霊界物語 第二四巻 如意宝珠 亥の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第二四巻』愛善世界社
1998(平成10)年02月03日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年10月22日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|総説《そうせつ》
第一篇 |流転《るてん》の|涙《なみだ》
第一章 |粉骨砕身《ふんこつさいしん》〔七三一〕
第二章 |唖〓《あうん》〔七三二〕
第三章 |波濤《はたう》の|夢《ゆめ》〔七三三〕
第四章 |一島《ひとつじま》の|女王《ぢよわう》〔七三四〕
第二篇 |南洋探島《なんやうたんたう》
第五章 |蘇鉄《そてつ》の|森《もり》〔七三五〕
第六章 アンボイナ|島《たう》〔七三六〕
第七章 メラの|滝《たき》〔七三七〕
第八章 |島《しま》に|訣別《けつべつ》〔七三八〕
第三篇 |危機一髪《ききいつぱつ》
第九章 |神助《しんじよ》の|船《ふね》〔七三九〕
第一〇章 |土人《どじん》の|歓迎《くわんげい》〔七四〇〕
第一一章 |夢《ゆめ》の|王者《わうじや》〔七四一〕
第一二章 |暴風一過《ぼうふういつくわ》〔七四二〕
第四篇 |蛮地《ばんち》|宣伝《せんでん》
第一三章 |治安内教《ぢあんないけう》〔七四三〕
第一四章 タールス|教《けう》〔七四四〕
第一五章 |諏訪湖《すはこ》〔七四五〕
第一六章 |慈愛《じあい》の|涙《なみだ》〔七四六〕
|霊《たま》の|礎《いしずゑ》(一〇)
|霊《たま》の|礎《いしずゑ》(一一)
|神諭《しんゆ》
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|序文《じよぶん》
一、|霊界物語《れいかいものがたり》もいよいよ|二十四巻《にじふしくわん》まで|口述《こうじゆつ》し|終《をは》りました。|此《この》|総日数《そうにつすう》|一百二十八日間《いつぴやくにじふはちにちかん》、|一冊《いつさつ》に|就《つ》き|平均《へいきん》|五日《いつか》|強《きやう》を|要《えう》した|次第《しだい》であります。
一、|大正《たいしやう》|十一年《じふいちねん》|六月《ろくぐわつ》は、|種々《しゆじゆ》の|故障《こしやう》の|出来《しゆつたい》せしために、|一ケ月間《いつかげつかん》|口述《こうじゆつ》を|中止《ちゆうし》いたしましたので|予定《よてい》とは|非常《ひじやう》に|番狂《ばんくる》はせを|致《いた》しました。
一、いよいよ|七月《しちぐわつ》より|又《また》もや|神助《しんじよ》のもとに|口述《こうじゆつ》を|初《はじ》めむとする|際《さい》、|編輯長《へんしふちやう》|外山氏《とやまし》|病気《びやうき》の|為《ため》、|休養《きうやう》さるる|事《こと》となりましたので、|筆記《ひつき》も|思《おも》う|様《やう》に|捗《はかど》らぬのを|遺憾《ゐかん》に|存《ぞん》じます。|幸《さいは》ひ|手八丁《てはつちやう》|口八丁《くちはつちやう》の|勇者《ゆうしや》|松村《まつむら》|真澄《まさずみ》|氏《し》を|初《はじ》め、|加藤《かとう》|明子《はるこ》の|熱心者《ねつしんしや》、|北村《きたむら》|隆光《たかてる》、|谷村《たにむら》|真友《まさとも》の|四氏《よんし》が|執筆《しつぴつ》されて|居《ゐ》ますから、|稍《やや》|安心《あんしん》を|致《いた》して|居《を》ります。
一、|今年《ことし》の|夏《なつ》は|少《すこ》し|旅行《りよかう》する|考《かんが》へですから、|又々《またまた》|口述《こうじゆつ》が|遅延《ちえん》するかと|案《あん》じて|居《を》ります。|唯《ただ》|何事《なにごと》も|惟神《かむながら》に|任《まか》すより|仕方《しかた》はありませぬ。
大正十一年七月五日 於松雲閣
|総説《そうせつ》
|現代《げんだい》は|真《しん》の|宗教《しうけう》|無《な》く、|又《また》|宗教家《しうけうか》もない。キリスト|教徒《けうと》はキリストを|知《し》らず、|仏教家《ぶつけうか》は|仏教《ぶつけう》を|知《し》らず、|教育家《けういくか》は|教育《けういく》を|知《し》らず、|紺屋《こんや》の|白袴《しろばかま》、|箕売《みう》り|笠《かさ》で【ひる】|譬《たとへ》の|通《とほ》り、|真《しん》に|宗教《しうけう》や|教育《けういく》や、|将《は》た|又《また》|政事《せいじ》を|解《かい》したものは|尠《すくな》い。|従《したが》つて|人間《にんげん》として|談《はなし》をしようと|思《おも》ふ|者《もの》も|余《あま》り|沢山《たくさん》に|有《あ》りさうもない。|歩行《ある》く|樹木《じゆもく》か|石地蔵《いしぢざう》か、もの|言《い》ふ|案山子《かがし》かと|思《おも》つて|居《ゐ》たら|余《あま》り|大《おほ》きな|間違《まちが》ひもない|様《やう》だと、|私《わたくし》の|副守《ふくしゆ》らしいものが|囁《ささや》いて|居《ゐ》る。|神代《かみよ》に|於《お》ける|神《かみ》の|道《みち》の|宣伝使《せんでんし》(|今日《こんにち》の|所謂《いはゆる》|宗教家《しうけうか》)の|舎身的《しやしんてき》|活動《くわつどう》と、|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》と|忍耐《にんたい》の|強《つよ》き|事《こと》を|思《おも》ひ|出《だ》せば、|現代《げんだい》の|宗教家《しうけうか》には|五大洲中《ごだいしうちう》|唯《ただ》の|一人《ひとり》も|無《な》いと|謂《い》つても|過言《くわごん》ではあるまいと|思《おも》ふ。|私《わたくし》は|現代《げんだい》の|教役者《けうえきしや》の|日々《にちにち》の|行動《かうどう》と、その|心理《しんり》|状態《じやうたい》を|見《み》るにつけ、|神代《かみよ》の|教役者《けうえきしや》の|活動《くわつどう》に|比《ひ》し、|実《じつ》に|天地霄壤《てんちせうじやう》の|差《さ》あること|歎息《たんそく》せずには|居《を》られないのだ。
|本巻《ほんくわん》|末尾《まつび》には、|神代《かみよ》に|於《お》ける|宣伝使《せんでんし》の|至善《しぜん》|至美《しび》、|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|大精神《だいせいしん》が|遺憾《ゐかん》なく|口述《こうじゆつ》されてあるから、|宣伝使《せんでんし》は|更《さら》なり、|凡《すべ》ての|宗教《しうけう》の|信者《しんじや》たるもの、|本巻《ほんくわん》を|一読《いちどく》されて|大神《おほかみ》の|大御心《おほみこころ》を|覚《さと》り、|且《か》つ|信者《しんじや》たるものの|軌範《きはん》となし、|真《しん》の|日本魂《やまとだましひ》を|発揮《はつき》されむ|事《こと》を|希望《きばう》する。キリスト|教《けう》と|云《い》ふも、|仏教《ぶつけう》といふも、|神道《しんだう》といふも、その|真髄《しんずゐ》を|窮《きは》めて|見《み》れば、|何《いづ》れも|日本魂《やまとだましひ》の|別名《べつめい》に|外《ほか》ならぬのである。|況《いは》ンや|日本魂《やまとだましひ》の|本場《ほんば》たる|神《かみ》の|国《くに》に|生《せい》を|托《たく》するものに|於《おい》てをやである。
大正十一年七月五日 於松雲閣 口述著者識
第一篇 |流転《るてん》の|涙《なみだ》
第一章 |粉骨砕身《ふんこつさいしん》〔七三一〕
|遠《とほ》き|神代《かみよ》の|其《その》|昔《むかし》 |埃及国《エジプトこく》に|名《な》も|高《たか》き
イホの|都《みやこ》に|現《あら》はれし バラモン|教《けう》の|大棟梁《だいとうりやう》
|鬼雲彦《おにくもひこ》が|片腕《かたうで》と |頼《たの》む|鬼熊別《おにくまわけ》|夫婦《ふうふ》
イホの|館《やかた》の|没落《ぼつらく》に |後《あと》|晦《くら》まして|瑞穂国《みづほくに》
メソポタミアの|顕恩城《けんおんじやう》に |教《をしへ》の|射場《いば》を|立直《たてなほ》し
|時《とき》めき|渡《わた》るバラモンの |勢《いきほひ》|旭《あさひ》の|昇《のぼ》る|如《ごと》
|教《をしへ》は|四方《よも》に|輝《かがや》きて |天地《てんち》|自然《しぜん》の|楽園《らくゑん》に
|光《ひかり》を|添《そ》ふる|芽出度《めでた》さよ |鬼熊別《おにくまわけ》と|蜈蚣姫《むかでひめ》
|二人《ふたり》の|中《なか》に|生《うま》れたる |十五《じふご》の|春《はる》の|小糸姫《こいとひめ》
|一粒種《ひとつぶだね》の|初愛娘《はつまなご》 |蝶《てふ》よ|花《はな》よと|育《はぐ》くみて
|隙間《すきま》の|風《かぜ》も【アテド】なく |寵愛《ちようあい》|過《す》ぎて|気儘者《きままもの》
|父《ちち》と|母《はは》との|言《こと》の|葉《は》を |尻《しり》に|聞《き》かして|小娘《こむすめ》が
|年《とし》に|似合《にあ》はぬ|悪行《いたづら》も |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|又《また》|宣《の》り|直《なほ》し|目《め》の|中《なか》に |飛《と》び|入《い》るとても|痛《いた》からず
|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|両親《ふたおや》も |我《わが》|児《こ》の|愛《あい》にひかされて
|眼《まなこ》は|晦《くら》み|耳《みみ》は|聾《し》へ |鼻《はな》も|無《な》ければ|口《くち》もなし
|恋《こひ》に|溺《おぼ》れてお|転婆《てんば》の あらぬ|限《かぎ》りを|尽《つく》したる
|小糸《こいと》の|姫《ひめ》の|身《み》の|果《は》ては |初《はじ》めて|知《し》つた|初恋《はつこひ》の
|胸《むね》の|焔《ほのほ》に|焦《こが》されて |人《ひと》も|有《あ》らうに|出歯男《でばをとこ》
|団栗眼《どんぐりまなこ》の|鼻曲《はなまが》り |鼻頭《びとう》に|印《しる》した|赤痣《あかあざ》は
|慕《した》うた|女《をんな》の|眼《まなこ》より |見《み》れば|牡丹《ぼたん》か|桜花《さくらばな》
|大《おほ》きな|口《くち》を|打開《うちひら》き |笑《わら》ふ|姿《すがた》を|眺《なが》めては
|男《をとこ》の|中《なか》の|男《をとこ》ぞと |思《おも》ひ|初《そ》めたが|病付《やみつき》で
|親《おや》の|許《ゆる》さぬ|縁《えにし》をば |人目《ひとめ》を|忍《しの》び|結《むす》び|昆布《こぶ》
|濡《ぬ》れてほとびてグニヤグニヤと |寝屋《ねや》の|衾《ふすま》の|友彦《ともひこ》を
|此上《こよ》なき|者《もの》と|思《おも》ひ|詰《つ》め |手《て》に|手《て》を|取《と》つて|両親《りやうしん》が
|館《やかた》を|脱《ぬ》け|出《い》でエデン|川《がは》 |人目《ひとめ》の|関《せき》や|涙川《なみだがは》
|流《なが》し|渡《わた》りて|波斯《フサ》の|国《くに》 |水火《いき》を|合《あ》はして|遠近《をちこち》と
|三十男《さんじふをとこ》に|手《て》を|曳《ひ》かれ |蜜《みつ》より|甘《あま》き|囁《ささや》きに
|肝腎要《かんじんかなめ》の|魂《たましひ》を |抜《ぬ》かれて|笑壺《ゑつぼ》に|入《い》り|乍《なが》ら
|廻《めぐ》り|廻《めぐ》りて|印度《ツキ》の|国《くに》 |錫蘭島《セイロンたう》に|打渡《うちわた》り
|小《ちひ》さき|庵《いほり》を|結《むす》びつつ お|前《まへ》と|私《わし》との|其《その》|仲《なか》は
|仮令《たとへ》|天地《てんち》は|覆《かへ》るとも |月日《つきひ》は|西《にし》より|昇《のぼ》るとも
|千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|永久《とこしへ》に ミロクの|世《よ》までも|変《かは》るまい
|竹《たけ》の|柱《はしら》に|茅《かや》の|屋根《やね》 |手鍋《てなべ》|提《さ》げても|厭《いと》やせぬ
ゾツコン|惚《ほ》れた|二人仲《ふたりなか》 |天地《てんち》の|愛《あい》を|一身《いつしん》に
|独占《どくせん》したる|面色《おももち》に |二月《ふたつき》|三月《みつき》と|暮《くら》す|内《うち》
|小糸《こいと》の|姫《ひめ》は|漸《やうや》うに |男《をとこ》の|臭気《にほひ》が|鼻《はな》につき
|熱《あつ》き|恋路《こひぢ》も|日《ひ》を|追《お》うて |薄《うす》れ|冷《つめ》たき【あき】|風《かぜ》に
|吹《ふ》かれて|変《かは》る|冬《ふゆ》の|空《そら》 |雪《ゆき》にも|擬《まが》ふ|玉《たま》の|肌《はだ》
|冷《ひ》えては|最早《もはや》|熱《ねつ》もなく |隙《すき》さへあらば|飛《と》び|出《だ》して
|理想《りさう》の|夫《をつと》に|身《み》を|任《まか》せ |社交《しやかう》の|花《はな》と|謳《うた》はれつ
|時《とき》めき|渡《わた》るも|女子《をみなご》の |誇《ほこ》りと|心機一転《しんきいつてん》し
うるさくなつた|友彦《ともひこ》の |酩酊《よひ》を|幸《さいは》ひ|一通《いつつう》の
|三行半《みくだりはん》を|遺《のこ》し|置《お》き あとは|野《の》となれ|山《やま》となれ
|男旱魃《をとこひでり》もなき|世界《せかい》 |如何《どう》なり|行《ゆ》ことママの|川《かは》
|浮《う》いた|心《こころ》の|捨小舟《すてをぶね》 |恋《こひ》のイロハの|意気《いき》を|棄《す》て
|櫓《ろ》を|操《あやつ》りて|印度洋《いんどやう》 |浪《なみ》のまにまに|漕《こ》ぎ|出《だ》せば
|何《なん》の|容赦《ようしや》も|荒海《あらうみ》の |忽《たちま》ち|船《ふね》は|暗礁《あんせう》に
|正面《しやうめん》|衝突《しようとつ》メキメキと |砕《くだ》けて|魂《たま》は|中天《ちうてん》に
|飛《と》んで|出《い》でたる|居《を》りもあれ |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|五十子《いそこ》の|姫《ひめ》の|神船《かみぶね》に ヤツと|救《すく》はれ|太平《たいへい》の
|洋《うみ》の|真中《まなか》に|泛《うか》びたる |竜宮島《りうぐうじま》に|上陸《じやうりく》し
|人気《ひとげ》の|荒《あら》き|島人《しまびと》に |日頃《ひごろ》のおキヤンを|応用《おうよう》し
|鰻上《うなぎのぼ》りに|島国《しまぐに》の |女王《ぢよわう》と|仰《あふ》がれ|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》に|帰順《きじゆん》して |誠《まこと》の|道《みち》を|伝《つた》へたる
|黄竜姫《わうりようひめ》の|物語《ものがたり》 |褥《しとね》の|船《ふね》にウキウキと
|身《み》を|横《よこ》たへて|太平《たいへい》の |洋《うみ》をばここに|【瑞月】《ずゐげつ》が
|男波女波《をなみめなみ》を|照《てら》しつつ |天涯万里《てんがいばんり》の|物語《ものがたり》
|心《こころ》の|色《いろ》は|【真澄】空《ますみぞら》 |北極《ほつきよく》|星座《せいざ》に|安臥《あんぐわ》して
|北斗《ほくと》の|星《ほし》に|取巻《とりま》かれ |七剣星《しちけんせい》に|酷似《こくじ》せる
|鉛《なまり》の|筆《ふで》で|研《と》ぎすまし |千代《ちよ》に|伝《つた》ふる|万年筆《まんねんひつ》の
ペンペンだらりと|述《の》べ|立《た》つる |手具脛《てぐすね》|引《ひ》いて|【松村】氏《まつむらし》
|唯《ただ》|一言《ひとこと》も|漏《も》らさじと |耳《みみ》を|欹《そばだ》て|息《いき》こらし
|神《かみ》のまにまに|誌《しる》し|行《ゆ》く あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして |二十四巻《にじふしくわん》の|物語《ものがたり》
いと|速《すむ》やかに|編《あ》み|終《をは》せ |世人《よびと》を|神《かみ》の|大道《おほみち》に
|救《すく》ふ|栞《しをり》とならせかし |天地《あめつち》|四方《よも》の|大神《おほかみ》の
|御前《みまへ》に|祈《いの》り|奉《たてまつ》る。
|海中《わだなか》に|浮《う》かべる|錫蘭島《セイロンたう》は、|昔《むかし》はシロの|島《しま》と|云《い》ひけり。バラモン|教《けう》の|鬼熊別《おにくまわけ》が|部下《ぶか》に|仕《つか》へし|雉子《きぎす》と|云《い》ふ|男《をとこ》、|世才《せさい》に|長《た》けた|所《ところ》より、|巧言令色《かうげんれいしよく》の|限《かぎ》りを|尽《つく》し、|鬼熊別《おにくまわけ》|夫婦《ふうふ》に|巧《うま》く|取《と》り|入《い》り、|夫婦《ふうふ》の|覚《おぼ》え|芽出度《めでた》く、|遂《つい》には|抜擢《ばつてき》されてバラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》となり、|名《な》も|友彦《ともひこ》と|改《あらた》められたり。|得意《とくい》の|時《とき》に|図《づ》に|乗《の》るは|小人《せうじん》の|常《つね》、|友彦《ともひこ》は|何時《いつ》しか|野心《やしん》の|芽《め》を|吹《ふ》き|出《い》だし、|追々《おひおひ》|露骨《ろこつ》となりて、|夫婦《ふうふ》が|掌中《しやうちう》の|玉《たま》と|愛《め》で|慈《いつくし》む|一人娘《ひとりむすめ》の|小糸姫《こいとひめ》に|目《め》をつけたり。|友彦《ともひこ》の|心《こころ》の|中《うち》は、|夫婦《ふうふ》が|最愛《さいあい》の|娘《むすめ》さへ|吾《わが》|手《て》に|入《い》らば、|鬼熊別《おにくまわけ》の|後《あと》を|襲《おそ》ひ、|天晴《あつぱ》れバラモン|教《けう》の|副棟梁《ふくとうりやう》、あわよくば|鬼雲彦《おにくもひこ》の|地位《ちゐ》を|奪《うば》ひ、|野心《やしん》を|充《みた》さむと|昼夜《ちうや》|間断《かんだん》なく|心慮《しんりよ》をめぐらし|居《ゐ》たりける。
○
|鬼熊別《おにくまわけ》|夫婦《ふうふ》はエデン|河《がは》を|渡《わた》り、|対岸《たいがん》の|小高《こだか》き|丘《をか》に|登《のぼ》り、|数多《あまた》の|従臣《じうしん》と|共《とも》に|花見《はなみ》の|宴《えん》を|催《もよほ》し、|酒《さけ》に|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れ、|舌《した》も|廻《まは》らぬ|千鳥足《ちどりあし》、|踊《をど》り|狂《くる》ひつ|天下《てんか》の|春《はる》を|独占《どくせん》せし|心地《ここち》して、|意気《いき》|揚々《やうやう》と、|再《ふたた》びエデンの|河《かは》を|渡《わた》り|此方《こなた》に|向《むか》つて|帰《かへ》り|来《く》る。|鬼熊別《おにくまわけ》は|酩酊《めいてい》|甚《はなは》だしく、|船中《せんちう》にて|手《て》を|振《ふ》り|足《あし》|踏《ふ》みならし|踊《をど》り|狂《くる》ふ|悪酒《わるざけ》の、|無暗《むやみ》に|鉄拳《てつけん》|振廻《ふりまは》し、あたり|構《かま》はず|従臣《じうしん》を|擲《なぐ》りつけて|興《きよう》がり|居《ゐ》たりしが、|一人《ひとり》の|従臣《じうしん》は|鬼熊別《おにくまわけ》の|鉄拳《てつけん》を|避《さ》けむと、|周章狼狽《あわてふため》き|逃《に》げ|廻《まは》る|機《はづ》みに、|船端《ふなばた》に|立《た》てる|今年《こんねん》|十五才《じふごさい》の|小糸姫《こいとひめ》の|身体《からだ》に|衝突《しようとつ》せし|途端《とたん》、|小糸姫《こいとひめ》は『アツ』と|一声《ひとこゑ》、|渦巻《うづまき》く|波《なみ》に|落《お》ち|込《こ》み、|後白波《あとしらなみ》となりにける。
|鬼熊別《おにくまわけ》|夫婦《ふうふ》を|初《はじ》め|船中《せんちう》の|人々《ひとびと》は、|初《はじ》めて|酔《ゑひ》も|醒《さ》め『アレヨアレヨ』と|立騒《たちさわ》げども、|小糸姫《こいとひめ》の|姿《すがた》は|見《み》えず、|狭《せま》き|船中《せんちう》を|右往左往《うわうさわう》に|狼狽《うろた》へまはる。|此《この》|時《とき》|身《み》を|躍《をど》らして|赤裸《まつぱだか》の|儘《まま》、|河中《かちう》に|飛《と》び|込《こ》んだ|二人《ふたり》の|男《をとこ》あり。|一人《ひとり》は|小糸姫《こいとひめ》に|衝突《しようとつ》した|三助《さんすけ》、|一人《ひとり》は|友彦《ともひこ》なりき。|友彦《ともひこ》は|水練《すゐれん》に|妙《めう》を|得《え》、|浮《う》きつ|沈《しづ》みつ、|姫《ひめ》の|行方《ゆくへ》を|足《あし》もて|探《さぐ》り|探《さぐ》り、|立泳《たちおよ》ぎしながら|流《なが》れ|行《ゆ》く。|漸《やうや》く|姫《ひめ》の|姿《すがた》をみとめたる|時《とき》は、|既《すで》に|十数丁《じふすうちやう》の|下流《しもて》なりき。|友彦《ともひこ》は|小糸姫《こいとひめ》を|小脇《こわき》に|抱《かか》へ|込《こ》み、|河辺《かはべり》を|辛《から》うじて|攀《よ》ぢ|登《のぼ》り、|水《みづ》を|吐《は》かせ、|種々雑多《しゆじゆざつた》と|手《て》を|尽《つく》し、|漸《やうや》くにして|蘇生《そせい》せしめ、|意気《いき》|揚々《やうやう》として|鬼熊別《おにくまわけ》が|館《やかた》に|立帰《たちかへ》りたり。
|是《こ》れより|先《さき》、|鬼熊別《おにくまわけ》|夫婦《ふうふ》は|数多《あまた》の|人数《にんず》を|召《よ》び|集《あつ》め、|小糸姫《こいとひめ》の|陥《おちい》りし|河《かは》の|辺《べ》を|力《ちから》|限《かぎ》りに|捜索《そうさく》し、|到底《たうてい》|絶望《ぜつばう》と|諦《あきら》め、|我《わが》|家《や》に|立帰《たちかへ》り、|夫婦《ふうふ》|互《たがひ》に|我《わが》|子《こ》の|不運《ふうん》を|歎《なげ》き|悲《かな》しみ、|涙《なみだ》に|暮《く》るる|折《をり》しも、|友彦《ともひこ》は|小糸姫《こいとひめ》を|背《せな》に|負《お》ひ、|門番《もんばん》に|送《おく》られ、|得意《とくい》の|色《いろ》を|満面《まんめん》に|漂《ただよ》はし、|揚々《やうやう》として|入《い》り|来《きた》る。|鬼熊別《おにくまわけ》|夫婦《ふうふ》は|此《この》|態《てい》を|見《み》て|驚喜《きやうき》し、
『ヤア|小糸姫《こいとひめ》、|無事《ぶじ》なりしか、|如何《どう》してマアあの|激流《げきりう》に|生命《いのち》が|助《たす》かりしか』
|蜈蚣姫《むかでひめ》は、
『アヽ|娘《むすめ》、よく|帰《かへ》つて|呉《く》れた。|是《こ》れと|云《い》ふも、|全《まつた》く|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》のお|恵《めぐみ》だ。アヽ|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い。………おやぢさま、どうぞモウ|此《こ》れからは|妾《わたし》が|何時《いつ》も|云《い》ふ|通《とほ》り、|大酒《ふかざけ》は|廃《や》めて|下《くだ》さい。|酒《さけ》の|祟《たた》りでコンナ|心配《しんぱい》をしたのも、|全《まつた》く|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》のお|気付《きづ》けであらう……|生命《いのち》の|親《おや》の|大神様《おほかみさま》……』
と|泣《な》き|沈《しづ》む。|友彦《ともひこ》は|怪訝《けげん》な|顔付《かほつ》きにて、
『モシモシお|嬢《ぢやう》さま、チツト|貴女《あなた》|何《なん》とか|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいませ。|神様《かみさま》も|神様《かみさま》だが|生命《いのち》の|親《おや》は|誰《たれ》で|御座《ござ》いましたかなア』
『お|父《とう》さま、お|母《かあ》さま、|妾《わたし》|既《すで》に|縡切《ことぎ》れて|居《を》りましたのよ。そこへ|此《この》|友彦《ともひこ》が|生命《いのち》を|的《まと》にして|妾《わたし》を|救《すく》つて|呉《く》れました。|沢山《たくさん》な|家来《けらい》はあつても、|妾《わたし》を|生命《いのち》がけになつて|助《たす》けて|呉《く》れた|者《もの》は|友彦《ともひこ》|一人《ひとり》、|生命《いのち》の|親《おや》は|友彦《ともひこ》で|御座《ござ》います。どうぞ|褒《ほ》めてやつて|下《くだ》さいませ』
|夫婦《ふうふ》は|一度《いちど》に|友彦《ともひこ》の|顔《かほ》を|眺《ながめ》、|顔色《がんしよく》を|和《やは》らげ、
『ヤアお|前《まへ》は|常々《つねづね》から|気《き》の|利《き》いた|男《をとこ》だと|思《おも》つて|抜擢《ばつてき》して|宣伝使《せんでんし》に|命《めい》じたが、わしの|眼《め》で|睨《にら》んだ|事《こと》はチツトも|違《ちが》はぬ。お|前《まへ》ばつかりだよ。これだけ|沢山《たくさん》に|居《を》つてもマサカの|時《とき》に|間《ま》に|合《あ》ふ|奴《やつ》は|一人《ひとり》も|有《あ》りはせぬ。ようマア|働《はたら》いて|呉《く》れた。|第一番《だいいちばん》の|手柄者《てがらもの》だ』
|友彦《ともひこ》は|志《し》たり|顔《がほ》、
『これしきの|事《こと》にお|褒《ほ》めの|言葉《ことば》を|頂《いただ》きまして|実《じつ》に|汗顔《かんがん》の|至《いた》りで|御座《ござ》います。|今《いま》|承《うけたま》はれば|貴方《あなた》|様《さま》は、これだけ|沢山《たくさん》の|家来《けらい》があつても、マサカの|時《とき》に|間《ま》に|合《あ》ふ|奴《やつ》は|無《な》いと|仰《あふ》せられましたが、|第一《だいいち》バラモン|教《けう》の|幹部《かんぶ》の|役員《やくゐん》が|分《わか》らぬからで|御座《ござ》いますよ。|神様《かみさま》のお|道《みち》は|看板《かんばん》、|自分《じぶん》の|出世《しゆつせ》することのみを|考《かんが》へて|居《を》る|連中《れんちう》ばかりで、|自分《じぶん》より|優《まさ》つた|者《もの》が|現《あら》はれると、|何《なん》とか|彼《かん》とか|申《まを》して|物言《ものい》ひを|付《つ》け、|頭《あたま》を|押《おさ》へようとするものですから|何程《なにほど》|立派《りつぱ》なバラモン|教《けう》でも、|誠《まこと》の|神柱《かむばしら》は|皆《みな》|逃《に》げて|了《しま》ひます。|何時《いつ》までも|世《よ》は|持切《もちき》りにさせぬと|神様《かみさま》が|仰《あふ》せられるのに、|今《いま》の|幹部《かんぶ》は|何時《いつ》までも|高《たか》い|所《ところ》へ|上《あが》つて|権利《けんり》を|掌握《しやうあく》しようと|思《おも》ふ|卑劣《けち》な|心《こころ》がありますから、|至誠《まこと》の|者《もの》や|少《すこ》し|間《ま》に|合《あ》ひさうな|人物《じんぶつ》は|皆《みんな》|圧迫《あつぱく》を|加《くは》へ|排斥《はいせき》を|致《いた》します|故《ゆゑ》、|何時《いつ》まで|経《た》つても|幹部《かんぶ》の|改造《かいざう》をするか、|幹部連《かんぶれん》がモウ|些《ちつ》と|神心《かみごころ》になり、|心《こころ》の|立替《たてかへ》|立直《たてなほ》しを|行《や》つて|呉《く》れぬ|事《こと》には|駄目《だめ》です。|何程《なにほど》|天《てん》に|日月《じつげつ》|輝《かがや》くとも、|途中《とちう》の|黒雲《くろくも》の|為《ため》に|光《ひかり》は|地上《ちじやう》に|届《とど》きませぬ。|私《わたし》の|様《やう》な|立派《りつぱ》な|至誠《まこと》の|者《もの》が|隠《かく》れて|居《を》つても、|人格《じんかく》を|認《みと》める|目《め》もなし、|又《また》|認《みと》めても|自分《じぶん》の|地位《ちゐ》を|守《まも》る|為《ため》に|却《かへつ》て|排斥《はいせき》を|致《いた》すのですから|立派《りつぱ》な|者《もの》は|皆《みんな》|隠《かく》れて|了《しま》ひ、|粕《かす》ばかりが|浮上《うきあが》つて|居《を》るのです。|石混《いしまぜ》りの|塵芥《ごもく》を|水溜《みづたま》りへ|一掴《ひとつか》み|放《ほ》かして|見《み》ると、|重《おも》みのある|充実《じうじつ》した|石《いし》は|忽《たちま》ち|水《みづ》の|底《そこ》に|沈《しづ》み、|落着《おちつ》き|払《はら》つて|居《を》りますが、|塵芥《ごもく》はパツと|上《うへ》に|浮《う》いて、|風《かぜ》のまにまに|浮動《ふどう》して|居《を》る|様《やう》なものです。|稲《いね》の|穂《ほ》の|稔《みの》るに|従《したが》ひ|頭《かしら》を|下《さ》げ|俯《うつ》むく|様《やう》に、|充実《じうじつ》した|至誠《まこと》の|者《もの》は|皆《みな》|謙遜《けんそん》の|徳《とく》を|守《まも》り、|実《み》の|入《い》らぬ|稲穂《いなほ》はツンとして|空《そら》を|向《む》いて|居《を》る|様《やう》なもの、|是《こ》れでは|到底《たうてい》バラモン|教《けう》も|発達《はつたつ》は|致《いた》しますまい。|併《しか》し|乍《なが》ら、|貴方《あなた》|様《さま》は|賢明《けんめい》なお|方《かた》で、この|友彦《ともひこ》が|実力《じつりよく》をお|認《みと》め|遊《あそ》ばし、|土塊《どくわい》の|如《ごと》く|幹部《かんぶ》より|取扱《とりあつか》はれて|居《ゐ》た|雉子《きぎす》を|重用《ぢゆうよう》して|宣伝使《せんでんし》にして|下《くだ》さつたのは、|実《じつ》に|天晴《あつぱ》れな|御鑑識《ごかんしき》、|友彦《ともひこ》も……あゝ|私《わし》は|何《なん》とした|立派《りつぱ》な|主人《しゆじん》を|持《も》つただらう。|私《わたし》の|様《やう》な|幸福者《かうふくもの》は|又《また》と|世界《せかい》にあるまい……と|存《ぞん》じます。|聖人《せいじん》|野《や》にありとか|申《まを》しまして、|誠《まこと》の|貴方《あなた》の|御力《おちから》になり、|教《をしへ》の|後《あと》を|継《つ》ぐ|様《やう》な|人物《じんぶつ》……|言《い》はば|御養子《ごやうし》になると|云《い》ふ|人物《じんぶつ》は、|幹部《かんぶ》に|是《こ》れだけ|沢山《たくさん》、|表面《へうめん》|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》はあつても、|滅多《めつた》に|御座《ござ》いますまい。|余程《よほど》|御養子《ごやうし》の|御選択《ごせんたく》は……|如才《じよさい》は|御座《ござ》いますまいが……|御注意《ごちゆうい》を|払《はら》つて|頂《いただ》きたいもので|御座《ござ》います。|何程《なにほど》|容貌《きれう》は|悪《わる》くても|魂《たましひ》さへ|立派《りつぱ》であれば|鬼熊別《おにくまわけ》|副棟梁《ふくとうりやう》|様《さま》の|後《あと》が|継《つ》げまする』
と|調子《てうし》に|乗《の》つて|勝手《かつて》な|理屈《りくつ》を|並《なら》べ|立《た》て|得意《とくい》がつて|居《ゐ》る。|鬼熊別《おにくまわけ》はニコニコし|乍《なが》ら、
『オイ|友彦《ともひこ》……お|前《まへ》は|顔《かほ》にも|似合《にあ》はぬ|高遠《かうゑん》な|理想《りさう》を|抱《いだ》いて|居《を》る|者《もの》だ。|吾々《われわれ》とても|同《おな》じ|事《こと》、|中々《なかなか》|棟梁《とうりやう》の|家来《けらい》は|得《え》られないものだ。たまたま|力《ちから》にならうと|思《おも》ふ|人物《じんぶつ》が|現《あら》はれると、|忽《たちま》ち|雲《くも》が|邪魔《じやま》して|光《ひかり》を|隠《かく》さうとする。|今《いま》の|幹部《かんぶ》だつて|其《その》|通《とほ》りだ。|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》の|教《をしへ》に|照《てら》して|見《み》れば、|一人《ひとり》として|及第《きふだい》する|者《もの》はあるまい。|耳《みみ》を|塞《ふさ》ぎ、|目《め》を|閉《ふさ》ぎ、|口《くち》をつまへて、|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》して|居《を》ればこそ、|得意《とくい》になつて|幹部面《かんぶづら》をさらして|居《ゐ》るのだが……アヽ|是《こ》れを|思《おも》へば|人《ひと》を|使《つか》ふと|云《い》ふ|事《こと》は|難事中《なんじちう》の|最大難事《さいだいなんじ》だ。|肩《かた》も|腕《かいな》もメキメキする|様《やう》だ。どうしてこれだけ|身勝手《みがつて》な|没分暁漢《わからずや》ばかりが、バラモン|教《けう》の|幹部《かんぶ》には|集《あつま》つて|来《く》るのだろうなア』
と|吐息《といき》を|漏《も》らすを|蜈蚣姫《むかでひめ》は、
『|屍《しかばね》の|在《あ》る|所《ところ》には|鷲《わし》|集《あつ》まり、|美味《びみ》の|果物《くだもの》には|害虫《がいちう》|密集《みつしふ》するとやら、|蟻《あり》の|甘《あま》きに|集《つど》ふ|如《ごと》く、|良《い》い|所《ところ》へは|悪《わる》い|者《もの》が|来集《たか》つて|来《く》るものです。これからは|今迄《いままで》の|様《やう》な|和光同塵式《わくわうどうぢんしき》は|根本《こんぽん》|革正《かくせい》して、|変性男子的《へんじやうなんしてき》にパキパキと|率直《そつちよく》に、|厳粛《げんしゆく》にやらねば、|何時《いつ》まで|経《た》つてもバラモン|教《けう》は|駄目《だめ》で|御座《ござ》いますよ。それだから|妾《わたし》も|貴方《あなた》に|推薦《すいせん》して|雉子《きぎす》を|宣伝使《せんでんし》にしたのぢやありませぬか。|妾《わたし》が|雉子《きぎす》を|推薦《すいせん》した|時《とき》、|貴方《あなた》は|何《なん》と|言《い》はれました。「|彼奴《あいつ》は|見《み》かけによらぬ|間《ま》に|合《あ》ふ|男《をとこ》だが、アンナ|男《をとこ》を|推薦《すいせん》すると|幹部《かんぶ》の|連中《れんちう》の|気《き》に|入《い》らぬから、|雉子《きぎす》の|人物《じんぶつ》は|認《みと》めてゐるが、どうも|仕方《しかた》がない」……と|優柔不断《いうじうふだん》な|事《こと》を|仰有《おつしや》つたぢや|御座《ござ》いませぬか。あの|時《とき》に|御採用《ごさいよう》になつたればこそ、|幹部《かんぶ》として|今日《けふ》の|花見《はなみ》の|宴《えん》に|同行《どうかう》|致《いた》したお|蔭《かげ》で、|一人娘《ひとりむすめ》が|生命《いのち》を|拾《ひろ》うたではありませぬか、|雉子《きぎす》を|雉子《きぎす》の|儘《まま》に|置《お》いてあつたなれば、どうして|今日《けふ》の|花見《はなみ》の|供《とも》が|出来《でき》ませう。さうすれば|忠義《ちうぎ》を|発揮《はつき》する|機会《きくわい》もなし、|見《み》す|見《み》す|可愛《かあい》い|娘《むすめ》を|見殺《みごろ》しにせねばならなかつたでは|有《あ》りませぬか。チト|是《これ》から|確《しつ》かりやつて|下《くだ》さらぬと|駄目《だめ》ですよ』
『さうだなア、|副棟梁《ふくとうりやう》の|為《ため》には|何時《なんどき》でも|生命《いのち》をあげますとか|粉骨砕身《ふんこつさいしん》|犬馬《けんば》の|労《らう》を|惜《をし》まぬとか|云《い》つて|居《ゐ》た|幹部《かんぶ》の|連中《れんちう》のあの|態《ざま》、|俺《おれ》も|実《じつ》は|呆《あき》れて|物《もの》が|言《い》はれないのだ』
|友彦《ともひこ》は|得意顔《とくいがほ》にて、
『「|伸《の》びる|程《ほど》|土《つち》に|手《て》をつく|柳《やなぎ》かな」……とか|言《い》ひまして、|地《ち》に|落《お》ちて|居《ゐ》るもの|程《ほど》|立派《りつぱ》な|者《もの》が|御座《ござ》いまする。|立派《りつぱ》な|人格者《じんかくしや》が|御座《ござ》います。「|気《き》に|入《い》らぬ|風《かぜ》もあらうに|柳《やなぎ》かな」……といふ……|幹部《かんぶ》が………|精神《せいしん》になりさへすれば、バラモン|教《けう》は|旭日昇天《きよくじつしようてん》の|勢《いきほひ》で|天下《てんか》|無敵《むてき》の|勢力《せいりよく》が|加《くは》はりまする。されど|利己主義《われよし》の|猜疑心《さいぎしん》の|深《ふか》い|頭《あたま》|抑《おさ》への|連中《れんちう》|計《ばか》りが|幹部《かんぶ》を|組織《そしき》して|居《を》つては、|到底《たうてい》|発展《はつてん》の|見込《みこ》みは|有《あ》りませぬ。|現状《げんじやう》|維持《ゐぢ》が|出来《でき》ればまだしも|上等《じやうとう》、|日向《ひなた》に|氷《こほり》の|様《やう》に、|日《ひ》に|日《ひ》に|衰《おとろ》へるは|明瞭《めいれう》なる|事実《じじつ》で|御座《ござ》いませう。どうぞ|副棟梁《ふくとうりやう》|様《さま》、|今後《こんご》は|情実《じやうじつ》に|絡《からま》れず、|適材《てきざい》を|適所《てきしよ》に|抜擢《ばつてき》して、|神業《しんげふ》|第一《だいいち》と|御心得《おこころえ》|遊《あそ》ばして|忌憚《きたん》なく|正邪《せいじや》|賢愚《けんぐ》を|御立別《おたてわ》けの|上《うへ》、|御採用《ごさいよう》あらむ|事《こと》を|懇願《こんぐわん》|致《いた》します』
|小糸姫《こいとひめ》は、
『お|父《とう》さま、|妾《わたし》は|大勢《おほぜい》の|役員《やくゐん》|信者《しんじや》の|中《なか》でも、|本当《ほんたう》に|偉《えら》いのは|友彦《ともひこ》|一人《ひとり》だと|思《おも》ひますワ』
|蜈蚣姫《むかでひめ》は、
『オホヽヽヽ、|子供《こども》と|云《い》ふものは|正直《しやうぢき》なものだナア。|実際《じつさい》の|間《ま》に|合《あ》うたのは|友彦《ともひこ》だけだワ。ナアモシ|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》』
|鬼熊別《おにくまわけ》は|俯《うつ》むいて|当《あた》り|障《さはり》のない|様《やう》な|返辞《へんじ》で『ウウン』と|云《い》つて|居《を》る。|蜈蚣姫《むかでひめ》は|夫《をつと》に|向《むか》ひ、
『|今日《けふ》は|花見《はなみ》の|宴《えん》で|沢山《たくさん》なお|酒《さけ》を|幹部《かんぶ》|一同《いちどう》|戴《いただ》き、まだ|充分《じうぶん》の|酔《ゑひ》も|醒《さ》めず、|此《この》|上《うへ》|悦《よろこ》びの|酒宴《しゆえん》を|催《もよほ》すのは|妙《めう》なものだが、|併《しか》し|乍《なが》ら|大切《たいせつ》な|娘《むすめ》の|生命《いのち》を|拾《ひろ》つたのだから、|神様《かみさま》に|御礼《おれい》のお|祭《まつり》をなし、|手軽《てがる》い|直会《なほらひ》の|宴《えん》でも|開《ひら》いて、|友彦《ともひこ》の|表彰会《へうしやうくわい》を|行《おこな》はねばなりますまい。どうお|考《かんが》へなさいますか』
と|夫《をつと》の|顔《かほ》を|覗《のぞ》き|込《こ》む。
『アヽさうだナア。|何《なん》と|云《い》つても|神様《かみさま》に|御礼《おれい》の|祭典《さいてん》を|行《おこな》ひ、|次《つぎ》に|友彦《ともひこ》の|手柄《てがら》を|表彰《へうしやう》せなくてはなるまい。|賞罰《しやうばつ》を|明《あきら》かにせないと、|今後《こんご》の|為《ため》にならぬから……ヤア|片彦《かたひこ》、|釘彦《くぎひこ》の|両人《りやうにん》、|祭典《さいてん》の|用意《ようい》に|取《とり》かかり、|次《つい》で|直会《なほらひ》の|宴《えん》を|開《ひら》くべく|準備《じゆんび》して|呉《く》れ。そして|今日《けふ》は|顕恩郷《けんおんきやう》|在住《ざいぢゆう》の|信徒《しんと》、|老若男女《らうにやくなんによ》を|問《と》はず、|残《のこ》らず|八尋殿《やひろどの》に|集《あつ》めて|酒宴《しゆえん》の|席《せき》に|列《れつ》せしめるのだから……』
|片《かた》、|釘《くぎ》の|両《りやう》|幹部《かんぶ》は|此《この》|一言《ひとこと》に、|又《また》も|酒《さけ》かと|雀躍《こをど》りし|乍《なが》ら『ハイハイ』と|二《ふた》つ|返事《へんじ》で|此《この》|場《ば》を|立出《たちい》で、|部下《ぶか》|一般《いつぱん》に|通達《つうたつ》したりけり。
|祭典《さいてん》は|命《めい》の|如《ごと》く|行《おこな》はれたり。|御祝《おいは》ひを|兼《か》ね、|信者《しんじや》は|立錐《りつすゐ》の|余地《よち》なきまでに、|八尋殿《やひろどの》に|溢《あふ》れ|出《だ》した。|祭典《さいてん》は|無事《ぶじ》に|済《す》み、|直会《なほらひ》の|神酒《みき》は|子供《こども》の|端《はし》に|至《いた》るまで|万遍《まんべん》なく|配《くば》られたり。|小糸姫《こいとひめ》が|無事《ぶじ》|安全《あんぜん》を|祝《いは》ふ|声《こゑ》、|殿内《でんない》も|揺《ゆる》ぐ|許《ばか》りなりき。|小高《こだか》き|壇上《だんじやう》に|現《あら》はれたのは|鬼雲彦《おにくもひこ》の|棟梁《とうりやう》なり。|鬼雲彦《おにくもひこ》は|一同《いちどう》を|見廻《みまは》し、
『バラモン|教《けう》の|幹部《かんぶ》を|初《はじ》め|信者《しんじや》|一同《いちどう》と|共《とも》に|小糸姫《こいとひめ》の|無事《ぶじ》|安全《あんぜん》を|祝《しゆく》し|奉《たてまつ》り、|鬼熊別《おにくまわけ》|御夫婦《ごふうふ》の|御幸運《ごかううん》をお|悦《よろこ》び|致《いた》します。つきましては|私《わたくし》として|少《すこ》し|感想《かんさう》を|述《の》べたいと|思《おも》ひます。|大勢《おほぜい》の|中《なか》には|少《すこ》し|耳障《みみざは》りの|方《かた》もお|有《あ》りなさるかも|知《し》れませぬが、バラモン|教《けう》の|教主《けうしゆ》|兼《けん》|棟梁《とうりやう》としては|已《や》むを|得《え》ない|立場《たちば》で|御座《ござ》いまするから、|其処《そこ》の|所《ところ》は|宜《よろ》しく|御諒解《ごりやうかい》を|願《ねが》つて|置《お》きます。|抑《そもそ》も|多士済々《たしさいさい》たる|本教《ほんけう》は、|開設《かいせつ》|以来《いらい》|旭日昇天《きよくじつしようてん》の|勢《いきほひ》で|御座《ござ》います。これと|云《い》ふのも|全《まつた》く|幹部《かんぶ》を|始《はじ》め|信者《しんじや》|一同《いちどう》が、|有《あ》るに|有《あ》られぬ|困難《こんなん》と|戦《たたか》ひ、|所在《あらゆる》|困苦《こんく》をなして、|忍《しの》びに|忍《しの》びて|心魂《しんこん》を|鍛《きた》へて|来《き》た|結果《けつくわ》と|私《わたくし》は|信《しん》じます。|常世《とこよ》の|国《くに》より|渡来《とらい》して、|埃及《エジプト》のイホの|都《みやこ》に|始《はじ》めて|教《をしへ》を|開《ひら》いた|時《とき》、コーカス|山《ざん》に|根拠《こんきよ》を|構《かま》へたる|三五教《あななひけう》の|為《ため》に|種々雑多《しゆじゆざつた》の|妨害《ばうがい》を|受《う》け、|一時《いちじ》は|孤城落日《こじやうらくじつ》の|破目《はめ》に|陥《おちい》つた|所《ところ》、|皆様《みなさま》はよく|耐忍《たへしの》び、|漸《やうや》くにしてバラモン|教《けう》は|再《ふたた》び|以前《いぜん》に|勝《まさ》る|隆盛《りうせい》の|域《ゐき》に|達《たつ》しました。|併《しか》し|乍《なが》ら|艱難《かんなん》の|極度《きよくど》に|達《たつ》した|時《とき》は|栄《さか》えの|種《たね》を|蒔《ま》くものです。|今日《こんにち》のバラモン|教《けう》は|稍《やや》|小康《せうかう》を|得《え》、|日々《にちにち》|隆盛《りうせい》に|趣《おもむ》くに|連《つ》れて|人心《じんしん》|弛緩《ちくわん》し、|知《し》らず|識《し》らずの|間《ま》に|倦怠《けんたい》の|心《こころ》を|生《しやう》じ、|今日《こんにち》では|最初《さいしよ》の|熱烈《ねつれつ》なる|忠誠《ちうせい》なる|皆様《みなさま》の|精神《せいしん》は|何処《どこ》へやら|喪失《さうしつ》し、|幹部《かんぶ》は|自己《じこ》を|守《まも》る|為《ため》に|高遠《かうゑん》|達識《たつしき》の|士《し》を|排除《はいじよ》し、|阿諛諂侫《あゆてんねい》の|徒《と》を|重用《ぢゆうよう》し、|各自《めいめい》|競《きそ》うて|部下《ぶか》を|作《つく》り、|互《たがひ》に|権力《けんりよく》を|争《あらそ》ふ|如《ごと》き|傾向《けいかう》が|仄見《ほのみ》えて|参《まゐ》りましたのは、|本教《ほんけう》の|為《ため》に|誠《まこと》に|悲《かな》しむべき|現象《げんしやう》と|言《い》はねばなりませぬ。|現《げん》に|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》の|娘子《むすめご》|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》の|遭難《さうなん》に|対《たい》しても、|肝腎《かんじん》の|幹部《かんぶ》は|袖手傍観《しうしゆばうくわん》|手《て》を|下《くだ》すの|術《すべ》を|知《し》らず、|実《じつ》に|無誠意《むせいい》、|無能力《むのうりよく》を|極端《きよくたん》に|発揮《はつき》したでは|有《あ》りませぬか、|斯様《かやう》な|事《こと》で|如何《どう》して|神聖《しんせい》なる|御神業《ごしんげふ》に|奉仕《ほうし》する|事《こと》が|出来《でき》ませう。|神《かみ》に|仕《つか》へ|奉《まつ》るにあらずして、|利己心《りこしん》といふ|慾心《よくしん》に|奉仕《ほうし》するのだとは|云《い》はれても、|弁解《べんかい》の|辞《じ》はありますまい。|今日《こんにち》はバラモン|教《けう》に|対《たい》して|国家《こくか》|興亡《こうばう》の|境《さかひ》で|御座《ござ》います。|教主《けうしゆ》として|私《わたくし》の|申《まを》す|事《こと》が|肯定《こうてい》|出来《でき》ない|方々《かたがた》は|御遠慮《ごゑんりよ》に|及《およ》びませぬ。ドシドシと|脱会《だつくわい》|下《くだ》さつても、|少《すこ》しも|痛痒《つうよう》は|感《かん》じませぬ。|否《いな》|寧《むし》ろ|好都合《かうつがふ》だと|確信《かくしん》|致《いた》して|居《を》ります。|本当《ほんたう》の|大神《おほかみ》の|御心《みこころ》が|分《わか》つた|方《かた》が|一二人《いちににん》あれば|沢山《たくさん》です。それを|種《たね》として|立派《りつぱ》に|教《をしへ》が|行《おこな》はれませう。|然《しか》し|乍《なが》ら|肝腎《かんじん》の|幹部《かんぶ》たる|者《もの》、|神意《しんい》を|誤解《ごかい》し、|利己主義《りこしゆぎ》を|強持《きやうぢ》するに|於《おい》ては、|一匹《いつぴき》の|馬《うま》が|狂《くる》へば|千匹《せんびき》の|馬《うま》が|狂《くる》ふ|譬《たとへ》の|如《ごと》く、|総崩《そうくづ》れになつて|了《しま》ふものです。それだから|幹部《かんぶ》の|改心《かいしん》が|先《ま》づ|第一等《だいいつとう》であります。|源《みなもと》|濁《にご》つて|下流《かりう》|澄《す》むと|云《い》ふ|道理《だうり》は|御座《ござ》いませぬ。どうぞ|此《この》|際《さい》|皆《みな》さまは|申《まを》すに|及《およ》ばず、|幹部《かんぶ》の|地位《ちゐ》に|在《あ》る|方々《かたがた》から|誠心誠意《せいしんせいい》、|神業《しんげふ》の|為《ため》|寛容《くわんよう》の|徳《とく》を|養《やしな》ひ、|清濁《せいだく》|併《あは》せ|呑《の》み|己《おのれ》を|責《せ》め|人《ひと》を|赦《ゆる》す|大人《たいじん》の|態度《たいど》になつて|頂《いただ》きたいものです』
と|諄々《じゆんじゆん》として|鋭鋒《えいほう》を|幹部《かんぶ》の|面々《めんめん》に|指《さ》し|向《む》けたり。|幹部《かんぶ》の|連中《れんちう》は|教主《けうしゆ》|鬼雲彦《おにくもひこ》の|此《この》|教示《けうじ》に|対《たい》し、|余《あま》り|快《こころよ》く|感《かん》ぜざれども、|一々《いちいち》|胸《むね》を|刺《さ》さるる|此《この》|箴言《しんげん》に、|返《かへ》す|言葉《ことば》もなく|唯《ただ》|冷然《れいぜん》として、|空《そら》|吹《ふ》く|風《かぜ》と|聞《き》き|流《なが》し|居《ゐ》る|者《もの》も|少《すくな》くなかりける。
|此《この》|時《とき》|得意《とくい》の|鼻《はな》を|蠢《うごめ》かして|壇上《だんじやう》に|大手《おほて》を|振《ふ》り|乍《なが》ら、|眼《め》をキヨロキヨロ|廻転《くわいてん》させ、|一同《いちどう》の|顔《かほ》を|眺《なが》めつつ|現《あら》はれた|一人《ひとり》の|宣伝使《せんでんし》は、|小糸姫《こいとひめ》の|生命《いのち》を|救《すく》うた|友彦《ともひこ》なりき。|拍手《はくしゆ》の|声《こゑ》|急霰《きふさん》の|如《ごと》く、|場《ぢやう》の|四隅《しぐう》より|響《ひび》き|亘《わた》りぬ。|友彦《ともひこ》は|満場《まんぢやう》に|向《むか》ひ|軽《かる》く|一礼《いちれい》し、|稍《やや》|反《そ》り|身《み》になりて|赤《あか》い|鼻《はな》をピコヅかせ|乍《なが》ら、|無細工《ぶさいく》な|欠《か》げた|出歯《でば》をニユツと|噛《か》み|出《だ》し、|厭《いや》らしき|笑《ゑみ》を|湛《たた》へて|握拳《にぎりこぶし》を|固《かた》め、|卓《テーブル》を|一《ひと》つトンと|打《う》ち、|雷《らい》の|如《ごと》き|蛮声《ばんせい》を|張《は》り|上《あ》げ『|皆《みな》さま』と|一喝《いつかつ》し、
『|私《わたくし》は|只今《ただいま》の|教主様《けうしゆさま》の|御演説《ごえんぜつ》につき|感慨無量《かんがいむりやう》で|御座《ござ》います。|皆様《みなさま》の|大多数《だいたすう》に|置《お》かせられましても、|敬神《けいしん》、|愛教《あいけう》、|愛民《あいみん》の|教主《けうしゆ》の|御心中《ごしんちう》に、|嘸《さぞ》|嗚咽《をえつ》|感激《かんげき》|遊《あそ》ばした|事《こと》と|確信《かくしん》|致《いた》します。|我々《われわれ》は|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|大神様《おほかみさま》は|申《まを》すも|更《さら》なり、|教主様《けうしゆさま》の|仁慈無限《じんじむげん》の|御精神《ごせいしん》に|酬《むく》い|奉《たてまつ》り、|副教主《ふくけうしゆ》として、|重任《ぢゆうにん》の|地位《ちゐ》に|着《つ》かせ|給《たま》ふ|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》の|教《をしへ》を|思《おも》ひ|給《たま》ふ|御熱情《ごねつじやう》に|対《たい》し、どこ|迄《まで》も|粉骨砕身《ふんこつさいしん》、|以《もつ》て|微力《びりよく》の|有《あ》らむ|限《かぎ》りを|尽《つく》さねばならないではありませぬか。|然《しか》るに|今日《こんにち》の|幹部《かんぶ》は|偸安姑息《とうあんこそく》、|大事《だいじ》に|際《さい》して|躊躇逡巡《ちうちよしゆんじゆん》、なす|所《ところ》を|知《し》らずと|云《い》ふ|為体《ていたらく》では|御座《ござ》いますまいか』
|聴衆《ちやうしう》の|中《なか》より『|賛成《さんせい》|々々《さんせい》』と|手《て》を|拍《う》つ|者《もの》|四隅《しぐう》より|現《あら》はれ|来《き》たりぬ。|此《この》|声援《せいゑん》に|力《ちから》を|得《え》て|友彦《ともひこ》は|益々《ますます》|語気《ごき》を|強《つよ》め、
『|現《げん》にエデン|河《がは》の|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》の|遭難《さうなん》に|対《たい》し、|幹部《かんぶ》の|御歴々《おれきれき》は|如何《いか》なる|活動《くわつどう》をなされましたか、|幹部《かんぶ》の|総統《そうとう》たる|片彦《かたひこ》、|釘彦《くぎひこ》の|御両人《ごりやうにん》は、|我《われ》より|以下《いか》の|者共《ものども》|早《はや》く|河中《かちう》に|飛《と》び|込《こ》み|御救《おすく》ひ|致《いた》せ……と|云《い》ふ|様《やう》な|御態度《ごたいど》でいらつしやる。|次《つぎ》の|幹部《かんぶ》は|又《また》|次《つぎ》へ、|又《また》|次《つぎ》へ、|我々《われわれ》|幹部《かんぶ》にあつては|人《ひと》を|統率《とうそつ》すれば|良《い》い、|命令権《めいれいけん》を|持《も》つて|居《を》るのだから、|直接《ちよくせつ》|活動《くわつどう》すれば|幹部《かんぶ》の|沽券《こけん》を|傷《きず》つけると|云《い》はぬばかり、|次《つぎ》から|次《つぎ》へ|押《お》せ|押《お》せに|危《あぶ》ない|事《こと》は|塗《ぬ》りつけ|合《あ》ひ、|唯《ただ》|一人《ひとり》として|身《み》を|挺《てい》しお|救《すく》ひしようとする|方々《かたがた》はなかつたぢやありませぬか。|日頃《ひごろ》のお|言葉《ことば》に|似《に》ず、|実《じつ》に|冷淡《れいたん》|極《きは》まる|振舞《ふるまひ》、|斯様《かやう》な|事《こと》でどうして|神業《しんげふ》が|発展《はつてん》|致《いた》しませうか。|我々《われわれ》は|実《じつ》に|遺憾《ゐかん》に|存《ぞん》じます』
と|又《また》もや|卓《たく》を|叩《たた》く。|場内《ぢやうない》は『|賛成《さんせい》|々々《さんせい》』『|尤《もつと》も|尤《もつと》も』の|声《こゑ》|破《わ》るる|許《ばか》りに|響《ひび》き|渡《わた》り、|中《なか》には|両手《りやうて》をあげて|躍《をど》る|者《もの》さへ|現《あら》はれた。|友彦《ともひこ》は|尚《なほ》も|語《ご》を|継《つ》ぎ、
『|皆《みな》さま、|今日《こんにち》はバラモン|教《けう》の|立替《たてかへ》の|時機《じき》ではありますまいか。|上流《じやうりう》|濁《にご》つて|下流《かりう》|澄《す》むと|云《い》ふ|道理《だうり》はありますまい。|舎身的《しやしんてき》|活動《くわつどう》をなす|至誠《しせい》の|士《し》……|例《たと》へて|見《み》れば|九死一生《きうしいつしやう》の|人《ひと》の|危難《きなん》に|際《さい》し、|生命《いのち》を|的《まと》に|助《たす》けに|行《ゆ》く|丈《だけ》の|真心《まごころ》を|持《も》つた|真人《しんじん》をして、|幹部《かんぶ》の|総統《そうとう》たらしめなば、|名実《めいじつ》|相伴《あひとも》なふ|所《ところ》の|立派《りつぱ》なるバラモン|教《けう》が|築《きづ》き|上《あ》げられ、|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|大望《たいもう》も|容易《ようい》に|運《はこ》ぶでせう。|抑《そもそ》も|幹部《かんぶ》たるものは|重大《ぢゆうだい》なる|責任《せきにん》が|御座《ござ》いますから、|自己《じこ》の|安全《あんぜん》のみに|焦慮《せうりよ》する|如《ごと》き|人物《じんぶつ》は、この|際《さい》|信者《しんじや》|多数《たすう》の|団結力《だんけつりよく》を|以《もつ》て、|根本《こんぽん》|改革《かいかく》を|致《いた》さねば、|迚《とて》も|完全《くわんぜん》なる|教《をしへ》は|立《た》ちますまい。|何卒《どうぞ》|皆様《みなさま》の|御熟考《ごじゆくかう》を|煩《わづら》はす|次第《しだい》で|御座《ござ》います』
と|結《むす》んで|降壇《かうだん》せむとするや、|片彦《かたひこ》は|怒気《どき》を|含《ふく》み、|拳《こぶし》を|固《かた》め、|壇上《だんじやう》に|現《あら》はれた。|参集者《さんしふしや》の|中《なか》より『|下《さ》がれ』『|退却《たいきやく》』『|無腸漢《むちやうかん》』『|利己主義《りこしゆぎ》の|張本人《ちやうほんにん》』などと、|頻《しき》りに|罵声《ばせい》を|浴《あ》びせかけ、|喧々囂々《けんけんがうがう》|鼎《かなへ》の|湧《わ》くが|如《ごと》く、|片彦《かたひこ》は|壇上《だんじやう》に|立往生《たちわうじやう》の|儘《まま》|一言《ひとこと》も|発《はつ》し|得《え》ず、|唇《くちびる》をビリつかせて|居《ゐ》る。|鬼雲彦《おにくもひこ》、|鬼熊別《おにくまわけ》|両《りやう》|夫婦《ふうふ》は|信者《しんじや》|一同《いちどう》に|軽《かる》く|一礼《いちれい》し、|館《やかた》に|悠々《いういう》として|立帰《たちかへ》る。|友彦《ともひこ》も|続《つづ》いて|退場《たいぢやう》する。
|一同《いちどう》は|片彦《かたひこ》を|壇場《だんぢやう》に|残《のこ》し、|先《さき》を|争《あらそ》うて|各々《おのおの》|住家《すみか》に|帰《かへ》りゆく。あとには|幹部《かんぶ》の|錚々《さうさう》たる|者《もの》|合《あは》せて|十二人《じふににん》|何事《なにごと》かヒソヒソと|話《はなし》に|耽《ふけ》りゐる。
|忽《たちま》ち|聞《きこ》ゆる|暮《くれ》の|鐘《かね》、|諸行無常《しよぎやうむじやう》と|鳴《な》り|響《ひび》き、|八尋殿《やひろど》の|屋根《やね》に|止《と》まつた|二羽《には》の|鴉《からす》、|大口《おほぐち》あけて『アホーアホー』と|鳴《な》きたてゐる。
(大正一一・六・一四 旧五・一九 松村真澄録)
(昭和一〇・三・八 於吉野丸船中 王仁校正)
第二章 |唖〓《あうん》〔七三二〕
|友彦《ともひこ》は|鬼熊別《おにくまわけ》|夫婦《ふうふ》の|信任《しんにん》|益々《ますます》|厚《あつ》く、|遂《つひ》には|鬼熊別《おにくまわけ》が|奥《おく》の|間《ま》に|内事係《ないじがかり》の|主任《しゆにん》として|仕《つか》ふる|事《こと》となりぬ。|小糸姫《こいとひめ》も|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|友彦《ともひこ》の|親切《しんせつ》にほだされ、|好《す》かぬ|顔《かほ》とは|思《おも》ひ|乍《なが》らも|何時《いつ》とは|無《な》しにスツカリ|無二《むに》の|力《ちから》と|頼《たの》むに|至《いた》りける。|蔭裏《かげうら》に|生《は》えた|豆《まめ》でも|時節《じせつ》が|来《く》れば【はぢ】ける|道理《だうり》、|十五《じふご》の|春《はる》を|迎《むか》へたオボコ|娘《むすめ》も、|何時《いつ》とはなしに|声《こゑ》|変《がは》りがし、|臀部《でんぶ》の|恰好《かつかう》が|余程《よほど》|大人《おとな》び|来《き》たりぬ。|男女《だんぢよ》の|交情《かうじやう》を|結《むす》ぶ|第一《だいいち》の|要点《えうてん》は|談話《だんわ》の|度《ど》を|重《かさ》ぬること、|会見《くわいけん》の|度《ど》の|多《おほ》きこと、|及《およ》び|時間《じかん》の|関係《くわんけい》に|大影響《だいえいきやう》を|及《およ》ぼすものなるべし。
|小糸姫《こいとひめ》は|何時《いつ》とはなしに|友彦《ともひこ》の|顔《かほ》を|見《み》る|毎《ごと》に、|顔《かほ》|赤《あか》らめ、|襖《ふすま》の|蔭《かげ》に|隠《かく》れ、|窃《ぬす》み|目《め》に|覗《のぞ》く|迄《まで》になりぬ。|蜈蚣姫《むかでひめ》は|信任《しんにん》|厚《あつ》き|友彦《ともひこ》に、|小糸姫《こいとひめ》の|身辺《しんぺん》の|世話《せわ》を|委託《ゐたく》したるが、|遠近《ゑんきん》|上下《じやうげ》の|隔《へだ》てなきは|恋《こひ》の|道《みち》、|優柔不断《いうじうふだん》フナフナ|腰《ごし》の|友彦《ともひこ》も|何時《いつ》とは|無《な》しに|妙《めう》な|考《かんが》へを|起《おこ》し、|遂《つい》には|小糸姫《こいとひめ》の|夫《をつと》となつてバラモン|教《けう》の|実権《じつけん》を|握《にぎ》らむと、|野心《やしん》の|火焔《くわえん》に|包《つつ》まれ|昼夜《ちうや》|心《こころ》を|焦《こが》し|居《ゐ》たり。
|友彦《ともひこ》が|募《つの》る|恋路《こひぢ》に、|小糸姫《こいとひめ》は|襖《ふすま》の|開閉《あけたて》にも、|擦《す》れつ|縺《もつ》れつ|相生《あひおひ》の|松《まつ》と|松《まつ》との|若緑《わかみどり》、|手折《たお》るものなき|高嶺《たかね》に|咲《さ》いた|松《まつ》の|花《はな》、|遂《つい》に|友彦《ともひこ》が|得意《とくい》の|時代《じだい》は|到来《たうらい》した。|猪食《ししく》た|犬《いぬ》の|蜈蚣姫《むかでひめ》は|敏《さと》くも|二人《ふたり》が|関係《くわんけい》を|推知《すゐち》し、|夫《をつと》|鬼熊別《おにくまわけ》に|向《むか》つて|言葉《ことば》を|尽《つく》し、|友彦《ともひこ》をして|小糸姫《こいとひめ》の|夫《をつと》となし、|鬼熊別《おにくまわけ》が|後継者《こうけいしや》たらしめむとする|意志《いし》を、|事《こと》に|触《ふ》れ、|物《もの》に|接《せつ》し、|遠廻《とほまは》しにかけて|鬼熊別《おにくまわけ》にいろいろと|斡旋《あつせん》の|労《らう》を|執《と》りぬ。
されど|鬼熊別《おにくまわけ》は|友彦《ともひこ》の|下劣《げれつ》なる|品性《ひんせい》と、|野卑《やひ》なる|面貌《めんばう》に|心《こころ》を|痛《いた》め、|到底《たうてい》|副棟梁《ふくとうりやう》の|後継者《こうけいしや》として|不適任《ふてきにん》たることを|悟《さと》り、|何時《いつ》も|蜈蚣姫《むかでひめ》の|千言万語《せんげんばんご》を|尽《つく》しての|斡旋《あつせん》を|馬耳東風《ばじとうふう》と|聞《き》き|流《なが》した。
|友彦《ともひこ》、|小糸姫《こいとひめ》は|父《ちち》の|心中《しんちう》を|察《さつ》し、|人目《ひとめ》を|忍《しの》んでは|二人《ふたり》の|行末《ゆくすゑ》を|案《あん》じ|煩《わづら》ひつつ、ヒソヒソ|話《ばなし》に|耽《ふけ》り|居《ゐ》たりける。
ある|時《とき》|友彦《ともひこ》は、
『|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》、|私《わたし》は|今日《こんにち》|限《かぎ》り|貴方《あなた》に|御別《おわか》れ|致《いた》さねばならぬことが|出来《でき》ました。|今《いま》までの|御縁《ごえん》と|諦《あきら》めて|下《くだ》さいませ』
|小糸姫《こいとひめ》は|漸《やうや》く|口《くち》を|開《ひら》き|恥《はづか》し|気《げ》に、
『|友彦《ともひこ》|様《さま》、そりや|又《また》|何《ど》うした|理由《わけ》で|御座《ござ》います。たとへ|何《ど》うなつても|小糸姫《こいとひめ》のためには|力《ちから》を|尽《つく》し、|生命《いのち》でも|差出《さしだ》すと|仰有《おつしや》つたではありませぬか』
『ハイ、|私《わたし》の|心《こころ》は|少《すこ》しも|変《かは》つては|居《を》りませぬ。|日《ひ》に|夜《よ》に|可愛《かあい》さ、|恋《こひ》しさが|弥増《いやま》し、|片時《かたとき》の|間《ま》も|貴女《あなた》のお|顔《かほ》が|見《み》えねば、ジツクリとして|居《を》られないやうに、|恋《こひ》の|炎《ほのほ》が|燃《も》え|立《た》つて|来《き》て|居《を》ります。|併《しか》し|乍《なが》ら|貴女《あなた》は|尊《たふと》き|副棟梁《ふくとうりやう》の|一人娘《ひとりむすめ》、|何時《いつ》までも|私《わたし》のやうな|賤《いや》しき|者《もの》と|関係《くわんけい》を|結《むす》ぶ|訳《わけ》には|参《まゐ》りませぬ。|御父様《おとうさま》の|御意中《ごいちう》は|決《けつ》して|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》の|意《い》を|叶《かな》へては|下《くだ》さいませぬ。|何程《なにほど》|御母上《おははうへ》が|御取持《おとりもち》|下《くだ》さつても、|最早《もはや》|駄目《だめ》だと|云《い》ふことが|解《わか》りました。|私《わたし》は|是《これ》より|此《こ》の|煩悶《はんもん》を|忘《わす》れるため、|貴女《あなた》の|御側《おそば》を|遠《とほ》く|離《はな》れ、|世界《せかい》を|遍歴《へんれき》し|一苦労《ひとくらう》を|致《いた》しませう。これが|御顔《おかほ》の|見納《みをさ》めで|御座《ござ》いますれば、|何《ど》うぞ|御両親《ごりやうしん》に|孝養《かうやう》を|尽《つく》し、|立派《りつぱ》な|夫《をつと》を|持《も》つてバラモン|教《けう》のために|御尽《おつく》し|下《くだ》さいませ』
|小糸姫《こいとひめ》は|驚《おどろ》いて|其《そ》の|場《ば》に|泣《な》き|伏《ふ》し、
『アー|何《ど》うしませう。|父上様《ちちうへさま》、|聞《きこ》えませぬ』
と|泣《な》き|叫《さけ》ぶを|友彦《ともひこ》は、
『モシモシ|御嬢様《おぢやうさま》、|悔《くや》んで|復《かへ》らぬ|互《たがひ》の|縁《えん》、|暫《しば》しの|夢《ゆめ》を|見《み》たと|御諦《おあきら》め|下《くだ》さいませ。|誠《まこと》に|賤《いや》しき|身《み》を|以《もつ》て、|貴女様《あなたさま》に|対《たい》し|失礼《しつれい》を|致《いた》しました|重々《ぢゆうぢゆう》の|罪《つみ》、|何卒《なにとぞ》|御赦《おゆる》し|下《くだ》さいませ……|左様《さやう》なら、これにて|愛《いと》しき|貴女《あなた》と|御別《おわか》れ|致《いた》しませう』
と|立去《たちさ》らむとするを|裾《すそ》|曳《ひ》き|止《と》め、
『|暫《しば》らくお|待《ま》ち|下《くだ》さいませ。|妾《わたし》も|女《をんな》の|端《はし》くれ、たとへ|天地《てんち》が|変《かは》るとも、|一旦《いつたん》|言《い》ひ|交《かは》した|貴方《あなた》を|見捨《みす》てて|何《ど》うして|女《をんな》の|道《みち》が|立《た》ちませう。|苦楽《くらく》を|共《とも》にするのが|夫婦《ふうふ》の|道《みち》、|仮令《たとへ》|何《なん》と|仰有《おつしや》つても、|妾《わたし》は|何処《どこ》までも|放《はな》しませぬ。|何《ど》うしても|別《わか》れねばならなければ|貴方《あなた》のお|手《て》で|妾《わたし》を|刺殺《さしころ》し、|何処《どこ》へなりと|御出《おい》で|下《くだ》さいませ』
と|泣《な》き|伏《ふ》す。
『アヽ|困《こま》つたことが|出来《でき》たワイ、|別《わか》れようと|言《い》へば|御嬢様《おぢやうさま》の|強《つよ》き|御決心《ごけつしん》、|生命《いのち》にも|係《かか》はる|一大事《いちだいじ》、|大恩《たいおん》ある|鬼熊別《おにくまわけ》の|御夫婦《ごふうふ》に|対《たい》し|申訳《まをしわけ》が|無《な》い。さうだと|云《い》つて|大切《たいせつ》な|御嬢様《おぢやうさま》を|伴出《つれだ》しては|尚《なほ》|済《す》まず、アヽ|仕方《しかた》がない……。モシ|御嬢様《おぢやうさま》、|私《わたし》は|此処《ここ》で|腹《はら》|掻《か》き|切《き》つて|相果《あひは》てまする。|何《ど》うぞ|貴女《あなた》は|両親《りやうしん》に|仕《つか》へて|孝養《かうやう》を|御尽《おつく》し|遊《あそ》ばされ、|幸《さいはひ》に|私《わたし》の|事《こと》を|思《おも》ひ|出《だ》された|時《とき》は、|水《みづ》の|一杯《いつぱい》も|手向《たむ》けて|下《くだ》さいませ。|千万人《せんまんにん》の|宣伝使《せんでんし》の|読経《どくきやう》よりも|貴女《あなた》の|御手《おて》づから|与《あた》へて|下《くだ》さつた|一滴《いつてき》の|水《みづ》が、|何程《なにほど》|嬉《うれ》しいか|知《し》れませぬ。|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》、さらばで|御座《ござ》いまする』
と|懐剣《くわいけん》スラリと|引抜《ひきぬ》き、|腹《はら》に|今《いま》や|当《あ》てむとする|時《とき》、|小糸姫《こいとひめ》は|其《そ》の|腕《うで》に|縋《すが》りつき、
『モシモシ|友彦《ともひこ》|様《さま》、|暫《しば》らくお|待《ま》ち|下《くだ》さいませ。お|願《ねが》ひいたし|度《た》いことが|御座《ござ》います』
|友彦《ともひこ》は、
『|最早《もはや》|覚悟《かくご》|致《いた》した|上《うへ》は|申訳《まをしわけ》のため|唯《ただ》|死《し》あるのみ。|何《ど》うぞ|立派《りつぱ》に|死《し》なして|下《くだ》され』
『どうして|是《これ》が|死《し》なされませう。|斯《か》うなる|上《うへ》は|是非《ぜひ》がない。|親《おや》につくか、|夫《をつと》につくか、|落《お》ちつく|途《みち》は|唯《ただ》|一《ひと》つ。|暫時《しばし》は|親《おや》に|御苦労《ごくらう》をかけるか|知《し》れないが、|何《いづ》れ|此《この》|世《よ》に|長《なが》らへて|居《を》れば、|御両親《ごりやうしん》に|孝養《かうやう》を|尽《つく》すことも|出来《でき》ませう。|何卒《どうぞ》|友彦《ともひこ》|様《さま》、|妾《わたし》を|伴《つ》れて|遁《に》げて|下《くだ》さいませぬか』
『これはしたり|御嬢様《おぢやうさま》、|親子《おやこ》は|一世《いつせ》、|夫婦《ふうふ》は|二世《にせ》と|申《まを》しまして、|此《この》|世《よ》に|親《おや》ほど|大切《たいせつ》なものは|御座《ござ》いますまい。|友彦《ともひこ》ばかりが|男《をとこ》ではありませぬ。モツトモツト|立派《りつぱ》な|男《をとこ》は|沢山《たくさん》に|御座《ござ》いますれば、|私《わたし》のことは|只今《ただいま》|限《かぎ》り|思《おも》ひ|切《き》り、|両親《りやうしん》に|御孝養《ごかうやう》|願《ねが》ひます。さらば、|是《これ》にて|御別《おわか》れ……』
と|又《また》もや|懐剣《くわいけん》を|突《つ》き|立《た》てようとする。|小糸姫《こいとひめ》は|悲《かな》しさ【やる】|瀬《せ》なく|腕《うで》に|喰《く》ひつき|満身《まんしん》の|力《ちから》を|籠《こ》めて|友彦《ともひこ》を|殺《ころ》さじと|焦《あせ》り|居《ゐ》る。|友彦《ともひこ》は|感慨無量《かんがいむりやう》の|態《てい》にて、
『アヽ|其処《そこ》まで|私《わたし》を|思《おも》うて|下《くだ》さるか。|左様《さやう》なれば|仰《あふ》せに|随《したが》ひ、|暫《しば》らく|私《わたし》と|一緒《いつしよ》に|何処《どこ》かへ|隠《かく》れて、|楽《たの》しき|月日《つきひ》を|送《おく》りませう』
|小糸姫《こいとひめ》は、
『あゝそれで|安心《あんしん》|致《いた》しました』
と|奥《おく》に|入《い》り、|密《ひそ》かに|数多《あまた》の|路銀《ろぎん》を|懐中《くわいちう》し、|夜《よ》の|更《ふ》くるを|待《ま》つて|二人《ふたり》は|館《やかた》を|後《あと》に、|何処《いづこ》ともなく|顕恩郷《けんおんきやう》より|消《き》えにけり。
|親子《おやこ》のやうに|年《とし》の|違《ちが》うた|二人《ふたり》の|男女《だんぢよ》は、|手《て》に|手《て》をとつて|波斯《フサ》の|国《くに》を、|彼方《あちら》|此方《こちら》と|彷徨《さまよ》ひ、|遂《つい》には|高山《かうざん》も|幾《いく》つか|越《こ》えて|印度《ツキ》の|国《くに》の|南《みなみ》の|端《はし》に|進《すす》んで|来《き》た。|此処《ここ》には|露《つゆ》の|都《みやこ》と|云《い》つて|相当《さうたう》な|繁華《はんくわ》な|土地《とち》がある。バラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》|市彦《いちひこ》は|相当《さうたう》に|幅《はば》を|利《き》かし、|遠近《ゑんきん》に|名《な》を|轟《とどろ》かして|居《ゐ》た。|友彦《ともひこ》は|斯《かか》る|地点《ちてん》に|彷徨《さまよ》ふは、|発覚《はつかく》の|虞《おそ》れありとなし、|月《つき》の|夜《よ》に|紛《まぎ》れて|海《うみ》を|渡《わた》り、セイロンの|島《しま》に|漕《こ》ぎつけ、|奥《おく》|深《ふか》く|進《すす》みシロ|山《やま》の|谷間《たにあひ》に|居《きよ》を|構《かま》へ、|二人《ふたり》は|暮《くら》す|事《こと》となつた。|物珍《ものめづ》しき|島人《しまびと》は、|花《はな》を|欺《あざむ》く|小糸姫《こいとひめ》の|容貌《ようばう》を|見《み》て、|天女《てんによ》の|降臨《かうりん》せしものと|思《おも》ひ|尊敬《そんけい》の|念《ねん》を|払《はら》ひ、|日夜《にちや》|此《こ》の|庵《いほり》も|訪《たづ》ねて|参拝《さんぱい》するもの|引《ひ》きも|切《き》らぬ|有様《ありさま》であつた。|小糸姫《こいとひめ》は|表向《おもてむき》|友彦《ともひこ》を|下僕《しもべ》となし、|女王《ぢよわう》|気取《きど》りで|無鳥島《むてうたう》の|蝙蝠王《へんぷくわう》となりすまし、|友彦《ともひこ》と|共《とも》に|日夜《にちや》|快楽《くわいらく》に|耽《ふけ》りゐたり。
|友彦《ともひこ》の|俄《にはか》に|塗《ぬ》りたてた|身魂《みたま》の|鍍金《めつき》は、|日《ひ》に|月《つき》に|剥脱《はくだつ》し、|父母《ふぼ》|両親《りやうしん》の|目《め》の|遠《とほ》く|離《はな》れたるを|幸《さいは》ひ、|横柄《わうへい》に|小糸姫《こいとひめ》を|頤《あご》の|先《さき》にて|使《つか》ふ|様《やう》になつた。さうして|小糸姫《こいとひめ》が|持《も》ち|来《きた》れる|旅費《りよひ》を|取出《とりだ》しては|日夜《にちや》|酒《さけ》に|浸《ひた》り、|或《あるひ》は|島人《しまびと》の|女《をんな》に|対《たい》し|他愛《たあい》なく|戯《たはむ》れ|出《だ》した。|小糸姫《こいとひめ》は、|漸《やうや》く|恋《こひ》の|夢《ゆめ》|醒《さ》むるとともに、|友彦《ともひこ》の|言《い》ふこと|為《な》すことを、|蛇蝎《だかつ》の|如《ごと》く|忌《い》み|嫌《きら》ひ、|友彦《ともひこ》の|方《はう》より|吹《ふ》きくる|風《かぜ》さへも、|身《み》を|切《き》る|如《ごと》くに|感《かん》じた。|百度《ひやくど》|以上《いじやう》に|逆上《のぼ》せ|切《き》つた|恋《こひ》の|夏《なつ》も|何時《いつ》しか|過《す》ぎて、ソロソロ|秋風《あきかぜ》|吹《ふ》き|起《おこ》り、|日《ひ》に|日《ひ》に|冷気《れいき》|加《くは》はり|凩《こがらし》|寒《さむ》き|冬《ふゆ》の|如《ごと》く、|友彦《ともひこ》を|思《おも》ふ|恋《こひ》の|熱《ねつ》はスツカリ|冷却《れいきやく》して|氷《こほり》の|如《ごと》くになり|終《をは》りけり。
|友彦《ともひこ》は|小糸姫《こいとひめ》の|様子《やうす》の|日《ひ》に|日《ひ》につれなくなるに|業《ごふ》を|煮《に》やし、|時々《ときどき》|鉄拳《てつけん》を|揮《ふる》ひ、|自暴酒《やけざけ》を|呑《の》み、|嗄《しわ》がれ|声《ごゑ》で|呶鳴《どな》り|立《た》て、|二人《ふたり》の|仲《なか》は|日《ひ》に|夜《よ》に|反《そり》が|合《あは》なくなりにける。
|或《ある》|夜《よ》|小糸姫《こいとひめ》は|友彦《ともひこ》が|大酒《おほざけ》を|煽《あふ》り、|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れたる|隙《すき》を|窺《うかが》ひ、|一通《いつつう》の|遺書《かきおき》を|残《のこ》し、|浜辺《はまべ》に|繋《つな》げる|小舟《こぶね》を|漕《こ》ぎ、|島人《しまびと》の|黒《くろ》ン|坊《ばう》|二人《ふたり》を|伴《とも》なひ、|太平洋《たいへいやう》を|目蒐《めが》けて|大胆《だいたん》にも|遁《に》げ|出《だ》したり。
|友彦《ともひこ》は|酒《さけ》の|酔《ゑひ》が|醒《さ》め、|起《お》き|出《い》で|見《み》れば|夜《よ》はカラリと|明《あ》けはなれ|小鳥《ことり》の|声《こゑ》|喧《かしま》し。
|友彦《ともひこ》は|眠《ねむ》たき|目《め》を|擦《こす》り|乍《なが》ら、
『|小糸姫《こいとひめ》、|水《みづ》だ|水《みづ》だ』
|呼《よ》べど|叫《さけ》べど|何《なん》の|応答《いらへ》もなきに|友彦《ともひこ》は、
『アヽ|又《また》|裏《うら》の|山《やま》へでも|果物《くだもの》を|取《と》りに|往《ゆ》きよつたのかなア。|何《なに》を|云《い》うても|御嬢《おぢやう》さまで|気儘《きまま》に|育《そだ》つた|女《をんな》だから|仕方《しかた》が|無《な》い。|併《しか》し|斯《か》う|云《い》ふものの、まだ|十六《じふろく》だから|子供《こども》の|様《やう》なものだ。|余《あま》りケンケン|云《い》つてやるのも|可哀想《かあいさう》だ。チツトこれから|可愛《かあい》がつてやらねばなるまい。|顕恩郷《けんおんきやう》に|居《を》れば、|彼方《あちら》からも、|此方《こちら》からも|御嬢《おぢやう》さまと|奉《たてまつ》られ、|女王《ぢよわう》の|様《やう》に|持《も》て|囃《はや》され、|栄耀栄華《えいようえいぐわ》に|暮《くら》せる|身分《みぶん》だ。|此《こ》の|友彦《ともひこ》が|思《おも》はぬ|手柄《てがら》に|依《よ》つてそれをきつかけに|旨《うま》く【たらし】|込《こ》み、|世間《せけん》|知《し》らずのオボコ|娘《むすめ》をチヨロマカした|俺《おれ》の|腕前《うでまへ》、|定《さだ》めてバラモン|教《けう》の|幹部連《かんぶれん》も|驚《おどろ》いたであらう。|俺《おれ》の|顔《かほ》は|自分《じぶん》|乍《なが》ら|愛想《あいさう》の|尽《つ》きるやうなものだが、それでも|生命《いのち》の|親《おや》だと|思《おも》つて、すねたり、|跳《はね》たりし|乍《なが》ら|付《つ》いて|居《ゐ》るのはまだ|優《しほ》らしい。たとへ|俺《おれ》を|嫌《きら》つて|遁《に》げ|帰《かへ》らうと|思《おも》つても、|遠《とほ》き|山坂《やまさか》を|越《こ》えコンナ|離《はな》れ|島《じま》へ|連《つ》れ|込《こ》まれては、|孱弱《かよわ》き|女《をんな》の|何《ど》うすることも|出来《でき》よまい。|思《おも》へば|可哀想《かあいさう》なものであるワイ……アヽ|喉《のど》が|渇《かわ》いた。|一《ひと》つ|友彦《ともひこ》|自《みづか》ら|玉水《ぎよくすゐ》を、|汲《く》みて|御飲《おあが》り|遊《あそ》ばす|事《こと》としよう』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|門前《もんぜん》を|流《なが》るる|谷川《たにがは》の|水《みづ》に|竹製《たけせい》の|柄杓《ひしやく》を|突込《つつこ》み、グイと|一杯《いつぱい》|汲《く》み|上《あ》げ|声《こゑ》を|変《か》へて、
『さア、|旦那様《だんなさま》、|御上《おあが》り|遊《あそ》ばせ。あまり|御酒《おさけ》を|上《あが》りますと|御身《おんみ》のためによろしく|御座《ござ》いませぬ。|若《も》しも|貴方《あなた》が|御病気《ごびやうき》にでも|御《お》なり|遊《あそ》ばしたら、|妾《わたし》は|何《ど》うしませう。ねー|貴方《あなた》、|妾《わたし》が|可愛《かあい》いと|思召《おぼしめ》すなら、|何《ど》うぞ|御酒《おさけ》を|余《あま》り|過《す》ごさない|様《やう》にして|頂戴《ちやうだい》……ナンテ|吐《ぬか》しよるのだけれど、|今日《けふ》に|限《かぎ》つて|若山《わかやま》の|神様《かみさま》は|何処《どこ》かへ|御出張《ごしゆつちやう》|遊《あそ》ばした。|軈《やが》て|御帰館《ごきくわん》になるだらう。それまで|山《やま》の|神《かみ》の|代理《だいり》を|勤《つと》めるのかなア』
と|独語《ひとりごと》|言《い》ひ|乍《なが》ら、グツト|一杯《いつぱい》|飲《の》み|乾《ほ》し、
