霊界物語 第二五巻 海洋万里 子の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第二五巻』愛善世界社
1998(平成10)年04月05日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年05月14日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|総説《そうせつ》
第一篇 |相縁奇縁《あひえんきえん》
第一章 |水禽《すゐきん》の|音《おと》〔七四七〕
第二章 |与太理縮《よたりすく》〔七四八〕
第三章 |〓《いすか》の|恋《こい》〔七四九〕
第四章 |望《のぞみ》の|縁《えん》〔七五〇〕
第二篇 |自由《じいう》|活動《くわつどう》
第五章 |酒《くし》の|滝壺《たきつぼ》〔七五一〕
第六章 |三腰岩《みこしいは》〔七五二〕
第七章 |大蛇《をろち》|解脱《げだつ》〔七五三〕
第八章 |奇《くしび》の|巌窟《がんくつ》〔七五四〕
第三篇 |竜《たつ》の|宮居《みやゐ》
第九章 |信仰《しんかう》の|実《み》〔七五五〕
第一〇章 |開悟《かいご》の|花《はな》〔七五六〕
第一一章 |風声鶴唳《ふうせいかくれい》〔七五七〕
第一二章 |不意《ふい》の|客《きやく》〔七五八〕
第四篇 |神花霊実《しんくわれいじつ》
第一三章 |握手《あくしゆ》の|涙《なみだ》〔七五九〕
第一四章 |園遊会《ゑんいうくわい》〔七六〇〕
第一五章 |改心《かいしん》の|実《じつ》〔七六一〕
第一六章 |真如《しんによ》の|玉《たま》〔七六二〕
第五篇 |千里彷徨《せんりはうくわう》
第一七章 |森《もり》の|囁《ささやき》〔七六三〕
第一八章 |玉《たま》の|所在《ありか》〔七六四〕
第一九章 |竹生島《ちくぶじま》〔七六五〕
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|序文《じよぶん》
|此《この》|巻《まき》はバラモン|教《けう》の|豪傑《がうけつ》|蜈蚣姫母子《むかでひめおやこ》を|初《はじ》め、|小糸姫《こいとひめ》を|誘拐《いうかい》したる|友彦《ともひこ》や|清公《きよこう》、|其《その》|他《た》の|人々《ひとびと》が|心《こころ》の|底《そこ》より|信仰《しんかう》の|法悦《ほふえつ》に|浴《よく》し、|執着心《しふちやくしん》を|払拭《ふつしき》し、|竜宮《りうぐう》の|宝玉《ほうぎよく》を|授《さづ》かり、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に|勇《いさ》ましく|凱旋《がいせん》したる|改心《かいしん》|物語《ものがたり》であります。|一片《いつぺん》の|創作物《さうさくもの》として|読《よ》むも、|修身治心《しうしんちしん》の|軌範《きはん》となる|事《こと》を|深《ふか》く|信《しん》じます。
|惟神《かむながら》|道《みち》の|光《ひかり》に|照《て》らされて
|地獄《ぢごく》だましひも|天国《てんごく》に|進《すす》めり
大正十一年七月十二日 於竜宮館
|総説《そうせつ》
|梧桐《ごどう》|一葉《いちえう》|落《お》ちて|天下《てんか》の|秋《あき》を|伝《つた》ふ。|春風一陣《しゆんぷういちぢん》|水《みづ》を|過《よぎ》りて|万波《ばんぱ》|揺《ゆる》ぐ。|成因成果《せいいんせいくわ》|悉《ことごと》く|皆《みな》|物《もの》の|教《をしへ》とならぬはない。|山野《さんや》の|樹草《じゆさう》は|風《かぜ》に|吹《ふ》かれて|自然《しぜん》の|舞踏《ぶたう》を|演《えん》じ、|河水《かすゐ》は|独《ひと》り|音楽《おんがく》を|奏《そう》し、|鳥《とり》|歌《うた》ひ|蝶《てふ》|舞《ま》ひ|花《はな》|笑《わら》ふ|至美《しび》|至楽《しらく》の|天地《てんち》、|一《いつ》として|神《かみ》の|御声《みこゑ》ならざるは|無《な》く、|神《かみ》の|御姿《みすがた》ならざるはない。|空《そら》に|輝《かがや》く|日月《じつげつ》も、|星晨《せいしん》も、|皆《みな》|是《これ》|神《かみ》の|表現《へうげん》、|天地《てんち》は|吾々《われわれ》の|大師《たいし》であり|経典《きやうてん》である。|善悪美醜《ぜんあくびしう》|一《いつ》として|神《かみ》の|御姿《みすがた》ならざるはない。あゝ|三界《さんかい》の|物語《ものがたり》、|述《の》ぶる|処《ところ》は|一切《いつさい》の|神業《しんげふ》のみである。|瑞月《ずゐげつ》が|走《はし》らす|口車《くちぐるま》も|又《また》|神《かみ》の|一端《いつたん》の|御用《ごよう》たる|事《こと》を|疑《うたが》ひませぬ。
大正十一年七月十二日(旧閏五月十八日)
於竜宮館
第一篇 |相縁奇縁《あひえんきえん》
第一章 |水禽《すゐきん》の|音《おと》〔七四七〕
|時間《じかん》|空間《くうかん》|超越《てうゑつ》し |現幽神《げんいうしん》の|三界《さんかい》を
|過去《くわこ》と|未来《みらい》と|現在《げんざい》に |通観《つうくわん》したる|物語《ものがたり》
|伊都《いづ》の|教祖《けうそ》が|艮《うしとら》の |神《かみ》の|御言《みこと》を|蒙《かかぶ》りて
|現《あら》はれ|給《たま》ひし|瑞祥《ずゐしやう》の |明治《めいぢ》は|二十五《はたちいつ》の|年《とし》
それに|因《ちな》みし|巻《まき》の|数《かず》 |須弥仙山《しゆみせんざん》に|腰《こし》を|掛《か》け
|三千世界《さんぜんせかい》を|守《まも》ります |神《かみ》に|習《なら》ひて|掛巻《かけま》くも
|畏《かしこ》き|神《かみ》の|現《あ》れませる |高天原《たかあまはら》の|大宇宙《だいうちう》
その|外側《そとがは》に|身《み》を|置《お》きて ここに|六合《りくがふ》|隈《くま》もなく
|見渡《みわた》し|給《たま》ひし|瑞御霊《みづみたま》 |神素盞嗚《かむすさのを》の|御心《みこころ》を
|汲《く》み|取《と》り|給《たま》ふ|大八洲彦《おほやしまひこ》 |神《かみ》の|命《みこと》は|月照《つきてる》の
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》と|現《あら》はれて |綾《あや》の|聖地《せいち》に|身《み》を|潜《ひそ》め
|五十路《いそぢ》の|阪《さか》を|二《ふた》つまで |越《こ》えた|赤子《あかご》の|口《くち》を|借《か》り
|大海原《おほうなばら》に|漂《ただよ》へる |名《な》さへ|芽出度《めでた》き|竜宮《りうぐう》の
|一《ひと》つ|島《じま》なるオセアニヤ |黄金《こがね》の|砂《すな》を|敷《し》き|詰《つ》めし
|地恩《ちおん》の|郷《さと》に|三五《あななひ》の |神《かみ》の|教《をしへ》を|開《ひら》きたる
|五十子《いそこ》の|姫《ひめ》や|梅子姫《うめこひめ》 |鬼熊別《おにくまわけ》の|珍《うづ》の|子《こ》と
|生《うま》れ|出《い》でたる|小糸姫《こいとひめ》 |仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|天地《あめつち》の
|元津御神《もとつみかみ》の|御心《みこころ》を |覚《さと》りて|道《みち》に|尽《つく》したる
|古《ふる》き|神代《かみよ》の|語《かた》り|草《ぐさ》 |松竹梅《まつたけうめ》の|大本《おほもと》の
|竜宮館《りうぐうやかた》を|立出《たちい》でて |流《なが》れも|清《きよ》き|小雲川《こくもがは》
|並木《なみき》の|老松《らうしよう》ふくの|神《かみ》 |風《かぜ》に|誘《さそ》はれ|吹《ふ》き|立《た》てる
|法螺貝《ほらがひ》|喇叭《ラツパ》にあらねども |夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|誠《まこと》か|嘘《うそ》か
|嘘《うそ》ぢやあるまい|誠《まこと》ぢやなかろ さても|解《わか》らぬ|物語《ものがたり》
|心《こころ》【|真澄《ますみ》】の【|松村《まつむら》】が |口《くち》と|鉛筆《えんぴつ》|尖《とが》らして
|吾《わ》が|口述《こうじゆつ》を|書《か》きとめる |松雲閣《しよううんかく》の|中《なか》の|間《ま》に
【|無尽意菩薩《むじんいぼさつ》】を|始《はじ》めとし 【|五六七太夫《みろくたいふ》】や|加藤女史《かとうぢよし》
やがては|急《いそ》ぎ【|北村《きたむら》】の |【隆】々《りうりう》|【光】《ひか》る|神界《しんかい》の
|御稜威《みいづ》を|畏《かしこ》み|村肝《むらきも》の |心《こころ》|清《きよ》めて|書《か》きとむる
|所謂《いはゆる》|三界物語《さんかいものがたり》 |辷《すべ》り|出《い》でたる|蓄音器《ちくおんき》
|取手《とりて》を|握《にぎ》りクルクルと |螺旋《ぜんまひ》|仕掛《じかけ》のレコードが
|茲《ここ》に|廻転《くわいてん》|始《はじ》めける あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ。
○
|地恩城《ちおんじやう》の|役員《やくゐん》|控室《ひかへしつ》には、スマートボール(敏郎司)、チヤンキー(英吉)、モンキー(米吉)|其《その》|他《た》|二三人《にさんにん》、|赤裸《まつぱだか》の|儘《まま》、|芭蕉《ばせう》の|実《み》を|喰《く》ひ|乍《なが》ら|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》る。
スマートボール『|皆《みな》の|御連中《ごれんちう》、|人間《にんげん》も|良《い》い|加減《かげん》なものだなア。|俺達《おれたち》も|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》に|朝夕《あさゆふ》|真心《まごころ》を|尽《つく》し、|随分《ずゐぶん》|忠勤《ちうきん》を|擢《ぬきん》でて、|危険《きけん》|区域《くゐき》に|往来《わうらい》|出没《しゆつぼつ》し、|種々雑多《しゆじゆざつた》の|艱難辛苦《かんなんしんく》を|嘗《な》めて|来《き》た|者《もの》だが、|海洋万里《かいやうばんり》の|竜宮島《りうぐうじま》までお|供《とも》をして|来《き》|乍《なが》ら、|吾々《われわれ》は|平役人《ひらやくにん》の|一部《いちぶ》に|加《くは》へられ、|清公《きよこう》さまの|頤使《いし》に|甘《あま》んじて|居《を》らねばならぬのだから、|暗君《あんくん》に|仕《つか》へるのは|実《じつ》に|不利益《ふりえき》|此《この》|上《うへ》なしだ。|此《この》|頃《ごろ》は|蜈蚣姫《むかでひめ》さまも|女王様《ぢよわうさま》に|会《あ》うた|嬉《うれ》しさに、|俺達《おれたち》の|殊勲《しゆくん》を|念頭《ねんとう》から|遺失《ゐしつ》して|了《しま》ひ、|今迄《いままで》は|寝《ね》ても|起《お》きても「スマート、スマート」とお|声《こゑ》がかかつたが、|此《この》|頃《ごろ》は|何処《どこ》の【スマ】ートに|居《を》るかとも|言《い》つて|下《くだ》さらぬ。|本当《ほんたう》に|良《い》い|加減《かげん》なものだよ。|俺《おれ》ア……モウ|同伴者《つれ》が|有《あ》つたら|波斯《フサ》の|国《くに》へでも|帰《かへ》りたくなつて|来《き》たワイ』
チヤンキー『お|前《まへ》が|蜈蚣姫《むかでひめ》さまに|夫《それ》|丈《だけ》|尽《つく》したにも|関《かか》はらず、|抜擢《ばつてき》されないのは、みんな|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》だ。|前生《ぜんせい》からの|罪《つみ》の|借金済《しやくきんな》しを|指《さ》して|下《くだ》さるのだから、それで|大変《たいへん》な|御恵《おめぐみ》に|預《あづか》つて|居《を》るのだよ。|俺《おれ》だとて|肝腎《かんじん》の|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》を、シロの|島《しま》から|生命《いのち》からがら|送《おく》つて|来《き》て、|中途《ちうと》で|難船《なんせん》をした|殊勲者《しゆくんしや》だから、|何《なん》とか|御言葉《おことば》が|懸《かか》りさうなものだけれど、ヤツパリ|平役人《ひらやくにん》の|仲間《なかま》だ。モンキーだとて|其《その》|通《とほ》り、そこが|神様《かみさま》の|依怙贔屓《えこひいき》のない|処《ところ》だ……なア、モンキー、|貴様《きさま》もさうだらう』
モンキー『|吾々《われわれ》|小身者《せうしんもの》の|分際《ぶんざい》として、チヤンキー モンキー|言《い》つて|見《み》た|所《ところ》で、|歯節《はぶし》は|立《た》たぬよ。マアどうなりと|生命《いのち》さへ|助《たす》けて|貰《もら》へば、|結構《けつこう》だなア』
スマートボール『それだと|云《い》つて、|清公《きよこう》の|奴《やつ》、|高山彦《たかやまひこ》の|後釜《あとがま》に|坐《すわ》り、|宰相面《さいしやうづら》をして|俺達《おれたち》に|何事《なにごと》も|指揮《しき》|命令《めいれい》する|特権《とくけん》を|与《あた》へられたのは、チツと|合点《がつてん》がゆかぬぢやないか。|何程《なにほど》|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》|性来《しやうらい》かは|知《し》らぬが、|吾々《われわれ》の|見《み》る|所《ところ》では、|何一《なにひと》つ|是《こ》れと|云《い》ふ|手柄《てがら》をした|様《やう》にもなし、|半泥的《はんどろてき》の|友彦《ともひこ》|宣伝使《せんでんし》のお|供《とも》をして|来《き》た|平信者《ひらしんじや》の|分際《ぶんざい》として、|出世《しゆつせ》すると|云《い》つてもあんまりぢやないか。レコード|破《やぶ》りと|言《い》はうか、|破天荒《はてんくわう》と|言《い》はうか、|譬方《たとへがた》の|無《な》い|黄竜姫《わうりようひめ》のやり|口《くち》、|人《ひと》も|有《あ》らうに、|清公《きよこう》の|様《やう》な|若輩《わかざう》に、あれ|丈《だけ》の|重任《ぢうにん》を|御負《おお》はし|遊《あそ》ばしたのは、|如何《どう》|考《かんが》へても|合点《がつてん》の|虫《むし》が|承認《しようにん》して|呉《く》れないよ。それ|程《ほど》|賢《かしこ》い|人間《にんげん》でもなし、どつちかと|云《い》へば、チツと|許《ばか》り|落《おと》して|来《き》た|様《やう》な|代物《しろもの》ぢやないか』
チヤンキー『さうだからお|筆先《ふでさき》に……|阿呆《あほう》になりて|居《を》りて|下《くだ》されよ。|神《かみ》の|道《みち》は|悧巧《りかう》を|出《だ》すと|失敗《しくじ》るぞよ。|他人《ひと》が|出世《しゆつせ》を|致《いた》したと|云《い》うて|嫉《ねた》むでないぞよ。|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》|丈《だけ》の|御用《ごよう》がさせてあるのだから……とお|示《しめ》しになつてるぢやないか』
スマートボール『それに……まだまだ|業《ごふ》の|沸《わ》く|事《こと》がある……と|云《い》ふのは|噂《うはさ》にチラツと|聞《き》けば、|天下無双《てんかむさう》のネース|宇豆姫《うづひめ》さまを|女房《にようばう》に|貰《もら》ひ、|夫婦《ふうふ》がブランジー(国主)、クロンバー(国妃)の|後釜《あとがま》になると|云《い》ふ|事《こと》だが、それが|実際《じつさい》とすれば、|俺達《おれたち》ア|馬鹿《ばか》らしくて、ジツとして|居《ゐ》る|事《こと》が|出来《でき》なくなつて|了《しま》ふ。|其《その》|時《とき》にや|貴様達《きさまたち》は|如何《どう》|考《かんが》へるか』
チヤンキー『アハヽヽヽ、|又《また》|人《ひと》の|疝気《せんき》を|頭痛《づつう》に|病《や》んで|居《ゐ》よるな。|実際《じつさい》の|事《こと》を|言《い》へば、|貴様《きさま》|宇豆姫《うづひめ》に|大変《たいへん》な|執着心《しふちやくしん》を|懸《か》けて|居《を》るのだらう。チツと|妬《や》けとると|見《み》えて、|酢《す》につけ|味噌《みそ》につけ|因縁《いんねん》を|附《つ》けるのだなア。……|何時《いつ》やらの|月《つき》の|輝《かがや》く|夜《よる》の|事《こと》、|宇豆姫《うづひめ》さまが|庭園《ていゑん》を|天女《てんによ》の|様《やう》なお|姿《すがた》で、スラリスラリと|木蔭《こかげ》を|逍遥《さまよ》ひ|遊《あそ》ばした|時《とき》、|貴様《きさま》は|差足《さしあし》、|抜足《ぬきあし》|後《うしろ》の|方《はう》から|近寄《ちかよ》つて、|電話姫《でんわひめ》の|様《やう》に……モシモシと|吐《ぬか》した|処《ところ》、|宇豆姫《うづひめ》|様《さま》にエツパツパを|喰《く》はされ……サーチライス、ユーリンスユーリンスと|謝罪《あやま》つて|逃《に》げ|出《だ》したと|云《い》ふ|専《もつぱ》らの|評判《ひやうばん》だよ。|其《その》|時《とき》のエツパツパの|肱鉄《ひぢてつ》を|根《ね》に|持《も》つて|居《ゐ》るのだらう』
スマートボールは|顔《かほ》|赭《あか》らめ、|俯《うつ》むいて|黙《だま》つて|居《ゐ》る。
モンキー『アハヽヽヽ、ヤツパリ……さうすると、|火《ひ》の|無《な》い|所《ところ》に|煙《けぶり》は|立《た》たぬ。|何時《いつ》も……|女《をんな》なんか|汚《けが》らはしい……と|云《い》ふ|様《やう》な|面付《つらつき》をして、【スマ】ーして|御座《ござ》るスマートボールさんも、ヤツパり|気《き》があるのかなア。|恋《こひ》に|上下《じやうげ》の|隔《へだ》てないとはよく|言《い》つたものだ』
スマートボール『|馬鹿《ばか》を|云《い》ふな。それや|俺《おれ》の|事《こと》ぢやない。|鶴公《つるこう》の|事《こと》だ。……|鶴公《つるこう》がなア、|性懲《しやうこ》りもなく|宇豆姫《うづひめ》さまのお|臀《いど》を|嗅《か》ぎ|廻《まは》り、|幾回《いくくわい》となくエツパツパ エツパツパを|喰《くら》ひ、|悲観《ひくわん》の|極《きよく》、|失恋病《しつれんびやう》に|罹《かか》り、|柿《かき》の|木《き》で|人《ひと》|知《し》れず|首《くび》を【ツル】|公《こう》とやりかけた|処《ところ》、|此《この》|様子《やうす》を|物蔭《ものかげ》より|見《み》すまして|居《ゐ》たスマートボール……ヘン|此《この》|方《はう》が|矢庭《やには》に|其《その》|場《ば》に|駆出《かけい》で、プリンプリンの|最中《さいちう》をギユツと|下《した》から|抱《だ》きあげ、……|如何《いか》に|鶴《つる》さまだとて、|首《くび》をツルと|云《い》ふ|事《こと》が|有《あ》るかい、マア|待《ま》て、|死《し》は|一旦《いつたん》にして|易《やす》く、|生《せい》は|難《かた》しだ。キツと|俺《おれ》がお|前《まへ》の|願望《ぐわんばう》を|叶《かな》へ|指《さ》してやるから……と|云《い》つて|慰《なぐさ》め、|漸《やうや》くボールス(|自殺《じさつ》)を|中止《ちゆうし》させたのだ。|其《その》|責任上《せきにんじやう》|俺《おれ》は|如何《どう》しても|清公《きよこう》の|縁談《えんだん》に|水《みづ》を|注《さ》し、|鶴公《つるこう》の|女房《にようばう》に|宇豆姫《うづひめ》さまをせなくては、|一旦《いつたん》|男《をとこ》の|口《くち》から|吐《は》いた|唾《つば》を|呑《の》み|込《こ》む|訳《わけ》にはゆかぬ。それ|故《ゆゑ》|昼夜《ちうや》|肺肝《はいかん》を|砕《くだ》き、|何《なん》とかして|鶴公《つるこう》の|恋《こひ》を|叶《かな》へさせてやりたいと、|宇豆姫《うづひめ》さまの|間近《まぢか》く|寄《よ》つて、|機会《きくわい》ある|毎《ごと》に|掻《か》き|口説《くど》いて|居《ゐ》るのだ。それを|心《こころ》なき|没分暁漢《わからずや》の|連中《れんちう》が、|俺《おれ》が|姫《ひめ》さんにスヰートハートして|居《ゐ》る|様《やう》に|誤解《ごかい》して、|下《くだ》らぬ|根無《ねな》し|草《ぐさ》の|噂《うはさ》の|花《はな》を|咲《さ》かして|居《ゐ》るのだ。|諺《ことわざ》にも……|人《ひと》の|口《くち》に|戸《と》は|閉《た》てられない……と|云《い》つて、|一々《いちいち》|俺《おれ》がそんな|弁解《べんかい》に|廻《まは》る|訳《わけ》にもゆかず、|千万無量《せんまんむりやう》の|俺《おれ》の|心中《しんちう》を、チツとは|察《さつ》して【くれ】の|鐘《かね》だ。|烏《からす》はカアカアと|啼《な》いて|塒《ねぐら》を|定《さだ》め、|夫婦《ふうふ》|睦《むつ》まじく|暮《くら》して|居《ゐ》るに、|鶴公《つるこう》の【やもを】|鳥《どり》、|宇豆姫《うづひめ》の|事《こと》を|思《おも》つて|心《こころ》を【ウヅ】ウヅさせ|乍《なが》ら……アーア|夏《なつ》の|夜《よ》も|蚤《のみ》はせせり、|蚊《か》が|喰《く》つて|寝《ね》られないワイ……と|歎息《たんそく》して|居《ゐ》るのを|思《おも》ひ|出《だ》すと、|俺《おれ》だとてそれが|袖手傍観《しうしゆばうくわん》|出来《でき》るものか。|早《はや》く|鶴公《つるこう》さまの|恋《こひ》をかなへさせて、|夫婦《ふうふ》|睦《むつま》じく|卵子《たまご》を|生《う》み、|川《かは》と|云《い》ふ|字《じ》に|寝《ね》さしたいのだがそれや|将来《さき》の|事《こと》として、|一時《いつとき》も|早《はや》く【リ】の|字《じ》にさしてやりたい|俺《おれ》の|一念《いちねん》。……アーア|待《ま》つ|間《ま》の|長《なが》き|鶴公《つるこう》の|首《くび》、|千歳《ちとせ》の|松《まつ》の|末永《すえなが》く、|梢《こずゑ》に|巣籠《すごも》る|尉《じやう》と|姥《うば》との、|高砂《たかさご》の|謡曲《うたひ》が|早《はや》く|聞《き》きたいので|尽力《じんりよく》して|居《ゐ》るのだよ』
と|心配《しんぱい》さうに|俯《うつ》むく|其《その》|様子《やうす》、|冗談《ぜうだん》とも|思《おも》はれなかつた。|斯《か》かる|所《ところ》へ|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》の|両人《りやうにん》|現《あらは》れ|来《きた》り、
|貫州《くわんしう》『ヤア|御連中《ごれんちう》、|何《なに》か|面白《おもしろ》いお|話《はなし》でも|有《あ》りますかなア』
チヤンキー『|今《いま》チヤンキー モンキーと、スマートボールのローマンスを|遺憾《ゐかん》なく|聞《き》かして|頂《いただ》き|指《ゆび》を|銜《くは》へて|居《ゐ》た|処《ところ》なのだ。……|貫州《くわんしう》さま、お|前《まへ》|此《この》|頃《ごろ》の|清公《きよこう》の|横柄振《わうへいぶり》を|何《なん》と|考《かんが》へて|居《ゐ》るか』
|貫州《くわんしう》、|稍《やや》|仰向《あふむ》き|気味《ぎみ》になり『フ、フーン』と|云《い》つた|限《き》り、|力《ちから》|無《な》げに|笑《わら》ふ。
|武公《たけこう》『イヤもう|此《この》|頃《ごろ》の|清公《きよこう》の|態度《たいど》と|云《い》つたら、さつぱり、ブランジー|気分《きぶん》になり、クロンバーを|得《え》むとして、|種々《いろいろ》と|暗中飛躍《あんちうひやく》を|試《こころ》みて|居《ゐ》ると|云《い》ふ|事《こと》だ。|併《しか》し|乍《なが》ら|到底《たうてい》|物《もの》にはなるまいよ。アハヽヽヽ』
|貫州《くわんしう》『そんな|問題《もんだい》は|如何《どう》でもよい。|国家《こくか》|興亡《こうばう》に|関《くわん》する|大問題《だいもんだい》が|今《いま》|別《べつ》に|突発《とつぱつ》して|居《ゐ》るのだが、お|前達《まへたち》|分《わか》つて|居《ゐ》るか』
スマートボール『|分《わか》つて|居《を》らいでかい。|鶴公《つるこう》を|黄竜姫《わうりようひめ》の|夫《をつと》に|推薦《すいせん》すると|云《い》ふ|大問題《だいもんだい》だらう。……|併《しか》し|其奴《そいつ》は|駄目《だめ》だから、せめて|宇豆姫《うづひめ》さまの|婿《むこ》にしてやりたいと|思《おも》つて、|昼夜《ちうや》|肝胆《かんたん》を|砕《くだ》いて|居《を》るのだ。|併《しか》し|清公《きよこう》の|奴《やつ》、どうやら|予約済《よやくずみ》の|札《ふだ》を|掛《か》けて|居《ゐ》る|様《やう》だから、|此奴《こいつ》もならず、|実《じつ》に|世《よ》の|中《なか》は|意《い》の|如《ごと》くならないものだ。|何《なに》か|良《よ》い|智慧《ちゑ》を|貸《か》して|呉《く》れないかネー』
|貫州《くわんしう》『そんな|事《こと》が|国家《こくか》|興亡《こうばう》の|問題《もんだい》かい。あゝ|貴様《きさま》も|知《し》つて|居《を》る|通《とほ》り、|鼻赤《はなあか》の|友彦《ともひこ》の|奴《やつ》、ネルソン|山《ざん》を|西《にし》へ|渉《わた》り、ジヤンナイ(治安内)|教《けう》のテールス(照子)|姫《ひめ》の|夫《をつと》となり、|大変《たいへん》な|勢《いきほひ》でオーストラリヤの|西部《せいぶ》|一帯《いつたい》を|勢力《せいりよく》|範囲《はんゐ》となし、|今《いま》に|軍備《ぐんび》を|整《ととの》へて|此《この》|地恩城《ちおんじやう》へ|鬼《おに》の|様《やう》な|荒武者《あらむしや》を|引率《いんそつ》し、やつて|来《く》ると|云《い》ふ|噂《うはさ》があるのだ。お|前達《まへたち》も|聞《き》いて|居《を》る|通《とほ》り、|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》は|元《もと》は|友彦《ともひこ》の|女房《にようばう》だつたが、|地恩郷《ちおんきやう》の|奴等《やつら》に|打《ぶ》ち【のめ】され、|城外《じやうぐわい》に|担《かつ》ぎ|出《だ》された|其《その》|無念《むねん》を|晴《は》らすべく、|一挙《いつきよ》に|当城《たうじやう》へ|攻《せ》め|寄《よ》せ、|否応《いやおう》|言《い》はさず、|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》に|兜《かぶと》を|脱《ぬ》がせ|改《あらた》めて|友彦《ともひこ》の|第二《だいに》|夫人《ふじん》になるか|如何《どう》だと、|大変《たいへん》な|威喝的《ゐかつてき》|態度《たいど》で|蹂躙《じうりん》すると|云《い》ふ|計画《けいくわく》オサオサ|怠《をこた》りなしとのこと。|吾々《われわれ》は|斯《か》うしてジツとして|居《ゐ》る|訳《わけ》には|行《ゆ》かぬ。|婦人《ふじん》|問題《もんだい》などの|気楽《きらく》な|話《はなし》に|没頭《ぼつとう》して|居《を》る|時《とき》ぢやない。|何《なに》を|云《い》つても|内輪《うちわ》を|固《かた》めなくては、|外敵《ぐわいてき》に|当《あた》る|事《こと》は|不可能《ふかのう》だ。|地恩城《ちおんじやう》には|清公派《きよこうは》と|鶴公派《つるこうは》が|互《たがひ》に|鎬《しのぎ》を|削《けづ》り、|内争《ないさう》|絶間《たえま》なく、|如何《どう》して|此《この》|城《しろ》が|持《も》てるものか。|兄弟《けいてい》|垣《かき》に|鬩《せめ》ぐとも、|外《そと》|其《その》|侮《あなど》りを|防《ふせ》ぐと|云《い》ふ|事《こと》があるから。サア|皆《みんな》|一致《いつち》|和合《わがふ》して、|今迄《いままで》の|態度《たいど》をスツカリ|改《あらた》めて|貰《もら》ひたいものだよ』
スマートボール『それが|又《また》|神界《しんかい》の|御都合《ごつがふ》だよ。よく|考《かんが》へて|見《み》よ、|夜中《よるぢう》|夫婦《ふうふ》|喧嘩《げんくわ》|許《ばか》りして|居《ゐ》る|家《うち》には|泥棒《どろばう》も|這入《はい》らない。|互《たがひ》に|軋轢《あつれき》して|力比《ちからくら》べをし、|今《いま》の|今迄《いままで》|演習《えんしふ》をして|置《お》くのだ。|力士《すまうとり》だつてさうぢやないか。|一生懸命《いつしやうけんめい》に|稽古《けいこ》と|云《い》つて|挑《いど》み|闘《たたか》ひ、|其《その》|間《うち》に|天晴《あつぱ》れと|力《ちから》が|付《つ》いて|晴《は》れの|場所《ばしよ》で|格闘《かくとう》すると|云《い》ふ|段取《だんど》りになるのだ。|友彦《ともひこ》が|門前《もんぜん》まで|押寄《おしよ》せ|来《きた》るを|待《ま》ちて、|協力《けふりよく》|一致《いつち》すれば|良《い》いのだよ。サアサア モツトモツト|内乱《ないらん》を|奨励《しやうれい》せなくちや|本当《ほんたう》の|勇士《ゆうし》は|造《つく》れないワ。アハヽヽヽ』
と|笑《わら》ひに|紛《まぎ》らす。|此処《ここ》へ|蜈蚣姫《むかでひめ》は|稍《やや》|腰《こし》を|屈《かが》め、ヒヨコヒヨコやつて|来《き》て、
『お|前《まへ》はスマートボールに|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》、チヤンキー、モンキーの|頭株《あたまかぶ》ぢやないか。|今《いま》……|金《きん》、|銀《ぎん》、|鉄《てつ》|等《ら》|三人《さんにん》の|注進《ちゆうしん》に|依《よ》れば、|鼻曲《はなまが》りの|意地《いぢ》クネの|悪《わる》い|友彦《ともひこ》が、ジヤンナイ|教《けう》の|荒《あら》くれ|男《をとこ》を|率《ひき》ゐ、|当城《たうじやう》へ|攻《せ》めて|来《く》るとの|急報《きふはう》……サア|早《はや》く|防戦《ばうせん》の|用意《ようい》をせなくてはなりますまい』
スマートボール『|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》、|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》の|三五教《あななひけう》の|本城《ほんじやう》に|防戦《ばうせん》とは|心得《こころえ》ませぬ。|武器《ぶき》と|云《い》つては|寸鉄《すんてつ》もなく、|如何《どう》したら|良《い》いのですか』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『サア|其《その》|防戦《ばうせん》は|善戦善闘《ぜんせんぜんとう》だ。|本城《ほんじやう》へ|押寄《おしよ》せ|来《きた》らぬ|間《うち》に、ネルソン|山《ざん》の|山麓《さんろく》に、|威儀《ゐぎ》を|正《ただ》して|友彦《ともひこ》の|軍隊《ぐんたい》を|待受《まちう》け、|所在《あらゆる》|款待《くわんたい》をするのだ。さうして|飽《あ》く|迄《まで》|忍耐振《にんたいぶり》と|親切振《しんせつぶり》を|発揮《はつき》する。これが|第一《だいいち》の|味方《みかた》の|神法鬼策《しんぱふきさく》、|六韜三略《りくたうさんりやく》の|奥《おく》の|手《て》だ。さうだと|云《い》つて、|決《けつ》して|権謀術数《けんぼうじゆつすう》を|弄《ろう》するのではない。|誠《まこと》|一《ひと》つの|実弾《じつだん》をこめて、|誠《まこと》を|以《もつ》て|戦《たたか》ふのだよ。|分《わか》つたか』
スマートボール『ハイ、|根《ね》つから……よく|分《わか》りました』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|何《なん》だか|歯切《はぎ》れのせぬ|返答《へんたふ》ぢやないか』
スマートボール『|返答《へんたふ》だか、|弁当《べんたう》だか、【テントウ】|様《さま》だか、テンと|訳《わけ》が|分《わか》りませぬワイ。|先方《むかう》は|吾々《われわれ》を|殺《ころ》しに|来《く》ると|云《い》ふ、|此方《こちら》は|御馳走《ごちそう》の|弁当《べんたう》を|拵《こしら》へて|歓迎《くわんげい》せよと|仰有《おつしや》る。【ベントウ】とか|天道《てんだう》とかは、|人《ひと》を|殺《ころ》さぬとか…|殺《ころ》すとか|云《い》ふぢやありませぬか』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『オホヽヽヽ、|何《なん》でも|良《い》い。お|前《まへ》ではチツと|事《こと》が|分《わか》り|兼《か》ねるに|依《よ》つて、|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》、チヤンキー、モンキー|等《ら》の|大将株《たいしやうかぶ》と|相談《さうだん》して、|最善《さいぜん》の|方法《はうはふ》を|講《かう》じて|下《くだ》さい。|妾《わし》は|是《こ》れから|神殿《しんでん》へ|参《まゐ》つて|御祈念《ごきねん》を|致《いた》すから、|周章《あわ》てず|騒《さわ》がず、|静《しづか》に|急《いそ》いで|準備《じゆんび》をするがよからうぞや』
スマートボール『|徐《しづ》かに|急《いそ》げとは|尚々《なほなほ》|以《もつ》て|不得要領《ふとくえうりやう》だ。|寝《ね》て|走《はし》れ、|目噛《めか》んで|死《し》ね、|睾丸《きんたま》|銜《くは》へて|背伸《せの》びせいと|云《い》つた|様《やう》な|御註文《ごちゆうもん》ですなア』
チヤンキー『|御《ご》チウモンも|表門《おもてもん》もあつたものかい。……モシモシ|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》、チヤンとチヤンキーが|胸《むね》に|御座《ござ》いますれば、どうぞ|御心配《ごしんぱい》なくお|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『そんなら|是《こ》れでお|別《わか》れする。よきに|取計《とりはか》らひなされ』
と|握《にぎ》り|拳《こぶし》を|固《かた》め、|蝦《えび》の|様《やう》になつた|腰《こし》を|三《み》つ|四《よ》つ|打《う》ち|乍《なが》ら、
|蜈蚣姫《むかでひめ》『エーエ、|人《ひと》を|使《つか》へば|苦《く》を|使《つか》ふ』
と|呟《つぶや》きつつ|奥《おく》の|間《ま》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。
スマートボール『|訳《わけ》も|知《し》らずにチヤンキー モンキーと|雀《すずめ》の|親方《おやかた》|見《み》たいに、チヤアチヤア|吐《ぬか》すな。|鶏《にはとり》は|跣足《はだし》だ。モンキー、|馬《うま》は|大《おほ》きくてもフリマラだよ。アハヽヽヽ』
|斯《か》かる|所《ところ》へ|威風堂々《ゐふうだうだう》として|四辺《あたり》を|払《はら》ひ、|二三《にさん》の|従者《じゆうしや》を|伴《ともな》ひ、|現《あらは》れて|来《き》た|清公《きよこう》、
『ヨー、スマートボール|其《その》|他《た》の|役員《やくゐん》さま、|大変《たいへん》な|事《こと》が|出来《しゆつたい》|致《いた》しました。|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》から|一応《いちおう》お|聞《き》きでせうが、あなた|方《がた》は|其《その》|準備《じゆんび》を|早《はや》くして|貰《もら》はねばなりませぬ』
スマートボール『ハイ|先《ま》づ|内《うち》を|固《かた》めて|外《そと》に|向《むか》ふのが|順当《じゆんたう》でせう。|外部《ぐわいぶ》の|敵《てき》は、|駆逐《くちく》する|事《こと》は|何《なん》でもありませぬが、|先《ま》づ|内部《ないぶ》の|敵《てき》から|言向《ことむ》け|和《やは》せ、|其《その》|上《うへ》の|事《こと》に|致《いた》しませうかい』
|清公《きよこう》『コレだけよく|治《をさ》まつた|地恩城《ちおんじやう》に|内紊《ないふん》のあらう|道理《だうり》がない。それや|又《また》|如何《どう》した|訳《わけ》でそんな|事《こと》を|言《い》ふのですか』
スマートボール『|只今《ただいま》|地恩城《ちおんじやう》の|俄宰相《にはかさいしやう》|清公《きよこう》のブランジーに|対《たい》し、|挙国《きよこく》|一致的《いつちてき》|強敵《きやうてき》が|現《あら》はれ|居《ゐ》ますぞ』
|清公《きよこう》『|其《その》|敵《てき》と|云《い》ふのは|誰《たれ》ですか』
スマートボール『|其《その》|敵《てき》は|本能寺《ほんのうじ》にあり。|汝《なんぢ》の|敵《てき》は|汝《なんぢ》の|心《こころ》に|潜《ひそ》む。|先《ま》づ|清公《きよこう》さまのブランジー|気分《きぶん》を|撤廃《てつぱい》し、|自由自在《じいうじざい》に|開放《かいはう》なさらなくては、|内部《ないぶ》の|敵《てき》も|外部《ぐわいぶ》の|魔軍《まぐん》も、|如何《いかん》ともする|事《こと》が|出来《でき》ますまい。|先《ま》づ|第一《だいいち》に|私《わたし》の|方《はう》から|条件《でうけん》を|提出《ていしゆつ》|致《いた》しますから、|御採用《ごさいよう》になるかならぬか|知《し》りませぬが、|其《その》|上《うへ》で|吾々《われわれ》は|決心《けつしん》を|定《き》めませう。……|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》さま、サア|是《これ》から|君《きみ》が|特命《とくめい》|全権《ぜんけん》|公使《こうし》だ。|早《はや》く|談判《だんぱん》の|口火《くちび》をお|切《き》りなさい』
|貫州《くわんしう》『|清公《きよこう》のブランジーさまに|質問《しつもん》があります。お|前《まへ》さまは|謙遜《けんそん》と|云《い》ふ|事《こと》を|知《し》つて|居《ゐ》ますか。|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》は|如何《どう》|御解釈《ごかいしやく》になつて|居《を》りますか。|言心行《げんしんかう》|一致《いつち》の|実《じつ》をお|示《しめ》し|下《くだ》さらなくては、|吾々《われわれ》は|去就《きよしう》を|決《けつ》する|事《こと》が|出来《でき》ませぬ。|斯《か》う|言《い》へば|表《おもて》だつて|議案《ぎあん》を|提出《ていしゆつ》せなくても、|一《いち》を|聞《き》いたら|十《じふ》を|覚《さと》る|鋭敏《えいびん》な|頭脳《づなう》の|持主《もちぬし》と、|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》が|御信任《ごしんにん》|遊《あそ》ばした|貴方《あなた》だから、|一伍一什《いちぶしじふ》お|分《わか》りでせう』
|清公《きよこう》『さう|突然《とつぜん》|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を|言《い》はれても|返答《へんたふ》の|仕方《しかた》がありませぬ。|吾々《われわれ》の|施政《しせい》|方針《はうしん》にあなた|方《がた》の|御意《ぎよい》に|召《め》さぬ|欠点《けつてん》が|有《あ》ると|云《い》ふのですか』
チヤンキー『|有《あ》る|有《あ》る、|大《おほ》|有《あ》りだ。|大《おほ》【あり】|大根《だいこん》で|胴体《どうたい》ばつかり|大《おほ》きくても|味《あぢ》もシヤシヤリも…ないじやくりだ。それだから|誰《たれ》も|彼《かれ》も|清公《きよこう》さまには、【キヨ】う|交際《つきあひ》は|出《で》けぬと|此処《ここ》に|居《ゐ》る|御連中《ごれんちう》が|不平《こぼ》して|居《ゐ》ましたぞや。チツと|重《おも》しをかけて、|糠味噌《ぬかみそ》の|中《なか》へ|突込《つつこ》んでやらねば、|良《い》い|味《あぢ》は|出《で》なからうと|言《い》つて|居《ゐ》ました。|重《おも》りが|重《おも》い|程《ほど》|圧迫《あつぱく》が|強《つよ》くて|漬物《つけもの》の|味《あぢ》がよくなると|云《い》ふ|事《こと》だから、|吾々《われわれ》が|尾張《をはり》|大根《だいこん》の|重《おも》り|石《いし》にならうと|相談《さうだん》をして|居《を》つた|最中《さいちう》だ。……ナア、モンキー、|間違《まちがひ》あるまい』
モンキー『|何《なん》だか|知《し》らぬが、エライ|人気《にんき》だ。あつちにも、こつちにも、チヤンキー モンキーと|清公《きよこう》さまの|不信任《ふしんにん》|問題《もんだい》が|喧伝《けんでん》されて|居《ゐ》る。|先《ま》づ|是《これ》から|先《さき》へ|解決《かいけつ》を|付《つ》けて|貰《もら》ひませうかい。|解決《かいけつ》と|云《い》つても、|股《また》にキネ|糞《くそ》を|挟《はさ》んで|立派《りつぱ》な|礼服《れいふく》を|着《ちやく》し、|座敷《ざしき》の|正中《まんなか》に|坐《すわ》り|込《こ》み、|立《た》ちもならず|動《うご》きもならぬ|様《やう》な、|蛇《くちなは》の|生殺《なまごろ》しの|様《やう》な|解決《かいけつ》では、|此《この》|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|場合《ばあひ》、|駄目《だめ》ですよ。|流《なが》れ|川《がは》に|尻《けつ》を|洗《あら》つた|様《やう》に、|綺麗《きれい》サツパリと、|川《かは》の|流《なが》れの|宇豆姫《うづひめ》さまを|思《おも》ひ|切《き》つて、|鶴公《つるこう》さまの|女房《にようばう》となし、お|前《まへ》さまは|鶴《つる》さまに|代《かは》はつて、|裏《うら》の|柿《かき》の|木《き》でブランジーとぶら|下《さが》らうと、それや|御自由《ごじいう》だ。|兎《と》も|角《かく》|鶴公《つるこう》さまが|宇豆姫《うづひめ》にエツパツパを|喰《く》はされ、|柿《かき》の|木《き》でブランコをやりかけた|位《くらゐ》だから、|友人《いうじん》を|思《おも》ふ|真心《まごころ》があるならば、|自分《じぶん》の|愛《あい》を|犠牲《ぎせい》として、|信任《しんにん》|深《ふか》き|鶴《つる》さまにラバーを|譲《ゆづ》つてやりなさい。|是《これ》が|先決《せんけつ》|問題《もんだい》だ。グヅグヅして|居《ゐ》ると、|鶴《つる》さまの|恋《こひ》は|九寸五分式《くすんごぶしき》だから、【センケツ】、【リンリ】|問題《もんだい》が|突発《とつぱつ》するかも|知《し》れない。……アーアあちら|立《た》てれば|此方《こちら》が|立《た》たず、|両方《りやうはう》|立《た》てれば|宇豆姫《うづひめ》さまが|立《た》たず、|世《よ》の|中《なか》は|思《おも》ふ|様《やう》に|行《ゆ》かぬものだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|清公《きよこう》さま、|大勇猛心《だいゆうまうしん》を|発揮《はつき》し、|一皮《ひとかは》|剥《む》いたら、|誰《たれ》しも|髑髏《しやれこうべ》の【みつとも】ない|肉体《にくたい》|計《ばか》りだから、|宇豆姫《うづひめ》さまの|事《こと》をスツカリ|思《おも》ひ|切《き》つて、|国家《こくか》の|為《ため》にそれ|丈《だけ》の|決断力《けつだんりよく》を、|今《いま》|此《この》|場《ば》で|発揮《はつき》して|貰《もら》ひませう』
|清公《きよこう》、|俯《うつ》むいて『ムニヤムニヤムニヤ』
スマートボールは、
『|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|此《この》|場合《ばあひ》、|唯《ただ》|一言《ひとこと》の|御返答《ごへんたふ》もなきは、|不承諾《ふしようだく》と|見《み》えます。それならば|其《そ》れで|宜《よろ》しい。|吾々《われわれ》も|共同《きようどう》|一致的《いつちてき》に|不承諾《ふしようだく》だ。……コレ|清公《きよこう》さま、|大勢《おほぜい》と|一人《ひとり》には|換《か》へられませぬから、どうぞ|早《はや》く|城《しろ》を|明《あ》け|渡《わた》し、|陣引《ぢんび》きをなされませ。|其《その》|後《あと》は|鶴公《つるこう》さまがブランジーとなつて、|地恩城《ちおんじやう》を|総轄《そうかつ》し、|宇豆姫《うづひめ》をクロンバーの|位置《ゐち》に|据《す》ゑ、|神業《しんげふ》に|参加《さんか》すれば、|万代不易《ばんだいふえき》の|基礎《きそ》が|建《た》つ。サア|御返答《ごへんたふ》を|承《うけたま》はりませう』
|清公《きよこう》『|宇豆姫《うづひめ》さまは|承諾《しようだく》せられますかなア』
と|確信《かくしん》あるものの|如《ごと》く|冷笑《れいせう》を|向《む》ける。
スマートボール『|皆《みな》さま、|暫《しばら》く|此処《ここ》に|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さい。これより|宇豆姫《うづひめ》さまの|居間《ゐま》に|参《まゐ》り、|直接《ちよくせつ》|談判《だんぱん》をやつて|来《き》ますから』
チヤンキー『そんなにグヅグヅして|居《を》つたら、|友彦《ともひこ》が|軍勢《ぐんぜい》を|引連《ひきつ》れやつて|来《き》ますぞ。|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》の|仰《あふ》せの|如《ごと》く|此方《こちら》より|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》の|先鞭《せんべん》を|付《つ》け、|友彦《ともひこ》の|進軍《しんぐん》をネルソン|山麓《さんろく》に|待受《まちう》け、|互《たがひ》に|諒解《りやうかい》を|得《え》なくてはなりますまい。|宇豆姫《うづひめ》さまより、|清公《きよこう》さまの|返答《へんたふ》さへ|聞《き》けば|解決《かいけつ》の|付《つ》く|話《はなし》だ。|左様《さやう》な|廻《まは》りくどい|事《こと》をして|居《ゐ》る|場合《ばあひ》ではありますまい。……サア|清公《きよこう》さま、あなたも|立派《りつぱ》な|堂々《だうだう》たる|七尺《しちしやく》の|男子《だんし》だ。|直《すぐ》に|御返事《ごへんじ》を|承《うけたま》はりませう。|色男《いろをとこ》|気分《きぶん》になつて、|独断的《ひとりぎめ》に、|私《わし》はブランジーだから、きつとクロンバーになるのは|宇豆姫《うづひめ》に|定《きは》まつたりと、|自惚心《うぬぼれごころ》を|起《おこ》して|威張《ゐば》つて|居《を》つても、|先方《せんぱう》の|精神《せいしん》はまだ|明瞭《はつきり》と|分《わか》つては|居《を》りますまい。|万一《まんいち》|最後《さいご》の|一段《いちだん》になつて、|宇豆姫《うづひめ》さまにエツパツパを|喰《く》はされ、アフンとして|男《をとこ》を|下《さ》げるよりも、|今《いま》の|間《うち》に|綺麗《きれい》サツパリと|断念《だんねん》なさつた|方《はう》が、|何程《なにほど》|立派《りつぱ》だか|知《し》れますまい。|是《こ》れチヤンキーが|心《こころ》よりの|貴方《あなた》に|対《たい》する|真実《しんじつ》なる|忠告《ちうこく》ですから、|空《そら》|吹《ふ》く|風《かぜ》と|聞《き》き|流《なが》してはなりませぬぞ。|男《をとこ》は|断《だん》の|一字《いちじ》が|最《もつと》も|必要《ひつえう》だ。サーチライス、ユーリンス ユーリンスと|頭《あたま》を|抱《かか》へて|恥《はぢ》を|掻《か》き、|蚤《のみ》の|様《やう》に|頭《あたま》ばかり|突込《つつこ》んで|尻《しり》を|盛立《もりた》て、|恥《はぢ》を|掻《か》くよりも、|今《いま》の|間《うち》に|思《おも》ひ|切《き》つたが、|貴方《あなた》に|取《と》つて|最《もつと》も|賢明《けんめい》な|行方《やりかた》だ。さうすれば|永遠無窮《ゑいゑんむきう》に|地恩城《ちおんじやう》の|右守司《うもりのかみ》となりて、|尊敬《そんけい》の|的《まと》となり、|神業《しんげふ》に|参加《さんか》することが|出来《でき》ませう。|何程《なにほど》【井モリ】の|神《かみ》ぢやと|云《い》つても、|黒焼《くろやき》になる|所《ところ》まで|妬《や》いちや|可《い》けませぬよ』
と|揶揄《からか》ひ|半分《はんぶん》に|忠告《ちうこく》する。ここへ|何気《なにげ》なうやつて|来《き》た|右守司《うもりのかみ》|鶴公《つるこう》、
『ヤア|皆《みな》さま、|大変《たいへん》な|事《こと》が|起《お》こつた|様《やう》ですなア。……モシ|左守司《さもりのかみ》の|清公《きよこう》|殿《どの》、|如何《どう》なさいますか。|御所存《ごしよぞん》を|承《うけたま》はりたい』
スマートボール|初《はじ》め|一同《いちどう》は|拍手《はくしゆ》し|乍《なが》ら、
|一同《いちどう》『|鶴公《つるこう》さま、|万歳《ばんざい》、ウロー ウロー』
と|叫《さけ》ぶ。
|鶴公《つるこう》『|兎《と》も|角《かく》、|友彦《ともひこ》の|寄《よ》せ|手《て》に|向《むか》ひ、|最善《さいぜん》の|方法《はうはふ》を|講《かう》ぜねばなりますまいが、|清公《きよこう》|殿《どの》、|如何《いかが》の|御所存《ごしよぞん》で|御座《ござ》いますか』
|清公《きよこう》『|先《ま》づ|右守司《うもりのかみ》の|御意見《ごいけん》を|承《うけたま》はりませう』
|鶴公《つるこう》『|吾々《われわれ》は|左守司《さもりのかみ》の|次《つぎ》の|位置《ゐち》に|位《くらゐ》する|者《もの》、|何事《なにごと》も|貴方《あなた》の|指揮《しき》|命令《めいれい》に|従《したが》ふのが|本意《ほんい》で|御座《ござ》いますから、どうぞ|御腹蔵《ごふくざう》なく|仰《あふ》せ|付《つ》け|下《くだ》さいませ』
|貫州《くわんしう》『|左守司《さもりのかみ》は|最前《さいぜん》より|吾々《われわれ》|一同《いちどう》|種々《いろいろ》と|申上《まをしあ》げましたが、|何《なん》の|返答《へんたふ》もなされませぬ。|察《さつ》する|所《ところ》、|自《みづか》ら|総統権《そうとうけん》を|棄却《ききやく》された|事《こと》と|察《さつ》しまする。さうでなければ|精神《せいしん》|錯乱《さくらん》か、|或《あるひ》は|本城《ほんじやう》の|危急《ききふ》|存亡《そんばう》を|対岸《たいがん》の|火災視《くわさいし》し、|利己主義《りこしゆぎ》を|立《た》て|通《とほ》す|体主霊従《たいしゆれいじう》の|御方《おかた》と|断定《だんてい》するより|道《みち》はありませぬ。|宇豆姫《うづひめ》|様《さま》さへ|手《て》に|入《い》らば、|地恩城《ちおんじやう》も|三五教《あななひけう》も、|清公《きよこう》さまの|眼中《がんちう》には|無《な》いと|云《い》ふ|事《こと》を|赤裸々《せきらら》に|表白《へうはく》されて|居《を》ります。|吾々《われわれ》は|如何《どう》しても|斯様《かやう》な|御人格《ごじんかく》の|方《かた》の|風下《かざしも》に|立《た》つて|活動《くわつどう》する|事《こと》は|到底《たうてい》|出来《でき》ませぬ。さうだと|云《い》つて|三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|教《をしへ》は|大切《たいせつ》なり、|其《その》|教《をしへ》の|全権《ぜんけん》をお|握《にぎ》り|遊《あそ》ばす|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》を|御見棄《おみす》て|申《まを》す|訳《わけ》には|参《まゐ》りませぬ。|徹頭徹尾《てつとうてつび》|辞職《じしよく》などは|出来《でき》ませぬから、|先《ま》づ|第一《だいいち》に|吾々《われわれ》の|代表的《だいへうてき》|犠牲《ぎせい》となつて、|左守司様《さもりのかみさま》から|処決《しよけつ》して|頂《いただ》きませう』
|清公《きよこう》は|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
『これより|奥殿《おくでん》に|入《い》りて、|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》の|御意見《ごいけん》を|伺《うかが》ひ、|其《その》|上《うへ》に|処決《しよけつ》する|事《こと》に|致《いた》しませう。|何《なに》は|兎《と》もあれ、|出陣《しゆつぢん》の|用意《ようい》|急《いそ》がせられよ』
と|言《い》ひ|棄《す》て、|此《この》|場《ば》を|逃《に》ぐるが|如《ごと》く|姿《すがた》を|隠《かく》した。
チヤンキー『|猫《ねこ》に|追《お》はれた|鼠《ねずみ》の|如《ごと》く、|左守司《さもりのかみ》も|到頭《たうとう》|尾《を》を|捲《ま》いて|奥《おく》の|間《ま》へスゴスゴと|隠《かく》れて|了《しま》つた。|何時《いつ》まで|待《ま》つて|居《ゐ》たつて、|出《で》て|来《く》る|気遣《きづか》ひはあるまい。|吾々《われわれ》は|鶴公様《つるこうさま》に|身《み》も|魂《たま》も|捧《ささ》げて、|如何《いか》なる|指揮《しき》|命令《めいれい》にも|服従《ふくじう》する|考《かんが》へであります。|皆《みな》さまの|御精神《ごせいしん》は|如何《いかが》で|御座《ござ》いますか』
と|一同《いちどう》の|顔《かほ》を|看守《みまも》つた。スマートボールを|初《はじ》め|並居《なみゐ》る|面々《めんめん》|口《くち》を|揃《そろ》へて、
|一同《いちどう》『|大賛成《だいさんせい》|大賛成《だいさんせい》』
と|叫《さけ》ぶ。
|鶴公《つるこう》『|皆《みな》さまはそこまで|不束《ふつつか》な|私《わたくし》に|対《たい》し、|同情《どうじやう》を|寄《よ》せて|下《くだ》され、|実《じつ》に|感謝《かんしや》に|堪《た》へませぬ。が、|併《しか》し|乍《なが》ら|清公《きよこう》さまは|私《わたくし》の|上役《うはやく》、|左守司《さもりのかみ》を|差《さ》し|措《お》いて|如何《どう》する|事《こと》も|出来《でき》ませぬ。|左様《さやう》な|僣越《せんえつ》の|行動《かうどう》は|神《かみ》の|赦《ゆる》し|玉《たま》はざる|処《ところ》、|先《ま》づ|第一《だいいち》に|清公様《きよこうさま》のお|身《み》の|上《うへ》の|解決《かいけつ》が|付《つ》いた|上《うへ》、|皆《みな》さまの|思召《おぼしめし》に|応《おう》じ、|御用《ごよう》を|承《うけたま》はりませう』
スマートボール『モシモシ|右守司《うもりのかみ》さま、|貴方《あなた》は|吾々《われわれ》の|上《うへ》に|立《た》つ|御方《おかた》、|下《した》の|者《もの》に|対《たい》し|御用《ごよう》を|承《うけたま》はらうとは、チツと|矛盾《むじゆん》ぢやありませぬか』
|鶴公《つるこう》『イエイエ、|上《うへ》に|立《た》つ|者《もの》は|決《けつ》して|下《した》を|使《つか》ふ|役《やく》ではありませぬ。あなた|方《がた》が|吾々《われわれ》をお|使《つか》ひなさらねばならぬのです。|吾々《われわれ》の|命令《めいれい》を|聞《き》いて|活動《くわつどう》をする|様《やう》な|事《こと》では、|木偶《でくのばう》も|同然《どうぜん》だ。|何時《いつ》までかかつても|神業《しんげふ》は|発達《はつたつ》|致《いた》しませぬ。|先繰《せんぐ》り|吾々《われわれ》の|仕事《しごと》を|拵《こしら》へて、|斯《こ》うして|呉《く》れ、ああして|呉《く》れと|御註文《ごちゆうもん》|下《くだ》さらねばならぬのです。|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》の|人《ひと》は|上《うへ》に|立《た》てば|下《した》の|者《もの》を|弟子《でし》か|奴隷《どれい》の|様《やう》に|使《つか》ふべきものだと|誤解《ごかい》して|居《ゐ》る。|上《うへ》に|立《た》つ|者《もの》は|要《えう》するに|下《した》から|使《つか》はれるのだ。|広大無辺《くわうだいむへん》の|国祖大神《こくそおほかみ》でさへも、|吾々《われわれ》の|願事《ねぎごと》を|聞《き》いて|下《くだ》さるではありませぬか。|所謂《いはゆる》|吾々《われわれ》は………|斯《か》く|申《まを》せば|少《すこ》しく|語弊《ごへい》が|有《あ》りますけれども……|神様《かみさま》は|要《えう》するに|御使《おつか》ひ|申《まを》して|居《ゐ》る|様《やう》なものだ。|何卒《どうぞ》|御見捨《おみす》てなく|御用《ごよう》を|仰《あふ》せ|付《つ》け|下《くだ》さいませ』
と|道理《だうり》を|分《わ》けて|説《と》き|諭《さと》す。スマートボールは|黙然《もくねん》として、|時々《ときどき》|頭《かうべ》を|上下《じやうげ》に|振《ふ》り『ウンウン』と|頷《うなづ》いて|居《ゐ》たが、|忽《たちま》ち|鶴公《つるこう》の|前《まへ》に|両手《りやうて》をつき、
『イヤ|何事《なにごと》も|諒解《りやうかい》|致《いた》しました。|然《しか》らば|是《こ》れから|貴方《あなた》を|充分《じうぶん》に|酷使《こくし》|致《いた》しますから、|其《その》お|積《つも》りで|御願《おねがひ》|申《まを》しませう』
|鶴公《つるこう》『|何分《なにぶん》|宜《よろ》しく|御注意《ごちうい》|下《くだ》さいまして、|末永《すえなが》くお|使《つか》ひの|程《ほど》をお|願《ねが》ひ|申《まを》します』
|一同《いちどう》|感歎《かんたん》の|声《こゑ》を|洩《も》らして|居《ゐ》る。|此処《ここ》へ|金《きん》、|銀《ぎん》、|鉄《てつ》の|三人《さんにん》|現《あら》はれ|来《きた》り、
|金州《きんしう》『ヤア|貴方《あなた》は|鶴公様《つるこうさま》、|只今《ただいま》|戸外《こぐわい》にて|承《うけたま》はればハツキリ|訳《わけ》は|分《わか》りませぬが、|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|今日《こんにち》の|場合《ばあひ》、|清公様《きよこうさま》に|対《たい》しストライキをなさると|云《い》ふ|御相談《ごさうだん》らしい。|宜《よろ》しい、これから|奥殿《おくでん》に|参《まゐ》り、|此《この》|由《よし》|黄竜姫《わうりようひめ》の|御前《ごぜん》に|奏上《そうじやう》|致《いた》しますから、|其《その》お|積《つも》りで|御決心《ごけつしん》をなさるがよからう』
と|捨台詞《すてぜりふ》を|残《のこ》し、|三人《さんにん》は|足早《あしばや》に|奥《おく》を|目蒐《めが》けて|進《すす》み|入《い》る。
(大正一一・七・七 旧閏五・一三 松村真澄録)
第二章 |与太理縮《よたりすく》〔七四八〕
|地恩城《ちおんじやう》の|奥殿《おくでん》には|黄竜姫《わうりようひめ》と|蜈蚣姫《むかでひめ》の|二人《ふたり》、|侍女《じぢよ》を|遠《とほ》ざけ、|頭《かうべ》を|垂《た》れ|物憂《ものう》し|気《げ》に、|何事《なにごと》か|首《くび》を|鳩《あつ》めてヒソビソ|話《ばなし》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》る。
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》、|大変《たいへん》な|事《こと》が|出来《でき》ました。あの|意地《いぢ》【くね】の|悪《わる》い|鼻曲《はなまが》りの|友彦《ともひこ》が、ネルソン|山《ざん》を|西《にし》に|渉《わた》り、|獰猛《だうまう》なる|土人《どじん》をチヨロ|魔化《まくわ》し、テールス|姫《ひめ》と|言《い》ふ|妖女《えうぢよ》を|抱《だ》き|込《こ》み、|表面《へうめん》|三五教《あななひけう》を|標榜《へうぼう》し、|衆《しう》を|集《あつ》めて|此《この》|地恩郷《ちおんきやう》に|攻《せ》め|寄《よ》せ|来《きた》り、お|前《まへ》さまを|否応《いやおう》なしに|又《また》|元《もと》の|女房《にようばう》にしようとの|企《たく》み、|今《いま》に|本城《ほんじやう》へ|攻《せ》め|寄《よ》せ|来《きた》るとの、|金《きん》、|銀《ぎん》、|鉄《てつ》の|注進《ちゆうしん》、|万一《まんいち》|左様《さやう》な|事《こと》が|実現《じつげん》して、|友彦《ともひこ》|此《この》|場《ば》に|攻《せ》め|来《きた》る|事《こと》あらば、お|前《まへ》さまは|如何《どう》なさる|考《かんが》へですか、|御意中《ごいちう》を|承《うけたま》はりたい』
|黄竜姫《わうりようひめ》『|母様《ははさま》、|左様《さやう》な|御心配《ごしんぱい》に|及《およ》びませぬ。|柔《じう》よく|剛《がう》を|制《せい》すと|言《い》つて、|如何《いか》なる|頑強不霊《ぐわんきやうふれい》の|友彦《ともひこ》なりとて、|妾《わたし》が|三寸《さんずん》の|舌剣《ぜつけん》を|以《もつ》て|腸《はらわた》まで|抉《えぐ》り|出《だ》し、|見事《みごと》|改心《かいしん》させて|見《み》せませう。|友彦《ともひこ》|如《ごと》きは|物《もの》の|数《かず》でもありませぬ。あの|様《やう》な|者《もの》が|恐《おそ》ろしくて、|此《この》|野蛮《やばん》|未開《みかい》の|一《ひと》つ|島《じま》が|如何《どう》して|拓《ひら》けませう。|取越苦労《とりこしくらう》はなさいますな、ホヽヽヽヽ』
とオチヨボ|口《ぐち》に|袖《そで》を|当《あ》て、|手《て》もなく|笑《わら》ふ。|蜈蚣姫《むかでひめ》は|真面目《まじめ》な|心配相《しんぱいさう》な|顔付《かほつき》にて、
『|何程《なにほど》|悧巧《りかう》だと|言《い》つても|未《ま》だお|前《まへ》は|年《とし》が|若《わか》いから、さう|楽観《らくくわん》をして|居《を》られますが、|恋《こひ》の|意地《いぢ》と|言《い》ふものは|又《また》|格別《かくべつ》なもので、なかなか|油断《ゆだん》はなりませぬ。|寝《ね》ても|醒《さめ》ても|小糸姫《こいとひめ》に|馬鹿《ばか》にしられたと|怨《うら》んで|居《ゐ》る|友彦《ともひこ》の|事《こと》だから、|一時《いちじ》は|時《とき》|到《いた》らずとして|尾《を》を|捲《ま》き|目《め》を|塞《ふさ》ぎ|爪《つめ》を|隠《かく》して、|猫《ねこ》の|様《やう》になつて|居《ゐ》たものの、|今《いま》やジヤンナの|郷《さと》に|於《おい》て、|飛《た》つ|鳥《とり》も|落《おと》す|様《やう》な|勢《いきほひ》になつたのを|幸《さいは》ひ、|日頃《ひごろ》の|鬱憤《うつぷん》を|晴《はら》すは|今《いま》|此《この》|時《とき》と|戦備《せんび》を|整《ととの》へ|捲土重来《けんどぢうらい》する|以上《いじやう》は|到底《たうてい》なかなか|一筋《ひとすぢ》や|二筋《ふたすぢ》では|納《をさ》まりますまい。|年寄《としより》の|冷水《ひやみづ》、|老婆心《らうばしん》の|繰言《くりごと》とお|笑《わら》ひなさるか|知《し》りませぬが、|年寄《としより》は|家《いへ》の|宝《たから》、|経験《けいけん》がつんで|居《ゐ》るからチツとは|母《はは》の|言《い》ふ|事《こと》もお|聞《き》きなされ。|後《あと》の|後悔《こうくわい》は|間《ま》にあひませぬ』
|黄竜姫《わうりようひめ》『あの、マア|母様《ははさま》にも|似合《にあ》はぬ|御心配相《ごしんぱいさう》なお|顔付《かほつき》、|母上《あなた》も|顕恩郷《けんおんきやう》では|随分《ずゐぶん》|剛胆《がうたん》な|事《こと》をなさいましたではありませぬか。それのみならず、|自転倒島《おのころじま》の|鬼ケ城山《おにがじやうざん》に|敗《やぶ》れ|三国ケ嶽《みくにがだけ》に|砦《とりで》を|構《かま》へ、|次《つい》で|魔谷ケ嶽《まやがだけ》、|国城山《くにしろやま》と|大活動《だいくわつどう》をなされた|時《とき》は、|夜叉《やしや》の|様《やう》なお|勢《いきほひ》で|御座《ござ》つたぢやありませぬか。それに|今日《こんにち》、|母上《あなた》の|口《くち》からそんな|弱《よわ》い|音色《ねいろ》が|出《で》るとは|思《おも》ひも|掛《か》けませぬ。|此《この》|黄竜姫《わうりようひめ》、|仮令《たとへ》|百《もも》の|友彦《ともひこ》、|万《まん》の|友彦《ともひこ》|来《きた》るとも、|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》の|神力《しんりき》、|吾《わが》|言霊《ことたま》の|威力《ゐりよく》に|拠《よ》つて|言向《ことむ》け|和《やは》し、|前非《ぜんぴ》を|悔《く》いしめ、|至善《しぜん》|至美《しび》の|身魂《みたま》に|研《みが》き|上《あ》げて|助《たす》けてやる|妾《わたし》の|所存《しよぞん》、|決《けつ》して|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》|遊《あそ》ばしますな』
と|脇息《けふそく》に|肱《ひぢ》を|乗《の》せ|忍冬《にんどう》の|茶《ちや》を|一口《ひとくち》グツと|飲《の》んで、
『|母様《ははさま》、|何卒《どうぞ》お|寝《やす》み|遊《あそ》ばしませ。|最早《もはや》|夜《よ》も|更《ふ》けかけました。いづれネルソン|山《ざん》へは|数百里《すうひやくり》の|道程《みちのり》、|友彦《ともひこ》が|攻《せ》めて|来《く》ると|言《い》つても、まだ|十日《とをか》や|半月《はんつき》は|大丈夫《だいぢやうぶ》です。あまり|周章《あわ》てるには|及《およ》びませぬ』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|油断大敵《ゆだんたいてき》、|一時《いちじ》も|猶予《いうよ》はなりませぬ。|妾《わたし》は|先程《さきほど》|一同《いちどう》の|者《もの》に、|防戦《ばうせん》と|出陣《しゆつぢん》の|用意《ようい》を|命《めい》じて|置《お》きました。やがて|出陣《しゆつぢん》するでせう』
|黄竜姫《わうりようひめ》『それは|誰《たれ》の|吩咐《いひつけ》で|出陣《しゆつぢん》をお|命《めい》じになりましたか』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『ハイ、|妾《わたし》の|計《はか》らひで……』
|黄竜姫《わうりようひめ》『それは|又《また》、|不都合《ふつがふ》|千万《せんばん》、|私人《しじん》としては|貴女《あなた》は|妾《わたし》の|母《はは》、されど|神様《かみさま》のお|道《みち》から|言《い》へば|妾《わたし》が|教主《けうしゆ》も|同然《どうぜん》、|妾《わたし》の|命令《めいれい》をも|聞《き》かずに、|公私《こうし》|混淆《こんかう》、|自他《じた》|本末《ほんまつ》を|混乱《こんらん》して|左様《さやう》な|命令《めいれい》を|出《だ》されては|困《こま》るぢやありませぬか。|何卒《どうぞ》|早《はや》く|取消《とりけ》しをして|下《くだ》さい』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|何程《なんぼ》お|前様《まへさま》が|教主《けうしゆ》だと|言《い》つて|威張《ゐば》つた|処《ところ》で、|矢張《やつぱ》り|親《おや》は|親《おや》だ。|親《おや》の|言《い》ふ|事《こと》を|聞《き》かぬ|様《やう》では|鬼《おに》も|同様《どうやう》です。それでは|神様《かみさま》のお|道《みち》を|守《まも》る|人《ひと》とは|申《まを》されますまい。|此《この》|蜈蚣姫《むかでひめ》も|猪食《ししく》た|犬《いぬ》|丈《だけ》あつて、|何《ど》んな|経験《けいけん》も|持《も》つて|居《を》る。|今《いま》こそ|可愛《かあい》い|娘《むすめ》の|光《ひかり》を|出《だ》したいばかりに、|目《め》を|塞《ふさ》ぎ|爪《つめ》を|隠《かく》し、|灰猫婆《はひねこばば》アになつて|居《ゐ》るものの、まさかと|言《い》ふ|時《とき》になれば|忽《たちま》ち|虎猫《とらねこ》になりますよ。|虎《とら》も|目《め》を|塞《ふさ》ぎ|爪《つめ》を|隠《かく》して|柔和《おとな》しく|見《み》せて|居《を》れば、|何時《いつ》までも|厄介者《やつかいもの》だと|蔑《さげす》み、|年寄《としよ》つたの、|耄碌《まうろく》したのと|思《おも》つて|居《ゐ》ようが、いつかないつかな|此《この》|蜈蚣姫《むかでひめ》、|国家《こくか》|興亡《こうばう》の|此《この》|際《さい》、|何時迄《いつまで》も|爪《つめ》を|隠《かく》す|訳《わけ》にはゆかない。|虎猫《とらねこ》の|本性《ほんしやう》を|現《あら》はし、|之《これ》から|大活動《だいくわつどう》を|演《えん》ずる|覚悟《かくご》ですよ。|平和《へいわ》の|時《とき》はお|前《まへ》さまを|大将《たいしやう》にして|置《お》いてもかなり|勤《つと》まるが、|斯《こ》んな|非常《ひじやう》の|場合《ばあひ》は|生温《なまぬる》い|事《こと》で|如何《どう》なりませう。アタ|小面憎《こづらにく》い|友彦《ともひこ》の|首《くび》を|引《ひ》き|抜《ぬ》いて、|思《おも》ひ|知《し》らしてやらねばなりませぬ。エー、|煩《うるさ》い|事《こと》だ。|又《また》|年寄《としより》に|一苦労《ひとくらう》さすのかいな』
|黄竜姫《わうりようひめ》『|母様《ははさま》、|貴方《あなた》はそれだから|困《こま》ります。|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》をお|忘《わす》れになりましたか』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『エー、|融通《ゆうづう》の|利《き》かぬ|娘《むすめ》だな。|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》は|天下《てんか》|太平《たいへい》の|御代《みよ》には|実《じつ》に|重宝《ちようほう》な|教《をしへ》だが、|危機一髪《ききいつぱつ》の|此《この》|際《さい》、あの|様《やう》な|柔弱《じうじやく》な|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》の|教理《けうり》は、マドロしうて|聞《き》いてゐられますものか。|神様《かみさま》が|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》を|採《と》れと|仰有《おつしや》るのは……|為《す》な、せい……と|言《い》ふ|謎《なぞ》ぢや。お|前《まへ》さまは|何《なん》と|言《い》つても|未《ま》だ|年《とし》が|若《わか》いから|正直《しやうぢき》に|聞《き》くので|困《こま》る。|口《くち》の|端《はた》に|乳《ちち》が|附《つ》いて|居《ゐ》る|様《やう》な|事《こと》|言《い》つて……|如何《どう》して|此《この》|地恩城《ちおんじやう》が|維持《ゐぢ》|出来《でき》ますか』
と|最後《さいご》の|言葉《ことば》に|力《ちから》を|入《い》れて、|畳《たたみ》を|握《にぎ》り|拳《こぶし》でポンと|叩《たた》いて|見《み》せた。
|黄竜姫《わうりようひめ》『アヽ|情《なさけ》ない|母様《ははさま》の|御精神《ごせいしん》、|如何《どう》したら|本当《ほんたう》の|改心《かいしん》をして|下《くだ》さるであらう。……|何卒《どうぞ》|神様《かみさま》、|一時《ひととき》も|早《はや》く|真《まこと》の|道《みち》が、|私《わたし》の|一人《ひとり》よりない|大切《たいせつ》な|母《はは》に|解《わか》ります|様《やう》に、|何卒《どうぞ》|心《こころ》の|鏡《かがみ》に|光明《くわうみやう》を|与《あた》へ、|心《こころ》の|暗黒《あんこく》を|照《て》らして|下《くだ》さいませ。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|合掌《がつしやう》し|涙含《なみだぐ》む。
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|何程《なにほど》|人間《にんげん》が|改心《かいしん》したと|言《い》つても、|元《もと》から|悪《あく》の|素質《そしつ》を|持《も》つて|居《ゐ》る|吾々《われわれ》の|身魂《みたま》、|譬《たと》へて|言《い》へば、|大《おほ》きな|鉢《はち》の|中《なか》へ|泥水《どろみづ》を|盛《も》り、それが|時節《じせつ》の|力《ちから》で|泥《どろ》は|鉢《はち》の|底《そこ》に|沈《いさ》り、|表面《うはつら》は|清水《せいすゐ》に|澄《す》み|渡《わた》つて|居《を》つても、|何《なに》か|一《ひと》つ|揺《ゆさ》ぶるものがあると、|折角《せつかく》|底《そこ》に|沈《いさ》つて|居《ゐ》た|泥《どろ》が|又《また》もや|浮《う》き|上《あが》り、|元《もと》の|泥水《どろみづ》となるのは|自然《しぜん》の|道理《だうり》だ。|之《これ》が|惟神《かむながら》のお|道《みち》です。|体《たい》を|以《もつ》て|体《たい》に|対《たい》し、|霊《れい》を|以《もつ》て|霊《れい》に|対《たい》し、|力《ちから》を|以《もつ》て|力《ちから》に|対《たい》するは|天地《てんち》の|道理《だうり》ぢやありませぬか。アインスタインの|相対性《さうたいせい》|原理《げんり》の|説明《せつめい》だつて、さうぢやないか。お|前《まへ》さまの|様《やう》な|其《そ》んな|時代《じだい》|遅《おく》れの|事《こと》を|言《い》つて|居《ゐ》ると、|蟹《かに》の|手足《てあし》をもぎ|取《と》り、|鳥《とり》の|翼《つばさ》を|剥《は》ぎ|取《と》つた|様《やう》な|目《め》に|遭《あ》はされますぞ。|三千世界《さんぜんせかい》に|子《こ》を|思《おも》はぬ|親《おや》がありませうか。お|前《まへ》が|可愛《かあい》いばつかりに、|妾《わし》はお|気《き》に|召《め》さぬ|事《こと》を|言《い》ふのだが、|親《おや》の|意見《いけん》と|茄子《なすび》の|花《はな》は、|千《せん》に|一《ひと》つも|仇花《あだばな》はありませぬぞ。|良薬《りやうやく》|口《くち》に|苦《にが》し、|甘《あま》いものは|蛔虫《くわいちう》の|源《もと》、|何卒《どうぞ》|母《はは》が|一生《いつしやう》のお|願《ねが》ひだから、|出陣《しゆつぢん》を|見合《みあは》す|事《こと》は|思《おも》ひ|止《とど》まつて|下《くだ》さい。|妾《わたし》も|之《これ》から|清公《きよこう》の|左守神《さもりのかみ》を|引率《ひきつ》れ、|年寄《としより》の|花《はな》を|咲《さ》かし、|冥途《めいど》の|土産《みやげ》に|一戦《ひといくさ》やつて|見《み》よう|程《ほど》に、|必《かなら》ず|必《かなら》ず|柔弱《じうじやく》な|精神《せいしん》を|発揮《はつき》して、|折角《せつかく》|張《は》り|詰《つ》めた|母《はは》の|勇猛心《ゆうまうしん》を|挫《くじ》いて|下《くだ》さるな。|親《おや》が|子《こ》に|手《て》を|合《あは》して|頼《たの》みます。|海《うみ》|往《ゆ》かば|水漬《みづ》く|屍《かばね》、|山《やま》|往《ゆ》かば|草《くさ》|生《む》す|屍《かばね》、|大神《おほかみ》の|辺《へ》にこそ|死《し》なめ、|閑《のど》には|死《し》なじ|顧《かへりみ》はせじと、|弥《いや》|進《すす》みに|進《すす》み、|弥《いや》|逼《せま》りに|逼《せま》り、|友彦《ともひこ》が|軍勢《ぐんぜい》を|山《やま》の|尾《を》|毎《ごと》に|追《お》ひ|伏《ふ》せ、|河《かは》の|瀬《せ》|毎《ごと》に|薙散《なぎち》らして|服《まつろ》へ|和《やは》し、|一泡《ひとあわ》|吹《ふ》かして|懲《こ》らしめ|呉《く》れむは|案《あん》の|中《うち》、|必《かなら》ず|邪魔《じやま》|召《め》さるな』
と|血相《けつさう》を|変《か》へて|長押《なげし》の|薙刀《なぎなた》を|取《と》るより|早《はや》く、
『|黄竜姫《わうりようひめ》、さらば……』
と|此《この》|場《ば》を|立《た》ち|出《い》でむとする。
|黄竜姫《わうりようひめ》『|地恩城《ちおんじやう》の|女王《ぢよわう》、|三五教《あななひけう》の|神司《かむづかさ》、|今《いま》|改《あらた》めて|蜈蚣姫《むかでひめ》に|対《たい》し、|三五教《あななひけう》を|除名《ぢよめい》する。|有難《ありがた》くお|受《う》け|召《め》され』
|蜈蚣姫《むかでひめ》は|二足三足《ふたあしみあし》|引返《ひきかへ》し、|黄竜姫《わうりようひめ》をハツタと|睨《にら》み、
『|久離《きうり》|絶《き》つても、|親子《おやこ》ぢやないか。|親子《おやこ》の|情《じやう》は|何処迄《どこまで》も|変《かは》るものぢやない。|仮令《たとへ》|蜈蚣姫《むかでひめ》、|天地《てんち》の|神《かみ》の|怒《いか》りに|触《ふ》れ、|水火《すゐくわ》の|責苦《せめく》に|会《あ》うとても、|吾《わが》|子《こ》の|為《た》めには|厭《いと》ひはせぬ。|三五教《あななひけう》を|除名《ぢよめい》された|上《うへ》は、|最早《もはや》|其《その》|方《はう》に|制縛《せいばく》は|受《う》けぬ、|自由自在《じいうじざい》の|活動《くわつどう》を|致《いた》すは|之《これ》からだ。|愈《いよいよ》|清公《きよこう》|以下《いか》の|勇士《ゆうし》を|引率《ひきつ》れ、|華々《はなばな》しき|功名《かうみやう》|手柄《てがら》を|現《あら》はし|呉《く》れむ。|小糸姫《こいとひめ》、さらばで|御座《ござ》る』
