霊界物語 第二三巻 如意宝珠 戌の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第二三巻』愛善世界社
1997(平成9)年11月04日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年10月22日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|総説《そうせつ》
第一篇 |南海《なんかい》の|山《やま》
第一章 |玉《たま》の|露《つゆ》〔七一三〕
第二章 |副守囁《ふくしゆのささやき》〔七一四〕
第三章 |松上《しようじやう》の|苦悶《くもん》〔七一五〕
第四章 |長高説《ちやうかうぜつ》〔七一六〕
第二篇 |恩愛《おんあい》の|涙《なみだ》
第五章 |親子奇遇《おやこきぐう》〔七一七〕
第六章 |神異《しんい》〔七一八〕
第七章 |知《し》らぬが|仏《ほとけ》〔七一九〕
第八章 |縺《もつ》れ|髪《がみ》〔七二〇〕
第三篇 |有耶無耶《うやむや》
第九章 |高姫騒《たかひめさわぎ》〔七二一〕
第一〇章 |家宅侵入《かたくしんにふ》〔七二二〕
第一一章 |難破船《なんぱせん》〔七二三〕
第一二章 |家島探《えじまさがし》〔七二四〕
第一三章 |捨小舟《すてをぶね》〔七二五〕
第一四章 |籠抜《かごぬけ》〔七二六〕
第四篇 |混線状態《こんせんじやうたい》
第一五章 |婆《ばば》と|婆《ばば》〔七二七〕
第一六章 |蜈蚣《むかで》の|涙《なみだ》〔七二八〕
第一七章 |黄竜姫《わうりようひめ》〔七二九〕
第一八章 |波濤万里《はたうばんり》〔七三〇〕
|霊《たま》の|礎《いしずゑ》(八)
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|序文《じよぶん》
またしても|高姫《たかひめ》|物語《ものがたり》かと、|読者《どくしや》の|飽《あ》き|玉《たま》ふとは|知《し》り|乍《なが》ら、|是《こ》れも|一《ひと》つの|経路《けいろ》として|述《の》べて|置《お》かねば、|神霊界《しんれいかい》の|経緯《けいゐ》が|判《わか》りませぬから、|口述者《こうじゆつしや》もいやいや|乍《なが》ら|口《くち》にしました。
|併《しか》し|親子《おやこ》の|愛情《あいじやう》や、|堪忍《かんにん》の|報《むく》いの|尊《たふと》き|事《こと》は|本巻《ほんくわん》に|依《よ》りて、|徹底的《てつていてき》に|分明《ぶんめい》する|事《こと》と|確信《かくしん》して|居《を》ります。|幸《さいは》ひに|御愛読《ごあいどく》の|上《うへ》、|幾分《いくぶん》なりとも|修養《しうやう》の|資料《しれう》とならば、|口述者《こうじゆつしや》に|取《と》りて|望外《ばうぐわい》の|欣幸《きんかう》とする|所《ところ》であります。
大正十一年旧五月十八日
於竜宮館 王仁識
|総説《そうせつ》
|一身上《いつしんじやう》に|関《くわん》する|大峠《おほたうげ》を|一週日《いつしうじつ》の|前《まへ》に|控《ひか》へたる|旧《きう》|五月《ごぐわつ》|十八日《じふはちにち》、|離為火《りゐくわ》の|本卦《ほんけ》、|火天大有《くわてんたいう》の|枝卦《しけ》を|得《え》たる|瑞月《ずゐげつ》|王仁《おに》は、|天佑《てんいう》の|下《もと》に|漸《やうや》く|二十三巻《にじふさんくわん》の|霊界物語《れいかいものがたり》を|口述《こうじゆつ》し|了《をは》り、|進《すす》んで|雷天大壮《らいてんたいさう》の|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》せむと、|身心《しんしん》を|清《きよ》め、|生田《いくた》の|森《もり》の|訪客《はうきやく》の、|息《いき》のまにまに|口《くち》ずさむ。|罪《つみ》も|穢《けが》れも|那智《なち》の|滝《たき》、|心《こころ》の|駒彦《こまひこ》や、|木枯《こがらし》|気分《きぶん》の|秋彦《あきひこ》|始《はじ》め、|虻蜂《あぶはち》|取《と》らずの|泥棒《どろばう》が、|心《こころ》の|底《そこ》より|悔悟《くわいご》して、|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|糸筋《いとすぢ》に、|曳《ひ》かれて|親子《おやこ》の|再会《さいくわい》や、|魂《たま》をぬかれし|高姫《たかひめ》が、|執着心《しふちやくしん》のいと|深《ふか》き、|心《こころ》の|瀬戸《せと》の|家島《えじま》やま、|小豆ケ島《せうどがしま》に|聳《そび》え|立《た》つ、|国城山《くにしろやま》の|巌窟《がんくつ》に、バラモン|教《けう》の|花形役者《はながたやくしや》、|蜈蚣姫《むかでひめ》と|面会《めんくわい》の|珍物語《ちんものがたり》、|古今《ここん》|混同《こんどう》、|不可解《ふかかい》|至極《しごく》の|頭脳《づなう》の|記憶《きおく》を|辿《たど》りつつ、|蒲団《ふとん》の|上《うへ》に|横《よこ》たはり、|日本一《につぽんいち》の|吉備団子《きびだんご》、ムシヤムシヤ|喰《く》ひ|喰《く》ひ|述《の》べ|了《をは》る。
大正十一年旧五月十八日   竜宮館にて
第一篇 |南海《なんかい》の|山《やま》
第一章 |玉《たま》の|露《つゆ》〔七一三〕
|経《たて》と|緯《よこ》との|機《はた》を|織《お》る  |錦《にしき》の|宮《みや》の|御経綸《ごけいりん》
|玉照彦《たまてるひこ》や|玉照姫《たまてるひめ》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|神勅《しんちよく》を
|四方《よも》に|伝《つた》ふる|宣伝使《せんでんし》  |国依別《くによりわけ》や|玉治別《たまはるわけ》の
|神《かみ》の|命《みこと》は|神徳《しんとく》も  |大台ケ原《おほだいがはら》の|峰《みね》つづき
|日《ひ》の|出ケ岳《でがだけ》より|流《なが》れ|来《く》る  |深谷川《ふかたにがは》の|畔《ほとり》をば
|青葉《あをば》|滴《したた》る|木《き》の|茂《しげ》み  |飛沫《ひまつ》を|飛《と》ばす|千仭《せんじん》の
|谷《たに》の|絶景《ぜつけい》|眺《なが》めつつ  |足《あし》を|休《やす》らふ|折柄《をりから》に
|追々《おひおひ》|近付《ちかづ》く|宣伝歌《せんでんか》  |後《あと》|振《ふ》り|返《かへ》り|眺《なが》むれば
|草鞋脚絆《わらぢきやはん》の|扮装《いでたち》に  |金剛杖《こんがうづゑ》に|饅頭笠《まんぢうがさ》
|二《ふた》つの|影《かげ》はゆらゆらと  |此方《こなた》に|向《むか》つて|進《すす》み|来《く》る。
|国依別《くによりわけ》『|玉治別《たまはるわけ》さま、あなたも|随分《ずゐぶん》|永《なが》らく|無言《むごん》の|行《ぎやう》をやつて|居《ゐ》ましたネー。|若彦《わかひこ》の|宣伝使《せんでんし》が|熊野《くまの》の|滝《たき》で|荒行《あらぎやう》をやつて|居《ゐ》ましたが、どうでせう、まだ|依然《いぜん》として|継続《けいぞく》して|居《ゐ》るでせうか』
|玉治別《たまはるわけ》『|私《わたくし》も|実《じつ》は|若彦《わかひこ》さまに|会《あ》ひたいので、やつて|来《き》た|途中《とちう》、ゆくりなくも|貴方《あなた》にお|目《め》にかかり、|様子《やうす》を|伺《うかが》ひたいと|思《おも》つた|所《ところ》です』
|国依別《くによりわけ》『|玉能姫《たまのひめ》さまが、あれ|丈《だけ》の|御神業《ごしんげふ》を|遊《あそ》ばしたのだから、|若彦《わかひこ》の|宣伝使《せんでんし》も|聞《き》いたら|大変《たいへん》に|喜《よろこ》ぶ|事《こと》でせう。それに|就《つい》ては|何時《いつ》までも|紀《き》の|国路《くにぢ》に|居《を》つて|貰《もら》ふ|訳《わけ》にはゆかないから、|実《じつ》は|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》の|内命《ないめい》を|奉《ほう》じて、お|迎《むか》へに|来《き》たのですよ』
|玉治別《たまはるわけ》『|私《わたくし》も|堅《かた》い|秘密《ひみつ》を|守《まも》り、|玉能姫《たまのひめ》の|御神業《ごしんげふ》を|口外《こうぐわい》する|事《こと》は|出来《でき》ないのだが、|貴方《あなた》と|二人《ふたり》の|中《なか》だから|云《い》つても|差支《さしつかへ》あるまいが、|併《しか》し|乍《なが》ら|悪霊《あくれい》は|吾々《われわれ》の|身辺《しんぺん》を|付《つ》け|狙《ねら》うて|居《ゐ》るから、|迂濶《うつかり》した|事《こと》は|云《い》ひますまい。……|時《とき》に|彼《あ》の|宣伝歌《せんでんか》はどうやら|三五教《あななひけう》らしいですな。|何人《なんびと》か、|近寄《ちかよ》つて|来《く》る|迄《まで》、|此《この》|絶景《ぜつけい》を|眺《なが》めて|待《ま》ちませうか』
|国依別《くによりわけ》『ヤアもう|顔《かほ》が|判然《はつきり》する|程《ほど》|近寄《ちかよ》つて|来《き》ました。|兎《と》も|角《かく》|待《ま》つ|事《こと》にしませう』
|斯《か》く|言《い》ふ|折《をり》しも、|宣伝歌《せんでんか》は|俄《にはか》に|歇《や》んで、|二《ふた》つの|笠《かさ》|追々《おひおひ》と、|木《き》の|茂《しげ》みを|分《わ》けて|近寄《ちかよ》つて|来《き》た。|見《み》れば|魔我彦《まがひこ》、|竹彦《たけひこ》の|両人《りやうにん》、|二人《ふたり》の|端座《たんざ》せるに|驚《おどろ》いた|様《やう》な|声《こゑ》で、
|魔我彦《まがひこ》『ヤア|貴方《あなた》は|玉治別《たまはるわけ》、|国依別《くによりわけ》の|宣伝使《せんでんし》で|御座《ござ》つたか。|何《いづ》れへ|宣伝《せんでん》にお|出《い》でになるお|考《かんが》へですか』
|国依別《くによりわけ》『|誰《たれ》かと|思《おも》へば、|魔我彦《まがひこ》さまに|竹彦《たけひこ》さま。あなたこそ|何方《どちら》へ、|何用《なによう》あつて|御出《おい》でになります。|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》より|御命《おめい》じになつたのですか。|此《この》|紀《き》の|国《くに》の|方面《はうめん》は|若彦《わかひこ》の|宣伝《せんでん》|区域《くゐき》と|定《きま》つて|居《ゐ》る。|其処《そこ》へ|貴方《あなた》がお|出《い》でになるのは、チツト|合点《がつてん》が|行《ゆ》きませぬ』
と|問《と》はれて|魔我彦《まがひこ》|稍《やや》|口籠《くちごも》り、|手持無沙汰《てもちぶさた》の|様《やう》な|顔付《かほつき》して、
『ハイ……|私《わたくし》は|宣伝《せんでん》に|来《き》たのでは|有《あ》りませぬ。|熊野《くまの》の|滝《たき》へ、|罪穢《つみけが》れを|洗《あら》ふ|為《ため》に|荒行《あらぎやう》にやつて|来《き》たのです』
|玉治別《たまはるわけ》『|遥々《はるばる》|斯《こ》んな|所《ところ》まで|荒行《あらぎやう》に|来《こ》なくても、|聖地《せいち》には|立派《りつぱ》な|那智《なち》の|滝《たき》が|落《お》ちて|居《ゐ》るぢやありませぬか』
|魔我彦《まがひこ》はソワソワし|乍《なが》ら、
『なんと、|天下《てんか》の|絶景《ぜつけい》ですな。|緑《みどり》|滴《したた》る|木々《きぎ》の|梢《こずゑ》と|云《い》ひ、|此《この》|谷川《たにがは》の|水音《みづおと》と|云《い》ひ、|実《じつ》に|勇壮《ゆうさう》ですなア』
と|成《な》るべく|話《はなし》を|外《ほか》へ|転《てん》ぜようと|努《つと》めて|居《ゐ》る。|玉《たま》、|国《くに》の|二人《ふたり》は|其《その》|意《い》を|察《さつ》し、ワザと|忘《わす》れた|様《やう》な|風《ふう》をなし、
|玉治別《たまはるわけ》『|流石《さすが》は|大台ケ原《おほだいがはら》に|源《みなもと》を|発《はつ》した|丈《だけ》あつて、|随分《ずゐぶん》に|立派《りつぱ》な|流《なが》れです。あの|渓川《たにがは》の|巨岩《きよがん》|怪石《くわいせき》に|水《みづ》の|噛《か》み|付《つ》いて、|水煙《みづけぶり》を|立《た》て、|白銀《はくぎん》の|玉《たま》を|飛《と》ばす|光景《くわうけい》と|云《い》つたら、|実《じつ》に|天下《てんか》の|絶勝《ぜつしよう》です。|斯《こ》う|云《い》ふ|所《ところ》にせめて|三日《みつか》も|遊《あそ》んで|居《を》れば、|生命《いのち》が|延《の》びるやうな|気《き》が|致《いた》しますワイ』
|魔我彦《まがひこ》は|恐《こは》|相《さう》に|谷底《たにそこ》を|覗《のぞ》き|見《み》て、|驚《おどろ》いた|様《やう》に、
『アヽ|大変《たいへん》|々々《たいへん》』
と|足掻《あがき》をする。|玉《たま》、|国《くに》の|二人《ふたり》は|其《その》|驚《おどろ》きに|何事《なにごと》か|大事《だいじ》の|突発《とつぱつ》せるならむと、|慌《あわて》て|谷底《たにそこ》を|覗《のぞ》く。|魔我彦《まがひこ》は|竹彦《たけひこ》に|目配《めくば》せし|乍《なが》ら、|全身《ぜんしん》の|力《ちから》を|籠《こ》めて|二人《ふたり》の|背後《はいご》よりドツと|押《お》した。|何条《なんでう》|堪《たま》るべき、|二人《ふたり》は|千仭《せんじん》の|谷間《たにま》に|風《かぜ》を|切《き》つて|顛落《てんらく》した。|木々《きぎ》の|青葉《あをば》は|追々《おひおひ》|黒《くろ》ずんで、|太陽《たいやう》の|高山《かうざん》の|頂《いただ》きに|姿《すがた》を|隠《かく》し、|黄昏《たそがれ》の|空気《くうき》|四辺《しへん》を|圧《あつ》する。
|魔我彦《まがひこ》『アハヽヽヽ、|何程《なにほど》|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》でも、|斯《こ》うなつては|駄目《だめ》だ、|玉《たま》、|国《くに》の|両人《りやうにん》、|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》に|巧《うま》く|取《と》り|入《い》り、|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《ひつぱう》の|高姫《たかひめ》さまに|揚壺《あげつぼ》を|喰《く》はし、|若彦《わかひこ》の|女房《にようばう》…|元《もと》のお|節《せつ》や|杢助《もくすけ》の|女《あま》つちよに|御用《ごよう》をさせる|様《やう》にしよつたのは、|皆《みんな》|此奴等《こいつら》の|企《たく》みだ。|是《こ》れから|先《さき》、|生《い》かして|置《お》けば、どんなに|邪魔《じやま》をしやがるか|分《わか》つたものぢやない。|一《ひと》つはお|道《みち》の|為《ため》、|国家《こくか》の|為《ため》ぢや。|竹彦《たけひこ》、|巧《うま》く|行《い》つたぢやないか』
|竹彦《たけひこ》『|俄《にはか》に|其処《そこ》らが|暗《くら》くなつて|来《き》て|分《わか》りませぬが、うまく|寂滅《じやくめつ》したでせうか。|万一《まんいち》|此《この》|中《うち》の|一人《ひとり》でも|生《い》き|残《のこ》つて|居《ゐ》ようものなら、|忽《たちま》ち|陰謀《いんぼう》|露顕《あらは》、|吾々《われわれ》は|到底《たうてい》|此《この》|儘《まま》で|安楽《あんらく》に|神業《しんげふ》に|参加《さんか》する|事《こと》は|出来《でき》ますまい』
|魔我彦《まがひこ》『アハヽヽヽ、そんな|取越苦労《とりこしくらう》はするものでない。|断崖絶壁《だんがいぜつぺき》|屹立《きつりつ》した、|岩《いは》ばかりの|所《ところ》へ|落《お》ちたのだから、|体《からだ》は|忽《たちま》ち|木端微塵《こつぱみじん》、こんな|者《もの》が|助《たす》かるなら、それこそ|煎豆《いりまめ》に|花《はな》が|咲《さ》くワ。アハヽヽヽ』
と|心地《ここち》よげに|笑《わら》ふ。
|竹彦《たけひこ》『それでも|煎豆《いりまめ》に|花《はな》の|咲《さ》く|時節《じせつ》が|来《く》ると、|神様《かみさま》が|仰有《おつしや》つた|以上《いじやう》は、|油断《ゆだん》がなりませぬぞ』
|魔我彦《まがひこ》『そりや|比喩事《たとへごと》だよ。そんな|事《こと》を|心配《しんぱい》して|居《ゐ》て|思惑《おもわく》が|成就《じやうじゆ》するか。|高姫《たかひめ》|様《さま》を|表面《おもて》へ|出《だ》さねば、|到底《たうてい》|五六七《みろく》の|神政《しんせい》は|完全《くわんぜん》に|樹立《じゆりつ》するものでない。|吾々《われわれ》は|天下《てんか》|国家《こくか》の|害毒《がいどく》を|除《のぞ》いた|殊勲者《しゆくんしや》だ。|万一《まんいち》|一人《ひとり》や|半分《はんぶん》|生《い》き|残《のこ》つて|居《を》つて|不足《ふそく》を|云《い》つた|所《ところ》で、|肝腎《かんじん》の|高姫《たかひめ》さまの|勢力《せいりよく》さへ|旺盛《わうせい》ならば|何《なん》でもない。|勝《か》てば|善軍《ぜんぐん》、|敗《ま》くれば|魔軍《まぐん》だ。|何程《なにほど》|平等愛《べうどうあい》の|神様《かみさま》の|教《をしへ》でも|力《ちから》が|肝腎《かんじん》だ。|力《ちから》が|無《な》ければ|国祖《こくそ》|国常立大神《くにとこたちのおほかみ》|様《さま》でも、むざむざと|艮《うしとら》へ|押籠《おしこ》められなさるのだから、|兎《と》も|角《かく》|吾々《われわれ》は|勢力《せいりよく》を|旺盛《わうせい》にし、|部下《ぶか》を|多《おほ》く|抱《かか》へ、|一方《いつぱう》には|害物《がいぶつ》を|除却《ぢよきやく》せねばならぬ。|摂受《せつじゆ》の|剣《けん》と|折伏《しやくふく》の|剣《けん》は、|平和《へいわ》の|女神《めがみ》でさへも|持《も》つて|居《ゐ》るのだから……』
|竹彦《たけひこ》『こんな|宣伝使《せんでんし》の|二人《ふたり》|位《くらゐ》|葬《はうむ》つた|所《ところ》で、|肝腎《かんじん》の|言依別命《ことよりわけのみこと》が|頑張《ぐわんば》つて|居《ゐ》る|以上《いじやう》は|何《なん》にもならぬぢやないか。|根本的《こんぽんてき》|治療《ちれう》を|施《ほどこ》さんとすれば、|先《ま》づ|言依別《ことよりわけ》を|第一《だいいち》の|強敵《きやうてき》と|認《みと》めねばなるまい』
|魔我彦《まがひこ》はニタリと|笑《わら》ひ、
『|天機《てんき》|漏《も》らす|可《べ》からず。|吾《わが》|神算鬼謀《しんさんきぼう》、|後《のち》にぞ|思《おも》ひ|知《し》らるるであらう』
|竹彦《たけひこ》『|大樹《たいじゆ》を|伐《き》らむとする|者《もの》は、|先《ま》づ|其《その》|枝《えだ》を|伐《き》るの|筆法《ひつぱふ》ですかな』
|魔我彦《まがひこ》『|音《おと》|高《たか》し|音《おと》|高《たか》し。|天《てん》に|口《くち》、|壁《かべ》に|耳《みみ》、モウ|此《この》|話《はなし》は|只今《ただいま》|限《かぎ》り|言《い》はぬ|事《こと》にせう。|是《こ》れから|熊野《くまの》の|滝《たき》へ|下《くだ》り、|若彦《わかひこ》に|会《あ》つて|其《その》|上《うへ》に|分別《ふんべつ》をするのだから、ウツカリ|喋舌《しやべ》つてはならないぞ。お|前《まへ》は|表面《へうめん》|俺《わし》の|随行者《ずゐかうしや》となつた|心持《こころもち》で、|何《なに》を|若彦《わかひこ》が|尋《たづ》ねても、|知《し》らぬ|存《ぞん》ぜぬの|一点張《いつてんばり》で|居《ゐ》るが|宜《よ》からうぞ』
|竹彦《たけひこ》『|委細《ゐさい》|承知《しようち》しました。|併《しか》し|乍《なが》ら|私《わたし》の|副守護神《ふくしゆごじん》が|喋《しやべ》つた|時《とき》は|如何《どう》しますか』
|魔我彦《まがひこ》『そんな|副守護神《ふくしゆごじん》を|何時《いつ》までも|抱《かか》へて|居《を》る|様《やう》な|奴《やつ》は、|忽《たちま》ち……ムニヤムニヤ』
|竹彦《たけひこ》『|忽《たちまち》……の|後《あと》を|瞭然《はつきり》|聞《き》かして|下《くだ》さい』
|魔我彦《まがひこ》『そんな|事《こと》|聞《き》く|必要《ひつえう》が|何処《どこ》に|有《あ》るか』
|竹彦《たけひこ》『|我《わが》|身《み》に|係《かか》はる|一大事《いちだいじ》、どうも|意味《いみ》|有《あ》り|気《げ》なお|言葉《ことば》でした。|猿《さる》の|小便《せうべん》ぢやないが、【キ】に|懸《かか》つてならない。それを|聞《き》かねば、|私《わたし》も|一《ひと》つの|考《かんが》へがある』
|魔我彦《まがひこ》『ハテ|困《こま》つた|事《こと》を|言《い》ひ|出《だ》しやがつたものだ』
|竹彦《たけひこ》『こんな|事《こと》なら|竹彦《たけひこ》を|連《つ》れて|来《こ》なんだがよかつたに……|併《しか》し|乍《なが》ら|二人《ふたり》の|奴《やつ》を、|谷底《たにそこ》へ|転《まく》るのには、|一人《ひとり》では|都合《つがふ》|好《よ》う|行《ゆ》かず……アーア|一利《いちり》あれば|一害《いちがい》ありだ。|肝腎《かんじん》の|処《とこ》になつて|竹彦《たけひこ》の|副守護神《ふくしゆごじん》が|発動《はつどう》し、|斯《こ》んな|事《こと》を|素破抜《すつぱぬ》かうものなら、|高姫《たかひめ》も、|魔我彦《まがひこ》|一派《いつぱ》も、それこそ|大変《たいへん》だ。アーア|後悔《こうくわい》しても|仕方《しかた》がない。……と|云《い》ふ|様《やう》な|貴方《あなた》の|心理《しんり》|状態《じやうたい》でせう。|御心配《ごしんぱい》なさいますな。|私《わたし》も|同《おな》じく|共謀者《きようぼうしや》だから|滅多《めつた》に|拙劣《へた》な|事《こと》は|申《まを》しませぬ。|併《しか》し|国依別《くによりわけ》、|玉治別《たまはるわけ》の|亡霊《ばうれい》が|貴方《あなた》や|私《わたし》に|憑依《ひようい》して|喋《しやべ》つた|時《とき》は、コリヤ|例外《れいぐわい》だから|仕方《しかた》がない、アハヽヽヽ』
と|気楽《きらく》|相《さう》に|笑《わら》ひ|転《こ》ける。|魔我彦《まがひこ》は|双手《もろて》を|組《く》み、|蒼白《まつさを》な|顔《かほ》になつて、|肩《かた》で|息《いき》をし|乍《なが》ら|思案《しあん》に|暮《く》れて|居《ゐ》る。|夜《よる》の|張《とばり》はますます|濃厚《のうこう》の|色《いろ》を|増《ま》し、|遂《つひ》には|相互《さうご》の|姿《すがた》さへ|闇《やみ》に|没《ぼつ》して|了《しま》つた。|木々《きぎ》の|梢《こずゑ》を|揉《も》む|暴風《ばうふう》の|音《おと》、|何《なん》となく|騒《さわ》がしく、|陰鬱《いんうつ》|身《み》に|迫《せま》り、|鬼哭啾々《きこくしうしう》|恰《あたか》も|根底《ねそこ》の|国《くに》に|独《ひと》り|彷徨《さまよ》ふ|如《ごと》き|不安《ふあん》|寂寥《せきれう》を|感《かん》じた。|二人《ふたり》は|互《たがひ》に|負《まけ》ん|気《き》を|出《だ》し、|何《なん》となく|心《こころ》の|底《そこ》の|恐怖《きようふ》を|抑《おさ》へ、|強《つよ》い|事《こと》を|話《はな》し|合《あ》つて、|此《この》|寂《さび》しさと|不安《ふあん》を|紛《まぎ》らさうとして|居《ゐ》る。|風《かぜ》はますます|烈《はげ》しく、|夜《よ》は|追々《おひおひ》|更《ふ》けて|来《く》る。|女《をんな》を|責《せ》める|様《やう》な|小猿《こざる》の|声《こゑ》、|彼方《あちら》にも|此方《こちら》にも、キヤアキヤアと|聞《きこ》えて|来《く》るかと|思《おも》へば、|山岳《さんがく》も|震動《しんどう》する|許《ばか》りの|狼《おほかみ》の|声《こゑ》|刻々《こくこく》に|高《たか》まり|来《きた》る。|青白《あをじろ》い|火《ひ》は|闇《やみ》の|中《なか》よりポツと|現《あら》はれ、ボヤボヤと|燃《も》えては|消《き》え、|燃《も》えては|消《き》え、|二人《ふたり》の|身辺《しんぺん》を|取《と》り|巻《ま》き、|遂《つひ》には|頭上《づじやう》を|唸《うな》りを|立《た》てて|燃《も》え|狂《くる》ふ。|二人《ふたり》は|目《め》を|塞《ふさ》ぎ、|耳《みみ》を|詰《つ》め、|頭《あたま》|抱《かか》へて|大地《だいち》にかぶり|付《つ》いて|了《しま》つた。|首筋《くびすぢ》の|辺《あた》りを、|誰《たれ》ともなく|氷《こほり》の|如《よ》うな|手《て》で|撫《な》でるものがある。|頭《あたま》の|先《さき》から|睾丸《きんたま》までヒヤリと|氷《こほり》の|如《ごと》き|冷《つめ》たさを|感《かん》じて|来《き》た。|竹彦《たけひこ》は|慄《ふる》い|声《ごゑ》を|出《だ》して、
|竹彦《たけひこ》『のー|恨《うら》めしやなア。|如何《いか》に|魔我彦《まがひこ》、|騙《だま》し|討《う》ちとは|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》な|奴《やつ》。モウ|斯《こ》うなる|上《うへ》は|汝《なんぢ》が|素《もと》つ|首《くび》を|引抜《ひきぬ》き、|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》に|落《おと》して|呉《く》れむ。|覚悟《かくご》せーよ』
と|暗《くら》がりに|霊懸《れいがか》りをやり|出《だ》した。|魔我彦《まがひこ》は、
『オイ|竹彦《たけひこ》、|厭《いや》らしい|事《こと》をするものではない。チツと|落着《おちつ》かぬか。そりや|貴様《きさま》、|神経《しんけい》だ。|今《いま》から|発狂《はつきやう》して|如何《どう》なるか。チト|気《き》を|大《おほ》きう|持《も》たぬかい』
|竹彦《たけひこ》『|何《なん》と|云《い》つても|此《この》|恨《うら》み|晴《は》らさで|置《お》かうか……|押《お》しも|押《お》されもせぬ|宣伝使《せんでんし》の|玉治別《たまはるわけ》、|国依別《くによりわけ》を|亡《な》き|者《もの》にせうと|企《たく》んだ、|汝《なんぢ》の|心《こころ》の|鬼《おに》が|今《いま》|此処《ここ》に|現《あら》はれ、|竹彦《たけひこ》の|肉体《にくたい》を|借《か》つて|讐《かたき》を|討《う》つてやるのだ。|其《その》|方《はう》も|今迄《いままで》|高姫《たかひめ》の|部下《ぶか》となり、|変性女子《へんじやうによし》を|苦《くるし》めよつた|揚句《あげく》、|猶《なほ》|飽《あ》き|足《た》らいで、|我々《われわれ》|両人《りやうにん》を|谷底《たにぞこ》に|突《つ》き|落《おと》し|殺《ころ》すとは、|極悪無道《ごくあくぶだう》の|痴者《しれもの》。|只今《ただいま》|幽界《いうかい》の|閻魔《えんま》の|庁《ちやう》より|命令《めいれい》を|受《う》けて、|汝《なんぢ》を|迎《むか》へに|来《き》たのだ。サア|最早《もはや》|逃《のが》るるに|由《よし》なし。|尋常《じんじやう》に|覚悟《かくご》を|致《いた》せ。|花《はな》は|三吉野《みよしの》、|人《ひと》は|武士《ぶし》だ。せめてもの|名残《なごり》に|潔《いさぎよ》く|散《ち》つたがよからう』
と|冷《つめ》たい|手《て》で|首《くび》の|周囲《まはり》を|撫《な》でまはす。|青《あを》い|火《ひ》は|燃《も》えては|消《き》え、|燃《も》えては|消《き》え、ブンブンと|唸《うな》りを|立《た》てて|魔我彦《まがひこ》の|周囲《しうゐ》を|飛《と》び|廻《まは》る。|猿《さる》の|声《こゑ》、|狼《おほかみ》の|声《こゑ》は|刻々《こくこく》に|烈《はげ》しくなつて|来《く》る。|魔我彦《まがひこ》は|余《あま》りの|恐《こは》さに|魂《たま》|消《き》え、|其《その》|場《ば》に|人事不省《じんじふせい》になつて|了《しま》つた。|竹彦《たけひこ》も|亦《また》|其《その》|場《ば》にバタリと|倒《たふ》れて、|後《あと》は|風《かぜ》の|音《おと》のみ。やがて|下弦《かげん》の|月《つき》は|研《と》ぎすました|草刈《くさか》り|鎌《がま》の|様《やう》な|姿《すがた》を|現《あら》はし、|熊野灘《くまのなだ》から|浮上《うきあが》り、|二人《ふたり》の|姿《すがた》を|怪《あや》しげに|覗《のぞ》いて|居《ゐ》る。|夜《よ》は|漸《やうや》くにして|明《あ》け|放《はな》れた。|小猿《こざる》の|群《むれ》、|何処《いづく》ともなく|両人《りやうにん》の|前《まへ》に|飛《と》び|来《きた》り、|足《あし》の|裏《うら》を|掻《か》き、|顔《かほ》を|掻《か》いた。|其《その》|痛《いた》さに|気《き》が|付《つ》き、|両人《りやうにん》は|期《き》せずして|一度《いちど》に|起《お》きあがりたり。
|魔我彦《まがひこ》『アヽ|夜前《やぜん》は|大変《たいへん》な|恐《おそ》ろしい|目《め》に|遇《あ》うた。お|蔭《かげ》で|新《あたら》しい|日天様《につてんさま》が|出《で》て|下《くだ》さつて、|稍《やや》|心強《こころづよ》くなつて|来《き》た。これと|云《い》ふも|全《まつた》く|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》のお|助《たす》けだ。|月《つき》の|御魂《みたま》と|云《い》ふものは|出《で》たり|出《で》なかつたり、|大《おほ》きうなつたり、|小《ちひ》さくなつたり、まるで|変性女子《へんじやうによし》の|様《やう》なものだ、チツとも|当《あて》になりやしない。|天地《てんち》から|鑑《かがみ》を|出《だ》して|見《み》せてあるぞよ……と|仰有《おつしや》つたが、|本当《ほんたう》に|愛想《あいさう》が【ツキ】の|神《かみ》ぢや。|何時《いつ》も|形《かたち》も|変《かは》らず|晃々《くわうくわう》と|輝《かがや》き|給《たま》ふのは|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》ばかりぢや。それだから|俺《おれ》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》でなければ|夜《よ》が|明《あ》けぬと|云《い》ふのだ。|月《つき》の|御魂《みたま》なんて、|精神《せいしん》の|定《きま》らぬ|事《こと》は、|天《てん》を|見《み》ても|分《わか》つて|居《を》るぢやないか。それに|就《つい》て|坤《ひつじさる》の|金神《こんじん》ぢや。|未《ひつじ》や|申《さる》と|云《い》ふ|奴《やつ》は|碌《ろく》な|奴《やつ》ぢやない。|紙《かみ》を|喰《く》らつたり、|人《ひと》を|掻《か》きまはしたりする|奴《やつ》だよ』
|竹彦《たけひこ》『|本当《ほんたう》にさうだなア。|猿《さる》の|奴《やつ》|悪戯《いたづら》しやがつて、そこら|中《ぢう》を|掻《か》きむしりやがつた。|此方《こちら》が|吃驚《びつくり》して|起《お》きるが|最後《さいご》、|一目散《いちもくさん》に|逃《に》げて|了《しま》ひやがつたぢやないか。|是《こ》れもヤツパリ|坤《ひつじさる》の|金神《こんじん》の|力《ちから》の|無《な》いと|云《い》ふ|証拠《しようこ》だ。アハヽヽヽ』
|魔我彦《まがひこ》『|併《しか》し|昨夜《ゆうべ》の|両人《りやうにん》は|如何《どう》なつただらうかなア』
|竹彦《たけひこ》『どうも|斯《こ》うもあるものか。|人《ひと》の|体《からだ》に|幽霊《いうれい》となつて|憑《うつ》つて|来《き》やがつた|位《くらゐ》だから、|心配《しんぱい》は|最早《もはや》|有《あ》るまい』
|魔我彦《まがひこ》『そらさうだ。|青《あを》い|火《ひ》を|点《とぼ》して、パツパツとアタ|煩雑《うる》さい、|出《で》て|来《き》やがつて、|思《おも》ひ|切《き》りの|悪《わる》い|奴《やつ》だなア。サアこれから|若彦《わかひこ》の|居所《ゐどころ》を|訪《たづ》ね|一《ひと》つの|活動《はたらき》をするのだ。グヅグヅして|居《ゐ》ると|険難《けんのん》だから、|早《はや》く|目的地点《もくてきちてん》まで|往《ゆ》かう』
と|先《さき》に|立《た》ちスタスタと|坂路《さかみち》を、|又《また》|元《もと》の|如《ごと》く|蓑笠《みのかさ》を|着《つ》け、|金剛杖《こんがうづゑ》を|突《つ》いて、ケチンケチンと|音《おと》させ|乍《なが》ら|岩路《いはみち》を|下《くだ》つて|行《ゆ》く。
|谷底《たにぞこ》には|一人《ひとり》の|男《をとこ》、|赤裸《まつぱだか》となつて|水行《すゐぎやう》をやつて|居《ゐ》た。そこへ|薄《うす》|暗《くら》がりに|二《ふた》つの|影《かげ》、|青淵《あをぶち》へ|向《むか》つてドブンと|許《ばか》り|落《お》ち|込《こ》んで|来《き》たものがある。|男《をとこ》は|驚《おどろ》いて|手早《てばや》く|二人《ふたり》を|救《すく》ひ|上《あ》げ、イロイロと|人口《じんこう》|呼吸《こきふ》を|施《ほどこ》したり、|指《ゆび》を|曲《ま》げたりして|蘇生《そせい》せしめた。
|男《をとこ》『モシモシあなたの|服装《ふくさう》を|見《み》れば、|夜陰《やいん》にて|確《たしか》には|分《わか》りませぬが、|宣伝使《せんでんし》の|様《やう》に|見《み》えますが、|一体《いつたい》どなたで|御座《ござ》いますか』
|国依別《くによりわけ》『|悪者《わるもの》に|突《つ》き|落《おと》され、|思《おも》はず|不覚《ふかく》を|取《と》りました。|其《その》|刹那《せつな》、|吾《わが》|身《み》は|最早《もはや》|粉砕《ふんさい》の|厄《やく》に|遭《あ》うたものと|覚悟《かくご》をして|居《ゐ》ましたが、よう|助《たす》けて|下《くだ》さいました』
|玉治別《たまはるわけ》『|私《わたくし》も|実《じつ》は|宣伝使《せんでんし》です。|此《こ》れだけ|沢山《たくさん》の|岩《いは》が|並《なら》んで|居《ゐ》るのに、|少《すこ》しの|怪我《けが》もなく、|此《この》|青淵《あをぶち》へうまく|落込《おちこ》んだのも、|神様《かみさま》のお|蔭《かげ》、|又《また》|貴方様《あなたさま》のお|助《たす》けで|御座《ござ》います。|此《この》|御恩《ごおん》は|決《けつ》して|忘《わす》れませぬ』
|男《をとこ》『|確《たし》かに|分《わか》らぬが、お|前《まへ》さまは|何処《どこ》ともなしに|聞覚《ききおぼ》えの|有《あ》る|声《こゑ》だ。|玉治別《たまはるわけ》さまに|国依別《くによりわけ》さまぢやありませぬか』
と|問《と》はれて|二人《ふたり》は、
|玉《たま》、|国《くに》『ハイ|左様《さやう》で|御座《ござ》います。さうして|貴方《あなた》は|何《いづ》れの|方《かた》で……』
と|皆《みな》まで|聞《き》かず|男《をとこ》は、
|男《をとこ》『アヽそれで|安心《あんしん》|致《いた》しました。|私《わたし》は|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》のお|指図《さしづ》に|依《よ》つて、|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》の|承諾《しようだく》を|得《え》、|此《この》|谷川《たにがは》へ、|何故《なにゆゑ》か|急《きふ》に|派遣《はけん》され、|水行《すゐぎやう》をしかけた|所《ところ》へ、あなた|方《がた》が|落《お》ちて|来《こ》られたのです。モウ|少《すこ》し|私《わたし》の|来《く》るのが|遅《おそ》かつたならば|大変《たいへん》な|事《こと》でした。|私《わたし》は|杢助《もくすけ》ですよ』
と|聞《き》いて|二人《ふたり》は、|安心《あんしん》と|喜悦《よろこび》の|念《ねん》に|堪《た》へず、|杢助《もくすけ》の|体《からだ》に|喰《くら》ひついて、|嬉《うれ》し|泣《な》きに|泣《な》くのであつた。
|杢助《もくすけ》『|随分《ずゐぶん》|暗《くら》い|夜《よ》さだが、|其《その》|二人《ふたり》の|声《こゑ》で|少《すこ》しも|疑《うたが》う|余地《よち》はない。|斯様《かやう》な|所《ところ》に|長《なが》らく|居《を》つては|面白《おもしろ》くない。|今回《こんくわい》の|私《わたし》の|使命《しめい》はこれで|終《をは》つたのだらうから、どつか|平坦《へいたん》な|所《ところ》へ|行《い》つて、|詳《くは》しう|話《はなし》を|承《うけたま》はりませう。|何《なに》を|言《い》つても|此《この》|谷川《たにがは》の|水音《みなおと》では、|十分《じふぶん》の|話《はなし》が|出来《でき》ませぬ』
と|云《い》ひつつ、|闇《やみ》に|白《しろ》く|光《ひか》つた|羊腸《やうちやう》の|小径《こみち》を、|探《さぐ》り|探《さぐ》り|下《くだ》つて|行《ゆ》く。|路《みち》が|木《き》の|蔭《かげ》に|遮《さへぎ》られて|見《み》えなくなると、|白《しろ》い|白狐《びやくこ》の|影《かげ》|一二間《いちにけん》|前《まへ》をノソノソと|歩《あゆ》む。|杢助《もくすけ》は|其《その》|跡《あと》を|目当《めあて》に|七八丁《しちはつちやう》|許《ばか》り|降《くだ》り、|平《ひら》たき|岩《いは》の|上《うへ》に|腰《こし》をおろし、
|杢助《もくすけ》『サアサア|御二人《おふたり》さま、|此処《ここ》でゆつくりと|夜明《よあ》けを|待《ま》ちませうかい』
|二人《ふたり》は『ハイ』と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|濡《ぬ》れた|着物《きもの》を|脱《ぬ》いで、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|絞《しぼ》り|直《なほ》し、|岩《いは》にパツと|拡《ひろ》げて|乾《かわ》かして|居《ゐ》る。|昼《ひる》の|暑《あつ》さに|岩《いは》は|焼《や》けたと|見《み》え、|非常《ひじやう》な|暖《あたた》かみがある。|着物《きもの》は|少時《しばらく》の|間《うち》に|元《もと》の|如《ごと》く|乾燥《かんさう》した。
|国依別《くによりわけ》『|天道《てんだう》は|人《ひと》を|殺《ころ》さずとはよう|言《い》つたものだ。|何処《どこ》も|彼《か》も|夜露《よつゆ》で|冷《ひや》やかうなつてい|居《ゐ》るのに、|此《この》|岩《いは》|計《ばか》りは|全然《まるで》ストーブの|様《やう》だ。|日輪様《にちりんさま》もお|上《あが》りなさらぬのに、|着物《きもの》が|乾《かわ》くと|云《い》ふ|事《こと》は|珍《めづら》しい|事《こと》だ。これもヤツパリ|神様《かみさま》の|御恵《みめぐみ》だらう。サア|皆《みな》さま、|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》|致《いた》しませう』
と|茲《ここ》に|三人《さんにん》は|天地《てんち》も|揺《ゆる》ぐばかりの|大音声《だいおんじやう》を|発《はつ》して、スガスガしく|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて、|暫《しばら》く|夜明《よあ》けを|待《ま》つ|事《こと》にした。|夜《よ》は|漸《やうや》くに|明《あ》け|放《はな》れ、|木々《きぎ》の|梢《こずゑ》に|置《お》く|露《つゆ》に|一々《いちいち》|太陽《たいやう》の|光《ひかり》|宿《やど》つて、|恰《あたか》も|五色《ごしき》の|果実《くだもの》|一面《いちめん》に|実《み》のるが|如《ごと》く|麗《うる》はしくなつて|来《き》た。
|玉治別《たまはるわけ》『スンデの|事《こと》で、|玉治別《たまはるわけ》も|魂《たま》の|宿換《やどが》へする|所《とこ》だつたが、|東天《とうてん》には|金烏《きんう》の|玉《たま》|晃々《くわうくわう》と|輝《かがや》き|玉《たま》ひ、|一面《いちめん》の|草木《くさき》には|吾輩《わがはい》の|分身《ぶんしん》|分魂《ぶんこん》、|空間《すきま》もなく|憑依《ひようい》して|居《ゐ》る。ヤツパリ|玉治別《たまはるわけ》の|宣伝使《せんでんし》に|限《かぎ》りますよ。なア|杢助《もくすけ》さま』
|杢助《もくすけ》『アヽヽヽ、|体《からだ》や|着物《きもの》が|燥《はし》やいだと|見《み》えて、|徐々《そろそろ》|燥《はし》やぎかけましたなア』
|国依別《くによりわけ》『オイ|玉公《たまこう》、そんな|気楽《きらく》な|事《こと》|言《い》つてる|時《とき》ぢやないぞ。|昨夜《ゆうべ》の|讐《かたき》を|討《う》つと|云《い》ふ……そんな|気《き》は|無《な》いが、|併《しか》し|吾々《われわれ》|二人《ふたり》にあゝ|云《い》ふ|非常《ひじやう》|手段《しゆだん》を|用《もち》ひた|以上《いじやう》は、|何《なに》かこれには|深《ふか》い|計略《たくみ》が|有《あ》るに|違《ちがひ》ない。|余程《よほど》これは|考《かんが》へねばなるまいぞ。|杢助《もくすけ》さま、どうでせう』
|杢助《もくすけ》『さうだ。グヅグヅして|居《ゐ》る|時《とき》ではない。|余程《よほど》|注意《ちうい》を|払《はら》つて|居《を》らねば、|此《この》|辺《へん》は|某々《ぼうぼう》らの|陰謀地《いんぼうち》だから……。さうして|其《その》|悪者《わるもの》は|誰《たれ》だい。|名《な》は|分《わか》つて|居《ゐ》ますかなア』
|玉治別《たまはるわけ》『|分《わか》つたでもなし、|分《わか》らぬでもなし。|他人《ひと》の|事《こと》は|言《い》はぬが|宜《よろ》しからう』
|国依別《くによりわけ》『【マガ】な|隙《すき》がな|吾々《われわれ》の|行動《かうどう》を|阻止《そし》せむと|考《かんが》へて|居《ゐ》る【マガ】ツ|神《かみ》の|容器《いれもの》でせう。|何《いづ》れ|心《こころ》のマガつた|奴《やつ》に|違《ちがひ》ありますまい』
|玉治別《たまはるわけ》『|悪人《あくにん》【タケ】タケしい|世《よ》の|中《なか》だから、|誰《たれ》だと|云《い》ふ|事《こと》は、マア|止《や》めにして|推量《すゐりやう》に|任《まか》しませうかい』
|杢助《もくすけ》『【モクスケ】して|語《かた》らずと|云《い》ふ|御両人《ごりやうにん》の|考《かんが》へらしい。ヤア|感心《かんしん》|々々《かんしん》。それでこそ|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だ。|今迄《いままで》の|二人《ふたり》に|加《くは》へた|悪虐無道《あくぎやくぶだう》を|無念《むねん》には|思《おも》つて|居《ゐ》ませぬか』
|玉治別《たまはるわけ》『|過越《すぎこし》|苦労《くらう》は|禁物《きんもつ》だ』
|国依別《くによりわけ》『|刹那心《せつなしん》だ。|綺麗《きれい》さつぱりと|谷川《たにがは》へ|流《なが》しませう。|天下《てんか》の|政権《せいけん》を|握《にぎ》る|内閣《ないかく》でさへも、|敵党《てきたう》に|渡《わた》して|花《はな》を|持《も》たす|志士仁人的《ししじんじんてき》|宰相《さいしやう》の|現《あら》はれぬ|時節《じせつ》だから……アハヽヽヽ……マア|此《この》|岩《いは》の|上《うへ》でカトウ|約束《やくそく》をして、|杢助《もくすけ》|内閣《ないかく》でも|組織《そしき》し、|熊野《くまの》の|滝《たき》へ|政見《せいけん》|発表《はつぺう》と|出《で》かけませうかい』
|杢助《もくすけ》|外《ほか》|二人《ふたり》は|蓑《みの》、|笠《かさ》、|金剛杖《こんがうづえ》、|草鞋《わらじ》、|脚絆《きやはん》に|小手脛当《こてすねあ》て、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|熊野《くまの》の|滝《たき》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・六・一〇 旧五・一五 松村真澄録)
(昭和一〇・六・四 王仁校正)
第二章 |副守囁《ふくしゆのささやき》〔七一四〕
|罪《つみ》も|穢《けが》れも|那智《なち》の|滝《たき》、|洗《あら》ひ|流《なが》した|若彦《わかひこ》は、|心《こころ》もすがすがしく|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|遠近《ゑんきん》に|伝《つた》ふべく、|普陀落山《ふだらくさん》の|麓《ふもと》に|館《やかた》を|造《つく》り、|教《をしへ》を|四方《よも》に|布《し》きつつあつた。|門《もん》を|叩《たた》いて、
『|頼《たの》まう|頼《たの》まう』
と|訪《おとな》ふ|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》がある。|門番《もんばん》の|秋公《あきこう》、|七五三公《しめこう》は|此《この》|声《こゑ》に|眠《ねむ》りを|醒《さ》まし、|大欠伸《おほあくび》をしながら、
|七五三公《しめこう》『オイ|秋公《あきこう》、|誰《たれ》だか|門外《もんぐわい》に|訪《おとな》ふ|人《ひと》がある。|早《はや》く|起《お》きて|開《あ》けてやらないか』
|秋公《あきこう》『|夜《よ》も|碌《ろく》に|明《あ》けてゐないのに、|此《こ》の|門《もん》|開《あ》ける|必要《ひつえう》があるか。|少《すこ》し|時刻《じこく》が|早《はや》いから、マア|一寝入《ひとねいり》したがよからう』
|門《もん》を|叩《たた》く|声《こゑ》|益々《ますます》|忙《いそが》はしい。|七五三公《しめこう》は|夜具《やぐ》を|被《かぶ》つた|儘《まま》、
『オイオイ|開《あ》けるのは|秋公《あきこう》の|役《やく》だ。|早《はや》く|起《お》きぬかい』
|秋公《あきこう》『|夫《それ》|程《ほど》|喧《やかま》しく|言《い》ふなら、|貴様《きさま》|開《あ》けてやれ』
『オレは|其《その》|名《な》の|如《ごと》く【しめ】る|役《やく》だ。|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》ると、|又《また》|若彦《わかひこ》の|大将《たいしやう》からお|目玉《めだま》を|頂戴《ちやうだい》するぞ。エー|仕方《しかた》の|無《な》い|奴《やつ》だ』
と|寝巻《ねまき》の|儘《まま》、|仏頂面《ぶつちやうづら》を|下《さ》げて|片足《かたあし》に|下駄《げた》、|片足《かたあし》に|草履《ざうり》を|穿《は》き、|三尺帯《さんしやくおび》を|引摺《ひきず》り|乍《なが》ら、|門《もん》をガラガラと|開《ひら》いた。|二人《ふたり》は|丁寧《ていねい》に|会釈《ゑしやく》し、
『|若彦《わかひこ》の|宣伝使《せんでんし》は|御在宅《ございたく》ですかな』
|七五三公《しめこう》『そんな|難《むつ》かしいことを|言《い》つて|解《わか》るかい。|居《を》るか、|居《を》らぬかと|云《い》ふのか。さうしてお|前《まへ》は|何《なん》と|云《い》ふ|宣伝使《せんでんし》だ』
『ハイ|私《わたくし》は|魔我彦《まがひこ》、|外《ほか》|一人《ひとり》は|竹彦《たけひこ》と|云《い》つて|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》です。|大神様《おほかみさま》の|御命令《ごめいれい》に|依《よ》つて、|遥々《はるばる》|参《まゐ》つたのですから|案内《あんない》して|下《くだ》さい』
『|【曲】《まが》つたとか、|【曲】《まが》らぬとか、|【案内】《あんない》とか、|【門内】《もんない》とか、お|前《まへ》の|言《い》ふ|事《こと》は|全然《さつぱり》|訳《わけ》が|分《わか》らぬ。そんな|英語《えいご》を|使《つか》はずに|俺達《おれたち》に|分《わか》る|様《やう》に|云《い》つて|呉《く》れ』
|魔我彦《まがひこ》『アハヽヽヽ、|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|門番《もんばん》もあつた【もん】ぢやなア。こんな|奴《やつ》が|門番《もんばん》して|居《ゐ》る|位《くらゐ》だから、|大抵《たいてい》|若彦《わかひこ》の|御手並《おてなみ》も|分《わか》つてゐるワイ』
|七五三公《しめこう》『|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|呉《く》れ。|今《いま》お|前《まへ》は|此家《ここ》の|御主人《ごしゆじん》を|若彦《わかひこ》と|云《い》つたなア。|何故《なぜ》|若彦《わかひこ》さまと|言《い》はないのだ。そんな|無茶《むちや》なこと|云《い》ふ|奴《やつ》は、|此《こ》の|門《もん》は|通《とほ》されぬのだ。|大方《おほかた》|魔谷ケ岳《まやがだけ》の|蜈蚣姫《むかでひめ》の|乾児《こぶん》だらう。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だなんて、うまく|化《ばけ》て|来《き》たのではないかな。……オイ|秋公《あきこう》、|貴様《きさま》|起《お》きて|来《こ》い。|大変《たいへん》な|奴《やつ》がやつて|来居《きを》つたぞ』
|秋公《あきこう》は|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて、|寝巻《ねまき》の|儘《まま》|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|来《きた》り、
『|大変《たいへん》な|奴《やつ》とは|此奴《こいつ》か。|如何《どう》したといふのだ』
『|此方《こちら》の|主人《しゆじん》を|若彦《わかひこ》なんて|呼《よ》びつけにしやがるものだから、むかつくのだよ|秋公《あきこう》』
『それはむかつくとも、オイ|何処《どこ》の|奴《やつ》か|知《し》らぬが|今日《けふ》は|帰《かへ》つて|呉《く》れ』
|魔我彦《まがひこ》『|其《その》|方《はう》は|謂《ゐ》はば|若彦《わかひこ》の|門番《もんばん》でないか。|大神様《おほかみさま》の|御命令《ごめいれい》で|来《き》た|吾々《われわれ》を、|通《とほ》すの|通《とほ》さぬのと|云《い》ふ|権利《けんり》があるか。|早《はや》く|案内《あんない》を|致《いた》せ』
と|稍《やや》|怒《いか》りを|帯《お》びた|語気《ごき》で|呶鳴《どな》りつけた。|二人《ふたり》は|頭《あたま》を|掻《か》き|乍《なが》ら、
|秋公《あきこう》『マア|是《これ》から|吾々《われわれ》|門番《もんばん》は|手水《てうづ》を|使《つか》ひ、|着物《きもの》を|着換《きか》へ、|朝飯《あさめし》を|食《く》つて|悠《ゆつ》くりと|案内《あんない》をしてやるから、それ|迄《まで》|其処《そこ》に|待《ま》つてゐるが|好《よ》いワイ』
|竹彦《たけひこ》『|魔我彦《まがひこ》さま、|広《ひろ》いと|云《い》つても【たか】が|知《し》れた|若彦《わかひこ》の|屋敷《やしき》、サア、|行《ゆ》きませう』
と|先《さき》に|立《た》ち|奥《おく》に|入《い》る。|若彦《わかひこ》は|涼《すず》しさうな|薄衣《うすぎぬ》を|着《き》て、|庭先《にはさき》の|掃除《さうぢ》に|余念《よねん》|無《な》く、|箒目《はうきめ》を|正《ただ》しく|砂《すな》の|上《うへ》に|画《ゑが》いてゐる。
|魔我彦《まがひこ》『アヽ|彼《あ》れが|何《ど》うやら|若彦《わかひこ》の|宣伝使《せんでんし》らしい。|大将《たいしやう》は|朝《あさ》|早《はや》くから|彼《あ》の|通《とほ》り、|箒《はうき》を|以《もつ》て|園丁《ゑんてい》の|役《やく》を|勤《つと》めて|居《を》るのに、|門番《もんばん》の|奴《やつ》グウグウと|寝《ね》やがつて、ポンついてゐやがる。ウラナイ|教《けう》の|北山村《きたやまむら》の|本山《ほんざん》でも、|依然《やつぱり》さうだつた。|門番《もんばん》は|威張《ゐば》るばかりで|働《はたら》かぬものだ。なア|竹彦《たけひこ》、|貴様《きさま》も|波斯《フサ》の|国《くに》ではウラナイ|教《けう》の|門番《もんばん》をしてゐた|時《とき》、|依然《やつぱり》さうだつたなア』
|竹彦《たけひこ》『そんなことを|今頃《いまごろ》に|持《も》ち|出《だ》すものぢやありませぬぞ。さうしてウラナイ|教《けう》なんて、|疾《とう》の|昔《むかし》に|消滅《せうめつ》して|了《しま》ひ、|今《いま》は|吾々《われわれ》は|立派《りつぱ》な|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だ。|昔《むかし》の|門番《もんばん》を、こんな|処《ところ》で|担《かつ》ぎ|出《だ》されると|吾々《われわれ》の|沽券《こけん》が|下《さが》る。そんな|過去《すぎさ》つたことを|云《い》ふのなら、|青山峠《あをやまたうげ》の|谷間《たにあひ》の|突発《とつぱつ》|事件《じけん》を|此処《ここ》で|開陳《かいちん》しようか』
|魔我彦《まがひこ》『シーツ』
|竹彦《たけひこ》『シーツとはなんだ。|人《ひと》を|四足扱《よつあしあつか》ひにしやがつて、シーシー|云《い》うと、|死《し》んだ|奴《やつ》が|又《また》|恨《うら》めしやーナアーとやつて|来《く》るぞ。|縁起《えんぎ》を|祝《いは》ふ|神《かみ》の|道《みち》だ。|四《し》と|九《く》とは|言《い》はぬやうに|慎《つつし》んだがよからう』
と|佇《たたず》んで|若彦《わかひこ》の|掃除《さうぢ》を|見《み》|乍《なが》ら|二人《ふたり》が|囁《ささや》いてゐる。|其《そ》の|声《こゑ》が|耳《みみ》に|入《い》り|若彦《わかひこ》は、|箒《はうき》を|手《て》にしながら|両人《りやうにん》の|姿《すがた》を|眺《なが》めて、
|若彦《わかひこ》『アヽ|貴方《あなた》は|魔我彦《まがひこ》さまに|竹彦《たけひこ》さま、|朝《あさ》|早《はや》くから、よくお|入来《いで》になりました。どうぞ|奥《おく》へ|通《とほ》つて|下《くだ》さい。|一別《いちべつ》|以来《いらい》の|御話《おはな》しも|悠《ゆつ》くり|承《うけたま》はりませう』
|魔我彦《まがひこ》は|儼然《げんぜん》として、
『|私《わたくし》は|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫《たまてるひめ》|様《さま》の|御使《おつかひ》として、|遥々《はるばる》|参《まゐ》つたもので|御座《ござ》います』
|竹彦《たけひこ》『|謂《ゐ》はば|神様《かみさま》の|御使《おつかひ》、|謹《つつし》みて|御聴《おき》きなさるがよろしからう』
と|傲然《ごうぜん》と|構《かま》へてゐる。|若彦《わかひこ》は|腰《こし》を|屈《かが》め、
『|何《なに》は|兎《と》もあれ、|奥《おく》へ|御通《おとほ》り|下《くだ》さいませ』
と|先《さき》に|立《た》つ。|二人《ふたり》は|離《はな》れ|座敷《ざしき》に|招《まね》かれ、|茶湯《ちやゆ》の|饗応《きやうおう》を|受《う》け、|暫《しばら》く|打寛《うちくつろ》いで|四方山《よもやま》の|話《はなし》に|耽《ふけ》る|事《こと》となつた。|若彦《わかひこ》は|表《おもて》に|出《い》で|部下《ぶか》の|役員《やくゐん》|信者《しんじや》と|共《とも》に、|神殿《しんでん》に|朝《あさ》の|拝礼《はいれい》を|為《な》し、|一場《いちぢやう》の|説教《せつけう》を|了《をは》り|朝飯《あさめし》を|喰《く》つて|居《ゐ》る。|侍女《じぢよ》は|膳部《ぜんぶ》を|拵《こしら》へ、|離《はな》れ|座敷《ざしき》の|二人《ふたり》の|前《まへ》に|持運《もちはこ》び、|朝飯《あさめし》をすすめて|居《ゐ》る。|若彦《わかひこ》は|朝餉《あさげ》を|済《す》まし、|衣紋《えもん》を|繕《つくろ》ひ、|離座敷《はなれざしき》の|二人《ふたり》が|前《まへ》に|現《あら》はれ、
|若彦《わかひこ》『これはこれは|御両人様《おふたりさま》、|長《なが》らく|御待《おま》たせ|致《いた》しました。|遥々《はるばる》の|御越《おこ》し、|何《なん》の|御馳走《ごちそう》も|無《な》く|誠《まこと》に|済《す》みませぬ』
|魔我彦《まがひこ》『|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》は|一汁《いちじふ》|一菜《いつさい》と|云《い》ふ|御規則《ごきそく》で|御座《ござ》る。それにも|関《かか》はらず、イヤもう|贅沢《ぜいたく》な|御馳走《ごちそう》に|預《あづか》りました。|聖地《せいち》に|於《おい》ては|到底《たうてい》|玉照彦《たまてるひこ》|様《さま》でも、こんな|御馳走《ごちそう》は|見《み》られたことも|御座《ござ》りませぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら|折角《せつかく》の|御志《おんこころざし》、|無《む》にするも|如何《いかが》かと|存《ぞん》じ、|快《こころよ》く|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しました。アハヽヽヽ』
|若彦《わかひこ》『|吾々《われわれ》も|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|一汁《いちじふ》|一菜《いつさい》の|御規則《ごきそく》はよく|守《まも》つて|居《を》ります。|併《しか》し|乍《なが》ら|今日《けふ》は|神様《かみさま》の|御入来《おいで》ですから、|神様《かみさま》に|御馳走《ごちそう》を|奉《たてまつ》つたのです。|魔我彦《まがひこ》さまや、|竹彦《たけひこ》さまに|御上《おあ》げ|申《まを》したのでは|御座《ござ》らぬ。|貴方《あなた》は|神様《かみさま》に|上《あ》げたものを、|気《き》の|毒《どく》だから|御食《よば》れましたと|仰有《おつしや》つたが、|神様《かみさま》の|分《ぶん》まで|御食《おあが》りになつたのですか』
と|竹篦返《しつぺがへ》しを|喰《く》はされ、|二人《ふたり》はギヤフンとして|円《まる》い|目《め》を|剥《む》く。
|魔我彦《まがひこ》『|今日《こんにち》|吾々《われわれ》の|参《まゐ》つたのは|大神様《おほかみさま》の|御命令《ごめいれい》、|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫《たまてるひめ》の|二柱《ふたはしら》の|神司《かむづかさ》より、|御神慮《ごしんりよ》を|伝《つた》ふべく|出張《しゆつちやう》|致《いた》しました。|貴方《あなた》は|聖地《せいち》の|大変《たいへん》を|知《し》つて|居《を》りますか』
|若彦《わかひこ》『|聖地《せいち》は|無事《ぶじ》|安穏《あんをん》に|神業《しんげふ》が|栄《さか》えて|居《を》るぢやありませぬか』
|魔我彦《まがひこ》『さてさて|貴方《あなた》は|長《なが》らく|聖地《せいち》を|離《はな》れてゐるから|解《わか》らぬと|見《み》えるワイ。|貴方《あなた》の|御存知《ごぞんぢ》の|杢助《もくすけ》と|云《い》ふ|奴《やつ》、|全然《すつかり》|聖地《せいち》へ|入《い》り|込《こ》み、|初稚姫《はつわかひめ》の|少女《ちつぺ》の|言《い》ふ|事《こと》を|楯《たて》に|取《と》り、|横暴《わうばう》を|極《きは》め、|誰《たれ》も|彼《かれ》も|人心《じんしん》|離反《りはん》し、|今《いま》に|大変動《だいへんどう》が|起《おこ》らんとして|居《ゐ》る。それで|高姫《たかひめ》さまも|非常《ひじやう》に|御心配《ごしんぱい》を|遊《あそ》ばして|御座《ござ》るのです』
|若彦《わかひこ》『さうすると|貴方《あなた》は|高姫《たかひめ》さまの|旨《むね》を|奉《ほう》じて|来《こ》られたのか、|或《あるひ》は|言依別《ことよりわけ》の|教主様《けうしゆさま》の|旨《むね》を|奉《ほう》じて|御入来《おいで》になつたのか、それから|第一番《だいいちばん》に|聴《き》かして|貰《もら》ひませう』
|竹彦《たけひこ》『そんな|事《こと》は|如何《どう》でも|好《よ》いぢやないか』
と|言《い》はんとするを|魔我彦《まがひこ》は|周章《あわて》て|押《お》し|止《とど》め、
|魔我彦《まがひこ》『コレコレ|竹彦《たけひこ》さま、お|前《まへ》は|約束《やくそく》を|守《まも》らぬか。お|前《まへ》の|言《い》ふべきところではない、|謂《ゐ》はば|従者《じゆうしや》ぢやないか』
|竹彦《たけひこ》『|従者《じゆうしや》か|何《なに》か|知《し》らぬが|依然《やつぱり》|表面《へうめん》は|魔我彦《まがひこ》と|同格《どうかく》の|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》だ。|余《あんま》り|偉《えら》さうに|言《い》つて|貰《もら》ひますまい。|青山峠《あをやまたうげ》の|絶頂《ぜつちやう》は|何《ど》うですな』
と|顔《かほ》を|覗《のぞ》き|込《こ》む。
|魔我彦《まがひこ》『|青山《あをやま》に|日《ひ》が|隠《かく》らば|烏羽玉《うばたま》の|夜《よ》は|出《いで》なむ。|朝日《あさひ》の|笑《ゑ》み|栄《さか》え|来《き》て、|拷綱《たくづぬ》の|白《しろ》き|腕《ただむき》|淡雪《あはゆき》の|若《わか》やる|胸《むね》を、|素手抱《すだだ》き|手抱《ただ》き【まながり】、|真玉手《またまで》|玉手《たまで》さし|巻《ま》き、|腿長《ももなが》に【いほしなせ】、|豊御酒《とよみき》|奉《たてまつ》らせ。アハヽヽヽ』
と|笑《わら》ひに|紛《まぎ》らす。
|竹彦《たけひこ》『ヘン、うまい|処《とこ》へ|脱線《だつせん》するワイ』
|魔我彦《まがひこ》『|沈黙《ちんもく》だ』
|若彦《わかひこ》『|杢助《もくすけ》が|何《ど》うしたと|言《い》ふのですか』
|魔我彦《まがひこ》『|杢助《もくすけ》はお|前《まへ》さまを|紀州《きしう》|下《くんだ》りまで|追《お》ひやつて|置《お》き、お|前《まへ》の|女房《にようばう》|玉能姫《たまのひめ》をうまく|抱《だ》き|込《こ》み、|聖地《せいち》へ|連《つ》れて|行《ゆ》き、|言依別《ことよりわけ》の|命《みこと》に|密《そつ》と|○○《まるまる》させて、それを|手柄《てがら》に|威張《ゐば》つて|居《を》るのだ。それが|為《ため》に|聖地《せいち》の|風紀《ふうき》は|紊《みだ》れ、「|町内《ちやうない》で|知《し》らぬは|亭主《ていしゆ》ばかりなり」と|云《い》ふ|事《こと》が|突発《とつぱつ》して|居《ゐ》ますよ。お|前《まへ》さんは|杢助《もくすけ》や、|言依別《ことよりわけ》を|何《なん》と|思《おも》ひますか。|肝腎《かんじん》の|女房《にようばう》を|○○《まるまる》されて、それで|安閑《あんかん》としてゐるのですかな。|高姫《たかひめ》さまが|大変《たいへん》に|憤慨《ふんがい》なされて「アヽ|若彦《わかひこ》さんは|気《き》の|毒《どく》ぢや、|何卒《どうぞ》|一日《いちじつ》も|早《はや》く|此《この》|事《こと》を|知《し》らして|上《あ》げ、|私《わし》と|一緒《いつしよ》に|力《ちから》を|協《あは》して|聖地《せいち》を|改革《かいかく》せねばならぬ」と|仰有《おつしや》つて、|錦《にしき》の|宮《みや》に|御願《おねが》ひを|遊《あそ》ばしたところ、|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫《たまてるひめ》の|神司《かむづかさ》に|大神《おほかみ》が|御降臨《ごかうりん》|遊《あそ》ばし、「|不届至極《ふとどきしごく》の|言依別《ことよりわけ》、|今日《こんにち》より|其《その》|職《しよく》を|免《めん》じ、|高姫《たかひめ》に|一切万事《いつさいばんじ》を|委任《ゐにん》する。|就《つい》ては|杢助《もくすけ》を|叩《たた》き|出《だ》し、|若彦《わかひこ》さんを|総務《そうむ》にするのだから|早《はや》く|聖地《せいち》へ|帰《かへ》つて|貰《もら》へ」との|有《あ》り|難《がた》き|御言葉《おんことば》、それ|故《ゆゑ》|吾々《われわれ》は|遥々《はるばる》と|参《まゐ》りました』
|若彦《わかひこ》『それは|御苦労《ごくらう》でした。|併《しか》し|乍《なが》ら|貴方《あなた》の|仰有《おつしや》る|大変《たいへん》とは、そんなものですか。それはホンの|小《ちひ》さい|問題《もんだい》ぢやありませぬか。|例令《たとへ》|玉能姫《たまのひめ》が|○○《まるまる》されたと|言《い》つても、|吾々《われわれ》さへ|黙《だま》つて|居《を》れば|済《す》むことだ。|其《そ》の|位《くらゐ》な|事《こと》が、|何《なに》|大変《たいへん》であらう。アハヽヽヽ』
と|手《て》も|無《な》く|笑《わら》ふ。|魔我彦《まがひこ》はキツとなり、
『これは|怪《け》しからぬ。|自分《じぶん》の|女房《にようばう》を|○○《まるまる》され|乍《なが》ら|平気《へいき》で|笑《わら》うてゐるとは、|無神経《むしんけい》にも|程度《ほど》がある。イヤ、|貴方《あなた》は|玉能姫《たまのひめ》|以上《いじやう》のナイスが|出来《でき》たので、これ|幸《さいは》ひと|思《おも》つてゐるのでせう』
|若彦《わかひこ》『|私《わたし》は|神界《しんかい》に|捧《ささ》げた|身《み》の|上《うへ》、|玉能姫《たまのひめ》を|措《お》いて|他《ほか》に|女《をんな》などは|一人《ひとり》もナイスだ。アハヽヽヽ』
と|木《き》で|鼻《はな》を|擦《こす》つたように|笑《わら》つて|取《と》り|合《あ》はぬ。
|魔我彦《まがひこ》『それよりも|未《ま》だ|未《ま》だ|一大事《いちだいじ》がある。|如意宝珠《によいほつしゆ》や、|紫《むらさき》の|玉《たま》や、|黄金《こがね》の|玉《たま》を|隠《かく》した|張本人《ちやうほんにん》は|言依別命《ことよりわけのみこと》だ。|可愛相《かはいさう》に|黒姫《くろひめ》さまや、|竜国別《たつくにわけ》、|鷹依姫《たかよりひめ》|其《その》|他《た》の|連中《れんちう》は、|玉《たま》|探《さが》しに|世界中《せかいぢう》へ|出《で》て|了《しま》つた。さうして|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》は|何《なん》でも|目的《もくてき》があつて、|自分《じぶん》|一人《ひとり》で|何処《どこ》かへ|隠《かく》して|了《しま》ひよつたのだから、|何処《どこ》までも|詮議立《せんぎだて》をしなくてはなりませぬ。|何《なに》を|云《い》つても|玉能姫《たまのひめ》を|○○《まるまる》するために、お|前《まへ》さまを|斯《こ》んな|遠国《ゑんごく》へ、|杢助《もくすけ》と|諜《しめ》し|合《あは》せて|追《お》ひやるやうな|代物《しろもの》だからなア』
|若彦《わかひこ》『アヽさうですか、|私《わたし》は|言依別《ことよりわけ》|様《さま》が|何《なに》をなさらうとも、|神界《しんかい》に|仕《つか》へて|居《ゐ》る|方《かた》だから、|少《すこ》しも|異存《いぞん》は|申《まを》しませぬ、|絶対《ぜつたい》|服従《ふくじゆう》ですから』
|魔我彦《まがひこ》『|服従《ふくじゆう》も|事《こと》に|依《よ》りますよ。|些《ちつ》と|冷静《れいせい》に|御考《おかんが》へなさい。|天下《てんか》の|大事《だいじ》ですから。|教主《けうしゆ》|一人《ひとり》と|天下《てんか》とには|換《かへ》られますまい』
|若彦《わかひこ》『|彼《あ》の|賢《かしこ》い|抜目《ぬけめ》の|無《な》い|玉治別《たまはるわけ》や、|国依別《くによりわけ》が|付《つ》いて|居《を》るのですから、|滅多《めつた》なことはありますまい。もしも|左様《さやう》なことがあれば、|屹度《きつと》|知《し》らして|来《く》る|筈《はず》になつて|居《を》るのですから』
|竹彦《たけひこ》『|玉治別《たまはるわけ》や|国依別《くによりわけ》は、モウ|現世《このよ》には………』
と|言《い》ひかけるのを、|魔我彦《まがひこ》は『シーツ』と|制《せい》し|止《とど》める。
|竹彦《たけひこ》『|又《また》|人《ひと》をシーなんて|馬鹿《ばか》にするない。シーシー|死骸《しがい》、|死人《しにん》、【しぶとい】、|知《し》らぬ|神《かみ》に|祟《たた》り|無《な》し。|死《し》んだがマシであつたかいなア』
と|首《くび》を|篦棒《べらぼう》に|振《ふ》り、|長《なが》い|舌《した》を|出《だ》してゐる。|魔我彦《まがひこ》は|心《こころ》も|心《こころ》ならず、
|魔我彦《まがひこ》『|若彦《わかひこ》さま、|此《この》|男《をとこ》は|些《ちつ》と|逆上《ぎやくじやう》してゐますから、|何《なに》を|云《い》ふか|解《わか》りませぬ。チツとキ|印《じるし》ですから|其《そ》のつもりで|聴《き》いて|下《くだ》さい』
|若彦《わかひこ》『|玉治別《たまはるわけ》と|国依別《くによりわけ》さまの|消息《せうそく》は|御存知《ごぞんぢ》でせうな』
|魔我彦《まがひこ》『………』
|竹彦《たけひこ》『|此《こ》の|竹彦《たけひこ》は|知《し》つても|知《し》りませぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら|副守護神《ふくしゆごじん》が|能《よ》く|知《し》つてゐますよ』
|魔我彦《まがひこ》は|矢庭《やには》に|両手《りやうて》を|組《く》み、|竹彦《たけひこ》に|向《むか》つてウンと|一声《ひとこゑ》、|魔我彦《まがひこ》は、
『|副守《ふくしゆ》の|奴《やつ》、|除《ど》けーツ』
と|呶鳴《どな》り|立《た》てゐる。
|竹彦《たけひこ》『ウヽヽ|油断《ゆだん》を|致《いた》すと|谷底《たにぞこ》へ|突落《つきおと》されるぞよ。|一旦《いつたん》|谷底《たにぞこ》へ|落《おと》した|上《うへ》で|神《かみ》が|救《たす》けて、|誠《まこと》の|御用《ごよう》を|致《いた》さすぞよ。|此《この》|世《よ》は|神《かみ》の|自由《じいう》であるから、|人間《にんげん》のうまい|計画《たくみ》は|成就《じやうじゆ》|致《いた》さぬぞよ。|蛙《かはづ》は|口《くち》から、われとわが|手《て》に|白状《はくじやう》|致《いた》さして|面《つら》の|皮《かは》を|引剥《ひんむ》くぞよ』
|魔我彦《まがひこ》『|下《さが》れ|下《さが》れ、|下《さが》り|居《を》らう。|其《その》|方《はう》は|野天狗《のてんぐ》であらう』
|竹彦《たけひこ》『|野天狗《のてんぐ》でも|何《なん》でも|可《い》いわ、|谷底《たにぞこ》ぢや、|押《おし》も|押《おさ》れもせぬ|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》でも、|矢張《やつぱり》|押《お》されて|谷底《たにぞこ》へ|落《お》ちてアフンと|致《いた》すことがあるぞよ。|今《いま》に|上《うへ》が|下《した》になり|下《した》が|上《うへ》になるぞよ。|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》るぞよ』
|魔我彦《まがひこ》『エー|喧《やかま》しい|野天狗《のてんぐ》だ。|下《さが》れと|云《い》つたら|下《した》がらぬか』
|竹彦《たけひこ》『ウヽヽ|若彦《わかひこ》|殿《どの》、|気《き》をつけたがよからうぞよ。|悪《あく》の|誘惑《いうわく》に|乗《の》つてはならぬぞよ。|何程《なにほど》うまいこと|申《まを》して|来《き》ても、|神《かみ》に|伺《うかが》うた|上《うへ》でなければ、|聞《き》いてはならぬぞよ。マガマガマガ』
|魔我彦《まがひこ》『モシモシ|若彦《わかひこ》さま、|困《こま》つた|邪神《じやしん》が|憑依《ひようい》したものですなア』
|若彦《わかひこ》『イヤ|邪神《じやしん》でもありますまい。|大方《おほかた》|此《こ》の|守護神《しゆごじん》の|言《い》ふことは、|事実《じじつ》に|近《ちか》いやうですよ。|国依別《くによりわけ》、|玉治別《たまはるわけ》の|宣伝使《せんでんし》は、|若《も》しや|或《あるひ》は【マガタケ】ル|彦《ひこ》に|谷底《たにぞこ》へ|突《つ》き|落《おと》されたのではありますまいかな』
|竹彦《たけひこ》『ウヽヽ|流石《さすが》は|若彦《わかひこ》の|宣伝使《せんでんし》だ。|汝《なんぢ》の|天眼通《てんがんつう》、|天晴《あつぱ》れ|天晴《あつぱ》れ』
|魔我彦《まがひこ》は|顔《かほ》|蒼白《あをざ》め、ソロソロ|遁腰《にげごし》になつて|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》らうとする。
|若彦《わかひこ》『マア|魔我彦《まがひこ》さま、|悠《ゆつ》くりなさいませ。|天《あめ》が|下《した》には|敵《てき》も|無《な》ければ|味方《みかた》も|有《あ》りませぬよ。|神様《かみさま》が|善悪《ぜんあく》は|御審判《おさば》き|下《くだ》さいますから、|吾々《われわれ》は|何事《なにごと》が|起《おこ》らうとも|惟神《かむながら》に|任《まか》して|居《を》れば|好《よ》いのですよ。サア、お|茶《ちや》なつと|召上《めしあが》りませ』
と|茶《ちや》を|汲《く》んで|突《つ》き|出《だ》す。|魔我彦《まがひこ》は|身体《しんたい》ワナワナと|戦《をのの》き|出《だ》した。
|斯《かか》る|処《ところ》へ|召使《めしつかひ》のお|光《みつ》と|云《い》ふ|女《をんな》、あわただしく|走《はし》り|来《きた》り、
お|光《みつ》『|只今《ただいま》|三人《さんにん》のお|客様《きやくさま》が|見《み》えました。|何《ど》う|致《いた》しませう』
|若彦《わかひこ》『|表《おもて》の|奥《おく》の|間《ま》へ|御通《おとほ》し|申《まを》して|置《お》け』
|魔我彦《まがひこ》『モシモシ|其《そ》の|三人《さんにん》の|方《かた》と|云《い》ふのは、|何《ど》んな|御方《おかた》で|御座《ござ》いますか』
お|光《みつ》『なんでも|宣伝使《せんでんし》さまのやうです。|大変《たいへん》|大《おほ》きな|御方《おかた》が|一人《ひとり》|混《まじ》つてゐられます』
|魔我彦《まがひこ》の|面色《かほいろ》はサツと|変《かは》つた。|竹彦《たけひこ》は|身体《からだ》をブルブルと|慄《ふる》はせ|乍《なが》ら、|又《また》|神憑《かむがか》りになつて、
|竹彦《たけひこ》『それ|来《き》た それ|来《き》た、|谷《たに》ぢや|谷《たに》ぢや、|玉《たま》ぢや|玉《たま》ぢや、クニクニクニモクモクモク』
と|呶鳴《どな》り|出《だ》した。|若彦《わかひこ》は、
|若彦《わかひこ》『コレお|光《みつ》や、|四五人《しごにん》の|男《をとこ》を|此処《ここ》へ|招《よ》んで|来《き》てお|呉《く》れ』
『ハイ』と|答《こた》へて、お|光《みつ》は|表《おもて》を|指《さ》して|姿《すがた》を|隠《かく》し、|暫《しばら》くありて|甲《かふ》、|乙《おつ》、|丙《へい》、|丁《てい》、|戊《ぼう》の|五人《ごにん》の|大男《おほをとこ》を|伴《つ》れて|来《き》た。
|若彦《わかひこ》『ヤア|五人《ごにん》の|男《をとこ》ども、|私《わし》は|表《おもて》のお|客《きやく》さまに|少《すこ》し|用《よう》があるから、|二人《ふたり》のお|客《きやく》さまを|見放《みはな》さないやうに、|大切《たいせつ》に|保護《ほご》をして|居《を》るのだよ。|出口《でぐち》|入口《いりぐち》に|気《き》をつけて|悪魔《あくま》の|侵入《しんにふ》せないように|守《まも》つてあげて|呉《く》れ。|遁《に》げられては|一寸《ちよつと》|都合《つがふ》が|悪《わる》いからなア』
|甲《かふ》『ハイ|何事《なにごと》もチヤンと|私《わたくし》の|胸《むね》に|御座《ござ》います。|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな』
|若彦《わかひこ》『|何分《なにぶん》|宜《よろ》しう|頼《たの》む。モシ|魔我彦《まがひこ》さま、|竹彦《たけひこ》さま、|私《わたし》は|表《おもて》の|客人《きやくじん》に|一寸《ちよつと》|会《くわい》つて|来《き》ます。|何《ど》うぞ|悠《ゆつ》くりお|茶《ちや》でも|上《あが》つて|遊《あそ》んで|下《くだ》さいませ』
と|五人《ごにん》の|男《をとこ》に|目配《めくば》せし、|悠々《いういう》と|此《この》|場《ば》を|立《た》つて|表屋《おもや》の|方《はう》に|姿《すがた》を|隠《かく》す。
(大正一一・六・一〇 旧五・一五 外山豊二録)
第三章 |松上《しようじやう》の|苦悶《くもん》〔七一五〕
|原野《げんや》を|遠《とほ》く|見晴《みは》らした|若彦館《わかひこやかた》の|奥《おく》の|間《ま》に|招《せう》ぜられた|三人《さんにん》の|男《をとこ》は、|杢助《もくすけ》、|玉治別《たまはるわけ》、|国依別《くによりわけ》であつた。
|若彦《わかひこ》『これはお|三人様《さんにんさま》、|打《う》ち|揃《そろ》うてよくも|御入来《おいで》|下《くだ》さいました。|今《いま》も|今《いま》とて|貴方方《あなたがた》の|噂《うはさ》を|致《いた》して|居《を》りました。|呼《よ》ぶより|誹《そし》れとはよう|云《い》つたものですなア』
|杢助《もくすけ》『|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》の|命《めい》に|依《よ》つて、|紀《き》の|国《くに》へ|急遽《きふきよ》|出張《しゆつちやう》|致《いた》しました』
|杢助《もくすけ》『|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》は、|矢張《やは》り|相変《あひかは》らず|勤《つと》めて|居《を》られますか』
|杢助《もくすけ》『これは|又《また》|妙《めう》なお|尋《たづ》ね、|教主《けうしゆ》が|変《かは》つてなるものですか』
|若彦《わかひこ》『|高姫《たかひめ》さまは|何《ど》うなりました』
|杢助《もくすけ》『|高姫《たかひめ》さまは|相変《あひかは》らず|聖地《せいち》で|働《はたら》いて|居《を》られます』
|若彦《わかひこ》『ハテナ』と|思案《しあん》に|暮《く》れる。
|若彦《わかひこ》『|玉能姫《たまのひめ》は|如何《どう》|致《いた》しましたか』
|杢助《もくすけ》『|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》は|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》とお|二人《ふたり》、|錦《にしき》の|宮《みや》の|別殿《べつでん》にお|仕《つか》へになつて|居《を》ります。|併《しか》し|妙《めう》な|事《こと》をお|尋《たづ》ねですな。|誰《たれ》か|当館《たうやかた》へ|来《き》た|者《もの》がありますか』
|若彦《わかひこ》『ハイ、|先程《さきほど》|魔我彦《まがひこ》、|竹彦《たけひこ》の|両人《りやうにん》が|参《まゐ》りました』
|国依別《くによりわけ》は|是《これ》を|聞《き》くより|俄《にはか》に|眉《まゆ》を|吊《つ》りあげ、|何《なん》と|無《な》しに|不穏《ふおん》な|色《いろ》を|顔面《がんめん》に|漂《ただよ》はした。
|国依別《くによりわけ》『|其《そ》の|魔我彦《まがひこ》は|何処《どこ》に|参《まゐ》りましたか』
|若彦《わかひこ》『|離《はな》れの|座敷《ざしき》で|休息《きうそく》して|居《を》られます』
|杢助《もくすけ》『アハヽヽヽ、これは|妙《めう》だ。|悪《わる》い|事《こと》は|出来《でき》ぬものだなア』
|若彦《わかひこ》『|魔我彦《まがひこ》が|何《なに》を|致《いた》しましたか』
|杢助《もくすけ》『イエ、|人《ひと》の|心《こころ》|位《ぐらゐ》|恐《おそ》ろしいものはありませぬ』
|若彦《わかひこ》『|何《なん》だか、そはそはと|両人《りやうにん》は|致《いた》して|居《を》りますので、これには|深《ふか》い|様子《やうす》のある|事《こと》と|思《おも》ひ、どつこにも|逃《に》げないやうに|五人《ごにん》の|荒男《あらをとこ》をもつて|監守《かんしゆ》さして|置《お》きました。|一体《いつたい》|何《ど》んな|事《こと》をやつたのです』
|杢助《もくすけ》は、|青山峠《あをやまたうげ》の|頂上《ちやうじやう》より|谷底《たにぞこ》へ|玉治別《たまはるわけ》、|国依別《くによりわけ》を|突《つ》き|落《おと》し、|殺害《さつがい》を|企《くはだ》てた|事《こと》を|小声《こごゑ》に|耳打《みみう》ちした。|若彦《わかひこ》は|倒《たふ》れむ|許《ばか》りに|打《う》ち|驚《おどろ》き、
|若彦《わかひこ》『どこ|迄《まで》も|執念深《しふねんぶか》き|高姫《たかひめ》|一派《いつぱ》の|奸計《かんけい》。|何《ど》うしても|金狐《きんこ》、|大蛇《をろち》、|悪鬼《あくき》の|守護神《しゆごじん》が|退《の》かぬと|見《み》えますな。|何《ど》う|致《いた》しませう。|此《この》|儘《まま》|追《お》ひ|帰《かへ》すか、|但《ただし》は|帰順《きじゆん》させるか|二《ふた》つに|一《ひと》つの|方法《はうはふ》を|執《と》らねばなりますまい』
|杢助《もくすけ》『まア|私《わたし》に|任《まか》して|下《くだ》さい』
と|腕《うで》を|組《く》んでやや|思案《しあん》に|耽《ふけ》る。|暫《しばら》くありて|杢助《もくすけ》は|若彦《わかひこ》の|耳《みみ》に|口《くち》を|寄《よ》せた。|若彦《わかひこ》は|打《う》ち|頷《うなづ》き、|此《この》|場《ば》を|立《た》つて|離《はな》れ|座敷《ざしき》に|進《すす》み|入《い》り、|五人《ごにん》の|男《をとこ》に|向《むか》ひ、
