霊界物語 第二二巻 如意宝珠 酉の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第二二巻』愛善世界社
1997(平成9)年08月14日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年10月22日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|凡例《はんれい》
|総説《そうせつ》
第一篇 |暗雲低迷《あんうんていめい》
第一章 |玉騒疑《たまさわぎ》〔六九三〕
第二章 |探《さぐ》り|合《あ》ひ〔六九四〕
第三章 |不知火《しらぬひ》〔六九五〕
第四章 |玉探志《たまさがし》〔六九六〕
第二篇 |心猿意馬《しんゑんいば》
第五章 |壇《だん》の|浦《うら》〔六九七〕
第六章 |見舞客《みまひきやく》〔六九八〕
第七章 |囈語《うはごと》〔六九九〕
第八章 |鬼《おに》の|解脱《げだつ》〔七〇〇〕
第三篇 |黄金化神《わうごんけしん》
第九章 |清泉《きよいづみ》〔七〇一〕
第一〇章 |美《び》と|醜《しう》〔七〇二〕
第一一章 |黄金像《わうごんざう》〔七〇三〕
第一二章 |銀公着瀑《ぎんこうちやくばく》〔七〇四〕
第四篇 |改心《かいしん》の|幕《まく》
第一三章 |寂光土《じやくくわうど》〔七〇五〕
第一四章 |初稚姫《はつわかひめ》〔七〇六〕
第一五章 |情《なさけ》の|鞭《むち》〔七〇七〕
第一六章 |千万無量《せんまんむりよう》〔七〇八〕
第五篇 |神界経綸《しんかいけいりん》
第一七章 |生田《いくた》の|森《もり》〔七〇九〕
第一八章 |布引《ぬのびき》の|滝《たき》〔七一〇〕
第一九章 |山《やま》と|海《うみ》〔七一一〕
第二〇章 |三《みつ》の|魂《みたま》〔七一二〕
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|序文《じよぶん》
|過《くわ》、|現《げん》、|未《み》|三界《さんかい》を|通《つう》じたる|宇宙《うちう》|精神《せいしん》の|片鱗《へんりん》を|漏《も》らせし|霊界物語《れいかいものがたり》も、|漸《やうや》く|二十二巻《にじふにくわん》、|原稿用紙《げんかうようし》|二万六千七百余枚《にまんろくせんしちひやくよまい》に|達《たつ》しました。|其《そ》の|中《なか》に|於《おい》て|最《もつと》も|執着心《しふちやくしん》を|戒《いまし》めたるは、|本巻《ほんくわん》の|物語《ものがたり》であります。
|今日《こんにち》まで|現界《げんかい》の|何人《なんぴと》にも|発表《はつぺう》されざりし|霊界《れいかい》の|物語《ものがたり》、|成《な》る|可《べ》く|誤《あやま》りなきやうと|焦慮《せうりよ》しつつ|口述《こうじゆつ》|致《いた》しましたが、|何分《なにぶん》|凡夫《ぼんぶ》の|身《み》を|以《もつ》て|広大無辺《くわうだいむへん》の|宇宙《うちう》の|意思《いし》たる|神意《しんい》|並《なら》びに|出来事《できごと》や、|状況《じやうきやう》を|述《の》ぶるのでありますから、|口述者《こうじゆつしや》が|幾十年《いくじふねん》かの|後《のち》、|霊界《れいかい》に|到《いた》つた|時《とき》、|神々《かみがみ》より|天下《てんか》に|誤謬《ごびう》を|伝《つた》へた『|太《ふと》い|奴《やつ》』とお|目玉《めだま》を|頂戴《ちやうだい》することの|恐《おそ》ろしき|思《おも》ひに|沈《しづ》みつつ、|止《や》むを|得《え》ず|口述《こうじゆつ》したのであります。