と|又《また》|立《た》ち|出《い》でむとするを、|黄竜姫《わうりようひめ》は|言葉《ことば》|厳《おごそ》かに、
『|最早《もはや》|三五教《あななひけう》を|除名《ぢよめい》せし|蜈蚣姫《むかでひめ》、|左守神《さもりのかみ》たる|清公《きよこう》を|初《はじ》め、|其《その》|他《た》|一同《いちどう》を|指揮《しき》する|権利《けんり》はあるまい。|御勝手《ごかつて》に|只《ただ》|一人《ひとり》お|出《い》で|遊《あそ》ばせ。|飛《と》んで|火《ひ》に|入《い》る|夏《なつ》の|虫《むし》、|子《こ》の|愛《あい》に|溺《おぼ》れて|真《まこと》の|神《かみ》の|愛《あい》を|忘《わす》れ|給《たま》ひし|不届者《ふとどきもの》、|天《てん》に|代《かは》つて|懲戒《いましめ》|致《いた》す。……ヤアヤア|金州《きんしう》は|在《あ》らざるか、|早《はや》く|来《きた》つて|蜈蚣姫《むかでひめ》を|縛《ばく》せよ』
と|呼《よば》はつた。
|折《をり》から|金《きん》、|銀《ぎん》、|鉄《てつ》の|三人《さんにん》、スタスタと|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|来《きた》り、|親子《おやこ》が|此《この》|体《てい》を|見《み》て|不審《ふしん》の|眉《まゆ》を|顰《ひそ》め|乍《なが》ら、
|金州《きんしう》『コレハコレハ、お|二人様《ふたりさま》の|御様子《ごやうす》、|何《なに》か|深《ふか》い|仔細《しさい》が|御座《ござ》いませうが、|先《ま》づ|先《ま》づお|静《しづ》まり|下《くだ》さいませ』
|黄竜姫《わうりようひめ》『|仔細《しさい》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|地恩郷《ちおんきやう》の|女王《ぢよわう》|黄竜姫《わうりようひめ》が|命令《めいれい》だ。|蜈蚣姫《むかでひめ》を|縛《しば》り|上《あ》げよ』
|金州《きんしう》『コレハコレハ、|案《あん》に|相違《さうゐ》の|女王様《ぢよわうさま》のお|言葉《ことば》、|一向《いつかう》|合点《がてん》が|参《まゐ》り|申《まを》さぬ。|如何《いか》なる|事情《じじやう》の|在《おは》しますとも、|子《こ》の|分際《ぶんざい》として、|天《てん》にも|地《ち》にも|掛替《かけが》へなき、|山海《さんかい》の|恩《おん》ある|御母上《おんははうへ》を|縛《ばく》せよとは|何《なん》たる|不孝《ふかう》のお|言葉《ことば》、|女王様《ぢよわうさま》は|狂気《きやうき》|召《め》されたか』
と|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ふ。
|蜈蚣姫《むかでひめ》『コレハコレハ|金州《きんしう》、お|前《まへ》の|言《い》ふ|通《とほ》りだ。|父《ちち》と|母《はは》とは|天地《てんち》に|譬《たと》へてある。|父《ちち》の|恩《おん》は|天《てん》より|高《たか》く、|母《はは》の|恩《おん》は|地《ち》より|重《おも》しと|聞《き》く。|地《ち》の|恩《おん》に|因《ちな》みたる|此《この》|地恩郷《ちおんきやう》の|女王《ぢよわう》となり|乍《なが》ら、|母《はは》の|恩《おん》、|所謂《いはゆる》|地恩《ちおん》を|忘《わす》れた|小糸姫《こいとひめ》、サア、もう|此《この》|上《うへ》は|親《おや》の|権利《けんり》を|以《もつ》て|小糸姫《こいとひめ》を|放逐《はうちく》する。|汝《なんぢ》……|金《きん》、|銀《ぎん》、|鉄《てつ》の|三人《さんにん》、|此《この》|蜈蚣姫《むかでひめ》が|命令《めいれい》を|聞《き》き、|友彦《ともひこ》の|軍勢《ぐんぜい》に|向《むか》つて|応戦《おうせん》の|用意《ようい》を|致《いた》せ。さはさり|乍《なが》ら|身《み》に|寸鉄《すんてつ》を|帯《お》びよと|言《い》ふのではない。|善言美辞《ぜんげんびじ》の|言霊《ことたま》と|親切《しんせつ》の|行為《かうゐ》を|以《もつ》て、|敵《てき》を|悦服《えつぷく》|致《いた》さすのだ。|必《かなら》ず|必《かなら》ず|誤解《ごかい》を|致《いた》すでないぞ』
|金州《きんしう》『|理義《りぎ》|明白《めいはく》なる|貴女《あなた》のお|言葉《ことば》、|金州《きんしう》|確《たしか》に|承知《しようち》|仕《つかまつ》りました。|併《しか》し|乍《なが》ら|今《いま》|貴女《あなた》がお|手《て》に|持《も》たせ|給《たま》ふ|薙刀《なぎなた》は、|何《なん》の|為《た》めにお|持《も》ちで|御座《ござ》いますか』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|之《これ》は|敵《てき》を|薙《な》ぎ|払《はら》ふ|武器《ぶき》では|無《な》い。|味方《みかた》の|軍勢《ぐんぜい》を|励《はげ》ます|為《た》めの|武器《ぶき》だ。|愚図々々《ぐづぐづ》|致《いた》して|居《ゐ》ると、|此《この》|蜈蚣姫《むかでひめ》がお|前達《まへたち》を|片端《かたつぱし》から|薙《な》ぎ|払《はら》ふも|知《し》れぬぞ。サア|汝等《なんぢら》は|蜈蚣姫《むかでひめ》に|続《つづ》けツ。|小糸姫《こいとひめ》に|用《よう》は|無《な》い』
と|又《また》もや|此《この》|場《ば》を|慌《あわただ》しく|立《た》ち|出《い》でむとする。
|黄竜姫《わうりようひめ》『|地恩郷《ちおんきやう》の|女王《ぢよわう》|黄竜姫《わうりようひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》を|除名《ぢよめい》したる|以上《いじやう》は、|金《きん》、|銀《ぎん》、|鉄《てつ》の|三人《さんにん》の|者共《ものども》、|彼《かれ》が|命《めい》を|奉《ほう》ずるには|及《およ》ばぬぞ。|心《こころ》を|鎮《しづ》めて|妾《わらは》が|言葉《ことば》を|篤《とつく》と|聞《き》けよ』
|此《この》|言葉《ことば》に|三人《さんにん》は|平伏《へいふく》し、
|銀州《ぎんしう》『|之《これ》は|又《また》|異《い》なる|事《こと》を|承《うけたま》はるものかな。|何《ど》の|咎《とが》あつて|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》に|対《たい》し|除名《ぢよめい》の|処分《しよぶん》をなされましたか。|一応《いちおう》|理由《りいう》を|承《うけたま》はり|度《た》う|御座《ござ》います』
|鉄州《てつしう》『|此《この》|頃《ごろ》の|暑熱《しよねつ》の|為《ため》に|精神《せいしん》を|逆上《ぎやくじやう》させ、|非理非道《ひりひだう》なる|悪言暴語《あくげんばうご》をお|吐《は》き|遊《あそ》ばす|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》のお|言葉《ことば》、|天地《てんち》の|道理《だうり》に|反《はん》したる|貴女《あなた》の|御命令《ごめいれい》には、|吾々《われわれ》は|絶対《ぜつたい》に|服従《ふくじゆう》する|事《こと》は|出来《でき》ませぬ』
|黄竜姫《わうりようひめ》『|今《いま》|更《あらた》めて|銀《ぎん》、|鉄《てつ》の|両人《りやうにん》を|除名《ぢよめい》する』
|銀《ぎん》、|鉄《てつ》『コレハコレハ|心得《こころえ》ぬ|貴女《あなた》の|御言葉《おことば》、|何《なん》の|咎《とが》あつて|除名《ぢよめい》|遊《あそ》ばすのか。|無道《ぶだう》の|除名《ぢよめい》|処分《しよぶん》には|決《けつ》して|服従《ふくじう》|仕《つかまつ》らぬ。また|仮令《たとへ》|除名《ぢよめい》されても|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》を|奉《ほう》じ、|此《こ》の|地恩城《ちおんじやう》を|守護《しゆご》|致《いた》す|考《かんが》へで|御座《ござ》れば、|少《すこ》しも|痛痒《つうよう》は|感《かん》じませぬ。|何卒々々《なにとぞなにとぞ》、|今一度《いまいちど》お|考《かんが》へ|直《なほ》しを|願《ねが》ひ|度《た》う|存《ぞん》じまする』
|金州《きんしう》『|女王様《ぢよわうさま》に|申上《まをしあ》げます。|御立腹《ごりつぷく》は|御尤《ごもつと》もなれども、|何《なに》を|言《い》つても、|絶《き》つても|絶《た》れぬ|御親子《ごしんし》の|間柄《あひだがら》、|斯様《かやう》な|事《こと》が|城外《じやうぐわい》に|洩《も》れましては、|第一《だいいち》、|大神様《おほかみさま》のお|道《みち》の|汚《けが》れ、|余《あま》り|褒《ほ》めた|話《はなし》では|御座《ござ》いませぬ。|何卒《どうぞ》|親子《おやこ》|仲《なか》よく|遊《あそ》ばして|下《くだ》さいませ』
|黄竜姫《わうりようひめ》『|今《いま》|改《あらた》めて|母上様《ははうへさま》に|申上《まをしあ》げます。|万々一《まんまんいち》|敵軍《てきぐん》|襲来《しふらい》|致《いた》す|様《やう》な|事《こと》あらば、|此《この》|黄竜姫《わうりようひめ》が|陣頭《ぢんとう》に|立《た》ち、|華々《はなばな》しく|神界《しんかい》の|為《た》めに|活動《くわつどう》してお|目《め》に|懸《か》けませう。|今迄《いままで》の|無礼《ぶれい》の|言葉《ことば》お|赦《ゆる》し|下《くだ》さいませ。|除名《ぢよめい》の|事《こと》は|今《いま》|改《あらた》めて|取消《とりけ》しませう。|又《また》……|銀《ぎん》、|鉄《てつ》の|両人《りやうにん》に|対《たい》する|除名《ぢよめい》の|言霊《ことたま》も|只今《ただいま》|宣《の》り|直《なほ》しませう』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『アヽ|流石《さすが》は|妾《わし》が|血《ち》を|分《わ》けた|娘《むすめ》だけあつて|偉《えら》いものだなア。さうなれば、さうと……|何故《なぜ》|早《はや》く|言《い》つて|下《くだ》さらぬのだ。|年寄《としより》に|要《い》らぬ|気《き》を|揉《も》まして、|親《おや》に|余《あま》り|孝行《かうかう》……な|仕打《しうち》ぢやなからうに』
と|笑《わら》ひ|泣《な》きに|泣《な》く。
|黄竜姫《わうりようひめ》『|最初《さいしよ》より|此《この》|精神《せいしん》で|妾《わたし》は|申上《まをしあ》げて|居《ゐ》ましたけれども、|母様《ははさま》は|余《あま》り|血気《けつき》に|逸《はや》り、|其《その》|儘《まま》|城外《おもて》へ|御出《おいで》になれば、それこそ|吾々《われわれ》|親子《おやこ》を|初《はじ》め、|地恩城《ちおんじやう》|一同《いちどう》の|大恥辱《だいちじよく》になると|思《おも》ひ、|無礼《ぶれい》な|事《こと》を|申上《まをしあ》げました。|何卒《どうぞ》お|赦《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|心安《こころやす》い|親子《おやこ》の|仲《なか》、さう|更《あらた》まつて|御挨拶《ごあいさつ》には|及《およ》びますまい』
と|機嫌《きげん》を|直《なほ》し|薙刀《なぎなた》を|長押《なげし》に|掛《か》け、|忍冬茶《にんどうちや》をグツと|飲《の》んで|脇息《けふそく》に|凭《もた》れる。
|斯《か》かる|処《ところ》へ|足音《あしおと》|高《たか》く|入《い》り|来《きた》る|鶴公《つるこう》は、|恭《うやうや》しく|両手《りやうて》をつき、
『|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》に|申上《まをしあ》げます。|只今《ただいま》|承《うけたま》はりますれば、|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》より|出陣《しゆつぢん》の|用意《ようい》を|致《いた》せ……とのお|言葉《ことば》、|敵《てき》|無《な》きに|出陣《しゆつぢん》とは|心得《こころえ》|申《まを》さぬ。|之《これ》には|何《なに》か|深《ふか》い|御経綸《ごけいりん》の|在《おは》する|事《こと》ならむ。|一応《いちおう》|其《その》|真相《しんさう》を、|私《わたし》に|差支《さしつか》へ|無《な》くばお|洩《も》らし|下《くだ》さいませ』
|蜈蚣姫《むかでひめ》は|黄竜姫《わうりようひめ》の|言葉《ことば》も|待《ま》たず、|二足三足《ふたあしみあし》|膝《ひざ》を|摺《す》り|寄《よ》せ、
|蜈蚣姫《むかでひめ》『お|前《まへ》はそれだから|間抜者《まぬけ》と|言《い》ふのだ。|友彦《ともひこ》が|獰猛《だうまう》なる|蕃人隊《ばんじんたい》を|引《ひ》き|率《つ》れ、|本城《ほんじやう》へ|復讐《ふくしう》の|為《た》め|攻《せ》め|寄《よ》せ|来《きた》ると|言《い》ふ|事《こと》が|分《わか》らぬのか』
|鶴公《つるこう》『はて、|心得《こころえ》ぬ|貴女《あなた》のお|言葉《ことば》、|天《あめ》が|下《した》に|善《ぜん》に|敵《てき》する|仇《あだ》はありますまい。|何《なに》を|苦《くるし》んで|防戦《ばうせん》の|用意《ようい》とか、|出陣《しゆつぢん》とかを|御命令《ごめいれい》になつたのですか。さうして|又《また》|友彦《ともひこ》が|果《はた》して|攻《せ》め|寄《よ》せ|来《きた》ると|言《い》ふ、|的確《てきかく》なる|調査《しらべ》がついて|居《を》りますか』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|現在《げんざい》|此処《ここ》に|居《ゐ》る|金《きん》、|銀《ぎん》、|鉄《てつ》の|三人《さんにん》が、|注進《ちゆうしん》に|来《き》て|居《ゐ》るのだよ』
|鶴公《つるこう》『はて|心得《こころえ》ぬ。|金《きん》、|銀《ぎん》、|鉄《てつ》の|三人《さんにん》は|一ケ月《いつかげつ》|許《ばか》り|此《この》|門内《もんない》を|出《で》た|事《こと》は|御座《ござ》らぬ。|如何《どう》して|其《そ》んな|急報《きふはう》が|耳《みみ》に|入《はい》つたのだらう。……コレコレ|金《きん》、|銀《ぎん》、|鉄《てつ》の|三人共《さんにんども》、|其《その》|方《はう》は|何人《なにびと》に|左様《さやう》な|事《こと》を|聞《き》いたのか』
|金州《きんしう》『ハイ……あの……それ……|今《いま》の……|何《なん》で|御座《ござ》います。エー、さうして……|先方《むかう》が……|何《なん》ですから|此方《こつち》も|何々《なになに》して|置《お》かねば……|何々《なになに》の|間《うち》に|何《なん》だと……|思《おも》ひまして|一寸《ちよつと》|申上《まをしあ》げました。これと|言《い》ふも|全《まつた》く|清公様《きよこうさま》……オツトドツコイ……【きよ】や|昨日《きのふ》の|事《こと》では|御座《ござ》いませぬ。|誠《まこと》に|恐惶《きようくわう》(|清公《きよこう》)|頓首《とんしゆ》の|次第《しだい》で|御座《ござ》います』
|鶴公《つるこう》『|其《その》|方《はう》の|申《まを》す|事《こと》は|少《すこ》しも|分《わか》らない。も|少《すこ》し、はつきりと|申《まを》さないか』
|金州《きんしう》『オイ、|銀州《ぎんしう》、|貴様《きさま》チツと|応援《おうゑん》して|呉《く》れ。|俺《おれ》ばつかりに|言《い》はすとは|余《あんま》りぢやないか、|貴様《きさま》が|発頭人《ほつとうにん》だよ。アーア|発頭人《ほつとうにん》に|此《この》|答弁《たふべん》を|譲《ゆづ》つて、|私《わし》は【ホーツ】と|息《いき》をつき|乍《なが》ら|金公《きんこう》……オツトドツコイ……【キン】|聴《ちやう》する|事《こと》にしようかい』
|銀州《ぎんしう》『ハイ、|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》、|其《その》|他《た》の|方々《かたがた》の|御前《ごぜん》を|憚《はばか》り|乍《なが》ら、|謹《つつし》み|敬《うやま》ひ|言上《ごんじやう》|仕《つかまつ》りまする。|抑々《そもそも》|地恩城《ちおんじやう》は|四面《しめん》|山《やま》に|囲《かこ》まれ、メソポタミヤの|顕恩郷《けんおんきやう》にも|勝《まさ》る|楽園地《らくゑんち》で|御座《ござ》いますれば、|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》の|御威勢《ごゐせい》も|日《ひ》に|日《ひ》に|旭日昇天《きよくじつしようてん》の|勢《いきほひ》、それに|日頃《ひごろ》|慕《した》はせ|給《たま》ふ|母様《ははさま》に|無事《ぶじ》に|会《あ》はせ|給《たま》うて、|其《その》|御顔色《おんかんばせ》|恐悦至極《きようえつしごく》、|左守《さもり》の|清公様《きよこうさま》、|右守《うもり》の|鶴公様《つるこうさま》の|誠心《まごころ》|籠《こ》めての|日夜《にちや》のお|活動《はたらき》、|其《その》|為《た》め|地恩郷《ちおんきやう》は|益々《ますます》|隆盛《りうせい》に|向《むか》ひ、|斯《こ》んな|喜《よろこ》ばしい|事《こと》は|又《また》と|世界《せかい》にありませうか。|然《しか》るに|味《あぢ》|良《よ》き|果物《くだもの》には|害虫《がいちう》|多《おほ》く、|美《うるは》しき|花《はな》には|風雨《ふうう》の|害《がい》|甚《はなはだ》しとやら、|治《ち》に|居《ゐ》て|乱《らん》を|忘《わす》れず、|乱《らん》に|居《ゐ》て|治《ち》を|忘《わす》れず、|治乱興敗《ちらんこうはい》は|天下《てんか》の|常《つね》と|存《ぞん》じますれば、|吾々《われわれ》は|先見《せんけん》の|明《めい》なくとも|斯《か》くの|如《ごと》きは|能《よ》く|御合点《ごがつてん》の|某《それがし》、|御忠告《ごちうこく》までに|申上《まをしあ》げ|奉《たてまつ》りまする』
|鶴公《つるこう》『|益々《ますます》|不分明《ふぶんめい》なる|汝《なんぢ》の|言葉《ことば》、|左様《さやう》な|問題《もんだい》を|尋《たづ》ねたものでは|無《な》い。|友彦《ともひこ》|一件《いつけん》は|何人《なにびと》より|聞《き》いたのかと|尋《たづ》ねて|居《ゐ》るのだ』
|銀州《ぎんしう》『オイ、|鉄《てつ》、|何《なん》とか【テツボ】をあはして|呉《く》れぬと、|俺《おれ》はスンデの|事《こと》で【テツ】|棒《ぼう》を|喰《く》はされる|処《ところ》だ。|初《はじめ》から|約束《やくそく》の|通《とほ》り、|第一線《だいいつせん》|危《あやふ》き|時《とき》は|第二線《だいにせん》が|防《ふせ》ぎ|戦《たたか》ひ、|第二線《だいにせん》|敗《やぶ》るる|時《とき》は|第三線《だいさんせん》が|力戦苦闘《りきせんくとう》するは、|締盟《ていめい》|当時《たうじ》の|吾等《われら》の|決心《けつしん》、サア|手坪《てつぼ》をあはして|巧《うま》く|弁解《べんかい》をするのだよ。|此《この》|言霊戦《ことたません》に|敗《はい》をとれば|吾々《われわれ》は、もう|駄目《だめ》だよ』
と|耳《みみ》の|側《はた》に|囁《ささや》く。
|鉄州《てつしう》『ハイ、……|何《なん》で|御座《ござ》いますか。|最前《さいぜん》から|金《きん》、|銀《ぎん》の|答弁《たふべん》を|聞《き》いて|居《を》れば|徹頭徹尾《【てつ】とう【てつ】び》、|此《この》|鉄《【てつ】》も|意味貫徹《いみくわん【てつ】》しませぬ。|鉄瓶《【てつ】びん》の|口《くち》から|湯気《ゆげ》を|立《た》てて|居《ゐ》る|様《やう》な|二人《ふたり》の|陳弁《ちんべん》の|有様《ありさま》、|側《そば》の|見《み》る|目《め》も|気《き》の|毒《どく》なりける|次第《しだい》なりです。|斯《か》かる|事《こと》は|夢《ゆめ》の|中《なか》の|状態《じやうたい》で、|五里霧中《ごりむちゆう》に|葬《はうむ》り|去《さ》るが|安穏《あんのん》で|御座《ござ》いませう。|夢《ゆめ》は|袋《ふくろ》に、|刀《かたな》は|鞘《さや》に、|秘密《ひみつ》は|腹《はら》に|包《つつ》んで|置《お》くが|最《もつと》も|悧巧《りかう》なやり|方《かた》、|吾々《われわれ》は|此《これ》|以上《いじやう》|申上《まをしあ》げる|事《こと》は|徹頭徹尾《【てつ】とう【てつ】び》ありませぬ。|此《この》|問題《もんだい》は|只今《ただいま》|限《かぎ》り|撤廃《てつぱい》を|願《ねが》ひませう』
|鶴公《つるこう》『|三人《さんにん》が|三人共《さんにんとも》、|実《じつ》に|瞹昧《あいまい》|模糊《もこ》として|不徹底《ふてつてい》|極《きは》まる|答弁《たふべん》、……コリヤ|金州《きんしう》、|左様《さやう》な|瓢鯰式《へうねんしき》の|言葉《ことば》を|用《もち》ゐず、|友彦《ともひこ》が|襲来《しふらい》に|関《くわん》し、|何人《なにびと》より|聞《き》きしか|明《あきら》かに|申上《まをしあ》げよ』
|金州《きんしう》『ハイ|是非《ぜひ》に|及《およ》ばず|申上《まをしあ》げまする、|実《じつ》は……その……|何《なん》で|御座《ござ》います。|実《じつ》に|清公《きよこう》さまの……エー……|兎《と》も|角《かく》、マア……|一《ひと》つの|計略《けいりやく》ですな』
|鶴公《つるこう》『コリヤコリヤ|金州《きんしう》、|畏《おそれおほ》くも|女王様《ぢよわうさま》、|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》の|御前《ごぜん》なるぞ。|真面目《まじめ》に|謹《つつし》んで|答弁《たふべん》|致《いた》さぬか』
|金州《きんしう》『ハイ、おい|第二線《だいにせん》だ……|吟味《ぎんみ》が|斯《か》う|厳《きび》しうては|逃《に》げ|道《みち》がない。|貴様《きさま》の|雄弁《ゆうべん》を|以《もつ》て|其処《そこ》はそれ……|何々《なになに》してやつて|呉《く》れぬかい』
と|耳《みみ》に|口《くち》を|寄《よ》せ|囁《ささや》く。|銀州《ぎんしう》は|迷惑相《めいわくさう》な|顔《かほ》をし|乍《なが》ら|頭《あたま》を|掻《か》き、|一寸《ちよつと》|鶴公《つるこう》の|顔《かほ》を|見上《みあ》げ、
『エー、|何分《なにぶん》……|金州《きんしう》の|申《まを》した|通《とほ》り、|私《わたし》が|発起人《ほつきにん》で|御座《ござ》います。|然《しか》し|乍《なが》ら|神《かみ》の|奥《おく》には|奥《おく》があると|同様《どうやう》に、|発起人《ほつきにん》の|奥《おく》にも|奥《おく》が|御座《ござ》いまして……|如何《どう》もハツキリと|申上《まをしあ》げ|憎《にく》う|御座《ござ》います。|奥《おく》を|申上《まをしあ》げるのは|何《なん》だか|臆劫《おくくう》な|様《やう》で、|奥歯《おくば》に|物《もの》が|挟《はさ》まつた|様《やう》な|感《かん》が|致《いた》します。|怯《お》めず|臆《おく》せず、|記憶《きおく》に|存《ぞん》する|事《こと》は|臆面《おくめん》も|無《な》く|申上《まをしあ》ぐるが|順当《じゆんたう》では|御座《ござ》いまするが、|矢張《やつぱ》り、エー|何《なん》で|御座《ござ》いまする。|本当《ほんたう》の|事《こと》は|清公《きよこう》さまと|宇豆姫《うづひめ》さまの|関係《くわんけい》から|起《おこ》つた|問題《もんだい》ですから、|何卒《どうぞ》|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|宣《の》り|直《なほ》して|下《くだ》さいませ。|人《ひと》の|非《ひ》を|人《ひと》の|前《まへ》に|曝《さら》す|事《こと》は、|神様《かみさま》のお|戒《いまし》めに|背《そむ》くと|申《まを》すもの、|之《これ》ばかりはお|道《みち》の|精神《せいしん》を|守《まも》つて|沈黙《ちんもく》を|致《いた》しませう』
|鶴公《つるこう》『|汝等《なんぢら》|三人《さんにん》は|何事《なにごと》か|申《まを》し|合《あは》せ、|吾々《われわれ》を|嘲弄《てうろう》|致《いた》すのだなア』
|銀州《ぎんしう》『|滅相《めつさう》もない。|嘲弄《てうろう》と|言《い》へば|左守司様《さもりのかみさま》は【|長老《ちやうらう》】|臭《くさ》い。|貴方《あなた》が|地恩城《ちおんじやう》の【|長老《ちやうらう》】に|成《な》られるが|最後《さいご》、|吾々《われわれ》はお|払《はら》ひ|箱《ばこ》になるのは|定《きま》つた|事《こと》、【|長老《ちやうらう》】の|斧《をの》を|以《もつ》て|竜車《りうしや》に|向《むか》ふ|如《ごと》く|一《ひと》たまりも|御座《ござ》いますまい。それだから|実《じつ》の|処《ところ》は、|友彦《ともひこ》|襲来《しふらい》の|兆候《てうこう》ありと|仮想敵《かさうてき》を|作《つく》りスマートボール|其《その》|他《た》のヤンチヤ|連中《れんちう》は|城内《じやうない》より|追放《おつぽ》り|出《だ》し、|後《あと》に|清公《きよこう》さまを|純然《じゆんぜん》たる|唯一《ゆゐいつ》の|長老《ちやうらう》、|即《すなは》ち|宰相《さいしやう》たるの|実権《じつけん》を|握《にぎ》らせ、|言《い》ふと|済《す》まぬが、エー|右守神《うもりのかみ》の|何々《なになに》さまを|排斥《はいせき》しようと|言《い》ふ|吾々《われわれ》の|計略《けいりやく》で……はありませぬ。|畢竟《つまり》|夢《ゆめ》の|浮世《うきよ》の|夢《ゆめ》を|見《み》たばかりの|事《こと》、|吾々《われわれ》が|悪《あく》を|企《たく》んだのだとは|夢々《ゆめゆめ》|疑《うたが》うて|下《くだ》さいますな』
|鶴公《つるこう》『イヤ、もう|何《なに》も|聞《き》く|必要《ひつえう》は|無《な》い、|人《ひと》の|非《ひ》を|穿鑿《せんさく》する|吾々《われわれ》は|考《かんが》へも|無《な》いから、|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し|宣《の》り|直《なほ》して|置《お》きませう。……モーシ、|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》、|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》、|実《じつ》に|水禽《すゐきん》の|羽撃《はばた》きに|恐《おそ》れたる|平家《へいけ》の|軍勢《ぐんぜい》の|如《ごと》き|馬鹿《ばか》らしき|此《この》|騒《さわ》ぎ、いやもう|油断《ゆだん》のならぬ|世《よ》の|中《なか》で|御座《ござ》いますワイ』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|金《きん》、|銀《ぎん》、|鉄《てつ》の|言《い》ふ|事《こと》を|綜合《そうがふ》すれば、どうやら|左守神《さもりのかみ》の|清公《きよこう》が|張本人《ちやうほんにん》と|見《み》える。……|清公《きよこう》を|之《これ》へ|呼《よ》んで|来《き》なさい。|金州《きんしう》、サア|早《はや》く』
|金州《きんしう》『ハイ、お|言葉《ことば》で|御座《ござ》いまするが、|叔母《をば》の|死《し》んだも|直休《ぢきやす》み、|漸《やうや》く|内乱《ないらん》|鎮定《ちんてい》の|曙光《しよくわう》を|認《みと》めた|処《ところ》ですから、|少《すこ》し|休養《きうやう》を|願《ねが》つてお|使《つか》ひを|致《いた》しませう』
|鉄州《てつしう》『|実際《じつさい》の|事《こと》を|申《まを》しますれば、|清公《きよこう》さまは|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り、|実《じつ》に|立派《りつぱ》なお|方《かた》で|御座《ござ》います。ブランジーとして|実《じつ》に|申分《まをしぶん》なきお|方《かた》、|然《しか》し|乍《なが》らクロンバーが|無《な》ければ|陰陽《いんやう》|合致《がつち》|致《いた》さず、それが|為《ため》に|宇豆姫《うづひめ》さまをクロンバーの|位置《ゐち》に|据《す》ゑ|度《た》いと、|吾々《われわれ》|仲間《なかま》の|者《もの》は|内々《ないない》|運動《うんどう》を|開始《かいし》して|居《ゐ》ました。|処《ところ》が|肝腎《かんじん》の|宇豆姫《うづひめ》さまは|察《さつ》する|処《ところ》、|鶴公《つるこう》さまに|秋波《しうは》を|送《おく》り、ブランジーの|清公《きよこう》さまに、エツパツパを|喰《く》はさむとする|形勢《けいせい》ほの|見《み》えたれば、|何《なん》とか|事《こと》を|構《かま》へ、|右守神《うもりのかみ》|鶴公《つるこう》さまを|先頭《せんとう》に、スマートボール、|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》、チヤンキー、モンキー、|其《その》|他《た》の|連中《れんちう》を|城外《じやうぐわい》に|放《はう》り|出《だ》し、|城門《じやうもん》を|固《かた》く|鎖《とざ》し、|時《とき》を|移《うつ》さず|無理《むり》|往生《わうじやう》にしてでも|宇豆姫《うづひめ》さまをクロンバーの|役《やく》に|就《つ》かせ、|夫婦《ふうふ》|合衾《がふきん》の|式《しき》を|挙《あ》げさせ|度《た》いと|鳩首《きうしゆ》|凝議《ぎようぎ》の|結果《けつくわ》、|一寸《ちよつと》|狂言《きやうげん》を|致《いた》したに|過《す》ぎませぬ。|此《この》|暑《あつ》いのに|何百里《なんびやくり》もあるネルソン|山《ざん》の|彼方《かなた》|迄《まで》、|誰《たれ》が|偵察《ていさつ》に|参《まゐ》る|者《もの》がありませうぞ。|全《まつた》く|以《もつ》て|真赤《まつか》な|嘘言《うそ》で|御座《ござ》いました。|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》せと|言《い》ふ|神様《かみさま》の|御教《みをしへ》を|奉体《ほうたい》|遊《あそ》ばす|黄竜姫《わうりようひめ》さま、|人《ひと》をお|赦《ゆる》し|遊《あそ》ばす|慈愛《じあい》の|権化《ごんげ》、|滅多《めつた》にお|叱《しか》り|遊《あそ》ばす|様《やう》な、|天則違反的《てんそくゐはんてき》な|行為《かうゐ》には|出《で》られますまいから、|安心《あんしん》して|実状《じつじやう》を|申上《まをしあ》げました』
と|流石《さすが》|鉄面皮《てつめんぴ》の|鉄州《てつしう》も、|稍《やや》|羞恥《しうち》の|念《ねん》に|駆《か》られてか、|俯向《うつむ》いて|真赤《まつか》な|顔《かほ》をして|居《ゐ》る。
|蜈蚣姫《むかでひめ》『エーエー、しようもない|悪企《わるだく》みをして|此《この》|妾《わし》まで|心配《しんぱい》させ、|親子《おやこ》|喧嘩《げんくわ》までオツ|始《ぱじ》めさせた|太《ふと》い|奴《やつ》だ。……ナア|鶴公《つるこう》さま、|油断《ゆだん》も|隙《すき》もあつたものぢや|御座《ござ》いませぬなア』
|鶴公《つるこう》『お|言葉《ことば》の|通《とほ》り|実《じつ》に|寒心《かんしん》|致《いた》しました。|然《しか》し|乍《なが》ら|之《これ》|全《まつた》く|神様《かみさま》の|吾々《われわれ》に|対《たい》するお|気付《きづ》けでせう。|之《これ》に|鑑《かんが》み|今後《こんご》は、|人《ひと》の|言《い》ふ|事《こと》を|軽々《かるがる》しく【まる】|聞《ぎ》きしてはなりますまい』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|斯《か》く|事実《じじつ》の|判明《はんめい》した|上《うへ》は|何《なに》をか|言《い》はむ。|今日《こんにち》は|之《これ》にて|忘《わす》れて|遣《つか》はす。サア|妾《わたし》と|共《とも》に|神殿《しんでん》に|於《おい》て、|感謝《かんしや》|祈願《きぐわん》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》|致《いた》しませう』
と|先《さき》に|立《た》ち、|一同《いちどう》と|共《とも》に|神殿《しんでん》に|足音《あしおと》|静《しづか》に|進《すす》み|入《い》る。
(大正一一・七・七 旧閏五・一三 北村隆光録)
(昭和一〇・六・四 王仁校正)
第三章 |〓《いすか》の|恋《こい》〔七四九〕
|宇豆姫《うづひめ》『|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の |御言《みこと》|畏《かしこ》み|顕恩《けんおん》の
|郷《さと》に|現《あ》れます|梅子姫《うめこひめ》 |二八《にはち》の|春《はる》の|花盛《はなざか》り
|木《こ》の|花姫《はなひめ》の|一時《いちどき》に |匂《にほ》ひそめたる|唇《くちびる》を
|開《ひら》いて|宣《の》らす|三五《あななひ》の |神《かみ》の|大道《おほぢ》に|心《こころ》より
|麻柱《あなな》ひ|奉《まつ》りバラモンの |神《かみ》の|教《をしへ》を|振《ふ》り|捨《す》てて
|梅子《うめこ》の|姫《ひめ》の|侍女《じぢよ》となり |貴《うづ》の|教《をしへ》の|宇豆姫《うづひめ》と
|慈《いつく》しまれて|仕《つか》へ|居《ゐ》る |時《とき》しもあれや|太玉《ふとたま》の
|神《かみ》の|司《つかさ》の|宣伝使《せんでんし》 |顕恩郷《けんおんきやう》に|現《あ》れまして
|鬼雲彦《おにくもひこ》を|初《はじ》めとし |鬼熊別《おにくまわけ》や|其《その》|外《ほか》の
|拗《ねぢ》け|曲《まが》れる|枉人《まがびと》を |雲《くも》の|彼方《あなた》に|逐《お》ひ|払《はら》ひ
ここに|太玉神司《ふとだまかむづかさ》 |顕恩郷《けんおんきやう》に|三五《あななひ》の
|教《をしへ》の|射場《いば》を|建《た》て|給《たま》ひ |妾《わらは》は|各々《おのおの》|八乙女《やをとめ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》に|従《したが》ひて エデンの|園《その》に|臨《のぞ》まれし
|五十子《いそこ》の|姫《ひめ》や|梅子姫《うめこひめ》 |今子《いまこ》の|姫《ひめ》と|諸共《もろとも》に
|波斯《フサ》の|国原《くにはら》|彼方此方《あちこち》と |教《をしへ》を|伝《つた》ふ|折柄《をりから》に
バラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》 |片彦《かたひこ》|釘彦《くぎひこ》|其《その》|外《ほか》の
|枉《まが》の|司《つかさ》に|捕《とら》へられ |棚無小舟《たななしこぶね》に|乗《の》せられて
|荒波《あらなみ》|猛《たけ》る|海原《うなばら》に |押流《おしなが》されし|恐《おそ》ろしさ
|吾等《われら》|四人《よにん》は|皇神《すめかみ》の |救《すく》ひを|求《もと》めて|各自《めいめい》に
|天津祝詞《あまつのりと》を|宣《の》りつれば |万里《ばんり》の|波濤《はたう》も|恙《つつが》なく
|音《おと》に|名高《なだか》き|竜宮《りうぐう》の |黄金《こがね》の|島《しま》に|上陸《じやうりく》し
|小糸《こいと》の|姫《ひめ》と|諸共《もろとも》に |地恩《ちおん》の|郷《さと》に|現《あら》はれて
|三五教《あななひけう》の|大道《おほみち》に |仕《つか》へまつれる|折《をり》もあれ
|思《おも》ひがけなき|蜈蚣姫《むかでひめ》 |数多《あまた》の|供人《ともびと》|引《ひ》きつれて
|此処《ここ》に|現《あら》はれましましぬ |地恩《ちおん》の|城《しろ》は|日《ひ》に|月《つき》に
|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|加《くは》はりて |一度《いちど》に|開《ひら》く|兄《こ》の|花《はな》の
|匂《にほ》ふが|如《ごと》く|栄《さか》え|行《ゆ》く アヽさり|乍《なが》らさり|乍《なが》ら
|往《ゆ》く|手《て》に|塞《さや》る|恋《こひ》の|闇《やみ》 |千歳《ちとせ》の|松《まつ》の|鶴《つる》さまが
|月《つき》|照《て》る|夜半《よは》に|庭《には》の|面《おも》 |彷徨《さまよ》ひ|遊《あそ》ぶわが|姿《すがた》
|認《みと》めて|後《あと》より|抱《いだ》きつき |心《こころ》の|丈《たけ》を|繰返《くりかへ》し
|誘《いざな》ひ|給《たま》ふ|嬉《うれ》しさに |胸《むね》|轟《とどろ》きて|何《なん》となく
|河瀬《かはせ》の|鯉《こひ》の|一跳《ひとはね》に |昇《のぼ》り|詰《つ》めたる|吾《わ》が|恋路《こひぢ》
|水泡《みなわ》と|消《き》えて|跡《あと》もなく |云《い》ひ|寄《よ》る|術《すべ》も|泣《な》くばかり
|後《あと》に|至《いた》りて|吾《わが》|心《こころ》 |天《てん》を|仰《あふ》いで|悔《くや》めども
|心《こころ》の|中《なか》の|曲者《くせもの》に |取《と》り|挫《ひし》がれて|胸《むね》の|火《ひ》の
|消《き》ゆる|術《すべ》なき|苦《くる》しさよ |妾《わらは》が|心《こころ》を|白雪《しらゆき》の
|冷《つめ》たき|魔《ま》の|手《て》に|捉《とら》へられ |退引《のつぴき》ならぬ|言《こと》の|葉《は》に
|解《と》くる|由《よし》なき|冬《ふゆ》の|雪《ゆき》 |心《こころ》の|色《いろ》も|清公《きよこう》が
|左守神《さもりのかみ》を|笠《かさ》に|着《き》て |云《い》ひ|寄《よ》り|給《たま》ふ|苦《くる》しさよ
|情《つれ》なく|当《あた》りし|恋人《こひびと》に |詫《わ》びる|事《こと》さへ|口籠《くちごも》り
|心《こころ》の|悩《なや》みを|大空《おほぞら》の |月《つき》に|向《むか》つて|歎《かこ》つ|折《をり》
|又《また》もや|一《ひと》つの|影《かげ》|見《み》えて |吾《わが》|手《て》を|掴《つか》み|木下暗《こしたやみ》
|四辺《あたり》|憚《はばか》り|声《こゑ》ひそめ |吾《われ》は|清公《きよこう》ブランジー
|左守神《さもりのかみ》と|選《えら》ばれし |栄《さかえ》の|身《み》なれど|何時迄《いつまで》も
|一《ひと》つ|柱《ばしら》に|三五《あななひ》の |道《みち》を|支《ささ》へむ|事《こと》|難《かた》し
|汝《なんぢ》|宇豆姫《うづひめ》クロンバーの |神《かみ》の|司《つかさ》と|成《な》りなりて
|吾《わが》|身《み》と|共《とも》に|地恩城《ちおんじやう》 |三五教《あななひけう》の|神徳《しんとく》を
|天地《あめつち》|四方《よも》に|輝《かがや》かし |開《ひら》かば|如何《いか》にと|執拗《しつえう》に
|度重《たびかさ》なりし|口説《くどき》ごと |断《ことわ》る|力《ちから》もないじやくり
|神《かみ》に|任《まか》せし|身《み》の|上《うへ》は |如何《いか》なる|事《こと》の|来《きた》るとも
|覚悟《かくご》の|前《まへ》とは|云《い》ひながら |心《こころ》に|添《そ》はぬ|夫《つま》を|持《も》ち
|長《なが》き|月日《つきひ》を|送《おく》るより |一層《いつそう》|気楽《きらく》に|独身者《ひとりもの》
【やもめ】となりて|大神《おほかみ》の |教《をしへ》に|仕《つか》へまつらむと
|決心《けつしん》するはしたものの |清公《きよこう》さまの|矢《や》の|使《つか》ひ
|引《ひ》きてかやさぬ|桑《くは》の|弓《ゆみ》 |撥《はぢ》き|返《かへ》さむ|由《よし》も|無《な》く
|如何《いか》がはせむと|煩《わづら》ひつ |憂目《うきめ》を|忍《しの》ぶ|折《をり》もあれ
|金銀鉄《きんぎんてつ》の|三人《さんにん》は 【かたみ】に|妾《わらは》の|前《まへ》に|出《い》で
|左守神《さもりのかみ》の|妻《つま》たれと |言葉《ことば》|尽《つく》して|説《と》き|立《た》つる
|嗚呼《ああ》|如何《いか》にせむ|今《いま》の|吾《われ》 |千尋《ちひろ》の|海《うみ》に|身《み》を|投《な》げて
|此《この》|苦《くる》しみを|脱《のが》れむか |神《かみ》の|咎《とが》めを|如何《いか》にせむ
|千思万慮《せんしばんりよ》も|尽《つ》き|果《は》てて |今《いま》は|苦《くる》しき|板挟《いたばさ》み
|恋《こひ》しき|人《ひと》に|肱鉄《ひぢてつ》を |喰《く》はせて|御心《みこころ》|怒《いか》らせつ
|心《こころ》に|合《あ》はぬ|清公《きよこう》に |日《ひ》に|夜《よ》に|口説《くど》き|責《せ》められつ
|心《こころ》の|暗《やみ》も|知《し》らぬ|火《ひ》の |砕《くだ》けて|落《お》つる|吾《わが》|涙《なみだ》
|汲《く》む|人《ひと》もなき|地恩郷《ちおんきやう》 あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐《まし》まして |日夜《にちや》に|慕《した》ふ|鶴《つる》さまに
|夢《ゆめ》になりとも|吾《わが》|思《おも》ひ |伝《つた》へ|給《たま》へよ|三五《あななひ》の
|道《みち》を|守《まも》らす|須勢理姫《すせりひめ》 |神《かみ》の|命《みこと》の|御前《おんまへ》に
|心《こころ》を|清《きよ》めて|願《ね》ぎまつる |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|鶴公《つるこう》さまに|吾《わが》|思《おも》ひ |通《とほ》さにや|置《お》かぬ|桑《くは》の|弓《ゆみ》
|女《をんな》の|思《おも》ふ|真心《まごころ》は |岩《いは》をも|射貫《いぬ》くと|聞《き》くからは
|通《とほ》さざらめや|吾《わ》が|恋路《こひぢ》 |恋《こひ》し|恋《こひ》しと|朝宵《あさよひ》に
|積《つも》る|思《おも》ひの|恋《こひ》の|淵《ふち》 |浮《うか》ぶ|涙《なみだ》は|滝津瀬《たきつせ》の
|水《みづ》に|流《なが》してスクスクと |落《お》ち|行《ゆ》く|末《すゑ》は|海《わだ》の|原《はら》
|情《なさけ》も|深《ふか》き|恋《こひ》の|海《うみ》 |男波女波《をなみめなみ》を|乗《の》り|越《こ》えて
|棚無船《たななしぶね》に|梶《かぢ》を|取《と》り |太平洋《たいへいやう》の|彼方《かなた》まで
|互《たがひ》に|手《て》に|手《て》を|取《と》り|交《かは》し |真《まこと》の|神《かみ》の|御教《みをしへ》を
|開《ひら》かせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》 |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐《まし》ませよ』
と、|四辺《あたり》に|人《ひと》|無《な》きを|幸《さいは》ひ、|宇豆姫《うづひめ》は|述懐《じゆつくわい》の|歌《うた》を|歌《うた》つて|胸《むね》の|縺《もつ》れを|解《と》かむとして|居《ゐ》る。
|此処《ここ》へ|慌《あわただ》しく|駆来《かけきた》れるスマートボールは、
スマートボール『コレハコレハ|宇豆姫《うづひめ》|様《さま》、|御機嫌《ごきげん》は|如何《いかが》で|御座《ござ》います。|貴女《あなた》のお|顔《かほ》は|何処《どこ》となく|憂愁《いうしう》の|色《いろ》が|漂《ただよ》うて|居《を》るやうで|御座《ござ》います。|如何《いか》なる|事《こと》か|存《ぞん》じませぬが、スマートボールの|力《ちから》に|及《およ》ぶ|事《こと》ならば、|何《なん》なりと|仰《あふ》せ|下《くだ》さいませ』
と|出《だ》しぬけの|言葉《ことば》に、|宇豆姫《うづひめ》は|心《こころ》の|底《そこ》まで|見透《みす》かされたやうな|驚《おどろ》きと、|嬉《うれ》しさをもつてスマートボールに|向《むか》ひ、|赭《あか》らむ|顔《かほ》に|笑《ゑみ》を|湛《たた》へ、
|宇豆姫《うづひめ》『コレハコレハ|何方《どなた》かと|思《おも》へばスマートさまで|御座《ござ》いましたか。|御親切《ごしんせつ》によく|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいました。|余《あま》り|神様《かみさま》の|御神徳《ごしんとく》の|無限絶対《むげんぜつたい》なる|御仁慈《ごじんじ》を|思《おも》ひ|出《だ》し、|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|暮《く》れて|居《を》りました。|貴方《あなた》も|相変《あひかは》はらず|御壮健《ごさうけん》で|御神業《ごしんげふ》に|御奉仕《ごほうし》|遊《あそ》ばされ、|何《なに》よりも|結構《けつこう》で|御座《ござ》います』
スマートボール『ハイ、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|私《わたくし》が|唯今《ただいま》|参《まゐ》りましたのは|他《ほか》の|事《こと》では|御座《ござ》いませぬ。|貴女《あなた》に|折入《をりい》つてお|尋《たづ》ね|致《いた》したい|事《こと》が|御座《ござ》いますので、|失礼《しつれい》をも|顧《かへり》みず|唯《ただ》|一人《ひとり》、|男子《だんし》の|身《み》を|持《も》ち|乍《なが》ら|女《をんな》|御一人《おひとり》の|処《ところ》へ|参《まゐ》りました。|貴女《あなた》に|取《と》つては|嘸々《さぞさぞ》|御迷惑《ごめいわく》にお|感《かん》じなさるでせうが、|決《けつ》して|私《わたくし》は|不潔《ふけつ》な|心《こころ》を|持《も》つて、|女《をんな》|一人《ひとり》のお|居間《ゐま》をお|訪《たづ》ねしたのでは|御座《ござ》いませぬ。|何卒《なにとぞ》|悪《あし》からず|思召《おぼしめ》し|下《くだ》さいませ』
|宇豆姫《うづひめ》『スマートさま、|其《その》お|心遣《こころづか》ひは|御無用《ごむよう》にして|下《くだ》さいませ。|清廉潔白《せいれんけつぱく》にして、|信心《しんじん》|堅固《けんご》の|誉《ほまれ》|高《たか》き|貴方様《あなたさま》、|如何《どう》して|左様《さやう》な|事《こと》を|思《おも》ひませう。|誰《たれ》だつて|貴方《あなた》の|行動《かうどう》を|疑《うたが》ふ|者《もの》は|有《あ》りませぬから、お|気遣《きづか》ひなさいますな。|人間《にんげん》は|平生《へいぜい》の|行《おこな》ひが|肝腎《かんじん》です。|貴方《あなた》の|如《ごと》く|信用《しんよう》のある|方《かた》なれば、|何時《いつ》お|越《こ》し|下《くだ》さいましても|些《すこ》しも|苦《くる》しうは|御座《ござ》いませぬ』
スマートボール『ヤア、それで|安心《あんしん》|致《いた》しました。|私《わたくし》は|御存《ごぞん》じの|通《とほ》りの|周章者《あわてもの》、|円滑《ゑんくわつ》な|辞令《じれい》を|用《もち》ひて|遠廻《とほまは》しに|貴女《あなた》の|御意中《ごいちう》を|探《さぐ》る|様《やう》な|事《こと》は|到底《たうてい》|出来《でき》ませぬから、|唐突《たうとつ》|乍《なが》ら、|手《て》つ|取《と》り|早《ばや》くお|伺《うかが》ひ|致《いた》し|度《た》い|事《こと》が|有《あ》つて|参《まゐ》りました』
|宇豆姫《うづひめ》『|妾《わたし》に|対《たい》してお|尋《たづ》ねとは、それは|何《ど》う|云《い》ふ|事《こと》で|御座《ござ》いますか』
スマートボールは|頭《あたま》を|掻《か》き|乍《なが》ら、
『エー、|実《じつ》は………』
と|云《い》ひ|悪《にく》さうにモジモジして|居《ゐ》たが、|斯《か》くてはならじと|腹《はら》を|据《す》ゑ、
『|宇豆姫《うづひめ》さま………』
と|改《あらた》まつたやうな|口調《くてう》で|切《き》り|出《だ》した。
|宇豆姫《うづひめ》『ハイ』
スマートボール『|貴女《あなた》の|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り、|此《この》|地恩城《ちおんじやう》も|三五教《あななひけう》の|大神《おほかみ》の|御神徳《ごしんとく》にて|日《ひ》に|月《つき》に|栄《さか》え、|国民《こくみん》は|其《その》|徳《とく》に|悦服《えつぷく》し、|天下《てんか》|泰平《たいへい》に|治《をさ》まり、|其《その》|上《うへ》|素盞嗚大神《すさのをのおほかみ》|様《さま》の|御娘子《おんむすめご》、|梅子姫《うめこひめ》|様《さま》を|初《はじ》め|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》の|御母上《おんははうへ》まで、|黄竜姫《わうりようひめ》|女王《ぢよわう》の|神務《しんむ》を|内助《ないじよ》され、|地恩城《ちおんじやう》の|組織《そしき》は|稍《やや》|完全《くわんぜん》に|定《さだ》まりましたのは、お|互《たがひ》に|大慶《たいけい》の|至《いた》りで|御座《ござ》います。|就《つ》きましては、|今迄《いままで》|教務《けうむ》に|老練《らうれん》なる|高山彦《たかやまひこ》|様《さま》がブランジーの|職《しよく》に|就《つ》かせ|給《たま》ひ、|黒姫《くろひめ》|様《さま》はクロンバーのお|役《やく》を|遊《あそ》ばし、|夫婦《ふうふ》|息《いき》を|合《あは》して|陰陽《いんやう》|合体《がつたい》の|神務《しんむ》に|従事《じうじ》されて|来《き》ましたが、|御両人《ごりやうにん》が|当城《たうじやう》を|出立《しゆつたつ》|遊《あそ》ばしてより、|清公様《きよこうさま》が|左守神《さもりのかみ》としてブランジーの|職《しよく》を|継《つ》がせられ、|大変《たいへん》に|吾々《われわれ》|迄《まで》が|喜《よろこ》んで|居《を》りまする。|就《つい》てはクロンバーとして|奥様《おくさま》を|迎《むか》へねばなりませぬが、|一寸《ちよつと》|人々《ひとびと》の|噂《うはさ》を|聞《き》けば、|貴女様《あなたさま》が|清公《きよこう》さまの|妻《つま》となり、クロンバーの|職《しよく》をお|継《つ》ぎ|下《くだ》さるとの|事《こと》、|吾々《われわれ》は|是《これ》を|聞《き》いて|衷心《ちうしん》より|歓喜《くわんき》の|涙《なみだ》に|打《う》たれました。|併《しか》し|乍《なが》ら|人《ひと》の|噂《うはさ》は|当《あて》にはなりませぬ。それ|故《ゆゑ》|失礼《しつれい》|乍《なが》ら、|直接《ちよくせつ》|貴女様《あなたさま》にお|目《め》にかかつて|御意中《ごいちう》を|承《うけたま》はらむとお|尋《たづ》ね|致《いた》した|次第《しだい》で|御座《ござ》います。|何卒《なにとぞ》|御腹蔵《ごふくざう》なく|私《わたくし》|迄《まで》お|漏《も》らし|下《くだ》さいますまいか』
|宇豆姫《うづひめ》はさも|迷惑《めいわく》さうな|顔《かほ》をしながら、
『|左様《さやう》な|事《こと》、|何方《どなた》にお|聞《き》きなさいましたか。ほんに|嫌《いや》な|事《こと》で|御座《ござ》いますな』
『イヤ|誠《まこと》に|恐《おそ》れ|入《い》ります。|失礼《しつれい》な|事《こと》をお|尋《たづ》ね|致《いた》しました。|併《しか》し|貴女《あなた》として、まさか……さう……ハツキリと、|左様《さやう》だと|云《い》ふ|事《こと》は|仰有《おつしや》り|悪《にく》いでせう。|其処《そこ》は|人情《にんじやう》ですから、|矢張《やつぱり》……ヤア|分《わか》りました。さうすると|貴女《あなた》の|御精神《ごせいしん》は、クロンバーの|職《しよく》にお|就《つ》き|下《くだ》さるお|覚悟《かくご》と|拝察《はいさつ》|致《いた》します。|何卒《どうぞ》|私《わたくし》のやうな|愚者《おろかもの》なれど、|末長《すゑなが》く|可愛《かあい》がつて|下《くだ》さいませ』
|宇豆姫《うづひめ》は|周章《あわて》て、
『モシモシ、スマートさま、|滅相《めつさう》な|事《こと》|仰有《おつしや》いますな。|妾《わたし》は|清公《きよこう》さまの|妻《つま》にならうなぞとは|夢《ゆめ》にも|思《おも》つた|事《こと》は|御座《ござ》いませぬ。|何卒《どうぞ》|誤解《ごかい》の|無《な》きやうにお|願《ねが》ひ|致《いた》します』
スマートボール『さうすると|貴女《あなた》はモウ|好《よ》い|年頃《としごろ》、|何処《どこ》までも|独身《どくしん》|生活《せいくわつ》を|遊《あそ》ばすお|考《かんが》へですか』
|宇豆姫《うづひめ》『ハイ……イヽエ』
とモガモガする。
スマートボール『ハヽヽヽヽ、|流石《さすが》は|乙女心《をとめごころ》の|恥《はづ》かしさ、ハツキリと|仰有《おつしや》らぬワイ。|三月《さんぐわつ》の|壬生菜《みぶな》と|同《おな》じぢやないが、【|仕《し》たし】|怖《こは》しと|云《い》ふ|所《とこ》ぢやな』
|宇豆姫《うづひめ》『オホヽヽヽ、|好《い》い|加減《かげん》な|当《あ》て|推量《すゐりやう》は|止《や》めて|下《くだ》さいませ。|妾《わたし》はまだ|外《ほか》に……』
スマートボール『エヽ、あなたはまだ|外《ほか》にと|仰有《おつしや》つたが、|其《その》|次《つぎ》を|続《つづ》けて|下《くだ》さいませな』
|宇豆姫《うづひめ》『|厭《いや》なこと、|好《い》い|加減《かげん》に|堪忍《こらへ》て|下《くだ》さいな』
スマートボール『イエイエ、|貴女《あなた》の|一身上《いつしんじやう》の|大事《だいじ》は|申《まを》すも|更《さら》なり、|本城《ほんじやう》に|取《と》つて|重大《ぢうだい》な|問題《もんだい》ですから、|何卒《どうぞ》ハツキリと|私《わたくし》|迄《まで》|云《い》つて|下《くだ》さいませ』
|宇豆姫《うづひめ》『|妾《わたし》は|嫌《いや》で|御座《ござ》います』
スマートボール『これは|迷惑《めいわく》、|決《けつ》して|私《わたくし》は|貴女《あなた》に|対《たい》して|野心《やしん》は|持《も》つて|居《を》りませぬ。|又《また》|私《わたくし》のやうな|軽薄《けいはく》な|人間《にんげん》は|嫌《いや》と|仰有《おつしや》るのは|当然《たうぜん》です』
|宇豆姫《うづひめ》『さう|悪《わる》く|気《き》を|廻《まは》して|貰《もら》つては|困《こま》りますよ。|決《けつ》して|決《けつ》してスマートさま、|貴方《あなた》を|嫌《きら》ひと|云《い》つたのぢや|御座《ござ》いませぬ』
スマートボール『ハテ、|合点《がてん》のゆかぬ。さうすると|権要《けんえう》の|地位《ちゐ》にあるブランジーの|清公様《きよこうさま》を|嫌《きら》ひと|仰有《おつしや》るのですか』
|宇豆姫《うづひめ》『ハイ、|仮令《たとへ》|天地《てんち》が|覆《かへ》るとも、|絶対《ぜつたい》に|嫌《いや》で|御座《ござ》います』
と|思《おも》ひ|切《き》つたやうに、ハツキリと|云《い》うて|退《の》けた。
スマートボール『ハテナ、|実際《じつさい》|当《あた》つて|見《み》なくては|分《わか》らぬものだ。|人《ひと》の|噂《うはさ》と|薩張《さつぱ》り|裏表《うらおもて》だ』
と|呟《つぶや》く。
|宇豆姫《うづひめ》『どんな|噂《うはさ》が|立《た》つて|居《を》りますかなア』
スマートボール『|余《あま》り|貴女《あなた》に|対《たい》して|気《き》の|毒《どく》だから、もう|云《い》ひますまい』
|宇豆姫《うづひめ》『チツとも|構《かま》ひませぬから|云《い》うて|下《くだ》さいませ。お|願《ねが》ひで|御座《ござ》います』
スマートボール『|城内《じやうない》の|噂《うはさ》では、|貴女《あなた》はあれだけ|人気《にんき》のある|鶴公《つるこう》さまを|蛇蝎《だかつ》の|如《ごと》く|忌《い》み|嫌《きら》ひ、|権要《けんえう》の|地位《ちゐ》にある|左守神《さもりのかみ》の|清公《きよこう》さまに|秋波《しうは》を|送《おく》り、|非常《ひじやう》に|御熱心《ごねつしん》だと|云《い》ふ|噂《うはさ》が|立《た》つて|居《を》りますよ。|蓼喰《たでく》ふ|虫《むし》も|好《す》き|好《ず》きとやら、|何程《なにほど》|地位《ちゐ》が|高《たか》くても、あれだけ|大勢《おほぜい》の|者《もの》が|忌《い》み|嫌《きら》ふ|清公《きよこう》さまに|電波《でんぱ》をお|送《おく》り|遊《あそ》ばすとは、|貴女《あなた》の|日頃《ひごろ》の|立派《りつぱ》なお|心《こころ》に|照《て》り|合《あは》して、|些《すこ》しも|合点《がつてん》が|参《まゐ》らぬと|思《おも》うて|居《を》りました。|併《しか》し|乍《なが》ら、|今《いま》|仰有《おつしや》つたお|言葉《ことば》が|真実《しんじつ》としますれば、|何事《なにごと》も|氷解《ひようかい》|致《いた》しました』
|宇豆姫《うづひめ》『ハイ、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います』
スマートボール『|貴女《あなた》は|意中《いちう》の|人《ひと》があれば、|女房《にようばう》におなりなさるのでせうな、|神《かみ》の|道《みち》は|女《をんな》としては|夫《をつと》を|持《も》つのが|本当《ほんたう》です。|何卒《どうぞ》|私《わたくし》に|包《つつ》まず|匿《かく》さず|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいませ。どんな|斡旋《あつせん》でも|致《いた》しますから』
|宇豆姫《うづひめ》『ハイ、|有《あ》り|難《がた》う|御座《ござ》います。|何《ど》うも|不束《ふつつか》な|妾《わたし》、|何程《なにほど》|此方《こちら》から|恋《こひ》しい|意中《いちう》の|人《ひと》があつても、|先方様《むかふさま》にそれ|丈《だ》けのお|心《こころ》が|無《な》ければ、|到底《たうてい》|末《すゑ》が|遂《と》げられませぬから、マア|今《いま》の|処《ところ》、|妾《わたし》の|夫《をつと》になつて|下《くだ》さると|云《い》ふ|人《ひと》は|御座《ござ》いますまい。|妾《わたし》の|好《よ》いと|思《おも》ふ|方《かた》は|先方《むかう》からエツパツパーとお|出《で》かけ|遊《あそ》ばすだらうし、|先方様《むかふさま》から|妾《わたし》をお|望《のぞ》み|下《くだ》さる|方《かた》に|限《かぎ》つて|妾《わたし》の|方《はう》から|虫《むし》が|好《す》かず、|何《ど》うも|思《おも》ふやうに|行《ゆ》かないものです。|何《なん》と|云《い》つても|長《なが》い|一生《いつしやう》の|間《あひだ》|暮《くら》さねばならぬ|夫婦《ふうふ》の|間柄《あひだがら》、|気《き》の|合《あ》はぬお|方《かた》と|一生《いつしやう》|暮《くら》すのは|不快《ふくわい》で|堪《たま》りませぬ。|女《をんな》は|夫《をつと》に|絶対《ぜつたい》|服従《ふくじゆう》すべきものだと|云《い》ひますが、|妾《わたし》としては|些《すこ》しく|道理《だうり》に|合《あ》はない|様《やう》に|思《おも》ひます。|夫《をつと》が|如何《いか》なる|事《こと》を|云《い》つても、|妻《つま》として|絶対《ぜつたい》|服従《ふくじゆう》を|強《しひ》らるるのは|残酷《ざんこく》です。|夫婦《ふうふ》は|互《たがひ》に|意見《いけん》を|交換《かうくわん》し、|相携《あひたづさ》へて|行《ゆ》かねばならぬもの、|然《しか》るに|世間《せけん》の|夫婦《ふうふ》を|見《み》ますると、|女房《にようばう》は|殆《ほとん》ど|夫《をつと》の|奴隷《どれい》か、|玩弄物《おもちや》のやうな|扱《あつか》ひを|受《う》け、|夫《をつと》が|何《ど》んな|不始末《ふしまつ》な|事《こと》を|致《いた》しても、|妻《つま》として|是《これ》を|云々《うんぬん》する|権利《けんり》もなく、まさか|違《ちが》へば|髻《たぶさ》を|掴《つか》んで|打《う》ち|打擲《ちやうちやく》をされ、|不貞腐《ふてくさ》れ|女《をんな》、|不柔順《ふじうじゆん》な|妻《つま》と|無理《むり》やりに|醜名《しうめい》を|着《き》せられ|実《じつ》に|無告《むこく》の|民《たみ》も|同様《どうやう》で|御座《ござ》いますから、|妾《わたし》は|夫《をつと》を|持《も》つならば、この|間《かん》の|消息《せうそく》をよく|弁《わきま》へた、|物事《ものごと》のよく|分《わか》つた|方《かた》と|夫婦《ふうふ》になり、|円満《ゑんまん》なホームを|作《つく》り、|神界《しんかい》の|御用《ごよう》に|面白《おもしろ》く|嬉《うれ》しく、|潔《いさぎよ》く|奉仕《ほうし》する|事《こと》の|出来《でき》る|夫《をつと》を|持《も》ち|度《た》う|御座《ござ》います。|男女《だんぢよ》|同権《どうけん》と|云《い》つて、|男子《だんし》も|女子《ぢよし》も|同《おな》じ|神《かみ》の|分霊《わけみたま》、どちらも|無《な》ければなりませぬもの、|然《しか》るに|夫婦《ふうふ》となれば、|最早《もはや》|同権《どうけん》ではありませぬ。|夫唱婦随《ふしやうふずゐ》と|云《い》つて|夫《をつと》によく|仕《つか》へ、|何事《なにごと》にも|服従《ふくじう》するのが|妻《つま》たるの|道《みち》、|併《しか》し|乍《なが》ら|無理解《むりかい》な|夫《をつと》に|無理難題《むりなんだい》を|強《しひ》られ、|夫《をつと》の|権利《けんり》を|振《ふ》りまはされては|不快《ふくわい》で|耐《たま》りませぬから、|心《こころ》の|底《そこ》より|妻《つま》の|境遇《きやうぐう》を|憐《あは》れみ、|同情心《どうじやうしん》をもつて|添《そ》うて|下《くだ》さる|夫《をつと》が|持《も》ち|度《た》いので|御座《ござ》います』
スマートボール『|成《な》る|程《ほど》、|承《うけたま》はれば|御尤《ごもつと》も|千万《せんばん》だ。|吾々《われわれ》は|未《ま》だ|妻《つま》を|持《も》つた|事《こと》もなし、|夫婦《ふうふ》の|味《あぢ》は|知《し》りませぬが、|女《をんな》の|心理《しんり》|状態《じやうたい》はそんなもので|御座《ござ》いますかなア。ヤアもう|承《うけたま》はつて|人情《にんじやう》の|機微《きび》を|窺《うかが》ふ|事《こと》が|出来《でき》ました。|併《しか》し|貴女《あなた》の|最前《さいぜん》のお|言葉《ことば》に、|意中《いちう》の|人《ひと》は|先方《むかう》から|応《おう》じない……との|意味《いみ》を|漏《も》れ|承《うけたま》はりましたが、|意中《いちう》の|方《かた》と|云《い》ふのは|何方《どなた》で|御座《ござ》いますか』
|宇豆姫《うづひめ》『ハイ……』
と|云《い》つて|俯《うつむ》いた|儘《まま》、|顔《かほ》を|匿《かく》す。
スマートボール『|貴女《あなた》、|意中《いちう》の|人《ひと》にエツパツパーをやられた|時《とき》のお|心持《こころもち》は、どんなにありましたかな。|女《をんな》の|心《こころ》も、|男《をとこ》の|心《こころ》も|同《おな》じ|事《こと》、|意中《いちう》の|女《をんな》に|撥《はぢ》かれた|男《をとこ》は、|層一層《そういつそう》|残念《ざんねん》なものですよ。|七尺《しちしやく》の|男子《だんし》が|女《をんな》の|為《ため》に|肱鉄《ひぢてつ》を|喰《く》はされ、|天地《てんち》の|神《かみ》に|対《たい》して|合《あは》す|顔《かほ》が|無《な》いと|云《い》うて、|庭先《にはさき》の|松《まつ》で、|首《くび》を|吊《つ》らうとした|立派《りつぱ》な|男《をとこ》がありますよ。|併《しか》もその|男《をとこ》は|貴女《あなた》に|撥《はぢ》かれて……』
|宇豆姫《うづひめ》『エヽ|何《なん》と|仰《あふ》せられます。|妾《わたし》に|撥《はぢ》かれて|首《くび》を|吊《つ》りかけたとは、それは|本当《ほんたう》の|事《こと》で|御座《ござ》いますか』
スマートボール『|白《しら》ばくれ|遊《あそ》ばしてはいけませぬ。|現《げん》に|貴女《あなた》は|撥《はぢ》いたぢやありませぬか。|撥《はぢ》かれた|男《をとこ》は|此《こ》の|庭先《にはさき》の|松《まつ》で、プリン プリンと|空中《くうちう》|活動《くわつどう》を|開始《かいし》して|居《ゐ》た。|私《わたくし》はフト|通《とほ》り|合《あは》せて、|驚《おどろ》いて|命《いのち》を|救《すく》つた|哀《あは》れな|男《をとこ》が|御座《ござ》います』
|宇豆姫《うづひめ》『エヽ……』
と|云《い》つた|限《き》り、|又《また》|俯《うつむ》く。
スマートボール『|貴女《あなた》は|右守神《うもりのかみ》|鶴公《つるこう》さまを|月《つき》|照《て》る|夜半《よは》に、|素気《すげ》なくも|蜂《はち》を|払《はら》ふやうな|目《め》に|遇《あ》はせ、|恥《はぢ》を|掻《か》かせたのでせう、|其《その》|男《をとこ》が|寝《ね》ても|覚《さ》めても|貴女《あなた》の|事《こと》を|思《おも》ひ|詰《つ》め、|此《この》|頃《ごろ》は|貴女《あなた》が|清公《きよこう》さまの|女房《にようばう》になられるとの|噂《うはさ》を|聞《き》き、|真実《ほんと》に|可憐《かはい》さうに、|大悲観《だいひくわん》の|極《きよく》に|落《お》ちて|居《ゐ》ますよ。|貴女《あなた》も|余《よ》つ|程《ぽど》|罪《つみ》な|方《かた》ですな』
|宇豆姫《うづひめ》『エヽ、あの|鶴公《つるこう》さまが、そんなに|御熱心《ごねつしん》でゐらつしやるので|御座《ござ》いますか』
スマートボール『|貴女《あなた》のお|嫌《きら》ひな|鶴公《つるこう》さまが、そこ|迄《まで》|執着《しふちやく》があるとお|聞《き》きになつては、|聊《いささ》か|御迷惑《ごめいわく》でせうな』
|宇豆姫《うづひめ》『|何《ど》うして|何《ど》うして|御勿体《ごもつたい》ない。|妾《わたし》はあんなお|方《かた》に、|仮令《たとへ》|半時《はんとき》なりとも|添《そ》うて|見《み》たう|御座《ござ》いますワ』
と|真赤《まつか》な|顔《かほ》をして、|思《おも》ひ|切《き》つたやうに|云《い》ひ|放《はな》ち、クレツと|後《うしろ》を|向《む》き|顔《かほ》を|匿《かく》した。
スマートボール『ヤア、それでやつと|安心《あんしん》しました。|流石《さすが》は|貴女《あなた》お|目《め》がよう|利《き》きます。|恋《こひ》も|其処《そこ》|迄《まで》ゆけば|神聖《しんせい》ですよ。|屹度《きつと》|私《わたくし》がお|力《ちから》になつて|此《この》|恋《こひ》を|叶《かな》へさせますから、|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
|宇豆姫《うづひめ》『…………』
|斯《か》かる|所《ところ》へ、|金《きん》、|銀《ぎん》、|鉄《てつ》の|三人《さんにん》を|従《したが》へ|入《い》り|来《きた》つた|黄竜姫《わうりようひめ》は、|言葉《ことば》|静《しづか》に、
『|宇豆姫《うづひめ》|様《さま》、……ヤア|貴方《あなた》はスマートボールさま、|御都合《ごつがふ》の|悪《わる》い|所《ところ》に|参《まゐ》つたのではありますまいかな。お|話《はなし》が|御座《ござ》いますれば、|暫《しばら》く|彼方《あちら》に|控《ひか》へて|御遠慮《ごゑんりよ》|致《いた》しますから、|御両人《ごりやうにん》、お|話《はなし》を|済《す》ませて|下《くだ》さい。|妾《わたし》は|次《つぎ》の|間《ま》に|控《ひか》へてお|待《ま》ち|申《まを》して|居《を》ります』
|此《この》|言葉《ことば》を|聞《き》いた|宇豆姫《うづひめ》は|容《かたち》を|改《あらた》め、|襟《えり》を|正《ただ》し、|座《ざ》を|立《た》つて|下座《げざ》に|坐《すわ》り、
|宇豆姫《うづひめ》『コレハコレハ、|女王様《ぢよわうさま》、よくこそ|被入《いら》せられました。どうぞ|此方《こちら》へ|御着座《ごちやくざ》|下《くだ》さいませ』
|黄竜姫《わうりようひめ》『|左様《さやう》なれば|着座《ちやくざ》|致《いた》しませう。|時《とき》に|宇豆姫《うづひめ》|様《さま》、|貴女《あなた》に|折入《をりい》つて|申上《まをしあ》げ|度《た》い|事《こと》が|御座《ござ》いますから、……スマートボール、|暫《しばら》く|席《せき》をお|外《はづ》し|下《くだ》さい。|金《きん》、|銀《ぎん》、|鉄《てつ》の|三人《さんにん》も|暫《しば》し|遠慮《ゑんりよ》|召《め》されや』
スマートボールは、
『ハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました』
と|素直《すなほ》に|此《この》|場《ば》を|立《た》ち|退《の》いた。|三人《さんにん》も|次《つぎ》の|間《ま》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。|暫《しばら》く|両人《りやうにん》の|間《あひだ》には|沈黙《ちんもく》の|幕《まく》が|下《お》りた。|屋外《をくぐわい》には|嵐《あらし》の|音《おと》|轟々《がうがう》と|鳴《な》り|渡《わた》り、|庭園《ていえん》に|咲《さ》き|乱《みだ》れたる|花弁《はなびら》を|惜気《をしげ》もなく|散《ち》らして|居《ゐ》る。|晃々《くわうくわう》たる|太陽《たいやう》の|光《ひかり》は|戸《と》の|隙間《すきま》より|細《ほそ》く|長《なが》く|線《せん》を|引《ひ》き、|煙《けむり》のやうな|塵埃《ごみ》がモヤモヤと|飛散《ひさん》して|居《を》るのが、キラキラと|日光《につくわう》に|輝《かがや》いて|不知火《しらぬひ》の|如《ごと》く|見《み》えて|居《ゐ》る。
|黄竜姫《わうりようひめ》『モシ|宇豆姫《うづひめ》さま、|御覧《ごらん》|遊《あそ》ばせ。|斯《かく》の|如《ごと》く|咲《さ》き|乱《みだ》れたる|百《もも》の|花《はな》に|向《むか》うて、|日天様《につてんさま》が|晃々《くわうくわう》と|輝《かがや》きたまふにも|関《かか》はらず、|雲《くも》も|無《な》きに|暴風《あらし》|吹《ふ》き|荒《すさ》み、|落花狼藉《らくくわらうぜき》、|庭《には》の|面《も》は|一面《いちめん》に|花蓆《はなむしろ》を|敷《し》き|詰《つ》めたやうでは|御座《ござ》いませぬか。|実《げ》に|花《はな》|永久《とこしへ》に|梢《こずゑ》に|止《とど》まらむとすれど|嵐《あらし》|来《きた》つて|是《これ》を|散《ち》らす。|樹木《じゆもく》|静《しづか》ならむとすれど|風《かぜ》|止《や》まず、|子《こ》|養《やしな》はむとすれども|親《おや》|待《ま》たずとかや、|世《よ》の|中《なか》は|或《ある》|程度《ていど》|迄《まで》は、|吾々《われわれ》|人間《にんげん》の|自由《じいう》には|成《な》らぬもので|御座《ござ》いますな。|夫婦《ふうふ》の|道《みち》だとて|同《おな》じ|事《こと》、|自分《じぶん》の|添《そ》ひ|度《た》いと|思《おも》ふ|夫《をつと》に|添《そ》へなかつたり、|自分《じぶん》の|嫌《いや》で|耐《たま》らぬ|男《をとこ》に|一生《いつしやう》を|任《まか》さねばならぬ|事《こと》は、まま|世界《せかい》にある|習《なら》ひで|御座《ござ》います。|何事《なにごと》も|天地《てんち》の|間《あひだ》に|生《うま》れた|以上《いじやう》は、|神様《かみさま》の|大御心《おほみこころ》に|任《まか》し、|何《ど》う|成《な》り|行《ゆ》くのも|因縁《いんねん》と|諦《あきら》めて|我《が》を|出《だ》さぬのが|天地《てんち》の|親神様《おやがみさま》に|対《たい》して、|孝行《かうかう》と|申《まを》すものでは|御座《ござ》いますまいか』
と|遠廻《とほまは》しに|網《あみ》を|張《は》つて|居《ゐ》る。|其《その》|言葉《ことば》を|早《はや》くも|感《かん》づいた|宇豆姫《うづひめ》は、ハツと|胸《むね》を|躍《をど》らせ|乍《なが》ら|素知《そし》らぬ|顔《かほ》にて、
|宇豆姫《うづひめ》『|女王様《ぢよわうさま》の|仰《あふ》せの|通《とほ》り、|世《よ》の|中《なか》は|人間《にんげん》の|勝手《かつて》にはならぬもので|御座《ござ》います』
と|僅《わづか》に|応酬《おうしう》した。
|黄竜姫《わうりようひめ》『|今《いま》|改《あらた》めて|黄竜姫《わうりようひめ》が、|宇豆姫《うづひめ》に|申《まを》し|渡《わた》す|事《こと》が|御座《ござ》います』
と|儼然《げんぜん》として|立《た》ち|上《あが》り、|最《もつと》も|荘重《さうちよう》な|厳格《げんかく》な|口調《くてう》にて、
|黄竜姫《わうりようひめ》『|此《この》|地恩城《ちおんじやう》は、|清公《きよこう》を|以《もつ》て|左守神《さもりのかみ》と|神定《かむさだ》め、ブランジーの|職《しよく》を|授《さづ》けたる|事《こと》は、|和女《そなた》の|既《すで》に|知《し》らるる|所《ところ》、|就《つい》てはクロンバーとして|和女《そなた》を|清公《きよこう》が|妻《つま》に|定《さだ》めまする。|黄竜姫《わうりようひめ》の|申《まを》す|事《こと》、よもや|違背《ゐはい》はありますまい。サア|直様《すぐさま》|御返事《ごへんじ》を|承《うけたま》はりませう』
|宇豆姫《うづひめ》は|胸《むね》に|警鐘《けいしよう》|乱打《らんだ》の|響《ひび》き、|地異天変《ちいてんぺん》|突発《とつぱつ》せし|狼狽《うろた》へ|方《かた》をジツと|耐《こら》へ、さあらぬ|態《てい》にて|胸《むね》|撫《な》で|下《おろ》し、
|宇豆姫《うづひめ》『ハイ、|有《あ》り|難《がた》う|御座《ござ》います。|不束《ふつつか》な|妾《わたし》の|如《ごと》き|者《もの》を、|勿体《もつたい》|無《な》くもクロンバーの|位置《ゐち》に|据《す》ゑ、|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|驍名《げうめい》|隠《かく》れ|無《な》き|清公様《きよこうさま》の|妻《つま》にお|定《さだ》め|下《くだ》さいました|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|思召《おぼしめ》し、|早速《さつそく》お|受《うけ》|致《いた》しますのが|本意《ほんい》では|御座《ござ》いますが、|何卒《どうぞ》|暫《しばら》く|御猶予《ごいうよ》を|下《くだ》さいませ。|熟考《じゆくかう》した|上《うへ》で|御返事《ごへんじ》を|致《いた》しませう』
|黄竜姫《わうりようひめ》『|黄竜姫《わうりようひめ》が|心《こころ》を|籠《こ》めた|夫婦《ふうふ》の|結婚《けつこん》、|一時《いちじ》も|早《はや》く|良《よ》き|返事《へんじ》をして|下《くだ》されや』
|宇豆姫《うづひめ》『ハイ、|兎《と》も|角《かく》も|熟考《じゆくかう》の|上《うへ》|御返事《ごへんじ》を|致《いた》しませう』
|黄竜姫《わうりようひめ》は|些《すこ》しく|言葉《ことば》を|強《つよ》め、
|黄竜姫《わうりようひめ》『もはや|熟考《じゆくかう》の|余地《よち》は|有《あ》りますまい。|神様《かみさま》の|為《た》め、お|道《みち》の|為《た》め、|身命《しんめい》を|捧《ささ》げた|貴女《あなた》、|仮令《たとへ》|少々《せうせう》お|気《き》に|足《た》らぬ|所《ところ》があつても、|其処《そこ》を|耐《た》へ|忍《しの》ぶのが|三五《あななひ》の|道《みち》の|教《をし》ゆる|所《ところ》、|必《かなら》ず|必《かなら》ずお|取《と》り|違《ちが》ひのないやうに……』
と|退《の》つぴきならぬ|釘鎹《くぎかすがい》、|進退《しんたい》|維谷《これきは》まつた|宇豆姫《うづひめ》は、|何《なん》の|答《こたへ》も【ないじやくり】、|涙《なみだ》を|呑《の》み|込《こ》む|哀《あは》れさよ。
|黄竜姫《わうりようひめ》『|一時《ひととき》の|猶予《いうよ》を|致《いた》しまする。|其《その》|間《あひだ》に|良《よ》く|熟考《じゆくかう》をなさいませ。|本末《ほんまつ》|自他《じた》|公私《こうし》の|大道《だいだう》を|誤《あやま》らないように、|呉《く》れ|呉《ぐ》れも|注意《ちうい》して|置《お》きます』
と|又《また》|一《ひと》つ|千引《ちびき》の|岩《いは》の|重石《おもし》をかけられ、|宇豆姫《うづひめ》は、|煩悶《はんもん》|苦悩《くなう》の|極《きよく》に|達《たつ》し、|慄《ふる》い|声《ごゑ》になつて、
|宇豆姫《うづひめ》『|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》の|御親切《ごしんせつ》、|有《あ》り|難《がた》う|存《ぞん》じます。|暫《しばら》くの|御猶予《ごいうよ》をお|願《ねが》ひ|致《いた》します』
と|僅《わづか》に|口《くち》を|切《き》つた。|黄竜姫《わうりようひめ》は|莞爾《につこ》としてこの|場《ば》を|悠々《いういう》と|立《た》ち|去《さ》る。
|後《あと》に|宇豆姫《うづひめ》|唯《ただ》|一人《ひとり》、|夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|幻《まぼろし》か、|夢《ゆめ》ならば|早《はや》く|覚《さ》めよと、とつおいつ、|思案《しあん》に|暮《く》れて|居《ゐ》たりしが、