|若彦《わかひこ》『アヽ|皆《みな》の|者《もの》|御苦労《ごくらう》であつた。|各自《めいめい》|自分《じぶん》の|部屋《へや》に|帰《かへ》つて|休息《きうそく》して|下《くだ》さい。……|魔我彦《まがひこ》さま、|竹彦《たけひこ》さま、|長《なが》らくお|待《ま》たせ|致《いた》しました。|嘸《さぞ》お|退屈《たいくつ》でせう』
|魔我彦《まがひこ》『|何卒《どうぞ》お|構《かま》ひ|下《くだ》さいますな。お|客《きやく》さまは|何《ど》うなりましたか』
|若彦《わかひこ》『ハイ、ほんの|近《ちか》くの|百姓《ひやくしやう》が|見《み》えましたので|御座《ござ》います。|何《いづ》れも|用《よう》をたして|帰《かへ》りました。|何卒《どうぞ》|御悠《ごゆつ》くりとして|下《くだ》さい。|併《しか》し|一《ひと》つ|貴方《あなた》にお|願《ねが》ひ|仕度《した》き|事《こと》が|御座《ござ》います』
|魔我彦《まがひこ》『お|願《ねが》ひとは|何事《なにごと》で|御座《ござ》いますか』
|若彦《わかひこ》『|実《じつ》は|熱心《ねつしん》な|信者《しんじや》が|病気《びやうき》にかかつて|此《この》|館《やかた》に|籠《こも》つて|居《を》りますが、|何《ど》うも|怪《あや》しい|病気《びやうき》ですから、|一遍《いつぺん》|貴方《あなた》の|御鎮魂《ごちんこん》を|願《ねが》ひ|度《た》いのです』
|魔我彦《まがひこ》『|神徳《しんとく》の|充実《じゆうじつ》した|貴方《あなた》がゐらつしやるのに、|何《ど》うして|私《わたし》のやうな|者《もの》がお|間《ま》に|合《あ》ひませうか』
|若彦《わかひこ》『あの|病人《びやうにん》は|何《ど》うしても|貴方《あなた》の|鎮魂《ちんこん》を|受《う》けなくては|癒《なほ》らないのです。|総《すべ》てものは|相縁奇縁《あひえんきえん》と|云《い》うて、|何程《なにほど》|神様《かみさま》の|御神徳《ごしんとく》だと|云《い》うても、|意気《いき》の|合《あは》ぬものは|到底《たうてい》|効能《かうのう》がありませぬ。|何卒《どうぞ》|貴方《あなた》|急《いそ》ぎませぬから、お|休《やす》みになつたら|鎮魂《ちんこん》を|施《ほどこ》して|下《くだ》さい』
|魔我彦《まがひこ》『|承知《しようち》|致《いた》しました。|一《ひと》つ|神様《かみさま》に|願《ねが》つて|見《み》ませう』
|若彦《わかひこ》『|早速《さつそく》の|御承知《ごしようち》、|本人《ほんにん》も|喜《よろこ》ぶ|事《こと》でせう。|併《しか》し|乍《なが》ら、|何《なに》か|物怪《もののけ》が|憑《つ》いて|居《を》ると|見《み》えて、|昼《ひる》は|平穏《へいおん》です。|夜分《やぶん》になつてから|一《ひと》つお|願《ねが》ひ|申《まを》しませう』
|魔我彦《まがひこ》は|傲然《ごうぜん》として、
『ハイ|宜敷《よろし》い』
と|大《おほ》ぴらに|首《くび》を|振《ふ》つて|居《ゐ》る。|表《おもて》の|方《はう》には|杢助《もくすけ》、|玉治別《たまはるわけ》、|国依別《くによりわけ》の|三人《さんにん》|小声《こごゑ》になりて、|何事《なにごと》か|話《はなし》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》る。|若彦《わかひこ》は|二人《ふたり》に|向《むか》ひ、
|若彦《わかひこ》『|些《すこ》しく|表《おもて》に|用《よう》が|御座《ござ》いますれば|失礼《しつれい》|致《いた》します。|何卒《どうぞ》|御悠《ごゆつ》くりと|今日《けふ》はお|休《やす》み|下《くだ》さいませ。|今晩《こんばん》お|世話《せわ》にならなくてはなりませぬから』
と|云《い》ひ|捨《すて》て|立《た》ち|去《さ》る。|後《あと》に|二人《ふたり》は|小声《こごゑ》になり、
|魔我彦《まがひこ》『|何《ど》うも|怪《あや》しいぢやないか。|何《ど》うやら、|杢助《もくすけ》がやつて|来《き》て|居《ゐ》るやうな|気《き》がしてならぬ。まかり|間違《まちが》へば|青山峠《あをやまたうげ》の|陰謀《いんぼう》が|露見《ろけん》したのだなからうかなア』
|竹彦《たけひこ》『|私《わたし》も|何《なん》だか|心持《こころもち》が|悪《わる》くなつて|来《き》た。|何《ど》うぞして|此処《ここ》を|逃《に》げ|出《だ》す|工夫《くふう》はあるまいかなア』
|魔我彦《まがひこ》『ひよつとしたら|二人《ふたり》の|奴《やつ》、|谷底《たにぞこ》で|蘇生《そせい》したかも|知《し》れないぞ。それなら|大変《たいへん》だ。|一《ひと》つお|前《まへ》|神憑《かむがが》りをやつて|見《み》て|呉《く》れ』
|竹彦《たけひこ》は|言下《げんか》に|手《て》を|組《く》み、|瞑目《めいもく》した。|忽《たちま》ち|身体《しんたい》|震動《しんどう》して、
|竹彦《たけひこ》『ウヽヽ、|此《この》|方《はう》は|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》の|眷属《けんぞく》であるぞよ。|今《いま》|表《おもて》に|杢助《もくすけ》、|玉治別《たまはるわけ》、|国依別《くによりわけ》の|三人《さんにん》が|現《あら》はれて、|今夜《こんや》を|待《ま》つて|復讐《ふくしう》せむとの|企《たく》みをやつて|居《を》るぞよ』
|魔我彦《まがひこ》『それは|大変《たいへん》です、|何《なん》とかして|助《たす》かる|工夫《くふう》はありますまいか』
|竹彦《たけひこ》『ウヽヽ、もうかうなる|以上《いじやう》は、|館《やかた》の|周囲《ぐるり》は|荒男《あらをとこ》が|取《と》り|巻《ま》き|警戒《けいかい》して|居《ゐ》る。|力強《ちからづよ》の|杢助《もくすけ》は|表《おもて》に|隠《かく》れて|居《ゐ》る。もはや|袋《ふくろ》の|鼠《ねずみ》、|両人《りやうにん》の|身体《からだ》は|逃《のが》れる|見込《みこみ》はあるまい』
|魔我彦《まがひこ》『ハテ、|困《こま》つた|事《こと》だ。|何《ど》うしたら|良《よ》からう』
と|顔色《かほいろ》を|変《か》へてまごつく。
|竹彦《たけひこ》『ウヽヽ、|周章《あわて》るには|及《およ》ばぬ。|先《ま》づ|気《き》を|落《お》ち|着《つ》けよ。かういふ|時《とき》こそ|刹那心《せつなしん》が|必要《ひつえう》だ。|何《いづ》れ|人《ひと》を|呪《のろ》はば|穴《あな》|二《ふた》つ、|天《てん》に|向《むか》つて|唾《つばき》したやうなものだ。|自業自得《じごうじとく》だ、|諦《あきら》めて|三人《さんにん》に|命《いのち》をやつたらよからう』
|魔我彦《まがひこ》は|益々《ますます》|狼狽《うろた》へ、
|魔我彦《まがひこ》『|命《いのち》|惜《を》しさに|吾々《われわれ》は|信仰《しんかう》もし、|宣伝使《せんでんし》もやつて|居《ゐ》るのです。そんな|事《こと》があつて|耐《たま》るものですか。かういふ|所《ところ》を|助《たす》けて|下《くだ》さるのが|神様《かみさま》だ。|何《なん》とかよいお|指図《さしづ》を|願《ねが》ひます』
|竹彦《たけひこ》『ウンウン、|自業自得《じごうじとく》だ。|仕方《しかた》がない、|今《いま》|表《おもて》に|折伏《しやくふく》の|剣《つるぎ》を|三人《さんにん》が|力《ちから》|限《かぎ》り|研《と》いで|居《ゐ》るぞ。あの|業物《わざもの》で、すつぱりとやられたら、|二人《ふたり》の|身体《からだ》は|見事《みごと》|梨割《なしわ》りになるだらう、ウフヽヽヽ』
|魔我彦《まがひこ》『|何卒《なにとぞ》、|吾々《われわれ》|二人《ふたり》を|此処《ここ》から|救《すく》ひ|出《だ》して|下《くだ》さい。もうこれきり|改心《かいしん》を|致《いた》しますから……』
|竹彦《たけひこ》『ウンウンウン、|先《ま》づ|周章《あわて》ずと|日《ひ》が|暮《くれ》る|迄《まで》|待《ま》つたらよからう。|何程《なにほど》|謝罪《あやま》つた|所《ところ》で、これだけ|大勢《おほぜい》|強《つよ》い|奴《やつ》が|取巻《とりま》いて|居《ゐ》るから|何《ど》うする|事《こと》も|出来《でき》はしない。なまじいに|逃《に》げ|隠《かく》れ|致《いた》して、|名《な》もなき|奴《やつこ》に|命《いのち》を|取《と》られ|恥《はぢ》を|曝《さら》すよりも、|汝《なんぢ》が|持《も》てる|懐剣《くわいけん》で|刺違《さしちが》へて|死《し》んだがよからう。それが|最善《さいぜん》の|方法《はうはふ》だ』
|魔我彦《まがひこ》『この|不安《ふあん》|状態《じやうたい》がどうして|今夜《こんや》|迄《まで》|待《ま》てますか。また|大切《たいせつ》な|一《ひと》つの|命《いのち》を、さう|易々《やすやす》と|放《ほ》る|訳《わけ》には|行《ゆ》きますまい』
|竹彦《たけひこ》『ウヽヽ、この|肉体《にくたい》も|可愛《かはい》さうなものだが、|其《その》|方《はう》も|可愛《かはい》さうだ。|併《しか》し|玉治別《たまはるわけ》、|国依別《くによりわけ》の|命《いのち》を|易々《やすやす》と|取《と》らうと|企《たく》んだ|張本人《ちやうほんにん》は|魔我彦《まがひこ》だから|仕方《しかた》がない、|観念《かんねん》|致《いた》せ』
|魔我彦《まがひこ》『これが|何《ど》うして|観念《かんねん》が|出来《でき》ませう』
|竹彦《たけひこ》『ウヽヽ、|命《いのち》が|惜《をし》いか、|吾《わが》|身《み》を|抓《つめ》つて|人《ひと》の|痛《いた》さを|知《し》れ、|貴様《きさま》が|命《いのち》の|惜《を》しいのも、|玉《たま》、|国《くに》|両人《りやうにん》が|命《いのち》の|惜《を》しいのも|同《おな》じ|事《こと》だ。|併《しか》し|乍《なが》ら、|玉《たま》、|国《くに》|両人《りやうにん》は|常《つね》から|命《いのち》が|大切《たいせつ》だと|云《い》うて|居《ゐ》る|位《くらゐ》だから、|死《し》ぬのは|嫌《いや》なに|違《ちが》ひない。それに|引《ひき》かへ|貴様《きさま》は|高姫《たかひめ》と|共《とも》に、|日々《にちにち》|烏《からす》の|啼《な》くやうに|命《いのち》はいらぬ、お|道《みち》の|為《ため》なら|仮令《たとへ》どうなつても|惜《を》しくないと|云《い》うて|居《を》るぢやないか。|命《いのち》の|無《な》くなるのは|貴様《きさま》の|日頃《ひごろ》の|願望《ぐわんもう》|成就《じやうじゆ》ぢや、こんな|目出度《めでた》い|事《こと》は|又《また》とあるまい。アハヽヽヽ』
|魔我彦《まがひこ》『|貴方《あなた》は|何《いづ》れの|神様《かみさま》か|存《ぞん》じませぬが、ちと|気《き》に|食《く》はぬ|事《こと》を|仰有《おつしや》る。お|引取《ひきとり》を|願《ねが》ひます』
|竹彦《たけひこ》『ウヽヽ、さうだらう、|気《き》に|食《く》はぬだらう。|尤《もつと》もぢや、|口先《くちさき》でこそ|命《いのち》はいらぬと|云《い》つて|居《を》つても、|肝腎要《かんじんかなめ》な|時《とき》になると、|娑婆《しやば》に|未練《みれん》の|残《のこ》るのは|人間《にんげん》として、|普通《ふつう》|一般《いつぱん》の|当然《たうぜん》の|執着心《しふちやくしん》だ。その|執着心《しふちやくしん》を|取《と》らなければ、|誠《まこと》の|神業《しんげふ》は|成就《じやうじゆ》|致《いた》さぬぞ』
|魔我彦《まがひこ》『|同《おな》じ|事《こと》なら|肉体《にくたい》を|持《も》つて|御用《ごよう》を|致《いた》し|度《た》う|御座《ござ》います。アヽ【しま】つた|事《こと》をした。|何《ど》うしたらよからうかなア。|日《ひ》はだんだんと|暮《く》れて|来《く》る。|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》れば|何《ど》んな|目《め》に|遇《あ》はされるか|知《し》れやしない、|翼《つばさ》でもあれば、たつて|帰《かへ》るのだけれど』
|竹彦《たけひこ》『ウヽヽアハヽヽヽ、それ|程《ほど》|命《いのち》が|惜《を》しければ|此《この》|方《はう》の|申《まを》す|様《やう》に|致《いた》すか』
|魔我彦《まがひこ》『|命《いのち》の|助《たす》かる|事《こと》なら|何《ど》んな|事《こと》でも|致《いた》します。|何《ど》うぞ|早《はや》く|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいませ』
|竹彦《たけひこ》『ウンウンウン、|汝等《なんぢら》|両人《りやうにん》は|庭先《にはさき》のこの|松《まつ》の|頂上《ちやうじやう》に|登《のぼ》り、|天津祝詞《あまつのりと》を|一生懸命《いつしやうけんめい》に|奏上《そうじやう》|致《いた》せ。さうすれば|天上《てんじやう》より|紫《むらさき》の|雲《くも》をもつて|汝《なんぢ》の|身体《からだ》を|迎《むか》へ|取《と》り、|安全地帯《あんぜんちたい》に|送《おく》つてやらう。|何《ど》うぢや|嬉《うれ》しいか』
|魔我彦《まがひこ》『ハイ、|助《たす》かる|事《こと》なれば|結構《けつこう》です。そんなら|何時《いつ》から|登《のぼ》りませう』
|竹彦《たけひこ》『|時《とき》|遅《おく》れては|一大事《いちだいじ》、|半時《はんとき》の|猶予《いうよ》もならぬ。|松《まつ》の|木《き》を|目蒐《めが》けて|登《のぼ》つてゆけ。|竹彦《たけひこ》の|肉体《にくたい》も|共《とも》に|登《のぼ》るのだぞ。ウンウンウン』
と|云《い》ひながら|霊《れい》は|元《もと》に|帰《かへ》つた。|魔我彦《まがひこ》は|四辺《あたり》キヨロキヨロ|見廻《みまは》し、|人《ひと》|無《な》きを|幸《さいは》ひ|庭先《にはさき》の|大木《たいぼく》を|命《いのち》を|的《まと》に|猿《ましら》の|如《ごと》くかけ|登《のぼ》つた。|竹彦《たけひこ》も|続《つづ》いて|頂上《ちやうじやう》に|登《のぼ》りついた。|二人《ふたり》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|天津祝詞《あまつのりと》を|声《こゑ》の|限《かぎ》り|奏上《そうじやう》した。|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて|若彦《わかひこ》を|初《はじ》め、|杢助《もくすけ》、|玉《たま》、|国《くに》|其《その》|他《た》の|一同《いちどう》は|松上《しようじやう》の|二人《ふたり》の|姿《すがた》を|見《み》て、『アハヽヽヽ』と|笑《わら》ひどよめいて|居《ゐ》る。|二人《ふたり》は|一生懸命《いつしやうけんめい》|汗《あせ》みどろになつて|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》を|奏上《そうじやう》して|居《ゐ》る。|杢助《もくすけ》は|態《わざ》と|大《おほ》きな|声《こゑ》で、
|杢助《もくすけ》『サア、|是《これ》から|曲津彦《まがつひこ》と|竹取別《たけとりわけ》の|両人《りやうにん》を|料理《れうり》して|酒《さけ》の|肴《さかな》に|一杯《いつぱい》やらうかい』
と|雷《らい》の|如《ごと》く|呶鳴《どな》りつけた。|魔我彦《まがひこ》は|是《これ》を|聞《き》き|戦慄《せんりつ》し、|次第《しだい》|々々《しだい》に|慄《ふる》ひ|声《ごゑ》になり、|遂《つひ》には|息《いき》も|出《で》なくなつて|仕舞《しま》つた。|竹彦《たけひこ》は『ウヽヽ』と|又《また》もや|松上《しようじやう》にて|神憑《かむがが》りを|始《はじ》めた。
|魔我彦《まがひこ》『|貴方《あなた》の|御命令《ごめいれい》|通《どほ》り|此処迄《ここまで》|避難《ひなん》しましたが、あの|通《とほ》り|杢助《もくすけ》|以下《いか》の|連中《れんちう》が|樹下《じゆか》を|取《と》り|巻《ま》いて|居《を》ります。どうぞ|早《はや》く|雲《くも》をもつて|迎《むか》ひに|来《き》て|下《くだ》さい』
|竹彦《たけひこ》『ウンウンウン、|斯《かく》の|如《ごと》く|濃厚《のうこう》な|紫《むらさき》の|雲《くも》、|汝《なんぢ》の|身体《しんたい》を|取囲《とりかこ》んで|居《ゐ》るのが|目《め》に|入《い》らぬか。|活眼《くわつがん》を|開《ひら》いて|四辺《あたり》を|熟視《じゆくし》せよ』
|魔我彦《まがひこ》『|何《ど》うしても|我々《われわれ》の|目《め》には|見《み》えませぬ』
|竹彦《たけひこ》『ウンウンウン、|見《み》えなくつても|雲《くも》は|雲《くも》だ。|竹彦《たけひこ》の|肉体《にくたい》と|手《て》を|繋《つな》いで|天《てん》に|向《むか》つて|飛《と》びあがれ。さうすれば|摘《つま》み|上《あ》げて|此《この》|館《やかた》より|脱出《だつしゆつ》せしめ、|安全地帯《あんぜんちたい》に|救《すく》うてやらう。|男《をとこ》は|決断力《けつだんりよく》が|肝要《かんえう》だ。サア|早《はや》く|早《はや》く』
と|促《うなが》され、|魔我彦《まがひこ》は|無我夢中《むがむちう》になつて|竹彦《たけひこ》の|手《て》をとり、|一《ひい》イ|二《ふう》ウ|三《みつ》ツと|声《こゑ》を|揃《そろ》へて|一二尺《いちにしやく》|飛《と》び|上《あが》つた|途端《とたん》に、|松上《しようじやう》より|眼下《がんか》の|荒砂《ばらす》を|敷《し》きつめた|庭《には》に|真逆様《まつさかさま》に|墜落《つゐらく》し、|蛙《かはづ》をぶつつけたやうにビリビリと|手足《てあし》を|慄《ふる》はせ、|人事不省《じんじふせい》に|陥《おちい》つた。|若彦《わかひこ》、|杢助《もくすけ》、|玉《たま》、|国《くに》|其《その》|他《た》の|者《もの》は|此《この》|光景《くわうけい》に|驚《おどろ》き、|忽《たちま》ち|樹下《じゆか》に|人山《ひとやま》を|築《きづ》き、|水《みづ》よ|水《みづ》よと|右往左往《うわうさわう》に|慌《あわ》て|廻《まは》る。お|光《みつ》は|手桶《てをけ》を|提《さ》げ|慌《あわただ》しく|走《はし》り|来《きた》る。|杢助《もくすけ》は|直《ただ》ちに|水《みづ》を|含《ふく》み、|両人《りやうにん》の|面部《めんぶ》に|息吹《ゐぶき》の|狭霧《さぎり》を|吹《ふ》きかけ、|漸《やうや》くにして|二人《ふたり》は|唸《うな》りながら|生気《せいき》に|復《ふく》し、|四辺《あたり》をキヨロキヨロ|見廻《みまは》し、|玉治別《たまはるわけ》、|国依別《くによりわけ》の|姿《すがた》を|見《み》て『キヤツ』と|叫《さけ》び、|又《また》もや|人事不省《じんじふせい》に|陥《おちい》つて|仕舞《しま》つた。|玉治別《たまはるわけ》は|魔我彦《まがひこ》を、|国依別《くによりわけ》は|竹彦《たけひこ》をひつ|抱《かか》へ、|奥《おく》の|間《ま》|深《ふか》く|運《はこ》び|入《い》れ、|夜具《やぐ》を|敷《し》いて|鄭重《ていちよう》に|寝《ね》させ、|神前《しんぜん》に|向《むか》つて|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|更《あらた》めて|鎮魂《ちんこん》を|施《ほどこ》した。|漸《やうや》くにして|二人《ふたり》は|息《いき》を|吹《ふ》きかへす。
|玉治別《たまはるわけ》『|魔我彦《まがひこ》さま、|何《ど》うでした。|随分《ずゐぶん》|御心配《ごしんぱい》なさつたでせう』
|魔我彦《まがひこ》『ハイ、|誠《まこと》に|申訳《まをしわけ》のない|事《こと》を|致《いた》しました。|何《ど》うぞ|命《いのち》だけは|御猶予《ごいうよ》を|願《ねが》ひます』
|玉治別《たまはるわけ》『|人《ひと》を|助《たす》ける|宣伝使《せんでんし》がどうしてお|前《まへ》の|命《いのち》が|欲《ほ》しからう。お|蔭《かげ》で|大変《たいへん》な|修業《しうげふ》をさして|貰《もら》ひました。|併《しか》し|此《この》|後《ご》はあんな|危険《きけん》な|事《こと》は|止《や》めて|貰《もら》ひたいものだ。|天《あめ》の|真浦《まうら》の|宣伝使《せんでんし》が、|駒彦《こまひこ》、|秋彦《あきひこ》に|宇津山郷《うづやまがう》の|断崖《だんがい》から|雪中《せつちう》へ|落《おと》されたよりも|余程《よほど》|険難《けんのん》でしたよ』
|魔我彦《まがひこ》は|真赤《まつか》な|顔《かほ》をして|俯向《うつむ》く。
|国依別《くによりわけ》『|竹彦《たけひこ》さま、|気《き》がつきましたか』
|竹彦《たけひこ》『ハイ、|気《き》がつきました。|悪《わる》い|事《こと》は|出来《でき》ませぬワイ。|余《あま》り|成功《せいこう》を|急《いそ》いだものですから|何分《なにぶん》|貴方方《あなたがた》は|高姫《たかひめ》さまの|御神業《ごしんげふ》の|妨害《ばうがい》をなさる|悪人《あくにん》だと|信《しん》じきつて、あゝ|云《い》ふ|無謀《むぼう》な|事《こと》を|致《いた》しました。|併《しか》し|乍《なが》ら|魔我彦《まがひこ》の|精神《せいしん》は|存《ぞん》じませぬが、|決《けつ》して|竹彦《たけひこ》はそんな|悪人《あくにん》ではありませぬ。|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》の|邪霊《じやれい》が|私《わたし》に|憑《つ》いてあんな|事《こと》をさせたのですよ。|何卒《なにとぞ》|私《わたし》を|恨《うら》まぬやうに|願《ねが》ひます』
|杢助《もくすけ》『|随分《ずゐぶん》|不減口《へらずぐち》を|叩《たた》く|男《をとこ》だな。|併《しか》し|乍《なが》らお|前《まへ》も|是《これ》で|悪《あく》は|出来《でき》ないと|云《い》ふ|事《こと》は|分《わか》つたであらう』
|魔我彦《まがひこ》『|私《わたくし》も|肉体《にくたい》がやつたのではありませぬ。|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》の|眷族《けんぞく》が|憑《かか》つたのですから、どうぞ|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》しを|願《ねが》ひます』
|杢助《もくすけ》『|大体《だいたい》お|前達《まへたち》は|高姫《たかひめ》の|脱線的《だつせんてき》|熱心《ねつしん》に|惚込《ほれこ》んで|居《ゐ》るから、そんな|不善的《ふぜんてき》な|事《こと》を|平気《へいき》でやつて、|立派《りつぱ》な|御神業《ごしんげふ》が|勤《つと》まると|思《おも》うて|居《ゐ》るのだ』
|魔我彦《まがひこ》『|何事《なにごと》も|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまの|御命令《ごめいれい》|通《どほ》りだと|思《おも》つて、|高姫《たかひめ》さまの|意志《いし》を|一寸《ちよつと》|忖度《そんたく》して|居《を》る|処《ところ》へ|守護神《しゆごじん》がやつて|来《き》て、|霊肉一致《れいにくいつち》、|二人《ふたり》を|谷底《たにぞこ》へ|突落《つきおと》し、|殺《ころ》さうとしたのです。|併《しか》し|乍《なが》ら|魔我彦《まがひこ》の|肉体《にくたい》は|何《なに》も|知《し》りませぬ』
|杢助《もくすけ》『|玉治別《たまはるわけ》、|国依別《くによりわけ》の|宣伝使《せんでんし》は|青山峠《あをやまたうげ》の|絶頂《ぜつちやう》から、あの|深《ふか》い|谷間《たにま》へつき|落《おと》され、すんでの|事《こと》で|五体《ごたい》を|粉砕《ふんさい》するやうな|目《め》に|遇《あ》はされても、お|前達《まへたち》|両人《りやうにん》に|対《たい》し|鵜《う》の|毛《け》の|露《つゆ》|程《ほど》も|恨《うら》んで|居《ゐ》ないのは|実《じつ》に|感服《かんぷく》の|至《いた》りだ。お|前達《まへたち》も|此《この》|両宣伝使《りやうせんでんし》の|心《こころ》を|汲《く》みとつて、|少《すこ》し|改心《かいしん》したらどうだ。さうして|改心《かいしん》を|証明《しようめい》する|為《ため》に、|今迄《いままで》の|高姫《たかひめ》|一派《いつぱ》の|計略《けいりやく》を|此処《ここ》ですつかり|自白《じはく》したがよからう』
|魔我彦《まがひこ》『そればつかりは|自白《じはく》|出来《でき》ませぬ、|高姫《たかひめ》さまから|仮令《たとへ》|死《し》んでも|云《い》うてはならないと|口留《くちど》めされ、|私《わたし》も|万劫末代《まんごふまつだい》、|舌《した》を|抜《ぬ》かれても|言《い》はないと|固《かた》く|約《やく》したのですから』
|杢助《もくすけ》『|仮令《たとへ》|善《ぜん》にもせよ、|悪《あく》にもせよ、まだ|良心《りやうしん》に|輝《かがや》きがあると|見《み》えて、|約束《やくそく》を|守《まも》ると|云《い》ふ|心《こころ》がけは|見上《みあ》げたものだ。|俺達《おれたち》も|是《これ》|以上《いじやう》は|最早《もはや》|追及《つゐきふ》せぬ。|玉治別《たまはるわけ》さま、|国依別《くによりわけ》さまこの|両人《りやうにん》を|赦《ゆる》しておやりでせうなア』
|玉治別《たまはるわけ》『|赦《ゆる》すも|許《ゆる》さぬもありませぬ。|何事《なにごと》も|神様《かみさま》の|御経綸《おしぐみ》、|我々《われわれ》に|油断《ゆだん》は|大敵《たいてき》だと|云《い》ふ|実地《じつち》の|教育《けういく》を|与《あた》へて|下《くだ》さつたのですから、|其《その》お|役《やく》に|使《つか》はれなさつた|御両人《ごりやうにん》に|対《たい》し、|御苦労様《ごくらうさま》と|感謝《かんしや》こそすれ、|寸毫《すんがう》も|不足《ふそく》に|思《おも》つたり|恨《うら》んだりは|致《いた》しませぬ』
|国依別《くによりわけ》『|私《わたし》も|玉治別《たまはるわけ》と|同感《どうかん》です。|魔我彦《まがひこ》さま、|竹彦《たけひこ》さま、|安心《あんしん》して|下《くだ》さい。|当《あた》つて|砕《くだ》けよと|云《い》ふ|事《こと》がある。|此《この》|上《うへ》は|層一層《そういつそう》|親密《しんみつ》にして、|神界《しんかい》の|御用《ごよう》を|勤《つと》めようぢやありませぬか』
|杢助《もくすけ》は|立《た》つて|歌《うた》を|歌《うた》ひ、【しら】けた|此《この》|場《ば》の|回復《くわいふく》を|図《はか》つた。
『|大和《やまと》|河内《かはち》を|踏《ふ》み|越《こ》えて  |漸々《やうやう》|此処《ここ》に|紀《き》の|国《くに》の
|青山峠《あをやまたうげ》の|谷間《たにあひ》に  |言依別《ことよりわけ》の|御言《みこと》もて
|勇《いさ》み|進《すす》んで|来《き》て|見《み》れば  |音《おと》に|名高《なだか》き|十津川《とつがは》の
|激潭飛沫《げきたんひまつ》の|谷《たに》の|水《みづ》  |衣類《いるゐ》を|脱《ぬ》ぎて|真裸体《まつぱだか》
ざんぶとばかり|飛《と》び|込《こ》みて  |御禊《みそぎ》を|修《しう》する|折《をり》からに
|樹々《きぎ》の|青葉《あをば》も|追々《おひおひ》に  |黒《くろ》ずみ|来《きた》り|天津日《あまつひ》の
|影《かげ》は|漸《やうや》く|隠《かく》ろひて  |闇《やみ》を|彩《いろど》る|折《をり》からに
|頭上《づじやう》をかすめて|落《お》ち|来《きた》る  |二《ふた》つの|影《かげ》は|忽《たちま》ちに
|青淵《あをぶち》|目《め》がけて|顛落《てんらく》し  |人事不省《じんじふせい》に【なる】|滝《たき》の
|辺《かたへ》に|二人《ふたり》を|抱《いだ》きあげ  よくよく|見《み》ればこは|如何《いか》に
|玉治別《たまはるわけ》や|国依別《くによりわけ》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》
|青山峠《あをやまたうげ》の|断崖《だんがい》より  つき|落《おと》されて|此《この》さまと
|聞《き》いたる|時《とき》の|驚《おどろ》きは  |流石《さすが》に|豪気《がうき》の|杢助《もくすけ》も
|胸《むね》に|浪《なみ》をば|打《う》たせつつ  |闇《やみ》を|辿《たど》りて|漸々《やうやう》に
|二人《ふたり》を|伴《ともな》ひ|平岩《ひらいは》の  |麓《ふもと》に|漸《やうや》く|近寄《ちかよ》つて
|其《その》|夜《よ》を|明《あ》かし|両人《りやうにん》に  |様子《やうす》を|聞《き》けば|魔我彦《まがひこ》や
|竹彦《たけひこ》|二人《ふたり》の|悪戯《いたづら》と  |聞《き》いて|再《ふたた》び|胸《むね》|躍《をど》り
|深《ふか》き|仔細《しさい》のある|事《こと》と  |此処《ここ》に|三人《みたり》はとるものも
|取敢《とりあへ》ずして|若彦《わかひこ》が  |館《やかた》に|訪《たづ》ね|来《き》て|見《み》れば
|思《おも》ひがけなき|両人《りやうにん》が  |離《はな》れ|座敷《ざしき》でひそびそと
|深《ふか》き|企《たく》みを|語《かた》り|合《あ》ふ  |善悪邪正《ぜんあくじやせい》の|其《その》|報《むく》い
|忽《たちま》ち|現《あら》はれ|北《きた》の|空《そら》  |雲《くも》を|払《はら》つて|照《て》り|渡《わた》る
|北極星《ほくきよくせい》の|動《うご》きなき  |若彦《わかひこ》さまが|雄心《をごころ》に
|再《ふたた》び|動《うご》く|三人連《みたりづ》れ  |魔我彦《まがひこ》|竹彦《たけひこ》|両人《りやうにん》は
|虚実《きよじつ》の|程《ほど》は|知《し》らねども  |兎《と》も|角《かく》|前非《ぜんぴ》を|心《こころ》から
|悔《く》いしが|如《ごと》く|見《み》えにける  |嗚呼《ああ》|頼《たの》もしや|頼《たの》もしや
|仕組《しぐみ》の|糸《いと》に|操《あやつ》られ  |心《こころ》にかかりし|村雲《むらくも》も
|愈《いよいよ》|晴《は》らす|今日《けふ》の|宵《よひ》  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましまして  |鷹鳥姫《たかとりひめ》が|迷《まよ》ひをば
|晴《は》らさせ|給《たま》へ|魔我彦《まがひこ》や  |竹彦《たけひこ》|一派《いつぱ》の|迷信《めいしん》を
|朝日《あさひ》の|豊栄《とよさか》|昇《のぼ》るごと  |照《てら》し|明《あか》して|三五《あななひ》の
|道《みち》の|誠《まこと》を|四方《よも》の|国《くに》  |国《くに》の|内外《うちと》の|島々《しまじま》に
|月日《つきひ》の|如《ごと》く|明《あきら》かに  |照《てら》させたまへ|天津神《あまつかみ》
|国津神《くにつかみ》|達《たち》|八百万《やほよろづ》  |百《もも》の|御伴《みとも》の|神《かみ》|達《たち》の
|御前《みまへ》に|頸根《うなね》つきぬきて  |遥《はるか》に|祈《いの》り|奉《たてまつ》る
|慎《つつし》み|祈《いの》り|奉《たてまつ》る』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つて|両人《りやうにん》に|向《むか》ひ、
|杢助《もくすけ》『サア、|魔我彦《まがひこ》さま、|竹彦《たけひこ》さま、|此《この》|杢助《もくすけ》と|共《とも》に|聖地《せいち》へ|帰《かへ》りませう。|若彦《わかひこ》、|玉治別《たまはるわけ》、|国依別《くによりわけ》は|是《これ》より|伊勢路《いせぢ》に|渡《わた》り|近江《あふみ》に|出《い》で、|三国ケ岳《みくにがだけ》を|探険《たんけん》して|聖地《せいち》へ|帰《かへ》つて|下《くだ》さい。|聖地《せいち》には|又《また》もや|高姫《たかひめ》の|陰謀《いんぼう》が|劃策《くわくさく》されてあるから、|杢助《もくすけ》は|是《これ》より|両人《りやうにん》を|伴《ともな》ひ、すぐ|帰国《きこく》|致《いた》さう』
と|云《い》ふより|早《はや》く|忙《いそが》しげに|此《この》|館《やかた》を|立《た》ち|出《いで》た。|魔我彦《まがひこ》、|竹彦《たけひこ》は|何《なん》となく|心《こころ》|落着《おちつ》かぬ|面持《おももち》にて、|悄々《すごすご》|後《あと》に|従《したが》ひ|聖地《せいち》をさして|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・六・一〇 旧五・一五 加藤明子録)
第四章 |長高説《ちやうかうぜつ》〔七一六〕
|杢助《もくすけ》は|魔我彦《まがひこ》、|竹彦《たけひこ》|二人《ふたり》と|共《とも》に|窃《ひそか》に|聖地《せいち》に|帰《かへ》り、|表戸《おもてど》を|閉《とざ》し|暫《しば》らく|外出《ぐわいしゆつ》せず、|聖地《せいち》の|様子《やうす》を|窺《うかが》つて|居《ゐ》た。|玉治別《たまはるわけ》、|若彦《わかひこ》、|国依別《くによりわけ》の|三《さん》|宣伝使《せんでんし》も|密《ひそか》に|聖地《せいち》に|帰《かへ》り、|国依別《くによりわけ》が|館《やかた》に|深《ふか》く|忍《しの》び、|高姫《たかひめ》|一派《いつぱ》の|陰謀《いんぼう》を|偵察《ていさつ》しつつあつた。|神《かみ》ならぬ|身《み》の|高姫《たかひめ》は|此《この》|事《こと》は|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|鬼《おに》の|来《こ》ぬ|間《ま》の|洗濯《せんたく》するは|今《いま》|此《この》|時《とき》と、|私《ひそ》かに|聖地《せいち》の|役員《やくゐん》|信徒《しんと》の|宅《たく》に|布令《ふれ》を|廻《まは》し、|緊急《きんきふ》|事件《じけん》|突発《とつぱつ》せりと|触《ふ》れ|込《こ》んで、|錦《にしき》の|宮《みや》の|八尋殿《やひろどの》に|集《あつ》めた。
|此《この》|日《ひ》は|風《かぜ》|烈《はげ》しく|急雨《きふう》|盆《ぼん》を|覆《くつが》へす|如《ごと》く、|雷鳴《かみなり》さへも|天《てん》の|東西南北《とうざいなんぼく》に|巻舌《まきじた》を|使《つか》つてゴロツキ|出《だ》した。|斯《か》かる|烈《はげ》しき|風雨雷電《ふううらいでん》にも|屈《くつ》せず、|緊急事件《きんきふじけん》と|聞《き》いて|爺《ぢい》も|婆《ばば》も|猫《ねこ》も|杓子《しやくし》も、|脛腰《すねこし》の|立《た》つ|者《もの》は|満場《まんぢやう》|立錐《りつすゐ》の|余地《よち》なきまでに|寄《よ》り|集《あつ》まつた。|此《この》|時《とき》|高姫《たかひめ》は|烏帽子《えぼし》、|狩衣《かりぎぬ》|厳《いか》めしく|神殿《しんでん》に|進《すす》み、|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》、|尻《けつ》でも|喰《くら》へと|言《い》ふ|鼻息《はないき》にて|斎主《さいしゆ》を|勤《つと》め、|型《かた》の|如《ごと》く|祭典《さいてん》を|済《す》ませ、アトラスの|様《やう》な|曼陀羅《まんだら》の|面《つら》を|高座《かうざ》の|上《うへ》に|曝《さら》し、|満座《まんざ》の|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、|鬼《おに》の|首《くび》を|篦《へら》で|掻《か》き|斬《き》つた|様《やう》に|得意気《とくいげ》に|壇上《だんじやう》に|肩《かた》を|揺《ゆす》り、|腮《あご》を|上下《うへした》にしやくり|乍《なが》ら、
|高姫《たかひめ》『|皆《みな》さま、|今日《けふ》は|斯《か》くの|如《ごと》き|結構《けつこう》なお|日和《ひより》にも|拘《かかは》らず、|残《のこ》らず|御参集《ごさんしふ》|下《くだ》さいまして、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》も|満足《まんぞく》に|存《ぞん》じます。|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》は|先日《せんじつ》より|少《すこ》しく|病気《びやうき》の|態《てい》にて|引《ひ》き|籠《こも》られ、|又《また》|杢助《もくすけ》の|総務殿《そうむどの》は|何《いづ》れへかお|出《い》でになり、|此《この》|三五教《あななひけう》の|本山《ほんざん》は|首《くび》の|無《な》い|人間《にんげん》の|様《やう》だ、|二進《につち》も|三進《さつち》も|動《うご》きが|取《と》れないと、|大勢《おほぜい》|様《さま》の|中《なか》には|御心配《ごしんぱい》|遊《あそ》ばしたお|方《かた》があつた|様《やう》ですが、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御神徳《ごしんとく》は|偉《えら》いものです。|教主《けうしゆ》が|出勤《しゆつきん》せなくても、|杢助《もくすけ》|其《その》|他《た》の|幹部《かんぶ》|宣伝使《せんでんし》が|居《ゐ》なくても、|御神力《ごしんりき》に|依《よ》つて、|斯《か》くの|如《ごと》く|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|参集《さんしふ》して|下《くだ》さつたと|言《い》ふのは、|未《いま》だ|天道様《てんだうさま》は|此《この》|高姫《たかひめ》を|捨《す》て|給《たま》はざる|証《しるし》で|御座《ござ》いませう。|杢助《もくすけ》|総務《そうむ》の|召集《せうしふ》でも|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》の|召集《せうしふ》でも、|此《この》|八尋殿《やひろどの》の|建設《けんせつ》|以来《いらい》、|是《これ》だけ|立錐《りつすゐ》の|余地《よち》なき|迄《まで》お|集《あつ》まりになつた|事《こと》は|御座《ござ》いませぬ。それだから|神力《しんりき》が|強《つよ》いか、|学力《がくりき》が|強《つよ》いか、|神力《しんりき》と|学力《がくりき》との|力競《ちからくら》べを|致《いた》さうと|神様《かみさま》が|仰有《おつしや》るのです。|論《ろん》より|証拠《しようこ》、|実地《じつち》を|見《み》て|御改心《ごかいしん》なさるが|一等《いつとう》です。|時《とき》に|緊急事件《きんきふじけん》と|申《まを》しまするのは|外《ほか》でも|御座《ござ》らぬ。|我々《われわれ》|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》、|而《しか》も|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《ひつぽう》の|肉体《にくたい》、|及《およ》び|錚々《さうさう》たる|幹部《かんぶ》の|御連中《ごれんちう》を|差措《さしお》き、【たか】の|知《し》れたお|節《せつ》の|成《な》り|上《あが》りの|玉能姫《たまのひめ》や、|杢助《もくすけ》の|娘《むすめ》お|初《はつ》の|如《ごと》き|者《もの》に、ハイカラの|教主《けうしゆ》が|大切《たいせつ》なる|御神業《ごしんげふ》をソツと|命令《めいれい》し、|吾々《われわれ》|始《はじ》め|幹部《かんぶ》の|御歴々《おれきれき》にスツパヌケを|喰《く》はすと|言《い》ふ|事《こと》は、|如何《いか》に|御神業《ごしんげふ》とは|言《い》へ、|吾々《われわれ》|一同《いちどう》を|侮辱《ぶじよく》したる|仕打《しう》ちでは|御座《ござ》りますまいか。|幹部《かんぶ》|役員《やくゐん》は|申《まを》すも|更《さら》なり|此処《ここ》にお|集《あつ》まりの|方々《かたがた》は|何《いづ》れも|熱心《ねつしん》なる|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》|様《さま》|計《ばか》りで|御座《ござ》りませう、|神様《かみさま》のお|仕組《しぐみ》の|御用《ごよう》を|各々《めいめい》に|致《いた》し|度《た》いばつかりで、|地位《ちゐ》|財産《ざいさん》を|捨《す》てて|此処《ここ》へ|来《き》|乍《なが》ら、|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|杢助《もくすけ》|一派《いつぱ》の|者《もの》に|蹂躙《じうりん》されて、|指《ゆび》を|啣《くは》へてアフンとして|見《み》て|居《を》ると|言《い》ふ|事《こと》がありませうか。|斯《か》う|見渡《みわた》す|所《ところ》、|大分《だいぶん》|立派《りつぱ》な|男《をとこ》さまも|居《を》られますが、|貴方等《あなたがた》は|睾丸《きんたま》を|提《さ》げて|居《を》られますか。|実《じつ》に|心外《しんぐわい》|千万《せんばん》ではありますまいかな』
|加米彦《かめひこ》は|満座《まんざ》の|中《なか》よりヌツと|立《た》ち|上《あが》り、
『|高姫《たかひめ》さまに|質問《しつもん》があります、|何事《なにごと》も|神界《しんかい》の|御経綸《ごけいりん》は|我々《われわれ》|人間《にんげん》の|容喙《ようかい》すべき|所《ところ》ではありますまい。|如何《いか》に|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》ぢやと|仰有《おつしや》つても、|神様《かみさま》が|高姫《たかひめ》さまの|命令《めいれい》に|服従《ふくじゆう》せよとは、|何処《どこ》の|筆先《ふでさき》にも|書《か》いてはありませぬ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》|呼《よ》ばはりは|廃《や》めて|貰《もら》ひ|度《た》い。|貴女《あなた》こそ|聖地《せいち》|及《およ》び|神界《しんかい》の|御経綸《ごけいりん》を|混乱《こんらん》|顛覆《てんぷく》させる|魔神《まがみ》の|容器《いれもの》でせう』
|高姫《たかひめ》は|高座《かうざ》より|地団駄《ぢだんだ》を|踏《ふ》み、|目《め》を|釣《つ》りあげ、
『|誰《たれ》かと|思《おも》へば|汝《おまへ》は|秋山彦《あきやまひこ》の|門番《もんばん》|加米彦《かめひこ》ではないか。|世界《せかい》の|大門開《おほもんびら》きを|致《いた》す|此《この》|高姫《たかひめ》の|申《まを》す|事《こと》、【たか】が|知《し》れた|一軒《いつけん》の|家《うち》の|門番《もんばん》が|容喙《ようかい》すべき|限《かぎ》りでない。すつ|込《こ》つで|居《ゐ》なされ』
と|一口《ひとくち》に|叩《たた》きつけ|様《やう》とする。|加米彦《かめひこ》は|負《まけ》ず|気《ぎ》になり、|高姫《たかひめ》の|立《た》てる|壇上《だんじやう》に|現《あら》はれて|一同《いちどう》を|見渡《みわた》し、
『|皆《みな》さま、|私《わたくし》は|今《いま》|高姫《たかひめ》さまの|仰《あふ》せられた|如《ごと》く、|秋山彦《あきやまひこ》の|門番《もんばん》を|致《いた》して|居《を》りました|加米彦《かめひこ》で|御座《ござ》いますが、|然《しか》し|乍《なが》ら|高姫《たかひめ》さまも|大門《おほもん》の|番人《ばんにん》ぢやと|只今《ただいま》|自白《じはく》されたではありませぬか。|門番《もんばん》の|分際《ぶんざい》として|大奥《おほおく》の|事《こと》が|如何《どう》して|分《わか》りませう。それに|就《つ》いても|私《わたくし》は|秋山彦《あきやまひこ》の|館《やかた》、|即《すなは》ち|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》、|国武彦命《くにたけひこのみこと》|様《さま》の|御隠《おんかく》れ|館《やかた》の|門番《もんばん》を|致《いた》して|居《を》つた|者《もの》、|其《その》|時《とき》に|冠島《かむりじま》、|沓島《くつじま》の|鍵《かぎ》を|応答《こたへ》なく|盗《ぬす》んで|行《い》つて|玉《たま》を|呑《の》み|込《こ》んだ|人《ひと》があると|言《い》ふ|事《こと》は、|私《わたくし》が|今《いま》|申《まを》し|上《あ》げずとも、|皆《みな》さんは|既《すで》に|已《すで》に|御承知《ごしようち》の|事《こと》と|存《ぞん》じます。|斯様《かやう》なる|権謀術数《けんぼうじゆつすう》|到《いた》らざるなき|生宮《いきみや》さまの|言葉《ことば》が、|如何《どう》して|真剣《しんけん》に|真面目《まじめ》に|信《しん》ぜられませうか。|皆《みな》|様《さま》|冷静《れいせい》によく|御考《おかんが》へを|願《ねが》ひます』
|座中《ざちう》より『|尤《もつと》も|尤《もつと》も』『|賛成《さんせい》|々々《さんせい》』『ヒヤヒヤ』『ノウノウ』の|声《こゑ》|交々《こもごも》|起《おこ》つて|来《く》る。
|高姫《たかひめ》は|烈火《れつくわ》の|如《ごと》く、
|高姫《たかひめ》『|今《いま》「ノウノウ」と|言《い》つたお|方《かた》は|此《この》|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|前《まへ》に|出《で》て|来《き》て|下《くだ》さい。|吾《わが》|党《たう》の|士《し》と|考《かんが》へます。サア|早《はや》く|此処《ここ》へお|越《こ》しなされ』
|加米彦《かめひこ》『|恐《おそ》らく|一人《ひとり》もありますまい、|私《わたくし》の|説《せつ》に|対《たい》し「ノウノウ」と|言《い》つたお|方《かた》は|賛成《さんせい》の|意味《いみ》を|間違《まちが》つて|言《い》はれたのでせう。|皆《みな》さま、|失礼《しつれい》な|申《まを》し|分《ぶん》で|御座《ござ》いますが、|中《なか》には|老人《らうじん》や|子供衆《こどもしう》も|居《を》られますから、|一寸《ちよつと》|説明《せつめい》を|致《いた》します。「ヒヤヒヤ」と|言《い》へば|私《わたくし》の|説《せつ》に|賛成《さんせい》したと|言《い》ふ|事《こと》、「ノウノウ」と|言《い》へば|賛成《さんせい》せないと|言《い》ふ|事《こと》です。|如何《どう》です。|尚《ま》|一度《いちど》|宣《の》り|直《なほ》して|貰《もら》ひませう。さうして|不賛成《ふさんせい》のお|方《かた》は「ノウノウ」と|言《い》つて|下《くだ》さい』
|場《ぢやう》の|四隅《しすみ》よりは『ヒヤヒヤ』の|声《こゑ》|計《ばか》りである。|殊更《ことさら》|大《おほ》きな|声《こゑ》で『ノウノウ、|然《しか》し|高姫《たかひめ》の|説《せつ》にはノウノウだ』と|付《つ》け|加《くは》へた。|高姫《たかひめ》は|口角《こうかく》|泡《あわ》を|吹《ふ》き|乍《なが》ら、
『|皆《みな》さま、|今《いま》となつて|分《わか》らぬと|言《い》うても|余《あんま》りぢやありませぬか、|大切《たいせつ》なるお|宝《たから》を|隠《かく》されて、よう|平気《へいき》で|居《を》られますな。|第一《だいいち》|言依別《ことよりわけ》のドハイカラの|教主《けうしゆ》は、|杢助《もくすけ》の|様《やう》な|奴《やつ》にチヨロまかされ、|系統《ひつぽう》の|生宮《いきみや》の|高姫《たかひめ》を|疎外《そぐわい》し、さうして|其《その》|宝《たから》をば|何処《どこ》かへ|隠《かく》して|仕舞《しま》つた。|皆《みな》さまはそんな|章魚《たこ》の|揚壺《あげつぼ》を|喰《く》はされた|様《やう》な|目《め》に|遇《あ》ひ|乍《なが》ら、|平気《へいき》で|御座《ござ》るとは|無神経《むしんけい》にも|程《ほど》があるぢやありませぬか。|何程《なにほど》|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》が|偉《えら》くても、|杢助《もくすけ》の|力《ちから》が|強《つよ》くても、|神界《しんかい》の|事《こと》が|学《がく》や|智慧《ちゑ》で|分《わか》りますか。|昔《むかし》からの|根本《こつぽん》の|因縁《いんねん》、|大先祖《おほせんぞ》は|如何《いか》なる|事《こと》を|致《いた》して|居《を》つたか、|如何《いか》なる|因縁《いんねん》で|此《この》|世《よ》へ|生《うま》れて|来《き》たか、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|誠《まこと》のお|活動《はたらき》は|如何《どん》なものか、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|様《さま》の|御正体《ごしやうたい》は|如何《どう》かと|言《い》ふ|明瞭《めいれう》な|答《こた》へが|出来《でき》ますか。モウ|是《これ》からは|錦《にしき》の|宮《みや》を|始《はじ》め|此《この》|八尋殿《やひろどの》は、|及《およ》ばず|乍《なが》ら|此《この》|高姫《たかひめ》が|総監《そうかん》|致《いた》します。|玉能姫《たまのひめ》や|初稚姫《はつわかひめ》の|女《をんな》を|選《えら》んで、|大切《たいせつ》な|御用《ごよう》をさせると|言《い》ふ|訳《わけ》の|分《わか》からぬ|教主《けうしゆ》に、|随喜渇仰《ずゐきかつかう》して|居《を》る|方々《かたがた》の|気《き》が|知《し》れませぬ。チツと|皆《みな》さん、|耳《みみ》の|穴《あな》を|掃除《さうぢ》して|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|託宣《たくせん》を|聞《き》き、|活眼《くわつがん》を|開《ひら》いて|実地《じつち》の|行《おこな》ひをよくお|調《しら》べなされ。|根本《こつぽん》の|要《かなめ》を|掴《つか》んだ|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》を|差措《さしお》いて、|枝《えだ》の|神《かみ》の|憑《うつ》つた|肉体《にくたい》に|何《なに》が|分《わか》りますか。ここは|一《ひと》つ……|誰《たれ》の|事《こと》でも|無《な》い、|皆《みな》お|前《まへ》さん|等《ら》の|一身上《いつしんじやう》に|関《くわん》する|大問題《だいもんだい》、|否《いや》|国家《こくか》の|大問題《だいもんだい》です』
|加米彦《かめひこ》『|只今《ただいま》|高姫《たかひめ》さまのお|言葉《ことば》に|就《つ》いて|異議《いぎ》のある|方《かた》は|起立《きりつ》を|願《ねが》ひます』
|一同《いちどう》は|残《のこ》らず|起立《きりつ》し『|異議《いぎ》あり|異議《いぎ》あり』と|叫《さけ》んだ。
|加米彦《かめひこ》『|皆《みな》さまの|御精神《ごせいしん》は|分《わか》りました。|私《わたくし》の|申《まを》した|事《こと》に|御賛成《ごさんせい》のお|方《かた》は|何卒《どうぞ》|尚《も》|一度《いちど》|起立《きりつ》を|願《ねが》ひます』
|高姫《たかひめ》は|隼《はやぶさ》の|如《ごと》き|目《め》を|〓《みは》り、|各人《かくじん》の|行動《かうどう》を|監視《かんし》して|居《ゐ》る。|壇下《だんか》の|信者《しんじや》は|高姫《たかひめ》に|顔《かほ》を|睨《にら》まれ、|起立《きりつ》もせず|坐《すわ》りもせず、|中腰《ちうごし》で|居《を》るものも|沢山《たくさん》あつた。
|加米彦《かめひこ》『|皆《みな》さまに|伺《うかが》ひますが、|教主《けうしゆ》が|神界《しんかい》の|御命令《ごめいれい》に|拠《よ》つて、|玉能姫《たまのひめ》さま、|初稚姫《はつわかひめ》さまに|御用《ごよう》を|仰《あふ》せ|付《つ》けられたのが|悪《わる》いとすれば、まだまだ|横暴《わうばう》|極《きは》まる|悪《わる》い|事《こと》が|此処《ここ》に|一《ひと》つある|様《やう》に|思《おも》ひます』
|聴衆《ちやうしう》の|中《なか》より『|有《あ》る|有《あ》る、|沢山《たくさん》にある』と|呶鳴《どな》る|者《もの》がある。
|加米彦《かめひこ》『その|職《しよく》に|非《あら》ざる|身《み》を|以《もつ》て、|神勅《しんちよく》も|伺《うかが》はず、|教主《けうしゆ》の|承諾《しようだく》も|得《え》ず、|部下《ぶか》の|役員《やくゐん》を|任免黜陟《にんめんちゆつちよく》すると|言《い》ふ|事《こと》は、|少《すこ》しく|横暴《わうばう》ではありますまいか。|黒姫《くろひめ》|様《さま》、|鷹依姫《たかよりひめ》|様《さま》、|竜国別《たつくにわけ》|様《さま》、テーリスタン、カーリンスを|聖地《せいち》より|追出《おひだ》したのは、|果《はた》して|何人《なんぴと》の|所為《しよゐ》だと|思《おも》ひますか』
|此《この》|時《とき》|高姫《たかひめ》は|肩《かた》を|斜《ななめ》に|聳《そび》やかし|乍《なが》ら、
|高姫《たかひめ》『|加米彦《かめひこ》、そりや|何《なに》を|言《い》ひなさる。|系統《ひつぽう》の|生宮《いきみや》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|命令《めいれい》をなさつて、|黒姫《くろひめ》|以下《いか》を|海外《かいぐわい》|諸国《しよこく》へ|玉《たま》|探《さが》しにお|遣《や》り|遊《あそ》ばしたのだ。|何程《なにほど》|言依別《ことよりわけ》や|初稚姫《はつわかひめ》が|偉《えら》いと|言《い》つても、|日《ひ》の|出神《でのかみ》には|叶《かな》ひますまい。|学《がく》や|智慧《ちゑ》で|定《さだ》めた|規則《きそく》が|何《なに》になるか。そんな|屁理屈《へりくつ》は|神界《しんかい》には|通《とほ》りませぬぞや』
|加米彦《かめひこ》『これ|高姫《たかひめ》さま、お|前《まへ》さまは|二《ふた》つ|目《め》には|日《ひ》の|出神《でのかみ》だと|仰有《おつしや》るが、そんな|立派《りつぱ》な|神様《かみさま》なら|何故《なぜ》|宝玉《ほうぎよく》を|隠《かく》されて、それを|知《し》らずに|居《を》りましたか。それの|分《わか》らぬ|様《やう》な|日《ひ》の|出神《でのかみ》なら|我々《われわれ》は|信頼《しんらい》する|丈《だ》けの|価値《かち》がありませぬ』
|一同《いちどう》は『ヒヤヒヤ』と|叫《さけ》ぶ。|中《なか》には『|加米彦《かめひこ》さま、|確《しつか》り|頼《たの》みます』と|弥次《やじ》る|者《もの》もあつた。
|高姫《たかひめ》『|誰《たれ》が|何《なん》と|言《い》つても|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|間違《まちが》ひはない。そんな|小《ちひ》さい|事《こと》に|齷齪《あくせく》して|居《を》る|様《やう》な|日《ひ》の|出神《でのかみ》なれば、|如何《どう》して|此《この》|三千世界《さんぜんせかい》の|御用《ごよう》が|勤《つと》まりますか。|物《もの》が|分《わか》らぬにも|程《ほど》がある。|仮令《たとへ》|此《この》|高姫《たかひめ》|一人《ひとり》になつたとて|此《この》|事《こと》|仕遂《しと》げねば|措《お》きませぬぞ』
|加米彦《かめひこ》『|高姫《たかひめ》さま、|一人《ひとり》になつてもと|今《いま》|言《い》はれましたな。|此《この》|通《とほ》り|沢山《たくさん》の|方々《かたがた》が|見《み》えて|居《を》つても、|只《ただ》|一人《ひとり》も|貴女《あなた》の|説《せつ》に|賛成《さんせい》する|者《もの》が|無《な》いのを|見《み》れば、|既《すで》に|已《すで》に|一人《ひとり》になつて|居《ゐ》るのではありませぬか』
|場《ぢやう》の|四隅《よすみ》より『|妙々《めうめう》』『|賛成《さんせい》|々々《さんせい》』『しつかり|頼《たの》む』『|孤城落日《こじやうらくじつ》』|等《とう》の|弥次《やじ》り|声《ごゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》た。
|高姫《たかひめ》『|盲目《めくら》|千人《せんにん》、|目明《めあき》|一人《ひとり》の|世《よ》の|中《なか》とはよくも|言《い》つた|者《もの》だ。|神様《かみさま》の|御心中《ごしんちう》をお|察《さつ》し|申《まを》す。あゝあ、|斯《こ》んな|分《わか》らぬ|身魂《みたま》の|曇《くも》つた|人民《じんみん》|計《ばか》りを、|根《ね》の|国《くに》、|底《そこ》の|国《くに》の|苦《くる》しみから|助《たす》けてやらうと|思召《おぼしめ》す|大神様《おほかみさま》や、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》の|広大無辺《くわうだいむへん》のお|心《こころ》が【おいと】しい』
と|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ふ。
|加米彦《かめひこ》『|高姫《たかひめ》さま、|貴女《あなた》の|誠心《まごころ》は|我々《われわれ》も|認《みと》めて|居《を》りますが、|然《しか》し|乍《なが》ら|根本的《こんぽんてき》に|大誤解《だいごかい》があるのを|我々《われわれ》は|遺憾《ゐかん》に|存《ぞん》じます。|貴女《あなた》の|肉体《にくたい》は|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《ひつぽう》だから|曲津神《まがつかみ》が|抱込《だきこ》んで、|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》のおでましを|妨害《ばうがい》し、|再《ふたた》び|悪魔《あくま》の|世界《せかい》にしやうとして|居《ゐ》るのですから、ちつとは|省《かへり》みなさつたが|宜《よろ》しからう、|我々《われわれ》の|様《やう》な|肉体《にくたい》に|憑《うつ》つた|処《ところ》で|悪魔《あくま》の|目的《もくてき》は|達《たつ》しない。|断《き》つても|断《き》れぬ|系統《ひつぽう》の|肉体《にくたい》を|応用《おうよう》して|日《ひ》の|出神《でのかみ》だと|誤魔化《ごまくわ》すのですから|御用心《ごようじん》なさらぬと、|遂《つひ》には|貴女《あなた》の|身《み》の|破滅《はめつ》は|言《い》ふに|及《およ》ばず、|大神様《おほかみさま》の|御経綸《ごけいりん》を|妨害《ばうがい》し|天下《てんか》に|大害毒《だいがいどく》を|流《なが》す|様《やう》になりますから、|此処《ここ》は|一《ひと》つ|冷静《れいせい》にお|考《かんが》へを|願《ねが》ひたい。|寄《よ》ると|触《さは》ると|幹部《かんぶ》を|始《はじ》め|数多《あまた》の|信者《しんじや》は、|此《この》|事《こと》|計《ばか》りに|頭《あたま》を|悩《なや》めて|居《を》りますが、|然《しか》し|貴女《あなた》が|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《ひつぽう》でもあり、|断《き》つても|断《き》れぬお|方《かた》ぢやと|言《い》ふので|皆《みんな》|遠慮《ゑんりよ》して|居《を》るのです。|此《この》|加米彦《かめひこ》なればこそ、|職《しよく》を|賭《と》して|斯《か》かる|苦言《くげん》を|申《まを》し|上《あ》げるのです。|決《けつ》して|貴女《あなた》を|排斥《はいせき》しようとか、|除《の》け|者《もの》にしようとの|悪《わる》い|心《こころ》は|少《すこ》しもありませぬ。|第一《だいいち》|貴女《あなた》のお|身《み》の|上《うへ》を|案《あん》じ、|大神様《おほかみさま》の|御経綸《ごけいりん》を|完全《くわんぜん》に|成就《じやうじゆ》して|頂《いただ》き、|世界《せかい》の|人民《じんみん》もミロクの|神政《しんせい》を|謳歌《おうか》し、|一時《いちじ》も|早《はや》く|松《まつ》の|世《よ》をつくり|上《あ》げ|度《た》いとの|熱心《ねつしん》から|御忠告《ごちうこく》を|申《まを》し|上《あ》げるのです。|何卒《どうぞ》よくお|考《かんが》へを|願《ねが》ひます』
|高姫《たかひめ》『|秋山彦《あきやまひこ》の|門番《もんばん》、|加米彦《かめひこ》、そりや|何《なに》を|言《い》ふか。ヤツとの|事《こと》で|宣伝使《せんでんし》の|末席《はしくれ》に|加《くは》へられたと|思《おも》つて、ようツベコベと|其《そ》んな|屁理屈《へりくつ》が|言《い》へたものだ。|系統《ひつぽう》を|抱《だ》き|込《こ》んで|目的《もくてき》を|立《た》てると|言《い》ふ|事《こと》は、それは|言依別命《ことよりわけのみこと》の|事《こと》だ。|此《この》|高姫《たかひめ》は|正真正銘《しやうしんしやうめい》の|変性男子《へんじやうなんし》よりも|早《はや》い|神様《かみさま》の|御降臨《ごかうりん》、|云《い》はば|変性男子《へんじやうなんし》よりも|高姫《たかひめ》の|方《はう》が|先輩《せんぱい》と|云《い》つても|異論《いろん》はありますまい。|打割《うちわ》つて|言《い》へば、|変性男子《へんじやうなんし》よりも|此《この》|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が|教祖《けうそ》とならねばならぬ|者《もの》だ。|変性男子《へんじやうなんし》の|肉体《にくたい》は|最早《もはや》|昇天《しようてん》されたのだから、|後《あと》は|高姫《たかひめ》が|教祖《けうそ》の|御用《ごよう》をするのが|神界《しんかい》の|経綸上《けいりんじやう》|当然《たうぜん》の|帰結《きけつ》であります。|然《しか》し|乍《なが》ら|一歩《いつぽ》を|譲《ゆづ》つて|変性女子《へんじやうによし》の|言依別《ことよりわけ》を|教主《けうしゆ》にしてやつて|置《お》いてあるのは、|皆《みんな》|此《この》|高姫《たかひめ》が|黙《だま》つて|居《を》るからだ。|然《しか》し|最早《もはや》|斯《こ》うなつては|勘忍袋《かんにんぶくろ》の|緒《を》がきれて|来《き》た。|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|加米彦《かめひこ》の|宣伝使《せんでんし》を|今日《けふ》|限《かぎ》り|免職《めんしよく》させ、|杢助《もくすけ》の|総務役《そうむやく》を|解《と》き、|言依別命《ことよりわけのみこと》を|放逐《はうちく》し、|玉治別《たまはるわけ》、|国依別《くによりわけ》の|没分暁漢《わからずや》も|今日《けふ》|限《かぎ》り|免職《めんしよく》させるから、|今後《こんご》ノソノソ|帰《かへ》つて|来《き》ても|皆《みな》さまは|相手《あひて》になつてはなりませぬぞ』
|加米彦《かめひこ》『アハヽヽヽ、|何程《なにほど》|高姫《たかひめ》さまが|地団駄《ぢだんだ》|踏《ふ》んで|呶鳴《どな》らつしやつても、|少《すこ》しも|我々《われわれ》に|於《おい》ては|痛痒《つうよう》を|感《かん》じませぬ。お|前《まへ》に|任命《にんめい》されたのではない。|言依別神《ことよりわけのかみ》|様《さま》に|任《にん》ぜられたのだから、|要《い》らぬ|御心配《ごしんぱい》をして|下《くだ》さいますな』
|高姫《たかひめ》『お|前等《まへら》の|知《し》つた|事《こと》ぢや|無《な》い。|善一筋《ぜんひとすぢ》の|誠《まこと》|正直《しやうぢき》を|立《た》て|通《とほ》す|妾《わたし》の|仕込《しこ》んだ|魔我彦《まがひこ》、|竹彦《たけひこ》|両人《りやうにん》こそ、|本当《ほんたう》に|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》だ。|是《これ》から|誰《たれ》が|何《なん》と|言《い》つても|魔我彦《まがひこ》を|総務《そうむ》にし、|竹彦《たけひこ》を|副総務《ふくそうむ》に|神《かみ》が|致《いた》すから|左様《さやう》|心得《こころえ》なされ。|嫌《いや》なお|方《かた》は|退《の》いて|下《くだ》され。|此《この》|錦《にしき》の|宮《みや》は|高姫《たかひめ》が|誰《たれ》が|何《なん》と|言《い》つても|総監《そうかん》|致《いた》すのだから』
|此《この》|時《とき》|佐田彦《さだひこ》、|波留彦《はるひこ》の|両人《りやうにん》は|壇上《だんじやう》に|駆上《かけあが》り、
|佐田彦《さだひこ》『|吾々《われわれ》は|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》より|或《ある》|特別《とくべつ》の|使命《しめい》を|帯《お》び、|御神宝《ごしんぱう》の|御用《ごよう》を|勤《つと》めた|者《もの》であります。|何《なん》と|言《い》つても|高姫《たかひめ》さまは|其《その》|隠《かく》し|場所《ばしよ》が|分《わか》らなくては|駄目《だめ》ですよ。|大勢《おほぜい》の|者《もの》が|如何《どう》しても|貴女《あなた》に|畏服《ゐふく》するのは、|貴方《あなた》が|天眼力《てんがんりき》で|玉《たま》の|所在《ありか》を|言《い》ひ|当《あて》なくては|日《ひ》の|出神《でのかみ》も|通《とほ》りませぬ』
|高姫《たかひめ》は|目《め》を|瞋《いか》らせ、
|高姫《たかひめ》『エヽ、|又《また》しても|門掃《かどはき》の|成上《なりあが》りがツベコベと|何《なに》を|言《い》ふのだ。|玉《たま》の|所在《ありか》が|分《わか》らぬ|様《やう》な|事《こと》で、|斯《こ》んな|啖呵《たんか》がきれますか。|屹度《きつと》|時節《じせつ》が|来《き》たなれば|現《あらは》して|見《み》せて|上《あ》げよう』
|佐田彦《さだひこ》『|日《ひ》の|出神《でのかみ》も|時節《じせつ》には|叶《かな》ひませぬかな』
|波留彦《はるひこ》『|吾々《われわれ》の|心《こころ》の|裡《うち》にチヤンと|仕舞《しま》ひ|込《こ》んであるのだが、|常平生《つねへいぜい》から|人《ひと》の|心《こころ》が|見《み》え|透《す》くと|仰有《おつしや》る|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまに、|此《この》|胸《むね》の|中《なか》を|一寸《ちよつと》|透視《とうし》して|貰《もら》ひませうか』
と|襟《えり》を|両方《りやうはう》に|開《あ》け、|胸板《むないた》を|出《だ》して|稍《やや》|反身《そりみ》になり、|握《にぎ》り|拳《こぶし》を|固《かた》めてウンウンと|殴《なぐ》つて|見《み》せた。
|高姫《たかひめ》『ツベコベと|神《かみ》に|向《むか》つて|理屈《りくつ》を|言《い》ふ|間《あひだ》は|駄目《だめ》だ。|誰《たれ》が|何《なん》と|言《い》つても|魔我彦《まがひこ》、|竹彦《たけひこ》|位《ぐらゐ》|立派《りつぱ》な|者《もの》はありませぬワイ。|妾《わたし》の|言《い》ふことが|気《き》に|喰《く》はぬ|人《ひと》はトツトと|尻《しり》からげて|帰《かへ》つて|下《くだ》さい。お|筆先《ふでさき》に|此《この》|大本《おほもと》は|大勢《おほぜい》は|要《い》らぬ。|誠《まこと》の|者《もの》が|三人《さんにん》さへあれば|立派《りつぱ》に|御用《ごよう》が|勤《つと》めあがると、|変性男子《へんじやうなんし》のお|筆《ふで》にチヤンと|出《で》て|居《を》る。|今《いま》が|立替《たてかへ》|立直《たてなほ》しの|時期《じき》ぢや、サアサア|早《はや》う|各自《めいめい》に|覚悟《しがく》を|成《な》さいませ。|此処《ここ》は|大勢《おほぜい》は|要《い》りませぬ。|大勢《おほぜい》あるとゴテついて、|肝腎《かんじん》の|御用《ごよう》の|邪魔《じやま》になる。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が|天晴《あつぱ》れ|神政成就《しんせいじやうじゆ》さして|見《み》せるから、|其《その》|時《とき》には|又《また》|集《あつ》まつて|御座《ござ》れ。|神《かみ》は|我《わが》|子《こ》、|他人《ひと》の|子《こ》の|隔《へだ》ては|致《いた》さぬから、|其《その》|時《とき》になつたら、「|高姫《たかひめ》|様《さま》|始《はじ》め|魔我彦《まがひこ》、|竹彦《たけひこ》の|宣伝使《せんでんし》、エライ|取違《とりちが》ひを|致《いた》して|居《を》りましたから、|何卒《どうぞ》|御勘弁《ごかんべん》|下《くだ》さりませ」と|逆《さか》トンボリになつてお|詫《わび》に|来《き》なされ。|気好《きよ》う|赦《ゆる》して|上《あ》げるから、|今《いま》は|御神業《ごしんげふ》の|邪魔《じやま》になるからトツトと|帰《かへ》つて|下《くだ》され。|帰《かへ》るのが|嫌《いや》なら|高姫《たかひめ》の|言《い》ふ|事《こと》を|聞《き》いて、|改心《かいしん》をなさるが|宜《よ》からう』
|斯《か》かる|所《ところ》へ|杢助《もくすけ》は|魔我彦《まがひこ》、|竹彦《たけひこ》|両人《りやうにん》を|従《したが》へ、ノソリノソリと|人《ひと》を|分《わ》けてやつて|来《き》た。|群集《ぐんしふ》は|三人《さんにん》の|姿《すがた》を|見《み》て|思《おも》はず|雨霰《あめあられ》と|拍手《はくしゆ》した。|杢助《もくすけ》|一行《いつかう》は|一同《いちどう》に|目礼《もくれい》し|乍《なが》ら|高座《かうざ》に|上《のぼ》り、
|杢助《もくすけ》『アヽ|是《これ》は|是《これ》は|高姫《たかひめ》|様《さま》、|御演説《ごえんぜつ》|御苦労《ごくらう》で|御座《ござ》いました。|嘸《さぞ》お|疲《つか》れでせう。|貴女《あなた》の|御信任《ごしんにん》|厚《あつ》き|魔我彦《まがひこ》、|竹彦《たけひこ》の|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》が|見《み》えました。|是《これ》から|貴女《あなた》に|代《かは》はつて|演説《えんぜつ》なさるさうです。|私《わたし》も|大変《たいへん》に|両人《りやうにん》さんのお|説《せつ》には|感服《かんぷく》|致《いた》しました』
|高姫《たかひめ》は|百万《ひやくまん》の|援軍《ゑんぐん》を|得《え》たる|如《ごと》き|得意面《とくいづら》を|曝《さら》し、|肩《かた》を|聳《そび》やかし|稍《やや》|仰向《あふむ》き|乍《なが》ら、
|高姫《たかひめ》『|杢助殿《もくすけどの》、アヽそれは|御苦労《ごくらう》であつた。よう|其処《そこ》|迄《まで》|改心《かいしん》が|出来《でき》て|結構《けつこう》だ。|是《これ》から|何事《なにごと》も|高姫《たかひめ》の|申《まを》す|事《こと》を|聞《き》きなさるか、イヤ|改心《かいしん》をなさるか』
|杢助《もくすけ》『|改心《かいしん》の|徹底《とことん》|迄《まで》いつたものは、|最早《もはや》|改心《かいしん》する|余地《よち》がありませぬ。|貴女《あなた》の|様《やう》に|改心《かいしん》から|後戻《あともど》りをして|慢心《まんしん》が|出来《でき》ると、|又《また》|改心《かいしん》する|機会《きくわい》がありまするが、|吾々《われわれ》の|如《ごと》き|者《もの》は、|融通《ゆうづう》の|利《き》かぬ|困《こま》つた|者《もの》です。|貴女《あなた》の|様《やう》に|慢心《まんしん》しては|改心《かいしん》し、|改心《かいしん》しては|慢心《まんしん》し、|慢心《まんしん》|改心《かいしん》、|改心《かいしん》|慢心《まんしん》と|自由自在《じいうじざい》の|芸当《げいたう》は、|到底《たうてい》|吾々《われわれ》の|様《やう》な|朴訥《ぼくとつ》な|人間《にんげん》では|不可能事《ふかのうじ》です、アツハヽヽヽ』
と|豪傑《がうけつ》|笑《わら》ひをする。|群集《ぐんしふ》は|手《て》を|拍《う》つて|笑《わら》ふ。
|高姫《たかひめ》『アヽ|魔我彦《まがひこ》、|竹彦《たけひこ》、|好《い》い|処《ところ》へ|帰《かへ》つて|御座《ござ》つた。|皆《みな》さまに|合点《がつてん》の|往《ゆ》く|様《やう》に|此処《ここ》で|改心《かいしん》の|話《はなし》を|聞《き》かして|下《くだ》さい。さうすれば|此《この》|高姫《たかひめ》の|日頃《ひごろ》|教育《けういく》した|力《ちから》も|現《あら》はるるなり、お|前《まへ》さまの|善一筋《ぜんひとすぢ》の|一分一厘《いちぶいちりん》|歪《くる》はぬ|日本魂《やまとだましひ》の|生粋《きつすゐ》が|証明《しようめい》されるのだから、サア|早《はや》うチヤツと|皆《みな》さまに|大々的《だいだいてき》|訓戒《くんかい》を|与《あた》へて|下《くだ》さい。これこれ|加米彦《かめひこ》、|佐田彦《さだひこ》、|波留彦《はるひこ》、|余《あんま》り|沢山《たくさん》に|高座《かうざ》に|居《を》ると|窮屈《きうくつ》でいかぬ。|暫《しば》らく|下《した》へおりて、|魔我彦《まがひこ》や、|竹彦《たけひこ》の|大宣伝使《だいせんでんし》の|御説教《ごせつけう》を|聞《き》くのだよ。さうすれば、チツトはお|前《まへ》さまの|我《が》も|折《を》れて|宜《よ》からう』
と|得意《とくい》|満面《まんめん》に|溢《あふ》れ|肩《かた》を|揺《ゆす》りイソイソと【いきつ】て|居《ゐ》る。|魔我彦《まがひこ》は|大勢《おほぜい》に|向《むか》ひ、
『|皆《みな》さま、|私《わたくし》は|高姫《たかひめ》|様《さま》の|神様《かみさま》に|御熱心《ごねつしん》なる|御態度《ごたいど》に|心《こころ》の|底《そこ》から|感銘《かんめい》|致《いた》しまして、|如何《どう》かして|高姫《たかひめ》|様《さま》の|思惑《おもわく》を|立《た》てさし|度《た》いと|思《おも》ひ、|御心中《ごしんちう》を|忖度《そんたく》|致《いた》しまして|紀伊《きい》の|国《くに》に|罷《まか》り|出《い》で、|実《じつ》の|処《ところ》は|若彦《わかひこ》を|巧《うま》く|誑《たぶら》かし|聖地《せいち》へ|連《つ》れ|帰《かへ》り、|杢助《もくすけ》さま、|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》を|或《ある》|難題《なんだい》を|塗《ぬ》りつけ|放逐《はうちく》しやうと|企《たく》みつつ、|大台ケ原《おほだいがはら》の|峰続《みねつづ》き|青山峠《あをやまたうげ》までスタスタやつて|往《い》つた|所《ところ》、|玉治別《たまはるわけ》、|国依別《くによりわけ》の|両宣伝使《りやうせんでんし》が|谷《たに》の|風景《ふうけい》を|眺《なが》めて、|休息《きうそく》して|居《を》られました。そこで|高姫《たかひめ》|様《さま》の|一番《いちばん》お|邪魔《じやま》になるのは|言依別命《ことよりわけのみこと》、それについで|命《みこと》の|信任《しんにん》|厚《あつ》き|玉治別《たまはるわけ》、|国依別《くによりわけ》の|両人《りやうにん》を、|何《なん》とかして|葬《はうむ》り|去《さ》らうと|思《おも》ひ|進《すす》んで|行《い》つた|所《ところ》、|折《をり》よくも|日《ひ》の|暮前《くれまへ》|両人《りやうにん》に|出会《でつくわ》し、|二人《ふたり》の|隙《すき》を|覗《うかが》ひ|千仭《せんじん》の|谷間《たにま》へ|突落《つきおと》し、|高姫《たかひめ》|様《さま》の|邪魔《じやま》ものを|除《のぞ》かむものと|考《かんが》へて|居《を》りました。|万々一《まんまんいち》|都合《つがふ》よく|行《ゆ》けば、あとに|残《のこ》つた|言依別命《ことよりわけのみこと》|位《ぐらゐ》は|最早《もはや》|物《もの》の|数《かず》でもないと、|忽《たちま》ち|悪心《あくしん》を|起《おこ》し、|思《おも》ひきつて|谷底《たにぞこ》へ|突《つ》き|込《こ》みました。|両人《りやうにん》は|五体《ごたい》が|滅茶々々《めちやめちや》になつて|斃死《くたば》つただらうと|思《おも》つて|居《ゐ》ましたが、【あに】|計《はか》らむや|妹図《いもうとはか》らむや、|若彦《わかひこ》の|館《やかた》に|於《おい》て|杢助様《もくすけさま》|始《はじ》め|玉《たま》、|国《くに》|両宣伝使《りやうせんでんし》に|出会《でくわ》した|時《とき》のその|苦《くる》しさ|怖《こは》さ、|屹度《きつと》|復讎《かたき》を|討《う》たれるに|相違《さうゐ》ないと|思《おも》つて|心配《しんぱい》を|致《いた》し、|生《い》きた|心地《ここち》も|無《な》くガタガタ|慄《ふる》へ|乍《なが》ら、|矢庭《やには》に|庭先《にはさき》の|松《まつ》の|樹《き》に|駆上《かけのぼ》り、|神憑《かむがか》りの|言《げん》を|信《しん》じ|雲《くも》に|乗《の》つて|逃《に》げ|出《だ》さうと|思《おも》ひ、|過《あやま》つて|二人《ふたり》|共《とも》|樹上《じゆじやう》より|大地《だいち》に|向《むか》つて|真逆様《まつさかさま》に|墜落《つゐらく》し、|人事不省《じんじふせい》に|陥《おちい》つて|居《を》る|所《ところ》を、|玉《たま》、|国《くに》の|両宣伝使《りやうせんでんし》の|手厚《てあつ》き|御保護《ごほご》を|受《う》け、さうして|鵜《う》の|毛《け》の|露《つゆ》ほども|怨《うら》み|給《たま》はず、|却《かへつ》て|神様《かみさま》から|結構《けつこう》な|教訓《けうくん》を|受《う》けたと|喜《よろこ》んで|下《くだ》さつた|時《とき》の|吾々《われわれ》の|心《こころ》、|到底《たうてい》|高姫《たかひめ》さまの|教《をし》へられる|事《こと》とは|天地《てんち》|雲泥《うんでい》の|違《ちが》ひで|御座《ござ》いました。そこで|私《わたくし》は|何故《なぜ》|此《この》|様《やう》な|善《ぜん》のお|方《かた》を|悪《わる》く|思《おも》つたか|知《し》らぬと、|懺悔《ざんげ》の|念《ねん》に|堪《た》へず|考《かんが》へ|込《こ》んで|居《を》りましたが、|矢張《やつぱり》|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》の|教理《けうり》を|聞《き》いて|御座《ござ》るお|蔭《かげ》で、|斯《こ》んな|立派《りつぱ》な|人格《じんかく》になられたのであらうと|深《ふか》く|感《かん》じました。|又《また》|私《わたくし》があの|様《やう》な|悪心《あくしん》を|起《おこ》したのも、|矢張《やつぱり》|高姫《たかひめ》さまの|感化力《かんくわりよく》がさせた|事《こと》だとホトホト|恐《おそ》ろしくなりました。|如何《どう》しても|人間《にんげん》は|師匠《ししやう》を|選《えら》ばねばなりませぬ。|水《みづ》は|方円《はうゑん》の|器《うつは》に|随《したが》ふとか|申《まを》しまして、|教《をそ》はる|師匠《ししやう》、|交《まじ》はる|友《とも》によつて|善《ぜん》にもなり、|悪《あく》にもなるものと|堅《かた》く|信《しん》じます。|私《わたくし》は|皆《みな》さまに|今日《こんにち》|迄《まで》の|取違《とりちがひ》を|此処《ここ》にお|詫《わび》|致《いた》します』
|高姫《たかひめ》『コレコレ|魔我彦《まがひこ》、|誰《たれ》がそんな|乱暴《らんばう》な|事《こと》をせいと|言《い》ひましたか、それは|大方《おほかた》|言依別《ことよりわけ》の|霊《れい》が|憑《うつ》つたのだらう』
|竹彦《たけひこ》『イヽエ、|言依別《ことよりわけ》さまの|身魂《みたま》は|余《あんま》り|尊《たふと》く|清《きよ》らかで、|我々《われわれ》の|様《やう》な|小《ちひ》さい|曇《くも》つた|鏡《かがみ》にはおうつりに|成《な》りませぬ。|全《まつた》く|高姫《たかひめ》さまや、|黒姫《くろひめ》さまの|生霊《いきりやう》が|憑《うつ》りましてな』
|聴衆《ちやうしう》は|手《て》を|拍《う》つてドヨメキ|渡《わた》る。|杢助《もくすけ》は|又《また》もや|口《くち》を|開《ひら》き、
|杢助《もくすけ》『|皆《みな》さま、|私《わたくし》は|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》より|内命《ないめい》を|奉《ほう》じ、|十津川《とつがは》の|谷間《たにあひ》へ|急行《きふかう》せよとの|仰《あふ》せにより|行《い》つて|見《み》れば、|谷川《たにがは》に|似合《にあ》はぬ|大滝《おほたき》の|下《した》に|立派《りつぱ》な|青《あを》い|淵《ふち》がありました。そこで|水行《すゐぎやう》して|居《ゐ》ると|上《うへ》から|二人《ふたり》の|男《をとこ》が|突然《とつぜん》|降《ふ》り|来《きた》り、ザンブとばかり|淵《ふち》へ|落《お》ち|込《こ》んだ。|日《ひ》の|暮《くれ》|紛《まぎ》れに|何人《なんぴと》か|分《わか》らねども|見逃《みのが》す|訳《わけ》にも|行《ゆ》かぬ、|直《ただち》に|淵《ふち》へとび|込《こ》んで|救《すく》ひ|上《あ》げ|色々《いろいろ》と|介抱《かいほう》した|所《ところ》、|二人《ふたり》の|男《をとこ》は|漸《やうや》く|息《いき》を|吹《ふ》き|返《かへ》しました。よくよく|見《み》れば、|玉治別《たまはるわけ》、|国依別《くによりわけ》の|宣伝使《せんでんし》で|御座《ござ》いました。それより|両人《りやうにん》に|向《むか》ひ|如何《どう》して|斯《こ》んな|所《ところ》へ|落《お》ち|込《こ》んだのですかと|尋《たづ》ねて|見《み》ましたが、|御両人《ごりやうにん》は|他人《たにん》に|瑕瑾《きず》をつけまいと|言《い》ふ|誠心《まごころ》から、|現在《げんざい》|此《この》|魔我彦《まがひこ》、|竹彦《たけひこ》につき|落《おと》された|事《こと》を|一言《いちごん》も|発《はつ》せず|隠《かく》して|居《を》られました。さうして|二人《ふたり》に|対《たい》して|毛頭《まうとう》|怨《うら》みを|抱《いだ》いて|居《を》られないのには|私《わたくし》も|感服《かんぷく》|致《いた》しました。|是《これ》と|言《い》ふのも|全《まつた》く|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大精神《だいせいしん》を|体得《たいとく》して|居《を》られるからだと、|流石《さすが》の|杢助《もくすけ》も|感涙《かんるゐ》に|咽《むせ》び、それより|三人《さんにん》は|道《みち》を|急《いそ》いで|若彦《わかひこ》の|館《やかた》に|行《い》つて|見《み》れば、|魔我彦《まがひこ》、|竹彦《たけひこ》の|両人《りやうにん》が|何事《なにごと》か|善《よ》からぬ|虚言《きよげん》を|構《かま》へ|若彦《わかひこ》を|唆《そその》かし|大陰謀《だいいんぼう》を|企《たく》まむとして|居《ゐ》る|所《ところ》でありました。|然《しか》し|乍《なが》ら|流石《さすが》の|悪人《あくにん》も|誠《まこと》の|心《こころ》に|感《かん》じ|斯《か》くの|如《ごと》く|改心《かいしん》を|致《いた》して、|自分《じぶん》の|罪状《ざいじやう》を|逐一《ちくいち》|皆《みな》さまの|前《まへ》に|曝《さら》け|出《だ》し|真心《まごころ》を|示《しめ》して|居《を》られます。|之《これ》でも|言依別《ことよりわけ》|様《さま》の|教《をしへ》が|悪《あく》と|言《い》はれませうか。|高姫《たかひめ》さまの|教《をしへ》は|果《はた》して|完全《くわんぜん》なもので|御座《ござ》いませうか』
