まをしわけ》が|御座《ござ》らぬ。|吾々《われわれ》が|日頃《ひごろ》|唱道《しやうだう》して|居《ゐ》た、|世《よ》の|終《をは》りは|近《ちか》づけり、|悔《く》い|改《あらた》めよ、|天国《てんごく》の|門《もん》はやがて|開《ひら》かれむと、|予言《よげん》せし|神示《しんじ》|空《むな》しからず、|今年《ことし》の|此《この》|大旱魃《だいかんばつ》、|大饑饉《だいききん》、|山河草木《さんかさうもく》、|殆《ほとん》ど|枯死《こし》せむとする|此《この》|惨状《さんじやう》、|如何《いか》なる|頑迷不霊《ぐわんめいふれい》の|徒《と》と|雖《いへど》も、|之《これ》を|見《み》て|無情《むじやう》を|感《かん》じ、|現世《げんせい》を|忌《い》み|天国《てんごく》を|希求《ききう》せざる|者《もの》あらむ、|此《この》|機《き》|逸《いつ》す|可《べか》らずとなし、|国魂神《くにたまがみ》を|斎《まつ》りたる|御倉山《みくらやま》の|谷川《たにがは》に、|数多《あまた》の|国人《くにびと》|集《あつ》まると|聞《き》き、|遠路《ゑんろ》の|所《ところ》|遥々《はるばる》|宣伝《せんでん》の|為《ため》に、|吾々《われわれ》|出張《しゆつちやう》し、|大部分《だいぶぶん》|吾《わが》|教理《けうり》に|服《ふく》し、|天国《てんごく》に|救《すく》はれむとする|折《をり》しも、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|忽然《こつぜん》として|其《その》|場《ば》に|現《あら》はれ、|体主霊従的《たいしゆれいじうてき》|教理《けうり》を|説《と》き、|再《ふたた》びウラル|教《けう》をして|根底《こんてい》より|転覆《てんぷく》せしめたる|其《その》|腕前《うでまへ》、かかる|邪教《じやけう》を|看過《かんくわ》するは|吾々《われわれ》ウラル|教《けう》|宣伝使《せんでんし》として、|教祖《けうそ》|常世彦命《とこよひこのみこと》に|対《たい》し|奉《たてまつ》り、|又《また》ウラル|彦《ひこ》の|教主《けうしゆ》に|対《たい》し、|陳弁《ちんべん》の|辞《じ》なし。|加《くは》ふるに、|又《また》もや|荒《あら》しの|森《もり》にて、|昨日《さくじつ》の|如《ごと》き|大敗《たいはい》を|取《と》りしは、|返《かへ》す|返《がへ》すも|残念《ざんねん》|至極《しごく》の|至《いた》りではないか?……アナン|殿《どの》、|此《この》|頽勢《たいせい》を|如何《いか》にして|挽回《ばんくわい》せむと|思《おも》はるるか、|腹蔵《ふくざう》なく|述《の》べられたい』
と|覗《のぞ》く|様《やう》にして|問《と》ひかけた。アナンは|暫《しばら》く|双手《もろで》を|組《く》み、|差俯向《さしうつむ》いて|思案《しあん》にくれてゐたが、ハタと|両手《りやうて》を|打《う》ち、ニタリと|笑《わら》ひ、
アナン『|教主殿《けうしゆどの》、|私《わたし》に|一切《いつさい》を|御委任《ごゐにん》|下《くだ》さらば、|三五教《あななひけう》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、バラモン|教徒《けうと》をして|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|帰順《きじゆん》させて|見《み》ませう。|併《しか》し|乍《なが》ら|此《この》|機《き》を|逸《いつ》しては、|到底《たうてい》|其《その》|目的《もくてき》を|達《たつ》することは|出来《でき》ませぬ。やがてここ|十日《とをか》も|過《す》ぐれば、|今日《こんにち》の|天候《てんこう》より|観察《くわんさつ》するに、|大雨沛然《だいうはいぜん》として|降《ふ》り|来《きた》り、|山河草木《さんかさうもく》|忽《たちま》ちにして|元《もと》の|如《ごと》く|青々《せいせい》として|蘇生《そせい》するは|鏡《かがみ》にかけて|見《み》るようで|御座《ござ》いますれば、|今《いま》の|内《うち》に|宣伝使《せんでんし》を|残《のこ》らず|四方《しはう》に|派遣《はけん》し、|国人《くにびと》の|弱点《じやくてん》につけ|入《い》り……|汝等《なんぢら》|悔《く》い|改《あらた》めざれば|今《いま》や|亡《ほろ》びむとす、|今迄《いままで》の|心《こころ》を|悔《く》い|改《あらた》め、ウラル|教《けう》に|身《み》を|任《まか》せよ、さすればやがて|天《てん》に|祈《いの》り|慈雨《じう》をふり|注《そそ》ぎ、|山河草木《さんかさうもく》|人類《じんるゐ》をして|蘇生《そせい》の|喜《よろこ》びに|酔《よ》はしめ、|天国《てんごく》の|楽《たのし》みを|再《ふたた》び|地上《ちじやう》に|現《あら》はし|与《あた》へむ、|早《はや》く|悔《く》い|改《あらた》めよ、|天国《てんごく》はウラル|教《けう》を|信《しん》ずる|者《もの》の|領分《りやうぶん》なり……と、|此《この》|際《さい》|獅子奮迅《ししふんじん》の|活動《くわつどう》を|開始《かいし》せば、|数多《あまた》の|国人《くにびと》は|今迄《いままで》|迷《まよ》へるバラモン、|三五《あななひ》の|両教《りやうけう》を|弊履《へいり》の|如《ごと》く|抛棄《ほうき》して|吾《わが》|教《をしへ》に|先《さき》を|争《あらそ》ひ、|潮《うしほ》の|如《ごと》く|集《あつ》まり|来《きた》るは|目《め》に|見《み》る|如《ごと》き|感《かん》じが|致《いた》します。どうぞ|吾々《われわれ》に|此《こ》れを|一任《いちにん》なし|下《くだ》さいますれば、|数多《あまた》の|宣伝使《せんでんし》を|使役《しえき》し、|宣伝使長《せんでんしちやう》となつて|一肌《ひとはだ》|脱《ぬ》いで|見《み》る|覚悟《かくご》で|御座《ござ》います』
ブール『|成程《なるほど》、それも|妙案《めうあん》だ。|然《しか》らばアナン|殿《どの》、|宣伝《せんでん》の|件《けん》に|就《つ》いては、|一切《いつさい》|万事《ばんじ》|御任《おまか》せ|申《まを》す』
アナン『|早速《さつそく》の|御承知《ごしようち》……|否《いや》|御信任《ごしんにん》、|有難《ありがた》くお|受《う》け|仕《つかまつ》ります』
と|喜色《きしよく》|満面《まんめん》に|溢《あふ》れ、|肩《かた》を|怒《いか》らし、|腕《うで》を|振《ふ》り、|意気《いき》|揚々《やうやう》として、|期《き》する|所《ところ》あるものの|如《ごと》く|雄健《をたけ》びしてゐる。ユーズは|少《すこ》しく|首《くび》を|傾《かたむ》け|乍《なが》ら、
『|教主殿《けうしゆどの》、アナン|殿《どの》の|御進言《ごしんげん》は|至極《しごく》|妙案《めうあん》|奇策《きさく》と|存《ぞん》じますが、|敵《かたき》の|末《すゑ》は|根《ね》を|切《き》つて|葉《は》を|絶《た》やすとか|申《まを》しまして、|如何《どう》しても|根本的《こんぽんてき》に|両教《りやうけう》を|絶滅《ぜつめつ》するには、|幹部《かんぶ》に|向《むか》つて|大打撃《だいだげぎ》を|与《あた》へなくては、|到底《たうてい》|駄目《だめ》でせう。|仮令《たとへ》|一時《いちじ》ウラル|教《けう》に|帰順《きじゆん》する|共《とも》、|又《また》もや、|彼《か》れ|三五教《あななひけう》の|言依別《ことよりわけ》、|国依別《くによりわけ》の|如《ごと》き|勇者《ゆうしや》ある|上《うへ》は|到底《たうてい》|完全《くわんぜん》に|教義《けうぎ》を|宣布《せんぷ》することは|不可能《ふかのう》でせう。|先《ま》づ|第一《だいいち》に|焦眉《せうび》の|急《きふ》とする|所《ところ》は、|言依別《ことよりわけ》、|国依別《くによりわけ》の|両宣伝使《りやうせんでんし》を|亡《な》き|者《もの》とし、ヒルの|都《みやこ》の|楓別命《かへでわけのみこと》の|本城《ほんじやう》に|攻《せ》め|寄《よ》せ、|根底《こんてい》より|転覆《てんぷく》|絶滅《ぜつめつ》せしめなくては|到底《たうてい》|駄目《だめ》でせう。|私《わたし》の|考《かんが》へとしては、どうしても、|枝葉《しえふ》の|問題《もんだい》を|後《のち》にし、|此《この》|大問題《だいもんだい》たる|根幹《こんかん》を|芟除《せんぢよ》せなくてはならないと|存《ぞん》じます』
ブール『ユーズ|殿《どの》の|云《い》はるる|通《とほ》り、|吾《わ》れも|其《その》|戦法《せんぱふ》を|以《もつ》て|最《もつと》も|肝要《かんえう》なる|手段《しゆだん》と|心得《こころえ》る。……アナン|殿《どの》、|如何《いかが》で|御座《ござ》らうか』
アナン『|然《しか》らば|斯《か》う|致《いた》したら|如何《どう》で|御座《ござ》いませう。|此《この》|館《やかた》に|集《あつ》まれる|八十人《はちじふにん》の|宣伝使《せんでんし》を|半《なかば》|割《さ》き、|四十人《よんじふにん》を|一先《ひとま》づヒル、カル|両国《りやうごく》に|至急《しきふ》|派遣《はけん》し、|残《のこ》り|四十人《よんじふにん》の|宣伝使《せんでんし》を|吾々《われわれ》が|引率《いんそつ》し、|教主殿《けうしゆどの》は|此《この》|聖場《せいぢやう》におはしまし、|少数《せうすう》の|役員《やくゐん》|信徒《しんと》と|共《とも》に、お|守《まも》りを|願《ねが》ひ、|吾々《われわれ》はユーズ|殿《どの》と|先《ま》づ|楓別命《かへでわけのみこと》の|館《やかた》に|向《むか》つて、|夜襲《やしふ》を|試《こころ》み、|只《ただ》|一戦《いつせん》に|滅亡《めつぼう》せしめ、|神《かみ》の|力《ちから》を|天下《てんか》に|現《あら》はしなば、|素《もと》より|体主霊従《たいしゆれいじう》の|事大主義《じだいしゆぎ》に|囚《とら》はれたる|人々《ひとびと》は、|一《いち》も|二《に》もなくウラル|教《けう》の|権威《けんゐ》に|畏服《ゐふく》し、|帰順《きじゆん》|致《いた》すは|明《あきら》かな|活《いき》たる|事実《じじつ》で|御座《ござ》いませう』
ブール『|然《しか》らば|両人《りやうにん》にお|任《まか》せ|申《まを》す。|何卒《どうぞ》|一切《いつさい》|万事《ばんじ》に|違算《ゐさん》なき|様《やう》|頼《たの》み|入《い》る』
アナン『|仰《あふ》せ|迄《まで》もなく、|目《め》から|鼻《はな》へつき|抜《ぬ》けた、|智謀《ちぼう》|絶倫《ぜつりん》のユーズ|殿《どの》、|私《わたし》が|後《うしろ》に|控《ひか》えさせられての|作戦《さくせん》|計画《けいくわく》なれば、|水一滴《みづいつてき》の|遺漏《ゐろう》も|御座《ござ》いませぬ。|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
ブール『いやいや|斯《か》く|迄《まで》|勢力《せいりよく》を|四方《しはう》に|張《は》つたる、|楓別命《かへでわけのみこと》|又《また》|言依別《ことよりわけ》、|国依別《くによりわけ》のあの|腕前《うでまへ》、|到底《たうてい》|一通《ひととほ》りにては|往生《わうじやう》|致《いた》すまい。|何《なん》とか|神策《しんさく》を|考究《かうきう》|致《いた》さねば、|軽々《かるがる》しく|進《すす》んで|敵《てき》の|術中《じゆつちう》に|陥《おちい》るやうな|事《こと》あらば、それこそ|挽回《ばんくわい》の|道《みち》がつかぬ。|此《この》|点《てん》に|於《おい》てブール、|甚《はなは》だ|心許《こころもと》なく|存《ぞん》ずる。|一例《いちれい》を|挙《あ》ぐれば、|御倉山《みくらやま》の|渓谷《けいこく》に|於《おい》て、|数多《あまた》の|宣伝使《せんでんし》が|居乍《ゐなが》ら、|脆《もろ》くも|吾々《われわれ》は|敗走《はいそう》|致《いた》せし|苦《にが》き|経験《けいけん》に|徴《ちよう》し、|容易《ようい》に|侮《あなど》る|可《べ》からざる|強敵《きやうてき》なれば、|吾々《われわれ》は|最《もつと》も|深《ふか》く|神《かみ》を|念《ねん》じ、|神力《しんりき》を|身《み》に|充実《じゆうじつ》して|進《すす》まねばなりませぬぞ。|智謀《ちぼう》|絶倫《ぜつりん》と|聞《きこ》えたるユーズ、アナンの|両将《りやうしやう》|迄《まで》が|只《ただ》|一言《ひとこと》の|言霊《ことたま》をも|交《まじ》へず、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|帰《かへ》つたる|無態《ぶざま》さ、|吾《わ》れは|只一人《ただひとり》ふみ|止《とど》まるに|忍《しの》びず、|止《や》むを|得《え》ず|引返《ひきかへ》せし|様《やう》な|仕末《しまつ》なれば、|果《はた》して|両人《りやうにん》に|於《おい》て、|確固不抜《かくこふばつ》の|成算《せいさん》が|御座《ござ》るかなア』
ユーズ『アハヽヽヽ、|吾々《われわれ》の|神算鬼謀《しんさんきぼう》は|敵《てき》に|向《むか》つて|弱《よわ》しと|見《み》せかけ、ワザとに|敗走《はいそう》の|体《てい》を|装《よそほ》ひ、|彼等《かれら》|両人《りやうにん》を|版図内《はんとない》に|深《ふか》く|入《い》り|込《こ》ませ|四方《しはう》より|取囲《とりかこ》み、|袋《ふくろ》の|鼠《ねずみ》と|致《いた》して|本教《ほんけう》に|帰順《きじゆん》せしむるか、|但《ただし》は|滅亡《めつぼう》せしめむかとの|考《かんが》へより|退却《たいきやく》を|致《いた》したので|御座《ござ》る。|仮令《たとへ》|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|慓悍《へうかん》|決死《けつし》にして、|鬼神《きじん》を|拉《ひし》ぐ|勇《ゆう》あり|共《とも》、たかの|知《し》れた|一人《ひとり》や|二人《ふたり》、|何《なん》の|恐《おそ》るる|所《ところ》が|御座《ござ》いませう。これもユーズが|一《ひと》つの|計略《けいりやく》で|御座《ござ》れば、|必《かなら》ず|必《かなら》ず|御煩慮《ごはんりよ》なく、ユーズ、アナンの|実力《じつりよく》を|御信任《ごしんにん》あらむことを|希望《きばう》|致《いた》します』
と|諄々《じゆんじゆん》として|愉快気《ゆくわいげ》に|述《の》べ|立《た》てたり。
ブール『|荒《あら》しの|森《もり》の|味方《みかた》の|敗北《はいぼく》、たかが|一人《ひとり》の|宣伝使《せんでんし》に|対《たい》し、|実《じつ》に|何《なん》とも|形容《けいよう》の|出来《でき》ない|無念《むねん》さではなかつたか。|今《いま》|思《おも》ひ|出《だ》しても、|実《じつ》に|腹立《はらだ》たしい。|汝等《なんぢら》|両人《りやうにん》、|吾《わが》|前《まへ》にのみ|強《つよ》く、|敵《てき》の|影《かげ》を|見《み》れば|忽《たちま》ち|軟化《なんくわ》し、|所謂《いはゆる》|陰弁慶《かげべんけい》の|徒《と》にはあらざるやと、|聊《いささ》か|懸念《けねん》せざるを|得《え》なくなつた』
アナン『アハヽヽヽ、|是《これ》に|就《つい》ても|天機《てんき》|洩《も》らす|可《べか》らざる|深遠《しんゑん》なる|吾々《われわれ》の|戦略《せんりやく》、|必《かなら》ず|必《かなら》ず|御心配《ごしんぱい》なさいますな。キツと|大勝利《だいしようり》を|現《あら》はし、お|目《め》にかけるで|御座《ござ》いませう』
ブール『|然《しか》らば、|汝《なんぢ》|両人《りやうにん》を|信任《しんにん》し、|一切《いつさい》を|委託《ゐたく》する。|随分《ずゐぶん》|気《き》を|付《つ》けて|呉《く》れ』
と|一間《ひとま》に|入《い》つて|了《しま》つた。|後《あと》に|二人《ふたり》は|顔《かほ》|見合《みあは》して、|思案顔《しあんがほ》、
アナン『オイ、ユーズ、|実《じつ》に|困《こま》つたことになつたものだないか。|楓別命《かへでわけのみこと》は|実《じつ》に|古今無双《ここんむさう》の|神力《しんりき》を|具備《ぐび》する|大神将《だいしんしやう》なり、|言依別《ことよりわけ》、|国依別《くによりわけ》は|之《こ》れ|亦《また》|不可思議《ふかしぎ》なる|力《ちから》を|持《も》つてゐる。|彼等《かれら》|両人《りやうにん》が|放射《はうしや》する|五色《ごしき》の|霊線《れいせん》は、|到底《たうてい》|吾々《われわれ》|近寄《ちかよ》る|可《べか》らざる|威力《ゐりよく》がある。|又《また》バラモン|教《けう》の|石熊《いしくま》も|中々《なかなか》|以《もつ》て|注意《ちうい》|周到《しうたう》な|奴《やつ》、|決《けつ》して|油断《ゆだん》は|出来《でき》ない。|如何《どう》したら、|千騎一騎《せんきいつき》の|此《この》|場合《ばあひ》、|彼等《かれら》を|殲滅《せんめつ》することが|出来《でき》ようかと|心配《しんぱい》でならないワ』
ユーズ『それだから、|俺達《おれたち》はユーズを|利《き》かして、|教主様《けうしゆさま》の|前《まへ》でいろいろと|言葉《ことば》を|構《かま》へ、|威張《ゐば》つて|見《み》せ、|教主《けうしゆ》の|心《こころ》に|力《ちから》を|与《あた》へたのだ。|勇将《ゆうしやう》の|下《もと》に|弱卒《じやくそつ》なしだ。|弱将《じやくしやう》をして|能《よ》く|勇将《ゆうしやう》たらしむるは、|両人《りやうにん》の|任務《にんむ》である。サア、アナン|殿《どの》、これより|宣伝使《せんでんし》を|全部《ぜんぶ》|引《ひき》つれ、|又《また》|数百人《すうひやくにん》の|信者《しんじや》を|以《もつ》て、|先《ま》づ|第一《だいいち》に|楓別《かへでわけ》の|宣伝使《せんでんし》の|館《やかた》を|夜陰《やいん》に|乗《じやう》じ、|襲撃《しふげき》することにせう。|大刀《だいたう》|竹槍《たけやり》の|用意《ようい》は|出来《でて》て|居《ゐ》るであらうか?』
アナン『|大刀《だいたう》|竹槍《たけやり》を|使《つか》ふは|変事《へんじ》に|際《さい》してのみ|用《もち》ゐることを、|神明《しんめい》|許《ゆる》させ|玉《たま》へ|共《ども》、|未《いま》だ|武器《ぶき》を|以《もつ》て|立向《たちむか》ふべき|時《とき》ではあるまいぞ』
ユーズ『さてユーズの|利《き》かぬ|其《その》お|言葉《ことば》、|千騎一騎《せんきいつき》の|此《この》|場合《ばあひ》は|即《すなは》ち|大変事《だいへんじ》のことでは|御座《ござ》らぬか? |斯様《かやう》な|時《とき》に|武器《ぶき》を|用《もち》ゐざれば、|何《いづ》れの|時《とき》に|用《もち》ゐむや。|仮令《たとへ》|敵《てき》は|少数《せうすう》と|雖《いへど》も、|古今無双《ここんむさう》の|勇者《ゆうしや》、|到底《たうてい》、|口先《くちさき》の|弁舌《べんぜつ》を|以《もつ》て|帰順《きじゆん》せしむることは|思《おも》ひも|寄《よ》らざる|事《こと》なれば、|短兵《たんぺい》|急《きふ》に|暴力《ばうりよく》を|以《もつ》て|彼等《かれら》の|牙城《がじやう》を|屠《ほふ》むらなくては、ウラル|教《けう》の|休戚《きうせき》に|関《くわん》する|大問題《だいもんだい》だ。|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|分《わか》るる|所《ところ》、ウラル|教《けう》|国家《こくか》の|興亡《こうばう》|此《この》|時《とき》にあり。……サア、アナン|殿《どの》、|早《はや》く|決心《けつしん》あれ』
アナン『|智謀《ちぼう》|絶倫《ぜつりん》と|聞《きこ》えたるユーズ|殿《どの》の|言葉《ことば》、アナン|賛成《さんせい》|致《いた》しませう』
ユーズ『|早速《そうそく》の|御承諾《ごしようだく》、|実《じつ》に|有難《ありがた》し』
と|座《ざ》を|立《た》ち、|別室《べつま》に|入《い》り、|宣伝使《せんでんし》の|溜《たま》り|所《しよ》に|在《あ》る|宣伝使《せんでんし》を|吾《わが》|居間《ゐま》に|呼集《よびあつ》め、ヒルの|館《やかた》の|夜襲《やしふ》に|時《とき》を|移《うつ》さず|着手《ちやくしゆ》せむ|事《こと》を|厳命《げんめい》した。|一同《いちどう》は|一《いち》も|二《に》もなく、ユーズの|言葉《ことば》に|服従《ふくじゆう》し、|武装《ぶさう》を|整《ととの》へ、ヒルの|都《みやこ》の|楓別命《かへでわけのみこと》が|館《やかた》をさして、|数百人《すうひやくにん》の|部下《ぶか》と|共《とも》に、|旗鼓堂々《きこだうだう》と|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・八・一六 旧六・二四 松村真澄録)
第一八章 |日暮《ひぐら》シの|河《かは》〔八六〇〕
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |国依別《くによりわけ》は|御倉山《みくらやま》
|社《やしろ》を|後《あと》に|立出《たちい》でて  |山河《やまかは》|渉《わた》り|野路《のぢ》を|越《こ》え
|漸《やうや》くチルの|村外《むらはづ》れ  |荒《あら》しの|森《もり》に|辿《たど》りつき
|息《いき》を|休《やす》むる|折柄《をりから》に  |日暮《ひぐら》シ|山《やま》に|岩窟《がんくつ》を
|構《かま》へて|教《をしへ》を|開《ひら》きたる  ウラルの|彦《ひこ》の|其《その》|一派《いつぱ》
ブール|教主《けうしゆ》を|始《はじ》めとし  ユーズ、アナンの|両人《りやうにん》を
|左右《さいう》の|力《ちから》と|頼《たの》みつつ  |数多《あまた》の|部下《ぶか》を|引連《ひきつ》れて
|荒《あら》しの|森《もり》に|出《い》で|来《きた》り  |国依別《くによりわけ》を|取囲《とりかこ》み
|只《ただ》|一討《ひとう》ちにせむものと  |群《むら》がり|来《きた》る|可笑《をか》しさよ
|国依別《くによりわけ》は|泰然《たいぜん》と  |心《こころ》|豊《ゆたか》に|口《くち》の|内《うち》
|生言霊《いくことたま》を|宣《の》り|終《を》へて  |琉球島《りうきうたう》に|打渡《うちわた》り
|竜《たつ》の|顋《あぎと》の|宝玉《ほうぎよく》を  |受取《うけと》り|球《たま》の|神力《しんりき》を
|己《おの》が|身魂《みたま》に|納《をさ》めつつ  |天下無双《てんかむさう》の|神人《しんじん》と
|成《な》り|済《す》ましたる|今日《けふ》の|旅《たび》  |数多《あまた》の|敵《てき》に|打向《うちむか》ひ
|右手《めて》の|拳《こぶし》を|握《にぎ》りつめ  |示指《ひとさしゆび》を|差《さ》し|伸《の》べて
|押寄《おしよ》せ|来《きた》る|敵軍《てきぐん》に  |向《むか》つて|霊光《れいくわう》|発射《はつしや》せば
|威力《ゐりよく》に|打《う》たれて|一同《いちどう》は  |雪崩《なだれ》をうつて|逃《に》げて|行《ゆ》く
|国依別《くによりわけ》は|只一人《ただひとり》  |脆《もろ》くも|逃《に》げ|行《ゆ》く|敵《てき》の|影《かげ》
|目送《もくそう》しつつ|高笑《たかわら》ひ  |神《かみ》の|威徳《ゐとく》を|感謝《かんしや》する
|時《とき》しもあれやスタスタと  |現《あら》はれ|来《きた》る|人《ひと》の|影《かげ》
マチ、キジ|二人《ふたり》の|信徒《まめひと》は  |国依別《くによりわけ》の|前《まへ》に|寄《よ》り
|両手《りやうて》をついて|語《かた》る|様《やう》  |私《わたし》はチルの|国人《くにびと》で