|宇豆姫《うづひめ》『|嗚呼《ああ》|矢張《やつぱり》|夢《ゆめ》ではない。アヽ|何《ど》うしようぞ。|何《ど》うして|是《これ》が|耐《た》へられよう。|神様《かみさま》の|御為《おんため》、お|道《みち》の|為《ため》とは|云《い》ひながら、|妾《わたし》|程《ほど》|因果《いんぐわ》なものが|世《よ》に|在《あ》らうか。|何故《なぜ》に|男《をとこ》に|生《うま》れて|来《こ》なかつただらう』
とワツと|許《ばか》り、|大河《おほかは》に|濁水《だくすゐ》|氾濫《はんらん》し、|堤防《ていばう》を|崩潰《ほうくわい》せし|如《ごと》く、|一度《いちど》にどつと|涙川《なみだがは》、|身《み》も|浮《う》く|許《ばか》り|泣《な》き|叫《さけ》ぶ。|廊下《らうか》を|通《とほ》りかかつた|右守神《うもりのかみ》|鶴公《つるこう》は、|耳敏《みみさと》くも|此《この》|声《こゑ》を|聞《き》きつけ、|何事《なにごと》の|変事《へんじ》|突発《とつぱつ》せしかと|慌《あわただ》しくドアを|押開《おしあ》け|進《すす》み|入《い》り、
『モシモシ、|宇豆姫《うづひめ》|様《さま》、|如何《どう》なさいました。|腹《はら》が|痛《いた》みますか……|介抱《かいほう》さして|下《くだ》さいませ』
と|親切《しんせつ》に|後《うしろ》に|廻《まは》つて|横腹《よこはら》の|辺《あた》りを|抱《かか》へた。|癪《しやく》を|止《とど》むる|男《をとこ》の|力《ちから》、|恋《こひ》の|力《ちから》と|一《ひと》つになつて|宇豆姫《うづひめ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》、
『|是《これ》がお|手《て》の|握《にぎ》り|納《をさ》め』
と|云《い》はぬ|許《ばか》りに、|日頃《ひごろ》|恋慕《こひした》ふ|右守神《うもりのかみ》の|手《て》も|砕《くだ》けむ|許《ばか》りに|力《ちから》|限《かぎ》り|握《にぎ》り|締《し》め、|涙《なみだ》の|顔《かほ》を|振《ふ》り|上《あ》げて、|鶴公《つるこう》の|顔《かほ》を|打《う》ち|眺《なが》め、
|宇豆姫《うづひめ》『|鶴公様《つるこうさま》、|何卒《どうぞ》お|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ。|情《つれ》|無《な》き|女《をんな》と|御蔑《おさげす》み、|御恨《おうら》み|遊《あそ》ばしたで|御座《ござ》いませう。|妾《わたし》の|心《こころ》は|決《けつ》して|貴男様《あなたさま》を|忌《い》み|嫌《きら》つて|居《を》るのでは|御座《ござ》いませぬ。|余《あま》りの|嬉《うれ》しさと|驚《おどろ》きに、|御無礼《ごぶれい》の|事《こと》をいつぞやの|夜《よる》|致《いた》しました。|御無礼《ごぶれい》のお|咎《とが》めも|遊《あそ》ばさず|御親切《ごしんせつ》に|御介抱《ごかいはう》|下《くだ》さいまするお|志《こころざし》、|妾《わたし》は|此《この》|儘《まま》|息《いき》が|絶《た》えても、|最早《もはや》|此《この》|世《よ》に|恨《うら》みは|御座《ござ》いませぬ』
と|又《また》もや|咽《むせ》び|泣《な》く|其《その》|可憐《いぢ》らしさ。
|鶴公《つるこう》『アヽ|其《その》お|心《こころ》とは|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|情《つれ》|無《な》い|貴女《あなた》と、|今《いま》の|今迄《いままで》|恨《うら》んで|居《を》りました。|何卒《どうぞ》お|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ。|仮令《たとへ》|貴女《あなた》と|偕老同穴《かいらうどうけつ》の|契《ちぎり》は|結《むす》ばずとも、|其《そ》のお|言葉《ことば》を|一言《ひとこと》|承《うけたま》はつた|上《うへ》は、|私《わたくし》は|最早《もはや》|何一《なにひと》つ|恨《うら》みは|御座《ござ》いませぬ。アヽよく|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいました』
と|両眼《りやうがん》に|涙《なみだ》を|浮《うか》べ|目《め》を【しば】|叩《たた》き、|声《こゑ》を|出《だ》して|男泣《をとこな》きに|泣《な》く。|割《わ》りなき|恋路《こひぢ》の|二人《ふたり》の|男女《なんによ》|他《よそ》の|見《み》る|目《め》も|哀《あは》れなり。
(大正一一・七・七 旧閏五・一三 加藤明子録)
第四章 |望《のぞみ》の|縁《えん》〔七五〇〕
|天《あめ》と|地《つち》との|貴《うづ》の|子《こ》と |生《うま》れ|出《い》でたる|宇豆姫《うづひめ》は
|地恩《ちおん》の|城《しろ》の|女王《ぢよわう》なる |三五教《あななひけう》の|神司《かむつかさ》
|黄竜姫《わうりようひめ》の|言霊《ことたま》に |拘束《こうそく》されて|村肝《むらきも》の
|胸《むね》を|躍《をど》らせ|忍《しの》び|泣《な》き |義理《ぎり》と|恋《こひ》との|恩愛《おんあい》の
|締木《しめぎ》に|攻《せ》められ|手《て》も|足《あし》も かかる|隙《すき》さへ【なく】ばかり
|身《み》を|震《ふる》はして|倒《たふ》れ|居《ゐ》る |幸《かう》か|不幸《ふかう》か|三五《あななひ》の
|右守神《うもりのかみ》と|仕《つか》へたる |恋《こひ》しき|男《をとこ》の|鶴公《つるこう》が
|声《こゑ》を|聞《き》き|付《つ》け|駆来《かけきた》り |情《なさけ》をこめし|介抱《かいほう》に
ホツト|胸《むね》をば|撫《な》で|下《お》ろし |蘇生《よみがへ》りたる|心地《ここち》して
|喜《よろこ》ぶ|間《ま》もなく|室外《しつぐわい》の |廊下《らうか》に|聞《きこ》ゆる|足音《あしおと》に
|気《き》を|取直《とりなほ》し|両人《りやうにん》は |容《かたち》を|改《あらた》め|襟《えり》|正《ただ》し
|素知《そし》らぬ|態《てい》を|装《よそほ》ひて |互《たがひ》に|顔《かほ》を|見合《みあ》はせつ
|胸《むね》に|荒浪《あらなみ》|打《う》たせ|居《ゐ》る。
|隔《へだ》てのドアを|荒々《あらあら》しく|押開《おしあ》けて|入《い》り|来《きた》れる|左守《さもり》の|清公《きよこう》は、|二人《ふたり》の|姿《すがた》を|見《み》て、|忽《たちま》ち|顔色《がんしよく》を|変《へん》じ、|眼《まなこ》を|釣《つ》り|上《あ》げ、|鼻息《はないき》|強《つよ》く|畳《たたみ》ざはりも|荒々《あらあら》しく、ドツカと|二人《ふたり》の|中《なか》に|座《ざ》を|占《し》め、
|清公《きよこう》『アハヽヽヽ、お|二人様《ふたりさま》、シツポリとお|楽《たの》しみの|最中《さいちう》に、|邪魔者《じやまもの》が|罷《まか》り|出《で》て|実《まこと》に|済《す》まない|事《こと》を|致《いた》しました。|月《つき》に|村雲《むらくも》、|花《はな》に|嵐《あらし》とやら、|無粋《ぶすゐ》な|男《をとこ》の|左守神《さもりのかみ》、かやうに|御親密《ごしんみつ》なるローマンスの、|遺憾《ゐかん》なく|発揮《はつき》されつつあるとは、|神《かみ》ならぬ|身《み》の|知《し》るよしもなく、|恐惶《きようくわう》|至極《しごく》に……イヤハヤ……|存《ぞん》じ|奉《たてまつ》りまする。|右《みぎ》に|妹山《いもやま》|左《ひだり》に|背山《せやま》、|妹背《いもせ》の|仲《なか》を|割《わ》つて|流《なが》るる、|時《とき》も|時《とき》とて|悪野川《あしのがは》、|一目《ひとめ》|千本《せんぼん》の|花《はな》にも|擬《まが》ふ、|珍《うづ》の|姿《すがた》の|宇豆姫《うづひめ》|様《さま》、|誠《まこと》に|失礼《しつれい》を|致《いた》しました。どうぞシツポリと|互《たがひ》に|手《て》に|手《て》を|取《と》り|交《かは》し、|随分《ずゐぶん》お|楽《たの》し|皆《みな》さるがよからう。さても…さても、いやな|男《をとこ》が|降《ふ》つて|来《き》たもので|御座《ござ》るワイ。アハヽヽヽ』
と|大口《おほぐち》を|開《ひら》き|肩《かた》を|揺《ゆす》り、|畳《たたみ》に|小地震《せうぢしん》を|揺《ゆ》らせる。|鶴公《つるこう》はキツとなり、
|鶴公《つるこう》『|是《これ》はしたり、|存《ぞん》じも|寄《よ》らぬ|左守神《さもりのかみ》のお|疑《うたが》ひ、|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》の|間《あひだ》は|水晶《すゐしやう》の|如《ごと》く|極《きは》めて|潔白《けつぱく》、|何卒《なにとぞ》|公明《こうめい》なる|御判断《ごはんだん》を|願《ねが》ひます』
|清公《きよこう》『アハヽヽヽ、|言《い》うたりな|言《い》うたりな、|巧妙《かうめう》なる|辞令《じれい》を|以《もつ》て、|逃《のが》れ|難《がた》き|此《この》|場《ば》の|有様《ありさま》を、|厚顔無恥《こうがんむち》にも|葬《はうむ》り|去《さ》り、|己《おのれ》が|失態《しつたい》を|被《おほ》ひ|隠《かく》さむとする、|右守《うもり》|殿《どの》の|巧妙《かうめう》なる|御弁舌《ごべんぜつ》、イヤもう|吾々《われわれ》|共《とも》の|及《およ》ぶ|所《ところ》では|御座《ござ》らぬ。|此《かく》の|如《ごと》き|懸河《けんが》の|弁舌《べんぜつ》を|振《ふる》ひ、|巧言令色《かうげんれいしよく》を|以《もつ》て、さしも|道心堅固《だうしんけんご》なりし|宇豆姫《うづひめ》を、|掌中《しやうちう》の|玉《たま》となし、|天下《てんか》の|色男《いろをとこ》を|以《もつ》て|任《にん》ずる|鶴公様《つるこうさま》の|御腕前《おんうでまへ》には、|三舎《さんしや》を|避《さ》けて|感憤《かんぷん》|仕《つかまつ》る』
と|態《わざ》と|叮嚀《ていねい》に|頭《あたま》を|畳《たたみ》につけ|両手《りやうて》をつき、|意地悪《いぢわる》く|平伏《へいふく》して|見《み》せる。|鶴公《つるこう》は|無念《むねん》の|歯《は》を|噛《か》みしめながら、|身《み》を|震《ふる》はせ|息《いき》をはづませ、|肱《ひぢ》を|張《は》り、|唇《くちびる》をビリビリ|動《うご》かせ、|顔面《がんめん》|筋肉《きんにく》を|緊張《きんちやう》させながら、|固《かた》くなつて|四角張《しかくば》つて|居《ゐ》る。
|清公《きよこう》『アハヽヽヽ、|人《ひと》の|前《まへ》に|固《かた》き|者《もの》は、|人《ひと》の|居《を》らざる|女《をんな》の|前《まへ》に|最《もつと》も|柔《やはら》かし、まつた、|神《かみ》の|前《まへ》に|弱《よわ》き|者《もの》は|人《ひと》の|前《まへ》に|最《もつと》も|強《つよ》く、|人《ひと》の|前《まへ》に|強《つよ》き|者《もの》は|神《かみ》の|前《まへ》に|出《い》でて|最《もつと》も|弱《よわ》しとかや、イヤもう|実地《じつち》|教育《けういく》を|拝聴《はいちやう》|拝観《はいくわん》|致《いた》しました。|此《かく》の|如《ごと》き|権謀《けんぼう》……イヤ|智謀《ちぼう》に|富《と》める|右守神《うもりのかみ》、|我《わが》|次席《じせき》に|扣《ひか》へ|居《を》らるる|地恩城《ちおんじやう》は|万々歳《ばんばんざい》、イヤハヤ|目出度《めでた》い|目出度《めでた》い。……|是《これ》はしたり|宇豆姫《うづひめ》どの、|日頃《ひごろ》|恋慕《こひした》ふ|男《をとこ》に|逢《あ》ひ、|且《か》つ|存分《ぞんぶん》お|楽《たの》しみを|遊《あそ》ばし、|何《なに》が|不足《ふそく》でお|泣《な》きめさる。イヤイヤ|余《あま》り|嬉《うれ》しさの|余《あま》り|涙《なみだ》で|御座《ござ》つたか。|唐変木《たうへんぼく》の|無血《むけつ》|無情《むじやう》の|某《それがし》には、|到底《たうてい》ローマンスを|語《かた》る|資格《しかく》は|絶無《ぜつむ》で|御座《ござ》る。|有難《ありがた》い|所《ところ》を|見《み》せ|付《つ》けられ、|左守《さもり》|実《じつ》に|満足《まんぞく》|仕《つかまつ》る。|是《これ》より|女王様《ぢよわうさま》に|面会《めんくわい》|致《いた》し、|両人《りやうにん》が|媒介《ばいかい》を|致《いた》し、|宇豆姫《うづひめ》は|鶴公様《つるこうさま》が|宿《やど》の|妻《つま》、|末長《すゑなが》う|幾久《いくひさ》しく|偕老同穴《かいらうどうけつ》の|契《ちぎり》を|結《むす》ばれたし。イヤもう|人間《にんげん》と|云《い》ふものは|美男子《びだんし》に|生《うま》れて|来《き》たいものだ。|実《じつ》にお|浦山吹《うらやまぶき》の|至《いた》り、|花《はな》は|咲《さ》けども|実《み》はのらず、|実《みの》りの|致《いた》さぬは|仇《あだ》の|花《はな》、|花《はな》は|半開《はんかい》にして|梢《こずゑ》より|散《ち》る|例《ためし》も、|世《よ》の|中《なか》にはままある|習《なら》ひ、|随分《ずゐぶん》|御両人《ごりやうにん》、|御用心《ごようじん》が|専一《せんいつ》で|御座《ござ》らうぞ。これ|清公《きよこう》が|御両人《ごりやうにん》に|対《たい》する|偽《いつは》らざる|真実《しんじつ》の|忠告《ちうこく》で|御座《ござ》る。イヤもう|怪体《けたい》の|悪《わる》くない、お|目出度《めでた》い|事《こと》で|御座《ござ》るワイ。ワハヽヽヽ』
|無暗《むやみ》に|肩《かた》を|揺《ゆす》り|火鉢《ひばち》を|態《わざ》と|蹴散《けち》らし、|一目散《いちもくさん》に|此《この》|場《ば》を|駆出《かけだ》さむとする|時《とき》、|室外《しつぐわい》に|数多《あまた》の|足音《あしおと》、
『|女王様《ぢよわうさま》の|御入《おい》りで|御座《ござ》る。|宇豆姫《うづひめ》、お|出迎《でむか》ひ|召《め》され』
と|呼《よ》ばはる|声《こゑ》に|清公《きよこう》は|襟《えり》を|正《ただ》し|行儀《ぎやうぎ》|良《よ》く|下座《げざ》に|坐《すわ》る。|鶴公《つるこう》は|清公《きよこう》の|蹴飛《けと》ばしたる|火鉢《ひばち》を|旧《もと》へ|戻《もど》し、|零《こぼ》れ|散《ち》つた|灰《はい》を|手《て》に|掬《すく》ひ、|周章《あわて》て|箒《はうき》を|取出《とりだ》し、|灰《はひ》を|一方《いつぱう》に|掃寄《はきよ》せて|居《ゐ》る。|此《この》|時《とき》|遅《おそ》く|彼《か》の|時《とき》|早《はや》く、ドアを|排《はい》して|悠々《いういう》と|入《い》り|来《きた》る|黄竜姫《わうりようひめ》は、|満面《まんめん》に|笑《ゑみ》を|湛《たた》へながら|高座《かうざ》の|間《ま》に|静《しづ》かに|坐《ざ》し、|三人《さんにん》の|顔《かほ》を|見下《みお》ろして|居《ゐ》る。
|宇豆姫《うづひめ》『これはこれは|女王様《ぢよわうさま》、|好《よ》くこそ|御入来《ごじゆらい》|下《くだ》さいました。|早速《さつそく》|御返事《ごへんじ》を|申上《まをしあ》げたいと|存《ぞん》じ|居《を》りまする|際《さい》、|思《おも》はぬ|来人《らいにん》が|御座《ござ》いまして、ツイ|遅刻《ちこく》|致《いた》し、|再《ふたた》び|御足《みあし》を|煩《わづら》はしました|不都合《ふつがふ》の|段《だん》、|御赦《おゆる》し|下《くだ》さいませ』
と|慇懃《いんぎん》に|挨拶《あいさつ》する。|黄竜姫《わうりようひめ》は|此《この》|言葉《ことば》を|聞《き》いて、|軽《かる》く|首《くび》を|振《ふ》つて|居《ゐ》る。
|清公《きよこう》『これはこれは|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》、よくも|入《い》らせられました。|今《いま》|御見懸《おみかけ》の|通《とほ》り|不都合《ふつがふ》|千万《せんばん》にも|右守《うもり》の|職掌《しよくしやう》を|忘《わす》れ、|女王様《ぢよわうさま》の|御入来《ごじゆらい》を|歓迎《くわんげい》する|事《こと》を|差措《さしお》き、|御覧《ごらん》の|如《ごと》く|箒《はうき》を|以《もつ》て|掃出《はきだ》し、|無限《むげん》の|蔑辱《べつじよく》を|加《くは》へたる|不届千万《ふとどきせんばん》なる|行為《かうゐ》、|御咎《おとが》めも|無《な》く|御容赦《ごようしや》なし|下《くだ》されしは、|是《こ》れ|全《まつた》く|上位《じやうゐ》に|在《あ》る|我等《われら》が|行届《ゆきとど》かざるの|御無礼《ごぶれい》……』
と|円滑《ゑんくわつ》に|恋《こひ》の|仇人《あだびと》を|陥穽《かんせい》せんと|述《の》べ|立《た》つる。|黄竜姫《わうりようひめ》は|淑《しと》やかに、
『イヤ|決《けつ》して|御心《おこころ》にさへられな。|案内《あんない》もなく|参《まゐ》りましたのでお|気遣《きづか》ひ|遊《あそ》ばし、|鶴公様《つるこうさま》が|妾《わたし》に|敬意《けいい》を|払《はら》うて、|座敷《ざしき》の|掃除《さうぢ》をして|下《くだ》さつたのでありませう。もう|暫《しばら》く|御待《おま》ち|申《まを》して|居《を》ればよかつたでせう。|何分《なにぶん》|急《いそ》いで|這入《はい》りましたので、|大変《たいへん》に|心配《しんぱい》をかけ|御心《おこころ》を|悩《なや》ませましたは|妾《わたし》の|誤《あやま》り……』
と|善意《ぜんい》に|解《かい》する|黄竜姫《わうりようひめ》の|言葉《ことば》に、|鶴公《つるこう》はハツとばかりに|有《あ》り|難《がた》|涙《なみだ》に|咽返《むせかへ》り『|流石《さすが》は|地恩城《ちおんじやう》の|女王様《ぢよわうさま》』と|心《こころ》の|中《なか》にて|伏《ふ》し|拝《をが》む。|宇豆姫《うづひめ》は|女王《ぢよわう》の|情《なさけ》|籠《こも》れる|温《あたた》かき|言葉《ことば》に、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》を|浮《う》かべ、|有難《ありがた》さに|胸《むね》も|塞《ふさが》り|俯向《うつむ》き|居《ゐ》る。|清公《きよこう》は、
『|流石《さすが》に|御仁慈《ごじんじ》|深《ふか》き|女王様《ぢよわうさま》。|実《じつ》を|申《まを》せば|我々《われわれ》|常《つね》に|尊敬《そんけい》の|心《こころ》を|疎《そ》にし、|大切《たいせつ》なる|女王様《ぢよわうさま》を|軽《かる》んじて|居《を》りました。|其《その》|罪《つみ》が|今《いま》|現《あら》はれ|我《わが》|次席《じせき》につかふる|鶴公《つるこう》が(と|大声《おほごゑ》に|言《い》つて)……|斯様《かやう》な|無作法《ぶさはふ》な|侮辱《ぶじよく》を|与《あた》へましたに|拘《かかは》らず、|神直日《かむなほひ》、|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し|下《くだ》さる|段《だん》、|何《なん》|共《とも》|有難《ありがた》く、お|礼《れい》の|申《まを》し|様《やう》が|御座《ござ》いませぬ。|中《なか》の|胴《どう》が|洞《うつろ》になつた|竹《たけ》でさへ|節《ふし》が|御座《ござ》る。|如何《いか》なる|不調法《ぶてうはふ》を|致《いた》しても、|其《その》|儘《まま》に|見遁《みのが》し|給《たま》ふ|時《とき》は、|城内《じやうない》の|規律《きりつ》|全《まつた》く|破《やぶ》れ、|綱紀紊乱《かうきぶんらん》の|端緒《たんちよ》を|開《ひら》く|虞《おそ》れあれば、|此《この》|責任《せきにん》を|私《わたくし》|一身《いつしん》に|負《お》ひ、|只今《ただいま》より|辞職《じしよく》|仕《つかまつ》りまする。|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|此《この》|儀《ぎ》|御聞《おきき》|届《とど》け|下《くだ》さいますれば、|有難《ありがた》う|存《ぞん》じまする』
と|態《わざ》とに|言葉《ことば》を|構《かま》へ、|右守神《うもりのかみ》を|失墜《しつつゐ》せしめむとする|心《こころ》の|中《うち》の|穢《きたな》さ。|敏《さと》くも|見《み》て|取《と》つたる|黄竜姫《わうりようひめ》は、
『|汝《なんぢ》の|至誠《しせい》|天《てん》に|通《つう》じたれば、|望《のぞ》みの|如《ごと》く|左守《さもり》の|神職《しんしよく》を|今日《こんにち》|只今《ただいま》より|解除《かいぢよ》する。|汝《なんぢ》はこれより|下屋敷《しもやしき》に|下《くだ》り、わが|命《めい》を|待《ま》て』
と|手《て》もなく|言《い》ひ|渡《わた》した。|左守神《さもりのかみ》の|清公《きよこう》は|案《あん》に|相違《さうゐ》し、|夜食《やしよく》に|外《はづ》れし|梟鳥《ふくろどり》のやうな|面《つら》を|下《さ》げ、|嫌々《いやいや》|乍《なが》ら、
『ハイ|早速《さつそく》の|御聞《おきき》|届《とど》け、あ…り…が…と…う…|存《ぞん》じまする』
と|震《ふる》ひ|声《ごゑ》になつてお|受《う》けをする。|鶴公《つるこう》は|涙《なみだ》を|払《はら》ひ|両手《りやうて》をつかへ、
『|女王様《ぢよわうさま》に|申上《まをしあ》げます。|今日《こんにち》の|御無礼《ごぶれい》は|全《まつた》く|左守《さもり》|様《さま》の|預《あづか》り|知《し》らざる|所《ところ》で|御座《ござ》います。|全《まつた》く|吾々《われわれ》の|不調法《ぶてうはふ》、|何卒《なにとぞ》|私《わたくし》の|役目《やくめ》を|解除《かいぢよ》し、|左守《さもり》|様《さま》を|旧《もと》の|通《とほ》り|御信任《ごしんにん》|下《くだ》さる|様《やう》に、|御願《おねが》ひ|申上《まをしあ》げ|奉《たてまつ》りまする』
|黄竜姫《わうりようひめ》『|至善《しぜん》|至美《しび》、|至真《ししん》|至実《しじつ》の|汝《なんぢ》の|心《こころ》|感《かん》じ|入《い》る、|然《さ》りながら、|汝等《なんぢら》は|何事《なにごと》も|大神《おほかみ》の|御心《みこころ》に|任《まか》せ|奉《まつ》りし|身《み》の|上《うへ》ならば、|自己《じこ》の|意思《いし》を|以《もつ》て|此《この》|聖職《せいしよく》を|左右《さいう》すべきものに|非《あら》ず。|汝《なんぢ》は|是《これ》よりわが|命《めい》を|奉《ほう》じ、|左守《さもり》となりて|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》せよ。まつた|宇豆姫《うづひめ》は|此《この》|黄竜姫《わうりようひめ》が|媒人《なかうど》となり、|鶴公《つるこう》が|妻《つま》となりて、|永遠《ゑいゑん》にわが|神業《しんげふ》を|輔助《ほじよ》されよ』
と|厳《げん》として|言《い》ひ|渡《わた》した。|清公《きよこう》は|此《この》|場《ば》を|去《さ》り|兼《か》ね、|犬突這《いぬつくばひ》となり|乍《なが》ら、
『|鶴公殿《つるこうどの》、|嘸《さぞ》|御満足《ごまんぞく》で|御座《ござ》いませう。|宇豆姫《うづひめ》|様《さま》に|元《もと》の|左守《さもり》|清公《きよこう》、|心《こころ》の|底《そこ》より|御祝《おいは》ひ|申上《まをしあ》げますぞ』
|宇豆姫《うづひめ》は|恋《こひ》と|義理《ぎり》との|締木《しめぎ》にかかり、|何《なん》と|言葉《ことば》もなく|計《ばか》り|身《み》を|悶《もだ》へて|居《ゐ》る。
|鶴公《つるこう》『|有難《ありがた》き|女王様《ぢよわうさま》のお|言葉《ことば》なれども、これ|計《ばか》りは|御赦《おゆる》しを|頂《いただ》きたう|御座《ござ》います』
|黄竜姫《わうりようひめ》『それや|又《また》|何故《なぜ》、わが|命《めい》を|御聞《おき》きなさらぬか』
|鶴公《つるこう》『|如何《いか》に|主命《しゆめい》なればとて、|此《これ》|計《ばか》りは|何卒々々《なにとぞなにとぞ》お|赦《ゆる》しの|程《ほど》を|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》りまする』
|黄竜姫《わうりようひめ》『|汝《なんぢ》はわが|命《めい》を|背《そむ》く|考《かんが》へなりや。|如何《いか》に|宇豆姫《うづひめ》どの、|和女《そなた》はこれより|鶴公《つるこう》の|妻《つま》となり、ブランジー、クロンバーと|相並《あいなら》びて|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》されよ。|是《こ》れ|黄竜姫《わうりようひめ》の|私言《しげん》に|非《あら》ず、|三五教《あななひけう》の|皇大神《すめおほかみ》の|御心《みこころ》であるぞよ』
と|厳《げん》として|動《うご》かぬ|気色《けしき》、|宇豆姫《うづひめ》は|耐《たま》り|兼《か》ね、
『|何《いづ》れも|様《さま》、|是《これ》が|此《この》|世《よ》の|御暇乞《おいとまご》ひで|御座《ござ》います』
とドアを|押開《おしあ》け、|韋駄天走《ゐだてんばし》りに|表《おもて》に|駆出《かけだ》し、|後白雲《あとしらくも》の|中《なか》に|消《き》えて|仕舞《しま》つた。
|黄竜姫《わうりようひめ》は|言葉《ことば》|厳《おごそ》かに、
『|汝等《なんぢら》|両人《りやうにん》、|宇豆姫《うづひめ》の|行衛《ゆくゑ》を|探《さが》し|求《もと》め、|一時《いちじ》も|早《はや》く|我《わが》|前《まへ》に|連《つ》れ|来《きた》られよ』
と|言《い》ひ|渡《わた》し、|又《また》もや|奥殿《おくでん》に|悠々《いういう》として|進《すす》み|入《い》る。|清公《きよこう》、|鶴公《つるこう》の|両人《りやうにん》は、
『コリヤ|大変《たいへん》、かうしては|居《を》られない』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》|韋駄天《ゐだてん》|走《ばし》りに、|宇豆姫《うづひめ》の|後《あと》を|追《お》ひ|城門《じやうもん》|脱《ぬ》け|出《だ》し、トントントンと|大地《だいち》を|威喝《ゐかつ》させながら、|驀地《まつしぐら》に|白雲《しらくも》の|包《つつ》む|山腹《さんぷく》を|走《はし》り|行《ゆ》く。
(|因《ちなみ》に、|此《この》|地恩城《ちおんじやう》は|高山《かうざん》を|四方《よも》に|廻《まは》らす|高原《かうげん》の|霊地《れいち》である)
|一天《いつてん》|俄《にはか》に|掻《か》き|曇《くも》り、|流石《さすが》の|地恩郷《ちおんきやう》も|陰鬱《いんうつ》の|気《き》に|鎖《とざ》されたる|折柄《をりから》に、|俄《にはか》に|髪《かみ》|振《ふ》り|乱《みだ》し|一目散《いちもくさん》に|城門《じやうもん》を|駆出《かけだ》し|走《はし》り|行《ゆ》く|宇豆姫《うづひめ》の|姿《すがた》を、チラと|認《みと》めたスマートボール、チヤンキー、モンキーは『オーイ オーイ』と|呼《よ》ばはり|乍《なが》ら、|白雲《しらくも》|籠《こ》めたる|山腹《さんぷく》を、|見失《みうしな》つては|一大事《いちだいじ》と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|追《お》つ|駆《かけ》|行《ゆ》く。|千仭《せんじん》の|断崖《だんがい》|絶壁《ぜつぺき》より、|渓間《たにま》の|青淵《あをぶち》|目蒐《めが》けて、|身《み》を|躍《をど》らし、|飛《と》び|込《こ》まむとしたる|宇豆姫《うづひめ》は、
『|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|合唱《がつしやう》し|乍《なが》ら、ザンブと|許《ばか》り|落《お》ち|込《こ》んだ。|此処迄《ここまで》|追《お》つ|駆《かけ》|来《きた》りしスマートボールもチヤンキー、モンキーもハタと|行《ゆ》き|詰《つ》まり|稍《やや》|当惑《たうわく》の|態《てい》であつた。|此《この》|時《とき》『オーイ オーイ』と|白雲《しらくも》|分《わ》けて|走《はし》り|来《きた》る|左守《さもり》、|右守《うもり》の|二柱《ふたはしら》、
『|宇豆姫《うづひめ》を|捕《とら》へよー』
と|叫《さけ》びつつ|進《すす》み|来《きた》る。スマートボールは|最早《もはや》|是迄《これまで》なりと|決死《けつし》の|覚悟《かくご》を|以《もつ》て、|千仭《せんじん》の|渓間《たにま》の|青淵《あをぶち》|目蒐《めが》けてザンブと|許《ばか》り|飛《と》び|込《こ》んだ。チヤンキー、モンキーを|始《はじ》め、|左守《さもり》、|右守《うもり》の|二柱《ふたはしら》は『アレヨアレヨ』と|叫《さけ》びながら、|岩上《がんじやう》に|地団太《ぢだんだ》|踏《ふ》んで|居《ゐ》る。|谷底《たにぞこ》へ|飛込《とびこ》みたるスマートボールは、|宇豆姫《うづひめ》を|小腋《こわき》に|掻《か》い|込《こ》み|救《すく》ひ|上《あ》げ、|水《みづ》を|吐《は》かせ|人工《じんこう》|呼吸《こきふ》を|施《ほどこ》し、|種々雑多《しゆじゆざつた》の|介抱《かいほう》の|上《うへ》、|漸々《やうやう》|蘇生《そせい》せしめた。
スマートボール『モシモシ|宇豆姫《うづひめ》|様《さま》、|貴女《あなた》はどうしてこんな|事《こと》をなさいましたか。|此《こ》れには|何《なに》か|深《ふか》い|仔細《しさい》が|御座《ござ》いませう。|併《しか》し|乍《なが》ら|如何《いか》なる|事《こと》が|御座《ござ》いませうとも、|決《けつ》して|短気《たんき》を|出《だ》してはなりませぬぞや』
|宇豆姫《うづひめ》は|息《いき》をはづませ|乍《なが》ら、
『|誰方《どなた》かと|思《おも》へば、|貴方《あなた》はスマートボール|様《さま》。………|私《わたくし》は|死《し》なねばならぬ|事《こと》が|御座《ござ》います。どうぞお|見遁《みのが》し|下《くだ》さいませ』
スマートボール『|如何《いか》なる|事《こと》が|御座《ござ》いませうとも、|能《よ》く|耐《た》へ|忍《しの》び|天寿《てんじゆ》を|全《まつた》うして、|能《あた》ふ|限《かぎ》りの|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》しなくてはなりますまい。|自殺《じさつ》は|罪悪中《ざいあくちう》の|罪悪《ざいあく》で|御座《ござ》いまする。|貴女《あなた》の|肉体《にくたい》は|決《けつ》して|貴女《あなた》の|物《もの》ではない。|身魂《しんこん》|共《とも》に|大切《たいせつ》な|神様《かみさま》の|預《あづ》かり|物《もの》、|左様《さやう》な|気儘《きまま》な|事《こと》をなさいますと、|末代《まつだい》|其《その》|罪《つみ》は|赦《ゆる》されませぬぞ。|如何《いか》なる|事《こと》が|御座《ござ》いませうとも、スマートボールが|力《ちから》|限《かぎ》りお|力《ちから》になりませう|程《ほど》に、|自殺《じさつ》|丈《だけ》は、|思《おも》ひ|止《とど》まつて|下《くだ》さい』
と|両眼《りやうがん》に|涙《なみだ》を|流《なが》し|両手《りやうて》を|合《あは》せて|頼《たの》み|入《い》る、|其《その》|真心《まごころ》の|麗《うるは》しさ。|宇豆姫《うづひめ》は|感《かん》に|打《う》たれて、
『アヽ|有《あ》り|難《がた》う|御座《ござ》いました。|女心《をんなごころ》の|一時《いちじ》の|感情《かんじやう》にて|義理《ぎり》と|情《なさけ》に|迫《せま》られて、|思《おも》はぬ|不覚《ふかく》を|取《と》りました。どうぞお|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ。もう|今後《こんご》は|貴方《あなた》の|御教訓《ごけうくん》を|肝《きも》に|銘《めい》じ、|決《けつ》して|斯様《かやう》な|無法《むはふ》な|事《こと》は|致《いた》しませぬ』
『アヽ|宇豆姫《うづひめ》|様《さま》、よう|言《い》つて|下《くだ》さいました』
と|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ひ|宇豆姫《うづひめ》を|背《せ》に|負《お》ひ、|猿《さる》も|通《かよ》はぬ|絶壁《ぜつぺき》を、やうやうにして|地恩郷《ちおんきやう》の|一隅《いちぐう》に|攀登《よぢのぼ》り|終《をは》つた。
スマートボールは|宇豆姫《うづひめ》の|手《て》を|曳《ひ》き|乍《なが》ら、|城門《じやうもん》を|潜《くぐ》り、|宇豆姫《うづひめ》の|居間《ゐま》に|送《おく》り|届《とど》け、|衣服《いふく》を|着替《きか》へさせ、|色々《いろいろ》と|慰《なぐさ》めの|言葉《ことば》を|与《あた》へてゐる。|宇豆姫《うづひめ》は|唯《ただ》|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|暮《く》れて|一言《いちごん》も|発《はつ》し|得《え》ず、スマートボールを|伏《ふ》し|拝《をが》む|計《ばか》りである。
|此《この》|騒《さわ》ぎに|黄竜姫《わうりようひめ》を|始《はじ》め、|蜈蚣姫《むかでひめ》|其《その》|他《た》の|一同《いちどう》|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ、|宇豆姫《うづひめ》の|無事《ぶじ》を|祝《しゆく》し、|且《か》つスマートボールの|善行《ぜんかう》を|口《くち》を|極《きは》めて|賞讃《しやうさん》した。|今迄《いままで》|張《は》り|詰《つ》めし|心《こころ》のスマートボールは、|青淵《あをぶち》に|飛《と》び|込《こ》みし|際《さい》、|腰《こし》をしたたかに|打《う》ちたれども、|仁慈《じんじ》の|心《こころ》に|引付《ひきつ》けられ、|其《その》|痛《いたみ》を|少《すこ》しも|感《かん》じなかつたが、やつと|胸《むね》|撫《な》で|下《おろ》し|安心《あんしん》すると|共《とも》に、|俄《にはか》に|腰部《えうぶ》の|激痛《げきつう》を|覚《おぼ》えたので、|担架《たんか》に|乗《の》りて|我《わが》|居間《ゐま》に|送《おく》られ、|発熱《はつねつ》|苦悶《くもん》の|床《とこ》に|伏《ふ》す|事《こと》となつた。|黄竜姫《わうりようひめ》は|宇豆姫《うづひめ》に|向《むか》ひ、
『そなたは、|命《いのち》の|恩人《おんじん》たるスマートボールの|病気《びやうき》、|全快《ぜんくわい》|致《いた》すまで|枕頭《ちんとう》に|侍《はべ》り、|親切《しんせつ》に|介抱《かいほう》をなされよ。|御神務《ごしんむ》は|梅子姫《うめこひめ》|様《さま》|是《こ》れに|当《あた》らせ|給《たま》へば、|神務《しんむ》に|心《こころ》を|置《お》かず、|病人《びやうにん》の|介抱《かいほう》に|全力《ぜんりよく》を|尽《つく》されたし』
と|慈悲《じひ》の|籠《こも》つた|言葉《ことば》を|残《のこ》し、|奥殿《おくでん》に|又《また》もや|悠々《いういう》と|進《すす》み|入《い》る。
|日《ひ》は|西天《せいてん》に|没《ぼつ》し、|三五《さんご》の|明月《めいげつ》は|東山《ひがしやま》の|峰《みね》を|圧《あつ》して|皎々《かうかう》と|輝《かがや》き、スマートボールの|至誠《しせい》を|感賞《かんしやう》するものの|如《ごと》くである。|是《これ》よりスマートボールは|宇豆姫《うづひめ》の|手厚《てあつ》き|昼夜《ちうや》の|看護《かんご》に|依《よ》り|一ケ月《いつかげつ》の|後《のち》、やうやう|旧《もと》の|身体《からだ》に|復《ふく》し、|神殿《しんでん》に|手《て》を|携《たづさ》へてお|礼《れい》|参《まゐ》りを|目出度《めでた》く|済《す》ませた。
|是《これ》よりスマートボールの|徳望《とくばう》は|益々《ますます》|高《たか》く、|城内《じやうない》は|言《い》ふも|更《さら》なり、|竜宮島《りうぐうじま》|一円《いちゑん》に|其《その》|徳《とく》|喧伝《けんでん》され、|名誉《めいよ》を|一身《いつしん》に|担《にな》ふ|事《こと》となつた。
|一旦《いつたん》|辞任《じにん》を|申出《まをしい》でたる|左守《さもり》の|清公《きよこう》は、チヤンキー、モンキーと|共《とも》に|平役人《ひらやくにん》の|列《れつ》に|加《くは》へられ、|一《いち》から|遣《や》り|直《なほ》し、|修行《しうぎやう》|時代《じだい》に|還元《くわんげん》して|仕舞《しま》つた。|今日《けふ》は|三五《さんご》の|明月《めいげつ》、|月《つき》は|皎々《かうかう》と|中天《ちうてん》に|輝《かがや》き、|下界《げかい》の|悪魔《あくま》を|隈《くま》なく|照《て》らし|給《たま》ふ|時《とき》、チヤンキー、モンキーを|始《はじ》め|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》|其《その》|他《た》の|連中《れんちう》は、|城外《じやうぐわい》の|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|月《つき》を|賞《しやう》し|乍《なが》ら、|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》る。
チヤンキー『|恰度《ちやうど》|先月《あとつき》の|今日《けふ》だつた。|宇豆姫《うづひめ》さまが|谷底《たにぞこ》へ|身《み》を|投《な》げられた|時《とき》、|俺達《おれたち》もどうかしてお|助《たす》け|申《まを》したいと|心《こころ》はいくら|燥《いらだ》てども、|何《なに》を|云《い》うても|千仭《せんじん》の|谷間《たにま》、さうしてさつぱり|何処《どこ》もかも|白雲《しらくも》に|包《つつ》まれ、|如何《どう》する|事《こと》も|出来《でき》ない|場合《ばあひ》、スマートボールさまは|雲《くも》の|谷間《たにま》を|目蒐《めが》けて|飛《と》び|込《こ》み、|大切《たいせつ》な|命《いのち》を|拾《ひろ》つて|助《たす》けられたその|日《ひ》だ。|奥《おく》には|御神殿《ごしんでん》に|於《おい》て|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》、|宇豆姫《うづひめ》、スマートボール|様《さま》も|全快《ぜんくわい》を|兼《か》ね、お|礼《れい》の|御祭典《ごさいてん》が|始《はじ》まつて|居《ゐ》ると|云《い》ふ|事《こと》だ。それに|就《つ》いても|左守《さもり》の|清公《きよこう》さまはどうだ。あれだけ|一生懸命《いつしやうけんめい》に|宇豆姫《うづひめ》さまに|現《うつつ》を|抜《ぬ》かしながら、|危急《ききふ》の|場合《ばあひ》お|助《たす》けもようせず、|又《また》|鶴公《つるこう》さまとても|同《おな》じく|宇豆姫《うづひめ》さまに|魂《たま》を|抜《ぬ》かし|乍《なが》ら……あの|態《ざま》、|実《じつ》に|人間《にんげん》の|心《こころ》|程《ほど》|当《あて》にならぬものはないぢやないか』
|貫州《くわんしう》『それだから|何時《いつ》も|俺《おれ》は|清公《きよこう》が【ヤモリ】になつたり、|鶴公《つるこう》が【イモリ】になつて|威張《ゐば》つて|居《ゐ》るのが|気《き》に|食《く》はぬと|言《い》ふのだ。あんな|連中《れんちう》が|上《うへ》に|頑張《ぐわんば》つて|居《を》つては、|俺達《おれたち》は|浮《うか》ぶ|瀬《せ》がない。|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》や|生神《いきがみ》の|梅子姫《うめこひめ》|様《さま》の|仁徳《じんとく》、|何程《なにほど》|日月《じつげつ》の|如《ごと》く|輝《かがや》き|給《たま》ふとも、|中途《ちうと》に|黒雲《くろくも》が|被《かぶ》さつて|居《を》つては、|日月《じつげつ》の|光《ひかり》も|我々《われわれ》の|頭《あたま》に|照《て》り|渡《わた》らない|道理《だうり》だ。|幸《さいは》ひ|清公《きよこう》が|左守《さもり》を|辷《すべ》つた|以上《いじやう》は、どうぞ|立派《りつぱ》な|後継者《こうけいしや》が|欲《ほ》しいものだなア』
|武公《たけこう》『|今日《こんにち》|下馬評《げばひやう》に|上《のぼ》つて|居《ゐ》るのは、スマートボールさまだ。あの|方《かた》ならば|我々《われわれ》は、|双手《さうしゆ》を|挙《あ》げて|賛成《さんせい》をするよ。さうして|宇豆姫《うづひめ》|様《さま》をクロンバーの|位置《ゐち》に|据《す》ゑ、|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|竜宮島《りうぐうじま》|一帯《いつたい》に、|万遍《まんべん》なく|均霑《きんてん》せしむるのが|我々《われわれ》の|理想《りさう》だよ』
モンキー『ヘン……|一寸《ちよつと》|遣《や》りくさるワイ。そんなら|是《これ》から|一《ひと》つ|吾々《われわれ》が|連判状《れんぱんじやう》を|作《つく》つて、スマートボール|様《さま》を、|左守《さもり》に|御任用《ごにんよう》|下《くだ》さる|様《やう》、|建白書《けんぱくしよ》を|差出《さしだ》さうぢやないか』
|一同《いちどう》『ソリヤ|面白《おもしろ》からう』
と|話《はな》す|処《ところ》に、ニユツと|現《あら》はれた|清公《きよこう》は、
『ヤア、|最前《さいぜん》から|結構《けつこう》なお|話《はなし》がはづんで|居《を》りましたな。|私《わたし》も|皆《みな》さまのお|心《こころ》の|中《うち》を|窺《うかが》ひ|知《し》らして|頂《いただ》いて、|誠《まこと》に|結構《けつこう》で|御座《ござ》いました。|貴方等《あなたがた》の|仰《あふ》せの|通《とほ》り、|実《じつ》に|私《わたし》はツマラヌ|者《もの》で|御座《ござ》いました。|私《わたし》が|今日《こんにち》の|境遇《きやうぐう》に|陥《おちい》つたのも、|決《けつ》して|偶然《ぐうぜん》では|在《あ》りますまい。どうぞ|今迄《いままで》の|心《こころ》を|根本《こんぽん》より|改良《かいりやう》|致《いた》しますから、|今迄《いままで》|通《どほ》り|可愛《かあい》がつて|下《くだ》さいませ。どんな|事《こと》でも|嫌《いや》とは|申《まを》しませぬ。これから|雪隠《せんち》の|掃除《さうぢ》でも|草取《くさと》りでも、|何《なん》でも|致《いた》しますから』
チヤンキー『|流石《さすが》は|清公《きよこう》だ。さうなくては|叶《かな》はぬ|事《こと》、そんならお|前《まへ》、これから|連判状《れんぱんじやう》を|作《つく》るから、|連名《れんめい》に|加《くは》はりますかな』
|清公《きよこう》『|私《わたくし》の|如《ごと》きものでも|其《その》|末尾《まつび》にお|加《くは》へ|下《くだ》さるならば、|有《あ》り|難《がた》う|御座《ござ》います』
『ヨシヨシ』
と|一同《いちどう》は|言《い》ひ|乍《なが》ら、|芭蕉《ばせう》の|葉《は》の|乾《かわ》きたるに|緑青《ろくせう》を|以《もつ》て|建白書《けんぱくしよ》を|認《したた》め、|各自《かくじ》|署名《しよめい》し、|夜明《よあ》けを|待《ま》つて|書類《しよるゐ》を|作《つく》り|上《あ》げ、|貫州《くわんしう》|之《これ》を|携《たづさ》へ|黄竜姫《わうりようひめ》|並《ならび》に|梅子姫《うめこひめ》の|御前《おんまへ》に|出願《しゆつぐわん》する|事《こと》となつた。
|地恩城《ちおんじやう》の|奥殿《おくでん》、|黄竜姫《わうりようひめ》の|居間《ゐま》には、|梅子姫《うめこひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》と|額《ひたひ》を|鳩《あつ》め、|左守《さもり》の|後任《こうにん》に|就《つい》て|協議会《けふぎくわい》が|開《ひら》かれてゐる。
|黄竜姫《わうりようひめ》『|梅子姫《うめこひめ》|様《さま》、|貴女《あなた》の|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り、|左守《さもり》の|清公《きよこう》が|辞任《じにん》|致《いた》してより、|最早《もはや》|一カ月《いつかげつ》を|経過《けいくわ》|致《いた》しました。|宰相《さいしやう》なくしては|円満《ゑんまん》に|神務《しんむ》を|奉仕《ほうし》することは|最《もつと》も|不便利《ふべんり》で|御座《ござ》います。|就《つい》ては|右守《うもり》の|鶴公《つるこう》をその|後《あと》に|任《にん》じたく|存《ぞん》じ、|色々《いろいろ》と|説《と》き|付《つ》けましたなれど、|謙譲《けんじやう》なる|彼《かれ》はどうしても|承諾《しようだく》|致《いた》しませぬ。|私《わたくし》の|職権《しよくけん》を|以《もつ》て|無理《むり》に|申《まを》し|付《つ》けると|云《い》ふ|訳《わけ》にも|参《まゐ》りませず、|如何《どう》|致《いた》しませうかと|心《こころ》を|悩《なや》めて|居《を》りました。|然《しか》るに|衆人《しうじん》の|徳望《とくばう》を|一身《いつしん》に|集《あつ》めたスマートボール、|之《これ》を|左守《さもり》となし、これに|嫁入《よめい》らすに|貴方《あなた》の|侍女《じぢよ》|宇豆姫《うづひめ》を|以《もつ》てせば、|如何《いかが》で|御座《ござ》いませう。どうしてもブランジーにクロンバーの|陰陽《いんやう》が|揃《そろ》はなくては|円滑《ゑんくわつ》に|神務《しんむ》は|運《はこ》べますまい。どうぞ|腹蔵《ふくざう》なく|御高見《ごかうけん》を|承《うけたま》はりたう|御座《ござ》います』
|梅子姫《うめこひめ》『|妾《わたくし》も|貴女様《あなたさま》のお|考《かんが》へ|通《どほ》り、|至極《しごく》|結構《けつこう》な|事《こと》と|存《ぞん》じます。|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》の|御意見《ごいけん》は|如何《いかが》で|御座《ござ》いませうか。|其《その》|上《うへ》にて|決定《けつてい》する|事《こと》に|致《いた》したう|存《ぞん》じます』
と|梅子姫《うめこひめ》は|謙遜《けんそん》しながら|蜈蚣姫《むかでひめ》を|重《おも》んじ、|挨拶《あいさつ》を|返《かへ》した。
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|何《なに》を|云《い》うても|年寄《としより》の|妾《わたし》、どうぞ|黄竜姫《わうりようひめ》と|御相談《ごさうだん》の|上《うへ》、|宜《よろ》しき|様《やう》にお|取計《とりはか》らひ|遊《あそ》ばしませ。|妾《わたし》は|何事《なにごと》も|意見《いけん》は|御座《ござ》いませぬ』
|黄竜姫《わうりようひめ》『|然《しか》らば|愈《いよいよ》スマートボール、|宇豆姫《うづひめ》を|呼出《よびだ》し|命《めい》を|伝《つた》へ、|神前《しんぜん》に|於《おい》て|結婚《けつこん》の|式《しき》を|挙《あ》げさせませう。|善《ぜん》は|急《いそ》げ、|一時《いちじ》も|早《はや》く|梅子姫《うめこひめ》|様《さま》、|着手《ちやくしゆ》|致《いた》すで|御座《ござ》いませう』
|梅子姫《うめこひめ》『ハイ|誠《まこと》に|結構《けつこう》な|仰《あふ》せ、|妾《わたくし》は|喜《よろこ》んで|御賛成《ごさんせい》|申《まを》し|上《あ》げます』
|愈《いよいよ》|三人《さんにん》の|協議《けふぎ》は|纏《まと》まり|貫州《くわんしう》を|招《まね》き、|両人《りやうにん》に|其《その》|旨《むね》を|伝《つた》へしめた。
|両人《りやうにん》は|主命《しゆめい》もだし|難《がた》く|終《つひ》に|其《その》|命《めい》に|従《したが》ひ、|目出度《めでた》く|結婚《けつこん》の|式《しき》を|挙《あ》げ、|此処《ここ》に|地恩郷《ちおんきやう》のブランジー、クロンバーとして|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》する|事《こと》となりたり。
(大正一一・七・七 旧閏五・一三 谷村真友録)
第二篇 |自由《じいう》|活動《くわつどう》
第五章 |酒《くし》の|滝壺《たきつぼ》〔七五一〕
|神《かみ》の|恵《めぐみ》も|開《ひら》け|行《ゆ》く |世《よ》は|太平《たいへい》の|洋中《わだなか》に
|堅磐常磐《かきはときは》に|浮《うか》びたる |神《かみ》の|造《つく》りし|冠島《かむりじま》
|黄金《こがね》|花《はな》|咲《さ》く|竜宮《りうぐう》の |一《ひと》つの|島《しま》と|名《な》を|負《お》ひし
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御遺跡《おんゐせき》 |醜女《しこめ》|探女《さぐめ》を|祝部《はふりべ》の
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |風《かぜ》|凪《な》ぎ|渡《わた》る|波《なみ》の|上《うへ》
|辷《すべ》り|来《きた》りし|面那芸《つらなぎ》の |神《かみ》の|命《みこと》の|詣《まう》でたる
|竜《たつ》の|宮居《みやゐ》は|今《いま》も|尚《なほ》 |御稜威《みいづ》|輝《かがや》くヒル|港《みなと》
|屋根無《たなな》し|船《ぶね》に|身《み》を|任《まか》せ |力《ちから》|限《かぎ》りに|漕《こ》ぎ|来《きた》る
|三五教《あななひけう》の|神司《かむづかさ》 |地恩《ちおん》の|郷《さと》を|後《あと》にして
|魂《たま》を|洗《あら》ひし|清公《きよこう》が チヤンキーモンキー|引連《ひきつ》れて
|進《すす》み|来《きた》るぞ|健《けな》げなれ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして |心《こころ》ねぢけし|清公《きよこう》も
|胸《むね》の|帳《とばり》を|引《ひ》きあげて |輝《かがや》き|初《そ》めし|厳御魂《いづみたま》
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》に|神習《かむなら》ひ |天津祝詞《あまつのりと》を|宣《の》り|乍《なが》ら
|御船《みふね》を|浜辺《はまべ》に|繋《つな》ぎつつ |身装《みなり》も|軽《かる》き|蓑笠《みのかさ》の
|金剛杖《こんがうづゑ》に|送《おく》られて |山奥《やまおく》|指《さ》して|進《すす》み|入《い》る。
|地恩城《ちおんじやう》に|一切《いつさい》の|教権《けうけん》を|掌握《しやうあく》したる|高山彦《たかやまひこ》の|後《あと》を|襲《おそ》ひ、|左守《さもり》となりすまし|居《ゐ》たる|清公《きよこう》は|茲《ここ》に|地恩城《ちおんじやう》のブランジーとして|権威《けんゐ》を|振《ふる》ひ、|宇豆姫《うづひめ》をクロンバーの|位置《ゐち》に|据《す》ゑ、|我《わが》|勢力《せいりよく》を|扶植《ふしよく》せむと|種々《しゆじゆ》の|権謀術数《けんぼうじゆつすう》を|弄《ろう》したるも、|天《てん》は|清公《きよこう》が|邪曲《じやきよく》に|組《くみ》せず、|遂《つい》に|左守《さもり》を|自《みづか》ら|辞《じ》し、スマートボールをしてブランジーの|職《しよく》を|専《もつぱ》らにせしむるの|余儀《よぎ》なきに|立到《たちいた》つたのも、|全《まつた》く|我《わ》が|利己主義《りこしゆぎ》の|罪《つみ》の|致《いた》す|処《ところ》と|自覚《じかく》したる|清公《きよこう》は、|転迷開悟《てんめいかいご》の|梅花《ばいくわ》の|香《かをり》に|心《こころ》の|眼《まなこ》も|清《きよ》まり、|如何《いか》にもして|神界《しんかい》の|御用《ごよう》を|身魂《みたま》|相応《さうおう》に|勤《つと》め、|名誉《めいよ》を|恢復《くわいふく》せばやと、チヤンキー、モンキー|両人《りやうにん》の|賛同《さんどう》を|得《え》て|黄竜姫《わうりようひめ》|以下《いか》の|承認《しようにん》の|上《うへ》、タカの|港《みなと》を|漕《こ》ぎ|出《い》でて|屋根無《たなな》し|船《ぶね》に|身《み》を|任《まか》せ、|嘗《かつ》て|日《ひ》の|出神《でのかみ》|一行《いつかう》が|上陸《じやうりく》したるヒルの|港《みなと》に|船《ふね》を|止《とど》め、|竜宮《りうぐう》の|宮《みや》に|詣《まう》でて|前途《ぜんと》の|無事《ぶじ》を|祈《いの》り、|飯依彦《いひよりひこ》、|久々神《くくのかみ》、|久木神《くきのかみ》の|遺跡《ゐせき》を|巡拝《じゆんぱい》し|進《すす》んでクシの|滝《たき》の|間近《まぢか》まで、|茴香《ういきよう》の|薫《かをり》に|送《おく》られ|乍《なが》ら|夏風《なつかぜ》そよぐ|急坂《きふはん》を|喘《あへ》ぎ|喘《あへ》ぎ|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|漸《やうや》くにして、|風景《ふうけい》|最《もつと》も|佳《よ》き|谷川《たにがは》の|傍《かたはら》に|立《た》てる|岩石《がんせき》の|上《うへ》に|腰打掛《こしうちか》け、|旅《たび》の|疲《つか》れを|休《やす》めつつ|話《はなし》に|耽《ふけ》る。
チヤンキー『アヽ|何《なん》と|良《い》い|景色《けしき》だなア。|谷間《たにあひ》は|斯《か》う|両方《りやうはう》より|山《やま》と|山《やま》とに|圧搾《あつさく》されて、|非常《ひじやう》に|狭隘《けふあい》ではあるが、|清《きよ》き|渓流《けいりう》が|飛沫《ひまつ》を|飛《と》ばし|淙々《そうそう》と|水音《みなおと》を|立《た》て、|岩《いは》に|噛《か》みつき、|佐久那太理《さくなだり》に|落《お》ち|行《ゆ》く|光景《くわうけい》は、|到底《たうてい》|地恩城《ちおんじやう》|附近《ふきん》にては|見《み》る|事《こと》も|出来《でき》ない|絶景《ぜつけい》だ。|我々《われわれ》も|清公《きよこう》さまの|失敗《しつぱい》のお|蔭《かげ》で、|天下《てんか》を|自由自在《じいうじざい》に|宣伝《せんでん》する|事《こと》を|許《ゆる》され、|何《なん》だか|籠《かご》の|鳥《とり》が|宇宙《うちう》に|放《はな》たれた|様《やう》な|気分《きぶん》になつて|来《き》た。|斯《か》うなると|人間《にんげん》も|一度《いちど》は|失敗《しつぱい》もし、|慢心《まんしん》もやつて|見《み》なくては、|本当《ほんたう》の|天地《てんち》、|人生《じんせい》の|真実味《しんじつみ》が|分《わか》らないものだ。……|南無清公大明神《なむきよこうだいみやうじん》、チヤンキー、モンキー|両手《りやうて》を|合《あは》せ|有難《ありがた》く|感謝《かんしや》|致《いた》します。アハヽヽヽ』
とそろそろ|地金《ぢがね》を|現《あら》はし、|洒落《しやれ》|気分《きぶん》になつて、|駄句《だく》り|出《だ》した。
|清公《きよこう》『|世《よ》の|中《なか》は|一切万事《いつさいばんじ》|惟神《かむながら》の|御経綸《ごけいりん》に|左右《さいう》されて|居《ゐ》るものだ。|俺《おれ》が|地恩城《ちおんじやう》で|大野心《だいやしん》を|起《おこ》し、|宇豆姫《うづひめ》を|得《え》むとして|終生《しうせい》|拭《ぬぐ》ふ|可《べか》らざる|大恥《おほはじ》を|掻《か》いたのも、|今《いま》になつて|省《かへり》みれば、|実《じつ》に|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|大神様《おほかみさま》の|御恵《みめぐみ》であつた。|己《おのれ》に|出《い》づるものは|己《おのれ》に|帰《かへ》る。|悪《わる》い|事《こと》をすればキツト|悪《わる》い|酬《むく》いが|来《く》るのは|当然《たうぜん》だ。|然《しか》るに|何《なん》ぞや。あれ|丈《だ》け|体主霊従的《たいしゆれいじうてき》|陰謀《いんぼう》を|組立《くみた》て、|其《その》|結果《けつくわ》|斯様《かやう》な|結構《けつこう》な|宣伝使《せんでんし》となり、|此《この》|冠島《かむりじま》に|自由自在《じいうじざい》に|開放的《かいはうてき》に|宣伝《せんでん》せよとの|許《ゆる》しを|受《う》けたのは、|悪《あく》が|自然《しぜん》に|善《ぜん》の|結果《けつくわ》を|齎《もたら》した|様《やう》なものだ。これと|云《い》ふのも|全《まつた》く|神様《かみさま》が|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|活《い》かして|働《はたら》かして|下《くだ》さる|有難《ありがた》き|思召《おぼしめ》し、|逆境《ぎやくきやう》に|立《た》ちて|初《はじ》めて|神《かみ》の|慈愛《じあい》を|知《し》り、|宇宙《うちう》の|真善美《しんぜんび》を|味《あぢ》はふ|事《こと》を|得《え》た。|左守神《さもりのかみ》となつて|日夜《にちや》|心《こころ》を|痛《いた》め、|下《くだ》らぬ|野心《やしん》の|鬼《おに》に|駆使《くし》されて|居《ゐ》るよりも、|斯《か》う|身軽《みがる》になつて、|何《なん》の|束縛《そくばく》もなく、|自由自在《じいうじざい》に|活動《くわつどう》し|得《う》る|機会《きくわい》を|与《あた》へられたと|云《い》ふ|事《こと》は、|実《じつ》に|我々《われわれ》として|無上《むじやう》の|幸福《かうふく》だ。アヽ|辱《かたじけ》なし、|勿体《もつたい》なし、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|有難涙《ありがたなみだ》に|声《こゑ》を|曇《くも》らす。
チヤンキー『|神《かみ》も|仏《ほとけ》も|鬼《おに》も|蛇《じや》も|悪魔《あくま》も、|残《のこ》らず|自分《じぶん》が|招《まね》くのだ。|決《けつ》して|外《ほか》から|襲来《しふらい》するものでない。|盗賊《たうぞく》の|用意《ようい》に|戸締《とじま》りをするよりも、|心《こころ》に|盗賊《たうぞく》を|招《まね》かない|様《やう》にするのが|肝要《かんえう》だ。|一切万事《いつさいばんじ》|残《のこ》らず|自分《じぶん》の|心《こころ》から|招《まね》くものだからなア』
モンキー『|清公《きよこう》さま、|此処《ここ》はその|昔《むかし》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》が|竜宮城《りうぐうじやう》の|従神《じうしん》たりし、|田依彦《たよりひこ》、|時彦《ときひこ》、|芳彦《よしひこ》と|云《い》ふ|玉抜《たまぬ》かれ|神《がみ》を|引連《ひきつ》れ、|酒《さけ》|飲《の》みの|副守護神《ふくしゆごじん》を|追《お》ひ|出《だ》し|給《たま》うた|名高《なだか》い|酒《くし》の|滝壺《たきつぼ》の|附近《ふきん》ではありますまいか。|竜宮様《りうぐうさま》が|天然《てんねん》に|造《つく》つて|置《お》かれた|酒壺《さけつぼ》が|有《あ》ると|云《い》ふ|事《こと》ですが、|未《いま》だに|相変《あひかは》らず|其《その》お|酒《さけ》は|湧《わ》いて|来《く》るでせうか。|一度《いちど》|拝見《はいけん》したいものですな』
|清公《きよこう》『サア、|必要《ひつえう》があれば|湧《わ》いて|居《を》るだらうが、……|世《よ》の|中《なか》に|不必要《ふひつえう》な|物《もの》は|一《ひと》つもないのだから、|今日《こんにち》となりては|何《なん》とも|分《わか》らないなア』
|斯《か》く|話《はな》し|合《あ》ふ|中《うち》、|何処《いづく》ともなく|二三丁《にさんちやう》|許《ばか》り|上流《じやうりう》の|谷間《たにま》より、|数多《あまた》の|老若男女《らうにやくなんによ》の|鬨《とき》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》た。
チヤンキー『ヤア、|清公《きよこう》さま、|不思議《ふしぎ》な|声《こゑ》がするぢやありませぬか。|一《ひと》つ|探検《たんけん》と|出《で》かけませうか』
|清公《きよこう》『|一寸《ちよつと》|待《ま》てよ、|何事《なにごと》も|慎重《しんちよう》の|態度《たいど》を|執《と》らねば、|軽々《かるがる》しく|進《すす》んで|取返《とりかへ》しの|付《つ》かぬ|失敗《しつぱい》を|演《えん》じてはならないから、よくよく|様子《やうす》を|窺《うかが》つた|上《うへ》|出《で》かける|事《こと》にしよう。それに|就《つ》いては……モンキー、お|前《まへ》は|斥候《せきこう》として|声《こゑ》する|方《はう》を|探《たづ》ね、そつと|様子《やうす》を|考《かんが》へ、|報告《はうこく》をして|呉《く》れ。それまで|我々《われわれ》|両人《りやうにん》は|此《この》|巌《いはほ》の|上《うへ》に|於《おい》て|時期《じき》を|待《ま》つ|事《こと》とするから』
モンキー『|畏《かしこ》まりました。どんな|事《こと》が|突発《とつぱつ》しても、|此処《ここ》を|一寸《ちよつと》も|動《うご》いてはなりませぬぞ』
|清公《きよこう》『ヨシ|合点《がつてん》だ。サア|木《き》の|茂《しげ》みに|身《み》を|隠《かく》しつつ、|偵察隊《ていさつたい》の|任務《にんむ》を|尽《つく》して|呉《く》れ』
モンキー『|承知《しようち》|致《いた》したぞよエヘン』
とモンキーは|茴香《ういきよう》の|花《はな》の|得《え》も|言《い》はれぬ|薫《かをり》に|包《つつ》まれ|乍《なが》ら、|酒《くし》の|滝壺《たきつぼ》の|間近《まぢか》に|忍《しの》び|寄《よ》り、|少時《しばらく》あつてモンキーは|息《いき》をはづませ|帰《かへ》り|来《きた》り、|震《ふる》ひ|声《ごゑ》になりて、
『キ……キ……|清公《きよこう》さま、タ……タ……|大変《たいへん》で|御座《ござ》います。モウ|帰《かへ》りませう。|斯《こ》んな|所《ところ》を|宣伝《せんでん》したつて、あちらに|一軒《いつけん》、こちらに|二軒《にけん》と、バラバラに|家《いへ》が|建《た》つて|居《ゐ》る……モウ|斯《こ》んな|所《ところ》で|労《らう》して|効《かう》|少《すくな》き|活動《くわつどう》をするよりも、マ|一遍《いつぺん》ヒルの|港《みなと》へ|引返《ひきかへ》し、|少《すこ》しく|人家《じんか》|稠密《ちうみつ》な|地点《ちてん》へ|行《ゆ》かうぢやありませぬか』
|清公《きよこう》『そんな|話《はなし》はどうでもよい。お|前《まへ》の|探検《たんけん》して|来《き》た|次第《しだい》を|逐一《ちくいち》|注進《ちゆうしん》せぬかい』
モンキー『イヤ……モウ、|思《おも》ひ|出《だ》してもゾツとする。どうぞそればつかりは|御量見《ごりやうけん》|下《くだ》さい』
チヤンキー『|何《なん》だか|周章《あわて》たモンキーの|様子《やうす》、|日頃《ひごろ》の|臆病《おくびやう》が|突発《とつぱつ》したのだな。|何時《いつ》も|口癖《くちぐせ》の|様《やう》に|仮令《たとへ》|天地《てんち》は|覆《かへ》るとも、|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ……と|云《い》つて|居《を》つたぢやないか。|一体《いつたい》|何《ど》んな|事《こと》があつたのか。|斥候《せきこう》が|報告《はうこく》をせないと|云《い》ふ|事《こと》があるものか。|大蛇《だいじや》に|狙《ねら》はれた|蛙《かへる》の|様《やう》に|小《ちひ》さくなつて、|何《なん》の|態《ざま》ぢや』
モンキー『ヤイヤイ、|大蛇《をろち》の|事《こと》はモウ|言《い》うて|呉《く》れな。|俺《おれ》は|体《からだ》が|縮《ちぢ》み|上《あが》る|様《やう》だ』
|清公《きよこう》『ハヽア、|噂《うはさ》に|聞《き》いたクシの|滝《たき》の、|酒呑大蛇《さけのみだいじや》を|見《み》て|来《き》よつたな。ヨシ、|其奴《そいつ》ア|面白《おもしろ》い。|一《ひと》つ|生命懸《いのちが》けの|活動《くわつどう》をして、|三五教《あななひけう》に|言向《ことむ》け|和《やは》すか。さもなくば|生《い》け|捕《どり》にして、|地恩城《ちおんじやう》へ|持《も》つて|帰《かへ》るか。|兎《と》も|角《かく》それを|聞《き》けば、|何《なん》だか|胴《どう》がすわつた|様《やう》な|心持《こころもち》がするワイ』
チヤンキー、モンキーは|蒼白《まつさを》な|顔《かほ》して、|腰《こし》をワナワナ|慄《ふる》はせ|乍《なが》ら、
|両人《りやうにん》『ワ…ワ…ワ…|私《わたし》はド…ド…どうやら|胴《どう》が|据《すわ》り……ませぬワイ。|如何《どう》しませう』
|清公《きよこう》『|貴様《きさま》の|腰《こし》は|何《なん》だ。|胴体《どうたい》|無《な》しの|凧《いかのぼり》、いかにも|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》な|腰抜《こしぬけ》|野郎《やらう》だな。|奴腰抜《どこしぬけ》|奴《め》、モウ|貴様《きさま》は|免除《めんぢよ》してやるから、|勝手《かつて》にヒルの|港《みなと》へ|逃《に》げ|帰《かへ》つたがよからうぞ』
チヤン、モン|二人《ふたり》は、
『それは|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|併《しか》し|送《おく》つて|頂《いただ》かぬと、|途《みち》に|又《また》あんな|奴《やつ》がやつて|来《き》たら|如何《どう》する|事《こと》も|出来《でき》ませぬワイ』
|清公《きよこう》『チヤンキー、|貴様《きさま》は|話《はなし》を|聞《き》いた|丈《だけ》で|震《ふる》うてるぢやないか。モンキーの|恐怖心《きようふしん》に|駆《か》られた|精神《せいしん》|作用《さよう》で、そんな|幻覚《げんかく》を|起《おこ》したのだらう。|貴様《きさま》|此処《ここ》に|待《ま》つて|居《を》れ。|動《うご》いちや|可《い》けないぞ。|俺《おれ》が|実地《じつち》|探検《たんけん》をやつて|来《く》るから……』
|両人《りやうにん》『ハイどうぞ、|御無事《ごぶじ》に|帰《かへ》つて|下《くだ》さい。|動《うご》けと|仰有《おつしや》つても|動《うご》けませぬワ。|斯《か》う|足部《そくぶ》に|菎蒻《こんにやく》の|幽霊《いうれい》が|憑依《ひようい》しては、|如何《いかん》ともする|事《こと》は|出来《でき》ぬ』
|清公《きよこう》『アーア|勇将《ゆうしやう》の|下《もと》に|勇卒《ゆうそつ》なし。|俺《おれ》もヤツパリ|因縁《いんねん》が|悪《わる》いと|見《み》える。|斯《こ》んな|奴《やつ》を|連《つ》れて|来《こ》なかつた|方《はう》が、|何程《なにほど》よかつたか|知《し》れやしない。まさかの|時《とき》に|骨《ほね》を|拾《ひろ》うてやる|面倒《めんだう》も|要《い》らず、エーエ|良《よ》い|穀潰《ごくつぶ》しだな』
と|二人《ふたり》を|残《のこ》し、|木《き》の|茂《しげ》みを|分《わ》けて|近寄《ちかよ》つて|見《み》れば、|数十人《すうじふにん》の|真黒《まつくろ》けの|男《をとこ》、|滝壺《たきつぼ》の|前《まへ》に|堵列《とれつ》し|一生懸命《いつしやうけんめい》に|何事《なにごと》か|祈《いの》つて|居《ゐ》る。|白衣《はくい》を|着《つ》けた|神主《かむぬし》らしい|男《をとこ》|三人《さんにん》、|大麻《おほぬさ》を|前後左右《ぜんごさいう》に|頻《しき》りに|振廻《ふりまは》し、|片言混《かたことまじ》りの|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|土人《どじん》は|其《その》|声《こゑ》に|従《つ》れて、|汗《あせ》をタラタラ|流《なが》し|乍《なが》ら|合唱《がつしやう》して|居《ゐ》る。よくよく|見《み》れば、|周囲《まはり》|一丈《いちぢやう》も|有《あ》らむと|思《おも》はるる|大蛇《をろち》、|赤《あか》い|蛇腹《じやばら》をダンダラ|幕《まく》の|様《やう》に|見《み》せた|儘《まま》、|二三間《にさんげん》|許《ばか》り|鎌首《かまくび》を|立《た》て、|頻《しき》りに|毒気《どくき》を|吹《ふ》いて|居《ゐ》る|所《ところ》であつた。
|昔《むかし》は|此《この》|滝《たき》に|自然《しぜん》の|清酒《せいしゆ》|湧《わ》き|出《い》で、|山《やま》の|竜神《りうじん》|時々《ときどき》|来《きた》つて|是《こ》れを|呑《の》みつつあつたが、|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|初《はじ》めて|此《この》|島《しま》に|渡《わた》られし|時《とき》より、|次第《しだい》|々々《しだい》に|酒《さけ》の|湧出量《ゆうしゆつりやう》を|減《げん》じ、|遂《つい》には|一滴《いつてき》も|出《で》なくなつて|了《しま》つた。|傍《かたはら》の|滝《たき》は|淙々《そうそう》として|昔《むかし》に|変《かは》らず|流《なが》れ|落《お》ちて|居《ゐ》る。|此《この》|水上《みなかみ》に|棲息《せいそく》せる|大蛇《をろち》は、|酒《さけ》を|呑《の》まむと|来《き》て|見《み》れば、|一滴《いつてき》もなきに|業《ごふ》を|煮《に》やし、|夜《よ》な|夜《よ》な|人間《にんげん》の|子《こ》を|呑《の》み|喰《くら》ふ|事《こと》となつた。|附近《ふきん》の|郷人《さとびと》は|此《この》|害《がい》を|防《ふせ》がむ|為《ため》に、|飯依彦神《いひよりひこのかみ》の|末裔《まつえい》たる|飯依別《いひよりわけ》に|神宣《しんせん》を|請《こ》はしめた。|此《この》|時《とき》、|大蛇《をろち》の|霊《れい》、|憑依《ひようい》して|云《い》ふ……
『|汝等《なんぢら》、|愛児《あいじ》の|生命《いのち》を|取《と》らるるを|悲《かな》しと|思《おも》はば、|所在《あらゆる》|果物《くだもの》を|以《もつ》て|酒《さけ》を|醸《つく》り、|彼《か》の|滝壺《たきつぼ》に|満《みた》して|我《われ》に|献《けん》ぜよ。さすれば|汝等《なんぢら》が|愛児《あいじ》を|呑《の》む|事《こと》を|止《とど》めむ』
と|云《い》つた。それより|郷人《さとびと》は|数多《あまた》の|果物《くだもの》を|集《あつ》め|酒《さけ》を|造《つく》り、|此《この》|山坂《やまさか》を|登《のぼ》り|来《きた》つて、|此《この》|滝壺《たきつぼ》に|酒《さけ》を|満《み》たす|事《こと》を|仕事《しごと》の|如《ごと》くにして|居《ゐ》た。|大蛇《をろち》は|月《つき》に|一回《いつくわい》づつ|現《あら》はれ|来《きた》り、|滝壺《たきつぼ》の|酒《さけ》を|一滴《いつてき》も|残《のこ》らず|呑《の》み|干《ほ》す|事《こと》が|例《れい》となつて|居《ゐ》た。
|一年《いちねん》に|一回《いつくわい》|位《くらゐ》ならば|如何《どう》なつと|仕様《しやう》もあるが、|数十石《すうじつこく》を|満《みた》す|此《この》|滝壺《たきつぼ》に、|毎月《まいつき》|果物《くだもの》の|酒《さけ》を|充《みた》さねばならぬと|云《い》ふ|事《こと》は、|余《あま》り|多《おほ》からぬ|郷人《さとびと》に|取《と》つては、|此《この》|上《うへ》なき|大苦痛《だいくつう》であつた。|一ケ月《いつかげつ》にても|之《これ》を|怠《おこた》りし|時《とき》は、|大蛇《をろち》|忽《たちま》ち|来《きた》りて|郷《さと》の|児《こ》を|呑《の》み|喰《くら》ひ、|足《た》らざる|時《とき》は|若《わか》き|妙齢《めうれい》の|女《をんな》を|片《かた》ツ|端《ぱし》から|呑《の》んで|了《しま》ふ。|此《この》|惨状《さんじやう》を|如何《いか》にもして|逃《のが》れむと|郷人《さとびと》|諜《しめ》し|合《あは》せ|酒《さけ》に|茴香《ういきやう》の|粉末《ふんまつ》を|混《こん》じ、|香《にほひ》よき|酒《さけ》となし、|此《この》|滝壺《たきつぼ》に|充《みた》し|置《お》き、|大蛇《をろち》の|来《きた》り|呑《の》むを、|木蔭《こかげ》に|潜《ひそ》んで|息《いき》をこらして|待《ま》つて|居《ゐ》た。
|大蛇《をろち》は|二三日前《にさんにちまへ》より|此処《ここ》に|現《あら》はれ、|数十石《すうじつこく》の|酒《さけ》を|悠々《いういう》として|呑《の》み|干《ほ》し、|最早《もはや》|半分《はんぶん》|許《ばか》り|三日間《みつかかん》に|呑《の》み|終《をは》り、|毒《どく》が|廻《まは》つて|悶《もだ》え|苦《くるし》みつつあつた。そこへ|飯依別《いひよりわけ》、|久木別《くきわけ》、|久々別《くくわけ》の|神司《かむづかさ》は、|数多《あまた》の|郷人《さとびと》と|共《とも》に、|大蛇《をろち》を|中《なか》に|四方《しはう》を|取囲《とりかこ》み、|一時《いちじ》も|早《はや》く|毒《どく》が|大蛇《をろち》の|全身《ぜんしん》に|廻《まは》り、|亡《ほろ》びます|様《やう》と|祈願《きぐわん》をこめつつあつたのである。|大蛇《をろち》は|一丈《いちぢやう》|許《ばか》りの|大口《おほぐち》をパツと|開《ひら》いて、|首《くび》をシヤクリ|乍《なが》ら|死物狂《しにものぐるひ》になつて、|郷人《さとびと》を|目蒐《めが》けて|噛《か》みつかむとする。|飯依別《いひよりわけ》|外《ほか》|二人《ふたり》は、|其《その》|度《たび》|毎《ごと》に|大蛇《をろち》の|比礼《ひれ》と|称《しよう》する、|大麻《おほぬさ》を|打振《うちふ》り|打振《うちふ》り|大蛇《をろち》を|悩《なや》ませて|居《ゐ》た。
されど|巨大《きよだい》なる|蛇体《じやたい》に|茴香《ういきやう》の|毒《どく》|位《くらゐ》にては、|人間《にんげん》が|悪酔《わるゑひ》した|時《とき》の|様《やう》なもので、|生命《いのち》に|関《かか》はる|丈《だけ》の|効果《かうくわ》はない。そこで|酔《ゑひ》が|醒《さ》めたる|上《うへ》は、|此《この》|大蛇《をろち》|再《ふたた》び|来《きた》りて|如何《いか》なる|復讐《ふくしう》をなすかも|知《し》れずと、|心《こころ》も|心《こころ》ならず、|数多《あまた》の|郷人《さとびと》は|寄《よ》つて|集《たか》つて、|大蛇《をろち》|退治《たいぢ》の|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らしつつあつたのである。|斬《き》れども|突《つ》けども|鱗《うろこ》|堅《かた》くして|鋼鉄《かうてつ》の|如《ごと》く、|到底《たうてい》|人間《にんげん》としては|如何《いかん》ともする|事《こと》が|出来《でき》なかつた。|此《この》|村《むら》の|土人《どじん》にしてタリヤと|云《い》ふ|力強《ちからづよ》の|男《をとこ》、|大鎌《おほかま》を|携《たづさ》へ|大蛇《をろち》にワザと|呑《の》まれ、|腹中《ふくちゆう》にて|鎌《かま》を|以《もつ》て|臓腑《ざうふ》を|斬《き》り|破《やぶ》り、|大蛇《をろち》を|殪《たふ》さむと|試《こころ》み、|二三日《にさんにち》|以前《いぜん》にワザと|呑《の》まれて|了《しま》つたのだが、|今《いま》に|其《その》|男《をとこ》は|如何《どう》なつたか、|唯《ただ》|大蛇《をろち》は|少《すこ》しく|目《め》の|色《いろ》を|変《か》へて|苦《くる》しげに|狂《くる》ふ|計《ばか》りである。されどさう|急《きふ》に|死《し》にさうにもなし、|人間《にんげん》が|酒《さけ》の|酔《ゑひ》に|少々《せうせう》|酩酊《めいてい》して|首《くび》を|振《ふ》つてる|位《くらゐ》な|態度《たいど》とよりか|見《み》えないので、|飯依別《いひよりわけ》|始《はじ》め|一同《いちどう》の|心配《しんぱい》は|容易《ようい》でなかつた。|唯《ただ》|此《この》|上《うへ》は|神《かみ》の|力《ちから》に|依《よ》りて|大蛇《をろち》を|退治《たいぢ》し|貰《もら》はむと|祈《いの》るより|外《ほか》に|道《みち》がなかつたのである。
|清公《きよこう》は|木蔭《こかげ》に|潜《ひそ》み、|稍《やや》|胸《むね》を|躍《をど》らせ|乍《なが》ら|此《この》|態《てい》を|熟視《じゆくし》して|居《ゐ》た。|何時《いつ》の|間《ま》にか|身体《からだ》の|各部《かくぶ》に|痳痺《まひ》を|感《かん》じ、|一寸《ちよつと》も|自由《じいう》の|利《き》かぬ|様《やう》になつて|居《を》る|事《こと》に|気《き》が|付《つ》いた。|大蛇《をろち》は|今度《こんど》はノソリノソリと|人垣《ひとがき》を|破《やぶ》つて|広《ひろ》く|這《は》ひ|出《だ》し、|尾《を》を|頻《しき》りに|振《ふ》つて、|四辺《あたり》の|樹木《じゆもく》を【しばき】|倒《たふ》し|暴《あ》れ|狂《くる》ふ。|郷人《さとびと》は|尾《を》の|先《さき》に|叩《たた》かれて|死《し》する|者《もの》|刻々《こくこく》に|殖《ふ》えて|来《く》る。|大蛇《をろち》は|益々《ますます》|暴《あば》れ|狂《くる》ふ。|茴香《ういきやう》の|毒《どく》が|全身《ぜんしん》に|廻《まは》つたのと、|蛇体《じやたい》に|最《もつと》も|有毒《いうどく》なる|鉄製鎌《てつせいかま》の|悩《なや》みとに|依《よ》つて、|流石《さすが》の|大蛇《をろち》も|死物狂《しにものぐる》ひになり、|苦《くる》しみ|出《だ》したのである。|清公《きよこう》は|其《その》|尾《を》に|振《ふ》られて|二三丁《にさんちやう》|許《ばか》り|中空《ちうくう》に|捲上《まきあ》げられ、チヤンキー、モンキーの|腰《こし》を|抜《ぬ》かして|待《ま》つて|居《ゐ》る|岩石《がんせき》の|傍《かたはら》にドサリと|降《ふ》つて|来《き》た。|愈《いよいよ》|此処《ここ》に|三人《さんにん》の|躄《ゐざり》が|揃《そろ》つた|訳《わけ》だ。|嗚呼《ああ》、|大蛇《をろち》の|身体《からだ》を|始《はじ》め|此《この》|三人《さんにん》の|運命《うんめい》は|如何《どう》なるであらうか。