と|釘《くぎ》をさされて|高姫《たかひめ》はグツとつまり、|壇上《だんじやう》を|蹴散《けち》らす|如《ごと》き|勢《いきほひ》で|肩《かた》を|斜《はすかい》に|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》り|乍《なが》ら、|己《おの》が|館《やかた》へ|足早《あしばや》に|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|斯《か》かる|所《ところ》へ|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》は|莞爾《くわんじ》として|現《あら》はれ、|一場《いちぢやう》の|演説《えんぜつ》を|試《こころ》みた。|玉治別《たまはるわけ》、|国依別《くによりわけ》、|若彦《わかひこ》の|三人《さんにん》は|此《この》|場《ば》に|悠然《いうぜん》として|現《あら》はれ|来《きた》り、|一同《いちどう》に|会釈《ゑしやく》し、|神殿《しんでん》に|向《むか》ひ|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|終《をは》つて|一同《いちどう》|解散《かいさん》したり。|今後《こんご》の|高姫《たかひめ》は|如何《いか》なる|行動《かうどう》を|執《と》るならむか。
(大正一一・六・一〇 旧五・一五 北村隆光録)
第二篇 |恩愛《おんあい》の|涙《なみだ》
第五章 |親子奇遇《おやこきぐう》〔七一七〕
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |秋彦《あきひこ》|駒彦《こまひこ》|両人《りやうにん》は
|言依別《ことよりわけ》の|御言《みこと》もて  |天《あめ》の|真浦《まうら》の|宣伝使《せんでんし》
|其《その》|心力《しんりよく》を|試《ため》さむと  |人《ひと》の|尾峠《をたうげ》の|山麓《さんろく》に
|姿《すがた》を【やつし】て|雪《ゆき》の|空《そら》  |茲《ここ》に|三人《みたり》は|宇都山《うづやま》の
|武志《たけし》の|宮《みや》の|社務所《ながとこ》に  |暫《しば》し|休《やす》らひ|神司《かむづかさ》
|松鷹彦《まつたかひこ》に|巡《めぐ》り|会《あ》ひ  |秋彦《あきひこ》|駒彦《こまひこ》|両人《りやうにん》は
|天《あめ》の|真浦《まうら》を|深雪《みゆき》|降《ふ》る  |岸《きし》の|上《うへ》より|突落《つきおと》し
|東《ひがし》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く  |神《かみ》の|恵《めぐみ》に|近江路《あふみぢ》や
|比叡山颪《ひえいざんおろし》を|浴《あ》び|乍《なが》ら  |大津《おほつ》|伏見《ふしみ》を|乗《の》り|越《こ》えて
|小舟《こぶね》を|用意《しつら》ひ|淀《よど》の|川《かは》  |川幅《かははば》さへも|枚方《ひらかた》の
|浦《うら》に|漸々《やうやう》|舟《ふね》|止《とど》め  |浪速《なには》の|里《さと》を|右《みぎ》に|見《み》て
|堺《さかひ》|岸和田《きしわだ》|佐野《さの》|深日《ふけい》  |紀《き》の|川《かは》|渡《わた》り|和歌山《わかやま》を
|何時《いつ》しか|過《す》ぎて|日高川《ひだかがは》  やうやう|川辺《かはべ》に|着《つ》きにけり。
|日《ひ》は|漸《やうや》くに|暮《く》れて|来《き》た。|旬日《じゆんじつ》の|雨《あめ》に|川《かは》は|濁水《だくすゐ》|漲《みなぎ》り、|渡舟《わたしぶね》を|出《だ》す|由《よし》もない。|二人《ふたり》は|已《や》むを|得《え》ず|後《あと》へ|引返《ひきかへ》し、|日高山《ひだかやま》の|山奥《やまおく》に|滝《たき》ありと|聞《き》き、|暫《しば》し|川水《かはみづ》の|減《ひ》く|迄《まで》|荒行《あらぎやう》をなさむと、|月《つき》の|光《ひかり》を|力《ちから》に、|山奥《やまおく》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》る。|滝《たき》の|辺《ほとり》には|小《ちひ》さき|祠《ほこら》があつて、|竜神《りうじん》が|祀《まつ》られてある。|此《この》|社《やしろ》の|周辺《まはり》には|不思議《ふしぎ》にも|立派《りつぱ》な|柿《かき》の|実《み》が、|枝《えだ》もたわわにぶら|下《さが》つて|居《ゐ》る。|人《ひと》も|取《と》らねば|烏《からす》も|取《と》らない。|竜神《りうじん》の|最《もつと》も|寵愛《ちやうあい》の|柿《かき》と|称《とな》へられて|居《を》る。|二人《ふたり》は|夜中《よなか》に|人《ひと》の|足跡《あしあと》に|研《と》ぎすまされた|路《みち》を|辿《たど》り、|漸《やうや》く|滝《たき》の|傍《そば》に|着《つ》いた。|手早《てばや》く|衣類《いるゐ》を|脱《ぬ》ぎ|棄《す》て、|滝水《たきみづ》に|体《からだ》を|清《きよ》め、|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し|終《をは》つて、|社《やしろ》の|前《まへ》に|端坐《たんざ》し、|鎮魂《ちんこん》の|姿勢《しせい》を|執《と》つた。たわむ|許《ばか》りの|柿《かき》の|枝《えだ》は|折柄《をりから》の|強風《きやうふう》に|煽《あふ》られて|二人《ふたり》の|体《からだ》を|撫《な》でて|居《ゐ》る。|二人《ふたり》は|美味《うま》さうな|匂《にほ》ひに、|鎮魂《ちんこん》を|終《をは》り、てんでにむしつて|飽《あく》まで|食《く》つた。|忽《たちま》ち|社殿《しやでん》は|鳴動《めいどう》し|始《はじ》めた。|其《その》|声《こゑ》は|時々刻々《じじこくこく》に|強大《きやうだい》となり|地響《ぢひび》きがし|出《だ》した。
|秋彦《あきひこ》『ヤアどうやら|地震《ぢしん》らしいぞ』
|駒彦《こまひこ》『ナアニ、|地震《ぢしん》ではない。|余《あま》り|烈《はげ》しき|鳴動《めいどう》で|地響《ぢひび》きがして|居《ゐ》るのだ。それに|就《つい》ても|我々《われわれ》が|此《この》|柿《かき》を|取《と》つて|食《く》ふが|早《はや》いか、|此《この》|社殿《しやでん》が|鳴動《めいどう》し|始《はじ》めたぢやないか。|神様《かみさま》は|惜《をし》んで|御座《ござ》るのではあるまいかなア』
|秋彦《あきひこ》『ナニこれ|丈《だけ》|沢山《たくさん》の|柿《かき》、|五《いつ》つや|十《とを》|食《く》つた|所《ところ》で、|吾々《われわれ》でさへも|惜《をし》まないのだから、|況《ま》して|神様《かみさま》は|人間《にんげん》が|喜《よろこ》んで|食《く》ふのを、|御立腹《ごりつぷく》なさる|道理《だうり》がない。|人間《にんげん》が|食《く》ふ|為《ため》に|出来《でき》て|居《ゐ》るのだ。そんな|事《こと》は|有《あ》るまい』
|社殿《しやでん》はますます|鳴動《めいどう》|烈《はげ》しくなり、|何《なん》とも|知《し》れぬ|厭《いや》らしき|声《こゑ》で|呶鳴《どな》りつけられる|様《やう》な|気《き》がして、|知《し》らず|知《し》らずに|二人《ふたり》は|怖気《おぢけ》づき、『|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』と|称《とな》へ|乍《なが》ら、|元来《もとき》し|路《みち》を|倒《こ》けつ|転《まろ》びつ|逃《に》げて|行《ゆ》く。|夜《よ》は|漸《やうや》く|明《あ》け|放《はな》れた。|谷川《たにがは》の|清《きよ》き|水《みづ》に|衣《ころも》を|洗《あら》ふ|白髪《はくはつ》|異様《いやう》の|婆《ばば》がある。
|秋彦《あきひこ》『|駒彦《こまひこ》さま、|向《むか》ふを|見《み》よ。|出《で》よつたぜ』
|駒彦《こまひこ》『ヤア|本当《ほんたう》に、|怪体《けたい》な|奴《やつ》が|居《を》るぢやないか。|何《なに》か|洗濯《せんたく》をして|居《を》るやうだ。|此《この》|山奥《やまおく》に|人家《じんか》も|無《な》いのに、あんな|年《とし》の|老《よ》つた|老婆《ばばあ》が|洗濯《せんたく》して|居《ゐ》るとは、チツと|合点《がつてん》が|行《ゆ》かぬ、|此奴《こいつ》ア|何者《なにもの》かの|化物《ばけもの》かもしれないぞ。|用心《ようじん》せなくてはなろまい』
|秋彦《あきひこ》『|谷《たに》と|谷《たに》とに|挟《はさ》まつた|一筋路《ひとすぢみち》の|所《ところ》に|居《ゐ》るのだから、どうしても|通《とほ》らぬ|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|思《おも》ひ|切《き》つて|行《い》つて|見《み》ようかなア』
|駒彦《こまひこ》『|何《いづ》れ|行《ゆ》かねばならぬ|道程《だうてい》だが、マア|一寸《ちよつと》|考《かんが》へて|行《ゆ》く|事《こと》にせう。|強《つよ》く|行《ゆ》くか、|弱《よわ》く|行《ゆ》くか、それから|一《ひと》つ|定《き》めて|行《ゆ》かうぢやないか』
|秋彦《あきひこ》『|兎《と》も|角《かく》|臨機応変《りんきおうへん》、|其《その》|時《とき》の|都合《つがふ》にしよう』
と|薄気味《うすきみ》|悪《わる》く、|歩《あゆ》みもはかばかしからず、|厭《いや》|相《さう》に|一歩《いつぽ》|々々《いつぽ》|進《すす》んで|行《ゆ》く。|見《み》れば|婆《ばば》の|頭《あたま》の|白髪《しらが》から|鼈甲《べつかふ》の|様《やう》な|角《つの》が|前《まへ》の|方《はう》へニユーツと|曲《まが》つて|二本《にほん》、|高低《たかひく》なしに|行儀《ぎやうぎ》よく|八《はち》の|字《じ》を|逆様《さかさま》にした|様《やう》に|生《は》えて|居《ゐ》る。
|秋彦《あきひこ》『オイ|駒彦《こまひこ》、|此奴《こいつ》ア|弱《よわ》く|行《ゆ》けば|付《つ》け|込《こ》まれる。|強《つよ》く|行《ゆ》けば|怒《おこ》つてかぶりつくかも|知《し》れない。|兎《と》も|角《かく》|滑稽《こつけい》で|婆《ばば》アの|腮《あご》を|解《と》いて|通《とほ》る|事《こと》にしようかい。それに|就《つい》ては|秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》では|面白《おもしろ》くない。|元《もと》の|馬公《うまこう》、|鹿公《しかこう》に、|名《な》だけ|還元《くわんげん》して|掛合《かけあ》つて|見《み》よう』
|駒彦《こまひこ》『それが|宜《よ》からう』
と|小声《こごゑ》に|言《い》ひ|乍《なが》ら、|婆《ばば》の|間近《まぢか》に|近寄《ちかよ》つて|来《き》た。|婆《ばば》は|聾《つんぼ》と|見《み》えて、|二人《ふたり》の|足音《あしおと》に|気《き》が|付《つ》かぬものの|如《ごと》く、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|血《ち》の|付《つ》いた|衣《きぬ》を|洗《あら》うて|居《ゐ》る。
|秋彦《あきひこ》『モシモシお|婆《ば》アさま……コレお|婆《ば》アさま』
と|後《あと》の|一声《ひとこゑ》に|力《ちから》をこめて|高《たか》く|呶鳴《どな》つた。|婆《ば》アさんは|一生懸命《いつしやうけんめい》に|見向《みむ》きもせず、|洗《あら》うて|居《ゐ》る。
|秋彦《あきひこ》『ハハア|此奴《こいつ》ア|聾《つんぼ》だ。|併《しか》し|随分《ずゐぶん》|厭《いや》らしい|婆《ばば》だ。|彼処《あこ》を|渡《わた》らねば|向《むか》うへ|行《ゆ》く|事《こと》は|出来《でき》ず|困《こま》つた|事《こと》だなア。|暫《しばら》く|後《あと》へ|引返《ひきかへ》し、|婆《ばば》アが|洗濯《せんたく》を|済《す》まして|帰《かへ》るまで|待《ま》つことにせうかい』
|駒彦《こまひこ》『イヤもう|一歩《ひとあし》も|後《あと》へ|帰《かへ》る|事《こと》は|出来《でき》ない。あれ|丈《だけ》|鳴動《めいどう》しられ、|厭《いや》らしい|声《こゑ》で|呶鳴《どな》られては、|堪《たま》つたものぢやないからな』
|秋彦《あきひこ》『それだと|云《い》うて|進《すす》む|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|進退《しんたい》|谷《きは》まるぢやないか』
|駒彦《こまひこ》『そこが|宣伝使《せんでんし》だ。|神様《かみさま》のお|力《ちから》で|突破《とつぱ》するのだ。|鬼婆《おにばば》に|喰《く》はれた|所《ところ》で|構《かま》はぬぢやないか』
|秋彦《あきひこ》『こんな|奴《やつ》に|食《く》はれて|堪《たま》るものか。お|道《みち》の|為《ため》に|生命《いのち》を|棄《す》てるのは|苦《くる》しうないが、|鬼婆《おにばば》の|餌食《ゑじき》になつちや|宣伝使《せんでんし》も|駄目《だめ》だ。|聾《つんぼ》を|幸《さいは》ひ、ソツと|背後《うしろ》から|往《い》つて、|婆《ばば》を|突《つ》つこかし、|其《その》|間《ま》に|駆歩《かけあし》で|進《すす》まうぢやないか』
|駒彦《こまひこ》『オウさうだ。たかが|知《し》れた|婆《ばば》アの|一人《ひとり》、|此方《こちら》は|二人《ふたり》の|荒男《あらをとこ》だ。|併《しか》し|乍《なが》ら|騙討《だましうち》は|面白《おもしろ》くない。|婆《ばば》アに|断《ことわ》つて|通《とほ》らして|貰《もら》はう。|万一《まんいち》|通《とほ》さぬと|言《い》ひよつたら、|其《その》|時《とき》こそ|我々《われわれ》は|死物狂《しにものぐる》ひだ』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|婆《ばば》アの|狭《せま》い|谷川《たにがは》に|塞《ふさ》がつて|居《ゐ》る|側近《そばちか》く|寄《よ》り、|俯《うつむ》いて|居《ゐ》る|腰《こし》を|恐《こは》さうに|押《お》し|乍《なが》ら、
|駒彦《こまひこ》『コレコレお|婆《ば》アさま、|此処《ここ》を|通《とほ》して|下《くだ》さい』
と|揺《ゆす》つて|見《み》た。|婆《ば》アさまは|驚《おどろ》いて|二人《ふたり》の|顔《かほ》を|打《う》ちまもり、
|婆《ばば》『ヤアお|前《まへ》はそんな|風《ふう》をして、|山賊《さんぞく》を|働《はたら》いて|居《ゐ》るのか。|此《この》|婆《ばば》はお|前《まへ》の|見《み》かけの|通《とほ》り|何一《なにひと》つ|持《も》つて|居《ゐ》ないぞ』
|駒彦《こまひこ》『オイ|婆《ばば》ア、お|前《まへ》は|耳《みみ》が|聞《きこ》えぬのか』
と|耳《みみ》の|辺《はた》へ|口《くち》を|寄《よ》せ、|力《ちから》|一杯《いつぱい》|呶鳴《どな》りつけた。|婆《ば》アさんはビツクリして、
|婆《ばば》『エヽやかましいがな。|聾《つんぼ》か|何《なん》ぞの|様《やう》に、そんな|大《おほ》きな|声《こゑ》で|耳《みみ》のはたで|云《い》ふものぢやない。|鼓膜《こまく》が|破《やぶ》れて|了《しま》うぢやないか』
|駒彦《こまひこ》『|鬼婆《おにばば》ア、お|前《まへ》|耳《みみ》が|聞《きこ》えるのか』
|婆《ばば》『|聞《きこ》えるとも、|耳《みみ》の|無《な》いものならイザ|知《し》らず、|此《この》|通《とほ》り|二《ふた》つの|耳《みみ》があるぢやないか。|聞《きこ》えぬ|耳《みみ》なら、|誰《たれ》がアタ|邪魔《じやま》になる、|顔《かほ》の|両側《りやうがは》にひつつけて|置《お》くものかい。|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|泥棒《どろばう》ぢやなア』
|秋彦《あきひこ》『|是《こ》れは|怪《け》しからぬ。|我々《われわれ》を|泥棒《どろばう》とは|何《なん》の|事《こと》だ』
|婆《ばば》『それでも|蓑笠《みのかさ》を|着《き》たり|金剛杖《こんごうづゑ》を|突《つ》いとる|奴《やつ》は|皆《みんな》|泥棒《どろばう》だよ。|此《この》|間《あひだ》もバラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》ぢやとか|云《い》つて、|老爺《ぢい》と|婆《ばば》アと|娘《むすめ》と|三人連《さんにんづ》れの|所《ところ》へ、|二人《ふたり》の|奴《やつ》が|泊《とま》り|込《こ》み、|夜《よる》の|夜中《よなか》を|見済《みす》まして、|此《この》|婆《ばば》アや|爺《おやぢ》どのを|柱《はしら》にひつ|括《くく》り、|一人《ひとり》の|娘《むすめ》を|調裁坊《てうさいばう》に|致《いた》し、|年寄《としよ》りの|蓄《た》めた|金《かね》をスツクリふんだくり、|終局《しまひのはて》にや|娘《むすめ》を|嬲殺《なぶりごろ》しにして|帰《かへ》りやがつた。|大方《おほかた》お|前《まへ》も|其奴等《そいつら》の|同類《どうるゐ》だらう。あんまり|胸糞《むねくそ》が|悪《わる》いので、お|前達《まへたち》|二人《ふたり》がコソコソ|話《ばなし》をやつて|居《を》つたが|聞《き》かぬ|振《ふ》りをして|居《を》つたのだ。モウ|斯《こ》うなる|上《うへ》は|讎敵《かたき》の|片割《かたわ》れだ。|皺腕《しわうで》の|続《つづ》く|限《かぎ》り|格闘《かくとう》して|喉笛《のどぶえ》の|一《ひと》つも|喰《く》ひ|切《き》らねば|置《お》かぬ。サアどうだ』
|秋彦《あきひこ》『これはこれは|怪《け》しからぬ|事《こと》を|仰有《おつしや》る。|併《しか》しお|前《まへ》さまは|頭《あたま》に|角《つの》を|生《は》やして|居《ゐ》るからは、|人《ひと》を|取《と》り|喰《くら》ふ|日高山《ひだかやま》の|鬼婆《おにばば》だらう』
|婆《ばば》『きまつた|事《こと》だ。|鬼婆《おにばば》だから|角《つの》が|生《は》えとるのぢや。サア|其処《そこ》へ|平太《へた》れ。|此《この》|婆《ばば》が|荒料理《あられうり》をして|娘《むすめ》の|仇《かたき》を|討《う》つてやらう』
|駒彦《こまひこ》『コラ|婆《ばば》、|何《なに》を|吐《ぬか》しやがるのだ。|俺《おれ》は|三五教《あななひけう》の|馬公《うまこう》と|云《い》ふ|宣伝使《せんでんし》だぞ。|泥棒《どろばう》なんて……|馬鹿《ばか》にするな。さうして|貴様《きさま》の|娘《むすめ》なればヤツパリ|鬼娘《おにむすめ》だらう。|日頃《ひごろ》|人《ひと》を|喰《くら》ふ|酬《むく》いで|吾《わが》|子《こ》を|取《と》られたのだらう。|鬼子母神《きしぼじん》と|云《い》ふ|奴《やつ》は、|千人《せんにん》の|子《こ》が|有《あ》る|癖《くせ》に、|人《ひと》の|子《こ》を|奪《と》つて|喰《くら》ひよつた|奴《やつ》だが、|或《ある》|時《とき》に|神様《かみさま》から、|千人《せんにん》の|中《なか》の|一人《ひとり》の|子《こ》を|隠《かく》されて、|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|泣《な》き|通《とほ》し、それから…わしは|千人《せんにん》も|子《こ》がある|中《なか》にタツタ|一人《ひとり》|失《うしな》つても|是《こ》れ|丈《だけ》|悲《かな》しいのだ、|況《ま》して|人間《にんげん》は|三人《さんにん》や|五人《ごにん》、|多《おほ》うて|十人《じふにん》|位《くらゐ》の|子《こ》を|一人《ひとり》|取《と》られたら|悲《かな》しからうと|云《い》つて、|改心《かいしん》しよつて|立派《りつぱ》な|仏《ほとけ》になつたと|云《い》ふ|事《こと》だが、|貴様《きさま》も|子《こ》を|取《と》られて|悲《かな》しい|事《こと》がわかれば、|是《こ》れから|人間《にんげん》の|子《こ》であらうが、|親《おや》であらうが、|決《けつ》して|取《と》り|喰《くら》うてはならぬぞ』
|婆《ばば》『ホヽヽヽヽ、わしを|鬼婆《おにばば》と|云《い》ふのか、そしてお|前《まへ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》ぢやなア、|宣伝使《せんでんし》なら、|鬼婆《おにばば》か|普通《あたりまへ》の|婆《ばば》アか|分《わか》りさうなものぢやないか』
|駒彦《こまひこ》『それでも|頭《あたま》に|角《つの》の|生《は》えてる|奴《やつ》は|鬼《おに》ぢやないか。|俺《おれ》は|斯《こ》う|見《み》えても、|元《もと》は|馬《うま》さんと|云《い》つて、|紀《き》の|国《くに》の|生《うま》れ、|様子《やうす》あつて|都《みやこ》へ|出《い》で、|立派《りつぱ》な|宅《うち》に|召使《めしつか》はれ、|追々《おひおひ》|出世《しゆつせ》し、|今《いま》は|押《お》しも|押《お》されもせぬ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》ぢや。どうして|見損《みそこな》ひをするものかい。そんな|有耶無耶《うやむや》の|事《こと》を|言《い》つて、|俺《おれ》を|誤魔化《ごまくわ》さうと|思《おも》つても|駄目《だめ》だぞ』
|婆《ばば》『ナニツ、お|前《まへ》は|紀《き》の|国《くに》の|生《うま》れ……|都《みやこ》へ|奉公《ほうこう》に|行《い》つて|居《を》つたと……それは|妙《めう》な|事《こと》を|聞《き》くものだ。さうしてお|前《まへ》の|名《な》は|馬《うま》ぢやないか』
|駒彦《こまひこ》『さうぢや、|馬《うま》と|云《い》つたのぢや。それが|如何《どう》したと|云《い》ふのだい』
|婆《ばば》『|一寸《ちよつと》|此方《こちら》に|心当《こころあた》りがあるから、|婆《ばば》の|宅《うち》まで|来《き》て|貰《もら》へまいかな』
|秋彦《あきひこ》『オイオイ|駒彦《こまひこ》、しつかりせよ。|計略《けいりやく》に|懸《かか》るぞよ』
|婆《ばば》『|疑《うたが》ひなさるな。|爺《ぢ》イと|婆《ば》アと|二人《ふたり》|暮《ぐら》しだ。|一人《ひとり》の|兄《あに》は|幼《をさな》い|時《とき》に|天狗《てんぐ》にさらはれて、|何処《どこ》かへ|連《つ》れて|行《ゆ》かれたきり|今《いま》に|帰《かへ》つて|来《こ》ず、|一人《ひとり》の|妹娘《いもうとむすめ》は|泥棒《どろばう》に|二三日前《にさんにちぜん》|生命《いのち》を|奪《と》られ、|爺婆《ぢぢばば》|二人《ふたり》が|面白《おもしろ》からぬ|月日《つきひ》を|送《おく》つて|居《ゐ》るのだ。|小《ちひ》さい|宅《うち》だけれど、|滅多《めつた》に|食《く》はうとも、|呑《の》まうとも|云《い》はぬ。|尋《たづ》ねたい|事《こと》が|有《あ》るから|来《き》て|下《くだ》され』
|駒彦《こまひこ》は|双手《もろて》を|組《く》み|首《くび》を|傾《かたむ》け、|婆《ばば》アの|顔《かほ》を|熟々《つくづく》と|眺《なが》めて|居《ゐ》る。
|駒彦《こまひこ》『オイ|婆《ばば》ア、|其《その》|角《つの》は|何時《いつ》から|生《は》えたのかい』
|婆《ばば》『オホヽヽヽ、あまり|泥棒《どろばう》が|出《で》て|来《き》よるので、|用心《ようじん》の|為《ため》に|鹿《しか》の|角《つの》を|頭《あたま》にひつ|付《つ》けて|鬼《おに》に|見《み》せて|居《を》るのだ。それ|此《この》|通《とほ》り……』
と|無雑作《むざふさ》に|二本《にほん》の|角《つの》を|引《ひき》【むし】つて|見《み》せる。
|秋彦《あきひこ》『アハヽヽヽ、ヤア|是《こ》れで|一寸《ちよつと》は|安心《あんしん》だ。さうするとヤツパリ|鬼婆《おにばば》ではなかつたらしいな。コレコレ|婆《ば》アさま、お|前《まへ》のお|宅《たく》は|何処《どこ》だ』
|婆《ばば》『そこへニユツと|突《つ》き|出《で》て|居《を》る|大《おほ》きな|岩《いは》を、クルツと|廻《まは》ると、|炭焼小屋《すみやきごや》の|様《やう》な|家《いへ》がある。そこが|妾《わし》の|住家《すみか》だ。|此《この》|村《むら》は|七八軒《しちはつけん》の|所《ところ》だが、|近所《きんじよ》へ|行《ゆ》くと|云《い》つても|一里《いちり》|位《くらゐ》|行《ゆ》かなならぬのだから|不便《ふべん》なものだ。サアどうぞ|婆《ばば》の|宅《うち》まで|来《き》て|下《くだ》さい』
|駒彦《こまひこ》『|何《なに》は|兎《と》もあれ、お|婆《ば》アさま、|従《つ》いて|参《まゐ》りませう』
|婆《ばば》はニコニコし|乍《なが》ら|先《さき》に|立《た》ち|帰《かへ》つて|行《ゆ》く。|駒彦《こまひこ》は|何《なに》か|心《こころ》に|当《あた》るものの|如《ごと》く|首《くび》を|頻《しき》りに|左右《さいう》にかたげ|乍《なが》ら|従《つ》いて|行《ゆ》く。あとより|秋彦《あきひこ》は|不審《ふしん》|相《さう》に|二人《ふたり》の|姿《すがた》を|看守《みまも》りつつ、|二三間《にさんげん》|遅《おく》れて、|厭《いや》|相《さう》に|進《すす》んで|行《ゆ》く。|山《やま》の|鼻《はな》にヌツと|突出《つきで》た|岩《いは》の|麓《ふもと》を|廻《まは》はると、|七八間《しちはちけん》|向《むか》うにかなり|大《おほ》きな|草葺《くさぶき》の|家《いへ》が|建《た》つて|居《ゐ》る。|婆《ば》アさまは|駒彦《こまひこ》に|向《むか》ひ、
|婆《ばば》『あれが|妾《わし》の|家《いへ》だ。どうぞ|今晩《こんばん》はゆつくり|泊《とま》つて|往《い》て|下《くだ》されや』
|秋彦《あきひこ》は『なんだ、|合点《がつてん》がゆかぬ|事《こと》だなア』と|呟《つぶや》きつつ、|不安《ふあん》の|念《ねん》に|駆《か》られ、|手《て》を|組《く》んで|細路《ほそみち》に|佇立《てゐりつ》して|居《ゐ》る。|婆《ば》アさまは|半《なかば》|破《やぶ》れた|戸《と》をガラリと|開《ひら》き、
|婆《ばば》『サアサアお|若《わか》い|衆《しう》、|這入《はい》つて|下《くだ》さい』
|駒彦《こまひこ》『ハイ|有難《ありがた》う』
と|後《うしろ》を|振《ふ》り|返《かへ》り|見《み》れば、|四五間《しごけん》あとに|秋彦《あきひこ》は|手《て》を|組《く》み|思案《しあん》らしく|佇《たたず》んで|居《を》る。
|駒彦《こまひこ》『オイ|秋彦《あきひこ》、|早《はや》う|来《こ》ぬか。|何《なに》して|居《を》るのだ』
|秋彦《あきひこ》『|俺《おれ》は|外《そと》から|警固《けいご》して|居《ゐ》るから、|貴様《きさま》|用心《ようじん》して|中《なか》に|這入《はい》れ。|釣天井《つりてんじやう》でも|有《あ》つて【バサン】バサンとやられちや|大変《たいへん》だから、よく|気《き》を|付《つ》けて|這入《はい》れ。|俺《おれ》はサア|事《こと》だと|思《おも》つたら、|直《すぐ》に|飛《と》び|込《こ》んで|讎敵《かたき》を|討《う》つてやるから……マア|予備《よび》として、|俺《おれ》は|外《そと》に|待《ま》つて|居《を》る』
|駒彦《こまひこ》『そんなら|宜《よろ》しう|頼《たの》む』
と|閾《しきゐ》を|跨《また》げ|屋内《をくない》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。|爺《ぢ》イさまは|目《め》も|疎《うと》いと|見《み》え、ヨボヨボし|乍《なが》ら|奥《おく》の|間《ま》から|現《あら》はれ、
|爺《おやぢ》『アー|婆《ばば》か、よう|帰《かへ》つて|呉《く》れた。どうも|寂《さび》しくて|困《こま》つて|居《を》つた。あまり|帰《かへ》りが|遅《おそ》いので、|又《また》もや|泥棒《どろばう》に|出会《でつくわ》したのではなからうかと、|気《き》が|気《き》でなかつた。|併《しか》しお|前《まへ》の|背後《うしろ》に|誰《たれ》か|従《つ》いて|来《き》て|居《を》るぢやないか。ウツカリした|者《もの》を|引張《ひつぱ》つて|来《く》ると、|又《また》|此《この》|間《あひだ》の|様《やう》な|目《め》に|会《あ》はされるぞ。|性懲《しやうこ》りもない、|道《みち》|行《ゆ》く|人間《にんげん》を|掴《つか》まへて、|善根《ぜんこん》だの、|宿《やど》をしてあげようのと|云《い》ふものだから、あんな|事《こと》が|起《おこ》るのだ。モウ|今日《けふ》は、お|前《まへ》が|何《なん》と|云《い》つても|私《わし》が|承知《しようち》をせぬ。……どこの|方《かた》か|知《し》らぬがトツトと|帰《かへ》つて|下《くだ》され』
|婆《ばば》『|爺《おやぢ》さま、|一寸《ちよつと》|此《この》|人《ひと》は|合点《がつてん》のいかぬ|事《こと》があるので|連《つ》れて|帰《かへ》つたのぢや。|妾《わし》だつてモウ|懲《こ》りてるから、|滅多《めつた》な|奴《やつ》を|連《つ》れて|帰《かへ》りはせぬ。|此《この》|人《ひと》は|馬《うま》とか|云《い》ふ|男《をとこ》ださうな、|伜《せがれ》の|名《な》も|馬《うま》だから、|何《なん》とはなしに|恋《こひ》しくなつて|連《つ》れて|帰《かへ》つたのぢや。ヒヨツとしたら、|子供《こども》の|時《とき》に|天狗《てんぐ》に|浚《さら》はれた|馬《うま》ぢやなからうかと、|心《こころ》の|故《せい》か|思《おも》はれてならないから……』
|爺《おやぢ》『さう|聞《き》くと|何《なん》だか|恋《こひ》しい|様《やう》な|気《き》がする。コレコレ|馬《うま》さまとやら、|足《あし》をしもうて|上《あが》つて|下《くだ》さい』
|駒彦《こまひこ》『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|私《わたし》も|一人者《ひとりもの》で|御座《ござ》います。|何《なん》だか|此《この》お|婆《ば》アさまが|恋《こひ》しくなつて|参《まゐ》りました』
と|云《い》ひ|云《い》ひ|足《あし》をしもうて|座敷《ざしき》にあがる。|秋彦《あきひこ》はコハゴハ|乍《なが》ら|門口《かどぐち》までやつて|来《き》て、|様子《やうす》を|考《かんが》へて|居《ゐ》る。
|爺《おやぢ》『お|前《まへ》は|馬《うま》さまと|云《い》ふさうだが、|一体《いつたい》|何処《どこ》の|生《うま》れだ』
|駒彦《こまひこ》『ハイ|私《わたし》は|余《あま》り|小《ちひ》さい|時《とき》で、しつかりは|記憶《きおく》しませぬが、|何《なん》でも|日高川《ひだかがは》の|畔《ほとり》だつた|様《やう》に|幽《かす》かに|覚《おぼ》えて|居《を》ります。|併《しか》し|乍《なが》らそれも|夢《ゆめ》だか|現《うつつ》だか|分《わか》らないのです。|天狗《てんぐ》にさらはれて|山城《やましろ》の|国《くに》の|紫野《むらさきの》の|大木《たいぼく》の|上《うへ》に|引掛《ひつか》けられて|居《を》つたのを、そこの|酋長《しうちやう》が|認《みと》めて|助《たす》けて|下《くだ》され、それから|其処《そこ》の|家《いへ》の|子《こ》となつて|育《そだ》つて|来《き》た|者《もの》で|御座《ござ》います』
|爺《おやぢ》『わしは|常楠《つねくす》と|云《い》ふ|者《もの》だ。さうして|婆《ばば》アはお|久《ひさ》と|云《い》ふ|者《もの》だが、|両親《りやうしん》の|名《な》は|覚《おぼ》えて|居《を》るかい』
|駒彦《こまひこ》『|何分《なにぶん》|子供《こども》の|事《こと》で|分《わか》りませぬが、|御主人様《ごしゆじんさま》のお|言葉《ことば》には、|私《わたし》の|守《まも》り|袋《ぶくろ》に、|常《つね》とか|久《ひさ》とか|云《い》ふ|印《しるし》があり、|私《わたし》の|名《な》は|馬楠《うまくす》と|書《か》いてあつたさうで、|主人《しゆじん》は|馬公《うまこう》|馬公《うまこう》と|仰有《おつしや》つたのだと|聞《き》いて|居《を》ります』
|爺《おやぢ》『ナニ、|常《つね》に|久《ひさ》、|馬楠《うまくす》と|書《か》いてあつたか。そんならお|前《まへ》は|私《わたし》の|伜《せがれ》ぢや。ようマア|無事《ぶじ》で|居《を》つて|下《くだ》さつた』
と|両人《りやうにん》は|取付《とりつ》いて|泣《な》きくづれる。
|駒彦《こまひこ》『あゝ|何《なん》だかさう|聞《き》くと、|御両親《ごりやうしん》の|様《やう》にも|思《おも》ひますが、しかし|私《わたし》の|体《からだ》には|一《ひと》つの|特徴《とくちやう》があります。それは|御存《ごぞん》じですか』
|爺《おやぢ》『|特徴《とくちやう》と|云《い》ふのは、お|前《まへ》は|小《ちひ》さい|時《とき》から|睾丸《きんたま》が|人《ひと》よりは|優《すぐ》れて|大《おほ》きかつた。|睾丸《かうぐわん》ヘルニヤとか|云《い》ふ|病気《びやうき》ださうで、|大変《たいへん》に|吾々《われわれ》|両親《りやうしん》は|心配《しんぱい》をして|居《を》つたのだ。お|前《まへ》、|睾丸《きんたま》はどうだな』
|駒彦《こまひこ》『ハイ|仰《あふ》せの|如《ごと》く|人《ひと》|一倍《いちばい》|大《おほ》きいのです。|松姫館《まつひめやかた》で|大金《たいきん》だと|言《い》はれて|引張《ひつぱ》られた|時《とき》には|随分《ずゐぶん》|困《こま》りました。そこまで|話《はなし》が|合《あ》へば|全《まつた》くあなたは|御両親《ごりやうしん》に|間違《まちがひ》ありますまい。あゝよう|無事《ぶじ》で|居《ゐ》て|下《くだ》さつた』
と|駒彦《こまひこ》もホロリと|涙《なみだ》を|流《なが》す。お|久《ひさ》は、
お|久《ひさ》『せめて|二三日前《にさんにちまへ》にお|前《まへ》が|帰《かへ》つて|呉《く》れたなら、|妹《いもうと》のお|軽《かる》もあんな|目《め》に|会《あ》うのではなかつたぢやらうに……あゝ|残念《ざんねん》な|事《こと》をした。お|前《まへ》の|行方《ゆくへ》を|探《さが》したさ、|若《わか》いうちに|夫婦《ふうふ》が|交《かは》る|交《がは》る|紀《き》の|国《くに》|一面《いちめん》を|歩《ある》いて|見《み》たが、どうしても|行方《ゆくへ》が|知《し》れず、|斯《こ》う|年《とし》が|寄《よ》つては|歩《ある》く|事《こと》も|出来《でき》ぬので、|人《ひと》さへ|見《み》れば|吾《わが》|家《や》に|泊《とま》つて|貰《もら》ひ、|何《なに》かの|手懸《てがか》りもがなと、|善根宿《ぜんこんやど》をして|居《を》つたのだ。さうした|所《ところ》がエライ|泥棒《どろばう》を|泊《と》めて、|妹《いもうと》の|生命《いのち》を|取《と》られて|了《しま》うたのぢや。あゝ|可哀相《かはいさう》に……|妹《いもうと》が|生《いき》て|居《を》つたら|恋《こひ》しい|兄《あにい》に|会《あ》はれたと|言《い》うて、どれ|程《ほど》|喜《よろこ》ぶ|事《こと》であらう。アーア、ア』
と|婆《ばば》アは|泣《な》き|沈《しづ》む。|常楠爺《つねくすぢ》イも、|駒彦《こまひこ》も|共《とも》に|涙《なみだ》に|暮《く》れ、|鼻《はな》を|啜《すす》つて|居《ゐ》る。|秋彦《あきひこ》はこれを|聞《き》くより|走《はし》り|入《い》り、
|秋彦《あきひこ》『ヤア|駒彦《こまひこ》、お|芽出度《めでた》う。お|前《まへ》が|何時《いつ》も|両親《りやうしん》に|会《あ》ひたい|会《あ》ひたいと|云《い》つて|居《を》つたが、|思《おも》はぬ|所《ところ》で|親子《おやこ》の|対面《たいめん》が|出来《でき》た。これも|全《まつた》く|大神様《おほかみさま》のお|恵《めぐ》みだ。お|前《まへ》ばかりか、|俺《おれ》も|嬉《うれ》しい。アヽ|神《かみ》|様《さま》|有難《ありがた》う|御座《ござ》います』
と|涙声《なみだごゑ》になつて、|両手《りやうて》を|合《あは》せ、ちぎれちぎれに|咽《むせ》び|乍《なが》ら、|感謝《かんしや》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》する。|屋根《やね》には|熊野烏《くまのがらす》の|群《むれ》|七八羽《しちはちは》、|松魚木《かつをぎ》に|止《と》まつて|声《こゑ》を|嗄《か》らして|悲《かな》しげに『カワイカワイ』と|啼《な》き|立《た》てる。|天井《てんじやう》に|鼠《ねずみ》の|鳴《な》き|声《ごゑ》『チウチウチウ|孝行《かうかう》|々々《かうかう》』と|聞《きこ》え|来《き》たる。
(大正一一・六・一〇 旧五・一五 松村真澄録)
第六章 |神異《しんい》〔七一八〕
|胸《むね》の|思《おも》ひも|秋彦《あきひこ》や  |心《こころ》も|勇《いさ》む|駒彦《こまひこ》は
|親子《おやこ》|不思議《ふしぎ》の|対面《たいめん》に  |互《たがひ》に|心《こころ》も|解《と》け|合《あ》ひつ
|一夜々々《ひとよひとよ》と|日《ひ》を|送《おく》る。
ここへ|来《き》てから|三日目《みつかめ》の|朝《あさ》、|一人《ひとり》の|男《をとこ》、|門《もん》の|戸《と》をガラリと|開《あ》け、ノソノソと|入《い》り|来《きた》り、
|男《をとこ》『|常楠《つねくす》の|爺《ぢい》さま、お|前《まへ》の|内《うち》に|旅人《たびびと》が|泊《とま》つては|居《を》りませぬかな』
|常楠《つねくす》『アヽ|誰《たれ》かと|思《おも》へば|助公《すけこう》か、|何用《なによう》あつて|朝《あさ》|早《はや》うからお|出《い》でになつたのだ』
|助《すけ》『|別《べつ》に|用《よう》と|云《い》つてはないのだが、よくお|前《まへ》の|宅《うち》に|旅人《たびびと》が|泊《とま》るから、|事《こと》に|依《よ》つたらお|尋《たづ》ねしたい|事《こと》があり、|御願《おねがひ》もしたいと|思《おも》つて|尋《たづ》ねに|来《き》たのだよ。|二三日前《にさんにちまへ》から|二人《ふたり》のお|客《きやく》が|来《き》て|居《ゐ》る|筈《はず》だが……』
|常楠《つねくす》『お|前《まへ》の|云《い》ふ|通《とほ》り|宣伝使《せんでんし》が|二人《ふたり》|泊《とま》つて|御座《ござ》るのぢや、どんな|用《よう》があるのだい』
|助《すけ》『アヽ|一寸《ちよつと》した|事《こと》が………、|一先《ひとま》づ|内《うち》へ|帰《かへ》つて、|着物《きもの》でも|着替《きがへ》て、|改《あらた》めて|来《く》る|事《こと》にせう。こんな|風《ふう》では|失礼《しつれい》だからな』
と|云《い》ふより|早《はや》く|踵《きびす》を|返《かへ》し|立《た》ち|去《さ》らうとする。|常楠《つねくす》は|無理《むり》に|呼《よ》び|止《と》め、
|常楠《つねくす》『アヽコレコレ、お|前《まへ》の|内《うち》へ|帰《かへ》らうと|云《い》つても|随分《ずゐぶん》|遠《とほ》い|道程《みちのり》だ。そんなむつかしい|方《かた》だないから、|御尋《おたづ》ねする|事《こと》があれば、|其《その》|儘《まま》|尋《たづ》ねて|帰《かへ》つたがよからう』
|助《すけ》『|別《べつ》に|頼《たの》む|事《こと》はないが、|一《ひと》つ|訊問《じんもん》すべき|訳《わけ》があるのだ。|此《この》|間《あひだ》の|晩《ばん》にここへ|泊《とま》つて|居《ゐ》る|二人《ふたり》の|男《をとこ》が、|竜神《りうじん》の|宮《みや》の|柿《かき》を|盗《ぬす》んで|食《く》つたと|云《い》ふ|事《こと》だ。|酋長《しうちやう》さまのお|耳《みみ》に|神様《かみさま》からチヤンと|御知《おし》らせがあつて|調査《しらべ》に|来《き》たのだから、|爺《ぢ》イさま、|其《その》|二人《ふたり》を|取逃《とりにが》さぬ|様《やう》にして|置《お》きなさい。|万々一《まんまんいち》|取逃《とりにが》しでもしようものなら、|二人《ふたり》の|代《かは》りにお|前達《まへたち》|夫婦《ふうふ》が|生命《いのち》を|取《と》られねばなろまい。つい|其《その》|付近《てまへ》|迄《まで》|酋長《しうちやう》さまが|数多《あまた》の|手下《てした》を|引《ひ》きつれ|召捕《めしとり》に|見《み》えて|居《ゐ》るのだ。つまり|俺《わし》の|来《き》たのは、|実《じつ》の|所《とこ》を|言《い》へば|偵察《ていさつ》に|来《き》たのだよ。モウつい|此処《ここ》へ|見《み》えるだらうから………|俺《わし》は|帰《かへ》つて|酋長《しうちやう》に……|不在《るす》ではなかつた……とか、|不在《るす》だつたとか|云《い》ふ|積《つも》りだから、そこはお|前《まへ》の|心《こころ》に|何々《なになに》したがよからう。|余《あま》り|可哀相《かはいさう》だからなア。グヅグヅして|居《ゐ》るとモウつい|見《み》えるかも|知《し》れぬ。………アヽ|此処《ここ》は|裏口《うらぐち》があり、|木《き》の|茂《しげ》みもあり、|風景《ふうけい》の|佳《よ》い|所《ところ》だなア』
と|今《いま》の|内《うち》に|逃《に》げよと|云《い》はぬ|許《ばか》りの|口吻《こうふん》を|漏《も》らし、スタスタと|帰《かへ》つて|行《ゆ》く。
|常楠《つねくす》は|驚《おどろ》いて|奥《おく》に|入《い》り、
|常楠《つねくす》『お|久《ひさ》に|馬《うま》、|一寸《ちよつと》ここへ|来《き》て|呉《く》れ、|大変《たいへん》な|事《こと》が|起《おこ》つて|来《き》た。|秋彦《あきひこ》さまに|馬《うま》は|竜神《りうじん》の|宮様《みやさま》の|柿《かき》をむしつて|食《く》やせぬかな』
|駒彦《こまひこ》『|宮《みや》の|前《まへ》に|神様《かみさま》を|拝《をが》んで|居《を》ると、|美味《うま》さうな|柿《かき》が|風《かぜ》に|揺《ゆ》られて、|顔《かほ》の【ふち】へ|触《さは》つて|来《き》たものだから、|二人《ふたり》が|取《と》つて|食《く》ひました。|随分《ずゐぶん》|味《あぢ》の|佳《よ》い|柿《かき》でしたよ。なア|秋彦《あきひこ》、|美味《うま》かつたなア』
お|久《ひさ》『それは|又《また》|何《なん》とした|不調法《ぶてうはふ》をして|呉《く》れたのだ。そんな|事《こと》をしようものなら|此《この》|村《むら》は|荒《あ》れて|荒《あ》れて|難儀《なんぎ》をせなくてはならぬ。それで|酋長《しうちやう》さまが|厳《きび》しく|御禁制《ごはつと》になつて|居《を》るのぢや、|何時《いつ》でもあの|柿《かき》を|取《と》つた|者《もの》があると|直《すぐ》に、|酋長《しうちやう》の|耳《みみ》の|側《はた》へ|竜神《りうじん》さまが|告《つ》げに|行《ゆ》かつしやるので、|皆《みんな》|荒《あ》れが|恐《こは》さに|柿《かき》をとつた|人間《にんげん》を|早速《さつそく》|人身御供《ひとみごく》に|上《あ》げる|事《こと》になつて|居《ゐ》るのだが………アーア|折角《せつかく》|親子《おやこ》|対面《たいめん》して|嬉《うれ》しいと|思《おも》へば、|又《また》|憂目《うきめ》を|見《み》るのか、お|軽《かる》には|四五日前《しごにちぜん》に|別《わか》れ、|又《また》|兄《あに》の|馬《うま》に|死別《しにわか》れるとは、|何《なん》とした|因果《いんぐわ》な|吾々《われわれ》|夫婦《ふうふ》であらう』
と|泣《な》き|伏《ふ》しける。
|常楠《つねくす》『この|場《ば》に|及《およ》んで、|泣《な》いても|悔《くや》んでも、|最早《もはや》|後《あと》へは|戻《もど》らない。|何事《なにごと》も|前生《ぜんしやう》の|因縁《いんねん》ぢやと|諦《あきら》めて、|吾々《われわれ》|老夫婦《らうふうふ》が|身代《みがは》りになつて|行《い》かう。サア|早《はや》く、|馬《うま》に|秋彦《あきひこ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、あたなたは|未《ま》だ|行先《ゆくさき》が|長《なが》い、|是《こ》れから|世《よ》の|中《なか》の|為《ため》に|尽《つく》さねばならぬから、どうぞ|裏口《うらぐち》から|一時《いつとき》も|早《はや》く|逃出《にげだ》して|下《くだ》され。|二人《ふたり》を|逃《に》がした|罪《つみ》は|老人《としより》|夫婦《ふうふ》が|引受《ひきう》けるから………アーア|折角《せつかく》|久《ひさ》し|振《ぶ》りで|忰《せがれ》に|会《あ》うたと|思《おも》へば、モウ|別《わか》れねばならぬか』
と|流石《さすが》|気丈《きぢやう》な|常楠《つねくす》も|男泣《をとこな》きに|泣《な》き|立《た》てる。
|駒彦《こまひこ》『|御両親様《ごりやうしんさま》、|御心配《ごしんぱい》には|及《およ》びませぬ。|柿《かき》の|五《いつ》つや|十《とを》|取《と》つたと|云《い》つて、|村中《むらぢう》|荒《あ》れると|云《い》ふ|様《やう》な|分《わか》らずやの|神《かみ》なれば、【てつき】り|邪神《じやしん》でせう。|善悪《ぜんあく》の|立替《たてかへ》をなさる……|我々《われわれ》は|神々《かみがみ》を|背中《せなか》に|負《お》うて|歩《ある》いて|居《を》る|宣伝使《せんでんし》だから、|一《ひと》つ|其《その》|竜神《りうじん》を|往生《わうじやう》さして、|此《この》|村《むら》の|害《がい》を|除《のぞ》く|事《こと》にしませう。|決《けつ》して|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな』
|秋彦《あきひこ》『|吾々《われわれ》はよい|研究《けんきう》|材料《ざいれう》を|得《え》たのだ。ヤア|面白《おもしろ》うなつて|来《き》た。|日高川《ひだかがは》が|川止《かはど》めになつたのも|全《まつた》く|神様《かみさま》の|御摂理《ごせつり》であつたらしい。|其《その》お|蔭《かげ》で|竜神《りうじん》を|言向《ことむ》け|和《やは》し、|此《この》|附近《ふきん》の|土地《とち》を|安楽《あんらく》にしてやる|様《やう》にするのは、|吾々《われわれ》|宣伝使《せんでんし》の|好《この》んで|為《な》さねばならぬ|神業《しんげふ》だ。サア|駒彦《こまひこ》さん、|行《ゆ》きませうか』
|常楠《つねくす》『コレコレ|両人《りやうにん》、お|前達《まへたち》は|年《とし》が|若《わか》いから、そんな|無茶《むちや》な|事《こと》を|言《い》ふが、|昔《むかし》から|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》の|一《いち》の|眷属《けんぞく》ぢやと|云《い》うて、|大変《たいへん》な|強《つよ》い|竜神《りうじん》さまが、あの|滝《たき》には|鎮《しづ》まつて|御座《ござ》るのだから、|必《かなら》ず|必《かなら》ずそんな|処《とこ》へ|行《い》つてはなりませぬ。サア|早《はや》く|此《この》|裏口《うらぐち》から|逃《に》げて|帰《かへ》つて|下《くだ》され。あとは|老人《としより》|夫婦《ふうふ》が|身代《みがは》りになるから………アーア|是《こ》れが|吾《わが》|子《こ》の|見納《みをさ》めか』
と|又《また》|泣《な》き|沈《しづ》む。お|久《ひさ》も|目《め》を|腫《は》らし|涙《なみだ》に|暮《く》れて|顔《かほ》さへえあげず、|畳《たたみ》に|喰《く》ひ|付《つ》いて、|肩《かた》で|息《いき》をして|居《ゐ》る。
|秋彦《あきひこ》『|吾々《われわれ》|二人《ふたり》が|老人《としより》|夫婦《ふうふ》を|見棄《みす》てて|立去《たちさ》る|訳《わけ》にはどうしてもゆかない。どうだ|一層《いつそう》の|事《こと》、|一人《ひとり》づつ|背《せな》に|負《お》ぶつて、|此《この》|山伝《やまづた》ひに|安全地帯《あんぜんちたい》まで|逃《に》げる|事《こと》にしようか。なア|駒彦《こまひこ》、それより|上分別《じやうふんべつ》はあるまい』
|駒彦《こまひこ》『|吾々《われわれ》は|敵《てき》を|見《み》て|退去《たいきよ》するのは、|何《なん》ともなしに|心《こころ》が|済《す》まぬ。|斯《こ》う|云《い》ふ|時《とき》にこそ|言霊《ことたま》の|威力《ゐりよく》を|以《もつ》て|如何《いか》なる|強敵《きやうてき》も|言向《ことむ》け|和《やは》すのが|吾々《われわれ》の|職責《しよくせき》ではないか』
|秋彦《あきひこ》『あゝそれもさうだ。そんなら|捕手《とりて》の|来《く》るまで|此処《ここ》に|待《ま》つことにしよう』
|斯《か》く|話《はな》す|折《をり》しも|門《かど》の|外《そと》|俄《にはか》に|騒《さわ》がしく、|数多《あまた》の|人《ひと》の|足音《あしおと》|刻々《こくこく》に|近寄《ちかよ》り|来《きた》る。|酋長《しうちやう》の|木山彦《きやまひこ》は|十数人《じふすうにん》の|従者《ともびと》を|伴《ともな》ひ|物《もの》をも|言《い》はず|表戸《おもてど》を|引開《ひきあ》け、ドヤドヤと|入来《いりきた》り、
|木山彦《きやまひこ》『ヤア|常楠《つねくす》|夫婦《ふうふ》、|汝《なんぢ》が|宅《たく》には|竜神《りうじん》の|宮《みや》の|柿《かき》を|盗《ぬす》み|食《く》つたる|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》が|匿《かく》まひありと|聞《き》く。サア|速《すみやか》に|両人《りやうにん》を|此《この》|場《ば》に|引摺《ひきず》り|出《いだ》し、|手渡《てわた》しせよ』
と|厳《おごそ》かに|言《い》ひ|渡《わた》し、|家《いへ》の|周囲《しうゐ》に|手下《てした》を|間配《まくば》つて|逃《に》がすまじと|厳重《げんぢう》に|構《かま》へて|居《ゐ》る。|常楠《つねくす》|夫婦《ふうふ》は|答《こた》ふる|言葉《ことば》もなく『ハイ』と|言《い》つた|限《き》り、|俯《うつ》むいて|涙《なみだ》の|目《め》をしばたたいて|居《ゐ》る。|奥《おく》の|一間《ひとま》より|秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》の|両人《りやうにん》は|躍《をど》り|出《い》で、
|秋彦《あきひこ》『ヤア|木山彦《きやまひこ》の|酋長《しうちやう》とやら、お|役目《やくめ》|御苦労《ごくらう》で|御座《ござ》る。|如何《いか》にも|吾々《われわれ》は|竜神《りうじん》の|宮《みや》の|柿《かき》を|腹一杯《はらいつぱい》|取《と》つて|喰《くら》つた|者《もの》で|御座《ござ》る、|如何《どう》すると|仰有《おつしや》るのですか』
|木山彦《きやまひこ》『|昔《むかし》から|竜神《りうじん》の|宮《みや》の|柿《かき》を|取喰《とりくら》ふ|者《もの》ある|時《とき》は、|竜神《りうじん》の|祟《たた》りに|依《よ》つて、|日高山《ひだかやま》|一帯《いつたい》の|地方《ちはう》は|大洪水《だいこうずゐ》、|大風《おほかぜ》、|大地震《だいぢしん》の|天災《てんさい》|地変《ちへん》が|起《おこ》つて|来《く》るのだ。|一昨夜《いつさくや》も|吾《わが》|耳許《みみもと》に|竜神《りうじん》|現《あら》はれ、|駒彦《こまひこ》、|秋彦《あきひこ》と|云《い》ふ|二人《ふたり》の|男《をとこ》、|柿《かき》を|取喰《とりくら》ひ、|今《いま》|常楠《つねくす》の|家《いへ》に|逗留《とうりう》し|居《を》ると|御知《おし》らせになつた。|可哀相《かはいさう》だが|汝等《なんぢら》|二人《ふたり》を、|今晩《こんばん》は|人身御供《ひとみごく》にあげ、お|詫《わび》を|致《いた》さねばならぬ。これも|此《この》|村《むら》の|昔《むかし》からの|掟《おきて》だから、|観念《かんねん》して|吾々《われわれ》の|申《まを》す|通《とほ》り、|神妙《しんめう》に|人身御供《ひとみごく》にあがるがよからう』
と|声《こゑ》も|曇《くも》らせ|乍《なが》ら、|稍《やや》|俯《うつ》むき|同情《どうじやう》の|思《おも》ひに|暮《く》れて|居《ゐ》る。|駒彦《こまひこ》、|秋彦《あきひこ》は|木山彦《きやまひこ》の|心《こころ》を|察《さつ》し、
|駒彦《こまひこ》『ハイ|有難《ありがた》う。どうぞ|私《わたくし》を|人身御供《ひとみごく》にやつて|下《くだ》さい。|今度《こんど》は|悪業《いたづら》をなす|竜神《りうじん》をスツカリ|改心《かいしん》させ、|柿《かき》の|木《き》を|根元《ねもと》より|掘起《ほりおこ》し、|竜神《りうじん》の|宮《みや》を|叩《たた》き|壊《こは》し、|向後《かうご》の|害《がい》を|除《のぞ》きませう。サアサアどうぞ|早《はや》く|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》を|引張《ひつぱ》つて|往《い》つて|下《くだ》さい』
|木山彦《きやまひこ》『|早速《さつそく》の|御承知《ごしようち》、|吾々《われわれ》|満足《まんぞく》に|思《おも》ふ。が|併《しか》し|宮《みや》を|潰《つぶ》し|木《き》を|伐《き》るなどとの|暴言《ばうげん》は|止《や》めて|貰《もら》はねばならぬ』
|常楠《つねくす》|涙《なみだ》の|顔《かほ》を|上《あ》げ、
|常楠《つねくす》『モシ|酋長《しうちやう》さま、|実《じつ》の|所《ところ》|此《この》|男《をとこ》は|三才《さんさい》の|時《とき》に|天狗《てんぐ》に|攫《さら》はれて、|行方《ゆくへ》の|分《わか》らなかつた|馬楠《うまくす》で|御座《ござ》います。|二三日《にさんにち》|以前《いぜん》にフトした|事《こと》から、|親子《おやこ》|巡《めぐ》り|会《あ》ひ、|喜《よろこ》ぶ|間《ま》もなく|斯《こ》んな|悲《かな》しい|事《こと》になりました。|妹《いもうと》のお|軽《かる》は|賊《ぞく》に|殺《ころ》され、|二人《ふたり》の|子供《こども》は|老夫婦《らうふうふ》を|後《あと》に|残《のこ》して、|冥土《めいど》の|旅立《たびだち》を|致《いた》さねばならぬ|破目《はめ》になつたのも、|私《わたくし》の|深《ふか》き|前生《ぜんしやう》の|罪《つみ》がめぐつて|来《き》たので|御座《ござ》いませう。|御推量《ごすゐりやう》|下《くだ》さいませ』
と|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ひ|俯《うつむ》く。お|久《ひさ》は|身《み》を|慄《ふる》はせ|泣《な》く|計《ばか》りであつた。|木山彦《きやまひこ》も|悲歎《ひたん》の|涙《なみだ》に|暮《く》れ|乍《なが》ら、
|木山彦《きやまひこ》『アヽ|彼《あ》の|馬楠《うまくす》と|云《い》ふ|子《こ》は|此人《これ》だつたのか、|実《じつ》にお|歎《なげ》きの|程《ほど》お|察《さつ》し|申《まを》します。|併《しか》し|乍《なが》らお|前《まへ》の|子《こ》も|天狗《てんぐ》に|浚《さら》はれたが、|仮令《たとへ》|三日《みつか》でも、|親子《おやこ》の|対面《たいめん》が|出来《でき》て|別《わか》れるのだからまだしもだ。|吾々《われわれ》は|恰度《ちやうど》お|前《まへ》の|伜《せがれ》と|同《おな》じ|様《やう》な|年輩《ねんぱい》で|鹿《しか》と|云《い》ふ|子《こ》があつた。それが|何者《なにもの》に|浚《さら》はれたか|今《いま》に|行方《ゆくへ》は|知《し》れず、|比叡山《ひえいざん》を|立出《たちいで》てそれより|大和《やまと》、|河内《かはち》、|紀《き》の|国《くに》と|所在《ありか》を|探《さが》し、|漸《や》う|漸《や》う|此処《ここ》で|観念《かんねん》の|臍《ほぞ》を|固《かた》め、|最早《もはや》|死《し》んだものと|諦《あきら》め、|村人《むらびと》に|選《えら》まれて|酋長《しうちやう》になつたのだが、お|前《まへ》が|伜《せがれ》に|面会《めんくわい》した|喜《よろこ》びを|思《おも》ふに|付《つ》けて、|私《わし》も|何《なん》だか|失《うしな》うた|子供《こども》の|事《こと》を|思《おも》ひ|出《だ》し|悲《かな》しうなつて|来《き》た。アヽ|仕方《しかた》がない。|何事《なにごと》も|運命《うんめい》だ。サア|二人《ふたり》の|方《かた》、|気《き》の|毒《どく》|乍《なが》らチヤンと|用意《ようい》が|出来《でき》て|有《あ》る。|此《この》|唐櫃《からひつ》に|這入《はい》つて|下《くだ》さい』
|秋彦《あきひこ》は|木山彦《きやまひこ》の|言葉《ことば》、|鋭《するど》く|耳《みみ》に|入《い》り|腕《うで》を|組《く》み|呆然《ばうぜん》として|居《ゐ》る。|常楠《つねくす》|夫婦《ふうふ》は|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|泣《な》き|叫《さけ》ぶ。|木山彦《きやまひこ》は|涙《なみだ》を|隠《かく》し、|声《こゑ》を|荒《あら》らげ、
|木山彦《きやまひこ》『|時《とき》|遅《おく》れては|一大事《いちだいじ》サア|早《はや》く|早《はや》く』
と|迫《せ》き|立《た》てる。|駒彦《こまひこ》、|秋彦《あきひこ》は|直《すぐ》に|唐櫃《からひつ》の|中《なか》に|飛《と》び|込《こ》まうとするを、|木山彦《きやまひこ》は|押止《おしとど》め、
|木山彦《きやまひこ》『アヽお|二人《ふたり》さま、|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さい。ここに|白装束《しろしやうぞく》が|持《も》つて|来《き》てある。お|前《まへ》さまの|着物《きもの》をスツクリ|脱《ぬ》ぎ|捨《す》て、|此《こ》れと|着換《きかへ》て|往《い》て|貰《もら》ひたい』
|二人《ふたり》は『あゝ|久《ひさ》し|振《ぶ》りで|新《あたら》しき|御仕着《おしき》せを|頂戴《ちやうだい》|致《いた》します。……サア|是《こ》れから|千騎一騎《せんきいつき》の|活動《くわつどう》だ』と|心《こころ》に|喜《よろこ》び|乍《なが》ら|唐櫃《からひつ》の|中《なか》に|這入《はい》つて|了《しま》つた。|木山彦《きやまひこ》は『|助公《すけこう》|々々《すけこう》』と|呼《よ》び|立《た》てる。|言下《げんか》に|助公《すけこう》|始《はじ》め|十数人《じふすうにん》の|男《をとこ》はバラバラと|集《あつ》まり|来《きた》り、|唐櫃《からひつ》の|戸《と》を|固《かた》く|締《し》め、|七五三繩《しめなは》を|以《もつ》て|縛《しば》り|付《つ》け、|大勢《おほぜい》に|担《かつ》がせ、|此《この》|家《や》を|立出《たちい》でんとする|時《とき》、|老夫婦《らうふうふ》は|慌《あわて》て|門口《かどぐち》へ|送《おく》り|出《い》で、|其《その》|儘《まま》そこに|昏倒《こんたふ》して|了《しま》つた。|木山彦《きやまひこ》は|二三《にさん》の|男《をとこ》を|後《あと》に|残《のこ》し、|老夫婦《らうふうふ》の|看護《かいはう》をさせ、|漸《やうや》く|息《いき》を|吹《ふ》き|返《かへ》さしめた。|酋長《しうちやう》は|老人《らうじん》|夫婦《ふうふ》を|労《いたは》り|慰《なぐさ》め、|悠々《いういう》として|家路《いへぢ》に|帰《かへ》つた。
|一方《いつぱう》|二台《にだい》の|唐櫃《からひつ》は|竜神《りうじん》の|宮《みや》|指《さ》して、|人夫《にんぷ》の|唄《うた》の|声《こゑ》と|共《とも》に|遠《とほ》ざかり|行《ゆ》く。|老人《らうじん》|夫婦《ふうふ》は|互《たがひ》にしがみつき|悲歎《ひたん》の|涙《なみだ》|遣《や》る|瀬《せ》なく、|身《み》を|悶《もだ》え|居《を》る|時《とき》しも、|押入《おしい》れの|中《なか》よりムクムクと|現《あら》はれ|出《いで》たる|駒彦《こまひこ》、|秋彦《あきひこ》の|二人《ふたり》、|老夫婦《らうふうふ》の|背《せな》を|撫《な》で、
|駒彦《こまひこ》『モシモシ|馬《うま》で|御座《ござ》います。……|秋彦《あきひこ》で|御座《ござ》います。|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さい。コレ|此《この》|通《とほ》り|無事《ぶじ》に|居《を》ります』
と|聞《き》いて|夫婦《ふうふ》は|二度《にど》ビツクリ、|夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|幻《まぼろし》かと|二人《ふたり》の|顔《かほ》を|看《み》まもり、|暫《しば》しは|言葉《ことば》もえ|出《いだ》さず|呆《あき》れて|居《ゐ》る。|稍《やや》あつて|常楠《つねくす》は、
|常楠《つねくす》『ハテ|不思議《ふしぎ》な|事《こと》もあるものだなア。|如何《どう》して|此処《ここ》へお|前達《まへたち》は|帰《かへ》つて|来《き》たのか。|又《また》もや|追手《おつて》が|迫《せま》つて|来《き》はせぬか。サア|早《はや》く|何《なん》とかせねばなるまい』
と|嬉《うれ》しさ|恐《こは》さに|身《み》をもがく。
|駒彦《こまひこ》『|御両親《ごりやうしん》さま、|御案《おあん》じ|下《くだ》さいますな。|只今《ただいま》|大神様《おほかみさま》へお|願《ねがひ》|致《いた》しました|所《ところ》、|高倉《たかくら》、|旭《あさひ》の|明神《みやうじん》|現《あら》はれ、|身代《みがは》りになつて|行《い》つて|呉《く》れられました。モウ|大丈夫《だいぢやうぶ》です。|併《しか》し|乍《なが》らここに|居《を》つては|一大事《いちだいじ》、サア|今《いま》の|内《うち》に|我々《われわれ》|四人《よつたり》、|手《て》に|手《て》を|取《と》りて|日高川《ひだかがは》を|渡《わた》り、|熊野《くまの》|方面《はうめん》|指《さ》して|参《まゐ》りませう。|必《かなら》ず|御心配《ごしんぱい》は|要《い》りませぬ。|吾々《われわれ》は|神様《かみさま》と|二人連《ふたりづ》れ、|滅多《めつた》な|事《こと》はないから、|一時《いちじ》も|早《はや》く|此処《ここ》を|立去《たちさ》る|事《こと》に|致《いた》しませう』
|老夫婦《らうふうふ》は|雀躍《こをど》りし、|一《いち》も|二《に》もなく|二人《ふたり》の|言葉《ことば》に|賛意《さんい》を|表《へう》し|匆々《さうさう》|此《この》|家《や》に|火《ひ》をかけ、|急《いそ》いで|日高川《ひだかがは》の|岸辺《きしべ》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
|木山彦《きやまひこ》は|二三《にさん》の|従者《じゆうしや》と|共《とも》に|我《わが》|館《やかた》に|立帰《たちかへ》り、ものをも|言《い》はず|奥《おく》の|一間《ひとま》に|入《い》りて、|双手《もろて》を|組《く》み|溜息《ためいき》をつき、|思案《しあん》に|暮《く》れて|居《ゐ》る。|此《この》|場《ば》に|茶《ちや》を|汲《く》んで|現《あら》はれた|妻《つま》の|木山姫《きやまひめ》は、|夫《をつと》の|普通《ただ》ならぬ|顔《かほ》に|不審《ふしん》を|起《おこ》し、|恐《おそ》る|恐《おそ》る|両手《りやうて》を|突《つ》き、
|木山姫《きやまひめ》『|今日《けふ》に|限《かぎ》つて|心配《しんぱい》さうなあなたの|御顔《おかほ》、|何《なに》か|又《また》|大事《だいじ》が|突発《とつぱつ》|致《いた》しましたか』
と|尋《たづ》ねる。|木山彦《きやまひこ》は|妻《つま》の|言葉《ことば》の|耳《みみ》に|入《い》らざるが|如《ごと》く、|黙然《もくねん》として|俯《うつ》むき、|両眼《りやうがん》よりは|紅涙滴々《こうるゐてきてき》として|滴《したた》るのであつた。|木山姫《きやまひめ》は|合点《がてん》|行《ゆ》かず、|側近《そばちか》く|寄《よ》り|添《そ》ひ、
|木山姫《きやまひめ》『モシ|吾《わが》|夫様《つまさま》、|何《なに》か|御心配《ごしんぱい》な|事《こと》が|出来《でき》ましたか』
と|云《い》ふ|声《こゑ》に|始《はじ》めて|気《き》がつき、
|木山彦《きやまひこ》『アヽ|木山姫《きやまひめ》か』
|木山姫《きやまひめ》『|今日《けふ》に|限《かぎ》つてハツキリせぬあなたの|御顔《おんかほ》、どうぞ|包《つつ》み|隠《かく》さず|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さりませ』
|木山彦《きやまひこ》『アーア|人間《にんげん》|位《くらゐ》|果敢《はか》ないものは|無《な》い。|私《わし》も|三人《さんにん》の|子供《こども》があつたが|二人《ふたり》|迄《まで》、|村《むら》の|者《もの》が|竜神《りうじん》の|宮《みや》の|柿《かき》を|取《と》り、|何処《どこ》かへ|遁走《とんそう》したので、|其《その》|身代《みがは》りに|二人《ふたり》の|娘《むすめ》は|奪《と》られ、|一人《ひとり》の|伜《せがれ》は|何者《なにもの》に|攫《さら》はれたか、|幼少《えうせう》の|時《とき》より|行方《ゆくへ》|知《し》れず、|斯《こ》うして|二人《ふたり》が|日高《ひだか》の|庄《しやう》の|酋長《しうちやう》と|仰《あふ》がれ、|老《おい》の|余生《よせい》を|送《おく》つては|居《を》るものの、|思《おも》へば|思《おも》へば|寂《さび》しい|事《こと》だ』
と|又《また》|俯向《うつむ》く。
|木山姫《きやまひめ》『|今日《けふ》に|限《かぎ》つた|事《こと》では|御座《ござ》いませぬ。どうぞ|過去《すぎさ》つた|事《こと》は|思《おも》ひ|出《だ》さずに、ハンナリとして|暮《くら》して|下《くだ》さいませ。|妾《わたし》も|女《をんな》の|身《み》|乍《なが》ら|既《すで》に|諦《あきら》めて|居《を》ります』
|木山彦《きやまひこ》『|若《も》しも|紛失《ふんしつ》|致《いた》した|伜《せがれ》の|鹿公《しかこう》が|此《この》|世《よ》に|居《を》つたら、お|前《まへ》は|如何《どう》|思《おも》ふか』
|木山姫《きやまひめ》『お|尋《たづ》ねまでもなく、そんな|嬉《うれ》しい|事《こと》は|御座《ござ》いませぬ。して|又《また》|伜《せがれ》の|行方《ゆくへ》が|貴方《あなた》にお|分《わか》りになつたのですか』
|木山彦《きやまひこ》『イヤ|分《わか》つたでもなし、|分《わか》らぬでもなし。……アーア|実《じつ》に|残念《ざんねん》な|事《こと》ぢや。|会《あ》はぬがマシであつたワイ』
|木山姫《きやまひめ》『エヽ|何《なん》と|仰《あふ》せられます。|会《あ》はぬがマシ…………とは|心得《こころえ》ぬお|言葉《ことば》。あなたは|伜《せがれ》にお|会《あ》ひになつたのでせう。なぜ|如何《どう》とかして|連《つ》れて|帰《かへ》つては|下《くだ》されませぬ』
|木山彦《きやまひこ》『|連《つ》れて|帰《かへ》りたいは|山々《やまやま》なれど、|儘《まま》にならぬは|浮世《うきよ》の|慣《なら》ひだ。あの|常楠《つねくす》の|老夫婦《らうふうふ》も|一人《ひとり》の|娘《むすめ》を|賊《ぞく》に|殺《ころ》され、|永《なが》らく|分《わか》らなかつた|伜《せがれ》に|遇《あ》うたと|思《おも》へば、|竜神《りうじん》の|宮《みや》の|人身御供《ひとみごく》にあげられ、|言《い》ふに|謂《い》はれぬ|悲歎《ひたん》の|涙《なみだ》に|暮《く》れて|居《ゐ》た。アヽ|可哀相《かはいさう》だ。|他人《ひと》の|事《こと》かと|思《おも》へば|吾《わが》|身《み》の|事《こと》だ。|日頃《ひごろ》|心《こころ》にかけて|慕《した》うて|居《を》つた|伜《せがれ》の|鹿公《しかこう》も………アヽモウ|言《い》ふまい|言《い》ふまい』
と|又《また》もや|俯向《うつむ》き|吐息《といき》をつく。
|木山姫《きやまひめ》『それはそれは|常楠《つねくす》の|老夫婦《らうふうふ》も|可愛相《かあいさう》な|事《こと》をしましたなア。|併《しか》し|伜《せがれ》の|鹿《しか》にお|会《あ》ひになつた|様《やう》な|貴方《あなた》のお|言葉《ことば》、それは|一体《いつたい》|如何《どう》なつたので|御座《ござ》います』
|木山彦《きやまひこ》『モウ|仕方《しかた》がない。|驚《おどろ》いて|呉《く》れな|実《じつ》は|鹿公《しかこう》に|会《あ》うて|来《き》た。|名乗《なのり》もならず、|暗々《やみやみ》と|常楠《つねくす》の|伜《せがれ》と|共《とも》に|人身御供《ひとみごく》にやつて|了《しま》うた』
と|耐《こ》ばり|切《き》つたる|悲《かな》しさの|堤《つつみ》も|切《き》れて、|大声《おほごゑ》に|男泣《をとこな》きに|泣《な》き|立《た》てた。|木山姫《きやまひめ》もハツと|驚《おどろ》き|共《とも》に|涙《なみだ》に|正体《しやうたい》なく|身《み》を|揺《ゆす》つて|泣《な》き|倒《たふ》れる。|斯《かか》る|所《ところ》へ|息急《いきせ》き|切《き》つて|走《はし》つて|来《き》た|小頭《こがしら》の|助公《すけこう》は、
|助公《すけこう》『|申上《まをしあ》げます。|唯今《ただいま》|竜神《りうじん》の|宮《みや》へ|二人《ふたり》の|人身御供《ひとみごく》を|持《も》つて|参《まゐ》りますと、|神殿《しんでん》|俄《にはか》に|鳴動《めいどう》|致《いた》し、|中《なか》より|白髪《はくはつ》|異様《いやう》の|恐《おそ》ろしき|神《かみ》が|現《あら》はれ、|唐櫃《からひつ》の|戸《と》を|叩《たた》き|破《わ》りました|途端《とたん》に、|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》は|躍《をど》り|出《い》で、|白髪《はくはつ》|異様《いやう》の|神《かみ》を|相手《あひて》に|組《く》んづ|崩《くづ》れつ|大格闘《だいかくとう》をやつて|居《を》りましたが、|遂《つひ》には|宣伝使《せんでんし》の|力《ちから》が|勝《すぐ》れて|居《を》つたと|見《み》え、|神《かみ》さまは|二《ふた》つに|引《ひ》き|裂《さ》かれて、|谷川《たにがは》へドツと|許《ばか》りに|投《な》げ|込《こ》まれ、|川水《かはみづ》は|忽《たちま》ち|血《ち》の|川《かは》となつて|了《しま》ひました。|吾々《われわれ》|共《ども》は|大地《だいち》に|平太張《へたば》り|恐々《こはごは》|此《この》|活劇《くわつげき》を|見《み》て|居《を》りました|所《ところ》、|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》は|吾々《われわれ》に|向《むか》ひ……|最早《もはや》|竜神《りうじん》の|宮《みや》の|悪神《あくがみ》は|退治《たいぢ》|致《いた》したれば、|今後《こんご》は|決《けつ》して|人身御供《ひとみごく》などを|請求《せいきう》する|気遣《きづか》ひはない。|又《また》|今後《こんご》は|柿《かき》の|実《み》は|汝等《なんぢら》|勝手《かつて》に|取《と》つて|食《く》つて|差支《さしつかへ》ない………と|仰《あふ》せられ、|且《かつ》|私《わたし》を|特《とく》に|近《ちか》くお|召《め》しなされ………|一時《いちじ》も|早《はや》く|此《この》|事《こと》を|木山彦《きやまひこ》の|酋長《しうちやう》に|伝達《でんたつ》せよ………との|厳命《げんめい》で|御座《ござ》りました。ハツと|驚《おどろ》き|承知《しようち》の|旨《むね》を|答《こた》へますると、|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》は|谷川《たにがは》|伝《づた》ひに|猿《ましら》の|如《ごと》く|何《いづ》れへか|姿《すがた》を|隠《かく》されました、|最早《もはや》|今後《こんご》は|人身御供《ひとみごく》の|憂《うれ》へも|御座《ござ》りませぬから、|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さりませ』
と|詳細《しやうさい》に|物語《ものがた》るを|聞《き》いた|木山彦《きやまひこ》は|立《た》ち|上《あが》り、
|木山彦《きやまひこ》『ナニ|竜神《りうじん》の|宮《みや》の|神様《かみさま》を|退治《たいぢ》|致《いた》したと……さうして|其《その》|宣伝使《せんでんし》の|行方《ゆくへ》は|分《わか》らぬか』
|助公《すけこう》『ハイ|余《あま》り|御足《おあし》が|早《はや》いので、|追《お》つ|付《つ》いておたづね|申《まを》す|事《こと》も|出来《でき》ずどこへお|出《いで》になつたか|皆目《かいもく》|見当《けんたう》が|付《つ》きませぬ。|已《や》むを|得《え》ず|帰路《きろ》に|就《つ》けば|常楠《つねくす》の|家《いへ》はドンドンと|燃《も》えて|居《を》ります。あゝ|可愛相《かあいさう》に|老人《としより》|夫婦《ふうふ》は|助《たす》けてやりたいと|思《おも》ひ、|探《さが》して|見《み》ても|影《かげ》も|形《かたち》もなく、|大方《おほかた》|自《みずか》ら|火《ひ》を|放《はな》ちて、|夫婦《ふうふ》が|焼《や》け|死《じ》にでもしたので|御座《ござ》いませう。|実《じつ》に|可愛相《かあいさう》な|事《こと》を|致《いた》しました』
|木山彦《きやまひこ》『それは|御苦労《ごくらう》であつた。さぞ|村人《むらびと》も|喜《よろこ》ぶ|事《こと》であらう。|併《しか》し|乍《なが》ら|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》は|何《なに》か|落《おと》して|行《ゆ》かれなかつたか』
と|問《と》はれて|助公《すけこう》は、
|助公《すけこう》『ハイ|斯様《かやう》な|物《もの》が|落《お》ちて|居《を》りました』
と|守袋《まもりぶくろ》を|懐《ふところ》から|取出《とりだ》し|手《て》に|渡《わた》せば、|木山彦《きやまひこ》は、
|木山彦《きやまひこ》『コリヤ|木山姫《きやまひめ》、|此《この》|守袋《まもりぶくろ》はお|前《まへ》|覚《おぼ》えがないか』
と|木山姫《きやまひめ》の|前《まへ》に|突出《つきだ》せば、|木山姫《きやまひめ》は、
|木山姫《きやまひめ》『|一寸《ちよつと》|見《み》せて|下《くだ》さいませ』
と|手《て》に|取《と》り|上《あ》げ、|裏表《うらおもて》を|打《うち》かへし|眺《なが》めて、
|木山姫《きやまひめ》『あゝ|確《たし》かに|覚《おぼ》えが|御座《ござ》います。|余《あま》り|古《ふる》びて|居《を》りますので、ハツキリは|分《わか》りませぬが|守袋《まもりぶくろ》の|底《そこ》に|○《まる》に|十《じふ》の|字《じ》を|印《しる》して|置《お》きましたが、|未《いま》だにウツスリと|残《のこ》つて|居《を》ります。これは|全《まつた》く|伜《せがれ》の|守袋《まもりぶくろ》に|間違《まちがひ》は|御座《ござ》いませぬ』
|木山彦《きやまひこ》『それならば|確《たし》かに|伜《せがれ》に|間違《まちが》ひない。|兎《うさぎ》の|様《やう》な|尖《とが》つた|耳《みみ》で|時時《ときどき》|耳《みみ》を|動《うご》かせる|所《ところ》、|鼻《はな》の|先《さき》の|尖《とが》つた|所《ところ》はお|前《まへ》に|生写《いきうつし》、アヽ|偉《えら》い|者《もの》だなア。よう|伜《せがれ》|助《たす》かつて|呉《く》れた。|常楠《つねくす》の|伜《せがれ》もそれでは|無事《ぶじ》だつたか。あゝ|有難《ありがた》い、|全《まつた》く|熊野《くまの》の|神様《かみさま》の|御守護《ごしゆご》だ。サア|女房《にようばう》、|吾々《われわれ》も|此《この》|館《やかた》を|暫《しばら》く|明《あ》けて|熊野《くまの》へ|夫婦《ふうふ》|連《づ》れ、|御礼《おれい》|参《まゐ》りをしようではないか。|又《また》|神様《かみさま》の|御引合《おひきあは》せで|伜《せがれ》に|遇《あ》へるかも|知《し》れぬ、|善《ぜん》は|急《いそ》げだ、|早《はや》く|用意《ようい》をせよ』
|木山姫《きやまひめ》『|先《ま》づ|先《ま》づジツクリと|気《き》を|落《お》ち|着《つ》けて|下《くだ》さりませ。|急《せ》いては|事《こと》を|仕損《しそん》ずると|云《い》ふ|諺《ことわざ》もありますから……』
|木山彦《きやまひこ》は|周章《あわて》て、
『お|前《まへ》|厭《いや》なら|来《こ》なくてもよい、サア|助公《すけこう》、|随伴《とも》の|用意《ようい》だ』
|助公《すけこう》『ハイ|畏《かしこ》まりました、|直様《すぐさま》|用意《ようい》に|取掛《とりかか》りませう』
|木山姫《きやまひめ》『|左様《さやう》なれば|妾《わたし》も|一緒《いつしよ》にお|伴《とも》|指《さ》して|下《くだ》さいませ。|併《しか》し|留守《るす》は|如何《どう》したら|宜《よろ》しいか』
|木山彦《きやまひこ》『|留守《るす》も|何《なに》も|要《い》つたものか。|家財《かざい》よりも|何《なに》よりも、|大切《たいせつ》な|宝《たから》は|吾《わが》|子《こ》よりないのだ。|子《こ》に|会《あ》へさへすれば、|財産《ざいさん》も|何《なに》も|要《い》るものか。|如何《どう》なろと|構《かま》はぬ。サア|早《はや》く|往《ゆ》かう』
|助公《すけこう》は|家《いへ》の|戸締《とじま》り|万端《ばんたん》に|気《き》を|付《つ》け、|夫婦《ふうふ》の|後《あと》に|随《したが》ひ、|熊野《くまの》を|指《さ》して|出《いで》て|行《ゆ》く。
(大正一一・六・一一 旧五・一六 松村真澄録)
(昭和一〇・六・五 旧五・五 王仁校正)
第七章 |知《し》らぬが|仏《ほとけ》〔七一九〕
|秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》の|宣伝使《せんでんし》は、|常楠《つねくす》、お|久《ひさ》の|老夫婦《らうふうふ》と|共《とも》に、|木山《きやま》の|里《さと》を|立出《たちい》で|漸《やうや》う|栗栖川《くりすがは》の|畔《ほとり》、|栗栖《くりす》の|森《もり》に|着《つ》いた。|老人《らうじん》の|事《こと》とて|疲労《ひらう》を|感《かん》じ、|此処《ここ》に|駒彦《こまひこ》の|父《ちち》|常楠《つねくす》は、|俄《にはか》に|胸腹部《きようふくぶ》の|激痛《げきつう》を|感《かん》じ、|発熱《はつねつ》|甚《はなはだ》しく、|身動《みうご》きもならぬやうになつて|了《しま》つた。お|久《ひさ》を|始《はじ》め|秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》の|両人《りやうにん》は、|如何《いか》にもして|常楠《つねくす》の|病気《びやうき》を|恢復《くわいふく》せしめむと、|栗栖《くりす》の|宮《みや》の|半《なかば》|破《やぶ》れたる|社務所《ながとこ》に|立寄《たちよ》り、いろいろと|介抱《かいほう》に|手《て》を|尽《つく》したが、|病《やまひ》は|追々《おひおひ》|重《おも》るばかりで、|命《めい》|旦夕《たんせき》に|迫《せま》つて|来《き》た。
|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》は|栗栖川《くりすがは》の|上流《じやうりう》に|妙薬《めうやく》ありと|聞《き》き、|手配《てわけ》して|山《やま》|深《ふか》く|薬草《やくさう》を|求《もと》むべく|進《すす》み|入《い》つた。|後《あと》にお|久《ひさ》は|夫《をつと》の|看病《かんびやう》に|余念《よねん》なく、|心力《しんりよく》を|尽《つく》して|老《おい》の|身《み》の|労苦《らうく》も|打忘《うちわす》れ、|看護《かんご》に|努《つと》めた。|人里《ひとざと》|離《はな》れし|淋《さび》しき|此《この》|栗栖《くりす》の|宮《みや》の|森《もり》は|人声《ひとごゑ》もなく、|時々《ときどき》|烏《からす》の|声《こゑ》、|百舌鳥《もず》の|囁《ささや》きが|聞《きこ》ゆるばかり、|凩《こがらし》は|時《とき》を|仕切《しき》つて|吹《ふ》いて|来《く》る。さすが|暖国《だんこく》の|冬《ふゆ》も、|今日《けふ》に|限《かぎ》つて|殊更《ことさら》|厳寒《げんかん》を|感《かん》じ、|身《み》に|寒疣《さむいぼ》を|現《あら》はすばかりであつた。
|夜《よ》は|深々《しんしん》と|更《ふ》け|渡《わた》り、|月《つき》は|皓々《かうかう》と|中天《ちうてん》に|輝《かがや》き、|憐《あは》れな|老夫婦《らうふうふ》の|境遇《きやうぐう》を|憐《あは》れ|気《げ》に|見下《みお》ろし|給《たま》ひつつあるものの|如《ごと》く、|時々《ときどき》|月《つき》の|面《おも》を|掠《かす》めて|淡《あは》い|雲《くも》が|来往《らいわう》してゐる。|其《その》|度《たび》|毎《ごと》にパツと|明《あか》くなつたり、|又《また》パツと|薄暗《うすぐら》くなり、|空《そら》には|薄茶色《うすちやいろ》の|雲《くも》、|白雲《しらくも》に|混《まじ》つて|脚速《あしばや》く|右往左往《うわうさわう》に|彷徨《はうくわう》して|居《ゐ》る。