ウラルの|神《かみ》を|奉《ほう》じたる  マチとキジとの|両人《りやうにん》ぞ
|饑饉《ききん》の|厄《やく》に|苦《くるし》みて  |玉《たま》の|命《いのち》は|今日《けふ》|明日《あす》と
|迫《せま》り|来《きた》れる|苦《くるし》さに  |国魂神《くにたまがみ》を|祀《まつ》りたる
|社《やしろ》の|下《した》の|谷川《たにがは》に  |神《かみ》の|使《つかひ》の|御倉魚《みくらうを》
|姿《すがた》を|眺《なが》め|手《て》を|合《あは》せ  |無事《ぶじ》|安全《あんぜん》を|祈《いの》る|折《をり》
ウラルの|道《みち》の|宣伝使《せんでんし》  |数多《あまた》|引《ひき》つれ|出《い》で|来《きた》り
|軽生重死《けいせいぢうし》の|教《のり》を|説《と》く  さは|去《さ》り|乍《なが》ら|吾々《われわれ》は
|肉《にく》の|命《いのち》のある|限《かぎ》り  パンをば|外《よそ》に|神《かみ》の|道《みち》
|上《うへ》なく|尊《たふと》くあればとて  |現当利益《げんたうりやく》あらざれば
やはか|諾《うべな》ひまつるべき  |如何《いかが》はせむと、とつおいつ
|否定《ひてい》の|暗《やみ》に|悩《なや》む|折《をり》  |実《げ》にも|尊《たふと》き|宣伝使《せんでんし》
|三五《さんご》の|月《げつ》の|御教《みをしへ》を  |御空《みそら》も|清《きよ》く|明《あきら》かに
|宣《の》らせ|玉《たま》ひて|神代《かみよ》より  |神《かみ》の|禁《きん》ぜし|御倉魚《みくらうを》
|捕《とら》へて|食《くら》ひ|玉《たま》の|緒《を》の  |命《いのち》をつなぎ|此《この》|世《よ》をば
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》と|相見做《あひみな》し  |尊《たふと》き|命《いのち》を|永《なが》らへて
|現世《げんせ》に|永《なが》く|働《はたら》けと  |思《おも》ひもかけぬ|天来《てんらい》の
|救《すく》ひの|道《みち》の|福音《ふくいん》に  |吾等《われら》|一同《いちどう》|甦《よみがへ》り
|歓喜《くわんき》の|雨《あめ》は|忽《たちま》ちに  |涙《なみだ》となりて|谷川《たにがは》に
|流《なが》れ|注《そそ》ぎし|尊《たふと》さよ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
かかる|尊《たふと》き|神人《しんじん》を  |吾等《われら》はいかでおめおめと
|此《この》|儘《まま》|見逃《みのが》しまつらむや  |命《いのち》の|限《かぎ》り|御後《おんあと》を
|慕《した》ひて|君《きみ》の|教言《をしへごと》  さし|許《ゆる》されて|天国《てんごく》の
|清《きよ》き|教《をしへ》を|四方《よも》の|国《くに》  |草《くさ》の|片葉《かきは》に|至《いた》る|迄《まで》
|恵《めぐみ》の|露《つゆ》を|与《あた》へむと  |吾等《われら》|二人《ふたり》は|諜《しめ》し|合《あ》ひ
|故郷《こきやう》を|後《あと》にしとしとと  |御後《おあと》を|慕《した》ひ|来《きた》りけり
|国依別《くによりわけ》の|神司《かむづかさ》  |何卒《なにとぞ》|吾等《われら》が|願《ねがひ》をば
|清《きよ》く|許《ゆる》させ|玉《たま》へかし  |大御恵《おほみめぐ》みの|万分一《まんぶいち》
|酬《むく》いまつらむ|吾々《われわれ》が  |固《かた》き|心《こころ》は|千代《ちよ》|八千代《やちよ》
|五六七《みろく》の|世《よ》まで|変《かは》らじと  |心《こころ》|定《さだ》めし|益良夫《ますらを》の
|誠《まこと》|受《う》けさせ|玉《たま》へよと  |涙《なみだ》と|共《とも》に|頼《たの》み|入《い》る
|国依別《くによりわけ》は|稍《やや》|暫《しば》し  |思案《しあん》にくれて|居《ゐ》たりしが
あゝ|是非《ぜひ》もなし|是非《ぜひ》もなし  |神《かみ》の|教《をしへ》の|取次《とりつぎ》は
|一人《ひとり》の|旅《たび》と|大神《おほかみ》の  |定《さだ》め|玉《たま》ひし|道《みち》なれど
|汝《なれ》が|切《せつ》なる|其《その》|願《ねが》ひ  |無下《むげ》に|断《ことわ》る|由《よし》もなし
|然《しか》らば|吾《われ》に|従《したが》ひて  |三五教《あななひけう》の|御為《おんため》に
|皇大神《すめおほかみ》の|御尾前《みをさき》に  |仕《つか》へまつれよマチ、キジよ
|天津大神《あまつおほかみ》|国津神《くにつかみ》  |国魂神《くにたまがみ》に|相誓《あひちか》ひ
|汝《なれ》が|願《ねが》ひを|許《ゆる》すべし  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませと  |生言霊《いくことたま》を|宣《の》りつれば
マチ、キジ|二人《ふたり》は|雀躍《こをどり》し  |神《かみ》に|任《まか》せし|此《この》|体《からだ》
|仮令《たとへ》|野《の》の|末《すゑ》|山《やま》の|奥《おく》  |千尋《ちひろ》の|海《うみ》の|底《そこ》|迄《まで》も
|神《かみ》に|仕《つか》へし|神司《かむづかさ》  |国依別《くによりわけ》の|宣言《のりごと》は
|一《ひと》つも|背《そむ》かず|村肝《むらきも》の  |心《こころ》に|銘《めい》じて|守《まも》らなむ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|御蔭《みかげ》に|預《あづか》りて
|今日《けふ》は|嬉《うれ》しき|旅《たび》の|空《そら》  |国依別《くによりわけ》の|生宮《いきみや》が
|御弟子《みでし》となりて|仕《つか》へ|行《ゆ》く  |天地《てんち》|開《ひら》けし|始《はじ》めより
|誠《まこと》の|神《かみ》に|巡《めぐ》り|合《あ》ひ  |恵《めぐみ》の|露《つゆ》にうるほひて
|夜露《よつゆ》に|宿《やど》る|月影《つきかげ》を  |伏《ふ》し|拝《をが》みつつ|進《すす》む|身《み》の
|吾等《われら》は|如何《いか》なる|果報《くわはう》ぞと  |喜《よろこ》び|狂《くる》ふぞ|勇《いさ》ましき。
キジ、マチの|新入《しんにふ》|信者《しんじや》は|国依別《くによりわけ》に|従《したが》ひ、ヒルの|都《みやこ》を|指《さ》して、|涼《すず》しき|夜《よる》の|道《みち》を|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|進《すす》み|行《ゆ》く。|日暮《ひぐら》シ|山《やま》の|渓谷《けいこく》より|流《なが》れ|来《きた》る|大河《おほかは》の|辺《へ》に|辿《たど》り|着《つ》いた。|広《ひろ》き|河中《かちう》に|清流《せいりう》ゆるやかに|流《なが》れて|居《ゐ》る。されど|永日《えいじつ》の|旱魃《かんばつ》に|河水《かすゐ》は|細《ほそ》り、|今《いま》は|川《かは》の|一方《いつぱう》のみ|帯《おび》の|如《ごと》く、|水《みづ》が、お|定《ぢやう》|目的《もくてき》に|流《なが》れて|居《ゐ》た。|国依別《くによりわけ》は|立止《たちど》まり、
|国依《くにより》『ヤア、|之《これ》が|有名《いうめい》な|日暮《ひぐら》シの|河《かは》だなア。|随分《ずゐぶん》に|広《ひろ》い|河《かは》だが、|此《この》|頃《ごろ》の|大旱魃《だいかんばつ》にて|河水《かすゐ》も|余程《よほど》|減《げん》じたと|見《み》える。これ|許《ばか》りは|人間《にんげん》として|如何《いかん》ともすることが|出来《でき》ないなア』
キジ『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|此《この》|川上《かはかみ》には|日暮《ひぐら》シ|山《やま》の|霊場《れいぢやう》と|云《い》つて、ウラル|教《けう》の|一派《いつぱ》が|大《だい》なる|岩窟《がんくつ》を|掘《ほ》り、|其処《そこ》に|盤古神王《ばんこしんわう》の|霊《れい》を|祀《まつ》り、|非常《ひじやう》な|勢力《せいりよく》で|御座《ござ》いましたが、テルの|国《くに》の|高照山《たかてるやま》の|麓《ふもと》にバラモン|教《けう》の|石熊《いしくま》と|云《い》ふ|宣伝使《せんでんし》が|現《あら》はれ、|非常《ひじやう》な|勢力《せいりよく》にて、ウラル|教《けう》の|勢力《せいりよく》|範囲《はんゐ》に|喰《く》ひ|入《い》り、|数多《あまた》の|信徒《しんと》を|作《つく》りました|為《ため》、|此《この》|頃《ごろ》では|余程《よほど》|衰頽《すゐたい》した|様子《やうす》で|御座《ござ》います。|此《この》|間《あひだ》|御倉山《みくらやま》の|谷川《たにがは》に|現《あら》はれ、あなたの|言霊《ことたま》に|辟易《へきえき》して|逃帰《にげかへ》りたる|教主《けうしゆ》のブールと|云《い》ふのが、|此《この》|水上《みなかみ》なる|霊場《れいぢやう》に|割拠《かつきよ》して|居《を》ります』
|国依《くにより》『あゝさうであつたか。|随分《ずゐぶん》|難所《なんじよ》だらうな』
キジ『|非常《ひじやう》な|難所《なんじよ》で|御座《ござ》いますが、いつも|此《この》|日暮《ひぐら》シ|川《がは》は|清《きよ》い|水《みづ》が|深《ふか》くゆるやかに|流《なが》れて|居《を》りますので、|其《その》|山麓《さんろく》まで|帆《ほ》かけ|舟《ぶね》が|参《まゐ》ります。さうして|交通《かうつう》を|円滑《ゑんくわつ》にやつてゐましたが、|斯《こ》う|川《かは》に|水《みづ》がなくなつては、|大変《たいへん》に|不便《ふべん》で|御座《ござ》います。|私《わたし》も|一二回《いちにくわい》、ウラル|教《けう》の|信者《しんじや》として|参拝《さんぱい》した|事《こと》が|御座《ござ》いますが、それそれは|実《じつ》に|立派《りつぱ》な|岩窟《がんくつ》で、|目《め》も|届《とど》かぬ|様《やう》な|広《ひろ》いもので|御座《ござ》います』
|国依《くにより》『|一度《いちど》|探険《たんけん》に|往《い》つて|見《み》たいものだなア』
マチ『そりや|余程《よほど》|面白《おもしろ》いでせう。あなたを|桃太郎《ももたらう》とし、キジ|公《こう》が|雉子《きじ》の|役《やく》をつとめ、|私《わたくし》はマチと|云《い》ふ|名《な》のついた|犬《いぬ》になつて|御案内《ごあんない》を|致《いた》しませう。|併《しか》し|猿《さる》の|役《やく》をつとめる|者《もの》がないので、|一《ひと》つ|困《こま》りましたなア』
|国依《くにより》『アハヽヽヽ、そりやよい|思《おも》ひ|付《つ》きだ。|併《しか》し|随分《ずゐぶん》|遠《とほ》いだらうな』
マチ『|里程《りてい》は|人《ひと》の|噂《うはさ》に|依《よ》れば、|八里《はちり》だとか、|十里《じふり》だとか、|中《なか》には|十三里《じふさんり》あるとか、マチマチの|噂《うはさ》ですから、|其《その》|中《ちう》を|取《と》つて|先《ま》づ|九里《くり》|位《くらゐ》にして|置《お》いたら|如何《いかが》でせうなア』
キジ『そんな|道寄《みちよ》りをやつてゐますと、ヒルの|都《みやこ》へ|行《ゆ》くのが|遅《おそ》くなります。|何《いづ》れヒルを|済《す》まして、ゆるゆるお|越《こ》しになつたら|如何《いかが》でせう、|猿《さる》の|役《やく》を|勤《つと》める|者《もの》が|又《また》ヒルの|都《みやこ》で|出来《でき》ませうから……』
|国依《くにより》『あゝそれも|良《よ》からう。どつさりと|金銀珠玉《きんぎんしゆぎよく》、|珊瑚樹《さんごじゆ》、|瑪瑙《めのう》、【しやこ】などあらゆる|宝玉《ほうぎよく》を|満載《まんさい》して、|桃太郎《ももたらう》の|凱旋《がいせん》も|面白《おもしろ》からう』
と|笑《わら》ひ|話《ばなし》に|耽《ふけ》つてゐる。
|斯《か》かる|所《ところ》へ|川上《かはかみ》の|方《はう》から、|月《つき》の|光《ひかり》に|瞬《またた》き|乍《なが》ら、|幾十旒《いくじふりう》とも|知《し》れぬ|白旗《しらはた》に、|三葉葵《みつばあふひ》の|紋《もん》を|赤《あか》く|染《そ》め|抜《ぬ》いて、|夜風《よかぜ》に|靡《なび》かせつつ、|幾百《いくひやく》とも|知《し》れぬ|人影《ひとかげ》、|蜈蚣《むかで》の|陣《ぢん》を|張《は》り|乍《なが》ら|川《かは》に|沿《そ》ひ、|足許《あしもと》|騒《さわ》がしく、|忙《いそが》しげに|此方《こなた》に|向《むか》つて|進《すす》み|来《く》る|一隊《いつたい》があつた。これぞアナン、ユーズの|引率《いんそつ》せるウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》、|信徒《しんと》の|一団《いちだん》がヒルの|都《みやこ》に|向《むか》つて|攻《せ》め|行《ゆ》く|途中《とちう》である。
(大正一一・八・一六 旧六・二四 松村真澄録)
第一九章 |蜘蛛《くも》の|児《こ》〔八六一〕
|幾十旒《いくじふりう》とも|分《わか》らぬ|白旗《はくき》を|夜《よる》の|風《かぜ》に|翻《ひるがへ》し、|旗鼓堂々《きこだうだう》と、|川《かは》の|堤《つつみ》の|両方《りやうはう》より|進《すす》み|来《きた》る|数百《すうひやく》の|集団《しふだん》を|眺《なが》めて、|国依別《くによりわけ》は|打笑《うちわら》ひ、
『アハヽヽヽ、マチさま、キジさま、|面白《おもしろ》くなつて|来《き》たぢやないか。|昨夜《さくや》|荒《あら》しの|森《もり》で|数百人《すうひやくにん》のウラル|教《けう》の|連中《れんぢう》、|吾々《われわれ》|一人《ひとり》を|十重二十重《とへはたへ》に|取巻《とりまき》|乍《なが》ら、|脆《もろ》くも|国依別《くによりわけ》の|言霊《ことたま》に|吹散《ふきち》らされて、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃去《にげさ》つたウラル|教《けう》の|手合《てあひ》が、|今度《こんど》はどうやら|武装《ぶさう》を|整《ととの》へ|捲土重来《けんどぢうらい》の|挙《きよ》に|出《で》よつたらしい。なんと|愉快《ゆくわい》な|事《こと》が|出《で》て|来《き》たものだ。お|前達《まへたち》|両人《りやうにん》は、|入信《にふしん》|記念《きねん》の|為《ため》に|一《ひと》つ|南北《なんぽく》に|分《わか》れて、|両方《りやうはう》の|敵《てき》に|当《あた》り、|縦横無尽《じうわうむじん》にかけ|悩《なや》まして|見《み》たら|如何《どう》だ。|其《その》|代《かは》りに|国依別《くによりわけ》が|無限《むげん》の|神力《しんりき》を|与《あた》へるから、|万々一《まんまんいち》お|前達《まへたち》の|不利《ふり》を|見《み》たならば、|球《きう》の|玉《たま》の|神力《しんりき》を|以《もつ》て、|敵《てき》を|射倒《いたふ》して|了《しま》ふ|成算《せいさん》が|十分《じふぶん》にあるから、|試験的《しけんてき》にやつて|見《み》やうではないか?』
キジ『|願《ねが》うてもなき|其《その》お|言葉《ことば》、|私《わたくし》もテルの|国《くに》に|於《おい》ては|相当《さうたう》に、|神力《しんりき》はなけれ|共《ども》、|腕力《わんりよく》|並《なら》ぶ|者《もの》なしと|言《い》はれて|居《ゐ》る|豪傑《がうけつ》ですから、こんな|面白《おもしろ》い|機会《きくわい》はありますまい。|如何《いか》なる|武器《ぶき》を|以《もつ》て|攻《せ》め|来《きた》る|共《とも》、|此《この》|腕《うで》|一《ひと》つあれば|大丈夫《だいぢやうぶ》です。|何卒《どうぞ》|私《わたくし》を|其《その》|任《にん》に|当《あた》らして|下《くだ》さい』
マチ『|私《わたくし》はキジの|様《やう》な|力《ちから》は|有《あ》りませぬが、|気転《きてん》を|利《き》かす|段《だん》に|於《おい》ては、|決《けつ》して|人後《じんご》におちない|積《つも》りです。そんなら|両人《りやうにん》が|此《この》|川《かは》の|南北《なんぽく》に|分《わか》れ、|一《ひと》つ|奮戦《ふんせん》|激闘《げきとう》をやつて|見《み》ませう。あゝ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、|天運《てんうん》|循環《じゆんくわん》し|来《きた》つて、|優曇華《うどんげ》の|花《はな》|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|春《はる》に|会《あ》うたる|心地《ここち》がする』
と|力瘤《ちからこぶ》だらけの|腕《うで》をまくり、ブンブンと|振《ふ》りまはし、|撚《より》をかけて|居《ゐ》る。
|国依《くにより》『そんなら|両人《りやうにん》、|一《ひと》つやつて|見《み》よ……|国依別《くによりわけ》は|司令《しれい》|長官《ちやうくわん》になつて、|此《この》|丸木橋《まるきばし》の|上《うへ》から|戦況《せんきやう》を|調《しら》べる|事《こと》にせう。あゝ|良《い》い|月《つき》だ。こんな|愉快《ゆくわい》な|事《こと》は、|滅多《めつた》にあるものぢやない。|併《しか》し|乍《なが》ら|成《な》るべくは、|両人《りやうにん》|敵《てき》の|生命《いのち》をとらない|様《やう》にしてくれ』
キジ『|宜《よろ》しい、|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|此《この》|空川《からかは》へ|放《はう》りこみ、|人間《にんげん》の|山《やま》を|築《きづ》いてお|目《め》にかけませう』
|斯《か》く|云《い》ふ|間《うち》、ウラル|教《けう》の|大部隊《だいぶたい》は|最早《もはや》|間近《まぢか》くなつて|来《き》た。マチは|北側《きたがは》を、キジは|南側《みなみがは》の|草《くさ》の|中《なか》に|身《み》を|潜《ひそ》めて、|敵《てき》の|近付《ちかづ》くのを|今《いま》や|遅《おそ》しと、|腕《うで》を|唸《うな》らせ、|片唾《かたづ》を|呑《の》んで|控《ひか》えてゐる。
|南《みなみ》の|一隊《いつたい》はアナン|之《これ》を|率《ひき》ゐ、|北側《きたがは》の|一隊《いつたい》はユーズ|之《これ》に|将《しやう》として、|勢《いきほ》ひ|凄《すさ》まじく|川辺《かはべ》を|下《くだ》り|来《きた》る|物々《ものもの》しさ。マチは|忽《たちま》ち|敵前《てきぜん》に|塞《ふさ》がり|大音声《だいおんじやう》、
マチ『ヤアヤア、ウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》、それに|従《したが》ふ|小童《こわつぱ》|共《ども》、よつく|聞《き》け! |吾《われ》こそは|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|言依別命《ことよりわけのみこと》、|御倉山《みくらやま》の|谷間《たにあひ》に|於《おい》て、|此《この》|方《はう》が|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》に|泡《あわ》を|吹《ふ》き、|脆《もろ》くも|逃《に》げ|去《さ》つたる|弱武者《よわむしや》|共《ども》、サア|吾々《われわれ》は|神勅《しんちよく》に|依《よ》つて、|汝《なんぢ》が|茲《ここ》に|数多《あまた》の|人々《ひとびと》を|引《ひ》きつれ、|武器《ぶき》を|携《たづさ》へ、|攻《せ》め|下《くだ》り|来《きた》る|事《こと》を|前知《ぜんち》せしを|以《もつ》て、|汝等《なんぢら》|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|素首《そつくび》を|引抜《ひきぬ》き、|汝《なんぢ》の|最《もつと》も|希求《ききう》する|霊《れい》の|国《くに》、|天国《てんごく》へ|引導《いんだう》を|渡《わた》してくれむ。|覚悟《かくご》を|致《いた》せ!』
と|呶鳴《どな》り|立《た》てた。ユーズは|藪《やぶ》から|棒《ぼう》の、どこともなく|権威《けんゐ》に|充《みた》された|此《この》|言霊《ことたま》に|辟易《へきえき》し、|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|率《ひき》ゐ、|堂々《だうだう》とここまで|進《すす》み|来《きた》れる|手前《てまへ》|退却《たいきやく》もならず、|轟《とどろ》く|胸《むね》を|無理《むり》に|押《おさ》へ、
ユーズ『ナヽヽ|何《なん》と|申《まを》す。|汝《なんぢ》は|体主霊従《たいしゆれいじう》の|邪教《じやけう》を|奉《ほう》ずる|言依別命《ことよりわけのみこと》なるか。|如何《いか》に|獅子王《ししわう》の|勢《いきほひ》あればとて、|雲霞《うんか》の|如《ごと》き|大軍《たいぐん》に|向《むか》つて、|如何《いか》に|孤軍《こぐん》|奮闘《ふんとう》すればとて、|汝《なんぢ》の|力《ちから》の|及《およ》ぶ|所《ところ》にあらず、|要《い》らざる|事《こと》を|致《いた》して、|命《いのち》をすてるよりも、|神妙《しんめう》に|吾《わが》|軍門《ぐんもん》に|降《くだ》れ』
マチ『ナニ|猪口才千万《ちよこざいせんばん》な、|汝《なんぢ》こそ|某《それがし》が|前《まへ》に|閉口頓首《へいこうとんしゆ》して|罪《つみ》を|謝《しや》し、|貴重《きちよう》なる|生命《せいめい》を|無事《ぶじ》に|持《も》つて|帰《かへ》れ。|汝等《なんぢら》は|天国《てんごく》に|至《いた》る|事《こと》を|無上《むじやう》の|光栄《くわうゑい》とする|者《もの》ならば、|一人《ひとり》も|残《のこ》さず、|霊《れい》の|国《くに》へやつてやるのはいと|安《やす》き|事《こと》なれ|共《ども》、さう|致《いた》しては|懲戒《ちようかい》にならぬ。|汝《なんぢ》の|最《もつと》も|忌《い》み|嫌《きら》ふ|娑婆《しやば》|世界《せかい》に|置《お》いて|苦《くるし》めてやらむ、|覚悟《かくご》を|致《いた》せ。アハヽヽヽ』
ユーズ『|何《なん》と|其《その》|方《はう》は|妙《めう》な|事《こと》を|申《まを》す|奴《やつ》、|人間《にんげん》は|生命《いのち》が|大切《たいせつ》だ。|肉体《にくたい》なくして|神業《しんげふ》が|勤《つと》まると|思《おも》ふか。|馬鹿《ばか》を|申《まを》せ、|汝《なんぢ》こそ|今《いま》|某《それがし》が、|生命《いのち》をとり、|地獄《ぢごく》の|引導《いんだう》を|渡《わた》してくれむ、|覚悟《かくご》|致《いた》せ……ヤアヤア|者共《ものども》、|言依別《ことよりわけ》に|向《むか》つて|斬《き》つてかかれよ』
と|采配《さいはい》ふつて|下知《げち》すれば、|数多《あまた》の|部下《ぶか》はマチ|一人《ひとり》を|取《とり》まき、|斬《き》つてかかる。|向《むか》うは|大勢《おほぜい》、|此方《こちら》は|只一人《ただひとり》、すばしこくも|体《たい》を|躱《かわ》して、|草《くさ》の|茂《しげ》みに|隠《かく》れて|了《しま》つた。|大勢《おほぜい》はあわてふためき、|互《たがひ》に|刃《やいば》に|火花《ひばな》を|散《ち》らし、ケチンケチンと|同士打《どうしうち》を|始《はじ》めてゐる|其《その》|可笑《をか》しさ。
