霊界物語 第二七巻 海洋万里 寅の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第二七巻』愛善世界社
1998(平成10)年09月02日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年11月18日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|凡例《はんれい》
|総説歌《そうせつか》
第一篇 |聖地《せいち》の|秋《あき》
第一章 |高姫館《たかひめやかた》〔七八三〕
第二章 |清潔法《せいけつはふ》〔七八四〕
第三章 |魚水心《ぎよすゐしん》〔七八五〕
第二篇 |千差万別《せんさばんべつ》
第四章 |教主殿《けうしゆでん》〔七八六〕
第五章 |玉調《たましら》べ〔七八七〕
第六章 |玉乱《たまらん》〔七八八〕
第七章 |猫《ねこ》の|恋《こひ》〔七八九〕
第三篇 |神仙霊境《しんせんれいきやう》
第八章 |琉《りう》と|球《きう》〔七九〇〕
第九章 |女神託宣《めがみのたくせん》〔七九一〕
第一〇章 |太平柿《たいへいがき》〔七九二〕
第一一章 |茶目式《ちやめしき》〔七九三〕
第四篇 |竜神昇天《りうじんしようてん》
第一二章 |湖上《こじやう》の|怪物《くわいぶつ》〔七九四〕
第一三章 |竜《りゆう》の|解脱《げだつ》〔七九五〕
第一四章 |草枕《くさまくら》〔七九六〕
第一五章 |情意投合《じやういとうがふ》〔七九七〕
第五篇 |清泉霊沼《せいせんれいせう》
第一六章 |琉球《りうきう》の|神《かみ》〔七九八〕
第一七章 |沼《ぬま》の|女神《めがみ》〔七九九〕
第一八章 |神格化《しんかくくわ》〔八〇〇〕
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|序文《じよぶん》
一、|霊界物語《れいかいものがたり》もいよいよ|二十七巻《にじふしちくわん》まで|口述《こうじゆつ》を|終《をは》りました。|一部《いちぶ》の|役員《やくゐん》|信者《しんじや》の|間《あひだ》には、|教祖《けうそ》の|筆先《ふでさき》をのみ|偏信《へんしん》するの|余《あま》り、|霊界物語《れいかいものがたり》に|対《たい》しては、|殆《ほとん》ど|眼《め》も|呉《く》れない|人《ひと》が|偶《たま》にある|様《やう》だ。|否《いな》|目《め》も|触《ふ》れないのならば|少《すこ》しも|差支《さしつか》へ|無《な》しとするも、|頻《しき》りに|其《その》|含蓄《がんちく》せる|主要点《しゆえうてん》をも|極《きは》めず、|何故《なぜ》か|虫《むし》が|好《す》かぬとか|言《い》つて、|無暗《むやみ》やたらと|貶《けな》す|人《ひと》があるさうだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|私《わたくし》は|断言《だんげん》しておく。|大本《おほもと》の|教理《けうり》を|真解《しんかい》せむと|欲《ほつ》せば、どうしても|本書《ほんしよ》を|繙《ひもと》かねば|成《な》らない|事《こと》を。
一、|私《わたくし》は|単《たん》なる|現今《げんこん》の|大本教《おほもとけう》|信者《しんじや》のみの|為《ため》に|口述《こうじゆつ》したのでは|無《な》い。|現幽神《げんいうしん》|即《すなは》ち|三千世界《さんぜんせかい》の|神仏《しんぶつ》、|人類《じんるゐ》|及《およ》び|禽獣《きんじう》、|虫魚《ちうぎよ》、|草木《さうもく》などに|安息《あんそく》を|与《あた》へ、|天国《てんごく》|浄土《じやうど》を|地上《ちじやう》に|建設《けんせつ》せん|為《ため》に|惟神的《かむながらてき》に|三才《さんさい》の|童子《どうじ》の|耳《みみ》にも|解《かい》し|易《やす》からしめむと、|卑近《ひきん》な|語《ご》を|用《もち》ひて|述《の》べた|神書《しんしよ》である。|神《かみ》は|智者《ちしや》、|学者《がくしや》、|強者《きやうしや》のみに|真理《しんり》を|諭《さと》し|玉《たま》はず、|誠《まこと》の|神恵《しんけい》は|愚者《ぐしや》、|弱者《じやくしや》をして|克《よ》く|其《その》|福音《ふくいん》を|味《あぢは》はしめ|玉《たま》ふものである。|此《この》|物語《ものがたり》も|亦《また》|右《みぎ》の|御神慮《ごしんりよ》に|出《い》でさせ|玉《たま》ひたるものであります。|一読《いちどく》すれば|必《かなら》ず|何等《なんら》かの|光明《くわうみやう》に|接《せつ》する|事《こと》は、|私《わたくし》の|深《ふか》く|信《しん》じて|疑《うたが》はない|所《ところ》であります。
大正十一年七月二十八日(旧六月五日) 於竜宮館 王仁識
|凡例《はんれい》
一、|物語《ものがたり》に|屡《しばしば》『ナイス』といふ|語《ご》が|出《で》て|来《き》ますが、これは『|美人《びじん》』とか『|別嬪《べつぴん》』といふ|意味《いみ》です。|例《たと》へば、|本巻《ほんくわん》|第一篇《だいいつぺん》『|聖地《せいち》の|秋《あき》』|第二章《だいにしやう》『|清潔法《せいけつはふ》』|五十頁《ごじふページ》|六行目《ろくぎやうめ》に『|古今無双《ここんむそう》のナイスをば』とあるのはそれです。
一、|第二章《だいにしやう》『|清潔法《せいけつはふ》』の|下《した》の|括弧《くわつこ》の|中《なか》の七八四の|数字《すうじ》は、|第一巻《だいいつくわん》よりの|章数《しやうすう》の|累計《るゐけい》を|示《しめ》したものです。
大正十二年五月 編者識
|総説歌《そうせつか》
|顕幽神《けんいうしん》の|三界《さんかい》を |守《まも》らせ|玉《たま》ふ|国《くに》の|祖《おや》
|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》が |再《ふたた》びここに|現《あ》れまして
|五六七《みろく》の|神代《かみよ》を|建《た》て|玉《たま》ふ |空前絶後《くうぜんぜつご》の|御経綸《ごけいりん》
|凡《あら》ゆる|思想《しさう》の|悪風《あくふう》を |根本的《こんぽんてき》に|改革《かいかく》し
|天壤《てんぜう》|無窮《むきう》の|神国《しんこく》を |堅《かた》きが|上《うへ》にも|堅《かた》めまし
|神《かみ》の|御裔《みすゑ》の|大君《おほきみ》の |稜威《みいづ》を|宇内《うだい》に|拡充《くわくじゆう》し
|臣《おみ》たり|民《たみ》たる|大道《たいだう》を |導《みちび》き|諭《さと》す|大本《おほもと》を
|我《われ》の|心《こころ》に|照《て》り|合《あ》はし |色々《いろいろ》|雑多《ざつた》と|批評《ひひやう》する
|似而非《えせ》|忠臣《ちうしん》のあらはれて |誠《まこと》の|神《かみ》の|御教《みをしへ》を
|傷《きず》つけ|破《やぶ》る|忌々《ゆゆ》しさよ |心次第《こころしだい》に|何事《なにごと》も
|鏡《かがみ》にうつる|人《ひと》の|身《み》の |如何《いか》で|神意《しんい》の|解《わか》るべき
|小心翼々《せうしんよくよく》しながらも |広大無辺《くわうだいむへん》の|神《かみ》の|道《みち》
|批評《ひへう》の|権威《けんゐ》は|何処《どこ》にある |頑迷固陋《ぐわんめいころう》の|邪神魂《まがみたま》
|君《きみ》と|臣《おみ》との|道《みち》|明《あ》かき |我《わが》|霊《ひ》の|源泉《もと》の|御神政《ごしんせい》
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|説《と》き|諭《さと》す |教《をしへ》の|旨《むね》が|分《わか》らねば
|真《まこと》の|忠臣《ちうしん》|義士《ぎし》でない |自己《じこ》の|心《こころ》を|省《かへり》みよ
|何《いづ》れも|偽善《ぎぜん》の|凝《かた》まりぞ |人《ひと》の|事《こと》をば|言《い》ふよりも
|第一《だいいち》|自分《じぶん》を|省《かへり》みよ |心《こころ》|恥《はづ》かし|事《こと》|計《ばか》り
|神《かみ》にお|詫《わび》をせにやならぬ |誠心《せいしん》|誠意《せいい》に|立帰《たちかへ》り
ねぢけ|心《ごころ》を|除却《ぢよきやく》して |円満清朗《ゑんまんせいらう》|日月《じつげつ》の
|輝《かがや》き|渡《わた》る|神国魂《みくにだま》 |海《うみ》の|内外《うちと》に|示《しめ》しみよ
|神《かみ》の|心《こころ》も|白波《しらなみ》の |邪《よこさ》の|道《みち》の|曲人《まがひと》が
|神《かみ》の|憑《うつ》りて|作《つく》りたる |奇《く》しき|霊界物語《れいかいものがたり》
お|耳《みみ》に|触《さは》るも|是非《ぜひ》なけれ |是《これ》も|霊魂《みたま》の|因縁《いんねん》で
|変性女子《へんじやうによし》を|先入的《せんにふてき》に |誤解《ごかい》し|切《き》つた|世迷言《よまいごと》
この|物語《ものがたり》|分《わか》らねば |大本神諭《おほもとしんゆ》の|真解《しんかい》は
いつになつても|付《つ》きはせぬ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして |理智《りち》に|堕《だ》したる|迷信《めいしん》を
|払《はら》ひ|玉《たま》ひて|実相《じつさう》の |真如《しんによ》の|光《ひかり》|与《あた》へませ
|世《よ》の|悉《ことごと》は|隈《くま》もなく |口《くち》ある|限《かぎ》り|説《と》き|諭《さと》す
|体主霊従《たいしゆれいじう》の|人々《ひとびと》の |御気《おき》に|入《い》らない|事《こと》ばかり
|言《い》はねばならぬ|我《わが》|身魂《みたま》 |皇大神《すめおほかみ》も|見《み》そなはし
|迷《まよ》へる|人《ひと》の|目《め》を|覚《さま》し |我《わが》|神界《しんかい》の|奉仕《ほうし》をば
|篤《あつ》く|守《まも》らせ|給《たま》へかし。
大正十一年七月 於竜宮館
第一篇 |聖地《せいち》の|秋《あき》
第一章 |高姫館《たかひめやかた》〔七八三〕
|五六七《みろく》の|神世《かみよ》の|経綸地《けいりんち》 |青垣山《あをがきやま》を|繞《めぐ》らせる
|霊山会場《れいざんゑぢやう》の|蓮華台《れんげだい》 |桶伏山《をけぶせやま》の|東麓《とうろく》に
|旭《あさひ》を|受《う》けて|小雲川《こくもがは》 |清《きよ》き|流《なが》れを|瞰下《かんか》する
|風景絶佳《ふうけいぜつか》の|岩《いは》が|根《ね》に |丸木柱《まるきばしら》に|笹《ささ》の|屋根《やね》
|厚《あつ》く|葺《ふ》いたる|神館《かむやかた》 |静《しづ》かに|建《た》てる|冠木門《かぶきもん》
|天然石《てんねんいし》を|敷《し》き|並《なら》べ |梅《うめ》と|松《まつ》との|庭園《ていゑん》を
|可《か》なりに|広《ひろ》く|繞《めぐ》らして |建《た》てる|館《やかた》は|四間造《よまづく》り
|奥《おく》の|離《はな》れの|一棟《ひとむね》は |高姫《たかひめ》さまが|書斎《しよさい》の|間《ま》
|萩《はぎ》の|小柴《こしば》を|編《あ》み|立《た》てて |造《つく》り|上《あ》げたる|文机《ふみづくゑ》
|天然石《てんねんいし》の|硯《すずり》をば お|鍋《なべ》が|味噌《みそ》を|摺《す》る|様《やう》に
|焼木杭《やけぼくくひ》をクリクリと |連木《れんぎ》の|様《やう》に|摺《す》り|減《へ》らし
|竹《たけ》の|篦《へら》にて|造《つく》りたる |筆《ふで》に|墨《すみ》をば|染《そ》ませつつ
|青《あを》く|乾《かわ》きし|芭蕉葉《ばせうば》に |何《なに》か|知《し》らねどスラスラと
|書《か》き|記《しる》し|居《を》る|時《とき》もあれ |門《もん》を|開《ひら》いて|入《い》り|来《きた》る
|高山彦《たかやまひこ》や|黒姫《くろひめ》の |姿《すがた》|眺《なが》めて|下男《しもをとこ》
|勝公《かつこう》|安公《やすこう》|両人《りやうにん》は |竜宮様《りうぐうさま》の|御入来《ごじゆらい》と
いと|丁寧《ていねい》に|腰《こし》|屈《かが》め |敬意《けいい》を|表《へう》せば|黒姫《くろひめ》は
|高姫《たかひめ》|様《さま》は|在宅《ざいたく》か |高山彦《たかやまひこ》の|夫婦《ふうふ》|連《づ》れ
|参《まゐ》りましたと|奥《おく》の|間《ま》へ |伝《つた》へてお|呉《く》れと|促《うなが》せば
ハイハイと|答《こた》へて|勝公《かつこう》は コレコレ|安公《やすこう》|門《もん》の|番《ばん》
しつかり|頼《たの》むと|言《い》ひ|捨《す》てて いそいそ|奥《おく》へ|駆《か》けて|行《ゆ》く
|暫《しばら》くありて|勝公《かつこう》は |二人《ふたり》の|前《まへ》に|腰《こし》|屈《かが》め
|高姫《たかひめ》さまの|仰《あふ》せには |待兼山《まちかねやま》の|時鳥《ほととぎす》
お|二人《ふたり》|共《とも》に|奥《おく》の|間《ま》へ |早《はや》くお|進《すす》み|下《くだ》さんせ
|以《もつ》ての|外《ほか》の|御機嫌《ごきげん》と |話《はな》せば|黒姫《くろひめ》|羽撃《はばた》きし
|高山彦《たかやまひこ》も|教服《けうふく》の |塵《ちり》|打払《うちはら》ひ|悠々《いういう》と
|細《ほそ》き|廊下《らうか》を|伝《つた》ひつつ |奥《おく》の|間《ま》さして|忍《しの》び|入《い》る
|高姫《たかひめ》は|別棟《べつむね》の|書斎《しよさい》から|廊下《らうか》|伝《づた》ひに|袴《はかま》も|着《つ》けず、|板縁《いたえん》をめきめき|云《い》はせ|乍《なが》ら、|稍《やや》|空向《そらむ》き|気味《ぎみ》になつて|奥《おく》の|間《ま》に|現《あら》はれ、|木《き》の|株《かぶ》を|切抜《きりぬ》いた|火鉢《ひばち》を|前《まへ》に|据《す》ゑ、|煎餅《せんべい》の|様《やう》な|薄《うす》い|座蒲団《ざぶとん》の|上《うへ》に|四角張《しかくば》つて、
|高姫《たかひめ》『コレハコレハ|高山彦《たかやまひこ》さまに|黒姫《くろひめ》さま、お|仲《なか》の|良《よ》いこと。|独身者《どくしんもの》の|高姫《たかひめ》の|前《まへ》にそんなお|目出度《めでた》いとこを|展開《てんかい》して|貰《もら》ひますと、|堪《たま》りませぬワ。オホヽヽヽ、まあまあ|御遠慮《ごゑんりよ》は|要《い》りませぬ。ズツと|奥《おく》へ|御通《おとほ》り|下《くだ》さい。………さう|遠慮《ゑんりよ》をして|貰《もら》うと、|肝心要《かんじんかなめ》の|話《はなし》も|見《み》えず、お|顔《かほ》も|聞《きこ》えず、|大変《たいへん》に|都合《つがふ》がよくありませぬワ』
と|態《わざ》とに|顔《かほ》が|聞《きこ》えぬの、|話《はなし》が|見《み》えぬのと、|脱線振《だつせんぶり》を|発揮《はつき》して、|高山彦《たかやまひこ》|夫婦《ふうふ》に|対《たい》し|大日《おほひ》の|照《て》るのに、|昼日中《ひるひなか》|気楽《きらく》|相《さう》に|夫婦《ふうふ》|連《づ》れでやつて|来《き》たのは、チツト|脱線《だつせん》ぢやないかとの|意味《いみ》を|仄《ほのめ》かして|居《ゐ》る。
|黒姫《くろひめ》の|顔《かほ》はサツと|変《かは》り、|高山彦《たかやまひこ》の|袂《たもと》をチヨイチヨイと|引張《ひつぱ》り、|早《はや》く|気《き》を|利《き》かして|貴方《あなた》はお|帰《かへ》りと|云《い》ふ|意味《いみ》を|私《ひそ》かに|示《しめ》した。
|高山彦《たかやまひこ》『コレ|黒姫《くろひめ》、お|前《まへ》は|何時《いつ》も|人《ひと》の|袂《たもと》をチヨイチヨイ|引張《ひつぱ》るが、|唖《おし》でもあるまいに、|何故《なぜ》|明瞭《はつきり》と|言《い》はないのだ。わしはそんな、|狐鼠々々《こそこそ》と|手真似《てまね》や|仕方《しかた》で|以心伝心《いしんでんしん》の|使分《つかひわ》けは|嫌《きら》ひだからなア』
|黒姫《くろひめ》『エー|気《き》の|利《き》かぬ……|瓢六爺《へうろくおやぢ》だなア。|高姫《たかひめ》さまが|最前《さいぜん》の|御言葉《おことば》、|貴方《あなた》は|何《なん》と|聞《き》きましたか。|竹生島《ちくぶしま》でも|仰有《おつしや》つた|通《とほ》り、|夫婦《ふうふ》ありては|御用《ごよう》の|出来《でき》ぬ|御道《おみち》だのに、|高山《たかやま》さまを|貰《もら》うてから、|私《わたし》の|間《ま》が|抜《ぬ》けたとキツパリ|仰有《おつしや》りましたでせう』
|高山彦《たかやまひこ》『オホヽヽヽ、いやもう|恐《おそ》れ|入《い》りました。|此《この》|高山彦《たかやまひこ》も|高姫《たかひめ》|様《さま》の|御精神《ごせいしん》に、|大賛成《だいさんせい》です』
|黒姫《くろひめ》|目《め》に|角《かど》を|立《た》て、|少《すこ》しく|口角《こうかく》より|泡《あわ》を|滲《にじ》ませ|乍《なが》ら、
|黒姫《くろひめ》『それ|程《ほど》|何々《なになに》さまがお|気《き》に|入《い》りますれば、どうぞ|御好《おす》きな|様《やう》になさいませ。|何《なん》と|云《い》つても|何時《いつ》も|貴方《あなた》の|仰有《おつしや》る|通《とほ》り、|色《いろ》の|黒《くろ》い|烏《からす》の|嫁《よめ》に、|首《くび》や|手足《てあし》の|長《なが》い|鶴《つる》の|婿《むこ》さまは|釣合《つりあ》ひませぬ。ヘン……|此《この》|頃《ごろ》の|空《そら》と|男《をとこ》の|心《こころ》、|折角《せつかく》|御邪魔《おじやま》を|致《いた》しましたが、|私《わたし》は|是《これ》で|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》ります。|高山彦《たかやまひこ》に|鷹鳥姫《たかとりひめ》|様《さま》、|高《たか》と|鷹《たか》との|情意《じやうい》|投合《とうがふ》、|私《わたし》も|是《これ》にて|断念《だんねん》|致《いた》します。こんな|厄介《やくかい》な|爺《おやぢ》を|誰《たれ》が|好《す》き|好《この》んでハズバンドにしたい|者《もの》が|御座《ござ》いませうか。|高姫《たかひめ》さまの|御紹介《ごせうかい》だと|思《おも》つてお|道《みち》の|為《ため》、|国家《こくか》の|為《ため》に|今迄《いままで》|辛抱《しんばう》して|参《まゐ》りました。|男鰥《をとこやもめ》に|蛆《うじ》が|湧《わ》く、|女鰥夫《をんなやもを》に|花《はな》が|咲《さ》く、ヘン…|済《す》まないが|私《わたし》だつて……ヘーン』
|高山彦《たかやまひこ》『|大変《たいへん》な|所《とこ》へ|鋒鋩《ほうばう》を|向《む》けるのだなア。ここを|何《なん》と|心得《こころえ》てる』
|黒姫《くろひめ》『ヘン、|仰有《おつしや》いますな、そんな|事《こと》の|分《わか》らぬ|様《やう》な|黒姫《くろひめ》ですかいな。|擬《まが》ふ|方《かた》なき|高姫《たかひめ》さまの|御館《おやかた》、|桶伏山《をけふせやま》の|朝日《あさひ》の|直刺《たださ》す|景勝《けいしよう》の|地《ち》、|小雲川《こくもがは》の|畔《ほとり》で|御座《ござ》んすぞえ』
|高姫《たかひめ》『オホヽヽヽ、|随分《ずゐぶん》|御気楽《おきらく》なことですな。|私等《わたしら》は|春《はる》の|花《はな》も|仲秋《ちうしう》の|月《つき》も、|楽《たの》しむ|暇《いとま》は|無《な》く、|何《なん》だか|神様《かみさま》の|為《ため》にかうヂツとして|居《ゐ》ても、|気《き》が|焦々《いらいら》し、|忙《せは》しくつてなりませぬワ。|小心者《せうしんもの》の|高姫《たかひめ》に|比《くら》べては、|余裕《よゆう》|綽々《しやくしやく》たる|御夫婦仲《ごふうふなか》、|実《じつ》にお|羨《うらや》ましう|御座《ござ》います。ホツホヽヽ』
|黒姫《くろひめ》『|今日《けふ》は|左様《さやう》な|貴女《あなた》の|嘲罵的《てうばてき》|御話《おはなし》を|聞《き》きに|参《まゐ》つたのぢや|御座《ござ》いませぬ。|国依別《くによりわけ》が|高姫《たかひめ》さまに|進上《しんじやう》して|呉《く》れと|云《い》つて、|妙《めう》な|物《もの》を|持《も》つて|来《き》ました。|開《あ》けて|見《み》れば|大変《たいへん》な|立派《りつぱ》な|重《ぢう》の|内《うち》、|上《うへ》に|一《ひと》つの|短冊《たんざく》が|載《の》つてゐる。|其《その》|文面《ぶんめん》には………|鮒《ふな》【もろこ】、|鯰《なまづ》【からかぎ】|鯉《こひ》に|鱒《ます》、|酒《さけ》の|肴《さかな》に|鰌《どぢやう》ニヨロニヨロ、【ふんぞくらい】に|砂《すな》【くぐり】、|石食《いしく》ひ|魚《うを》に|釜掴《かまつか》み、|直《すぐ》におあがり|下《くだ》さらねば、|直《ただち》に|石《いし》に|変化《へんくわ》する|虞《おそれ》あり………と|書《か》いてありました。こら|妙《めう》だと|開《あ》けて|見《み》れば、|不思議《ふしぎ》も|不思議《ふしぎ》、|上《うへ》の|重《ぢう》も|中《なか》の|重《ぢう》も|下《した》の|重《ぢう》も|残《のこ》らず|石《いし》ばつかり、|何程《なにほど》|国依別《くによりわけ》が|悪戯《いたづら》|好《ず》きだと|云《い》つても、まさか|石《いし》を|初《はじめ》から|持《も》つては|来《き》ますまい。|貴女《あなた》に|怒《おこ》られると|大変《たいへん》だと|思《おも》ひ、|一寸《ちよつと》|私《わたし》の|宅《たく》に|其《その》|儘《まま》|預《あづか》つておきました。どう|致《いた》しませうかな』
|高姫《たかひめ》|俄《にはか》に|面《つら》を|膨《ふく》らし、
|高姫《たかひめ》『|黒姫《くろひめ》サン』
と|言葉尻《ことばじり》をピンと|撥《は》ね、
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》さまは|余程《よつぽど》|良《よ》い|馬鹿《ばか》ですね』
|黒姫《くろひめ》『ヘー……』
|高山彦《たかやまひこ》『|何分《なにぶん》にも|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|様《さま》が|一《ひと》つ|島《じま》とやらへ、|御旅行《ごりよかう》|遊《あそ》ばした|不在宅《るすたく》のガラン|洞《どう》ですからなア、アハヽヽヽ』
|黒姫《くろひめ》『|情意《じやうい》|投合《とうがふ》のお|二人様《ふたりさま》、どうなつと|仰有《おつしや》りませ。あなたは|何時《いつ》も【サカナ】|理屈《りくつ》を|言《い》うてお【イシ】が|悪《わる》いから、|意趣《いしゆ》|返《がへ》しに|団子《だんご》|理屈《りくつ》………オツトドツコイ|団子石《だんごいし》を|国依別《くによりわけ》が|態《わざ》と|持《も》つて|来《き》たのでせう。そんな|事《こと》の|気《き》の|付《つ》かぬ|様《やう》な|黒姫《くろひめ》ぢや|御座《ござ》りませぬ。|金剛不壊《こんがうふえ》の|宝珠《ほつしゆ》でさへも|御呑《おの》み|遊《あそ》ばす|高姫《たかひめ》さまだから、|今度《こんど》はお|生憎様《あひにくさま》、|堅《かた》い|玉《たま》がないから、これなつと|御《お》あがり|遊《あそ》ばして、|腹《はら》の|虫《むし》を|御癒《おい》やしなされと|云《い》ふ、|国依別《くによりわけ》の|皮肉《ひにく》な|謎《なぞ》ですよ』
|高姫《たかひめ》『|兎《と》も|角《かく》|国依別《くによりわけ》を|招《よ》んで|来《き》ませうか。|本人《ほんにん》に|直接《ちよくせつ》|承《うけたま》はれば|一番《いちばん》|近道《ちかみち》だから………コレコレ|安公《やすこう》さま、お|前《まへ》ちよつと|御苦労《ごくらう》だが、|杢助館《もくすけやかた》の|隣《となり》の|豚小屋《ぶたごや》の|様《やう》な|小《ちひ》さい|家《うち》に、|国依別《くによりわけ》が|今頃《いまごろ》は|昼寝《ひるね》の|夢《ゆめ》でも|見《み》て|居《ゐ》るに|違《ちが》ひないから、|高姫《たかひめ》さまが|此《この》|間《あひだ》の|御礼《おれい》に|御馳走《ごちそう》をあげたい。|就《つ》いては|折入《をりい》つて|御頼《おたの》みしたい|事《こと》があるから、|最大急行《さいだいきふかう》で|御出《おい》で|下《くだ》さいと、|呼《よ》んで|来《く》るのだよ』
|安公《やすこう》『ハイ、さう|御註文《ごちうもん》|通《どほ》り、|国依別《くによりわけ》さまが|来《き》て|呉《く》れませうかな』
|高姫《たかひめ》『|来《こ》いでかい。もし|来《こ》なかつたら……|系統《ひつぽう》の|生宮《いきみや》の|命令《めいれい》を|何故《なぜ》|聞《き》かないか、|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|何《なん》と|心得《こころえ》て|御座《ござ》る……と|一本《いつぽん》、|槍《やり》を|突《つ》つ|込《こ》んでおくのだ。さうすると|国依別《くによりわけ》は|取《と》るものも|取《と》り|敢《あへ》ず、スタスタとやつて|来《く》るよ。サア|早《はや》く|往《い》つてお|呉《く》れ』
|安公《やすこう》『アイ』
と|一声《ひとこゑ》|後《あと》に|残《のこ》し、|国依別《くによりわけ》の|矮屋《わいをく》の|前《まへ》に|走《はし》り|着《つ》いた。
|安公《やすこう》『もしもし、|国《くに》の|大将《たいしやう》さま、|大変《たいへん》だ。|高姫《たかひめ》さまの|御居間《おゐま》で|高山彦《たかやまひこ》と|黒姫《くろひめ》が|夫婦《ふうふ》|喧嘩《げんくわ》をおつ|始《ぱじ》め、|組《く》んず|組《く》まれつ、|乱痴気《らんちき》|騒《さわ》ぎ、イヤもう|大変《たいへん》な|事《こと》ですよ。それに|就《つい》て、|国依別《くによりわけ》が|愚図々々《ぐづぐづ》|吐《ぬか》すと、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》だ、|系統《ひつぽう》の|身魂《みたま》を|何《なん》と|心得《こころえ》てる……と|云《い》うて|剣突《けんつく》を……ドツコイ|違《ちが》うた。|槍《やり》を|一本《いつぽん》|突《つ》つ|込《こ》んで|帰《かへ》れと|仰有《おつしや》つた。もう|邪魔臭《じやまくさ》いから|何《なに》も|彼《か》も|一緒《いつしよ》に|申《まを》し|上《あ》げますワ』
|国依別《くによりわけ》『アハヽヽヽ、|夫婦《ふうふ》|喧嘩《げんくわ》ぢやあるまい、|石《いし》の|問題《もんだい》だらう、|此《この》|頃《ごろ》は|陽気《やうき》が|悪《わる》いで、|早《はや》く|料理《れうり》するか、|煮《に》しめん|事《こと》にや、|石《いし》に|変化《へんくわ》して|了《しま》ふさうだ。|山《やま》の|芋《いも》が|鰻《うなぎ》になつたり、|鮒《ふな》が|化石《くわせき》したり、|青雲山《せいうんざん》ぢやないが、|木《き》の|枝《えだ》に|魚《さかな》が|実《な》つたり、|川《かは》の|瀬《せ》に|兎《うさぎ》が|泳《およ》いだりする|例《ため》しもあるからなア』
|安公《やすこう》『|国《くに》さま、|最大急行《さいだいきふかう》だよ。|早《はや》う|来《き》て|貰《もら》はないと、|高姫館《たかひめやかた》は|地震《ぢしん》|雷《かみなり》|火《ひ》の|車《くるま》、|地異天変《ちいてんぺん》のガラガラ、ドタンバタンの|幕《まく》が|下《お》りる。|急行《きふかう》|々々《きふかう》』
と|国依別《くによりわけ》の|手《て》を|取《と》りて|無理《むり》に|表《おもて》へ|引摺《ひきず》り|出《だ》す。
|国依別《くによりわけ》『オイ|安公《やすこう》、|手《て》を|放《はな》せ。コレから|往《い》つてやらう』
と|先《さき》に|立《た》ち|高姫《たかひめ》の|館《やかた》に|行《ゆ》かんとする|時《とき》、|秋彦《あきひこ》は|後《あと》より|走《はし》り|寄《よ》つて、
|秋彦《あきひこ》『|国依別《くによりわけ》さま、どこへ|御出《おい》で|遊《あそ》ばす、|高姫館《たかひめやかた》ぢやありませぬか』
|国依別《くによりわけ》『オウさうだ。これから|一談判《ひとだんぱん》|始《はじ》まる|所《ところ》だ。お|前《まへ》も|来《こ》ぬか、|随分《ずゐぶん》|面白《おもしろ》いぞ』
|秋彦《あきひこ》『|有難《ありがた》う、サア|参《まゐ》りませう。……オイ|安公《やすこう》、しつかり|案内《あんない》せいよ。|何分《なにぶん》|天地《てんち》|暗澹《あんたん》、|黒姫《くろひめ》の|世《よ》の|中《なか》ですから、|道路《だうろ》の|石《いし》の|高姫《たかひめ》に|躓《つまづ》いて、|鼻《はな》の|高山彦《たかやまひこ》を|台無《だいな》しにしちや|堪《たま》らないからなア、アツハヽヽヽ』
と|嘲笑《あざわら》ひ|乍《なが》ら、スタスタと|高姫《たかひめ》の|門前《もんぜん》|迄《まで》|立向《たちむか》うた。|秋彦《あきひこ》は|形《かたち》|計《ばか》りの|門《もん》を|開《ひら》いて|先《さき》へ|飛《と》び|込《こ》み、|少《すこ》しく|腰《こし》を|曲《ま》げ、|右《みぎ》の|手指《てゆび》を|固《かた》めて|細《ほそ》くし|乍《なが》ら、
|秋彦《あきひこ》『コレハコレハ|国依別《くによりわけ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|妾《わらは》が|如《ごと》き|見窄《みすぼ》らしき|茅屋《あばらや》へよくこそ|御入来《ごじゆらい》|下《くだ》さいました。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》、|心《こころ》の|底《そこ》より|光栄《くわうえい》に|存《ぞん》じます。|又《また》|先達《せんだつ》ては|黒姫《くろひめ》|様《さま》の|御手《おて》を|通《とほ》し、|結構《けつこう》な|結構《けつこう》な|堅《かた》いお|魚《さかな》を|沢山《たくさん》に|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しまして|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|何《なに》か|御返礼《ごへんれい》をしたいと|思《おも》ひましても、|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り|貧家《ひんか》に|暮《くら》す|高姫《たかひめ》、|御礼《おれい》の|仕様《しやう》も|厶《ござ》いませぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら|折釘《をれくぎ》の【かます】|子《ご》に、|最後屁《さいごべ》の【かます】、|手製《てせい》の|左巻《ひだりま》き、【かいちう】|虫《むし》の|饂飩《うどん》、|雪隠虫《せつちんむし》の|汁《しる》の|子《こ》、|青菜《あをな》に|塩《しほ》の|蛭《ひる》の|素麺《そうめん》、|蛇《へび》の|蒲焼《かばやき》、|蛙《かはづ》の|吸物《すひもの》、【なめくじ】の|胡瓜《きうり》|揉《も》み、どうぞ|御遠慮《ごゑんりよ》なく、サア|奥《おく》へチヤツと|行《い》つて|腹一杯《はらいつぱい》おあがり|下《くだ》さいませ。ホツホヽヽヽ、あのマア|国依別《くによりわけ》さまの|御迷惑《ごめいわく》|相《さう》な|御顔付《おかほつき》…』
|国依別《くによりわけ》『コレコレ|鹿《しか》さま……ではない……お|鹿《しか》さま。いい|加減《かげん》に|戯談《ぜうだん》|仰有《おつしや》いませ』
|秋彦《あきひこ》『お|鹿《しか》さまが|申《まを》すのでは|厶《ござ》いませぬ。|高姫《たかひめ》さまの|副守護神《ふくしゆごじん》が|此《この》|門《もん》を|入《はい》るや|否《いな》や|神憑《かむがか》りされまして、|斯様《かやう》な|事《こと》を|仰有《おつしや》ります。|決《けつ》して|秋彦《あきひこ》のお|鹿《しか》が|言《い》うたとは|思《おも》つて|下《くだ》さいますな、オホヽヽヽ』
と|出歯《でば》の|口《くち》を|無理《むり》にオチヨボ|口《ぐち》にしようと|努《つと》むる|可笑《をか》しさ。
|国依別《くによりわけ》『|左様《さやう》ならば、|遠慮《ゑんりよ》なしに|罷《まか》り|通《とほ》るツ。|出歯鹿殿《でばしかどの》、|案内《あんない》|召《め》され』
|安公《やすこう》『アハヽヽヽ、|門芝居《かどしばゐ》がお|上手《じやうづ》な|事《こと》、|高姫《たかひめ》さまが|御覧《ごらん》になつたら|嘸《さぞ》|御笑《おわら》ひでせう…イヤ|腮《あご》を|外《はづ》してひつくり|返《かへ》り、|又《また》もや|外科医者《げくわいしや》を|頼《たの》みに|行《ゆ》かねばならない|様《やう》なことが|突発《とつぱつ》したら、|又候《またぞろ》……|安公《やすこう》さま、|御苦労《ごくらう》|乍《なが》ら、お|前《まへ》|一寸《ちよつと》|外科医《げくわい》の|山井養仙《やまゐやうせん》さま|所《とこ》へ、|最大急行《さいだいきふかう》で|頼《たの》みに|往《い》つて|呉《く》れ……なんて|仰有《おつしや》るのは|目《ま》のあたりだ、|腮《あご》|阿呆《あほ》らしい。ワツハヽヽヽ』
|国依別《くによりわけ》『|汝《なんぢ》|安公《やすこう》とやら、|今日《こんにち》|只今《ただいま》より|国依別《くによりわけ》が|直接《ちよくせつ》の|家来《けらい》となし、|名《な》を|安彦《やすひこ》と|授《さづ》くる。|其《その》|積《つも》りで|国依別《くによりわけ》に|随《つ》いて|来《く》るがよからう』
|安公《やすこう》『コレハコレハ|思《おも》ひもよらぬ|御恩命《ごおんめい》、|安彦《やすひこ》の|宣伝使《せんでんし》、|確《たし》かに|御恩命《ごおんめい》を|拝《はい》しませぬ、アタ|阿呆《あほ》らしい、|言依別神《ことよりわけのかみ》|様《さま》から|頂《いただ》くのなら、|結構《けつこう》だが、|巡礼《じゆんれい》|上《あが》りの|胸《むね》の|悪《わる》い|宗彦《むねひこ》に|宣伝使《せんでんし》を|任命《にんめい》されて|堪《たま》らうかい』
|秋彦《あきひこ》『どうでも|良《よ》いぢやないか。|兎《と》も|角《かく》|頂戴《ちやうだい》しておけ。お|前《まへ》は|松鷹彦《まつたかひこ》になるのだよ。さうしておれはお|勝《かつ》になつて、|此《この》|宗彦《むねひこ》さまと|巡礼《じゆんれい》に|歩《ある》くのだ。|少《すこ》し|川《かは》は|届《とど》かぬけれど、あの|小雲川《こくもがは》を|宇都山川《うづやまがは》と|見做《みな》し、|高姫館《たかひめやかた》を|松鷹彦《まつたかひこ》の|茅屋《あばらや》に|擬《ぎ》し、|茲《ここ》で|一《ひと》つ|面白《おもしろ》い|芝居《しばゐ》をやるのだな』
|安公《やすこう》『そんな|事《こと》|言《い》つたつて、|松鷹彦《まつたかひこ》がどうするのか、ちつとも|分《わか》らぬだないか』
|国依別《くによりわけ》『そこは|臨機応変《りんきおうへん》だ。そこは……|此方《こち》から|言《い》ふのに|応《おう》じて|答《こた》へればよいのだ。お|前《まへ》は|霊界物語《れいかいものがたり》の|如意宝珠《によいほつしゆ》の|未《ひつじ》の|巻《まき》を|読《よ》んで|居《ゐ》ないから、|其《その》|間《かん》の|消息《せうそく》が|分《わか》るまいが、|其《その》|時《とき》は|又《また》|其《その》|時《とき》の|絵《ゑ》を|書《か》くのだ』
|安公《やすこう》『よし、|棹《さを》が|無《な》いが、|茲《ここ》にチツと|太《ふと》いけれど|物干《ものほ》し|竿《ざを》がある、これでマア|鷹《たか》や|鴉《からす》を|釣《つ》ることにしようかい。サア|早《はや》く|巡礼《じゆんれい》|御夫婦《ごふうふ》、やつて|来《き》なさいや』
|国依別《くによりわけ》『よし、ここを|川辺《かはべ》と|見做《みな》し、|向《むか》ふから|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひつつやつて|来《く》るから、お|前《まへ》は|太公望《たいこうばう》|気取《きど》りで|竿《さを》を|垂《た》れて|居《ゐ》るのだ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|国依別《くによりわけ》、|秋彦《あきひこ》は|門《もん》を|出《で》て|一二丁《いちにちやう》|後返《あとがへ》りをなし、|出鱈目《でたらめ》の|歌《うた》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|進《すす》んで|来《く》る。
|安公《やすこう》は|庭先《にはさき》の|飛石《とびいし》を|川《かは》の|瀬《せ》と|見做《みな》し、|物干《ものほ》し|竿《ざを》の|先《さき》に|藤蔓《ふぢづる》を|糸《いと》の|代《かは》りに|付《つ》け、|太公望《たいこうばう》|気取《きど》りで|魚釣《うをつ》りの|真似《まね》をして|居《ゐ》る。そこへ|勝公《かつこう》が|飛《と》んで|来《き》て、
|勝公《かつこう》『オイ|安《やす》、|貴様《きさま》|何《なに》して|居《ゐ》るのだ。|最前《さいぜん》から|高姫《たかひめ》さまが|大変《たいへん》に|御待兼《おまちかね》だ、まだ|使《つかひ》に|行《ゆ》かぬのか』
|安公《やすこう》『|喧《やかま》しく|云《い》ふない、|無声霊話《むせいれいわ》をかけて|招《よ》んであるのだ。|俺《おれ》は|武志《たけし》の|宮《みや》の|松鷹彦《まつたかひこ》だぞ。まあグヅグヅして|居《ゐ》るより|見《み》てをれ、かうして|居《を》れば|国依別《くによりわけ》や|秋彦《あきひこ》が|引《ひ》つかかつて|来《く》るのだよ。|俺《おれ》が|此《この》|竿《さを》を|振《ふ》るや|否《いな》や、|妙《めう》な|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つてツルツルツルと|引摺《ひきず》られて|来《く》るのだ』
|勝公《かつこう》『そんな|馬鹿《ばか》な|事《こと》があるものか。|是《これ》から|高姫《たかひめ》|様《さま》に|注進《ちうしん》するぞ』
と|云《い》ひすてて、|屋内《をくない》に|隠《かく》れた。|国依別《くによりわけ》はどこで|寄《よ》せて|来《き》たか、|蓑笠《みのかさ》を|被《かぶ》り、|俄作《にはかづく》りの|金剛杖《こんがうづゑ》を|突《つ》き、
|国依別《くによりわけ》『|嬶《かか》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》ぢや|悪《あく》ぢやと|立騒《たちさわ》ぐ
|此《この》|世《よ》の|困《こま》つた|娑婆塞《しやばふさ》ぎ |乞食心《こじきごころ》の|高姫《たかひめ》が
|只《ただ》|玉々《たまたま》と|朝夕《あさゆふ》に |心《こころ》を|焦《いら》つ|気《き》の|毒《どく》さ
われは|宗彦《むねひこ》バラモンの |神《かみ》の|教《をしへ》の|修験者《しうげんじや》
|殺生《せつしやう》するのは|善《よ》くないと |高姫《たかひめ》さまが|言《い》うた|故《ゆゑ》
|小雲《こくも》の|川《かは》におり|立《た》つて |生物《せいぶつ》|擁護《ようご》の|実行《じつかう》と
|無心《むしん》|無霊《むれい》の|団子石《だんごいし》 |魚《さかな》と|見做《みな》して|釣《つ》り|上《あ》げる
|手間暇《てまひま》|要《い》らぬ|漁《すなど》りは |経済上《けいざいじやう》の|大便利《だいべんり》
|刃物《はもの》も|要《い》らねば|煮《に》る|世話《せわ》も |一寸《ちよつと》も|要《い》らぬ|石《いし》の|魚《うを》
さざれ|石《いし》さへ|年《とし》|経《ふ》れば |巌《いはほ》となりて|苔《こけ》が|蒸《む》す
|瓢箪《へうたん》からも|駒《こま》が|出《で》る |団子石《だんごいし》とて|馬鹿《ばか》にはならぬ
|如意《によい》の|宝珠《ほつしゆ》や|紫《むらさき》の |玉《たま》に|変《かは》るか|分《わか》らない
サア|是《これ》からは|是《これ》からは |宇都《うづ》の|河原《かはら》の|川辺《かはべり》に
|松鷹彦《まつたかひこ》の|庵《いほ》を|訪《と》ひ |一《ひと》つ|談判《だんぱん》してやらう
|秋公《あきこう》|来《きた》れ|早《はや》|来《きた》れ オツと|違《ちが》うた|妻《つま》お|勝《かつ》
|教《をしへ》の|道《みち》の|兄弟《きやうだい》が |夫婦気取《ふうふきどり》で|面白《おもしろ》く
|高姫川《たかひめがは》の|川堤《かはづつみ》 やつて|来《き》たのは|安公《やすこう》が
|芝居気取《しばゐきどり》の|太公望《たいこうばう》 もうし もうしお|爺《ぢい》さま
お|前《まへ》は|古《ふる》い|年《とし》をして |水《みづ》なき|川《かは》に|竿《さを》を|垂《た》れ
|何《なに》を|釣《つ》るのか|気《き》が|知《し》れぬ |諸行無常《しよぎやうむじやう》や|是生滅法《ぜしやうめつぽふ》
|高姫《たかひめ》さまの|目的《もくてき》は |寂滅為楽《じやくめつゐらく》となるであろ
|黒姫《くろひめ》さまや|高山《たかやま》の |女大黒《をんなだいこく》|福禄寿面《げほうづら》
|慾《よく》の|川原《かはら》に|竿《さを》たれて |金剛不壊《こんがうふえ》の|玉《たま》の|魚《うを》
|釣《つ》らむとするも|辛《つら》からう |慾《よく》につられて|高姫《たかひめ》が
|南洋《なんやう》|三界《さんかい》|駆《か》け|巡《めぐ》り |黒《くろ》くなつたる|面《つら》の|皮《かは》
つらつら|思《おも》ひ|廻《めぐ》らせば |燻《くすぼ》り|返《かへ》つた|釣《つ》られ|鯛《だい》
|睨《にら》み|合《あ》うたる|二人仲《ふたりなか》 |恵比須《ゑびす》でさへも|尾《を》を|巻《ま》いて
|跣足《はだし》でサツサと|逃《に》げて|行《ゆ》く あゝ|気《き》の|毒《どく》や|気《き》の|毒《どく》や
|安公《やすこう》までが|国《くに》さまの |言葉《ことば》に|釣《つ》られて|慾《よく》の|川《かは》
|物干竿《ものほしざを》に|綱《つな》をつけ |宗彦《むねひこ》お|勝《かつ》の|巡礼《じゆんれい》が
|茲《ここ》に|来《きた》るを|待暮《まちくら》す あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|叶《かな》はん|事《こと》が|出来《でき》て|来《き》た |高姫《たかひめ》さまが|腹《はら》を|立《た》て
コレコレ|国《くに》よ|国公《くにこう》よ |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》を
|馬鹿《ばか》にするのも|程《ほど》がある |何程《なにほど》|呑《の》み|込《こ》みよい|妾《わし》も
|歯節《はぶし》の|立《た》たぬ|団子石《だんごいし》 |団子理屈《だんごりくつ》を|捏《こ》ねやうと
|二重《にぢう》|三重《さんぢう》に|封《ふう》をして |持《も》つて|来《き》たのが|憎《にく》らしい
|此《この》|因縁《いんねん》を|聞《き》かうかと |面《つら》ふくらして|飛《と》びかかり
|胸倉《むなぐら》とつて|一騒《ひとさわ》ぎ おつ|始《ぱじ》まるに|違《ちがひ》ない
スワ|一大事《いちだいじ》と|言《い》ふ|時《とき》に |逃《に》げる|用意《ようい》をしておかう
|秋公《あきこう》|横門《よこもん》|開《あ》けておけ まさか|厠《かはや》の|股《また》げ|穴《あな》
|脱《ぬ》け|出《だ》す|訳《わけ》にも|行《ゆ》かうまい |太公望《たいこうばう》の|安公《やすこう》よ
もう|釣竿《つりざを》は|流《なが》すのだ |是《これ》から|釣《つ》るのは|高姫《たかひめ》ぢや
もうし もうし|高山《たかやま》の |福禄寿爺《げほうおやぢ》と|黒《くろ》さまは
|当家《たうけ》におゐで|遊《あそ》ばすか |一寸《ちよつと》お|尋《たづ》ね|致《いた》します』
|此《この》|声《こゑ》|聞《き》いて|勝公《かつこう》は |戸口《とぐち》をガラリ|引《ひき》あけて
『|賤《いや》しき|巡礼《じゆんれい》の|二人連《ふたりづれ》 |国依別《くによりわけ》や|秋彦《あきひこ》に
よう|似《に》た|声《こゑ》を|出《だ》しやがつて |瞞《だま》しに|来《き》てもそりやあかぬ
スツカリ|駄目《だめ》だと|諦《あきら》めて |早《はや》く|帰《かへ》つて|下《くだ》さんせ
|巡礼《じゆんれい》なぞのノソノソと |出《で》て|来《く》る|場所《ばしよ》ではない|程《ほど》に
|高姫《たかひめ》さまが|見付《みつ》けたら |長《なが》い|柄杓《ひしやく》に|水《みづ》|汲《く》んで
|頭《あたま》の|上《うへ》からザブザブと |熱《ねつ》|吹《ふ》きかけるに|違《ちがひ》ない
|犬《いぬ》ぢやなけれど|尾《を》を|振《ふ》つて |一時《いちじ》も|早《はや》く【イヌ】がよい
ワンワンワンと【いが】み|合《あ》ひ |喧嘩《けんくわ》をされては|堪《たま》らない
|巡礼《じゆんれい》に|化《ば》けた|国《くに》さまや |秋《あき》さま|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》
|危険区域《きけんくゐき》を|逸早《いちはや》く |逃《のが》れてお|帰《かへ》り|下《くだ》さんせ
|奥《おく》に|高姫《たかひめ》|黒姫《くろひめ》が |額《ひたひ》の|静脈《じやうみやく》|血《ち》を|充《み》たし
|青筋《あをすぢ》|立《た》てて|控《ひか》へ|居《を》る』 |早《はや》く|早《はや》くと|手《て》を|拡《ひろ》げ
つき|出《だ》す|様《やう》な|真似《まね》をする。
|高姫《たかひめ》は|門口《かどぐち》の|怪《あや》しき|声《こゑ》に、|黒姫《くろひめ》、|高山彦《たかやまひこ》を|奥《おく》の|間《ま》に|残《のこ》し、|自《みづか》ら|茲《ここ》に|現《あら》はれ、
|高姫《たかひめ》『|勝公《かつこう》さま、お|前《まへ》|今《いま》|何《なに》を|言《い》つて|居《ゐ》たの、どこに|私《わし》が|青筋《あをすぢ》を|立《た》てて|居《ゐ》ますか』
|勝公《かつこう》『イイエ|滅相《めつさう》もない、そんな|事《こと》は|申《まを》した|覚《おぼ》えはテンで|厶《ござ》いませぬ。|今《いま》そんな|男《をとこ》が|一寸《ちよつと》やつて|来《き》ましたので、|高姫《たかひめ》さまのお|目《め》にかけたら、|嘸《さぞ》お|笑《わら》ひ|遊《あそ》ばすだらうと|云《い》つて|居《ゐ》たので|厶《ござ》います……それ、そこに|乞食《こじき》|巡礼《じゆんれい》が|二人《ふたり》|立《た》つて|居《ゐ》ませうがなア。|一人《ひとり》は|宗彦《むねひこ》、|一人《ひとり》はお|勝《かつ》、もう|一人《ひとり》は|松鷹彦《まつたかひこ》、|慾《よく》の|川《かは》で|竿《さを》をたれ、|鷹《たか》とか|鴉《からす》とか【つる】とか|言《い》つて|居《ゐ》ました。……ヘーまあ、|何《なん》で|厶《ござ》います、ザツと|此《この》|通《とほ》りで』
とモヂモヂして|頭《あたま》を|掻《か》く。
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》は|国依別《くによりわけ》さま、|秋彦《あきひこ》の|両人《りやうにん》でせう。|大《だい》それた|悪戯《いたづら》をなさつて、|此《この》|高姫《たかひめ》に|合《あは》す|顔《かほ》がなくなり、|蓑笠《みのかさ》を|被《かぶ》つて|元《もと》の|宗彦《むねひこ》|時代《じだい》に|立返《たちかへ》り、|心《こころ》の|底《そこ》から|改心《かいしん》を|致《いた》しました、と|云《い》ふ|証拠《しようこ》でやつて|来《き》たのだらう。そんな|芸当《げいたう》は|世界《せかい》の|見《み》え|透《す》く|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|前《まへ》では|通用《つうよう》|致《いた》しませぬぞえ。サアサア|早《はや》く|正体《しやうたい》を|現《あら》はして|這入《はい》つて|下《くだ》さい』
|国依別《くによりわけ》『|幽霊《いうれい》の|正体《しやうたい》|見《み》たり|枯尾花《かれをばな》。
たそがれて|山《やま》|低《ひく》う|見《み》る|薄《すすき》かな』
|高姫《たかひめ》『|俄《にはか》に|風流人《ふうりうじん》めいた|事《こと》を|言《い》つて、|誤魔化《ごまくわ》さうと|思《おも》つてもあきませぬぞや。サアサアとつとと|這入《はい》つて|下《くだ》さい。お|前《まへ》さまに|尋《たづ》ねたい|因縁《いんねん》があるのだから……』
|国依別《くによりわけ》『|因縁《いんねん》の|玉《たま》を|集《あつ》むる|此《この》|館《やかた》……|因縁《いんねん》つける|高姫《たかひめ》|大根《だいこん》……
|旅役者《たびやくしや》|大根《だいこん》と|聞《き》いて|顔《かほ》しかめ。
|大根役者《だいこんやくしや》どこやらとなく|魂《たま》が|脱《ぬ》け。
|玉《たま》おちのラムネぶつぶつ|泡《あわ》を|吹《ふ》き。
|今《いま》|抜《ぬ》いたラムネの|泡《あわ》や|高姫《たかひめ》……オツト|高《たか》く|飛《と》び。
|黒姫《くろひめ》の|様《やう》な|葡萄酒《ぶだうしゆ》|萩《はぎ》の|茶屋《ちやや》。
|高山《たかやま》も|低《ひく》う|見《み》ゆるや|萩《はぎ》の|花《はな》。
|如意宝珠《によいほつしゆ》|空《そら》に|輝《かがや》く|秋《あき》の|月《つき》。
|秋彦《あきひこ》の|空《そら》|高《たか》くして|馬《うま》は|肥《こ》え』
|高姫《たかひめ》『コレコレ、|国《くに》さま、|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》|言《い》つて|居《ゐ》るのだ。|這入《はい》れと|云《い》つたら、|這入《はい》りなさい』
|国依別《くによりわけ》『|這入《はい》れよと|言《い》はれて|躊躇《ためら》ふ|熱《あつ》い|風呂《ふろ》。
|風呂吹《ふろぶき》を|喰《く》はぬ|役者《やくしや》の|子供《こども》|哉《かな》。
|大根《だいこん》の|役者《やくしや》の|芝居《しばゐ》チヨボ|葱《ねぶか》』
|高姫《たかひめ》『エー、|辛気《しんき》|臭《くさ》い。|気《き》が|咎《とが》めて|閾《しきひ》が|高《たか》いのだな』
|国依別《くによりわけ》『|高姫《たかひめ》の|敷居《しきゐ》の|慾《よく》に|股《また》が|裂《さ》け。
|股《また》|裂《さ》けた|五《いつ》つの|玉《たま》は|不在《るす》の|間《ま》に。
|黒姫《くろひめ》は|酒《さけ》より|男《をとこ》|好《す》きと|言《い》ひ。
|高山《たかやま》に|黒雲《くろくも》|起《おこ》り|日《ひ》は|隠《かく》れ。
|東天《とうてん》に|日《ひ》の|出《で》の|光《ひかり》|暗《やみ》は|晴《は》れ。
|堂々《だうだう》と|国依別《くによりわけ》は|進《すす》み|入《い》り』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら|秋彦《あきひこ》を|伴《ともな》ひ、|高姫《たかひめ》に|先立《さきだ》つて|奥《おく》の|間《ま》に|進《すす》み|入《い》る。
|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》、|高山彦《たかやまひこ》、|国依別《くによりわけ》、|秋彦《あきひこ》の|五《いつ》つの|頭《あたま》は|火鉢《ひばち》を|中《なか》に|置《お》いて、|五弁《ごべん》の|梅《うめ》の|花《はな》の|開《ひら》いた|様《やう》に|行儀《ぎやうぎ》よく|並《なら》んだ。
|国依別《くによりわけ》『|明月《めいげつ》や|高山頭《たかやまがしら》に|照《て》り|渡《わた》り。
|高山《たかやま》を|透《す》かして|見《み》れば|星《ほし》|低《ひく》し』
|高姫《たかひめ》『|国依別《くによりわけ》さま、|此《この》|間《あひだ》は|御心《おこころ》を|籠《こ》められた|沢山《たくさん》な|魚《さかな》を|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しまして、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。これには|何《なに》か|御意趣《ごいしゆ》のあることで|御座《ござ》いませう。サア|其《その》|因縁《いんねん》から|包《つつ》まず|隠《かく》さず|聞《き》かして|下《くだ》され』
|国依別《くによりわけ》『|和知川《わちがは》に|洗《あら》ひ|曝《さら》した|石《いし》の|玉《たま》、|我《われ》は|尊《たふと》き|人《ひと》に|捧《ささ》げつ。
|身魂相応《みたまさうおう》|堅《かた》くなつたる|石《いし》の|玉《たま》。
|石《いし》よりも|堅《かた》い|決心《けつしん》|感《かん》じ|入《い》り。
|激流《げきりう》に|揉《も》まれて|石《いし》は|円《まる》くなり。
|瀬《せ》を|早《はや》み|岩《いは》に|堰《せ》かれて|石《いし》の|魚《うを》』
|高姫《たかひめ》『エーもどかしい。そんなむつかしい|事《こと》を|言《い》つて|分《わか》りますかいな。|救世軍《きうせいぐん》のブース|大将《たいしやう》が|言《い》つた|事《こと》を|知《し》つて|居《ゐ》ますか。|例《たと》へば|一軒《いつけん》の|家《うち》でも|一番《いちばん》|小《ちい》さい|三《み》つ|児《ご》か、|無学《むがく》な|下女《げぢよ》に|分《わか》る|言葉《ことば》でなければ|名語《めいご》ぢやありませぬぞ。|俳人気取《はいじんきど》りで|何《なに》を|駄句《だく》るのだ。お|前《まへ》さまチツト|此《この》|頃《ごろ》はどうかしとりますねえ。|小雲川《こくもがは》で|一《ひと》つ|顔《かほ》を|冷《ひや》し|目《め》を|醒《さ》まして|来《き》なさい』
|国依別《くによりわけ》『|底《そこ》までも|澄《す》みきりにけり|秋《あき》の|水《みづ》。
|秋《あき》の|水《みず》|腐《くさ》つて|居《を》れどいと|清《きよ》し。
|清《きよ》らかな|水《みづ》には|棲《す》まぬ|鮒《ふな》もろこ。
|濁江《にごりえ》の|深《ふか》きに|魚《うを》は|潜《ひそ》むとも など|川蝉《かはせみ》の|取《と》らでおくべき』
|高姫《たかひめ》『おきなさんせ、|大石内蔵之助《おほいしくらのすけ》の|真似《まね》をしたり、|何《なに》も|知《し》らぬと|言《い》へば|調子《てうし》に|乗《の》つて、|人《ひと》の|歌《うた》まで|自分《じぶん》が|作《つく》つた|様《やう》な|顔《かほ》をしようと|思《おも》つて……|本当《ほんたう》にお|前《まへ》は|歌泥坊《うたどろばう》だ』
|国依別《くによりわけ》『|床《ゆか》の|下《した》|深《ふか》きに|玉《たま》は|隠《かく》すとも
など|高姫《たかひめ》の|取《と》らでおくべき。アツハヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『コレ|国《くに》さま、どこまでも|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にするのかい』
|国依別《くによりわけ》『|馬鹿野郎《ばかやろう》|夜這《よばひ》の|晨《あした》|狼狽《らうばい》し ゆき|詰《つま》りては|胸《むね》も|高姫《たかひめ》。………|動悸《どうき》は|玉《たま》の|置所《おきどころ》。
|竜宮《りうぐう》へおと|姫《ひめ》したかと|気《き》を|焦《いら》ち |世界《せかい》|隈《くま》なく|探《さが》す|馬鹿者《ばかもの》』
|高姫《たかひめ》『コレ|黒姫《くろひめ》さま、|国《くに》さまに|是《これ》|丈《だけ》|馬鹿《ばか》にされてお|前《まへ》さま|何《なん》ともありませぬか。チツト|日頃《ひごろ》の|弁舌《べんぜつ》をお|使《つかひ》なさつたらどうですかい』
|黒姫《くろひめ》『|何《なん》だか|人間《にんげん》らしうないので、|話《はなし》の|仕様《しやう》がありませぬもの』
|国依別《くによりわけ》『|人間《にんげん》を|超越《てうゑつ》したり|神司《かむづかさ》。
|黒雲《くろくも》に|包《つつ》まれ|星《ほし》は|影《かげ》|潜《ひそ》め。
|高山《たかやま》に|黒雲《くろくも》|懸《かか》り|雨《あめ》は|降《ふ》り。
|涙川《なみだがは》|忽《たちま》ち|濁《にご》る|玉《たま》の|雨《あめ》』
|黒姫《くろひめ》『コレ|高山《たかやま》さま、|今《いま》|国《くに》さまがどうやらお|前《まへ》さまや|妾《わたし》の|事《こと》を、|俳句《はいく》とやらで|罵倒《ばたふ》して|居《ゐ》るやうだ。お|前《まへ》さまも|立派《りつぱ》な|男《をとこ》だないか、|何《なん》とか|一《ひと》つ|言霊《ことたま》で|遣《や》り|返《かへ》し、|国《くに》を|遣《や》り|込《こ》めて|了《しま》ふ|丈《だけ》の|甲斐性《かひしやう》は|無《な》いのかい』
|高山彦《たかやまひこ》『|苦《く》にするな|国依別《くによりわ》けて|大切《たいせつ》な
げほう|頭《あたま》は|如意宝珠《によいほつしゆ》……|光《ひかり》は|玉《たま》の|如《ごと》くなりけり』
|黒姫《くろひめ》『|高山《たかやま》さま、|自分《じぶん》の|事《こと》を|言《い》つてるのだないか。|国《くに》さまに|対《たい》して|言《い》ふのだよ。エーエ、|鈍《どん》な|男《をとこ》に|緞子《どんす》の|羽織《はおり》、|女房《にようばう》も|随分《ずゐぶん》|気《き》の|揉《も》める|事《こと》だなア。そんなら|妾《わたし》が|代《かは》つて|言《い》ひませう。|聞《き》いて|居《ゐ》なされ、|斯《こ》う|云《い》ふのだよ。……
|黒姫《くろひめ》の|黒《くろ》い|眼《まなこ》で|睨《にら》んだら
|神《かみ》の|国依別《くによりわけ》もなく|散《ち》る
|桜《さくら》の|花《はな》は|神風《かみかぜ》に
|吹《ふ》かれてバラバラバラモン|信者《しんじや》
|聞《き》いてもムネ|彦《ひこ》|悪《わる》くなる
|負《まけ》てもお|勝《かつ》の|尻《しり》を|追《お》ひ
|肥桶担《こえたごかつ》ぎの|玉治別《たまはるわけ》に
|玉《たま》を|取《と》られし|気《き》の|毒《どく》さ
|泣面《なきつら》に|蜂《はち》
|止《と》まつて|咬《か》んだ|如《ごと》くなりけり』
|国依別《くによりわけ》『アハヽヽヽ、ウフヽヽヽ、|此奴《こいつ》ア|面白《おもしろ》い。|始《はじ》めて|聞《き》いた|名歌《めいか》だ。|柿本人麿《かきのもとのひとまろ》も|丸跣足《まるはだし》だ。|与謝野晶子《よさのあきこ》の|所《とこ》へ|持《も》つて|往《い》つたら、|屹度《きつと》|秀逸点《しういつてん》を|呉《く》れるだらう。イヒヽヽヽ、エヘヽヽヽ、オホヽヽヽ……
|黒姫《くろひめ》の|歌《うた》にお|臍《へそ》が|宿替《やどが》へし。
|脇《わき》の|下《した》キユウキユウキユウと|鼠《ねずみ》|鳴《な》き。
|名歌《めいか》の|徳《とく》|床板《ゆかいた》|迄《まで》が|動《うご》き|出《だ》し。
|睾玉《きんたま》の|皺《しわ》まで|伸《の》ばす|此《この》|名歌《めいか》』
|高姫《たかひめ》『|黒姫《くろひめ》さま、こんな|男《をとこ》にかかつちや、|口八丁《くちはつちやう》|手八丁《てはつちやう》の|高姫《たかひめ》だつて、|三舎《さんしや》を|避《さ》けねばなりませぬワ。もうそんな|歌《うた》などで|話《はな》しちや|駄目《だめ》ですよ。……コレ|国《くに》さま、お|前《まへ》さまは|何《なん》の|為《ため》にあの|様《やう》な|物《もの》を、|私《わし》に|贈《おく》つたのだ。|失礼《しつれい》ぢやありませぬか。|何程《なにほど》|物喰《ものぐひ》のよい|豚《ぶた》だつて|石《いし》は|喰《く》ひませぬよ』
|国依別《くによりわけ》『|豚《ぶた》よりも|物喰《ものぐ》ひのよき|人《ひと》もあり。
|如意宝珠《によいほつしゆ》|玉《たま》さへ|噛《かぢ》る|狂女《きやうぢよ》|哉《かな》。
|今《いま》の|世《よ》は|砂利《じやり》さへ|喰《くら》ふ|人《ひと》もあり。
|嫁入《よめい》の|祝《いは》ひに|据《す》ゑる|石肴《いしざかな》 |二世《にせ》を|固《かた》めの|標《しるし》なるらむ。
マアざつと|斯《か》う|云《い》ふ|精神《せいしん》で、|貴方《あなた》の|堅固《けんご》な|精神《せいしん》をお|祝《いは》ひ|申《まを》し、お|賞《ほ》め|申《まを》した|国依別《くによりわけ》の|真心《まごころ》。
|岩《いは》さへも|射貫《いぬ》く|女《をんな》の|心《こころ》|哉《かな》。
と|云《い》ふ|様《やう》なものですワイ。|悪気《わるぎ》を|廻《まは》して|貰《もら》つちや、|折角《せつかく》の|国依別《くによりわけ》の|志《こころざし》が|水泡《すゐほう》に|帰《き》しまする。|魚《うを》だつて……|魚《うを》が|水《みづ》に|棲《す》めば、|此《この》|石《いし》だつて|綺麗《きれい》な|流水《りうすゐ》にすみきつて、|神世《かみよ》の|昔《むかし》から|永久《とこしへ》に|川底《かはぞこ》に|納《をさ》まりきつて|居《を》つた|石肴《いしざかな》ですよ。|別《べつ》に|喰《く》つて|下《くだ》されと|云《い》つて|贈《おく》つたのぢやありませぬ。お|目《め》にかけると|云《い》つたのだから、|食《く》へる|食《く》へぬはお|前《まへ》さまの|御勝手《ごかつて》、そんな|問題《もんだい》は|些《ち》いと|的外《まとはづ》れでせう』
|高姫《たかひめ》『|流石《さすが》はドハイカラの|仕込《しこ》み|丈《だけ》あつて、|巧《うま》いものだワイ。オホヽヽヽ。コレコレ|黒姫《くろひめ》さま、|高山彦《たかやまひこ》さま、お|前《まへ》も|随分《ずゐぶん》|鉈理屈《なたりくつ》が|上手《じやうづ》だが、|国《くに》さまにかけちや|側《そば》へも|寄《よ》れますまい。|言霊《ことたま》の|幸《さち》はふ|世《よ》の|中《なか》だ。チツト|是《これ》から|言霊《ことたま》の|練習《れんしふ》をなされませ』
|斯《か》かる|所《ところ》へ|夏彦《なつひこ》、|常彦《つねひこ》|両人《りやうにん》は、|言依別《ことよりわけ》の|目《め》を|忍《しの》び|系統《ひつぽう》の|高姫《たかひめ》に|御機嫌《ごきげん》|伺《うかが》ひの|為《ため》、|太平柿《たいへいがき》を|風呂敷《ふろしき》に|包《つつ》み、やつて|来《き》た。|勝公《かつこう》は|直《ただち》に|奥《おく》の|間《ま》に|進《すす》み|入《い》り、
|勝公《かつこう》『もしもし|高姫《たかひめ》さま、|夏彦《なつひこ》、|常彦《つねひこ》の|両人《りやうにん》が|御機嫌《ごきげん》|伺《うかが》ひだと|云《い》つて|今《いま》|見《み》えました。|如何《いかが》|致《いた》しませう』
|高姫《たかひめ》したり|顔《がほ》に、|嫌《いや》らしく|笑《わら》ひ|乍《なが》ら、|国依別《くによりわけ》、|秋彦《あきひこ》に|目《め》を|注《そそ》ぎ、
|高姫《たかひめ》『|勝公《かつこう》さま、どうぞ|御両人様《ごりやうにんさま》、ズツと|奥《おく》へ|御通《おとほ》り|下《くだ》さい、と|丁寧《ていねい》に|御迎《おむか》へ|申《まを》してお|出《い》で………アーアやつぱり|身魂《みたま》の|良《よ》い|者《もの》は|分《わか》るワイ。
|落魄《おちぶ》れて|袖《そで》に|涙《なみだ》のかかる|時《とき》 |人《ひと》の|心《こころ》の|奥《おく》ぞ|知《し》らるる
だ。|妾《わし》が|聖地《せいち》へ|帰《かへ》つてから|今日《けふ》で|三日目《みつかめ》だ。それに|言依別《ことよりわけ》を|始《はじ》め、|杢助《もくすけ》|迄《まで》が|不心得《ふこころえ》|千万《せんばん》な、|系統《ひつぽう》のお|帰《かへ》りを|邪魔者扱《じやまものあつかひ》に|致《いた》して、|馬鹿《ばか》にして|居《ゐ》る………エー、|今《いま》に|見《み》ておぢやれよ、アフンと|致《いた》さして|見《み》せるぞよと、|日《ひ》の|出《で》さまが|仰有《おつしや》るので、|先《ま》づ|神様《かみさま》にお|任《まか》せして|辛抱《しんばう》して|居《ゐ》るのだ。|人間《にんげん》と|云《い》ふ|者《もの》は|薄情《はくじやう》なものだ。|冷酷《れいこく》|無惨《むざん》の|浮世《うきよ》とは|云《い》ひ|乍《なが》ら、|人情《にんじやう》|薄《うす》きこと|紙《かみ》の|如《ごと》しだ』
|国依別《くによりわけ》『|此《この》|国《くに》さまは|人情《にんじやう》|厚《あつ》きこと|神《かみ》の|如《ごと》しでせう』
|高姫《たかひめ》『さうでせうとも、|偶《たまたま》の|挨拶《あいさつ》に|団子石《だんごいし》を|贈《おく》つて|来《く》る|様《やう》な、|無情《むじやう》……オツトドツコイ|親切《しんせつ》なお|方《かた》ですからな』
|国依別《くによりわけ》『イヤその|御礼《おれい》には|及《およ》びませぬ。|沢山《たくさん》なもので|厶《ござ》いますから……』
|斯《かか》る|所《ところ》へ|勝公《かつこう》に|導《みちび》かれ、|夏彦《なつひこ》、|常彦《つねひこ》は|目《め》をギヨロつかせ|乍《なが》ら、|此《この》|場《ば》に|恐《おそ》る|恐《おそ》る|現《あら》はれ|来《きた》り、|国依別《くによりわけ》や|秋彦《あきひこ》の|其《その》|場《ば》に|端坐《たんざ》せるを|見《み》て、|聊《いささ》か|手持無沙汰《てもちぶさた》な|顔付《かほつき》にて、ドギマギして|居《ゐ》る|可笑《をか》しさ。|夏《なつ》、|常《つね》|両人《りやうにん》、|丁寧《ていねい》に|高姫《たかひめ》の|前《まへ》に|手《て》をつかへ、
|両人《りやうにん》『|是《これ》は|是《これ》は|高姫《たかひめ》|様《さま》、|御遠方《ごゑんぱう》の|所《ところ》|永《なが》らく|御苦労様《ごくらうさま》で|厶《ござ》いました』
|高姫《たかひめ》『イヤもう|御挨拶《ごあいさつ》|痛《いた》み|入《い》ります。|何分《なにぶん》|身魂《みたま》が|研《みが》けぬもので|厶《ござ》いますから、|不調法《ぶてうはふ》|計《ばか》り|致《いた》して|居《を》ります』
|両人《りやうにん》『|滅相《めつさう》もない、|貴方《あなた》は|決《けつ》して|無駄《むだ》では|厶《ござ》いませぬ。|神様《かみさま》の|御筆《おふで》にも、|人民《じんみん》から|見《み》れば|何《なん》でもないやうだが、|神《かみ》の|方《はう》からは|大《おほ》きな|御用《ごよう》が|出来《でき》て|居《ゐ》るぞよ……と|現《あら》はれて|居《を》りますから、|屹度《きつと》|結構《けつこう》な|御用《ごよう》が|出来《でき》てをるに|違《ちが》ひありませぬ。|兎角《とかく》|神界《しんかい》のことは|人民《じんみん》では|分《わか》りませぬから、|形《かたち》の|上《うへ》で|彼此《かれこれ》|申《まを》すのは、|申《まを》す|人《ひと》が|分《わか》らぬので|御座《ござ》いませう』
|高姫《たかひめ》『ハイ、|有難《ありがた》う』
と|涙含《なみだぐ》む。
|両人《りやうにん》『|是《これ》は|是《これ》は|高山彦《たかやまひこ》|様《さま》、|黒姫《くろひめ》|様《さま》、つい|申《まを》し|遅《おく》れました。あなたも|永《なが》らく|神界《しんかい》の|為《ため》に|御苦労様《ごくらうさま》で|厶《ござ》いました。|直様《すぐさま》|御伺《おうかが》ひ|致《いた》すのが|本意《ほんい》で|厶《ござ》いますけれど、|二三日前《にさんにちまへ》から|杢助《もくすけ》さまに………エー、|一寸《ちよつと》…|何《なん》で|厶《ござ》いますので………つい|遅《おく》れまして|厶《ござ》います。マア|御無事《ごぶじ》で|御両所《ごりやうしよ》|共《とも》|御帰《おかへ》り|下《くだ》さいまして、|聖地《せいち》は|益々《ますます》|御神徳《ごしんとく》が|上《あ》がるであらうと、|一同《いちどう》|影《かげ》から|御喜《およろこ》び|申《まを》してをる|様《やう》な|次第《しだい》で|厶《ござ》います』
|高山彦《たかやまひこ》『ヤア|常彦《つねひこ》さま、|夏彦《なつひこ》さま、あなたも|御無事《ごぶじ》で|御目出度《おめでた》う』
|黒姫《くろひめ》『ヨウ|親切《しんせつ》に|此《この》|婆《ばば》アを|訪《たづ》ねて|下《くだ》さいました。|年《とし》がよると|腰《こし》が|屈《かが》む、|目汁《めじる》|鼻汁《はなじる》……イヤもう|醜《むさ》くるしいもので、|誰《たれ》もふりかへつて|呉《く》れるものは|御座《ござ》いませぬワイ。|力《ちから》と|頼《たの》むは|大神様《おほかみさま》と、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|様《さま》|計《ばか》りで|厶《ござ》います。|人情《にんじやう》|紙《かみ》の|如《ごと》き|軽薄《けいはく》な|世《よ》の|中《なか》に、ようマア|御訪《おたづ》ね|下《くだ》さいました。あなたも|御無事《ごぶじ》で|結構《けつこう》で|厶《ござ》いますなア』
|両人《りやうにん》『ハイ、|有難《ありがた》う。……ヤア|国依別《くによりわけ》さま、|秋彦《あきひこ》さま、あなたは|何時《いつ》|御越《おこ》しになりましたか』
|国依別《くによりわけ》『………』
|秋彦《あきひこ》『つい、|最前《さいぜん》|参《まゐ》りました。お|三方《さんかた》が|久《ひさ》し|振《ぶり》で|御帰《おかへ》りになつたので、|我々《われわれ》も|何《なん》となく|心《こころ》|勇《いさ》み、|御祝《おいは》ひ|旁《かたがた》お|訪《たづ》ねしたのですよ』
|国依別《くによりわけ》『|来客《らいきやく》に|其《その》|場《ば》を|外《はづ》す|悧巧《りかう》かな。
|心《こころ》から|除《の》けて|見《み》たきは|襖《ふすま》かな。
|石《いし》よりも|堅《かた》き|心《こころ》の|集《つど》ひかな。
|鐘《かね》|一《ひと》つ|年《とし》は|二《ふた》つに|分《わ》かれけり』
と|口吟《くちずさ》み、|一同《いちどう》に、
|国依別《くによりわけ》『|御密談《ごみつだん》の|御邪魔《おじやま》になりませうから、|我々《われわれ》|両人《りやうにん》は|御遠慮《ごゑんりよ》|致《いた》します』
との|意《い》を|示《しめ》し、|目礼《もくれい》し|乍《なが》らスタスタと|帰《かへ》つて|行《ゆ》く。|門《もん》をくぐり|出《で》た|両人《りやうにん》、|互《たがひ》に|顔《かほ》を|見合《みあは》せ|乍《なが》ら、ニタリと|笑《わら》ひ、
|国依別《くによりわけ》『|高姫《たかひめ》も|大分《だいぶん》に|我《が》が|折《を》れたねえ。あれなればもう|気遣《きづか》ひあるまいね』
|秋彦《あきひこ》『さうでせう。|黒姫《くろひめ》も、|高山彦《たかやまひこ》も|余程《よほど》|変《かは》つて|来《き》ましたよ。|何時《いつ》もなら、あんな|石《いし》でも|贈《おく》らうものなら、|忽《たちま》ち|低気圧《ていきあつ》が|襲来《しふらい》して|雷鳴《らいめい》|轟《とどろ》きわたり、|地異天変《ちいてんぺん》の|勃発《ぼつぱつ》するところですが、|矢張《やつぱり》|苦労《くらう》はせんならぬものですなア』
|国依別《くによりわけ》『アヽ|是《これ》で|杢助《もくすけ》さまに|対《たい》し、|相当《さうたう》の|報告《はうこく》が|出来《でき》るワイ。|神様《かみさま》の|御経綸《ごけいりん》は|到底《たうてい》|我々《われわれ》には|分《わか》るものでない。それにつけても|貧乏籤《びんばふくじ》を|引《ひ》いたのは|此《この》|国依別《くによりわけ》だ。いつとても|揶揄役《からかひやく》を|仰《あふ》せ|付《つ》けられて|居《を》るのだから、|堪《たま》つたものぢやない』
|秋彦《あきひこ》『|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》で|善《ぜん》の|御用《ごよう》をするものと、|悪《あく》の|御用《ごよう》をするものとあるのだから、|御苦労《ごくらう》な…あなたも|御役《おやく》ですな』
|国依別《くによりわけ》『|三千世界《さんぜんせかい》|改造《かいざう》の|大神劇《だいしんげき》の|登場《とうぢやう》|役者《やくしや》だから、|仕方《しかた》がない。|併《しか》し|乍《なが》ら|悪役《あくやく》ばつかりは|御免《ごめん》|蒙《かうむ》りたいワ』