|此《この》|時《とき》|覆面《ふくめん》した|二人《ふたり》の|大男《おほをとこ》、|何事《なにごと》かヒソビソと|囁《ささや》き|乍《なが》ら、|此《この》|森《もり》に|向《むか》つて|進《すす》み|来《きた》り、|社務所《ながとこ》の|中《なか》に|老夫婦《らうふうふ》のあるをも|知《し》らず、|縁側《えんがは》に|腰《こし》|打《うち》かけ、ヒソビソ|話《ばなし》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》たが、|遂《つひ》には|興《きよう》に|乗《の》つて|声高《こわだか》に|囀《さへづ》り|始《はじ》めた。
|甲《かふ》『オイ|虻公《あぶこう》、|此《この》|頃《ごろ》は|泥棒《どろばう》|商売《しやうばい》も|薩張《さつぱ》り|冬枯《ふゆが》れで、|懐《ふところ》も|寒《さむ》いことだないか。なんぞ|好《い》い|鳥《とり》がやつて|来《き》さうなものだな。|木山《きやま》の|里《さと》で|爺《ぢぢ》と|婆《ばば》アの|家《うち》に|泊《とま》り|込《こ》み、|奪《と》つて|来《き》た|金子《かね》は|大方《おほかた》|使《つか》ひ|果《はた》し、|最早《もはや》|二進《につち》も|三進《さつち》も|行《ゆ》かなくなつて|了《しま》つたぢやないか。|此処《ここ》で|一《ひと》つ|大《おほ》きな|仕事《しごと》をせぬことには、|持《も》ちもせぬ|乾児《こぶん》を|養《やしな》ふことも|出来《でき》ず、|乾児《こぶん》の|嬶《かかあ》や|子供《こども》までが|薩張《さつぱり》|乾上《ひあが》つて|了《しま》ふ。|何《なん》とか|好《よ》い|思案《しあん》は|出《で》ないだらうかなア』
|虻公《あぶこう》『オイ|蜂公《はちこう》、|貴様《きさま》は|金子《かね》が|手《て》に|入《い》ると、|大風《おほかぜ》に|灰《はひ》|撒《ま》くやうに、|直《すぐ》にバラバラと|撒《ま》き|散《ち》らしやがるものだから|困《こま》つて|了《しま》ふワ。|貴様《きさま》は|乾児《こぶん》も|少《すくな》し、|一人生活《ひとりぐらし》ぢやないか。|俺《おれ》のやうに|有《あ》りもせぬ|乾児《こぶん》の|十人《じふにん》も|持《も》ち、|近所《きんじよ》の|杢平《もくべい》が|七八人《しちはちにん》の|家族《かぞく》を|抱《かか》へてゐては|到底《たうてい》|小《ちひ》さい|働《はたら》きではやりきれない。|木山《きやま》の|里《さと》で|奪《と》つた|金子《かね》も|百両《ひやくりやう》ばかりあつたが、|貴様《きさま》は|山分《やまわ》けにして|五十両《ごじふりやう》|持《も》つて|帰《かへ》つたのだから、|余程《よほど》|使《つか》ひでがなければならぬ。|俺達《おれたち》とは|責任《せきにん》が|大変《たいへん》|違《ちが》ふのだから……』
|蜂公《はちこう》『|何《なん》と|云《い》つても|五十両《ごじふりやう》は|五十両《ごじふりやう》だ。|家内《かない》が|少《すくな》いと|云《い》つて|五十両《ごじふりやう》が|百両《ひやくりやう》に|使《つか》へる|道理《だうり》も|無《な》し、|又《また》|家内《かない》や|乾児《こぶん》が|多《おほ》いと|云《い》つても、|五十両《ごじふりやう》は|依然《やつぱり》|五十両《ごじふりやう》だ。|滅多《めつた》に|二十両《にじふりやう》になる|気遣《きづか》ひは|無《な》い。そんな|吝《けち》なことを|云《い》ふない』
|虻公《あぶこう》『|其《その》|癖《くせ》|貴様《きさま》は|可愛相《かあいさう》に|彼《あ》の|娘《むすめ》を○○して、|両親《りやうしん》の|前《まへ》で【ばら】したぢやないか。ヨウま|彼《あ》んな|鬼《おに》のやうな|事《こと》が|出来《でき》たものだ』
|蜂公《はちこう》『ヘン|俺《おれ》が|鬼《おに》なら|貴様《きさま》も|鬼《おに》だ』
|虻公《あぶこう》『|鬼《おに》にも|善悪《ぜんあく》があつて、|貴様《きさま》のは|特別製《とくべつせい》の|角【鬼】《つのおに》だ、|所謂《いはゆる》|雄《をす》だ。|俺《おれ》のは|雌《めす》だから|角《つの》の|無《な》い|【鬼】《おに》だからなア』
|蜂公《はちこう》『|定《きま》つたことだ。|鬼《おに》なら|鬼《おに》で、|何処迄《どこまで》も|徹底的《てつていてき》に|鬼《おに》たるの|本分《ほんぶん》を|尽《つく》さねばなるまい、|貴様《きさま》のやうに|少《すこ》し|金子《かね》が|出来《でき》ると、|仏《ほとけ》の|道《みち》とか、|金《かね》の|道《みち》とかに|逆転《ぎやくてん》しやうとする|様《やう》なことで、|何《ど》うして|大《おほ》きな|仕事《しごと》が|出来《でき》るものか』
と|話《はな》してゐる。|社務所《ながとこ》の|中《なか》より|苦悶《くもん》の|声《こゑ》、|両人《りやうにん》の|耳《みみ》を|刺《さ》した。
|虻公《あぶこう》『ヤア|何《なん》だか|妙《めう》な|声《こゑ》がするぢやないか』
|蜂公《はちこう》『ほんに|怪体《けつたい》な|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》た。|全《まる》で|狼《おほかみ》の|唸《うな》り|声《ごゑ》のやうだ。|一体《いつたい》|何物《なにもの》だらう。|一《ひと》つ|調《しら》べて|見《み》たら|何《ど》うだ』
|虻公《あぶこう》『おけおけ、|君子《くんし》は|危《あやふ》きに|近付《ちかづ》かずだ。|幽霊《いうれい》かも|知《し》れないぞ』
|蜂公《はちこう》『|君子《くんし》が|聞《き》いて|呆《あき》れるワ。|貴様《きさま》のやうな|悪党《あくたう》が、|何処《どこ》の|盲《めくら》が|見《み》たつて|君子《くんし》と|思《おも》ふ|奴《やつ》があるか。お|軽《かる》の|幽霊《いうれい》が|貴様達《きさまたち》が|此処《ここ》へ|来《く》ると|思《おも》つて、|待《ま》つてゐやがるのかも|知《し》れぬぞ。|何《なん》だか|俺《おれ》は|首筋元《くびすぢもと》がゾクゾクして|来《き》た。|外《そと》は|寒《さむ》い|風《かぜ》が|吹《ふ》くなり、|中《なか》には|嫌《いや》らし|声《こゑ》が|聞《きこ》えるなり、|遣《や》り|切《き》れなくなつたぢやないか』
|虻公《あぶこう》『そんなチヨロ|臭《くさ》いことを|云《い》つて|居《を》ると、|貴様《きさま》と|俺《おれ》の|名《な》ぢやないが|虻蜂取《あぶはちと》らずになつて|了《しま》ふぞ。ひよつとしたら|旅人《たびびと》が|沢山《どつさり》|金子《かね》を|持《も》つて|寝《ね》てゐやがるかも|知《し》れぬぞ、|山吹色《やまぶきいろ》の|奴《やつ》がウンウンと|唸《うな》つてゐるのだらう。|一《ひと》つ|勇気《ゆうき》を|出《だ》して|踏《ふ》ん|込《ご》み、ウンの|正体《しやうたい》を|見届《みとど》けやうぢやないか。ひよつとしたら|吾々《われわれ》の|運《うん》の|開《ひら》け|口《ぐち》かも|知《し》れぬぞ』
|蜂公《はちこう》『うつかり|遣《や》り|損《そこな》ふとウンが|下《さが》つて|尻《しり》から|出《で》るウンにならぬやうにせよ。|貴様《きさま》は|何時《いつ》も|狼狽者《あわてもの》だから|尻《しり》の|局《つぼね》はついた|事《こと》はない。|年《ねん》が|年中《ねんぢう》|手《て》を|出《だ》しては|糞垂《ばばた》れる|奴《やつ》ぢやから、アハヽヽヽ』
と|笑《わら》ふ。お|久《ひさ》は|此《この》|笑《わら》ひ|声《ごゑ》を|聞《き》いて、|待《ま》ちに|待《ま》つたる|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》の|帰《かへ》つたのだと|早合点《はやがつてん》し、|中《なか》より|戸《と》を|開《ひら》いて、
お|久《ひさ》『アヽ|待《ま》ち|兼《か》ねました、お|二人《ふたり》の|方《かた》、|早《はや》く|這入《はい》つて|下《くだ》さい。|嘸《さぞ》|寒《さむ》かつたでせう』
|二人《ふたり》|一度《いちど》に、
『ヤア|誰《たれ》かと|思《おも》へば|貴方《あなた》は|此家《ここ》の|御主人《ごしゆじん》か。|兎《と》も|角《かく》それでは|一服《いつぷく》さして|貰《もら》ひませう』
と|内《うち》に|入《い》る。|微《かすか》な|明《あか》りに|映《うつ》つた|虻《あぶ》、|蜂《はち》|二人《ふたり》の|顔《かほ》。お|久《ひさ》は|之《これ》を|眺《なが》めて、
お|久《ひさ》『アツ、お|前等《まへら》は|此《この》|間《あひだ》|我《わ》が|家《や》に|泊《とま》り|込《こ》み、|娘《むすめ》の|生命《いのち》を|奪《と》り、|有金《ありがね》を【すつかり】|浚《さら》へて|逃《に》げ|居《を》つた|泥棒《どろばう》ぢやないか。サア、|斯《こ》うなる|以上《いじやう》は|我《わ》が|子《こ》の|仇敵《かたき》、モウ|承知《しようち》を|致《いた》さぬ。|覚悟《かくご》せい』
と|懐剣《くわいけん》を|逆手《さかて》に|持《も》つて|形相《ぎやうさう》|凄《すさま》じく、|上段《じやうだん》に|構《かま》へこんだ。|虻《あぶ》、|蜂《はち》の|二人《ふたり》は|大口《おほぐち》を|開《あ》けて、『アハヽヽヽ』と|高笑《たかわら》ひする。
お|久《ひさ》『|盗人《ぬすびと》|猛々《たけだけ》しいとは|其《その》|方《はう》のこと。|此《こ》の|婆《ばば》が|死物狂《しにものぐる》ひの|働《はたら》き、|覚悟《かくご》を|致《いた》せ、|最早《もはや》|死《し》んでも|惜《を》しうない|年寄《としより》の|生命《いのち》だ』
と|斬《き》つてかかる。|二人《ふたり》は|長刀《どす》をスラリと|引抜《ひきぬ》き、
『サア、|来《こ》い』
と|腰《こし》を|据《す》ゑ、|寄《よ》らば|斬《き》らむと|控《ひか》へて|居《ゐ》る。お|久《ひさ》も|二人《ふたり》の|荒武者《あらむしや》の|身構《みがま》へにつけ|入《い》る|隙《すき》もなく、|瞬《またた》きもせず|隙《すき》あらば|斬《き》りかからんと|狙《ねら》つて|居《ゐ》る。|二人《ふたり》はジリジリと|抜刀《ぬきみ》を|両手《りやうて》に、|腹《はら》の|辺《あた》りに|柄《つか》を|握《にぎ》り|乍《なが》ら|詰《つ》め|寄《よ》つて|来《く》る。
|常楠《つねくす》は|発熱《はつねつ》|甚《はなはだ》しく|夢中《むちう》になつて『ウンウン』と|唸《うな》つて|居《ゐ》る。|斯《か》かる|処《ところ》へ|秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》の|両人《りやうにん》は、|歩《あし》を|速《はや》めて|帰《かへ》り|来《きた》り、|駒彦《こまひこ》|先《ま》づ|中《なか》へ|這入《はい》つて|見《み》れば|此《こ》の|状態《ありさま》。
|駒彦《こまひこ》『ヤア|某《それがし》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|駒彦《こまひこ》と|申《まを》すものだ。|汝《きさま》は|泥棒《どろばう》と|見受《みうけ》るが、|老人《としより》ばかりの|家《とこ》にやつて|来《き》て、|何《なに》を|奪《と》らうと|云《い》つたつて|奪《と》るものは|有《あ》るまい。|要《い》らざることを|致《いた》すより、|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》つたがよからうぞ。グヅグヅ|致《いた》して|居《を》ると、|汝《きさま》の|利益《ため》にならぬぞ』
お|久《ひさ》は|始《はじ》めて|此《この》|声《こゑ》に|気《き》がつき、|短刀《たんたう》を|振《ふり》かざし|乍《なが》ら、
お|久《ひさ》『|伜《せがれ》の|駒彦《こまひこ》か、ようマア|危《あぶ》ない|処《ところ》へ|帰《かへ》つて|下《くだ》さつた。……|秋彦《あきひこ》さま、|何《ど》うぞ|加勢《かせい》して|下《くだ》さい。|此奴《こいつ》が|私《わし》の|娘《むすめ》を|殺《ころ》し、|金子《かね》を|盗《と》つて|逃《に》げた|悪人《あくにん》で|御座《ござ》いますよ』
と|聞《き》いて|二人《ふたり》は|忽《たちま》ち|両手《りやうて》を|組《く》み、|満身《まんしん》の|霊力《れいりよく》を|籠《こ》めてウンと|一声《いつせい》、|霊縛《れいばく》をかけた。|二人《ふたり》は|身構《みがま》へした|儘《まま》、|身体強直《しんたいきやうちよく》し|木像《もくざう》の|如《ごと》くになつて|了《しま》ひ、|眼《め》ばかりギヨロつかせて|居《ゐ》る。
|駒彦《こまひこ》『アハヽヽヽ、マア|一寸《ちよつと》|斯《こ》うして|置《お》いて、|悠《ゆつ》くりお|父《とう》さまに|薬《くすり》を|上《あ》げ|御恢復《ごくわいふく》の|上《うへ》、|此《こ》の|面白《おもしろ》い|木像《もくざう》を|慰《なぐさ》みに|御目《おめ》にかけることにせう。|秋彦《あきひこ》さま、|霊縛《れいばく》の|弛《ゆる》まないやうに|気《き》をつけて|下《くだ》さい。|私《わたし》はこれより|父《ちち》の|看護《かんご》を|致《いた》しますから。………お|母《かあ》さま、|危険《あぶな》いところで|御座《ござ》いましたな』
お|久《ひさ》は|稍《やや》|安堵《あんど》して|短刀《たんたう》を|鞘《さや》に|納《をさ》め、ドツカと|坐《ざ》し、
お|久《ひさ》『アーお|前《まへ》の|帰《かへ》るのがモウ|一息《ひといき》|遅《おそ》かつたら、|爺《ぢぢ》も|婆《ばば》も|又《また》もや|此奴《こいつ》のために|生命《いのち》を|奪《と》らるるところだつた』
と|嬉《うれ》しさ|余《あま》つて|声《こゑ》さへ|曇《くも》つてゐる。|起死回生《きしくわいせい》の|妙薬《めうやく》|忽《たちま》ち|効験《かうけん》|顕《あら》はれ、|常楠《つねくす》は|俄《にはか》に|元気《げんき》|恢復《くわいふく》し、|起《お》き|上《あが》つて|二人《ふたり》の|泥棒《どろばう》の|姿《すがた》を|見《み》、
|常楠《つねくす》『アヽ|御《お》かげで|病気《びやうき》が|余程《よつぽど》よくなつたと|思《おも》へば、|又《また》しても|此《この》|間《あひだ》|出《で》て|来《き》た|大悪党《だいあくたう》|奴《め》、|刀《かたな》を|抜《ぬ》いて|執念深《しふねんぶか》くも|吾々《われわれ》|夫婦《ふうふ》を|付《つ》け|狙《ねら》うて|居《ゐ》るのか。|偖《さて》も|偖《さて》も|度《ど》し|難《がた》き|代物《しろもの》だ。こんな|奴《やつ》は|必定《きつと》|根《ね》の|国《くに》、|底《そこ》の|国《くに》の|成敗《せいばい》を|受《う》けねばならぬ|奴《やつ》だ。|想《おも》へば|想《おも》へば|可愛相《かあいさう》になつて|来《き》た、|娘《むすめ》の|仇《かたき》とは|言《い》ひ|乍《なが》ら|何《ど》うしたものか、|此奴《こいつ》の|精神《せいしん》が|気《き》の|毒《どく》になつて、|日頃《ひごろ》の|恨《うら》みも、|腹立《はらだ》ちも|何処《どこ》かへ|往《い》つて|了《しま》つた。オイ|泥棒《どろばう》、お|前《まへ》も|好《い》い|加減《かげん》に|改心《かいしん》をしたら|何《ど》うだ。|未来《みらい》の【ほど】が|恐《おそ》ろしいぞよ』
|泥棒《どろばう》は|目《め》をキヨロキヨロ|回転《くわいてん》させるばかり、|唇《くちびる》を|微《かすか》に|動《うご》かしたきり|一言《いちごん》も|発《はつ》し|得《え》ず、|固《かた》まつた|儘《まま》|苦悶《くもん》して|居《ゐ》る。
|駒彦《こまひこ》『お|父《とう》さま、|是等《これら》|両人《りやうにん》は|妹《いもうと》を|殺《ころ》した|奴《やつ》で|御座《ござ》いますか。|本当《ほんたう》に|仕方《しかた》のない|悪人《あくにん》ですな。|併《しか》し|乍《なが》ら|吾々《われわれ》|宣伝使《せんでんし》の|神力《しんりき》を|以《もつ》てしては、|此《この》|様《やう》なものの|五人《ごにん》や|十人《じふにん》は、|小指《こゆび》の|先《さき》にも|当《あた》りませぬが、|貴方《あなた》の|仰《あふ》せの|通《とほ》り|罪《つみ》を|憎《にく》んで|人《ひと》を|憎《にく》まず、|誠《まこと》の|道《みち》に|帰順《きじゆん》すれば|救《たす》けてやりませうかなア…オイ|泥棒《どろばう》、|貴様等《きさまら》はまだ|此《この》|上《うへ》|悪事《あくじ》をやる|考《かんが》へか、|但《ただし》は|今日《けふ》|限《かぎ》り|薩張《さつぱり》|改心《かいしん》を|致《いた》すか|何《ど》うだ。|口《くち》|利《き》く|丈《だけ》は|霊縛《れいばく》を|解《と》いてやるから、|直《ただち》に|返答《へんたふ》|致《いた》せ』
|虻公《あぶこう》は|漸《やうや》く|重《おも》たさうに|口《くち》を|開《ひら》いて、
『ハイ、カ…イ…シ…ン…イ…タ…シ…マ…ス』
と|千切《ちぎ》れ|千切《ちぎ》れに|機械的《きかいてき》にヤツと|答《こた》へた。
|駒彦《こまひこ》『ウン、よし、それに|間違《まちが》ひはないなア。モウ|一人《ひとり》の|奴《やつ》は|何《ど》うだ。|貴様《きさま》も|改心《かいしん》するか』
|蜂公《はちこう》は|機械《きかい》のやうに|幾度《いくたび》となく、|頭《かしら》を|縦《たて》に|曲線的《きよくせんてき》に|振《ふ》つてゐる。
|駒彦《こまひこ》『ウン、よし、|改心《かいしん》するに|違《ちが》ひはないな。そんなら|秋彦《あきひこ》さま、|霊縛《れいばく》を|解《と》いてやつて|下《くだ》さい、|万一《まんいち》|暴《あば》れ|出《だ》したら|其《その》|時《とき》|又《また》|霊縛《れいばく》をかけるまでの|事《こと》だから……』
|秋彦《あきひこ》『|承知《しようち》しました』
と|秋彦《あきひこ》は|両手《りやうて》を|組合《くみあは》せ、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|一回《いつくわい》|唱《とな》へ、『|許《ゆる》す』と|一言《いちごん》、|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》するや|両人《りやうにん》の|身体《からだ》は|自由自在《じいうじざい》の|旧《もと》に|復《ふく》した。|二人《ふたり》は|夕立《ゆふだち》の|如《ごと》き|涙《なみだ》をボロボロと|落《おと》しながら、|両手《りやうて》を|合《あは》せ|床《ゆか》に|頭《かしら》を|摺《すり》つけ、|懺悔《ざんげ》の|念《ねん》に|堪《た》へざるものの|如《ごと》く|啜《すす》り|泣《な》きさへして|居《ゐ》る。
|常楠《つねくす》は|両人《りやうにん》の|姿《すがた》をツクヅクと|眺《なが》め、
|常楠《つねくす》『コレ|二人《ふたり》の|泥棒《どろばう》、お|前《まへ》も|生《うま》れ|付《つ》いてからの|悪人《あくにん》ではあるまい。|人間《にんげん》と|云《い》ふものは|育《そだ》ちが|大切《たいせつ》だ。|大抵《たいてい》|泥棒《どろばう》になつたりする|奴《やつ》は、|若《わか》い|時《とき》に|親《おや》に|離《はな》れるか、|或《あるひ》は|継母《ままはは》|育《そだ》ちか、|継父《ままてて》の|家庭《かてい》に|育《そだ》つたものが|多《おほ》い|様《やう》だが、お|前《まへ》の|親《おや》は|何《ど》うなつたのだ。|子《こ》の|可愛《かあい》くない|親《おや》は|世界《せかい》にない|筈《はず》だが、|何《ど》うぞして|家《うち》の|伜《せがれ》も|一人前《いちにんまへ》に|育《そだ》て|上《あ》げ、|世間《せけん》から|偉《えら》い|奴《やつ》だと|賞《ほ》めて|貰《もら》ひたいのは|親心《おやごころ》、|今《いま》に|両親《りやうしん》が|生《いき》て|厶《ござ》るならば、|御心配《ごしんぱい》をして|厶《ござ》るであらう。|今《いま》より|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》と|心《こころ》を|入《い》れ|換《か》へ|善《ぜん》の|道《みち》に|立帰《たちかへ》りなされや。|私《わし》もお|前《まへ》さん|等《ら》に|大事《だいじ》の|娘《むすめ》を|殺《ころ》されたが、お|前《まへ》にも|両親《りやうしん》があるだらう。|娘《むすめ》の|仇《かたき》だと|云《い》つて、|仇《かたき》を|討《う》てば|私《わし》は|気分《きぶん》がサラリとしやうが、お|前《まへ》の|両親《りやうしん》が|聞《き》いたら|嘸《さぞ》|歎《なげ》かつしやることだらう。|之《これ》を|思《おも》へばお|前《まへ》さまに|娘《むすめ》の|仇《かたき》として、|一太刀《ひとたち》|報《むく》いることも|出来《でき》ぬやうになつて|来《き》た。|何卒《どうぞ》|今日《けふ》|限《かぎ》り|生命《いのち》が|失《な》くなつたと|思《おも》つて|誠《まこと》の|心《こころ》になつて|下《くだ》され。これが|老先《おいさき》|短《みじか》き|年寄《としより》の|頼《たの》みだ。お|前《まへ》の|親《おや》の|代《かは》りに|意見《いけん》をするのだから、|何卒《どうぞ》|忘《わす》れぬやうにしてお|呉《く》れ』
|虻公《あぶこう》『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|翻然《ほんぜん》として|今迄《いままで》の|夢《ゆめ》が|醒《さ》めました。|私《わたくし》には|親《おや》があつたさうで|御座《ござ》いますが、|未《いま》だに|分《わか》りませぬ。|印南《いなみ》の|里《さと》の|森《もり》に|菰《こも》に|包《つつ》まれ、|生《うま》れた|直《ぢ》き|直《ぢ》き|捨《す》てられて|居《を》つたのを、|情《なさけ》|深《ぶか》い|村人《むらびと》が|救《すく》ひ|上《あ》げて、|子《こ》の|無《な》いのを|幸《さいは》ひに|私《わたくし》を|子《こ》として|育《そだ》てて|下《くだ》さつたのですが、|私《わたくし》が|六才《ろくさい》の|時《とき》に|大恩《たいおん》ある|育《そだ》ての|両親《りやうしん》は、|俄《にはか》の|病《やまひ》で|国替《くにがへ》をなされまして、それから|私《わたくし》は|取《と》りつく|島《しま》もなく、|乞食《こじき》の|群《むれ》に|入《い》り|漸《やうや》く|成人《せいじん》して|女房《にようばう》を|持《も》ちましたが、|子供《こども》の|時《とき》より|悪《わる》い|事《こと》をやつて|来《き》た|癖《くせ》は|今《いま》に|直《なほ》らず、|好《よ》い|事《こと》は|一《ひと》つも|致《いた》したことはありませぬ。|貴方《あなた》の|只今《ただいま》の|御教訓《ごけうくん》は|生《う》みの|親《おや》の|慈悲《じひ》の|御言葉《おことば》のやうに|感《かん》じまして、|心《こころ》の|底《そこ》より|有難涙《ありがたなみだ》が|溢《あふ》れます。モウ|今日《けふ》|限《かぎ》り|悪《わる》いことは|致《いた》しませぬ』
|常楠《つねくす》『アヽさうかさうか、よう|言《い》うて|下《くだ》さつた。それで|私《わし》も|安心《あんしん》した。さうしてお|前《まへ》は|捨児《すてご》されたと|云《い》はつしやつたが、|何《なに》か|其《その》|時《とき》の|印《しるし》は|無《な》かつたか』
|虻公《あぶこう》『ハイ|私《わたくし》は|虻公《あぶこう》と|申《まを》して|居《を》りますが、|私《わたくし》の|肌《はだ》に|添《そ》へてあつた|守《まも》り|刀《がたな》に、「|常《つね》」と|云《い》ふ|字《じ》が|書《か》いてあつたさうで|御座《ござ》います。|今《いま》は|擦《す》れて|字《じ》も|見《み》えなくなりましたが、|之《これ》を|証拠《しようこ》に|生《う》みの|親《おや》を|探《たづ》ねんと、|斯《こ》んな|悪人《あくにん》に|似合《にあ》はず、|始終《しじう》|肌身《はだみ》に|離《はな》さず|持《も》つて|居《を》ります。|何《ど》うぞして|一度《いちど》|此《この》|世《よ》でお|父《とう》さまやお|母《かあ》さまに|会《あ》ひたいもので|御座《ござ》います。|何《なに》しろ|生《うま》れ|落《お》ちると|捨児《すてご》になるやうな|不運《ふうん》なもので|御座《ござ》いますから、|到底《たうてい》|此《この》|世《よ》では|会《あ》ふことは|出来《でき》ますまい』
と|身《み》の|果敢《はか》なさを|思《おも》ひ|浮《う》かべて、|泥棒《どろばう》に|似合《にあ》はずワツと|許《ばか》り|其《その》|場《ば》に|泣《な》き|倒《たふ》れた。
|常楠《つねくす》は|首《くび》を|傾《かたむ》けて|吐息《といき》を|洩《も》らして|居《を》る。|暫《しば》らくあつて、
|常楠《つねくす》『|其《そ》の|守《まも》り|刀《がたな》を|一寸《ちよつと》|見《み》せて|下《くだ》さらぬか』
|虻公《あぶこう》『サア、|何《ど》うぞ|御覧《ごらん》|下《くだ》さいませ』
と|懐《ふところ》より|取出《とりいだ》し|押戴《おしいただ》いて|手渡《てわた》しする。|常楠《つねくす》は|手《て》に|取上《とりあ》げ、【ため】つ、【すかめ】つ|鞘《さや》を|払《はら》つてツクヅク|眺《なが》め、
|常楠《つねくす》『|擬《まが》ふ|方《かた》なき|我《わが》|家《や》の|紋所《もんどころ》、|○《まる》に|十《じふ》が|記《しる》してある。|此《この》|刀《かたな》は|私《わし》の|大切《たいせつ》な、|若《わか》い|時《とき》からの|守刀《まもりがたな》であつた。|斯《こ》うなれば|女房《にようばう》の|前《まへ》で|白状《はくじやう》するが、|実《じつ》の|所《ところ》は|女房《にようばう》の|目《め》を|忍《しの》び、|下女《げぢよ》のお|竜《たつ》に|子《こ》を|妊娠《はらま》せ、|已《や》むを|得《え》ず|自分《じぶん》の|知《し》り|合《あひ》にお|竜《たつ》を|預《あづか》つて|貰《もら》ひ、|生《う》み|落《おと》したのが|男《をとこ》の|子《こ》、|女房《にようばう》の|悋気《りんき》を|恐《おそ》れて|我《わ》が|家《や》へ|連《つ》れ|帰《かへ》る|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|何処《どこ》の|誰人《たれ》かの|情《なさけ》で|育《そだ》つであらうと、|後《のち》の|印《しるし》に|此《こ》の|守《まも》り|刀《がたな》を|付《つ》け、「|常《つね》」と|云《い》ふ|印《しるし》をして|置《お》きました。アヽそれならお|前《まへ》は|私《わし》の|子《こ》であつたか。|悪《わる》いことは|出来《でき》ぬものだ。お|前《まへ》が|此《この》|様《やう》な|悪人《あくにん》になつたのも、みんな|私《わし》が|天則《てんそく》に|背《そむ》いたからだ。コレ|伜《せがれ》、|赦《ゆる》して|呉《く》れ。|何事《なにごと》もみんな|私《わし》が|悪《わる》いのだから……』
|此《この》|物語《ものがたり》に|一同《いちどう》ハツと|呆《あき》れて、|常楠《つねくす》と|虻公《あぶこう》の|顔《かほ》を|見較《みくら》べるのみであつた。|虻公《あぶこう》は|常楠《つねくす》に|縋《すが》りつき、
|虻公《あぶこう》『アヽ|貴方《あなた》は|父上《ちちうへ》|様《さま》で|御座《ござ》いましたか。|存《ぞん》ぜぬこととて|御無礼《ごぶれい》を|致《いた》し、|可愛《かあい》い|妹《いもうと》まで|彼《あ》んな|目《め》に|会《あ》はして、|誠《まこと》に|申訳《まをしわけ》が|御座《ござ》いませぬ。|何《ど》うぞ|重々《ぢうぢう》の|罪《つみ》は|御赦《おゆる》し|下《くだ》さいませ』
|駒彦《こまひこ》『そんなら|私《わし》の|兄弟《きやうだい》であつたか。これと|云《い》ふのも|全《まつた》く|神様《かみさま》の|御引合《おひきあは》せだ。|有《あ》り|難《がた》し、|辱《かたじけ》なし』
と|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|沈《しづ》む。
お|久《ひさ》は|又《また》もや|腕《うで》を|組《く》み|思案《しあん》に|暮《く》れてゐる。|此《この》|態《てい》を|見《み》て|常楠《つねくす》は、
|常楠《つねくす》『コレ|女房《にようばう》、|怺《こら》へて|呉《く》れ。お|前《まへ》は|今《いま》の|話《はなし》を|聞《き》いて|大変《たいへん》|気嫌《きげん》を|悪《わる》うしたやうだが、これも|私《わし》の|罪《つみ》だ。あつて|過《す》ぎたことは|何《なん》と|云《い》つても|仕方《しかた》が|無《な》い。これ|此《この》|通《とほ》りだ、|赦《ゆる》してお|呉《く》れ』
と|両手《りやうて》を|合《あは》せ、お|久《ひさ》の|前《まへ》に|頭《あたま》を|下《さ》げ|謝《あやま》らんとするを、お|久《ひさ》は|押止《おしとど》め、
お|久《ひさ》『コレコレ|親父《おやぢ》さま、|勿体《もつたい》ない、|何《なに》を|言《い》はつしやるのだ。|妾《わたし》こそ|貴方《あなた》にお|詫《わび》をせねばならぬことが|御座《ござ》います。|妾《わたし》が|白状《はくじやう》すれば|嘸《さぞ》|貴方《あなた》は|愛想《あいさう》を|御尽《おつ》かしなさるでせうが、|妾《わたし》も|罪亡《つみほろ》ぼしに|此処《ここ》で|懺悔《ざんげ》を|致《いた》します。|人《ひと》さまの|前《まへ》|又《また》|夫《をつと》や|吾《わ》が|子《こ》の|前《まへ》で、|年《とし》が|寄《よ》つて|昔《むかし》の|恥《はぢ》は|言《い》ひたくはなけれど、|天道《てんだう》は|正直《しやうぢき》、|何時《いつ》まで|隠《かく》して|居《を》つても|罪《つみ》は|亡《ほろ》びませぬから、|一応《いちおう》|聞《き》いて|下《くだ》さい』
と|涙《なみだ》ぐみつつ|夫《をつと》の|顔《かほ》を|打看守《うちみまも》る。
|常楠《つねくす》『なアに|夫婦《ふうふ》の|仲《なか》に|遠慮《ゑんりよ》は|要《い》るものか。|何《なん》でも|構《かま》はぬ、|皆《みな》|云《い》つて|呉《く》れ。|其《その》|方《はう》が|互《たがひ》に|心《こころ》が|解《と》け|合《あ》つて、|何程《なにほど》|愉快《ゆくわい》だか|分《わか》つたものぢやない』
お|久《ひさ》『|妾《わたし》は|今迄《いままで》|隠《かく》して|居《を》りましたが、|貴方《あなた》の|家《うち》へ|嫁《とつ》ぐ|前《まへ》に|若気《わかげ》の【いたづら】から、|親《おや》の|許《ゆる》さぬ|男《をとこ》を|持《も》ち|一人《ひとり》の|子《こ》を|生《う》み|落《おと》し、|爺《ぢい》さまのやうに|熊野《くまの》の|森《もり》へ|捨児《すてご》を|致《いた》しました。それもクリクリとした|立派《りつぱ》な|可愛《かあい》い|男《をとこ》の|子《こ》であつた。お|爺《ぢい》さまの|捨児《すてご》に|会《あ》はれたのを|見《み》るにつけ、|私《わたし》の|捨《す》てた|彼《あ》の|児《こ》は|如何《どう》なつたであらうと|思《おも》へば、|立《た》つても|居《ゐ》ても|居《ゐ》られなくなりました。……アヽ|捨《す》てた|児《こ》よ、|無残《むざん》な|母《はは》と|恨《うら》めて|下《くだ》さるな。|事情《じじやう》があつてお|前《まへ》を|捨《す》てたのだから……』
と|又《また》もや|泣《な》き|倒《たふ》れる。|蜂公《はちこう》は|怪訝《けげん》な|顔《かほ》をして、
|蜂公《はちこう》『ヤア|今《いま》|承《うけたま》はれば、お|婆《ば》アさまは|熊野《くまの》の|森《もり》に|捨児《すてご》をなさつたと|云《い》ふことだ。それは|何年前《なんねんまへ》で|御座《ござ》いますか』
|婆《ばば》は|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ひ|乍《なが》ら、
お|久《ひさ》『ハイもう|彼是《かれこれ》|四十年《しじふねん》にもなるだらう。|今《いま》|居《を》れば|恰度《ちやうど》お|前《まへ》さま|位《ぐらゐ》に|立派《りつぱ》な|男《をとこ》になつて|居《を》る|筈《はず》ぢや。アヽ|妾《わし》も|其《その》|子《こ》が|此《この》|世《よ》に|生《い》きて|居《を》るのなら、|此《この》|世《よ》の|名残《なご》りに|一度《いちど》|見《み》て|死《し》にたいものだ。そればかりが|冥途《よみぢ》の|迷《まよ》ひだ。|若《わか》い|時《とき》は|気《き》が|強《つよ》くて|何《なん》とも|思《おも》はなかつたが、|年《とし》が|寄《よ》ると|捨児《すてご》の|事《こと》を|心《こころ》に|思《おも》はぬ|間《ま》はありませぬ。さうしてお|前《まへ》さま、|其《そ》の|捨児《すてご》の|事《こと》に|就《つい》て|御聞《おき》き|及《およ》びの|事《こと》はありませぬか』
|蜂公《はちこう》『ハイ|別《べつ》に|何《なん》とも|聞《き》いては|居《を》りませぬが、|私《わたくし》は|熊野《くまの》の|森《もり》に|捨《す》てられて|居《を》つたのを、|或《ある》|山賊《さんぞく》の|親分《おやぶん》が|見《み》つけて、|私《わたくし》を|大台ケ原《おほだいがはら》の|山砦《さんさい》に|伴《つ》れ|帰《かへ》り、|立派《りつぱ》に|成人《せいじん》させて|呉《く》れました。|私《わたくし》が|十八才《じふはつさい》になつた|時《とき》、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》がやつて|来《き》て、|岩窟《いはや》|退治《たいぢ》を|致《いた》した|時《とき》に|生命《いのち》からがら|其処《そこ》を|脱《ぬ》け|出《だ》し、それから|諸方《しよはう》に|彷徨《さまよ》ひ、|女房《にようばう》を|持《も》ち|相変《あひかは》らず|泥棒《どろばう》をやつて|居《を》りました。|最前《さいぜん》から|貴方《あなた》の|御話《おはなし》を|聞《き》くにつけ、|何《なん》だか|貴方《あなた》が|母上《ははうへ》のやうに|思《おも》はれてなりませぬ』
お|久《ひさ》は、
お|久《ひさ》『|其《その》|時《とき》に|何《なに》か|印《しるし》は|無《な》かつたかな』
|蜂公《はちこう》『ハイ、|私《わたくし》は|水児《みづご》の|時《とき》に|捨《す》てられたので|何《なに》も|存《ぞん》じませぬが、|他《ひと》の|話《はなし》を|聞《き》けば|守《まも》り|刀《がたな》が|付《つ》いて|居《を》つたさうです。|併《しか》し|其《その》|守《まも》り|刀《がたな》も|大台ケ原《おほだいがはら》の|岩窟《がんくつ》の|騒動《さうだう》の|時《とき》に|取《と》り|落《おと》しました。それには|蜂《はち》の|印《しるし》が|入《はい》つて|居《を》つたさうで、|私《わたくし》を|蜂々《はちはち》と|呼《よ》ぶやうになつたと|聞《き》いて|居《を》ります』
お|久《ひさ》は|飛《と》びつく|許《ばか》りに|驚《おどろ》いて、
お|久《ひさ》『アヽそれ|聞《き》けば【てつきり】|我《わ》が|子《こ》に|間違《まちが》ひありませぬ。|何《なん》とした|嬉《うれ》しい|事《こと》が|一度《いちど》に|出《で》て|来《き》たものだらう。コレコレ|親父《おやぢ》どの、|此《この》|子《こ》は|貴方《あなた》に|嫁《とつ》ぐ|迄《まで》の|子《こ》でありますから、|何《ど》うぞ|赦《ゆる》して|下《くだ》さい。|今迄《いままで》|包《つつ》んで|居《を》つた|罪《つみ》も|何《ど》うぞ|今日《けふ》|限《かぎ》り|赦《ゆる》すと|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さい。|御願《おねが》ひで|御座《ござ》ります』
と|夫《をつと》に|向《むか》つて|手《て》を|合《あは》し|頼《たの》み|入《い》る。
|常楠《つねくす》『そんなことは|相身互《あひみたがひ》だ。|罪人《つみびと》|同志《どうし》の|寄合《よりあ》ひだから、モウこれ|限《かぎ》り|今迄《いままで》の|事《こと》は|川《かは》へ|流《なが》し、|改《あらた》めて|二人《ふたり》の|子《こ》が|分《わか》つた|喜《よろこ》びの|御礼《おれい》を|此処《ここ》で|神様《かみさま》に|奏上《そうじやう》し、|明日《あす》は|早《はや》く|此処《ここ》を|立去《たちさ》つて|熊野《くまの》へ|御礼《おれい》に|参《まゐ》りませう』
|一同《いちどう》は|涙《なみだ》|混《まじ》りに|秋彦《あきひこ》の|導師《だうし》の|許《もと》に、|感謝《かんしや》|祈願《きぐわん》を|覚束《おぼつか》|無《な》げに|奏上《そうじやう》し|了《をは》つた。|東《ひがし》の|空《そら》は|茜《あかね》さし、|金色《こんじき》の|燦然《さんぜん》たる|太陽《たいやう》は、|晃々《くわうくわう》と|海《うみ》の|彼方《あなた》より|昇《のぼ》らせ|給《たま》ふ。
(大正一一・六・一一 旧五・一六 外山豊二録)
第八章 |縺《もつ》れ|髪《がみ》〔七二〇〕
|木山彦《きやまひこ》の|一行《いつかう》は|漸《やうや》くにして|熊野《くまの》の|滝《たき》の|麓《ふもと》に|衣類《いるゐ》を|脱《ぬ》ぎすて、|夫婦《ふうふ》は|此処《ここ》に|何事《なにごと》か|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らし|七日七夜《なぬかななや》を|送《おく》つた。|従者《じゆうしや》の|助公《すけこう》は|木山彦《きやまひこ》の|命《めい》に|依《よ》り|直《ただ》ちに|帰郷《ききやう》し、|木山彦《きやまひこ》の|不在《るす》を|守《まも》る|事《こと》となりぬ。
|此処《ここ》に|夫婦《ふうふ》は|一心不乱《いつしんふらん》になつて、|今《いま》|一度《いちど》|吾《わが》|子《こ》の|鹿公《しかこう》に|会《あ》はせ|給《たま》へと|祈《いの》つて|居《ゐ》る。|三七二十一日《さんしちにじふいちにち》の|水行《すゐぎやう》を|了《を》へた|夜半頃《よなかごろ》、|何処《いづく》ともなく|山奥《やまおく》の|谷《たに》を|響《ひび》かせ|馬《うま》の|蹄《ひづめ》の|音《おと》|勇《いさ》ましく、|此方《こなた》に|向《むか》つて|中空《ちうくう》を|駆来《かけきた》る|異様《いやう》の|神人《しんじん》、|七八人《しちはちにん》|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ、|夫婦《ふうふ》に|向《むか》ひ、
『|汝《なんぢ》は|日高《ひだか》の|庄《しやう》の|酋長《しうちやう》にて|木山彦《きやまひこ》|夫婦《ふうふ》なるべし。|汝《なんぢ》が|熱誠《ねつせい》なる|祈願《きぐわん》を|聞《き》き|届《とど》け、|一人子《ひとりご》の|鹿公《しかこう》に|遇《あ》はしてやらう|程《ほど》に、|夫婦《ふうふ》|共《とも》|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い、|今迄《いままで》なし|来《きた》りし|天則違反《てんそくゐはん》の|罪《つみ》を|吾《わが》|前《まへ》に|自白《じはく》せよ』
と|言葉《ことば》|厳《きび》しく|言《い》ひ|渡《わた》し、|鏡《かがみ》の|如《ごと》き|目《め》を|光《ひか》らし、|白馬《はくば》に|跨《またが》つた|儘《まま》|両人《りやうにん》の|顔《かほ》を|睥睨《へいげい》して|居《ゐ》る。|扈従《こじゆう》の|神《かみ》と|見《み》えて|六七人《ろくしちにん》は|稍《やや》|小《ちひ》さき|馬《うま》に|跨《またが》り|各《おのおの》|手槍《てやり》を|携《たづさ》へて|居《ゐ》る。|夫婦《ふうふ》は|戦慄《をのの》き|恐《おそ》れ『ハイ』と|許《ばか》りに|平伏《へいふく》したり。
|木山彦《きやまひこ》『|私《わたくし》は|壮年《さうねん》の|頃《ころ》|或《ある》|一人《ひとり》の|女《をんな》と|夫婦《ふうふ》の|約束《やくそく》を|結《むす》び、|子《こ》|迄《まで》|成《な》したる|仲《なか》を|無惨《むざん》にも|振《ふ》り|捨《す》てて、|今《いま》の|女房《にようばう》を|持《も》ちました。|悪《わる》い|事《こと》と|申《まを》せば|私《わたくし》|一代《いちだい》に|是《これ》により|外《ほか》に|覚《おぼ》えは|御座《ござ》いませぬ。|其《その》|報《むく》いにや、|二人《ふたり》の|娘《むすめ》は|人身御供《ひとみごく》に|取《と》られ、|一人《ひとり》の|伜《せがれ》は|継母《ままはは》が|来《き》たので|何時《いつ》の|間《ま》にか、|幼少《えうせう》の|頃《ころ》|吾《わが》|家《や》を|飛《と》び|出《だ》して|行方《ゆくへ》は|更《さら》に|分《わか》らず、|年《とし》は|追々《おひおひ》|寄《よ》つて|来《く》る、|世《よ》の|中《なか》の|寂寥《せきれう》を|感《かん》じ、|面白《おもしろ》からぬ|憂《う》き|年月《としつき》を|送《おく》る|折《をり》しも|其《その》|伜《せがれ》に|邂逅《めぐりあ》ひ、|半時《はんとき》の|間《ま》も|待《ま》たず|言葉《ことば》|一《ひと》つ|云《い》ひ|交《かは》さず、|又《また》もや|竜神《りうじん》の|宮《みや》の|犠牲《いけにへ》に|取《と》られて|仕舞《しま》ひましたのも、|全《まつた》く|神様《かみさま》の|冥罰《めいばつ》が|当《あた》つたので|御座《ござ》いませう。|何卒《どうぞ》|其《その》|子《こ》に|遇《あ》はして|下《くだ》さるやうと、|夫婦《ふうふ》の|者《もの》がお|願《ねが》ひに|参《まゐ》つたので|御座《ござ》います。|今《いま》では|女房《にようばう》も|年《とし》を|取《と》り、|継子《ままこ》が|帰《かへ》つたとても|余《あま》り|辛《つら》くは|当《あた》りますまいから、も|一度《いちど》|遇《あ》ひ|度《た》う|御座《ござ》います。|承《うけたま》はれば、|我《わが》|子《こ》は|宣伝使《せんでんし》となつて|竜神《りうじん》の|宮《みや》の|悪神《わるがみ》を|平《たひら》げ、|世界《せかい》を|遍歴《へんれき》して|居《を》るさうで|御座《ござ》います。|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|今迄《いままで》の|深《ふか》き|罪《つみ》をお|赦《ゆる》し|下《くだ》さいまして、|哀《あは》れな|老夫婦《らうふうふ》に|今《いま》|一度《いちど》|面会《めんくわい》をさせて|下《くだ》さいませ』
と|涙《なみだ》ぐむ。|異様《いやう》の|神人《しんじん》は|言葉《ことば》|爽《さわや》かに、
『|如何《いか》にも|汝《なんぢ》の|申《まを》す|通《とほ》り|寸分《すんぶん》の|間違《まちが》ひはない。|汝《なんぢ》の|女房《にようばう》|木山姫《きやまひめ》も|随分《ずゐぶん》|継子《ままこ》に|辛《きつ》く|当《あた》つたものぢや。|併《しか》し|乍《なが》ら|最早《もはや》|今日《こんにち》は|余程《よほど》|心《こころ》も|柔《やはら》ぎ|居《を》れば、|親子《おやこ》の|再会《さいくわい》を|許《ゆる》して|遣《つか》はす。|必《かなら》ず|必《かなら》ず|神信仰《かみしんかう》を|怠《おこた》るな』
|木山姫《きやまひめ》はハツと|平伏《ひれふ》し、|涙《なみだ》と|共《とも》に|去《いに》し|昔《むかし》の|懺悔話《ざんげばなし》を|語《かた》り|出《だ》したり。
『|今日《けふ》|迄《まで》|夫《をつと》にも|隠《かく》して|居《を》りましたが、|神様《かみさま》は|何《なに》も|彼《か》もよく|御存《ごぞん》じで|御座《ござ》いますから、|包《つつ》み|隠《かく》さず|一伍一什《いちぶしじふ》を|神様《かみさま》の|御前《おんまへ》、|夫《をつと》の|前《まへ》に|白状《はくじやう》|致《いた》します。|妾《わたし》は|若気《わかげ》の【いたづら】から|一人《ひとり》の|男《をとこ》を|拵《こしら》へ|腹《はら》が|膨《ふく》れ、|遂《つひ》には|親《おや》の|許《ゆる》さぬ|子《こ》を|設《まう》け、|種《たね》と|云《い》ふ|男《をとこ》に|産子《うぶこ》を|渡《わた》し|其《その》|儘《まま》|姿《すがた》を|隠《かく》し、|今《いま》の|夫《をつと》に|娶《めと》られたもので|御座《ござ》います。アヽ|其《その》|子《こ》は|今《いま》|何《ど》うして|居《を》りませうか、もし|此《この》|世《よ》に|成人《せいじん》して|居《ゐ》ますなら、|神様《かみさま》のお|慈悲《じひ》で|一目《ひとめ》|遇《あ》はして|頂《いただ》きたう|御座《ござ》います』
と|涙《なみだ》と|共《とも》に|頼《たの》み|入《い》る。|木山彦《きやまひこ》は|妻《つま》の|物語《ものがたり》を|聞《き》いて|今更《いまさら》の|如《ごと》く|呆《あき》れ|居《ゐ》る|許《ばか》りなりき。|馬上《ばじやう》の|神人《しんじん》はニコニコしながら、
『|汝《なんぢ》の|遇《あ》ひ|度《た》しと|思《おも》ふ|子《こ》は、|今《いま》に|遇《あ》はしてやらう。|必《かなら》ず|信仰《しんかう》を|怠《おこた》るな』
と|言葉《ことば》|終《をは》ると|共《とも》に、|一同《いちどう》の|神《かみ》の|姿《すがた》は|掻《か》き|消《け》す|如《ごと》く|消《き》え|失《う》せにけり。
|斯《かか》る|所《ところ》へ|常楠《つねくす》|夫婦《ふうふ》を|始《はじ》め|秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》、|虻公《あぶこう》、|蜂公《はちこう》の|六人連《ろくにんづれ》は、|此《この》|滝《たき》に|身《み》を|清《きよ》めむと|夜中《やちう》に|闇《やみ》を|冒《をか》して|出《い》で|来《きた》り、|忽《たちま》ち|真裸《まつぱだか》となり|滝水《たきみづ》に|身《み》を|清《きよ》め、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》した。|木山彦《きやまひこ》は|夜陰《やいん》の|事《こと》とて|一行《いつかう》の|何人《なんびと》なるか|気《き》が|付《つ》かなかつた。|唯《ただ》|熱心《ねつしん》なる|信仰者《しんかうしや》とのみ|思《おも》ひつめ、|夫婦《ふうふ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祈願《きぐわん》の|祝詞《のりと》を|夜《よ》の|明《あ》くる|迄《まで》、|大地《だいち》に|平伏《ひれふ》して|奏上《そうじやう》して|居《ゐ》た。
|夜《よ》は|漸々《やうやう》に|明《あ》け|離《はな》れ、|一同《いちどう》の|顔《かほ》はハツキリとして|来《き》た。
|木山彦《きやまひこ》『オヽ|其方《そなた》は|常楠《つねくす》|夫婦《ふうふ》では|御座《ござ》らぬか、ヤア、|秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》の|宣伝使《せんでんし》|殿《どの》、これはこれはよい|所《ところ》でお|目《め》に|懸《かか》りました。|突然《とつぜん》ながら、|秋彦《あきひこ》の|宣伝使《せんでんし》は|私《わたくし》の|伜《せがれ》で|御座《ござ》る。ようまア|無事《ぶじ》で|居《ゐ》て|呉《く》れた。|竜神《りうじん》の|宮《みや》の|神《かみ》を|征服《たひら》げると|云《い》ふ|神力《しんりき》を|備《そな》へて|居《を》るとは|実《じつ》に|偉《えら》いものだ』
と|涙《なみだ》をホロリと|零《こぼ》す。|秋彦《あきひこ》は|藪《やぶ》から|棒《ぼう》の|此《この》|言葉《ことば》を|少《すこ》しも|訝《いぶ》かる|色《いろ》なく、
|秋彦《あきひこ》『アヽ|貴方《あなた》が|父上《ちちうへ》で|御座《ござ》いましたか、ようまあ|達者《たつしや》で|居《ゐ》て|下《くだ》さいました』
と|人目《ひとめ》も|構《かま》はず|木山彦《きやまひこ》に|抱《いだ》きつき、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|掻《か》き|暮《く》れて|居《ゐ》る。
|常楠《つねくす》『|此《この》|間《あひだ》から|合点《がてん》の|往《ゆ》かぬ|事《こと》のみ|突発《とつぱつ》して、|彼方《あちら》からも|此方《こちら》からも|親子《おやこ》の|対面《たいめん》ばかり、|吾々《われわれ》|夫婦《ふうふ》は|三人《さんにん》の|子《こ》を|発見《はつけん》|致《いた》しました。|之《これ》も|全《まつた》く|大神様《おほかみさま》のお|引《ひ》き|合《あは》せ、|酋長《しうちやう》|殿《どの》も|大切《たいせつ》なお|息子《むすこ》に|御面会《ごめんくわい》|遊《あそ》ばして、こんな|大慶《たいけい》な|事《こと》は|御座《ござ》いませぬ』
と|涙《なみだ》を|流《なが》し|祝意《しゆくい》を|表《へう》する。|秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》、|虻公《あぶこう》、|蜂公《はちこう》|四人《よにん》は|無言《むごん》の|儘《まま》|手《て》を|合《あは》せ、|滝水《たきみづ》に|向《むか》つて『|熊野大神《くまのおほかみ》|様《さま》、|有《あ》り|難《がた》く|御礼《おれい》|申上《まをしあ》げます』と|心《こころ》の|中《なか》で|祈願《きぐわん》を|籠《こ》めて|居《を》る。
|此《この》|時《とき》|何処《いづく》ともなく|麗《うる》はしき|雲《くも》|起《おこ》りて|四辺《あたり》を|包《つつ》み、|忽然《こつぜん》として|現《あら》はれた|一柱《ひとはしら》の|女神《めがみ》、|言葉《ことば》|淑《しと》やかに|宣《の》り|給《たま》ふやう、
『|秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》|両人《りやうにん》が|至誠《しせい》に|免《めん》じ、|神界《しんかい》より|親子《おやこ》の|対面《たいめん》を|許《ゆる》したのであるぞよ。|今《いま》|改《あらた》めて|汝等《なんぢら》に|告《つ》げむ。|駒彦《こまひこ》は|常楠《つねくす》、お|久《ひさ》の|二人《ふたり》の|中《なか》より|生《うま》れた|子《こ》である。|又《また》|秋彦《あきひこ》は|木山彦《きやまひこ》とお|久《ひさ》との|間《あひだ》に|生《うま》れた|子《こ》である。|次《つぎ》に|虻公《あぶこう》は|常楠《つねくす》と|木山姫《きやまひめ》との|中《なか》に|生《うま》れた|子《こ》である。|次《つぎ》に|蜂公《はちこう》は|木山彦《きやまひこ》とお|久《ひさ》との|中《なか》に|生《うま》れた|子《こ》である。|何《いづ》れも|皆《みな》|天則違反《てんそくゐはん》の【いたづら】より|生《うま》れ|出《い》でし|御子《みこ》なれば、|神界《しんかい》の|罪《つみ》に|依《よ》りて|今日《けふ》|迄《まで》|親子《おやこ》|互《たがひ》に|顔《かほ》を|知《し》らず、|親《おや》は|子《こ》を|探《たづ》ね、|子《こ》は|親《おや》を|探《たづ》ねつつあつた。されど|汝等《なんぢら》が|信仰《しんかう》の|力《ちから》に|依《よ》つて|各《おのおの》|罪《つみ》を|赦《ゆる》され|親子《おやこ》の|対面《たいめん》をなす|事《こと》を|得《え》たのである。|夢々《ゆめゆめ》|疑《うたが》ふ|事《こと》|勿《なか》れ。|我《われ》は|天教山《てんけうざん》より|下《くだ》り|来《きた》れる|木花姫命《このはなひめのみこと》なるぞ』
と|宣《の》り|終《を》へ|給《たま》ひて、|微妙《びめう》の|音楽《おんがく》に|送《おく》られ|崇高《すうかう》なる|御姿《みすがた》は|煙《けぶり》の|如《ごと》く|消《き》え|給《たま》ふ。
|四辺《あたり》を|包《つつ》みし|麗《うる》はしき|雲《くも》はさつと|晴《は》れて、さしもに|高《たか》き|那智《なち》の|滝《たき》の|落《お》つる|音《おと》、|滔々《たうたう》と|轟《とどろ》き|渡《わた》り、|滝《たき》の|飛沫《ひまつ》に|各《おのおの》|日光《につくわう》|映《えい》じ、|得《え》も|云《い》はれぬ|麗《うる》はしき|光景《くわうけい》となつた。|一同《いちどう》は|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》し、|茲《ここ》に|水《みづ》も|漏《も》らさぬ|親子《おやこ》の|縁《えん》を|喜《よろこ》びつつ、|若彦館《わかひこやかた》を|指《さ》して|進《すす》み|往《ゆ》く。
|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(|付記《ふき》)
|木山彦《きやまひこ》──お|久《ひさ》……|秋彦《あきひこ》(|鹿《しか》)|遁児《とんじ》、|六才《ろくさい》、|継母《ままはは》
|常楠《つねくす》(|種《たね》)──お|久《ひさ》……|駒彦《こまひこ》(|馬《うま》)|失児《しつじ》、|三才《さんさい》、|天狗《てんぐ》
|常楠《つねくす》──|木山姫《きやまひめ》(おたつ)……|虻《あぶ》、|捨子《すてご》、|水児《みづご》、|一才《いつさい》
|木山彦《きやまひこ》──お|久《ひさ》……|蜂《はち》、|水児《みづご》、|一才《いつさい》
(大正一一・六・一一 旧五・一六 加藤明子録)
第三篇 |有耶無耶《うやむや》
第九章 |高姫騒《たかひめさわぎ》〔七二一〕
|若彦《わかひこ》の|門《もん》を|潜《くぐ》つて|入《い》り|来《きた》る|一人《ひとり》の|美人《びじん》があつた。|門番《もんばん》の|秋公《あきこう》、|七五三公《しめこう》の|両人《りやうにん》は|此《この》|姿《すがた》を|見《み》て、
|秋公《あきこう》『モシモシ、|何処《どこ》のお|女中《ぢよちう》か|知《し》りませぬが、|何《なん》の|御用《ごよう》で|御座《ござ》るか、|門番《もんばん》の|私《わたくし》に|一応《いちおう》|御用《ごよう》の|趣《おもむき》を|聞《き》かして|下《くだ》さいませ』
|女《をんな》『|少《すこ》しく|様子《やうす》あつて……|兎《と》も|角《かく》|主人《しゆじん》に|会《あ》ひ|度《た》う|御座《ござ》いますから』
|七五三公《しめこう》『|名《な》も|分《わか》らぬ|女《をんな》を|通《とほ》す|事《こと》は|罷《まか》り|成《な》りませぬ』
|女《をんな》『お|前《まへ》は|此処《ここ》の|門番《もんばん》ではないか、|妾《わたし》が|如何《いか》なる|者《もの》か|分《わか》らぬ|様《やう》な|事《こと》で、|門番《もんばん》が|勤《つと》まりますか』
と【たしなめ】|乍《なが》ら、|足早《あしばや》に|奥《おく》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》つた。
|七五三公《しめこう》『アヽ|薩張《さつぱり》|駄目《だめ》だ、|女《をんな》と|言《い》ふ|奴《やつ》は|押《お》し|尻《けつ》の|強《つよ》いものだ。|然《しか》し|彼奴《あいつ》は|何処《どこ》ともなしに|気品《きひん》の|高《たか》い|女《をんな》であつたが|一体《いつたい》|何《なに》だらうかなア』
|秋公《あきこう》『ひよつとしたら|大将《たいしやう》の【レコ】かも|知《し》れぬぞ』
と|小指《こゆび》を|出《だ》して|見《み》せる。
|七五三公《しめこう》『|当家《うち》の|大将《たいしやう》に|限《かぎ》つてそんな|者《もの》があつて|堪《たま》らうかい。|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》と|言《い》ふ|立派《りつぱ》な|奥様《おくさま》があるのだが、|今《いま》は|再度山《ふたたびさん》の|麓《ふもと》の|生田《いくた》の|森《もり》に、|三五教《あななひけう》の|館《やかた》を|建《た》てて|熱心《ねつしん》に|活動《くわつどう》して|居《を》られると|言《い》ふ|事《こと》だ。|御夫婦《ごふうふ》は|遥々《はるばる》|国《くに》を|隔《へだ》てて|忠実《ちうじつ》に|御神業《ごしんげふ》を|為《な》さると|言《い》つて、|大変《たいへん》な|評判《へうばん》だから、そんな|事《こと》があつて|堪《たま》るものか』
|秋公《あきこう》『さうだと|言《い》つて|思案《しあん》の|外《ほか》と|言《い》ふ|事《こと》がある。ひよつとしたら|玉能姫《たまのひめ》さまが|御入来《おいで》になつたのぢやあるまいかな』
|七五三公《しめこう》『|馬鹿《ばか》を|言《い》へ、|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》がどうして|一人《ひとり》お|入来《いで》になるものか。|少《すく》なくとも|一人《ひとり》や|二人《ふたり》のお|供《とも》は、|屹度《きつと》|従《つ》いて|居《を》らねばならぬ|筈《はず》だ』
|秋彦《あきひこ》『そこが……|微行《しのび》と|言《い》ふ|事《こと》がある。きつと|大将《たいしやう》が|恋《こひ》しくなつて、|御微行《ごびかう》と|出掛《でか》けられたのだらう』
と|門番《もんばん》は|美人《びじん》の|噂《うはさ》に|有頂天《うちやうてん》になつて|居《ゐ》る。
|美人《びじん》は|奥《おく》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》り|玄関先《げんくわんさき》に|立《た》ち、|小声《こごゑ》になつて、
|女《をんな》『|若彦《わかひこ》|様《さま》は|御在宅《ございたく》で|御座《ござ》いますか』
と|訪《おとな》うた。|玄関番《げんくわんばん》の|久助《きうすけ》は|此《この》|声《こゑ》に|走《はし》り|出《い》で、
|久助《きうすけ》『ハイ、|若彦《わかひこ》の|御主人《ごしゆじん》は|今《いま》|奥《おく》に|居《ゐ》られます。|誰方《どなた》で|御座《ござ》いますか、|御名《おな》を|聞《き》かして|下《くだ》さいませ』
|女《をんな》『|少《すこ》しく|名《な》は|申《まを》し|上《あ》げられぬ|仔細《しさい》が|御座《ござ》います。お|会《あ》ひ|申《まを》しさへすれば|分《わか》りますから、|何卒《どうぞ》「|女《をんな》が|一人《ひとり》お|訪《たづ》ねに|参《まゐ》つた」と|伝《つた》へて|下《くだ》さいませ』
|久助《きうすけ》『|私《わたし》は|姓名《せいめい》を|承《うけたま》はらずにお|取次《とりつぎ》を|致《いた》しますると、|大変《たいへん》に|叱《しか》られますから、|何卒《どうぞ》|名《な》を|言《い》つて|下《くだ》さい、さうでなければお|取次《とりつぎ》は|絶対《ぜつたい》に|出来《でき》ませぬ』
|女《をんな》『|左様《さやう》なれば|妾《わたし》から|進《すす》んでお|目《め》に|掛《かか》るべく|通《とほ》りませう』
|久助《きうすけ》『|是《これ》は|怪《け》しからぬ|事《こと》を|仰有《おつしや》る。|此処《ここ》は|私《わたし》の|関所《せきしよ》、さう|無暗《むやみ》に|通《とほ》る|事《こと》は|罷《まか》りなりませぬ』
|女《をんな》『|左様《さやう》なれば|取次《とりつ》いで|下《くだ》さいませ』
|久助《きうすけ》『|見《み》れば|貴女《あなた》は|相当《さうたう》の|人格者《じんかくしや》と|見《み》えるが、|私《わたし》の|言《い》ふ|事《こと》が|分《わか》りませぬか。|玄関番《げんくわんばん》は|玄関番《げんくわんばん》としての|職責《しよくせき》を|守《まも》らねばなりませぬから、|何程《なにほど》|通《とほ》して|上《あ》げ|度《た》くとも、|姓名《せいめい》の|分《わか》らない|方《かた》は|化物《ばけもの》だか|何《なん》だか|知《し》れませぬ。|気《き》の|毒《どく》|乍《なが》ら|何卒《どうぞ》お|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ』
|美人《びじん》は|稍《やや》|声《こゑ》を|高《たか》め、
|女《をんな》『コレ|久助《きうすけ》、お|前《まへ》はまだ|聖地《せいち》に|上《のぼ》つた|事《こと》もなく、|生田《いくた》の|森《もり》へ|来《き》た|事《こと》も|無《な》いので|分《わか》らぬのも|無理《むり》はないが、|名《な》を|名告《なの》らずとも|玄関番《げんくわんばん》をして|居《ゐ》る|位《くらゐ》なら、|大抵《たいてい》|分《わか》りさうなものだ。|何《なん》と|言《い》つても|妾《わたし》は|通《とほ》るのだから|邪魔《じやま》をして|下《くだ》さるな』
と|何処《どこ》やらに|強味《つよみ》のある|言《い》ひ|振《ぶ》り。
|久助《きうすけ》は|首《くび》を|傾《かたむ》け、
|久助《きうすけ》『ハテナ、|貴女《あなた》は|奥様《おくさま》では|御座《ござ》いませぬか。ア、いやいや|奥様《おくさま》ではあるまい。|尊《たふと》き|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》は|結構《けつこう》な|御神業《ごしんげふ》を|遊《あそ》ばして、|今《いま》では|女房《にようばう》とは|言《い》ひ|乍《なが》ら、|格式《かくしき》がズツと|上《うへ》になられ、|当家《たうけ》の|御主人様《ごしゆじんさま》も|容易《ようい》にお|側《そば》へ|寄《よ》れないと|言《い》ふ|事《こと》だ。そんな|立派《りつぱ》な|方《かた》が|供《とも》を|連《つ》れずに、|軽々《かるがる》しく|一人《ひとり》|御入来《おいで》|遊《あそ》ばす|道理《だうり》がない。アヽ|此奴《こいつ》は、てつきり|魔性《ましやう》のものだ。……こりやこりや|女《をんな》、|絶対《ぜつたい》に|通《とほ》る|事《こと》は|罷《まか》りならぬぞ』
と|大声《おほごゑ》に|呶鳴《どな》りつけてゐる。|若彦《わかひこ》は|久助《きうすけ》の|大声《おほごゑ》に|何事《なにごと》の|起《おこ》りしかと、|座《ざ》を|起《た》つて|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|来《きた》り、|美人《びじん》の|姿《すがた》を|見《み》て|打《う》ち|驚《おどろ》き、
『ア、お|前《まへ》は|玉《たま》……』
と|言《い》ひかけて|俄《にはか》に|口《くち》を【つぐ】み、|居《ゐ》|直《なほ》つて、
『|何《いづ》れの|女中《ぢよちう》か|存《ぞん》じませぬが、|何卒《どうぞ》|奥《おく》へお|通《とほ》り|下《くだ》さいませ』
|女《をんな》『ハイ、|有《あ》り|難《がた》う|御座《ござ》います。|御神務《ごしんむ》|御多忙《ごたばう》の|中《なか》を|御邪魔《おじやま》に|上《あが》りまして、|誠《まこと》に|御迷惑《ごめいわく》|様《さま》で|御座《ござ》いませう。|左様《さやう》なればお|言葉《ことば》に|従《したが》ひ、|奥《おく》に|通《とほ》して|頂《いただ》きませう』
|若彦《わかひこ》『サア|私《わたし》に|従《つ》いて|御入来《おいで》なさいませ。コレ|久助《きうすけ》、お|前《まへ》は|此処《ここ》にしつかりと|玄関番《げんくわんばん》をして|居《を》るのだよ、|一足《ひとあし》も|奥《おく》へ|来《き》てはいけないから』
と|言《い》ひ|捨《す》てて|両人《りやうにん》は|奥《おく》の|間《ま》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。|後《あと》|見送《みおく》つた|久助《きうすけ》は|首《くび》を|稍《やや》|左方《さはう》に|傾《かたむ》け|舌《した》を|斜《はすかい》に|噛《か》み|出《だ》し、|妙《めう》な|目付《めつき》をして|合点《がてん》の|往《ゆ》かぬ|面持《おももち》にて|天井《てんじやう》を|眺《なが》めて|居《ゐ》る。|若彦《わかひこ》は|奥《おく》の|間《ま》に|女《をんな》と|二人《ふたり》|静《しづ》かに|座《ざ》を|占《し》め、
|若彦《わかひこ》『|貴方《あなた》は|玉能姫《たまのひめ》|殿《どの》では|御座《ござ》らぬか。|大切《たいせつ》な|御神業《ごしんげふ》に|奉仕《ほうし》しながら、|何故《なぜ》|案内《あんない》も|無《な》く|一人《ひとり》で|此処《ここ》へお|入来《いで》になりましたか。|私《わたし》は|神様《かみさま》へ|誓《ちか》つた|以上《いじやう》、|貴女《あなた》と|此《この》|館《やかた》で|面会《めんくわい》する|事《こと》は|思《おも》ひも|寄《よ》りませぬ』
|玉能姫《たまのひめ》『お|言葉《ことば》は|御尤《ごもつと》もで|御座《ござ》いますが、|之《これ》には|深《ふか》い|仔細《しさい》があつて|参《まゐ》りました。|貴方《あなた》の|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り、|言依別《ことよりわけ》|様《さま》より|大切《たいせつ》な|神業《しんげふ》を|命《めい》ぜられ、|次《つい》で|生田《いくた》の|森《もり》の|館《やかた》の|主人《あるじ》となりましたが、それに|就《つ》いて|高姫《たかひめ》さまの|部下《ぶか》に|仕《つか》へて|居《を》る|人《ひと》|達《たち》が、「|三個《さんこ》の|神宝《しんぽう》は、|屹度《きつと》|妾《わたし》と|貴方《あなた》とが|申《ま》を|合《しあは》せ|当館《たうやかた》に|隠《かく》してあるに|相違《さうゐ》ないから、|若彦《わかひこ》の|生命《いのち》をとつてでも、|其《その》|神宝《しんぽう》の|所在《ありか》を|白状《はくじやう》させねばならぬ」と|言《い》つて、|大変《たいへん》な|陰謀《いんぼう》を|企《くはだ》てて|居《を》りますから、|妾《わたし》もそれを|聞《き》いて|心《こころ》|落《お》ち|着《つ》かず、|何《なん》にも|御存《ごぞん》じの|無《な》い|貴方《あなた》に|御迷惑《ごめいわく》を|掛《か》けては、|妻《つま》たる|妾《わたし》の|責任《せきにん》が|済《す》むまいと|思《おも》つて、|長途《ちやうと》の|旅《たび》を|只《ただ》|一人《ひとり》|忍《しの》んで|御報告《ごはうこく》に|参《まゐ》りました』
|若彦《わかひこ》『|左様《さやう》で|御座《ござ》つたか。それは|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|然《しか》し|乍《なが》ら|何事《なにごと》も|神様《かみさま》に|任《まか》した|私《わたし》、|仮令《たとへ》|高姫《たかひめ》が|如何《いか》なる|企《たく》みを|以《もつ》て|参《まゐ》りませうとも、|神様《かみさま》のお|力《ちから》に|依《よ》つて|切《き》り|抜《ぬ》ける|覚悟《かくご》で|御座《ござ》います。|何卒《どうぞ》|御安心《ごあんしん》の|上《うへ》、|休息《きうそく》なされたら|一時《ひととき》も|早《はや》くお|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ。|万一《まんいち》|此《この》|事《こと》が|他《た》に|洩《も》れましてはお|互《たがひ》の|迷惑《めいわく》「|若彦《わかひこ》、|玉能姫《たまのひめ》は|立派《りつぱ》な|者《もの》だと|思《おも》つて|居《ゐ》たのに、|矢張《やつぱり》|人目《ひとめ》を|忍《しの》んで|夫婦《ふうふ》が|会合《くわいがふ》して|居《を》る」と|言《い》はれてはなりませぬから、|教主《けうしゆ》のお|許《ゆる》しある|迄《まで》は|絶対《ぜつたい》にお|目《め》に|掛《かか》る|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。その|代《かは》り|私《わたし》も|何処《どこ》までも|独身《どくしん》で|道《みち》を|守《まも》つて|居《を》りますから、|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
|玉能姫《たまのひめ》『|貴方《あなた》に|限《かぎ》つて|左様《さやう》な|気遣《きづか》ひは|要《い》りますものか。|互《たがひ》に|心《こころ》の|裡《うち》は|信用《しんよう》し|合《あ》つた|仲《なか》ですから、|決《けつ》して|決《けつ》して|左様《さやう》な【さも】しい|心《こころ》は|起《おこ》しませぬ。|御承知《ごしようち》で|御座《ござ》いませうが|何《いづ》れ|遠《とほ》からぬ|中《うち》、|高姫《たかひめ》さまか、|又《また》は|部下《ぶか》の|方々《かたがた》が|食物《たべもの》を|以《もつ》て|見《み》えませうから、|決《けつ》してお|食《あが》りになつてはなりませぬ。|是《これ》だけは|特《とく》にお|願《ねが》ひ|致《いた》して|置《お》きます』
|若彦《わかひこ》『ハイ、|有《あ》り|難《がた》う|御座《ござ》います、|何《なに》から|何《なに》まで|御注意《ごちうい》|下《くだ》さいまして|御親切《ごしんせつ》の|段《だん》、|何時迄《いつまで》も|忘却《ばうきやく》|致《いた》しませぬ』
|玉能姫《たまのひめ》は|嬉《うれ》し|気《げ》に|若彦《わかひこ》の|言葉《ことば》を|聞《き》いて|笑顔《ゑがほ》を|作《つく》り、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》を|滲《にじ》ませて|居《ゐ》る。
|斯《か》かる|処《ところ》へ|玄関《げんくわん》に|当《あた》つて|争《あらそ》ひの|声《こゑ》おいおい|高《たか》くなつて|来《く》る。|二人《ふたり》は|何事《なにごと》ならんと|耳《みみ》を|澄《す》ませ|聞《き》き|入《い》れば、|高姫《たかひめ》の|癇声《かんごゑ》として、
『|此処《ここ》へ|玉能姫《たまのひめ》が|来《き》たであらう』
|久助《きうすけ》の|声《こゑ》『イヤイヤ|決《けつ》して|決《けつ》して|女《をんな》らしい|者《もの》は|一人《ひとり》も|来《き》ませぬ。|此《この》|館《やかた》は|御主人《ごしゆじん》の|命令《めいれい》に|依《よ》つて|当分《たうぶん》の|間《うち》、|女《をんな》は|禁制《きんせい》で|御座《ござ》る』
|高姫《たかひめ》の|声《こゑ》『|何《なん》と|言《い》つて|隠《かく》してもチヤンと|門番《もんばん》に|聞《き》いて|来《き》たのだ。|女《をんな》が|一人《ひとり》|此処《ここ》へ|這入《はい》つて|来《き》た|筈《はず》だ、|上《うへ》も|下《した》も|心《こころ》を|合《あは》せ、しやうも|無《な》い|女《をんな》を|引《ひ》き|摺《ず》り|込《こ》み、|体主霊従《たいしゆれいじう》のあり|丈《た》けを|尽《つく》し、|表面《うはべ》は|誠《まこと》らしく|見《み》せて|居《を》る|若彦《わかひこ》の|企《たく》みであらう。|彼奴《あいつ》は|青彦《あをひこ》と|言《い》つて、|妾《わし》が|育《そだ》ててやつた|男《をとこ》だ。エー、|通《とほ》すも|通《とほ》さぬもあるか、|言《い》はば|弟子《でし》の|館《やかた》に|師匠《ししやう》が|来《き》たのだ。|邪魔《じやま》|致《いた》すな』
と|呶鳴《どな》り|立《た》て、|久助《きうすけ》の|止《とど》むるを|振《ふ》り|払《はら》ひ、|三四人《さんよにん》の|男《をとこ》を|玄関《げんくわん》に|待《ま》たせ|置《お》き、|畳《たたみ》を|足《あし》にて|強《きつ》く|威喝《ゐかつ》させ|乍《なが》ら|若彦《わかひこ》の|居間《ゐま》に|進《すす》み|来《きた》り、
|高姫《たかひめ》『オホヽヽヽ、|若彦《わかひこ》さま、|悪《わる》い|処《ところ》へカシヤ|婆《ばば》が|参《まゐ》りまして|誠《まこと》に|御迷惑《ごめいわく》|様《さま》、|折角《せつかく》|意茶《いちや》つかうと|思《おも》ひなさつた|処《ところ》を、|風流気《ふうりうげ》の|無《な》い|皺苦茶婆《しわくちやばば》が|這入《はい》つて|来《き》て、|折角《せつかく》の|興《きよう》を|醒《さ》ましました。お|前《まへ》さまは|羊頭《やうとう》を|掲《かか》げて|狗肉《くにく》を|売《う》る|山師《やまし》の|様《やう》な|宣伝使《せんでんし》ぢや。|玉能姫《たまのひめ》|殿《どの》、|此《この》|高姫《たかひめ》の|眼力《がんりき》に|違《たが》はず、|表面《うはべ》は|立派《りつぱ》な|事《こと》を……ヘン……|仰有《おつしや》つて|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》を|誤魔化《ごまくわ》して|御座《ござ》つたが、|今日《けふ》の|醜態《ざま》は|何《なん》で|御座《ござ》りますか。|貴方《あなた》の|御身分《おみぶん》で|一人《ひとり》の|伴《とも》も|連《つ》れずに、|大切《たいせつ》な|神業《しんげふ》を|遊《あそ》ばす|夫《をつと》の|側《そば》へ|忍《しの》んで|来《く》るとは、|実《じつ》に|立派《りつぱ》な|貴方《あなた》の|行《おこな》ひ、|高姫《たかひめ》も|実《じつ》に|感心《かんしん》|致《いた》しました。|本当《ほんたう》に|凄《すご》いお|腕前《うでまへ》、|爪《つめ》の|垢《あか》でも|煎《せん》じて|頂《いただ》き|度《た》う|御座《ござ》いますワ。オホヽヽヽ』
|若彦《わかひこ》『これはこれは|高姫《たかひめ》|様《さま》、|遠方《ゑんぱう》の|所《ところ》ようこそいらせられました』
|高姫《たかひめ》『よう|来《き》たのでは|無《な》い、|悪《わる》く|来《き》たのですよ。お|前《まへ》さまも|気持《きもち》|良《よ》く|楽《たの》しまうと|思《おも》つて|居《ゐ》た|処《ところ》へ、|皺苦茶婆《しわくちやばば》アがやつて|来《き》て、|折角《せつかく》の|楽《たの》しみを|滅茶々々《めちやめちや》にされて|胸《むね》が|悪《わる》いでせう。|月《つき》に|村雲《むらくも》、|花《はな》には|嵐《あらし》、|世《よ》の|中《なか》は|思《おも》ふ|様《やう》には|往《ゆ》きますまいがな。|西《にし》は|妹山《いもやま》、|東《ひがし》は|背山《せやま》、|中《なか》を|隔《へだ》つる|高姫川《たかひめがは》、|本当《ほんたう》に|悪《わる》い|奴《やつ》が|出《で》て|参《まゐ》りました。コレコレ|玉能姫《たまのひめ》さま、|恥《はづ》かし|相《さう》に|赭《あか》い|顔《かほ》して|何《なん》ぢやいな。|阿婆擦女《あばずれをんな》の|癖《くせ》に、|殊勝《しゆしよう》らしう|見《み》せようと|思《おも》つて、そんな|芝居《しばゐ》をしても、|他《はた》のお|方《かた》は|誤魔化《ごまくわ》されませうが、|此《この》|高姫《たかひめ》に|限《かぎ》つて|其《その》|手《て》は|喰《く》ひませぬぞエ。「その|手《て》でお|釈迦《しやか》の|顔《かほ》|撫《な》でた」と|言《い》ふのはお|前《まへ》さまの|事《こと》だ。アヽア|怖《こは》い|怖《こは》い、こりや|一通《ひととほ》りの|狸《たぬき》ではあるまい。|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》ると|高姫《たかひめ》の|睾丸《きんたま》……オツトドツコイ……|胆玉《きもだま》まで|抜《ぬ》かれますワイ』
|玉能姫《たまのひめ》『これはこれは|高姫《たかひめ》|様《さま》、|遠方《ゑんぱう》の|処《ところ》|御苦労様《ごくらうさま》で|御座《ござ》いました。|今《いま》|承《うけたま》はれば|貴方《あなた》は|色々《いろいろ》と|我々《われわれ》|夫婦《ふうふ》の|事《こと》に|就《つ》いて、|誤解《ごかい》をして|居《ゐ》らつしやいますが、|決《けつ》して|左様《さやう》な|考《かんが》へを|以《もつ》て|来《き》たのでは|御座《ござ》いませぬ』
|高姫《たかひめ》『そんな|事《こと》は|今々《いまいま》の|信者《しんじや》に|仰有《おつしや》る|事《こと》だ。|蹴爪《けづめ》の|生《は》えた|高姫《たかひめ》には、|根《ね》つから|通用《つうよう》|致《いた》しませぬワイなア』
と|小面憎気《こづらにくげ》に|頤《あご》をしやくつて|見《み》せる。|玉能姫《たまのひめ》は|返《かへ》す|言葉《ことば》も|無《な》く|迷惑相《めいわくさう》に|俯向《うつむ》いて|居《ゐ》る。
|高姫《たかひめ》『コレ、|玉能姫《たまのひめ》さま、イヤお|節《せつ》さま、|悪《わる》い|事《こと》は|出来《でき》ますまいがな。|誠《まこと》|水晶《すゐしやう》の|生粋《きつすゐ》の|日本魂《やまとだましひ》ぢやと|教主《けうしゆ》が|見込《みこ》んで、|大切《たいせつ》な|御神業《ごしんげふ》を|言《い》ひ|付《つ》けられた|貴女《あなた》の|精神《せいしん》が、さうグラ|付《つ》く|様《やう》な|事《こと》では|如何《どう》なりますか。|妾《わたし》は|是《これ》から|貴女《あなた》の|夫婦《ふうふ》|会合《くわいがふ》を|実地《じつち》に|目撃《もくげき》した|証拠人《しようこにん》だから、|三五教《あななひけう》|一般《いつぱん》に|報告《はうこく》|致《いた》しまして|信者《しんじや》|大会《たいくわい》を|開《ひら》き、お|前《まへ》さまの|御用《ごよう》を|取上《とりあ》げて|仕舞《しま》はねば、|折角《せつかく》|大神様《おほかみさま》の|三千年《さんぜんねん》の|御苦労《ごくらう》も|水《みづ》の|泡《あわ》になります。サア|如何《どう》ぢや、|返答《へんたふ》をしなされ。|三《み》つの|玉《たま》は|何処《どこ》へ|隠《かく》してある。それを|聞《き》かねば、お|前《まへ》さまの|様《やう》なグラグラする|瓢箪鯰《へうたんなまづ》には|秘密《ひみつ》は|守《まも》れませぬ。サア|玉能姫《たまのひめ》さま、|若彦《わかひこ》さま、|夫婦《ふうふ》|共謀《きようぼう》してドハイカラの|言依別《ことよりわけ》を|誤魔化《ごまくわ》して|居《を》つたが、|最早《もはや》|化《ば》けの|現《あら》はれ|時《どき》、|何《なん》と|言《い》つても|高姫《たかひめ》が|承知《しようち》しませぬぞエ。|一般《いつぱん》に|報告《はうこく》されるのが|苦《くる》しければ……|魚心《うをごころ》あれば|水心《みづごころ》ありとやら……|此《この》|高姫《たかひめ》も|血《ち》もあれば|涙《なみだ》もある。|決《けつ》してお|前《まへ》さま|達《たち》の|御迷惑《ごめいわく》を|見《み》て、|心地《ここち》よいとは|滅多《めつた》に|思《おも》ひませぬ。サア|玉能姫《たまのひめ》さま、お|前《まへ》さまはチツと|妾《わし》の|言《い》ひ|様《やう》が|強《きつ》うて|腹《はら》も|立《た》つであらうが、そこは|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》して、|御神宝《ごしんぽう》の|所在《ありか》を|妾《わし》にソツと|言《い》つて|下《くだ》さい。さうすればお|前《まへ》さま|等《ら》|夫婦《ふうふ》のアラも|分《わか》らず、|妾《わし》も|亦《また》|誠《まこと》の|御神業《ごしんげふ》が|出来《でき》て|結構《けつこう》だから』
|玉能姫《たまのひめ》『|妾《わたし》は|一度《いちど》|教主様《けうしゆさま》から|玉《たま》はお|預《あづか》り|致《いた》しましたが、|不思議《ふしぎ》な|方《かた》が|現《あら》はれて|遠《とほ》い|国《くに》へ|持《も》つて|行《ゆ》かれましたから、|実際《じつさい》の|事《こと》は|何処《どこ》に|隠《かく》されてあるか、|妾《わたし》|風情《ふぜい》が|分《わか》つて|堪《たま》りますか。|又《また》|仮令《たとへ》|知《し》つて|居《を》りましても、|三十万年《さんじふまんねん》の|間《あひだ》は|口外《こうぐわい》は|出来《でき》ない|事《こと》になつて|居《を》りますから、それ|許《ばか》りは|如何《どう》|仰有《おつしや》つても|申《まを》し|上《あ》げられませぬ。|何卒《どうぞ》|貴女《あなた》の|天眼通《てんがんつう》と|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御守護《ごしゆご》とで、|玉《たま》の|所在《ありか》を|御発見《ごはつけん》なさるが|宜《よろ》しう|御座《ござ》いませう』
|高姫《たかひめ》『エー、ツベコベと|小理屈《こりくつ》を|言《い》ふ|方《かた》ぢやなア。そんな|事《こと》を|勿体《もつたい》ない、|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|御苦労《ごくらう》を|掛《か》けたり、|天眼通《てんがんつう》を|使《つか》うて|堪《たま》りますか。お|前《まへ》さまが|只《ただ》|一言《ひとこと》「|斯《こ》う|斯《こ》うぢや」と|言《い》ひさへすれば|良《い》いぢやないか』
|若彦《わかひこ》『|現在《げんざい》|夫《をつと》の|私《わたくし》にさへも|仰有《おつしや》らぬのですから、|何程《なにほど》お|尋《たづ》ねになつても|駄目《だめ》ですよ』
|高姫《たかひめ》『エー、お|前《まへ》までが|横槍《よこやり》を|入《い》れるものぢやない。|夫婦《ふうふ》が|腹《はら》を|合《あは》して|隠《かく》して|居《を》るのであらう。そんな|事《こと》はチヤーンと|分《わか》つて|居《を》るのだ』