|又《また》|一方《いつぱう》|南岸《なんがん》に|向《むか》うたキジは、アナンの|引率《いんそつ》せる|一部隊《いちぶたい》に|向《むか》ひ、|叢《くさむら》より|忽然《こつぜん》と|現《あら》はれ、|大音声《だいおんじやう》、
キジ『ヤア|其《その》|方《はう》はウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》であらう。|吾《われ》こそは|三五教《あななひけう》の|神司《かむづかさ》|国依別《くによりわけ》なるぞ。|飛《と》んで|火《ひ》に|入《い》る|夏《なつ》の|虫《むし》、|能《よ》くマア|出《で》て|来《き》よつたなア。サア|是《これ》より|此《この》|方《はう》の|発射《はつしや》する|言霊《ことたま》の|弾丸《だんぐわん》を|浴《あ》びて、|汝《なんぢ》の|最《もつと》も|忌《い》み|嫌《きら》ふ|現界《げんかい》を|棄《す》て|天国《てんごく》に|救《すく》ひ|与《あた》へむ。どうぢや|嬉《うれ》しいか』
と|呶鳴《どな》り|立《た》て、|大声《おほごゑ》で|人《ひと》もなげに|笑《わら》ひ|出《だ》した。アナンは|国依別《くによりわけ》と|聞《き》いて、|心《こころ》|戦《をのの》き|乍《なが》ら、|空元気《からげんき》を|出《だ》し、
アナン『アハヽヽヽ、|何《なん》と|申《まを》す、|国依別《くによりわけ》、|敗《ま》けたと|見《み》せかけ|御倉山《みくらやま》の|谷川《たにがは》に|於《おい》て|逸早《いちはや》く|姿《すがた》をかくし、|又《また》|荒《あら》しの|森《もり》に|於《おい》てワザと|敗軍《はいぐん》を|装《よそほ》ひ、|汝《なんぢ》をここにおびきよせむとの|吾等《われら》が|計略《けいりやく》、うつかりと|出《で》てうせた|痴呆者《うつけもの》。モウ|斯《こ》うなる|上《うへ》は|百年目《ひやくねんめ》、|神妙《しんめう》に|吾《わが》|軍門《ぐんもん》に|降《くだ》るか、ゴテゴテ|吐《ぬか》さば、|汝《なんぢ》が|素首《そつくび》|引抜《ひきぬ》いて|天下《てんか》の|害《がい》を|絶《た》ち、|汝《なんぢ》が|身魂《みたま》を|地獄《ぢごく》に|追《お》ひおとしくれむ……サア|部下《ぶか》の|者共《ものども》、|国依別《くによりわけ》に|向《むか》つて|斬《き》りつけよ』
と|下知《げち》すれば『オウ』と|答《こた》へて|数多《あまた》の|人数《にんずう》、|竹槍《たけやり》をすごき、キジ|一人《ひとり》を|目当《めあて》に|突込《つつこ》み|来《きた》る。キジは|大手《おほで》を|拡《ひろ》げ、|来《く》る|奴《やつ》|来《く》る|奴《やつ》、ひつ|掴《つか》んでは|日暮《ひぐら》シ|川《がは》にドツと|許《ばか》り|投《な》げ|込《こ》み、|瞬《またた》く|間《うち》に|数十人《すうじふにん》の|人山《ひとやま》を|築《きづ》いた。
|此方《こちら》のユーズの|部下《ぶか》は|何《いづ》れも|長剣《ちやうけん》を|以《もつ》て|戦《たたか》ひ、|南方《なんぱう》のアナンの|部下《ぶか》は|何《いづ》れも|竹槍《たけやり》を|以《もつ》てキジ|一人《ひとり》に|向《むか》つて|戦《たたか》つてゐる。されどキジの|手《て》に|掛《かか》つて、|最早《もはや》|数十人《すうじふにん》は|河中《かちう》に|投込《なげこ》まれ、|腰《こし》を|打《う》ち、|足《あし》を|摧《くぢ》き、|痛《いた》さに|身動《みうご》きも|得《え》せず、|慄《ふる》ひ|戦《をのの》いてゐた。|国依別《くによりわけ》は|丸木橋《まるきばし》の|上《うへ》より|指《ゆび》をさし|伸《の》べ、サーチライトの|如《ごと》き|霊光《れいくわう》を|発射《はつしや》して、|此《この》|域《ゐき》を|射照《いて》らしてゐる。アナンは|最早《もはや》|叶《かな》はじと|思《おも》ひきや、|采配《さいはい》を|打《うち》ふり|打《うち》ふり、
アナン『|退却《たいきやく》! |退却《たいきやく》!』
と|連呼《れんこ》し|乍《なが》ら、|散《ち》り|散《ち》りバラバラに|算《さん》を|乱《みだ》して|敗走《はいそう》する。
|此方《こなた》ユーズは|味方《みかた》の|同士打《どうしうち》に|度《ど》を|失《うしな》ひ、|止《や》むを|得《え》ず|采配《さいはい》を|打振《うちふ》り、|又《また》もや|南方《なんぱう》のアナンに|傚《なら》つて『|退却《たいきやく》! |々々《たいきやく》!』と|号令《がうれい》する。|此《この》|声《こゑ》にユーズの|部下《ぶか》は|思《おも》ひ|思《おも》ひに|元来《もとき》し|道《みち》を|先《さき》を|争《あらそ》ひ|逃《に》げて|行《ゆ》く|其《その》|可笑《をか》しさ。マチは|之《これ》を|眺《なが》めて|高笑《たかわら》ひ、
マチ『アハヽヽヽ、|脆《もろ》いものだなア。|俺《おれ》もこれ|丈《だけ》の|神力《しんりき》が|出《で》るとは|思《おも》はなかつたが、|実《じつ》に|不思議《ふしぎ》だ。これも|全《まつた》く|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》の|御神徳《ごしんとく》、|次《つ》いでは|神様《かみさま》のお|使《つか》ひになる|神魚《しんぎよ》を|食《くら》つた|為《ため》でもあらう。|実《じつ》に|有難《ありがた》いものだなア。ドレドレ|国依別《くによりわけ》|様《さま》に|戦況《せんきやう》を|詳《つぶ》さに|報告《はうこく》せねばなろまい。それに|付《つ》いても|何処《どこ》ともなく、|強烈《きやうれつ》なる|光《ひかり》の|現《あら》はれた|時《とき》、|敵《てき》の|光《ひかり》に|打《う》たれて|狼狽《ろうばい》する|様《さま》は|実《じつ》に|痛快《つうくわい》であつた』
と|独言《ひとりご》ちつつ、|国依別《くによりわけ》の|傍《かたはら》に|意気《いき》|揚々《やうやう》として|帰《かへ》つて|来《き》た。
|南方《なんぱう》に|向《むか》うたキジも|亦《また》|勝《か》ち|誇《ほこ》つたる|面色《おももち》にて、|力瘤《ちからこぶ》だらけの|腕《うで》を|打《うち》ふり|乍《なが》ら|帰《かへ》り|来《きた》り、
キジ『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|実《じつ》に|有難《ありがた》う|御座《ござ》いました。|生《うま》れて|以来《このかた》、|斯様《かやう》な|愉快《ゆくわい》な|事《こと》は|御座《ござ》いませぬ。|戦《たたか》ひの|最中《さいちう》、あなたより|強烈《きやうれつ》なる|霊光《れいくわう》を|送《おく》つて|下《くだ》さつた|時《とき》の|其《その》|気強《きづよ》さ、|面白《おもしろ》さ、いやモウ|終生《しうせい》|忘《わす》る|可《べか》らざる|愉快《ゆくわい》な|印象《いんしやう》を|与《あた》へられました。アハヽヽヽ』
|国依《くにより》『ヤア|両人共《りやうにんども》、|天晴《あつぱ》れ|天晴《あつぱ》れお|手柄《てがら》だつた。あれ|丈《だけ》の|勇気《ゆうき》があれば、|最早《もはや》|三五教《あななひけう》の|布教者《ふけうしや》としても|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|国依別《くによりわけ》も|幸福《かうふく》だ。|何《なん》と|良《よ》い|弟子《でし》が|出来《でき》たものだなア』
キジ『|本当《ほんたう》に|仰有《おつしや》る|通《とほ》り、|古今独歩《ここんどくぽ》の|神力《しんりき》|充実《じゆうじつ》せるあなたに|対《たい》し、|斯様《かやう》な|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》がお|弟子《でし》になるのも|全《まつた》く|神様《かみさま》のお|引合《ひきあは》せでせう』
|国依《くにより》『アハヽヽヽ、|随分《ずゐぶん》|吹《ふ》く|事《こと》も|吹《ふ》きますねえ。ヤア|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、それ|丈《だけ》の|気概《きがい》がなくては|駄目《だめ》だ』
マチ『|私《わたくし》だつて、ヤツパリあなたの|御家来《ごけらい》として|余《あま》り|不適当《ふてきたう》な|者《もの》ではありますまい。どうです|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、あなたの|御感想《ごかんさう》は……』
|国依《くにより》『アハヽヽヽ、|何《ど》ちらも|担《かつ》いだら|棒《ぼう》が|折《を》れる|様《やう》だ。|力《ちから》に|甲乙《かふおつ》が|無《な》くて|面白《おもしろ》い。マア|是《これ》からは|慢心《まんしん》をせない|様《やう》に|心得《こころえ》て、|神界《しんかい》の|為《ため》にドシドシと|尽《つく》して|貰《もら》はうかなア』
|両人《りやうにん》『ハイ|承知《しようち》|致《いた》しました。|今日《けふ》の|腕試《うでだめ》しに|依《よ》つて、|最早《もはや》|神《かみ》の|御加護《ごかご》ある|事《こと》を|悟《さと》つた|以上《いじやう》は、|天下《てんか》|何者《なにもの》をか|恐《おそ》れむやで|御座《ござ》る』
と|腕《うで》を|揺《ゆす》つて|雄健《をたけ》びする|其《その》|可笑《をか》しさ。|国依別《くによりわけ》は……|妙《めう》な|奴《やつ》が|降《ふ》つて|来《き》た|者《もの》だ……と|心《こころ》|秘《ひそ》かに|微笑《ほほゑ》み|乍《なが》ら|二人《ふたり》を|伴《ともな》ひ、|明《あ》けかかる|夜《よ》の|道《みち》を、|河《かは》を|渡《わた》つて、|北《きた》へ|北《きた》へと|足《あし》を|早《はや》め|宣伝歌《せんでんか》を|声《こゑ》|高《たか》く|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、ヒルの|都《みやこ》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
|空《そら》に|輝《かがや》きし|月《つき》は|漸《やうや》く|光《ひか》り|褪《あ》せ、|星《ほし》は|次第《しだい》に|影《かげ》を|没《ぼつ》し、|絵絹《ゑぎぬ》を|拡《ひろ》げた|様《やう》な|東《あづま》の|空《そら》は、|紅《くれなゐ》を|潮《てう》し|始《はじ》めたり。
(大正一一・八・一六 旧六・二四 松村真澄録)
第二〇章 |雉《きじ》と|町《まち》〔八六二〕
マチは|夜《よる》の|道《みち》を|歩《あゆ》み|乍《なが》ら、|意気《いき》|揚々《やうやう》として|歌《うた》を|唄《うた》ひ|進《すす》み|行《ゆ》く。|其《その》|歌《うた》、
マチ『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|三五教《あななひけう》の|御教《おんをしへ》  |実地《じつち》の|誠《まこと》を|居乍《ゐなが》らに
|味《あぢ》はひ|見《み》たる|嬉《うれ》しさよ  ウラルの|神《かみ》の|御教《みをしへ》は
|人《ひと》の|弱《よわ》きに|附《つ》け|入《い》りて  |神《かみ》の|天国《てんごく》|楯《たて》となし
|或《あるひ》は|脅《おど》し|叱《しか》りつけ  |吾《わが》|国人《くにびと》を|無理《むり》やりに
|彼《か》れが|教《をしへ》に|引入《ひきい》れる  |四方《よも》の|国人《くにびと》|驚《おどろ》いて
|何《いづ》れも|心《こころ》に|合《あは》ね|共《ども》  |止《や》むを|得《え》ざれば|入信《にふしん》し
|心《こころ》を|詐《いつ》はる|偽信仰《にせしんかう》  |池《いけ》に|浮《う》かべる|浮草《うきぐさ》の
|昨日《きのふ》は|向《むか》うの|岸《きし》に|咲《さ》き  |今日《けふ》はこちらの|岸《きし》に|咲《さ》く
|無理《むり》|往生《わうじやう》の|此《この》|教《をしへ》  いかでか|花《はな》の|開《ひら》くべき
|何時《いつ》か|木実《このみ》の|結《むす》ぶべき  |吾《わが》|国民《くにたみ》は|飢《うゑ》に|泣《な》き
|咽喉《のど》もかわきて|朝夕《あさゆふ》に  |此《この》|世《よ》を|歎《かこ》つ|折柄《をりから》に
|霊主体従《れいしゆたいじう》を|標榜《へうぼう》し  |苦《くる》しき|此《この》|世《よ》は|仮《かり》の|世《よ》ぢや
|至美《しび》と|至楽《しらく》の|天国《てんごく》へ  |災《わざはひ》|多《おほ》き|現世《うつしよ》を
|捨《す》てて|神国《みくに》へ|昇《のぼ》り|行《ゆ》け  などと|教《をし》へる|醜《しこ》の|道《みち》
|困《こま》りぬいたる|時《とき》もあれ  |恵《めぐ》みの|雨《あめ》は|降《ふ》り|来《きた》り
|吾等《われら》|国人《くにびと》|一同《いちどう》は  |蘇生《そせい》の|思《おも》ひをなしにけり
|其《その》|神恩《しんおん》に|酬《むく》いむと  |荒《あら》しの|森《もり》に|駆《か》け|来《きた》り
|神《かみ》の|柱《はしら》と|現《あ》れませる  |国依別《くによりわけ》の|御前《おんまへ》に
|心《こころ》の|誠《まこと》を|明《あ》かしつつ  |今日《けふ》は|嬉《うれ》しき|弟子《でし》の|数《かず》
|喜《よろこ》び|勇《いさ》み|進《すす》む|折《をり》  ウラルの|教《をしへ》の|神司《かむづかさ》
ユーズ、アナンが|数百《すうひやく》の  |部下《ぶか》を|引《ひき》つれ|降《くだ》り|来《く》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |限《かぎ》りある|身《み》の|吾《わが》|力《ちから》
|試《ため》すは|今《いま》や|此《この》|時《とき》と  |日暮《ひぐら》シ|河《がは》の|北堤《きたつつみ》
ユーズの|率《ひき》ゆる|一隊《いつたい》に  |向《むか》つて|珍《うづ》の|言霊《ことたま》を
いと|爽《さわや》かに|宣《の》りつれば  |敵《てき》は|怒《いか》つて|剣《つるぎ》|太刀《たち》
|月《つき》の|光《ひかり》に|閃《ひらめ》かし  |前後《ぜんご》|左右《さいう》に|攻《せ》めかくる
|心得《こころえ》たりと|身《み》をかわし  |草葉《くさば》の|蔭《かげ》に|身《み》を|忍《しの》び
|敵《てき》の|様子《やうす》を|伺《うかが》へば  |心《こころ》の|曇《くも》りし|盲《めくら》|共《ども》
|味方《みかた》と|味方《みかた》の|同士打《どうしうち》  |剣光《けんくわう》|閃《ひらめ》く|面白《おもしろ》さ
|折《をり》しもあれや|国依別《くによりわけ》の  |貴《うづ》の|司《つかさ》が|霊光《れいくわう》を
|天津日《あまつひ》の|如《ごと》|射《い》てらせば  |流石《さすが》のユーズも|辟易《へきえき》し
|総体《そうたい》|崩《くづ》れて|蜘蛛《くも》の|子《こ》を  |散《ち》らすが|如《ごと》く|逃《に》げて|行《ゆ》く
|此《この》|有様《ありさま》を|打眺《うちなが》め  |吾《わ》れは|思《おも》はず|吹出《ふきいだ》し
|心《こころ》も|勇《いさ》み|腕《うで》は|鳴《な》り  |悠々《いういう》|騒《さわ》がず|橋《はし》の|辺《べ》に
|帰《かへ》り|来《きた》りし|面白《おもしろ》さ  |国依別《くによりわけ》に|従《したが》ひて
|丸木《まるき》の|橋《はし》を|打渡《うちわた》り  |夜露《よつゆ》に|月《つき》の|宿《やど》る|道《みち》
|涼《すず》しき|風《かぜ》に|送《おく》られて  |夜《よる》なきヒルの|神館《かむやかた》
|楓《かへで》の|別《わけ》の|現《あ》れませる  |聖地《せいち》へ|進《すす》む|嬉《うれ》しさよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
マチとキジとの|両人《りやうにん》が  |心《こころ》を|清《きよ》め|身《み》を|浄《きよ》め
|神《かみ》の|御為《おんため》|国《くに》の|為《ため》  |世人《よびと》の|為《ため》に|真心《まごころ》を
|尽《つく》させ|玉《たま》へ|天津神《あまつかみ》  |国津神《くにつかみ》|達《たち》|八百万《やほよろづ》
|国魂神《くにたまがみ》の|竜世姫《たつよひめ》  |御倉《みくら》の|宮《みや》の|御前《おんまへ》に
|赤《あか》き|心《こころ》を|現《あら》はして  |遥《はる》かに|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
キジは|又《また》もやマチの|歌《うた》に|励《はげ》まされて、|足拍子《あしべうし》に|合《あは》せ|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。
キジ『|俺《おれ》の|在所《ざいしよ》はチルの|国《くに》  |御倉《みくら》の|山《やま》の|峰《みね》つづき
|村《むら》の|難儀《なんぎ》を|見《み》るにつけ  |神《かみ》の|恵《めぐ》みを|蒙《かうむ》りて
|飢《うゑ》に|苦《くるし》む|人々《ひとびと》を  |救《すく》ひ|玉《たま》へと|谷川《たにがは》に
|現《あら》はれ|祈《いの》る|折柄《をりから》に  |天《あめ》の|八重雲《やへくも》|掻《か》き|分《わ》けて
|降《くだ》りましたる|神人《かみびと》の  |生言霊《いくことたま》に|助《たす》けられ
|瀕死《ひんし》の|境《さかひ》に|陥《おちい》りし  |数多《あまた》の|人々《ひとびと》|忽《たちま》ちに
|飢《うゑ》を|充《み》たして|甦《よみがへ》り  これぞ|誠《まこと》の|救世主《きうせいしゆ》
|吾等《われら》の|父《ちち》か|母神《ははがみ》か  |此《この》|高恩《かうおん》の|万分一《まんぶいち》
|報《むく》い|奉《まつ》らでおくべきか  |御後《みあと》を|慕《した》ひ|逸早《いちはや》く
|御目《おんめ》にかかり|鴻恩《こうおん》の  |万分一《まんぶいち》に|報《むく》いむと
マチと|語《かた》らひ|山坂《やまさか》を  |一散走《いつさんばし》りに|乗越《のりこ》えて
|木々《きぎ》の|花《はな》さへチルの|村《むら》  |荒《あら》しの|郷《さと》に|来《き》て|見《み》れば
|実《げ》に|有難《ありがた》き|宣伝使《せんでんし》  |天津祝詞《あまつのりと》を|宣《の》らせつつ
|木蔭《こかげ》に|憩《いこ》ひ|玉《たま》ひたる  |其《その》|御姿《みすがた》を|伏《ふ》し|拝《をが》み
|歓喜《くわんき》の|涙《なみだ》にくれ|乍《なが》ら  |御弟子《みでし》の|数《かず》に|加《くは》へられ
|心《こころ》|勇《いさ》みて|日暮《ひぐら》シの  |河《かは》の|畔《ほとり》に|来《き》て|見《み》れば
|思《おも》ひがけなきウラル|教《けう》  ユーズ、アナンの|宣伝使《せんでんし》
|剣《つるぎ》|抜《ぬ》き|持《も》ち|太刀槍《たちやり》を  |林《はやし》の|如《ごと》く|立《た》て|並《なら》べ
|三葉葵《みつばあふひ》の|白旗《しらはた》を  |風《かぜ》に|靡《なび》かせ|堂々《だうだう》と
|進《すす》み|来《きた》るぞ|面白《おもしろ》き  |国依別《くによりわけ》の|御許《みゆる》しに
われはアナンの|一隊《いつたい》に  |喜《よろこ》び|勇《いさ》み|立向《たちむか》ひ
|生言霊《いくことたま》を|宣《の》りつれば  |頑迷不霊《ぐわんめいふれい》の|曲神《まがかみ》は
|情《なさけ》|容赦《ようしや》も|荒風《あらかぜ》に  |旗《はた》を|靡《なび》かせつきかかる
エヽ|面倒《めんだう》と|四五十《しごじふ》の  |敵《てき》を|忽《たちま》ち|鷲掴《わしづか》み
|日暮《ひぐら》シ|河《がは》に|投《な》げ|込《こ》めば  アナンの|司《つかさ》を|始《はじ》めとし
ウラルの|教《をしへ》の|一隊《いつたい》は  |総体《そうたい》|乱《みだ》れ|崩《くづ》れ|出《だ》す
|折柄《をりから》|照《て》らす|霊光《れいくわう》に  |旭《あさひ》に|露《つゆ》の|消《き》えし|如《ごと》
|命《いのち》カラガラ|失《う》せて|行《ゆ》く  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|力《ちから》を|目《ま》のあたり  |目撃《もくげき》したる|尊《たふと》さよ
|日暮《ひぐら》シ|河《がは》を|打渡《うちわた》り  |神《かみ》の|司《つかさ》に|従《したが》ひて
|物騒《ぶつそう》|至極《しごく》の|夜《よる》の|道《みち》  |互《たがひ》に|戦功《せんこう》|誇《ほこ》りつつ
|露《つゆ》ふみしめて|進《すす》み|行《ゆ》く  |東《あづま》の|空《そら》は|茜《あかね》して
|心《こころ》の|空《そら》も|照《て》り|渡《わた》り  いと|爽《さわや》かな|朝風《あさかぜ》に
|吹《ふ》かれてヒルの|神館《かむやかた》  |霊地《れいち》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く
|身《み》の|上《うへ》こそは|楽《たの》しけれ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ  |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  キジの|命《いのち》のある|限《かぎ》り
|三五教《あななひけう》の|御為《おんため》に  |不惜身命《ふじやくしんめい》どこ|迄《まで》も
|神《かみ》の|教《をしへ》に|従《したが》ひて  |普《あまね》く|世人《よびと》を|惟神《かむながら》
|尊《たふと》き|教《をしへ》に|救《すく》ひなむ  |天《あめ》と|地《つち》との|大神《おほかみ》は
|吾等《われら》を|深《ふか》く|守《まも》ります  |吾《われ》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》
なりとの|真理《しんり》|聞《き》きしより  |此《この》|世《よ》に|人《ひと》と|生《うま》れたる
|其《その》|天職《てんしよく》を|悟《さと》りけり  |神《かみ》の|御為《おんため》|世《よ》の|為《ため》に
|尽《つく》さにやおかぬキジの|胸《むね》  マチの|心《こころ》も|其《その》|通《とほ》り
|国依別《くによりわけ》の|神様《かみさま》よ  |完美《うまら》に|委曲《つばら》に|聞《きこ》し|召《め》し
いや|永久《とこしへ》に|吾々《われわれ》を  |正《ただ》しき|神《かみ》の|御教《みをしへ》に
|厚《あつ》く|導《みちび》き|玉《たま》へかし  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、ドシドシと|白《しろ》みかけた|空《そら》を、|勢《いきほひ》よくヒルの|都《みやこ》を|指《さ》して|立向《たちむか》ふ。
(大正一一・八・一六 旧六・二四 松村真澄録)
第五篇 |山河《さんか》|動乱《どうらん》
第二一章 |神王《しんわう》の|祠《ほこら》〔八六三〕