|神界《しんかい》の|大神《おほかみ》より|本書《ほんしよ》を|御覧《ごらん》になれば、|九牛《きうぎう》の|一毛《いちまう》にも|及《およ》ばず、|且《か》つ|群盲象評的《ぐんまうざうひやうてき》|脱線《だつせん》|物語《ものがたり》をしよつたと|叱責《しつせき》さるるは|当然《たうぜん》でありませう。|併《しか》し|私《わたくし》は|霊界《れいかい》へ|行《い》つた|時《とき》、|大神様《おほかみさま》に|平身《へいしん》|低頭《ていとう》|陳謝《ちんしや》するの|覚悟《かくご》を|以《もつ》て、|舎身的《しやしんてき》に|何神様《なにがみさま》かに|口《くち》を|藉《か》して|使《つか》つて|貰《もら》つて|居《を》る|計《ばか》りでありますから、|何《いづ》れ|各階級《かくかいきふ》の|神々《かみがみ》が、|思《おも》ひ|思《おも》ひの|物語《ものがたり》を|遊《あそ》ばし、|当世《たうせい》の|学者《がくしや》|智者《ちしや》をして|失笑《しつせう》せしめ、|軽侮《けいぶ》の|念《ねん》を|抱《いだ》かしむるやうなことも|沢山《たくさん》あるでせう。
アヽ|善言美辞鉄道《ぜんげんびじてつだう》の|汽車《きしや》が|脱線《だつせん》しました。|皆《みな》さん、|御用心《ごようじん》あれ。
大正十一年 旧五月三日 於松雲閣 王仁識
|凡例《はんれい》
一、|昨年《さくねん》|十月《じふぐわつ》|十八日《じふはちにち》より|始《はじ》められました|霊界物語《れいかいものがたり》の|口述筆録《こうじゆつひつろく》も、|本年《ほんねん》|五月《ごぐわつ》|廿八日《にじふはちにち》を|以《もつ》て|二十二巻《にじふにくわん》を|完了《くわんれう》し、ほつと|一息《ひといき》した|次第《しだい》であります。|其《その》|間《あひだ》の|日数《につすう》|二百二十三日《にひやくにじふさんにち》、|大祭《たいさい》とか、|節分祭《せつぶんさい》|其《その》|他《た》|休《やす》むだに|日数《につすう》を|加《くは》へて、|恰度《ちやうど》|十日《とをか》に|一冊《いつさつ》の|割合《わりあひ》であります。|左《さ》に|各巻《かくくわん》の|口述《こうじゆつ》|日数《につすう》を|表示《へうじ》して|御覧《ごらん》に|供《きよう》します。
巻 口述日数 口述場所 備考
第一 八日 松雲閣 本巻に限り第十三章以後の日数とす
第二 十三日 右同 本巻第一章(通章第五十一章)口述の夜毒松茸にあてられ閉口す
第三 十四日 瑞祥閣竜宮館 前半は亀岡の瑞祥閣にて後半は教主殿竜宮館にて口述さる
第四 十五日 竜宮館 口述者自ら筆録されし箇所は本巻に最も多し
第五 十日 竜宮館岩井温泉 口述筆録の方が主か入湯の方が主か分らんやうな生活をしながら、五、六の二巻を完了す
第六 八日 岩井温泉
第七 四日 錦水亭 岩井温泉より帰綾後節分祭までの四日間に完結す
第八 五日 瑞祥閣 高熊山に参拝せし後口述筆録にとりかかる
第九 六日 右同 巻中身代りを立てる箇所を口述さるるや天候険悪となり風雨強かりき
第十 七日 右同錦水亭 口述筆録に妨害を受けしは、本巻を第一とす
第十一 四日 松雲閣
第十二 五日 右同 本巻口述中蓄音器に祝詞と宣伝歌を吹き込まる
第十三 五日 右同
第十四 三日 松雲閣 本巻は総章数十七より成り通章五百六十七章を末尾とす
第十五 五日 錦水亭 天国楽土の状況廿一世紀以後の有様を口述しあり
第十六 四日 錦水亭瑞祥閣 本巻より始めて今の日本国に起れる事を説き十里四方宮の内の三十五万年前を口述しあり
第十七 三日 右同
第十八 四日 右同 弥仙山の因縁が口述されあり
第十九 五日 松雲閣
第二十 三日 右同錦水亭
第廿一 五日 松雲閣
第廿二 五日 右同 本巻完了の日霊鷹五六七殿内を飛び廻ること三回