|若彦《わかひこ》は|稍《やや》|語気《ごき》を|荒《あら》らげ、
|若彦《わかひこ》『|知《し》つて|居《を》るのなら|何故《なぜ》|貴女《あなた》|勝手《かつて》にお|探《さが》しなさらぬか。|貴女《あなた》の|仰有《おつしや》る|事《こと》は|矛盾《むじゆん》|撞着《どうちやく》|脱線《だつせん》だらけぢやありませぬか』
|高姫《たかひめ》『|脱線《だつせん》とはお|前《まへ》の|事《こと》だ。|教主《けうしゆ》の|御命令《ごめいれい》がある|迄《まで》|夫婦《ふうふ》|顔《かほ》を|合《あは》さぬと|誓《ちか》ひ|乍《なが》ら、|今日《けふ》の|脱線《だつせん》|振《ぶ》りは|何《なん》の|事《こと》だ。|矛盾《むじゆん》|撞着《どうちやく》はお|前等《まへら》|夫婦《ふうふ》の|事《こと》ぢやないか。|余《あんま》り|人《ひと》の|事《こと》を【けなす】と|屑《くづ》が|出《で》ますぞ。オホヽヽヽ』
と|嘲《あざけ》る|様《やう》に|笑《わら》ふ。
|玉能姫《たまのひめ》『|若彦《わかひこ》|様《さま》、|妾《わたし》は|之《これ》でお|暇《いとま》|致《いた》します。|高姫《たかひめ》|様《さま》、|何卒《どうぞ》|御《ご》ゆるりと|遊《あそ》ばしませ。|左様《さやう》なら』
と|立《た》ち|上《あが》らうとするを、|高姫《たかひめ》はグツと|肩《かた》を|押《おさ》へ、
|高姫《たかひめ》『コレコレ、|逃《に》げ|様《やう》と|云《い》つたつて|逃《にが》しはせぬぞえ。|金輪奈落《こんりんならく》の|底《そこ》|迄《まで》、|神宝《しんぽう》の|所在《ありか》を|白状《はくじやう》させねば|措《を》きませぬぞ』
|玉能姫《たまのひめ》『|何《なん》と|仰有《おつしや》つても|是《これ》|許《ばか》りは|申《まを》し|上《あ》げられませぬ』
|高姫《たかひめ》『|何《なん》と、マア、|夫婦《ふうふ》がよく|腹《はら》を|合《あは》したものだ。|本当《ほんたう》に|羨《うらや》ましい|程《ほど》、|仲《なか》の|良《よ》い|御夫婦様《ごふうふさま》ぢや。オホヽヽヽ』
|玉能姫《たまのひめ》『|何卒《どうぞ》|高姫《たかひめ》|様《さま》、|其処《そこ》|放《はな》して|下《くだ》さいませ。|妾《わたし》は|生田《いくた》の|森《もり》へ|帰《かへ》らねばなりませぬから、|一時《ひととき》の|間《ま》も|神業《しんげふ》を|疎略《おろそか》に|出来《でき》ませぬ』
|高姫《たかひめ》『オホヽヽヽ、|一時《ひととき》の|間《ま》も|疎略《おろそか》に|出来《でき》ない|御神業《ごしんげふ》を|振《ふ》り|棄《す》てて、|夫《をつと》の|側《そば》へなれば|幾日《いくにち》も|幾日《いくにち》もかかつて、|遥々《はるばる》|紀《き》の|国《くに》|迄《まで》お|越《こ》し|遊《あそ》ばすのだから、|実《じつ》に|立派《りつぱ》なものだ』
|玉能姫《たまのひめ》『それでも|退引《のつぴ》きならぬ|御用《ごよう》が|出来《でき》ましたので、|多忙《たばう》の|中《なか》を|神様《かみさま》にお|願《ねが》ひ|申《まを》して|参《まゐ》つたので|御座《ござ》います』
|高姫《たかひめ》『その|用《よう》とは|何事《なにごと》で|御座《ござ》るか、サア、それを|聞《き》かして|貰《もら》はう。|妾《わし》に|聞《き》かせぬ|様《やう》な|御用《ごよう》なら|何《いづ》れ|碌《ろく》な|事《こと》ではあるまい。お|前達《まへたち》|若夫婦《わかふうふ》は|寄《よ》つて|如何《どん》な|企《たく》みをして|居《を》るか|分《わか》つたものぢやない。サアもう|斯《こ》うなつては|私《わし》も|勘忍袋《かんにんぶくろ》の|緒《を》が|切《き》れた。|何《なん》と|云《い》うても|舌《した》を|抜《ぬ》いてでも|言《い》はして|見《み》せる』
と|癇声《かんごゑ》に|呶鳴《どな》り|立《た》てて|居《を》る。
|此《この》|時《とき》|玄関《げんくわん》に|騒々《さうざう》しき|人《ひと》の|足音《あしおと》が|聞《きこ》えて|来《き》た。|暫《しば》らくすると|秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》、|木山彦《きやまひこ》|夫婦《ふうふ》|外《ほか》|四人《よにん》|兄弟《きやうだい》、|慌《あわただ》しく|奥《おく》の|間《ま》の|声《こゑ》を|聞《き》きつけて|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|来《きた》り、|八人《はちにん》|一度《いちど》に|手《て》をついて|若彦《わかひこ》の|前《まへ》に|平伏《へいふく》した。
|若彦《わかひこ》『ヤア、|其方《そなた》は|駒彦《こまひこ》、|秋彦《あきひこ》の|宣伝使《せんでんし》では|御座《ござ》らぬか、|何用《なによう》あつてお|越《こ》しなされた』
|駒彦《こまひこ》『ハイ、|熊野《くまの》の|大神様《おほかみさま》へお|礼《れい》の|為《た》めに|参拝《さんぱい》|致《いた》しました』
|高姫《たかひめ》はカラカラと|打笑《うちわら》ひ、
|高姫《たかひめ》『アハヽヽヽ、オホヽヽヽようもようも|揃《そろ》つたものだ。|何《なに》かお|前達《まへたち》は|諜《しめ》し|合《あ》はせ|大陰謀《だいいんぼう》を|企《くはだ》てて|居《ゐ》た|所《ところ》、アタ|間《ま》の|悪《わる》い、|憎《にく》まれ|者《もの》の|高姫《たかひめ》がやつて|来《き》て|居《を》るので|肝《きも》を|潰《つぶ》し、|熊野《くまの》の|大神様《おほかみさま》へお|礼《れい》|詣《まゐ》りをしたとは、|子供《こども》|騙《だま》しの|様《やう》な|逃口上《にげこうじやう》、|立派《りつぱ》な|聖地《せいち》には|大神様《おほかみさま》が|御座《ござ》るぢやないか。それにも|拘《かか》はらず|熊野《くまの》へお|礼《れい》|詣《まゐ》りとは|方角《はうがく》|違《ちが》ひにも|程《ほど》がある。|何事《なにごと》も|嘘言《うそ》で|固《かた》めた|事《こと》は|直《すぐ》|剥《は》げるものだ。オホヽヽヽ、あの、マア|皆《みな》さんの|首尾《しゆび》|悪《わる》|相《さう》な|顔《かほ》わいな。|梟鳥《ふくろどり》が|夜食《やしよく》に|外《はづ》れてアフンとした|様《やう》な|其《その》|様子《やうす》、|写真《しやしん》にでも|撮《と》つて|置《お》いたら、よい|記念《きねん》になりませうぞい』
と|言葉尻《ことばじり》をピンと|撥《は》ねた|様《やう》に|捨台詞《すてぜりふ》を|使《つか》つて|居《ゐ》る。|駒彦《こまひこ》|一行《いつかう》は|何《なに》が|何《なに》やら|合点《がてん》|往《ゆ》かず|途方《とはう》に|暮《く》れ、|黙然《もくねん》として|看守《みまも》つて|居《ゐ》る。
|若彦《わかひこ》『|皆様《みなさま》、|後《あと》でゆつくりとお|話《はなし》を|承《うけたま》はりませう。|何卒《どうぞ》|御神前《ごしんぜん》へおいで|遊《あそ》ばして、お|礼《れい》を|済《す》まして|来《き》て|下《くだ》さいませ。……オイ|久助《きうすけ》、|御神殿《ごしんでん》へ|此《この》|方々《かたがた》を|御案内《ごあんない》|申《まを》せ』
|久助《きうすけ》は|玄関《げんくわん》より|若彦《わかひこ》の|声《こゑ》を|聞《き》きつけ|走《はし》り|来《きた》り、
|久助《きうすけ》『サア、|皆様《みなさま》、|大広間《おほひろま》へ|御案内《ごあんない》|致《いた》しませう』
|高姫《たかひめ》『コレコレ|悪人《あくにん》|共《ども》、イヤ|同《おな》じ|穴《あな》の|狐衆《きつねしう》、|暫《しばら》くお|待《ま》ちなされ。|若彦《わかひこ》と|腹《はら》を|合《あ》はせ、|御神殿《ごしんでん》へお|礼《れい》と|云《い》ひ|立《た》て、|巧《うま》く|此《この》|場《ば》を|逃《に》げて|行《ゆ》く|御所存《ごしよぞん》であらう。そんなアダトイ|事《こと》を|成《な》さつても、|世界《せかい》の|見《み》え|透《す》く|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》はチヤンと|知《し》つて|居《を》りますぞえ。|何故《なぜ》|男《をとこ》らしう|此《この》|場《ば》で|斯様々々《かやうかやう》の|次第《しだい》と|白状《はくじやう》なさらぬのだ。|今日《こんにち》|三五教《あななひけう》に|於《おい》て、|誠《まこと》の|神力《しんりき》の|備《そな》はつた|神《かみ》の|生宮《いきみや》は|此《この》|高姫《たかひめ》で|御座《ござ》る。|高姫《たかひめ》の|申《まを》す|事《こと》を|聞《き》くか、|若彦《わかひこ》の|言葉《ことば》を|聞《き》くか。サア|事《こと》の|大小《だいせう》、|軽重《けいちよう》を|考《かんが》へた|上《うへ》、|速《すみや》かに|返答《へんたふ》なされ。|返答《へんたふ》|次第《しだい》に|依《よ》つて|此《この》|高姫《たかひめ》にも|量見《りやうけん》が|御座《ござ》るぞや』
|秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》は|口《くち》を|揃《そろ》へて、
|秋《あき》、|駒《こま》『|私《わたくし》は|第一《だいいち》に|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》、|其《その》|次《つぎ》には|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、|其《その》|次《つぎ》には|若彦《わかひこ》さまの|崇敬者《すうけいしや》ですよ。|何程《なにほど》|高姫《たかひめ》|様《さま》が|御神力《ごしんりき》が|強《つよ》いと|言《い》つて、|自家広告《じかくわうこく》を|為《な》さつても、|根《ね》つから|我々《われわれ》の|耳《みみ》には|這入《はい》りませぬ。サア|皆《みな》さま、|御神殿《ごしんでん》へ|参拝《さんぱい》|致《いた》しませう』
と|此《この》|場《ば》を|立《た》つて|行《ゆ》かうとする。|高姫《たかひめ》は|夜叉《やしや》の|如《ごと》く|立腹《りつぷく》し、|秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》の|襟髪《えりがみ》を|両手《もろて》にひん|握《にぎ》り、|力《ちから》をこめて|後《うしろ》へドツと|引《ひ》き|倒《たふ》した。|常楠《つねくす》、|木山彦《きやまひこ》は|余《あま》りの|乱暴《らんばう》にムツと|腹《はら》を|立《た》て、
|常楠《つねくす》『|何処《どこ》の|何人《なにびと》か|知《し》らぬが、|罪《つみ》も|無《な》い|我々《われわれ》の|伜《せがれ》を|打擲《ちやうちやく》するとは|言語道断《ごんごだうだん》、|年《とし》は|寄《よ》つても|昔《むかし》|執《と》つた|杵柄《きねづか》の|腕《うで》の|冴《さ》えは|今《いま》に|変《かは》りは|致《いた》さぬ。さア|高姫《たかひめ》とやら、|思《おも》ひ|知《し》れよ』
とグツと|襟首《えりくび》を|掴《つか》みて|常楠《つねくす》が|強力《がうりき》に|任《まか》せて、|猫《ねこ》を|抓《つま》んだ|様《やう》に|館《やかた》の|外《そと》に|放《はう》り|出《だ》した。|高姫《たかひめ》はそれきり|如何《どう》なつたか|暫《しばら》く|姿《すがた》を|見《み》せなかつた。|一同《いちどう》は|神殿《しんでん》に|向《むか》ひ|感謝《かんしや》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》して|高姫《たかひめ》の|無事《ぶじ》を|祈《いの》りけるこそ|殊勝《しゆしよう》なれ。
(大正一一・六・一一 旧五・一六 北村隆光録)
第一〇章 |家宅侵入《かたくしんにふ》〔七二二〕
|晴《は》れては|曇《くも》る|秋冬《あきふゆ》の  |空高姫《そらたかひめ》は|改心《かいしん》の
|真如《しんによ》の|月《つき》を|曇《くも》らせて  |心《こころ》の|海《うみ》に|荒波《あらなみ》の
|立騒《たちさわ》ぎては|又《また》|曇《くも》る  |慢心《まんしん》|改心《かいしん》|行《ゆ》き|交《かは》る
|心《こころ》の|色《いろ》も|定《さだ》めなき  |執着心《しふちやくしん》のムラムラと
|又《また》もや|頭《かしら》を|抬《もた》げつつ  |金輪奈落《こんりんならく》どこまでも
|三《み》つの|神宝《たから》の|所在《ありか》をば  |探《さが》さにや|置《お》かぬと|焦《いら》だちて
|四人《よにん》の|従者《とも》を|伴《ともな》ひつ  |山《やま》の|尾《を》|渉《わた》りやうやうと
|南《みなみ》の|果《はて》に|紀《き》の|国《くに》の  |道《みち》の|熊野《くまの》も|恙《つつが》なく
【あてど】も|那智《なち》の|滝水《たきみづ》に  |胸《むね》を|打《う》たれてシホシホと
|若彦館《わかひこやかた》に|立向《たちむか》ひ  |胸《むね》の|炎《ほのほ》の|燃《も》ゆるまに
|無理難題《むりなんだい》を|吹《ふ》きかけて  |若彦《わかひこ》|夫婦《ふうふ》|其《その》|他《ほか》の
|信徒《まめひと》|達《たち》を|悩《なや》ませつ  |常楠爺《つねくすぢ》さまの|腕力《わんりよく》に
|館《やかた》の|外《そと》に|放《ほ》り|出《だ》され  |無念《むねん》の|歯切《はぎ》り|噛《か》み|締《し》めて
|後《あと》|振《ふ》り|返《かへ》りふりかへり  |館《やかた》を|睨《にら》みスゴスゴと
|四人《よにん》の|男《をとこ》と|諸共《もろとも》に  |心《こころ》さかしき|山路《やまみち》を
|登《のぼ》りつ|降《くだ》りつ|浪速江《なにはえ》の  よしもあしきも|白妙《しらたへ》の
|衣《ころも》を|纏《まと》ひ|引返《ひきかへ》す  |再度山《ふたたびやま》の|山麓《やまもと》に
|新《あらた》に|建《た》ちし|神館《かむやかた》  |初稚姫《はつわかひめ》の|守《まも》りてし
|生田《いくた》の|森《もり》に|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|高姫《たかひめ》『アヽ|此処《ここ》が|意地《いぢ》クネの|悪《わる》い|杢助《もくすけ》の|元《もと》の|館《やかた》だ。|玉能姫《たまのひめ》は|今迄《いままで》|聖地《せいち》に|羽振《はぶ》りをきかして、ピカピカと|螢《ほたる》の|様《やう》にチツと|許《ばか》り|光《ひか》つて|居《を》つたが、|到頭《たうとう》|慢心《まんしん》|強《つよ》く、|慾心《よくしん》が|深《ふか》いものだから、|杢助《もくすけ》の|奴《やつ》にウマウマと|計略《けいりやく》にかけられ、|結構《けつこう》な|聖地《せいち》を|飛《と》び|出《だ》し……お|前《まへ》は|如何《どう》しても|生田《いくた》の|森《もり》に|因縁《いんねん》があるから、|御苦労《ごくらう》だが|再度山麓《ふたたびさんろく》の|神館《かむやかた》の|守護《しゆご》をして|呉《く》れ……なんて|巧《うま》い|辞令《じれい》にチヨロまかされ、こんな|所《ところ》へ|左遷《させん》せられて、|有頂点《うちやうてん》になつて|喜《よろこ》んで|居《ゐ》る|様《やう》なお|目出度《めでた》い|奴《やつ》だ。|誑《だま》す|狐《きつね》が|騙《だま》されたとは|此《この》|事《こと》だ。|実《じつ》に|気《き》の|毒《どく》なものだワイ。|悪人《あくにん》には|悪人《あくにん》が|寄《よ》ると|見《み》えて、|若彦館《わかひこやかた》に|集《あつ》まつて|来《き》よつた|連中《れんちう》のあの|面《つら》と|云《い》つたら、|泥坊《どろばう》でもしさうな|奴《やつ》ばかりぢやつた。……|是《こ》れからお|前達《まへたち》も|充分《じゆうぶん》に|気《き》を|付《つ》けて、|誰《たれ》が|何《なん》と|云《い》つても、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|命令《めいれい》に|反《そむ》く|事《こと》は|出来《でき》ないぞえ。|貫公《くわんこう》、|武公《たけこう》、しつかりなされや』
|貫州《くわんしう》『|委細《ゐさい》|承知《しようち》|致《いた》しました。|併《しか》し|是《こ》れから|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》は|聖地《せいち》へ|御帰《おかへ》り|遊《あそ》ばすので|御座《ござ》いますか、|但《ただし》は|他《た》の|方面《はうめん》へ|御出張《ごしゆつちやう》になりますか、|一寸《ちよつと》|伺《うかが》つて|下《くだ》さいませな』
|高姫《たかひめ》『|何《なん》と|云《い》ふお|前《まへ》は|頭脳《あたま》の|悪《わる》い|事《こと》だ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》に|伺《うかが》つて|呉《く》れとは、そりや|何《なに》を|言《い》ふのだ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》と|高姫《たかひめ》と|別々《べつべつ》に|考《かんが》へて|居《ゐ》るのだな。それがテンから|間違《まちがひ》だ。|高姫《たかひめ》は|即《すなは》ち|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|即《すなは》ち|高姫《たかひめ》だ。|霊肉一致《れいにくいつち》、|誠《まこと》|生粋《きつすゐ》の|大和魂《やまとだましひ》の|高姫《たかひめ》だ』
|貫州《くわんしう》『それでも|貴女《あなた》、|何時《いつ》も|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》と|仰有《おつしや》るぢや|御座《ござ》いませぬか。|宮《みや》と|云《い》ふものは|物《もの》も|言《い》はず|動《うご》きもせぬものだが、あなたの|宮《みや》はどこへでもよく|動《うご》きますな』
|高姫《たかひめ》『エー|分《わか》らぬ|男《をとこ》だなア。どこへでも|思《おも》うた|所《ところ》へ|行《い》きよるから、【イキ】|宮《みや》と|云《い》ふのだ。お|前《まへ》は、|霊肉一致《れいにくいつち》の|此《この》|水火《いき》が|分《わか》らぬから|仕方《しかた》がない。|余程《よつぽど》|偉《えら》い|男《をとこ》だと|見込《みこ》んで|遥々《はるばる》|紀《き》の|国《くに》まで|連《つ》れて|行《い》つたのだが、|此《この》|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|若彦館《わかひこやかた》からつまみ|出《だ》されて|腰《こし》を|打《う》ち、|苦《くるし》んで|居《ゐ》るのに、|一口《ひとくち》の|応対《おうたい》もようせず、|蒸《む》し|返《かへ》しも|致《いた》さず、|菎蒻《こんにやく》の|化物《ばけもの》の|様《やう》にビリビリ|慄《ふる》うて|泣《な》き|声《ごゑ》を|出《だ》し……モシモシ|高姫《たかひめ》さま、|一体《いつたい》|如何《どう》なるので|御座《ござ》いませう……なぞと、アタ|甲斐性《かひしやう》のない、あまり|阿呆《あはう》らしうて、|愛想《あいさう》が|尽《つ》きました。アーア|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》もマサカの|時《とき》になつたれば|弱《よわ》いものだ。ここへ|来《き》て|居《ゐ》る|四人連《よにんづれ》は|高姫《たかひめ》|様《さま》の|為《ため》になれば|何時《なんどき》でも|死《し》にますの、|生命《いのち》を|差上《さしあ》げますのと、よう|言《い》はれたものぢや。それ|丈《だけ》の|勇気《ゆうき》が|有《あ》るのなら、なぜ|生命《いのち》を|的《まと》に、|若彦《わかひこ》や|其《その》|他《た》の|乱暴者《らんばうもの》を|打懲《うちこら》さなんだのぢや。|内覇張《うちはば》りの|外《そと》【すぼり】とはお|前《まへ》の|事《こと》ぢやぞえ。|是《こ》れからチツと|腹帯《はらおび》を|締《し》め、|心《こころ》を|入《い》れ|直《なほ》して|貰《もら》はぬと、|肝腎要《かんじんかなめ》の|御神業《ごしんげふ》に|奉仕《ほうし》する|事《こと》は|出来《でき》ませぬぞえ。|是《こ》れから|心《こころ》を|入《い》れ|替《か》へて|何《なん》でも|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》きますか。サア|返答《へんたふ》を|改《あらた》めて|聞《き》かして|下《くだ》さい。|今迄《いままで》の|様《やう》なヨタリスクはモウ|喰《く》ひませぬから、|駄目《だめ》ですよ』
|貫州《くわんしう》『ハイ|今日《けふ》|限《かぎ》り|心《こころ》を|改《あらた》めて、どんな|事《こと》でも|貴女《あなた》の|言《こと》は|絶対《ぜつたい》|服従《ふくじゆう》を|致《いた》します』
|高姫《たかひめ》『|仮令《たとへ》|妾《わし》がお|前《まへ》に|死《し》ねいと|云《い》つても、|死《し》にますかな』
|貫州《くわんしう》『ハイ|一旦《いつたん》|約束《やくそく》をした|上《うへ》は、|私《わたし》も|一丈《いちぢやう》|二尺《にしやく》の|褌《ふんどし》を|締《し》めた|男《をとこ》だ。|決《けつ》して|間違《まちがひ》は|御座《ござ》いませぬワイ』
|高姫《たかひめ》『アヽそれでヤツと|安心《あんしん》をした。コレコレ|武公《たけこう》、|清公《きよこう》、|鶴公《つるこう》、お|前等《まへら》は|如何《どう》だな』
|武公《たけこう》『ハイ|私《わたくし》も|略《ほぼ》|同意見《どういけん》で|御座《ござ》います。|事《こと》と|品《しな》に|依《よ》れば|生命《いのち》でも|差上《さしあ》げます』
|高姫《たかひめ》『|略《ほぼ》|同意見《どういけん》とはソラ|何事《なにごと》ぢや。|優柔不断《いうじうふだん》|瓢鯰主義《へうねんしゆぎ》の|言依別命《ことよりわけのみこと》の|御霊《みたま》にまだ|感染《かんせん》されて|居《を》ると|見《み》えるワイ。そんな|筒井式《つつゐしき》の|連中《れんちう》は、|今日《けふ》|限《かぎ》り|絶縁《ぜつえん》しますから、トツトと|帰《かへ》つて|下《くだ》さい』
|武公《たけこう》『さうだと|云《い》つて、|一《ひと》つよりない|生命《いのち》を、さう|無暗《むやみ》に|貴女《あなた》に|上《あ》げられますか。|私《わたくし》は|大神様《おほかみさま》に|差上《さしあ》げた|生命《いのち》、さう|貴女《あなた》の|自由《じいう》にはなりませぬ。|絶対《ぜつたい》|服従《ふくじゆう》と|云《い》つてもヤツパリ|制限的《せいげんてき》|絶対服従《ぜつたいふくじゆう》ですから………なア|貫州《くわんしう》、|貴様《きさま》の|絶対服従《ぜつたいふくじゆう》は|先《ま》づここらだらう』
|貫州《くわんしう》『………』
|鶴公《つるこう》『オイ|貫州《くわんしう》、|貴様《きさま》は|高姫《たかひめ》さまに|絶対服従《ぜつたいふくじゆう》し、|源平《げんぺい》の|戦《たたか》ひぢやないが、|長門《ながと》の|壇《だん》の|浦《うら》|迄《まで》|行《ゆ》く|積《つも》りか|知《し》らぬが、|俺等《おれたち》|三人《さんにん》が|高姫《たかひめ》|様《さま》に|破門《はもん》された|時《とき》は|如何《どう》する|考《かんが》へだ。|我々《われわれ》|四人《よにん》は|何処《どこ》までも|行動《かうどう》を|共《とも》にすると|誓《ちか》つてある|事《こと》を|忘《わす》れはせまいなア』
|貫州《くわんしう》『そりや|決《けつ》して|忘《わす》れては|居《を》らぬ。|互《たがひ》に|忘《わす》れてはならぬぞと|云《い》ふ|約束《やくそく》はしたが、まだ|細目《さいもく》は|定《きま》つて|居《ゐ》ないのだから、そこは|自由意志《じいういし》に|任《まか》して|貰《もら》はなくちや|可《い》けないよ。|其《その》|代《かは》りに|忘《わす》れなと|云《い》ふ|約束《やくそく》は、どこまでも|守《まも》つて|忘《わす》れないから、|安心《あんしん》して|呉《く》れ』
|鶴公《つるこう》『|何《なに》を|吐《ぬか》しやがるのだい。|実行《じつかう》が|肝腎《かんじん》だ。|忘《わす》れる|忘《わす》れぬは|畢竟《つまり》|末《すゑ》の|問題《もんだい》だ。|俺達《おれたち》|三人《さんにん》は|是《こ》れから……|高姫《たかひめ》さまに|暇《ひま》を|頂《いただ》いたのだから、|貴様《きさま》と|絶縁《ぜつえん》をする。|其《その》|代《かは》りに|月夜《つきよ》|許《ばか》りぢやないからな。|暗《やみ》の|晩《ばん》には|用心《ようじん》なさりませ』
|貫州《くわんしう》『さう|団子理屈《だんごりくつ》を|捏《こ》ね|廻《まは》したり、|脅喝《けふかつ》されては|堪《たま》らぬぢやないか。チツと|淡泊《たんぱく》な|精神《せいしん》になつて、|俺《おれ》の|言《い》ふ|事《こと》を|善意《ぜんい》に|解《かい》して|貰《もら》はぬと|困《こま》るぢやないか』
|武公《たけこう》『|何《なん》と|云《い》つても|我々《われわれ》は|執着心《しふちやくしん》の|強《つよ》い|高姫《たかひめ》さま|仕込《じこみ》だから、|淡泊《たんぱく》になれよと|云《い》つたつてなれるものかい。|鳶《とんび》にカアカアと|鳴《な》け、|鶴《つる》にコケコツコウと|唄《うた》へと|云《い》ふ|様《やう》な|注文《ちうもん》だ』
|高姫《たかひめ》『コレコレお|前達《まへたち》は|大変《たいへん》な|御神業《ごしんげふ》を|前《まへ》に|扣《ひか》へ|乍《なが》ら、|妾《わし》が|一口《ひとくち》|云《い》つたと|云《い》うて、|其《その》|言葉尻《ことばじり》を|掴《つか》まへて|何《なに》をゴテゴテ|云《い》ふのだ。お|前達《まへたち》の|心《こころ》を|鞭撻《べんたつ》する|為《ため》に|酷《きつ》い|事《こと》を|云《い》うたのだ。|此《この》|高姫《たかひめ》だとてコレ|丈《だけ》|味方《みかた》が|無《な》くなり………オツト……ドツコイ|無形《むけい》の|味方《みかた》が|沢山《たくさん》あるわいな。|此《この》|場合《ばあひ》に|一人《ひとり》でも|大切《たいせつ》だ。|誰《たれ》が|破門《はもん》したい|事《こと》があるものか。そこは|推量《すゐりやう》せなくてはならぬぢやないか。なア|鶴公《つるこう》、|清公《きよこう》、|皆《みな》さま、さうぢやないか』
と、たらす|様《やう》に|云《い》ふ。
|鶴公《つるこう》『|貴女《あなた》からさう|砕《くだ》けて|出《で》て|下《くだ》されば、|我々《われわれ》も|別《べつ》に|額口《ひたひぐち》に|癇筋《かんすぢ》を|立《た》て、|糊付《のりつ》け|物《もん》の|様《やう》に|鯱張《しやちこば》りたい|事《こと》は|御座《ござ》いませぬ。|何《なん》でも|承《うけたま》はりますから、どうぞ|御用《ごよう》を|仰《あふ》せ|付《つ》け|下《くだ》さいませ』
|高姫《たかひめ》『あゝそれでヤツと|内乱《ないらん》も|無事《ぶじ》に|鎮定《ちんてい》しました。|又《また》してもお|前達《まへたち》は|革命《かくめい》|気分《きぶん》を|唆《そそ》るやうな|事《こと》を|云《い》ふから|困《こま》つて|了《しま》ふ。サア|是《これ》から|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》の|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》きなされや』
|鶴公《つるこう》『ハイハイ|承《うけたま》はりませう。|何事《なにごと》なりと|御遠慮《ごゑんりよ》なく|仰《あふ》せ|付《つ》け|下《くだ》さいますれば、|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます』
と|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|端坐《たんざ》し、|両手《りやうて》をついてワザと|丁寧《ていねい》に|挨拶《あいさつ》をする。
|高姫《たかひめ》『そんなら|此《この》|館《やかた》は|今《いま》|戸締《とじま》りぢやが、|錠《ぢやう》を|捩切《ねぢき》つてでも|中《なか》へ|這入《はい》つて、|調査《しらべ》て|来《き》て|下《くだ》され。|玉能姫《たまのひめ》の|奴《やつ》、どんな|事《こと》をして|居《ゐ》るか|知《し》れやしない。|箪笥《たんす》の|抽斗《ひきだし》を|一々《いちいち》|点検《てんけん》して、|秘密《ひみつ》|書類《しよるゐ》でもあつたら、|抜目《ぬけめ》なく|持出《もちだ》して|来《く》るのだよ』
|鶴公《つるこう》『|主人《しゆじん》の|不在宅《るすたく》に|這入《はい》る|事《こと》は、|何《なん》となしに|心持《こころもち》があまりよう|御座《ござ》いませぬがなア、そんな|事《こと》すれば、|家宅侵入罪《かたくしんにふざい》とか|無断家宅捜索《むだんかたくそうさく》とかになりはしませぬか。|予審判事《よしんはんじ》の|令状《れいじやう》が|無《な》ければ|到底《たうてい》|執行《しつかう》する|事《こと》は|出来《でき》ませぬだらう』
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》はそれだから|可《い》かぬのだ。|舌《した》の|根《ね》の|乾《かわ》かぬ|内《うち》に、|直《すぐ》に|反抗的《はんかうてき》|態度《たいど》を|執《と》るぢやないか。|勿論《もちろん》|不在宅《るすたく》へ|這入《はい》ることは|出来《でき》ないが、ここは|三五教《あななひけう》の|支社《でやしろ》ぢやないか、|謂《ゐ》はば|吾々《われわれ》の|部下《ぶか》でもあり、|居宅《きよたく》も|同然《どうぜん》だから、そんな|遠慮《ゑんりよ》は|要《い》らぬ。|命令《めいれい》に|服従《ふくじゆう》しなされ』
|鶴公《つるこう》『オイ|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》、|清公《きよこう》、|如何《どう》しようかなア』
|貫州《くわんしう》『モシ|高姫《たかひめ》|様《さま》、|貴女《あなた》|先《さき》へお|這入《はい》り|下《くだ》さいませ。|大将《たいしやう》より|先《さき》に|立《た》つと|云《い》ふ|事《こと》は|御無礼《ごぶれい》で|御座《ござ》います。|私《わたくし》は|貴女《あなた》のお|出《い》でになる|所《とこ》は、どこまでもお|供《とも》を|致《いた》す|従者《ともびと》ですから……さうでないと|天地《てんち》の|道理《だうり》が|合《あ》ひますまい』
|高姫《たかひめ》『エー|間《ま》に|合《あは》ぬ|男《をとこ》だなア』
と|無理《むり》に|戸《と》を|捩《ねぢ》あけようと|焦《いら》つて|居《ゐ》る。|斯《かか》る|所《ところ》へ|玉能姫《たまのひめ》は|虻公《あぶこう》、|蜂公《はちこう》|両人《りやうにん》を|伴《ともな》ひ、スタスタ|帰《かへ》り|来《きた》り、
|玉能姫《たまのひめ》『|貴女《あなた》は|高姫《たかひめ》|様《さま》、|仮《か》りにも|妾《わたし》の|不在宅《るすたく》を、|誰《たれ》に|断《ことわ》つてお|開《あ》けなさるのだ。チツと|乱暴《らんばう》では|御座《ござ》いませぬか』
|高姫《たかひめ》『イヤお|節《せつ》か、|要《い》らぬ【おセツ】|介《かい》ぢや。|三五教《あななひけう》の|支社《でやしろ》を|自由自在《じいうじざい》に|開《あ》けるのは、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|特権《とくけん》ぢや。|玉隠《たまかく》しの|大罪人《だいざいにん》の|分際《ぶんざい》として、|何《なに》をゴテゴテ|云《い》ふ|資格《しかく》があるか。|今日《けふ》から|此《この》|館《やかた》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|仮《かり》の|御住居《おすまゐ》、お|前《まへ》は|是《こ》れから|引返《ひきかへ》し、|御苦労《ごくらう》だがマ|一遍《いつぺん》|紀《き》の|国《くに》へ|行《い》つて、|恋《こひ》しい|男《をとこ》と|末永《すえなが》う|楽《たのし》んで|暮《くら》しなさい。さうすればお|前《まへ》さまも|思惑《おもわく》が|立《た》ち、|面白《おもしろ》い|月日《つきひ》が|送《おく》れるだらう。|此《この》|閾《しきゐ》|一歩《いつぽ》たりとも|跨《また》げる|事《こと》は|許《ゆる》しませぬぞや』
|玉能姫《たまのひめ》『|何《なん》と|仰有《おつしや》つても|此《この》|館《やかた》は|妾《わたし》の|監督権内《かんとくけんない》にあるもの、|何程《なにほど》|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》でも、|指一本《ゆびいつぽん》|触《さ》へる|事《こと》は|許《ゆる》しませぬぞ』
と|優《やさ》しき|女《をんな》に|似《に》ず、|稍《やや》|言葉《ことば》に|力《ちから》を|入《い》れて|極《き》めつけた。
|高姫《たかひめ》『あのマアおむつかしい|顔《かほ》ワイナ。ホヽヽヽヽ、|若彦《わかひこ》に|会《あ》うて、|甘《あま》つたるい|言葉《ことば》を|聞《き》かされて|居《ゐ》なさつた|時《とき》の|顔《かほ》と、|今《いま》の|顔《かほ》とはまるで|地蔵《ぢざう》と|閻魔《えんま》の|様《やう》に|変《かは》つて|居《を》る、あゝそりや|無理《むり》もない。|憎《にく》うて|憎《にく》うてならぬ|邪魔者《じやまもの》の|高姫《たかひめ》と、|可愛《かあい》て|可愛《かあい》てならぬ|若彦《わかひこ》とだから、|無理《むり》もありますまい。|思《おも》ひ|内《うち》に|在《あ》れば|色《いろ》|外《そと》に|露《あら》はるとやら、|結局《けつきよく》お|前《まへ》は|正直《しやうぢき》なからだ』
と|肩《かた》を|揺《ゆす》り|腮《あご》をしやくる|憎《にく》らしさ。
|玉能姫《たまのひめ》『|何《なん》と|仰有《おつしや》つても、|高姫《たかひめ》|様《さま》を|此《この》|館《やかた》へ|入《い》れてはならぬと|厳命《げんめい》を|受《う》けて|居《を》りますから……』
|高姫《たかひめ》『|何《なん》と|言《い》ひなさる。|厳命《げんめい》を|受《う》けたとは、そりや|誰《たれ》から|受《う》けたのだ。そんな|権利《けんり》を|持《も》つて|居《を》る|奴《やつ》は|三五教《あななひけう》には|一人《ひとり》もない|筈《はず》だ。|大方《おほかた》|僣越至極《せんゑつしごく》な|行動《かうどう》を|敢《あへ》てする|言依別《ことよりわけ》か|杢助《もくすけ》の|指図《さしづ》だらう。サア|此《この》|一言《ひとこと》を|聞《き》いた|上《うへ》は、どこまでも|白《しろ》い|黒《くろ》いを|別《わ》けねば|置《お》かぬ。……|誰《たれ》が|言《い》うたのだ。|有態《ありてい》に|白状《はくじやう》を|致《いた》されよ』
と|威丈高《ゐたけだか》になる。
|玉能姫《たまのひめ》『オホヽヽヽ、|高姫《たかひめ》|様《さま》の|恐《おそ》ろしいお|顔《かほ》、モ|少《すこ》し|淑《しと》やかに|低《ひく》い|声《こゑ》で|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいましても、|玉能姫《たまのひめ》の|耳《みみ》はよく|通《つう》じますのに……|妾《わたし》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》から|厳命《げんめい》を|受《う》けました』
|高姫《たかひめ》『|日《ひ》の|出神《でのかみ》とは|妾《わたし》の|事《こと》ぢや。|妾《わたし》が|何時《いつ》そんな|命令《めいれい》を|致《いた》しましたか』
|玉能姫《たまのひめ》『ハイ|何時《いつ》も|厳《きび》しく|仰《あふ》せられます。|自分《じぶん》の|守《まも》つて|居《を》る|館《やかた》は、|仮令《たとへ》|教主《けうしゆ》でも、|如何《いか》なる|長上《めうへ》の|方《かた》でも、|生神様《いきがみさま》でも、|黙《だま》つて|入《い》れてはならぬ。|絶対《ぜつたい》に|其処《そこ》を|守《まも》り、|他《た》の|者《もの》は|寄《よ》せ|付《つ》けるでないと、|貴女《あなた》は|始終《しじう》|仰有《おつしや》つたぢやありませぬか。|教主《けうしゆ》も|妾《わたし》の|長上《ちやうじやう》なれば|貴女《あなた》もヤツパリ|長上《ちやうぢやう》の|仲間《なかま》です。|又《また》|自分《じぶん》|以下《いか》の|役員《やくゐん》|様《さま》、|信者《しんじや》と|雖《いへど》も、|自分《じぶん》の|守護神《しゆごじん》の|許《ゆる》さぬ|事《こと》は|絶対《ぜつたい》にならないと、|貴女《あなた》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》の|厳《きび》しきお|警告《いましめ》でせう。|妾《わたし》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》に|絶対服従《ぜつたいふくじゆう》ですから……』
|高姫《たかひめ》『それならば|何故《なぜ》|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|服従《ふくじゆう》せないのだ。お|前《まへ》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》には|服従《ふくじゆう》しても、|高姫《たかひめ》の|云《い》ふ|事《こと》は|聞《き》かぬと|云《い》ふ|精神《せいしん》だなア。|高姫《たかひめ》が|即《すなは》ち|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|即《すなは》ち|高姫《たかひめ》、|密着《みつちやく》|不離《ふり》の|関係《くわんけい》を|知《し》らぬのか。それが|分《わか》らぬ|様《やう》な|事《こと》で、|如何《どう》して|此《この》|結構《けつこう》な|神館《かむやかた》が|守《まも》れますか』
|玉能姫《たまのひめ》『………』
|高姫《たかひめ》『|口《くち》が|開《あ》きますまい。|無理《むり》を|通《とほ》さうと|云《い》つても、|屁理屈《へりくつ》や|無理《むり》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|前《まへ》では|三文《さんもん》の|価値《かち》も|有《あ》りますまいがなア。オツホヽヽヽ』
|玉能姫《たまのひめ》『|何《なん》と|仰有《おつしや》つても、|妾《わたし》は|這入《はい》つて|貰《もら》ふ|事《こと》は|出来《でき》ませぬから………』
|高姫《たかひめ》『|何《なん》と|剛腹《がうはら》な|女《をんな》だなア。|理屈《りくつ》は|抜《ぬき》にして、|同《おな》じ|道《みち》に|居《を》る|吾々《われわれ》、チツとは|融通《ゆうづう》を|利《き》かしたらどうだな』
|玉能姫《たまのひめ》『|融通《ゆうづう》を|利《き》かす|様《やう》な|行方《やりかた》は、|変性女子《へんじやうによし》の|言依別《ことよりわけ》の|行方《やりかた》だ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|一言《ひとこと》|云《い》うたら、どこまでも|間違《まちが》へられぬのだと|仰有《おつしや》つたでせう。それだから|何処《どこ》までも|其《その》|御神勅《ごしんちよく》を|遵奉《じゆんぽう》|致《いた》しまして、お|気《き》の|毒《どく》|乍《なが》ら|今回《こんくわい》はお|断《ことわ》り|申《まを》しませう』
|虻公《あぶこう》『コレコレ|高姫《たかひめ》さまとやら、|貴女《あなた》は|館《やかた》の|主人《しゆじん》がこれ|程《ほど》|事《こと》を|解《わけ》て|仰有《おつしや》るのに、なぜ|分《わか》りませぬか』
|高姫《たかひめ》『エー|喧《やかま》しいワイ。|新米者《しんまいもの》の|癖《くせ》に………|泥棒面《どろぼうづら》をさげやがつて……|玉能姫《たまのひめ》に|従《つ》いて|来《く》る|様《やう》な|奴《やつ》に|碌《ろく》な|奴《やつ》は|一人《ひとり》も|居《を》りやせぬ。|二人《ふたり》が|二人《ふたり》|乍《なが》ら、どつかで|泥棒《どろばう》でも|働《はたら》いて|居《を》つた|様《やう》な|面付《つらつき》をして|居《ゐ》る』
|蜂公《はちこう》『|是《こ》れは|怪《け》しからぬ。|何時《いつ》|私《わたし》がお|前《まへ》さまの|物《もの》を|窃盗《どろぼう》しましたか。お|前《まへ》さまこそ、|人《ひと》の|不在宅《るすたく》を|窃盗《どろぼう》しようと|思《おも》つて|予備《よび》|行為《かうゐ》をやつて|居《を》つた|所《ところ》、|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》に|見《み》つけられたぢやないか。|泥棒《どろばう》の|上手《じやうず》な|奴《やつ》は、|滅多《めつた》に|夜間《よさり》|這入《はい》るものぢやない。|日天様《につてんさま》のカンカンお|照《て》り|遊《あそ》ばした|時《とき》、|公然《こうぜん》と|不在宅《るすたく》へ|大勢《おほぜい》|連《づ》れで、|近所《きんじよ》の|人《ひと》にワザと|用《よう》がある|様《やう》な|顔《かほ》して|這入《はい》るのが|奥《おく》の|手《て》だ。お|前《まへ》さまも|随分《ずゐぶん》|鍛練《たんれん》したものだなア。|実《じつ》に|感心《かんしん》|致《いた》しますワイ。|永《なが》らく|泥棒《どろばう》をやつて|居《を》つた|蜂《はち》……オツトドツコイお|方《かた》と|見《み》えて、|中々《なかなか》|肝玉《きもだま》が|据《す》わつて|居《ゐ》るワイ』
|高姫《たかひめ》『|的切《てつき》りお|前《まへ》は|泥棒《どろばう》|商売《しやうばい》をやつて|居《を》つた|奴《やつ》に|違《ちが》ひない。さうでなければそんな|秘訣《ひけつ》が|分《わか》る|筈《はず》がない。|玉隠《たまかく》しの|玉能姫《たまのひめ》に|従《つ》く|様《やう》な|奴《やつ》だから、ようしたものだ。|類《るゐ》は|友《とも》を|呼《よ》ぶと|云《い》つて|玉盗人《たまぬすと》の|家来《けらい》だから、キツト|泥棒《どろばう》しとつたに|違《ちがひ》なからう。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|目《め》で|睨《にら》んだら|間違《まちがひ》はあるまいがな』
|蜂公《はちこう》『ハイ、どうも|若《わか》い|時《とき》から|何々《なになに》を|商売《しやうばい》にやつて|居《を》つたものだから、|何《いづ》れそんな|臭気《にほひ》がするかも|知《し》れぬが、|今日《けふ》は|清浄《せいじやう》|潔白《けつぱく》、|水晶魂《すゐしやうだま》の|真人間《まにんげん》だから、あまり|昔《むかし》の|事《こと》を|言《い》つて、|過越苦労《すぎこしくらう》をせぬ|様《やう》にして|下《くだ》さい』
|高姫《たかひめ》『ハヽヽヽ、ヤツパリ|泥棒《どろばう》|上《あが》りぢやな。|泥棒《どろばう》と|聞《き》く|以上《いじやう》は、|折角《せつかく》の|水晶魂《すゐしやうだま》が|泥《どろ》に|汚《けが》されては|大神様《おほかみさま》に|申訳《まをしわけ》がない。サア|貫州《くわんしう》、|武公《たけこう》、|清公《きよこう》、|鶴公《つるこう》、|妾《わし》に|従《つ》いて|来《き》なさい、グヅグヅして|居《を》ると、お|前達《まへたち》も|折角《せつかく》|身魂《みたま》の|垢《あか》が|除《と》れかけた|所《ところ》、|又《また》|逆転《ぎやくてん》して|泥《どろ》まぶれになると|険難《けんのん》だから……、サアサア|早《はや》く|妾《わし》に|従《つ》いてお|出《い》でなさるが|宜《よ》からう。コレコレお|節《せつ》、お|前《まへ》は|良《い》い|家来《けらい》が|出来《でき》ました。|後《あと》でゆつくりと、|三人《さんにん》|三《み》つ|眼《まなこ》になつて、|此《この》|世《よ》を|紊《みだ》す|御相談《ごさうだん》でもなさるが|性《しやう》に|合《あ》うて|居《を》りませうぞい。オホヽヽヽ』
と|嘲《あざけ》り|笑《わら》ひ|乍《なが》ら、|早《はや》くも|此《この》|場《ば》を|見棄《みす》てて|森《もり》の|彼方《あなた》へ|姿《すがた》を|隠《かく》す。|四人《よにん》は|心《こころ》|無《な》げに|従《つ》いて|行《ゆ》く。|高姫《たかひめ》は|生田《いくた》の|浜辺《はまべ》に|着《つ》いた。|四五艘《しごさう》の|舟《ふね》の|中《なか》に|玉能丸《たまのまる》と|書《か》いた|船《ふね》を|見《み》つけ、
|高姫《たかひめ》『ハハア、|此奴《こいつ》は|何《なん》でも|宝《たから》を|隠《かく》しに|行《ゆ》きよつた|時《とき》に|使用《つか》つた|船《ふね》らしい。|他人《ひと》の|船《ふね》に|乗《の》つて|行《ゆ》けば|泥棒《どろばう》になるが、|此奴《こいつ》ア|同《おな》じ|三五教《あななひけう》の|所有《しよいう》の|船《ふね》だ。そして|又《また》|隠《かく》しよつた|船《ふね》に|乗《の》つて|探《さが》しに|行《ゆ》くのは|縁起《えんぎ》がよい。コレコレ|貫州《くわんしう》|外《ほか》|三人《さんにん》、|早《はや》く|船《ふね》の|用意《ようい》をなさつたがよからう』
かかる|所《ところ》へ|二三人《にさんにん》の|船頭《せんどう》|現《あら》はれ|来《きた》り、
|船頭《せんどう》『コラコラ|何処《どこ》の|奴《やつ》か|知《し》らぬが、|俺達《おれたち》の|監督《かんとく》して|居《ゐ》る|船《ふね》を、|自由《かつて》にどうするのだ』
|高姫《たかひめ》『コレはお|前達《まへたち》の|船《ふね》かな』
|船頭《せんどう》『|俺《おれ》の|船《ふね》ではないが、|監督《かんとく》を|頼《たの》まれて|居《ゐ》るのだ。|生田《いくた》の|森《もり》の|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》の|所有船《しよいうせん》だ。|毎月《まいつき》|一遍《いつぺん》づつ|此《この》|船《ふね》に|乗《の》つて|島《しま》へ|行《ゆ》かつしやるのだよ』
|高姫《たかひめ》『|大略《およそ》|何日《なんにち》|程《ほど》|往復《わうふく》にかかつて、|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》は|帰《かへ》つて|来《こ》られるかな』
|船頭《せんどう》『|早《はや》い|時《とき》は|日帰《ひがへ》りの|事《こと》もあり、|風波《かざなみ》が|悪《わる》いと|三日《みつか》もかかられる|事《こと》がありますワイ』
|高姫《たかひめ》『さうするとお|前《まへ》さんの|考《かんが》へでは、どこらあたり|迄《まで》|往《ゆ》く|様《やう》に|思《おも》ふかな』
|船頭《せんどう》『マアさうだな、|家島《えじま》|辺《あた》りだらう。|俺達《おれたち》も|風波《かざなみ》の|良《よ》い|日《ひ》は|家島《えじま》へ|往復《わうふく》するが、|恰度《ちやうど》|一日《いちにち》のよい|航程《かうてい》だから、|何《なん》でも|家島《えじま》|辺《へん》に|結構《けつこう》な|神様《かみさま》があつてそこへお|参詣《まゐり》なさるのだらう』
|高姫《たかひめ》『|同伴者《つれ》は|何時《いつ》も|何人《なんにん》|位《くらゐ》あるのかな』
|船頭《せんどう》『あの|人《ひと》は|綺麗《きれい》な|別嬪《べつぴん》の|癖《くせ》に、|自分《じぶん》|一人《ひとり》で|艪《ろ》を|漕《こ》いで、|此《この》|荒波《あらなみ》を|渡《わた》つて|行《ゆ》くのだから、|吾々《われわれ》|船頭《せんどう》|仲間《なかま》も|偉《えら》い|女《をんな》だ、|神様《かみさま》の|様《やう》な|人《ひと》だと|云《い》つて|呆《あき》れて|居《ゐ》るのだ』
|高姫《たかひめ》は|舌《した》を|巻《ま》いて、
|高姫《たかひめ》『なんと|偉《えら》い|奴《やつ》だなア。|併《しか》し|宝《たから》の|隠《かく》し|場所《ばしよ》は|何《なん》でも|其《その》|辺《へん》に|違《ちがひ》ない。あゝ|好《い》い|事《こと》を|聞《き》いた。あゝこれで|前途《ぜんと》が|明《あ》かるくなつた|様《やう》な|気《き》がする。|船頭《せんどう》さま、お|前《まへ》|一《ひと》つ|御苦労《ごくらう》だが|家島《えじま》までやつて|呉《く》れぬか。|此《この》|船《ふね》に|乗《の》つて……』
|船頭《せんどう》『なんと|仰有《おつしや》りましても|行《ゆ》きませぬ。お|前《まへ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》でせう。|笠《かさ》の|印《しるし》にチヤンと|現《あら》はれて|居《ゐ》る。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が|来《き》たら、|何《なん》と|言《い》つても|渡《わた》す|事《こと》はならぬと、|今《いま》|聖地《せいち》へ|往《い》つて|偉《えら》い|者《もの》になつて|御座《ござ》る|杢助《もくすけ》さまや、|玉能姫《たまのひめ》さまから|頼《たの》まれて|居《ゐ》るのだから、|何程《なにほど》|金《かね》をくれても|出《だ》す|事《こと》は|出来《でき》ませぬワイ』
|高姫《たかひめ》『|何《なん》と|云《い》つても、|行《い》つて|呉《く》れませぬか』
|船頭《せんどう》『|船頭《せんどう》|仲間《なかま》にもヤツパリ|一種《いつしゆ》の|道徳律《だうとくりつ》がありますから、そんな、|約束《やくそく》を|破《やぶ》らうものなら、|竜神《りうじん》さまに|如何《どん》な|罰《ばつ》を|被《かふむ》るか|分《わか》つたものぢやない。|船頭《せんどう》は|誰《たれ》も|彼《か》れも|貧乏人《びんばふにん》ばつかりだが、|併《しか》し|乍《なが》ら|金銭《かね》の|為《ため》に|動《うご》く|奴《やつ》は|一人《ひとり》も|無《な》い。そんな|事《こと》は|何程《なにほど》|頼《たの》んでも|駄目《だめ》だ。オイ|源州《げんしう》、|金州《きんしう》、|早《はや》く|取締《とりしまり》の|宅《たく》まで|往《ゆ》かう。グヅグヅして|居《ゐ》ると|又《また》|叱責《こごと》を|言《い》はれるからなア』
|金州《きんしう》『オウさうだ。|急《いそ》いで|行《ゆ》かう。……オイオイ|女宣伝使《をんなせんでんし》、|決《けつ》して|此《この》|船《ふね》に|指一本《ゆびいつぽん》|触《さ》へてはならぬぞ』
|高姫《たかひめ》『アヽ|仕方《しかた》がない。そんなら|妾《わたし》も|帰《かへ》らうかなア』
と|四人《よにん》に|目配《めくば》せし|乍《なが》ら、|生田《いくた》の|森《もり》の|方面《はうめん》|指《さ》して|走《はし》り|行《ゆ》く。|三人《さんにん》の|船頭《せんどう》はヤツと|安心《あんしん》し|乍《なが》ら|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》つた。
|高姫《たかひめ》『オツホヽヽヽ、どうやら|船頭《せんどう》の|奴《やつ》、|安心《あんしん》して|帰《かへ》つて|行《ゆ》きよつたらしい、サアお|前達《まへたち》、|是《こ》れから|玉能丸《たまのまる》に|乗込《のりこ》み、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|家島《えじま》に|向《むか》つて|漕《こ》ぎ|出《だ》すのだ』
とクレツと|踵《きびす》を|返《かへ》し、|浜辺《はまべ》に|駆《か》けつけ|手早《てばや》く|綱《つな》をほどき、|艪《ろ》を|操《あやつ》り|櫂《かい》を|漕《こ》ぎ|乍《なが》ら、|黄昏《たそがれ》の|空《そら》を|暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|力《ちから》|限《かぎ》り|走《はし》り|行《ゆ》く。|暫《しばら》くあつて、|玉能姫《たまのひめ》は|船頭《せんどう》の|報告《はうこく》に|依《よ》り、|二人《ふたり》の|男《をとこ》を|引連《ひきつ》れ|浜辺《はまべ》に|来《き》て|見《み》れば、|玉能丸《たまのまる》は|既《すで》に|見《み》えなくなつて|居《を》る。|玉能姫《たまのひめ》は、
|玉能姫《たまのひめ》『アヽ|失敗《しま》つた。|高姫《たかひめ》|一派《いつぱ》の|者《もの》、|宝《たから》の|所在《ありか》を|嗅《かぎ》つけ|船《ふね》に|乗《の》つて|往《い》つたのに|違《ちが》ひない。コラ|斯《こ》うしては|居《を》られぬ。|我《わが》|船《ふね》はなくとも|後《あと》から|断《ことわ》りを|言《い》へば|良《い》いのだ。サア|虻公《あぶこう》、|蜂公《はちこう》、|用意《ようい》をして|下《くだ》さい。|一刻《いつこく》も|猶予《いうよ》はなりませぬ』
|虻公《あぶこう》『|此《この》|暗《くら》いのに|船《ふね》を|出《だ》した|所《ところ》で|方角《はうがく》も|分《わか》りませぬ。|明日《あす》になさつたら|如何《どう》ですか』
|玉能姫《たまのひめ》『イヤ|一刻《いつこく》も|猶予《いうよ》はなりませぬ。サア|早《はや》く|用意《ようい》をなされ。|一刻《いつこく》|遅《おく》れても|一大事《いちだいじ》だから……』
|虻公《あぶこう》『|私《わたし》は|船《ふね》を|操《あやつ》つた|事《こと》は、|生《うま》れてから|有《あ》りませぬ。|蜂公《はちこう》と|云《い》つても|其《その》|通《とほ》り、|如何《どう》したらよからうかな』
|玉能姫《たまのひめ》『そんならお|前達《まへたち》は、|又《また》|高姫《たかひめ》|一派《いつぱ》が|不在宅《るすたく》へやつて|来《く》ると|困《こま》るから、|早《はや》く|帰《かへ》つて|留守番《るすばん》をして|下《くだ》さい。|妾《わたし》の|帰《かへ》るのが|仮令《たとへ》|一日《いちにち》や|二日《ふつか》|遅《おそ》くなつても|心配《しんぱい》せずに、|神妙《しんめう》に|留守《るす》して|居《ゐ》て|下《くだ》されや』
|虻公《あぶこう》『|貴女《あなた》は|如何《どう》なされますの』
|玉能姫《たまのひめ》『アヽどうでも|宜《よろ》しい。|早《はや》く|帰《かへ》つて|下《くだ》さい』
|蜂公《はちこう》『それでも|貴女《あなた》の|御行方《おゆくへ》を|承《うけたま》はつて|置《お》きませぬと|困《こま》りますから……』
|玉能姫《たまのひめ》『|妾《わたし》は|家島《えじま》へ|行《ゆ》くのだ』
と|云《い》ふより|早《はや》く|艫綱《ともづな》を|解《と》き、|櫓《ろ》を|操《あやつ》り、|星《ほし》のキラめく|海面《かいめん》を、|矢《や》を|射《い》る|如《ごと》く|辷《すべ》り|出《だ》した。|二人《ふたり》は|是非《ぜひ》なく|館《やかた》へ|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・六・一二 旧五・一七 松村真澄録)
第一一章 |難破船《なんぱせん》〔七二三〕
|心《こころ》の|空《そら》も|高姫《たかひめ》が  |四人《よにん》の|供《とも》を|伴《とも》なひて
|三《み》つの|宝《たから》の|所在《ありか》をば  |探《さぐ》らにや|止《や》まぬ|闇《やみ》の|夜《よ》の
|大海原《おほうなばら》を|打《う》ち|渡《わた》り  |心《こころ》の|駒《こま》の|狂《くる》ふまに
|家島《えじま》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く  |其《その》|目的《もくてき》は|玉能丸《たまのまる》
|玉《たま》の|行方《ゆくへ》を|探《さぐ》らむと  |操《あやつ》るすべも|白浪《しらなみ》の
|上《うへ》を|辷《すべ》つて|進《すす》み|往《ゆ》く  |四人《よにん》の|男《をとこ》は|汗脂《あせあぶら》
|滝《たき》の|如《ごと》くに|搾《しぼ》りつつ  |浪《なみ》のまにまに|漂《ただよ》ひて
|遂《つひ》に|進路《しんろ》を|取《と》り|外《はづ》し  |心《こころ》も|淡路《あはぢ》の|島影《しまかげ》に
かかる|折《をり》しも|暗礁《あんせう》に  |船《ふね》の|頭《かしら》は|衝突《しようとつ》し
|忽《たちま》ち|浪《なみ》に|落《お》ち|込《こ》みて  |九死一生《きうしいつしやう》の|憂目《うきめ》をば
|見《み》ながら|心《こころ》は|何処迄《どこまで》も  |執念深《しふねんぶか》き|高姫《たかひめ》が
|宝探《たからさが》しの|物語《ものがたり》  |褥《しとね》の|船《ふね》に|横《よこ》たはり
|心《こころ》の|海《うみ》に|日月《じつげつ》の  |浮《う》かぶまにまに|述《の》べ|立《た》つる
|瑞月《ずいげつ》|霊界物語《れいかいものがたり》  |底《そこ》ひも|知《し》れぬ|曲津神《まがつかみ》
|神《かみ》の|仕組《しぐみ》の|荒浪《あらなみ》を  ときわけかきわけ|進《すす》み|行《ゆ》く
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ。
|高姫《たかひめ》は|首尾《しゆび》よく|三人《さんにん》の|船頭《せんどう》を【まき】|散《ち》らし、|一行《いつかう》|五人《ごにん》|意気《いき》|揚々《やうやう》として|闇《やみ》の|海原《うなばら》を|漕《こ》ぎ|出《だ》した。|浜辺《はまべ》の|明火《あかりび》は|漸《やうや》く|遠《とほ》ざかり|眼《まなこ》に|映《うつ》らない|迄《まで》になつて|来《き》た。|高姫《たかひめ》は|鼻《はな》|蠢《うごめ》かしながら、
|高姫《たかひめ》『アヽ|皆《みな》の|者《もの》、|御苦労《ごくらう》であつた。モウ|斯《こ》うなれば|大丈夫《だいぢやうぶ》、|滅多《めつた》に|後《あと》から|追《お》ひかけ|来《く》る|気遣《きづか》ひもあるまい。|仮令《たとへ》|来《き》た|所《ところ》で|宝《たから》の|所在《ありか》を|探《さぐ》つた|以上《いじやう》は、そつと|此《この》|船《ふね》に|積《つ》み|込《こ》み、|廻《まは》り|道《みち》をして|帰《かへ》つて|来《く》れば|好《い》いのだ。さうして|其《その》|玉《たま》は、|此《この》|高姫《たかひめ》の|腹《はら》の|中《なか》に|呑《の》み|込《こ》んで|置《お》けば、|誰《たれ》が|来《き》たとて|取《と》られる|気遣《きづか》ひはない。オホヽヽヽ、|待《ま》てば|海路《うなぢ》の|風《かぜ》が|吹《ふ》くとやら、|時節《じせつ》は|待《ま》たねばならぬものだ』
|貫州《くわんしう》『モシモシ|高姫《たかひめ》|様《さま》、|貴方《あなた》は|既《すで》に|已《すで》にお|宝《たから》が|手《て》に|入《はい》つたやうな|事《こと》を|仰有《おつしや》いますな、|取《と》らぬ|狸《たぬき》の|皮算用《かはざんよう》では|御座《ござ》いますまいか』
|高姫《たかひめ》『|何《なに》|大丈夫《だいぢやうぶ》だよ、|何《なん》と|云《い》うても|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が|睨《にら》んだら|間違《まちが》ひはない。|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》や、|杢助《もくすけ》、|玉能姫《たまのひめ》の|連中《れんちう》が|嘸《さぞ》や|嘸《さぞ》アフンとする|事《こと》であらう。|其《その》|時《とき》の|顔《かほ》が|今《いま》|見《み》るやうに|思《おも》はれて|可愍《いぢらし》いやうな|心持《こころもち》がして|来《き》た。お|天道様《てんだうさま》の|御守護《ごしゆご》ある|証拠《しようこ》には、|今夜《こんや》に|限《かぎ》つてお|月様《つきさま》も|現《あら》はれず、|星《ほし》ばかりの|大空《おほぞら》、いつもからあの|玉《たま》が|欲《ほ》しい|欲《ほ》しいと|思《おも》つて|居《ゐ》た|故《せい》か、|今日《けふ》の|星《ほし》の|光《ひかり》はまた|格別《かくべつ》だ。|何《なん》と|云《い》つてもあれ|丈《だ》け|天道様《てんだうさま》が|【星々】《ほしほし》と|云《い》つて、|沢山《たくさん》に|睨《にら》んで|御座《ござ》る|天下《てんか》の|重宝《ぢうほう》だから、|手《て》に|入《い》れば|大《たい》したものだ、|誰《たれ》が|何《なん》と|云《い》うても|玉《たま》を|呑《の》んだ|以上《いじやう》は|聖地《せいち》へ|帰《かへ》り、|高姫《たかひめ》|内閣《ないかく》を|組織《そしき》し、お|前達《まへたち》を|幕僚《ばくれう》に|任《にん》じてやる|考《かんが》へだから、|勇《いさ》んで|船《ふね》を|漕《こ》いで|下《くだ》されや』
|貫州《くわんしう》『|余《あま》り|気張《きば》つたものですから、|私《わたし》のハンドルは|知覚《ちかく》|精神《せいしん》を|喪失《さうしつ》し、|最早《もはや》|用《よう》をなさないやうになつて|仕舞《しま》ひました』
|高姫《たかひめ》『エヽ、|今頃《いまごろ》に|何《なん》と|云《い》ふ|心細《こころぼそ》い|事《こと》を|云《い》ふのだい。|兎《うさぎ》の|糞《ふん》で、|長続《ながつづ》きがしないものは、|到底《たうてい》まさかの|時《とき》に|間《ま》に|合《あ》ひませぬぞ。ここは|一《ひと》つ|千騎一騎《せんきいつき》の|場合《ばあひ》、|伸《の》るか|反《そ》るかの|境目《さかひめ》だから、|些《ちつ》と|腕《うで》に|撚《よ》りでもかけて|噪《はしや》ぎなされ』
|鶴公《つるこう》『オイ|貫州《くわんしう》、お|前《まへ》もさうか、|俺《おれ》も|何《ど》うやら|機関《きくわん》の|油《あぶら》が|切《き》れたやうだ。|腕《うで》も|何《なに》も【むし】れさうになつて|仕舞《しま》つた』
|清公《きよこう》『|俺《おれ》もさうだ』
|高姫《たかひめ》『まだこれから|長《なが》い|海路《かいろ》だのに、|明石海峡前《あかしかいけふまへ》で【くた】ばつて|仕舞《しま》つては|仕方《しかた》が|無《な》いぢやないか。ちと|確《しつか》りと|性念《しやうねん》を|据《す》ゑてモ|一働《ひとはたら》きやつて|貰《もら》はねば、|三千世界《さんぜんせかい》の|肝腎要《かんじんかなめ》の|御用《ごよう》は|勤《つと》め|上《あが》りませぬぞえ。|出世《しゆつせ》が|仕度《した》くば|今《いま》|気張《きば》らねば、|後《あと》の|後悔《こうくわい》|間《ま》に|合《あ》ひませぬぞ。|三千世界《さんぜんせかい》に|又《また》とない|功名《こうみやう》を|現《あら》はさうと|思《おも》へば、|人《ひと》のよう|致《いた》さぬ|事《こと》を|致《いた》し、|人《ひと》のよう|往《ゆ》かぬ|所《ところ》へ|往《い》つて|来《こ》ねば|真《まこと》の|御神徳《ごしんとく》は|頂《いただ》けませぬ。サア|皆《みな》さま、|先《さき》|楽《たの》しみにもう|一気張《ひときば》りだ』
|貫州《くわんしう》『|斯《か》う|腕《うで》が|抜《ぬ》けるやうに|怠《だる》くなつて|来《き》ては|損《そん》も|得《とく》も|構《かま》うて|居《を》れますか。|慾《よく》にも|得《え》にもかへられませぬ|今晩《こんばん》の|苦《くる》しさ、こりや|何《ど》うしても|神様《かみさま》のお|気《き》に|入《い》らぬのかも|知《し》れませぬぜ。|何《なん》とは|無《な》しに|心《こころ》の|底《そこ》から|恐《おそ》ろしくなり、|大罪《だいざい》を|犯《をか》すやうな|気《き》がしてなりませぬワイ。|一《ひと》つ|暗礁《あんせう》にでも|乗《の》り|上《あ》げやうものなら|忽《たちま》ち|寂滅為楽《じやくめつゐらく》、|土左衛門《どざゑもん》と|早替《はやがは》り、|竜宮行《りうぐうゆ》きをせなならぬかも|知《し》れませぬ。|何《ど》うでせう、|風《かぜ》のまにまに、|浪《なみ》のまにまに|任《まか》せ、|皆《みな》の|者《もの》が|休《やす》まして|貰《もら》つたら、|又《また》|元気《げんき》がついて|働《はたら》けるかも|知《し》れませぬ』
|高姫《たかひめ》『|一刻《いつこく》の|猶予《いうよ》もならぬのだから|休《やす》む|事《こと》は|絶対《ぜつたい》になりませぬ』
|貫州《くわんしう》『アヽ、|何程《なにほど》|休《やす》まずに|働《はたら》かうと|思《おも》つても、|肝腎《かんじん》のハンドルが|吾々《われわれ》の|命令《めいれい》に|服従《ふくじゆう》しないのだから|仕方《しかた》が|無《な》い。|高姫《たかひめ》さま、|貴女《あなた》|一《ひと》つ|漕《こ》いで|御覧《ごらん》、さうしたら|吾々《われわれ》の|辛《つら》い|事《こと》が|味《あぢ》ははれませう。|人《ひと》を|使《つか》はうと|思《おも》へば、|人《ひと》に|使《つか》はれて|見《み》なくては|部下《ぶか》の|苦痛《くつう》が|分《わか》りませぬからなア』
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》は|何《なん》の|為《ため》について|来《き》たのだ。|生神様《いきがみさま》に|船《ふね》を|漕《こ》げと|云《い》ふのか、そりや|些《ちつ》と|了見《りやうけん》が|違《ちが》ひはせぬかの。|高姫《たかひめ》が|船《ふね》が|使《つか》へるのなれば、|誰《たれ》がこんな|秘密《ひみつ》の|御神業《ごしんげふ》に、お|前達《まへたち》を|連《つ》れて|来《く》るものか。|船《ふね》を|漕《こ》がすために|連《つ》れて|来《き》たのだから、そんなに|気《き》なげをせずに|一《ひと》つ|身魂《みたま》に|撚《より》をかけて|気張《きば》つて|下《くだ》さい。その|代《かは》りこの|事《こと》が|成就《じやうじゆ》|致《いた》したら、|立派《りつぱ》にお|礼《れい》を|申《まを》しますから』
|鶴公《つるこう》『お|礼《れい》も|何《なに》も|入《い》りませぬ。|我々《われわれ》は|手柄《てがら》したいの、|名《な》が|残《のこ》したいの、|人《ひと》に|誇《ほこ》りたいのと|云《い》ふやうな、そんな|小《ちひ》さい|心《こころ》は|持《も》ちませぬ。|何時《いつ》も|貴女《あなた》は|口癖《くちぐせ》のやうに、|此《この》|事《こと》が|成就《じやうじゆ》|致《いた》したら|出世《しゆつせ》さすとか、お|礼《れい》を|申《まを》すとか、|万劫末代《まんごまつだい》|名《な》を|残《のこ》してやるとか、|神《かみ》に|祀《まつ》つてやらうとか|仰有《おつしや》いますが、|第一《だいいち》そのお|言葉《ことば》が|気《き》に|喰《く》ひませぬワイ。そんな|名誉《めいよ》や|慾望《よくばう》に|駆《か》られて|神様《かみさま》の|御用《ごよう》が|出来《でき》ますものか。|我々《われわれ》は|手柄《てがら》がしたさに|貴女《あなた》について|来《き》て|居《を》るやうに|思《おも》はれては|片腹痛《かたはらいた》い。|何《なん》だか|自分《じぶん》の|良心《りやうしん》を|侮辱《ぶじよく》されたやうな|気《き》がしてなりませぬ。|何卒《どうぞ》これからそんな|子供騙《こどもだま》しのやうな|事《こと》は|云《い》はぬやうにして|下《くだ》さい。【たら】だとか、【けれど】とかの|語尾《ごび》のつく|間《あひだ》は|駄目《だめ》ですよ。そんな|疑問詞《ぎもんし》は|根《ね》つから|葉《は》つから|腹《はら》の|虫《むし》が|承認《しようにん》|致《いた》しませぬ』
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》はそんな|立派《りつぱ》な|事《こと》を|口《くち》で|云《い》うて|居《を》るが、|心《こころ》の|底《そこ》はさうぢやあるまい。|名誉心《めいよしん》のない|奴《やつ》はこの|広《ひろ》い|世界《せかい》に|一人《ひとり》だつて|有《あ》らう|筈《はず》がない。|赤裸々《せきらら》に|腹《はら》の|底《そこ》を|叩《たた》けば、|誰《たれ》だつて|手柄《てがら》が|仕度《した》いと|云《い》ふ|心《こころ》の|無《な》い|者《もの》は|有《あ》るまい。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》だつて|矢張《やつぱり》|名誉《めいよ》も|欲《ほ》しい、|手柄《てがら》もしたい、これが|偽《いつは》らざるネツトプライスの|告白《こくはく》だ。|皆《みな》の|者共《ものども》、それに|間違《まちが》ひはあるまいがな、オホヽヽヽ』
|一同《いちどう》『エヽさうですかいな』
と【のか】ず|触《さは》らずのやうな、【あぢ】な|味噌《みそ》を|嘗《な》めた|時《とき》のやうに、せう|事《こと》なしに|冷淡《れいたん》な|返事《へんじ》をして|居《ゐ》る。|一天《いつてん》|俄《にはか》に|墨《すみ》を|流《なが》せし|如《ごと》く|掻《か》き|曇《くも》り、|星影《ほしかげ》さへ|見《み》えなくなつた。|忽《たちま》ち|吹《ふ》き|来《く》る|颶風《ぐふう》に|山岳《さんがく》の|如《ごと》き|浪《なみ》|立《た》ち|狂《くる》ひ、|玉能丸《たまのまる》を|毬《まり》の|如《ごと》くに|翻弄《ほんろう》し|始《はじ》めた。|何時《いつ》の|間《ま》にか|船《ふね》は|淡路島《あはぢしま》の|北岸《ほくがん》|近《ちか》く|進《すす》んで|居《ゐ》たと|見《み》え、|島《しま》の|火影《ほかげ》は|幽《かす》かに|瞬《またた》き|始《はじ》めた。|高姫《たかひめ》は|其《その》|火光《くわくわう》を|目当《めあて》に|船《ふね》を|漕《こ》げよと|厳命《げんめい》する。|四人《よにん》は|最早《もはや》|両腕《りやううで》|共《とも》|萎《な》へて|艪櫂《ろかい》を|操縦《さうじう》する|事《こと》が|出来《でき》なくなつて|居《ゐ》た。|船《ふね》は|忽《たちま》ち|暗礁《あんせう》に|乗《の》り|上《あ》げたと|見《み》え、|船底《ふなぞこ》はバリバリバリ、パチパチパチ、メキメキメキと|大音響《だいおんきやう》を|立《た》てて|木端微塵《こつぱみぢん》となり、|高姫《たかひめ》|以下《いか》は|荒波《あらなみ》に|呑《の》まれて|仕舞《しま》つた。
|玉能姫《たまのひめ》は|甲斐々々《かひがひ》しく|襷十文字《たすきじふもんじ》に|綾取《あやど》り、|艪《ろ》を|操《あやつ》りながら|高姫《たかひめ》が|後《あと》を|追《お》ひ|進《すす》み|来《く》る|折《をり》しも、|俄《にはか》の|颶風《ぐふう》に|遇《あ》ひ|淡路島《あはぢしま》の|火影《ほかげ》の|瞬《またた》きを|目当《めあて》に|辛《から》うじて|磯端《いそばた》に|安着《あんちやく》し、|夜明《よあけ》を|待《ま》つ|事《こと》とした。|風《かぜ》は|歇《や》み|雲《くも》は|散《ち》り、|忽《たちま》ち|紺碧《こんぺき》の|空《そら》に|金覆輪《きんぷくりん》の|太陽《たいやう》は、|山《やま》の|端《は》を|覗《のぞ》いて|海面《かいめん》に|清鮮《せいせん》なる|光《ひかり》を|投《な》げ、|鴎《かもめ》の|群《むれ》は|嬉々《きき》として|東西南北《とうざいなんぼく》に|浪《なみ》の|上《うへ》を|〓翔《こうしよう》して|居《ゐ》る。|漁夫《ぎよふ》の|群《むれ》と|見《み》えて|四五《しご》の|小《ちひ》さき|帆掛船《ほかげぶね》は|遥《はるか》の|彼方《かなた》に|見《み》えつ|隠《かく》れつ|太陽《たいやう》に|照《てら》されて|浮《う》いて|居《ゐ》る。
|玉能姫《たまのひめ》は|東天《とうてん》に|向《むか》ひ|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》する|折《をり》しも、|傍《かたはら》より|呻吟《うめき》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|来《く》る。|怪《あや》しみながらよくよく|見《み》れば、|波《なみ》に|打《う》ち|上《あ》げられた|五人《ごにん》の|体《からだ》、|人事不省《じんじふせい》の|態《てい》にて『ウンウン』と|唸《うな》り|声《ごゑ》のみ|僅《わづか》に|発《はつ》して|居《ゐ》る。|近《ちか》より|見《み》れば、|高姫《たかひめ》|一行《いつかう》であるに|打驚《うちおどろ》き、|色々《いろいろ》と|介抱《かいほう》をなし|鎮魂《ちんこん》を|修《しう》し、|魂寄《たまよ》せの|神言《かみごと》を|唱《とな》へ|漸《やうや》う|五人《ごにん》を|蘇生《そせい》せしめた。|玉能姫《たまのひめ》は|高姫《たかひめ》の|背《せ》を|擦《さす》り|乍《なが》ら、
|玉能姫《たまのひめ》『|確《しつか》りなさいませ。|気《き》が|付《つ》きましたか』
と|優《やさ》しき|声《こゑ》にて|労《いた》はる。|高姫《たかひめ》は|初《はじ》めて|気《き》がつきたるが|如《ごと》く、
|高姫《たかひめ》『アヽ|何《いづ》れの|方《かた》が|存《ぞん》じませぬが、|危《あやふ》い|所《ところ》をお|助《たす》け|下《くだ》さいまして|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|是《これ》と|云《い》ふのも|全《まつた》く|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》が、|貴女《あなた》にお|憑《うつ》り|遊《あそ》ばして|助《たす》けて|下《くだ》さつたのに|違《ちが》ひありませぬ。アヽ|外《ほか》の|者《もの》は|何《ど》うなつたか』
|玉能姫《たまのひめ》『|高姫《たかひめ》|様《さま》、|御心配《ごしんぱい》なされますな、|皆《みな》|妾《わたし》が|御介抱《ごかいはう》|申《まを》し|上《あ》げ、|漸《やうや》う|気《き》がつきました。|大変《たいへん》なお|疲《つか》れと|見《み》えて|横《よこ》になつて|此処《ここ》に|居《を》られます』
|高姫《たかひめ》『|妾《わたし》の|名《な》を|知《し》つて|居《を》る|方《かた》は|何《いづ》れの|御人《おひと》だ』
とよくよく|見《み》れば|玉能姫《たまのひめ》である。
|高姫《たかひめ》『ヤアお|前《まへ》は|玉能姫《たまのひめ》かいナア、ようまア|来《こ》られました。|夜前《やぜん》の|荒浪《あらなみ》に|唯《ただ》|一人《ひとり》|船《ふね》を|操《あやつ》つて、この|大海原《おほうなばら》を|渡《わた》るなどとは|偉《えら》い|度胸《どきよう》の|女《をんな》だ。さうしてお|前《まへ》は|妾《わたし》を|助《たす》けて、|高姫《たかひめ》の|頭《あたま》を|押《おさ》へる|積《つも》りだらうが、さうはいけませぬぞえ』
|玉能姫《たまのひめ》『イエイエ|滅相《めつさう》な|事《こと》、どうして|左様《さやう》な|野心《やしん》を|持《も》ちませう。どこ|迄《まで》いても|玉能姫《たまのひめ》は|玉能姫《たまのひめ》、|高姫《たかひめ》は|高姫《たかひめ》で|御座《ござ》いますもの』
|高姫《たかひめ》『|何《なん》と|仰有《おつしや》る。|玉能姫《たまのひめ》は|玉能姫《たまのひめ》と|云《い》うたぢやないか。|要《えう》するにお|前《まへ》はお|前《まへ》、|私《わし》は|私《わし》と|云《い》ふ|傲慢《がうまん》|不遜《ふそん》なお|前《まへ》の|了見《りやうけん》、|弱味《よわみ》に|付《つ》け|込《こ》んで|同等《どうとう》の|権利《けんり》を|握《にぎ》つたやうな|其《その》|口吻《くちぶり》、どうしても|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|腑《ふ》に|落《お》ちませぬ。お|前《まへ》に|助《たす》けて|貰《もら》うたと|思《おも》へば|結構《けつこう》なやうなものの、|余《あま》り|嬉《うれ》しうも|無《な》いやうな|気《き》が|致《いた》しますワイ。オヽさうぢやさうぢや、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》が|玉能姫《たまのひめ》の|肉体《にくたい》を|臨時《りんじ》|道具《だうぐ》にお|使《つか》ひなさつたのだ。……アヽ|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》、よう|助《たす》けて|下《くだ》さいました。|玉能姫《たまのひめ》の|如《ごと》き|曇《くも》り|切《き》つた|身魂《みたま》にお|憑《かか》り|遊《あそ》ばすのは、|並大抵《なみたいてい》の|事《こと》では|御座《ござ》いますまい。|御苦労様《ごくらうさま》お|察《さつ》し|申《まを》します。……コレコレ|玉能姫《たまのひめ》、|唯今《ただいま》|限《かぎ》り|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》はこの|生宮《いきみや》へ|憑《うつ》り|替《か》へ|遊《あそ》ばしたから、|決《けつ》して|決《けつ》して|此《この》|後《ご》は|私《わたし》の|真似《まね》をして|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》だなんて、そんな|野心《やしん》を|起《おこ》してはなりませぬぞ。チツト|嗜《たしな》みなされ』
|玉能姫《たまのひめ》『|何《なに》は|兎《と》もあれ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》のお|蔭《かげ》で|大切《たいせつ》な|生命《いのち》をお|助《たす》かり|遊《あそ》ばして、お|目出度《めでた》う|御座《ござ》います』
|高姫《たかひめ》『そりや|貴女《あなた》、|嘘《うそ》でせう。|死《し》ねば|良《よ》いのに|何時《いつ》|迄《まで》もガシヤ|婆《ばば》が|頑張《ぐわんば》つて|夫婦《ふうふ》の|仲《なか》を|邪魔《じやま》を|致《いた》す|奴《やつ》、お|目出度《めでた》いと|云《い》ふのは|口先《くちさき》|許《ばか》り、|真実《ほんと》の|心《こころ》の|底《そこ》は|大《おほ》きにお|目出度《めでた》うありますまい、オホヽヽヽ』
|玉能姫《たまのひめ》『それは|何《なん》と|云《い》ふ|事《こと》を|仰有《おつしや》います。|暴言《ばうげん》にも|程《ほど》があるぢやありませぬか』
|高姫《たかひめ》『|定《きま》つた|事《こと》よ。|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》や|杢助《もくすけ》|等《ら》と|腹《はら》を|合《あは》せ、|此《この》|生宮《いきみや》に|蛸《たこ》の|揚壺《あげつぼ》を|喰《く》はせ、|面目玉《めんぼくだま》を|潰《つぶ》させ、|高姫《たかひめ》を|進退《しんたい》|維《こ》れ|谷《きは》まる|窮地《きゆうち》に|陥《おとしい》れたお|前《まへ》、どこに|私《わたし》が|助《たす》かつたのが|目出度《めでた》いと|云《い》ふ|道理《だうり》が|御座《ござ》んすかいな。|阿諛諂佞《あゆてんねい》、|巧言令色《こうげんれいしよく》|至《いた》らざる|無《な》き|貴女《あなた》|方《がた》には、|高姫《たかひめ》も|心《こころ》の|底《そこ》よりイヤもう|感心《かんしん》|仕《つかまつ》りました。それだけの|悪智慧《わるぢゑ》が|廻《まは》らねば|大《だい》それたあんな|大望《たいもう》は|出来《でき》ますまい』
|玉能姫《たまのひめ》『|妾《わたし》が|此処《ここ》へ|来《こ》なかつたら、|貴女《あなた》は|既《すで》に|生命《いのち》の|無《な》い|処《ところ》ぢやありませぬか。|生命《いのち》を|助《たす》けられ|乍《なが》ら、|余《あま》りと|云《い》へば|余《あま》りのお|愛想《あいそ》|尽《づ》かし、|妾《わたし》も|実《じつ》に|感心《かんしん》|致《いた》しました』