|秋彦《あきひこ》『|末《すゑ》になりたら、|皆《みな》|一所《ひととこ》に|集《あつ》まつて|互《たがひ》に|打解《うちと》け|合《あ》ひ、あゝ|斯《こ》うであつたか、さうだつたかと|云《い》つて、|力一杯《ちからいつぱい》|神様《かみさま》に|使《つか》はれて、こんなことを|思《おも》つて|居《を》つたのかと、|笑《わら》ひの|止《と》まらぬ|仕組《しぐみ》ださうですから、さう|気投《きな》げをしたものぢやありますまいで、|常彦《つねひこ》や|夏彦《なつひこ》が|忠義顔《ちうぎがほ》して、|高姫《たかひめ》の|前《まへ》で|味噌《みそ》を|摺《す》つて|居《ゐ》るのも、あれも|何《なに》かの|御仕組《おしぐみ》の|一端《いつたん》でせう。|一寸《ちよつと》|聞《き》くとムカツキますがなア。よく|考《かんが》へて|見《み》ると、どんな|仕組《しぐみ》がしてあるか|分《わか》りませぬからなア』
|国依別《くによりわけ》『そらさうだ。マア|細工《さいく》は|流々《りうりう》|仕上《しあ》げを|御覧《ごら》うじと|仰有《おつしや》るのだから、|改造《かいざう》|鉄道《てつだう》の|終点《しうてん》|迄《まで》|行《ゆ》かねば|分《わか》らぬなア。ヤアもう|何時《いつ》の|間《ま》にか、|国依別館《くによりわけやかた》の|門前《もんぜん》まで|来《き》て|了《しま》つた』
|秋彦《あきひこ》『ハヽヽヽヽ、|何処《どこ》に|門《もん》があるのですかい』
|国依別《くによりわけ》『|有《あ》つても|無《な》うても、|有《あ》ると|思《おも》へばある、|無《な》いと|思《おも》へば|無《な》いのだ。|俺《わし》の|居宅《きよたく》は|九尺二間《くしやくにけん》の|豚小屋《ぶたごや》の|様《やう》に、お|前《まへ》の|眼《め》では|見《み》えるだらうが、|国依別《くによりわけ》の|天空海濶《てんくうかいくわつ》なる|霊眼《れいがん》を|以《もつ》て|見《み》る|時《とき》は、|錦《にしき》の|宮《みや》の|八尋殿《やひろどの》|同様《どうやう》に|広《ひろ》く|見《み》えるのだからな。これ|丈《だけ》|広《ひろ》い|世界《せかい》も|心《こころ》の|持様《もちやう》|一《ひと》つで、|我《わが》|七尺《しちしやく》の|体《からだ》を|置《お》く|所《ところ》もない|様《やう》に|見《み》えたり、|又《また》こんな|小《ちい》さい|居宅《きよたく》が|宇宙大《うちうだい》に|見《み》えたりするのだから、|色即是空《しきそくぜくう》、|空即是色《くうそくぜしき》だ。|娑婆即寂光浄土《しやばそくじやくくわうじやうど》の|真諦《しんたい》はこんな|小《ちい》さい|家《いへ》の|中《なか》に|居《を》つて、|魂《みたま》を|研《みが》くとよく|了解《れうかい》が|出来《でき》るよ。アハヽヽヽ』
|秋彦《あきひこ》『そんなものですかいな。|私《わたし》の|眼《め》には|如何《どう》しても|八尋殿《やひろどの》と|同《おな》じ|様《やう》には|見《み》えませぬワイ。|裏口《うらぐち》|出《で》た|所《ところ》に|厠《かはや》が|附着《ひつつ》いたり、|小便壺《せうべんつぼ》が|有《あ》つたり、その|横《よこ》に|井戸《ゐど》が|在《あ》つたり、|走《はし》りに|竈《かまど》、|何《なん》だか|醜《むさ》くるしい|様《やう》な|気分《きぶん》がするぢやありませぬか。|一寸《ちよつと》|聞《き》くと、あんたの|御言葉《おことば》は|痩我慢《やせがまん》を|言《い》つてるやうに|聞《きこ》えますで。|何程《なにほど》|無形的《むけいてき》に|広《ひろ》いと|云《い》つても、|現実《げんじつ》が|斯《こ》う|矮小醜陋《わいせうしうろふ》では、|余《あんま》り|大《おほ》きなことも|云《い》へますまい。これから|国依別《くによりわけ》さま、|私《わたくし》になら|何《なに》を|言《い》つてもよろしいが、|人《ひと》の|前《まへ》でそんなことを|仰有《おつしや》ると、|皆《みんな》が|取違《とりちがひ》して、|国依別《くによりわけ》は|負惜《まけをし》みの|強《つよ》い|奴《やつ》だ、|減《へ》らず|口《ぐち》を|叩《たた》く|奴《やつ》だと|却《かへつ》て|軽蔑《けいべつ》しますよ』
|国依別《くによりわけ》『|形《かたち》ある|宝《たから》は|錆《さ》び、|腐《くさ》り、|焼《や》け、|亡《ほろ》び、|流《なが》れ|壊《こは》るる|虞《おそれ》がある。|起《お》きて|半畳《はんでふ》|寝《ね》て|一畳《いちでう》だ。|広《ひろ》い|館《やかた》に|住《す》んで|居《を》れば、あつたら|光陰《くわういん》を|掃除《さうぢ》|三昧《ざんまい》に|空費《くうひ》し、|肝腎《かんじん》の|神業《しんげふ》の|妨害《ばうがい》になるだないか。|小《ちい》さいのは|結構《けつこう》だ、|何《なに》かに|都合《つがふ》が|好《よ》い。|第一《だいいち》|経済上《けいざいじやう》から|云《い》つても|得策《とく》だからなア』
|秋彦《あきひこ》『あなた|掃除《さうぢ》をなさつた|事《こと》があるんですか。|雪隠《せんち》の|虫《むし》が|竈《かまど》の|前《まへ》に|這《は》うて|居《ゐ》るぢやありませんか』
|国依別《くによりわけ》『……ここ|暫《しば》し|家《いへ》の|美醜《びしう》は|忘《わす》れけり |神《かみ》|大切《たいせつ》に|思《おも》ふ|計《ばか》りに……
と|云《い》ふ|様《やう》なものだな』
|秋彦《あきひこ》『ヘーエあなたも|余程《よつぽど》|高姫化《たかひめくわ》しましたねえ。|弁舌《べんぜつ》|滔々《たうたう》|風塵《ふうぢん》を|捲《ま》く。|実《じつ》に|揶揄役《からかひやく》のあなたは、|高姫《たかひめ》さまに|接《せつ》するの|度《ど》が|多《おほ》いから|余程《よほど》の|経験《けいけん》が|積《つ》んだと|見《み》えますワイ。|都合《つがふ》の|悪《わる》い|時《とき》には、|発句《ほつく》か|川柳《せんりう》か、|鵺式《ぬへしき》の|言葉《ことば》を|使《つか》つて|駄句《だく》り|続《つづ》け、|腰折歌《こしをれうた》を|並《なら》べ|随分《ずゐぶん》|側《そば》から|聞《き》いてると|苦《くるし》さうでしたよ』
|国依別《くによりわけ》『|苦中楽《くちうらく》あり、|楽中苦《らくちうく》ありだ。それも|見《み》やうによるのだよ。|一葉目《いちえふめ》を|蔽《おほ》へば、|大空《たいくう》|一度《いちど》に|隠《かく》れ、|一葉《いちえふ》を|掃《はら》へば、|大空《たいくう》|我《わが》|目《め》に|映《えい》ずと|云《い》つて、|凡《すべ》て|物《もの》は|見方《みかた》に|依《よ》るのだ、|見方《みかた》が|大切《たいせつ》だ』
|秋彦《あきひこ》『|味方《みかた》|計《ばか》り|大切《たいせつ》だと|云《い》つて|愛《あい》する|訳《わけ》には|行《ゆ》きますまい。|神様《かみさま》は|敵《てき》する|者《もの》を|愛《あい》せよと|仰有《おつしや》るぢやありませぬか』
|国依別《くによりわけ》『それだから|高姫《たかひめ》さまに|対《たい》し、|私《わたし》は|何時《いつ》も|適対《てきた》ふのではない、|【適当】《てきたう》の|処置《しよち》を|取《と》つて|居《ゐ》るのだ。ヤツパリ|見方《みかた》によつては|【味方】《みかた》に|見《み》えるだらう』
|秋彦《あきひこ》『|何程《なにほど》|贔屓目《ひいきめ》に|見《み》ても、あなたが|高姫《たかひめ》さまに|対《たい》して|為《な》さることは、|余《あま》り|同情《どうじやう》のある|遣《や》り|方《かた》とは|見《み》えませぬぜ。|何時《いつ》も|高姫《たかひめ》さまの|鼻《はな》を【めしやげ】たり、|手古摺《てこず》らしては|痛快《つうくわい》がつてるぢやありませぬか』
|国依別《くによりわけ》『……|心《こころ》なき|人《ひと》は|何《なん》とも|言《い》はば|言《い》へ |世《よ》をも|怨《うら》みじ|人《ひと》も|恨《うら》みじ……
|燕雀《えんじやく》|何《なん》ぞ|鴻鵠《こうこう》の|志《こころざし》を|知《し》らんやだ。|紫蘭満路《しらんまんろ》に|咲《さ》く、|芳香《はうかう》|何《なん》ぞ|没暁漢《ぼつげうかん》の|知《し》る|所《ところ》ならんやだ。アハヽヽヽ』
(大正一一・七・二二 旧閏五・二八 松村真澄録)
第二章 |清潔法《せいけつはふ》〔七八四〕
|西《にし》に|円山《まるやま》|東《ひがし》に|小雲《こくも》 |山《やま》と|川《かは》とに|挟《はさ》まれし
|並木《なみき》の|松《まつ》の|片傍《かたほと》り |桧《ひのき》、|松《まつ》、|杉《すぎ》、|柏木《かしはぎ》の
|丈余《ぢやうよ》にあまる|大木《たいぼく》は |天《てん》を|封《ふう》じて|立《た》ち|並《なら》ぶ
それの|木蔭《こかげ》に|瀟洒《せうしや》たる |丸木柱《まるきばしら》に|笹《ささ》の|屋根《やね》
|青《あを》、|白《しろ》、|赤《あか》の|庭石《にはいし》も どことは|無《な》しに|配置《はいち》よく
|敷《し》き|並《なら》べたる|庭《には》の|奥《おく》 |幽《かす》かに|聞《きこ》ゆる|話声《はなしごゑ》
|聞《き》くともなしに|友彦《ともひこ》は |思《おも》はず|門《もん》をかい|潜《くぐ》り
|何《なに》かの|綱《つな》に|曳《ひ》かれしごと |何時《いつ》の|間《ま》にやら|門《かど》の|口《くち》
|此処《ここ》は|高姫御館《たかひめおんやかた》 |奥《おく》には|幽《かす》かな|人《ひと》の|声《こゑ》
|何処《どこ》の|客《きやく》かは|知《し》らねども |何《なに》は|兎《と》もあれ|戸《と》を|叩《たた》き
|主人《あるじ》の|様子《やうす》を|窺《うかが》はん さうぢやさうぢやと|独言《ひとりごと》
|忽《たちま》ち|表戸《おもてど》|打《う》ち|叩《たた》き 『|教《をしへ》の|道《みち》の|友彦《ともひこ》が
|久方振《ひさかたぶり》にお|館《やかた》へ |帰《かへ》り|来《き》ませる|高姫《たかひめ》に
|敬意《けいい》を|表《へう》して|御挨拶《ごあいさつ》 |申《まを》さんものと|取《と》る|物《もの》も
|取《と》らずに|尋《たづ》ね|来《き》ましたぞ お|構《かま》ひなくば|表戸《おもてど》を
|早《はや》く|開《あ》けさせ|給《たま》へかし』 |呼《よ》べば|中《なか》より|安公《やすこう》が
『|折角《せつかく》|乍《なが》ら|友彦《ともひこ》よ お|前《まへ》は|意地久根悪《いぢくねわる》い|故《ゆゑ》
|高姫《たかひめ》さまの|気《き》に|合《あ》はぬ |今《いま》も|今《いま》とて|国《くに》さまや
|秋彦《あきひこ》さまがやつて|来《き》て |何《なん》ぢや|彼《か》んぢやと|駄句《だく》りつつ
|形勢《けいせい》|不穏《ふおん》と|見済《みす》まして |尻《しり》を|紮《から》げて|去《い》にました
お|前《まへ》も|立派《りつぱ》な|男《をとこ》なら |些《ちつ》とは|考《かんが》へなされませ
|奥《おく》の|一間《ひとま》に|高姫《たかひめ》や |高山彦《たかやまひこ》や|黒姫《くろひめ》が
|夏彦《なつひこ》、|常彦《つねひこ》|前《まへ》に|置《お》き |秘密《ひみつ》の|話《はなし》をして|御座《ござ》る
|秘密《ひみつ》は|何処《どこ》|迄《まで》|秘密《ひみつ》ぢやと |高姫《たかひめ》さまの|常套語《じやうたうご》
|今日《けふ》は|風向《かぜむき》|悪《わる》い|故《ゆゑ》 |去《い》んだがお|前《まへ》の|得《とく》だらう
|男《をとこ》を|下《さ》げて|帰《かへ》るより |貞操《ていさう》|深《ふか》きテールスの
|姫《ひめ》の|命《みこと》と|親密《しんみつ》に |尊《たふと》き|神《かみ》の|御言葉《おことば》を
|調《しらべ》|悟《さと》つた|其《その》|上《うへ》で |喧嘩《けんくわ》の|材料《ざいれう》を|蓄《たくは》へて
|此《この》|場《ば》を|出直《でなほ》し|堂々《だうだう》と |捲土重来《けんどぢうらい》するがよい
|七尺男《しちしやくをとこ》が|高姫《たかひめ》や |黒姫《くろひめ》さまに|凹《へこ》まされ
|泡《あわ》を|吹《ふ》くのも|見《み》ともない お|前《まへ》は|私《わし》の|好《す》きな|人《ひと》
お|鼻《はな》の|赤《あか》い|愛嬌者《あいけうもの》 |木花姫《このはなひめ》の|再来《さいらい》と
|勝公《かつこう》さまが|云《い》うて|居《ゐ》た |一度《いちど》に|開《ひら》く|蓮花《はちすばな》
|此処《ここ》は|聖地《せいち》の|蓮華台《れんげだい》 それの|麓《ふもと》の|神館《かむやかた》
|嘘《うそ》か|誠《まこと》か|知《し》らねども |系統《ひつぽう》の|身魂《みたま》に|憑《かか》られし
|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|御座《ござ》るぞや |竜宮海《りうぐうかい》の|乙姫《おとひめ》も
|黒姫《くろひめ》さまを|機関《きくわん》とし |天狗《てんぐ》の|身魂《みたま》も|引《ひ》き|添《そ》うて
|高山彦《たかやまひこ》の|夫婦《ふうふ》|連《づ》れ |三人《さんにん》|世《よ》の|元《もと》|結構《けつこう》と
|済《す》ました|顔《かほ》で|御座《ござ》るのに |赤鼻《あかはな》|天狗《てんぐ》がやつて|来《き》て
|鼻《はな》と|鼻《はな》とが|衝突《しようとつ》し |又《また》もや|悶着《もんちやく》|起《おこ》りなば
|安公《やすこう》さまも|勝公《かつこう》も |何《ど》うして|傍《そば》に|居《を》られよか
|地震《ぢしん》|雷《かみなり》|火《ひ》の|雨《あめ》も さまで|恐《おそ》れぬ|豪傑《がうけつ》の
|安公《やすこう》さまも|高姫《たかひめ》の その|鼻息《はないき》にや|耐《たま》らない
|男《をとこ》|一匹《いつぴき》|助《たす》けると |思《おも》うて|帰《かへ》つて|下《くだ》さんせ
|肝腎要《かんじんかなめ》の|性念場《しやうねんば》 |秘密話《ひみつばなし》の|最中《さいちう》に
お|前《まへ》が|来《き》たと|聞《き》いたなら |忽《たちま》ち|起《おこ》る|暴風雨《ばうふうう》
|柱《はしら》は|倒《たふ》れ|屋根《やね》|剥《めく》れ |険難《けんのん》|至極《しごく》の|修羅場裏《しゆらぢやうり》
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はへましまして
|白《しろ》い|玉《たま》をば|預《あづ》かつた ジヤンナの|郷《さと》の|救世主《きうせいしゆ》
|此処《ここ》では|詮《つま》らぬ|宣伝使《せんでんし》 |神《かみ》の|上《うへ》には|上《うへ》がある
|口《くち》が|悪《わる》いと|腹《はら》|立《た》てて |怒《おこ》つて|呉《く》れなよ|高姫《たかひめ》が
|今日《けふ》も|今日《けふ》とて|云《い》うて|居《ゐ》た |俺《おれ》が|云《い》うので|無《な》い|程《ほど》に
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》の |御霊《みたま》が|憑《うつ》つて|説《と》き|明《あか》す
|斯《こ》う|云《い》ふ|中《うち》にも|高姫《たかひめ》の お|耳《みみ》に|入《はい》れば|大変《たいへん》だ
|地異天変《ちいてんぺん》は|目《ま》のあたり |早《はや》く|帰《かへ》れ』と|促《うなが》せば
|友彦《ともひこ》フフンと|鼻《はな》で|息《いき》 『|魂《たま》ぬけ|婆《ば》さまの|高姫《たかひめ》が
|四股《しこ》の|雄健《をたけ》び|踏《ふ》み|健《たけ》び |何程《なにほど》|勢《いきほひ》|強《つよ》くとも
バラモン|教《けう》の|友彦《ともひこ》と |世《よ》に|謳《うた》はれた|俺《おれ》だもの
|高姫《たかひめ》|位《くらゐ》が|何《なに》|怖《こは》い |女《をんな》の|一人《ひとり》や|十人《じふにん》が
|怖《こは》くて|此《この》|世《よ》に|居《を》られよか |腰抜《こしぬ》け|野郎《やらう》』と|云《い》ひながら
|力《ちから》の|限《かぎ》り|表戸《おもてど》を |押《お》し|分《わ》け|入《い》らんとする|所《ところ》
『|千騎一騎《せんきいつき》の|此《この》|場合《ばあひ》 |友彦《ともひこ》|如《ごと》きに|這入《はい》られて
|何《ど》うして|門番《もんばん》|勤《つと》まろか |後《あと》でゴテゴテ|高姫《たかひめ》の
お|小言《こごと》|聞《き》くのが|耐《たま》らない |友彦《ともひこ》お|前《まへ》は|夫《それ》|程《ほど》に
|物《もの》の|道理《だうり》が|分《わか》らぬか |荒浪《あらなみ》|凪《な》いだ|明朝《あすのあさ》
|又《また》|出直《でなほ》して|来《き》てお|呉《く》れ |其《その》|時《とき》こそは|喜《よろこ》んで
|〓〓《かみしも》つけて|門口《かどぐち》へ |私《わたし》が|出迎《でむか》へ|致《いた》します
|頼《たの》む|頼《たの》む』と|泣《な》き|声《ごゑ》を |放《はな》てば|友彦《ともひこ》|立《た》ち|止《と》まり
|平地《へいち》に|浪《なみ》を|起《おこ》すよな |悪戯《いたづら》しても|済《す》まないと
|心《こころ》を|柔《やはら》げ|声《こゑ》を|変《か》へ 『お|前《まへ》の|云《い》ふのも|尤《もつと》もだ
そんなら|今日《けふ》は|帰《かへ》ります |高姫《たかひめ》さまや|黒姫《くろひめ》に
|友彦《ともひこ》さまがやつて|来《き》て |秘密《ひみつ》の|話《はなし》があるさうぢや
お|邪魔《じやま》をしてはならないと |賢《かしこ》いお|方《かた》の|事《こと》なれば
|先見《せんけん》つけて|我《わが》|館《やかた》 いそいそ|帰《かへ》つて|往《ゆ》きました
|万一《もしも》|明日《みやうにち》|来《き》たなれば |高姫《たかひめ》さまも|黒姫《くろひめ》も
|高山彦《たかやまひこ》も|安公《やすこう》も |〓〓姿《かみしもすがた》でお|出迎《でむか》ひ
|必《かなら》ず|粗相《そさう》あるまいぞ |呉《く》れ|呉《ぐ》れ|申《まをし》て|置《お》く|程《ほど》に
|沢山《たくさん》さうに|友彦《ともひこ》と お|前《まへ》は|思《おも》うて|居《ゐ》るだらう
|黄金《こがね》|花《はな》|咲《さ》く|竜宮《りうぐう》の |一《ひと》つ|島《じま》にて|名《な》も|高《たか》き
ネルソン|山《ざん》の|峰続《みねつづ》き ジヤンナの|郷《さと》の|救世主《きうせいしゆ》
|小野《をの》の|小町《こまち》か|衣通《そとをり》か ネルソンパテイか|楊貴妃《やうきひ》か
テールス|姫《ひめ》かと|云《い》ふやうな |古今無双《ここんむさう》のナイスをば
|女房《にようばう》に|持《も》つた|果報者《くわほうもの》 |必《かなら》ず|必《かなら》ずこの|言葉《ことば》
|忘《わす》れちやならぬぞ|高姫《たかひめ》に |頭《あたま》を|低《ひく》ふ|尻高《しりたか》く
|犬蹲踞《いぬつくばい》に|身構《みがま》へし |申伝《まをしつた》へて|呉《く》れよかし
|高姫《たかひめ》さまも|友彦《ともひこ》の |光来《くわうらい》ありしと|聞《き》くならば
|忽《たちま》ち|顔色《かほいろ》|青《あを》くして |待《ま》ち|兼《か》ね|山《やま》の|友彦《ともひこ》が
|訪《たづ》ねて|来《き》たのを|素気《すげ》なくも |主人《あるじ》の|我《われ》に|無断《むだん》にて
|帰《かへ》すと|云《い》ふ|事《こと》あるものか |気《き》の|利《き》いた|割《わり》に|間《ま》の|脱《ぬ》けた
|安公《やすこう》の|野郎《やらう》と|頭《あたま》から |雷《かみなり》さまが|落《お》ちるだろ
|夫《それ》を|思《おも》へば|安公《やすこう》が お|気《き》の|毒《どく》にて|耐《たま》らない
|減《へ》らず|口《ぐち》ぢやと|思《おも》ふなよ |武士《ぶし》の|言葉《ことば》に|二言《にごん》ない
|研《みが》き|悟《さと》りし|天眼通《てんがんつう》 |鏡《かがみ》に|映《うつ》したその|如《ごと》く
|一切万事《いつさいばんじ》|知《し》れて|居《を》る あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐《まし》ませよ |青垣山《あをがきやま》は|裂《さ》けるとも
|和知《わち》の|流《ながれ》は|涸《か》れるとも |友彦《ともひこ》さまの|云《い》つた|事《こと》
|一分一厘《いちぶいちりん》|違《ちが》はない |大地《だいち》を|狙《ねら》つて|打《う》ち|下《お》ろす
|此《この》|棍棒《こんぼう》は|外《はづ》れても |我《わが》|一言《いちごん》は|外《はづ》れない
|頤《あご》が|外《はづ》れて|泡《あわ》|吹《ふ》いて |吠面《ほえづら》かわいて|梟鳥《ふくろどり》
|夜食《やしよく》に|外《はづ》れた|時《とき》のよな |妙《めう》な|面《つら》つきせぬやうに
|親切心《しんせつごころ》で|友彦《ともひこ》が |一寸《ちよつと》お|前《まへ》に|気《き》をつける
|教《をしへ》の|道《みち》の|友達《ともだち》の |好誼《よしみ》ぢや|程《ほど》に|安公《やすこう》よ
|決《けつ》して|仇《あだ》に|聞《き》くでない |天《あめ》が|下《した》には|敵《てき》も|無《な》く
|一人《ひとり》も|悪《あく》は|無《な》い|程《ほど》に |心《こころ》の|隔《へだ》ての|柴垣《しばがき》を
|早《はや》く|取《と》り|除《の》け|世《よ》の|中《なか》の |人《ひと》を|残《のこ》らず|仁愛《じんあい》の
ミロクの|眼《まなこ》で|見《み》るならば |尊《たふと》き|神《かみ》の|御子《みこ》ばかり
|高姫《たかひめ》さまに|此《この》|事《こと》を |重《かさ》ねて|云《い》うて|置《お》くがよい
|別《わか》れに|望《のぞ》んで|友彦《ともひこ》が |一寸《ちよつと》|憎《にく》まれ|口《ぐち》|叩《たた》く
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|夕焼《ゆふやけ》の|空《そら》を|打《う》ち|仰《あふ》ぎつつ、いそいそと|我《わが》|家《や》をさして|帰《かへ》り|往《ゆ》く。
|友彦《ともひこ》の|帰《かへ》り|往《ゆ》く|後姿《うしろすがた》の|見《み》えぬ|迄《まで》|見送《みおく》つた|安公《やすこう》は、
|安公《やすこう》『アヽとんでも|無《な》い|奴《やつ》がやつて|来《き》やがつて、いらぬ|気《き》を|揉《も》ましやがつた。|褒《ほ》めて|去《い》なさうと|思《おも》へば|調子《てうし》に|乗《の》つて|這入《はい》らうとする。|仕方《しかた》が|無《な》いから|悪《わる》く|云《い》つて|帰《かへ》さうと|思《おも》へば、|無理《むり》やりに|戸《と》を|押《お》し|開《あ》けて|這入《はい》らうとする。|困《こま》つた|奴《やつ》だ。あんな|男《をとこ》を|此《こ》の|結構《けつこう》な|日《ひ》の|出神《でのかみ》のお|館《やかた》へ|入《い》れやうものなら、|又《また》|高姫《たかひめ》さまが|四足身魂《よつあしみたま》が|来《き》たから、|此辺《ここら》が|汚《けが》れたから、|塩《しほ》をふれ、|水《みづ》を|撒《ま》け、|其辺《そこら》を|掃《は》けと|矢釜《やかま》しく|仰有《おつしや》るに|違《ちが》ひない。|此《この》|広《ひろ》い|庭前《ていぜん》を|俺達《おれたち》|二人《ふたり》が|何程《なにほど》|鯱《しやち》んなつても、お|気《き》に|入《い》るやうな|事《こと》は|出来《でき》はしない。マアマア|高姫《たかひめ》さまに|分《わか》らいで|掃除《さうぢ》だけは|助《たす》かつた。|友彦《ともひこ》の|奴《やつ》|減《へ》らず|口《ぐち》を|叩《たた》きやがつて、|〓〓姿《かみしもすがた》でお|出迎《でむか》ひせよと|馬鹿《ばか》にしやがる。|併《しか》し|俺《おれ》が|一寸《ちよつと》|其《その》|場《ば》|逃《のが》れにお|仕着《しき》せ|言葉《ことば》を|使《つか》つたのが|誤《あやま》りだ。……|何《なに》、|変説改論《へんせつかいろん》の|世《よ》の|中《なか》、|日進月歩《につしんげつぽ》だ。|今日《こんにち》の|哲学者《てつがくしや》の|以《も》つて|真理《しんり》となす|所《ところ》、|必《かなら》ずしも|明日《あす》は|真理《しんり》でない。|又《また》|夫《それ》|以上《いじやう》の|大真理《だいしんり》が|発見《はつけん》せられたら、|今日《こんにち》の|真理《しんり》は|三文《さんもん》の|価値《かち》も|無《な》く|社会《しやくわい》から|葬《はうむ》られて|仕舞《しま》ふのだ。エヽそんな|事《こと》|考《かんが》へて|取越苦労《とりこしくらう》をするのは|馬鹿《ばか》らしい。|刹那心《せつなしん》を|楽《たの》しむのだ。あゝ|今《いま》と|云《い》ふ|此《この》|刹那《せつな》の|心配《しんぱい》と|云《い》うたら|有《あ》つたものでない。|併《しか》しマア|無事《ぶじ》に|帰《かへ》つて|呉《く》れたので、|俺《おれ》も|今晩《こんばん》は|足《あし》を|長《なが》うして|寝《ね》られるワイ』
と|口《くち》の|中《なか》で|呟《つぶや》いて|居《ゐ》たが、いつしか|声高《こわだか》になり、|高姫《たかひめ》が|小便《こやう》に|往《い》つた|帰《かへ》りがけ、フト|耳《みみ》に|入《い》り、
|高姫《たかひめ》『これこれ|安公《やすこう》さま、お|前《まへ》|今《いま》|大《おほ》きな|声《こゑ》で|何《なに》を|云《い》つて|居《ゐ》たの』
|安公《やすこう》『ハイ、|眼下《がんか》に|瞳《ひとみ》を|放《はな》てば|淙々《そうそう》たる|小雲《こくも》の|清流《せいりう》|老松《らうしよう》の|枝《えだ》を|浸《ひた》し、|清鮮《せいせん》|溌溂《はつらつ》たる|魚《うを》は|梢《こずゑ》に|躍《をど》る。|実《じつ》に|天下《てんか》の|絶景《ぜつけい》だ。それにつけても|此《この》お|庭先《にはさき》、|勝公《かつこう》と|安公《やすこう》さま|両人《りやうにん》の|丹精《たんせい》により、|実《じつ》に|清浄《きれい》なものだ。|実《じつ》に|一点《いつてん》の|塵《ちり》もなく|汚《けが》れも|無《な》い。まるで|御主人《ごしゆじん》の|身魂《みたま》に|好《よ》く|似《に》た|綺麗《きれい》な|庭先《にはさき》だと、|感歎《かんたん》して|居《ゐ》た|所《ところ》で|御座《ござ》いますワイ』
|高姫《たかひめ》『|友彦《ともひこ》が|何《なん》とか、……|云《い》うて|居《ゐ》たぢやないか』
|安公《やすこう》『ヘー、……ヘヽヽヽー、|左様《さやう》で|御座《ござ》います。|舳《へ》|解《と》き|放《はな》ち|【艫】《とも》|解《と》き|放《はな》ち、あの|水面《すゐめん》を|漕《こ》ぎ|渡《わた》る|船《ふね》の|美《うつく》しさ。|兎《と》も|角《かく》も|何《なん》【とも】かん【とも】|云《い》はれぬ、|結構《けつこう》な|眺《なが》めだと|云《い》つて|居《ゐ》ましたのですよ』
|高姫《たかひめ》『これ|安公《やすこう》さま、お|前《まへ》は|掃除《さうぢ》するのが|嫌《きら》ひだらう』
|安公《やすこう》『ハイ、|決《けつ》して|決《けつ》して、|身魂《みたま》の|洗濯《せんたく》、|心《こころ》の|掃除《さうぢ》するために|此《この》|聖地《せいち》へ|修業《しうげふ》に|参《まゐ》り、|貴女《あなた》のお|館《やかた》の|掃除番《さうぢばん》をさして|頂《いただ》き、|日々《にちにち》|身魂《みたま》を|結構《けつこう》に|研《みが》かして|貰《もら》うて|居《ゐ》ます』
|高姫《たかひめ》『|何《ど》うも|糞彦《くそひこ》の|匂《にほ》ひがする。|厠《かはや》の|穴《あな》から|抜《ぬ》け|出《で》た|男《をとこ》の|友彦《ともひこ》が|来《き》たのぢやないかな』
|安公《やすこう》『|何《なん》とまア|貴女《あなた》の|鼻《はな》は|能《よ》う|利《き》きますね。|恰《まる》でワンワンさまのやうですわ』
|高姫《たかひめ》『|私《わし》の|云《い》ふ|事《こと》なれば|聞《き》いて|下《くだ》さるかな』
|安公《やすこう》『ハイハイ|如何《いか》なる|事《こと》でも|聞《き》きまする。|仮令《たとへ》|貴女《あなた》が|死《し》ねと|仰有《おつしや》つても|背《そむ》かずに|聞《き》きまする』
|高姫《たかひめ》『|耳《みみ》だけ|聞《き》くのぢやないよ。|聞《き》くと|云《い》ふのは|行《おこな》ひをする|事《こと》ぢや。サア|是《これ》から|屋敷中《やしきぢう》|隅《すみ》から|隅《すみ》まで|箒《はうき》で|掃《は》き|浄《きよ》め、|塩《しほ》をふり、|水《みづ》を|一面《いちめん》に|打《う》つて|下《くだ》さい。さうして|此《この》|雨戸《あまど》にも|何《ど》うやら|四足《よつあし》の|手《て》で|押《お》したやうな|臭《にほひ》がする、|此《この》|戸《と》の|薄《うす》くなる|程《ほど》|砂《すな》で|磨《みが》いて|擦《こす》つて|置《お》きなさい』
|安公《やすこう》『それや……|些《ちつ》と……ぢや|御座《ござ》いませぬか』
|高姫《たかひめ》『|些《ちつ》とで|不足《ふそく》なら|座敷《ざしき》から|厠《かはや》の|中《なか》|迄《まで》|掃除《さうぢ》をさして|上《あ》げやう。|人間《にんげん》は|苦労《くらう》せなくては|神様《かみさま》の|事《こと》は|分《わか》りませぬぞエ』
|安公《やすこう》『チー……、チツト……、ムヽヽヽですな』
|高姫《たかひめ》『そんなら【とつと】と|今日《けふ》|限《かぎ》り|帰《かへ》つて|下《くだ》さい』
|安公《やすこう》『|勝公《かつこう》さまと|二人《ふたり》で|掃除《さうぢ》をさして|頂《いただ》くのでせうなア』
|高姫《たかひめ》『|勝公《かつこう》さまは|炊事《すゐじ》|万端《ばんたん》、|座敷《ざしき》の|用《よう》もあるし、|一息《ひといき》の|間《ま》も|手《て》が|抜《ぬ》けませぬ。エヽ|何《なん》だか|汚《きたな》い|臭《くさ》ひがする。|是《これ》から|夜《よ》が|明《あ》けても|構《かま》はぬ、|掃除《さうぢ》をするのだよ』
|安公《やすこう》『アヽ|掃除《さうぢ》ですか』
と|力《ちから》|無《な》げに|頸垂《うなだ》れる。
|高姫《たかひめ》『|安公《やすこう》さま、|間違《まちがひ》|無《な》からうなア』
|安公《やすこう》『ヘエー……』
と|長返辞《ながへんじ》し|乍《なが》ら|水桶《みづをけ》を|持《も》つて|井戸端《ゐどばた》に、のそりのそりと|進《すす》み|行《ゆ》く。|高姫《たかひめ》は|細《ほそ》い|廊下《らうか》を|伝《つた》つて|奥《おく》の|間《ま》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。
|安公《やすこう》はブツブツ|云《い》ひ|乍《なが》ら、|十三夜《じふさんや》の|月《つき》の|光《ひかり》を|幸《さいはひ》に、さしもに|広《ひろ》き|庭《には》の|面《おも》に、|深《ふか》い|井戸《ゐど》から|撥釣瓶《はねつるべ》に|汲《く》み|上《あ》げては|手桶《てをけ》に|移《うつ》し、|撒布《さんぷ》しながら、|小言《こごと》を|云《い》つて|居《ゐ》る。
|安公《やすこう》『アヽ|大変《たいへん》な|事《こと》が|起《おこ》つて|来《き》た。|天変地異《てんぺんちい》よりも|何《なに》よりも|俺《おれ》に|取《と》つては|大問題《だいもんだい》だ。|大国治立尊《おほくにはるたちのみこと》|様《さま》が|三千世界《さんぜんせかい》をお|立替《たてか》へ|遊《あそ》ばし、|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》|水晶《すゐしやう》の|世《よ》になさる|以上《いじやう》の|大神業《だいしんげふ》だ。|併《しか》し|乍《なが》ら|折角《せつかく》ちやんと|掃除《さうぢ》を|済《す》まし、|高姫《たかひめ》|衛生《えいせい》|委員長《ゐゐんちやう》の|試験《しけん》にやつと|合格《がふかく》して、やれやれと|息《いき》を|入《い》れる|時分《じぶん》に、|又《また》もや|友彦《ともひこ》が|明日《あす》になるとやつて|来《き》よる。さうすりや|又《また》|同《おな》じ|事《こと》を|繰返《くりかへ》さねばなるまい。|高姫《たかひめ》も|高姫《たかひめ》じや、|友彦《ともひこ》も|友彦《ともひこ》ぢや、|鷹《たか》【とも】|鳶《とんび》【とも】、|鬼《おに》【とも】、|蛇《じや》【とも】、|馬鹿《ばか》【とも】、|何《なん》【とも】|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|代者《しろもの》の|寄合《よりあひ》だ。さうぢやと|云《い》つて|此《この》|儘《まま》|掃除《さうぢ》をせずに|置《お》く|訳《わけ》にも|往《ゆ》かず、|是非《ぜひ》【とも】|皆《みな》やらねばならぬ。|旭《あさひ》は|照《て》る【とも】|曇《くも》る【とも】、|月《つき》は|盈《み》つ【とも】|虧《か》くる【とも】、|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》む【とも】、|【友】彦《ともひこ》の|命《いのち》のある|限《かぎ》り、やつて|来《こ》ぬ【とも】|分《わか》らない。|困《こま》つたものだ。|同《おな》じ|神《かみ》さまの|道《みち》に|居《ゐ》ながら、|何故《なぜ》|犬《いぬ》と|猿《さる》のやうに|仲《なか》が|悪《わる》いのだらう。|【共】《とも》に|手《て》を|引《ひ》き|合《あ》うて|往《ゆ》かねばならぬ|神《かみ》のお|道《みち》、【とも】|角《かく》も|困《こま》つたものだなア、エヽ|焼糞《やけくそ》だツ。
『|今日《けふ》は|九月《くぐわつ》の|十三夜《じふさんや》 |俺《おれ》の|副守《ふくしゆ》よ|能《よ》つく|聞《き》け
|必《かなら》ず|忘《わす》れちやならないぞ こんな|苦《くる》しい|目《め》に|遭《あ》ふも
|鼻赤男《はなあかをとこ》の|友彦《ともひこ》が |来《き》やがつたばかりに|肉体《にくたい》も
お|前《まへ》も|共《とも》に|苦労《くらう》する |苦労《くらう》するのがイヤなれば
|俺《おれ》の|体《からだ》を|一寸《ちよつと》|放《はな》れ |鼻赤《はなあか》|天狗《てんぐ》に|憑依《ひようい》して
|又《また》しても|友彦《ともひこ》が|来《こ》ぬやうに |頭《あたま》を|痛《いた》め|足《あし》|痛《いた》め
|鉄条網《てつでうまう》を|張《は》つて|呉《く》れ |毎日《まいにち》|日日《ひにち》|来《こ》られては
|俺《おれ》の|肉体《からだ》がつづかない あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|叶《かな》はん|叶《かな》はん|耐《たま》らない |叶《かな》はん|時《とき》の|神頼《かみだの》み
|同《おな》じ|主人《あるじ》を|持《も》つならば |言依別神《ことよりわけのかみ》さまや
|杢助《もくすけ》さまのやうな|人《ひと》 |神《かみ》さま|持《も》たして|下《くだ》しやんせ
|鼻高姫《はなたかひめ》の|頑固者《ぐわんこもの》 |偏狭《へんけふ》な|心《こころ》を|出《だ》しよつて
|気《き》に|喰《く》はぬ|奴《やつ》が|来《き》たと|云《い》ひ |汚《よご》れて|臭《くさ》いとは|何《なん》の|事《こと》
|我《わが》|儘《まま》|気儘《きまま》も|程《ほど》がある |人《ひと》を|使《つか》はうと|思《おも》つたら
|一度《いちど》は|使《つか》はれ|見《み》るがよい |高姫《たかひめ》さまのやうな|人《ひと》
|弥《いよいよ》|嫌《いや》になつて|来《き》た |是《これ》から|此《この》|家《や》を|夜抜《よぬ》けして
|国依別《くによりわけ》か|秋彦《あきひこ》の |館《やかた》を|指《さ》して|逃《に》げ|込《こ》まうか
|宇都山郷《うづやまごう》の|破屋《あばらや》の |松鷹彦《まつたかひこ》の|真似《まね》をした
|俺《おれ》は|矢張《やつぱり》|国《くに》さまの |親《おや》の|御霊《みたま》か|知《し》れないぞ
エヽエヽ|思《おも》へば|高姫《たかひめ》が |小癪《こしやく》に|触《さは》つて|耐《たま》らない
|小癪《こしやく》に|触《さは》つて|耐《たま》らない |小杓《こしやく》を|握《にぎ》つた|此《この》|手《て》さへ
びりびり|震《ふる》ひ|出《だ》して|来《き》た エヽ|邪魔《じやま》くさい|邪魔《じやま》くさい』
|云《い》ふより|早《はや》く|水桶《みづをけ》を |頭上《づじやう》に|高《たか》く|差《さ》し|上《あ》げて
|庭《には》に|並《なら》んだ|捨《す》て|石《いし》を |睨《にら》んでどつと|打《う》ちつける
|桶《をけ》は|忽《たちま》ちめきめきと |木《こ》つ|端《ぱ》|微塵《みじん》に|潰滅《くわいめつ》し
|水《みづ》は|一度《いちど》に|飛《と》び|散《ち》つて |高姫《たかひめ》|黒姫《くろひめ》|其《その》|外《ほか》の
|居間《ゐま》の|障子《しやうじ》に|打《ぶ》つ|突《つ》かる |高姫《たかひめ》|驚《おどろ》き|外面《そとも》をば
|眺《なが》める|途端《とたん》に|安公《やすこう》は 『お|前《まへ》は|高姫《たかひめ》|黒姫《くろひめ》か
|長《なが》らくお|世話《せわ》になりました お|前《まへ》のやうな【えぐい】|人《ひと》
|誰《たれ》がヘイヘイハイハイと |粗末《そまつ》な|粗末《そまつ》な|椀給《わんきふ》で
|御用《ごよう》|聞《き》く|奴《やつ》がありませうか |一先《ひとま》づ|御免《ごめん》|候《さふら》へ』と
|後《あと》を|振《ふ》り|向《む》き|振《ふ》り|向《む》いて |月《つき》の|光《ひかり》を|浴《あ》びながら
|黍畠《きびばた》|深《ふか》く|隠《かく》れける。
|高姫《たかひめ》『エヽ|仕方《しかた》のないものだ。とうとう|彼奴《あいつ》は|国依別《くによりわけ》の|悪霊《あくれい》に|憑《つ》かれて|仕舞《しま》つたな。|是《これ》から|国依別《くによりわけ》の|館《やかた》に|行《ゆ》くと、|独言《ひとりごと》を|云《い》うて|居《ゐ》た。|四《よ》つ|足《あし》|身魂《みたま》が|出《で》て|来《く》ると、|碌《ろく》な|事《こと》は|一《ひと》つも|出来《でき》はしない。……なア|黒姫《くろひめ》さま、|確《しつか》りしないと|貴方《あなた》も|何時《いつ》|悪神《わるがみ》に|憑依《ひようい》せられるか|分《わか》りませぬぜ』
|黒姫《くろひめ》『オホヽヽヽ』
|斯《か》かる|所《ところ》へ|勝公《かつこう》は、
|勝公《かつこう》『もしもし|御一同《ごいちどう》さま、|大変《たいへん》に|御飯《ごはん》が|遅《おく》れて|済《す》みませぬ。どうぞ|此《この》|窓《まど》を|開《あ》けて、お|月《つき》さまを|見《み》|乍《なが》ら、|悠《ゆつ》くりとお|食《あが》り|下《くだ》さいませ』
|高姫《たかひめ》『あゝ|夫《それ》は|御苦労《ごくらう》だつた。お|前《まへ》も|早《はや》う|御飯《ごはん》をお|食《あが》り、|安公《やすこう》のやうに|飛《と》び|出《だ》さぬやうにして|下《くだ》されや』
|勝公《かつこう》『ヘエ、もう|彼奴《あいつ》は|飛《と》び|出《だ》しましたかな。ヤヽ|仕舞《しま》つた。|先立《さきだ》たれたか、|残念《ざんねん》だ』
|高姫《たかひめ》『これこれ|勝公《かつこう》さま、お|前《まへ》は|何《なに》を|云《い》ふのだ。|高姫館《たかひめやかた》が|嫌《いや》になつたので、|抜《ぬ》け|出《だ》す|積《つも》りで|居《ゐ》たのだらう』
|勝公《かつこう》『|何《なん》だか|聖地《せいち》の|方々《かたがた》に|対《たい》しても|肩身《かたみ》が|狭《せま》いやうな|気《き》が|致《いた》しましてなア。|立寄《たちよ》れば|大木《おほぎ》の|蔭《かげ》とやら、|何程《なにほど》|此《この》お|館《やかた》に|大木《たいぼく》が|沢山《たくさん》あつても、|箸《はし》と|親分《おやぶん》は|丈夫《ぢやうぶ》なのがよいとか|申《まを》しましてな。|実《じつ》は|一寸《ちよつと》|思案《しあん》をして|居《を》りますので|御座《ござ》いますワイ』
|高姫《たかひめ》『|宜敷《よろし》い、|旗色《はたいろ》のよい|方《はう》につくのが|当世《たうせい》だ。|体主霊従《たいしゆれいじう》の|杢助《もくすけ》さまにでも|引《ひ》き|上《あ》げて|貰《もら》ひなさい』
|勝公《かつこう》『|今日《けふ》から|此処《ここ》を|出《だ》されては|実《じつ》は|困《こま》ります。|何《なん》と|云《い》つても、○○の|留守《るす》をして|居《を》つた|奴《やつ》だからと|云《い》つて、|誰《たれ》も|彼《かれ》も|排斥《はいせき》して|使《つか》つて|呉《く》れませぬから、|止《や》むを|得《え》ず|貴方《あなた》のお|宅《たく》にお|世話《せわ》になつて|居《ゐ》ました。よい|口《くち》があれば|誰《たれ》がこんな|所《ところ》へ|半時《はんとき》でも|居《を》りませうか。|私《わたし》の|口《くち》が|出来《でき》る|迄《まで》|一寸《ちよつと》|腰《こし》かけに|置《お》いて|下《くだ》さい』
|高姫《たかひめ》『エヽ|汚《けが》らはしい。そんな|心《こころ》の|人《ひと》はトツトと|去《い》んで|下《くだ》さい、|反吐《へど》が|出《で》る』
|勝公《かつこう》『|神様《かみさま》は|反吐《へど》の|出《で》るやうな|汚《きたな》い|者《もの》を|集《あつ》めて|洗濯《せんたく》をなさるのぢやありませぬか。|清《きよ》らかな|者《もの》|計《ばか》りなら、|別《べつ》に|教《をしへ》を|立《た》てる|必要《ひつえう》はありますまい。|高姫《たかひめ》さまもよい|洗濯《せんたく》の|材料《ざいれう》が|出来《でき》たと|思《おも》つて、も|少《すこ》し|私《わたし》の|身魂《みたま》を|洗濯《せんたく》して|下《くだ》さいな』
|高姫《たかひめ》『もう|洗濯屋《せんたくや》は|廃業《はいげふ》しました。|洗濯《せんたく》がして|欲《ほつ》しければ|一本木《いつぽんぎ》|迄《まで》いつて|来《き》なさい。サアサアトツトと|帰《かへ》つた|帰《かへ》つた……とは|云《い》ふものの、|明日《あす》から|誰《たれ》が|飯《めし》を|炊《た》いて|呉《く》れるだらう。チヨツ、いまいましいが、そんなら|暫《しばら》く|置《お》いて|上《あ》げよう』
|勝公《かつこう》『|何《なん》だか|安公《やすこう》が|出《で》やがつてから|俺《おれ》も|出《で》たくなつた。|何《なん》ぼう|置《お》いてやると|云《い》うても|居《を》る|気《き》もせず、あゝ|仕方《しかた》がないなア』
と|小《ちい》さい|声《こゑ》に|呟《つぶや》きながら、|納戸《なんど》の|方《はう》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。
(大正一一・七・二二 旧閏五・二八 加藤明子録)
第三章 |魚水心《ぎよすゐしん》〔七八五〕
|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》、|高山彦《たかやまひこ》、|夏彦《なつひこ》、|常彦《つねひこ》の|五人《ごにん》は、|四方山《よもやま》の|話《はなし》に|耽《ふけ》り|乍《なが》ら|晩餐《ばんさん》を|済《す》ませ、|窓《まど》を|開《あ》けて|月《つき》を|拝《はい》し|乍《なが》ら、ヒソヒソ|話《ばなし》に|耽《ふけ》つてゐる。
|高姫《たかひめ》『|夏彦《なつひこ》、|常彦《つねひこ》さま、お|前《まへ》さまは|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》に|随《つ》いて、|五色《いついろ》の|御玉《みたま》を|御迎《おむか》へに|秋山彦《あきやまひこ》の|館《やかた》まで|往《い》つたぢやありませぬか』
|夏彦《なつひこ》『ハイ|行《ゆ》きました。それはそれは|御立派《ごりつぱ》な|事《こと》で|御座《ござ》いましたよ。なんでも|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》、|玉治別《たまはるわけ》、|久助《きうすけ》、お|民《たみ》の|五人《ごにん》さまが、|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》の|諏訪《すは》の|湖《みづうみ》の|竜《たつ》の|宮居《みやゐ》とかで、|乙姫《おとひめ》さまから|五色《いついろ》の|結構《けつこう》な|玉《たま》を|御頂《おいただ》きなされ、それを|自分《じぶん》の|手柄《てがら》にするのも|勿体《もつたい》ないと|云《い》ふ|御精神《ごせいしん》から、|初稚姫《はつわかひめ》さまは|紫《むらさき》の|玉《たま》を|梅子姫《うめこひめ》|様《さま》に|御渡《おわた》し|遊《あそ》ばされ、それに|倣《なら》うて|四人《よつたり》の|御方《おかた》は|黄竜姫《わうりようひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》、|友彦《ともひこ》、テールス|姫《ひめ》にその|玉《たま》を|無言《むごん》の|儘《まま》|渡《わた》されたといふ|事《こと》です。|人間《にんげん》も、アー|云《い》ふ|工合《ぐあひ》に|私《わたくし》を|捨《す》て|譲《ゆづ》り|合《あ》つて|行《ゆ》けば、|何事《なにごと》も|円満《ゑんまん》に|行《ゆ》くのですがなア』
|高姫《たかひめ》『|何《なに》ツ、|黄竜姫《わうりようひめ》や|蜈蚣姫《むかでひめ》、|彼《あ》の|友彦《ともひこ》にテールス|姫《ひめ》、|彼《あ》んな|輩《やから》がそんな|御用《ごよう》をしましたかい。|何程《なにほど》|人物《じんぶつ》|払底《ふつてい》だと|云《い》つても、あんまり|酷《ひど》いぢやありませぬか。さうしてその|玉《たま》は|今《いま》|聖地《せいち》に|納《をさ》まつてあるだらうな。|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまの|肉《にく》の|宮《みや》、|黒姫《くろひめ》さまが|此処《ここ》に|御座《ござ》るのだから、|謂《ゐ》はば|黒姫《くろひめ》さまが|二三年《にさんねん》も|竜宮《りうぐう》の|島《しま》に|渡《わた》つて|御仕組《おしぐみ》をして|置《お》かれたのだ。それも|此《こ》の|高姫《たかひめ》が|神様《かみさま》の|御都合《ごつがふ》で、|黒姫《くろひめ》さまを|聖地《せいち》から|追出《おひだ》したのが|矢張《やつぱり》|御用《ごよう》になつて|居《ゐ》るのだ。そんな|事《こと》の|分《わか》つた|奴《やつ》は|一人《ひとり》も|有《あ》りますまい。|何《なに》を|云《い》つても|杢助《もくすけ》のやうな|没分暁漢《わからずや》が|総務《そうむ》さまだからね』
|夏彦《なつひこ》『それは|誰《たれ》もよく|存《ぞん》じて|居《を》ります。これは|全《まつた》く|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまや、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|様《さま》の|御蔭《おかげ》で|授《さづ》かつたのだと|云《い》つて|居《ゐ》ますで』
|高姫《たかひめ》『それは|定《きま》つて|居《ゐ》るぢやないか。|併《しか》し|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|肉《にく》の|宮《みや》と、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまの|肉《にく》の|宮《みや》は、|何方《どなた》ぢやと|云《い》ふ|事《こと》が|分《わか》つて|居《を》らねば|駄目《だめ》ですよ』
|常彦《つねひこ》『それは|云《い》はいでも|定《きま》つてゐますがな。|系統《ひつぽう》の|肉体《にくたい》に|憑《うつ》らいで|何処《どこ》へ|憑《うつ》らはりませう。|乙姫《おとひめ》さまだつて、|依然《やつぱり》|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまの|生宮《いきみや》に|引添《ひきそ》うて|御座《ござ》る|御方《おかた》に|定《きま》つとるぢやありませぬか。それで|言依別神《ことよりわけのかみ》|様《さま》が|信者《しんじや》|一同《いちどう》に|玉《たま》を|開《あ》けて|一度《いちど》|拝《をが》まし|度《た》いのだけれど、|肝腎《かんじん》の|系統《ひつぽう》の|生宮《いきみや》さまが|御帰《おかへ》りになる|迄《まで》、|吾々《われわれ》は|開《あ》ける|事《こと》は|出来《でき》ないと|云《い》つて、|御自分《ごじぶん》で|何処《どこ》かへ|御納《おをさ》めになりました。|貴方《あなた》が|些《ちつ》とも|言依別《ことよりわけ》さまの|御館《おやかた》へ|顔出《かほだ》しをなさらぬものだから、|待《ま》つてゐられるのですよ』
|高姫《たかひめ》『|言依別《ことよりわけ》も|大分《だいぶ》|此《この》|頃《ごろ》は|改心《かいしん》が|出来《でき》たと|見《み》えますワイ。|此《こ》の|肉体《にくたい》が|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》ぢやと|云《い》ふ|事《こと》が|徐々《そろそろ》と|気《き》が|付《つ》いたらしい。なア|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さま、それに|就《つ》いても、|些《ちつ》と|分《わか》らぬぢやありませぬか。|吾々《われわれ》が|訪《たづ》ねに|行《ゆ》かずとも、それが|分《わか》つた|以上《いじやう》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》や|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|様《さま》へ|御礼《おれい》に|来《こ》ねばならない|筈《はず》だ。|本末《ほんまつ》|顛倒《てんたう》も|実《じつ》に|甚《はなはだ》しい』
|夏彦《なつひこ》『|決《けつ》して|決《けつ》して、|言依別《ことよりわけ》|様《さま》はそんな|御考《おかんが》へは|些《ちつ》とも|無《な》いのですが、|貴方《あなた》は|何時《いつ》も|言依別《ことよりわけ》の|奴灰殻《どはひから》だとか、|四足身魂《よつあしみたま》だとか|仰有《おつしや》るものだから|言依別《ことよりわけ》|様《さま》は、|貴方《あなた》の|御宅《おたく》を|御訪《おたづ》ねなされ|度《た》いのは|胸一杯《むねいつぱい》になつて|居《ゐ》らつしやるのですが、|人手《ひとで》の|少《すくな》いのに、|又々《またまた》|秋季大清潔法《しうきだいせいけつはふ》をなさらんならぬ|様《やう》な|事《こと》が|起《おこ》ると、|御気《おき》の|毒《どく》だと|云《い》つて|控《ひか》へて|御座《ござ》るのですよ』
|高姫《たかひめ》『そんな|御心配《ごしんぱい》は|要《い》りませぬわ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》や|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》の|生宮《いきみや》が|分《わか》る|丈《だけ》の|身魂《みたま》なら、|最早《もはや》|四足《よつあし》|身魂《みたま》は|退散《たいさん》して|居《ゐ》るに|違《ちが》ひないから、|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》が|待《ま》ちかねてゐるから|一遍《いつぺん》|御出《おい》でなさいと|云《い》つて|下《くだ》さい。いろいろと|言《い》うて|聞《き》かしたい|事《こと》もある。|何程《なにほど》|賢《かしこ》い|教主《けうしゆ》だと|云《い》つても|年《とし》の|若《わか》い|経験《けいけん》の|無《な》い|社会《しやくわい》|大学《だいがく》を|卒業《そつげふ》せない|人《ひと》だから、|言《い》はねばならぬ|事《こと》が|山《やま》|程《ほど》あるのだけれど、|又《また》|煩《うる》さがられると|思《おも》うて|今迄《いままで》|云《い》はずに|居《を》つたのだよ。それが|本当《ほんたう》なら|言依別《ことよりわけ》も|見上《みあ》げたものぢや。オツホヽヽヽ』
|夏彦《なつひこ》『|折角《せつかく》|立派《りつぱ》な|御玉《みたま》が|納《をさ》まつて|皆《みな》の|信者《しんじや》が|拝観《はいくわん》したいと|云《い》つて|待《ま》つて|居《を》ります。|何卒《どうぞ》その|玉《たま》を|貴女《あなた》の|御手《おんて》で|開《ひら》いて|貰《もら》はなければ|誰《たれ》も|開《ひら》く|事《こと》が|出来《でき》ぬのですから、|何卒《どうぞ》|早《はや》く|御機嫌《ごきげん》を|直《なほ》して|錦《にしき》の|宮《みや》へ|御参詣《ごさんけい》の|上《うへ》、|言依別《ことよりわけ》|様《さま》と|御相談《ごさうだん》して|下《くだ》さいな』
|高姫《たかひめ》『ソリヤ|道《みち》が|違《ちが》ひませう。|言依別《ことよりわけ》は|教主《けうしゆ》だと|云《い》つても、それは|人間《にんげん》が|定《き》めたもの、|誠生粋《まこときつすゐ》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》や|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|様《さま》の|御鎮《おしづ》まり|遊《あそ》ばす|肉《にく》の|宮《みや》へ、|一度《いちど》の|面会《めんくわい》にも|出《で》て|来《こ》ぬと|云《い》ふ|失礼《しつれい》な|事《こと》がありますかい』
|夏彦《なつひこ》は|言《い》ひ|憎《にく》さうに|一寸《ちよつと》|頭《かしら》へ|手《て》を|上《あ》げて、
|夏彦《なつひこ》『あなたの|仰有《おつしや》る|事《こと》も|一応《いちおう》は|御尤《ごもつと》ものやうに|考《かんが》へますが、そこはさう|四角張《しかくば》らずに、|言依別《ことよりわけ》|様《さま》は|言依別《ことよりわけ》|様《さま》として、|教主《けうしゆ》と|云《い》ふ|名《な》に|対《たい》し|貴方《あなた》から|御訪問《ごはうもん》なさるが|至当《したう》だと|思《おも》ひます。それも|亦《また》|直接《ちよくせつ》に|御会《おあ》ひになつてはいけませぬ。|何程《なにほど》|御嫌《おきら》ひになつても|総務《そうむ》の|杢助《もくすけ》さまの|手《て》を|経《へ》て|御面会《ごめんくわい》をなさいませ。それが|至当《したう》だと|此《こ》の|夏彦《なつひこ》は|御神徳《おかげ》を|頂《いただ》いてゐます』
|高姫《たかひめ》『あんな|杢助《もくすけ》や|国依別《くによりわけ》のやうな|行儀《ぎやうぎ》|知《し》らずに、|阿呆《あはう》らしくて|面会《めんくわい》が|出来《でき》ぬぢやありませぬか。|二《ふた》つ|目《め》には|四足《よつあし》かなんぞのやうにゴロンと|横《よこ》になり、|不作法《ぶさはふ》な…|生宮《いきみや》の|前《まへ》でも|寝《ね》て|話《はなし》をすると|云《い》ふ|代物《しろもの》だから、|国依別《くによりわけ》までが|同《おな》じ|様《やう》に|猿《さる》の|人真似《ひとまね》をしよつて、|好《い》いかと|思《おも》つてグレンと|仰向《あふむ》けになり|応対《おうたい》をして|居《を》るから、この|高姫《たかひめ》が「|些《ちつ》と|心得《こころえ》なさい、|失礼《しつれい》ぢや|無《な》いか」とたしなめてやれば、|霊界物語《れいかいものがたり》でさへも|仰向《あふむ》けになつて、|足《あし》をピンピン|上《あ》げ|以《もつ》て|結構《けつこう》な|神界《しんかい》の|因縁《いんねん》を|説《と》かれるぢやないかと、|屁理屈《へりくつ》をこねる|仕方《しかた》の|無《な》い|奴《やつ》だ。そんな|奴《やつ》を|又《また》|言依別《ことよりわけ》さまも|人間《にんげん》が|好《い》いものだから、|悦《よろこ》んで|使《つか》つてゐると|云《い》ふ|御目出度《おめでた》さ。|第一《だいいち》これからが|退《しりぞ》けて|了《しま》はなくちや、|三五教《あななひけう》も|何時《いつ》になつても|駄目《だめ》ですよ』
|夏彦《なつひこ》『あなたの|御言葉《おことば》は|実《じつ》に|御尤《ごもつと》もです。|私《わたくし》も|時々《ときどき》|杢助《もくすけ》さまが|仰向《あふむ》けになつて、|私達《わたくしたち》にいろいろの|事《こと》を|御指図《おさしづ》をなさるので|時々《ときどき》ムツとしてその|訳《わけ》を|詰問《きつもん》すると|杢助《もくすけ》さまの|言草《いひぐさ》が|面白《おもしろ》い。「|今《いま》のやうな|百鬼昼行《ひやくきちうかう》の|世《よ》の|中《なか》の|人間《にんげん》は、みんな|鬼《おに》や|蛇《へび》や|悪魔《あくま》が|人間《にんげん》の|真似《まね》をして|立《た》つて|歩《ある》いて|居《ゐ》るのだ。さうして|蟹《かに》が|行《ゆ》く|横《よこ》さの|道《みち》|計《ばか》り|平気《へいき》でやつてゐるから|耐《たま》らない。|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》を|革正《かくせい》しようと|思《おも》へば、|何《ど》うしても|人《ひと》のようせぬ|事《こと》を|致《いた》さねば|立替《たてかへ》、|立直《たてなほ》しは|出来《でき》ない。|今日《こんにち》の|社会《しやくわい》を|見《み》なさい、その|潮流《てうりう》は|滔々《たうたう》として|横《よこ》へ|横《よこ》へと|流《なが》れてゐるぢやないか。それが|所謂《いはゆる》|天地《てんち》|自然《しぜん》の|道《みち》だ。|川《かは》の|水《みづ》でも|潮水《てうすゐ》でも|横《よこ》に|流《なが》れて|居《ゐ》るべきものだ。|数多《あまた》の|人命《じんめい》を|乗《の》せて|走《はし》る|汽車《きしや》も|矢張《やつぱり》|横《よこ》に|長《なが》うなつてゐる。レールでさへもさうぢやないか。もしもレールがチヨコンと|坐《すわ》つたり、|立《た》てつて|見《み》なされ、|汽車《きしや》は|忽《たちま》ち|転覆《てんぷく》するぢやないか。|横《よこ》に|流《なが》れて|居《ゐ》る|河川《かせん》は|洋々《やうやう》として|少《すこ》しも|淹滞《えんたい》なく、|又《また》|愛《あい》らしい|雛《ひな》を|育《そだ》てる|牝鳥《めんどり》は|翼《つばさ》の|中《なか》へ|大切《たいせつ》に|抱《かか》えて|巣《す》の|中《なか》へ|寝《ね》てゐます。|卵《たまご》を|孵《かへ》すのだつて|寝《ね》て|居《を》らねば|孵《かへ》りはしない。ノアの|方舟《はこぶね》だつて|矢張《やつぱ》り|水面《すゐめん》を|横《よこ》に|進《すす》んで|流《なが》れてゐる、|水平社《すゐへいしや》の|運動《うんどう》でも……」と|仰有《おつしや》いましたよ』
|高姫《たかひめ》『そんな|屁理屈《へりくつ》がありますか。この|庭先《にはさき》の|松《まつ》や|篠竹《しのたけ》を|見《み》なさい。|皆《みんな》|地《ぢ》から|真直《まつすぐ》に|上《うへ》へ|向《むか》つて|立《た》つてるぢやありませぬか。|横《よこ》になつてる|奴《やつ》は|幹《みき》が|腐《くさ》つて|風《かぜ》に|吹《ふ》き|倒《たふ》された|木《き》|許《ばか》りぢや。|又《また》|本打《もとうち》|切《き》り|末《すゑ》|打断《うちた》ちて|皮《かは》を|剥《む》かれた|枯木《かれき》の|材木《ざいもく》ばつかりだ。|横《よこ》になつてる|奴《やつ》に|碌《ろく》なものがありますか。さうだから|杢助《もくすけ》では|駄目《だめ》だと|云《い》ふのですよ』
と|力《ちから》をこめて|握拳《にぎりこぶし》で|閾《しきゐ》を|思《おも》はずポンと|叩《たた》き、『アイタヽヽ』と|云《い》はんとしたが、『アイ……』と|云《い》つた|限《き》り|顔《かほ》を|顰《しか》めて|左《ひだり》の|手《て》でコツソリと|撫《な》でてゐるその|気《き》の|毒《どく》さ。
|常彦《つねひこ》『なんと|理屈《りくつ》は|何方《どちら》へでもつくものですな。|火中水《くわちうすゐ》あり、|水中火《すゐちうくわ》あり、|火《ひ》は|水《みづ》の|力《ちから》を|借《か》つて|燃《も》え|上《あが》り、|水《みづ》は|火《ひ》の|力《ちから》に|依《よ》つて|動《うご》かされる|道理《だうり》で、|何方《どちら》から|聞《き》いても|理屈《りくつ》は|合《あ》ひますワイ。それで|経《たて》が|変性男子《へんじやうなんし》、|緯《よこ》が|変性女子《へんじやうによし》と|神様《かみさま》が|仰有《おつしや》るのでせう。|経糸《たていと》|計《ばか》りでは|所詮《しよせん》|駄目《だめ》で、|矢張《やつぱ》り|緯糸《よこいと》が|無《な》ければ|錦《にしき》の|機《はた》は|織《お》る|事《こと》は|出来《でき》ませぬ』
|高姫《たかひめ》『その|緯《よこ》がいかぬのですよ。|緯《よこ》は|梭《さとく》が|落《お》ちたり、|糸《いと》が|切《き》れたり|致《いた》すから、それで|変性女子《へんじやうによし》の|行方《やりかた》は|駄目《だめ》だと|云《い》ふのだよ……
|機《はた》の|緯《よこ》|織《お》る|身魂《みたま》こそ|苦《くる》しけれ |一《ひと》つ|通《とほ》せば|一《ひと》つ|打《う》たれつ
なんて|弱音《よわね》を|吹《ふ》いて|居《ゐ》るやうな|言依別《ことよりわけ》に|何《なに》が|出来《でき》ますかいな。イヤイヤ|矢張《やつぱり》|言依別《ことよりわけ》は|出来《でき》ぬとも|限《かぎ》らぬ。|此《この》|頃《ごろ》は|大分《だいぶ》に|改心《かいしん》をしかけたから、|変性男子《へんじやうなんし》の|経糸《たていと》に|対《たい》して、|私《わたし》がサトクとなつて|立派《りつぱ》な|機《はた》を|織《お》つて|見《み》せませう。|緯糸《よこいと》になる|緯役《よこやく》さへサトクの|言《い》ふ|通《とほ》り|従《つ》いてくれば|好《よ》いのだ。……ナア|黒姫《くろひめ》さま、さうぢやありませぬか』
|黒姫《くろひめ》『|左様《さやう》|々々《さやう》、|貴方《あなた》の|仰有《おつしや》る|通《とほ》り|一分一厘《いちぶいちりん》|毛筋《けすぢ》の|横巾《よこはば》|程《ほど》も|違《ちが》ひはありませぬ。|何卒《どうぞ》|一時《いちじ》も|早《はや》う|杢助《もくすけ》さまが|改心《かいしん》さへしてくるれば、|何《なん》にも|云《い》ふ|事《こと》はありませぬがなア』
|常彦《つねひこ》『|杢助《もくすけ》さまの|方《はう》では|何卒《どうぞ》|一日《いちにち》も|早《はや》く|高姫《たかひめ》さまや|黒姫《くろひめ》が|改心《かいしん》さへしてくれれば|何《なに》も|云《い》ふ|事《こと》はないがなア…と|首《くび》を|傾《かた》げて|大変《たいへん》に|考《かんが》へてゐましたよ。|国依別《くによりわけ》だつてあんたの|敵対役《てきたいやく》に|実際《じつさい》の|所《ところ》はこしらへてあるのですよ。|此《この》|間《あひだ》もお|肴《さかな》だと|云《い》つて|石《いし》を|持《も》つて|来《き》たでせう。それは|大《おほ》きな|声《こゑ》では|云《い》へぬが|全《まつた》く|言依別《ことよりわけ》|様《さま》の|御指図《おさしづ》ですよ』
|高姫《たかひめ》『ナニ、|言依別《ことよりわけ》が……あんまりぢやないか』
|常彦《つねひこ》『|言依別《ことよりわけ》|様《さま》は|深《ふか》い|思召《おぼしめ》しがあつて|国依別《くによりわけ》にあーいふ|事《こと》をさせて、お|前《まへ》さまが|怒《おこ》るか|怒《おこ》らないか、|怒《おこ》るやうでは|玉《たま》の|御用《ごよう》をさす|時機《じき》がまだ|来《き》て|居《を》らぬのだし、それを|耐《た》へ|忍《しの》ぶやうな|高姫《たかひめ》さまなら、モウ|大丈夫《だいぢやうぶ》だからと|云《い》つて|気《き》を|御引《おひ》きなさつたのですよ。お|前《まへ》さまは|矢張《やつぱり》|腹《はら》が|立《た》ちませうね』
|高姫《たかひめ》『エー|腹《はら》が|立《た》つといふやうな、そんな|小《ち》つぽけな|精神《せいしん》で、|大和魂《やまとだましひ》と|云《い》はれますかい。|大海《たいかい》は|塵《ちり》を|選《えら》まず、|百川《ひやくせん》の|濁流《だくりう》を|呑《の》んで|濁《にご》らずと|云《い》ふ|高姫《たかひめ》の|態度《たいど》ですからなア。|天《てん》の|高《たか》くして|諸鳥《もろどり》の|飛翔《ひしよう》するに|任《まか》するが|如《ごと》く、|海《うみ》の|濶《ひろ》く|深《ふか》くして|魚鼈《ぎよべつ》の|躍《をど》るに|任《まか》すが|如《ごと》しといふ|広大無辺《くわうだいむへん》の|大精神《だいせいしん》ですから……ヘン……あんまり|見損《みそこな》ひをして|貰《もら》ひますまいかい。|妾《わたし》を|試《ため》すなんて|猪口才《ちよこざい》|過《す》ぎる。|矢張《やつぱり》|自分《じぶん》の|心《こころ》が|小《ちい》さいからだよ。|自分《じぶん》の|心《こころ》の|尺度《しやくど》を|以《もつ》て、|生神様《いきがみさま》の|大精神《だいせいしん》を|測量《そくりやう》しようと|思《おも》ふのが、テンから|間違《まちが》つてゐる。|併《しか》し|乍《なが》らそこまで|言依別《ことよりわけ》もなつたか、ホンに|可愛《かあい》いものだ。……そんなら|常彦《つねひこ》さま、お|前《まへ》、|言依別《ことよりわけ》さまに|逢《あ》つて、|高姫《たかひめ》さまは|彼《あ》の|位《くらゐ》な|事《こと》は、|何処《いづこ》を|風《かぜ》が|吹《ふ》くらんといふやうな|態度《たいど》で、|余裕《よゆう》|綽々《しやくしやく》、|泰然自若《たいぜんじじやく》として|笑《わら》つて|御座《ござ》つたと、|実地正真《じつちまこと》らしく……オツトドツコイ……|実地正真《じつちまこと》の|立派《りつぱ》な|態度《たいど》を、よく|腹《はら》へシメこんで|置《お》いて|申上《まをしあ》げるのだよ』
|常彦《つねひこ》『|兎《と》も|角《かく》|今日《けふ》の|有《あ》りの|儘《まま》を|申上《まをしあ》げたら|好《い》いのですか。|嘘《うそ》は|一寸《ちよつと》も|云《い》はれぬ|御道《おみち》ですからなアー』
|高姫《たかひめ》『エー|矢張《やつぱり》モウ|云《い》うて|下《くだ》さるな。|妾《わたし》が|直接《ちよくせつ》に|御目《おめ》にかかつてその|寛大振《くわんだいぶり》を|見《み》せて|来《く》るから、|今日《けふ》の|事《こと》は|何《なん》にも|云《い》ひつてはなりませぬぞ』
|常彦《つねひこ》『|魚心《うをごころ》あれば|水心《みづごころ》あり、|打《う》てば|響《ひび》くとやら……、ナア|夏彦《なつひこ》、さうぢやないか。チツトはコンミツシヨンとか、ボーナスとか|有《あ》りさうなものだなア』
|黒姫《くろひめ》『オホヽヽヽ、|何《なん》と|現金《げんきん》なお|方《かた》だこと』
|常彦《つねひこ》『|何分《なにぶん》|此《この》|肉体《にくたい》は|融通《ゆうづう》の|利《き》く|人間《にんげん》ですが、|三五教《あななひけう》の|誠《まこと》の|教《をしへ》を|守護神《しゆごじん》の|奴《やつ》、|腹中《はらのなか》で、すつかりと|聞《き》き|居《を》つたものだから、|相手《あひて》の|通《とほ》り|云《い》ひたがつて|仕様《しやう》がありませぬ。この|肉体《にくたい》は|何《なに》も|云《い》ひませぬ。|副守《ふくしゆ》の|奴《やつ》に|何《なに》か|気《き》をつけてやつて|下《くだ》さい。|袂《たもと》が|重《おも》ければ|重《おも》い|程《ほど》|都合《つがふ》が|宜《よろ》しいで。|少々《せうせう》の|重味《おもみ》|位《くらゐ》|乗《の》せた|所《ところ》で、|中々《なかなか》の|強《つよ》い|奴《やつ》ですからなア』
|高姫《たかひめ》『マアマア|成功《せいこう》の|後《のち》、|御注文通《ごちうもんどほ》りボーナス(|棒茄子《ぼうなす》)なつと、ボーウリ(|棒瓜《ぼううり》)なつと、|干瓢《かんぺう》なつと|上《あ》げませうかい』
|常彦《つねひこ》『そいつはなりませぬぞ。|何事《なにごと》も|前銭《さきぜに》を|出《だ》して|註文《ちうもん》して|置《お》かねば、|何程《なにほど》|変換《へんがへ》されても|仕方《しかた》がありますまい。|証拠金《しようこきん》とか|手付金《てつけきん》とか|先《さき》へ|頂《いただ》いて|公証役場《こうしようやくば》へ|行《い》つて、|公正証書《こうせいしようしよ》でも|取《と》つて|置《お》きませうかな。アハヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『コレ|常彦《つねひこ》さま、|冗談《ぜうだん》もよい|加減《かげん》にしなさい。……|千騎一騎《せんきいつき》の|此《この》|場合《ばあひ》ぢやありませぬか』
|常彦《つねひこ》『ソラさうでせう。あなたにとつては|千騎一騎《せんきいつき》、|吾々《われわれ》は|及《およ》ばず|乍《なが》ら|麻邇宝珠《まにほつしゆ》の|御迎《おむか》へを|御勤《おつと》め|申《まを》し、|一寸《ちよつと》|休養《きうやう》を|賜《たま》はつて|居《ゐ》るところですから、|極《きは》めて|悠々閑々《いういうかんかん》たるものです。|兎《と》も|角《かく》|他《ひと》の|苦労《くらう》で|徳《とく》をとらうと|云《い》ふのは、|却《かへつ》て|骨《ほね》が|折《を》れるものですワイ。|併《しか》しこれは|世間《せけん》の|話《はな》しですよ。お|前《まへ》さまは|気《き》が|早《はや》いから|直《すぐ》に|自分《じぶん》の|事《こと》に|取《と》つて|怒《おこ》る|癖《くせ》があるから|剣呑《けんのん》だ』
|高姫《たかひめ》『|何《なに》を|仰有《おつしや》る。それは|大《おほ》きな|声《こゑ》で|云《い》はれぬが、|言依別命《ことよりわけのみこと》の|事《こと》でせうがなア』
|常彦《つねひこ》『あんたはさう|思《おも》つてますか。それで|安心《あんしん》だ……。なア|夏彦《なつひこ》さま』
|夏彦《なつひこ》『オホヽヽヽ、イヤモウ|何《ど》うも|感心《かんしん》いたしました』
|斯《か》かる|処《ところ》へ|夜《よ》の|閑寂《かんじやく》を|破《やぶ》つて|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》た。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》せ |頑迷不霊《ぐわんめいふれい》の|高姫《たかひめ》も
|執着《しふちやく》|深《ふか》き|黒姫《くろひめ》も |天《あめ》と|地《つち》との|御水火《みいき》より
|現《あら》はれませる|神《かみ》の|御子《みこ》 |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の
|仁慈無限《じんじむげん》の|御心《みこころ》を |酌《く》みとりまして|言依別《ことよりわけ》の
|瑞《みづ》の|御魂《みたま》は|八尋殿《やひろどの》 |麻邇《まに》の|御珠《みたま》を|奥《おく》|深《ふか》く
|納《をさ》め|給《たま》ひて|高姫《たかひめ》や |黒姫《くろひめ》さまの|帰《かへ》るまで
|拝観《はいくわん》する|事《こと》ならないと |言葉《ことば》|厳《きび》しく|宣《の》り|伝《つた》へ
|高姫《たかひめ》さまの|一行《いつかう》が |聖地《せいち》を|指《さ》して|帰《かへ》り|来《く》る
その|吉日《きちにち》を|待《ま》ち|玉《たま》ふ |思《おも》へば|深《ふか》し|神《かみ》の|恩《おん》
|仰《あふ》げば|高《たか》し|御恵《おんめぐ》み |露《つゆ》だも|知《し》らぬ|高姫《たかひめ》が
|聖地《せいち》に|帰《かへ》り|来《き》|乍《なが》らも |錦《にしき》の|宮《みや》の|大前《おほまへ》に
|未《いま》だ|詣《まう》でし|状《さま》も|無《な》し |玉照彦《たまてるひこ》や|玉照姫《たまてるひめ》の
|神《かみ》の|柱《はしら》は|言《い》ふも|更《さら》 |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の
|珍《うづ》の|御子《おんこ》とあれませる |五十子《いそこ》の|姫《ひめ》や|梅子姫《うめこひめ》
わけて|尊《たふと》き|英子姫《ひでこひめ》 |言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》|等《ら》に