(大正一一・七・八 旧閏五・一四 松村真澄録)
第六章 |三腰岩《みこしいは》〔七五二〕
|大蛇《をろち》の|尻尾《しつぽ》に|跳《は》ね|飛《と》ばされた|清公《きよこう》は、|広言《くわうげん》を|吐《は》いたチヤンキー、モンキーの|二人《ふたり》の|目《め》の|前《まへ》に|腰《こし》を|抜《ぬ》かし、|醜態《ぶざま》にも|顔《かほ》を|顰《しか》め、|大腿骨《だいたいこつ》を|痛《いた》め、|苦虫《にがむし》を|噛《か》んだやうな、|六ケ《むつか》しい|顔《かほ》をして|気張《きば》つて|居《ゐ》る|可笑《をか》しさ。|腰《こし》の|立《た》たぬ|三人《さんにん》は、|口《くち》ばかりは|相変《あひかは》らず|達者《たつしや》である。
チヤンキー『モーシモーシ|清公《きよこう》さま お|前《まへ》は|余《よ》つ|程《ぽど》|偉《えら》い|奴《やつ》
|竜宮嶋《りうぐうじま》の|地恩郷《ちおんきやう》 |左守神《さもりのかみ》まで|登《のぼ》りつめ
|雪隠《せんち》の|虫《むし》の|高上《たかあが》り |漸《やうや》う|大地《だいち》へ|這《は》ひ|上《のぼ》り
カンピンタンになつた|上《うへ》 |蠅《はへ》に|孵化《ふくわ》して|王《わう》さまの
|頭《あたま》の|上《うへ》まで|登《のぼ》らうと |企《たく》んだ|事《こと》も|水《みづ》の|泡《あわ》
|小便《せうべん》|垂《た》れて|糞《ばば》|垂《た》れて |宇豆姫《うづひめ》さまに|撥《はぢ》かれて
ドン|底《ぞこ》|迄《まで》も|顛落《てんらく》し いよいよ|此処《ここ》に|改心《かいしん》の
|実《じつ》を|示《しめ》さうと|我々《われわれ》を |言葉《ことば》|巧《たくみ》にちよろまかし
|相《あい》も|変《かは》らぬ|悪《わる》い|事《こと》 |続《つづ》けるつもりでスタスタと
タカの|港《みなと》までやつて|来《き》て |誰《たれ》の|船《ふね》かは|知《し》らねども
|屋根無《たなな》し|船《ぶね》を|何々《なになに》し |吾物顔《わがものがほ》に|悠々《いういう》と
|浪《なみ》を|渡《わた》つて|夜《よる》のうち |人目《ひとめ》を|忍《しの》んでヒル|港《みなと》
|改心《かいしん》したとは|何《なん》の|事《こと》 |大事《だいじ》の|大事《だいじ》の|他人《ひと》の|船《ふね》
|代価《あたへ》も|遣《や》らずにぼつたくり |三五教《あななひけう》を|此《この》|郷《さと》に
|開《ひら》かうとしたのが|運《うん》の|尽《つき》 |俺《おれ》まで|矢張《やつぱり》|盗人《ぬすびと》の
そのお|仲間《なかま》に|引《ひ》き|込《こ》んで |大将顔《たいしやうがほ》を|提《さ》げ|歩《ある》き
クシの|雄滝《をだき》の|手前《てまへ》まで |口《くち》と|心《こころ》のそぐはない
|宣伝歌《せんでんか》をば|歌《うた》ひつつ |同《おな》じ|教《をしへ》の|道《みち》の|子《こ》の
|我々《われわれ》|二人《ふたり》を|頤《あご》の|先《さき》 チヤンキーモンキーと|口《くち》の|先《さき》
|汚《きたな》い|言葉《ことば》で|扱《こ》き|使《つか》ひ |主人面《しゆじんづら》してやつて|来《き》た
その|天罰《てんばつ》は|目《ま》のあたり |大蛇《をろち》の|尻尾《しつぽ》に|撥《は》ねられて
|左守神《さもりのかみ》になつたやうに |一旦《いつたん》|高《たか》く|舞《ま》ひ|上《あが》り
スツテンドウと|土《つち》の|上《うへ》 |忽《たちま》ち|変《かは》る|地獄道《ぢごくだう》
|腰弱男《こしよわをとこ》が|腰抜《こしぬ》かし お|尻《しり》の|骨《ほね》を|打《う》ち|砕《くだ》き
|吠面《ほえづら》かわくは|何《なん》の|事《こと》 お|尻《しり》の|仕末《しまつ》のつかぬ|人《ひと》
そんなお|方《かた》と|知《し》らずして |従《つ》いて|来《き》たのが|我々《われわれ》の
|不覚《ふかく》と|悔《くや》んで|見《み》たとこが |六日《むゆか》の|菖蒲《あやめ》|十日菊《とをかきく》
|改慢心《かいまんしん》の|清公《きよこう》の |猫《ねこ》の|眼球《めだま》のお|招伴《せうばん》
こんな|約《つま》らぬ|事《こと》はない チヤンキーモンキー|騒《さわ》いでも
お|腰《こし》が|立《た》たねば|仕方《しかた》ない |私等《わたしら》|二人《ふたり》をこんな|目《め》に
|遇《あ》はして|置《お》いて|清公《きよこう》さま |何《ど》うする|積《つも》りで|御座《ござ》るのか
|余《あま》りと|云《い》へばあんまりぢや お|前《まへ》の|腰《こし》は|何《ど》うなろが
お|尻《しり》の|骨《ほね》は|砕《くだ》けやうが |私《わたし》は|些《ちつ》とも|構《かま》やせぬ
お|傍杖《そばづゑ》をば|喰《く》はされた |私等《わたしら》|二人《ふたり》は|此《この》|儘《まま》に
|此処《ここ》で|死《し》んだら|化《ば》けて|出《で》て お|前《まへ》の|影身《かげみ》に|附添《つきそ》うて
|生首《なまくび》かかねば|置《お》かぬぞや あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|目玉《めだま》|飛《と》び|出《で》るやうな|目《め》に |私《わたし》は|遇《あ》はされ|耐《たま》らない
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |清公《きよこう》の|奴《やつ》は|死《し》ぬるとも
|私《わし》にとつては|大蛇《【だいじや】》ない |早《はや》く|改心《かいしん》した|上《うへ》で
|我等《われら》|二人《ふたり》が|壮健《さうけん》で お|前《まへ》を|見捨《みす》てて|帰《かへ》るやうに
どうぞ|祈《いの》つて|下《くだ》さんせ |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》 |唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ |身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》せ
さはさりながら|我々《われわれ》は |清公《きよこう》の|奴《やつ》にこんな|目《め》に
|遇《あ》はされ|何《ど》うして|此《この》|儘《まま》に |恨《うら》み|返《かへ》さでおかれやうか
|尻尾《しつぽ》の|毛《け》|迄《まで》|一本《いつぽん》も |無《な》い|処《ところ》|迄《まで》|抜《ぬ》かれたる
チヤンキー、モンキーは|云《い》ふも|更《さら》 |肝腎要《かんじんかなめ》の|清公《きよこう》は
|肝《きも》を|抜《ぬ》かれて|腰《こし》を|抜《ぬ》き |悲惨《ひさん》|極《きは》まる|為体《ていたらく》
お|互《たがひ》|一様《いちやう》に|身《み》の|上《うへ》は |気《き》の|毒《どく》なりける|次第《しだい》なり』
と|自暴自棄《やけくそ》になりて、|出放題《ではうだい》を|喋《しやべ》り|立《た》てて|居《ゐ》る。|清公《きよこう》も|此《この》|滑稽《こつけい》な|揶揄《からかひ》|半分《はんぶん》の|歌《うた》に|痛《いた》さを|忘《わす》れてクツクツ|笑《わら》ひ|出《だ》す。
|清公《きよこう》『セイロン|島《たう》の|土籠《つちごもり》 |黒《くろ》ン|坊《ばう》|人種《じんしゆ》の|成《な》れの|果《はて》
チヤンキーモンキー|両人《りやうにん》が |小糸《こいと》の|姫《ひめ》に|頼《たの》まれて
|可愛《かあい》い|妻子《つまこ》を|後《あと》に|置《お》き お|金《かね》の|慾《よく》に|目《め》が|眩《くら》み
|義理《ぎり》も|人情《にんじやう》も|打《う》ち|忘《わす》れ |海洋万里《かいやうばんり》の|浪《なみ》の|上《うへ》
|汗《あせ》もたらたら|漕《こ》ぎ|廻《まは》る |時《とき》しもあれや|天狗風《てんぐかぜ》
|魔島《ましま》に|船《ふね》は|打《う》ちあたり |木端微塵《こつぱみぢん》となつた|時《とき》
|肝腎要《かんじんかなめ》のお|客《きやく》さま |小糸《こいと》の|姫《ひめ》を|顧《かへり》みず
|船《ふね》は|無《な》けれど|黒《くろ》い|尻《しり》 |帆《ほ》をかけ|登《のぼ》る|岩《いは》の|上《うへ》
|三年三月《みとせみつき》も|雨風《あめかぜ》や |天日《てんぴ》に|曝《さら》され|泣《な》き|面《づら》を
|乾《かわ》かし|蟹《かに》や|貝《かひ》を|採《と》り |食《く》つて|漸々《やうやう》|惜《を》しからぬ
|命《いのち》をながらへ|時《とき》を|待《ま》つ |高姫《たかひめ》さまや|蜈蚣姫《むかでひめ》の
|船《ふね》が|来《き》たのを|幸《さいは》ひに |玉《たま》を|匿《かく》した|匿《かく》さぬと
やつさもつさの|押問答《おしもんだふ》 |囀《さへづ》る|折《をり》しもテンカオの
|島《しま》は|忽《たちま》ち|海底《かいてい》に |沈《しづ》んだお|蔭《かげ》で|魔《ま》の|神《かみ》は
|浪《なみ》に|呑《の》まれて|大勢《おほぜい》が |蚊《か》の|啼《な》くやうな|情《なさ》けない
|声《こゑ》を|絞《しぼ》つて|居《ゐ》たところ |玉治別《たまはるわけ》の|一行《いつかう》に
|安《やす》い|命《いのち》を|助《たす》けられ ニユージーランドの|玉森《たまもり》で
エツパツパーを|喰《く》はされて |泣《な》く|泣《な》く|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》
タカの|港《みなと》に|上陸《じやうりく》し |地恩《ちおん》の|郷《さと》に|登《のぼ》りつめ
チヤンキーモンキーと|呼《よ》び|捨《す》てに |皆《みんな》の|奴等《やつら》に|馬鹿《ばか》にされ
|雪隠《せんち》の|中《なか》の|掃除《さうぢ》まで やつて|居《ゐ》たるを|見《み》た|俺《おれ》は
|可愛《かあい》さうだと|慈悲心《じひしん》を |起《おこ》してタカの|港《みなと》より
|黙《だま》つて|船《ふね》を|拝借《はいしやく》し |鳥《とり》|無《な》き|郷《さと》の|蝙蝠《かふもり》に
|出世《しゆつせ》をさせようと|連《つ》れて|来《き》て |働《はたら》かさうと|思《おも》つたら
|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》の|馬鹿者《ばかもの》が |大蛇《をろち》の|姿《すがた》に|腰抜《こしぬ》かし
|中《なか》にもチヤンキーの|腰抜《こしぬ》けは |話《はなし》を|聞《き》いて|胴《どう》|慄《ふる》ひ
|脛腰《すねこし》|立《た》たぬその|態《ざま》で |俺《おれ》に|向《むか》つて|屁理窟《へりくつ》を
|云《い》ふとは|些《ちつ》と|両人《りやうにん》の |見当《けんたう》|違《ちが》ひぢやあるまいか
|大馬鹿者《おほばかもの》の|腰抜《こしぬ》けが |二人《ふたり》|揃《そろ》うた|岩《いは》の|上《うへ》
|愚図々々《ぐづぐづ》すると|最前《さいぜん》の |大蛇《をろち》の|奴《やつ》が|飛《と》んで|来《き》て
|今度《こんど》は|深《ふか》き|谷底《たにぞこ》へ |尻尾《しつぽ》の|先《さき》で|振《ふ》り|落《おと》し
|身《み》を|砕《くだ》かれて|冥途《めいど》|往《ゆ》き |三途《さんづ》の|川《かは》の|鬼婆《おにばば》に
|何《なん》ぢやかんぢやと|虐《いぢ》められ |末《すゑ》には|血《ち》の|池《いけ》|針《はり》の|山《やま》
|焦熱地獄《せうねつぢごく》に|墜落《つゐらく》し |鬼《おに》に|喰《く》はれて|仕舞《しま》ふぞよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |叶《かな》はぬからの|神頼《かみだの》み
|哀《あは》れなりける|次第《しだい》なり アハヽヽハツハ|阿呆《あはう》|面《つら》
ウフヽヽフツフ|呆《う》つけ|者《もの》 イヒヽヽヒツヒ|因果者《いんぐわもの》
オホヽヽホツホ|大馬鹿《おほばか》よ エヘヽヽヘツヘエーやめて|置《お》かう』
と|喋《しやべ》り|終《をは》つた|途端《とたん》に、|清公《きよこう》の|腰《こし》はヒヨツコリと|立《た》つた。|続《つづ》いてチヤンキーの|腰《こし》も|亦《また》|立《た》ち|上《あが》つた。
チヤンキー『ヤア、|余《あんま》り|清公《きよこう》がしようも|無《な》い|事《こと》を|云《い》ふものだから、|言霊《ことたま》の|口罰《くちばち》が|当《あた》つて、|堅磐常磐《かきはときは》に|鎮座《ちんざ》ましました|石座《いはくら》を|離《はな》れ、|又《また》|徐々《そろそろ》|働《はたら》かねばならぬやうになつて|仕舞《しま》つた。……モンキー、|貴様《きさま》は|幸福者《しあわせもの》だ。|何処迄《どこまで》も|泰然自若《たいぜんじじやく》として、|安楽《あんらく》に|岩《いは》の|上《うへ》に|暮《く》らせる|身分《みぶん》だ。|我等《われら》|両人《りやうにん》はそろそろ|是《これ》から|活動《くわつどう》に|這入《はい》るのだ。|何卒《どうぞ》|貴様《きさま》、|生神様《いきがみさま》になつて|其処《そこ》に|胴《どう》を|据《す》ゑ、|俺等《おれら》|両人《りやうにん》の|幸《さいはひ》を|守《まも》つて|呉《く》れ。|南無《なむ》モンキー|大明神《だいみやうじん》、|叶《かな》はぬなら|立《た》ち|上《あが》りませだ。アハヽヽヽ』
と|二人《ふたり》は|面白《おもしろ》さうに|足《あし》が|立《た》つた|嬉《うれ》しさに|妙《めう》な|手《て》つきで|踊《をど》つて|居《ゐ》る。モンキーは|業《ごふ》を|煮《に》やし、|立《た》つて|見《み》ようと|焦慮《あせ》れど|藻掻《もが》けど、ビクともしない。たうとう|自棄気味《やけぎみ》になつて|下《くだ》らぬ|歌《うた》を|喋《しやべ》り|始《はじ》めた。
『|清公《きよこう》チヤンキーよつく|聞《き》け |俺《おれ》は|誠《まこと》の|生神《いきがみ》ぢや
|岩《いは》に|喰《く》ひつき|獅噛《しが》みつき |胴《どう》は|据《す》わつて|動《うご》かない
ビクとも|致《いた》さぬ|大和魂《やまとだま》 |貴様《きさま》の|腰《こし》は|浮《う》き|調子《てうし》
|又々《またまた》|悪魔《あくま》に|導《みちび》かれ |大蛇《をろち》の|尻尾《しつぽ》に|撥《はぢ》かれて
|再《ふたた》び|天上《てんじやう》するがよい |俺《おれ》は|貴様《きさま》の|墜落《つゐらく》を
|空《そら》を|仰《あふ》いで|待《ま》つて|居《ゐ》る |雪隠虫《せつちんむし》の|高上《たかあ》がり
|名《な》は|清公《きよこう》と|申《まを》せども |心《こころ》の|色《いろ》は|泥公《どろこう》が
チヤンキーチヤンキーと|偉《えら》さうに |口《くち》では|云《い》へど|何一《なにひと》つ
チヤンキーチヤンキーと|埒明《らちあ》かぬ |困《こま》つた|奴《やつ》が|唯《ただ》|一人《ひとり》
|此《この》|世《よ》の|中《なか》の|穀潰《ごくつぶ》し |娑婆《しやば》に|居《を》つても|用《よう》はない
|俺《おれ》は|何《なん》にも|岩《いは》の|神《かみ》 |万劫末代《まんがふまつだい》|動《うご》き|無《な》き
|下津岩根《したついはね》に|腰《こし》|据《す》ゑて |貴様等《きさまら》|二人《ふたり》の|行末《ゆくすゑ》を
アーイーウーエーオホヽヽヽ |嘲笑《あざわら》ひつつ|見《み》て|暮《く》らす
|四《よ》つ|足《あし》|身魂《みたま》に|汚《けが》された |碌《ろく》な|事《こと》せぬ|二人連《ふたりづ》れ
|一日《ひとひ》も|速《はや》く|此《この》|場《ば》をば |離《はな》れて|往《ゆ》けよお|前達《まへたち》
|愚図々々《ぐづぐづ》してると|其辺中《そこらぢう》 |空気《くうき》の|色《いろ》|迄《まで》|悪《わる》くする
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |目玉《めだま》の|飛《と》び|出《で》るやうな|目《め》に
|遇《あ》はせて|下《くだ》さい|三五《あななひ》の |皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に
|二人《ふたり》の|為《ため》に|祈《いの》ります エヘヽヽヘツヘ|得体《えたい》の|知《し》れぬ
オホヽヽホツホ|大馬鹿者《おほばかもの》|奴《め》 カヽヽヽカツカ|空威張《からゐば》り
キヽヽヽキツキ|気《き》に|喰《く》はぬ クヽヽヽクツク|糞奴《くそやつこ》
ケヽヽヽケツ|ケ怪《け》しからぬ コヽヽヽコツコ|困《こま》り|者《もの》
サヽヽヽサツサ|逆《さか》とんぼ シヽヽヽシツシ|強太《しぶと》い|奴《やつこ》
スヽヽヽスツス|好《すか》ん|平野郎《べいやらう》 セヽヽヽセツセ|雪隠虫《せんちむし》
ソヽヽヽソツソそぐり|立《た》てた タヽヽヽタツタ|高上《たかあが》り
チヽヽヽチツチちんちくりん ツヽヽヽツツツ|聾者《つんぼ》|盲人《めくら》
テヽヽヽテツテ|天狗面《てんぐづら》 トヽヽヽトツト|呆《とぼ》け|野郎《やらう》
ナヽヽヽナツナ|泣《な》きツ|面《つら》 ニヽヽヽニツニ|憎《にく》まれ|子《ご》
|憎《にく》まれにくまれ|世《よ》に|覇張《はば》る ヌヽヽヽヌツヌヌーボ|式《しき》
ネヽヽヽネツネ|鼠《ねずみ》の|子《こ》 ノヽヽヽノツノ|野天狗《のてんぐ》|野狐《のぎつね》|豆狸《まめだぬき》
ハヽヽヽヽツハ|薄情者《はくじやうもの》 ヒヽヽヽヒツヒ|非常識《ひじやうしき》
フヽヽヽフツフ|戯《ふざ》けた|事《こと》をしやがつて
ヘヽヽヽヘツヘ|屁理窟《へりくつ》ばかり|叩《たた》きよる
ホヽヽヽヽツホほうけ|野郎《やらう》 マヽヽヽマツマ|曲津《まがつ》|御霊《みたま》の|張本《ちやうほん》よ
ミヽヽヽミツミ|蚯蚓《みみづ》|土竜《むぐら》の|土潜《つちくぐ》り
ムヽヽヽムツム|蜈蚣姫《むかでひめ》|臭《くさ》い|婆《ば》さま|腰巾着《こしぎんちやく》
メヽヽヽメツメ|盲目《めくら》|聾者《つんぼ》の|腰抜《こしぬ》け|野郎《やらう》
モヽヽヽモツモ|耄碌魂《まうろくみたま》の|二人連《ふたりづ》れ
ヤヽヽヽヤツヤ|奴《やつこ》|野郎《やらう》の
イヽヽヽイツイ|意地《いぢ》くね|悪《わる》い
ユヽヽヽユツユ|幽霊腰《いうれいごし》
エヽヽヽエツエえぐたらしい
ヨヽヽヽヨツヨ|妖魅面《えうみづら》|提《さ》げて
ワヽヽヽワツワ|悪《わる》い|事《こと》|毎日毎夜《まいにちまいよ》|考《かんが》へよつて
ヰヽヽヽヰツヰ|一寸先《いつすんさき》は|暗《やみ》の|夜《よ》だ
ウヽヽヽウツウ|迂路々々《うろうろ》と|其辺《そこら》あたりを|魔胡《まご》つき|出《い》だし
ヱヽヽヽヱツヱ|偉《えら》さうに
ヲヽヽヽヲツヲ|大失策《おほしくじり》を|致《いた》したる|大馬鹿者《おほばかもの》の|臆病者《おくびやうもの》…………
|大腰抜《おほこしぬ》けの|狼野郎《おほかみやらう》、お|目出度《めでた》い|変《かは》り|者《もの》だ。サア|何処《どこ》へなりと|勝手《かつて》に|往《ゆ》け。その|代《かは》りに|盗《ぬす》んで|来《き》た|船《ふね》を|元《もと》の|所《ところ》へ|返《かへ》して|来《こ》い。さうで|無《な》ければ|三五教《あななひけう》の|宣伝《せんでん》に|歩《ある》いても|亦《また》|此《この》|通《とほ》りだ。|脛腰《すねこし》が|立《た》たぬやうに|致《いた》してやるぞよ。ウンウンウン』
と|体《からだ》を|揺《ゆす》り、そろそろ|発動《はつどう》し|初《はじ》め、|岩《いは》の|上《うへ》で|餅《もち》を|搗《つ》くやうに|体《からだ》を|上《あ》げたり|下《さ》げたり、|十数回《じふすうくわい》|繰《く》り|返《かへ》し、|何時《いつ》の|間《ま》にやら|抜《ぬ》けた|腰《こし》はちやんと|元《もと》の|通《とほ》りに|納《をさ》まり、そろそろ|歩《ある》き|出《だ》した。
|清公《きよこう》『ヤア、モンキー、|貴様《きさま》、|何時《いつ》の|間《ま》に|腰《こし》が|立《た》つたか』
モンキー『|俺《おれ》は|初《はじ》めから、|決《けつ》して|貴様等《きさまら》のやうに|腰《こし》は|抜《ぬ》かしては|居《ゐ》ないぞ。|余《あま》り|偉《えら》さうに|家来《けらい》|扱《あつか》ひに|致《いた》すから、|一寸《ちよつと》|芝居《しばゐ》をしてやつたのだ。ウフヽヽヽ』
と|肩《かた》を|揺《ゆす》る。
チヤンキー『アレアレ、|追々《おひおひ》|騒《さわ》がしく|聞《きこ》えて|来《く》る|老若男女《らうにやくなんによ》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》、こりや|斯《か》うしては|居《を》られない。いづれ|三人《さんにん》の|中《うち》|一人《ひとり》は|船《ふね》を|返《かへ》しに|帰《かへ》らねばならないが、|先《ま》づ|神様《かみさま》に|御猶予《ごいうよ》を|願《ねが》つて、|大蛇《をろち》の|征服《せいふく》を|済《すま》す|事《こと》にしようかい』
|清公《きよこう》『それもさうだ。|余《あま》り|大蛇《をろち》に|気《き》を|取《と》られて|祝詞《のりと》|奏上《そうじやう》を|忘《わす》れて|居《ゐ》た。|其《その》|罰《ばち》で|腰《こし》が|立《た》たなくなつたのだ。……アヽ|神様《かみさま》、|何卒《どうぞ》お|赦《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
と|三人《さんにん》は|一所《ひとところ》に|集《あつ》まり|来《きた》り、|高《たか》らかに|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|天《あま》の|数歌《かずうた》|及《およ》び|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひクシの|滝壺《たきつぼ》を|目蒐《めが》けて|進《すす》みゆく。
(大正一一・七・八 旧閏五・一四 加藤明子録)
第七章 |大蛇《をろち》|解脱《げだつ》〔七五三〕
|清公《きよこう》、チヤンキー、モンキーの|三人《さんにん》は、|酒《くし》の|滝壺《たきつぼ》の|前《まへ》に|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|進《すす》み|寄《よ》り|見《み》れば、さしもの|大蛇《をろち》も|毒酒《どくしゆ》に|酔《よ》ひ、|死物狂《しにものぐる》ひにノタ|打廻《うちまは》つた|揚句《あげく》、|大《おほい》に|疲労《ひらう》せしと|見《み》え、ガクリと|首《くび》を|曲《ま》げ|口《くち》を|噛《か》み|締《し》め、|殆《ほとん》ど|半死半生《はんしはんしやう》の|姿《すがた》になつて|居《ゐ》た。|飯依彦《いひよりひこ》の|末裔《まつえい》|飯依別《いひよりわけ》を|始《はじ》め、|久々別《くくわけ》、|久木別《くきわけ》の|三人《さんにん》の|神司《かむづかさ》は、|逃《に》げ|散《ち》りたる|数多《あまた》の|郷人《さとびと》を|呼《よ》び|集《あつ》め、|各自《かくじ》に|竹鎗《たけやり》を|持《も》ち、|大蛇《をろち》の|身体《からだ》を|鱗《うろこ》と|鱗《うろこ》の|間《あひだ》より、|力限《ちからかぎ》りに|突《つ》き|刺《さ》し、|殺《ころ》さむとする|真最中《まつさいちう》であつた。|飯依別《いひよりわけ》は|大蛇《をろち》の|身体《からだ》に|向《むか》ひ、
『|汝《なんぢ》|此《この》|郷《さと》を|日夜《にちや》に|荒《あら》し、|人民《じんみん》の|膏血《かうけつ》を|搾《しぼ》り、あまつさへ|我等《われら》が|妻子《さいし》を|呑《の》み|喰《くら》ひ、|郷人《さとびと》を|悩《なや》ませし|悪神《あくがみ》の|張本《ちやうほん》、|天《てん》は|何時迄《いつまで》も|汝《なんぢ》|如《ごと》き|悪神《あくがみ》を|赦《ゆる》し|給《たま》はず、|忝《かたじけ》なくも|真澄姫命《ますみひめのみこと》の|御神徳《ごしんとく》に|依《よ》りて、|汝《なんぢ》を|弱《よわ》らせ|退治《たいぢ》せむとの|我等《われら》が|計略《けいりやく》、よくも|斃死《くたば》つたなア。サア|是《これ》よりは|汝《なんぢ》の|肉体《にくたい》の|命《いのち》を|取《と》り、|此《この》|郷《さと》の|惨害《さんがい》を|除《のぞ》かむ。|汝《なんぢ》も|定《さだ》めて|天地間《てんちかん》の|生物《せいぶつ》、|神《かみ》の|御霊《みたま》を|受《う》け|居《を》るならむ。|必《かなら》ず|吾等《われら》が|今日《けふ》の|仕打《しうち》を|恨《うら》み、|霊魂《れいこん》|中有《ちうう》に|迷《まよ》ひ、|再《ふたた》び|此《この》|郷《さと》に|害《がい》を|加《くは》ふ|如《ごと》きことあらば、|吾等《われら》が|祈念《きねん》の|神力《しんりき》にて|其《その》|霊魂《みたま》を|責《せ》め|悩《なや》め、|根底《ねそこ》の|国《くに》へ|追《お》ひ|遣《や》らむほどに。……サア|大蛇《をろち》、|霊肉《れいにく》|共《とも》に|寂滅為楽《じやくめつゐらく》、|必《かなら》ず|此《この》|世《よ》に|心《こころ》を|残《のこ》してはならぬぞ』
と|大蛇《をろち》に|向《むか》つて|誅戮《ちうりく》の|宣示《せんじ》をなし、|久々別《くくわけ》、|久木別《くきわけ》|両人《りやうにん》が|指揮《しき》の|下《もと》に、|数多《あまた》の|郷人《さとびと》は|声《こゑ》を|揃《そろ》へて|竹鎗《たけやり》をしごき、|鱗《うろこ》と|鱗《うろこ》の|間《あひだ》に、|鎗《やり》の|穂先《ほさき》を|差込《さしこ》み『|一《ひい》|二《ふう》|三《み》』の|掛声《かけごゑ》、|一時《いちじ》に|突込《つきこ》まむと|身構《みがま》へする|折《をり》しも、|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》と|共《とも》に|現《あら》はれたる|清公《きよこう》|以下《いか》の|宣伝使《せんでんし》、ツカツカと|此《この》|場《ば》へ|近寄《ちかよ》り、
|清公《きよこう》『|我《われ》は|地恩郷《ちおんきやう》に|現《あら》はれ|給《たま》ふ|竜宮島《りうぐうじま》の|女王《ぢよわう》、|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》の|幕下《ばくか》、|清公《きよこう》、チヤンキー、モンキーと|申《まを》すもの、|今《いま》|木蔭《こかげ》に|忍《しの》んで|承《うけたま》はれば、|飯依別《いひよりわけ》|以下《いか》|二柱《ふたはしら》|郷人《さとびと》の|害《がい》を|除《のぞ》かむとして|毒酒《どくしゆ》の|計略《けいりやく》にて、|此《この》|大蛇《をろち》を|誅戮《ちうりく》せむとし|給《たま》ふ|其《その》|志《こころざし》、|実《じつ》に|尤《もつと》もなれども|仮令《たとへ》|大蛇《をろち》と|雖《いへど》も|天帝《てんてい》の|分身分体《ぶんしんぶんたい》なれば、|易々《やすやす》|殺《ころ》すべからず。|先《ま》づ|第一《だいいち》に|言霊《ことたま》を|以《もつ》て|之《これ》に|向《むか》ひ、|如何《いか》にしても|帰順《きじゆん》せざる|時《とき》は、|各《おのおの》|得物《えもの》を|以《もつ》て、|直接《ちよくせつ》|行動《かうどう》を|開始《かいし》すべきである。|先《ま》づ|先《ま》づ|待《ま》たせられよ』
と|制止《せいし》し|大蛇《をろち》の|頭部《とうぶ》にヒラリと|飛《と》び|上《あが》り、|盛《さか》んに|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。
|清公《きよこう》『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》す |三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|道《みち》
|仮令《たとへ》|大蛇《をろち》は|死《し》するとも |大蛇《をろち》の|霊魂《みたま》は|永久《とこしへ》に
|此《この》|世《よ》に|残《のこ》り|種々《くさぐさ》の |悪《あ》しき|曲行《まがわざ》|繰返《くりかへ》し
|恨《うら》みを|晴《は》らし|世《よ》を|乱《みだ》し |荒《あら》び|猛《たけ》るは|目《ま》の|当《あた》り
|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|曲神《まがかみ》も |善《ぜん》の|道《みち》には|敵《てき》し|得《え》ず
|月《つき》|毎《ごと》|日《ひ》|毎《ごと》|此《この》|郷《さと》に |現《あら》はれ|来《きた》り|諸人《もろひと》を
|悩《なや》まし|苦《くるし》む|此《この》|大蛇《をろち》 |元《もと》より|悪《あし》き|神《かみ》ならず
|遠《とほ》き|神世《かみよ》の|其《その》|昔《むかし》 |日《ひ》の|出神《でのかみ》が|現《あら》はれて
|真澄《ますみ》の|姫《ひめ》の|国魂《くにたま》を |大宮柱《おほみやばしら》|太知《ふとし》りて
|斎《いつ》き|祀《まつ》らせ|玉《たま》ひつつ |飯依彦命《いひよりひこのみこと》をば
|神《かみ》の|司《つかさ》と|定《さだ》められ |子々孫々《ししそんそん》に|至《いた》る|迄《まで》
|祭政《さいせい》|一致《いつち》の|大道《だいだう》を |夢《ゆめ》にも|忘《わす》れちやならないと
|教《をし》へ|置《お》かれし|言《こと》の|葉《は》を |郷人《さとびと》|残《のこ》らず|打忘《うちわす》れ
|利慾《りよく》の|淵《ふち》に|身《み》を|沈《しづ》め |勝利《しようり》の|山《やま》に|憧憬《あこがれ》て
|体主霊従《たいしゆれいじう》の|行動《かうどう》を |益々《ますます》|盛《さかん》に|続行《ぞくかう》し
|天地《てんち》の|神《かみ》の|御怒《みいか》りに |触《ふ》れて|曲津《まがつ》を|自《おのづか》ら
|生《う》み|出《いだ》したる|郷《さと》の|人《ひと》 |今《いま》|現《あら》はれし|此《この》|大蛇《をろち》
|皆《みな》|郷人《さとびと》の|魂《たましひ》や |心《こころ》の|色《いろ》の|反映《はんえい》に
|現《あら》はれ|出《い》でたるものなるぞ |心《こころ》|一《ひと》つの|持《も》ち|方《かた》で
|神《かみ》と|現《あら》はれ|鬼《おに》となり |大蛇《をろち》となるも|各自《めいめい》の
|言心行《げんしんかう》の|不一致《ふいつち》ゆ |生《う》み|出《いだ》したるものなるぞ
これの|大蛇《をろち》を|竹鎗《たけやり》の |武器《ぶき》もて|虐《むご》く|殺《ころ》すより
|汝《なれ》の|心《こころ》の|真底《しんそこ》に |潜《ひそ》める|大蛇《をろち》を|平《たひら》らげて
|誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の |教《をしへ》の|光《ひか》り|真澄鏡《ますかがみ》
|照《て》らして|見《み》よや|曲霊《まがたま》の |醜《しこ》の|肉体《すみか》も|忽《たちま》ちに
|跡形《あとかた》も|無《な》く|消《き》え|行《ゆ》きて |鬼《おに》も|大蛇《をろち》も|影《かげ》もなく
|誠《まこと》の|道《みち》の|御恵《みめぐ》みに |靡《なび》き|伏《ふ》すらむ|郷人《さとびと》よ
かかる|大蛇《をろち》の|現《あら》はれし |其《その》|源《みなもと》を|尋《たづ》ぬれば
|紛《まが》ふ|方《かた》なき|郷人《さとびと》の |心《こころ》の|過《あやま》ちある|故《ゆゑ》ぞ
|大蛇《をろち》よ|大蛇《をろち》よ|曲神《まがかみ》よ |汝《なれ》に|誠《まこと》の|魂《たま》あらば
|我《わが》|言霊《ことたま》を|謹聴《きんちやう》し 【うまら】に【つばら】に|汲《く》み|分《わ》けて
|怪《け》しき|賤《いや》しき|此《この》|姿《すがた》 |行衛《ゆくゑ》も|更《さら》に|白雲《しらくも》の
|消《き》えて|跡《あと》なき|天津空《あまつそら》 |清《きよ》く|正《ただ》しく|澄《す》み|渡《わた》る
|目出度《めでた》き|御代《みよ》に|逢《あ》ふならむ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましまして |昔《むかし》の|神《かみ》の|伝《つた》へたる
|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》を |日日《ひにち》|毎日《まいにち》|繰返《くりかへ》し
|思《おも》ひ|出《いだ》して|神界《しんかい》の |御用《ごよう》に|立《た》てよ|郷人《さとびと》よ
|神《かみ》の|守《まも》らす|世《よ》の|中《なか》は いかで|悪魔《あくま》の|蔓《はび》こらむ
|悪魔《あくま》は|心《こころ》に|潜《ひそ》むなり |一日《ひとひ》も|早《はや》く|大神《おほかみ》の
|厳《いづ》の|言霊《ことたま》|経《たて》となし |身《み》の|行《おこな》ひを|緯《ぬき》として
|天《あめ》と|地《つち》との|其《その》|中《なか》に |人《ひと》と|生《うま》れし|功績《いさをし》を
|誠《まこと》|一《ひと》つに|立《た》て|直《なほ》し |正《ただ》しき|神《かみ》となり|変《かは》り
|五六七《みろく》の|御代《みよ》を|造《つく》れかし キリストメシヤの|再臨《さいりん》も
|五六七《みろく》|出生《しゆつしやう》の|暁《あかつき》も |甘露台《かんろだい》の|瑞祥《ずゐしやう》も
|蓮華台上《れんげだいじやう》の|御神楽《みかぐら》も |神国魂《やまとだましひ》|其《その》ものの
いづれ|変《かは》らぬ|一《ひと》つ|物《もの》 |狭《せま》き|心《こころ》を|振《ふ》り|捨《す》てて
|三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|道《みち》 |思《おも》ひ|浮《うか》べて|行《おこな》へよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
と|宣《の》り|終《をは》るや、|今迄《いままで》|長大《ちやうだい》なる|姿《すがた》を|現《あら》はしたる|大蛇《をろち》も、|次第《しだい》|々々《しだい》に|縮小《しゆくせう》し、|遂《つい》には|小《ちひ》さき|蛇《へび》となりて、|清公《きよこう》が|足許《あしもと》を|嬉《うれ》し|気《げ》に|這《は》ひ|廻《まは》る。|清公《きよこう》は|尚《なほ》も|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|此《この》|蛇《へび》に|向《むか》つて|鎮魂《ちんこん》を|修《しう》し、
『|汝《なんぢ》|再《ふたた》び|此《この》|郷《さと》に|現《あら》はれ、かかる|悪逆無道《あくぎやくぶだう》を|繰返《くりかへ》す|勿《なか》れ。|又《また》|郷人《さとびと》も|今迄《いままで》の|心《こころ》を|根底《こんてい》より|立直《たてなほ》し、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|教《をし》へ|置《お》かれし|三五教《あななひけう》を|信《しん》じ、|真澄姫命《ますみひめのみこと》の|神霊《しんれい》に|拝謝《はいしや》せば|汝等《なんぢら》が|心中《しんちう》に|潜《ひそ》める|鬼《おに》、|大蛇《をろち》は|忽《たちま》ち|姿《すがた》を|隠《かく》して、|煙《けむり》となりて|消《き》え|失《う》せむ』
と|宣《の》べ|終《をは》るや、|飯依別《いひよりわけ》、|久木別《くきわけ》、|久々別《くくわけ》の|神司《かむづかさ》を|始《はじ》め|郷人《さとびと》|一同《いちどう》は、|清公《きよこう》が|前《まへ》に|平伏《へいふく》し、|今迄《いままで》の|不信仰《ふしんかう》の|罪《つみ》を|悔《く》い、|再《ふたた》び|大神《おほかみ》の|珍《うづ》の|御子《みこ》とならむことを|祈《いの》る。|清公《きよこう》は、
『|地恩郷《ちおんきやう》に|三五教《あななひけう》の|梅子姫《うめこひめ》、|黄竜姫《わうりようひめ》の|現《あら》はれ|給《たま》ひて|神徳《しんとく》|四方《よも》に|輝《かがや》きあれば、|此《この》|郷《さと》の|害悪《がいあく》を|洗《あら》ひ|清《きよ》められし|謝恩《しやおん》の|為《た》めに、|打揃《うちそろ》ひ|参拝《さんぱい》す|可《べ》し』
と|命《めい》ずれば、|飯依別《いひよりわけ》を|始《はじ》め|一同《いちどう》は、|一《いち》も|二《に》もなく|此《この》|説《せつ》に|服《ふく》し、モンキーを|案内者《あんないしや》として|地恩郷《ちおんきやう》に|参拝《さんぱい》することとなつた。
|幾十《いくじふ》の|船《ふね》を|海面《かいめん》に|浮《うか》べてヒルの|港《みなと》を|漕《こ》ぎ|出《だ》した。|船中《せんちう》は|神徳《しんとく》の|話《はなし》で|持切《もちき》りながら、|清公《きよこう》|一同《いちどう》が|乗《の》り|来《き》たりし|船《ふね》をも|従《したが》へて、タカの|港《みなと》へ|上陸《じやうりく》し、|参詣《さんけい》する|事《こと》となつた。|此《この》|時《とき》|神命《しんめい》に|依《よ》つて|清公《きよこう》の|乗《の》り|来《きた》りし|船《ふね》は、|元《もと》の|所《ところ》に|帰《かへ》され、|其《その》|持主《もちぬし》を|求《もと》めて|色々《いろいろ》とヒルの|郷《さと》の|珍《めづら》しき|物《もの》を|与《あた》へ、|厚《あつ》く|謝辞《しやじ》を|述《の》べた。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・七・八 旧閏五・一四 谷村真友録)
第八章 |奇《くしび》の|巌窟《がんくつ》〔七五四〕
|清公《きよこう》はチヤンキーと|共《とも》にクシの|滝壺《たきつぼ》の|傍《かたはら》に|俄造《にはかづく》りの|庵《いほり》を|結《むす》び、|日夜《にちや》に|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|側《そば》の|谷川《たにがは》に|身《み》を|浄《きよ》め、|一月《ひとつき》ばかり|此処《ここ》に|滞在《たいざい》する|事《こと》となつた。
モンキーに|導《みちび》かれて|地恩城《ちおんじやう》に|参上《まゐのぼ》りたる|飯依別《いひよりわけ》|其《その》|他《た》の|一同《いちどう》は、|無事《ぶじ》|参拝《さんぱい》を|終《を》へて|再《ふたた》びヒルの|郷《さと》に|帰《かへ》り|来《きた》り、クシの|滝壺《たきつぼ》に|参上《まゐのぼ》りて|清公《きよこう》に|厚《あつ》く|感謝《かんしや》し、それより|国魂《くにたま》の|宮《みや》の|修繕《しうぜん》を|行《おこな》ひ、|恭敬礼拝《きようけいれいはい》|怠《おこた》らず、|遂《つひ》にヒルの|郷《さと》は|黒雲《こくうん》|妖邪《えうじや》の|気《き》、|全《まつた》く|霽《は》れて|再《ふたた》び|元《もと》の|楽園《らくゑん》となり、|飯依別《いひよりわけ》は|祖先《そせん》の|業《げふ》を|大切《たいせつ》に、|心身《しんしん》を|清《きよ》めて|昼夜《ちうや》|懈怠《かいたい》なく|真澄《ますみ》の|宮《みや》に|奉仕《ほうし》する|事《こと》となつた。
モンキーは|郷人《さとびと》と|共《とも》に、|再《ふたた》び|此地《ここ》に|現《あらは》れ|来《きた》り、|地恩城《ちおんじやう》に|於《お》けるスマートボールの|伝言《でんごん》を|清公《きよこう》、チヤンキーに|伝《つた》へた。|二人《ふたり》はスマートボールの|親切《しんせつ》に|感謝《かんしや》し、|郷人《さとびと》の|乞《こ》ひを|容《い》れてアイル(愛蔵)、テーナ(貞七)の|二人《ふたり》を|供人《ともびと》となし、セーラン|山《ざん》を|攀登《よぢのぼ》り、|数多《あまた》の|人々《ひとびと》を|始《はじ》め|大蛇《をろち》|其《その》|他《た》の|悪魔《あくま》を|神《かみ》の|道《みち》に|言霊《ことたま》もて|救《すく》はむと、|炎天《えんてん》の|山道《やまみち》を|危険《きけん》を|冒《をか》して、|一行《いつかう》|五人《ごにん》|進《すす》み|行《ゆ》く。
|芭蕉《ばせう》の|実《み》を|時々《ときどき》|採《と》つて|飢《うゑ》を|凌《しの》ぎ|乍《なが》ら、|連日《れんじつ》|連夜《れんや》、|苔《こけ》の|褥《しとね》に|岩枕《いはまくら》、|星《ほし》の|蒲団《ふとん》を|被《かぶ》りて|夜《よ》を|明《あ》かしつつ、|終《つひ》に|稍《やや》|平坦《へいたん》なる|玉野ケ原《たまのがはら》と|云《い》ふ、|黄金《こがね》の|砂《すな》の|大地《だいち》|一面《いちめん》に|敷《し》き|詰《つ》められたる|如《ごと》き、|気分《きぶん》|良《よ》き|地点《ちてん》に|進《すす》む|事《こと》を|得《え》た。
|足《あし》も|焼《や》きつく|様《やう》な|砂金《しやきん》の|原《はら》を|一行《いつかう》|五人《ごにん》は|木蔭《こかげ》を|求《もと》め|汗《あせ》を|拭《ふ》きつつ|進《すす》み|行《ゆ》く。|遥《はるか》の|前方《ぜんぱう》より|幾百《いくひやく》とも|限《かぎ》りなき|猛獣《まうじう》の|群《むれ》、|百雷《ひやくらい》の|轟《とどろ》く|如《ごと》き|咆哮《うなり》を|立《た》て、|此方《こなた》に|向《むか》つて|突進《とつしん》し|来《きた》る。|清公《きよこう》は|此《この》|一隊《いつたい》に|向《むか》つて|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|言向《ことむ》け|和《やは》さむと|両手《もろて》を|組《く》み、……|高天《たかあま》……と|言《い》はむとすれど|一二言《いちにごん》|発《はつ》せしのみ、|舌《した》|硬《こは》ばり|言霊《ことたま》を|使用《しよう》する|事《こと》の|不可能《ふかのう》なるを|感《かん》じ、|稍《やや》|不安《ふあん》の|念《ねん》につつまれてゐる。|怪《あや》しき|猛獣《まうじう》の|影《かげ》は、おひおひと|近付《ちかづ》き|来《きた》り、その|足音《あしおと》さへも|耳《みみ》に|入《い》る|様《やう》になつた。|一行《いつかう》|五人《ごにん》は|生《い》きたる|心地《ここち》もなく、|心《こころ》の|裡《うち》にて|一生懸命《いつしやうけんめい》に|暗祈黙祷《あんきもくたう》する|折《をり》しも、|忽然《こつぜん》として|一柱《ひとはしら》の|白狐《びやくこ》、|五人《ごにん》が|前《まへ》に|現《あら》はれ、|前脚《まへあし》を|上《あ》げて|招《まね》き|乍《なが》ら|森林《しんりん》の|方《はう》に|進《すす》み|行《ゆ》く。|五人《ごにん》は|其《その》|後《あと》に|従《したが》ひ、|漸《やうや》くにして|一《ひと》つの|細長《ほそなが》き|岩窟《いはや》に|導《みちび》かれ、|天《てん》の|与《あた》へと|喜《よろこ》び|勇《いさ》み、|窟内《くつない》に|残《のこ》らず|姿《すがた》を|隠《かく》し、|坑口《かうこう》に|向《むか》つて|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》する|折《をり》しも、|以前《いぜん》の|唸《うな》り|声《ごゑ》は|刻々《こくこく》と|迫《せま》り|来《きた》り、|猛獣《まうじう》の|足音《あしおと》|幾百《いくひやく》ともなく|聞《きこ》えて、|長《なが》き|白毛《はくまう》を|頭部《とうぶ》と|顔部《がんぶ》に|生《しやう》じたる|巨大《きよだい》なる|狒々《ひひ》、|真赤《まつか》な|顔《かほ》にて|穴《あな》の|口《くち》を|覗《のぞ》き|唸《うな》つて|居《ゐ》る。|其《その》|声《こゑ》の|凄《すさま》じさ、|身《み》も|竦《すく》む|計《ばか》りである。されど|白狐《びやくこ》|出現《しゆつげん》に|力《ちから》を|得《え》たる|清公《きよこう》|始《はじ》め|五人《ごにん》は、|茲《ここ》に|初《はじ》めて|言霊《ことたま》の|使用《しよう》を|神界《しんかい》より|赦《ゆる》されたりと|見《み》え、|喉元《のどもと》より|綱《つな》を|以《もつ》て|声《こゑ》の|玉《たま》を|引出《ひきだ》す|如《ごと》き|心地《ここち》して、スラスラと|涼《すず》しく|潔《いさぎよ》く|天津祝詞《あまつのりと》を|宣《の》り|始《はじ》めた。
|坑口《かうこう》を|覗《のぞ》き|居《ゐ》たりし|大怪物《だいくわいぶつ》は、|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》き|消《き》え|去《さ》るかと|思《おも》ひきや、それと|反対《はんたい》に|坑内《かうない》|深《ふか》く|進《すす》み|来《きた》る|嫌《いや》らしさ。|五人《ごにん》は|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し|乍《なが》ら、|此《この》|岩穴《いはあな》の|終点《しうてん》|迄《まで》|逃《に》げて|行《ゆ》く。|異様《いやう》の|怪物《くわいぶつ》は|益々《ますます》|迫《せま》り|来《きた》る。|一方口《いつぱうぐち》の|逃《に》げ|道《みち》なき|此《この》|穴《あな》に|徳利攻《とつくりぜ》めに|遭《あ》うた|一行《いつかう》は、|決心《けつしん》の|臍《ほぞ》を|固《かた》めて|天《あま》の|数歌《かずうた》を|汗《あせ》タラタラと|流《なが》し|乍《なが》ら|奏上《そうじやう》して|居《ゐ》る。|怪物《くわいぶつ》は|清公《きよこう》の|前《まへ》に|近寄《ちかよ》り|来《きた》り、|毛《け》だらけの|手《て》を|差《さ》し|出《だ》し|清公《きよこう》に|握手《あくしゆ》を|求《もと》めた。|清公《きよこう》は|恐々《こわごわ》ながら|其《その》|手《て》を|差《さ》し|出《だ》す。|怪物《くわいぶつ》は|感謝《かんしや》の|表情《へうじやう》を|示《しめ》し『ウーウー』と|唸《うな》り|乍《なが》ら、|手《て》を|引《ひ》いて|坑口《かうこう》さして|出《い》でて|行《ゆ》く。|清公《きよこう》は|半《なか》ば|危《あやぶ》み|乍《なが》ら、|怪物《くわいぶつ》の|強《つよ》き|手《て》に|握《にぎ》られたる|腕《うで》を|振《ふ》り|放《はな》すだけの|力《ちから》も|無《な》く|片手《かたて》に|四人《よにん》の|男《をとこ》を|手招《てまね》きし|乍《なが》ら、|前《まへ》を|向《む》き|後《うしろ》を|顧《かへり》みなどして、|到頭《たうとう》|坑外《かうぐわい》に|引出《ひきだ》されて|仕舞《しま》つた。|坑外《かうぐわい》に|出《い》でて|見《み》れば、|猛獣《まうじう》に|非《あら》ずして、|狒々《ひひ》、|猩々《しやうじやう》の|一隊《いつたい》、|此《この》|岩坑《いはあな》の|前《まへ》に|両手《りやうて》を|合《あは》せ|呼吸《いき》を|揃《そろ》へて『ウワア ウワア』と|唸《うな》る|声《こゑ》、|天地《てんち》も|揺《ゆる》ぐばかりなり。
|勝《すぐ》れて|身体《しんたい》|長大《ちやうだい》なる|全身《ぜんしん》|白毛《はくまう》の|猩々《しやうじやう》は、|奈良《なら》の|大仏《だいぶつ》の|坐《すわ》つた|如《ごと》く|左《ひだり》の|手《て》を|膝《ひざ》に|置《お》き、|右《みぎ》の|手《て》にて|中空《ちうくう》を|指《ゆび》さし、ニコニコと|笑《ゑみ》を|湛《たた》へ|五人《ごにん》を|睥睨《へいげい》して|居《ゐ》る。|清公《きよこう》|以下《いか》|五人《ごにん》|声《こゑ》を|揃《そろ》へて|天津祝詞《あまつのりと》を|一生懸命《いつしやうけんめい》に|奏上《そうじやう》するや、|祝詞《のりと》につれて|数百《すうひやく》の|狒々《ひひ》|猩々《しやうじやう》は|手拍子《てべうし》、|足拍子《あしべうし》を|揃《そろ》へ、|面白《おもしろ》げに|踊《をど》り|狂《くる》ふ。
|此《この》|中《なか》の|頭目《かしら》と|見《み》えし|大狒々《だいひひ》はツト|座《ざ》を|起《た》ち、|清公《きよこう》の|一行《いつかう》に|向《むか》つて、|口《くち》より|霧《きり》を|白烟《はくえん》の|如《ごと》く|濛々《もうもう》と|吹《ふ》き|出《だ》し|全身《ぜんしん》を|包《つつ》む。|五人《ごにん》は|白烟《はくえん》に|包《つつ》まれ|稍《やや》|不安《ふあん》の|念《ねん》に|駆《か》られ、|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|天《あま》の|数歌《かずうた》を|唱《とな》へ|出《だ》す。|大狒々《だいひひ》の|口《くち》よりは|亦《また》もや|猛烈《まうれつ》なる|焔《ほのほ》を|吹《ふ》き|出《だ》し、|五人《ごにん》を|一度《いちど》に|焼《や》き|尽《つく》さむとする|其《その》|熱《あつ》さ|苦《くる》しさ。|一同《いちどう》は|撓《たゆ》まず|屈《くつ》せず|生命《いのち》|限《かぎ》り|連続《れんぞく》して|奏上《そうじやう》する。|続《つづ》いて|大狒々《だいひひ》の|口《くち》より|冷《つめ》たき|滝水《たきみづ》を|吐《は》き|出《だ》し、|一同《いちどう》の|身体《からだ》を|川溺《かははま》りの|如《ごと》く|湿《うる》ほし、|五人《ごにん》は|寒《さむ》さに|顫《ふる》へる|迄《まで》に|水《みづ》に|浸《ひた》され|乍《なが》ら|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|最早《もはや》|息《いき》も|絶《き》れむと|思《おも》ふ|途端《とたん》に|天地《てんち》も|割《わ》るる|許《ばか》りの|音響《おんきやう》|聞《きこ》え、さしも|熱帯《ねつたい》の|大樹《たいじゆ》も|根底《ねそこ》より|吹《ふ》き|飛《と》ばさむ|許《ばか》りの|烈風《れつぷう》|吹《ふ》き|来《きた》ると|見《み》る|間《ま》に、|大狒々《だいひひ》の|姿《すがた》は|巨大《きよだい》なる|白玉《はくぎよく》となり、|其《その》|他《た》|数百《すうひやく》の|狒々《ひひ》は、|各《おのおの》|大小《だいせう》|無数《むすう》の|玉《たま》と|変《へん》じ、|風《かぜ》の|随々《まにまに》|中空《ちうくう》に|舞《ま》ひ|上《あが》り|其《その》|姿《すがた》を|隠《かく》しける。|忽《たちま》ちにして|怪《あや》しき|音響《おんきやう》はピタリと|止《と》まり|風《かぜ》は|俄《にはか》に|静《しづ》まりて|岩坑《いはあな》の|辺《あたり》には|得《え》も|言《い》はれぬ|芳香《はうかう》|薫《くん》じ、|微妙《びめう》の|音楽《おんがく》|聞《きこ》えて|尾《を》の|上《へ》を|渡《わた》る|松風《まつかぜ》の|音《おと》、|殊更《ことさら》に|涼《すず》しき|感《かん》を|一同《いちどう》の|胸《むね》に|与《あた》へたり。
|是《これ》より|五人《ごにん》は|心魂《しんこん》|頓《とみ》に|清《きよ》まり、|夜《よ》を|日《ひ》についで|奥《おく》へ|奥《おく》へと|進《すす》み|行《ゆ》き、|終《つひ》にスワの|湖《みづうみ》の|辺《ほとり》なる|竜神《りうじん》の|宮《みや》の|祠《ほこら》に|無事《ぶじ》|到着《たうちやく》し、|例《れい》の|如《ごと》く|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し、|息《いき》を|休《やす》め、|其《その》|夜《よ》は|此《この》|祠《ほこら》の|前《まへ》に|明《あ》かす|事《こと》とはなりぬ。
(大正一一・七・八 旧閏五・一四 北村隆光録)
第三篇 |竜《たつ》の|宮居《みやゐ》
第九章 |信仰《しんかう》の|実《み》〔七五五〕
|三五教《あななひけう》の|太柱《ふとはしら》 |変性男子《へんじやうなんし》の|系統《ひつぽう》を
|唯一《ゆいつ》の|頼《たの》みと|経緯《たてよこ》に |我儘《わがまま》|気儘《きまま》を|振舞《ふるま》ひし
|天狗《てんぐ》の|鼻《はな》の|高姫《たかひめ》が |部下《ぶか》と|仕《つか》へし|清公《きよこう》の
|左守神《さもりのかみ》と|現《あら》はれて |鰻上《うなぎのぼ》りに|上《のぼ》り|詰《つ》め
|恋《こひ》の|瀬川《せがは》の|宇豆姫《うづひめ》を |妻《つま》となさむと|企《たく》み|居《ゐ》し
カラクリがらりと|相外《あいはづ》れ |地恩《ちおん》の|城《しろ》の|頂上《ちやうじやう》より
|大地《だいち》に|急転直下《きふてんちよくか》せし |名誉《めいよ》を|元《もと》に|返《かへ》さむと
|執着心《しふちやくしん》のほとぼりに |胸《むね》を|焦《こ》がして|清公《きよこう》が
チヤンキーモンキー|二人連《ふたりづ》れ タカの|港《みなと》を|立出《たちい》でて
|屋根無《たなな》し|船《ぶね》に|身《み》を|任《まか》せ |心《こころ》に|荒波《あらなみ》|立《た》て|乍《なが》ら
|暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|和田《わだ》の|原《はら》 |誠《まこと》|明石《あかし》のヒル|港《みなと》
|誠《まこと》|魔言《まこと》の|取違《とりちが》ひ |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|其《その》|昔《むかし》
|現《あら》はれませる|山奥《やまおく》の |酒《さけ》の|泉《いづみ》の|湧《わ》き|出《で》たる
|其《その》|滝壺《たきつぼ》に|現《あら》はれて |大蛇《をろち》の|荒《すさ》びを|眺《なが》めてゆ
|転迷開悟《てんめいかいご》の|花《はな》|咲《さ》かせ |生《うま》れ|赤子《あかご》と|蘇生《よみがへ》り
ヒルの|郷人《さとびと》|二人《ふたり》まで |旅《たび》の|御供《みとも》と|定《さだ》めつつ
セーラン|山《ざん》の|山続《やまつづ》き |深《ふか》き|谷間《たにま》を|打渉《うちわた》り
|虎《とら》|狼《おほかみ》や|鬼《おに》|大蛇《をろち》 |狒々《ひひ》|猩々《しやうじやう》の|集《あつ》まれる
|魔窟ケ原《まくつがはら》を|宣伝歌《せんでんか》 |歌《うた》ひ|乍《なが》らに|進《すす》み|行《ゆ》く
|石《いし》の|枕《まくら》に|雲《くも》の|屋根《やね》 |露《つゆ》の|褥《しとね》も|数《かず》|越《こ》えて
|心《こころ》も|光《ひか》る|玉野原《たまのはら》 |天空海濶《てんくうかいくわつ》|限《かぎ》りなき
|金砂銀砂《きんしやぎんしや》を|布《し》き|詰《つ》めし |諏訪《すは》の|里《さと》にと|着《つ》きにける
|木《こ》の|花姫《はなひめ》の|御化身《おんけしん》 |巨大《きよだい》の|狒々《ひひ》に|村肝《むらきも》の
|心《こころ》の|玉《たま》を|洗《あら》はれて |一行《いつかう》|五人《ごにん》|天地《あめつち》の
|神《かみ》の|恵《めぐみ》を|覚《さと》りつつ |心《こころ》も|勇《いさ》み|身《み》も|軽《かる》う
|紺青《こんじやう》の|波《なみ》を|湛《たた》へたる |玉依姫《たまよりひめ》の|永遠《とことは》に
|隠《かく》れ|玉《たま》ひし|諏訪《すは》の|湖《うみ》 |五《い》つの|御玉《みたま》の|底《そこ》|深《ふか》く
|納《をさ》まる|竜宮《りうぐう》の|岸《きし》の|辺《べ》に |心《こころ》|洗《あら》ひし|清公《きよこう》が
チヤンキーモンキー|始《はじ》めとし アイル、テーナの|五柱《いつはしら》
|祠《ほこら》の|前《まへ》に|着《つ》きにける |頃《ごろ》しもあれや|天上《てんじやう》に
|黒雲《くろくも》|忽《たちま》ち|顕現《けんげん》し |見《み》る|見《み》る|四方《よも》に|拡大《くわくだい》し
|満天《まんてん》|墨《すみ》を|流《なが》すごと |黒白《あやめ》も|分《わ》かずなりにける
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
|心《こころ》の|雲霧《くもきり》|吹《ふ》き|払《はら》ひ |天津御空《あまつみそら》も|国土《くにつち》も
|清《きよ》く|涼《すず》しく|天津日《あまつひ》の |輝《かがや》き|玉《たま》ふ|清明《せいめい》の
|天地《てんち》に|還《かへ》し|玉《たま》はれと |五《いつ》つの|口《くち》に|宣《の》る|祝詞《のりと》
|声《こゑ》も|涼《すず》しく|唱《とな》ふれば あゝ|訝《いぶ》かしや|黒雲《くろくも》の
|中《なか》より|出《い》でし|一塊《いつくわい》の |火光《くわくわう》は|忽《たちま》ち|目《め》の|前《まへ》に
|雷鳴《いかづち》の|如《ごと》き|音響《おんきやう》と |共《とも》に|轟然《がうぜん》|落下《らくか》して
|一度《いちど》に|開《ひら》く|木《こ》の|花《はな》の |四方《よも》に|散《ち》るよと|見《み》る|間《うち》に
さしも|暗黒《あんこく》に|包《つつ》まれし |六合《りくがふ》|忽《たちま》ち|朝日子《あさひこ》の
|伊照《いて》り|輝《かがや》く|世《よ》となりぬ |五人《ごにん》は|我《われ》に|立返《たちかへ》り
|諏訪《すは》の|湖面《こめん》を|見渡《みわた》せば |紺青《こんじやう》の|波《なみ》キラキラと
|魚鱗《ぎよりん》の|如《ごと》く|日光《につくわう》に |輝《かがや》き|閃《ひらめ》く|崇高《けだか》さよ
|遥《はるか》に|向方《むかふ》の|島影《しまかげ》ゆ |現《あら》はれ|出《い》でたる|純白《じゆんぱく》の
|真帆《まほ》や|片帆《かたほ》の|数多《かずおほ》く |此方《こなた》に|向《むか》つて|進《すす》み|来《く》る
|其《その》|光景《くわうけい》は|春《はる》の|野《の》の |青野ケ原《あをのがはら》に|蝶々《てふてふ》の
|花《はな》に|戯《たはむ》れ|翩翻《へんぽん》と |舞《ま》ひ|狂《くる》ひたる|如《ごと》くなり
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》す |三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|道《みち》
|鬼《おに》も|大蛇《をろち》も|曲津霊《まがつひ》も |我《われ》の|身魂《みたま》を|外《ほか》にして
|神《かみ》の|造《つく》りしうまし|世《よ》に |影《かげ》も|形《かたち》も|白煙《しらけぶり》
|消《き》ゆる|思《おも》ひに|充《み》たされて |天地《てんち》|万有《ばんいう》|自《おのづか》ら
|至善《しぜん》|至美《しび》なる|神《かみ》の|世《よ》と |変《かは》りし|如《ごと》き|心地《ここち》しつ
|五人《ごにん》は|衣服《いふく》を|脱《ぬ》ぎ|捨《す》てて |湖水《こすゐ》の|中《なか》に|一時《いちどき》に
ザンブと|計《ばか》り|飛《と》び|込《こ》めば |姿《すがた》は|忽《たちま》ち|水底《みなそこ》に
|消《き》えて|跡《あと》なき|泡沫《うたかた》の |夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|幻《まぼろし》か
|神《かみ》ならぬ|身《み》の|如何《いか》にして |知《し》る|由《よし》もなき|御経綸《ごけいりん》
|仰《あふ》ぐも|高《たか》し|久方《ひさかた》の |神《かみ》の|心《こころ》の|万分一《まんぶいち》
|竜宮海《りうぐうかい》の|底《そこ》の|底《そこ》 |深《ふか》き|仕組《しぐみ》の|玉手箱《たまてばこ》
|開《ひら》いて|述《の》ぶる|物語《ものがたり》 |竜宮館《りうぐうやかた》の|教主殿《けうしゆでん》
|奥《おく》の|一間《ひとま》に|瑞月《ずゐげつ》が |心天《しんてん》|高《たか》く|日《ひ》を|照《て》らし
|心《こころ》の|海《うみ》に|三五《あななひ》の |真如《しんによ》の|月《つき》を|浮《うか》べつつ
|御国《みくに》を|思《おも》ふ|真心《まごころ》を |雲【井上】《くもゐのうへ》に|【留五郎】《とめごらう》
|神《かみ》の|大道《おほぢ》を|【亮】《あきら》めて |世人《よびと》|導《みちび》く|神界《しんかい》の
|鑑《かがみ》を|照《て》らす|【真澄】空《ますみそら》 |唯《ただ》|一言《ひとこと》も|漏《も》らさじと
|鉛筆《えんぴつ》|尖《とが》らし|【松村】《まつむら》が |心《こころ》を|籠《こ》めて|記《しる》し|行《ゆ》く
|引《ひ》きて|帰《かへ》らぬ|桑《くは》の|弓《ゆみ》 |桑《くは》の|机《つくゑ》にもたれつつ
|無尽意菩薩《むじんいぼさつ》を|傍《かたは》らに |侍《はべ》らし|誠《まこと》を|述《の》べ|立《た》つる
|愈《いよいよ》|茲《ここ》に|五五《ごご》の|巻《まき》 |稍《やや》|半《なかば》|迄《まで》|書《か》きしるす
|神《かみ》の|出口《でぐち》の|因縁《いんねん》を |開《ひら》く|常磐《ときは》の|松風《まつかぜ》に
|身《み》も|魂《たましひ》も|清々《すがすが》と |語《かた》り|行《ゆ》くこそ|芽出度《めでた》けれ
○
|清公《きよこう》ほか|四人《よにん》は|諏訪《すは》の|湖《うみ》の|畔《ほとり》の|小《ちひ》さき|祠《ほこら》の|前《まへ》に|端坐《たんざ》し、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|数歌《かずうた》を|歌《うた》ひあげ、|終《をは》つて|紺青《こんじやう》の|波《なみ》|漂《ただよ》へる|諏訪《すは》の|湖《うみ》の|岸辺《きしべ》に|立《た》ち、|際限《さいげん》もなき|広《ひろ》き|湖面《こめん》を|崇高《すうかう》の|気《き》に|打《う》たれて|眺《なが》め|入《い》つた。|忽《たちま》ち|心機一転《しんきいつてん》して、|天国《てんごく》よりも|清《きよ》く|美《うる》はしき|感想《かんさう》に|打《う》たれ、|一同《いちどう》は|期《き》せずして、|衣類《いるゐ》を|脱《ぬ》ぎ、|湖中《こちう》に|向《むか》つてザンブと|許《ばか》り、|何気《なにげ》なく|飛《と》び|込《こ》んで|了《しま》つた。|千尋《ちひろ》の|深《ふか》き|水底《みなそこ》と|思《おも》ひきや|水溜《みづたま》りは|思《おも》うたよりも|浅《あさ》く、|七尺《しちしやく》|乃至《ないし》|八尺《はつしやく》の|肉体《にくたい》の、|浅《あさ》きは|臍《へそ》あたり|迄《まで》、|深《ふか》きは|首《くび》のあたりまで|位《くらゐ》よりなかつたのに、|再《ふたた》び|驚《おどろ》き|乍《なが》ら|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》しつつ、|波《なみ》を|押《お》し|分《わ》けて|北《きた》へ|北《きた》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。
|摺鉢《すりばち》の|様《やう》になつた|湖底《うなぞこ》に|足《あし》を|辷《すべ》らせ、|茲《ここ》に|五人《ごにん》は|一時《いつとき》に|水底《みなそこ》|深《ふか》く|落《お》ち|込《こ》み、|一旦《いつたん》は|人事不省《じんじふせい》の|厄《やく》に|会《あ》うた。|折柄《をりから》|浮《う》かび|来《く》る|金銀《きんぎん》を|鏤《ちりば》めて|造《つく》りたる|神船《しんせん》に|救《すく》ひ|上《あ》げられ、|北《きた》へ|北《きた》へと|運《はこ》ばれた。
|湖中《こちう》に|浮《う》かべる|夫婦島《めをとじま》の|一角《いつかく》に|救《すく》ひ|上《あ》げられ、|五人《ごにん》の|肉体《にくたい》は|其《その》|儘《まま》|自然《しぜん》に|気《き》の|附《つ》く|迄《まで》|棄《す》て|置《お》かれたのである。|酷熱《こくねつ》の|太陽《たいやう》は|焦《こ》げつく|如《ごと》く、|赫々《かくかく》と|照《て》り|輝《かがや》けども、|老樹《らうじゆ》|鬱蒼《うつさう》として|天《てん》を|封《ふう》じたる|此《この》|浮島《うきしま》は、|涼風《りやうふう》|颯々《さつさつ》として|徐《おもむろ》に|吹《ふ》き|来《きた》り、|夏《なつ》の|暑《あつ》さを|少《すこ》しも|感《かん》じなかつた。|此島《ここ》には|大小《だいせう》|無数《むすう》の|金銀《きんぎん》の|蛇《へび》|空地《あきぢ》なき|迄《まで》に|遊《あそ》び|戯《たはむ》れて|居《ゐ》る。|五人《ごにん》は|金銀《きんぎん》の|蛇《へび》、|畳《たたみ》の|目《め》の|如《ごと》く|地上《ちじやう》を|包《つつ》んで|居《ゐ》る|其《その》|上《うへ》に|救《すく》ひ|上《あ》げられ、|暫《しばら》くは|何《なに》も|知《し》らずに、|睡眠《すゐみん》を|恣《ほしいまま》にして|居《ゐ》た。
|清公《きよこう》は|稍《やや》|太《ふと》き|金色《こんじき》の|蛇《へび》に、|口《くち》をポカンと|開《あ》けて|居《ゐ》た|其《その》|隙間《すきま》より|這《は》ひ|込《こ》まれ、|胸苦《むなぐる》しさに|目《め》を|醒《さ》まし、『キヤツ キヤツ』と|叫《さけ》んだ|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて、チヤンキー、モンキー、アイル、テーナの|四人《よにん》は|始《はじ》めて|気《き》が|附《つ》き、|附近《あたり》を|見《み》れば|金銀《きんぎん》の|索麺《さうめん》を|敷《し》いた|如《ごと》く、|億兆《おくてう》|無数《むすう》の|蛇《へび》|樹上《じゆじやう》にも|樹下《じゆか》にも、|木《き》の|幹《みき》にまで|一面《いちめん》に|包《つつ》んで|居《ゐ》る。|清公《きよこう》の|口《くち》には|金色《こんじき》の|太《ふと》き|蛇《へび》、|七八分《しちはちぶ》まで|口《くち》より|這《は》ひ|込《こ》み、|僅《わづか》に|七八寸《しちはつすん》|許《ばか》り|尻尾《しつぽ》の|先《さき》を|余《あま》し、|尾《を》は|前後左右《ぜんごさいう》にプリンプリンと|活動《くわつどう》し、|尾《を》の|先《さき》にて|耳《みみ》の|穴《あな》、|鼻《はな》の|穴《あな》、|目《め》などを|無性《むしやう》|矢鱈《やたら》に|掃除《さうぢ》して|居《ゐ》る。チヤンキーは|其《その》|尾《を》を|掴《つか》み|蛇《へび》を|引出《ひきだ》し、|清公《きよこう》を|助《たす》けむと|猿臂《ゑんぴ》を|伸《の》ばして|尾《を》を|掴《つか》んだ|途端《とたん》に、ビンと|撥《は》ねられて、|隣《となり》の|島《しま》に|投《な》げ|送《おく》られた。
|一方《いつぱう》の|島《しま》には|金銀《きんぎん》の|蜈蚣《むかで》|数《かず》|限《かぎ》りもなく、|蓆《むしろ》を|布《し》いた|如《ごと》く、|沢山《たくさん》の|足《あし》をチヤンと|揃《そろ》へて、|地上《ちじやう》を|包《つつ》んで|居《ゐ》る。|樹上《じゆじやう》にも|木《き》の|幹《みき》にも|金銀色《きんぎんいろ》の|蜈蚣《むかで》、|空地《あきぢ》もなく|巻《ま》きついて|居《ゐ》た。|見《み》る|見《み》る|二三尺《にさんじやく》の|長《なが》き|蜈蚣《むかで》は、ゾロゾロとチヤンキーの|身体《からだ》に|這《は》ひ|上《あ》がり、|空地《あきぢ》なく|身体《からだ》を|包《つつ》んだ。されど|不思議《ふしぎ》にも|少《すこ》しの|痛《いた》みも|苦《くるし》みも|感《かん》ぜず、|唯《ただ》|少《すこ》し|許《ばか》りこそばゆい|感《かん》じがしだし、|蜈蚣《むかで》の|足《あし》や|舌《した》を|以《もつ》て|体《からだ》を|舐《な》め|始《はじ》め|出《だ》すに|従《つ》れ、こそばゆさは|益々《ますます》|其《その》|度《ど》を|増《ま》し、|遂《つい》には|笑《わら》ひ|止《や》まず、|腹《はら》を|抱《かか》へて|蜈蚣原《むかではら》に|七転八倒《しちてんばつたう》するに|至《いた》つた。|此《この》|島《しま》を|女島《めしま》と|云《い》ふ。|一方《いつぱう》の|清公《きよこう》が|金色《こんじき》の|蛇《へび》を|呑《の》んだ|島《しま》を|男島《をしま》と|云《い》ふ。
|清公《きよこう》は|俄《にはか》に|身体《しんたい》|黄金色《わうごんしよく》と|変《へん》じ、|両眼《りやうがん》より|金剛石《こんがうせき》の|如《ごと》き|光《ひかり》を|放《はな》ち、|口《くち》をもがもがと|動《うご》かせ|乍《なが》ら、|何《なに》か|言《い》はむとするものの|如《ごと》く、|七八寸《しちはつすん》|口《くち》から|出《で》て|居《ゐ》た|尻尾《しつぽ》は、|何時《いつ》の|間《ま》にか|腹中《ふくちう》|深《ふか》く|納《をさ》まつて|了《しま》つた。|清公《きよこう》は|顔色《がんしよく》|輝《かがや》き、|層一層《そういつそう》|荘厳《さうごん》の|度《ど》を|加《くは》へ、|身長《せい》も|一尺《いつしやく》|計《ばか》り|高《たか》く|延《の》び、|体《からだ》の|総体《そうたい》|其《その》|太《ふと》さを|増《ま》して|来《き》た。|物《もの》をも|言《い》はず|清公《きよこう》はアイルの|首筋《くびすぢ》をグツと|掴《つか》み、|女島《めしま》に|向《むか》つて|猫《ねこ》の|児《こ》を|投《な》げる|様《やう》に|手《て》もなく|投《な》げ|移《うつ》した。チヤンキーが|俯《うつ》むいて|笑《わら》つて|居《ゐ》る|背中《せなか》の|上《うへ》に、フワリと|馬《うま》に|乗《の》つた|様《やう》に|落《お》ちて|来《き》た。|蜈蚣《むかで》は|忽《たちま》ちアイルの|全身《ぜんしん》を|包《つつ》んだ。アイルも|亦《また》|俄《にはか》に|際限《さいげん》もなく|笑《わら》ひ|出《だ》した。|見《み》る|間《ま》に|蜈蚣《むかで》は|体《からだ》|一面《いちめん》に|焦《こ》げつく|様《やう》になつて、|両人《りやうにん》の|体《からだ》は|全身《ぜんしん》|蜈蚣《むかで》の|斑紋《はんもん》に|包《つつ》まれて|了《しま》つた。チヤンキーは|始《はじ》めて|口《くち》を|開《あ》け、
『あゝ|地恩城《ちおんじやう》の|蜈蚣姫《むかでひめ》の|代《かは》りに|蜈蚣彦《むかでひこ》が|両人《りやうにん》|揃《そろ》うた。……オイ、アイルさま、|斯《か》う|体《からだ》が|蜈蚣《むかで》に|変化《へんくわ》した|以上《いじやう》は、モウ|仕方《しかた》がない。|一生《いつしやう》|此《この》|島《しま》の|守護神《しゆごじん》となつて|暮《く》らせと|云《い》ふ|神様《かみさま》の|思召《おぼしめ》しかも|知《し》れないよ。|併《しか》し|乍《なが》ら、|昔《むかし》|諾冊二尊《なぎなみにそん》が|自転倒島《おのころじま》へ|御降《おお》りになつた|時《とき》には、|陰陽《いんやう》|揃《そろ》うて|夫婦《ふうふ》の|契《ちぎり》を|結《むす》び、|山《やま》、|川《かは》、|草《くさ》、|木《き》をお|産《う》みになつたのだが、|我々《われわれ》は|男《をとこ》ばかりだから|国生《くにう》みもする|訳《わけ》には|行《い》かず、つまり|態《てい》よい|島流《しまなが》しになつたのではあるまいかなア』
アイル『サア|何《なん》だか|知《し》らぬが、|何《なん》とも|言《い》へぬ|好《い》い|気分《きぶん》ぢやないか。|何《いづ》れどちらかが|女《をんな》になるのかも|知《し》れないよ。|併《しか》し|此《この》|島《しま》は|女島《めしま》と|云《い》ふからは、|二人《ふたり》|乍《なが》ら|女《をんな》にならうも|知《し》れぬ。さうすれば|尚々《なほなほ》|妙《めう》な|事《こと》になつて|了《しま》ふ。|併《しか》し|何時《いつ》も|俺《おれ》は|女《をんな》に|何故《なぜ》|生《うま》れて|来《こ》なんだかと|始終《しじう》|小言《こごと》を|言《い》つて|居《を》つたから、|言霊《ことたま》の|幸《さち》はふ|国《くに》だと|云《い》ふからには、|御註文《ごちゆうもん》|通《どほ》り|女《をんな》に|変化《へんくわ》するかも|知《し》れぬ。さうすれば|所謂《いはゆる》|平和《へいわ》の|女神《めがみ》となつて、お|前《まへ》はチヤンキー、|俺《わし》はアイル、アイルチヤンキーの|女神《めがみ》として|後世《こうせい》に|謡《うた》はれるやうになるかも|知《し》れないよ』
チヤンキー『|馬鹿《ばか》|言《い》へ、アイルチヤンキーの|女神《めがみ》と|云《い》ふ|様《やう》なものが|何処《どこ》にあるか。アイルテーナの|女神《めがみ》と|言《い》へば|昔《むかし》から|聞《き》いてるがなア』
『それなら|男島《をしま》に|残《のこ》つてる|奴《やつ》と|俺《おれ》と|合《あは》せばアイルテーナだ』
『|俺《おれ》も|今日《けふ》|限《かぎ》りチヤンキーと|云《い》ふ|名《な》を|返上《へんじやう》して、アポールと|云《い》ふ|名《な》に|改名《かいめい》しよう。アポールの|女神《めがみ》は、|所謂《いはゆる》アテーナの|又《また》の|御名《みな》だ』
|斯《か》く|話《はな》す|折《をり》しも|又《また》もや、|清公《きよこう》に|掴《つか》まれて|投《な》げ|送《おく》られたテーナは、|二人《ふたり》の|前《まへ》に|空《くう》を|切《き》つて|降《ふ》つて|来《き》た。
チヤンキー『アイルテーナ、……|此奴《こいつ》ア|不思議《ふしぎ》』
とソロソロ|地金《ぢがね》を|現《あら》はし、|洒落《しやれ》|気分《きぶん》になつて|無駄口《むだぐち》を|叩《たた》きかけた。テーナはものをも|言《い》はず|俯《うつ》むいて、|膝頭《ひざがしら》を|打《う》つたと|見《み》え|顔《かほ》を|顰《しか》め|乍《なが》ら|撫《な》でて|居《ゐ》る。|蜈蚣《むかで》はそろそろテーナの|全身《ぜんしん》を|包《つつ》んだ。テーナは|向脛《むかふずね》を|打《う》つた|時《とき》の|様《やう》に|痛《いた》さうなこそばゆさうな、|痛《いた》さと【こそば】ゆさが|一《ひと》つになつた|様《やう》な|声《こゑ》で、|泣《な》きと|笑《わら》ひの|中間的声《ちうかんてきこゑ》を|出《だ》して『キユーキユー』と|脇《わき》のあたりを|鳴《な》らして|居《ゐ》る。
|男島《をしま》に|於《お》けるモンキーは、
『モシモシ|清公《きよこう》|大明神《だいみやうじん》、お|前《まへ》は|金竜《きんりう》の|化神《けしん》となつて|了《しま》ひ、|三人《さんにん》の|奴《やつ》まで|皆《みんな》|金銀《きんぎん》の|蜈蚣《むかで》の|衣服《いふく》を|着《き》て、|平和《へいわ》の|女神《めがみ》だとか|何《なん》とか|威張《ゐば》つて|居《を》るが、|此《この》モンキー|一人《ひとり》はどうして|下《くだ》さるのだ。|始《はじ》めの|間《うち》は|蛇《へび》や|蜈蚣《むかで》を|見《み》てゾツとし、|罪《つみ》の|重《おも》い|奴《やつ》が|斯《こ》んな|所《ところ》へ|来《き》たものだから、|蛇《へび》や|蜈蚣《むかで》に|責《せ》められて|苦《くる》しむのだと|思《おも》ひ、アーア|俺《わし》|丈《だけ》はヤツパリ|盗《ぬす》んで|来《き》た|船《ふね》を|返《かへ》しに|往《い》つた|正直者《しやうぢきもの》の|発頭人《ほつとうにん》だから、|蛇《へび》も|蜈蚣《むかで》も|如何《いかん》ともする|事《こと》が|出来《でき》ないのだと、|稍《やや》|得意気分《とくいきぶん》になつて|居《ゐ》た。が|併《しか》し|乍《なが》ら、|誰《たれ》も|彼《かれ》も|金銀《きんぎん》の|体《からだ》になり、|余《あま》り|苦痛《くつう》さうにもないのを|見《み》ると、|何《なん》とはなしに、|自分《じぶん》も|羨《けな》りくなり|当然《あたりまへ》の|肉体《にくたい》が|却《かへつ》て|罪《つみ》の|塊《かたまり》の|様《やう》な|感《かん》じが|致《いた》しますワ。|一体《いつたい》|何方《どちら》が|善《ぜん》ですか。|万一《まんいち》|四人《よにん》の|者《もの》、|神《かみ》の|冥罰《めいばつ》に|触《ふ》れて|斯《こ》んな|態《ざま》になつたのならば、|我々《われわれ》は|友人《いうじん》の|為《ため》に|充分《じうぶん》の|謝罪《おわび》を|神界《しんかい》へ|致《いた》さねばならず、|又《また》|四人《よにん》が|神徳《しんとく》を|蒙《かうむ》りて|出世《しゆつせ》をしたのならば、|我々《われわれ》も|同《おな》じく|出世《しゆつせ》をする|様《やう》に|願《ねが》つて|頂《いただ》かねばなりませぬ。|善悪不二《ぜんあくふじ》と|云《い》ふ|事《こと》は|予《かね》て|聞《き》いて|居《を》りました。|併《しか》し|乍《なが》ら|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて、|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立分《たてわ》けると|云《い》ふ|以上《いじやう》は、|今《いま》|立《た》て|分《わ》けられた|五人《ごにん》は、どちらが|善《ぜん》か|悪《あく》か、どうぞ|聞《き》かして|下《くだ》さいませ』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|手《て》を|合《あは》せ、|清公《きよこう》の|前《まへ》に|平伏《へいふく》して|頼《たの》み|入《い》る。|清公《きよこう》は|口《くち》をへの|字《じ》に|結《むす》び、|目《め》|計《ばか》りギロギロさせ|乍《なが》ら|一言《ひとこと》も|答《こた》へず|時々《ときどき》|二《ふた》つの|鼻《はな》の|穴《あな》から、フウフウと|荒《あら》い|息《いき》を|吹《ふ》き|出《だ》すのみである。モンキーの|傍《かたはら》|二尺《にしやく》|許《ばか》りの|四方《しはう》は、|何故《なにゆゑ》か、|金銀《きんぎん》の|蛇《へび》|近寄《ちかよ》り|来《きた》らず。|斯《か》うなるとモンキーも|神《かみ》に|嫌《きら》はれて|居《を》るのか、|好《す》かれて|居《を》るのか、|少《すこ》しも|合点《がてん》がゆかぬ。|已《や》むを|得《え》ず|稍《やや》|自棄気味《やけぎみ》になつて、|島中《しまぢう》を|歩行《ある》き|始《はじ》めた。|蛇《へび》は|先《さき》を|争《あらそ》うて、モンキーに|踏《ふ》まれまじと|慌《あわ》ただしく|路《みち》を|開《ひら》く|其《その》|怪《あや》しさ。