|高姫《たかひめ》『それはお|前《まへ》|何《なん》と|云《い》ふ|口《くち》【びらたい】|事《こと》を|云《い》ふのかい。|天道《てんだう》は|人《ひと》を|殺《ころ》さずと|云《い》つて、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》の|生宮《いきみや》、どんな|事《こと》があつても|神様《かみさま》が|救《すく》ひ|上《あ》げてお|助《たす》けなさるのは|必定《ひつぢやう》だ。|万々一《まんまんいち》|此《この》|高姫《たかひめ》が|溺《おぼ》れて|死《し》ぬ|様《やう》な|事《こと》があつたら、それこそ|三千年《さんぜんねん》の|変性男子《へんじやうなんし》のお|仕組《しぐみ》が|薩張《さつぱり》|水《みづ》の|泡《あわ》になつて|仕舞《しま》ふぢやないか。|此《この》|世《よ》の|中《なか》を|三角《さんかく》にしようと|四角《しかく》にしようと|餅《もち》にしようと|団子《だんご》にしようと、|自由自在《じいうじざい》に|遊《あそ》ばす|大国治立大神《おほくにはるたちのおほかみ》|様《さま》は、そんな|不利益《ふりえき》な|事《こと》を|遊《あそ》ばす|筈《はず》がない。|仮令《たとへ》お|前《まへ》が|来《こ》なくてもあれ|御覧《ごらん》なさい。|沢山《たくさん》の|漁船《れふせん》が|浪《なみ》の|上《うへ》を|往来《わうらい》して|居《を》るぢやないか。|世界《せかい》に|鬼《おに》は|無《な》いと|云《い》ふ。|見《み》ず|知《し》らずの|赤《あか》の|他人《たにん》でも|人《ひと》が|困《こま》つて|居《を》れば|助《たす》けたうなるものぢや。|人《ひと》を|助《たす》けた|時《とき》の|愉快《ゆくわい》さと|云《い》うたら|譬方《たとへかた》の|無《な》いものだ。お|前《まへ》さまは|赤《あか》の|他人《たにん》とは|云《い》ひ|乍《なが》ら|矢張《やつぱ》り|曲《まが》りなりにも|同《おな》じ|神様《かみさま》のお|道《みち》の|懐《ふところ》にくつついて|居《ゐ》る|虱《しらみ》のやうなものだ。|虱《しらみ》の|分際《ぶんざい》として、|霊界物語《れいかいものがたり》|第五巻《だいごくわん》の|総説《そうせつ》ぢやないが、|広大無辺《くわうだいむへん》の|大御心《おほみこころ》が|分《わか》つて|耐《たま》りますかい。|暫《しば》しの|間《あひだ》でも|私《わたし》を|助《たす》けてやつたと|夢見《ゆめみ》たときの|愉快《ゆくわい》さは、|何《なん》とも|云《い》はれぬ|感《かん》がしただらう。|仮令《たとへ》|刹那《せつな》の|愉快《ゆくわい》でも|此《この》|高姫《たかひめ》があつたらこそ、そんな|結構《けつこう》な|目《め》に|遇《あ》うたのだ。サアサア|早《はや》く|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》に|感謝《かんしや》なさいませ。アヽ|神様《かみさま》はお|恵《めぐみ》が|深《ふか》いから、こんな|玉隠《たまかく》しの|身魂《みたま》にさへも|喜《よろこ》びを|与《あた》へて|下《くだ》さるか。|思《おも》へば|尊《たふと》い|御神力《ごしんりき》の|強《つよ》い|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》。|杢助《もくすけ》や|玉能姫《たまのひめ》に|守護《しゆご》して|居《を》る|神様《かみさま》は、|此《この》|高姫《たかひめ》に|対《たい》し|一度《いちど》も|束《つか》の|間《ま》も|嬉《うれ》しいと|云《い》ふ|感《かん》を|与《あた》へて|呉《く》れた|事《こと》はない。その|筈《はず》だ、|何《なに》を|云《い》うても|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|悪《あく》の|一番《いちばん》|醜《ひど》い|時《とき》の|分霊《わけみたま》が|守護《しゆご》して|居《ゐ》るのだから、|注文《ちうもん》するのが|此方《こつち》の|不調法《ぶてうはふ》だ、オホヽヽヽ』
とそろそろ|元気《げんき》づいて|来《く》るに|従《したが》ひ、|再《ふたた》び|意地《いぢ》くねの|悪《わる》い|事《こと》を|捏《こ》ね|出《だ》したり。
|玉能姫《たまのひめ》『|貴女《あなた》、|船《ふね》はどうなりました』
|高姫《たかひめ》『オホヽヽヽ、|船《ふね》が|残《のこ》る|位《くらゐ》なら|誰人《たれ》が|海《うみ》へ【はま】るものか。お|前《まへ》も|思《おも》ひの|外《ほか》|智慧《ちゑ》の|足《た》らぬ|事《こと》を|云《い》ひなさるな。あの|船《ふね》にはエラさうに|玉能丸《たまのまる》と|印《しるし》が|入《い》れてあつたが、|決《けつ》してお|前《まへ》の|船《ふね》ぢやありますまい。|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》の|御用船《ごようせん》だ。それを|僣越至極《せんゑつしごく》にも|自分《じぶん》の|船《ふね》のやうに|思《おも》ひ、|玉能丸《たまのまる》なんて|記《しる》した|所《ところ》を|見《み》れば、|心《こころ》の|中《うち》には|既《すで》に|既《すで》に|船《ふね》|一艘《いつそう》|窃盗《どろぼう》して|居《を》つたのだ。お|前《まへ》|併《しか》し|乍《なが》らこれも|神様《かみさま》の|深《ふか》いお|仕組《しぐみ》かも|知《し》れませぬ。|玉能姫《たまのひめ》の|名《な》のついた|船《ふね》が|暗礁《あんせう》に|衝突《ぶつつ》かつて|木《こ》つ|端《ぱ》|微塵《みじん》になつたと|思《おも》へばオホヽヽヽ、|心地《ここち》よい|事《こと》だ。この|船《ふね》がお|前《まへ》の|前途《ぜんと》の|箴《しん》をなして|居《を》るのだ。|余《あま》り|慢心《まんしん》をして|我《が》を|張《は》り|通《とほ》すと|又《また》|此《この》|船《ふね》のやうに|暗礁《あんせう》に|乗《の》り|上《あ》げ、|破滅《はめつ》の|厄《やく》に|遇《あ》はねばなりますまい。|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|気《き》をつけて|置《お》くから|云《い》ふ|中《うち》に|改心《かいしん》をなさらぬと、トコトンのどん|詰《づま》りになつて|地団駄《ぢだんだ》|踏《ふ》んでも|後《あと》の|祭《まつり》、|誰《たれ》も|構《かま》うては|呉《く》れませぬぞエ。……コレコレ|貫州《くわんしう》、|皆々《みなみな》|好《よ》い|加減《かげん》に|起《お》きて|来《こ》ぬかいな、|男《をとこ》の|癖《くせ》に|何《なに》を|弱《よわ》つて|居《を》るのだ』
|貫州《くわんしう》『いやモウ|余《あま》り|感心《かんしん》|致《いた》しまして|立《た》つ|事《こと》が|出来《でき》ませぬワ。ナア|鶴公《つるこう》、お|前《まへ》も|感心《かんしん》しただらう』
|鶴公《つるこう》『さうともさうとも、|四人《よにん》|共《とも》|揃《そろ》つて|感心《かんしん》した。|生命《いのち》を|助《たす》けて|貰《もら》うて|置《お》きながら、|竹篦返《しつぺいがへ》しの|能弁《のうべん》には|俺達《おれたち》も|開《あ》いた|口《くち》が|塞《ふさ》がらぬワイ。ナア|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、|貴女《あなた》の|御精神《ごせいしん》には|心《こころ》から|感心《かんしん》|致《いた》しました。ようマア|生命《いのち》を|助《たす》けて|下《くだ》さいました。お|腹《はら》が|立《た》ちませうが|狂人《きちがひ》の|云《い》ふ|事《こと》だと|思《おも》つて|何卒《どうぞ》|勘弁《かんべん》してやつて|下《くだ》さいませ。|海《うみ》の|向《むか》ふに|須磨《すま》の|精神病院《せいしんびやうゐん》が|御座《ござ》いますから、|其処《そこ》へお|頼《たの》み|申《まを》して|監禁《かんきん》して|貰《もら》ひますから、どうぞそれ|迄《まで》|御辛抱《ごしんばう》を|願《ねが》ひます。|生命《いのち》の|親《おや》の|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》』
|高姫《たかひめ》『コラコラ|鶴《つる》、|貫《くわん》、|何《なに》を|云《い》ふのだ。|生神様《いきがみさま》に|対《たい》して|狂人《きちがひ》とは|何《なん》と|云《い》ふ|不心得《ふこころえ》の|事《こと》を|云《い》ふのだ。そんな|事《こと》を|申《まを》すと|今日《けふ》|限《かぎ》り|師匠《ししやう》でもないぞ、|弟子《でし》でもない。|破門《はもん》するからさう|思《おも》へ』
|鶴公《つるこう》『|捨《す》てる|神《かみ》もあれば|拾《ひろ》ふ|神《かみ》もある。|世《よ》の|中《なか》はようしたものだ。|私《わたくし》は|唯今《ただいま》|限《かぎ》りお|前《まへ》さまに|愛憎《あいそ》が|尽《つ》きたから、|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》のお|弟子《でし》にして|頂《いただ》きます。|否々《いやいや》|生命《いのち》の|親様《おやさま》、|孝行《かうかう》な|子《こ》となりて|尽《つく》します。|高姫《たかひめ》さま、|長《なが》らく|御心配《ごしんぱい》をかけさして|下《くだ》さいました。|私《わたくし》も|是《これ》で|四十二《しじふに》の|厄祓《やくばら》ひ、|家内中《かないぢう》|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》|煤払《すすはら》ひをしたやうな|気分《きぶん》になりました』
|高姫《たかひめ》は|面《かほ》を|膨《ふく》らし|目《め》を|剥《む》いて|睨《にら》み|付《つ》けて|居《ゐ》る。
|玉能姫《たまのひめ》『|四人《よにん》のお|方《かた》、|貴方《あなた》|方《がた》は|何処迄《どこまで》も|高姫《たかひめ》|様《さま》の|御教養《ごけうやう》をお|受《うけ》|下《くだ》さいませ。|妾《わたし》は|他人様《ひとさま》の|弟子《でし》を|横取《よこど》りしたと|云《い》はれましては|迷惑《めいわく》で|御座《ござ》います。|断《だん》じて|弟子《でし》でもなければ|親子《おやこ》でもないと|思《おも》うて|下《くだ》さい』
|鶴公《つるこう》『そりや|貴女《あなた》|御無理《ごむり》です。|何《なん》と|仰有《おつしや》つても|私《わたくし》の|心《こころ》が|高姫《たかひめ》|様《さま》を|離《はな》れて、|貴女《あなた》に|密着《みつちやく》して|仕舞《しま》つたのだから、|何彼《なにか》の|因縁《いんねん》と|諦《あきら》めて|下《くだ》さいませ。お|許《ゆる》しなくば|貴女《あなた》に|助《たす》けて|貰《もら》うた|此《この》|生命《いのち》、|綺麗《きれい》|薩張《さつぱ》り|身《み》を|投《な》げてお|返《かへ》し|致《いた》しますから』
|玉能姫《たまのひめ》『|貴方《あなた》|方《がた》のお|心《こころ》はよく|承知《しようち》|致《いた》しました。|併《しか》し|妾《わたし》を|助《たす》けると|思《おも》うて|断念《だんねん》して|下《くだ》さい。それよりも|一時《いちじ》も|早《はや》く|妾《わたし》の|船《ふね》に|高姫《たかひめ》|様《さま》をお|乗《の》せ|申《まを》して|帰《かへ》りませう』
|一同《いちどう》『ハイさう|致《いた》しませう』
と|言葉《ことば》を|揃《そろ》へて|頷《うなづ》く。
|高姫《たかひめ》『お|前等《まへら》は|御勝手《ごかつて》に|乗《の》つて|帰《かへ》りなさい。|私《わたし》は|玉能姫《たまのひめ》に|助《たす》けられる|因縁《いんねん》が|無《な》いのだから。あの|通《とほ》り|沢山《たくさん》の|船《ふね》、|此処《ここ》に|待《ま》つて|居《を》れば|何処《どこ》かの|船《ふね》が|来《こ》う。それに|沢山《たくさん》の|賃銀《ちんぎん》を|与《あた》へれば|何処《どこ》へでも|乗《の》せて|往《い》つて|呉《く》れるから、お|節《せつ》|惚《のろ》けのお|前達《まへたち》はどうでも|勝手《かつて》にするがよいワイのう。|私《わたし》は|一《ひと》つの|目的《もくてき》を|達《たつ》する|迄《まで》|帰《かへ》らないから、お|前達《まへたち》は|玉能姫《たまのひめ》と|一緒《いつしよ》に|帰《かへ》りなさい』
|鶴公《つるこう》『アヽ、こんな|目《め》に|遇《あ》うても|貴女《あなた》は|矢張《やつぱ》り|執着心《しふちやくしん》が|退《の》かぬと|見《み》えますな。|家島《えじま》とか|神島《かみしま》とかへ|行《い》つて|宝《たから》を|呑《の》んで|来《く》る|積《つも》りでせう』
と|聞《き》くより|高姫《たかひめ》は|癇声《かんごゑ》を|張《は》り|上《あ》げ、
|高姫《たかひめ》『|構《かま》ふな、お|前達《まへたち》の|知《し》つた|事《こと》かい』
と|呶鳴《どな》りつけた。
|此《この》|時《とき》|一艘《いつそう》の|漁船《れふせん》|矢《や》を|射《い》る|如《ごと》くに|此《この》|場《ば》に|寄《よ》り|来《きた》り、
|船頭《せんどう》『|夜前《やぜん》は|大変《たいへん》な|暴風雨《ばうふうう》だつたが、|茲《ここ》に|一艘《いつそう》の|船《ふね》が|毀《こは》れたと|見《み》えて|板片《いたぎれ》が|残《のこ》つて|居《を》る。|大方《おほかた》お|前等《まへら》は|難船《なんせん》したのだらう。サア|私《わたし》の|船《ふね》に|乗《の》つて|向《むか》ふへ|帰《かへ》らつしやい、|賃銀《ちんぎん》は|幾何《いくら》でもよいから』
|高姫《たかひめ》『アヽ|流石《さすが》は|神様《かみさま》だ。お|前《まへ》は|偉《えら》いものだ。サア|私《わたし》を|乗《の》せて|下《くだ》さい。|賃銀《ちんぎん》は|幾何《いくら》でも|上《あ》げるから』
|船頭《せんどう》『|見《み》れば|此処《ここ》に|船《ふね》が|一艘《いつそう》|着《つ》いて|居《を》るが、|是《これ》は|誰《たれ》の|船《ふね》だな』
|高姫《たかひめ》『あれかいな、あれは|此処《ここ》に|居《を》る|連中《れんちう》の|船《ふね》だ。|最前《さいぜん》から|乗《の》せて|呉《く》れと|云《い》つて|頼《たの》んで|居《を》るのに、|根《ね》つから|乗《の》せてやらうと|云《い》はぬのだ。エグイ|奴《やつ》があればあるもの。……よう|来《き》て|下《くだ》さつた。サア|乗《の》せて|貰《もら》はう』
|船頭《せんどう》『サアサア|乗《の》つて|下《くだ》さい。コレコレお|前《まへ》さま|達《たち》、なぜこの|婆《ばば》アを|乗《の》せてやらぬのだ。|腹《はら》の|悪《わる》い|男《をとこ》だなア』
|鶴公《つるこう》『|船頭《せんどう》さま、この|婆《ばば》アは|一寸《ちよつと》|気《き》が|違《ちが》うて|居《を》るから|何《なに》|云《い》ふか|分《わか》りませぬ。|最前《さいぜん》からこの|船《ふね》に|乗《の》りなさいと|云《い》ふのに、|自分《じぶん》から|乗《の》らないと|頑張《ぐわんば》つて、|駄々《だだ》をこね、あんな|事《こと》を|云《い》ふのだから|仕方《しかた》が|無《な》い。お|前《まへ》さま、|要心《ようじん》して|須磨《すま》の|精神病院《せいしんびやうゐん》へでも|送《おく》つてやつて|下《くだ》さい。|途中《とちう》|海《うみ》へでも|飛《と》び|込《こ》むと|大変《たいへん》だから、|綱《つな》かなんかで、【がんじ】|搦《がら》めに|縛《くく》つて|船《ふね》の|中《なか》の|荷物《にもつ》で|押《おさ》へて|置《お》かぬと|耐《たま》りませぬぜ』
|高姫《たかひめ》『こりや|鶴《つる》、|恩《おん》|知《し》らず|奴《め》、|何《なん》と|云《い》ふ|事《こと》を|云《い》ふのだ』
と|睨《ね》め|付《つ》け、
|高姫《たかひめ》『サア|船頭《せんどう》さま、|早《はや》くやつて|下《くだ》さい。サア|早《はや》く|早《はや》く|早《はや》く』
|船頭《せんどう》『ハイ、|左様《さやう》なら|何処《どこ》へでもお|供《とも》|致《いた》しませう』
と、|艪《ろ》を|取《と》り、|西《にし》に|向《むか》つて|漕《こ》いで|行《ゆ》く。
|玉能姫《たまのひめ》は|四人《よにん》の|男《をとこ》を|吾《わが》|船《ふね》に|乗《の》せ、|自《みづか》ら|艪《ろ》を|操《あやつ》りながら|高姫《たかひめ》の|船《ふね》を|目蒐《めが》けて|追《お》うて|往《ゆ》く。
(大正一一・六・一二 旧五・一七 加藤明子録)
第一二章 |家島探《えじまさがし》〔七二四〕
|負《まけ》ぬ|気《き》|強《つよ》き|高姫《たかひめ》は  |折《をり》から|漕来《こぎく》る|漁夫船《れふしぶね》
|是《これ》|幸《さいは》ひと|飛《と》び|乗《の》りて  |海《うみ》の|底《そこ》より|尚《なほ》|深《ふか》き
|執着心《しふちやくしん》に|駆《か》られつつ  |三《み》つの|宝《たから》の|所在《ありか》をば
|諸越山《もろこしやま》の|果《は》て|迄《まで》も  |探《さが》し|当《あ》てねば|措《お》くものか
|仮令《たとへ》|蛇《じや》となり|鬼《おに》となり  |屍《かばね》は|野《の》べに|曝《さら》すとも
|海《うみ》の|藻屑《もくづ》となるとても  |此《この》|一念《いちねん》を|晴《は》らさねば
|大和魂《やまとだましひ》が|立《た》つものか  |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》と
|自《みづか》ら|謳《うた》うた|手前《てまへ》ある  |愈《いよいよ》|実地《じつち》を|嗅出《かぎだ》して
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|神力《しんりき》を  |現《あら》はし|呉《く》れむと|夜叉姿《やしやすがた》
|髪《かみ》|振《ふ》り|乱《みだ》し|海風《かいふう》に  |身《み》を|梳《くしけづ》り|荒浪《あらなみ》を
|乗《の》り|切《き》り|乗《の》り|切《き》り|漸《やうや》くに  |高砂沖《たかさごおき》にと|着《つ》きにける。
|船頭《せんどう》『もしもしお|客《きやく》さま、|右手《みぎて》に|見《み》ゆるはあれが|有名《いうめい》な|高砂《たかさご》の|森《もり》、それから|続《つづ》いて|石《いし》の|宝殿《ほうでん》、|曽根《そね》の|松《まつ》の|名所《めいしよ》、|如何《どう》です、|一寸《ちよつと》|彼処《あそこ》へお|寄《よ》りになつては』
|高姫《たかひめ》『や、|妾《わし》はそんな|事《こと》どころぢやない。|一時《ひととき》も|早《はや》く|家島《えじま》|迄《まで》|行《ゆ》かねばならぬのだ。お|前《まへ》、|御苦労《ごくらう》だが|何卒《どうぞ》|気張《きば》つて|一刻《いつこく》でも|早《はや》く|漕《や》つて|下《くだ》さい。それそれ|後《あと》から|今《いま》の|五人《ごにん》の|悪党者《あくたうもの》が|追《お》ひ|駆《かけ》て|来《く》る。|追《お》ひ|付《つ》かれては|大変《たいへん》だからなア』
|船頭《せんどう》『|儂《わし》も|力一杯《ちからいつぱい》|漕《こ》いで|居《を》るのだが、|何《なん》と|言《い》うても|向方《むかう》は|五人《ごにん》だから、|交《かは》る|交《がは》る|身体《からだ》を|休《やす》め|以《もつ》て|来《く》るのだから|旨《うま》いものだ。|然《しか》し|乍《なが》ら|儂《わし》も|此《この》|界隈《かいわい》にては|艪《ろ》では|名《な》を|売《う》つたもの、|船頭《せんどう》の|東助《とうすけ》と|言《い》へば|名高《なだか》い|者《もの》ですよ。|其《その》|代《かは》り|賃銀《ちんぎん》は|他人《ひと》の|三人前《さんにんまへ》|払《はら》うて|貰《もら》はねばなりませぬ』
|高姫《たかひめ》『|三倍《さんばい》でも|五倍《ごばい》でも|十倍《じふばい》でも|構《かま》ふものか。|一歩《ひとあし》でも|早《はや》く|着《つ》きさへすれば|払《はら》つてやる。|然《しか》し|一歩《ひとあし》でも|後《おく》れる|様《やう》の|事《こと》があつては|矢張《やつぱり》|三人前《さんにんまへ》ほか|払《はら》ひませぬぞや』
|東助《とうすけ》『|有難《ありがた》う、それなら|是《これ》から|一気張《ひときば》り|致《いた》しませう。|何程《なにほど》|上手《じやうず》な|者《もの》でも|此《この》|東助《とうすけ》には|叶《かな》ひませぬからな』
と|捩鉢巻《ねぢはちまき》を|締《し》め|浸黒《しぐろ》い|膚《はだへ》を|出《だ》して|凩《こがらし》に|向《むか》ひ|汗《あせ》を|流《なが》し|乍《なが》ら、|一層《いつそう》|烈《はげ》しく|艪《ろ》を|漕出《こぎだ》した。
|高姫《たかひめ》『これこれ、|船頭《せんどう》さま、|左手《ひだりて》に|饅頭《まんじう》の|様《やう》な|島《しま》が|浮《う》いて|居《ゐ》るが、あれは|何《なん》と|言《い》ふ|島《しま》だい』
|船頭《せんどう》『あれですか、あれは|瀬戸《せと》の|海《うみ》の|一《ひと》つ|島《じま》と|言《い》ひ|神島《かみしま》とも|言《い》ひましてな、それはそれは|恐《おそ》ろしい|島《しま》ですよ。|昔《むかし》から|私《わたくし》の|様《やう》な|船頭《せんどう》でも|寄《よ》りついた|事《こと》は|無《な》いのですから』
|高姫《たかひめ》『あの|島《しま》へ|去年《きよねん》の|五月《ごぐわつ》の|五日《いつか》に|船《ふね》を|漕《こ》いで|行《い》つた|女《をんな》があるだらう。お|前《まへ》、|聞《き》いて|居《を》るだらうなア』
|東助《とうすけ》『|滅相《めつさう》も|無《な》い|事《こと》|仰有《おつしや》いますな。|常《つね》の|日《ひ》でさへも|彼《あ》の|島《しま》へ|船《ふね》は|着《つ》きませぬ。|况《ま》して|五月五日《ごぐわついつか》と|言《い》へば|神島《かみしま》の|神様《かみさま》が|高砂《たかさご》の|森《もり》へお|渡《わた》り|遊《あそ》ばす|日《ひ》だから、|船頭《せんどう》は|総休《そうやす》みです。|此《この》|辺《へん》|一帯《いつたい》は|昔《むかし》から|五日《いつか》の|日《ひ》に|限《かぎ》つて|船《ふね》は|出《だ》しませぬ。|万一《まんいち》|我慢《がまん》をして|船《ふね》を|出《だ》さうものなら、|忽《たちま》ち|船《ふね》は|顛覆《てんぷく》し|生命《いのち》をとられて|仕舞《しま》ふのだから、|何処《どこ》の|阿呆《あはう》だつて、そんな|日《ひ》に|船《ふね》を|出《だ》したり|恐《おそ》ろしい|神島《かみしま》などへ|渡《わた》りますものか』
|高姫《たかひめ》『あの|島《しま》には|何《なに》か|宝物《ほうもつ》でも|隠《かく》してある|様《やう》な|噂《うはさ》は|聞《き》きはせぬかな』
|東助《とうすけ》『|沢山《たくさん》の|船頭《せんどう》に|交際《つきあつ》て|居《ゐ》ますが、そんな|話《はなし》の|気《け》|位《くらゐ》も|聞《き》いた|事《こと》はありませぬワイ。|神様《かみさま》の|話《はなし》を|言《い》つても|海《うみ》が|荒《あ》れると|言《い》ふ|位《くらゐ》だから、もう|此《この》|話《はなし》は|是《これ》きりにして|下《くだ》さい』
|高姫《たかひめ》『さうかなア、|矢張《やつぱり》さうすると|家島《えじま》に|違《ちが》ひない。さア|早《はや》く|頼《たの》みます』
|東助《とうすけ》『|承知《しようち》しました』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》、|向《むか》う|風《かぜ》に|逆《さか》らひつつ|漸《やうや》く|家島《えじま》の|岸《きし》に|着《つ》いた。
|高姫《たかひめ》『あゝ|御苦労《ごくらう》だつた。|流石《さすが》は|東助《とうすけ》さま、よう|早《はや》う|着《つ》けて|下《くだ》さつた。お|礼《れい》は|沢山《たくさん》に|致《いた》しますぞえ、|後《あと》からの|連中《れんちう》が|来《き》ても|妾《わし》が|此《この》|山《やま》へ|登《のぼ》つたと|言《い》つてはいけませぬぞえ。|若《も》しも|尋《たづ》ねたら、|高姫《たかひめ》は|神島《かみしま》に|上《あ》がらしやつたと|言《い》うてお|呉《く》れ、|屹度《きつと》だよ』
|東助《とうすけ》『はい、|承知《しようち》|致《いた》しました』
|高姫《たかひめ》はパタパタと|忙《いそが》がしげに|老樹《らうじゆ》こもれる|山林《さんりん》の|中《なか》に|姿《すがた》を|隠《かく》して|仕舞《しま》つた。|東助《とうすけ》は|只《ただ》|一人《ひとり》|舷《ふなばた》に|腰《こし》を|掛《か》け|松葉煙草《まつばたばこ》をくゆらして|居《ゐ》る。
|半時《はんとき》ばかり|経《た》つと、|玉能姫《たまのひめ》の|一行《いつかう》を|乗《の》せた|小船《こぶね》は|矢《や》を|射《い》る|如《ごと》く|此《この》|場《ば》に|寄《よ》り|来《きた》り、
|玉能姫《たまのひめ》『あ、お|前《まへ》さまは|高姫《たかひめ》さまを|乗《の》せて|来《き》た|船頭《せんどう》さま、まア|御苦労《ごくらう》で|御座《ござ》いましたな。|高姫《たかひめ》さまは|此《この》|山《やま》へお|登《のぼ》りでしたか』
|東助《とうすけ》『え……その……|何《なん》で……|御座《ござ》います』
と|頭《あたま》をガシガシ|掻《か》いて|居《ゐ》る。|其《その》|間《ま》に|船《ふね》は|岩端《いはばた》に|繋《つな》がれ|五人《ごにん》は|上陸《じやうりく》した。
|玉能姫《たまのひめ》『あなたの|乗《の》せた|来《き》た|女《をんな》の|方《かた》は|此《この》|山《やま》へ|登《のぼ》られましたか』
|東助《とうすけ》『はい、|登《のぼ》られたか、|登《のぼ》られぬか、つい……|昼寝《ひるね》をして|居《を》つたものですから|根《ね》つから|分《わか》りませぬ。|貴女《あなた》|等《がた》が|若《も》し|此処《ここ》へおいでになつてお|尋《たづ》ねになつたら、|神島《かみしま》へ|行《い》かしやつたでせう』
|鶴公《つるこう》『ハヽヽヽヽ、|何《なん》と|歯切《はぎ》れのせぬ、どつちやへも|付《つ》かずの|答《こたへ》だな。|一体《いつたい》|船頭《せんどう》さま、お|前《まへ》は|神島《かみしま》へ|寄《よ》つたのかい』
|東助《とうすけ》『|滅相《めつさう》も|無《な》い、|誰《たれ》があんな|所《ところ》へ|寄《よ》せ|着《つ》けますかい』
|鶴公《つるこう》『そんなら、|如何《どう》して|高姫《たかひめ》さまが|神島《かみしま》へ|寄《よ》つたのだ、|実《じつ》の|処《ところ》は|此《この》|家島《えじま》へ|着《つ》いたのだけれど、|神島《かみしま》へだと|言《い》つてスコタンを|喰《く》はして|呉《く》れと|頼《たの》まれたのだらう。それに|違《ちが》ひない。お|前《まへ》は|船頭《せんどう》に|似合《にあ》はず|腹《はら》の|黒《くろ》い|者《もの》だな』
|東助《とうすけ》『|何《なに》を|言《い》つても|金《かね》のもの|言《い》ふ|世《よ》の|中《なか》ですからな。|船頭《せんどう》だつて|金儲《かねまう》けは|矢張《やつぱり》|大切《たいせつ》ですワイ』
|鶴公《つるこう》『ハヽヽヽヽ、|分《わか》つた|分《わか》つた、てつきり|此《この》|島《しま》だ。|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、さア|早《はや》く|登《のぼ》りませうか。|貴女《あなた》の|大切《たいせつ》な|宝《たから》を|掘《ほ》り|出《だ》して|呑《の》まれて|了《しま》はれちや|大変《たいへん》ですぜ』
|玉能姫《たまのひめ》『それもさうですが、|余《あんま》り|慌《あわて》るには|及《およ》びませぬ。|探《さが》すと|言《い》つたつて|是《これ》だけ|広《ひろ》い|島《しま》、さう|容易《ようい》に|見当《みあた》るものぢやありませぬわ、まア|一服《いつぷく》|致《いた》しませう』
|貫州《くわんしう》『|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》の|仰有《おつしや》る|通《とほ》り|慌《あわて》るには|及《およ》ばぬぢやないか。|高姫《たかひめ》は|高姫《たかひめ》で|勝手《かつて》に|探《さが》すだらう、|一日《いちにち》や|二日《ふつか》|歩《ある》いたつて|探《さが》しきれるものぢやないから。まア、|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、|先《ま》づゆつくりとさして|貰《もら》ひませう。|随分《ずゐぶん》|疲労《くたぶ》れましたから』
|玉能姫《たまのひめ》『あ、さう|為《な》さいませ。|私《わたし》は|実《じつ》の|所《ところ》、|宝《たから》の|所在《ありか》は|存《ぞん》じませぬ。|只《ただ》|一度《いちど》|手《て》に|触《ふ》れた|計《ばか》り、|後《あと》は|竜神様《りうじんさま》が|何処《どつ》かへお|隠《かく》しなされたのですから……|此《この》|広《ひろ》い|世界《せかい》の|何処《どこ》かの|島《しま》に|隠《かく》してあるのでせう。|妾《わたし》が|此処《ここ》へ|追《お》つ|駆《かけ》てきたのは、|高姫《たかひめ》|様《さま》のお|身《み》の|上《うへ》を|案《あん》じ、お|気《き》が|違《ちが》うては|居《を》らぬかと、|宣伝使《せんでんし》として【まさか】の|時《とき》にお|助《たす》け|申《まを》さうと|思《おも》つて|来《き》たのですから、|斯《こ》んな|危《きつ》い|山《やま》に|上《あが》るのは|止《よ》しませう。まアまア|木蔭《こかげ》へでも|這入《はい》つて、|風《かぜ》の|当《あた》らぬ|暖《ぬく》い|処《ところ》で|日向《ひなた》ぼつこりを|致《いた》しませう』
と|先《さき》に|立《た》ち|二三丁《にさんちやう》|山《やま》を|登《のぼ》り、|日当《ひあた》りよき|処《ところ》にて|休息《きうそく》する。|見《み》れば|非常《ひじやう》に|大《おほ》きな|清水《しみづ》を|漂《ただよ》はした|池《いけ》が|展開《てんかい》して|居《ゐ》る。
|鶴公《つるこう》『|何《なん》と|好《い》い|景色《けしき》で|御座《ござ》いますな。こんな|高《たか》い|山《やま》に|大《おほ》きな|池《いけ》があるとは|不思議《ふしぎ》ですわ』
|玉能姫《たまのひめ》『|此処《ここ》は|陸《あげ》の|竜宮《りうぐう》かも|知《し》れませぬな』
|東助《とうすけ》『|此《この》|島《しま》には|斯《こ》んな|小《ちひ》さい|池《いけ》だけぢやありませぬ。|山《やま》の|頂上《ちやうじやう》にも|中《なか》|程《ほど》にも|大変《たいへん》|大《おほ》きな|深《ふか》い|池《いけ》があつて、|底《そこ》|知《し》らずぢやと|言《い》ふ|事《こと》です。|実《じつ》に|不思議《ふしぎ》な|島《しま》ですわ。|此《この》|広《ひろ》い|島《しま》に|昔《むかし》から|誰一人《たれひとり》|住《す》んだ|人《ひと》がないのも|一《ひと》つの|不思議《ふしぎ》、|何《なん》でも|大《おほ》きな|大蛇《だいじや》が|出《で》て|来《き》て、|人《ひと》の|臭《にほひ》がすると|皆《みんな》|呑《の》んで|仕舞《しま》うといふ|噂《うはさ》ですから、|誰《たれ》だつて、|此処《ここ》に|住居《すまゐ》する|者《もの》はありませぬ』
|貫州《くわんしう》『さうかな、|随分《ずゐぶん》|恐《おそ》ろしい|所《ところ》と|見《み》えるわい。|斯《こ》んな|所《とこ》に|一人《ひとり》|放《ほ》かして|置《お》かれたら|堪《たま》るまいなア』
|清公《きよこう》『そりや、さうとも。|誰《たれ》だつてやりきれないわ』
|色々《いろいろ》|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》り|一時《ひととき》ばかり|光陰《くわういん》を|空費《くうひ》した。
|貫州《くわんしう》『さア|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、|高姫《たかひめ》さまは|屹度《きつと》|此《この》|山《やま》の|頂上《ちやうじやう》さして|登《のぼ》られたに|違《ちが》ひありませぬ。|宝《たから》を|先《さき》に|掘《ほ》り|出《だ》し|呑《の》まれて|仕舞《しま》つては|大変《たいへん》ですから、ボツボツと|出掛《でか》けませうな』
|玉能姫《たまのひめ》『|妾《わたし》は|少《すこ》し|足《あし》を|痛《いた》めましたから、|此処《ここ》に|休《やす》んで|待《ま》つて|居《ゐ》ます。|何卒《どうぞ》|御苦労《ごくらう》だが|貴方等《あなたがた》|五人連《ごにんづ》れ|行《い》つて|下《くだ》さい』
|貫州《くわんしう》『いや、それはなりませぬ。もう|斯《こ》うなれば|本音《ほんね》を|吹《ふ》くが、|吾々《われわれ》は|絶対《ぜつたい》に|高姫《たかひめ》|崇拝者《すうはいしや》だ。こりや、お|節《せつ》、|斯《こ》うなる|以上《いじやう》はジタバタしても【あか】ないぞ。|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》と|玉《たま》の|所在《ありか》を|白状《はくじやう》|致《いた》せ。|四《し》の|五《ご》のと|吐《ぬか》すが|最後《さいご》、|此《この》|池《いけ》へ|岩《いは》を|括《くく》り|着《つ》け、|四人《よにん》の|荒男《あらをとこ》が|放《ほ》り|込《こ》んで|仕舞《しま》ふが|如何《どう》だ』
|玉能姫《たまのひめ》『|今更《いまさら》そんな|啖呵《たんか》をきらなくても、|淡路島《あはぢしま》より|船《ふね》を|出《だ》した|時《とき》から、|高姫《たかひめ》と|八百長喧嘩《やほちやうげんくわ》をし、|目《め》と|目《め》と|合図《あひづ》をして|居《ゐ》たでせう。そんな|事《こと》の|分《わか》らぬ|玉能姫《たまのひめ》ですか。そんな|嚇《おど》し|文句《もんく》を|並《なら》べたつて|迂濶《うつかり》と|乗《の》る|様《やう》な|不束《ふつつか》な|女《をんな》とはチツと|違《ちが》ひますぞ。|繊弱《かよわ》き|女《をんな》と|思《おも》ひ|侮《あなど》つての|其《その》|暴言《ばうげん》、|此《この》|玉能姫《たまのひめ》は|斯《こ》う|見《み》えても|若彦《わかひこ》が|妻《つま》、|教主《けうしゆ》|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》より|御信任《ごしんにん》を|辱《かたじけな》ふした|抜目《ぬけめ》のない|女《をんな》です。お|前《まへ》さん|等《ら》の|五人《ごにん》や|十人《じふにん》が|何程《なにほど》|捩鉢巻《ねぢはちまき》をして|気張《きば》つた|処《ところ》で|何《なん》になりますか。ウンと|一声《ひとこゑ》、|霊縛《れいばく》をかけるが|最後《さいご》、|気《き》の|毒《どく》|乍《なが》ら|万劫末代《まんごまつだい》|動《うご》きのとれぬ|石地蔵《いしぢざう》になつて|仕舞《しま》ひますよ。それでも|御承知《ごしようち》なら、|何《なん》なりと|試《こころ》みにやつて|御覧《ごらん》』
|貫州《くわんしう》『あゝ|仕方《しかた》の|無《な》い|女《をんな》だなあ』
|鶴公《つるこう》『もしもし|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、|嘘言《うそ》ですよ。|貫州《くわんしう》はいつもあんな|狂言《きやうげん》をやつて|空威張《からゐば》りをする|癖《くせ》があるのです。アハヽヽヽ』
|東助《とうすけ》『|何《なん》だ、お|前達《まへたち》は|山賊《さんぞく》か|知《し》らぬと|思《おも》つたら、|此《この》|山中《さんちう》で|気楽《きらく》さうに|芝居《しばゐ》をしてゐるのか、|随分《ずゐぶん》|下手《へた》な|芝居《しばゐ》だなア』
|玉能姫《たまのひめ》『|何《なん》でも|宜《よろ》しいよ。|之《これ》から|高姫《たかひめ》さまに|会《あ》うて|玉《たま》の|所在《ありか》でも|知《し》らして|上《あ》げませうかな』
|貫州《くわんしう》『やア|流石《さすが》は|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》ぢや。|実《じつ》に|立派《りつぱ》な|御精神《ごせいしん》、|貫州《くわんしう》|誠《まこと》に|感服《かんぷく》|仕《つかまつ》りました。|宣伝使《せんでんし》はさうでなくては|往《ゆ》きますまい。|堅《かた》いばつかりが|女《をんな》ぢや|御座《ござ》いませぬ。まアよう|其処《そこ》まで|打解《うちと》けて|下《くだ》さいました。|貴女《あなた》がさう|出《で》て|下《くだ》されば、|敵《てき》もなく|味方《みかた》もなく|三五教《あななひけう》は|益々《ますます》|天下泰平《てんかたいへい》、|大発展《だいはつてん》は|火《ひ》を|睹《み》る|如《ごと》く|明《あきら》かで|御座《ござ》います。さア|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、お|手《て》を|引《ひ》いて|上《あ》げませうか。……おい|清公《きよこう》、|貴様《きさま》はお|腰《こし》を|押《お》してお|上《あ》げ|申《まを》せ。|俺《おれ》はお|手《て》を|引《ひ》いて|此《この》|急坂《きふはん》を|登《のぼ》るから』
|玉能姫《たまのひめ》『ホヽヽヽヽ、|年寄《としより》か|何《なん》ぞの|様《やう》に|如何《いか》に|女《をんな》の|身《み》なればとて、これしきの|山《やま》が|苦《くる》しうて|如何《どう》なりますか。|何卒《どうぞ》お|構《かま》ひ|下《くだ》さいますな。さアさアお|先《さき》へお|上《あが》り|下《くだ》さい。|妾《わたし》は|一番《いちばん》|後《あと》から|参《まゐ》ります』
|貫州《くわんしう》『いや、さうはなりませぬ。|高姫《たかひめ》さまの|御命令《ごめいれい》ですから……オツトドツコイ……そりや|嘘言《うそ》だ。|中途《ちうと》に|逃《に》げられては|虻蜂《あぶはち》とらずになつて|仕舞《しま》ふ。あゝ|迂濶《うつかり》|副守《ふくしゆ》の|奴《やつ》、|囁《ささや》|来《き》よつた。もしもし|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、|此奴《こいつ》ア|皆《みんな》|私《わたくし》に|憑依《ひようい》してる|野天狗《のてんぐ》が|混《ま》ぜ|返《かへ》すのだから、お|心《こころ》に|触《さ》へて|下《くだ》さいますな』
|玉能姫《たまのひめ》『|霊肉一致《れいにくいつち》の|野天狗様《のてんぐさま》が|仰有《おつしや》つたのでせう、ホヽヽヽヽ|左様《さやう》なれば|貴方等《あなたがた》の|御心配《ごしんぱい》|成《な》さらぬ|様《やう》に|真《ま》ん|中《なか》に|参《まゐ》りませう。|玉能姫《たまのひめ》が|逃《に》げない|様《やう》に|十分《じふぶん》|御監督《ごかんとく》なされませ』
|貫州《くわんしう》『|別《べつ》に|貴女《あなた》を|監督《かんとく》する|必要《ひつえう》もありませず、|悪《わる》い|所《ところ》へ|気《き》を|廻《まは》して|貰《もら》つては|困《こま》りますよ』
|玉能姫《たまのひめ》『|何《いづ》れそちらは|高姫《たかひめ》|様《さま》を|加《くは》へて|荒男《あらをとこ》や|神力《しんりき》の|強《つよ》い|方《かた》が|六人《ろくにん》、|此方《こちら》は|一人《ひとり》、|到底《たうてい》|衆寡《しうくわ》|敵《てき》しますまい。|一層《いつそう》の|事《こと》|此《この》|池《いけ》へ|飛《と》び|込《こ》んで|死《し》にませうかな』
|鶴公《つるこう》『それは|何《なん》と|云《い》ふ|事《こと》を|仰有《おつしや》るのだ。|死《し》ぬのはお|前《まへ》さんの|勝手《かつて》だ。|然《しか》し|乍《なが》ら|此方《こちら》が|困《こま》る、|宝《たから》の|所在《ありか》を|白状《はくじやう》した|上《うへ》では|死《し》ぬるなつと|生《いき》るなつと|勝手《かつて》になされ。それ|迄《まで》はどうあつてもお|前《まへ》に|死《し》なれては|高姫《たかひめ》さまの|願望《ぐわんばう》が|成就《じやうじゆ》|致《いた》しませぬから、|何程《なにほど》|死《し》なうと|〓《もが》いたつて、|斯《こ》う|五人《ごにん》の|荒男《あらをとこ》が|付《つ》いて|居《ゐ》る|以上《いじやう》は|駄目《だめ》ですよ。|観念《かんねん》なさいませ、あゝ|然《しか》し|乍《なが》ら|可惜《あつたら》|美人《びじん》を|死《し》なすのも|勿体《もつたい》ないものだなア』
|玉能姫《たまのひめ》『それでお|前《まへ》さま|達《たち》の|腹《はら》の|底《そこ》はすつかり|分《わか》りました。|妾《わたし》にも|覚悟《かくご》がある』
と|言《い》ふより|早《はや》く|後《あと》から|跟《つ》いて|来《く》る|三人《さんにん》を|苦《く》も|無《な》く|突倒《つきこか》し、|急坂《きふはん》|目蒐《めが》けて|韋駄天《ゐだてん》|走《ばし》りに|元来《もとき》し|道《みち》へ|降《くだ》り|来《く》る。|五人《ごにん》は|捩鉢巻《ねぢはちまき》を|締《し》め|乍《なが》ら、
|五人《ごにん》『オーイ、|玉能姫《たまのひめ》、|待《ま》つた、|逃《に》がして|堪《たま》らうか、おいおい|皆《みな》の|奴《やつ》、|彼奴《あいつ》が|船《ふね》に|乗《の》る|迄《まで》に|引《ひ》つ|掴《つか》まへねばなるまい。さア|急《いそ》げ|急《いそ》げ』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|追《お》つ|駆《か》ける。|玉能姫《たまのひめ》は|阿修羅王《あしゆらわう》の|如《ごと》く|髪《かみ》|振《ふ》り|乱《みだ》し、|血相《けつさう》を|変《か》へて|力限《ちからかぎ》りに|下《くだ》り|来《きた》る。|道《みち》の|真《ま》ん|中《なか》に|大手《おほて》を|拡《ひろ》げて|立《た》ち|現《あら》はれた|一人《ひとり》の|婆《ばば》は|高姫《たかひめ》であつた。
|高姫《たかひめ》『オホヽヽヽ、|到頭《たうとう》|高姫《たかひめ》の|計略《けいりやく》にかかり|此《この》|島《しま》まで|引摺《ひきず》り|廻《まは》されて|来《き》よつた。いい|馬鹿者《ばかもの》だな。さアもう|斯《こ》うなる|以上《いじやう》は|何程《なにほど》|〓《もが》いても|駄目《だめ》だ。|何処《どこ》にお|宝《たから》を|隠《かく》したのか、|神妙《しんめう》に|白状《はくじやう》するが|宜《よ》い。|此《この》|期《ご》に|及《およ》んで|愚図々々《ぐづぐづ》|言《い》ふなら、お|前《まへ》の|生命《いのち》でもとつて|仕舞《しま》ふまいものでもない。|此《この》|高姫《たかひめ》の|身《み》の|上《うへ》にもなつて|見《み》て|貰《もら》ひ|度《た》い。いい|年《とし》をして、お|前《まへ》の|様《やう》な|若《わか》い|女《をんな》や|初稚姫《はつわかひめ》の|様《やう》なコメツチヨに|馬鹿《ばか》にしられて、|如何《どう》して|世《よ》の|中《なか》が|歩《ある》けませうぞ。|賢《かしこ》|相《さう》でも|流石《さすが》は|若《わか》い|丈《だ》けあつて、|肝腎《かんじん》の|知慧《ちゑ》がぬけて|居《ゐ》る。さア|如何《どう》ぢや、|玉能姫《たまのひめ》、もはや|否応《いやおう》はあるまい』
|玉能姫《たまのひめ》『オホヽヽヽ、|何処《どこ》までも|疑《うたが》ひ|深《ぶか》い|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|方《かた》ですこと。|知《し》らぬ|事《こと》は|何《なん》と|仰《あふ》せられても|知《し》りませぬ。|仮令《たとへ》|首《くび》が|千切《ちぎ》れても|言《い》はぬと|云《い》つたら|言《い》ひませぬから、|其《その》|心組《つもり》で|覚悟《かくご》|遊《あそ》ばせ』
|斯《か》く|争《あらそ》ふ|処《ところ》へ|五人《ごにん》の|男《をとこ》、|地響《ぢひび》き|打《う》たせ|乍《なが》ら|此《この》|場《ば》にドヤドヤとやつて|来《き》た。|玉能姫《たまのひめ》の|身辺《しんぺん》は|危機一髪《ききいつぱつ》に|迫《せま》つて|来《き》た。|流石《さすが》の|玉能姫《たまのひめ》も|進退《しんたい》|谷《きは》まり|如何《いかが》はせむと|案《あん》じつつ|一生懸命《いつしやうけんめい》に『|木花姫命《このはなひめのみこと》|助《たす》け|給《たま》へ』と|祈願《きぐわん》を|籠《こ》めた。|忽《たちま》ち|四辺《しへん》は|濃霧《のうむ》に|包《つつ》まれ|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜず、|恰《あだか》も|白襖《しろふすま》を|立《た》てた|如《ごと》く|見《み》えなくなつて|仕舞《しま》つたのを|幸《さいは》ひ、|玉能姫《たまのひめ》は|少《すこ》しく|道《みち》を|横《よこ》にとり、あと|振《ふ》り|返《かへ》り|見《み》れば|濃霧《のうむ》は|高姫《たかひめ》|一派《いつぱ》の|附近《ふきん》に|極限《きよくげん》され、|外《そと》は|一面《いちめん》の|快晴《くわいせい》である。|玉能姫《たまのひめ》は|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》し|乍《なが》ら|磯端《いそばた》に|漸《やうや》く|辿《たど》り|着《つ》いた。
|玉能姫《たまのひめ》の|消息《せうそく》|如何《いか》にと|案《あん》じ|煩《わづら》ひ、|虻《あぶ》、|蜂《はち》の|両人《りやうにん》は|一艘《いつそう》の|船《ふね》を|操《あやつ》り|乍《なが》ら、|丁度《ちやうど》|此《この》|場《ば》についた|所《ところ》である。
|玉能姫《たまのひめ》『ア、お|前《まへ》は|虻《あぶ》、|蜂《はち》の|両人《りやうにん》、よう|来《き》て|下《くだ》さつた。|話《はなし》はまア|後《あと》でゆつくりしよう』
|虻公《あぶこう》『|何卒《どうぞ》|此《この》|船《ふね》に|乗《の》つて|下《くだ》さい』
|玉能姫《たまのひめ》『いえいえ|妾《わたし》は|乗《の》つて|来《き》た|船《ふね》がある。|一人《ひとり》で|操《あやつ》つて|帰《かへ》りますから、お|前《まへ》さまは|其《その》|儘《まま》|妾《わたし》に|従《つ》いて|帰《かへ》つて|下《くだ》さい』
と|言《い》ふより|早《はや》く|船《ふね》に|飛《と》び|乗《の》り、|高姫《たかひめ》の|乗《の》り|来《きた》りし|船《ふね》の|綱《つな》を|解《と》き|放《はな》ち、|波《なみ》のまにまに|漂《ただよ》はせ|置《お》き|二艘《にそう》の|船《ふね》は|矢《や》を|射《い》る|如《ごと》く|再度山《ふたたびやま》の|麓《ふもと》を|指《さ》して|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・六・一二 旧五・一七 北村隆光録)
第一三章 |捨小舟《すてをぶね》〔七二五〕
|高姫《たかひめ》|一行《いつかう》を|包《つつ》みたる|濃霧《のうむ》は、|暫《しばら》くにして|消散《せうさん》し、|四辺《あたり》は|元《もと》の|如《ごと》く|明《あか》るくなつて|来《き》た。|玉能姫《たまのひめ》の|行衛《ゆくゑ》は|如何《いか》にと、|高姫《たかひめ》|以下《いか》|血眼《ちまなこ》になつて|探《さが》し|廻《まは》せど、|何《なん》の|影《かげ》もなく|終《つひ》には、|船着場《ふなつば》|迄《まで》|一行《いつかう》ゾロゾロやつて|来《き》た。|見《み》れば|玉能姫《たまのひめ》の|乗《の》つて|来《き》た|船《ふね》も|高姫《たかひめ》の|船《ふね》もない。|高姫《たかひめ》は|地団太《ぢだんだ》|踏《ふ》んで|口惜《くや》しがり、
|高姫《たかひめ》『アヽ|残念《ざんねん》、|口惜《くちを》しやな、お|節《せつ》の|奴《やつ》、|濃霧《のうむ》を|幸《さいは》ひに|三《み》つの|宝《たから》を|掘出《ほりだ》し、|船《ふね》に|乗《の》つて|逃《に》げ|帰《かへ》つたか。それにしても|残念《ざんねん》なは|船《ふね》|迄《まで》どうやら|持《も》つて|帰《かへ》つたらしい。まるで|島流《しまなが》しに|遭《あ》はされた|様《やう》なものだ。……コレコレ|東助《とうすけ》さま、|第一《だいいち》お|前《まへ》が|気《き》がきかぬからだ。|船頭《せんどう》は|船《ふね》にくつついて|居《を》れば|好《よ》いのに、|職責《しよくせき》を|忘《わす》れて|宣伝使《せんでんし》の|様《やう》に|山《やま》に|登《のぼ》つて|来《く》るものだから、こんな|目《め》に|逢《あ》うたのだ。サアどうして|下《くだ》さる』
|東助《とうすけ》『どうして|下《くだ》さるもあつたものかい。|大切《たいせつ》な|商売《しやうばい》|道具《だうぐ》を|盗《と》られて|仕舞《しま》つて|手《て》も|足《あし》も|出《だ》し|様《やう》が|無《な》い。|帰《かへ》る|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|第一《だいいち》お|前《まへ》が|此《こ》んな|所《ところ》へ|謀反《むほん》を|起《おこ》して|遣《や》つて|来《く》るものだから、|神罰《しんばつ》が|当《あた》つたのだ。サア|俺《おれ》の|船《ふね》をどうして|呉《く》れる』
|高姫《たかひめ》『ヨウマアそんな|事《こと》が|言《い》へたものだ、|大切《たいせつ》なお|客《きやく》を|連《つ》れて|来《き》ながら、|船《ふね》を|盗《と》られてどうするのだ。|大方《おほかた》お|節《せつ》の|奴《やつ》と|腹《はら》を|合《あ》はし、|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|斯《こ》んな|所《ところ》へ|押込《おしこ》める|計略《けいりやく》をして|居《を》つたのだらう。|油断《ゆだん》も|隙《すき》もあつたものだ|無《な》い』
|東助《とうすけ》は|大《おほ》いに|怒《いか》り、
『|女《をんな》と|思《おも》ひ|柔《やはら》かく|申《まを》せば、|無体《むたい》の|難題《なんだい》、|此《この》|東助《とうすけ》は|貴様《きさま》の|如《ごと》き|悪人《あくにん》ではない。|正直《しやうぢき》|一方《いつぱう》の|名《な》の|通《とほ》つた|船頭《せんどう》だ。|男《をとこ》の|顔《かほ》に|泥《どろ》を|塗《ぬ》り|居《を》つたなア。モウ|量見《りやうけん》|致《いた》さぬ|覚悟《かくご》をせい』
|高姫《たかひめ》|頤《あご》をシヤクリ|乍《なが》ら、
『オホヽヽヽ、|何程《なにほど》|力《ちから》が|強《つよ》くても、|此方《こちら》は|五人《ごにん》、お|前《まへ》は|一人《ひとり》、|到底《たうてい》|駄目《だめ》だよ。それよりも|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》|白状《はくじやう》したらどうだ』
|東助《とうすけ》『|白状《はくじやう》せいと|云《い》つたつて|知《し》らぬ|事《こと》が|白状《はくじやう》|出来《でき》るかい。|余《あんま》り|馬鹿《ばか》にするない』
|高姫《たかひめ》『オホヽヽヽ、アノ|白《しら》つぱくれようわいのう。|知《し》らぬかと|思《おも》うてツベコベと|其《その》|弁解《べんかい》、|余人《よじん》は|知《し》らぬが、|人《ひと》の|心《こころ》のドン|底《ぞこ》|迄《まで》|見透《みす》かす|御神力《ごしんりき》の|高《たか》い、|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|誤魔化《ごまくわ》さうとはチツト|虫《むし》が|好過《よす》ぎるぞ。お|前《まへ》は|玉能姫《たまのひめ》にいくら|金《かね》を|貰《もら》うた。うまい|事《こと》をやつたな』
|東助《とうすけ》は|余《あま》りの|腹立《はらだ》たしさに、|物《もの》をも|言《い》はず|唇《くちびる》をビリビリ|振《ふる》はせ、|拳《こぶし》を|握《にぎ》り|無念《むねん》の|涙《なみだ》に|暮《く》れて|居《ゐ》る。|高姫《たかひめ》は、
『さうだらう、|言《い》ひ|訳《わけ》があるまい。|何程《なにほど》|弁解《べんかい》を|巧《たくみ》に|致《いた》しても、|神《かみ》の|前《まへ》では|言霊《ことたま》は|使《つか》へまいがな。お|前《まへ》も|大勢《おほぜい》の|前《まへ》で|化《ば》けの|皮《かは》をむかれ|残念《ざんねん》であらうが、それが|自業自得《じごうじとく》だ。つまり|己《おのれ》が【あざのう】た|繩《なは》で|己《おの》が|首《くび》を|絞《しめ》たも|同然《どうぜん》、ほんにほんに|可愛相《かはいさう》なものだ。|悪《あく》の|企《たく》みは|到底《たうてい》|成就《じやうじゆ》せぬといふ|事《こと》が|分《わか》つただらう。|淡路島《あはぢしま》で|難船《なんせん》した|時《とき》に|時間《じかん》を|見計《みはか》らひ、ノソノソ|遣《や》つて|来《き》て|此《この》|高姫《たかひめ》をだまし|込《こ》み、|甘《うま》くやらうと|考《かんが》へたのも|水《みづ》の|泡《あわ》、|忽《たちま》ち|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|眼力《がんりき》に|看破《かんぱ》され、|其《その》|態《ざま》は|何《な》んだ。|大《おほ》きな|男《をとこ》の|癖《くせ》に、メソメソと|吠面《ほえづら》かわき|見《み》つともない。|何《いづ》れは|玉能姫《たまのひめ》と|同類《どうるゐ》だから、|玉《たま》の|隠《かく》し|場所《ばしよ》も|知《し》つて|居《を》る|筈《はず》だ。どうだお|前《まへ》、|玉能姫《たまのひめ》は|玉《たま》を|持《も》つて|帰《かへ》つたであらうがな』
|東助《とうすけ》は|口許《くちもと》を|痙攣《けいれん》させ|乍《なが》ら、
|東助《とうすけ》『シヽ|知《し》らぬワイ、バヽ|馬鹿《ばか》にするな』
と|漸《やうや》う|奇数的《きすうてき》に|癇声《かんごゑ》を|出《だ》して|呶鳴《どな》つた。
|高姫《たかひめ》『シヽ|知《し》らぬぢや|無《な》からう。シヽしぶといワイ。バヽ|馬鹿《ばか》にするないと|言《い》つたが、お|前《まへ》の|方《はう》から|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|馬鹿《ばか》にしようとかかつて|馬鹿《ばか》を|見《み》たのだから|仕方《しかた》があるまい』
|貫州《くわんしう》『モシモシ|高姫《たかひめ》さま、|肝腎《かんじん》の|船《ふね》が|無《な》くては、どうする|事《こと》も|出来《でき》ないぢやありませぬか。そんな|話《はなし》は|次《つぎ》の|次《つぎ》にして、|先決《せんけつ》|問題《もんだい》として|船《ふね》の|詮索《せんさく》から|掛《かか》らなくては、|我々《われわれ》|安心《あんしん》が|出来《でき》ないぢやありませぬか』
|高姫《たかひめ》『オホヽヽヽ、お|前《まへ》は|年《とし》が|若《わか》いから|心配《しんぱい》するのだが、|玉能姫《たまのひめ》の|同類《どうるゐ》|東助《とうすけ》の|居《を》る|以上《いじやう》は|屹度《きつと》|人《ひと》を|替《か》へて、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》して|船《ふね》を|持《も》つて|来《く》るに|違《ちが》ひない。|其《その》|時《とき》は|手早《てばや》く|東助《とうすけ》|奴《め》|其《その》|船《ふね》に|飛《と》び|乗《の》り、|一目散《いちもくさん》に|逃《に》げ|帰《かへ》る|計略《けいりやく》、|今度《こんど》|船《ふね》が|来《き》たら|必《かなら》ず|必《かなら》ず|東助《とうすけ》を|放《はな》してならぬぞ。|此奴《こいつ》が|乗《の》つたら|此方《こちら》も|一緒《いつしよ》に|帰《かへ》るのだから、お|前等《まへら》|四人《よにん》は|此奴《こいつ》の|見張《みは》りをして|居《を》つて|呉《く》れ。そうして|船《ふね》が|来《き》たら|此《この》|中《ちう》から|一人《ひとり》|妾《わたし》を|迎《むか》ひに|来《く》るのだ。それ|迄《まで》|船《ふね》も|船頭《せんどう》も|取《と》つ|捉《つか》まへて|放《はな》す|事《こと》ならぬぞや』
と|云《い》ひ|捨《す》て|山上《さんじやう》|目蒐《めが》けて|足早《あしばや》に|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|後《あと》に|五人《ごにん》の|男《をとこ》は|磯端《いそばた》に|座《ざ》を|占《し》め、|広《ひろ》き|海面《かいめん》を|眺《なが》めて|呆気《ほうけ》た|様《やう》な|顔《かほ》をして|居《を》る。|東助《とうすけ》はやうやう|心《こころ》|柔《やはら》いだと|見《み》えて、そろそろ|喋《しや》べり|出《だ》した。
|東助《とうすけ》『オイお|前達《まへたち》、|俺《おれ》を|高姫《たかひめ》とやらが|言《い》うた|様《やう》な|悪人《あくにん》だと|思《おも》ふのか。|俺《おれ》は|肝腎《かんじん》の|商売《しやうばい》|道具《だうぐ》を|盗《と》られて|仕舞《しま》ひ、|其《その》|上《うへ》に|思《おも》はぬ|難題《なんだい》を|吹《ふ》き|掛《かけ》られ、こんな|引合《ひきあ》はぬ|事《こと》はあつたものぢやない。|本当《ほんたう》に|災難《さいなん》と|云《い》ふものは|何時《いつ》|来《く》るか|分《わか》らぬものだワイ』
|貫州《くわんしう》『|俺《おれ》も|別《べつ》にお|前《まへ》を|悪人《あくにん》の|様《やう》には|思《おも》はぬが、|高姫《たかひめ》の|大将《たいしやう》がアー|言《い》ひ|出《だ》したら|全然《まるき》り|気違《きちが》ひだから、メツタに|口答《くちごた》へは|出来《でき》ないので|黙《だま》つて|辛抱《しんばう》して|居《ゐ》たのだが、お|前《まへ》の|様子《やうす》といひ|顔色《かほいろ》と|云《い》ひ、|全《まつた》く|玉能姫《たまのひめ》と|腹《はら》を|合《あ》はして|居《を》る|様《やう》な|男《をとこ》でないと|思《おも》ふ』
|東助《とうすけ》『アヽ|好《よ》う|言《い》うて|呉《く》れた。それで|俺《おれ》も|一寸《ちよつと》|安心《あんしん》した。|皆《みな》さまは|如何《どう》いふ|御感想《ごかんさう》を|持《も》つて|居《を》られますか、|腹蔵《ふくざう》なく|言《い》つて|下《くだ》さい』
|三人《さんにん》|一度《いちど》に、
『|貫州《くわんしう》の|云《い》つた|通《とほ》り、どうもお|前《まへ》が|悪《わる》いとは|思《おも》はれないよ。|本当《ほんたう》にエライお|災難《さいなん》だ、|御同情《ごどうじやう》|申《まを》し|上《あ》げる。|何分《なにぶん》あの|大将《たいしやう》はあの|通《とほ》りだから|困《こま》つてしまふ。|玉能姫《たまのひめ》が|逃《に》げて|帰《い》ぬ|際《さい》に、|船《ふね》を|何処《どこ》かへ|流《なが》し|居《を》つたのは|憎《にく》らしいが、|併《しか》し|乍《なが》ら|今《いま》|高姫《たかひめ》に|捨《す》てられては|鼻《はな》の|下《した》は|忽《たちま》ちだからなア』
|東助《とうすけ》『|皆《みな》さま、そんな|心配《しんぱい》は|要《い》らないよ。|私《わし》は|淡路島《あはぢしま》の|者《もの》だが、お|前方《まへがた》の|三人《さんにん》や|五人《ごにん》は|幾日《いくにち》|遊《あそ》んで|食《く》つて|居《を》つても、|滅多《めつた》に|俺《おれ》の|家《うち》は|潰《つぶ》れはせぬ。|斯《こ》うして|俺《おれ》は|船頭《せんどう》が|好《す》きでやつて|居《を》るものの、|淡路島《あはぢしま》で|第一等《だいいちとう》の|物持《ものもち》の|主人公《しゆじんこう》だ。|様子《やうす》あつて|船頭《せんどう》はして|居《を》るが|普通《ふつう》の|駄賃《だちん》|取《と》りの|船頭《せんどう》とはチツと|違《ちが》ふのだ。お|前《まへ》の|身《み》の|上《うへ》は|俺《おれ》が|引受《ひきう》けてやるから|心配《しんぱい》するな』
|鶴公《つるこう》『それは|有難《ありがた》い、|然《しか》し|本当《ほんたう》か』
|東助《とうすけ》『|本当《ほんたう》でなうて|何《なん》とせう。|昔《むかし》から|正直者《しやうぢきもの》の|名《な》を|取《と》つた|東助《とうすけ》とは|俺《おれ》の|事《こと》だ。|男《をとこ》が|仮《か》りにも|嘘《うそ》を|言《い》へるものかい』
|鶴公《つるこう》『さう|聞《き》けばさうかも|知《し》れぬな』
と|話《はな》し|居《を》る|所《ところ》へ|風《かぜ》の|吹《ふ》き|廻《まは》しにて|一旦《いつたん》|沖《おき》へ|流《なが》されて|居《ゐ》た|東助《とうすけ》の|持船《もちぶね》は、ダンダンと|此方《こなた》に|向《むか》つて|近《ちか》づいて|来《く》るのが|目《め》に|付《つ》いた。|東助《とうすけ》は|手《て》を|拍《う》つて、
|東助《とうすけ》『アヽ|嬉《うれ》しい、|風《かぜ》のお|蔭《かげ》で|流《なが》れて|居《を》つた|船《ふね》が、ドウヤラ|此方《こちら》へ|流《なが》れて|来《き》さうだ。|皆《みな》さま、|喜《よろこ》びなさい』
|四人《よにん》は|立《た》つて|海面《かいめん》を|眺《なが》めながら、|風《かぜ》に|吹《ふ》かれて|近《ちか》より|来《きた》る|船《ふね》を|見《み》て、|思《おも》はず|手《て》を|拍《う》ち『ウローウロー』と|叫《さけ》び|居《ゐ》る。
|東助《とうすけ》『|最早《もはや》|此方《こつち》のものだ。|俊寛《しゆんくわん》の|島流《しまなが》しも、ドウヤラ|赦免《しやめん》の|船《ふね》が|来《き》た|様《やう》だ。サア|兎《と》も|角《かく》|帰《かへ》らねばなるまい。|此《こ》んな|処《ところ》に|長居《ながゐ》をして|居《を》れば、|又《また》|最前《さいぜん》の|様《やう》に|濃霧《のうむ》に|包《つつ》まれ|神罰《しんばつ》を|蒙《かうむ》るか|分《わか》つたものではない。……これ|貫州《くわんしう》さま、|早《はや》く|高姫《たかひめ》さまを|呼《よ》んで|来《き》て|下《くだ》さい、|船《ふね》の|用意《ようい》をするから』
|貫州《くわんしう》『オイ|鶴公《つるこう》、|清公《きよこう》、|武公《たけこう》、|確《しつか》り|船《ふね》を|捉《つか》まへて|東助《とうすけ》さまを|気《き》を|付《つ》けよ。|俺《おれ》は|急《いそ》いで|大将《たいしやう》を|呼《よ》んで|来《く》るから』
|東助《とうすけ》『アハヽヽヽ、|滅多《めつた》に|逃《に》げて|帰《かへ》りも|致《いた》さぬ。|安心《あんしん》して|此《この》|山中《さんちう》を|探《さが》して|来《き》なさい。|待《ま》つて|居《を》るから……|併《しか》し|我《わが》|家《や》に|帰《かへ》つて……』
と|小声《こごゑ》にて|後《あと》を|付《つ》けた。|貫州《くわんしう》は|一目散《いちもくさん》に|勇《いさ》んで|高姫《たかひめ》に|報告《はうこく》す|可《べ》く|森林《しんりん》へ|上《のぼ》り|行《ゆ》く。|船《ふね》は|磯端《いそばた》に|漸《やうや》く|寄《よ》つて|来《き》た。|東助《とうすけ》は|拍手《はくしゆ》しながら、
|東助《とうすけ》『アヽ、|船神様《ふながみさま》、|有《あ》り|難《がた》う|御座《ござ》います。サアサ|三人《さんにん》の|方々《かたがた》|乗《の》つたり|乗《の》つたり』
|鶴公《つるこう》『|高姫《たかひめ》さまと|貫州《くわんしう》はまだ|見《み》えませぬから、|一寸《ちよつと》|待《ま》つてやつて|下《くだ》さいな』
|東助《とうすけ》『|待《ま》つてはやるが|家《うち》に|帰《かへ》つて|待《ま》つ|事《こと》にせう。サア|乗《の》つたり|乗《の》つたり』
|鶴公《つるこう》『ハヽヽヽヽ、|矢張《やつぱり》|両人《りやうにん》は|島流《しまなが》しだな。アーそれもよからう。|何分《なにぶん》にも|日《ひ》の|出神《でかみ》が|憑《つ》いて|御座《ござ》るから|滅多《めつた》な|事《こと》はあるまい。マアとつくりと|御修業《ごしうげふ》が|出来《でき》てよからう』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|四人《よにん》はひらりと|船《ふね》へ|飛乗《とびの》り、|艪《ろ》をギクギクと|漕出《こぎだ》し|始《はじ》めた。|猜疑心《さいぎしん》|深《ふか》き|高姫《たかひめ》は|最前《さいぜん》より、|傍《かたはら》の|森林《しんりん》に|身《み》を|潜《ひそ》め、|一同《いちどう》の|話《はなし》を|窺《うかが》ひ|聞《き》いて|居《ゐ》たが、コリヤ|大変《たいへん》と|貫州《くわんしう》を|誘《さそ》ひながら|磯端《いそばた》に|走《はし》り|来《きた》り、
|高姫《たかひめ》『コレコレ|東助《とうすけ》さま、お|前《まへ》は|何処《どこ》へ|行《ゆ》くのだ。|妾《わし》をどうする|積《つも》りだい』
|東助《とうすけ》『|何処《どこ》へも|行《ゆ》きませぬ。|淡路《あはぢ》の|洲本《すもと》|迄《まで》|帰《かへ》るのだ』
|高姫《たかひめ》『そら|約束《やくそく》が|違《ちが》うぢやないか。チヨツと|船《ふね》を|此方《こつち》へ|着《つ》けて|下《くだ》さい。|妾《わたし》も|乗《の》つて|帰《かへ》らねばならぬから、そんなことをなさると|今迄《いままで》の|賃銀《ちんぎん》は|払《はら》ひませぬぞ』
|東助《とうすけ》『|賃銀《ちんぎん》を|取《と》つて|生活《せいくわつ》して|居《を》る|東助《とうすけ》とはチツと|違《ちが》ふのだ。|私《わし》はこう|見《み》えても|淡路島《あはぢしま》|第一《だいいち》の|財産家《ざいさんか》だ。|船頭《せんどう》は|道楽《だうらく》でやつて|居《を》るのだから、|賃銀《ちんぎん》なぞは|此方《こちら》から|平《ひら》にお|断《ことわ》り|申《まを》します。|金《かね》が|欲《ほ》しけりや|幾程《いくら》でも|此方《こつち》からやるワ。マア|緩《ゆつ》くりと|此《この》|島《しま》でお|二人《ふたり》さま、|修業《しうげふ》なさいませ』
と|又《また》もや|艪《ろ》を|漕《こ》ぎ|出《だ》す。|高姫《たかひめ》は|声《こゑ》|限《かぎ》り、
|高姫《たかひめ》『コレコレそんな|無茶《むちや》な|事《こと》がありますか。|天罰《てんばつ》が|当《あた》りますぞ』
|東助《とうすけ》『|天罰《てんばつ》の|当《あた》つたのはお|前《まへ》ら|二人《ふたり》だ。|余《あま》り|精神《せいしん》が|良《よ》くないから、|修業《しうげふ》の|為《た》めに|残《のこ》して|置《お》くのぢやから、|有難《ありがた》く|思《おも》ひなさい。……コレコレ|鶴公《つるこう》、|清公《きよこう》、|武公《たけこう》、お|前達《まへたち》は|私《わたし》の|船《ふね》に|助《たす》けてやつたのだから、|一挙一動《いつきよいちどう》、|私《わたし》の|云《い》ふ|様《やう》にするのだよ』
|三人《さんにん》は|声《こゑ》を|揃《そろ》へて、
『|承知《しようち》しました、|何分《なにぶん》|宜敷《よろし》く|御指導《ごしだう》を|願《ねが》ひます』
|貫州《くわんしう》『オーイオーイ|東助《とうすけ》さま、そりや|余《あんま》りぢや、|一遍《いつぺん》|船《ふね》を|此方《こちら》へ|着《つ》けて|下《くだ》さい』
|東助《とうすけ》は|舌《した》をペロツと|出《だ》す、|三人《さんにん》も|顔《かほ》を|見合《みあ》はして|同《おな》じく|舌《した》をペロツと|出《だ》す。
|東助《とうすけ》『|折角《せつかく》だが|今日《けふ》は|荷物《にもつ》が|多《おほ》いからお|断《ことわ》り|申《まを》しませうかい。|此《この》|上《うへ》|罪《つみ》の|多《おほ》い|人間《にんげん》が|乗《の》ると|沈没《ちんぼつ》すると|迷惑《めいわく》だからなア』
|三人《さんにん》|一度《いちど》に|口《くち》を|揃《そろ》へて、|東助《とうすけ》の|言葉《ことば》|其《その》|儘《まま》を|繰返《くりかへ》す。|東助《とうすけ》は|何《なん》の|頓着《とんちやく》もなく|艪《ろ》を|漕《こ》ぎ、|声《こゑ》も|涼《すず》しく|船歌《ふなうた》を|唄《うた》ひながら|追々《おひおひ》|島《しま》に|遠《とほ》ざかり|行《ゆ》く。|高姫《たかひめ》、|貫州《くわんしう》の|二人《ふたり》は|磯端《いそばた》に|地団太《ぢだんだ》|踏《ふ》んで『オーイオーイ』と|呼《よ》んで|居《ゐ》る。|東助《とうすけ》は、
(|追分《おひわけ》)
『|家島《えじま》|立《た》ち|出《い》で、|神島《かみじま》|越《こ》えて、|向《むか》ふに|見《み》ゆるは|淡路島《あはぢしま》』
(同上)
『|誠明石《まことあかし》の、|海峡《かいけふ》よぎり、|洲本《すもと》の|我《わが》|家《や》へ|帰《かへ》ります』
(同上)
『|後《あと》に|残《のこ》りしお|二人《ふたり》の、|高姫《たかひめ》さまや|貫州《くわんしう》は、|鬼界ケ島《きかいがしま》の|俊寛《しゆんくわん》か。どうして|月日《つきひ》を|送《おく》るやら』
と|唄《うた》ふ|声《こゑ》、|海風《かいふう》に|送《おく》られて|両人《りやうにん》の|耳《みみ》に|入《い》る。|二人《ふたり》は|狂気《きやうき》の|如《ごと》く|猛《たけ》び|狂《くる》ひ|騒《さわ》ぎ|廻《まは》れども、|何《な》んと|船影《せんえい》|泣《な》く|涙《なみだ》、トボトボと|力《ちから》なげに|深林《しんりん》の|中《なか》に|薄《うす》き|影《かげ》を|隠《かく》すのであつた。|後《あと》に|残《のこ》された|高姫《たかひめ》は|捨《す》て|鉢《ばち》|気味《ぎみ》になり、|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|身《み》を|投《な》げる|様《やう》に|横《よこ》たはりながら、|足《あし》をピンピン|動《うご》かし、
|高姫《たかひめ》『コレコレ|貫州《くわんしう》、お|前《まへ》は|余程《よほど》イヽ|頓馬《とんま》だな。アレ|丈《だ》け|噛《か》んで|呑《の》む|様《やう》に|言《い》うて|置《お》いたのに、|人《ひと》の|言《い》ふ|事《こと》を|尻《しり》で|聞《き》き|居《を》るから、|天罰《てんばつ》が|当《あた》つて、こんな|目《め》に|逢《あ》はされるのだよ。|是《こ》れから|妾《わし》の|云《い》ふ|事《こと》を|素直《すなほ》に|聞《き》くのだよ』
|貫州《くわんしう》『|天罰《てんばつ》は|御同様《ごどうやう》だ。|貴女《あなた》も|矢張《やつぱ》り|此《こ》んなに|置《お》いとけ|放《ぼ》りを|食《く》はされたのは、|何《なに》か|深《ふか》い|罪《つみ》があるからでせう。|私《わたし》は|貴女《あなた》の|罪《つみ》の|巻添《まきぞ》へに|逢《あ》うたのです。|誰《たれ》を|恨《うら》める|所《ところ》もない、|只《ただ》|高姫《たかひめ》さまを|恨《うら》む|計《ばか》りだ』
|高姫《たかひめ》『|誠《まこと》|水晶《すゐしやう》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|罪《つみ》があつて|堪《たま》りますか。つまりお|前《まへ》の|罪《つみ》の|巻添《まきぞ》へに|遭《あ》うたのだ。それだから|神様《かみさま》が|何時《いつ》も|水晶《すゐしやう》の|身魂《みたま》は、|汚《よご》れた|者《もの》と|一緒《いつしよ》に|置《お》くと|総損《そうぞこな》ひになると|仰有《おつしや》るのだ。これを|折《しほ》にスツパリと|改心《かいしん》をなされ。さうして|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》に|絶体《ぜつたい》|服従《ふくじゆう》をするのだよ』
|貫州《くわんしう》『|此《こ》んな|人影《ひとかげ》もない|島《しま》に|捨《す》てられる|様《やう》な|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまも、|頼《たよ》りない|好《よ》い|加減《かげん》なものですなア』
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》は|何《なん》ぞと|云《い》うと、|直《すぐ》に|日《ひ》の|出神《でのかみ》の【わざ】の|様《やう》に|云《い》ひなさる。それが|第一《だいいち》|慢心《まんしん》といふものだよ』
|貫州《くわんしう》『|貴女《あなた》の|御説教《おせつけう》は|何時《いつ》も|隔靴掻痒《かくかさうよう》とか|言《い》つて|徹底《てつてい》せず、|恥《はぢ》を|掻《か》き、あたまを|掻《か》き、|人《ひと》には|【靴靴】《くつくつ》|笑《わら》はれ、|痛《いた》【かゆい】|様《やう》な|気《き》がしていけませぬワ』
|高姫《たかひめ》『|動中静《どうちうせい》あり、|静中動《せいちうどう》あり、|千変万化《せんぺんばんくわ》、|自由自在《じいうじざい》の|神様《かみさま》の|御経綸《ごけいりん》、|虱《しらみ》の|放《こ》いた|糞《ふん》にわいた|虫《むし》の|様《やう》な|人間《にんげん》が、|苟《いやし》くも|天地《てんち》の|御先祖様《ごせんぞさま》の|御事《おんこと》に|対《たい》し、ゴテゴテ|小言《こごと》を|云《い》ふ|資格《しかく》がありますか。|況《いは》んや|広大無辺《くわうだいむへん》の|御神徳《ごしんとく》の|備《そな》はり|給《たま》ふ|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》に|於《おい》てをやだ。モウ|是《これ》|限《き》り|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》に|対《たい》し、|不足《ふそく》がましい|事《こと》は|言《い》はぬが|宜《よろ》しいぞや』
と|肩《かた》を|斜《なな》めに|揺《ゆ》りながら、|四辺《あたり》の|雑草《ざつさう》を|蹴散《けち》らす|様《やう》な|足《あし》つきで、ピンピン|尻《しり》|振《ふ》りつつ|坂路《さかみち》を|上《のぼ》つて|行《ゆ》く。|貫州《くわんしう》も|是非《ぜひ》なく|二三間《にさんげん》|遅《おく》れて|不性無精《ふしようぶしよう》に|従《つ》いて|行《ゆ》く。|高姫《たかひめ》は|怒《いか》り|心頭《しんとう》に|達《たつ》し、|益々《ますます》|肩《かた》をくねりくねりと|互《たが》ひ|違《ちが》ひに|揺《ゆす》り|乍《なが》ら、|見向《みむ》きもせず|山上《さんじやう》|目蒐《めが》けて|上《のぼ》つて|行《ゆ》く。|貫州《くわんしう》は|後《うしろ》より|独語《ひとりごと》、
|貫州《くわんしう》『アヽ|今年《ことし》は|何《な》んとしてこんな|年廻《としまは》りが|悪《わる》いだらうか。|力《ちから》に|思《おも》ふ|高姫《たかひめ》さまは|伊勢蝦《いせえび》の|様《やう》にピンピンとはねなさる、|船《ふね》には|見棄《みす》てられる。こらマア|何《ど》うなるのであらうかなア。…アー|此処《ここ》に|枝振《えだぶり》の|好《よ》い|松《まつ》の|木《き》がニユーツと|出《で》て|居《ゐ》る。|一《ひと》つ|一思《ひとおも》ひに|徳利結《とくりむす》びをやつて、|一《ひと》はねプリンプリンと|出掛《でか》けやうかな。アヽ|何《ど》うなり|行《ゆ》くも|因縁《いんねん》だ』
と|帯《おび》を|解《と》き|徳利結《とくりむすび》を|拵《こしら》へ、|松《まつ》の|木《き》の|枝《えだ》よりプリンと|下《さが》つた。|此《この》|物音《ものおと》に|高姫《たかひめ》は|後《あと》|振返《ふりかへ》り|見《み》てびつくりし、|周章《あわただ》しく|七八間《しちはちけん》|駆戻《かけもど》り、|貫州《くわんしう》の|体躯《からだ》に|取付《とりつ》き、
|高姫《たかひめ》『コレコレ|貫州《くわんしう》、|何《なん》といふ|短気《たんき》な|事《こと》をして|呉《く》れた。|此《この》|島《しま》に|放《はう》り|残《のこ》され、|力《ちから》と|頼《たの》むお|前《まへ》に|死《し》なれては、どうして|此《この》|高姫《たかひめ》がたまらうか。|何《なん》といふ|情《なさけ》ない|事《こと》をするのだいなア……』
|貫州《くわんしう》はポイと|飛《と》んだ|拍子《へうし》に|灌木《くわんぼく》の|枝《えだ》に|足《あし》がツンと|引《ひ》つ|掛《か》かり、|首《くび》も|締《しま》らず|少《すこ》しの|痛《いた》さも|感《かん》じなかつた。されど|心《こころ》の|内《うち》に『エー|序《ついで》だ、|高姫《たかひめ》の|我《が》を|折《を》つて|遣《や》らねばなるまい』と|態《わざ》と|細《ほそ》いイヤらしい|声《こゑ》を|出《だ》し、
|貫州《くわんしう》『アーア|恨《うら》めしや、|私《わたし》は|高姫《たかひめ》|様《さま》の|余《あま》り|我《が》が|強《つよ》いので、|度々《たびたび》|御意見《ごいけん》をするのだけれどもチツトも|聞《き》いて|下《くだ》さらぬ。|夫《それ》|故《ゆゑ》|死《し》んで|高姫《たかひめ》さまに|意見《いけん》をするのだ。|改心《かいしん》さへ|出来《でき》たらばまだ|死《し》んで|間《ま》が|無《な》いから、|直《すぐ》に|生《い》き|返《かへ》り|再《ふたた》び|御用《ごよう》をするのだけれども、|到底《たうてい》|改心《かいしん》は|出来《でき》ない。アヽ|高姫《たかひめ》|様《さま》もたつた|独《ひとり》で|淋《さび》しからう。|併《しか》し|乍《なが》らたつた|今《いま》|迎《むか》ひに|来《き》て|上《あ》げる|程《ほど》に、|必《かなら》ず|心配《しんぱい》しなさるなヤア』
|高姫《たかひめ》は|驚《おどろ》いて、
|高姫《たかひめ》『コレコレ|貫幽《くわんいう》どの、|私《わたし》が|悪《わる》かつた。これからもう|我《が》を|張《は》らぬから、|今《いま》|一遍《いつぺん》|娑婆《しやば》に|帰《かへ》つてお|呉《く》れ。これこの|通《とほ》りだ』
と|手《て》を|合《あは》せ|俯向《うつむ》く|途端《とたん》に、|貫州《くわんしう》は|灌木《くわんぼく》の|枝《えだ》に|両足《りやうあし》|共《とも》チヨンと|止《とま》り、|首筋《くびすぢ》を|見《み》れば|徳利結《とくりむすび》はチツトも|締《しま》つて|居《ゐ》ない。ハテ|不思議《ふしぎ》やと|首《くび》を|傾《かたむ》けて|居《を》る|其《その》|間《あひだ》に、|貫州《くわんしう》は|緩《ゆる》やかな|首繩《くびなは》をグイと|放《はな》し、
|貫州《くわんしう》『アヽ|高姫《たかひめ》さま【よう】|改心《かいしん》して|下《くだ》さつた。お|蔭《かげ》で|肉体《にくたい》で|貴女《あなた》の|御用《ごよう》がさして|頂《いただ》け|升《ます》』
|高姫《たかひめ》『アタ|阿呆《あはう》らしい。お|前《まへ》は|狂言《きやうげん》をしたのだらう。|本当《ほんたう》かと|思《おも》つて|肝《きも》を|潰《つぶ》しかけた。イヽ|加減《かげん》な【てんごう】して|置《お》きなされ』
|貫州《くわんしう》『【てんごう】でも|何《な》んでもありませぬ。|本真剣《ほんしんけん》でやつたのだが、|折《をり》|善《よ》くか|折《をり》|悪《あし》くか|知《し》らぬが、|足《あし》の|止《と》まりが|出来《でき》て|遣《や》り|損《そこな》うたのだ。そんなら|今度《こんど》は|改《あらた》めて|本真剣《ほんしんけん》にやりませうか』
|高姫《たかひめ》は|又《また》もやツンとして、
|高姫《たかひめ》『|勝手《かつて》にしなされ。お|前《まへ》の|命《いのち》をお|前《まへ》が|失《うしな》ふのだから』
|貫州《くわんしう》『ハイ|有難《ありがた》う。お|許《ゆる》しが|出《で》ましたら|即座《そくざ》に|決行《けつかう》します。|其《その》|代《かは》り|最前《さいぜん》の|様《やう》な|泣《な》き|言《ごと》は|言《い》うて|貰《もら》ひませぬぜ、|迷《まよ》ひますと|困《こま》りますからなア』
と|手早《てばや》く|松《まつ》の|枝《えだ》にくくり|付《つ》けた|帯《おび》をほどき、|再《ふたたび》|徳利結《とくりむすび》を|拵《こしら》へ、|適当《てきたう》な|枝振《えだぶり》を|探《さが》して|居《ゐ》る。|高姫《たかひめ》は、
|高姫《たかひめ》『エーしつかりせぬかいな』
と|平手《ひらて》で|横面《よこづら》を|二《ふた》つ|三《み》つピシヤピシヤとやつた。
|貫州《くわんしう》『アイタヽヽ、|高姫《たかひめ》さま、そんな|無茶《むちや》をしなさるな。|何《なに》を|腹《はら》が|立《たち》ますか』
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》は|今《いま》|死神《しにがみ》に|憑《つ》かれて|首《くび》を|吊《つ》つて|居《を》つたぢやないか。それだから|気《き》を|付《つ》けてやつたのだよ』
|貫州《くわんしう》『ヘー』
と|生返事《なまへんじ》をしながら|顔色《かほいろ》をサツと|替《か》へ、|両方《りやうはう》の|手《て》で|頸《くび》の|辺《あた》りを、|嫌《いや》らしさうに|撫《な》で|廻《まは》して|居《ゐ》る。
|高姫《たかひめ》『アヽ|今日《けふ》は|何《なん》となく|気分《きぶん》が|悪《わる》い。ササ|貫州《くわんしう》、|磯辺《いそべ》に|行《い》つて、|広《ひろ》い|海《うみ》でも|眺《なが》めて|気《き》を|換《か》へて|来《こ》よう。|又《また》|船《ふね》の|一艘《いつそう》も|流《なが》れて|来《く》るかも|知《し》れない。ササしつかりしつかり』