|未《いま》だ|一度《いちど》も|挨拶《あいさつ》の |便《たよ》りもきかぬうたてさよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましまして
|執着心《しふちやくしん》と|片意地《かたいぢ》に とりからまれし|両人《りやうにん》や
|高山彦《たかやまひこ》の|身魂《みたま》をば |神《かみ》の|御稜威《みいづ》にさらさらと
|清《きよ》め|玉《たま》ひて|片時《かたとき》も |疾《と》く|速《すむや》けく|大前《おほまへ》に
|詣《まう》で|来《きた》りて|神業《かむわざ》に |参加《さんか》なさしめ|玉《たま》へかし
|如何《いか》に|高姫《たかひめ》|黒姫《くろひめ》が |頑強不霊《ぐわんきやうふれい》と|云《い》ひ|乍《なが》ら
|神《かみ》の|御裔《みすえ》の|方々《かたがた》に |無礼《ぶれい》の|罪《つみ》を|重《かさ》ぬるは
|実《じつ》に|悲《かな》しき|事《こと》ぞかし |教《をしへ》の|道《みち》の|友彦《ともひこ》を
|一度《いちど》|遣《つか》はし|見《み》たれども |金門《かなど》を|守《まも》る|安公《やすこう》に
|追《お》ひ|退《やら》はれて|減《へ》らず|口《ぐち》 |叩《たた》いて|館《やかた》へ|立帰《たちかへ》り
|面《つら》を|膨《ふく》らせブツブツと |小言《こごと》の|限《かぎ》り|列《なら》べ|立《た》て
とりつく|島《しま》も【なき】|別《わか》れ われは|亀彦《かめひこ》|宣伝使《せんでんし》
|英子《ひでこ》の|姫《ひめ》の|御言《みこと》もて |高姫《たかひめ》|黒姫《くろひめ》|両人《りやうにん》を
|今《いま》や|迎《むか》へに|来《きた》りけり |月《つき》は|御空《みそら》に|皎々《かうかう》と
|輝《かがや》き|渡《わた》り|万有《ばんいう》に |恵《めぐ》みの|露《つゆ》を|賜《たま》へども
|心《こころ》の|空《そら》の|村雲《むらくも》に |十重《とへ》に|二十重《はたへ》に|包《つつ》まれて
|黒白《あやめ》も|分《わ》かぬ|胸《むね》の|闇《やみ》 |晴《は》らし|玉《たま》へよ|天津神《あまつかみ》
|国津神《くにつかみ》|達《たち》|八百万《やほよろづ》 |三五教《あななひけう》を|守《まも》ります
|皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に |万代《よろづよ》|祝《いは》ふ|亀彦《かめひこ》が
|謹《つつし》み|敬《うやま》ひ|祈《ね》ぎ|奉《まつ》る あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
と|歌《うた》ひつつ|高姫館《たかひめやかた》を|指《さ》して|次第《しだい》|々々《しだい》に|近《ちか》づき|来《きた》る。
|亀彦《かめひこ》は|門《もん》の|開《ひら》きあるを|幸《さいは》ひ、つかつかと|進《すす》み|来《きた》り、
|亀彦《かめひこ》『モシモシ|夜中《やちう》にお|邪魔《じやま》を|致《いた》しまするが、|私《わたし》は|亀彦《かめひこ》の|宣伝使《せんでんし》で|御座《ござ》りまする。|江州《ごうしう》の|竹生島《ちくぶしま》より|英子姫《ひでこひめ》|様《さま》と|同道《どうだう》にて|聖地《せいち》へ|参《まゐ》つて|居《を》りまする。|承《うけたま》はりますれば|高姫《たかひめ》|様《さま》、|黒姫《くろひめ》|様《さま》、|高山彦《たかやまひこ》と|共《とも》にお|帰《かへ》り|遊《あそ》ばしたとのこと、|御機嫌《ごきげん》をお|伺《うかが》ひに|参《まゐ》りました。お|差支《さしつかへ》なくばお|通《とほ》し|下《くだ》さいませ』
|高姫《たかひめ》『ヤア|貴方《あなた》は|亀彦《かめひこ》さまか。よくマア|竹生島《ちくぶしま》に|於《おい》て|国依別《くによりわけ》さまと|東西《とうざい》|相応《あひおう》じ、|御親切《ごしんせつ》に|何《なに》から|何《なに》まで|御注意《ごちうい》|下《くだ》さいまして|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|私《わたし》も|一度《いちど》|英子姫《ひでこひめ》|様《さま》|始《はじ》め、|貴方《あなた》|達《たち》にもお|礼《れい》のためにお|伺《うかが》ひ|致《いた》したいと|思《おも》つて|居《ゐ》ましたが、|何《なん》とは|無《な》しに|貧乏《びんばふ》|暇《ひま》なしで|御無礼《ごぶれい》を|致《いた》して|居《を》りまする。|併《しか》し|乍《なが》ら|今日《けふ》は|来客《らいきやく》がありますので、|失礼《しつれい》|乍《なが》らお|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ。|只今《ただいま》の|宣伝歌《せんでんか》を|拝聴《はいちやう》いたしましたが、|随分《ずゐぶん》|立派《りつぱ》なお|声《こゑ》でお|節《ふし》もお|上手《じやうづ》になられました。|丁度《ちやうど》|竹生島《ちくぶしま》の|社《やしろ》の|後《うしろ》に|現《あら》はれ|玉《たま》うた|女神様《めがみさま》のお|声《こゑ》その|儘《まま》でしたよ。オホヽヽヽ』
|亀彦《かめひこ》『|御差支《おさしつかへ》とあれば|是非《ぜひ》が|御座《ござ》いませぬ。|左様《さやう》ならば、お|暇《いとま》|致《いた》しませう』
と|云《い》ひつつ|月《つき》の|光《ひかり》を|浴《あ》び|乍《なが》ら|足早《あしばや》に|帰《かへ》り|行《ゆ》く。|後《あと》|見送《みおく》つて|高姫《たかひめ》は、
|高姫《たかひめ》『オホヽヽヽ、やつぱり|気《き》が|咎《とが》めると|見《み》えますワイなア。……|黒姫《くろひめ》さま、|高山彦《たかやまひこ》さま、あの|亀彦《かめひこ》が|恐《こは》|相《さう》な|帰《かへ》り|様《やう》、|計略《けいりやく》の|裏《うら》をかかれて、コソコソと|鼠《ねずみ》のやうになつて|逃《に》げたぢやありませぬか』
|黒姫《くろひめ》『ウフヽヽヽ』
|高山彦《たかやまひこ》『アハヽヽヽ』
(大正一一・七・二二 旧閏五・二八 外山豊二録)
第二篇 |千差万別《せんさばんべつ》
第四章 |教主殿《けうしゆでん》〔七八六〕
|松《まつ》の|老木《らうぼく》、|梅林《うめばやし》 |楓《かへで》の|紅葉《もみぢ》、|百日紅《さるすべり》
|木斛《もくこく》、|木犀《もくせい》、|樅《もみ》、|多羅樹《たら》や |緑紅《みどりくれなゐ》こきまぜて
|幽邃閑雅《いうすゐかんが》の|神苑地《しんゑんち》 |魚鱗《ぎよりん》の|波《なみ》を|湛《たた》へたる
|金竜池《きんりういけ》に|影《かげ》|映《うつ》す |言霊閣《ことたまかく》は|雲表《うんぺう》に
|聳《そそ》りて|下界《げかい》を|睥睨《へいげい》し |神威《しんゐ》は|四方《よも》に|赫々《くわくくわく》と
|轟《とどろ》き|亘《わた》る|三五《あななひ》の |神《かみ》の|教《をしへ》の|教主殿《けうしゆでん》
|八咫《やた》の|広間《ひろま》に|寄《よ》り|集《つど》ふ |梅子《うめこ》の|姫《ひめ》を|始《はじ》めとし
|神《かみ》の|大道《おほぢ》に|朝夕《あさゆふ》に いそしみ|仕《つか》ふる|五十子姫《いそこひめ》
|闇《やみ》をはらして|英子姫《ひでこひめ》 |万代《よろづよ》|寿《ことほ》ぐ|亀彦《かめひこ》や
|五十鈴《いすず》の|滝《たき》の|音彦《おとひこ》や |心《こころ》も|光《ひか》る|玉能姫《たまのひめ》
|玉治別《たまはるわけ》を|始《はじ》めとし |初稚姫《はつわかひめ》や|杢助《もくすけ》は
|言依別《ことよりわけ》と|諸共《もろとも》に |奥《おく》の|広間《ひろま》に|座《ざ》を|占《し》めて
|玉依姫《たまよりひめ》の|賜《たま》ひたる |麻邇《まに》の|宝珠《ほつしゆ》の|処置《しよち》につき
|互《たがひ》に|協議《けふぎ》を|凝《こ》らし|居《を》る |時《とき》しもあれや|玄関《げんくわん》に
|現《あら》はれ|来《きた》る|三人連《みたりづ》れ |御免《ごめん》|々々《ごめん》と|訪《おとな》へば
|玉治別《たまはるわけ》は|出迎《いでむか》へ |一目《ひとめ》|見《み》るより|慇懃《いんぎん》に
|笑顔《ゑがほ》を|作《つく》り|腰《こし》|屈《かが》め |高姫《たかひめ》さまか|黒姫《くろひめ》か
|高山彦《たかやまひこ》の|神司《かむづかさ》 ようこそお|入来《いで》|下《くだ》さつた
|言依別《ことよりわけ》の|神司《かむづかさ》 |其《その》|他《た》|数多《あまた》のお|歴々《れきれき》
|今朝《けさ》からひどう|御待兼《おまちか》ね サアサア|御通《おとほ》りなさいませ
|高姫《たかひめ》|軽《かる》く|会釈《ゑしやく》して それは|皆《みな》さまお|待兼《まちか》ね
|奥《おく》へ|案内《あんない》|願《ねが》ひませう |黒姫《くろひめ》さまや|高山彦《たかやまひこ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》のお|二方《ふたがた》 サアサア|共《とも》に|参《まゐ》りませう
|黒姫《くろひめ》|夫婦《ふうふ》は|黙々《もくもく》と ものをも|言《い》はず|足摺《あしず》りし
|静々《しづしづ》あとに|従《したが》うて |奥《おく》の|間《ま》さして|進《すす》み|入《い》る。
|高姫《たかひめ》『ヤア|是《これ》は|是《これ》は|言依別《ことよりわけ》|様《さま》を|始《はじ》め、|英子姫《ひでこひめ》|様《さま》|其《その》|他《た》のお|歴々《れきれき》|様《さま》|方《がた》の|御前《おんまへ》も|憚《はばか》らず、|賤《いや》しき|高姫《たかひめ》、|恐《おそ》れ|気《げ》もなく|御伺《おうかが》ひ|致《いた》しまして、さぞ|御居間《おゐま》を|汚《けが》すことで|御座《ござ》いませう。|何事《なにごと》も|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|広《ひろ》き|御心《みこころ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》しまして、|此《この》|老骨《らうこつ》をお|咎《とが》めなく|可愛《かあい》がつて|下《くだ》さいませ』
|一同《いちどう》は|一時《いちじ》に|手《て》をついて、|礼《れい》を|施《ほどこ》した。
|言依別《ことよりわけ》『|高姫《たかひめ》|様《さま》、そこは|端近《はしぢか》、ここにあなた|方《がた》お|三人様《さんにんさま》のお|席《せき》が|拵《こしら》へて|御座《ござ》います。どうぞこちらへお|坐《すわ》り|下《くだ》さいませ』
|高姫《たかひめ》『|何分《なにぶん》にも|身魂《みたま》の|研《みが》けぬ、|偽日《にせひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》や、|体主霊従《たいしゆれいじう》の|身魂《みたま》|計《ばか》りで|御座《ござ》いまするから、そんな|正座《しやうざ》につきますのは|畏《おそ》れ|多《おほ》う|御座《ござ》います。|庭《には》の|隅《すみ》つこで|結構《けつこう》で|御座《ござ》いますが、|御言葉《おことば》に|甘《あま》えて、お|歴々《れきれき》|様《さま》の|末席《ばつせき》を|汚《けが》さして|頂《いただ》くことになりました。どうぞ|左様《さやう》な|御心配《ごしんぱい》は|下《くだ》さいますな』
|玉能姫《たまのひめ》『|高姫《たかひめ》|様《さま》、さういふ|御遠慮《ごゑんりよ》には|及《およ》びますまい。|教主様《けうしゆさま》の|御言葉《おことば》、どうぞお|三人様《さんにんさま》|共《とも》|快《こころよ》くお|坐《すわ》り|下《くだ》さいませ』
|高姫《たかひめ》『コレお|節《せつ》、|御歴々《ごれきれき》|様《さま》の|中《なか》も|憚《はばか》らず、|何《なに》をツベコベと……|女《をんな》のかしましい……|口出《くちだし》しなさるのだ。チツと|御慎《おつつし》み|遊《あそ》ばせ。もう|少《すこ》し|神様《かみさま》の|感化《かんくわ》に|依《よ》りて|淑女《しゆくぢよ》におなりなさつたかと|思《おも》へば、ヤツパリお|里《さと》は|争《あらそ》はれぬもの、|平助《へいすけ》やお|楢《なら》の|娘《むすめ》のお|節《せつ》|丈《だけ》あつて、|名《な》は|立派《りつぱ》な|玉能姫《たまのひめ》さまでも、ヤツパリ|落付《おちつ》きがないので、かういふ|時《とき》には|醜態《みつと》もない。|高姫《たかひめ》がかう|申《まを》すと、|猜疑心《さいぎしん》か、|意地悪《いぢわる》かの|様《やう》に|思《おも》ふでせうが、|決《けつ》して|私《わたし》はそんな|心《こころ》は|毛頭《まうとう》も|持《も》ちませぬ。お|前《まへ》さまの|身魂《みたま》を|立派《りつぱ》なものに|研《みが》き|上《あ》げて、|神業《しんげふ》に|参加《さんか》なさつた|手前《てまへ》、|恥《はづか》しくない|様《やう》に、|終始一貫《しうしいつくわん》した|神司《かむづかさ》にして|上《あ》げたい|計《ばか》り、お|気《き》に|障《さは》る|様《やう》なことを|申《まを》しますワイ。|必《かなら》ず|必《かなら》ず|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》は、|悪意《あくい》に|取《と》つてはなりませぬぞ。|序《ついで》に|初稚姫《はつわかひめ》にも|云《い》うておきますが、お|前《まへ》もチツとは|我慢《がまん》が|強《つよ》い。|何程《なにほど》|杢《もく》が|総務《そうむ》ぢやと|云《い》つて、|親《おや》を|笠《かさ》に|被《かぶ》り|年端《としは》も|行《ゆ》かぬ|癖《くせ》に|肩《かた》で|風《かぜ》を|切《き》り、|横柄面《わうへいづら》を|曝《さら》してはなりませぬぞ。|金剛不壊《こんがうふえ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》を|何々《なになに》したと|思《おも》つて|慢心《まんしん》すると、|又《また》|後戻《あともど》りを|致《いた》さねばなりませぬから、|慈母《じぼ》の|愛《あい》を|以《もつ》て|行末《ゆくすゑ》|永《なが》きお|前《まへ》さまに|注意《ちうい》を|与《あた》へます』
|玉能姫《たまのひめ》『ハイ|何《なに》から|何《なに》まで|御心《おこころ》をこめられし|御教訓《ごけうくん》、|猜疑心《さいぎしん》などは|少《すこ》しも|持《も》ちませぬ。|此《この》|上《うへ》、|何事《なにごと》も|万事《ばんじ》|足《た》らはぬ|玉能姫《たまのひめ》、|御指導《ごしだう》を|御願《おねが》ひ|致《いた》します』
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》さまはそれだから|可《い》かぬのだ。ヘン、|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》さまから、|紫《むらさき》の|玉《たま》の|御用《ごよう》を|仰《あふ》せつけられ、|何々《なになに》へ|何々《なになに》したと|思《おも》つて、|鼻《はな》にかけ、|玉能姫《たまのひめ》なんて、|傲慢《ごうまん》|不遜《ふそん》にも|程《ほど》があるぢやありませぬか。そんな|保護色《ほごしよく》は|綺麗《きれい》サツパリと|払拭《ふつしき》し|去《さ》り、|何故《なぜ》お|節《せつ》と|仰有《おつしや》らぬのだ。かう|申《まを》すと|又《また》お|前《まへ》さまは|平助《へいすけ》でもない、お|楢《なら》でもない|様《やう》な、お|節介《せつかい》ぢやと|御立腹《ごりつぷく》なさるだらうが、|人《ひと》は|謙遜《けんそん》と|云《い》ふ|事《こと》が|肝腎《かんじん》ですよ。|今後《こんご》はキツと|玉能姫《たまのひめ》なぞと|大《だい》それた|事《こと》は|御遠慮《ごゑんりよ》なさつたがよからう。|何《なに》から|何《なに》まで、|酢《す》につけ|味噌《みそ》につけ、|八当《やつあた》りに|当《あた》つて|根性悪《こんじやうわる》を|高姫《たかひめ》さまがなさるなぞと|思《おも》つちや|大間違《おほまちがひ》ですよ。……これお|節《せつ》さま、わたしの|申《まを》すことに|点《てん》の|打《う》ち|所《どこ》がありますかなア』
|玉能姫《たまのひめ》『ハイ、|実《じつ》に|聖者《せいじや》のお|言葉《ことば》、|名論卓説《めいろんたくせつ》、|玉能姫《たまのひめ》……エー|否々《いやいや》お|節《せつ》、|誠《まこと》に|感服《かんぷく》|仕《つかまつ》りました。|其《その》|剛情《がうじやう》……イエイエ|御意見《ごいけん》には|少《すこ》しも|仇《あだ》は|御座《ござ》いませぬ、|併《しか》し|乍《なが》ら|個人《こじん》としてはお|節《せつ》でも、お|尻《いど》でも|少《すこ》しも|構《かま》ひませぬが、|神様《かみさま》の|御用《ごよう》を|致《いた》します|時《とき》は、|教主様《けうしゆさま》から|賜《たま》はつた|玉能姫《たまのひめ》の|職掌《しよくしやう》に|奉仕《ほうし》せねばなりませぬから、|公《おほやけ》の|席《せき》に|於《おい》ては、どうぞ|玉能姫《たまのひめ》と|申《まを》すことをお|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
|高姫《たかひめ》『|女《をんな》と|云《い》ふ|者《もの》はさう|表《おもて》に|立《た》つて、|堂々《だうだう》と|神業《しんげふ》に|参加《さんか》するものではありませぬ。オツトドツコイ……それはエー、ある|人《ひと》の|言《い》ふ|事《こと》、|私《わたし》とても|女宣伝使《をんなせんでんし》、|女《をんな》でなくちや、|天《あま》の|岩戸《いはと》の|初《はじめ》から|夜《よ》の|明《あ》けぬ|国《くに》、|言依別《ことよりわけ》の|教主様《けうしゆさま》もヤツパリ|女《をんな》に……|綺麗《きれい》な|女《をんな》の|言葉《ことば》は|受取《うけとり》|易《やす》いと|見《み》えますワイ。オツホヽヽヽ、もう|斯《こ》う|皺《しわ》が|寄《よ》つて|醜《みにく》うなると、|到底《たうてい》|若《わか》い|教主様《けうしゆさま》のお|気《き》に|入《い》らないのは|尤《もつと》もで|御座《ござ》います。こんなことを|申《まを》すと、|又《また》|高姫《たかひめ》|鉄道《てつだう》の|脱線《だつせん》だと|仰有《おつしや》るかも|知《し》れませぬが、|決《けつ》して|脱線《だつせん》でも|転覆《てんぷく》でも|御座《ござ》いませぬぞ。|皆《みんな》|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまが|私《わたし》の|口《くち》を|借《か》つての|御託宣《ごたくせん》、|冷静《れいせい》に|聞《き》き|流《なが》されては|高姫《たかひめ》|聊《いささ》か|迷惑《めいわく》を|致《いた》します。お|節《せつ》|計《ばか》りでない、お|初《はつ》も|其《その》|通《とほ》り、|初稚姫《はつわかひめ》なぞと|大《だい》それたことを|言《い》つちやなりませぬぞ。|本末《ほんまつ》|自他《じた》|公私《こうし》を|明《あきら》かにせなならぬお|道《みち》、|神《かみ》|第一《だいいち》、|人事《じんじ》|第二《だいに》ぢやありませぬか。|私《わたし》は|系統《ひつぽう》の|身魂《みたま》、|四魂《しこん》の|中《なか》の|一人《ひとり》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》、|言依別《ことよりわけ》さまが|何程《なにほど》|偉《えら》くても|人間《にんげん》さまぢや。|人間《にんげん》の|言《い》ふことを|聞《き》いて、|此《この》|生神《いきがみ》の|言葉《ことば》を|冷《ひや》やかな|耳《みみ》で|聞《き》き|流《なが》すとは、|主客《しゆきやく》|転倒《てんたふ》、|天地《てんち》|転覆《てんぷく》も|甚《はなはだ》しいと|云《い》はねばなりませぬぞえ。……コレ|田吾作《たごさく》、お|前《まへ》も|余程《よほど》|偉者《えらもの》になつたなア。|竜宮《りうぐう》の|一《ひつ》つ|島《じま》へ|行《い》つて、|玉依姫《たまよりひめ》|様《さま》に|玉《たま》を|頂《いただ》き|乍《なが》ら、スレツからしの|黄竜姫《わうりようひめ》に|渡《わた》したぢやないか。ヤツパリ|田吾作《たごさく》はどこ|迄《まで》も|田吾作《たごさく》ぢや、どこともなく|目尻《めじり》が|下《さが》つて|居《ゐ》る。|何程《なにほど》|顔《かほ》が|美《うつく》しくても……|其《その》|声《こゑ》で|蜴《とかげ》|喰《くら》ふか|時鳥《ほととぎす》……、|心《こころ》の|奥《おく》の|奥《おく》まで、なぜ|見抜《みぬ》きなさらぬ。そんな|黄竜姫《わうりようひめ》の|様《やう》な|若《わか》い|方《かた》に|渡《わた》すのならば、なぜスツと|持《も》つて|帰《かへ》つて、|立派《りつぱ》な|生宮《いきみや》にお|渡《わた》しせぬのぢやい。お|節《せつ》だつて、お|初《はつ》だつて、|皆《みんな》|量見《りやうけん》が|間違《まちが》つて|居《を》るぢやないか。あんまり|甚《はなはだ》しい|矛盾《むじゆん》で、|開《あ》いた|口《くち》が|塞《ふさ》がりませぬワイな。……コレコレ|英子姫《ひでこひめ》さま、|梅子姫《うめこひめ》さま、|五十子姫《いそこひめ》さま、お|前《まへ》さまは|変性女子《へんじやうによし》の|系統《ひつぽう》、|天《あま》の|岩戸《いはと》を|閉《し》めた|身魂《みたま》の|血筋《ちすぢ》だから、よほど|遠慮《ゑんりよ》をなさらぬと|可《い》けませぬぞえ。|人《ひと》がチヤホヤ|言《い》うと、つい|好《よ》い|気《き》になるものだ。|何程《なにほど》|立派《りつぱ》な|賢《かしこ》い|人間《にんげん》でも、|悪《わる》くいはれるのは|気《き》の|好《よ》くないもの、|寄《よ》つてかかつて|持上《もちあ》げられると、つい|好《よ》い|気《き》になり、|馬鹿《ばか》にしられますぞえ。|表《おもて》で|持上《もちあ》げておいて、|蔭《かげ》でソツと|舌《した》を|出《だ》す|世《よ》の|中《なか》で|御座《ござ》いますからな』
|英子姫《ひでこひめ》『ハイ、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|御懇切《ごこんせつ》な|御注意《ごちうい》、|今後《こんご》の|神界《しんかい》に|奉仕《ほうし》する|上《うへ》に|於《おい》ても、あなたのお|言葉《ことば》は|私《わたし》の|為《ため》には|貴重《きちよう》なる|羅針盤《らしんばん》で|御座《ござ》います。|併《しか》し|乍《なが》ら|面従腹背的《めんじうふくはいてき》の|人間《にんげん》は、|此《この》|質朴《しつぼく》なる|今《いま》の|時代《じだい》には|御座《ござ》いますまい。|善《ぜん》は|善《ぜん》、|悪《あく》は|悪《あく》とハツキリ|区劃《くくわく》が|立《た》つて|居《を》りまする。|左様《さやう》な|瓢鯰的《へうねんてき》の|行動《かうどう》をとる|人間《にんげん》は、|三十万年《さんじふまんねん》|未来《みらい》の|二十世紀《にじつせいき》とか|云《い》ふ|世《よ》の|中《なか》に|行《おこな》はれる|人間《にんげん》|同志《どうし》の|腹《はら》の|中《なか》でせう』
|高姫《たかひめ》『|過去《くわこ》|現在《げんざい》|未来《みらい》|一貫《いつくわん》の|真理《しんり》、そんな|好《よ》い|気《き》な|事《こと》を|思《おも》つて|居《ゐ》らつしやるから、|無調法《ぶてうはふ》が|出来《でき》ますのだ。エ、|併《しか》し|大《たい》した……あなた|方《がた》に|不調法《ぶてうはふ》は|出来《でき》て|居《を》らないから、|先《ま》づ|安心《あんしん》だが、|併《しか》し|三五教《あななひけう》は|肝腎要《かんじんかなめ》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》は|誰《たれ》、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|即《すなは》ち|玉依姫《たまよりひめ》の|生宮《いきみや》は|誰《たれ》だと|云《い》ふ|事《こと》が|分《わか》らなければ、どこまでも|御神業《ごしんげふ》は|成就《じやうじゆ》|致《いた》しませぬぞ。それが|分《わか》らねば|駄目《だめ》ですから、|今後《こんご》は|私《わたし》の|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》きますかな』
|玉治別《たまはるわけ》『モシ|英子姫《ひでこひめ》|様《さま》、|決《けつ》して|何事《なにごと》も|高姫《たかひめ》さまが|系統《ひつぽう》だと|云《い》つて、|一々《いちいち》|迎合盲従《げいがふまうじう》は|出来《でき》ませぬぞ。|婆心《ばしん》|乍《なが》ら|一寸《ちよつと》|一言《いちごん》|申上《まをしあ》げておきます』
|英子姫《ひでこひめ》『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います』
|高姫《たかひめ》『コレ|田吾《たご》、お|前《まへ》の|出《で》る|幕《まく》とは|違《ちが》ひますぞ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|命令《めいれい》する。|此《この》|場《ば》を|速《すみやか》に|退席《たいせき》なされ』
|玉治別《たまはるわけ》『ここは|言依別《ことよりわけ》|様《さま》の|御館《おんやかた》、|御主人側《ごしゆじんがは》より|退席《たいせき》せよと|仰《あふ》せになる|迄《まで》は、|一寸《いつすん》も|動《うご》きませぬ。|我々《われわれ》は|神様《かみさま》の|因縁《いんねん》はチツとも|存《ぞん》じませぬ。|只《ただ》|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》に|盲従《もうじう》|否《いな》|明従《めいじう》して|居《を》るのですから、|御気《おき》の|毒《どく》|乍《なが》ら|貴女《あなた》の|要求《えうきう》には|応《おう》じかねます。|何分《なにぶん》|頻々《ひんぴん》として|註文《ちうもん》が|殺到《さつたう》して|居《ゐ》る、|今《いま》が|日《ひ》の|出《で》の|店《みせ》で|御座《ござ》いますから、アハヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『コレ|黒姫《くろひめ》さま、|高山彦《たかやまひこ》さま、お|前《まへ》さまは|借《か》つて|来《き》た|狆《ちん》の|様《やう》に、|何《なに》を|怖《お》ぢ|怖《お》ぢしてるのだ。|日頃《ひごろ》の|鬱憤《うつぷん》………イヤイヤ|蘊蓄《うんちく》を|吐露《とろ》して、お|前《まへ》さまの|真心《まごころ》を|皆《みな》さまの|前《まへ》に|披瀝《ひれき》し、|諒解《りやうかい》を|得《え》ておかねば|今後《こんご》の|目的《もくてき》……|否《いや》|神業《しんげふ》が|完全《くわんぜん》に|勤《つと》まりますまい』
|黒姫《くろひめ》『あまり|貴女《あなた》の……とつかけ|引《ひ》つかけ、|流暢《りうちやう》な|御弁舌《ごべんぜつ》で、|私《わたし》が|一言半句《いちごんはんく》も|申上《まをしあ》げる|余地《よち》がなかつたので|御座《ござ》います』
|高姫《たかひめ》『アヽさうだつたか、オホヽヽヽ。|余《あんま》り|話《はなし》に|実《み》が|入《い》つて|気《き》がつきませなんだ。そんなら|黒姫《くろひめ》さま、|発言権《はつげんけん》を|貴女《あなた》にお|渡《わた》し|致《いた》します』
|黒姫《くろひめ》『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|私《わたし》としては|別《べつ》にこれと|云《い》ふ|意見《いけん》も|御座《ござ》いませぬが、|只《ただ》|皆様《みなさま》に|御了解《ごれうかい》を|願《ねが》つておきたいのは、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|様《さま》|即《すなは》ち|玉依姫《たまよりひめ》|様《さま》の|肉《にく》のお|宮《みや》は、|黒姫《くろひめ》だと|云《い》ふことを|心《こころ》の|底《そこ》より|御了解《ごれうかい》|願《ねが》ひたいので|御座《ござ》います』
|杢助《もくすけ》『アハヽヽヽ』
|黒姫《くろひめ》『コレ|杢《もく》さま、|何《なに》が|可笑《をか》しいのですか。チト|失敬《しつけい》ぢやありませぬか』
と|舌鋒《ぜつぽう》を|向《む》けかける。
|杢助《もくすけ》『|黙《もく》して|語《かた》らず……|杢助《もくすけ》の|今日《こんにち》の|態度《たいど》、さぞ|貴女《あなた》にも|飽《あ》き|足《た》らないでせう。|杢助《もくすけ》は|総務《そうむ》として、|責任《せきにん》の|地位《ちゐ》に|立《た》つて|居《ゐ》る|以上《いじやう》、|成行《なりゆ》きを|見《み》た|上《うへ》で、|何《なん》とか|申上《まをしあ》げませう』
|黒姫《くろひめ》『コレ|玉治別《たまはるわけ》さま、|玉能姫《たまのひめ》さま、|一番《いちばん》お|偉《えら》い|初稚姫《はつわかひめ》さま、お|前《まへ》さまはあの|玉《たま》を|誰《たれ》に|貰《もら》つたと|思《おも》うて|居《ゐ》ますか』
|初稚姫《はつわかひめ》『ハイ、|竜《たつ》の|宮居《みやゐ》の|玉依姫《たまよりひめ》|様《さま》から……』
|玉能姫《たまのひめ》『|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまから………』
|黒姫《くろひめ》『そらさうに|違《ちが》ひありますまい。そんなら|私《わたし》を|何《なん》とお|考《かんが》へですか』
|初稚姫《はつわかひめ》『あなたは|怖《こは》いお|婆《ば》アさまの|黒姫《くろひめ》さまだと|思《おも》ひます。|違《ちが》ひますかな』
|玉能姫《たまのひめ》『|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|様《さま》の|生宮《いきみや》だと|聞《き》いて|居《を》りまする』
|黒姫《くろひめ》『さうか、お|前《まへ》さまはヤツパリ|年《とし》とつとる|丈《だけ》で、どこともなしに|確《しつか》りして|居《を》る。|併《しか》し|乍《なが》ら|聞《き》いた|計《ばか》りで、|信《しん》じなければ|何《なん》にもなりませぬぞ。|信《しん》じて|居《を》られますか、|居《を》られませぬか、それが|根本《こんぽん》|問題《もんだい》です』
|玉能姫《たまのひめ》『ハイ、|帝国《ていこく》|憲法《けんぱふ》|第二十八条《だいにじふはちでう》に|依《よ》つて、|信仰《しんかう》の|自由《じいう》を|許《ゆる》されて|居《を》りますから、|信《しん》ずるも|信《しん》じないも、|私《わたし》の|心《こころ》の|中《なか》にあるのですから……』
|黒姫《くろひめ》『|成《な》るべくはハツキリと|言《い》つて|貰《もら》ひたいものですな』
|玉能姫《たまのひめ》『ハツキリ|言《い》はない|方《はう》が|花《はな》でせう。……ナア|初稚姫《はつわかひめ》さま、あなた|如何《どう》|思《おも》ひますか』
|初稚姫《はつわかひめ》『|私《わたし》は|黒姫《くろひめ》さまを|厚《あつ》く|信《しん》じます。|併《しか》し|乙姫《おとひめ》|様《さま》の|生宮《いきみや》|問題《もんだい》に|就《つい》ては|不明《ふめい》だと|信《しん》ずるのです』
|黒姫《くろひめ》『|誰《たれ》も|彼《かれ》も|歯切《はぎ》れのせぬ|御答弁《ごたふべん》だな。|女童《をんなわらべ》の|分《わか》る|所《ところ》でない、|神界《しんかい》の|御経綸《ごけいりん》、どんな|人《ひと》にどんな|御用《ごよう》がさせてあるか|分《わか》らぬぞよ……とお|筆《ふで》に|出《で》て|居《を》ります。マアそこまで|分《わか》れば|結構《けつこう》だ。……コレコレ|玉治別《たまはるわけ》さま、お|前《まへ》さまの|御意見《ごいけん》はどうだな』
|玉治別《たまはるわけ》『|私《わたくし》の|御意見《ごいけん》ですか。|私《わたくし》の|御意見《ごいけん》はヤツパリ|御意見《ごいけん》ですな。|灰吹《はひふき》から|蛇《じや》が|出《で》たと|申《まを》さうか、|藪《やぶ》から|棒《ぼう》と|申《まを》さうか、|何《なに》が|何《なん》だかテンと|要領《えうりやう》を|得《え》ませぬワイ』
|黒姫《くろひめ》『さうだろさうだろ、|分《わか》らな|分《わか》らぬでよい。|分《わか》つてたまる|事《こと》か。|広大無辺《くわうだいむへん》の|神界《しんかい》のお|仕組《しぐみ》を、|田吾作《たごさく》さま|上《あが》りでは|分《わか》らぬのが|本当《ほんたう》だ。これから|私《わたし》が|神界《しんかい》の|事《こと》を|噛《か》んで|啣《ふく》める|様《やう》に|教《をし》へて|上《あ》げるから、チツと|勉強《べんきやう》なされ』
|玉治別《たまはるわけ》『お|前《まへ》さまに|教《をし》へて|貰《もら》ひますと、|竹生島《ちくぶじま》の|弁天《べんてん》の|床下《ゆかした》に|隠《かく》してある|三《み》つの|宝玉《はうぎよく》が|出《で》て|来《き》ますかな。|私《わたくし》も|其《その》|所在《ありか》さへつきとめたら、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》の|生宮《いきみや》だと|云《い》つて、|羽振《はぶり》を|利《き》かすのだけれどなア。|序《ついで》に|日《ひ》の|出神《でのかみ》にも|成《な》り|澄《すま》すのだが、……|黒姫《くろひめ》さま|教《をし》へて|下《くだ》さいますか』
|高姫《たかひめ》『コレコレ|黒《くろ》、|黒《くろ》、|黒姫《くろひめ》さま、タヽ|田吾《たご》に|相手《あひて》になんなさんな。……コレ|田吾《たご》さま、お|前《まへ》さまは|我々《われわれ》を|嘲弄《てうろう》するのですか』
|玉治別《たまはるわけ》『|滅相《めつさう》もない、|神様《かみさま》から|御神徳《ごしんとく》を【タマハル】ワケを|聞《き》かして|下《くだ》さいと|言《い》つて|居《を》るのですよ。|何分《なにぶん》|私《わたくし》の|身魂《みたま》が|黒姫《くろひめ》で、|慢心《まんしん》が|強《つよ》うて、|鼻《はな》が|高姫《たかひめ》で、おまけに|頭《あたま》が|高《たか》うて、|福禄寿《げほう》の|様《やう》に|延長《えんちやう》し、|神界《しんかい》の|御用《ごよう》だと|思《おも》つて|一生懸命《いつしやうけんめい》になつてお|邪魔《じやま》を|致《いた》して|居《を》りまする|田吾作《たごさく》で|御座《ござ》いますから、どうぞ|宜《よろ》しく|執着心《しふちやくしん》の|取《と》れますよう、|慢心《まんしん》の|鼻《はな》が|折《を》れますやう、|守《まも》り|玉《たま》へ|幸《さちは》ひ|玉《たま》へ、アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|高姫《たかひめ》『ヘン|仰有《おつしや》るワイ。|黒姫《くろひめ》さま、|高山彦《たかやまひこ》さま、サア|帰《かへ》りませう。アタ|阿呆《あはう》らしい。お|節《せつ》やお|初《はつ》、|田吾《たご》や|杢《もく》に|馬鹿《ばか》にせられて、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》も、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまも、|涙《なみだ》をこぼして|居《ゐ》やはりますぞえ。|何《なん》と|云《い》つても|優勝劣敗《いうしようれつぱい》、|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》だ。|善《ぜん》の|分《わか》るのは|遅《おそ》いぞよ、|其《その》|代《かは》り|立派《りつぱ》な|花《はな》が|咲《さ》くぞよとお|筆《ふで》に|出《で》て|居《を》ります。|皆《みな》さま、アフンとなさるなツ。|是《これ》から|是《これ》からサア|是《こ》れから|獅子奮迅《ししふんじん》の|勢《いきほひ》を|以《もつ》て、|三五教《あななひけう》を|根本《こつぽん》から|立替《たてかへ》いたすから、あとで|吠面《ほえづら》かわかぬようになされませや。ヒン|阿呆《あはう》らしい』
と|座《ざ》を|立《た》つて|帰《かへ》らうとする。|英子姫《ひでこひめ》は、
|英子姫《ひでこひめ》『モシモシ|高姫《たかひめ》|様《さま》、|一寸《ちよつと》お|待《ま》ち|下《くだ》さいませ。それは|余《あま》りの|御短慮《ごたんりよ》と|申《まを》すもの、|十人十色《じふにんといろ》と|申《まを》しまして、|各自《めいめい》に|解釈《かいしやく》が|違《ちが》つて|居《を》りまするが|神様《かみさま》は|一《ひと》つで|御座《ござ》います。さうお|腹《はら》を|立《た》てずに、|分《わか》らぬ|我々《われわれ》、|充分《じゆうぶん》|納得《なつとく》のゆく|様《やう》にお|示《しめ》し|下《くだ》さいませ。|誠《まこと》の|事《こと》ならばどこまでも|服従《ふくじゆう》いたします』
|高姫《たかひめ》はニヤリと|笑《わら》ひ|乍《なが》ら、|俄《にはか》に|機嫌《きげん》をなほし、
|高姫《たかひめ》『|流石《さすが》は|八乙女《やをとめ》の|随一《ずゐいつ》|英子姫《ひでこひめ》|様《さま》、お|前《まへ》さま|丈《だけ》だ。|目《め》のキリツとした|所《とこ》から|口元《くちもと》の|締《しま》つた|所《ところ》、ホンにお|賢《かしこ》い|立派《りつぱ》な|淑女《しゆくぢよ》の|鏡《かがみ》だ。お|前《まへ》さまならば、|此《この》|高姫《たかひめ》の|申《まを》すことの|分《わか》るだけの|素養《そやう》はありさうだ。そんならモ|一度《いちど》|坐《すわ》り|直《なほ》して、トツクリと|御意見《ごいけん》を|伺《うかが》ひませう』
と|一旦《いつたん》|立《た》つた|膝《ひざ》を、|又《また》|元《もと》の|座《ざ》にキチンと|帰《かへ》つた。
|英子姫《ひでこひめ》『|私《わたし》は|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り、まだ|世《よ》の|中《なか》に|経験《けいけん》|少《すくな》き|不束者《ふつつかもの》、どうぞ|何《なに》から|何《なに》まで|御指導《ごしだう》をお|願《ねが》ひ|致《いた》します。|就《つ》きましては|御聞《おき》き|及《およ》びでも|御座《ござ》いませうが、|此《この》|度《たび》|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》、|諏訪《すは》の|湖《みづうみ》より|五色《いついろ》の|貴重《きちよう》なる|麻邇《まに》の|宝珠《ほつしゆ》が|無事《ぶじ》|御到着《ごたうちやく》になりまして、|言依別《ことよりわけ》|様《さま》が|兎《と》も|角《かく》お|預《あづか》り|遊《あそ》ばして、|一般《いつぱん》の|信徒《しんと》|等《ら》に|拝観《はいくわん》をさせ、それから|一々《いちいち》|役《やく》を|拵《こしら》へ、|大切《たいせつ》に|保管《ほくわん》をいたさねばなりませぬ。|何分《なにぶん》……|貴女《あなた》|始《はじ》め|黒姫《くろひめ》さま、|高山彦《たかやまひこ》さまの|肝腎《かんじん》の|御方《おんかた》が|御不在《ごふざい》でありましたので、|今日《けふ》まで|拝観《はいくわん》を|延期《えんき》して|居《を》りました|次第《しだい》で|御座《ござ》います。|先《ま》づ|第一《だいいち》に|其《その》|玉《たま》の|御点検《ごてんけん》を、|高姫《たかひめ》|様《さま》、|黒姫《くろひめ》|様《さま》に|御願《おねが》ひ|致《いた》しまして、それぞれ|保管者《ほくわんしや》を|定《き》めて|頂《いただ》かねばなりませぬ。……|今日《けふ》は|言依別《ことよりわけ》|様《さま》|始《はじ》め|皆様《みなさま》と|御協議《ごけうぎ》で|御足労《ごそくらう》を|煩《わづら》はした|様《やう》な|次第《しだい》で|御座《ござ》いますから、どうぞ|日《ひ》をお|定《さだ》め|下《くだ》さいまして、|御点検《ごてんけん》を|願《ねが》ひ、|其《その》|上《うへ》で|保管者《ほくわんしや》をお|定《さだ》め|願《ねが》はねばなりませぬ』
|高姫《たかひめ》ニツコと|笑《わら》ひ、
|高姫《たかひめ》『|流石《さすが》は|英子姫《ひでこひめ》さま、|言依別《ことよりわけ》さまも|大分《だいぶ》によく|分《わか》つて|来《き》ました。|併《しか》し|乍《なが》ら、|梅子姫《うめこひめ》|様《さま》、|五十子姫《いそこひめ》、|杢助《もくすけ》さまの|御意見《ごいけん》は……』
|英子姫《ひでこひめ》『|何《いづ》れも|私《わたし》と|同意見《どういけん》で|御座《ござ》います』
|高姫《たかひめ》『それならば|頂上《ちやうじやう》の|事《こと》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が|先《ま》づ|麻邇《まに》の|宝珠《ほつしゆ》を|受取《うけと》り、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》の|生宮《いきみや》が|玉《たま》を|検《あらた》めて、|其《その》|上《うへ》、|各自《めいめい》|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》の|指図《さしづ》に|従《したが》つて|一切万事《いつさいばんじ》|取行《とりおこな》ふことと|致《いた》しませう。|此《この》|玉《たま》が|無事《ぶじ》に|納《をさ》まつたのも、|此《この》|高姫《たかひめ》が|神界《しんかい》の|命《めい》に|依《よ》つて、|黒姫《くろひめ》さまを|一《ひと》つ|島《じま》へ|遣《つか》はしたのが|第一《だいいち》の|原因《げんいん》、|次《つぎ》に|黒姫《くろひめ》は|高山彦《たかやまひこ》さまと|共《とも》に|竜宮島《りうぐうじま》の|御守護《ごしゆご》を|遊《あそ》ばされ、|肝腎要《かんじんかなめ》の|結構《けつこう》な|玉《たま》を|他《ほか》に|取《と》られない|様《やう》に、|其《その》|身魂《みたま》をお|分《わ》け|遊《あそ》ばして|玉依姫命《たまよりひめのみこと》となし、|此《この》|玉《たま》を|大切《たいせつ》に|保管《ほくわん》しておかれたからだ』
|英子姫《ひでこひめ》『ハイ………』
|玉治別《たまはるわけ》『|黒姫《くろひめ》さまの|分霊《わけみたま》は|又《また》|大変《たいへん》に|立派《りつぱ》なものだなア。|其《その》|神格《しんかく》と|云《い》ひ、|御精神《ごせいしん》といひ、|容色《ようしよく》と|云《い》ひ、|御動作《ごどうさ》と|云《い》ひ、|実《じつ》に|天地霄壤《てんちせうぜう》の|相違《さうゐ》があつた。これが|本当《ほんたう》なら、|雀《すずめ》が|鷹《たか》を|生《う》んだと|云《い》はうか、|途方途徹《とはうとてつ》もない|事件《じけん》だ。|此《この》|玉治別《たまはるわけ》も|竜宮《りうぐう》の|玉依姫《たまよりひめ》|様《さま》から|玉《たま》を|受取《うけと》つた|時《とき》の|心持《こころもち》、|一目《ひとめ》|拝《をが》んだ|時《とき》の|気分《きぶん》と|云《い》ふものは、|中々《なかなか》|以《もつ》て|黒姫《くろひめ》さまの|前《まへ》へ|行《い》つた|時《とき》とは、|月《つき》と|鼈《すつぽん》ほど|違《ちが》つた|感《かん》じが|致《いた》しましたよ』
|高姫《たかひめ》『コレ|田吾《たご》さま、|黙《だま》つて|居《ゐ》なさい。|新米者《しんまいもの》の|分《わか》る|事《こと》ですかいな』
|玉治別《たまはるわけ》『さうだと|云《い》つて、|其《その》|玉《たま》に|直接《ちよくせつ》に|関係《くわんけい》のあるのは|私《わたくし》ですからなア』
|五十子姫《いそこひめ》『|玉治別《たまはるわけ》さま、|何事《なにごと》もお|年《とし》のめしたお|方《かた》の|仰有《おつしや》ることに|従《したが》ひなさる|方《はう》が|宜《よろ》しからう』
|玉治別《たまはるわけ》『ヘーエ、そらさうですな』
と|煮《に》え|切《き》らぬ|返事《へんじ》をし|乍《なが》ら|頭《あたま》をかいて|居《ゐ》る。
|梅子姫《うめこひめ》『|今迄《いままで》の|経緯《いきさつ》は|何事《なにごと》もスツパリと|川《かは》へ|流《なが》し、|和気靄々《わきあいあい》として|御神業《ごしんげふ》に|奉仕《ほうし》することに|致《いた》しませう。……|高姫《たかひめ》|様《さま》、|黒姫《くろひめ》|様《さま》、|高山彦《たかやまひこ》|様《さま》、|従前《じゆうぜん》の|障壁《しやうへき》を|除《と》つて、|層一層《そういつそう》|神界《しんかい》のため、|親密《しんみつ》な|御交際《ごかうさい》をお|願《ねが》ひ|致《いた》します』
|高姫《たかひめ》『ヨシヨシ、|結構《けつこう》|々々《けつこう》』
|黒姫《くろひめ》『お|前《まへ》さまも|少々《せうせう》|話《はな》せる|方《かた》だ』
|玉治別《たまはるわけ》『|何《なん》だか|根《ね》つからよく|分《わか》りました。|何《なに》は|兎《と》も|有《あ》れ、|日《ひ》をきめて|頂《いただ》きませう。|信者《しんじや》|一般《いつぱん》に|報告《はうこく》する|都合《つがふ》がありますから……』
|言依別《ことよりわけ》は|杢助《もくすけ》の|方《はう》を|看守《みまも》つた。|杢助《もくすけ》は|厳然《げんぜん》として|立上《たちあが》り、
|杢助《もくすけ》『かくも|双方《さうはう》|平穏《へいおん》|無事《ぶじ》に|了解《れうかい》が|出来《でき》ました|以上《いじやう》は、|来《きた》る|二十三日《にじふさんにち》を|以《もつ》て、|麻邇《まに》の|宝珠《ほつしゆ》を|一般《いつぱん》に|拝観《はいくわん》させることに|定《さだ》めたら|如何《どう》でせう。|先《ま》づ|第一《だいいち》に|高姫《たかひめ》|様《さま》、|黒姫《くろひめ》|様《さま》の|御意見《ごいけん》を|承《うけたま》はりたう|御座《ござ》います』
|高姫《たかひめ》ニコニコし|乍《なが》ら|立上《たちあが》り、
|高姫《たかひめ》『|何事《なにごと》も|此《この》|件《けん》に|付《つき》ては、|杢助《もくすけ》さまの|総務《そうむ》に|一任《いちにん》|致《いた》しませう』
|黒姫《くろひめ》『|私《わたし》も|同様《どうやう》で|御座《ござ》います』
|高山彦《たかやまひこ》『どちらなりとも|御都合《ごつがふ》に|願《ねが》ひます』
|杢助《もくすけ》『|左様《さやう》ならば|愈《いよいよ》|九月《くぐわつ》|二十三日《にじふさんにち》と|決定《けつてい》|致《いた》します。|皆《みな》さま、|御異存《ごいぞん》あらば|今《いま》の|内《うち》に|御遠慮《ごゑんりよ》なく|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さい』
|一同《いちどう》『|賛成《さんせい》|々々《さんせい》』
と|言葉《ことば》を|揃《そろ》へる。|折柄《をりから》|吹《ふ》き|来《く》る|秋風《あきかぜ》に|十二分《じふにぶん》の|涼味《りやうみ》を|浴《あ》び|乍《なが》ら|各自《かくじ》に|退場《たいぢやう》する|事《こと》となつた。アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・七・二三 旧閏五・二九 松村真澄録)
第五章 |玉調《たましら》べ〔七八七〕
|仰《あふ》げば|高《たか》し|久方《ひさかた》の |高天原《たかあまはら》の|若宮《わかみや》を
|地上《ちじやう》に|写《うつ》し|奉《たてまつ》り |大宮柱《おほみやばしら》|太知《ふとし》りて
|高天原《たかあまはら》に|千木《ちぎ》|高《たか》く |仕《つか》へ|奉《まつ》りし|珍館《うづやかた》
|錦《にしき》の|宮《みや》に|連《つら》なりし |稜威《みいづ》も|広《ひろ》き|八尋殿《やひろどの》
|英子《ひでこ》の|姫《ひめ》を|始《はじ》めとし |梅子《うめこ》の|姫《ひめ》や|五十子姫《いそこひめ》
|初稚姫《はつわかひめ》や|玉能姫《たまのひめ》 |音彦《おとひこ》|亀彦《かめひこ》|始《はじ》めとし
|杢助《もくすけ》|総務《そうむ》|其《その》|外《ほか》の |役員《やくゐん》|信者《しんじや》は|粛々《しゆくしゆく》と
|八尋《やひろ》の|殿《との》に|寄《よ》り|来《きた》り |早《はや》くも|殿《との》の|内外《うちそと》に
|溢《あふ》るるばかりなりにけり。
かたの|如《ごと》く|祭《まつ》りも|無事《ぶじ》に|終了《しうれう》した。|上段《じやうだん》の|間《ま》には|杢助《もくすけ》の|総務《そうむ》を|始《はじ》めとし、|英子姫《ひでこひめ》、|五十子姫《いそこひめ》、|梅子姫《うめこひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》、お|玉《たま》の|方《かた》、|最高座《さいかうざ》には|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫《たまてるひめ》|扣《ひか》へられ、|亀彦《かめひこ》、|音彦《おとひこ》、|国依別《くによりわけ》の|幹部連《かんぶれん》、|秋彦《あきひこ》、|夏彦《なつひこ》、|常彦《つねひこ》を|始《はじ》め、|英子姫《ひでこひめ》と|相並《あひなら》んで|黄竜姫《わうりようひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》、テールス|姫《ひめ》|末端《まつたん》に|扣《ひか》へ、|友彦《ともひこ》は|幹部《かんぶ》の|上席《じやうせき》に|顔《かほ》を|並《なら》べて|居《ゐ》た。|群集《ぐんしふ》を|分《わ》けて|意気《いき》|揚々《やうやう》と|登《のぼ》り|来《きた》る|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》、|高山彦《たかやまひこ》の|三人《さんにん》は、|今日《けふ》|玉調《たましら》べの|神務《しんむ》|奉仕《ほうし》の|役《やく》として、|盛装《せいさう》を|凝《こ》らし、|英子姫《ひでこひめ》よりも|一段《いちだん》と|上座《じやうざ》に|着《つ》いた。
|杢助《もくすけ》『|私《わたくし》は|素《もと》より|鈍魂劣器《どんこんれつき》|至愚《しぐ》|至痴《しち》なる|身魂《みたま》の|持主《もちぬし》で|御座《ござ》いまして、|総務《そうむ》なぞをお|勤《つと》め|申《まを》す|柄《がら》ではありませぬが、|神命《しんめい》|黙《もだ》し|難《がた》く|心《こころ》ならずも|拝命《はいめい》|致《いた》し、|皆様《みなさま》のお|助《たす》けに|依《よ》つて|御用《ごよう》の|一端《いつたん》を|勤《つと》めさして|頂《いただ》いて|居《を》りますは、|是《こ》れも|全《まつた》く|皆様《みなさま》の|御同情《ごどうじやう》のお|蔭《かげ》と|厚《あつ》く|感謝《かんしや》|致《いた》します。|就《つい》ては|私《わたくし》も|少《すこ》しく|思《おも》ふ|所《ところ》あつて、|神界《しんかい》の|為《た》めに、もう|一働《ひとはたら》き|致《いた》したう|御座《ござ》いまするので、|後任者《こうにんしや》を|推薦《すいせん》|致《いた》して|置《お》きました。|教主様《けうしゆさま》は|今日《けふ》は|急病《きふびやう》でお|引籠《ひきこ》もりで|御座《ござ》いますから、|御意見《ごいけん》を|伺《うかが》ふ|事《こと》は|出来《でき》ませぬが、|私《わたくし》の|後任者《こうにんしや》として|淡路島《あはぢしま》の|東助様《とうすけさま》を、|御苦労《ごくらう》に|預《あづか》りたいと|思《おも》うて、|内々《ないない》|伺《うかが》ひは|出《だ》して|御座《ござ》います。|就《つ》きましては、|今日《けふ》は|実《じつ》にお|目出度《めでた》い|日柄《ひがら》で|御座《ござ》いまして、|竜宮島《りうぐうじま》より、お|聞及《ききおよ》びの|通《とほ》り、|五色《いついろ》の|麻邇宝珠《まにほつしゆ》|納《をさ》まり、|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》が|兎《と》も|角《かく》|御主管《ごしゆくわん》なされて|居《を》られましたが、|今日《こんにち》、|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》のお|取調《とりしらべ》を|願《ねが》ひ、|信者《しんじや》|一同《いちどう》に|拝観《はいくわん》をさせよと、|教主《けうしゆ》のお|言葉《ことば》で|御座《ござ》いますから、|其《その》お|心算《つもり》で、ゆつくりと|御拝観《ごはいくわん》を|願《ねが》ひます。|再《ふたた》び|拝観《はいくわん》する|事《こと》は|出来《でき》ぬので|御座《ござ》いますから、|此《この》|際《さい》|充分《じゆうぶん》|御神徳《ごしんとく》を|戴《いただ》かれる|様《やう》に、|一寸《ちよつと》|一言《ひとこと》|申上《まをしあ》げて|置《お》きます』
|一同《いちどう》は|雨霰《あめあられ》のごとく|拍手《はくしゆ》する。|杢助《もくすけ》は|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》、|五十子姫《いそこひめ》、|梅子姫《うめこひめ》を|伴《ともな》ひ、|社殿《しやでん》の|奥《おく》|深《ふか》く|進《すす》み、|黄金《わうごん》の|鍵《かぎ》をもつて|傍《かたはら》の|宝座《ほうざ》を|開《ひら》き、|各《おのおの》|一個《いつこ》の|柳筥《やなぎばこ》を、|頭上《づじやう》|高《たか》く|差《さ》し|上《あ》げながら、|静々《しづしづ》と|八尋殿《やひろどの》の|高座《かうざ》に|現《あら》はれ、|五個《ごこ》の|柳筥《やなぎばこ》は、|段上《だんじやう》に|行儀《ぎやうぎ》|好《よ》く|据《す》ゑられた。
|高姫《たかひめ》は|段上《だんじやう》にスツクと|立《た》ち、|一同《いちどう》を|見廻《みまは》し|乍《なが》ら、
|高姫《たかひめ》『|皆《みな》さま、|今日《こんにち》は|誠《まこと》に|結構《けつこう》なお|日柄《ひがら》で|御座《ござ》います。|今迄《いままで》は|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|三種《みくさ》の|神宝《かむだから》|此処《ここ》に|納《をさ》まり、|今日《けふ》|又《また》|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|五色《いついろ》の|神宝《かむだから》|無事《ぶじ》に|納《をさ》まり、|皆様《みなさま》が|拝観《はいくわん》の|光栄《くわうえい》に|浴《よく》さるる|空前絶後《くうぜんぜつご》の|第一《だいいち》|吉祥日《きちしやうび》で|御座《ござ》います。|神様《かみさま》は|引掛《ひつか》け|戻《もど》しのお|経綸《しぐみ》をなさいますから、|肝腎《かんじん》の|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|経《たて》を|後《あと》に|出《だ》し、|瑞《みづ》の|緯《よこ》を|先《さき》に|出《だ》したり、|変幻出没《へんげんしゆつぼつ》|究極《きうきよく》す|可《べか》らざる|事《こと》を|遊《あそ》ばすのは、|皆様《みなさま》|御承知《ごしようち》の|事《こと》で|御座《ござ》いませう。|今日《こんにち》|迄《まで》|三《み》つの|御玉《みたま》を|私《わたし》|共《ども》|南洋《なんやう》あたりまで、|捜索《そうさく》に|行《い》つたと|申《まを》すのは、|決《けつ》して|左様《さやう》な|緯役《よこやく》の|玉《たま》を|求《もと》めに|行《い》つたのではありませぬ。|玉《たま》には|随分《ずゐぶん》モンスターの|憑依《ひようい》するものでありますから、|此《この》|高姫《たかひめ》|等《ら》は|三《み》つのお|宝《たから》を|探《さが》す|様《やう》に|見《み》せて、|其《その》|方《はう》に|総《すべ》ての|精神《せいしん》を|転《てん》じさせ、|其《その》|時《とき》に|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》の|礎《ぢ》になるお|方様《かたさま》が、|一《ひと》つ|島《じま》に|人《ひと》のよう|往《ゆ》かない|如《や》うな|秘密郷《ひみつきやう》の|諏訪《すは》の|湖《みづうみ》に|深《ふか》く|秘《かく》し、さうして|仕組《しぐみ》を|遊《あそ》ばして|御座《ござ》る|事《こと》は、|最初《さいしよ》から|我々《われわれ》|両人《りやうにん》の|熟知《じゆくち》する|所《ところ》、|否《いや》|仕組《しぐ》んで|居《ゐ》る|所《ところ》で|御座《ござ》います。|今日《こんにち》|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》、|黄竜姫《わうりようひめ》、|梅子姫《うめこひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》|其《その》|他《た》|五人《ごにん》の|神司《かむづかさ》に、|此《この》|御用《ごよう》をさせたのも|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|仁慈無限《じんじむげん》のお|取計《とりはか》らひと、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|様《さま》の|御慈悲《おじひ》ですよ。それが|分《わか》らぬ|様《やう》では、|三五教《あななひけう》の|五六七神政《みろくしんせい》の|仕組《しぐみ》は|到底《たうてい》、|分《わか》るものではありませぬ。|幸《さいは》ひに|賢明《けんめい》なる|英子姫《ひでこひめ》、|稍《やや》|改心《かいしん》の|出来《でき》た|言依別命《ことよりわけのみこと》の|神務《しんむ》|奉仕《ほうし》の|至誠《しせい》が|現《あら》はれて、|竜宮《りうぐう》の|麻邇《まに》の|宝珠《ほつしゆ》が|聖地《せいち》へ|納《をさ》まる|事《こと》が|出来《でき》る|様《やう》になり、|夫《それ》を|受取《うけと》り|且《か》つ|調《しら》べるお|役《やく》は|特《とく》に|此《この》|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》|両人《りやうにん》が|致《いた》すべきもので|御座《ござ》います。|依《よ》つて|只今《ただいま》より|御玉《みたま》の|改《あらた》めを|致《いた》しますから、|皆《みな》さま、|謹《つつし》んで|拝観《はいくわん》なさるが|宜《よろ》しい。|三《みつ》つの|御玉《みたま》はどうならうとも|私《わたし》は|知《し》りませぬ。|今度《こんど》の|五《いつ》つの|御玉《みたま》こそ|肝腎要《かんじんかなめ》な|大望《たいまう》な|御神業《ごしんげふ》|大事《だいじ》のお|宝《たから》、|就《つい》ては|玉治別《たまはるわけ》や|其《その》|他《た》の|半研《はんみが》けの|身魂《みたま》が|取扱《とりあつか》つたのですから、|少《すこ》しは|穢《けが》れて|居《ゐ》ないかと|心配《しんぱい》を|致《いた》して|居《を》るので|御座《ござ》います。|身魂《みたま》|相応《さうおう》に|玉《たま》の|光《ひかり》が|現《あら》はれるのですから、|実《じつ》に|恐《こは》いもので|御座《ござ》いますよ。サアサ|是《こ》れから、お|民《たみ》が|預《あづか》つてテールス|姫《ひめ》に|手渡《てわた》した、|黄色《きいろ》の|玉《たま》を|函《はこ》から|出《だ》して|調《しら》べる|事《こと》と|致《いた》しませう。……|黒姫《くろひめ》さま、|御苦労《ごくらう》ながら|一寸《ちよつと》これへお|越《こ》し|下《くだ》さい。さうしてお|民《たみ》さま、テールス|姫《ひめ》さま、|貴女《あなた》は|直接《ちよくせつ》の|関係者《くわんけいしや》、|此処《ここ》にお|扣《ひか》へなされ』
『ハイ』と|答《こた》へて|両人《りやうにん》は|高姫《たかひめ》の|傍《かたはら》に|立寄《たちよ》る。|高姫《たかひめ》は|口《くち》を【へ】の|字《じ》に|結《むす》び、|柳筥《やなぎばこ》の|桂馬結《けいまむす》びの|紐《ひも》を|解《ほど》き、|恭《うやうや》しく|玉函《たまばこ》を|捧《ささ》げ、|八雲琴《やくもごと》の|調子《てうし》に|合《あは》して|体躯《からだ》を|揺《ゆす》り、|手拍子《てべうし》を|取《と》りながら、|機械《きかい》|人形《にんぎやう》の|如《や》うに|柳筥《やなぎばこ》の|蓋《ふた》を、シヤツチンシヤツチンと|取《と》つて|見《み》た。|黄色《きいろ》の|玉《たま》が|出《で》るかと|思《おも》ひきや、|中《なか》より|団子石《だんごいし》がゴロリと|出《で》た。よくよく|見《み》れば|何《なに》か|文字《もじ》が|記《しる》してある。|高姫《たかひめ》は|眉《まゆ》を|顰《ひそ》め|光線《くわうせん》にすかし|見《み》てるに、「|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》の|身魂《みたま》は|此《この》|通《とほ》り、|改心《かいしん》|致《いた》さねば|元《もと》の|黄金色《わうごんいろ》の|玉《たま》にはならないぞ」と|記《しる》されてあつた。|高姫《たかひめ》は|顔色《がんしよく》|烈火《れつくわ》の|如《ごと》く、|声《こゑ》を|震《ふる》はせ、
|高姫《たかひめ》『コレお|民《たみ》さま、テールス|姫《ひめ》さま、お|前《まへ》さま|達《たち》は|偉《えら》さうな|面《つら》をして、|海洋万里《かいやうばんり》の|一《ひと》つ|島《じま》まで|何《なに》しに|往《い》つて|居《を》つたのだ。アタ|阿呆《あはう》らしい。コンナ|玉《たま》なら|小雲川《こくもがは》には|邪魔《じやま》になるほどあるぢやありませぬか』
お|民《たみ》『ハイ、|何《ど》んな|玉《たま》で|御座《ござ》います』
|高姫《たかひめ》『|何《ど》んな|玉《たま》もこんな|玉《たま》もありますかい。お|前《まへ》の|身魂《みたま》の|感化《かんくわ》に|依《よ》つて、|折角《せつかく》の|玉《たま》もこんな|事《こと》になつて|仕舞《しま》つた。……コレ、ジヤンナの|土人《どじん》の|阿婆摺女《あばずれをんな》テールス|姫《ひめ》とやら、|何《なん》の|態《ざま》だ、これは……|阿呆《あはう》らしい、|早《はや》く|改心《かいしん》なされ』
テールス|姫《ひめ》『ハイハイ|改心《かいしん》を|致《いた》します。どうしてマアこんな|玉《たま》になつちやつたのだらう、いやな|事《こと》』
|黒姫《くろひめ》『それだから|瑞《みづ》の|御霊《みたま》は|憑《うつ》り|易《やす》いと|言《い》ふのだ』
|玉治別《たまはるわけ》『|瑞《みづ》の|御霊《みたま》は|憑《うつ》り|易《やす》いと|仰有《おつしや》つたが、これは|五《いづ》の|御玉《みたま》ぢやありませぬか』
|黒姫《くろひめ》『|何《いづ》れも|憑《うつ》り|易《やす》い|身魂《みたま》だ』
|玉治別《たまはるわけ》『そんなら|貴女《あなた》の|身魂《みたま》が|憑《うつ》つたのでせう。どれどれ、|私《わたし》が|調《しら》べて|見《み》ませう』
|高姫《たかひめ》『お|構《かま》ひなさんな。お|前《まへ》さまの|如《や》うな|瓢六玉《へうろくだま》が|見《み》ようものなら、ただの|玉《たま》になつて|終《しま》ひます』
|群集《ぐんしふ》はワイワイと|騒《さわ》ぎ|出《だ》した。
|国依別《くによりわけ》は|段上《だんじやう》に|立《た》つて、
|国依別《くによりわけ》『|皆《みな》さま、お|騒《さわ》ぎなさるな。|今日《けふ》の|玉調《たましら》べは|高姫《たかひめ》さま、|黒姫《くろひめ》さまの|身魂《みたま》|調《しら》べも|同様《どうやう》ですから、|決《けつ》してテールス|姫《ひめ》やお|民《たみ》さまの|身魂《みたま》が|黒《くろ》いのではありませぬ。|最前《さいぜん》も|高姫《たかひめ》さまが|仰有《おつしや》つた|通《とほ》り、|何《なん》と|云《い》うても|御両人《ごりやうにん》が、|自分《じぶん》でお|仕組《しぐみ》なさつたのですから|心配《しんぱい》は|要《い》りませぬ。|皆《みんな》|見《み》る|人《ひと》の|心々《こころこころ》に|写《うつ》りますから……|如意宝珠《によいほつしゆ》、|又《また》|見《み》る|人《ひと》の|随意々々《まにまに》|替《か》はるから|麻邇《まに》の|宝珠《ほつしゆ》といふのです。|之《これ》が|本物《ほんもの》に|違《ちが》ひありませぬ。どうぞお|騒《さわ》ぎなさらない|様《やう》に|願《ねが》ひます。|一度《いちど》|高姫《たかひめ》さまのメンタルテストをやる|必要《ひつえう》がありますからなア』
|高姫《たかひめ》『コレ|国《くに》さま、お|前《まへ》さま、ゴテゴテ|言《い》ふ|資格《しかく》がありますか』
|国依別《くによりわけ》『ありますとも、そんなら|何故《なぜ》|私《わたし》に|生田《いくた》の|森《もり》で、|玉《たま》の|所在《ありか》を|知《し》らせ|知《し》らせと|云《い》つたのですか』
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》さまの|言《い》ふ|事《こと》は、チツトより|信用《しんよう》が|出来《でき》ぬ。ブラツクリストに|登録《とうろく》されて|居《ゐ》る|注意《ちうい》|人物《じんぶつ》だ。お|黙《だま》りなさい』
|国依別《くによりわけ》『|高姫署《たかひめしよ》のブラツクリストに|記《しる》されて|居《ゐ》る|私《わたし》でも、チツト|位《くらゐ》|信用《しんよう》が|出来《でき》るのですか。|私《わたし》は|又《また》|大《おほ》いに|信用《しんよう》が|出来《でき》ぬと|仰有《おつしや》ると|思《おも》つたに……それはさうとして|次《つぎ》の|白色《はくしよく》の|玉《たま》を|早《はや》く|調《しら》べて|見《み》せて|下《くだ》さい』
|高姫《たかひめ》『|八釜《やかま》しう|云《い》ひなさるな。お|前《まへ》さまがツベコベ|嘴《くちばし》を|容《い》れると、|又《また》|玉《たま》が|変化《へんくわ》するかも|知《し》れませぬぞ。エヽ|穢《けがら》はしい。|其方《そつち》に|往《い》つて|下《くだ》さい。……サア|今度《こんど》は|久助《きうすけ》さま、|友彦《ともひこ》さま、お|前《まへ》さま|達《たち》の|責任《せきにん》だ。|早《はや》く|此処《ここ》へお|入来《いで》なさい』
|両人《りやうにん》は「ハイ」と|云《い》ひながら|高姫《たかひめ》の|左右《さいう》に|寄《よ》り|添《そ》うた。|高姫《たかひめ》は|又《また》もや|以前《いぜん》の|如《ごと》く、|恭《うやうや》しく|柳筥《やなぎばこ》を|開《ひら》いて|見《み》た。|中《なか》には|前《まへ》|同様《どうやう》の|団子石《だんごいし》に|同様《どうやう》な|事《こと》が|書《か》いてある。|高姫《たかひめ》は【へ】の|字《じ》に|結《むす》んだ|口《くち》をポカンと|開《あ》けて|暫《しば》し|見詰《みつ》めて|居《ゐ》た。|群集《ぐんしふ》は|又《また》もやワイワイ|騒《さわ》ぎ|出《だ》した。|国依別《くによりわけ》は|又《また》もや|段上《だんじやう》に|押《お》し|上《あが》り、
|国依別《くによりわけ》『|皆《みな》さま、お|騒《さわ》ぎなさいますな。コリヤこれも|屹度《きつと》|以前《いぜん》の|通《とほ》り|団子石《だんごいし》ですよ。|丸《まる》で|狐《きつね》に【つま】まれた|如《や》うですが、これも|心《こころ》の|随意々々《まにまに》|変化《へんくわ》する|玉《たま》ですから、|驚《おどろ》くに|及《およ》びませぬ。|小人《せうじん》|玉《たま》を|抱《いだ》いて|罪《つみ》ありと|云《い》うて、どんな|立派《りつぱ》な|玉《たま》でも|小人物《せうじんぶつ》が|扱《いら》うと、|其《その》|罪《つみ》が|直《すぐ》に|憑《うつ》つて|団子石《だんごいし》になるのですから、|団子石《だんごいし》だと|言《い》うて|力《ちから》を|落《おと》してはなりませぬぞ。これでも|身魂《みたま》の|磨《みが》けたお|方《かた》が|見《み》れば|本真物《ほんまもの》になります』
|黒姫《くろひめ》『コレコレ|国《くに》さま、いらぬ|事《こと》を|仰有《おつしや》るお|前《まへ》こそ|小人《せうじん》だ。お|前《まへ》の|様《やう》な|小人《せうじん》が|居《ゐ》るものだから、|此《この》|通《とほ》り|玉《たま》が|変化《へんくわ》する。|私《わたし》が|竜宮《りうぐう》で|久助《きうすけ》に|渡《わた》した|時《とき》は、こんなものぢや|無《な》かつた。|久助《きうすけ》と|友彦《ともひこ》の|慢心《まんしん》の|身魂《みたま》が|憑《うつ》つてこんなに|変化《へんくわ》したのですよ。|大勢《おほぜい》の|前《まへ》に、|此様《こんな》|身魂《みたま》ですと|曝《さら》されて、|誠《まこと》に|誠《まこと》にお|気《き》の|毒《どく》|様《さま》ですけれどもお|諦《あきら》めなされ』
|友彦《ともひこ》は|大《おほ》いに|怒《いか》り|目《め》をつり|上《あ》げながら、|黒姫《くろひめ》の|頸筋《くびすぢ》をグツと|握《にぎ》り|締《し》め、
|友彦《ともひこ》『コラ|黒姫《くろひめ》、|失敬《しつけい》な|事《こと》を|言《い》ふか、|大勢《おほぜい》の|前《まへ》で|人《ひと》の|身魂《みたま》の|悪口《わるくち》を|云《い》うと|言《い》う|事《こと》があるものか』
|爪《つめ》の|延《の》びた|手《て》で|頸筋《くびすぢ》をグツと|喰《く》ひ|入《い》る|程《ほど》|掴《つか》み|押《おさ》へつける。|黒姫《くろひめ》は「キーキー」と|言《い》ひ|乍《なが》ら|其《その》|場《ば》に|蹲踞《しやが》む。|側《そば》に|居《ゐ》た|高山彦《たかやまひこ》は|友彦《ともひこ》の|襟髪《えりがみ》をグツと|取《と》り、|段上《だんじやう》から|突《つ》き|落《おと》さうとした|途端《とたん》に、|友彦《ともひこ》は|体《たい》をパツとかはした。|高山彦《たかやまひこ》は|二《ふた》つ|三《み》つ|空中《くうちう》|廻転《くわいてん》をして、|群集《ぐんしふ》の|中《なか》に|唸《うな》りを|立《た》てて|落《お》ちて|来《き》た。「サア|大変《たいへん》」と|大勢《おほぜい》は|寄《よ》つて|掛《かか》つて|介抱《かいほう》をし|乍《なが》ら、|痛《いた》さに|唸《うめ》く|高山彦《たかやまひこ》を|担《かつ》いで、|黒姫館《くろひめやかた》にドヤドヤと|送《おく》つて|行《ゆ》く。
|国依別《くによりわけ》『|黒姫《くろひめ》さま、|誠《まこと》にお|気《き》の|毒《どく》な|事《こと》で|御座《ござ》いました。|貴女《あなた》も|嘸《さぞ》お|腹《はら》が|立《た》ちませう。|又《また》|高山彦《たかやまひこ》も|思《おも》はぬ|御災難《ごさいなん》で|誠《まこと》に|御心配《ごしんぱい》でせう。|然《しか》し|乍《なが》ら|此処《ここ》は|神様《かみさま》の|前《まへ》、|滅多《めつた》な|事《こと》は|御座《ござ》いませぬから|御安心《ごあんしん》なさいませ』
|黒姫《くろひめ》『|何《なに》から|何《なに》まで、|何時《いつ》もお|構《かま》い|下《くだ》さいまして、……ヘン……お|有難《ありがた》う|御座《ござ》いますワイなア』
と|肩《かた》と|首《くび》をカタカタと|揺《ゆす》つて|居《ゐ》る、|其《その》|容態《ようたい》の|憎《にく》らしさ。
|杢助《もくすけ》『|友彦《ともひこ》|殿《どの》、|今日《けふ》は|職権《しよくけん》を|以《もつ》て|退場《たいぢやう》を|命《めい》じます』