|一時《ひととき》|許《ばか》り|島《しま》を|彼方《あなた》|此方《こなた》と|金銀《きんぎん》の|蛇《へび》を|驚《おどろ》かせ|乍《なが》ら、|或《あ》る|美《うる》はしき|金色燦爛《きんしよくさんらん》たる|苔《こけ》の|生《は》えた|岩《いは》の|側《かたはら》に|辿《たど》りつき、|恰好《かつかう》の|休息所《きうそくしよ》と|岩上《がんじやう》に|身《み》を|横《よこ》たへ、|頬杖《ほほづゑ》を|突《つ》き、|思案《しあん》に|暮《く》れて|独言《ひとりごと》を|言《い》つて|居《ゐ》る。
モンキー『あゝサツパリ|善悪《ぜんあく》|不可解《ふかかい》だ、|鬼《おに》も|大蛇《をろち》も|悪魔《あくま》も、すべて|自分《じぶん》である。|自分《じぶん》を|離《はな》れて|極楽《ごくらく》もなければ|地獄《ぢごく》もなし、|又《また》|神《かみ》もなければ|鬼《おに》もない…………と|酒《くし》の|滝壺《たきつぼ》の|大蛇《をろち》に|向《むか》つて|清公《きよこう》が|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つた|時《とき》、|大蛇《をろち》は|忽《たちま》ち|小《ちひ》さくなつて|消《き》えて|了《しま》つた。さうすれば|尚々《なほなほ》|合点《がてん》のゆかぬは|此《この》|島《しま》へ|来《き》てからの|出来事《できごと》だ。|清公《きよこう》|始《はじ》め|其《その》|他《た》の|連中《れんちう》は|残《のこ》らず、|金銀《きんぎん》の|蛇《へび》や|蜈蚣《むかで》に|全身《ぜんしん》を|取巻《とりま》かれ、|神《かみ》に|救《すく》はれたのか、|棄《す》てられたのか、チツとも|訳《わけ》が|分《わか》らなくなつて|了《しま》つた。さうして|我々《われわれ》の|身辺《しんぺん》には|蛇《へび》も|蜈蚣《むかで》も|近寄《ちかよ》らず|疥癬患者《ひぜんかき》が|来《き》た|様《やう》に、|皆《みな》|吃驚《びつくり》したやうな|調子《てうし》で|路《みち》を|開《あ》けて|呉《く》れよる。|考《かんが》へれば|考《かんが》へる|程《ほど》、|俺《おれ》の|精神《せいしん》が|神《かみ》の|御心《みこころ》に|叶《かな》うて|居《を》るのか、|或《あるひ》は|四人《よにん》の|連中《れんちう》の|方《かた》が|良《い》いのか、どうしても|合点《がてん》がゆかない。|我輩《わがはい》に|神徳《しんとく》が|有《あ》つて|蛇《へび》や|蜈蚣《むかで》が|恐《おそ》れて|逃《に》げるのか、|或《あるひ》は|威勢《ゐせい》に|恐《おそ》れて|避《さ》けて|居《ゐ》るのか、|此奴《こいつ》も|一《ひと》つ|考《かんが》へ|物《もの》だ。|諸善《しよぜん》|竜宮《りうぐう》に|入《い》り|玉《たま》ふと|云《い》ふ|以上《いじやう》は、|此《この》|竜宮島《りうぐうじま》に|悪神《あくがみ》は|一柱《ひとはしら》も|無《な》い|筈《はず》、|仮令《たとへ》|金銀《きんぎん》の|色《いろ》をして|居《を》つても、|蛇《へび》に|蜈蚣《むかで》と|云《い》ふ|奴《やつ》、|余《あま》り|気分《きぶん》の|良《い》いものだない。|併《しか》し|此島《ここ》の|蛇《へび》も|蜈蚣《むかで》も|悪魔《あくま》の|様《やう》な|感《かん》じもせぬ。|悪魔《あくま》でなければ|諸善神《しよぜんしん》の|化身《けしん》であらう、|此《この》|点《てん》が|一向《いつかう》|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|所《ところ》だ。|清公《きよこう》だとて|余《あま》り|神様《かみさま》に|好《す》かれる|様《やう》な|至善《しぜん》|至美《しび》の|人間《にんげん》でもなし、|又《また》|俺《おれ》だとて|神様《かみさま》が|恐《おそ》れて|逃《に》げなさる|様《やう》な|御神徳《ごしんとく》があらう|筈《はず》もなし、|又《また》|蛇《へび》が|悪魔《あくま》であるとすれば、|我々《われわれ》の|神徳《しんとく》に|恐《おそ》れて|逃《に》げる|様《やう》な|蛇《へび》には|力《ちから》も|徳《とく》もないのだ。ヤツパリ|竜宮《りうぐう》は|竜宮式《りうぐうしき》だ。|薩張《さつぱり》|五里霧中《ごりむちゆう》に|彷徨《はうくわう》して、|見当《けんたう》の|取《と》れぬ|仕組《しぐみ》の|実地《じつち》を|見《み》せて|貰《もら》うたのだらうか。あゝ|如何《どう》したら|此《この》|解決《かいけつ》が|附《つ》くだらう。|初《はじめ》の|間《うち》は|金銀《きんぎん》の|蛇《へび》、|一二尺《いちにしやく》づつ|遠慮《ゑんりよ》した|様《やう》に|先《さき》を|争《あらそ》うて|逃《に》げて|居《ゐ》よつたが、|何時《いつ》の|間《ま》にか|見渡《みわた》す|限《かぎ》り、|俺《おれ》の|周囲《まわり》には、|一匹《いつぴき》の|蛇《へび》も|居《ゐ》なくなつて|了《しま》つた。|蛇《へび》に|好《す》かれるのも|余《あま》り|気分《きぶん》の|良《よ》い|話《はなし》ではないが、|此《この》|通《とほ》り|敬遠《けいゑん》|主義《しゆぎ》を|執《と》られるのも、|何《なん》だか|面白《おもしろ》くない|様《やう》な|気分《きぶん》がする。あゝ|到底《たうてい》|人間《にんげん》の|理智《りち》では|解《わか》るものでない。|先《ま》づ|神様《かみさま》に|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|悠《ゆつ》くりと|心《こころ》を|落着《おちつ》けて、|鎮魂三昧《ちんこんさんまい》に|入《い》つたならば、|何《なん》とか|此《この》|解決《かいけつ》がつくであらう。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と、|拍手《はくしゆ》をなし、|祝詞《のりと》を、|声《こゑ》|限《かぎ》り|奏上《そうじやう》し|終《をは》つて、|又《また》もや|岩上《がんじやう》に|端坐《たんざ》し、|腕《うで》を|組《く》み|考《かんが》へ|込《こ》んだ。
モンキーは|岩上《がんじやう》に|双手《もろで》を|組《く》み、|首《くび》を|垂《た》れ、|善悪《ぜんあく》の|解決《かいけつ》に|心身《しんしん》を|傾注《けいちう》する|時《とき》しもあれ、|美妙《びめう》の|音楽《おんがく》|眼下《めした》に|聞《きこ》ゆるに|驚《おどろ》き、|目《め》を|開《ひら》いて|眺《なが》むれば、|金銀珠玉《きんぎんしゆぎよく》を|以《もつ》て|包《つつ》まれたる、|厳《うる》はしき|漆塗《うるしぬり》の|船《ふね》に、|得《え》も|言《い》はれぬ|崇高《すうかう》なる|女神《めがみ》|舵《かぢ》を|操《と》り、|清公《きよこう》、チヤンキー、アイル、テーナの|四人《よにん》、|赤裸《まつぱだか》の|筈《はず》の|男《をとこ》が、|何《なん》とも|知《し》れぬ|麗《うるは》しき|薄衣《うすぎぬ》を|身《み》に|着《つ》け、|身体《からだ》は|水晶《すゐしやう》の|如《ごと》く|透明《とうめい》に|清《きよ》まり、|各自《てんで》に|横笛《よこぶえ》、|笙《しやう》、【ひちりき】を|吹《ふ》き、|美《うる》はしき|纓絡《やうらく》の|附《つ》いた|冠《かんむり》を|頭《かしら》に|戴《いただ》き、|愉快気《ゆくわいげ》に|波面《はめん》を|進《すす》み|行《ゆ》く|光景《くわうけい》が、パインの|繁《しげ》みを|透《す》かしてアリアリと|現《あら》はれた。モンキーは|思《おも》はず『アツ』と|叫《さけ》んだ。|四人《よにん》は|金扇《きんせん》を|拡《ひろ》げ、モンキーに|向《むか》つて『|早《はや》く|来《きた》れ』と|差招《さしまね》き|乍《なが》ら、|微妙《びめう》の|音楽《おんがく》の|声《こゑ》|諸共《もろとも》に、|紺青《こんじやう》の|波《なみ》の|上《うへ》を|悠々《いういう》として|彼方《あなた》の|島影《しまかげ》に|姿《すがた》を|隠《かく》しける。
モンキーは|太《ふと》き|息《いき》を|吐《は》き|乍《なが》ら、|我《わが》|身《み》を|振《ふ》り|顧《かへ》れば、|赤銅《しやくどう》の|様《やう》な|黒赤《くろあか》い|肌《はだ》に|毛《け》をボウボウと|生《は》やし、|得《え》も|言《い》はれぬ|汗臭《あせくさ》い、|厭《いや》な|臭気《にほひ》が|放出《はうしゆつ》して、|我《われ》と|我《わ》が|鼻《はな》をつく。
『あゝヤツパリ|俺《おれ》の|方《はう》が|間違《まちが》つて|居《ゐ》たのかい。こりやモ|一《ひと》つ|考《かんが》へ|直《なほ》さなくちやなるまいぞ』
と|岩《いは》を|離《はな》れて|磯端《いそばた》に|走《はし》り|寄《よ》り、|全身《ぜんしん》を|清《きよ》め、|再《ふたた》び|磯端《いそばた》に|端坐《たんざ》して|瞑想《めいさう》に|耽《ふけ》りゐる。
|涼風《りやうふう》|颯々《さつさつ》と|面《おもて》を|吹《ふ》くさま、|得《え》も|言《い》はれぬ|気分《きぶん》となつて|来《き》た。|向《むか》ふの|島影《しまかげ》を|見《み》れば、|金砂青松《きんしやせいしよう》|絵《ゑ》の|如《ごと》く|展開《てんかい》し、|名《な》も|知《し》れぬ|羽毛《うまう》の|麗《うるは》しき|鳥《とり》、|迦陵頻伽《かりようびんが》か|孔雀《くじやく》か|鶴《つる》か、|確《しか》とは|分《わか》らねど、|長閑《のどか》な|声《こゑ》を|放《はな》ちて|天国《てんごく》の|春《はる》を|歌《うた》ふものの|如《ごと》く|感《かん》じられた。|金銀珠玉《きんぎんしゆぎよく》を|鏤《ちりば》めたる|白帆《しらほ》をかけた|神船《しんせん》は|或《あるひ》は|一《ひと》つ、|或《あるひ》は|三《み》つと、|時々刻々《じじこくこく》に|眼下《がんか》の|波面《はめん》を|過《す》ぎ|行《ゆ》く。されどモンキーの|方《はう》には|一瞥《いちべつ》もくれず、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》して|進《すす》み|行《ゆ》く|船《ふね》のみである。モンキーは|益々《ますます》|合点《がてん》ゆかず、|心中《しんちゆう》|稍《やや》|不安《ふあん》を|感《かん》じて|恨《うら》めしげに、|四人《よにん》の|船《ふね》の|姿《すがた》の|隠《かく》れた|方面《はうめん》の|空《そら》を|眺《なが》めて|佇《たたず》み|居《ゐ》る。
|忽《たちま》ち|足許《あしもと》の|水面《すゐめん》より|緑毛《りよくまう》の|亀《かめ》、|忽然《こつぜん》として|浮《うか》び|出《い》で、|見《み》る|間《ま》に|島《しま》へ|駆《か》け|上《あが》り、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|走《はし》り|出《だ》せば、モンキーは|其《その》|亀《かめ》の|後《うしろ》に|従《つ》いてスタスタと|走《はし》り|行《ゆ》く。|亀《かめ》は|益々《ますます》|速力《そくりよく》を|速《はや》め|遂《つい》には|大木《たいぼく》の|幹《みき》に|掻《か》きつき|二三間《にさんげん》|計《ばか》り|攀《のぼ》つた|所《ところ》で、|如何《どう》した|機《はず》みか、|手《て》を|放《はな》し|大地《だいち》に|顛倒《てんたふ》した。モンキーも|亀《かめ》に|添《そ》うて|大木《たいぼく》に|駆《か》け|登《のぼ》つた。|亀《かめ》が|落《お》ちたのを|見《み》て、|自分《じぶん》も|亦《また》|手《て》を|放《はな》し、|地上《ちじやう》に|顛落《てんらく》し、|強《した》たか|頭《あたま》を|打《う》ち『|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』と|云《い》ひつつ、|手《て》の|掌《ひら》にて|息《いき》を|吹《ふ》きかけ、|創所《きずしよ》を|二三回《にさんくわい》|撫《な》でまはせば、|痛《いた》みは|頓《とみ》に|止《と》まりぬ。|亀《かめ》は|腹《はら》を|上《うへ》にし、|四《よ》つの|足《あし》で|空《そら》を|掻《か》いて|藻掻《もが》いて|居《ゐ》る。|之《これ》を|見《み》たモンキーは、|又《また》もや|地上《ちじやう》に|背《せな》を|附《つ》け、|手足《てあし》を|上《あ》げて|空《そら》を|掻《か》き、|亀《かめ》の|真似《まね》をして|居《ゐ》る。|亀《かめ》はカタリと|音《おと》をさせて|起《お》き|上《あが》り、|亦《また》もやノタノタと|反対《はんたい》の|方面《はうめん》に|走《はし》り|出《いだ》す。モンキーも|同《おな》じくクレリと|体《たい》をかはし、|音《おと》がせぬので|口《くち》で『カタリ』と|云《い》ひ|乍《なが》ら|亀《かめ》の|後《あと》に|引添《ひきそ》うて、|今度《こんど》は|四這《よつばひ》になつて|従《つ》いて|行《ゆ》く。
|亀《かめ》は|矢庭《やには》に|湖面《こめん》に|向《むか》つてドブンと|飛《と》び|込《こ》むを|見《み》て、モンキーも|亦《また》|四這《よつばひ》のまま、|湖水《こすゐ》の|中《なか》にドブンと|飛《と》び|込《こ》み|見《み》れば、|亀《かめ》は|頭《かしら》をあげて|悠々《いういう》と|水面《すゐめん》を|泳《およ》いで|居《ゐ》る。モンキーは|亦《また》|亀《かめ》の|後《あと》に|従《つ》いて|首《くび》をあげた|儘《まま》に|泳《およ》いで|行《ゆ》く。|手足《てあし》は|倦《だる》くなり、|最早《もはや》|此《この》|上《うへ》|十間《じつけん》たりとて|泳《およ》げなくなつて|了《しま》つた。|亀《かめ》はモンキーの|追《お》ひ|付《つ》き|来《きた》るを|待《ま》つものの|如《ごと》く、ポカンと|浮《う》いたまま、|首《くび》を|伸《の》ばして|後《うしろ》を|振《ふ》りかへつて|居《ゐ》る。モンキーは|其《その》|間《ま》に|亀《かめ》に|追付《おひつ》き、|甲《かふ》の|両側《りやうがは》に|両手《りやうて》をかくれば、|亀《かめ》は|水中《すゐちう》|深《ふか》く|潜《もぐ》り|出《だ》した。|死物狂《しにものぐる》ひになつて|両手《りやうて》を|甲《かふ》に|掛《か》けた|儘《まま》|水底《みなそこ》に|続《つづ》いて|行《ゆ》く。
フト|目《め》を|開《ひら》き|見《み》れば、|自分《じぶん》の|体《からだ》は|亀《かめ》と|共《とも》に、|女島《めしま》の|磯端《いそばた》に|上《あが》つて|居《ゐ》た。|金銀色《きんぎんしよく》の|蜈蚣《むかで》の|一面《いちめん》に|並《なら》んで|居《ゐ》る|其《その》|上《うへ》を、|亀《かめ》は|容赦《ようしや》なく|這《は》ひ|乍《なが》ら、|島山《しまやま》の|頂《いただき》を|目蒐《めが》けて|進《すす》み|行《ゆ》く。|数多《あまた》の|蜈蚣《むかで》は、|今度《こんど》は|蛇《へび》の|様《やう》に|避《さ》けず、|足許《あしもと》をウザウザさせ|亀《かめ》の|後《うしろ》に、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|追《お》うて|行《ゆ》く。
|亀《かめ》は|又《また》もや|大樹《たいじゆ》の|枝《えだ》に|登《のぼ》つて|了《しま》つた。モンキーも|亦《また》|大樹《たいじゆ》の|枝《えだ》へ|亀《かめ》の|後《あと》に|添《そ》うて|登《のぼ》りついた。|眼下《がんか》の|水面《すゐめん》を|見渡《みわた》せば、|霞《かす》む|許《ばか》りに|高《たか》き|島山《しまやま》の|頂上《ちやうじやう》の|大木《たいぼく》の|梢《しん》から|水面《すゐめん》を|見《み》た|事《こと》とて|非常《ひじやう》に|恐《おそ》ろしい。|亀《かめ》は|亦《また》もや|水面《すゐめん》を|目蒐《めが》けて、|首《くび》をすくめ|乍《なが》ら|落《お》ち|込《こ》んだ。モンキーは|死物狂《しにものぐるひ》になりて|水面《すゐめん》を|目蒐《めが》け、|身《み》を|躍《をど》らし、|頭《あたま》を|下《した》にしたまま、|飛《と》び|込《こ》んで|了《しま》つたと|思《おも》つてハツと|気《き》が|付《つ》けば、モンキーは|金色《こんじき》の|亀《かめ》の|甲《かふ》に|跨《また》がり、|紺碧《こんぺき》の|湖面《こめん》を、|悠々《いういう》として|泳《およ》いで|居《ゐ》た。|亀《かめ》は|何時《いつ》しか|容積《ようせき》を|増《ま》し|船《ふね》の|如《ごと》く|大《おほ》きくなり、|知《し》らぬ|間《ま》に|金銀珠玉《きんぎんしゆぎよく》を|鏤《ちりば》めた|目無堅間《めなしかたま》の|神船《しんせん》になつて|居《ゐ》る。|船《ふね》は|艪《ろ》を|漕《こ》ぐ|人《ひと》も|無《な》きに、|自然《しぜん》に|動《うご》き|出《だ》し、|四人《よにん》が|進《すす》んだ|方面《はうめん》を|指《さ》して|辷《すべ》つて|行《ゆ》く。モンキーは|始《はじ》めて|悟《さと》つた。
モンキー『あゝ|何事《なにごと》も|一切万事《いつさいばんじ》、|神《かみ》に|任《まか》せば|良《い》いのだ。|郷《がう》に|入《い》つては|郷《がう》に|従《したが》へと|云《い》ふ|事《こと》がある。|蛇《へび》の|島《しま》へ|来《く》れば|蛇《へび》と|一《ひと》つの|心《こころ》になり、|蜈蚣《むかで》の|島《しま》へ|来《く》れば|蜈蚣《むかで》の|心《こころ》になつて|済度《さいど》をしてやらねばならぬ。|蛇《へび》を|呑《の》んでも|構《かま》はぬ、|体《からだ》を|巻《ま》きつけられても、|救《すく》ひの|為《ため》には|厭《いと》ふ|所《ところ》でない。|蜈蚣《むかで》が|我々《われわれ》の|肉体《にくたい》を|嘗《な》めたがつて|居《を》るならば、|何程《なにほど》|厭《いや》らしくても|舐《な》めさしてやるのが|神《かみ》の|慈悲《じひ》だ。|神心《かみごころ》だ。|我々《われわれ》は|理智《りち》に|長《た》けて、|神《かみ》の|慈悲心《じひしん》を|軽《かろ》んじて|居《ゐ》た。|最早《もはや》|斯《か》うなる|以上《いじやう》は、|何事《なにごと》も|神様《かみさま》のままに、お|任《まか》せするが|安全《あんぜん》だ。……|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》……と|口《くち》|任《まか》せの|様《やう》に|唱《とな》へて|居《ゐ》たが、|今迄《いままで》は|何事《なにごと》も|頭脳《づなう》で|判断《はんだん》をし|青人草《あをひとぐさ》|倣《なら》ひの|行《おこな》ひをやつて|居《ゐ》たのが|誤《あやま》りだ。あゝ|神様《かみさま》|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。どうぞ|清公《きよこう》|其《その》|他《た》の|一行《いつかう》に、|一時《いちじ》も|早《はや》く|面会《めんくわい》の|出来《でき》まする|様《やう》、|御取計《おとりはか》らひ|下《くだ》さいませ。モウ|此《この》|上《うへ》は|一切万事《いつさいばんじ》、|貴神《あなた》にお|任《まか》せ|致《いた》します』
と|悔悟《くわいご》の|涙《なみだ》をしぼり、|湖面《こめん》に|向《むか》つて|合掌《がつしやう》し|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》して|居《ゐ》る。
|何処《いづく》よりともなく、|以前《いぜん》の|如《ごと》き|美妙《びめう》の|音楽《おんがく》|聞《きこ》え|来《きた》り、|麝香《じやかう》の|如《ごと》き|風《かぜ》|湖面《こめん》を|吹《ふ》いて、|其《その》|身《み》は|忽《たちま》ち|薄物《うすもの》の|綾錦《あやにしき》に|包《つつ》まれ、|天上《てんじやう》を|行《ゆ》く|如《ごと》き|爽快《さうくわい》なる|気分《きぶん》に|酔《よ》はされて|居《ゐ》た。
あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・七・一〇 旧閏五・一六 松村真澄録)
第一〇章 |開悟《かいご》の|花《はな》〔七五六〕
|心《こころ》の|色《いろ》も|清公《きよこう》が チヤンキー(長吉)モンキー(茂吉)|始《はじ》めとし
アイル、テーナの|五人連《ごにんづ》れ |黄金《こがね》|花《はな》|咲《さ》く|海中《わだなか》の
|竜宮島《りうぐうじま》の|中心地《ちうしんち》 |玉野ケ原《たまのがはら》を|打《う》ち|渡《わた》り
|酷暑《こくしよ》の|光《ひかり》|受《う》け|乍《なが》ら |涼風《すずかぜ》|香《かを》る|諏訪《すは》の|湖《うみ》
|祠《ほこら》の|前《まへ》に|端坐《たんざ》して |天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し
|浮世《うきよ》の|衣《きぬ》を|脱《ぬ》ぎ|捨《す》てつ |生《うま》れ|赤子《あかご》の|真裸体《まつぱだか》
|後《あと》をも|先《さき》をも【みづ】|御霊《みたま》 |五《い》つの|御霊《みたま》は|諸共《もろとも》に
|身《み》を|躍《をど》らして|飛《と》び|込《こ》めば |千尋《ちひろ》の|底《そこ》より|猶《な》ほ|深《ふか》き
|罪《つみ》の|凝固《ぎようこ》の|清公《きよこう》を |先頭《せんとう》に|立《た》てて|各自《めいめい》は
|歩《あゆ》むに|連《つ》れて|摺鉢《すりばち》の |深《ふか》き|水底《みそこ》に|身《み》を|沈《しづ》め
|一度《いちど》は|息《いき》も|絶《き》れたるが |金銀珠玉《きんぎんしゆぎよく》を|鏤《ちりば》めし
|目無堅間《めなしかたま》の|神船《しんせん》に |棹《さを》さし|来《きた》る|神人《しんじん》に
|救《すく》ひ|上《あ》げられ|常磐木《ときはぎ》の |天《てん》を|封《ふう》じて|立《た》ち|並《なら》ぶ
|雄島《をしま》の|岸《きし》に|救《すく》はれぬ |抑《そもそも》|此島《ここ》は|竜宮《りうぐう》の
|神《かみ》に|仕《つか》ふる|百神《ももがみ》の |金《きん》と|銀《ぎん》との|蛇《じや》と|変《へん》じ
|或《あるひ》は|蜈蚣《むかで》と|化《な》り|変《かは》り |澆季末法《げうきまつぽふ》の|世《よ》の|中《なか》を
|救《すく》ひ|助《たす》けて|神《かみ》の|代《かは》を |建《た》てむが|為《ため》に|朝夕《あさゆふ》に
|三寒《さんかん》|三熱《さんねつ》|限《かぎ》りなき |苦痛《くつう》を|嘗《な》めて|世《よ》を|救《すく》ふ
|諸善竜神《しよぜんりうじん》の|修業場《しゆげふば》 |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|生《うま》れ|赤子《あかご》になり|変《かは》り |心《こころ》の|色《いろ》も|清公《きよこう》が
|喉《のど》を|目蒐《めが》けて|這《は》ひ|込《こ》みし |黄金《こがね》の|蛇《へび》は|何者《なにもの》ぞ
|玉依姫《たまよりひめ》の|分《わ》け|御霊《みたま》 |玉永姫《たまながひめ》の|化身《けしん》にて
|竜宮洲《りうぐうじま》を|清《きよ》めむと |名《な》も|清公《きよこう》の|体《たい》を|借《か》り
アイルテーナやチヤンキーを |蜈蚣《むかで》の|島《しま》に|投《な》げやりて
|現界《このよ》|幽界《あのよ》の|境《さかひ》なる |苦《くる》しき|修業《しうげふ》を|事依《ことよ》さし
|水晶身魂《すゐしやうみたま》に|磨《みが》き|上《あ》げ |罪《つみ》も|穢《けがれ》も|軽衣《かるごろも》
|錦《にしき》の|船《ふね》に|運《はこ》ばれて |竜《たつ》の|宮居《みやゐ》に|進《すす》み|行《ゆ》く
|雄島《をしま》の|岸《きし》に|残《のこ》されし |一人《ひとり》の|男《をとこ》モンキーは
|四人《よにん》の|姿《すがた》を|見送《みおく》りて |善悪邪正《ぜんあくじやせい》の|判断《はんだん》に
|迷《まよ》ふ|折《をり》しも|金銀《きんぎん》の |浪《なみ》|掻《か》き|分《わ》けて|浮《うか》び|来《く》る
|青緑毛《せいりよくまう》の|大亀《おほかめ》は |忽《たちま》ちモンキーが|足許《あしもと》に
のたりのたりと|這《は》ひ|上《あが》り |山上《さんじやう》|目蒐《めが》けて|這《は》ひ|出《だ》せば
|茲《ここ》にモンキーは|遅《おく》れじと |亀《かめ》の|後《あと》をば|追《お》ひ|乍《なが》ら
|大樹《たいじゆ》の|枝《えだ》に|駆《か》け|登《のぼ》り |亀《かめ》と|諸共《もろとも》|高所《かうしよ》より
|忽《たちま》ち|地上《ちじやう》に|顛落《てんらく》し |大切《だいじ》の|頭《あたま》を|打《う》ちながら
|神《かみ》の|御息《みいき》を|両《りやう》の|手《て》の |掌《ひら》に|吹《ふ》きかけ|疵所《きずしよ》をば
つるりつるりと|撫《な》でつれば |疵《きず》は|忽《たちま》ち|癒《い》えにける
|緑毛《りよくまう》の|亀《かめ》は|足早《あしばや》に |雲《くも》を|霞《かすみ》と|駆《か》け|出《いだ》す
|我《われ》|遅《おく》れじとモンキーは |汀《みぎは》に|進《すす》む|折柄《をりから》に
|緑毛《りよくまう》の|亀《かめ》は|忽《たちま》ちに |身《み》を|躍《をど》らして|水中《すゐちう》に
ザンブと|許《ばか》り|飛《と》び|込《こ》みぬ モンキー|後《あと》より|後《おく》れじと
|又《また》もや|水中《すゐちう》に|飛《と》び|込《こ》めば |手足《てあし》も|疲《つか》れ|身《み》も|弱《よわ》り
|息《いき》も|絶《た》えむとする|所《ところ》 |緑毛《りよくまう》の|亀《かめ》は|何故《なにゆゑ》か
|湖面《こめん》に|姿《すがた》を|浮《うか》べつつ |手足《てあし》を|休《やす》めて|振《ふ》り|返《かへ》り
モンキーの|来《きた》るを|待《ま》ち|居《ゐ》たる |漸《やうや》く|亀《かめ》に|縋《すが》りつき
|両手《りやうて》に|甲《かふ》を|抱《かか》へつつ |命《いのち》|辛々《からがら》|従《つ》いて|行《ゆ》く
|亀《かめ》は|直様《すぐさま》|水中《すゐちう》を |潜《もぐ》りて|深《ふか》き|海底《うなぞこ》に
|一旦《いつたん》|息《いき》を|休《やす》めつつ |再《ふたた》び|湖面《こめん》に|浮《う》き|上《あが》り
|忽《たちま》ち|変《へん》じて|船《ふね》となる |命《いのち》|限《かぎ》りのモンキーは
|初《はじ》めて|蘇生《そせい》したるごと |心《こころ》も|勇《いさ》み|気《き》も|勇《いさ》み
|救《すく》ひの|船《ふね》に|身《み》を|任《まか》せ |善悪邪正《ぜんあくじやせい》の|判断《はんだん》に
|心《こころ》の|闇《やみ》を|照《て》らしつつ |船《ふね》のまにまに|浪《なみ》の|上《うへ》
|朱欄碧瓦《しゆらんへきぐわ》の|竜宮《りうぐう》の |高楼《たかどの》|目蒐《めが》けて|惟神《かむながら》
|神《かみ》のまにまに|進《すす》み|往《ゆ》く。
|遠浅《とほあさ》の|湖岸《こがん》に|船《ふね》は|進《すす》んで|来《き》た。|湖底《うなぞこ》は|水晶《すゐしやう》の|如《ごと》く|明《あきら》かに、|金砂銀砂《きんしやぎんしや》の|光《ひかり》|太陽《たいやう》に|映《えい》じて|何物《なにもの》にも|譬方《たとへがた》なき|麗《うるは》しさ。|小《ちひ》さき|青《あを》、|赤《あか》、|紫《むらさき》の|魚《うを》は|金魚《きんぎよ》のやうな|尾《を》を|掉《ふ》つて|縦横《じうわう》に|溌溂《はつらつ》として|游《およ》いで|居《ゐ》る。|天《てん》の|星《ほし》の|輝《かがや》くやうに|水《みづ》の|深《ふか》さ|五寸《ごすん》|乃至《ないし》|一尺《いつしやく》|許《ばか》りの|所《ところ》になりて、|金剛石《こんがうせき》のやうな|光《ひかり》、|五六尺《ごろくしやく》|或《あるひ》は|一二尺《いちにしやく》を|隔《へだ》てて|目《め》も|眩《くら》む|許《ばか》り|強《つよ》き|光《ひかり》を|放《はな》つて|居《ゐ》る。|船《ふね》は|一寸《いつすん》|許《ばか》りの|水《みづ》の|上《うへ》さへも|軽々《かるがる》しく|辷《すべ》りつつ、|遂《つい》に|金砂《きんしや》の|磯端《いそばた》に|着《つ》いた。
モンキーは|船《ふね》を|飛《と》び|下《お》り、|砂原《すなはら》を|歩《あゆ》みかけた。|一歩《いつぽ》|々々《いつぽ》|運《はこ》ぶ|毎《ごと》に|足《あし》の|下《した》から|鶯《うぐひす》のやうな|声《こゑ》が|出《で》て|来《く》る。|振《ふ》り|返《かへ》つて|砂《すな》に|印《いん》した|足跡《あしあと》を|見《み》れば、|大《だい》なる|小判《こばん》を|敷《し》いたやうに|金色《こんじき》に|光《ひか》つて|居《を》る。モンキーはふと|佇《たたず》み、|乗《の》り|来《き》し|船《ふね》や|湖面《こめん》を|見《み》れば、|青《あを》、|紅《べに》、|紫《むらさき》、|白《しろ》、|黄《き》、|橄欖色《かんらんしよく》、|其《その》|他《た》|得《え》も|言《い》はれぬ|宝玉《ほうぎよく》、|湖上《こじやう》|三尺《さんじやく》|許《ばか》りの|所《ところ》を|蝶《てふ》の|花《はな》に|戯《たはむ》る|如《ごと》くに|前後左右《ぜんごさいう》に|浮動《ふどう》して|居《ゐ》る|麗《うるは》しさ、|玉《たま》と|玉《たま》とは|時々《ときどき》|衝突《しようとつ》して|煙火《はなび》の|如《ごと》き|光《ひかり》を|湖面《こめん》に|投《な》げて|居《ゐ》る。|恰《あたか》も|宝玉《ほうぎよく》の|粉末《ふんまつ》を|撒《ま》き|散《ち》らした|様《やう》な|眺《なが》めである。モンキーは|夢《ゆめ》では|無《な》いかと|我《われ》と|我《わが》|身《み》を|疑《うたが》ひつつ|尚《なほ》も|湖面《こめん》を|熟視《じゆくし》して|居《ゐ》ると、|後《うしろ》の|方《はう》より|思《おも》はず|両方《りやうはう》の|肩《かた》をグツと|抱《かか》へた|者《もの》がある。|何者《なにもの》ならむと|吾《わが》|胸《むね》の|辺《あたり》に|目《め》を|転《てん》ずれば、|金色《きんいろ》、|黒色《こくしよく》のダンダラ|条《すぢ》のある|虎《とら》の|両手《りやうて》であつた。モンキーは|其《その》|手《て》を|我《わが》|両手《りやうて》に|固《かた》く|握《にぎ》り|乍《なが》ら、|何者《なにもの》にか|引《ひ》かるる|如《ごと》き|心地《ここち》し、|自分《じぶん》の|姿《すがた》は|何時《いつ》の|間《ま》にやら、|紫《むらさき》の|麗《うるは》しき|木《こ》の|葉《は》の|数多《あまた》|茂《しげ》れる|林《はやし》の|中《なか》に|導《みちび》かれ、|瑠璃光《るりくわう》の|如《ごと》き|岩石《がんせき》の|根下《ねもと》に|穿《うが》たれたる|岩窟《がんくつ》の|中《なか》へ、|不知不識《しらずしらず》に|進《すす》み|入《い》りける。
モンキーは、|如何《いか》なること|有《あ》りとも、|理智《りち》を|捨《す》てて|唯《ただ》|惟神《かむながら》に|任《まか》すべく、|決心《けつしん》の|臍《ほぞ》を|固《かた》めて|居《ゐ》た|際《さい》であるから、|一切《いつさい》の|考慮《かうりよ》を|捨《す》て、|唯《ただ》|吾《わが》|身《み》の|自然《しぜん》に|引《ひ》かるるままに|任《まか》して|居《を》るのみ。
モンキーの|体《からだ》は、|金銀色《きんぎんいろ》の|光《ひかり》|輝《かがや》く|洞穴《ほらあな》の|中《なか》に|自然《しぜん》にキリキリ|舞《ま》ひ|乍《なが》ら、|何処《どこ》ともなく|聞《きこ》ゆる|音楽《おんがく》の|声《こゑ》に|従《つ》れて|時々《ときどき》|舞《ま》ひ|上《あが》り、|或《あるひ》は|横《よこ》になり、|或《あるひ》は|逆様《さかさま》に|手《て》を|以《もつ》て|歩《あゆ》むなど、|全《まつた》く|一身心魂《いつしんしんこん》を|神《かみ》に|任《まか》せて、|何時《いつ》の|間《ま》にか|其《その》|身体《からだ》は|美《うる》はしき|宝玉《ほうぎよく》をもつて|飾《かざ》られたる|宝座《ほうざ》の|上《うへ》に|端坐《たんざ》して|居《ゐ》た。|坑内《かうない》の|遥《はるか》|向《むか》ふより|青《あを》、|赤《あか》、|紫《むらさき》、|白《しろ》、|黄《き》の|五《いつ》つの|玉《たま》の|光《ひかり》、サーチライトの|数千倍《すうせんばい》の|光力《くわうりよく》をもつて、|目《め》も|眩《くら》む|許《ばか》り|此方《こなた》に|向《むか》つて|光《ひかり》を|放射《はうしや》し|出《だ》した。モンキーは|思《おも》はず|目《め》を|塞《ふさ》ぎ、|玉《たま》の|光《ひか》る|方《はう》を|眺《なが》むれば|豈《あに》|図《はか》らむや、|紫《むらさき》の|玉《たま》の|中《なか》には|初稚姫《はつわかひめ》、|赤《あか》き|玉《たま》には|玉能姫《たまのひめ》、|青《あを》き|玉《たま》には|玉治別《たまはるわけ》、|白《しろ》き|玉《たま》には|久助《きうすけ》、|黄色《きいろ》の|玉《たま》にはお|民《たみ》の|顔《かほ》がありありと|映《うつ》つて|居《ゐ》た。モンキーは|是《これ》を|見《み》るより|忽《たちま》ち|精神《せいしん》|宙《ちう》に|浮《う》き|上《あが》る|如《ごと》く|前後《ぜんご》も|知《し》らず|其《その》|場《ば》に|倒《たふ》れて|仕舞《しま》つた。
(大正一一・七・一〇 旧閏五・一六 加藤明子録)
第一一章 |風声鶴唳《ふうせいかくれい》〔七五七〕
|蒼空《さうくう》|一点《いつてん》の|雲《くも》なく、|星光《せいくわう》|疎《まばら》にして|中秋《ちうしう》の|月《つき》は|中空《ちうくう》に|懸《かか》り、|鏡《かがみ》の|如《ごと》き|温顔《をんがん》をもて|下界《げかい》を|照《てら》し|給《たま》ふ。|地恩城《ちおんじやう》の|棟《むね》に|鏤《ちりば》めたる|十曜《とえう》の|金紋《きんもん》は、|月光《げつくわう》に|映《えい》じて|目《め》も|眩《まばゆ》きばかりなり。
|地恩城《ちおんじやう》の|女王《ぢよわう》|黄竜姫《わうりようひめ》は、|梅子姫《うめこひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》、|左守《さもり》のスマートボール、|宇豆姫《うづひめ》を|始《はじ》め|右守《うもり》の|鶴公《つるこう》、|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》|其《その》|他《た》を|従《したが》へ、|高殿《たかどの》に|登《のぼ》り|月見《つきみ》の|宴《えん》を|開《ひら》いて|居《ゐ》る。|果物《くだもの》の|酒《さけ》は|芳醇《はうじゆん》なる|香《にほひ》を|放《はな》ち、|柑子《こうづ》、バナナ、|桃《もも》|其《そ》の|他《た》の|木《こ》の|実《み》を|麗《うるは》しき|器《うつは》に|盛《も》り、|一同《いちどう》|歓《くわん》を|尽《つく》して|月光《げつくわう》を|仰《あふ》ぐ|折《をり》しも、|黄竜姫《わうりようひめ》は|忽《たちま》ち|顔色《がんしよく》|蒼白《あを》ざめ、|身体《しんたい》|頻《しき》りに|動揺《どうえう》して、|心中《しんちう》|不安《ふあん》の|雲《くも》に|包《つつ》まれし|如《ごと》き|容態《ようたい》となれり。
|梅子姫《うめこひめ》、|其《その》|他《た》の|人々《ひとびと》の|目《め》には、|中秋《ちうしう》の|月《つき》|皎々《かうかう》と|輝《かがや》き、|紺碧《こんぺき》の|空《そら》は|愈《いよいよ》|高《たか》く、|風《かぜ》は|涼《すず》しく|何《なん》とも|云《い》へぬ|気分《きぶん》に|包《つつ》まれて|居《ゐ》る。|独《ひと》り|黄竜姫《わうりようひめ》の|眼《まなこ》に|映《えい》じたるは、ジヤンナ|郷《きやう》のテールス|姫《ひめ》の|夫《をつと》となり、|三五《あななひ》の|道《みち》をネルソン|山《ざん》|以西《いせい》に|布《し》き、|旭日昇天《きよくじつしようてん》の|勢《いきほひ》ありと|称《しよう》せらるる|友彦《ともひこ》を|先頭《せんとう》に、|数多《あまた》の|鬼《おに》の|如《ごと》き|土人《どじん》、|怪《あや》しき|黒雲《くろくも》に|乗《の》り、|幾十万《いくじふまん》とも|限《かぎ》りなく|鋭利《えいり》なる|鎗《やり》を|携《たづさ》へ、|中空《ちうくう》より|地上《ちじやう》を|眺《なが》め、|黄竜姫《わうりようひめ》の|頭上《づじやう》に|向《むか》つて|鋼鉄《まがね》の|矛《ほこ》を|驟雨《しうう》の|如《ごと》く|降《ふ》らせ、|火《ひ》の|車《くるま》を|挽《ひ》き|連《つ》れ、|青《あを》、|赤《あか》、|黒《くろ》の|鬼《おに》、|虎皮《こひ》の|褌《ふんどし》を|締《し》め、|牛《うし》の|如《ごと》き|角《つの》を|生《は》やし|攻《せ》め|来《きた》る|恐《おそ》ろしさに、|身体《しんたい》|忽《たちま》ち|震動《しんどう》して、|高殿《たかどの》より|終《つひ》に|顛落《てんらく》、|人事不省《じんじふせい》に|陥《おちい》りける。
|蜈蚣姫《むかでひめ》は|驚《おどろ》きてものをも|言《い》はず、|老《おい》の|身《み》も|甲斐々々《かひがひ》しく|階段《かいだん》を|降《くだ》り|行《ゆ》く。されど|梅子姫《うめこひめ》、スマートボール|其《その》|他《た》の|面々《めんめん》には、|黄竜姫《わうりようひめ》の|姿《すがた》|並《ならび》に|蜈蚣姫《むかでひめ》の|姿《すがた》は|依然《いぜん》として|高殿《たかどの》に|月《つき》を|賞《しやう》するかの|如《ごと》く|見《み》え|居《ゐ》たり。それ|故《ゆゑ》|蜈蚣姫《むかでひめ》の|周章《あわて》て|階段《かいだん》を|降《くだ》り|行《ゆ》きし|事《こと》も、|黄竜姫《わうりようひめ》が|高殿《たかどの》より|墜落《つゐらく》せし|事《こと》も|夢《ゆめ》にも|知《し》らざりし。|要《えう》するに|黄竜姫《わうりようひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》の|本守護神《ほんしゆごじん》は、|依然《いぜん》として|此《この》|高殿《たかどの》に|其《その》|儘《まま》の|体《たい》を|現《あら》はし、|嬉々《きき》として|月《つき》を|賞《しやう》しつつありしなり。|二人《ふたり》が|身体《からだ》に|残《のこ》れる|執着心《しふちやくしん》の|鬼《おに》の|為《た》めに|斯《か》くの|如《ごと》き|幻覚《げんかく》を|起《おこ》し、|又《また》|其《その》|罪悪《ざいあく》の|凝固《かたまり》より|成《な》れる|肉体《にくたい》は、|副守護神《ふくしゆごじん》の|容器《いれもの》として|高殿《たかどの》の|下《した》なる|千仭《せんじん》の|谷間《たにま》に|突《つ》き|落《おと》されたるなりき。
|後《あと》に|残《のこ》つた|黄竜姫《わうりようひめ》の|姿《すがた》は、|恰《あだか》も|鼈甲《べつかふ》の|如《ごと》く|身体《しんたい》|半《なか》ば|透《す》き|通《とほ》りて|一層《いつそう》の|美《び》を|加《くは》へ、|言葉《ことば》も|俄《にはか》に|涼《すず》しく|且《か》つ|荘重《さうちよう》を|帯《お》び|来《き》たりぬ。
|梅子姫《うめこひめ》『|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》、|不思議《ふしぎ》な|事《こと》があるもので|御座《ござ》いますな。|今迄《いままで》の|貴女《あなた》のお|姿《すがた》とうつて|変《かは》り、|一入《ひとしほ》|立派《りつぱ》な|御顔色《おんかんばせ》、お|身体《からだ》の|恰好《かつかう》までも、|何処《どこ》ともなく|威厳《ゐげん》の|加《くは》はつた|様《やう》に|思《おも》ひます。|変《かは》ると|言《い》つても、|斯《か》う|迅速《じんそく》に|向上《かうじやう》|遊《あそ》ばすと|言《い》ふ|事《こと》は、|不思議《ふしぎ》でなりませぬ』
|黄竜姫《わうりようひめ》『ハイ、|妾《わたし》は|勿体《もつたい》なくも|三五教《あななひけう》の|神司《かむづかさ》となり、|且《かつ》|地恩城《ちおんじやう》の|女王《ぢよわう》と|迄《まで》|上《のぼ》りつめ、|稍《やや》|得意《とくい》の|色《いろ》を|浮《うか》べ|安心《あんしん》の|気《き》にうたれて、|勿体《もつたい》なくも|月《つき》の|大神様《おほかみさま》を|玩弄物《おもちや》か|何《なに》かの|様《やう》に、|酒肴《さけさかな》を|持《も》ち|出《だ》し|月見《つきみ》の|宴《えん》だと、|花見《はなみ》か|雪見《ゆきみ》の|様《やう》な|畏《おそ》れ|多《おほ》い|事《こと》を|何《なん》とも|思《おも》はず|始《はじ》めましたが、|忽《たちま》ち|大空《おほぞら》の|月光菩薩《げつくわうぼさつ》の|御威勢《ごゐせい》に|照《て》らされハテ、|済《す》まない|事《こと》をした、|妾《わたし》は|今《いま》こそ|飛《た》つ|鳥《とり》も|落《おと》す|様《やう》な|威勢《ゐせい》で|斯《か》うして|此処《ここ》に|安楽《あんらく》に|暮《くら》して|居《を》るが、|月《つき》の|鏡《かがみ》に|妾《わたし》の|古《ふる》い|傷《きず》がスツカリ|写《うつ》つた|様《やう》な|心持《こころもち》になり、|月見《つきみ》どころか、|穴《あな》でもあらば|這入《はい》り|度《た》い|様《やう》な|心持《こころもち》になり、|悔悟《くわいご》の|念《ねん》に|苦《くる》しむ|時《とき》しも、|満天《まんてん》の|星《ほし》は|黒雲《くろくも》に|包《つつ》まれ|月光《げつくわう》は|影《かげ》を|隠《かく》し|四面《しめん》|咫尺《しせき》|暗澹《あんたん》となりしと|思《おも》ふ|間《ま》もなく、ジヤンナの|郷《さと》に|三五《あななひ》の|道《みち》を|伝《つた》ふる|友彦《ともひこ》は|妾《わたし》が|昔《むかし》|彼《かれ》に|与《あた》へた|凌辱《りようじよく》の|怨《うら》みを|復《かへ》さむと|数多《あまた》の|鬼《おに》を|従《したが》へ、|天上《てんじやう》より|鋼鉄《まがね》の|矛《ほこ》を|雨《あめ》の|如《ごと》くに|降《ふ》らせ、|火《ひ》の|車《くるま》を|以《もつ》て|我《わが》|肉体《にくたい》を|迎《むか》へ|来《きた》る|其《その》|恐《おそ》ろしさ。|罪《つみ》にかたまつた|肉体《にくたい》の|衣《きぬ》を|神様《かみさま》の|御恵《みめぐみ》に|依《よ》つて|剥《は》ぎ|取《と》られ、|又《また》|母上《ははうへ》も|子《こ》の|愛《あい》に|溺《おぼ》れ|給《たま》ふ|執着心《しふちやくしん》の|衣《ころも》は、|此《この》|谷間《たにま》に|落《お》ちて|白烟《はくえん》となり|消《き》え|失《う》せました。アヽ|斯《か》くなる|上《うへ》は|最早《もはや》|妾《わたし》の|肉体《にくたい》には|一点《いつてん》の|雲霧《くもきり》も|無《な》く、|正《まさ》に|此《この》|中秋《ちうしう》のお|月様《つきさま》の|如《ごと》き|身魂《しんこん》と|生《うま》れ|変《かは》つた|様《やう》で|御座《ござ》います。それに|就《つ》いては|皆様《みなさま》、|只今《ただいま》より|月見《つきみ》の|宴《えん》を|廃《はい》し、|神様《かみさま》にお|詫《わび》を|致《いた》しませう』
との|物語《ものがた》りに|梅子姫《うめこひめ》は|感《かん》じ|入《い》り、|自《みづか》ら|導師《だうし》となつて|高殿《たかどの》に|端坐《たんざ》し、|月光《げつくわう》に|向《むか》つて|感謝《かんしや》|祈願《きぐわん》の|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|月見《つきみ》に|用《もち》ゐたる|総《すべ》ての|器《うつは》を|此《この》|高殿《たかどの》より|眼下《がんか》の|谷底《たにそこ》|目蒐《めが》けて|一品《ひとしな》も|残《のこ》らず|投《な》げやり、|今後《こんご》は|決《けつ》して|月見《つきみ》の|宴《えん》を|為《な》さざる|事《こと》を|神明《しんめい》に|約《やく》し、|悄然《せうぜん》として|地恩城《ちおんじやう》の|奥殿《おくでん》に|姿《すがた》を|隠《かく》し、|再《ふたた》び|一同《いちどう》|打揃《うちそろ》ひ|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》する|事《こと》となりぬ。
|地恩城《ちおんじやう》の|黄竜姫《わうりようひめ》を|始《はじ》め、|重《おも》だちたる|幹部《かんぶ》は|奥殿《おくでん》に|入《い》り、|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し|了《をは》つて|神酒《みき》を|頂《いただ》き|居《を》る|際《さい》、|慌《あわただ》しく|奥《おく》の|間《ま》|目蒐《めが》けて|駆入《かけい》り|来《きた》る|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》の|両人《りやうにん》は、|息《いき》も|絶《た》え|絶《だ》えに|後鉢巻《うしろはちまき》グツと|締《し》め、|各自《てにてに》|茨《いばら》の|鞭《むち》を|握《にぎ》つた|儘《まま》、
『|申《まを》し|上《あ》げます。タヽヽヽ|大変《たいへん》で|御座《ござ》います。|御用意《ごようい》を|遊《あそ》ばしませ』
と|息《いき》もつき|敢《あへ》ず|泣声《なきごゑ》になつて|言上《ごんじやう》する。
スマートボール『|其《その》|方《はう》は|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》の|両人《りやうにん》、|大変《たいへん》とは|何事《なにごと》だ。|苦《くる》しうない、|近《ちか》く|寄《よ》つて|細《つぶ》さに|物語《ものがた》つたが|宜《よ》からうぞ』
|貫州《くわんしう》は|両手《りやうて》にて|胸《むね》を|打《う》ち|乍《なが》ら、|稍《やや》|反身《そりみ》になつて、
『|我々《われわれ》|両人《りやうにん》、|地恩城《ちおんじやう》の|城門《じやうもん》を、スマートボールの|命令《めいれい》に|依《よ》り|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|監督《かんとく》し、|用心《ようじん》|堅固《けんご》に|守《まも》る|折《をり》しも|遥《はるか》に|聞《きこ》ゆる|鬨《とき》の|声《こゑ》、|何事《なにごと》ならむと|高殿《たかどの》に|一目散《いちもくさん》に|駆登《かけのぼ》り、|月《つき》の|光《ひかり》に|照《て》らして|向《むか》ふをキツと|眺《なが》むれば、|十曜《とえう》の|紋《もん》の|旗印《はたじるし》、|瓢箪形《へうたんがた》の|馬標《うまじるし》は|幾十百《いくじふひやく》とも|無《な》く|樹々《きぎ》の|間《ま》に|間《ま》に|出没《しゆつぼつ》し、|赤鉢巻《あかはちまき》に|赤襷《あかたすき》、|数多《あまた》の|駒《こま》に|跨《またが》りて|鬨《とき》を|作《つく》つて|攻《せ》め|寄《よ》せ|来《きた》る|其《その》|勢《いきほ》ひの|凄《すさま》じさ、|敵《てき》は|何者《なにもの》ならむと|斥候《せきこう》を|放《はな》ち、よくよく|見《み》れば|豈《あに》|図《はか》らむや、|曩《さき》に|城外《じやうぐわい》に|投《な》げ|出《だ》されたる|元《もと》のバラモン|教《けう》の|友彦《ともひこ》、ジヤンナの|荒武者《あらむしや》|共《ども》を|引率《ひきつ》れ、|黄竜姫《わうりようひめ》に|厳談《げんだん》せむと|呼《よ》ばはり|乍《なが》ら、|猛虎《まうこ》の|勢《いきほひ》にて|攻《せ》め|来《きた》る。|味方《みかた》は|薄衣《うすぎぬ》|綾錦《あやにしき》、|数万《すうまん》の|敵軍《てきぐん》は|甲冑《かつちう》に|身《み》を|固《かた》め|小手《こて》|脛当《すねあ》て、|鋭利《えいり》の|武器《ぶき》を|携《たづさ》へ|旗鼓《きこ》|堂々《だうだう》と|攻《せ》め|寄《よ》せ|来《きた》る|物々《ものもの》しさ。|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》は、|味方《みかた》の|奴輩《やつばら》|残《のこ》らず|駆《か》り|集《あつ》め、|寄《よ》せ|来《く》る|敵《てき》に|向《むか》つて|言霊戦《ことたません》を|開始《かいし》し、|天《あま》の|数歌《かずうた》|歌《うた》ひ|上《あ》げて|両手《もろて》を|組《く》み、|指頭《しとう》より|五色《ごしき》の|霊光《れいくわう》を|発射《はつしや》し|敵《てき》の|魔軍《まぐん》に|向《むか》つて|防《ふせ》ぎ|戦《たたか》へ|共《ども》、|彼《かれ》も|強者《しれもの》、|言霊《ことたま》を|以《もつ》て|応酬《おうしう》し、|其《その》|上《うへ》|鋭利《えいり》なる|武器《ぶき》を|携《たづさ》へ、|時々刻々《じじこくこく》に|近寄《ちかよ》り|来《きた》る|危《あやふ》さ。|日頃《ひごろ》|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》の|地恩城《ちおんじやう》なれども、|斯《か》くなる|上《うへ》は|最早《もはや》|詮《せん》なし、|武器《ぶき》に|代《か》へて|所在《あらゆる》|小石《こいし》を|引掴《ひつつか》み、|押《お》し|寄《よ》せ|来《きた》る|敵軍《てきぐん》に|向《むか》つて|雨霰《あめあられ》と|乱射《らんしや》すれば、|敵《てき》は|雪崩《なだれ》をうつて|一二丁《いちにちやう》ばかり|一旦《いつたん》ドツと|引《ひ》き|上《あ》げしが、|又《また》もや|鬨《とき》を|作《つく》つて、|暴虎憑河《ばうこひようが》の|勢《いきほひ》|恐《おそ》ろしく、|口《くち》より|火焔《くわえん》を|吹《ふ》き|乍《なが》ら、|青《あを》、|赤《あか》、|黒《くろ》の|鬼神《おにがみ》|共《ども》|先頭《せんとう》に|立《た》ち、|雷《らい》の|如《ごと》き|怪声《くわいせい》を|放《はな》ちて|攻来《せめきた》る。|味方《みかた》は|僅《わづか》に|三百有余人《さんびやくいうよにん》、|死力《しりよく》を|尽《つく》して|挑《いど》み|戦《たたか》へども、|敵《てき》は|名《な》に|負《お》ふ|大軍《たいぐん》、|瞬《またた》く|間《うち》に|縦横無尽《じうわうむじん》に|薙立《なぎた》てられ、|無念《むねん》|乍《なが》らも|我々《われわれ》|両人《りやうにん》、|敵《てき》を|斬《き》り|抜《ぬ》け|漸《やうや》く|此《この》|場《ば》に|立《た》ち|帰《かへ》り|候《さふらふ》|程《ほど》に、この|処《ところ》に|御座《ござ》あつては|御身辺《ごしんぺん》|危《あや》ふし、|一時《いちじ》も|早《はや》く|裏門《うらもん》より、|山伝《やまづた》ひにシオン|山《ざん》の|方面《はうめん》|指《さ》して|落《お》ち|延《の》び|給《たま》へ。サア、|早《はや》く|早《はや》く』
と|身《み》を|慄《ふる》はし、|左右《さいう》の|手《て》を|打《う》ち|振《ふ》り|打《う》ち|振《ふ》り|注進《ちゆうしん》に|及《およ》ぶ|其《その》|怪《あや》しさ。スマートボールは|合点《がてん》|往《ゆ》かず、
『|只今《ただいま》まで|高殿《たかどの》に|於《おい》て|月見《つきみ》の|宴《えん》を|催《もよほ》し|居《ゐ》たりし|我々《われわれ》、|敵《てき》の|押寄《おしよ》せ|来《きた》る|気配《けはい》あれば|何《なん》とか|神界《しんかい》より|御示《おしめ》しあるべき|筈《はず》、|扨《さ》ても|合点《がてん》の|往《ゆ》かぬ|事《こと》であるワイ。……もうし|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》、|梅子姫《うめこひめ》|様《さま》、|如何《いかが》|思召《おぼしめ》し|給《たま》ふや、|合点《がてん》の|往《ゆ》かぬ|両人《りやうにん》が|注進《ちゆうしん》』
と|二人《ふたり》の|顔《かほ》を|打《う》ち|見守《みまも》り、|稍《やや》|不安《ふあん》の|面持《おももち》にて|胸《むね》を|躍《をど》らせて|居《を》る。|黄竜姫《わうりようひめ》は|悠揚《いうやう》|迫《せま》らず、
『あいや、スマートボール、……|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》の|両人《りやうにん》を|我《わが》|前《まへ》に|伴《ともな》ひ|来《きた》れ』
との|厳命《げんめい》にスマートボールは|両人《りやうにん》の|手《て》を|引《ひ》き、|黄竜姫《わうりようひめ》の|膝下《しつか》に|導《みちび》いた。|二人《ふたり》は|頭《かうべ》を|垂《た》れ、|猫《ねこ》に|追《お》はれし|鼠《ねずみ》の|如《ごと》く|畏縮《ゐしゆく》して|慄《ふる》ひ|上《あが》つて|居《ゐ》る。
|黄竜姫《わうりようひめ》『あいや、|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》|両人《りやうにん》、|只今《ただいま》|汝《なんぢ》が|注進《ちゆうしん》せし|事《こと》は|過去《くわこ》の|出来事《できごと》なりや、|将《はた》|未来《みらい》の|事《こと》なるか、|但《ただし》は|現在《げんざい》の|事《こと》か、|明瞭《めいれう》に|答弁《たふべん》せよ』
|武公《たけこう》『ハイ、|過去《くわこ》の|事《こと》や|未来《みらい》の|出来事《できごと》ならば|我々《われわれ》は|決《けつ》して|斯様《かやう》な|心配《しんぱい》は|致《いた》しませぬ。|既《すで》に|城内《じやうない》の|者共《ものども》は|殆《ほとん》ど|滅亡《めつぼう》|致《いた》し、|我々《われわれ》|両人《りやうにん》も|斯《か》くの|如《ごと》く|顔《かほ》に|手疵《てきず》を|負《お》ひし|以上《いじやう》は、|只今《ただいま》の|事《こと》、|今《いま》や……アレアレあの|通《とほ》り|間近《まぢか》くなつた|声《こゑ》、|人馬《じんば》の|物音《ものおと》、|今《いま》に|友彦《ともひこ》、|鋼鉄《まがね》の|矛《ほこ》を|打振《うちふる》ひ|此《この》|場《ば》に|攻《せ》め|寄《よ》せ|来《きた》りますれば、|何卒《どうぞ》|一時《いつとき》も|早《はや》く|裏門《うらもん》より|逃《に》げ|延《の》びて|下《くだ》さいませ』
|黄竜姫《わうりようひめ》『あいや、スマートボール、|其方《そなた》は|表門《おもてもん》に|行《い》つて|実否《じつぴ》を|調査《てうさ》し|来《きた》れ』
スマートボールは『ハイ』と|答《こた》へて|立《た》ち|上《あが》らむとする。|貫州《くわんしう》は|其《その》|裾《すそ》を|掴《つか》んで、
『モシモシ|左守様《さもりさま》、お|待《ま》ち|下《くだ》さいませ、|衆寡《しうくわ》|敵《てき》せず、|飛《と》んで|火《ひ》に|入《い》る|夏《なつ》の|虫《むし》、|決《けつ》して|悪《わる》い|事《こと》は|申《まを》しませぬ。……|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》、|早《はや》く|早《はや》く|御用意《ごようい》|遊《あそ》ばしませ』
|梅子姫《うめこひめ》『|今《いま》|武公《たけこう》の|言葉《ことば》におひおひ|近《ちか》づく|鬨《とき》の|声《こゑ》、|人馬《じんば》の|物音《ものおと》と|申《まを》したが、|天地《てんち》は|至《いた》つて|静寂《せいじやく》、|何《なん》の|声《こゑ》も|無《な》いではありませぬか』
|武公《たけこう》『ソヽヽそりや|何《なに》を|仰有《おつしや》います。あの|声《こゑ》が|分《わか》りませぬか』
と|顔色《がんしよく》|変《か》へて|落《お》ち|付《つ》かぬ|気《げ》に、|震《ふる》ひ|震《ふる》ひ|答《こた》へる。
スマートボールは|貫州《くわんしう》の|手《て》を|振《ふ》り|放《はな》し、|一目散《いちもくさん》に|表門《おもてもん》に|現《あら》はれ|見《み》れば、|月《つき》は|皎々《かうかう》と|輝《かがや》き|猫《ねこ》の|子《こ》|一匹《いつぴき》|其辺《そこら》に|見《み》えぬ。『ハテ|不思議《ふしぎ》』と|高殿《たかどの》に|登《のぼ》り|四方《しはう》をキツと|見渡《みわた》せば|山《やま》はコバルト|色《いろ》に|蒼《あを》ずんで|一点《いつてん》の|白雲《はくうん》もなく、|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》の|輪画《りんくわく》は|一入《ひとしほ》|瞭然《れうぜん》として、|淋《さび》しき|中《うち》に|得《え》も|言《い》はれぬ|雅味《がみ》を|漲《みなぎ》らして|居《ゐ》る。スマートボールは|悠々《いういう》として|奥殿《おくでん》に|帰《かへ》り|来《きた》り、|二人《ふたり》の|前《まへ》に|立現《たちあら》はれ、|矢庭《やには》に|平手《ひらて》を|以《もつ》て|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》の|横面《よこづら》を|二《ふた》つ|三《み》つピシヤピシヤと|打《う》てば、|二人《ふたり》は|初《はじ》めてポカンとした|様《やう》な|面《つら》を|曝《さら》し、
|両人《りやうにん》『ヤア……これはこれは|不躾《ぶしつけ》|千万《せんばん》にも|女王様《ぢよわうさま》の|御殿《ごてん》に|何時《いつ》の|間《ま》にか|侵入《しんにふ》|致《いた》し、|実《じつ》に|申《まを》し|訳《わけ》なき|事《こと》で|御座《ござ》います。|何卒《どうぞ》お|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
と|平伏《へいふく》する。
|蜈蚣姫《むかでひめ》『ほんにほんに、|妾《わし》の|荒肝《あらぎも》を|取《と》りかけよつた。お|前《まへ》は|一体《いつたい》|何《なん》と|言《い》ふ|事《こと》を|言《い》つて|来《く》るのだ。|大方《おほかた》|夢《ゆめ》を|見《み》て|居《を》つたのだらう』
|両人《りやうにん》『ハイ、|今《いま》|考《かんが》へて|見《み》ますれば、|夢《ゆめ》の|連続的《れんぞくてき》|行為《かうゐ》で|御座《ござ》いました。あまり|友彦《ともひこ》が|出《で》て|来《く》る|出《で》て|来《く》ると|心配《しんぱい》して|居《を》つたものですから、ドエライ|夢《ゆめ》を|見《み》たので|御座《ござ》いませう……あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|両手《りやうて》を|合《あは》せ、
|両人《りやうにん》『マアマア|夢《ゆめ》で|結構《けつこう》で|御座《ござ》いました。……|皆《みな》さま、お|目出度《めでた》う、お|祝《いは》ひ|申《まを》します』
|黄竜姫《わうりようひめ》、|梅子姫《うめこひめ》、|宇豆姫《うづひめ》|一度《いちど》に|吹《ふ》き|出《だ》し、
『プツフヽヽヽ、オホヽヽヽ』
|館《やかた》の|外《そと》には|皎々《かうかう》たる|明月《めいげつ》|輝《かがや》き、|松虫《まつむし》、|鈴虫《すずむし》、|蟋蟀《こほろぎ》、|螽斯《きりぎりす》の|声《こゑ》|賑《にぎは》しく|聞《きこ》えて|居《ゐ》る。
(大正一一・七・一〇 旧閏五・一六 北村隆光録)
第一二章 |不意《ふい》の|客《きやく》〔七五八〕
|心《こころ》の|鬼《おに》に|責《せ》められて |黄竜姫《わうりようひめ》が|其《その》|昔《むかし》
|年《とし》も|二八《にはち》の|花盛《はなざか》り |大《だい》の|男《をとこ》を|素気《すげ》|無《な》くも
|錫蘭島《セイロンとう》の|山奥《やまおく》に |義理《ぎり》も|情《なさけ》も|荒男《あらをとこ》
|淋《さび》しき|閨《ねや》の|友彦《ともひこ》を |酒《さけ》に|酔《よ》はせて|籠抜《かごぬけ》の
|憂目《うきめ》に|会《あ》はせた|古疵《ふるきず》は |女王《ぢよわう》となりし|今日《けふ》までも
|心《こころ》の|奥《おく》に|蟠《わだ》かまり |悩《なや》み|苦《くるし》み|居《ゐ》たりしが
|空《そら》|澄《す》み|渡《わた》る|中秋《ちうしう》の |月《つき》の|光《ひかり》に|照《て》らされて
|棄《す》てた|男《をとこ》の|心根《こころね》を |思《おも》ひ|浮《うか》べて|矢《や》も|楯《たて》も
|耐《たま》らぬ|許《ばか》り|苦《くる》しみの |雲《くも》に|包《つつ》まれ|怖《おそ》ろしく
|空《そら》を|眺《なが》めて|居《ゐ》る|内《うち》に |天空《てんくう》|俄《にはか》にかき|曇《くも》り
|数多《あまた》の|鬼《おに》を|引率《ひきつ》れて |鋼鉄《まがね》の|矛《ほこ》の|雨《あめ》|降《ふ》らす
|友彦《ともひこ》|幕下《ばくか》の|鬼《おに》|共《ども》が |影《かげ》に|戦《をのの》き|千仭《せんじん》の
|谷間《たにま》に|忽《たちま》ち|顛落《てんらく》し |続《つづ》いて|母《はは》の|蜈蚣姫《むかでひめ》
|黄竜姫《わうりようひめ》を|救《すく》はむと |階段《かいだん》|降《くだ》り|踏《ふ》みはづし
|同《おな》じく|谷間《たにま》に|顛落《てんらく》し |罪《つみ》を|償《つぐな》ふ|谷《たに》の|底《そこ》
ヤレ|恐《おそ》ろしや|恐《おそ》ろしや |昔《むかし》の|罪《つみ》の|廻《めぐ》り|来《き》て
|根底《ねそこ》の|国《くに》に|落《お》ちたるか |天地《てんち》の|神《かみ》よ|友彦《ともひこ》よ
|妾《わたし》の|罪《つみ》を|赦《ゆる》せよと |祈《いの》る|折《をり》しも|秋風《あきかぜ》に
|吹《ふ》かれて|落《お》ち|来《く》る|一葉《いちえう》の |紅花《こうくわ》の|吾《わが》|眼《め》にヒラヒラと
|入《い》るよと|見《み》れば|夢《ゆめ》|醒《さ》めて |仰《あふ》げば|元《もと》の|高殿《たかどの》に
|梅子《うめこ》の|姫《ひめ》や|諸人《もろびと》と |月《つき》の|光《ひかり》を|浴《あ》び|居《ゐ》たる
|此《この》|正夢《まさゆめ》に|小糸姫《こいとひめ》 |愈《いよいよ》|此処《ここ》に|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|手《て》を|合《あは》せ |月光神《げつくわうがみ》に|心《こころ》より
|月見《つきみ》の|無礼《ぶれい》を|謝《しや》し|乍《なが》ら |奥殿《おくでん》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》り
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|太祝詞《ふとのりと》 |宣《の》れる|折《をり》しも|貫州《くわんしう》が
|息《いき》せき|切《き》つて|駆来《かけきた》り |夢《ゆめ》の|中《なか》なる|出来事《できごと》を
|誠《まこと》しやかに|宣《の》りつれば |黄竜姫《わうりようひめ》は|怪《あや》しみて
スマートボールを|門外《もんぐわい》に |遣《つか》はし|偵察《ていさつ》せしむるに
|敵《てき》の|攻《せ》め|来《き》し|影《かげ》もなく |月《つき》の|光《ひかり》は|皎々《かうかう》と
|四辺《あたり》|隈《くま》なく|照《て》り|渡《わた》る |黄竜姫《わうりようひめ》を|始《はじ》めとし
|貫州《くわんしう》|武公《たけこう》が|胸《むね》の|中《うち》 まだ|晴《は》れやらぬ|黒雲《くろくも》に
|疑心暗鬼《ぎしんあんき》を|生《う》み|出《いだ》し |吾《われ》と|吾《わが》|手《て》に|悩《なや》みたる
|転迷開悟《てんめいかいご》の|物語《ものがたり》 |横《よこ》に|臥《ふ》しつつ|瑞月《ずゐげつ》が
|天井《てんじやう》の|棧《さん》を|数《かぞ》へつつ |形《かたち》も|円《まる》き|餡《あん》パンを
|頬張《ほほば》り|頬張《ほほば》り|述《の》べて|行《ゆ》く |黄竜姫《わうりようひめ》が|物語《ものがたり》
|進《すす》むにつれて|不思議《ふしぎ》なれ |嗚呼《ああ》|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐《ま》しませよ。
○
|地恩城《ちおんじやう》の|城内《じやうない》の|広場《ひろば》の|木蔭《こかげ》に、|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》の|大将株《たいしやうかぶ》を|始《はじ》め、|門番《もんばん》|其《その》|他《た》|一同《いちどう》、|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|身《み》を|横《よこ》たへ、|或《あるひ》は|坐《すわ》りなどして|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》る。
|門番《もんばん》のマール(万蔵)は|貫州《くわんしう》に|向《むか》ひ、
『モシモシ、ボールさま(|組長《くみちやう》の|意《い》)|此《この》|間《あひだ》は|友彦《ともひこ》の|軍勢《ぐんぜい》がやつて|来《き》たさうですが、|如何《どう》なりましたかなア』
|貫州《くわんしう》『お|前《まへ》の【|貫州《くわんしう》】する|所《ところ》でない。【マール】で|蜃気楼《しんきろう》の|様《やう》な|話《はなし》であつたよ』
マール『|貴方《あなた》の|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》への|御報告《ごはうこく》は、マールで|夢《ゆめ》の|様《やう》だつたと|言《い》ふことですが、|夢《ゆめ》にしても|大袈裟《おほげさ》なことですな』
|貫州《くわんしう》『|俺《おれ》ばつかりぢやない。|武公《たけこう》でさへも|同《おな》じ|夢《ゆめ》を|見《み》たのだから、|【貫武】一途《くわんぶいつと》だよ。どうしても|嘘《うそ》とは|思《おも》へないものだから|報告《はうこく》に|及《およ》んだのだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|俺達《おれたち》は、|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》の|御身《おみ》の|上《うへ》を|案《あん》じ|煩《わづら》ひ|奉《たてまつ》つて|居《ゐ》る|忠臣《ちうしん》だから、|貴様《きさま》の|見《み》る|夢《ゆめ》とは、|稍《やや》|選《せん》を|異《こと》にして|居《ゐ》るのだ』
マール『|選《せん》を|異《こと》にして|居《ゐ》られるから、|【戦】争《せんさう》の|夢《ゆめ》を|御覧《ごらん》になり、|【戦々】恟々《せんせんきようきよう》として|【戦況】《せんきやう》を|御報告《ごはうこく》なさつたのですなア。……|武公《たけこう》さま、|貴方《あなた》も|本当《ほんたう》に|其《そ》んな|夢《ゆめ》を|見《み》たのですか』
|武公《たけこう》『|俺《おれ》は|別《べつ》に|夢《ゆめ》を|見《み》たと|云《い》ふ|訳《わけ》ではないが、|常々《つねづね》そんな|事《こと》が|在《あ》りはせぬかと、|案《あん》じて|居《を》つた|矢先《やさ》き、|貫州《くわんしう》が|周章《あわただ》しく|話《はな》したものだから、|俺《おれ》も|夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|知《し》らぬが、ツイ|捲《ま》き|込《こ》まれて|報告《はうこく》に|往《い》つたまでだ。|併《しか》し|軽信報告《けいしんはうこく》(|敬神報国《けいしんはうこく》)の|至誠《しせい》の|発露《はつろ》だから、|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》も|別《べつ》にお|咎《とが》め|遊《あそ》ばさず、マア|無事《ぶじ》で|事済《ことずみ》となつたやうなものだ』
マール『そんなら|是《これ》から|貴方等《あなたがた》|両人《りやうにん》に|対《たい》し、|蜃気楼《しんきろう》ボールと|云《い》ふ|尊名《そんめい》を|奉《たてまつ》ることにしませうかい。……のうミユーズ(|妙州《めうしう》)』
ミユーズ『オウそれが|宜《よ》からう。|蜃気楼《しんきろう》と|云《い》ふやつは、|少《すこ》しく【どんより】としたやうなハツキリせぬ|空《そら》に、|空中《くうちう》|楼閣《ろうかく》が|出来《でき》たり、|松林《まつばやし》が|出来《でき》たり、|人馬《じんば》の|往来《わうらい》する|有様《ありさま》が|映《うつ》つて|来《く》るものだ。|何時《いつ》も|春夏《はるなつ》の|頃《ころ》になると、ネルソン|山《ざん》の|上《うへ》の|方《はう》に|蜃気楼《しんきろう》が|現《あら》はれ、|色々《いろいろ》の|立派《りつぱ》な|女神《めがみ》の|姿《すがた》が|見《み》えたり、|中《なか》には|鬼《おに》や|大蛇《をろち》の|姿《すがた》が|現《あら》はるる|事《こと》がある。|大方《おほかた》|貫州《くわんしう》さまは|夢《ゆめ》ではなくて、|其《その》|蜃気楼《しんきろう》を|眺《なが》め、ビツクリして|本真物《ほんまもの》ぢやと|思《おも》つて|報告《はうこく》しられたのだらう』
|貫州《くわんしう》『|俺《おれ》は|自転倒島《おのころじま》から|此処《ここ》へやつて|来《き》たものだから、|空中《くうちう》にそんな|物《もの》が|現《あら》はれると|云《い》ふ|事《こと》は、|話《はなし》は|聞《き》いて|居《ゐ》るがまだ|見《み》た|事《こと》はない。|一遍《いつぺん》|見《み》たいものだなア』
マール『|此《この》|竜宮島《りうぐうじま》には|諏訪《すは》の|湖《うみ》と|云《い》つて、|立派《りつぱ》な|金銀《きんぎん》の|砂《すな》を|以《もつ》て|湖底《こてい》を|固《かた》めた|様《やう》な|綺麗《きれい》な|広《ひろ》い|水溜《みづたま》りがあり、|其処《そこ》に|竜神《りうじん》や|沢山《たくさん》の|女神《めがみ》が|現《あらは》れて、|色々《いろいろ》の|事《こと》を|遊《あそ》ばして|御座《ござ》る|姿《すがた》が、|時《とき》あつて|天上《てんじやう》に|映《えい》じ|我々《われわれ》|国人《くにびと》を|驚《おどろ》かし|給《たま》ふ|事《こと》が|度々《たびたび》ありますよ。|併《しか》し|乍《なが》ら|近年《きんねん》は|如何《どう》したものか、|今迄《いままで》の|様《やう》にさう|度々《たびたび》|現《あら》はれなくなつた。|大方《おほかた》ネルソン|山《ざん》を|向《むか》ふに|越《こ》えた|秘密郷《ひみつきやう》へ、|鼻曲《はなまが》りの|友彦《ともひこ》が|往《い》つたものだから、|竜神《りうじん》が|怒《いか》つて|諏訪《すは》の|湖《うみ》の|底《そこ》|深《ふか》くお|隠《かく》れ|遊《あそ》ばし、|色々《いろいろ》の|神業《しんげふ》を|御中止《ごちゆうし》になつて、|蜃気楼《しんきろう》が|現《あら》はれないのかも|知《し》れない。|本当《ほんたう》に|竜神《りうじん》も|友彦《ともひこ》の|為《た》めに、|【蜃気】楼《しんきろう》|一転《いつてん》|遊《あそ》ばしたのかも|知《し》れないよ。アハヽヽヽ』
|貫州《くわんしう》『オイ|向《むか》ふを|見《み》よ。|噂《うはさ》をすれば|影《かげ》とやら、|鼻先《はなさき》の|赤《あか》い|出歯《でば》の|団栗眼《どんぐりまなこ》の|友彦《ともひこ》に|似《に》た|奴《やつ》が|綺麗《きれい》な|女《をんな》を|連《つ》れてやつて|来《く》るぢやないか』
|武公《たけこう》『ヤア、ホンによく|似《に》た|奴《やつ》だ。|然《しか》し|彼奴《あいつ》はジヤンナの|郷《さと》で|非常《ひじやう》な|勢《いきほひ》で|郷人《さとびと》にもてはやされ、|殆《ほとん》どネルソン|山《ざん》|以西《いせい》は|友彦《ともひこ》の|勢力《せいりよく》|範囲《はんゐ》になり、|言《い》はば|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》に|匹敵《ひつてき》する|様《やう》な|地位《ちゐ》に|迄《まで》|進《すす》んだと|言《い》ふ|噂《うはさ》だから、|仮令《たとへ》|此処《ここ》へ|来《く》るにしても、|十人《じふにん》や|二十人《にじふにん》の|供《とも》を|連《つ》れて|来《く》るべき|筈《はず》だ。|鼻《はな》の|曲《まが》つた|奴《やつ》は|広《ひろ》い|世間《せけん》には、|二人《ふたり》や|三人《さんにん》は|無《な》いとも|限《かぎ》らぬ。よもや|友彦《ともひこ》ではあるまいなア』
|貫州《くわんしう》『ソレでもよく|見《み》よ。|友彦《ともひこ》に|間違《まちが》ひない|様《やう》だ。|彼奴《あいつ》は|今迄《いままで》の|地金《ぢがね》を|出《だ》して、ジヤンナの|郷人《さとびと》に|愛想《あいさう》をつかされ、|居《ゐ》たたまらなくなり、テールス|姫《ひめ》と|手《て》に|手《て》を|取《と》つて|駆落《かけおち》と|出掛《でか》け、|地恩城《ちおんじやう》へ|救援軍《きうゑんぐん》を|願《ねが》ひに|来《き》たのか、|但《ただし》は|居候《ゐさふらふ》に|舞《ま》ひ|込《こ》んで|来居《きを》つたのに|間違《まちが》ひあるまいぞ』
|武公《たけこう》『|果《はた》して|友彦《ともひこ》だつたらどうする|考《かんが》へだ』
|貫州《くわんしう》『|無論《むろん》の|事《こと》、|寄《よ》つて|集《たか》つて|懲《こら》しめの|為《た》め|打《ぶ》ち【のめす】のだ。|何程《なにほど》|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》の|三五教《あななひけう》と|言《い》つても、あんな|奴《やつ》を|門内《もんない》に|入《い》れて|耐《たま》るものかい。|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》に|対《たい》し、どんな|事《こと》をし|居《を》るか|分《わか》つたものでない。|又《また》|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》も、あんな|男《をとこ》が|仮令《たとへ》|一年《いちねん》でも|夫《をつと》であつたと、|人《ひと》に|思《おも》はれては|恥《はづ》かしいと|御気《おき》を|揉《も》まれるに|定《きま》つて|居《ゐ》る。それに|又《また》|嬶《かか》アを|連《つ》れて|来《き》て|居《ゐ》るから、そんな|事《こと》が|分《わか》らうものなら|又《また》もや|悋気《りんき》の|角《つの》を|生《は》やして、どんな|騒動《さうだう》をおつぱじめるか|分《わか》らないから、|兎《と》も|角《かく》|此《この》|門内《もんない》に|一歩《いつぽ》たりとも|入《い》れてはならぬ。|先年《せんねん》の|様《やう》に|放《ほう》り|出《だ》して|仕舞《しま》ふに|限《かぎ》る』
と|話合《はなしあ》ふ|所《ところ》へ|夢《ゆめ》でもなく|現《うつつ》でも|蜃気楼《しんきろう》でもなく、|本当《ほんたう》の|友彦《ともひこ》はテールス|姫《ひめ》とただ|二人《ふたり》スタスタと|此《この》|場《ば》に|近《ちか》づき|来《きた》り、
|友彦《ともひこ》『ヤア|貫州《くわんしう》さま、|武公《たけこう》さま、|久《ひさ》し|振《ぶ》りで、|御機嫌《ごきげん》|宜《よろ》しう』