と|背《せな》を|三《み》ツ|四《よ》ツ|叩《たた》き、|貫州《くわんしう》の|手《て》を|引《ひ》き|山坂《やまさか》を|下《くだ》つて、|再《ふたたび》|元《もと》の|磯端《いそばた》に|帰《かへ》つて|来《き》た。|見《み》れば|艪櫂《ろかい》の|付《つ》いた|新《あたら》しい|船《ふね》が|一隻《いつせき》|磯端《いそばた》に|横付《よこづ》けになつて|居《ゐ》る。|好《よ》く|好《よ》く|見《み》れば|船《ふね》の|中側《なかべり》に『|玉能姫《たまのひめ》より|高姫《たかひめ》|様《さま》に|此《この》|船《ふね》|進上《しんじやう》|仕《つかまつ》ります』と|記《しる》して|在《あ》つた。|高姫《たかひめ》はこれを|見《み》て、
|高姫《たかひめ》『オホヽヽヽ、さすがの|玉能姫《たまのひめ》も|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御神力《ごしんりき》に|恐《おそ》れ、|寝心地《ねごこち》が|悪《わる》くなつたと|見《み》えて、こんな|新《あたら》しい|船《ふね》を|何処《どこ》からか|買求《かひもと》め、そつと|此処《ここ》へ|置《お》いといて|遁《に》げて|帰《い》んだのだな。|意地《いぢ》くね|悪《わる》い|奴《やつ》に|似合《にあ》はず、|一寸《ちよつと》|気《き》の|利《き》いた|事《こと》を|遣《や》り|居《を》るワイ。サア|此《この》|船《ふね》さへあれば|何日《なんにち》|此《この》|島《しま》に|居《を》つたつて|心配《しんぱい》は|無《な》いが、|余《あま》り|長《なが》らく|置《お》いて|置《お》くと|俄《にはか》に|心《こころ》が|変《かは》りあの|船《ふね》が|惜《をし》くなつたと|云《い》うて、|取返《とりかへ》しに|来《こ》られては、それこそ|此方《こちら》が|取返《とりかへ》しの|付《つ》かぬ|縮尻《しくじり》をやらねばならぬから、|今日《けふ》は|兎《と》も|角《かく》|此《この》|船《ふね》に|乗《の》つて|玉《たま》の|所在《ありか》を|探《さが》して|来《こ》う。どうも|此《この》|島《しま》には|在《あ》りさうにない。|玉能姫《たまのひめ》の|言葉《ことば》に、|竜神《りうじん》が|持《も》つて|行《い》き|居《を》つたと|言《い》うた|事《こと》がある。|大方《おほかた》|南洋《なんやう》の|竜宮島《りうぐうじま》へでも|納《をさ》まつて|居《を》るだらう。|此《この》|島《しま》の|果物《くだもの》を|沢山《たくさん》に|積込《つみこ》み|兵糧《ひやうらう》をドンと|用意《ようい》して、|神《かみ》の|随意《まにまに》|此《この》|船《ふね》の|続《つづ》く|限《かぎ》り、|腕力《うでぢから》のあらむ|限《かぎ》り|探《さが》しに|行《ゆ》く。お|前《まへ》も|結構《けつこう》な|御用《ごよう》だから、|御伴《おとも》をさして|上《あ》げるから|喜《よろこ》びなさい』
|貫州《くわんしう》『|成《な》る|可《べ》くなら|此《この》お|伴《とも》ばかりは、|除隊《ぢよたい》にして|貰《もら》ひ|度《た》いものですなア』
|高姫《たかひめ》『オホヽヽヽ、お|前《まへ》も|中々《なかなか》の【しれ】|物《もの》だ。|除隊《ぢよたい》のない|事《こと》を|仰有《おつしや》るわい』
と|果物《くだもの》を|数多《あまた》|積込《つみこ》み、|高姫《たかひめ》は|下手《へた》ながらも|艪《ろ》を|操《あやつ》り、|貫州《くわんしう》は|櫂《かい》を|使《つか》ひながら|家島《えじま》を|後《あと》に|瀬戸《せと》の|海《うみ》を|西《にし》へ|西《にし》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・六・一二 旧五・一七 谷村真友録)
第一四章 |籠抜《かごぬけ》〔七二六〕
|洲本《すもと》の|里《さと》に|名《な》も|高《たか》き、|人子《ひとご》の|司《つかさ》|東助《とうすけ》が|留守《るす》の|門前《もんぜん》に|佇《たたず》み、|宣伝歌《せんでんか》を|声低《こゑひく》に|歌《うた》ふ|一人《ひとり》の|宣伝使《せんでんし》があつた。|下女《はしため》のお|冊《さつ》は|台所《だいどころ》より|此《この》|声《こゑ》を|聞《き》きつけ、|門《もん》の|戸《と》を|開《ひら》いて|眺《なが》むれば、|蓑笠《みのかさ》、|草鞋脚絆《わらぢきやはん》の|扮装《いでたち》したる、|四十《しじふ》|恰好《かつかう》の|男盛《をとこざか》りの|宣伝使《せんでんし》であつた。|宣伝使《せんでんし》はお|冊《さつ》に|向《むか》ひ、
|宣伝使《せんでんし》『|我《わ》れは|日頃《ひごろ》の|経験上《けいけんじやう》、|此《この》|館《やかた》の|前《まへ》を|通《とほ》り|見《み》れば、|何《なん》とはなしに|此《この》|家《や》には|変事《へんじ》の|突発《とつぱつ》せし|如《ごと》く|覚《おぼ》ゆる。|汝《なんぢ》が|家《いへ》に|何事《なにごと》もなきや』
と|言葉《ことば》|淑《しと》やかに|問《と》ひかけた。お|冊《さつ》は|少《すこ》し|首《くび》を|傾《かたむ》け|乍《なが》ら、
お|冊《さつ》『|一寸《ちよつと》お|待《ま》ちを|願《ねが》ひます。|奥《おく》へ|云《い》つて|奥様《おくさま》に|伺《うかが》つて|参《まゐ》りますから……』
と|言《い》ひ|残《のこ》し、|其《その》|儘《まま》|姿《すがた》を|隠《かく》した。|奥《おく》の|一間《ひとま》には|女房《にようばう》のお|百合《ゆり》、|火鉢《ひばち》の|前《まへ》にもたれかかり、|何事《なにごと》か|思案《しあん》の|態《てい》であつた。お|冊《さつ》は|襖《ふすま》をソツと|引《ひき》あけ、
お|冊《さつ》『|奥様《おくさま》|々々《おくさま》』
と|呼《よ》んだ。お|百合《ゆり》は|何事《なにごと》にか|気《き》を|取《と》られしものの|如《ごと》く、お|冊《さつ》の|声《こゑ》が|耳《みみ》に|入《い》らなかつた。お|冊《さつ》は|恐《おそ》る|恐《おそ》るお|百合《ゆり》の|前《まへ》に【にじ】り|寄《よ》り、
お|冊《さつ》『モウシ|奥様《おくさま》、|門口《かどぐち》に|不思議《ふしぎ》な|宣伝使《せんでんし》が|立《た》つて|居《を》られます。|如何《どう》いたしませうかなア』
と|云《い》ふ|声《こゑ》に、お|百合《ゆり》は|顔《かほ》をあげ、
お|百合《ゆり》『ナニ、|宣伝使《せんでんし》が|門《かど》にお|立《た》ちとな。それは|都合《つがふ》の|好《い》い|事《こと》だ。|一《ひと》つ|伺《うかが》つて|頂《いただ》きたい|事《こと》があるから……どうぞ|此方《こちら》へ|通《とほ》つて|貰《もら》うて|下《くだ》さい』
お|冊《さつ》『ハイ|畏《かしこ》まりました』
と|足早《あしばや》に|表《おもて》へ|出《い》で、
お|冊《さつ》『モシモシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|奥様《おくさま》が|何《なに》か|御願《おねがひ》なされたい|事《こと》があるさうですから、どうぞ|奥《おく》へ|御通《おとほ》り|下《くだ》さいませ』
|宣伝使《せんでんし》は|打《う》ち|頷《うなづ》きお|冊《さつ》の|後《あと》に|従《したが》ひ、|草鞋《わらぢ》を|脱《ぬ》ぎ|足《あし》を|洗《あら》ひ、お|百合《ゆり》の|居間《ゐま》に|通《とほ》された。お|百合《ゆり》は|座《ざ》を|下《さ》がり、|宣伝使《せんでんし》を|上座《かみざ》に|請《しやう》じ、|丁寧《ていねい》に|頭《かしら》を|下《さ》げ、
お|百合《ゆり》『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、よくこそ|御立寄《おたちよ》り|下《くだ》さいました。|先《ま》づ|御《ご》ゆるりと|御休息《ごきうそく》|下《くだ》さいませ』
|宣伝使《せんでんし》『|私《わたくし》はバラモン|教《けう》の|友彦《ともひこ》と|申《まを》す|宣伝使《せんでんし》で|御座《ござ》る。|当家《たうけ》の|門前《もんぜん》を|通過《つうくわ》|致《いた》さむとする|時《とき》、|何《なん》となく|気懸《きがか》りが|致《いた》しましてなりませぬので、お|宅《うち》には|思《おも》ひも|寄《よ》らぬ|事件《じけん》が|突発《とつぱつ》|致《いた》して|居《を》る|様《やう》に|考《かんが》へましたから、|一寸《ちよつと》|御尋《おたづ》ね|致《いた》しました』
お|百合《ゆり》『それはそれは|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》う|御座《ござ》ります。|実《じつ》の|所《ところ》は|妾《わたし》の|主人《しゆじん》|東助《とうすけ》と|申《まを》す|者《もの》、|二三日《にさんにち》|以前《いぜん》より|何処《どこ》へ|参《まゐ》りましたか、|皆目《かいもく》|行方《ゆくへ》は|分《わか》らず、|大方《おほかた》|此《この》|間《あひだ》の|颶風《しけ》に、|船自慢《ふねじまん》の|主人《しゆじん》の|事《こと》とて|船《ふね》を|操《あやつ》り、|荒波《あらなみ》に|呑《の》まれたのではあるまいかと、|上《うへ》を|下《した》への|大騒動《おほさうどう》、|村中《むらぢう》の|者《もの》が|夫《そ》れ|夫《ぞ》れ|手分《てわ》けを|致《いた》しまして、|山林《さんりん》|原野《げんや》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|近海《きんかい》を|隈《くま》なく|探《さが》し|廻《まは》れども|皆目《かいもく》|行方《ゆくへ》が|知《し》れず、|生《いき》て|居《ゐ》るのか|死《し》んで|居《を》りますのか、それさへも|分《わか》りませぬ。どうぞ|神様《かみさま》に|一応《いちおう》|御伺《おうかが》ひ|下《くだ》さいますまいか』
|友彦《ともひこ》は|近辺《きんぺん》の|者《もの》の|騒《さわ》ぎを|見《み》て、|遠近《をちこち》の|人々《ひとびと》に|東助《とうすけ》の|紛失《ふんしつ》せし|事《こと》を、|前《まへ》|以《もつ》て|聞《き》き|知《し》り、ワザと|立寄《たちよ》つたのである、されど|素知《そし》らぬ|風《ふう》を|装《よそほ》ひ|乍《なが》ら、
|友彦《ともひこ》『それはそれは|御心配《ごしんぱい》で|御座《ござ》いませう。|一《ひと》つ|私《わたし》が|伺《うかが》つて|見《み》ませう』
と|手《て》を|洗《あら》ひ|口《くち》を|嗽《すす》ぎ、あたりに|人《ひと》|無《な》きを|見《み》てニタリと|笑《わら》ひ、|舌《した》を|出《だ》し、
|友彦《ともひこ》『|村人《むらびと》の|話《はなし》に|依《よ》れば、あれ|丈《だけ》|探《さが》したのだから、|最早《もはや》|生《い》きて|居《ゐ》る|気遣《きづか》ひはない。ウマくチヨロまかせば、|淡路一《あはぢいち》の|財産家《ざいさんか》、|友彦《ともひこ》が|亭主《ていしゆ》となり、バラモン|教《けう》を|淡路《あはぢ》|一円《いちゑん》に|此《この》|富力《ふりよく》を|以《もつ》て|拡張《くわくちやう》すれば|何《なん》でもない|事《こと》だ。あゝ|結構《けつこう》な|風《かぜ》が|吹《ふ》いて|来《き》たものだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|万々一《まんまんいち》|主人《しゆじん》が|生《い》きて|帰《かへ》つて|来《き》たら|大変《たいへん》だが、|併《しか》し|滅多《めつた》にそんな|事《こと》はあるまい。|一《ひと》つ|度胸《どきよう》を|出《だ》してやつて|見《み》よう』
と|小声《こごゑ》に|呟《つぶや》いて|居《を》る。そこへ|女房《にようばう》のお|百合《ゆり》は|新《あたら》しき|手拭《てぬぐひ》を|持《も》ち、
お|百合《ゆり》『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、どうぞ|此《こ》れでお|手《て》を|御拭《おふ》き|下《くだ》さいませ』
とつき|出《だ》す。|其《その》|横顔《よこがほ》を|見《み》て、
|友彦《ともひこ》『アヽ|何《なん》と|綺麗《きれい》な|女《をんな》だなア。……|併《しか》し|今《いま》の|独語《ひとりごと》を|聞《き》かれはせなかつたか』
と|稍《やや》|不安《ふあん》の|念《ねん》に|駆《か》られ、|盗《ぬす》み|目《め》にお|百合《ゆり》の|顔《かほ》を|覗《のぞ》いて|見《み》ると、お|百合《ゆり》はそんな|気配《けはい》も|無《な》かつた。|友彦《ともひこ》はヤツと|安心《あんしん》の|胸《むね》を|撫《な》でおろし、|悠々《いういう》と|床《とこ》の|間《ま》に|端坐《たんざ》し、バラモン|教《けう》の|経文《きやうもん》を|唱《とな》へ|終《をは》り、|偽神憑《にせかむがか》りとなつて、
|友彦《ともひこ》『ウンウンウン、|此《この》|方《はう》は|大自在天《だいじざいてん》|大国別命《おほくにわけのみこと》なるぞ』
と|雷《らい》の|如《ごと》く|呶鳴《どな》り|立《た》てた。お|百合《ゆり》は|驚《おどろ》いて|平伏《へいふく》し、
お|百合《ゆり》『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います』
と|涙声《なみだごゑ》になつて|居《ゐ》る。|友彦《ともひこ》は|又《また》もや|口《くち》を|切《き》り、
|友彦《ともひこ》『|当家《たうけ》の|主人《しゆじん》|東助《とうすけ》は、|何《なに》|不自由《ふじゆう》なき|身《み》であり|乍《なが》ら、|海漁《うみれう》を|好《この》み|或《あるひ》は|冒険的《ばうけんてき》|事業《じげふ》を|致《いた》す|悪《わる》い|癖《くせ》がある。それが|為《ため》に|生命《いのち》を|棄《す》てたのだ。|不憫《ふびん》なれどモウ|仕方《しかた》がない。せめて|三日《みつか》|以前《いぜん》に|此《この》|宣伝使《せんでんし》が|当家《たうけ》に|来《き》て|居《を》れば、|知《し》らしてやるのであつたが、さてもさても|残念《ざんねん》な|事《こと》であつたのう。モウ|此《この》|上《うへ》は|仕方《しかた》がない。|霊魂《みたま》の|冥福《めいふく》を|祈《いの》り、|主人《しゆじん》の|天国《てんごく》に|救《すく》はるる|様《やう》、|鄭重《ていちよう》なる|祭典《さいてん》を|行《おこな》ひ、|且《かつ》|有力《いうりよく》なる|神《かみ》の|如《ごと》き|夫《をつと》を|持《も》ち、|東助《とうすけ》の|後継《あとつぎ》を|致《いた》ささねば、|当家《たうけ》は|到底《たうてい》|永続《えいぞく》|致《いた》すまいぞよ。|又《また》|東助《とうすけ》は|睾丸病《かうぐわんびやう》がある|為《ため》、|子《こ》が|出来《でき》ないから、|折角《せつかく》|蓄《た》めた|財産《ざいさん》も|他人《たにん》に|与《や》らねばなるまい。|汝《なんぢ》は|神《かみ》の|申《まを》す|事《こと》を、よつく|肚《はら》に|入《い》れて、|何事《なにごと》も|大国別命《おほくにわけのみこと》の|命令《めいれい》|通《どほ》り|致《いた》すが|上分別《じやうふんべつ》だ』
お|百合《ゆり》『ハイハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。……|神様《かみさま》の|仰《あふ》せなら、どんな|事《こと》でも|背《そむ》きは|致《いた》しませぬ』
|友彦《ともひこ》『|何《なん》と|偉《えら》い|奴《やつ》だ。|其《その》|方《はう》は|流石《さすが》|東助《とうすけ》の|妻《つま》だけあつて、よく|身魂《みたま》が|研《みが》けたものだ。|神《かみ》も|感心《かんしん》|致《いた》すぞよ』
お|百合《ゆり》『|何《なに》を|申《まを》しても、|世間《せけん》|知《し》らずの|卑女《はしため》、|神様《かみさま》から|褒《ほ》められる|様《やう》な|事《こと》は|一《ひと》つも|御座《ござ》いませぬ』
|友彦《ともひこ》『|坊間《ばうかん》|伝《つた》ふる|所《ところ》に|依《よ》れば、|汝《なんぢ》は|実《じつ》に|貞淑《ていしゆく》の|女《をんな》と|云《い》ふ|事《こと》だ。|世間《せけん》の|噂《うはさ》を|聞《き》かずとも、|神《かみ》は|心《こころ》のドン|底《ぞこ》までよく|見抜《みぬ》いて|居《を》るぞよ。|一旦《いつたん》|死《し》んだ|主人《しゆじん》は|最早《もはや》|呼《よ》べど|答《こた》へず、|叫《さけ》べど|帰《かへ》らず、|是非《ぜひ》なしと|諦《あきら》め、|後《あと》の|家《いへ》を|大切《たいせつ》に|守《まも》り、|子孫《しそん》を|生《う》み|殖《ふ》やし、|祖先《そせん》の|家《いへ》を|守《まも》るが、せめてもの|東助《とうすけ》への|貞節《ていせつ》、|合点《がてん》が|行《い》つたか』
お|百合《ゆり》『ハイハイ|畏《かしこ》まりまして|御座《ござ》います。|併《しか》し|乍《なが》ら|妾《わたし》の|様《やう》な|者《もの》に、|如何《どう》して|後添《のちぞへ》に|来《き》て|呉《く》れる|者《もの》が|御座《ござ》いませう。|何《なん》だか|夫《をつと》の|霊《れい》に|対《たい》し|気《き》が|済《す》まない|様《やう》に|思《おも》はれてなりませぬ。そして|其《その》|夫《をつと》を|持《も》つのは、せめて|三年祭《さんねんさい》を|終《をは》つてからにして|貰《もら》ふ|事《こと》は|出来《でき》ますまいか』
|友彦《ともひこ》『|大国別命《おほくにわけのみこと》が|申《まを》す|事《こと》、しつかり|聞《き》け。|人間《にんげん》の|理屈《りくつ》は|論《ろん》ずるに|足《た》らぬ。|善《ぜん》は|急《いそ》げだ、|一日《いちにち》も|早《はや》く|夫《をつと》を|迎《むか》へたがよからう。|其《その》|夫《をつと》は|神《かみ》が|授《さづ》けてやる|程《ほど》に……さうすれば|子孫《しそん》は|天《てん》の|星《ほし》の|数《かず》の|如《ごと》く|殖《ふ》えて、|家《いへ》は|万代不易《ばんだいふえき》、|世界《せかい》の|幸福者《しあわせもの》としてやるぞよ』
お|百合《ゆり》『ハイハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。どうぞ|宜《よろ》しう|御願《おねがひ》|申上《まをしあ》げます。そして|其《その》|夫《をつと》と|申《まを》すのは、|何処《どこ》から|貰《もら》ひましたら|宜《よろ》しう|御座《ござ》いますか、これも|一《ひと》つ|御伺《おうかが》ひ|致《いた》したう|御座《ござ》います』
|友彦《ともひこ》『|別《べつ》に|何処《どこ》へも|探《さが》しに|行《ゆ》くに|及《およ》ばぬ。|灯台下《とうだいもと》は|真暗《まつくら》がり、|今《いま》|汝《なんぢ》が|目《め》の|前《まへ》に|三国一《さんごくいち》の|花婿《はなむこ》が|来《き》て|居《を》るぞよ。これも|神《かみ》が|媒介《なかうど》を|致《いた》さむと、|遥々《はるばる》|連《つ》れて|来《き》たのだから、|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|命令《めいれい》に|服従《ふくじゆう》するがよからう』
お|百合《ゆり》『|神様《かみさま》、|根《ね》つから|其処《そこ》らに|誰《たれ》も|見《み》えませぬ』
|友彦《ともひこ》『ハテ|察《さつ》しの|悪《わる》い。|今《いま》|汝《なんぢ》の|目《め》の|前《まへ》に|於《おい》て|神《かみ》の|託宣《たくせん》を|伝《つた》へて|居《を》る、|大国別命《おほくにわけのみこと》の|生宮《いきみや》の|宣伝使《せんでんし》であるぞよ』
お|百合《ゆり》はハツと|驚《おどろ》き、|友彦《ともひこ》の|顔《かほ》をつくづく|看守《みまも》り、
お|百合《ゆり》『あなたは|何時《いつ》やら、|浪速《なには》の|里《さと》でお|目《め》にかかつた|事《こと》のある|様《やう》な|方《かた》ですなア』
|友彦《ともひこ》『|馬鹿《ばか》を|申《まを》せ。|他人《たにん》の|空似《そらに》と|申《まを》して、|世界《せかい》に|同《おな》じ|顔《かほ》をした|者《もの》は、|二人《ふたり》づつ|天《てん》から|拵《こしら》へてあるのだ。|此《この》|肉体《にくたい》は|神《かみ》の|直々《ぢきぢき》の|生宮《いきみや》であるぞよ。よく|調《しら》べたがよからう』
お|百合《ゆり》『|鼻《はな》の|先《さき》の|一寸《ちよつと》|赤《あか》い|所《ところ》から、|目《め》の|窪《くぼ》んだ|所《ところ》、|口《くち》の|大《おほ》きさ、|出《で》つ|歯《ぱ》の|先《さき》の|欠《か》けた|所《ところ》、|似《に》たりや|似《に》たり、よくマア|似《に》た|方《かた》も|有《あ》るものですなア。|妾《わたし》の|姉《あね》は|浪速《なには》の|里《さと》に|嫁入《よめい》つて|居《を》りますが、|去年《きよねん》の|冬《ふゆ》、|急飛脚《きふひきやく》が|来《き》ましたので、|行《い》て|見《み》れば|姉《あね》の|大病《たいびやう》、そこへ|宣伝使《せんでんし》がお|見《み》えになり、イロイロと|仰有《おつしや》つて……|姉《あね》の|病気《びやうき》を|直《なほ》してやらう、それに|就《つい》てはコレコレの|薬《くすり》が|要《い》るから、|薬代《くすりだい》を|出《だ》せ……と|仰《あふ》せられ、|大枚《たいまい》|三百両《さんびやくりやう》を|懐《ふところ》にし|門口《かどぐち》を|出《で》た|限《き》り、|今《いま》に|顔《かほ》を|見《み》せないさうです。|妾《わたし》は|其《その》|時《とき》に|見《み》た|顔《かほ》と|貴方《あなた》のお|顔《かほ》と、|余《あま》りよく|似《に》て|居《を》りますので、|一寸《ちよつと》|御伺《おうかが》ひ|致《いた》しました』
|友彦《ともひこ》『|神《かみ》と|詐偽師《さぎし》と|一《ひと》つに|見《み》られては、|神《かみ》も|迷惑《めいわく》|致《いた》すぞよ』
お|百合《ゆり》『さう|仰有《おつしや》るお|声《こゑ》は、あの|詐偽師《さぎし》とそつくりですワ。|声《こゑ》までそれ|程《ほど》よく|似《に》た|人《ひと》が|有《あ》るものですかなア』
|友彦《ともひこ》『つい|話《はなし》が|横道《よこみち》へ|這入《はい》つた。|其《その》|方《はう》の|覚悟《かくご》は|如何《どう》ぢや』
お|百合《ゆり》『どうぞ|二三日《にさんにち》お|待《ま》ち|下《くだ》さいませ。|其《その》|上《うへ》でトツクリと|考《かんが》へ、|親類《しんるゐ》にも|相談《さうだん》|致《いた》し、|浪速《なには》の|姉《あね》も|招《よ》んで|来《き》て、|其《その》|上《うへ》に|御厄介《ごやくかい》に|預《あづか》りませう。どうぞ|神《かみ》さま|一先《ひとま》づ|御引取《おひきと》り|下《くだ》さいませ』
ポンポンと|手《て》を|拍《う》つた。|友彦《ともひこ》は|顔色《かほいろ》を|真赤《まつか》に|染《そ》め、|冷汗《ひやあせ》を|体《からだ》|一面《いちめん》ヅクヅクにかいて、|湯気《ゆげ》をポーツポーツと|立《た》て|乍《なが》ら、
|友彦《ともひこ》『あゝ|失礼《しつれい》|致《いた》しました。つい|眠《ねむ》つたと|見《み》えて、|結構《けつこう》な|風呂《ふろ》に|入《い》れて|貰《もら》うたと|思《おも》へば、アヽ|夢《ゆめ》でしたか。|体中《からだぢう》|此《この》|通《とほ》り、|守護神《しゆごじん》が|入浴《にふよく》したと|見《み》えまして、|湯気《ゆげ》が|立《た》つて|居《を》りまする』
お|百合《ゆり》『イエイエ|決《けつ》して|夢《ゆめ》では|御座《ござ》いませぬ。お|神憑《かむがか》りで|御座《ござ》いました。それはそれは|妙《めう》な|事《こと》を|仰有《おつしや》いました。|妾《わたし》は|少《すこ》し|許《ばか》り|腑《ふ》に|落《お》ちぬ|事《こと》が|御座《ござ》いますので、|二三日《にさんにち》|猶予《いうよ》を|願《ねが》つて|置《お》きました』
|友彦《ともひこ》『あゝさうでしたか。|何分《なにぶん》|知覚《ちかく》|精神《せいしん》を|失《うしな》つて|了《しま》ふ|神感法《しんかんはふ》の|神憑《かむがかり》ですから、チツトも|分《わか》りませぬ。|神憑《かむがかり》も|却《かへつ》て|自分《じぶん》に|取《と》つては|不便《ふべん》なもので|御座《ござ》います。アハヽヽヽ』
と|笑《わら》ひに|紛《まぎ》らす。
お|百合《ゆり》『それ|丈《だけ》|立派《りつぱ》な|神懸《かむがかり》が|出来《でき》ましたら|結構《けつこう》です。|仮令《たとへ》|人間憑《にんげんがか》りに|致《いた》しましても、あれ|丈《だけ》|巧妙《かうめう》に|託宣《たくせん》が|出来《でき》ますれば、|大抵《たいてい》の|者《もの》は|皆《みな》|降参《まゐ》つて|了《しま》ひます。|妾《わたし》でさへも|一旦《いつたん》は、あの|何々《なになに》でした|位《くらゐ》ですもの。オホヽヽヽ』
|友彦《ともひこ》『|何《なん》と、|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|貴女《あなた》の|御言葉尻《おことばじり》、|何《なん》ぞ|怪《あや》しい|事《こと》が|御座《ござ》いましたか』
お|百合《ゆり》『イエイエ|別《べつ》に|怪《あや》しい|事《こと》は|御座《ござ》いませぬ。|神様《かみさま》の|御引合《おひきあは》せ、|姉《あね》の|内《うち》へ|去年《きよねん》|参《まゐ》りました|泥棒《どろばう》の|模型《もけい》か|実物《じつぶつ》か、それは|後《あと》で|分《わか》りますが、……|野太《のぶと》い|奴《やつ》が|瞞《だま》しに|来《き》ました』
と|後《あと》の|一二句《いちにく》に|力《ちから》を|籠《こ》めて、|優《やさ》しき|女《をんな》に|似《に》ず|呶鳴《どな》りつけた。|友彦《ともひこ》は|此《この》|声《こゑ》に|打《う》たれ、|思《おも》はず|尻餅《しりもち》を|搗《つ》いて、|口《くち》を|開《あ》けた|儘《まま》、|火鉢《ひばち》の|横《よこ》にバタリと|倒《たふ》れた。お|百合《ゆり》は|独語《ひとりごと》、
お|百合《ゆり》『オホヽヽヽ、|何《なん》と|悪魔《あくま》と|云《い》ふものは、どこまでも|抜目《ぬけめ》のないものだ。|的《てつ》きり|此奴《こいつ》は|姉《ねえ》さんの|宅《うち》で|三百両《さんびやくりやう》|騙《かた》り|取《と》つた|奴《やつ》に|間違《まちがひ》ない。まだ|主人《しゆじん》の|生死《せいし》さへも|分《わか》らない|内《うち》から|其処《そこ》ら|近所《きんじよ》で|噂《うはさ》を|聞《き》いて|来《き》よつて、|良《い》い|加減《かげん》な|事《こと》を|言《い》ひ、|若後家《わかごけ》を|誑《たぶ》らかさうと|思《おも》うてやつて|来《き》よつたのだなア。どうやら|目《め》を|眩《ま》かして|居《ゐ》るらしい。|今《いま》の|間《うち》に|細帯《ほそおび》で|手足《てあし》を|括《くく》り、|庭先《にはさき》へ|引摺《ひきず》り|出《だ》し、|水《みづ》でもかけて|気《き》を|付《つ》けてやりませう。……アーアそれにしても|東助《とうすけ》さまは|如何《どう》なつたのかいな。|村《むら》の|衆《しう》は、|未《いま》だに|誰《たれ》も|報告《はうこく》に|来《き》て|下《くだ》さらず、イヨイヨ|妾《わたし》も|未亡人《みばうじん》になれば、|今迄《いままで》とは|層一層《そういつそう》|腹帯《はらおび》を|締《し》めねばなるまい。あゝ|困《こま》つた|事《こと》が|出来《でき》て|来《き》た』
と|自語《じご》する|折《をり》しも、お|冊《さつ》は|慌《あわただ》しく|此《この》|場《ば》に|駆来《かけきた》り、
お|冊《さつ》『|奥様《おくさま》、お|喜《よろこ》び|下《くだ》さりませ。|旦那様《だんなさま》が|只今《ただいま》|御機嫌《ごきげん》よう|御帰《おかへ》りになりました』
お|百合《ゆり》は|飛《と》び|立《た》つ|許《ばか》り|喜《よろこ》び、
お|百合《ゆり》『ナニ、|旦那様《だんなさま》がお|帰《かへ》りとな。あゝ|斯《こ》うしては|居《を》られまい。ドレドレお|迎《むか》へを|申《まを》さねばなるまい』
と|襟《えり》を|正《ただ》し|居《ゐ》る|所《ところ》へ、|早《はや》くも|東助《とうすけ》は|三人《さんにん》の|男《をとこ》を|引連《ひきつ》れ、|廊下《らうか》の|縁板《えんいた》を|威喝《ゐかつ》させ|乍《なが》ら|現《あら》はれ|来《きた》り、
|東助《とうすけ》『アヽお|百合《ゆり》、|余《あま》り|帰《かへ》るのが|遅《おそ》かつたので、|心配《しんぱい》しただらうなア。|村人《むらびと》にも|大変《たいへん》な|厄介《やくかい》をかけたさうだ。|俺《おれ》も|到頭《たうとう》|風《かぜ》に|吹《ふ》き|流《なが》されたと|云《い》ふ|訳《わけ》でもないが、|家島《えじま》まで|往《い》つて|来《き》たのだ。マア|安心《あんしん》して|呉《く》れ』
お|百合《ゆり》『それはそれは|何《なに》よりも|嬉《うれ》しい|事《こと》で|御座《ござ》います。つきましては|貴方《あなた》のお|不在中《るすちゆう》に、|四足《よつあし》が|一匹《いつぴき》|這《は》ひ|込《こ》んで|来《き》ましたので、|今《いま》|生捕《いけどり》にして|置《お》きました。どうぞトツクリ|御覧《ごらん》|下《くだ》さいませ』
と|友彦《ともひこ》を|指《ゆび》ざす。
|東助《とうすけ》『|何《なに》、これは|人間《にんげん》だないか。|厳《きび》しく|縛《ばく》されて|居《を》るではないか』
お|百合《ゆり》『ハイ、|一寸《ちよつと》|妾《わたし》が|縛《ばく》しておきました。|此奴《こいつ》は|去年《きよねん》の|冬《ふゆ》、|姉《ねえ》さまの|内《うち》で|三百両《さんびやくりやう》|騙《かた》り|取《と》つた|泥棒《どろばう》ですよ。あなたが|行方《ゆくへ》が|知《し》れないと|云《い》ふ|噂《うはさ》を|聞《き》いて、ウマく|妾《わたし》を|誑《たぶ》らかし、|此《この》|家《いへ》を|横領《わうりやう》しようと|思《おも》うて|出《で》て|来《き》た|図太《づぶと》い|代物《しろもの》です』
|東助《とうすけ》『それは|怪《け》しからぬ|奴《やつ》だ。|併《しか》し|乍《なが》ら|斯《こ》うしてはおかれまい。|助《たす》けてやらねばならぬから……コレコレ|鶴公《つるこう》、|清公《きよこう》、|武公《たけこう》、お|前達《まへたち》|御苦労《ごくらう》だが、|縛《いましめ》を|解《と》き|水《みづ》でも|与《あた》へて、|気《き》を|付《つ》けてやつて|下《くだ》さい』
|三人《さんにん》は|命《めい》の|儘《まま》に|縛《いましめ》を|解《と》き|水《みづ》を|吹《ふ》き|注《か》けた。|漸《やうや》くの|事《こと》で|友彦《ともひこ》は|正気《しやうき》に|復《ふく》し|起《お》きあがり、|東助《とうすけ》|其《その》|他《た》の|姿《すがた》を|見《み》て|大《おほい》に|驚《おどろ》き、|畳《たたみ》に|頭《かしら》を|摺《す》りつけ、|涙《なみだ》と|共《とも》に|詫入《わびい》る。|東助《とうすけ》は|友彦《ともひこ》に|向《むか》ひ、
『お|前《まへ》は|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》の|風《ふう》をして|居《ゐ》るが、|今《いま》|聞《き》く|所《ところ》に|依《よ》れば、|大変《たいへん》な|悪党《あくたう》らしい。|此《この》|世《よ》の|中《なか》は|何処《どこ》までも|悪《あく》では|通《とほ》れませぬぞ』
|友彦《ともひこ》『ハイ|誠《まこと》に|悪《わる》う|御座《ござ》いました。|面目《めんぼく》|次第《しだい》も|御座《ござ》いませぬ。どうぞ|生命《いのち》|計《ばか》りはお|助《たす》け|下《くだ》さいませ。これつきりモウ|宣伝使《せんでんし》は|廃《や》めまする』
|東助《とうすけ》『|結構《けつこう》な|宣伝使《せんでんし》の|役《やく》をやめとは|申《まを》さぬ。ますます|魂《たましひ》を|研《みが》いて|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》にお|成《な》りなさい。そして|世界《せかい》の|人民《じんみん》を|善道《ぜんだう》に|導《みちび》きなさるのが|貴方《あなた》の|天職《てんしよく》だ。|今迄《いままで》の|様《やう》な|神様《かみさま》を|松魚節《かつをぶし》にして|女《をんな》を|籠絡《ろうらく》したり、|病人《びやうにん》の|在《あ》る|家《いへ》を|探《さが》して、|弱身《よわみ》に|付《つ》け|込《こ》み|詐欺《さぎ》をしたりする|様《やう》な|事《こと》は、これ|限《ぎ》りお|廃《や》めなさるがよからう』
|友彦《ともひこ》『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。どうぞお|助《たす》け|下《くだ》さいませ。これ|限《かぎ》り|悪《あく》は|改《あらた》めまする』
|斯《か》かる|所《ところ》へ|門口《かどぐち》に|大勢《おほぜい》の|声《こゑ》にて、
『|東助《とうすけ》さまが|生《い》きてござつた。|無事《ぶじ》に|帰《かへ》られた、ウローウロー』
と|山岳《さんがく》も|揺《ゆる》ぐ|計《ばか》り|歓呼《くわんこ》の|声《こゑ》|聞《きこ》え|来《く》る。
|東助《とうすけ》『お|前《まへ》、イヨイヨ|改心《かいしん》を|志《し》たのならば、あの|通《とほ》り|今《いま》|門口《かどぐち》に|沢山《たくさん》の|村人《むらびと》が|来《き》て|居《を》るから、|一《ひと》つ|懺悔《ざんげ》|演説《えんぜつ》でもして|下《くだ》され。|一伍一什《いちぶしじふ》|包《つつ》み|隠《かく》さず、|旧悪《きうあく》をさらけ|出《だ》して|改心《かいしん》の|状《じやう》をお|示《しめ》しなされ。それが|出来《でき》ねば|大泥棒《おほどろばう》として、|此《この》|東助《とうすけ》が|酋長《しうちやう》の|職権《しよくけん》を|以《もつ》て|成敗《せいばい》を|致《いた》す』
|友彦《ともひこ》|小《ちひ》さい|声《こゑ》で、
『ハイ|致《いた》しまする』
|東助《とうすけ》『サア|早《はや》く|門口《かどぐち》へ|出《で》て、|懺悔《ざんげ》|演説《えんぜつ》を|始《はじ》めたが|宜《よろ》しからう』
|友彦《ともひこ》は、
『ハイ|直《すぐ》に|参《まゐ》ります。|俄《にはか》に|大便《だいべん》が|催《もよほ》して|来《き》ました。どうぞ|便所《べんじよ》へ|往《ゆ》く|間《あひだ》|御猶予《ごいうよ》を|願《ねが》ひます』
|東助《とうすけ》『|便所《べんじよ》ならば|其処《そこ》にある。サア|早《はや》く|行《い》つて|来《き》たがよからう』
|友彦《ともひこ》は、
『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います』
と|直様《すぐさま》|雪隠《せつちん》に|入《い》り、|跨《また》げ|穴《あな》から|潜《くぐ》つて|外《ほか》に|這《は》ひ|出《だ》し、|折柄《をりから》|日《ひ》の|暮《く》れかかつたのを|幸《さいは》ひ、|裏山《うらやま》の|密林《みつりん》|指《さ》して|一生懸命《いつしやうけんめい》に|隠《かく》れたりける。
|鶴公《つるこう》、|清公《きよこう》、|武公《たけこう》の|三人《さんにん》は|暫《しばら》く|東助《とうすけ》の|家《いへ》に|厄介《やくかい》となり、|遂《つひ》に|東助《とうすけ》に|感化《かんくわ》されて|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い、|心《こころ》の|底《そこ》より|言依別命《ことよりわけのみこと》の|教《をしへ》を|奉《ほう》ずる|事《こと》となりにける。
(大正一一・六・一二 旧五・一七 松村真澄録)
第四篇 |混線状態《こんせんじやうたい》
第一五章 |婆《ばば》と|婆《ばば》〔七二七〕
|高姫《たかひめ》は|貫州《くわんしう》と|共《とも》に|玉能姫《たまのひめ》より|贈《おく》つた|新造《しんざう》の|船《ふね》を|操《あやつ》り|乍《なが》ら、|漸《やうや》くにして|瀬戸内海《せとないかい》の|最大巨島《さいだいきよたう》|小豆ケ島《せうどがしま》に|到着《たうちやく》し、|磯端《いそばた》に|船《ふね》を|繋《つな》ぎ、|暫《しば》し|此《この》|島《しま》に|滞在《たいざい》し、|山《やま》の|谷々《たにだに》までも|隈《くま》なく|宝《たから》の|所在《ありか》を|探《さが》さむと、|国城山《くにしろやま》の|中腹《ちうふく》まで|登《のぼ》りつめた。|茲《ここ》には|巨大《きよだい》なる|岩窟《いはや》があつて、|昔《むかし》から|怪物《くわいぶつ》の|潜《ひそ》む|魔窟《まくつ》と|称《とな》へられて|居《ゐ》る。
|貫州《くわんしう》『|高姫《たかひめ》|様《さま》、ここには|立派《りつぱ》な|岩窟《いはや》が|有《あ》りますなア。|玉能姫《たまのひめ》の|奴《やつ》、ヒヨツとしたら|斯《こ》う|云《い》ふ|所《ところ》へ|隠《かく》して|置《お》いたかも|知《し》れませぬ。|昔《むかし》から|人《ひと》の|出入《でいり》した|事《こと》のない、|深《ふか》い|岩窟《がんくつ》だと|杣人《そまびと》が|云《い》つて|居《を》りましたから、|一《ひと》つ|探険《たんけん》して|見《み》ませうか』
|高姫《たかひめ》『マア|暫《しばら》く|考《かんが》へさして|貰《もら》はう。どこ|迄《まで》も|注意深《ちういぶか》い|玉能姫《たまのひめ》の|事《こと》であるから、|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》が|此《この》|岩窟《がんくつ》へ|這入《はい》るや|否《いな》や、|見張《みは》らして|置《お》いた|味方《みかた》の|奴《やつ》が|穴《あな》でも|塞《ふさ》ぎ、|徳利詰《とつくりづめ》にでもしよつたら、それこそ|大変《たいへん》だ。|此《この》|界隈《かいわい》をせめて|四五丁《しごちやう》|四面《しめん》|調査《しら》べた|上《うへ》の|事《こと》にしよう』
|貫州《くわんしう》『そんな|心配《しんぱい》は|要《い》りますまい。そんなら|此処《ここ》に|貴女《あなた》は|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さい。|私《わたし》は|一人《ひとり》|探険《たんけん》して|来《き》ますから……』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|岩窟《がんくつ》の|中《なか》へ|腰《こし》を|屈《かが》めて、ノソノソ|這《は》ふ|様《やう》に|這入《はい》つて|了《しま》つた。|後《あと》に|高姫《たかひめ》は|腕《うで》を|組《く》み|胡床《あぐら》をかき、|思案《しあん》に|暮《く》れて|独語《ひとりごと》。
|高姫《たかひめ》『あゝする|事《こと》|成《な》す|事《こと》、|〓《いすか》の|嘴《はし》|程《ほど》|喰《く》ひ|違《ちが》うと|云《い》ふのは、ヤツパリ|大自在天《だいじざいてん》|大国別命《おほくにわけのみこと》の|御神慮《ごしんりよ》に|背《そむ》いた|酬《むく》いかも|知《し》れない。|一旦《いつたん》|鬼雲彦《おにくもひこ》の|部下《ぶか》となり、バラモン|教《けう》の|教理《けうり》を|称《とな》へ|乍《なが》ら、|又《また》もや|三五教《あななひけう》の|変性男子《へんじやうなんし》が|恋《こひ》しくなり、ウラナイ|教《けう》と|銘《めい》|打《う》つて、|中間教《ちうかんけう》を|捻《ひね》り|出《だ》し、|何時《いつ》の|間《ま》にか|大自在天《だいじざいてん》の|名《な》も|唱《とな》へぬ|様《やう》になり、|再《ふたた》び|国治立命《くにはるたちのみこと》を|信《しん》じ、|再転《さいてん》して|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|三五教《あななひけう》に|逆戻《ぎやくもど》りをなし、|今《いま》|又《また》|三五教《あななひけう》の|幹部《かんぶ》の|為《ため》に|散々《さんざん》な|目《め》に|遇《あ》はされ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまも|如何《どう》して|御座《ござ》るのだらうか。|此《この》|頃《ごろ》は|高姫《たかひめ》の|精神《せいしん》も|変《へん》だが、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》も|何《なん》とはなしに|便《たよ》りなうなつて|来《き》た。あれ|程《ほど》|光《ひか》る|玉《たま》の|所在《ありか》が|分《わか》らぬ|様《やう》な|日《ひ》の|出神《でのかみ》では、|実際《じつさい》の|事《こと》|役《やく》に|立《た》たぬ。ヒヨツとしたら|此《この》|頃《ごろ》は|眼病《がんびやう》でも|患《わづら》つて|居《を》られるのではあるまいかなア。あゝ|最早《もはや》|瞋恚《しんい》の|雲《くも》に|包《つつ》まれて、|一寸先《いつすんさき》も|見《み》えなくなつて|了《しま》つた。どこを|探《たづ》ねたら|此《この》|玉《たま》の|行衛《ゆくゑ》が|分《わか》るであらうか。|但《ただし》は|熱心《ねつしん》な|黒姫《くろひめ》が|最早《もはや》|手《て》に|入《い》れて|居《を》るのではあるまいか、サツパリ|五里霧中《ごりむちう》|所《どころ》か|岩前夢中《がんぜんむちう》に|彷徨《はうくわう》すると|云《い》ふ|高姫《たかひめ》の|今日《けふ》の|境遇《きやうぐう》。アーアもう|神様《かみさま》が|厭《いや》になつて|了《しま》つた。|時々《ときどき》|腹《はら》の|中《なか》からイロイロの|事《こと》を|言《い》つて|聞《き》かして|呉《く》れるが、|後《あと》|振《ふ》り|返《かへ》り|眺《なが》むれば、|一《ひと》つとして|神勅《しんちよく》の|的中《てきちう》した|事《こと》はなく、|自分《じぶん》の|体《からだ》に|憑依《ひようい》して|居《ゐ》る|霊《れい》には、|何《なん》とはなしに|贔屓《ひいき》がつくものだから、|自分《じぶん》もチツと|怪《あや》しいとは|思《おも》ひ|乍《なが》ら、|今《いま》の|今迄《いままで》|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》で|頑張《ぐわんば》り、|貫《つ》き|通《とほ》して|来《き》たが、|明石《あかし》の|灘《なだ》で|難船《なんせん》に|遭《あ》ひ、|又《また》|家島《えじま》では|船《ふね》を|奪《と》られ|島流《しまなが》し|同様《どうやう》の|憂目《うきめ》に|会《あ》うても、|何《なん》にも|知《し》らして|呉《く》れぬ|様《やう》な|盲神《めくらがみ》の|容器《いれもの》になつた|所《ところ》で、|日《ひ》に|日《ひ》に|恥《はぢ》の|上塗《うはぬ》りをするばつかりだ、アヽ|如何《どう》したらよからうかなア。|今更《いまさら》|聖地《せいち》へ|引返《ひきかへ》し、|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》や|杢助《もくすけ》に|対《たい》し|謝罪《あやま》るのも|馬鹿《ばか》げて|居《ゐ》るし、モウ|仕方《しかた》がない、|毒《どく》を|喰《く》はば|皿《さら》|迄《まで》|舐《ねぶ》れだ。|今《いま》となつて、ヤツパリ|妾《わたし》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》では|有《あ》りませなんだと……そんな|事《こと》は|是《これ》|迄《まで》|威張《ゐば》つた|手前《てまへ》、|言《い》はれた|義理《ぎり》でもなし。……|一《ひと》つ|守護神《しゆごじん》に|談判《だんぱん》をして|其《その》|上《うへ》の|事《こと》にしよう。……コレコレ|腹《はら》の|中《なか》の|守護神《しゆごじん》、チツと|発動《はつどう》して|妾《わたし》の|質問《しつもん》に|答《こた》へて|下《くだ》さい。|今度《こんど》は|今迄《いままで》の|様《やう》なヨタリスクは|聞《き》きませぬぞ。ネツトプライスの|誠《まこと》|一《ひと》つを|開陳《かいちん》なされ。|返答《へんたふ》に|依《よ》つては|高姫《たかひめ》も|今日《けふ》|限《かぎ》りお|前《まへ》の|言《い》ふ|事《こと》は|聞《き》かぬのだから、サア|早《はや》く|発動《はつどう》せぬか、|口《くち》を|切《き》らぬか』
と|拳《こぶし》を|固《かた》めて|臍《へそ》の|辺《あた》りを|力一杯《ちからいつぱい》|擲《なぐ》りつけて|居《を》る。|如何《どう》したものか、|今日《けふ》に|限《かぎ》りて|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|称《しよう》する|憑依物《ひよういぶつ》も、チウの|声《こゑ》|一《ひと》つ|挙《あ》げず、|臍《へそ》の|下《した》あたりに|萎縮《ゐしゆく》して、|小《ちひ》さき|毬《まり》の|様《やう》になつて|付着《ふちやく》して|居《ゐ》る。|高姫《たかひめ》は|力一杯《ちからいつぱい》|其《その》|玉《たま》の|上《うへ》から|握《にぎ》り|詰《つ》め、
|高姫《たかひめ》『サアどうぢや、なんとか|返答《へんたふ》せぬか。|結構《けつこう》な|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《ひつぽう》の|肉体《にくたい》を、|今迄《いままで》よくも|弄物《おもちや》にしよつた。|捻《ひね》り|潰《つぶ》してやらうか』
と|腹《はら》の|皮《かは》が|千切《ちぎ》れる|程《ほど》|力《ちから》を|籠《こ》めて、グリグリとした|固《かた》い|塊《たま》を|握《にぎ》り|潰《つぶ》さうとする。|腹《はら》の|中《なか》より、
『アヽ|痛《いた》い|痛《いた》い。|白状《はくじやう》します。どうぞ|宥《こら》へて|下《くだ》さい。|私《わたし》は|金毛九尾《きんまうきうび》の|狐《きつね》の|乾児《こぶん》、|昔《むかし》エルサレムの|宮《みや》で、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》|以下《いか》の|神々《かみがみ》を|苦《くるし》めた|木常姫《こつねひめ》の|霊《みたま》で|御座《ござ》います。|其《その》|木常姫《こつねひめ》の|分霊《ぶんれい》が|疑《こ》つて|貴女《あなた》の|肉体《にくたい》が|形作《かたちづく》られ、|此《この》|世《よ》に|生《うま》れて|来《き》たのだ。そして|私《わたし》は|同《おな》じ|身魂《みたま》の|分派《わかれ》だから、お|前《まへ》に|憑《うつ》るより|外《ほか》に|憑《うつ》る|事《こと》は|出来《でき》ないのだ』
|高姫《たかひめ》『よう|白状《はくじやう》した。|大方《おほかた》そんな|事《こと》だらうと|思《おも》うて|居《を》つたのだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|同《おな》じ|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》なれば、お|前《まへ》の|云《い》ふ|通《とほ》り|離《はな》す|訳《わけ》に|行《ゆ》かず、|妾《わたし》も|実際《じつさい》はお|前《まへ》と|別《わか》れとも|無《な》い。|併《しか》し|木常姫《こつねひめ》の|霊魂《みたま》だなぞと、|何《なん》と|云《い》ふ|弱音《よわね》を|吹《ふ》くのか。|始《はじ》めから|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|偽《いつは》つて|現《あら》はれた|以上《いじやう》は、どこまでも|日《ひ》の|出神《でのかみ》で|通《とほ》さぬか。そんな|気《き》の|弱《よわ》い|守護神《しゆごじん》は|妾《わたし》は|嫌《きら》ひだ。サア|是《これ》から|妾《わたし》がキツと|教育《けういく》をしてやるから、|今迄《いままで》の|様《やう》に|此《この》|肉体《にくたい》を|自由自在《じいうじざい》に|使《つか》ふ|事《こと》はならぬぞ。|高姫《たかひめ》が|今度《こんど》はお|前《まへ》を|使《つか》ふのだから、さう|思《おも》へ』
|木常姫《こつねひめ》の|霊《れい》『|肉体《にくたい》が|霊《れい》をお|使《つか》ひになれば、|体主霊従《たいしゆれいじゆう》になりはしませぬか』
|高姫《たかひめ》『エー|又《また》しても、お|前《まへ》までが|理屈《りくつ》を|言《い》ふのか。|世間《せけん》の|奴《やつ》は|皆《みんな》|表面《へうめん》でこそ|霊主体従《れいしゆたいじう》と|済《す》ました|顔《かほ》して|吐《ほざ》いて|居《ゐ》るが、|分《わか》らぬ|奴《やつ》だなア。|物質《ぶつしつ》の|世《よ》の|中《なか》にそんな|馬鹿《ばか》な|事《こと》が|如何《どう》して|行《おこな》へるものか。|体主霊従《たいしゆれいじゆう》が|天地《てんち》の|真理《しんり》だ。|妾《わし》は|今迄《いままで》お|前《まへ》の|霊《れい》に|従《したが》ひ、|霊主体従《れいしゆたいじゆう》を|守《まも》つて|来《き》て、|一《ひと》つも|碌《ろく》な|事《こと》は|出来《でき》なんだぢやないか。|体主霊従《たいしゆれいじゆう》に|世《よ》の|中《なか》は|限《かぎ》る。|虚偽式《きよぎしき》|生活《せいくわつ》は|此《この》|高姫《たかひめ》の|取《と》らざる|所《ところ》、これからはスツクリ|気《き》を|持直《もちなほ》し、|赤裸々《せきらら》に|露骨《ろこつ》に、|体主霊従《たいしゆれいじゆう》を|標榜《へうぼう》して|世《よ》の|中《なか》に|立《た》つ|心組《つもり》だから、お|前《まへ》もそう|心得《こころえ》ろ』
|木常姫《こつねひめ》の|霊《れい》『アヽ|仕方《しかた》がない。|何《なに》を|言《い》つても|水《みづ》の【でばな】に|聞《き》いて|呉《く》れる|筈《はず》がないから、ここ|暫《しばら》くは|沈黙《ちんもく》の|幕《まく》をおろさうか。アハヽヽヽ』
と|自問自答《じもんじたふ》を|荐《しき》りにやつて|居《を》る。
|此《この》|所《ところ》へ|糞《くそ》まぶれになつて|登《のぼ》つて|来《き》た|一人《ひとり》の|宣伝使《せんでんし》があつた。|宣伝使《せんでんし》は|岩窟《いはや》の|前《まへ》に|中婆《ちうばば》の|首《かうべ》を|垂《た》れ、モノログして|居《を》るのを|見《み》て、
|宣伝使《せんでんし》『ハハア、|此奴《こいつ》ア|気違《きちがひ》だなア。|独《ひと》り|言《い》うては|独《ひと》り|答《こた》へて|居《ゐ》よる。|昔《むかし》から|腹《はら》の|中《なか》から|自然《しぜん》にものを|言《い》ふ|病気《びやうき》があると|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》いて|居《を》つたがテツキリ|斯《こ》んな|奴《やつ》の|事《こと》を|云《い》うたのだらう。|神憑《かむがかり》にしては|少《すこ》し|調子《てうし》が|違《ちが》ふ。|併《しか》し|乍《なが》ら|病気《びやうき》でも|何《なん》でも|可《い》い、|腹《はら》の|中《なか》より|何《なん》でも|可《い》いから、|物《もの》を|言《い》つて|呉《く》れると、|実否《じつぴ》は|兎《と》も|角《かく》も、|神憑《かむがかり》として|誤魔化《ごまくわ》すのに|都合《つがふ》が|好《い》いけれど……|自分《じぶん》の|様《やう》に|何時《いつ》まで|修行《しうぎやう》しても、|鎮魂《ちんこん》しても、|腹《はら》の|中《なか》からウンともスンとも|言《い》うて|来《こ》ない|者《もの》には|困《こま》つて|了《しま》ふ。あちらでも|神憑《かむがかり》の|真似《まね》をしては|失敗《しつぱい》し、こちらでも|真似《まね》をしては|失敗《しつぱい》し、|到頭《たうとう》|洲本《すもと》の|酋長《しうちやう》の|宅《たく》に|於《おい》て、|九分九厘《くぶくりん》と|云《い》ふ|所《ところ》で、|女房《にようばう》に|看破《かんぱ》され|肝《きも》を|潰《つぶ》し|居《を》る|所《ところ》へ、|死《し》んだ|筈《はず》の|主人《しゆじん》が|帰《かへ》つて|来《き》よつて|大《おほ》いに|面目玉《めんぼくだま》を|潰《つぶ》し、|雪隠《せついん》の|中《なか》から|籠脱《かごぬ》けをやつた|時《とき》の|苦《くる》しさ、|恐《こは》さ、|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》のお|蔭《かげ》で|漸《やうや》く|海辺《うみべ》に|無事《ぶじ》|到着《たうちやく》し、|一艘《いつそう》の|舟《ふね》を|見付《みつ》けて、|無理《むり》やりに|沖《おき》へ|漕出《こぎだ》し、|暴風《ばうふう》に|吹《ふ》き|流《なが》され、|此島《ここ》までやつて|来《き》たのだが、|雪隠《せついん》を|潜《くぐ》つた|時《とき》に、|自分《じぶん》の|宣伝使服《せんでんしふく》は|雪隠《せついん》の|雑巾役《ざふきんやく》を|勤《つと》めよつたと|見《み》えて、|未《いま》だに|怪体《けつたい》な|臭気《にほひ》がする。アヽ|困《こま》つた|事《こと》だ。|一層《いつそう》の|事《こと》、|再《ふたた》び|改悪《かいあく》して、|此《この》|婆《ばば》を|裸《はだか》にし、|臭《くさ》い|着物《きもの》と|取換《とりかへ》こをしてやらうかなア』
と|何時《いつ》の|間《ま》にか|小声《こごゑ》が|大《おほ》きくなり、|高姫《たかひめ》の|耳《みみ》に|聞《きこ》えて|来《き》た。|高姫《たかひめ》は、|大部分《だいぶぶん》|宣伝使《せんでんし》の|独語《ひとりごと》を|聞《き》き|悟《さと》り、
|高姫《たかひめ》『オツホヽヽヽ、|糞《くそ》まぶれの|宣伝使《せんでんし》、|雪隠《せんち》の|雑巾《ざふきん》と|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》の|教服《けうふく》と|換《かへ》るなんて、そんな|大《だい》それた|野心《やしん》を|起《おこ》すものぢやない。チヤンとお|前《まへ》の|腹《はら》の|底《そこ》まで|見抜《みぬ》いてあるのだから……』
|宣伝使《せんでんし》『ヤアお|前《まへ》は|何処《どこ》の|婆《ばば》アか|知《し》らぬが、|俺《おれ》の|腹中《はら》をさう|早《はや》くから|見透《みす》かして|居《を》るのなれば|仕方《しかた》がない。|止《や》めて|置《お》かう。|俺《おれ》の|着物《きもの》にはドツサリと|黄金色《わうごんしよく》のババが|付《つ》いて、ババの|着物《きもの》になつて|了《しま》つた。|貴様《きさま》のを|脱《ぬ》がした|所《ところ》でヤツパリ【ババ】の|着物《きもの》だ。……オイ|婆《ばあ》さま、どこぞ|其処《そこ》らの|谷川《たにがは》で|俺《おれ》の|着物《きもの》を|洗濯《せんたく》して|呉《く》れぬか』
|高姫《たかひめ》『|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》の|宣伝使《せんでんし》と、|洗濯婆《せんたくばば》と|間違《まちが》へられては|迷惑《めいわく》だ。こんな|高《たか》い|山《やま》の|水《みづ》もない|所《ところ》に、|洗濯婆《せんたくばば》が|居《を》るものか。|谷川《たにがは》の|畔《ほとり》へでも|行《い》つて|探《さが》して|来《こ》い。|婆《ばば》は|川《かは》に|付物《つきもの》だ。|此《この》|婆《ばば》は|世界《せかい》の|人民《じんみん》の|身魂《みたま》を|洗濯《せんたく》する|大和魂《やまとだましひ》の|根本《こつぽん》の|洗濯婆《せんたくばば》だぞ。……ヘン|宣伝使面《せんでんしづら》をしやがつて、|何《なに》をとぼけて|居《ゐ》るのだ。|余程《よつぽど》よい|頓馬野郎《とんまやらう》だなア』
と|今《いま》までの|腹立《はらだ》ち|紛《まぎ》れに、|宣伝使《せんでんし》の|方《はう》へ|鉾《ほこ》を|向《む》けて|了《しま》つた。
|宣伝使《せんでんし》『なんと|口《くち》の|達者《たつしや》な|婆《ばば》アも|有《あ》ればあるものだ。|恰度《ちやうど》|今《いま》ウラナイ|教《けう》を|立《た》てて|居《を》る|高姫《たかひめ》の|様《やう》な、|口喧《くちやかま》しい|婆《ば》アさまぢやないか』
|高姫《たかひめ》『その|高姫《たかひめ》は|此《この》|肉体《にくたい》ぢや。わしの|名《な》を|如何《どう》して|知《し》つて|居《を》るか』
|宣伝使《せんでんし》『|私《わし》は|其《その》|時《とき》に|雉子《きぎす》と|云《い》つた|男《をとこ》だ。お|前《まへ》が|鬼雲彦《おにくもひこ》の|膝元《ひざもと》へ|出《で》て|来《き》て、バラモン|教《けう》を|聞《き》いて|居《を》つた|時《とき》、|私《わし》も|聴《き》いて|居《を》つた。あの|時《とき》の|事《こと》を|思《おも》へば|随分《ずゐぶん》|年《とし》が|寄《よ》つたものだなア……|今《いま》はバラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》|友彦《ともひこ》と|云《い》ふ|名《な》を|賜《たま》はつて、|自転倒島《おのころじま》|一円《いちゑん》の|宣伝《せんでん》に|廻《まは》つて|居《を》るのだ』
|高姫《たかひめ》『アヽさうかい。そんな【しやつ】|面《つら》で|宣伝《せんでん》が|出来《でき》たかな』
|友彦《ともひこ》『【センデン】|万化《ばんくわ》に|身《み》を|窶《やつ》し、|獅子奮迅《ししふんじん》の|勢《いきほひ》で|活動《くわつどう》した|結果《けつくわ》、とうと|【糞】塵《ふんぢん》の|中《なか》に|陥《おちい》り、フン|失《しつ》の|所《ところ》だつた。アハヽヽヽ』
と|打解《うちと》けて|笑《わら》ふ。
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》もそこまで|糞度胸《くそどきよう》がすわつて、|雪隠《せんち》の|中《なか》まで|潜《もぐ》れば、|最早《もはや》|是《これ》から|上《あが》り|坂《ざか》だ。|糞《くそ》に|生《わ》く|雪隠虫《せんちむし》は|遂《つひ》には|這《は》ひあがつて、|空中《くうちう》|飛行《ひかう》|自在《じざい》の|玉蠅《たまばへ》となり、どんな|偉《えら》い|人間《にんげん》の|頭《あたま》へでも|止《と》まつて、|糞《くそ》を|放《ひ》りかける|様《やう》になるものだ。お|前《まへ》も|是《これ》から|一《ひと》つ|糞発《ふんぱつ》して、|妾《わし》と|一緒《いつしよ》に|活動《くわつどう》したらどうだ。【フンパツ】せいと|云《い》つても|雪隠《せんち》へ|往《い》て|尻《しり》をまくるのだないぞツ』
|友彦《ともひこ》『お|前《まへ》は|随分《ずゐぶん》|口《くち》の|達者《たつしや》な|糞婆《くそばば》ぢやなア。|併《しか》し|乍《なが》らヤツパリ、ウラナイ|教《けう》とか|云《い》ふ|中間教《ちうかんけう》を|立《た》て|通《とほ》して|居《を》るのかい』
|高姫《たかひめ》『バラモン|教《けう》も、|鬼雲彦《おにくもひこ》の|大将《たいしやう》、|大江山《おほえやま》の|砦《とりで》から|三五教《あななひけう》に|追《お》ひまくられて|逃《に》げ|帰《かへ》る|様《やう》な|腰抜教《こしぬけけう》なり、ウラナイ|教《けう》から|一寸《ちよつと》|都合《つがふ》に|依《よ》りて、|元《もと》の|三五教《あななひけう》へ|逆転《ぎやくてん》して|見《み》たのだが、ヤツパリ|此奴《こいつ》も|糞詰《ふんづま》り|教《けう》だ。|何分《なにぶん》|穴《あな》の|無《な》い|教《をしへ》だから、|万事《ばんじ》|万端《ばんたん》|行詰《ゆきつま》りだらけ、それに|分《わか》らず|漢《や》が|幹部《かんぶ》を|占《し》めて|居《を》るのだから|活動《くわつどう》しようと|思《おも》つても|手《て》も|足《あし》も|出《だ》し|様《やう》がない。|併《しか》し|乍《なが》らバラモン、ウラル、ウラナイ、|三五《あなない》、|四教《しけう》を|通《つう》じて|一番《いちばん》|勢力《せいりよく》の|有《あ》るのは|依然《やつぱり》|三五《あななひ》の|道《みち》だ。|此島《ここ》には|天上天下唯我独尊的《てんじやうてんかゆゐがどくそんてき》の|三《みつ》つの|宝《たから》があるのだが、|其奴《そいつ》の|隠《かく》し|場所《ばしよ》を|探《さが》し|当《あ》てさへすれば、|三五教《あななひけう》は|吾々《われわれ》の|自由自在《じいうじざい》になり、|天晴《あつぱ》れ|神政成就《しんせいじやうじゆ》は|出来《でき》るのだから、|玉《たま》の|所在《ありか》を|探《さが》さうと|思《おも》つて、|一人《ひとり》の|家来《けらい》を|連《つ》れて|此島《ここ》まで|来《き》た|所《ところ》だが、お|前《まへ》も|事《こと》と|品《しな》に|依《よ》つたら|家来《けらい》にしてやるから、|今迄《いままで》の|経路《けいろ》を|物語《ものがた》つて|呉《く》れ。|先《ま》づ|第一《だいいち》にお|前《まへ》の|着物《きもの》の|因縁《いんねん》から|聞《き》かう。|雪隠《せついん》から|脱《ぬ》け|出《で》た|事《こと》は|聞《き》いたが、それは|何処《どこ》の|雪隠《せついん》だい』
|友彦《ともひこ》は|有《あ》りし|次第《しだい》を|悉《ことごと》く|物語《ものがた》りける。
|高姫《たかひめ》『さうすると、お|前《まへ》は|東助《とうすけ》の|宅《たく》へ|行《い》つたのだな。|彼奴《あいつ》は|三人《さんにん》の|男《をとこ》を|連《つ》れて|帰《かへ》つた|筈《はず》だが、お|前《まへ》|見《み》たのかい』
|友彦《ともひこ》『|何《なん》だか|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|服《ふく》を|着《つ》けて|居《を》つたやうだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|東助《とうすけ》にスツカリ|服従《ふくじゆう》して、|是《これ》から|東助《とうすけ》を|大将《たいしやう》に、|高姫《たかひめ》の|所在《ありか》を|探《たづ》ね|打亡《うちほろ》ぼさねば|置《お》かぬと|云《い》うて、|力《りき》んで|居《ゐ》ましたよ』
と|嘘《うそ》を|並《なら》べ|立《た》て、|高姫《たかひめ》の|肝《きも》を|挫《ひし》がうとする。|高姫《たかひめ》は|驚《おどろ》いて|口《くち》を|尖《とが》らせ、|目《め》をグルグルと|廻転《くわいてん》させ|乍《なが》ら、
|高姫《たかひめ》『そりや|本当《ほんたう》か。そして|何時《いつ》|出《で》て|来《く》ると|云《い》つて|居《を》つたかな』
|友彦《ともひこ》『|何《なん》でも|東助《とうすけ》の|囁《ささや》くのを|聞《き》けば、|高姫《たかひめ》は|小豆島《せうどじま》に|漂着《へうちやく》したに|違《ちがひ》ないから、|数百人《すうひやくにん》の|軍勢《ぐんぜい》を|引連《ひきつ》れ、|全島《ぜんたう》を|片《かた》つ|端《ぱし》から|捜索《そうさく》して、|高姫《たかひめ》を|生擒《とりこ》にして|連《つ》れ|帰《かへ》り、|舌《した》を|抜《ぬ》いてやると|云《い》つてましたよ。|用心《ようじん》せぬと|何時《なんどき》やつて|来《く》るか|分《わか》りませぬぜ。アツハヽヽヽ』
と|笑《わら》ふ。|高姫《たかひめ》は|其《その》|顔《かほ》をチラリと|見《み》て、
|高姫《たかひめ》『エー|腹《はら》の|悪《わる》い。そんな|恐喝《おどし》を|食《く》ふものか、|小豆ケ島《せうどがしま》へ|来《き》たと|云《い》ふ|事《こと》がどうして|東助《とうすけ》に|分《わか》る|道理《だうり》があらう。|又《また》お|前《まへ》の|声色《こはいろ》と|云《い》ひ、|顔色《かほいろ》と|云《い》ひ、|嘘《うそ》を|吐《つ》いて|居《ゐ》るのだろ』
|友彦《ともひこ》『アヽそこまで|看破《かんぱ》されては|仕方《しかた》がない。お|察《さつ》しの|通《とほ》りだ。マア|嘘《うそ》にして|置《お》きませうかい』
|斯《か》く|話《はな》し|合《あ》ふ|所《ところ》へ、|顔《かほ》|一面《いちめん》に|蜘蛛《くも》の|巣《す》だらけになつた|貫州《くわんしう》は、|数多《あまた》の|衣類《いるゐ》を|小脇《こわき》に|抱《かか》へて|出《で》て|来《き》た。|高姫《たかひめ》はこれを|見《み》て、
|高姫《たかひめ》『ヤアお|前《まへ》は|貫州《くわんしう》、|一体《いつたい》|其《その》|顔《かほ》は|如何《どう》したのだ』
|貫州《くわんしう》『ハイ|此処《ここ》は|恐《おそ》ろしい|泥棒《どろばう》の|岩窟《いはや》と|見《み》えて、|沢山《たくさん》の|掠奪品《りやくだつひん》が|山《やま》の|如《ごと》く|積《つ》んで|有《あ》りました。|私《わたし》も|泥棒《どろばう》のウハマヘをはねて、|大泥棒《おほどろばう》となり、|顔《かほ》は|此《この》|通《とほ》り【クモ】|助《すけ》になつて|出《で》て|来《き》ました。|資本《もと》が|何分《なにぶん》|懸《かか》らぬ|代物《しろもの》だから、|安《やす》うまけと|来《き》ます。|絹物《きぬもの》も|有《あ》れば、|木綿物《もめんもの》も|有《あ》るが、|突込《つつこ》みで|一尺《いつしやく》|何程《なんぼ》で|卸《おろし》ませうかい。……ヤア|何《なん》だ、|怪《あや》しい|臭気《にほひ》がすると|思《おも》へば、そこに|糞《くそ》まぶれの|着物《きもの》を|着《き》てる|奴《やつ》が|一人《ひとり》|立《た》つて|居《ゐ》る。|大方《おほかた》|雪隠虫《せんちむし》のお|化《ば》けだらう。|早速《さつそく》|此奴《こいつ》ア|買手《かひて》が|出来《でき》た。|世《よ》の|中《なか》はようしたものだ。|斯《こ》んな|山中《さんちう》に|店《みせ》|出《だ》しした|所《ところ》で、たアれも|買手《かひて》は|有《あ》るまいと|思《おも》うて|居《を》つたのに、|出《だ》せ|買《か》はう……とか|云《い》つて、|不思議《ふしぎ》なものだなア』
と|一人《ひとり》|洒落《しやれ》てゐる。
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》そんな|悪《わる》い|事《こと》をして、|何《なん》ともないのか。|神様《かみさま》に|済《す》まぬぢやないか』
|貫州《くわんしう》『|私《わたし》の|天眼通《てんがんつう》で|糞《くそ》まぶれの|人間《にんげん》が|今《いま》|出《で》て|来《く》ると|云《い》ふ|事《こと》を、チヤンと|悟《さと》りました。こんな|所《ところ》で|洗濯《せんたく》する|訳《わけ》には|行《ゆ》かず、|困《こま》つてるだらうと|思《おも》つて、|慈善的《じぜんてき》に|抱《かか》へて|来《き》たのだ。サア|俺《おれ》の|物《もん》ぢやないけれど、お|前《まへ》|勝手《かつて》に|着《き》たがよからう』
|友彦《ともひこ》『|持主《もちぬし》の|分《わか》らぬ|着物《きもの》を|勝手《かつて》に|着《き》る|訳《わけ》には|行《い》きませぬ。|買《か》ふとか、|借《か》るとかせなくては、|黙《だま》つて|着服《ちやくふく》すれば|泥棒《どろばう》になりますから……』
|貫州《くわんしう》『|殊勝《しゆしよう》らしい|事《こと》を|言《い》ふな。お|前《まへ》は|宣伝使《せんでんし》のサツクを|嵌《は》めて|泥棒《どろばう》をやつて|居《を》つた|男《をとこ》に|違《ちが》ひない。お|前《まへ》の|面付《つらつき》は、どう|贔屓目《ひいきめ》に|見《み》ても、|泥棒《どろばう》としか|俺《おれ》の|天眼通《てんがんつう》に|映《えい》じない、|大方《おほかた》|貴様《きさま》の…ここは|親分《おやぶん》の|根拠地《こんきよち》だらう。|何《なん》だか|此《この》|岩窟《いはや》の|奥《おく》には|大勢《おほぜい》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|居《を》つたから、ソツト|是《こ》れ|丈《だけ》の|着物《きもの》を|引抱《ひつかか》へ|逃《に》げ|出《だ》して|来《き》たのだが、|貴様《きさま》も|大方《おほかた》|岩窟《ここ》の|乾児《こぶん》に|違《ちが》ひあるまい』
|友彦《ともひこ》『これは|聊《いささ》か|迷惑《めいわく》だ。|実《じつ》の|所《ところ》は|始《はじ》めて|此《この》|島《しま》へ|漂着《へうちやく》したばかりだから、そんな|痛《いた》うない|腹《はら》を|探《さぐ》るものだない。|併《しか》し|此《この》|着物《きもの》は|暫《しばら》く|拝借《はいしやく》しよう。|其《その》|代《かは》りに|私《わし》の|衣類《いるゐ》を|渡《わた》すからお|前《まへ》|御苦労《ごくらう》だが、|岩窟《いはや》の|中《なか》まで|持《も》ち|運《はこ》んで|置《お》いてくれぬか』
|貫州《くわんしう》は、
『|勝手《かつて》にせい』
と|捨台詞《すてぜりふ》を|残《のこ》して、|又《また》もや|岩窟《がんくつ》の|中《なか》に|駆込《かけこ》んだ。|高姫《たかひめ》、|友彦《ともひこ》も|続《つづ》いて|岩窟《がんくつ》の|中《なか》には|入《い》る。|或《あるひ》は|広《ひろ》く、|或《あるひ》は|狭《せま》く、|起伏《きふく》ある|天然《てんねん》の|隧道《トンネル》を、|身《み》を|堅《たて》にし|横《よこ》にし、|或《あるひ》は|這《は》ひなどして|漸《やうや》く|広《ひろ》き|窟内《くつない》に|進《すす》み|入《い》つた。どこともなく|糸竹管絃《しちくくわんげん》の|音《おと》が|聞《きこ》えて|来《く》る。|三人《さんにん》は|怪《あや》しげに|耳《みみ》を|澄《す》まして|其《その》|音《おと》の|出所《しゆつしよ》を|佇《たたず》み|考《かんが》へ|込《こ》んだ。|或《あるひ》は|前《まへ》に|聞《きこ》え、|後《うしろ》に|聞《きこ》え、|右《みぎ》かと|思《おも》へば|左《ひだり》、|左《ひだり》かと|思《おも》へば|頭《あたま》の|上《うへ》に、|地《ち》の|底《そこ》に|音《おと》がする。|途方《とはう》に|暮《く》れ、|半時《はんとき》ばかり|無言《むごん》の|儘《まま》、|顔《かほ》を|見合《みあは》せて|考《かんが》へ|込《こ》んでゐた。|傍《かたはら》の|岩壁《がんぺき》は|音《おと》もなくパツと|開《ひら》いて、|中《なか》より|現《あら》はれ|来《きた》る|一人《ひとり》の|婆《ばば》ア、|三人《さんにん》を|見《み》るより、
『アヽ、お|前《まへ》は|鷹鳥山《たかとりやま》に|巣《す》を|構《かま》へて|居《を》つた|鷹鳥姫《たかとりひめ》|其《その》|他《た》の|奴《やつ》だなア。アヽよい|所《ところ》へやつて|来《き》た。サア|是《こ》れから|日頃《ひごろ》の|恨《うら》みを|晴《は》らし、|金剛不壊《こうがうふえ》の|玉《たま》や|紫《むらさき》の|玉《たま》の|所在《ありか》を|白状《はくじやう》させねば|置《お》かぬ』
|高姫《たかひめ》『これはこれは|御高名《ごかうめい》は|予《かね》て|承《うけたま》はりて|居《を》りましたが、|一《ひと》つ|谷《たに》を|隔《へだ》てた|魔谷ケ岳《まやがたけ》と|鷹鳥山《たかとりやま》、|御近所《ごきんじよ》で|居《を》り|乍《なが》ら、|誠《まこと》に|御不沙汰《ごぶさた》を|致《いた》して|居《を》りました。|妾《わたし》も|其《その》|玉《たま》を……よもやお|前《まへ》さまが|何々《なになに》してゐるのではあるまいかと|思《おも》うて|来《き》たのです。|人《ひと》を|疑《うたが》うて|誠《まこと》に|済《す》みませぬが、|貴女《あなた》もあの|玉《たま》に|就《つい》ては|非常《ひじやう》な|執着心《しふちやくしん》がお|有《あ》りなさるのだから、|妾《わたし》が|疑《うたが》ふのも|強《あなが》ち|無理《むり》では|有《あ》りますまい』
とシツペ|返《かへ》しに|捲《まく》し|立《た》てる。|蜈蚣姫《むかでひめ》は|顔色《かほいろ》を|変《か》へ、
『|盗人《ぬすびと》|猛々《たけだけ》しいとはお|前《まへ》の|事《こと》だ。|何《なに》なと|勝手《かつて》にほざいたがよからう。|此穴《ここ》にはスマートボールや|其《その》|他《た》の|勇士《ゆうし》が|沢山《たくさん》に|抱《かか》へてあるから、|最早《もはや》お|前達《まへたち》は|袋《ふくろ》の|鼠《ねずみ》も|同様《どうやう》、|運《うん》の|尽《つ》きぢやと|諦《あきら》めて、|神妙《しんめう》に|白状《はくじやう》したがよからう。あのマア|迷惑相《めいわくさう》な|面付《つらつき》わいの、オツホヽヽヽ』
と|肩《かた》を|揺《ゆす》り、|腮《あご》をしやくり、|舌《した》まで|出《だ》して|笑《わら》ひ|転《こ》ける|憎《にく》らしさ。
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》さまは|音《おと》に|名高《なだか》い|鬼ケ城山《おにがじやうざん》、|鬼熊別《おにくまわけ》の|奥《おく》さま|蜈蚣姫《むかでひめ》さまと|云《い》ふお|方《かた》でせうがなア。|妾《わたし》も|元《もと》は|鬼雲彦《おにくもひこ》の|弟子《でし》となり、バラモン|教《けう》の|教理《けうり》を|信用《しんよう》して|聞《き》いた|事《こと》がある|高姫《たかひめ》で|御座《ござ》います。|今《いま》は|一寸《ちよつと》|都合《つがふ》があつて、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》と|化《ば》け|込《こ》んでゐるのだが、|心《こころ》の|底《そこ》はお|前《まへ》さまと|同様《どうやう》、ヤツパリ|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》を|信仰《しんかう》し、|生命《いのち》までも|捧《ささ》げて、|千騎一騎《せんきいつき》の|活動《くわつどう》をしてゐるので|御座《ござ》います。どうぞして|三五教《あななひけう》の|三《みつ》つの|宝《たから》を|奪《うば》ひ|取《と》り、それを|手柄《てがら》にメソポタミヤの|本山《ほんざん》へ|献上《けんじやう》し、|御神業《ごしんげふ》を|助《たす》けたいばつかりに、|斯《こ》うして|化《ば》けてゐるのですよ。|貴女《あなた》|方《がた》は|今迄《いままで》|妾《わたし》を|敵《てき》と|思《おも》うて|御座《ござ》るが、|決《けつ》して|敵《てき》ではありませぬ。|強力《きようりよく》なる|味方《みかた》です。|玉《たま》の|所在《ありか》が|分《わか》らうものなら、それこそ|隠《かく》す|所《どころ》か、|貴女《あなた》の|手《て》を|経《へ》て|鬼雲彦《おにくもひこ》|様《さま》に|奉《たてまつ》つて|貰《もら》ふ|考《かんが》へで、これ|丈《だけ》|苦労《くらう》をしてゐるのです。|三五教《あななひけう》の|教主《けうしゆ》|言依別命《ことよりわけのみこと》が、|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》と|云《い》ふ|女《をんな》や|子供《こども》に|現《うつつ》を|抜《ぬ》かし、|肝腎《かんじん》の|玉《たま》を|隠《かく》さして|了《しま》ひよつたのだから、|何《なん》でも|其《その》|所在《ありか》を|探《さが》さうと|思《おも》つて、|此島《ここ》までやつて|来《き》たのが、|神様《かみさま》の|不思議《ふしぎ》の|縁《えん》で、|思《おも》はぬ|所《ところ》でお|目《め》に|掛《かか》りました』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『アヽそう|聞《き》くとメソポタミヤでお|目《め》に|掛《かか》つた|高姫《たかひめ》さまによく|似《に》てゐる。それなら|何故《なぜ》|妾《わたし》が|魔谷ケ岳《まやがだけ》に|居《を》つた|時《とき》、お|前《まへ》さまは|三五教《あななひけう》ぢやと|云《い》つて|反対《はんたい》をしたのだ。それが|一体《いつたい》|合点《がつてん》がいかぬぢやないか』
|高姫《たかひめ》『アハヽヽヽ、|誰《たれ》も|彼《か》れも|皆《みな》、|此《この》|高姫《たかひめ》の|腹《はら》は|知《し》らない|奴《やつ》|計《ばか》りだから、|三五教《あななひけう》の|熱心《ねつしん》な|宣伝使《せんでんし》とのみ|思《おも》うて|居《ゐ》る|矢先《やさき》に、|何程《なにほど》お|前《まへ》さまに|会《あ》ひたうても、|会《あ》ふことが|出来《でき》ない。そんな|事《こと》ども|分《わか》つた|位《くらゐ》なら、|今迄《いままで》の|苦心《くしん》が|水《みづ》の|泡《あわ》になるのだから、|妾《わたし》の|心《こころ》もチツと|推量《すゐりやう》して|下《くだ》さい。|神《かみ》の|奥《おく》には|奥《おく》があり、|其《その》|又《また》|奥《おく》には|奥《おく》があるのだから、そんな|企《たく》みをして|居《を》れば|直《すぐ》に|発覚《はつかく》しますから、|事《こと》を|成《な》さむとする|者《もの》は|仮令《たとへ》、|自分《じぶん》の|夫《をつと》であらうが、|女房《にようばう》であらうが、|何程《なにほど》|信用《しんよう》した|弟子《でし》であらうが、|一口《ひとくち》でも|喋《しやべ》る|様《やう》な|事《こと》では、|成就《じやうじゆ》しませぬからな。オホヽヽヽ』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|何《なん》とお|前《まへ》さまは|感心《かんしん》な|人《ひと》ぢや。さう|事《こと》が|分《わ》かれば|敵《てき》でもなし、|姉妹《きやうだい》|同様《どうやう》、サアどうぞ|奥《おく》へ|通《とほ》つてゆつくりと|寛《くつ》ろいで|下《くだ》さい。|昔話《むかしばなし》をして|互《たがひ》に|楽《たのし》みませう』
と|今迄《いままで》と|打《う》つて|変《かは》つた|挨拶《あいさつ》|振《ぶ》りに、|高姫《たかひめ》は|与《くみ》し|易《やす》しと|心《こころ》の|中《なか》に|笑《わら》ひ|乍《なが》ら、|蜈蚣姫《むかでひめ》の|後《あと》に|従《つ》いて、|奥《おく》の|間《ま》に|進《すす》み|入《い》る。
|貫州《くわんしう》、|友彦《ともひこ》は|入口《いりぐち》の|間《ま》に|木《き》の|根《ね》で|造《つく》つた|火鉢《ひばち》を|与《あた》へられ、|手《て》をあぶり|乍《なが》ら、|様子《やうす》|如何《いか》にと|待《ま》つて|居《ゐ》た。|高姫《たかひめ》は|今後《こんご》|如何《いか》なる|策略《さくりやく》をめぐらすならむか。
(大正一一・六・一三 旧五・一八 松村真澄録)
第一六章 |蜈蚣《むかで》の|涙《なみだ》〔七二八〕
バラモン|教《けう》の|御教《みをしへ》を  |自転倒島《おのころじま》に|広《ひろ》めむと
はやる|心《こころ》の|鬼ケ城《おにがじやう》  |鬼熊別《おにくまわけ》の|妻《つま》となり
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|仕《つか》へてし  |蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》は|一心《いつしん》に
バラモン|教《けう》の|回復《くわいふく》を  |心《こころ》に|深《ふか》く|誓《ちか》ひつつ
|三国ケ岳《みくにがだけ》に|立籠《たてこも》り  |千々《ちぢ》に|心《こころ》を|悩《なや》ませて
|三五教《あななひけう》の|神宝《かむだから》  |黄金《こがね》の|玉《たま》を|奪《うば》ひ|取《と》り
|筐底《けうてい》|深《ふか》く|納《をさ》めつつ  |得意《とくい》の|鼻《はな》を|蠢《うごめ》かせ
|又《また》もや|第二《だいに》の|計画《けいくわく》に  |取《と》りかからむとする|時《とき》に
|天《あめ》の|真浦《まうら》の|宣伝使《せんでんし》  お|玉《たま》の|方《かた》に|看破《かんぱ》され
|難攻不落《なんこうふらく》と|誇《ほこ》りたる  |三国ケ岳《みくにがだけ》の|山寨《さんさい》も
|木端微塵《こつぱみじん》に|砕《くだ》かれて  |無念《むねん》の|涙《なみだ》|遣《や》る|瀬《せ》なく
|瞋恚《しんい》の|炎《ほのほ》を|燃《も》やしつつ  |心《こころ》も|固《かた》き|老《おい》の|身《み》の
|企《たくみ》を|通《とほ》す|魔谷ケ岳《まやがだけ》  スマートボールを|始《はじ》めとし
|数多《あまた》の|教徒《けうと》を|呼集《よびつど》へ  |鷹鳥山《たかとりやま》に|立《た》て|籠《こも》る
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |鷹鳥姫《たかとりひめ》の|神策《しんさく》を