『アヽ|酔醒《よひざ》めの|水《みづ》の|美味《うま》さは|下戸知《げこし》らずだ。アヽうまいうまい、|水《みづ》も|漏《も》らさぬ|二人《ふたり》の|恋仲《こひなか》、|媒酌人《ばいしやくにん》も|無《な》しに|自由《じいう》|結婚《けつこん》と|洒落《しやれ》たのだから、|此《こ》の|杓《しやく》を|媒酌人《ばいしやくにん》と|仮定《かてい》して|先《ま》づ|一杯《いつぱい》やりませう。|何程《なにほど》【しやく】だと|云《い》つても、|顕恩郷《けんおんきやう》を|遠《とほ》く|離《はな》れた|此《こ》の|島《しま》、|二人《ふたり》の|恋仲《こひなか》に|水《みづ》|差《さ》す|奴《やつ》も|滅多《めつた》にあるまい。|併《しか》し|乍《なが》ら|小糸姫《こいとひめ》が|時々《ときどき》|癪《しやく》を|起《おこ》すのには、|一寸《ちよつと》|俺《おれ》も|困《こま》る………「もしわが|夫様《つまさま》、|癪《しやく》がさしこみました。どうぞ|御介錯《ごかいしやく》を|願《ねが》ひます」………なんて|本当《ほんたう》になまめかしい|声《こゑ》を|出《だ》しやがつて、|俺《おれ》は|何時《いつ》もそれが|癪《しやく》に|障《さは》………らせぬワ。アヽうまいうまい』
と、|汲《く》んでは|飲《の》み|汲《く》くんでは|飲《の》み|一人《ひとり》|興《きよう》がりゐる。
|斯《か》かる|処《ところ》へ|黒《くろ》ン|坊《ばう》の|一人《ひとり》|現《あら》はれ|来《きた》り、
『モシモシ|友彦《ともひこ》|様《さま》、|女王様《ぢよわうさま》が|夜前《やぜん》|船《ふね》に|乗《の》つて|何処《どこ》かへ|往《ゆ》かれたのを、|貴方《あなた》|御存知《ごぞんじ》で|御座《ござ》いますか』
と|聞《き》くより|友彦《ともひこ》は|真蒼《まつさを》になり、
『|何《なに》ツ、|小糸姫《こいとひめ》が|船《ふね》に|乗《の》つて|此処《ここ》を|去《さ》つたとは、そりや|本当《ほんたう》か』
『|何《なに》|私《わたくし》が|嘘《うそ》を|申《まを》しませう。チヤンキーとモンキーの|二人《ふたり》が、|櫓櫂《ろかい》を|操《あやつ》り|港《みなと》を|船出《ふなで》しましたのを、|月夜《つきよ》の|光《ひかり》に|慥《たしか》に|見届《みとど》けました。|私《わたくし》ばかりでない、|四五人《しごにん》のものが【みんな】|見《み》て|居《を》りますよ』
『ソンナラ|何故《なぜ》|早速《さつそく》|知《し》らして|来《こ》ぬのだ』
『|早速《さつそく》|知《し》らせに|参《まゐ》つたのですが、|御承知《ごしようち》の|通《とほ》り|此《こ》の|急坂《きふはん》、さう|着々《ちやくちやく》と|来《こ》られませぬワ』
『さうして|小糸姫《こいとひめ》は|何処《どこ》へ|往《い》つたか|知《し》つて|居《ゐ》るか』
『そこまではハツキリしませぬが、|何《なん》でも|舳《へさき》を|印度《ツキ》の|国《くに》の|方《はう》へ|向《む》けて|出《で》られましたから、|大方《おほかた》|露《つゆ》の|都《みやこ》へ|御越《おこ》しになつたのでせう』
|友彦《ともひこ》は|両手《りやうて》を|組《く》みウンウンと|吐息《といき》を|吐《つ》き、|両眼《りやうがん》より|粗《あら》い|涙《なみだ》をポロリポロリと|溢《こぼ》して|居《ゐ》る。|暫《しばら》くして|友彦《ともひこ》は|立上《たちあが》り、
『おのれチヤンキー、モンキーの|両人《りやうにん》、|大切《たいせつ》な|女房《にようばう》を|唆《そその》かし、|何処《どこ》へ|遁《に》げ|居《を》つたか、たとへ|天《てん》をかけり、|地《ち》を|潜《くぐ》る|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|術《じゆつ》あるとも、|草《くさ》をわけても|探《さが》し|出《だ》し、|女房《にようばう》に|会《あ》はねば|置《お》かぬ。|其《その》|時《とき》にチヤンキー、モンキーの|二人《ふたり》を|血祭《ちまつ》りに|致《いた》して|呉《く》れむ』
と|狂気《きやうき》の|如《ごと》く|荒《あ》れ|狂《くる》ひ、|鍋《なべ》、|釜《かま》、|火鉢《ひばち》を|投《な》げ、|戸《と》|障子《しやうじ》に|恨《うら》みを|転《てん》じ、|自《みづか》ら|乱暴狼藉《らんばうろうぜき》の|限《かぎ》りを|尽《つく》し、|家財《かざい》を|残《のこ》らず|滅茶《めつちや》|苦茶《くちや》に|叩《たた》き|毀《こは》し、|小糸姫《こいとひめ》の|残《のこ》し|置《お》いた|衣服《いふく》や|手道具《てだうぐ》を|引裂《ひきさ》き、|打砕《うちくだ》き、|地団駄《ぢだんだ》|踏《ふ》んで|室内《しつない》を|七八回《しちはちくわい》もクルクルと|廻《まは》り|狂《くる》ひ、|目《め》を|廻《まは》してパタリと|倒《たふ》れた。
|黒《くろ》ン|坊《ばう》の|一人《ひとり》は|驚《おどろ》いて|側《そば》に|駆寄《かけよ》り、
『モシモシ|友彦《ともひこ》|様《さま》、|狂気《きやうき》めされたか。マア|気《き》を|御鎮《おしづ》めなされ、|何程《なにほど》|焦《あせ》つても|追《お》ひつくことは|出来《でき》ますまい。|何《いづ》れ|印度《ツキ》の|国《くに》の|露《つゆ》の|都《みやこ》に|市彦《いちひこ》と|云《い》ふ|名高《なだか》い|宣伝使《せんでんし》が|居《を》られますから、|其処《そこ》へ|大方《おほかた》|御越《おこ》しなつたのでせう』
|友彦《ともひこ》は|此《この》|声《こゑ》にハツト|気《き》がつき、
『|何《なに》ツ、|市彦《いちひこ》が|何《ど》うしたと|云《い》ふのだ』
『|大方《おほかた》|女王様《ぢよわうさま》は|露《つゆ》の|都《みやこ》の|市彦《いちひこ》の|館《やかた》へ|御越《おこ》しになつたのだらうと、|皆《みな》の|者《もの》が|噂《うはさ》を|致《いた》して|居《を》りましたと|云《い》ふのです』
『それは|貴様《きさま》、よく|知《し》らせて|呉《く》れた。さア、|駄賃《だちん》をやらう』
と|金凾《かねばこ》を|開《ひら》き|見《み》れば、こは|如何《いか》に、|空《から》ツけつ|勘左衛門《かんざゑもん》、|錏《びた》|一文《いちもん》も|残《のこ》つて|居《ゐ》ない。|凾《はこ》の|底《そこ》に|残《のこ》つた|折紙《をりがみ》を|手早《てばや》く|掴《つか》み|披《ひら》き|見《み》て、
『アヽ|何《なん》だか|些《ちつと》も|分《わか》らない。スパルタ|文字《もじ》で………|意地《いぢ》の|悪《わる》い、|俺《おれ》の|読《よ》めぬのを|知《し》り|乍《なが》ら、|遺書《かきおき》をして|置《お》きやがつたのだらう。|併《しか》しこれは|後《のち》の|証拠《しようこ》だ。|大切《たいせつ》にせなくてはならない』
と|守《まも》り|袋《ぶくろ》の|中《なか》に|大事《だいじ》|相《さう》にしまひ|込《こ》み、|黒《くろ》ン|坊《ばう》に|案内《あんない》させ、|一生懸命《いつしやうけんめい》にシロ|山《やま》の|急坂《きふはん》をドンドン|威喝《ゐかつ》させ|乍《なが》ら、|大股《おほまた》に|降《くだ》り|行《ゆ》く。
|漸《やうや》くシロの|港《みなと》に|駆《かけ》ついた。|滅法矢鱈《めつぱふやたら》に|黒《くろ》ン|坊《ばう》と|二人《ふたり》がマラソン|競走《きやうそう》をやつた|結果《けつくわ》、|港《みなと》に|着《つ》くや、|気《き》は|弛《ゆる》みバツタリと|此処《ここ》に|倒《たふ》れて|了《しま》つた。|港《みなと》に|集《あつ》まる|黒《くろ》ン|坊《ばう》は|二三十人《にさんじふにん》|寄《よ》つて|集《たか》つて|水《みづ》をかけたり、|鼻《はな》を|捻《ね》ぢたり、いろいろとして|漸《やうや》く|気《き》をつけた。
|友彦《ともひこ》は|四辺《あたり》キヨロキヨロ|見廻《みまは》し|乍《なが》ら、
『オー|此処《ここ》はシロの|港《みなと》だ。さア、|汝等《おまへら》|一時《いちじ》も|早《はや》く|船《ふね》の|用意《ようい》を|致《いた》し、|印度《ツキ》の|国《くに》へ|送《おく》れ』
『|賃銭《ちんせん》は|幾何《いくら》|呉《く》れますか』
『エーコンナ|時《とき》に|賃銭《ちんせん》の|話《はなし》どころか、|一刻《いつこく》も|早《はや》く|猶予《いうよ》がならぬ。|賃銭《ちんせん》は|望《のぞ》み|次第《しだい》|後《あと》から|遣《つか》はす。さア、|早《はや》く|行《ゆ》け』
と|急《せ》き|立《た》てる。
|友彦《ともひこ》の|懐中《くわいちゆう》は|実際《じつさい》|無一物《むいちぶつ》であつた。|八人《はちにん》の|黒《くろ》ン|坊《ばう》は|八挺櫓《はつちやうろ》を|漕《こ》ぎ|乍《なが》ら|矢《や》を|射《い》る|如《ごと》く|友彦《ともひこ》の|命《めい》のまにまに|印度洋《いんどやう》を|横切《よこぎ》り、|印度《ツキ》の|国《くに》の|浜辺《はまべ》へ|漸《やうや》く|着《つ》いた。|此処《ここ》は|真砂《まさご》の|浜《はま》と|云《い》ひ|遠浅《とほあさ》になつてゐる。|船《ふね》は|十町《じつちやう》ばかり|沖《おき》にかかり、それより|尻《しり》を|捲《まく》つて|徒歩《とほ》|上陸《じやうりく》する|事《こと》となりゐるなり。
『モシモシ|大将《たいしやう》さま、|賃銭《ちんせん》を|頂《いただ》きませう』
『ウン|一寸《ちよつと》|待《ま》て、|賃銭《ちんせん》はシロの|港《みなと》まで|帰《かへ》つた|時《とき》、|往復《わうふく》|共《とも》に|張《は》りこんでやる。|二度《にど》にやるのは|邪魔臭《じやまくさ》いから、|此処《ここ》に|船《ふね》を|浮《う》かべて|待《ま》つてゐるがよからう』
『さうだと|云《い》つて………|露《つゆ》の|都《みやこ》までは|二日《ふつか》や|三日《みつか》では|往《ゆ》けませぬ。|往復《わうふく》|十日《とをか》もかかるのに、コンナ|処《ところ》に|待《ま》つてゐられますかい』
『|待《ま》つのが|嫌《いや》なら|先《さき》へ|帰《かへ》つてシロの|港《みなと》で|待《ま》つてゐるがよからう。|帰途《かへり》には|又《また》|他《ほか》の|船《ふね》に|乗《の》るから………』
『ソンナ|事《こと》を|言《い》はずに|渡《わた》して|下《くだ》さいなア。|女房《にようばう》が|鍋《なべ》を|洗《あら》つて|待《ま》つてゐるのですから』
『|実《じつ》は|金《かね》をあまり|周章《あわて》て|忘《わす》れて|来《き》たのだ』
『ヘンうまいこと|云《い》ふない。|女王《ぢよわう》にスツパ|抜《ぬ》けを|喰《く》はされ、|金《かね》も|何《なに》も|持《も》つて|遁《に》げられたのだらう。|今《いま》までは|女王様《ぢよわうさま》の|光《ひか》りで、|貴様《きさま》を|尊敬《そんけい》して|居《を》つたが、モー|斯《か》うなつちや|誰《たれ》が|貴様《きさま》に|随《したが》ふものがあるか。|金《かね》が|無《な》ければ|仕方《しかた》がない。|貴様《きさま》の|身《み》につけたものを|残《のこ》らず|俺《おれ》に|渡《わた》せ。グヅグヅ|吐《ぬか》すと、|寄《よ》つて|集《たか》つて|此《こ》の|海中《かいちう》へ|水葬《すゐさう》してやらうか』
『エー|仕方《しかた》が|無《な》い、ソンナラ|暑《あつ》い|国《くに》の|事《こと》でもあり、|裸《はだか》でも【しのげぬ】|事《こと》は|無《な》いのだから、これなつと|持《も》つて|行《ゆ》け』
とクルクルと|真裸《まつぱだか》になり、|船《ふね》の|中《なか》に|投《な》げつけたるに|黒《くろ》ン|坊《ばう》は、
『ヨー|思《おも》ひの|外《ほか》|立派《りつぱ》な|着物《きもの》だ。|何分《なにぶん》|金《かね》に【あかし】て|拵《こしら》へよつた|品物《しなもの》だから………オイその|首《くび》にかけて|居《ゐ》る|守《まも》り|袋《ぶくろ》を|此方《こちら》へ|寄越《よこ》せ』
『|之《これ》に|貴様等《きさまら》が|手《て》を|触《ふ》れると、|忽《たちま》ち|身体《からだ》がしびれるぞ。さア|持《も》つて|行《ゆ》け』
と|首《くび》を|突《つ》き|出《だ》す。|八人《はちにん》の|黒《くろ》ン|坊《ばう》は、
『ヤア、ソンナ|怖《おそ》ろしいものは|要《い》らぬワイ。|勝手《かつて》に|持《も》つて|行《ゆ》け』
と|云《い》ひ|捨《す》て|遠浅《とほあさ》の|海《うみ》に|友彦《ともひこ》を|残《のこ》し、|八挺《はつちやう》|櫓《ろ》を|漕《こ》ぎ、|紫《むらさき》の|汐《しほ》|漂《ただよ》ふ|海面《かいめん》を|矢《や》の|如《ごと》く|帰《かへ》つて|行《ゆ》く。
|友彦《ともひこ》は|砂《すな》に|足《あし》を|没《ぼつ》し、|已《や》むを|得《え》ず|首《くび》に|守袋《まもりぶくろ》をプリンと|下《さ》げ、|飼犬《かひいぬ》よろしくと|云《い》ふスタイルで、|遠浅《とほあさ》の|海《うみ》をノタノタと、|四《よ》つ|這《ば》ひになつて|岸辺《きしべ》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・六・一四 旧五・一九 外山豊二録)
第三章 |波濤《はたう》の|夢《ゆめ》〔七三三〕
|野卑《やひ》|下劣《げれつ》なる|友彦《ともひこ》の|態度《たいど》にぞつ|魂《コン》|愛想《あいさう》をつかし、【ぞぞがみ】を|立《た》て|蛇蝎《だかつ》の|如《ごと》く|忌《い》み|恐《おそ》れたるセイロン|島《たう》の|女王《ぢよわう》|小糸姫《こいとひめ》は、|友彦《ともひこ》が|大酒《おほざけ》に|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れ|前後《ぜんご》|不覚《ふかく》になつた|隙《すき》を|窺《うかが》ひ|三行半《みくだりはん》を|後《あと》に|残《のこ》し、|黄金《こがね》を|腹巻《はらまき》にどつさりと|重《おも》い|程《ほど》|締込《しめこ》み|錫蘭《シロ》の|港《みなと》より、|黒《くろ》ン|坊《ぼう》チヤンキー、モンキーの|二人《ふたり》に|船《ふね》を|操《あやつ》らせ、|月《つき》|照《て》り|渡《わた》る|海原《うなばら》を|力《ちから》|限《かぎ》りに|辷《すべ》り|往《ゆ》く。
|天上《てんじやう》には|浄玻璃《じやうはり》の|鏡《かがみ》|厳《おごそ》かに|懸《かか》り、|大地《だいち》の|水陸《すゐりく》|森羅万象《しんらばんしやう》を|映《うつ》して|居《ゐ》る。|小糸姫《こいとひめ》が|今《いま》|往《ゆ》く|此《この》|船《ふね》も、|矢張《やは》り|月《つき》の|面《おも》にかかつた|天然画中《てんねんぐわちう》のものであらう。|小糸姫《こいとひめ》は|漸《やうや》く|虎口《ここう》を|逃《のが》れホツと|一息《ひといき》つきながら|独言《ひとりごと》………。
『アヽ|妾《わたし》|程《ほど》|罪《つみ》|深《ふか》い|者《もの》が|世《よ》に|有《あ》らうか。|山《やま》より|高《たか》き|父《ちち》の|恩《おん》、|海《うみ》より|深《ふか》き|母《はは》の|恩《おん》、|恩《おん》に|甘《あま》え、|親《おや》の|心《こころ》|子《こ》|知《し》らずの|譬《たとへ》に|漏《も》れず、|人《ひと》も|有《あ》らうに、|万人《ばんにん》の|見《み》て|以《もつ》て|蛇蝎《だかつ》の|如《ごと》く|忌《い》み|嫌《きら》ふ|友彦《ともひこ》のやうな|下劣《げれつ》な|男《をとこ》に、|何《ど》うして|妾《わたし》は|迷《まよ》つたであらうか。|我《われ》と|我《わが》|身《み》が|怪《あや》しくなつて|来《き》た。|執念深《しふねんぶか》き|男《をとこ》の|常《つね》として、|嘸《さぞ》|今頃《いまごろ》は|酔《ゑひ》も|醒《さ》め、|四辺《あたり》をキヨロキヨロ|見廻《みまは》し、|我《わが》|残《のこ》せし|手紙《てがみ》を|見《み》てアツト|腰《こし》を|抜《ぬ》かし、|例《れい》の【いかい】|目《め》を|剥《む》き|出《だ》し、|嘸《さぞ》や|嘸《さぞ》、|腹《はら》を|立《た》てて|居《ゐ》るだらう。|思《おも》へば|可憐《かはい》さうな|様《やう》でもあり、|小気味《こぎみ》がよいやうにもある。|妾《わたし》の|心《こころ》は|鬼《おに》か|蛇《じや》か|神《かみ》か|仏《ほとけ》か、|我《われ》と|我《わ》が|心《こころ》を|解《と》き|兼《か》ねる。それにしてもあの|友彦《ともひこ》と|云《い》ふ|男《をとこ》、|金《かね》さへあれば|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|飲《の》み|倒《たふ》し、|体《からだ》を|砕《くだ》き|魂《たましひ》を|腐《くさ》らせ、|殆《ほとん》ど|人間《にんげん》としての|資格《しかく》は|最早《もはや》ゼロになつて|仕舞《しま》つた|所《ところ》だから、|今度《こんど》の|驚《おどろ》きで|些《ちつ》とは|性念《しやうねん》も|直《なほ》るであらう。|真人間《まにんげん》にさへなつて|呉《く》れたならば、|妾《わたし》とても|別《べつ》に|憎《にく》みはせぬ。あの|男《をとこ》に|一片《いつぺん》|良心《りやうしん》の|光《ひかり》があれば、キツト|心《こころ》を|取《と》り|直《なほ》し、|立派《りつぱ》な|人間《にんげん》になるであらう。さすれば|今《いま》|見捨《みす》てて|逃《に》げ|出《だ》す|妾《わたし》の|非常《ひじやう》|手段《しゆだん》も、あの|男《をとこ》の|為《ため》には|却《かへ》つて|幸福《かうふく》の|種《たね》、|腐《くさ》つた|魂《たましひ》は|清《きよ》まり、|酒《さけ》に|砕《くだ》けた|肉体《にくたい》は|又《また》|元《もと》の|如《ごと》く|健《すこや》かになり、|神界《しんかい》の|為《ため》、|社会《しやくわい》のために、|活動《くわつどう》するだけの|神力《しんりき》が|備《そな》はるであらう………|友彦《ともひこ》|殿《どの》、|妾《わたし》が|書置《かきおき》を|見《み》て|嘸《さぞ》|憤慨《ふんがい》して|居《ゐ》るであらう。|併《しか》し|乍《なが》ら|之《これ》も|妾《わたし》が|御身《おんみ》に|対《たい》する|恵《めぐみ》の|鞭《むち》だと|思《おも》つて、|有難《ありがた》く|感謝《かんしや》するがよいぞや。|必《かなら》ず|必《かなら》ず|迷《まよ》うてはならないよ。|破《わ》れ|鍋《なべ》に|閉《と》ぢ|蓋《ぶた》、それ|相当《さうたう》の|女《をんな》を|見《み》つけ|出《だ》して|夫婦《ふうふ》|仲《なか》よく|暮《くら》しやんせ。|提灯《ちやうちん》に|釣鐘《つりがね》、|釣《つ》り|合《あは》ぬは|不縁《ふえん》の|基《もと》と|云《い》ふ|事《こと》は|昔《むかし》からの|金言《きんげん》|友彦《ともひこ》の|守護神《しゆごじん》|殿《どの》、|肉体《にくたい》、いざさらば|之《これ》にて|万劫末代《まんごまつだい》お|別《わか》れ|致《いた》します』
と|頤《あご》をしやくり、|傍《かたはら》に|人《ひと》|無《な》き|如《ごと》き|横柄《わうへい》なスタイルにて|喋《しやべ》り|立《た》てて|居《ゐ》る。|無心《むしん》の|月《つき》は|浄玻璃《じやうはり》の|鏡《かがみ》の|如《ごと》く|真澄《ますみ》の|空《そら》に|緩《ゆる》やかに|懸《かか》り、|小糸姫《こいとひめ》が|船中《せんちう》のモノログを|床《ゆか》しげに|見詰《みつ》めて|聞《き》いて|居《ゐ》るものの|如《ごと》くに|思《おも》はれた。チヤンキー、モンキーの|二人《ふたり》は|大海原《おほうなばら》の|真中《まんなか》に|浮《うか》び|出《で》たのを|幸《さいは》ひ、|目《め》と|目《め》を|見合《みあは》せ、そろそろ|肩《かた》を|聳《そび》やかせながら|体《からだ》|迄《まで》|四角《しかく》にして、|機械《きかい》|人形《にんぎやう》の|様《やう》に|小糸姫《こいとひめ》の|両脇《りやうわき》にチヨコナンと|坐《すわ》り、
『|何《なん》と|今日《けふ》のお|月様《つきさま》は、まんまるい|綺麗《きれい》なお|顔《かほ》ぢやないか。|恰《まる》で|小糸姫《こいとひめ》|女王《ぢよわう》のやうな、|玲瓏《れいろう》たる|容色《ようしよく》。|空《そら》を|仰《あふ》げば|如意宝珠《によいほつしゆ》の|如《ごと》き|月光如来《げつくわうによらい》、|船中《せんちう》を|眺《なが》むれば|雪《ゆき》を|欺《あざむ》く|純白《じゆんぱく》の|光明女来《くわうみやうによらい》の|御出現《ごしゆつげん》、|俺達《おれたち》も|男《をとこ》と|生《うま》れた|上《うへ》は、|一《ひと》つ|此《この》|様《やう》な|美人《びじん》と|握手《あくしゆ》をしたいものだなア、アハヽヽヽ』
と|作《つく》つたやうな|笑《わら》ひ|声《ごゑ》を|出《だ》す。
『オイ、チヤン、|擽《くすぐ》つたいやうな|遠廻《とほまは》しにかけて|何《なに》を|云《い》ふのだ。|一里《いちり》や|二里《にり》ならまだしもだが、|大空《おほぞら》のお|月《つき》さま|迄《まで》|引張《ひつぱ》り|出《だ》しやがつて、そんな|廻《まは》り|遠《とほ》い|事《こと》は|今《いま》の|世《よ》には|流行《りうかう》せないぞ。|何事《なにごと》も|簡単《かんたん》|敏捷《びんせう》を|貴《たつと》ぶ|世《よ》の|中《なか》だ。|海底《うなそこ》にも|此《この》|通《とほ》り|立派《りつぱ》な|月《つき》が|浪《なみ》のまにまに|漂《ただよ》うて|居《ゐ》る。|月《つき》の|上《うへ》を|渡《わた》る|此《この》|船《ふね》は、|天人《てんにん》の|乗《の》つた|天《あま》の|鳥船《とりふね》も|同様《どうやう》だ。これ|見《み》よ………|海《うみ》の|底《そこ》には|幾十万《いくじふまん》とも|知《し》れぬ|星《ほし》の|影《かげ》、|月《つき》と|月《つき》、|星《ほし》と|星《ほし》とに|包《つつ》まれた|此《この》|大空《おほぞら》|仮令《たとへ》|俺達《おれたち》の|色《いろ》が|黒《くろ》いと|云《い》うても、|唇《くちびる》が|厚《あつ》いと|云《い》うても、|最早《もはや》|此《この》|通《とほ》り|天上《てんじやう》を|翔《かけ》る|様《やう》になつたのだから、|顕恩郷《けんおんきやう》のお|姫様《ひめさま》に|何《なに》|遠慮《ゑんりよ》する|事《こと》があるものかい。|僅《わづ》か|十六歳《じふろくさい》の|繊弱《かよわ》き|女《をんな》、|此《この》|通《とほ》り|頑丈《ぐわんぢやう》な|鉄《てつ》のやうな|固《かた》い|腕《うで》をした|我々《われわれ》の|自由《じいう》にならぬ|道理《だうり》があるか。|際限《さいげん》も|無《な》き|此《この》|海原《うなばら》、|何一《なにひと》つ|楽《たの》しみなくして|何《ど》うして|之《これ》が|勤《つと》まらう。………これ|小糸姫《こいとひめ》さま、お|前《まへ》の|家来《けらい》だと|云《い》うて|連《つ》れて|居《を》つた|友彦《ともひこ》の|鼻曲《はなまが》りや、|出歯亀《でばがめ》に|比《くら》ぶれば|幾層倍《いくそうばい》|立派《りつぱ》だか|知《し》れやしまい。|色《いろ》は|黒《くろ》うても|浅漬《あさづけ》|茄子《なすび》、|何《ど》うだ|一《ひと》つ|妥協《だけふ》をやらうではないか』
『ホヽヽヽヽ、これ|二人《ふたり》の|黒《くろ》ン|坊《ばう》さま、|冗談《じようだん》を|云《い》ふにも|程《ほど》がある。|女《をんな》だと|思《おも》うて|無礼《ぶれい》な|事《こと》をなさると|了見《りやうけん》はせぬぞエ』
『アハヽヽヽ、|見事《みごと》|云《い》ふだけの|事《こと》は|仰有《おつしや》りますワイ。まさかの|時《とき》になれば|言論《げんろん》よりも|実力《じつりよく》が|勝《か》つ|世《よ》の|中《なか》だ。もうかうなつちや|此《この》|方《はう》の|自由自在《じいうじざい》、|何事《なにごと》も|因縁《いんねん》ぢやと|諦《あきら》めて|我々《われわれ》の|要求《えうきう》を|全部《ぜんぶ》|容《い》れるがお|前《まへ》さまの|身《み》の|為《ため》だ。|可憐《かはい》さうに、あれ|程《ほど》|焦《こが》れて|居《を》つた|友彦《ともひこ》を|酒《さけ》を|飲《の》まして|酔潰《ゑひつぶ》し、|其《その》|間《ま》にすつかり|路銀《ろぎん》を|腹《はら》に|巻《ま》き、|逃《に》げ|出《だ》すと|云《い》ふ|大《だい》それた|年《とし》にも|似合《にあ》はぬ|豪胆者《がうたんもの》、|後《あと》に|残《のこ》つた|友彦《ともひこ》は………|僅《わづ》か|肩揚《かたあげ》の|取《と》れた|計《ばか》りの|小娘《こむすめ》に|三十男《さんじふをとこ》が|馬鹿《ばか》にされ、どうして|世間《せけん》に|顔出《かほだ》しがなるものか、「エヽ|残念《ざんねん》や|口惜《くちをし》や、|仮令《たとへ》|千尋《ちひろ》の|海《うみ》の|底《そこ》|迄《まで》も|小糸《こいと》の|後《あと》を|探《たづ》ねて、|恨《うら》みを|云《い》はねば|死《し》んでも|死《し》ねぬ」………と|恨《うら》んだ|男《をとこ》の|魂《たましひ》が|結晶《けつしやう》して|副守護神《ふくしゆごじん》となり|我々《われわれ》|両人《りやうにん》にすつかり|憑依《のりうつ》つたのだ、|因縁《いんねん》と|云《い》ふものは|恐《おそ》ろしいものだらう。かう|申《まを》す|言葉《ことば》は|決《けつ》して|黒《くろ》ン|坊《ばう》が|云《い》ふのではない、|友彦《ともひこ》の|霊魂《みたま》が|口《くち》を|籍《か》つて|云《い》うて|居《ゐ》るのだ。さア|返答《へんたふ》は|如何《どう》だ』
と|形相《ぎやうさう》|凄《すさま》じく|肩肱《かたひぢ》を|怒《いか》らせ|汗臭《あせくさ》い|体《からだ》で|両方《りやうはう》から|詰寄《つめよ》せて|来《く》る。
『ホヽヽヽヽ、これこれ|黒《くろ》ン|坊《ばう》さま、|何《なん》ぢやお|前《まへ》は、|卑怯《ひけふ》|千万《せんばん》な、|友彦《ともひこ》の|霊魂《れいこん》だなぞと……なぜ|黒《くろ》ン|坊《ばう》のチヤンキー、モンキーが|女王《ぢよわう》さまに|惚《ほ》れましたと、キツパリ|云《い》はぬのだい』
『ヤア|割《わり》とは|開《ひら》けた|女王様《ぢよわうさま》だ。それも|其《その》|筈《はず》|十五《じふご》やそこらで|大《おほ》きな|男《をとこ》を|翻弄《ほんろう》し|故郷《こきやう》を|飛《と》び|出《だ》すやうな|阿婆摺《あばず》れ|女《をんな》だから、|其《その》|位《くらゐ》な|度胸《どきよう》は|有《あ》りさうなものだ。そんなら|小糸姫《こいとひめ》さま、|改《あらた》めて|私等《わたしら》|二人《ふたり》は、お|前《まへ》さまに|心《こころ》の|底《そこ》から、スヰートハートをして|居《ゐ》るのだ。|余《あま》り|憎《にく》うもありますまい』
『ホヽヽヽヽ、あゝさうですかいな。それ|程《ほど》|私《わたし》に|御執着《ごしふちやく》ですかな。|矢張《やつぱり》|天下無双《てんかむさう》のナイスでせう』
『ナイスは|云《い》はぬでも|分《わか》つて|居《ゐ》る。|何《ど》うだ、|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》の|思召《おぼしめし》を|聞《き》いて|下《くだ》さるのか』
『|妾《わたし》は|聾《つんぼ》ぢやありませぬよ。|最前《さいぜん》から|一言《ひとこと》も|残《のこ》らず|聞《き》いて|居《ゐ》るぢやありませぬか』
『ソンナ|聞《き》きやうとは|違《ちが》ひますワイ。|要《えう》するに、|吾々《われわれ》の|要求《えうきう》を|容《い》れて|下《くだ》さるかと|云《い》ふのだ』
『アタ|阿呆《あはう》らしい、|誰《たれ》が|炭団玉《たどんだま》のやうな|黒《くろ》い|男《をとこ》に|秋波《しうは》を|送《おく》りますか、|烏《からす》の|芝居《しばゐ》だと|思《おも》つて、|最前《さいぜん》から、|面白《おもしろ》|可笑《をか》しう|観覧《くわんらん》して|居《ゐ》るのだよ』
『コラ|阿魔女《あまつちよ》……かう|見《み》えても|俺《おれ》は|男《をとこ》だぞ。|女《をんな》の|癖《くせ》に、|裸一貫《はだかいつくわん》の|大男《おほをとこ》を|嘲弄《てうろう》するのか』
『|何程《なにほど》|胴殻《どうがら》は|大《おほ》きうても、お|前《まへ》の|肝《きも》は|余《あま》り|小《ちひ》さいから、【サツク】|迄《まで》が|矢張《やつぱり》|小《ちひ》さく|見《み》えて|仕方《しかた》がないワ』
『|何処迄《どこまで》も|吾々《われわれ》を|馬鹿《ばか》にするのだな。よしよし、この|船《ふね》を|何処《どこ》へやらうと|俺達《おれたち》の|勝手《かつて》だから、|往生《わうじやう》する|所《ところ》|迄《まで》|苦《くる》しめてやるからさう|思《おも》へ』
『|同《おな》じ|船《ふね》に|乗《の》つた|以上《いじやう》は、|妾《わたし》の|苦《くる》しい|時《とき》は|矢張《やつぱり》お|前《まへ》も|苦《くる》しいのだ。|妾《わたし》はかうしてお|客《きやく》さまだから|手《て》を|束《つか》ねて|見《み》て|居《ゐ》るが、お|前達《まへたち》は|労働《らうどう》せなくては|一日《いちにち》も|暮《く》れない|身分《みぶん》だ。|常世《とこよ》の|国《くに》の|果《はて》|迄《まで》なりと|勝手《かつて》に|漕《こ》いで|往《い》つたがよからう。|妾《わたし》は|此《この》|広々《ひろびろ》とした|此《この》|海面《かいめん》を|天国《てんごく》のやうに|思《おも》うて、|仮令《たとへ》|三年《さんねん》でも|十年《じふねん》でも|漂《ただよ》うて|居《ゐ》るのが|好《す》きなのだ』
『|何《なん》と|豪胆《がうたん》な|女《をんな》だな。|流石《さすが》は|鬼熊別《おにくまわけ》の|血《ち》の|流《なが》れを|受《う》けた|丈《だけ》あつて、どことはなしに|違《ちが》つた|所《ところ》があるワイ。なア、モンキー、|用心《ようじん》せぬと|此奴《こいつ》は|化物《ばけもの》か|知《し》れないぞ。|何程《なにほど》|胆力《たんりよく》があると|云《い》うても|十五《じふご》や|十六《じふろく》で|之《これ》だけ|胴《どう》の|据《す》わる|筈《はず》がない。|三五教《あななひけう》の|守護《しゆご》を|致《いた》して|居《ゐ》る|高倉《たかくら》か|旭《あさひ》の|化身《けしん》かも|知《し》れない。………オイ|一寸《ちよつと》|尻《しり》をあげて|見《み》い。|尻尾《しつぽ》でも|下《さ》げて|居《ゐ》やがりやせぬか』
と|小糸姫《こいとひめ》の|背部《はいぶ》を|一生懸命《いつしやうけんめい》|見詰《みつ》めながら、
『|矢張《やつぱり》|此奴《こいつ》は|正真正銘《しやうしんしやうめい》の|小糸姫《こいとひめ》だ。………オイ、モンキー|愈《いよいよ》|是《これ》から|不言実行《ふげんじつかう》だ』
『ヨシ|合点《がつてん》だ』
とモンキーは|前《まへ》より、チヤンキーは|後《うしろ》より|小糸姫《こいとひめ》に|武者振《むしやぶ》りつき、|手籠《てごめ》にせむと|飛《と》び|掛《かか》るを|小糸姫《こいとひめ》は|右《みぎ》に|左《ひだり》にぬるりぬるりと|身《み》を|躱《かは》し、|暫《しば》し|揉《も》み|合《あ》ひ|居《ゐ》たりしが、|強力《がうりき》なる|二人《ふたり》の|男《をとこ》に|取《と》り|押《おさ》へられ「キヤツ」と|叫《さけ》ぶ|折《をり》しも、|四人《よにん》の|乗《の》つた|一艘《いつそう》の|船《ふね》、|此《この》|場《ば》に|浪《なみ》を|切《き》つて|疾走《しつそう》し|来《きた》り、|一人《ひとり》の|女《をんな》は|二人《ふたり》の|男《をとこ》に|当身《あてみ》を|喰《く》はしたれば、|二人《ふたり》は|脆《もろ》くも|船《ふね》の|中《なか》にウンと|云《い》つたきり|大《だい》の|字《じ》になり|打《う》ち|倒《たふ》れける。
|小糸姫《こいとひめ》は|思《おも》はぬ|助《たす》け|船《ぶね》のために|危難《きなん》を|救《すく》はれ、|一人《ひとり》の|女《をんな》に|向《むか》ひ、
『|危《あやふ》い|所《ところ》をお|救《すく》ひ|下《くだ》さいまして|有難《ありがた》う|御座《ござ》います』
と|月夜《つきよ》に|透《す》かし|見《み》て、
『|貴女《あなた》は|今子姫《いまこひめ》|様《さま》、|何《ど》うしてまア|斯様《かやう》な|所《ところ》へ|御入来《おいで》|遊《あそ》ばしました』
と|聞《き》かれて|今子姫《いまこひめ》は|驚《おどろ》き、
『さう|云《い》ふ|貴女《あなた》は|顕恩郷《けんおんきやう》の|副棟梁《ふくとうりやう》|様《さま》のお|娘子《むすめご》、|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》では|御座《ござ》いませぬか。|去年《きよねん》の|春《はる》、|友彦《ともひこ》の|宣伝使《せんでんし》と|手《て》に|手《て》を|取《と》つて|何処《いづく》へかお|越《こ》し|遊《あそ》ばし、|御両親《ごりやうしん》のお|歎《なげ》きは|一通《ひととほ》りでは|御座《ござ》いませぬ。|傍《そば》の|見《み》る|目《め》もお|気《き》の|毒《どく》で|耐《たま》りませなんだ。さア|貴女《あなた》は|一日《いちにち》も|早《はや》くお|帰《かへ》り|遊《あそ》ばして、|御両親《ごりやうしん》に|御安心《ごあんしん》おさせ|遊《あそ》ばすが|宜《よろ》しからう』
『イエイエ|何《ど》うあつても|妾《わたし》は|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》へ|参《まゐ》らねばなりませぬ。|少《すこ》し|様子《やうす》あつて|友彦《ともひこ》に|別《わか》れ、|今《いま》|渡海《とかい》の|途中《とちう》で|御座《ござ》います。|顕恩郷《けんおんきやう》の|本山《ほんざん》は|益々《ますます》|隆盛《りうせい》で|御座《ござ》いますか』
『|私《わたし》は|三五教《あななひけう》の|大神《おほかみ》、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》|様《さま》の|御娘子《おむすめご》|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》の|侍女《じぢよ》となり、|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》で|御座《ござ》いましたが、|鬼雲彦《おにくもひこ》|様《さま》や、|貴女《あなた》の|御両親《ごりやうしん》に|改心《かいしん》して|頂《いただ》かうと、|種々《いろいろ》|心《こころ》は|砕《くだ》きましたなれど|何《ど》うしても|駄目《だめ》、とうとう|天《あめ》の|太玉命《ふとだまのみこと》の|宣伝使《せんでんし》が|御入来《おいで》になり、|鬼雲彦《おにくもひこ》|初《はじ》め、|御両親《ごりやうしん》は|何処《どこ》へか|身《み》を|匿《かく》され、|顕恩郷《けんおんきやう》は|今《いま》や|三五教《あななひけう》の|霊場《れいぢやう》となつて|居《を》ります。そして|妾《わたし》は|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》、|梅子姫《うめこひめ》|様《さま》と|宣伝《せんでん》の|途中《とちう》、|片彦《かたひこ》、|釘彦《くぎひこ》|等《ら》|部下《ぶか》の|為《ため》に|促《とら》へられ、|此《この》|船《ふね》に|乗《の》せて|流《なが》されました|途中《とちう》で|御座《ござ》います』
と|聞《き》いて|小糸姫《こいとひめ》は|大《おほ》いに|驚《おどろ》き、
『さすれば|貴女《あなた》は|三五教《あななひけう》に|寝返《ねがへ》りを|打《う》つた|謀反人《むほんにん》。|鬼雲彦《おにくもひこ》|様《さま》を|初《はじ》め、|妾《わたし》の|両親《りやうしん》の|敵《かたき》も|同様《どうやう》、サア|此《この》|上《うへ》は|覚悟《かくご》をなされ』
と|懐剣《くわいけん》をスラリと|抜《ぬ》いて|斬《き》り|掛《かか》らうとする。|五十子姫《いそこひめ》、|梅子姫《うめこひめ》、|宇豆姫《うづひめ》は、|乗《の》り|来《き》し|船《ふね》の|上《うへ》より、|騒《さわ》がず|焦《あせ》らず|端然《たんぜん》として|此《この》|光景《くわうけい》を|打《う》ち|看守《みまも》つて|居《ゐ》る。|今子姫《いまこひめ》は|言葉《ことば》|淑《しと》やかに、
『マアマアお|鎮《しづ》まり|遊《あそ》ばせ。|何程《なにほど》|貴女《あなた》がお|焦慮《いらち》なさつても、|此《この》|通《とほ》り|此方《こちら》は|四人《よにん》の|女《をんな》、|貴女《あなた》は|一人《ひとり》、|到底《たうてい》|駄目《だめ》ですよ。それより|貴女《あなた》の|度胸《どきよう》を|活用《くわつよう》し、|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》へ|渡《わた》りお|道《みち》の|宣伝《せんでん》を|開始《かいし》なさつたら|何《ど》うでせう。|妾《わたし》もお|力《ちから》になりまする』
|小糸姫《こいとひめ》は|勝敗《しようはい》の|数《すう》|既《すで》に|決《けつ》せりと|覚悟《かくご》を|極《き》め、
『|世界《せかい》は|皆《みな》|神様《かみさま》のお|造《つく》り|遊《あそ》ばしたもの、|謂《い》はば|世界《せかい》の|人間《にんげん》は|神様《かみさま》の|御子《みこ》で|御座《ござ》います。|神《かみ》の|目《め》から|御覧《ごらん》になれば|妾《わたし》も|貴女《あなた》も|皆《みな》|姉妹《きやうだい》、|今迄《いままで》の|事《こと》はスツカリと|河《かは》へ|流《なが》しイヤ|海《うみ》に|流《なが》し、|相《あひ》|提携《ていけい》して|神様《かみさま》に|奉仕《ほうし》しようではありませぬか』
『それは|真《まこと》に|結構《けつこう》で|御座《ござ》います。……|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》、|梅子姫《うめこひめ》|様《さま》、|宇豆姫《うづひめ》|様《さま》、|貴女方《あなたがた》の|御考《おかんが》へは|如何《どう》でせう』
|三人《さんにん》|一度《いちど》に|頷《うなづ》く。
『アレ|彼《あ》の|通《とほ》りお|三人《さんにん》|共《とも》、|妾《わたし》と|御同感《ごどうかん》、さア|是《これ》から|御一緒《ごいつしよ》に|一《ひと》つの|船《ふね》で|参《まゐ》りませう。|併《しか》し|乍《なが》ら|二人《ふたり》の|男《をとこ》に|活《くわつ》を|入《い》れ、|助《たす》けてやらねばなりますまい』
と|今子姫《いまこひめ》は『ウン』と|力《ちから》を|籠《こ》めて|活《くわつ》を|入《い》れた。|忽《たちま》ち|二人《ふたり》は|正気《しやうき》づき|涙《なみだ》を|流《なが》して|謝罪《あやま》つて|居《ゐ》る。
『これはこれは|二人《ふたり》の|黒《くろ》ン|坊《ばう》さま、|長々《ながなが》|御苦労《ごくらう》であつた。|妾《わたし》は|是《これ》より|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》となつて、|世界《せかい》の|隅々《すみずみ》|迄《まで》|巡歴《じゆんれき》するから、お|前達《まへたち》はこれで|帰《かへ》つてお|呉《く》れ』
と|懐中《くわいちゆう》より|小判《こばん》を|取《と》り|出《だ》し|投《な》げやれば、|二人《ふたり》は|押《お》し|頂《いただ》き、
『|誠《まこと》に|御無礼《ごぶれい》を|到《いた》しました|上《うへ》に、|之《これ》|程《ほど》|沢山《たくさん》お|金《かね》を|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しまして|有《あ》り|難《がた》う|御座《ござ》います。|左様《さやう》なれば|貴女《あなた》は|彼方《あちら》の|船《ふね》にお|乗《の》り|下《くだ》さいませ。|私《わたし》|共《ども》は|此《この》|船《ふね》で|錫蘭《シロ》の|港《みなと》に|引返《ひきかへ》します、|万一《まんいち》|友彦《ともひこ》|様《さま》に|遇《あ》うたら|何《ど》う|申《まを》して|置《お》きませうか』
『アー|知《し》らないと|云《い》うて|置《お》くが|無難《ぶなん》でよからう』
|二人《ふたり》は『ハイ|有難《ありがた》う』と|感謝《かんしや》し|乍《なが》ら|手早《てばや》く|櫓《ろ》を|操《あやつ》り、|東北《とうほく》さして|漕《こ》ぎ|帰《かへ》る。|茲《ここ》に|五人《ごにん》の|女《をんな》は|代《かは》る|代《がは》る|櫓《ろ》を|操《あやつ》りながら、|浪《なみ》のまにまに|流《なが》されて、|遂《つひ》にオーストラリヤの|一《ひと》つ|島《じま》に|無事《ぶじ》|上陸《じやうりく》する|事《こと》となりける。
(大正一一・六・一四 旧五・一九 加藤明子録)
第四章 |一島《ひとつじま》の|女王《ぢよわう》〔七三四〕
|今迄《いままで》|皎々《かうかう》たる|浄玻璃《じやうはり》の|月《つき》は|忽《たちま》ち|黒雲《くろくも》に|蔽《おほ》はれ、|満天《まんてん》の|星光《ほしかげ》は|瞬《またた》く|中《うち》に|雲《くも》の|帳《とばり》に|包《つつ》まれた。|海面《かいめん》は|俄《にはか》に|薄闇《うすぐら》く、|暴風《ばうふう》|忽《たちま》ち|臻《いた》り、|小舟《こぶね》を|波《なみ》のまにまに|翻弄《ほんろう》|虐待《ぎやくたい》する。|船底《ふなぞこ》に|横《よこ》たはり|以前《いぜん》の|夢《ゆめ》を|見《み》て|居《ゐ》た|小糸姫《こいとひめ》は|驚《おどろ》いて|目《め》を|瞠《みは》り、
『アヽ|大変《たいへん》な|恐《おそ》ろしい|夢《ゆめ》を|見《み》た。……これ|船頭《せんどう》さま、|俄《にはか》に|闇《くら》くなつたぢやないか、|此処《ここ》は|一体《いつたい》|何《なん》と|言《い》ふ|所《ところ》だなア?』
『あまり|暗《くら》くて|薩張《さつぱ》り|見当《けんたう》がとれなくなりました。|然《しか》し|大方《おほかた》ニユージーランドの|近辺《きんぺん》だと|思《おも》ひます。|波《なみ》は|刻々《こくこく》に|高《たか》くなり、もう|此《この》|上《うへ》は|風《かぜ》に|任《まか》して|行《ゆ》く|処《ところ》まで|行《や》るより|仕方《しかた》がありませぬ。|斯《か》う|言《い》ふ|時《とき》にバラモン|教《けう》のお|経《きやう》を|唱《とな》へて|下《くだ》さつたら、チツトは|風《かぜ》も|凪《な》ぎませう。お|姫様《ひめさま》、|何卒《どうぞ》|神様《かみさま》に|願《ねが》つて|下《くだ》さいな』
『|此《この》|通《とほ》り|風《かぜ》が|吹《ふ》き|波《なみ》が|荒《あら》く|立《た》ち|騒《さわ》ぎ……|櫓櫂《ろかい》の|方《はう》に|一生懸命《いつしやうけんめい》に|力《ちから》を|入《い》れて|呉《く》れる|方《かた》が|妾《わたし》に|取《と》つて|何程《なにほど》|安全《あんぜん》だか|知《し》れませぬよ。|最前《さいぜん》の|夢《ゆめ》の|様《やう》な|目《め》に|会《あ》はされては|迷惑《めいわく》だから……』
『|夢《ゆめ》にドンナ|目《め》に|会《あ》はれましたな?』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら|一生懸命《いつしやうけんめい》に|櫓《ろ》を|漕《こ》いで|居《ゐ》る。|山岳《さんがく》の|如《ごと》き|波《なみ》の|間《あひだ》を、|船《ふね》は|木《こ》の|葉《は》の|風《かぜ》に|散《ち》る|如《ごと》く|浮《う》きつ|沈《しづ》みつ、|荒波《あらなみ》の|翻弄《ほんろう》に|任《まか》すより|途《みち》はなかつた。|忽《たちま》ち|巨大《きよだい》なる|音響《おんきやう》と|共《とも》に|船《ふね》は|一《ひと》つの|岩山《いはやま》に|衝突《しようとつ》し、|滅茶々々《めちやめちや》になつて|仕舞《しま》つた。|小糸姫《こいとひめ》は|辛《から》うじて|壁《かべ》を|立《た》てた|如《ごと》き|岩《いは》に|壁蝨《だに》の|様《やう》に|喰《く》ひつき、|運《うん》を|天《てん》に|任《まか》し|経文《きやうもん》を|唱《とな》へて|居《ゐ》る。|二人《ふたり》の|男《をとこ》は|如何《どう》なつたか|浪《なみ》の|音《おと》に|遮《さへぎ》られ、|一声《ひとこゑ》さへも|聞《き》く|事《こと》が|出来《でき》なかつた。|一時《ひととき》ばかり|経《た》つと|思《おも》ふ|頃《ごろ》、|空《そら》を|包《つつ》みし|黒雲《くろくも》は|拭《ぬぐ》ふが|如《ごと》く|晴《は》れ、|風《かぜ》は|凪《な》ぎ、|浪《なみ》|静《しづ》まり、|魚鱗《ぎよりん》の|月光《げつくわう》は|海上《かいじやう》|一面《いちめん》に|不知火《しらぬひ》の|如《ごと》く|瞬《またた》き|初《そ》めた。|斯《か》かる|所《ところ》へ|四人《よにん》の|女《をんな》を|乗《の》せた|一艘《いつそう》の|小舟《こぶね》、|島影《しまかげ》より|悠々《いういう》と|現《あら》はれ|来《きた》り、|小糸姫《こいとひめ》が|叫《さけ》ぶ|声《こゑ》を|聞《き》きつけ、|中《なか》の|一人《ひとり》は|棹《さを》をさし|述《の》べ|漸々《やうやう》にして|小糸姫《こいとひめ》を|船中《せんちう》に|救《すく》ひ|上《あ》げた。|二人《ふたり》の|男《をとこ》の|影《かげ》は|目《め》に|当《あた》らなかつた。|小糸姫《こいとひめ》は|疲労《ひらう》の|結果《けつくわ》、|船底《ふなそこ》に|横《よこ》たはつたまま|二時《ふたとき》、|三時《みとき》ばかり|顔《かほ》を|得上《えあ》げず、|礼《れい》をも|言《い》はず|蟹《かに》の|如《よ》うな|泡《あわ》を|吹《ふ》いて|苦《くる》しみ|居《ゐ》たり。
メソポタミヤの|顕恩郷《けんおんきやう》 |鬼雲彦《おにくもひこ》が|本城《ほんじやう》に
|種々《いろいろ》|雑多《ざつた》と|身《み》を|窶《やつ》し |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の
|御言《みこと》|畏《かしこ》み|八乙女《やをとめ》が |鬼雲彦《おにくもひこ》の|側近《そばちか》く
|仕《つか》へ|待《はべ》りてバラモンの |悪逆無道《あくぎやくぶだう》を|立直《たてなほ》し
|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》の |至仁《しじん》|至愛《しあい》の|御息《みいき》より
|現《あら》はれ|出《い》でたる|三五《あななひ》の |神《かみ》の|教《をしへ》に|服《まつろ》はせ
|名実《めいじつ》|叶《かな》ふ|顕恩《けんおん》の |郷《さと》の|昔《むかし》に|復《かへ》さむと
|心《こころ》を|配《くば》る|折柄《をりから》に |天《あめ》の|太玉《ふとだま》|宣伝使《せんでんし》
|数多《あまた》の|司《つかさ》を|伴《ともな》ひて |顕恩城《けんおんじやう》に|入《い》り|来《きた》り
|言霊戦《ことたません》を|開始《かいし》して |鬼雲彦《おにくもひこ》の|大棟梁《だいとうりやう》
|其《その》|他《た》の|魔神《まがみ》を|伊照《いて》らせば |忽《たちま》ち|大蛇《をろち》と|身《み》を|変《へん》じ
|雲《くも》を|起《おこ》して|遁《に》げ|去《さ》りぬ |天《あめ》の|太玉《ふとだま》|宣伝使《せんでんし》
|顕恩郷《けんおんきやう》を|掌《つかさど》り |此処《ここ》に|八人《やたり》の|乙女子《をとめご》は
|天地《あめつち》|四方《よも》の|国々《くにぐに》に |三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》を
|宣《の》べ|伝《つた》へんと|手《て》を|別《わ》けて |荒野《あらの》を|彷徨《さまよ》ふ|折柄《をりから》に
バラモン|教《けう》の|枉神《まがかみ》に |嗅出《かぎいだ》されて|捕《とら》へられ
いたいけ|盛《ざか》りの|姉妹《おとどい》は |半《なかば》|破《やぶ》れし|釣舟《つりぶね》に
|投《な》げ|入《い》れられて|浪《なみ》の|上《うへ》 |何処《いづく》を|当《あ》てと|定《さだ》めなく
|漂《ただよ》ひ|来《きた》る|折柄《をりから》に |大海中《おほわだなか》に|突《つ》き|立《た》てる
|岩《いは》ばかりなる|一《ひと》つ|島《じま》 |辺《ほとり》に|漕《こ》ぎ|着《つ》き|眺《なが》むれば
|何《いづ》れの|人《ひと》か|知《し》らねども |年端《としは》も|行《ゆ》かぬ|真娘《まなむすめ》
|岩《いは》に|喰《く》ひ|付《つ》き|声《こゑ》|限《かぎ》り |救《すく》ひを|求《もと》めて|叫《さけ》び|居《ゐ》る
|仁慈無限《じんじむげん》の|五十子姫《いそこひめ》は |三人《みたり》の|女子《をみな》と|諸共《もろとも》に
|言《い》はず|語《かた》らず|心《こころ》|合《あ》ひ |棹《さを》を|延《の》ばして|救《すく》ひあげ
|互《たがひ》に|櫓櫂《ろかい》を|操《あやつ》りつ |風《かぜ》に|送《おく》られ|西《にし》|南《みなみ》
|竜宮島《りうぐうじま》を|指《さ》して|行《ゆ》く あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|霊《みたま》の|幸《さち》を|隈《くま》もなく |世人《よびと》の|上《うへ》に|照《て》らします
|至仁至愛《みろく》の|神《かみ》の|御救《みすく》ひに |小糸《こいと》の|姫《ひめ》は|生《い》きかへり
|撥《は》ね|返《かへ》りたる|心地《ここち》して |朝日《あさひ》の|豊栄《とよさか》|昇《のぼ》る|頃《ころ》
|漸《やうや》く|頭《かしら》を|抬《もた》げける |四辺《あたり》を|見《み》れば|四柱《よはしら》の
|顕恩郷《けんおんきやう》に|見覚《みおぼ》えの |娘《むすめ》と|見《み》るより|仰天《ぎやうてん》し
|暫《しば》し|言葉《ことば》も|無《な》かりしが |漸《やうや》く|心《こころ》|落《お》ち|着《つ》けて
『あゝ|訝《いぶ》かしやいぶかしや |夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|幻《まぼろし》か
|五十子《いそこ》の|姫《ひめ》や|梅子姫《うめこひめ》 |御供《みとも》の|宇豆姫《うづひめ》、|今子姫《いまこひめ》
|貴女《あなた》は|何故《なにゆゑ》|海原《うなばら》に |彷徨《さまよ》ひ|来《きた》り|在《ま》しますぞ
|是《これ》には|深《ふか》き|理由《ことわり》の |在《おは》するならむ|詳細《まつぶさ》に
|宣《の》らせ|給《たま》へ』と|手《て》を|合《あは》せ |胸《むね》もどきどき|問《と》ひかくる。
|五十子姫《いそこひめ》は|小糸姫《こいとひめ》に|向《むか》ひ、
『|貴女《あなた》は|顕恩郷《けんおんきやう》の|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》のお|娘子《むすめご》、|如何《どう》して、マア|斯様《かやう》な|処《ところ》へお|越《こ》しなされましたか。さうして|友彦《ともひこ》|様《さま》は|如何《どう》|遊《あそ》ばしましたか』
『それよりも|貴女《あなた》|等《がた》|四人様《よつたりさま》、|斯様《かやう》な|処《ところ》へ|御船《おふね》に|乗《の》つてお|越《こ》し|遊《あそ》ばすとは|合点《がつてん》が|参《まゐ》りませぬ。|何《なん》の|御用《ごよう》で|何処《どこ》へ|御《お》いでになりますか、お|聞《き》かせ|下《くだ》さいませな』
『|是《これ》には|深《ふか》い|仔細《しさい》が|御座《ござ》いまする。|何《いづ》れゆるゆる|聞《き》いて|頂《いただ》きませうが、|貴女《あなた》から|何卒《どうぞ》|先《さき》へお|口開《くちびら》きを|願《ねが》ひます』
|小糸姫《こいとひめ》は『ハイ』と|答《こた》へて、|顕恩郷《けんおんきやう》を|出《い》でしよりその|後《ご》|友彦《ともひこ》に|別《わか》れ、|此処迄《ここまで》|逃《に》げ|来《きた》りし|一伍一什《いちぶしじふ》の|顛末《てんまつ》を|包《つつ》み|隠《かく》さず|述《の》べ|立《た》てた。|四人《よにん》は|年《とし》にも|似合《にあ》はぬ|小糸姫《こいとひめ》の|悪竦《あくらつ》にして|豪胆《がうたん》なるに|舌《した》を|捲《ま》きける。
|梅子姫《うめこひめ》は|呆《あき》れ|顔《がほ》にて、
『|随分《ずゐぶん》|貴女《あなた》も|人格《じんかく》がお|変《かは》りになりましたね』
『さうでせうとも、|妾《わたし》は|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》の|未来《みらい》の|女王《ぢよわう》ですから、|今迄《いままで》の|様《やう》な|嬢《ぢやう》や|坊《ぼう》では|数多《あまた》の|国人《くにびと》を|治《をさ》める|事《こと》は|出来《でき》ませぬ』
と|未《ま》だ|島影《しまかげ》さへも|見《み》えぬ|内《うち》から、|早《はや》くも|竜宮島《りうぐうじま》を|腹《はら》に|呑《の》んで|居《ゐ》る|豪胆《がうたん》|不敵《ふてき》の|女《をんな》なり。
|五十子姫《いそこひめ》、|梅子姫《うめこひめ》は|善悪《ぜんあく》は|兎《と》も|角《かく》、|野蛮《やばん》|未開《みかい》の|地《ち》の|女王《ぢよわう》としては|最適任《さいてきにん》ならむ、|此《この》|船《ふね》に|乗《の》つたのを|幸《さいは》ひ|竜宮島《りうぐうじま》に|到着《たうちやく》する|幾多《いくた》の|日数《につすう》を|応用《おうよう》して|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|体得《たいとく》せしめ、|精神的《せいしんてき》|天国《てんごく》を|建設《けんせつ》せしめむと|早《はや》くも|心《こころ》に|定《さだ》め……|顕恩郷《けんおんきやう》を|立《た》ち|出《い》で、|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|四方《よも》に|宣伝《せんでん》せむとする|時《とき》しも、バラモン|教《けう》の|片彦《かたひこ》、|釘彦《くぎひこ》|一派《いつぱ》に|捕《とら》へられ、|此海《ここ》に|漂流《へうりう》し|来《きた》りし|事《こと》の|顛末《てんまつ》を|細《つぶ》さに|物語《ものがた》り、|互《たがひ》に|敵味方《てきみかた》の|障壁《しやうへき》を|除却《ぢよきやく》し、|一蓮托生《いちれんたくしやう》の|船《ふね》の|上《うへ》にて|遂《つい》に|首尾《しゆび》よく|小糸姫《こいとひめ》に|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|植付《うゑつ》けた。
|小糸姫《こいとひめ》は|船中《せんちう》より|已《すで》に|女王《ぢよわう》|気取《きどり》で|五十子姫《いそこひめ》、|梅子姫《うめこひめ》を|顧問《こもん》か|参謀《さんぼう》の|様《やう》に|独《ひと》り|定《ぎ》めにして|仕舞《しま》つた。|今子姫《いまこひめ》、|宇豆姫《うづひめ》は|自分《じぶん》の|小使《こづかひ》として|待遇《たいぐう》して|居《ゐ》た。|五十子姫《いそこひめ》、|梅子姫《うめこひめ》は|良《よ》き|機関《きくわん》を|得《え》たりと|喜《よろこ》び、|表面《へうめん》|十六才《じふろくさい》の|阿婆摺《あばず》れ|娘《むすめ》の|小糸姫《こいとひめ》を|首領《しゆりやう》と|定《さだ》め、|漸《やうや》くにして|五人《ごにん》の|女《をんな》は|竜宮島《りうぐうじま》のクスの|港《みなと》に|無事《ぶじ》|到着《たうちやく》し、|船《ふね》を|岸辺《きしべ》に|繋《つな》ぎ、|五人《ごにん》は|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》らさしもに|広《ひろ》き|一《ひと》つ|島《じま》を|足《あし》に|任《まか》せて|進《すす》み|行《ゆ》く。|日《ひ》は|漸《やうや》く|没《ぼつ》して|四方《しはう》|闇黒《やみ》に|包《つつ》まれ、|五人《ごにん》はとある|谷川《たにがは》の|辺《ほとり》に|蓑《みの》を|敷《し》き|安々《やすやす》と|寝《ねむり》に|就《つ》きけり。
|猛獣《まうじう》の|声《こゑ》は|山岳《さんがく》も|揺《ゆる》ぐばかり|唸《うな》り|出《だ》した。|豪胆《がうたん》|不敵《ふてき》の|五人《ごにん》の|女《をんな》は|松風《まつかぜ》の|音《おと》か|琴《こと》の|音《ね》|位《くらゐ》に|軽《かる》く|見做《みな》し、|其《その》|声《こゑ》を|就寝《しうしん》の|栞《しほり》とし、|他愛《たあい》も|無《な》く|此処《ここ》に|一夜《いちや》を|明《あか》した。|四辺《あたり》の|果実《このみ》を【むし】りて|腹《はら》を|拵《こしら》へ、|草《くさ》|茫々《ばうばう》と|身《み》を|没《ぼつ》するばかりの|谷道《たにみち》を|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》に|木霊《こだま》を|響《ひび》かせ|乍《なが》ら、|進《すす》み|進《すす》みて|或《あ》る|一《ひと》つの|平坦《へいたん》なる|部落《ぶらく》に|出《で》たり。|山《やま》と|山《やま》とに|包《つつ》まれたる|摺鉢《すりばち》の|底《そこ》の|様《やう》な|稍《やや》|広《ひろ》き|原野《げんや》と|山腹《さんぷく》に|穴《あな》を|穿《うが》ち、|炭焼竈《すみやきがま》の|様《やう》に|各戸《かくこ》|煙《けむり》をボウボウと|立《た》てて|居《ゐ》る。|五人《ごにん》は|原野《げんや》の|中央《ちうあう》にある|小高《こだか》き|大岩《おほいは》の|上《うへ》に|登《のぼ》り、|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|出《だ》した。|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》いてか、|山腹《さんぷく》の|数《かず》|限《かぎ》りもなき|穴《あな》より|色《いろ》の|黒《くろ》き|老若男女《らうにやくなんによ》|一《ひと》つの|穴《あな》より|或《あるひ》は|五人《ごにん》|或《あるひ》は|十人《じふにん》、|二十人《にじふにん》と|這《は》ひ|出《い》で|各《おのおの》|柄物《えもの》を|手《て》にし、|五人《ごにん》の|立《た》てる|大岩《おほいは》の|周囲《しうゐ》に|蟻《あり》の|如《ごと》く|群《むら》がり|集《あつ》まつた。|此処《ここ》は|一《ひと》つ|島《じま》にても|稍《やや》|都会《とくわい》と|聞《きこ》えたる|萱野ケ原《かやのがはら》といふ|処《ところ》であつた。|一同《いちどう》は|色《いろ》|白《しろ》き|五人《ごにん》の|美女《びぢよ》が|岩上《がんじやう》に|立《た》てる|姿《すがた》を|見《み》て、|天津乙女《あまつをとめ》の|天上《てんじやう》より|降《くだ》り|給《たま》ひしものと|固《かた》く|信《しん》じ|随喜《ずいき》の|涙《なみだ》を|流《なが》し|乍《なが》ら、|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|掌《て》を|合《あは》せ|拝跪敬礼《はいきけいれい》して|居《ゐ》る。
|斯《か》かる|処《ところ》へ|山奥《やまおく》より|法螺貝《ほらがひ》の|声《こゑ》「ブウブウ」と|響《ひび》き|渡《わた》り、|見《み》れば|数百人《すうひやくにん》の|荒男《あらをとこ》を|率《ひき》ゐた|大男《おほをとこ》|駻馬《かんば》に|跨《また》がり、ツカツカと|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|来《きた》り、
『ヤア、|汝《なんぢ》は|何《いづ》れの|国《くに》より|漂着《へうちやく》してうせた。|此《この》|一《ひと》つ|島《じま》は、|他国人《たこくじん》の|上陸《じやうりく》を|許《ゆる》さざる|秘密境《ひみつきやう》だ。|誰《たれ》の|許可《ゆるし》を|得《え》て|出《で》てうせた。|速《すみやか》に|其《その》|岩《いは》を|下《くだ》り|一々《いちいち》|事情《じじやう》を|申《まを》し|伝《つた》へよ』
|小糸姫《こいとひめ》は|泰然自若《たいぜんじじやく》、|満面《まんめん》に|笑《ゑみ》を|湛《たた》へて|大男《おほをとこ》の|一行《いつかう》を|看守《みまも》つた。|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》も|同《おな》じく|両手《りやうて》を|組《く》み|合《あは》せ、|儼然《げんぜん》として|小糸姫《こいとひめ》の|両脇《りやうわき》に|立《た》ち、|一同《いちどう》の|顔《かほ》を|打《う》ち|看守《みまも》つた。|大《だい》の|男《をとこ》は|声《こゑ》|荒《あら》らげ、
『|此《この》|方《はう》は|一《ひと》つ|島《じま》の|大棟梁《だいとうりやう》ブランジーと|言《い》ふ|者《もの》である。|此《この》|方《はう》の|威勢《ゐせい》に|恐《おそ》れぬか。|一時《いちじ》も|早《はや》く|座《ざ》を|下《くだ》り|我等《われら》が|縛《ばく》につけ』
と|鬼《おに》の|如《ごと》き|眼《め》を|光《ひか》らしグツと|睨《ね》めつけたるを、|小糸姫《こいとひめ》は|莞爾《につこ》と|笑《わら》ひ、
『|愚《おろか》なりブランジー、|妾《われ》は|天津神《あまつかみ》の|命《めい》を|受《う》け、|只今《ただいま》|四柱《よはしら》の|従者《ともびと》を|率《ひき》ゐ、|五色《ごしき》の|雲《くも》に|乗《の》り|此《この》|一《ひと》つ|島《じま》に|天降《あまくだ》りしものぞ。|此《この》|国《くに》は|妾《われ》が|治《をさ》むべき|神《かみ》の|定《さだ》めの|真秀良場《まほらば》なれば|今日《こんにち》より|妾《われ》に|誠心《まごころ》を|捧《ささ》げて|仕《つか》ふるか。さもなくば、|天譴《てんけん》を|下《くだ》して|槍《やり》の|雨《あめ》を|降《ふ》らせ、|雷《いかづち》の|弾《たま》を|以《もつ》て|懲戒《みせしめ》の|為《た》め|汝等《なんぢら》を|打滅《うちほろぼ》し|呉《く》れむ。|返答《へんたふ》|如何《いか》に』
とキツと|言《い》ひ|渡《わた》せば、|流石《さすが》のブランジーも|崇高《すうかう》なる|女《をんな》の|姿《すがた》に|首《かうべ》を|傾《かたむ》け、|暫《しば》し|思案《しあん》に|暮《く》れて|居《ゐ》た。|数百人《すうひやくにん》の|荒男《あらをとこ》は|武装《ぶさう》の|儘《まま》|大地《だいち》に|平伏《ひれふ》し、|五人《ごにん》に|向《むか》つて|萱野ケ原《かやのがはら》の|住民《ぢゆうみん》と|共《とも》に|両手《りやうて》を|合《あは》せ|随喜《ずいき》の|涙《なみだ》に|暮《く》れて|居《ゐ》る。ブランジーは|此《この》|光景《くわうけい》を|見《み》て|我《が》を|折《を》り、|又《また》もや|馬《うま》を|下《くだ》り|大地《だいち》に|平伏《へいふく》して|帰順《きじゆん》の|意《い》を|表《へう》したり。|小糸姫《こいとひめ》は|言葉《ことば》|淑《しと》やかに、
『|汝《なんぢ》は|天津乙女《あまつをとめ》の|棚機姫《たなばたひめ》に|帰順《きじゆん》せし|徳《とく》に|依《よ》つて、|妾《われ》が|従司《じうしん》となし|重《おも》く|用《もち》ひむ。|飽迄《あくまで》も|誠《まこと》を|以《もつ》て|吾等《われら》に|仕《つか》へよ』
と|巧《うま》く|言霊《ことたま》を|応用《おうよう》すれば|一同《いちどう》は|感《かん》に|打《う》たれ、|五人《ごにん》の|宣伝使《せんでんし》を|神人《しんじん》と|敬《うやま》ひ、|前後《ぜんご》を|護《まも》りて|稍《やや》|展開《てんかい》せる|美《うる》はしき|原野《げんや》の|中《なか》の|都会《とくわい》に|導《みちび》き、|広殿《ひろどの》に|五人《ごにん》を|迎《むか》へて|心《こころ》よりの|馳走《ちそう》を|拵《こしら》へ、いと|懇《ねんごろ》に|誠意《せいい》を|表《へう》したりける。
|茲《ここ》に|五人《ごにん》は|一《ひと》つ|島《じま》の|花《はな》と|謳《うた》はれ、|三五《あななひ》の|神《かみ》の|教《をしへ》を|四方《よも》に|宣伝《せんでん》し、|其《その》|驍名《げうめい》は|全島《ぜんたう》に|轟《とどろ》き|渡《わた》りけり。|此処《ここ》を|是《これ》より|地恩郷《ちおんきやう》と|命名《めいめい》し、|小糸姫《こいとひめ》は|遂《つい》に|島人《しまびと》に|挙《あ》げられて|女王《ぢよわう》となり|黄竜姫《わうりようひめ》と|改名《かいめい》する|事《こと》となりける。
|茲《ここ》に|五十子姫《いそこひめ》は|今子姫《いまこひめ》を|従《したが》へ、|梅子姫《うめこひめ》、|宇豆姫《うづひめ》を|小糸姫《こいとひめ》が|左右《さいう》に|侍《じ》せしめ、|自転倒島《おのころじま》さして|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の|御跡《みあと》を|慕《した》ひ|進《すす》み|渡《わた》る|事《こと》となりぬ。ブランジーの|妻《つま》にクロンバーといふ|女《をんな》あり。|夫婦《ふうふ》|何《いづ》れも|五十《ごじふ》の|坂《さか》を|四《よ》つ|五《いつ》つ|越《こ》えたる|年輩《ねんぱい》なり。ブランジーはクロンバーと|共《とも》に|今《いま》は|黄竜姫《わうりようひめ》の|宰相役《さいしやうやく》となり、|遠近《ゑんきん》に|其《その》|名《な》を|轟《とどろ》かして|居《ゐ》た。クロンバーは|或《ある》|時《とき》|黄竜姫《わうりようひめ》に|拝謁《はいえつ》を|乞《こ》ひ|奥《おく》の|間《ま》|近《ちか》く|進《すす》み|入《い》り、
『|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》に|折入《をりい》つてお|願《ねが》ひが|御座《ござ》います。|妾《わたし》の|夫《をつと》ブランジーは|貴女様《あなたさま》のお|見出《みだ》しに|預《あづか》り、|宰相《さいしやう》として|恩寵《おんちよう》を|辱《かたじけ》なうし、|此《この》|島《しま》に|於《おい》ては|飛《と》ぶ|鳥《とり》も|落《おと》す|勢《いきほひ》となりました。クロンバー|身《み》にとり|有難《ありがた》く|御礼《おれい》の|申《まを》し|上《あ》げ|様《やう》も|御座《ござ》いませぬ。|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り|大男《おほをとこ》の|不束者《ふつつかもの》で|御座《ござ》いますれば、|何卒《どうぞ》|御見捨《おみす》てなく|末永《すえなが》く|使《つか》つてやつて|下《くだ》さいませ。|妾《わたし》は|実《じつ》は|此《この》|島《しま》の|生《うま》れではなく、|聖地《せいち》エルサレムに|仕《つか》へて|居《を》りました|者《もの》で|御座《ござ》いますが、|大切《たいせつ》なる|玉《たま》の|紛失《ふんしつ》せし|為《た》め|其《その》|所在《ありか》を|探《たづ》ねむと、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|様《さま》の|生宮《いきみや》として|今年《ことし》で|殆《ほとん》ど|満二年《まんにねん》、|残《のこ》る|隈《くま》なく|探《さが》せども|今《いま》に|所在《ありか》は|分《わか》らず、|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|貴女《あなた》の|天眼力《てんがんりき》を|以《もつ》て|御示《おしめ》し|下《くだ》さらば|有《あ》り|難《がた》う|御座《ござ》います』
|黄竜姫《わうりようひめ》は|厳然《げんぜん》として、
『|是《これ》は|珍《めづ》らしき|汝《なんぢ》の|願《ねが》ひ、|其《その》|玉《たま》と|申《まを》すは|如何《いか》なる|玉《たま》なるぞ』
『ハイ、|左様《さやう》で|御座《ござ》います。|金剛不壊《こんがうふえ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》に|黄金《こがね》の|玉《たま》、|紫《むらさき》の|玉《たま》の|三《み》つの|御宝《みたから》で|御座《ござ》います。|今迄《いままで》は|自転倒島《おのころじま》の|三五教《あななひけう》の|東本山《ひがしほんざん》に|納《をさ》めありし|処《ところ》、|何者《なにもの》にか|盗《ぬす》み|取《と》られ|今《いま》に|行方《ゆくへ》が|分《わか》りませぬ。|黄金《こがね》の|玉《たま》は|妾《わたし》が|保管《ほくわん》|致《いた》して|居《を》りました|所《ところ》、|何者《なにもの》にか|盗《ぬす》み|出《だ》され、|又《また》|残《のこ》り|二《ふた》つの|玉《たま》は|噂《うはさ》に|聞《き》けば|是《これ》|亦《また》|行方不明《ゆくへふめい》との|事《こと》、|何卒《どうぞ》|貴女《あなた》の|御神力《ごしんりき》を|以《もつ》て、|此《この》|島《しま》の|何《いづ》れの|地点《ちてん》にあるやお|示《しめ》し|下《くだ》さらば|有《あ》り|難《がた》う|存《ぞん》じます』
|黄竜姫《わうりようひめ》はさも|鷹揚《おうやう》さうに|微笑《ほほゑ》み|乍《なが》ら、
『|其《その》|宝玉《ほうぎよく》は|此《この》|竜宮島《りうぐうじま》には|隠《かく》しては|無《な》い。|自転倒島《おのころじま》の|或《ある》|地点《ちてん》に|隠《かく》しあり、|容易《ようい》に|発掘《はつくつ》すべからず、|最早《もはや》|汝《なんぢ》は|玉《たま》に|対《たい》する|執着心《しふちやくしん》を|離《はな》れ、ブランジーと|共《とも》に|誠心《まごころ》を|尽《つく》して|国務《こくむ》に|奉仕《ほうし》したが|宜《よ》からう』
と|言《い》ひ|捨《す》て|逃《に》ぐるが|如《ごと》く|奥殿《おくでん》に|姿《すがた》を|隠《かく》して|仕舞《しま》つた。|後《あと》にクロンバーは|独言《ひとりごと》、
『アーア、|仕方《しかた》がない。|黄金《こがね》の|玉《たま》を|紛失《ふんしつ》し、|高姫《たかひめ》|様《さま》に|叱《しか》り|飛《と》ばされ、|守護神《しゆごじん》の|囁《ささや》きに|依《よ》つて|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》に|隠《かく》しあると|聞《き》き、|此処《ここ》まで|探《たづ》ねて|来《き》たものの、|此《この》|広《ひろ》き|島《しま》に|三年《さんねん》や|五年《ごねん》|国人《くにびと》を|使《つか》うて|探《さが》して|見《み》た|処《ところ》で|雲《くも》を|掴《つか》む|様《やう》な|咄《はな》し、|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》のお|言葉《ことば》に|依《よ》れば|三《みつ》つの|宝《たから》は|此《この》|島《しま》には|無《な》いとの|事《こと》、|如何《どう》したら|宜《よ》からうか。|彼《あ》の|玉《たま》|無《な》き|時《とき》は|如何《どう》しても|聖地《せいち》に|帰《かへ》り|高姫《たかひめ》|様《さま》に|会《あ》はす|顔《かほ》がない。|此《この》|黒姫《くろひめ》は|夫《をつと》|高山彦《たかやまひこ》と|共《とも》にブランジー、クロンバーと|外国様《からさま》に|名《な》を|変《か》へて|此《この》|島《しま》に|居《ゐ》るものの、もう|斯《か》うなつては|何程《なにほど》|結構《けつこう》な|役《やく》を|仰《あふ》せ|付《つ》けられても|聖地《せいち》に|比《くら》ぶれば|物《もの》の|数《かず》でも|無《な》い。アヽ|早《はや》く|帰《かへ》り|度《た》いものだナア』
と|語《かた》る|折《をり》しもブランジーは|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ、
『ヤア|黒姫《くろひめ》、|早《はや》く|館《やかた》へ|帰《かへ》らうぢやないか。|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》の|御機嫌《ごきげん》を|損《そこ》ねてはならないぞ』
『|高山《たかやま》さま、|何《なに》を|仰有《おつしや》る、もう|妾《わたし》は|此《この》|島《しま》が|嫌《いや》になりました。|何程《なにほど》|探《さが》したとて|此《この》|広《ひろ》い|島《しま》に|手掛《てがか》りの|出来《でき》る|筈《はず》がありませぬ。|此《この》|上《うへ》は|破《やぶ》れかぶれ、|一旦《いつたん》|聖地《せいち》へ|立《た》ち|帰《かへ》り、|三五教《あななひけう》を|根本《こんぽん》より|立直《たてなほ》し、|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》を|追《お》つ|放《ぽ》り|出《だ》さねば|虫《むし》が|得心《とくしん》|致《いた》しませぬ。|我々《われわれ》|夫婦《ふうふ》が|波濤万里《はたうばんり》の|此《この》|島《しま》へ|来《き》て|苦労《くらう》するのも、|皆《みな》|言依別《ことよりわけ》のためではありませぬか、エヽ|残念《ざんねん》や、|口惜《くちをし》や、|妾《わたし》はもう|破《やぶ》れかぶれ、|是《これ》から|狂乱《きやうらん》になりますから|其《その》|積《つも》りで|居《ゐ》て|下《くだ》さい』
『ハヽヽヽヽ、|又《また》|何時《いつ》もの|疳癪病《かんしやくびやう》が|突発《とつぱつ》したのか。マアマア|宅《うち》へ|帰《かへ》つて、|酒《さけ》でもゆつくり|飲《の》んで|其《その》|上《うへ》の|事《こと》にしようかい』
と|背《せな》を|三《み》つ|四《よ》つ|打《う》ち、クロンバーの|手《て》を|引《ひ》いて|己《おのれ》が|館《やかた》へ|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・六・一四 旧五・一九 北村隆光録)
第二篇 |南洋探島《なんやうたんたう》
第五章 |蘇鉄《そてつ》の|森《もり》〔七三五〕
|生命《いのち》の|綱《つな》と|頼《たの》みてし |三《み》つの|神宝《しんぱう》の|所在《ありか》をば
|執念深《しふねんぶか》く|何処《どこ》までも |探《さが》さにや|置《お》かぬと|高姫《たかひめ》が
|夜叉《やしや》の|如《ごと》くに|狂《くる》ひ|立《た》ち |積《つも》る|思《おも》ひの|明石潟《あかしがた》
|浪《なみ》の|淡路《あはぢ》の|島影《しまかげ》に |船《ふね》|打《う》ち|当《あ》てて|沈没《ちんぼつ》し
|九死一生《きうしいつしやう》の|大難《だいなん》を |玉能《たまの》の|姫《ひめ》に|助《たす》けられ
|感謝《かんしや》するかと|思《おも》ひきや |心《こころ》の|奥《おく》に|潜《ひそ》むなる
|自尊《じそん》の|悪魔《あくま》に|遮《さへぎ》られ |生命《いのち》の|親《おや》をさまざまに
|罵《ののし》り|嘲《あざけ》り|東助《とうすけ》が |操《あやつ》る|船《ふね》に|身《み》を|任《まか》せ
|玉《たま》の|所在《ありか》は|家島《えじま》ぞと |心《こころ》を|焦《いら》ちて|到着《たうちやく》し
イロイロ|雑多《ざつた》と|身《み》を|尽《つく》し |心《こころ》|砕《くだ》きし|其《その》|揚句《あげく》
|絶望《ぜつばう》の|淵《ふち》に|身《み》を|沈《しづ》め |如何《いかが》はせむと とつおいつ
|思案《しあん》に|暮《く》るる|折柄《をりから》に |浜辺《はまべ》に|繋《つな》げる|新調《しんてう》の
|小舟《こぶね》に|身《み》をば|任《まか》せつつ |貫州《くわんしう》|従《したが》へ|玉《たま》の|緒《を》の
|生命《いのち》の|瀬戸《せと》の|海面《かいめん》を |力《ちから》|限《かぎ》りに|漕《こ》ぎ|出《いだ》し
|小豆ケ島《せうどがしま》へ|漂着《へうちやく》し |又《また》もや|玉《たま》の|所在《ありか》をば
|探《さぐ》らんものと|国城《くにしろ》の |山《やま》を|目蒐《めが》けて|駆登《かけのぼ》り
|岩窟《いはや》の|中《なか》にてバラモンの |神《かみ》の|司《つかさ》の|蜈蚣姫《むかでひめ》
|館《やかた》に|思《おも》はず|迷《まよ》ひ|込《こ》み |早速《さそく》の|頓智《とんち》|高姫《たかひめ》は
|蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》が|心《こころ》|汲《く》み |表面《うはつら》ばかり|親善《しんぜん》の
|姿《すがた》|装《よそほ》ひ|漸《やうや》うに |敵《てき》の|毒手《どくしゆ》を|逃《のが》れつつ
|蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》を|利用《りよう》して |玉《たま》の|所在《ありか》を|探《さぐ》らむと
|再《ふたた》び|船《ふね》に|身《み》を|任《まか》せ |一行《いつかう》|数人《すうにん》|波《なみ》の|上《うへ》
|馬関海峡《ばくわんかいけふ》|打過《うちよ》ぎり |西《にし》へ|南《みなみ》へ|進《すす》み|行《ゆ》く
|蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》は|第一《だいいち》に |玉《たま》の|所在《ありか》を|索《もと》めつつ
|恋《こひ》しき|娘《むすめ》の|所在《ありか》をば |探《さぐ》らむ|為《ため》の|二《ふた》つ|玉《だま》
|愛《あい》と|慾《よく》とに|搦《から》まれて スマートボール|其《その》|外《ほか》の
|供《とも》を|従《したが》へ|高姫《たかひめ》が |船《ふね》に|棹《さを》さし|進《すす》み|行《ゆ》く
|心《こころ》そぐはぬ|敵味方《てきみかた》 さしもに|広《ひろ》き|海原《うなばら》の
|波《なみ》は|凪《な》げども|村肝《むらきも》の |心《こころ》の|海《うみ》に|立《た》つ|波《なみ》は
|穏《おだや》かならぬ|風情《ふぜい》なり。
|焦《こげ》つく|様《やう》な|暑《あつ》い|日光《につくわう》を|浴《あ》びた|一行《いつかう》は、|汗《あせ》を|滝《たき》の|如《ごと》くに|搾《しぼ》り|出《だ》し、|渇《かつ》を|感《かん》じ|水《みづ》を|需《もと》めむと、やうやうにして|海中《わだなか》に|泛《うか》べる|大島《おほしま》の|磯端《いそばた》に|船《ふね》を|横《よこ》たへ、|彼方此方《あなたこなた》と|淡水《たんすゐ》を|求《もと》めつつ|草木《くさき》を|別《わ》けて|互《たがひ》に『オーイオイ』と|声《こゑ》を|掛《か》け、|連絡《れんらく》を|保《たも》ち|乍《なが》ら、|島内《たうない》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》つた。|渇《かわ》き|切《き》つたる|喉《のど》よりは|最早《もはや》|皺嗄《しわが》れ|声《ごゑ》も|出《で》なくなりにけり。