|国依別《くによりわけ》|一行《いつかう》は|足《あし》に|任《まか》せて、|旭《あさひ》を|浴《あ》び|乍《なが》ら、|東南《とうなん》に|向《むか》ひ|前方《ぜんぱう》に|突当《つきあた》つたアラシカ|山《やま》の|大峠《おほたうげ》をソロソロと|登《のぼ》り|始《はじ》めた。|此《この》|地点《ちてん》は|最早《もはや》|今年《こんねん》の|旱魃《かんばつ》にも|遭《あは》ず、|極《きは》めて|安全《あんぜん》にして、|山々《やまやま》の|草木《さうもく》は|色《いろ》|美《うる》はしく、|旭《あさひ》に|照《て》り|輝《かがや》き、|活々《いきいき》として|居《ゐ》る。|一行《いつかう》は|心《こころ》も|勇《いさ》み、|何《なん》となく|愉快《ゆくわい》げに|此《この》|急坂《きふはん》を|知《し》らず|知《し》らずの|間《あひだ》に|半日《はんにち》を|費《つひ》やして、|峠《たうげ》の|頂上《ちやうじやう》に|達《たつ》した。
|東北《とうほく》を|眺《なが》むれば、ヒルの|都《みやこ》は|細《ほそ》く|長《なが》く|帯《おび》の|如《ごと》く|人家《じんか》が|並《なら》んで|居《ゐ》る。|戸数《こすう》に|於《おい》て|殆《ほとん》ど|二三千《にさんぜん》|計《ばか》りの、|此《この》|時代《じだい》に|取《と》つては|大都会《だいとくわい》である。|又《また》|西南《せいなん》を|瞰下《かんか》すれば、ウラル|教《けう》のブールが|立籠《たてこも》りたる|日暮《ひぐら》シ|山《やま》は|手《て》に|取《と》る|如《ごと》く、|青々《あをあを》と|緑《みどり》の|衣《ころも》を|被《かぶ》り、|八合目《はちがふめ》|以上《いじやう》は|雲《くも》に|包《つつ》まれてゐる。
キジは|国依別《くによりわけ》に|向《むか》ひ、
『モシ、|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、あの|未申《ひつじさる》の|方向《はうこう》に|当《あた》つて|白雲《しらくも》の|帽子《ばうし》を|着《き》てゐる|高山《かうざん》が、|例《れい》の|日暮《ひぐら》シ|山《やま》で|御座《ござ》いますよ。|随分《ずゐぶん》|景勝《けいしよう》の|地点《ちてん》を|選《えら》んだものですなア。|三方《さんぱう》|山《やま》に|囲《かこ》まれ、|一方《いつぱう》に|日暮《ひぐら》シ|河《がは》の|清流《せいりう》を|控《ひか》え、|四神相応《ししんさうおう》の|地点《ちてん》だと|云《い》つて、ウラル|教《けう》の|連中《れんぢう》が|非常《ひじやう》に|誇《ほこ》つて|居《ゐ》る|所《ところ》で|御座《ござ》いますよ。ヒルの|都《みやこ》はあの|通《とほ》り、|茫々《ばうばう》たる|原野《げんや》の|中《なか》に|築《きづ》かれてありますから、|大変《たいへん》に|便利《べんり》は|宜《よろ》しいが、|要害《えうがい》の|点《てん》に|於《おい》ては、|日暮《ひぐら》シ|山《やま》に|比《くら》ぶれば、|非常《ひじやう》に|劣《おと》つて|居《ゐ》る|様《やう》ですなア』
|国依《くにより》『|成程《なるほど》ウラル|教《けう》も|恰好《かつかう》な|地点《ちてん》を|見付《みつ》け|出《だ》したものだなア。|併《しか》し|此《この》|頃《ごろ》の|様《やう》に|肝心《かんじん》の|日暮《ひぐら》シ|河《がは》があの|通《とほ》り|涸切《かれき》つて|了《しま》つては、|交通《かうつう》の|点《てん》に|於《おい》て|最《もつと》も|不便《ふべん》であらう。|何事《なにごと》も|一利《いちり》あれば|一害《いちがい》ある|世《よ》の|中《なか》だから、|吾々《われわれ》なれば|矢張《やつぱり》ヒルの|都《みやこ》の|方《はう》が|余程《よほど》|気《き》に|入《い》るよ』
マチ『|気《き》に|入《い》ると|云《い》つたら、|此《この》|涼風《すずかぜ》、|暑《あつ》い|坂《さか》を|汗《あせ》タラダラと|流《なが》して|登《のぼ》り|詰《つ》め、|山上《さんじやう》に|息《いき》を|休《やす》めて|四方《よも》の|景色《けしき》を|見晴《みは》らし、|浩然《こうぜん》の|気《き》を|養《やしな》ふ|吾々《われわれ》は、|実《じつ》に|天国《てんごく》へ|登《のぼ》りつめた|様《やう》な|心持《こころもち》になつて|来《き》ました。|何《なん》と|云《い》つても|人《ひと》は|高山《かうざん》に|登《のぼ》り|下界《げかい》を|見下《みおろ》すに|限《かぎ》りますなア。コセコセと|狭《せま》い|谷間《たにあひ》に|潜《ひそ》んで、|日々《にちにち》|何《なん》とかかとか|云《い》つて|騒《さわ》いで|居《を》るよりも、|時々《ときどき》は|山登《やまのぼ》りも|又《また》|愉快《ゆくわい》なものです』
|国依別《くによりわけ》は、
『サア|皆《みな》さま、|参《まゐ》りませうか』
とスタスタと|坂路《さかみち》を|降《お》り|行《ゆ》く。|二人《ふたり》は『モウ|少《すこ》し|休《やす》みたいなア……』と|小声《こごゑ》に|囁《ささや》き|乍《なが》ら、|已《や》むを|得《え》ず|後《あと》に|従《したが》ひ、|急坂《きうはん》を|下《くだ》りて|行《ゆ》く。
|見《み》れば|坂路《さかみち》の|傍《かたはら》に|一《ひと》つの|祠《ほこら》が|建《た》つて|居《ゐ》る。|樟《くす》の|大木《たいぼく》は|二三本《にさんぼん》|天《てん》を|封《ふう》じ|此《この》|祠《ほこら》に|対《たい》し、|雨傘《あまがさ》の|役《やく》を|勤《つと》めて|居《ゐ》る。ふと|見《み》れば、|面《おも》やつれのした|妙齢《めうれい》の|女《をんな》、|社前《しやぜん》に|跪《ひざまづ》き|何事《なにごと》か|切《しき》りに|祈願《きぐわん》をこめてゐる。マチ、キジの|両人《りやうにん》は|早《はや》くも|之《これ》を|認《みと》め、
『ヤア|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、アレ|御覧《ごらん》なさいませ。あすこには|常世神王《とこよしんわう》を|祀《まつ》つた|祠《ほこら》が|御座《ござ》います。さうして|何《なん》だか|一人《ひとり》の|女《をんな》が|荐《しき》りに|祈願《きぐわん》して|居《ゐ》るやうですが、|一《ひと》つ|立寄《たちよ》つて|様子《やうす》を|聞《き》いて|見《み》ませう。|此《この》|淋《さび》しい|山路《やまみち》、|若《わか》い|女《をんな》の|身《み》として、|此《この》|祠《ほこら》へ|参《まゐ》つて|来《く》るのは|何《なに》か|深《ふか》い|曰《いは》く|因縁《いんねん》が|無《な》けねばなりますまい』
|国依《くにより》『アヽ|成程《なるほど》、|古《ふる》い|社《やしろ》が|立《た》つてゐるなア。|実《じつ》に|立派《りつぱ》な|楠《くすのき》が|栄《さか》えて|居《ゐ》る。これ|位《くらゐ》な|大木《たいぼく》にならうと|思《おも》へば|数千年《すうせんねん》の|星霜《せいさう》を|経《へ》て|居《ゐ》るであらう。|吾々《われわれ》の|様《やう》に|二百歳《にひやくさい》や|三百歳《さんびやくさい》で|死《し》んで|了《しま》う|弱《よわ》い|人間《にんげん》と|違《ちが》つて、|数千年《すうせんねん》の|寿命《じゆめう》を|保《たも》ち、|尚《なほ》|青々《あをあを》として|枝葉《しえふ》を|繁茂《はんも》させ、|所在《あらゆる》|暴風雨《ばうふうう》に|対《たい》し|依然《いぜん》として|少《すこ》しも|騒《さわ》がず、|此《この》|高山《かうざん》に|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けて|居《ゐ》る|楠《くすのき》は、|実《じつ》に|偉《えら》いものだ。これを|思《おも》へば|植物《しよくぶつ》|位《ぐらゐ》|偉《えら》いものはない|様《やう》な|気《き》がするネ。|樟《くす》の|木《き》に|霊《れい》あり、|且《かつ》|言語《げんご》を|発《はつ》するならば、|遠《とほ》き|神代《かみよ》の|有様《ありさま》を|聞《き》かして|貰《もら》ふのだけれど、|併《しか》しそれも|仕方《しかた》がない』
マチ『モシモシそれはさうと、あの|女《をんな》を|御覧《ごらん》なさい。|随分《ずゐぶん》|痩衰《やせおとろ》へて|居《ゐ》るぢやありませぬか? |兎《と》に|角《かく》|祠《ほこら》の|前《まへ》へ|立寄《たちよ》つて|調《しら》べて|見《み》たら|如何《どう》でせう』
|国依《くにより》『|兎《と》も|角《かく》|神様《かみさま》に|参詣《さんけい》した|序《ついで》に|尋《たづ》ねて|見《み》るもよからうよ』
と|云《い》ひ|乍《なが》らツカツカと|祠《ほこら》の|前《まへ》に|進《すす》みよる。|三人《さんにん》は|祠《ほこら》の|前《まへ》に|跪《ひざまづ》き|拍手《はくしゆ》|再拝《さいはい》、|天津祝詞《あまつのりと》を|清《きよ》く|涼《すず》しく|奏上《そうじやう》し|終《をは》り、|傍《かたはら》の|長《なが》き|石《いし》に|腰《こし》|打掛《うちかけ》|息《いき》を|休《やす》めた。
キジは|祠前《しぜん》に|跪《ひざまづ》き|何事《なにごと》か|切《しき》りに、|落涙《らくるい》と|共《とも》に|祈《いの》つて|居《ゐ》る|女《をんな》の|側近《そばちか》く|寄《よ》り、いたいたしげに|脊《せ》を|撫《な》でさすり|乍《なが》ら、
キジ『モシモシ、|何処《どこ》の|御方《おかた》か|知《し》りませぬが、|大変《たいへん》な|御信仰《ごしんかう》で|御座《ござ》いますな。|此《この》お|社《やしろ》は、|常世神王様《とこよしんわうさま》の|御神霊《ごしんれい》が|御祀《おまつ》り|申《まを》してあると|云《い》ふことで|御座《ござ》いますれば、|貴女《あなた》がここへ|御参《おまゐ》りになつてることを|思《おも》へば、|大方《おほかた》ウラル|教《けう》の|御方《おかた》でせうネ。かよわき|女《をんな》の|只一人《ただひとり》、|此《この》|高山《たかやま》の|祠《ほこら》に|詣《まう》でて|御祈《おいの》りをなさるのは、|何《なに》か|深《ふか》き|御様子《ごやうす》のある|事《こと》と|御察《おさつ》し|申《まを》します。|吾々《われわれ》の|力《ちから》に|及《およ》ぶ|事《こと》なれば、|何《なん》とかして|御相談《ごさうだん》に|乗《の》つてあげたいと|思《おも》ひますが、どうか|御差支《おさしつかへ》なくば、|大略《たいりやく》|丈《だけ》なりとお|話《はなし》|下《くだ》さいませ。|及《およ》ばず|乍《なが》ら|御力《おちから》になりませう』
|此《この》|同情《どうじやう》のこもつたキジの|言葉《ことば》に、|女《をんな》は|漸《やうや》く|顔《かほ》をあげ、
『ハイ、|私《わたし》はアラシカ|山《やま》の|山麓《さんろく》に|住居《すまゐ》いたすエリナと|申《まを》す|者《もの》で|御座《ござ》います。|私《わたし》の|父《ちち》は、ウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》でエスと|申《まを》しますが、|一ケ月《いつかげつ》|以前《いぜん》に|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》が|御立寄《おたちよ》りになり、いろいろと|尊《たふと》きお|話《はなし》を|父《ちち》と|共《とも》に、|夜中《よぢう》|遊《あそ》ばした|結果《けつくわ》、|父《ちち》も|非常《ひじやう》に|喜《よろこ》びまして、|四五日《しごにち》の|間《あひだ》|其《その》|宣伝使《せんでんし》を|吾家《わがや》に|止《とど》めおき、ウラル|教《けう》の|信者《しんじや》にも|三五教《あななひけう》の|美点《びてん》を|説《と》き|聞《き》かせ、|神様《かみさま》の|御神徳《ごしんとく》を|受《う》けて、|大変《たいへん》に|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|居《を》りました。|所《ところ》が|此《この》|事《こと》|忽《たちま》ち|日暮《ひぐら》シ|山《やま》の|岩窟《がんくつ》に|聖場《せいぢやう》を|立《た》ててウラル|教《けう》をお|開《ひら》き|遊《あそ》ばす、|云《い》はばヒルの|国《くに》に|於《お》けるウラル|教《けう》の|総大将《そうだいしやう》、ブールの|教主《けうしゆ》の|耳《みみ》に|入《い》り、|至急《しきう》|吾《わが》|父《ちち》のエスに|参《まゐ》れとの|御使《おんつかひ》、|父《ちち》は|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで、|其《その》|霊地《れいち》へ|参《まゐ》りましたが、|其《その》|後《ご》は|何《なん》の|音沙汰《おとさた》もなく|非常《ひじやう》に|母《はは》と|共《とも》に|心配《しんぱい》を|致《いた》して|居《を》りましたが、|四五日《しごにち》|前《まへ》にウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》が|尋《たづ》ねて|来《こ》られ、エスさまは|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》を|自宅《じたく》に|宿泊《しゆくはく》させ|其《その》|上《うへ》ウラル|教《けう》の|信者《しんじや》に|対《たい》して|三五教《あななひけう》を|説《と》き|勧《すす》めたと|云《い》つて、|日暮《ひぐら》シ|山《やま》の|岩窟内《がんくつない》の|暗《くら》き|水牢《みづらう》に|投《な》げ|込《こ》まれ、|大変《たいへん》な|苦《くる》しみを|受《う》けて|居《を》られる、お|前達《まへたち》も|妻子《さいし》たる|廉《かど》を|以《もつ》て、|何時《なんどき》|召捕《めしと》りに|来《く》るかも|知《し》れないから、|気《き》を|付《つ》けよと、|秘密《ないない》に|知《し》らして|呉《く》れた|親切《しんせつ》な|方《かた》がありました。|母《はは》はそれを|聞《き》くより|忽《たちま》ち|癪気《しやくき》を|起《おこ》し、|重《おも》き|病《やまひ》の|床《とこ》に|臥《ふ》し、|日《ひ》に|日《ひ》に|体《からだ》は|弱《よわ》り|果《は》て、|見《み》る|影《かげ》もなく|痩衰《やせおとろ》へ、|一滴《いつてき》の|水《みづ》も|食物《しよくもつ》も|喉《のど》を|越《こ》さず、|此《この》まま|死《し》を|待《ま》つより|外《ほか》に|途《みち》なき|悲運《ひうん》に|陥《おちい》つて|居《を》ります。それ|故《ゆゑ》|私《わたし》はウラル|教《けう》の|教祖《けうそ》|常世神王様《とこよしんわうさま》の|祠《ほこら》に|日々《にちにち》|詣《まう》でまして、|父《ちち》の|危難《きなん》を|救《すく》ひ、|母《はは》の|病気《びやうき》を|助《たす》け|玉《たま》へと、|祈《いの》つて|居《を》るので|御座《ござ》います』
と|涙《なみだ》|片手《かたて》に|包《つつ》まずかくさず|事情《じじやう》を|物語《ものがた》る。
キジ『それはそれは、|承《うけたま》はれば|実《じつ》にお|気《き》の|毒《どく》です。|私《わたくし》も|今迄《いままで》ウラル|教《けう》の|信者《しんじや》で|日暮《ひぐら》シ|山《やま》の|霊場《れいぢやう》へは、|二度《にど》|計《ばか》り|参拝《さんぱい》した|事《こと》もある|位《くらゐ》で|御座《ござ》いますが、|実《じつ》にウラル|教《けう》は、|今《いま》となつて|考《かんが》へて|見《み》れば|残虐《ざんぎやく》な|教《をしへ》ですよ。|人《ひと》の|死《し》ぬ|事《こと》を|何《なん》とも|思《おも》はず、|天国《てんごく》へ|救《すく》はれるのだから、|無上《むじやう》の|光栄《くわうゑい》だなんて、|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を|教《をし》へるのですからたまりませぬワ。|併《しか》し|乍《なが》らあなたの|御父上《おちちうへ》が|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》を|四五日《しごにち》も|御泊《おと》めになつたと|云《い》ふのは、ウラル|教《けう》に|愛想《あいさう》をつかし、|三五教《あななひけう》の|美《うつく》しい|所《ところ》をお|悟《さと》りになつた|結果《けつくわ》でせう。コリヤ、キツと|因縁《いんねん》があるに|違《ちが》ひない。こんな|所《ところ》でこんな|御話《おはなし》を|聞《き》くのも、|神様《かみさま》のお|引合《ひきあは》せに|違《ちがひ》ない。|必《かなら》ず|必《かなら》ず|御心配《ごしんぱい》なさいますな。キツと|吾々《われわれ》が|御父上《おちちうへ》や|御母《おか》アさまを|助《たす》けて|上《あ》げませう』
エリナ『どこの|御方《おかた》か|知《し》りませぬが、|初《はじめ》て|会《あ》うた|此《この》|私《わたし》に、|御親切《ごしんせつ》によく|云《い》つて|下《くだ》さいます。|何分《なにぶん》にも|憐《あはれ》な|私《わたし》の|今日《こんにち》の|境遇《きやうぐう》、どうぞ|御助《おたす》け|下《くだ》さいませ』
と|手《て》を|合《あは》せて、|涙《なみだ》|乍《なが》らに|頼《たの》む|憐《あは》れさ。
|国依《くにより》『モシ、エリナさまとやら、|必《かなら》ず|御心配《ごしんぱい》なさいますな。|吾々《われわれ》|一同《いちどう》がキツとお|父《とう》さまを、|如何《どん》な|水牢《みづらう》の|中《なか》からでも、|日《ひ》ならずお|助《たす》け|申《まを》して、あなたの|宅《うち》へ|送《おく》り|届《とど》けませう』
エリナ『ハイハイ、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|何分《なにぶん》|宜《よろ》しう|御願《おねがひ》|致《いた》します。……あなたは、さうしてウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》で|御座《ござ》いますか』
|国依《くにより》『イエイエ、|吾々《われわれ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|国依別《くによりわけ》と|申《まを》す|者《もの》、|今《いま》|此処《ここ》に|居《ゐ》る|両人《りやうにん》は、チルの|国《くに》の|方《かた》で、キジ、マチと|云《い》ふ|非常《ひじやう》な|豪傑《がうけつ》ですよ。キツと|助《たす》けて|上《あ》げますから、|機嫌《きげん》を|直《なほ》して|早《はや》く|家路《いへぢ》に|帰《かへ》り、お|母《か》アさまにも|安心《あんしん》させて|上《あ》げなさい』
エリナ『ハイ、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います』
と|嬉《うれ》し|涙《なみだ》にくれ、|地《ち》に|伏《ふ》して|泣《な》いて|居《ゐ》る。
|国依《くにより》『キジ、マチの|両人《りやうにん》、|御苦労《ごくらう》だが、モ|一度《いちど》ウラル|教《けう》の|霊場《れいぢやう》へ|引返《ひきかへ》し、モウ|一戦《ひといくさ》を|始《はじ》め、エスさまを|救《すく》ひ|出《だ》して|来《こ》ようぢやないか?』
キジ『ハイ、それは|大変《たいへん》に|面白《おもしろ》いでせう。|併《しか》し|乍《なが》ら、たかの|知《し》れたブールやユーズにアナンの|如《ごと》き|木端武者《こつぱむしや》が|大将株《たいしやうかぶ》をして|居《ゐ》る|様《やう》なウラル|教《をし》へ、|宣伝使《せんでんし》にワザワザ|往《い》つて|貰《もら》ふのは|実《じつ》に|畏《おそ》れ|多《おほ》いぢやありませぬか。あんな|者《もの》は|吾々《われわれ》|一人《ひとり》にて|余《あま》つて|居《を》ります。どうぞ|私《わたくし》|一人《ひとり》を|日暮《ひぐら》シ|山《やま》に|差向《さしむ》けて|下《くだ》さい。さうしてマチはエリナさまに|従《つ》いて|行《ゆ》き、お|母《か》アさまの|病気《びやうき》を|鎮魂《ちんこん》して|直《なほ》して|上《あ》げる|役《やく》となり、|宣伝使《せんでんし》|様《さま》は|之《これ》よりヒルの|都《みやこ》へお|越《こ》しになり、|吾々《われわれ》が|芽出《めで》たく|凱旋《がいせん》して|帰《かへ》る|迄《まで》、|待《ま》つてゐて|下《くだ》さいませぬか?』
|国依《くにより》『|随分《ずゐぶん》|偉《えら》い|元気《げんき》だが、|必《かなら》ず|油断《ゆだん》は|出来《でき》ないぞ。|夜前《やぜん》|大勝利《だいしようり》を|得《え》たからと|云《い》つて、|何時迄《いつまで》も|勝《か》つ|計《ばか》りにきまつたものぢやない。|随分《ずゐぶん》|気《き》を|付《つ》けて、|両人《りやうにん》|共《とも》|一時《いちじ》も|早《はや》くエスさまを|救《すく》ひ|出《だ》す|様《やう》に|御苦労《ごくらう》にならうかな。エリナさまは|私《わし》がヒルの|都《みやこ》へ|行《ゆ》く|途中《とちう》だから、お|宅《たく》|迄《まで》|送《おく》り|届《とど》け、お|母《か》アさまの|大病《たいびやう》を|治《なほ》しておいて、ヒルの|都《みやこ》へ|行《ゆ》くことと|致《いた》しませう』
キジはニタリと|笑《わら》ひ|乍《なが》ら、
キジ『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|中々《なかなか》|抜目《ぬけめ》がありませぬなア』
と|心《こころ》ありげに|笑《わら》ふ。
マチ『きまつた|事《こと》だ。|神様《かみさま》のお|道《みち》に|一分一厘《いちぶいちりん》、|毛筋《けすぢ》の|横巾《よこはば》も|抜目《ぬけめ》があつて|堪《たま》るかい。お|前《まへ》こそ|今度《こんど》は|抜目《ぬけめ》なく、|気《き》を|付《つ》けて|行《ゆ》かないと、|思《おも》はぬ|失敗《しつぱい》を|演《えん》ずるぞよ』
|国依《くにより》『マチさまも|是非《ぜひ》|同道《どうだう》を|願《ねが》ひますよ。どうもキジさま|一人《ひとり》では|心許《こころもと》ないからなア』
キジ『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|余《あま》りひどいですな。|高《たか》が|知《し》れたウラル|教《けう》の|霊場《れいぢやう》、|私《わたくし》|一人《ひとり》にて|喰《く》ひ|足《た》らぬ|様《やう》な|気分《きぶん》が|致《いた》して|居《を》ります。マチの|様《やう》な|男《をとこ》、|連《つ》れて|行《ゆ》くのは|何《なん》だか|足手纏《あしてまと》ひの|様《やう》な|気《き》が|致《いた》しますけれど、あなたの|御命令《ごめいれい》とあらば|伴《つ》れて|行《ゆ》きます。……コレ、マチ、|貴様《きさま》は|余程《よつぽど》|果報者《くわほうもの》だ。|征夷《せいい》|大将軍《だいしやうぐん》キジ|公《こう》の|副将《ふくしやう》となつて|行《ゆ》くのだから、さぞ|光栄《くわうえい》に|思《おも》つてゐるだらうなア』