|覆《くつがへ》さむと|朝夕《あさゆふ》に  |心《こころ》を|砕《くだ》き|身《み》を|砕《くだ》き
|尽《つく》せし|甲斐《かひ》も|荒風《あらかぜ》に  |散《ち》りて|果敢《はか》なき|夢《ゆめ》の|間《ま》の
|願《ねがひ》は|脆《もろ》くも|消《き》え|失《う》せて  |歯《は》がみしながら|執拗《しつえう》に
|又《また》もや|此処《ここ》を|飛出《とびいだ》し  |曇《くも》りし|胸《むね》も|明石潟《あかしがた》
|朝夕《あさゆふ》|祈《いの》る|神島《かみしま》や  |家島《えじま》を|左手《ゆんで》に|眺《なが》めつつ
|身《み》も|魂《たましひ》も|捨《す》て|小舟《をぶね》  |此《この》|世《よ》の|瀬戸《せと》の|浪《なみ》を|越《こ》え
|大島《おほしま》、|小島《こじま》、|小豆島《せうどしま》  |浪《なみ》|打《う》ち|際《ぎは》に|漂着《へうちやく》し
|三《み》つの|宝《たから》の|所在《ありか》をば  |探《さぐ》らむものと|国城《くにしろ》の
|山《やま》を|目蒐《めが》けて|一行《いつかう》の  |頭《あたま》の|数《かず》も|四十八《しじふはち》
|醜《しこ》の|岩窟《いはや》に|陣取《ぢんど》りて  |手下《てした》を|四方《よも》に|配《くば》りつつ
|山《やま》の|尾上《をのへ》や|河《かは》の|瀬《せ》を  |隈《くま》なく|探《さが》し|求《もと》めつつ
|此《この》|岩窟《いはやど》を|暫時《しばし》の|間《ま》  |仮《かり》の|住家《すみか》と|繕《つくろ》ひて
|時《とき》|待《ま》つ|折《をり》しも|高姫《たかひめ》が  |神《かみ》の|仕組《しぐみ》も|白浪《しらなみ》の
|上《うへ》を|辷《すべ》つて|上陸《じやうりく》し  |又《また》もや|此処《ここ》に|出《い》で|来《きた》る
|不思議《ふしぎ》の|縁《えん》に|蜈蚣姫《むかでひめ》  |心《こころ》の|角《つの》を|生《はや》しつつ
|肩肱《かたひぢ》|怒《いか》らし|剛情《がうじやう》の  |日頃《ひごろ》の|固意地《かたいぢ》どこへやら
|解《と》けて|嬉《うれ》しきバラモンの  |道《みち》の|友《とも》なる|高姫《たかひめ》と
|聞《き》くより|顔色《がんしよく》|一変《いつぺん》し  |打《う》つて|変《かは》つた|待遇《たいぐう》に
|仕《し》|済《す》ましたりと|高姫《たかひめ》は  |後《うしろ》を|向《む》いて|舌《した》を|出《だ》し
|素知《そし》らぬ|顔《かほ》にて|奥《おく》の|間《ま》へ  |進《すす》み|入《い》るこそ|可笑《をか》しけれ
|高姫《たかひめ》『|久《ひさ》し|振《ぶり》で|御座《ござ》いましたなア。|貴女《あなた》が|魔谷ケ岳《まやがだけ》に|時《とき》めいて|居《を》られました|時《とき》、|妾《わたし》も|鷹鳥山《たかとりやま》に|庵《いほり》を|結《むす》び、バラモン|教《けう》に|最《もつと》も|必要《ひつえう》なる、|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》を|尋《たづ》ねあてむものと、|三五教《あななひけう》の|馬鹿正直《ばかしやうぢき》の|信徒《しんと》を|駆使《くし》し、|一日《いちにち》も|早《はや》く|手《て》に|入《い》れて、|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》に|献納《けんなふ》|仕度《した》いと|明《あ》けても|暮《く》れても|心《こころ》を|悩《なや》ませ、|何《ど》うかして|貴女《あなた》に|面会《めんくわい》の|機会《きくわい》を|得度《えた》いものと|考《かんが》へて|居《を》りましたが、|何《なに》を|云《い》うても|人目《ひとめ》の|関《せき》に|隔《へだ》てられ、|思《おも》ふに|任《まか》せず、|遇《あ》ひたさ|見《み》たさを|耐《こら》へて|今日《けふ》が|日《ひ》|迄《まで》|暮《くら》して|来《き》ました。|天運《てんうん》|循環《じゆんかん》と|云《い》ひませうか、|今日《けふ》は|又《また》|日頃《ひごろ》お|慕《した》ひまうす|貴女《あなた》に、|斯様《かやう》な|安全地帯《あんぜんちたい》で|拝顔《はいがん》を|得《え》たと|云《い》ふのは、|是《これ》|全《まつた》く|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》の|高姫《たかひめ》が|誠意《せいい》をお|認《みと》め|遊《あそ》ばして、こんな|嬉《うれ》しい|対面《たいめん》の|喜《よろこ》びを|与《あた》へて|下《くだ》さつたのでせう。|妾《わたし》は|余《あま》り|嬉《うれ》しうて|何《なに》からお|話《はなし》をしてよいやら|分《わか》りませぬ』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|時世時節《ときよじせつ》で、|今日《けふ》はバラモン|教《けう》となり、|明日《あす》は|三五教《あななひけう》と|変《へん》ずるとも、|心《こころ》のドン|底《ぞこ》に|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》を|思《おも》ふ|真心《まごころ》さへあれば、|人間《にんげん》の|作《つく》つた|名称《めいしよう》|雅号《ががう》は|末《すゑ》の|末《すゑ》です。|大神様《おほかみさま》はキツとお|互《たがひ》の|心《こころ》を|鏡《かがみ》にかけた|如《ごと》く|御洞察《ごどうさつ》|遊《あそ》ばして、|目的《もくてき》を|遂《と》げさせて|下《くだ》さるでせう「|雪《ゆき》|氷《こほり》、|雨《あめ》や|霰《あられ》と|隔《へだ》つとも、|落《お》つれば|同《おな》じ|谷川《たにがは》の|水《みづ》」とやら、|機《き》に|臨《のぞ》み|変《へん》に|応《おう》じ|円転滑脱《ゑんてんくわつだつ》、|千変万化《せんぺんばんくわ》、|自由自在《じいうじざい》の|活動《くわつどう》をなすだけの|用意《ようい》がなければ|到底《たうてい》|神業《しんげふ》に|参加《さんか》する|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。メソポタミヤの|本国《ほんごく》には|綺羅星《きらほし》の|如《ごと》く|立派《りつぱ》な|神司《かんづかさ》は|並《なら》んで|居《を》りますが、|何《いづ》れも|猪突主義《ちよつとつしゆぎ》の|頑愚《ぐわんぐ》|度《ど》し|難《がた》き、|時勢《じせい》に|合《あは》ない|融通《ゆうづう》の|利《き》かぬ|者《もの》|計《ばか》りで、お|前《まへ》さまのやうな|豁達《かつたつ》|自在《じざい》の|活動《くわつどう》をする|人《ひと》は|一人《ひとり》もありませぬので、あゝバラモン|教《けう》も|立派《りつぱ》な|教理《けうり》はありながら、|之《これ》を|活用《くわつよう》する|人物《じんぶつ》がないと|明《あ》け|暮《く》れ|心配《しんぱい》して|居《を》りました。|然《しか》るに|貴女《あなた》のやうな|抜目《ぬけめ》のない|宣伝使《せんでんし》が、バラモン|教《けう》の|中《なか》に|隠《かく》れて|居《ゐ》たかと|思《おも》へば、|勿体《もつたい》なくて|嬉《うれ》し|涙《なみだ》が|零《こぼ》れます。|神様《かみさま》は|何時《いつ》も|経綸《しぐみ》の|人間《にんげん》を|拵《こしら》へて|神《かみ》が|使《つか》うて|居《ゐ》るから、|必《かなら》ず|心配《しんぱい》|致《いた》すな、サアと|云《い》ふ|所《ところ》になりたら、|因縁《いんねん》の|身魂《みたま》を|神《かみ》が|引《ひ》き|寄《よ》せて|御用《ごよう》を|勤《つと》めさせて、|立派《りつぱ》に|神政成就《しんせいじやうじゆ》をさして|見《み》せる|程《ほど》に、|何処《どこ》に|何《ど》んな|者《もの》が|隠《かく》してあるか|分《わか》りは|致《いた》さぬぞよ。|敵《てき》の|中《なか》にも|味方《みかた》あり|味方《みかた》の|中《なか》にも|敵《てき》があると|仰有《おつしや》つた|神様《かみさま》の|御教示《ごけうじ》は|争《あらそ》はれぬもの、もう|此《この》|上《うへ》は|何事《なにごと》も|心配《しんぱい》|致《いた》しませぬ。|何卒《どうぞ》|高姫《たかひめ》さま、|是《これ》からは|打《う》ち|解《と》けて|姉妹《きやうだい》となり、|神業《しんげふ》に|参加《さんか》しようではありませぬか』
|高姫《たかひめ》『|何分《なにぶん》|不束《ふつつか》な|妾《わたし》、|行《ゆ》き|届《とど》かぬ|事《こと》ばかりで|御座《ござ》いますから、|何卒《なにとぞ》|貴女《あなた》の|妹《いもうと》だと|思《おも》うて、|何《なに》かにつけて|御指導《ごしだう》を|願《ねが》ひます』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|互《たがひ》に|気《き》の|付《つ》かぬ|事《こと》は|知《し》らせあうて、|愈《いよいよ》|千騎一騎《せんきいつき》の|活動《くわつどう》を|致《いた》し、|夫《をつと》の|汚名《をめい》を|回復《くわいふく》|致《いた》さねば、|女房《にようばう》の|役《やく》が|済《す》みませぬからなア。|高姫《たかひめ》|様《さま》、|貴女《あなた》の|夫《をつと》|美山様《みやまさま》に|対《たい》し|申訳《まをしわけ》がありますまい』
|高姫《たかひめ》『|妾《わたし》の|夫《をつと》|美山別《みやまわけ》は|御存知《ごぞんぢ》の|通《とほ》り|人形《にんぎやう》のやうな|男《をとこ》で、|妾《わたし》が|右《みぎ》へ|向《む》けと|云《い》へば「ハイ」と|云《い》うて|右《みぎ》を|向《む》き、|左《ひだり》と|云《い》へば|左《ひだり》を|向《む》くと|云《い》ふ、|本当《ほんたう》に|柔順《おとな》しい|結構《けつこう》な|人《ひと》ですから、|妾《わたし》が|願望《ぐわんもう》|成就《じやうじゆ》、|手柄《てがら》を|表《あら》はして|見《み》せた|所《ところ》で、|余《あま》り|喜《よろこ》びも|致《いた》しますまい。その|代《かは》り|失敗《しつぱい》しても|落胆《らくたん》もせず、|何年間《なんねんかん》|斯《こ》う|妾《わたし》が|家《いへ》を|飛《と》び|出《だ》し、|神様《かみさま》の|御用《ごよう》をして|居《ゐ》ましても、|小言《こごと》|一《ひと》つ|云《い》はないと|云《い》ふ|頼《たよ》りない|男《をとこ》ですから、【まどろしく】て|最早《もはや》|相手《あひて》には|致《いた》しませぬ、|生人形《いきにんぎやう》を|据《す》ゑて|置《お》いたやうな|心組《つもり》で|居《を》りますよ、ホヽヽヽヽ』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|妾《わたし》もそんな|柔順《じうじゆん》な|夫《をつと》に|添《そ》うて|見度《みた》う|御座《ござ》いますわ。なんと|高姫《たかひめ》さま、|貴女《あなた》は|世界一《せかいいち》のお|仕合《しあは》せ|者《もの》、さういふ|柔順《じうじゆん》な|男《をとこ》|計《ばか》り|世《よ》の|中《なか》にあつたら、|此《この》|頃《ごろ》のやうな|女権拡張《ぢよけんくわくちやう》だの、|男女《だんぢよ》|同権《どうけん》だのと|騒《さわ》ぐ|必要《ひつえう》はありませぬ。|妾《わたし》の|夫《をつと》も|柔順《おとな》しい|事《こと》は|柔順《おとな》しいが、|柔順《おとなし》やうが|些《ちつ》と|違《ちが》ふので|困《こま》ります、オホヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『|斯《こ》んな|所《ところ》で|旦那様《だんなさま》のお|惚気《のろけ》を|聞《き》かして|貰《もら》うちや|遣《や》り|切《き》れませぬわ、ホヽヽヽヽ』
と|嫌《いや》らしく|笑《わら》ふ。
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|高姫《たかひめ》さま、|笑《わら》ひ|所《どころ》ぢやありませぬ。|此《この》|長《なが》の|年月《としつき》、|妾《わたし》は|今日《けふ》|迄《まで》|笑《わら》ひ|声《ごゑ》を|聞《き》いた|事《こと》もなし、|妾《わたし》も|嬉《うれ》しいと|思《おも》うた|事《こと》は|唯《ただ》の|一《いつ》ぺんも|御座《ござ》いませぬ。メソポタミヤの|顕恩郷《けんおんきやう》は、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|家来《けらい》|太玉神《ふとだまのかみ》や、|八人乙女《やたりをとめ》に|蹂躙《じうりん》され、|止《や》むを|得《え》ず|鬼雲彦《おにくもひこ》の|棟梁様《とうりやうさま》は|遥々《はるばる》|海《うみ》を|渡《わた》り、|大江山《おほえやま》に|屈竟《くつきやう》の|地《ち》を|選《えら》み|館《やかた》を|建《た》て、|立派《りつぱ》に|神業《しんげふ》を|開始《かいし》し|遊《あそ》ばした|所《ところ》、|部下《ぶか》の|者共《ものども》が|余《あま》り|心得《こころえ》が|悪《わる》いのと|利己主義《われよし》が|強《つよ》いため、|丹波栗《たんばぐり》ぢやないが、|内《うち》からと|外《そと》からと|瓦解《ぐわかい》され、お|痛《いた》はしや|折角《せつかく》|心《しん》を|痛《いた》めて|造《つく》り|上《あ》げた|立派《りつぱ》な|大江城《おほえじやう》を|捨《す》て、|伊吹山《いぶきやま》に|逃《に》げ|去《さ》り、|此処《ここ》で|又《また》もや|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|一派《いつぱ》に|悩《なや》まされ、やみやみとフサの|国《くに》へ|逃《に》げ|帰《かへ》り、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|隠《かく》れ|家《が》を|脅《おびや》かさむと、|鬼雲姫《おにくもひめ》の|奥《おく》さまと|共《とも》に|帰《かへ》られました。アヽ|思《おも》へば|思《おも》へばお|気《き》の|毒《どく》で|堪《たま》りませぬ。それにつけても|妾《わたし》の|夫《をつと》の|鬼熊別《おにくまわけ》は、|副棟梁《ふくとうりやう》として|鬼ケ城《おにがじやう》に|砦《とりで》を|構《かま》へ、|鬼雲彦《おにくもひこ》|様《さま》の|御神業《ごしんげふ》を|誠心誠意《せいしんせいい》お|助《たす》け|致《いた》して|居《を》りましたが、|是《こ》れ|又《また》|脆《もろ》くも|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》や、|味方《みかた》の|裏返《うらがへ》りの|為《ため》、|破滅《はめつ》の|厄《やく》に|遇《あ》ひ、アヽ|痛《いた》ましや|鬼熊別《おにくまわけ》の|我《わが》|夫《つま》は、|棟梁《とうりやう》の|後《あと》を|追《お》うて|波斯《フサ》の|国《くに》に|帰《かへ》つて|仕舞《しま》ひました。|其《その》|時《とき》|夫《をつと》は|妾《わたし》の|手《て》を|握《にぎ》り「これ|女房《にようばう》、|私《わたし》は|棟梁様《とうりやうさま》の|御為《おんため》に|波斯《フサ》の|国《くに》へ|別《わか》れて|行《ゆ》くが、|何卒《どうぞ》お|前《まへ》は|三国ケ岳《みくにがだけ》に|立《た》て|籠《こも》り、|会稽《くわいけい》の|恥《はぢ》を|雪《すす》ぎ|宝《たから》の|所在《ありか》を|探《さが》し|出《だ》し、|功名《こうみやう》|手柄《てがら》を|現《あら》はして|帰《かへ》つて|呉《く》れ」と|云《い》うて、|涙《なみだ》をホロリと|流《なが》された|時《とき》は、|妾《わたし》の|心《こころ》は|何《ど》んなで|御座《ござ》いましたらう。|天《てん》にも|地《ち》にも|身《み》の|置《お》き|所《どころ》が|無《な》いやうな|心持《こころもち》が|致《いた》しました。|人間《にんげん》として|難《かた》き|事《こと》|天下《てんか》に|二《ふた》つある。|其《その》|一《ひと》つは|天国《てんごく》に|昇《のぼ》る|事《こと》、も|一《ひと》つは|立派《りつぱ》な|家来《けらい》を|得《う》る|事《こと》で|御座《ござ》います。バラモン|教《けう》もせめて|一人《ひとり》|立派《りつぱ》な|家来《けらい》があれば、|斯《こ》んな|惨《みぢ》めな|事《こと》にはならないのですが、アヽ|思《おも》へば|思《おも》へば|残念《ざんねん》な|事《こと》だ』
と|皺面《しわづら》に|涙《なみだ》を|漂《ただよ》はせ、|遂《つひ》には|声《こゑ》を|放《はな》つて|泣《な》き|伏《ふ》しにける。
|高姫《たかひめ》『そのお|歎《なげ》きは|御尤《ごもつと》もで|御座《ござ》います。|併《しか》し|乍《なが》ら|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》、オツトドツコイ|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》の|御眷族《ごけんぞく》の|憑《かか》らせ|給《たま》ふ|真《まこと》の|生宮《いきみや》|高姫《たかひめ》が|現《あら》はれて、|貴女《あなた》と|相《あひ》|提携《ていけい》して|活動《くわつどう》する|上《うへ》は、|最早《もはや》|大丈夫《だいぢやうぶ》で|御座《ござ》います。|何卒《なにとぞ》お|力《ちから》を|落《おと》さず、もう|一働《ひとはたら》き|妾《わたし》と|共《とも》に|遊《あそ》ばして|下《くだ》さいませ。あの|玉《たま》さへ|手《て》に|入《い》らば、バラモン|教《けう》は|忽《たちま》ち|暗夜《あんや》に|太陽《たいやう》の|現《あら》はれた|如《ごと》く、|世界《せかい》に|輝《かがや》き|渡《わた》るは|明《あきら》かで|御座《ござ》いますから……、|蜈蚣姫《むかでひめ》さま、|此《この》|岩窟《いはや》は|大江山《おほえやま》の|鬼ケ城《おにがじやう》とはどちらが|立派《りつぱ》で|御座《ござ》いますか』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『とても|比《くら》べものにはなりませぬ。|三国ケ岳《みくにがだけ》の|岩窟《いはや》に|比《くら》ぶればまアざつと|三分《さんぶ》の|一《いち》|位《くらゐ》なものです。|妾《わたし》も|立派《りつぱ》な|鬼ケ城《おにがじやう》を|追《お》はれ、だんだんとこんな|狭《せま》い|所《ところ》へ|入《はい》らねばならないやうに|落《お》ちて|仕舞《しま》ひました。|思《おも》へば|思《おも》へば|残念《ざんねん》で|耐《たま》りませぬ。それでも|何《なん》とかしてこの|目的《もくてき》を|遂《と》げたいと|朝夕《てうせき》|神様《かみさま》を|祈《いの》り、|何卒《どうぞ》|御大将《おんたいしやう》|御夫婦《ごふうふ》が|御健全《ごけんぜん》で|此《この》|目的《もくてき》を|飽迄《あくまで》も|遂行《すゐかう》|遊《あそ》ばすやうに、|又《また》|我《わが》|夫《つま》の|無事《ぶじ》に|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》するやうにと、|夢寐《むび》にも|忘《わす》れずに|祈願《きぐわん》|致《いた》して|居《を》ります。|是《これ》からは|貴女《あなた》と|二人《ふたり》で|腹《はら》を|合《あは》せ、|飽迄《あくまで》も|初志《しよし》を|貫徹《くわんてつ》せねばなりませぬ』
|高姫《たかひめ》『|左様《さやう》で|御座《ござ》います。|何分《なにぶん》に|宜敷《よろし》く|御指導《ごしだう》を|願《ねがひ》ます。|併《しか》し|乍《なが》ら|此《この》|立派《りつぱ》な|岩窟《いはや》に|似《に》ず|今日《けふ》はお|人《ひと》が|少《すくな》い|事《こと》で|御座《ござ》いますな』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『ハイ、|今日《けふ》は|神前《しんぜん》の|間《ま》で|祭典《さいてん》を|致《いた》して|居《を》りますので、|誰《たれ》も|此処《ここ》には|居《を》りませぬ。あの|通《とほ》り|音楽《おんがく》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|居《ゐ》るでせう。あれが|祭典《さいてん》の|声《こゑ》です』
|高姫《たかひめ》『|妾《わたし》も|一度《いちど》|参拝《さんぱい》させて|頂《いただ》き|度《た》いもので|御座《ござ》います』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|何卒《どうぞ》|後《あと》で|緩《ゆる》りと|参拝《さんぱい》して|下《くだ》さいませ。|中途《ちうと》に|入《はい》りますと|皆《みな》の|者《もの》の|気《き》が|散《ち》り、|完全《くわんぜん》にお|祭《まつり》が|出来《でき》ませぬから、……|時《とき》に|高姫《たかひめ》さま、|貴女《あなた》のお|連《つ》れになつた|二人《ふたり》の|男《をとこ》は、ありや|一体《いつたい》|何者《なにもの》で|御座《ござ》いますか』
|高姫《たかひめ》『ついお|話《はなし》に|身《み》が|入《い》つて|貴女《あなた》に|申上《まをしあ》げる|事《こと》を|忘《わす》れて|居《ゐ》ましたが、|彼《かれ》はバラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》の|友彦《ともひこ》と|云《い》ふ|男《をとこ》、も|一人《ひとり》は|妾《わたし》の|召使《めしつかい》の|貫州《くわんしう》と|云《い》う|阿呆《あほう》とも|賢《かしこ》いとも、|正《せい》とも|邪《じや》とも|見当《けんたう》の|付《つ》かない|男《をとこ》で|御座《ござ》います』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|何《なん》と|仰《あふ》せられます。バラモン|教《けう》の|友彦《ともひこ》が|来《き》たとは、それは|又《また》|妙《めう》な|神様《かみさま》のお|引合《ひきあは》せ、……|余《あま》り|姿《ふう》が|変《かは》つて|居《を》るので|見違《みちが》へて|居《を》つた。アヽさう|聞《き》けば|鼻《はな》の|先《さき》に|赤《あか》い|所《ところ》があつたやうだ。|彼奴《あいつ》は|私《わし》の|一人娘《ひとりむすめ》をチヨロまかし、|手《て》に|手《て》を|取《と》つて|何処《いづく》ともなく|姿《すがた》を|隠《かく》した|男《をとこ》、|廻《めぐ》り|廻《めぐ》つてこんな|所《ところ》へ|来《く》るとは|是《これ》|又《また》|不思議《ふしぎ》、あれに|尋《たづ》ねたら|定《さだ》めて|娘《むすめ》の|消息《せうそく》が|分《わか》るであらう。……コレコレ|高姫《たかひめ》さま、|此《この》|事《こと》は|秘密《ないしよ》にして|置《お》いて|下《くだ》さい。|妾《わたし》が|直接《ちよくせつ》に|遠廻《とほまは》しに|聞《き》いて|見《み》ますから』
と|心臓《しんざう》に|波《なみ》を|打《う》たせながら、そはそはとして|居《ゐ》る。|高姫《たかひめ》は|此《この》|場《ば》を|立《た》つて|次《つぎ》の|間《ま》に|現《あら》はれ|両人《りやうにん》に|向《むか》ひ、
|高姫《たかひめ》『|友彦《ともひこ》さまに|貫州《くわんしう》、|退屈《たいくつ》だつたらう。|蜈蚣姫《むかでひめ》さまが|一寸《ちよつと》|奥《おく》へ|通《とほ》つて|呉《く》れと|仰有《おつしや》るから|通《とほ》つて|下《くだ》さい。|此処《ここ》もバラモン|教《けう》の|射場《いば》だから……、|友彦《ともひこ》さま、お|前《まへ》は|親《おや》の|家《うち》へ|戻《もど》つたやうなものだ。|久《ひさ》し|振《ぶ》りで|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》に|御面会《ごめんくわい》が|出来《でき》るから|喜《よろこ》びなさい』
|友彦《ともひこ》『|何《なん》と|仰有《おつしや》る。|此処《ここ》が|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》のお|館《やかた》ですか、そりや|違《ちが》ひませう。|世界《せかい》に|同《おな》じ|名《な》は|沢山《たくさん》|御座《ござ》います。まさか|本山《ほんざん》に|居《を》られた、|副棟梁《ふくとうりやう》の|鬼熊別《おにくまわけ》の|奥《おく》さまの|蜈蚣姫《むかでひめ》さまではありますまい』
|高姫《たかひめ》『さうだとも さうだとも、チツとは|不首尾《ふしゆび》な|事《こと》があらうが|辛抱《しんばう》しなくては|仕方《しかた》がない。|逃《にげ》やうと|云《い》つたつて|逃《に》げられはせぬワ。お|前《まへ》も|可愛《かあい》い|娘《むすめ》の|婿《むこ》だから、さう|酷《きつ》くも|当《あた》らつしやるまい。|安心《あんしん》して|妾《わたし》に|伴《つ》いて|御座《ござ》れ』
|友彦《ともひこ》は|顔色《がんしよく》|忽《たちま》ち|蒼白《さうはく》となり、|恐《おそ》る|恐《おそ》る|高姫《たかひめ》の|後《あと》について|奥《おく》の|間《ま》に|進《すす》み|往《ゆ》く。
(大正一一・六・一三 旧五・一八 加藤明子録)
第一七章 |黄竜姫《わうりようひめ》〔七二九〕
|高姫《たかひめ》の|後《あと》に|従《つ》いて|蜈蚣姫《むかでひめ》の|居間《ゐま》にやつて|来《き》た|友彦《ともひこ》は、|忽《たちま》ち|頭《かしら》を|床《ゆか》にすりつけ|乍《なが》ら、
|友彦《ともひこ》『コレはコレは|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》、|久《ひさ》し|振《ぶ》りで|御壮健《ごさうけん》なる|御尊顔《ごそんがん》を|拝《はい》し、|友彦《ともひこ》|身《み》に|取《と》つて|恐悦《きようえつ》|至極《しごく》に|存《ぞん》じ|奉《たてまつ》りまする。|唯《ただ》|何事《なにごと》も|神直日《かむなほひ》、|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し、|聞《き》き|直《なほ》し|下《くだ》さいまして、|今迄《いままで》の|重々《ぢうぢう》の|罪科《つみとが》を|御赦《おゆる》し|下《くだ》さいます|様《やう》、|懇願《こんぐわん》|仕《つかまつ》りまする』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『オホヽヽヽ、コレ|友彦《ともひこ》、お|前《まへ》も|長《なが》らく|世間《せけん》をして|来《き》た|徳《とく》に|依《よ》つて、|随分《ずゐぶん》|弁舌《べんぜつ》は|巧《たくみ》になつたものだなア。お|前《まへ》は|顕恩郷《けんおんきやう》に|於《おい》て、|我《わ》が|一人《ひとり》の|娘《むすめ》|小糸姫《こいとひめ》をチヨロマカし、|飛《と》び|出《で》て|了《しま》つた|不届《ふとど》きな|男《をとこ》だが、|一体《いつたい》|小糸姫《こいとひめ》は|何処《どこ》へ|隠《かく》してあるのだ。|可愛《かあい》い|娘《むすめ》の|恋男《こひをとこ》だから、|成《な》る|可《べ》く|親《おや》として|添《そ》はしてやりたいは|山々《やまやま》なれど、|苟《いやし》くもバラモン|教《けう》の|副棟梁《ふくとうりやう》|鬼熊別《おにくまわけ》の|養子《やうし》としては、|余《あま》り|御粗末《おそまつ》だから|我《わ》が|夫《をつと》は|何《ど》うしても|御承諾《ごしようだく》|遊《あそ》ばさず、|妾《わたし》は|母親《ははおや》の|事《こと》とて|娘《むすめ》の|恋《こひ》を|叶《かな》へさしてやりたいばつかりに、いろいろと|申《まを》し|上《あ》げたが|中々《なかなか》|御聞《おき》き|遊《あそ》ばさず、|其《その》|間《あひだ》にお|前《まへ》は、|天《てん》にも|地《ち》にも|一人《ひとり》より|無《な》い|我《わ》が|大事《だいじ》な|大事《だいじ》な|娘《むすめ》を|誘拐《かどわか》して、|行方《ゆくへ》を|晦《くら》ました|太《ふと》い|男《をとこ》だ。|其《その》|娘《むすめ》を|一体《いつたい》|何《ど》うして|呉《く》れたのだ。サ|有体《ありてい》に|白状《はくじやう》しなさい。|妾《わたし》にも|一《ひと》つ|考《かんが》へがある。お|前《まへ》の|出様《でやう》に|依《よ》つては|又《また》|添《そ》はしてやらぬものでもない。さうすればお|前《まへ》も|立派《りつぱ》な|鬼熊別《おにくまわけ》の|御世継《およつぎ》だ』
|友彦《ともひこ》『ハイ、|貴女《あなた》の|御言葉《おことば》は|肝《きも》に|銘《めい》じて|感謝《かんしや》|致《いた》しまする。|併《しか》し|乍《なが》ら|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》は|私《わたくし》の|鼻《はな》の|先《さき》が|赤《あか》いとか、|口《くち》が|不恰好《ぶかつかう》だとか、|出歯《でば》だとかいろいろと|愛想《あいさう》づかしを|並《なら》べられ、|一年《いちねん》ばかり|添《そ》うて|居《を》りましたが、|或《ある》|夜《よ》のこと|遺書《かきおき》を|残《のこ》して|私《わたくし》の|側《そば》を|離《はな》れて|了《しま》ひました。それ|故《ゆゑ》|私《わたくし》はモー|一度《いちど》|探《さが》して|会《あ》ひたいと|思《おも》ひ、|片時《かたとき》の|間《ま》も|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》の|事《こと》を|思《おも》はぬ|暇《ひま》はありませぬ。|誠《まこと》に|済《す》まぬ|事《こと》を|致《いた》しました』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『さうするとお|前《まへ》は|娘《むすめ》に|愛想《あいさう》を|尽《つ》かされたのだな。アーア|矢張《やつぱ》り|私《わし》の|娘《むすめ》だ。|一目《ひとめ》|見《み》ても|反吐《へど》の|出《で》るやうなお|前《まへ》の|面《つら》つき。|何《ど》うして|彼《あ》の|綺麗《きれい》な|娘《むすめ》がお|前《まへ》に|恋慕《れんぼ》したのだらうと、|不思議《ふしぎ》でならなかつた。お|前《まへ》は|娘《むすめ》の|幼心《をさなごころ》につけ|込《こ》み、いろいろと|威嚇《おどし》|文句《もんく》を|並《なら》べて、|無理《むり》に|伴《つ》れ|出《だ》したのだらう』
|友彦《ともひこ》『イエイエ|滅相《めつさう》も|無《な》い、|初《はじめ》の|間《うち》は|何処《どこ》へ|往《ゆ》くにも、|影《かげ》の|如《ごと》くに|付《つ》き|纏《まと》ひ、|煩《うる》さくて|怺《たま》らなかつた|位《くらゐ》です。|決《けつ》して|私《わたくし》の|方《はう》から|恋慕《れんぼ》したのぢや|御座《ござ》いませぬ。|小糸姫《こいとひめ》さまの|切《せつ》なる|御願《おねが》ひに|依《よ》つて、|私《わたくし》も|已《や》むを|得《え》ず|応《おう》じました。|一度《いちど》|刎《は》ねて|見《み》ましたところ、|小糸姫《こいとひめ》|様《さま》は「|妾《わたし》はお|前《まへ》が|初恋《はつこひ》ぢや。それに|斯《こ》う|無下《むげ》に|肱鉄砲《ひぢてつぽう》を|喰《く》はされては、|最早《もはや》|此《この》|世《よ》に|恥《はづ》かしくて|生《いき》て|居《ゐ》る|甲斐《かひ》が|無《な》い。|妾《わたし》の|思《おも》ひを|叶《かな》へさして|呉《く》れればよし、さうでなければ|今《いま》|此処《ここ》で|自害《じがい》をする。|妾《わたし》の|恋路《こひぢ》は|普通《ふつう》|一般《いつぱん》の|恋《こひ》では|無《な》い。|何処迄《どこまで》も|九寸五分式《くすんごぶしき》だ」と|光《ひか》つたものを|出《だ》して、|吾《わ》れと|吾《わが》|咽喉《のんど》を|突《つ》き|立《た》て|給《たま》はむとする|時《とき》、|私《わたし》は|跳《と》びついて「ヤア、|逸《はや》まり|給《たま》ふな」と|九寸五分《くすんごぶ》を|奪《うば》ひ|取《と》り、|思《おも》はず|互《たがひ》にキツスを|致《いた》しました。それが|縁《えん》となつて|到頭《たうとう》【わり】|無《な》き|仲《なか》となつたので|御座《ござ》います』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|小糸姫《こいとひめ》に|限《かぎ》つてお|前《まへ》のやうな|男《をとこ》に、さう|血道《ちみち》を|分《わ》けて|呆《はう》ける|筈《はず》が|無《な》い。|片相手《かたあひて》が|居《を》らぬと|思《おも》つて、そんな|嘘《うそ》を|云《い》ふのだらう。サアサ、|本当《ほんたう》の|事《こと》を|言《い》つて|下《くだ》され』
|友彦《ともひこ》『|実《じつ》の|事《こと》は|恥《はづか》しい|話《はなし》ですが、|最前《さいぜん》も|申《まを》した|通《とほ》り、|私《わたくし》に|肱鉄《ひぢてつ》を|喰《く》はし、たつた|一枚《いちまい》の|遺書《かきおき》を【かたみ】に|雲《くも》を|霞《かすみ》と|遁《に》げて|了《しま》はれたので|御座《ござ》います。|私《わたくし》は|何《ど》うしても|貴女《あなた》の|御側《おそば》へ|帰《かへ》つて|居《を》られるものと|思《おも》ひ|詰《つめ》て|居《を》りますが、|何《ど》うぞ|隠《かく》さずに|一度《いちど》で|宜《よろ》しい、|会《あ》はして|下《くだ》さいませ』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『モシ|高姫《たかひめ》さま、なんと|困《こま》つた|男《をとこ》ぢやありませぬか。よう|図々《づうづう》しい、あんな|事《こと》が|云《い》へたものですなア』
|高姫《たかひめ》『コレコレ|友彦《ともひこ》さま、お|前《まへ》は|余程《よつぽど》|性質《たち》が|悪《わる》いぞえ。さうして|其《そ》の|遺書《かきおき》とかは|今《いま》|持《も》つて|居《を》りますか』
|友彦《ともひこ》『ヘーイ、|其《そ》の|一枚《いちまい》の|遺書《かきおき》が|私《わたくし》の|生命《いのち》の|綱《つな》だ。|之《これ》を|証拠《しようこ》に|一度《いちど》|邂逅《めぐ》り|会《あ》つて|旧交《きうかう》を|温《あたた》め、|万一《まんいち》|叶《かな》はずば|恨《うらみ》の|有《あ》り|丈《だけ》を|言《い》つて、|無念《むねん》|晴《ばら》しをするつもりで、|大切《たいせつ》に|御守《おまも》りさまとして|持《も》つて|居《を》ります』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『なに、|娘《むすめ》の|書《か》いたものをお|前《まへ》は|持《も》つて|居《ゐ》るか。それを|一《ひと》つ|此処《ここ》へ|見《み》せて|下《くだ》さい……』
|友彦《ともひこ》『|見《み》せないことはありませぬが、|貴女《あなた》|読《よ》めますかな。|何《なん》だか|符牒《ふてふ》のやうな|文字《もじ》が|書《か》いてあつて、テント|私《わたくし》には|読《よ》めませぬ。|二三人《にさんにん》の|友達《ともだち》にも|見《み》せましたけれど、こんな|文字《もじ》は|見《み》たことが|無《な》いと|云《い》つて、|誰一人《たれひとり》|読《よ》むものは|無《な》し、|何《なに》が|何《なん》だか|解《わか》りませぬ。|淵川《ふちかは》へ|身《み》を|投《な》げて|死《し》ぬと|書《か》いてあるのか、|或《あるひ》は|又《また》|何処《どこ》かへ|行《い》つて|待《ま》つて|居《ゐ》るから|来《こ》いと|云《い》ふのか、|薩張《さつぱ》り|私《わたくし》には|受取《うけと》れませぬ』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|兎《と》も|角《かく》|妾《わたし》に|一寸《ちよつと》お|貸《か》し』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|友彦《ともひこ》の|手《て》より|之《これ》を|受取《うけと》り、【ももくちや】だらけの|紙《かみ》を|両手《りやうて》で|皺《しわ》を|伸《の》ばし|乍《なが》ら、
|蜈蚣姫《むかでひめ》『ハヽア、これはスパルタ|文字《もじ》で|記《しる》してあるから、|余程《よつぽど》の|学者《がくしや》で|無《な》いと|解《わか》らぬワイ。エー……』
一、|妾《わたし》|事《こと》|一時《いちじ》の|情熱《じやうねつ》に|駆《か》られ、|善悪美醜《ぜんあくびしう》を|省《かへり》みる|遑《いとま》も|無《な》く、|両親《りやうしん》の|御意《ぎよい》に|背《そむ》き、お|前様《まへさま》の|千言万語《せんげんばんご》を|尽《つく》しての|誘惑《いうわく》に|陥《おちい》り、|今日《けふ》で|殆《ほとん》ど|一年《いちねん》ばかり|枕《まくら》を|共《とも》に|致《いた》しましたが|初《はじ》めに|会《あ》うた|時《とき》とは|打《う》つて|変《かは》つて|野卑《やひ》と|下劣《げれつ》の|生地《きぢ》|現《あら》はれ、|妾《わたし》としては|女《をんな》として|鼻持《はなも》ち|相成《あひな》り|難《がた》く、|気《き》の|毒《どく》|乍《なが》ら|此《こ》の|紙《かみ》|一枚《いちまい》を|記念《きねん》として、お|前《まへ》に|与《あた》へる。|今後《こんご》は|決《けつ》してお|前《まへ》の|面《つら》と|相談《さうだん》し、|余《あんま》り|謀叛気《むほんげ》を|出《だ》してはなりませぬぞ。|又《また》|妾《わたし》のやうに|恥《はぢ》を|掻《か》かされ、|肱鉄砲《ひぢてつぽう》を|喰《く》はされて|悲《かな》しまねばなりませぬ。|妾《わたし》は|是《これ》より|黒《くろ》ん|坊《ぼう》の|沢山《たくさん》|居《ゐ》る、オースタラリヤの|一《ひと》つ|島《じま》へ|渡《わた》り、|黒《くろ》ん|坊《ばう》の|女王《ぢよわう》となつて|栄耀栄華《えいようえいぐわ》に|暮《くら》しまする。|何程《なにほど》|色《いろ》が|黒《くろ》くてもお|前様《まへさま》のシヤツ|面《つら》に|比《くら》ぶれば|幾《いく》ら|優《ま》しか|知《し》れませぬから、|今迄《いままで》の|縁《えん》と|諦《あきら》めて、|此《こ》の|書《ふみ》を|見《み》ても|決《けつ》して|跡《あと》を|追《お》うて|出《で》て|来《く》るなどの|不了見《ふりやうけん》を|出《だ》してはなりませぬぞ。|万々一《まんまんいち》|後《あと》を|追《お》うて|来《く》るやうな|事《こと》を|致《いた》したならば、|数多《あまた》の|乾児《こぶん》に|命《めい》じ、お|前《まへ》を|嬲殺《なぶりごろ》しに|致《いた》すから、|其《そ》の|覚悟《かくご》をしたがよい。|必《かなら》ず|生命《いのち》が|大事《だいじ》と|思《おも》はば、|今日《けふ》|限《かぎ》り|一場《いちぢやう》の|良《よ》い|夢《ゆめ》を|見《み》て|居《を》つたと|思《おも》つて、|諦《あきら》めたがよからう。|苟《いやし》くもバラモン|教《けう》の|副棟梁《ふくとうりやう》|鬼熊別《おにくまわけ》の|娘《むすめ》と|生《うま》れ、お|前《まへ》のやうな|馬鹿男《ばかをとこ》に|汚《けが》されたかと|思《おも》へば、|残念《ざんねん》で、|恥《はづか》しくて、|父母《ふぼ》にも|世界《せかい》の|人《ひと》にも、|何《ど》うして|顔《かほ》が|会《あ》はされやう、アヽ|此《こ》の|文《ふみ》を|書《か》くのも|胸《むね》が|悪《わる》くなつて|来《き》た。|水《みづ》で|書《か》くのは|余《あま》り|勿体《もつたい》ないから、お|前《まへ》の|小便《せうべん》の|汁《しる》で|墨《すみ》をすつて、|茲《ここ》に|一筆《ひとふで》|書《か》き|遺《のこ》し|置《お》きます。
|天下《てんか》の|賢明《けんめい》なる|淑女《しゆくぢよ》 |小糸姫《こいとひめ》|様《さま》より
|振《ふ》られ|男《をとこ》の|友彦《ともひこ》|殿《どの》
と|記《しる》しありぬ。|蜈蚣姫《むかでひめ》は|之《これ》を|見《み》て|思《おも》はず|大口《おほぐち》を|開《あ》け、
『オホヽヽヽ、コレ|友彦《ともひこ》、お|前《まへ》も|余程《よつぽど》よい|抜作《ぬけさく》だなア。|今《いま》|改《あらた》めて|読《よ》んで|聞《き》かしてやらうか。イヤイヤ|恥《はぢ》を|掻《か》かすも|気《き》の|毒《どく》ぢや。|読《よ》まぬがよからう。|娘《むすめ》の|恥《はぢ》にもなることだから……。モシ|高姫《たかひめ》|様《さま》、|随分《ずゐぶん》|間抜《まぬ》けた|男《をとこ》ですワ。さうして|恋《こひ》しい|娘《むすめ》の|行方《ゆくへ》は|分《わか》りました。サアこれからお|宝《たから》を|探《さが》しがてら、|娘《むすめ》の|後《あと》を|追《お》うて|参《まゐ》りませう。|高姫《たかひめ》さま、|貴女《あなた》は|此《こ》の|館《やかた》を|守《まも》つて|下《くだ》さいませぬか』
|高姫《たかひめ》『|滅相《めつさう》もないこと|仰有《おつしや》いますな。|三《みつ》つの|宝《たから》を|探《さが》し|出《だ》し、|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》に|献上《けんじやう》する|迄《まで》は、|妾《わたし》の|身体《からだ》は|安閑《あんかん》と|斯様《かやう》な|処《ところ》に|居《を》ることは|出来《でき》ませぬ。|何処《どこ》までも|貴女《あなた》とシスターとなつて|目的《もくてき》を|成就《じやうじゆ》する|迄《まで》は|参《まゐ》らねばなりませぬ』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『アヽそれもさうだ。そんなら|相《あひ》|提携《ていけい》して|活動《くわつどう》を|致《いた》しませう。アヽ|娘《むすめ》の|所在《ありか》が|分《わか》つてこんな|愉快《ゆくわい》なことは|無《な》い。|噂《うはさ》に|聞《き》いて|居《を》る|竜宮島《りうぐうじま》の|黄竜姫《わうりようひめ》といふのが、オースタラリヤの|声望《せいばう》|高《たか》き|女王《ぢよわう》と|云《い》ふことだ。そんなら|彼《あ》の|女王《ぢよわう》は|我《わ》が|娘《むすめ》であつたか。|嬉《うれ》しや|嬉《うれ》しや、|高姫《たかひめ》さまの|御《お》【かげ】で、|到頭《たうとう》|娘《むすめ》の|所在《ありか》が|分《わか》りました。これと|云《い》ふのも|大神様《おほかみさま》の|御引合《おひきあは》せ、|有《あ》り|難《がた》う|御座《ござ》います』
と|手《て》を|合《あは》し|涙《なみだ》と|共《とも》に|拝《をが》み|居《ゐ》る。
|友彦《ともひこ》『モシモシ、|高姫《たかひめ》さまに|伴《つ》れられて|来《き》たのではありませぬ。|私《わたくし》は|勝手《かつて》に|此《こ》の|岩窟《いはや》の|入口《いりぐち》|迄《まで》|参《まゐ》りますと、|高姫《たかひめ》さまが|来《き》て|居《を》られたのです。|高姫《たかひめ》|様《さま》に|逢《あ》うたのも|今日《けふ》が|初《はじ》めてだ。|高姫《たかひめ》さまに|御礼《おれい》を|仰有《おつしや》るなら、|何故《なぜ》|私《わたくし》に|御礼《おれい》を|仰有《おつしや》らぬか』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|措《を》きなされ、|面《つら》の|皮《かは》の|厚《あつ》い、|妾《わたし》が|是《こ》れ|丈《だ》け|心配《しんぱい》をしたのも、|可愛《かあい》い|娘《むすめ》が|知《し》らぬ|他国《たこく》へ|行《い》つて|苦労《くらう》をして|居《を》るのも、|元《もと》を|糺《ただ》せば【みんな】お|前《まへ》が|悪《わる》い|故《ゆゑ》だ。|何処《どこ》を|押《おさ》へたら、そんな|音《ね》が|出《で》るのだ。|本当《ほんたう》に|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|奴《やつ》だ、|一国《いつこく》の|女王《ぢよわう》にもなると|云《い》ふ、|流石《さすが》の|小糸姫《こいとひめ》が|肱鉄《ひぢてつ》を|喰《く》はしたのも|無理《むり》もない。|乞食婆《こじきばば》だとてお|前《まへ》のやうな|男《をとこ》に、|秋波《しうは》を|送《おく》る|奴《やつ》があるものか。|自惚《うぬぼれ》も|好《い》い|加減《かげん》にしなされ。|泥棒面《どろぼうづら》をさらして|何《なん》の|態《ざま》だ。|娘《むすめ》の|行方《ゆくへ》が|分《わか》つた|以上《いじやう》はお|前《まへ》に|用《よう》は|無《な》い。サア、トツトと|帰《かへ》つて|貰《もら》ひませう』
|友彦《ともひこ》『|神様《かみさま》は|慈愛《じあい》を|以《もつ》て|心《こころ》となし|給《たま》ふ。|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》しと|云《い》ふ|事《こと》は|御忘《おわす》れになりましたか』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『アヽ|仕方《しかた》がない、それもさうぢや。|改心《かいしん》さへ|出来《でき》たら、【どんな】|罪《つみ》でも|赦《ゆる》して|下《くだ》さる|神《かみ》さまだから、|私《わし》も|惟神《かむながら》に|赦《ゆる》してやりませう』
|友彦《ともひこ》『|早速《さつそく》の|御赦免《ごしやめん》、|有《あ》り|難《がた》う|御座《ござ》います。|何《ど》うぞ|私《わたくし》も|貴女《あなた》の|御供《おとも》をして、オースタラリヤの|一《ひと》つ|島《じま》|迄《まで》|伴《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さいませ』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『それや|絶対《ぜつたい》になりませぬぞ。|又《また》|病《やまひ》が|再発《さいはつ》すると|親《おや》が|迷惑《めいわく》するから、|中途《ちうと》|迄《まで》は|御供《おとも》を|許《ゆる》して|上《あ》げるが、|彼《あ》の|島《しま》へは|絶対《ぜつたい》に|伴《つ》れて|行《ゆ》くことは|出来《でき》ませぬ』
|友彦《ともひこ》『モシモシ|高姫《たかひめ》さま、|袖《そで》|振《ふ》り|合《あ》ふも|多生《たしやう》の|縁《えん》だ。|貴女《あなた》、|其処《そこ》を|好《よ》いやうに|挨拶《あいさつ》して|下《くだ》さいなア。……オイ|貫州《くわんしう》、|私《わたくし》に|代《かは》はつて|一《ひと》つ|御大《おんたい》に|御願《おねが》ひして|赦《ゆる》して|貰《もら》つて|呉《く》れないか』
|高姫《たかひめ》『|私《わし》も|木石《ぼくせき》を|以《もつ》て|造《つく》つた|肉体《にくたい》ぢやないから、|酸《す》いも、|甘《あま》いもよく|知《し》つて|居《を》る。|併《しか》し|今《いま》は|水《みづ》の【でばな】だ。マア|控《ひか》へなされ。|折《をり》を|見《み》て|何《なん》とか|挨拶《あいさつ》をして|上《あ》げるから』
|貫州《くわんしう》『|高姫《たかひめ》さまの|仰《あふ》せのやうに、マア|暫《しば》らく|辛抱《しんばう》するのだなア』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|誰《たれ》が|何《なん》と|云《い》つても|一旦《いつたん》|言《い》ひ|出《だ》した|上《うへ》は、|後《あと》へは|退《ひ》きませぬぞや』
|貫州《くわんしう》『オイ|友彦《ともひこ》、|斯《こ》う|低気圧《ていきあつ》がひどく|襲来《しふらい》しては|駄目《だめ》だ。グツグツして|居《を》ると|風雨雷電《ふううらいでん》、|如何《いか》なる|地異天変《ちいてんぺん》が|勃発《ぼつぱつ》するか|分《わか》らせぬぞ。マア|取越苦労《とりこしくらう》は|止《や》めて、|刹那心《せつなしん》で|従《つ》いて|行《ゆ》くのだなア』
|友彦《ともひこ》『アーア、|昔《むかし》の|古疵《ふるきず》が、|今《いま》となつて【うづき】|出《だ》して|苦《くる》しいことだワイ』
(大正一一・六・一三 旧五・一八 外山豊二録)
第一八章 |波濤万里《はたうばんり》〔七三〇〕
|世界《せかい》の|楽土《らくど》と|聞《きこ》えたる  メソポタミヤの|瑞穂国《みづほくに》
|顕恩郷《けんおんきやう》に|現《あら》はれし  バラモン|教《けう》の|棟梁神《とうりやうしん》
|鬼雲彦《おにくもひこ》が|懐中《ふところ》の  |刀《かたな》と|恃《たの》む|副棟梁《ふくとうりやう》
|鬼熊別《おにくまわけ》や|蜈蚣姫《むかでひめ》  |中《なか》に|生《うま》れた|一粒《ひとつぶ》の
|蕾《つぼみ》の|花《はな》の|小糸姫《こいとひめ》  |年《とし》は|二八《にはち》か|二九《にく》からぬ
|仇《あだ》な|姿《すがた》に|憧憬《あこが》れて  |教《をしへ》の|道《みち》の|友彦《ともひこ》が
|力《ちから》|限《かぎ》りに|付《つ》き|纏《まと》ひ  |言葉《ことば》|尽《つく》して|説《と》き|落《おと》し
|二人《ふたり》の|親《おや》や|人《ひと》の|目《め》の  |関所《せきしよ》を|越《こ》えて|波斯《フサ》の|国《くに》
|荒野ケ原《あらのがはら》を|打渡《うちわた》り  |高山《かうざん》|数々《かずかず》|乗《の》り|越《こ》えて
|釈迦《しやか》の|生《うま》れし|月氏国《つきのくに》  |錫蘭島《セイロンたう》に|身《み》を|忍《しの》び
|夫婦《ふうふ》|仲良《なかよ》く|暮《くら》す|内《うち》  |恋《こひ》の|魔風《まかぜ》に|煽《あふら》れて
|力《ちから》と|恃《たの》む|小糸姫《こいとひめ》は  |只《ただ》|一通《いつつう》の|遺書《かきおき》を
|残《のこ》して|浪路《なみぢ》を|打渉《うちわた》り  |何処《いづく》の|果《は》てや|白波《しらなみ》の
|船《ふね》に|姿《すがた》は|消《き》えにけり  とり|残《のこ》されし|友彦《ともひこ》は
|夜食《やしよく》に|外《はづ》れた|梟鳥《ふくろどり》  つまらぬ|顔《かほ》を|曝《さら》しつつ
|執念深《しふねんぶか》くも|蛇《くちなは》の  |魅《みい》れし|如《ごと》く|気《き》も|狂《くる》ひ
|胸《むね》を|焦《こが》して|自転倒《おのころ》の  |神島《かみしま》さして|進《すす》み|来《く》る。
|尋《たづ》ねる|由《よし》も|夏《なつ》の|夜《よ》の  |虫《むし》に|脛《すね》をば|刺《さ》されつつ
|山川《やまかは》|渉《わた》り|蓑笠《みのかさ》の  |軽《かる》き|扮装《いでたち》|此処《ここ》|彼処《かしこ》
|彷徨《さまよ》ひ|巡《めぐ》りて|宇都山《うづやま》の  |里《さと》に|輿《みこし》を|据《す》ゑ|乍《なが》ら
|支離滅裂《しりめつれつ》の|説法《せつぱふ》を  |説《と》き|広《ひろ》め|居《ゐ》る|折柄《をりから》に
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |天《あめ》の|真浦《まうら》の|神人《かみびと》が
|其《その》|神力《しんりき》に|恐怖《きようふ》して  |又《また》もや|此処《ここ》を|駆《か》け|出《いだ》し
|流《なが》れ|流《なが》れて|淡路島《あはぢしま》  |隈《くま》なく|廻《めぐ》り|北《きた》の|果《はて》
|洲本《すもと》の|里《さと》の|酋長《しうちやう》が  |館《やかた》の|内《うち》の|失敗《しつぱい》に
|廁《かはや》の|穴《あな》より|籠脱《かごぬ》けし  |着衣《ちやくい》を|黄色《きいろ》に|染《そ》め|乍《なが》ら
|此《この》|世《よ》の|瀬戸《せと》の|浪《なみ》の|上《うへ》  |堅磐常磐《かきはときは》に|浮《う》かびたる
|小豆ケ島《せうどがしま》に|漂着《へうちやく》し  |狐狸《きつねたぬき》に|魅《み》せられし
|如《ごと》き|怪訝《けげん》な|顔《かほ》をして  |国城山《くにしろやま》の|岩窟《がんくつ》に
|当途《あてど》もなしに|来《き》て|見《み》れば  |胸《むね》の|動悸《どうき》も|高姫《たかひめ》が
|差俯向《さしうつむ》いて|独語《ひとりごと》  |聞《き》くより|誰《たれ》かと|尋《たづ》ぬれば
|口《くち》から|先《さき》に|生《うま》れたる  |布留那《ふるな》の|弁《べん》の|高姫《たかひめ》は
|口《くち》を|極《きは》めて|喋《しやべ》り|出《だ》す  |鼻持《はなもち》ならぬ|屁理屈《へりくつ》に
|忽《たちま》ち|据《す》わる|糞度胸《くそどきよう》  |臭《くさ》い|婆《ばば》アと|知《し》り|乍《なが》ら
|鼻《はな》を|抓《つま》んで|岩窟《いはやど》に  |伴《ともな》ひ|進《すす》み|来《き》て|見《み》れば
|思《おも》ひがけなき|蜈蚣姫《むかでひめ》  |般若《はんにや》の|様《やう》な|面《つら》をして
|鼻先《はなさき》|赤《あか》い|出歯男《でばをとこ》  |出歯亀式《でばがめしき》の|友彦《ともひこ》を
|見《み》るより|早《はや》く|仏頂面《ぶつちやうづら》  |蟹《かに》の|様《やう》なる|泡《あわ》を|吹《ふ》き
|怨《うら》みの|数々《かずかず》|繰返《くりかへ》す  その|権幕《けんまく》の|恐《おそ》ろしさ
|流石《さすが》の|友彦《ともひこ》|肝《きも》|潰《つぶ》し  |小糸《こいと》の|姫《ひめ》が|残《のこ》したる
|皺苦茶《しわくちや》だらけの|遺書《かきおき》を  |怖々《おづおづ》|前《まへ》に|差《さ》し|出《いだ》し
|蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》の|手《て》に|渡《わた》す  |婆《ばば》アは|手早《てばや》く|我《わが》|顔《かほ》の
|皺《しわ》と|同時《いつしよ》に|伸《の》べ|乍《なが》ら  |潤《うる》んだ|眼《まなこ》を|光《ひか》らせて
|覗《のぞ》いて|見《み》れば|此《こ》は|如何《いか》に  スパルタ|文字《もじ》にて|記《しる》したる
|恋《こひ》しき|娘《むすめ》が|筆《ふで》の|蹟《あと》  |愛想《あいそ》づかしの|数々《かずかず》を
|並《なら》べ|立《た》てたる|可笑《をか》しさに  |流石《さすが》の|婆《ばば》も|吹《ふ》き|出《いだ》し
|音《おと》に|名高《なだか》にオセアニヤ  |竜宮島《りうぐうじま》に|名《な》も|高《たか》き
|黄竜姫《わうりようひめ》は|吾《わが》|子《こ》ぞと  |初《はじ》めて|悟《さと》る|蜈蚣姫《むかでひめ》
|嬉《うれ》し|悲《かな》しの|泣《な》き|笑《わら》ひ  |一座《いちざ》|白《しら》けた|最中《さいちう》に
|岩窟《いはや》の|口《くち》を|押開《おしひら》き  ドヤドヤ|出《で》て|来《く》る|男《をとこ》あり
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |霊《みたま》も|腰《こし》もスツカリと
|抜《ぬ》かした|馬鹿《ばか》の|友彦《ともひこ》が  |身《み》の|上《うへ》こそは|哀《あは》れなる
|奥《おく》の|間《ま》の|祭典《さいてん》は|済《す》んだと|見《み》えて、|数多《あまた》の|老若男女《らうにやくなんによ》は|此《この》|場《ば》にドヤドヤと|現《あら》はれ|来《きた》り、|蜈蚣姫《むかでひめ》に|祭典《さいてん》|無事《ぶじ》|終了《しうれう》の|報告《はうこく》をして|居《ゐ》る。|頭《あたま》の|頂辺《てつぺん》が|饅頭《まんぢう》の|様《やう》に|禿《は》げた|男《をとこ》、|友彦《ともひこ》の|顔《かほ》を|見《み》るなり、
|男《をとこ》『ヤア、|貴様《きさま》は|六ケ月《ろくかげつ》|以前《いぜん》に|我《わが》|家《や》に|忍《しの》び|入《い》り、|我《わが》|留守宅《るすたく》を|幸《さいはひ》に|女房《にようばう》を○○し、|額《ひたい》に|負傷《てきず》を|負《お》はせ|逃《に》げ|去《さ》つたる|友彦《ともひこ》と|言《い》ふ|奴《やつ》であらう。|俺《おれ》が|門口《かどぐち》へ|帰《かへ》つて|来《く》る|途端《とたん》、|我《わが》|家《や》より|血刀《ちがたな》|提《ひつさ》げ|飛《と》び|出《だ》した|奴《やつ》の|顔《かほ》そつくりだ。|貴様《きさま》は|留守《るす》の|家《いへ》に|巧言《こうげん》を|以《もつ》て|入《い》り|込《こ》み、|友彦《ともひこ》の|宣伝使《せんでんし》だと|申《まを》し、|女房《にようばう》の|隙《すき》を|覗《うかが》ひ|大《だい》それた|事《こと》を|致《いた》して|逃《に》げ|失《う》せた|奴《やつ》、|最早《もはや》|天命《てんめい》の|尽《つき》、|覚悟《かくご》をせい』
|此《この》|男《をとこ》の|言葉《ことば》に|蜈蚣姫《むかでひめ》|始《はじ》め|一同《いちどう》は、|呆《あき》れて|二人《ふたり》の|顔《かほ》を|穴《あな》もあけよと|許《ばか》り|睨《にら》みつけて|居《ゐ》る。
|友彦《ともひこ》『|滅相《めつさう》な|事《こと》を|仰《あふ》せられては|困《こま》ります。|他人《たにん》の|空似《そらに》と|申《まを》しまして、|世界《せかい》には、|二人《ふたり》や|三人《さんにん》は|同《おな》じスタイルの|者《もの》はある|相《さう》です。|貴方《あなた》のお|見違《みちが》ひで|御座《ござ》いませう。|何卒《どうぞ》とつくり|調《しら》べて|下《くだ》さいませ』
|男《をとこ》『|私《わし》は|明石《あかし》の|里《さと》の|久助《きうすけ》と|言《い》ふ|者《もの》だが、|日《ひ》の|暮《くれ》まぎれに|顔《かほ》はよく|分《わか》らねど、|鼻《はな》の|頭《あたま》の|赤《あか》い|特徴《しるし》が|何《なに》よりの|証拠《しようこ》だ。も|一《ひと》つ|確《たしか》める|為《た》めに|女房《にようばう》が|次《つぎ》の|間《ま》にお|籠《こも》りをして|居《ゐ》るから、|呼《よ》んで|来《き》て|調《しら》べさして|見《み》る。……これこれお|民《たみ》、|一寸《ちよつと》|来《き》てお|呉《く》れ』
|友彦《ともひこ》『メヽヽ|滅相《めつさう》な。|御夫婦《ごふうふ》|共《とも》|御苦労《ごくらう》を|掛《か》けて|済《す》みませぬ。|過《す》ぎ|去《さ》つた|事《こと》は|水《みづ》に|流《なが》したが|却《かへつ》て|御都合《ごつがふ》が|宜《よろ》しからう。|過越《すぎこ》し|苦労《くらう》は|神様《かみさま》の|道《みち》に|大禁物《だいきんもつ》だ』
|久助《きうすけ》『お|前《まへ》の|方《はう》は|御都合《ごつがふ》が|宜《よ》からうが、|久助《きうすけ》にとつては、|無理難題《むりなんだい》を|掛《か》けた|様《やう》に|皆《みな》の|人々《ひとびと》に|思《おも》はれては|誠《まこと》に|御都合《ごつがふ》が|悪《わる》い』
と|言《い》つて|居《を》る|所《ところ》へ|女房《にようばう》お|民《たみ》はシトシトと|出《い》で|来《きた》り、|友彦《ともひこ》の|顔《かほ》を|見《み》るや|否《いな》や、
お|民《たみ》『アツ|泥棒《どろばう》』
と|言《い》つたきりビツクリ|腰《ごし》を|抜《ぬ》かして|仕舞《しま》つた。|久助《きうすけ》は|驚《おどろ》いて、
|久助《きうすけ》『こりやこりや|女房《にようばう》、|是《これ》|丈《だ》け|沢山《たくさん》の|人《ひと》が|居《を》るのだから、|泥棒《どろばう》の|一人《ひとり》|位《くらゐ》は|恐《おそ》るるには|足《た》らぬ。まア|気《き》をしつかりと|持《も》つて|呉《く》れ』
と|背《せな》を|無理《むり》に|叩《たた》く。|貫州《くわんしう》は|両手《もろて》を|組《く》んで『ウン』と|霊《れい》を|送《おく》る。お|民《たみ》は|漸《やうや》う|気《き》を|取《と》り|直《なほ》し、
お|民《たみ》『お|前《まへ》は|此《この》|春《はる》|吾《わが》|家《や》に|入《い》り|来《きた》り|妾《わたし》に|無礼《ぶれい》を|加《くは》へた|上《うへ》、|金《かね》を|浚《さら》つて|逃《に》げ|去《さ》つた|悪党者《あくたうもの》、|妾《わたし》が|額《ひたい》の|疵《きず》は|汝《なんぢ》が|残《のこ》せし|罪《つみ》の|痕《あと》、|之《これ》でも|言《い》ひ|分《ぶん》あるか』
と|歯《は》を|食《く》ひ|縛《しば》り|目《め》を|〓《いか》らし|睨《にら》みつける。|友彦《ともひこ》は、
|友彦《ともひこ》『ハイ、|誠《まこと》に……』
と|僅《わづ》かに|言《い》つたきり、|床《ゆか》に|頭《かしら》をすりつけて|地震《ぢしん》の|神《かみ》の|神憑《かんがか》りをやつて|居《ゐ》る。
|岩戸《いはと》を|開《ひら》いて|入《い》り|来《きた》る|三人《さんにん》の|男《をとこ》、
|男《をとこ》『ヘイ、|御免《ごめん》なさい、|私《わたし》は|淡路島《あはぢしま》の|洲本《すもと》の|酋長《しうちやう》、|今《いま》は|東助様《とうすけさま》の|家来《けらい》となつた|清公《きよこう》、|武公《たけこう》、|鶴公《つるこう》の|三人《さんにん》で|御座《ござ》る。|極悪無道《ごくあくぶだう》のバラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》と|名告《なの》る|大盗賊《だいたうぞく》、|霊隠《せつちん》の|跨《また》げ|穴《あな》より|脱《ぬ》け|出《だ》し、|浜辺《はまべ》に|繋《つな》ぎし|酋長《しうちやう》の|所有船《もちぶね》を|盗《ぬす》み、|艪《ろ》を|操《あやつ》り|海原《うなばら》に|逃《に》げ|去《さ》りしと|訴《うつた》ふる|者《もの》あり。|我々《われわれ》|酋長《しうちやう》の|命令《めいれい》に|依《よ》り|直《ただち》に|船《ふね》を|用意《ようい》し|友彦《ともひこ》の|後《あと》を|追《お》ひ|来《く》る|折《をり》しも|暴風《ばうふう》に|出会《であ》ひ、|艪《ろ》は|折《を》れ|進退《しんたい》の|自由《じいう》を|失《うしな》ひ|漸《やうや》く|此《この》|島《しま》に|漂着《へうちやく》し、|見《み》れば|泥棒《どろばう》が|乗《の》つて|来《き》た|東助《とうすけ》と|刻印《しるし》のついた|釣船《つりぶね》、てつきり|此《この》|島《しま》に|逃《に》げ|忍《しの》び|居《を》るならむと、|吾々《われわれ》|三人《さんにん》|後《あと》を|追《お》つ|駆来《かけき》て|見《み》れば、|嗅覚《しうかく》|鋭利《えいり》な|此《この》|犬《いぬ》の|力《ちから》によつて、|此処《ここ》まで|尋《たづ》ねて|参《まゐ》つた|捕手《とりて》の|役人《やくにん》で|御座《ござ》る。もう|斯《こ》うなつてはお|隠《かく》しになつても|駄目《だめ》で|御座《ござ》る。|糞《くそ》の|臭《にほひ》が|此《この》|岩窟《いはや》の|中《なか》まで|続《つな》がつて|居《ゐ》る|以上《いじやう》は、てつきり|泥棒《どろばう》は|当岩窟《たういはや》に|居《を》るに|相違《さうゐ》|御座《ござ》るまい、さア|速《すみや》かにお|渡《わた》し|召《め》され』
と|肩臂《かたひぢ》|怒《いか》らし|仁王立《にわうだ》ちになつて|力味《りきみ》かへり|居《ゐ》る。
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|皆《みな》さま、|御苦労《ごくらう》で|御座《ござ》つた。|此処《ここ》に|犬《いぬ》が|一匹《いつぴき》|居《を》りまする。|何卒《どうぞ》|早《はや》く|縛《しば》つて|御帰《おかへ》り|下《くだ》さい。どうも|斯《こ》うもならぬ|友彦《ともひこ》と|言《い》ふ|野良犬《のらいぬ》で|御座《ござ》います。オホヽヽヽ』
と|歯《は》の|脱《ぬ》けた|口《くち》から|零《こぼ》れた|様《やう》な|笑《わら》ひをする。|高姫《たかひめ》は|目敏《めざと》く|三人《さんにん》の|顔《かほ》を|見《み》て、
|高姫《たかひめ》『|誰《たれ》かと|思《おも》へば|清《きよ》に|武《たけ》、|鶴《つる》の|三人《さんにん》ぢやないか。|東助《とうすけ》|船頭《せんどう》と|共謀《ぐる》になつてようこの|高姫《たかひめ》を|馬鹿《ばか》にした。さア|良《よ》い|処《ところ》へうせた。もう|量見《りやうけん》ならぬぞ。……モシモシ|蜈蚣姫《むかでひめ》さま、|貴女《あなた》の|部下《ぶか》を|十人《じふにん》ばかりお|貸《かし》|下《くだ》され。|如何《どう》も|斯《こ》うもならぬ|反逆者《うらがへりもの》、|懲戒《みせしめ》の|為《た》め|縛《しば》りつけて、チツと|許《ばか》り|膏《あぶら》をとつてやらねばなりませぬ』
|三人《さんにん》『アハヽヽヽ、オイ|高《たか》……|婆《ばば》ア|何《なに》を|吐《ぬ》かすのだ。|勿体《もつたい》なくも|淡路島《あはぢしま》の|洲本《すもと》に|於《おい》て|雷名《らいめい》|隠《かく》れなき|人子《ひとご》の|司《つかさ》、|東助《とうすけ》|様《さま》の|御家来《ごけらい》だぞ。|今迄《いままで》は|貴様《きさま》に|清《きよ》だの、|武《たけ》だの、|鶴《つる》だのと|頤《あご》の|先《さき》で|使《つか》はれて|来《き》たが、もう|今日《こんにち》の|俺達《おれたち》はチツと|相場《さうば》が|違《ちが》ふのだから|其《その》|心組《つもり》で|謹《つつし》んで|返答《へんたふ》をせい。|無礼《ぶれい》な|事《こと》を|致《いた》すと|貴様《きさま》も|一緒《いつしよ》に|召捕《めしと》つて|帰《かへ》らうか』
|高姫《たかひめ》は|泰然自若《たいぜんじじやく》として、
|高姫《たかひめ》『オホヽヽヽ、|鉛製《なまりせい》の|閻魔《えんま》の|様《やう》な|其《その》|態《ざま》は|何《なん》だ。|見《み》つともない。|玩具《おもちや》の|九寸五分《くすんごぶ》を|以《もつ》て|嚇《おど》かす|様《やう》な|事《こと》をしたつて|此《この》|高姫《たかひめ》は、いつかな いつかなビク|付《つ》く|様《やう》な|弱《よわ》い|女《をんな》で|御座《ござ》いませぬワイ。|之《これ》でも|猪食《ししく》つた|犬《いぬ》だ。|見事《みごと》|召捕《めしと》るなら|召捕《めしと》つて|見《み》よ』
と|争《いさか》ふ|其《その》|隙《すき》を|考《かんが》へ、|友彦《ともひこ》は|四《よ》つ|這《ば》ひになつて、ノソリノソリと|黒《くろ》い|褌《まわし》を|尾《を》の|様《やう》に|垂《た》らし|乍《なが》ら、|表口《おもてぐち》さして|遁《に》げ|出《だ》さうとする。|三人《さんにん》の|引張《ひつぱ》つて|来《き》た|洋犬《かめ》はワンワンと|威喝《ゐかつ》し|乍《なが》ら|友彦《ともひこ》の|尻《しり》に|噛《か》じり|付《つ》いた。|蜈蚣姫《むかでひめ》は|何《なに》が|何《なに》やら、|二組《ふたくみ》も|三組《みくみ》も|混線《こんせん》した|此《この》|争《いさか》ひに|肝《きも》を|潰《つぶ》し、|一生懸命《いつしやうけんめい》に、
|蜈蚣姫《むかでひめ》『|南無《なむ》バラモン|教主《けうしゆ》|大国別命《おほくにわけのみこと》、|守《まも》り|給《たま》へ|幸倍《さちはへ》|給《たま》へ』
と|一心不乱《いつしんふらん》に|汗《あせ》を|流《なが》して|祈願《きぐわん》して|居《ゐ》る。|清《きよ》、|武《たけ》、|鶴《つる》の|三人《さんにん》は|友彦《ともひこ》を|高手小手《たかてこて》に|縛《いまし》め、|岩窟《いはや》の|外《そと》に|引《ひ》き|出《だ》し、|茨《いばら》の|苔《むち》を|携《たづさ》へ、
『さあ、|泥棒《どろばう》、キリキリ|歩《あゆ》めツ』
と|引張《ひつぱ》り|行《ゆ》く。
|是《これ》より|蜈蚣姫《むかでひめ》は、|高姫《たかひめ》、|貫州《くわんしう》、|久助《きうすけ》を|伴《ともな》ひ、|宝《たから》の|所在《ありか》の|探索《たんさく》を|兼《か》ね、オースタラリヤの|女王《ぢよわう》|黄竜姫《わうりようひめ》に|面会《めんくわい》せむと、|一艘《いつそう》の|船《ふね》に|身《み》を|託《たく》し|果物《くだもの》を|数多《あまた》|積込《つみこ》み、|小豆ケ島《せうどがしま》を|後《あと》に、|瀬戸《せと》の|海《うみ》を|乗《の》り|切《き》り|馬関海峡《ばくわんかいけふ》を|越《こ》え、|西《にし》へ|西《にし》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・六・一三 旧五・一八 北村隆光録)
(昭和一〇・六・五 旧五・五 王仁校正)
|霊《たま》の|礎《いしずゑ》(八)
一、|現界《げんかい》の|人間《にんげん》が|人生《じんせい》|第一《だいいち》の|関門《くわんもん》なる|死《し》といふ|手続《てつづき》を|了《をは》つて、|神霊界《しんれいかい》に|突入《とつにふ》するに|際《さい》しては|決《けつ》して|一様《いちやう》で|無《な》い。|極善《ごくぜん》の|人間《にんげん》にして|死後《しご》|直《ただち》に|天国《てんごく》に|上《のぼ》り|行《ゆ》く|時《とき》は、|嚠喨《りうりやう》たる|音楽《おんがく》や、|名状《めいじやう》することの|出来《でき》ぬやうな|芳香《はうかう》に|包《つつ》まれ、|容色《ようしよく》|端麗《たんれい》なる|天人《てんにん》の|群《むれ》や、|生前《せいぜん》に|於《おい》て|曾《かつ》て|死去《しきよ》したる|朋友《ほういう》、|知己《ちき》、|親《おや》、|兄弟《きやうだい》|等《ら》の|天人《てんにん》と|成《な》りたる|人々《ひとびと》に|迎《むか》へられ、|際限《さいげん》なき|美《うる》はしき|空中《くうちう》を|飛翔《ひしよう》して、|荘厳《さうごん》なる|天国《てんごく》へ|直様《すぐさま》|上《のぼ》り|行《ゆ》くもあり、|又《また》|四面《しめん》|青山《せいざん》に|包《つつ》まれたる|若草《わかぐさ》の|広大《くわうだい》なる|原野《げんや》を、|極《きは》めて|平静《へいせい》に|進《すす》み|行《ゆ》くものもあり、|又《また》|死後《しご》|忽《たちま》ち|五色《ごしき》の|光彩《くわうさい》を|放射《はうしや》せる|瑞雲《ずゐうん》に|身辺《しんぺん》を|包《つつ》まれて|上天《しやうてん》するのもある。その|時《とき》の|気分《きぶん》といふものは|何《な》んとも|言語《げんご》に|尽《つく》せないやうな、|平和《へいわ》と|閑寂《かんじやく》と|歓喜《くわんき》とに|充《み》ち、|幸福《かうふく》の|極点《きよくてん》に|達《たつ》したるの|感覚《かんかく》を|摂受《せつじゆ》するものである。|余《あま》りの|嬉《うれ》しさに、|現界《げんかい》に|遺《のこ》しておいた|親《おや》、|兄弟《きやうだい》、|姉妹《しまい》や|朋友《ほういう》|知己《ちき》、その|他《た》|物質的《ぶつしつてき》の|慾望《よくばう》を|全然《ぜんぜん》|忘却《ばうきやく》するに|至《いた》るものである。|万一《まんいち》|上天《しやうてん》の|途中《とちう》に|於《おい》て|地上《ちじやう》の|世界《せかい》のことを|思《おも》ひ|出《だ》し、|種々《しゆじゆ》の|執着心《しふちやくしん》が|萌芽《ほうが》した|時《とき》は、その|霊身《れいしん》|忽《たちま》ち|混濁《こんだく》し、|体量《たいりやう》|俄《にはか》に|重《おも》くなり、|再《ふたた》び|地上《ちじやう》に|墜落《つゐらく》せむとするに|到《いた》る。|迎《むか》へに|来《きた》りし|天人《てんにん》は、|新来《しんらい》の|上天者《しやうてんしや》が|地上《ちじやう》に|心《こころ》を|遺《のこ》し、|失墜《しつつゐ》せざる|様《やう》にと|焦慮《せうりよ》して、|種々《しゆじゆ》の|音楽《おんがく》を|奏《そう》したり、|芳香《はうかう》を|薫《くん》じたり、|美《うる》はしきものを|眼《め》に|見《み》せたりなぞして、|可及的《かきふてき》|現界《げんかい》|追慕《つゐぼ》の|念慮《ねんりよ》を|失《うしな》はしめむと|努力《どりよく》するものである。|山河草木《さんかさうもく》、|水流《すゐりう》、|光線《くわうせん》|等《とう》も|亦《また》|地上《ちじやう》の|世界《せかい》に|比《くら》ぶれば、|実《じつ》に|幾倍《いくばい》の|清《きよ》さ|美《うる》はしさである。|然《しか》し|斯《こ》ういふ|死者《ししや》の|霊身《れいしん》は、|凡《すべ》て|地上《ちじやう》に|於《お》ける|人間《にんげん》としての|最善《さいぜん》を|竭《つく》し、|克《よ》く|神《かみ》を|信《しん》じ、|神《かみ》を|愛《あい》し、|天下《てんか》|公共《こうきよう》のために|善事《ぜんじ》を|励《はげ》みたる|人々《ひとびと》の|境遇《きやうぐう》である。
一、|凡《すべ》て|人間《にんげん》の|心霊《しんれい》は|肉体《にくたい》の|亡《ほろ》びたる|後《のち》と|雖《いへど》も、|人間《にんげん》の|本体《ほんたい》なる|自己《じこ》の|感覚《かんかく》や、|意念《いねん》は|引続《ひきつづ》き|生存《せいぞん》するものである。|故《ゆゑ》に|天上《てんじやう》に|復活《ふくくわつ》したる|人《ひと》の|霊身《れいしん》は、|恰《あたか》も|肉体《にくたい》を|去《さ》つた|当時《たうじ》と|同《おな》じ|精神《せいしん》|状態《じやうたい》で、|霊界《れいかい》の|生活《せいくわつ》を|営《いとな》むものである。|一旦《いつたん》|天国《てんごく》へ|上《のぼ》り、|天人《てんにん》の|群《むれ》に|這入《はい》つて|天国《てんごく》の|住民《ぢうみん》となつたものは、|容易《ようい》に|現界《げんかい》へ|帰《かへ》つて|来《き》て|肉体《にくたい》を|具《そな》へた|友人《いうじん》や、|親戚《しんせき》や、|知己《ちき》|達《たち》と|交通《かうつう》することは|難《むつ》かしい。|併《しか》し|乍《なが》ら|一種《いつしゆ》の|霊力《れいりよく》を|具《そな》へて、|精霊《せいれい》の|発達《はつたつ》したる|霊媒者《れいばいしや》があれば、|其《そ》の|霊媒《れいばい》の|仲介《ちうかい》を|経《へ》て|交通《かうつう》することが|出来《でき》るものである。その|霊媒者《れいばいしや》は|概《がい》して|女子《ぢよし》が|適《てき》してゐる。|女子《ぢよし》は|男子《だんし》に|比《ひ》して|感覚《かんかく》が|強《つよ》く、|神経《しんけい》|鋭敏《えいびん》で|知覚《ちかく》や|感情《かんじやう》が|微細《びさい》だからである。|又《また》|霊媒力《れいばいりよく》の|発達《はつたつ》した|人《ひと》の|居《を》る|審神場《さにはば》では、|霊身《れいしん》は|時《とき》に|現界人《げんかいじん》の|眼《め》に|入《い》るやうな|形体《けいたい》を|現《あら》はし、その|姿《すがた》が|何人《なんぴと》にも|見《み》えるのである。その|霊身《れいしん》に|対《たい》して|現界人《げんかいじん》が|接触《せつしよく》すれば、|感覚《かんかく》があり、|動《うご》いたり、|談話《だんわ》を|交《まじ》ふることが|出来《でき》るのである。されど|天国《てんごく》に|入《い》つて|天人《てんにん》と|生《うま》れ|代《かは》りたる|霊身《れいしん》は、|自分《じぶん》の|方《はう》から|望《のぞ》んで|現代人《げんだいじん》と|交通《かうつう》を|保《たも》たんと|希望《きばう》するものは|無《な》い。|現界人《げんかいじん》の|切《せつ》なる|願《ねが》ひによつて、|霊媒《れいばい》の|仲介《ちうかい》を|以《もつ》て|交通《かうつう》をなすまでである。
さりながら|中有界《ちううかい》に|在《あ》る|霊身《れいしん》は、|時《とき》に|由《よ》つて|現界《げんかい》に|生存《せいぞん》せる|親戚《しんせき》や、|朋友《ほういう》|等《ら》と|交通《かうつう》を|保《たも》たんと|欲《ほつ》し、|相当《さうたう》の|霊媒《れいばい》の|現《あら》はるることを|希望《きばう》するものである。それは|自己《じこ》の|苦痛《くつう》を|訴《うつた》へたり、|或《ある》ひは|霊祭《れいさい》を|請求《せいきう》せむが|為《ため》である。|又《また》|執着心《しふちやくしん》の|深《ふか》い|霊身《れいしん》になると、|現界《げんかい》に|住《す》める|父母《ふぼ》や|兄弟《きやうだい》、|姉妹《きやうだい》や|遺産《ゐさん》などに|対《たい》して、|自分《じぶん》の|思惑《おもわく》を|述《の》べやうとするものである。かかる|霊身《れいしん》は|現世《げんせ》に|執着心《しふちやくしん》を|遺《のこ》してゐるから、|何時《いつ》までも|天国《てんごく》へは|上《のぼ》り|得《え》ずして、|大変《たいへん》な|苦悩《くなう》を|感受《かんじゆ》するものである。
一、|霊界《れいかい》の|消息《せうそく》、|死後《しご》の|生涯《しやうがい》を|述《の》ぶるを|以《もつ》て、|荒唐無稽《くわうたうむけい》として|死後《しご》の|生涯《しやうがい》を|否定《ひてい》する|人々《ひとびと》は、|最早《もはや》|懐疑者《くわいぎしや》では|無《な》く、|寧《むし》ろ|無知識《むちしき》の|甚《はなは》だしきものである。|斯《かく》の|如《ごと》き|人々《ひとびと》に|対《たい》して|霊界《れいかい》の|真相《しんさう》を|伝《つた》へ、|神智《しんち》を|開発《かいはつ》せしむるといふ|事《こと》は|到底《たうてい》|絶望《ぜつばう》である。
一、|人間《にんげん》の|肉体《にくたい》の|死《し》なるものは、|決《けつ》して|滅亡《めつぼう》でも、|死去《しきよ》でもない。|只《ただ》|人間《にんげん》が|永遠《ゑいゑん》に|亘《わた》る|進歩《しんぽ》の|一階段《いちかいだん》に|過《す》ぎないのである。|只《ただ》|人間《にんげん》の|所在《しよざい》と|立脚地《りつきやくち》とを|変更《へんかう》した|迄《まで》である。|意念《いねん》も、|愛情《あいじやう》も、|記憶《きおく》も、|皆《みな》|個性《こせい》の|各部分《かくぶぶん》であつて|不変《ふへん》|不動《ふどう》の|儘《まま》に|残《のこ》るものである。|死後《しご》に|於《お》ける|生活《せいくわつ》|状態《じやうたい》は、|現界《げんかい》に|在《あ》りし|時《とき》より|引続《ひきつづ》いて|秩序的《ちつじよてき》に、|各人《かくじん》がそれ|相応《さうおう》の|地位《ちゐ》の|天国《てんごく》の|団体《だんたい》の|生活《せいくわつ》を|営《いとな》むものである。
一、|又《また》|卑賤《ひせん》|無智《むち》にして|世道《せだう》|人情《にんじやう》を|弁《わきま》へなかつた|悪人《あくにん》は、|光明《くわうみやう》と|愛《あい》と|自由《じいう》の|無《な》い|地獄《ぢごく》に|落《お》ちて|苦《くる》しむものである。|生前《せいぜん》|既《すで》に|不和《ふわ》|欠陥《けつかん》、|闇黒《あんこく》|苦痛《くつう》の|地獄《ぢごく》に|陥《おちい》つた|人間《にんげん》は、|現界《げんかい》に|在《あ》る|間《あひだ》に|悔《く》い|改《あらた》め、|神《かみ》を|信《しん》じ、|神《かみ》を|愛《あい》し、|利己心《りこしん》を|去《さ》り、|神《かみ》に|対《たい》しての|無智《むち》と|頑迷《ぐわんめい》を|除《のぞ》き|去《さ》らなければ、|決《けつ》して|死後《しご》|安全《あんぜん》の|生活《せいくわつ》は|出来《でき》ない。|現世《げんせ》より|既《すで》に|已《すで》に|暗黒《あんこく》なる|地獄《ぢごく》の|団体《だんたい》に|加入《かにふ》して|居《ゐ》るものは、|現界《げんかい》に|於《おい》ても|常《つね》に|不安《ふあん》|無明《むみやう》の|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けて|苦《くる》しんでゐるものである。|一時《いちじ》も|早《はや》く|神《かみ》の|光明《くわうみやう》に|頑迷《ぐわんめい》なる|心《こころ》の|眼《まなこ》を|開《ひら》き、|天国《てんごく》の|団体《だんたい》へ|籍替《せきがへ》を|為《な》すことに|努《つと》めなければならぬのである。
|柳《やなぎ》は|煙《けむ》る
モウ|何《なん》と|云《い》つても|春《はる》である。
ポカポカと|暖《あたた》かい|春光《しゆんくわう》に|柳《やなぎ》が|芽《め》ぐんで
|寒《さむ》い|綾部《あやべ》にも|春《はる》が|来《き》た|事《こと》を|物語《ものがた》つて|居《ゐ》る。
|軟《やはら》かいグリーン|色《いろ》の|柳《やなぎ》の|下《した》に|児《こ》|等《ら》が|三四《さんし》
|他愛《たあい》なく|遊《あそ》び|戯《たはむ》れて|居《を》るのも|何《な》んとなく
|春《はる》の|長閑《のど》けさである。
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霊界物語 第二三巻 如意宝珠 戌の巻
終り