|友彦《ともひこ》『|仕方《しかた》がありませぬ。|御命令《ごめいれい》に|従《したが》ひ|自宅《じたく》へ|控《ひか》へ|命《めい》を|待《ま》ちまする。|立腹《りつぷく》の|余《あま》り、ツイツイ|粗怱《そそう》を|致《いた》しました』
と|帰《かへ》り|行《ゆ》く。|後《あと》|見送《みおく》りて|黒姫《くろひめ》は|肩《かた》の|中《なか》に|首《くび》を|耳《みみ》の|辺《あた》りまで|石亀《いしがめ》の|如《やう》に|突込《つつこ》んで|仕舞《しま》ひ、|頤《あご》を|出《だ》したり|引込《ひつこ》めたり、|舌《した》を|唇《くちびる》でチヨツと|噛《か》んで、|何《なん》とは|無《な》しに|嘲弄《てうろう》|気分《きぶん》を|表《あら》はして|居《ゐ》た。
|高姫《たかひめ》『|杢助《もくすけ》さま、どうも|怪《け》しからぬぢやありませぬか。|折角《せつかく》の|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》をこんな|事《こと》にして|仕舞《しま》うとは、|一体《いつたい》|全体《ぜんたい》|訳《わけ》が|分《わか》らぬぢやありませぬかい。|此《この》|責任《せきにん》は|誰《たれ》にありますか。……|久助《きうすけ》さま、お|民《たみ》さま、テールス|姫《ひめ》さま、こんな|不調法《ぶてうはふ》をして|置《お》いて、よう|安閑《あんかん》として|居《を》れますな。|此《この》|高姫《たかひめ》が|三人《さんにん》に|対《たい》し|退場《たいぢやう》を|命《めい》じます。よもや|杢助《もくすけ》さま、|是《これ》に|向《むか》つて|違背《ゐはい》は|有《あ》りますまいな』
|杢助《もくすけ》『|何事《なにごと》も|責任《せきにん》は|私《わたくし》に|有《あ》りますから、|三人《さんにん》のお|方《かた》はどうぞ|此処《ここ》に|動《うご》かずに|居《ゐ》て|下《くだ》さい』
|三人《さんにん》|一度《いちど》に「ハイ」と|俯向《うつむ》く。
|高姫《たかひめ》『エヽそんなら|時《とき》の|天下《てんか》に|従《したが》へだ、もう|何《なに》も|言《い》ひますまい。|是《これ》から|青玉《あをだま》だ。……サア|玉治別《たまはるわけ》、|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》、|此処《ここ》にお|出《い》でなさい。さうして|久助《きうすけ》さま、|元《もと》の|座《ざ》にお|帰《かへ》りめされツ』
と|稍《やや》|甲声《かんごゑ》を|張《は》り|上《あ》げながら、|又《また》もや|例《れい》の|如《ごと》く|調査《てうさ》し、|恭《うやうや》しく|玉筥《たまばこ》の|蓋《ふた》を|取《と》つて|見《み》た。|高姫《たかひめ》の|顔《かほ》は|又《また》もや|口《くち》が|尖《とが》り|出《だ》した。|舌《した》を|中凹《なかくぼ》に|巻《ま》いて|二三分《にさんぶ》ばかり|唇《くちびる》の|外《ほか》に|出《だ》し、|首《くび》を|右《みぎ》の|方《はう》に|傾《かた》げて|目《め》を|白黒《しろくろ》させ、|両手《りやうて》を|開《ひら》いて|乳《ちち》の|辺《あた》りで|行儀《ぎやうぎ》|好《よ》く、|扇《あふぎ》を|拡《ひろ》げた|様《やう》にパツとさせ、|腰《こし》を|二《ふた》つ|三《み》つ|振《ふ》つて|居《ゐ》る。|玉治別《たまはるわけ》は|是《こ》れを|眺《なが》めて、
|玉治別《たまはるわけ》『これ|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》、|矢張《やつぱり》お|前《まへ》さまお|二人《ふたり》は|改心《かいしん》が|足《た》らぬ。|海洋万里《かいやうばんり》の|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》の、|秘密郷《ひみつきやう》の|諏訪《すは》の|湖水《こすゐ》から|聖地《せいち》|高天原《たかあまはら》|迄《まで》、|万里《ばんり》の|天空《てんくう》を|八咫烏《やあたがらす》に|乗《の》せられ|捧持《ほうぢ》して|帰《かへ》つた|結構《けつこう》な|玉《たま》を、|黒鷹《くろたか》の|身魂《みたま》が|憑《うつ》つて|斯《こ》んなに|変化《へんくわ》さしよつたのだ。|玉治別《たまはるわけ》|承知《しようち》|致《いた》しませぬぞツ』
と|今度《こんど》は|反対《はんたい》に|高姫《たかひめ》に|喰《く》つて|掛《かか》る。
|高姫《たかひめ》『へー|甘《うま》い|事《こと》を|仰有《おつしや》いますワイ。|肝腎要《かんじんかなめ》の|水晶玉《すいしやうだま》の|高姫《たかひめ》が|覗《のぞ》いて、|玉《たま》が|変化《へんくわ》する|道理《だうり》が|何処《どこ》に|有《あ》りますか。お|前《まへ》さまがあんまり|慢心《まんしん》して|御用《ごよう》した|御用《ごよう》したと、|法螺《ほら》を|吹《ふ》くものだから|斯《こ》んな|事《こと》になつたのだ。……コレ|小糸《こいと》どん、|此《この》|醜態《ざま》は|何《なん》だいな。これで|立派《りつぱ》に|御用《ごよう》が|勤《つと》まつたのですかい。|本当《ほんたう》に|呆《あき》れてものが|言《い》へませぬワイ。これ|小糸《こいと》どん、どうして|下《くだ》さる。|結構《けつこう》な|玉《たま》に|悪身魂《あくみたま》を|憑《うつ》して、お|前《まへ》さまは|神界《しんかい》のお|邪魔《じやま》を|致《いた》す|曲者《くせもの》だよ。|童女《どうぢよ》の|癖《くせ》に|大《だい》の|男《をとこ》をアフンとさせる|様《やう》な|悪党者《あくたうもの》だから、|玉《たま》の|御用《ごよう》が|出来《でき》さうな|道理《だうり》がない。|妾《わし》は|初《はじ》めから、お|前《まへ》が|玉《たま》の|御用《ごよう》をしたと|聞《き》いた|時《とき》、フフーと|惟神的《かむながらてき》に|鼻《はな》から|息《いき》が|出《で》ました。|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|腹《はら》の|中《なか》から|笑《わら》うて|御座《ござ》つたのだ』
|黄竜姫《わうりようひめ》は|屹《きつ》となり、『|高姫《たかひめ》さま』と|声《こゑ》に|力《ちから》を|入《い》れ、
|黄竜姫《わうりようひめ》『ソレは|余《あま》りの|御言葉《おことば》ではありませぬか。|貴女《あなた》の|御身魂《おみたま》さへ|本当《ほんたう》にお|研《みが》けになれば、|本当《ほんたう》の|玉《たま》がお|手《て》に|入《い》るのですよ。|屹度《きつと》、|神様《かみさま》がお|隠《かく》しになつたのだが、|御自分《ごじぶん》の|心《こころ》から|御立替《おたてかへ》|遊《あそ》ばせ。さうすれば、|本当《ほんたう》の|麻邇《まに》の|宝珠《ほつしゆ》がお|手《て》にお|入《はい》り|遊《あそ》ばすのでせう』
|高姫《たかひめ》『|何《なん》と|云《い》つても|立派《りつぱ》な|御弁舌《ごべんぜつ》、|高姫《たかひめ》も|二《に》の|句《く》が|次《つ》げませぬ。オホヽヽヽ』
と|肩《かた》を|揺《ゆす》り|又《また》も|腮《あご》をしやくる。
|玉治別《たまはるわけ》『モシモシ|黄竜姫《わうりようひめ》さま、|斯様《かやう》な|没分暁漢《わからずや》のお|婆《ば》アさま|連《れん》に|相手《あひて》になつて|居《を》つても|詰《つま》りませぬから、もう|止《や》めて|置《お》きませう』
|黄竜姫《わうりようひめ》はニタリと|笑《わら》ひながら、
|黄竜姫《わうりようひめ》『ハイ、さう|致《いた》しませう』
と|元《もと》の|座《ざ》に|帰《かへ》る。
|高姫《たかひめ》『アノマアお|仲《なか》の|好《よ》い|事《こと》ワイの。ホヽヽヽヽ、|若《わか》い|男《をとこ》と|女《をんな》には|監視《かんし》を|付《つ》けて|置《お》かにや|険難《けんのん》だワイ』
|杢助《もくすけ》は|苦虫《にがむし》を|噛《か》み|潰《つぶ》した|如《や》うな|顔《かほ》をして、|厳然《げんぜん》として|無言《むごん》の|儘《まま》|扣《ひか》へて|居《ゐ》る。
|高姫《たかひめ》『コレ|杢助《もくすけ》さま、お|前《まへ》も|偉《えら》さうに|総務面《そうむづら》をして|御座《ござ》つたが、|今日《けふ》は|目算《もくさん》ガラリと|外《はづ》れただらう。アノマア|恐《こは》い|顔《かほ》ワイなア』
|杢助《もくすけ》『アハヽヽヽ、|何《なん》だか|知《し》らぬが|面白《おもしろ》い|事《こと》で|御座《ござ》るワイ。アハヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『コレ|黒姫《くろひめ》さま、|確《しつか》りなさらぬかいな。|一向《いつかう》|元気《げんき》が|無《な》いぢやないか。お|前《まへ》の|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》が|玉《たま》の|持主《もちぬし》ぢやないか。|此奴等《こいつら》に|三《みつ》つまで|此様《こん》な|事《こと》にしられて、それを|平気《へいき》でようまア、|居《を》られますな』
|黒姫《くろひめ》『ハイ|何分《なにぶん》|心配《しんぱい》が|御座《ござ》いますので』
|高姫《たかひめ》『ウン、さうだとも さうだとも、|高山彦《たかやまひこ》さまがエライお|怪我《けが》をなさつたから、|御心配《ごしんぱい》になるのも|御無理《ごむり》と|申《まを》しませぬが、もう|暫《しば》らくだ、|辛抱《しんばう》して|下《くだ》さい。さうしたら|無事《ぶじ》|解放《かいはう》して|上《あ》げます。……コレコレお|節《せつ》、お|前《まへ》の|持《も》つて|帰《かへ》つた|赤玉《あかだま》を|是《これ》から|調《しら》べるのだから、|蜈蚣姫《むかでひめ》さまも|此処《ここ》へ|御出《おい》でなさい。お|前《まへ》さまも|随分《ずゐぶん》|魔谷ケ岳《まやがだけ》で|私《わたし》に|対《たい》して|弓《ゆみ》を|引《ひ》いたり、|国城山《くにしろやま》で|悪口《わるくち》を|言《い》ひました。|先《さき》へ|申《まを》して|置《お》きますよ。|若《も》し|此《この》|赤玉《あかだま》が|団子石《だんごいし》になつて|居《を》つたら、どうなさいますか』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|何事《なにごと》も|惟神《かむながら》に|委《まか》した|私《わたし》、どうすると|云《い》ふ|訳《わけ》に|行《ゆ》きませぬ。|神様《かみさま》の|御処置《ごしよち》を|願《ねが》う|迄《まで》です。|乍併《しかしながら》|高姫《たかひめ》さまの|指図《さしづ》は|断《だん》じて|受《う》けませぬ。|左様《さやう》|御心得《おこころえ》を|願《ねが》ひます』
と|一《ひと》つ|釘《くぎ》を|刺《さ》す。|高姫《たかひめ》は|又《また》も|口《くち》を【へ】の|字《じ》に|結《むす》び|桂馬結《けいまむす》びの|紐《ひも》を|解《と》き、
|高姫《たかひめ》『サアお|節《せつ》、|地獄《ぢごく》の|釜《かま》の|一足飛《いつそくとび》だ。お|前《まへ》が|長《なが》らくの|苦労《くらう》も|花《はな》が|咲《さ》くか、|水《みづ》の|泡《あわ》になつて|了《しま》うか、|禍福《くわふく》|吉凶《きつきよう》|幸禍《かうくわ》の|瀬戸《せと》の|海《うみ》ぢやぞい。|瀬戸《せと》の|海《うみ》で|思《おも》ひ|出《だ》したが、ようも|馬鹿《ばか》にして|下《くだ》さつた。|助《たす》けてやつたなぞと|決《けつ》して|思《おも》つては|居《ゐ》ますまいな。エー|何《なに》をメソメソと|吠《ほ》えて|居《ゐ》るのだ。|善《い》い|後《あと》は|悪《わる》い、|悪《わる》い|後《あと》は|善《い》いと|云《い》う|事《こと》があるから、|何月《いつ》も|月夜《つきよ》|計《ばか》りは|有《あ》りませぬぞ。チツとばかし|都合《つがふ》が|悪《わる》いと|言《い》つて|顔《かほ》を|顰《しか》める|様《やう》では、どうして|立派《りつぱ》に|玉能姫《たまのひめ》と|言《い》はれますか』
と|口汚《くちぎたな》く|罵《ののし》り|乍《なが》ら、|柳筥《やなぎばこ》の|蓋《ふた》をパツと|開《あ》けた。
|高姫《たかひめ》『|黒姫《くろひめ》さま、|一寸《ちよつと》|御覧《ごらん》、|何《なん》だか|此《この》|玉《たま》は|黒《くろ》いぢやありませぬか』
|黒姫《くろひめ》は|一寸《ちよつと》|覗《のぞ》き|込《こ》む。
|黒姫《くろひめ》『ホンニホンニ、|蜈蚣姫《むかでひめ》さまの|如《や》うに|黒《くろ》い|玉《たま》だなア。コリヤ|大方《おほかた》|蜈蚣《むかで》の|身魂《みたま》が|憑《うつ》つて、|赤《あか》い|筈《はず》の|玉《たま》が|黒《くろ》くなつたのだらう』
|玉能姫《たまのひめ》『|黒姫《くろひめ》さまも|随分《ずゐぶん》お|白《しろ》くありませぬから、どちらのがお|憑《うつ》り|遊《あそ》ばしたか|分《わか》りますまい。オホヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『|又《また》しても|又《また》しても|碌《ろく》でもない、コリヤ|消炭玉《けしずみだま》だ。|道理《だうり》で、ちと|軽《かる》いと|思《おも》つて|居《を》つた。【アカ】|阿呆《あはう》らしい。モウ|玉調《たましら》べは|御免《ごめん》|蒙《かうむ》りませうかい』
とプリンプリン|怒《おこ》つて|居《ゐ》る。
|杢助《もくすけ》『|御苦労《ごくらう》ですがモウ|一《ひと》つ|紫《むらさき》の|玉《たま》をお|調《しら》べを|願《ねが》ひます』
|高姫《たかひめ》『エー|杢助《もくすけ》さま、|又《また》かいなア』
と|煩《うる》さ|相《さう》に|言《い》ひ|乍《なが》ら、|万一《まんいつ》の|望《のぞ》みを|最後《さいご》の|紫《むらさき》の|玉《たま》に|嘱《しよく》して|居《ゐ》た。|国依別《くによりわけ》は|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
|国依別《くによりわけ》『モシモシ|皆《みな》さま、モウ|一《ひと》つになりました。|何《なに》を|言《い》つても|手品《てじな》|上手《じやうづ》の|高姫《たかひめ》さまで|御座《ござ》いますから、|水《みづ》を|火《ひ》にしたり|火《ひ》を|水《みづ》にしたり、|石《いし》を|玉《たま》にして|呑《の》んだり|吐《は》いたり、|終《しま》ひには|天《てん》を|地《ち》にしたりなさいます。|天一《てんいち》の|手品《てじな》よりはお|上手《じやうづ》ですから、|其《その》お|心算《つもり》で|確《しつか》りとお|目《め》にとめられます|様《やう》に|願《ねが》ひまアす。|東西《とうざい》|々々《とうざい》』
|高姫《たかひめ》はクワツと|怒《いか》り、
|高姫《たかひめ》『|神聖《しんせい》なる|八尋殿《やひろどの》に|於《おい》て|何《なん》と|言《い》ふ|事《こと》を|言《い》ふのか。|此処《ここ》は|寄席《よせ》では|有《あ》りませぬぞい。|尊《たふと》き|尊《たふと》き|神様《かみさま》のお|鎮《しづ》まり|遊《あそ》ばす|錦《にしき》の|宮《みや》の|八尋殿《やひろどの》では|有《あ》りませぬか』
|国依別《くによりわけ》『|八尋殿《やひろどの》だからといつて、|手品《てじな》が|悪《わる》い|道理《だうり》が|有《あ》りますか。|現《げん》にお|前《まへ》さま|手品《てじな》をして|居《ゐ》る|途中《とちう》です。そんな|事《こと》を|言《い》うと|自繩自縛《じじやうじばく》に|落《お》ちますぞ。|二十世紀《にじつせいき》|頃《ごろ》の|三五教《あななひけう》の|五六七殿《みろくでん》でさへも|劇場《げきぢやう》を|拵《こしら》へてやつて|居《ゐ》るぢやありませぬか。|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を|言《い》ふものぢや|有《あ》りませぬ』
|高姫《たかひめ》『それだから|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|遣《や》り|方《かた》は、|乱《みだ》れた|遣《や》り|方《かた》だと|神様《かみさま》が|仰有《おつしや》るのだよ。アアモウ|此《この》|玉《たま》は|調《しら》べるのが|嫌《いや》になつた。|又《また》|初稚姫《はつわかひめ》や|梅子姫《うめこひめ》さまに|恥《はぢ》をかかすのが|気《き》の|毒《どく》だから、こりやもう|開《あ》けない|事《こと》にして|置《お》かう』
|杢助《もくすけ》『|此《この》|玉《たま》は|是非《ぜひ》|調《しら》べて|頂《いただ》きたい。|神様《かみさま》は|我《わが》|子《こ》、|他人《ひと》の|子《こ》の|隔《へだ》ては|無《な》いと|仰有《おつしや》るのだから、|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》の|御娘御《おむすめご》の|梅子姫《うめこひめ》|様《さま》と、|杢助《もくすけ》の|娘《むすめ》の|初稚姫《はつわかひめ》、|依估贔屓《えこひいき》したと|言《い》はれてはなりませぬから、どうぞ|此《この》|場《ば》でお|調《しら》べを|願《ねが》ひませう』
|高姫《たかひめ》『エーエー|仕方《しかた》がないなア。|本当《ほんたう》にイヤになつちまつた。そんなら、マアマも|一苦労《ひとくらう》|致《いた》しませう。……|梅子姫《うめこひめ》さま、お|初《はつ》さま、サア|早《はや》く|此処《ここ》へ|来《く》るのだよ』
と|稍《やや》|自棄気味《やけぎみ》になり|言葉《ことば》せはしく|呼《よ》び|立《た》てる。|言下《げんか》に|梅子姫《うめこひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》は|莞爾《くわんじ》として|高姫《たかひめ》の|側《そば》に|寄《よ》り|添《そ》うた。|高姫《たかひめ》は|又《また》もや|柳筥《やなぎばこ》の|蓋《ふた》をチヤツと|開《ひら》いた。|忽《たちま》ち|四方《あたり》に|輝《かがや》くダイヤモンドの|如《ごと》き|紫《むらさき》の|光《ひか》り、|流石《さすが》の|高姫《たかひめ》もアツと|驚《おどろ》いて|二足三足《ふたあしみあし》|後《あと》に|寄《よ》つた。|黒姫《くろひめ》は|飛《と》び|上《あが》つて|喜《よろこ》び、|思《おも》はず|手《て》をうつた。|一同《いちどう》の|拍手《はくしゆ》する|声《こゑ》、|雨霰《あめあられ》の|如《ごと》く|場《ぢやう》の|外《そと》|遠《とほ》く|響《ひび》いた。
|高姫《たかひめ》『お|初《はつ》、イヤ|初稚姫《はつわかひめ》さま、|梅子姫《うめこひめ》さま、お|手柄《てがら》お|手柄《てがら》。|矢張《やつぱ》りお|前《まへ》|等《がた》は|身魂《みたま》が|綺麗《きれい》だと|見《み》えますワイ。……|杢助《もくすけ》さま、お|前《まへ》さま|中々《なかなか》|好《い》い|子《こ》を|持《も》つたものぢや。ヤレヤレ|是《これ》で|一《ひと》つ|安心《あんしん》、|後《あと》の|四《よ》つは|四足魂《よつあしみたま》に|汚《けが》されて|了《しま》うた。|瑞《みづ》の|御魂《みたま》のやうに|憑《うつ》る|麻邇《まに》の|珠《たま》だから、|田吾作《たごさく》、|久助《きうすけ》、お|民《たみ》、|友彦《ともひこ》、|黄竜姫《わうりようひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》、テールス|姫《ひめ》、お|節《せつ》も|是《これ》から、|百日百夜《ひやくにちひやくや》|小雲川《こくもがは》で|水行《すゐぎやう》をなさい。さうすれば|元《もと》の|玉《たま》に|還元《くわんげん》するだらう。|嫌《いや》といつても|此《この》|高姫《たかひめ》が|行《ぎやう》をさせて|元《もと》の|光《ひか》りを|出《だ》さねば|措《を》くものかい』
|七人《しちにん》はアフンとして|頭《あたま》を|掻《か》いて|居《ゐ》る。|其処《そこ》へ|走《はし》つて|来《き》たのは|佐田彦《さだひこ》、|波留彦《はるひこ》|両人《りやうにん》であつた。
|佐田彦《さだひこ》『|杢助《もくすけ》さまに|申上《まをしあ》げます。|今朝《けさ》より|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》は|御病気《ごびやうき》と|仰有《おつしや》つて、|御引籠《おひきこも》りになつておいでなさいましたが、|余《あま》りお|静《しづ》かですから、ソツと|障子《しやうじ》を|開《あ》けて|中《なか》へ|這入《はい》つて|見《み》れば、|萩《はぎ》の|机《つくゑ》の|上《うへ》に|斯様《かやう》な|書《か》き|置《お》きがして|御座《ござ》いました』
と|手《て》に|渡《わた》す。|杢助《もくすけ》|開《ひら》いてこれを|見《み》れば、
『|此《この》|度《たび》|青《あを》、|赤《あか》、|黄《き》、|白《しろ》の|四個《よんこ》の|宝玉《ほうぎよく》を|始《はじ》め|三個《さんこ》の|玉《たま》、|三《みつ》つ|四《よ》つ|併《あは》せて|都合《つがふ》|七個《しちこ》、|言依別命《ことよりわけのみこと》|都合《つがふ》あつて、|或《ある》|地点《ちてん》に|隠《かく》し|置《お》いたり、|必《かなら》ず|必《かなら》ず|玉能姫《たまのひめ》、|玉治別《たまはるわけ》、|黄竜姫《わうりようひめ》|其《その》|他《た》|此《この》|玉《たま》に|関係者《くわんけいしや》の|与《あづか》り|知《し》る|所《ところ》に|非《あら》ず。|然《しか》し|乍《なが》ら|杢助《もくすけ》は|願《ねが》ひの|如《ごと》く|総務《そうむ》の|職《しよく》を|免《めん》じて、|淡路《あはぢ》の|東助《とうすけ》を|以《もつ》て|総務《そうむ》となす。|言依別《ことよりわけ》は|何時《いつ》|聖地《せいち》に|帰《かへ》るか、|其《その》|時期《じき》は|未定《みてい》なり。|必《かなら》ず|我《わが》|後《あと》を|追《お》ひ|来《きた》る|勿《なか》れ』
と|書《か》いてあつた。|杢助《もくすけ》は|黙然《もくねん》として|涙《なみだ》をハラハラと|流《なが》し、|千万無量《せんまんむりやう》の|感《かん》に|打《う》たるるものの|如《ごと》くであつた。
(大正一一・七・二三 旧閏五・二九 谷村真友録)
第六章 |玉乱《たまらん》〔七八八〕
|玉照姫《たまてるひめ》、|玉照彦《たまてるひこ》は|口《くち》を|揃《そろ》へて、
『|英子姫《ひでこひめ》|殿《どの》、|紫《むらさき》の|玉《たま》を|我《わが》|前《まへ》に|持来《もちきた》られよ』
と|宣示《せんじ》された。|英子姫《ひでこひめ》は「ハイ」と|答《こた》へて|紫《むらさき》の|玉《たま》を|柳筥《やなぎばこ》に|納《をさ》めた|儘《まま》、|恭《うやうや》しく|捧持《ほうぢ》して|二神司《にしん》の|前《まへ》に|奉《たてまつ》らむとする|時《とき》しも、|高姫《たかひめ》は、
|高姫《たかひめ》『|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さい。|又《また》|紛失《ふんしつ》すると|大変《たいへん》だから、|此《この》|玉《たま》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|保管《ほくわん》|致《いた》しておきます』
|国依別《くによりわけ》『コリヤ|高《たか》、|又《また》|腹《はら》の|中《なか》へ|呑《の》んで|了《しま》ふ|積《つも》りだらう。|何程《なにほど》|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|偉《えら》くとも、|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫《たまてるひめ》の|御命令《ごめいれい》を|反《そむ》く|訳《わけ》には|行《ゆ》くまい。……サア|英子姫《ひでこひめ》さま、お|二方《ふたかた》の|御命令《ごめいれい》です、|躊躇逡巡《ちうちよしゆんじゆん》するに|及《およ》びませぬ。|早《はや》く|献上《けんじやう》なさいませ』
|高姫《たかひめ》『エー|又《また》しても|又《また》しても、|邪魔《じやま》|計《ばか》り|致《いた》す|男《をとこ》だ。|今日《こんにち》|只今《ただいま》|限《かぎ》り、|国依別《くによりわけ》を|除名《ぢよめい》する』
|国依別《くによりわけ》『エー|又《また》しても|又《また》しても、|玉《たま》を|呑《の》まうと|致《いた》す|偽日《にせひ》の|出神《でのかみ》、|今日《こんにち》|只今《ただいま》より、|国治立命《くにはるたちのみこと》、|国依別《くによりわけ》の|口《くち》を|通《とほ》し、|高姫《たかひめ》を|除名《ぢよめい》する。ウンウンウン』
|高姫《たかひめ》『ヘン、おいて|貰《もら》ひませうかい。|何程《なにほど》|国依別《くによりわけ》でも、|国治立命《くにはるたちのみこと》|様《さま》のお|懸《かか》りなさる|筈《はず》がありますかい。サア|一時《いちじ》も|早《はや》く|国処立《くにとこた》ち|退《の》きの|命《みこと》となつて|帰《かへ》つて|貰《もら》ひませう』
|玉照姫《たまてるひめ》、|高座《かうざ》より|声《こゑ》しとやかに、
|玉照姫《たまてるひめ》『|高姫《たかひめ》、|国依別《くによりわけ》|両人共《りやうにんども》、お|控《ひか》へめされ』
|国依別《くによりわけ》『ハハー』
と|畏縮《ゐしゆく》して|其《その》|場《ば》に|平伏《へいふく》する。|高姫《たかひめ》、
|高姫《たかひめ》『エーエ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》さへあれば|良《い》いのに、|無用《むよう》の|長物《ちやうぶつ》……でもない。|何《なん》と|言《い》うても|二《ふた》つの|頭《かしら》が|並《なら》んで|居《ゐ》るのだから、|行《や》りにくいワイ。|両頭《りやうとう》|蛇尾《だび》と|云《い》つて、|善悪《ぜんあく》|両頭《りやうとう》|使《つか》ひの|高姫《たかひめ》も|芝居《しばゐ》が|巧《うま》く|打《う》てませぬワイ』
と|小声《こごゑ》で|呟《つぶや》いて|居《ゐ》る。
|国依別《くによりわけ》『|高姫《たかひめ》さま、|玉照姫《たまてるひめ》|様《さま》の|御命令《ごめいれい》もだし|難《がた》く、|貴女《あなた》の|除名《ぢよめい》を、|国依別《くによりわけ》|茲《ここ》に|取消《とりけ》し|致《いた》します』
|高姫《たかひめ》は|舌《した》をニヨツと|噛《か》み|出《だ》し、あげ|面《づら》し|乍《なが》ら、|二三遍《にさんぺん》しやくつて|見《み》せ、|右《みぎ》の|肩《かた》を|無恰好《ぶかつかう》に|突起《とつき》させ、
|高姫《たかひめ》『ヘン、……|能《よ》う|仰有《おつしや》いますワイ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|更《あらた》めて|国依別《くによりわけ》を|外国行《ぐわいこくゆき》と|定《さだ》めるから、|喜《よろこ》んでお|受《う》けをなさるがよからう』
|国依別《くによりわけ》『お|前《まへ》さまに|命令《めいれい》して|貰《もら》はなくとも、|言依別神《ことよりわけのかみ》|様《さま》、|杢助様《もくすけさま》、|国依別《くによりわけ》は|三人《さんにん》|世《よ》の|元《もと》となつて、チヤンと|外国《ぐわいこく》で|仕組《しぐみ》がしてあるのだ。|七《なな》つの|玉《たま》もお|先《さき》に|海外《かいぐわい》の|或《ある》|地点《ちてん》に|隠《かく》してあるのだから、|要《い》らぬ|御世話《おせわ》で|御座《ござ》います』
|高姫《たかひめ》『そんなら|国依別《くによりわけ》、お|前《まへ》は|早《はや》くから|三人《さんにん》|腹《はら》を|合《あは》せて|企《たく》んで|居《を》つたのだな』
|国依別《くによりわけ》『どうでも|宜《よろ》しいワイ。|虚実《きよじつ》の|程《ほど》は|世界《せかい》の|見《み》えすく|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》が|御存《ごぞん》じの|筈《はず》だ』
|玉照姫《たまてるひめ》『|国依別《くによりわけ》、|改《あらた》めて|申《まを》し|渡《わた》すべき|事《こと》あれば、|暫《しばら》く|汝《なんぢ》が|館《やかた》に|立帰《たちかへ》り、|命《めい》を|待《ま》たれよ』
|国依別《くによりわけ》『ハハー、|承知《しようち》|致《いた》しました』
と|丁寧《ていねい》に|挨拶《あいさつ》をなし、|終《をは》つて、
|国依別《くによりわけ》『ヤア、テールス|姫《ひめ》、|玉能姫《たまのひめ》、|玉治別《たまはるわけ》、|久助《きうすけ》、お|民《たみ》さま、|竜宮《りうぐう》の|女王《ぢよわう》|黄竜姫《わうりようひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》|其《その》|他《た》|一統《いつとう》の|方々《かたがた》、|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》に|対《たい》して、|充分《じゆうぶん》の|防戦《ばうせん》をなされませや。|此《この》|国依別《くによりわけ》が|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》るや|否《いな》や、そろそろと|又《また》|吹《ふ》き|出《だ》しますからなア』
|玉治別《たまはるわけ》『ヤア|有難《ありがた》う、あとは|我《わが》|輩《はい》が|引受《ひきう》ける、|安心《あんしん》して|帰《かへ》つて|呉《く》れ。さうして|言依別《ことよりわけ》|様《さま》に|宜《よろ》しく|申上《まをしあ》げて|呉《く》れ。……オツト|失敗《しま》つた、|言依別《ことよりわけ》|様《さま》は|最早《もはや》どつかへ|御不在《おるす》になつた|筈《はず》だなア』
|高姫《たかひめ》『|今《いま》の|両人《りやうにん》が|話振《はなしぶり》を|聞《き》けば、|玉治別《たまはるわけ》も|同類《どうるゐ》と|見《み》える。お|前《まへ》もトツトとここを|退場《たいぢやう》なされ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|命令《めいれい》する』
|玉治別《たまはるわけ》『|高姫《たかひめ》さま、|大《おほ》きに|憚《はばか》りさんで|御座《ござ》います。|済《す》みませぬが、|私《わたし》の|進退《しんたい》は|私《わたし》の|自由《じいう》ですから、|余《あま》り|御親切《ごしんせつ》に|構《かま》うて|下《くだ》さいますな』
|高姫《たかひめ》、|杢助《もくすけ》の|方《はう》にギヨロリと|目《め》を|転《てん》じ、
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》さまは|総務《そうむ》を|辞職《じしよく》した|以上《いじやう》は、そんな|高《たか》い|所《ところ》に|何時《いつ》|迄《まで》も|頑張《ぐわんば》つて|居《を》る|権利《けんり》はありますまい。トツトと|御下《おさが》りめされ。サア|是《これ》からは、|言依別《ことよりわけ》は|逐電《ちくでん》|致《いた》すなり、|杢助《もくすけ》は|辞職《じしよく》をするなり、ヤツパリ|此《この》|八尋殿《やひろどの》は|高姫《たかひめ》が|教主《けうしゆ》となつて|行《や》らねばならぬかなア。|時節《じせつ》は|待《ま》たねばならぬものだ』
|玉治別《たまはるわけ》『コレハしたり、|高姫《たかひめ》さま、|誰《たれ》の|命令《めいれい》を|受《う》けて|貴女《あなた》は|教主《けうしゆ》になるのですか。|誰《たれ》もあなたを|教主《けうしゆ》として|尊敬《そんけい》し、|且《か》つ|服従《ふくじゆう》する|者《もの》はありますまいぞ』
|高姫《たかひめ》『コレコレ|田吾《たご》さま、お|黙《だま》りなされ。|天地開闢《てんちかいびやく》の|初《はじめ》から|系統《ひつぽう》の|身魂《みたま》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が|教主《けうしゆ》になるのは、きまり|切《き》つた|神界《しんかい》の|御経綸《ごけいりん》だ。それだから|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|守護《しゆご》に|致《いた》すぞよと、お|筆先《ふでさき》にチヤンと|書《か》いてあるのだ。……|今《いま》までは|悪《あく》の|身魂《みたま》に|結構《けつこう》な|高天原《たかあまはら》をワヤにしられて|居《ゐ》たが、|世《よ》は|持切《もちきり》には|致《いた》させぬぞよ。|天晴《あつぱ》れ|誠《まこと》の|生神《いきがみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて|日《ひ》の|出《で》の|守護《しゆご》となつたら、|今迄《いままで》|上《うへ》へあがりて|偉相《えらさう》に|申《まを》して|居《を》りた|御方《おんかた》アフンとする|事《こと》が|出来《でき》るぞよ。ビツクリ|致《いた》して|逆《さか》トンボリを|打《う》たねばならぬぞよ。それを|見《み》るのが|神《かみ》は|辛《つら》いから、|耳《みみ》がたこになる|程《ほど》|知《し》らしたが、チツとも|聞入《ききい》れないから|是非《ぜひ》なき|事《こと》と|諦《あきら》めて|下《くだ》されよ。|決《けつ》して|神《かみ》を|恨《うら》めて|下《くだ》さるなよ。|我《わが》|身《み》の|心《こころ》を|恨《うら》めるより|仕様《しやう》がないぞよ。……と|現《あら》はれて|居《を》りませうがな。|誰《たれ》が|何《なん》と|云《い》つても|三五教《あななひけう》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が|表《おもて》に|立《た》たねば、|神界《しんかい》の|仕組《しぐみ》は|成就《じやうじゆ》|致《いた》しませぬぞエ。|誠《まこと》の|者《もの》が|三人《さんにん》あれば|立派《りつぱ》に|立替《たてかへ》が|成就《じやうじゆ》すると|仰有《おつしや》るのだから、イヤな|御方《おかた》は|退《の》いて|下《くだ》されよ。|誠《まこと》|一《ひと》つの|生粋《きつすゐ》の|水晶玉《すいしやうだま》の|大和魂《やまとだましひ》の|根本《こつぽん》の、|地《ぢ》になる|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》と|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》の|生宮《いきみや》と、|高山彦《たかやまひこ》と|三人《さんにん》さへあれば、|立派《りつぱ》に|神業《しんげふ》は|成就《じやうじゆ》|致《いた》しますワイな。グツグツ|申《まを》すと|帳《ちやう》を|切《き》るぞえ』
|玉治別《たまはるわけ》『アハヽヽヽ、よう|慢心《まんしん》したものだなア。……コレコレ|波留彦《はるひこ》さま、|秋彦《あきひこ》さま、お|前《まへ》と|私《わたし》と|三人《さんにん》|世《よ》の|元《もと》となつて、|高姫軍《たかひめぐん》に|向《むか》つて|一《ひと》つ|戦闘《せんとう》を|開始《かいし》したらどうだ』
|波留彦《はるひこ》『それは|至極《しごく》|面白《おもしろ》い|事《こと》でせう。……なア、|秋彦《あきひこ》さま』
|高姫《たかひめ》『コレコレ|滝《たき》、|鹿《しか》、|田吾作《たごさく》、お|前達《まへたち》は|何程《なにほど》|三角同盟《さんかくどうめい》を|作《つく》つても|駄目《だめ》だよ。モウ|今日《けふ》から|宣伝使《せんでんし》なんか、|性《しやう》に|合《あ》はないことをスツパリ|思《おも》ひ|切《き》つて、|紫姫《むらさきひめ》さまの|門掃《かどは》きになつたり、|宇都山郷《うづやまがう》に|往《い》つて|芋《いも》の|赤子《あかご》を|育《そだ》てたり、ジヤンナの|郷《さと》へ|帰《かへ》つて|土人《どじん》にオーレンス、サーチライスと|持《も》てはやされる|方《はう》が|御互《おたがひ》に|得策《とく》だ。(|高姫《たかひめ》は|逆上《ぎやくじやう》の|余《あま》り|滝《たき》と|友《とも》と|同《おなじ》うして|喋《しやべ》つてゐる)いよいよ|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|教主《けうしゆ》となつた|以上《いじやう》は|何事《なにごと》も|立替《たてかへ》だ。|今《いま》|更《あらた》めて|教主《けうしゆ》より|除名《ぢよめい》するツ』
|玉照姫《たまてるひめ》|高座《かうざ》より、
|玉照姫《たまてるひめ》『|三五教《あななひけう》の|教主《けうしゆ》は|言依別命《ことよりわけのみこと》、|神界《しんかい》の|御経綸《ごけいりん》に|依《よ》りて|高砂島《たかさごじま》へ|御渡《おわた》り|遊《あそ》ばした。|又《また》|杢助《もくすけ》は|神界《しんかい》の|都合《つがふ》に|依《よ》り|筑紫《つくし》の|島《しま》へ|出張《しゆつちやう》を|命《めい》ずる。|淡路《あはぢ》の|島《しま》の|人子《ひとご》の|司《つかさ》|東助《とうすけ》を|以《も》つて|三五教《あななひけう》の|総務《そうむ》に|任《にん》じ、|且《か》つ|臨時《りんじ》|教主《けうしゆ》|代理《だいり》を|命《めい》ずる。|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》は|特《とく》に|抜擢《ばつてき》して|相談役《さうだんやく》に|致《いた》す。|玉治別《たまはるわけ》、|秋彦《あきひこ》、|友彦《ともひこ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》、|黄竜姫《わうりようひめ》、|玉能姫《たまのひめ》は|以前《いぜん》の|儘《まま》|現職《げんしよく》に|止《とど》まるべし』
と|宣示《せんじ》し|玉《たま》うた。
|高姫《たかひめ》『|玉照姫《たまてるひめ》さまもチツと|聞《きこ》えませぬワイ。|玉照彦《たまてるひこ》|様《さま》は|何《なん》とも|仰有《おつしや》らぬに、|女《をんな》のかしましい|差《さ》し|出口《でぐち》。|何程《なにほど》|結構《けつこう》な|身魂《みたま》でも、|此《この》|三五教《あななひけう》は|艮《うしとら》の|金神《こんじん》、|坤《ひつじさる》の|金神《こんじん》、|金勝要神《きんかつかねのかみ》、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生魂《いきだま》で|開《ひら》いて|行《ゆ》かねばならぬお|道《みち》、お|玉《たま》の|腹《はら》から|生《うま》れて|出《で》た|変則的《へんそくてき》|十八ケ月《じふはちかげつ》の|胎生《たいせい》……|言《い》はば|天下《てんか》|無類《むるゐ》の|畸形児《きけいじ》ぢやないか。|何《なん》と|仰有《おつしや》つても|今度《こんど》|計《ばか》りは|命令《めいれい》を|聞《き》きませぬぞ』
|玉照姫《たまてるひめ》『|汝《なんぢ》|高姫《たかひめ》、|四個《よんこ》の|麻邇《まに》の|玉《たま》の|所在《ありか》を|尋《たづ》ね、それを|持帰《もちかへ》りなば、|始《はじ》めて|汝《なんぢ》を|教主《けうしゆ》に|任《にん》じ、|高山彦《たかやまひこ》、|黒姫《くろひめ》を|左守《さもり》、|右守《うもり》の|神《かみ》に|任《にん》ずべし。|誠《まこと》|日《ひ》の|出神《でのかみ》|又《また》|玉依姫《たまよりひめ》の|身魂《みたま》なれば、|其《その》|玉《たま》の|所在《ありか》をつきとめ|我《わが》|前《まへ》に|奉《たてまつ》れ』
|高姫《たかひめ》『|其《その》お|言葉《ことば》に|間違《まちが》ひはありますまいな。|宜《よろ》しい。|言依別《ことよりわけ》と|杢助《もくすけ》の|両人《りやうにん》、|腹《はら》を|合《あは》せて|隠《かく》しよつたに、|間違《まちが》ひない。|証拠《しようこ》は……これ……|此《この》|教主《けうしゆ》の|書置《かきお》き、|立派《りつぱ》に|手《て》に|入《い》れてお|目《め》にかけます。|其《その》|代《かは》りにこれを|持帰《もちかへ》つたが|最後《さいご》|御約束《おやくそく》|通《どほ》り|此《この》|高姫《たかひめ》が|教主《けうしゆ》ですから、|満場《まんぢやう》の|皆様《みなさま》もよつく|聞《き》いておいて|下《くだ》されや。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|神力《しんりき》をこれから|現《あら》はしてお|目《め》にかける。|其《その》|時《とき》には|玉能姫《たまのひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》、|黄竜姫《わうりようひめ》、|玉治別《たまはるわけ》、|友彦《ともひこ》、テールス|姫《ひめ》、|久助《きうすけ》、お|民《たみ》、|佐田彦《さだひこ》、|波留彦《はるひこ》……|其《その》|他《た》の|連中《れんちう》は|残《のこ》らず|馘首《かくしゆ》するから|覚悟《かくご》なさいませ、とはいふものの、|玉《たま》の|所在《ありか》を|知《し》つてる|者《もの》があれば、そつと|此《この》|高姫《たかひめ》に|云《い》つて|来《こ》い……でもよい。|兎《と》に|角《かく》|以心伝心《いしんでんしん》|無声霊話《むせいれいわ》でもよいから……』
|玉治別《たまはるわけ》、|両手《りやうて》を|拡《ひろ》げ、|体《からだ》を|前後《まへうし》ろにブカブカさせ|乍《なが》ら、
|玉治別《たまはるわけ》『アツハツハヽ、アツハツハヽヽ』
と|壇上《だんじやう》で|妙《めう》な|身振《みぶり》をして|笑《わら》ひ|出《だ》した。
|高姫《たかひめ》『オイ|田吾《たご》さま、そろそろ|守護神《しゆごじん》が|現《あら》はれかけたぢやないか。|其《その》|態《ざま》は|何《なん》ぢやいな。コレコレ|皆《みな》さま、|御覧《ごらん》の|通《とほ》り、|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|表《おもて》になると、|皆《みんな》の|身魂《みたま》が|現《あら》はれて|恥《はづか》しい|事《こと》が|出来《でき》ますぞえ。|今《いま》の|所《ところ》は|言依別《ことよりわけ》や|東助《とうすけ》さまが|表面《へうめん》|主権《しゆけん》を|握《にぎ》つて|居《ゐ》る|様《やう》だが、|実際《じつさい》の|所《ところ》は|床《とこ》の|間《ま》の|置物《おきもの》だ。|実地《じつち》|誠《まこと》の|権利《けんり》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》にあるのだから、|取違《とりちがひ》をなされますなや。|日《ひ》の|出神《でのかみ》も|中々《なかなか》|大抵《たいてい》ぢやない。|遥々《はるばる》と|高砂島《たかさごじま》や|筑紫《つくし》の|島《しま》まで|行《い》くのは|並《なみ》や|大抵《たいてい》ぢや|御座《ござ》らぬ。|魚心《うをごころ》あれば|水心《みづごころ》だ。|出世《しゆつせ》をしたい|人《ひと》は|誰《たれ》に|拘《かか》はらず、|我《わ》れ|一《いち》とお|働《はたら》きなされ。お|働《はたら》き|次第《しだい》で|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|御出世《ごしゆつせ》をさして|上《あ》げますぞえ』
|波留彦《はるひこ》|一同《いちどう》を|見《み》まはし|乍《なが》ら、
|波留彦《はるひこ》『|皆《みな》さま、|今《いま》|高姫《たかひめ》の|仰有《おつしや》つた|通《とほ》り、|手柄《てがら》のしたい|人《ひと》はお|手《て》を|上《あ》げて|下《くだ》さい……|一《いち》、|二《に》、|三《さん》……ヤア|唯《ただ》の|一人《ひとり》も|手《て》を|上《あ》げる|人《ひと》がありませぬなア』
|玉治別《たまはるわけ》『それで|当然《あたりまへ》だよ。|地位《ちゐ》も|財産《ざいさん》も|名誉《めいよ》も|捨《す》てて、|一心《いつしん》に|神界《しんかい》の|為《ため》に|尽《つく》さうと|云《い》ふ|誠《まこと》の|人《ひと》|計《ばか》りだから、そんな|人慾《にんよく》に|捉《とら》はれて、|三五教《あななひけう》へ|入信《はい》つた|者《もの》は|一人《ひとり》もありませぬワイ。|人慾《にんよく》の|雲《くも》に|包《つつ》まれてるのは|高姫《たかひめ》さまに|黒姫《くろひめ》さま、|高山彦《たかやまひこ》|位《くらゐ》なものだなア』
|一同《いちどう》|手《て》を|拍《う》つて「|賛成《さんせい》|々々《さんせい》」と|呼《よ》ぶ。
|高姫《たかひめ》『|口《くち》と|心《こころ》とサツパリ|裏表《うらおもて》の|体主霊従《たいしゆれいじう》|計《ばか》りがよつて|来《き》て、すました|顔《かほ》して|御座《ござ》るのが|見《み》えすいて|可笑《をか》しう|御座《ござ》いますワイの、オツホヽヽヽ』
|高山彦《たかやまひこ》『|高姫《たかひめ》さま、|私《わたし》は|今日《こんにち》|限《かぎ》りお|暇《ひま》を|頂《いただ》きまして、|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》へ|帰《かへ》り、|元《もと》のブランヂーとなつて|活動《くわつどう》|致《いた》します。|仮令《たとへ》|貴女《あなた》が|目的《もくてき》を|達《たつ》して|教主《けうしゆ》になられても、|私《わたし》はあなたの|麾下《きか》につくのは|真平《まつぴら》|御免《ごめん》ですよ。……|黒姫《くろひめ》もこれから|充分《じゆうぶん》|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまを|発揮《はつき》して、|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまと|御一緒《ごいつしよ》に|御活動《ごくわつどう》なされませ。|左様《さやう》なら……』
と|云《い》ひすて、|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫《たまてるひめ》の|方《かた》に|向《むか》つて|丁寧《ていねい》に|辞儀《じぎ》をなし、
|高山彦《たかやまひこ》『|英子姫《ひでこひめ》、|五十子姫《いそこひめ》、|梅子姫《うめこひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》、|其《その》|外《ほか》|御一同様《ごいちどうさま》、|御機嫌《ごきげん》よく|御神業《ごしんげふ》に|御奉仕《ごほうし》|遊《あそ》ばされん|事《こと》を|高山彦《たかやまひこ》|祈《いの》り|上《あ》げ|奉《たてまつ》ります。|御一同《ごいちどう》の|方々《かたがた》、|此《この》|高山彦《たかやまひこ》は|今日《こんにち》|限《かぎ》り|高姫《たかひめ》|様《さま》と|関係《くわんけい》を|解《と》き、|皆様《みなさま》の|前《まへ》にて|公然《こうぜん》|黒姫《くろひめ》に|暇《いとま》を|使《つか》はします。どうぞ|其《その》お|心組《つもり》で|高山彦《たかやまひこ》を|可愛《かあい》がつて|下《くだ》さいませ』
|玉治別《たまはるわけ》『それでこそ|高山彦《たかやまひこ》さまぢや。|感心《かんしん》|々々《かんしん》』
|一同《いちどう》は「|万歳《ばんざい》」と|手《て》をあげて|歓呼《くわんこ》する。|高山彦《たかやまひこ》は、
|高山彦《たかやまひこ》『|皆《みな》さま、|左様《さやう》ならば|之《これ》より|一《ひと》つ|島《じま》へ|参《まゐ》ります。|高姫《たかひめ》|殿《どの》、|黒姫《くろひめ》|殿《どの》、さらば……』
と|立出《たちい》でんとする。|黒姫《くろひめ》は|周章《あわて》て|裾《すそ》をひき|止《と》め、
|黒姫《くろひめ》『マアマア|待《ま》つて|下《くだ》さんせいな。|最前《さいぜん》からのあなたの|御言葉《おことば》、|残《のこ》らず|承知《しようち》いたしました。……とは|云《い》ふものの|情《なさけ》なや、|過《す》ぎし|逢《あ》う|夜《よ》の|睦言《むつごと》を、|身《み》にしみじみと|片時《かたとき》も、|思《おも》ひ|忘《わす》るるひまもなう、|年月《としつき》|重《かさ》ぬる|其《その》|内《うち》に、うつり|易《やす》いは|殿御《とのご》の|心《こころ》と|秋《あき》の|空《そら》、もしや|見捨《みすて》はなさらぬかと、ホンにあらゆる|天地《てんち》の|神《かみ》さまや、|竜宮《りうぐう》さまに|願《ぐわん》かけて、|案《あん》じ|暮《くら》した|甲斐《かひ》もなう、|今日《けふ》|突然《とつぜん》|離別《りべつ》とは、|余《あんま》りムゴイ|御仕打《おんしうち》、これが|如何《どう》して|泣《な》かずに|居《ゐ》られませうか、オンオン』
とあたりを|構《かま》はず、|皺《しわ》くちや|顔《がほ》に|涙《なみだ》を|夕立《ゆふだち》の|如《ごと》くたらして|泣沈《なきしづ》む。
|玉治別《たまはるわけ》『|悔《くや》んで|帰《かへ》らぬ|互《たがひ》の|縁《えん》、|中《なか》をへだつる|玉治川《たまはるがは》。……サアサア|高山彦《たかやまひこ》さま、|思《おも》ひ|切《き》りが|大切《たいせつ》だ。グヅグヅして|居《ゐ》ると、|又《また》もやシヤツつかれますよ。あとは|此《この》|玉治別《たまはるわけ》が、|全責任《ぜんせきにん》を|負《お》うて|引受《ひきう》けますから、|一切《いつさい》|構《かま》はず|勝手《かつて》にお|越《こ》し|遊《あそ》ばせ』
|高山彦《たかやまひこ》『|何分《なにぶん》|宜《よろ》しく|御頼《おたの》み|申《まを》す』
と|立出《たちい》でんとする。
|黒姫《くろひめ》『|高山《たかやま》さまも|聞《きこ》えませぬ。お|前《まへ》と|二人《ふたり》の|其《その》|仲《なか》は、|昨日《きのふ》や|今日《けふ》の|事《こと》ではありますまい。|私《わたし》をふりすてて|帰《い》のうとは、|余《あんま》り|聞《きこ》えぬ|胴慾《どうよく》ぢや。|厭《いや》なら|嫌《いや》で、|無理《むり》に|添《そ》はうとは|言《い》ひませぬ。|生田《いくた》の|川《かは》の|大水《おほみづ》を|渡《わた》つた|時《とき》の|私《わたし》の|正体《しやうたい》、よもや|忘《わす》れては|居《を》りますまいな』
|高山彦《たかやまひこ》『|一度《いちど》|還元《くわんげん》した|以上《いじやう》は|再《ふたた》び|還元《くわんげん》|出来《でき》ぬ|大蛇《をろち》の|身魂《みたま》、もう|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|日高川《ひだかがは》を|蛇体《じやたい》になつて|渡《わた》つた|清姫《きよひめ》の|様《やう》に|太平洋《たいへいやう》を|横切《よこぎ》つて、|高山彦《たかやまひこ》の|色男《いろをとこ》を|尋《たづ》ねて|来《き》なさい。|地恩《ちおん》の|郷《さと》の|大釣鐘《おほつりがね》を|千代《ちよ》の|住家《すみか》として、|高山彦《たかやまひこ》は|安逸《あんいつ》に|余生《よせい》を|送《おく》る|考《かんが》へだ。さうすれば|極【安珍】《ごくあんちん》なものだ。|何程《なにほど》お|前《まへ》が|地団駄《ぢだんだ》ふんで|【道成寺】《だうじやうじ》【かうせうじ】などといつて、|藻掻《もが》いた|所《ところ》でモウ|駄目《だめ》だよ。アハヽヽヽ』
と|大《おほ》きく|肩《かた》をゆすり|乍《なが》ら|悠々《いういう》として|出《い》でて|行《ゆ》く。|黒姫《くろひめ》は|夜叉《やしや》の|如《ごと》く、あと|追《お》つかけんと、|婆《ば》さまに|似合《にあ》はず|捩鉢巻《ねぢはちまき》をし、|裾《すそ》を|太腿《ふともも》の|上《うへ》あたりまで|引《ひき》あげて、|大股《おほまた》にドンドンとかけ|出《だ》しかけた。|玉治別《たまはるわけ》は|追《お》ひすがつて|黒姫《くろひめ》の|後《うしろ》よりムンヅと|許《ばか》り|帯《おび》をひつつかんで|力《ちから》に|任《まか》せ、グツと|引戻《ひきもど》す。|黒姫《くろひめ》は|金切声《かなきりごゑ》を|出《だ》して、
|黒姫《くろひめ》『|千危一機《せんきいつき》の|此《この》|場合《ばあひ》、どこの|何方《どなた》か|知《し》らねども、|必《かなら》ずとめて|下《くだ》さるな。|妾《わたし》にとつて|一生《いつしやう》の|一大事《いちだいじ》、アヽ|残念《ざんねん》や|口惜《くちを》しや、そこ|放《はな》しや』
と|振向《ふりむ》く|途端《とたん》に|見合《みあは》す|顔《かほ》と|顔《かほ》、
|黒姫《くろひめ》『ヤアお|前《まへ》は|意地《いぢ》くね|悪《わる》い|田吾作殿《たごさくどの》、ここは|願《ねがひ》ぢや、|放《はな》しておくれ』
|玉治別《たまはるわけ》『|意地《いぢ》くね|悪《わる》い|田吾作《たごさく》だから|放《はな》さないのだよ。|雪隠《せんち》の|水《みづ》【つき】|婆《ばば》【うき】ぢやと|人《ひと》が|笑《わら》ひますよ。まあチツと|気《き》をおちつけなされ。|高山《たかやま》さま|計《ばか》りが|男《をとこ》ぢやありますまい。|男旱魃《をとこひでり》もない|世《よ》の|中《なか》に、コラ|又《また》きつう|惚《ほれ》たものだなア』
|黒姫《くろひめ》は、
|黒姫《くろひめ》『エー|放《ほ》つといて』
と|力《ちから》|限《かぎ》りふり|放《はな》し、|群衆《ぐんしう》の|中《なか》を|無理《むり》に|押分《おしわ》け|人《ひと》を|押倒《おしたふ》し、ふみにじり|乍《なが》ら、|尻《しり》まで|出《だ》して|一生懸命《いつしやうけんめい》|高山彦《たかやまひこ》の|後《あと》を|追《お》つかけ|走《はし》り|行《ゆ》く。
(大正一一・七・二四 旧六・一 松村真澄録)
第七章 |猫《ねこ》の|恋《こひ》〔七八九〕
|玉照姫《たまてるひめ》は|紫《むらさき》の|宝珠《ほつしゆ》を|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》、お|玉《たま》の|方《かた》に|守《まも》らせ|乍《なが》ら、|我《わが》|館《やかた》に|帰《かへ》らせ|給《たま》うた。|幹部《かんぶ》を|始《はじ》め|一同《いちどう》は|更《あらた》めて|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|一先《ひとま》づ|各自《かくじ》の|宿所《しゆくしよ》に|帰《かへ》る|事《こと》となつた。
|高山彦《たかやまひこ》は|一旦《いつたん》|館《やかた》へ|立《た》ち|帰《かへ》り|旅装《りよさう》を|整《ととの》へ、アール、エースの|二人《ふたり》と|共《とも》に|早々《さうさう》|館《やかた》を|立《た》ち|出《い》でんとする|時《とき》しも、|髪《かみ》|振《ふ》り|乱《みだ》し|夜叉《やしや》の|如《ごと》くに|帰《かへ》つて|来《き》た|黒姫《くろひめ》と|門口《かどぐち》でピツタリ|出会《でつくは》した。|南無三宝《なむさんぽう》|一大事《いちだいじ》と|高山彦《たかやまひこ》は|裏口《うらぐち》より|駆出《かけだ》さんとする。|黒姫《くろひめ》は|此《この》|場《ば》に|倒《たふ》れて|癪《しやく》を|起《おこ》してフン|伸《の》びて|仕舞《しま》つた。|流石《さすが》の|高山彦《たかやまひこ》も|之《これ》を|見捨《みすて》て|逃《に》げ|出《だ》す|訳《わけ》にもゆかず、
|高山彦《たかやまひこ》『エース、|水《みづ》だ。…アール、|癪《しやく》だ』
と|呼《よ》ばはり|乍《なが》ら|介抱《かいほう》して|居《ゐ》る。
|黒姫《くろひめ》は|目《め》の|黒玉《くろたま》を|何処《どこ》かへ|隠《かく》して|仕舞《しま》ひ、|白目《しろめ》ばかりになつて「フウフウ」と|太《ふと》い|息《いき》をして|居《ゐ》る。エース、アールは|口《くち》に|水《みづ》を|含《ふく》んで|無性《むしやう》|矢鱈《やたら》に|面部《めんぶ》に|吹《ふ》き|付《つ》ける。|高山彦《たかやまひこ》は|口《くち》を|耳《みみ》にあてて|反魂歌《はんこんか》の「|一《ひと》、|二《ふた》、|三《み》、|四《よ》、|五《いつ》、|六《むゆ》、|七《なな》、|八《や》、|九《ここの》、|十《たり》、|百《もも》、|千《ち》、|万《よろづ》」を|数回《すうくわい》|繰返《くりかへ》した。|黒姫《くろひめ》は「ウン」と|呻《うめ》き|乍《なが》ら、
|黒姫《くろひめ》『ア、|何方《どなた》か|知《し》りませぬが、よう|助《たす》けて|下《くだ》さつた』
と|四辺《あたり》をキヨロキヨロ|見廻《みまは》して|居《ゐ》る。
|高山彦《たかやまひこ》『ア、|黒姫《くろひめ》、|気《き》がついたか。マアマア|之《これ》で|安心《あんしん》だ。これから|高山彦《たかやまひこ》はお|前《まへ》と|縁《えん》を|断《き》り、|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》か、|但《ただし》は|筑紫《つくし》の|島《しま》へ|玉探《たまさが》しに|行《ゆ》くから、これまでの|縁《えん》と|諦《あきら》めて|下《くだ》さい』
|黒姫《くろひめ》は|怨《うら》めしさうに、
|黒姫《くろひめ》『|高山《たかやま》さま、お|前《まへ》も|余《あんま》りだ。|妾《わたし》の|今《いま》|卒倒《そつたふ》したのもお|前《まへ》の|心《こころ》が|情無《つれな》いからだよ。|刃物《はもの》|持《も》たずの|人殺《ひとごろし》、|冥土《めいど》の|鬼《おに》にエライ|成敗《せいばい》を|受《う》けなさるのが…|妾《わたし》や…それが|悲《かな》しい。|神《かみ》の|結《むす》んだ|縁《えん》ぢやもの、|何卒《どうぞ》モ|一度《いちど》|思《おも》ひ|直《なほ》して|下《くだ》さいませ』
|高山彦《たかやまひこ》『|何《なん》と|言《い》つても|男《をとこ》の|一旦《いつたん》|口《くち》から|出《だ》した|事《こと》、|後《あと》へひく|訳《わけ》にはゆかぬ。|先《さき》は|先《さき》として|一先《ひとま》づ|此《この》|場《ば》は|離別《りべつ》を|致《いた》す。|黒姫《くろひめ》、さらば……』
と|立《た》ち|去《さ》らんとする。|黒姫《くろひめ》は|隠《かく》し|持《も》つたる|懐剣《くわいけん》、ヒラリと|引《ひ》き|抜《ぬ》き、
|黒姫《くろひめ》『|高山彦《たかやまひこ》さま、|永《なが》らくお|世話《せわ》になりました。|妾《わたし》の|恋《こひ》は|九寸五分《くすんごぶ》、|最早《もはや》|此《この》|世《よ》に|生《いき》て|望《のぞ》みなし。|妾《わたし》は|此処《ここ》で|潔《いさぎよ》く|自害《じがい》を|致《いた》し、|貴方《あなた》を|怨《うら》める|魂魄《こんぱく》|凝《こ》つて|鬼《おに》となり、|屹度《きつと》|素首《そつくび》|引《ひ》き|抜《ぬ》いて|見《み》せませう。アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|喉《のど》にピタリと|当《あ》てて|見《み》せた。
|高山彦《たかやまひこ》『|自殺《じさつ》は|罪悪中《ざいあくちう》の|罪悪《ざいあく》だ。これ|黒姫《くろひめ》さま、|何程《なにほど》|九寸五分《くすんごぶ》だつて|胸《むね》の|方《はう》では|喉《のど》は|斬《き》れませぬよ。|随分《ずゐぶん》|芝居《しばゐ》がお|上手《じやうづ》ですね。そんな|事《こと》にチヨロマカされる|高山彦《たかやまひこ》では|御座《ござ》りませぬワイ。アツハヽヽヽ』
|黒姫《くろひめ》『エー、|残念《ざんねん》や、|口惜《くちを》しい。そんなら|本当《ほんたう》に|斬《き》つて|見《み》せようか。|斬《き》ると|云《い》うたら|屹度《きつと》|斬《き》つて|見《み》せませう』
|高山彦《たかやまひこ》『|一旦《いつたん》|断《き》つた|此《この》|縁《えん》、|再《ふたた》びきられる|道理《だうり》があらうか。|最早《もはや》お|前《まへ》と|俺《わし》との|二人《ふたり》の|間《あひだ》には|何《なん》の|連鎖《れんさ》もない。|赤《あか》の|他人《たにん》も|同様《どうやう》だ。|勝手《かつて》にお|斬《き》りなさいませ』
|黒姫《くろひめ》『そりや|聞《きこ》えませぬ|高山《たかやま》さま、|天ケ下《あめがした》に|他人《たにん》と|云《い》ふ|事《こと》は|無《な》いもの……と|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》、お|前《まへ》はそれを|忘《わす》れたか。|憐《あは》れな|女《をんな》を|見殺《みごろ》しにする|御所存《ごしよぞん》か、それ|程《ほど》|情《つれ》ないお|前《まへ》ではなかつたに、|如何《いか》なる|天魔《てんま》に|魅《みい》られたか。お|前《まへ》の|言葉《ことば》は|鬼《おに》とも|蛇《じや》とも|悪人《あくにん》とも|譬方《たとへがた》なき|無情《むじやう》|惨酷《ざんこく》さ、|死《し》んでも|忘《わす》れは|致《いた》しませぬぞや』
|高山彦《たかやまひこ》『イヤ、もう|神界《しんかい》の|為《た》めには|家《いへ》を|忘《わす》れ、|身《み》を|忘《わす》れ、|妻子《さいし》を|忘《わす》れるとかや。|男子《だんし》は|戦場《せんぢやう》に|向《むか》ふ|時《とき》には|三忘《さんばう》が|肝腎《かんじん》だ。……|黒姫《くろひめ》、さらば……』
と|行《ゆ》かんとする。
|黒姫《くろひめ》『コレコレ、アール、エースの|両人《りやうにん》、|高山《たかやま》さまの|足《あし》に|確《しつか》り|喰《くら》ひついて|居《ゐ》るのだよ。|屹度《きつと》|放《はな》しちやなりませぬぞえ』
|二人《ふたり》は|高山彦《たかやまひこ》の|両足《りやうあし》に|喰《くら》ひ|付《つ》き|乍《なが》ら、
アール『アヽア、|犬《いぬ》も|喰《く》はぬ|夫婦《めをと》|喧嘩《けんくわ》の|犠牲《ぎせい》に|供《きよう》せられ、|随分《ずゐぶん》|勤《つと》め|奉公《ぼうこう》も|辛《つら》いものだなア』
|高山彦《たかやまひこ》『こりやこりや、アール、エースの|両人《りやうにん》、|早《はや》く|放《はな》さぬか』
|黒姫《くろひめ》『|決《けつ》して|放《はな》しちやなりませぬぞ。コレコレ|高山《たかやま》さま、|男《をとこ》は|閾《しきゐ》を|跨《また》げるや|否《いな》や|七人《しちにん》の|敵《てき》があると|云《い》ふ|事《こと》を|知《し》つて|居《ゐ》ますか』
|高山彦《たかやまひこ》『アハヽヽヽ、イヤもう|御親切《ごしんせつ》な|御注意《ごちうい》、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|誠《まこと》|一《ひと》つの|心《こころ》で|居《を》れば、|世界《せかい》は|敵《てき》の|影《かげ》を|見《み》たいと|言《い》つても|見《み》る|事《こと》は|出来《でき》ない。|山河草木《さんかさうもく》、|人類《じんるゐ》|鳥獣《てうじう》|魚鼈《ぎよべつ》に|至《いた》る|迄《まで》、|皆《みな》|我々《われわれ》の|味方《みかた》ばかりだ。|人《ひと》を|見《み》たら|泥坊《どろばう》と|思《おも》へ|等《など》と|云《い》ふ|猜疑心《さいぎしん》に|駆《か》られて|居《ゐ》る|人間《にんげん》の|目《め》には、|何《なに》も|彼《か》も|敵《てき》に|見《み》えるだらうが、|我々《われわれ》は|神様《かみさま》にお|任《まか》せした|以上《いじやう》|一人《ひとり》の|敵《てき》も|無《な》い。お|前《まへ》に|添《そ》うて|居《を》れば|此《この》|世《よ》の|中《なか》で|敵《てき》を|作《つく》るばかりだから……|何卒《どうぞ》|心配《しんぱい》して|下《くだ》さるな。お|前《まへ》もこれから|改心《かいしん》をして、|世間《せけん》の|人《ひと》に|可愛《かあい》がられて|呉《く》れ。それが|高山彦《たかやまひこ》の|別《わか》れに|臨《のぞ》みお|前《まへ》に|与《あた》ふる|大切《たいせつ》な|餞別《みやげ》だ。|高姫《たかひめ》さまにも|何卒《どうぞ》よく|言《い》うて|置《お》いて|下《くだ》さい。|必《かなら》ず|必《かなら》ず|執着心《しふちやくしん》を|出《だ》してはなりませぬぞ。|今日《けふ》から|心《こころ》を|改《あらた》めて|本当《ほんたう》の|生《うま》れ|赤子《あかご》になり、|仮《かり》にも|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|等《など》と|大《だい》それた|事《こと》を|言《い》はない|様《やう》にしなさい。|左様《さやう》なれば|是《これ》にて……|黒姫《くろひめ》さま、お|暇《いとま》|致《いた》します』
|黒姫《くろひめ》『|高山《たかやま》さま、そりや|貴方《あなた》、|本性《ほんしやう》で|仰有《おつしや》るのか。|芝居《しばゐ》ぢやありますまいなア』
|高山彦《たかやまひこ》『|本性《ほんしやう》で|無《な》うて|何《なん》とせう。|夫婦《ふうふ》の|道《みち》は|人倫《じんりん》の|大本《たいほん》だ。それを|別《わか》れようと|言《い》ふ|高山彦《たかやまひこ》の|胸《むね》の|裏《うち》、|些《ちつ》とは|推量《すゐりやう》して|呉《く》れ。……さあアール、エース、これから|行《ゆ》かう。……|黒姫《くろひめ》さま、これにて|暫《しばら》くお|別《わか》れ|致《いた》します』
と|慌《あわただ》しく|駆出《かけいだ》す。
|斯《か》かる|処《ところ》へ|走《はし》つて|来《き》た|玉治別《たまはるわけ》、
|玉治別《たまはるわけ》『ヤア、|高山《たかやま》さま、|愈《いよいよ》|御出《おい》でですか』
|高山彦《たかやまひこ》『ハイ、|何分《なにぶん》|宜《よろ》しう|願《ねが》ひますよ』
|黒姫《くろひめ》『|何《なん》と|言《い》つても|放《はな》しはせぬ』
と|獅噛《しが》みつく。|高山彦《たかやまひこ》は「エー|面倒《めんだう》」と|当身《あてみ》を|一《ひと》つ|喰《く》はすや|否《いな》や、|黒姫《くろひめ》は「ウン」と|其《その》|場《ば》に|大《だい》の|字《じ》に|倒《たふ》れて|仕舞《しま》つた。
|玉治別《たまはるわけ》『|何《なん》と|高山《たかやま》さま、|乱暴《らんばう》な|事《こと》を|致《いた》しますな』
|高山彦《たかやまひこ》『|斯《か》うして|置《お》かねば|仕方《しかた》が|無《な》いから……|此《この》|間《ま》に|私《わたし》は|身《み》を|隠《かく》すから、|後《あと》は|頼《たの》みますよ。|斯《か》うして|此処《ここ》を|拇指《おやゆび》でグツと|押《お》して|貰《もら》へば|息《いき》を|吹《ふ》き|返《かへ》す……|玉治別《たまはるわけ》さま、|此処《ここ》だよ。|何卒《どうぞ》|二十分《にじふぶん》ばかり|待《ま》つとつて|下《くだ》さい』
|玉治別《たまはるわけ》『|承知《しようち》|致《いた》しました』
「|左様《さやう》ならば」と|高山彦《たかやまひこ》は|二人《ふたり》を|伴《ともな》ひ、|足早《あしばや》に|何《いづ》れへか|姿《すがた》を|隠《かく》した。|玉治別《たまはるわけ》は|時期《じき》を|見計《みはか》らひ|高山彦《たかやまひこ》に|教《をそ》はつた|局《つぼ》を|拇指《おやゆび》に|力《ちから》を|入《い》れてグツと|押《お》した。「ウン」と|息《いき》|吹《ふ》き|返《かへ》した|黒姫《くろひめ》は|四方《あたり》をキヨロキヨロ|見廻《みまは》し、
|黒姫《くろひめ》『アヽ|残念《ざんねん》や、|到頭《たうとう》|逃《に》げられたか。エー|仕方《しかた》がない。……お|前《まへ》は|玉治別《たまはるわけ》さま、ようマア|助《たす》けて|下《くだ》さつた』
|玉治別《たまはるわけ》『|高山彦《たかやまひこ》の|奴《やつ》、|怪《け》しからぬ|乱暴《らんばう》な|男《をとこ》だ。|永《なが》らく|添《そ》うて|来《き》た|女房《にようばう》に|当身《あてみ》を|喰《く》はして|息《いき》を|止《と》め、|筑紫《つくし》の|島《しま》へ|逃《に》げて|行《ゆ》くとは|不届《ふとど》き|千万《せんばん》な|者《もの》だ。お|前《まへ》さまも|是《これ》で|目《め》が|醒《さ》めただらう。|虎《とら》、|狼《おほかみ》と|一緒《いつしよ》に|寝《ね》る|様《やう》なものだ。|私《わし》もお|前《まへ》さまを|活《い》かさうと|思《おも》つて、|何程《なにほど》|骨《ほね》を|折《を》つたか|分《わか》りませぬ。|到頭《たうとう》|局《つぼ》が|分《わか》つて|活《くわつ》を|入《い》れた|時《とき》、|貴女《あなた》がもの|言《い》うたのも|皆《みな》|神《かみ》さまのお|蔭《かげ》、アヽ|勿体《もつたい》ない。|是《これ》から|一切《いつさい》の|執着《しふちやく》を|捨《す》てて|大神《おほかみ》さまに|感謝《かんしや》|祈願《きぐわん》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》しませう』
「ハイ、|有難《ありがた》う」と|黒姫《くろひめ》は|玉治別《たまはるわけ》と|相並《あひなら》び、|拍手《はくしゆ》の|声《こゑ》も|淑《しと》やかに|錦《にしき》の|宮《みや》の|方面《はうめん》に|向《むか》つて|感謝《かんしや》|祈願《きぐわん》の|言葉《ことば》を|奏《そう》した。
|因《ちなみ》に|言《い》ふ、|錦《にしき》の|宮《みや》の|神司《かむづかさ》は|従前《じゆうぜん》の|通《とほ》り|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫《たまてるひめ》の|二人《ふたり》|相並《あひなら》ばれて|御神業《ごしんげふ》に|奉仕《ほうし》され、|英子姫《ひでこひめ》|選《えら》ばれて|言依別命《ことよりわけのみこと》の|不在中《ふざいちう》|教主《けうしゆ》の|役《やく》を|勤《つと》めらるる|事《こと》となつた。そして|東助《とうすけ》は|教主《けうしゆ》|代理《だいり》|兼《けん》|総務《そうむ》となつて|聖地《せいち》に|仕《つか》へた。
|高山彦《たかやまひこ》、|秋彦《あきひこ》、テールス|姫《ひめ》、|夏彦《なつひこ》、|佐田彦《さだひこ》、お|玉《たま》の|方《かた》は|聖地《せいち》にあつて|幹部《かんぶ》の|位置《ゐち》を|占《し》め|神業《しんげふ》に|従事《じゆうじ》しつつあつた。|玉能姫《たまのひめ》は|生田《いくた》の|森《もり》の|館《やかた》に|帰《かへ》りて|駒彦《こまひこ》と|共《とも》に|神業《しんげふ》に|従事《じゆうじ》する|事《こと》となつた。|又《また》|言依別命《ことよりわけのみこと》は|国依別《くによりわけ》と|共《とも》に|南米《なんべい》、|高砂島《たかさごじま》に|渡《わた》り、|鷹依姫《たかよりひめ》、|竜国別《たつくにわけ》の|行衛《ゆくゑ》を|探《たづ》ね、|旁《かたがた》|宣伝《せんでん》の|為《た》めに|出張《しゆつちやう》さるる|事《こと》となつた。
|高姫《たかひめ》は|言依別命《ことよりわけのみこと》の|後《あと》を|追《お》ひ|四個《よんこ》の|玉《たま》を|取《と》り|返《かへ》さんと、|春彦《はるひこ》、|常彦《つねひこ》の|二人《ふたり》を|引《ひ》き|率《つ》れ、|高砂島《たかさごじま》に|行《ゆ》く|事《こと》となつた。|杢助《もくすけ》は|初稚姫《はつわかひめ》、|玉治別《たまはるわけ》、|五十子姫《いそこひめ》、|亀彦《かめひこ》、|音彦《おとひこ》、|黄竜姫《わうりようひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》|其《その》|他《た》を|率《ひき》ゐ、|波斯《フサ》の|国《くに》のウブスナ|山脈《さんみやく》|斎苑《いそ》の|館《やかた》を|指《さ》して|行《ゆ》く|事《こと》となつた。|梅子姫《うめこひめ》はコーカス|山《ざん》に|二三《にさん》の|供者《ともびと》を|従《したが》へ|途々《みちみち》|宣伝《せんでん》をし|乍《なが》ら|登《のぼ》らせ|給《たま》ふ。|黒姫《くろひめ》は|高山彦《たかやまひこ》が|竜宮島《りうぐうじま》|又《また》は|筑紫《つくし》の|島《しま》に|逃《に》げ|去《さ》りしと|聞《き》き、|一方《いつぱう》は|玉《たま》の|詮議《せんぎ》を|兼《か》ねて|夫《をつと》の|行衛《ゆくゑ》を|捜査《さうさ》すべく|聖地《せいち》を|後《あと》に、|三人《みたり》の|供者《ともびと》を|従《したが》へ|出発《しゆつぱつ》する|事《こと》となつた。