|高姫《たかひめ》は|漸《やうや》くにして|蘇鉄《そてつ》の|森《もり》に|着《つ》きぬ。|一丈《いちぢやう》|許《ばか》りの|蘇鉄《そてつ》の|幹《みき》は|大蛇《をろち》の|突立《つつた》つて|雨傘《あまがさ》を|拡《ひろ》げた|如《ごと》く、|所《ところ》|狭《せ》き|迄《まで》|立並《たちなら》ぶ。|蘇鉄《そてつ》のマラを|眺《なが》めて|矢庭《やには》に|貫州《くわんしう》に|命《めい》じ、【むしり】|取《と》らしめてしがみ|始《はじ》めたるに、|何《なん》とも|知《し》れぬ|甘露《かんろ》の|如《ごと》き|甘《あま》き|汁《しる》、|噛《か》むに|従《したが》つて|滲《にじ》み|出《い》で、|漸《やうや》く|蘇生《そせい》の|思《おも》ひをなせり。………|蜈蚣姫《むかでひめ》|一行《いつかう》も|漸《やうや》くにして|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ、|高姫《たかひめ》が【むしり】|取《と》つたるマラに|目《め》を|注《そそ》ぎ|渇《かつ》を|医《い》する|為《ため》に、|餓鬼《がき》の|如《ごと》く|喰《くら》ひ|付《つ》かんとする|一刹那《いちせつな》、マラの|実《み》は|忽《たちま》ち|延長《えんちやう》し|一丈《いちぢやう》|許《ばか》りの|大蜈蚣《おほむかで》となつてノロノロと|這《は》ひ|出《だ》し、|其《その》|儘《まま》|蘇鉄《そてつ》の|幹《みき》にのぼり、|次《つぎ》から|次《つぎ》へと|条虫《さなだむし》の|如《ごと》く|延長《えんちやう》して|蘇鉄《そてつ》の|幹《みき》を|残《のこ》らず|巻《ま》き、|一指《いつし》をも|添《そ》へざらしめむとせり。|蜈蚣《むかで》は|長《なが》さと|太《ふと》さを|時々刻々《じじこくこく》に|増《ま》し、|一時《いつとき》|程《ほど》の|間《うち》に|此《この》|大島《おほしま》|全体《ぜんたい》を|巻《ま》き|尽《つく》したりける。
|高姫《たかひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》|其《その》|他《た》の|一行《いつかう》は、|樹木《じゆもく》と|共《とも》に|蜈蚣《むかで》に|包《つつ》まれ、|息《いき》も|絶《た》え|絶《だ》えに|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、バラモン|教《けう》の|経文《きやうもん》を|唱《とな》へ、|只管《ひたすら》|身《み》の|安全《あんぜん》を|祈《いの》る|事《こと》のみに|余念《よねん》なかりけり。
マラの|変化《へんげ》より|成出《なりい》でたる|蜈蚣《むかで》は、|大島《おほしま》を|十重二十重《とへはたへ》に|巻《ま》き、|四面《しめん》|暗澹《あんたん》として|暗《くら》く、|得《え》も|言《い》はれぬ|不快《ふくわい》の|空気《くうき》に、|呼吸器《こきふき》の|働《はたら》きも|停止《ていし》せむ|許《ばか》りとなりき。|九死一生《きうしいつしやう》の|破目《はめ》に|陥《おちい》りたる|高姫《たかひめ》は、|最早《もはや》|是《これ》までなりと|総《すべ》ての|執着心《しふちやくしん》に|離《はな》れ、|運命《うんめい》を|惟神《かむながら》に|任《まか》せ、|観念《かんねん》の|眼《め》を|閉《と》ぢ|死《し》を|待《ま》ちつつありける。
|忽《たちま》ち|頭上《づじやう》より|熱湯《ねつたう》を|浴《あ》びせかけた|如《ごと》き|焦頭爛額《せうとうらんがく》の|苦《くるし》みを|感《かん》ずると|共《とも》に、|紫磨黄金《しまわうごん》の|肌《はだへ》を|露《あら》はしたる|巨大《きよだい》の|神人《しんじん》、|忽然《こつぜん》として|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|来《きた》り、
『|汝《なんぢ》|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》と|称《しよう》する|高姫《たかひめ》、|今《いま》|茲《ここ》に|悔《く》い|改《あらた》めずば|汝《なんじ》は|永遠《ゑいゑん》に|今《いま》の|苦《くるし》みを|味《あぢ》はひ、|根底《ねそこ》の|国《くに》の|消《き》えぬ|火《ひ》に|焼《やか》るべし』
と|云《い》つた|儘《まま》|姿《すがた》は|消《き》へたり。|一方《いつぱう》|蜈蚣姫《むかでひめ》は、|頭上《づじやう》より|氷《こほり》の|刃《やいば》を|以《もつ》て|突《つ》き|刺《さ》されし|如《ごと》き|大苦痛《だいくつう》を|感《かん》じ、|七転八倒《しちてんばつたふ》|身《み》を|〓《もが》く|折《をり》しも、|墨《すみ》の|如《ごと》き|黒《くろ》き|巨顔《きよがん》を|現《あら》はし、|眼球《がんきう》は|紅《べに》の|如《ごと》く|輝《かがや》きたる|異様《いやう》の|怪物《くわいぶつ》、|首《くび》から|上《うへ》|許《ばか》りを|暗黒《あんこく》の|中《なか》にも|殊更《ことさら》|黒《くろ》き|輪廓《りんくわく》を|現《あら》はし|乍《なが》ら、|長《なが》き|舌《した》を|出《だ》して|蜈蚣姫《むかでひめ》の|頭部《とうぶ》|面部《めんぶ》を|舐《な》めた|其《その》|恐《おそ》ろしさ、|流石《さすが》|気丈《きぢやう》の|蜈蚣姫《むかでひめ》も|其《その》|厭《いや》らしさに|身《み》の|毛《け》もよだち、|何《なん》の|応答《いらへ》も|泣《な》く|許《ばか》り、|怪物《くわいぶつ》の|舌《した》の|先《さき》よりは|無数《むすう》の|小《ちひ》さき|蜈蚣《むかで》、|雨《あめ》の|如《ごと》くに|現《あら》はれ|来《きた》り、|蜈蚣姫《むかでひめ》の|身体《からだ》を|空地《あきち》もなく|包《つつ》み、|所《ところ》|構《かま》はず|無数《むすう》の|鋭《するど》き|舌剣《ぜつけん》を|以《もつ》て|咬《か》みつける|其《その》|苦《くる》しさ『キヤツ』と|叫《さけ》んで|其《その》|場《ば》に|倒《たふ》れ、|右《みぎ》に|左《ひだり》に|転《ころ》げ|廻《まは》る。|此《この》|時《とき》|高姫《たかひめ》は|漸《やうや》く|正気《しやうき》に|復《ふく》し|四辺《あたり》を|見《み》れば、|酷熱《こくねつ》の|太陽《たいやう》は|晃々《くわうくわう》と|輝《かがや》き|亘《わた》り、|数多《あまた》の|樹木《じゆもく》|青々《あをあを》として、|吹《ふ》き|来《く》る|海風《うなかぜ》に|無心《むしん》の|舞踏《ぶたう》をなし|居《ゐ》たり。|高姫《たかひめ》は、
『アヽ|夢《ゆめ》であつたかイナア。それにしても|此《この》|怪《あや》しき|蘇鉄《そてつ》、|斯《か》かる|怪異《くわいい》の|続出《ぞくしゆつ》する|島《しま》に|長居《ながゐ》は|恐《おそ》れ、|一時《いちじ》も|早《はや》く|此《この》|島《しま》を|離《はな》れ、|宝《たから》の|所在《ありか》を|探《さぐ》らむ。|貫州《くわんしう》|来《きた》れツ』
と|四辺《あたり》を|見《み》れば、|貫州《くわんしう》はドツカと|坐《ざ》し、|瞑目《めいもく》した|儘《まま》|腕《うで》を|組《く》み、|石像《せきざう》の|如《ごと》くに|固《かた》まり|居《ゐ》る。|高姫《たかひめ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し、|頬《ほほ》を|抓《つめ》り、|鼻《はな》を|摘《つま》み、イロイロ|介抱《かいほう》をすること|半時《はんとき》ばかりを|費《つひや》したり。されど|貫州《くわんしう》は|血《ち》の|気《け》の|通《かよ》はざる|石像《せきざう》の|様《やう》に、|何処《どこ》を|撫《な》でても|少《すこ》しの|温《あたた》か|味《み》も|無《な》くなり|居《ゐ》る。|高姫《たかひめ》は|何《なん》となく|寂《さび》しさに|襲《おそ》はれ、|泣《な》き|声《ごゑ》まぜりになつて、
『コレ|貫州《くわんしう》、|今《いま》お|前《まへ》に|斯《こ》んな|所《ところ》で|死《し》なれて、どうなるものか、……チツト|確《しつ》かりしてお|呉《く》れ』
と|泣《な》き|口説《くど》く。|貫州《くわんしう》は|漸《やうや》くにして|左《ひだり》の|目《め》をパツチリ|開《あ》けた。されど|黒球《くろたま》はどこへか|隠《かく》れ、|白眼《しろめ》|計《ばか》り|剥《む》き|出《だ》し、|木《き》の|根《ね》の|様《やう》な|筋《すぢ》に|赤《あか》き|血《ち》を|漲《みなぎ》らし、|赤《あか》き|珊瑚樹《さんごじゆ》の|枝《えだ》の|様《やう》に|顔面《がんめん》が|見《み》えて|居《ゐ》る。
|高姫《たかひめ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らす。|此《この》|時《とき》|今迄《いままで》|大地《だいち》に|打《ぶ》つ|倒《たふ》れて|居《ゐ》た|蜈蚣姫《むかでひめ》は|無言《むごん》の|儘《まま》ムクムクと|立上《たちあが》り、|高姫《たかひめ》の|前《まへ》にヌツと|現《あら》はれ、|怒《いか》りの|形相《ぎやうさう》|凄《すさま》じく、|拳《こぶし》を|固《かた》め、|平家蟹《へいけがに》の|様《やう》な|面《つら》をさらして|睨付《ねめつ》け|出《だ》した。|又《また》もやスマートボールむくむくと|立上《たちあが》り、|白玉《しろたま》|計《ばか》りの|両眼《りやうがん》を|剥《む》き|出《だ》し、|口《くち》を|尖《とが》らせ、|蟷螂《かまきり》の|様《やう》な|手付《てつき》をし|乍《なが》ら、|鶴嘴《つるはし》を|以《もつ》て|土方《どかた》が|大地《だいち》を|掘《ほ》る|様《やう》に、|高姫《たかひめ》の|頭上《づじやう》|目蒐《めが》けてコツンコツンと|機械的《きかいてき》に|打《う》ち|始《はじ》めた。|其《その》|手《て》は|鉄《てつ》の|如《ごと》く|固《かた》くなつて|居《ゐ》る。|高姫《たかひめ》は|此《この》|鋭鋩《えいばう》を|避《さ》くる|為《ため》、|身《み》をかはさむと|焦《あせ》れども、|土中《どちう》より|生《は》えたる|木《き》の|如《ごと》く、|一寸《ちよつと》も|身動《みうご》きならず、|止《や》むを|得《え》ず|同《おな》じ|箇所《かしよ》を|幾回《いくくわい》となく、|拳《こぶし》の|鶴嘴《つるはし》につつかれて|居《を》るより|仕方《しかた》なかりけり。
|此《この》|時《とき》|天上《てんじやう》の|雲《くも》を|押《お》し|開《ひら》き、|天馬《てんば》に|跨《またが》り|此方《こなた》に|向《むか》つて|下《くだ》り|来《きた》る|勇壮《ゆうさう》なる|神人《しんじん》あり。|数百人《すうひやくにん》の|騎馬《きば》の|従卒《じうそつ》を|伴《ともな》ひ、|鈴《すず》の|音《おと》シヤンシヤンと|一歩々々《ひとあしひとあし》|空中《くうちう》を|下《くだ》り|来《きた》り|大音声《だいおんじやう》にて、
『|汝《なんじ》は|高姫《たかひめ》ならずや。|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|自称《じしよう》する|汝《なんじ》が|守護神《しゆごじん》は、|常世《とこよ》の|国《くに》のロツキー|山《ざん》に|発生《はつせい》したる|銀毛八尾《ぎんまうはちび》の|悪狐《あくこ》なるぞ。|只今《ただいま》|汝《なんぢ》が|霊縛《れいばく》を|解《と》かむ。|今日《こんにち》|限《かぎ》り|悔《く》い|改《あらた》め、|仮《か》りにも|日《ひ》の|出神《でのかみ》などと|名乗《なのり》る|可《べか》らず。|我《われ》こそは|真正《しんせい》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》なり。|一先《ひとま》づ|此《この》|場《ば》は|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|開《き》き|直《なほ》し、|汝《なんぢ》が|罪《つみ》を|赦《ゆる》すべし。|是《こ》れより|汝《なんじ》は|蜈蚣姫《むかでひめ》の|一行《いつかう》と|共《とも》に|南洋《なんやう》に|渡《わた》り、|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》に|到《いた》りて、|黒姫《くろひめ》を|救《すく》へ。ゆめゆめ|疑《うたが》ふな』
と|云《い》ひ|棄《す》てて|馬首《ばしゆ》を|転《てん》じ、|数多《あまた》の|従神《じうしん》と|共《とも》に、|轡《くつわ》を|並《なら》べて|天上《てんじやう》|高《たか》く|昇《のぼ》らせ|玉《たま》ひぬ。|此《この》|時《とき》|何処《いづく》ともなく|空中《くうちう》より|大《だい》なる|光玉《くわうぎよく》|現《あら》はれ|来《きた》り、|高姫《たかひめ》が|面前《めんぜん》に|轟然《がうぜん》たる|響《ひびき》と|共《とも》に|落下《らくか》し、|火《ひ》は|四辺《しへん》に|爆発《ばくはつ》|飛散《ひさん》し、|高姫《たかひめ》|一行《いつかう》の|身《み》は|粉砕《ふんさい》せしかと|思《おも》ふ|途端《とたん》に|目《め》を|醒《さま》せば、|大蘇鉄《だいそてつ》の|下《もと》にマラをしがみながら|倒《たふ》れて|居《ゐ》た。|蜈蚣姫《むかでひめ》|其《その》|他《た》|一同《いちどう》は、|炎天《えんてん》の|草《くさ》の|上《うへ》に|頭《あたま》の|巨大《きよだい》なる|虻蠅《あぶはへ》などに、|或《あるひ》は|刺《さ》され、|或《あるひ》は|舐《な》められ|乍《なが》ら、|息《いき》も|絶《た》え|絶《だ》えに|倒《たふ》れ|居《ゐ》たり。|貫州《くわんしう》はと|見《み》れば、そこらに|影《かげ》もない。|高姫《たかひめ》は|力《ちから》|限《かぎ》りに、
『オイ、オーイ、|貫州《くわんしう》|々々《くわんしう》』
と|叫《さけ》び|始《はじ》めたるに、あたりの|森林《しんりん》の|雑草《ざつさう》を|踏《ふ》み|分《わ》けて、|大《だい》なる|瓢箪《ふくべ》に|水《みづ》を|盛《も》り、ニコニコとして|此処《ここ》に|現《あら》はれ|来《きた》る|男《をとこ》の|姿《すがた》を|見《み》れば、|擬《まが》ふ|方《かた》なき|貫州《くわんしう》なり。
『|高姫《たかひめ》|様《さま》、お|気《き》が|付《つ》きましたか。サア|此《この》|水《みづ》をおあがり|下《くだ》さいませ』
と|自《みづか》ら|手《て》に|掬《すく》うて|高姫《たかひめ》に|啣《ふく》ませた。|高姫《たかひめ》は|初《はじ》めて|心神《しんしん》|爽快《さうくわい》を|覚《おぼ》え、
『アヽ|持《も》つべき|者《もの》は|家来《けらい》なりけり、お|前《まへ》がなかつたら|妾《わたし》は|如何《どう》なつたか|分《わか》らない。|就《つい》ては|幸《さいは》ひ|蜈蚣姫《むかでひめ》|其《その》|他《た》の|連中《れんちう》は|此《この》|通《とほ》り|昏倒《くたば》つて|居《を》れば、|今《いま》の|間《うち》にお|前《まへ》と|二人《ふたり》、あの|船《ふね》に|乗《の》つて|竜宮島《りうぐうじま》へ|渡《わた》り、|玉《たま》の|所在《ありか》を|探《さが》さうぢやないか』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|稍《やや》|首《くび》を|傾《かた》げ|笑《ゑ》みを|湛《たた》へて|貫州《くわんしう》の|顔《かほ》を|覗《のぞ》き|込《こ》み、|貫州《くわんしう》の|返辞《へんじ》を【もどかし】げに|待《ま》ちわび|居《ゐ》る。|貫州《くわんしう》は|高姫《たかひめ》にむかい、
『それだから|貴女《あなた》は|不可《いか》ないのです。|仮令《たとへ》|敵《てき》でも|味方《みかた》でも|助《たす》くるのが|神《かみ》の|道《みち》、|此《この》|島《しま》へ|斯《かく》の|如《ごと》く|弱《よわ》り|切《き》つた|人々《ひとびと》を|残《のこ》し、|我々《われわれ》|両人《りやうにん》が|船《ふね》を|操《あやつ》り|逃《に》げ|帰《かへ》るなどと、|左様《さやう》な|残酷《ざんこく》な|事《こと》がどうして|出来《でき》ませうか。|貴女《あなた》はまだ|改心《かいしん》が|出来《でき》て|居《ゐ》ないのですなア』
『|大功《たいこう》は|細瑾《さいきん》を|顧《かへり》みず、|天下《てんか》|国家《こくか》の|為《ため》には|少々《せうせう》の|犠牲《ぎせい》を|払《はら》はなければならぬぢやないか。お|前《まへ》はそれだから|困《こま》るのだよ。まるで|女《をんな》の|腐《くさ》つた|様《やう》な|気《き》の|弱《よわ》い|男《をとこ》だから……サア|貫州《くわんしう》、|妾《わたし》に|従《つ》いておいで、|是《こ》れから|二人《ふたり》が|出世《しゆつせ》の|仕放題《しはうだい》、こんな|奴《やつ》を|連《つ》れて|行《ゆ》かうものなら|足手纏《あしてまと》ひになるばかりか、|大変《たいへん》な|邪魔者《じやまもの》だ。サア|行《ゆ》かう』
と|元気《げんき》|恢復《くわいふく》したのを|幸《さいは》ひに、|夢《ゆめ》の|裡《うち》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|訓戒《くんかい》を|忘《わす》れ、|功名心《こうみやうしん》に|駆《か》られスタスタと|先《さき》に|立《た》ちて|磯辺《いそべ》に|進《すす》まうとする。|貫州《くわんしう》は|高姫《たかひめ》の|顔《かほ》を|心《こころ》|無《な》げに|見遣《みや》り|乍《なが》ら、|耳《みみ》に|入《い》らざるものの|如《ごと》く|装《よそほ》ひ、|瓢箪《ふくべ》の|清水《しみづ》を|蜈蚣姫《むかでひめ》の|口《くち》に|啣《ふく》ませた。|蜈蚣姫《むかでひめ》は|初《はじ》めて|生《い》|来《きた》る|心地《ここち》し|乍《なが》ら|起《お》きあがり、|両手《りやうて》を|合《あは》せて|貫州《くわんしう》に|感謝《かんしや》の|意《い》を|表《へう》する。|貫州《くわんしう》は|是《こ》れに|力《ちから》を|得《え》てスマートボールを|初《はじ》め、|其《その》|他《た》|一同《いちどう》に|水《みづ》を|与《あた》へたり。|高姫《たかひめ》は|此《この》|態《てい》を|見《み》て|目《め》を|釣《つ》り|上《あ》げ、|面《つら》をふくらせ|眺《なが》めて|居《ゐ》る。|蜈蚣姫《むかでひめ》は|立《たち》あがり、
『|高姫《たかひめ》|様《さま》の|御指図《おさしづ》に|依《よ》つて、|貫州《くわんしう》|様《さま》は|厭々《いやいや》|乍《なが》ら、|主人《しゆじん》の|命《めい》だと|思《おも》ひ、|私《わたくし》|達《たち》に|結構《けつこう》な|水《みづ》をドツサリ|与《あた》へて|元気《げんき》を|恢復《くわいふく》させて|下《くだ》さいました。お|陰《かげ》で|私《わたくし》の|身内《みうち》の|者《もの》も|皆《みな》|助《たす》かりました。|主人《しゆじん》の|心《こころ》|下僕《しもべ》|知《し》らずとやら、|仁慈無限《じんじむげん》の|高姫《たかひめ》|様《さま》の|大御心《おほみこころ》に|反抗《はんかう》する|貫州《くわんしう》さまは、|余程《よつぽど》|可愛《かあい》い|人《ひと》です。|貴女《あなた》|等《がた》|主従《しゆじう》の|御争論《おいさかひ》を、|妾《わたし》は|一伍一什《いちぶしじふ》|聞《き》かして|頂《いただ》きました。……|高姫《たかひめ》|様《さま》、|御親切《ごしんせつ》|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|此《この》|御恩《ごおん》はキツトお|返《かへ》し|申《まを》します。オホヽヽヽ』
と|肩《かた》を|揺《ゆす》り、|厭《いや》らしさうに|笑《わら》ふ。スマートボールは|立《たち》あがり、
『コリヤ|貫州《くわんしう》、……|貴様《きさま》は|余程《よつぽど》|腹《はら》の|悪《わる》い|奴《やつ》ぢや……|無《な》いワイ。よう|俺《おれ》を|助《たす》けて|呉《く》れやがつた。キツト|御礼《おれい》を|申《まを》すから、さう|思《おも》うて|居《を》れ。……モシ|高姫《たかひめ》さま、|貴女《あなた》は|三五教《あななひけう》に|反旗《はんき》を|掲《かか》げて、ウラナイ|教《けう》を|創立《さうりつ》なさつた|様《やう》な|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|偽宮《にせみや》だから、|流石《さすが》は|仁慈《じんじ》に|富《と》み、|申分《まをしぶん》の|無《な》い|善人《ぜんにん》ぢや……|無《な》い。よう|我々《われわれ》を|助《たす》けてやらうと|思《おも》ひくさらなんだ。アツクアツク|御礼《おれい》|申《まを》しますぞ』
『オツホヽヽヽ、|皆《みな》さまの|態《てい》のよい|当《あ》てこすりワイの。こりや|決《けつ》して|高姫《たかひめ》の|精神《せいしん》から|言《い》つたのぢやない。|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》やお|前達《まへたち》の|守護神《しゆごじん》が|高姫《たかひめ》の|体内《たいない》を|藉《か》つて|言《い》つたのだ。|高姫《たかひめ》の|守護神《しゆごじん》は|臨時《りんじ》|貫州《くわんしう》に|憑《うつ》つたのだよ。それだから|昔《むかし》の|根本《こつぽん》の|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》が|分《わか》らぬと、|善《ぜん》が|悪《あく》に|見《み》えたり、|悪《あく》が|善《ぜん》に|見《み》えたり|致《いた》しますぞや。|神様《かみさま》のイロイロとして|心《こころ》をお|引《ひ》き|遊《あそ》ばす|引《ひ》つかけ|戻《もど》しのお|仕組《しぐみ》だから、|人《ひと》が|悪《あく》に|見《み》えたら、|自分《じぶん》の|心《こころ》を|省《かへり》みて|改心《かいしん》なされ。|人《ひと》の|悪《わる》いのは|皆《みな》|我《われ》が|悪《わる》いのだ。|此《この》|高姫《たかひめ》は|水晶玉《すいしやうだま》の|世界《せかい》の|鑑《かがみ》、|皆《みな》の|心《こころ》の|姿《すがた》が|映《うつ》るのだから、キツト|取違《とりちが》ひをしては|可《い》けませぬぞや。アーア|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》も|余程《よほど》|身魂《みたま》の|研《みが》けたお|方《かた》ぢやと|思《おも》うたが、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》の|前《まへ》に|出《で》て|来《く》ると、まだまだ|完全《くわんぜん》な|所《ところ》へは|往《ゆ》けませぬワイ』
|蜈蚣姫《むかでひめ》は|吹《ふ》き|出《だ》し、
『オホヽヽヽ』
|一同《いちどう》は、
『アハヽヽヽ』
と|共笑《きようせう》する。|貫州《くわんしう》は、
『アー|何《なに》が|何《なん》だか、サツパリ|見当《けんたう》が|取《と》れなくなつて|来《き》たワイ』
|高姫《たかひめ》は|腮《あご》をシヤクリ、
『きまつた|事《こと》だよ。|見当《けんたう》の|取《と》れぬお|仕組《しぐみ》と、|変性男子《へんじやうなんし》が|仰有《おつしや》つたぢやないか。|此《この》|事《こと》|分《わか》りて|居《ゐ》る|者《もの》は|世界《せかい》に|一人《ひとり》よりない……とお|筆《ふで》に|現《あら》はされて|居《ゐ》るだらう。お|前達《まへたち》に|誠《まこと》の|仕組《しぐみ》が|分《わか》りたら、|途中《とちう》に|邪魔《じやま》が|這入《はい》りて、|物事《ものごと》|成就《じやうじゆ》|致《いた》さぬぞよ。オホヽヽヽ』
と|大《おほ》きう|肩《かた》を|揺《ゆす》つて|雄叫《をたけ》びする。|蜈蚣姫《むかでひめ》は|眉毛《まゆげ》にそつと|唾《つばき》をつけて|素知《そし》らぬ|顔《かほ》……
『モシ|高姫《たかひめ》さま、|貴女《あなた》は|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》の|御眷族《ごけんぞく》の|生宮《いきみや》だと|仰有《おつしや》るかと|思《おも》へば、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》とも|仰有《おつしや》る|様《やう》だし、|実際《じつさい》の|事《こと》は|何方《どちら》の|守護神《しゆごじん》がお|懸《かか》りなのですか』
『|変幻出没《へんげんしゆつぼつ》|千変万化《せんぺんばんくわ》、|自由自在《じいうじざい》の|活動《くわつどう》を|遊《あそ》ばす|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》の|御守護神《ごしゆごじん》だから、|時《とき》あつて|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|現《あら》はれ、|又《また》|大国別命《おほくにわけのみこと》の|眷族《けんぞく》……|実際《じつさい》の|所《ところ》は|大黒主命《おほくろぬしのみこと》の|御守護《ごしゆご》が|主《おも》なるものです』
『|日《ひ》の|出《で》と|大《おほ》【クロ】と………|大変《たいへん》な|懸隔《けんかく》ですなア。|蜈蚣姫《むかでひめ》には、|善悪《ぜんあく》の|区別《くべつ》が|全《まつた》く|裏表《うらおもて》の|様《やう》に|思《おも》へますワ』
『お|前《まへ》さまにも|似合《にあ》はぬ|愚問《ぐもん》を|発《はつ》する|方《かた》ですなア。|顕幽一致《けんいういつち》、|善悪不二《ぜんあくふじ》、|裏《うら》があれば|表《おもて》があり、|表《おもて》があれば|裏《うら》がある。|表裏反覆《へうりはんぷく》|常《つね》なき|微妙《びめう》の|大活動《だいくわつどう》を|遊《あそ》ばすのが|真《まこと》の|神様《かみさま》ぢや。|馬車馬的《ばしやうまてき》の|行動《かうどう》を|取《と》る|神《かみ》は、|畢竟《つまり》|人《ひと》を|指揮《しき》する|資格《しかく》の|無《な》いもの、|妾《わたし》|等《たち》は|大黒主命《おほくろぬしのみこと》の|生宮《いきみや》たる|以上《いじやう》は、すべての|神人《しんじん》を、|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》に|代《かは》はつて、|指揮《しき》|命令《めいれい》する|特権《とくけん》を|惟神《かむながら》に|具備《ぐび》して|居《ゐ》る。|所謂《いはゆる》|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|岩戸開《いはとびら》きの|生宮《いきみや》で|御座《ござ》る。|神《かみ》はイロイロとして|心《こころ》を|曳《ひ》くから|引掛戻《ひつかけもど》しに|懸《かか》らぬ|様《やう》に|御用心《ごようじん》をなされませ』
『|何時《いつ》の|間《ま》にやら、|貴女《あなた》も|顕恩城《けんおんじやう》の|信者《しんじや》に|化《ば》け|込《こ》んで|居《ゐ》られた|時《とき》とは、|口車《くちぐるま》が|余程《よほど》|運転《うんてん》する|様《やう》になりましたなア。|蜈蚣姫《むかでひめ》も|感心《かんしん》|致《いた》しましたよ』
『|化《ば》け|込《こ》んだとはソラ|何《なに》を|仰有《おつしや》る。|誠正直《まことしやうじき》|生粋《きつすゐ》の|日本魂《やまとだましひ》で|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》を|信仰《しんかう》して|居《を》りました。ウラナイ|教《けう》と|謂《い》つても、|三五教《あななひけう》と|言《い》つてもバラモンでもジアンナイ|教《けう》でも、|元《もと》は|一株《ひとかぶ》、|天地《てんち》|根本《こつぽん》の|大神様《おほかみさま》に|変《かは》りはない。|併《しか》し|乍《なが》ら|今日《こんにち》の|所《ところ》ではお|前《まへ》さまの|奉《ほう》ずるバラモン|教《けう》の|行方《やりかた》が|一番《いちばん》|峻酷《しゆんこく》で、|不言実行《ふげんじつかう》で、|荒行《あらぎやう》をなさるのが|御神慮《ごしんりよ》に|叶《かな》ふと|思《おも》つたから、|国城山《くにしろやま》でお|目《め》に|掛《かか》つてより、|層一層《そういつそう》バラモンが|好《すき》になつたのですよ。サアサア|斯《か》うなれば|姉妹《きやうだい》も|同様《どうやう》、|一時《いちじ》も|早《はや》く|所在《ありか》を|探《さが》しに|参《まゐ》りませう』
『|私《わたし》は|最早《もはや》|玉《たま》なんかに|執着心《しふちやくしん》はありませぬ。それよりも|心《こころ》の|玉《たま》を|研《みが》くのが|肝腎《かんじん》だと|気《き》がつきました』
『ホヽヽヽヽ、|重宝《ちようはう》なお|口《くち》だこと。|天《てん》にも|地《ち》にも|唯《ただ》|一人《ひとり》の|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》の|所在《ありか》が|分《わか》りかけたものだから、|玉《たま》|所《どころ》の|騒《さわ》ぎではない。|一刻《いつこく》も|早《はや》く|小糸姫《こいとひめ》さんに|遇《あ》ひたいと|云《い》ふのが|貴女《あなた》の|一念《いちねん》らしい。それは|無理《むり》もありませぬ。|何《なん》と|云《い》つても|目《め》の|中《なか》へ|這入《はい》つても|痛《いた》くない|一人娘《ひとりむすめ》の|事《こと》だから、|国家《こくか》|興亡《こうばう》よりも|自分《じぶん》の|娘《むすめ》が|大切《たいせつ》なのは、そりや|人情《にんじやう》ですワ』
と|嘲《あざけ》る|様《やう》に|云《い》ふ。|蜈蚣姫《むかでひめ》は|高姫《たかひめ》の|言葉《ことば》にムツとしたが、|何《なに》を|云《い》うても|唯《ただ》|一艘《いつそう》の|船《ふね》、|高姫《たかひめ》の|機嫌《きげん》を|取《と》らねば|目的地《もくてきち》へ|達《たつ》する|事《こと》が|出来《でき》ないと|思《おも》つて、ワザと|機嫌《きげん》よげに、
『ホヽヽヽヽ、これはこれは|高姫《たかひめ》さまの|御教訓《ごけうくん》、|感《かん》じ|入《い》りました。つい|吾《わが》|子《こ》の|愛《あい》に|溺《おぼ》れ、|大事《だいじ》を|誤《あやま》りました|私《わたし》の|不覚《ふかく》、【はした】ない|女《をんな》とお|笑《わら》ひ|下《くだ》さいますな。そんなら|此《こ》れより|神《かみ》|第一《だいいち》、|吾《わが》|子《こ》|第二《だいに》と|致《いた》しませう』
|高姫《たかひめ》『|第三《だいさん》に|玉《たま》ですか、あなたのお|説《せつ》の|通《とほ》り、そこまで|研《みが》けた|以上《いじやう》は、|有形的《いうけいてき》の|玉《たま》よりも、|貴女《あなた》は|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》に|会《あ》ひさへすれば|結構《けつこう》なのでせう。モウ|玉《たま》なんかに|執着心《しふちやくしん》を|持《も》たぬ|様《やう》になされませ。|其《その》|代《かは》りに|妾《わたし》は|其《その》|玉《たま》を|発見《はつけん》|次第《しだい》|御預《おあづか》り|致《いた》し、|妾《わたし》の|手《て》より|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》に|御渡《おわた》し|申《まを》しませう。|宜《よろ》しいか。|一旦《いつたん》|貴女《あなた》のお|口《くち》から|出《で》たこと、|吐《は》いた|唾液《つば》を|呑《の》み|込《こ》む|訳《わけ》にもいきますまい』
と|目《め》を|据《す》ゑて|蜈蚣姫《むかでひめ》の|顔《かほ》を|一寸《ちよつと》|見《み》る。|蜈蚣姫《むかでひめ》はワザとに|顔《かほ》を|背《そむ》け、|何喰《なにく》はぬ|顔《かほ》にて、
『|何事《なにごと》も|貴女《あなた》に|任《まか》せませう』
『モシモシ|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》、そりや|目的《もくてき》が|違《ちが》ひませう。|貴女《あなた》も|魔谷ケ岳《まやがだけ》に|永《なが》らく|御苦労《ごくらう》なさつたのも、|玉《たま》の|所在《ありか》を|探《さが》さむ|為《ため》でせう。|何《なん》と|云《い》ふ|気《き》の|弱《よわ》い|事《こと》を|仰有《おつしや》るのだ。|仮令《たとへ》|高姫《たかひめ》さまが|何《なん》と|仰有《おつしや》つても、スマートが|承知《しようち》しませぬぞ』
『|何事《なにごと》も|私《わたし》の|胸《むね》に|有《あ》るのだから|黙《だま》つて|居《ゐ》なさい』
『|胸《むね》に|有《あ》るとは、|蜈蚣姫《むかでひめ》さま、|何《なに》があるのですか。|余程《よほど》|陰険《いんけん》な|事《こと》を|仰有《おつしや》るぢやありませぬか。さうすると|今《いま》|妾《わたし》に|仰有《おつしや》つた|事《こと》は|詐《いつは》りでせう』
『|仮《かり》にも|神様《かみさま》に|仕《つか》へる|妾《わたし》、|鬼熊別《おにくまわけ》の|女房《にようばう》、どうして|嘘《うそ》|偽《いつは》りを|言《い》ひませう。あまり|軽蔑《けいべつ》なさると、|此《この》|蜈蚣姫《むかでひめ》だつて|此《この》|儘《まま》には|置《お》きませぬぞ』
と|肩《かた》を|怒《いか》らし|口《くち》をへの|字《じ》に|結《むす》んで|歯《は》ぎりし|乍《なが》ら、|形相《ぎやうさう》|凄《すさま》じく|高姫《たかひめ》の|顔《かほ》を|睨《にら》みつけたり。
『ホヽヽヽヽ、|平家蟹《へいけがに》が|陀羅助《だらすけ》を|喰《く》つた|様《やう》なお|顔《かほ》をなされますな。|貴女《あなた》もヤツパリ|腹《はら》が|立《た》ちますか。|忍耐《にんたい》と|云《い》ふ|宝《たから》を|如何《どう》なさいました』
『それは|貴女《あなた》のお|見違《みちが》ひ、|妾《わたし》は|腹《はら》が|俄《にはか》に|痛《いた》くなつて|苦《くる》しみ|悶《もだ》えた|結果《けつくわ》、|顔付《かほつき》が|怖《こは》くなつたのです。アヽお|陰《かげ》|様《さま》で|大分《だいぶん》に|緩《ゆる》んで|来《き》ました。サアサア|皆《みな》さま、|仲《なか》ようして|一《ひと》つの|船《ふね》でこの|荒波《あらなみ》を|渡《わた》りませう。|十分《じふぶん》お|水《みづ》の|用意《ようい》をして………』
と|各自《めいめい》に|器《うつは》の|有《あ》り|丈《だけ》を|引抱《ひつかか》へ、|檳榔樹《びんらうじゆ》の|生《は》え|茂《しげ》る|林《はやし》の|中《なか》を|潜《くぐ》り、|貫州《くわんしう》に|導《みちび》かれて、|谷間《たにま》の|水溜《みづたま》りを|求《もと》め、|辛《から》うじて|水《みづ》を|充《み》たせ、|漸《やうや》く|船《ふね》に|積《つ》み|込《こ》み、|月明《げつめい》の|夜《よ》を|幸《さいは》ひ、|折《をり》からの|順風《じゆんぷう》に|帆《ほ》を|上《あ》げ|西南《せいなん》に|舵《かぢ》を|取《と》り、|海上《かいじやう》に|起伏《きふく》する|小島《こじま》を|縫《ぬ》うて|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・七・二 旧閏五・八 松村真澄録)
第六章 アンボイナ|島《たう》〔七三六〕
|高姫《たかひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》を|乗《の》せたる|船《ふね》は、|波《なみ》のまにまに|大小《だいせう》|無数《むすう》の|嶋嶼《たうしよ》を|右《みぎ》に|左《ひだり》に|潜《くぐ》りつつ|進《すす》み|行《ゆ》く。|俄《にはか》に|包《つつ》む|濃霧《のうむ》に|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜず、|此《この》|儘《まま》|航海《かうかい》を|続《つづ》けむか、|何時《なんどき》|船《ふね》を|岩石《がんせき》に|衝《つ》き|当《あ》て|破壊《はくわい》|沈没《ちんぼつ》の|厄《やく》に|会《あ》ふも|知《し》れざる|破目《はめ》になつて|来《き》た。|流石《さすが》の|両婆《りやうばば》アも|船中《せんちう》の|一同《いちどう》も【はた】と|当惑《たうわく》し、|何《なん》となく|寂寥《せきれう》の|気《き》に|充《み》たされ、|臍《へそ》の|辺《あた》りより|喉元《のどもと》さして|舞《ま》ひ|上《あが》る|熱《あつ》き|凝固《かたまり》は、|螺旋状《らせんじやう》を|為《な》して|体内《たいない》を|掻《か》き|乱《みだ》すが|如《ごと》く、|頭部《とうぶ》は|警鐘《けいしよう》|乱打《らんだ》の|声《こゑ》|聞《きこ》え、|天変地妖《てんぺんちえう》|身《み》の|置《お》き|処《どころ》も|知《し》らぬ|思《おも》ひに|悩《なや》まされた。|何《なん》ともなく|嫌《いや》らしき|物音《ものおと》、|鬼哭啾々《きこくしうしう》として|肌《はだへ》に|粟《あは》を|生《しやう》じ|心胆《しんたん》|糸《いと》の|如《ごと》く|細《ほそ》り、|此《この》|上《うへ》|少《すこ》しの|風《かぜ》にも、|玉《たま》の|緒《を》の|糸《いと》の|断絶《だんぜつ》せむ|許《ばか》りになり|来《き》たり。|何処《いづく》ともなく|嫌《いや》らしき|声《こゑ》、|頭上《づじやう》に|響《ひび》き|渡《わた》りぬ。
『アヽヽ|飽迄《【あ】くまで》|我《が》を|立《た》て|徹《とほ》す|高姫《たかひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》の|両人《りやうにん》、|天《【あ】め》の|八衢彦命《やちまたひこのみこと》の|言葉《ことば》を|耳《みみ》を|浚《さら》へてよつく|聞《き》け。|汝《なんぢ》は|悪《【あ】く》がまだ|足《た》らぬ。|悪《【あ】く》ならば|悪《【あ】く》でよいから|徹底的《てつていてき》の|大悪《だい【あ】く》になれ。|大悪《だい【あ】く》は|即《すなは》ち|大善《だいぜん》だ。|汝《なんぢ》の|如《ごと》き|善悪混淆《ぜん【あ】くこんかう》、|反覆《はんぷく》|表裏《へうり》|常《つね》なき|改慢心《かいまんしん》の|大化物《おほばけもの》、|是《これ》こそ|真《しん》の|悪《【あ】く》であるぞよ。|悪《【あ】く》と|云《い》ふ|事《こと》は|万事《ばんじ》|万端《ばんたん》、|神界《しんかい》の|為《た》めに|埒《らち》が【あく】|働《はたら》きを|言《い》ふのだ。
イヽヽ|嫌《【い】や》らしい|声《こゑ》を|聞《き》かされて|慄《ふる》ひ|上《あが》り、|意気銷沈《【い】きせうちん》の|意気地《【い】くぢ》|無《な》し。|今《【い】ま》|此処《ここ》で|慣用《くわんよう》|手段《しゆだん》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|何故《なぜ》|現《あらは》さぬか。|大黒主命《おほくろぬしのみこと》は|如何《どう》したのだ。|因循姑息《【い】んじゆんこそく》、|悪魔《あくま》の|我《わが》|言《げん》に|唯々諾々《【ゐ】ゐだくだく》として|畏服《【ゐ】ふく》|致《いた》す【イ】カサマ|宣伝使《せんでんし》。ても【い】げち|無《な》い|可憐《いぢ》らしい|者《もの》だなア』
|高姫《たかひめ》は|直《ただ》ちに、
『|何《いづ》れの|神様《かみさま》か|存《ぞん》じませぬが、
アヽヽ|悪《【あ】く》をやるなら|大悪《だいあく》をせいとはチツトと|聞《きこ》えませぬ。|善一筋《ぜんひとすぢ》の|日本魂《やまとだましひ》の|生粋《きつすゐ》を|立《た》て|貫《ぬ》く|此《この》|高姫《たかひめ》。
イヽヽ【い】つかないつかな、|変性女子的《へんじやうによしてき》|貴女《あなた》の|言葉《ことば》には|賛成《さんせい》|出来《でき》ませぬ。なア|蜈蚣姫《むかでひめ》さま、お|前《まへ》さまもチツト、アフンとして【い】ぢけて|居《を》らずに、アヽヽイヽヽ【アイ】|共《とも》に|力《ちから》を|協《あは》せ、|相槌《あいづち》を|打《う》つたら|如何《どう》だい。|斯《こ》んな|時《とき》こそ|誠《まこと》の|神《かみ》の|御神力《ごしんりき》を|現《あら》はさいで|何時《いつ》|現《あら》はすのだ、アヽヽ、イヽヽ|意気地《【い】くぢ》のない|人《ひと》だなア』
|空中《くうちう》より|怪《あや》しき|声《こゑ》、
『ウヽヽ、|煩《【う】る》さい|代物《しろもの》だ。|何処《どこ》までも|粘着性《ねんちやくせい》の|強《つよ》い|高姫《たかひめ》の|執着《しふちやく》、|有無転変《【う】ゐてんぺん》の|世《よ》の|中《なか》、|今《いま》に|逆《さか》【とんぼり】を|打《う》たねばならぬぞよ。|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》に|反抗《はんかう》|致《いた》した|酬《むく》い、|眼《まなこ》は|眩《くら》み|波《なみ》にとられた|沖《おき》の|船《ふね》、|何処《どこ》にとりつく|島《しま》もなく、|九死一生《きうしいつしやう》の|此《この》|場合《ばあひ》に|立《た》ち|到《いた》つて、まだ|改心《かいしん》が|出来《でき》ぬか。
エヽヽ|偉相《【え】らさう》に|我《われ》|程《ほど》の|者《もの》なき|様《やう》に|申《まを》して|世界中《せかいぢう》を|股《また》にかけ|法螺《ほら》を|吹《ふ》き|捲《まく》り、|誠《まこと》の|人間《にんげん》を|迷《まよ》はす|曲津神《まがつかみ》の|張本人《ちやうほんにん》、|鼻《はな》ばかりの|高姫《たかひめ》が|今日《けふ》は|断末魔《だんまつま》、|扨《さ》ても|扨《さ》ても|可憐想《かはいさう》な|者《もの》だ。|浮世《うきよ》に|望《のぞ》みはないと|口癖《くちぐせ》の|様《やう》に|申《まを》し|乍《なが》ら、|其《その》|実《じつ》、|浮世《うきよ》に|執着心《しふちやくしん》|最《もつと》も|深《ふか》く、|偉相《【え】らさう》に|肩臂《かたひぢ》|怒《いか》らし|大声《おほごゑ》で|嚇《おど》す|夏《なつ》の|雷鳴婆《かみなりばば》ア……。
オヽヽ|鬼《【お】に》とも|蛇《じや》とも|悪魔《あくま》とも|知《し》れぬ|性来《しやうらい》に|成《な》りきりて|居《を》りても|未《ま》だ|気《き》がつかぬか。|恐《【お】そ》ろしい|執着心《しふちやくしん》の|鬼《【お】に》が|角《つの》を|生《は》やして|其《その》|方《はう》の|後《あと》を|追《お》つ|掛《か》け|来《きた》り、|今《いま》|此処《ここ》で|往生《【わ】うじやう》させる|大神《【お】ほかみ》の|御経綸《ごけいりん》、|尾《【を】》を|捲《ま》いて|改心《かいしん》するのは|今《いま》であらう。|返答《へんたふ》は|如何《どう》だ』
|高姫《たかひめ》は|負《ま》けず、|又《また》もや、
『ウヽヽ|煩《【う】る》さい|事《こと》を|仰有《おつしや》るな。
エヽヽえたいの|知《し》れぬ|声《こゑ》を|出《だ》して、
オヽヽ|嚇《【お】ど》さうと|思《おも》つても|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》はいつかな いつかな、ソンナチヨツコイ|事《こと》に|往生《【わ】うじやう》は|致《いた》しませぬぞ。|一《ひと》つ|島《じま》の|女王《ぢよ【わ】う》と|聞《きこ》えたる|黄竜姫《【わ】うりようひめ》を、【お】|産《う》み|遊《あそ》ばした|蜈蚣姫《むかでひめ》の|姉妹分《きやうだいぶん》とも|言《い》はれたる|此《この》|高姫《たかひめ》、|何《いづ》れの|神《かみ》か|曲津《まがつ》か|知《し》らねども、チツトは|物《もの》の|分別《ふんべつ》を|弁《わきま》へたが|宜《よ》からうぞ』
|空中《くうちう》より、
『カヽヽ|重《【か】さ》ねて|言《い》ふな、|聞《き》く|耳《みみ》|持《も》たぬ。|蛙《【か】はづ》の|行列《ぎやうれつ》|向《むか》ふ|見《み》ず、|此《この》|先《さき》には|山岳《さんがく》の|如《ごと》き|巨大《きよだい》な|蛙《【か】はづ》が|現《あら》はれて、|奸智《【か】んち》に|長《た》けたる|汝《なんぢ》が|身《み》も|魂《たましひ》も、|只《ただ》|一口《ひとくち》に|噛《【か】》み|砕《くだ》き|亡《ほろ》ぼして|呉《く》れる|仕組《しぐみ》がしてあるぞ。|叶《【か】な》はん|時《とき》の|神頼《【か】みだの》みと|言《い》つても、モウ|斯《か》うなつては|駄目《だめ》だ。|神《【か】み》は|聞《き》きは|致《いた》さぬから|左様《さやう》|心得《こころえ》たが|宜《よ》からう。
キヽヽ|危機一髪《【きき】いつぱつ》、|機略縦横《【き】りやくじうわう》の|高姫《たかひめ》も|最早《もはや》|手《て》の|下《くだ》し|様《やう》もあるまい。|気違《【き】ちが》ひじみた|気焔《【き】えん》を|吐《は》いた|其《その》|酬《むく》い、|気《【き】》の|毒《どく》なものだ。|聞《【き】》かねば|聞《【き】》く|様《やう》にして|聞《【き】》かすと|申《まを》すのは|此《この》|事《こと》であるぞよ。
クヽヽ|黒姫《【く】ろひめ》と|腹《はら》を|合《あは》せ、|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《ひつぱう》を|真向《まつかう》に|振《ふ》り|翳《かざ》し、|神界《しんかい》の|経綸《けいりん》を|無茶苦茶《むちや【く】ちや》に|致《いた》した|曲者《【く】せもの》、|苦労《【く】らう》の|凝《かたま》りの|花《はな》が|咲《さ》くと|何時《いつ》も|申《まを》して|居《を》るが、|神《かみ》の|道《みち》を|砕《【く】だ》く|苦労《【く】らう》の|凝《かたま》りの|花《はな》は|今《いま》|愈《いよいよ》|咲《さ》きかけたぞよ。
ケヽヽ|見当《【け】んたう》のとれぬ|仕組《しぐみ》だと|申《まを》して|遁辞《とんじ》を|設《まう》け、|誤魔化《ごまくわ》して|来《き》た|其《その》|酬《むく》い。
コヽヽ|堪《【こ】ら》へ|袋《ぶくろ》の|緒《を》がきれかけたぞよ。|聖地《せいち》の|神々《かみがみ》を|困《こま》らしぬいた|狡猾至極《【か】うくわつしごく》の|汝《なんぢ》|高姫《たかひめ》、|我《われ》と|我《わが》|心《こころ》に|問《と》うて|見《み》よ。|心《【こ】ころ》|一《ひと》つの|持《も》ち|様《やう》で|善《ぜん》にも|悪《あく》にもなるぞよ。
サヽヽ|探女醜女《【さ】ぐめしこめ》の|両人《りやうにん》、よくも|揃《そろ》うたものだ。【サ】ア|是《これ》からは|蜈蚣姫《むかでひめ》の|番《ばん》だ。|逆様事《【さ】かさまごと》ばかりふれ|廻《まは》り|天下万民《てんかばんみん》を|苦《くる》しめた|蜈蚣姫《むかでひめ》の|一派《いつぱ》。
シヽヽ|思案《【し】あん》をして|見《み》よ。|神《かみ》の|申《まを》す|言葉《ことば》に|少《すこ》しの|無理《むり》もないぞよ。|皺苦茶婆《【し】わくちやばば》アになつてから、|娑婆《【し】やば》に|執着心《【し】ふちやくしん》を|発揮《はつき》し、|死後《【し】ご》の|安住所《あんぢうしよ》を|忘《わす》れ、|獅子奮迅《【し】しふんじん》の|勢《いきほひ》を|以《もつ》て|種々雑多《しゆじゆざつた》の|悪計《あくけい》を|廻《めぐ》らし|乍《なが》ら、|至善《【し】ぜん》|至美《【し】び》|至真《【し】しん》の|行動《かうどう》と|誤解《ごかい》する|痴者《たわけもの》。
スヽヽ|少《【す】こ》しは|胸《むね》に|手《て》を|当《あ》てて|見《み》よ。|素盞嗚大神《【す】さのをのおほかみ》の|御精神《ごせいしん》を|諒解《りやうかい》せぬ|間《うち》は、|何程《なにほど》|汝《なんぢ》が|焦慮《あせ》るとも|九分九厘《くぶくりん》で|物事《ものごと》|成就《じやうじゆ》は|致《いた》さぬぞよ。
セヽヽ|背中《【せ】なか》に|腹《はら》が|代《か》へられぬ|様《やう》な|此《この》|場《ば》の|仕儀《しぎ》、それでも|未《ま》だ|改心《かいしん》が|出来《でき》ぬか。|雪隠虫《【せ】つちんむし》の|高上《たかあが》り、|世間《【せ】けん》|知《し》らずの|大馬鹿者《おほばかもの》。
ソヽヽ|其《その》|方《はう》|達《たち》|二人《ふたり》が|改心《かいしん》|致《いた》さぬと、|総《すべ》ての|者《もの》が|総損《【そ】うぞこな》ひになつて、まだまだ|大騒動《おほ【さ】うどう》が|起《おこ》るぞよ。|早々《【さ】うさう》|改心《かいしん》の|実《じつ》を|示《しめ》せ。【そ】うでなければ|今《いま》|此処《ここ》で【ソ】グり|立《た》ててやらうか』
『ソヽヽ【そ】れは、マア|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さい。【そ】れ|程《ほど》|妾《わたし》の|考《かんが》へが|違《ちが》つて|居《ゐ》ますか。|此《この》|蜈蚣姫《むかでひめ》は|明《あ》けても|暮《く》れても、|神様《かみさま》の|為《た》め、|世界《せかい》の|為《た》め、|人民《じんみん》を|助《たす》ける|為《た》めに、|苦労《くらう》|艱難《かんなん》を|致《いた》して|居《を》る|善《ぜん》の|鑑《かがみ》と|堅《かた》く|信《しん》じて|居《を》ります。【そ】れが|妾《わたし》の|生命《せいめい》だ。|何《いづ》れの|神《かみ》か|悪魔《あくま》か|知《し》らねども、|我々《われわれ》の|心《こころ》が|分《わか》らぬとは|実《じつ》に|残念《ざんねん》|至極《しごく》だ。|粗忽《【そ】そつか》しい、|観察《くわんさつ》をせずに、もうチツト|真面目《まじめ》に|妾《わたし》の|腹《はら》の|底《【そ】こ》を|調《しら》べて|下《くだ》さい』
|空中《くうちう》より、
『タヽヽ|叩《【た】た》くな|叩《たた》くな、|腹《はら》の|中《なか》をタヽヽ|断《【た】》ち|割《わ》つて|調《しら》べてやらうか。|高姫《【た】かひめ》も|同様《どうやう》だぞ、|汝《なんぢ》の|腹《はら》の|中《なか》は|千里《せんり》|奥山《おくやま》|古狸《ふるだぬき》の|棲処《すみか》となつて|居《ゐ》る。|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|名乗《なのり》る|奴《やつ》は|銀毛八尾《ぎんまうはちび》の|古狐《ふるぎつね》の|眷族《けんぞく》だ。|大黒主《おほくろぬし》と|名乗《なのり》る|奴《やつ》は|三千年《さんぜんねん》の|劫《がふ》を|経《へ》たる|白毛《はくまう》の|古狸《ふるだぬき》だ。|又《また》|蜈蚣姫《むかでひめ》の|腹中《ふくちう》に|潜《ひそ》む|魔神《まがみ》はアダム、エバの|悪霊《あくれい》の|裔《すえ》なる|大蛇《をろち》の|守護神《しゆごじん》だ。
チヽヽ|違《【ち】が》ふと|思《おも》ふなら、|今《いま》|此処《ここ》で|正体《しやうたい》を|現《あら》はさうか。|地《【ち】》の|高天原《たかあまはら》を|蹂躙《じうりん》せむと、|汝等《なんぢら》|両人《りやうにん》の|体内《たいない》を|借《か》つて|仕組《しぐ》んで|居《を》るのだ。|汝《なんぢ》はそれも|知《し》らずに|誠《まこと》|一《ひと》つと|思《おも》ひつめ、|自分《じぶん》の|身魂《みたま》に|自惚《うぬぼれ》し、|最善《さいぜん》と|感《かん》じつつ|最悪《さいあく》の|行動《かうどう》を|敢《あ》へてする、|天下《てんか》の|曲津神《まがつかみ》となつて|居《を》るのに|気《き》がつかぬか。
ツヽヽ【つ】まらぬ|妨《さまた》げを|致《いた》すより、|月《【つ】き》の|大神《おほかみ》の|心《こころ》になり、|心《こころ》の|底《そこ》より|悔悟《くわいご》して。
テヽヽ|天地《【て】んち》の|神《かみ》にお|詫《わび》を|致《いた》せ。
トヽヽ【ト】ンボ|返《がへ》りを|打《う》たぬうち、トツクリと|思案《しあん》を|致《いた》し、【ト】コトン|身魂《みたま》の|洗濯《せんたく》を|励《はげ》むが|肝腎《かんじん》だぞよ。
ナヽヽ|何《【な】ん》と|申《まを》しても|其《その》|方《はう》|等《ら》は|曲津《まがつ》の|容器《いれもの》。|弥勒神政《みろくしんせい》の|太柱《ふとばしら》は|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に、|神世《かみよ》の|昔《むかし》より|定《さだ》められた|身魂《みたま》が|儼然《げんぜん》として|現《あら》はれ|給《たま》ふ。|何《【な】に》|程《ほど》|其《そ》の|方《はう》が|焦慮《あせ》つても、もう|駄目《だめ》だ。
ニヽヽ|二階《【に】かい》から|目薬《めぐすり》をさす|様《やう》な|頼《たよ》りのない|法螺《ほら》を|吹《ふ》き|廻《まは》るより、|生《うま》れ|赤子《あかご》の|心《こころ》になつて|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》の|仰《あふ》せを|守《まも》れ。
ヌヽヽ【ヌ】ーボー|式《しき》の|言依別《ことよりわけ》だと|何時《いつ》も|悪口《わるくち》を|申《まを》すが、|其《その》|方《はう》こそは|言依別《ことよりわけ》の|神徳《しんとく》を|横奪《わうだつ》せむとする、【ヌ】ースー|式《しき》の|張本人《ちやうほんにん》だ。
ネヽヽ|熱心《【ね】つしん》な|信者《しんじや》を|誤魔化《ごまくわ》し、|蛇《へび》が|蛙《かへる》を|狙《【ね】ら》ふ|様《やう》に|熱烈《【ね】つれつ》なる|破壊《はくわい》|運動《うんどう》を|致《いた》す|侫人輩《【ね】いじんばら》。
ノヽヽ|野天狗《【の】てんぐ》、|野狐《【の】ぎつね》、|野狸《【の】だぬき》の|様《やう》な|野太《【の】ぶと》い|代物《しろもの》。|喉《【の】ど》から|血《ち》を|吐《は》きもつて、|折角《せつかく》|作《つく》り|上《あ》げた|誠《まこと》の|魂《たましひ》を|攪乱《かくらん》|致《いた》す|野太《【の】ぶと》い|代物《しろもの》。|下《くだ》らぬ|望《【の】ぞ》みを|起《おこ》すよりも|良《よ》い|加減《かげん》に|往生《わうじやう》|致《いた》したら|如何《どう》だ』
|高姫《たかひめ》は、
『もうもう|十分《じふぶん》です。
ハヽヽ【ハ】ラハラします。|腹《【は】ら》が|立《た》つて|歯《【は】》がガチガチしだした。|早《【は】や》くしようも|無《な》い|事《こと》は、もうきりあげて|下《くだ》さい。
ヒヽヽ|日《【ひ】》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が|堪忍袋《かんにんぶくろ》の|緒《を》を|切《き》らしたら、|何程《なにほど》|偉《えら》い|神《かみ》でも|堪《たま》りませぬぞ。
フヽヽ|不都合千万《【ふ】つがふせんばん》な、|此《この》|方《はう》の|行動《かうどう》を|非難《ひなん》するとは|何《いづ》れの|神《かみ》だ。
ヘヽヽ|屁《【へ】》でもない|理屈《りくつ》を|並《なら》べて|閉口《【へ】いこう》さそうと|思《おも》うても……【ン】……|此《この》|高姫《たかひめ》さまは|一寸《ちよつと》お|手《て》には|合《あ》ひませぬワイ。
ホヽヽ【ほ】んに|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|廻《まは》しものだ。|斯《こ》んな|海《うみ》の|中《なか》へ|我々《われわれ》を|引張《ひつぱ》り|出《だ》し、|一寸先《いつすんさき》も|見《み》えぬ|様《やう》な|濃霧《のうむ》に|包《つつ》んで|置《お》いて、|暗《くら》がりに|鶏《にはとり》の|頸《くび》を|捻《ね》ぢる|様《やう》な|卑怯《ひけふ》な|計略《けいりやく》、|其《その》|手《て》は|喰《く》はぬぞ。
マヽヽ|曲津《【ま】がつ》の|張本《ちやうほん》。
ミヽヽ|身《【み】》の|程《ほど》|知《し》らずの|盲目神《めくらがみ》。
ムヽヽ|蜈蚣姫《【む】かでひめ》と|高姫《たかひめ》が。
メヽヽ|各自《【め】いめい》に|神力《しんりき》のあらむ|限《かぎ》りを|発揮《はつき》して。
モヽヽ|耄碌神《【も】うろくがみ》の|其《その》|方《はう》を|脆《もろ》くも|退治《たいぢ》して|見《み》せよう。
ヤヽヽ|八岐大蛇《【や】またをろち》だの、|狐《きつね》だの、|狸《たぬき》だのとは|何《なん》たる|暴言《ばうげん》ぞ。
イヽヽ|意地気根《【い】ぢくね》の|悪《わる》い。
ユヽヽ|油断《【ゆ】だん》のならぬ|胡散《うさん》な|痴呆《うつけ》もの。
エヽヽ【え】ー|邪魔臭《じやまくさ》い。
ヨヽヽ【よ】くも、【ヨ】タリスクを|並《なら》べよつたな、【よ】うも|悪魔《あくま》の|変化《へんげ》|奴《め》。
ラヽヽ|乱臣賊子《【ら】んしんぞくし》、サア|正体《しやうたい》を|現《あら》はせ、|勇気《ゆうき》|凛々《りんりん》たる|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》、|大自在天《だいじざいてん》の|太柱《ふとばしら》、グヅグヅ|吐《ぬか》すと|貴様《きさま》の|素首《そつくび》を|引《ひ》き|抜《ぬ》いて【ラ】リルレロとトンボリ|返《がへ》しを|打《う》たしてやらうか』
|空中《くうちう》より|一層《いつそう》|大《おほ》きな|声《こゑ》で、
『ワヽヽ|笑《【わ】ら》はせやがるワイ。|我《【わ】が》|身《み》|知《し》らずの|馬鹿者《ばかもの》|共《ども》、|手《て》のつけ|様《やう》のない|困《こま》つた|代物《しろもの》だ。
ヰヽヽ|何程《【い】くら》|言《い》うても|合点《がてん》の|往《ゆ》かぬ|歪《【い】が》み|根性《こんじやう》の|高姫《たかひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》。
ウヽヽ|煩《【う】る》さくなつて|来《き》たワイ。|艮《【う】しとら》の|金神《こんじん》|国治立尊《くにはるたちのみこと》の|御前《おんまへ》に|我《われ》は|是《これ》より|奏上《そうじやう》せむ。
ヱヽヽ|襟《【え】り》を|正《ただ》して|謹聴《きんちやう》して|待《ま》つて|居《を》らう。やがて|御沙汰《ごさた》が|下《くだ》るであらう。
ヲヽヽ|臆病風《【お】くびやうかぜ》に|誘《さそ》はれて【ヲ】ドヲドし|乍《なが》ら、まだ。
ガヽヽ|我《【が】》の|強《つよ》い。
ギヽヽ【ぎ】りぎりになる|迄《まで》。
グヽヽ|愚図々々《【ぐ】づぐづ》|致《いた》して|居《を》ると。
ゲヽヽ|現界《【げ】んかい》は|愚《おろ》か。
ゴヽヽ|後生《【ご】しやう》の|為《た》めに|成《な》らないぞ。
ザヽヽ|態《【ざ】ま》さらされて。
ジヽヽ【ジ】タバタするよりも。
ズヽヽ|図々《【づ】うづう》しい|態度《たいど》を|改《あらた》め。
ゼヽヽ|前非《【ぜ】んぴ》を|悔《く》い|改心《かいしん》|致《いた》して。
ゾヽヽ|造次《【ざ】うじ》にも|顛沛《てんぱい》にもお|詫《わび》を|致《いた》せ。
ダヽヽ|騙《【だ】ま》し|歩《ある》いた。
ヂヽヽ|自身《【じ】しん》の|罪《つみ》を。
ヅヽヽ|津々浦々《【づ】づうらうら》まで|白状《はくじやう》|致《いた》して|廻《まは》り、|玉《たま》に|対《たい》する|執着心《しふちやくしん》を|只今《ただいま》|限《かぎ》り|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》|此《この》|海《うみ》に|流《なが》して|仕舞《しま》へ。さうして|仕舞《しま》へば|又《また》|神《かみ》の|道《みち》に|使《つか》つてやるまいものでもない。
デヽヽ【デ】ンデン|虫《むし》の|角突《つのつ》き|合《あ》ひの|様《やう》な|小《ちひ》さな|喧嘩《けんくわ》を|致《いた》し。
ドヽヽ|如何《【ど】う》してそんな|事《こと》で|神界《しんかい》の|御用《ごよう》が|勤《つと》まると|思《おも》ふか。
バヽヽ|婆《【ば】ば》の|癖《くせ》に|馬鹿《ばか》な|真似《まね》を|致《いた》すと|終《つひ》には|糞垂《【ば】ばた》れるぞよ。
ビヽヽ|貧乏《【び】んばふ》|揺《ゆる》ぎもならぬ|様《やう》になりてから。
ブヽヽ【ブ】ツブツと|水《みづ》の|中《なか》に|屁《へ》を|放《こ》いた|様《やう》な|小言《こごと》を|申《まを》しても。
ベヽヽ|弁舌《【べ】んぜつ》を|何程《なにほど》|巧《たくみ》に|致《いた》しても。
ボヽヽ|木瓜《【ぼ】け》の|花《はな》だ、|誰《たれ》も|相手《あひて》になる|者《もの》はないぞよ。
パヽヽ【パ】チクリと|目《め》を|白黒《しろくろ》|致《いた》して。
ピヽヽ【ピ】ンピン|跳《は》ねても、キリキリ|舞《ま》ひを|致《いた》しても。
プヽヽ【プ】ンと|放《こ》いた|屁《へ》ほどの|効力《かうりよく》も|無《な》いぞよ。
ペヽヽ【ペ】ンペン|跳《は》ねても。
ポヽヽ【ポ】ンポン|言《い》つても、もう|日《ひ》の|出神《でのかみ》も|通用《つうよう》|致《いた》さぬから|覚悟《かくご》をしたが|宜《よ》からう。|汝《なんぢ》|果《は》たして|日《ひ》の|出神《でのかみ》ならば、|此《この》|濃霧《のうむ》を|霽《は》らし、|天日《てんじつ》の|光《ひかり》を|自《みづか》ら|浴《あ》びて|船《ふね》の|方向《はうかう》を|定《さだ》め、アンボイナの|聖地《せいち》に|渡《わた》れ。|其《その》|時《とき》|又《また》|結構《けつこう》な|教訓《けうくん》を|授《さづ》けてやらう』
|高姫《たかひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》は|返《かへ》す|言葉《ことば》も|無《な》く、|船《ふね》の|中《なか》に|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|負《ま》けぬ|気《き》の|鬼《おに》に|妨《さまた》げられて|謝罪《あやま》り|言葉《ことば》も|出《だ》さず、|俯向《うつむ》いて|謝罪《しやざい》と|片意地《かたいぢ》との|中間的《ちうかんてき》|態度《たいど》を|執《と》つて|居《ゐ》た。|何時《いつ》しか|濃霧《のうむ》は|霽《は》れた。よくよく|見《み》れば|船《ふね》は|何時《いつ》の|間《ま》にやら|南洋一《なんやういち》の|聖地《せいち》、|竜宮島《りうぐうじま》と|聞《きこ》えたるアンボイナの|港《みなと》に|横着《よこづ》けになり|居《ゐ》たりける。
(大正一一・七・二 旧閏五・八 北村隆光録)
第七章 メラの|滝《たき》〔七三七〕
|瀬戸《せと》の|海《うみ》、|小豆ケ島《せうどがしま》を|船出《ふなで》してより、|大島《おほしま》、|琉球島《りうきうじま》、|台湾《たいわん》、ヒリツピン|群島《ぐんたう》をいつしか|越《こ》えて、|南洋一《なんやういち》の|竜宮島《りうぐうじま》と|聞《きこ》えたる、アンボイナ|島《しま》の|一角《いつかく》に|高姫《たかひめ》の|一行《いつかう》は|漸《やうや》く|到着《たうちやく》したり。
|総《すべ》て|此《この》|方面《はうめん》には|濁水《だくすゐ》|漲《みなぎ》り|飲料水《いんれうすゐ》は|唯《ただ》|天水《てんすゐ》を|受《う》けて|使用《しよう》するのみである。|然《しか》るに|此《この》|島《しま》|計《ばか》りは|竜宮島《りうぐうじま》と|称《しよう》するだけありて、|島《しま》の|到《いた》る|所《ところ》に|清泉《せいせん》|湧《わ》き|出《い》で、|且《か》つ|島《しま》は|二《ふた》つに|分《わ》かれ|雄島《をしま》、|雌島《めしま》と|称《とな》へられて|居《ゐ》る。|雌島《めしま》の|方《はう》には|釣岩《つりいは》の|滝《たき》、|一名《いちめい》|雄滝《をだき》、|及《およ》びメラの|滝《たき》、|一名《いちめい》|雌滝《めだき》の|二《ふた》つの|竜琴《りうきん》が|懸《かか》つて|居《ゐ》る。さうして|雄滝《をだき》の|方《はう》は|岩《いは》と|岩《いは》との|間《あひだ》より|囂々《がうがう》として|流《なが》れ|落《お》ち、|雌滝《めだき》の|方《はう》は|大木《たいぼく》の|根本《ねもと》より|湧《わ》き|出《い》づる|稍《やや》|細《ほそ》き|水《みづ》を、|人工《じんこう》をもつて|筧《かけひ》を|作《つく》り|滝《たき》として|居《ゐ》るのである。|此《この》|島《しま》は|世界《せかい》の|所在《あらゆる》|草木《さうもく》|繁茂《はんも》し、|数多《あまた》の|屹然《きつぜん》たる|岩島《いはしま》の|中《なか》に|樹木《じゆもく》|蒼然《さうぜん》として|特《とく》に|目《め》だつた|宝島《たからじま》である。|酷熱《こくねつ》の|夏《なつ》の|日《ひ》も|此《この》|滝《たき》の|辺《ほとり》に|往《ゆ》けば|樹葉《じゆえう》|天《てん》を|封《ふう》じ、|瀑《たき》は|淙々《そうそう》として|清《きよ》く|落下《らくか》し、|万斛《ばんこく》の|涼味《りやうみ》を|湛《たた》へたる|実《じつ》に|南洋《なんやう》|第一《だいいち》の|天国《てんごく》|浄土《じやうど》とも|称《しよう》すべき|聖地《せいち》なりける。
|高姫《たかひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》は|第一《だいいち》に|此《この》|島《しま》に|目《め》をつけ、|玉能姫《たまのひめ》が|匿《かく》し|置《お》いたる|三個《さんこ》の|宝玉《ほうぎよく》は、テツキリ|此《この》|島《しま》に|納《をさ》まりあるならむと、|既《すで》に|既《すで》に|宝玉《ほうぎよく》を|手《て》に|入《い》れた|如《ごと》く|喜《よろこ》び|勇《いさ》み、|先《さき》を|争《あらそ》うて|上陸《じやうりく》し、|雄滝《をだき》の|方《はう》に|向《むか》つて|歩《ほ》を|進《すす》めた。|余《あま》りの|嬉《うれ》しさに|船《ふね》を|磯端《いそばた》に|繋《つな》ぐ|事《こと》を|忘《わす》れた。|折柄《をりから》の|稍《やや》|強《つよ》き|風《かぜ》に、|船《ふね》は|一瀉千里《いつしやせんり》の|勢《いきほひ》で|沖《おき》の|彼方《あなた》に|流《なが》れ|去《さ》つて|仕舞《しま》つた。されど|一行《いつかう》は|船《ふね》の|流《なが》れたる|事《こと》を|夢《ゆめ》にも|悟《さと》らず、|意気《いき》|揚々《やうやう》として|釣岩《つりいは》の|滝《たき》の|麓《ふもと》に|進《すす》み、|汗染《あせば》んだ|着衣《ちやくい》を|脱《ぬ》ぎ|捨《す》て、|我一《われいち》に|涼味《りやうみ》を|味《あぢは》はむと|滝壺《たきつぼ》に|飛《と》び|込《こ》み、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|蘇生《そせい》した|気持《きもち》で|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し|始《はじ》めたり。
|三日三夜《みつかみよさ》|一同《いちどう》は|水垢離《みづごり》をとり|元気《げんき》も|恢復《くわいふく》し、|四辺《あたり》の|新鮮《しんせん》なる|木《こ》の|実《み》を|食《く》ひ|勢《いきほひ》|頓《とみ》に|加《くは》はり、|弥《いよいよ》|全島《ぜんたう》|残《のこ》らず|玉《たま》の|捜索《そうさく》に|係《かか》る|事《こと》となつた。|高姫《たかひめ》は|雌島《めしま》を、|蜈蚣姫《むかでひめ》は|雄島《をしま》と|部署《ぶしよ》を|定《さだ》めて、|些《すこ》しにても|怪《あや》しき|石《いし》と|見《み》れば|引《ひ》き|剥《めく》り、|山《やま》の|芋《いも》を|掘《ほ》るやうに、【こぐち】から|掻《か》き|廻《まは》し、|此《この》|島《しま》に|毛氈《まうせん》の|如《ごと》く|敷《し》き|詰《つ》めたる|麗《うるは》しき|青苔《あをこけ》を|残《のこ》らず|引繰返《ひつくりかへ》したるに、|苔《こけ》の|下《した》よりは|怪《あや》しき|形《かたち》したる|蛇《へび》、|蜈蚣《むかで》、|守宮《やもり》、|蜥蜴《とかげ》の|類《るゐ》|間断《かんだん》なく|現《あら》はれ|来《きた》り、|高姫《たかひめ》|其《その》|他《た》|一同《いちどう》の|体《からだ》を|目蒐《めが》けて|飛《と》びつき|喰《くら》ひつく|嫌《いや》らしさ、されど|玉《たま》の|行方《ゆくへ》に|魂《たましひ》を|抜《ぬ》かれた|一行《いつかう》は|何《なん》の|頓着《とんちやく》もなく『|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』を|口々《くちぐち》に|唱《とな》へながら、|時間《じかん》を|構《かま》はず|疲《つか》れては|休息《きうそく》し、|喉《のど》が|渇《かわ》けば|水《みづ》を|掬《すく》ひ、|腹《はら》が|空《す》けば|随所《ずいしよ》の|果物《くだもの》を【むしり】|喰《く》ひながら、|向上虫《かうじやうむし》が|梅《うめ》の|大木《たいぼく》を|一葉《ひとは》も|残《のこ》らず|食《く》ひ|尽《つく》すやうな|勢《いきほひ》で、|島山《しまやま》の|頂《いただ》きまで|残《のこ》らず|土《つち》を|引繰返《ひつくりかへ》し、|苔《こけ》を|剥《めく》り|捜索《そうさく》し|終《をは》りたり。|其《その》|間《かん》|殆《ほとん》ど|三ケ月《さんかげつ》を|要《えう》したりける。
|高姫《たかひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》は|執念深《しふねんぶか》くも|今度《こんど》は|磯辺《いそべ》に|下《お》り、|大石《おほいし》|小石《こいし》を【こぐち】より|一《ひと》つも|残《のこ》さず|引繰《ひつく》り|返《かへ》し|調《しら》べ|見《み》たれど|船虫《ふなむし》や|蟹《かに》|計《ばか》りで、|玉《たま》らしきものは|一《ひと》つも|見当《みあた》らざりけり。|流石《さすが》の|高姫《たかひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》も|根気《こんき》|尽《つ》き、|又《また》もや|雄滝《をだき》の|麓《ふもと》に|集《あつ》まり|来《きた》り、|胴《どう》を|据《す》ゑて|水垢離《みづごり》にかかる|事《こと》となりぬ。|磯辺《いそべ》を|各自《めいめい》|調《しら》べながら|玉《たま》に|心《こころ》を|取《と》られて、|乗《の》り|来《きた》りし|船《ふね》の|影《かげ》だに|無《な》き|事《こと》に|気《き》の|付《つ》く|者《もの》は|一人《ひとり》もなかりけり。
|七日七夜《なぬかななよさ》ばかり|滝壺《たきつぼ》を|中心《ちうしん》に|水垢離《みづごうり》を|取《と》つて|居《ゐ》たスマートボールは、|一人《ひとり》|海辺《うみべ》に|出《い》でよくよく|見《み》れば|船《ふね》の|姿《すがた》なきに|打《う》ち|驚《おどろ》き、|島《しま》の|廻《まは》りを|何回《なんくわい》となく|廻《まは》つて|調《しら》べ|見《み》たるが、|一向《いつかう》|見当《みあた》らず、|驚《おどろ》いて|滝壺《たきつぼ》の|前《まへ》に|現《あらは》れ|来《きた》り、
『|高姫《たかひめ》|様《さま》、|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》、|大変《たいへん》で|御座《ござ》います』
と|顔色《かほいろ》を|変《か》へて|云《い》ふ。|蜈蚣姫《むかでひめ》は|口《くち》を|尖《とが》らして、
『|大変《たいへん》とは|何《なん》だエ、|玉《たま》の|所在《ありか》が|分《わか》つたのか』
『ソンナ|気楽《きらく》な|事《こと》ですかいな。|船《ふね》が|薩張《さつぱり》|逃《に》げて|仕舞《しま》ひましたよ』
『|何《なに》、|船《ふね》が|逃《に》げた……なぜ|追《お》つかけて|引張《ひつぱ》つて|来《こ》ぬのだい』
『|逃《に》げたか|沈《しづ》みたか、|皆目《かいもく》|行方《ゆくへ》が|分《わか》らないのですもの』
『そりや|大変《たいへん》だ、|高姫《たかひめ》さま、|何《ど》うしませう』
『さてもさても|気《き》の|利《き》かぬ|者《もの》|計《ばか》りだな。……これ|貫州《くわんしう》さま、お|前《まへ》は|船《ふね》の|責任者《せきにんしや》だ。|一体《いつたい》|何《ど》うして|置《お》いたのだい』
『|何《ど》うも|斯《か》うもありませぬワ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》が|私《わたし》に|憑《うつ》つて|船《ふね》をかやせと|仰有《おつしや》つた。それ|故《ゆゑ》|高姫《たかひめ》さまの|本守護神《ほんしゆごじん》の|御命令《ごめいれい》によつて、|何処《いづこ》なりと|勝手《かつて》に|往《ゆ》けと|放《はう》り|出《だ》しました。あの|船《ふね》は|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》に|着《つ》くのが|目的《もくてき》だから、|遊《あそ》ばして|置《お》くのも|勿体《もつたい》ないと|思《おも》つて、|独《ひと》り|活動《くわつどう》さして|置《お》きましたよ。やがて|目的《もくてき》を|達《たつ》するでせう』
『お|前《まへ》は|何《なん》と|云《い》ふ|馬鹿《ばか》なのだ、|船《ふね》|計《ばか》り|行《い》つた|処《ところ》で、|我々《われわれ》の|肉体《にくたい》が|往《ゆ》かねば|何《なん》にもならぬぢやないか。|船《ふね》が|無《な》ければ、|何時《いつ》|迄《まで》も|此《この》|島《しま》に|蟄居《ちつきよ》して|居《を》らねばならぬぢやないかい』
『それでも|貴女《あなた》は|人間《にんげん》の|肉《にく》の|宮《みや》は|神《かみ》の|容器《いれもの》と|仰有《おつしや》つたでせう。|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》も、|大黒主命《おほくろぬしのみこと》も、|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》の|本守護神《ほんしゆごじん》も、|今頃《いまごろ》はあの|船《ふね》に|乗《の》つて、|目的地《もくてきち》に|安着《あんちやく》して|居《ゐ》るでせう。|此《この》|島《しま》に|上《あが》つてから|百日《ひやくにち》|以上《いじやう》になりますから、|何程《なにほど》|遠《とほ》くても|最早《もはや》|一《ひと》つ|島《じま》に|到着《たうちやく》し、そろそろ|帰《かへ》つて|来《く》る|時期《じき》ですから、さう【やきもき】|云《い》はずに|待《ま》つて|居《ゐ》なさるが|宜《よろ》しからう』
と|態《わざ》と|平気《へいき》な|顔《かほ》をして|見《み》せる。
『|何《なん》と|間《ま》の|抜《ぬ》けた|男《をとこ》だなア。……|高姫《たかひめ》さま、|流石《さすが》は|貴女《あなた》の|御家来《ごけらい》ぢや。|抜《ぬ》け|目《め》のない|理屈《りくつ》|計《ばか》りはよく|捏《こ》ねますね。|一体《いつたい》|何《ど》うして|下《くだ》さる』
『|此処《ここ》は|南洋《なんやう》の|竜宮島《りうぐうじま》、|澆季末法《げうきまつぽふ》の|世《よ》の|中《なか》には|諸善竜宮《しよぜんりうぐう》に|入《い》り|給《たま》ふと|云《い》ふからには、|妾等《わたしら》は|善一筋《ぜんひとすぢ》の|誠《まこと》の|神《かみ》だから、この|竜宮島《りうぐうじま》を|永遠《ゑいゑん》の|住家《すみか》として、|天寿《てんじゆ》を|楽《たの》しまうぢやありませぬか』
『ようも……|負惜《まけを》しみの|強《つよ》い|事《こと》が|云《い》へますぢやい。………|三《みつ》つの|宝玉《はうぎよく》は|何《ど》うなさる|積《つも》りだ』
『それは|飽迄《あくまで》も|探《さが》さねばなりませぬ。まア|見《み》とりなさい、おつつけ|神様《かみさま》が|妾等《わたしら》の|神徳《しんとく》に|感《かん》じ、|船《ふね》を|持《も》つて|迎《むか》ひに|来《き》て|下《くだ》さるのは|鏡《かがみ》にかけて|見《み》るやうなものだ。|刹那心《せつなしん》を|楽《たの》しむで、|取越《とりこし》し|苦労《くらう》をせないやうにして|下《くだ》さい』
『|何《なん》だか|船《ふね》が|無《な》いと|来《き》ては、|何程《なにほど》|結構《けつこう》な|竜宮島《りうぐうじま》でも|気楽《きらく》に|暮《くら》す|気《き》にはなれぬぢやありませぬか。……アヽ|俄《にはか》に|綺麗《きれい》な|山《やま》も|嫌《いや》な|色《いろ》になつて|来《き》たワイ。|美《うつく》しい|滝《たき》の|景色《けしき》も|地獄《ぢごく》のやうな|気分《きぶん》がしだした。アヽ|此《この》|結構《けつこう》な|島《しま》が|船《ふね》のやうに|動《うご》いて、|俺達《おれたち》を|何処《どこ》かの|大陸《たいりく》へ|送《おく》つては|呉《く》れまいかなア。スマートも|心配《しんぱい》ぢやワイ』
『まア|愚図々々《ぐづぐづ》|云《い》はずに|待《ま》つて|居《ゐ》なさい。|海賊船《かいぞくせん》でも|来《き》たら、それでも|占領《せんりやう》して|乗《の》つて|行《ゆ》けばよいぢやないか。|何事《なにごと》もなるやうにしか|成《な》らぬ|世《よ》の|中《なか》だ』
と|稍《やや》|捨鉢《すてばち》|気分《きぶん》になり、|青草《あをくさ》の|上《うへ》へ|身《み》を|打《ぶ》つ|付《つ》けるやうに、|不行儀《ふぎやうぎ》に|高姫《たかひめ》は|寝転《ねころ》むで|仕舞《しま》つた。
『エヽ|何処迄《どこまで》も|徹底《てつてい》した|自我《じが》の|強《つよ》い|婆《ばば》アだなア』
とスマートは|小声《こごゑ》に|呟《つぶや》きながら|密林《みつりん》の|中《なか》に|姿《すがた》を|匿《かく》したり。|蜈蚣姫《むかでひめ》|其《その》|他《た》|一同《いちどう》は、|思《おも》ひ|思《おも》ひにこの|島山《しまやま》を|捨鉢《すてばち》|気分《きぶん》になつて|駆廻《かけまは》り、|適当《てきたう》な|場所《ばしよ》に|身《み》を|横《よこた》へて、|因果腰《いんぐわごし》を|定《き》める|事《こと》となりぬ。|雄滝《をだき》の|麓《ふもと》に|高姫《たかひめ》は|唯《ただ》|独《ひと》り|横《よこた》はつた|儘《まま》|遂《つい》に|夢路《ゆめぢ》に|入《い》りけり。………
|高姫《たかひめ》は|漸《やうや》く|目《め》を|醒《さま》し|四辺《あたり》を|見《み》れば、|一人《ひとり》の|人影《ひとかげ》も|無《な》きに|驚《おどろ》き、
『サア|大変《たいへん》、|誰《たれ》も|彼《かれ》も|腹《はら》を|合《あは》せ|此《この》|高姫《たかひめ》を|置去《おきざり》にして、|流《なが》れて|来《き》た|船《ふね》にでも|乗《の》つて|逃《に》げたに|相違《さうゐ》あるまい。アヽ|頼《たの》み|難《がた》きは|人心《ひとごころ》。……|貫州《くわんしう》の|奴《やつ》、|此《この》|高姫《たかひめ》に|一言《ひとこと》も|答《こた》へず、|逃《に》げ|帰《かへ》るとは|不親切《ふしんせつ》|極《きは》まる。|併《しか》し|乍《なが》ら|余《あんま》り|口汚《くちぎたな》く|叱《しか》りつけたものだから、|根《ね》に|持《も》つて|復讐《かたきうち》をしようとしたのだらう。エヽ|仕方《しかた》がない』
と|四辺《あたり》を|見廻《みまは》せば、|蓑笠《みのかさ》などが|其処《そこ》に|残《のこ》つて|居《ゐ》る。
『ハア、|矢張《やつぱり》|何処《どこ》かへ|行《い》つたのだな。|何処《どこ》へ|匿《かく》れても|此《この》|島中《しまぢう》には|居《ゐ》るだらう。まアまア|皆《みな》の|者共《ものども》が|早《はや》く|此処《ここ》へ|帰《かへ》つて|来《く》るやう|御祈念《ごきねん》でも|致《いた》しませう』
と|独言《ひとりご》ちつつ|雌滝《めだき》の|傍《そば》に|進《すす》み|寄《よ》る。|折柄《をりから》の|濃霧《のうむ》に|包《つつ》まれて、|一尺《いつしやく》の|先《さき》も|見《み》えないやうになり|来《き》たりぬ。|高姫《たかひめ》は|雌滝《めだき》の|傍《そば》に|蹲踞《しやが》みながら、|両手《りやうて》を|合《あは》せ|祈願《きぐわん》を|始《はじ》めたり。