マチ『アハヽヽヽ|何《なに》を|吐《ぬ》かすのだ。|余《あま》り|調子《てうし》に|乗《の》つて|失敗《しつぱい》をせぬ|様《やう》にせよ。……そんなら|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、キジ|公《こう》の|後《あと》に|従《したが》ひ、これより|日暮《ひぐら》シ|山《やま》に|立向《たちむか》ひ、ウラル|教《けう》の|大将《たいしやう》ブール|其《その》|他《た》の|奴原《やつばら》を|片《かた》つ|端《ぱし》から|言向《ことむ》け|和《やは》し、エスの|宣伝使《せんでんし》を|救《すく》ひ|出《だ》し、|日《ひ》ならず|凱旋《がいせん》の|上《うへ》、ヒルの|都《みやこ》の|楓別命《かへでわけのみこと》が|御館《おんやかた》に|於《おい》て|御面会《ごめんくわい》|申《まを》しませう。……サア、キジ|公《こう》の|大将《たいしやう》、|早《はや》く|出立《しゆつたつ》|遊《あそ》ばせよ』
と、からかひ|乍《なが》ら、|早《はや》くも|此《この》|場《ば》を|後《あと》に、|先《さき》に|立《た》つて|元来《もとき》し|坂路《さかみち》を|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
キジ『オイオイ|大将《たいしやう》を|後《あと》にして、|先《さき》へ|行《ゆ》くと|云《い》ふ|事《こと》があるものか。|待《ま》つた|待《ま》つた』
と|呼《よば》はり|乍《なが》ら、
キジ『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、エリナ|様《さま》、|左様《さやう》なら、|後日《ごじつ》お|目《め》にかかりませう』
と|言葉《ことば》を|残《のこ》し、マチの|後《あと》を|追《お》つかけ|行《ゆ》く。
これより|国依別《くによりわけ》はエリナと|共《とも》にアラシカ|山《やま》の|山麓《さんろく》エスの|宅《たく》に|至《いた》り、エリナの|母《はは》テールの|病《やまひ》を|癒《い》やさむと|祈願《きぐわん》し、|数日《すうじつ》|逗留《とうりう》の|後《のち》ヒルの|都《みやこ》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・八・一六 旧六・二四 松村真澄録)
第二二章 |大蜈蚣《おほむかで》〔八六四〕
マチとキジとの|両人《りやうにん》は  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|国依別《くによりわけ》に|従《したが》ひて  |夜道《よみち》を|辿《たど》りやうやうに
|夜《よ》も|明《あ》け|放《はな》れ|露《つゆ》の|道《みち》  |勢《いきほひ》|込《こ》んでスタスタと
|下《くだ》らぬ|歌《うた》をうたひつつ  アラシカ|山《やま》の|麓《ふもと》まで
|来《きた》りてここに|息休《いきやす》め  |又《また》もや|乗出《のりだ》す|膝栗毛《ひざくりげ》
|険《けは》しき|坂《さか》を|潔《いさぎよ》く  やうやう|頂上《ちやうじやう》に|登《のぼ》りつめ
|涼《すず》しき|風《かぜ》を|浴《あ》び|乍《なが》ら  あゝ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い
|四方《よも》の|国原《くにはら》|見渡《みわた》せば  |山野《さんや》は|青《あを》く|河《かは》|清《きよ》く
|西南方《せいなんぱう》に|屹然《きつぜん》と  |雲《くも》の|冠《かむり》を|頂《いただ》きて
|聳《そそ》り|立《た》ちたる|日暮《ひぐら》シの  |山《やま》の|麓《ふもと》の|聖場《せいぢやう》を
|指《ゆび》さし|乍《なが》らウラル|教《けう》  ブールの|教主《けうしゆ》が|立籠《たてこも》る
|霊地《れいち》は|彼処《あこ》と|国依別《くによりわけ》の  |貴《うづ》の|司《つかさ》に|指《さ》し|示《しめ》し
|問《と》はず|語《がたり》を|始《はじ》めつつ  |又《また》もや|東北《とうほく》|指《ゆび》さして
|広袤《くわうばう》|千里《せんり》の|平原《へいげん》に  |長《なが》く|築《きづ》きしヒルの|町《まち》
|楓《かへで》の|別《わけ》の|鎮《しづ》まりて  |三五教《あななひけう》を|開《ひら》きます
|神《かみ》の|館《やかた》は|目《め》の|下《した》に  |甍《いらか》も|高《たか》く|聳《そび》えつつ
|確《たしか》にそれと|分《わか》らねど  |風《かぜ》に|閃《ひらめ》く|旗印《はたじるし》
|勝利《しようり》の|都《みやこ》は|足許《あしもと》に  |近寄《ちかよ》りたりと|勇《いさ》み|立《た》ち
|心《こころ》のままに|涼風《すずかぜ》を  |味《あぢ》はふ|折柄《をりから》|国依別《くによりわけ》の
|貴《うづ》の|司《つかさ》は|先《さき》に|立《た》ち  |早《はや》く|行《ゆ》かうと|駆出《かけだ》せば
|二人《ふたり》は|名残《なごり》を|惜《を》しみつつ  |是非《ぜひ》なく|後《あと》に|従《したが》ひて
|険《けは》しき|坂《さか》を|下《くだ》りゆく  |路《みち》の|片方《かたはう》に|楠《くす》の|木《き》の
|老木《ろうぼく》|茂《しげ》りウラル|教《けう》  |教《をしへ》の|祖《おや》を|祀《まつ》りたる
|神王祠《しんわうほこら》を|発見《はつけん》し  |近寄《ちかよ》り|見《み》れば|妙齢《めうれい》の
|女《をんな》が|一人《ひとり》|面《おも》やつれ  |髪《かみ》もおどろに|手《て》を|合《あは》せ
|祠《ほこら》の|前《まへ》に|俯《うつむ》いて  |何《なに》かヒソヒソ|祈《いの》り|居《を》る
|怪《あや》しき|様子《やうす》にキジ|公《こう》は  |側《そば》に|寄《よ》り|添《そ》ひ|背《せな》をなで
|言葉《ことば》|優《やさ》しく|労《いた》はりて  |事《こと》の|様子《やうす》を|尋《たづ》ぬれば
|女《をんな》は|漸《やうや》く|顔《かほ》をあげ  アラシカ|山《やま》の|山麓《さんろく》に
ウラルの|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》と  |仕《つか》へまつれるエスの|子《こ》よ
|妾《わたし》が|父《ちち》は|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|司《つかさ》を|呼止《よびと》めて
|吾家《わがや》に|泊《と》めし|罪《つみ》に|依《よ》り  |日暮《ひぐら》シ|山《やま》の|聖場《せいぢやう》に
|引立《ひきた》てられて|仄暗《ほのぐら》き  |残酷《ざんこく》|無情《むじやう》の|水牢《みづらう》に
|閉《とざ》され|玉《たま》ひ|朝夕《あさゆふ》に  |苦《くる》しみ|歎《なげ》き|玉《たま》ひつつ
|此《この》|世《よ》を|果敢《はか》なみ|玉《たま》ふらむ  |父《ちち》の|災《わざはひ》|聞《き》くよりも
|妾《わたし》の|母《はは》は|驚《おどろ》いて  |持病《ぢびやう》の|癪気《しやくき》|再発《さいはつ》し
|水《みづ》さへ|飲《の》めぬ|重態《ぢうたい》に  |痩衰《やせおとろ》へて|玉《たま》の|緒《を》の
|命《いのち》|尽《つ》きむとする|場合《ばあひ》  いかで|妾《わたし》は|此《この》|儘《まま》に
のめのめ|眺《なが》めて|居《を》れませう  ウラルの|教《をしへ》を|開《ひら》きたる
|教祖《けうそ》の|神《かみ》の|御前《おんまへ》に  |父《ちち》の|危難《きなん》を|逃《のが》れしめ
|母《はは》の|病《やまひ》を|一日《いちじつ》も  |早《はや》く|治《なを》させ|玉《たま》へよと
|心《こころ》の|誠《まこと》を|捧《ささ》げつつ  |一心不乱《いつしんふらん》に|神《かみ》の|前《まへ》
|朝夕《あさゆふ》|祈《いの》る|吾《わが》|心《こころ》  |推量《すゐりやう》あれと|答《こた》ふれば
キジ|公《こう》|涙《なみだ》に|暮《く》れ|乍《なが》ら  |心配《しんぱい》なさるなエリナさま
|神《かみ》に|仕《つか》へしキジ|公《こう》が  とつとき|力《ちから》を|現《あら》はして
お|前《まへ》の|父《ちち》のエスさまを  キツと|助《たす》けて|上《あ》げませう
マチ|公《こう》お|前《まへ》は|此《この》|方《かた》に  |従《したが》ひエスの|家《いへ》に|行《ゆ》き
|病《やまひ》に|苦《くるし》む|母親《ははおや》を  |鎮魂帰神《ちんこんきしん》の|神業《かむわざ》で
|早《はや》く|助《たす》けて|上《あ》げて|呉《く》れ  |国依別《くによりわけ》の|神様《かみさま》は
|一時《いちじ》も|早《はや》く|楓別《かへでわけ》  |神《かみ》の|司《つかさ》の|鎮《しづ》まれる
ヒルの|館《やかた》に|出《い》でまして  キジが|凱旋《がいせん》する|間《あひだ》
ゆるゆる|御待《おま》ち|下《くだ》されと  |勇《いさ》み|切《き》つたるキジ|公《こう》の
|言葉《ことば》にマチは|擦《す》りよつて  オイオイキジ|公《こう》そりや|無理《むり》だ
|何程《なにほど》|弱《よわ》い|敵《てき》だとて  お|前《まへ》|一人《ひとり》ぢや|険呑《けんのん》だ
|国依別《くによりわけ》の|命令《めいれい》に  |従《したが》ひ|俺《おれ》もついて|行《ゆ》く
|国依別《くによりわけ》の|神様《かみさま》よ  |次《つ》いではエリナの|娘《むすめ》さま
|天晴《あつぱ》れ|凱旋《がいせん》した|上《うへ》で  |後日《ごじつ》にお|目《め》に|掛《かか》りませう
|云《い》ふより|早《はや》くマチ|公《こう》は  |尻《しり》ひつからげアラシカの
|峠《たうげ》を|上《のぼ》り|下《くだ》りつつ  |一目散《いちもくさん》に|駆出《かけだ》せば
オイオイ|待《ま》つたマチ|公《こう》と  キジ|公《こう》も|尻《けつ》をひつからげ
|韋駄天《ゐだてん》|走《ばしり》に|進《すす》み|行《ゆ》く  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ。
キジ、マチの|両人《りやうにん》は|漸《やうや》くにして、|日暮《ひぐら》シ|河《がは》の|丸木橋《まるきばし》の|袂《たもと》に|辿《たど》り|着《つ》いた。
キジ『オイ、マチ|公《こう》、|夜前《やぜん》のキジ|公《こう》が|奮戦《ふんせん》|激闘《げきとう》の|結果《けつくわ》、|大功名《だいこうみやう》を|現《あら》はしたる|古戦場《こせんじやう》へやつて|来《き》た。|此《この》|辺《へん》は|死屍累々《ししるいるい》として|横《よこ》たはり、|地下《ちか》|一尺《いつしやく》を|掘《ほ》れば、|白骨《はくこつ》|現《あら》はれ、|夜《よ》は|鬼哭啾々《きこくしうしう》として|寂寥《せきれう》|身《み》に|逼《せま》ると|云《い》ふ|記憶《きおく》すべき|印象《いんしやう》の|深《ふか》き|地点《ちてん》だ。|一《ひと》つ|敵《てき》の|亡霊《ばうれい》を|吊《ともら》つてやらうぢやないか。アハヽヽヽ、|南無《なむ》アナン、ユーズ|大居士《だいこじ》、|頓生菩提《とんしやうぼだい》だ、どうだ|一《ひと》つ|宣伝歌《せんでんか》でも|手向《たむ》けてやらうぢやないか?』
マチ『|何《なに》を|云《い》ふのだ。|古戦場《こせんじやう》|所《どころ》か、|極《きは》めて|新戦場《しんせんぢやう》だ。|吾々《われわれ》が|大勝利《だいしようり》を|得《え》た|聖地《せいち》だから、|神様《かみさま》に|御礼《おれい》の|為《ため》|神饌《しんせん》を|献《たてまつ》るべき|神饌場《しんせんぢやう》だよ。あゝ|新鮮《しんせん》の|空気《くうき》は|水《みづ》の|如《ごと》く|流《なが》れ|来《きた》り、|吾等《われら》が|汗《あせ》を|拭《ぬぐ》ふ。|勇《ゆう》なる|哉《かな》。|壮《さう》なる|哉《かな》。どれどれ|一服《いつぷく》|仕《つかまつ》らう』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|大《だい》の|字《じ》を|描《ゑが》いた。
キジ『ヤア、|早《はや》から|大勝利《だいしようり》を|祝《いは》つて、|大《だい》の|字《じ》になつてゐるのか。さう|背部《はいぶ》を|下《した》にして|居《ゐ》ると、キツと|大敗《だいはい》の|憂目《うきめ》に|会《あ》はなくてはならないよ』
マチ『|何《なに》、|敵《てき》をして|大敗《だいはい》せしむると|云《い》ふ|縁起《えんぎ》を|祝《いは》つてゐるのだ。|俯《うつ》むいて|見《み》れば|敵《てき》を|大《おほい》に|屈伏《くつぷく》さすると|云《い》ふ|大腹《たいふく》となるのだ。アハヽヽヽ』
と|罪《つみ》なき|事《こと》を|喋《しやべ》り|散《ち》らし|乍《なが》ら、|余《あま》り|勢《いきほひ》|込《こ》んで|走《はし》つて|来《き》た|体《からだ》の|疲《つか》れに、|何時《いつ》の|間《ま》にか|両人《りやうにん》|共《とも》|熟睡《じゆくすゐ》して|了《しま》つた。
|何処《いづく》よりともなくガサガサと|這《は》うて|来《き》た|大蜈蚣《おほむかで》に、|耳《みみ》の|一方《いつぱう》を|刺《さ》され、|痛《いた》さに|目《め》を|醒《さ》まし|起上《おきあが》つたキジ|公《こう》は、|矢庭《やには》に|蜈蚣《むかで》に|向《むか》つて|唾《つばき》を|吐《は》きかけた。|蜈蚣《むかで》に|対《たい》し|大禁物《だいきんもつ》の|唾《つばき》に|忽《たちま》ち、|大蜈蚣《おほむかで》はピンと|体《たい》を|伸《の》ばし、|青《あを》くなつて|其《その》|場《ば》に|倒《たふ》れて|了《しま》つた。キジ|公《こう》は|耳《みみ》の|痛《いた》さに|何気《なにげ》なく、|唾《つばき》を|指《ゆび》につけ、|之《これ》を|疵所《きずしよ》に|塗《ぬ》つた。|不思議《ふしぎ》や|痛《いた》みは|忽《たちま》ち|止《と》まり、|耳《みみ》の|腫《はれ》も|瞬《またた》く|間《うち》にひすぼつて|了《しま》つた。マチ|公《こう》は|此《この》|騒《さわ》ぎに|目《め》を|醒《さ》まし、|四辺《あたり》を|見《み》れば、|大蜈蚣《おほむかで》が|唾《つば》の|毒《どく》にあてられて、|殆《ほとん》ど|虫《むし》の|息《いき》になつてゐる。マチは|之《これ》を|眺《なが》めて、
マチ『オイ、キジ|公《こう》、|殺生《せつしやう》のことをするない。|貴様《きさま》は|蜈蚣《むかで》の|敵薬《てきやく》たる|唾《つばき》をかけたのだな、|生物《いきもの》を|殺《ころ》すと|云《い》ふ|事《こと》は|天則《てんそく》|違反《ゐはん》だぞ。|早《はや》く|蜈蚣《むかで》を|助《たす》けてやらないか』
キジ『|俺《おれ》だつて|別《べつ》に|無益《むえき》の|殺生《せつしやう》を|好《この》んでする|者《もの》ではない。|安眠中《あんみんちう》を|窺《うかが》ひ、|俺《おれ》の|耳《みみ》を|咬《かみ》よつた|悪《わる》い|奴《やつ》だから、|此奴《こいつ》こそ|唾棄《だき》すべき|悪虫《あくちう》だと|思《おも》つて|吐《は》きかけたのだ。|俺《おれ》の|唾《つばき》は|偉《えら》いものだらう。|一口《ひとくち》|吐《は》くが|最後《さいご》、こんな|大蜈蚣《おほむかで》が|忽《たちま》ち|寂滅為楽《じやくめつゐらく》、|頓生菩提《とんしやうぼだい》となるのだからなア。アハヽヽヽ、|武士《つはもの》と|云《い》ふ|者《もの》は|変《かは》つたものだらう』
マチ『グヅグヅして|居《ゐ》ると、|蜈蚣公《むかでこう》、|本当《ほんたう》に|縡切《ことき》れて|了《しま》ふぢやないか。|早《はや》く|川《かは》へ|連《つ》れて|行《い》つて|水《みづ》を|呑《の》ましてやれ。さうすれば|忽《たちま》ち|全快《ぜんくわい》して、|元《もと》の|通《とほ》りシヤンシヤンと|活動《くわつどう》する|様《やう》になるワ』
キジ『|此《この》|蜈蚣《むかで》の|歩《ある》く|姿《すがた》を|見《み》ると、|夜前《やぜん》アナンの|奴《やつ》、|沢山《たくさん》の|竹槍隊《たけやりたい》を|連《つ》れ、|単縦陣《たんじうぢん》を|作《つく》つてやつて|来《き》た|時《とき》の|姿《すがた》にソツクリだ。これも|何《なに》かの|前兆《ぜんてう》だ。|此《この》|儘《まま》に|捨《す》てておかうぢやないか。|蜈蚣《むかで》が|蘇生《そせい》した|様《やう》に、ブールの|奴《やつ》、|余《あま》り|元気《げんき》|付《つ》きよると、|一寸《ちよつと》|此方《こちら》は|少数党《せうすうたう》だから|険呑《けんのん》だよ』
マチ『アハヽヽヽ、ヤツパリどつかに|不安《ふあん》を|抱《いだ》いてゐると|見《み》えるなア。|国依別《くによりわけ》|様《さま》の|前《まへ》ではズイ|分《ぶん》|吹《ふ》いたぢやないか。こんな|所《ところ》でこんな|弱音《よわね》を|吹《ふ》く|位《くらゐ》だつたら、|肝腎要《かんじんかなめ》の|戦場《せんじやう》に|向《むか》つては、|如何《どう》することも|出来《でき》なくなつて|了《しま》ふよ』
キジ『|何《なに》さ、|働《はたら》く|時《とき》に|働《はたら》きさへすれば|宜《よ》いのだ。|今《いま》は|斯《こ》う|弱《よわ》さうにして|力《ちから》を|蓄《たくは》へ、|潜勢力《せんせいりよく》を|養《やしな》つておくのだ。エヽ|邪魔《じやま》|臭《くさ》い、|蜈蚣《むかで》の|奴《やつ》、|助《たす》けてやらう』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|川《かは》の|中《なか》の|流《なが》れを|目《め》がけて、|手《て》に|掴《つか》んで|投《な》げ|込《こ》んだ。|蜈蚣《むかで》は|水《みづ》に|陥《おちい》ると|共《とも》に、|毒《どく》は|消《き》ゑ、|水中《すゐちう》を|辛《から》うじて|泳《およ》ぎ|乍《なが》ら、|岸《きし》に|登《のぼ》り、|二人《ふたり》が|足許《あしもと》に|勢《いきほひ》|能《よ》く、|百本《ひやくぽん》の|足《あし》に|馬力《ばりき》をかけ、|大速力《だいそくりよく》で|突進《とつしん》し|来《きた》る。|二人《ふたり》は|何《なん》となく、|怖気《おぢけ》つき、トントンと|逃《に》げ|出《だ》した。|不思議《ふしぎ》や|蜈蚣《むかで》は|何処《どこ》までもと|云《い》ふ|調子《てうし》で|追《お》つかけ|来《く》る、|厭《いや》らしさ、とうとうウラル|教《けう》の|霊地《れいち》と|聞《きこ》ゑたる|日暮《ひぐら》シ|山《やま》の|岩窟《がんくつ》の|前《まへ》|迄《まで》|追《お》つかけ|来《きた》り、|忽然《こつぜん》として|姿《すがた》を|消《け》して|了《しま》つた。|此《この》|蜈蚣《むかで》は|言依別命《ことよりわけのみこと》が|球《きう》の|玉《たま》の|霊力《れいりよく》を|以《もつ》て、|二人《ふたり》の|出陣《しゆつぢん》を|励《はげ》ますべく|顕現《けんげん》せしめたのであつた。
(大正一一・八・一六 旧六・二四 松村真澄録)
第二三章 ブール|酒《しゆ》〔八六五〕
|日暮《ひぐら》シ|山《やま》の|霊場《れいぢやう》、|岩窟館《がんくつやかた》の|教主《けうしゆ》ブールの|奥《おく》の|間《ま》には、アナン、ユーズの|二人《ふたり》、|悄然《せうぜん》として|控《ひか》え、ブールが|岩窟内《がんくつない》の|神前《しんぜん》に|額《ぬか》づき、ヒルの|都《みやこ》に|向《むか》つて|派遣《はけん》したる|部下《ぶか》|一同《いちどう》の|大勝利《だいしようり》を|得《え》、|一日《いちにち》も|早《はや》く|凱歌《がいか》を|奏《そう》して|帰《かへ》ります|様《やう》と|祈願《きぐわん》をこめ|終《をは》りて、しづしづと|吾《わが》|居間《ゐま》に|帰《かへ》つて|見《み》れば、|豈計《あにはか》らむや、|昨夜《さくや》|堂々《だうだう》として|出陣《しゆつぢん》したる|二人《ふたり》の|勇将《ゆうしやう》は、|悄然《せうぜん》として|吾《わが》|居間《ゐま》に|待《ま》つて|居《ゐ》る。どこともなく|元気《げんき》の|無《な》ささうな|影《かげ》うすき|二人《ふたり》の|姿《すがた》を|見《み》て、|不安《ふあん》の|念《ねん》に|駆《か》られ|乍《なが》ら、
ブール『ヤアお|前《まへ》はアナンにユーズの|両人《りやうにん》、えらう|顔色《かほいろ》が|冴《さ》えて|居《ゐ》ないぢやないか。|何《なに》か|途中《とちう》に|失敗《しつぱい》を|演《えん》じ、|女々《めめ》しくも、おめおめと|帰《かへ》つて|来《き》たのだらう』
|此《この》|声《こゑ》に|二人《ふたり》は|教主《けうしゆ》の|前《まへ》に|現《あら》はれたるを|悟《さと》り、|俄《にはか》に|空元気《からげんき》をつけ、
アナン『これはこれは|教主様《けうしゆさま》で|御座《ござ》いましたか、エー|実《じつ》は、その|中々《なかなか》|以《もつ》て、|何《なん》で|御座《ござ》いましたよ。|非常《ひじやう》な|何々《なになに》で、|実《じつ》に|不愉快《ふゆくわい》……オツトドツコイ|壮快《さうくわい》な|事《こと》で|御座《ござ》いました。なア、ユーズ、お|前《まへ》もチツとユーズを|利《き》かして、|戦況《せんきやう》を、そこはそれ、うまく、|遺漏《ゐろう》なき|様《やう》に|御報告《ごはうこく》を|申《まを》すのだよ』
ユーズ『|申《まを》し|上《あ》げます。|此処《ここ》に|伊弉冊大神《いざなみのおほかみ》は、|御子《みこ》|迦具槌神《かぐつちのかみ》を|生《う》み|玉《たま》ひて、みまかりましき。|伊弉諾大神《いざなぎのおほかみ》いたく|怒《いか》り|玉《たま》ひて、|御子《みこ》|迦具槌神《かぐつちのかみ》の|御首《みくび》を|切《き》り|玉《たま》へば、ユーズ(|湯津《ゆつ》)|石村《いはむら》たばしりつきてなりませる|神《かみ》の|名《な》は、サツパリコンと|岩拆《いはさく》の|神《かみ》、|根拆《ねさく》の|神《かみ》』
ブール『コリヤコリヤ|何《なに》を|言《い》つてゐるのだ。|戦況《せんきやう》は|何《ど》うだと|問《と》うてゐるのだ。|詳《つぶ》さに|報告《はうこく》せないか』
ユーズ『ハイ|報告《はうこく》も|報告《はうこく》、|赤心《せきしん》【|報国《はうこく》】、あなたの|為《ため》に|所在《あらゆる》ベストを|尽《つく》し、|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|黒死病《こくしびやう》|否《いや》|酷使《こくし》し|乍《なが》ら、|選挙《せんきよ》|運動《うんどう》を|開始《かいし》|致《いた》しました|所《ところ》、|残念《ざんねん》|乍《なが》ら|一騎《いつき》|当選《たうせん》はまだ|愚《おろ》か、|次点者《じてんしや》となりました。イヤもう|戦《たたか》ひは|時《とき》の|運《うん》とか|申《まを》しまして、ウンと|敵《てき》を|屁古《へこ》ませ、ヒルの|都《みやこ》に|攻《せ》め|寄《よ》するに|先立《さきだ》ち、|脆《もろ》くも|敗走《はいそう》|致《いた》しまして|御座《ござ》います』
ブール『どちらが|敗走《はいそう》したのだ』
ユーズ『ハイさうですなア。すべて|戦《たたか》ひはどちらか|一方《いつぱう》が|負《まけ》なくては、|平和《へいわ》|克復《こくふく》は|到底《たうてい》|出来《でき》ませぬ。|甚《はなは》だ|以《もつ》て|不名誉《ふめいよ》|千万《せんばん》な|悲惨《ひさん》な|目《め》に|会《あ》ひましたよ』
ブール『|貴様《きさま》の|云《い》ふ|事《こと》はチツとも|分《わか》らない。……オイ、アナンの|大将《たいしやう》、ユーズはどうかして|居《ゐ》る|様《やう》だ。|其《その》|方《はう》|詳《くは》しく、|一伍一什《いちぶしじふ》を|報告《はうこく》せよ』