(大正一一・七・二四 旧六・一 北村隆光録)
第三篇 |神仙霊境《しんせんれいきやう》
第八章 |琉《りう》と|球《きう》〔七九〇〕
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》や |国武彦《くにたけひこ》の|神言《みこと》もて
|三五教《あななひけう》の|大教主《だいけうしゆ》 |言依別《ことよりわけ》の|神司《かむづかさ》
|千万無量《せんまんむりやう》の|神界《しんかい》の |深《ふか》き|使命《しめい》を|蒙《かかぶ》りて
ワザとに|玉《たま》を|交換《かうくわん》し |其《その》|責任《せきにん》を|一身《いつしん》に
|負《お》ひて|聖地《せいち》を|出奔《しゆつぽん》し |国依別《くによりわけ》を|伴《ともな》ひて
|紅葉《もみぢ》も|照《て》れる|秋《あき》の|空《そら》 |暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|長宮《ながみや》の
|峠《たうげ》を|渡《わた》り|谷《たに》を|越《こ》え |杉《すぎ》の|木立《こだち》にまぎれつつ
|南《みなみ》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く |丹波《たんば》|篠山《ささやま》|後《あと》に|見《み》て
|高春山《たかはるやま》を|伏拝《ふしをが》み |池田《いけだ》|伊丹《いたみ》も|束《つか》の|間《ま》に
|漸《やうや》く|明石《あかし》に|着《つ》きにけり |漁師《れうし》の|家《いへ》に|立寄《たちよ》りて
|船《ふね》を|一隻《いつさう》|買《か》ひ|求《もと》め |国依別《くによりわけ》と|両人《りやうにん》が
|艪櫂《ろかい》を|操《あやつ》り|悠々《いういう》と |波《なみ》|静《しづ》かなる|瀬戸《せと》の|海《うみ》
|暗夜《やみよ》を|幸《さいは》ひ|高砂《たかさご》の |沖《おき》に|浮《うか》べる|一《ひと》つ|島《じま》
|金剛不壊《こんがうふえ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》 |紫色《むらさきいろ》の|宝玉《はうぎよく》の
|堅磐常磐《かきはときは》に|埋《うづ》めたる |松《まつ》の|根元《ねもと》に|立寄《たちよ》りて
|暗祈黙祷《あんきもくたう》やや|暫《しば》し |空中《くうちう》|俄《にはか》に|明《あか》くなり
|瞬《またた》く|間《うち》に|三柱《みはしら》の |小《ちい》さき|女神《めがみ》|現《あら》はれて
|声《こゑ》|厳《おごそ》かに|詔《の》らすよう |汝《なんぢ》|言依別神《ことよりわけのかみ》
|先《さき》に|埋《うづ》めし|宝玉《ほうぎよく》は |我等《われら》|三柱《みはしら》|朝宵《あさよひ》に
|守《まも》りゐませば|此《この》|島《しま》に |心《こころ》を|配《くば》らせ|玉《たま》ふなく
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|海原《うなばら》を |神《かみ》の|恵《めぐみ》に|潔《いさぎよ》く
|進《すす》みてテルの|港《みなと》まで |出立《いでた》ち|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御仕組《おんしぐみ》 |後《のち》|程《ほど》|思《おも》ひ|知《し》られなむ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませと
|言《い》ふかと|見《み》れば|忽《たちま》ちに |姿《すがた》は|消《き》えて|白煙《しらけむり》
|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》に|靉靆《たなび》きぬ |忽《たちま》ち|空中《くうちう》|音楽《おんがく》|聞《きこ》え
|四辺《しへん》|芳香《はうかう》に|包《つつ》まれて |譬方《たとへがた》なき|爽快《さうくわい》さ
|言依別《ことよりわけ》は|三柱《みはしら》の |瑞《みづ》の|女神《めがみ》を|拝礼《はいれい》し
|国依別《くによりわけ》と|諸共《もろとも》に |乗《の》り|来《こ》し|船《ふね》に|身《み》を|托《たく》し
|魚鱗《ぎよりん》の|波《なみ》の|漂《ただよ》へる |大海原《おほうなばら》を|悠々《いういう》と
|波《なみ》のまにまに|漕《こ》ぎ|渡《わた》る あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませと |和田津御神《わだつみかみ》に|太祝詞《ふとのりと》
|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|宣《の》りつつも |荒《すさ》ぶる|波《なみ》を|分《わ》けて|行《ゆ》く
いつしか|瀬戸《せと》の|荒海《あらうみ》を |乗《の》り|越《こ》え|進《すす》む|馬《うま》の|関《せき》
|戸島《とじま》|男島《をじま》に|春《はる》の|島《しま》 |清島《きよしま》|越《こ》えて|琉球《りうきう》の
|那覇《なは》の|港《みなと》に|到着《たうちやく》し |海辺《うみべ》に|船《ふね》を|繋《つな》ぎおき
|神《かみ》のまにまに|進《すす》み|行《ゆ》く。
|此《この》|島《しま》は|琉球一《りうきういち》の|広大《くわうだい》なる|浮島《うきしま》である。|現代《げんだい》は|其《その》|時代《じだい》に|比《くら》ぶれば|殆《ほとん》ど|海中《かいちう》に|陥没《かんぼつ》して|其《その》|面積《めんせき》|殆《ほとん》ど|十分《じふぶん》の|一《いち》しか|残《のこ》つて|居《ゐ》ないが、|此《この》|時代《じだい》は|随分《ずゐぶん》|広大《くわうだい》な|島《しま》であつた。|二人《ふたり》は|何《なん》ともなしに、|此処《ここ》に|神業《しんげふ》の|秘《ひそ》まれあるかの|如《ごと》く|感《かん》じ、|茫々《ばうばう》たる|荒原《くわうげん》を、|足《あし》に|任《まか》せて|進《すす》み|行《ゆ》く。
|日《ひ》は|漸《やうや》く|西山《せいざん》に|傾《かたむ》いて、ハーリス|山《ざん》の|頂《いただき》のみ|日光《につくわう》が|少《すこ》しく|輝《かがや》いて|居《ゐ》る。
|国依別《くによりわけ》『|教主様《けうしゆさま》、|何《なん》だか|此《この》|島《しま》を|歩《ある》きますと、|足《あし》の|裏《うら》がボヤボヤする|様《やう》ですなア。|何《なん》でも|此処《ここ》には|不思議《ふしぎ》な|玉《たま》があると|云《い》ふ|事《こと》を|故老《こらう》から|承《うけたま》はつて|居《を》りましたが、|布哇《ハワイ》へさして|行《ゆ》く|考《かんが》へだつたのが、|知《し》らず|識《し》らずにこんな|方《はう》へやつて|来《き》ましたのは、|何《なに》かの|御都合《ごつがふ》でせうかなア』
|言依別《ことよりわけ》『|確《たし》かに|此《この》|島《しま》に|御用《ごよう》があるのだ。|余《あま》り|大《おほ》きな|声《こゑ》では|云《い》はれないが、|此処《ここ》には|琉《りう》の|玉《たま》と|球《きう》の|玉《たま》とが|永遠《ゑいゑん》に|隠《かく》されてある。それで|琉球《りうきう》といふのだ。|竜《りう》の|腮《あぎと》の|球《たま》と|云《い》ふのは|此《この》|島《しま》にあるのだ。|此《この》|玉《たま》を|二個《にこ》|共《とも》うまく|手《て》に|入《い》れて、|高砂島《たかさごじま》へ|渡《わた》らなくては|本当《ほんたう》の|神業《しんげふ》は|出来《でき》ないのだよ』
|国依別《くによりわけ》『ヘー、それは|大変《たいへん》ですな。|果《はた》して|左様《さやう》な|物《もの》が|手《て》に|入《い》るでせうか。さうして|其《その》|玉《たま》の|在場所《ありばしよ》はお|分《わか》りですか』
|言依別《ことよりわけ》『|大抵《たいてい》|分《わか》つて|居《ゐ》る。|国武彦大神《くにたけひこのおほかみ》|様《さま》より|命令《めいれい》を|受《う》けて|居《ゐ》るのだ。|琉《りう》の|玉《たま》は|潮満《しほみつ》の|玉《たま》、|球《きう》の|方《はう》は|潮干《しほひる》の|玉《たま》だ。|各《おのおの》|一個《いつこ》づつ|之《これ》を|携《たづさ》へて|世界《せかい》を|巡《めぐ》れば、|如何《いか》なる|悪魔《あくま》と|雖《いへど》も、|忽《たちま》ち|畏服《ゐふく》すると|云《い》ふ|神器《しんき》である。あの|山《やま》の|頂《いただ》きを|見《み》よ。|太陽《たいやう》は|既《すで》に|西天《せいてん》に|没《ぼつ》し、|最早《もはや》|黄昏《たそがれ》の|帳《とばり》は|刻々《こくこく》に|厚《あつ》く|下《お》ろされて|来《き》たにも|拘《かか》はらず、あそこ|計《ばか》りは|昼《ひる》の|如《ごと》く|輝《かがや》いて|居《ゐ》るではないか』
|国依別《くによりわけ》『|成程《なるほど》、さう|承《うけたま》はればさうですなア。どうしてあこ|計《ばか》り|光《ひか》るのでせう。|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまが、|先《さき》へ|廻《まは》つて|我々《われわれ》に|此処《ここ》だとお|知《し》らせ|下《くだ》さるのでせうか』
|言依別《ことよりわけ》『マアそんなものだらうよ。|余程《よほど》|日《ひ》も|暮《く》れたなり、|体《からだ》も|疲《つか》れて|来《き》たから、|此《この》|辺《へん》で|一夜《ひとよさ》|宿《やど》を|取《と》り、|明朝《みやうてう》|更《あらた》めて|登《のぼ》る|事《こと》に|致《いた》さう』
と|幾丈《いくぢやう》とも|知《し》れぬ|太《ふと》き|幹《みき》の、|槻《つき》の|木《き》の|下《した》に、スタスタと|進《すす》み|行《ゆ》く。|国依別《くによりわけ》も|無言《むごん》の|儘《まま》|従《つ》いて|行《ゆ》く。|見《み》れば|槻《つき》の|根元《ねもと》には|縦《たて》|五尺《ごしやく》|横《よこ》|三尺《さんじやく》|許《ばか》りの|洞《うろ》が|開《あ》いて|居《ゐ》る。|余《あま》りの|老木《らうぼく》にて|皮《かは》ばかりになり、|中《なか》へ|入《はい》り|見《み》れば|全部《ぜんぶ》|洞穴《ほらあな》になつて|居《ゐ》て、|所々《ところどころ》に|草《くさ》で|編《あ》んだ|蓆《むしろ》などが|散乱《さんらん》して|居《ゐ》る。|此《この》|木《き》の|洞《うろ》は|殆《ほとん》ど|五十坪《ごじつつぼ》|許《ばか》りもあつた。|益々《ますます》|奥《おく》へ|奥《おく》へと|進《すす》めば|美《うる》はしき|草《くさ》の|莚《むしろ》、|香《かを》りゆかしく|布《し》きつめてある。|二人《ふたり》はそこに、|草鞋《わらぢ》をぬぎすて|横《よこ》たはり|見《み》れば、ガサガサと|音《おと》がする|程《ほど》、よく|乾《かわ》いた|莚《むしろ》であつた。
|国依別《くによりわけ》『|随分《ずゐぶん》|大《おほ》きな|樹木《じゆもく》ですなア。|併《しか》し|乍《なが》らこれ|丈《だけ》|綺麗《きれい》に|蓆《むしろ》が|布《し》きつめてある|以上《いじやう》は、|何者《なにもの》かが|此処《ここ》に|住《す》まつて|居《ゐ》るのでせう。|暗《くら》がりのこととて、ハツキリ|分《わか》りませぬが、どうやら|此処《ここ》は|人間《にんげん》の|住家《すみか》ではなからうかと|思《おも》はれます』
|言依別《ことよりわけ》『|此処《ここ》は|琉球王《りうきうわう》の|隠《かく》れ|場所《ばしよ》だ。|今日《けふ》は|都合《つがふ》に|依《よ》りて|数多《あまた》の|家来《けらい》を|引《ひき》つれ|外出《ぐわいしゆつ》をして|居《ゐ》るのだが、|今晩《こんばん》の|夜中《よなか》|頃《ごろ》になれば|屹度《きつと》|帰《かへ》つて|来《く》るから、|余《あま》り|驚《おどろ》かない|様《やう》にして|呉《く》れ。|決《けつ》して|我々《われわれ》の|為《ため》に|悪《わる》い|者《もの》ではないから』
|国依別《くによりわけ》『へーさうですか。そんな|事《こと》を|如何《どう》して|貴方《あなた》は|御存《ごぞん》じですか』
|言依別《ことよりわけ》『|何事《なにごと》も|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫命《たまてるひめのみこと》を|通《つう》じて、|国武彦神《くにたけひこのかみ》|様《さま》より|御知《おし》らせになつてゐるのだ。|大変《たいへん》に|面白《おもしろ》い|事《こと》が|出《で》て|来《く》るよ。サア|是《これ》から|揃《そろ》うて|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|宣伝歌《せんでんか》でも|唱《とな》へて|寝《しん》に|就《つ》く|事《こと》にしよう』
|国依別《くによりわけ》『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|何《なん》とはなしに|気分《きぶん》のよい|所《ところ》ですなア』
と|言《い》ひ|乍《なが》らゴロンと|横《よこ》になる。|二人《ふたり》は|白川夜舟《しらかはよふね》を|漕《こ》ぎつつ、|忽《たちま》ち|華胥《くわしよ》の|国《くに》に|遊楽《いうらく》する|身《み》となつた。
|丑満刻《うしみつこく》と|思《おも》はるる|頃《ころ》、|国依別《くによりわけ》はフト|目《め》を|醒《さ》ませば、|入口《いりぐち》の|外面《ぐわいめん》に|当《あた》りて|騒《さわ》がしき|声《ごゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》た。
|国依別《くによりわけ》『モシモシ|言依別《ことよりわけ》|様《さま》、|大変《たいへん》な|足音《あしおと》が|致《いた》しました。サアどうぞ|起《お》きて|下《くだ》さいませ』
|言依別《ことよりわけ》は|熟睡《じゆくすゐ》せしと|見《み》え、
|言依別《ことよりわけ》『|国依別《くによりわけ》、|喧《やかま》しく|言《い》はずに|早《はや》く|寝《ね》ぬか。ムニヤ ムニヤ ムニヤ ムニヤ、ウンウンウン』
とクレンと|寝返《ねがへ》りし|又《また》グウグウと|雷《らい》の|様《やう》な|鼾《いびき》をかき|始《はじ》めた。|足音《あしおと》は|刻々《こくこく》に|近付《ちかづ》いて|来《く》る。|国依別《くによりわけ》は|慌《あわ》てて|入口《いりぐち》に|只《ただ》|一人《ひとり》|佇《たたず》み、|外面《そと》を|眺《なが》め|入《い》つた。|無数《むすう》の|明《あか》りは|木《こ》の|間《ま》を|縫《ぬ》うて|瞬《またた》き|乍《なが》ら|人声《ひとごゑ》ワイワイと|騒《さわ》がしく、|此方《こなた》に|向《むか》つて|近寄《ちかよ》り|来《きた》るのであつた。
|国依別《くによりわけ》『ハハー、|此奴《こいつ》ア|余程《よほど》|沢山《たくさん》な|人数《にんず》と|見《み》えるワイ。こりや|斯《こ》うしては|居《を》られないぞ。|一《ひと》つ|何《なん》とか|工夫《くふう》を|致《いた》さねばなるまい』
と|入口《いりぐち》に|立《た》つた|儘《まま》、|腕《うで》を|組《く》み|首《かうべ》を|傾《かたむ》けて|考《かんが》へ|込《こ》んで|居《ゐ》る。
(大正一一・七・二四 旧六・一 松村真澄録)
第九章 |女神託宣《めがみのたくせん》〔七九一〕
|国依別《くによりわけ》は|空洞《くうどう》の|入口《いりぐち》に|立《た》ち、|刻々《こくこく》に|近《ちか》より|来《きた》る|人影《ひとかげ》、|篝火《かがりび》の|光《ひかり》を|眺《なが》めて|独語《ひとりごと》、
|国依別《くによりわけ》『あの|仰々《ぎやうぎやう》しい|松明《たいまつ》の|光《ひか》り、|数多《あまた》の|人《ひと》の|足音《あしおと》、|唯事《ただごと》ではあるまい。|万一《まんいち》|猛悪《まうあく》なる|土人《どじん》の|襲来《しふらい》せし|者《もの》とすれば、|到底《たうてい》|我々《われわれ》|一人《ひとり》や|二人《ふたり》、|如何《いか》に|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》を|応用《おうよう》すればとて、|容易《ようい》に|降服《かうふく》|致《いた》すまい。|権謀術数《けんぼうじゆつすう》は|神《かみ》の|許《ゆる》し|玉《たま》はざる|所《ところ》なれ|共《ども》、|爰《ここ》は|一《ひと》つ|言依別《ことよりわけ》|様《さま》の|御睡眠《おやすみ》を|幸《さいは》ひ|茶目式《ちやめしき》を|発揮《はつき》して、|裏手《うらて》を|用《もち》ひ、|寄《よ》せ|来《く》る|数万《すうまん》の|連中《れんちう》をアツと|驚《おどろ》かせ、|荒肝《あらぎも》を|取《と》りて|置《お》かねばなるまい。オヽさうぢや さうぢや』
と|諾《うなづ》き|乍《なが》ら|入口《いりぐち》の|暗《くら》がりに、ボンヤリと|浮《う》いた|様《やう》に|立《た》つて|居《ゐ》る。|最早《もはや》|間近《まぢか》くなつて|来《き》た。|暗《くら》がりにも|確《たしか》に|男女《なんによ》の|区別《くべつ》|位《くらゐ》はつく|様《やう》になつた。|先頭《せんとう》に|立《た》つた|人《ひと》の|姿《すがた》を|見《み》れば、|確《たしか》に|白髪《はくはつ》の|老人《らうじん》らしい。|国依別《くによりわけ》は|突然《とつぜん》|洞穴内《どうけつない》より|虎《とら》|狼《おほかみ》の|吼《ほ》えたける|如《ごと》き|唸《うな》り|声《ごゑ》を|立《た》て、|力《ちから》|限《かぎ》り、
『ウーツ』
と|唸《うな》つてみた。|其《その》|声《こゑ》は|洞穴内《どうけつない》に|反響《はんきやう》して|一層《いつそう》|巨声《きよせい》になつた。|外《そと》の|男《をとこ》|二三人《にさんにん》|小声《こごゑ》で、
|男《をとこ》『ヤアこりや|大変《たいへん》だぞ。|我々《われわれ》がハーリス|山《ざん》へ|竜神《りうじん》|征服《せいふく》の|為《ため》に|行《い》つて|居《を》つた|不在中《るすちう》に、|何《なん》だか|怪《あや》しい|虎《とら》|狼《おほかみ》か|或《あるひ》は|竜神《りうじん》の|片割《かたわ》れか、|先廻《さきまは》りして|我々《われわれ》の|天然《てんねん》ホテルを|占領《せんりやう》しやがつたと|見《み》える。コリヤうつかり|這入《はい》らうものなら|大変《たいへん》だぞ。オイどうだ。|数歌《かずうた》を|唱《とな》へて|征服《せいふく》して|見《み》ようぢやないか』
|国依別《くによりわけ》はさとくも|其《その》|囁《ささやき》の|一端《いつたん》を|耳《みみ》に|挟《はさ》み、
|国依別《くによりわけ》『ヤア|面白《おもしろ》い、|虎《とら》|狼《おほかみ》か|竜神《りうじん》の|片割《かたわ》れだらうと|云《い》つて|居《を》るな。ヨシ|此方《こつち》にも|覚悟《かくご》がある』
と|独語《ひとりごち》し|乍《なが》ら、|満身《まんしん》の|息《いき》をこめて、|反対《はんたい》にこちらから「|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》」と|含《ふく》んだ|様《やう》な|声《こゑ》でワザと|呶鳴《どな》つて|見《み》せた。|此《この》|声《こゑ》と|共《とも》に|今迄《いままで》|木《こ》の|間《ま》に|瞬《またた》いてゐた|松明《たいまつ》は|言《い》ひ|合《あ》はした|様《やう》にパツタリと|消《き》えて、|洞穴《どうけつ》の|内外《ないぐわい》は|真《しん》の|暗《やみ》となつて|了《しま》つた。|寄《よ》せ|手《て》は|驚《おどろ》いて、|魔神《まがみ》に|自分《じぶん》|等《ら》の|所在《ありか》を|探《さぐ》られない|為《ため》と|火《ひ》を|消《け》したのであつた。|外《そと》からは|流暢《りうちやう》な|声《こゑ》で|天《あま》の|数歌《かずうた》が|聞《きこ》えて|来《き》た。|一同《いちどう》はそれに|合《あは》して、|森林《しんりん》の|木谺《こだま》に|響《ひび》く|声《こゑ》、|天《てん》にも|届《とど》く|許《ばか》り|思《おも》はれた。|大勢《おほぜい》の|中《なか》より|一人《ひとり》の|男《をとこ》|稍《やや》|近《ちか》くに|進《すす》み|来《きた》り、|大麻《おほぬさ》を|左右左《さいうさ》に|打振《うちふ》り|乍《なが》ら、
|男《をとこ》『ヤア|我々《われわれ》の|不在中《ふざいちう》を|狙《ねら》つて|住《す》み|込《こ》む|奴《やつ》は|大蛇《をろち》か、|曲鬼《まがおに》か、|或《あるひ》は|猛獣《まうじう》か、|言語《げんご》の|通《つう》ずるものならば、|速《すみや》かに|返答《へんたふ》|致《いた》せ。それとも|畜生《ちくしやう》ならば、|一刻《いつこく》も|早《はや》く|此処《ここ》を|退散《たいさん》|致《いた》せ。|若《も》し|神様《かみさま》ならば|御名《みな》を|名乗《なの》らせ|玉《たま》へ』
|国依別《くによりわけ》は|何《なん》だか|其《その》|言葉《ことば》に|馴染《なじみ》のある|様《やう》な|気分《きぶん》がした。|併《しか》し|乍《なが》ら|此《この》|琉球《りうきう》の|離《はな》れ|島《じま》に|我々《われわれ》の|知人《ちじん》が|来《き》て|居《を》るべき|筈《はず》もない。あの|声《こゑ》は|確《たしか》に|男子《だんし》であつた。さうして|何《なん》となく|言霊《ことたま》が|冴《さ》えて|居《ゐ》た。こりや|決《けつ》して|案《あん》ずるには|及《およ》ぶまい。|機先《きせん》を|制《せい》するは|今《いま》の|此《この》|時《とき》だ……と|心《こころ》に|思《おも》ひ|乍《なが》ら、|暗《くら》がりを|幸《さいは》ひ、
|国依別《くによりわけ》『アール、シヤイト、チーチヤーバンド、ジヤンジヤヘール、サーチライト、パツクス、エール、シーエー、ピツク、ホース』
と|云《い》つた。
|外《そと》の|男《をとこ》『ヤア|此奴《こいつ》ア|南洋《なんやう》の|土人《どじん》が|漂着《へうちやく》して|来《き》よつたのだなア。|天《あま》の|数歌《かずうた》まがひの|事《こと》を|言《い》つて|居《ゐ》やがつたぞ。|大方《おほかた》ジヤンナの|郷《さと》の|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》が、|此《この》|島《しま》に|漂着《へうちやく》して|此《この》|洞穴《どうけつ》を|見付《みつ》け|出《だ》し、|這入《はい》つて|居《ゐ》やがるのだらう。|困《こま》つた|奴《やつ》が|来《き》たものだ。|土人《どじん》の|言葉《ことば》はこちらでは|分《わか》らないし、|如何《どう》|云《い》つてやらうかなア』
|国依別《くによりわけ》『|此《この》|方《はう》はハーリス|山《ざん》に、|遠《とほ》き|神代《かみよ》の|昔《むかし》より|住居《すまゐ》|致《いた》す|大竜神《だいりうじん》であるぞよ。|此《この》|度《たび》|神勅《しんちよく》に|依《よ》つて|高天原《たかあまはら》より|言依別命《ことよりわけのみこと》、|其《その》|玉《たま》を|受取《うけと》りにお|越《こ》し|遊《あそ》ばされたるを|以《もつ》て、|今迄《いままで》|大切《たいせつ》に|保存《ほぞん》して|居《ゐ》た|琉《りう》、|球《きう》の|二《ふた》つの|玉《たま》も、|已《や》むを|得《え》ず|御渡《おわた》し|致《いた》さねばならぬ|事《こと》になつて|来《き》た。|神勅《しんちよく》はもだし|難《がた》し、|執着心《しふちやくしん》を|去《さ》つてスツパリと|渡《わた》し|切《き》る|考《かんが》へだ。|此《この》|二《ふた》つの|玉《たま》の|琉球《りうきう》を|去《さ》るや|否《いな》や、|如何《いか》なる|事《こと》が|出来《しゆつたい》|致《いた》すも|分《わか》りはせぬぞ。|其《その》|方《はう》は|我《われ》を|是《これ》より|誠《まこと》の|神《かみ》と|尊敬《そんけい》|致《いた》し、|此《この》|洞穴《どうけつ》の|中《なか》を|我《わが》|居宅《きよたく》に|献《たてまつ》り、|山海《さんかい》の|珍味《ちんみ》を|以《もつ》て|供養《くやう》せば、|地異天変《ちいてんぺん》の|災害《さいがい》を|免《まぬが》れしめ、|汝等《なんぢら》|一同《いちどう》をして|安《やす》く|楽《たの》しく|長寿《ちやうじゆ》を|与《あた》へ、|天国《てんごく》の|喜《よろこ》びを|永久《とこしへ》に|保《たも》たしめむ。|返答《へんたふ》|如何《いか》に』
と|声《こゑ》まで|十七八《じふしちはち》|位《くらゐ》の|女《をんな》になつた|気《き》で、|若々《わかわか》しげに|述《の》べ|立《た》てた。|外《そと》の|男《をとこ》の|一人《ひとり》、|稍《やや》|前《まへ》に|進《すす》み|寄《よ》り、
|外《そと》の|男《をとこ》『|早速《さつそく》のあなたの|御承諾《ごしようだく》、|若彦《わかひこ》|身《み》にとりて、|有難《ありがた》き|仕合《しあは》せに|存《ぞん》じます。|先日《せんじつ》より|一日《いちにち》も|欠《か》かさず、ハーリス|山《ざん》に|駆上《かけのぼ》り、|言霊《ことたま》を|手向《たむ》け|候《さふらう》|処《ところ》、|竜《たつ》の|腮《あぎと》の|琉《りう》と|球《きう》、|容易《ようい》に|御渡《おわた》し|下《くだ》さる|形跡《けいせき》も|見《み》えず、|実《じつ》の|所《ところ》は、|心中《しんちう》|稍《やや》|不安《ふあん》の|念《ねん》に|駆《か》られて|居《を》りました。|其《その》お|言葉《ことば》を|聞《き》くからは、これなる|土人《どじん》に|命《めい》じ、あらゆる|珍《めづら》しき|果物《くだもの》を|持《も》たせお|供《そな》へ|致《いた》します。どうか|今迄《いままで》の|様《やう》に|時々《ときどき》|暴風雨《ばうふうう》を|起《おこ》し、|人民《じんみん》を|苦《くるし》むるなどの|暴行《ばうかう》は|是《こ》れ|限《かぎ》り|御止《おとど》め|下《くだ》さいまする|様《やう》に、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|若彦《わかひこ》、|慎《つつし》んで|御願《おねが》ひ|致《いた》します』
|国依別《くによりわけ》、|中《なか》より、
|国依別《くによりわけ》『|言《い》ふにや|及《およ》ぶ。|我《われ》こそは|国依《くにより》……オツト|違《ちが》うた、|国《くに》【より】も|我《わが》|身《み》が|大事《だいじ》と、|今迄《いままで》は|執着心《しふちやくしん》にかられ、|琉《りう》、|球《きう》の|二《ふた》つの|玉《たま》を|私有物《しいうぶつ》として|楽《たの》しんでゐた。さうして|此《この》|玉《たま》を|以《もつ》て、|風雨雷霆《ふううらいてい》を|駆使《くし》し、|種々雑多《しゆじゆざつた》の|乱暴《らんばう》を|致《いた》したが、|今日《こんにち》|限《かぎ》り|根本《こんぽん》より|悔《く》い|改《あらた》めて|若彦《わかひこ》の|言葉《ことば》に|従《したが》ふ|程《ほど》に、|必《かなら》ず|必《かなら》ず|心配《しんぱい》|致《いた》すな。サア|早《はや》く|芳醇《はうじゆん》なる|酒《さけ》を|献《けん》じ、|林檎《りんご》、バナナ、|竜眼肉《りうがんにく》を|我《わが》|前《まへ》に|献上《けんじやう》|致《いた》せ。|随分《ずゐぶん》|空腹《くうふく》に|悩《なや》んで|居《ゐ》るぞよ。|言依別神《ことよりわけのかみ》|様《さま》やがて|日《ひ》を|移《うつ》さず|此処《ここ》に|御越《おこ》しあらん。|大勢《おほぜい》ここに|集《あつ》まるも|無益《むえき》なれば、|大半《たいはん》は|浜辺《はまべ》に|到《いた》つて|言依別《ことよりわけ》|様《さま》|御到着《ごたうちやく》の|御出迎《おでむか》への|準備《じゆんび》をいたすがよからうぞ。|其《その》|時《とき》には|三五教《あななひけう》の|大宣伝使《だいせんでんし》|国依別《くによりわけ》お|供《とも》に|仕《つか》へ|居《を》る|筈《はず》なれば、|待遇《たいぐう》に|区別《くべつ》をつけず、|極《ごく》|鄭重《ていちよう》にもてなしを|致《いた》せよ。ハーリス|山《ざん》の|竜神《りうじん》、|汝等《なんぢら》|一統《いつとう》に|気《き》をつけるぞよ。|若彦《わかひこ》、|及《およ》び|其《その》|前《まへ》に|立《た》つ|白髪《はくはつ》の|老人《らうじん》にも|申《まを》しわたす|仔細《しさい》あらば|此処《ここ》に|居《ゐ》よ。|其《その》|他《た》の|住民《ぢうみん》|共《ども》は|浜辺《はまべ》へさして|一刻《いつこく》も|早《はや》く|御迎《おむか》へに|参《まゐ》り、|万事《ばんじ》|落度《おちど》なく|心《こころ》を|配《くば》り|気《き》を|配《くば》れよ。ウーン』
と|唸《うな》り|止《や》んだ。
|若彦《わかひこ》『|委細《ゐさい》|承知《しようち》|仕《つかまつ》りました。……モシ|常楠様《つねくすさま》、あなた|何卒《どうぞ》、|大勢《おほぜい》の|連中《れんちう》に|此《この》|由《よし》を|御伝《おつた》へ|下《くだ》さいまして、|言依別《ことよりわけ》|様《さま》の|御到着《ごたうちやく》の|待受《まちうけ》|準備《じゆんび》にかかるべく|御命令《ごめいれい》|下《くだ》さいませ』
|常楠《つねくす》『ハイ|承知《しようち》|致《いた》しました。|併《しか》し|乍《なが》ら|嘘《うそ》ではありますまいかな。どうも|我々《われわれ》の|考《かんが》へでは|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》は、|此《この》|洞穴内《どうけつない》に|安々《やすやす》と|御休《おやす》みなされてるような|心持《こころもち》が|致《いた》します。そして|此《この》|竜神《りうじん》の|化身《けしん》|女神様《めがみさま》は、|私《わたし》の|心《こころ》のひがみか|存《ぞん》じませぬが、|国依別《くによりわけ》|様《さま》のように|思《おも》はれてなりませぬ。|悪戯好《いたづらずき》の|国依別《くによりわけ》の|宣伝使《せんでんし》の|事《こと》とて、ワザとに|女神《めがみ》の|声色《こわいろ》を|使《つか》つて|居《を》られるのでは|御座《ござ》いますまいか。|数多《あまた》の|土人《どじん》を|引《ひき》つれ|浜辺《はまべ》へ|参《まゐ》り、|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》|今《いま》か|今《いま》かと|待呆《まちぼう》けに|遭《あ》はせ、あとでアフンとさして|大笑《おほわら》ひをしようと|云《い》ふ|企《たく》みだなからうかと|思《おも》はれます。そんな|手《て》に|乗《の》るものなら|折角《せつかく》|我々《われわれ》を|神《かみ》と|信《しん》じてる|土人《どじん》の|信用《しんよう》はサツパリ|地《ち》におち、|却《かへつ》て|我等《われら》の|身辺《しんぺん》に|危険《きけん》の|及《およ》ぶやも|計《はか》り|知《し》れませぬ。コリヤうかうかと|聞《き》く|訳《わけ》には|行《ゆ》けますまいぞ』
|国依別《くによりわけ》|洞穴内《どうけつない》より、|一層《いつそう》やさしき|女《をんな》の|作《つく》り|声《ごゑ》で|甲高《かんだか》に、
|国依別《くによりわけ》『|来《く》るか|来《く》るかと|浜《はま》へ|出《で》て|見《み》れば |浜《はま》の|松風《まつかぜ》|音《おと》ばかり
|待《ま》ちに|待《ま》つたる|国《くに》さまは |遠《とほ》の|昔《むかし》に|此《この》|島《しま》に
|上《あが》つて|御座《ござ》るを|知《し》らないか ホンニ|盲《めくら》は|仕様《しやう》がない
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|追々《おひおひ》|鍍金《めつき》がはげて、|知《し》らぬ|間《ま》に|自分《じぶん》の|地声《ぢごゑ》になつて|居《ゐ》たのに|気《き》がついた。
『ヤア|是《こ》りや|失策《しま》つた』
と|思《おも》ひ|乍《なが》ら、|又《また》|声《こゑ》を|改《あらた》めて、
|国依別《くによりわけ》『|我《われ》こそは|琉《りう》と|球《きう》との|玉《たま》を|守護《しゆご》|致《いた》す|国依別《くによりわけ》の|姫神《ひめがみ》であるぞよ。|国依別《くによりわけ》とはタマで|代物《しろもの》が|違《ちが》ふぞよ。|国依別《くによりわけ》が|例《たと》へば|黄金《わうごん》なれば、|此《この》|方《はう》は|銅《あかがね》|位《くらゐ》なものであるぞよ。|今迄《いままで》の|国依別《くによりわけ》は、|実《じつ》に|困《こま》つた|奴《やつ》であつたなれども、|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》|現《あら》はれて|此《この》|頃《ごろ》は、|立派《りつぱ》な|立派《りつぱ》な|言依別命《ことよりわけのみこと》の|片腕《かたうで》にお|成《な》り|遊《あそ》ばして|御座《ござ》るぞよ。|其《その》|方《はう》は|紀州《きしう》の|辺鄙《へんぴ》に|永《なが》らく|蟄居《ちつきよ》|致《いた》して|居《を》つた|故《ゆゑ》、|知《し》らぬは|無理《むり》なき|事《こと》であるぞよ。|今《いま》に|国依別命《くによりわけのみこと》|参《まゐ》りなば|鄭重《ていちよう》にいたし、|琉《りう》、|球《きう》|二《ふた》つの|玉《たま》を|汝等《なんぢら》|手《て》に|入《い》れなば、|一《いつ》は|言依別命《ことよりわけのみこと》に|献《けん》じ、|一《いつ》は|国依別命《くによりわけのみこと》に|献《けん》ぜよ。これ|国依姫命《くによりひめのみこと》の|御心《みこころ》であるぞよ。ゆめゆめ|疑《うたが》ふこと|勿《なか》れ』
|若彦《わかひこ》『ハイ|承知《しようち》|致《いた》しました。|誰《たれ》の|御手《おて》に|渡《わた》しまするも|天下《てんか》を|救《すく》ふ|宝玉《ほうぎよく》ならば、|結構《けつこう》で|御座《ござ》います。|三五教《あななひけう》の|物《もの》とならば|之《これ》に|越《こ》したる|喜《よろこ》びは|御座《ござ》いませぬ』
|常楠《つねくす》|小声《こごゑ》で、
|常楠《つねくす》『モシ|若彦《わかひこ》さま、どう|思《おも》うても|私《わたくし》は|腑《ふ》に|落《お》ちませぬ。……コレコレ|女神《めがみ》と|称《しよう》する|国依別《くによりわけ》さま、|良《い》い|加減《かげん》に|茶目式《ちやめしき》を|発揮《はつき》しておいたらどうだい。そんな|事《こと》ア|若彦《わかひこ》さまなれば、|一時《いちじ》|誤魔化《ごまくわ》しが|利《き》くだらうが、|何《なに》もかも|世《よ》の|中《なか》の|辛酸《しんさん》を|嘗《な》めつくした|此《この》|常楠《つねくす》の|前《まへ》には|通用《つうよう》|致《いた》しませぬぞよ』
|国依別《くによりわけ》『|真偽《しんぎ》の|判断《はんだん》は|其《その》|方《はう》に|任《まか》す。|我《われ》に|従《したが》ひ|遠慮《ゑんりよ》は|要《い》らぬ。|汝等《なんぢら》|両人《りやうにん》|奥《おく》の|間《ま》に|進《すす》み|来《きた》れ』
と|先《さき》に|立《た》つて|暗《くら》がりを|進《すす》んで|行《ゆ》く。
|国依別《くによりわけ》『|待《ま》てよ、|前《まへ》へ|無茶苦茶《むちやくちや》に|進《すす》むと|云《い》うと、|壁際《かべぎは》に|頭《あたま》を|打《う》ち、|言依別《ことよりわけ》|様《さま》のお|眠《やす》みの|上《うへ》を|踏《ふ》みなどしたら|大変《たいへん》だ。コリヤ|一《ひと》つ|松明《たいまつ》をつけさしてやらうかな』
と|小声《こごゑ》で|囁《ささや》き|乍《なが》ら、
|国依別《くによりわけ》『ヤア|若彦《わかひこ》、|松明《たいまつ》をつけよ。|暗《くら》くて|少《すこ》しも|見《み》えぬでないか』
|若彦《わかひこ》『|私《わたくし》はここへ|参《まゐ》つてから|余程《よほど》|慣《な》れましたから、|松明《たいまつ》がなくても|大抵《たいてい》|分《わか》つて|居《ゐ》ます。あなたは|神様《かみさま》なれば|夜《よる》|目《め》が|見《み》えさうなものですなア……|神《かみ》は|無遠近《むゑんきん》、|無大小《むだいせう》、|無明暗《むめいあん》、|無広狭《むくわうけふ》、|一《いつ》も|見《み》ざるなしと|云《い》ふではありませぬか』
|国依別《くによりわけ》ヒヤリとし|乍《なが》ら、|尚《なほ》も|荘重《さうちよう》な|口調《くてう》にて、
|国依別《くによりわけ》『|若彦《わかひこ》、|馬鹿《ばか》を|申《まを》せ。|暗《くら》がりの|目《め》の|見《み》える|者《もの》は|畜生《ちくしやう》であるぞよ。|人間《にんげん》は|暗《くら》がりに|目《め》の|見《み》えぬのは|神《かみ》の|分霊《ぶんれい》たる|証拠《しようこ》であるぞよ。すべて|高等《かうとう》|動物《どうぶつ》になる|程《ほど》、|夜分《やぶん》に|目《め》が|見《み》えないものだ。それだから|最高級《さいかうきふ》にある|神《かみ》は|目《め》が|見《み》えぬが|道理《だうり》だらうがな。それだから|人民《じんみん》が|神《かみ》に|灯明《とうみやう》を|献《けん》ずると|云《い》ふ|事《こと》を|知《し》らないか』
|常楠《つねくす》|吹《ふ》き|出《だ》して、
『オホヽヽヽ』
|国依別《くによりわけ》『アイヤ|常楠《つねくす》とやら、|神《かみ》の|言葉《ことば》が|何故《なぜ》それ|程《ほど》|可笑《をか》しいか』
|常楠《つねくす》『あなたは|余程《よほど》|鈍《どん》な|神様《かみさま》と|見《み》えますな。|道路神《だうろくじん》とかいつて、|盲神様《めくらがみさま》があると|云《い》ふ|事《こと》だ。|大方《おほかた》お|前《まへ》さまは|道路神《だうろくじん》か|道楽神《だうらくじん》だらう。|宗彦《むねひこ》、お|勝《かつ》の|昔《むかし》を|思《おも》ひ|出《だ》しになつたら、さぞ|今日《こんにち》は|感慨無量《かんがいむりやう》で|御座《ござ》いませうナ』
|国依別《くによりわけ》『|何《なん》でも|宜《よろ》しい。|炬火《たいまつ》をつけて|下《くだ》さらぬか。|実《じつ》は|御察《おさつ》しの|通《とほ》り|国依別《くによりわけ》ですよ。アハヽヽヽ』
|常楠《つねくす》『オホヽヽヽ』
|若彦《わかひこ》『なんだ、|又《また》いかれたか。エー|仕方《しかた》がない。よく|化《ば》ける|男《をとこ》だな。そんなら|炬火《たいまつ》をつけて|上《あ》げませうかい』
と|懐《ふところ》より|燧石《ひうち》をとり|出《だ》し「カチカチ」とやつて|居《ゐ》る。|言依別《ことよりわけ》は|二三人《にさんにん》の|人声《ひとごゑ》|何《なに》かザワザワ|聞《きこ》えるのに|目《め》をさまし、|耳《みみ》をすまして|聞《き》いて|居《を》れば、|国依別《くによりわけ》とか|常楠《つねくす》とか|若彦《わかひこ》とかの|声《こゑ》がきこえて|来《き》た。
『ハテなア』
と|無言《むごん》のまま|考《かんが》へ|込《こ》んで|居《ゐ》る。どうしたものか|火《ひ》は|打《う》つても|打《う》つても|火口《ほくち》につかぬ。
|若彦《わかひこ》『アヽ|今日《けふ》は|盲《めくら》の|神《かみ》さまの|守護《しゆご》と|見《み》えて、|暗《くら》がりの|御守護《ごしゆご》らしい。|何程《なんぼ》|打《う》つても|火《ひ》は|出《で》ませぬワ。……ナア|常楠《つねくす》さま|如何《どう》しませう』
|常楠《つねくす》『エー|仕方《しかた》がない。そんなら|暗《くら》がりで|休《やす》みませうかい。……|時《とき》に|国依別《くによりわけ》さま、|言依別《ことよりわけ》の|教主様《けうしゆさま》はここに|居《を》られるのだらうな。ウカウカ|歩《ある》くとお|眠《やす》みになつて|居《を》る|所《ところ》を|踏《ふ》みでもしたら|大変《たいへん》だから、|在否《ざいひ》を|言《い》つて|下《くだ》さいな』
|国依別《くによりわけ》『お|前《まへ》さまの|最前《さいぜん》|仰《あふ》せられた|通《とほ》り、|盲神《めくらがみ》の|国依別《くによりわけ》、まして|此《この》|暗夜《あんや》、|言依別《ことよりわけ》|様《さま》の|在否《ざいひ》が|見《み》えて|堪《たま》りますか。アハヽヽヽ』
|言依別命《ことよりわけのみこと》は|声《こゑ》を|掛《か》け、
|言依別《ことよりわけ》『イヤ|国依別《くによりわけ》、|何《なん》とかして|火《ひ》をつけて|呉《く》れないか。|常楠《つねくす》、|若彦《わかひこ》の|両人《りやうにん》が|見《み》えて|居《ゐ》るであらう』
|国依別《くによりわけ》『ハイ、|確《たしか》にお|見《み》えになりませぬ。あなたでさへも|見《み》えぬ|位《くらゐ》ですから……』
|言依別《ことよりわけ》『|暗《くら》がりで|見《み》えるか|見《み》えぬかと|云《い》つたのだない。|来《き》て|居《を》られるか|居《を》られぬかと|言《い》ふのだ』
|国依別《くによりわけ》『|来《き》て|居《を》られますが、サツパリ|見《み》えて|居《を》られませぬ。アハヽヽヽ』
かくする|所《ところ》へ|入口《いりぐち》よりチヤール、ベースと|云《い》ふ|二人《ふたり》の|男《をとこ》、|松明《たいまつ》をかがやかし|乍《なが》ら|這入《はい》つて|来《き》た。
チヤール、ベース|両人《りやうにん》|腰《こし》を|届《かが》めて、
|両人《りやうにん》『|嘸《さぞ》|御不自由《ごふじゆう》で|御座《ござ》いましたでせう。つい【うつかり】|致《いた》してをりました。|松明《たいまつ》をここに|灯《とも》しておきますから……|私《わたくし》は|入口《いりぐち》に|立番《たちばん》を|致《いた》しますから、|御用《ごよう》があらば|直《すぐ》に|手《て》を|御拍《おう》ち|下《くだ》さいませ』
|国依別《くによりわけ》『ハーリス|山《ざん》の|竜神《りうじん》、|国依姫命《くによりひめのみこと》、チヤール、ベースの|両人《りやうにん》、よくも|気《き》を|利《き》かしよつた。|神《かみ》|満足《まんぞく》に|思《おも》ふぞよ』
|両人《りやうにん》『ハー、|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます』
と|恐《おそ》る|恐《おそ》る、|坑外《かうない》に|出《で》て|行《ゆ》く。|坑内《かうない》は|二《ふた》つの|松明《たいまつ》にて|昼《ひる》の|如《ごと》く|明《あか》くなつた。|所々《ところどころ》に|節穴《ふしあな》の|窓《まど》が|開《あ》いて|居《ゐ》た。|煙《けぶり》は|其《その》|穴《あな》より|逸出《いつしゆつ》すると|見《み》えて、|少《すこ》しも、けむたさを|感《かん》じなかつた。
|言依別命《ことよりわけのみこと》は|起《お》き|上《あが》り、|行儀《ぎやうぎ》よく|菅莚《すがむしろ》の|上《うへ》に|端坐《たんざ》し、|常楠《つねくす》、|若彦《わかひこ》の|顔《かほ》を|見《み》て、『ヤア』と|言《い》つた。
|若彦《わかひこ》『これはこれは|教主様《けうしゆさま》、よくも|御入来《おいで》|下《くだ》さいました』
と|早《はや》くも|嬉《うれ》し|涙《なみだ》にくれて|居《ゐ》る。
|言依別《ことよりわけ》『|若彦《わかひこ》|殿《どの》、|御苦労《ごくらう》で|御座《ござ》つた。|此《この》|老人《らうじん》は|噂《うはさ》の|高《たか》い|秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》の|縁類《えんるゐ》なる|常楠翁《つねくすをう》かなア』
|若彦《わかひこ》『ハイ|左様《さやう》で|御座《ござ》います』
|常楠《つねくす》『|教主様《けうしゆさま》、|一度《いちど》|御伺《おうかが》ひを|致《いた》したく|存《ぞん》じて|居《を》りましたが、|遠方《ゑんぱう》の|事《こと》と|云《い》ひ、|老人《としより》の|事《こと》とて|山道《やまみち》を|歩《あゆ》むのが|辛労《おつくう》になり、つい|御無沙汰《ごぶさた》|致《いた》して|居《を》りました。|伜《せがれ》|共《ども》が|篤《あつ》き|御世話《おせわ》に|預《あづか》りまして、|有難《ありがた》う|御礼《おれい》|申《まを》し|上《あ》げます。|今度《こんど》は|私《わたくし》も|千騎一騎《せんきいつき》の|最後《さいご》の|活動《くわつどう》と|思《おも》ひ、|神恩《しんおん》の|万分一《まんぶいち》に|報《はう》ぜむと、|若彦《わかひこ》|様《さま》のお|伴《とも》をなし、|先日《せんじつ》より|此《この》|島《しま》へ|参《まゐ》り、ハーリス|山《ざん》の|竜神《りうじん》に|向《むか》つて、|言霊戦《ことたません》を|開始《かいし》して|居《を》ります。|其《その》|御蔭《おかげ》で|毎日《まいにち》|毎晩《まいばん》|吹《ふ》き|荒《すさ》ぶ|暴風《ばうふう》も|凪《な》ぎわたり、それが|為《ため》|土人《どじん》は|我々《われわれ》|二人《ふたり》を|大変《たいへん》に|神《かみ》の|如《ごと》く|尊敬《そんけい》いたして|居《を》ります。どこへ|行《い》つても|日輪《にちりん》さまの|御光《おひかり》は|照《て》らせ|給《たま》ふ|如《ごと》く、|大神様《おほかみさま》の|御神徳《ごしんとく》の|満遍《まんべん》なく|行《ゆ》きわたつて|居《ゐ》らせられるには|感謝《かんしや》の|至《いた》りにたへませぬ。|何分《なにぶん》|耄碌爺《まうろくおやぢ》の|私《わたくし》、どうぞ|御見捨《おみすて》なく|御用命《ごようめい》あらん|事《こと》を|懇願《こんぐわん》|仕《つかまつ》ります』
と|言《い》ひ|終《をは》つて、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》を|袖《そで》に|拭《ぬぐ》ふ。
|言依別《ことよりわけ》『|神様《かみさま》の|御示《おしめ》し|通《どほ》り、これで|愈《いよいよ》|四魂《しこん》|揃《そろ》ひました。|玉照彦《たまてるひこ》|様《さま》、|玉照姫《たまてるひめ》|様《さま》の|御神力《ごしんりき》は|今更《いまさら》|乍《なが》ら|恐《おそ》れ|入《い》る|外《ほか》はありませぬ。いよいよ|願望《ぐわんもう》|成就《じやうじゆ》して、|琉《りう》、|球《きう》の|宝玉《ほうぎよく》|手《て》に|入《い》るは|目《ま》のあたりでせう』
|常楠《つねくす》『|最早《もはや》|九分九厘《くぶくりん》まで、|竜神《りうじん》は|帰順《きじゆん》して|居《を》ります。モウ|一《ひと》つ|執着心《しふちやくしん》さへ|取《と》れれば|渡《わた》して|呉《く》れるでせう。|我々《われわれ》は|若彦《わかひこ》さまと|共《とも》に|能《あた》ふ|限《かぎ》りの|最善《さいぜん》のベストを|尽《つく》して|来《き》ましたがモウ|此《この》|上《うへ》は|教主様《けうしゆさま》の|御力《おちから》を|借《か》りるより|仕方《しかた》がありませぬ』
|若彦《わかひこ》『|如何《いか》に|神様《かみさま》の|御仕組《おしぐみ》だと|云《い》つても、かような|所《ところ》で|教主様《けうしゆさま》にお|目《め》にかかるとは、|今《いま》の|今迄《いままで》、|神《かみ》ならぬ|身《み》の|存《ぞん》じて|居《を》りませなんだ。アヽ|人間《にんげん》は|脆《もろ》いもので|御座《ござ》いますワイ。|現《げん》に|目《め》の|前《まへ》に|居《を》る|国依別《くによりわけ》さまにさへ|瞞《だま》された|位《くらゐ》で|御座《ござ》いますから』
|国依別《くによりわけ》『クツクツクツ、ウツプーツ』
と|吹《ふ》き|出《だ》して|居《を》る。
|言依別《ことよりわけ》『|国依別《くによりわけ》さま、|此《この》|島《しま》へ|来《き》た|以上《いじやう》は|余程《よほど》|謹厳《きんげん》の|態度《たいど》を|持《も》つて|居《ゐ》て|貰《もら》はぬと、|中々《なかなか》|強敵《きやうてき》ですから、|茶目式《ちやめしき》|所《どころ》ぢやありませぬぞ』
|国依別《くによりわけ》『|左様《さやう》で|御座《ござ》います。|斯様《かやう》な|所《ところ》で|茶目坊《ちやめばう》をやつても、サツパリ|茶目《ちやめ》ですから、|只今《ただいま》|限《かぎ》り|左様《さやう》なことは|茶目《ちやめ》に|致《いた》しますから、どうぞ|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな』
|言依別《ことよりわけ》『|仕方《しかた》のない|面白《おもしろ》い|男《をとこ》だなア』
|若彦《わかひこ》、|肩《かた》をゆすり|乍《なが》ら、|可笑《をか》しさをこらへて、
『キユーキユー』
と|言《い》つて|居《ゐ》る。|常楠《つねくす》は|何《なに》が|可笑《をか》しい、|若《わか》い|奴《やつ》と|云《い》ふ|者《もの》は、|箸《はし》のこけたのでも|可笑《をか》しがるものだ……と|云《い》ふ|様《やう》な|態度《たいど》で|真面目《まじめ》くさつて|控《ひか》へて|居《ゐ》た。|漸《やうや》くにして|夜《よ》は|明《あ》け|放《はな》れた。|言依別命《ことよりわけのみこと》は|三人《さんにん》の|外《ほか》にチヤール、ベース|外《ほか》|四五人《しごにん》の|土人《どじん》を|引率《ひきぐ》し、ハーリス|山《ざん》の|谷道《たにみち》を|若彦《わかひこ》の|案内《あんない》にて|進《すす》む|事《こと》となつた。
(大正一一・七・二五 旧六・二 松村真澄録)
第一〇章 |太平柿《たいへいがき》〔七九二〕
|紀州《きしう》|熊野《くまの》の|片畔《かたほとり》 |天地《てんち》の|神《かみ》の|御教《みをしへ》を
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|宣《の》べ|伝《つた》ふ |三五教《あななひけう》の|若彦《わかひこ》が
|常楠爺《つねくすぢい》さまと|諸共《もろとも》に |熊野《くまの》の|滝《たき》に|参詣《まゐまう》で
|御禊祓《みそぎはらひ》の|最中《さいちう》に |現《あら》はれ|出《い》でし|姫神《ひめがみ》は
|心《こころ》の|花《はな》の|開《ひら》くなる |蓮華《はちす》の|山《やま》の|守《まも》り|神《がみ》
|木花姫《このはなひめ》の|忽然《こつぜん》と |滝《たき》の|畔《ほとり》に|現《あ》れまして
|言葉《ことば》|静《しづ》かに|宣《の》らすやう |汝《なんぢ》は|是《これ》により|常楠《つねくす》と
|旅装《りよさう》を|整《ととの》へ|船《ふね》に|乗《の》り |熊野《くまの》の|浦《うら》を|立《た》ち|出《い》でて
|浪間《なみま》に|浮《うか》ぶ|宝島《たからじま》 |琉《りう》と|球《きう》との|瑞宝《ずゐはう》の
いや|永久《とこしえ》に|納《をさ》まれる |聖地《せいち》に|到《いた》りてハーリスの
|山《やま》に|棲《す》まへる|荒神《あらがみ》を |言向《ことむ》け|和《やは》し|竜神《りうじん》の
|腮《あぎと》の|珠《たま》を|受《う》け|取《と》りて |三五教《あななひけう》の|神司《かむづかさ》
|玉照彦《たまてるひこ》や|玉照姫《たまてるひめ》の |貴《うづ》の|御前《みまへ》に|奉《たてまつ》れ
|高天原《たかあまはら》の|聖地《せいち》より |言依別《ことよりわけ》を|始《はじ》めとし
|国依別《くによりわけ》の|宣伝使《せんでんし》 |後《あと》より|来《きた》り|給《たま》ふべし
|汝《なんぢ》はそれに|先《さき》だちて |此《この》|神島《かみじま》に|到着《たうちやく》し
ハーリス|山《ざん》の|深谷《しんこく》に |棲《す》む|竜神《りうじん》を|言霊《ことたま》の
|神《かみ》の|息吹《ゐぶき》に|言向《ことむ》けよ |木花姫《このはなひめ》は|汝《なれ》が|身《み》の
|前《まへ》に|後《うしろ》につき|添《そ》ひて |必《かなら》ず|功績《いさを》を|建《た》てさせむ
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|進《すす》めよと |言葉《ことば》|終《をは》ると|諸共《もろとも》に
|早《は》や|御姿《みすがた》は|消《き》え|給《たま》ひ |後《あと》に|芳香《はうかう》|馥郁《ふくいく》と
|四辺《あたり》に|薫《かを》る|床《ゆか》しさよ |幽玄《いうげん》|閑雅《かんが》の|音楽《おんがく》は
|梢《こずゑ》を|渡《わた》る|科戸辺《しなどべ》の |風《かぜ》に|相和《あひわ》し|面白《おもしろ》く
|耳《みみ》も|若《わか》やぐ|若彦《わかひこ》が |常楠《つねくす》|伴《ともな》ひ|天《てん》を|覆《おほ》ふ
|樟《くす》の|老木《らうぼく》|生茂《おひしげ》る |熊野《くまの》の|森《もり》を|後《あと》にして
|神《かみ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みつ |浪《なみ》のまにまに|出《い》で|来《きた》り
ハーリス|山《ざん》の|麓《ふもと》なる |槻《つき》の|大樹《だいじゆ》の|洞穴《どうけつ》を
|暫時《しばし》の|住家《すみか》と|定《さだ》めつつ |日日《ひにち》|毎日《まいにち》|竜神《りうじん》を
|言向《ことむ》け|和《やは》す|其《その》|為《ため》に |数多《あまた》の|土人《どじん》に|侍《かしづ》かれ
|嶮《けは》しき|山坂《やまさか》|昇降《しようかう》し |心《こころ》の|限《かぎ》り|真心《まごころ》を
|尽《つく》して|神業《しんげふ》に|仕《つか》へける |今日《けふ》は|殊更《ことさら》|竜神《りうじん》の
|出現《しゆつげん》|遅《おそ》く|暇《ひま》どりて |槻《つき》の|大木《おほき》の|仮宅《かりたく》に
|帰《かへ》りし|頃《ころ》は|夜半《よはん》|頃《ごろ》 |数多《あまた》の|篝火《かがりび》かがやかし
|我《わ》が|洞穴《ほらあな》に|近《ちか》づきて |外《そと》より|中《なか》を|眺《なが》むれば
|虎《とら》|狼《おほかみ》か|鬼《おに》か|蛇《じや》か はた|竜神《りうじん》の|化身《けしん》にや
|異様《いやう》の|物影《ものかげ》|忽《たちま》ちに |嘯《うそぶ》く|声《こゑ》はウーウーと
|四辺《あたり》に|響《ひび》く|大音《だいおん》に |若彦《わかひこ》|胆《きも》を|潰《つぶ》しつつ
|小声《こごゑ》になりて|数歌《かずうた》を |唱《とな》へ|終《をは》れば|中《なか》よりも
|声調《せいてう》|揃《そろ》はぬ|怪声《くわいせい》に |一《ひと》|二《ふた》|三《み》つ|四《よ》つ|五《いつ》つ|六《む》つ
|七《なな》|八《や》つ|九《ここの》つ|十《とう》たらり |百《もも》|千《ち》|万《よろづ》と|応酬《おうしう》する
|若彦《わかひこ》|大地《だいち》に|平《ひ》れ|伏《ふ》して |轟《とどろ》く|胸《むね》を|押《おさ》へつつ
|虎《とら》|狼《おほかみ》か|鬼《おに》か|蛇《じや》か |但《ただし》は|誠《まこと》の|神様《かみさま》か
|名乗《なの》らせ|給《たま》へと|呼《よば》はれば |国依別《くによりわけ》は|声《こゑ》を|変《か》へ
ハーリス|山《ざん》の|竜神《りうじん》が |琉《りう》と|球《きう》との|宝玉《ほうぎよく》を
|言依別《ことよりわけ》や|国依別《くによりわけ》の |神《かみ》の|司《つかさ》に|授《さづ》くなり
|夢々《ゆめゆめ》|疑《うたが》ふ|事《こと》なかれ |是《これ》を|聞《き》いたる|若彦《わかひこ》は
|正直《しやうぢき》|一途《いちづ》の|性質《うまれつき》 |誠《まこと》の|神《かみ》と|喜《よろこ》んで
|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|暮《く》れて|居《ゐ》る |常楠爺《つねくすぢ》さまは|怪《あや》しんで
|心《こころ》の|僻《ひが》みか|知《し》らねども |竜《りう》の|化身《けしん》の|姫神《ひめがみ》と
|思《おも》へぬ|節《ふし》がやつとある |言依別神《ことよりわけのかみ》|様《さま》や
|国依別《くによりわけ》の|宣伝使《せんでんし》 |此《この》|洞穴《どうけつ》に|入《い》りまして
|息《いき》を|休《やす》ませ|給《たま》ふらん |此《この》|姫神《ひめがみ》は|正《まさ》しくも
|三五教《あななひけう》の|国依別《くによりわけ》の |神《かみ》の|司《つかさ》が|茶目式《ちやめしき》を
|発揮《はつき》したるに|相違《さうゐ》なし これこれ|国依別《くによりわけ》さまよ
|早《はや》く|正体《しやうたい》|現《あら》はせと |云《い》ふ|間《ま》もあらず|国依別《くによりわけ》は
|察知《さつち》の|言葉《ことば》に|耐《たま》りかね |思《おも》はず|吹《ふ》き|出《だ》す|笑《わら》ひ|声《ごゑ》
|忽《たちま》ち|化《ばけ》は|現《あら》はれて |茲《ここ》に|三人《さんにん》|暗黒《あんこく》の
|洞穴内《どうけつない》に|押《お》し|入《い》つて |闇《やみ》に|彷徨《さまよ》ひ|燧石《ひうちいし》
カチカチ|打《う》てど|何故《なにゆゑ》か |今日《けふ》に|限《かぎ》つて|火《ひ》は|出《い》でぬ
|三人《さんにん》|闇《やみ》に|包《つつ》まれて |盲《めくら》の|神《かみ》の|垣《かき》|覗《のぞ》き
|四辺《あたり》を|探《さぐ》る|折柄《をりから》に |松明《たいまつ》|持《も》つて|両人《りやうにん》が
|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|入《い》り|来《きた》り |其処《そこ》に|明火《かがりび》を|立《た》て|置《お》いて
|忽《たちま》ち|表《おもて》へ|駆《か》け|出《いだ》す |言依別《ことよりわけ》は|起上《おきあが》り
|三人《みたり》の|姿《すがた》を|透《すか》し|見《み》て |不意《ふい》の|邂逅《かいこう》|祝《しゆく》しつつ
|久方《ひさかた》|振《ぶ》りに|四方山《よもやま》の |話《はなし》と|共《とも》に|夜《よ》は|明《あ》けぬ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |尊《たふと》き|神《かみ》の|引《ひ》き|合《あは》せ
|四魂《しこん》|揃《そろ》うて|神人《かみびと》は |旭《あさひ》の|光《ひかり》を|浴《あ》びながら
|四五《しご》の|土人《どじん》を|従《したが》へて |棕櫚《しゆろ》や|花櫚《くわりん》の|生《を》ひ|茂《しげ》る
|林《はやし》の|中《なか》を|掻《か》い|潜《くぐ》り |土《つち》|柔《やはら》かくぼかぼかと
|足《あし》を|没《ぼつ》する|山麓《さんろく》の |小径《こみち》を|踏占《ふみし》め|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
|冬《ふゆ》とは|云《い》へど|雪《ゆき》も|無《な》ければ|霜《しも》も|降《ふ》らぬ、|自転倒島《おのころじま》の|夏《なつ》の|如《ごと》き|陽気《やうき》に、|汗《あせ》を|垂《た》らしながら|脛《すね》を|没《ぼつ》する|灰《はひ》のやうなボカボカ|道《みち》を|踏《ふ》み|慣《な》れぬ|足《あし》に|登《のぼ》つて|往《ゆ》く。
|国依別《くによりわけ》は|空腹《くうふく》に|耐《た》へ|兼《か》ね、|傍《かたはら》の|芭蕉《ばせう》の|葉《は》を|一枚《いちまい》|剥《めく》つて|之《これ》を|四《よつ》つに|畳《たた》み、|敷物《しきもの》の|代《かは》りにして|路傍《みちばた》にドツカと|坐《ざ》し、|左《ひだり》の|手《て》を|膝《ひざ》に|上向《うへむ》けにチンと|乗《の》せ、|右《みぎ》の|手《て》を|握《にぎ》り|食指《ひとさしゆび》のみ【ヌツ】と|前《まへ》に|突《つ》き|出《だ》し、|太平柿《たいへいがき》の|甘《うま》さうに|断崖《だんがい》|絶壁《ぜつぺき》に|実《な》つて|居《ゐ》るのを|見《み》て、|喉《のど》を|鳴《な》らせながら|無言《むごん》の|儘《まま》|坐《すわ》つて|居《ゐ》る。|言依別《ことよりわけ》、|若彦《わかひこ》は|七八間《しちはちけん》も|先《さき》に|立《た》つて|居《ゐ》る。|国依別《くによりわけ》の|後《うしろ》から|従《つ》いて|来《き》た|常楠《つねくす》、チヤール、ベース|其《その》|他《た》の|土人《どじん》は、|国依別《くによりわけ》の|態度《たいど》に|不審《ふしん》の|念《ねん》|晴《は》れず、ジツとして|顔《かほ》を|見詰《みつ》めて|居《ゐ》た。|国依別《くによりわけ》は|膝《ひざ》の|上《うへ》に|乗《の》せた|左《ひだり》の|手《て》を|一二回《いちにくわい》|上《あ》げ|下《さ》げし|乍《なが》ら、|右《みぎ》の|手《て》の|食指《ひとさしゆび》にて|向《むか》ふの|柿《かき》を|指《ゆびさ》し、|次《つい》で|自分《じぶん》の|口《くち》を|指《さ》し、|又《また》|柿《かき》を|指《さ》し|又《また》|口《くち》を|指《ゆびさ》しやつて|居《ゐ》る。
|常楠《つねくす》『モシモシ|国依別《くによりわけ》さま、|此《この》|常楠《つねくす》は|年《とし》は|老《と》つても|耳《みみ》は|近《ちか》いのだから、そんな|仕方《しかた》をせずに|口《くち》で|言《い》つたら|如何《どう》ですか』
|国依別《くによりわけ》は|自分《じぶん》の|口《くち》を|指《さ》し|又《また》|柿《かき》を|指《さ》し、|遂《つひ》には|腹《はら》を|指《さ》して|見《み》せた。
|常楠《つねくす》『|察《さつ》する|所《ところ》あの|柿《かき》が|食《く》ひたいと|仰有《おつしや》るのですか。そんなら|今《いま》|喰《く》はして|上《あ》げませう。これこれチヤールさま、|誰《たれ》か|此《この》|中《うち》で|木登《きのぼ》りが|上手《じやうづ》な|人《ひと》、|此《この》|谷《たに》を|向《むか》ふへ|渡《わた》つて、あの|甘《うま》さうな|柿《かき》を|二《ふた》つ|三《みつ》つ|採《と》つて|来《き》て|下《くだ》さらぬか。|国依別《くによりわけ》の|喉《のど》の|神《かみ》さまが|彼《あ》の|柿《かき》を|献《たてまつ》れよと|御命令《ごめいれい》して|御座《ござ》る』
チヤール『ハイ|畏《かしこ》まりました。|併《しか》し|乍《なが》ら|彼処《あすこ》に|残《のこ》つて|居《ゐ》るあの|柿《かき》は、|竜神《りうじん》さまの|柿《かき》と|云《い》つて|人間《にんげん》の|喰《く》ふ|物《もの》ぢや|御座《ござ》いませぬ。|若《も》し|一《ひと》つでも|喰《く》はうものなら、|男女《だんぢよ》に|拘《かか》はらず、|忽《たちま》ち|腹《はら》が|膨《ふく》れ、|遂《つひ》に|臍《へそ》がはぢけて、|大蛇《をろち》の|児《こ》が|生《うま》れ、|親《おや》はそれつ|切《き》り|国替《くにがへ》|致《いた》すと|云《い》ふ|険難《けんのん》の|柿《かき》です。それ|故《ゆゑ》|誰《たれ》も|採《と》つた|者《もの》もなければ、|食《く》つた|者《もの》もありませぬ。|従《したが》つて|其《その》|味《あぢ》を|知《し》る|者《もの》もないのです。|此《この》|方《かた》に|竜神様《りうじんさま》が|御憑《おうつ》りになつて|居《を》られますのかなア。そんなら|竜神《りうじん》さまに|御上《おあ》げ|申《まを》すつもりで、|取《と》つて|参《まゐ》りませうか』
ベース『オイオイ、チヤール、さう|安請合《やすうけあひ》をするものぢやないぞ。|何程《なにほど》|常楠様《つねくすさま》が|天降《あまくだ》つた|神様《かみさま》だと|云《い》つても、|竜神《りうじん》の|柿《かき》を|自由《じいう》になさる|事《こと》は|出来《でき》ない。|又《また》|仮令《たとへ》|御憑《おうつ》りになつても、それは|霊《れい》だから、ムシヤムシヤお|食《あが》りになる|筈《はず》がない。お|食《あが》りになるとすれば|此《この》|方《かた》の|肉体《にくたい》が|食《く》ふのだから、それこそ|大変《たいへん》だ。サア|往《ゆ》かう。|若彦《わかひこ》|様《さま》や|言依別神《ことよりわけのかみ》|様《さま》は、|最早《もはや》|御姿《おすがた》が|見《み》えなくなつて|了《しま》つた』
|国依別《くによりわけ》『|汝《なんぢ》チヤール、ベースの|両人《りやうにん》、|其《その》|争《あらそ》ひは|尤《もつと》もだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|此《こ》の|方《はう》は|真《しん》の|竜神《りうじん》の|化身《けしん》、|元《もと》の|姿《すがた》の|儘《まま》ならば|谷間《たにま》に|下《くだ》つて|鎌首《かまくび》をキユウと|立《た》て、|舌《した》をニヨロニヨロ|出《だ》せば、|手《て》もなく|口《くち》にニユウと|這入《はい》るのであるが、|斯《か》う|人間《にんげん》に|化《ばけ》て|居《ゐ》る|間《あひだ》は、ヤツパリ|人間《にんげん》|並《なみ》に|採《と》ることが|出来《でき》ない。|神《かみ》が|命令《めいれい》する、チヤール、ベース、|早《はや》く|採《と》つて|参《まゐ》れ。|苦《くる》しうないぞ』
チヤール『ハイ|畏《かしこ》まりました』
ベース『|苦《くる》しうないと|仰有《おつしや》いましたね。そりや|其《その》|筈《はず》だ。ジツとして|芭蕉《ばせう》の|葉《は》の|上《うへ》に|胡坐《あぐら》をかき、|人《ひと》に|苦《くる》しい|思《おも》ひをさして、あの|柿《かき》を|採《と》り、|居《ゐ》|乍《なが》らにして|据膳《すゑぜん》を|戴《いただ》き|遊《あそ》ばすのだもの、|何《なに》が|苦《くる》しいものか。|楽《らく》なものだよ』
|国依別《くによりわけ》『グヅグヅ|申《まを》さずに|早《はや》く|採《と》つて|献上《けんじやう》|致《いた》せ。|国依別《くによりわけ》|空腹《くうふく》に|依《よ》り、|最早《もはや》|一歩《いつぽ》も|歩行《ある》けなくなつて、|此処《ここ》に|極楽《ごくらく》|往生《わうじやう》を|致《いた》しかけたぞよ』
|常楠《つねくす》『オツホヽヽヽ』
チヤール、ベースの|両人《りやうにん》は、|猿《ましら》の|如《ごと》く|断崖《だんがい》を|下《くだ》り、|可《か》なり|深《ふか》い|谷川《たにがは》の|点在《てんざい》せる|岩《いは》の|頭《あたま》を|飛《と》び|乍《なが》ら、|流《ながれ》を|避《よ》けて|向《むか》ふ|側《がは》に|渡《わた》り、|柿《かき》の|木《き》に|喰《く》ひついて|二人《ふたり》は|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
|水《みづ》の|垂《た》る|様《やう》な|甘《うま》さうな|柿《かき》が、|幾《いく》つともなく|沢山《たくさん》に|葉《は》の|蔭《かげ》にぶらついて|居《ゐ》る。|其《その》|大《おほ》きさは|牛《うし》の|睾丸《きんたま》|位《くらゐ》|確《たし》かにある。チヤール、ベースの|両人《りやうにん》は|得《え》も|言《い》はれぬ|甘《うま》さうな|香《にほひ》に|耐《たま》りかね、|自分《じぶん》の|使命《しめい》を|忘《わす》れて|一生懸命《いつしやうけんめい》に|甘《うま》さうな|奴《やつ》から、|採《と》つては|食《く》ひ|採《と》つては|食《く》ひ、|舌鼓《したつづみ》を|打《う》つて|居《ゐ》た。
|常楠《つねくす》は|下《した》から|声《こゑ》を|掛《か》け、
|常楠《つねくす》『コレコレ、チヤール、ベースの|両人《りやうにん》、|柿《かき》を|落《おと》さないか』
|此《この》|声《こゑ》にチヤールはフト|気《き》がつき、
チヤール『|今《いま》|落《おと》しませう。|併《しか》し|斯《こ》んな|柔《やはら》かい|柿《かき》を|落《おと》せば、|潰《つぶ》れて|了《しま》ひます。|生憎《あいにく》|容《い》れ|物《もの》もなし、|私《わたし》の|腹《はら》の|中《なか》へ|入《い》れて|持《も》つて|下《お》りますから、|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さい』
|常楠《つねくす》『|此処《ここ》に|竜神《りうじん》さまがお|待兼《まちかね》だ。|少《すこ》し|固《かた》くつても|良《よ》いから、【むし】つて|此方《こちら》へ|抛《ほ》つて|呉《く》れ』
チヤール『|堅《かた》いものは|渋《しぶ》くつて|喰《く》へませぬぞえ』
|常楠《つねくす》『エー|仕方《しかた》がないなア』
|国依別《くによりわけ》『あゝ|斯《こ》うして|居《ゐ》て、|人《ひと》が|甘《うま》さうに|食《く》うて|居《ゐ》るのを|見《み》ると、|腹《はら》が|余計《よけい》|空《す》くようだ。エー|仕方《しかた》がない、|人《ひと》を|力《ちから》にするな、|師匠《ししやう》を|杖《つゑ》に|突《つ》くなと、|神様《かみさま》が|仰有《おつしや》つた。|人《ひと》の|力《ちから》で|甘《あま》い|柿《かき》を|採《と》つて、|徳《とく》を|取《と》らうと|思《おも》つても|駄目《だめ》だ。ドレ|自分《じぶん》の|事《こと》は|自分《じぶん》で|埒《らち》をつけるに|限《かぎ》る』
とペコペコした|腹《はら》を|抱《かか》へ、|二重腰《ふたへごし》になつて、|断崖《だんがい》を|辷《すべ》り|落《お》ち、|谷川《たにがは》から|浮《う》き|出《だ》した|岩《いは》の|頭《あたま》を、ポイポイと|飛《と》び|越《こ》え、|辛《から》うじて|対岸《たいがん》の|柿《かき》の|根元《ねもと》に|着《つ》いた。|見《み》れば|二人《ふたり》は|蚕《かひこ》が|桑《くは》の|葉《は》を|食《く》ふやうに、|小口《こぐち》ごなしに|赤《あか》い|甘《うま》いのを|平《たひ》らげて|仕舞《しま》ひ、|下《した》の|方《はう》には|青《あを》い|渋《しぶ》いのがぶら|下《さが》つて|居《ゐ》る。|国依別《くによりわけ》は|空《そら》を|仰《あふ》きながら、
|国依別《くによりわけ》『オイ、チヤール、ベースの|両人《りやうにん》、|些《ちつ》とは|赤《あか》いのを|残《のこ》して|置《お》いて|呉《く》れよ。|今《いま》|登《のぼ》るから……』
と|柿《かき》の|節《ふし》だらけの|瘤《こぶ》に|手《て》をかけ|足《あし》をかけ、やつと|一《いち》の|枝《えだ》に|取《と》りつき|下《した》を|見《み》れば、|激潭飛沫《げきたんひまつ》の|谷川《たにがは》|凄惨《せいさん》の|気《き》に|襲《おそ》はれ、|空腹《くうふく》の|上《うへ》の|事《こと》とて|目《め》も|眩《くら》む|様《やう》な|感《かん》じがして|来《き》た。|国依別《くによりわけ》は|漸《やうや》くにして|一方《いつぱう》の|細《ほそ》き|枝《えだ》に|身《み》を|寄《よ》せ、
|国依別《くによりわけ》『アヽ|危《あぶな》いものだ。この|枝《えだ》が|一《ひと》つペキンと|折《を》れようものなら|忽《たちま》ち|寂滅為楽《じやくめつゐらく》だ。|併《しか》し|怖《こは》い|所《ところ》に|行《ゆ》かねば|熟柿《じゆくし》は|食《く》へんぞよと|神様《かみさま》が|仰有《おつしや》つた。|美味《おい》しい|熟柿《じゆくし》は|矢張《やつぱ》り|怖《こは》い|所《ところ》にあるものだナア』
と|呟《つぶや》きながら|辛《から》うじて|美味《うま》さうな|奴《やつ》を|一《ひと》つ【むし】り、|飛《と》びつくやうに|矢庭《やには》に|頬張《ほほば》つて|見《み》た。|何《なん》とも|云《い》へぬ|美味《びみ》で|思《おも》はず|目《め》も|細《ほそ》くなり、|顔《かほ》に|皺《しわ》を|寄《よ》せて|賞翫《しやうぐわん》した。|忽《たちま》ち|腹《はら》は|布袋《ほてい》の|如《ごと》く|刻々《こくこく》に|膨《ふく》れ|出《だ》した。