『|第一番《だいいちばん》に|力《ちから》と|頼《たの》む|貫州《くわんしう》の|行方《ゆくへ》が|分《わか》りますやう。|蜈蚣姫《むかでひめ》|其《その》|他《た》の|連中《れんちう》は|神界《しんかい》の|御都合《ごつがふ》に|依《よ》つてお|匿《かく》し|遊《あそ》ばすなら、たつてとは|申《まを》しませぬ。|兎《と》も|角《かく》も|必要《ひつえう》なは|貫州《くわんしう》|一人《ひとり》、|何卒《どうぞ》|彼《あれ》だけなりと|私《わたし》の|傍《そば》に|引《ひ》き|寄《よ》せて|下《くだ》さいませ。|何分《なにぶん》|小《ちひ》さい|島《しま》と|申《まを》しても、|十里《じふり》も|周《めぐ》つた|此《この》|浮島《うきじま》、|容易《ようい》に|探《さが》し|当《あ》てる|事《こと》は|出来《でき》ますまい。|何卒《なにとぞ》|御神力《ごしんりき》をもつて、|一時《いちじ》も|早《はや》くお|引《ひ》き|寄《よ》せを|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》ります』
メラの|滝《たき》の|上《うへ》にチヨコナンとして、|滝水《たきみづ》を|弄《いぢ》つて|居《を》つた|貫州《くわんしう》は、|高姫《たかひめ》の|此《この》|祈《いの》り|声《ごゑ》を|聞《き》いて|造《つく》り|声《ごゑ》をしながら、
『|此《この》|方《はう》は、|誠《まこと》の|生粋《きつすゐ》の|日本魂《やまとだましひ》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》であるぞよ。|其《その》|方《はう》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|申《まを》せども、|実《じつ》は|三千年《さんぜんねん》の|劫《がふ》を|経《へ》たる|古狸《ふるだぬき》の|霊《みたま》が|宿《やど》つて|居《ゐ》るのであるぞよ。よく|胸《むね》に|手《て》を|置《お》いて|思案《しあん》を|致《いた》せよ。|汝《なんぢ》の|改心《かいしん》が|出来《でき》たなら、いつ|何時《なんどき》なりとも、|其《その》|方《はう》の|前《まへ》に|貫州《くわんしう》|一人《ひとり》|現《あら》はして|見《み》せうぞ。|何《ど》うぢや、もう|今後《こんご》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》|呼《よ》ばはりは|致《いた》さぬか』
『|貴女《あなた》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》と|今《いま》|仰有《おつしや》つたが、そりや|違《ちが》ひませう。|真《まこと》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|此《この》|高姫《たかひめ》の|肉体《にくたい》にお|憑《うつ》り|遊《あそ》ばし、|大黒主命《おほくろぬしのみこと》と|半分《はんぶん》|同志《どうし》の|霊魂《みたま》が|一《ひと》つになつて|高姫《たかひめ》と|現《あら》はれ、|世界中《せかいぢう》の|事《こと》を|調《しら》べぬいて、|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|土台《どだい》となる|結構《けつこう》な|身魂《みたま》でありますぞ。いづれの|神《かみ》か|知《し》らねど、よく|審神《さには》をして|下《くだ》さい。|真《まこと》の|事《こと》を|知《し》つた|神《かみ》は、|世界《せかい》に|一神《ひとり》よりか|無《な》いとお|筆《ふで》に|出《で》て|居《ゐ》ますぞ。|枝《えだ》の|神《かみ》の|分際《ぶんざい》として|何《なに》が|分《わか》つて|堪《たま》らうぞい。|改心《かいしん》なされ|足許《あしもと》から|鳥《とり》が|立《た》ちますぞえ』
|貫州《くわんしう》は|余《あま》りの|強情《がうじやう》に|愛想《あいさう》を|尽《つ》かし、|且《か》つ|可笑《をか》しさに|吹《ふ》き|出《だ》さうとしたが、|歯《は》を|喰《く》ひしばり|気張《きば》り|居《ゐ》る。|歯《は》は『キーキー』、|喉許《のどもと》で|笑《わら》ふ|声《こゑ》『キウキウ』と|体中《からだぢう》に|波《なみ》を|打《う》たせ|蹲踞《しやが》んで|気張《きば》り|居《を》る。|高姫《たかひめ》は|滝《たき》の|下《した》より、
『エヽ|油断《ゆだん》のならぬ。|何程《なにほど》|諸善神《しよぜんしん》の|集《あつ》まる|竜宮島《りうぐうじま》でも、|寸善尺魔《すんぜんしやくま》とか|云《い》ふ|悪神《あくがみ》が|高姫《たかひめ》の|気《き》を|引《ひ》きに|来《き》よつたな。|併《しか》し|乍《なが》ら|高姫《たかひめ》の|弁舌《べんぜつ》、|否《いな》|言霊《ことたま》に、|仕方《しかた》なく|四足《よつあし》の|性来《しやうらい》を|現《あら》はし、……キーキー、キウキウ……と|啼《な》いてゐやがる。|野良鼠《のらねずみ》か、|栗鼠《りす》か、|鼬《いたち》か|貂《てん》か、|又《また》も|違《ちが》つたら|豆狸《まめだぬき》か、|一時《いちじ》も|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》れ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》の|前《まへ》も|憚《はばか》らず、|四足《よつあし》の|分際《ぶんざい》として|高《たか》い|所《ところ》に|上《あが》ると|云《い》ふ|事《こと》は、|天地顛倒《てんちてんたう》も|甚《はなは》だしい。シイシイ』
と|頻《しき》りに|歯《は》の|脱《ぬ》けた|口《くち》から|唾《つば》を|飛《と》ばしながら|叱《しか》つて|居《を》る。|貫州《くわんしう》は|益々《ますます》|可笑《をか》しさに|耐《た》へ|兼《か》ね、|脇《わき》の|辺《あた》りで『キウキウ』と|笑《わら》ひ|出《だ》したり。|此処《ここ》へ|濃霧《のうむ》の|中《なか》を|両手《りやうて》を|前《まへ》に|突《つ》き|出《だ》し、|盲《めくら》が|杖《つゑ》|無《な》くして|歩《ある》くやうに、|探《さぐ》り|足《あし》にやつて|来《き》たのは|蜈蚣姫《むかでひめ》なりき。|貫州《くわんしう》は|皺嗄《しわが》れ|声《ごゑ》を|出《だ》し、
『|如何《いか》に|高姫《たかひめ》、|汝《なんぢ》の|願《ねが》ひ|叶《かな》へてやらう。|其《その》|方《はう》は|蜈蚣姫《むかでひめ》を|此《この》|島《しま》に|一人《ひとり》|残《のこ》し|置《お》き、|貫州《くわんしう》を|連《つ》れて|逃《に》げだした|方《はう》が|都合《つがふ》がよいとの|意志《いし》を|表示《へうじ》したであらう。|表面《へうめん》は|蜈蚣姫《むかでひめ》とバツを|合《あは》せて|居《を》るが、|其《その》|方《はう》の|心《こころ》の|中《なか》は|決《けつ》してバラモン|教《けう》では|無《な》い|事《こと》はよく|分《わか》つて|居《を》る。|唯《ただ》|三個《さんこ》の|玉《たま》さへ|手《て》に|入《い》れば、|蜈蚣姫《むかでひめ》は|何《ど》うでもよいのだ。|何《ど》うだ、|神《かみ》の|申《まを》す|事《こと》に|間違《まちが》ひあるまい』
|高姫《たかひめ》は|聊《いささ》か|迷惑顔《めいわくがほ》しながら、
『モシモシ|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》、|何処《どこ》に|居《を》られましたの。|私《わたし》はどれだけ|心配《しんぱい》したか|分《わか》りませぬワ。ようマア|無事《ぶじ》でゐて|下《くだ》さいました。|此《この》|通《とほ》り|濃霧《のうむ》に|包《つつ》まれて|一尺先《いつしやくさき》は|分《わか》らぬやうな|事《こと》で|御座《ござ》いますから、|種々《いろいろ》の|枉津《まがつ》が|現《あら》はれて、|今《いま》お|聞《き》きの|通《とほ》り|貴女《あなた》と|私《わたし》の|仲《なか》を|悪《わる》くし|内輪喧嘩《うちわげんくわ》をさせ、|内部《ないぶ》から|結束《けつそく》を|破《やぶ》らせようとするのだから、|用心《ようじん》なさいませや』
|滝《たき》の|上《うへ》から|貫州《くわんしう》は、
『|蜈蚣姫《むかでひめ》とやら、|高姫《たかひめ》の|口車《くちぐるま》に|乗《の》るなよ。|真《まこと》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》|此処《これ》にあり』
『ハイ、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|貴神《あなた》のお|言葉《ことば》は|寸分《すんぶん》|間違《まちが》ひはありますまい。|私《わたし》はこれから|気《き》をつけます。……モシモシ|高姫《たかひめ》さま、|神様《かみさま》は|正直《しやうぢき》ですな。|国城山《くにしろやま》の|岩窟《がんくつ》で|貴女《あなた》が|俄《にはか》に|豹変的《へうへんてき》|態度《たいど》を|取《と》つた|時《とき》から、|一癖《ひとくせ》ありと|始終《しじう》|行動《かうどう》を|監視《かんし》して|居《を》りました|私《わたし》の|案《あん》に|違《たが》はず、|今《いま》|真《まこと》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》が|証明《しようめい》して|下《くだ》さいました。サア|如何《どう》です。これ|高姫《たかひめ》さま、|返答《へんたふ》がありますか』
|貫州《くわんしう》は|霧《きり》の|中《なか》より、
『|蜈蚣姫《むかでひめ》も|蜈蚣姫《むかでひめ》だ。|高姫《たかひめ》を|巧《うま》く|利用《りよう》して|玉《たま》を|探《さが》させ、|其《その》|上《うへ》にて|巧《うま》くボツタクリ、|高姫《たかひめ》に|蛸《たこ》の|揚《あ》げ|壺《つぼ》を|喰《く》はす|所存《しよぞん》であらうがな。|神《かみ》は|汝《なんぢ》の|申《まを》す|如《ごと》く|正直《しやうぢき》|一方《いつぱう》、|嘘《うそ》はチツトも|申《まを》さぬぞよ』
|高姫《たかひめ》は【したり】|顔《がほ》、
『|蜈蚣姫《むかでひめ》さま、それ|御覧《ごらん》、|貴方《あなた》こそ|腹《はら》が|悪《わる》いぢやありませぬか』
『|悪《あく》と|悪《あく》との|寄《よ》り|合《あ》ひだもの、|云《い》ふだけ|野暮《やぼ》ですよ。オホヽヽヽ』
と|笑《わら》ひに|紛《まぎ》らす。
|此《この》|時《とき》この|島《しま》の|特産物《とくさんぶつ》たる|五寸《ごすん》|許《ばか》りの|熊蜂《くまばち》が、『ブーン』と【うなり】をたてて|高姫《たかひめ》の|頭《あたま》に|礫《つぶて》の|如《ごと》く|衝突《しようとつ》し、|勢《いきほひ》あまつて|蜈蚣姫《むかでひめ》の|鼻柱《はなばしら》に|撥《は》ね|返《かへ》され、|蜂《はち》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|鼻《はな》にしがみつき|鼻《はな》の|孔《あな》を|鋭利《えいり》なる|剣《けん》にてグサリと|突《つ》き|立《た》てた。|蜈蚣姫《むかでひめ》は『アイタヽヽ』と|云《い》つたきり、|両手《りやうて》に|鼻《はな》を|抑《おさ》へて|其《その》|場《ば》に|倒《たふ》れた。|蜈蚣姫《むかでひめ》は|高姫《たかひめ》が|鉄拳《てつけん》で|鼻柱《はなばしら》を|目蒐《めが》けて|喰《くら》はした|事《こと》と|思《おも》ひつめ、
『|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|高姫《たかひめ》、|不意打《ふいうち》を|喰《く》はすとは|卑怯千万《ひけふせんばん》。やア、スマートボール|其《その》|他《た》の|者共《ものども》、|早《はや》く|来《きた》つて|高姫《たかひめ》を|縛《しば》り|付《つ》けよ』
と|呶鳴《どな》りゐる。|見《み》る|見《み》る|顔《かほ》は|脹《は》れ|上《あが》り、|鼻《はな》も|目《め》も|口《くち》も|腫《は》れ|塞《ふさ》がりにけり。|高姫《たかひめ》は|驚《おどろ》いて、
『モシモシ|蜈蚣姫《むかでひめ》さま、|妾《わたし》ぢやありませぬ。|熊蜂《くまばち》が|噛《か》むだのです。|何卒《どうぞ》|悪《わる》く|取《と》つて|下《くだ》さいますな』
|滝《たき》の|上《うへ》の|霧《きり》の|中《なか》より、
『|蜈蚣《むかで》が|蜂《はち》に|刺《さ》されたぞよ。|是《これ》を|見《み》て|高姫《たかひめ》|改心《かいしん》を|致《いた》されよ。|雀ケ原《すずめがはら》に|鷹《たか》が|降《お》りたやうな|横柄振《わうへいぶり》を|今迄《いままで》|発揮《はつき》して|居《ゐ》たが、|高姫《たかひめ》の|目《め》を|又《また》|熊蜂《くまばち》に|刺《さ》さしてやらうか。|此《この》|方《はう》は|熊蜂《くまばち》の|精霊《せいれい》であるぞよ。|其《その》|方《はう》は|余《あま》り|慢心《まんしん》が|強《つよ》い|故《ゆゑ》に、|両人《りやうにん》|互《たがひ》に|他人《ひと》の|頭《かしら》の|上《うへ》に|上《あが》らうと|致《いた》して|居《を》るから、こんな|戒《いまし》めに|遇《あ》うたのぢや。それ|程《ほど》|偉《えら》い|者《もの》になつて|人《ひと》の|頭《かしら》に|上《のぼ》りたくば、|天井裏《てんじやううら》の|鼠《ねずみ》になつと|成《な》つたがよからう。|人《ひと》が|除《よ》けて|通《とほ》るやうな|御神徳《ごしんとく》が|欲《ほ》しいと|申《まを》して、|南洋《なんやう》|三界《さんかい》まで|玉《たま》を|探《さが》しに|参《まゐ》り、それ|程《ほど》|偉《えら》くなり|度《た》くば|肥《こえ》|担《かつ》ぎになれ。|誰《たれ》も|彼《かれ》も|皆《みな》|除《よ》けて|通《とほ》るぞよ。も|一《ひと》つよい|事《こと》を|教《をし》へてやらう。|泥棒《どろばう》になれば|人《ひと》が|恐《おそ》れるぞよ。|神徳《しんとく》を|得《え》て|人《ひと》を|恐《こわ》がらし|度《た》くば|何《なん》の|手間暇《てまひま》は|入《い》らぬ。|鉄道《てつだう》を|噛《かぢ》り|砂利《じやり》を|喰《くら》ひ、|鋼鉄艦《かうてつかん》を|呑《の》むやうな|達者《たつしや》な|歯《は》になれ。さうすれば|世界《せかい》の|奴《やつ》は|其《その》|方《はう》に|対《たい》して|歯節《はぶし》は|立《た》たぬぞよ。またも|間違《まちが》つたら|癩病患者《らいびやうやみ》、|疥癬患者《ひぜんかき》になれ』
と『キウ キウ』と|喉《のど》の|中《なか》で|笑《わら》うて|居《ゐ》る。|突然《とつぜん》|涼風《りやうふう》|吹《ふ》き|起《おこ》り、|四辺《あたり》を|籠《こ》めた|濃霧《のうむ》は|俄《にはか》に|晴《は》れて|遠望《ゑんばう》|千里《せんり》の|光景《くわうけい》となつて|来《き》た。|貫州《くわんしう》は|驚《おどろ》いて|高姫《たかひめ》に|顔《かほ》を|見《み》られじと|袖《そで》に|面部《めんぶ》を|被《おほ》ひ|乍《なが》ら|走《はし》り|行《ゆ》く|途端《とたん》に|踏《ふ》み|外《はづ》し、|高姫《たかひめ》の|足許《あしもと》にドスンと|落《お》ちて|来《き》た。|高姫《たかひめ》は『キヤツ』と|云《い》うて|二歩三歩《ふたあしみあし》|後《うしろ》へ|飛《と》び|退《の》き、よくよく|見《み》れば|貫州《くわんしう》なりける。
『ヤア、お|前《まへ》は|貫州《くわんしう》かイナア。|何《なん》だか|合点《がつてん》がゆかぬと|思《おも》つてゐたら|何《なん》と|云《い》ふ|悪戯《いたづら》をするのだイ。|罰《ばち》は|覿面《てきめん》、これこの|通《とほ》り|逆《さか》【とんぼり】を|打《う》つて|苦《くる》しまねばならうまいがなア』
『ヤアもう|誠《まこと》に|不都合千万《ふつがふせんばん》で|御座《ござ》いました。|何分《なにぶん》|守護神《しゆごじん》が|現《あら》はれたものですから』
『|馬鹿《ばか》を|云《い》ひなさるな。|二《ふた》つ|目《め》には|守護神《しゆごじん》|々々々《しゆごじん》と|口癖《くちぐせ》のやうに……|其《その》|手《て》は|喰《く》ひませぬぞエ。それよりも|今《いま》の|中《うち》に|船《ふね》に|乗《の》つてサアサア|玉探《たまさが》しにゆきませう』
『|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》が|蜂《はち》に|刺《さ》されて|此《この》|通《とほ》り|苦《くる》しみて|御座《ござ》るのに、|何《ど》うするつもりですか。|神様《かみさま》の|道《みち》は|敵《てき》でも|助《たす》けるのが|法《はふ》ぢやありませぬか。さうして|船《ふね》に|乗《の》らうと|云《い》つた|処《ところ》で|船《ふね》が|無《な》いぢやありませぬか』
『アヽさうだつたなア。ほんとにほんとにお|気《き》の|毒《どく》な|事《こと》になつたものだ。|蜈蚣姫《むかでひめ》さま、|何卒《どうぞ》|早《はや》く|全快《ぜんくわい》して|下《くだ》され』
と|蜈蚣姫《むかでひめ》の|背中《せなか》を|撫《な》で、|次《つぎ》に|胸《むね》を|撫《な》でて|慰《なぐさ》めてやらうとする。|目《め》も|鼻《はな》も|口《くち》も|腫《は》れて|化物《ばけもの》のやうになつた|蜈蚣姫《むかでひめ》は、|鷲《わし》のやうになつた|爪《つめ》を|立《た》てて、|高姫《たかひめ》の|手《て》が|体《からだ》に|触《さは》つたのを|目当《めあて》に|力《ちから》|限《かぎ》り|掻《か》き【むしる】。|高姫《たかひめ》は|顔《かほ》を|顰《しか》めながら|血潮《ちしほ》の|滴《したた》る|手《て》を|押《おさ》へ、|草《くさ》をもつて|血止《ちど》めの|用意《ようい》とくるくる|捲《ま》きつけゐる。
スマートボール、|久助《きうすけ》、お|民《たみ》|其《その》|他《た》の|従者《じうしや》|共《ども》は、|濃霧《のうむ》の|晴《は》れたのを|幸《さいは》ひ|此《この》|場《ば》に|駆《か》け|来《きた》り、|二人《ふたり》の|態《てい》を|見《み》て|驚《おどろ》き、|口《くち》をポカンと|開《あ》けた|儘《まま》|言《もの》をも|云《い》はず|立《た》ち|居《ゐ》る。この|時《とき》|磯端《いそばた》に|当《あた》つて、|涼《すず》しき|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》が|聞《きこ》え|来《き》たりぬ。|果《はた》して|何人《なにびと》の|声《こゑ》ならむか。
(大正一一・七・二 旧閏五・八 加藤明子録)
第八章 |島《しま》に|訣別《けつべつ》〔七三八〕
『|神《かみ》の|経綸《しぐみ》も|白浪《しらなみ》の |三《み》つの|御玉《みたま》を|探《さぐ》らむと
|執着心《しふちやくしん》の|何処《どこ》までも |深《ふか》き|海原《うなばら》に|浮《うか》びつつ
|此《この》|世《よ》の|瀬戸《せと》の|海《うみ》|越《こ》えて |家島《えしま》|高島《たかしま》|小戸島《せうどしま》
|国城山《くにしろやま》の|岩窟《がんくつ》に |砦《とりで》を|構《かま》へて|瑞宝《ずゐはう》の
|所在《ありか》を|探《さが》す|蜈蚣姫《むかでひめ》 |心《こころ》も|同《おな》じ|高姫《たかひめ》が
やうやう|妥協《だけふ》を|整《ととの》へて |再《ふたた》び|船《ふね》に|棹《さを》をさし
|梅島《うめじま》|竹島《たけじま》|桜島《さくらじま》 |馬関《ばくわん》の|海峡《かいけふ》|乗越《のりこ》えつ
|神《かみ》の|恵《めぐみ》も|大島《おほしま》や |栗島《くりしま》|岩島《いはしま》|竹野島《たけのしま》
|尚《なほ》も|進《すす》んで|琵琶《びは》の|島《しま》 |南洋一《なんやういち》の|霊場《れいぢやう》と
|噂《うはさ》に|高《たか》き|竜宮島《りうぐうじま》 |玉《たま》の|所在《ありか》を|探《さぐ》るべく
|尋《たづ》ね|来《きた》るぞ|果敢《はか》なけれ |吾《われ》は|聖地《せいち》に|現《あ》れませる
|言依別《ことよりわけ》の|神司《かむづかさ》 |稜威《いづ》の|御言《みこと》をかかぶりて
|再度山《ふたたびやま》の|山麓《さんろく》に |尋《たづ》ねて|来《きた》る|折柄《をりから》に
|玉能《たまの》の|姫《ひめ》の|物語《ものがたり》 |三五教《あななひけう》の|高姫《たかひめ》は
|玉《たま》に|心《こころ》を|奪《うば》はれて |荒《あら》き|海路《うなぢ》を|渡《わた》りつつ
|南洋《なんやう》さして|出《い》で|行《ゆ》きし |話《はなし》を|聞《き》くより|矢《や》も|楯《たて》も
|耐《たま》り|兼《か》ねたる|玉治別《たまはるわけ》の |天地《てんち》に|通《つう》ずる|真心《まごころ》は
|玉能《たまの》の|姫《ひめ》を|動《うご》かせて |新《あらた》に|堅《かた》き|船《ふね》|造《つく》り
|御後《みあと》を|慕《した》ひ|来《きた》りけり |馬関《ばくわん》の|瀬戸《せと》を|過《す》ぐるとき
|波《なみ》に|漂《ただよ》ひ|船《ふね》を|破《わ》り |岩《いは》に|喰《く》ひつき|泣《な》き|叫《さけ》ぶ
|二三《にさん》の|人《ひと》の|影《かげ》を|見《み》て |船《ふね》を|近寄《ちかよ》せ|眺《なが》むれば
バラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》 |友彦《ともひこ》|初《はじ》め|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》の|信徒《まめひと》と |仕《つか》へ|奉《まつ》りし|鶴《つる》さまや
|清《きよ》さま|武《たけ》さま|四人連《よにんづれ》 |九死一生《きうしいつしやう》の|有様《ありさま》を
|救《すく》うて|漸《やうや》く|此《この》|島《しま》に |来《きた》りて|見《み》れば|海端《うみばた》に
|落《お》ちたる|笠《かさ》は|高姫《たかひめ》の |此処《ここ》に|居《ゐ》ませる|印《しるし》ぞと
|心《こころ》も|勇《いさ》み|身《み》も|勇《いさ》み |青葉《あをば》|茂《しげ》れる|木《こ》の|間《ま》をば
|潜《くぐ》りて|此処《ここ》に|来《き》て|見《み》れば |雄滝《をだき》|雌滝《めだき》と|相並《あひなら》び
|天下《てんか》に|無比《むひ》の|絶景《ぜつけい》と |憧憬《あこが》れ|居《ゐ》たる|折《をり》もあれ
|忽《たちま》ち|包《つつ》む|深霧《ふかぎり》に |咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜず|一行《いつかう》は
|雄滝《をだき》の|前《まへ》に|佇《たたず》みて |様子《やうす》|窺《うかが》ひ|居《ゐ》たりしが
|雌滝《めだき》の|方《はう》より|聞《きこ》え|来《く》る |怪《あや》しき|女《をんな》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》
|何事《なにごと》ならむと|気《き》を|苛《いら》ち |助《たす》けむものと|思《おも》へども
|咫尺《しせき》|弁《べん》ぜぬ|霧《きり》の|中《なか》 |手《て》を|下《くだ》すべき|由《よし》もなく
|心《こころ》をいらつ|一刹那《いつせつな》 |忽《たちま》ち|吹《ふ》き|来《く》る|科戸辺《しなどべ》の
|神《かみ》の|伊吹《いぶき》に|払《はら》はれて |一望千里《いちばうせんり》の|晴《は》れの|空《そら》
|小路《こみち》を|伝《つた》ひ|来《き》て|見《み》れば |高姫《たかひめ》さまの|一行《いつかう》が
|愈《いよいよ》|此処《ここ》に|立籠《たてこも》り |禊《みそぎ》の|修業《しゆげふ》の|最中《さいちう》と
|覚《さと》りし|時《とき》の|嬉《うれ》しさよ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さちは》ひましまして |高姫《たかひめ》さまの|胸《むね》の|中《うち》
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|晴《は》らせかし |吾《われ》は|玉治別《たまはるわけ》の|司《つかさ》
|玉能《たまの》の|姫《ひめ》や|初稚姫《はつわかひめ》の |誠《まこと》の|御言《みこと》に|従《したが》ひて
|汝《なれ》が|命《いのち》を|救《すく》はむと やうやう|此処《ここ》に|来《きた》りたり
|嗚呼《ああ》|高姫《たかひめ》よ|其《その》|外《ほか》の |神《かみ》の|大道《おほぢ》を|歩《あゆ》む|人《ひと》
|心《こころ》|平《たひら》に|安《やす》らかに |吾《わが》|一行《いつかう》の|真心《まごころ》を
【うまら】に|詳細《つばら》に|聞召《きこしめ》せ』
と|歌《うた》ひつつ|男女《だんぢよ》|七人《しちにん》、|高姫《たかひめ》の|前《まへ》に|立《た》ち|現《あら》はれ、|歌《うた》に|装《よそほ》ひて|来意《らいい》を|述《の》べ|立《た》てたり。
|高姫《たかひめ》は|一行《いつかう》の|姿《すがた》を|眺《なが》め、
『ヤアお|前《まへ》は|玉能姫《たまのひめ》と|初稚姫《はつわかひめ》さま、それに|玉治別《たまはるわけ》の|田吾作《たごさく》どの、|何用《なによう》あつて|執念深《しふねんぶか》く|高姫《たかひめ》の|後《あと》を|付《つ》け|狙《ねら》うてお|出《い》でたのだ。|矢《や》つ|張《ぱ》り|玉《たま》の|所在《ありか》を|探《さが》されてはならないと|思《おも》つて、|夜《よ》も|碌々《ろくろく》|寝《ね》られず、こんな|所《ところ》|迄《まで》|調《しら》べに|来《き》たのだらう。|遥々《はるばる》と|御遠方《ごゑんぽう》の|処《ところ》|御苦労様《ごくらうさま》。よもや|高姫《たかひめ》が|此《この》|島《しま》に|居《ゐ》るとは|思《おも》はなんだでせう。サアかうなる|以上《いじやう》は|玉《たま》を|隠《かく》したのは、|此《この》|竜宮島《りうぐうじま》に|間違《まちが》ひない。|百日《ひやくにち》|余《あま》りも|探《さが》して|見《み》たが、|何分《なにぶん》|大《おほ》きな|島《しま》だから|充分《じうぶん》に|調《しら》べる|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、サアよい|処《ところ》へ|来《き》た。|今度《こんど》は|玉《たま》の|所在《ありか》を|明瞭《はつきり》|言《い》ひなされ』
|玉能姫《たまのひめ》は|静《しづ》かに、
『|高姫《たかひめ》さま、|何程《なにほど》お|探《さが》し|遊《あそ》ばしても、|三十万年《さんじふまんねん》の|未来《みらい》でなければ、|三《みつ》つの|神宝《しんぱう》は|現《あら》はれませぬ。|妾《わたし》は|決《けつ》して|貴女方《あなたがた》の|玉探《たまさが》しを、|気《き》に|懸《か》けて|参《まゐ》つたのではありませぬ。|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》が|教主《けうしゆ》|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》の|命《めい》を|奉《ほう》じ、|高姫《たかひめ》さまは|玉《たま》に|心《こころ》を|奪《うば》はれ、いらぬ|苦労《くらう》をなさるのが|気《き》の|毒《どく》だから、お|迎《むか》ひ|申《まを》して|来《こ》いとの|御命令《ごめいれい》、|船《ふね》は|流《なが》され|嘸《さぞ》お|困《こま》りだといふ|事《こと》を、|神様《かみさま》が|先《さき》にお|分《わか》りだから、|二《ふた》つの|船《ふね》を|持《も》つてお|迎《むか》ひに|来《き》たのです。どうぞ|吾々《われわれ》の|此処《ここ》へ|来《き》た|事《こと》を|善意《ぜんい》に|解《かい》して|下《くだ》さい』
『これはこれは|何《なに》から|何《なに》まで|抜《ぬ》け|目《め》のない|言依別命《ことよりわけのみこと》。……|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》さま、|船《ふね》を|二艘《にそう》も|持《も》つてようマア|来《こ》られました。|誠《まこと》に|御親切《ごしんせつ》|有難《ありがた》いと|申《まを》したいが、さう|安々《やすやす》とお|礼《れい》を|申《まを》されぬ|理由《りいう》が……ヘン|御座《ござ》いますワイ。あれだけ|此《この》|高姫《たかひめ》に|揚壺《あげつぼ》を|喰《く》はし、|喜《よろこ》んで|居《ゐ》る|言依別命《ことよりわけのみこと》に|海洋万里《かいやうばんり》の|此《この》|島《しま》|迄《まで》|私《わたし》を|助《たす》けに|来《く》る|親切《しんせつ》があれば、|玉隠《たまかく》しをしたりして|我々《われわれ》を|苦《くる》しめる|道理《だうり》がない。|元《もと》をただせば|此《この》|高姫《たかひめ》がコンナ|処《ところ》まで|来《き》て、あらゆる|艱難《かんなん》|苦労《くらう》するのも、みな|言依別命《ことよりわけのみこと》、|初稚姫《はつわかひめ》、|杢助《もくすけ》、|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》のお|賢《かしこ》い|悪智慧《わるぢゑ》のお|蔭《かげ》ですワイ。ようマアこれ|丈《だけ》|人《ひと》に|心配《しんぱい》をかけて|下《くだ》さつた。|何程《なにほど》|高姫《たかひめ》の|機嫌《きげん》をとらうと|思《おも》つても|其《その》|手《て》には|乗《の》りませぬぞえ』
|玉治別《たまはるわけ》は|口《くち》を|尖《とが》らせ、
『|何《なん》とマア|執念深《しふねんぶか》き|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|高姫《たかひめ》だなア、|命《いのち》からがら|小舟《こぶね》に|乗《の》つて、|万里《ばんり》の|波濤《はたう》を|渡《わた》り|助《たす》けに|来《き》ながら、こんな|小言《こごと》を|聞《き》かうとは|思《おも》はなかつた。……|高姫《たかひめ》さま、お|前《まへ》さま、|本当《ほんたう》に|没分暁漢《わからずや》だなア』
『コレ|田吾作《たごさく》どの、|何《なに》をツベコベと|横槍《よこやり》を|入《い》れるのだイ。お|前《まへ》は|宇都山村《うづやまむら》で、|芋《いも》の|赤子《あかご》さへ|大切《たいせつ》に|育《そだ》てて|居《ゐ》れば|性《しやう》に|合《あ》ふのだ。|言依別《ことよりわけ》の|珍《めづ》らしもの|喰《ぐ》ひに|抜擢《ばつてき》されて|宣伝使《せんでんし》になり、|玉治別《たまはるわけ》の|名《な》を|戴《いただ》いたと|思《おも》うて、|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《ひつぽう》の|生宮《いきみや》に、|何《なに》をツベコベほざくのだ、スツコンで|居《ゐ》なさい。あまり|偉相《えらさう》に|云《い》ふと|此《この》|島《しま》の|熊蜂《くまばち》が|遣《や》つて|来《き》て……それ|其処《そこ》に|居《ゐ》る|蜈蚣姫《むかでひめ》の|様《やう》な|目《め》に|遭《あ》はされますよ』
と|言葉尻《ことばじり》をピンとはねて|体《からだ》を|揺《ゆす》り、|蜂《はち》を|払《はら》ふ|様《やう》な|態度《たいど》にてパタパタと|羽《は》ばたきして|見《み》せる。|玉治別《たまはるわけ》は|初《はじ》めて|其処《そこ》に|蜈蚣姫《むかでひめ》の|倒《たふ》れて|居《ゐ》るに|気付《きづ》き、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|言霊《ことたま》を|唱《とな》へ|鎮魂《ちんこん》を|施《ほどこ》した。|不思議《ふしぎ》や|蜈蚣姫《むかでひめ》の|腫《はれ》は|刻々《こくこく》に【ひすぼ】り、|忽《たちま》ち|元《もと》の|姿《すがた》に|復《かへ》り、|玉治別《たまはるわけ》に|向《むか》ひ|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|涙《なみだ》を|滝《たき》の|如《ごと》く|流《なが》し|感謝《かんしや》の|意《い》を|表《へう》して|居《ゐ》る。
『コレハコレハ|蜈蚣姫《むかでひめ》さま、お|仕合《しあは》せな|事《こと》、|妾《わたし》が|今《いま》|救《たす》けて|上《あ》げようと|思《おも》つて、|色々《いろいろ》|神様《かみさま》に|願《ねが》つて|居《を》つた|所《ところ》、|半時《はんとき》ばかりの|間《あひだ》に|全快《ぜんくわい》させてやらうと、|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|仰有《おつしや》つて|恰度《ちやうど》|今《いま》|半時《はんとき》|許《ばか》り|経《た》つた|所《ところ》だ。|其処《そこ》へ|玉治別《たまはるわけ》がやつて|来《き》て|烏《からす》の【おどし】の|様《やう》な|恰好《かつかう》して|鎮魂《ちんこん》をしてそれで|癒《なほ》つたと|思《おも》ふと|大《おほ》きな|間違《まちが》ひ、|恰度《ちやうど》|好《い》い|時刻《じこく》に|来《き》よつて|自分《じぶん》が|癒《なほ》した|様《やう》に|思《おも》うて、お|前《まへ》さまの|感謝《かんしや》の|言葉《ことば》を|手柄顔《てがらがほ》に|偉相《えらさう》に、……|蚯蚓切《みみずき》りの|蛙飛《かはづと》ばしの|癖《くせ》に、|鎮魂《ちんこん》に、|神力《しんりき》があつてたまりますか。コンナ|男《をとこ》に|病気《びやうき》が|癒《なほ》せる|位《くらゐ》なら、|妾《わたし》は|既《すで》に|神様《かみさま》の|宣伝使《せんでんし》はやめて|居《を》りますよ』
『ドチラのお|蔭《かげ》だか|知《し》りませぬが、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|然《しか》し|高姫《たかひめ》さま、|貴女《あなた》の|最前《さいぜん》|濃霧《のうむ》に|包《つつ》まれた|時《とき》、……|貫州《くわんしう》だけ|助《たす》けて|下《くだ》され、|蜈蚣姫《むかでひめ》は|御都合《ごつがふ》でドウなとして|下《くだ》さい……と|祈《いの》つて|居《ゐ》ましたねエ。|随分《ずゐぶん》|水臭《みづくさ》いお|方《かた》ですワ』
|高姫《たかひめ》は|無言《むごん》。
『|貴女《あなた》が|噂《うはさ》に|聞《き》きました|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》で|御座《ござ》いますか。これは|珍《めづ》らしい|所《ところ》でお|目《め》にかかりました。|妾《わたし》は|生田森《いくたのもり》の|玉能姫《たまのひめ》で|御座《ござ》います。|此《この》|小《ちひ》さい|女《をんな》の|方《かた》は|聖地《せいち》に|於《おい》て|有名《いうめい》な|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》で|御座《ござ》います』
『さうかいナア。……お|前《まへ》がアノ|梃《てこ》でも|棒《ぼう》でも|動《うご》かぬ|玉能姫《たまのひめ》だな。さうして|頑固者《ぐわんこもの》の|杢助《もくすけ》の|娘《むすめ》と|云《い》ふのは|此奴《こいつ》かいなア。ホンニ|一寸《ちよつと》|小賢《こざか》しい|悪気《わるぎ》の|有《あ》りさうな、|無《な》ささうな|顔《かほ》をして|居《ゐ》るワイ、オホヽヽヽ。……ヤアお|前《まへ》は|糞《くそ》まぶれになつて|逃《に》げて|来《き》た|友彦《ともひこ》ぢやないか。|大方《おほかた》|妾《わし》の|後《あと》を|追《お》ひ、|娘《むすめ》に|逢《あ》はうと|思《おも》つて|来《き》たのだらう。エヽ|穢《けが》らはしい。|友彦《ともひこ》の|糞彦《くそひこ》、サア、トツトと|帰《かへ》らつしやれ』
『|私《わたし》は|決《けつ》して|小糸姫《こいとひめ》に|未練《みれん》があつて|参《まゐ》つたのではありませぬ。|淡路島《あはぢしま》の|酋長《しうちやう》|東助様《とうすけさま》が、|私《わたし》の|大罪《だいざい》を|赦《ゆる》して|下《くだ》さいまして、|其《その》|代《かは》り|御一同《ごいちどう》をお|助《たす》けする|為《た》めに|船《ふね》を|持《も》つて|行《ゆ》けと|命《めい》ぜられ、|清《きよ》さま、|武《たけ》さま、|鶴《つる》さまと|一緒《いつしよ》に|後《あと》を|追《お》うて|参《まゐ》つたのです。|東助様《とうすけさま》に|神様《かみさま》がお|告《つ》げ|遊《あそ》ばしたには、お|前《まへ》さまは|南洋《なんやう》のアンボイナ|島《たう》で|船《ふね》をとられるに|違《ちが》ひないから、|船《ふね》を|持《も》つて|迎《むか》ひに|行《い》つて|来《こ》いと|仰有《おつしや》られて、|情深《なさけぶか》い|東助様《とうすけさま》が、お|前《まへ》を|助《たす》ける|様《やう》に|私《わたし》をお|遣《つか》はしになつたのだ。|東助《とうすけ》さまにお|礼《れい》を|申《まを》さねばなりませぬぞえ。|高姫《たかひめ》さま、|蜈蚣姫《むかでひめ》さま、どうです。これでも|不足《ふそく》を|云《い》ふ|処《ところ》がありますかい』
『|友《とも》さま、イランお|世話《せわ》だ。|誰《たれ》が|助《たす》けて|呉《く》れと|頼《たの》みました。|自分《じぶん》が|勝手《かつて》に|口実《こうじつ》を|設《まう》けて、|玉《たま》の|所在《ありか》を|探《さが》さうと|思《おも》ひよつて|来《き》たのだらう。ヘン|阿呆《あはう》らしい。|誰《たれ》がお|礼《れい》を|云《い》ふ|馬鹿《ばか》があるものかい。いい|加減《かげん》に|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にして|置《お》きなさい。|余人《よにん》はイザ|知《し》らず、|此《この》|高姫《たかひめ》に|限《かぎ》つて、ソンナ|巧妙《かうめう》な|嘘《うそ》を|喰《く》ひませぬわいなア。オホヽヽヽ』
と|一言々々《ひとことひとこと》|肩《かた》から|胴体《どうたい》を|揺《ゆす》つて|嘲弄《てうろう》する。|友彦《ともひこ》は|疳筋《かんすぢ》を|立《た》て、
『|私《わたし》は|何程《なにほど》|嘲笑《てうせう》されても|不足《ふそく》を|云《い》はれてもかまはぬが、さういふ|挨拶《あいさつ》をされて|東助様《とうすけさま》に|対《たい》して、ドウいふ|返事《へんじ》をしてよいか|分《わか》りませぬ。|何《なん》とか|其処《そこ》は|人情《にんじやう》を|弁《わきま》へての|御挨拶《ごあいさつ》が|有《あ》りさうなものですなア』
『ヘン、|巧《うま》い|事《こと》を|仰有《おつしや》いますワイ。|人《ひと》を|家島《えじま》に|放《ほ》つたらかして、|東助《とうすけ》の|野郎《やらう》、|清《きよ》、|武《たけ》、|鶴《つる》の|三人《さんにん》を|引捉《ひつとら》へ、|気楽《きらく》さうに|追分《おひわけ》を|歌《うた》つて|帰《い》んだぢやないか。それ|丈《だ》け|親切《しんせつ》があるなら、ナゼ|私《わし》を|家島《えじま》へ|放《ほ》つて|帰《い》んで|仕舞《しま》つた。ナント|巧《うま》い|事《こと》を|云《い》うても、|事実《じじつ》が|事実《じじつ》だから|仕方《しかた》がありますまい。オー|恐《こわ》や|恐《こわ》や、|虫《むし》も|殺《ころ》さぬ|様《やう》な|面《つら》をして|居《ゐ》るチツペの|初稚姫《はつわかひめ》や|玉能姫《たまのひめ》が、|此《この》|年寄《としより》に|素破抜《すつぱぬ》きを|喰《く》はして、|玉隠《たまかく》しをやると|云《い》ふ|世《よ》の|中《なか》だから、|油断《ゆだん》も|隙《すき》もあつたものぢやないワイなア。|何程《なにほど》|親切《しんせつ》にして|見《み》せて|下《くだ》さつても、|心《こころ》から|親切《しんせつ》でない|以上《いじやう》は、|有難《ありがた》いともナントモ|思《おも》ひませぬ。|却《かへつ》て|其《その》|仕打《しうち》が|憎《にく》らしい。イヒヽヽヽ』
と|上下《うへした》の|歯《は》を【けたり】と|合《あ》はせ|唇《くちびる》を|四角《しかく》にして、|前《まへ》に|突出《つきだ》して|見《み》せる。
『|高姫《たかひめ》さま、あまりぢやありませぬか。|東助《とうすけ》さまはアヽ|見《み》えても、|親切《しんせつ》な|方《かた》ですよ』
『|親切《しんせつ》ぢやと|云《い》つて|船頭《せんどう》|位《くらゐ》をして|居《ゐ》る|奴《やつ》が|何《なん》になるか。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|天眼通《てんがんつう》でチヤンと|調《しら》べてある。|船頭《せんどう》|社会《なかま》の【ヤンチヤ】で|家《いへ》も|何《なに》も|無《な》い|奴《やつ》だらう。|偉《えら》さうに|国城山《くにしろやま》に|清《きよ》、|鶴《つる》、|武《たけ》を|来《こ》させよつて、|一廉《いつかど》|酋長《しうちやう》だとか|金持《かねもち》だとか|吐《ぬか》しよつて、|態《わざ》とに|八百長《やほちやう》で|友彦《ともひこ》を|引縛《ひつくく》つて|帰《かへ》り、|其《その》|後《あと》を|追《おひ》かけて|来《き》たのだらう。|船頭《せんどう》が|賃銭《ちんせん》なしに|誰《たれ》がお|前達《まへたち》をよこすものか。|又《また》お|前達《まへたち》も|日頃《ひごろ》の|泥棒《どろばう》|根性《こんじやう》を|発揮《はつき》して、|高姫《たかひめ》が|玉《たま》を|発見《はつけん》したら、フンだくつて|帰《かへ》らうと|思《おも》うて|来《き》たのに|違《ちが》ひない。|三百両《さんびやくりやう》フンだくつたり、|人《ひと》の|女房《にようばう》を|狙《ねら》ひそこねて、|雪隠《せんち》を|潜《くぐ》つて|逃《に》げ|出《だ》したりする|様《やう》な|男《をとこ》が、|何《ど》んな|巧《うま》い|言《こと》を|云《い》うても|駄目《だめ》だ。モツト|人格《じんかく》のある|男《をとこ》が|云《い》ふのなら、|一《ひと》つや|半分《はんぶん》は|承知《しようち》をせまいものでもないが、お|前《まへ》の|様《やう》な|泥棒《どろばう》|根性《こんじやう》の|男《をとこ》や、|清《きよ》、|鶴《つる》、|武《たけ》の|様《やう》な|裏返《うらがへ》り|者《もの》の|云《い》ふ|事《こと》が、ドウして、……ヘン|信《しん》じられますか。|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》、|田吾作《たごさく》だとて|其《その》|通《とほ》りだ。|七人《しちにん》が|腹《はら》を|合《あは》せ、|高姫《たかひめ》や|蜈蚣姫《むかでひめ》の|手柄《てがら》を|横取《よこど》りしようと|思《おも》つてやつて|来《き》た|其《その》|計略《けいりやく》、|仮令《たとへ》|千万言《せんまんげん》を|尽《つく》し|弁解《べんかい》しても……ヘン、だアめですよ』
と|両手《りやうて》を|前《まへ》の|方《はう》にニユウと|突《つ》き|出《だ》し、|腰《こし》を|曲《かが》め、|尻《しり》を|縦《たて》に|振《ふ》つて、|蛙《かへる》の|如《ごと》く|二三間前《にさんげんまへ》にピヨンピヨン|飛《と》んでキヨクツて|見《み》せる。
|蜈蚣姫《むかでひめ》は|気《き》の|毒《どく》がり、
『|高姫《たかひめ》|様《さま》が|何《なん》と|仰有《おつしや》ろうとも、どうぞお|気《き》に|障《さ》へて|下《くだ》さいますな。あの|方《かた》は|一寸《ちよつと》|変《かは》つて|居《ゐ》ますから、|妾《わたし》は|船《ふね》を|持《も》つて|来《き》て|下《くだ》さつたのが|何《なに》より|有難《ありがた》い。|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》|有難《ありがた》う。|此《この》|通《とほ》りお|礼《れい》を|申《まを》します』
と|涙《なみだ》を|流《なが》しながら|両手《りやうて》を|合《あは》して|心《こころ》の|底《そこ》より|感謝《かんしや》する。
『|何《なに》これしきの|事《こと》に、お|礼《れい》を|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さつては、|玉能姫《たまのひめ》|一行《いつかう》、|却《かへつ》て|恥《はづ》かしい|様《やう》な|気《き》が|致《いた》します。|世《よ》の|中《なか》は|相身互《あひみたが》ひで|御座《ござ》います。|天《あめ》が|下《した》に|他人《たにん》だの|敵《かたき》だのと|云《い》ふ|者《もの》が|有《あ》らう|道理《だうり》が|御座《ござ》いませぬ。サア|何時《いつ》|迄《まで》も|斯様《かやう》な|所《ところ》に|居《ゐ》られましても、|玉《たま》は|決《けつ》して|出《で》ては|参《まゐ》りませぬ。|早《はや》く|帰《かへ》りませう』
『ハイ|有難《ありがた》う。ソンナラ|船《ふね》を|持《も》つて|来《き》て|下《くだ》すつたのを|幸《さいは》ひ、|妾《わたし》は|娘《むすめ》の|小糸姫《こいとひめ》に|逢《あ》ひたくてなりませぬから、|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》に|渡《わた》りますから、どうぞ|一艘《いつそう》の|船《ふね》をお|貸《か》し|下《くだ》さいませ』
『|二艘《にそう》|持《も》つて|参《まゐ》りましたから、|一艘《いつそう》|丈《だけ》はどうぞ、|御自由《ごじいう》にお|使《つか》ひ|下《くだ》さい。……サア|高姫《たかひめ》|様《さま》、|妾《わたし》と|一緒《いつしよ》に|聖地《せいち》に|帰《かへ》りませう。お|供《とも》|致《いた》しますから』
『ナント|云《い》つても|此処《ここ》は|一寸《いつすん》も|動《うご》きませぬぞへ、|高姫《たかひめ》は』
|玉治別《たまはるわけ》は、
『ソンナラお|前《まへ》さまの|御勝手《ごかつて》になさいませ。……サア|皆《みな》さま、|帰《かへ》りたい|方《かた》は|船《ふね》に|乗《の》つて|帰《かへ》りませぬか。|居《を》りたい|方《かた》は|手《て》を|上《あ》げて|下《くだ》さい。|一《いち》、|二《に》、|三《さん》……ヤア|何方《どなた》も|帰《かへ》りたいと|見《み》えます。|一人《ひとり》も|居《を》りたい|人《ひと》はないと|見《み》えます。|一寸《いつすん》も|動《うご》かないと|仰有《おつしや》つた|高姫《たかひめ》さまでさへも|手《て》を|上《あ》げなさらぬワイ』
『|誰《たれ》が|田吾作《たごさく》の|命令《めいれい》に|服従《ふくじう》して、この|尊《たふと》い|手《て》を|安々《やすやす》と|上《あ》げたり|下《さ》げたりしますかいナア。ササ|早《はや》う|往《い》つて|丈夫《ぢやうぶ》な|船《ふね》に|乗《の》りませうかい』
とムクムクと|起上《おきあが》り、|浜辺《はまべ》を|指《さ》して|一目散《いちもくさん》に|走《はし》つて|行《ゆ》く。|一同《いちどう》は|高姫《たかひめ》のあとに|付《つ》き|添《そ》ひ|浜辺《はまべ》に|向《むか》ふ。|高姫《たかひめ》は|早《はや》くも|一艘《いつそう》の|船《ふね》に|飛《と》び|乗《の》り|大勢《おほぜい》を|残《のこ》し、|只《ただ》|一人《ひとり》|海《うみ》の|中《なか》に|遠《とほ》く|漕《こ》いで|走《はし》り|行《ゆ》く。
|玉治別《たまはるわけ》は|舌《した》をまきながら、
『ヤア|高姫《たかひめ》の|奴《やつ》、|怪《け》しからぬ|事《こと》をしよる。|大《おほ》きい|好《い》い|船《ふね》に|只《ただ》|一人《ひとり》|乗《の》りよつて|此《この》|小船《こぶね》に|是《これ》|丈《だ》けの|者《もの》が|乗《の》るのは|大変《たいへん》に|険難《けんのん》だ。|波《なみ》の|静《しづ》かな|時《とき》は|好《よ》いが、チツトでも|波《なみ》が|立《た》つたら|遣《や》り|切《き》れない。|困《こま》つた|事《こと》になつたものだ』
と|磯端《いそばた》に|地団駄《ぢだんだ》|踏《ふ》んで|口惜《くや》しがつて|居《ゐ》る。|一方《いつぱう》|高姫《たかひめ》はメラの|滝《たき》の|麓《ふもと》に|肝腎要《かんじんかなめ》の|印籠《いんろう》を|忘《わす》れた|事《こと》を|思《おも》ひ|出《だ》し、イヤイヤ|乍《なが》ら|再《ふたた》び|船《ふね》を|漕《こ》いで|此方《こちら》へ|帰《かへ》り|来《く》る。
|玉治別《たまはるわけ》は|手《て》を|拍《う》つて、
『ヤア、さすがの|高姫《たかひめ》も|沖《おき》まで|出《で》て|恐《こわ》くなつたと|見《み》え、|後戻《あともど》りして|来《き》をる。|偉《えら》さうに|云《い》つても|流石《さすが》は|女《をんな》だ。これでは|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》も|好《い》い|加減《かげん》なものだなア。アハヽヽヽ』
『オホヽヽヽ』
|大勢《おほぜい》|一度《いちど》にドツト|笑《わら》ふ。|此《この》|時《とき》|長途《ちやうと》の|航海《かうかい》に|馴《な》れた|手《て》で、|艪《ろ》を|操《あやつ》り|矢《や》を|射《い》る|如《ごと》く|戻《もど》つて|来《き》た|高姫《たかひめ》は、
『|皆《みな》さま、|一寸《ちよつと》|漕《こ》いで|見《み》たが|随分《ずゐぶん》|面白《おもしろ》いものだ。|是《これ》なら|仮令《たとへ》|百里《ひやくり》|千里《せんり》|漕《こ》いだところで|大丈夫《だいぢやうぶ》だよ。|妾《わたし》はメラの|滝《たき》に|落《おと》し|物《もの》をしたから、|五六丁《ごろくちやう》の|所《ところ》だから|往《い》つて|来《く》るよつて|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さいよ。……コレコレ|貫州《くわんしう》、|玉治別《たまはるわけ》さま、|妾《わたし》に|付《つ》いてお|出《い》で、|若《も》し|船《ふね》を|出《だ》されちや|大変《たいへん》だから……』
|貫州《くわんしう》、|玉治別《たまはるわけ》は|口《くち》を|揃《そろ》へて、
『|滅相《めつさう》な、|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》は|揃《そろ》ひも|揃《そろ》うて|足《あし》の|裏《うら》を|竹《たけ》の|切《き》り|株《かぶ》に|突《つ》き、|一歩《いつぽ》も|歩《ある》けないのだよ。|吾々《われわれ》|一同《いちどう》は|此《この》|海《うみ》の|景色《けしき》を|眺《なが》めて|待《ま》つて|居《ゐ》るから、|貴女《あなた》|一人《ひとり》|行《い》つて|来《き》て|下《くだ》さい、|決《けつ》してお|前《まへ》さまのやうに|意地《いぢ》の|悪《わる》い|事《こと》はせぬからなア』
|高姫《たかひめ》は|慌《あわただ》しくメラの|滝《たき》の|方《はう》に|向《むか》つて、|青葉《あをば》を|縫《ぬ》うて|姿《すがた》を|隠《かく》したり。|其《その》|間《あひだ》に|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》、|玉治別《たまはるわけ》、|清《きよ》、|鶴《つる》、|武《たけ》の|六人《ろくにん》は|新《あたら》しき|船《ふね》に|乗《の》り|込《こ》みぬ。|蜈蚣姫《むかでひめ》、|友彦《ともひこ》、|久助《きうすけ》、スマートボール、お|民《たみ》|其《そ》の|他《た》|二人《ふたり》は、|稍《やや》|古《ふる》き|小船《こぶね》に|身《み》を|寄《よ》せたり。さうして|手早《てばや》く|纜《ともづな》を|解《と》き、|十間《じつけん》ばかり|陸《おか》をはなれて|面白可笑《をか》しさうに|笑《わら》ひさざめき|居《ゐ》る。そこに|高姫《たかひめ》は|印籠《いんろう》を|引掴《ひつつか》み、スタスタと|走《はし》り|来《きた》り、
『|妾《わたし》に|応答《こたへ》もなしに…………|何故《なぜ》|船《ふね》を|出《だ》したのだい。サア、|早《はや》く|船《ふね》を|漕《こ》いでこちらへ|寄《よ》せなされよー』
|玉治別《たまはるわけ》は|新船《さらぶね》を、|友彦《ともひこ》は|古船《ふるぶね》を|一生懸命《いつしやうけんめい》に|漕《こ》ぎ|出《だ》す。|一刻々々《いつこくいつこく》|陸地《りくち》を|遠《とほ》ざかる。|高姫《たかひめ》は|声《こゑ》を|限《かぎ》りに、
『オーイその|船《ふね》、|此方《こちら》へ|寄《よ》せるのだー』
『ナンダか|知《し》らぬが、|友彦《ともひこ》が|漕《こ》げば|漕《こ》ぐほど|船《ふね》が|先《さき》へ|行《ゆ》くのだよ』
と|歌《うた》を|謡《うた》ひながら、|意地悪《いぢわる》く|沖《おき》に|向《むか》つて|漕《こ》ぎ|始《はじ》めける。|高姫《たかひめ》は|赤裸《まつぱだか》になり、|印籠《いんろう》を|口《くち》に|銜《くは》へ、|着物《きもの》を|頭《あたま》にくくりつけ、|抜手《ぬきて》を|切《き》つて|蜈蚣姫《むかでひめ》の|乗《の》つた|古船《ふるぶね》に|向《むか》つて|泳《およ》ぎ|行《ゆ》く。|友彦《ともひこ》は|相変《あいかは》らず|急《いそ》いで|艪《ろ》を|漕《こ》ぐ。|蜈蚣姫《むかでひめ》は、
『コレコレ|友彦《ともひこ》、ソンナ|意地《いぢ》の|悪《わる》い|事《こと》をするものでない。|高姫《たかひめ》さまの|心《こころ》にもなつて|見《み》たがよからう』
『|余《あま》り|口《くち》が|好《い》いから|改心《かいしん》の|為《た》めに、|友彦《ともひこ》が|一寸《ちよつと》【いちや】つかしてやつたのです。ソンナラ|待《ま》ちませうか』
と|艪《ろ》の|手《て》を|休《やす》める。|高姫《たかひめ》は|命《いのち》カラガラ|漸《やうや》くにして|船《ふね》に|喰《く》ひつきぬ。スマートボール、|貫州《くわんしう》は|高姫《たかひめ》の|両手《りやうて》を|持《も》つて、やつとの|事《こと》で|船《ふね》の|中《なか》に|引上《ひきあ》げた。
|玉治別《たまはるわけ》は|艪《ろ》を|操《あや》つりながら|此《この》|場《ば》を|見捨《みす》てて|何処《どこ》ともなく|帰《かへ》り|行《ゆ》く。……|高姫《たかひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》|一行《いつかう》を|乗《の》せた|船《ふね》は|友彦《ともひこ》に|操《あやつ》られ、|西南《せいなん》の|縹渺《へうべう》たる|大海原《おほうなばら》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・七・二 旧閏五・八 谷村真友録)
第三篇 |危機一髪《ききいつぱつ》
第九章 |神助《しんじよ》の|船《ふね》〔七三九〕
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あらは》れて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |高姫《たかひめ》|生命《いのち》を|棄《す》つるとも
|島《しま》の|八十島《やそしま》|八十《やそ》の|国《くに》 |山《やま》の|尾《を》の|上《へ》や|川《かは》の|末《すゑ》
|海《うみ》の|底《そこ》まで|村肝《むらきも》の |心《こころ》|到《いた》らぬ|隈《くま》もなく
|探《さが》さにや|措《を》かぬと|雄猛《をたけ》びし |矢竹心《やたけごころ》の|矢《や》も|楯《たて》も
|堪《たま》りかねたる|玉詮議《たませんぎ》 |左右《さいう》の|目玉《めだま》を|白黒《しろくろ》と
|忙《いそが》しさうに|転廻《てんくわい》し |善《ぜん》と|悪《あく》との|瀬戸《せと》の|海《うみ》
|牛《うし》に|曳《ひ》かれて|馬《うま》の|関《せき》 |狭《せま》き|喉首《のどくび》|乗《の》り|越《こ》えて
|数多《あまた》の|島々《しまじま》|右左《みぎひだり》 |眺《なが》めて|越《こ》ゆる|太平《たいへい》の
|波《なみ》を|辷《すべ》つてアンボイナ |南洋諸島《なんやうしよたう》の|其《その》|中《なか》で
|珍《うづ》の|竜宮《りうぐう》と|聞《きこ》えたる |芽出度《めでた》き|島《しま》に|漕《こ》ぎつけて
|玉《たま》の|所在《ありか》を|探《さが》す|内《うち》 |綾《あや》の|高天《たかま》の|聖地《せいち》より
|玉照彦《たまてるひこ》の|神言《みこと》もて |初稚姫《はつわかひめ》や|玉能姫《たまのひめ》
|玉治別《たまはるわけ》の|三人《さんにん》は |再度山《ふたたびやま》の|山麓《さんろく》に
|生田《いくた》の|森《もり》にて|足揃《あしぞろ》ひ |船《ふね》を|準備《しつら》へ|高姫《たかひめ》が
|危難《きなん》を|救《すく》ひ|助《たす》けむと |潮《しほ》の|八百路《やほぢ》を|打渡《うちわた》り
|漕《こ》ぎ|来《く》る|折《をり》しも|霧《きり》の|中《なか》 |仄《ほの》かに|聞《きこ》ゆる|叫《さけ》び|声《ごゑ》
|唯事《ただごと》ならじと|船《ふね》を|寄《よ》せ よくよく|見《み》れば|此《こ》は|如何《いか》に
バラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》 |友彦《ともひこ》|初《はじ》め|清鶴《きよつる》や
|武《たけ》の|四人《よにん》が|船《ふね》を|破《わ》り |生命《いのち》の|綱《つな》と|岩壁《がんぺき》に
|力《ちから》|限《かぎ》りにかぢりつき |救《たす》けを|叫《さけ》ぶ|声《こゑ》なりし
|玉治別《たまはるわけ》は|快《こころよ》く |四人《よにん》の|男《をとこ》を|救《すく》ひ|上《あ》げ
|率《ひき》ゐ|来《きた》りし|伴舟《ともぶね》に |友彦《ともひこ》|其《その》|他《た》を|救《すく》ひつつ
|男波《をなみ》|女波《めなみ》を|打渡《うちわた》り |雄滝《をだき》|雌滝《めだき》の|懸《かか》りたる
|雄島《をしま》|雌島《めしま》の|合《あは》せ|島《じま》 アンボイナ|島《たう》の|竜宮《りうぐう》へ
|船《ふね》を|漕《こ》ぎつけをちこちと |青葉《あをば》|茂《しげ》れる|山路《やまみち》を
|濃霧《のうむ》に|包《つつ》まれ|千丈《せんぢやう》の |瀑布《ばくふ》の|音《おと》を|知《し》るべとし
|近《ちか》より|見《み》れば|滝津瀬《たきつせ》の |漲《みなぎ》り|落《お》つる|音《おと》ばかり
|一行《いつかう》|七人《しちにん》|滝《たき》の|前《まへ》に |佇《たたず》み|此《こ》れの|絶景《ぜつけい》を
|驚異《きやうい》の|眼《まなこ》をみはりつつ |其《その》|壮烈《さうれつ》を|歎賞《たんしやう》し
|涼味《りやうみ》に|浴《よく》する|折柄《をりから》に |濃霧《のうむ》を|透《すか》して|婆《ばば》の|声《こゑ》
|常事《ただごと》ならじと|近寄《ちかよ》りて |窺《うかが》ひ|見《み》れば|高姫《たかひめ》の
|腕《うで》は|血潮《ちしほ》に|染《そま》りつつ |団栗眼《どんぐりまなこ》を|怒《いか》らして
|面《つら》をふくらせ|何事《なにごと》か |囁《つぶや》く|側《そば》に|蜈蚣姫《むかでひめ》
|妖怪変化《えうくわいへんげ》に|擬《まが》ふなる |化物面《ばけものづら》を|曝《さら》しつつ
|滝《たき》の|麓《ふもと》に|倒《たふ》れ|居《ゐ》る |玉治別《たまはるわけ》は|驚《おどろ》いて
|手負《ておひ》に|向《むか》つて|鎮魂《ちんこん》の |神法《しんぱふ》|修《しふ》し|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》
|五六七八九十《いつむゆななやここのたり》 |百千万《ももちよろづ》と|言霊《ことたま》の
|霊歌《れいくわ》を|頭上《づじやう》に|放射《はうしや》せば |幾許《いくばく》ならず|蜈蚣姫《むかでひめ》
|元《もと》の|姿《すがた》に|全快《ぜんくわい》し |地獄《ぢごく》で|仏《ほとけ》に|遭《あ》ひし|如《ごと》
|心《こころ》の|底《そこ》より|感謝《かんしや》しつ |嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|暮《く》れにけり
|玉治別《たまはるわけ》の|一行《いつかう》は |探《たづ》ね|来《きた》りし|高姫《たかひめ》の
|所在《ありか》を|知《し》つた|嬉《うれ》しさに |真心《まごころ》こめていろいろと
|言依別《ことよりわけ》の|命令《めいれい》を |完全《うまら》に|委曲《つばら》に|宣《の》りつれど
|心《こころ》ねぢけし|高姫《たかひめ》は |情《なさけ》を|仇《あだ》に|宣《の》り|直《なほ》し
|相《あい》も|変《かは》らず|減《へ》らず|口《ぐち》 |叩《たた》いてそこらに|八当《やつあた》り
|憎々《にくにく》しげに|罵《ののし》れば |流石《さすが》|無邪気《むじやき》の|一行《いつかう》も
|呆《あき》れて|言葉《ことば》なかりけり ヤツサモツサの|押問答《おしもんだふ》
やうやう|治《をさ》まり|一同《いちどう》は |二隻《にせき》の|船《ふね》に|分乗《ぶんじやう》し
|玉治別《たまはるわけ》の|操《あやつ》れる |船《ふね》には|初稚《はつわか》|玉能姫《たまのひめ》
|鶴《つる》|武《たけ》|清《きよ》の|六人連《むたりづれ》 |波《なみ》を|乗《の》り|切《き》り|竜宮《りうぐう》を
|後《あと》に|眺《なが》めて|離《はな》れ|行《ゆ》く |残《のこ》りの|船《ふね》は|友彦《ともひこ》が
|艪《ろ》を|操《あやつ》りつ|蜈蚣姫《むかでひめ》 |高姫《たかひめ》|貫州《くわんしう》|久助《きうすけ》や
スマートボールやお|民《たみ》|等《ら》の |一行《いつかう》を|乗《の》せてやうやうと
|波《なみ》の【のた】|打《う》つ|和田《わだ》の|原《はら》 |西南《せいなん》|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く
|前後左右《ぜんごさいう》に|駆《か》けまはる |海蛇《かいだ》の|姿《すがた》|眺《なが》めつつ
|轟《とどろ》く|胸《むね》を|押隠《おしかく》し |心《こころ》にも|無《な》き|空元気《からげんき》
|船歌《ふなうた》うたひ|友彦《ともひこ》が |力《ちから》|限《かぎ》りに|炎天《えんてん》の
|大海原《おほうなばら》に|搾《しぼ》る|汗《あせ》 ニユージランドの|手前《てまへ》まで
|進《すす》む|折《をり》しも|暴風《ばうふう》に |吹《ふ》きまくられて|浪《なみ》|高《たか》く
|危険《きけん》|刻々《こくこく》|迫《せま》り|来《く》る |左手《ゆんで》に|立《た》てる|岩山《いはやま》の
|影《かげ》を|目標《めあて》に|漕《こ》ぎ|寄《よ》せて |難《なん》を|避《さ》けむと|進《すす》み|寄《よ》る
|鬼《おに》か|獣《けもの》か|魔《ま》か|人《ひと》か |得体《えたい》の|知《し》れぬ|影《かげ》|二《ふた》つ
|猿《ましら》の|如《ごと》く|岩山《いはやま》を |駆《か》けめぐり|居《ゐ》る|訝《いぶ》かしさ
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》す |神《かみ》の|救《すく》ひの|船《ふね》に|乗《の》り
|大海原《おほうなばら》に|漂《ただよ》へる |此《この》|岩島《いはしま》を|一同《いちどう》が
|生命《いのち》の|親《おや》と|伏拝《ふしをが》み ここに|小船《こふね》を|止《とど》めつつ
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませと
|祈《いの》る|言霊《ことたま》|勇《いさ》ましく |雷《らい》の|如《ごと》くに|鳴《な》り|渡《わた》る
|此《この》|神言《かみごと》を|聞《き》きしより |二《ふた》つの|影《かげ》は|嬉《うれ》しげに
|此方《こなた》に|向《むか》つて|下《くだ》り|来《く》る |神《かみ》の|仕組《しぐみ》ぞ|不思議《ふしぎ》なる。
|友彦《ともひこ》は|怪《あや》しき|二《ふた》つの|影《かげ》を|見《み》て、
『ヤア|高姫《たかひめ》さま、|蜈蚣姫《むかでひめ》さま、|愈《いよいよ》|願望《ぐわんまう》|成就《じやうじゆ》の|時節《じせつ》|到来《たうらい》、お|喜《よろこ》びなさいませ。|貴女《あなた》のお|探《たづ》ねになる|代物《しろもの》は|漸《やうや》く|此《この》|島《しま》に|在《あ》ると|云《い》ふ|事《こと》が、|的確《てきかく》に|分《わか》つて|来《き》ましたよ』
|高姫《たかひめ》|吃驚《びつくり》した|様《やう》な|声《こゑ》で、
『エヽ|何《なん》と|仰有《おつしや》る。あの|玉《たま》が|此《この》|島《しま》に|隠《かく》してあると|云《い》ふのかい』
『|御覧《ごらん》の|通《とほ》り、|真黒黒助《まつくろくろすけ》の、ア…【タマ】が|二《ふた》つ、|如意宝珠《によいほつしゆ》の|様《やう》にギラギラした|目《め》の【タマ】が|四《よ》つ、|貴女《あなた》|方《がた》を|歓迎《くわんげい》し、|上下左右《じやうげさいう》に|駆《か》けめぐつて|居《を》るぢやありませぬか。ありや|屹度《きつと》|玉《たま》の|妄念《もうねん》ですよ。|黄金《わうごん》の|隠《かく》してある|所《ところ》には|何時《いつ》も|化物《ばけもの》が|出《で》ると|云《い》ふ|事《こと》だ。|彼奴《あいつ》はキツト|如意宝珠《によいほつしゆ》の|精《せい》が|現《あら》はれ、|人《ひと》に|盗《ぬす》まれない|様《やう》に|保護《ほご》をして|居《ゐ》た|所《ところ》、|焦《こが》れ|焦《こが》れた……|言《い》はば……|玉《たま》の|親《おや》のお|前《まへ》さまがやつて|来《き》たものだから、|再《ふたた》び|腹《はら》の|中《なか》へ|呑《の》み|込《こ》んで|帰《かへ》つて|貰《もら》はうと|思《おも》ひ、|妄念《もうねん》が|現《あら》はれて|玉《たま》の|所在《ありか》を|知《し》らして|居《を》るのに|違《ちが》ひない。コンナ|所《ところ》に……さうでなければ|黒《くろ》ン|坊《ばう》が|住居《すまゐ》して|居《を》る|筈《はず》はない。キツトさうですよ。|女《をんな》の|一心《いつしん》|岩《いは》でも|突《つ》き|貫《ぬ》くとやら、あの|通《とほ》り|岩《いは》を|突《つ》き|貫《ぬ》いて|玉《たま》の|精《せい》が|現《あら》はれたのでせうよ』
|高姫《たかひめ》は|目《め》をクルクルさせ|乍《なが》ら、|二《ふた》つの|影《かげ》を|凝視《みつ》め、
『|如何《いか》にも|不思議《ふしぎ》な|影《かげ》だ。どう|考《かんが》へてもコンナ|離《はな》れ|島《じま》に|船《ふね》も|無《な》し、|人《ひと》の|寄《よ》りつく|道理《だうり》がない……サア|蜈蚣姫《むかでひめ》さま、あなたはモウ|玉《たま》に|執着心《しふちやくしん》は|無《な》いと|仰有《おつしや》つたのだから、|微塵《みじん》も|未練《みれん》はありますまいな』
『|妾《わたし》はアンナ|黒《くろ》ン|坊《ばう》にチツトも|執着心《しふちやくしん》は|有《あ》りませぬ』
『さうでせう。それ|聞《き》いたら|大丈夫《だいぢやうぶ》、サア|是《こ》れから|貫州《くわんしう》と|二人《ふたり》|此《この》|岩山《いはやま》を|駆《か》け|登《のぼ》り、|玉《たま》の|所在《ありか》を|探《さが》して|来《こ》う……イヤイヤ|待《ま》て|待《ま》て、|腹《はら》の|悪《わる》い|連中《れんちう》、|岩山《いはやま》の|上《うへ》へあがつて|居《を》る|後《あと》の|間《ま》に、|蜈蚣姫《むかでひめ》さまに|船《ふね》でも|盗《と》られたら、それこそ|大変《たいへん》だ。……サア|貫州《くわんしう》、お|前《まへ》は|此《この》|船《ふね》の|纜《ともづな》をキユツと|握《にぎ》つて|放《はな》す|事《こと》はならぬぞえ。……モシ|蜈蚣姫《むかでひめ》さま、お|付合《つきあひ》に|従《つ》いて|来《き》て|下《くだ》さいな』
『オホヽヽヽ、さう|御心配《ごしんぱい》なさらいでも、|滅多《めつた》に|船《ふね》を|持《も》つて|逃《に》げる|様《やう》な|事《こと》はしませぬ……とは|請合《うけあ》はれませぬワイ』
『サアそれだから|険難《けんのん》だと|云《い》ふのだ。わしの|天眼通《てんがんつう》は、お|前《まへ》さまの|腹《はら》のドン|底《ぞこ》までチヤーンと|見抜《みぬ》いてある。それが|分《わか》らぬ|様《やう》な|事《こと》で、どうして|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が|勤《つと》まるものか……アヽ|仕方《しかた》がない。|貫州《くわんしう》、お|前《まへ》|御苦労《ごくらう》だが、|玉《たま》の|所在《ありか》を、あの|黒《くろ》ン|坊《ばう》に|従《つ》いて|探《さが》して|来《き》て|呉《く》れ。わしは|蜈蚣姫《むかでひめ》さまの|監督《かんとく》をして|居《ゐ》るから……アーア|油断《ゆだん》も|隙《すき》も|有《あ》つたものぢやないワイ』
『オツホヽヽヽ、よう|悪気《わるき》の|廻《まは》るお|方《かた》ですな。お|前《まへ》さまは|宝《たから》を|見《み》ると|直《すぐ》にそれだから|面白《おもしろ》い。|恰度《ちやうど》、|犬《いぬ》コロが|三《み》つ|四《よ》つ|一所《ひととこ》に|集《あつ》まり、|顔《かほ》を|舐《な》めたり、|尾《を》を|嘗《な》めたりして|互《たがひ》に|睦《むつ》まじう|平和《へいわ》に|遊《あそ》んで|居《を》る、|其処《そこ》へ|腐《くさ》つた|肉《にく》の|一片《いつぺん》を|投《な》げて|与《や》ると、|忽《たちま》ち|争闘《あらそひ》を|始《はじ》め、|親《おや》の|讐敵《かたき》に|出会《であ》うた|様《やう》に|喧嘩《けんくわ》をするのと|同《おな》じ|事《こと》、お|前《まへ》さまは|宝《たから》が……まだ|本当《ほんたう》に|有《あ》るか|無《な》いか|知《し》れもせぬ|前《さき》から、|目《め》の|色《いろ》まで|変《か》へて|騒《さわ》ぐのだから、|本当《ほんたう》に|見上《みあ》げた|御精神《ごせいしん》だ。いつかな|悪党《あくたう》な|蜈蚣姫《むかでひめ》も|腹《はら》の|底《そこ》から|感服《かんぷく》|致《いた》しました。………スマートボール、お|前《まへ》は|貫州《くわんしう》さまと|一緒《いつしよ》に|黒《くろ》ン|坊《ばう》の|側《そば》へ|行《い》つて、|万々一《まんまんいち》|玉《たま》が|有《あ》ると|云《い》ふ|事《こと》が|分《わか》つたら、|外《ほか》の|二《ふた》つの|玉《たま》は|如何《どう》でも|良《よ》いから、|金剛不壊《こんがうふえ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》を、|邪《じや》が|非《ひ》でもひつたくつて|来《く》るのだよ。|此《この》|蜈蚣姫《むかでひめ》ぢやとて、|性来《うまれつき》から|善人《ぜんにん》でもないのだから|宝《たから》の|山《やま》へ|入《い》り|乍《なが》ら|手振《てぶ》りで|帰《かへ》る|様《やう》な|馬鹿《ばか》ぢやない。|今迄《いままで》の|苦労《くらう》を|水《みづ》の|泡《あわ》にはしともないから、わしも|犬《いぬ》コロになつて、|力一杯《ちからいつぱい》|争《あらそ》うて|見《み》ませうかい。オツホヽヽヽ』
『|一旦《いつたん》お|前《まへ》さまは|小糸姫《こいとひめ》にさへ|会《あ》へばよい、|玉《たま》なぞに|執着心《しふちやくしん》は|無《な》いと、|立派《りつぱ》に|仰有《おつしや》つたぢやないか。それに|何《なん》ぞや、|今《いま》となつて|子《こ》と|玉《たま》の|変換《へんくわん》をなさるのかイ』
『|変説《へんせつ》|改論《かいろん》の|持囃《もてはや》される|世《よ》の|中《なか》だから|当然《あたりまへ》さ。……コレ、スマートボール、|高姫《たかひめ》さまが|何程《なにほど》|鯱《しやち》になつても、|味方《みかた》と|云《い》へば|貫州《くわんしう》さま|唯《ただ》|一人《ひとり》、あとは|残《のこ》らず|蜈蚣姫《むかでひめ》の|幕下《ばくか》|計《ばか》りだ。|寡《くわ》を|以《もつ》て|衆《しう》に|敵《てき》する|事《こと》は|到底《たうてい》|不可能《ふかのう》だ。|何程《なにほど》|多数党《たすうたう》が|横暴《わうばう》だと|国民《こくみん》が|叫《さけ》んでも、|何程《なにほど》|少数党《せうすうたう》が|正義《せいぎ》だと|云《い》つても、|矢張《やつぱり》|多数党《たすうたう》が|勝利《しようり》を|得《う》る|世《よ》の|中《なか》だもの、|泰然自若《たいぜんじじやく》、チツトも|騒《さわ》ぐに|及《およ》びませぬ。|他人《ひと》の|苦労《くらう》で|徳《とく》とると|云《い》ふ|事《こと》は|恰度《ちやうど》|此《この》|事《こと》だ。|高姫《たかひめ》さま、|御苦労《ごくらう》|乍《なが》ら|貴女《あなた》、|玉《たま》の|所在《ありか》を|査《しら》べて|来《き》て|下《くだ》さいな。|同《おな》じ|大自在天《だいじざいてん》に|献上《けんじやう》するのだもの、|誰《たれ》が|取《と》つても|同《おな》じ|事《こと》、それに|貴女《あなた》は|私《わし》に|玉《たま》を|取《と》らそまいとする|其《その》|心《こころ》の|底《そこ》が|分《わか》らぬ。|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》を|看板《かんばん》に、ヤツパリ|三五教《あななひけう》の|大神《おほかみ》に|献上《けんじやう》する|考《かんが》へだらう。|何程《なにほど》|布留那《ふるな》の|弁《べん》の|高姫《たかひめ》さまでも、|心《こころ》の|中《なか》の|曲者《くせもの》を|隠《かく》す|事《こと》は|出来《でき》ますまい……あのマア|迷惑相《めいわくさう》なお|顔付《かほつき》、オツホヽヽヽ』
とワザと|肩《かた》を|揺《ゆす》り、|高姫流《たかひめりう》の|嘲笑《てうせう》|振《ぶ》りをして|見《み》せる。|斯《か》かる|所《ところ》へ|二人《ふたり》の|黒《くろ》ン|坊《ばう》、|断崖《だんがい》|絶壁《ぜつぺき》に|手《て》をかけ|足《あし》をかけ、|大勢《おほぜい》の|前《まへ》に|下《くだ》り|来《きた》り、
『わしはチヤンキー、も|一人《ひとり》はモンキーと|云《い》ふシロの|島《しま》の|住人《ぢゆうにん》だが、|三年前《さんねんまへ》に|鬼熊別《おにくまわけ》の|御娘《おんむすめ》|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》を|御送《おおく》り|申《まを》して、|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》へ|渡《わた》る|途中《とちう》|暴風《ばうふう》に|出会《であ》ひ、|船《ふね》を|打割《ぶちわ》り、|辛《から》うじて|此《この》|島《しま》に|駆《か》けあがり、|生命《いのち》を|助《たす》かり、|蟹《かに》やら|貝《がひ》などを|漁《あさ》つてみじめな|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けて|来《き》た|者《もの》ですがどうぞお|前《まへ》さま、|吾々《われわれ》|二人《ふたり》を|船《ふね》に|乗《の》せて|連《つ》れて|帰《かへ》つて|下《くだ》さいませ』
と|手《て》を|合《あは》して|頼《たの》み|入《い》る。|毛《け》は|生《は》え|放題《はうだい》、|髭《ひげ》は|延《の》び|次第《しだい》、|手《て》も|足《あし》も|垢《こけ》だらけ、|目《め》のみ|光《ひか》らせて|居《を》る。|二人《ふたり》の|姿《すがた》を|間近《まぢか》く|眺《なが》めた|一同《いちどう》は、|此《この》|言葉《ことば》を|半信半疑《はんしんはんぎ》の|念《ねん》にかられ|乍《なが》ら|聞《き》いて|居《ゐ》る。|蜈蚣姫《むかでひめ》は|胸《むね》を|躍《をど》らせ、
『ナニ、お|前《まへ》は|小糸姫《こいとひめ》を|送《おく》つて|来《き》て|難船《なんせん》したと|云《い》ふのか。さうして|小糸姫《こいとひめ》は|何処《どこ》に|居《を》りますか』
『サア|何処《どこ》に|居《を》られますかな。|私《わたくし》たちは|男《をとこ》の|事《こと》でもあり、|漸《やうや》く|此《この》|島《しま》にかぢりついたのだが、あまりの|驚《おどろ》きで|如何《どう》なつた|事《こと》やらトツクリとは|覚《おぼ》えて|居《を》りませぬ。|大方《おほかた》|竜宮《りうぐう》へでも|旅立《たびだち》たれたのでせう』
『|竜宮《りうぐう》と|云《い》ふのはオーストラリヤの|一《ひと》つ|島《じま》の|事《こと》かい』
『サア|其《その》|一《ひと》つ|島《じま》へ|行《ゆ》く|途中《とちう》に|難破《なんぱ》したのだから、|竜宮違《りうぐうちがひ》に、|乙米姫《おとよねひめ》|様《さま》の|鎮《しづ》まり|玉《たま》ふ|海底《うなそこ》の|竜宮《りうぐう》へお|出《い》でになつたのでせう。|本当《ほんたう》に|綺麗《きれい》な|女王《ぢよわう》の|様《やう》な|方《かた》で、|今《いま》|思《おも》ひ|出《だ》しても|自然《しぜん》に|目《め》が|細《ほそ》くなり、|涎《よだれ》が|流《なが》れますワイ。アヽ|惜《を》しい|事《こと》をしたものだ』
と|憮然《ぶぜん》として|語《かた》る。|蜈蚣姫《むかでひめ》は|今迄《いままで》|張詰《はりつ》めた|心《こころ》もガツタリと、|其《その》|場《ば》に|倒《たふ》れ|身震《みぶる》ひし|乍《なが》ら|船底《ふなぞこ》にかぶりつき、|忍《しの》び|泣《な》きに|泣《な》き|居《ゐ》る。|高姫《たかひめ》は|蜈蚣姫《むかでひめ》の|此《この》|悲歎《ひたん》に|頓着《とんちやく》なく、チヤンキー、モンキー|二人《ふたり》の|胸倉《むなぐら》をグツと|取《と》り、
『これ、チヤン、モンとやら、お|前《まへ》は|誰《たれ》に|頼《たの》まれて|玉《たま》を|隠《かく》したのだ。|玉能姫《たまのひめ》か、|言依別《ことよりわけ》か、|但《ただし》は|此処《ここ》に|居《を》る|連中《れんちう》の|誰《たれ》かに|頼《たの》まれて|隠《かく》したのだらう。よう|考《かんが》へたものだ。コンナ|遠《とほ》い|岩山《いはやま》に|埋没《まいぼつ》して|置《お》けば|如何《いか》にも|知《し》れぬ|筈《はず》ぢや。|私《わし》も|今迄《いままで》|立派《りつぱ》な|立派《りつぱ》なアンボイナ|島《たう》や、|大島《おほしま》や、|小豆島《せうどしま》を|探《さが》さうとしたのが|感違《かんちが》ひ、アヽ|時節《じせつ》は|待《ま》たねばならぬものだ。サアもう|斯《か》うなつた|以上《いじやう》は、お|前《まへ》が|何《なん》と|云《い》つて|弁解《べんかい》しても|白状《はくじやう》させねば|置《お》かぬ。|何程《なにほど》|隠《かく》しても、|斯《こ》んな|小《ち》つぽけな|島《しま》、|小口《こぐち》から|岩《いは》を|叩《たた》き|割《わ》つても、|発見《はつけん》するのは|容易《ようい》の|業《わざ》だ。|隠《かく》しても|知《し》れる、|隠《かく》さいでも|知《し》れるのだから、エライ|目《め》に|遇《あ》はされぬうちにトツトと|白状《はくじやう》したがお|前《まへ》の|得《とく》だよ』
チヤンキー、モンキーの|二人《ふたり》は|寝耳《ねみみ》に|水《みづ》の|此《この》|詰問《きつもん》に、|何《なに》が|何《なに》やら|合点《がてん》ゆかず|頭《あたま》を|掻《か》き|乍《なが》ら、
『|今《いま》|貴女《あなた》は|玉《たま》を|隠《かく》したとか、どうとか|仰有《おつしや》いますが、|一体《いつたい》|何《なん》の|玉《たま》で|御座《ござ》いますか』
『オホヽヽヽ、よう|白《しら》ばくれたものだなア。それ、お|前《まへ》が|玉能姫《たまのひめ》に|頼《たの》まれた|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》だよ。それを|何処《どこ》に|隠《かく》したか、キツパリと|白状《はくじやう》しなさい』