(註)第一巻、第二巻、第十一巻、第十二巻、第廿二巻を松雲閣に於て口述されし事と、本年旧三月三日迄に五六七大神に因める第十四巻第五百六十七章の口述を終られし事と旧五月五日までに口述者瑞月大先生の誕生日なる旧七月十二日に因縁ある第廿二巻第七百十二章迄を口述されし事と総体の筆録者数が三十三名なりしは惟神的とはいへ、実に不思議と謂はねばなりません。
一、|本巻《ほんくわん》には|各巻中《かくくわんちう》でも、|最《もつと》も|執着心《しふちやくしん》を|取除《とりのぞ》くことに|努《つと》むるのが|肝腎《かんじん》であると|口述《こうじゆつ》され、|又《また》|第一巻《だいいつくわん》に|示《しめ》されたる|地獄《ぢごく》や|鬼《おに》は、|皆《みな》|心《こころ》の|執着《しふちやく》から|生《うま》れ|出《い》づるもので、|決《けつ》して|今《いま》の|行刑所《ぎやうけいしよ》や|押丁《あふてい》の|様《やう》に|備《そな》はつて|居《ゐ》るのではないと|口述《こうじゆつ》されてありますから、|一応《いちおう》|読者《どくしや》に|御注意《ごちゆうい》を|促《うなが》して|置《お》きます。
一、|本巻《ほんくわん》は|前巻《ぜんくわん》までを|順序《じゆんじよ》よく|読《よ》まなくとも、|全然《ぜんぜん》|要領《えいりやう》を|得《え》られぬといふやうな|事《こと》は|無《な》く、|本巻《ほんくわん》を|読《よ》んだだけでも|解《わか》り|易《やす》く|完結《くわんけつ》されてあります。
一、|本巻《ほんくわん》の|原稿紙《げんかうし》は|千二百二十三枚《せんにひやくにじふさんまい》でありましたが、|不思議《ふしぎ》にも|五百六十七枚目《ごひやくろくじふしちまいめ》に|五六七大神《みろくおほかみ》の|御出現《ごしゆつげん》(|黄金像《わうごんざう》)と、|其《そ》の|貴重《きちよう》なる|御教示《ごけうじ》が|始《はじ》まつたのであります。
アヽ|月光菩薩《げつくわうぼさつ》は|五十二歳《ごじふにさい》にして、|其《そ》の|胎蔵《たいざう》されし|苦集滅道《くしふめつだう》を|説《と》き、|娑婆即寂光浄土《しやばそくじやくくわうじやうど》の|真諦《しんたい》を|述《の》べ、|道法礼節《だうほふれいせつ》を|遺憾《ゐかん》なく|開示《かいじ》して|居《を》られるのであります。
大正十一年五月廿八日 綾部並松和知川畔松雲閣にて
編者識
|総説《そうせつ》
|天《あめ》の|下《した》に|生《い》きとし|生《い》ける|万物《ばんぶつ》の|中《なか》にありて、|最《もつと》も|身魂《みたま》の|勝《すぐ》れたる|人間《にんげん》には、|天《てん》より|上中下《じやうちうげ》|三段《さんだん》の|御霊《みたま》を|授《さづ》けて、|各自《かくじ》の|御霊《みたま》|相応《さうおう》に|世界経綸《せかいけいりん》の|神業《しんげふ》を|負《お》はしめ|給《たま》ひ、|天国《てんごく》の|状態《じやうたい》を|地上《ちじやう》に|移《うつ》してそれぞれ|身魂《みたま》の|階級《かいきふ》を|立別《たてわ》けられてあるけれども、|今《いま》の|世《よ》は|身魂《みたま》の|位置《ゐち》|顛倒《てんたう》して|霊肉一致《れいにくいつち》の|大道《だいだう》|破《やぶ》れ、|八頭八尾《やつがしらやつを》の|邪霊《みたま》や|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪狐《あくこ》の|霊《れい》や|邪鬼《じやき》の|霊魂《れいこん》なぞ|人類《じんるゐ》の|精神《せいしん》を|誑惑《きやうわく》し、|終《つひ》には|地上《ちじやう》の|世界《せかい》を|体主霊従《たいしゆれいじう》、|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》の|暗黒界《あんこくかい》と|化《くわ》せしめたるため、|今《いま》の|世界《せかい》の|惨状《さんじやう》である。