|貫州《くわんしう》『ヤア|矢張《やつぱ》り|貴様《きさま》は|友彦《ともひこ》だな。|日頃《ひごろ》の|地金《ぢがね》を|出《だ》して、|又候《またぞろ》|土人《どじん》の|奴《やつ》に|愛想《あいさう》をつかされ、ノソノソと|遣《や》つて|来《き》たのだらうが、|此《この》|城門《じやうもん》は|我々《われわれ》の|勢力《せいりよく》|圏内《けんない》に|置《お》かれてある|関所《せきしよ》だから、|通《とほ》す|事《こと》は|罷《まか》りならぬ。|折角《せつかく》だがトツトと|帰《かへ》つて|呉《く》れ』
|友彦《ともひこ》『|左様《さやう》で|御座《ござ》いませうが、|今日《こんにち》の|友彦《ともひこ》は|今《いま》までの|体主霊従《たいしゆれいじう》の|友彦《ともひこ》と|違《ちが》ひますから、|御心配《ごしんぱい》なく|通過《つうくわ》させて|頂《いただ》きたい』
マール『モシモシ、ボールさま、|此《こ》んな|奴《やつ》は|絶対《ぜつたい》に|通《とほ》す|事《こと》は|出来《でき》ませぬなア』
|貫州《くわんしう》『オウさうだ。|金輪際《こんりんざい》|通《とほ》す|事《こと》は|出来《でき》ぬ。|諦《あきら》めて|帰《かへ》つたがよからうぞ』
|友彦《ともひこ》『|其《その》|御疑《おうたが》ひは|御尤《ごもつと》も|乍《なが》ら、|我々《われわれ》はジヤンナイ|教《けう》を|立替《たてか》へ、|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》を|立《た》て、|今日《こんにち》の|所《ところ》|大変《たいへん》な|勢力《せいりよく》になりましたので、|同《おな》じ|一《ひと》つ|島《じま》に|於《お》ける|神様《かみさま》の|御道《おみち》、|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》に|一切《いつさい》|報告《はうこく》し、その|部下《ぶか》に|使《つか》つて|貰《もら》ひ、|全島《ぜんたう》を|統一《とういつ》して|頂《いただ》かうと|態《わざ》とに|供《とも》をも|連《つ》れず、|女房《にようばう》のテールス|姫《ひめ》と|只《ただ》|二人《ふたり》|遥々《はるばる》|参《まゐ》りました。どうぞ|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》に|御面会《ごめんくわい》|叶《かな》はねば、|強《た》つてとは|申《まを》しませぬ。|左守《さもり》|様《さま》になりとも|会《あ》はして|頂《いただ》きたう|御座《ござ》います』
マール『ヤイヤイ|友彦《ともひこ》、|供《とも》を|連《つ》れずにやつて|来《き》たと|今《いま》|言《い》つたが、|友《とも》に|供《とも》が|要《い》るかい。テールス|姫《ひめ》だとか|言《い》つて、|妙《めう》なアトラスのやうな|面《つら》した|女房《にようばう》が、それ|程《ほど》|有難《ありがた》いのか。|鼻《はな》の|赤《あか》い|奴《やつ》や、|顔《かほ》の|斑《まだら》に|赤《あか》い|奴《やつ》が|勿体《もつたい》なくも|地恩城《ちおんじやう》にやつて|来《き》て、|左守《さもり》|様《さま》に|御面会《ごめんくわい》を|願《ねが》ひたいとは、そりや|何《なに》を|戯《ふざ》けた|事《こと》を|吐《ほざ》くのだ。チツト|貴様《きさま》、|面《つら》と|相談《さうだん》して|見《み》ろ』
テールス|姫《ひめ》『|友彦《ともひこ》さま、サーチライス|地恩城《ちおんじやう》、エツプツプ、エツパエツパ、パーチクパーチク、イツパーパー』
と|土人語《どじんご》で|囀《さへづ》つて|居《ゐ》る。|此《この》|意味《いみ》は……|友彦《ともひこ》の|救世主《きうせいしゆ》を、|地恩城《ちおんじやう》の|門番《もんばん》が、|訳《わけ》も|分《わか》らずに|我々《われわれ》を|軽蔑《けいべつ》して|入門《にふもん》を|拒絶《きよぜつ》して|居《ゐ》るが、|決《けつ》して|躊躇《ちうちよ》に|及《およ》ばぬ、ドシドシ|這入《はい》りませう……との|意味《いみ》であつた。|友彦《ともひこ》は、
『|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》|其《その》|他《た》の|方々《かたがた》、|話《はなし》は|後《あと》で|分《わか》りませう。|兎《と》も|角《かく》|左守《さもり》|様《さま》に|御面会《ごめんくわい》の|上《うへ》………』
と|言《い》ひ|乍《なが》らテールス|姫《ひめ》の|手《て》を|引《ひ》き、|表門《おもてもん》に|向《むか》つて|進《すす》み|行《ゆ》かむとする。|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》は、
|貫州《くわんしう》『コリヤ|大変《たいへん》だ、|貴様《きさま》を|入《い》れてなるものか……』
と、マール、ミユーズ|其《その》|他《た》の|人々《ひとびと》に|目配《めくば》せした。マールを|始《はじ》め|一同《いちどう》は|友彦《ともひこ》の|後《あと》より|追《お》ひ|縋《すが》り、|寄《よ》つて|集《たか》つて|二人《ふたり》を|其《その》|場《ば》に|突《つ》き|倒《たふ》し、|踏《ふ》む、|蹴《け》る、|殴《たた》く、|殆《ほとん》ど|半死半生《はんしはんしやう》の|目《め》に|遇《あ》はせた。|友彦《ともひこ》|夫婦《ふうふ》は|少《すこ》しも|抵抗《ていかう》せず、|一同《いちどう》が|打擲《ちやうちやく》する|儘《まま》に|身《み》を|任《まか》せ|両手《りやうて》を|合《あは》せて|感謝《かんしや》|祈願《きぐわん》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》して|居《ゐ》た。|一同《いちどう》は|余《あま》り|友彦《ともひこ》|夫婦《ふうふ》が|従順《じうじゆん》なるに、|少《すこ》しく|小気味悪《こぎみわる》くなり、|友彦《ともひこ》の|言葉《ことば》につれ、|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》|始《はじ》め|一同《いちどう》は、|大地《だいち》に|蹲踞《しやが》み|乍《なが》ら|声《こゑ》を|揃《そろ》へて|感謝《かんしや》|祈願《きぐわん》の|祝詞《のりと》を|唱《とな》へて|居《ゐ》る。
|右守《うもり》の|鶴公《つるこう》は|門内《もんない》の|木蔭《こかげ》を|逍遥《せうえう》し|居《を》る|折《をり》しも、|門外《もんぐわい》に|当《あた》つて|大勢《おほぜい》の|祝詞《のりと》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えたのを|訝《いぶ》かり|乍《なが》ら、|声《こゑ》を|尋《たづ》ねて|表門《おもてもん》を|潜《くぐ》り、|門前《もんぜん》の|密樹《みつじゆ》|茂《しげ》れる|広《ひろ》き|林《はやし》に|立出《たちい》で、|一同《いちどう》の|姿《すがた》を|認《みと》めて|此処《ここ》に|現《あら》はれ|来《きた》りて、|友彦《ともひこ》が|大勢《おほぜい》の|中《なか》に|交《まじ》りて|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》するを|見《み》て|大《おほ》いに|驚《おどろ》き、|無言《むごん》の|儘《まま》、|踵《きびす》を|返《かへ》し|奥殿《おくでん》|深《ふか》く|黄竜姫《わうりようひめ》の|前《まへ》に|進《すす》み|此《この》|由《よし》を|委曲《つぶさ》に|報告《はうこく》した。|黄竜姫《わうりようひめ》は|驚《おどろ》くかと|思《おも》ひの|外《ほか》、ニツコリとして、
『|右守殿《うもりどの》、|友彦《ともひこ》が|御入来《おいで》になつたとやら、お|供《とも》の|方《かた》はいづれ|沢山《たくさん》お|在《あ》りでせうな』
|鶴公《つるこう》『ハイ、|別《べつ》に|供《とも》らしき|者《もの》は|御座《ござ》いませぬ。|見慣《みな》れぬ|女《をんな》の|方《かた》が|只《ただ》|一人《ひとり》、|大方《おほかた》|噂《うはさ》に|高《たか》きテールス|姫《ひめ》でせう』
『ハテ|不思議《ふしぎ》な|事《こと》もあるものだ。あれ|丈《だ》け|勢力《せいりよく》を|得《え》たる|旭日昇天《きよくじつしようてん》の|友彦《ともひこ》さまが、|供《とも》をも|連《つ》れず|夫婦連《ふうふづれ》お|越《こ》しになつたとは、|一体《いつたい》どうした|訳《わけ》だらう』
|鶴公《つるこう》『|私《わたし》の|察《さつ》する|所《ところ》、|友彦《ともひこ》さまは|又《また》|例《れい》の|地金《ぢがね》を|現《あら》はし、|土人《どじん》に|愛想《あいさう》をつかされ|夫婦《ふうふ》|手《て》に|手《て》を|取《と》つて、|此処《ここ》へ|命《いのち》からがら|逃《に》げ|来《こ》られたものと|思《おも》はれます。|如何《いかが》|致《いた》したら|宜《よろ》しう|御座《ござ》いますか。|御指図《おさしづ》を|願《ねが》ひます』
『|決《けつ》して|決《けつ》して|左様《さやう》な|事《こと》で|御入来《おいで》になつたのではありますまい。|妾《わたし》は|少《すこ》し|心《こころ》に|当《あた》る|事《こと》がある。|兎《と》も|角《かく》オーストラリヤに|於《お》ける|三五教《あななひけう》の|太柱《ふとばしら》、|敬意《けいい》を|払《はら》ふ|為《た》めに、|黄竜姫《わうりようひめ》の|妾《わたし》|門外《もんぐわい》にお|迎《むか》ひに|参《まゐ》りませう』
|鶴公《つるこう》『|右守《うもり》として|申上《まをしあ》げます。|苟《いやしく》も|地恩城《ちおんじやう》の|女王《ぢよわう》たる|御身《おんみ》を|以《もつ》て、|軽々《かるがる》しくお|出《い》で|遊《あそ》ばすは、|御威勢《ごゐせい》にも|関《かかは》りませう。どうぞ|此《この》|事《こと》|許《ばか》りは|御中止《ごちうし》を|願《ねが》ひたう|存《ぞん》じます。|私《わたし》がお|迎《むか》へ|申《まを》して|参《まゐ》りますから、|奥殿《おくでん》にお|待《ま》ち|下《くだ》さいます|様《やう》にお|願《ねが》ひ|申《まを》します』
|黄竜姫《わうりようひめ》は|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》り、
『イエイエ、|同《おな》じ|天地《てんち》の|分霊《わけみたま》、|人間《にんげん》に|上下《じやうげ》の|区別《くべつ》はない。|又《また》|今《いま》、|友彦《ともひこ》|様《さま》はジヤンナの|郷《さと》の|国人《くにびと》を|主宰《しゆさい》する|立派《りつぱ》な|御方《おかた》とお|成《な》り|遊《あそ》ばし、|妾《わたし》は|地恩城《ちおんじやう》の|女王《ぢよわう》とまで|成《な》つて|居《ゐ》るのも、|浅《あさ》からぬ|因縁《いんねん》でせう。|仮令《たとへ》|一ケ年《いつかねん》でも|夫婦《ふうふ》となつた|間柄《あひだがら》、お|迎《むか》ひ|申上《まをしあ》げねばなりますまい』
と|蜈蚣姫《むかでひめ》、|梅子姫《うめこひめ》の|此《この》|場《ば》に|在《あ》らざるを|幸《さいは》ひ、|自《みづか》らスタスタと|門前《もんぜん》に|現《あら》はれ、|友彦《ともひこ》が|端坐《たんざ》する|傍《かたはら》に|寄《よ》り|添《そ》ひ、
『|妾《わたし》は|地恩城《ちおんじやう》の|黄竜姫《わうりようひめ》、|昔《むかし》の|小糸姫《こいとひめ》で|御座《ござ》います。|友彦《ともひこ》|様《さま》|並《なら》びにテールス|姫《ひめ》|様《さま》、サアどうぞ|妾《わたし》と|共《とも》に|奥殿《おくでん》にお|進《すす》み|下《くだ》さいませ』
|友彦《ともひこ》は|此《この》|声《こゑ》にフト|見上《みあ》ぐれば、|昔《むかし》の|面影《おもかげ》アリアリと|顔《かほ》の|何処《どこ》やらに|残《のこ》つて|居《ゐ》る|小糸姫《こいとひめ》なので、……|友彦《ともひこ》はハツと|頭《かしら》を|下《さ》げ|恭《うやうや》しく|両手《りやうて》をつき、
|友彦《ともひこ》『これはこれは|女王様《ぢよわうさま》、|勿体《もつたい》ない|斯様《かやう》な|所《ところ》|迄《まで》お|出《い》で|下《くだ》さいまして、……これなるは|私《わたし》が|女房《にようばう》テールス|姫《ひめ》と|申《まを》すもの、|今《いま》は|熱心《ねつしん》な|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》として、|友彦《ともひこ》が|神務《しんむ》を|力《ちから》|限《かぎ》り|補助《ほじよ》|致《いた》すもので|御座《ござ》います。|申上《まをしあ》げたき|事《こと》は|山々《やまやま》|御座《ござ》いますが、|然《しか》らば|奥殿《おくでん》にて|悠々《ゆるゆる》と|申上《まをしあ》げませう』
テールス|姫《ひめ》『|女王様《ぢよわうさま》、|始《はじ》めてお|目《め》にかかります。|何分《なにぶん》|宜《よろ》しくお|願《ねが》ひ|致《いた》します』
と|友彦《ともひこ》に|連《つ》れられ、|黄竜姫《わうりようひめ》の|後《あと》に|従《つ》いて|門内《もんない》|深《ふか》く|姿《すがた》を|隠《かく》した。|右守《うもり》の|鶴公《つるこう》は|不承不性《ふしようぶしよう》に|三人《さんにん》の|後《あと》に|従《したが》ひ|行《ゆ》く。|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》|其《その》|他《た》|一同《いちどう》は、|夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|幻《まぼろし》かと、|互《たがひ》に|顔《かほ》を|見合《みあは》せ|呆《あき》れて|再《ふたた》び|言葉《ことば》もなく、|空《そら》|行《ゆ》く|雲《くも》をアフンとして|眺《なが》めて|居《ゐ》る。
(大正一一・七・一〇 旧閏五・一六 谷村真友録)
第四篇 |神花霊実《しんくわれいじつ》
第一三章 |握手《あくしゆ》の|涙《なみだ》〔七五九〕
|天恩《てんおん》|豊《ゆたか》な|地恩城《ちおんじやう》 |春秋冬《はるあきふゆ》も|夏景色《なつげしき》
|木々《きぎ》の|木《こ》の|葉《は》は|麗《うるは》しく |果物《くだもの》|豊《ゆたか》に|実《みの》りつつ
|衣食《いしよく》の|道《みち》に|身《み》をもがく |難《なや》みも|要《い》らぬ|一《ひと》つ|島《じま》
|顕恩郷《けんおんきやう》を|立《た》ち|出《い》でて |錫蘭島《セイロンたう》に|立《た》て|籠《こも》り
|閨《ねや》の|友彦《ともひこ》|後《あと》にして |大海原《おほうなばら》を|渡《わた》り|来《く》る
|小糸《こいと》の|姫《ひめ》の|行先《ゆくさき》を |鵜《う》の|目《め》|鷹《たか》の|目《め》つけ|狙《ねら》ひ
|三十路《みそぢ》に|余《あま》る【|男《を》の|頃《ころ》】の |島《しま》に|渡《わた》りて|彼方此方《あちこち》と
|行方《ゆくへ》|求《もと》めてバラモンの |道《みち》を|開《ひら》きし|友彦《ともひこ》が
|時《とき》の|力《ちから》に|助《たす》けられ |蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》に|邂逅《めぐりあ》ひ
|命《いのち》の|瀬戸《せと》の|海中《わだなか》に |堅磐常磐《かきはときは》に|浮《うか》びたる
|小豆《せうど》が|島《しま》に|名《な》も|高《たか》き |国城山《くにしろやま》の|岩窟《がんくつ》に
|遇《あ》ふた|嬉《うれ》しさ|恐《おそ》ろしさ |洲本《すもと》の|庄《さと》の|酋長《しうちやう》が
|捕手《とりて》の|者《もの》に|縛《しば》られて |何《なん》の|言《い》ひ|訳《わけ》|淡路島《あはぢしま》
|東助《とうすけ》|夫婦《ふうふ》の|情《なさけ》にて |犯《をか》せし|罪《つみ》もうたかたの
|水泡《みなわ》と|消《き》えて|釣小舟《つりをぶね》 |清武鶴《きよたけつる》の|三人《さんにん》と
|馬関《ばくわん》の|関《せき》の|浪《なみ》を|越《こ》え |千引《ちびき》の|岩《いは》に|船《ふね》をあて
|命《いのち》|危《あや》ふき|折《をり》からに |三五教《あななひけう》の|神司《かむづかさ》
|玉治別《たまはるわけ》の|一行《いつかう》に |惜《を》しき|命《いのち》を|救《すく》はれて
|蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》や|高姫《たかひめ》の |漂着《へうちやく》したるアンボイナ
|南洋一《なんやういち》の|竜宮《りうぐう》に |上陸《じやうりく》すればコハ|如何《いか》に
|小糸《こいと》の|姫《ひめ》の|生《うみ》の|母《はは》 |蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》に|再会《さいくわい》し
|何《なん》の|云《い》ひ|訳《わけ》|荒波《あらなみ》を |乗《の》り|切《き》り|乗《の》り|切《き》り|沓島《くつじま》や
オーストラリヤの|浮島《うきじま》に |蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》の|一行《いつかう》と
|命《いのち》からがら|上陸《じやうりく》し |小糸《こいと》の|姫《ひめ》の|住《すま》ひたる
|地恩《ちおん》の|城《しろ》に|来《き》て|見《み》れば |情《なさけ》を|知《し》らぬ|国人《くにびと》に
|手《て》も|無《な》く|叩《たた》き|出《い》だされて |傍《かたへ》の|林《はやし》に|潜《ひそ》みつつ
|黄竜姫《わうりようひめ》の|宿《やど》の|夫《つま》 |嬉《うれ》し|嬉《うれ》しの|再会《さいくわい》を
|悦《よろこ》ぶ|間《ま》もなく|夢《ゆめ》|醒《さ》めて |四辺《あたり》を|見《み》れば|岩《いは》の|上《うへ》
|腰《こし》の|骨《ほね》さへ|打《う》ち|砕《くだ》き |身動《みうご》きならぬ|悲《かな》しさに
|漸《やうや》く|息《いき》を|休《やす》めつつ |三五教《あななひけう》の|神言《かみごと》を
|赤心《まごころ》|籠《こ》めて|宣《の》りつれば |神《かみ》の|恵《めぐみ》は|忽《たちま》ちに
|身《み》もすくすくと|風《かぜ》|荒《あら》き |尾《を》の|上《へ》を|伝《つた》ひてネルソンの
|峰《みね》の|頂上《ちやうじやう》に|辿《たど》り|着《つ》き |後《あと》|振《ふ》り|返《かへ》り|眺《なが》むれば
|一望《いちばう》|千里《せんり》の|雲《くも》の|奥《おく》 |地恩《ちおん》の|城《しろ》は|何処《いづこ》ぞと
|眼《め》を|見《み》はりつつ|憧憬《あこが》るる |時《とき》しもあれや|烈風《れつぷう》に
|吹《ふ》き|捲《ま》くられて|友彦《ともひこ》は |風《かぜ》にゆられて|鷹鳶《たかとび》の
|翼《つばさ》|無《な》き|身《み》は|如何《いか》にせむ ジヤンナの|郷《さと》に|墜落《つゐらく》し
|人事不省《じんじふせい》の|折柄《をりから》に |此《この》|地《ち》に|住《す》める|郷人《さとびと》は
|不思議《ふしぎ》と|傍《そば》に|立《た》ち|寄《よ》りて よくよく|見《み》れば|昔《むかし》より
|待《ま》ち|焦《こが》れたる|救世主《きうせいしゆ》 |曲《まが》がりながらも|赤鼻《あかはな》に
|喜《よろこ》び|勇《いさ》み|雀躍《こをど》りし ジヤンナイ|教《けう》の|本山《ほんざん》に
|担《かつ》ぎ|帰《かへ》りし|面白《おもしろ》さ ジヤンナイ|教《けう》の|神司《かむづかさ》
テールス(照子)|姫《ひめ》に|思《おも》はれて ここに|夫婦《ふうふ》の|新枕《にひまくら》
|月日《つきひ》を|重《かさ》ね|往《ゆ》くうちに |三五教《あななひけう》の|感化力《かんくわりよく》
ジヤンナの|郷《さと》にゆき|渡《わた》り |三五《さんご》の|月《つき》の|御教《みをしへ》は
|朝日《あさひ》の|昇《のぼ》る|勢《いきほひ》で |四方《よも》に|拡《ひろ》がり|栄《さか》え|行《ゆ》く
|友彦《ともひこ》|夫婦《ふうふ》は|意《い》を|決《けつ》し |地恩《ちおん》の|城《しろ》に|神徳《しんとく》の
|花《はな》を|開《ひら》かす|黄竜姫《わうりようひめ》 |御許《みもと》に|到《いた》り|其《その》|昔《むかし》
|蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》や|小糸姫《こいとひめ》 |母娘《おやこ》の|者《もの》を|悩《なや》ませし
|深《ふか》き|罪《つみ》をば|詫《わ》びむとて テールス|姫《ひめ》に|来《こ》し|方《かた》の
|事情《じじやう》|細《こま》かに|物語《ものがた》り |漸《やうや》く|妻《つま》の|諒解《りやうかい》を
|得《え》たる|嬉《うれ》しさ|夫婦《ふうふ》|連《づ》れ ジヤンナの|郷《さと》の|人々《ひとびと》に
|暫《しば》しの|暇《いとま》を|告《つ》げながら |供《とも》をも|連《つ》れず|入《い》り|来《きた》る
|其《その》|真心《まごころ》ぞ|雄々《をを》しけれ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御幸《みさち》を|蒙《かかぶ》りて |前非《ぜんぴ》を|悔《く》いし|友彦《ともひこ》が
|母娘《おやこ》の|前《まへ》に|手《て》をつきて |心《こころ》の|曇《くも》を|晴《は》らしつつ
|三五教《あななひけう》の|柱石《ちうせき》と |仕《つか》へまつりし|古《ふる》き|世《よ》の
|清《きよ》き|尊《たふと》き|物語《ものがたり》 |神《かみ》と|神《かみ》との|御水火《みいき》より
|組《く》み|立《た》てられし|瑞御霊《みづみたま》 |神《かみ》の|使《つかひ》の|瑞月《ずゐげつ》が
|粗製《そせい》|濫造《らんざう》の|蓄音器《ちくおんき》 |把手《とつて》に|撚《より》をかけながら
|不整調《ふせいてう》なるレコードの |又《また》もや|廻転《くわいてん》|始《はじ》めける
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましまして
|黄竜姫《わうりようひめ》や|友彦《ともひこ》の |搦《から》みあうたるローマンス
|恋《こひ》の|縺《もつ》れの|糸口《いとぐち》を サラリサラリと|淀《よど》みなく
|宣《の》らせ|給《たま》へよ|天津神《あまつかみ》 |国津御神《くにつみかみ》や|大八洲彦《おほやしまひこ》
|神《かみ》の|命《みこと》の|御前《おんまへ》に |慎《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎまつる。
○
|友彦《ともひこ》|夫婦《ふうふ》は、|小糸姫《こいとひめ》に|誘《さそ》はれ|奥殿《おくでん》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》る。|友彦《ともひこ》の|来訪《らいはう》を|聞《き》いて|胸《むね》|踊《をど》らせた|蜈蚣姫《むかでひめ》、スマートボールや|其《その》|他《た》の|一同《いちどう》は、|珍《めづ》らしさと|忌《いま》はしさの|混乱《こんらん》したる|如《ごと》き|面持《おももち》にて、|中腰《ちうごし》になりながら|出迎《でむか》ふ。|黄竜姫《わうりようひめ》は|友彦《ともひこ》の|手《て》を|固《かた》く|握《にぎ》り、|二三回《にさんくわい》|揺《ゆす》ぶり、
『ジヤンナーサール、ウツポツポ、サーチライス、|友彦《ともひこ》、テールス、テールスヘーム、タープリンス タープリンス、ケーリスタン、イジアン、ノールマン、シールンパーユエーギエル、シユライト』
と|宣《の》る。
『ジヤンナの|郷《さと》に|天降《あまくだ》りました|友彦《ともひこ》の|救世主《きうせいしゆ》よ、|妻《つま》のテールス|姫《ひめ》|殿《どの》、|御無事《ごぶじ》で|御神業《ごしんげふ》によく|仕《つか》へて|下《くだ》さいました。|妾《わたし》も|貴方《あなた》が|今迄《いままで》の|態度《たいど》を|改《あらた》め、|誠《まこと》の|道《みち》に|御活動《ごくわつどう》|遊《あそ》ばすを|仄《ほのか》に|聞《き》き、|愛慕《あいぼ》の|念《ねん》に|堪《た》へず、|何《なん》とかしてお|便《たよ》りを|聞《き》き|度《た》いものだ、|又《また》|神様《かみさま》のお|許《ゆる》しあれば|一度《いちど》|会見《くわいけん》をして|今迄《いままで》の|御無礼《ごぶれい》を|謝《しや》し、|互《たがひ》に|了解《れうかい》を|得《え》て|御神業《ごしんげふ》に|参加《さんか》したく|思《おも》つて|居《を》りました。|能《よ》くマア|御遠方《ごゑんぽう》の|処《ところ》|遥々《はるばる》お|入来《いで》|下《くだ》さいました』
との|意味《いみ》であつた。(これから|解《わか》り|易《やす》いやう|日本語《にほんご》を|用《もち》ふ)
|友彦《ともひこ》『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》、|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》の|御両親《ごりやうしん》に|対《たい》し、|若気《わかげ》の|至《いた》りとは|申《まを》しながら、|天《てん》にも|地《ち》にも|一粒種《ひとつぶだね》の|貴方様《あなたさま》を、|悪魔《あくま》の|為《ため》に|吾《わが》|精神《せいしん》を|魅《み》せられ、あのやうな|不都合《ふつがふ》な|事《こと》を|致《いた》しました|私《わたくし》の|罪《つみ》を、お|咎《とが》めも|下《くだ》されず、|唯今《ただいま》の|御親切《ごしんせつ》なる|打《う》ち|解《と》けたる|御挨拶《ごあいさつ》、|実《じつ》に|痛《いた》み|入《い》りました。|私《わたくし》は|過《す》ぎ|来《こ》し|方《かた》の|御無礼《ごぶれい》を|思《おも》ひ|出《だ》す|度《たび》に|神《かみ》の|光《ひかり》に|照《て》らされて、|五体《ごたい》をぐたぐたに|神様《かみさま》から|斬《き》り|虐《さひな》まれるやうな|苦痛《くつう》を|感《かん》じ、|寝《ね》ても|覚《さ》めても|居《を》られないので、|恥《はぢ》を|忍《しの》び|直接《ちよくせつ》|女王様《ぢよわうさま》に|拝顔《はいがん》を|得《え》、|心《こころ》ゆく|迄《まで》お|詫《わび》を|申上《まをしあ》げ、|且《か》つお|恨《うら》みのありたけを|酬《むく》うて|貰《もら》ひ、さうして|自分《じぶん》の|罪《つみ》を|赦《ゆる》され、|至粋《しすゐ》|至純《しじゆん》な|元《もと》の|御魂《みたま》に|立《た》ち|帰《かへ》り、|安心《あんしん》して|御神務《ごしんむ》に|奉仕《ほうし》したく|存《ぞん》じまして、|女房《にようばう》にも|事情《じじやう》を|打《う》ち|明《あ》け、|態《わざ》とに|供人《ともびと》も|召《め》し|連《つ》れず、|昔《むかし》の|友彦《ともひこ》となつてお|詫《わ》びに|参《まゐ》りました。|何卒《なにとぞ》|今迄《いままで》の|御無礼《ごぶれい》を、|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し、お|赦《ゆる》し|下《くだ》さらむ|事《こと》を、|偏《ひとへ》にお|願《ねが》ひ|致《いた》します』
と|涙《なみだ》をハラハラと|流《なが》し、|真心《まごころ》より|詫《わ》び|入《い》る。|黄竜姫《わうりようひめ》は、
『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|罪《つみ》は|却《かへ》つて|私《わたくし》に|御座《ござ》います。お|慈悲《じひ》|深《ぶか》い|神様《かみさま》に|何事《なにごと》もお|任《まか》せ|致《いた》しまして、|正《ただ》しき|清《きよ》き|御交際《ごかうさい》をお|願《ねが》ひ|申上《まをしあ》げます』
と|心《こころ》の|底《そこ》より|打《う》ち|解《と》ける|其《その》|殊勝《しゆしよう》さ。|友彦《ともひこ》は|一同《いちどう》に|向《むか》ひ|歌《うた》を|詠《よ》んで|挨拶《あいさつ》に|代《か》へた。
『|沖《おき》に|浮《う》かべる|一《ひと》つ|島《じま》 |地恩《ちおん》の|城《しろ》に|現《あ》れませる
|神威《しんゐ》|輝《かがや》き|天地《あめつち》の |恵《めぐみ》も|開《ひら》く|梅子姫《うめこひめ》
|三千世界《さんぜんせかい》に|神徳《しんとく》を |隈《くま》なく|照《て》らす|黄竜姫《わうりようひめ》
|神《かみ》の|命《みこと》を|始《はじ》めとし |母《はは》とまします|蜈蚣姫《むかでひめ》
|泥《どろ》にまみれし|世《よ》の|中《なか》を スマートボールや|宇豆《うづ》の|姫《ひめ》
|千歳《ちとせ》|祝《ことほ》ぐ|松《まつ》の|世《よ》の |梢《こずゑ》に|巣《す》ぐふ|鶴公《つるこう》の
|右守《うもり》の|神《かみ》の|御前《おんまへ》に |神《かみ》の|教《をしへ》の|友彦《ともひこ》が
|赤《あか》き|心《こころ》を|打《う》ち|明《あ》けて |居並《ゐなら》びたまふ|三五《あななひ》の
|司《つかさ》の|前《まへ》に|敬《いやま》ひて |言解《ことと》き|詫《わび》し|奉《たてまつ》る
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |誠《まこと》の|道《みち》は|何時迄《いつまで》も
|変《かは》るためしもあら|尊《たふ》と |教《をしへ》の|御子《みこ》と|選《えら》まれて
ミロクの|神《かみ》の|神業《しんげふ》に |仕《つか》ふる|吾等《われら》の|頼《たの》もしさ
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》す |神《かみ》の|尊《たふと》き|言霊《ことたま》の
|底《そこ》ひも|知《し》れぬ|御恵《おんめぐみ》 |吾人《われひと》|共《とも》に|大前《おほまへ》に
|広大無辺《くわうだいむへん》の|神恩《しんおん》を |畏《かしこ》み|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましまして
|地恩《ちおん》の|城《しろ》は|永久《とこしへ》に |朝日《あさひ》の|豊栄《とよさか》|登《のぼ》るごと
|栄《さか》え|栄《さか》えて|果《はて》も|無《な》く |輝《かがや》き|渡《わた》る|天津日《あまつひ》の
|御蔭《みかげ》|蒙《かうむ》りネルソンの |山《やま》の|彼方《あなた》の|国人《くにびと》を
|一人《ひとり》も|残《のこ》さず|三五《あななひ》の |神《かみ》の|恵《めぐみ》に|救《すく》ひ|上《あ》げ
|野蛮《やばん》|未開《みかい》の|魔《ま》の|郷《さと》を |開《ひら》きて|進《すす》む|神《かみ》の|徳《とく》
|東《ひがし》と|西《にし》に|分《わか》れたる ネルソン|山《ざん》の|頂《いただ》きに
|立《た》たせ|給《たま》ひて|黄竜《わうりよう》の |姫《ひめ》は|雄々《をを》しく|此《この》|島《しま》の
|救《すく》ひの|神《かみ》と|現《あ》れませよ |吾《われ》は|友彦《ともひこ》テールス|姫《ひめ》と
|力《ちから》を|一《ひと》つに|合《あは》せつつ |汝《なれ》が|命《みこと》の|神業《しんげふ》を
|助《たす》けまつりて|永久《とこしへ》に |国治立大神《くにはるたちのおほかみ》の
|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|御心《みこころ》に |酬《むく》いまつらむ|村肝《むらきも》の
|心《こころ》|撓《たゆ》まぬ|桑《くは》の|弓《ゆみ》 |射貫《いぬ》かにや|止《や》まぬ|鉄石《てつせき》の
|胸《むね》|打《う》ち|明《あ》けていつ|迄《まで》も |固《かた》き|心《こころ》を|誓《ちか》ひ|置《お》く
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
|梅子姫《うめこひめ》は|総代的《そうだいてき》に|立《た》ち|上《あが》つて|祝歌《しゆくか》を|歌《うた》つた。
『|無限絶対《むげんぜつたい》|無始無終《むしむしう》 |仰《あふ》ぐも|高《たか》き|大宇宙《だいうちう》
|〓怜《うまら》に|委曲《つばら》に|造《つく》りたる |国治立大神《くにはるたちのおほかみ》は
|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|御心《みこころ》を |三千世界《さんぜんせかい》の|万有《ばんいう》に
|残《のこ》る|隈《くま》なく|与《あた》へむと |遠《とほ》き|神代《かみよ》の|昔《むかし》より
|心《こころ》を|千々《ちぢ》に|配《くば》らせつ |天津神《あまつかみ》|達《たち》|国津神《くにつかみ》
|百《もも》の|神《かみ》|達《たち》|千万《ちよろづ》の |青人草《あをひとぐさ》や|海川《うみかは》や
|草《くさ》の|片葉《かきは》や|鳥《とり》|獣《けもの》 |昆虫《こむし》の|末《すゑ》に|至《いた》る|迄《まで》
|心《こころ》を|配《くば》り|給《たま》ひつつ |大海原《おほうなばら》に|漂《ただよ》へる
|泥《どろ》の|世界《せかい》を|清《きよ》めむと |清《きよ》き|御魂《みたま》を|幸《さち》はひて
|高天原《たかあまはら》のエルサレム |此処《ここ》を|聖地《せいち》と|定《さだ》めつつ
|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》を |四方《よも》に|開《ひら》かせ|給《たま》ひけり
|神《かみ》の|最初《さいしよ》の|出現《しゆつげん》は |珍《うづ》の|都《みやこ》のエルサレム
|人《ひと》の|歴史《れきし》の|初《はじ》まりは |埃及国《エジプトこく》を|元《もと》となし
オリバス|神《かみ》を|礼拝《れいはい》し |印度《インド》の|国《くに》はクリシユーナ
|波斯《フサ》の|国《くに》ではミスラスの |神《かみ》を|伊仕《いつか》へ|南米《なんべい》の
|高砂島《たかさごじま》の|国人《くにびと》は クエルザコールを|礼拝《れいはい》す
|神《かみ》の|初《はじ》めのエルサレムは |国治立大神《くにはるたちのおほかみ》を
|祀《まつ》ると|云《い》へど|其《その》|元《もと》は |清《きよ》き|流《なが》れのイスラエル
|自転倒島《おのころじま》に|現《あ》れませる |神《かみ》の|教《をしへ》も|皆《みな》|一《ひと》つ
バラモン|教《けう》やウラル|教《けう》 ウラナイ|教《けう》やジヤンナイの
|教《をしへ》と|云《い》へど|人《ひと》の|世《よ》の |風土《ふうど》や|人情《にんじやう》に|画《くわく》されて
|其《その》|名《な》を|異《こと》にするのみぞ |黄竜姫《わうりようひめ》も|友彦《ともひこ》も
|過《す》ぎし|昔《むかし》はバラモンの |神《かみ》に|仕《つか》へし|身《み》なれども
|其《その》|根本《こんぽん》に|立《た》ち|帰《かへ》り |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》 |国治立《くにはるたち》や|豊国姫《とよくにひめ》
|神《かみ》の|命《みこと》の|霊《たま》の|裔《すゑ》 |埴安彦《はにやすひこ》や|埴安姫《はにやすひめ》
|貴《うづ》の|命《みこと》と|現《あら》はれて |教《をしへ》を|四方《よも》に|開《ひら》きます
いとも|尊《たふと》き|御恵《みめぐみ》に |如何《いか》で|隔《へだ》てのあるべきや
いよいよここに|三五《あななひ》の |神《かみ》の|教《をしへ》に|天《あめ》が|下《した》
|四方《よも》の|国々《くにぐに》|島々《しまじま》を |残《のこ》る|隈《くま》なく|統一《とういつ》し
|此《この》|世《よ》を|救《すく》ふキリストの |神業《しんげふ》|清《きよ》くミロク|神《しん》
|十字《じふじ》の|架《かせ》を|背《せ》に|負《お》ひて ノアの|方舟《はこぶね》|操《あやつ》りつ
|天教《てんけう》|地教《ちけう》の|山《やま》の|上《へ》に |世人《よびと》を|救《すく》ふ|神《かみ》の|業《わざ》
|其《その》|神徳《しんとく》の|一滴《ひとしづく》 |此処《ここ》に|滴《したた》り|竜宮《りうぐう》の
|名《な》に|負《お》ふ|珍《うづ》の|一《ひと》つ|島《じま》 メソポタミヤの|顕恩郷《けんおんきやう》
|聖地《せいち》に|比《ひ》すべき|地恩郷《ちおんきやう》 |青垣山《あをがきやま》を|繞《めぐ》らして
|珍《うづ》の|真秀良場《まほらば》|永久《とこしへ》に |治《をさ》め|給《たま》へる|黄竜姫《わうりようひめ》
|教《をしへ》の|御子《みこ》の|友彦《ともひこ》が |心《こころ》の|底《そこ》より|打《う》ち|解《と》けて
|東《ひがし》と|西《にし》を|隔《へだ》てたる ネルソン|山《ざん》の|青垣《あをがき》を
|苦《く》もなくここに|打《う》ち|払《はら》ひ |名詮自称《めいせんじしよう》の|一《ひと》つ|島《じま》
|一《ひと》つ|心《こころ》に|真実《しんじつ》を |籠《こ》めて|仕《つか》ふる|神《かみ》の|道《みち》
|三千世界《さんぜんせかい》に|隈《くま》もなく |一度《いちど》に|開《ひら》く|梅子姫《うめこひめ》
|心《こころ》も|勇《いさ》み|身《み》も|勇《いさ》み |父大神《ちちおほかみ》が|三五《あななひ》の
|清《きよ》き|御旨《みむね》に|叶《かな》ひつつ |教《をしへ》の|道《みち》の|永久《とこしへ》に
|開《ひら》け|行《ゆ》くこそ|尊《たふと》けれ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましまして |天《てん》は|地《ち》となり|地《ち》は|天《てん》と
|変《かは》る|艱難《なやみ》の|来《きた》るとも |地恩《ちおん》の|郷《さと》に|三五《あななひ》の
|厳《いづ》の|御柱《みはしら》|弥《いや》|高《たか》に |瑞《みづ》の|御柱《みはしら》|永久《とこしへ》に
|顕幽《けんいう》|揃《そろ》うて|立《た》つ|上《うへ》は |如何《いか》で|揺《ゆる》がむ|国治立《くにはるたち》の
|神《かみ》の|尊《みこと》の|御仰《おんあふ》せ |心《こころ》|清《きよ》めて|朝夕《あさゆふ》に
|仕《つか》へまつれよ|諸人《もろびと》よ |神《かみ》の|恵《めぐみ》は|天地《あめつち》と
|共《むた》|永久《とこしへ》に|変《かは》らまじ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》の|幸《さち》を|賜《たま》へかし』
|茲《ここ》に|目出度《めでた》く|友彦《ともひこ》は|黄竜姫《わうりようひめ》と|再会《さいくわい》し、|麻柱《あななひ》の|至誠《しせい》を|捧《ささ》げ、|東西《とうざい》|相和《あいわ》し|相助《あいたす》け、|友彦《ともひこ》は|黄竜姫《わうりようひめ》の|忠実《ちうじつ》なる|部下《ぶか》となつて|大神《おほかみ》の|大道《だいだう》を、|全島《ぜんたう》に|力《ちから》の|限《かぎ》り|拡充《くわくじゆう》する|事《こと》となつた。いよいよ|一同《いちどう》|打《う》ち|揃《そろ》ひ、|神前《しんぜん》に|例《れい》の|如《ごと》く|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|終《をは》り、|十二分《じふにぶん》の|歓喜《くわんき》に|満《み》たされて|一旦《いつたん》|各自《かくじ》の|館《やかた》に|帰《かへ》り、|友彦《ともひこ》|夫婦《ふうふ》は|貴賓《きひん》として|鄭重《ていちよう》なる|待遇《たいぐう》を|受《う》け、|数日《すうじつ》|城内《じやうない》に|滞留《たいりう》する|事《こと》となつた。
(大正一一・七・一一 旧閏五・一七 加藤明子録)
第一四章 |園遊会《ゑんいうくわい》〔七六〇〕
オーストラリヤの|一《ひと》つ|島《じま》は、|現在《げんざい》は|殆《ほとん》ど|夏《なつ》|計《ばか》りなれども、|此《この》|時代《じだい》は|僅《わづ》かに|春夏秋冬《はるなつあきふゆ》の|区別《くべつ》がついて|居《ゐ》た。|日中《につちう》は|年中《ねんぢう》|殆《ほとん》ど|同《おな》じ|暑熱《しよねつ》であつたが、|朝夕《てうせき》|夜間《やかん》の|気候《きこう》には|自然《しぜん》に|四季《しき》の|区別《くべつ》を|現《あら》はして|居《ゐ》た。
|我国《わがくに》で|言《い》へば|殆《ほとん》ど|晩夏《ばんか》の|頃《ごろ》、|城外《じやうぐわい》の|天《てん》を|封《ふう》じて|立《た》てる|老樹《らうじゆ》の|遠近《をちこち》に|生茂《おひしげ》る|馬場《ばんば》に|於《おい》て|友彦《ともひこ》|夫婦《ふうふ》の|為《ため》に|大園遊会《だいゑんいうくわい》が|開《ひら》かれた。|四面《しめん》|山《やま》に|包《つつ》まれたる|地恩郷《ちおんきやう》は、|平地《へいち》としては|全島《ぜんたう》に|於《お》ける|第一《だいいち》の|高地《かうち》であつた。|谷川《たにがは》は|南北《なんぽく》を|流《なが》れ、|崎嶇《きく》たる|岩石《がんせき》、|谷々《たにだに》に|壁《かべ》の|如《ごと》く|突《つ》つ|立《た》ち、|奇勝《きしよう》|絶景《ぜつけい》|並《なら》ぶものなき|景勝《けいしよう》の|地《ち》である。
|一《ひと》つ|嶋《じま》に|於《お》ける|景勝《けいしよう》の|地《ち》は、|第一《だいいち》に|諏訪《すは》の|湖《みづうみ》、|第二《だいに》にヒルの|郷《さと》のクシの|滝壺《たきつぼ》の|近辺《きんぺん》に|指《ゆび》を|屈《くつ》するのである。されどヒルの|渓谷《けいこく》は|区域《くゐき》|最《もつと》も|狭《せま》くして、|平地《へいち》は|殆《ほとん》ど|無《な》く、|地恩郷《ちおんきやう》に|対《たい》して、|其《その》|大小《だいせう》|広狭《くわうけふ》の|点《てん》に|於《おい》て|比《くら》べものにならない。|土地《とち》|高《たか》く|風《かぜ》|清《きよ》く、|且《か》つ|面積《めんせき》|広《ひろ》く、|大樹《たいじゆ》|鬱蒼《うつさう》たる|点《てん》は、|全島《ぜんたう》|第一《だいいち》と|称《しよう》せられて|居《ゐ》る。
|門外《もんぐわい》の|広場《ひろば》の|森林《しんりん》には|所々《ところどころ》に|赤《あか》、|白《しろ》、|黒《くろ》、|青《あを》、|紅《べに》|等《とう》の|面白《おもしろ》き|形《かたち》をしたる|岩石《がんせき》、|地中《ちちう》より|頭《かしら》をもたげ、|一見《いつけん》して|大《だい》なる|花《はな》の|地上《ちじやう》より|咲《さ》き|出《い》でたる|如《ごと》く|思《おも》はる。|岩石《がんせき》の|大部分《だいぶぶん》は、|蓮華《れんげ》の|花《はな》の|咲《さ》き|出《い》でたる|如《ごと》き|自然形《しぜんけい》をなし、|国人《くにびと》は|単《たん》に|之《これ》を|蓮華岩《れんげいは》と|云《い》ひ、|或《あるひ》は|蓮華《れんげ》の|馬場《ばんば》とも|名《な》づけて|居《ゐ》る。
|黄竜姫《わうりようひめ》|以下《いか》|数百人《すうひやくにん》の|人々《ひとびと》は、|右往左往《うわうさわう》に、|思《おも》ひ|思《おも》ひの|遊戯《あそび》をなし、|歌《うた》ふ、|踊《をど》る、|舞《ま》ふ、|岩笛《いはぶえ》を|吹《ふ》く、|石《いし》を|拍《う》つ、|一絃琴《いちげんきん》、|二絃琴《にげんきん》、|三絃琴《さんげんきん》の|音《おと》|嚠喨《りうりやう》として|響《ひび》き、|横笛《よこぶえ》、|縦笛《たてぶえ》、|磬盤《けいばん》などの|音《おと》は|最《もつと》も|賑《にぎは》しく、|思《おも》はず|身《み》を|天国《てんごく》にのぼせ、|妙音菩薩《めうおんぼさつ》の|来《きた》りて|楽《がく》を|奏《そう》する|如《ごと》き|感《かん》に|打《う》たれ|居《ゐ》る。|梅子姫《うめこひめ》は|中央《ちうあう》の|最《もつと》も|高《たか》き|紫色《むらさきいろ》の|蓮華岩《れんげいは》に|登《のぼ》り、|面白《おもしろ》き|歌《うた》を|歌《うた》つて|興《きよう》を|添《そ》へた。
『|芙蓉山《はちすのやま》と|聞《きこ》えたる |天教山《てんけうざん》に|現《あ》れませる
|木《こ》の|花姫《はなひめ》の|御身魂《おんみたま》 |一度《いちど》に|開《ひら》く|梅子姫《うめこひめ》
|皇大神《すめおほかみ》の|統御《うしは》げる |皇御国《すめらみくに》のスの|種《たね》を
|四方《よも》に|間配《まくば》り|大八洲《おほやしま》 |数《かず》ある|中《なか》に|自転倒《おのころ》の
|島根《しまね》の|国《くに》の|真秀良場《まほらば》や |青垣山《あをがきやま》を|繞《めぐ》らせる
|下津磐根《したついはね》の|蓮華台《れんげだい》 |芙蓉山《はちすのやま》の|御移写《おんうつし》
|神《かみ》の|教《をしへ》に|国人《くにびと》の |心《こころ》も|開《ひら》く|蓮葉《はちすば》の
|匂《にほ》ひ|出《い》でたる|地恩郷《ちおんきやう》 |蓮華《れんげ》の|花《はな》の|此処《ここ》|彼処《かしこ》
|咲《さ》き|乱《みだ》れたる|其《その》|台《うてな》 |神《かみ》の|教《をしへ》を|麻柱《あなな》ひし
|貴《うづ》の|御子《みこ》たる|八乙女《やをとめ》の |開《ひら》き|初《そ》めたる|梅子姫《うめこひめ》
|三千世界《さんぜんせかい》の|神人《かみびと》を |招《まね》き|集《つど》ふる|此《この》|斎場《ゆには》
|教《をしへ》の|稜威《いづ》も|高天《たかあま》の |原《はら》に|坐《ま》します|日《ひ》の|御神《みかみ》
|月《つき》の|御神《みかみ》の|御恵《みめぐみ》の |御水火《みいき》を|受《う》けて|黄竜姫《わうりようひめ》
|大海原《おほうなばら》の|波《なみ》を|分《わ》け |雲《くも》を|起《おこ》して|久方《ひさかた》の
|天津御国《あまつみくに》に|昇《のぼ》る|如《ごと》 |御稜威《みいづ》|畏《かしこ》き|神司《かむづかさ》
|母《はは》と|現《あ》れます|蜈蚣姫《むかでひめ》 |豊葦原《とよあしはら》の|中津国《なかつくに》
メソポタミヤの|顕恩郷《けんおんきやう》 エデンの|河《かは》と|諸共《もろとも》に
|清《きよ》き|誉《ほまれ》を|流《なが》したる バラモン|教《けう》の|神司《かむづかさ》
|鬼熊別《おにくまわけ》の|片柱《かたはしら》 |天地《あめつち》|四方《よも》の|神人《かみびと》を
|誠《まこと》の|道《みち》に|救《すく》はむと |大国別《おほくにわけ》の|御言《みこと》もて
|埃及国《エジプトこく》や|波斯《フサ》の|国《くに》 |印度《ツキ》の|国《くに》まで|教線《けうせん》を
|布《し》かせ|給《たま》ひし|雄々《をを》しさよ |父大神《ちちおほかみ》の|神言《みこと》もて
|天《あめ》の|太玉神司《ふとだまかむづかさ》 エデンの|河《かは》を|打《う》ち|渡《わた》り
|顕恩城《けんおんじやう》に|出《い》でまして |天津誠《あまつまこと》の|御教《みをしへ》を
|〓怜《うまら》に|委曲《つばら》に|宣《の》りつれど |天運《てんうん》|未《いま》だ|循環《めぐ》り|来《こ》ず
|鬼雲彦《おにくもひこ》の|荒神《あらがみ》は |神《かみ》の|心《こころ》を|慮《はか》り|兼《か》ね
|雲《くも》を|霞《かすみ》と|自転倒《おのころ》の |島《しま》に|渡《わた》らせ|給《たま》ひつつ
|率《ひき》ゆる|人《ひと》も|大江山《おほえやま》 |稜威《いづ》の|砦《とりで》を|構《かま》へ|立《た》て
|教《をしへ》の|花《はな》の|開《ひら》く|様《さま》 【みくに】|ケ嶽《がだけ》や|鬼ケ城《おにがじやう》
|北《きた》と|南《みなみ》にバラモンの |教《をしへ》の|射場《いば》を|造《つく》りつつ
|同《おな》じ|天地《てんち》の|珍《うづ》の|子《こ》と |生《うま》れ|出《い》でたる|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》に|追《お》はれまし |再《ふたた》び|波斯《フサ》の|本国《ほんごく》へ
|帰《かへ》り|給《たま》ひし|痛《いた》ましさ あゝさり|乍《なが》ら さり|乍《なが》ら
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|大神《おほかみ》の |恵《めぐみ》の|露《つゆ》は|天地《あめつち》の
|百《もも》の|神人《かみびと》|草木《くさき》まで |漏《も》れ|落《お》ちもなく|霑《うるほ》ひて
|誠《まこと》の|道《みち》に|敵《てき》もなく |味方《みかた》の|差別《けぢめ》もなき|世《よ》をば
|小《ちひ》さき|意地《いぢ》に|搦《から》まれて |右《みぎ》や|左《ひだり》や|北南《きたみなみ》
|種々《いろいろ》|雑多《ざつた》と|名《な》を|変《か》へて |荒《すさ》び|居《ゐ》るこそ|悲《かな》しけれ
|転迷開悟《てんめいかいご》の|蓮花《はちすばな》 |愈《いよいよ》|開《ひら》く|常磐木《ときはぎ》の
|松《まつ》の|神代《かみよ》のめぐり|来《き》て |敵《てき》と|味方《みかた》の|区別《くべつ》なく
|心《こころ》|合《あは》せし|一《ひと》つ|島《じま》 |地恩《ちおん》の|郷《さと》に|三五《あななひ》の
|教《をしへ》を|開《ひら》く|嬉《うれ》しさは |高天原《たかあまはら》に|手《て》を|曳《ひ》いて
|歓《ゑら》ぎ|遊《あそ》べる|如《ごと》くなり あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして |一度《ひとたび》|叛《そむ》きし|友彦《ともひこ》が
|心《こころ》の|空《そら》に|月《つき》は|照《て》り |輝《かがや》き|渡《わた》る|今日《けふ》の|宵《よひ》
|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》や |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の
|此《この》|有様《ありさま》を|詳細《つばらか》に |眺《なが》め|玉《たま》へば|如何《いか》ばかり
|歓《ゑら》ぎ|給《たま》ふか|白雲《しらくも》の |包《つつ》む|谷間《たにま》ぞ|床《ゆか》しけれ
|科戸《しなど》の|彦《ひこ》や|科戸姫《しなどひめ》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
|地恩《ちおん》の|郷《さと》や|吾々《われわれ》が |心《こころ》を|包《つつ》む|雲霧《くもきり》を
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|吹《ふ》き|払《はら》ひ |天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|真相《しんさう》を
|宇宙《うちう》|主宰《しゆさい》の|大神《おほかみ》の |御前《みまへ》に|現《あら》はし|奉《まつ》るべし
|神《かみ》は|吾等《われら》と|倶《とも》にます |親子《おやこ》|兄弟《けいてい》|睦《むつ》び|合《あ》ひ
|此《この》|楽園《らくゑん》に|神国《かみぐに》の |春《はる》を|楽《たの》しむ|一同《いちどう》の
|花《はな》も|開《ひら》きし|蓮華台《れんげだい》 |堅磐常磐《かきはときは》の|岩《いは》の|上《へ》に
|千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|万代《よろづよ》も |栄《さか》えませよと|願《ね》ぎまつる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つて、|紫《むらさき》の|蓮華岩《れんげいは》を|下《くだ》り|来《きた》り、|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|息《いき》を|休《やす》め|居《ゐ》る。
|蜈蚣姫《むかでひめ》は|稍《やや》【く】の|字《じ》に|曲《まが》つた|体《からだ》を|揺《ゆす》ぶり|乍《なが》ら、|両手《りやうて》を|拡《ひろ》げて|手付《てつ》き|面白《おもしろ》く、|廁《かはや》の|水浸《みづづ》き|然《ぜん》として|歌《うた》ひ|踊《をど》り|始《はじ》めたり。
『|豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》 |根分《ねわ》けの|国《くに》と|伝《つた》はりし
メソポタミヤにバラモンの |足《あし》|場《ば》を|作《つく》り|天《あめ》が|下《した》
|世界《せかい》|十字《じふじ》に|踏《ふ》みならす |蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》の|身《み》の|果《はて》は
メソポタミヤを|後《あと》にして |波斯《ペルシヤ》を|越《こ》えて|印度《ツキ》の|国《くに》
|大空《おほぞら》|駆《か》ける|磐船《いはふね》に |身《み》を|任《まか》せつつ|自転倒《おのころ》の
|島《しま》に|渡《わた》りて|彼方此方《あちこち》と |教《をしへ》を|開《ひら》き|黄金《わうごん》の
|玉《たま》の|所在《ありか》を|探《さぐ》らむと |思《おも》ひし|事《こと》も|水《みづ》の|泡《あわ》
|阿波《あは》の|鳴門《なると》や|淡路島《あはぢしま》 |生命《いのち》の|瀬戸《せと》の|海《うみ》|越《こ》えて
|小豆ケ島《せうどがしま》や|南洋《なんやう》の |竜宮島《りうぐうじま》のアンボイナ
|男滝《をだき》|女滝《めだき》に|身《み》を|浴《よく》し |浪路《なみぢ》も|遠《とほ》き|太平《たいへい》の
|洋《うみ》を|渡《わた》りて|進《すす》み|来《く》る |船脚《ふなあし》|早《はや》く|沓《くつ》の|島《しま》
ニユージーランドの|玉森《たまもり》に |一度《ひとたび》|息《いき》を|休《やす》めつつ
|波《なみ》を|辷《すべ》りて|此《この》|島《しま》に |着《つ》くや|間《ま》もなく|地恩郷《ちおんきやう》
|神《かみ》の|立《た》てたる|三五《あななひ》の |教柱《をしへはしら》の|黄竜姫《わうりようひめ》
|来《きた》りて|見《み》れば|吾《わが》|娘《むすめ》 |小糸《こいと》の|姫《ひめ》の|面影《おもかげ》は
|老《おい》の|眼《まなこ》もうるみなく |擬《まが》ふ|方《かた》なき|愛娘《まなむすめ》
|教《をしへ》の|光《ひかり》|久方《ひさかた》の |天津御空《あまつみそら》の|雲《くも》|分《わ》けて
|天降《あも》りましたる|朝日子《あさひこ》の |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御守《おんまも》り
|金勝要大神《きんかつかねのおほかみ》が |御分霊《ごぶんれい》なる|真澄姫《ますみひめ》
|天《あめ》と|地《つち》との|神々《かみがみ》の |其《その》|懐《ふところ》に|抱《いだ》かれて
|安々《やすやす》|送《おく》る|老《おい》の|身《み》の |心《こころ》に|懸《かか》る|雲《くも》もなし
さはさり|乍《なが》ら|白雲《しらくも》の |彼方《あなた》に|遠《とほ》き|波斯《フサ》の|国《くに》
|夫《つま》の|命《みこと》は|黄竜姫《わうりようひめ》が |少女《ひめ》の|命《みこと》の|今日《けふ》の|様《さま》
|未《いま》だ|知《し》らずにましまさむ |翼《つばさ》なき|身《み》は|如何《いか》にせむ
|空《そら》|漕《こ》ぎ|渡《わた》る|鳥船《とりぶね》も |皇大神《すめおほかみ》の|警告《いましめ》に
|今《いま》は|用《もち》ゆる|術《すべ》もなく |空《そら》|行《ゆ》く|雲《くも》の|吾《わが》|為《ため》に
|篤《あつ》き|心《こころ》のあるならば |一日《ひとひ》も|早《はや》く|夫《つま》の|辺《へ》に
|吾等《われら》|親子《おやこ》の|喜《よろこ》びを |一日《ひとひ》も|早《はや》く|伝《つた》へかし
|遠《とほ》く|四方《しはう》を|見渡《みわた》せば |霧《きり》に|隠《かく》れし|地恩郷《ちおんきやう》
|何《なん》の|目的《あてど》も|梨礫《なしつぶて》 |鳩《はと》の|使《つかひ》の|片音信《かただより》
|執着心《しふちやくしん》の|曲鬼《まがおに》を |伊吹《いぶき》|祓《はら》ひに|打祓《うちはら》ひ
|速川《はやかは》の|瀬《せ》に|清《きよ》めむと |心《こころ》に|覚悟《かくご》は|定《き》め|乍《なが》ら
|忘《わす》れ|難《がた》きは|恩愛《おんあい》の |止《とど》むる|由《よし》なき|吾《わが》|涙《なみだ》
|梅子《うめこ》の|姫《ひめ》よ|友彦《ともひこ》よ テールス|姫《ひめ》よ|宇豆姫《うづひめ》よ
スマートボール|鶴公《つるこう》よ |其《その》|他《た》|並居《なみゐ》る|教子《をしへご》よ
|神《かみ》の|真道《まみち》に|入《い》り|乍《なが》ら |心《こころ》もつれし|吾《わが》|姿《すがた》
|眺《なが》めて|笑《わら》うて|下《くだ》さるな |道《みち》は|道《みち》なり|親《おや》と|子《こ》の
|情《なさけ》は|世界《せかい》の|始《はじ》めより |今《いま》に|変《かは》らぬ|玉椿《たまつばき》
|千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|永久《とこしへ》に |動《うご》かぬものと|神直日《かむなほひ》
|見直《みなほ》しまして|何時迄《いつまで》も |吾等《われら》|親子《おやこ》を|親子《おやこ》とし
|堅磐常磐《かきはときは》に|道《みち》の|為《ため》 |尽《つく》させ|給《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|久方《ひさかた》の |天津祝詞《あまつのりと》の|声《こゑ》|清《きよ》く
|仕《つか》へ|奉《まつ》らむ|蜈蚣姫《むかでひめ》 あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》に|誓《ちか》ひし|教子《をしへご》よ |教《をしへ》を|守《まも》るピユリタンよ』
と|歯《は》の|抜《ぬ》けた|口《くち》から、|不整調《ふせいてう》な|言霊《ことたま》にて|歌《うた》ひ|終《をは》り、|蓮華岩《れんげいは》の|上《うへ》に|腰《こし》を|打下《うちおろ》し、ホツと|息《いき》を|吐《つ》いた。|続《つづ》いてスマートボール、|宇豆姫《うづひめ》、|鶴公《つるこう》|其《その》|他《た》の|歌《うた》は|数多《あまた》あれども、|山鳥《やまどり》の|尾《を》の|余《あま》り|長々《ながなが》しければ|省略《しやうりやく》す。
|黄竜姫《わうりようひめ》|以下《いか》|幹部《かんぶ》は、|園遊会《ゑんいうくわい》を|切《き》りあげて|表門《おもてもん》を|潜《くぐ》り、|各《おのおの》|居室《きよしつ》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》、マール、ミユーズ|其《その》|他《た》の|連中《れんぢう》は、|後《あと》に|残《のこ》りて|酒《さけ》に|酔《よ》ひ、クダを|巻《ま》き、|解放的《かいはうてき》|気分《きぶん》になつて、|彼方《あちら》に|五人《ごにん》|此方《こちら》に|三人《さんにん》と、|木蔭《こかげ》に|足《あし》を|投《な》げ|出《だ》し、|芝草《しばくさ》を【むしり】|乍《なが》ら|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》る。マールは|口《くち》を|縺《もつ》れさせ|乍《なが》ら、
『モシモシ、|貫州《くわんしう》のボールさま……|蜈蚣姫《むかでひめ》さまも|昔《むかし》はバラモン|教《けう》の|立派《りつぱ》な|大将株《たいしやうかぶ》で|終局《しまひのはて》にや|海洋万里《かいやうばんり》の|自転倒島《おのころじま》まで|玉《たま》を|探《さが》しに|往《い》つたり、|宣伝《せんでん》をされたり、|三五教《あななひけう》を|目《め》の|敵《かたき》の|様《やう》に|敵対《てきた》うて|御座《ござ》つた|癖《くせ》に、|自分《じぶん》の|娘《むすめ》が|三五教《あななひけう》の|神司《かむづかさ》、|地恩城《ちおんじやう》の|女王《ぢよわう》さまになつたと|思《おも》つて、|俄《にはか》に|心機一転《しんきいつてん》し、|三五教《あななひけう》を|此《この》|上《うへ》なき|結構《けつこう》な|教《をしへ》の|様《やう》に|思《おも》つて|御座《ござ》るのは、チツと|可笑《をか》しなものですな。|梅子姫《うめこひめ》さまに、|最前《さいぜん》の|様《やう》に|耳《みみ》の|痛《いた》い|歌《うた》を|歌《うた》はれて、|何《なん》とも|思《おも》|筈《はず》、|自分《じぶん》も|立《た》つて|踊《をど》り|狂《くる》ひ、|妙《めう》な|歌《うた》を|歌《うた》はしやつたが、|一体《いつたい》|全体《ぜんたい》|何《なん》の|態《ざま》だ。|俺《わし》やモウ|胸糞《むねくそ》が|悪《わる》くて、|三五教《あななひけう》にお|仕《つか》へするのも|厭《いや》になつて|来《き》た。……|貫州《くわんしう》さま、|今日《けふ》|限《かぎ》りお|暇《ひま》を|頂戴《ちやうだい》して、|又《また》|元《もと》の|土人《どじん》の|仲間《なかま》へ|還元《くわんげん》しますから、どうぞ|悪《あし》からず|御承認《ごしようにん》を|願《ねが》ひます』
と|巻舌《まきじた》になり、フーフと|酒《さけ》|臭《くさ》い|息《いき》を|貫州《くわんしう》に|吹《ふ》き|掛《か》け|乍《なが》ら、|覗《のぞ》き|込《こ》む|様《やう》にして|詰寄《つめよ》つた。
|貫州《くわんしう》『|神様《かみさま》の|道《みち》の|信者《しんじや》にはイロイロと|径路《けいろ》があるものだ。|悪《わる》いと|思《おも》へば|直《すぐ》に|改良《かいりやう》するのが|所謂《いはゆる》|惟神《かむながら》の|道《みち》だよ。|貴様《きさま》の|様《やう》な|一本《いつぽん》|調子《てうし》で、|神様《かみさま》の|信仰《しんかう》が|出来《でき》るものか。|要《えう》するに|神《かみ》の|道《みち》は|理智《りち》に|依《よ》つて【かたづ】けようと|思《おも》つても|駄目《だめ》だ。|信入《しんにふ》も|悟入《ごにふ》も、|左旋《させん》も|右傾《うけい》も、|消極《せうきよく》も|積極《せつきよく》も|一寸《ちよつと》|見《み》た|所《ところ》では|大変《たいへん》にかけ|離《はな》れて|居《を》る|様《やう》だが、|実際《じつさい》は|皆《みな》|一体《いつたい》だ。|何方《どちら》から|入信《はい》つた|所《ところ》で、|落着《おちつ》く|所《ところ》は|天地創造《てんちさうざう》の|元《もと》の|神様《かみさま》を|信仰《しんかう》するのだ。|所謂《いはゆる》|江南《かうなん》の|橘《たちばな》は|江北《かうほく》の|枳殻《からたち》だ。バラモン|教《けう》であらうが、|三五教《あななひけう》であらうが、|誠《まこと》の|道《みち》に|二《ふた》つはない。|畢竟《つまり》|人間《にんげん》の|考《かんが》へに|依《よ》つて|種々《いろいろ》の|雅号《ががう》を|附《つ》けたり、|勝手《かつて》な|障壁《しやうへき》を|拵《こしら》へて|威張《ゐば》る|丈《だけ》のものだよ。|蜈蚣姫《むかでひめ》さまの……|吾々《われわれ》は……|態度《たいど》に|就《つ》いては|大賛成《だいさんせい》だよ。|貴様《きさま》もそこまで|理屈《りくつ》を|言《い》ふ|様《やう》にならば、|最早《もはや》|信仰《しんかう》の|門口《かどぐち》に|這入《はい》つたのだ。|宅《うち》の|女房《にようばう》の|名《な》がお|竹《たけ》でも、お|松《まつ》でも|別《べつ》に|変《かは》りはないぢやないか。お|竹《たけ》の|名《な》がお|松《まつ》にならうと、お|松《まつ》の|名《な》がお|梅《うめ》にならうと、|人間《にんげん》|其《その》|者《もの》はチツとも|変《かは》りがないと|同様《どうやう》に、|神様《かみさま》は|一株《ひとかぶ》だから、よく|考《かんが》へて|見《み》て、|其《その》|上《うへ》に|去就《きよしう》を|決《けつ》した|方《はう》がよからうぞ。バラモン|教《けう》と|云《い》ふも|三五教《あななひけう》と|云《い》ふも、|但《ただし》はジヤンナイ|教《けう》と|云《い》ふも、ウラル|教《けう》も、|教《をしへ》を|伝《つた》ふる|人間《にんげん》の|解釈《かいしやく》に|依《よ》りて、|深浅《しんせん》|広狭《くわうけふ》の|区別《くべつ》が|付《つ》くまでだ。|兎《と》も|角《かく》|深《ふか》く|広《ひろ》く、|入《い》り|易《やす》く、|愉快《ゆくわい》な|教《をしへ》を|信仰《しんかう》して、|其《その》|日《ひ》|其《その》|日《ひ》を|安心立命《あんしんりつめい》して|行《ゆ》くのが、|神《かみ》の|教《をしへ》を|信《しん》ずる|信者《しんじや》の|本領《ほんりやう》だ。モチツト|話《はな》してやりたいが、さうヅブロクになつて|居《ゐ》ては、|折角《せつかく》の|高論卓説《かうろんたくせつ》も|貴様《きさま》の|耳《みみ》には|這入《はい》るまい。|先《ま》づ|酔《ゑひ》が|醒《さ》めてから、|悠《ゆつく》りと|説明《せつめい》するから、|明日《あす》の|事《こと》にしよう』
マール『|何《なん》だか|知《し》らぬが、チツとばかし、|気《き》に|喰《く》はなくなつて|来《き》たのだ。そんなら|明日《あす》|改《あらた》めて|聞《き》かして|貰《もら》はうかい』
と|行歩蹣跚《かうほまんさん》として、|目《め》も|霞《かすみ》、|右《みぎ》の|腕《うで》で|両眼《りやうがん》を|横《よこ》にツルリと|撫《な》で、|鼻《はな》をツンとかみ|乍《なが》らあつちやにヨツたり、こつちやへヨツたり、|八人脚《はちにんあし》になつて|門内《もんない》へよろめき|入《い》る|可笑《をか》しさ。|一同《いちどう》は|手《て》を|拍《う》つて『ワツハヽヽヽ』と|笑《わら》ひ|転《ころ》げる。
|紺碧《こんぺき》の|空《そら》は|俄《にはか》にドンヨリとして|来《き》た。ネルソン|山《ざん》の|峰《みね》を|圧《あつ》して、|天空《てんくう》|高《たか》く|現《あら》はれ|来《きた》る|異様《いやう》の|女神《めがみ》|七八人《しちはちにん》、|瞬《またた》く|間《うち》に|朱欄碧瓦《しゆらんへきぐわ》の|神殿《しんでん》|現《あら》はれ、|数多《あまた》の|人々《ひとびと》の|影《かげ》、|手《て》に|取《と》る|如《ごと》く|天空《てんくう》に|筍《たけのこ》の|生《は》えた|如《ごと》く、ポツリポツリと|現《あら》はれ|来《きた》る。
|武公《たけこう》は|初《はじ》めて|此《この》|蜃気楼《しんきろう》を|眺《なが》め、『アツ』と|驚《おどろ》き、|黄竜姫《わうりようひめ》に|注進《ちゆうしん》せむと、|転《こ》けつ|輾《まろ》びつあつちやへヨツたり、こつちやへヨツたり、|八人《はちにん》|連《づ》れの|歩《あゆ》みをし|乍《なが》ら、|奥深《おくふか》く|姿《すがた》を|隠《かく》し|一同《いちどう》は|天《てん》を|仰《あふ》いで、|蜃気楼《しんきろう》の|立派《りつぱ》なるに|打驚《うちおどろ》き、|園遊会《ゑんいうくわい》の|余興《よきよう》だと、|興《きよう》がつて|居《ゐ》る。
|武公《たけこう》の|注進《ちゆうしん》に|依《よ》りて、|黄竜姫《わうりようひめ》、|梅子姫《うめこひめ》|其《その》|他《た》の|最高《さいかう》|幹部《かんぶ》は|高殿《たかどの》に|上《のぼ》り、ネルソン|山《ざん》の|頂上《ちやうじやう》より|此方《こなた》に|向《むか》つてパノラマの|如《ごと》く、チクチクと|位置《ゐち》を|転《てん》じ|来《きた》る、|諏訪《すは》の|湖《うみ》の|蜃気楼《しんきろう》を|熟視《じゆくし》すれば、|数多《あまた》の|女神《めがみ》に|手《て》を|曳《ひ》かれ、|左守神《さもりのかみ》たりし|清公《きよこう》|其《その》|外《ほか》|四人連《よにんづ》れ、|何事《なにごと》か|神勅《しんちよく》を|受《う》け|居《を》る|姿《すがた》を|眺《なが》めて、|一同《いちどう》は|手《て》を|拍《う》つて|驚喜《きやうき》し、|直《ただち》に|天《てん》に|向《むか》つて|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》した。|蜃気楼《しんきろう》は|益々《ますます》|明瞭《めいれう》に、|且《か》つ|左右《さいう》に|長《なが》く|展開《てんかい》し、|湖面《こめん》に|浮《う》かぶ|白帆《しらほ》まで|判然《はつきり》と|映《うつ》つて|居《ゐ》る。|黄竜姫《わうりようひめ》は|蜃気楼《しんきろう》を|見《み》て|言霊《ことたま》の|歌《うた》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。
『【ア】ふげば|高《たか》し|久方《ひさかた》の 【イ】|域《ゐき》の|空《そら》に|現《あら》はれし
【ウ】ヅの|宮居《みやゐ》の|蜃気楼《しんきろう》 【エ】にある|様《やう》な|姫神《ひめがみ》の
【オ】ホ|空《ぞら》|高《たか》く|現《あら》はれて 【カ】ミの|御前《みまへ》を|伏《ふ》し|拝《をが》み
【キ】ヨき|正《ただ》しき|太祝詞《ふとのりと》 【ク】モ|井《ゐ》に|高《たか》く|詔《の》りあげし
【ケ】|色《しき》は|殊《こと》に|美《うる》はしく 【コ】バルト|色《いろ》の|山《やま》の|上《へ》を
【サ】シ|登《のぼ》りたる|清公《きよこう》の 【シ】ロき|顔容《かんばせ》|珍《うづ》の|衣《きぬ》
【ス】ワの|湖《みづうみ》|影《かげ》|清《きよ》く 【セ】マり|来《きた》れる|地恩城《ちおんじやう》
【ソ】ラ|高々《たかだか》と|現《あら》はれぬ 【タ】カ|天原《あまはら》の|神《かみ》の|国《くに》
【チ】|五百万《いほよろづ》の|神人《しんじん》の 【ツ】キ|添《そ》ひまつる|崇高《けだか》さよ
【テ】ニ|手《て》に|玉《たま》を|携《たづさ》へて 【ト】コ|世《よ》の|空《そら》を|打眺《うちなが》め
【ナ】ガき|影《かげ》をば|和田《わだ》の|原《はら》 【ニ】シや|東《ひがし》や|北南《きたみなみ》
【ヌ】りたる|如《ごと》き|空《そら》の|色《いろ》 【ネ】|底《そこ》の|国《くに》まで|照《て》り|渡《わた》る
【ノ】ゾミも|遂《と》げて|神人《しんじん》が 【ハ】ナの|顔容《かんばせ》|月《つき》の|眉《まゆ》
【ヒ】ダリ|右《みぎ》りの|侍女《まかたち》は 【フ】ジの|額《ひたひ》に|雪《ゆき》の|肌《はだ》
【ヘ】グリの|山《やま》のそれの|如《ごと》 【ホ】ホベも|春《はる》の|花《はな》の|色《いろ》
【マ】ナコ|涼《すず》しく|眉《まゆ》|濃《こゆ》く 【ミ】ダレ|髪《かみ》さへ|顔《かほ》に|垂《た》れ
【ム】ツび|合《あ》うたる|神《かみ》と|人《ひと》 【メ】グり|大足神《おほたるかみ》の|世《よ》の
【モ】モの|花《はな》|咲《さ》く|弥生空《やよひぞら》 【ヤ】|千代《ちよ》の|君《きみ》を|寿《こと》ほぎて
【イ】ヅミも|清《きよ》き|湖《うみ》の|底《そこ》 【ユ】フに|言《い》はれぬ|麗《うるは》しさ
【エ】に|見《み》る|如《ごと》き|光景《くわうけい》は 【ヨ】にも|稀《まれ》なる|眺《なが》めなり
【ワ】が|言霊《ことたま》の|清《きよ》ければ 【ヰ】づくの|空《そら》も|澄《す》み|渡《わた》り
【ウ】きつ|沈《しづ》みつ|行《ゆく》|雲《くも》の 【ヱ】らぎ|栄《さか》えて|永久《とこしへ》に
【ヲ】サまる|御代《みよ》を|守《まも》れかし あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして |左守神《さもりのかみ》と|仕《つか》へたる
|心《こころ》の|空《そら》も|清公《きよこう》が |地恩《ちおん》の|城《しろ》を|後《あと》にして
|身《み》を|下《くだ》したるタカ|港《みなと》 |屋根無《たなな》し|船《ぶね》に|揺《ゆ》られつつ
ヒルの|港《みなと》に|漕《こ》ぎつけて |谷間《たにま》に|荒《すさ》ぶ|曲津霊《まがつひ》を
|言向《ことむ》け|和《やは》しセーランの |山《やま》の|麓《ふもと》を|踏越《ふみこ》えて
|露《つゆ》の|枕《まくら》も|数《かず》|重《かさ》ね |一望《いちばう》|千里《せんり》の|玉野原《たまのはら》
|厳《きび》しき|暑熱《しよねつ》を|浴《あ》び|乍《なが》ら |進《すす》み|進《すす》んで|諏訪《すは》の|海《うみ》
|湖辺《こへん》に|漸《やうや》く|辿《たど》りつき |天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し
|身禊《みそぎ》|払《はら》ひてスクスクと |水児《みづご》の【みづ】の|魂《たま》となり
|湖中《こちう》に|浮《うか》び|漂《ただよ》へる |男島《をしま》|女島《めしま》に|助《たす》けられ
|転迷開悟《てんめいかいご》の|教《のり》の|花《はな》 |開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》び
|天女《てんによ》の|如《ごと》く|浄化《じやうくわ》して |黄金《こがね》の|船《ふね》に|迎《むか》へられ
|朱欄碧瓦《しゆらんへきぐわ》の|高殿《たかどの》に |導《みちび》かれたる|有様《ありさま》は
|今《いま》|目《ま》のあたり|見《み》えにけり あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|隔《へだ》てなし |心《こころ》の|空《そら》に|塞《ふさ》がれる
|雲《くも》を|払《はら》へば|天津日《あまつひ》の |光《ひかり》は|清《きよ》く|照《て》り|渡《わた》る
|三五《さんご》の|月《つき》を|包《つつ》みたる |八重棚雲《やへたなぐも》も|忽《たちま》ちに
|科戸《しなど》の|風《かぜ》に|払《はら》はれて |円満清朗《ゑんまんせいらう》|望《もち》の|月《つき》
|尽《つ》きせぬ|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》は |天垂《あまた》る|地垂《ちた》る|海《うみ》に|垂《た》る
|人《ひと》の|身魂《みたま》にたり|充《み》ちて |一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》つ|六《む》つ
|七《なな》|八《や》|九《ここの》つ|十《たり》の|空《そら》 |百千万《ももちよろづ》の|神《かみ》|達《たち》の
|守《まも》りも|深《ふか》き|竜宮嶋《りうぐうじま》 |妾《わらは》もいかで|此《この》|儘《まま》に
|地恩《ちおん》の|郷《さと》に|悠々《いういう》と |空《むな》しく|月日《つきひ》を|過《すご》さむや
いざこれよりは|村肝《むらきも》の |心《こころ》を|清《きよ》め|魂《たま》|磨《みが》き
|清《きよ》きが|上《うへ》にも|清《きよ》くして |神《かみ》の|集《あつ》まる|竜宮《りうぐう》の
|諏訪《すは》の|湖《うみ》へと|立向《たちむか》ひ |天火水地《てんくわすゐち》と|結《むす》びたる
|珍《うづ》の|宝《たから》を|拝戴《はいたい》し |自転倒島《おのころじま》に|宮柱《みやばしら》
|太《ふと》しき|建《た》てて|永久《とこしへ》に |鎮《しづ》まり|居《ゐ》ます|大神《おほかみ》の
|御前《みまへ》に|捧《ささ》げまつりなば |三五教《あななひけう》の|礎《いしずゑ》は
|云《い》ふも|更《さら》なり|天《あめ》が|下《した》 |四方《よも》の|国々《くにぐに》|永久《とことは》に
|黄金《わうごん》|世界《せかい》を|造《つく》りなし |貴《たふと》き|神《かみ》の|功績《いさをし》を
|堅磐常磐《かきはときは》に|現《あら》はさむ |三五教《あななひけう》の|人《ひと》|達《たち》よ
|天《てん》に|輝《かがや》く|蜃気楼《しんきろう》 |神《かみ》の|姿《すがた》を|目《ま》のあたり
|眺《なが》めし|上《うへ》は|如何《いか》にして |安《やす》きを|貪《むさぼ》る|時《とき》ならむ
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|片時《かたとき》も |妾《わらは》と|共《とも》にネルソンの
|高嶺《たかね》を|越《こ》えて|西《にし》の|空《そら》 |虎《とら》|狼《おほかみ》や|鬼《おに》|大蛇《をろち》
|醜《しこ》の|曲津《まがつ》の|猛《たけ》ぶ|野《の》を |神《かみ》の|光《ひかり》を|身《み》に|浴《あ》びて
|安々《やすやす》|進《すす》み|行《ゆ》かむとす |早々《はやはや》|用意《ようい》|召《め》されよ』……と
|促《うなが》す|姫《ひめ》の|一言《ひとこと》に |蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》を|始《はじ》めとし