『ソンナ|事《こと》は|一切《いつさい》|存《ぞん》じませぬ』
『|玉《たま》ナンテ|名《な》も|聞《き》いたこたアありませぬワイ』
『ヨシヨシ|強太《しぶと》い|者《もの》だ。|腹《はら》を|断《た》ち|割《わ》つても、|今度《こんど》こそは|白状《はくじやう》させねば|置《お》かぬ。アヽ|面倒《めんだう》|臭《くさ》い|事《こと》だ。|妾《わし》が|自《みづか》ら|査《しら》べに|行《ゆ》けば|後《あと》が|案《あん》じられる。|蜈蚣姫《むかでひめ》さまは……ヘン……|吃驚《びつくり》したよな|顔《かほ》をして|船底《ふなぞこ》にかぢりつき|油断《ゆだん》をさせて、|此《この》|高姫《たかひめ》が|山《やま》へ|往《い》つたならば|矢庭《やには》に|船《ふね》を|出《だ》し、|此《この》|島《しま》に|放《ほ》つとく|積《つも》りだらうし、アヽ|体《からだ》が|二《ふた》つ|三《み》つ|欲《ほつ》しくなつて|来《き》たワイ』
|蜈蚣姫《むかでひめ》は|漸《やうや》くにして|顔《かほ》を|上《あ》げ、
『わしも|今迄《いままで》|恋《こひ》しい|一人《ひとり》の|娘《むすめ》に|会《あ》ふのを|楽《たのし》みに、|心《こころ》の|合《あ》はぬ|高姫《たかひめ》と|表面《うはべ》だけは|調子《てうし》を|合《あは》して|来《き》たが、|天《てん》にも|地《ち》にも|唯《ただ》|一人《ひとり》の|娘《むすめ》が|此《この》|世《よ》に|居《を》らぬと|聞《き》けば、モウ|破《やぶ》れかぶれだ。……サア|友彦《ともひこ》、お|前《まへ》も|憎《にく》い|奴《やつ》なれど、|仮令《たとへ》|一年《いちねん》でも|私《わし》の|娘《むすめ》の|夫《をつと》となつた|以上《いじやう》は、|切《き》つても|切《き》れぬ|親子《おやこ》の|仲《なか》、キツト|私《わし》に|加勢《かせい》をして|呉《く》れるだらうな』
『ハイお|母《かあ》さま、よう|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいました。|貴女《あなた》の|命令《めいれい》なら、|高姫《たかひめ》の|生首《なまくび》を|引抜《ひきぬ》けと|仰有《おつしや》つても、|引抜《ひきぬ》いてお|目《め》にかけます』
『ヤア|頼《たの》もしや|頼《たの》もしや、|親《おや》なればこそ、|子《こ》なればこそ。|何処《どこ》にドンナ|味方《みかた》が|拵《こしら》へてあるか|分《わか》つたものぢやない。「ほのぼのと|出《で》て|行《ゆ》けど、|心《こころ》|淋《さび》しく|思《おも》ふなよ。|力《ちから》になる|人《ひと》|用意《ようい》がしてあるぞよ」……と|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》が|仰有《おつしや》つたと|云《い》ふ|事《こと》だ。……(|声《こゑ》に|力《ちから》|入《い》れ)サア|高姫《たかひめ》、モウ|斯《か》うなる|以上《いじやう》は|化《ばけ》の|皮《かは》を|引《ひ》ん|剥《む》いて|婆《ばば》と|婆《ばば》との|力《ちから》|比《くら》べだ、|尋常《じんじやう》に|勝負《しようぶ》をなされ』
『ヘン、|蜈蚣姫《むかでひめ》さまの、あの|噪《はし》やぎ|様《やう》……イヤ|狂《くる》ひやう。|誰《たれ》だつて|一人《ひとり》の|娘《むすめ》が|死《し》んだと|聞《き》けば、|自暴自棄《やけくそ》も|起《おこ》るであらう。|気《き》が|狂《くる》ふまいものでもない。|併《しか》し|乍《なが》ら|其処《そこ》をビクとも|致《いた》さぬのが|神心《かみごころ》だ……|女丈夫《ぢよぢやうぶ》の|大精神《だいせいしん》だ。|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》が|海《うみ》へ|沈《しづ》んで|竜宮行《りうぐうゆき》をしたと|聞《き》いて|腰《こし》を|抜《ぬ》かし、|其《その》|愁歎振《しうたんぶり》は|何《なん》ですか。|見《み》つともない。|此《この》|高姫《たかひめ》は|元来《ぐわんらい》|気丈《きぢやう》の|性質《せいしつ》、|流石《さすが》は|生宮《いきみや》|丈《だけ》あつて、|小糸姫《こいとひめ》が|海《うみ》の|底《そこ》へ|旅立《たびだち》をしたと|聞《き》いて、|落胆《らくたん》どころか|却《かへつ》て|愉快《ゆくわい》な|気分《きぶん》に|充《みた》されました。ナント|身魂《みたま》の|研《みが》けた|者《もの》と、|研《みが》けぬ|者《もの》との|心《こころ》の|持様《もちやう》は|違《ちが》うたものだナ。オホヽヽヽ』
と|自暴自棄《やけくそ》になつて|減《へ》らず|口《ぐち》を|叩《たた》く。
『|人情《にんじやう》|知《し》らずの|悪垂婆《あくたればば》の|高姫《たかひめ》。……サア|友彦《ともひこ》、|親《おや》の|言《い》ひ|付《つ》けだ。|櫂《かい》を|持《も》つて|来《き》て|頭《あたま》から|擲《なぐ》りつけて|下《くだ》さい。|一人《ひとり》よりない|大事《だいじ》な|娘《むすめ》が|死《し》んだのを、|却《かへつ》て|愉快《ゆくわい》だと|言《い》ひよつた。……サア|早《はや》くスマートボール、|久助《きうすけ》、|高姫《たかひめ》を|打《う》ちのめし、|海《うみ》の|竜宮《りうぐう》へやつて|下《くだ》され。チヤンキー、モンキーさま、お|前《まへ》さまも|無理難題《むりなんだい》をかけられて、|嘸《さぞ》|腹《はら》が|立《た》たうのう。|一寸《いつすん》の|虫《むし》にも|五分《ごぶ》の|魂《たましひ》だ。チツトは|敵討《かたきう》ちをしなさらぬかいな。|敵《てき》は|貫州《くわんしう》と|唯《ただ》|二人《ふたり》、モウ|斯《か》うなれば|蜈蚣姫《むかでひめ》のしたい|儘《まま》だ。……サア|高姫《たかひめ》、|返答《へんたふ》はどうだ』
と|追々《おひおひ》|言葉尻《ことばじり》が|荒《あら》くなる。|貫州《くわんしう》は|両手《りやうて》を|拡《ひろ》げ、
『|蜈蚣姫《むかでひめ》さま、|御一同《ごいちどう》さま、マア|待《ま》つて|下《くだ》さい』
『|此《この》|期《ご》に|及《およ》んで|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》な、|待《ま》つて|呉《く》れも|有《あ》るものか。お|前《まへ》も|讐敵《かたき》の|片割《かたわ》れ、|覚悟《かくご》をしたが|宜《よ》からう』
『わしだつてコンナ|没分暁漢《わからずや》の|高姫《たかひめ》に|殉死《じゆんし》するのは|真平《まつぴら》|御免《ごめん》だ。お|前《まへ》さまの|方《はう》に、|貫州《くわんしう》も|一層《いつそう》の|事《こと》|応援《おうゑん》するから、……どうだ、|聞《き》き|届《とど》けて|呉《く》れるかな』
『お|前《まへ》はメラの|滝《たき》でチラリと|喋《しやべ》つた|言葉《ことば》に|考《かんが》へ|合《あ》はすと、あまり|高姫《たかひめ》を|信用《しんよう》しとりさうにもないから、|赦《ゆる》してやらう。サアどうぢや|高姫《たかひめ》、|舌《した》|噛《か》み|切《き》つて|死《し》ぬるか、|此《この》|場《ば》で|海《うみ》へ|身《み》を|投《な》げるか、それが|厭《いや》なら|皆《みな》の|者《もの》が|寄《よ》つて|懸《かか》つてふん|縛《じば》り、|海《うみ》へ|放《ほ》り|込《こ》まうか。|最早《もはや》|是《これ》までと|諦《あきら》めて、|宣伝歌《せんでんか》の|一《ひと》つも|此《この》|世《よ》の|名残《なごり》に|唱《とな》へたがよからうぞ。オツホヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》は|悪胴《わるどう》を|据《す》ゑ、|腕《うで》を|組《く》み、|涙《なみだ》をボロリボロリと|零《こぼ》して|俯向《うつむ》き|沈《しづ》む。
『オホヽヽヽ、|高姫《たかひめ》さま、|嘘《うそ》ですよ。あまりお|前《まへ》さまが|我《が》が|強《つよ》いから、|一《ひと》つ|我《が》を|折《を》つて|上《あ》げようと|思《おも》うて|狂言《きやうげん》をしたのだから、|安心《あんしん》なされませ。|天《あめ》が|下《した》に|敵《てき》もなければ|他人《たにん》もない。|私《わたし》も|今迄《いままで》の|蜈蚣姫《むかでひめ》とは|違《ちが》ひます。|玉能姫《たまのひめ》さまや|初稚姫《はつわかひめ》さまを、あれ|丈《だけ》ボロ|糞《くそ》に|言《い》つてもチツトも|怒《おこ》らず、|親切《しんせつ》|計《ばか》りで|立《た》て|通《とほ》しなさつた|其《その》|心《こころ》に|感《かん》じ、|善一《ぜんひと》つの|真心《まごころ》に|立帰《たちかへ》つた|此《この》|蜈蚣姫《むかでひめ》、どうしてお|前《まへ》さまを|苦《くる》しめませう、|安心《あんしん》して|下《くだ》さい。|其《その》|代《かは》りお|前《まへ》さまも、|玉能姫《たまのひめ》さまや|初稚姫《はつわかひめ》|其《その》|他《た》の|方々《かたがた》を|鵜《う》の|毛《け》の|露《つゆ》|程《ほど》でも|恨《うら》む|様《やう》な|事《こと》があつては|冥加《みやうが》に|尽《つ》きまするぞ』
『ヤアそれで|高姫《たかひめ》もヤツと|安心《あんしん》を|致《いた》しました。|併《しか》し|乍《なが》ら|初稚姫《はつわかひめ》や|玉能姫《たまのひめ》の|悪人《あくにん》|計《ばか》りは、|如何《どう》しても|思《おも》ひ|切《き》る|事《こと》が|出来《でき》ませぬワイ。|人《ひと》|我《わ》れに|辛《つら》ければ|我《わ》れ|又《また》|人《ひと》に|辛《つら》しとやら|言《い》つて、|年《とし》をとつて|是《こ》れだけ|苦労《くらう》|艱難《かんなん》をするのも、みんな|初稚姫《はつわかひめ》や|玉能姫《たまのひめ》のなす|業《わざ》、|如何《いか》に|天下《てんか》の|大馬鹿者《おほばかもの》、|無神経者《むしんけいもの》と|云《い》つても、|此《この》|残念《ざんねん》が|如何《どう》して|忘《わす》れられませうか』
『|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》や|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》は、|神様《かみさま》の|命令《めいれい》を|受《う》けて|御用《ごよう》|遊《あそ》ばした|丈《だけ》ぢやありませぬか。|元《もと》からお|前《まへ》さまを|困《こま》らさうなどと、ソンナ|悪《わる》い|心《こころ》はなかつたのでせう』
『ソンナ|小理屈《こりくつ》は|言《い》うて|下《くだ》さいますな。|例《たと》へば|主人《しゆじん》が|下僕《しもべ》に|対《たい》し|藪《やぶ》の|竹《たけ》を|一本《いつぽん》|伐《き》つて|来《こ》いと|命令《めいれい》したと|見《み》なさい。|竹《たけ》を|伐《き》る|時《とき》の|竹《たけ》の|露《つゆ》は|誰《たれ》にかかりますか。ヤツパリ|下僕《しもべ》にかかるぢやありませぬか。|竹《たけ》|伐《き》つた|奴《やつ》は|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》の|両《りやう》|阿魔女《あまつちよ》だ。|怨《うら》みが|懸《かか》らいで|何《なん》としようぞいの。アヽ|口惜《くや》しい、|残念《ざんねん》や、オーン オーン オーン』
と|前後《ぜんご》を|忘《わす》れ|狼泣《おほかみな》きに|泣《な》き|始《はじ》めける。
|折《をり》しも|海鳴《うみなり》の|音《おと》、|俄《にはか》に|万雷《ばんらい》の|一時《いちじ》に|轟《とどろ》く|如《ごと》く|聞《きこ》え|来《きた》り、|波《なみ》は|刻々《こくこく》に|高《たか》まる。|一同《いちどう》はチヤンキー、モンキーの|後《あと》に|従《したが》ひ、|最《もつと》も|高《たか》き|岩上《がんじやう》に|避難《ひなん》した。|船《ふね》は|纜《ともづな》を|千切《ちぎ》られ、|何処《いづく》ともなく、|浪《なみ》のまにまに|流《なが》れて|了《しま》つた。|水量《みづかさ》は|追々《おひおひ》まさり、|最早《もはや》|足許《あしもと》まで|浸《ひた》して|来《く》る。|山岳《さんがく》の|様《やう》な|浪《なみ》は|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もなく、|頭《あたま》の|上《うへ》を|掠《かす》めて|通《とほ》る。|殆《ほとん》ど|水中《すゐちう》に|没《ぼつ》したと|思《おも》へば|又《また》|現《あら》はれ、|息《いき》も|絶《た》え|絶《だ》えになり、|各自《めいめい》|覚悟《かくご》の|臍《ほぞ》を|極《き》めて|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|心《こころ》の|隔《へだ》てはスツカリ|除《と》れて、|唯《ただ》|生命《いのち》を|如何《いか》にして|保《たも》たむやと|是《こ》れのみに|焦慮《せうりよ》し、|宣伝歌《せんでんか》を|泣声《なきごゑ》まぜりに|声《こゑ》を|嗄《か》らして|唱《とな》へ|居《ゐ》る。
|斯《か》かる|所《ところ》へ|波《なみ》に|漂《ただよ》ひつつ|艪《ろ》を|操《あやつ》り、|甲斐々々《かひがひ》しく|進《すす》み|来《きた》る|一隻《いつせき》の|稍《やや》|大《だい》なる|船《ふね》ありき。|日《ひ》は|漸《やうや》く|暮《く》れ|果《は》て、|誰《たれ》|彼《かれ》の|顔《かほ》も|碌《ろく》に|見《み》えなくなり|来《き》たり。|一隻《いつせき》の|船《ふね》には|二三人《にさんにん》の|神人《しんじん》が|乗《の》り|居《ゐ》たり。|船《ふね》の|中《なか》より、
『ノアの|方舟《はこぶね》|現《あら》はれたり、サア|早《はや》く|乗《の》らせ|給《たま》へ』
と|呼《よ》ばはり|乍《なが》ら|足許《あしもと》へ|漕《こ》ぎ|寄《よ》せ|来《きた》る。|一同《いちどう》は|天《てん》にも|昇《のぼ》る|心地《ここち》し|乍《なが》ら、|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|此《この》|船《ふね》|目蒐《めが》けて、|天《てん》の|祐《たす》けと|飛《と》び|込《こ》めば、|船《ふね》は|波《なみ》を|押分《おしわ》け|悠々《いういう》として|西南《せいなん》|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
|斯《か》く|俄《にはか》に|鳴動《めいどう》し、|水量《みづかさ》まさり|来《きた》りしは、|南洋《なんやう》のテンカオ|島《たう》と|云《い》ふ|巨大《きよだい》なる|島《しま》が、|地辷《ぢすべ》りの|為《ため》に|海中《かいちう》に|沈没《ちんぼつ》した|為《ため》、|一時《いちじ》の|現象《げんしやう》として|斯《かく》の|如《ごと》くなりしなりき。|水量《みづかさ》は|追々《おひおひ》|常態《じやうたい》に|復《ふく》しぬ。|船《ふね》は|月《つき》に|照《てら》され|乍《なが》ら|海上《かいじやう》|静《しづ》かに|走《はし》り|居《ゐ》る。|船《ふね》の|中《なか》の|神人《しんじん》の|爽《さはや》かな|声《こゑ》、
『|妾《わたし》は|玉能姫《たまのひめ》で|御座《ござ》います。|高姫《たかひめ》|様《さま》、|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》、|其《その》|他《た》|御一同様《ごいちどうさま》、|危《あぶ》ない|所《ところ》で|御座《ござ》いましたが、|神様《かみさま》のお|蔭《かげ》で|先《ま》づ|先《ま》づ|御無事《ごぶじ》で、コンナ|御芽出《おめで》たい|事《こと》は|御座《ござ》いませぬ。|妾《わたし》|達《たち》は|神様《かみさま》の|御命令《ごめいれい》に|依《よ》つて、|貴女《あなた》|方《がた》が|海神島《かいしんとう》にお|着《つ》き|遊《あそ》ばす|迄《まで》|御保護《ごほご》|申《まう》せとの|言依別命《ことよりわけのみこと》の|御命令《ごめいれい》で、|見《み》えつ|隠《かく》れつお|後《あと》を|慕《した》つて|参《まゐ》りました。アヽ|有難《ありがた》い、これで|妾《わたし》の|使命《しめい》も|完全《くわんぜん》に|勤《つと》まつたと|申《まを》すもの、マアよう|無事《ぶじ》で|居《ゐ》て|下《くだ》さいました。|玉治別《たまはるわけ》も|居《を》られます。|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》もここに|乗《の》つて|居《を》られます』
『|是《こ》れと|云《い》ふのも|全《まつた》く|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》の|御神徳《ごしんとく》ぢや。お|前《まへ》さまも|其《その》お|蔭《かげ》で|言依別命《ことよりわけのみこと》に|対《たい》して|言《い》ひ|訳《わけ》も|立《た》ち、|完全《くわんぜん》に|御用《ごよう》も|勤《つと》まつたと|云《い》ふもの、コンナ|事《こと》がなければお|前《まへ》さまが|遥々《はるばる》|此処《ここ》まで|出《で》て|来《き》たのも|無意義《むいぎ》に|終《をは》るとこだつた。アヽ|神様《かみさま》は|誰《たれ》も【つつぼ】に|致《いた》さぬと|仰有《おつしや》るが|偉《えら》いものだなア。|大神様《おほかみさま》は|平等愛《びやうどうあい》を|以《もつ》て|心《こころ》となし|給《たま》ふ。お|前《まへ》さまもこれでチツトは|我《が》が|折《を》れただらう。|手柄《てがら》を|横取《よこどり》して|自分《じぶん》|一人《ひとり》が|猫糞《ねこばば》をきめこみ、|結構《けつこう》な|神宝《しんぽう》を|隠《かく》して|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をして|御座《ござ》つたが、|是《こ》れで|神様《かみさま》の|大御心《おほみこころ》が|分《わか》つたでせう。サア|玉《たま》の|所在《ありか》を|綺麗《きれい》サツパリと|皆《みな》の|前《まへ》にさらけ|出《だ》し、|功名《こうみやう》|手柄《てがら》を|独占《どくせん》しようなぞと|云《い》ふ|執着心《しふちやくしん》を、|此《この》|際《さい》|放《ほ》かしなさるのが|御身《おんみ》の|得《とく》だぞへ、オホヽヽヽ』
|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》は|呆《あき》れて|何《なん》の|言葉《ことば》もなく、|黙然《もくねん》として|俯《うつ》むき|居《ゐ》たり。|玉治別《たまはるわけ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|艪《ろ》を|操《あやつ》り|乍《なが》ら|高姫《たかひめ》の|言葉《ことば》を|聞《き》いて|少《すこ》しくむかついたが、|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》の|宣伝歌《せんでんか》を|思《おも》ひ|出《だ》し、|吾《われ》と|吾《わが》|心《こころ》を|戒《いまし》め、さあらぬ|態《てい》に|船唄《ふなうた》を|唄《うた》ひ、|汗《あせ》をタラタラ|流《なが》し|乍《なが》ら|船《ふね》を|操《あやつ》り|居《ゐ》たり。
|高姫《たかひめ》『コレお|節《せつ》さま、お|初《はつ》さま、お|前《まへ》さまもいい|加減《かげん》にハンナリとしたらどうだい。|助《たす》けに|来《く》るのも、|助《たす》けられるのも|皆《みな》|神様《かみさま》に|使《つか》はれて|居《を》るのだよ。|必《かなら》ず|必《かなら》ず|高姫《たかひめ》|其《その》|他《た》を|助《たす》けてやつたと|慢神心《まんしんごころ》を|出《だ》してはなりませぬ。ハヤそれが|大変《たいへん》な|取違《とりちがひ》だ。|九分九厘《くぶくりん》になつたれば|神《かみ》が|助《たす》けるぞよと、チヤンと|仰有《おつしや》つてる。|家島《えじま》で|船《ふね》を|取《と》られた|時《とき》も、|神《かみ》がお|節《せつ》さまを|御用《ごよう》に|使《つか》ひ、|船《ふね》を|持《も》つて|来《き》さしました。アンボイナ|島《たう》でも|其《その》|通《とほ》り、|今《いま》|又《また》|日《ひ》の|出神《でのかみ》のおはからひで|結構《けつこう》な|御用《ごよう》を|指《さ》して|貰《もら》ひなさつた。|此処《ここ》で|結構《けつこう》な|御用《ごよう》をさして|貰《もら》ひなさつたのも、ヤツパリ|高姫《たかひめ》があつたればこそ……|一遍《いつぺん》|々々《いつぺん》お|前《まへ》さまは|手柄《てがら》が|重《かさ》なつて|結構《けつこう》だが、ウツカリ|慢神《まんしん》すると|谷底《たにぞこ》へ|落《おと》されますぞや。|大分《だいぶん》に|鼻《はな》が|高《たか》うなり|出《だ》した。チツト|捻《ね》ぢて|上《あ》げようか』
と|二人《ふたり》の|鼻《はな》を|掴《つか》みかからうとする。|貫州《くわんしう》は|其《その》|手《て》をグツと|握《にぎ》り、
『コレ|高姫《たかひめ》さま、|我《が》が|強《つよ》いと|云《い》つても|余《あんま》りぢやないか。|側《そば》に|聞《き》いて|居《ゐ》る|私《わし》でさへも|憎《にく》らしうて、お|前《まへ》さまを|殴《なぐ》りつけたうなつて|来《き》た。ようもようも|慢神《まんしん》したものだなア、チツト|胸《むね》に|手《て》を|当《あ》てて|考《かんが》へて|見《み》なさい。|生命《いのち》を|助《たす》けて|貰《もら》ひ|乍《なが》ら、|又《また》しても|又《また》しても|減《へ》らず|口《ぐち》を|叩《たた》いて、よう|口《くち》が|腫《は》れぬ|事《こと》だナア』
『|貫州《くわんしう》、|神界《しんかい》の|事《こと》はお|前達《まへたち》の|容喙《ようかい》すべき|事《こと》ぢやない。どんなお|仕組《しぐみ》がしてあるか|分《わか》りもせぬのに、|出《だ》しやばつて|囀《さへづ》るものぢやありませぬぞ。バラモン|教《けう》の|蜈蚣姫《むかでひめ》さまでさへも|高姫《たかひめ》の|言葉《ことば》に|感心《かんしん》して、|何《なん》とも|仰有《おつしや》らぬのに、|没分暁漢《わからずや》のお|前《まへ》が|何《なに》を|吐《ほざ》くのだい。お|前《まへ》も|大分《だいぶ》に|鼻《はな》が|高《たか》くなつた。|一《ひと》つ|捻《ひね》つてやらうか』
と|稍《やや》|高《たか》い|鼻《はな》を|掴《つか》みかかるのを、|貫州《くわんしう》は|力《ちから》をこめて|撥《は》ね|飛《と》ばした|途端《とたん》に、|高姫《たかひめ》はザンブと|計《ばか》り|海中《かいちう》に|落込《おちこ》みぬ。|玉治別《たまはるわけ》は|驚《おどろ》いて、|矢庭《やには》に|棹《さを》を|突《つ》き|出《だ》す。|高姫《たかひめ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》になつて|棹《さを》に|喰《くら》ひつき、|漸《やうや》くにして|救《すく》ひ|上《あ》げられけり。
『コレ|貫州《くわんしう》、|何《なん》と|云《い》ふ|乱暴《らんばう》な|事《こと》を|致《いた》すのだい』
『|是《こ》れも|神界《しんかい》の|御都合《ごつがふ》でせう。|肱出神《ひぢでのかみ》|様《さま》が|肱《ひぢ》で【はぢ】かはりましたら、|貴女《あなた》が|曲芸《きよくげい》を|演《えん》じてカイツムリとなり、|皆《みな》の|者《もの》|一同《いちどう》に|観覧《くわんらん》さして|下《くだ》さいました。|本当《ほんたう》に|抜目《ぬけめ》のない|愛想《あいさう》のよい|仁慈無限《じんじむげん》の|高姫《たかひめ》さまだと、|云《い》はず|語《かた》らず、|皆《みな》の|者《もの》が|舌《した》を|出《だ》して|喜《よろこ》び|居《を》りましたワイな』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|高姫《たかひめ》さま、お|怪我《けが》は|御座《ござ》いませなんだか。お|前《まへ》さまも|余《あんま》りお|口《くち》がよろしいからナア』
『|放《ほ》つといて|下《くだ》され、|口《くち》がよからうが|悪《わる》からうが、|妾《わたし》の|口《くち》は|妾《わたし》が|自由《じいう》に|使用《しよう》するのだ。お|前《まへ》さま|等《ら》の|改心《かいしん》が|足《た》らぬから、|此《この》|高姫《たかひめ》が|千座《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》うて|此《この》|海《うみ》へ|飛《と》び|込《こ》み|鹹《から》い|塩水《しほみづ》を|呑《の》んで|罪《つみ》を|贖《あがな》ひ、|助《たす》けて|上《あ》げたのだ。|何故《なぜ》|一言《ひとこと》の|御礼《おれい》を|申《まを》しなさらぬ。……コレコレ、ムカデにお|節《せつ》、お|初《はつ》|殿《どの》、|分《わか》りましたかなア』
|玉能姫《たまのひめ》『ハイ、どうもお|元気《げんき》な|事《こと》には|心《こころ》の|底《そこ》から|感心《かんしん》|致《いた》しました。その|勢《いきほひ》なれば|強《つよ》いものです。|大丈夫《だいぢやうぶ》ですワ』
『さうだらう。お|前《まへ》も|大分《だいぶん》に|高姫《たかひめ》の|心《こころ》の|底《そこ》が|見《み》えかけたよ、|大分《だいぶん》に|身魂《みたま》が|研《みが》けたやうだ。モ|一《ひと》つ|打解《うちと》けて|玉《たま》の|所在《ありか》さへ|白状《はくじやう》すれば、それこそ|立派《りつぱ》な|者《もの》だ。|高姫《たかひめ》の|片腕《かたうで》になれるべき|素質《そしつ》は|充分《じうぶん》にある。モウそろそろ|言《い》はねばなるまい。|言《い》はねば|云《い》ふ|様《やう》にして|言《い》はすぞよと|大神様《おほかみさま》が|仰有《おつしや》つた|事《こと》を|覚《おぼ》えて|居《ゐ》ますか。|誰《たれ》が|何《なん》と|云《い》つても|艮《うしとら》の|金神《こんじん》、|坤《ひつじさる》の|金神《こんじん》、|金勝要神《きんかつかねのかみ》、|一番《いちばん》|地《ぢ》になるのが|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|四魂《しこん》|揃《そろ》うて、|誠《まこと》の|花《はな》が|咲《さ》くお|仕組《しぐみ》、|何程《なにほど》|言依別《ことよりわけ》が|瑞《みづ》の|御霊《みたま》でも、|玉照姫《たまてるひめ》が|木花咲耶姫《このはなさくやひめ》の|分霊《わけみたま》でも、|玉照彦《たまてるひこ》が|三葉彦《みつばひこ》の|再来《さいらい》でも、|到底《たうてい》|四魂《しこん》の|神《かみ》には|肩《かた》を|並《なら》べる|事《こと》は|出来《でき》ますまい。お|前《まへ》さま|達《たち》は|今迄《いままで》|何《なん》でも|彼《か》んでも、|言依別《ことよりわけ》や|其《その》|他《た》の|枝《えだ》の|神《かみ》の|申《まを》す|事《こと》を|聞《き》いて|居《を》つたから、|思《おも》ふ|様《やう》にチツトも|往《い》きやせまいがな。|四魂《しこん》の|中《なか》でも|根本《こつぽん》の|土台《どだい》の|地《ぢ》になる|日《ひ》の|出神《でのかみ》をさし|措《お》いて、|何《なに》|結構《けつこう》な|御用《ごよう》が|出来《でき》るものか、|此《こ》れを|機会《きくわい》に|改心《かいしん》が|一等《いつとう》で|御座《ござ》るぞや』
と|口角泡《こうかくあわ》を|飛《と》ばし、|誰《たれ》も|返辞《へんじ》もせないのに、|独《ひと》り|噪《はし》やいで|居《ゐ》る。
|船中《せんちう》の|人々《ひとびと》は|高姫《たかひめ》を|気違扱《きちがひあつか》ひして|相手《あひて》にならず、|言《い》ひたい|儘《まま》に|放任《はうにん》し|置《お》きたりける。
|蜈蚣姫《むかでひめ》は|丁寧《ていねい》な|言葉《ことば》にて、
『|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》、|玉治別《たまはるわけ》|様《さま》、アンボイナ|島《たう》では|大変《たいへん》な|失礼《しつれい》な|事《こと》を|申上《まをしあ》げましたが、どうぞ|御赦《おゆる》し|下《くだ》さいませ。|就《つ》きましては|妾《わたし》の|娘《むすめ》|小糸姫《こいとひめ》は|魔島《またう》の|麓《ふもと》で|船《ふね》を|破《わ》り|可哀《かあい》や|溺死《できし》を|遂《と》げました。|夫《をつと》は|今《いま》は|波斯《フサ》の|国《くに》に|居《を》りますなり。|年老《としよ》つた|妾《わたし》、|夫婦《ふうふ》|別《わか》れ|別《わか》れになり、|一人《ひとり》の|娘《むすめ》には|先立《さきだ》たれ、|最早《もはや》|此《この》|世《よ》に|何《なん》の|望《のぞ》みも|御座《ござ》いませぬ。どうぞ|今迄《いままで》の|御無礼《ごぶれい》を|海《うみ》へ|流《なが》して、どうぞ|妾《わたし》を|貴方《あなた》のお|供《とも》になりと|御使《おつか》ひ|下《くだ》さいますまいか。|実《じつ》に|立派《りつぱ》な|御心掛《おこころが》け、|如何《いか》な|悪《あく》に|強《つよ》い|妾《わたし》も|感心《かんしん》|致《いた》しました』
と|袖《そで》に|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ひ|泣《な》き|伏《ふ》す。|玉能姫《たまのひめ》は|合掌《がつしやう》しながら、
『|如何《どう》|致《いた》しまして、|老練《らうれん》な|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》、どうぞ|宜《よろ》しく、|足《た》らはぬ|妾《わたし》の|御指導《ごしだう》をお|願《ねが》ひ|致《いた》します。|今《いま》|承《うけたま》はれば|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》は|海《うみ》の|藻屑《もくづ》となつたと|仰《あふ》せられましたが、それは|御心配《ごしんぱい》なされますな。|屹度《きつと》オーストラリヤの|一《ひと》つ|島《じま》に|立派《りつぱ》な|女王《ぢよわう》となつて、|羽振《はぶ》りを|利《き》かして|居《を》られます。|妾《わたし》は|素盞嗚尊《すさのをのみこと》|様《さま》の|御娘《おんむすめ》、|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》より|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》の|消息《せうそく》を|聞《き》きました。|今《いま》は|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》を|樹《た》て|黄竜姫《わうれうひめ》と|名乗《なの》つて|立派《りつぱ》に|暮《くら》して|居《を》られます。やがて|芽出《めで》たく|親子《おやこ》の|対面《たいめん》が|出来《でき》ませう。どうぞ|御心配《ごしんぱい》をなさらぬ|様《やう》、|勇《いさ》んで|下《くだ》さいませ』
『アヽ|有難《ありがた》い、|左様《さやう》で|御座《ござ》いましたか。|是《こ》れと|云《い》ふのも|皆《みんな》|大神様《おほかみさま》の|御神徳《おかげ》……』
と|手《て》を|合《あは》せ、|直《ただち》に|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|感謝《かんしや》の|辞《じ》に|時《とき》を|移《うつ》しけり。|高姫《たかひめ》は|投《な》げ|出《だ》したやうな|言葉《ことば》|付《つ》きで、
『|蜈蚣姫《むかでひめ》さま、どうでお|節《せつ》の|云《い》ふ|事《こと》、|当《あて》にやなりますまいが、|仮令《たとへ》|話《はなし》にせよ、|娘《むすめ》さまに|会《あ》へると|云《い》ふ|事《こと》をお|聞《き》きになつたら|嘸《さぞ》|嬉《うれ》しいでせう。|妾《わたし》も|虚実《きよじつ》は|兎《と》も|角《かく》、|言霊《ことたま》の|幸《さち》はふ|国《くに》、|刹那心《せつなしん》でも|芽出《めで》たいと|思《おも》はぬこたアありませぬ。|併《しか》しマア|物《もの》は|当《あた》つてみねば|分《わか》りませぬ。どうも|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|観察《くわんさつ》では|怪《あや》しいものだが、|折角《せつかく》そこまでお|前《まへ》さまが|喜《よろこ》びて|居《を》るのだから、|妾《わたし》も|一緒《いつしよ》にお|付合《つきあひ》に|喜《よろこ》びて|置《お》きませう』
|玉治別《たまはるわけ》は|立《た》ち|上《あが》り、
『サア|向方《むかふ》に|見《み》えるのがニユージーランドの|沓島《くつじま》だ。|皆《みな》さま|少々《せうせう》|波《なみ》が|荒《あら》くなるから、|其《その》|覚悟《かくご》して|下《くだ》さい』
(大正一一・七・三 旧閏五・九 松村真澄録)
此日午前六時二代様三代様も白山、月山に御登山の途に就かるとの電来たる。
第一〇章 |土人《どじん》の|歓迎《くわんげい》〔七四〇〕
|南洋一《なんやういち》の|竜宮島《りうぐうじま》 アンボイナをば|後《あと》に|見《み》て
|救《すく》ひの|船《ふね》に|身《み》を|任《まか》せ |進《すす》み|来《きた》れる|高姫《たかひめ》や
|蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》の|一行《いつかう》は |夜《よ》を|日《ひ》に|継《つ》いでオセアニヤ
|一《ひと》つ|島根《しまね》に|渡《わた》らむと |心《こころ》|勇《いさ》みて|漕《こ》ぎ|来《きた》る
|時《とき》しもあれや|海中《わだなか》に すつくと|立《た》てる|岩島《いはしま》を
|左手《ゆんで》に|眺《なが》めて|進《すす》み|行《ゆ》く |俄《にはか》に|海風《うなかぜ》|吹《ふ》き|荒《すさ》び
|浪《なみ》|高《たか》まりて|船体《せんたい》を |操《あやつ》る|術《すべ》も|無《な》きままに
|浪《なみ》を|避《さ》けむと|岩島《いはしま》の |蔭《かげ》に|漕《こ》ぎつけ|眺《なが》むれば
|怪《あや》しき|影《かげ》の|唯《ただ》|二《ふた》つ |何者《なにもの》ならむと|立《た》ち|寄《よ》つて
|素性《すじやう》を|聞《き》けば|錫蘭島《シロしま》の チヤンキー モンキー |両人《りやうにん》が
|顕恩城《けんおんじやう》の|小糸姫《こいとひめ》 |竜宮城《りうぐうじやう》へ|送《おく》る|折《をり》
|俄《にはか》の|時化《しけ》に|船《ふね》を|破《わ》り |茲《ここ》に|非難《ひなん》し|居《ゐ》たりしを
|漸《やうや》く|悟《さと》り|高姫《たかひめ》は |日頃《ひごろ》|探《たづ》ぬる|神宝《しんぱう》の
|匿《かく》せし|場所《ばしよ》は|此《この》|島《しま》と |疑惑《ぎわく》の|眼《まなこ》|光《ひか》らせつ
|二人《ふたり》の|男《をとこ》を|引《ひ》つ|捉《とら》へ 【ためつ】|賺《すか》しつ|尋《たづ》ぬれど
|元《もと》より|訳《わけ》は|白浪《しらなみ》の |中《なか》に|漂《ただよ》ふ|二人連《ふたりづ》れ
|取《とり》つく|島《しま》も|泣《な》き|寝入《ねい》り |蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》は|両人《りやうにん》が
|話《はなし》を|聞《き》いて|仰天《ぎやうてん》し |小糸《こいと》の|姫《ひめ》は|世《よ》の|中《なか》に
もはや|命《いのち》は|無《な》きものと |悲歎《ひたん》の|涙《なみだ》に|暮《く》れながら
|船底《ふねそこ》|深《ふか》くかぢりつく ころしもあれや|南洋《なんやう》に
|其《その》|名《な》も|高《たか》き|一巨島《いちきよたう》 テンカオ|島《たう》は|海中《かいちう》に
|大音響《だいおんきやう》と|諸共《もろとも》に |苦《く》もなく|沈《しづ》みし|勢《いきほひ》に
|海水《かいすゐ》|俄《にはか》に|立《た》ち|騒《さわ》ぎ |水量《みづかさ》まさりて|魔《ま》の|島《しま》を
|早《はや》|一呑《ひとの》みに|呑《の》まむとす |高姫《たかひめ》|其《その》|他《た》の|一同《いちどう》は
|九死一生《きうしいつしやう》の|苦《くる》しみに |生《い》きたる|心地《ここち》も|荒浪《あらなみ》の
|肝《きも》を|潰《つぶ》せる|折柄《をりから》に |黄昏時《たそがれどき》の|海原《うなばら》を
|声《こゑ》を|目当《めあて》に|進《すす》み|来《く》る |救《すく》ひの|船《ふね》に|助《たす》けられ
やつと|安心《あんしん》|胸《むね》を|撫《な》で |進《すす》む|折《をり》しも|玉能姫《たまのひめ》
|初稚姫《はつわかひめ》や|田吾作《たごさく》の |助《たす》けの|船《ふね》と|悟《さと》りてゆ
|高姫《たかひめ》|持病《ぢびやう》は|再発《さいはつ》し |竹篦返《しつぺいがへ》しの|減《へ》らず|口《ぐち》
|頤《あご》を|叩《たた》くぞ|憎《にく》らしき あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|恵《めぐみ》は|何処《どこ》までも |悪《あく》の|身魂《みたま》も|懇《ねんごろ》に
|誠《まこと》の|教《をしへ》に|導《みちび》きて |救《すく》ひ|給《たま》ふぞ|有難《ありがた》き
|玉治別《たまはるわけ》の|漕《こ》ぐ|船《ふね》は |夜《よ》に|日《ひ》を|重《かさ》ねてやうやうに
ニユージーランドの|沓島《くつじま》の |磯端《いそばた》|近《ちか》く|着《つ》きにけり
|浪打《なみう》ち|際《ぎは》に|近《ちか》づけば |思《おも》ひもよらぬ|高潮《たかしほ》の
|寄《よ》せては|返《かへ》す|物凄《ものすご》さ |船《ふね》の|操縦《さうじう》に|悩《なや》みつつ
スマートボールや|貫州《くわんしう》や チヤンキー モンキー|諸共《もろとも》に
|汗《あせ》を|流《なが》して|櫂《かい》を|漕《こ》ぎ |漸《やうや》く|上陸《じやうりく》したりける
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》の|幸《さち》ぞ|尊《たふと》けれ
|神《かみ》の|恵《めぐみ》ぞ|畏《かしこ》けれ。
|物珍《ものめづ》しげに|島《しま》の|土人《どじん》は|小山《こやま》の|如《ごと》く|現《あら》はれ|来《きた》り、|口々《くちぐち》に|手《て》を|打《う》ち「ウツポー、クツター クツター」と|叫《さけ》びゐたり。これは「|珍《めづら》しき|尊《たふと》き|神人《しんじん》|来《きた》り|給《たま》へり」と|云《い》ふ|意味《いみ》なり。|一同《いちどう》は「ウツポー、クツター クツター」の|諸声《もろこゑ》に|送《おく》られ、|禿《はげ》|計《ばか》りの|島《しま》に|似合《にあ》はず、|樹木《じゆもく》|鬱蒼《うつさう》たる|大森林《だいしんりん》の|樹下《じゆか》に|導《みちび》かれ、|珍《めづら》しき|果物《くだもの》を|饗応《きやうおう》され、|神《かみ》の|如《ごと》くに|尊敬《そんけい》されたりける。
|友彦《ともひこ》は|得意《とくい》|満面《まんめん》に|溢《あふ》れ、|言語《げんご》の|通《つう》ぜざるを|幸《さいは》ひ、|猿《ましら》の|如《ごと》く|大樹《たいじゆ》の|枝《えだ》にかけ|登《のぼ》り、|懐《ふところ》より|麻《ぬさ》を|取《と》り|出《だ》し|左右左《さいうさ》に|打《う》ち|振《ふ》りながら、
『ウツポツポー ウツポツポー、テンツルトウ テンツルトウ、チンプクリンノチンプクリン、プクプクリンノプクプクリン、ペンコ ペンコ、チヤツク チヤツク、ジヤンコ ジヤンコ、テンツルテンノテンツルトウ、トコトンポーリー トコトンポーリー、カンカラカンノケンケラケン、|高姫《たかひめ》さまのガンガラガンノコンコロコン、|蜈蚣姫《むかでひめ》のパーパーサン、コンコンチキチン、コンチキチン、|小糸《こいと》の|姫《ひめ》の|婿様《むこさま》は、トントコトンの|友彦《ともひこ》が、ウツパツパー ウツパツパー、シヤンツクテンテンツクテンテン、キンプクリンノフクリンリン』
と|囀《さへづ》り|初《はじ》めたり。|数多《あまた》の|土人《どじん》は|一行中《いつかうちう》の|最《もつと》も|貴《たつと》き|神《かみ》と|早合点《はやがつてん》し、|随喜《ずいき》の|涙《なみだ》を|零《こぼ》し|合掌《がつしやう》しゐたり。スマートボールは|又《また》もや|駆《か》け|登《のぼ》り、|矢庭《やには》に|木《き》の|枝《えだ》を|手折《たお》り、|左右左《さいうさ》に|打《う》ち|振《ふ》り、
『ウツポツポー ウツポツポー、キンライライノクタクタライ、キンプクリンノキンライライ、ウツポツポー ウツポツポー』
と|囀《さへづ》り|出《だ》したり。スマートボールは|自分《じぶん》の|云《い》うた|事《こと》を|自分《じぶん》ながら|些《ちつ》とも|解《かい》して|居《ゐ》ない。されど|土人《どじん》の|胸《むね》には、|先《さき》に|上《のぼ》つた|友彦《ともひこ》よりも|最上位《さいじやうい》の|神《かみ》たる|事《こと》を|悟《さと》りたり。|友彦《ともひこ》は|又《また》もや、
『ウツポツポー、ペンペコペン、ウツポツポ、パーパーサン、エツポツポー、エツポツポー』
と|囀《さへづ》り|出《だ》したり。|是《これ》は|土人《どじん》の|言葉《ことば》に|対照《たいせう》すると、
『|二人《ふたり》の|女《をんな》は|真《まこと》の|平和《へいわ》の|女神《めがみ》だ。さうして|若《わか》い|方《はう》の|婆《ばば》アは|悪党《あくたう》だ。|色《いろ》の|黒《くろ》い|婆《ばば》アは|一《ひと》つ|島《じま》の|女王《ぢよわう》の|母上《ははうへ》だ』
と|云《い》ふ|意味《いみ》になる。|数多《あまた》の|土人《どじん》は|蜈蚣姫《むかでひめ》の|前《まへ》に|跪《ひざまづ》き、|手《て》を|拍《う》ち|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|暮《く》れながら|恭敬《きようけい》の|意《い》を|表《へう》し、|踊《をど》り|狂《くる》ひ、|其《その》|次《つぎ》に|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》を|胴上《どうあ》げにし「エイヤ エイヤ」と|声《こゑ》を|揃《そろ》へて|森《もり》の|木蔭《こかげ》を|舁《かつ》ぎ|廻《まは》り、|踊《をど》り|狂《くる》ふ|其《その》|可笑《をか》しさ。|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》は|様子《やうす》|分《わか》らねど、|兎《と》も|角《かく》も|自分等《じぶんら》を|尊敬《そんけい》せしものたる|事《こと》は、|其《その》|態度《たいど》に|依《よ》つて|悟《さと》る|事《こと》を|得《え》たりける。
|森林《しんりん》の|最《もつと》も|高《たか》き|所《ところ》に|七八丈《しちはちじやう》|許《ばか》りの|方形《ほうけい》の|岩《いは》が、|地《ち》の|底《そこ》から|湧《わ》き|出《で》たやうに|現《あら》はれ|居《ゐ》たり。|其《その》|上《うへ》に|玉能姫《たまのひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》の|三人《さんにん》を|舁《かつ》ぎ|往《ゆ》き、|種々《いろいろ》の|果物《くだもの》を|各自《てんで》に|持《も》ち|来《きた》り、|所《ところ》|狭《せ》き|迄《まで》|並《なら》べ|立《た》て、|此《この》|岩《いは》を|中心《ちうしん》に|踊《をど》り|狂《くる》ひ|廻《まは》つた。|残《のこ》りの|一隊《いつたい》は|大樹《たいじゆ》の|下《もと》に|移《うつ》り|往《ゆ》き、|何事《なにごと》か|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祈願《きぐわん》し|初《はじ》めたり。
|玉治別《たまはるわけ》は|一向《いつかう》|構《かま》つて|呉《く》れないのに|稍《やや》|悄気気味《しよげぎみ》となり、|又《また》もや|樹上《じゆじやう》に|駆《か》け|登《のぼ》り|木《き》の|枝《えだ》を|手折《たお》つて、|前後左右《ぜんごさいう》に|無精《むしやう》に|打《う》ち|振《ふ》り、
『ウツパツパーウツパツパー、キンライライノクタクタライ、ラーテンドウ ラーテンドウ』
と|幾度《いくたび》も|繰返《くりかへ》しける。|此《この》|意味《いみ》は、
『|吾《われ》は|海底《かいてい》の|竜神《りうじん》、|今《いま》|此《この》|島《しま》を|平安《へいあん》|無事《ぶじ》ならしめむために|現《あら》はれ|来《きた》り』
と|云《い》ふ|事《こと》になる。|又《また》もや|土人《どじん》は|玉治別《たまはるわけ》を|一生懸命《いつしやうけんめい》に|拝《をが》み|初《はじ》めたり。スマートボールは、
『パーパーチンチン、パーチンチン』
と|囀《さへづ》りぬ。|数多《あまた》の|群集《ぐんしふ》は|各《おのおの》|尻《しり》をまくり、|高姫《たかひめ》の|身辺《しんぺん》|近《ちか》く|取《と》り|巻《ま》き「|我《わが》|臀肉《でんにく》を|喰《くら》へ」と|云《い》ふ|意味《いみ》にて、
『パーパーキントウ、キントウ、パーパーキントウ、キントウ、パースパース』
と|云《い》ひながら|御丁寧《ごていねい》に|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|尻《しり》をまくりて、|三間《さんげん》|許《ばか》り|四《よ》つ|這《ばひ》になり、|各《おのおの》|此《この》|場《ば》を|捨《す》てて、|初稚姫《はつわかひめ》|等《ら》が|坐《ざ》せる|石《いし》の|宝座《ほうざ》の|方《はう》に、|先《さき》を|争《あらそ》うて|進《すす》み|行《ゆ》く。
|樹下《じゆか》に|蹲踞《しやが》み、|感涙《かんるい》に|咽《むせ》んで|居《ゐ》る|数十人《すうじふにん》の、|残《のこ》つた|土人《どじん》の|敬虔《けいけん》の|態度《たいど》を|眺《なが》めた|高姫《たかひめ》は、そろそろむかづき|初《はじ》め、
『これこれ|此処《ここ》の|土人《どじん》さま、お|前《まへ》は|何《なん》と|思《おも》つて|居《を》るか。あの|先《さき》に|登《のぼ》つた|奴《やつ》は|友彦《ともひこ》と|云《い》ふ、それはそれは|恐《おそ》ろしい、|人《ひと》を|騙《だま》して|金《かね》を|奪《と》り、|嬶盗人《かかぬすびと》をやつた|悪《わる》い|悪《わる》い|男《をとこ》だよ。そして|後《あと》から|上《のぼ》つた|細長《ほそなが》い|猿《さる》の|様《やう》な|男《をとこ》はスマートボールと|云《い》ふ、|最前《さいぜん》|行《い》つた|蜈蚣姫《むかでひめ》の|乾児《こぶん》の|中《なか》でも|一番《いちばん》|意地《いぢ》くねの|悪《わる》い|代物《しろもの》だ。|三番目《さんばんめ》に|登《のぼ》つた|奴《やつ》は|神《かみ》でも|何《なん》でもない。|自転倒島《おのころじま》の|宇都山《うづやま》の|里《さと》に、|蚯蚓切《みみずき》りの|蛙飛《かへると》ばしを|商売《しやうばい》にする、|田吾作《たごさく》と|云《い》ふ|男《をとこ》だ。|如何《いか》に|盲《めくら》|千人《せんにん》の|世《よ》の|中《なか》だと|云《い》うても、|取違《とりちが》ひするにも|程《ほど》がある。|此《この》|中《なか》で|一番《いちばん》|尊《たふと》い|御方《おかた》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》たる|此《この》|高姫《たかひめ》だよ、|取《と》り|違《ちが》ひをするな』
と|癇癪声《かんしやくごゑ》を|張《は》り|上《あ》げながら、|自分《じぶん》の|鼻先《はなさき》をチヨンと|押《おさ》へて|見《み》せたれど|土人《どじん》には|何《なん》の|事《こと》か|一《ひと》つも|通《つう》ぜず、|歯脱《はぬ》け|婆《ばば》が|気《き》を|焦《いら》つて、|尻《しり》をかまされた|腹立紛《はらだちまぎ》れに|怒鳴《どな》つて|居《を》るのだ|位《くらゐ》に|解《かい》され|居《ゐ》たり。|一同《いちどう》の|土人《どじん》は|高姫《たかひめ》に|向《むか》ひ、|両手《りやうて》の|食指《ひとさしゆび》を|突《つ》き|出《だ》し、|左右《さいう》の|指《ゆび》を|交《かは》る|交《がは》る|鼻《はな》の|前《まへ》に|突出《つきだ》し、しやくつて|見《み》せたり。|高姫《たかひめ》も|何事《なにごと》か|訳《わけ》が|分《わか》らず、|同《おな》じやうに|今度《こんど》は|指《ゆび》を|外向《そとむ》けにして、|水田《みづた》の|中《なか》を|熊手《くまで》で|掘《ほ》るやうに|空中《くうちう》を|掻《か》いて|見《み》せる。|其《その》スタイルは|蟷螂《かまきり》の|怒《おこ》つた|時《とき》の|様子《やうす》に|似《に》たりける。|数十人《すうじふにん》の|土人《どじん》は|何故《なにゆゑ》か|一度《いちど》に|頭《かしら》を|大地《だいち》につけたり。|高姫《たかひめ》は|調子《てうし》に|乗《の》つて|幾回《いくくわい》となく|空中《くうちう》を|掻《か》く。|樹上《じゆじやう》の|友彦《ともひこ》は|又《また》もや、
『エツポツポー エツポツポー、パーパーチクリン、パーチクリン、ポコポコペンノポコポコペン、ペンポコペンポコ、チンタイタイ』
と|叫《さけ》べば、|一同《いちどう》はムクムクと|頭《あたま》を|上《あ》げ、|日《ひ》に|焦《や》けた|真黒《まつくろ》な|腕《うで》をニウと|前《まへ》に|出《だ》し、|一斉《いつせい》に|高姫《たかひめ》に|向《むか》つて|突《つ》きかかり|来《く》る。|此《この》|時《とき》|玉治別《たまはるわけ》は|樹上《じゆじやう》より、
『エイムツエイムツ、ツウツウター』
と|叫《さけ》ぶ。|一同《いちどう》は|俄《にはか》に|腕《うで》をすくめ、|力《ちから》|無《な》げに|又《また》|元《もと》の|座《ざ》に|平伏《へいふく》し、|樹上《じゆじやう》の|三人《さんにん》に|向《むか》つて|合掌《がつしやう》し、|何事《なにごと》か|声低《こゑびく》に|祈《いの》り|居《ゐ》る。
|暫《しばら》くありて|玉能姫《たまのひめ》は、|蜈蚣姫《むかでひめ》と|共《とも》に|初稚姫《はつわかひめ》を|中《なか》に|置《お》き、|後前《あとさき》を|警固《けいご》しながら|数多《あまた》の|土人《どじん》に|送《おく》られて、|大樹《たいじゆ》の|下《もと》に|引《ひ》き|返《かへ》し|来《きた》りぬ。|玉治別《たまはるわけ》は|調子《てうし》に|乗《の》つて|口《くち》から|出任《でまか》せに、
『ダールダール、ネースネース、ツツーテクテクテレリントン、ニウジイランドテテーポーポー、ツツーポーポ、タターポーポー、エーポーポー、エーツクエーツク、エーポーポー、エーツクエーツク、エーテイテイ』
と|叫《さけ》ぶや|否《いな》や、|土人《どじん》の|大多数《だいたすう》は|蜘蛛《くも》の|子《こ》を|散《ち》らすが|如《ごと》く|此《この》|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》りにける。|玉能姫《たまのひめ》は|樹上《じゆじやう》を|見上《みあ》げながら、
『|玉治別《たまはるわけ》さま、スマートボールさま、|早《はや》く|下《くだ》りて|下《くだ》さい、|玉能姫《たまのひめ》は|一《ひと》つ|島《じま》に|往《ゆ》かねばなりますまい。サア|早《はや》く|早《はや》く』
と|手招《てまね》きするにぞ、|三人《さんにん》は|此《この》|声《こゑ》に|応《おう》じて、ずるずると|樹下《じゆか》に|苦《く》もなく|下《くだ》り|来《き》たりぬ。|暫《しばら》くありて|土人《どじん》は|満艦飾《まんかんしよく》を|施《ほどこ》したる|立派《りつぱ》な|船《ふね》を|一艘《いつそう》と、|其《その》|他《た》に|堅固《けんご》なる|船《ふね》|十数艘《じふすうそう》を|率《ひき》ゐ|来《きた》り、|中《なか》には|至《いた》つて|見苦《みぐる》しき|泥船《どろふね》|一艘《いつそう》を|交《ま》ぜて|居《ゐ》た。|最《もつと》も|麗《うるは》しき|船《ふね》に|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》を|丁寧《ていねい》に|寄《よ》つて|集《たか》つて|舁《かつ》ぎながら、|恭《うやうや》しく|乗《の》せた。|玉治別《たまはるわけ》は|我《わが》|乗《の》り|来《きた》りし|船《ふね》に、スマートボール、|友彦《ともひこ》と|三人《さんにん》|分乗《ぶんじやう》した。|久助《きうすけ》、お|民《たみ》は|土人《どじん》と|共《とも》に|麗《うるは》しき|船《ふね》に|乗《の》せられた。チヤンキー、モンキー|及《およ》び|高姫《たかひめ》は|泥船《どろぶね》に|無理《むり》に|捻込《ねぢこ》まれ、|艫《ろ》を|漕《こ》ぎながら、|数百人《すうひやくにん》の|土人《どじん》は|大船《おほぶね》に|満乗《まんじやう》して、|一《ひと》つ|島《じま》|目蒐《めが》けて|送《おく》つて|行《ゆ》く。|高姫《たかひめ》は|不平《ふへい》で|堪《たま》らず、|種々《いろいろ》と|言葉《ことば》を|尽《つく》して……|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》を|最《もつと》も|立派《りつぱ》な|船《ふね》に|乗《の》せるのが|至当《したう》だ、|玉能姫《たまのひめ》ナンカは|普通《ふつう》の|船《ふね》でよい……と|身《み》を|〓《もが》いて|喋《しやべ》り|立《た》てたが、|土人《どじん》には|一向《いつかう》|言葉《ことば》も|通《つう》じないと|見《み》えて、
『エツポツポー エツポツポー、パーパーチツク、パーチツク』
と|云《い》ひながら、|一《ひと》つ|島《じま》|目蒐《めが》けて|進《すす》み|行《ゆ》く。|玉治別《たまはるわけ》は|船中《せんちう》にて|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|初《はじ》めたり。
『コーツーコーツーオーリンス セイセイオウオウオウセンス
チーサーオーサーツウツクリン コモトヨコモト、カンツクリン
ターツーテーツーテーリンス ノウミス ノウミス ヨーリンス
メースヤーツノーブクリン』
と|歌《うた》ひ|出《だ》しぬ。|土人《どじん》は|此《この》|声《こゑ》に|随喜《ずいき》の|涙《なみだ》を|澪《こぼ》し、|手《て》を|拍《う》つて|合掌《がつしやう》したり。この|意味《いみ》は、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて、|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》ける、|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》、|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》、|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は、|直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ、|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》せ』
と|云《い》ふ|宣伝歌《せんでんか》の|直訳《ちよくやく》なり。|玉治別《たまはるわけ》は|此《この》|島《しま》の|神霊《しんれい》に|感《かん》じ、|俄《にはか》に|南洋《なんやう》の|語《ご》を|感得《かんとく》したるなりき。|其《その》|他《た》の|一同《いちどう》も、|残《のこ》らず|此《この》|島《しま》に|上陸《じやうりく》して|神霊《しんれい》に|感《かん》じ|用語《ようご》を|悟《さと》りぬ。されど|我慢《がまん》にして|猜疑心《さいぎしん》|深《ふか》き|高姫《たかひめ》には、|一語《いちご》も|神《かみ》より|言葉《ことば》を|与《あた》へ|給《たま》はざりしなり。|船中《せんちう》は|残《のこ》らず|南洋語《なんやうご》で|持《も》ち|切《き》り、|恰《あたか》も|燕《つばくろ》の|巣《す》の|如《ごと》く「チーチーパーパー、キウキウ」の|声《こゑ》に|満《み》たされ、|漸《やうや》くにして|一《ひと》つ|島《じま》のタカ(テーク)の|港《みなと》に|無事《ぶじ》|上陸《じやうりく》したりける。
|土人《どじん》の|中《なか》にても|最《もつと》も|羽振《はぶり》の|利《き》いた|酋長《しうちやう》のカーチヤンは、|二三人《にさんにん》の|供人《ともびと》と|共《とも》に|辛《から》うじて|港《みなと》に|上陸《じやうりく》するや|否《いな》や、|黄竜姫《わうりようひめ》の|鎮《しづ》まる|王城《わうじやう》の|都《みやこ》を|指《さ》して、|蜈蚣姫《むかでひめ》|一行《いつかう》の|到着《たうちやく》を|報告《はうこく》すべく、|一目散《いちもくさん》に|島内《たうない》|深《ふか》く|姿《すがた》を|隠《かく》しけり。
|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》は|土人《どじん》の|手車《てぐるま》に|乗《の》せられて、|之《これ》を|舁《かつ》ぐやうな|体裁《ていさい》で、「エツサアサア エツサアサア」と|云《い》ひながら|都《みやこ》をさして|送《おく》られて|行《ゆ》く。|玉治別《たまはるわけ》は|驢馬《ろば》に|跨《また》がり、|友彦《ともひこ》|其《その》|他《た》を|従《したが》へ|悠々《いういう》として|土人《どじん》の|一隊《いつたい》に|守《まも》られ|進《すす》み|行《ゆ》く。|高姫《たかひめ》は|非常《ひじやう》の|侮辱《ぶじよく》と|虐待《ぎやくたい》を|受《う》けながら|意気銷沈《いきせうちん》の|体《てい》にて、|恨《うら》めしげにとぼとぼと、どん|後《あと》から|随従《つい》て|往《ゆ》く。|往《ゆ》く|事《こと》|数十丁《すうじつちやう》、|前方《ぜんぱう》より|麗《うるは》しき|輿《こし》を|舁《かつ》ぎ、|騎馬《きば》の|兵士《つはもの》|数十人《すうじふにん》、|前後《ぜんご》につき|添《そ》ひ、|威風堂々《ゐふうだうだう》として|来《きた》る|真先《まつさき》に|立《た》てる|勝《すぐ》れて|背《せ》の|高《たか》い|男《をとこ》、|馬上《ばじやう》より、
『|我《われ》こそは|黄竜姫《わうりようひめ》の|宰相《さいしやう》、ブランジーと|申《まを》すもの、|今日《けふ》は|女王《ぢよわう》の|御母上《おんははうへ》|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》|御来臨《ごらいりん》と|承《うけたま》はり、これ|迄《まで》お|迎《むか》ひのため|罷《まか》り|越《こ》したり。……サア|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》、この|輿《こし》にお|乗《の》り|下《くだ》さいませ』
とすすむるにぞ、|蜈蚣姫《むかでひめ》は|意外《いぐわい》の|待遇《たいぐう》に|嬉《うれ》しさ|余《あま》つて|言葉《ことば》も|得出《えだ》さず|差俯《さしうつ》むき|居《ゐ》る。|群衆《ぐんしう》は|何《なん》の|容赦《ようしや》もなく|手車《てぐるま》の|儘《まま》|輿《こし》の|傍《そば》に|近《ちか》づき、|御輿《みこし》の|戸《と》を|開《あ》けて、|蜈蚣姫《むかでひめ》を|乗《の》らしめたり。|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》は|土人《どじん》の|手車《てぐるま》に|乗《の》りしまま|輿《こし》の|後《あと》に|従《したが》ひ|行《ゆ》く。
|行《ゆ》く|事《こと》|数十丁《すうじつちやう》、|忽《たちま》ち|黄竜姫《わうりようひめ》の|城内《じやうない》に|一同《いちどう》|迎《むか》へ|入《い》れられ、|御輿《みこし》は|玄関《げんくわん》の|前《まへ》に|据《す》ゑられける。|此《この》|時《とき》|黄竜姫《わうりようひめ》はクロンバーを|従《したが》へ|玄関《げんくわん》に|立《た》ち|現《あら》はれ、|輿《こし》より|出《い》づる|蜈蚣姫《むかでひめ》の|手《て》を|取《と》り、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》を|湛《たた》へながら|奥《おく》|深《ふか》く|姿《すがた》を|匿《かく》しけり。クロンバーは|玄関《げんくわん》に|佇《たたず》み、|一行《いつかう》の|姿《すがた》を|見《み》やりながら、
『ヤアお|前《まへ》はお|節《せつ》ぢやないか。お|初《はつ》、|何《なん》ぢや|偉《えら》さうに|手車《てぐるま》に|乗《の》つて……|慢神《まんしん》するにも|程《ほど》がある。ヤア|田吾作《たごさく》、スマートボールに|鼻《はな》の|先《さき》の|赤《あか》い|男《をとこ》、ヤア|何《なん》とした|今日《けふ》は|怪態《けつたい》な|日《ひ》だらう。|高山《たかやま》さまも|高山《たかやま》さまだ、なぜコンナ|代物《しろもの》を|迎《むか》へ|入《い》れたのだらう……それにつけても|高姫《たかひめ》さま、|酷《きつ》い|事《こと》を|仰有《おつしや》つて|私《わたし》を|追《お》ひ|出《だ》しなさつたが、|嘸《さぞ》や|今頃《いまごろ》は|心細《こころぼそ》く|思《おも》うて|居《ゐ》なさるだらう、アヽお|哀憫《いと》しい。コンナ|連中《れんちう》に|遭《あ》ふのも|嫌《いや》だが、|高姫《たかひめ》さまに|何《ど》うかして|一目《ひとめ》|遭《あ》ひたいものだ』
と|独《ひと》り|呟《つぶや》き|居《ゐ》る。|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》はクロンバーに|向《むか》ひ、
『ヤア|貴女《あなた》は|三五教《あななひけう》の|黒姫《くろひめ》さまでは|御座《ござ》いませぬか、|妾《わたし》は|初稚《はつわか》で|厶《ござ》います』
『ハイ、|左様《さやう》で|御座《ござ》います。|世間《せけん》は|広《ひろ》いもの、|自転倒島《おのころじま》に|居《を》つて、|皆《みな》さまに|笑《わら》はれ|譏《そし》られ、|邪魔《じやま》|計《ばか》りしられて|居《を》りましては|真実《ほんと》の|神力《しんりき》が|出《で》ませぬが、|此《この》|広《ひろ》い|島《しま》に|渡《わた》つて|来《き》て|自由自在《じいうじざい》に|神力《しんりき》を|発揮《はつき》し、|今《いま》では|此《この》|通《とほ》り|立派《りつぱ》な|一国《いつこく》の|宰相《さいしやう》の|北《きた》の|方《かた》となりました。お|前《まへ》さまは|矢張《やつぱり》|言依別命《ことよりわけのみこと》について|自転倒島《おのころじま》を|宣伝《せんでん》に|廻《まは》り、|失敗《しつぱい》の|結果《けつくわ》、|又《また》ボロイ|事《こと》があらうかと|思《おも》つて、|南洋《なんやう》|三界《さんかい》|迄《まで》|彷徨《さまよ》うて|来《き》なさつたのだな。ウンよしよし、|世界《せかい》に|鬼《おに》は|無《な》い。|改心《かいしん》さへ|出来《でき》れば|黒姫《くろひめ》が|助《たす》けて|上《あ》げよう。|窮鳥《きうてう》|懐《ふところ》に|入《い》れば|猟師《れふし》も|之《これ》を|取《と》らずと|云《い》ふ|事《こと》がある。もうかうなつては|今迄《いままで》のやうに|我《が》を|張《は》らずに、お|節《せつ》……ハイ、……お|初《はつ》……ハイ……と|云《い》うて|黒姫《くろひめ》に|絶対服従《ぜつたいふくじゆう》をなさるのが|身《み》の|為《た》めぢやぞエ。……お|前《まへ》は|田吾作《たごさく》ぢやないか。|矢張《やつぱり》|周章者《あわてもの》は|周章者《あわてもの》ぢや。|自転倒島《おのころじま》ではもう|相手《あひて》が|無《な》くなつたかや。オホヽヽヽ、|気《き》の|毒《どく》な|事《こと》いのう』
|玉治別《たまはるわけ》は|余《あま》りの|侮辱《ぶじよく》にむツとしたが、|堪忍袋《かんにんぶくろ》を|押《おさ》へて|素知《そし》らぬ|顔《かほ》にて|笑《わら》ひ|居《ゐ》る。ブランジーの|高山彦《たかやまひこ》は|馬《うま》に|跨《また》がり|乍《なが》ら、
『ヤアヤア|数多《あまた》の|人々《ひとびと》、|遥々《はるばる》|御苦労《ごくらう》なりしよ。|城《しろ》の|馬場《ばんば》に|沢山《たくさん》の|酒肴《しゆかう》の|用意《ようい》もしてあらば、|自由自在《じいうじざい》に|飲《の》み|食《く》ひしてお|帰《かへ》り|下《くだ》さい』
|群衆《ぐんしう》はウローウローと|云《い》ひながら、|雪崩《なだれ》を|打《う》つて|城門《じやうもん》を|駆出《かけだ》し、|広《ひろ》き|馬場《ばんば》に|列《なら》べられたる|酒肴《さけさかな》に|舌鼓《したつづみ》をうち、|酔《ゑひ》が|廻《まは》るに|連《つ》れて|唄《うた》ひ|舞《ま》ひ、|踊《をど》り|狂《くる》ひ、|歓喜《くわんき》の|声《こゑ》は|天地《てんち》も|揺《ゆる》ぐ|許《ばか》りなり。
|高姫《たかひめ》は|悄々《しほしほ》として、|漸《やうや》く|玄関《げんくわん》に|現《あらは》れ|来《きた》り、|黒姫《くろひめ》の|姿《すがた》を|見《み》るより、|矢庭《やには》に|飛《と》び|込《こ》み|獅噛《しが》みつき、
『アヽ|貴女《あなた》は|黒姫《くろひめ》|様《さま》、お|久《ひさ》しう|御座《ござ》います』
また|黒姫《くろひめ》は、
『アヽ|貴女《あなた》は|高姫《たかひめ》|様《さま》、|会《あ》ひたかつた、|懐《なつ》かしや』
と|他所《よそ》の|見《み》る|目《め》も|憚《はばか》らず、|互《たがひ》に|抱《いだ》きつき|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|掻《か》き|曇《くも》る。
|高山彦《たかやまひこ》は|馬《うま》を|乗《の》り|捨《す》て|其《その》|場《ば》に|現《あら》はれ、
『|高姫《たかひめ》さまですか、|私《わたくし》は|高山彦《たかやまひこ》ですよ。ようまア|来《き》て|下《くだ》さいました』
と|涙含《なみだぐ》み|乍《なが》ら、|二人《ふたり》の|手《て》を|取《と》り|奥《おく》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》る。|玉治別《たまはるわけ》、|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》|其《その》|他《た》の|一同《いちどう》は|裏門《うらもん》より|密《ひそか》に|逃《のが》れ|出《い》で、|裏山《うらやま》の|森林《しんりん》に|姿《すがた》を|隠《かく》し|息《いき》を|休《やす》め|居《ゐ》たりける。
(大正一一・七・三 旧閏五・九 加藤明子録)
第一一章 |夢《ゆめ》の|王者《わうじや》〔七四一〕
|黄竜姫《わうりようひめ》の|奥殿《おくでん》には、|蜈蚣姫《むかでひめ》と|一《ひと》つ|島《じま》の|女王《ぢよわう》なる|小糸姫《こいとひめ》の|二人《ふたり》|端坐《たんざ》して、|親娘《おやこ》|再会《さいくわい》の|悲喜劇《ひきげき》が|演《えん》ぜられ|居《ゐ》たりける。
『|母上様《ははうへさま》、|久濶《しばらく》で|御座《ござ》いました。ツイ|幼《をさ》な|心《ごころ》に|前後《ぜんご》の|区別《くべつ》も|弁《わきま》へず、|卑《いや》しき|下僕《しもべ》の|友彦《ともひこ》に|唆《そその》かされ、|御両親様《ごりやうしんさま》を|打《う》ち|捨《す》てて|家出《いへで》を|致《いた》しました、|重々《ぢゆうぢゆう》|不孝《ふかう》の|罪《つみ》、お|詫《わび》の|申《まを》し|様《やう》も|御座《ござ》いませぬ。|何卒《どうぞ》|今迄《いままで》の|事《こと》は|憎《にく》い|奴《やつ》ぢやと|思召《おぼしめ》さず、お|赦《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
と|下坐《げざ》に|直《なほ》つて|悔悟《くわいご》の|意《い》を|表《へう》する。|蜈蚣姫《むかでひめ》は|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|暮《く》れ|乍《なが》ら、
『|何《なん》の|何《なん》の、|叱《しか》りませう。|一時《ひととき》は|両親《りやうしん》|共《とも》に|大変《たいへん》な|心配《しんぱい》を|致《いた》しまして、|殆《ほとん》ど|此《この》|世《よ》が|厭《いや》になり、いつそ|夫婦《ふうふ》の|者《もの》が|淵川《ふちかは》へでも|身《み》を|投《な》げて|死《し》なうかと|迄《まで》も|悲観《ひくわん》の|淵《ふち》に|沈《しづ》みました。|然《しか》し|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|神様《かみさま》のお|蔭《かげ》で、|淋《さび》しき|悲《かな》しき|心《こころ》にも|一道《いちだう》の|光明《くわうみやう》が|輝《かがや》き|始《はじ》め|再《ふたた》び|夫婦《ふうふ》は|心《こころ》を|取直《とりなほ》し、|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》の|御教《みをしへ》を|波斯《フサ》の|国《くに》から|印度《ツキ》の|国《くに》、|自転倒島《おのころじま》まで|教線《けうせん》を|張《は》り、|肺肝《はいかん》を|砕《くだ》き|活動《くわつどう》をして|見《み》ましたが、|如何《どう》しても|吾々《われわれ》|夫婦《ふうふ》の|行動《かうどう》が|大神様《おほかみさま》のお|心《こころ》に|召《め》さぬと|見《み》え、する|事《こと》|為《な》す|事《こと》、|〓《いすか》の|嘴《はし》と|喰《く》ひ|違《ちが》ひ、|夫《をつと》の|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》は|波斯《フサ》と|印度《ツキ》との|国境《くにざかひ》、テルモン|山《ざん》の|山麓《さんろく》に|僅《わづか》に|教《をしへ》の|園《その》を|開《ひら》き|給《たま》ひ、|妾《わたし》は|自転倒島《おのころじま》を|駆《か》け|廻《めぐ》り、|風《かぜ》の|便《たよ》りに|其方《そなた》の|所在《ありか》を|聞《き》き|知《し》り、|万里《ばんり》の|波濤《はたう》を|越《こ》えて|漸《やうや》う|此島《ここ》に|着《つ》きました。|鬼熊別《おにくまわけ》が|聞《き》かれたなら、|嘸《さぞ》お|喜《よろこ》びなさる|事《こと》であらう。まア|立派《りつぱ》に|成《な》つて|下《くだ》さつた。|斯様《かやう》な|大《おほ》きな|島《しま》の|女王《ぢよわう》となる|迄《まで》には、|随分《ずゐぶん》|苦労《くらう》をなさつたでせう』
『イエイエ、|尠《すこ》しも|苦労《くらう》ナンカ|致《いた》しませぬ。|何事《なにごと》も|神様《かみさま》の|大御心《おほみこころ》にまかせ、|国祖《こくそ》|国治立尊《くにはるたちのみこと》の|御守護《ごしゆご》|遊《あそ》ばす|三五《あななひ》の|教《をしへ》を|信《しん》じ、|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|大御心《おほみこころ》を|心《こころ》とし、|焦慮《あせ》らず|燥《さわ》がず、|人《ひと》を|憎《にく》まず|妬《ねた》まず、|心《こころ》からの|慈愛《じあい》を|旨《むね》となし|万民《ばんみん》に|臨《のぞ》みました。その|徳《とく》によつて|此《この》|国《くに》は|無事《ぶじ》|泰平《たいへい》に|治《をさ》まり|果実《くわじつ》よく|稔《みの》り、|民《たみ》は|鼓腹撃壤《こふくげきじやう》、|恰《あたか》も|顕恩郷《けんおんきやう》の|昔《むかし》の|様《やう》で|御座《ござ》います。|何卒《どうぞ》|母上様《ははうへさま》、|貴女《あなた》|御夫婦《ごふうふ》|共《とも》|今迄《いままで》の|心《こころ》を|立替《たてかへ》|立直《たてなほ》し、|国祖《こくそ》|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》|様《さま》の|大御心《おほみこころ》を|奉体《ほうたい》し、|誠《まこと》|一《ひと》つになつて|下《くだ》さいませ。|誠《まこと》ほど|強《つよ》いものの|結構《けつこう》なものは|御座《ござ》いませぬ。|如何《いか》なる|敵《てき》も|赦《ゆる》すのが|神様《かみさま》の|御心《みこころ》で|御座《ござ》います』
『いかにも|立派《りつぱ》なお|心掛《こころが》け、さうでなくては|結構《けつこう》なお|道《みち》は|開《ひら》けますまい。さうしてお|前様《まへさま》の|御用助《ごようだす》けをする|方《かた》は|誰方《どなた》で|御座《ござ》いますか』
『ハイ、|実《じつ》の|所《ところ》、|顕恩郷《けんおんきやう》のバラモンの|本山《ほんざん》に|御座《ござ》つた|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》、|梅子姫《うめこひめ》|様《さま》、それに|付《つ》き|添《そ》う|今子姫《いまこひめ》、|宇豆姫《うづひめ》の|四人《よにん》の|方々《かたがた》が、|広大無辺《くわうだいむへん》の|神力《しんりき》を|現《あら》はし、|其《その》|手柄《てがら》を|皆《みんな》|妾《わたし》にお|譲《ゆづ》り|下《くだ》され、|妾《わたし》を|此《この》|島《しま》の|女王《ぢよわう》として|下《くだ》さつたのです』
『|何《なに》、あの|五十子姫《いそこひめ》、|梅子姫《うめこひめ》がソンナ|立派《りつぱ》な|行《おこな》ひを|致《いた》しましたか。|姉妹《きやうだい》|八人《はちにん》|申《ま》を|合《しあは》せ、|顕恩城《けんおんじやう》に|忍《しの》び|入《い》り、|大棟梁様《だいとうりやうさま》の|裏《うら》をかいて、メチヤメチヤに|叩《たた》き|壊《こは》した|悪神《あくがみ》ではありませぬか』
『あの|方々《かたがた》は|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》|様《さま》の|御娘子《おむすめご》、|神様《かみさま》の|命令《めいれい》に|依《よ》つて|顕恩郷《けんおんきやう》に|下僕《しもべ》となつて、バラモン|教《けう》の|人々《ひとびと》を|誠《まこと》の|道《みち》に|救《すく》はむ|為《ため》に、|天降《あまくだ》り|遊《あそ》ばしたので|御座《ござ》います。|決《けつ》して|悪《わる》く|思《おも》はれてはなりませぬ。|今日《こんにち》の|処《ところ》では、|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》は|今子姫《いまこひめ》と|共《とも》に|自転倒島《おのころじま》の|聖地《せいち》へ|指《さ》してお|帰《かへ》りになり、|只今《ただいま》は|梅子姫《うめこひめ》|様《さま》、|宇豆姫《うづひめ》と|共《とも》に|妾《わたし》の|日夜《にちや》の|神政《しんせい》を|補助《ほじよ》|指導《しだう》して|下《くだ》さる、|結構《けつこう》な|神様《かみさま》の|様《やう》なお|方《かた》で|御座《ござ》います。|何卒《どうぞ》|母上様《ははうへさま》、|一度《いちど》|丁寧《ていねい》に|御礼《おれい》を|申《まを》し|上《あ》げて|下《くだ》さいませ』
|蜈蚣姫《むかでひめ》は|此《この》|物語《ものがたり》に|驚《おどろ》き|舌《した》を|捲《ま》き、『ヘーツ』と|言《い》つたきり|暫時《しばし》|言葉《ことば》も|出《い》でず、|思案《しあん》|投《な》げ|首《くび》に|時《とき》を|移《うつ》したりける。
|少時《しばらく》あつて|侍女《じぢよ》が|運《はこ》びきたる|豆茶《まめちや》に|喉《のど》を|潤《うるほ》し|乍《なが》ら、|蜈蚣姫《むかでひめ》は|語《ご》を|次《つい》で、
『お|前様《まへさま》はそれ|丈《だ》け|善一筋《ぜんひとすぢ》の|道《みち》を|守《まも》り、|結構《けつこう》な|女王《ぢよわう》とまで|成《な》りなさつた|位《くらゐ》だから、|今迄《いままで》の|如何《いか》なる|無礼《ぶれい》を|加《くは》へた|者《もの》でも|赦《ゆる》しませうなア』
『ハイ、|赦《ゆる》すの、|赦《ゆる》さぬのと……|左様《さやう》な|大《だい》それた……|人間《にんげん》として|資格《しかく》は|持《も》ちませぬ。|何事《なにごと》も|皆《みな》|神様《かみさま》のお|仕組《しぐみ》ですから……』
『|仮令《たとへ》|友彦《ともひこ》の|様《やう》な|男《をとこ》でも、|謝《あやま》つて|来《き》たならば|貴女《あなた》は|赦《ゆる》しますか』
『|人間《にんげん》の|性《せい》は|善《ぜん》で|御座《ござ》います。|悔《く》い|改《あらた》めさへすれば|元《もと》の|大神様《おほかみさま》の|分霊《わけみたま》、|罪《つみ》も|穢《けがれ》も|御座《ござ》いますまい。|母上様《ははうへさま》は|友彦《ともひこ》をお|怨《うら》みで|御座《ござ》いませうが、|決《けつ》して|友彦《ともひこ》が|悪《わる》いのでは|御座《ござ》いませぬ。|妾《わたし》こそ|友彦《ともひこ》に|対《たい》して、|実《じつ》に|済《す》まない|事《こと》を|致《いた》しました。|神様《かみさま》の|御神徳《ごしんとく》を|頂《いただ》き、|斯様《かやう》な|結構《けつこう》な|身《み》の|上《うへ》になつたにつけても、|明暮《あけくれ》|思《おも》ふのは|御両親様《ごりやうしんさま》の|事《こと》、|次《つぎ》には|友彦《ともひこ》の|事《こと》で|御座《ござ》います。|寝《ね》ても|起《お》きても……アヽ|実《じつ》に|済《す》まない|事《こと》であつた……と|思《おも》へば【うら】|恥《はづか》しくて|立《た》つても|居《ゐ》ても|居《を》られない|様《やう》です。|何卒《どうぞ》|一度《いちど》お|目《め》にかかつてお|詫《わび》を|致《いた》し|度《た》いもので|御座《ござ》います。それ|故《ゆゑ》|妾《わたし》は|貞節《ていせつ》を|守《まも》り、|独身《どくしん》|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けて|居《を》ります』
と|涙《なみだ》を|袖《そで》に|拭《ぬぐ》ふ。|蜈蚣姫《むかでひめ》はアフンと|許《ばか》り|呆《あき》れかへり、
『|恋《こひ》に|上下《じやうげ》の|隔《へだ》てなしとは、よくも|言《い》つたものだな。|矢張《やは》りお|前《まへ》さまは|友彦《ともひこ》が|恋《こひ》しいのですか』
|小糸姫《こいとひめ》は|俯向《うつむ》いて|無言《むごん》の|儘《まま》|涙《なみだ》にかきくれる。
『|万々一《まんまんいち》|其《その》|友彦《ともひこ》が|詐偽師《さぎし》、|大泥棒《おほどろばう》、|人《ひと》の|嬶《かか》ア|盗《ぬす》みをする|悪党《あくたう》であつたら、お|前《まへ》さまは|如何《どう》しますか』