|是《これ》だけ|混乱《こんらん》した|社会《よ》を|何《なん》とも|思《おも》はぬやうに|成《な》つたのも、|地上《ちじやう》の|人類《じんるゐ》が|皆《みな》|邪神《じやしん》の|霊魂《れいこん》に|感染《かんせん》し|切《き》つて|居《を》るからである。
|天下《てんか》|経綸《けいりん》の|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》すべき|人類《じんるゐ》の|御魂《みたま》が|全然《さつぱり》|脱退《ぬけ》て|了《しま》ひ、|九分九厘《くぶくりん》まで|獣畜《けもの》の|心《こころ》に|堕落《だらく》して|世界《せかい》は|上《あ》げも|下《おろ》しも|成《な》らぬやうになり、|彼方《かなた》の|大空《おほぞら》より|此方《こなた》の|空《そら》へ|電火《でんくわ》のひらめくが|如《ごと》き|急変事《きふへんじ》の|突発《とつぱつ》せずとも|断定《だんてい》しがたい。|世界《せかい》の|人類《じんるゐ》は|一日《いちにち》も|早《はや》く|眼《め》を|覚《さま》し、|誠《まこと》|一《ひと》つの|麻柱《あななひ》の|道《みち》によりて|霊魂《れいこん》を|研《みが》き、|神心《かみごころ》に|立帰《たちかへ》らねばならぬ。
|真心《まごころ》とは|天地《てんち》の|先祖《せんぞ》の|大神《おほかみ》の|大精神《だいせいしん》に|合致《がつち》したる|清浄心《せいじやうしん》である。|至仁《しじん》|至愛《しあい》にして|万事《ばんじ》に|心《こころ》を|配《くば》り|意《い》を|注《そそ》ぎ、|善事《ぜんじ》に|遭《あ》ふも|凶事《きようじ》に|遇《あ》ふも、|大山《たいざん》の|泰然《たいぜん》として|動《うご》かざるが|如《ごと》く、|微躯《びく》つかず、|焦慮《あせ》らず、|物質欲《ぶつしつよく》に|淡白《あは》く、|心神《しんしん》を|安静《あんせい》に|保《たも》ち、|何事《なにごと》も|天意《てんい》を|以《もつ》て|本《もと》となし、|人《ひと》と|争《あらそ》はず|能《よ》く|耐《た》へ|忍《しの》び、|宇宙《うちう》|万有《ばんいう》|一切《いつさい》を|我《わが》|身魂《みたま》の|所有《しよいう》となし、|春夏秋冬《しゆんかしうとう》、|昼夜《ちうや》|風雨《ふうう》|雷電《らいでん》|霜雪《さうせつ》、|何《いづ》れも|言霊《ことたま》の|御稜威《みいづ》に|服従《ふくじゆう》するまでに|到《いた》らば、|始《はじ》めて|神心《かみごころ》を|発揚《はつやう》し|得《え》たのである。|又《また》|小三災《せうさんさい》の|饑病戦《きびやうせん》、|大三災《だいさんさい》の|風水火《ふうすゐくわ》に|攻《せ》められ、|如何《いか》なる|艱苦《かんく》の|淵《ふち》に|沈《しづ》む|時《とき》ありとも|介意《かいい》せず、|幸運《かううん》に|向《むか》ふも|油断《ゆだん》せず、|生死一如《しやうしいちによ》と|心得《こころえ》、|生死《せいし》に|対《たい》しては|昼夜《ちうや》の|往来《わうらい》を|見《み》るが|如《ごと》く、|世事《せじ》|一切《いつさい》を|神明《しんめい》の|御心《みこころ》に|任《まか》せ、|好《この》みなく|憎《にく》みなく、|義《ぎ》を|見《み》ては|進《すす》み、|利《り》を|見《み》て|心《こころ》を|悩《なや》まさず、|心魂《しんこん》|常《つね》に|安静《あんせい》にして|人事《じんじ》を|見《み》る|事《こと》、|流水《りうすゐ》の|如《ごと》く|天地《てんち》の|自然《しぜん》を|楽《たの》しみ、|小我《せうが》を|棄《す》て|大我《たいが》に|合《がつ》し、|才智《さいち》に|頼《たよ》らず、|天《てん》の|時《とき》に|応《おう》じ、|神意《しんい》に|随《したが》ひ、|天下《てんか》|公共《こうきよう》の|為《ため》に|舎身《しやしん》の|活動《くわつどう》を|為《な》し、|万難《ばんなん》に|撓《たゆ》まず|屈《くつ》せず、|善《ぜん》を|思《おも》ひ、|善《ぜん》を|言《い》ひ、|善《ぜん》を|行《おこな》ひ、|奇魂《くしみたま》の|真智《しんち》を|照《て》らして|大人《たいじん》の|行《おこな》ひを|備《そな》へ、|物《もの》を|以《もつ》て|物《もの》を|見極《みきは》め、|他人《たにん》の|自己《おのれ》に|等《ひと》しからむことを|欲《ほつ》せず、|心中《しんちう》|常《つね》に|蒼空《さうくう》の|如《ごと》く、|海洋《かいやう》の|如《ごと》く|二六時中《にろくじちう》|意思内《いしうち》にのみ|向《むか》ひ、|自己《じこ》の|独《ひと》り|知《し》る|所《ところ》を|慎《つつし》み、その|力量《りきりやう》|才覚《さいかく》を|人《ひと》に|知《し》られむことを|望《のぞ》まず、|天地《てんち》の|大道《だいだう》に|従《したが》つて|世《よ》に|処《しよ》し、|善言美辞《ぜんげんびじ》を|用《もち》ゐ、|光風霽月《くわうふうせいげつ》|少《すこ》しの|遅滞《ちたい》なく|神明《しんめい》の|代表者《だいへうしや》たる|品位《ひんゐ》を|保《たも》ち、|自然《しぜん》にして|世界《せかい》を|輝《かがや》かし、|心神《しんしん》|虚《むな》しくして|一点《いつてん》の|私心《ししん》なき|時《とき》は、その|胸中《きようちう》に|永遠無窮《ゑいゑんむきう》の|神国《しんこく》あり、|至善《しぜん》|至美《しび》|至真《ししん》の|行動《かうどう》を|励《はげ》み、|善者《ぜんしや》|又《また》は|老者《らうしや》を|友《とも》とし、|之《これ》を|尊《たふと》み|敬《うや》まひ、|悪人《あくにん》|愚者《ぐしや》|劣者《れつしや》を|憐《あはれ》み、|精神上《せいしんじやう》に|将《はた》|又《また》|物質上《ぶつしつじやう》に|恵《めぐ》み|救《すく》ひ、|富貴《ふうき》を|羨《うらや》まず|貧賤《ひんせん》を|厭《いと》はず|侮《あなど》らず、|天分《てんぶん》に|安《やす》んじ|社会《しやくわい》のために|焦慮《せうりよ》して|最善《さいぜん》を|竭《つく》し、|富貴《ふうき》に|処《しよ》しては|神国《しんこく》のために|心魂《しんこん》を|傾《かたむ》け、|貧《ひん》に|処《しよ》しては|簡易《かんい》なる|生活《せいくわつ》に|感謝《かんしや》し、|我慾《がよく》|貪慾心《どんよくしん》を|戒《いまし》め、|他《た》を|害《がい》せず|傷《きず》つけず、|失敗《しつぱい》|来《きた》るも|自暴自棄《じばうじき》せず、|天命《てんめい》を|楽《たの》しみ、|人《ひと》たるの|天職《てんしよく》を|尽《つく》し、|自己《じこ》の|生業《せいげふ》を|励《はげ》み、|天下《てんか》|修斎《しうさい》の|大神業《だいしんげふ》に|参加《さんか》する|時《とき》と|雖《いへど》も、|頭脳《づなう》を|冷静《れいせい》に|治《をさ》めて|周章《あわて》ず|騒《さわ》がず、|心魂《しんこん》|洋々《やうやう》として|大海《たいかい》の|如《ごと》く、|天《てん》の|空《むな》しうして