アナン『|御尋《おたづ》ね|迄《まで》もなく、|吾々《われわれ》|勇士《ゆうし》を|引率《いんそつ》し、|轡《くつわ》を|並《なら》べて|堂々《だうだう》と、|日暮《ひぐら》シ|河《がは》の|両岸《りやうがん》を、|長蛇《ちやうだ》の|陣《ぢん》を|張《は》り|乍《なが》ら、|旗鼓堂々《きこだうだう》と|攻《せ》め|下《くだ》る。|時《とき》しもあれや、|幾十百《いくじふひやく》とも|知《し》れぬ|十曜《とえう》の|神紋《しんもん》|馬印《うまじるし》、|高張提灯《たかはりちやうちん》、|数限《かずかぎ》りもなく、|堂々《だうだう》として|丸木橋《まるきばし》を|越《こ》え、|此方《こなた》に|向《むか》つて|攻来《せめきた》るヒルの|都《みやこ》の|楓別命《かへでわけのみこと》が|部下《ぶか》の|者共《ものども》、|総勢《そうぜい》|殆《ほとん》ど|三千有余人《さんぜんいうよにん》、|日暮《ひぐら》シ|河《がは》の|両岸《りやうがん》に|人垣《ひとがき》を|作《つく》り|乍《なが》ら|攻上《せめのぼ》り|来《きた》る|其《その》|物々《ものもの》しさ。|寡《くわ》を|以《もつ》て|衆《しう》に|敵《てき》するは|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》にあらざれば|能《あた》はざる|所《ところ》、|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》は|僅《わづか》|数百《すうひやく》の|手兵《しゆへい》を|以《もつ》て|之《これ》に|当《あた》り、|先《ま》づ|第一《だいいち》に|我《わが》|部下《ぶか》の|竹槍隊《たけやりたい》を|両分《りやうぶん》し、|敵《てき》の|不意《ふい》を|狙《ねら》つて|側面《そくめん》より、|槍《やり》の|穂先《ほさき》を|揃《そろ》へ、|鬨《とき》を|作《つく》つて|突貫《とつくわん》すれば、|敵《てき》は|敗亡《はいぼう》うろたへ|騒《さわ》ぐを、|尚《なほ》もおつつめ、|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|日暮《ひぐら》シ|河《がは》の|急流《きふりう》につきおとしたり。|不意《ふい》を|喰《くら》つた|数多《あまた》の|敵《てき》は|忽《たちま》ち|北岸《ほくがん》に|駆上《かけあが》り、|遁走《とんさう》せむと|先《さき》を|争《あらそ》ひ、|川土手《かはどて》に|上《のぼ》り|行《ゆ》くを|待構《まちかま》へたるユーズの|抜刀隊《ばつたうたい》は、|好敵《かうてき》|御参《ござん》なれと|采配《さいはい》|打振《うちふ》り、|僅《わづ》か|部下《ぶか》|三百《さんびやく》の|味方《みかた》に|向《むか》つて|下知《げち》すれば、|味方《みかた》の|勇士《ゆうし》は、|剣《つるぎ》の|切先《きつさき》を|揃《そろ》へ、|片《かた》つ|端《ぱし》から|切《き》りたて|薙立《なぎた》て、|忽《たちま》ち|血河屍山《けつかしざん》の|大勝利《だいしようり》、|日暮《ひぐら》シ|河《がは》は|忽《たちま》ち|血潮《ちしほ》の|洪水《こうずゐ》|氾濫《はんらん》し、|数多《あまた》の|敵《てき》の|屍《かばね》は|一人《ひとり》も|残《のこ》さず|血流《けつりう》に|漂《ただよ》ひ、|太平洋《たいへいやう》を|指《さ》して|流《なが》れ|行《ゆ》く、|其《その》|壮烈《さうれつ》さ。|語《かた》るも|中々《なかなか》|愚《おろ》かなりける|次第《しだい》で|厶《ござ》る』
ブール『|随分《ずゐぶん》|針小棒大的《しんせうぼうだいてき》の|報告《はうこく》ではないか? |僅《わづか》|三千人《さんぜんにん》の|敵《てき》の|血潮《ちしほ》に|依《よ》つて、|日暮《ひぐら》シ|河《がは》は|血潮《ちしほ》の|濁流《だくりう》|氾濫《はんらん》し、|三千《さんぜん》の|屍《かばね》が|一《ひと》つも|残《のこ》らず|流失《りうしつ》したとは、|合点《がてん》の|行《い》かぬ|汝《なんぢ》の|報告《はうこく》、|人間《にんげん》の|血液《けつえき》は|肉体《にくたい》の|幾百倍《いくひやくばい》もなくては、|左様《さやう》な|事《こと》が|出来《でき》ない|筈《はず》だ。コリヤ|何《なに》かの|間違《まちが》ひだらう』
アナン『ハイ、マチ……ガイではなくて、マチとキジと……エー、|何《なん》だか、ウン、|一寸《ちよつと》マチマチになつて、|余《あま》りの|嬉《うれ》しさで、|大勝利《だいしようり》で、|申上《まをしあ》げる|事《こと》も|後《あと》や|先《さき》、|支離滅裂《しりめつれつ》のやうで|御座《ござ》いますが、|実《じつ》の|所《ところ》は|余《あま》りの|大勝利《だいしようり》、|意外《いぐわい》の|好結果《かうけつくわ》で、|手《て》の|舞《ま》ひ、|足《あし》の|踏《ふ》む|所《ところ》を|知《し》らず、|嬉《うれ》し|逆上《のぼ》せに、|逆上《のぼ》せの|幕《まく》が|下《お》りた|所《ところ》です。|今《いま》ヤツと|戦況《せんきやう》の|報告《はうこく》に|帰《かへ》つたまでの|所《ところ》、|何《なに》が|何《なん》だか|頭《あたま》のまとまりがついてゐませぬ。|暫《しばら》く|沈思黙考《ちんしもくかう》の|時間《じかん》をお|与《あた》へ|下《くだ》さいませ。|其《その》|代《かは》り|数百《すうひやく》の|部下《ぶか》、|一人《ひとり》も|負傷《ふしやう》もなく、|凱歌《がいか》をあげて、|只今《ただいま》|広殿《ひろどの》に|休息《きうそく》|致《いた》し|居《を》りまする。|何卒《なにとぞ》|御褒美《ごほうび》と|凱旋《がいせん》|祝《いはひ》の|為《ため》に、お|酒《さけ》をドツサリ|呑《の》ましてやつて|下《くだ》さいませ。|人《ひと》に|将《しやう》たる|者《もの》は|部下《ぶか》を|愛《あい》さなくてはなりませぬ。|吾々《われわれ》は|部下《ぶか》あつての|大将《たいしやう》で|御座《ござ》います。あなたも|吾々《われわれ》あつての|教主《けうしゆ》で|御座《ござ》いますから、|少々《せうせう》の|瑕瑾《かきん》があつても、|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|慈愛《じあい》を|以《もつ》て|望《のぞ》まるるのが、|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|教主《けうしゆ》の|御天職《ごてんしよく》で|御座《ござ》います。|三五教《あななひけう》の|何事《なにごと》も|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》すと|云《い》ふ|事《こと》は、ウラル|教《けう》に|取《と》つても|結構《けつこう》なことだと|思《おも》ひます。|吾々《われわれ》に|取《と》つても|甚《はなは》だ|御都合《ごつがふ》のよき|教理《けうり》かと|存《ぞん》じます』
ブール『|何《なに》は|兎《と》もあれ、|非常《ひじやう》な|激戦《げきせん》だつたと|見《み》える。|三千有余《さんぜんいうよ》の|敵《てき》を|皆殺《みなごろ》しにし|乍《なが》ら、|味方《みかた》は|一人《いちにん》の|負傷者《ふしやうしや》も|出《だ》さなかつた|其《その》|方《はう》の|手柄《てがら》、さぞ|気《き》をつかつたであらう。|逆上《ぎやくじやう》するのも|無理《むり》もない。サアサア|倉《くら》を|開放《かいはう》し、|葡萄酒《ぶだうしゆ》を|出《だ》し、|一同《いちどう》に|飽《あ》く|迄《まで》|呑《の》ましてやつてくれ。|吾《われ》は|是《こ》れより|大神《おほかみ》の|御前《みまへ》に|凱旋《がいせん》の|御礼《おれい》を|申上《まをしあ》ぐる|為《ため》、|参拝《さんぱい》|致《いた》して|来《く》るから、ゆるゆると|酒《さけ》でも|飲《の》んで、|一同《いちどう》に|休養《きうやう》を|与《あた》へるが|宜《よ》からう』
と|云《い》ひ|棄《す》て、|又《また》もや|神殿《しんでん》にいそいそとして|進《すす》み|行《ゆ》く。
|後《あと》|見送《みおく》つて|二人《ふたり》は|互《たがひ》に|顔《かほ》|見合《みあは》せ|胸《むね》なでおろし、|舌《した》を|出《だ》し|乍《なが》ら|小声《こごゑ》になり、
アナン『アヽ|漸《やうや》うにして|虎口《ここう》を|逃《のが》れた。サア|是《これ》から|皆《みな》の|奴《やつ》に|口止《くちど》め|料《れう》として、|葡萄酒《ぶだうしゆ》をドツサリ|振《ふ》れまつてやらう。|是《これ》もヤツパリ|俺《おれ》の|知識《ちしき》の|致《いた》す|所《ところ》だ。ブールの|教主《けうしゆ》も|此《この》|頃《ごろ》はチツと|度呆《とぼ》けてゐると|見《み》える。|何分《なにぶん》|御倉山《みくらやま》の|谷間《たにあひ》で|肝《きも》をつぶし、|荒《あら》しの|森《もり》で|二度《にど》ビツクリを|致《いた》し、ビツクリ|虫《むし》が|増長《ぞうちやう》して|脾疳《ひかん》を|患《わづら》ひかけてゐる|様《やう》な|矢先《やさき》だから、木に|竹《たけ》をついだやうな|支離滅裂《しりめつれつ》な|吾々《われわれ》の|陳弁《ちんべん》でも、|勝《か》つたと|云《い》ふ|一声《ひとこゑ》が|嬉《うれ》しかつたと|見《み》え、うまうまと|騙《だま》されよつただないか。サア|是《これ》から|酒《さけ》だ|酒《さけ》だ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、アナンは|先《さき》に|立《た》ち、|一同《いちどう》の|集《あつ》まる|大部屋《おほべや》に|進《すす》み|行《ゆ》き、|稍《やや》|高《たか》き|所《ところ》に|停立《ていりつ》して、
アナン『|部下《ぶか》|一同《いちどう》に|今日《けふ》は|凱旋《がいせん》の|祝《いはひ》として、|葡萄酒《ぶだうしゆ》を|飽《あ》く|迄《まで》|飲《の》む|事《こと》を、ブールの|大将《たいしやう》より|許《ゆる》されたに|依《よ》つて、|一同《いちどう》|喜《よろこ》んだがよからう。|今《いま》ユーズの|副将《ふくしやう》が|酒倉《さかぐら》へ|鍵《かぎ》を|持《も》つて|行《ゆ》かれたから、|皆《みな》の|者共《ものども》は|倉《くら》の|前《まへ》に|往《い》つて、|葡萄酒《ぶだうしゆ》を|此処《ここ》へ|運《はこ》び|来《きた》り、|腹一杯《はらいつぱい》|呑《の》んだがよからう。|又《また》|下戸《げこ》|連中《れんぢう》はアルコールの|混《ま》ぜらない|葡萄水《ぶだうすゐ》があるから、それを|飲《の》んだがよからう。|斯《かく》の|如《ごと》く|取計《とりはか》らつたのも|部下《ぶか》を|愛《あい》するアナンの|真心《まごころ》より|出《い》でたるものなれば、|万々一《まんまんいち》|教主《けうしゆ》がここに|現《あら》はれ、|其方達《そのはうたち》に|何《なに》をお|尋《たづ》ね|遊《あそ》ばしても、|一言《ひとこと》も|申上《まをしあ》げてはなりませぬぞ。|一切《いつさい》|万事《ばんじ》、アナン、ユーズの|大将様《たいしやうさま》に|御聞《おき》き|下《くだ》されと、|其処《そこ》は|甘《うま》く【ごみ】をにごすのだ。|要《えう》するに|部下《ぶか》|一同《いちどう》の|捨身的《しやしんてき》|大活動《だいくわつどう》に|依《よ》つて、ヒルの|都《みやこ》の|楓別《かへでわけ》が|仮設敵《かせつてき》と|丸木橋《まるきばし》の|畔《ほとり》に|吾《わが》|部隊《ぶたい》と|衝突《しようとつ》し、|一人《ひとり》も|残《のこ》さず|切《き》り|殺《ころ》し、|突殺《つきころ》し、|河《かは》に|投込《なげこ》み、|屍《かばね》は|太平洋《たいへいやう》に|流《なが》れ|行《ゆ》きしと、|事実《じじつ》を|詳《つぶ》さに|報告《はうこく》しあれば、|一同《いちどう》も|其《その》|考《かんが》へで|居《を》らなくてはなりませぬぞ。サア|早《はや》く|倉《くら》へ|往《い》つて、|酒《さけ》をお|運《はこ》びなさい。|此《この》|葡萄酒《ぶだうしゆ》は|所謂《いはゆる》|一同《いちどう》の|者《もの》の|口《くち》に|錠《ぢやう》を|卸《おろ》す|妙薬《めうやく》だから、|無茶苦茶《むちやくちや》に|口《くち》のあかぬ|様《やう》にして|下《くだ》さい』
と|篏口令《かんこうれい》を|布《し》いてゐる。|暫《しばら》くあつて、|山《やま》の|如《ごと》く|葡萄酒《ぶだうしゆ》の|瓶《びん》は|運《はこ》ばれた。アナン、ユーズの|二人《ふたり》は|教主《けうしゆ》の|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|来《きた》るを|喰《く》ひとめむ|為《ため》、|神殿《しんでん》に|詣《まう》で|祈願《きぐわん》の|終《をは》ると|共《とも》に、|詞《ことば》|巧《たくみ》に|教主室《けうしゆしつ》に|這入《はい》らせ、いろいろと|出鱈目話《でたらめばなし》に|教主《けうしゆ》の|機嫌《きげん》をとつて|居《ゐ》る。|酒《さけ》は|追々《おひおひ》と|酔《よひ》がまはつて、|彼方《あちら》にも、|此方《こちら》にも、あたり|構《かま》はず、|昨夜《さくや》の|失敗談《しつぱいだん》が|語《かた》り|続《つづ》けられた。|甲《かふ》は|舌《した》をもつらせ|乍《なが》ら、
甲『オイ、|皆《みな》の|奴《やつ》、|昨夜《ゆうべ》はどうだつた。|随分《ずゐぶん》|惨々《さんざん》な|目《め》に|会《あ》うたぢやないか。たつた|一人《ひとり》や|二人《ふたり》の|敵《てき》に|向《むか》つて、|大勢《おほぜい》の|者《もの》が|取囲《とりかこ》み、|取《と》つては|投《な》げられ、|取《と》つては|投《な》げられ、|川《かは》の|中《なか》で|散々《さんざん》な|目《め》に|会《あ》はされ、|膝頭《ひざがしら》をすり|剥《む》いたり、|腰《こし》の|蝶番《てふつがひ》を|歪《ゆが》めたり、|随分《ずゐぶん》|苦《くる》しかつたなア。|併《しか》し|今日《けふ》は|何《なん》と|云《い》ふ|吉日《きちにち》だらう。|戦《たたかひ》に|負《ま》けて|帰《かへ》つたら|首《くび》でも|取《と》られやせむかと|心配《しんぱい》して|居《を》つた。それに|劫腹《がふはら》な、|芳醇《はうじゆん》な|酒《さけ》を|飽《あ》く|迄《まで》|喰《くら》へなんて|吐《ぬか》しやがつて、サツパリ|見当《けんたう》が|取《と》れぬ|様《やう》になつたぢやないか。こんな|事《こと》なら|常時《じやうじ》|戦《たたかひ》に|従《したが》つて|敗《まけ》て|来《く》るのだなア』
乙『きまつた|事《こと》だよ。|負《まけ》て|勝《かつ》とると|云《い》ふ|事《こと》があるぢやないか、|負《まけ》たお|蔭《かげ》で、こんな|甘《うま》い|葡萄酒《ぶだうしゆ》が|鱈腹《たらふく》|頂《いただ》けるのだ。|漆《うるし》に|負《まけ》たり、|角力《すまう》に|負《まけ》たつて、こんなボロいこたありやせぬぞ。|何事《なにごと》も|神様《かみさま》のマケのまにまに|活動《くわつどう》するのだなア、アツハヽヽヽ』
丙『オイ、|甲《かふ》|乙《おつ》|両人《りやうにん》、そんな|事《こと》を|囀《さへづ》るものだない。|昨夜《ゆうべ》の|敗戦《はいせん》をかくす|積《つも》りで、アナン、ユーズの|大将《たいしやう》が、お|前《まへ》たちや|俺《おれ》たちに、アナンのかからないように、ユーズを|利《き》かして、|甘《うま》く|教主《けうしゆ》をゴマかし、|葡萄酒《ぶだうしゆ》をブールつて|来《き》たのだから、チツとは|大将《たいしやう》の|御心《おこころ》も|察《さつ》して|静《しづか》にせぬかい』
乙『ブールつて|来《き》たか、ボロつて|来《き》たか|知《し》らぬが、モウちつと|甘《うま》くゴンベリさうなものだなア』
丙『|二人《ふたり》の|大将《たいしやう》が|力一杯《ちからいつぱい》ベストを|尽《つく》して、ビヤクレる|丈《だけ》ビヤクつて|来《き》たのだから、そんなに|不足《ふそく》を|云《い》ふと|罰《ばち》が|当《あた》るよ』
甲『|喧《やかま》しう|云《い》ふない。|是《これ》からブールさまの|所《ところ》へ|往《い》つて、|一《ひと》つ|思《おも》ひ|切《き》り、|御祝《おいは》ひに|踊《をど》つて|来《こ》うぢやないか。|酒《さけ》を|飲《の》んだら|酔《よ》ふのは|当《あた》り|前《まへ》だ、|酔《よ》うたら|踊《をど》るのは|当然《あたりまへ》だ。|泣酒《なきざけ》もあれば|笑《わら》ひ|酒《ざけ》もあり、|怒《いか》り|酒《ざけ》もある。|泣《な》きたい|奴《やつ》は|泣《な》け、|怒《おこ》る|奴《やつ》は|怒《おこ》れ、|笑《わら》ふ|奴《やつ》は|精一杯《せいいつぱい》|笑《わら》つて|楽《たのし》むんだなア』
丁『|笑《わら》ふと|云《い》つたら、|俺《おれ》も|実《じつ》は|笑《わら》ひたうて、|仕方《しかた》がないんだ。|十分《じふぶん》|笑《わら》はして|呉《く》れないか』
甲『|笑《わら》へ|笑《わら》へ、ドツと|皆《みな》に|分《わか》る|様《やう》に、あの|高座《かうざ》へ|直立《ちよくりつ》して、ニコニコ|雑誌《ざつし》の|相場《さうば》が|狂《くる》ふ|程《ほど》|笑《わら》つて|見《み》よ。|笑《わら》ふ|門《かど》には|福《ふく》|来《きた》りだ、サア|笑《わら》つたり|笑《わら》つたり』
|丁《てい》は|忽《たちま》ち|高座《かうざ》に|上《のぼ》り、|葡萄酒《ぶだうしゆ》の|瓶《びん》を|片手《かたて》に|提《ひつさ》げ、ラツパ|呑《の》みをし|乍《なが》ら、
『アハヽヽヽ、|阿呆《あはう》らしい。|戦《たたか》ひに|負《まけ》て、|河底《かはそこ》へ|放《ほ》りこまれ、|向脛《むかうづね》|打《う》つて、|痛《いた》かつたが、チツとは|可笑《をか》しうて、|笑《わら》ひが|止《と》まらなんだ。
イヒヽヽヽ、|鼬《いたち》に|最後屁《さいごぺ》を|放《ひ》りかけられたよな、|臭《くさ》い|臭《くさ》い|言《い》ひ|訳《わけ》をして、|屁《へ》の|音《ね》のよなブール|教主《けうしゆ》を|甘《うま》く|屁煙《へけむり》にまき、|屁《へ》の|音《おと》の|様《やう》なブードー|酒《しゆ》をおごらして、|敗軍《はいぐん》の|将卒《しやうそつ》が|得意《とくい》になつて、|酒《さけ》を|食《く》らふ|其《その》スタイルの|可笑《をか》しさ。
ウフヽヽヽ、|打《う》つて、|変《かは》つたアナン、ユーズのあの|態度《たいど》、|教主《けうしゆ》の|君《きみ》に|丸木橋《まるきばし》の|戦《たたか》ひに|腰《こし》を|抜《ぬ》かし、|肝《きも》を|潰《つぶ》し、ウフヽヽヽうろたへ|騒《さわ》いで|逃《に》げ|帰《かへ》つた|二人《ふたり》のマイストロ(|大将《たいしやう》)がウマウマとうまい|酒《さけ》をボン|倉《くら》からひつぱり|出《だ》し、|俺達《おれたち》をヘーベレケに|酔《よ》はしやがつて、|口止《くちど》めせうとしてゐる|其《その》|可笑《をか》しさ。いつも|自分《じぶん》|計《ばか》り|酒《さけ》を|喰《くら》つて、|良《よ》い|気《き》になつてる|大将株《たいしやうかぶ》が|今度《こんど》は|余程《よほど》マゴつきやがつて、キツウ|閉口《へいこう》しよつたと|見《み》え|態度《たいど》が|変《かは》つたぢやないか。
エヘヽヽヽ、エー|怪体《けたい》の|悪《わる》い。こんな|悪《わる》い|悪《わる》い|葡萄酒《ぶだうしゆ》のうまい|奴《やつ》を、|無茶苦茶《むちやくちや》に|呑《の》ましやがつて、|俺達《おれたち》を|酒《さけ》に|酔《よ》はして|殺《ころ》さうとは|余《あま》り|虫《むし》がよすぎるワイ。|鰌《どぢやう》なら|酒《さけ》で|殺《ころ》せるか|知《し》らぬが|人間《にんげん》さまはさうはいかぬからなア。
オホヽヽヽ、|尾《を》も|白《しろ》い|尾《を》も|白《しろ》い|頭《あたま》も|白《しろ》い、|尾《を》も|白狸《しろたぬき》の|腹鼓《はらつづみ》、|腹《はら》がはぢけるとこ|迄《まで》、|呑《の》んで|腹《はら》を|拍《う》つて、|尻《しり》からブールブールとお|屁《なら》を|弾《だん》じ、|丹精《たんせい》こらして、|踊《をど》ろぢやないか。
ハヽヽヽヽ、|腹《はら》が|立《た》つて、|臍《へそ》がよれて、|悲《かな》しくなつて|来《く》るワイ。|酒《さけ》と|云《い》ふ|奴《やつ》ア、|妙《めう》な|奴《やつ》だなア。オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、チツと|笑《わら》はぬかい、|酒《さけ》が|沈《しづ》んで|了《しま》ふぞ。
ヒヽヽヽヽ、|日暮《ひぐら》シ|河《がは》でひどい|目《め》に|会《あ》うた|昨夜《さくや》の|事《こと》を|思《おも》ひ|出《だ》すと、|腹《はら》が|立《た》つワイ、|夜《よる》|夜中《よなか》にひつぱり|出《だ》され、|石礫《いしころ》の|一杯《いつぱい》つまつた|川中《かはなか》へ|蛙《かへる》をぶつけたよに|投《な》げられた|時《とき》の|事《こと》を|思《おも》へば、|悲《かな》しうなつて|来《き》た。さうかと|思《おも》へば、こんな|甘《うま》い|酒《さけ》をドツサリ|飲《の》ましやがつて、|何程《なにほど》|怒《いか》らうと|思《おも》つても、|面白《おもしろ》く|可笑《をか》しく|嬉《うれ》しくなつて、これが|笑《わら》はずに|居《を》れるかい。
フヽヽヽヽ、|降《ふ》つて|湧《わ》いたる|儲《まう》け|物《もの》だ。フルナの|弁《べん》を|揮《ふる》つて、|深《ふか》く|企《たく》んだアナンとユーズの|今日《けふ》の|働《はたら》き、|何《なん》と|云《い》つても、|俺《おれ》たちは|酒《さけ》さへ|呑《の》めば、|至極《しごく》|御機嫌《ごきげん》だ。
ヘヽヽヽヽ、|屁《へ》を|水《みづ》の|中《なか》で|放《ひ》つたやうな、|便《たよ》りない、|気転《きてん》の|利《き》かぬ|弱虫《よわむし》|計《ばか》りが、|五百羅漢《ごひやくらかん》の|様《やう》な|醜《みにく》いレツテルを|陳列《ちんれつ》しやがつて、|酒《さけ》を|喰《くら》ふ|時《とき》の、|其《その》ザマつたら、|何《なん》の|事《こと》だい。|百鬼昼行《ひやくきちうかう》と|云《い》はうか、|千鬼夜行《せんきやかう》と|言《い》はうか、|丸《まる》で|餓鬼《がき》に|水《みづ》を|与《あた》へたよな、|情《なさけ》ないザマ、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|口賤《くちいや》しい|奴《やつ》|計《ばか》りが、|能《よ》くもマアこれ|丈《だけ》|揃《そろ》うたものだなア。こんな|代物《しろもの》を|飼《か》つてゐる、|屁《へ》こきのブールさまも|閉口《へいこう》だらう。
ホヽヽヽヽ、|本当《ほんたう》に|誠《まこと》に、|失敗《しつぱい》してこんな|甘《うま》い|酒《さけ》を|頂《いただ》くのなら、|毎晩《まいばん》でも|戦《たたか》ひに|出《で》て、|負《まけ》てみたいなア。なんと|云《い》うても、|一人《ひとり》や|二人《ふたり》の|敵《てき》に|大勢《おほぜい》が|当《あた》るのだから|勝《か》つ|気《き》づかひはないワ。もしも|勝《か》つて|見《み》よ、|酒《さけ》|所《どころ》の|騒《さわ》ぎぢやない。アナン、ユーズの|大将《たいしやう》|計《ばか》りが|酒《さけ》を|食《くら》つて|俺達《おれたち》は|水《みづ》を|呑《の》んで|辛抱《しんばう》さされるのが|落《お》ち|位《くらゐ》なものだよ。