『チツトも|構《かま》ひませぬ。|友彦《ともひこ》さまを|悪人《あくにん》にしたのも|皆《みな》|妾《わたし》の|罪《つみ》、それなれば|尚々《なほなほ》|大切《だいじ》にして|上《あ》げねばなりますまい』
『ヘエ|左様《さやう》ですか』
と|娘《むすめ》の|顔《かほ》を|訝《いぶ》かしげに|打《う》ち|看守《みまも》る。
|此《この》|時《とき》|一人《ひとり》の|侍女《じぢよ》|慌《あわただ》しく|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|来《きた》り、
『|女王様《ぢよわうさま》に|申上《まをしあ》げます。|今《いま》|玄関口《げんくわんぐち》に|鼻《はな》の|先《さき》の|赤《あか》い、|色《いろ》の|黒《くろ》い、|不細工《ぶさいく》な|男《をとこ》が|一人《ひとり》|立《た》ち|現《あら》はれ、……「|俺《おれ》は|女王《ぢよわう》の|夫《をつと》だ、|一遍《いつぺん》|小糸姫《こいとひめ》に|会《あ》はせ」……と|呶鳴《どな》つて|居《を》りますので、|大勢《おほぜい》の|者《もの》どもが、コンナ|気違《きちが》ひを|寄《よ》せてはならないと|種々《いろいろ》と|致《いた》しますれど、|力強《ちからづよ》の|鼻赤男《はなあかをとこ》、|容易《ようい》に|治《をさ》まりませぬ。|小糸姫《こいとひめ》に|告《つ》げと|許《ばか》り|失礼《しつれい》な|事《こと》|申《まを》して|居《を》りますが、|如何《どう》|致《いた》しませうか』
と|聞《き》くより|小糸姫《こいとひめ》は|顔色《がんしよく》をサツと|変《へん》じ、
『|何《なに》、|鼻《はな》の|先《さき》の|赤《あか》い|男《をとこ》が、|小糸姫《こいとひめ》に|会《あ》ひたいと|言《い》つて|居《ゐ》ますか。さア|妾《わたし》も|参《まゐ》りませう。……|母上様《ははうへさま》、|暫時《しばらく》|此処《ここ》に|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さいませ』
と|言《い》ひ|捨《す》て、|侍女《じぢよ》の|後《あと》に|従《したが》ひ|長廊下《ながらうか》を|伝《つた》ひ、|表玄関《おもてげんくわん》|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。あとに|蜈蚣姫《むかでひめ》は|舌《した》を|捲《ま》き、
『ナント|強《きつ》い|惚気《のろけ》|様《やう》だなア。|雀《すずめ》|百《ひやく》まで|雄鳥《をんどり》を|忘《わす》れぬとやら、|妾《わし》も|如何《どう》やら|鬼熊別《おにくまわけ》|様《さま》が|思《おも》ひ|出《だ》されて、お|懐《なつか》しうなつて|来《き》たワ』
と|四辺《あたり》に|人《ひと》|無《な》きを|幸《さいは》ひ、|思《おも》ひのままに|泣《な》き|叫《さけ》ぶ。|玄関口《げんくわんぐち》に|現《あら》はれた|小糸姫《こいとひめ》は、|前後左右《ぜんごさいう》に|数多《あまた》の|下僕《しもべ》を|手玉《てだま》にとり|荒《あ》れ|狂《くる》ふ|友彦《ともひこ》の|姿《すがた》を|見《み》て、ニコニコし|乍《なが》ら「|友彦《ともひこ》|殿《どの》、|友彦《ともひこ》|殿《どの》」と|声《こゑ》を|掛《か》けたり。|此《この》|声《こゑ》に|友彦《ともひこ》は|振《ふ》り|返《かへ》り、|俄《にはか》に|襟《えり》を|繕《つくろ》ひ|身体《からだ》の|恰好《かつかう》を|直《なほ》し|乍《なが》ら、
『やア|小糸姫《こいとひめ》どの、|久《ひさ》し|振《ぶ》りでお|目《め》に|掛《かか》りました。|随分《ずゐぶん》|凄《すご》い|腕前《うでまへ》でしたね』
『|誠《まこと》に|申訳《まをしわけ》のない|事《こと》で|御座《ござ》いました。さア|何卒《どうぞ》|奥《おく》にお|這入《はい》り|下《くだ》さいませ。|妾《わたし》がお|手《て》を|執《と》つてあげませう』
|一同《いちどう》|小糸姫《こいとひめ》の|此《この》|行為《かうゐ》に|呆《あき》れはて、ポカンとして|打《う》ち|眺《なが》め|居《ゐ》たり。|友彦《ともひこ》は|小糸姫《こいとひめ》の|握《にぎ》つた|手《て》を|打《う》ち|払《はら》ひ、
『|滅相《めつさう》も|無《な》い、|権謀術数《けんぼうじゆつすう》|至《いた》らざるなき|恐《おそ》ろしき|貴女《あなた》、|迂濶《うつかり》|手《て》でも|引《ひ》かれ|様《やう》なものなら|電気《でんき》にかけられた|様《やう》に、|寂滅為楽《じやくめつゐらく》の|運命《うんめい》に|陥《おちい》らねばなりますまい。エー、|恐《おそ》ろしや|恐《おそ》ろしや|僅《わづ》か|十六《じふろく》か|十七《じふしち》で、コンナ|大《おほ》きな|島《しま》の|女王《ぢよわう》に|成《な》る|様《やう》な|腕前《うでまへ》、|活殺《くわつさつ》|自在《じざい》の|権能《けんのう》を|持《も》つて|居《ゐ》る|貴女《あなた》、|何卒《どうぞ》|生命《いのち》ばかりは|昔《むかし》の|交誼《よしみ》で|助《たす》けて|下《くだ》さい。|貴女《あなた》も|随分《ずゐぶん》|私《わたし》に|泡《あわ》を|喰《く》はせたから、もうあれで|得心《とくしん》でせう。|此《この》|上《うへ》|苛《いじ》めるのは|胴慾《どうよく》で|御座《ござ》います』
『|恋《こひ》しき|友彦《ともひこ》|様《さま》、|何《なに》|御冗談《ごじようだん》を|仰有《おつしや》いますナ。|日日《ひにち》|毎日《まいにち》、|夢幻《ゆめまぼろし》と|貴下《あなた》の|事《こと》を|思《おも》ひつめ、|待《ま》つて|居《を》りました。さア|安心《あんしん》して|奥《おく》へ|行《い》つて|下《くだ》さい。|母《はは》の|蜈蚣姫《むかでひめ》も|奥《おく》に|休息《きうそく》して|居《を》られますから……』
|友彦《ともひこ》は|稍《やや》|安心《あんしん》の|態《てい》にて、|赤《あか》い|鼻《はな》を|右《みぎ》の|手《て》で|隠《かく》す|様《やう》にし|乍《なが》ら、|小糸姫《こいとひめ》の|細《ほそ》き|手《て》に|左《ひだり》の|手《て》を|握《にぎ》られ|従《つ》いて|行《ゆ》く。
『|友彦《ともひこ》さま、アタ|恰好《かつかう》の|悪《わる》い、|右《みぎ》のお|手《て》をソンナ|処《ところ》へ|当《あ》てたりして、|何《なに》をなさいます』
『あまり|鼻《はな》が|赤《あか》くて|見《み》つとも|無《な》う|御座《ござ》いますから……』
『ホヽヽヽヽ、|妾《わたし》は|其《その》|赤《あか》い|鼻《はな》が|好《す》きなのですよ。|世界中《せかいぢう》に|鼻《はな》の|先《さき》の|赤《あか》い|立派《りつぱ》な|男《をとこ》が、さう|沢山《たくさん》にありますものか、ホヽヽヽヽ』
と|笑《わら》ひ|乍《なが》ら|奥《おく》|深《ふか》く|進《すす》み|行《ゆ》く。|友彦《ともひこ》は|嬉《うれ》しさと|嫌《いや》らしさと|恥《はづか》しさが|一《ひと》つになり、|足《あし》もワナワナ|奥殿《おくでん》|目蒐《めが》けて|進《すす》み|入《い》る。
|奥《おく》の|一室《ひとま》には|蜈蚣姫《むかでひめ》|只《ただ》|一人《ひとり》、|夫《をつと》の|身《み》の|上《うへ》を|思《おも》ひやり|眼《まなこ》を|腫《はら》して|居《ゐ》る。|其処《そこ》へ|嫌《いや》な|嫌《いや》な|友彦《ともひこ》の|手《て》を|携《たづさ》へて、|嬉《うれ》しげに|這入《はい》つて|来《き》た|小糸姫《こいとひめ》の|姿《すがた》を|見《み》て|打《う》ち|驚《おどろ》き、
『まア、|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》、|冗談《じようだん》ぢやと|思《おも》つて|居《ゐ》たら|本当《ほんたう》ですか。アンナ|糞彦《くそひこ》を|奥殿《おくでん》へ|引張《ひつぱ》り|込《こ》み|遊《あそ》ばしては,|貴女《あなた》の|御威徳《ごゐとく》に|関《かか》はりませう。|冗談《じようだん》も|良《よ》い|加減《かげん》になさいませ。………これこれ|友彦《ともひこ》、|身《み》の|上《うへ》|知《し》らずも|程《ほど》がある。お|前等《まへら》の|来《く》る|処《ところ》ぢやない、さアトツトと|下僕《しもべ》の|部屋《へや》へでも|下《さが》つて|休息《きうそく》しなされ。|何程《なにほど》|小糸姫《こいとひめ》がお|前《まへ》に|執着《しふちやく》されても|肝腎《かんじん》の|此《この》|親《おや》が|許《ゆる》しませぬぞや』
『|妾《わたし》は|肉体《にくたい》こそ|貴女《あなた》の|娘《むすめ》、|今《いま》は|一国《いつこく》の|権利《けんり》を|握《にぎ》る|女王《ぢよわう》で|御座《ござ》れば、|如何《いか》に|貴女《あなた》のお|言葉《ことば》なりとて|承《うけたま》はるわけには|参《まゐ》りませぬ。……|友彦《ともひこ》|様《さま》、|今迄《いままで》の|御無礼《ごぶれい》はお|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ。……|母上様《ははうへさま》、|友彦《ともひこ》|様《さま》の|今迄《いままで》の|罪《つみ》は|許《ゆる》してやつて|下《くだ》さい。|今日《こんにち》より|友彦《ともひこ》|様《さま》を|更《あらた》めて|妾《わたし》が|夫《をつと》と|仰《あふ》ぎ、|竜頭王《りうづわう》と|御名《みな》を|与《あた》へまする。……いざ|竜頭王《りうづわう》|殿《どの》、|今日《こんにち》|只今《ただいま》より|妾《わたし》は|貴下《あなた》の|妻《つま》で|御座《ござ》いますれば、|何卒《どうぞ》|宜《よろ》しくお|願《ねが》ひ|致《いた》しまする』
|友彦《ともひこ》は|夢《ゆめ》では|無《な》いかと|頬《ほほ》を|抓《つめ》つて|見《み》たり、|其処《そこら》|四辺《あたり》を|突《つ》いて|見《み》て|茫然《ばうぜん》として|居《ゐ》る。|斯《か》かる|処《ところ》へ|梅子姫《うめこひめ》は|美《うつく》しき|器《うつは》に|種々《いろいろ》の|珍味《ちんみ》を|盛《も》り、|徐々《しづしづ》として|入《い》り|来《きた》り、
『これはこれは|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》、ようこそ|御入来《おいで》|下《くだ》さいました。|久《ひさ》し|振《ぶ》りでお|目《め》に|懸《かか》ります。|先《ま》づ|御壮健《ごさうけん》にて、|何《なに》より|大慶至極《たいけいしごく》に|存《ぞん》じます。|妾《わたし》は|顕恩城《けんおんじやう》に|仕《つか》へて|居《を》りました|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》の|娘《むすめ》|梅子姫《うめこひめ》で|御座《ござ》います。これなる|一人《ひとり》は|宇豆姫《うづひめ》と|申《まを》し、|元《もと》は|鬼雲彦《おにくもひこ》|様《さま》の|侍女《じぢよ》、|何卒《どうぞ》|御眤懇《ごぢつこん》に|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》りまする』
『|何《なん》とまア|年《とし》が|寄《よ》つた|事《こと》、|如何《いか》にもお|前《まへ》さまは|梅子姫《うめこひめ》|様《さま》に|間違《まちが》ひは|無《な》い。|意地《いぢ》の|悪《わる》さうな|顔《かほ》をして|居《ゐ》|乍《なが》ら、ようまア、|娘《むすめ》をここ|迄《まで》|助《たす》けて|出世《しゆつせ》をさして|下《くだ》さいました。|然《しか》し|乍《なが》ら、|余《あま》り|偉《えら》い|出世《しゆつせ》で、|此《この》|親《おや》もチツト|位《くらゐ》|妬《ねた》ましうなつた|位《くらゐ》で|御座《ござ》います。あまり|出世《しゆつせ》をし|過《す》ぎて、|母親《ははおや》の|言《い》ふ|事《こと》も|聞《き》かぬ|様《やう》になつて|仕舞《しま》ひました。|何卒《どうぞ》|貴女《あなた》から|一《ひと》つ|御意見《ごいけん》|遊《あそ》ばして|下《くだ》さいませ。|小糸姫《こいとひめ》が|此《この》|様《やう》な|我儘者《わがままもの》になりますのも、|温順《をんじゆん》な|女《をんな》になりますのも、|指導者《しだうしや》の|感化力《かんくわりよく》によりますのぢや。|貴女《あなた》から|一《ひと》つ|淑《しと》やかになつて、|親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》の|道《みち》をお|悟《さと》り|下《くだ》さいまして、|其《その》|上《うへ》で|娘《むすめ》に|意見《いけん》をして|下《くだ》さらば、|偶《たまたま》|会《あ》うた|親《おや》の|言《い》ふ|事《こと》を|聞《き》く|従順《じうじゆん》な|淑女《しゆくぢよ》になるでせう。それに|何《なん》ぞや、|人《ひと》もあらうに、|鼻赤《はなあか》の|此《この》|様《やう》な|不細工《ぶさいく》な|性念《しようねん》の|悪《わる》い|男《をとこ》を、|今日《けふ》から|竜頭王《りうづわう》と|仰《あふ》ぎ|奉《たてまつ》るなぞと……ヘン……あまり|呆《あき》れて|物《もの》が|言《い》はれませぬワイなア』
と|肩《かた》をプリンプリンと|大《おほ》きくシヤクツて、|不平《ふへい》の|持《も》つて|行《ゆ》き|処《どこ》を|探《さが》し|居《ゐ》たり。
『|吾《われ》は|今日《こんにち》より|今迄《いままで》の|友彦《ともひこ》に|非《あら》ず。オーストラリヤの|女王《ぢよわう》|黄竜姫《わうりようひめ》が|夫《をつと》、|竜頭王《りうづわう》で|御座《ござ》る。|此《この》|国《くに》の|権利《けんり》は|吾《わが》|手《て》に|掌握《しやうあく》|致《いた》したれば、|何事《なにごと》も|此《この》|方《はう》の|指図《さしづ》に|任《まか》せ、|慎《つつし》み|敬《うやま》ひ|凡《すべ》ての|行動《かうどう》を|執《と》つたがよからう』
と|初《はじ》めて|王者《わうじや》|振《ぶ》りを|発揮《はつき》し、|恥《はづか》し|相《さう》に|鼻《はな》の|先《さき》に|手《て》を|当《あ》てて|宣示《せんじ》したり。
『ヘン、|友彦《ともひこ》さま、|措《お》|来《き》なさいませ。|何程《なにほど》|竜宮島《りうぐうじま》の|権利《けんり》を|握《にぎ》つたと|言《い》つても、|妾《わたし》に|対《たい》しては|効力《かうりよく》はありますまい。|妾《わたし》は|黄竜姫《わうりようひめ》の|母《はは》ですよ。|謂《い》はばお|前《まへ》さまの|義理《ぎり》の|母《はは》ですよ。|何程《なにほど》|主権者《しゆけんしや》になつたと|言《い》つても、|親《おや》の|言《い》ふ|事《こと》を|背《そむ》く|訳《わけ》には|往《ゆ》きますまい。|友彦《ともひこ》さま、|返答《へんたふ》を|聞《き》きませうかい』
と|嫉妬《しつと》と|軽侮《けいぶ》とゴツチヤ|交《ま》ぜにして、|鼻息《はないき》|荒《あら》く|知《し》らず|識《し》らずに|立膝《たてひざ》になり、|友彦《ともひこ》の|面部《めんぶ》を|睨《にら》みつめて|居《ゐ》る。|一座《いちざ》|白《しら》けきつた|此《この》|場《ば》の【ま】を|持《も》たさむと、|宇豆姫《うづひめ》は|蜈蚣姫《むかでひめ》の|手《て》を|執《と》り、
『さア、|蜈蚣姫《むかでひめ》さま、|此方《こちら》に|風景《ふうけい》の|佳《い》い|立派《りつぱ》な|居間《ゐま》が|御座《ござ》います。|先《ま》づ|悠《ゆつく》りと|御休息《ごきうそく》|下《くだ》さいませ。お|供《とも》を|致《いた》しませう』
『ハイハイ、|有難《ありがた》う。|若《わか》い|御夫婦《ごふうふ》の|側《そば》に|皺苦茶婆《しわくちやばば》アが|何時《いつ》|迄《まで》も|坐《すわ》つて|居《を》るのは、お|座《ざ》が|白《しら》けませう。|御機嫌《ごきげん》を|損《そこ》ねてもなりませぬから、それならば|気《き》を|利《き》かして|此処《ここ》を|一先《ひとま》づ|立退《たちの》きませう。これこれ|友彦《ともひこ》……オツト ドツコイ……|竜頭王様《りうづわうさま》、|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》、|御夫婦《ごふうふ》|仲《なか》よう|天下《てんか》の|経綸《けいりん》を|御相談《ごさうだん》|遊《あそ》ばせ。|御邪魔《おじやま》になるといけませぬから、|気《き》を|利《き》かして|風景《ふうけい》の|佳《い》い|処《ところ》で、お|茶《ちや》なつと|一杯《いつぱい》|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しませう』
と|言葉《ことば》をシヤクリ|乍《なが》ら、|畳触《たたみざは》り|荒《あら》く|身体《からだ》をピンピンと|左右《さいう》に|振《ふ》りつつ、|一間《ひとま》の|内《うち》へ|進《すす》み|入《い》る。
|後《あと》に|二人《ふたり》は、|互《たがひ》に|一別《いちべつ》|以来《いらい》の|経路《けいろ》を|語《かた》り、|身《み》の|失敗談《しつぱいだん》を|打明《うちあ》け、|夕立雲《ゆふだちぐも》の|霽《は》れたる|如《ごと》く|再《ふたた》び|旧《もと》の|割《わり》なき|仲《なか》となりにける。
○
|折《をり》から|吹《ふ》き|来《く》る|烈風《れつぷう》に|竜頭王《りうづわう》の|安坐《あんざ》せる|高殿《たかどの》は|吹《ふ》き|倒《たふ》され、バチバチガタガタと|木端《こつぱ》|微塵《みじん》に|打《う》ち|砕《くだ》かれ、|身《み》は|高処《かうしよ》より|材木《ざいもく》の|破片《はへん》と|共《とも》に|岩《いは》の|上《うへ》に|落《お》ち|込《こ》み、ハツト|驚《おどろ》きの|目《め》を|覚《さま》せば、……|豈《あに》|図《はか》らむや、|城外《じやうぐわい》の|木《き》の|茂《しげ》みに、|友彦《ともひこ》は|数多《あまた》の|下僕《しもべ》|等《ら》に|舁《か》つぎ|出《いだ》され|捨《す》てられ|乍《なが》ら|疲《つか》れ|果《は》ててつい|熟睡《じゆくすゐ》し、|寝返《ねがへ》り|打《う》つた|途端《とたん》に|二三間《にさんげん》|下《した》の|岩《いは》の|上《うへ》へ|墜落《つゐらく》し、|腰《こし》をしたたか|打《う》ち|居《ゐ》たりける。
(大正一一・七・三 旧閏五・九 北村隆光録)
第一二章 |暴風一過《ぼうふういつくわ》〔七四二〕
|高姫《たかひめ》は|高山彦《たかやまひこ》、|黒姫《くろひめ》に|誘《さそ》はれ、|広大《くわうだい》なる|宰相室《さいしやうしつ》に|導《みちび》かれ、|懐旧談《くわいきうだん》に|時《とき》を|移《うつ》しける。
『|高姫《たかひめ》|様《さま》、ようまア、はるばると|訪《たづ》ねて|来《き》て|下《くだ》さいました。|黄金《こがね》の|玉《たま》の|所在《ありか》は|分《わか》りましたか。|妾《わたし》も|此《この》|島《しま》に|渡《わた》つて|宰相《さいしやう》の|妻《つま》となつたのを|幸《さいは》ひに、|国人《くにびと》を|使役《しえき》し、|此《この》|広大《くわうだい》なる|島《しま》の|隅々《すみずみ》まで|探《さが》させましたなれど、|玉《たま》らしいものは|一《ひと》つもありませぬ。|定《さだ》めて|貴女《あなた》が|是《これ》へお|越《こ》し|遊《あそ》ばしたのは、|妾《わたし》に|安心《あんしん》させてやらうと|思召《おぼしめ》して、お|出《い》で|下《くだ》さつたらうと|信《しん》じます』
『|誠《まこと》に|申《ま》を|訳《しわけ》がありませぬ。あの|玉《たま》の|隠《かく》し|人《びと》は、|正《まさ》しく|言依別命《ことよりわけのみこと》らしう|御座《ござ》います。|黄金《こがね》の|玉《たま》ばかりか、|妾《わたし》の|保管《ほくわん》して|居《を》つた|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》を|始《はじ》め、|紫《むらさき》の|玉《たま》まですつかり|抜《ぬ》き|取《と》られ、|妾《わたし》はそれが|為《た》め|種々雑多《しゆじゆざつた》の|艱難《かんなん》|苦労《くらう》を|嘗《な》め、|玉《たま》の|所在《ありか》を|探《さが》す|内《うち》、|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》は|我々《われわれ》を|出《だ》し|抜《ぬ》き、|貴女《あなた》の|御存《ごぞん》じの|丹波村《たんばむら》のお|節《せつ》や、|杢助《もくすけ》の|娘《むすめ》のお|初《はつ》に、|玉《たま》を|何処《どこ》かへ|隠《かく》させて|仕舞《しま》つたのですよ。それが|為《た》めにお|節《せつ》、お|初《はつ》を|厳《きび》しく|訊問《じんもん》すれども、|三十万年《さんじふまんねん》の|未来《みらい》でなければ|申《まを》し|上《あ》げぬと|我《が》を|張《は》り、|大方《おほかた》|此《この》|島《しま》に|隠《かく》して|置《お》いたのではあるまいかと、|荒波《あらなみ》を|渡《わた》つて|此処《ここ》まで|参《まゐ》りました。|未《ま》だ|一《ひと》つも|玉《たま》の|所在《ありか》は|妾《わたし》は|分《わか》らないのです』
|黒姫《くろひめ》は|眉《まゆ》を|逆立《さかだ》て、
『|不届《ふとど》き|至極《しごく》の|言依別《ことよりわけ》にお|節《せつ》にお|初《はつ》、|此《この》|恨《うら》みを|晴《は》らさいで|措《お》きませうや』
と|拳《こぶし》を|握《にぎ》り、|思《おも》はず|卓《たく》を|三《み》つ|四《よ》つ|叩《たた》いて|雄健《をたけ》びをする。|高山彦《たかやまひこ》は|傍《そば》より、
『|何時《いつ》までも|玉々《たまたま》と|云《い》ふには|及《およ》ばぬぢやないか。|言依別命《ことよりわけのみこと》がどうなさらうと、|神界《しんかい》のお|経綸《しぐみ》に|違《ちが》ひあるまい。モウ|玉《たま》の|事《こと》は|断念《だんねん》して|貰《もら》ひたい。|黒姫《くろひめ》の|玉詮索《たませんさく》には|私《わたし》もモウウンザリしたよ。|間《ま》がな|隙《すき》がな|寝言《ねごと》の|端《はし》にまで、|玉《たま》の|事《こと》ばかり、【タマ】つたものぢやない。それに|又《また》|高姫《たかひめ》さままでが、|玉《たま》を|盗《と》られたとか、イヤもう、うるさい|事《こと》で【コリ】コリしますワイ』
『コレコレ|高山《たかやま》さま、お|前《まへ》さまは|何《な》んと|云《い》ふ|冷淡《れいたん》な|事《こと》を|仰有《おつしや》るのだい。|三千世界《さんぜんせかい》の|御宝《おんたから》、それを|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》として、|又《また》|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》の|生宮《いきみや》として|手《て》に|入《い》れずして、ドウして|天下万民《てんかばんみん》が|救《すく》へませうか。お|前《まへ》さま、|時々《ときどき》|利己主義《われよし》を|発揮《はつき》するから|困《こま》る。|誰《たれ》が|何《なん》と|云《い》つても|此《この》|玉《たま》の|所在《ありか》を|白状《はくじやう》させねば|措《お》くものか。……|時《とき》に|高姫《たかひめ》さま、|其《その》お|節《せつ》にお|初《はつ》は|今《いま》|何処《どこ》に|居《を》りますか』
『ハイ、たつた|今《いま》……|偉《えら》さうにニユージーランドの|土人《どじん》のお|手車《てぐるま》に|乗《の》せられ、|此《この》|玄関先《げんくわんさき》までやつて|来《き》ましたが、|大方《おほかた》|蜈蚣姫《むかでひめ》と|一緒《いつしよ》に|奥殿《おくでん》に|進《すす》み|入《い》り、|黄竜姫《わうりようひめ》|様《さま》の|前《まへ》で|自慢話《じまんばなし》でもやつて|居《を》りませうよ、|本当《ほんたう》に|劫腹《がふばら》の|立《た》つ……ニユージーランドの|玉《たま》の|森《もり》で、|大変《たいへん》な、|妾《わたし》に|侮辱《ぶじよく》を|加《くは》へました。|元《もと》の|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》を|誘拐《かどはか》した|友彦《ともひこ》や、スマートボールに|田吾作《たごさく》の|玉治別《たまはるわけ》、それにお|節《せつ》にお|初《はつ》、いやモウサンザンの|目《め》に|会《あ》はしよつた。|如何《いか》に……|神様《かみさま》の|道《みち》ぢや、|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》せ……と|思《おも》つても、|口惜《くや》し|残念《ざんねん》をこばりつめようと|思《おも》つても、|是《これ》がどうして|耐《こば》らせませうかい。|大勢《おほぜい》の|人《ひと》の|中《なか》に|面《つら》を|晒《さら》され、|生《うま》れてからコンナ|残念《ざんねん》な|目《め》に|会《あ》はされた|事《こと》は|御座《ござ》いませぬワイなア』
と|耐《こら》へ|耐《こら》へし|溜涙《ためなみだ》、|一度《いちど》に|堤防《ていばう》の|崩《くづ》れし|如《ごと》く|声《こゑ》を|放《はな》つて|泣《な》き|立《た》てける。
『お|節《せつ》にお|初《はつ》、|田吾作《たごさく》の|奴《やつ》、|屹度《きつと》|当城内《たうじやうない》の|何処《どこ》かに|居《を》るに|違《ちが》ひない。サア|是《こ》れから|探《さが》し|出《だ》して、|締木《しめぎ》に|架《か》けても|白状《はくじやう》させねば|措《お》くものか。……ヤア|家来《けらい》|共《ども》、|最前《さいぜん》|参《まゐ》りし|男女《だんぢよ》の|一同《いちどう》|召捕《めしと》つて|此《この》|場《ば》へ|連《つ》れ|来《きた》れよ』
との|黒姫《くろひめ》の|下知《げち》に|隣室《りんしつ》に|控《ひか》へ|居《ゐ》たる|七八人《しちはちにん》の|下男《しもべ》は、
『ハイ』
と|答《こた》へて|捻鉢巻《ねぢはちまき》、|襷十字《たすきじふじ》に|綾取《あやど》り、|突棒《つくぼう》、|刺股《さすまた》、|手槍《てやり》なぞを|提《ひつさ》げて、|城内《じやうない》|隈《くま》なく|捜索《そうさく》し|始《はじ》めたり。されど|裏山《うらやま》の|森林《しんりん》に|手早《てばや》く|姿《すがた》を|隠《かく》したる|玉能姫《たまのひめ》|其《その》|他《た》|一同《いちどう》は|山《やま》|又《また》|山《やま》を|越《こ》えて、|遥《はる》か|向《むか》ふの|山頂《さんちやう》に|避難《ひなん》し|時《とき》の|移《うつ》るを|待《ま》ち|居《ゐ》たりける。
かかる|所《ところ》へ|侍女《じぢよ》の|一人《ひとり》|出《い》で|来《きた》り、
『|宰相《さいしやう》|様《さま》、|其《その》|他《た》の|御客様《おきやくさま》に、|女王様《ぢよわうさま》がお|目《め》にかかりたいと|仰《あふ》せられます。どうぞ|直様《すぐさま》お|越《こ》し|下《くだ》されませ、|御案内《ごあんない》|致《いた》しませう』
と|先《さき》に|立《た》つ。ブランジー、クロンバーの|後《あと》に|従《つ》いて|高姫《たかひめ》は、|首《くび》を|頻《しき》りに|振《ふ》りながら、|半《なか》ば|神憑《かむがかり》の|態《てい》にて|奥《おく》|深《ふか》く|進《すす》みつつ、やうやう|黄竜姫《わうりようひめ》の|居間《ゐま》に|通《とほ》されける。
|高山彦《たかやまひこ》は|黄竜姫《わうりようひめ》に|向《むか》ひ|両手《りやうて》をつき、
『|今日《こんにち》は|御母上《おんははうへ》に|御対面《ごたいめん》|遊《あそ》ばされ、|吾々《われわれ》も|共《とも》に|大慶至極《たいけいしごく》に|存《ぞん》じまする。……|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》、ようこそ、|御入来《ごじゆらい》|下《くだ》さいました。|私《わたくし》は|当国《たうごく》の|宰相《さいしやう》を|承《うけたま》はる|高山彦《たかやまひこ》と|申《まを》す|者《もの》、ブランジーとは|仮《かり》の|名《な》、|又《また》|此《この》クロンバーと|申《まを》すは|私《わたくし》の|妻《つま》、|本名《ほんみやう》は|黒姫《くろひめ》と|申《まを》すもの、|何卒《なにとぞ》|御見知《おみし》り|置《お》かれまして|御引立《おひきたて》の|段《だん》、|偏《ひとへ》に|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》りまする』
『コレハコレハ|高山彦《たかやまひこ》|様《さま》、|黒姫《くろひめ》|様《さま》とやら、|予《かね》て|高姫《たかひめ》さまより|承《うけたま》はつて|居《を》りました、|何分《なにぶん》|宜《よろ》しう|御願《おねが》ひ|致《いた》します。……コレ|高姫《たかひめ》さま、|貴女《あなた》も|随分《ずゐぶん》|意地悪《いぢわる》いお|方《かた》で|御座《ござ》いましたなア、ニユージーランドの|玉《たま》の|森《もり》にては|貴女《あなた》も|随分《ずゐぶん》お|困《こま》りでしたやうですワ』
『|蜈蚣姫《むかでひめ》さま、お|前《まへ》さまの|娘御《むすめご》が、|此《この》|国《くに》の|女王《ぢよわう》になつたと|思《おも》つて|俄《にはか》に|偉《えら》い|御見識《ごけんしき》、|何程《なにほど》|偉《えら》い|女王様《ぢよわうさま》でも、|世界統一《せかいとういつ》の|太柱《ふとばしら》、|三千世界《さんぜんせかい》の|御宝《おんたから》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》に|比《くら》ぶれば、|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》|位《くらゐ》|手《て》に|握《にぎ》つたとて、アンマリ|立派《りつぱ》なお|手柄《てがら》でも|御座《ござ》いますまい。|三千世界《さんぜんせかい》に|二人《ふたり》とない|世《よ》の|立替《たてかへ》|立直《たてなほ》しの|基礎《どだい》の|身魂《みたま》は、……ヘン|此《この》|高姫《たかひめ》で|御座《ござ》いますワイ。|盲《めくら》|千人《せんにん》の|世《よ》の|中《なか》、|誠《まこと》の|者《もの》は|一寸《ちよつと》やそつとに|分《わか》りますまい。|此《この》|黒姫《くろひめ》さまだとて、|黄竜姫《わうりようひめ》の|幕下《ばくか》に|神妙《しんめう》に|仕《つか》へて|御座《ござ》るが、|実《じつ》の|素性《すじやう》を|申《まを》せば、|驚《おどろ》く|勿《なか》れ……|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|様《さま》の|生宮《いきみや》で|御座《ござ》るぞや。|高山彦《たかやまひこ》は|夫顔《をつとがお》をして|偉《えら》さうにして|御座《ござ》るが、|実際《じつさい》の|身魂《みたま》を|云《い》へば、|青雲山《せいうんざん》に|棲《すま》ひを|致《いた》す|大天狗《だいてんぐ》の|身魂《みたま》、|何《なん》と|云《い》つても|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》の|二人《ふたり》が|居《を》らねば、|神国《しんこく》|成就《じやうじゆ》は……ヘン|致《いた》しませぬワイ。|人民《じんみん》に|対《たい》して|一《ひと》つ|島《じま》の|女王《ぢよわう》さまでも、|天地根本《てんちこつぽん》の|神《かみ》の|生宮《いきみや》、|神界《しんかい》では|是《これ》|位《くらゐ》|立派《りつぱ》な|権威《けんゐ》のある|身魂《みたま》はありますまい。……|黄竜姫《わうりようひめ》|殿《どの》、|暫《しばら》く|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|席《せき》をお|譲《ゆづ》りめされ』
とツンツンし|乍《なが》ら、|上座《じやうざ》にドンと|坐《すわ》り|見《み》せたり。
『|何《なん》とマア|我《が》の|強《つよ》い|執拗《しぶと》い|身魂《みたま》だらう。|仮令《たとへ》|日《ひ》の|出神《でのかみ》でも|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》でも、|此《この》|城内《じやうない》は|黄竜姫《わうりようひめ》の|権利《けんり》、|上座《じやうざ》に|坐《すわ》るのが|御気《おき》に|召《め》さねば、トツトと|帰《かへ》つて|貰《もら》ひませう』
『|別《べつ》に|妾《わたし》は|女王《ぢよわう》にならうと|云《い》ふのではない。|女王《ぢよわう》さまの|坐《すわ》つて|御座《ござ》る|尻《しり》の|下《した》が|一遍《いつぺん》|調《しら》べて|見《み》たいのだ』
『オホヽヽヽ、|疑《うたが》ひの|深《ふか》いお|方《かた》だ|事《こと》、|女王《ぢよわう》さまの|坐《すわ》つて|御座《ござ》る|床下《ゆかした》に、|三《みつ》つの|玉《たま》でも|隠《かく》してある|様《やう》に|疑《うたが》うていらつしやるのだな』
『|疑《うたが》ふも|疑《うたが》はぬもありますかい。|日《ひ》の|出神《でのかみ》がチヤンと|天眼通《てんがんつう》で|調《しら》べてあるのだ、お|前《まへ》さまが|意地張《いぢば》れば|意地張《いぢば》るほど、|此方《こちら》は|疑《うたが》はざるを|得《え》ませぬ。|黒姫《くろひめ》さまも|好《い》い|頓馬《とんま》だなア。|何《なん》の|為《た》めに|暫《しばら》く|宰相神《さいしやうがみ》に|化《ば》けて|御座《ござ》つたのだな。サヽ|女王《ぢよわう》さま、|一寸《ちよつと》|立《た》つて|下《くだ》さい』
『|苟《いやし》くも|一国《いつこく》の|女王《ぢよわう》たるもの、|仮令《たとへ》|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》の|言葉《ことば》と|雖《いへど》も、|吾《わが》|意《い》に|反《はん》して|一分《いちぶ》も|動《うご》く|事《こと》は|出来《でき》ませぬぞ』
|高姫《たかひめ》は|横手《よこて》を|拍《う》ちニヤリと|笑《わら》ひ、
『ソレソレ|矢張《やつぱり》|隠《かく》し|終《お》ふせますまいがな。|此方《こちら》が|現《あらは》さぬ|内《うち》に|素直《すなほ》に|白状《はくじやう》なされ。さうすれば|永遠無窮《ゑいゑんむきう》に|一《ひと》つ|島《じま》の|女王《ぢよわう》として、|驍名《げうめい》を|天下《てんか》に|輝《かがや》かす|事《こと》が|出来《でき》る。|成《な》る|事《こと》なら|此《この》|儘《まま》にして|蓋《ふた》を|開《あ》けずに|助《たす》けて|遣《や》りたいのが、|高姫《たかひめ》の|胸一杯《むねいつぱい》だ。|此《この》|大慈悲心《だいじひしん》を|無《む》にして、|何処迄《どこまで》も|隠《かく》すのなら|隠《かく》してよからう。|蜈蚣姫《むかでひめ》と|親子《おやこ》|心《こころ》を|合《あは》せ、|聖地《せいち》の|宝《たから》を|隠《かく》さうと|思《おも》うても、|隠《かく》し|終《お》ふせるものでは|御座《ござ》いませぬぞや』
|黄竜姫《わうりようひめ》は|稍《やや》|不機嫌《ふきげん》の|態《てい》にて|無言《むごん》の|儘《まま》|此《この》|場《ば》をツツと|立《た》ち、|風景《ふうけい》よき|次《つぎ》の|間《ま》に|蜈蚣姫《むかでひめ》を|伴《ともな》ひ|進《すす》み|入《い》りけり。
『オホヽヽヽ、トウトウ|尻《しり》こそばゆなつて|座《ざ》を|立《た》つて、お|脱《ぬ》け|遊《あそ》ばしたワイ。……|高山彦《たかやまひこ》さま、|黒姫《くろひめ》さま、|高姫《たかひめ》の|御威勢《ごゐせい》には|敵《かな》ひますまい。サアサ|尻《しり》の|下《した》の|板《いた》をめくつて|調《しら》べて|御覧《ごらん》、お|前《まへ》さまの|目《め》では|実物《じつぶつ》を|見《み》なければ|分《わか》るまい。|妾《わたし》はチヤンと|天眼通《てんがんつう》で|床板《ゆかいた》を|透《とう》して|知《し》つて|居《を》るのだ。……ヤレヤレ|愈《いよいよ》|大願《たいぐわん》|成就《じやうじゆ》の|時《とき》|到《いた》れりだ。アーア|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|双手《もろて》を|合《あは》せ、まだ|見《み》ぬ|先《さき》から|手《て》に|入《い》つたやうな|心持《こころもち》に、|感謝《かんしや》の|祝詞《のりと》を|頻《しき》りに|奏上《そうじやう》する。
『|高姫《たかひめ》さま、|此《この》|床下《ゆかした》には|決《けつ》してソンナ|物《もの》はありませぬよ。|此《この》|葢《ふた》を|開《あ》けるが|最後《さいご》、|蜿蜒《えんえん》たる|黄竜《わうりよう》が|潜《ひそ》んで|居《を》りますから、|毒気《どくき》に|当《あ》てられては|大変《たいへん》な|目《め》に|逢《あ》はねばなりますまい。|開《あ》けるのなら、お|前《まへ》さま|手《て》づから|開《あ》けて|下《くだ》さい』
|高姫《たかひめ》は………「|甘《うま》い|事《こと》を|云《い》ふ、|高山彦《たかやまひこ》さまもお|人《ひと》がよいから、|黄竜姫《わうりようひめ》に|誤魔化《ごまくわ》されて|居《を》るワイ」……と|云《い》ふ|様《やう》な|顔付《かほつき》をし|乍《なが》ら、|床板《ゆかいた》を|一枚《いちまい》グツとめくり、|床下《ゆかした》の|深《ふか》い|穴《あな》を|覗《のぞ》き|込《こ》み「アツ」と|云《い》つたきり、|蟹《かに》の|様《やう》な|泡《あわ》を|吹《ふ》き|目《め》をまはし|打《う》ち|倒《たふ》れけり。
|黒姫《くろひめ》、|高山彦《たかやまひこ》の|両人《りやうにん》は|高姫《たかひめ》の|身体《からだ》を|引抱《ひつかか》へ、|吾《わが》|居間《ゐま》に|担《かつ》ぎ|込《こ》み|水《みづ》よ|薬《くすり》よと|介抱《かいはう》し、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》したるに、|漸《やうや》くにして|高姫《たかひめ》は|息《いき》を|吹《ふ》き|返《かへ》し、
『アーア、|日《ひ》の|出神《でのかみ》も|全《まつた》く|疑《うたが》ひが|晴《は》れました。かうなる|以上《いじやう》は|黄竜姫《わうりようひめ》に|対《たい》し|恥《はづ》かしくて、|半時《はんとき》の|間《ま》も|居《を》られはしない。|高山彦《たかやまひこ》|御夫婦《ごふうふ》の|御所存《ごしよぞん》は|如何《いか》に、|妾《わたし》と|一緒《いつしよ》にお|節《せつ》の|所在《ありか》を|探《さが》し、|今度《こんど》は|千騎一騎《せんきいつき》に|調《しら》べて|見《み》ようぢやないか』
|高山彦《たかやまひこ》は|気《き》のりのせぬ|風《ふう》にて、
『アマリ|急《いそ》ぐに|及《およ》びませぬワイ』
『コレ|高山彦《たかやまひこ》さま、|何《なん》といふ|冷淡《れいたん》な|事《こと》を|仰有《おつしや》る。|天下《てんか》|国家《こくか》の|為《ため》にどうしても|彼《あ》の|玉《たま》を|手《て》に|入《い》れねばなりますまい』
『|黒姫《くろひめ》さま、|一《ひと》つ|覚悟《かくご》を|遊《あそ》ばさねばなりませぬぞ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|今《いま》|申《まを》し|付《つ》ける』
『|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》の|生宮《いきみや》、|確《たしか》に|承知《しようち》|仕《つかまつ》りました』
かかる|所《ところ》へ|七八人《しちはちにん》の|男《をとこ》ドヤドヤと|入《い》り|来《きた》り、
『|宰相《さいしやう》|様《さま》に|申《まを》し|上《あ》げます。|城内《じやうない》|隈《くま》なく|探《さが》しましたが、|宣伝使《せんでんし》らしき|者《もの》は|一人《ひとり》も|居《を》りませぬから、|屹度《きつと》|裏門《うらもん》から|逃《に》げ|去《さ》つたに|相違《さうゐ》ありますまい。|一足《ひとあし》なりと|逃《に》げ|延《の》びぬ|内《うち》に、サア|皆《みな》さま|捜索《そうさく》に|参《まゐ》りませう』
と|促《うなが》す。|三人《さんにん》はツト|此《こ》の|城《しろ》を|立出《たちい》で、|傍《かたはら》の|山《やま》より|峰伝《みねづた》ひに、|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》、|玉治別《たまはるわけ》|一行《いつかう》の|捜索《そうさく》に|立向《たちむか》ひける。
|高山彦《たかやまひこ》も|終《つひ》に|顕要《けんえう》の|地位《ちゐ》を|棄《す》てて|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》と|共《とも》に「タカ」の|港《みなと》に|現《あら》はれ、|一隻《いつせき》の|船《ふね》に|身《み》を|委《まか》せ、|浪《なみ》のまにまに|玉能姫《たまのひめ》|一行《いつかう》の|後《あと》を|追《お》はむと|漕《こ》ぎ|出《だ》したり。
|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》、|玉治別《たまはるわけ》|其《その》|他《た》の|一行《いつかう》は、|遥《はる》かの|山上《さんじやう》より|霊眼《れいがん》を|以《もつ》て|三人《さんにん》が|此《この》|島《しま》を|後《あと》に|帰《かへ》り|行《ゆ》くのを|眺《なが》め、ヤツト|胸《むね》|撫《な》で|下《お》ろし、|再《ふたた》び|城内《じやうない》に|悠々《いういう》として|帰《かへ》り|来《き》たりぬ。|初稚姫《はつわかひめ》|一行《いつかう》は、|蜈蚣姫《むかでひめ》のアンボイナ|島《たう》に|於《お》ける|危難《きなん》を|救《すく》ふ|可《べ》く|船《ふね》を|与《あた》へたる|其《その》|好意《かうい》を|黄竜姫《わうりようひめ》より|感謝《かんしや》され、|山海《さんかい》の|珍味《ちんみ》を|饗応《もてな》され、|愈《いよいよ》|茲《ここ》に|三五教《あななひけう》を|確立《かくりつ》し、|黄竜姫《わうりようひめ》を|女王《ぢよわう》|兼《けん》|全島《ぜんたう》の|教主《けうしゆ》と|定《さだ》め、|各自《めいめい》に|手分《てわ》けをなし、|梅子姫《うめこひめ》、|宇豆姫《うづひめ》|諸共《もろとも》に、|全島《ぜんたう》|隈《くま》なくあらゆる|生霊《せいれい》に|三五《あななひ》の|大道《たいだう》を|宣伝《せんでん》し、|自転倒島《おのころじま》の|聖地《せいち》に|向《むか》つて|凱旋《がいせん》する|事《こと》となりにける。
(大正一一・七・三 旧閏五・九 谷村真友録)
第四篇 |蛮地《ばんち》|宣伝《せんでん》
第一三章 |治安内教《ぢあんないけう》〔七四三〕
|大海原《おほうなばら》に|漂《ただよ》へる |黄金《こがね》|花《はな》|咲《さ》く|竜宮《りうぐう》の
|一《ひと》つの|島《しま》に|上陸《じやうりく》し |厳《うづ》の|都《みやこ》の|城門《じやうもん》を
|潜《くぐ》りて|高姫《たかひめ》|蜈蚣姫《むかでひめ》 |黄竜姫《わうりようひめ》に|面会《めんくわい》し
|梅子《うめこ》の|姫《ひめ》や|宇豆姫《うづひめ》の |高《たか》き|功績《いさお》に|舌《した》を|巻《ま》き
|天狗《てんぐ》の|鼻《はな》の|高姫《たかひめ》は |高山彦《たかやまひこ》や|黒姫《くろひめ》と
|諜《しめ》し|合《あは》せて|玉能姫《たまのひめ》 |初稚姫《はつわかひめ》や|玉治《たまはる》の
|別命《わけのみこと》は|海原《うなばら》を |遠《とほ》く|渡《わた》りて|自転倒《おのころ》の
|島《しま》に|帰《かへ》りしものとなし |俄《にはか》に|船《ふね》を|操《あやつ》りつ
|東《ひがし》を|指《さ》して|出《い》でて|行《ゆ》く |玉治別《たまはるわけ》や|玉能姫《たまのひめ》
|初稚姫《はつわかひめ》の|一行《いつかう》は |厳《うづ》の|都《みやこ》の|城門《じやうもん》を
|後《あと》に|眺《なが》めて|竜王山《たつおやま》 |峰《みね》を|伝《つた》うてシトシトと
|谷《たに》を|飛《と》び|越《こ》え|岩間《いはま》をくぐり ネルソン|山《ざん》の|山頂《さんちやう》に
|汗《あせ》をタラタラ|流《なが》しつつ |炎暑《えんしよ》と|戦《たたか》ひやうやうに
|息《いき》|継《つ》ぎあへず|登《のぼ》り|行《ゆ》く |折柄《をりから》|吹《ふ》き|来《く》る|涼風《りやうふう》に
|払《はら》ひ|落《おと》した|玉《たま》の|汗《あせ》 |厳《うづ》の|都《みやこ》を|顧《かへり》みて
|山《やま》|又《また》|山《やま》に|連《つら》なりし |雄大無限《ゆうだいむげん》の|絶景《ぜつけい》を
|心《こころ》|行《ゆ》くまでも|観賞《くわんしやう》し |各《おのおの》|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し
|天津御神《あまつみかみ》や|国津神《くにつかみ》 |国魂神《くにたまがみ》の|大前《おほまへ》に
|拍手《はくしゆ》の|声《こゑ》も|勇《いさ》ましく |竜宮島《りうぐうじま》の|宣伝《せんでん》を
|無事《ぶじ》に|済《す》まさせ|玉《たま》へよと |祈《いの》る|折《をり》しも|山腹《さんぷく》より
|俄《にはか》に|湧《わ》き|来《く》る|濃雲《のううん》に |一行《いつかう》|十人《じふにん》|忽《たちま》ちに
|暗《やみ》に|包《つつ》まれ|足許《あしもと》も |碌々《ろくろく》|見《み》えずなりにける
|斯《か》かる|所《ところ》へ|黒雲《くろくも》を |押《お》し|分《わ》け|来《きた》る|大蛇《をろち》の|群《むれ》
|焔《ほのほ》の|舌《した》を|吐《は》き|乍《なが》ら |一行《いつかう》|目蒐《めが》けて|攻《せ》め|来《きた》る
スマートボールは|驚《おどろ》いて |闇《やみ》の|中《なか》をば|駆《かけ》めぐり
ネルソン|山《ざん》の|頂上《ちやうじやう》より |足《あし》|踏《ふ》みはづし|万丈《ばんぢやう》の
|谷間《たにま》に|忽《たちま》ち|顛落《てんらく》し |続《つづ》いて|貫州《くわんしう》|武公《たけこう》や
|久助《きうすけ》お|民《たみ》も|各自《めいめい》に |行方《ゆくへ》も|知《し》れずなりにけり
|玉治別《たまはるわけ》や|玉能姫《たまのひめ》 |初稚姫《はつわかひめ》は|手《て》をつなぎ
|暗祈黙祷《あんきもくたう》の|折柄《をりから》に |忽《たちま》ち|吹《ふ》き|来《く》る|大嵐《おほあらし》
|本島一《ほんたういち》の|高山《かうざん》の |尾《を》の|上《へ》を|渡《わた》る|荒風《あらかぜ》は
|一入《ひとしほ》|強《つよ》く|三人《さんにん》は |木《こ》の|葉《は》の|如《ごと》く|中空《ちうくう》に
|巻《ま》きあげられて|悲《かな》しくも |各《おのおの》|行方《ゆくへ》は|白雲《しらくも》の
|包《つつ》む|谷間《たにま》に|落《お》ちにけり |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》 |唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し |世《よ》の|過《あやま》ちを|宣《の》り|直《なほ》す
|三五教《あななひけう》の|皇神《すめかみ》の |教《をしへ》に|任《まか》せし|一行《いつかう》は
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|惟神《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませと
|心《こころ》の|中《うち》に|祈《いの》りつつ |底《そこ》ひも|知《し》れぬ|谷底《たにぞこ》に
|生命《いのち》からがら|墜落《つゐらく》し |谷《たに》の|木霊《こだま》を|響《ひび》かせつ
|天津祝詞《あまつのりと》をスラスラと |奏上《そうじやう》するこそ|健気《けなげ》なれ。
○
|厳《うづ》の|城《しろ》より|舁出《かきだ》され |谷間《たにま》の|岩上《がんじやう》に|墜落《つゐらく》し
|腰《こし》を|打《う》ちたる|友彦《ともひこ》も |神《かみ》の|守《まも》りの|著《いちじる》く
ハツと|心《こころ》を|取直《とりなほ》し あたりを|見《み》れば|人影《ひとかげ》の
|無《な》きを|幸《さいは》ひ|森林《しんりん》の |草《くさ》を|分《わ》けつつやうやうに
|木《こ》の|実《み》を|喰《くら》ひ|谷水《たにみづ》に |喉《のど》を|潤《うるほ》しネルソンの
|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》に|着《つ》きにける |又《また》もや|吹《ふ》き|来《く》る|烈風《れつぷう》に
|友彦《ともひこ》の|身《み》は|煽《あふ》られて |高山《かうざん》|数多《あまた》|飛《と》び|越《こ》えつ
ジヤンナの|谷間《たにま》に|墜落《つゐらく》し |前後不覚《ぜんごふかく》になりにける
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましますか
|九死一生《きうしいつしやう》の|友彦《ともひこ》も ジヤンナイ|教《けう》の|信徒《まめひと》に
|担《かつ》ぎこまれて|照姫《てるひめ》の |教《をしへ》の|館《やかた》に|着《つ》きにける。
|此《この》|島《しま》はネルソン|山《ざん》の|山脈《さんみやく》を|以《もつ》て|東西《とうざい》に|区劃《くくわく》され、|東《ひがし》は|黄竜姫《わうりようひめ》が|三五教《あななひけう》を|宣布《せんぷ》し、|其《その》|勢力《せいりよく》|範囲《はんゐ》となつて|居《ゐ》た。されどネルソン|山《ざん》|以西《いせい》は|住民《ぢゆうみん》も|少《すくな》く、|猛獣《まうじう》、|毒蛇《どくじや》、|大蛇《をろち》の|群《むれ》|無数《むすう》に|棲息《せいそく》して、|東半部《とうはんぶ》の|人民《じんみん》は|此《この》|山脈《さんみやく》を|西《にし》に|越《こ》えた|者《もの》はなかつた。|然《しか》るにネルソン|山《ざん》|以西《いせい》にも|相当《さうたう》に|人類《じんるゐ》|棲息《せいそく》して|秘密郷《ひみつきやう》の|如《ごと》くなつて|居《ゐ》た。|極《きは》めて|獰猛《だうまう》|勇敢《ゆうかん》なる|人種《じんしゆ》にして、|男子《だんし》は|身《み》の|丈《たけ》|八九尺《はちくしやく》、|女子《ぢよし》と|雖《いへど》も|七八尺《しちはつしやく》を|下《くだ》る|者《もの》はない、|巨人《きよじん》の|棲息地《せいそくち》である。|男子《だんし》も|女子《ぢよし》も|残《のこ》らず|顔面《がんめん》に|文身《いれずみ》をなし、|一見《いつけん》して|男女《だんぢよ》の|区別《くべつ》|判《はん》じ|難《がた》き|位《ぐらゐ》である。|木《こ》の|葉《は》を|編《あ》みて|腰《こし》の|周囲《まはり》を|蔽《おほ》ひ、|其《その》|他《た》|全部《ぜんぶ》|赤裸《まつぱだか》にして、|赤銅《しやくどう》の|如《ごと》き|皮膚《ひふ》を|有《いう》し|居《を》れり。
|色《いろ》の|黒《くろ》い|顔《かほ》に|青《あを》い|文身《いれずみ》をなし|居《ゐ》る|事《こと》とて、|実《じつ》に|何《なん》とも|云《い》へぬ|恐《おそ》ろしき|容貌《ようばう》|計《ばか》りなりき。|猛獣《まうじう》、|大蛇《だいじや》の|怖《おそ》れて|近寄《ちかよ》らざる|様《やう》との|注意《ちゆうい》より、|斯《か》くの|如《ごと》く|文身《いれずみ》をなしゐるなり。|故《ゆゑ》に|此《この》|地《ち》に|美男子《びだんし》と|云《い》へば|最《もつと》も|獰猛《だうまう》|醜悪《しうあく》なる|面貌《めんばう》の|持主《もちぬし》にして、|酋長《しうちやう》たるべき|者《もの》は|一見《いつけん》して|鬼《おに》の|如《ごと》くなり。|頭部《とうぶ》には|諸獣《しよじう》の|角《つの》を|付着《ふちやく》し、|手《て》には|石造《いしづく》りの|槍《やり》を|携《たづさ》へ、|旅行《りよかう》する|時《とき》は|少《すくな》くとも|五六人《ごろくにん》の|同伴《つれ》が|無《な》ければ、|一歩《いつぽ》も|外《そと》へ|出《で》ないと|云《い》ふ|風習《ふうしふ》である。|住宅《ぢゆうたく》は|主《おも》に|山腹《さんぷく》に|穴《あな》を|穿《うが》ち、|芭蕉《ばせう》の|如《ごと》き|大《だい》なる|木《こ》の|葉《は》を|敷《し》き|詰《つ》めて|褥《しとね》となし、|食物《しよくもつ》は|木《こ》の|実《み》、|山《やま》の|芋《いも》、|松《まつ》の|実《み》|等《とう》を|以《もつ》て|常食《じやうしよく》となしゐるなり。|山間《さんかん》の|地《ち》は|魚類《ぎよるゐ》は|実《じつ》に|珍味《ちんみ》にして、|一生《いつしやう》の|間《あひだ》に|一二回《いちにくわい》|口《くち》にするを|得《え》ば、|実《じつ》に|豪奢《がうしや》の|生活《せいくわつ》と|言《い》はるる|位《くらゐ》なり。|谷川《たにがは》に|上《のぼ》り|来《きた》るミースと|云《い》ふ|五寸《ごすん》|許《ばか》りの|魚《さかな》、|時《とき》あつて|捕獲《ほくわく》するのみにして、|魚類《ぎよるゐ》の|姿《すがた》を|見《み》る|事《こと》は|甚《はなは》だ|稀《まれ》なり。|兎《うさぎ》、|山犬《やまいぬ》、|山猫《やまねこ》などを|捕獲《ほくわく》し、|之《こ》れを|最上《さいじやう》の|珍味《ちんみ》とし|居《ゐ》たるなり。
されどジヤンナイ|教《けう》の|教理《けうり》は、|動物《どうぶつ》の|肉《にく》を|食《く》ふ|事《こと》を|厳禁《げんきん》しあるを|以《もつ》て、|若《も》し|此《この》|禁《きん》を|破《やぶ》る|者《もの》は、|焦熱地獄《せうねつぢごく》に|陥《おちい》るとの|信仰《しんかう》を|抱《いだ》き、|容易《ようい》に|食《くら》ふ|事《こと》を|忌《い》み|居《を》れり。|一度《いちど》|肉食《にくしよく》を|犯《をか》せし|者《もの》は、|其《その》|群《むれ》より|放逐《ほうちく》され、|谷川《たにがは》の|畔《ほとり》に|追《お》ひやらるる|事《こと》となれり。|此《この》|肉食《にくしよく》を|犯《をか》し|追《お》ひ|退《やら》はれたる|者《もの》は、ネルソン|山《ざん》の|西麓《せいろく》の|広《ひろ》き|谷間《たにま》に|集《あつ》まり|来《きた》り、|神《かみ》に|罪《つみ》を|謝《しや》する|為《ため》に|酋長《しうちやう》の|娘《むすめ》|照姫《てるひめ》を|教主《けうしゆ》と|仰《あふ》ぎ、ジヤンナイ|教《けう》を|樹《た》て、|醜穢《しうわい》の|罪人《ざいにん》|計《ばか》りに|対《たい》し、|謝罪《しやざい》の|道《みち》を|教《をし》へ|居《ゐ》たりける。|肉食《にくしよく》せざる|者《もの》は|何《いづ》れも|山《やま》の|中腹《ちうふく》|以上《いじやう》に|住居《ぢゆうきよ》を|構《かま》へ、|豊富《ほうふ》なる|木《こ》の|実《み》を|常食《じやうしよく》となし、|安楽《あんらく》なる|月日《つきひ》を|送《おく》りゐたり。|谷底《たにぞこ》には|猛獣《まうじう》、|大蛇《をろち》、|毒蛇《どくじや》|多《おほ》く|集《あつ》まり、|実《じつ》に|危険《きけん》|極《きは》まる|湿地《しつち》なりけり。
|此《この》|谷底《たにそこ》に|照姫《てるひめ》を|教主《けうしゆ》とせるジヤンナイ|教《けう》の|本山《ほんざん》は|建《た》てられ、|数多《あまた》の|信徒《しんと》は|朝夕《あさゆふ》に|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らしつつあつた。ジヤンナイ|教《けう》の|信条《しんでう》は………|我等《われら》はアールの|神《かみ》の|禁《きん》を|犯《をか》せし|罪人《つみびと》なれば、|死後《しご》は|必《かなら》ず|根底《ねそこ》の|国《くに》の|苦《くるし》みを|受《う》くる|者《もの》なれば、|神《かみ》に|祈《いの》りて|罪《つみ》を|謝《しや》し、|来世《らいせ》の|苦《く》を|逃《のが》るべきもの……と|固《かた》く|信《しん》じてゐたるなり。さうして……|頓《やが》て|鼻頭《びとう》の|赤《あか》き|神《かみ》、|此《この》|地《ち》に|降臨《かうりん》する|事《こと》あらむ。|是《こ》れ|我等《われら》の|救世主《きうせいしゆ》にして、|天《てん》より|我等《われら》の|信仰《しんかう》を|憐《あは》れみ|天降《あまくだ》し|玉《たま》ふものなり……と、|照姫《てるひめ》の|教《をしへ》を|固《かた》く|信《しん》じ、|時《とき》の|来《きた》るを|待《ま》ちつつありける。さうして|鼻《はな》|赤《あか》き|生神《いきがみ》はオーストラリヤ|全島《ぜんたう》を|支配《しはい》し、|霊肉《れいにく》|共《とも》に、|我等《われら》を|救《すく》ふ|者《もの》との|信念《しんねん》を|保持《ほぢ》して、|救世主《きうせいしゆ》の|降《くだ》るを|旱天《かんてん》の|雲霓《うんげい》を|望《のぞ》むが|如《ごと》く|待《ま》ち|居《ゐ》たりしなり。
|斯《か》かる|所《ところ》へネルソン|山上《さんじやう》のレコード|破《やぶ》りの|強風《きやうふう》に|吹《ふ》きまくられ、|高山《かうざん》の|頂《いただ》きを|数多《あまた》|越《こ》えて|今《いま》|此《この》ジヤンナの|広《ひろ》き|谷間《たにま》に|墜落《つゐらく》したれば、|怪《あや》しき|人物《じんぶつ》の|降《くだ》り|来《きた》れるものかなと、|折《をり》から|来《き》|合《あは》せたる|十数人《じふすうにん》の|男女《だんぢよ》は、|友彦《ともひこ》の|人事不省《じんじふせい》となれる|肉体《にくたい》を|藤蔓《ふぢづる》を|以《もつ》て|編《あ》みたる|寝台《しんだい》に|載《の》せ、ジヤンナイ|教《けう》の|本山《ほんざん》に|担《かつ》ぎ|込《こ》みぬ。|数多《あまた》の|信徒《しんと》は|物珍《ものめづら》しげに|集《あつま》り|来《きた》り、|水《みづ》を|飲《の》ませ、|撫《な》でさすり、|手《て》を|曲《ま》げ、|足《あし》を|動《うご》かしなどして、やうやうに|蘇生《そせい》せしめたり。
|友彦《ともひこ》は|此《この》|時《とき》は|既《すで》に|失心《しつしん》し、|血液《けつえき》|循環《じゆんかん》も|殆《ほとん》ど|休止《きうし》し、|全身《ぜんしん》|蒼白色《さうはくしよく》に|変《かは》り|居《ゐ》たり。|照姫《てるひめ》の|一《いち》の|弟子《でし》と|聞《きこ》えたるチーチヤーボールは、|勝《すぐ》れて|大《だい》の|男《をとこ》にして、|口《くち》は|頬《ほほ》の|半《なかば》まで|引裂《ひきさ》け、|鼻《はな》は|大《おほ》きく、|白目勝《しろめがち》の|大《だい》なる|眼《まなこ》の|所有者《しよいうしや》なりき。|教主《けうしゆ》|照姫《てるひめ》は|少《すこ》しの|文身《いれずみ》もなさず、|比較的《ひかくてき》|色《いろ》|白《しろ》く、|稍《やや》|赤味《あかみ》を|帯《お》びたる|美人《びじん》なりき。ジヤンナイ|教《けう》の|教主《けうしゆ》たる|者《もの》は、|天然《てんねん》|自然《しぜん》の|肉体《にくたい》を|染《そ》めざるを|以《もつ》て|教《をしへ》の|本旨《ほんし》となし、|数多《あまた》の|信者《しんじや》より|特別《とくべつ》の|待遇《たいぐう》を|受《う》け、|尊敬《そんけい》の|的《まと》とせられ|居《ゐ》たるなり。
|友彦《ともひこ》は|漸《やうや》くにして|正気《しやうき》づき、|四辺《あたり》を|見《み》れば、|何《なん》とも|知《し》れぬ|恐《おそ》ろしき、|男女《だんぢよ》|区別《くべつ》も|分《わか》らぬ|人種《じんしゆ》の、|十重二十重《とへはたへ》に|我《わが》|周囲《しうゐ》を|取巻《とりま》きゐるに|驚《おどろ》き、|如何《いかが》はせむと|首《かうべ》を|傾《かた》げ|思案《しあん》に|暮《く》れ|居《ゐ》たり。|顔色《がんしよく》は|漸《やうや》く|元《もと》に|復《ふく》し、|身体《しんたい》|一面《いちめん》に|血色《けつしよく》よくなると|共《とも》に、|鼻《はな》の|先《さき》はいやが|上《うへ》にも|赤《あか》くなり|来《き》たりぬ。
チーチヤーボールは|大勢《おほぜい》に|向《むか》ひ、
『オーレンス、サーチライス』
と|云《い》ひける。|此《この》|意味《いみ》は『|吾々《われわれ》の|救世主《きうせいしゆ》なり』と|云《い》ふ|意味《いみ》なり。|一同《いちどう》は|腰《こし》を|屈《かが》め、|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|友彦《ともひこ》に|向《むか》つてしきりに|何事《なにごと》か|口々《くちぐち》に|叫《さけ》び|乍《なが》ら、|落涙《らくるゐ》しゐる。チーチヤーボールは、
『オーレンス、サーチライス』
と|繰返《くりかへ》し|繰返《くりかへ》し|言《い》ふ。|友彦《ともひこ》は|合点《がてん》|往《ゆ》かねども、|此《この》|土人《どじん》|等《ら》は|決《けつ》して|吾《われ》を|虐待《ぎやくたい》するものにあらず、|珍《めづ》らしげに|吾《われ》を|天降人種《てんかうじんしゆ》と|誤信《ごしん》し、|感涙《かんるゐ》に|咽《むせ》ぶものならむと|思《おも》ひ、|日頃《ひごろ》の|山師気《やましげ》を|発揮《はつき》し、|右《みぎ》の|手《て》を|握《にぎ》り|人差指《ひとさしゆび》を|立《た》て、|天《てん》を|指《さ》して、
『ウツポツポー、ウツポツポー』
と|二声《ふたごゑ》|叫《さけ》びてみたり。チーチヤーボールを|初《はじ》め|一同《いちどう》は|其《その》|声《こゑ》に|応《おう》じて、
『ウツポツポー、ウツポツポー、オーレンス、サーチライス』
と|声《こゑ》を|揃《そろ》へて|叫《さけ》び|出《だ》しぬ。|其《その》|声《こゑ》は|谷《たに》の|木霊《こだま》に|響《ひび》き、|向《むか》ふ|側《がは》の|谷《たに》にも|山彦《やまびこ》が|同《おな》じ|様《やう》に|言霊《ことたま》を|応酬《おうしう》する。|土人《どじん》は|又《また》もや|声《こゑ》する|方《はう》に|向《むか》つて|前《まへ》の|言葉《ことば》を|繰返《くりかへ》しける。
|友彦《ともひこ》は|稍《やや》|安心《あんしん》したるが、|此《この》ジヤンナの|郷《さと》の|言語《げんご》が|通《つう》じないに|聊《いささ》か|当惑《たうわく》を|感《かん》じたり。されど|頓智《とんち》のよい|友彦《ともひこ》は……|何《なに》、|却《かへつ》て|天降人種《てんかうじんしゆ》は|地上《ちじやう》の|言葉《ことば》に|通《つう》ぜざるが|一層《いつそう》|尊貴《そんき》の|観念《かんねん》を|与《あた》ふるならむと|決心《けつしん》し、
『アオウエイ、カコクケキ、サソスセシ、……』
と|五十音《ごじふおん》を|繰返《くりかへ》し|繰返《くりかへ》し|唱《とな》へ|出《だ》したり。|老若男女《らうにやくなんによ》|一同《いちどう》は|友彦《ともひこ》の|言葉《ことば》に|従《つ》いて『アオウエイ』と|異口同音《いくどうおん》に|唱《とな》へ|出《だ》す。|友彦《ともひこ》は|漸《やうや》く|空腹《くうふく》を|感《かん》じ、
『|我《わ》れに|食《しよく》を|与《あた》へよ』
と|云《い》ふ。されど|郷人《さとびと》の|耳《みみ》には|一人《ひとり》として|了解《れうかい》するものなく、|呆然《ばうぜん》として|友彦《ともひこ》の|顔《かほ》を|心配《しんぱい》げに|打眺《うちなが》めてゐたり。|友彦《ともひこ》は|自分《じぶん》の|口《くち》を|右《みぎ》の|手《て》で|押《おさ》へてみするに、|一同《いちどう》は|同《おな》じく|自分《じぶん》の|手《て》で|各自《めいめい》の|口《くち》を|抑《おさ》へゐる。|友彦《ともひこ》は、
『|何《なに》か|食《く》ふ|物《もの》があれば|持《も》つて|来《こ》いツ』
と|云《い》ふ。|又《また》|一同《いちどう》は、
『|何《なに》か|食《く》ふ|物《もの》があれば|持《も》つて|来《こ》いツ』
と|妙《めう》な|訛《なまり》で|叫《さけ》ぶ。
|此《この》|時《とき》|大勢《おほぜい》の|声《こゑ》の|尋常《ただ》ならぬに|不審《ふしん》を|起《おこ》し、|二三《にさん》の|侍女《じぢよ》を|伴《ともな》ひ|現《あら》はれ|来《きた》りしは、ジヤンナイ|教主《けうしゆ》テールス|姫《ひめ》(|照姫《てるひめ》)なりき。|友彦《ともひこ》の|顔《かほ》を|見《み》るより|忽《たちま》ち|堪《こら》へ|切《き》れぬ|様《やう》な|笑《ゑみ》を|含《ふく》み、|友彦《ともひこ》の|手《て》を|握《にぎ》りぬ。|友彦《ともひこ》は|鬼《おに》の|様《やう》な|人間《にんげん》の|群《むれ》の|中《なか》にも、|斯《か》かる|麗《うる》はしき|女性《ぢよせい》のあるかと|驚《おどろ》き|乍《なが》ら、|彼女《かれ》がなす|儘《まま》に|任《まか》せ|居《ゐ》たり。テールス|姫《ひめ》は|侍女《じぢよ》に|何事《なにごと》か|命令《めいれい》したるに、|三人《さんにん》の|侍女《じぢよ》は|左右《さいう》の|手《て》を|執《と》り、|一人《ひとり》は|腰《こし》を|押《お》し、テールス|姫《ひめ》は|先《さき》に|立《た》ち、|穴居《けつきよ》|民族《みんぞく》に|似《に》ず、|蔦葛《つたかづら》を|以《もつ》て|縛《しば》りつけたる|木造《もくざう》の|広《ひろ》き|家《いへ》に|導《みちび》きける。|友彦《ともひこ》は|意気《いき》|揚々《やうやう》として、|天下《てんか》の|色男《いろをとこ》|気取《きど》りになりて、|奥《おく》の|間《ま》|深《ふか》く|導《みちび》かれ|行《ゆ》く。
|奥《おく》の|間《ま》には|立派《りつぱ》な|斎殿《さいでん》が|設《まう》けられてあり、|名《な》も|知《し》れぬ|麗《うる》はしき|果物《くだもの》、|小山《こやま》の|如《ごと》く|積《つ》み|重《かさ》ね|供《そな》へられありぬ。テールス|姫《ひめ》は|其《その》|中《なか》の|紅色《べにいろ》の|果物《くだもの》を|一《ひと》つ|取出《とりだ》し、|侍女《じぢよ》に|命《めい》じ、|石《いし》の|包丁《はうちやう》を|以《もつ》て|二《ふた》つに|割《わ》らしめ、さうして|一《ひと》つは|自分《じぶん》が|食《く》ひ、|一《ひと》つは|友彦《ともひこ》に|食《く》へと、|仕方《しかた》をして|見《み》せたり。|友彦《ともひこ》は|喜《よろこ》び|空腹《すきばら》の|事《こと》とて、かぶり|付《つ》く|様《やう》に|瞬《またた》く|間《うち》に|平《たひら》げにける。これはコーズと|云《い》ふ|果物《くだもの》の|実《み》で、|此《この》|郷《さと》に|唯《ただ》|一本《いつぽん》より|無《な》き|大切《たいせつ》なる|樹《き》の|果物《くだもの》なりき。|二年目《にねんめ》|或《あるひ》は|三年目《さんねんめ》に|僅《わづ》かに|一《ひと》つ|二《ふた》つ|実《みの》る|位《くらゐ》のものにして、|此《この》コーズの|実《み》の|稔《みの》りたる|年《とし》は|必《かなら》ず|此《この》|郷《さと》に|芽出度《めでた》き|事《こと》ありと|伝《つた》へられ|居《ゐ》たり。そしてテールス|姫《ひめ》が|二《ふた》つに|割《わ》つて|友彦《ともひこ》に|食《く》はしたるは、|要《えう》するに|結婚《けつこん》の|儀式《ぎしき》なりけり。|数多《あまた》の|男女《だんぢよ》は|雪崩《なだれ》の|如《ごと》く|追々《おひおひ》|此《この》|家《や》に|集《あつ》まり|来《きた》り「ウローウロー」と|嬉《うれ》しさうに|叫《さけ》び、|手《て》を|拍《う》ち|躍《をど》り|狂《くる》ひゐる。|是《こ》れは|救世主《きうせいしゆ》の|降臨《かうりん》を|祝《しゆく》しテールス|姫《ひめ》の|結婚《けつこん》を|喜《よろこ》ぶ|声《こゑ》なりけり。
テールス|姫《ひめ》は|救世主《きうせいしゆ》の|降臨《かうりん》と|夫婦《ふうふ》|結婚《けつこん》の|盛典《せいてん》を|祝《しゆく》する|為《ため》に|立《た》つて|歌《うた》ひ|初《はじ》めたり。その|歌《うた》、
『オーレンス、サーチライス ウツポツポ、ウツポツポ
テールスナイス、テーナイス テーリスネース、テーネース
ウツパツパ、ウツパツパ パークパーク、ホースホース、エーリンス
カーチライト、トーマース タリヤタラーリヤ、トータラリ
タラリータラリー、リートーリートー、ユーカ シンジヤン、ジヤンジヤ、ベース
ヘース、ヘースク、ツーターリンス イーリクイーリク、イーエンス
ジヤイロパーリスト ポーポー、パーリスク
ターウーインス、エーリツクチヤーリンスク、パーパー』
と|唄《うた》ひける。|友彦《ともひこ》は|何《なん》の|事《こと》だか|合点《がつてん》|行《ゆ》かず、されど|決《けつ》して|悪《わる》い|事《こと》ではない、|祝《いはひ》の|言葉《ことば》だと|心《こころ》に|思《おも》ひぬ。|此《この》|意味《いみ》を|総括《そうくわつ》して|言《い》へば、
『|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》|現《あら》はれ|玉《たま》ひ、|人間《にんげん》としても|実《じつ》に|立派《りつぱ》な|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》なり。|吾《わ》れは|此《この》|郷《さと》の|信仰《しんかう》の|中心《ちうしん》|人物《じんぶつ》、さうして|実《じつ》に|女《をんな》として|恥《はづ》かしからぬ|准救世主《じゆんきうせいしゆ》である。|汝《なれ》が|降《くだ》り|来《きた》るを|首《くび》を|長《なが》くして|神《かみ》に|祈《いの》り|待《ま》つて|居《を》りました。|最早《もはや》|此《この》|谷間《たにま》の|郷《さと》は|如何《いか》なる|大蛇《をろち》が|来《き》ても|猛獣《まうじう》が|来《き》ても、|如何《いか》なる|悪魔《あくま》でも、|決《けつ》して|恐《おそ》るるに|足《た》りない。|私《わたくし》は|立派《りつぱ》な|夫《をつと》を|持《も》ち|此《この》|上《うへ》の|喜《よろこ》びはない。|暗夜《あんや》に|灯火《とうくわ》を|点《てん》じたやうな|心持《こころもち》になつて|来《き》た。|今日《けふ》の|老若男女《らうにやくなんによ》は|誰《たれ》|彼《かれ》も|貴方《あなた》の|御降臨《ごかうりん》を|見《み》て、|手《て》の|舞《ま》ひ|足《あし》の|踏《ふ》む|所《ところ》を|知《し》らず|喜《よろこ》んでゐます。どうぞ|千年《せんねん》も|万年《まんねん》も|此郷《ここ》に|御鎮《おしづ》まり|下《くだ》さいまして、|末永《すえなが》く|夫婦《ふうふ》の|契《ちぎり》を|結《むす》び、|此《この》|郷《さと》の|救《すく》ひ|主《ぬし》となつて|人民《じんみん》を|守《まも》つて|下《くだ》さい。アヽ|有難《ありがた》い、|嬉《うれ》しい。|天《あま》の|岩戸《いはと》が|開《ひら》けた|様《やう》な……|否《いや》|全《まつた》く|岩戸《いはと》が|開《ひら》けました。|我々《われわれ》|一同《いちどう》は|是《これ》より|安心《あんしん》して|月日《つきひ》を|送《おく》ります。お|前《まへ》の|鼻《はな》の|頭《あたま》の|赤《あか》いのが|日《ひ》の|神《かみ》の|国《くに》から|御降《おくだ》りなされた|証拠《しようこ》だ。どうぞ|末永《すえなが》く|妾《わらは》を|初《はじ》め|一同《いちどう》の|者《もの》を|可愛《かあい》がつて|下《くだ》さい』
と|云《い》ふ|意味《いみ》の|感謝《かんしや》の|辞《ことば》なりけり。|友彦《ともひこ》は|返答《へんたふ》せずには|居《を》られないと、|負《ま》けぬ|気腰《きごし》になりて……|天降人種《てんかうじんしゆ》|気取《きど》りで|分《わか》らぬ|事《こと》を|言《い》つてやる|方《はう》が|却《かへつ》て|有難《ありがた》がるだらう、|土人《どじん》の|言語《げんご》も|知《し》らずに、|憖《なまじ》ひに|真似《まね》をして|却《かへつ》て|軽蔑《けいべつ》さるるも|不利益《ふりえき》だ……と|心《こころ》に|思《おも》ひ|定《さだ》め、さも|応揚《おうやう》な|態度《たいど》で、
『……アーメンス、ヨーリンス フーララリンス、サーチライス
スーツクスーツク、ダーインコーウンス カーブーランス、ネーギーネーブーカー
ナーハーネース、エンモース |水菜《みづな》に|嫁菜《よめな》に|蒲公英《たんぽぽ》セーリンス
ナヅナ、ヤーマンス、ノンインモー ドンジヨー、ウナーギー、フーナモロコ、
コーイ、ナマヅ、タコドービンヒツサゲタ、 ナイス、ネース、ローマンス、
ホートーホートー、ローレンス ピーツク、ピーツク、ヒーバーリース』
と|唄《うた》ひ|済《す》まし|込《こ》み|居《ゐ》たり。|一同《いちどう》は|何《なん》の|事《こと》だか|訳《わけ》が|分《わか》らぬ。されど|天《てん》より|降《くだ》りし|救世主《きうせいしゆ》の|言葉《ことば》と|有難《ありがた》がり、|随喜《ずいき》の|涙《なみだ》を|零《こぼ》し|居《ゐ》たりける。
|此《この》|時《とき》|又《また》もや|十数人《じふすうにん》の|土人《どじん》に|担《かつ》がれて、|此《この》|場《ば》へ|来《き》たりしは|玉治別《たまはるわけ》なりき。|玉治別《たまはるわけ》は|友彦《ともひこ》が|言葉《ことば》を|半分《はんぶん》ばかり|聞《き》いて|可笑《をか》しさに|吹《ふ》き|出《だ》し「プーツプーツ」と|唾《つばき》を|飛《と》ばしける。|一同《いちどう》は|同《おな》じく「プーツプーツ」と|言《い》つて|友彦《ともひこ》|目蒐《めが》けて|唾液《つば》を|吹《ふ》つ|掛《か》ける。|友彦《ともひこ》は|唾液《つば》の|夕立《ゆふだち》に|会《あ》うた|様《やう》になつて、
『|誰《たれ》かと|思《おも》へば|玉治別《たまはるわけ》さま、あまりぢやないか、|馬鹿《ばか》にしなさるな』
『オイ|友彦《ともひこ》さま、|随分《ずゐぶん》|好遇《もて》たものだなア。コンナ ナイスを|女房《にようばう》に|持《も》ち、|無鳥郷《むてうきやう》の|蝙蝠《へんぷく》で|暮《くら》して|居《を》れば、マア|無事《ぶじ》だらうよ』
『|玉治別《たまはるわけ》さま、チツト|気《き》を|利《き》かして|下《くだ》さいな。|折角《せつかく》ここの|大将《たいしやう》が|此《この》|赤《あか》い|鼻《はな》に|惚《ほ》れて、コンナ|面白《おもしろ》い|夢《ゆめ》を|見《み》て|居《ゐ》るのに、しようもない|事《こと》を|言《い》うて|下《くだ》さると、サツパリ|化《ば》けが|現《あら》はれるぢやないか』
『ナアニ、|言語《げんご》の|通《つう》じない|所《ところ》だ。|何《なに》を|言《い》つたつて|構《かま》ふものか。わしも|一《ひと》つ|言霊《ことたま》をやつて|見《み》ようかな』
『やるのも|宜《よろ》しいが、なまかぢりに|此郷《ここ》の|言葉《ことば》を|使《つか》つちや|可《い》けませぬよ』
『ソンナこたア|玉《たま》さま|百《ひやく》も|承知《しようち》だ。|笑《わら》つちや|可《い》けないよ』
『ナニ|笑《わら》ふものかい、やつて|見《み》|玉《たま》へ。わしは|最早《もはや》|此郷《ここ》の|御大将《おんたいしやう》だから、あまり|心安《こころやす》さうに|言《い》つて|呉《く》れては|困《こま》るよ。|第一《だいいち》お|前《まへ》の|態度《たいど》から|直《なほ》して、わしの|家来《けらい》の|様《やう》な|風《ふう》をして|見《み》せて|呉《く》れよ』
|玉治別《たまはるわけ》は、
『ヨシ|面白《おもしろ》い』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら|言語《げんご》の|通《つう》ぜざるを|幸《さいは》ひ、
『ジヤンナの|郷人《さとびと》よ、|玉治別《たまはるわけ》が|今《いま》|申《まを》す|事《こと》をよつく|聞《き》けよ。|此《この》|友彦《ともひこ》と|云《い》ふ|男《をとこ》はメソポタミヤの|顕恩郷《けんおんきやう》に|於《おい》て、バラモン|教《けう》の|副棟梁《ふくとうりやう》|鬼熊別《おにくまわけ》が|娘《むすめ》|小糸姫《こいとひめ》(|十五才《じふごさい》)を|巧言《かうげん》を|以《もつ》てチヨロまかし……』
『コレコレ|玉《たま》さま、あまりぢやないか』
『|何《なん》でも|好《い》いぢやないか。|分《わか》らぬ|事《こと》だから、マア|黙《だま》つて|聞《き》かうよ……それから|錫蘭《シロ》の|島《しま》へ|随徳寺《ずゐとくじ》をきめ|込《こ》み、|一年《いちねん》ばかり|暮《くら》して|居《ゐ》たが、|赤鼻《あかはな》の|出歯《でば》の|鰐口《わにぐち》に、|流石《さすが》の|小糸姫《こいとひめ》も|愛想《あいさう》をつかし、|黒《くろ》ン|坊《ばう》のチヤンキー、モンキーを|雇《やと》ひ、|船《ふね》に|乗《の》つて|一《ひと》つ|島《じま》まで|逃《に》げて|来《き》た。……|話《はなし》が|元《もと》へ|戻《もど》つて|友彦《ともひこ》と|云《い》ふ|奴《やつ》、|浪速《なには》の|里《さと》に|於《おい》て|三百両《さんびやくりやう》の|詐欺《さぎ》を|致《いた》し、|次《つぎ》に|淡路《あはぢ》の|洲本《すもと》の|酋長《しうちやう》|東助《とうすけ》が|不在《るす》を|窺《うかが》ひ、|女房《にようばう》の|前《まへ》に|偽神憑《にせかむがかり》を|致《いた》し、|陰謀《いんぼう》|忽《たちま》ち|露見《ろけん》して|雪隠《せんち》の|穴《あな》より|逃《に》げ|出《だ》し……』
『コラコラ|好《い》い|加減《かげん》に|止《や》めて|呉《く》れぬかい。あまりぢやないか』
『ナアニ、|構《かま》ふ|事《こと》があるものか。あれを|見《み》よ。|有難《ありがた》がつて|涙《なみだ》を|流《なが》して|聞《き》いてるぢやないか。………マダマダ|奥《おく》はありますけれど、|先《ま》づ|今晩《こんばん》は|是《こ》れにて|止《とど》めをき、|又《また》|明晩《みやうばん》ゆーるゆるとお|聞《き》きに|達《たつ》しまする。|皆《みな》さま、|吶弁《とつべん》の|吾々《われわれ》が|此《この》|物語《ものがたり》、よくも|神妙《しんめう》にお|聞《き》き|下《くだ》さいました。|併《しか》し|乍《なが》ら|用心《ようじん》なさらぬと、|此《この》|友彦《ともひこ》は|険難《けんのん》ですよ。……テールス|姫《ひめ》さま、|此奴《こいつ》は|女子惚《をなごのろ》けの|後家盗人《ごけぬすびと》、グヅグヅしてると、そこらの|侍女《じぢよ》を|皆《みんな》チヨロまかし、あなたに|蛸《たこ》の|揚壺《あげつぼ》を|喰《く》はす|事《こと》は|火《ひ》を|睹《み》るより|明《あきら》かですよ。アツハヽヽヽ』
と|大口《おほぐち》を|開《あ》けて|笑《わら》ひ|転《こ》ける。|友彦《ともひこ》は|仕方《しかた》がなしに|自分《じぶん》もワザと|笑《わら》ひゐる。チーチヤーボールは|此《この》|場《ば》にヌツと|現《あら》はれ………「|神様《かみさま》が|大変《たいへん》な|御機嫌《ごきげん》だ。|併《しか》し|今《いま》お|出《い》でになつた|神《かみ》は|余程《よほど》|立派《りつぱ》な|方《かた》だが、|併《しか》し|家来《けらい》に|違《ちがひ》ない。|其《その》|証拠《しようこ》には|鼻《はな》の|先《さき》がチツトも|赤《あか》くない。さうして|余《あま》り|口《くち》が|小《ちひ》さすぎる」……と|稍《やや》|下目《しため》に|見下《みおろ》し、|友彦《ともひこ》と|同《おな》じ|座《ざ》に|着《つ》いて|居《ゐ》る|玉治別《たまはるわけ》の|手《て》を|取《と》つて、|一段下《いちだんした》の|席《せき》に|導《みちび》き、