|神《かみ》の|花《はな》|咲《さ》く|梅子姫《うめこひめ》 |宇豆姫《うづひめ》|友彦《ともひこ》|伴《ともな》ひて
テールス|姫《ひめ》も|諸共《もろとも》に |旅装《りよさう》を|整《ととの》へしづしづと
|地恩《ちおん》の|城《しろ》を|後《あと》にして |身装《みなり》も|軽《かる》き|蓑笠《みのかさ》の
|露《つゆ》|押《お》し|分《わ》けて|進《すす》み|行《ゆ》く あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ。
(大正一一・七・一一 旧閏五・一七 松村真澄録)
第一五章 |改心《かいしん》の|実《じつ》〔七六一〕
|黄竜姫《わうりようひめ》、|梅子姫《うめこひめ》、|友彦《ともひこ》、テールス|姫《ひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》の|五人《ごにん》は|共《とも》に、|地恩城《ちおんじやう》を|後《あと》に|数百里《すうひやくり》、|山路《やまみち》を|越《こ》えて|玉野原《たまのはら》の|諏訪《すは》の|湖《みづうみ》の|竜宮城《りうぐうじやう》に|進《すす》むこととなつた。|後《あと》には|左守《さもり》、スマートボール|夫婦《ふうふ》を|初《はじ》め|右守《うもり》|鶴公《つるこう》、|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》、マール、ミユーズの|幹部連《かんぶれん》をして|留守《るす》|師団長《しだんちやう》とし、|草《くさ》の|蓑《みの》、|竹《たけ》の|小笠《をがさ》の|軽《かる》き|扮装《いでたち》、タロの|木《き》の|枝《えだ》をつきながら、|岩石《がんせき》|起伏《きふく》せる|羊腸《やうちやう》の|小径《こみち》を|上《のぼ》りつ|下《くだ》りつ、|谷《たに》を|飛《と》び|越《こ》え|谷間《たにま》を|伝《つた》ひ|漸《やうや》くにして、ジヤンナの|友彦《ともひこ》が|割拠《かつきよ》せし|郷《さと》に|着《つ》いた。
|鬼《おに》の|様《やう》な|荒男《あらをとこ》、|赤銅《しやくどう》の|様《やう》な|顔《かほ》に|青《あを》い|黥《いれづみ》を、|顔《かほ》|一面《いちめん》に|彩《えど》りし|者《もの》を|先頭《せんとう》に、|老若男女《らうにやくなんによ》が|六ケ敷《むつかし》い|顔《かほ》して|黄竜姫《わうりようひめ》の|一行《いつかう》を『ウワーウワー』と|鬨《とき》の|声《こゑ》を|挙《あ》げ|乍《なが》ら|歓迎《くわんげい》した。|昼《ひる》|尚《なほ》|暗《くら》き|森林《しんりん》に|包《つつ》まれたる|此《この》|郷《さと》は、|一見《いつけん》|鬼《おに》の|様《やう》な|人種《じんしゆ》|計《ばか》りであるが、|至《いた》つて|質朴《しつぼく》で|且《か》つ|正直《しやうぢき》で|信仰心《しんかうしん》に|富《と》んで|居《ゐ》た。|曲《まが》つた|鼻《はな》の|赤《あか》い|友彦《ともひこ》を、|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》と|仰《あふ》いで、|尊敬《そんけい》した|程《ほど》の|郷人《さとびと》は、|天女《てんによ》の|如《ごと》き|黄竜姫《わうりようひめ》、|梅子姫《うめこひめ》の|玉《たま》を|欺《あざむ》く|清《きよ》き|姿《すがた》を|眺《なが》めて、|天《あま》の|河原《かはら》よりネルソン|山《ざん》に|鳥船《とりぶね》に|乗《じやう》じ|天降《あまくだ》り|給《たま》ひしを、ジヤンナの|郷《さと》の|救世主《きうせいしゆ》|友彦《ともひこ》|夫婦《ふうふ》が|奉迎《ほうげい》して|帰《かへ》りしものと|固《かた》く|信《しん》じ、|一斉《いつせい》に|砂糖屋《さたうや》の|十能《おつかき》|見《み》た|様《やう》な、|大《おほ》きな|黒《くろ》い|手《て》を|拡《ひろ》げ、
|土人《どじん》『ウツポツポ ウツポツポ、オーレンス、サーチライス、ターレンス、チーター チーター』
と|叫《さけ》び|乍《なが》ら|歓迎《くわんげい》の|意《い》を|表《へう》した。|此《この》|意味《いみ》は、『|神様《かみさま》か、|天《てん》の|御使《みつかひ》か、|但《ただし》は|吾等《われら》を|救《すく》ふ|光明《くわうみやう》の|神《かみ》か、|実《じつ》に|立派《りつぱ》な|大救世主《だいきうせいしゆ》が、|此《この》|郷《さと》に|御降《おくだ》り|遊《あそ》ばした。|吾々《われわれ》は|最早《もはや》|絶対《ぜつたい》に|悩《なや》みに|遇《あ》ふこともなく、|永遠無窮《ゑいゑんむきう》に|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|楽《たのし》みを|味《あぢ》はうことが|出来《でき》るであらう。|木《こ》の|実《み》は|豊《ゆたか》に|実《みの》り、|鼓腹撃攘《こふくげきじやう》の|恵《めぐ》みに|浴《よく》することは|火《ひ》を|睹《み》るよりも|明瞭《めいれう》だ。|有難《ありがた》い、|勿体《もつたい》ない、|貴《たつと》い、|嬉《うれ》しい。|吾々《われわれ》|郷人《さとびと》は|力《ちから》の|限《かぎ》り|心《こころ》の|極《きは》みを、|此《この》|生神様《いきがみさま》に|捧《ささ》げませう』と|言《い》ふ|事《こと》である。……ジヤンナの|郷《さと》の|救世主《きうせいしゆ》と|仰《あふ》がれたる|友彦《ともひこ》は、|郷人《さとびと》に|向《むか》ひ、
『ターリスト、テールターイン、ハールエース、オーレンス、サーチライス、カーテル、ライド』
と|叫《さけ》ぶ。|此《この》|声《こゑ》に|一同《いちどう》は|大地《だいち》に|平伏《へいふく》し|嬉《うれ》し|涙《なみだ》を|流《なが》して|歓喜《くわんき》した。|友彦《ともひこ》は|又《また》もや、
『ハール ハール』
と|手《て》を|挙《あ》げて|叫《さけ》ぶや、|大勢《おほぜい》の|土人《どじん》は|一行《いつかう》を|手車《てぐるま》に|乗《の》せ、|三五《あななひ》の|神《かみ》を|祭《まつ》りし|稍《やや》|広《ひろ》き|館《やかた》の|中《なか》に、|御輿《みこし》を|舁《かつ》ぐ|様《やう》な|塩梅式《あんばいしき》で|何事《なにごと》か|分《わか》らぬ|事《こと》を|喋《しやべ》り|乍《なが》ら|奥深《おくふか》く|送《おく》り|行《ゆ》く。
|黄竜姫《わうりようひめ》|一行《いつかう》は|友彦《ともひこ》の|館《やかた》の|奥深《おくふか》く|招《まね》かれ、|色々《いろいろ》|珍《めづ》らしき|果物《くだもの》を|饗応《きやうおう》され、|且《か》つバナヽの|味《あぢ》に|舌鼓《したつづみ》|打《う》ち|乍《なが》ら、|一二日《いちににち》|此処《ここ》に|逗留《とうりう》し、|郷人《さとびと》に|対《たい》して|黄竜姫《わうりようひめ》、|梅子姫《うめこひめ》よりバプテスマを|施《ほどこ》し、|宣伝歌《せんでんか》を|教《をし》へた|上《うへ》、|数十人《すうじふにん》の|郷人《さとびと》に|送《おく》られ、|一行《いつかう》|五人《ごにん》は|漸《やうや》くにして|玉野ケ原《たまのがはら》の|広場《ひろば》に|無事《ぶじ》|安着《あんちやく》することとなつた。
|途々《みちみち》|木《こ》の|実《み》を|喰《くら》ひ、|谷水《たにみづ》を|飲《の》み、|芭蕉《ばせう》の|葉《は》を|褥《しとね》となし|乍《なが》ら、|猛獣《まうじう》、|大蛇《をろち》の|群《むれ》に|言霊《ことたま》を|授《さづ》け|帰順《きじゆん》|悦服《えつぷく》させつつ|愈《いよいよ》|此処《ここ》に|金銀《きんぎん》の|砂《すな》|輝《かがや》く|広野ケ原《ひろのがはら》に|辿《たど》りつく。|一行《いつかう》は|諏訪《すは》の|湖《うみ》の|畔《ほとり》に|建《た》てたる|小《ちひ》さき|祠《ほこら》の|前《まへ》に|端坐《たんざ》し、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|傍《かたはら》の|椰子《やし》の|樹《き》の|森《もり》に|一夜《いちや》を|明《あ》かすこととなりぬ。
エスタン|山《ざん》の|後方《こうはう》を|覗《のぞ》いて|現《あら》はれたる|大太陽《だいたいやう》は、|諏訪《すは》の|湖水《こすゐ》の|魚鱗《ぎよりん》の|波《なみ》に|映《えい》じ、|金銀《きんぎん》の|蓆《むしろ》を|敷《し》き|詰《つ》めたる|如《ごと》く、|其《その》|麗《うるは》しさ|譬《たと》ふるにものなく、|一行《いつかう》|五人《ごにん》は|湖水《こすゐ》に|身体《からだ》を|清《きよ》め、|七日七夜《なぬかななよ》|此処《ここ》に|禊《みそぎ》を|修《しう》し|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》せり。
|早《は》や|夕陽《せきやう》も|傾《かたむ》いて|得《え》も|言《い》はれぬ|麗《うるは》しき|鳥《とり》の|声《こゑ》、|塒《ねぐら》を|求《もと》めて|各《おのおの》|密林《みつりん》に|帰《かへ》り|行《ゆ》く。|純白《じゆんぱく》の|翼《つばさ》の|大鳥《おほどり》は|暗《やみ》を|縫《ぬ》うて|低《ひく》く|黄昏時《たそがれどき》より|現《あら》はれ|来《きた》り、|湖面《こめん》を|縦横無尽《じうわうむじん》に|〓翔《こうしやう》する。|其《その》|数《すう》|幾千万羽《いくせんまんば》とも|数《かぞ》へ|難《がた》く、|月《つき》|無《な》き|夜半《よは》も|明《あか》るき|許《ばか》りの|光景《くわうけい》なり。|是《これ》は|信天翁《あはうどり》の|祖先《そせん》でアンボリーと|言《い》ふ|大鳥《おほとり》なりける。
|一行《いつかう》|五人《ごにん》は|椰子《やし》の|樹下《じゆか》に|身《み》を|潜《ひそ》め、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|夜《よ》の|明《あ》くるを|待《ま》つ。|夜明《よあ》けに|間近《まぢか》くなりたる|時《とき》しも、|頭上《づじやう》にバタバタと|鳥《とり》の|羽《は》ばたき|激《はげ》しく|聞《きこ》え|来《き》たる。|見《み》れば|両翼《りやうよく》の|長《なが》さ|三丈《さんぢやう》|許《ばか》りのアンボリー、|椰子《やし》の|樹上《じゆじやう》にとまつて、|一同《いちどう》の|頭《あたま》を|被《おほ》ふて|居《ゐ》る、それが|夜明《よあ》けに|間近《まぢか》くなつたので|一時《いちじ》に|立《た》ち|上《あが》つた|音《おと》である。|一同《いちどう》は|鳥《とり》の|飛《と》び|行《ゆ》く|方面《はうめん》を|目《め》も|放《はな》たず|打看守《うちみまも》れば、ほんのりと|薄紅《うすあか》くうす|白《しろ》く|大空《おほぞら》を|染《そ》めながら、|際限《さいげん》もなき|大原野《だいげんや》を|西北《せいほく》の|空《そら》を|指《さ》して、|一羽《いちは》も|残《のこ》らず|飛去《とびさ》れり。
○
ジヤンナの|郷《さと》に|三五《あななひ》の |神《かみ》を|祀《まつ》りし|友彦《ともひこ》が
|館《やかた》に|一行《いつかう》|夜《よ》を|明《あ》かし |一日二夜《ひとひふたよ》を|逗留《とうりう》し
タイヤ、ブースを|初《はじ》めとし |数多《あまた》の|土人《どじん》に|皇神《すめかみ》の
|誠《まこと》の|道《みち》を|説《と》き|諭《さと》し |鎮魂《みたましづめ》やバプテスマ
|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|施《ほどこ》して |昼《ひる》なほ|暗《くら》き|森林《しんりん》の
|小径《こみち》を|伝《つた》ひ|郷人《さとびと》に |賑々《にぎにぎ》しくも|送《おく》られて
|漸《やうや》くセムの|谷間《たにあひ》に |辿《たど》り|来《きた》れる|折柄《をりから》に
|黄竜姫《わうりようひめ》は|皇神《すめかみ》の |珍《うづ》の|命《みこと》の|霊《たま》|借《か》りて
|送《おく》り|来《きた》りし|郷人《さとびと》に |厚《あつ》く|言葉《ことば》をかけながら
|東《ひがし》と|西《にし》に|別《わか》れつつ |露《つゆ》の|枕《まくら》も|数多《かずおほ》く
|重《かさ》ねて|此処《ここ》に|玉野原《たまのはら》 |金銀《きんぎん》|輝《かがや》く|途《みち》の|上《うへ》
|勇《いさ》み|進《すす》んで|諏訪《すは》の|湖《こ》の |辺《ほとり》にやうやう|安着《あんちやく》し
|祠《ほこら》の|前《まへ》に|端坐《たんざ》して |一行《いつかう》|五人《ごにん》が|安穏《あんのん》に
|訪《たづ》ね|来《きた》りし|神恩《しんおん》を |感謝《かんしや》し|終《をは》り|清鮮《せいせん》の
|湖水《こすゐ》に|身《み》をば|浸《ひた》しつつ |七日七夜《なぬかななよ》の|魂《たま》|洗《あら》ひ
|椰子樹《やしじゆ》の|蔭《かげ》に|身《み》を|潜《ひそ》め |夜明《よあ》けを|待《ま》てる|折柄《をりから》に
|樹上《じゆじやう》に|聞《きこ》ゆる|羽《は》ばたきの |音《おと》に|驚《おどろ》き|眺《なが》むれば
|雪《ゆき》を|欺《あざむ》く|白翼《はくよく》の パツと|開《ひら》いた|大鳥《おほとり》の
|空《そら》を|封《ふう》じて|数多《かずおほ》く |西北《せいほく》|指《さ》して|飛《と》んで|行《ゆ》く
|一行《いつかう》|五人《ごにん》は|空中《くうちう》を |仰《あふ》ぎ|見《み》つむる|折《をり》もあれ
|黄金《こがね》の|翼《つばさ》に|乗《の》せられて |此方《こなた》に|向《むか》つて|飛《と》び|来《きた》る
|四五《しご》の|神人《しんじん》|悠々《いういう》と |湖水《こすゐ》を|目蒐《めが》けて|降《くだ》り|来《く》る
|其《その》|光景《くわうけい》の|崇高《けだか》さに |五人《ごにん》は|思《おも》はず|手《て》を|合《あは》せ
|祝詞《のりと》を|唱《とな》へつ|眺《なが》め|居《ゐ》る |黄金《こがね》の|鳥《とり》に|乗《の》せられし
|男女《なんによ》|五人《ごにん》の|神人《しんじん》は |波《なみ》の|上《うへ》をばスレスレに
|北《きた》に|向《むか》つて|進《すす》み|行《ゆ》く これぞ|玉治別《たまはるわけ》|宣使《せんし》
|初稚姫《はつわかひめ》や|玉能姫《たまのひめ》 |久助《きうすけ》お|民《たみ》の|五人連《ごにんづれ》
|神《かみ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて |貴《うづ》の|教《をしへ》を|隈《くま》もなく
|伝《つた》へ|導《みちび》く|神《かみ》の|業《わざ》 |〓怜《うまら》に|委曲《つばら》に|宣《の》り|了《をは》せ
|玉依姫《たまよりひめ》の|御使《みつかひ》の |黄金色《わうごんしよく》の|霊鳥《れいてう》に
|救《すく》はれ|御空《みそら》を|翔《かけ》りつつ |帰《かへ》り|来《きた》れる|生神《いきがみ》の
|通力《つうりき》|得《え》たる|姿《すがた》なり |嗚呼《ああ》|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|教《をしへ》の|尊《たふと》さよ。
|翼《つばさ》を|一文字《いちもんじ》に|拡《ひろ》げた|金色《こんじき》の|霊鳥《れいてう》は、|神《かみ》の|使《つかひ》の|八咫烏《やあたがらす》である。|玉治別《たまはるわけ》|一行《いつかう》を|乗《の》せた|五羽《ごは》の|八咫烏《やあたからす》は、|日光《につくわう》に|照《て》り|輝《かがや》きて|中空《ちうくう》にキラリキラリと|光《ひかり》を|投《な》げながら、|地上《ちじやう》までも|金光《きんくわう》を|反射《はんしや》させ、|諏訪《すは》の|湖辺《うみべ》に|飛《と》び|来《きた》り、|紺碧《こんぺき》の|波《なみ》の|上《うへ》を|辷《すべ》つて|際限《さいげん》もなき|湖水《こすゐ》を、|北《きた》へ|北《きた》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。
|梅子姫《うめこひめ》、|黄竜姫《わうりようひめ》は|飛《と》び|立《た》つばかり|此《この》|姿《すがた》を|見《み》て|驚《おどろ》き|且《か》つ|喜《よろこ》べり。|一行《いつかう》の|胸《むね》の|裡《うち》は|譬《たと》へがたなき|崇高《すうかう》にして|且《かつ》|壮快《さうくわい》の|思《おも》ひが|漂《ただよ》うたからである。
|友彦《ともひこ》『|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》、|梅子姫《うめこひめ》|様《さま》、|地恩城《ちおんじやう》に|於《おい》て|園遊会《ゑんいうくわい》の|時《とき》、|天空《てんくう》|高《たか》く|現《あら》はれた|蜃気楼《しんきろう》の|光景《くわうけい》、|紺碧《こんぺき》の|湖水《こすゐ》|現《あら》はれ、|四方《しはう》を|包《つつ》む|青山《あをやま》の|崇高《すうかう》なる|姿《すがた》は、|今《いま》|此《この》|湖面《こめん》を|見《み》ると|寸分《すんぶん》の|差《さ》も|無《な》い|様《やう》ですな、|大方《おほかた》|清公《きよこう》、チヤンキー、モンキー|等《ら》の、|女神《めがみ》に|導《みちび》かれ|結構《けつこう》な|御用《ごよう》を|仰《あふ》せつけられて|居《ゐ》た|所《ところ》も、|此《この》|聖地《せいち》で|御座《ござ》いませうかなア』
|黄竜姫《わうりようひめ》『|妾《わたし》もそれに|間違《まちが》ひないやうな|感《かん》じが|致《いた》します。|昔《むかし》から|人跡《じんせき》|絶《た》えしオセアニアの|秘密郷《ひみつきやう》、|斯様《かやう》な|立派《りつぱ》な|湖《みづうみ》があらうとは、|夢《ゆめ》にも|知《し》りませなんだ。|何《なん》とかして|神様《かみさま》の|御力《おちから》を|借《か》り、|此《この》|湖水《こすゐ》を|渡《わた》つて|見《み》たいものですなア』
|梅子姫《うめこひめ》『|蜃気楼《しんきろう》で|拝見《はいけん》した|時《とき》には|純白《じゆんぱく》な|白帆《しらほ》が|沢山《たくさん》に|航行《かうかう》して|居《ゐ》ましたが、|船《ふね》は|一隻《いつせき》も|見《み》えないぢやありませぬか。|大方《おほかた》アンボリーの|飛交《とびか》ふ|影《かげ》が|船《ふね》のやうに|見《み》えたのでせうかな』
|友彦《ともひこ》『サアさうかも|知《し》れませぬ。……|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》、|船《ふね》が|無《な》ければ|渡《わた》る|訳《わけ》には|行《ゆ》きませぬ。|玉治別《たまはるわけ》や|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》の|様《やう》に、|黄金《わうごん》の|鳥《とり》が|迎《むか》ひに|来《き》て|下《くだ》さらば|実《じつ》に|結構《けつこう》だが、|船《ふね》も|無《な》ければ|鳥船《とりぶね》もなく|未《ま》だ|吾々《われわれ》は|御神慮《ごしんりよ》に|叶《かな》ふ|所《ところ》|迄《まで》|身魂《みたま》が|磨《みが》けて|居《ゐ》ないのでせう』
|黄竜姫《わうりようひめ》『|神様《かみさま》は|一点《いつてん》の|曇《くも》りなき|水晶魂《すゐしやうだま》でなければ、|肝腎《かんじん》の|神業《しんげふ》にはお|使《つか》ひ|下《くだ》さいませぬ。|折角《せつかく》|此《この》|浜辺《はまべ》まで|参《まゐ》つたものの、|斯《かく》の|如《ごと》く|三方《さんぱう》は|壁《かべ》を|立《た》てた|様《やう》な|岩山《いはやま》、|何程《なにほど》|足《あし》の|達者《たつしや》な|者《もの》でも|鳥類《てうるゐ》でない|以上《いじやう》は|越《こ》す|事《こと》は|出来《でき》ますまい。|然《しか》しながら|此処《ここ》まで|無事《ぶじ》に|着《つ》いたのも|全《まつた》く|神様《かみさま》のお|恵《めぐ》み、|此処《ここ》でもう|一層《いつそう》|徹底的《てつていてき》の|心《こころ》の|修業《しうげふ》を|励《はげ》みませう。|地恩城《ちおんじやう》の|女王《ぢよわう》だとか、ジヤンナの|郷《さと》の|救世主《きうせいしゆ》などと|言《い》はれて|得意《とくい》になつて|居《ゐ》るのが、これが|第一《だいいち》|神様《かみさま》の|御心《みこころ》に|叶《かな》はないのでせう。|同《おな》じ|天地《てんち》の|恵《めぐみ》に|生《うま》れた|人《ひと》の|子《こ》、|善悪美醜《ぜんあくびしう》の|区別《くべつ》はあつても|神様《かみさま》の|愛《あい》には|些《ち》つとも|依怙贔屓《えこひいき》はありますまい。こりやもう|一《ひと》つ|身魂《みたま》を|立《た》て|直《なほ》さなくては|駄目《だめ》でせうよ。|勿体《もつたい》なくも|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》|様《さま》の|御娘御《おんむすめご》、|梅子姫《うめこひめ》|様《さま》を|蔭《かげ》の|御守護《ごしゆご》とし、|賤《いや》しき|妾《わらは》の|身《み》を|以《もつ》て|地恩城《ちおんじやう》の|女王《ぢよわう》と|呼《よ》ばれ、|神司《かむつかさ》と|言《い》はれて、|勿体《もつたい》なくも|直々《ぢきぢき》の|御血筋《おちすぢ》の|上位《じやうゐ》に|立《た》つて|居《ゐ》たのは、|恰度《ちやうど》|頭《あたま》が|下《した》になり、|足《あし》が|上《うへ》になつて|居《ゐ》るやうな、|矛盾《むじゆん》|撞着《どうちやく》の|遣《や》り|方《かた》であつた。……アヽ|梅子姫《うめこひめ》|様《さま》|今《いま》までの|御無礼《ごぶれい》を|何卒《なにとぞ》お|赦《ゆる》し|下《くだ》さいませ。|決《けつ》して|貴女《あなた》を|押込《おしこ》め|私《わたくし》が|上《うへ》に|立《た》つて|覇張《はば》らうなどと|云《い》ふやうな、|賤《さも》しい|心《こころ》はチツトも|持《も》つて|居《ゐ》ませなんだ。|然《しか》し|乍《なが》ら|名誉心《めいよしん》に|駆《か》られ、|本末《ほんまつ》|自他《じた》|公私《こうし》の|別《べつ》を、|不知不識《しらずしらず》の|間《あひだ》に|犯《をか》して|居《を》りました。|貴女《あなた》と|吾々《われわれ》は|天地霄壌《てんちせうじやう》の|懸隔《けんかく》がございます。|尊卑《そんぴ》の|別《べつ》も|弁《わきま》へず|甚《はなは》だもつて|不都合《ふつがふ》の|至《いた》り、|今《いま》|改《あらた》めてお|詫《わび》を|仕《つかまつ》ります。さうして|地恩城《ちおんじやう》の|女王《ぢよわう》たる|地位《ちゐ》を|神様《かみさま》にお|返《かへ》し|申《まを》し、|生《うま》れ|赤子《あかご》の|平《ひら》の|信者《しんじや》となつて|御神業《ごしんげふ》に|奉仕《ほうし》し、|貴女様《あなたさま》を|女王《ぢよわう》とも|教主《けうしゆ》とも|仰《あふ》いで、|忠実《ちうじつ》にお|仕《つか》へ|致《いた》しますから、|不知不識《しらずしらず》の|御無礼《ごぶれい》|御気障《おきざわり》、|何卒《なにとぞ》|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し|下《くだ》さいますように、|黄竜姫《わうりようひめ》が|真心《まごころ》よりお|詫《わび》|仕《つかまつ》ります』
と|涙《なみだ》を|滝《たき》の|如《ごと》く|両眼《りやうがん》より|滴《したた》らし、|悔悟《くわいご》の|念《ねん》に|堪《た》へざるものの|如《ごと》く|涕泣嗚咽《ていきふをえつ》|終《つひ》に|其《その》|場《ば》に|泣《な》き|伏《ふ》した。|梅子姫《うめこひめ》は|儼然《げんぜん》として、
『|黄竜姫《わうりようひめ》どの、|貴方《あなた》は|結構《けつこう》な|御神徳《ごしんとく》を|頂《いただ》きました。|妾《わたし》は|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の|生《う》みの|子《こ》と|生《うま》れ、|木《こ》の|花姫《はなひめ》の|生宮《いきみや》として|今日迄《こんにちまで》、|貴方《あなた》のお|傍《そば》に|身《み》を|下《くだ》し、|神業《しんげふ》を|輔佐《ほさ》して|参《まゐ》りました。|貴方《あなた》の|御言葉《おことば》を|今日《けふ》|只今《ただいま》|迄《まで》、|実《じつ》の|所《ところ》は|待《ま》つて|居《ゐ》たのでございます』
と|微笑《びせう》を|浮《う》かべて|曰《の》りつれば、|友彦《ともひこ》は|又《また》もや|両眼《りやうがん》に|涙《なみだ》を|浮《う》かべ|乍《なが》ら、
『|私《わたくし》は|生《うま》れついての|狡猾者《かうくわつもの》、|到《いた》る|所《ところ》に|悪事《あくじ》を|働《はたら》き、【まぐ】れ|当《あた》りに|鼻《はな》の|赤《あか》きを|取得《とりえ》にてジヤンナの|郷《さと》に|持《も》て|囃《はや》され、|救世主《きうせいしゆ》と|呼《よ》ばれ|乍《なが》ら|好《よ》い|気《き》になり、|心《こころ》にも|無《な》き|尊敬《そんけい》を|受《う》け、|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》と|化《ば》け|済《す》まして|居《ゐ》た|心《こころ》の|汚《きたな》さ、イヤもう|塵埃《ぢんあい》に|等《ひと》しき|吾等《われら》の|身魂《みたま》、どうして|肝腎要《かんじんかなめ》の|御用《ごよう》にお|使《つか》ひ|下《くだ》さいませう。……|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|梅子姫《うめこひめ》|様《さま》、|貴女様《あなたさま》より|大神様《おほかみさま》に|重々《ぢゆうぢゆう》の|罪《つみ》お|赦《ゆる》し|下《くだ》さいます|様《やう》お|取成《とりな》し|願《ねが》ひ|上《あ》げ|奉《たてまつ》ります。|又《また》|私《わたくし》は|決《けつ》して|今後《こんご》は、|人様《ひとさま》|以上《いじやう》に|結構《けつこう》な|御用《ごよう》をさして|頂《いただ》かうとは|夢《ゆめ》にも|思《おも》ひは|致《いた》しませぬ。|如何《いか》なる|事《こと》にても|構《かま》ひませぬから、どうぞ|神様《かみさま》のお|綱《つな》の|切《き》れぬ|様《やう》に、|大神様《おほかみさま》にお|詫《わび》のお|取次《とりつぎ》|偏《ひとへ》に|希《こひねが》ひ|上《あ》げ|奉《たてまつ》ります』
|梅子姫《うめこひめ》『|貴方《あなた》の|心《こころ》の|園《その》の|蓮花《はちすばな》、|転迷開悟《てんめいかいご》の|音《おと》を|立《た》て|開《ひら》き|初《そ》めました。アヽいい|所《ところ》で|改心《かいしん》して|下《くだ》さいました。これで|梅子姫《うめこひめ》も|父大神《ちちおほかみ》より|命《めい》ぜられたる|御用《ごよう》の|一端《いつたん》が|出来《でき》たと|申《まを》すもの、|私《わたくし》の|方《はう》より|貴方《あなた》に|対《たい》して|感謝《かんしや》|致《いた》します』
と|嬉《うれ》し|涙《なみだ》を|両眼《りやうがん》に|浮《う》かべ、|述《の》べたつれば|友彦《ともひこ》は|嬉《うれ》しさ|身《み》に|余《あま》り、|大地《だいち》にひれ|伏《ふ》し|顔《かほ》も|得上《えあ》げず、|歓喜《くわんき》と|悔悟《くわいご》の|涙《なみだ》に|咽《むせ》び|返《かへ》つて|居《ゐ》る。
|蜈蚣姫《むかでひめ》は|梅子姫《うめこひめ》の|前《まへ》に|手《て》をつかへて、
『|梅子姫《うめこひめ》|様《さま》、|今迄《いままで》の|御無礼《ごぶれい》|何卒々々《なにとぞなにとぞ》お|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ。|私《わたくし》は|貴女様《あなたさま》の|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|限《かぎ》りを|尽《つく》した、|鬼婆《おにばば》の|様《やう》な|悪人《あくにん》で|御座《ござ》いました。|地恩城《ちおんじやう》に|参《まゐ》りまして|娘《むすめ》の|出世《しゆつせ》を|見《み》るにつけ、|不知不識《しらずしらず》に|高慢心《かうまんしん》が|起《おこ》り、|且《か》つ|愛着《あいちやく》の|念《ねん》に|駆《か》られ、|肝腎《かんじん》の|大神《おほかみ》を|第二《だいに》に|致《いた》し、|且《か》つ|貴女様《あなたさま》に|対《たい》し、|平素《へいそ》|軽侮《けいぶ》の|目《め》を|以《もつ》て|向《むか》つて|居《を》りました|心盲《しんまう》で|御座《ござ》います。|地恩城《ちおんじやう》に|於《おい》て|友彦《ともひこ》が|為《た》め|園遊会《ゑんいうくわい》を|開《ひら》いた|折《をり》、|貴女様《あなたさま》は|紫《むらさき》の|蓮華岩《れんげいは》の|上《うへ》に|立《た》たせ|給《たま》ひ、|私《わたくし》の|素性《すじやう》を|歌《うた》つて|下《くだ》さつた|時《とき》の|私《わたくし》は、|心《こころ》の|中《うち》にて|非常《ひじやう》な|不満《ふまん》を|抱《いだ》きました。|今《いま》|思《おも》へばあの|時《とき》のお|言葉《ことば》の|中《うち》には、|大神様《おほかみさま》の|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|救《すく》ひの|御心《みこころ》……なぜ|其《その》|時《とき》に|私《わたくし》は|気《き》が|附《つ》かなかつたでございませう。|森羅万象《しんらばんしやう》に|対《たい》し|一切《いつさい》|色盲《しきまう》の|私《わたくし》、|不調法《ぶてうはふ》ばかり|致《いた》しまして|神様《かみさま》に|対《たい》し、|又《また》|貴《たふと》き|貴女様《あなたさま》に|対《たい》してお|詫《わび》|申上《まをしあ》げる|言葉《ことば》もございませぬ。どうぞ|母子《おやこ》の|者《もの》も|憫《あはれ》み|下《くだ》さいまして、|今迄《いままで》|大神様《おほかみさま》に|敵対《てきたい》|申《まを》した|深《ふか》い|罪《つみ》を、お|詫《わび》|下《くだ》さいますようにお|願《ねが》ひ|申《まを》します』
とワツとばかりに|声《こゑ》をあげ|泣《な》き|伏《ふ》するにぞ、|梅子姫《うめこひめ》は|莞爾《くわんじ》として、
『アヽ|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》、|貴女《あなた》は|今日《こんにち》|只今《ただいま》|初《はじ》めて|誠《まこと》の|神柱《かむばしら》になられました、|結構《けつこう》でございます。どうぞ|此《この》|後《ご》とても|妾《わたし》と|共《とも》に|三五《あななひ》の|大神様《おほかみさま》の|御用《ごよう》に|誠心誠意《せいしんせいい》|御尽力《ごじんりよく》あらむことを|希望《きばう》|致《いた》します。|如何《いか》なる|罪穢《つみけが》れ|過《あやまち》も|梅子姫《うめこひめ》が|代《かは》りて|千座《ちくら》の|置《お》き|戸《ど》を|負《お》ひますれば|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
|蜈蚣姫《むかでひめ》は『|有難《ありがた》うございます』と|言《い》うたきり、|大地《だいち》にかぶりつき|有難涙《ありがたなみだ》に|咽《むせ》び|入《い》る。テールス|姫《ひめ》は|又《また》もや|梅子姫《うめこひめ》の|前《まへ》に|両手《りやうて》をつき、
『|何分《なにぶん》|罪《つみ》|多《おほ》き|私《わたくし》、|不知不識《しらずしらず》の|御無礼《ごぶれい》お|気障《きざわり》が|何程《いくら》ございませうとも、|何卒《どうぞ》お|赦《ゆる》し|下《くだ》さる|様《やう》、|神界《しんかい》へお|願《ねが》ひ|下《くだ》さいませ』
と|合掌《がつしやう》して|頼《たの》み|入《い》る。
『|貴女《あなた》は|此《この》|中《なか》でも|最《もつと》も|罪《つみ》|軽《かる》き、|身魂《みたま》の|清《きよ》らかな|神《かみ》の|子《こ》です。|今日《こんにち》|神界《しんかい》に|対《たい》し|差《さ》したる|不調法《ぶてうはふ》もございませぬ。|今後《こんご》も|今迄《いままで》|通《どほ》り|過《あやま》ち|無《な》き|様《やう》、|神《かみ》の|御用《ごよう》に|御奉仕《ごほうし》あらむことを|希望《きばう》|致《いた》します』
と|答《こた》ふれば、テールス|姫《ひめ》も|梅子姫《うめこひめ》が|慈愛《じあい》の|言葉《ことば》に、|有難涙《ありがたなみだ》をしぼるのみであつた。
|梅子姫《うめこひめ》は|湖面《こめん》に|向《むか》ひ|合掌《がつしやう》しながら|何事《なにごと》か|暗祈黙祷《あんきもくたう》する|事《こと》|暫《しば》し、|忽《たちま》ち|何処《いづこ》ともなく|微妙《びめう》の|音楽《おんがく》|聞《きこ》え、|西北《せいほく》の|空《そら》を|封《ふう》じて、|此方《こなた》に|向《むか》つて|一瀉千里《いつしやせんり》の|勢《いきほひ》にて|飛《と》び|来《きた》る|以前《いぜん》のアンボリー、|幾百《いくひやく》ともなく、|翼《つばさ》を|並《なら》べ、|湖上《こじやう》|目蒐《めが》けて|飛《と》び|帰《かへ》る|其《その》|麗《うるは》しさ、|絵《ゑ》にも|写《うつ》せぬ|眺《なが》めなり。
(大正一一・七・一一 旧閏五・一七 谷村真友録)
第一六章 |真如《しんによ》の|玉《たま》〔七六二〕
|梅子姫《うめこひめ》は|湖面《こめん》に|向《むか》ひ|手《て》をさし|伸《の》べて|二三回《にさんくわい》|手招《てまね》きするや、|島影《しまかげ》より|純白《じゆんぱく》の|帆《ほ》を|風《かぜ》に|孕《はら》ませ、|金銀珠玉《きんぎんしゆぎよく》を|鏤《ちりば》めたる|目無堅間《めなしかたま》の|神船《しんせん》は、|金波《きんぱ》|銀波《ぎんぱ》を|左右《さいう》に|分《わ》け|乍《なが》ら|此方《こなた》に|向《むか》つて|進《すす》み|来《きた》る。|船中《せんちう》には|清公《きよこう》、チヤンキー、モンキー、アイル、テーナの|五人《ごにん》が|操縦《さうじう》し、|艪櫂《ろかい》の|役《やく》を|勤《つと》めて|居《ゐ》る。|梅子姫《うめこひめ》は|清公《きよこう》に|会釈《ゑしやく》し|乍《なが》らものをも|言《い》はずヒラリと|船《ふね》に|飛《と》び|乗《の》れば|四人《よにん》は|恐《おそ》る|恐《おそ》る|続《つづ》いて|船中《せんちう》の|人《ひと》となつた。|清公《きよこう》の|一隊《いつたい》|五人《ごにん》も、|梅子姫《うめこひめ》の|一隊《いつたい》|五人《ごにん》も|目《め》と|目《め》を|見合《みあは》し|軽《かる》く|目礼《もくれい》したまま|一言《ひとこと》も|発《はつ》せず、|十曜《とえう》の|紋《もん》の|十人連《じふにんづ》れ、|静《しづか》に|波《なみ》を|蹴立《けた》てて|又《また》もや|吹《ふ》き|来《く》る|返《かへ》し|風《かぜ》に|帆《ほ》を|孕《はら》ませ、|紫色《むらさきいろ》の|樹木《じゆもく》|繁茂《はんも》せる|浮島《うきじま》を|数多《あまた》|越《こ》え|乍《なが》ら、|海底《かいてい》|金剛石《こんがうせき》の|如《ごと》く|処々《ところどころ》に|光《ひか》る|麗《うるは》しき|光景《くわうけい》に|見惚《みと》れつつ、|雲《くも》を|圧《あつ》して|建《た》てる|朱欄碧瓦《しゆらんへきぐわ》の|楼門《ろうもん》の|仄近《ほのちか》く|見《み》ゆる|磯端《いそばた》に|船《ふね》は|着《つ》けられた。
|清公《きよこう》は|一同《いちどう》に|手招《てまね》きし|乍《なが》ら|楼門《ろうもん》の|方《はう》に|向《むか》つて|案内《あんない》する。|梅子姫《うめこひめ》を|先頭《せんとう》に|蜈蚣姫《むかでひめ》、|黄竜姫《わうりようひめ》|其《その》|他《た》|一同《いちどう》|一列《いちれつ》となつて、|金光《きんくわう》|輝《かがや》く|平坦《へいたん》なる|砂道《すなみち》を|徐々《しづしづ》と|息《いき》を|凝《こ》らして|進《すす》み|行《ゆ》く|其《その》|静《しづ》けさ。|楼門《ろうもん》に|進《すす》むや|否《いな》や|白衣《びやくえ》の|神人《しんじん》、|門《もん》の|左右《さいう》に|威儀《ゐぎ》を|正《ただ》して|立《た》ち、|一人《ひとり》は|大幣《おほぬさ》、|一人《ひとり》は|塩水《えんすゐ》を|持《も》ち、|一行《いつかう》を|一人々々《ひとりひとり》|大幣《おほぬさ》、|塩水《えんすゐ》にて|清《きよ》め|乍《なが》ら|通過《つうくわ》せしむ。
|行《ゆ》く|事《こと》|数丁《すうちやう》、|青紫《あをむらさき》の|樹木《じゆもく》、|庭園《ていえん》に|疎《まばら》に|樹《た》ち、|黄《き》、|紅《くれなゐ》、|白《しろ》、|紫《むらさき》、|紺《こん》、|赤《あか》、|緋色《ひいろ》の|花《はな》は|芳香《はうかう》を|薫《くん》じ|艶《つや》を|競《きそ》うて|居《ゐ》る。|漸《やうや》く|黄金《こがね》を|以《もつ》て|造《つく》られたる|中門《なかもん》の|前《まへ》に|進《すす》めば、|威儀《ゐぎ》|儼然《げんぜん》たる|白髪《はくはつ》の|神人《しんじん》、|黄金《こがね》の|盥《たらひ》を|一同《いちどう》の|前《まへ》に|差《さ》し|出《だ》し|手洗《てうず》を|使《つか》はしめ、|手洗《てうづ》の|儀《ぎ》も|相済《あひす》み|之《これ》よりは|瑪瑙《めなう》、【しやこ】|等《とう》の|階段《かいだん》を|幾百《いくひやく》ともなく|登《のぼ》り|詰《つ》め、|山腹《さんぷく》の|眺望《てうばう》|佳《よ》き|聖域《せいゐき》に|着《つ》く。|後《あと》|振《ふ》りかへり|眺《なが》むれば|諏訪《すは》の|湖水《こすゐ》は|金銀《きんぎん》の|波《なみ》|漂《ただよ》ひ|日光《につくわう》は|湖面《こめん》に|映《えい》じて|揺《ゆる》ぎ、|白帆《しらほ》は|右往左往《うわうさわう》に|蝶《てふ》の|如《ごと》く|行《ゆ》き|交《かは》ひ、|大小《だいせう》の|島々《しまじま》には|色々《いろいろ》の|花《はな》|咲《さ》き|満《み》ち、|恰《あだか》も|天国《てんごく》|浄土《じやうど》も|斯《か》くやあらむと、|一同《いちどう》は|眼《まなこ》を|据《す》ゑて|時《とき》の|移《うつ》るも|知《し》らずに|見惚《みと》れ|居《ゐ》る。
|暫時《しばらく》あつて|漆《うるし》の|如《ごと》き|黒髪《くろかみ》を|背後《はいご》に|垂《た》れたる|妙齢《めうれい》の|美人《びじん》、|皮膚《ひふ》|濃《こまや》かにして|目許《めもと》|涼《すず》しく|口許《くちもと》|締《し》まり、|薄絹《うすぎぬ》の|綾《あや》を|身《み》に|着《つ》け、|長柄《ながえ》の|唐団扇《たううちわ》を|杖《つゑ》に|突《つ》き、|此方《こなた》に|向《むか》つて|悠々《いういう》と|進《すす》み|来《きた》る|十二人《じふににん》の|神使《しんし》は、|梅子姫《うめこひめ》|一行《いつかう》の|前《まへ》に|立《た》ち|現《あら》はれ、|叮嚀《ていねい》に|会釈《ゑしやく》し、|無言《むごん》の|儘《まま》|梅子姫《うめこひめ》には、|一人《ひとり》は|前《まへ》に|一人《ひとり》は|後《うしろ》に、|左右《さいう》に|二人《ふたり》|侍《はべ》りつつ、|奥庭《おくには》|目掛《めが》けて|徐々《しづしづ》と|歩《ほ》を|運《はこ》ぶ。|八人《はちにん》の|女神《めがみ》は|黄竜姫《わうりようひめ》|以下《いか》に|附《つ》き|添《そ》ひ、|無言《むごん》の|儘《まま》|奥庭《おくには》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》る。
|行《ゆ》く|事《こと》|四五丁《しごちやう》、|此処《ここ》には|白木造《しらきづく》りの|門《もん》が|建《た》てられて|居《ゐ》る、|中《なか》よりパツと|戸《と》を|左右《さいう》に|開《ひら》き|現《あら》はれ|出《い》でしは|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》、|玉治別《たまはるわけ》、|久助《きうすけ》、お|民《たみ》の|五人《ごにん》。|之《これ》|亦《また》|無言《むごん》のまま|先《さき》に|立《た》つて、|遂《つい》に|一《ひと》つの|飾《かざり》も|無《な》き|瀟洒《せうしや》たる|木《き》の|香《か》|薫《かを》れる|殿内《でんない》に|導《みちび》き|入《い》る。さうして|中央《ちうあう》の|宝座《ほうざ》に|梅子姫《うめこひめ》を|招《せう》ずる。|梅子姫《うめこひめ》を|中心《ちうしん》に|一行《いつかう》は|半月形《はんげつけい》となつて|座《ざ》に|着《つ》く。
|高座《かうざ》の|白木《しらき》の|扉《とびら》を|左右《さいう》に|引《ひ》き|開《あ》け|現《あら》はれ|出《い》でし|崇高《すうかう》|無比《むひ》の|女神《めがみ》は、|五人《ごにん》の|侍女《じぢよ》に|天《てん》|火《くわ》|水《すゐ》|地《ち》|結《けつ》の|五色《ごしき》の|玉《たま》を|持《も》たせて|梅子姫《うめこひめ》の|前《まへ》に|現《あら》はれ|給《たま》ひ、|前《まへ》に|立《た》てる|侍女《じぢよ》の|手《て》より、|自《みづか》ら|紫《むらさき》の|玉《たま》を|手《て》に|取《と》り|上《あ》げ、|初稚姫《はつわかひめ》に|渡《わた》し|給《たま》ふ。|初稚姫《はつわかひめ》は|恭《うやうや》しく|拝受《はいじゆ》し、|之《これ》を|宝座《ほうざ》に|控《ひか》へたる|梅子姫《うめこひめ》の|手《て》に|献《たてまつ》る。|梅子姫《うめこひめ》は|莞爾《くわんじ》として|押《お》し|戴《いただ》き|給《たま》ふ|時《とき》、|金襴《きんらん》の|守袋《まもりぶくろ》を|一人《ひとり》の|侍女《じぢよ》|来《きた》りて|献《たてまつ》る。|梅子姫《うめこひめ》は|之《これ》を|受取《うけと》り|直《ただち》に|玉《たま》を|納《をさ》め、|其《その》|儘《まま》|首《くび》に|掛《か》け|胸《むね》の|辺《あた》りに|垂《た》れさせられ、|合掌《がつしやう》して|暗祈黙祷《あんきもくたう》し|給《たま》うた。|梅子姫《うめこひめ》の|姿《すがた》は|刻々《こくこく》に|聖《きよ》さと|麗《うるは》しさを|増《ま》し、|全身《ぜんしん》|玉《たま》の|如《ごと》くにかがやく。|次《つぎ》に|玉依姫《たまよりひめ》は|侍女《じぢよ》の|持《も》てる|赤色《せきしよく》の|玉《たま》を|取《と》り、|玉能姫《たまのひめ》に|相渡《あいわた》すを|玉能姫《たまのひめ》は|押《お》し|戴《いただ》き、|蜈蚣姫《むかでひめ》の|手《て》に|恭《うやうや》しく|渡《わた》す。|次《つぎ》に|玉依姫《たまよりひめ》は|侍女《じぢよ》の|持《も》てる|青色《せいしよく》の|宝玉《ほうぎよく》を|取《と》り、|之《これ》を|玉治別《たまはるわけ》に|授《さづ》け|給《たま》ふ。|玉治別《たまはるわけ》は|押《お》し|戴《いただ》き|直《ただ》ちに|黄竜姫《わうりようひめ》に|渡《わた》し|次《つぎ》に|侍女《じぢよ》の|持《も》てる|白色《はくしよく》の|玉《たま》を|取《と》り|久助《きうすけ》に|渡《わた》し|給《たま》へば、|久助《きうすけ》は|恭《うやうや》しく|拝戴《はいたい》し|友彦《ともひこ》の|手《て》に|渡《わた》す、|又《また》|侍女《じぢよ》の|持《も》てる|黄色《わうしよく》の|玉《たま》を|玉依姫《たまよりひめ》|自《みづか》らお|民《たみ》に|渡《わた》し|給《たま》へば、お|民《たみ》は|押《お》し|戴《いただ》きテールス|姫《ひめ》に|渡《わた》す、|各《おのおの》|一個《いつこ》の|玉《たま》に|対《たい》し|金襴《きんらん》の|袋《ふくろ》は|添《そ》へられた。さうして|此《この》|玉《たま》の|授受《じゆじゆ》には|玉依姫神《たまよりひめのかみ》を|始《はじ》め、|一同《いちどう》|無言《むごん》の|間《あひだ》に|厳粛《げんしゆく》に|行《おこな》はれける。
|玉依姫《たまよりひめ》は|一同《いちどう》に|目礼《もくれい》し|奥殿《おくでん》に|侍女《じぢよ》を|伴《ともな》ひ、|一言《いちごん》も|発《はつ》せず|悠々《いういう》として|神姿《すがた》を|隠《かく》し|給《たま》ふ。|梅子姫《うめこひめ》|外《ほか》|一同《いちどう》も|無言《むごん》の|儘《まま》|竜宮《りうぐう》の|侍神《じしん》に|送《おく》られ、|第一《だいいち》、|第二《だいに》、|第三《だいさん》の|門《もん》を|潜《くぐ》り|諏訪《すは》の|湖辺《こへん》に|着《つ》く。
|此《この》|時《とき》|金《きん》の|翼《つばさ》を|拡《ひろ》げたる|八咫烏《やあたがらす》|十数羽《じふすうは》|飛《と》び|来《きた》り、|梅子姫《うめこひめ》、|黄竜姫《わうりようひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》、|友彦《ともひこ》、テールス|姫《ひめ》、|玉治別《たまはるわけ》、|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》、|久助《きうすけ》、お|民《たみ》の|十柱《とはしら》を|乗《の》せ、|天空《てんくう》|高《たか》く|輝《かがや》き|乍《なが》ら|万里《ばんり》の|波濤《はたう》を|越《こ》えて、|遂《つひ》に|由良《ゆら》の|聖地《せいち》に|無事《ぶじ》|帰還《きくわん》せり。
|又《また》|銀色《ぎんいろ》のアンボリーは|湖辺《こへん》に|現《あら》はれ、|清公《きよこう》、チヤンキー、モンキー、アイル、テーナの|五人《ごにん》を|各《おのおの》|一人《ひとり》づつ|背《せ》に|乗《の》せ、|天空《てんくう》を|駆《かけ》り|地恩城《ちおんじやう》に|送《おく》り|届《とど》けたり。|金色《こんじき》の|八咫烏《やあたからす》は、|其《その》|儘《まま》|肉体《にくたい》を|分派《ぶんぱ》し、|数百千《すうひやくせん》の|斑鳩《はんきう》となり、|神《かみ》の|御使《みつかひ》として|永遠《ゑいゑん》に|仕《つか》ふる|事《こと》となりぬ。|又《また》|地恩城《ちおんじやう》に|清公《きよこう》|以下《いか》|五人《ごにん》を|届《とど》けたるアンボリーは、|地恩城《ちおんじやう》の|門前《もんぜん》に|降《くだ》り|来《きた》り、|五人《ごにん》を|三四間《さんしけん》の|中空《ちうくう》より|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|投《な》げ|下《おろ》したり。
|折《をり》から|月《つき》の|光《ひかり》を|仰《あふ》ぎ|眺《なが》め|居《ゐ》たるマール、ミユーズの|二人《ふたり》は、アンボリーの|姿《すがた》を|見《み》て|魔神《まがみ》の|司《つかさ》と|見誤《みあやま》り、|長《なが》き|竿《さを》を|以《もつ》て|力限《ちからかぎ》りに|打《う》ち|払《はら》へば、|五羽《ごは》のアンボリーは|羽翼《はがい》を|傷《きず》つけ、クウクウと|声《こゑ》を|立《た》てて|啼《な》き|乍《なが》ら、|四辺《あたり》の|森林《しんりん》の|木下《こした》|闇《やみ》に|紛《まぎ》れ|姿《すがた》を|隠《かく》しぬ。
|之《これ》よりアンボリーを|信天翁《あはうどり》と|言《い》ふ。|阿呆払《あはうばら》ひになつたと|言《い》ふ|俚諺《りげん》は|此《この》|因縁《いんねん》に|基《もとづ》くと|伝《つた》へらる。
|梅子姫《うめこひめ》、|黄竜姫《わうりようひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》の|自転倒島《おのころじま》に|立《た》ち|去《さ》られし|後《あと》の|地恩城《ちおんじやう》は、|暫時《しばらく》|清公司《きよこうつかさ》をして|当主《たうしゆ》と|仰《あふ》ぎ、|鶴公《つるこう》を|左守《さもり》となし、チヤンキーを|右守《うもり》となし、|又《また》ジヤンナの|郷《さと》はスマートボール、|宇豆姫《うづひめ》の|夫婦《ふうふ》|之《これ》を|管掌《くわんしやう》する|事《こと》となれり。|且《か》つ|清公《きよこう》の|発起《ほつき》により、|地恩城内《ちおんじやうない》の|最《もつと》も|風景《ふうけい》|佳《よ》き|高地《かうち》を|選《えら》んで|高殿《たかどの》を|造《つく》り、|一《ひと》つ|嶋《じま》の|国魂神《くにたまがみ》|真澄姫神《ますみひめのかみ》を|鎮祭《ちんさい》し、|飯依別神《いひよりわけのかみ》をして|宮司《ぐうじ》となし、|久木別《くきわけ》、|久々別《くくわけ》を|添《そ》へて|永遠《ゑいゑん》に|奉仕《ほうし》せしめける。|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》は|清公《きよこう》|之《これ》を|主管《しゆくわん》し、|且《か》つ|全島《ぜんたう》を|統一《とういつ》して|国民《こくみん》を|永久《とこしへ》に|安泰《あんたい》ならしめたり。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・七・一一 旧閏五・一七 北村隆光録)
第五篇 |千里彷徨《せんりはうくわう》
第一七章 |森《もり》の|囁《ささやき》〔七六三〕
|黄金《こがね》の|玉《たま》を|紛失《ふんしつ》し、|高姫《たかひめ》に|追放《つゐはう》されて、オセアニヤの|一《ひと》つ|島《じま》に|玉《たま》の|所在《ありか》を|探《さぐ》らむと|艱難辛苦《かんなんしんく》を|冒《をか》して|立向《たちむか》うた|黒姫《くろひめ》は、|夫《をつと》|高山彦《たかやまひこ》と|共《とも》に、|一《ひと》つ|島《じま》の|酋長格《しうちやうかく》となり、|数多《あまた》の|土人《どじん》を|手《て》なづけ、|一時《いちじ》は|武力《ぶりよく》を|以《もつ》て|東半分《ひがしはんぶん》の|地《ち》に|勢力《せいりよく》を|扶植《ふしよく》しつつあつた。
|其処《そこ》へ|小糸姫《こいとひめ》、|五十子姫《いそこひめ》、|梅子姫《うめこひめ》、|今子姫《いまこひめ》、|宇豆姫《うづひめ》の|容色《ようしよく》|端麗《たんれい》なる|美人《びじん》|現《あら》はれ|来《きた》り、|土人《どじん》の|崇敬《すうけい》|殊《こと》に|甚《はなはだ》しく、|高山彦《たかやまひこ》、|黒姫《くろひめ》も|之《これ》を|排斥《はいせき》するの|余地《よち》なきを|悟《さと》り、|抜目《ぬけめ》なき|両人《りやうにん》は|直《ただち》に|猫《ねこ》を|被《かぶ》つて|小糸姫《こいとひめ》が|部下《ぶか》となり、|遂《つい》には|心《こころ》より|小糸姫《こいとひめ》に|悦服《えつぷく》し、|地恩城《ちおんじやう》にブランジー、クロンバーの|職《しよく》を|務《つと》め、|二年《ふたとせ》|三年《みとせ》|一意専心《いちいせんしん》に|玉《たま》の|所在《ありか》を、|土人《どじん》を|以《もつ》て|捜索《そうさく》せしめつつあつた。されども|玉《たま》らしき|物《もの》は|何一《なにひと》つ|手《て》に|入《い》らず、|殆《ほとん》ど|絶望《ぜつばう》の|思《おも》ひに|沈《しづ》む|時《とき》、|高姫《たかひめ》|其《その》|他《た》の|一行《いつかう》が|此島《ここ》に|来《きた》るに|会《くわい》し、|最早《もはや》|本島《ほんたう》に|用《よう》は|無《な》し、|仮令《たとへ》オセアニヤ|全島《ぜんたう》を|我《わが》|手《て》に|握《にぎ》る|共《とも》、|三千世界《さんぜんせかい》の|宝《たから》たる|三《みつ》つの|神宝《しんぽう》には|及《およ》ぶ|可《べか》らず。|躊躇逡巡《ちうちよしゆんじゆん》せば、|又《また》|何人《なんぴと》にか|宝玉《ほうぎよく》の|所在《ありか》を|探《さぐ》られむと、|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》、|高山彦《たかやまひこ》は、|日頃《ひごろ》|手撫《てな》づけ|置《お》きたるアール(愛三)、エース(栄三)の|二人《ふたり》を|引連《ひきつ》れ、|稍《やや》|広《ひろ》く|大《だい》なる|樟製《くすせい》の|船《ふね》に|身《み》を|任《まか》せ、タカの|港《みなと》を|秘《ひそか》に|立出《たちい》で、|後白浪《あとしらなみ》と|漕《こ》ぎ|出《いだ》す。
やうやうにして|太平洋《たいへいやう》の|波濤《なみ》を|横断《よこぎ》り、|数多《あまた》の|島嶼《たうしよ》を|縫《ぬ》うて|馬関《ばくわん》を|過《よ》ぎり、|瀬戸《せと》の|海《うみ》に|帰還《きくわん》し、|淡路《あはぢ》の|洲本《すもと》(|今《いま》の|岩屋《いはや》|辺《あた》り)に|漸《やうや》く|船《ふね》を|横《よこ》たへ|高姫《たかひめ》を|先頭《せんとう》に|一行《いつかう》|五人《ごにん》、|洲本《すもと》の|酋長《しうちやう》|東助《とうすけ》が|館《やかた》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。|見《み》れば|非常《ひじやう》に|宏大《くわうだい》なる|邸宅《ていたく》にして、|表門《おもてもん》には|二人《ふたり》の|門番《もんばん》|阿吽《あうん》の|仁王《にわう》の|様《やう》に|儼然《げんぜん》と|扣《ひか》へて|居《ゐ》る。よくよく|顔《かほ》を|眺《なが》むれば、|生田《いくた》の|森《もり》の|杢助館《もくすけやかた》に|於《おい》て|出会《でつくわ》した|虻公《あぶこう》、|蜂公《はちこう》の|両人《りやうにん》である。
|高姫《たかひめ》『オヽお|前《まへ》は|虻公《あぶこう》、|蜂公《はちこう》……|如何《どう》してマア|泥棒《どろばう》がそこまで|出世《しゆつせ》をしたのだい。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御入来《ごにふらい》だから、|一時《いつとき》も|早《はや》く|館《やかた》の|主《あるじ》|東助殿《とうすけどの》に、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|御光来《ごくわうらい》だと|報告《はうこく》をしてお|呉《く》れ』
と|横柄《わうへい》に|命令《めいれい》する|様《やう》に|云《い》ふ。
|虻公《あぶこう》『|此《この》|頃《ごろ》は|御主人《ごしゆじん》はお|不在《るす》で|御座《ござ》いますから、|何人《どなた》がお|入来《いで》になつても、|此《この》|門《もん》を|通過《つうくわ》さしてはならないと|言《い》はれて、|斯《か》う|我々《われわれ》|両人《りやうにん》が|厳重《げんぢう》に|固《かた》めて|居《ゐ》るのだから、|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまであらうが、|仮令《たとへ》|国治立尊《くにはるたちのみこと》|様《さま》であらうが、|通《とほ》す|事《こと》は|罷《まか》りなりませぬワイ。|主人《しゆじん》の|在宅《ざいたく》の|時《とき》は|門番《もんばん》は|誰《たれ》も|居《ゐ》ないのだが、|主人《しゆじん》が|一寸《ちよつと》|神様《かみさま》の|御用《ごよう》で、|何々《なになに》|方面《はうめん》へ|御越《おこ》し|遊《あそ》ばし、|其《その》|不在中《るすちう》に|戸惑《とまど》ひ|者《もの》……|何々《なになに》が|四五人連《しごにんづれ》でやつて|来《く》るから、|決《けつ》して|入《い》れてはならぬぞ。|若《も》し|我《わが》|命令《めいれい》を|破《やぶ》つて|門内《もんない》に|通《とほ》す|様《やう》な|事《こと》があつたら、|其《その》|方《はう》は|直《すぐ》に|暇《ひま》を|呉《く》れる。さうすれば|貴様《きさま》も|虻蜂《あぶはち》|取《と》らずになつて|了《しま》ふぞよ……と|厳《きび》しき|御命令《ごめいれい》だ|絶対《ぜつたい》に|通《とほ》す|事《こと》はなりませぬ……なア|蜂公《はちこう》、さうぢやないか』
|蜂公《はちこう》『さうだ、|国依別《くによりわけ》さまが|生田《いくた》の|森《もり》からお|迎《むか》へにお|出《い》でた|時《とき》、|鷹姫《たかひめ》とか、|鳶姫《とびひめ》とか、|烏姫《からすひめ》とか、|黒姫《くろひめ》とか|云《い》ふ|奴《やつ》がキツと|此館《ここ》へゴテゴテ|言《い》うて|来《く》るに|違《ちが》ひないから、|一度《いちど》でも|顔《かほ》|見知《みし》つた|虻公《あぶこう》、|蜂公《はちこう》を|門番《もんばん》にして|置《お》くがよからう……と|云《い》つて、|東助《とうすけ》さまと|相談《さうだん》の|上《うへ》、|臨時《りんじ》|門番《もんばん》を|勤《つと》めて|居《ゐ》るのだ。|神様《かみさま》と|云《い》ふものは|偉《えら》いものだ。チヤンと|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》の|様《やう》に、|前《さき》に|知《し》つて|御座《ござ》るのだから|堪《たま》らぬワイ、アツハヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》|少《すこ》しく|声《こゑ》を|尖《とが》らし、
『|泥棒《どろばう》|上《あが》りの|虻蜂《あぶはち》の|分際《ぶんざい》として、|此《この》|結構《けつこう》な|神柱《かむばしら》を|鷹《たか》だの、|鳶《とび》だの、|烏《からす》だのと、|何《なん》と|云《い》ふ|口汚《くちぎたな》い|事《こと》を|申《まを》すのだ。|大方《おほかた》|言依別《ことよりわけ》の|奴《ど》ハイカラから|聞《き》かされたのだらう』
|虻公《あぶこう》『そんなこたア|如何《どう》でもよい。|誰《たれ》が|言《い》つたのか|知《し》らぬが、|世界中《せかいぢう》|知《し》らぬ|者《もの》はありますまい。つひこの|近《ちか》くに|結構《けつこう》な|玉《たま》が|隠《かく》してあるのに、オーストラリヤ|三界《さんかい》まで|飛《と》んで|行《ゆ》くと|云《い》ふ|羽《はね》の|強《つよ》いお|前《まへ》|共《ども》だから、|鳥《とり》に|譬《たとへ》られても|仕方《しかた》があるまい。グヅグヅして|居《ゐ》ると|国依別《くによりわけ》や|東助《とうすけ》さまが|玉《たま》の|所在《ありか》を|嗅《か》ぎ|出《だ》して、|又《また》お|前《まへ》さまに|取《と》られぬ|様《やう》にと|宝《たから》の|埋換《うめかへ》を|遊《あそ》ばすと|見《み》え、|何《なん》でも|立派《りつぱ》な|玉《たま》が|聖地《せいち》へ|納《をさ》まるから、お|迎《むか》へとか、|受取《うけと》りとかに|行《ゆ》かはりました。お|前《まへ》さまの|居《を》らぬ|間《ま》に|聖地《せいち》には……|噂《うはさ》に|聞《き》くと、|何《なん》でも|近《ちか》い|内《うち》、|五色《ごしき》の|玉《たま》が|納《をさ》まると|云《い》ふ|事《こと》、それなつと|受取《うけと》つて、|又《また》お|前《まへ》さまに|隠《かく》さしたら、チツトは|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》の|病気《びやうき》も|癒《なほ》るだらうと、|国依別《くによりわけ》さまが|笑《わら》ひ|半分《はんぶん》に|言《い》つてましたよ。アハヽヽヽ』
|黒姫《くろひめ》『あの|三《み》つの|御宝《おたから》を、|言依別《ことよりわけ》が|又《また》|埋《い》けなほすと|云《い》ふのかい、エーエ|胸《むね》がスイとした。|初稚姫《はつわかひめ》の|様《やう》な|小《こ》チツペや、|玉能姫《たまのひめ》などが|末代《まつだい》の|御用《ごよう》をしたと|思《おも》つて……|三十万年《さんじふまんねん》|未来《みらい》までは|何《なん》と|仰有《おつしや》つても|申《まを》し|上《あ》げられませぬ……なんて|威張《ゐば》つて|居《を》つたのが……|思《おも》へば|思《おも》へば|可憐《いぢ》らしいわいの。……それはさうと|言依別《ことよりわけ》の|奴《ど》ハイカラ、クレクレと|猫《ねこ》の|目《め》|程《ほど》|精神《せいしん》が|変《かは》るのだから、|今度《こんど》は|又《また》|国依別《くによりわけ》のヤンチヤや、|船頭《せんどう》あがりの|東助《とうすけ》に|御用《ごよう》をさすのらしい。コリヤうつかりとして|居《を》られますまい。……サア|虻《あぶ》、|蜂《はち》の|御両人《ごりやうにん》、そこまで|聞《き》いて|居《ゐ》る|以上《いじやう》は、モツと|詳《くは》しい|事《こと》を|御承知《ごしようち》だらう。お|前《まへ》は|中々《なかなか》|正直者《しやうぢきもの》だ、それでこそ|御神業《ごしんげふ》が|勤《つと》まると|云《い》ふもの、サア|私《わたし》と|一緒《いつしよ》に|聖地《せいち》へ|帰《かへ》り|様子《やうす》を|偵察《ていさつ》して、|末代《まつだい》の|御神業《ごしんげふ》に|仕《つか》へませう。|其《その》|代《かは》り|此《この》|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》の|御用《ごよう》を|聞《き》けば、|立派《りつぱ》な|御出世《ごしゆつせ》が|出来《でき》まする。|宜《よろ》しいかな、|分《わか》りましたか』
と|三歳児《みつご》をたらす|様《やう》に、|甘《あま》つたるい|声《こゑ》を|出《だ》して|抱《だ》き|込《こ》まうとする。
|蜂公《はちこう》『グヅグヅして|居《ゐ》ると、|国依別《くによりわけ》が|肝腎《かんじん》の|御用《ごよう》をしますで、|早《はや》うお|帰《かへ》りなされ。|悪《わる》い|事《こと》は|言《い》ひませぬ……(|小声《こごゑ》)と|斯《か》う|言《い》うて|門《もん》を|潜《くぐ》らさぬ|様《やう》に、|追《お》ひまくる|様《やう》にする|俺《おれ》の|計略《けいりやく》だ』
と|小《ちひ》さい|声《こゑ》で|呟《つぶや》くのを、|高姫《たかひめ》は|耳敏《みみざと》くも、|半分《はんぶん》|計《ばか》り|聴《き》き|取《と》り、
『コリヤ|門番《もんばん》の|古狸《ふるだぬき》|奴《め》が、|黒姫《くろひめ》さまはお|前《まへ》にチヨロまかされても、|世界《せかい》の|大門開《おほもんびら》きを|致《いた》す|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》は|東助《とうすけ》の|門番《もんばん》|位《くらゐ》に|誤魔化《ごまくわ》されはせぬぞ。|黙《だま》つて|聞《き》いて|居《を》れば|何《なに》を|云《い》ふか|分《わか》つたものぢやない。|察《さつ》する|所《ところ》|家島《えじま》(|絵島《ゑじま》)か、|神島《かみじま》|四辺《あたり》に|隠《かく》し|置《お》いたる|三個《さんこ》の|宝玉《ほうぎよく》を、|我々《われわれ》が|遠《とほ》い|所《ところ》へ|往《い》つたのを|幸《さいは》ひ、ヌツクリと|取《と》り|出《だ》し、|初稚姫《はつわかひめ》や|玉能姫《たまのひめ》に|揚壺《あげつぼ》を|喰《く》はし、|此《この》|館《やかた》に|言依別《ことよりわけ》、|国依別《くによりわけ》、|東助《とうすけ》が|潜《ひそ》んで、|玉《たま》|相談《さうだん》をやつて|居《ゐ》る|事《こと》は、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|天眼通《てんがんつう》にチヤンと|映《うつ》つて|居《ゐ》る。どうだ、|虻《あぶ》、|蜂《はち》、|恐《おそ》れ|入《い》つたか』
|虻《あぶ》、|蜂《はち》|一度《いちど》に、
『アハヽヽヽ、エライ|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまだなア。|何《なに》も|彼《か》もよう|御存《ごぞん》じだワイ』
|高姫《たかひめ》『|定《き》まつた|事《こと》だ。|世界《せかい》|見《み》えすく|水晶身魂《すゐしやうみたま》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》の|仰有《おつしや》る|事《こと》に|間違《まちが》ひがあつてたまらうか。……サアサア|高山彦《たかやまひこ》さま、|黒姫《くろひめ》さま、アール、エース、……|虻《あぶ》、|蜂《はち》|両人《りやうにん》を|取押《とりおさ》へてフン|縛《じば》り、|我々《われわれ》は|奥《おく》へ|進《すす》み|入《い》つて、|三人《さんにん》の|面《つら》の|皮《かは》を|剥《む》いてやりませう』
|高山彦《たかやまひこ》『|高姫《たかひめ》さま、コリヤ……|一《ひと》つ|考《かんが》へ|物《もの》ですな。|多寡《たか》が|知《し》れた|虻《あぶ》、|蜂《はち》の|門番《もんばん》、そんな|秘密《ひみつ》が|分《わか》らう|筈《はず》がない。グヅグヅして|居《ゐ》ると、|良《い》い|翫弄物《おもちや》にしられるかも|知《し》れませぬぞ』
|高姫《たかひめ》『そら|何《なに》を|仰有《おつしや》る|高山《たかやま》さま、|千騎一騎《せんきいつき》の|此《この》|場合《ばあひ》、チツト|確乎《しつかり》なさらぬかいな。……|黒姫《くろひめ》さまも|余程《よつぽど》|耄碌《まうろく》しましたね』
|虻公《あぶこう》『|俺《おれ》を|取《と》り|押《おさ》へるの、フン|縛《じば》るのと、そりや|何《なに》を|言《い》ふのだ、|這《は》いるなら|這入《はい》つて|見《み》よ。|危《あぶ》ない|事《こと》がして|有《あ》るぞ。|忽《たちま》ち|神《かみ》の|罰《ばち》が|当《あた》つて、|虻蜂《あぶはち》|取《と》らずの|目《め》に|会《あ》つても|良《よ》けら、ドシドシとお|通《とほ》りなさい……と|云《い》ひたいが、|金輪奈落《こんりんならく》|此《この》|門《もん》を|通《とほ》しちやならぬと|云《い》ふ|厳命《げんめい》を|受《う》けて|居《ゐ》るのだから、|表門《おもてもん》は|俺《おれ》の|責任《せきにん》があるから、|入口《いりぐち》は|一所《ひとところ》ぢやない。|貴様《きさま》|勝手《かつて》に|這入《はい》つたがよからうぞ。|此《この》|前《まへ》にやつて|来《き》たお|前《まへ》に|似《に》た|様《やう》な|宣教師《せんけうし》は|廁《かはや》の|中《なか》からでも|逃《に》げ|出《で》たのだから、|裏《うら》の|方《はう》へそつと|廻《まは》つて、|廁《かはや》の|下《した》から|糞《くそ》まぶれになつて|這入《はい》らうと|這入《はい》るまいと、ソラお|前《まへ》の|勝手《かつて》だ。|此《この》|門《もん》だけは、|絶対《ぜつたい》に|通《とほ》る|事《こと》は|罷《まか》りならぬのだ。ウツフヽヽヽ。……|三《みつ》つの|玉《たま》とか、|五《いつ》つの|玉《たま》とか、|今頃《いまごろ》には|聖地《せいち》は|玉《たま》の|光《ひかり》で|美《うつく》しい|事《こと》だらうな。|初稚姫《はつわかひめ》さまも、|玉能姫《たまのひめ》さまも、|余《あま》り|慾《よく》が|深過《ふかす》ぎるワイ。|三《みつ》つの|玉《たま》の|御用《ごよう》をし|乍《なが》ら、|今度《こんど》|又《また》|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》で|結構《けつこう》な|玉《たま》を|五《いつ》つも|手《て》に|入《い》れて|八咫烏《やあたがらす》とかに|乗《の》つて|帰《かへ》つて|御座《ござ》るとか、|御座《ござ》つたとか|云《い》ふ|無声霊話《むせいれいわ》が、|頻々《ひんぴん》と|東助《とうすけ》さまの|館《やかた》へかかつて|来《き》た。アヽさうぢや、|杢助《もくすけ》さまも|結構《けつこう》な|生田《いくた》の|森《もり》の|館《やかた》を|棄《す》てて|聖地《せいち》へ|行《ゆ》かつしやる|筈《はず》だ。|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》さまは、|年《とし》は|若《わか》うても、|流石《さすが》は|立派《りつぱ》な|方《かた》だ。|一度《いちど》ならぬ、|二度《にど》ならぬ、|三千世界《さんぜんせかい》の|御神業《ごしんげふ》の|花形《はながた》|役者《やくしや》だ。|心《こころ》|一《ひと》つの|持様《もちやう》で、あんな|結構《けつこう》な|御用《ごよう》が|出来《でき》るのだからなア。そこらの|人《ひと》、|爪《つめ》の|垢《あか》でも|煎《せん》じて|飲《の》んだら|薬《くすり》になるだらう。ウツフヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『|誰《たれ》が|何《なん》と|云《い》つても|聞《き》くものか。そんな|巧《うま》い|事《こと》|云《い》つて、|此《この》|館《やかた》に|高姫《たかひめ》を|入《い》れまいと|防禦線《ばうぎよせん》を|張《は》るのだらうが。そんな|事《こと》を……ヘン|喰《く》ふ|高姫《たかひめ》で|御座《ござ》いますかい。そんなら|宜《よろ》しい。|裏門《うらもん》から|這入《はい》つてやらう。さうすればお|前《まへ》の|顔《かほ》も|立《た》つだらう』
と|掛合《かけあ》ふ|所《ところ》へ、|東助《とうすけ》の|妻《つま》お|百合《ゆり》は|門口《かどぐち》の|喧《やかま》しき|声《ごゑ》に|気《き》を|取《と》られ、|座《ざ》を|立《た》ちて|一人《ひとり》の|侍女《じぢよ》と|共《とも》に|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|来《きた》る。
|虻公《あぶこう》『これはこれは|奥様《おくさま》、よう|来《き》て|下《くだ》さいました。|三五教《あななひけう》のヤンチヤ|組《ぐみ》の|高姫《たかひめ》|一行《いつかう》がお|出《い》でになりやがつて、|此《この》|門《もん》を|通《とほ》せと|仰有《おつしや》りやがるのです。|如何《どう》|言《い》つて|謝絶《ことわ》つても、|帰《かへ》らうと|仰有《おつしや》りやがらず、それ|程《ほど》|這入《はい》りたければ、|友彦《ともひこ》の|様《やう》に|廁《かはや》の|穴《あな》からでも|這入《はい》れと|云《い》つてゐる|所《ところ》で|御座《ござ》います。|此《この》|御館《おやかた》は|表門《おもてもん》|計《ばか》りで、|裏門《うらもん》と|云《い》へば|雪隠《せついん》の|穴《あな》|計《ばか》り、そこからでも|這入《はい》らうと|云《い》ふ|熱心《ねつしん》な|方《かた》ですから……どうでせう、|御主人《ごしゆじん》はあれ|丈《だけ》|厳《きび》しくお|戒《いまし》めになつて|居《ゐ》ますけれども、そこは|又《また》|臨機《りんき》|応変《おうへん》、どつと|譲歩《はづ》んで|通《とほ》してやつたら|如何《どう》でせう』
お|百合《ゆり》『これはこれは|高姫《たかひめ》|様《さま》|御一行《ごいつかう》で|御座《ござ》いますか、|噂《うはさ》に|承《うけたま》はつて|居《を》りましたが、ホンに|立派《りつぱ》なお|方《かた》|計《ばか》り、ようお|入来《いで》なさいました』
|高姫《たかひめ》『|私《わたし》は|仰有《おつしや》る|通《とほ》り、|高姫《たかひめ》、|高山彦《たかやまひこ》、|黒姫《くろひめ》の|三人《さんにん》で|御座《ござ》います。|何時《いつ》やらは|御主人《ごしゆじん》の|東助《とうすけ》どんに、|家島《えじま》まで|送《おく》つて|貰《もら》ひ、アタ|意地《いぢ》くねの|悪《わる》い、|私《わたし》の|家来《けらい》の|清《きよ》、|鶴《つる》、|武《たけ》の|三人《さんにん》を|自分《じぶん》の|船《ふね》に|乗《の》せ、|私《わたし》を|家島《えじま》に|島流《しまなが》しも|同様《どうやう》な|目《め》に|会《あ》はし、|其《その》|後《のち》と|云《い》ふものはイロイロ|雑多《ざつた》と|此《この》|高姫《たかひめ》を|苦《くるし》めて|下《くだ》さいまして、|実《じつ》に|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|其《その》お|蔭《かげ》で|余程《よつぽど》|私《わたし》は|身魂《みたま》|磨《みが》きをさして|頂《いただ》きました』
お|百合《ゆり》『どう|致《いた》しまして、お|礼《れい》には|及《およ》びませぬ。|苦労《くらう》の|塊《かたまり》の|花《はな》の|咲《さ》く|三五教《あななひけう》で|御座《ござ》いますから、|貴方《あなた》の|様《やう》な|肝腎《かんじん》のお|方《かた》を|改心《かいしん》させる|御用《ごよう》を|勤《つと》めた|私《わたし》の|主人《しゆじん》は、|謂《い》はば|高姫《たかひめ》のお|師匠《ししやう》さま|格《かく》ですな。オツホヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『|何《なん》と、|理窟《りくつ》も|有《あ》れば|有《あ》るものだな。|海賊《かいぞく》|上《あが》りの|東助《とうすけ》の|女房《にようばう》|丈《だけ》の|事《こと》あつて、|巧《うま》い|逆理屈《さかりくつ》をお|捏《こ》ね|遊《あそ》ばす。|斯《こ》んな|立派《りつぱ》な|館《やかた》を|建《た》てて、|酋長《しうちやう》|々々《しうちやう》と|言《い》つて|居《を》つても、|人品骨柄《じんぴんこつがら》の|下劣《げれつ》な|事《こと》、|破《やぶ》れ|船頭《せんどう》が|性《しやう》に|合《あ》ふとる。|海賊《かいぞく》をやつて|沢山《たくさん》な|宝《たから》を|奪《うば》ひ|取《と》り、|財産家《ざいさんか》となつて、|栄耀栄華《えいようえいぐわ》の|有《あ》りたけを|尽《つく》し、|今度《こんど》は|三《みつ》つの|御神宝《ごしんぱう》にソロソロ|目《め》を|付《つ》け|出《だ》した|大泥棒《おほどろばう》の|計画中《けいくわくちう》だらう。|何《なん》と|云《い》つても|奥《おく》へ|踏《ふ》み|込《こ》み、|言依別《ことよりわけ》、|国依別《くによりわけ》を|助《たす》けて|失敗《しつぱい》をさせない|様《やう》に|注意《ちうい》するのが|男子《なんし》の|系統《ひつぽう》の|高姫《たかひめ》の|役《やく》だ。サア|案内《あんない》をなされ』
お|百合《ゆり》『そんなら|開放《かいはう》|致《いた》しませう。|自由自在《じいうじざい》|御勝手《ごかつて》にお|探《さが》し|遊《あそ》ばせ。|此《この》|館《やかた》は|四方《しはう》|八方《はつぱう》|蜘蛛《くも》の|巣《す》の|如《ごと》く、|到《いた》る|所《ところ》に|暗渠《あんきよ》が|掘《ほ》つて|御座《ござ》いますから、うつかりお|這入《はい》りになると|生命《いのち》がお|危《あぶ》なう|御座《ござ》いますぞ。これ|程《ほど》|広《ひろ》い|屋敷《やしき》でも、|安心《あんしん》して|歩行《ある》ける|所《ところ》は、ホンの|帯《おび》|程《ほど》より|有《あ》りませぬ。それも|生憎《あひにく》|東助殿《とうすけどの》が|絵図面《ゑづめん》を|持《も》つて|出《で》て|居《を》られるものですから、|私達《わたしたち》は|庭先《にはさき》だとて|迂濶《うつか》り|歩《ある》けないので|御座《ござ》います。それ|丈《だけ》|前《さき》に|御注意《ごちうい》|申《まを》し|上《あ》げておきます』
|虻公《あぶこう》『|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》の|天眼通様《てんがんつうさま》、|貴女《あなた》はよく|御存《ごぞん》じだらう。サア、トツトと|早《はや》くお|入《はい》りなされ』
|高姫《たかひめ》は|双手《もろて》を|組《く》んで|思案《しあん》に|暮《く》れ|乍《なが》ら、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らし|出《だ》した。|稍《やや》あつて|高姫《たかひめ》は、
『あゝ|此処《ここ》にはヤツパリ|居《を》りませぬワイ。……サア|黒姫《くろひめ》さま、|高山彦《たかやまひこ》さま、|一時《いちじ》も|早《はや》く|生田《いくた》の|森《もり》へ|参《まゐ》りませう。|彼《あ》の|方面《はうめん》に|三箇《さんこ》の|宝玉《ほうぎよく》が|現《あら》はれました。|私《わたし》の|天眼通《てんがんつう》にチヤンと|映《うつ》つた。|早《はや》く|往《ゆ》かないと|又《また》チヨロまかされると|大変《たいへん》だ』
お|百合《ゆり》『どうぞ、さう|仰有《おつしや》らずと、|御《ご》ゆつくり|遊《あそ》ばしませ』
|高姫《たかひめ》『ヘン|京《きやう》のお|茶漬《ちやづけ》は|措《お》いて|下《くだ》されや』