ワハヽヽヽ、|悪《わる》いことがあればキツとあとに|善《よ》い|事《こと》がある。それだから、|酒《さけ》に|酔《よ》ひ、|煙《けぶり》に|酔《よ》ひ、|信仰《しんかう》に|酔《よ》つぱらつて|居《ゐ》るのだ。|酔《よ》うて|酔《よ》うて|酔《よ》ひちらし、|力一杯《ちからいつぱい》ヨタリスクを|並《なら》べ|立《た》てて、|今日《けふ》の|凱旋《がいせん》|祝《いは》ひを|完全《くわんぜん》に|勤《つと》め|上《あ》げるのだよ。|此《この》|葡萄酒《ぶだうしゆ》は|本当《ほんたう》に|善《よ》い|事《こと》だらけだ。|酔《よ》うて|酔《よ》うて|甘《あま》うてようて、|腹《はら》にたまつてようて、|力《ちから》がついてようて、|気分《きぶん》|迄《まで》がよいと|云《い》ふのだから、|酔《よ》ひがまはるのも|当然《たうぜん》だ、ウフヽヽヽ、エヘヽヽヽ、オホヽヽヽ、|終《をは》りだ。|誰《たれ》か|怒《おこ》り|上戸《じやうご》の|奴《やつ》か、|泣《なき》|上戸《じやうご》の|奴《やつ》|代《かは》つて|呉《く》れ。|俺《おれ》りやモウこれで|幕切《まくぎ》れだ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|行歩蹣跚《かうほまんさん》として|高座《かうざ》を|覚束《おぼつか》なげに|降《くだ》り|切《しき》りに|喋《しやべ》りちらして|居《ゐ》る。|此処《ここ》へアナン|一人《ひとり》やつて|来《き》て、
アナン『ヤアお|前達《まへたち》、|御苦労《ごくらう》だつた。|随分《ずゐぶん》|骨《ほね》が|折《お》れただらうなア』
戍『ズイ|分《ぶん》|甘《うま》い|酒《さけ》で、|飲《の》むのに|骨《ほね》が|折《を》れましたよ。|流石《さすが》アナンさまは|人《ひと》の|水上《みなかみ》に|立《た》つ|丈《だけ》あつて|偉《えら》いわい。ブールの|大将《たいしやう》を|甘《うま》いことだまし、|敗軍《まけいくさ》を|勝《かつ》たよな|顔《かほ》して、|葡萄《ぶだう》の|倉《くら》まで|開《あ》かしたお|手際《てぎは》は、|吾々《われわれ》の|大将《たいしやう》として|実《じつ》に|適当《てきたう》だ。なア|甲州《かふしう》、せめてこんなことが|十日《とをか》も|続《つづ》くと|良《よ》いのだけどなア』
アナン『オイオイ|静《しづ》かにせぬかい。|教主《けうしゆ》のお|耳《みみ》に|這入《はい》つたら|大変《たいへん》だぞ。|大《おほ》きな|顔《かほ》して|酒《さけ》を|飲《の》む|訳《わけ》にも|行《ゆ》くまい』
戍『モウ|何時《なんどき》|大将《たいしやう》や|教主《けうしゆ》がやつて|来《き》て|呑《の》むなと|云《い》つたつて、|構《かま》ふものか。|呑《の》む|丈《だけ》|呑《の》んで|了《しま》つたのだから、|此《この》|上《うへ》|呑《の》んでくれたつて、こんな|腐《くさ》つたよな|酒《さけ》を|誰《たれ》が|呑《の》むものかい。|始《はじ》めの|二三本《にさんぼん》は|甘《うま》かつたが、|後《あと》になる|程《ほど》、|酒《さけ》が|悪《わる》うなつて、|泥水《どろうみ》を|飲《の》んでるようだなア、|皆《みな》の|奴《やつ》、
|酔《よ》ひみての|後《のち》の|心《こころ》に|比《くら》ぶれば |是程《これほど》|味《あぢ》ない|酒《さけ》とは|思《おも》はざりけり
だ、アハヽヽヽ』
|此《この》|時《とき》『|教主《けうしゆ》の|御出場《ごしゆつぢやう》』と|云《い》ふ|知《し》らせに|一同《いちどう》は|俄《にはか》に|肌《はだ》を|入《い》れる、|坐《すわ》り|直《なほ》す、|襟《えり》をかき|合《あ》はす、|大騒《おほさわ》ぎをやり|出《だ》した。
|悠然《いうぜん》として|現《あら》はれたるブールは|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
ブール『|今《いま》|岩窟《がんくつ》の|門前《もんぜん》に|三五教《あななひけう》の|強者《つはもの》が|二人《ふたり》、|襲《おそ》ひ|来《きた》りし|様子《やうす》、|一同《いちどう》の|者《もの》、|注意《ちうい》を|致《いた》されよ』
|一同《いちどう》は『ハイ』と|云《い》つた|限《き》り、|忽《たちま》ち|酒《さけ》の|酔《ゑい》も|醒《さ》め、|顔《かほ》を|真青《まつさを》にして|慄《ふる》うてゐる。|教主《けうしゆ》の|命《めい》に|依《よ》り、|一同《いちどう》はバラバラと|入口《いりぐち》の|方《はう》に|駆出《かけだ》した。
(大正一一・八・一六 旧六・二四 松村真澄録)
(昭和一〇・六・九 王仁校正)
第二四章 |陥穽《おとしあな》〔八六六〕
アナン、ユーズの|領袖連《りやうしうれん》はヘベレケに|酔《ゑ》ひ、|足《あし》も|碌《ろく》に|立《た》たず、|舌《した》もまはらぬ|連中《れんちう》を|数多《あまた》|引率《いんそつ》し、|石門《いしもん》のふちに|現《あら》はれ、
アナン『|其《その》|方《はう》は|昨夜《さくや》、|丸木橋《まるきばし》の|畔《ほとり》に|於《おい》て|吾々《われわれ》に|抵抗《ていかう》|至《いた》した|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》だらう。サア、|良《い》い|所《ところ》へ|来《き》やがつた。|今《いま》|貴様《きさま》と|戦争《せんそう》したおかげで|凱旋《がいせん》|祝《いはひ》の|酒宴《しゆえん》を|催《もよほ》し、|俺達《おれたち》は|酔《ゑい》が|廻《まは》つて|気分《きぶん》が|好《よ》い|最中《さいちう》だ。|何用《なによう》があつて|来《き》たのか|知《し》らぬが、そんなむづかしい|顔《かほ》をしないで、|酒《さけ》でもくらつてゆつくりと|談判《だんぱん》をせうぢやないか? |固苦《かたくる》しいこと|許《ばか》り|言《い》つてると|命《いのち》が|縮《ちぢ》まるワ。たまには|命《いのち》の|洗濯《せんたく》や|睾玉《きんたま》の|皺伸《しわの》ばしをやらないと、|人間《にんげん》の|様《やう》な|気持《きもち》がせぬワイ。そんな|野暮《やぼ》な|顔《かほ》しないで、トツトと|中《なか》へ|這入《はい》つて|機嫌《きげん》よく|一杯《いつぱい》やらぬかい』
キジ『|昨夜《さくや》は|脆《もろ》くも|泡《あわ》を|食《く》つて|逃《に》げ|失《う》せ、|到底《たうてい》|正面《しやうめん》の|戦《たたか》ひにては、われわれを|如何《いかん》ともすることが|出来《でき》ないと|思《おも》ひ、|毒酒《どくしゆ》を|呑《の》まして|俺達《おれたち》をよわらせる|猾《ずる》き|考《かんが》へだらう。そんな|策《て》に|乗《の》る|此《この》|方《はう》ぢやないぞ。ゴテゴテ|吐《ぬ》かさずに、|其方等《そのはうら》が|押込《おしこ》めて|居《を》る|宣伝使《せんでんし》のエスを|牢獄《らうごく》から|出《だ》して、|俺《おれ》たちに|渡《わた》せ! グヅグヅ|吐《ぬ》かすと、|岩屋《いはや》|退治《たいぢ》を|始《はじ》めようか』
マチ『サア、アナン、ユーズ|其《その》|他《た》の|奴原《やつばら》、|早《はや》くエスを|此処《ここ》へ|連《つ》れて|来《こ》い!』
アナン『ヤイヤイ|喧《や》かましう|言《い》ふない。そんなことどこかい。|今日《けふ》は|貴様《きさま》に|負《まけ》たおかげで、|結構《けつこう》な|酒《さけ》を|鱈腹《たらふく》のんで、|精神《せいしん》|恍惚《くわうこつ》とし、|何《な》にもかも|忘《わす》れて|了《しま》つて、|極《ごく》|愉快《ゆくわい》になつてる|所《ところ》だ。|天《あめ》が|下《した》に|酒《さけ》さへあれば、|別《べつ》に|敵《てき》だの|味方《みかた》だのと、せせこましいことは|要《い》らない。|酒《さけ》|程《ほど》|親密《しんみつ》なものはない。マア|一杯《いつぱい》|這入《はい》つてやらぬかい。どんなエライ|喧嘩《けんくわ》でも|和睦《なかなほり》には|酒《さけ》だい。|人《ひと》と|交際《かうさい》するのに|小《こ》むつかしい|牆壁《せうへき》を|設《まう》けるものぢやない。|世界《せかい》|同胞《どうはう》|主義《しゆぎ》を|盛《さかん》に|称《とな》へられる|今日《こんにち》だ。マア、エスはエスでエスとしておいて、|奥《おく》へトツトと|通《とほ》つて|呉《く》れ』
キジ『|貴様《きさま》はどこまでもヅーヅーしい|奴《やつ》だなア。|余程《よほど》|俺達《おれたち》|二人《ふたり》が|恐《おそ》ろしいと|見《み》えるな』
アナン『そりやヅイ|分《ぶん》|恐《おそ》ろしいよ。|閻魔《えんま》が|亡者《もうじや》の|帳面《ちやうめん》を|繰《く》るよな|面付《つらつき》をして、やつて|来《く》るのだからなア。オイ、キジ|公《こう》とやら、|何《なん》と|云《い》ふ|七六《しちむ》つかしいシヤツ|面《つら》をして|居《ゐ》るのだ。|今《いま》の|内《うち》に|美顔術《びがんじゆつ》でも|施《ほどこ》しておかぬと、|年《とし》が|老《と》つて|皮《かは》が|固《かた》くなり、|皺《しわ》が|深《ふか》くなつてからは|駄目《だめ》だぞ』
キジ『エヽ、|要《い》らぬことを|云《い》ふな。これから|俺《おれ》が|岩窟内《がんくつない》へふみ|込《こ》んで|直接《ちよくせつ》にエスの|所在《ありか》を|調《しら》べてやらう。|邪魔《じやま》いたすと|為《ため》にならぬぞ。サア|来《こ》い、マチ|公《こう》!』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、アナン、ユーズを|始《はじ》め、|其《その》|他《た》の|者共《ものども》を|押分《おしわ》け、|突倒《つきたふ》し、|窟内《くつない》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》り、|遂《つひ》には|教主《けうしゆ》ブールの|居間《ゐま》に|侵入《しんにふ》し、ブルブル|慄《ふる》ひて|居《ゐ》るブールの|素首《そつくび》をグツと|握《にぎ》り、
キジ『サア、モウ|斯《こ》うなつては|駄目《だめ》だ。|何《なに》をブールブール|慄《ふる》うてゐるのだ。|早《はや》く|宣伝使《せんでんし》のエスをここへ|出《だ》さぬか』
マチ『ウラル|教《けう》の|親方《おやかた》、グヅグヅして|居《を》ると|生首《なまくび》を|引抜《ひきぬ》かれて|了《しま》うぞ。お|前《まへ》は|何時《いつ》も|此《この》|娑婆《しやば》を|穢土《ゑど》だと|云《い》ひ、|霊《みたま》の|国《くに》を|天国《てんごく》|浄土《じやうど》と|云《い》つて、|憧憬《どうけい》してゐるのだから、|今《いま》|首《くび》を|引抜《ひきぬ》かれて|霊《れい》になり、|天国《てんごく》へ|行《ゆ》くのは|満足《まんぞく》だらうが、|何程《なにほど》|天国《てんごく》でも、|首《くび》がなくては|駄目《だめ》だ。サア|早《はや》くエスの|所在《ありか》を|白状《はくじやう》せぬか』
ブールは|慄《ふる》ひ|乍《なが》ら、
『ハイ|今《いま》|出《だ》させますから、|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さい』
マチ『|早《はや》く|出《だ》せ、|出《だ》し|次第《しだい》|天国《てんごく》へ|褒美《ほうび》として、|昇《のぼ》れる|様《やう》にしてやらう。どうだ|首《くび》を|持《も》つたなり、|天国《てんごく》へ|死《し》んで|行《ゆ》くのは|嬉《うれ》しかろ、アハヽヽヽ。|何《なん》と|妙《めう》な|教《をしへ》だなア。|人《ひと》には|死《し》んでからの|世界《せかい》が|結構《けつこう》だと|云《い》ひ|乍《なが》ら、サア|自分《じぶん》が|死《し》ぬと|云《い》ふ|段取《だんどり》りになると、ヤツパリ|厭《いや》だと|見《み》えて、ビリビリ|慄《ふる》うて|厶《ござ》るワイ。さうすりやヤツパリ、|口《くち》と|心《こころ》と|裏表《うらおもて》のことを|言《い》つてゐるんだなア。|俺達《おれたち》も|今迄《いままで》はウラル|教《けう》の|熱心《ねつしん》な|信者《しんじや》であり、|二度《にど》もここへ|参《まゐ》り、お|前《まへ》をこんな|腰抜《こしぬけ》とは|知《し》らずに、|活神《いきがみ》さまだと|思《おも》つて|跪《ひざまづ》き|拝《をが》んで|居《を》つたかと|思《おも》へば、|馬鹿《ばか》らしうなつて|来《き》た。サア|俺達《おれたち》の|案内《あんない》をしてエスの|所在《ありか》を|知《し》らせ。|隠《かく》し|立《だ》てをすると|最早《もはや》|了見《れうけん》はならぬぞ。|俺達《おれたち》|二人《ふたり》に|夜前《やぜん》の|様《やう》に|数百人《すうひやくにん》もやつて|来《き》て|泡《あわ》を|吹《ふ》き|逃《に》げ|散《ち》る|様《やう》な|弱虫《よわむし》|計《ばか》り、|幾万人《いくまんにん》|連《つ》れて|居《を》つたつて、|何《なに》なるか。どれもこれも|酒《さけ》にヘベレケに|酔《よ》ひ、|今《いま》のザマは|何《なん》だ。|肝腎《かんじん》のアナンやユーズ|迄《まで》が|碌《ろく》に|舌《した》も|廻《まは》らず、|腰《こし》はフラフラになつて、ひよろついてるぢやないか。こんな|事《こと》で、|三五教《あななひけう》の|吾々《われわれ》に|対《たい》し、|挑戦《てうせん》するとは|片腹《かたはら》|痛《いた》い』
ブール『|仕方《しかた》がありませぬ。|吾々《われわれ》の|命《いのち》さへ|助《たす》けて|下《くだ》さらば、エスを|渡《わた》しませう』
と|先《さき》に|立《た》つて|行《ゆ》く。|二人《ふたり》はブールを|見失《みうしな》はじと|飛耳張目《ひじちやうもく》|十二分《じふにぶん》の|注意《ちうい》を|払《はら》つて|岩窟内《がんくつない》を|進《すす》んで|行《ゆ》く。|向《むか》うよりアナン、ユーズの|両人《りやうにん》はヒヨロヒヨロし|乍《なが》ら|巻舌《まきじた》になり、アナンはキジ|公《こう》に、ユーズはマチ|公《こう》にワザとにぶつかつた。|其《その》|途端《とたん》に、|二足三足《ふたあしみあし》ヒヨロヒヨロとひよろつき、|深《ふか》き|企《たく》みの|陥穽《おとしあな》に|脆《もろ》くも|落込《おちこ》んで|了《しま》つた。
『サア|失敗《しま》つた!』とキジ、マチの|二人《ふたり》は|陥穽《おとしあな》の|中《なか》で|無念《むねん》の|歯《は》がみをなし、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|神言《かみごと》を|唱《とな》へて|居《ゐ》る。ブールは|陥穽《おとしあな》を|覗《のぞ》き|込《こ》み、さも|愉快《ゆくわい》げに、
ブール『アハヽヽヽ、|気《き》の|毒《どく》|乍《なが》ら、|万劫末代《まんがふまつだい》、|穴《あな》の|底《そこ》で|木乃伊《みいら》になる|所《とこ》まで|辛抱《しんばう》したがよからう』
アナン、ユーズの|両人《りやうにん》は|二人《ふたり》の|落《お》ちた|穴《あな》を|互《たがひ》に|覗《のぞ》き|込《こ》み、
『ワハヽヽヽ、ても|心地《ここち》よいことだなア』
と|罵詈嘲笑《ばりてうせう》を|逞《たくま》しくして|居《ゐ》る。エスを|始《はじ》めキジ、マチの|三人《さんにん》の|運命《うんめい》は|果《はた》して|如何《いかが》なり|行《ゆ》くならむか。
(大正一一・八・一六 旧六・二四 松村真澄録)
|附記《ふき》 |湯ケ島《ゆがしま》|温泉《をんせん》
|三伏《さんぷく》の|暑《あつ》き|夏《なつ》の|朝《あさ》、|河辺《かはべ》に|立《た》ちて|水流《すゐりう》を|打見《うちみ》やれば|心《こころ》|涼《すず》し。|霧《きり》は|未《ま》だ|谷川《たにがは》の|両岸《りやうがん》に|立《た》ち|並《なら》ぶ|種々《しゆじゆ》の|木立《こだち》を|霞《かす》ませて、|朧《おぼろ》なる|向山《むかふやま》の|姿《すがた》は、|松《まつ》や|杉《すぎ》や|楓《かへで》|雑木《ざふき》の|青葉《あをば》と|入《い》り|交《まじ》はり、|得《え》も|言《い》はれぬ|幻《まぼろし》の|様《やう》な|色彩《しきさい》を|浮《うか》べて|谷《たに》から|谷《たに》へと|動《うご》いて|行《ゆ》く。|湯本館《ゆもとくわん》の|湯煙《ゆけむ》りは|谷川《たにがは》の|上《うへ》を|静《しづ》かに|静《しづ》かに|渡《わた》つて|行《ゆ》く。
|猫児川《ねつこがは》と|狩野川《かのがは》との|出会《であ》つた|景勝《けいしよう》の|地点《ちてん》に、|一廓《いつくわく》を|作《つく》つて|居《を》る|天城山麓《あまぎさんろく》の|温泉場《おんせんば》|湯ケ島《ゆがしま》で、|四週間《よんしうかん》を|松村《まつむら》|真澄《まさずみ》|氏《し》、|出口《でぐち》|宇知丸《うちまる》と|倶《とも》に|霊界物語《れいかいものがたり》を|口述《こうじゆつ》|筆記《ひつき》しながら|過《すご》したのは|実《じつ》に|壮快《さうくわい》であつた。|見上《みあ》ぐる|猫児峠《ねつこたうげ》の|頂《いただ》きは|今《いま》|朝日《あさひ》が|射《さ》し|初《はじ》めた|時《とき》で、|大空《おほぞら》には|紺碧《こんぺき》の|絵衣《ゑぎぬ》を|拡《ひろ》げて|五色《ごしき》の|光彩《くわうさい》を|照《てら》し、|天城《あまぎ》|連峰《れんぽう》の|大《おほ》きなうねりの|太陽《たいやう》を|背《せ》にしてコバルト|色《いろ》に|長《なが》く|続《つづ》いて|居《ゐ》るのが|楼上《ろうじやう》から|見《み》えて、|川《かは》の|瀬《せ》に|激《げき》する|水音《みなおと》と|峠《たうげ》を|吹《ふ》く|風《かぜ》の|音《おと》が|耳《みみ》につく。|宿《やど》の|主人《しゆじん》や|四五《しご》の|信徒《しんと》に|伴《ともな》はれて|朝《あさ》|早《はや》くより|危《あやふ》い|釣橋《つりばし》を|渡《わた》ると|直《ただち》に|山田《やまだ》の|畔《なはて》を|昇《のぼ》る。|柿《かき》|栗《くり》の|葉《は》は|青々《あをあを》と|繁《しげ》り、|未熟《みじゆく》の|果《くだもの》が|秋《あき》|待《ま》ち|顔《がほ》に|蒼《あを》い|顔《かほ》を|曝《さら》して|吾等《われら》|一行《いつかう》を|目送《もくそう》して|居《ゐ》る。|少《すこ》し|登《のぼ》つて|下田《しもだ》|街道《かいだう》に|出《で》た。|朝《あさ》の|風《かぜ》は|何《なん》となく|気分《きぶん》|良《よ》く|涼《すず》しい|風《かぜ》は|谷底《たにそこ》から|吹《ふ》き|来《き》たり、|日光《につくわう》の|届《とど》かぬ|山路《やまみち》を|辿《たど》る|身《み》は、|夏《なつ》の|日《ひ》を|忘《わす》るる|位《くらゐ》である。|杉《すぎ》の|木立《こだち》の|多《おほ》い|山《やま》に|添《そ》うて|登《のぼ》つて|行《ゆ》く。|谷川《たにかは》を|隔《へだ》てて|雑木《ざふき》の|青葉《あをば》が|色々《いろいろ》と|濃厚《のうこう》の|彩《いろ》を|見《み》せるばかりで、|風《かぜ》に|吹《ふ》かるる|薄《すすき》の|刃《やいば》が、さらさらと|音《おと》を|立《た》てて|波《なみ》の|打《う》つやうに|靡《なび》いて|居《ゐ》る。|一面《いちめん》に|蒼黒《あをぐろ》い|草《くさ》の|色《いろ》がうねうねと|続《つづ》いて、|右《みぎ》と|左《ひだり》に|高《たか》い|山《やま》が|山《やま》の|上《うへ》から|上《うへ》からと|頂《いただ》きを|現《あら》はして|来《く》ると、|真蒼《まつさを》に|晴《は》れた|空《そら》にふわりふわりと|白《しろ》い|煙《けぶり》のやうな|雲《くも》が|浮《うか》んで|来《く》る。|新道《しんだう》から|旧道《きうだう》へ|外《はづ》れる|松《まつ》の|二三本《にさんぼん》ある|処《ところ》を|上《のぼ》ると|一面《いちめん》の|原野《げんや》で、|萩《はぎ》や|薄《すすき》や|竜胆《りんだう》の|葉《は》が|元気《げんき》よく|風《かぜ》にひるがへつて|小《せう》ダンスを|始《はじ》めて|居《ゐ》る。|中《なか》に|一筋《ひとすぢ》の|細《ほそ》い|小道《こみち》が|通《とほ》つて、それを|四五町《しごちやう》|許《ばか》り|登《のぼ》ると|清滝近道《きよたきちかみち》の|石碑《せきひ》が|建《た》つて|居《ゐ》る。|稍《やや》|平坦《へいたん》な|草原《くさはら》|続《つづ》きの|露《つゆ》を|分《わ》けて|又《また》もや|四五町《しごちやう》|右《みぎ》に|取《と》つて|行《ゆ》くと、ダラダラ|下《くだ》りになつた|坂道《さかみち》に|青々《あをあを》とした【くぬぎ】の|林《はやし》があつて、|其《その》|下《した》は|深《ふか》い|谷川《たにがは》で|物凄《ものすさ》まじく|木魂《こだま》を|返《かへ》す|水《みづ》の|音《おと》が|山々《やまやま》に|広《ひろ》がつて|居《ゐ》る。|松《まつ》の|老樹《らうじゆ》が|危《あやふ》げに|谷《たに》に|倒《たふ》れかかつて|居《ゐ》るのを|飛《と》び|越《こ》えて|進《すす》んで|行《ゆ》くと、|僅《わづ》かに|脚《あし》を|入《い》れる|位《くらゐ》の|羊腸《やうちやう》の|小径《こみち》に|団子石《だんごいし》がゴロリゴロリと|転《ころ》がつて|居《ゐ》て、|歩《あゆ》む|度《たび》に|谷川《たにがは》へ|落《お》ちて|行《ゆ》く。|木《き》の|根《ね》に|縋《すが》り|蔓《つる》を|伝《つた》ひ|下《した》へ|下《した》へと|二町《にちやう》|計《ばか》りも|降《くだ》ると、|直《すぐ》に|狩野川《かのがは》の|上流《じやうりう》の|滝《たき》で、|一尺《いつしやく》|以上《いじやう》もあるヤマメの|集《あつ》まつて|居《ゐ》る|滝《たき》である。|安藤《あんどう》、|杉山《すぎやま》、|福井《ふくゐ》|氏《し》|等《ら》が|二三日前《にさんにちまへ》に|料理《れうり》して|差《さ》し|上《あ》げたのは|此《この》|滝《たき》で|捕獲《ほくわく》したヤマメだと|愉快気《ゆくわいげ》に|話《はな》しつつ|行《ゆ》く。
|此処《ここ》は|狩野川《かのがは》の|上流《じやうりう》の|滝《たき》で、|二十丈《にじふぢやう》に|余《あま》る|飛瀑《ひばく》は|薄曇《うすぐも》りになつた|大空《おほそら》の|反射《はんしや》を|受《う》けて|鼠色《ねずみいろ》に|崩《くづ》れ|落《お》ちる|勢《いきほひ》で|木《こ》の|葉《は》や|枝《えだ》が|夏《なつ》の|谷風《たにかぜ》にあほられてひるがへるのが、|如何《いか》にも|見事《みごと》である。|茲《ここ》でしばらく|休息《きうそく》して|再《ふたた》び|元《もと》|来《き》し|道《みち》へ|帰《かへ》つて、それから|又《また》|旧道《きうだう》を|登《のぼ》る。|山道《やまみち》の|左右《さいう》に|雑草《ざつさう》が|茂《しげ》つて|風《かぜ》になびきつつ|一行《いつかう》を|招《まね》いて|居《ゐ》るやうな|心地《ここち》がする。|次第々々《しだいしだい》に、|山《やま》の|頂上《ちやうじやう》から|雨雲《あまぐも》が|出《で》て|来《き》た。|湯ケ嶋新田《ゆがしましんでん》の|小村《こむら》はモウぽつりぽつりと|雨《あめ》が|落《お》ちて|居《ゐ》る。