『ウツポツポ ウツポツポ、サーチライス、シーリス シーリス』
と|合掌《がつしやう》する。|他《た》の|者《もの》も|一同《いちどう》に、
『シーリス シーリス』
と|云《い》ふ。これは「|救世主《きうせいしゆ》のお|脇立《わきだち》……|御家来《ごけらい》」と|云《い》ふ|意味《いみ》なり。|玉治別《たまはるわけ》は|其《その》|意《い》を|悟《さと》り、
『オイ|友《とも》、|馬鹿《ばか》にしよるな。|俺《おれ》を|眷属《けんぞく》だと|言《い》ひよつて、|貴様《きさま》それで|大将面《たいしやうづら》して|居《を》つて|気分《きぶん》が|良《い》いのか』
『|何《なん》だか|奥歯《おくば》に|物《もの》がこまつた|様《やう》な|気《き》もするし、|尻《しり》に|糞《くそ》を|挟《はさ》んどる|様《やう》な|心持《こころもち》もするのだ、マアここはお|前《まへ》も|辛抱《しんばう》して|家来《けらい》になつて|呉《く》れ』
|玉治別《たまはるわけ》は|嘲弄《からかひ》|半分《はんぶん》に、
『オイ|友《とも》、|其《その》|方《はう》は|俺《おれ》の|一段下《いちだんした》につけ。|貴様《きさま》は|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》と、|鼻《はな》の|赤《あか》いお|蔭《かげ》で|信《しん》ぜられてるのだから、|俺《おれ》が|上《うへ》へ|上《あが》つた|処《ところ》で|貴様《きさま》が|下《した》だとは|思《おも》ひはせまい。さうしたら、|貴様《きさま》の|位《くらゐ》は|落《お》ちず、|俺《おれ》はモ|一《ひと》つ|上《うへ》の|神様《かみさま》と|信《しん》じられて、|面白《おもしろ》い|芝居《しばゐ》が|出来《でき》るから、|一遍《いつぺん》|俺《おれ》の|方《はう》を|向《む》いて|拝《をが》みて|見《み》よ』
『さうだと|云《い》つて、まさかテールス|姫《ひめ》の|前《まへ》で、ソンナ|不態《ぶざま》の|事《こと》が|出来《でき》るものか。そこはチツト|忍耐《がまん》して|呉《く》れぬと|困《こま》るよ』
『それならそれでよし、|俺《おれ》には|考《かんが》へがある。|貴様《きさま》の|旧悪《きうあく》を|此郷《ここ》の|言葉《ことば》で|素破抜《すつぱぬ》いてやらうか』
『ヘン、|偉《えら》さうに|言《い》ふない。|此郷《ここ》の|言葉《ことば》がさう|急《きふ》に|分《わか》るものか。|何《なん》なと|言《い》へ、|分《わか》りつこないワ』
『ヨシ、|俺《おれ》は|今《いま》|神様《かみさま》から|言葉《ことば》を|習《なら》つたのだ……オーレンス、サーチライス、ウツポツポ ウツポツポ、イーエス イーエス、エツポツポ エツポツポ、エツパツパ……』
|友彦《ともひこ》はあわてて、
『コラコラ、しようもない|事《こと》を|言《い》うて|呉《く》れるない。|何時《いつ》の|間《ま》に|覚《おぼ》えよつたのだらう。モウ|此《この》|上《うへ》は|治安《ちあん》|妨害《ばうがい》だから、|弁士《べんし》|中止《ちうし》を|命《めい》じます』
『とうとう|弱《よわ》りよつたなア。サア|俺《おれ》に|合掌《がつしやう》するのだ。|下座《げざ》に|坐《すわ》れ』
|友彦《ともひこ》はモヂモヂし|乍《なが》ら、|尻《しり》に|糞《くそ》を|挟《はさ》んだ|様《やう》な|調子《てうし》で、|青《あを》い|顔《かほ》して|佇《たたず》み|居《ゐ》る。テールス|姫《ひめ》は|何《なん》と|思《おも》つたか、|友彦《ともひこ》の|手《て》を|取《と》り、|柴《しば》で|造《つく》つた|押戸《おしど》を|開《あ》け、|奥《おく》の|間《ま》へ|姿《すがた》を|隠《かく》しける。
『エー|到頭《たうとう》|養子《やうし》になりよつたなア。|淡路島《あはぢしま》で|養子《やうし》になり|損《そこな》つて|面《つら》を|曝《さら》されよつたが、|熱心《ねつしん》と|云《い》ふものは|偉《えら》いものだナア。|到頭《たうとう》|鼻赤《はなあか》のお|蔭《かげ》でコンナ|所《ところ》へ|来《き》|依《よ》つて、|怪態《けつたい》の|悪《わる》い、テールス|姫《ひめ》と|手《て》に|手《て》を|取《と》つて|済《す》ましこみて|這入《はい》りよつた。|併《しか》し|乍《なが》ら|彼奴《あいつ》も|可憐相《かはいさう》だ。モウこれぎりで|嘲弄《からか》ふ|事《こと》は|止《や》めてやらう』
チーチヤーボールは|玉治別《たまはるわけ》の|前《まへ》に|来《き》て、
『オーレンス、サーチライス、シーリス シーリス』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|手《て》を|取《と》つて|次《つぎ》の|間《ま》に|導《みちび》き、|果物《くだもの》の|酒《さけ》を|注《そそ》いで|玉治別《たまはるわけ》に|進《すす》めける。|玉治別《たまはるわけ》は|右《みぎ》の|手《て》を|高《たか》く|差《さ》し|上《あ》げ、
『アマアマ』
と|云《い》ひつつ|太陽《たいやう》を|指《さ》し|示《しめ》したり。ここは|次《つぎ》の|第三番目《だいさんばんめ》の|間《ま》で、|屋根《やね》は|無《な》く、|唯《ただ》|石盤《せきばん》の|様《やう》な|石《いし》が|奇麗《きれい》に|敷《し》き|詰《つ》めてある|露天《ろてん》の|座敷《ざしき》なり。|鬱蒼《うつさう》たる|樹木《じゆもく》が|天然《てんねん》の|屋根《やね》をなし|居《ゐ》たり。チーチヤーボールは|此《この》|樹上《じゆじやう》に|登《のぼ》れと|命《めい》じたと|早合点《はやがつてん》し、|猿《ましら》の|如《ごと》く|樹上《じゆじやう》に|駆《か》け|登《のぼ》り、テールス|姫《ひめ》が|寵愛《ちようあい》の|取《と》つときのコーズの|実《み》の|二《ふた》つ|計《ばか》り|残《のこ》つて|居《ゐ》るのを、|一《ひと》つむしり|懐《ふところ》に|捻《ねぢ》こみたり。|懐《ふところ》と|云《い》つても、|粗《あら》い|粗《あら》い|蔓《つる》で|編《あ》みし|形《かたち》ばかりの|着物《きもの》なり。コーズは|着物《きもの》の|目《め》を|抜《ぬ》けてバサリと|落《お》ちたる|途端《とたん》に、|玉治別《たまはるわけ》の|面部《めんぶ》にポカンと|当《あた》りぬ。|玉治別《たまはるわけ》は「アツ」と|叫《さけ》んで|俯向《うつむ》けに|倒《たふ》れ、|鼻《はな》を|健《したた》か|打《う》ち、|涙《なみだ》をこぼし|気張《きば》り|居《ゐ》る。チーチヤーボールは|驚《おどろ》いて|樹上《じゆじやう》を|下《くだ》り|来《きた》り、|玉治別《たまはるわけ》の|前《まへ》に|犬突這《いぬつくばひ》となりて|無礼《ぶれい》を|拝謝《はいしや》するものの|如《ごと》く、
『ワーク ワーク、ユーリンス ユーリンス』
と|泣声《なきごゑ》になり|合掌《がつしやう》し|居《ゐ》たり。|暫《しばら》くして|玉治別《たまはるわけ》は|顔《かほ》をあげたるに、|鼻《はな》は|少《すこ》しく|腫《はれ》あがり、|友彦《ともひこ》|以上《いじやう》の|赤鼻《あかはな》と|急変《きふへん》したり。チーチヤーボールは|驚《おどろ》いて|飛《と》びあがり、
『ウツポツポ ウツポツポ、オーレンス、サーチライス、アーリンス アーリンス』
と|叫《さけ》び|出《だ》しぬ。|其《その》|意味《いみ》は、
『|今《いま》テールス|姫《ひめ》の|夫《をつと》となつた|救世主《きうせいしゆ》より|一層《いつそう》|立派《りつぱ》な|救世主《きうせいしゆ》だ。|縁談《えんだん》を|結《むす》ぶ|時《とき》に|用《もち》ふる|果実《このみ》が|当《あた》つて、|斯《かく》の|如《ごと》き|立派《りつぱ》な|鼻《はな》になつたのは、|全《まつた》く|神様《かみさま》の|思召《おぼしめし》であらう』
と|無理無体《むりむたい》に|玉治別《たまはるわけ》の|手《て》を|取《と》つてテールス|姫《ひめ》の|居間《ゐま》へ|迎《むか》へ|入《い》れたり。|見《み》れば|友彦《ともひこ》は|立派《りつぱ》なる|冠《かんむり》を|着《き》せられ、|蔓《つる》で|編《あ》みたる|衣服《いふく》を|着流《きなが》し、|木《こ》の|葉《は》の|褌《ふんどし》を|締《し》め、|傲然《がうぜん》と|構《かま》へ|居《ゐ》たり。|側《そば》にテールス|姫《ひめ》はジヤンナイ|教《けう》の|神文《しんもん》を、
『タータータラリ、タータラリ、トータラリ、リートー リートー トータラリ』
と|唱《とな》へ|居《ゐ》る。|神文《しんもん》が|終《をは》るを|待《ま》つて、チーチヤーボールはテールス|姫《ひめ》に|向《むか》ひ、
『オーレンス、サーチライス、アーリンス アーリンス』
と|言葉《ことば》をかけたり。|此《この》|声《こゑ》にテールス|姫《ひめ》は|後《あと》|振《ふ》り|向《む》き、|玉治別《たまはるわけ》の|赤《あか》い|鼻《はな》を|見《み》て|打驚《うちおどろ》き……「アヽ|今日《けふ》は|何《なん》たる|立派《りつぱ》なる|神様《かみさま》がお|出《い》で|遊《あそ》ばす|日《ひ》だらう。それにしても|後《あと》からお|降《くだ》りになつた|神様《かみさま》の|方《はう》が|余程《よほど》|立派《りつぱ》だワ。|同《おな》じ|夫《をつと》に|持《も》つのなら|立派《りつぱ》な|方《かた》を|持《も》たなくては、|神様《かみさま》に|申訳《まをしわけ》がない。|少《すこ》しく|口《くち》は|小《ちひ》さいなり、|身長《せい》は|低《ひく》いけれど、|何《なん》とはなしに|虫《むし》の|好《す》く|御方《おかた》だ」……と|穴《あな》のあく|程《ほど》、|玉治別《たまはるわけ》の|顔《かほ》に|見惚《みと》れ、|心《こころ》の|中《なか》にさげ|比《くら》べをなし|居《ゐ》たりけり。
『オイ|友《とも》、どうだ、|俺《おれ》の|鼻《はな》を|見《み》い、|貴様《きさま》は|余程《よほど》|此処《ここ》へ|来《き》て|鼻高《はなだか》になりよつたが、|俺《おれ》は|正真正銘《しやうしんしやうめい》の|鼻赤《はなあか》だ。|貴様《きさま》の|赤《あか》さは……|実《じつ》の|所《ところ》を|云《い》へば……|安物《やすもの》の|染料《せんれう》で|染《そ》めた|様《やう》に|大変《たいへん》|色《いろ》が|薄《うす》くなつて|居《ゐ》るぞ。|俺《おれ》の|鼻《はな》はまるで|赤林檎《あかりんご》の|肌《はだ》の|様《やう》だ。サア|鼻《はな》|比《くら》べをしようかい。|赤《あか》い【ハナ】には|目《め》が|付《つ》くと|云《い》つて、|子供《こども》でさへも|喜《よろこ》ぶんだぞ。|俺《おれ》の|鼻《はな》の|色《いろ》が|百点《ひやくてん》とすれば、|貴様《きさま》の|鼻《はな》はマア|四十点《よんじつてん》スウスウだ。|今《いま》にテールス|姫《ひめ》さまが|審神《さには》をして|下《くだ》さるから、マア|楽《たのし》んで|居《ゐ》たがよからう。キツト|団扇《うちは》は|俺《おれ》の|方《はう》へあがるこたア、|請合《うけあひ》の|西瓜《すゐくわ》だ。|中《なか》までマツカイケだ……たーかい、やーまかーら、|谷底《たにそこ》|見《み》ればなア、うーりやなあすびイイの、【ハナ】、あかいな、アラどんどんどん、コラどんどんどん、……どんどんでテールス|姫《ひめ》の|花婿《はなむこ》さまは、|玉治別《たまはるわけ》に|九分九厘《くぶくりん》|定《きま》つて|居《ゐ》るワ。それだから、|此《この》|鬼《おに》の|様《やう》な|立派《りつぱ》な|面《つら》をして、チーチヤーボールさんとやらが|貴様《きさま》が|結婚《けつこん》したにも|拘《かか》はらず、|俺《おれ》を|導《みちび》いて|此室《ここ》へ|連《つれ》て|来《き》て|呉《く》れたのだ。エツヘン』
と|鼻《はな》の|先《さき》に|握拳《にぎりこぶし》を|二《ふた》つ|重《かさ》ねて、キリキリツと|二三遍《にさんぺん》|廻《まは》つて|見《み》せたりける。
『|洒落《しやれ》も|良《い》い|加減《かげん》にして|置《お》かぬかい。|何程《なにほど》|美《うつく》しうても、|塗《ぬ》つた|鼻《はな》は|直《すぐ》|剥《は》げて|了《しま》ふぞ。|此《この》|暑《あつ》い|国《くに》に|汗《あせ》を|一二度《いちにど》かいて|見《み》よ。|忽《たちま》ち|化《ばけ》が|現《あら》はれるワ。|俺《おれ》の|鼻《はな》は|生《うま》れつき、|地《ぢ》の|底《そこ》から|生《は》えぬきの|赤鼻《あかはな》だ。ヘン、|自転倒島《おのころじま》や|其《その》|他《ほか》では……|鼻赤々々《はなあかはなあか》……と|馬鹿《ばか》にしられて、あちらの|女《をんな》にも|此方《こちら》の|女《をんな》にも|鼻《はな》【あか】されて|来《き》たが、どんなものだい。|貴様《きさま》の|鼻《はな》はたつた|今《いま》|化《ばけ》が|露《あら》はれて、お|払《はら》ひ|箱《ばこ》に|会《あ》ふのだ』
『|馬鹿《ばか》|言《い》へ、ナンボ|拭《ふ》いても|拭《ふ》いても、|落《お》ちぬのだ。|俺《おれ》は|俄《にはか》に|天《てん》の|神様《かみさま》が|御降臨《ごかうりん》|遊《あそ》ばして|御憑《おうつ》りなさつた、コノハナ|赤《あか》や|姫《ひめ》の|御化身《ごけしん》だぞ。|貴様《きさま》があまり|詐欺《さぎ》や|泥棒《どろばう》して、|行《ゆ》く|所《ところ》が|無《な》くなり、|又《また》|斯様《かやう》な|所《ところ》で|温情《おとな》しい|土人《どじん》をチヨロまかさうと|致《いた》すから、|天《てん》の|大神様《おほかみさま》が、|可憐相《かあいさう》だから、|本当《ほんたう》のコノ【ハナ】|赤《あか》や|姫《ひめ》は|玉治別《たまはるわけ》だと|云《い》ふ|事《こと》を|証明《しようめい》する|為《ため》に、|此《この》|通《とほ》り|赤《あか》くして|下《くだ》さつたのだ。|嘘《うそ》と|思《おも》ふなら|貴様《きさま》|来《き》て|一寸《ちよつと》|拭《ふ》いて|見《み》よ。|中《なか》まで|真赤《まつか》けだ』
『ソンナ|真赤《まつか》な|嘘《うそ》を|言《い》ふものぢやない』
|玉治別《たまはるわけ》はヌツと|腮《あご》を|突出《つきだ》し、|舌《した》を|出《だ》し、
『アヽさうでオ【マツカ】、【ハナ】ハナ|以《もつ》て|赤恥《あかはぢ》をかかし|済《す》みませぬなア』
テールス|姫《ひめ》はツト|立《た》ち、|玉治別《たまはるわけ》の|左《ひだり》の|手《て》を|自分《じぶん》の|右手《みぎて》でグツと|握《にぎ》り、|二三遍《にさんへん》|揺《ゆす》つた|上《うへ》|今度《こんど》は|手《て》を|離《はな》し|左《ひだり》の|手《て》で|玉治別《たまはるわけ》の|右《みぎ》の|手《て》を|握《にぎ》り、|右《みぎ》の|頬《ほほ》を|玉治別《たまはるわけ》の|右《みぎ》の|頬《ほほ》に|擦《す》りつけ、|恋慕《れんぼ》の|情《じやう》を|十二分《じふにぶん》に|示《しめ》した。|充分《じうぶん》|尊敬《そんけい》の|極《きよく》、|愛慕《あいぼ》の|極《きよく》に|達《たつ》した|時《とき》は、|相手《あひて》の|左《ひだり》の|手《て》を|自分《じぶん》の|右《みぎ》の|手《て》に|握《にぎ》るのが|方式《はうしき》である。さうして|頬《ほほ》をすりつけるのは、|最《もつと》も|気《き》に|入《い》つたと|云《い》ふ|表証《しるし》であつた。|友彦《ともひこ》は|劫《がふ》を|煮《に》やし、ツカツカと|此《この》|場《ば》に|進《すす》み|寄《よ》り、テールス|姫《ひめ》の|右《みぎ》の|手《て》を|鷲掴《わしづか》みにグツと|握《にぎ》り、|二《ふた》つ|三《み》つ|横《よこ》にしやくつた。|姫《ひめ》は|顔《かほ》をしかめて、|腰《こし》を|屈《かが》め、そこに|平太《へた》らうとした。|玉治別《たまはるわけ》も|友彦《ともひこ》も、|期《き》せずして|握《にぎ》つた|手《て》を|放《はな》した。|友彦《ともひこ》は|自分《じぶん》の|頬《ほほ》をテールス|姫《ひめ》の|頬《ほほ》に|当《あ》てようと|身《み》に|寄《よ》り|添《そ》うた。テールス|姫《ひめ》は、
『イーエス』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|力《ちから》|限《かぎ》りに|友彦《ともひこ》を|突《つ》き|飛《と》ばした。|友彦《ともひこ》はヨロヨロとよろめき、ドスンと|尻餅《しりもち》を|搗《つ》き、マ|一《ひと》つひつくり|覆《かへ》つて、|居室《ゐま》の|柱《はしら》に|厭《いや》と|云《い》ふ|程《ほど》|後頭部《こうとうぶ》を|打《うち》つけ、「キヤツ」と|云《い》つて|其《その》|場《ば》にフン|伸《の》びて|了《しま》つた。|玉治別《たまはるわけ》、テールス|姫《ひめ》、チーチヤーボールは|驚《おどろ》いて、|水《みづ》を|汲《く》み|来《きた》り、|頭《あたま》から|何杯《なんばい》も|何杯《なんばい》も|誕生《たんじやう》の|釈迦《しやか》の|様《やう》に、|目《め》、|鼻《はな》、|口《くち》の|区別《くべつ》もなく|注《そそ》ぎ|掛《か》けた。|友彦《ともひこ》は「ウン、ブー、ブルブルブル」と|息《いき》を|吹《ふ》いた|拍子《へうし》に、|鼻汁《はな》を|垂《た》らし、|鼻《はな》から|薄《うす》い|毬《まり》の|様《やう》な|玉《たま》が|三《み》つ|四《よ》つ、|串団子《くしだんご》の|様《やう》に|吹《ふ》き|出《だ》した。テールス|姫《ひめ》は|顔《かほ》を|背向《そむ》けて|俯《うつ》ぶいて|了《しま》つた。
そろそろ|玉治別《たまはるわけ》の|赤《あか》い|鼻《はな》は|血《ち》がヨドンだと|見《み》え、|紫色《むらさきいろ》になり、|終局《しまひ》には|真黒《まつくろ》けになつて|了《しま》つた。されど|玉治別《たまはるわけ》はヤツパリ|鮮紅色《せんこうしよく》の|鼻《はな》の|持主《もちぬし》だと|信《しん》じて|居《ゐ》た。|友彦《ともひこ》は|玉治別《たまはるわけ》の|鼻《はな》の|色《いろ》の|変《かは》つたのにヤツと|安心《あんしん》し、テールス|姫《ひめ》の|手《て》をグツと|握《にぎ》り、|左《ひだり》の|手《て》で|玉治別《たまはるわけ》の|鼻《はな》を|指《さ》し|示《しめ》した。テールス|姫《ひめ》は|怪訝《けげん》な|顔《かほ》して|玉治別《たまはるわけ》を|眺《なが》めて|居《ゐ》る。|玉治別《たまはるわけ》はモ|一《ひと》つ|悪戯《からか》つてやらうと、ツカツカと|前《まへ》に|進《すす》み、テールス|姫《ひめ》の|手《て》をグツと|握《にぎ》り、|頬《ほほ》を|当《あ》てようとした。テールス|姫《ひめ》は、
『イーエス イーエス』
と|云《い》ひつつ|力《ちから》に|任《まか》せて、|玉治別《たまはるわけ》をドツと|押《お》した。|玉治別《たまはるわけ》は|後《あと》の|低《ひく》い|段々《だんだん》を|押《お》されて、|友彦《ともひこ》|同様《どうやう》タヂタヂと|逡巡《たじろ》ぎ|乍《なが》ら、|一《いち》の|字《じ》に|長《なが》くなつて|倒《たふ》れた。|友彦《ともひこ》は|手《て》を|拍《う》つて、
『アツハヽヽヽ』
チーチヤーボール『エツポツポ エツポツポ、エツパー エツパー、イーエス イーエス』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|玉治別《たまはるわけ》を|引起《ひきおこ》し、|次《つぎ》の|間《ま》に|押出《おしだ》して|行《ゆ》く。
(大正一一・七・五 旧閏五・一一 松村真澄録)
第一四章 タールス|教《けう》〔七四四〕
|玉治別《たまはるわけ》は|合点《がてん》ゆかず、|次《つぎ》の|間《ま》に|押出《おしだ》され|天然《てんねん》の|岩《いは》の|鏡《かがみ》に|向《むか》つて|吾《わが》|鼻《はな》を|調《しら》べて|見《み》たるに、|鼻《はな》は|不細工《ぶさいく》に|膨《ふく》れ|上《あが》り、|熟《じゆく》した|紫葡萄《むらさきぶだう》の|様《やう》な|色《いろ》になり|居《ゐ》たりける。
『ヤア、|是《これ》で|読《よ》めた。|真黒《まつくろ》ケの|此《この》|鼻《はな》では、テールス|姫《ひめ》さまも……エツパエツパ……と|仰有《おつしや》つた|筈《はず》だ。イーエス イーエス……と|仰有《おつしや》るのも|尤《もつと》もだ。エヽ|残念《ざんねん》な……どうぞして|此《この》|鼻《はな》が|元《もと》の|通《とほ》りになれば、も|一《ひと》つ|揶揄《からか》つて|友彦《ともひこ》の|慢心《まんしん》せぬ|様《やう》に|戒《いまし》めてやるのだが、|神様《かみさま》も|聞《きこ》えませぬワイ。|到頭《たうとう》|残念《ざんねん》|乍《なが》ら|大失敗《だいしつぱい》かな。それは|如何《どう》でも|宜《い》いが、|数多《あまた》の|土人《どじん》が|折角《せつかく》|尊敬《そんけい》して|呉《く》れて|居《ゐ》たのに|如何《どう》して|此《この》|面《つら》が|向《む》けられよう……アヽ|天教山《てんけうざん》に|在《ま》します|木花咲耶姫命《このはなさくやひめのみこと》|様《さま》、|何卒《どうぞ》|此《この》|花《はな》の|黒《くろ》いのをお|癒《なほ》し|下《くだ》さいませ。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。【はな】は|桜木《さくらぎ》、|人《ひと》は|武士《ぶし》、|名《な》を|後《のち》の|世《よ》に|穢《けが》さぬ|様《やう》に、|木花咲耶姫《このはなさくやひめ》さま|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|神直日大直日《かむなほひおほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|何卒《どうぞ》|此《この》|玉治別《たまはるわけ》に|暫時《しばらく》の|間《あひだ》、|赤《あか》い【はな】を|持《も》たせて|下《くだ》さいませ』
と|一心《いつしん》に|念《ねん》じた。|不思議《ふしぎ》や|葡萄《ぶだう》の|様《やう》な|鼻《はな》の|色《いろ》はサツと|除《と》れ、|一層《いつそう》|麗《うるは》しき|鮮紅色《せんこうしよく》の|鼻《はな》となつて|仕舞《しま》つた。
『|神様《かみさま》、|早速《さつそく》お|聞《き》き|届《とど》け|下《くだ》さいまして|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|併《しか》し|乍《なが》ら、もう|友彦《ともひこ》の|膏《あぶら》は|取《と》りませぬ。|之《これ》から|私《わたくし》は|此処《ここ》を|立去《たちさ》つて|西《にし》へ|西《にし》へと|進《すす》み、|次《つぎ》の|部落《ぶらく》を|宣伝《せんでん》します』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|次《つぎ》の|間《ま》へ|悠々《いういう》と|下《くだ》つて|来《き》た。チーチヤーボールは|又《また》もや|此《この》|姿《すがた》を|見《み》て|打驚《うちおどろ》き、
『ボース ボース、チユーチ チユーチ、チーリスタン、ポーリンス、テーク テーク、オツポツポ オツポツポ』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら|恐《こわ》|相《さう》に|後退《あとしざ》りする。|此《この》|意味《いみ》は、
『|此《この》|人《ひと》は|神《かみ》か|悪魔《あくま》か、|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|大化物《おほばけもの》だ。|迂濶《うつかり》して|居《を》ると|如何《どん》な|神罰《しんばつ》が|当《あた》るか|知《し》れぬ……|皆《みな》の|者《もの》、|用心《ようじん》せい。さうして|皆々《みなみな》、お|詫《わび》をせい』
と|言《い》ふ|事《こと》である。|一同《いちどう》はチーチヤーボールの|言葉《ことば》に|頭《かしら》を|大地《だいち》につけ、
『プースー プースー』
と|声《こゑ》を|揃《そろ》へて|謝《あやま》つて|居《ゐ》る。「プースー」と|言《い》ふ|事《こと》は「お|許《ゆる》し」と|言《い》ふ|事《こと》である。|玉治別《たまはるわけ》は|口《くち》から|出放題《ではうだい》に、
『トーリンボース トーリンボース』
と|言《い》つた。|誰《たれ》も|彼《かれ》も|此《この》|声《こゑ》に|頭《あたま》を|下《した》に|足《あし》を|上《うへ》にノタノタと|歩《ある》き|出《だ》した。|中心《ちうしん》を|失《うしな》つて|何《ど》れも|是《これ》もバタバタと|前後左右《ぜんごさいう》に|倒《たふ》れて|仕舞《しま》つた。
『クース、リヤー、ポール、ストン』
と|出放題《ではうだい》を|言《い》つて|見《み》た。|此《この》|言葉《ことば》は、
『|皆《みな》さま|許《ゆる》して|上《あ》げますから|御安心《ごあんしん》なさい』
と|言《い》ふ|意味《いみ》に|惟神的《かむながらてき》になつて|居《ゐ》たのである。|一同《いちどう》は|声《こゑ》を|揃《そろ》へて「ウワーウワー」と|言《い》ひ|乍《なが》ら|玉治別《たまはるわけ》を|胴上《どうあ》げし「エツサーエツサー」と|声《こゑ》を|揃《そろ》へて|一里《いちり》ばかり|山道《やまみち》を|送《おく》り、|谷《たに》|一《ひと》つ|向《むか》ふへ|風《かぜ》の|神《かみ》でも|送《おく》る|様《やう》にして|送《おく》りつけ、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|鬨《とき》を|作《つく》つて|逃《に》げ|帰《かへ》り|行《ゆ》く。|玉治別《たまはるわけ》は|後見送《あとみおく》つて、
『|何《なん》だ、|薩張《さつぱ》り|訳《わけ》が|分《わか》らぬ。まるで|疱瘡神《はうそうがみ》でも|送《おく》る|様《やう》にしやがつた。|余程《よほど》|俺《おれ》が|恐《こわ》かつたと|見《み》えるワイ、アハヽヽヽ。……|時《とき》に|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》は|何方《どちら》へお|行《ゆ》きなされたらう。|洒落《しやれ》どころの|話《はなし》ぢやない。|一時《いちじ》も|早《はや》く|御所在《おんありか》を|探《さが》さねば|申訳《まをしわけ》が|無《な》い』
と|思案《しあん》に|暮《く》れて|両手《りやうて》を|組《く》み|俯向《うつむ》いて|居《ゐ》る。|其処《そこ》へガサガサと|足音《あしおと》をさせ|乍《なが》ら|近寄《ちかよ》り|来《きた》るものがある。|見《み》れば|大《だい》なる|白狐《びやくこ》であつた。|玉治別《たまはるわけ》は|白狐《びやくこ》に|向《むか》ひ、
『やア|貴方《あなた》は|鬼武彦《おにたけひこ》|様《さま》の|御眷属《ごけんぞく》|月日明神様《つきひみやうじんさま》、ようこそ|御《お》いで|下《くだ》さいました。|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》、|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》の|所在《ありか》をお|知《し》らせ|下《くだ》さいませ』
|白狐《びやくこ》は|無言《むごん》のまま、|打頷《うちうなづ》き|尾《を》を|二三遍《にさんぺん》|左右《さいう》に|掉《ふ》り、ノソノソと|歩《あゆ》み|出《だ》した。|玉治別《たまはるわけ》は|白狐《びやくこ》の|後《あと》に|従《したが》ひ、|樹木《じゆもく》|茂《しげ》れる|山林《さんりん》の|中《なか》を|右《みぎ》に|左《ひだり》に|小柴《こしば》を|分《わ》け|乍《なが》ら、|大蛇《をろち》の|背《せな》を|踏《ふ》み|越《こ》え|或《あるひ》は|跨《また》げ、|二三里《にさんり》ばかり|西北《せいほく》|指《さ》して|随《つ》いて|行《ゆ》く。|谷《たに》の|底《そこ》に|幽《かすか》に|聞《きこ》ゆる|天津祝詞《あまつのりと》の|声《こゑ》、|耳《みみ》を|澄《す》まして|聞《き》いて|見《み》れば|確《たしか》に|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》の|声《こゑ》の|様《やう》であつた。|念《ねん》の|為《た》めと|再《ふたた》び|目《め》を|塞《ふさ》いで|声《こゑ》の|所在《ありか》を|確《たしか》めた|上《うへ》、|目《め》を|開《ひら》けば|白狐《びやくこ》の|姿《すがた》は|影《かげ》も|形《かたち》もなくなり|居《ゐ》たりけり。
|玉治別《たまはるわけ》は|谷底《たにそこ》の|声《こゑ》をしるべに|草《くさ》を|掻《か》き|分《わ》け|下《くだ》つて|行《ゆ》く。|不思議《ふしぎ》や|今迄《いままで》|聞《きこ》えた|声《こゑ》はピタリと|止《と》まり、|谷川《たにがは》の|岩《いは》に|打《ぶつ》かかる|水音《みづおと》のみ|囂々《がうがう》と|聞《きこ》え、|雪《ゆき》の|如《ごと》き|飛沫《ひまつ》を|飛《と》ばして|居《ゐ》るのみで、|人《ひと》の|影《かげ》らしきもの|少《すこ》しも|見当《みあ》たらない。|谷川《たにがは》の|上流《じやうりう》|下流《かりう》を|声《こゑ》を|限《かぎ》りに、
『|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》』
と|呼《よ》ばはりつつ|捜索《そうさく》すれども|何《なん》の|応答《いらへ》もなく、|谷川《たにがは》の|水音《みづおと》に|加《くは》へて|猛獣《まうじう》の|唸《うな》り|声《ごゑ》、|刻々《こくこく》に|烈《はげ》しく|聞《きこ》えて|来《く》る。|谷川《たにがは》の|彼方《あなた》を|見《み》れば|蜿蜒《えんえん》たる|大蛇《だいじや》、|鎌首《かまくび》を|立《た》て|三四尺《さんししやく》もあらむと|思《おも》はるる|舌《した》をペロペロと|出《だ》し、|玉治別《たまはるわけ》を|睨《にら》みつけて|居《ゐ》る。
『ヤア、|大変《たいへん》な|太《ふと》い|奴《やつ》だ。|確《たしか》に|此処《ここ》にお|二人《ふたり》の|声《こゑ》がして|居《ゐ》た|筈《はず》だが、|大方《おほかた》|大蛇《をろち》の|奴《やつ》、|呑《の》んで|仕舞《しま》ひやがつたのだらう。アヽ|残念《ざんねん》な|事《こと》をした。|友彦《ともひこ》|等《ら》を|面白半分《おもしろはんぶん》|揶揄《からか》つて|居《ゐ》た|天罰《てんばつ》で|遅《おそ》くなつたか。も|一歩《ひとあし》|早《はや》かりせば、お|二人《ふたり》をヤミヤミと|蛇腹《じやふく》に|葬《はうむ》るのではなかつたのに、|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》には……|油断《ゆだん》は|大敵《たいてき》、|一寸《ちよつと》の|間《ま》も|油断《ゆだん》を|致《いた》すな、|改心《かいしん》の|上《うへ》にも|改心《かいしん》を|致《いた》して、|一呼吸《ひといき》の|間《ま》も|神《かみ》を|忘《わす》れな、|慢心《まんしん》は|大怪我《おほけが》の|基《もと》だ……と|戒《いまし》められてある。|我々《われわれ》も|日々《にちにち》|口癖《くちぐせ》の|様《やう》に|世人《せじん》に|向《むか》つて……|慢心《まんしん》をすな、|改心《かいしん》をせよ……と|言《い》つて|宣伝《せんでん》に|廻《まは》つたが、|遂《つい》には|無意識的《むいしきてき》に|蓄音機《ちくおんき》の|様《やう》に|出《で》る|様《やう》になつて、|言葉《ことば》ばかり|立派《りつぱ》で|魂《たましひ》が|脱《ぬ》けて|居《を》つた。それだからコンナ|失敗《しつぱい》を|演《えん》じたのだ。エヽ|憎《につく》き|大蛇《だいじや》の|奴《やつ》、……|否々《いやいや》|決《けつ》して|大蛇《だいじや》が|悪《わる》いのではない。|彼奴《あいつ》は|所在《あらゆる》|生物《せいぶつ》を|呑《の》むのが|商売《しやうばい》だ、|生物《いきもの》を|呑《の》んで|天寿《てんじゆ》を|保《たも》つ|代物《しろもの》だから|大蛇《だいじや》を|怨《うら》めるのは|我々《われわれ》の|見当《けんたう》|違《ちが》ひ、|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》も|矢張《やつぱ》り|注意《ちゆうい》が|足《た》らなかつたのだ。みすみす|二人《ふたり》を|呑《の》んだ|大蛇《だいじや》を|前《まへ》に|見《み》ながら|敵《かたき》を|討《う》たずに|帰《かへ》らねばならぬのか。|最早《もはや》|大蛇《だいじや》を|殺《ころ》して、|無念《むねん》を|晴《は》らして|見《み》た|処《ところ》が、お|二人《ふたり》の|生命《いのち》が|助《たす》かると|言《い》ふ|訳《わけ》でもなし、|要《い》らざる|殺生《せつしやう》をするよりも|此《この》|実地《じつち》|教訓《けうくん》を|玉治別《たまはるわけ》が|胸《むね》に|畳《たた》み|込《こ》み、|之《これ》から|粉骨砕身《ふんこつさいしん》、|生命《いのち》を|的《まと》に|三人分《さんにんぶん》の|活動《くわつどう》をして|見《み》よう。さうすればお|二人《ふたり》の|心《こころ》を|慰《なぐさ》むる|事《こと》が|出来《でき》るであらう』
と|独語《ひとりご》ちつつ|谷《たに》の|傍《かたはら》に|立《た》つて|両手《りやうて》を|合《あは》せ|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|大蛇《をろち》に|向《むか》つて|鎮魂《ちんこん》を|施《ほどこ》し、
『|一時《いちじ》も|早《はや》く………|大本皇大神《おほもとすめおほかみ》|様《さま》、|大蛇《をろち》の|罪《つみ》を|御宥《おゆる》し|下《くだ》さいまして、|早《はや》く|人間界《にんげんかい》へ|生《うま》れさしてやつて|下《くだ》さいませ』
と|涙《なみだ》と|共《とも》に|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らす。|大蛇《をろち》は|両眼《りやうがん》より|涙《なみだ》をポロポロと|流《なが》し、|玉治別《たまはるわけ》に|向《むか》つて|頭《かうべ》を|下《さ》げ|感謝《かんしや》の|意《い》を|表《へう》し|乍《なが》ら、|悠々《いういう》として|嶮《けは》しき|岩山《いはやま》を|上《のぼ》り、|遂《つい》に|其《その》|長大《ちやうだい》なる|姿《すがた》を|隠《かく》しけり。
|俄《にはか》に|後《うしろ》の|方《はう》に|当《あた》つて|数多《あまた》の|足音《あしおと》が|聞《きこ》えて|来《き》た。|玉治別《たまはるわけ》は|不図《ふと》|振《ふ》り|返《かへ》り|見《み》れば、|猩々《しやうじやう》の|群《むれ》の|数十匹《すうじつひき》、|中《なか》には|赤児《あかご》を|抱《いだ》き|乳《ちち》を|含《ふく》ませ|乍《なが》ら、|玉治別《たまはるわけ》の|前《まへ》に|向《むか》つて|進《すす》み|来《く》る。|玉治別《たまはるわけ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》した。|猩々《しやうじやう》の|群《むれ》は|各々《おのおの》|跪《ひざまづ》き、|両手《りやうて》を|合《あは》せ「キヤア キヤア」と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|感謝《かんしや》するものの|如《ごと》くであつた。|猩々《しやうじやう》の|中《なか》より|最《もつと》も|勝《すぐ》れて|大《だい》なるもの|現《あら》はれ|来《きた》り|玉治別《たまはるわけ》の|前《まへ》に|手《て》をつき|乍《なが》ら|頭《かしら》を|下《さ》げ、|背《せな》に|無理《むり》に|負《お》ひ|乍《なが》ら、|嶮《けは》しき|道《みち》を|矢《や》を|射《い》る|如《ごと》くに|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|数多《あまた》の|猩々《しやうじやう》は|玉治別《たまはるわけ》の|負《お》はれたる|後《うしろ》より|従《したが》ひ|来《きた》る。|此《この》|時《とき》、|山岳《さんがく》も|崩《くづ》るるばかりの|大音響《だいおんきやう》|聞《きこ》え、|周囲《しうゐ》|三四丈《さんしじやう》ばかり、|長《なが》さ|五六十間《ごろくじつけん》もあらむと|思《おも》ふ|太刀肌《たちはだ》の|大蛇《だいじや》、|尻尾《しつぽ》に|鋭利《えいり》なる|剣《つるぎ》を|光《ひか》らせ|乍《なが》ら、|玉治別《たまはるわけ》が|端坐《たんざ》し|居《ゐ》たりし|谷川《たにがは》を|一瀉千里《いつしやせんり》の|勢《いきほひ》にて|囂々《がうがう》と|音《おと》させ|乍《なが》ら、ネルソン|山《ざん》の|方《はう》に|向《むか》つて|進《すす》み|行《ゆ》く。|若《も》し|猩々《しやうじやう》の|助《たす》けなかりせば、|玉治別《たまはるわけ》の|生命《いのち》は|如何《いかが》なりしか|殆《ほとん》ど|計《はか》り|知《し》れざる|破目《はめ》に|陥《おちい》つたであらう。
|猩々《しやうじやう》は|玉治別《たまはるわけ》を|背《せな》に|負《お》ひ、|谷《たに》を|幾《いく》つとなく|飛《と》び|越《こ》え、|或《ある》|高山《かうざん》の|山腹《さんぷく》の|稍《やや》|平坦《へいたん》なる|地点《ちてん》に|導《みちび》きドツカと|下《おろ》した。|玉治別《たまはるわけ》は|猩々《しやうじやう》に|向《むか》ひ、
『アヽ|何《いづ》れの|神様《かみさま》の|化身《けしん》か|存《ぞん》じませぬが、|危《あやふ》き|処《ところ》をよくもお|助《たす》け|下《くだ》さいました。お|礼《れい》には|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》|致《いた》しませう』
と|猩々《しやうじやう》の|群《むれ》に|向《むか》つて、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し、|指頭《しとう》より|霊光《れいくわう》を|発射《はつしや》した。さしも|多数《たすう》の|猩々《しやうじやう》は|忽《たちま》ち|霊光《れいくわう》に|照《てら》され、|烟《けむり》の|如《ごと》く|消《き》えて|仕舞《しま》つた。|一塊《いつくわい》の|白煙《はくえん》は|其処《そこ》より|立昇《たちのぼ》るよと|見《み》る|間《ま》に、|美《うるは》しき|一人《ひとり》の|女神《めがみ》、ニコニコし|乍《なが》ら|玉治別《たまはるわけ》の|前《まへ》に|近《ちか》より|来《きた》り、|両手《りやうて》をつかへ、
『|妾《わらは》は|猩々《しやうじやう》の|精《せい》で|御座《ござ》います。|折角《せつかく》|人間《にんげん》の|姿《すがた》に|生《うま》れ|乍《なが》ら|斯様《かやう》な|浅間《あさま》しき|言葉《ことば》も|通《つう》ぜぬ|獣《けもの》と|生《うま》れ、|身《み》の|不幸《ふかう》を|嘆《なげ》いて|居《を》りました。|然《しか》るに|有難《ありがた》き|尊《たふと》き|天津祝詞《あまつのりと》の|声《こゑ》を|聞《き》かして|頂《いただ》き、|我々《われわれ》は|之《これ》にて|人間《にんげん》に|生《うま》れ|変《かは》り、|天下《てんか》|国家《こくか》の|為《た》めに|大活動《だいくわつどう》を|致《いた》します。さうして|貴方《あなた》の|御探《おたづ》ね|遊《あそ》ばす|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》、|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》は|御無事《ごぶじ》でいらつしやいます、|御心配《ごしんぱい》なさいますな。|軈《やが》てお|会《あ》ひになる|時《とき》があるでせう。|此《この》|先《さき》|如何《いか》なる|事《こと》が|厶《ござ》いませうとも、|必《かなら》ず|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな』
と|言《い》ふかと|見《み》れば、|姿《すがた》は|消《き》えて|白煙《はくえん》も|次第《しだい》|々々《しだい》に|薄《うす》れゆき、|遂《つい》には|影《かげ》も|形《かたち》も|見《み》えなくなつた。
|玉治別《たまはるわけ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》して|居《ゐ》た。|後《うしろ》の|方《はう》の|森林《しんりん》より|忽《たちま》ち|現《あら》はれ|出《い》でたる|十四五人《じふしごにん》の|文身《いれずみ》した|大《だい》の|男《をとこ》、|玉治別《たまはるわけ》の|姿《すがた》を|見《み》るなり、
『ウツポツポ ウツポツポ、ホーレンス、サーチライス』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら|両手《りやうて》を|合《あは》せて|拝《をが》み|倒《たふ》す。|玉治別《たまはるわけ》は|心《こころ》の|中《うち》にて、
『……ハヽア|又《また》……サーチライス………だな。|俺《おれ》の|鼻《はな》が|赤《あか》くなつたので、|友彦《ともひこ》の|二代目《にだいめ》にして|呉《く》れるのかな。|然《しか》し|如何《どん》な|別嬪《べつぴん》が|居《を》つても、|俺《おれ》には|国依別《くによりわけ》の|妹《いもうと》のお|勝《かつ》と|言《い》ふ|立派《りつぱ》な|女房《にようばう》が|国許《くにもと》に|待《ま》つて|居《を》るのだから、そんな|巫山戯《ふざけ》た|真似《まね》は|出来《でき》ないし、|有難迷惑《ありがためいわく》だ。|然《しか》し|大将《たいしやう》は|女《をんな》ばかりに|限《かぎ》らない。ひよつとしたら|此《この》|棟梁《とうりやう》は|男《をとこ》かも|知《し》れない、さうすれば|大変《たいへん》に|都合《つがふ》が|好《い》いがな………』
と|呟《つぶや》き|乍《なが》ら、
『|我《われ》こそは|天教山《てんけうざん》に|在《ま》します、|神伊弉諾大神《かむいざなぎのおほかみ》の|珍《うづ》の|御子《みこ》|木花姫命《このはなひめのみこと》であるぞ』
と|赤《あか》い|鼻《はな》を|指《ゆび》で|抑《おさ》へて|見《み》せた。|一同《いちどう》は「ウワーウワー」と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|玉治別《たまはるわけ》を|手《て》に|乗《の》せる|様《やう》に|大切《たいせつ》にし|乍《なが》ら、|土《つち》も|踏《ふ》まさず|丁寧《ていねい》に|身体《からだ》を|持《も》ち|上《あ》げ、|傍《かたはら》の|岩《いは》の|戸《と》をパツと|開《ひら》いて|蟻《あり》が|蚯蚓《みみず》を|引込《ひきこ》む|様《やう》な|調子《てうし》で|奥《おく》|深《ふか》く|連《つ》れて|行《ゆ》く。|二三丁《にさんちやう》ばかり|隧道《すゐどう》を|担《かつ》がれ、パツと|俄《にはか》に|明《あか》るくなつたと|思《おも》へば、|大《おほ》きな【あかり】|採《と》りが|出来《でき》て|居《ゐ》る。それより|奥《おく》に|担《かつ》がれ、|又《また》もや|四五丁《しごちやう》ばかり|進《すす》んだと|思《おも》うた|処《ところ》へ|一同《いちどう》は|声《こゑ》を|揃《そろ》へて、
『ウツポツポ、ジヤンジヤヒエール、ウツパツパ』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら|恭《うやうや》しく|稍《やや》|広《ひろ》き|場所《ばしよ》に|玉治別《たまはるわけ》を|下《おろ》し、チルテルと|言《い》ふ|其《その》|中《なか》での|大将《たいしやう》らしき|男《をとこ》、|玉治別《たまはるわけ》の|手《て》を|握《にぎ》り、|傍《かたはら》の|岩《いは》の|戸《と》を|押《お》し|奥《おく》に|連《つ》れ|込《こ》んだ。|思《おも》ひの|外《ほか》|広《ひろ》い|岩窟《がんくつ》であり、|芭蕉《ばせう》の|葉《は》の|七八倍《しちはちばい》もある|様《やう》な|大《おほ》きな|葉《は》が、|鱗形《うろこなり》に|厚《あつ》く|敷《し》き|詰《つ》めてあつた。|木《こ》の|葉《は》の|青《あを》く|枯《か》れた|香《かを》りは|何《なん》とも|言《い》へぬ|気分《きぶん》が|漂《ただよ》うて|居《ゐ》る。
|斯《か》かる|処《ところ》へ、|髪《かみ》の|毛《け》を|漆《うるし》の|如《ごと》く|黒《くろ》く|塗《ぬ》つた|三十《さんじふ》|恰好《かつかう》の|大《だい》の|男《をとこ》、|文身《いれずみ》もせず|男《をとこ》|振《ぶ》りの|良《い》い|比較的《ひかくてき》|色《いろ》の|白《しろ》い、|何《なん》とはなしに|高尚《かうしやう》な|風姿《ふうし》にて、ニコニコし|乍《なが》ら|玉治別《たまはるわけ》の|前《まへ》に|出《い》で|来《きた》り、|丁寧《ていねい》に|両手《りやうて》をつき、
『ホーレンス、サーチライス、ウツタツタ ウツタツタ、カーリス カーリス』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|忽《たちま》ち|玉治別《たまはるわけ》の|手《て》を|握《にぎ》り|頻《しき》りに|揺《ゆす》つた。|玉治別《たまはるわけ》はニコニコしながら、|右《みぎ》の|拳《こぶし》を|握《にぎ》り、|人差指《ひとさしゆび》をツンと|立《た》て、|天井《てんじやう》の|方《はう》をチユウチユウと|二三回《にさんくわい》|指《ゆび》さして|見《み》せた。さうして、
『アーマ アーマ、タラリー タラリー、トータラリ トータラリ、リート リート、ジヤンジヤヒエール、オノコロジマ、|玉治別《たまはるわけ》、|神司《かむつかさ》』
と|言《い》つた、|其《その》|男《をとこ》はタールス|教《けう》の|教主《けうしゆ》であつて、|名《な》をタールスと|言《い》ふ。タールスは、
『ホーレンス、タールス、チツク チツク、アツパツパ、テーリス テーリス』
と|挨拶《あいさつ》する。|此《この》|意味《いみ》は、
『|吾等《われら》の|救世主《きうせいしゆ》、よくまア、お|越《こ》し|下《くだ》さいました。|只今《ただいま》より|貴方《あなた》を|救世主《きうせいしゆ》と|仰《あふ》ぎ、|誠《まこと》を|捧《ささ》げてお|仕《つか》へ|致《いた》します。|何卒《どうぞ》|長《なが》らく|此処《ここ》にお|鎮《しづ》まり|下《くだ》さいませ』
といふ|事《こと》であつた。|玉治別《たまはるわけ》は、
『テーリス テーリス』
と|半《なか》ば|歪《ゆが》みなりの|此処《ここ》の|語《ご》を|使《つか》つた。その|意味《いみ》は、
『|何事《なにごと》も|惟神《かむながら》に|任《まか》してお|世話《せわ》になります』
といふ|事《こと》なり。タールスは|尊敬《そんけい》|至《いた》らざるなく、|玉治別《たまはるわけ》を|最《もつと》も|奥《おく》|深《ふか》き|最上等《さいじやうとう》の|室《ま》に|導《みちび》き、|珍《めづ》らしき|果物《くだもの》を|出《だ》して|饗応《きやうおう》し、|生神《いきがみ》の|降臨《かうりん》と|心《こころ》の|底《そこ》より|感謝《かんしや》して|居《ゐ》た。ネルソン|山《ざん》|以西《いせい》の|住民《ぢうみん》は|昔《むかし》より、|救世主《きうせいしゆ》、|天《てん》より|降《ふ》り|給《たま》ひ、|万民《ばんみん》を|霊肉《れいにく》ともに|救《すく》ひ|給《たま》ふと|言《い》ふ|事《こと》を|堅《かた》く|信《しん》じて|居《ゐ》た。こはジヤンナの|郷《さと》でも|同様《どうやう》である。|此処《ここ》はアンナヒエールと|言《い》ふ|里《さと》であつた。
|此《この》|時《とき》|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》は|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、アンナヒエールの|里《さと》に|進《すす》んで|来《き》た。チルテル|以下《いか》|数十名《すうじふめい》の|里人《さとびと》は、|果樹《くわじゆ》の|実《み》を|採《と》らんとてアンナの|大樹《たいじゆ》の|下《もと》に|集《あつ》まつて|居《ゐ》た。|其処《そこ》へ|二人《ふたり》の|美人《びじん》|現《あら》はれ|来《きた》れるを|見《み》てチルテルは|真先《まつさき》に|進《すす》み|出《い》で、|二人《ふたり》の|前《まへ》に|目礼《もくれい》し|乍《なが》ら、
『アツタツタ、ネース ネース』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら|玉能姫《たまのひめ》の|手《て》を|執《と》らむとした。|玉能姫《たまのひめ》は|驚《おどろ》いて|強《つよ》く|振《ふ》り|放《はな》した。チルテルは、
『エーパツパ、エーネース エーネース』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|顔面《がんめん》|怒気《どき》を|含《ふく》んで|大勢《おほぜい》に|目配《めくば》せするや、|寄《よ》つて|集《たか》つて|二人《ふたり》を|手籠《てご》めになしタールスの|岩窟内《がんくつない》に|運《はこ》び|込《こ》みぬ。
(|是《これ》から|分《わか》りやすき|様《やう》に|日本語《にほんご》にて|物語《ものがた》る)
『|汝《なんぢ》は|何処《いづく》の|女《をんな》だ。|此処《ここ》を|何《なん》と|心得《こころえ》て|居《ゐ》る。|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》でも|最《もつと》も|獰猛《だうまう》な|人種《じんしゆ》にして、|他郷《たきやう》の|者《もの》は|一人《ひとり》として、|恐《おそ》れ|戦《おのの》き|此《この》|地《ち》を|踏《ふ》んだものはない。|然《しか》るに|図々《づうづう》しくも|女《をんな》の|分際《ぶんざい》として、|此《この》|里《さと》に|断《ことわ》りもなく|進《すす》み|来《く》るこそ|不届《ふとど》き|至極《しごく》の|女《をんな》ども、|此《この》チルテルは|斯《か》う|見《み》えても|血《ち》も|涙《なみだ》もある|男《をとこ》だ。|何《なん》とかして|助《たす》けてやり|度《た》いと|思《おも》ひ|親切《しんせつ》に|手《て》を|執《と》れば|素気《すげ》なくも|振《ふ》り|放《はな》し|敵意《てきい》を|表《へう》する|横道者《わうだうもの》、さアもう|斯《か》うなる|上《うへ》は|此方《こちら》の|自由自在《じいうじざい》だ。|煮《た》いて|喰《く》はうと|焼《や》いて|喰《く》はうと|此方《こつち》の|儘《まま》だ』
と、|鬼《おに》の|様《やう》な|顔《かほ》に|真黒気《まつくろけ》に|文身《いれずみ》した|奴《やつ》、|前後左右《ぜんごさいう》より|取囲《とりかこ》む。
『ホヽヽヽヽ、|僅《わづ》かに|二人《ふたり》の|繊弱《かよわ》き|女《をんな》を、|大《おほ》きな|男《をとこ》が|数十人《すうじふにん》、|寄《よ》つて|集《たか》つて|蟻《あり》が|蝉《せみ》の|死骸《しがい》でも|穴《あな》へ|引込《ひつこ》む|様《やう》に「エツサエツサ」と|担《かつ》ぎ|込《こ》み、|御親切《ごしんせつ》によう|言《い》つて|下《くだ》さいました。|吾々《われわれ》は|天教山《てんけうざん》に|現《あら》はれ|給《たま》ふ|花赤神《はなあかがみ》の|一《いち》の|眷属《けんぞく》、|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》と|言《い》ふ|生神《いきがみ》で|御座《ござ》るぞや。|取違《とりちが》ひ|致《いた》すと|量見《りやうけん》ならぬぞ』
と|目《め》をキリリツと|釣《つ》り|上《あ》げたり。
『|花赤神《はなあかがみ》の|眷属《けんぞく》とは|真赤《まつか》な|偽《いつは》りだらう。よし、そんな|偽《いつは》りを|申《まを》すと|今《いま》に|化《ばけ》の|皮《かは》を|剥《む》いてやるぞ。|花赤《はなあか》の|神様《かみさま》はタールス|教《けう》の|教主様《けうしゆさま》と|今《いま》|奥《おく》にてお|話《はなし》の|最中《さいちう》だ。|一度《いちど》お|目《め》に|懸《か》け|様《やう》ものなら、|忽《たちま》ち|汝《なんぢ》の|化《ばけ》が|露顕《あらは》れるだらう。|左様《さやう》な|偽《いつは》りを|申《まを》すよりも、|今日《けふ》は|目出度《めでた》き|神様《かみさま》の|御降臨日《ごかうりんび》だから|赦《ゆる》して|遣《つか》はす。よつて|此《この》|方《はう》の|申《まを》す|事《こと》を|素直《すなほ》に|聞《き》くが|宜《よ》い。|常《つね》の|日《ひ》ならば|汝《なんぢ》の|生命《いのち》は|無《な》い|処《ところ》である。さア|我《わが》|教主《けうしゆ》は|未《いま》だ|女房《にようばう》はお|持《も》ち|遊《あそ》ばさず、|何《なん》とかして|文身《いれずみ》のない|女《をんな》を|女房《にようばう》に|致《いた》したいと|常々《つねづね》|仰有《おつしや》つて|御座《ござ》るのだ。|恰度《ちやうど》よい|処《ところ》だ。ウンと|言《い》はつしやい。さすれば|我々《われわれ》は|今日《こんにち》|只今《ただいま》より………|御主人様《ごしゆじんさま》、|奥様《おくさま》と|崇《あが》め|奉《たてまつ》つて、|如何《どん》な|御用《ごよう》でも|御無理《ごむり》でも|聞《き》きます|程《ほど》に、|万々一《まんまんいち》|不承諾《ふしようだく》とあれば|本日《ほんじつ》は|成敗《せいばい》を|赦《ゆる》し、|明日《あす》はお|前等《まへら》の|生命《いのち》を|奪《と》つて|仕舞《しま》ふから、|覚悟《かくご》をきめて|返答《へんたふ》をなさい』
『モシ|玉能姫《たまのひめ》さま、|何《なん》と|言《い》つても、|仮令《たとへ》|殺《ころ》されても|応《おう》ずる|事《こと》はなりませぬぞや。|貴女《あなた》には|立派《りつぱ》な|若彦《わかひこ》|様《さま》と|云《い》ふ|夫《をつと》がおありなさるのだから』
『お|言葉《ことば》までもなく、|妾《わたし》は|決《けつ》して|生命《いのち》を|奪《と》られても|左様《さやう》な|難題《なんだい》には|応《おう》じませぬから、|安心《あんしん》して|下《くだ》さい』
『こりや、|小女《こめ》ツチヨ、|何《なに》|悪智慧《わるぢゑ》をかうのだ。|不届《ふとど》き|千万《せんばん》な……|俺《おれ》を|何方《どなた》と|心得《こころえ》て|居《を》る、ジヤンジヤヒエールのチルテルさんとは、アンナヒエールの|郷《さと》に|於《おい》て|誰《たれ》|知《し》らぬ|者《もの》もない、|鬼《おに》をも|取挫《とりひし》ぐチヤーチヤーだぞ。【チヤー】チヤー|吐《ぬか》すと|最早《もはや》|堪忍《かんにん》ならぬ。|膺懲《こらしめ》の|為《た》めに|此《この》|鉄拳《てつけん》を|喰《くら》へ』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|初稚姫《はつわかひめ》を|目蒐《めが》けて|鬼《おに》の|蕨《わらび》を|頭上《づじやう》より|喰《くら》はさむとする。
|初稚姫《はつわかひめ》は、|飛鳥《ひてう》の|如《ごと》く|体《たい》を|躱《かわ》し「オホヽヽヽ」と|平気《へいき》で|笑《わら》つて|居《ゐ》る。|白狐《びやくこ》の|姿《すがた》は|両人《りやうにん》の|目《め》に|明《あきら》かに|映《えい》じて|居《ゐ》る。チルテル|初《はじ》め|一同《いちどう》は「タールス|教主《けうしゆ》の|女房《にようばう》になれ」と|種々《いろいろ》|嚇《おど》しつ|慊《すか》しつ、|遂《つい》には|声高《こわだか》となつて|来《き》た。チルテルは|斯《か》くては|果《は》てじと|奥《おく》の|間《ま》に|走《はし》り|入《い》り、タールスの|前《まへ》に|両手《りやうて》をつき、
『|只今《ただいま》|麗《うるは》しき|女《をんな》|二人《ふたり》、|此《この》|郷《さと》に|迷《まよ》ひ|来《きた》り、|玉能姫《たまのひめ》とか、|初稚姫《はつわかひめ》とか|申《まを》して|居《を》りましたが、|実《じつ》に|綺麗《きれい》な|女《をんな》で|御座《ござ》います。|貴方《あなた》の|女房《にようばう》には|持《も》つて|来《こ》いの|適役《はまりやく》、|若《わか》い|方《はう》は|先《さき》でお|妾《めかけ》と|遊《あそ》ばしたら|宜《よろ》しからうと|存《ぞん》じ、|岩窟《いはや》の|中《なか》へ|連《つ》れ|込《こ》みましたが、なかなかの|剛情者《がうじやうもの》で、|少《すこ》しも、|我々《われわれ》の|申《まを》す|事《こと》を|尻《しり》に|聞《き》かして、|頤《あご》で|返事《へんじ》を|致《いた》す|横道者《わうだうもの》、|如何《いかが》|取計《とりはか》らひませうや』
|之《これ》を|聞《き》いた|玉治別《たまはるわけ》はハツト|胸《むね》を|躍《をど》らせたが、さあらぬ|態《てい》にて|控《ひか》へ|居《を》る。
『|何《なに》、|美《うつく》しき|女《をんな》が|二人《ふたり》|迄《まで》も|来《き》たか、|此《この》|場《ば》に|引連《ひきつ》れ|来《きた》れ。|因縁《いんねん》の|有無《うむ》を|調《しら》べ|見《み》む、|一時《いちじ》も|早《はや》く』
と|急《せ》き|立《た》てる。「ハイ」と|答《こた》へてチルテルは|此《この》|場《ば》を|立退《たちの》き、
『サア|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》、|今日《けふ》は|花赤神様《はなあかがみさま》の|御降臨《ごかうりん》で、|教主様《けうしゆさま》の|大変《たいへん》な|御機嫌《ごきげん》、|其処《そこ》へ|其《その》|方《はう》が|参《まゐ》つたのも|何《なに》かの|因縁《いんねん》であらう。|兎《と》も|角《かく》|御面会《ごめんくわい》の|為《ため》、チルテルの|後《うしろ》に|従《つ》いて|御座《ござ》れ』
『ハイ、|有難《ありがた》う。|然《しか》らば|参《まゐ》りませう。……|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》、|貴女《あなた》も|一緒《いつしよ》に』
と|初稚姫《はつわかひめ》の|手《て》をとり、チルテルの|後《あと》に|従《したが》ひ|教主《けうしゆ》の|居間《ゐま》に|導《みちび》いた。|玉治別《たまはるわけ》は|二人《ふたり》の|顔《かほ》を|見《み》るなり、「アツ」と|言《い》はむとせしが|自《みづか》ら|制《せい》し|止《とど》めた。|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》は|玉治別《たまはるわけ》の|姿《すがた》を|見《み》て、|救世主《きうせいしゆ》に|会《あ》ひし|如《ごと》く|心《こころ》の|裡《うち》に|喜《よろこ》んだ。|然《しか》し、|様子《やうす》ある|事《こと》と|態《わざ》と|素知《そし》らぬ|顔《かほ》して|俯向《うつむ》いて|居《ゐ》る。タールスは|玉治別《たまはるわけ》に|向《むか》ひ、
『オーレンス、サーチライス、アツタツタ、|今日《こんにち》は|遥々《はるばる》|天上《てんじやう》より|御降臨《ごかうりん》|下《くだ》さいまして、アンナヒエールの|郷人《さとびと》は|欣喜雀躍《きんきじやくやく》、|天下泰平《てんかたいへい》を|祝福《しゆくふく》|致《いた》し|居《を》ります|処《ところ》へ、|又《また》もや|当国《たうごく》に|於《おい》ては|類稀《たぐひまれ》なる|是《これ》なる|美人《びじん》、|而《しか》も|二人《ふたり》までこれへ|参《まゐ》りましたのは、|全《まつた》く|神様《かみさま》の|御引合《おひきあは》せで|御座《ござ》いませう。|私《わたし》の|女房《にようばう》に|致《いた》しましたら|如何《いかが》で|御座《ござ》いませう』
『イーエス イーエス、エータルス エータルス、エツパツパ、パーツク パーツク、エツパツパ』
と|言《い》つた。タールスは|頭《あたま》をガシガシ|掻《か》き|乍《なが》ら|再《ふたた》び、
『|左様《さやう》で|御座《ござ》いませうが、|何《なん》とかしてお|許《ゆる》し|頂《いただ》く|訳《わけ》には|参《まゐ》りますまいか。ならう|事《こと》なら、|私《わたし》が|宿《やど》の|妻《つま》と|致《いた》したう|御座《ござ》います。|又《また》|若《わか》い|方《はう》は|我《わが》|娘《むすめ》として|大切《たいせつ》に|育《そだ》て|上《あ》げ、|天晴《あつぱれ》タールス|教《けう》の|神司《かむつかさ》と|仕上《しあ》げる|覚悟《かくご》で|御座《ござ》いますから、|何卒《どうぞ》お|許《ゆる》しを|願《ねが》ひます』
と|頼《たの》み|込《こ》んだ。
『|是《これ》なる|女《をんな》は|高天原《たかあまはら》より|降《くだ》り|給《たま》へる|天女《てんによ》にして、|人民《じんみん》の|左右《さいう》すべきものに|非《あら》ず。|万々一《まんまんいち》|過《あやま》つて|神慮《しんりよ》に|触《ふ》るる|様《やう》な|事《こと》あらば、|汝《なんぢ》が|生命《いのち》は|直《ただち》に|召取《めしと》らるるであらうぞ』
と|声《こゑ》に|力《ちから》を|入《い》れて、きめつけた。タールスは|其《その》|厳《きび》しき|言霊《ことたま》の|威《ゐ》に|打《う》たれ、|思《おも》はず|頭《かしら》を|下《さ》げ、
『|今後《こんご》は|決《けつ》して|左様《さやう》な|事《こと》は|申《まを》しませぬから、|何卒《どうぞ》お|許《ゆる》し|下《くだ》さい』
と|嘆願《たんぐわん》した。|玉治別《たまはるわけ》は|心中《しんちう》に|可笑《をか》しさを|堪《こら》へ、ソツと|見《み》ぬ|様《やう》な|風《ふう》して|両女《りやうぢよ》の|顔《かほ》を|覗《のぞ》き|込《こ》んだ。|両女《りやうぢよ》の|目《め》は|同時《どうじ》に|玉治別《たまはるわけ》の|両眼《りやうがん》に|注《そそ》がれた。
|是《これ》より|玉治別《たまはるわけ》は|此《この》|里《さと》の|言葉《ことば》をスツカリ|覚《おぼ》えた|上《うへ》、|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|説《と》き|諭《さと》し、タールスを|立派《りつぱ》なる|神司《かむつかさ》に|仕上《しあ》げ、チルテルも|同《おな》じく|神司《かむつかさ》となり、アンナヒエールの|里人《さとびと》を|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|大神《おほかみ》の|道《みち》に|帰順《きじゆん》せしめ、|二三ケ月《にさんかげつ》|滞在《たいざい》の|上《うへ》、|三人《さんにん》は|此《この》|里《さと》を|立《た》ち|出《い》で、|西北《せいほく》さして|山伝《やまづた》ひに|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|進《すす》み|行《ゆ》くのであつた。|七八里《しちはちり》の|間《あひだ》はチルテルを|初《はじ》め|一同《いちどう》|見送《みおく》りをなし、|茲《ここ》に|涙《なみだ》と|共《とも》に|惜《をし》き|別《わか》れを|告《つ》げたりける。
(大正一一・七・五 旧閏五・一一 北村隆光録)
窓外和知川の氾濫を眺めつつ
(昭和一〇・三・八 於吉野丸船室 王仁校正)
第一五章 |諏訪湖《すはこ》〔七四五〕
|玉治別《たまはるわけ》は|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》と|共《とも》にアンナヒエールのタールス|郷《きやう》を|三五教《あななひけう》の|霊場《れいぢやう》と|定《さだ》め、|黒《くろ》ン|坊《ぼう》を|残《のこ》らず|帰順《きじゆん》せしめ、チルテル|以下《いか》|数十人《すうじふにん》の|者《もの》に|送《おく》られて、イルナの|郷《さと》の|入口《いりぐち》に|袂《たもと》を|別《わか》ち『ウワーウワー』の|声《こゑ》と|共《とも》に|東西《とうざい》に|姿《すがた》を|消《け》したりける。
|三人《さんにん》は|谷《たに》を|幾《いく》つとなく|越《こ》え、|森林《しんりん》の|中《なか》の|広《ひろ》き|平岩《ひらいは》の|上《うへ》に|腰《こし》|打《う》ち|掛《か》け、|休息《きうそく》し|乍《なが》ら|回顧談《くわいこだん》に|耽《ふけ》つた。|玉治別《たまはるわけ》は、ジヤンナの|谷底《たにそこ》にジヤンナイ|教《けう》の|教主《けうしゆ》テールス|姫《ひめ》と|面会《めんくわい》せし|事《こと》や、|友彦《ともひこ》との|挑戯《からかひ》などを|面白《おもしろ》|可笑《をか》しく|物語《ものがた》り、|次《つい》で|此処《ここ》を|立《た》ち|出《い》でアンナヒエールの|里《さと》に|到《いた》る|折《をり》しも、|両女《りやうぢよ》の|祝詞《のりと》の|声《こゑ》を|聞《き》きつけ、|谷間《たにま》に|下《くだ》りて|其辺《そこら》|一面《いちめん》に|二人《ふたり》の|後《あと》を|探《たづ》ね|廻《まは》る|折《をり》しも|大蛇《をろち》に|出会《でつくは》し、|猩々《しやうじやう》の|群《むれ》に|救《すく》はれて|遂《つい》にアンナヒエールのタールス|教《けう》の|本山《ほんざん》に|担《かつ》ぎ|込《こ》まれ、|意外《いぐわい》の|待遇《もてなし》を|受《う》け|居《を》る|際《さい》、|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》に|面会《めんくわい》せし|奇遇談《きぐうだん》を、|大略《あらまし》|物語《ものがた》りけり。
|玉能姫《たまのひめ》は|静《しづか》に、
『|妾《わたし》は|或《ある》|谷間《たにま》に|御禊《みそぎ》をなし|祝詞《のりと》を|上《あ》げて|居《ゐ》ました|処《ところ》、|傍《かたはら》の|岩穴《いはあな》より|鬼武彦《おにたけひこ》は|白狐《びやくこ》の|月日《つきひ》、|旭《あさひ》と|共《とも》に|現《あら》はれ|給《たま》ひ、|二人《ふたり》の|袖《そで》を|銜《くは》へて|穴《あな》の|底《そこ》に|引込《ひきこ》んで|下《くだ》さいました。はて|不思議《ふしぎ》と|思《おも》ひながら|曳《ひ》かるる|儘《まま》に|穴《あな》の|中《なか》に|身《み》を|没《ぼつ》し、|小声《こごゑ》に|宣伝歌《せんでんか》を|唱《とな》へて|居《ゐ》ますと、|妾《わたし》の|潜《ひそ》んで|居《ゐ》る|穴《あな》の|前《まへ》の|谷川《たにがは》の|向岸《むかふぎし》に|当《あた》つて|蜿蜒《えんえん》たる|大蛇《だいじや》が|現《あら》はれ、|三四尺《さんししやく》もあらうと|思《おも》ふ|長《なが》い|舌《した》を|出《だ》して|穴《あな》を|目蒐《めが》けて|睨《にら》んで|居《ゐ》たが、|鬼武彦《おにたけひこ》|以下《いか》の|御威徳《ごいとく》に|畏《おそ》れ、|近《ちか》よりも|得《え》せず|暫《しばら》く|睨《にら》むで|居《を》りました。|其《その》とき|貴方《あなた》の|声《こゑ》として|妾《わたし》|共《ども》の|名《な》を|呼《よ》んで|下《くだ》さいました。|何《ど》うしたことか|一言《ひとこと》も|声《こゑ》が|出《で》ず、ええヂレツタイ|事《こと》だと|〓《もが》いて|居《を》りますうち、|山岳《さんがく》も|崩《くづ》るる|許《ばか》りの|音《おと》を|立《た》てて、|胴《どう》の|周囲《まはり》|三四丈《さんしじやう》もあらうかと|思《おも》はるる|長《なが》さ|数十間《すうじつけん》の|太刀膚《たちはだ》の|大蛇《をろち》、|尾《を》の|先《さき》に|鋭利《えいり》な|剣《つるぎ》を|光《ひか》らせ|乍《なが》ら、|夫婦《ふうふ》と|見《み》えて|二体《にたい》、|谷川《たにがは》を|一杯《いつぱい》になつて|通《とほ》り|過《す》ぎた|時《とき》の|恐《おそ》ろしさ、|今《いま》|思《おも》つても、|身《み》の|毛《け》がよだつやうに|御座《ござ》います。|白狐《びやくこ》の|姿《すがた》は|忽《たちま》ち|消《き》えて|四辺《あたり》は|森閑《しんかん》としたのを|幸《さいは》ひ、|貴方《あなた》に|遇《あ》はんと|岩窟《がんくつ》を|這《は》ひ|出《い》で|其辺《そこら》を|探《たづ》ねましたが、|些《ちつ》ともお|姿《すがた》は|見《み》えず、あゝ|彼《あ》の|大蛇《をろち》に|何《ど》うかされなさつたのだらうかと|気《き》が|気《き》でならず、もしや|其辺《そこら》に|身《み》を|潜《ひそ》めて|居《を》られるのではあるまいかと|思《おも》ひ、|態《わざ》と|宣伝歌《せんでんか》を|声《こゑ》|高《たか》く|歌《うた》つて|通《とほ》る|折《をり》しも、タールス|教《けう》のチルテル|初《はじ》め|数多《あまた》の|人々《ひとびと》、|我々《われわれ》|両人《りやうにん》を|矢庭《やには》に|担《かつ》いであの|岩窟《がんくつ》に|連《つ》れ|参《まゐ》り、|貴方《あなた》に|不思議《ふしぎ》の|対面《たいめん》をなし、|漸《やうや》く|危険《きけん》を|免《まぬ》がれ、|其《その》|上《うへ》|神様《かみさま》のお|道《みち》の|宣伝《せんでん》をなし、|残《のこ》らず|帰順《きじゆん》させる|事《こと》の|出来《でき》ましたのも、|全《まつた》く|三五教《あななひけう》の|大神《おほかみ》の|御守護《ごしゆご》と|今更《いまさら》ながら|有難涙《ありがたなみだ》に|暮《く》れまする……アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|合掌《がつしやう》すれば|初稚姫《はつわかひめ》も|小《ちひ》さき|手《て》を|合《あは》せ|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|暮《く》れ|居《ゐ》たり。
|斯《か》く|話《はな》す|折《をり》しもキヤツと|息《いき》の|切《き》れるやうな|悲鳴《ひめい》が|聞《きこ》えて|来《き》た。|三人《さんにん》は|此《この》|声《こゑ》に|思《おも》はず|腰《こし》を|上《あ》げ|耳《みみ》を|澄《す》まして|聞《き》き|居《を》れば、|谷底《たにそこ》に|当《あた》つて|蜿蜒《えんえん》たる|大蛇《をろち》、|二人《ふたり》の|男女《だんぢよ》をキリキリと|捲《ま》きながら|今《いま》や|大口《おほぐち》を|開《あ》けて|呑《の》まんとする|真最中《まつさいちう》であつた。|玉治別《たまはるわけ》|是《これ》を|見《み》るより|一目散《いちもくさん》に|夏草《なつくさ》の|生茂《おひしげ》る|灌木《くわんぼく》の|中《なか》を|駆《か》け|潜《くぐ》り、|近《ちか》づき|見《み》れば|此《この》|有様《ありさま》、|直《ただち》に|天津祝詞《あまつのりと》を|口早《くちばや》に|奏上《そうじやう》し、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|謡《うた》ひあげ、ウンと|一声《ひとこゑ》|指頭《しとう》を|突《つ》き|出《だ》し、|五色《ごしき》の|霊光《れいくわう》を|発射《はつしや》して|大蛇《をろち》に|放射《はうしや》した。|大蛇《をろち》は|忽《たちま》ちパラパラと|解《ほど》けて|其《その》|場《ば》に|材木《ざいもく》を|倒《こか》したやうにフン|伸《の》びて|仕舞《しま》つた。|二人《ふたり》は|最早《もはや》|正気《しやうき》を|失《うしな》ひ、|虫《むし》の|息《いき》にて|胸《むね》の|辺《あた》りをペコペコと|僅《わづ》かに|動悸《どうき》を|打《う》たせて|居《を》つた。|此《この》|間《あひだ》に|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》は|後《あと》|追《お》ひ|来《きた》り、|三人《さんにん》|力《ちから》を|合《あは》せ|谷水《たにみづ》を|汲《く》み|来《きた》りて|面部《めんぶ》に|吹《ふ》きかけ、|口《くち》に|喞《ふく》ませ、いろいろと|介抱《かいほう》をなし、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|謡《うた》ひ|上《あ》げて|魂返《たまがへ》しの|神業《かむわざ》を|修《しう》するや、|忽《たちま》ち|息《いき》|吹《ふ》き|返《かへ》し|二人《ふたり》は|両手《りやうて》を|合《あは》せ、
『|何《いづ》れの|方《かた》かは|存《ぞん》じませぬが、|危《あや》ふき|所《ところ》をよくも|助《たす》けて|下《くだ》さいました。|此《この》|御恩《ごおん》は|死《し》んでも|忘《わす》れは|致《いた》しませぬ』
と|涙《なみだ》と|共《とも》に|感謝《かんしや》しける。|玉治別《たまはるわけ》は、
『ヤア、|貴方《あなた》は……|久助《きうすけ》さま、お|民《たみ》さまぢや|御座《ござ》いませぬか、|危《あやふ》い|事《こと》で|御座《ござ》いました』
と|頓狂《とんきやう》な|声《こゑ》を|出《だ》して|呼《よ》びかけたり。|夫婦《ふうふ》はハツと|顔《かほ》を|上《あ》げ、|久助《きうすけ》は、
『ヤア、|貴方《あなた》は|玉治別《たまはるわけ》|様《さま》、|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》、よう|来《き》て|下《くだ》さいました。ネルソン|山《ざん》の|山頂《さんちやう》より|烈風《れつぷう》に|吹《ふ》き|散《ち》らされ、|各自《めいめい》|四方《しはう》に|散乱《さんらん》し、|貴方方《あなたがた》は|何《ど》うなつた|事《こと》かと、|今《いま》の|今《いま》まで|心配《しんぱい》|致《いた》して|居《を》りました。|此《この》|広《ひろ》い|竜宮嶋《りうぐうじま》、|仮令《たとへ》|三年《さんねん》や|五年《ごねん》|探《さが》しても|一旦《いつたん》|別《わか》れたが|最後《さいご》、|面会《めんくわい》する|事《こと》は|到底《たうてい》|出来《でき》ない|筈《はず》だのに、|折《をり》|好《よ》くも|斯《こ》んな|所《ところ》でお|目《め》に|懸《かか》るとは|全《まつた》く|神様《かみさま》のお|引合《ひきあは》せ、アヽ|有難《ありがた》や|勿体《もつたい》なや』
と|又《また》もや|天津祝詞《あまつのりと》を|五人《ごにん》|一緒《いつしよ》に|声《こゑ》も|涼《すず》しく|奏上《そうじやう》した。|二匹《にひき》の|大蛇《をろち》も、そろそろ|尾《を》の|方《はう》よりビクリビクリと|動《うご》き|出《だ》し、|次第《しだい》|々々《しだい》に|元気《げんき》を|増《ま》し|鎌首《かまくび》を|上《あ》げ、|五人《ごにん》に|向《むか》つて|謝罪《しやざい》するものの|如《ごと》く、|両眼《りやうがん》より|涙《なみだ》を|流《なが》し|居《ゐ》たり。|玉治別《たまはるわけ》は|大蛇《をろち》に|向《むか》ひ、
『オイオイ|大蛇《をろち》|先生《せんせい》、|何《なん》の|因果《いんぐわ》でソンナ|姿《すがた》に|生《うま》れて|来《き》たのだ。|可憐《かはい》さうなものだ、|早《はや》く|人間《にんげん》に|生《うま》れ|代《かは》るやうに|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》してやらう』
|大蛇《をろち》の|雌雄《しゆう》は|首《くび》を|揃《そろ》へて|幾度《いくたび》となく|首《かしら》を|下《さ》げ、|感謝《かんしや》の|意《い》を|表《へう》した。|五人《ごにん》は|幾回《いくくわい》となく|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》した。|大蛇《をろち》は|忽《たちま》ち|白煙《はくえん》となり、|大空《おほぞら》|目蒐《めが》けて|細長《ほそなが》く|蜿蜒《えんえん》として|雲《くも》となり|中空《ちうくう》に|消《き》えて|仕舞《しま》つた。これ|全《まつた》く|誠心誠意《せいしんせいい》、|玉治別《たまはるわけ》|一行《いつかう》が|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》したる|功徳《くどく》によつて、|大蛇《をろち》は|天上《てんじやう》に|救《すく》はれたるなり。
|一行《いつかう》|五人《ごにん》はイルナの|山中《さんちう》を|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|土人《どじん》の|住家《すみか》を|宣伝《せんでん》せむと|崎嶇《きく》たる|山道《やまみち》を|足《あし》を|痛《いた》めながら、|草鞋《わらぢ》を|破《やぶ》り|跣《はだし》となつて|進《すす》み|往《ゆ》く。|久助《きうすけ》は|初稚姫《はつわかひめ》を|労《いたは》り|背《せな》に|負《お》ひ|最後《さいご》より|随《したが》ひ|往《ゆ》く。
|向《むか》ふの|方《はう》より|数十人《すうじふにん》の|一群《ひとむれ》の|荒《あら》くれ|男《をとこ》、|顔《かほ》|一面《いちめん》に|嫌《いや》らしき|文身《いれずみ》をしながら|此《この》|場《ば》に|現《あらは》れ|来《きた》り、|眼《め》を|怒《いか》らせ|五人《ごにん》をバラバラと|取巻《とりま》いた。|左《ひだり》は|断崖《だんがい》|絶壁《ぜつぺき》、|千仭《せんじん》の|谷間《たにま》には|青々《あをあを》とした|激流《げきりう》|泡《あわ》を|飛《と》ばして|流《なが》れ|居《ゐ》たり。|進退《しんたい》|維谷《これきは》まりし|五人《ごにん》は|如何《いかが》はせむと|案《あん》じ|煩《わづら》ふ|折《をり》しも、|久助《きうすけ》の|背《せ》に|負《お》はれたる|初稚姫《はつわかひめ》は、
『|玉治別《たまはるわけ》|殿《どの》、|先《さき》に|立《た》たれよ』
と|云《い》ふ。|玉治別《たまはるわけ》は|先《さき》に|立《た》ち、|荒男《あらをとこ》の|前《まへ》につかつかと|進《すす》み|寄《よ》る。|荒男《あらをとこ》の|名《な》はタマルと|云《い》ふ。タマルは|玉治別《たまはるわけ》の|赤《あか》き|鼻《はな》を|見《み》て|大《おほ》いに|驚《おどろ》き|俄《にはか》に|態度《たいど》を|一変《いつぺん》し、|凶器《きやうき》を|大地《だいち》に|抛《な》げ|捨《す》て、|両手《りやうて》を|合《あは》せ|跪《ひざまづ》き、
『オーレンス、サーチライス、ウツポツポ ウツポツポ、アツタツター アツタツター』
と|尊敬《そんけい》の|意《い》を|表《へう》した。|更《あら》たまつたる|此《この》|態度《たいど》に|一同《いちどう》は|柄物《えもの》を|投《な》げ|捨《す》て|大地《だいち》に|跪《ひざまづ》き、|異口同音《いくどうおん》に「オーレンス、サーチライス」と|繰返《くりかへ》し、|尊敬《そんけい》の|意《い》を|表《へう》したりけり。|玉治別《たまはるわけ》は、