|国依別《くによりわけ》『ヤア|此奴《こいつ》は|耐《たま》らん、チヤールの|云《い》ふやうに|大蛇《だいじや》が|腹《はら》に|宿《やど》つたのかなア。|何《なん》だか|腹《はら》の|中《なか》がクレクレとして|来《き》たぞ。|天足《あだる》、|胞場《えば》の|昔《むかし》のやうに|体主霊従《たいしゆれいじう》になつて|仕舞《しま》ふのではあるまいかなア。|高山《たかやま》の|伊保理《いほり》、|低山《ひきやま》の|伊保理《いほり》を|【柿】《かき》わけて|【食】《きこ》し|召《め》せと|云《い》ふからは、|強《あなが》ち|神罰《しんばつ》も|当《あた》るまい。アヽグヅグヅして|居《ゐ》ると|腹《はら》が|大《おほ》きくなつて|下《お》りられないやうになる。あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|樹《き》を|下《お》りんとする。|相当《さうたう》に|黒《くろ》い|大《おほ》きな|大蛇《だいじや》、|亀甲型《きつかふがた》の|斑紋《はんもん》を|光《ひか》らせながら|絡繹《らくえき》として|柿《かき》の|樹《き》|目蒐《めが》けて|上《のぼ》つて|来《く》る|嫌《いや》らしさ。|国依別《くによりわけ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》と|天《あま》の|数歌《かずうた》を|唱《とな》へた。
|国依別《くによりわけ》は|追々《おひおひ》|登《のぼ》り|来《きた》る|勢《いきほひ》|猛《たけ》き|悪蛇《あくじや》に|僻易《へきえき》し、|樹上《じゆじやう》より|両手《りやうて》を|拡《ひろ》げて|空中《くうちう》を|掻《か》きながら、|谷川《たにがは》の|蒼味《あをみ》だつた|深淵《しんえん》の|上《うへ》にドブンと|落《お》ち|込《こ》んだ。|逆巻《さかま》く|浪《なみ》に|捲《ま》き|込《こ》まれて|暫《しばら》くは|其《その》|姿《すがた》も|見《み》えなくなつて|仕舞《しま》つた。|蛇《へび》は|急速度《きふそくど》を|以《もつ》て|数《かず》|限《かぎ》りなく|柿《かき》の|木《き》に|上《のぼ》つて|来《く》る。
チヤール、ベースの|両人《りやうにん》は、|国依別《くによりわけ》の|飛《と》び|込《こ》んだ|青淵《あをぶち》|目蒐《めが》けて|又《また》もやドブンドブンと|飛《と》び|込《こ》んで|仕舞《しま》つた。パツと|立《た》つた|水煙《みづけむり》と|共《とも》に|二人《ふたり》の|姿《すがた》は|又々《またまた》|消《き》えて|仕舞《しま》つた。あゝ|此《この》|三人《さんにん》の|行方《ゆくへ》は|如何《どう》なつたのであらうか。
(大正一一・七・二五 旧六・二 加藤明子録)
第一一章 |茶目式《ちやめしき》〔七九三〕
|言依別《ことよりわけ》に|従《したが》ひて ハーリス|山《ざん》に|登《のぼ》り|行《ゆ》く
|国依別《くによりわけ》はその|途中《とちう》 |谷《たに》の|向《むか》ふに|美《うる》はしく
|枝《えだ》もたわわに|実《みの》りたる |太平柿《たいへいがき》を|見《み》るよりも
|俄《にはか》に|食慾《しよくよく》|勃発《ぼつぱつ》し |空腹《くうふく》まぎれに|道端《みちばた》に
|芭蕉《ばせう》の|葉《は》をば|敷具《しきぐ》とし |悠々《いういう》|端坐《たんざ》なし|乍《なが》ら
|弥勒如来《みろくによらい》のその|如《ごと》く |左手《ゆんで》を|腿《もも》にチヨイと|載《の》せ
|右手《めて》の|拳《こぶし》を|握《にぎ》りつつ |食指《ひとさしゆび》を|突《つ》き|出《だ》して
|無言《むごん》の|儘《まま》に|谷底《たにそこ》の |太平柿《たいへいがき》を|指《ゆび》さしつ
|続《つづ》いて|我《わが》|口《くち》|我《わが》|腹《はら》を |幾度《いくたび》となく|指示《さししめ》し
チヤール、ベースや|其《その》|他《ほか》の |木登《きのぼ》り|上手《じやうず》の|人《ひと》あらば
|谷間《たにま》を|越《こ》えて|攀上《よぢのぼ》り さも|甘《うま》さうな|彼《あ》の|柿《かき》を
われに|一二個《いちにこ》|献《たてまつ》れ |口《くち》に|言《い》はねど|仕方《しかた》にて
|頻《しき》りに|示《しめ》す|可笑《をか》しさよ ハーリス|山《ざん》の|竜神《りうじん》が
|餌食《ゑじき》としたる|太平柿《たいへいがき》 |野心《やしん》を|起《おこ》し|人々《ひとびと》が
|一個《いつこ》なりとも|取《と》るならば |忽《たちま》ち|神《かみ》の|御怒《みいか》りに
|触《ふ》れて|腹部《ふくぶ》は|膨張《ばうてう》し |遂《つひ》には|蛇《へび》の|子《こ》を|生《う》みて
|生命《いのち》を|果《はた》すと|聞《きこ》えたる |危険《きけん》|極《きは》まる|果実《くわじつ》なり
|国依別《くによりわけ》の|食慾《しよくよく》は |旺《さかん》に|起《おこ》り|矢《や》も|楯《たて》も
|怺《たま》らぬままに|常楠《つねくす》に |採《と》つて|呉《く》れよと|促《うなが》せば
|常楠《つねくす》|不安《ふあん》を|感《かん》じつつ |已《や》むを|得《え》ずして|供人《ともびと》の
チヤール、ベースに|命令《めいれい》し |国依別《くによりわけ》の|要求《えうきう》を
|充《みた》しやらんと|気《き》を|配《くば》る チヤール、ベースは|生神《いきがみ》の
|託宣《たくせん》|否《いな》むに|由《よし》も|無《な》く |蔓《つる》に|下《さが》つて|絶壁《ぜつぺき》を
|谷間《たにま》に|下《くだ》り|激流《げきりう》の |中《なか》に|浮《うか》べる|岩頭《がんとう》を
|飛《と》び|越《こ》え|飛《と》び|越《こ》え|向《むか》ふ|側《がは》 |漸《やうや》く|渡《わた》りて|柿《かき》の|根《ね》を
|抱《いだ》いて|空《そら》を|眺《なが》むれば |甘《うま》さうな|香《にほひ》がプンプンと
|二人《ふたり》の|鼻《はな》をついて|来《く》る |忽《たちま》ち|二人《ふたり》は|意《い》を|決《けつ》し
|猿《ましら》の|如《ごと》く|攀上《よぢのぼ》り |蚕《かひこ》の|虫《むし》が|桑《くは》の|葉《は》を
|食《く》ひつくす|如《ごと》|小口《こぐち》から |赤《あか》い|熟柿《じゆくし》を【むしり】|取《と》り
ものをも|言《い》はず|大口《おほぐち》を |開《ひら》いて|頬張《ほほば》る|可笑《をか》しさよ
|余《あま》りの|甘《うま》さに|両人《りやうにん》は |己《おの》が|役目《やくめ》を|忘却《ばうきやく》し
|一生懸命《いつしやうけんめい》【むしり】|取《と》り |遮二無二《しやにむに》|口《くち》に|放《ほ》り|込《こ》めば
|忽《たちま》ち|膨《ふく》れた|布袋腹《ほていばら》 |息《いき》をスウスウ|喘《はづ》ませつ
|鰒《ふぐ》の|木登《きのぼ》りした|様《やう》な |怪体《けたい》な|姿《すがた》となりにけり
|国依別《くによりわけ》は|打仰《うちあふ》ぎ |一《ひと》つでよいから|甘《うま》い|奴《やつ》
|落《おと》して|呉《く》れと|呼《よ》ばはれど |馬耳東風《ばじとうふう》の|両人《りやうにん》は
|生命《いのち》|知《し》らずに|食《く》つて|居《ゐ》る |国依別《くによりわけ》は|思《おも》ふやう
|三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|教《のり》 |必《かなら》ず|人《ひと》に|頼《たよ》るなよ
わが|身《み》の|事《こと》は|我《わが》|身《み》にて やらねばならぬと|云《い》ひ|乍《なが》ら
|芭蕉葉《ばせうば》の|席《せき》を|立上《たちあが》り |猿《ましら》の|如《ごと》く|断崖《だんがい》を
|蔓《つる》を|力《ちから》に|谷底《たにぞこ》に |漸《やうや》く|下《くだ》り|対岸《むかふぎし》
|柿《かき》の|大木《おほき》に|抱《いだ》きつき |登《のぼ》りついたる|一《いち》の|枝《えだ》
ここに|息《いき》をば|休《やす》めつつ |眼下《がんか》を|見《み》ればいと|高《たか》く
|激流《げきりう》|飛沫《ひまつ》の|水煙《みづけむり》 |水声《すゐせい》|轟々《ぐわうぐわう》|凄《すさま》じく
|肝《きも》も|抜《ぬ》かるる|許《ばか》りなり |頭上《づじやう》の|二人《ふたり》は|右左《みぎひだり》
|猿《ましら》の|如《ごと》く|飛《と》び|交《か》ひて |五臓六腑《ござうろつぷ》の|裂《さ》ける|迄《まで》
|生命《いのち》|知《し》らずに|食《く》つてゐる |国依別《くによりわけ》は|怺《たま》りかね
|危《あやふ》き|所《ところ》に|上《のぼ》らねば |甘《うま》い|熟柿《じゆくし》は|食《く》へないと
|生命《いのち》を|的《まと》に|細枝《ほそえだ》に つかまり|乍《なが》ら|漸々《やうやう》に
|一《ひと》つの|熟柿《じゆくし》をむしり|取《と》り |天下《てんか》|無上《むじやう》の|珍味《ちんみ》ぞと
|口《くち》にふくめば|忽《たちま》ちに |腹《はら》はふくれて|吹《ふ》く|息《いき》も
|漸《やうや》く|苦《くる》しくなりにけり |柿《かき》の|根元《ねもと》を|見下《みお》ろせば
|亀甲形《きつかふがた》の|斑紋《はんもん》ある |大蛇《をろち》の|群《むれ》の|数多《かずおほ》く
|目《め》を|瞋《いか》らして|上《のぼ》り|来《く》る その|形相《ぎやうさう》の|凄《すさま》じさ
|進退《しんたい》|茲《ここ》に|谷《きは》まりて |国依別《くによりわけ》は|意《い》を|決《けつ》し
|運《うん》をば|天《てん》に|任《まか》せつつ |生死《せいし》の|外《ほか》に|超越《てうゑつ》し
|激潭《げきたん》|飛沫《ひまつ》の|青淵《あをぶち》を |目蒐《めが》けて|飛込《とびこ》む|放《はな》れ|業《わざ》
ザンブと|許《ばか》り|水煙《みづけぶり》 |立《た》つよと|見《み》る|間《ま》に|国依別《くによりわけ》の
|姿《すがた》は|水泡《みなわ》と|消《き》え|失《う》せぬ チヤール、ベースの|両人《りやうにん》は
|上《のぼ》り|来《きた》れる|蛇《へび》を|見《み》て |怖《おそ》れ|戦《をのの》き|国依別《くによりわけ》の
|珍《うづ》の|命《みこと》が|飛込《とびこ》みし |青淵《あをぶち》|目蒐《めが》けて|飛込《とびこ》めば
これ|又《また》|姿《すがた》は|消《き》えにけり |此《この》|有様《ありさま》を|目《ま》の|当《あた》り
|眺《なが》めて|居《ゐ》たる|常楠《つねくす》や |四五《しご》の|土人《どじん》の|供人《ともびと》は
|驚《おどろ》き|周章《あわて》ワイワイと |谷《たに》の|流《なが》れに|沿《そ》ひ|乍《なが》ら
|三人《みたり》の|姿《すがた》は|何処《いづこ》ぞと |右往左往《うわうさわう》に|奔走《ほんそう》し
|狂《くる》ひ|廻《まは》るぞ|是非《ぜひ》なけれ |谷間《たにま》を|渡《わた》る|風《かぜ》の|音《おと》
いと|轟々《ぐわうぐわう》と|吹《ふ》き|荒《すさ》ぶ |言依別《ことよりわけ》や|若彦《わかひこ》は
|斯《かか》る|事《こと》とは|知《し》らずして |三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》
|声《こゑ》も|涼《すず》しく|歌《うた》ひつつ |谷《たに》を|伝《つた》ひて|奥《おく》|深《ふか》く
|足《あし》を|早《はや》めて|進《すす》み|行《ゆ》く。
|常楠《つねくす》は|此処《ここ》に|於《おい》て|迷《まよ》はざるを|得《え》なかつた。|肝腎要《かんじんかなめ》の|御神業《ごしんげふ》に|参加《さんか》せざればならず、|又《また》|国依別《くによりわけ》|以下《いか》を|助《たす》けなくては|人間《にんげん》の|道《みち》が|立《た》たず………。
|常楠《つねくす》『あゝ|如何《どう》したらよからうか。|末代《まつだい》に|一度《いちど》の|此《この》|御神業《ごしんげふ》を|外《はづ》しても|国依別《くによりわけ》その|外《ほか》を|助《たす》けねばならぬであらうか。それだと|云《い》つて、|国依別《くによりわけ》の|生命《いのち》もヤツパリ|一《ひと》つだ。グズグズして|居《を》れば|取返《とりかへ》しのつかない|事《こと》になつて|了《しま》ふ。|彼方《あちら》に|尽《つく》せば|此方《こちら》を|救《すく》ふ|事《こと》が|出来《でき》ぬ。|此方《こちら》を|救《すく》はんとすれば、|大切《たいせつ》な|御神業《ごしんげふ》を|放棄《はうき》せねばならず。|神様《かみさま》の|御命令《ごめいれい》は|最《もつと》も|重《おも》く、|人命《じんめい》も|亦《また》|実《じつ》に|大切《たいせつ》である』
|兎《と》やせん|角《かく》やせんと|暫《しばら》くは|四五間《しごけん》の|間《あひだ》を|上《のぼ》りつ、|下《くだ》りつ|処置《しよち》に|迷《まよ》うてゐた。
|常楠《つねくす》『アヽ、グヅグヅしてゐると、|一方《いつぱう》は|息《いき》の|根《ね》が|止《と》まつて|了《しま》ふ。|御神業《ごしんげふ》は|半時《はんとき》や|一時《ひととき》|遅《おく》れたとこで|勤《つと》まらない|事《こと》は|無《な》い。オーさうだ。|国依別《くによりわけ》を|助《たす》ける|方《はう》が|本当《ほんたう》だらう』
と|独語《ひとりごと》|云《い》ひ|乍《なが》ら、|土人《どじん》の|声《こゑ》のする|方《はう》を|尋《たづ》ねて|谷川《たにがは》を|伝《つた》ひ、|灌木《くわんぼく》を|分《わ》けて|下《くだ》つて|往《ゆ》く。
|四五丁《しごちやう》|下流《しも》に|当《あた》つて|四五人《しごにん》の|供人《ともびと》は|声《こゑ》を|限《かぎ》りに、
『アレヨ アレヨ』
とさざめいてゐる。|見《み》れば|三《みつ》つの|黒《くろ》い|影《かげ》、|浮《う》きつ|沈《しづ》みつ|激流《げきりう》に|流《なが》されて|下《くだ》り|往《ゆ》く。|何分《なにぶん》|両方《りやうはう》は|壁《かべ》の|如《ごと》き|岩《いは》、|容易《ようい》に|近寄《ちかよ》る|事《こと》は|出来《でき》ない。|常楠《つねくす》は|大声《おほごゑ》を|上《あ》げて、
|常楠《つねくす》『|下流《しも》へ |下流《しも》へ』
と|呼《よ》ばはり|乍《なが》ら、|一目散《いちもくさん》に|下流《かりう》を|指《さ》して|十丁《じつちやう》|許《ばか》り|駆出《かけだ》した。
|此処《ここ》には|谷川《たにがは》|稍《やや》|広《ひろ》く|展開《てんかい》し|水《みづ》も|余程《よほど》|浅《あさ》くなり|流《なが》れも|亦《また》|緩《ゆる》やかになつて、|川底《かはぞこ》の|小砂利《こじやり》|迄《まで》がハツキリ|見《み》えて|居《ゐ》る。|常楠《つねくす》を|始《はじ》め|四五《しご》の|供人《ともびと》はザブザブと|川《かは》に|飛入《とびい》り、|流《なが》れ|来《きた》る|三人《さんにん》の|身体《からだ》を|拾《ひろ》ひ|上《あ》げんと|横梯陣《わうていぢん》を|作《つく》つて|待《ま》つてゐる。
|漸《やうや》く|流《なが》れついたのは|国依別《くによりわけ》、|続《つづ》いて|二人《ふたり》も|無事《ぶじ》に|此処《ここ》に|流《なが》れて|来《き》た。|各《おのおの》|一人《ひとり》の|肉体《にくたい》を|二人《ふたり》|宛《づつ》|手分《てわ》けして|岸《きし》に|引上《ひきあ》げ、|水《みづ》を|吐《は》かせ、|種々《いろいろ》と|人工《じんこう》|呼吸《こきふ》を|施《ほどこ》した|末《すゑ》、|常楠《つねくす》は|老人《らうじん》の|皺嗄《しわが》れ|声《ごゑ》を|張《は》り|上《あ》げ|乍《なが》ら、|反魂歌《はんこんか》を|繰返《くりかへ》し|繰返《くりかへ》し|高唱《かうしやう》した。|国依別《くによりわけ》は|漸《やうや》くにして|手足《てあし》を|動《うご》かし|出《だ》した。|常楠《つねくす》の|面《かほ》は|忽《たちま》ち|輝《かがや》き|初《そ》めた。|又《また》もや|二人《ふたり》に|向《むか》つて|反魂歌《はんこんか》の|数歌《かずうた》を|唱《とな》へ|上《あ》げるや、|漸《やうや》くにして|二人《ふたり》も|蘇生《そせい》した。|一同《いちどう》の|悦《よろこ》びは|譬《たと》ふるに|物《もの》なきまでであつた。|常楠《つねくす》の|命令《めいれい》に|依《よ》つて|国依別《くによりわけ》|其《その》|他《た》を|天然《てんねん》ホテルの|槻木《つきのき》の|洞穴《どうけつ》に|送《おく》り、|土人《どじん》に|介抱《かいほう》させ|置《お》き|乍《なが》ら、|常楠《つねくす》は|時《とき》|遅《おく》れては|一大事《いちだいじ》と、|疲《つか》れた|老《おい》の|足《あし》を|引《ひき》ずり|乍《なが》ら、|多羅《たら》の|木《き》の|杖《つゑ》を|力《ちから》にハーリス|山《ざん》の|谷間《たにま》を|目《め》がけて|再《ふたた》び|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
|国依別《くによりわけ》、チヤール、ベースの|三人《さんにん》は|漸《やうや》く|元気《げんき》|恢復《くわいふく》した。されど|竜神《りうじん》の|柿《かき》を|食《く》つた|天罰《てんばつ》か、|腹《はら》は|追々《おひおひ》|膨張《ばうてう》して|臨月《りんげつ》の|女《をんな》の|様《やう》になつて|来《き》た。チヤール、ベースの|二人《ふたり》は、ゴロリゴロリと|身体中《からだぢう》|丸《まる》くなつて|毬《まり》のやうに|転《ころ》げ|廻《まは》り|苦《くる》しみ|乍《なが》ら、
チヤール『モシモシ、|国依別神《くによりわけのかみ》|様《さま》、|何《なん》とかして|下《くだ》さいな』
|国依別《くによりわけ》『マア|待《ま》つて|呉《く》れ。|俺《おれ》の|腹《はら》から|癒《なほ》さなくちやならないのだ』
チヤール『|元《もと》は|貴方《あなた》の|為《ため》に、|斯《こ》んな|目《め》に|会《あ》つたのですから、|助《たす》けて|頂《いただ》かねばつまりませぬ。|何《なん》だか|腹《はら》の|中《なか》に|大蛇《をろち》の|児《こ》がウヨウヨして|居《ゐ》るやうに|苦《くる》しくて|怺《たま》りませぬワ。|大蛇《をろち》の|赤児《あかご》が|出産《しゆつさん》するや|否《いな》や、|男女《だんぢよ》の|区別《くべつ》なく|即座《そくざ》に|死《し》んで|了《しま》うと|言《い》ふことです。これ|丈《だ》け|苦《くる》しくては|死《し》んだ|方《はう》が|優《まし》だが、|死《し》んでもつまらない。|宅《うち》には|女房《にようばう》や|子《こ》が|残《のこ》つてゐる。|何《なん》とかして|早《はや》く|助《たす》けて|貰《もら》はねば、|追々《おひおひ》|苦《くる》しくなつて|来《き》ました』
|国依別《くによりわけ》『いやしさに|世間《せけん》へ|恥《はぢ》を【かき】の|実《み》の
|腹《はら》ふくれても|【大蛇】《だいじや》あるまい』
と|二度《にど》くり|返《かへ》し|口吟《くちずさ》み、|自分《じぶん》の|腹《はら》を|拳骨《げんこつ》を|固《かた》めて|三《みつ》つ|四《よ》つ|撲《なぐ》りつけ、
|国依別《くによりわけ》『|大蛇《をろち》、|退散《たいさん》|々々《たいさん》』
と|云《い》ひ|了《をは》つて、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|力《ちから》|限《かぎ》りに|苦《くる》しき|息《いき》をつき|乍《なが》ら|奏上《そうじやう》した。|不思議《ふしぎ》や|今迄《いままで》|脹満《てうまん》のやうにふくれてゐた|国依別《くによりわけ》の|腹部《ふくぶ》は、|元《もと》の|如《ごと》くに|癒《なほ》り、|息《いき》も|平常《へいぜい》の|通《とほ》りになつて|来《き》た。|国依別《くによりわけ》は|直《ただ》ちに|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|感謝《かんしや》|祈願《きぐわん》の|言葉《ことば》を|唱《とな》へて|神恩《しんおん》を|涙《なみだ》|乍《なが》らに|感謝《かんしや》するのであつた。
チヤール、ベースの|二人《ふたり》は、|断末魔《だんまつま》の|様《やう》な|声《こゑ》を|出《だ》して、ウンウンと|肩《かた》で|息《いき》をし|乍《なが》ら|呻《うめ》いてゐる。その|惨状《さんじやう》|目《め》も|当《あ》てられぬ|許《ばか》りであつた。
|国依別《くによりわけ》は|両人《りやうにん》の|為《ため》に|一生懸命《いつしやうけんめい》に|汗水《あせみづ》を|垂《た》らして|感謝《かんしや》|祈願《きぐわん》をしてゐる。
|国依別《くによりわけ》『|竜神《りうじん》の|柿《かき》|食《く》て|布袋《ほてい》になつ【チヤール】
|腹《はら》は|忽《たちま》ち【ヘース】なるらん。
|柿《かき》|取《と》つて|見《み》ればヘースが|当《あた》りまへ
|腹《はら》ふくれチヤール|道理《だうり》わからぬ。
チヤール、ヘース、|国依別《くによりわけ》も|諸共《もろとも》に
|天《あま》の【はら】から|下《くだ》りけるかな。
ハラハラと|涙《なみだ》|流《なが》して【はら】を|撫《な》で
|柿《かき》を|盗《ぬす》んだ|腹《はら》いせに|逢《あ》ひ。
|腹《はら》が|立《た》てども|仕方《しかた》なし
|竜神《りうじん》|腹《はら》を|立《た》てたのか
|汝《なんぢ》は|横《よこ》に|長《なが》い|奴《やつ》
|腹《はら》|立《た》て|通《とほ》しもならうまい
|高天原《たかあまはら》にあれませる|百《もも》の|神《かみ》たち
|大海原《おほうなばら》にあれませる|速秋津姫神《はやあきつひめのかみ》
【はら】の|悩《なや》みを|祓《はら》ひ|玉《たま》へ|清《きよ》め|玉《たま》へ
ハラハラと|降《ふ》り|来《く》る|雨《あめ》に|空《そら》|晴《は》れて
|大蛇《をろち》の|空《そら》も|澄《す》み|渡《わた》りけり。』
と|口《くち》から|出任《でまか》せの|腰折《こしを》れ|歌《うた》を|詠《うた》ひ|乍《なが》ら、チヤール、ベースの|真《ま》ん|中《なか》にチヨコナンと|坐《すわ》り、|両人《りやうにん》の|布袋腹《ほていばら》を|両方《りやうはう》の|手《て》で|撫《な》で|廻《まは》して|居《ゐ》る。|薄紙《うすがみ》を|剥《は》いだ|様《やう》に|二人《ふたり》の|腹《はら》は|漸次《ぜんじ》|容積《ようせき》を|減《げん》じて|来《き》た。
|国依別《くによりわけ》『それ|見《み》たか|女房《にようばう》が|撫《な》でる【ふぐ】の|腹《はら》
オツトドツコイ
それ|見《み》たか|国依《くにより》なでる|柿《かき》つ【ぱら】
|天津神《あまつかみ》|国津神《くにつかみ》【はら】ひ|玉《たま》へ|清《きよ》め|玉《たま》へ
|高山《たかやま》の|伊保理《いほり》、|短山《ひきやま》の|伊保理《いほり》
【かき】|分《わ》けて|聞召《きこしめ》せよ
これが|盲《めくら》の|柿《かき》のぞき
|節季《せつき》が|来《き》たぞ|節季《せつき》が|来《き》たぞ
【かき】|出《だ》せ【かき】|出《だ》せ
|四月《しぐわつ》と|二月《にぐわつ》の|死際《しにぎは》ではないぞ
|今《いま》が|二人《ふたり》の|生命《いのち》の|瀬戸際《せとぎは》
|万劫末代《まんごうまつだい》|生《い》き|通《どほ》し
|皇大神《すめおほかみ》の|守《まも》る|身《み》は
|仮令《たとへ》|大蛇《だいじや》の|潜《ひそ》むとも
|【大蛇】《だいじや》あるまい|二人連《ふたりづ》れ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
チヤール、ベースが|苦《くる》しみを
|片時《かたとき》も|早《はや》く|救《すく》はせ|玉《たま》へ
その|源《みなもと》を|尋《たづ》ぬれば
|国依別《くによりわけ》より|出《い》でし|事《こと》
|罪《つみ》は|全《まつた》く|我《わが》|身《み》にあれば
|何卒《なにとぞ》|早《はや》く|両人《りやうにん》の|腹《はら》を【ひすぼ】らせ|旧《もと》の|元気《げんき》に|恢復《くわいふく》せしめ|玉《たま》へ
あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|汗《あせ》みどろになつて|祈念《きねん》し|乍《なが》ら|両手《りやうて》にて、|両人《りやうにん》の|腹《はら》を|撫《な》で|下《お》ろした。|神徳《しんとく》|忽《たちま》ち|現《あら》はれ、|二人《ふたり》は|半時《はんとき》|余《あま》りの|間《あひだ》に|旧《もと》の|如《ごと》くになつて|了《しま》つた。|四五《しご》の|供人《ともびと》も|国依別《くによりわけ》の|祈願《きぐわん》に|依《よ》つて|忽《たちま》ち|全快《ぜんくわい》せし|事《こと》を|感歎《かんたん》し、|各《おのおの》|口《くち》を|揃《そろ》へて、
『|国依別《くによりわけ》の|生神様《いきがみさま》』
と|合掌《がつしやう》するのであつた。
|国依別《くによりわけ》は|大神《おほかみ》にチヤール、ベースと|共《とも》に|感謝《かんしや》の|祝詞《のりと》を|奏《そう》し|了《をは》り、|足《あし》を|早《はや》めて|再《ふたた》びハーリス|山《ざん》|指《さ》して|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|国依別《くによりわけ》は|道々《みちみち》|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|元気《げんき》|旺盛《わうせい》|八人連《はちにんづ》れにて、|言依別《ことよりわけ》の|登《のぼ》りたる|場所《ばしよ》を|辿《たど》り|進《すす》み|行《ゆ》く。
|国依別《くによりわけ》『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つもと|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|神《かみ》の|御稜威《みいづ》は|目《ま》の|当《あた》り わが|改心《かいしん》と|言霊《ことたま》の
|力《ちから》に|依《よ》りて|三柱《みはしら》の |尊《たふと》き|御子《みこ》は|救《すく》はれぬ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
|一時《いちじ》も|早《はや》く|片時《かたとき》も |言依別《ことよりわけ》や|若彦《わかひこ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|御前《おんまへ》へ |導《みちび》き|玉《たま》へハーリスの
|山《やま》を|守《まも》らす|高津神《たかつかみ》 |不知不識《しらずしらず》の|過《あやま》ちを
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し |助《たす》け|玉《たま》ひし|竜神《たつがみ》の
|恵《めぐ》みを|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る |常楠翁《つねくすをう》は|今《いま》|何処《いづこ》
|定《さだ》めて|吾等《われら》が|進退《しんたい》を |言依別《ことよりわけ》の|御前《おんまへ》に
|完全《うまら》に|詳細《つばら》に|宣《の》り|終《を》へて |今《いま》は|三人《みたり》の|笑《わら》ひ|草《ぐさ》
|森《もり》の|木霊《こだま》に|響《ひび》くらん |天《てん》を|封《ふう》じて|聳《そそ》り|立《た》つ
|老木林《おいきばやし》の|谷《たに》の|道《みち》 |進《すす》む|吾等《われら》の|涼《すず》しさよ
|名《な》は|太平《たいへい》の|柿《かき》なれど |乱痴気《らんちき》|騒《さわ》ぎの|此《この》|始末《しまつ》
|太乱柿《たいらんがき》と|名《な》をつけて |以後《いご》の|戒《いまし》め|何人《なにびと》も
|此《この》|柿《かき》|計《ばか》りは|食《く》はぬ|様《やう》に |標《しるし》を|立《た》てて|置《お》かうかな
いや|待《ま》て|暫《しば》し|待《ま》て|暫《しば》し |太平柿《たいへいがき》は|古《いにし》より
|食《く》てはならぬと|里人《さとびと》が よつく|承知《しようち》の|上《うへ》なれば
|私《わし》の|様《やう》なる|周章者《あわてもの》 よもや|一人《ひとり》も|此《この》|島《しま》に
|必《かなら》ず|住《す》んで|居《を》らうまい そんな|事《こと》して|暇《ひま》を|取《と》り
|肝腎要《かんじんかなめ》の|神業《しんげふ》に ガラリ|外《はづ》れて|了《しま》うたら
|聖地《せいち》へ|帰《かへ》り|玉照彦《たまてるひこ》の |厳《いづ》の|命《みこと》や|玉照姫《たまてるひめ》の
|瑞《みづ》の|命《みこと》の|御前《おんまへ》に どうして|言《い》ひ|訳《わけ》|立《た》つものか
|国依別《くによりわけ》も|今日《けふ》よりは |心《こころ》の|底《そこ》から|立直《たてなほ》し
|茶目式《ちやめしき》からかひ|薩張《さつぱり》と |止《や》めて|真面目《まじめ》になりませう
|天然《てんねん》ホテルの|入口《いりぐち》で |若彦《わかひこ》、|常楠《つねくす》|両人《りやうにん》に
|向《むか》つて|茶目式《ちやめしき》|発揮《はつき》なし ハーリス|山《ざん》の|竜神《たつがみ》の
|化《ば》けた|女神《めがみ》と|偽《いつは》つて |悦《えつ》に|入《い》つたるその|罰《ばち》で
|俄《にはか》にこんな|失敗《しつぱい》を |神《かみ》から|言《い》ひつけられたのだ
あゝ|後《おく》れしか|後《おく》れしか |嘸《さぞ》|今頃《いまごろ》は|言依別《ことよりわけ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》や|若彦《わかひこ》が |常楠《つねくす》さまと|諸共《もろとも》に
|人《ひと》は|見《み》かけによらぬもの |国依別《くによりわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|立派《りつぱ》な|奴《やつ》ぢやと|思《おも》うたに |神《かみ》の|禁《きん》じた|柿《かき》を|喰《く》ひ
|谷《たに》に|落《お》ちこみ|他《ひと》の|手《て》に かかつて|救《すく》はれ|何《なん》の|態《ざま》
|神《かみ》の|司《つかさ》と|云《い》ひ|乍《なが》ら |有名無実《いうめいむじつ》のタワケ|者《もの》
チヤール、ベースの|両人《りやうにん》に |決《けつ》して|罪《つみ》はない|程《ほど》に
|口《くち》の|賤《いや》しい|国依《くにより》の 【わけ】が|分《わか》からぬその|為《ため》に
あれ|丈《だけ》|苦《くるし》い|目《め》に|会《あ》うた |常楠《つねくす》さまの|報告《はうこく》で
ヤツと|安心《あんしん》したものの |可哀相《かはいさう》なは|両人《りやうにん》ぢや
|国依別《くによりわけ》は|神勅《しんちよく》を |叛《そむ》いて|神《かみ》の|冥罰《めいばつ》を
|喰《く》つたのなれば|何《ど》うならうと |仮令《たとへ》|死《し》んでも|構《かま》はない
|二人《ふたり》の|奴《やつ》を|助《たす》けたい なぞと|今頃《いまごろ》|三人《さんにん》は
|首《くび》を|鳩《あつ》めてひそびそと |小田原評定《をだはらへうぢやう》の|最中《さいちう》だろ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》の|幸《さち》を|蒙《かうむ》りて
|空中《くうちう》|飛行《ひかう》の|曲芸《きよくげい》を うまく|演《えん》じた|吾々《われわれ》は
お|蔭《かげ》で|生命《いのち》に|別条《べつでう》なく シヤンシヤンここ|迄《まで》やつて|来《き》た
|言依別《ことよりわけ》や|若彦《わかひこ》も よもやこれ|丈《だけ》|達者《たつしや》ぞと
|思《おも》ひ|初《そ》めては|居《を》られまい |其処《そこ》へヌツクリ|顔《かほ》|出《だ》せば
|死《し》んだ|我《わが》|子《こ》が|我《わが》|家《いへ》に |笑《わら》つて|皈《かへ》つて|来《き》たやうに
|悦《よろこ》び|勇《いさ》んで|呉《く》れるだろ オツトドツコイ|言《い》ひ|過《す》ぎた
|又《また》|茶目式《ちやめしき》になりかけた |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|宣《の》り|直《なほ》しませ|天津神《あまつかみ》 |国津御神《くにつみかみ》の|御前《おんまへ》に
|国依別《くによりわけ》が|生命《せいめい》を |助《たす》けられたる|嬉《うれ》しさに
|感謝《かんしや》の|歌《うた》を|奉《たてまつ》る |手《て》の|舞《ま》ひ|足《あし》の|踏《ふ》むところ
|知《し》らずと|云《い》ふは|此《この》|事《こと》か |余《あんま》り|嬉《うれ》しうて|持前《もちまへ》の
|茶目《ちやめ》が|出《で》て|来《き》て|脱線《だつせん》し |不都合《ふつがふ》な|事《こと》を|云《い》ひました
|幾重《いくへ》にも|御詫《おわび》|申《まを》します |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|今度《こんど》の|事《こと》に|懲々《こりこり》し |毛筋《けすぢ》の|巾《はば》の|横幅《よこはば》も
|反《そむ》かず|神《かみ》の|御教《みをしへ》を |必《かなら》ず|守《まも》り|奉《たてまつ》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|元気《げんき》に|任《まか》せて|声《こゑ》|高《たか》らかに|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|足並《あしなみ》|揃《そろ》へて|奥《おく》へ|奥《おく》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・七・二五 旧六・二 外山豊二録)
第四篇 |竜神昇天《りうじんしようてん》
第一二章 |湖上《こじやう》の|怪物《くわいぶつ》〔七九四〕
|言依別《ことよりわけ》は|若彦《わかひこ》と|共《とも》に、|途中《とちう》に|国依別《くによりわけ》の|身《み》に|対《たい》し、|斯《か》かる|変事《へんじ》ありとは|夢《ゆめ》にも|知《し》らず|一心不乱《いつしんふらん》に|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し|乍《なが》ら、|千畳敷《せんぜうじき》の|岩石《がんせき》、|彼方《あなた》|此方《こなた》に|伍列《ごれつ》する|谷間《たにま》に、|漸《やうや》く|辿《たど》り|着《つ》き、|目《め》を|放《はな》てば|紺碧《こんぺき》の|淵《ふち》、|際限《さいげん》もなく|山《やま》と|山《やま》との|谷間《たにま》に|押《お》し|拡《ひろ》がり、|風《かぜ》も|無《な》きに|波《なみ》|高《たか》く|立《た》ち|騒《さわ》いで|居《ゐ》る。|一見《いつけん》して|実《じつ》に|凄惨《せいさん》の|気《き》に|襲《おそ》はるる|如《ごと》くである。|言依別《ことよりわけ》は|後《あと》|振《ふ》り|返《かへ》り、
|言依別《ことよりわけ》『|若彦《わかひこ》さま、ここは|琉《りう》と|球《きう》との|宝玉《ほうぎよく》を|持《も》つて|居《ゐ》る|竜神《りうじん》の|棲処《すみか》でせう』
|若彦《わかひこ》『ハイ|左様《さやう》で|御座《ござ》います。|今日《けふ》は|大変《たいへん》に|浪《なみ》が|荒《あ》れて|居《を》ります。|屹度《きつと》|途中《とちう》に|於《おい》て|国依別《くによりわけ》、|常楠《つねくす》が、|何《なに》か|神慮《しんりよ》に|叶《かな》はぬ|事《こと》を|行《や》つたのではあるまいかと、|気《き》に|掛《かか》つてなりませぬ。………アレアレ|御覧《ごらん》なさいませ。|此《この》|無風《むふう》|地帯《ちたい》に|浪《なみ》は|増々《ますます》|荒《あら》くなつて|来《き》たではありませぬか。アレアレ|山《やま》の|如《ごと》き|波《なみ》が|立《た》つて|来《き》ました』
|言依別《ことよりわけ》『|成程《なるほど》、|此《この》|湖水《こすゐ》は|余程《よほど》|趣《おもむ》きが|違《ちが》つて|居《を》ります。|此《この》|波《なみ》の|立《た》つ|様子《やうす》から|考《かんが》へても、|貴《たつと》き|竜神《りうじん》が|潜伏《せんぷく》して|居《を》られるのは|明《あきら》かであります。|併《しか》し|乍《なが》ら|国依別《くによりわけ》や|常楠《つねくす》|其《その》|他《た》の|方々《かたがた》は、|如何《どう》なつたのでせうか。|大変《たいへん》に|遅《おそ》いぢやありませぬか』
|若彦《わかひこ》『|途中《とちう》に|於《おい》て、|竜神《りうじん》の|守護《しゆご》すると|云《い》ふ|太平柿《たいへいがき》が、|枝《えだ》もたわわに|実《み》のつて|居《を》りましたが、|大方《おほかた》|彼《あ》の|柿《かき》でも|国依別《くによりわけ》さまが|取《と》つて|喰《く》ひ、|竜神《りうじん》の|怒《いか》りに|触《ふ》れて、|一騒動《ひとさうどう》をオツ|始《ぱじ》めて|居《ゐ》るのではありますまいかと|気《き》が|気《き》でなりませぬ』
|言依別《ことよりわけ》『あの|男《をとこ》は|茶目式《ちやめしき》で、|揶揄《からかひ》|専門《せんもん》より|外《ほか》に|芸能《げいのう》のない|男《をとこ》だ。|然《しか》し|淡白《たんぱく》で|正直《しやうぢき》で|面白《おもしろ》い|奴《やつ》だから、|人《ひと》の|恐《おそ》れる|柿《かき》を|取《と》つて|見《み》ようなぞと、|痩我慢《やせがまん》を|出《だ》したのかも|知《し》れませぬよ。|常楠翁《つねくすをう》は|実《じつ》に|真面目《まじめ》な|人《ひと》だから、|矢張《やつぱり》|国依別《くによりわけ》の|巧《うま》い|口《くち》に|乗《の》せられて、|犠牲《まきぞへ》を|喰《く》つて|居《ゐ》るのでせう。|何《なに》は|兎《と》もあれ|一同《いちどう》|無事《ぶじ》な|様《やう》に|此処《ここ》で|祈願《きぐわん》を|致《いた》しませう』
と|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|湖面《こめん》に|向《むか》つて|両人《りやうにん》は|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|唄《うた》ひ|上《あ》げて|稍《やや》|時《とき》を|費《つい》やした。
|木《こ》の|間《ま》を|漏《も》れて|笠《かさ》が|揺《ゆら》ついて|来《く》る。よくよく|見《み》れば|常楠《つねくす》は|只《ただ》|一人《ひとり》、|息《いき》せききつて|登《のぼ》り|来《きた》り、|二人《ふたり》の|前《まへ》に|手《て》を|突《つ》いて、
|常楠《つねくす》『ドウも|御待《おま》たせ|致《いた》しました。|嘸《さぞ》|御退屈《ごたいくつ》で|居《ゐ》らせられたでせう。これには|少《すこ》し|訳《わけ》が|御座《ござ》いますので、ツイ|時間《じかん》を|潰《つぶ》しました。どうぞ|御赦《おゆる》しを|願《ねが》ひたう|御座《ござ》います』
|言依別《ことよりわけ》『|大方《おほかた》|国依別《くによりわけ》が、|竜神《りうじん》の|柿《かき》を|採《と》つて|喰《く》つたのぢやありませぬか』
|常楠《つねくす》『ハイ|其《その》|為《た》めに|大変《たいへん》な|珍事《ちんじ》|突発《とつぱつ》|致《いた》し、イヤもう|気《き》を|揉《も》みましたが、|稍《やや》|安心《あんしん》する|事《こと》が|出来《でき》ましたので、|取《と》るものも|取《と》り|敢《あへ》ず、|此処迄《ここまで》|急《いそ》いで|登《のぼ》つて|参《まゐ》りました』
と|息《いき》をつぎつぎ|苦《くる》しさうに|物語《ものがた》る。|言依別《ことよりわけ》は|膝《ひざ》を|進《すす》め|猶《なほ》も|次《つぎ》から|次《つぎ》へと、|詳細《しやうさい》に|尋《たづ》ねた。|常楠《つねくす》は|有《あ》りし|事《こと》ども|一切《いつさい》|包《つつ》まず|隠《かく》さず|物語《ものがた》つた。
|三人《さんにん》は|又《また》もや|国依別《くによりわけ》の|無事《ぶじ》を|祝《しゆく》し、|再《ふたた》び|感謝《かんしや》|祈願《きぐわん》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》しつつあつた。|其処《そこ》へ|以前《いぜん》の|歌《うた》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|意気《いき》|揚々《やうやう》として|国依別《くによりわけ》は、チヤール、ベース|外《ほか》|五人《ごにん》を|引《ひ》き|連《つ》れ、|三人《さんにん》の|前《まへ》に|現《あら》はれ、|頭《あたま》を|掻《か》き|乍《なが》ら、
|国依別《くによりわけ》『イヤどうも、|長《なが》らく|御待《おま》たせ|申《まを》して|申訳《まをしわけ》が|御座《ござ》いませぬ。|様子《やうす》は|残《のこ》らず|常楠翁《つねくすをう》から|御聞取《おききとり》の|事《こと》と|存《ぞん》じますれば、|何《なに》も|申上《まをしあ》げませぬ。これにて|私《わたし》も|副守護神《ふくしゆごじん》の|茶目坊《ちやめぼう》が|悉皆《しつかい》|退散《たいさん》|致《いた》しまして、|本当《ほんたう》に|真摯《しんし》な、|率直《そつちよく》な、|清廉《せいれん》な、|潔白《けつぱく》な、|勇壮活溌《ゆうさうくわつぱつ》な|人物《じんぶつ》に|生《うま》れ|代《かは》りました』
|若彦《わかひこ》『アハヽヽヽ、|国依別《くによりわけ》さま、|茶目坊《ちやめぼう》は……|益々《ますます》|猛烈《ひどく》なつたぢやありませぬか』
|国依別《くによりわけ》『|灯火《とうくわ》の|滅《めつ》せんとするや|其《その》|光《ひかり》|殊《こと》に|強《つよ》し……とか|云《い》つて、|副守《ふくしゆ》の|奴《やつ》、|今《いま》や|滅亡《めつぼう》の|断末魔《だんまつま》の|悲痛《ひつう》の|叫《さけ》びで|御座《ござ》います。|実《じつ》に【|悲痛《ひつ》こ】い|守護神《しゆごじん》で、|国依別《くによりわけ》も|誠《まこと》に|迷惑千万《めいわくせんばん》。チヤール、ベースの|両人《りやうにん》も、|鰒《ふぐ》の|如《ごと》く|腹《はら》|膨《ふく》れ、|臨月《りんげつ》の|女房《にようばう》が|三《み》ツ|児腹《ごばら》を|抱《かか》へた|様《やう》な|体裁《ていさい》、ウンウンキヤアキヤア|唸《うな》り|通《とほ》し、|揚句《あげく》にや|皮癬《ひぜん》|掻《か》いて、おまけに|疳瘡《かんさう》で、|陰金《いんきん》【たむし】で………』
|若彦《わかひこ》『|国依別《くによりわけ》さま、|又《また》|脱線《だつせん》しましたぞ。|好《い》い|加減《かげん》に|茶目坊《ちやめぼう》を|追《お》ひ|出《だ》しなさらぬか』
|国依別《くによりわけ》『|何程《なにほど》チヤール、ベース|坊《ぼう》を|追《お》ひ|出《だ》さうと|思《おも》うても、|私《わたし》に|引付《ひつつ》いて|生命《いのち》の|親《おや》ぢやと|思《おも》うて、|副守《ふくしゆ》が|放《はな》れぬのですから|仕方《しかた》がありませぬ……なア、チヤール、ベース、|若彦《わかひこ》さまの|仰有《おつしや》る|通《とほ》り、モウ|私《わたし》の|副守護神《ふくしゆごじん》になる|必要《ひつえう》はないから、トツトと|離《はな》れて|下《くだ》さい』
|常楠《つねくす》『オホヽヽヽ、|何《なん》とまア、|戦場《せんぢやう》に|臨《のぞ》んで|気楽《きらく》な|事《こと》を|言《い》うて|居《を》る|方《かた》だ|事《こと》』
|国依別《くによりわけ》『|強敵《きやうてき》を|前《まへ》に|控《ひか》へて|横笛《よこぶえ》を|吹《ふ》き、|悠揚《いうやう》|迫《せま》らざる|其《その》|態度《たいど》、これで|無《な》くては|本当《ほんたう》の|言霊戦《ことたません》に|参加《さんか》し、|大勝利《だいしようり》を|羸《か》ち|得《う》る|事《こと》は|不可能《ふかのう》でせう。アハヽヽヽ』
|此《この》|時《とき》|一陣《いちぢん》の|暴風《ばうふう》|水面《すゐめん》より|吹《ふ》き|起《おこ》り、|巨大《きよだい》なる|岩石《がんせき》|迄《まで》|空中《くうちう》に|巻《ま》き|上《あ》げる|勢《いきほひ》となつて|来《き》た。「コリヤ|大変《たいへん》」と|国依別《くによりわけ》は、|大木《たいぼく》の|幹《みき》に|抱付《だきつ》き、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|声《こゑ》|迄《まで》|震《ふる》はせて|祈念《きねん》して|居《ゐ》る。|何故《なにゆゑ》か|言依別《ことよりわけ》、|若彦《わかひこ》、|常楠《つねくす》|其《その》|他《た》|一同《いちどう》は、さしもの|暴風《ばうふう》に|裾《すそ》さへも|吹《ふ》かれず|依然《いぜん》として|其《その》|場《ば》に|端坐《たんざ》して|居《ゐ》た。
|言依別《ことよりわけ》『|国依別《くによりわけ》さま、|強敵《きやうてき》を|前《まへ》に|控《ひか》へて、|余裕綽々《しやくしやく》たる|貴下《あなた》の|態度《たいど》、|実《じつ》に|感《かん》じ|入《い》りました』
|若彦《わかひこ》|可笑《をか》しさを|耐《こら》へて「キユーキユーキユープー」と|吹《ふ》き|出《だ》して|居《ゐ》る。|常楠《つねくす》は|真面目《まじめ》な|顔《かほ》をして|控《ひか》へて|居《ゐ》る。
|国依別《くによりわけ》『|綽々《しやくしやく》として|根《ね》つから|余裕《よゆう》は|有《あ》りませぬ。|神直日《かむなほひ》、|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》して|下《くだ》さいませ。どうぞ|此《この》|烈風《れつぷう》を|止《と》まるやうに|御祈念《ごきねん》して|下《くだ》さい。あのやうな|大岩石《だいがんせき》が|頭上《づじやう》に|落下《らくか》しようものなら、それこそ|五体《ごたい》は|微塵《みじん》になりませう。|何《なん》だか|体躯《からだ》の|筋肉《きんにく》が|細密《さいみつ》に|活動《くわつどう》し|初《はじ》めました』
|若彦《わかひこ》『|国依別《くによりわけ》さま、|何処《どこ》に|烈風《れつぷう》が|吹《ふ》いて|居《を》りますか。|少《すこ》し|風《かぜ》が|欲《ほ》しい|位《くらゐ》だ。|余《あま》り|暑《あつ》いからなア……|貴下《あなた》の|目《め》には|風《かぜ》が|吹《ふ》くやうに|見《み》えますか』
|国依別《くによりわけ》『アヽどうしても……コリヤ……|私《わたくし》はどうかして|居《を》るワイ。ほんに|矢張《やつぱり》|風《かぜ》は|吹《ふ》いて|居《を》りませぬなア。|大方《おほかた》|過去《くわこ》か|未来《みらい》の|烈風《れつぷう》の|惨状《さんじやう》が|時間《じかん》|空間《くうかん》を|超越《てうゑつ》して、|私《わたくし》の|目《め》に|映《うつ》つたのでせう』
|若彦《わかひこ》『|何処迄《どこまで》も|徹底《てつてい》した|何々《なになに》ですな、アハヽヽヽ』
と|笑《わら》ふ。
|言依別命《ことよりわけのみこと》は|厳然《げんぜん》として、
|言依別《ことよりわけ》『サア、|国依別《くによりわけ》さま、|是《これ》からが|正念場《しやうねんば》だ。|今晩《こんばん》は|此《この》|谷間《たにま》の|湖水《こすゐ》を|眺《なが》めて|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らし、|竜神《りうじん》の|宝玉《ほうぎよく》を|受取《うけと》らねばならない、|大切《たいせつ》な|用《よう》でありますぞ。|是《これ》|限《かぎ》り|真面目《まじめ》になつて|善言美詞《ぜんげんびし》の|一点張《いつてんば》り、|気《き》を|付《つ》けなされませ』
|国依別《くによりわけ》『ハイ』
と|淑《しと》やかに|夢《ゆめ》から|覚《さ》めたる|如《ごと》く、|両手《りやうて》を|突《つ》き|真面目《まじめ》くさつて、|頭《あたま》を|下《さ》げて|居《ゐ》る。|一同《いちどう》は|三間《さんげん》|計《ばか》り|距離《きより》を|隔《へだ》てて、|谷川《たにがは》の|湖辺《こへん》に|伍列《ごれつ》する|岩影《いはかげ》に|身《み》を|忍《しの》ばせ、|暗祈黙祷《あんきもくたう》し|乍《なが》ら|時《とき》の|移《うつ》るを|待《ま》つ|事《こと》とした。
|夜《よ》は|追々《おひおひ》と|更《ふ》けて|来《く》る。|西《にし》から|東《ひがし》から|延長《えんちやう》した、|山《やま》と|山《やま》との|谷間《たにま》は、|二十三夜《にじふさんや》の|利鎌《とがま》の|様《やう》な|月《つき》、|漸《やうや》く|雲《くも》を|押《お》し|分《わ》けて|昇《のぼ》つて|来《き》た。|一同《いちどう》は|月光《げつくわう》に|向《むか》つて|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らし|居《を》る|際《さい》、|礫《つぶて》の|雨《あめ》、まばらにパラパラと|石《いし》を|撒《ま》くやうに|降《ふ》つて|来《き》た。|湖面《こめん》を|見《み》れば|幾《いく》つともなく、|水鉢《みづばち》を|並《なら》べた|様《やう》に|水面《すゐめん》に|凹《くぼ》みを|印《いん》し、|円《まる》き|波紋《はもん》は|互《たがひ》に|重《かさ》なり|重《かさ》なりて、|時計《とけい》の|蓋《ふた》の|生地《きぢ》の|様《やう》に|見《み》えて|来《き》た。|暫《しばら》くにして|大粒《おほつぶ》の|雨《あめ》は|止《と》まつた。|湖底《うみぞこ》に|得《え》も|言《い》はれぬ|蜒々《えんえん》たる|火柱《ひばしら》の|如《ごと》きもの|横《よこ》たはり|輝《かがや》き|初《はじ》めた。|一同《いちどう》は|声《こゑ》を|潜《ひそ》めて、|此《この》|光景《くわうけい》を|見守《みまも》つて|居《ゐ》る。|微妙《びめう》の|音楽《おんがく》に|引《ひき》かへ、|四辺《あたり》の|谷々《たにだに》|山々《やまやま》より|何《なん》とも|云《い》へぬ|殺風景《さつぷうけい》な|怪音《くわいおん》が|一時《いちじ》に|響《ひび》いて|来《き》た。|大地《だいち》は|唸《うな》りを|立《た》てて|震動《しんどう》し、|一同《いちどう》の|体《からだ》|迄《まで》がビリビリと|響《ひび》き|出《だ》した。|忽《たちま》ち|四辺《しへん》は|暗澹《あんたん》として|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜざるに|立至《たちいた》つた。
|其《その》|時《とき》|忽然《こつぜん》として|波《なみ》の|上《うへ》を|歩《あゆ》み|乍《なが》ら、|此方《こなた》に|向《むか》つて|進《すす》み|来《きた》る|白色《はくしよく》の|長大《ちやうだい》なる|怪物《くわいぶつ》がある。|近《ちか》づくに|従《したが》つてよくよく|見《み》れば、|頭髪《とうはつ》|飽迄《あくまで》|白《しろ》く|背後《はいご》に|垂《た》れ、|髯《ひげ》は|臍《へそ》の|辺《あたり》まで|垂《た》らし、|顔《かほ》は|紅《べに》の|如《ごと》く|目《め》は|鏡《かがみ》の|如《ごと》く、|金色《きんしよく》|燦然《さんぜん》たる|二本《にほん》の|角《つの》|四五寸《しごすん》|許《ばか》りのもの、|額《ひたい》の|左右《さいう》に|行儀《ぎやうぎ》よく|並立《へいりつ》し、|耳《みみ》|迄《まで》|引裂《ひきさ》けたる|鰐口《わにぐち》に|金色《きんしよく》の|牙《きば》を|剥《む》き|出《だ》し、|何《なん》とも|言《い》へぬ|妙《めう》な|石原薬鑵声《いしばらやくわんごゑ》で、
|怪物《くわいぶつ》『|我《われ》こそはハーリス|山《ざん》の|竜神《りうじん》、|大竜別命《おほたつわけのみこと》、|大竜姫命《おほたつひめのみこと》の|一《いち》の|眷属《けんぞく》、|竜若彦神《たつわかひこのかみ》であるぞよ。|其《その》|方《はう》|事《こと》|聖地《せいち》に|於《おい》て、|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫命《たまてるひめのみこと》より|神命《しんめい》を|奉《ほう》じ、|琉《りう》、|球《きう》の|宝玉《ほうぎよく》を|大竜別命《おほたつわけのみこと》、|大竜姫命《おほたつひめのみこと》より|受取《うけと》らんと、|遥々《はるばる》|此処《ここ》に|来《きた》れる|事《こと》、|大神様《おほかみさま》に|於《おい》ても|止《や》むを|得《え》ずとして、|御満足《ごまんぞく》|遊《あそ》ばして|御座《ござ》る。|併《しか》し|乍《なが》ら|言依別命《ことよりわけのみこと》の|幕下《ばくか》に|仕《つか》ふる、|国依別命《くによりわけのみこと》、|竜神《りうじん》の|柿《かき》を|盗《ぬす》み|喰《くら》ひし|其《その》|為《た》めに、|我《わが》|眷属《けんぞく》|共《ども》|大《おほい》に|立腹《りつぷく》|致《いた》し、|斯《か》かる|天地《てんち》の|道理《だうり》を|弁《わきま》へざる|家来《けらい》を|持《も》つ|言依別《ことよりわけ》に|渡《わた》す|事《こと》は、|一《ひと》つ|考《かんが》へねばならぬと|大変《たいへん》な|大評定《だいへうぢやう》で|御座《ござ》る。も|一度《いちど》|聖地《せいち》へ|帰《かへ》り、|出直《でなほ》して|修行《しうぎやう》を|一《いち》から|行《や》り|替《か》へ、|改《あらた》めて|二《ふた》つの|宝玉《ほうぎよく》を|御迎《おむか》ひに|参《まゐ》つたがよからうぞ』
|若彦《わかひこ》『それ|見《み》よ、|国依別《くによりわけ》さま、お|前《まへ》|一人《ひとり》で|皆《みな》の|者《もの》が|総崩《そうくづ》れになつたぢやないか。それだから|一匹《いつぴき》の|馬《うま》が|狂《くる》へば|千匹《せんびき》の|馬《うま》が|狂《くる》うと|云《い》ふのだ』
|国依別《くによりわけ》『|八釜敷《やかまし》う|云《い》ふな。|俺《おれ》が|竜若彦《たつわかひこ》に|直接《ちよくせつ》|談判《だんぱん》をやつて、|見《み》ん|事《ごと》|受取《うけと》つて|帰《かへ》る。……コラコラ|竜若彦《たつわかひこ》とやら、|汝《なんぢ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》に|向《むか》つて、|礼儀《れいぎ》を|知《し》らず|不届《ふとど》きな|奴《やつ》だ。|種々《いろいろ》と|化様《ばけやう》もあらうに、|其《その》|方《はう》の|失敬《しつけい》|千万《せんばん》なる|顔《かほ》は|一体《いつたい》|何《なん》だ。|人《ひと》に|対《たい》する|時《とき》は|最《もつと》も|美《うる》はしき|顔色《かんばせ》を|以《もつ》て、|笑顔《ゑがほ》を|十二分《じふにぶん》に|湛《たた》え、|挨拶《あいさつ》するが|神《かみ》の|礼儀《れいぎ》なるに、|鬼面《きめん》|人《ひと》を|驚《おどろ》かすと|云《い》ふ、|其《その》|方《はう》の|遣《や》り|方《かた》、|国依別《くによりわけ》|中々《なかなか》|承知《しようち》|仕《つかまつ》らぬぞ。これに|返答《へんたふ》|有《あ》らば|承《うけたま》はらう。……|又《また》|竜神《りうじん》の|柿《かき》を|採《と》り|喰《くら》ひしを、|汝《なんぢ》は|非常《ひじやう》に|罪悪《ざいあく》の|如《ごと》く|今《いま》|申《まを》したが、|彼《あ》の|柿《かき》なるもの、|竜神《りうじん》の|平素《へいそ》|食《しよく》す|可《べ》きものなるや|返答《へんたふ》|聞《き》かう。|柿《かき》は|人間《にんげん》の|喰《く》うべきもの、|人間《にんげん》に|次《つ》いでは|猿《さる》、|烏《からす》の|食《しよく》す|可《べ》き|物《もの》だ。|人《ひと》にも|喰《く》はさず、|棚《たな》にも|置《お》かず、【あたら】|天与《てんよ》の|珍味《ちんみ》を|毎年《まいねん》|木《き》に|腐《くさ》らし、|天恵《てんけい》を|無視《むし》する|大逆無道《だいぎやくぶだう》、|国依別《くによりわけ》…サアこれより|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》を|以《もつ》て、|汝等《なんぢら》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|大竜別命《おほたつわけのみこと》、|大竜姫命《おほたつひめのみこと》を|言向《ことむ》け|和《やは》し、|天晴《あつぱれ》、|琉《りう》、|球《きう》の|玉《たま》を|奉《たてまつ》らせ|呉《く》れん。|此《この》|方《はう》の|言《げん》に|向《むか》つて|一言《いちごん》の|弁解《べんかい》あるか……|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》………』
と|国依別《くによりわけ》は|自暴自棄《やけくそ》になり、|背水《はいすゐ》の|陣《ぢん》を|張《は》つて|力《ちから》|限《かぎ》りに|言霊《ことたま》を|奏上《そうじやう》した。|竜若彦命《たつわかひこのみこと》と|称《しよう》する|怪物《くわいぶつ》は、|次第《しだい》|々々《しだい》に|容積《ようせき》を|減《げん》じ、|遂《つひ》には|豆《まめ》の|如《ごと》くになつて|消《き》えて|了《しま》つた。|国依別《くによりわけ》は、
|国依別《くによりわけ》『アハヽヽヽ、コレ|若彦《わかひこ》さま、|御心配《ごしんぱい》|御無用《ごむよう》になされませ。これより|国依別《くによりわけ》、|飽迄《あくまで》も|言霊《ことたま》を|以《もつ》て|奮戦《ふんせん》し、|目的《もくてき》の|琉《りう》、|球《きう》の|宝玉《ほうぎよく》を|受取《うけと》つて|見《み》せませう。|最早《もはや》|吾々《われわれ》に|渡《わた》す|可《べ》き|時機《じき》が|到来《たうらい》したのだ。さうでなくては|大神《おほかみ》の|直司《ぢきつかさ》なる、|玉照彦《たまてるひこ》|様《さま》、|玉照姫《たまてるひめ》|様《さま》が|何《なに》しに|教主《けうしゆ》に|御命令《ごめいれい》あるものか。|此《この》|竜神《りうじん》|執着心《しふちやくしん》|未《いま》だ|晴《は》れやらず、|小《ちい》さき|事《こと》に【かこ】|付《つ》けて、すつた|揉《も》んだと|一日《いちにち》なりとも|永《なが》く|手《て》に|持《も》たんと、|吝嗇《けち》な|奴根性《どこんじやう》から|申《まを》して|居《ゐ》たのである。………ヤアヤア|湖底《こてい》にある|竜神《りうじん》、よつく|聞《き》け。|三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|司《つかさ》|言依別命《ことよりわけのみこと》、|国依別命《くによりわけのみこと》、|若彦《わかひこ》、|常楠《つねくす》の|四魂《しこん》|揃《そろ》うて|玉《たま》|受取《うけと》りに|向《むか》うたり。|時節《じせつ》には|叶《かな》ふまい、|速《すみや》かに|我《わが》|前《まへ》に|持来《もちきた》り|目出度《めでた》く|授受《じゆじゆ》を|終《をは》れツ』
と|大喝《だいかつ》した。|此《この》|時《とき》の|国依別《くによりわけ》の|顔面《がんめん》は、|四辺《あたり》を|射《い》るが|如《ごと》く|崇高《すうかう》なる|権威《けんゐ》に、|何処《どこ》となく|充《みた》されて|居《を》つた。
(大正一一・七・二五 旧六・二 谷村真友録)
第一三章 |竜《りゆう》の|解脱《げだつ》〔七九五〕
|大海中《おほわだなか》に|浮《うか》びたる |誉《ほまれ》も|高《たか》き|琉球《りうきう》の
|玉《たま》の|潜《ひそ》みし|神《かみ》の|島《しま》 |三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》
|一度《いちど》に|開《ひら》く|時《とき》|来《きた》り |綾《あや》の|聖地《せいち》に|宮柱《みやばしら》
|太敷《ふとしき》|立《た》てて|千木《ちぎ》|高《たか》く |鎮《しづ》まりゐます|厳御霊《いづみたま》
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|神勅《しんちよく》を |玉照神《たまてるがみ》の|二柱《ふたはしら》
|完全《うまら》に|詳細《つばら》に|受《う》け|給《たま》ひ |瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|御裔《みすゑ》なる
|言依別《ことよりわけ》に|言依《ことよ》さし |潮満玉《しほみつだま》や|潮干《しほひる》の
|珍《うづ》の|宝《たから》を|索《もと》めんと |教主《けうしゆ》|自《みづか》ら|国依別《くによりわけ》の
|教《をしへ》の|司《つかさ》を|引《ひ》き|率《つ》れて |浪路《なみぢ》を|遥《はるか》に|乗《の》り|渡《わた》り
|漸《やうや》う|此処《ここ》に|来《き》て|見《み》れば |我《われ》より|前《さき》に|紀《き》の|国《くに》の
|若彦《わかひこ》|始《はじ》め|常楠《つねくす》が |又《また》もや|神《かみ》の|御勅宣《みことのり》
|正《まさ》しく|受《う》けて|逸早《いちはや》く |来《きた》り|居《ゐ》ませる|尊《たふと》さよ
|天《てん》を|封《ふう》じて|立《た》ち|並《なら》ぶ |欅《けやき》の|楠《くす》の|森林《しんりん》に
|勝《すぐ》れて|太《ふと》き|槻《つき》の|幹《みき》 |天然《てんねん》|自然《しぜん》の|洞穴《ほらあな》に
|若彦《わかひこ》、|常楠《つねくす》|両人《りやうにん》は |木俣《こまた》の|神《かみ》と|現《あら》はれて
|島人《しまびと》|等《たち》を|大神《おほかみ》の |稜威《みいづ》に|言向《ことむ》け|和《やは》しつつ
|時《とき》の|来《きた》るを|待《ま》つ|間《うち》に |言霊《ことたま》|清《きよ》き|言依別《ことよりわけ》の
|瑞《みづ》の|命《みこと》の|大教主《だいけうしゆ》 |国依別《くによりわけ》と|諸共《もろとも》に
|来《きた》りましたる|嬉《うれ》しさに |若彦《わかひこ》、|常楠《つねくす》|勇《いさ》み|立《た》ち
ハーリス|山《ざん》の|山奥《やまおく》に |心《こころ》も|勇《いさ》む|膝栗毛《ひざくりげ》
|鞭《むち》|撻《う》ち|進《すす》む|谷《たに》の|奥《おく》 |湖水《こすゐ》の|前《まへ》に|着《つ》きにける
|四辺《あたり》は|闇《やみ》に|包《つつ》まれて |礫《つぶて》の|雨《あめ》は|降《ふ》りしきり
|物凄《ものすさま》じき|折《をり》もあれ |闇《やみ》の|帳《とばり》を|引《ひ》き|開《あ》けて
|波上《はじやう》を|歩《あゆ》み|進《すす》み|来《く》る |怪《あや》しの|影《かげ》を|眺《なが》むれば
|髭《ひげ》|蓬々《ばうばう》と|胸《むね》に|垂《た》れ |雪《ゆき》を|欺《あざむ》く|白髪《はくはつ》は
|長《なが》く|背後《はいご》に|垂《た》れ|下《さが》り |眼《まなこ》は|鏡《かがみ》の|如《ごと》|光《ひか》り
|朱《あけ》を|濺《そそ》ぎし|顔《かほ》の|色《いろ》 |耳《みみ》|迄《まで》|裂《さ》けた|鰐口《わにぐち》に
|黄金《こがね》の|色《いろ》の|牙《きば》を|剥《む》き |四五寸《しごすん》|許《ばか》り|金色《こんじき》の
|角《つの》を|額《ひたい》に|立《た》て|乍《なが》ら ガラガラ|声《ごゑ》を|張《は》りあげて
|怪《あや》しき|舌《した》をニヨツと|出《だ》し |言依別《ことよりわけ》の|一行《いつかう》に
|向《むか》つて|叱言《こごと》を|言《い》ひ|掛《か》ける |叱言《こごと》の|条《すぢ》は|竜神《たつがみ》の
|守《まも》ると|聞《きこ》えし|太平柿《たいへいがき》 |国依別《くによりわけ》が|畏《かしこ》くも
|盗《ぬす》んで|食《く》つたが|罪《つみ》なりと |執着心《しふちやくしん》の|鬼神《おにがみ》が
|力《ちから》|限《かぎ》りに|罵倒《ばたふ》して |琉《りう》と|球《きう》との|宝玉《ほうぎよく》を
|渡《わた》さじものと|繩《なは》を|張《は》る |魔神《まがみ》の|張《は》りし|鉄条網《てつでうまう》
|手《て》も|無《な》く|切《き》つて|呉《く》れんずと |磊落不覊《らいらくふき》の|神司《かむづかさ》
|国依別《くによりわけ》が|言霊《ことたま》の |打《う》ち|出《だ》す|誠《まこと》の|砲撃《はうげき》に
|流石《さすが》の|魔神《まがみ》も|辟易《へきえき》し おひおひ|姿《すがた》を|縮小《しゆくせう》し
|豆《まめ》の|如《ごと》くになり|果《は》てて |遂《つひ》にあえなく|消《き》えにける。
『あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
|金剛不壊《こんがうふえ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》 |国依別《くによりわけ》が|丹田《たんでん》に
|秘《ひ》め|隠《かく》したる|言霊《ことたま》の |力《ちから》に|刃向《はむか》ふ|楯《たて》はなし
|我《われ》は|正義《せいぎ》の|鉾《ほこ》とりて |天地《てんち》の|神《かみ》の|大道《だいだう》を
|高天原《たかあまはら》の|神《かみ》の|国《くに》 |豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》
|大海原《おほうなばら》の|底《そこ》までも |照《て》らし|渡《わた》さにや|置《お》くべきか
|国依別《くによりわけ》の|言霊《ことたま》は |筑紫《つくし》の|日向《ひむか》の|橘《たちばな》の
|小戸《をど》の|青木ケ原《あはぎがはら》と|鳴《な》る |神伊邪那岐大神《かむいざなぎのおほかみ》が
|珍《うづ》の|伊吹《いぶき》になりませる |祓戸四柱大御神《はらひどよはしらおほみかみ》
|瀬織津姫《せおりつひめ》や|伊吹戸主《いぶきどぬし》 |珍《うづ》の|大神《おほかみ》|始《はじ》めとし
|速秋津姫神《はやあきつひめのかみ》 |速佐須良姫神《はやさすらひめのかみ》
|此処《ここ》に|四柱《よはしら》|宣伝使《せんでんし》 |此《この》|神《かみ》|等《たち》の|生宮《いきみや》と
なりて|現《あら》はれ|来《きた》りけり |大竜別《おほたつわけ》や|大竜姫《おほたつひめ》の
|珍《うづ》の|命《みこと》の|竜神《たつがみ》よ |是《これ》の|天地《てんち》は|言霊《ことたま》の
|助《たす》くる|国《くに》ぞ|生《い》ける|国《くに》 |幸《さち》はひゐます|国《くに》なるぞ
|天《あま》の|岩戸《いはと》の|開《あ》け|放《はな》れ |根底《ねそこ》の|国《くに》も|明《あきら》かに
|澄《す》み|照《て》り|渡《わた》る|今《いま》の|世《よ》に |潮満珠《しほみつだま》や|潮干《しほひる》の
|二《ふた》つの|珠《たま》を|何時《いつ》までも |抱《いだ》きて|何《なん》の|益《えき》かある
|此《この》|世《よ》を|救《すく》ふ|瑞御霊《みづみたま》 |神《かみ》の|任《よさ》しの|両人《りやうにん》に
|惜《をし》まず|隠《かく》さず|矗々《すくすく》と |汝《なんぢ》が|姿《すがた》を|現《あら》はして
はや|献《たてまつ》れ|惟神《かむながら》 |神《かみ》は|我等《われら》と|倶《とも》にあり
|仮令《たとへ》|千尋《ちひろ》の|水底《みなそこ》に |何時迄《いつまで》|包《つつ》み|隠《かく》すとも
|三五教《あななひけう》の|我々《われわれ》が |此処《ここ》に|現《あら》はれ|来《き》し|上《うへ》は
|只《ただ》|一時《ひととき》も|一息《ひといき》も |躊躇《ためら》ひ|給《たま》ふ|事《こと》|勿《なか》れ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ
|一《ひと》、|二《ふた》、|三《みツ》、|四《よツ》、|五《いつツ》、|六《むツ》 |七《なな》、|八《や》、|九《ここのツ》、|十《とう》たらり
|百《もも》、|千《ち》、|万《よろづ》の|神人《しんじん》を |浦安国《うらやすくに》の|心安《うらやす》く
|堅磐常磐《かきはときは》に|守《まも》らんと |神《かみ》の|任《よさ》しの|此《この》|旅路《たびぢ》
|諾《うべ》なひ|給《たま》へ|逸早《いちはや》く』 |早《はや》く|早《はや》くと|宣《の》りつれば
|今迄《いままで》|包《つつ》みし|黒雲《くろくも》は |四辺《あたり》|隈《くま》なく|晴《は》れ|渡《わた》り
|浪《なみ》を|照《て》らして|一団《いちだん》の |火光《くわくわう》は|徐々《しづしづ》|両人《りやうにん》が
|佇《たたず》む|前《まへ》に|近《ちか》づきて |忽《たちま》ち|変《かは》る|二柱《ふたはしら》
|尊《たふと》き|女神《めがみ》と|相現《あひげん》じ |満面《まんめん》|笑《ゑみ》を|含《ふく》みつつ
|言依別《ことよりわけ》や|国依別《くによりわけ》の |二人《ふたり》の|前《まへ》に|手《て》を|束《つか》ね
|地《つち》より|湧《わ》き|出《づ》る|玉手箱《たまてばこ》 |各《おのおの》|一個《いつこ》を|両《りやう》の|手《て》に
|捧《ささ》げて|二人《ふたり》に|献《たてまつ》り |綾羅《れうら》の|袖《そで》を|翻《ひるがへ》し
|忽《たちま》ち|起《おこ》る|紫《むらさき》の |雲《くも》に|乗《じやう》じて|久方《ひさかた》の
|大空《おほぞら》|高《たか》く|天《あま》の|原《はら》 |日《ひ》の|稚宮《わかみや》に|登《のぼ》り|行《ゆ》く
|執着心《しふちやくしん》の|深《ふか》かりし |大竜別《おほたつわけ》や|大竜姫《おほたつひめ》の
|珍《うづ》の|命《みこと》の|両神《りやうしん》も |愈《いよいよ》|茲《ここ》に|三千年《みちとせ》の
|三寒《さんかん》|三熱《さんねつ》|苦行《くぎやう》を|終《を》へ |神《かみ》の|恵《めぐ》みに|救《すく》はれて
|茲《ここ》に|尊《たふと》き|天津神《あまつかみ》 |皇大神《すめおほかみ》の|御右《おんみぎ》に
|坐《ゐ》まして|清《きよ》き|神国《かみくに》の |常世《とこよ》の|春《はる》に|会《あ》ひ|給《たま》ふ
|実《げ》にも|尊《たふと》き|物語《ものがたり》 |語《かた》るも|嬉《うれ》し|今日《けふ》の|宵《よひ》
|陰暦《いんれき》|六月《ろくぐわつ》|第二日《だいににち》 |松雲閣《しよううんかく》に|横臥《わうぐわ》して
|団扇《うちは》|片手《かたて》に|拍子《へうし》とり さも|諄々《じゆんじゆん》と|述《の》べて|置《お》く
|筆《ふで》|執《と》る|人《ひと》は|【北村】《きたむら》|氏《し》 |神《かみ》の|稜威《みいづ》も|【隆光】《たかひか》る
|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》の |栞《しほり》となれば|望外《ばうぐわい》の
|喜《よろこ》びなりと|記《しる》し|置《お》く あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ。
|国依別《くによりわけ》の|言霊《ことたま》に|竜若彦《たつわかひこ》と|称《しよう》する|怪物《くわいぶつ》は|忽《たちま》ち|雲散霧消《うんさんむせう》し、|再《ふたた》び|現《あら》はれ|来《きた》る|大竜別《おほたつわけ》、|大竜姫《おほたつひめ》は|各《おのおの》|手《て》に|琉《りう》、|球《きう》の|玉《たま》を|納《をさ》めたる|玉手箱《たまてばこ》を、|言依別《ことよりわけ》、|国依別《くによりわけ》の|手《て》に|恭《うやうや》しく|捧《ささ》げ|三千年《さんぜんねん》の|三寒《さんかん》|三熱《さんねつ》の|苦行《くぎやう》を|茲《ここ》に|終了《しうれう》し、|一切《いつさい》の|執着《しふちやく》を|去《さ》つて、|悠々《いういう》として|紫《むらさき》の|雲《くも》に|乗《の》り、|天津日《あまつひ》の|稚宮《わかみや》に|上《のぼ》り、|大神《おほかみ》の|右《みぎ》に|座《ざ》し、|天《あめ》の|水分神《みくまりのかみ》となつて|降雨《かうう》を|調節《てうせつ》し|給《たま》ふ|大神《おほかみ》と|成《な》らせ|給《たま》うたのである。