とプリンプリンと|肩《かた》や|尻《しり》を|互交《たがひちが》ひに|揺《ゆ》り|乍《なが》ら、|磯端《いそばた》の|船《ふね》に|身《み》を|任《まか》せ、アール、エースの|両人《りやうにん》に|艪櫂《ろかい》を|操《あやつ》らせ、|一目散《いちもくさん》に|再度山《ふたたびやま》の|峰《みね》を|目標《めあて》に|漕《こ》いで|行《ゆ》く。
|執着心《しふちやくしん》に|搦《からま》れて |玉《たま》を|抜《ぬ》かれた|高姫《たかひめ》や
|黒姫《くろひめ》|二人《ふたり》の|玉《たま》|探《さが》し |太平洋《たいへいやう》の|彼方《あなた》まで
|心《こころ》|焦《いら》ちて|駆《か》け|出《い》だし どう|探《さが》しても|玉《たま》|無《な》しの
|力《ちから》も|落《お》ちて|捨小舟《すてをぶね》 |高山彦《たかやまひこ》|等《ら》と|五人連《ごにんづ》れ
|折角《せつかく》|永《なが》の|肝煎《きもい》りも |泡《あわ》と|消《き》えゆく|波《なみ》の|上《うへ》
|誠明石《まことあかし》の|向岸《むかふぎし》 |浪《なみ》の|淡路《あはぢ》の|島影《しまかげ》に
|船《ふね》を|漕《こ》ぎつけ|東助《とうすけ》が |館《やかた》の|門《もん》に|走《は》せついて
|虻《あぶ》と|蜂《はち》との|門番《もんばん》に |上《あ》げつ|下《おろ》しつ、|揶揄《からか》はれ
|心《こころ》を|焦《いら》ちて|高姫《たかひめ》は |又《また》もや|玉《たま》に|執着《しふちやく》を
|益々《ますます》|強《つよ》く|起《お》こしつつ |再度山《ふたたびやま》の|山麓《さんろく》の
|生田《いくた》の|森《もり》へと|急《いそ》ぎ|行《ゆ》く。
|生田《いくた》の|森《もり》の|杢助館《もくすけやかた》には、|国依別《くによりわけ》、|秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》の|三人《さんにん》が、|臨時《りんじ》|留守居役《るすゐやく》として|扣《ひか》へて|居《ゐ》た。
|国依別《くによりわけ》『|玉能姫《たまのひめ》さまも|此《この》|館《やかた》をお|立《た》ちになつてから、|随分《ずゐぶん》|月日《つきひ》も|経《た》つたが、どうやら|今度《こんど》は|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》から|結構《けつこう》な|宝《たから》を|受取《うけと》つて、|聖地《せいち》へお|帰《かへ》りになると|云《い》ふ|事《こと》だ。|何《いづ》れ|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》、|玉治別《たまはるわけ》も|一緒《いつしよ》だらう。|何時《いつ》までも|私《わたし》も|斯《か》うしては|居《を》られないから、|聖地《せいち》へお|迎《むか》へに|行《ゆ》かねばならぬから、……|秋彦《あきひこ》さま、|駒彦《こまひこ》さまと|両人《りやうにん》で|此館《ここ》を|守《まも》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さい。|直《すぐ》に|又《また》|帰《かへ》つて|来《き》ますから、……』
|秋彦《あきひこ》『ハイ|承知《しようち》|致《いた》しました。|併《しか》し|乍《なが》ら|万々一《まんまんいち》、|例《れい》の|高姫《たかひめ》|一行《いつかう》が|帰《かへ》つて|来《き》て、|国依別《くによりわけ》さまは|何処《どこ》へ|行《い》つたと|尋《たづ》ねた|時《とき》には、|何《なん》と|云《い》つて|宜《よろ》しいか、それを|聞《き》かして|置《お》いて|貰《もら》ひたいですなア』
|国依別《くによりわけ》『|滅多《めつた》に|高姫《たかひめ》は|帰《かへ》つて|来《く》る|様《やう》な|事《こと》はあるまい。|併《しか》し|万一《まんいち》|来《き》たならば、|一層《いつそう》の|事《こと》、|事実《じじつ》を|以《もつ》て|話《はな》すのだな』
|秋彦《あきひこ》『そんな|事《こと》|話《はな》さうものなら、|高姫《たかひめ》は|気違《きちがひ》になつて|了《しま》ひますよ。|三《みつ》つの|玉《たま》の|所在《ありか》は|分《わか》らず、それが|為《ため》|一生懸命《いつしやうけんめい》になつて|居《ゐ》る|矢先《やさき》、|又《また》もや|結構《けつこう》な|五《いつ》つの|玉《たま》を、|同《おな》じ|竜宮島《りうぐうじま》から、|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》や|玉能姫《たまのひめ》さまが|頂《いただ》いて|帰《かへ》つたのだと|言《い》はうものなら、|大変《たいへん》ですからなア』
|駒彦《こまひこ》『オイ|秋彦《あきひこ》、|取越《とりこ》し|苦労《くらう》はせなくても|良《い》いよ。|其《その》|時《とき》は|其《その》|時《とき》の|事《こと》だ。……|国依別《くによりわけ》さま、|何事《なにごと》も|刹那心《せつなしん》で|我々《われわれ》はやつてのけますから、|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さつて、どうぞ|一時《いつとき》も|早《はや》く|聖地《せいち》へお|迎《むか》へに|行《い》つて|下《くだ》さいませ』
|国依別《くによりわけ》『それぢや|安心《あんしん》して|参《まゐ》りませう』
と|話《はなし》して|居《ゐ》る。|窓《まど》を|透《す》かしてフト|外《ほか》を|見《み》れば、|夜叉《やしや》の|様《やう》な|顔《かほ》した|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》、|高山彦《たかやまひこ》|外《ほか》|二人《ふたり》、|此方《こなた》に|向《むか》つて|慌《あはただ》しく|進《すす》んで|来《く》る。
|駒彦《こまひこ》『ヤア|国依別《くによりわけ》さま、|秋彦《あきひこ》、あれを|見《み》よ。|呼《よ》ぶより|誹《そし》れだ。|高姫《たかひめ》が|血相《けつさう》|変《か》へて|帰《かへ》つて|来《き》よつた。|三人《さんにん》が|斯《か》うして|居《ゐ》ると|面倒《めんだう》だから、|先《ま》づ|此《この》|駒彦《こまひこ》が|瀬踏《せぶ》みを|致《いた》します。あなた|方《がた》|二人《ふたり》は|奥《おく》へ|這入《はい》つて、|様子《やうす》を|考《かんが》へて|居《を》つて|下《くだ》さい。|私《わたし》が|一《ひと》つ|談判《だんぱん》|委員《ゐゐん》になりますから……サアサア|早《はや》く、|見《み》つけられぬ|内《うち》に……』
と|促《うなが》せば、|国依別《くによりわけ》、|秋彦《あきひこ》はニタリと|笑《わら》ひ|乍《なが》ら、|次《つぎ》の|間《ま》に|入《い》り、|火鉢《ひばち》を|中《なか》に|松葉煙草《まつばたばこ》を|燻《くす》べて|様子《やうす》を|考《かんが》へて|居《ゐ》た、|漸《やうや》く|近付《ちかづ》いて|来《き》た|高姫《たかひめ》、|表《おもて》の|戸《と》を|叩《たた》いて、
『モシモシ|頼《たの》みます』
|中《なか》より|駒彦《こまひこ》はワザと|婆《ばば》アの|作《つく》り|声《ごゑ》をし、
『|此《この》|山中《さんちゆう》の|一《ひと》つ|家《や》を|叩《たた》くは、|水鶏《くいな》か、|狸《たぬき》か、|狐《きつね》か、|高姫《たかひめ》か……オツトドツコイ|鳶《とんび》か|真黒黒姫《まつくろくろひめ》の|烏《からす》の|親方《おやかた》か、ダ……ダ……ダ……|誰《たれ》だい』
|外《そと》から|高姫《たかひめ》、|婆声《ばばごゑ》を|出《だ》して、
『|誰《たれ》でもない、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》だ。|早《はや》く|戸《と》を|開《あ》けぬか』
|駒彦《こまひこ》『|今《いま》は|日《ひ》の|暮《くれ》だ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|朝方《あさがた》に|出《で》て|来《く》るものだ。|蝙蝠《かふもり》の|神《かみ》なれば|戸《と》を|開《あ》けてやるが、|日《ひ》の|出神《でのかみ》なればマアマア|御免《ごめん》コウモリだよ。オツホヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『|此館《ここ》には|国依別《くによりわけ》と|云《い》ふ|奴《ど》ハイカラが|留守番《るすばん》をして|居《ゐ》る|筈《はず》だが、お|前《まへ》は|一体《いつたい》、|何《なん》と|云《い》ふ|婆《ばば》アだ。|根《ね》つから|聞《き》き|慣《な》れぬ|声《こゑ》だが、|誰《たれ》に|頼《たの》まれて|不在《るす》の|家《いへ》を|占領《せんりやう》して|居《ゐ》るのだ』
|駒彦《こまひこ》『オツホヽヽヽ、|私《わし》かいな。|私《わし》は|国依別《くによりわけ》の|妾《めかけ》だ。|雀百《すずめひやく》まで|牡鳥《をんどり》|忘《わす》れぬと|云《い》うて、|棺桶《くわんをけ》へ|片足《かたあし》を|突込《つつこ》んで|居《を》る|鰕腰《えびごし》の|婆《ばば》アでも、|姑《しうとめ》の|十八《じふはち》を|言《い》ふぢやないが、|昔《むかし》は|随分《ずゐぶん》あちらからも|此方《こちら》からも|袖《そで》を|引《ひ》かれ、|引《ひ》く|手《て》|数多《あまた》の|花菖蒲《はなあやめ》、それはそれは|随分《ずゐぶん》もてたものだよ。|残《のこ》りの|色香《いろか》は|棄《す》て|難《がた》く、どこやら、|好《い》い|匂《にほ》ひがあると|見《み》えて、|色《いろ》の|道《みち》には|苦労《くらう》をなされた|国依別《くによりわけ》さまが、ゾツコンわたしに|惚込《ほれこ》んで|五十《ごじふ》も|違《ちが》ふ|年《とし》をし|乍《なが》ら|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|大事《だいじ》にして|下《くだ》さるのだ。|思《おも》へば|思《おも》へば|私《わし》の|様《やう》な|運《うん》の|好《よ》い|者《もの》が|何処《どこ》にあらうか。|男《をとこ》【やもめ】に|蛆《うぢ》が|湧《わ》くと|云《い》ふが、|女《をんな》【やもを】|程《ほど》|結構《けつこう》なものはないワイの。お|前《まへ》はどこの|婆《ばば》アだか|知《し》らぬが、|余程《よつぽど》よい|因果者《いんぐわもの》と|見《み》えて、|其《その》|面《つら》は|何《なん》だい。|汐風《しほかぜ》に|吹《ふ》かれ|顔《かほ》の|色《いろ》は|真黒《まつくろ》け、|何方《どちら》が|黒姫《くろひめ》だか、【アカ】|姫《ひめ》だかテント|見当《けんたう》の|取《と》れぬお|仕組《しぐみ》だ。オツホヽヽヽ。お|気《き》の|毒《どく》|様《さま》|乍《なが》ら、|婆《ばば》ア|一人暮《ひとりぐら》し、お|茶《ちや》|一《ひと》つ|上《あ》げる|訳《わけ》には|行《ゆ》かぬから、トツトと|帰《かへ》つて|下《くだ》され』
|高姫《たかひめ》は|戸《と》の|節穴《ふしあな》から|一寸《ちよつと》|中《なか》を|覗《のぞ》き、
『|日《ひ》の|暮《く》れの|事《こと》とて|確実《はつきり》は|分《わか》らぬがお|前《まへ》は|婆《ばば》アの|仮声《こわいろ》を|使《つか》つて|居《ゐ》るが|男《をとこ》ぢやないか。チツと|怪《あや》しいと|思《おも》つて|居《ゐ》た。|白状《はくじやう》せぬかい。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|眼《め》を|晦《くら》ます|事《こと》は|出来《でき》やしないぞ』
|駒彦《こまひこ》ヤツパリ|婆《ばば》の|仮声《こわいろ》を|出《だ》して、
『|言霊《ことたま》は|女《をんな》で|体《からだ》は|男《をとこ》だ。|変性男子《へんじやうなんし》の|根本《こんぽん》の|生粋《きつすゐ》の|神国魂《やまとだましひ》の|御身魂《おんみたま》だよ』
|高姫《たかひめ》『ヘンお|前《まへ》は|元《もと》は|馬公《うまこう》と|云《い》つた|駒彦《こまひこ》だらう。【|馬《うま》】い|事《こと》|言《い》つて|私達《わたしたち》を【|駒《こま》】らさうと|思《おも》つても、|日《ひ》の|出神《でのかみ》は……ヘン、そんな|事《こと》では|困《こま》りませぬワイ。グヅグヅ|申《まを》さずに、サツサと|開《あ》けなされ』
|駒彦《こまひこ》『アツハヽヽヽ、とうと|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|発見《はつけん》せられました。……|叩《たた》けば|開《ひら》く|門《かど》の|口《くち》。|叩《たた》いて|分《わか》る|俺《おれ》の|口《くち》。サツパリ|化《ば》けが|現《あら》はれたか。|三千世界《さんぜんせかい》の|大化物《おほばけもの》も|薩張《さつぱり》|駄目《だめ》だ』
と|無駄口《むだぐち》を|叩《たた》き|乍《なが》ら、ガラリと|戸《と》を|押開《おしあ》け、|駒彦《こまひこ》は|腰《こし》を|屈《かが》め、|揉《も》み|手《て》をし|乍《なが》ら|女《をんな》の|声《こゑ》を|使《つか》ひ、
『これはこれは|三五教《あななひけう》にて|隠《かく》れなき|御威勢《ごゐせい》の|高《たか》き、|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《ひつぽう》の|高姫《たかひめ》|様《さま》、|黒姫《くろひめ》|様《さま》、|高山彦《たかやまひこ》|様《さま》の|御一行《ごいつかう》、よくよくお|訪《たづ》ね|下《くだ》さいました、|私《わたし》は|若彦《わかひこ》の|妻《つま》|玉能姫《たまのひめ》と|申《まを》す|者《もの》、|何時《いつ》も|何時《いつ》も|結構《けつこう》な|御教訓《ごけうくん》を|賜《たま》はりまして|有難《ありがた》う|御座《ござ》ります。|紀州《きしう》に|於《おい》て|高姫《たかひめ》|様《さま》に|夫婦《ふうふ》|対面《たいめん》の|所《ところ》を|見付《みつ》けられ、イヤモウ|赤面《せきめん》を|致《いた》しました。オツホヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『コレ|駒彦《こまひこ》さま、|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にするのかい。|大《おほ》きな|口《くち》を|無理《むり》におチヨボ|口《ぐち》にしたり、|玉能姫《たまのひめ》の|仮声《こわいろ》を|使《つか》つて|何《なん》の|態《ざま》だ。|婆《ばば》になつたり、|娘《むすめ》になつたり、|此《この》|頃《ごろ》はチツとどうかしとりますな』
『ハイ、|大《おほい》にどうかしとります。|何分《なにぶん》|三箇《さんこ》の|玉《たま》は|紛失《ふんしつ》|致《いた》し、|玉能姫《たまのひめ》に、|折角《せつかく》|御用《ごよう》を|承《うけたま》はり|乍《なが》ら、|蛸《たこ》の|揚壺《あげつぼ》を|喰《く》はされ、|此《この》|頃《ごろ》|又《また》|五《いつ》つの|玉《たま》が|聖地《せいち》に|這入《はい》つたとやら|云《い》ふ|事《こと》、それで|此《この》|駒彦《こまひこ》も|気《き》が|気《き》でならず|心配《しんぱい》をして|居《ゐ》ると、|最前《さいぜん》の|様《やう》に|黒姫《くろひめ》とか|云《い》ふ|婆《ばば》アの|霊《れい》が|憑《うつ》つたり、|玉能姫《たまのひめ》の|霊《れい》が|憑《うつ》つたり、|時々刻々《じじこくこく》に|声《こゑ》までが|変《かは》ります。ハイハイ|誠《まこと》に|面目《めんぼく》|次第《しだい》も|御座《ござ》りませぬワイ。アツハヽヽヽ』
と|肩《かた》を|揺《ゆす》る。|黒姫《くろひめ》は、
『お|前《まへ》さまは|黒姫《くろひめ》の|霊《れい》が|憑《うつ》つたと|仰有《おつしや》つたが、それは|誰《たれ》の|事《こと》ですか。|聞捨《ききずて》ならぬ|今《いま》のお|言葉《ことば》…』
と|鼻息《はないき》を|荒《あら》くする。
『|駒彦《こまひこ》の|身魂《みたま》は|神《かみ》が|御用《ごよう》に|使《つか》ふて|居《ゐ》るから、イロイロの|霊魂《みたま》が|憑《うつ》るぞよ。|駒彦《こまひこ》が|申《まを》しても|駒彦《こまひこ》が|云《い》ふのでないぞよ。|口《くち》を|借《か》る|計《ばか》りであるぞよ。|駒彦《こまひこ》を|恨《うら》めて|下《くだ》さるなよ。|何事《なにごと》も|神《かみ》の|仕組《しぐみ》であるぞよ。|駒彦《こまひこ》は|何《なん》にも|知《し》らず…ウンウン』
ドスン、バタンと|飛《と》びあがつて|見《み》せた。
|黒姫《くろひめ》『エー|馬鹿《ばか》にしなさるな。|併《しか》し|此《この》|館《やかた》はお|前《まへ》|一人《ひとり》かな』
|駒彦《こまひこ》『|一人《ひとり》と|言《い》へば|一人《ひとり》、|大勢《おほぜい》と|言《い》へばマア|大勢《おほぜい》だ』
|黒姫《くろひめ》『|其《その》|大勢《おほぜい》は|何処《どこ》に|居《を》るのだい』
|駒彦《こまひこ》『|何《なに》を|言《い》うても|神様《かみさま》の|容器《いれもの》に|造《つく》られた|此《この》|肉体《にくたい》、|天津神《あまつかみ》、|国津神《くにつかみ》、|八百万《やほよろづ》の|神《かみ》が|出入《でい》り|遊《あそ》ばす|駒彦《こまひこ》の|肉《にく》の|宮《みや》、チヨコチヨコ|日《ひ》の|出神《でのかみ》もおいで|遊《あそ》ばすなり、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまもチヨコチヨコ|見《み》えますぞよ。|真《まこと》の|乙姫《おとひめ》は|此《この》|頃《ごろ》は|駒彦《こまひこ》の|肉《にく》の|宮《みや》に|宿換《やどがへ》を|致《いた》したぞよ……と|仰有《おつしや》つて|結構《けつこう》な|玉《たま》を|見《み》せて|下《くだ》さいますワイ。ここにも|現《げん》に|天《てん》|火《くわ》|水《すゐ》|地《ち》|結《けつ》の|五《いつ》つの|玉《たま》が、ヤツパリ……ヤツパリぢやつた。マア|言《い》はぬが|花《はな》ですかいな』
|高姫《たかひめ》|得意顔《したりがほ》になり、
『それ、|黒姫《くろひめ》さま、|高山彦《たかやまひこ》さま、|私《わたし》の|天眼通《てんがんつう》は|違《ちが》ひますまい。キツと|生田《いくた》の|森《もり》に|隠《かく》して|有《あ》るに|違《ちが》ひないと|言《い》つたぢやありませぬか。|東助館《とうすけやかた》にグヅグヅして|居《ゐ》ようものなら|又《また》|後《あと》の|祭《まつり》になる|所《ところ》だつたが、|斯《か》う|自分《じぶん》の|口《くち》から|白状《はくじやう》した|以上《いじやう》は、【てつきり】|玉《たま》の|所在《ありか》は|此《この》|館《やかた》に|間違《まちがひ》ない。……サア|駒彦《こまひこ》、モウ|叶《かな》はぬ。|綺麗《きれい》サツパリと|其《その》|玉《たま》の|所在《ありか》を|系統《ひつぽう》の|肉体《にくたい》にお|明《あ》かしなされ』
|駒彦《こまひこ》『|玉《たま》の|所在《ありか》は|竜宮島《りうぐうじま》の|諏訪《すは》の|湖《みづうみ》、|玉依姫命《たまよりひめのみこと》さまが、モウ|時節《じせつ》が|到来《たうらい》したから、|身魂《みたま》の|立派《りつぱ》な|守護神《しゆごじん》に|渡《わた》したい|渡《わた》したいと|仰有《おつしや》るので、|玉照姫《たまてるひめ》|様《さま》の|御命令《ごめいれい》に|依《よ》り、|言依別神《ことよりわけのかみ》|様《さま》から、|東助《とうすけ》さまや|国依別《くによりわけ》さまに……お|前《まへ》|受取《うけと》りに|往《い》つて|来《こ》んか……と|云《い》つて|御命令《ごめいれい》が|下《くだ》つたさうです、|私《わたし》も|御用《ごよう》に|行《ゆ》きたいのだが|怪体《けつたい》の|悪《わる》い、|留守番《るすばん》を|命《めい》ぜられ、|指《ゆび》を|啣《くは》へて|人《ひと》の|手柄《てがら》を|遠《とほ》い|所《ところ》から|傍観《ばうくわん》して|居《ゐ》るのだ。|本当《ほんたう》に|羨《うらや》ましい|事《こと》だワイな』
|高姫《たかひめ》『そりや|又《また》|本当《ほんたう》かい。モウ|既《すで》に|聖地《せいち》へ|納《をさ》まつたと|云《い》ふぢやないか』
『|何分《なにぶん》、|時間《じかん》|空間《くうかん》を|超越《てうゑつ》した|神界《しんかい》の|御経綸《ごけいりん》だから、|過去《くわこ》とも|未来《みらい》とも|現在《げんざい》とも、サツパリ|凡夫《ぼんぶ》の|我々《われわれ》にや|分《わか》りませぬワイ。アツハヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『どうやら|奥《おく》の|間《ま》に|人《ひと》の|気配《けはい》がする。|煙草《たばこ》を|吸《す》うて|居《を》るのか、|煙管《きせる》で|火鉢《ひばち》をポンポン|喰《くら》はして|居《ゐ》るぢやないか。|松葉《まつば》|臭《くさ》い|薫《かをり》がして|来出《きだ》した。|誰《たれ》が|居《ゐ》るのだ、|白状《はくじやう》なされ』
『ハイ|鼠《ねずみ》が|二三匹《にさんびき》|奥《おく》の|間《ま》に|暴《あば》れて|居《ゐ》るのでせう』
『それでも|煙《けむり》が|出《で》るぢやないか』
『|鼠《ねずみ》が|煙草《たばこ》を|吸《す》うて|居《ゐ》るのでせうかい』
|高姫《たかひめ》はスタスタと|奥《おく》の|間《ま》の|襖《ふすま》を|引《ひ》き|開《あ》けて|飛《と》びこみ、|二人《ふたり》の|姿《すがた》を|見《み》て、
『これはしたり、|国依別《くによりわけ》、|秋彦《あきひこ》の|両人《りやうにん》、|卑怯《ひけふ》|千万《せんばん》にも|不在《るす》を|使《つか》ひ、|奥《おく》の|間《ま》に|姿《すがた》を|隠《かく》し、|我々《われわれ》を|邪魔者扱《じやまものあつかひ》になさるのかーツ』
と|言葉尻《ことばじり》に|力《ちから》を|入《い》れ、|角《かど》を|立《た》てて|呶鳴《どな》りつけた。|国依別《くによりわけ》は|杢助流《もくすけりう》にグレンと|仰向《あふむ》けにひつくり|返《かへ》り、|手《て》と|足《あし》を|上《うへ》の|方《はう》にニユウと|伸《の》ばし、
『チユウ チユウ チユウ』
と|鼠《ねずみ》の|鳴《な》き|声《ごゑ》をして|見《み》せる。|秋彦《あきひこ》は|亦《また》グレンと|転倒《ひつくりかへ》り、|同《おな》じく|手足《てあし》を|天井《てんじやう》の|方《はう》へニユウと|伸《の》ばし、
『クツクツ キユツ キユツ キユツ』
と|脇《わき》の|下《した》に|笑《わら》ひを|抑《おさ》へて|居《ゐ》る。|高姫《たかひめ》は、
『|何《なん》と|云《い》ふ|不作法《ぶさはふ》な|事《こと》をなさるのだ。|四足《よつあし》の|真似《まね》をしたりして、|本守護神《ほんしゆごじん》が|現《あら》はれたのだ。アヽ|隠《かく》されぬものだ。|身魂《みたま》と|云《い》ふものは……|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御威光《ごゐくわう》に|照《て》らされて、|此《この》|憐《あは》れな|態《ざま》、|斯《こ》んな|身魂《みたま》を|言依別《ことよりわけ》の|奴《ど》ハイカラが|信用《しんよう》して|居《ゐ》るのだから……|本当《ほんたう》に|悲《かな》しくなつて|来《き》た。|幹部《かんぶ》の|奴《やつ》は|色盲《しきまう》|計《ばか》りだから、|人物《じんぶつ》を|視《み》る|目《め》が|無《な》いから|困《こま》つたものだ。|誠《まこと》のものは|排斥《はいせき》され、|斯《こ》んな|者《もの》が|雪隠虫《せんちむし》の|高上《たかあが》りをするのだからなア』
|国依別《くによりわけ》『チウ チウ チウ』
|秋彦《あきひこ》『クウ クウ クウ』
|国依別《くによりわけ》『サツパリ………|身魂《みたま》がチウクウに|迷《まよ》うて|居《ゐ》るワイの、ウツフヽヽヽ。キユツ キユツ キユツ キユツ』
と|体《からだ》|一面《いちめん》に|笑《わら》ひを|忍《しの》んで、|波《なみ》を|打《う》たせて|居《ゐ》る。
|高姫《たかひめ》『コレコレ|黒姫《くろひめ》さま、|高山彦《たかやまひこ》さま、|一寸《ちよつと》|来《き》て|御覧《ごらん》、|大変《たいへん》な|事《こと》が|出来《しゆつたい》|致《いた》しました。|天《てん》が|地《ち》となり、|地《ち》が|天《てん》となり、サツパリ|身魂《みたま》の|性来《しやうらい》が|現《あら》はれて、|足《あし》が|上《うへ》になつて|歩《ある》く|人間《にんげん》が|現《あら》はれました。どうぞ|皆《みな》さま、やつて|来《き》て|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|元《もと》の|人間《にんげん》になる|様《やう》に|拝《をが》んでやつて|下《くだ》さい。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|気《き》の|毒《どく》さうな|顔《かほ》して、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祈願《きぐわん》をこめて|居《ゐ》る。
(大正一一・七・一二 旧閏五・一八 松村真澄録)
第一八章 |玉《たま》の|所在《ありか》〔七六四〕
|高姫《たかひめ》の|言葉《ことば》に|従《したが》ひ、|黒姫《くろひめ》、|高山彦《たかやまひこ》、アール、エースは|一生懸命《いつしやうけんめい》|汗《あせ》みどろに|成《な》つて、|両人《りやうにん》の|身魂《みたま》の|救《すく》はれむ|事《こと》を|祈願《きぐわん》し|始《はじ》めた。|国依別《くによりわけ》、|秋彦《あきひこ》|両人《りやうにん》はムツクと|起《お》き|上《あが》り|手《て》を|組《く》み、ドスン ドスンと|座敷《ざしき》の|真中《まんなか》に|床《ゆか》がぬける|程《ほど》、|飛《と》び|上《あが》り|揶揄《からか》ふ。
|高姫《たかひめ》『|皆《みな》さま|御覧《ごらん》なさい。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御神力《ごしんりき》と|言《い》ふものは|偉《えら》いものでせう。あの|通《とほ》り|生《い》き|乍《なが》ら|畜生道《ちくしやうだう》に|陥《お》ち|込《こ》み、|足《あし》をピンと|上《うへ》にあげて、|如何《どう》する|事《こと》も|出来《でき》ずに|鼠《ねずみ》の|霊《みたま》に|憑《うつ》られて……チユウ チユウ、クウ クウ……と|泣《な》いて|居《を》りましたが、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|反魂力《はんこんりよく》に|依《よ》りて|此《この》|通《とほ》り|元《もと》の|様《やう》になりました。|座敷中《ざしきちう》|飛《と》び|上《あが》つて|居《を》つたのも、|此《こ》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御神力《ごしんりき》に|恐《おそ》れての|事《こと》、サア|皆《みな》さま、|寄《よ》つて|集《たか》つて|四方《しはう》|八方《はつぱう》から|鎮魂攻《ちんこんぜ》めにあはせ、|国依別《くによりわけ》|等《ら》を|霊媒《れいばい》として、|誠《まこと》の|玉《たま》の|所在《ありか》を|白状《はくじやう》させようぢやありませぬか』
|黒姫《くろひめ》『そりや、|至極《しごく》|結構《けつこう》でせう』
|駒彦《こまひこ》『もしもし、|高姫《たかひめ》さま、|黒姫《くろひめ》さま、|何卒《どうぞ》|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな。|彼奴《あいつ》ア、あんな|事《こと》をして|貴方等《あなたがた》を|揶揄《からか》つて|居《ゐ》るのですよ。|本当《ほんたう》にして|居《ゐ》ると|馬鹿《ばか》を|見《み》ますよ』
|高姫《たかひめ》『お|黙《だま》りなさい。お|前《まへ》さま|等《ら》に|分《わか》つて|堪《たま》りますか。|此《この》|方《はう》には|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》とが|憑《つ》いて|居《を》ります。|揶揄《からか》つて|居《ゐ》るのか、|本当《ほんたう》か、|邪霊《じやれい》が|憑《うつ》つて|居《ゐ》るのか、そんな|事《こと》が|分《わか》らずに|如何《どう》して|神界《しんかい》の|御用《ごよう》が|出来《でき》ますか。お|前《まへ》さまのやうに、|婆《ばば》になつたり|娘《むすめ》になつて|誤魔化《ごまくわ》さうとしても、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|此《この》|高姫《たかひめ》が……ヘン……|見《み》れば|直《す》ぐ|化《ばけ》が|現《あら》はれる。お|前《まへ》さまはゴテゴテ|言《い》ふ|資格《しかく》はないから、|其辺《そこら》|辺《あたり》のペンペン|草《ぐさ》でも|引《ひ》きなさい。それが|性《しやう》に|合《あ》うて|居《を》りますワイ、オホヽヽヽ』
|駒彦《こまひこ》『|高姫《たかひめ》さま、お|前《まへ》さまの|仰有《おつしや》るのも|一応《いちおう》|御尤《ごもつと》もだが、よく|泳《およ》ぐ|者《もの》はよく|溺《おぼ》ると|言《い》ふ|事《こと》がありますぜ。|神懸《かむがか》りの|道《みち》を|知《し》らぬ|者《もの》は|神懸《かむがか》りに|騙《だま》される|事《こと》は|無《な》いが、お|前《まへ》さまの|様《やう》に|神懸《かむがか》りに|不徹底《ふてつてい》して|居《ゐ》ると、|却《かへ》つてアフンと|言《い》ふ|目《め》に|遭《あ》はされるか|知《し》れませぬよ。|此処《ここ》は|例《れい》のアフン|鉄道《てつだう》の|終点《しうてん》、ビツクリ|駅《えき》だからなア』
|高姫《たかひめ》『エー、|八釜《やかま》しいワイな。まア|黙《だま》つて|此《この》|生宮《いきみや》の|審神《さには》を|見《み》て|御座《ござ》れ。|今《いま》に|此《この》|両人《りやうにん》に|口《くち》をきらして、お|前達《まへたち》の|一切《いつさい》の|素性《すじやう》を|素破抜《すつぱぬ》かすから……。アーア、|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》から|帰《かへ》つて|来《く》る|途中《とちう》|随分《ずゐぶん》|苦労《くらう》をしたが、|一《ひと》つ|試験《しけん》の|為《た》め|霊《れい》をかけて|聞《き》いて|見《み》よう』
と|両手《りやうて》を|組《く》み、
『|大将軍様《だいしやうぐんさま》、|十悪道様《じふあくだうさま》、|地上大神様《ちじやうだいじんさま》、|地鎮荒神様《ぢちんくわうじんさま》、|大黒主神《おほくろぬしのかみ》|様《さま》、|鷹鳥神《たかとりのかみ》|様《さま》、|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|此《この》|両人《りやうにん》にお|憑《うつ》り|下《くだ》さいまして、|玉《たま》の|所在《ありか》を|一伍一什《いちぶしじふ》お|示《しめ》し|下《くだ》さいませ。|天下《てんか》|国家《こくか》の|一大事《いちだいじ》、|決《けつ》して|高姫《たかひめ》や|黒姫《くろひめ》の|私有物《しいうぶつ》に|致《いた》すのでは|御座《ござ》いませぬ。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。|一《ひと》、|二《ふた》、|三《みつ》つ|此《この》|玉《たま》が|一時《いちじ》も|早《はや》く|出《で》ます|様《やう》に、|一《ひと》、|二《ふた》、|三《み》、|四《よ》、|五《いつ》つの|玉《たま》が|又《また》もや|現《あら》はれたと|言《い》ふ|事《こと》、それが|真実《しんじつ》ならば、|今度《こんど》こそは|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》、|高山彦《たかやまひこ》の|三人《さんにん》にお|渡《わた》し|下《くだ》さい。|一《ひ》、|二《ふ》、|三《み》、|四《よ》、|五《い》つの|玉《たま》が|早《はや》く|発見《はつけん》|致《いた》しまするやう……|六《むゆ》、|七《なな》、|八《や》、|九《ここの》、|十《たり》、|百《もも》、|千《ち》、|万《よろづ》、|仮令《たとへ》|何処《いづく》の|果《はて》に|隠《かく》しあるとも、|大神様《おほかみさま》の|御眼力《ごがんりき》を|以《もつ》て|御発見《ごはつけん》|遊《あそ》ばし、|此《この》|肉体《にくたい》の|口《くち》を|借《か》つて|直接《ちよくせつ》に|御示《おしめ》し|下《くだ》さいませ』
とウーンウーンと|霊《れい》を|送《おく》る。|国依別《くによりわけ》は|組《く》んだ|手《て》を|頭上《づじやう》|高《たか》くさし|上《あ》げ、|弓《ゆみ》の|様《やう》に|反《そ》り|身《み》になつて、
『ウヽヽヽ|運命《うんめい》の|綱《つな》に|引《ひ》かれて、|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》まで|彷徨《さまよ》ひ|歩《ある》く|汝《なんぢ》の|心《こころ》の|可憐《いぢら》しさ、オホヽヽヽおれは……|俺《おれ》は、|俺《おれ》は、|俺《おれ》は、|俺《おれ》は、フヽヽヽ|再度山《ふたたびやま》の|大天狗《だいてんぐ》であるぞよ。|高山彦《たかやまひこ》や|黒姫《くろひめ》の|心事《しんじ》を|憐《あはれ》み、|聖地《せいち》の|神《かみ》には|済《す》まぬなれども、|玉《たま》の|所在《ありか》を|知《し》らして|遣《つか》はす。それに|就《つ》いては|意地《いぢ》【くね】の|悪《わる》い|高姫《たかひめ》が、|此処《ここ》に|居《を》つては|絶対《ぜつたい》に|言《い》ふ|事《こと》は|出来《でき》ぬぞよ』
『|再度山《ふたたびやま》の|大天狗《だいてんぐ》、そりやチツと|量見《りやうけん》が|違《ちが》ひはしませぬか。|高山彦《たかやまひこ》や|黒姫《くろひめ》に|知《し》らして|此《この》|高姫《たかひめ》に|知《し》らさぬと|言《い》ふのは、そりや|又《また》|如何《どう》|言《い》ふ|理由《りいう》ぢや。それを|聞《き》かして|下《くだ》され』
『それは…それは…それは|我《わが》|眷族《けんぞく》の|小天狗《こてんぐ》が、|秋彦《あきひこ》の|肉体《にくたい》に|憑《うつ》つて|居《ゐ》るから、それに|聞《き》いたが|宜《よ》からうぞ。|俺《おれ》はもう|引《ひ》き|取《と》るぞよ』
『|引《ひ》き|取《と》ると|言《い》うても|此《この》|事《こと》|解決《かいけつ》をつける|迄《まで》、|霊縛《れいばく》を|加《くは》へて|引《ひ》き|取《と》らせませぬぞ。サア|高姫《たかひめ》に|言《い》はれぬと|云《い》ふ|其《その》|理由《りいう》から|判然《はつきり》と|聞《き》かして|貰《もら》ひませう』
『|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|世界中《せかいぢう》|見《み》え|透《す》く|神《かみ》ぢやから、|玉《たま》の|所在《ありか》は|大天狗《だいてんぐ》が|知《し》らさずともよく|御存《ごぞん》じの|筈《はず》だ。|申上《まをしあ》ぐるも|畏《おそれおほ》し、|釈迦《しやか》に|説教《せつけう》を|致《いた》す|様《やう》なものだ。|高姫《たかひめ》に|対《たい》し|玉《たま》の|所在《ありか》を|明《あ》かさぬのは、|畢竟《つまり》|敬意《けいい》を|払《はら》つて、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御神力《ごしんりき》を|輝《かがや》かさむと|思《おも》ふ|大天狗《だいてんぐ》の|真心《まごころ》で|御座《ござ》る』
『|御心遣《おこころづか》ひは|御無用《ごむよう》に|成《な》されませ。さあチヤツと|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》の|様《やう》な|尊《たふと》い|神《かみ》に|御苦労《ごくらう》をかけるのも|畏《おそ》れ|多《おほ》い、お|前《まへ》さま、|知《し》つてるのなら|小《ちひ》さい|声《こゑ》でソツと|言《い》つて|下《くだ》さい。|黒姫《くろひめ》や|高山彦《たかやまひこ》は、|言《い》はばお|添物《そへもの》だから|如何《どう》でも|宜《よろ》しいのだ』
と|耳《みみ》の|端《はた》に|口《くち》を|持《も》つて|行《ゆ》き、|小《ちひ》さい|声《こゑ》で|囁《ささや》く。|国依別《くによりわけ》は|故意《わざ》と|大《おほ》きな|声《こゑ》で、
『それは|高姫《たかひめ》、|一寸《ちよつと》|量見《りやうけん》が|違《ちが》ひは|致《いた》さぬか、|今《いま》|耳《みみ》の|端《はた》で……|高姫《たかひめ》さへ|玉《たま》を|手《て》に|入《い》れたら|宜《よ》い、|高山彦《たかやまひこ》や|黒姫《くろひめ》などは|添物《そへもの》だ、|如何《どう》でもいい……と|囁《ささや》いたであらうがな。そんな|二心《ふたごころ》で|黒姫《くろひめ》、|高山彦《たかやまひこ》を|扱《あつか》つて|居《ゐ》るのか。ヤイ、|高山彦《たかやまひこ》、|黒姫《くろひめ》、よう|今迄《いままで》|高姫《たかひめ》に|馬鹿《ばか》にしられよつたな。もう|神懸《かむがか》りは|嫌《いや》になつた。|俺《おれ》は|斯《か》う|見《み》えて|居《を》つてもチツとも|霊《れい》は|懸《かか》つては|居《を》らぬぞ。|国依別《くによりわけ》は|肉体《にくたい》で|申《まを》して|居《を》るぞよ。それに|間違《まちが》ひは|無《な》いぞよ。よく|審神《さには》して|下《くだ》されよ』
『|悪神《あくがみ》と|言《い》ふものはよく|嘘言《うそ》をつくものだ。コラ|大天狗《だいてんぐ》、|其《その》|手《て》は|喰《く》はぬぞ。|国依別《くによりわけ》の|肉体《にくたい》が|言《い》うた|等《など》と|巧《うま》く|逃《に》げ|様《やう》と|思《おも》つても、いつかないつかな|此《この》|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|睨《にら》んだ|以上《いじやう》は|逃《に》がしはせぬ。サア|綺麗《きれい》サツパリと、|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》、|高山彦《たかやまひこ》の|三人《さんにん》の|前《まへ》で|玉《たま》の|所在《ありか》を|白状《はくじやう》|致《いた》すが|宜《よ》からう』
|国依別《くによりわけ》『|三《みつ》つの|玉《たま》の|所在《ありか》を|知《し》らせませうか、|但《ただ》し|五《いつ》つの|玉《たま》の|所在《ありか》からお|知《し》らせ|致《いた》しませうか』
『|何卒《どうぞ》|三《みつ》つの|玉《たま》の|所在《ありか》は|申《まを》すも|更《さら》なり、|五《いつ》つの|玉《たま》の|所在《ありか》も|一緒《いつしよ》に|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さい。さうすれば|再度山《ふたたびやま》に|立派《りつぱ》なお|宮《みや》を|建《た》て、|其《その》|上《うへ》|大天狗《だいてんぐ》の|遊《あそ》ぶ|公園《こうゑん》を|造《つく》つて|上《あ》げますから……|何卒《どうぞ》|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さい』
『そんなら|是非《ぜひ》に|及《およ》ばず、|知《し》らしてやらう。|三《みつ》つの|玉《たま》は|二三日中《にさんにちぢう》に|聖地《せいち》へ|八咫烏《やあたがらす》に|乗《の》つて|来《く》るぞよ。|一《ひと》つの|玉《たま》は|玉治別《たまはるわけ》、も|一《ひと》つは|玉能姫《たまのひめ》、も|一《ひと》つはお|玉《たま》の|方《かた》、これが|三《みつ》つの|生魂《いきだま》であるぞよ。|又《また》も|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫《たまてるひめ》を|合《あは》せて|五《いつ》つの|御魂《みたま》となるぞよ。アハヽヽヽ』
『エー、|合点《がてん》の|悪《わる》い。それは|人間《にんげん》の|名《な》ぢやないか。|本当《ほんたう》の|宝玉《ほうぎよく》は|何処《どこ》にあるのだ、それを|言《い》ひなさい』
『|実《じつ》の|処《ところ》は|此《この》|国依別《くによりわけ》も、|秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》も|聖地《せいち》へ|行《ゆ》き|度《た》いのが|胸一杯《むねいつぱい》なれど、|折《をり》あしく|其《その》|方《はう》|等《ら》がやつて|来《き》たものだから|行《ゆ》くに|行《ゆ》かれず、|迷惑《めいわく》|致《いた》して|居《を》るぞよ。それに|就《つ》いて|玉《たま》の|所在《ありか》は|此処《ここ》ぞと|嘘言《うそ》を|言《い》ひ、|高山彦《たかやまひこ》の|一行《いつかう》を|或《ある》|地点《ちてん》へ|玉《たま》|探《さが》しにやつて|置《お》き、|其《その》ままコツソリと|三人《さんにん》が|聖地《せいち》に|行《い》つて|秘密《ひみつ》の|神業《しんげふ》に|参加《さんか》する|積《つも》りであつたが……アヽ|如何《どう》したら|宜《よ》いかなア』
『それ|見《み》たか、|矢張《やつぱ》り|国依別《くによりわけ》では|無《な》い。|大天狗《だいてんぐ》の|神懸《かむがか》りだ。|国依別《くによりわけ》が|如何《どう》して|自分《じぶん》の|秘密《ひみつ》を|自分《じぶん》の|口《くち》で|言《い》ふものか。これ|大天狗《だいてんぐ》、そんな|嘘言《うそ》|云《い》うた|処《ところ》で|此《この》|高姫《たかひめ》は|承知《しようち》しませぬぞ。|早《はや》く|玉《たま》の|所在《ありか》を|知《し》らして|下《くだ》さい。|大天狗《だいてんぐ》なら|何《なん》でも|知《し》つてる|筈《はず》だ』
『そんなら|玉《たま》の|所在《ありか》を|詐《いつは》つて|騙《だま》してやらうか。|間違《まちが》つても|決《けつ》して|国依別《くによりわけ》の|肉体《にくたい》に|対《たい》して|不足《ふそく》は|申《まを》さぬか』
『|決《けつ》して|不足《ふそく》は|申《まを》さぬ。|嘘言《うそ》から|出《で》た|誠《まこと》、|誠《まこと》から|出《で》た|嘘言《うそ》と|言《い》ふ|事《こと》がある。|嘘実不二《きよじつふじ》|表裏《へうり》|一体《いつたい》だ。|何《なん》でも|宜《い》いから|言《い》つて|下《くだ》さい。|物《もの》も|研究《けんきう》だ。オーストラリヤ|三界《さんがい》まで|調《しら》べに|行《い》つて|来《き》た|熱心《ねつしん》な|我々《われわれ》|一同《いちどう》、|仮令《たとへ》|一日《いちにち》|二日《ふつか》|遅《おく》れても|構《かま》ふものか、なるべく|本当《ほんたう》の|事《こと》を|嘘言《うそ》らしく|言《い》ふのだよ』
『|本当《ほんたう》の|嘘言《うそ》の|事《こと》を|本真《ほんま》らしく|申《まを》してやらう。|神《かみ》の|奥《おく》には|奥《おく》があり、|其《その》|又《また》|奥《おく》には|奥《おく》があるぞよ』
『エーそんな|事《こと》は|妾《わし》の|言《い》ふ|事《こと》だ。|奥《おく》の|奥《おく》の|其《その》|奥《おく》は|羽織《はおり》の|紐《ひも》ぢやないがチヤンと|胸《むね》にある。サア|言《い》つて|下《くだ》さい』
『オヽヽヽ|俺《おれ》は、|俺《おれ》は|大天狗《だいてんぐ》の|事《こと》であるから、|言依別命《ことよりわけのみこと》の|為《な》さる|事《こと》はチツとも|分《わか》らぬぞよ。|実《じつ》の|処《ところ》は|知《し》らぬと|申《まを》すより|外《ほか》は|無《な》いぞよ』
『エー、|意茶《いちや》つかさずに|置《お》いて|下《くだ》され。【あた】|辛気臭《しんきくさ》い、|早《はや》く|言《い》ふのだよ。|何時《いつ》までも|人《ひと》を|暇《ひま》さうに|焦慮《じ》らすものだない。|時機《じき》|切迫《せつぱく》の|今日《こんにち》の|神界《しんかい》、|仮令《たとへ》|一分間《いつぷんかん》でも|空《むだ》に|光陰《くわういん》を|費《つひ》やす|事《こと》は|出来《でき》ませぬ』
『|此《この》|大天狗《だいてんぐ》が|知《し》らぬと|言《い》うたら|何処迄《どこまで》も、シヽ|知《し》らぬぞよ。ウフヽヽヽ』
『もしもし|高姫《たかひめ》さま、|此奴《こいつ》ア|駄目《だめ》ですよ。あんまり|玉々《たまたま》と|言《い》つて|玉《たま》に|魂《たましひ》を|抜《ぬ》かして|居《ゐ》るものだから、|大天狗《だいてんぐ》の|鼻高《はなだか》が|我々《われわれ》を|嬲《なぶ》るのですから、よい|加減《かげん》になつて|置《お》きなさいませ』
『これ|黒姫《くろひめ》さま、そりや|何《なに》を|仰有《おつしや》る。|掃溜《はきだめ》の|中《なか》にも|金玉《きんぎよく》が|隠《かく》される|事《こと》がある。|斯《か》う|言《い》ふ|低《ひく》い|神《かみ》に|聞《き》いた|方《はう》が|却《かへつ》て|都合《つがふ》が|好《い》いのだ。|少《すこ》し|腹《はら》のある|神《かみ》は|中々《なかなか》|秘密《ひみつ》は|申《まを》さぬが、|斯《か》う|言《い》ふ|低《ひく》い|神《かみ》は|責《せ》めて|責《せ》めて|責《せ》め|倒《たふ》すとツイ|白状《はくじやう》するものだ。お|前《まへ》さまも|来《き》てチツト|鎮魂攻《ちんこんぜ》めを|手伝《てつだひ》つて|下《くだ》さい。|何処《どこ》までも|責《せ》めて、|白状《はくじやう》させねば|措《お》きませぬぞえ』
『アーア、|悪戯《てんご》が|本当《ほんたう》になつて|来《き》た。|二進《につち》も|三進《さつち》も|方法《はうはふ》がつかぬワイ、……もし|高姫《たかひめ》さま、|何《なに》も|憑《うつ》つては|居《を》りませぬ。|国依別《くによりわけ》が|出放題《ではうだい》を|申《まを》したのですから、|何卒《どうぞ》|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|一座《いちざ》の|興《きよう》だと|思《おも》つて|諦《あきら》めて|下《くだ》さい』
|高姫《たかひめ》は|首《くび》を|振《ふ》りウンと|息《いき》をかけ、
『|一座《いちざ》の【けふ】も|明日《あす》もあつたものかい。|何処《どこ》までも|調《しら》べて|調《しら》べて、|調《しら》べ|上《あ》げねば|措《お》きませぬぞ。|仮令《たとへ》|百日《ひやくにち》かかつても|千日《せんにち》かかつても|白状《はくじやう》させねば|措《お》くものか、サア|大天狗《だいてんぐ》、もう|好《い》い|加減《かげん》に|白状《はくじやう》したら|如何《どう》だい』
『アヽ|困《こま》つたな。|実《じつ》の|処《ところ》は|早《はや》く|聖地《せいち》に|行《ゆ》かねば、|言依別神《ことよりわけのかみ》|様《さま》にお|目玉《めだま》を|頂戴《ちやうだい》するのだ。|然《しか》し|高姫《たかひめ》と|一緒《いつしよ》に|帰《かへ》つては|困《こま》るなり、|実際《じつさい》は|嘘言《うそ》だから|何処《どこ》に|玉《たま》が|隠《かく》してあるか、そんな|事《こと》が|分《わか》るものか。|国依別《くによりわけ》の|肉体《にくたい》に|間違《まちが》ひないから、|何卒《どうぞ》|疑《うたが》ひを|晴《は》らして|下《くだ》さい』
|高姫《たかひめ》はキツとなり、
『こりや、|再度山《ふたたびやま》の|大天狗《だいてんぐ》|奴《め》、|何《なん》と|言《い》つても|白状《はくじやう》させねば|措《お》くものか』
と|又《また》もや|汗《あせ》をたらたら|流《なが》し、『ウンウン』と|霊《れい》を|送《おく》る。|側《そば》に|目《め》を|塞《ふさ》ぎ|手《て》を|組《く》んで|坐《すわ》つて|居《ゐ》た|秋彦《あきひこ》の|方《はう》は|根《ね》つから、|相手《あひて》になつて|呉《く》れぬので、
『アーア、|偽神懸《にせかむがか》りも|辛《つら》いものだ。|誰《たれ》も|相手《あひて》になつて|呉《く》れない。|本当《ほんたう》に|玉《たま》なしだ。アヽもう|廃《や》めとこかい』
『これ、|小天狗《こてんぐ》、|巧《うま》い|事《こと》|化《ば》けやがるな。|何《なん》と|言《い》つても|肉体《にくたい》ぢや|無《な》い。サアお|前《まへ》はチツとでよいから|何方《どちら》の|方面《はうめん》だと|言《い》ふ|事《こと》|位《くらゐ》は|知《し》らして|呉《く》れ。さうしたら|公園《こうゑん》を|拵《こしら》へお|宮《みや》を|建《た》てて|祀《まつ》つてやる』
『|公園《こうゑん》も|何《なに》も|要《い》りませぬ。あゝ|足《あし》が|痛《いた》くなつて|来《き》た』
と|立《た》ち|上《あが》らうとする。
『これ|黒姫《くろひめ》さま、|高山彦《たかやまひこ》さま。|秋彦《あきひこ》の|両方《りやうはう》の|手《て》をグツと|握《にぎ》つて|下《くだ》さい。|小天狗《こてんぐ》の|奴《やつ》、|何処《どこ》へ|肉体《にくたい》を|連《つ》れて|行《ゆ》くか|分《わか》りませぬぞ。|白状《はくじやう》させる|迄《まで》は|此《この》|肉体《にくたい》を|外《そと》にやる|事《こと》は|絶対《ぜつたい》になりませぬぞ』
|国依別《くによりわけ》『そんなら、エー、|白状《はくじやう》|致《いた》します。|再度山《ふたたびやま》の|大天狗《だいてんぐ》に|間違《まちが》ひはありませぬ。|又《また》|此《この》|秋彦《あきひこ》の|肉体《にくたい》に|憑《うつ》つて|居《ゐ》るのは|私《わたし》の|眷族《けんぞく》|小天狗《こてんぐ》です。|何卒《どうぞ》しつかり|手足《てあし》を|掴《つか》まへて|立《た》つて|去《い》なぬ|様《やう》にして|下《くだ》さい』
『これこれ|国依別《くによりわけ》さま、|殺生《せつしやう》な|事《こと》を|言《い》はないで|下《くだ》さい。|足《あし》が|痛《いた》んで|仕方《しかた》がありませぬ。お|前《まへ》さまがするから|真似《まね》したのが|病付《やみつ》きだ。……もしもし|御両人様《ごりやうにんさま》、どうぞ|手《て》を|放《はな》して|下《くだ》さい。お|前《まへ》さまも|肉体《にくたい》か|神懸《かむがか》りか|分《わか》らぬ|事《こと》はあるまい。|本当《ほんたう》によく|調《しら》べて|下《くだ》さい』
『|何《なん》と|仰有《おつしや》つても|小天狗《こてんぐ》は|小天狗《こてんぐ》だ。|国依別《くによりわけ》は|平常《ふだん》から|鼻《はな》が|高《たか》いから|大天狗《だいてんぐ》が|憑《うつ》るのは|当然《あたりまへ》だ。お|前《まへ》も|鼻高《はなだか》だから|身魂相応《みたまさうおう》の|小天狗《こてんぐ》が|憑《うつ》るのだ。|巧《うま》い|事《こと》|肉体《にくたい》に|化《ば》けても【あき】ませぬぞよ』
|国依別《くによりわけ》『アハヽヽヽ、|暁没漢《わからずや》ほど|困《こま》つたものは|無《な》いワイ。そんなら|偽《にせ》の|神懸《かむがか》りで、|大天狗《だいてんぐ》が|高姫《たかひめ》に|玉《たま》の|所在《ありか》の【スカタン】を|知《し》らして|上《あ》げようかい。|其《その》|代《かは》りに|知《し》らしてやつたら|此処《ここ》を|立《た》ち|退《の》くだらうなア』
『|何処迄《どこまで》もお|前《まへ》を|引張《ひつぱ》つて|行《い》つて|神懸《かむがか》りをさせて|玉《たま》を|探《さが》させ、|土《つち》の|中《なか》でも|何尺《なんじやく》|下《した》と|言《い》ふ|事《こと》を|透視《とうし》さすのだから、|玉《たま》が|出《で》る|迄《まで》|放《はな》しませぬぞえ』
|国依別《くによりわけ》『こいつは|困《こま》つたなア。|俺《わし》も|自分《じぶん》|乍《なが》ら|肉体《にくたい》だか|神懸《かむがか》りだか|分《わか》らぬ|様《やう》になつて|仕舞《しま》つた』
|高姫《たかひめ》『それ|見《み》なさい。|何処《どこ》だかハツキリと|白状《はくじやう》しなさい、|事《こと》と|品《しな》とに|依《よ》つたら|此《この》|場《ば》で|開放《かいはう》してやるかも|知《し》れませぬ』
|国依別《くによりわけ》『|別《べつ》に|開放《かいはう》して|貰《もら》はなくてもよい。|霊縛《れいばく》されたのでも|無《な》し、|自由自在《じいうじざい》に|行《ゆ》き|度《た》い|処《ところ》に|行《ゆ》けるのだが、|一《ひと》つ|困《こま》るのはお|前《まへ》さまが|跟《つ》いてくる|事《こと》だ。|跟《つ》いて|来《き》さへせねば|国依別《くによりわけ》は|国依別《くによりわけ》としての|御用《ごよう》が|勤《つと》まるのだ。|二三日《にさんにち》|遅《おく》れて|聖地《せいち》へ|帰《かへ》るなら|帰《かへ》つて|下《くだ》さい。それ|迄《まで》にチヤンと|秘密《ひみつ》の|相談《さうだん》をして、お|前《まへ》さま|達《たち》にアフンとさせる|仕組《しぐみ》をさせねばならぬからなア』
『|何《なん》と|言《い》つても|国依別《くによりわけ》が|其《そ》んな|自分《じぶん》の|不利益《ふりえき》な|事《こと》を|喋《しやべ》るものか。|再度山《ふたたびやま》の|大天狗《だいてんぐ》に|間違《まちがひ》はあるまいがな』
と|後《あと》|程《ほど》|大《おほ》きな|声《こゑ》で|呶鳴《どな》りつける。
『そんなら|三《みつ》つの|玉《たま》の|所在《ありか》を|一人《ひとり》|々々《ひとり》|一ケ所《いつかしよ》づつ|申《まを》し|上《あ》げるから、|互《たがひ》に|秘密《ひみつ》を|守《まも》つて|下《くだ》さい。|三人《さんにん》が|三人《さんにん》|乍《なが》ら|分《わか》らない|様《やう》にするといふお|約束《やくそく》になれば、|実際《じつさい》の|事《こと》を|大天狗《だいてんぐ》が|申《まを》し|上《あ》げませう。|実《じつ》の|処《ところ》は|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》が|明日《あす》の|朝《あさ》|早《はや》く|掘《ほ》り|出《だ》しに|御出《おいで》になり、|又《また》|外《ほか》へお|隠《かく》し|遊《あそ》ばすのだから、|玉《たま》を|手《て》に|入《い》れるのなら|今《いま》の|内《うち》ですよ』
|高姫《たかひめ》、|首《くび》を|縦《たて》に|三《みつ》つ|四《よ》つ|振《ふ》り|乍《なが》ら、
『あ、さうだらうさうだらう、そんなら|高山彦《たかやまひこ》さま、|黒姫《くろひめ》さま、|妾《わたし》は|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》の|所在《ありか》を|聞《き》きますから、|貴方《あなた》|達《たち》は|彼方《あちら》へ|行《い》つて|下《くだ》さい。|順番《じゆんばん》が|廻《まは》つて|来《き》たら|知《し》らせますから……』
|黒姫《くろひめ》『エー、|仕方《しかた》が|無《な》い。そんなら|順番《じゆんばん》が|来《く》る|迄《まで》|待《ま》つて|居《ゐ》ませう』
と|次《つぎ》の|間《ま》に|下《さ》がる。
『|此《この》|家《いへ》を|遠《とほ》く|離《はな》れて|森《もり》の|中《なか》まで|行《い》つて|下《くだ》さい。さうでないとお|前《まへ》さまの|副守護神《ふくしゆごじん》が|立聞《たちぎ》きすると|困《こま》るから……』
『ハーイ ハーイ』
と|長《なが》い|返事《へんじ》をし|乍《なが》ら|黒姫《くろひめ》は|出《い》でて|行《ゆ》く。
|高姫《たかひめ》『さア|御註文《ごちゆうもん》|通《どほ》り|誰《たれ》も|居《を》りませぬ。チヤツと|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいませ』
『|金剛不壊《こんがうふえ》の|御玉《おんたま》は、|杢助《もくすけ》の|娘《むすめ》、|初稚姫《はつわかひめ》、|言依別《ことよりわけ》の|手《て》より|受取《うけと》り|給《たま》ひ、|近江《あふみ》の|国《くに》の|竹生島《ちくぶしま》の|社殿《しやでん》の|下《した》に|三角石《さんかくいし》を|標《しるし》として|匿《かく》し|置《お》かれたぞよ。その|方《はう》は|只今《ただいま》より|黒姫《くろひめ》に|姿《すがた》を|隠《かく》して、|一時《いちじ》も|早《はや》く|竹生島《ちくぶしま》に|向《むか》つて|玉取《たまと》りに|行《ゆ》くが|宜《よ》からう。|愚図々々《ぐづぐづ》|致《いた》して|居《を》ると|言依別《ことよりわけ》の|使者《ししや》に|先《さき》に|掘出《ほりだ》されて|仕舞《しま》ふぞよ』
『|何《なん》でも|妾《わし》の|霊眼《れいがん》に|映《えい》じたのは|島《しま》ぢやと|思《おも》うて|居《ゐ》た。お|礼《れい》は|後《あと》で|申《まを》し|上《あ》げる。|又《また》|国依別《くによりわけ》の|肉体《にくたい》も|良《よ》い|御用《ごよう》をしたのだから、|肉体《にくたい》に|対《たい》しても|後《あと》で|御礼《おれい》を|申《まを》すから……』
と|欣々《いそいそ》と|杢助館《もくすけやかた》の|裏口《うらぐち》より|駆出《かけだ》して|仕舞《しま》つた。
|国依別《くによりわけ》『オイ|秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》、|如何《どう》だ。|俺《おれ》の|狂言《きやうげん》は|余《あま》り|巧《うま》くやり|過《す》ぎて、|本当《ほんたう》の|大天狗《だいてんぐ》にしられて|仕舞《しま》つたぢやないか。アハヽヽヽ』
|秋彦《あきひこ》『|然《しか》し|国依別《くによりわけ》さま、|本当《ほんたう》に|金剛不壊《こんがうふえ》の|玉《たま》は|竹生島《ちくぶしま》に|隠《かく》してあるのですか。|俺《おれ》は|初《はじ》めて|聞《き》きましたよ』
|国依別《くによりわけ》『|大《おほ》きな|声《こゑ》で|言《い》ふな。|疑《うたが》ひ|深《ぶか》い|高姫《たかひめ》がソツと|俺達《おれたち》の|話《はなし》を|立聞《たちぎ》きしてるか|知《し》れぬぞ……オイ、|駒彦《こまひこ》、|家《いへ》の|周囲《ぐるり》を|見《み》て|来《こ》い』
|駒彦《こまひこ》『イヽエ、|高姫《たかひめ》は|雲《くも》を|霞《かすみ》と|走《はし》つて|行《ゆ》きましたよ』
『サア、|之《これ》から|此《この》|大天狗《だいてんぐ》が|黒姫《くろひめ》、|高山彦《たかやまひこ》を|何《なん》とか|撒《ま》かねばならぬ。|今度《こんど》は|何処《どこ》に|隠《かく》したと|言《い》はうかな。エー、よしよし、|其《その》|時《とき》の|塩梅《あんばい》ぢや、……オイ|駒彦《こまひこ》、|黒姫《くろひめ》さま|唯《ただ》|一人《ひとり》|来《こ》いと|言《い》うて|呼《よ》んで|来《こ》い』
『|承知《しようち》しました』
と|尻引《しりひつ》からげ、|森《もり》の|中《なか》に|控《ひか》へて|居《を》る|黒姫《くろひめ》を|迎《むか》へて|来《き》た。|黒姫《くろひめ》はイソイソとして|足《あし》も|地《ち》に|着《つ》かず|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれた。
『|今《いま》|改《あらた》めて|大天狗《だいてんぐ》より|黒姫《くろひめ》に|黄金《こがね》の|玉《たま》の|所在《ありか》を|知《し》らしてやらう。|高姫《たかひめ》は|既《すで》に|宝《たから》の|所在《ありか》を|教《をし》へられ|掘出《ほりだ》しに|出立《しゆつたつ》|致《いた》したぞよ。サア|秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》、|其《その》|方《はう》は|門外《もんぐわい》へ|出《で》て|仕舞《しま》へ、|秘密《ひみつ》が|洩《も》れると|大変《たいへん》だから……』
|二人《ふたり》は|笑《わら》ひ|乍《なが》ら|門口《もんぐち》へ|飛《と》び|出《だ》す。
『|再度山《ふたたびやま》の|大天狗《だいてんぐ》が|今《いま》|改《あらた》めて|黒姫《くろひめ》に|黄金《こがね》の|玉《たま》の|所在《ありか》を|知《し》らしてやる|程《ほど》に、|仮令《たとへ》|高山彦《たかやまひこ》になりとも|口外《こうぐわい》せぬと|言《い》ふ|事《こと》を|誓《ちか》ふか、|如何《どう》だ』
『ハイ、|決《けつ》して|秘密《ひみつ》は|漏《も》らしませぬ』
『そんなら|確《たしか》に|聞《き》け。|近江《あふみ》の|国《くに》は|琵琶《びは》の|湖《みづうみ》、|竹生島《ちくぶしま》の|弁天《べんてん》の|祠《ほこら》の|下《した》に、|三角形《さんかくけい》の|石《いし》を|標《しるし》として|三尺《さんじやく》|下《した》に|黄金《こがね》の|玉《たま》は|隠《かく》されてあるぞよ。|早《はや》く|参《まゐ》らぬと|言依別《ことよりわけ》の|使《つかひ》の|者《もの》が|掘出《ほりだ》して、|後《あと》でアフンとせねばならぬぞよ。|一時《いちじ》も|早《はや》く|行《い》つたが|宜《よ》からう』
『それはそれは、|有難《ありがた》い|貴方《あなた》のお|示《しめ》し、そんなら|之《これ》から|参《まゐ》ります』
と|裏口《うらぐち》より|夜叉《やしや》の|如《ごと》く|尻引《しりひつ》からげ、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|駆《か》け|出《だ》しぬ。|続《つづ》いて|高山彦《たかやまひこ》も|此処《ここ》に|招《まね》かれて|又《また》もや|国依別《くによりわけ》の|居間《ゐま》に|入《い》り|来《きた》る。
『ヤア|其方《そなた》は|高山彦《たかやまひこ》で|御座《ござ》つたか。|今《いま》|大天狗《だいてんぐ》が|知《し》つた|丈《だけ》の|事《こと》を|教《をし》へて|遣《つか》はす。|高姫《たかひめ》には|金剛不壊《こんがうふゑ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》の|所在《ありか》を|示《しめ》し、|黒姫《くろひめ》には|黄金《こがね》の|玉《たま》の|所在《ありか》を|知《し》らした|処《ところ》、|両人《りやうにん》は|時《とき》おくれては|一大事《いちだいじ》と、|玉《たま》の|隠《かく》し|場所《ばしよ》へ|走《はし》つて|行《い》つたぞ。|紫《むらさき》の|玉《たま》の|所在《ありか》は|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|佩《は》かせ|給《たま》ふ|十握《とつか》の|剣《つるぎ》より|現《あら》はれ|出《い》でたる、|三女神《さんぢよしん》の|鎮《しづ》まり|給《たま》ふ|近江《あふみ》の|国《くに》は|竹生島《ちくぶしま》、|弁天《べんてん》の|祠《ほこら》の|下《した》に、|三角形《さんかくけい》の|石《いし》を|乗《の》せて|三尺《さんじやく》ばかり|底《そこ》の|方《はう》へ|隠《かく》してあるぞよ。|一時《いちじ》も|早《はや》く|取《と》りに|行《ゆ》かぬと|聖地《せいち》より|掘出《ほりだ》しに|行《ゆ》くぞよ。|如何《どう》ぢや、ありがたいか』
『ハイ、|有難《ありがた》う。|三人《さんにん》|共《とも》|願望《ぐわんまう》|成就《じやうじゆ》、|御礼《おれい》は|後《あと》から、ゆつくり……|左様《さやう》なら……|大天狗様《だいてんぐさま》、|之《これ》にてお|別《わか》れ|致《いた》します』
『|汝《なんぢ》は|裏口《うらぐち》より|走《はし》つて|行《ゆ》け。さうしてアール、エースの|二人《ふたり》を|伴《ともな》ひ、|刻《とき》を|移《うつ》さず|走《はし》つて|行《ゆ》くが|宜《よ》いぞよ』
『|何《なに》から|何《なに》まで|御注意《ごちうい》|下《くだ》さいまして|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|御礼《おれい》は|後《あと》より……』
と|言《い》ひ|捨《す》てて、|長《なが》いコンパスを|大股《おほまた》に|踏張《ふんば》り|乍《なが》ら|地響《ぢひび》き|打《う》たせて、ドスンドスンと|床《ゆか》を|鳴《な》らして|進《すす》み|行《ゆ》く。|国依別《くによりわけ》は|後見送《あとみおく》つて、
『アハヽヽヽ、|三五《あななひ》の|神《かみ》の|道《みち》にはチツとも|嘘言《うそ》は|申《まを》されぬのだが、アア|責《せ》められちや|仕方《しかた》がない。|玉《たま》はなくても|弁天様《べんてんさま》へ|参拝《さんぱい》して|結構《けつこう》な|悟《さとり》を|開《ひら》き、|玉《たま》|以上《いじやう》の|御神徳《おかげ》を|頂《いただ》くと|思《おも》つて、|竹生島《ちくぶしま》|詣《まゐ》りをさしてやつたのだ。|知《し》らず|知《し》らずに|瑞《みづ》の|御魂《みたま》に|頭《かしら》を|下《さ》げさすと|言《い》ふ|俺《おれ》の|仕組《しぐみ》だ、|何《なん》と|妙案《めうあん》だらう』
|秋彦《あきひこ》『|其奴《そいつ》ア|上出来《じやうでき》だつた。|然《しか》し|駒彦《こまひこ》さま、お|前《まへ》しつかり|留守《るす》して|居《ゐ》て|呉《く》れ。|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》ると|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》や|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》が|聖地《せいち》へお|帰《かへ》り|遊《あそ》ばした|後《あと》になつては|大変《たいへん》だから、|俺達《おれたち》|二人《ふたり》は|之《これ》から|聖地《せいち》へ|参拝《さんぱい》するから……あと|宜《よろ》しく|頼《たの》むよ』
|駒彦《こまひこ》『ヨシ、|承知《しようち》した。サア|早《はや》く|行《い》つたが|宜《よ》からう。|東助《とうすけ》さまも、モウ|今頃《いまごろ》は|聖地《せいち》へ|安着《あんちやく》されてる|時分《じぶん》だ。お|前達《まへたち》|両人《りやうにん》の|帰《かへ》るのを|首《くび》を|長《なが》うして|待《ま》つて|居《を》られるだらう。サア|後《あと》は|俺《おれ》が|引受《ひきう》けるから、|心配《しんぱい》せずに|早《はや》く|足《あし》の|用意《ようい》に|掛《かか》つて|呉《く》れ』
|国依別《くによりわけ》、|秋彦《あきひこ》は|急《いそ》ぎ|旅装《りよさう》を|整《ととの》へ、|館《やかた》を|後《あと》に|聖地《せいち》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・七・一二 旧閏五・一八 北村隆光録)
第一九章 |竹生島《ちくぶじま》〔七六五〕
『|金剛不壊《こんがうふえ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》 |黄金《こがね》の|玉《たま》や|紫《むらさき》の
|珍《うづ》の|宝《たから》に|魂《たましひ》を |抜《ぬ》かれて|胸《むね》もどきどきと
|浪《なみ》|高姫《たかひめ》や|黒姫《くろひめ》が |高山彦《たかやまひこ》と|諸共《もろとも》に
|高山低山《たかやまひきやま》|野《の》の|末《すゑ》や |河《かは》の|中《なか》|迄《まで》|村胆《むらきも》の
|心《こころ》を|配《くば》り|気《き》を|配《くば》り |探《さが》して|見《み》れど|影《かげ》さへも
|見《み》えぬみたまの|苦《くる》しさに |又《また》も|竜宮《りうぐう》を|後《あと》にして
|現界《このよ》|幽界《あのよ》の|瀬戸《せと》の|海《うみ》 |命《いのち》を|的《まと》に|淡路島《あはぢしま》
|洲本《すもと》の|郷《さと》に|名《な》も|高《たか》き |東助館《とうすけやかた》に|立《た》ち|向《むか》ひ
|虻蜂《あぶはち》|取《と》らずの|問答《もんだふ》に やつさもつさと|時《とき》|移《うつ》し
|争《あらそ》ふ|折《をり》しも|女房《にようばう》の お|百合《ゆり》の|方《かた》にうまうまと
|揺《ゆ》り|落《おと》されて|荒浪《あらなみ》の |打《う》ち|寄《よ》せ|来《きた》る|汀《みぎは》より
|又《また》もや|船《ふね》を|操《あやつ》りて |再度山《ふたたびやま》のふもとなる
|生田《いくた》の|森《もり》に|着《つ》きにける |高姫《たかひめ》|黒姫《くろひめ》|始《はじ》めとし
|高山彦《たかやまひこ》は|黒《くろ》ン|坊《ばう》の アール、エースを|随《したが》へて
|教《をしへ》の|館《やかた》に|来《き》て|見《み》れば |夕陽《せきやう》|西《にし》に|傾《かたむ》きて
|烏《からす》の|声《こゑ》も|悲《かな》しげに |塒《ねぐら》|求《もと》むる|宵《よひ》の|口《くち》
|門《もん》に|佇《たたず》み|戸《と》を|叩《たた》き モウシモウシと|訪《おとな》へば
|中《なか》より|聞《きこ》ゆる|婆《ばば》の|声《こゑ》 |訝《いぶ》かしさよと|高姫《たかひめ》は
|戸《と》の|隙間《すきま》より|打《う》ち|覗《のぞ》き |老婆《らうば》の|声《こゑ》の|持主《もちぬし》は
|的切《てつきり》|男《をとこ》と|判明《はんめい》し お|前《まへ》の|声《こゑ》は|駒彦《こまひこ》か
|馬鹿《ばか》にするのも|程《ほど》がある |早《はや》く|開《ひら》けと|打《う》ち|叩《たた》く
|是非《ぜひ》に|及《およ》ばず|駒彦《こまひこ》は |中《なか》よりガラリと|戸《と》を|開《あ》けて
|俄《にはか》に|作《つく》るおチヨボ|口《ぐち》 |揉手《もみで》しながら|腰《こし》|屈《かが》め
|優《やさ》しき|女《をんな》の|作《つく》り|声《ごゑ》 |高姫《たかひめ》さまや|御一同《ごいちどう》
ようまアお|越《こ》し|下《くだ》さつた サアサアお|入《はい》りなされませ
|私《わたし》の|体《からだ》は|駒彦《こまひこ》ぢや |俄《にはか》に|体《からだ》が|変《へん》になり
|慄《ふる》ひ|出《だ》したる|折《をり》もあれ |黒姫《くろひめ》さまの|霊《れい》が|来《き》て
|重《おも》い|体《からだ》を|自由自在《じいうじざい》 |婆《ば》さまの|声《こゑ》を|出《だ》しました
|続《つづ》いて|憑《うつ》つた|玉能姫《たまのひめ》 |以前《いぜん》に|変《かは》る|淑《しと》やかな
|惚《ほ》れ|惚《ぼ》れするよな|涼《すず》し|声《ごゑ》 |我《われ》と|我《わ》が|手《て》に|惚《ほれ》ました
|高姫司《たかひめつかさ》は|横柄《わうへい》に |然《しか》らば|御免《ごめん》と|云《い》ひ|捨《す》てて
|高山彦《たかやまひこ》や|黒姫《くろひめ》を |伴《ともな》ひ|一間《ひとま》に|座《ざ》を|占《し》める
|国依別《くによりわけ》や|秋彦《あきひこ》は こりや|耐《たま》らぬと|奥《おく》の|間《ま》へ
|一時《いちじ》|逃《のが》れに|身《み》を|隠《かく》し |火鉢《ひばち》を|前《まへ》に|長煙管《ながぎせる》
|松葉《まつば》の|粉煙草《こたばこ》|吸《す》ひながら カンと|叩《たた》いた|煙管《きせる》の|音《おと》に
|高姫《たかひめ》|一行《いつかう》|耳《みみ》を|立《た》て つかつか|奥《おく》へ|進《すす》み|入《い》る
こりや|大変《たいへん》と|両人《りやうにん》は |杢助司《もくすけつかさ》の|真似《まね》をして
ごろりと|転《こ》けて|足《あし》を|上《あ》げ チウチウ クウクウ キウキウと
|天井《てんじやう》の|鼠《ねずみ》の|真似《まね》をする |此処《ここ》へ|高姫《たかひめ》やつて|来《き》て
ほんに|可愛《かあい》や|両人《りやうにん》は |霊肉《れいにく》|共《とも》に|四足《よつあし》に
なつて|仕舞《しま》うたか|神様《かみさま》に お|詫《わび》|申《まを》して|助《たす》けむと
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が |竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|諸共《もろとも》に
ウンとばかりに|霊《れい》をかけ |天津祝詞《あまつのりと》を|宣《の》りつれば
|国依別《くによりわけ》は|起《お》き|上《あが》り |坐《すわ》つた|儘《まま》の|神懸《かむがか》り
ドスンドスンと|飛《と》び|上《あが》り |座敷《ざしき》の|中《なか》にて|餅《もち》を|搗《つ》く
|鹿公《しかこう》|迄《まで》が|同《おな》じよに |猿《さる》の|人真似《ひとまね》|飛《と》び|上《あが》り
|餅《もち》と|団子《だんご》を|搗《つ》き|交《ま》ぜて |高姫司《たかひめつかさ》を|相手取《あひてど》り
|手持無沙汰《てもちぶさた》な|顔《かほ》をして |団子理窟《だんごりくつ》を|捏《こ》ね|廻《まは》し
|嘘《うそ》から|生《うま》れた|大天狗《だいてんぐ》 たうとう|真実《ほんと》の|鼻高《はなだか》に
しられて|仕舞《しま》ひ|両人《りやうにん》は |引《ひ》くに|引《ひ》かれぬ|当惑《たうわく》の
|締木《しめぎ》にかかつた|可笑《をか》しさよ |駒彦《こまひこ》|様子《やうす》を|窺《うかが》へば
|真面目《まじめ》な|顔《かほ》で|高姫《たかひめ》や |高山彦《たかやまひこ》や|黒姫《くろひめ》が
|押問答《おしもんだふ》のいがみ|合《あ》ひ |吹《ふ》き|出《だ》す|許《ばか》り|思《おも》はれて
|臍茶《へそちや》を|沸《わか》す|苦《くる》しさに |外《そと》の|景色《けしき》を|眺《なが》めやり
|可笑《をか》しさ|紜《まぎ》らす|窓《まど》の|口《くち》 セツパ|詰《つま》つた|国依別《くによりわけ》は
たうとう|天狗《てんぐ》になり|済《す》まし |高姫司《たかひめつかさ》をチヨロまかし
|近江《あふみ》の|国《くに》の|竹生島《ちくぶしま》 |瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|聖場《せいぢやう》へ
|高山彦《たかやまひこ》も|黒姫《くろひめ》も やつて|仕舞《しま》うた|御手際《おてぎは》に
|駒彦《こまひこ》|胸《むね》を|撫《な》で|下《おろ》し |生田《いくた》の|森《もり》の|留守番《るすばん》を
|仰《あふ》せつけられました|故《ゆゑ》 |確《しつか》り|後《あと》を|守《まも》ります
|国依別《くによりわけ》や|秋彦《あきひこ》の |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|何卒《どうぞ》|御無事《ごぶじ》でお|達者《たつしや》で |綾《あや》の|高天《たかま》に|恙《つつが》なく
|早《はや》く|安着《あんちやく》|遊《あそ》ばせよ |孰《いづ》れ|高姫《たかひめ》|一行《いつかう》は
|綾《あや》の|聖地《せいち》に|帰《かへ》りませう その|時《とき》こそは|国依別《くによりわけ》と
|高姫《たかひめ》さまの|争《いさかひ》の |立派《りつぱ》な|花《はな》が|咲《さ》くであろ
|今《いま》から|思《おも》ひやられます あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましまして |国依別《くによりわけ》や|秋彦《あきひこ》に
|敗北《ひけ》を|取《と》らして|下《くだ》さるな |三五教《あななひけう》の|大神《おほかみ》の
|宇都《うづ》の|御前《みまへ》に|駒彦《こまひこ》が |心《こころ》を|正《ただ》し|身《み》を|正《ただ》し
|慎《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎまつる』
と|別《わか》れの|祝歌《しゆくか》を|歌《うた》つて|両人《りやうにん》が|聖地《せいち》へ|参向《さんかう》の|首途《かどで》を|見送《みおく》るのであつた。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・七・一二 旧閏五・一八 加藤明子録)
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霊界物語 第二五巻 海洋万里 子の巻
終り