『アーメーアーメー、|自転倒嶋《おのころじま》に|現《あら》はれ|給《たま》ふ|三五教《あななひけう》の|教主《けうしゆ》|言依別《ことよりわけ》の|命《めい》を|奉《ほう》じ、|此《この》|一《ひと》つ|島《じま》に|神《かみ》の|福音《ふくいん》を|宣《の》べ|伝《つた》へむが|為《た》めに、|遥々《はるばる》|渡《わた》り|来《きた》れるものぞ。|汝等《なんぢら》|今《いま》より|我道《わがみち》を|信《しん》じ、|神《かみ》の|愛児《あいじ》となり、|霊肉《れいにく》|共《とも》に|永遠無窮《ゑいゑんむきう》に|栄《さか》えよ。|天国《てんごく》の|門《もん》は|開《ひら》かれたり、|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|時《とき》は|到《いた》れり、|悔《く》い|改《あらた》めよ』
と|宣示《せんじ》したり。|此《この》|言葉《ことば》はタマル|以下《いか》|一同《いちどう》には|言語《げんご》の|通《つう》ぜざるため|何《なん》の|意味《いみ》かは|分《わか》らざりしが、|何分《なにぶん》|尊《たふと》き|救世主《きうせいしゆ》の|御降臨《ごかうりん》と|信《しん》じ|切《き》つたる|彼等《かれら》は|嬉《うれ》しげに|後《あと》に|随《したが》ひ、|険峻《けんしゆん》なる|道《みち》を|大男《おほをとこ》の|背《せ》に|五人《ごにん》を|負《お》ひながら、|大地《だいち》|一面《いちめん》に|金砂《きんしや》の|散乱《さんらん》せる|大原野《だいげんや》に|導《みちび》きぬ。|此処《ここ》はアンデオと|云《い》ふ|広大《くわうだい》なる|原野《げんや》にして、|又《また》|人家《じんか》らしきもの|数多《あまた》|建《た》ち|並《なら》び、|小都会《せうとくわい》を|形成《けいせい》せり。|土人《どじん》の|祀《まつ》つて|居《ゐ》る|竜神《りうじん》の|祠《ほこら》の|前《まへ》に|五人《ごにん》を|下《おろ》し、|手《て》を|拍《う》つて|喜《よろこ》び、|何事《なにごと》か|一同《いちどう》は|祈願《きぐわん》を|籠《こ》めたりけり。
|社《やしろ》の|後《うしろ》には|目《め》も|届《とど》かぬ|許《ばか》りの|湖水《こすゐ》が|蓮《はちす》の|形《かたち》に|現《あら》はれ、|紺碧《こんぺき》の|浪《なみ》を|湛《たた》へて|居《ゐ》る。|水鳥《みづどり》は|浮《う》きつ|沈《しづ》みつ|愉快気《ゆくわいげ》に|右往左往《うわうさわう》に|游泳《いうえい》し、|時々《ときどき》|羽《は》ばたきしながら、|水面《すゐめん》に|立《た》ち|歩《あゆ》み|駆《か》け|狂《くる》うて|居《ゐ》る|面白《おもしろ》さ。|一同《いちどう》は|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|終《をは》り、|此《この》|湖水《こすゐ》の|景色《けしき》に|見惚《みと》れ、やや|暫《しば》し|息《いき》を|休《やす》めて|居《ゐ》た。|玉治別《たまはるわけ》は|祠《ほこら》の|前《まへ》に|停立《ていりつ》し、
『|自転倒島《おのころじま》を|立《た》ち|出《い》でて |神《かみ》の|教《をしへ》を|伝《つた》へむと
|南洋諸島《なんやうしよたう》を|駆《か》け|廻《まは》り |愈《いよいよ》ここに|竜宮《りうぐう》の
|一《ひと》つの|島《しま》へと|到着《たうちやく》し |厳《うづ》の|都《みやこ》の|城下《じやうか》まで
|進《すす》み|来《きた》れる|折柄《をりから》に |蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》や|黄竜《わうりよう》の
|姫《ひめ》の|心《こころ》を|量《はか》り|兼《か》ね |神《かみ》の|経綸《しぐみ》か|白雲《しらくも》の
かかる|山辺《やまべ》を|十柱《とはしら》の |教《をしへ》の|御子《みこ》は|攀登《よぢのぼ》り
|山《やま》の|尾上《をのへ》を|踏《ふ》み|越《こ》えて ネルソン|山《ざん》の|絶頂《ぜつちやう》に
|佇《たたず》み|四方《よも》を|眺《なが》めつつ |雄渾《ゆうこん》の|気《き》に|打《う》たれ|居《ゐ》る
|時《とき》しもあれや|山腹《さんぷく》より |昇《のぼ》り|来《きた》れる|黒雲《こくうん》に
|一行《いつかう》|十人《じふにん》|包《つつ》まれて |咫尺《しせき》も|弁《べん》ぜず|当惑《たうわく》し
|天津祝詞《あまつのりと》を|声《こゑ》|限《かぎ》り |奏上《そうじやう》なせる|折《を》りもあれ
|空前絶後《くうぜんぜつご》の|強風《きやうふう》に |吹《ふ》き|捲《ま》くられて|各自《めいめい》は
|木《こ》の|葉《は》の|如《ごと》く|中天《ちうてん》に |捲《ま》き|上《あ》げられて|名《な》も|知《し》らぬ
|深《ふか》き|谷間《たにま》に|墜落《つゐらく》し |息《いき》も|絶《た》えむとしたりしに
|三五教《あななひけう》の|大神《おほかみ》の |恵《めぐみ》の|露《つゆ》に|霑《うるほ》ひて
|漸《やうや》く|息《いき》を|吹《ふ》き|返《かへ》し |彼方《かなた》|此方《こなた》に|蟠《わだか》まる
|大蛇《をろち》の|群《むれ》を|悉《ことごと》く |天津祝詞《あまつのりと》の|太祝詞《ふとのりと》
|天《あま》の|数歌《かずうた》|謡《うた》ひつつ |言向《ことむ》け|和《やは》せ|漸《やうや》うに
|数多《あまた》の|人《ひと》に|送《おく》られて |初《はじ》めて|此処《ここ》に|来《き》て|見《み》れば
|瞳《ひとみ》も|届《とど》かぬ|諏訪《すは》の|湖《うみ》 |千尋《ちひろ》の|底《そこ》の|弥《いや》|深《ふか》き
|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|現《あら》はれて |魚鱗《ぎよりん》の|波《なみ》は|金銀《きんぎん》の
|花《はな》|咲《さ》く|如《ごと》き|眺《なが》めなり あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》の|幸《さち》を|蒙《かか》ぶりて |我等《われら》|一行《いつかう》|五《い》つ|身魂《みたま》
これの|聖地《せいち》に|導《みちび》かれ |心《こころ》の|空《そら》も|爽《さはや》かに
|天国浄土《てんごくじやうど》に|上《のぼ》る|如《ごと》 |嬉《うれ》し|楽《たの》しの|今日《けふ》の|日《ひ》は
|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|尊《たふと》さを |一層《いつそう》|深《ふか》く|知《し》られけり
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》す |三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|教《のり》
|宣《の》り|伝《つた》へ|行《ゆ》く|楽《たの》しさは |三千世界《さんぜんせかい》の|世《よ》の|中《なか》に
|是《これ》に|増《ま》したる|業《わざ》はなし |三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》
|一度《いちど》に|開《ひら》く|木《こ》の|花《はな》の |開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》ぶ
|時《とき》は|来《き》にけり|時《とき》は|来《き》ぬ |五弁《ごべん》の|梅《うめ》の|厳御霊《いづみたま》
|厳《いづ》の|教《をしへ》を|経《たて》となし |瑞《みづ》の|教《をしへ》を|緯《ぬき》として
|錦《にしき》の|宮《みや》に|現《あ》れませる |国治立大神《くにはるたちのおほかみ》や
|埴安彦《はにやすひこ》や|埴安姫《はにやすひめ》の |神《かみ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて
|此《この》|世《よ》を|開《ひら》く|宣伝使《せんでんし》 |暗夜《やみよ》を|晴《は》らす|朝日子《あさひこ》の
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御守《おんまも》り |天教山《てんけうざん》に|現《あ》れませる
|神伊弉諾大神《かむいざなぎのおほかみ》や |地教《ちけう》の|山《やま》に|永久《とことは》に
|鎮《しづ》まりまして|現世《うつしよ》を |堅磐常磐《かきはときは》に|守《まも》ります
|神伊弉冊大神《かむいざなみのおほかみ》や |高照姫《たかてるひめ》の|御前《おんまへ》に
|慎《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|鹿児自物《かごじもの》 |膝折《ひざを》り|伏《ふ》せて|願《ね》ぎまつる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましまして
|初稚姫《はつわかひめ》や|玉能姫《たまのひめ》 |玉治別《たまはるわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|久助《きうすけ》お|民《たみ》の|信徒《まめひと》が |堅磐常磐《かきはときは》の|後《のち》の|世《よ》も
|神《かみ》の|経綸《しぐみ》に|漏《も》れ|落《お》ちず |太《ふと》しき|功績《いさを》を|建《た》てしめよ
|神《かみ》は|我等《われら》を|守《まも》ります |神《かみ》に|任《まか》せし|此《この》|身魂《みたま》
|天地《てんち》の|間《うち》に|生《い》けるもの |他人《たにん》もなければ|仇《あだ》もなし
|父子《おやこ》|兄弟《きやうだい》|睦《むつま》じく |世界《せかい》|桝《ます》かけ|引《ひ》きならし
|貴賤《かみしも》|揃《そろ》うて|神《かみ》の|世《よ》の |楽《たの》しき|月日《つきひ》を|送《おく》るまで
|神《かみ》に|受《う》けたる|玉《たま》の|緒《を》の |命《いのち》を|長《なが》く|守《まも》りませ
|三五教《あななひけう》の|御光《みひかり》を |三千世界《さんぜんせかい》に|隈《くま》もなく
|照《て》らさせ|給《たま》へ|諏訪《すは》の|湖《うみ》 |千尋《ちひろ》の|底《そこ》に|永久《とこしへ》に
|鎮《しづ》まりゐます|竜姫《たつひめ》の |皇大神《すめおほかみ》よ|平《たひら》けく
いと|安《やす》らけく|聞《きこ》し|召《め》せ |神《かみ》の|教《をしへ》の|道《みち》にある
|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|五《い》つ|柱《はしら》 |慎《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎまつる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》の|幸《さち》を|給《たま》へかし』
と|歌《うた》ひ|終《をは》るや、|初稚姫《はつわかひめ》は|又《また》もや|立《た》ち|上《あが》り、|諏訪《すは》の|湖面《こめん》に|向《むか》つて|優《やさ》しき|蕾《つぼみ》の|唇《くちびる》を|開《ひら》き|祝歌《しゆくか》を|歌《うた》ふ。
『|私《わたし》の|父《ちち》は|三五《あななひ》の |神《かみ》の|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》
|天《あめ》と|地《つち》とは|一時《いつとき》に |開《ひら》き|初《はじ》むる|時置師《ときおかし》
|神《かみ》の|命《みこと》の|杢助《もくすけ》ぞ |言依別《ことよりわけ》の|神言《みこと》もて
|自転倒島《おのころじま》の|中心地《ちうしんち》 |高天原《たかあまはら》に|千木《ちぎ》|高《たか》く
|鎮《しづ》まりゐます|綾《あや》の|里《さと》 |錦《にしき》の|宮《みや》の|神司《かむつかさ》
|玉照彦《たまてるひこ》や|玉照姫《たまてるひめ》の |貴《うづ》の|命《みこと》の|御仰《おんあふ》せ
|畏《かしこ》み|仕《つか》へまつりつつ |我《われ》は|幼《をさな》き|身《み》なれども
|神《かみ》と|神《かみ》との|御教《みをしへ》を うなじに|固《かた》く|蒙《かか》ぶりて
|玉治別《たまはるわけ》や|玉能姫《たまのひめ》 |教司《をしへつかさ》と|諸共《もろとも》に
|浪風《なみかぜ》|猛《たけ》る|海原《うなばら》を |神《かみ》の|恵《めぐみ》に|渡《わた》りつつ
|黄金《こがね》|花《はな》|咲《さ》く|竜宮《りうぐう》の |一《ひと》つの|島《しま》に|着《つ》きにけり
|厳《うづ》の|都《みやこ》を|後《あと》にして |山野《さんや》を|渡《わた》りネルソンの
|高山《かうざん》|越《こ》えて|谷《たに》の|底《そこ》 アンナヒエールの|里《さと》を|越《こ》え
|山々《やまやま》|谷々《たにだに》|数《かず》|越《こ》えて |漸《やうや》う|此処《ここ》に|皇神《すめかみ》の
|社《やしろ》の|前《まへ》に|着《つ》きにけり |思《おも》へば|深《ふか》し|諏訪《すは》の|湖《うみ》
|千尋《ちひろ》の|底《そこ》に|永久《とこしへ》に |鎮《しづ》まりゐます|竜姫《たつひめ》よ
|心《こころ》|平《たひら》に|安《やす》らかに |我《わ》が|願《ね》ぎ|事《ごと》を|聞《きこ》し|召《め》せ
|天火水地《てんくわすゐち》と|結《むす》びたる |言霊《ことたま》まつる|五種《いつくさ》の
|珍《うづ》の|御玉《みたま》を|賜《たま》へかし |三五《さんご》の|月《つき》の|御教《みをしへ》は
いよいよ|茲《ここ》に|完成《くわんせい》し |三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》
|一度《いちど》に|開《ひら》く|常磐木《ときはぎ》の |松《まつ》の|神世《かみよ》と|謳《うた》はれて
|海《うみ》の|内外《うちと》の|民草《たみぐさ》は |老《おい》も|若《わか》きも|隔《へだ》てなく
うつしき|御代《みよ》を|楽《たの》しまむ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましまして |十歳《とを》にも|足《た》らぬ|初稚《はつわか》が
|万里《ばんり》の|波濤《はたう》を|乗《の》り|越《こ》えて |世人《よびと》を|救《すく》ふ|赤心《まごころ》に
|曳《ひ》かれて|此処迄《ここまで》|出《い》で|来《きた》る |思《おも》ひの|露《つゆ》を|汲《く》めよかし
|神《かみ》は|我等《われら》の|身辺《しんぺん》を |夜《よる》と|昼《ひる》との|別《わか》ちなく
|守《まも》らせ|給《たま》ふと|聞《き》くからは |神政成就《しんせいじやうじゆ》の|御宝《おんたから》
|厳《いづ》の|御霊《みたま》のいち|早《はや》く |我等《われら》に|授《さづ》け|給《たま》へかし
|謹《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎまつる あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|誠《まこと》は|神《かみ》に|通《かよ》ふべし |誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》 |宣《の》る|言霊《ことたま》を|悉《ことごと》く
|完全《うまら》に|委曲《つばら》に|聞《きこ》し|召《め》せ |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|神《かみ》に|誓《ちか》ひし|我《あが》|魂《たま》は |如何《いか》なる|艱難《なやみ》|来《きた》るとも
ミロクの|世《よ》|迄《まで》も|変《かは》らまじ ミロクの|世《よ》|迄《まで》もうつらまじ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》り|拍手《はくしゆ》して|傍《かたはら》の|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|腰《こし》|打《う》ち|下《お》ろし|息《いき》をやすめた。|玉能姫《たまのひめ》は|又《また》もや|立上《たちあが》り|湖面《こめん》に|向《むか》つて|歌《うた》ふ。
『|皇大神《すめおほかみ》の|勅《みこと》もて |言依別命《ことよりわけのみこと》より
|金剛不壊《こんがうふゑ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》 また|紫《むらさき》の|神宝《しんぱう》を
|堅磐常磐《かきはときは》の|経綸地《けいりんち》 |隠《かく》し|納《をさ》むる|神業《しんげふ》を
|仕《つか》へまつりし|玉能姫《たまのひめ》 |初稚姫《はつわかひめ》の|両人《りやうにん》が
|神《かみ》の|教《をしへ》を|伝《つた》へむと |島《しま》の|八十島《やそしま》|八十《やそ》の|国《くに》
|大海原《おほうなばら》を|打《う》ち|渡《わた》り |暑《あつ》さ|寒《さむ》さの|厭《いと》ひなく
|虎《とら》|伏《ふ》す|野辺《のべ》も|狼《おほかみ》の |狂《くる》へる|深山《みやま》も|何《なん》のその
すこしも|厭《いと》はず|三五《あななひ》の |神《かみ》の|教《をしへ》の|御為《おんため》に
|身《み》も|魂《たましひ》も|奉《ささ》げつつ |玉治別《たまはるわけ》に|従《したが》ひて
|漸《やうや》う|此処《ここ》に|詣《まう》でけり |此《この》|湖《みづうみ》に|遠津代《とほつよ》の
|神代《かみよ》の|古《ふる》き|昔《むかし》より |鎮《しづ》まりゐます|竜姫《たつひめ》よ
|御国《みくに》を|思《おも》ふ|一筋《ひとすぢ》の |妾《わらは》が|心《こころ》を|汲《く》み|取《と》らせ
|三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|道《みち》 |岩《いは》より|堅《かた》く|搗《つ》き|固《かた》め
|神界《かみのよ》|幽界《かくりよ》|現界《うつしよ》の |救《すく》ひの|為《ため》に|海底《うなそこ》に
|隠《かく》し|給《たま》ひし|五《い》つみたま |天火水地《てんくわすゐち》と|結《むす》びたる
|大空《おほぞら》|擬《まが》ふ|青《あを》き|玉《たま》 |紅葉色《もみぢいろ》なす|赤玉《あかだま》や
|月《つき》の|顔《かんばせ》|水《みづ》の|玉《たま》 |黄金色《こがねいろ》なす|黄色玉《きいろだま》
|四魂《しこん》を|結《むす》びし|紫《むらさき》の |五《い》つの|御玉《みたま》を|我々《われわれ》に
|授《さづ》けたまへよ|矗々《すくすく》に |我《われ》は|疾《と》く|疾《と》く|立帰《たちかへ》り
|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》が |神政成就《しんせいじやうじゆ》の|神業《しんげふ》の
|大御宝《おほみたから》と|奉《たてまつ》り |汝《なれ》が|御霊《みたま》の|功績《いさをし》を
|千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|永久《とこしへ》に |照《てら》しまつらむ|惟神《かむながら》
|御霊《みたま》の|幸《さち》を|賜《たま》はりて |我等《われら》の|願《ねが》ひをつばらかに
|聞《きこ》し|召《め》さへと|詔《の》り|奉《まつ》る あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つて|拍手《はくしゆ》し、|傍《かたはら》の|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|息《いき》を|休《やす》めけり。|久助《きうすけ》は|又《また》もや|湖面《こめん》に|向《むか》つて、
『|自転倒島《おのころじま》の|瀬戸《せと》の|海《うみ》 |誠《まこと》|明石《あかし》の|磯《いそ》の|辺《べ》に
|生《うま》れ|出《い》でたる|久助《きうすけ》は |三五教《あななひけう》に|入信《にふしん》し
|玉治別《たまはるわけ》の|宣伝使《せんでんし》 |其《その》|他《ほか》|二人《ふたり》の|神司《かむつかさ》
|導《みちび》き|給《たま》ふ|其《その》|儘《まま》に |御跡《みあと》を|慕《した》ひ|神徳《しんとく》を
|蒙《かうむ》りまつり|世《よ》の|為《ため》に |力《ちから》の|限《かぎ》り|尽《つく》さむと
|大海原《おほうなばら》を|遥々《はるばる》と |越《こ》えて|漸《やうや》う|一《ひと》つ|島《じま》
|大蛇《をろち》に|体《からだ》を|捲《ま》かれつつ |九死一生《きうしいつしやう》の|苦《くるし》みを
|神《かみ》の|御稜威《みいづ》に|助《たす》けられ |漸《やうや》う|此処《ここ》に|来《きた》りけり
|我《われ》は|信徒《まめひと》|三五《あななひ》の |神《かみ》の|司《つかさ》に|非《あら》ざれど
|御国《みくに》を|思《おも》ひ|大神《おほかみ》に |仕《つか》ふる|道《みち》に|隔《へだ》てなし
|諏訪《すは》の|湖底《こてい》に|永久《とこしへ》に |鎮《しづ》まりゐます|皇神《すめかみ》よ
|我等《われら》|夫婦《ふうふ》が|真心《まごころ》を |憐《あはれ》み|給《たま》へ|何《なん》なりと
|一《ひと》つの|御用《ごよう》を|仰《あふ》せられ |神《かみ》の|教《をしへ》の|御子《みこ》として
|恥《はづ》かしからぬ|働《はたら》きを |尽《つく》させ|給《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|村肝《むらきも》の |赤《あか》き|心《こころ》を|奉《たてまつ》り
|慎《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎまつる |畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|願《ね》ぎ|申《まを》す
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つて|同《おな》じく|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|息《いき》をやすめたり。お|民《たみ》は|又《また》もや|立上《たちあが》り|諏訪《すは》の|湖面《こめん》に|向《むか》つて|拍手《はくしゆ》し、|声《こゑ》|淑《しと》やかに、
『|尊《たふと》き|国《くに》の|礎《いしずゑ》や |百姓《おほみたから》の|名《な》に|負《お》ひし
|君《きみ》と|神《かみ》とに|真心《まごころ》を |麻柱《あなな》ひ|奉《まつ》る|民子姫《たみこひめ》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|平伏《ひれふ》して |国治立大神《くにはるたちのおほかみ》の
ミロク|神政《しんせい》の|神業《しんげふ》に |仕《つか》へまつらむ|事《こと》のよし
|完全《うまら》に|委曲《つばら》に|聞《きこ》し|召《め》し |誠《まこと》の|足《た》らぬ|我《われ》なれど
|神《かみ》の|大道《おほぢ》は|片時《かたとき》も |忘《わす》れたる|事《こと》|更《さら》になし
|守《まも》らざる|事《こと》|片時《かたとき》も |無《な》きを|切《せ》めての|取得《とりえ》とし
この|湖底《うなそこ》に|昔《むかし》より |鎮《しづ》まりゐます|竜宮《りうぐう》の
|皇大神《すめおほかみ》よ|惟神《かむながら》 |大御心《おほみこころ》も|平《たひら》けく
いと|安《やす》らけく|思召《おぼしめ》し |足《た》らはぬ|我等《われら》が|願言《ねぎごと》を
|見棄《みす》て|玉《たま》はず|諾《うべな》ひて |其《その》|程々《ほどほど》の|功績《いさをし》を
|立《た》てさせ|玉《たま》へ|諏訪《すは》の|湖《うみ》 |鎮《しづ》まりゐます|御神《おんかみ》の
|御前《みまへ》に|畏《かしこ》み|願《ね》ぎまつる あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
|紺碧《こんぺき》の|湖面《こめん》は|忽《たちま》ち|十字形《じふじけい》に|波《なみ》|割《わ》れて、|湖底《うなそこ》は|判然《はつきり》と|現《あら》はれたり。|殆《ほとん》ど|黄金《こがね》の|板《いた》を|敷《し》き|詰《つ》めたる|如《ごと》く、|一塊《いつくわい》の|砂礫《されき》もなければ、|塵《ちり》|芥《あくた》もなく、|藻草《もぐさ》もない。|恰《あたか》も|黄金《こがね》の|鍋《なべ》に|水《みづ》を|盛《も》りたる|如《ごと》き、|清潔《せいけつ》にして|燦爛《さんらん》たる|光輝《くわうき》を|放《はな》ち、|目《め》も|眩《くら》む|許《ばか》りの|荘厳《さうごん》|麗媚《れいび》さなりき。|波《なみ》の|割《わ》れ|間《ま》より|幽《かす》かに|見《み》ゆる|金殿玉楼《きんでんぎよくろう》の|棟《むね》|実《じつ》に|床《ゆか》しく、|胸《むね》|躍《をど》り|魂《こん》|飛《と》び|魄《はく》|散《ち》るが|如《ごと》く、|赤珊瑚樹《あかさんごじゆ》は|林《はやし》の|如《ごと》くにして|立並《たちなら》み|居《ゐ》る。|珊瑚樹《さんごじゆ》の|大木《たいぼく》の|下《した》を|潜《くぐ》つて、|静々《しづしづ》と|現《あら》はれ|来《きた》る|玉《たま》の|顔容《かんばせ》|月《つき》の|眉《まゆ》、|梅《うめ》の|花《はな》か|海棠《かいだう》か、|但《ただし》は|牡丹《ぼたん》の|咲《さ》き|初《そ》めし|婀娜《あだ》な|姿《すがた》に|擬《まが》ふべらなる|数多《あまた》の|女神《めがみ》、|黄金色《わうごんしよく》の|衣《きぬ》を|身《み》に|纒《まと》ひ、|黄金《こがね》|造《づく》りの|竜《たつ》の|冠《かんむり》を|戴《いただ》き|乍《なが》ら、|長柄《ながえ》の|唐団扇《たううちわ》を|笏杖《しやくぢやう》の|代《かは》りに|左手《ゆんで》に|突《つ》きつつ、|右手《めて》に|玉盃《たまづき》を|抱《かか》え、|天《てん》|火《くわ》|水《すゐ》|地《ち》|結《けつ》の|五色《ごしき》の|玉《たま》を|各《おのおの》|五人《ごにん》の|殊更《ことさら》|崇高《すうかう》なる|女神《めがみ》に|抱《いだ》かせ|乍《なが》ら、|玉依姫命《たまよりひめのみこと》は|徐々《しづしづ》と|湖《みづうみ》を|上《あが》り|五人《ごにん》が|前《まへ》に|現《あら》はれ|玉《たま》ひて、|言葉《ことば》|静《しづ》かに|宣《の》り|玉《たま》ふ。
『|汝《なんぢ》は|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》、|玉治別《たまはるわけ》、|信徒《しんと》の|久助《きうすけ》、お|民《たみ》の|五柱《いつはしら》、よくも|艱難《かんなん》を|凌《しの》ぎ|辛苦《しんく》に|堪《た》へ、|神国《しんこく》|成就《じやうじゆ》の|為《ため》に|遥々《はるばる》|此処《ここ》に|来《きた》りしこと|感賞《かんしやう》するに|余《あま》りあり。|併《しか》し|乍《なが》ら|汝《なんぢ》|初稚姫《はつわかひめ》は|大神《おほかみ》よりの|特別《とくべつ》の|思召《おぼしめ》しを|以《もつ》て、|金剛不壊《こんがうふゑ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》の|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せしめられ、|又《また》|玉能姫《たまのひめ》は|紫《むらさき》の|宝玉《ほうぎよく》の|御用《ごよう》を|仰《あふ》せ|付《つ》けられ、|今《いま》や|三五教《あななひけう》|挙《こぞ》つて|羨望《せんぼう》の|的《まと》となり|居《を》れり。|玉治別《たまはるわけ》|外《ほか》|二人《ふたり》は|未《いま》だ|斯《かく》の|如《ごと》き|重大《ぢゆうだい》なる|神業《しんげふ》には|奉仕《ほうし》せざれども、|汝等《なんぢら》が|至誠《しせい》|至実《しじつ》の|行《おこな》ひに|賞《め》で、|竜宮《りうぐう》の|神宝《しんぱう》たる|五種《いつくさ》の|宝《たから》を|汝等《なんぢら》|五人《ごにん》に|授《さづ》くれば、|汝等《なんぢら》|尚《なほ》も|此《この》|上《うへ》に|心身《しんしん》を|清《きよ》らかにし、|錦《にしき》の|宮《みや》に|捧持《ほうぢ》し|帰《かへ》り、|教主《けうしゆ》|言依別命《ことよりわけのみこと》にお|渡《わた》し|申《まを》すべし。|今《いま》|汝《なんぢ》に|授《さづ》くるは|易《やす》けれど、|未《いま》だ|一《ひと》つ|島《じま》の|宣伝《せんでん》を|終《を》へざれば、|暫《しばら》く|我等《われら》が|手《て》に|預《あづか》りおかむ。|華々《はなばな》しき|功名《こうみやう》|手柄《てがら》を|現《あら》はし、|重大《ぢゆうだい》なる|神業《しんげふ》を|神《かみ》より|命《めい》ぜらるるは|尤《もつと》もなりと、|一般人《いつぱんじん》より|承認《しようにん》さるる|迄《まで》|誠《まこと》を|尽《つく》せ。|此《この》|一《ひと》つ|島《じま》はネルソン|山《ざん》を|区域《くゐき》として|東西《とうざい》に|別《わか》れ、|東部《とうぶ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|黄竜姫《わうりようひめ》|守護《しゆご》し|居《を》れども、|未《いま》だ|西部《せいぶ》に|宣伝《せんでん》する|身魂《みたま》なし。|汝等《なんぢら》|五人《ごにん》は|此処《ここ》に|七日七夜《なぬかななや》の|御禊《みそぎ》を|修《しう》し、|此《この》|島《しま》を|宣伝《せんでん》して|普《あまね》く|世人《よびと》を|救《すく》ひ、|大蛇《をろち》の|霊《みたま》を|善道《ぜんだう》に|蘇《よみが》へらせ、|且《かつ》|黄竜姫《わうりようひめ》、|梅子姫《うめこひめ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》|其《その》|他《た》|一同《いちどう》の|者《もの》を|心《こころ》の|底《そこ》より|汝《なんぢ》の|誠《まこと》に|帰順《きじゆん》せしめたる|上《うへ》にて|改《あらた》めて|汝《なんぢ》の|手《て》に|渡《わた》さむ。|初稚姫《はつわかひめ》には|紫《むらさき》の|玉《たま》、|玉治別《たまはるわけ》には|青色《せいしよく》の|玉《たま》、|玉能姫《たまのひめ》には|紅色《べにいろ》の|玉《たま》、|久助《きうすけ》には|水色《みづいろ》、お|民《たみ》には|黄色《きいろ》の|玉《たま》を|相渡《あいわた》すべし。されど|此《この》|神業《しんげふ》を|仕損《しそん》じなば、|今《いま》の|妾《わらは》の|誓《ちか》ひは|取消《とりけ》すべければ、|忍耐《にんたい》に|忍耐《にんたい》を|重《かさ》ねて、|人群万類《じんぐんばんるゐ》|愛善《あいぜん》を|命《いのち》の|綱《つな》と|頼《たの》み、|苟且《かりそめ》にも|妬《ねた》み、そねみ、|怒《いか》りの|心《こころ》を|発《はつ》するな。|妾《わらは》はこれにて|暫《しばら》く|竜《たつ》の|宮居《みやゐ》に|帰《かへ》り|時《とき》を|待《ま》たむ。いざさらば……』
と|言《い》ひ|残《のこ》し、|数多《あまた》の|侍女神《じぢよしん》を|随《したが》へ、|忽《たちま》ち|巨大《きよだい》なる|竜体《りうたい》となりて、|一度《いちど》にドツと|飛《と》び|込《こ》み|玉《たま》へば、|十字形《じふじけい》に|割《わ》れたる|湖面《こめん》は|元《もと》の|如《ごと》くに|治《をさ》まり、|山岳《さんがく》の|如《ごと》き|浪《なみ》は|立《た》ち|狂《くる》ひ、|巨大《きよだい》の|水柱《みづばしら》は|天《てん》に|沖《ちう》するかと|許《ばか》り|思《おも》はれた。|五人《ごにん》は|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|暮《く》れつつも、|恭《うやうや》しく|拍手《はくしゆ》をなし、|天津祝詞《あまつのりと》や|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|十度《とたび》|唱《とな》へ、|宣伝歌《せんでんか》を|声《こゑ》|張《は》り|上《あ》げて|歌《うた》ひ|終《をは》り、|再《ふたた》び|拍手《はくしゆ》し、それより|七日七夜《なぬかななや》|湖水《こすゐ》に|御禊《みそぎ》を|修《しう》し、|諏訪《すは》の|湖面《こめん》に|向《むか》つて|合掌《がつしやう》し、|皇神《すめかみ》に|暇《いとま》を|請《こ》ひ、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|荊棘《けいきよく》|茂《しげ》れる|森林《しんりん》の、|大蛇《をろち》|猛獣《まうじう》の|群《むれ》|居《ゐ》る|中《なか》を|物《もの》ともせず、|神《かみ》を|力《ちから》に|誠《まこと》を|杖《つゑ》に|進《すす》み|行《ゆ》くこそ|雄々《をを》しけれ。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
|玉依姫《たまよりひめ》は|空色《そらいろ》の|衣服《いふく》にて、|玉《たま》を|持《も》てる|五人《ごにん》の|女神《めがみ》の|後《あと》に|付添《つきそ》ひ|玉《たま》ひしと|聞《き》く。
(大正一一・七・五 旧閏五・一一 加藤明子録)
第一六章 |慈愛《じあい》の|涙《なみだ》〔七四六〕
|七十五声《しちじふごせい》の|言霊《ことたま》に |因《ちな》みて|澄《す》める|諏訪《すは》の|湖《うみ》
|皇大神《すめおほかみ》が|三千歳《みちとせ》の |遠《とほ》き|神代《かみよ》の|昔《むかし》より
ミロク|神政《しんせい》の|暁《あかつき》に |厳《いづ》の|御霊《みたま》と|現《あら》はして
|神《かみ》の|御国《みくに》を|固《かた》めむと |諏訪《すは》の|湖《みづうみ》|底《そこ》|深《ふか》く
|秘《ひ》め|給《たま》ひたる|珍宝《うづたから》 |竜《たつ》の|宮居《みやゐ》の|司神《つかさがみ》
|玉依姫《たまよりひめ》に|言依《ことよ》さし |三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》
|五弁《ごべん》の|身魂《みたま》|一時《いつとき》に |開《ひら》く|常磐《ときは》の|松《まつ》の|代《よ》を
|待《ま》たせ|給《たま》ひし|畏《かしこ》さよ |浪《なみ》|立《た》ち|分《わ》けて|現《あ》れませる
|玉《たま》を|欺《あざむ》く|姫神《ひめがみ》は |五《いつ》ツの|玉《たま》を|手《て》に|持《も》たし
|教《をしへ》の|御子《みこ》の|五柱《いつはしら》 |前《まへ》に|実物《じつぶつ》|現《あら》はせて
|往後《わうご》を|戒《いまし》め|神業《しんげふ》の |完成《くわんせい》したる|暁《あかつき》に
|手渡《てわた》しせむと|厳《おごそ》かに |誓《ちか》ひ|給《たま》ひし|言《こと》の|葉《は》を
|五人《ごにん》の|御子《みこ》は|畏《かしこ》みて |夢寐《むび》にも|忘《わす》れず|千早《ちはや》|振《ふ》る
|神《かみ》の|誠《まこと》を|心《こころ》とし |羊《ひつじ》の|如《ごと》くおとなしく
|如何《いか》なる|敵《てき》にも|刃向《はむか》はず |善一筋《ぜんひとすぢ》の|三五《あななひ》の
|至誠《まこと》の|道《みち》を|立《た》て|通《とほ》し |人《ひと》に|譲《ゆづ》るの|徳性《とくせい》を
|培《つちか》ひ|育《そだ》てし|健気《けなげ》さよ |玉治別《たまはるわけ》や|玉能姫《たまのひめ》
|一層《ひとしほ》|賢《さか》しき|初稚姫《はつわかひめ》の |神《かみ》の|命《みこと》の|瑞御霊《みつみたま》
|久助《きうすけ》、お|民《たみ》の|五人連《ごにんづれ》 |諏訪《すは》の|湖《みづうみ》|伏《ふ》し|拝《をが》み
|七日七夜《なぬかななや》の|禊《みそぎ》して |身《み》も|魂《たましひ》も|浄《きよ》めつつ
|大野ケ原《おほのがはら》をエチエチと |金砂《きんしや》|銀砂《ぎんしや》を|敷詰《しきつ》めし
|道芝《みちしば》イソイソ|進《すす》み|行《ゆ》く。 |向《むか》ふの|方《はう》より|馳《は》せ|来《きた》る
|大《だい》の|男《をとこ》が|十《じふ》|五人《ごにん》 |出会《であひ》がしらに|一行《いつかう》を
|目蒐《めが》けて|拳《こぶし》を|固《かた》めつつ |所《ところ》かまはず|打据《うちす》ゑて
|一同《いちどう》|息《いき》も|絶《た》え|絶《だ》えに |無念《むねん》の|涙《なみだ》くひしばり
|笑顔《ゑがほ》を|作《つく》り|言《い》ひけらく 『|心《こころ》きたなき|我々《われわれ》は
|金砂《きんしや》|銀砂《ぎんしや》の|敷詰《しきつ》めし |清《きよ》き|大地《だいち》を|進《すす》みつつ
|心《こころ》に|恥《はぢ》らふ|折柄《をりから》に |何処《いづく》の|方《かた》か|知《し》らねども
|吾等《われら》が|身魂《みたま》を|清《きよ》めむと |心《こころ》も|厚《あつ》き|皇神《すめかみ》の
|恵《めぐみ》の|拳《こぶし》を|隈《くま》もなく |汚《きたな》き|身体《からだ》に|加《くは》へまし
|有難涙《ありがたなみだ》に|咽《むせ》びます |嗚呼《ああ》|諸人《もろびと》よ|諸人《もろびと》よ
|汝《なれ》は|吾等《われら》の|身魂《みたま》をば |研《みが》かせ|給《たま》ふ|御恵《みめぐみ》の
|深《ふか》くまします|真人《まさびと》よ あゝ|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し
|是《こ》れより|心《こころ》を|改《あらた》めて |足《たら》はぬ|吾等《われら》の|行《おこな》ひを
|補《おぎな》ひ|奉《まつ》り|三五《あななひ》の |神《かみ》の|教《をしへ》の|司《つかさ》とし
|天地《てんち》の|神《かみ》や|諸人《もろびと》に |恥《はぢ》らふ|事《こと》の|無《な》きまでに
|身魂《みたま》を|研《みが》き|奉《まつ》るべし |嗚呼《ああ》|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|恵《めぐみ》の|鞭《しもと》を|嬉《うれ》しみて |皇大神《すめおほかみ》の|御教《みをしへ》を
|四方《よも》の|国々《くにぐに》|宣《の》べ|伝《つた》へ |世人《よびと》の|為《た》めに|真心《まごころ》を
|尽《つく》さむ|栞《しをり》に|致《いた》します |山《やま》より|高《たか》き|父《ちち》の|恩《おん》
|海《うみ》より|深《ふか》き|母《はは》の|恩《おん》 |恵《めぐみ》は|尽《つ》きぬ|父母《たらちね》の
|我《わが》|子《こ》を|愛《いた》はる|真心《まごころ》に |優《まさ》りて|尊《たふと》き|御恵《おんめぐ》み
|謹《つつし》み|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|我等《われら》の|命《いのち》は|失《う》するとも |神《かみ》の|恵《めぐみ》の|此《この》|鞭《むち》の
|其《その》|有難《ありがた》さ|何時《いつ》|迄《まで》も |忘《わす》るる|事《こと》はあらざらめ
|汝《なれ》は|普通《ふつう》の|人《ひと》ならじ |諏訪《すは》の|湖水《こすゐ》に|現《あ》れませる
|皇大神《すめおほかみ》の|御心《みこころ》を |持《も》ちて|現《あ》れます|神《かみ》ならむ
|謹《つつし》み|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る |嗚呼《ああ》|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》 |只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し |身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》す
|三五教《あななひけう》の|吾々《われわれ》は |如何《いか》なる|事《こと》も|惟神《かむながら》
|凡《すべ》て|善意《ぜんい》に|解釈《かいしやく》し |只《ただ》|一言《ひとこと》も|恨《うら》まずに
|情《なさけ》の|鞭《むち》を|嬉《うれ》しみて |厚《あつ》く|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る
|水《みづ》も|洩《も》らさぬ|皇神《すめかみ》の |尊《たふと》き|仕組《しぐみ》の|今《いま》の|鞭《むち》
|受《う》けたる|此《この》|身《み》|今日《けふ》よりは |心《こころ》の|駒《こま》に|鞭《むちう》ちて
|時々《ときどき》|兆《きざ》す|悪念《あくねん》を |山《やま》の|尾《を》の|上《へ》に|追《お》ひ|散《ち》らし
|河《かは》の|瀬《せ》|毎《ごと》に|追払《おひはら》ひ |大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|大神《おほかみ》の
|大御心《おほみこころ》に|報《むく》ふべし |進《すす》めよ|進《すす》めよいざ|進《すす》め
|忍《しのび》の|山《やま》に|逸早《いちはや》く |剣《つるぎ》の|山《やま》も|何《なん》のその
|仮令《たとへ》|火《ひ》の|中《なか》|水《みづ》の|底《そこ》 |神《かみ》の|大道《おほぢ》の|為《ため》ならば
などか|厭《いと》はむ|敷島《しきしま》の |大和心《やまとごころ》を|振《ふり》おこし
|国治立《くにはるたち》の|御前《おんまへ》に |奇《く》しき|功績《いさを》を|立《た》て|奉《まつ》り
|目出度《めでたく》|神代《かみよ》にかへり|言《ごと》 |申《まを》さむ|吉《よ》き|日《ひ》を|楽《たの》しまむ
|嗚呼《ああ》|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|小声《こごゑ》に|玉治別《たまはるわけ》は|歌《うた》ひ|終《をは》り、|打擲《ちやうちやく》された|十五人《じふごにん》の|男《をとこ》に|向《むか》ひ、|一同《いちどう》|手《て》を|合《あは》せて、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|咽《むせ》びける。さしも|猛悪《まうあく》なる|悪漢《あくかん》も、|五人《ごにん》の|態度《たいど》に|呆《あき》れ|返《かへ》り、|感涙《かんるゐ》に|咽《むせ》び|乍《なが》ら|両手《りやうて》を|合《あ》はせて|大地《だいち》に|平伏《ひれふ》し、|陳謝《ちんしや》の|辞《ことば》を|断《た》たざりけり。|玉治別《たまはるわけ》は|大《おほ》いに|喜《よろこ》び|茲《ここ》に|一場《いちぢやう》の|宣伝《せんでん》をなしながら、|悠々《いういう》として|此《この》|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》りにけり。
|後《あと》|振《ふ》り|返《かへ》り|見《み》れば|障害《しやうがい》なき|大野原《おほのはら》に|十五人《じふごにん》の|荒男《あらをとこ》は、|何《いづ》れへ|消《き》えしか、|影《かげ》も|形《かたち》も|見《み》えずなり|居《ゐ》たりける。|初稚姫《はつわかひめ》は、
『|皆《みな》さま、|今《いま》の|方《かた》は|誰方《どなた》と|思《おも》ひますか』
『|玉治別《たまはるわけ》には、どうも|合点《がてん》が|参《まゐ》りませぬ。|何処《どこ》へ|行《ゆ》かれたのでせう』
『イエイエ、あの|方《かた》は|天教山《てんけうざん》に|現《あら》はれ|給《たま》ひし、|木花咲耶姫《このはなさくやひめ》の|御化身《ごけしん》で|御座《ござ》いましたよ』
|玉能姫《たまのひめ》はこれを|聞《き》くより「ワツ」と|計《ばか》りに|声《こゑ》を|上《あ》げ|嬉《うれ》し|泣《な》きしながら、
『アヽ|神様《かみさま》、|有難《ありがた》う|御座《ござ》いました。|何処迄《どこまで》も|吾々《われわれ》の|魂《たましひ》を|御守《おまも》り|下《くだ》さいまして、|今度《こんど》の|御神業《ごしんげふ》につきましては|不断《たえず》、|御礼《おれい》の|申上《まをしあ》げやうなき|御心《おこころ》|付《づ》けを|下《くだ》さいまして、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|何《なん》とも|御礼《おれい》の|申上《まをしあ》げ|様《やう》も|御座《ござ》いませぬ。|御蔭《おかげ》を|以《もつ》て|漸《やうや》く|忍耐《にんたい》の|坂《さか》を|越《こ》える|丈《だ》けの|御神力《ごしんりき》を|戴《いただ》きました』
と|鼻《はな》を|啜《すす》り|嬉《うれ》し|涙《なみだ》を|絞《しぼ》る。|玉治別《たまはるわけ》は|啜《すす》り|泣《な》き|一言《ひとこと》も|発《はつ》し|得《え》ず|嗚咽《をえつ》し|乍《なが》ら、|自転倒島《おのころじま》に|向《むか》ひ|両手《りやうて》を|合《あは》せ|涙《なみだ》をタラタラと|流《なが》し、|是《これ》|亦《また》|感謝《かんしや》に|余念《よねん》なく、|久助《きうすけ》、お|民《たみ》も|只《ただ》|両手《りやうて》を|合《あは》せシヤクリ|泣《な》きするのみ。|初稚姫《はつわかひめ》は、
『|皆様《みなさま》、|大神様《おほかみさま》の|真《しん》の|御慈愛《ごじあい》が|解《わか》りましたか』
|一同《いちどう》は、
『ハイ』
と|云《い》つたきり|涙《なみだ》|滂沱《ばうだ》として|腮辺《しへん》に|滝《たき》の|如《ごと》く|滴《した》たらし|居《ゐ》たり。|嗚呼《ああ》|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
|一行《いつかう》は|感謝《かんしや》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し|終《をは》つて、|又《また》もや|炎熱《えんねつ》|焼《や》くが|如《ごと》き|原野《げんや》を|汗《あせ》に|着物《きもの》を|浸《ひた》し|乍《なが》ら|足《あし》を|早《はや》めて|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|進《すす》み|行《ゆ》く。
|折《をり》しも|小《ちひ》さき|祠《ほこら》の|前《まへ》に|醜《みにく》き|一人《ひとり》の|男《をとこ》、|何事《なにごと》か|祈願《きぐわん》し|居《ゐ》るにぞ、|玉治別《たまはるわけ》はツカツカと|進《すす》み|寄《よ》り、
『モシモシ|貴方《あなた》は|何処《いづれ》の|方《かた》で|御座《ござ》るか、|見《み》れば|御病気《ごびやうき》の|体躯《からだ》と|見《み》えまする。|何《いづ》れへお|出《い》で|遊《あそ》ばすか』
と|尋《たづ》ぬるに|男《をとこ》は|玉治別《たまはるわけ》の|言葉《ことば》にフト|顔《かほ》を|上《あ》げたり。|見《み》れば|顔面《がんめん》は|天刑病《てんけいびやう》にて|潰《つぶ》れ、|体躯《からだ》|一面《いちめん》|得《え》も|言《い》はれぬ|臭気《しうき》|芬々《ふんぷん》として|膿汁《うみしる》が|流《なが》れて|居《ゐ》る。|玉治別《たまはるわけ》は|案《あん》に|相違《さうゐ》し|突立《つつた》つた|儘《まま》、|目《め》を|白黒《しろくろ》して|其《その》|男《をとこ》を|黙視《もくし》してゐる。
『|私《わし》は|此《この》|向《むか》ふの|谷間《たにあひ》に|住《す》む|者《もの》だが、コンナ|醜《みぐ》るしい|病《やまひ》を|患《わづら》ひ、|誰一人《たれひとり》|相手《あひて》になつて|呉《く》れるものもなし、|若《わか》い|時《とき》より|体主霊従《たいしゆれいじう》のあらん|限《かぎ》りを|尽《つく》し、|神《かみ》に|叛《そむ》いた|天罰《てんばつ》で、モシ……コレ|此《この》|通《とほ》り、|世間《せけん》の【みせしめ】に|逢《あ》うて|居《ゐ》るのだ。|最早《もはや》|一足《ひとあし》も|歩《あゆ》む|事《こと》は|出来《でき》ぬ………お|前《まへ》さま、|人《ひと》を|助《たす》ける|宣伝使《せんでんし》なれば、|此《この》|病気《びやうき》を|癒《なほ》して|下《くだ》さいませ。モシ|女《をんな》の|唇《くちびる》を|以《もつ》て|此《この》|膿汁《うみしる》を|吸《す》へば、|病気《びやうき》は|全快《ぜんくわい》すると|聞《き》きました。|何卒《なにとぞ》お|情《なさけ》に|助《たす》けて|下《くだ》さるまいか』
|初稚姫《はつわかひめ》はニコニコし|乍《なが》ら、
『おぢさま、|吸《す》うて|癒《なほ》る|事《こと》なら|吸《す》はして|下《くだ》さい』
と|云《い》ふより|早《はや》く|足許《あしもと》の|膿汁《うみしる》を「チユウチユウ」と|吸《す》うては|吐《は》き、|吸《す》うては|吐《は》き|始《はじ》めたり。|玉能姫《たまのひめ》は|頭《あたま》の|方《はう》より|顔面《がんめん》、|肩先《かたさ》き|手《て》と|云《い》ふ|順序《じゆんじよ》に、「チユウチユウ」と|膿《うみ》を|吸《す》うては|吐《は》き|出《だ》す。|玉治別《たまはるわけ》、|久助《きうすけ》は|余《あま》りの|事《こと》に|顔《かほ》も|得上《えあ》げず、|心《こころ》の|中《うち》にて|一時《いちじ》も|早《はや》く|病気《びやうき》|平癒《へいゆ》をなさしめ|給《たま》へと、|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らして|居《ゐ》る。お|民《たみ》は|又《また》もや|立寄《たちよ》つて|腹部《ふくぶ》を|目蒐《めが》けて、|膿汁《うみしる》を「チユウチユウ」と|吸《す》ひ|始《はじ》めたり。|暫《しばら》くの|間《うち》に|全身《ぜんしん》|隈《くま》なく|膿汁《うみしる》を|吸《す》ひ|出《だ》し|了《をは》りぬ。|男《をとこ》は|喜《よろこ》び|乍《なが》ら|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|路上《ろじやう》に|蹲踞《しやが》んで|熱《あつ》き|涙《なみだ》に|暮《く》れ|居《ゐ》たり。|五人《ごにん》は|一度《いちど》に|其《その》|男《をとこ》を|中《なか》に|置《お》き、|傍《かたはら》の|流《なが》れ|水《みづ》に|口《くち》を|嗽《すす》ぎ|手《て》を|洗《あら》ひ|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》する。|男《をとこ》は|忽《たちま》ち|嬉《うれ》しさうな|顔《かほ》をし|乍《なが》ら、
『アヽ|有難《ありがた》う|御座《ござ》いました。|誰《たれ》がコンナ|汚《きたな》い|物《もの》を、|吾《わが》|子《こ》だとて|吸《す》うて|呉《く》れませう。お|礼《れい》は|言葉《ことば》に|尽《つく》されませぬ』
と|一礼《いちれい》し|乍《なが》ら|直《ただち》に|立《た》ちて|常人《じやうじん》の|如《ごと》く|足《あし》も|健《すこや》かに|歩《あゆ》み|出《だ》し、|終《つひ》に|遠《とほ》く|姿《すがた》も|見《み》えずなりにけり。|玉治別《たまはるわけ》は|感激《かんげき》の|面色《おももち》にて、
『|三人《さんにん》の|御方《おかた》、ヨウマア|助《たす》けてやつて|下《くだ》さいました。|私《わたし》も|女《をんな》ならば|貴方《あなた》|方《がた》の|如《や》うに|御用《ごよう》が|致《いた》したいので|御座《ござ》いますが、|彼《あ》の|男《をとこ》が|女《をんな》でなければ|不可《いか》ぬと|申《まを》しましたのでつい|扣《ひか》へて|居《ゐ》ました。イヤもう|恐《おそ》れ|入《い》つた|御仁慈《ごじんじ》、|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の|御心《みこころ》に|等《ひと》しき|御志《おこころざし》、|感激《かんげき》に|堪《た》へませぬ』
と|又《また》もや|熱涙《ねつるゐ》に|咽《むせ》ぶ。|三人《さんにん》は|愉快気《ゆくわいげ》に|神徳《しんとく》を|忝《かたじけ》なみ、
『あゝ|神様《かみさま》、|今日《けふ》は|結構《けつこう》な|御神徳《ごしんとく》を|頂《いただ》きました』
と|両手《りやうて》を|合《あは》せ|感謝《かんしや》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し、|一行《いつかう》|五人《ごにん》|西《にし》へ|西《にし》へと、|金砂《きんしや》|銀砂《ぎんしや》の|敷詰《しきつ》めたる|如《ごと》き|麗《うるは》しき|野路《のみち》を、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|進《すす》み|行《ゆ》く。
|因《ちなみ》に|云《い》ふ。|初稚姫《はつわかひめ》の|御魂《みたま》は|三十万年《さんじふまんねん》の|後《のち》に|大本教祖《おほもとけうそ》|出口直子《でぐちなほこ》と|顕《あら》はれ|給《たま》ふ|神誓《しんせい》にして、|是《こ》れより|五人《ごにん》は|西部《せいぶ》|一帯《いつたい》を|宣伝《せんでん》し、|種々《いろいろ》の|試練《しれん》に|遭《あ》ひ、|終《つひ》にオーストラリヤの|全島《ぜんたう》を|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》に|導《みちび》き、|神業《しんげふ》を|成就《じやうじゆ》したる|種々《いろいろ》の|感《かん》ず|可《べ》き|行為《かうゐ》の|物語《ものがたり》は、|紙数《しすう》の|都合《つがふ》に|依《よ》りて|後日《ごじつ》に|詳述《しやうじゆつ》する|事《こと》となしたり。|嗚呼《ああ》|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・七・五 旧閏五・一一 谷村真友録)
|霊《たま》の|礎《いしずゑ》(一〇)
一、|高天原《たかあまはら》の|天界《てんかい》には、|地上《ちじやう》の|世界《せかい》と|同様《どうやう》に|住所《ぢゆうしよ》や|家屋《かをく》があつて、|天人《てんにん》が|生活《せいくわつ》して|居《ゐ》ることは|地上《ちじやう》の|世界《せかい》に|於《お》ける|人間《にんげん》の|生活《せいくわつ》と|相似《あいに》て|居《ゐ》るのである。|斯《か》くいふ|時《とき》は|現界人《げんかいじん》は|一《ひと》つの|空想《くうさう》として|一笑《いつせう》に|付《ふ》し|顧《かへり》みないであらう。それも|強《あなが》ち|無理《むり》ではないと|思《おも》ふ。|一度《いちど》も|見《み》たことも|無《な》く、|又《また》|天人《てんにん》なるものは|人間《にんげん》だと|云《い》ふことを|知《し》らぬ|故《ゆゑ》である。|又《また》|天人《てんにん》の|住所《ぢゆうしよ》なるものは、|地球《ちきう》|現界人《げんかいじん》の|見《み》る|天空《てんくう》だと|思《おも》ふから|信《しん》じないのである。|打見《うちみ》る|所《ところ》|天空《てんくう》なるものは|冲虚《ちうきよ》なるが|上《うへ》に、|其《その》|天人《てんにん》といふものも|亦《また》|一種《いつしゆ》の|気体的《きたいてき》|形体《けいたい》に|過《す》ぎないものと|思《おも》ふからである。|故《ゆゑ》に|地《ち》の|世界《せかい》の|人間《にんげん》は、|霊界《れいかい》の|事物《じぶつ》にも|亦《また》|自然界《しぜんかい》|同様《どうやう》であるといふ|事《こと》を|会得《ゑとく》することが|出来《でき》ぬからである。|現実界《げんじつかい》|即《すなは》ち|自然界《しぜんかい》の|人間《にんげん》は、|霊的《れいてき》の|何者《なにもの》たるかを|知《し》らないから|疑《うたが》ふのである。|地上《ちじやう》の|現界《げんかい》を|霊界《れいかい》の|移写《いしや》だといふことを|自覚《じかく》せないから、|天人《てんにん》と|云《い》へば|天《あま》の|羽衣《はごろも》を|着《き》て、|空中《くうちう》を|自由自在《じいうじざい》に|飛翔《ひしやう》するものと|思《おも》つてゐるのは|人間《にんげん》の|不覚《ふかく》である。|天人《てんにん》は|之等《これら》の|人間《にんげん》を|癲狂者《てんきやうしや》と|云《い》つて|笑《わら》ふのである。
一、|天人《てんにん》の|生活《せいくわつ》|状態《じやうたい》にも|各《おのおの》|不同《ふどう》があつて、|威厳《ゐげん》の|高《たか》きものの|住所《ぢゆうしよ》は|崇高《すうかう》なものである。|又《また》それに|次《つ》ぐものはそれ|相応《さうおう》の|住所《ぢゆうしよ》がある。|故《ゆゑ》に|天人《てんにん》にも|現界人《げんかいじん》の|如《ごと》く|名位寿福《めいゐじゆふく》の|願《ねが》ひを|持《も》つて|居《ゐ》て|進歩《しんぽ》もあり|向上《かうじやう》もあるので、|決《けつ》して|一定不変《いつていふへん》の|境遇《きやうぐう》に|居《ゐ》るものでは|無《な》い。|愛《あい》と|信《しん》との|善徳《ぜんとく》の|進《すす》むに|従《したが》つて|倍々《ますます》|荘厳《さうごん》の|天国《てんごく》に|到《いた》り、|又《また》は|立派《りつぱ》なる|地所《ぢしよ》や|家屋《かをく》に|住《す》み、|立派《りつぱ》なる|光輝《くわうき》ある|衣服《いふく》を|着《ちやく》し|得《う》るものである。|何《いづ》れも|霊的《れいてき》|生活《せいくわつ》であるから、その|徳《とく》に|応《おう》じて|主神《すしん》より|与《あた》えへらるるものである。|凡《すべ》ての|疑惑《ぎわく》を|捨《す》てて|天国《てんごく》の|生活《せいくわつ》を|信《しん》じ|死後《しご》の|状態《じやうたい》を|会得《ゑとく》する|時《とき》は|自然《しぜん》に|崇高《すうかう》|偉大《ゐだい》なる|事物《じぶつ》を|見《み》るべく、|大歓喜《だいくわんき》を|摂受《せつじゆ》し|得《う》るものである。
一、|天人《てんにん》の|住宅《ぢゆうたく》は|地上《ちじやう》の|世界《せかい》の|家屋《かをく》と|何等《なんら》の|変《かは》りも|無《な》い。|只《ただ》その|美《うつく》しさが|遥《はるか》に|優《まさ》つてゐるのみである。その|家屋《かをく》には|地上《ちじやう》の|家屋《かをく》の|如《ごと》く|奥《おく》の|間《ま》もあり、|寝室《しんしつ》もあり、|部屋《へや》もあり、|門《もん》もあり、|中庭《なかには》もあり、|築山《つきやま》もあり、|花園《はなぞの》もあり、|樹木《じゆもく》もあり、|山林田畑《さんりんでんぱた》もあり、|泉水《せんすゐ》もあり、|井戸《ゐど》もあつて、|住家櫛比《ぢうかしつぴ》し|都会《とくわい》の|如《ごと》くに|列《なら》んで|居《ゐ》る。|亦《また》|坦々《たんたん》たる|大道《だいだう》もあり、|細道《ほそみち》もあり、|四辻《よつつじ》もあること|地上《ちじやう》の|市街《しがい》と|同一《どういつ》である。
一、|天界《てんかい》にも|又《また》|士農工商《しのうこうしやう》の|区別《くべつ》あり。されど|現界人《げんかいじん》の|如《ごと》く|私利私慾《しりしよく》に|溺《おぼ》れず、|只《ただ》その|天職《てんしよく》を|歓喜《くわんき》して|天国《てんごく》の|為《ため》に|各自《かくじ》の|能力《のうりよく》を|発揮《はつき》して|公共的《こうきようてき》に|尽《つく》すのみである。|天国《てんごく》に|於《お》ける|士《し》は|決《けつ》して|軍人《ぐんじん》にあらず、|誠《まこと》の|道《みち》|即《すなは》ち|善《ぜん》と|愛《あい》と|信《しん》とを|天人《てんにん》に|対《たい》して|教《をし》ふる|宣伝使《せんでんし》のことである。|地上《ちじやう》に|於《おい》て|立派《りつぱ》なる|宣伝使《せんでんし》となり|其《その》|本分《ほんぶん》を|尽《つく》し|得《え》たる|善徳者《ぜんとくしや》は、|天国《てんごく》に|住《す》みても|依然《いぜん》として|宣伝使《せんでんし》の|職《しよく》にあるものである。|人間《にんげん》は|何処《どこ》までも|意志《いし》や|感情《かんじやう》や|又《また》は|所主《しよしゆ》の|事業《じげふ》を|死後《しご》の|世界《せかい》|迄《まで》|継承《けいしよう》するものである。|又《また》|天国《てんごく》|霊国《れいごく》にも、|貧富《ひんぷ》|高下《かうげ》の|区別《くべつ》がある。|天国《てんごく》にて|富《と》めるものは|地上《ちじやう》の|世界《せかい》に|於《おい》てその|富《とみ》を|善用《ぜんよう》し、|神《かみ》を|信《しん》じ|神《かみ》を|愛《あい》するために|金銀《きんぎん》|財宝《ざいほう》を|活用《くわつよう》したるものは|天国《てんごく》に|於《おい》ては|最《もつと》も|勝《すぐ》れたる|富者《ふうしや》であり、|公共《こうきよう》のため|世人《せじん》を|救《すく》ふために|財《ざい》を|善用《ぜんよう》したるものは|中位《ちうゐ》の|富者《ふうしや》となつて|居《ゐ》る。|又《また》|現界《げんかい》に|於《おい》てその|富《とみ》を|悪用《あくよう》し、|私心私慾《ししんしよく》の|為《ため》に|費《つひや》し|又《また》は|蓄積《ちくせき》して|飽《あ》くことを|知《し》らなかつた|者《もの》は、|其《そ》の|富《とみ》|忽《たちま》ち|変《へん》じて|臭穢《しうゑ》となり、|窮乏《きうばう》となり、|暗雲《あんうん》となりて|霊界《れいかい》の|極貧者《ごくひんしや》と|成《な》り|下《さが》り、|大抵《たいてい》は|地獄《ぢごく》に|堕《だ》するものである。|又《また》|死後《しご》の|世界《せかい》に|於《おい》て|歓喜《くわんき》の|生涯《しやうがい》を|営《いとな》まむと|思《おも》ふ|者《もの》は、|現世《げんせ》に|於《おい》て|神《かみ》を|理解《りかい》し、|神《かみ》を|愛《あい》し|神《かみ》を|信《しん》じ、|歓喜《くわんき》の|生涯《しやうがい》を|生前《せいぜん》より|営《いとな》みてゐなければ|成《な》らぬのである。|死後《しご》|天国《てんごく》に|上《のぼ》り|地獄《ぢごく》の|苦《く》を|免《まぬ》がれむとして、|現世的《げんせいてき》|事業《じげふ》を|捨《す》てて|山林《さんりん》に|隠遁《いんとん》して|世事《せじ》を|避《さ》け、|霊的《れいてき》|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けむとしたる|者《もの》の|天国《てんごく》に|在《あ》るものは、|矢張《やつぱり》|生前《せいぜん》と|同様《どうやう》に|孤独《こどく》|不遇《ふぐう》の|生涯《しやうがい》を|送《おく》るものである。|故《ゆゑ》に|人《ひと》は|天国《てんごく》に|安全《あんぜん》なる|生活《せいくわつ》を|営《いとな》まんと|望《のぞ》まば、|生前《せいぜん》に|於《おい》て|各自《かくじ》の|業《げふ》を|励《はげ》み、|最善《さいぜん》の|努力《どりよく》を|尽《つく》さねば|死後《しご》の|安逸《あんいつ》な|生活《せいくわつ》は|到底《たうてい》|為《な》し|得《う》ることは|出来《でき》ないのである。|士《し》は|士《し》としての|業務《げふむ》を|正《ただ》しく|竭《つく》し、|農工商《のうこうしやう》|共《とも》に|正《ただ》しき|最善《さいぜん》を|尽《つく》して、|神《かみ》を|理解《りかい》し|知悉《ちしつ》し|之《これ》を|愛《あい》し|之《これ》を|信《しん》じ|善徳《ぜんとく》を|積《つ》みておかねばならぬ。|又《また》|宣伝使《せんでんし》は|宣伝使《せんでんし》としての|本分《ほんぶん》を|尽《つく》せばそれで|良《よ》いのである。|世間心《せけんごころ》を|起《おこ》して、|農工商《のうこうしやう》に|従事《じうじ》する|如《ごと》きは|宣伝使《せんでんし》の|聖職《せいしよく》を|冒涜《ばうとく》し、|一《いち》も|取《と》らず、|二《に》も|取《と》らず、|死後《しご》|中有界《ちううかい》に|彷徨《はうくわう》する|如《ごと》き|失態《しつたい》を|招《まね》くものである。|故《ゆゑ》に|神《かみ》の|宣伝使《せんでんし》たるものは|何処《どこ》までも|神《かみ》の|道《みち》を|舎身的《しやしんてき》に|宣伝《せんでん》し、|天下《てんか》の|万民《ばんみん》を|愛《あい》と|信《しん》とに|導《みちび》き、|天国《てんごく》、|霊国《れいごく》の|状態《じやうたい》を|知悉《ちしつ》せしめ、|理解《りかい》せしめ、|世人《せじん》に|歓喜《くわんき》の|光明《くわうみやう》を|与《あた》ふることに|努力《どりよく》せなくては|成《な》らぬのである。|天界《てんかい》に|坐《まし》ます|主《す》の|神《かみ》は|仁愛《みろく》の|天使《てんし》を|世《よ》に|降《くだ》し、|地上《ちじやう》の|民《たみ》を|教化《けうくわ》せしむべく|月《つき》の|光《ひかり》を|地上《ちじやう》に|投《とう》じ|給《たま》うた。|宣伝使《せんでんし》たるものは、この|月光《げつくわう》を|力《ちから》として|自己《じこ》の|霊魂《れいこん》と|心性《しんせい》を|研《みが》き、|神《かみ》を|理解《りかい》し|知悉《ちしつ》し、|愛《あい》と|信《しん》とを|感受《かんじゆ》し、|是《これ》を|万民《ばんみん》に|伝《つた》ふべきものである。|主一無適《しゆいつむてき》の|信仰《しんかう》は、|宣伝使《せんでんし》たるものの|第一《だいいち》|要素《えうそ》であることを|忘《わす》れてはならぬ。|天界《てんかい》|地上《ちじやう》の|区別《くべつ》なく|神《かみ》の|道《みち》に|仕《つか》ふる|身魂《みたま》ほど|歓喜《くわんき》を|味《あぢ》はふ|幸福者《かうふくしや》は|無《な》いのである。
アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
大正十一年十二月 王仁
|霊《たま》の|礎《いしずゑ》(一一)
一、|天界《てんかい》|即《すなは》ち|神界《しんかい》|高天原《たかあまはら》にも、|又《また》|地上《ちじやう》の|如《ごと》く|宮殿《きうでん》や|堂宇《だうう》があつて、|神《かみ》を|礼拝《らいはい》し|神事《しんじ》を|行《おこな》つて|居《ゐ》るのである。その|説教《せつけう》|又《また》は|講義《かうぎ》|等《とう》に|従事《じうじ》するものは、|勿論《もちろん》|天界《てんかい》の|宣伝使《せんでんし》である。|天人《てんにん》は|常《つね》に|愛《あい》と|証覚《しようかく》の|上《うへ》に|於《おい》て、|益々《ますます》|円満《ゑんまん》|具足《ぐそく》ならむ|事《こと》を|求《もと》めて、|霊身《れいしん》の|餌《ゑ》となすからである。|天人《てんにん》に|智性《ちせい》や|意性《いせい》の|有《あ》ることは、|猶《なほ》|地上《ちじやう》|現界《げんかい》の|人間《にんげん》|同様《どうやう》である。|天人《てんにん》は|天界《てんかい》の|殿堂《でんだう》や|説教所《せつけうしよ》に|集合《しふがふ》して、|其《そ》の|智的《ちてき》|又《また》は|意的《いてき》|福音《ふくいん》を|聴聞《ちやうもん》し、|共《とも》に|益々《ますます》|円満《ゑんまん》ならむことを|望《のぞ》むものであつて、|智性《ちせい》は|智慧《ちゑ》に|属《ぞく》する|諸《もも》の|真理《しんり》に|依《よ》り、|意性《いせい》は|愛《あい》に|属《ぞく》する|諸《もも》の|善《ぜん》に|由《よ》つて、|常《つね》に|円満《ゑんまん》|具足《ぐそく》の|境域《きやうゐき》に|進《すす》みて|止《や》まぬものである。
一、|天界《てんかい》の|説法《せつぱふ》は|天人《てんにん》|各自《かくじ》が|処世上《しよせいじやう》の|事項《じかう》に|就《つい》て、|教訓《けうくん》を|垂《た》るるに|止《とど》まつて|居《ゐ》る。|要《えう》するに|愛《あい》と|仁《じん》と|信《しん》とを|完全《くわんぜん》に|体現《たいげん》せる|生涯《しやうがい》を|営《いとな》まむが|為《ため》に|説示《せつじ》し|聴聞《ちやうもん》するのである。|説法者《せつぱふしや》は|高壇《かうだん》の|中央《ちうあう》に|立《た》ち、|其《その》|面前《めんぜん》には|証覚《しようかく》の|光明《くわうみやう》|勝《すぐ》れたるもの|座《ざ》を|占《し》め、|聴聞者《ちやうもんしや》は|宣伝使《せんでんし》の|視線《しせん》を|外《そ》れぬ|様《やう》に|円形《ゑんけい》の|座《ざ》を|造《つく》つて|居《ゐ》る。その|殿堂《でんだう》や|説教所《せつけうしよ》は|天国《てんごく》にあつては|木造《もくざう》の|如《ごと》く|見《み》え、|霊国《れいごく》にあつては|石造《せきざう》の|如《ごと》くに|見《み》えて|居《ゐ》る。|石《いし》は|真《しん》に|相応《さうおう》し、|木《き》は|善《ぜん》に|相応《さうおう》して|居《ゐ》るからである。|又《また》|天国《てんごく》の|至聖場《しせいぢやう》は|之《これ》を|殿堂《でんだう》とも|説教所《せつけうしよ》とも|云《い》はず、|只《ただ》|単《たん》に|神《かみ》の|家《いへ》と|称《とな》へてゐる。そして|其《その》|建築《けんちく》は|余《あま》り|崇大《すうだい》なものではない。されど|霊国《れいごく》のものは|多少《たせう》の|崇大《すうだい》な|所《ところ》がある。
○
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|天人《てんにん》を |教導《けうだう》すべき|宣伝使《せんでんし》
|一名《いちめい》|神《かみ》の|使者《ししや》といふ |宣伝神使《せんでんしんし》は|何人《なにびと》も
|霊《れい》の|国《くに》より|来《きた》るなり |天国人《てんごくじん》の|任《にん》ならず
そも|霊国《れいごく》の|天人《てんにん》は |善《ぜん》より|来《きた》り|真《しん》に|居《を》り
|真理《しんり》に|透徹《とうてつ》すればなり |天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|住《す》むものは
|愛《あい》の|徳《とく》にて|真《しん》を|得《え》て |知覚《ちかく》するのみ|言説《げんせつ》を
|試《こころ》むること|敢《あへ》て|無《な》し |彼《か》れ|天国《てんごく》の|天人《てんにん》は
|己《おのれ》が|既《すで》に|知《し》り|得《え》たる |所《ところ》を|益々《ますます》|明白《めいはく》に
|体得《たいとく》せむと|思《おも》へばなり |又《また》その|未《いま》だ|知《し》らざりし
|真理《しんり》を|覚《さと》り|円満《ゑんまん》に |認識《にんしき》せむと|努《つと》め|行《ゆ》く
|一度《ひとたび》|真《まこと》を|聴《き》く|時《とき》は |直様《すぐさま》|之《これ》を|認識《にんしき》し
つづいて|之《これ》を|知《し》り|覚《さと》る |真《まこと》を|愛《あい》して|措《お》かざるは
その|生涯《しやうがい》に|活用《くわつよう》し |之《これ》をば|己《おの》が|境涯《きやうがい》の
|中《なか》に|同化《どうくわ》し|実現《じつげん》し その|向上《かうじやう》を|計《はか》るなり。
○
|高天原《たかあまはら》の|主神《すしん》より |任《よ》さし|給《たま》ひし|宣伝使《せんでんし》は
|自《みづか》ら|説法《せつぽふ》の|才能《さいのう》あり |霊国《れいごく》|以外《いぐわい》の|天人《てんにん》は
|神《かみ》の|家《いへ》にて|説《と》くを|得《え》ず |而《しか》して|神《かみ》の|宣伝使《せんでんし》は
|祭司《さいし》となるを|許《ゆる》されず |神《かみ》の|祭祀《さいし》を|行《おこな》ふは
|天国人《てんごくじん》の|所業《しよげふ》にて |霊国人《れいごくじん》の|職《しよく》ならず
その|故《ゆゑ》|如何《いかん》と|尋《たづ》ぬれば |高天原《たかあまはら》の|神界《しんかい》の
|祭司《さいし》を|行《おこな》ふ|職掌《しよくしやう》は |天国《てんごく》に|住《す》む|天人《てんにん》の
|惟神《ゐしん》の|神業《しんげふ》なればなり そもそも|祭司《さいし》の|神業《しんげふ》は
|霊国《れいごく》に|坐《ま》す|主《す》の|神《かみ》の |愛《あい》の|御徳《みとく》に|酬《むく》ゆべく
|奉仕《ほうし》し|尽《つく》す|為《ため》ぞかし |高天原《たかあまはら》の|天界《てんかい》(|神界《しんかい》)の
|主権《しゆけん》を|有《いう》すは|霊国《れいごく》ぞ |善《ぜん》より|来《き》たる|真徳《しんとく》を
|義《ぎ》として|真《しん》に|居《を》ればなり |高天原《たかあまはら》の|最奥《さいおう》に
おける|説示《せつじ》は|証覚《しようかく》の |極度《きよくど》に|達《たつ》し|中天《ちうてん》の
|説示《せつじ》は|最下《さいか》の|天国《てんごく》の |説示《せつじ》に|比《ひ》して|智慧《ちゑ》に|充《み》つ
|如何《いかん》となれば|天人《てんにん》の |智覚《ちかく》に|応《おう》じて|説《と》けばなり
|説示《せつじ》の|主眼要点《しゆがんえうてん》は |何《いづ》れも|主神《すしん》の|具《そな》へたる
|神的人格《しんてきじんかく》を|各人《かくじん》が |承認《しようにん》すべく|教《をし》へ|行《ゆ》く
|事《こと》を|除《のぞ》けば|何《なに》もなし |之《これ》を|思《おも》へば|現界《げんかい》の
|宣伝使《せんでんし》また|主《す》の|神《かみ》の |神格威厳《しんかくゐげん》を|外《ほか》にして
|説示《せつじ》すること|無《な》かるべし アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|高天原《たかあまはら》の|天界《てんかい》の |主神《すしん》の|愛《あい》とその|真《しん》に
|歓喜《くわんき》し|恭《うや》まひ|奉《たてまつ》る。
大正十一年十二月 王仁
|神諭《しんゆ》
大正五年旧十一月八日
|大本《おほもと》の|神《かみ》の|教《をしへ》の|通《とほ》りの|誠《まこと》の|修業《ぎやう》のでけてをる|身魂《みたま》は、|安全《らく》に|神界《しんかい》の|御用《ごよう》が|勤《つと》まるなれど、|修業《ぎやう》の|出来《でき》て|居《を》らぬ|身魂《みたま》は|辛《つら》くなるから、|誠《まこと》の|神《かみ》の|道《みち》は|修業《ぎやう》した|丈《だ》けの|事《こと》より|出来《でき》は|致《いた》さぬぞよ。|世《よ》に|落《お》ちて|居《を》りた|身魂《みたま》は、ドンナ|辛《つら》い|修業《ぎやう》も|致《いた》して|居《を》るから、サア|爰《ここ》といふ|処《とこ》では、ビクともせずに|安心《らく》に|御用《ごよう》が|勤《つと》まるぞよ。|世《よ》に|出《で》て|居《を》りて、|今迄《いままで》|結構《けつこう》に|暮《くら》して|来《き》た|上流《うへ》の|守護神《しゆごじん》よ、|一時《いちじ》も|早《はや》く|改心《かいしん》なされよ。モウ|世《よ》が|迫《せま》りて|来《き》たから、|横《よこ》|向《む》く|間《ま》も|無《な》いぞよ。|是《これ》からは|悪《あく》の|霊《みたま》の|利《き》かぬ|時節《じせつ》が|廻《まは》りてきたから、|今迄《いままで》のやうな|強《つよ》いもの|勝《がち》の|世《よ》の|持方《もちかた》は|神《かみ》が|赦《ゆる》さぬぞよ。|今迄《いままで》は|加美《かみ》はドンナ|忍耐《しんぼう》も|致《いた》して、|此《この》|世《よ》の|来《く》るを|待《ま》ちて|居《を》りたぞよ。|日本《にほん》は|慾《よく》な|人民《じんみん》の|多《おほ》い|国《くに》、|外国《ぐわいこく》は|学《がく》の|世《よ》であるから、ドンナ|事《こと》でも|致《いた》すぞよ。|日本《にほん》の|人民《じんみん》は|神《かみ》の|国《くに》に|生《うま》れ|乍《なが》ら、|神《かみ》をおよそに|思《し》て、|吾《われ》よしの|強慾《がうよく》|計《ばか》りを|考《かんが》へて、|金《かね》の|事《こと》になりたら、|一家親類《いつかしんるゐ》は|愚《おろか》、|親兄弟《おやきやうだい》とでも|公事《くじ》をいたす、|惨《むご》たらしい|身魂《みたま》に|化《な》り|切《き》りて|居《を》るぞよ。|是《これ》では|神国《しんこく》の|人民《じんみん》とは|申《まを》されぬぞよ。
|神《かみ》の|初発《しよつぱつ》に|修理《こしら》へた|元《もと》の|祖国《おやぐに》は、|世界中《せかいぢう》を|守護《しゆご》する|役目《やくめ》であるぞよ。|世界《せかい》の|難儀《なんぎ》を|助《たす》けてやらねば、|神国《しんこく》の|役目《やくめ》が|済《す》まぬから、|世界《せかい》の|国《くに》の|人民《じんみん》を|一番《いちばん》|先《さき》に|神心《かみごころ》に|捻直《ねぢなほ》して|一人《ひとり》も|残《のこ》らず、|神心《かみごころ》に|復《か》へてやらねば|神《かみ》の|役《やく》が|済《す》まぬので、|天《てん》の|大神様《おほかみさま》へ、|日々《にちにち》|艮《うしとら》の|金神《こんじん》が|御詫《おわび》をいたして、|世《よ》の|立替《たてかへ》を|延《の》ばして|貰《もら》うて、|其《その》|間《あひだ》に|一人《ひとり》でも|多《おほ》く、|神国魂《みくにだましひ》に|致《いた》したさに、|神《かみ》は|昼夜《ちうや》の|気苦労《きぐらう》を|致《いた》して|居《を》るから、|神国《しんこく》の|人民《じんみん》なら、チトは|神《かみ》の|心《こころ》も|推量《すゐりやう》|致《いた》して|身魂《みたま》を|磨《みが》いて、|世界《せかい》の|御用《ごよう》に|立《た》ちて|下《くだ》されよ。モウ|世《よ》が|迫《せま》りて|来《き》て、|絶対絶命《ぜつたいぜつめい》であるから、|何《ど》うする|間《ま》も|無《な》いぞよ。|神《かみ》は|急《せ》けるぞよ。|人民《じんみん》が|早《はや》く|改心《かいしん》をいたして|下《くだ》さらぬと、|世界中《せかいぢう》の|難渋《なんじふ》が|激《はげ》しくなりて、|何《なに》も|彼《か》も|総損害《そうぞこなひ》となるぞよ。|神《かみ》が|経綸《しぐみ》た|世界《せかい》の|誠《まこと》を、|何《なに》も|知《し》らずに、|吾《わが》|物《もの》に|致《いた》さうとして、エライ|企《たく》みは|奥《おく》が|浅《あさ》うて|狭《せま》いから、ここまで|九分九厘《くぶくりん》までは|面白《おもしろ》い|程《ほど》、トントン|拍子《びやうし》に|来《き》たなれど|天《てん》の|時節《じせつ》が|参《まゐ》りて、|悪神《あくがみ》の|世《よ》の|年《ねん》の|明《あ》きとなりて、|悪《あく》の|輪止《りんどま》りで、|向《むか》ふの|国《くに》には|死物狂《しにものぐるひ》を|致《いた》して|居《を》るなれど、|何処《どこ》からも|仲裁《ちうさい》に|這入《はい》る|事《こと》も|出来《でき》ず、|見殺《みごろ》しで|神《かみ》なら|助《たす》けねばならぬなれど、|余《あま》り|我《が》が|強過《つよす》ぎて|何《ど》う|仕様《しやう》も|無《な》いぞよ。|此《この》|方《はう》|艮《うしとら》の|金神《こんじん》も|我《が》が|強《つよ》くて、|神々《かみがみ》の|手《て》に|合《あ》はいで|押籠《おしこ》められて|変化《ばけ》る|事《こと》の|無《な》い|所《とこ》まで、ドンナ|事《こと》にも|変化《ばけ》て、ここへ|成《な》りたのであるから、モウ|一種《ひといろ》|変化《ばけ》たいと|思《おも》うたなれど、モウ|変化《ばけ》る|事《こと》が|無《な》い|様《やう》に|成《な》りたぞよ。(終)
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霊界物語 第二四巻 如意宝珠 亥の巻
終り