|清《きよ》き|正《ただ》しき|言霊《ことたま》は|一名《いちめい》|金剛不壊《こんがうふえ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》とも|言《い》ふ。|此《この》|天地《てんち》は|言霊《ことたま》の|幸《さち》はひ|助《たす》け、|生《い》き|働《はたら》く|国《くに》である。|宇宙間《うちうかん》に|於《おい》て|最《もつと》も|貴重《きちよう》なる|宝《たから》は|声《こゑ》あつて|形《かたち》なく、|無《む》にして|有《いう》、|有《いう》にして|無《む》、|活殺《くわつさつ》|自由自在《じいうじざい》の|活用《くわつよう》ある|七十五声《しちじふごせい》の|言霊《ことたま》のみである。|之《これ》を|霊的《れいてき》に|称《とな》ふる|時《とき》は|即《すなは》ち|金剛不壊《こんがうふえ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》となる。|天照大御神《あまてらすおほみかみ》の|御神勅《ごしんちよく》に「|言向《ことむ》け|和《やは》せ、|宣《の》り|直《なほ》せ」とあり、|之《これ》は|神典《しんてん》|古事記《こじき》に|明《あきら》かに|示《しめ》されてある。|天《あま》の|下《した》|四方《よも》の|国《くに》を|治《をさ》め|給《たま》ふは|五百津美須麻琉《いほつみすまる》の|玉《たま》にして、|此《この》|玉《たま》の|活働《いきはたら》く|時《とき》は|天ケ下《あめがした》に|饑饉《ききん》もなく、|病災《びやうさい》も|無《な》く|戦争《たたかひ》も|無《な》し|又《また》|風難《ふうなん》、|水難《すゐなん》、|火難《くわなん》を|始《はじ》め、|地異天変《ちいてんぺん》の|虞《おそれ》なく、|宇宙《うちう》|一切《いつさい》|平安《へいあん》|無事《ぶじ》に|治《をさ》まるものである。
|又《また》、|今《いま》|此処《ここ》に|言依別《ことよりわけ》、|国依別《くによりわけ》の|二柱《ふたはしら》の|竜神《りうじん》より|受取《うけと》りたる|琉《りう》、|球《きう》の|二宝《にはう》は、|風雨水火《ふううすゐくわ》を|調節《てうせつ》し、|一切《いつさい》の|万有《ばんいう》を|摂受《せつじゆ》し|或《あるひ》は|折伏《しやくふく》し、よく|摂取不捨《せつしゆふしや》の|神業《しんげふ》を|完成《くわんせい》する|神器《しんき》である。
ここに|言依別命《ことよりわけのみこと》を|始《はじ》め、|一同《いちどう》は|湖水《こすゐ》に|向《むか》つて|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|歌《うた》ひ|上《あ》げ|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|心地《ここち》よげに|元来《もとき》し|道《みち》を|下《くだ》りつつ、|槻《つき》の|洞穴《どうけつ》に|一先《ひとま》づ|帰《かへ》る|事《こと》となつた。
|言依別《ことよりわけ》の|一行《いつかう》は |竜《たつ》の|湖水《こすゐ》を|後《あと》にして
|千畳岩《せんぜういは》の|碁列《ごれつ》せる |奇勝絶景《きしようぜつけい》|縫《ぬ》ひ|乍《なが》ら
|足《あし》に|任《まか》せて|降《くだ》り|行《ゆ》く |登《のぼ》りに|引《ひ》き|替《か》へ|下《くだ》り|坂《ざか》
|思《おも》うたよりも|速《すみや》かに |何時《いつ》の|間《ま》にかは|竜神《りうじん》の
|守《まも》り|居《ゐ》たると|伝《つた》へたる |太平柿《たいへいがき》の|辺《ほとり》まで
|帰《かへ》り|来《きた》れば|常楠《つねくす》は フト|立《た》ち|留《どま》り|一行《いつかう》を
|顧《かへり》み|乍《なが》ら『|教主《けうしゆ》さま |国依別神《くによりわけのかみ》さまが
|大蛇《をろち》の|群《むれ》に|襲《おそ》はれて |太平柿《たいへいがき》の|頂上《ちやうじやう》より
|身《み》を|躍《をど》らして|青淵《あをぶち》に ザンブと|許《ばか》り|飛《と》び|下《くだ》り
|仮死《かし》|状態《じやうたい》となり|果《は》てて |渦《うづ》に|巻《ま》かれて|流《なが》れたる
|改心《かいしん》|記念《きねん》の|霊場《れいぢやう》ぞ |負《ま》けぬ|気《き》|強《づよ》い|国依別《くによりわけ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》は|反対《はんたい》に |竜若彦《たつわかひこ》に|逆理屈《さかりくつ》
いとも|立派《りつぱ》に|喰《くら》はして |凹《へこ》ませ|給《たま》ひし|健気《けなげ》さよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |斯《こ》うなる|上《うへ》は|常楠《つねくす》も
|神《かみ》の|心《こころ》が|分《わか》らない |善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|標準《へうじゆん》を
|如何《どう》して|分《わ》けたら|宜《よ》からうか お|裁《さば》き|頼《たの》む』と|宣《の》りつれば
|言依別《ことよりわけ》は|打《う》ち|笑《わら》ひ 『|国依別《くによりわけ》の|言霊《ことたま》は
|天地《てんち》の|道理《だうり》に|適《かな》ひたり |善《ぜん》に|堕《だ》すれば|悪《あく》となり
|悪《あく》の|極《きは》みは|善《ぜん》となる |善悪《ぜんあく》|同体《どうたい》|此《この》|真理《しんり》
|胸《むね》に|手《て》を|当《あ》てつらつらと |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|人《ひと》の|小《ちい》さき|智慧《ちゑ》もちて |善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|標準《へうじゆん》が
|分《わか》らう|道理《だうり》のあるべきや |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|大神《おほかみ》の
|心《こころ》に|適《かな》ひし|事《こと》ならば |何《いづ》れも|至善《しぜん》の|道《みち》となり
|其《その》|御心《みこころ》に|適《かな》はねば |即《すなは》ち|悪《あく》の|道《みち》となる
|人《ひと》の|身《み》として|同胞《はらから》を |裁《さば》く|権利《けんり》は|寸毫《すんがう》も
|与《あた》へられない|人《ひと》の|身《み》は |只《ただ》|何事《なにごと》も|神《かみ》の|手《て》に
|任《まか》せ|奉《まつ》るに|如《し》くはない』 いと|細《こま》やかに|説《と》きつれば
|国依別《くによりわけ》や|若彦《わかひこ》も |常楠翁《つねくすをう》も|勇《いさ》み|立《た》ち
|心《こころ》|欣々《いそいそ》|一行《いつかう》は |黄昏《たそがれ》|過《す》ぐる|宵《よひ》の|口《くち》
|楠《くす》と|槻《つき》との|森林《しんりん》に |極《きは》めて|広《ひろ》き|天然《てんねん》の
ホテルにこそは|帰《かへ》りけり あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ。
(大正一一・七・二五 旧六・二 北村隆光録)
第一四章 |草枕《くさまくら》〔七九六〕
|雲《くも》に|聳《そび》ゆる|比治山《ひぢやま》の |麓《ふもと》に|清《きよ》き|比沼真奈井《ひぬまなゐ》
|豊国姫《とよくにひめ》の|永遠《とことは》に |鎮《しづ》まりゐます|聖場《せいぢやう》に
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|仕《つか》へたる |心《こころ》の|色《いろ》の|照子姫《てるこひめ》
|身魂《みたま》もすぐれて|清子姫《きよこひめ》 |神《かみ》の|御言《みこと》を|蒙《かうむ》りて
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |梅子《うめこ》の|姫《ひめ》を|始《はじ》めとし
|初稚姫《はつわかひめ》や|玉能姫《たまのひめ》 |玉治別《たまはるわけ》の|一行《いつかう》が
|海洋万里《かいやうばんり》の|波《なみ》の|上《うへ》 |永久《とは》に|浮《うか》べる|竜宮《りうぐう》の
|一《ひと》つ|島《じま》なる|諏訪《すは》の|湖《うみ》 |麻邇《まに》の|宝珠《ほつしゆ》を|永久《とこしへ》に
|守《まも》り|玉《たま》ひし|玉依姫《たまよりひめ》の |神《かみ》の|命《みこと》の|御手《おんて》より
|手《て》づから|受《う》けて|八咫烏《やたがらす》 |黄金《こがね》の|翼《つばさ》に|跨《またが》りて
|大空《おほぞら》|高《たか》く|翔《かけ》めぐり |十重《とへ》に|二十重《はたへ》に|包《つつ》みたる
|天《あま》の|岩戸《いはと》も|秋山彦《あきやまひこ》の |人子《ひとご》の|司《つかさ》の|珍館《うづやかた》
|常磐《ときは》の|松《まつ》の|茂《しげ》り|生《お》ふ |御苑《みその》に|降《くだ》りますと|聞《き》き
|二人《ふたり》の|女神《めがみ》は|大神《おほかみ》に |許《ゆる》しをうけて|【久次】《ひさつぐ》の
|錦《にしき》|織《おり》なす|里《さと》を|越《こ》え |四方《よも》の|【峰山】《みねやま》|紅葉《もみぢ》して
|行《ゆ》く|手《て》の|道《みち》も|【長善寺】《ちやうぜんじ》 |【大野】《おほの》、|【山田】《やまだ》を|乗《の》り|越《こ》えて
|神《かみ》の|【宮津】《みやづ》に|着《つ》きにけり |天津御神《あまつみかみ》の|【神宮】《しんぐう》を
|右《みぎ》に|拝《はい》してスタスタと |【岩淵】《いはぶち》、|【文珠】《もんじゆ》、|【紅葉坂】《もみぢざか》
|荒波《あらなみ》たける|磯端《いそばた》を |【由良】《ゆら》の|港《みなと》に|辿《たど》りつき
|秋山彦《あきやまひこ》の|門前《もんぜん》に |佇《たたず》み|様子《やうす》を|伺《うかが》へば
|後《あと》の|祭《まつり》か|十日菊《とをかぎく》 |麻邇《まに》の|宝珠《ほつしゆ》は|逸早《いちはや》く
|綾《あや》の|聖地《せいち》に|安々《やすやす》と |着《つ》かせ|玉《たま》ひしと|聞《き》くよりも
|二人《ふたり》の|女神《めがみ》は|気《き》を|焦《いら》ち |月《つき》の|顔《かんばせ》|【丸八江】《まるやえ》の
|田舎《いなか》を|過《す》ぎて|【田辺】宿《たなべしゆく》 |日《ひ》は|又《また》|空《そら》に【|余《あま》の|内《うち》】
【|池《いけ》の|内《うち》】をば|乗《の》り|越《こ》えて |山《やま》と|山《やま》との|谷間《たにあひ》の
|日蔭《ひかげ》も|見《み》えぬ|【真倉】郷《まくらがう》 |片方《かたへ》の|【上杉】《うへすぎ》|月《つき》|照《て》りて
|心《こころ》も|開《ひら》く|【梅迫】《うめざこ》や |【西八田】《にしやた》、|【縁垣】《ふちがき》、|【味方原】《みかたはら》
|綾《あや》の|大橋《おほはし》|打渡《うちわた》り |小雲《こくも》の|流《なが》れに|心胆《しんたん》を
|洗《あら》ひて|進《すす》む|聖域《せいゐき》に |太《ふと》しき|建《た》てる|神館《かむやかた》
|十曜《とえう》の|神紋《しんもん》キラキラと |月《つき》の|光《ひかり》に|反射《はんしや》して
|絵《ゑ》にもかかれぬ|美《うる》はしさ |秋《あき》は|漸《やうや》く|深《ふか》くして
|木々《きぎ》を|染《そ》めなす【|綾《あや》の|里《さと》】 |錦《にしき》の|宮《みや》の|御前《おんまへ》に
やうやう|辿《たど》りて|伏《ふ》し|拝《をが》み |玉照彦《たまてるひこ》や|玉照姫《たまてるひめ》の
|二柱神《ふたはしらがみ》の|御前《おんまへ》に |現《あら》はれ|出《い》でて|神勅《しんちよく》を
|再度《ふたたび》|請《こ》へば|言依別《ことよりわけ》の |瑞《みづ》の|命《みこと》の|口《くち》を|借《か》り
|言葉《ことば》|静《しづ》かに|宣《の》らすやう |汝《なんぢ》はこれより|聖地《せいち》をば
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|立出《たちい》でて |南《みなみ》に|向《むか》ひ|瀬戸《せと》の|海《うみ》
|浪《なみ》かき|分《わ》けて|琉球《りうきう》の |神《かみ》の|御島《みしま》に|渡《わた》れよと
|宣《の》らせ|玉《たま》ひし|言《こと》の|葉《は》を |畏《かしこ》み|奉《まつ》り|二人連《ふたりづ》れ
|錦《にしき》の|宮《みや》を|伏《ふ》し|拝《をが》み |小雲《こくも》の|流《なが》れを|溯《さかのぼ》り
|山路《やまぢ》を|駆《かけ》り|【鷹栖】《たかのす》や |【山家】《やまが》、|【音無瀬】《おとなせ》、|【才原】《さいはら》の
|細谷路《ほそたにみち》を|辿《たど》りつつ |流《なが》れも|【広瀬】《ひろせ》の|丸木橋《まるきばし》
|渡《わた》りて|進《すす》む|【和知】《わち》、|【本庄】《ほんしやう》 |【中山】《なかやま》、|【新田】《しんでん》、|【胡麻】《ごま》の|郷《がう》
|尋《たづ》ね|行《ゆ》くのは|【殿田】川《とのだがは》 |乗《の》せて|嬉《うれ》しき|【船岡】《ふなをか》の
|其《その》|行先《ゆくさき》は|【千妻】《せんづま》や |【曽我谷】《そがだに》、|【園部】《そのべ》の|花《はな》の|里《さと》
|【小山】《をやま》、|【松原】《まつばら》|後《あと》にして |羽《はね》はなけれど|【鳥羽】《とば》の|駅《えき》
|道《みち》も|【広瀬】《ひろせ》や|【八木】《やぎ》の|町《まち》 |深《ふか》き|【川関】《かはせき》、|【千代川】《ちよかは》の
|大川《おほかは》|【小川】《をがは》を|打渡《うちわた》り |神《かみ》の|御稜威《みいづ》も|【大井】村《おほゐむら》
|【天田】《あまた》|神徳《しんとく》|嬉《うれ》しみて |玉照彦《たまてるひこ》の|生《あ》れませる
|【穴太】《あなを》の|山《やま》の|奥《おく》|深《ふか》く |高熊《たかくま》さして|登《のぼ》りゆく
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ
|朝日《あさひ》の|直刺《たださ》す|神《かみ》の|山《やま》 |夕日《ゆふひ》の|日照《ひて》らす|神《かみ》の|峰《みね》
|三《み》つ|葉《ば》|躑躅《つつじ》の|其《その》|下《した》に |小判《こばん》|千両《せんりやう》|埋《い》けおいた
|黄金《こがね》の|鶏《とり》の|暁《あかつき》を |告《つ》ぐる|神代《かみよ》を|松林《まつばやし》
|折柄《をりから》|吹来《ふきく》る|秋風《あきかぜ》に |木々《きぎ》の|梢《こずゑ》は|自《おのづか》ら
|微妙《びめう》の|音楽《おんがく》|奏《かな》でつつ |小鳥《ことり》の|歌《うた》ふ|声《こゑ》|清《きよ》く
あちらこちらの|山柿《やまがき》の |赤《あか》き|顔《かほ》してブラブラと
|玉照彦《たまてるひこ》の|御姿《みすがた》を |今《いま》|見《み》る|如《ごと》き|照子姫《てるこひめ》
|神《かみ》の|宝座《ほうざ》も|清子姫《きよこひめ》 |岩窟《いはや》の|中《なか》に|忍《しの》び|入《い》り
|木花姫《このはなひめ》の|神勅《しんちよく》を |三七二十一日《さんしちにじふいちにち》の
|秋《あき》の|夜長《よなが》に|細々《こまごま》と |教《をし》へ|諭《さと》され|両人《りやうにん》は
|深《ふか》き|御徳《みとく》を|拝《はい》しつつ |山《やま》を|降《くだ》りて|谷路《たにみち》を
スタスタ|降《くだ》る【|山《やま》の|神《かみ》】 |水音《みなおと》|高《たか》き|滝《たき》の|辺《べ》に
|又《また》もや|身魂《みたま》を|洗《あら》ひつつ |来勿止神《くなどめがみ》に|送《おく》られて
|松《まつ》の|大木《おほぎ》の|大空《おほぞら》を |封《ふう》じて|暗《くら》き|【堺山】《さかひやま》
|息《いき》|急《せ》き|登《のぼ》る|雄々《をを》しさよ |三五《さんご》の|月《つき》の|光《ひかり》をば
|頭上《づじやう》に|浴《あ》びて|【六箇谷】《ろくかだに》 |【犬飼】《いぬがひ》、|【法貴】《はふき》、|【湯屋ケ谷】《ゆやがだに》
|崎嶇《きく》たる|山路《やまぢ》|分《わ》け|乍《なが》ら |【止止呂美坂】《ととろみざか》や【|細《ほそ》の|川《がは》】
|又《また》もや|渡《わた》る|【中河原】《なかがはら》 |【木部】《きべ》の|里《さと》をば|打過《うちす》ぎて
|思《おも》ひも|深《ふか》き|【池田】郷《いけだがう》 |【神田】《かんだ》|草鞋《わらぢ》も|【桑津】村《くはづむら》
|足《あし》や|【伊丹】《いたみ》の|郷《さと》こえて |【稲野】《いねの》、|【常吉】《つねよし》|向《むか》う|脛《づね》
|秋《あき》の|芒《すすき》に|傷《きず》つけて |屡《しばしば》|休《やす》む|【柴野村】《しばのむら》
|日《ひ》は|早《はや》|空《そら》に【|西《にし》の|宮《みや》】 |茲《ここ》に|一夜《いちや》を|宿《やど》りつつ
|朝日《あさひ》と|共《とも》に|【打出】《うちいで》て |【葦尾】《あしを》|痛《いた》めん|憂《うき》もなく
|無事《ぶじ》に|進《すす》むは|大神《おほかみ》の ましさく|【本庄】《ほんしやう》、|【御影町】《みかげまち》
【|生田《いくた》の|森《もり》】に|名《な》も|高《たか》き |稚姫君《わかひめぎみ》の|祀《まつ》りたる
|玉能《たまの》の|姫《ひめ》の|神館《かむやかた》 |一夜《いちや》を|爰《ここ》に|明《あ》かしつつ
|心《こころ》も|勇《いさ》む|駒彦《こまひこ》に いと|親切《しんせつ》に|歓待《もて》なされ
|【兵庫】《ひやうご》の|【港】《みなと》に|進《すす》み|行《ゆ》く |浜辺《はまべ》に|繋《つな》ぎし|新船《さらぶね》を
|代価《あたひ》を|呉《く》れて|買《か》ひ|取《と》りつ |誠【明石】《まことあかし》の|海《うみ》の|面《おも》
|波《なみ》|【高砂】《たかさご》の|浦《うら》を|越《こ》え |【家島】《えじま》、|【西島】《にしじま》、|【小豆島】《せうどしま》
|左手《ゆんで》に|眺《なが》めて【|豊《とよ》の|島《しま》】 |【児島半島】《こじまはんたう》のそば|近《ちか》く
|進《すす》む|折《をり》しも|暗礁《あんせう》に |船《ふね》|乗《の》りあげて|両人《りやうにん》は
|如何《いかが》はせんと|村肝《むらきも》の |心《こころ》を|苦《くる》しむ|折柄《をりから》に
|月《つき》|照《て》る|波《なみ》を|分《わ》け|乍《なが》ら |此方《こなた》に|向《むか》つて|馳来《はせきた》る
|一《ひと》つの|船《ふね》に|助《たす》けられ |茲《ここ》に|二人《ふたり》の|姫神《ひめがみ》は
|危《あやふ》き|所《ところ》を|救《すく》はれて |神《かみ》のまにまに|竜宮《りうぐう》の
|石松《いしまつ》|茂《しげ》る|磯端《いそばた》に |船《ふね》を|繋《つな》ぎて|上陸《じやうりく》し
|莓《いちご》の|実《みの》る|山路《やまみち》を |一行《いつかう》|四人《よにん》の|男女《なんによ》|連《づ》れ
|常楠翁《つねくすをう》の|住家《すみか》なる |目出度《めでた》き|人《ひと》に|大槻《おほつき》の
|天然《てんねん》ホテルに|着《つ》きにけり。
(大正一一・七・二七 旧六・四 松村真澄録)
第一五章 |情意投合《じやういとうがふ》〔七九七〕
|虻《あぶ》、|蜂《はち》の|両人《りやうにん》は|生田《いくた》の|森《もり》に|立寄《たちよ》り、|駒彦《こまひこ》に|面会《めんくわい》して、|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》が|国依別《くによりわけ》と|共《とも》に|高砂《たかさご》の|島《しま》に|神務《しんむ》を|帯《お》び、|急遽《きふきよ》|聖地《せいち》を|立《た》ちて|出発《しゆつぱつ》せられ、|瀬戸《せと》の|海《うみ》を、|西南《せいなん》|指《さ》して|行《ゆ》かれたりと|云《い》ふ|消息《せうそく》を、|例《れい》の|高姫《たかひめ》が|聞《き》きつけ、|春彦《はるひこ》、|常彦《つねひこ》の|一行《いつかう》|三人《さんにん》、|言依別《ことよりわけ》の|後《あと》を|追《お》ひしと|聞《き》きしより、|茲《ここ》に|虻《あぶ》、|蜂《はち》の|二人《ふたり》は、|取《と》る|物《もの》も|取敢《とりあへ》ず、|一隻《いつさう》の|軽舟《けいしう》に|身《み》を|任《まか》せ、|高姫《たかひめ》が|教主《けうしゆ》に|対《たい》し、|如何《いか》なる|妨害《ばうがい》を|加《くは》ふるやも|計《はか》り|難《がた》しと、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|高姫《たかひめ》の|後《あと》を|探《たづ》ねて|漕《こ》ぎ|出《いだ》し、|児島半島《こじまはんとう》の|沿岸《えんがん》に|差《さし》かかる|時《とき》、|暗礁《あんせう》に|乗《の》り|上《あ》げたる|一隻《いつさう》の|船《ふね》を|見付《みつ》け、|何人《なにびと》ならんと|星《ほし》の|光《ひかり》に|透《す》かし|見《み》れば、|比沼《ひぬ》の|真奈井《まなゐ》の|宝座《ほうざ》に|仕《つか》へ|居《ゐ》たる、|清子姫《きよこひめ》、|照子姫《てるこひめ》の|二人《ふたり》であつた。
|茲《ここ》に|二人《ふたり》を|我《わが》|舟《ふね》に|救《すく》ひ|上《あ》げ、|半《なかば》|破《やぶ》れし|其《その》|舟《ふね》を|見棄《みす》て、|荒波《あらなみ》を|勢《いきほひ》よく|漕《こ》ぎつけて、|漸《やうや》く|琉球《りうきう》の|那覇《なは》の|港《みなと》に|安着《あんちやく》し、|一行《いつかう》|四人《よにん》は|何者《なにもの》にか|引《ひ》かるる|様《やう》な|心地《ここち》して、|其《その》|日《ひ》の|夕《ゆふ》べ|頃《ごろ》|常楠《つねくす》、|若彦《わかひこ》|両人《りやうにん》が|一時《いちじ》の|住居《ぢうきよ》となしたる|槻《つき》の|木《き》の|洞窟《どうくつ》の|前《まへ》に|辿《たど》りついた。
|虻公《あぶこう》は|既《すで》に|言依別命《ことよりわけのみこと》より|清彦《きよひこ》と|云《い》ふ|名《な》を|賜《たまは》り、|蜂公《はちこう》は|照彦《てるひこ》と|云《い》ふ|名《な》を|賜《たまは》つて、|准宣伝使《じゆんせんでんし》の|職《しよく》に|就《つ》いて|居《ゐ》たのである。|二人《ふたり》は|思《おも》ひ|掛《がけ》なく|言依別命《ことよりわけのみこと》に|抜擢《ばつてき》されたのを、|此《この》|上《うへ》なく|打喜《うちよろこ》び、|其《その》|師恩《しおん》に|酬《むく》いん|為《ため》、|言依別命《ことよりわけのみこと》に|対《たい》しては、|如何《いか》なる|苦労《くらう》も、|仮令《たとへ》|身命《しんめい》を|抛《なげう》つても|惜《をし》まざるの|決心《けつしん》をきめて|居《ゐ》たのであつた。
|当《たう》の|目的物《もくてきぶつ》たる|高姫《たかひめ》|一行《いつかう》を、|海上《かいじやう》にて|見失《みうしな》ひたれ|共《ども》、|照子姫《てるこひめ》、|清子姫《きよこひめ》の|遭難《さうなん》を|救《すく》ひたるは、|全《まつた》く|神《かみ》の|御摂理《ごせつり》として|稍《やや》|満足《まんぞく》の|体《てい》であつた。
|此《この》|照子姫《てるこひめ》、|清子姫《きよこひめ》は|其《その》|祖先《そせん》は|行成彦命《ゆきなりひこのみこと》であつて、|四代目《よんだいめ》の|孫《まご》に|当《あた》つて|居《ゐ》る。|神勅《しんちよく》を|受《う》けて、|比沼真奈井《ひぬのまなゐ》に|豊国姫《とよくにひめ》|出現《しゆつげん》に|先立《さきだ》つて|現《あら》はれ、|比治山《ひぢやま》に|草庵《さうあん》を|結《むす》び、|時《とき》を|待《ま》つて|居《ゐ》たのである。そこへウラナイ|教《けう》の|黒姫《くろひめ》に|出会《でつくわ》し、いろいろとウラナイ|教《けう》の|教理《けうり》を|説《と》き|聞《き》かされ、|半《なかば》|之《こ》れを|信《しん》じ、|半《なかば》|之《これ》を|疑《うたが》ひ、|何程《なにほど》|黒姫《くろひめ》が|弁舌《べんぜつ》を|以《もつ》て|説《と》きつくる|共《とも》、|清子姫《きよこひめ》、|照子姫《てるこひめ》は|魔窟ケ原《まくつがはら》の|黒姫《くろひめ》が|館《やかた》には|一回《いつくわい》も|足《あし》をむけず、|又《また》|高姫《たかひめ》などにも|会《あ》はなかつた。|只《ただ》|黒姫《くろひめ》の|言葉《ことば》を|反駁《はんばく》もせず、|善悪《ぜんあく》を|取捨《しゆしや》して|表面《へうめん》|服従《ふくじゆう》して|居《ゐ》たのみであつた。|此《この》|二女《にぢよ》の|黒姫《くろひめ》に|対《たい》する|態度《たいど》は、|其《その》|時《とき》の|勢上《いきほひじやう》|已《や》むを|得《え》ず、|之《こ》れ|以上《いじやう》|最善《さいぜん》の|態度《たいど》を|執《と》ることが|出来《でき》なかつたのである。
|時《とき》に|豊国姫命《とよくにひめのみこと》の|神勅《しんちよく》、|此《この》|二人《ふたり》に|降《くだ》り、|諏訪《すは》の|湖《うみ》の|玉依姫《たまよりひめ》より|麻邇宝珠《まにほつしゆ》を|受取《うけと》り、|梅子姫《うめこひめ》|其《その》|他《た》|一行《いつかう》が、|由良《ゆら》の|港《みなと》の|秋山彦《あきやまひこ》が|館《やかた》に|帰《かへ》り|来《きた》り、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》、|国武彦命《くにたけひこのみこと》の|出《い》でますと|聞《き》きて、|二人《ふたり》は|旅装《りよさう》を|整《ととの》へ、|由良《ゆら》の|港《みなと》の|秋山彦《あきやまひこ》の|館《やかた》に|出《い》で|来《きた》りし|頃《ころ》は、|最早《もはや》|麻邇宝珠《まにほつしゆ》は|聖地《せいち》に|送《おく》られ、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》、|国武彦命《くにたけひこのみこと》の|御行方《おんゆくへ》も|分《わか》らなくなつた|後《あと》の|祭《まつ》りであつたから、|二人《ふたり》は|時《とき》を|移《うつ》さず、|陸路《りくろ》|聖地《せいち》に|向《むか》ひ、|錦《にしき》の|宮《みや》の|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫《たまてるひめ》の|神司《かむづかさ》に|謁《えつ》し、|琉球《りうきう》の|島《しま》に|渡《わた》るべく、|再《ふたた》び|聖地《せいち》を|立《た》ちて、|玉照彦命《たまてるひこのみこと》の|出現地《しゆつげんち》なる|高熊山《たかくまやま》に|立籠《たてこ》もり、|三週間《さんしうかん》の|改《あらた》めて|修業《しうげふ》をなし、|木花姫《このはなひめ》の|神教《みをしへ》を|蒙《かうむ》りて、|意気《いき》|揚々《やうやう》と|山坂《やまさか》を|越《こ》え、|生田《いくた》の|森《もり》に|立寄《たちよ》り、それより|兵庫《ひやうご》の|港《みなと》を|船出《ふなで》して、|琉球《りうきう》に|向《むか》はんとし、|神《かみ》の|仕組《しぐみ》か、|思《おも》はずも|児島半島《こじまはんたう》の|手前《てまへ》に|於《おい》て|暗礁《あんせう》に|乗《の》りあげ、|危険《きけん》|極《きは》まる|所《ところ》へ、|三五教《あななひけう》の|新宣伝使《しんせんでんし》、|清彦《きよひこ》、|照彦《てるひこ》の|舟《ふね》に|助《たす》けられ、|漸《やうや》く|那覇港《なはかう》に|四人連《よにんづ》れ|安着《あんちやく》し、|槻《つき》の|洞穴《どうけつ》の|前《まへ》|迄《まで》|進《すす》んで|来《き》たのである。
|四人《よにん》の|男女《だんぢよ》は|小《ちい》さき|船《ふね》にて|長途《ちやうと》の|航海《かうかい》をなす|間《うち》、|何時《いつ》とはなしに|意気《いき》|投合《とうがふ》し、|互《たがひ》に|意中《いちう》の|人《ひと》を|心《こころ》に|深《ふか》く|定《さだ》めて|居《ゐ》た。|清子姫《きよこひめ》は|清彦《きよひこ》に、|照子姫《てるこひめ》は|照彦《てるひこ》に|望《のぞ》みを|嘱《しよく》して|居《ゐ》た。|然《しか》るに|清彦《きよひこ》は|又《また》|照子姫《てるこひめ》に、|照彦《てるひこ》は|清子姫《きよこひめ》に|望《のぞ》みを|嘱《しよく》し、|将来《しやうらい》|夫婦《ふうふ》となつて|神業《しんげふ》に|参加《さんか》し|度《た》く|思《おも》つて|居《ゐ》たのである。|清彦《きよひこ》は|四十四五才《よんじふしごさい》、|照彦《てるひこ》は|四十二三才《よんじふにさんさい》の|元気《げんき》|盛《ざか》り、|清子姫《きよこひめ》は|二十五才《にじふごさい》、|照子姫《てるこひめ》は|二十三才《にじふさんさい》になつて|居《ゐ》た。|年齢《ねんれい》に|於《おい》て|二十年《にじふねん》|許《ばか》り|違《ちが》つて|居《ゐ》る。されど|神徳《しんとく》を|蒙《かうむ》りて|誠《まこと》の|道《みち》を|悟《さと》りたる|清彦《きよひこ》、|照彦《てるひこ》は、|全身《ぜんしん》|爽快《さうくわい》の|気分《きぶん》|漲《みなぎ》り、|血色《けつしよく》もよく|比較的《ひかくてき》|若《わか》く|見《み》え、|夫婦《ふうふ》として|一見《いつけん》|余《あま》り|不釣合《ふつりあひ》の|様《やう》にも|見《み》えなかつたのである。
|四人《よにん》は|一夜《いちや》を|此処《ここ》に|明《あ》かさんと、|洞穴《どうけつ》の|奥《おく》|深《ふか》く|進《すす》んだ。サヤサヤした|葦莚《ゐむしろ》の|畳《たたみ》、|土間《どま》に|敷《し》きつめられ、|食器《しよくき》など|行儀《ぎやうぎ》よく|並《なら》べられてあつた。
|清彦《きよひこ》『あゝこれは|何人《なんぴと》の|住家《すみか》か|知《し》らぬが、|穴居《けつきよ》|人種《じんしゆ》の|多《おほ》い|此《この》|島《しま》に、|木株《きかぶ》のこんな|天然《てんねん》の|館《やかた》があるとは、|大《たい》したものだ。|何《なん》でもこれは|此《この》|辺《あた》りの|酋長《しうちやう》の|住家《すみか》か|分《わか》らないぞ。|斯様《かやう》な|所《ところ》にうつかりと|安眠《あんみん》して|居《ゐ》る|所《ところ》へ、|沢山《たくさん》の|眷族《けんぞく》を|連《つ》れ、|帰《かへ》り|来《きた》つて|立腹《りつぷく》でもしようものなら、どんな|事《こと》が|突発《とつぱつ》するか|知《し》れたものだない。|入口《いりぐち》は|一方《いつぱう》、グヅグヅして|居《を》ると、|徳利攻《とつくりぜ》めに|会《あ》うて|苦《くる》しまねばならぬ。コリヤ|一人《ひとり》|宛《づつ》、|互《たがひ》に|入口《いりぐち》に|立番《たちばん》をし、もしも|怪《あや》しき|奴《やつ》がやつて|来《き》たら|合図《あひづ》をすると|云《い》ふ|事《こと》にしようかなア』
|照彦《てるひこ》『それもさうだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|先《ま》づ|路々《みちみち》むしつて|来《き》た|此《こ》の|苺《いちご》を|夕食《ゆふしよく》に|済《す》ませ、|其《その》|上《うへ》の|事《こと》にしても|余《あま》り|遅《おそ》くはあるまい。そろそろそこらが|暗《くら》くなつて|来《き》たようだ』
と|懐《ふところ》より|火燧《ひうち》を|取出《とりいだ》し、そこらに|積《つ》み|重《かさ》ねたる|肥松《こえまつ》の|割木《わりき》に|火《ひ》をつけ|明《あか》りを|点《てん》じ、|夕食《ゆふしよく》を|喫《きつ》し、|家《うち》へ|帰《かへ》つた|様《やう》に|気分《きぶん》になつて、|四人《よにん》は|奥《おく》の|方《はう》に|安坐《あんざ》し、|種々《いろいろ》と|感想談《かんさうだん》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》た。
|清彦《きよひこ》『こうして|我々《われわれ》|男女《だんぢよ》|四人《よにん》、|此《この》|島《しま》に|渡《わた》つた|以上《いじやう》は、|何《いづ》れも|独身《どくしん》|生活《せいくわつ》は|不便《ふべん》なものだ。|恰度《ちやうど》|諾冊二尊《なぎなみにそん》が|自転倒島《おのころじま》に|天降《あまくだ》り|玉《たま》うた|様《やう》なものだ。|此《この》|大木《たいぼく》を|撞《つき》の|御柱《みはしら》と|定《さだ》めて、……あなにやしえー|乙女《をとめ》……とか…えー|男《をとこ》…とか|云《い》つて、|惟神《かむながら》の|神業《しんげふ》を|始《はじ》めたら|如何《どう》でせう。……|照彦《てるひこ》さま、|私《わたし》は|媒酌人《ばいしやくにん》となつて、|清子姫《きよこひめ》|様《さま》と|結婚《けつこん》の|式《しき》をあげられたらどうです。ナア|清子姫《きよこひめ》さま、あなたも|以時《いつ》|迄《まで》も|独身《どくしん》で|斯様《かやう》な|蛮地《ばんち》に|暮《くら》す|訳《わけ》にも|参《まゐ》りますまい』
|清子姫《きよこひめ》『ハイ、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|併《しか》し|乍《なが》ら|少《すこ》し|考《かんが》へさして|頂《いただ》きたう|御座《ござ》います』
|清彦《きよひこ》『|清子《きよこ》さま、あなたは|照彦《てるひこ》さまがお|気《き》に|入《い》らぬのですか』
|清子姫《きよこひめ》『イーエ、|勿体《もつたい》ない、|左様《さやう》な|訳《わけ》では|御座《ござ》いませぬ』
と|涙《なみだ》ぐまし|気《げ》に|俯《うつ》むく。
|照彦《てるひこ》『コレコレ|清彦《きよひこ》、|御親切《ごしんせつ》は|有難《ありがた》いが、モウ|結婚《けつこん》の|事《こと》は|言《い》つて|呉《く》れな。|清子《きよこ》さまは|此《この》|照彦《てるひこ》がお|気《き》に|召《め》さぬのだよ。|無理押《むりお》しに|決行《けつかう》した|所《ところ》で、【うま】の|合《あ》はぬ|夫婦《ふうふ》はキツと|後日《ごじつ》|破鏡《はきやう》の|歎《なげ》きに|会《あ》はねばならぬから、|此《この》|話《はなし》は|止《や》めて|貰《もら》はう。|就《つ》いては|照子姫《てるこひめ》さまを、お|前《まへ》の|奥《おく》さまに|御世話《おせわ》したいと|思《おも》ふのだが、どうだ』
|清彦《きよひこ》『それは|実《じつ》に|有難《ありがた》い、|併《しか》し|乍《なが》ら|照子姫《てるこひめ》さまの|御意見《ごいけん》を|承《うけたま》はりたい。|其《その》|上《うへ》でなくば、|何《なん》とも|返答《へんたふ》する|事《こと》が|出来《でき》ないワ』
|照子姫《てるこひめ》『|照彦《てるひこ》さまの|御親切《ごしんせつ》は|有難《ありがた》う|御座《ござ》いますが、|妾《わたし》は|何《なん》だか……どこが|如何《どう》といふ|事《こと》はありませぬが、|清彦《きよひこ》さまは|虫《むし》が|好《す》きませぬワ。|妾《わたし》の|意中《いちう》の|人《ひと》は|露骨《ろこつ》に|言《い》ひますが、|照彦《てるひこ》さまで|御座《ござ》います。あなたならばどこまでも、|偕老同穴《かいらうどうけつ》の|契《ちぎり》を|結《むす》んで|頂《いただ》きたう|御座《ござ》います』
|照彦《てるひこ》『コレハコレハ|大変《たいへん》な|迷惑《めいわく》で|御座《ござ》る。|実《じつ》の|所《ところ》は|此《この》|照彦《てるひこ》、|清子姫《きよこひめ》|様《さま》と|夫婦《ふうふ》の|約束《やくそく》が|結《むす》びたいのです。それに|清子《きよこ》さまは|何《なん》とか、かんとか|仰有《おつしや》つて、|私《わたし》を|御嫌《おきら》ひ|遊《あそ》ばす|様《やう》な|形勢《けいせい》です』
|清子姫《きよこひめ》は『ホヽヽヽヽ』と|袖《そで》で|顔《かほ》をかくし、
|清子姫《きよこひめ》『|妾《わたし》も|本当《ほんたう》は|清彦《きよひこ》さまと|夫婦《ふうふ》になつて、|神界《しんかい》の|御用《ごよう》が|致《いた》したう|御座《ござ》います。|照彦《てるひこ》さまと|夫婦《ふうふ》になるのは、|何《なん》だか|身魂《みたま》が|合《あ》はない|様《やう》な|気分《きぶん》が|致《いた》します』
|清彦《きよひこ》『|互《たがひ》に|目的物《もくてきぶつ》が|斯《か》う|複雑《ふくざつ》になつて|居《ゐ》ては|仕方《しかた》がない。ハテ|困《こま》つたな。|此方《こちら》が|好《すき》だと|言《い》へば|向《むか》ふが|嫌《きら》ひだと|云《い》ふ、|此方《こちら》が|嫌《きら》ひだといへば|一方《いつぱう》が|好《すき》だと|云《い》ふ。|此奴《こいつ》アどうやら|人間力《にんげんぢから》で|決《き》める|事《こと》は|出来《でき》ないワイ。|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》でも|御座《ござ》つたならば、|判断《はんだん》をして|定《き》めて|貰《もら》ふのだけれど、|斯様《かやう》な|結構《けつこう》な|洞穴館《どうけつやかた》に、|誰《たれ》も|居《を》らぬことを|思《おも》へば、|言依別《ことよりわけ》の|神様《かみさま》は、|琉《りう》、|球《きう》の|宝玉《ほうぎよく》を|手《て》に|入《い》れ、|早《はや》くも|出発《しゆつぱつ》された|後《あと》と|見《み》える。ハテ……|困《こま》つたなア』
|四人《よにん》は|互《たがひ》に|顔《かほ》を|見合《みあは》せ、|青息吐息《あをいきといき》の|真最中《まつさいちう》、|洞穴《どうけつ》の|入口《いりぐち》に|二三人《にさんにん》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》た。|清彦《きよひこ》は|耳敏《みみざと》くも|之《これ》を|聞付《ききつ》け、
|清彦《きよひこ》『ヤアあの|声《こゑ》はどうやら、|高姫《たかひめ》の|声《こゑ》らしいぞ。|一寸《ちよつと》|査《しら》べて|来《く》るから、|三人《さんにん》|仲《なか》よく|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さい』
と|早《はや》くも|洞穴《どうけつ》の|入口《いりぐち》に|立《た》つた。
|外《そと》には|高姫《たかひめ》、|春彦《はるひこ》、|常彦《つねひこ》と|共《とも》に|怖《こは》|相《さう》に|洞穴《どうけつ》を|覗《のぞ》いて|居《ゐ》る。|月《つき》|明《あ》かりに|三人《さんにん》の|顔《かほ》はハツキリと|見《み》えた。されど|高姫《たかひめ》の|方《はう》からは、|清彦《きよひこ》の|姿《すがた》は|少《すこ》しも|見《み》えない。|清彦《きよひこ》は|傍《かたはら》の|小石《こいし》を|拾《ひろ》ひ、|左右《さいう》の|手《て》に|持《も》つて|中《なか》よりカチカチと|打《う》つて|見《み》せた。
|高姫《たかひめ》『|大変《たいへん》な|大《おほ》きな|洞空《うつろ》であるが、|何《なに》か|此《この》|中《ちう》に|獣《けもの》でも|棲《す》まつてゐるやうな|気配《けはい》が|致《いた》しますぞ。……|常彦《つねひこ》、|一寸《ちよつと》お|前《まへ》、|中《なか》へ|這入《はい》つて|調《しら》べて|来《き》て|下《くだ》さらぬか』
|清彦《きよひこ》|中《なか》より『カチカチカチ』、
|常彦《つねひこ》『ハハー、ここはカチカチ|山《やま》の|古狸《ふるだぬき》が|住居《ぢうきよ》して|居《ゐ》る|洞穴《どうけつ》と|見《み》えますワイ。……オイ|春彦《はるひこ》、お|前《まへ》、|斥候《せきこう》となつて|一《ひと》つ|探険《たんけん》して|来《き》たら|如何《どう》だ』
|春彦《はるひこ》『お|前《まへ》に|命令《めいれい》が|下《くだ》つたのだ。|狸《たぬき》の|巣窟《さうくつ》へ【キ】|常彦《つねひこ》が|這入《はい》るのは|当然《たうぜん》だよ。マア|君子《くんし》は|危《あやふ》きに|近《ちか》よらずだ。|命令《めいれい》も|受《う》けないことを、|危険《きけん》を|冒《をか》して|失敗《しつぱい》しては、それこそ|犬《いぬ》に|喰《く》はれた|様《やう》なものだ』
|高姫《たかひめ》『|春彦《はるひこ》、お|前《まへ》も|一緒《いつしよ》に|探険《たんけん》に|這入《はい》つて|来《く》るのだよ』
|春彦《はるひこ》『たかが|知《し》れた|此《この》|洞窟《どうくつ》、さう|二人《ふたり》も|這入《はい》る|必要《ひつえう》はありますまい』
|高姫《たかひめ》『アヽさうだらう。そんなら|一人《ひとり》で|良《よ》いから、|春彦《はるひこ》さま、お|前《まへ》|豪胆者《がうたんもの》だから|這入《はい》つて|下《くだ》さい』
|春彦《はるひこ》|頭《あたま》をかき|乍《なが》ら、
|春彦《はるひこ》『ヘー……ハイ』
とモジモジして|居《ゐ》る。『カチカチ カチカチ ウー』と|唸《うな》り|声《ごゑ》が|聞《きこ》えて|来《く》る。
|春彦《はるひこ》『モシモシ|高姫《たかひめ》さま、|此奴《こいつ》ア|一人《ひとり》では|如何《どう》しても|往《ゆ》きませぬワ。あの|声《こゑ》を|聞《き》いて|御覧《ごらん》、|数十匹《すうじつぴき》の|猛獣《まうじう》がキツと|潜《ひそ》んで|居《ゐ》ますよ。グヅグヅして|居《ゐ》ると、|一《いち》も|取《と》らず|二《に》も|取《と》らず|虻蜂《あぶはち》|取《と》らずになつて|了《しま》ひますぜ』
|高姫《たかひめ》『|其《その》|虻蜂《あぶはち》で|思《おも》ひ|出《だ》したが、|彼奴《あいつ》は|何《なん》でも|言依別命《ことよりわけのみこと》から、|清彦《きよひこ》、|照彦《てるひこ》と|云《い》ふ|名《な》を|頂《いただ》き|宣伝使《せんでんし》になり、|飽迄《あくまで》も|我々《われわれ》に|反抗的《はんかうてき》|態度《たいど》を|執《と》ると|云《い》つて|居《ゐ》たさうだが、|今《いま》どこに|如何《どう》して|居《ゐ》るだらう。|言依別命《ことよりわけのみこと》が|此《この》|琉球《りうきう》へ|渡《わた》り、|琉《りう》と|球《きう》との|宝玉《ほうぎよく》を|手《て》に|入《い》れ、|自分《じぶん》の|隠《かく》した|七個《しちこ》の|玉《たま》と|共《とも》に、|高砂島《たかさごじま》へ|持《も》ち|渡《わた》つて、|高砂島《たかさごじま》の|国王《こくわう》となる|計画《たくみ》だと|聞《き》いて|居《ゐ》る。|自転倒島《おのころじま》では|此《この》|高姫《たかひめ》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が、|目《め》の|上《うへ》の|瘤《こぶ》となつて|思《おも》はしく|目的《もくてき》が|立《た》たぬので、|高姫《たかひめ》の|居《ゐ》ない|地点《ちてん》で|野心《やしん》を|遂行《すゐかう》すると|云《い》ふ|考《かんが》へで、|大切《たいせつ》な|宝玉《ほうぎよく》を|盗《ぬす》み|出《だ》し、|自転倒島《おのころじま》を|立去《たちさ》つたのだから、|仮令《たとへ》|言依別《ことよりわけ》、|天《てん》を|翔《か》けり|地《ち》を|潜《くぐ》るとも、|草《くさ》を|分《わ》けても|探《さが》し|出《だ》し、|宝玉《ほうぎよく》を|取返《とりかへ》し、さうして|彼《かれ》が|面皮《めんぴ》を|剥《む》いて、|心《こころ》の|底《そこ》より|改心《かいしん》さしてやらねば、|我々《われわれ》の|系統《ひつぽう》としての|役目《やくめ》が|済《す》まぬ。アヽ|年《とし》が|寄《よ》つてから、|又《また》しても|又《また》しても|海洋万里《かいやうばんり》の|波《なみ》を|渡《わた》り、|苦労《くらう》を|致《いた》さねばならぬのか。これも|全《まつた》く|言依別《ことよりわけ》の|肉体《にくたい》に|悪《あく》の|守護神《しゆごじん》の|憑依《ひようい》してゐるからだ。……アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。|一時《いちじ》も|早《はや》く|言依別《ことよりわけ》の|副守護神《ふくしゆごじん》を|退却《たいきやく》させ、|誠《まこと》の|大和魂《やまとだましひ》に|立返《たちかへ》つて、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|命令《めいれい》を|聞《き》く|様《やう》にして|下《くだ》さいませ』
と|半《なかば》|泣声《なきごゑ》になり、|鼻《はな》を|啜《すす》つて|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祈願《きぐわん》して|居《ゐ》る。|清彦《きよひこ》は|此《この》|態《てい》を|見《み》て|俄《にはか》に|可笑《をか》しくなり「プーツプーツ」|吹《ふ》き|出《だ》し、|終《しま》ひには|大声《おほごゑ》をあげて、
|清彦《きよひこ》『ワツハヽヽヽ』
と|笑《わら》ひ|転《こ》けた。
|高姫《たかひめ》『|誰《たれ》だ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が|神界《しんかい》の|為《ため》、|一生懸命《いつしやうけんめい》|御祈願《ごきぐわん》を|申《まを》し|上《あ》げてるのに、ウフヽアハヽヽヽと|笑《わら》ふ|奴《やつ》は……よもや|狸《たぬき》ぢやあるまい。|何者《なにもの》だ。サアこうなる|上《うへ》は|高姫《たかひめ》|承知《しようち》|致《いた》さぬ。|此《この》|入口《いりぐち》を|青松葉《あをまつば》でくすべてでも|往生《わうじやう》さしてやらねば|措《を》かぬ。……コレ|常彦《つねひこ》さま、|春彦《はるひこ》さま、そこらの、|青《あを》いものを|持《も》つて|来《き》なさい。コラ|大変《たいへん》な|劫《ごふ》|経《へ》た|古狸《ふるだぬき》が|居《ゐ》るのだ。|四《よ》つ|足《あし》が|劫《ごふ》|経《へ》ると|人語《じんご》を|使《つか》ふやうになるからなア』
|清彦《きよひこ》|俄《にはか》に|女《をんな》の|声《こゑ》を|出《だ》し、
|清彦《きよひこ》『コレハコレハ|高姫《たかひめ》|様《さま》、|常彦《つねひこ》、|春彦《はるひこ》の|御両人様《ごりやうにんさま》、|遠方《ゑんぱう》の|所《ところ》|遥々《はるばる》と|能《よ》くこそ|御越《おこ》し|下《くだ》さいました。ここは|琉球王《りうきうわう》の|仮館《かりやかた》、|木《き》の|丸殿《まるどの》と|云《い》ふ|所《ところ》で|御座《ござ》います。|王様《わうさま》は……|言依別神《ことよりわけのかみ》|様《さま》とやらが、|自転倒島《おのころじま》から|遥々《はるばる》|御越《おこ》しになり、|琉《りう》と|球《きう》との|宝玉《ほうぎよく》を|御受取《おうけと》り|遊《あそ》ばし、|台湾《たいわん》に|一寸《ちよつと》|立寄《たちよ》り、それから|南米《なんべい》の|高砂島《たかさごじま》へ|御越《おこ》しになりました|不在中《るすちう》で|御座《ござ》います。|妾《わらは》は|虻《あぶ》……オツトドツコイ、|危《あぶな》い|猛獣《まうじう》|毒蛇《どくじや》の|沢山《たくさん》に|棲息《せいそく》する|此《この》|島《しま》に|留守《るす》を|守《まも》つて|居《ゐ》る|大蛇姫《をろちひめ》と|云《い》ふ、|夫《それ》は|夫《それ》は|厭《いや》らしい|女《をんな》で|御座《ござ》います。サア|御遠慮《ごゑんりよ》は|要《い》りませぬ。|此《この》|洞穴《どうけつ》には|沢山《たくさん》な|古狸《ふるだぬき》や|大蛇《だいぢや》が|住居《ぢうきよ》を|致《いた》し、|今日《けふ》の|所《ところ》|綺麗《きれい》な|男《をとこ》が|二人《ふたり》、|綺麗《きれい》な|女《をんな》が|二人《ふたり》、|四魂《しこん》|揃《そろ》うて|守護《しゆご》を|致《いた》してをります。|併《しか》し|乍《なが》ら|何《いづ》れも|本当《ほんたう》の|人間《にんげん》では|御座《ござ》いませぬ。|皆《みんな》|化物《ばけもの》で|御座《ござ》いますから、|其《その》お|心算《つもり》で|御這入《おはい》りを|願《ねが》ひます。メツタにあなた|方《がた》を|塩《しほ》をつけて|頭《あたま》から|咬《か》んだり、|蛇《へび》が|蛙《かへる》を|呑《の》むやうにキユウキユウと|呑《の》み|込《こ》むやうな|事《こと》は|御座《ござ》りませぬ。|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》でも|呑《の》み|込《こ》むと|云《い》ふ|不可思議力《ふかしぎりよく》を|備《そな》へた|貴女《あなた》、|早《はや》く|御這入《おはい》り|下《くだ》さいませ』
|高姫《たかひめ》『|這入《はい》れなら|這入《はい》つてもあげませう。|併《しか》し|一遍《いつぺん》|外《そと》へ|姿《すがた》をあらはし、|案内《あんない》をなさらぬか』
|清彦《きよひこ》『|外《そと》へ|出《で》るが|最後《さいご》、|虻公《あぶこう》の|正体《しやうたい》が|現《あら》はれますワイ。アツハヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『|最前《さいぜん》から|何《なん》だか|可笑《をか》しいと|思《おも》つて|居《を》つた。お|前《まへ》は|淡路《あはぢ》の|東助《とうすけ》の|門番《もんばん》をして|居《を》つた|泥坊《どろばう》|上《あが》りの|虻公《あぶこう》ぢやないか。|如何《どう》して|又《また》|斯《こ》んな|所《ところ》へやつて|来《き》たのだ。お|前《まへ》はドハイカラの|教主《けうしゆ》から、|清彦《きよひこ》と|云《い》ふ|名《な》を|貰《もら》うたぢやないか。|自転倒島《おのころじま》では|最早《もはや》|泥坊《どろばう》が|出来《でき》ないと|思《おも》うて、こんな|所《ところ》まで|海賊《かいぞく》を|働《はたら》き|漂着《へうちやく》して|来《き》たのだらう。サアお|前《まへ》|一人《ひとり》ではあるまい、|大方《おほかた》|蜂《はち》も|来《き》て|居《ゐ》るだらう。|其《その》|他《た》の|同類《どうるゐ》は|残《のこ》らず|此処《ここ》へ|引張《ひつぱ》つて|来《き》なさい。|天地根本《てんちこつぽん》の|誠《まこと》の|道《みち》を|説《と》いて|聞《き》かせ、|大和魂《やまとだましひ》をねりなをして|助《たす》けて|上《あ》げよう。|事《こと》と|品《しな》によつたら|此《この》|高姫《たかひめ》が|家来《けらい》にしてやらぬ|事《こと》もない』
|清彦《きよひこ》『|今《いま》お|前《まへ》さまに|這入《はい》られると、|実《じつ》は|困《こま》つた|事《こと》があるのだ。|今日《けふ》は|情意投合《じやういとうがふ》……オツトドツコイ|情約履行《じやうやくりかう》をしようと|云《い》ふ|肝腎要《かんじんかなめ》な|吉日《きちにち》だ。お|前《まへ》さまのやうなお|婆《ば》アさまは|我々《われわれ》|壮年者《さうねんしや》の|心理《しんり》は|分《わか》るまい。あゝエライ|所《ところ》へエライ|奴《やつ》が|来《き》たものだ。|月《つき》に|村雲《むらくも》|花《はな》に|嵐《あらし》、|美人《びじん》の|前《まへ》に|皺苦茶婆《しわくちやばば》ア……』
と|小声《こごゑ》に|呟《つぶや》いた。|高姫《たかひめ》は|此《この》|言葉《ことば》の|一端《いつたん》を|耳《みみ》に|入《い》れ、
|高姫《たかひめ》『ナニ、|美人《びじん》に|皺苦茶婆《しわくちやばば》アと|言《い》つたなア。コリヤ|何《なん》でも|秘密《ひみつ》の|伏在《ふくざい》する|此《この》|洞穴《どうけつ》、モウ|斯《か》うなる|以上《いじやう》は|強行的《きやうかうてき》に|押入《おしい》り、|隅《すみ》から|隅《すみ》まで|調《しら》べてやらねばなるまい。ヒヨツとしたら|天火水地《てんくわすゐち》の|宝玉《ほうぎよく》も|隠《かく》してあるか|分《わか》らない。…|常彦《つねひこ》、|春彦《はるひこ》、|妾《わし》に|続《つづ》け』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|清彦《きよひこ》が「|待《ま》つた|待《ま》つた」と|大手《おほで》を|拡《ひろ》げて|遮《さへぎ》るのも|聞《き》かず、むりやりに|飛《と》び|込《こ》んで|了《しま》つた。
|奥《おく》には|肥松《こえまつ》の|明《あか》りが|瞬《またた》いて|居《ゐ》る。|三人《さんにん》の|顔《かほ》はハツキリと|輪廓《りんくわく》まで|現《あら》はれて|居《ゐ》る。
|高姫《たかひめ》『コレハコレハ|皆《みな》さま、|御楽《おたの》しみの|最中《さいちう》、|御邪魔《おじやま》を|致《いた》しまして|申訳《まをしわけ》のない|事《こと》で|御座《ござ》いました。|花《はな》を|欺《あざむ》く|美男子《びだんし》と|美人《びじん》、そこへ|白髪交《しらがまじ》りの|歯脱婆《はぬけばば》アが|参《まゐ》りまして、|嘸《さぞ》、|折角《せつかく》の|興《きよう》がさめた|事《こと》で|御座《ござ》いませう。|此《この》|洞穴《どうけつ》に|似合《にあ》はぬ……お|前《まへ》さまは|美《うつく》しい|方《かた》だが、|此《この》|島《しま》の|方《かた》か、|但《ただし》は、|虻《あぶ》、|蜂《はち》の|両人《りやうにん》に|拐《かどは》かされてこんな|所《ところ》へ|押込《おしこ》められたのか、|様子《やうす》がありさうに|思《おも》はれる。サア|包《つつ》まずかくさず|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さい。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が|此《この》|場《ば》へ|現《あら》はれた|以上《いじやう》は、|虻《あぶ》、|蜂《はち》の|両人《りやうにん》|位《くらゐ》|何《なん》と|云《い》つても|駄目《だめ》ですよ』
|清子姫《きよこひめ》、|照子姫《てるこひめ》|両人《りやうにん》は|行儀《ぎやうぎ》よく|両手《りやうて》をつき、
|両女《りやうぢよ》『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|聖地《せいち》に|於《おい》て|御高名《ごかうめい》|著《いちじる》しき、あなた|様《さま》が|高姫《たかひめ》|様《さま》で|御座《ござ》いましたか。|妾《わたし》は|比沼《ひぬ》の|真奈井《まなゐ》の|宝座《ほうざ》に|仕《つか》へて|居《を》りました|清子姫《きよこひめ》、|照子姫《てるこひめ》の|両人《りやうにん》で|御座《ござ》います』
|高姫《たかひめ》『かねがね|黒姫《くろひめ》さまから|承《うけたま》はつて|居《を》つた、|比治山《ひぢやま》の|隠家《かくれが》に|厶《ござ》つた|淑女《しゆくぢよ》はお|前《まへ》さまの|事《こと》であつたか。|如何《どう》して|又《また》かやうな|所《ところ》へお|越《こ》し|遊《あそ》ばしたのだ。|大方《おほかた》|虻《あぶ》、|蜂《はち》|両人《りやうにん》の|小盗人《こぬすびと》に|拐《かど》はかされて、|斯《こ》んな|所《ところ》へ|来《き》なさつたのだらう。グヅグヅして|居《ゐ》ると|此奴《こいつ》ア○○をしかねまい|代物《しろもの》です。|最前《さいぜん》も|小声《こごゑ》に|情約履行《じやうやくりかう》の|間際《まぎは》だとか|何《なん》とか|吐《ほざ》いて|居《ゐ》ました。サア、|妾《わたし》が|来《き》た|以上《いじやう》は|最早《もはや》|大丈夫《だいぢやうぶ》、|高姫《たかひめ》と|一緒《いつしよ》に|此《この》|琉球《りうきう》の|島《しま》を|探険《たんけん》し、|結構《けつこう》な|宝玉《ほうぎよく》の|所在《ありか》を|求《もと》め、|言依別《ことよりわけ》の|後《あと》を|追《お》うて、|其《その》|七《なな》つの|宝玉《ほうぎよく》を|手《て》に|入《い》れて|聖地《せいち》に|帰《かへ》り、|大神様《おほかみさま》の|御神業《ごしんげふ》をお|助《たす》けしようではありませぬか』
|二人《ふたり》は|顔《かほ》|赭《あか》らめて、|無言《むごん》の|儘《まま》|俯《うつむ》いて|居《ゐ》る。|清彦《きよひこ》は|高姫《たかひめ》の|胸倉《むなぐら》をグツととり、
|清彦《きよひこ》『コラ|婆《ばば》ア、|小盗人《こぬすびと》とは|聞捨《ききずて》ならぬ。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|清彦《きよひこ》、|照彦《てるひこ》の|両人《りやうにん》だ』
|高姫《たかひめ》『ヘン、|馬鹿《ばか》にするない。お|前達《まへたち》が|胸倉《むなぐら》を|取《と》つて|威喝《ゐかつ》した|所《ところ》で、そんな|事《こと》にビクとも|致《いた》す|高姫《たかひめ》ぢやありませぬぞ。|虻《あぶ》、|蜂《はち》の|小泥坊《こどろばう》が|恐《おそ》ろしくて、こんな|所《ところ》まで|活動《くわつどう》に|来《こ》られますかい。|今《いま》は|宣伝使《せんでんし》でも、|昔《むかし》はヤツパリ|泥坊《どろばう》をやつて|居《ゐ》たぢやないか』
|清彦《きよひこ》『|昔《むかし》は|昔《むかし》、|今《いま》は|今《いま》だ。|改心《かいしん》すれば|其《その》|日《ひ》から|真人間《まにんげん》にしてやらうと|神様《かみさま》が|仰有《おつしや》るぢやないか。|俺《おれ》が|泥坊《どろばう》なら|高姫《たかひめ》は|大泥坊《おほどうばう》だ』
|高姫《たかひめ》『オイ|常彦《つねひこ》、|春彦《はるひこ》、|何《なに》をグヅグヅして|居《ゐ》るのか、|高姫《たかひめ》が|此《この》|通《とほ》り|胸倉《むなぐら》を|取《と》られて|居《ゐ》るのに|平気《へいき》で|見《み》て|居《ゐ》ると|云《い》ふ|事《こと》がありますか』
|常彦《つねひこ》『|左様《さやう》で|厶《ござ》います。あなたも|余《あま》り|我《が》が|強《つよ》いから、|神様《かみさま》が|清彦《きよひこ》さまの|手《て》を|借《か》つて|身魂研《みたまみが》きをなさるのだと|思《おも》つて、ジツとして|御神徳《おかげ》を|頂《いただ》いて|居《を》ります。……なア|春彦《はるひこ》さま、キツと|善《ぜん》が|勝《か》つと|神《かみ》さまが|仰有《おつしや》いますから、|今《いま》|善悪《ぜんあく》の|立別《たてわ》けが|始《はじ》まるのですで……|高姫《たかひめ》さま、シツカリやりなさい。……|清彦《きよひこ》さま、|何方《どちら》も|負《ま》けて|下《くだ》さるなや』
|照彦《てるひこ》はムツクと|立上《たちあが》り、|行司《ぎやうじ》|気取《きど》りになつて、そこにあつた|芭蕉《ばせう》の|葉《は》の|端《はし》をむしり|唐団扇《たううちは》の|様《やう》な|形《かたち》にして、|右《みぎ》の|手《て》に|捧《ささ》げ、
|照彦《てるひこ》『|東西《とうざい》……|東《ひがし》は|高姫山《たかひめやま》に、|西《にし》イ|清彦川《きよひこがは》……|何《いづ》れも|一番《いちばん》|勝負《しようぶ》、アハヽヽヽ』
と|笑《わら》つて|居《ゐ》る。|高姫《たかひめ》は|金切声《かなきりごゑ》を|出《だ》して、|爪《つめ》を|立《た》て、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|掻《か》きむしらうとする。|強力《がうりき》な|清彦《きよひこ》に|両方《りやうはう》の|手首《てくび》をグツと|握《にぎ》られ、|如何《いかん》ともすること|能《あた》はず、|目《め》|計《ばか》り|白黒《しろくろ》させ|前歯《まへば》のぬけた|口《くち》から、|臭《くさ》い|息《いき》と|唾《つばき》とを|盛《さかん》に|吐《は》き|出《だ》して、|清彦《きよひこ》の|顔《かほ》に|注《そそ》いでゐる。|清彦《きよひこ》も|堪《たま》りかねえ|両方《りやうはう》の|手《て》をパツと|放《はな》した。|照彦《てるひこ》は|中《なか》に|割《わ》つて|入《い》り、
|照彦《てるひこ》『|御見物《ごけんぶつ》の|方々《かたがた》、|此《この》|勝負《しようぶ》は|照彦《てるひこ》が|来年《らいねん》|迄《まで》お|預《あづ》かりと|致《いた》します』
|高姫《たかひめ》『|清子姫《きよこひめ》さま、|照子姫《てるこひめ》さま、お|前《まへ》さまは、|斯《こ》んな|乱暴《らんばう》な|男《をとこ》を|何《なん》と|思《おも》うてゐられますか』
|清子姫《きよこひめ》『ハイ、|御二人《おふたり》|共《とも》|申分《まをしぶん》のない、|立派《りつぱ》なお|方《かた》で|御座《ござ》います。|中《なか》にも|清彦《きよひこ》さまはどこともなしに|虫《むし》の|好《す》く|御方《おかた》ですよ。なア|照子姫《てるこひめ》さま』
|照子姫《てるこひめ》『あなたの|御言葉《おことば》の|通《とほ》り、|御二人《おふたり》とも|本当《ほんたう》に|立派《りつぱ》な|方《かた》ですワ。|妾《わたし》は|何《なん》だか|照彦《てるひこ》さまの|方《はう》が、|中《なか》でもモ|一《ひと》つ|立派《りつぱ》な|方《かた》だと|思《おも》ひます、ホヽヽヽヽ』
と|俯《うつ》むく。
|高姫《たかひめ》『|清彦《きよひこ》が|妾《わたし》の|胸倉《むなぐら》を|取《と》つたのも|道理《だうり》、|二人《ふたり》の|男《をとこ》に|二人《ふたり》の|女《をんな》、|好《す》いた|同志《どうし》が|今晩《こんばん》こそは、|此《この》|離《はな》れ|島《じま》で|何々《なになに》しようと|思《おも》うてる|所《ところ》へ、|此《この》|婆《ばば》アがやつて|来《き》たものだから|腹《はら》が|立《た》つたでせう。|御無理《ごむり》もありませぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら|縁《えん》と|云《い》ふものは|汚《きたな》いものぢやな。|行成彦命《ゆきなりひこのみこと》の|系統《けいとう》をうけた|御両人《ごりやうにん》さまが、|人《ひと》もあらうにこんなお|方《かた》の|女房《にようばう》にならうとは、イヤモウ|理外《りぐわい》の|理《り》、|高姫《たかひめ》|感《かん》じ|入《い》りました。|併《しか》し|言依別命《ことよりわけのみこと》さまは|此処《ここ》へ|来《こ》られたか、|御存《ごぞん》じでせうな』
|清子姫《きよこひめ》、|照子姫《てるこひめ》|一時《いちじ》に、
|両女《りやうぢよ》『ハイ、おいでになつた|相《さう》で|御座《ござ》います』
|清彦《きよひこ》『おいでになるはなつたが、|竜《りう》の|腮《あぎと》の|二《ふた》つの|玉《たま》を|手《て》に|入《い》れ、|意気《いき》|揚々《やうやう》として、|遠《とほ》の|昔《むかし》|台湾島《たいわんたう》へ|行《ゆ》き、それから|南米《なんべい》の|高砂島《たかさごじま》へ|渡《わた》られたといふことだ。|我々《われわれ》もその|琉《りう》と|球《きう》との|二《ふた》つの|玉《たま》を|手《て》に|入《い》れる|為《ため》にやつて|来《き》たのだが、|一足《ひとあし》|遅《おく》れた|為《ため》に、|後《あと》の|祭《まつ》り、せめても|腹《はら》いせに|男女《だんぢよ》|四人《よにん》が、|撞《つき》の|御柱《みはしら》を|巡《めぐ》り|合《あ》ひ、|美斗能麻具波比《みとのまぐはひ》をなせと|宣《の》り|玉《たま》ひ、|此《この》|島《しま》の|守《まも》り|神《がみ》とならうと|思《おも》つて|居《ゐ》る|所《ところ》ですよ』
|高姫《たかひめ》『|何《なん》とお|前《まへ》は|男《をとこ》にも|似合《にあ》はぬ、チツポけな|肝玉《きもだま》だな。|此《この》|広《ひろ》い|世界《せかい》に|斯《こ》んな|島《しま》を|一《ひと》つ|治《をさ》めて|満足《まんぞく》してゐる|様《やう》な|事《こと》では、|到底《たうてい》|三千世界《さんぜんせかい》の|御用《ごよう》は|出来《でき》ませぬぞや。|併《しか》し|乍《なが》ら|身魂《みたま》|相応《さうおう》な|御用《ごよう》だから、|何程《なにほど》|烏《からす》に|孔雀《くじやく》になれと|言《い》つたつてなれる|気遣《きづか》ひはなし、|仕方《しかた》がないなア』
と|揚《あ》げ|面《づら》し、|冷笑《れいせう》を|浮《うか》べて|居《ゐ》る。
|照彦《てるひこ》『|高姫《たかひめ》さま、|余《あま》り|見下《みさ》げて|下《くだ》さいますな。|私《わたし》だつて|琉《りう》と|球《きう》との|玉《たま》を|手《て》に|入《い》れ、|言依別《ことよりわけ》さまの|隠《かく》された|七《なな》つの|玉《たま》を、|仮令《たとへ》|半分《はんぶん》でも|探《さが》し|出《だ》し、そして、|高砂島《たかさごじま》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|筑紫《つくし》の|島《しま》から|世界中《せかいぢう》の|覇権《はけん》を|握《にぎ》る|位《くらゐ》な|考《かんが》へは|持《も》つて|居《ゐ》るのだが、|肝腎《かんじん》な|琉《りう》と|球《きう》との|宝玉《ほうぎよく》を|言依別《ことよりわけ》に|取《と》られて|了《しま》つたのだから、|後《あと》を|付《つ》け|狙《ねら》うと|云《い》つても|見当《けんたう》がつかぬだないか。それだから|百日百夜《ひやくにちひやくや》|水行《すゐぎやう》でもして、|二夫婦《ふたふうふ》の|者《もの》が|玉《たま》の|所《ありか》を|探《さが》しに|行《ゆ》かうといふ|考《かんが》へだ。|百日《ひやくにち》の|水行《すゐぎやう》をすれば|世界《せかい》が|見《み》えすくと|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》が|仰有《おつしや》るのだから、|玉《たま》の|所在《ありか》はもとより、|言依別《ことよりわけ》の|行方《ゆくへ》も|分《わか》るのだ。あなたは|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》なら、|猶更《なほさら》|分《わか》るでせう』
|高姫《たかひめ》『きまつた|事《こと》だよ。|分《わ》かればこそ、ここ|迄《まで》|従《つ》いて|来《き》たのだ……サア|言依別命《ことよりわけのみこと》、|余《あま》り|遠《とほ》くは|行《ゆ》くまい。グヅグヅしてると|又《また》|面倒《めんだう》だ。……|常彦《つねひこ》さま、|春彦《はるひこ》さま、|早《はや》く|参《まゐ》りませう。なる|事《こと》ならば、|照子姫《てるこひめ》さま、|清子姫《きよこひめ》さま、あなた|丈《だけ》は|私《わたし》のお|供《とも》なさいませぬか。|虻《あぶ》、|蜂《はち》|両人《りやうにん》の|女房《にようばう》になるのは|一《ひと》つ|考《かんが》へ|物《もの》ですで』
|清彦《きよひこ》『エー|又《また》|婆《ばば》アの|癖《くせ》に|構《かま》ひやがる。サア|早《はや》く|出《で》て|行《ゆ》け』
|高姫《たかひめ》『|出《で》て|行《ゆ》けと|言《い》はなくても、こんな|所《ところ》にグヅグヅしてをれるか。……サア|常彦《つねひこ》、|春彦《はるひこ》、|早《はや》く|早《はや》く』
とせき|立《た》てて、|立《た》ち|去《さ》らうとする。
|常彦《つねひこ》『モシモシ|高姫《たかひめ》さま、|何程《なにほど》|急《いそ》いだつて、なる|様《やう》により|成《な》りませぬで。|今夜《こんや》はここで|宿《と》めて|貰《もら》つて、|明日《あす》の|朝《あさ》ゆつくり|行《ゆ》きませうか……ナア|春彦《はるひこ》、お|前《まへ》も|大分《だいぶん》に|草臥《くたび》れただらう』
|春彦《はるひこ》『|草臥《くたび》れたと|云《い》つた|所《ところ》で、|船《ふね》の|中《なか》に|浮《う》いて|居《ゐ》るのだ。|目的《もくてき》が|立《た》つてから、|何程《なにほど》ゆつくり|休《やす》まうとままだ。サア|行《ゆ》かう』
と|厭《いや》さうにしてる|常彦《つねひこ》の|手《て》を|取《と》り、|引摺《ひきず》るやうにして、|高姫《たかひめ》と|共《とも》に|此《この》|洞穴《どうけつ》を|脱《ぬ》け|出《だ》し、|路々《みちみち》|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し|乍《なが》ら、|苺《いちご》や|石松《いしまつ》の|茂《しげ》る|珊瑚岩《さんごがん》の|碁列《ごれつ》せる|浜辺《はまべ》を|指《さ》して|一目散《いちもくさん》に|駆《かけ》つけ、|乗《の》り|来《き》し|船《ふね》に|身《み》に|任《まか》せ、|一生懸命《いつしやうけんめい》|南《みなみ》を|指《さ》して|大海原《おほうなばら》を|漕《こ》ぎ|出《だ》した。
(大正一一・七・二七 旧六・四 松村真澄録)
第五篇 |清泉霊沼《せいせんれいせう》
第一六章 |琉球《りうきう》の|神《かみ》〔七九八〕
|高姫《たかひめ》|一行《いつかう》が|立去《たちさ》つた|後《あと》の|洞穴《どうけつ》は、|水入《みづい》らずの|男女《だんぢよ》|四名《よめい》、|互《たがひ》に|秘密《ひみつ》を|半《なかば》|打明《うちあ》けて|一種《いつしゆ》|異様《いやう》の|気分《きぶん》に|打《う》たれてゐる。
|斯《かか》る|処《ところ》へ|言依別命《ことよりわけのみこと》は、|国依別《くによりわけ》、|若彦《わかひこ》、|常楠《つねくす》、チヤール、ベース|其《その》|他《た》の|土人《どじん》を|引伴《ひきつ》れ、|此《この》|洞穴《どうけつ》|指《さ》して|一先《ひとま》づ|帰《かへ》り|来《きた》り、|入口《いりぐち》より|中《なか》を|覗《のぞ》けば|灯火《あかり》がついて|居《ゐ》る。さうして|奥《おく》の|方《はう》に|何《なに》か|人影《ひとかげ》が|見《み》えてゐる。|国依別《くによりわけ》は|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
|国依別《くによりわけ》『ヤア|皆《みな》さま、|御苦労《ごくらう》で|御座《ござ》いました。|誰《たれ》か|気《き》の|利《き》いた|土人《どじん》と|見《み》えるが、|灯火《あかり》をつけて|待《ま》つてゐる|様《やう》です』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|一足先《ひとあしさき》に|入《はい》つた。|清彦《きよひこ》は|此《この》|姿《すがた》を|見《み》て、
|清彦《きよひこ》『ヤア』
とばかりに|驚《おどろ》き、|側《そば》に|駆寄《かけよ》つて、
|清彦《きよひこ》『これはこれは|国依別《くによりわけ》|様《さま》で|厶《ござ》いますか。ヤア|言依別《ことよりわけ》の|教主様《けうしゆさま》、|大勢《おほぜい》の|方々《かたがた》、よくマア|御《お》いで|下《くだ》さいました。|御承知《ごしようち》の|通《とほ》りの|荒屋《あばらや》、|苺《いちご》が|沢山《たくさん》に|御座《ござ》いますれば、|悠乎《ゆつくり》と|御召《おあが》り|遊《あそ》ばして|御話《おはなし》を|願《ねが》ひます』
|国依別《くによりわけ》『ヤアお|前《まへ》は|清彦《きよひこ》ぢやないか。|何時《いつ》の|間《ま》にやら|我輩《わがはい》の|邸宅《ていたく》を|横領《わうりやう》して、|主人《しゆじん》|気取《きど》りになつて|了《しま》つたのだな……|教主様《けうしゆさま》、|其《その》|他《た》|御一同様《ごいちどうさま》、|清彦《きよひこ》が|御留守宅《おるすたく》へやつて|来《き》て|居《を》ります』