|委細《ゐさい》|構《かま》はずどしどしと|山路《やまみち》を|登《のぼ》る。|松《まつ》や|樅《もみ》が|一面《いちめん》に|生茂《おひしげ》つた|山《やま》を|隔《へだ》てて|谷底《たにそこ》の|水音《みなおと》を|耳《みみ》にしながら|木小屋《きごや》を|一《ひと》つ|通《とほ》り|越《こ》すと、|道《みち》は|真直《まつすぐ》に|果《は》ても|無《な》く|続《つづ》いて|雑木《ざふき》の|先《さき》は|雨《あめ》に|濡《ぬ》れて|冴《さ》え|冴《ざ》えしい|色《いろ》をして|居《ゐ》るのに、|平素《へいそ》から|蒼白《あをじろ》い|顔《かほ》の|宇知丸《うちまる》さまは|一層《いつそう》|蒼《あを》い|顔《かほ》になつて|居《ゐ》る。|林《はやし》|静子《しづこ》|浪子《なみこ》の|紅裙隊《こうくんたい》も|今日《けふ》は|何《なん》となく|元気《げんき》が|薄《うす》いやうな|感《かん》じがした。|小禽《ことり》の|囀《さへづ》る|声《こゑ》に|送《おく》られて、|右滑沢道《みぎなめざはだう》と|書《か》いた|木標《もくへう》を|右《みぎ》へ|下《した》を|見下《みをろ》しながら|行《ゆ》くと、|粉《こな》の|様《やう》な|雨《あめ》の|中《なか》に|水車《みづぐるま》をかけて|木《き》を|挽《ひ》き|割《わ》る|小屋《ごや》が|小《ちい》さく|霞《かす》んで、|筧《かけひ》や|水車《みづぐるま》や|谷川《たにがは》の|流《なが》れが|面白《おもしろ》い|俯瞰図《ふかんづ》を|描《ゑが》いて|居《ゐ》る。
|二三町《にさんちやう》|行《ゆ》くと|出水《でみづ》の|山道《やまみち》に|出《で》る|所《ところ》を|通《とほ》ると|大川端《おほかはばた》と|云《い》ふ|所《ところ》に|着《つ》く。これから|先《さき》は|天城山中《あまぎさんちう》の|最《もつと》も|嶮《けは》しき|所《ところ》となる。|檜《ひのき》の|暗《くら》く|茂《しげ》つた|谷間《たにま》に|一歩《いつぽ》|踏《ふ》み|入《い》れると、|何《いづ》れの|樹木《じゆもく》も|皆《みな》|苔《こけ》|厚《あつ》く|蒸《む》して|木々《きぎ》の|雫《しづく》は|雨《あめ》よりも|多《おほ》く、|生々《なまなま》しい|草木《くさき》の|匂《にほ》ひが|湿《しめ》つぽく|鼻《はな》を|突《つ》いて|来《く》る。|右《みぎ》も|左《ひだり》も|見上《みあ》ぐる|許《ばか》りの|絶壁《ぜつぺき》に|包《つつ》まれ、|曇《くも》つた|空《から》の|雨雲《あまぐも》が|蔭《かげ》のやうに|頭上《づじやう》を|走《はし》つて|居《ゐ》る。|道《みち》もロクに|無《な》い|中《なか》を|分《わ》けて|行《ゆ》くと|谷底《たにそこ》に|出《で》た。|此処《ここ》には|大《おほ》きな|岩《いは》と|岩《いは》とに|掛渡《かけわた》した|丸木橋《まるきばし》があつて、それを|危《あやふ》く|渡《わた》ると|又《また》もや|這《は》ひ|上《あ》がるやうにして|絶壁《ぜつぺき》を|登《のぼ》らねばならぬ。|明治《めいじ》|四十二年《よんじふにねん》の|山崩《やまくづ》れに|押《お》し|倒《たふ》されたと|云《い》ふ|大木《たいぼく》が、|未《いま》だに|岩《いは》と|岩《いは》との|間《あひだ》に|挟《はさ》まつて|居《ゐ》るのを|伝《つた》つて、|僅《わづ》かに|岩《いは》の|上《うへ》に|這《は》ひ|上《のぼ》ると、さつと|吹《ふ》き|来《く》る|山風《やまかぜ》が|峰《みね》の|木々《きぎ》を|吹《ふ》き|廻《まは》すので|自然《しぜん》の|舞踏《ぶたふ》が|演《えん》ぜられる。
|此《この》|山路《やまみち》を|登《のぼ》り|切《き》ると|天城山《あまぎさん》|隧道《すゐだう》の|北《きた》に|近《ちか》いので、|早《はや》|幾重《いくへ》にも|下《した》になつた|連山《れんざん》が|雨雲《あまぐも》の|動《うご》いて|行《ゆ》く|間《あひだ》から|頂上《ちやうじやう》だけを|出《だ》して|空《そら》の|灰色《はいいろ》と|雲《くも》の|灰色《はいいろ》と|山《やま》の|黒《くろ》ずんだ|色《いろ》とで|色《いろ》は|冴《さ》えて|居《ゐ》ても、|雨《あめ》に|霞《かす》んだ|夢《ゆめ》の|様《やう》な|木々《きぎ》の|色《いろ》が|絵《ゑ》に|描《ゑが》くには|極《きは》めて|面白《おもしろ》さうに|感《かん》じられた。|北口《きたぐち》の|茶屋《ちやや》で|一寸《ちよつと》|休息《きうそく》の|後《のち》|湯ケ嶋《ゆがしま》に|出立《しゆつたつ》しようとした|時《とき》、|右《みぎ》も|左《ひだり》も|一面《いちめん》の|霧《きり》で|四五間《しごけん》さきの|立木《たちき》でさへもぼんやりとして|谷《たに》は|勿論《もちろん》|空《そら》と|山《やま》との|境《さかひ》さへ|見《み》えず、|只《ただ》|茫々漠々《ばうばうばくばく》たる|霧《きり》の|海《うみ》を|夢路《ゆめぢ》の|様《やう》に|迷《まよ》ふのであつた。|一行《いつかう》は|一日《いちにち》の|光陰《くわういん》を|有意義《いういぎ》に|費《つひ》やして、|夕方《ゆふがた》の|空《そら》に|湯本館《ゆもとくわん》|側《がは》の|大本《おほもと》|臨時《りんじ》|教主殿《けうしゆでん》へと|帰《かへ》つて|来《き》た。
大正十一年八月十五日
|天津祝詞解《あまつのりとかい》
|高天原《たかあまはら》に|神留坐《かみつまりま》す、|神魯岐《かむろぎ》|神魯美《かむろみ》の|命《みこと》|以《もち》て、|皇御祖《すめみおや》|神伊邪那岐命《かむいざなぎのみこと》、|筑紫《つくし》の|日向《ひむか》の|橘《たちばな》の|小戸《をど》の|阿波岐原《あはぎはら》に、|御禊《みそぎ》|祓《はら》ひ|給《たま》ふ|時《とき》に|生坐《なりま》せる|祓戸《はらひど》の|大神達《おほかみたち》、|諸々《もろもろ》の|枉事《まがこと》|罪穢《つみけがれ》を|払《はら》ひ|賜《たま》へ|清《きよ》め|賜《たま》へと|申《まを》す|事《こと》の|由《よし》を、|天津神《あまつかみ》|国津神《くにつかみ》|八百万《やほよろづ》の|神達共《かみたちとも》に、|天《あめ》の|斑駒《ふちこま》の|耳振立《みみふりたて》て|聞食《きこしめ》せと|恐《かしこ》み|恐《かしこ》みも|申《まを》す。
△【|高天原《たかあまはら》】 |全大宇宙《ぜんだいうちう》。|詳細《しやうさい》は『|大祓祝詞解《おほはらひのりとかい》』を|見《み》よ。[#第三九巻附録参照]
△【|神《かみ》つまります】 |陰陽《いんやう》|二元《にげん》が|実相《じつさう》|充実《じうじつ》した|上《うへ》にも|充実《じうじつ》すること。
△【|神魯岐《かむろぎ》|神魯美《かむろみ》】 |陰陽《いんやう》|二系《にけい》を|司《つかさど》る|神々《かみがみ》。
△【|命《みこと》もちて】 |言霊《ことたま》によりての|義《ぎ》。|爰《ここ》までは|略《ほ》ぼ|大祓祝詞解《おほはらひのりとかい》|中《ちう》に|説明《せつめい》して|置《お》くつもりだから|詳《くわ》しくは|述《の》べない。
△【|皇御祖《すめみおや》】 |皇《すめ》は|統《すべ》る|也《なり》。|澄《す》む、|住《す》む|等《とう》|皆《みな》|同一《どういつ》|語源《ごげん》から|出《い》づ。|水《みづ》や|空気《くうき》が|澄《す》むといふのは、|混入《こんにふ》して|居《ゐ》た|物体《ぶつたい》の|間《あひだ》に|統一《とういつ》が|出来《でき》、|安《やす》らかに|鎮定《ちんてい》する|事《こと》である。|人《ひと》がこの|世《よ》に|住《す》むといふのも|矢張《やはり》|同一《どういつ》|意義《いぎ》で|大主宰者《だいしゆさいしや》の|統治《とうぢ》の|下《もと》に|安住《あんじう》する|義《ぎ》である。|若《も》しそれが|現在《げんざい》の|世界《せかい》の|状態《じやうたい》の|様《やう》に|理想《りさう》の|大主宰者《だいしゆさいしや》を|失《うしな》つて|居《ゐ》ると、|世《よ》は|乱麻《らんま》の|如《ごと》く|乱《みだ》れ、|人《ひと》の|心《こころ》は|濁《にご》り、|人民《じんみん》は|流浪《るらう》に|立《た》つて|四散《しさん》する、|所謂《いはゆる》|住《す》むに|住《す》まれぬ|事《こと》に|成《な》る。【|御《み》】(ミ)は|体《たい》の|借字《しやくじ》、|祖《おや》は|祖神《そしん》である。
△【|神伊邪那岐命《かむいざなぎのみこと》】 【|神《かむ》】(カム)は|酒《さけ》を|醸《か》むの【カム】などと|同義《どうぎ》を|有《いう》し、|宇宙《うちう》|万有《ばんいう》を|醸造《じやうざう》し|玉《たま》ふ|伊邪那岐命《いざなぎのみこと》|様《さま》に|冠《くわん》したる|形容的《けいようてき》|敬語《けいご》である。|伊邪那岐命《いざなぎのみこと》|様《さま》は、|火系《くわけい》(|陽系《やうけい》)の|御祖神《ごそしん》で、|宇宙《うちう》に|於《お》けるあらゆる|活動《くわつどう》の|根源《こんげん》を|司《つかさど》り、|大修祓《だいしうばつ》|大整理《だいせいり》は|常《つね》に|此《この》|神《かみ》の|御分担《ごぶんたん》に|属《ぞく》するのである。|地《ち》の|世界《せかい》(|顕《けん》の|幽界《いうかい》)に|於《おい》て|伊邪那岐命《いざなぎのみこと》の|御仕事《おしごと》を|分掌《ぶんしやう》し|賜《たま》ふのが|詰《つま》り|国常立尊《くにとこたちのみこと》で、|神諭《しんゆ》の|所謂《いはゆる》|世《よ》の|大立替《おほたてかへ》といふのは|大修祓《だいしうばつ》|決行《けつかう》の|事《こと》なのである。|宇宙間《うちうかん》に|起《おこ》る|事《こと》は|地球《ちきう》の|内《うち》にも|起《おこ》り、|地球《ちきう》の|内《うち》に|起《おこ》る|事《こと》は|宇宙《うちう》|全体《ぜんたい》にも|影響《えいきやう》を|及《およ》ぼす、|両々《りやうりやう》|関聯不離《くわんれんふり》の|仕掛《しかけ》になつて|居《ゐ》る。|更《さら》に|進《すす》んで|小《せう》|伊邪那岐命《いざなぎのみこと》の|御禊祓《みそぎはらひ》は|一国《いつこく》|一郡《いちぐん》にも|起《おこ》り、|一郷《いつきやう》|一村《いつそん》にも|起《おこ》り、|一身一家《いつしんいつか》にも|起《おこ》る。【|表面《へうめん》の|字義《じぎ》に|拘泥《かうでい》して|伊邪那岐命《いざなぎのみこと》|様《さま》が|九州《きうしう》の|橘小戸《たちばなのをど》の|阿波岐原《あはぎはら》といふ|所《ところ》で、|御禊《みそぎ》を|行《おこな》はれ、そして|祓戸四柱《はらひどよはしら》の|大神達《おほかみたち》をお|生《う》みに|成《な》つたなどと|解釈《かいしやく》すると、|更《さら》に|要領《えうりやう》を|得《え》ない】。|一層《いつそう》|詳《くは》しき|事《こと》は|大祓祝詞《おほはらひのりと》に|出《で》て|居《ゐ》るから|是非《ぜひ》|参照《さんせう》されたい。
△【|筑紫《つくし》の|日向《ひむか》】 |古事記《こじき》|岐神《ぎしん》|禊祓《みそぎはらひ》の|段《だん》と|同一筆法《どういつひつぱふ》である。『是以伊邪那岐大神詔。吾者伊那志許米志許米岐穢国而在祁理。故吾者御身之禊而。到坐筑紫日向之橘小門之阿波岐原而禊祓也。故於投棄御杖所成神名。衝立船戸神。……』|云々《うんぬん》とある|是也《これなり》。『|古事記《こじき》』が|表面《へうめん》の|字義《じぎ》の|解釈《かいしやく》で|分《わか》らぬと|同様《どうやう》、この|祝詞《のりと》も|亦《また》|分《わか》らない。【|筑紫《つくし》は|尽《つく》し】である、|究極《きうきよく》である。|完全《くわんぜん》|無欠《むけつ》、|円満《ゑんまん》|具足《ぐそく》である。|数《すう》で|言《い》へば|九《く》である。|筑紫《つくし》が|九州《きうしう》に|分《わか》れて|居《ゐ》るのもそれが|為《ため》である。【|無論《むろん》|筑紫《つくし》とか|九州《きうしう》とか|云《い》ふ|地名《ちめい》が|先《さ》きに|起《おこ》つたのでなく、|地名《ちめい》は、|後《あと》で|附《つ》けられたので、|本来《ほんらい》は|筑紫《つくし》も|日向《ひむか》も|天地創造《てんちさうざう》の|際《さい》からの|語《ご》である、|地球《ちきう》の|修理固成《しうりこせい》が|出来《でき》ぬ|以前《いぜん》から|成立《せいりつ》して|居《ゐ》る|言霊《ことたま》である】。【|日向《ひむか》】は|光明遍照《くわうみやうへんぜう》の|義《ぎ》で(ヒムカシ)と|同一《どういつ》|語源《ごげん》である。
△【|橘《たちばな》の|小戸《をど》】 これも|地名《ちめい》ではない。【タチ】は|縦《たて》の|義《ぎ》、【ハナ】は|先頭《せんとう》の|義《ぎ》、|即《すなは》ち|先頭《せんとう》の|縦行《たてぎやう》たるアイウエオの|五大父音《ごだいふおん》を|指《さ》す。【|小戸《をど》】は|音《おと》である、|言霊《ことたま》である。|宇宙間《うちうかん》は|最初《さいしよ》|五大父音《ごだいふおん》の|言霊《ことたま》の|働《はたら》きによりて|修理固成《しうりこせい》が|出来《でき》たのである。
△【|阿波岐原《あはぎはら》】 |全大宇宙間《ぜんだいうちうかん》の|事《こと》をいふ。|一音《いちおん》づつ|解《かい》すれば、【ア】は|天地《てんち》、【ハ】は|開《ひら》く、【ギ】は|大中心《だいちうしん》、【ハラ】は|広《ひろ》き|所《ところ》、|海原《うなばら》の|原《はら》などと|同《おな》じ。
△【|御禊祓《みそぎはらひ》】 |身体《しんたい》の|大修祓《だいしうばつ》の|事《こと》。
△【|祓戸《はらひど》の|大神達《おほかみたち》】 |祓戸四柱神《はらひどよはしらがみ》、|即《すなは》ち|瀬織津比売《せおりつひめ》、|速秋津比売《はやあきつひめ》、|気吹戸主《いぶきどぬし》、|速佐須良比売《はやさすらひめ》の|四神《ししん》である。|凡《すべ》て|大修祓《だいしうばつ》|執行《しつかう》に|際《さい》しては|八百万《やほよろづ》の|神々《かみがみ》は|常《つね》に|此《この》|四方面《しはうめん》に|分《わか》れて|活動《くわつどう》を|開始《かいし》し、|諸々《もろもろ》の|枉事《まがこと》|罪穢《つみけがれ》を|払《はら》ひ|清《きよ》め|給《たま》ふので、|天津神《あまつかみ》たると|国津神《くにつかみ》たるとを|問《と》はず、|又《また》|宇宙《うちう》|全体《ぜんたい》たると、|地球《ちきう》|全体《ぜんたい》たると、|又《また》|一郷《いつきやう》|一村《いつそん》|一身一家《いつしんいつか》たるとを|論《ろん》ぜずして、|四方面《しはうめん》の|修祓《しうばつ》が|起《おこ》るのである。|地球《ちきう》の|大修祓《だいしうばつ》、|世《よ》の|大立替《おほたてかへ》が|開始《かいし》さるる|時《とき》には、|神諭《しんゆ》の|所謂《いはゆる》|雨《あめ》の|神《かみ》、|岩《いは》の|神《かみ》、|風《かぜ》の|神《かみ》、|地震《ぢしん》の|神《かみ》の|大活動《だいくわつどう》となる。
△【|天《あめ》の|斑駒《ふちこま》】 |一音《いちおん》づつ|解《かい》すれば【フ】は|力《ちから》、【チ】は|霊《れい》、【コ】は|体《たい》、【マ】は|全《まつた》きの|意《い》。
△【|耳振立《みみふりたて》て|聞食《きこしめ》せ】 |活動《くわつどう》を|開始《かいし》し|玉《たま》への|意《い》。|単《たん》に|耳《みみ》で|聞《き》くといふよりは|遥《はるか》に|深遠《しんゑん》な|意義《いぎ》が|籠《こも》れる|句《く》で、【きく】は|弁口《べんこう》が【きく】、|鼻《はな》が【きく】、|手《て》が【きく】、|眼《め》が【きく】、|幅《はば》が【きく】、|融通《ゆうづう》が【きく】などの【きく】と|同《おな》じく|活用発揮《くわつようはつき》の|意味《いみ》である。
【|大意《たいい》】 |宇宙《うちう》|天地《てんち》|万有《ばんゆう》|一切《いつさい》の|大修祓《だいしうばつ》は、|霊系《れいけい》の|御祖神《ごそしん》の|御分担《ごぶんたん》に|属《ぞく》する。|現在《げんざい》『|地《ち》の|世界《せかい》』に|於《おい》て|執行《しつかう》されつつある|国祖《こくそ》の|神《かみ》の|大掃除《おほさうぢ》|大洗濯《おほせんだく》も|詰《つ》まり|宇宙《うちう》|全体《ぜんたい》としては|伊邪那岐命《いざなぎのみこと》の|御《おん》|仕事《しごと》である。|幾千万年来《いくせんまんねんらい》|山積《さんせき》した|罪穢《ざんくわい》があるので、|今度《こんど》『|地《ち》の|世界《せかい》』では|非常《ひじやう》な|荒療治《あられうぢ》が|必要《ひつえう》であるが、これが|済《す》んだ|暁《あかつき》には|刻々《こくこく》|小掃除《せうさうぢ》|小洗濯《せうせんだく》を|行《おこな》へば|宜《よろ》しいので、|大体《だいたい》に|於《おい》ては|嬉《うれ》し|嬉《うれ》しの|善《ぜん》|一《ひと》ツの|世《よ》の|中《なか》に|成《な》るのである。|即《すなは》ち|伊邪那岐命《いざなぎのみこと》の|御禊祓《みそぎはらひ》は|何時《いつ》の|世《よ》|如何《いか》なる|場合《ばあひ》にも|必要《ひつえう》あるものである。これがなければ|後《あと》の|大立直《おほたてなほ》し、|大建設《だいけんせつ》は|到底《たうてい》|出来《でき》ない|訳《わけ》である。
さて|此《この》|修祓《しうばつ》は|何《なに》によりて|執行《しつかう》さるるかと|云《い》ふに、|外《ほか》でもない|宇宙《うちう》|根本《こんぽん》の|大原動力《たいげんどうりよく》なる|霊体二系《れいたいにけい》の|言霊《ことたま》である。|天地《てんち》の|間《あひだ》(|即《すなは》ち|阿波岐原《あはぎはら》)は|至善《しぜん》|至美《しび》、|光明遍照《くわうみやうへんぜう》、|根本《こんぽん》の|五大言霊《ごだいことたま》(アイウエオ)が|鳴《な》り|亘《わた》つて|居《ゐ》るが、いざ|罪穢《ざいくわい》が|発生《はつせい》したと|成《な》ると、|言霊《ことたま》でそれを|訂正《ていせい》|除去《ぢよきよ》して|行《ゆ》かねばならぬ。|人《ひと》は|宇宙《うちう》|経綸《けいりん》の|重大《ぢうだい》|任務《にんむ》を|帯《お》びたるものであるから、|先頭《せんとう》|第一《だいいち》に|身霊《みたま》を|磨《みが》き、そして|正《ただ》しき|言霊《ことたま》を|駆使《くし》すれば、|天地《てんち》も|之《これ》に|呼応《こおう》し、|宇宙《うちう》の|大修祓《だいしうばつ》も|決行《けつかう》される。|其《その》|際《さい》にありて|吾々《われわれ》|五尺《ごしやく》の|肉体《にくたい》は|小《せう》|伊邪那岐命《いざなぎのみこと》の|御活用《ごくわつよう》となるのである。|雨《あめ》を|呼《よ》べば|土砂降《どしやぶ》りの|大雨《おほあめ》が|降《ふ》り、|地震《ぢしん》を|呼《よ》べば|振天動地《しんてんどうち》の|大地震《だいぢしん》が|揺《ゆ》り|始《はじ》まる。これが|即《すなは》ち『|御禊《みそぎ》|祓給《はらひたま》ふ|時《とき》に|生坐《なりま》せる|祓戸《はらひど》の|大神達《おほかみたち》』である。かくして|一切《いつさい》の|枉事《まがごと》|罪穢《つみけがれ》は|払《はら》ひ|清《きよ》めらるる|事《こと》になるが、かかる|際《きは》に|活動《くわつどう》すべき|責務《せきむ》を|帯《お》びたるは、|八百万《やほよろづ》の|天津神《あまつかみ》、|国津神達《くにつかみたち》でこれ|以上《いじやう》の|晴《は》れの|仕事《しごと》はない。|何卒《なにとぞ》|確《しつか》り|御活動《ごくわつどう》を|願《ねが》ひますといふのが、|大要《たいえう》の|意義《いぎ》である。|何人《なにびと》も|日夕《につせき》|之《これ》を|奏上《そうじやう》して|先《ま》づ|一身一家《いつしんいつか》の|修祓《しうばつ》を|完全《くわんぜん》にし、そして|一大事《いちだいじ》の|場合《ばあひ》には、|天下《てんか》を|祓《はらひ》|清《きよ》むるの|覚悟《かくご》がなくてはならぬのであります。
デモ|国民歌《こくみんか》
|日本人《にほんじん》は|日本人《にほんじん》を
|善悪正邪《ぜんあくせいじや》に|拘《かか》はらず
|賞讃《しやうさん》すれば|良民《りやうみん》と
|認《みと》めて|呉《く》れるが|苟《いやし》くも
|欠点《けつてん》|挙《あ》げて|論《ろん》ずれば
|眼《め》をば|怒《いか》らせ|肩《かた》を|張《は》り
|非国民種《ひこくみんしゆ》と|扱《あつか》はる
|是《これ》は|果《はた》して|日本人《にほんじん》の
|清《きよ》き|態度《たいど》と|云《い》はれうか
|公平《こうへい》|無私《むし》で|自分等《じぶんら》の
|身《み》の|欠点《けつてん》を|批難《ひなん》して
|自省《じせい》せなくちや|成《な》らうまい
|愛神愛民《あいしんあいみん》|称《とな》ふれば
|直《ただち》に|赤化《せきくわ》|非国民《ひこくみん》
|解放《かいはう》|自由《じいう》も|其《そ》の|通《とほ》り
|国民《こくみん》|滔々《たうたう》|自覚《じかく》して
|文化《ぶんくわ》|運動《うんどう》に|共鳴《きようめい》すれば
|是《これ》また|直《ただち》に|非国民《ひこくみん》
|日本《にほん》に|日本人《にほんじん》なしと
|慷慨悲憤《こうがいひふん》を|装《よそ》ふなり
|元来《ぐわんらい》|日本《にほん》の|神民《しんみん》は
|寛仁大度《くわんじんたいど》|同化力《どうくわりよく》
なければならぬ|神《かみ》の|裔《すゑ》
|見《み》よや|国祖《こくそ》の|大神《おほかみ》は
|皇運《くわううん》|隆々《りうりう》|天壌《てんぜう》と
|共《むた》|永久《とことは》と|詔《の》り|玉《たま》ひぬ
|天地《てんち》を|広《ひろ》く|開拓《かいたく》し
|自国《じこく》の|短所《たんしよ》を|取《と》り|除《のぞ》き
|他国《たこく》の|長所《ちやうしよ》を|採用《さいよう》し
|六合《くに》を|斉《ひとし》うすべきなり
|決《けつ》して|内訌《ないこう》や|小競合《こぜりあひ》
なすべき|時代《じだい》に|非《あら》ざらめ
|吾《わ》が|欠点《けつてん》は|喜《よろこ》んで
|根本的《こんぽんてき》に|改善《かいぜん》し
|民《たみ》は|君《きみ》をば|本《もと》として
|誠《まこと》を|啓《ひら》き|人類《じんるゐ》を
|愛撫《あいぶ》し|国利《こくり》を|興《おこ》さしめ
|世界《せかい》|共通《きやうつう》の|幸福《かうふく》を
|一《ひと》つにするは|日本人《にほんじん》の
|天地《てんち》|自然《しぜん》の|道《みち》ぞかし
|国民《こくみん》|外交《ぐわいかう》の|真意義《しんいぎ》を
|忘《わす》れむとする|国人《くにびと》は
|世界《せかい》の|国《くに》より|排斥《はいせき》を
|受《う》くるも|何《なん》の|辞《じ》かあらむ
|七千余万《しちせんよまん》の|同胞《どうはう》の
|革正《かくせい》すべきは|今《いま》なるぞ
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたち》|幸《さち》はへ|坐《ま》しませよ。
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霊界物語 第三〇巻 海洋万里 巳の巻
終り