|清彦《きよひこ》『どうぞ|奥《おく》へ|御通《おとほ》り|下《くだ》さいませ』
|国依別《くによりわけ》『|主客《しゆきやく》|顛倒《てんたう》とは|此《この》|事《こと》だ。ヤア|奥《おく》には|照彦《てるひこ》|其《その》|他《た》|二人《ふたり》の|頗《すこぶ》る|美人《びじん》が|居《ゐ》るではないか。|中々《なかなか》|抜目《ぬけめ》の|無《な》い|男《をとこ》だね』
|言依別《ことよりわけ》『アヽ|若彦《わかひこ》さま、|常楠《つねくす》さま、サア|奥《おく》へ|御進《おすす》み|下《くだ》さい』
|常楠《つねくす》と|若彦《わかひこ》は|琉《りう》、|球《きう》の|玉《たま》を|奉《ほう》じ、|洞穴内《どうけつない》の|最《もつと》も|高《たか》き|処《ところ》に|安置《あんち》し、|拍手《かしはで》を|打《う》ち|一生懸命《いつしやうけんめい》に|何事《なにごと》か|小声《こごゑ》に|唱《とな》へてゐる。
|清彦《きよひこ》、|照彦《てるひこ》、|清子姫《きよこひめ》、|照子姫《てるこひめ》は|両手《りやうて》をつき、
『|是《これ》は|是《これ》は|教主様《けうしゆさま》、|不思議《ふしぎ》な|所《ところ》で|御目《おめ》にかかりました。|先《ま》づ|先《ま》づ|御無事《ごぶじ》で|御目出度《おめでた》う|厶《ござ》います』
|言依別《ことよりわけ》『ヤア|有難《ありがた》う。|御神徳《おかげ》を|以《もつ》て|竜《たつ》の|腮《あぎと》の|琉《りう》、|球《きう》の|宝玉《ほうぎよく》はうまく|手《て》に|入《い》りました。|就《つい》ては|貴女方《あなたがた》どうして|又《また》|斯様《かやう》な|処《ところ》へ|来《き》たのですか』
|清子姫《きよこひめ》『ハイ、|妾《わたし》は|比沼《ひぬ》の|真奈井《まなゐ》の|宝座《ほうざ》に|於《おい》て、|照子姫《てるこひめ》|様《さま》と|禊《みそぎ》を|修《しう》して|居《を》りました。|処《ところ》が|瑞《みづ》の|宝座《ほうざ》は|俄《にはか》に|鳴動《めいどう》を|始《はじ》め、|四辺《あたり》に|芳香《はうかう》|薫《くん》じ、|微妙《びめう》の|音楽《おんがく》|聞《きこ》え|来《きた》ると|思《おも》ふ|間《ま》もなく、|忽然《こつぜん》として|現《あら》はれ|玉《たま》ひし|豊国姫《とよくにひめ》の|御神姿《ごしんし》、|言葉《ことば》|静《しづ》かに|宣《の》らせ|玉《たま》ふやう………この|宝座《ほうざ》は、|妾《わらは》|寸時《しばらく》|神界《しんかい》の|都合《つがふ》によつて|或《ある》|地点《ちてん》に|立向《たちむか》ひ、|神霊《しんれい》|不在《ふざい》となれば、|汝等《なんぢら》|二人《ふたり》は|一刻《いつこく》も|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》り、|由良《ゆら》の|港《みなと》の|秋山彦《あきやまひこ》が|館《やかた》に、|竜宮《りうぐう》の|麻邇《まに》の|宝珠《ほつしゆ》|集《あつ》まり|玉《たま》へば|之《これ》を|奉迎《ほうげい》せよ……|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》、|国武彦命《くにたけひこのみこと》も|御《お》でましになつてゐる……との|事《こと》に、|旅装《りよさう》を|整《ととの》へ|由良港《ゆらみなと》へ|参《まゐ》りしも|後《あと》の|祭《まつり》となり、|其《その》|儘《まま》|聖地《せいち》に|上《のぼ》り、|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫《たまてるひめ》|様《さま》の|神勅《しんちよく》や、|貴方様《あなたさま》の|御教示《ごけうじ》を|拝《はい》して|高熊山《たかくまやま》に|登《のぼ》り、|三週間《さんしうかん》の|行《ぎやう》を|為《な》し、いろいろの|神界《しんかい》の|御経綸《ごけいりん》を|承《うけたま》はつて、|漸《やうや》くこに|参《まゐ》つたもので|厶《ござ》います。ところが|途中《とちう》に|於《おい》て|船《ふね》を|暗礁《あんせう》に|乗《の》り|上《あ》げ、|生命《いのち》|危《あやふ》い|所《ところ》を|御両人様《ごりやうにんさま》に|助《たす》けられ、|結構《けつこう》なる|御神徳《ごしんとく》をうけましたもので|厶《ござ》います』
|言依別《ことよりわけ》『それは|皆《みな》さま、|結構《けつこう》で|御座《ござ》いました。|吾々《われわれ》とても|琉《りう》、|球《きう》の|宝玉《ほうぎよく》を|斯《かく》の|如《ごと》く|無事《ぶじ》に|拝領《はいりやう》し|来《きた》れば、これよりは|益々《ますます》|神徳《しんとく》|著《いちじる》く、|御神業《ごしんげふ》も|完全《くわんぜん》に|成就《じやうじゆ》する|事《こと》と|悦《よろこ》んで|居《を》ります』
|国依別《くによりわけ》『モシモシ|常楠《つねくす》さま、|貴方《あなた》の|血縁《けつえん》の|両人《りやうにん》が|此処《ここ》に|御越《おこ》しになつてゐるといふのも、|不思議《ふしぎ》の|経綸《けいりん》ぢやありませぬか。|照彦《てるひこ》に|清彦《きよひこ》、|照子姫《てるこひめ》に|清子姫《きよこひめ》、これ|又《また》|一《ひと》つの|不思議《ふしぎ》、…|常楠《つねくす》に|常彦《つねひこ》、…これも|亦《また》|不思議《ふしぎ》。|畏《おそ》れ|多《おほ》い|事《こと》だが|言依別《ことよりわけ》|様《さま》に|国依別《くによりわけ》、|若彦《わかひこ》さまにチヤール、ベース、|名《な》までよく|情意《じやうい》|投合《とうがふ》してゐる|様《やう》ですなア。アハヽヽヽ』
|常彦《つねひこ》『お|前《まへ》は|清彦《きよひこ》、|照彦《てるひこ》の|両人《りやうにん》、ようマアこんな|処《ところ》まで|探《たづ》ねて|来《き》てくれた。|親《おや》なればこそ、|子《こ》なればこそだ』
|清彦《きよひこ》、|照彦《てるひこ》|両人《りやうにん》は|一度《いちど》に、
|両人《りやうにん》『|吾々《われわれ》は|斯様《かやう》なところでお|父《とう》さまに|御目《おめ》に|掛《かか》らうなどとは、|夢《ゆめ》にも|思《おも》つてゐませんでした。|教主様《けうしゆさま》の|後《あと》をつけ|狙《ねら》つて|高姫《たかひめ》|一行《いつかう》が|参《まゐ》つたと|聞《き》き、|心《こころ》も|心《こころ》ならず、|御後《おあと》を|慕《した》つて|御用《ごよう》の|末端《はしくれ》にもと|思《おも》ひ、|出《で》て|参《まゐ》りました。|併《しか》し|乍《なが》ら|最早《もはや》|教主様《けうしゆさま》は|此《この》|島《しま》を|既《すで》に|既《すで》に|御用《ごよう》|了《をは》り、|御出立《ごしゆつたつ》の|跡《あと》ならんと|落胆《らくたん》|致《いた》して|居《を》りましたが、|併《しか》しここで|御目《おめ》に|掛《かか》りましたのは|何《なに》より|有難《ありがた》い|事《こと》で|御座《ござ》います』
|言依別《ことよりわけ》『あゝさうであつたか。それは|大《おほ》いに|心配《しんぱい》を|掛《か》けたなア。|併《しか》し|高姫《たかひめ》さまは|執拗《しつえう》にも|斯様《かやう》なところまで、|吾々《われわれ》の|後《あと》を|追《お》つて|来《き》たのかなア』
|清彦《きよひこ》『|高姫《たかひめ》さまは|仮令《たとへ》|高砂島《たかさごじま》の|果《はて》までも|貴方《あなた》の|御後《おあと》を|尋《たづ》ね|廻《まは》り、|七《なな》つの|宝玉《ほうぎよく》の|所在《ありか》を|探《さが》して|教主様《けうしゆさま》を|改心《かいしん》させなならぬと|言《い》つて、|今《いま》の|今《いま》とてこの|洞穴《どうけつ》に|御越《おこ》しに|相成《あひな》り、|常彦《つねひこ》、|春彦《はるひこ》と|共《とも》に、|大変《たいへん》に|我々《われわれ》|両人《りやうにん》に|毒吐《どくつ》いた|揚句《あげく》、|一刻《いつこく》も|猶予《いうよ》ならぬ。|言依別《ことよりわけ》の|後《あと》を|追《お》つてやらうと|云《い》つて、|慌《あわただ》しくここを|立去《たちさ》られた|所《ところ》で|御座《ござ》います。モウ|今頃《いまごろ》は|何処《どこ》かの|浜辺《はまべ》から、|船《ふね》に|乗《の》つて|漕《こ》ぎ|出《だ》してゐる|位《くらゐ》でせう』
|言依別《ことよりわけ》『|何処《どこ》までも|玉《たま》にかけたら|執念深《しふねんぶか》い|高姫《たかひめ》だなア。アヽ|仕方《しかた》が|無《な》い』
と|双手《もろで》を|組《く》んで|思案《しあん》に|暮《く》れる。
|言依別《ことよりわけ》『さうすれば|高姫《たかひめ》さまは、|又《また》|我々《われわれ》の|渡《わた》る|高砂島《たかさごじま》へも|行《ゆ》くに|違《ちが》ひ|無《な》い。|琉《りう》、|球《きう》の|宝玉《ほうぎよく》を|持《も》つて|参《まゐ》れば、|又《また》しても|罪《つみ》を|作《つく》らす|様《やう》なものだ。|是《これ》から|国依別《くによりわけ》と|両人《りやうにん》が|玉《たま》の|精霊《せいれい》を|我《わ》が|身魂《みたま》に|移《うつ》し、|形骸《けいがい》|丈《だけ》は……|若彦《わかひこ》さま、|御苦労《ごくらう》だが|二《ふた》つとも|貴方《あなた》が|守護《しゆご》して、|再度山《ふたたびやま》の|麓《ふもと》なる|玉能姫《たまのひめ》の|館《やかた》へ|持帰《もちかへ》り、|夫婦《ふうふ》|揃《そろ》うて|此《この》|玉《たま》を|保管《ほくわん》をし|乍《なが》ら、|神界《しんかい》の|御用《ごよう》をして|下《くだ》さい。|貴方《あなた》も|此《この》|御神業《ごしんげふ》が|成就《じやうじゆ》した|上《うへ》は、|玉能姫《たまのひめ》の|夫《をつと》として|同棲《どうせい》されても|差支《さしつかへ》は|有《あ》りますまい』
|若彦《わかひこ》はハツと|驚《おどろ》き、|有難涙《ありがたなみだ》に|暮《く》れ|乍《なが》ら、
|若彦《わかひこ》『|情《なさけ》の|籠《こも》つた|教主《けうしゆ》の|御言葉《おことば》、|有難《ありがた》く|存《ぞん》じます。|左様《さやう》なれば|此《この》|玉《たま》を|保護《ほご》|致《いた》し、|生田《いくた》の|森《もり》の|神館《かむやかた》へ|持帰《もちかへ》り、|貴方《あなた》の|聖地《せいち》へ|御帰《おかへ》り|遊《あそ》ばす|迄《まで》|大切《たいせつ》に|守護《しゆご》|致《いた》します』
|言依別《ことよりわけ》『|早速《さつそく》の|御承知《ごしようち》、|一日《いちにち》も|早《はや》く|御帰《おかへ》り|下《くだ》さい。……|又《また》|常楠翁《つねくすをう》は|此《この》|琉球島《りうきうじま》の|土人《どじん》の|神《かみ》となり、|王《わう》となつて|永遠《ゑいゑん》に|此処《ここ》に|鎮《しづ》まり|神業《しんげふ》に|尽《つく》して|貰《もら》ひたい。……|清彦《きよひこ》、|照彦《てるひこ》は|常楠《つねくす》と|共《とも》に|本島《ほんたう》を|守護《しゆご》|致《いた》し、|余力《よりよく》あれば|台湾島《たいわんたう》へも|渡《わた》つて|三五教《あななひけう》を|広《ひろ》め、|国魂神《くにたまがみ》となつて|土民《どみん》を|永遠《ゑいゑん》に|守《まも》つて|下《くだ》さい。|言依別《ことよりわけ》はこれより|国依別《くによりわけ》と|共《とも》に、|高砂島《たかさごじま》へ|渡《わた》り、|夫《それ》より|常世国《とこよのくに》を|廻《めぐ》つて|波斯《フサ》の|国《くに》、|産土山脈《うぶすなさんみやく》の|斎苑《いそ》の|館《やかた》に|立向《たちむか》ふ|考《かんが》へだ。|随分《ずゐぶん》|神様《かみさま》の|御恵《みめぐみ》を|頂《いただ》いて|壮健《さうけん》|無事《ぶじ》に|御神業《ごしんげふ》に|参加《さんか》されよ』
と|宣示《せんじ》する。|一同《いちどう》はハツとばかりに|有難涙《ありがたなみだ》を|出《いだ》し、|頭《かしら》を|地《ち》につけて|涕泣《ていきふ》|稍《やや》|久《ひさ》しうしてゐる。
ここに|言依別《ことよりわけ》は|琉《りう》の|珠《たま》の|精霊《せいれい》を|腹《はら》に|吸《す》ひ|玉《たま》ひ、|国依別《くによりわけ》は|球《きう》の|珠《たま》の|精霊《せいれい》を|吸《す》ひ、|終《をは》つて|二個《にこ》の|玉手箱《たまてばこ》を|若彦《わかひこ》に|渡《わた》した。|若彦《わかひこ》は|押頂《おしいただ》いて、|直《ただち》にチヤール、ベースの|二人《ふたり》に|船《ふね》を|操《あやつ》らせ|宝玉《ほうぎよく》を|保護《ほご》し、|荒浪《あらなみ》をわけて、|再《ふたた》び|自転倒島《おのころじま》の|生田《いくた》の|森《もり》に|引《ひ》き|返《かへ》す|事《こと》となつた。
これより|若彦《わかひこ》、|玉能姫《たまのひめ》は|生田《いくた》の|森《もり》に|於《おい》て|夫婦《ふうふ》の|息《いき》を|合《あは》せ、|神界《しんかい》の|為《ため》に|大功《たいこう》を|顕《あら》はしたのである。
|言依別命《ことよりわけのみこと》は|国依別《くによりわけ》を|伴《ともな》ひ、|琉球《りうきう》|全体《ぜんたい》の|守護権《しゆごけん》を、|常楠《つねくす》、|清彦《きよひこ》、|照彦《てるひこ》に|一任《いちにん》し、|悠々《いういう》として|土人《どじん》|二名《にめい》を|引伴《ひきつ》れ、|船《ふね》を|操《あやつ》らせ|乍《なが》ら、|万里《ばんり》の|波濤《はたう》を|蹶《け》つて|高砂島《たかさごじま》に|向《むか》つて|出発《しゆつぱつ》された。|又《また》|清子姫《きよこひめ》、|照子姫《てるこひめ》は|言依別《ことよりわけ》の|後《あと》を|追《お》ひ|暗夜《やみよ》に|紛《まぎ》れて|船《ふね》に|乗《の》り、|高砂島《たかさごじま》へ|進《すす》む|事《こと》となつた。
|清彦《きよひこ》、|照彦《てるひこ》はこの|二人《ふたり》の|美女《びぢよ》が|何時《いつ》の|間《ま》にか、|此《この》|島《しま》より|消《き》え|去《さ》りしに|一時《いちじ》は|落胆《らくたん》したが、よく|顧《かへり》みれば、|自分《じぶん》には|紀《き》の|国《くに》に|妻子《さいし》ある|事《こと》を|思《おも》ひ|出《だ》し、|天則違反《てんそくゐはん》の|行動《かうどう》となるに|思《おも》ひ|当《あた》り、この|恋《こひ》を|断念《だんねん》する|事《こと》となつた。|然《しか》るに|清彦《きよひこ》、|照彦《てるひこ》|二人《ふたり》の|妻子《さいし》は、|夫《をつと》を|捨《す》てて|何処《いづく》へか|姿《すがた》を|隠《かく》したる|事《こと》|後《のち》に|至《いた》つて|判然《はんぜん》し、|常楠《つねくす》の|命《めい》に|依《よ》つて|貴人《きじん》の|娘《むすめ》を|妻《つま》となし、|清彦《きよひこ》は|琉球《りうきう》の|北《きた》の|島《しま》を、|照彦《てるひこ》は|南《みなみ》の|島《しま》を|管掌《くわんしやう》し、|永遠《ゑいゑん》にその|子孫《しそん》を|伝《つた》へたのである。
|又《また》|常楠《つねくす》はハーリス|山《ざん》の|山《やま》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》つて|生神《いきがみ》となり、|俗界《ぞくかい》より|姿《すがた》を|隠《かく》して|了《しま》つた。|今《いま》に|到《いた》る|迄《まで》|不老不死《ふらうふし》の|仙術《せんじゆつ》を|体得《たいとく》し、|琉球島《りうきうじま》の|守護神《しゆごじん》となつてゐる。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・七・二七 旧六・四 外山豊二録)
第一七章 |沼《ぬま》の|女神《めがみ》〔七九九〕
|言依別命《ことよりわけのみこと》、|国依別《くによりわけ》は|高砂島《たかさごじま》へ、|若彦《わかひこ》は|自転倒島《をのころじま》へ、|照子姫《てるこひめ》、|清子姫《きよこひめ》は|言依別《ことよりわけ》の|後《あと》を|慕《した》うて|立去《たちさ》つた|後《あと》の|清彦《きよひこ》、|照彦《てるひこ》は、|父《ちち》の|常楠《つねくす》と|共《とも》に|此《この》|離《はな》れ|島《じま》に|残《のこ》され、|恰《あたか》も|遠島《ゑんたう》に|流《なが》されし|如《ごと》き|淋《さび》しみを|感《かん》じた。これより|親子《おやこ》|三人《さんにん》の|交際《かうさい》は|益々《ますます》|親密《しんみつ》を|加《くは》へ、よく|父子《おやこ》|兄弟《きやうだい》の|順序《じゆんじよ》|行《おこな》はれ、|数多《あまた》の|土人《どじん》の|益々《ますます》|崇敬《すうけい》の|的《まと》となつて|居《ゐ》た。
|此《この》|島《しま》に|琉球沼《りうきうぬま》と|云《い》ふ|至《いた》つて|広《ひろ》き|藺《ゐ》の|密生《みつせい》した|沼《ぬま》がある。|或《ある》|夜《よ》|清彦《きよひこ》の|夢《ゆめ》に……|清子姫《きよこひめ》|照子姫《てるこひめ》の|二人《ふたり》、|沼《ぬま》の|対岸《むかふぎし》に|現《あら》はれ、|白《しろ》き|細《ほそ》き|手《て》をさし|延《の》べて|清彦《きよひこ》に|向《むか》ひ、
『|琉球《りうきう》へおじやるなら、|草鞋《わらぢ》|穿《は》いておじやれ、|琉球《りうきう》は|石原《いしはら》、|小石原《こいしはら》』
と|歌《うた》つて|踊《をど》りしと|夢《ゆめ》|見《み》て|目《め》が|醒《さ》めた。
|土人《どじん》のエムとセムとの|従者《じゆうしや》に|向《むか》つて|清彦《きよひこ》は、
|清彦《きよひこ》『|此《この》|島《しま》に|琉球沼《りうきうぬま》と|云《い》ふ|広大無辺《くわうだいむへん》な|清泉《せいせん》を|湛《たた》へた|沼《ぬま》があるか』
と|尋《たづ》ねて|見《み》た。エム、セムの|二人《ふたり》は|言下《げんか》に|首《くび》を|縦《たて》にふり|乍《なが》ら、
エム『|有《あ》ります|有《あ》ります、|確《たしか》に|立派《りつぱ》な|沼《ぬま》があつて、|藺《ゐ》が|周辺《しうへん》に|密生《みつせい》し、|比較的《ひかくてき》|浅《あさ》く、さうして|外《ほか》の|沼《ぬま》とは|違《ちが》つて、|水底《みなそこ》は|小砂利《こじやり》を|以《もつ》て|敷《しき》つめた|様《やう》な|気分《きぶん》の|良《よ》い|沼《ぬま》です。その|中央《ちうあう》に|珊瑚礁《さんごせう》で|作《つく》られた|立派《りつぱ》な|岩《いは》があり、|其《その》|岩《いは》には|大《おほ》きな|穴《あな》が|明《あ》いて|居《を》る。|其《その》|穴《あな》を|這入《はい》ると|中《なか》は|千畳敷《せんぜうじき》で、|時々《ときどき》|立派《りつぱ》な|美人《びじん》が|其《その》|穴《あな》より|二人《ふたり》|現《あら》はれ、|金扇《きんせん》を|拡《ひろ》げて|踊《をど》り|狂《くる》ひ|舞《ま》ふとの|事《こと》です』
セム『|此《この》|里《さと》の|者《もの》は|伝説《でんせつ》に|聞《き》く|計《ばか》り、|恐《おそ》れて|近寄《ちかよ》つた|者《もの》はありませぬ』
|清彦《きよひこ》『お|前《まへ》|知《し》つて|居《ゐ》るなら、そこまで|案内《あんない》をして|呉《く》れないか』
エム『|御案内《ごあんない》は|致《いた》しますが、うつかり|沼《ぬま》の|中《なか》へでも|這入《はい》つて|貰《もら》つたら|大変《たいへん》です』
|清彦《きよひこ》『|照彦《てるひこ》、お|前《まへ》も|行《ゆ》かうぢやないか。|清子姫《きよこひめ》、|照子姫《てるこひめ》と|寸分《すんぶん》|違《ちが》はぬ|美人《びじん》が|扇《あふぎ》を|拡《ひろ》げて|我々《われわれ》|兄弟《きやうだい》|両人《りやうにん》を|待《ま》つて|居《ゐ》るぞよ』
|照彦《てるひこ》『|兄貴《あにき》、それは|夢《ゆめ》だないか。|余《あんま》り|清《きよ》さま|照《てる》さまに|精神《せいしん》を|取《と》られて|居《ゐ》るものだから、そんな|夢《ゆめ》を|見《み》たのだよ。キツと|大蛇《をろち》の|御化《おばけ》にきまつてゐる。|私《わし》はマア|止《や》めておかうか』
|清彦《きよひこ》『ハテ|気《き》の|弱《よわ》い。|兎《と》も|角《かく》|経験《けいけん》の|為《ため》に|行《い》つて|見《み》たら|如何《どう》だ。|別《べつ》に|外《ほか》に|忙《いそが》しい|用《よう》があると|云《い》ふのではない。|物《もの》は|経験《けいけん》ぢやないか。|将来《しやうらい》|此《この》|島《しま》の|覇王《はわう》とならうと|思《おも》へば、|隅々《すみずみ》までも|探険《たんけん》しておく|必要《ひつえう》があるだらう。……お|父《とう》さま、|如何《どう》でせう。|我々《われわれ》|兄弟《きやうだい》、エムとセムを|案内者《あんないしや》として|一度《いちど》|探険《たんけん》に|行《い》つて|来《き》たいと|思《おも》ひますが……』
|常彦《つねひこ》『|何《なに》を|言《い》つても、ここは|世界《せかい》の|秘密国《ひみつこく》だ。|御苦労《ごくらう》だが|一《ひと》つ|調《しら》べて|貰《もら》ひたい。……エム、セムの|両人《りやうにん》、お|前《まへ》|御苦労《ごくらう》だが、|二人《ふたり》の|案内《あんない》をしてやつて|呉《く》れ』
エム、セムの|二人《ふたり》は|一《いち》も|二《に》もなく|承諾《しようだく》をした。|茲《ここ》に|四人《よにん》は|常楠《つねくす》と|共《とも》に|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|成功《せいこう》を|祈願《きぐわん》し|終《をは》つて、|草鞋脚絆《わらぢきやはん》の|軽装《けいさう》にて、|一本《いつぽん》の|杖《つゑ》を|携《たづさ》へ、|芭蕉《ばせう》の|葉《は》で|編《あ》んだ|一文字笠《いちもんじがさ》を|頭《かしら》に|頂《いただ》き|乍《なが》ら、|一天《いつてん》|雲《くも》なき|青空《あをぞら》を|草《くさ》を|分《わ》けて、|琉球沼《りうきうぬま》の|畔《ほとり》に|辿《たど》り|着《つ》いた。|里程《りてい》は|殆《ほとん》ど|今《いま》の|十里《じふり》|位《くらゐ》である。|湖辺《こへん》に|着《つ》いた|頃《ごろ》は|太陽《たいやう》は|既《すで》にセークス|山《ざん》の|頂《いただ》きに|没《ぼつ》し、|山《やま》の|影《かげ》は|湖面《こめん》を|蔽《おほ》ふ|頃《ころ》であつた。
|清彦《きよひこ》は|沼《ぬま》の|畔《ほとり》に|立《た》つて、|湖面《こめん》を|眺《なが》め|歌《うた》つて|見《み》た。
|清彦《きよひこ》『|神《かみ》の|教《をしへ》に|清《きよ》められ |魂《たま》を|研《みが》いた|清彦《きよひこ》や
|身魂《みたま》も|四方《よも》に|照《て》り|渡《わた》る |照彦《てるひこ》|宣伝使《せんでんし》
|琉球《りうきう》の|沼《ぬま》に|永久《とこしへ》に |鎮《しづ》まりゐます|心《こころ》も|清《きよ》き|清子姫《きよこひめ》
|身魂《みたま》もてれる|照子姫《てるこひめ》 |清《きよ》と|清《きよ》との|清《きよ》い|仲《なか》
|照《てる》と|照《てる》との|明《あか》い|仲《なか》 エムとセムとの|案内《あない》にて
お|前《まへ》に|会《あ》はんとこがれこがれて |出《で》て|来《き》たやさしい|男《をとこ》
セークス|山《ざん》に|日《ひ》が|隠《かく》れ |早《はや》|烏羽玉《うばだま》の|夜《よ》は|近《ちか》づいた
|清《きよ》い|清《きよ》い|朝日《あさひ》の|如《ごと》く |明《あか》き|明《あか》き|天津日《あまつひ》の
|照《て》り|輝《かがや》く|如《ごと》く |実《げ》に|麗《うるは》しき|男《をとこ》と|男《をとこ》
|夢《ゆめ》の|中《なか》なる|女《をんな》を|尋《たづ》ね |夢《ゆめ》に|夢見《ゆめみ》る|心地《ここち》して
|此処《ここ》まで|訪《たづ》ねて|来《き》た|男《をとこ》 |沼《ぬま》の|女神《めがみ》よ|心《こころ》あらば
|男《をとこ》の|切《せつ》ない|思《おも》ひを|汲《く》めよ |夢《ゆめ》の|中《なか》とは|言《い》ひ|乍《なが》ら
お|前《まへ》は|私《わし》を|清《きよ》い|心《こころ》で |呼《よ》んだでないか
|白《しろ》きただむき|淡雪《あはゆき》の |若《わか》やる|胸《むね》を|素《す》だたき
たたきまながり|真玉手《またまで》|玉手《たまで》 |互《たがひ》にさしまき|腿長《ももなが》に
|水火《いき》を|合《あは》して|此《この》|島《しま》の |守《まも》りの|神《かみ》とならうでないか
|夢《ゆめ》の|中《なか》なる|清子姫《きよこひめ》 |照子《てるこ》の|姫《ひめ》よ|遥々《はるばる》と
|訪《たづ》ね|来《きた》れる|清彦《きよひこ》や |照彦《てるひこ》の|真心《まごころ》を
|仇《あだ》に|思《おも》ふな|沼《ぬま》の|主《ぬし》』
と|歌《うた》つた。
|照彦《てるひこ》は|清彦《きよひこ》の|歌《うた》の|終《をは》るを|待《ま》ち|兼《か》ねた|様《やう》に、
|照彦《てるひこ》『かくれた かくれた|日輪様《にちりんさま》は セークス|山《ざん》の|頂《いただ》きに
|沼《ぬま》を|包《つつ》んだ|涼《すず》しい|影《かげ》に |我等《われら》が|心《こころ》も|涼《すず》しくなつた
|心《こころ》は|照《て》る|照《て》る|身魂《みたま》は|清《きよ》く |小石《こいし》の|並《なら》んだ|沼《ぬま》の|底《そこ》
|小魚《さな》の|躍《をど》りもよく|見《み》える |踊《をど》るは|小魚《こうを》のみでない
|照彦《てるひこ》|心《こころ》も|勇《いさ》み|立《た》ち |思《おも》はず|手足《てあし》が|踊《をど》り|出《だ》す
|照《て》れよ|照《て》れ|照《て》れ|心《こころ》の|光《ひかり》 |清《きよ》い|身魂《みたま》に|宿《やど》つた|神《かみ》の
|分《わけ》の|霊魂《みたま》の|清彦《きよひこ》|兄貴《あにき》 |兄弟《きやうだい》|二人《ふたり》が|姉妹《おとどい》を
|訪《たづ》ねて|来《き》たのも|外《ほか》でない |昨夜《ゆうべ》|兄貴《あにき》が|見《み》た|夢《ゆめ》の
|沼《ぬま》の|女《をんな》に|会《あ》ひたさに |木《き》の|丸殿《まるどの》を|立出《たちい》でて
エムとセムとに|送《おく》られて |草野《くさの》を|分《わ》けてやつて|来《き》た
|男心《をとこごころ》を|汲《く》み|取《と》つて |早《はや》く|姿《すがた》を|現《あら》はせよ
|沼《ぬま》に|泛《うか》んだ|珊瑚礁《さんごせう》 エムとセムとの|話《はなし》を|聞《き》けば
|黄金《こがね》の|扇《あふぎ》|打《うち》ひろげ |天女《てんによ》の|様《やう》な|乙女子《をとめご》が
|何時《いつ》も|現《あら》はれますと|聞《き》く |私等《わしら》|二人《ふたり》は|琉球《りうきう》の
|国《くに》の|頭《かしら》に|任《ま》けられて |此処《ここ》に|現《あら》はれ|照《て》りわたる
|月日《つきひ》の|光《ひかり》を|身《み》に|受《う》けて |二人《ふたり》と|二人《ふたり》の|心《こころ》を|合《あは》せ
|北《きた》と|南《みなみ》の|夫婦島《めをとじま》 |千代《ちよ》の|契《ちぎり》を|結《むす》ばうと
お|前《まへ》にこがれて|来《き》た|男《をとこ》 |仇《あだ》に|返《かへ》すな|沼《ぬま》の|主《ぬし》』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つて、|四人《よにん》は|美《うる》はしき|砂《すな》の|布《し》きつめた|様《やう》な|浅《あさ》き|沼《ぬま》を、|小《ちい》さき|雑魚《ざこ》を|驚《おどろ》かせ|乍《なが》らバサバサと、|時《とき》ならぬ|波《なみ》を|立《た》てて|進《すす》んで|行《ゆ》く。
|遥《はるか》|彼方《あなた》に|黒《くろ》ずんで|浮《う》いて|居《を》る|珊瑚礁《さんごせう》の|影《かげ》、|日《ひ》は|漸《やうや》く|地平線下《ちへいせんか》に|没《ぼつ》し、そろそろ|暗《やみ》の|帳《とばり》は|下《おろ》されて|来《き》た。|涼《すず》しき|風《かぜ》は|一行《いつかう》の|面《おもて》を|撫《な》で、|水深《すゐしん》は|最早《もはや》|太腿《ふともも》の|所《ところ》まで|浸《ひた》された。|忽《たちま》ち|島《しま》はポーツと|明《あか》くなつた。|四人《よにん》は|何《なん》となく|心《こころ》|勇《いさ》み|明《あか》りを|目当《めあて》に|進《すす》んで|行《ゆ》く。
|忽《たちま》ち|現《あら》はれた|八尋鰐《やひろわに》、|此処《ここ》よりは|水深《すゐしん》|俄《にはか》に|増《ま》して|到底《たうてい》|前進《ぜんしん》する|事《こと》が|出来《でき》ない。ハタと|当惑《たうわく》して|居《ゐ》る|矢先《やさき》、|八尋鰐《やひろわに》は|橋《はし》の|様《やう》になつて|其《その》|前《まへ》に|横《よこ》たはつた。|幾十《いくじふ》とも|知《し》れぬ|鰐《わに》は|珊瑚礁《さんごせう》を|基点《きてん》として、|長《なが》き|橋《はし》を|架《か》けた|様《やう》に|単縦陣《たんじうぢん》を|作《つく》り、|四人《よにん》の|男《をとこ》に|此《この》|上《うへ》を|渡《わた》れ……と|言《い》はぬ|許《ばか》りの|意思《いし》を|示《しめ》した。
|清彦《きよひこ》|外《ほか》|三人《さんにん》は|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し|乍《なが》ら、|鰐《わに》の|背《せ》を|覚束《おぼつか》なげに|踏《ふ》みこえ|踏《ふ》みこえ、|漸《やうや》くにしてポツと|明《あか》い|珊瑚礁《さんごせう》に|辿《たど》り|着《つ》いた。|振《ふ》りかへり|見《み》れば|今迄《いままで》|現《あら》はれた|八尋鰐《やひろわに》の|姿《すがた》は|水泡《みなわ》の|如《ごと》く|消《き》え|果《は》て、|後《あと》には|波《なみ》|静《しづ》かに|魚鱗《ぎよりん》の|如《ごと》く|漂《ただよ》うて|居《ゐ》た。
|清彦《きよひこ》は|珊瑚礁《さんごせう》に|安着《あんちやく》した|祝《いは》ひに、|心《こころ》も|何《なん》となくいそいそし|乍《なが》ら、|又《また》も|歌《うた》ひ|踊《をど》つて|居《ゐ》た。
|清彦《きよひこ》『ここは|琉球《りうきう》の|中心地点《ちうしんちてん》 |夢《ゆめ》の|中《なか》なる|恋妻《こひづま》の
|堅磐常磐《かきはときは》に|隠《かく》れたる |高砂島《たかさごじま》か|珍島《うづしま》か
|珍《うづ》の|女神《めがみ》の|御玉《みたま》の|住処《すみか》 |琉球《りうきう》へおじやるなら
|草鞋《わらぢ》|穿《は》いておじやれ |琉球《りうきう》は|石原《いしはら》|小石原《こいしはら》
|唄《うた》つて|聞《き》かした|二人《ふたり》のナイス |今《いま》はいづくに|身《み》をかくす
はるばる|訪《たづ》ねて|来《き》た|男《をとこ》 |出迎《でむか》へせぬとは|無礼《ぶれい》ぞや
|私《わし》も|男《をとこ》の|端《はし》ではないか |竜《たつ》の|化身《けしん》か|天女《てんによ》の|果《はて》か
|但《ただし》は|清子《きよこ》|照子《てるこ》の|幻像《げんざう》か |真偽《しんぎ》の|程《ほど》は|我々《われわれ》の
|恋《こひ》に|迷《まよ》うた|眼《まなこ》には ハツキリ|分《わか》らない
|夢《ゆめ》に|踊《をど》つたお|前《まへ》の|姿《すがた》 |白《しろ》い|肌《はだへ》や|白《しろ》い|腿《もも》
|太《ふと》い|乳房《ちぶさ》をブラブラと |見《み》せたる|時《とき》の|心持《こころもち》
|俺《おれ》はどうしても|忘《わす》られぬ |恋《こひ》の|暗路《やみぢ》に|迷《まよ》うた|男《をとこ》
|琉球《りうきう》の|沼《ぬま》で|兄弟《きやうだい》が |恋《こひ》の|虜《とりこ》とならうとは
|夢《ゆめ》にも|思《おも》はぬ|清彦《きよひこ》が |赤《あか》き|心《こころ》を|知《し》るならば
|夢《ゆめ》を|破《やぶ》つて|現実《げんじつ》の |清子《きよこ》の|姫《ひめ》や|照子姫《てるこひめ》
|早《はや》く|姿《すがた》を|現《あら》はせよ お|前《まへ》に|会《あ》ひたさ|顔《かほ》|見《み》たさ
|千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|添《そ》ひたさに |父《ちち》の|前《まへ》にて|言挙《ことあ》げし
|弟《おとうと》までも|誘《いざな》うて やつて|来《き》たのは|阿呆《あほ》らしい
|清姫《きよひめ》、|照姫《てるひめ》|心《こころ》あらば |夢《ゆめ》の|姿《すがた》を|現実《げんじつ》に
|早《はや》く|現《あら》はせ|自転倒《おのころ》の |神《かみ》の|島《しま》をば|後《あと》にして
|遥々《はるばる》|訪《たづ》ねて|来《き》た|男《をとこ》 |児島半島《こじまはんたう》の|磯端《いそばた》|近《ちか》く
|波《なみ》に|揉《も》まれて|暗礁《あんせう》に |船《ふね》を|乗《の》りあげ|玉《たま》の|緒《を》の
|消《き》ゆる|命《いのち》を|助《たす》けた|俺達《おれたち》|兄弟《きやうだい》 |瑞《みづ》の|宝座《ほうざ》に|仕《つか》へて|居《を》つた
お|前《まへ》|二人《ふたり》を|女房《にようばう》にしようと |兄弟《きやうだい》|二人《ふたり》が|目星《めぼし》をつけて
|互《たがひ》に|恋《こひ》を|争《あらそ》ひつ |其《その》|煩《うるさ》さに|烏羽玉《うばたま》の
|暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|逃《に》げ|出《だ》した お|前《まへ》は|清《きよ》さま|照《てる》さまだらう
|言依別《ことよりわけ》の|後追《あとお》うて |万里《ばんり》の|波濤《はたう》を|横《よこ》ぎりつ
|高砂島《たかさごじま》へ|渡《わた》り|越《こ》したと|思《おも》うたお|前《まへ》 やはり|琉球《りうきう》が|恋《こひ》しうて
|五月蠅《うるさ》い|二人《ふたり》を|振棄《ふりすて》て |水《みづ》で|囲《かこ》んだ|此《この》|沼《ぬま》の
|珊瑚礁《さんごせう》をば|宝座《ほうざ》とし |千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|永久《とこしえ》に
|此《この》|岩窟《がんくつ》に|身《み》を|潜《ひそ》め |恋《こひ》を|葬《ほうむ》るお|前《まへ》の|心《こころ》
とは|言《い》ふものの|魂《たましひ》は ヤツパリ|我々《われわれ》|兄弟《きやうだい》を
|忘《わす》れかねてか|昨夜《ゆうべ》の|夢《ゆめ》に |黄金《こがね》の|扇子《せんす》を|打《うち》ひろげ
|心《こころ》も|清《きよ》き|清彦《きよひこ》を |笑《ゑみ》を|湛《たた》へて|招《まね》いたぢやないか
|神《かみ》の|結《むす》んだ|尊《たふと》い|夫《をつと》 |出迎《でむか》へせぬとは|没義道《もぎだう》だ
|恋《こひ》に|上下《じやうげ》の|隔《へだ》てはなかろ |三国一《さんごくいち》の|婿《むこ》が|来《き》た
|早《はや》く|鉄門《かなど》を|押《お》しあけて |二人《ふたり》の|男《をとこ》を|迎《むか》へ|入《い》れ
お|前《まへ》の|初恋《はつこひ》うまうまと |叶《かな》へてやらう|又《また》|私《わし》の
|初恋《はつこひ》ならぬ|二度目《にどめ》の|恋路《こひぢ》 |国《くに》に|残《のこ》した|妻子《さいし》はあれど
|何時《いつ》の|間《ま》にやら|人《ひと》の|妻《つま》 |行方《ゆくへ》も|知《し》らぬ|妻子《つまこ》の|身《み》の|上《うへ》
かうなる|上《うへ》はよもや |天則違反《てんそくゐはん》に|問《と》はれはすまい
|何《なん》の|躊躇《ちうちよ》も|要《い》るものか』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つた。|此《この》|時《とき》|岩窟《がんくつ》の|中《なか》より、|岩《いは》の|戸《と》を|取外《とりはづ》して|現《あら》はれ|出《い》でた、ダラダラ|筋《すぢ》の|被衣《はつぴ》をつけた|四人《よにん》の|男《をとこ》、|四人《よにん》の|前《まへ》に|目礼《もくれい》し、|無言《むごん》の|儘《まま》|差《さ》し|招《まね》き、うす|暗《ぐら》い|岩窟《がんくつ》を|先《さき》に|立《た》つて|下《くだ》つて|行《ゆ》く。|四人《よにん》は|後《あと》に|従《したが》ひ、|細《ほそ》き|岩窟《がんくつ》を|稍《やや》|腰《こし》を|屈《かが》めて、|右《みぎ》に|左《ひだり》に|上《のぼ》りつ|下《くだ》りつ、パツと|明《あか》るい|広場《ひろば》に|辿《たど》り|着《つ》いた。
|迎《むか》への|男《をとこ》は|手真似《てまね》で、ここに|暫《しばら》く|休息《きうそく》せよと|示《しめ》した。|四人《よにん》は|恰好《かつかう》の|岩《いは》の|突起《とつき》に|腰《こし》を|打《う》ちかけ、|暫《しばら》く|息《いき》を|休《やす》むることとなつた。|迎《むか》への|男《をとこ》は|其《その》|儘《まま》どこともなく|姿《すがた》を|隠《かく》した。|嚠喨《りうりやう》たる|音楽《おんがく》の|音《ね》|四辺《あたり》より|響《ひび》き|来《きた》る。
|暫《しばら》くあつて|二人《ふたり》の|美人《びじん》|桃色《ももいろ》の|顔容《かんばせ》に|纓絡《ようらく》の|付《つ》いたる|冠《かむり》を|戴《いただ》き、|玉串《たまぐし》を|両手《りやうて》に|捧《ささ》げ、|悠々《いういう》として|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|来《きた》り、|一人《ひとり》は|稍《やや》|丸顔《まるがほ》に|少《すこ》しく|身体《しんたい》|太《ふと》り、|一人《ひとり》は|少《すこ》しく|年《とし》|若《わか》く|顔《かほ》は|細型《ほそがた》に|体《からだ》もそれに|応《おう》じて|稍《やや》|細《ほそ》く、|三十二相《さんじふにさう》の|具備《ぐび》したる|観自在天《くわんじざいてん》の|如《ごと》き|容色《ようしよく》|端麗《たんれい》にして、|其《その》|崇高《けだか》き|事《こと》|譬《たとへ》ふる|物《もの》なき|許《ばか》りであつた。|清彦《きよひこ》、|照彦《てるひこ》は|余《あま》りの|美《うる》はしさと|荘厳《さうごん》さと、どこともなく|犯《をか》す|可《べか》らざる|威厳《ゐげん》の|備《そな》はるあるに、|稍《やや》|怖気《おぢけ》づき、|呆然《ばうぜん》として|其《その》|姿《すがた》を|看守《みまも》るのみであつた。|先《さき》に|立《た》つた|女神《めがみ》は|清子姫《きよこひめ》である。|花《はな》の|如《ごと》き|唇《くちびる》を|淑《しと》やかに|開《ひら》いて|清彦《きよひこ》に|向《むか》ひ、|歌《うた》つて|言《い》ふ。
|清子姫《きよこひめ》『|妾《わらは》は|聖地《せいち》エルサレム |神《かみ》の|都《みやこ》に|仕《つか》へたる
|天使《てんし》の|長《をさ》と|現《あ》れませる |広宗彦《ひろむねひこ》が|四代《よだい》の|孫《まご》
|身魂《みたま》も|清《きよ》き|清子姫《きよこひめ》 |汝《なれ》が|父《ちち》の|常楠《つねくす》は
|国彦《くにひこ》、|国姫《くにひめ》が|三代目《さんだいめ》の|曾孫《ひまご》 |元《もと》を|糾《ただ》せば|古《いにしへ》より
|切《き》つても|切《き》れぬ|神《かみ》の|綱《つな》 |恋《こひ》の|懸橋《かけはし》|永久《とこしへ》に
|落《お》ちず|流《なが》れず|清彦《きよひこ》が |妻《つま》となるべき|清子姫《きよこひめ》
お|前《まへ》は|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》を |顧《かへり》みずして|照子姫《てるこひめ》に
|思《おも》ひをかけし|恋男《こひをとこ》 モウ|斯《か》うなる|上《うへ》は
|定《さだ》まる|縁《えにし》と|諦《あきら》めて |清子姫《きよこひめ》の|夫《をつと》となり
|夫婦仲《ふうふなか》よく|此《この》|島《しま》に いや|永久《とこしへ》に|住居《すまゐ》して
|国《くに》の|司《つかさ》とならうでないか |槻《つき》の|洞《ほら》にて|出会《であ》うた|女《をんな》
|姿《すがた》も|顔《かほ》も|少《すこ》しも|変《かは》らぬ|清子姫《きよこひめ》 |最早《もはや》お|前《まへ》の|怪《あや》しの|夢《ゆめ》は
|醒《さ》めたであらう あなにやし|好男《えーをとこ》
あなにやし|好乙女《えーをとめ》よと |八千代《やちよ》を|契《ちぎ》る|玉椿《たまつばき》
|幾千代《いくちよ》|迄《まで》も|添《そ》ひ|遂《と》げて |神《かみ》の|御旨《みむね》に|叶《かな》へまつれよ
|我《わが》|恋《こ》ふる|清彦《きよひこ》の|司《つかさ》 これぞ|全《まつた》く|言依別《ことよりわけ》の
|教主《けうしゆ》の|定《さだ》め|玉《たま》ひし |二人《ふたり》の|縁《えにし》
よもや|否応《いやおう》ありますまいぞ |色《いろ》|好《よ》き|応答《いらへ》を|松虫《まつむし》の
|泣《な》いて|暮《くら》した|我《わが》|心《こころ》 |仇《あだ》には|棄《す》てな|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》の|清彦《きよひこ》よ |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|神《かみ》の|結《むす》んだ|此《この》|縁《えにし》 お|前《まへ》が|心《こころ》の|怪《あや》しき|曲者《くせもの》に
|破《やぶ》られさうな|事《こと》はない』
『サアサアおじや』……と|手《て》を|執《と》れば、|清彦《きよひこ》は|案《あん》に|相違《さうゐ》の|面持《おももち》にて、|清子《きよこ》の|姫《ひめ》をよつく|凝視《みつ》め、|俄《にはか》に|姫《ひめ》が|恋《こひ》しくなり、|手《て》を|引《ひ》かれ|乍《なが》ら|歌《うた》ひ|出《だ》した。
|清彦《きよひこ》『|神《かみ》の|結《むす》んだ|二人《ふたり》のえにし |深《ふか》い|仕組《しぐみ》は|知《し》らずして
|汚《けが》れ|果《は》てたる|身魂《みたま》を|持《も》ち|乍《なが》ら お|前《まへ》は|好《すき》ぢや|嫌《きら》ひぢやと
|小言《こごと》を|云《い》うた|恥《はづ》かしさ |照子《てるこ》の|姫《ひめ》に|弥《いや》まさる
|今《いま》のお|前《まへ》の|姿《すがた》を|眺《なが》め |頓《とみ》に|恋《こひ》しくなつて|来《き》た
ホンニお|前《まへ》は|美《うつく》しい |実《げ》に|愛《あい》らしい|妹《いも》ぢやぞえ
|夢《ゆめ》に|牡丹餅《ぼたもち》、|地獄《ぢごく》で|仏《ほとけ》 |何《なん》に|譬《たとへ》ん|今日《けふ》の|喜悦《よろこび》
|夢《ゆめ》の|中《なか》なるナイスに|出会《であ》ひ |未《いま》だ|夢見《ゆめみ》る|心地《ここち》して
|胸《むね》の|鼓動《こどう》はドキドキと まだ|治《をさ》まらぬ|清彦《きよひこ》が
|心《こころ》の|切《せつ》なさ|嬉《うれ》しさよ |是《これ》も|夢《ゆめ》ではあるまいか
|夢《ゆめ》なら|夢《ゆめ》でも|是非《ぜひ》はない いついつまでも|此《この》|儘《まま》に
|夢《ゆめ》は|醒《さ》めざれ|夢《ゆめ》に|夢見《ゆめみ》る |浮世《うきよ》の|夢《ゆめ》は
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》のパラダイス |芙蓉《はちす》の|山《やま》に|永久《とこしえ》に
|鎮《しづ》まりゐます|木花咲耶姫《このはなさくやひめ》 |神《かみ》の|恵《めぐみ》の|露《つゆ》にぬれ
|此《この》|儘《まま》|此処《ここ》で|我《あ》と|汝《なれ》と |夫婦《ふうふ》の|契《ちぎり》いや|永《なが》く
|相生《あひおひ》の|松《まつ》の|色《いろ》|深《ふか》く |褪《あ》せずにあれや|惟神《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして |心《こころ》|清彦《きよひこ》、|清子姫《きよこひめ》
|幾久《いくひさ》しくも|夢《ゆめ》の|浮世《うきよ》の |夢《ゆめ》は|覚《さ》めざれ』
と|歌《うた》ひつつ|奥《おく》|深《ふか》く|導《みちび》かれ|行《ゆ》く。|音楽《おんがく》の|声《こゑ》|頻《しき》りに|響《ひび》き|来《きた》り、|得《え》も|言《い》はれぬ|芳香《はうかう》|四辺《しへん》を|包《つつ》む。
|照子姫《てるこひめ》は|莞爾《につこ》として|照彦《てるひこ》に|向《むか》ひ、
|照子姫《てるこひめ》『アヽ|好男《えーをとこ》|好男《えーをとこ》 |心《こころ》の|色《いろ》も|照彦《てるひこ》が
|離久《りきう》の|暗《やみ》を|吹《ふ》き|払《はら》ひ |神《かみ》の|結《むす》びし|妹《いも》と|背《せ》の
えにしを|契《ちぎ》る|今日《けふ》の|生日《いくひ》の|足日《たるひ》こそ |神《かみ》の|都《みやこ》のエルサレム
|源《みなもと》|遠《とほ》く|広宗彦《ひろむねひこ》の |珍《うづ》の|血筋《ちすぢ》と|生《うま》れたる
|照子《てるこ》の|姫《ひめ》は|今《いま》|茲《ここ》に |汝《なんぢ》の|来《きた》るを|待受《まちう》けて
|心《こころ》も|清《きよ》き|藺草《ゐぐさ》をば |刈《か》り|干《ほ》し|来《きた》り|香《か》も|高《たか》き
|藺草《ゐぐさ》の|畳《たたみ》|織《お》りなして |今迄《いままで》|待《ま》ちし|恋《こひ》の|淵《ふち》
|心《こころ》に|浮《うか》ぶ|日月《じつげつ》は |沼《ぬま》の|清水《しみづ》の|面《おも》|清《きよ》く
|照子《てるこ》の|姫《ひめ》の|真心《まごころ》を いとも|詳《つぶ》さに|現《あら》はしぬ
|離久《りきう》の|夢《ゆめ》も|今《いま》さめて |神《かみ》の|結《むす》びし|我《あが》|夫《つま》に
|巡《めぐ》り|会《あ》ひしも|古《いにしへ》の |深《ふか》きえにしの|循《めぐ》り|来《き》て
|汝《なれ》と|再《ふたた》び|添臥《そひぶ》しの |夢路《ゆめぢ》を|辿《たど》る|新枕《にひまくら》
|身魂《みたま》の|筋《すぢ》を|白浪《しらなみ》の |淵《ふち》に|沈《しづ》んだお|前《まへ》の|心《こころ》
|照子《てるこ》の|姫《ひめ》を|余所《よそ》にして |心《こころ》も|清《きよ》き|清子姫《きよこひめ》
|秋波《しうは》を|送《おく》り|玉《たま》ひたる |心《こころ》の|空《そら》の|情《つれ》なさよ
|恨《うら》み|歎《かこ》つぢやなけれども |尽《つ》きぬえにしに|搦《から》まれて
|結《むす》ぶの|神《かみ》の|結《むす》びてし |二人《ふたり》の|仲《なか》は|此《この》|沼《ぬま》の
いと|浅《あさ》からぬ|契合《ちぎりあ》ひ |久遠《くをん》の|夢《ゆめ》は|今《いま》|爰《ここ》に
|漸《やうや》く|晴《は》れてたらちねの |神《かみ》の|身魂《みたま》のいそいそと
|歓《ゑら》ぎ|玉《たま》へる|今日《けふ》の|日《ひ》よ |千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|永久《とこしへ》に
|汝《なれ》は|我《わが》|身《み》の|背《せ》となりて いつくしみませ|吾《あ》れも|亦《また》
|汝《なれ》をこよなき|夫《せ》となして |神《かみ》の|依《よ》さしの|神業《かむわざ》に
|仕《つか》へ|奉《まつ》らむあが|願《ねが》ひ |汝《なれ》が|心《こころ》の|岩《いは》の|戸《と》を
|開《ひら》いて|語《かた》れ|胸《むね》の|奥《おく》 あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして |此《この》|岩窟《いはやど》のいや|堅《かた》く
|弥《いや》|永久《とこしへ》に|変《かは》りなく |天《あま》の|御柱《みはしら》つき|固《かた》め
|国《くに》の|御柱《みはしら》|永遠《とことは》に |固《かた》く|契《ちぎ》らん|夫婦仲《めをとなか》
あゝ|照彦《てるひこ》よ|照彦《てるひこ》よ |天津御空《あまつみそら》に|月《つき》は|照《て》る
|日《ひ》は|照《て》る|曇《くも》る|世《よ》の|中《なか》に |二人《ふたり》の|仲《なか》は|永久《とこしへ》に
|心《こころ》に|浮《うか》ぶ|日月《じつげつ》は |互《たがひ》に|照彦《てるひこ》、|照子姫《てるこひめ》
|月日《つきひ》は|照《て》る|照《て》る|常世《とこよ》は|曇《くも》る |愛《あい》と|愛《あい》との|互《たがひ》の|胸《むね》に
|神《かみ》の|情《なさけ》の|雨《あめ》が|降《ふ》る』
と|言《い》ひ|終《をは》つて、|照彦《てるひこ》の|手《て》を|取《と》り|奥《おく》|深《ふか》く|導《みちび》き|入《い》る。|照彦《てるひこ》は|手《て》を|曳《ひ》かれ|乍《なが》ら、|此《この》やさしき|美《うる》はしき|女神《めがみ》の|後《あと》に|従《したが》ひ、|精神《せいしん》|恍惚《くわうこつ》として、|前後《ぜんご》も|弁《わきま》へず、|只々《ただただ》|感謝《かんしや》|喜悦《きえつ》の|涙《なみだ》に|咽《むせ》び|乍《なが》ら|歌《うた》ひ|出《だ》した。
|照彦《てるひこ》『|琉球《りうきう》の|沼《ぬま》の|水《みづ》|清《きよ》く |塵《ちり》をも|止《と》めぬ|清子姫《きよこひめ》
|心《こころ》の|色《いろ》も|清彦《きよひこ》が |水火《いき》を|合《あは》せて|神業《しんげふ》に
|仕《つか》へ|奉《まつ》るぞ|目出度《めでた》けれ |汝《なれ》の|心《こころ》も|照子姫《てるこひめ》
|引《ひ》かれて|進《すす》む|照彦《てるひこ》は |初《はじ》めて|晴《は》れた|恋《こひ》の|暗《やみ》
|二人《ふたり》の|妻《つま》に|手《て》を|引《ひ》かれ |黄金《こがね》の|橋《はし》を|渡《わた》るよな
|涼《すず》しき|心地《ここち》の|二人《ふたり》の|男《を》の|子《こ》 |雲井《くもゐ》の|空《そら》に|弥《いや》|高《たか》く
|神《かみ》の|救《すく》ひの|舟《ふね》として |金《きん》|銀《ぎん》|銅《どう》の|三橋《さんけう》を
|昔《むかし》の|神《かみ》の|渡《わた》りたる |清《きよ》き|思《おも》ひに|充《み》たされて
|天教山《てんけうざん》に|降《くだ》るごと |日頃《ひごろ》|恋《こ》ひたる|我《わが》|思《おも》ひ
ここに|愈《いよいよ》|撞《つき》の|御柱《みはしら》|巡《めぐ》り|合《あ》ひ あなにやし|好男《えーをとこ》
あなにやし|好乙女《えーをとめ》をと |千代《ちよ》の|契《ちぎり》の|礎《いしずゑ》|固《かた》めたる
|清《きよ》けき|神《かみ》の|行《おこな》ひを |繰返《くりかへ》す|如《ごと》き|心地《ここち》して
|引《ひ》かれ|行《ゆ》く|身《み》ぞ|楽《たの》しけれ |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |三五《さんご》の|月《つき》の|御教《みをしへ》は
|堅磐常磐《かきはときは》に|照《て》れよかし |我等《われら》|二人《ふたり》の|其《その》|仲《なか》は
|三五《さんご》の|月《つき》の|何時《いつ》|迄《まで》も |天津御空《あまつみそら》にいと|円《まる》く
|琉球《りうきう》の|沼《ぬま》に|影《かげ》|映《うつ》し |天《あめ》に|輝《かがや》く|照彦《てるひこ》や
|沼《ぬま》に|映《うつ》りし|照子姫《てるこひめ》 |天《あめ》と|地《つち》とは|永久《とこしへ》に
|照《て》る|照《て》る|光《ひか》る|花《はな》は|咲《さ》く |弥《いや》|永久《とこしへ》に|桃《もも》の|実《み》の
|落《お》ちずにあれや|夫婦仲《めをとなか》 |神《かみ》の|結《むす》びし|此《この》えにし
|幾億万年《いくおくまんねん》|末《すゑ》までも |二人《ふたり》は|手《て》に|手《て》を|取《と》りかはし
|天津御空《あまつみそら》の|星《ほし》の|如《ごと》 |浜《はま》の|真砂《まさご》の|数多《かずおほ》く
|御子《みこ》を|生《う》め|生《う》め|永久《とこしへ》に |人子《ひとご》の|司《つかさ》となりなりて
|此《この》|浮島《うきじま》の|守《まも》り|神《がみ》 あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして |二人《ふたり》の|夢《ゆめ》は|何時《いつ》|迄《まで》も
|醒《さ》めずにあれや|永久《とこしへ》に |神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つた。|忽《たちま》ち|奥《おく》の|間《ま》の|隔《へだ》ての|戸《と》を|引開《ひきあ》けて|中《なか》より|現《あら》はれた、|清彦《きよひこ》、|清子姫《きよこひめ》の|二人《ふたり》、|顔色《がんしよく》|麗《うるは》しく|笑《ゑみ》を|湛《たた》へて、|清子姫《きよこひめ》は|照子姫《てるこひめ》の|手《て》を|取《と》り、|清彦《きよひこ》は|照彦《てるひこ》の|手《て》を|取《と》り、|琉球畳《りうきうたたみ》を|布《し》きつめた、|岩窟《いはや》に|似合《にあ》はぬ|美《うる》はしき|居間《ゐま》に|導《みちび》いた。バナナ、いちご、|柿《かき》、|木茄子《きなすび》、|林檎《りんご》|其《その》|外《ほか》|種々《くさぐさ》の|美《うる》はしき|果物《くだもの》、|沼《ぬま》の|特産物《とくさんぶつ》たる|赤貝《あかがひ》の|肉《にく》、|石茸《いしたけ》なぞ|数多《あまた》|並《なら》べられ、ここに|二夫婦《ふたふうふ》は|芽出度《めでた》く|夫婦《めをと》の|契《ちぎり》を|結《むす》ぶ|事《こと》となつた。
|是《これ》より|清彦《きよひこ》、|清子姫《きよこひめ》の|二人《ふたり》は|此《この》|沼《ぬま》を|中心《ちうしん》として、さしもに|広《ひろ》き|琉《りう》の|島《しま》の|守《まも》り|神《がみ》となり、|子孫《しそん》|永遠《ゑいゑん》に|栄《さか》へて、|神《かみ》の|如《ごと》くに|敬《うやま》はれ、|数多《あまた》の|土人《どじん》は|其《その》|徳《とく》に|悦服《えつぷく》し、|世《よ》は|太平《たいへい》に|治《をさ》まつたのである。|次《つぎ》に|照彦《てるひこ》は|照子姫《てるこひめ》と|共《とも》に、|南《みなみ》の|島《しま》に|渡《わた》り、|同《おな》じく|此《この》|島《しま》の|守《まも》り|神《がみ》となつて|子孫《しそん》|繁栄《はんゑい》し、|土人《どじん》に|神《かみ》の|如《ごと》く、|親《おや》の|如《ごと》く|尊敬《そんけい》された。
|南《みなみ》の|島《しま》を|一名《いちめい》|球《きう》の|島《しま》と|云《い》ふ。|今《いま》の|八重山群島《やへやまぐんたう》は|球《きう》の|島《しま》の|一部《いちぶ》が|残《のこ》つて|居《ゐ》るのである。|照彦《てるひこ》|夫婦《ふうふ》は|時々《ときどき》|球《きう》の|島《しま》より、|遠《とほ》く|海路《うなぢ》を|渡《わた》り、|台湾島《たいわんたう》の|北部《ほくぶ》にまで、|其《その》|勢力《せいりよく》を|拡充《くわくじゆう》して|居《ゐ》た。
(大正一一・七・二八 旧六・五 松村真澄録)
第一八章 |神格化《しんかくくわ》〔八〇〇〕
|清彦《きよひこ》、|清子姫《きよこひめ》、|照彦《てるひこ》、|照子姫《てるこひめ》の|二夫婦《ふたふうふ》は|茲《ここ》に|芽出度《めでたく》|結婚《けつこん》の|式《しき》を|挙《あ》げた。|槻《つき》の|洞穴《どうけつ》に|在《あ》る|父《ちち》の|常楠《つねくす》に|報告《はうこく》し、|且《か》つ|親子《おやこ》の|杯《さかづき》を|結《むす》ぶべく|此《この》|岩窟《がんくつ》を|立出《たちい》で、エム、セムの|二人《ふたり》を|初《はじ》め|四五《しご》の|従者《じゆうしや》と|共《とも》に|鰐魚《わに》の|船《ふね》に|身《み》を|委《まか》せ、さしもに|広《ひろ》き|琉球沼《りうきうぬま》を|渡《わた》つて|茫々《ばうばう》たる|草野《くさの》を|分《わ》け、|辛《から》うじて|其《その》|日《ひ》の|夕間暮《ゆふまぐれ》、|常楠《つねくす》が|洞穴《どうけつ》の|館《やかた》に|辿《たど》り|着《つ》いた。
|常楠《つねくす》は|四五《しご》の|土人《どじん》と|共《とも》に|祭壇《さいだん》の|前《まへ》に、|清彦《きよひこ》、|照彦《てるひこ》の|幸福《かうふく》を|祈《いの》りつつ、|言依別《ことよりわけ》|一行《いつかう》の|海上《かいじやう》|無事《ぶじ》を|祈《いの》る|真最中《まつさいちう》であつた。|二人《ふたり》の|兄弟《きやうだい》は|二人《ふたり》の|美《うる》はしき|新妻《にひづま》を|伴《ともな》ひ、|数多《あまた》の|供人《ともびと》を|従《したが》へ|意気《いき》|揚々《やうやう》として|茲《ここ》に|帰《かへ》つて|来《き》た。|常楠《つねくす》は|一心不乱《いつしんふらん》になつて|祈願《きぐわん》に|余念《よねん》がなかつた。|兄弟《きやうだい》|夫婦《ふうふ》は|其《その》|傍《かたはら》に|端坐《たんざ》して|感謝《かんしや》|祈願《きぐわん》の|言葉《ことば》を|奏上《そうじやう》した。|常楠《つねくす》は|祝詞《のりと》の|奏上《そうじやう》を|了《をは》り|後《あと》|振《ふ》り|返《かへ》り|見《み》れば、|清彦《きよひこ》、|照彦《てるひこ》は|容色《ようしよく》|端麗《たんれい》なる|二人《ふたり》の|美女《びぢよ》と|共《とも》に|行儀《ぎやうぎ》よく|坐《すわ》つて|居《ゐ》た。
|清彦《きよひこ》『|父上様《ちちうへさま》、|只今《ただいま》|無事《ぶじ》に|帰《かへ》りました』
|照彦《てるひこ》『|嘸《さぞ》お|待兼《まちかね》で|御座《ござ》いましたでせう』
|常楠《つねくす》『ヤア|思《おも》うたよりは|早《はや》く|帰《かへ》つて|来《き》て|下《くだ》さつた。ヤアお|前《まへ》は|此《この》|間《あひだ》|此処《ここ》を|立去《たちさ》つた|清子姫《きよこひめ》、|照子姫《てるこひめ》の|二人《ふたり》ではなかつたか。|縦《たて》から|見《み》ても|横《よこ》から|見《み》ても|瓜二《うりふた》つ、|寸分《すんぶん》|違《ちが》はぬ|綺麗《きれい》な|女《をんな》、どうして|御座《ござ》つたか。|此《この》|常楠《つねくす》も|気《き》が|気《き》でならなかつた。マアマア|無事《ぶじ》で|何《なに》よりもお|目出度《めでた》い』
|清子姫《きよこひめ》『|貴方《あなた》が|噂《うはさ》に|高《たか》き|常楠《つねくす》の|御父上《おちちうへ》で|御座《ござ》いますか。|妾《わたし》は|清彦《きよひこ》さまの|女房《にようばう》になりました。どうぞ|末永《すえなが》く|可愛《かあい》がつて|下《くだ》さいませ』
|照子姫《てるこひめ》『|妾《わたし》は|照彦《てるひこ》さまの|妻《つま》で|御座《ござ》います。お|父様《とうさま》、|初《はじ》めて……|否《いな》|再《ふたた》びお|目《め》に|懸《かか》ります。|好《よ》くも|御無事《ごぶじ》で|居《ゐ》て|下《くだ》さいました。どうぞ|末永《すえなが》く|我《わが》|子《こ》として|愛《あい》して|下《くだ》さいませ。|何分《なにぶん》|不束《ふつつか》な|者《もの》で|御座《ござ》いますれば、お|構《かま》ひなくお|叱《しか》り|下《くだ》さいまして、|幾久《いくひさ》しく|御召使《おめしつか》ひの|程《ほど》をお|願申《ねがひまを》します』
|常楠《つねくす》は|涙《なみだ》を|浮《うか》べ|乍《なが》ら、
|常彦《つねひこ》『アヽ|二人《ふたり》|共《とも》|好《よ》く|言《い》つて|下《くだ》さつた。|此《この》|常楠《つねくす》も|是《これ》にて|最早《もはや》|心残《こころのこ》りは|在《あ》りませぬ。|夫婦《ふうふ》|仲好《なかよ》くどうぞ|神業《しんげふ》を|完全《くわんぜん》にお|務《つと》め|下《くだ》さい』
|清子姫《きよこひめ》と|照子姫《てるこひめ》は「ハツ」と|計《ばか》りに|首《かうべ》を|下《さ》げ、|嬉《うれ》しさと|懐《なつかし》さの|涙《なみだ》に|暮《く》れて|居《ゐ》る。|常楠《つねくす》は|祝意《しゆくい》を|表《へう》し|且《か》つ|自分《じぶん》の|素性《すじやう》を|明《あ》かす|可《べ》く、|銀扇《ぎんせん》を|拡《ひろ》げて|老《おい》の|身《み》にも|似《に》ず、|声《こゑ》|爽《さわや》かに|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。
|常楠《つねくす》『|千早《ちはや》|振《ふ》る|古《ふる》き|神代《かみよ》の|其《その》|昔《むかし》 |神《かみ》の|都《みやこ》のエルサレム
|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》の いや|永久《とこしへ》に|鎮《しづ》まりて
|世《よ》を|知食《しろしめ》す|其《その》|砌《みぎり》 |遠津御祖《とほつみおや》の|国彦《くにひこ》が
|妻《つま》|国姫《くにひめ》と|諸共《もろとも》に |神《かみ》の|御祭《みまつ》り|麻柱《あななひ》て
|仕《つか》へ|奉《まつ》りし|甲斐《かひ》もなく |醜《しこ》の|建《たけ》びの|強《つよ》くして
|子孫《しそん》は|四方《よも》に|散乱《さんらん》し |吾《わ》が|父母《たらちね》の|玉彦《たまひこ》や
|玉姫《たまひめ》|二人《ふたり》は|自転倒《おのころ》の |島《しま》に|姿《すがた》を|隠《かく》しつつ
|我《わ》れを|生《うま》して|何処《どこ》ともなく |清《きよ》き|姿《すがた》を|隠《かく》し|給《たま》ひぬ
|親《おや》に|離《はな》れし|雛鳥《ひなどり》の |寄《よ》る|辺《べ》|渚《なぎさ》の|常楠《つねくす》は
|自転倒島《おのころじま》を|遠近《をちこち》と |巡《めぐ》り|巡《めぐ》つて|紀《き》の|国《くに》に
|細《ほそ》き|煙《けぶり》を|立《た》て|乍《なが》ら |情《つれ》なき|浮世《うきよ》を|送《おく》る|折《をり》
|天《あま》の|岩戸《いはと》の|大変《たいへん》に |逢《あ》ひしが|如《ごと》く|親《おや》と|子《こ》は
|世《よ》の|荒浪《あらなみ》に|吹《ふ》き|捲《まく》られて |分《わか》れ|分《わか》れに|世《よ》を|送《おく》る
|頃《ころ》しもあれや|先《さき》つ|年《どし》 |尊《たふと》き|神《かみ》の|計《はか》らひに
|絡《から》み|合《あ》ひたる|親子《おやこ》の|対面《たいめん》 |秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》|始《はじ》めとし
|心《こころ》の|色《いろ》も|清彦《きよひこ》や |照彦《てるひこ》|四人《よたり》に|巡《めぐ》り|会《あ》ひ
|尽《つ》きぬ|縁《えにし》を|喜《よろこ》びつ |月日《つきひ》を|送《おく》る|其《その》|中《うち》に
|熊野《くまの》の|滝《たき》の|禊場《みそぎば》に |三五教《あななひけう》の|若彦《わかひこ》と
|心《こころ》|清《きよ》むる|折《をり》もあれ |木花姫《このはなひめ》のあれまして
|常楠《つねくす》、|若彦《わかひこ》|両人《りやうにん》は |琉《りう》と|球《きう》との|神宝《しんぱう》の
いや|永久《とこしへ》に|隠《かく》されし |秘密《ひみつ》の|国《くに》の|琉球島《りうきうたう》
|竜《たつ》の|腮《あぎと》の|宝玉《ほうぎよく》を |受取《うけと》りまして|言依別《ことよりわけ》の
|瑞《みづ》の|命《みこと》に|献《けん》ぜよと |言葉《ことば》|厳《おごそ》かに|宣《の》り|給《たま》ふ
|其《その》|神勅《しんちよく》を|畏《かしこ》みて |汐《しほ》の|八百路《やほぢ》を|打渡《うちわた》り
|雨《あめ》に|浴《よく》し|風《かぜ》に|梳《くしけ》づり |大海原《おほうなばら》の|潮《しほ》をかぶり
|浪《なみ》に|呑《の》まれ|漸々《やうやう》に |琉《りう》と|球《きう》との|此《この》|島《しま》に
|上《のぼ》りて|見《み》れば|昔《むかし》より |人跡《じんせき》|絶《た》えし|深山路《みやまぢ》の
|谷間《たにま》に|清《きよ》き|玉《たま》の|海《うみ》 |老錆《おいさび》|果《は》てし|常楠《つねくす》も
|玉《たま》の|勢《いきほひ》|若彦《わかひこ》と |日毎夜毎《ひごとよごと》に|上《のぼ》り|来《き》て
|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し |大竜別《おほたつわけ》や|大竜姫《おほたつひめ》の
|珍《うづ》の|命《みこと》を|言向《ことむ》けて |琉《りう》と|球《きう》との|宝玉《ほうぎよく》を
|三五教《あななひけう》の|言依別《ことよりわけ》に |奉《たてまつ》らんと|村肝《むらきも》の
|心《こころ》|定《さだ》めし|竜神《たつがみ》の |胸《むね》も|開《ひら》けし|時《とき》もあれ
|浪路《なみぢ》をわけて|渡《わた》り|来《く》る |言依別《ことよりわけ》の|大教主《だいけうしゆ》
|国依別《くによりわけ》と|諸共《もろとも》に |仮《か》りの|宿《やど》りと|定《さだ》めたる
|此《この》|洞穴《どうけつ》に|現《あ》れまして |此処《ここ》に|四人《よにん》の|神司《かむづかさ》
ハーリス|山《ざん》の|谷間《たにあひ》を |心《こころ》いそいそ|進《すす》みつつ
|竜《たつ》の|腮《あぎと》の|宝玉《ほうぎよく》を |恙《つつが》も|無《な》しに|手《て》に|入《い》れて
|帰《かへ》り|来《きた》れる|嬉《うれ》しさよ |伜《せがれ》の|清彦《きよひこ》、|照彦《てるひこ》は
|如何《いか》なる|神《かみ》の|引合《ひきあは》せか |我《わ》れの|住家《すみか》を|訪《たづ》ね|来《き》て
|清子《きよこ》の|姫《ひめ》や|照子姫《てるこひめ》 |四人《よにん》は|早《はや》くも|仮《かり》の|家《や》に
|来《きた》り|居《ゐ》ませる|不思議《ふしぎ》さよ |言依別《ことよりわけ》の|大教主《だいけうしゆ》
|国依別《くによりわけ》を|伴《ともな》ひて |浪路《なみぢ》を|渡《わた》り|高砂《たかさご》の
|島《しま》に|出《い》でんと|宣《の》らせつつ |此《この》|常楠《つねくす》が|浪《なみ》の|上《うへ》
|伴《ともな》ひ|来《きた》りし|若彦《わかひこ》に |琉《りう》と|球《きう》との|宝玉《ほうぎよく》を
|持《も》たせて|遥《はる》かに|自転倒《おのころ》の |島《しま》に|帰《かへ》させ|給《たま》ひつつ
|此《この》|常楠《つねくす》を|琉球《りうきう》の |島《しま》の|守《まも》り|神《がみ》と|神定《かむさだ》め
|伜《せがれ》|清彦《きよひこ》、|照彦《てるひこ》を |左守《さもり》|右守《うもり》の|神《かみ》として
|波《なみ》を|渡《わた》りて|出《い》で|玉《たま》ふ |清彦《きよひこ》、|照彦《てるひこ》|両人《りやうにん》は
|清子《きよこ》の|姫《ひめ》や|照子姫《てるこひめ》 |此処《ここ》に|目出度《めでた》く|妹《いも》と|背《せ》の
|契《ちぎり》を|結《むす》び|永久《とこしへ》に |此《この》|浮島《うきじま》を|守《まも》らんと
|思《おも》ひし|事《こと》も|水《みづ》の|泡《あわ》 |清子《きよこ》の|姫《ひめ》や|照子姫《てるこひめ》
|闇《やみ》に|紛《まぎ》れて|何処《どこ》となく |姿《すがた》|隠《かく》させ|玉《たま》ひしより
|清彦《きよひこ》、|照彦《てるひこ》|両人《りやうにん》が |心《こころ》の|中《うち》の|苦《くる》しさは
|如何《いかが》ならんと|父母《たらちね》の |我《わが》|苦《くる》しみは|一入《ひとしほ》ぞ
|天《あめ》と|地《つち》との|神々《かみがみ》に |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|真心《まごころ》を
|籠《こ》めて|祈《いの》りし|甲斐《かひ》ありて |今日《けふ》は|嬉《うれ》しき|清子姫《きよこひめ》
|照子《てるこ》の|姫《ひめ》の|若嫁《わかよめ》に |巡《めぐ》り|会《あ》うたる|嬉《うれ》しさよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましまして
|夫婦《めをと》の|仲《なか》は|睦《むつ》まじく |千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|永久《とこしへ》に
|鴛鴦《をし》の|契《ちぎり》の|何時《いつ》|迄《まで》も |変《かは》らであれやどこ|迄《まで》も
|常磐《ときは》の|松《まつ》の|色《いろ》|深《ふか》く |褪《あ》せずにあれや|夫婦仲《めをとなか》
|最早《もはや》|此《この》|世《よ》に|残《のこ》りなし |我《われ》はこれよりハーリスの
|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》を|乗《の》り|越《こ》えて |此《この》|神島《かみじま》を|永久《とこしへ》に
|守《まも》らん|為《た》めに|万代《よろづよ》も |命《いのち》|永《なが》らへ|山人《やまびと》の
|群《むれ》に|加《くは》はり|長《をさ》となり |世《よ》を|永久《とこしへ》に|守《まも》りなん
|汝《なんぢ》|清彦《きよひこ》、|清子姫《きよこひめ》 |光《ひかり》|洽《あまね》き|照子姫《てるこひめ》
|心《こころ》も|清《きよ》く|照彦《てるひこ》と |弥《いや》|永久《とこしへ》に|何時《いつ》|迄《まで》も
|南《みなみ》の|島《しま》に|出《い》でまして |神《かみ》の|御業《みわざ》に|仕《つか》へかし
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |我《われ》の|身魂《みたま》の|此《この》|島《しま》に
|止《とど》まる|限《かぎ》り|心安《うらやす》の |浦安国《うらやすくに》と|幸《さち》はひて
|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|露《つゆ》の|雨《あめ》 |堅磐常磐《かきはときは》に|降《ふ》らせなん
|最早《もはや》|此《この》|世《よ》に|残《のこ》りなし |孰《いづれ》もサラバ』と|言《い》ふより|早《はや》く
|天《あま》の|数歌《かずうた》|歌《うた》ひ|上《あ》げ |合掌《がつしやう》するや|常楠《つねくす》は
|全身《ぜんしん》|忽《たちま》ち|雪《ゆき》の|如《ごと》く |真白《ましろ》になりて|木《き》の|丸殿《まるどの》の|入口《いりぐち》を
|一足二足《ひとあしふたあし》|跨《また》げ|出《いで》しと|思《おも》ふ|間《ま》に |忽《たちま》ち|姿《すがた》は|白煙《しらけぶり》
|磯《いそ》|吹《ふ》く|風《かぜ》の|音《おと》|高《たか》く |空《そら》に|聞《きこ》ゆる|計《ばか》りなり
|兄弟《けうだい》|夫婦《ふうふ》は|驚《おどろ》いて |木《き》の|丸殿《まるどの》を|走《はし》り|出《い》で
|空《そら》を|仰《あふ》いで|手《て》を|合《あは》せ |父《ちち》よ|父《ちち》よと|呼《よ》ぶ|声《こゑ》も
|吹《ふ》き|来《く》る|風《かぜ》に|遮《さへぎ》られ |尋《たづ》ぬる|由《よし》も|泣《な》く|計《ばか》り
|天《てん》を|仰《あふ》ぎ|地《ち》に|伏《ふ》して |親子《おやこ》の|果敢《はか》なき|此《この》|別《わか》れ
|嘆《なげ》き|居《ゐ》るこそ|哀《あは》れなれ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ。
(大正一一・七・二八 旧六・五 谷村真友録)
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霊界物語 第二七巻 海洋万里 寅の巻
終り