|百鳥《ひやくてう》の|飛翔《ひしよう》するに|任《まか》せ、|海《うみ》の|広大《くわうだい》にして|魚族《ぎよぞく》の|遊踊《いうよう》するに|任《まか》すが|如《ごと》く|不動《ふどう》にして、|寛仁大度《くわんじんたいど》の|精神《せいしん》を|養《やしな》ひ、|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|神業《しんげふ》を|輔佐《ほさ》し、|仮令《たとへ》|善事《ぜんじ》と|見《み》るも|神界《しんかい》の|律法《りつぱう》に|照合《せうがふ》して|悪《あし》ければ|断《だん》じて|之《これ》を|為《な》さず、|天意《てんい》に|従《したが》つて|一々《いちいち》|最善《さいぜん》の|行動《かうどう》を|採《と》り、|昆虫《こんちう》と|雖《いへど》も|妄《みだ》りに|傷害《しやうがい》せず、|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|真情《まごころ》を|以《もつ》て|万有《ばんいう》を|守《まも》る。|又《また》|乱世《らんせい》に|乗《じやう》じて|野望《やばう》を|起《おこ》さず、|至公《しこう》|至平《しへい》の|精神《せいしん》を|持《ぢ》するの|人格《じんかく》|具《そな》はりたる|時《とき》は、|即《すなは》ち|神人《しんじん》にしてその|心魂《しんこん》は|即《すなは》ち|真心《まごころ》であり|神心《かみごころ》である。
|利害得失《りがいとくしつ》のために|精神《せいしん》を|左右《さいう》にし、|暗黒《あんこく》の|淵《ふち》に|沈《しづ》み|良心《りやうしん》を|傷《いた》め、|些少《させう》の|事変《じへん》に|際《さい》して|狼狽《らうばい》し、|忽《たちま》ち|顔色《がんしよく》を|変《か》へ、|体主霊従《たいしゆれいじう》、|利己主義《りこしゆぎ》を|専《もつぱ》らとするものは、|小人《せうじん》の|魔心《まごころ》より|来《きた》るのである。|内心《ないしん》|頑空妄慮《ぐわんくうまうりよ》にして、|小事《せうじ》に|心身《しんしん》を|傷《やぶ》り|乍《なが》ら|表面《へうめん》を|飾《かざ》り、|人《ひと》の|前《まへ》に|剛胆《がうたん》らしく、|殊勝《しゆしよう》らしく|見《み》せむとするは、|小人《せうじん》の|好《この》んで|行《おこな》ふ|所《ところ》である。|霊界《れいかい》を|無視《むし》し|万世《ばんせい》|生《い》き|通《とほ》し|生死往来《しやうしわうらい》の|神理《しんり》を|知《し》らず、|現世《げんせ》の|外《ほか》に|神界《しんかい》|幽界《いうかい》の|儼存《げんぞん》せる|事《こと》を|弁《わきま》へず、|故《ゆゑ》に|神明《しんめい》を|畏《おそ》れず、|祖先《そせん》を|拝《はい》せず、|単《たん》に|物質上《ぶつしつじやう》の|慾望《よくばう》に|駆《か》られて、|天下《てんか》|国家《こくか》のために|身命《しんめい》を|捧《ささ》ぐる|真人《しんじん》を|罵《ののし》り|嘲《あざけ》り、|死《し》を|恐《おそ》れ|肉体慾《にくたいよく》に|耽《ふけ》り、|肝腎《かんじん》の|天《てん》より|使命《しめい》を|受《う》けたる|神《かみ》の|生宮《いきみや》たることを|忘却《ばうきやく》する|小人《せうじん》|数多《あまた》|現《あら》はれ|来《きた》る|時《とき》は、|世界《せかい》は|日《ひ》に|月《つき》に|災害《さいがい》と|悪事《あくじ》|続発《ぞくはつ》し、|天下《てんか》|益々《ますます》|混乱《こんらん》し、|薄志弱行《はくしじやくかう》の|徒《と》のみとなり|天命《てんめい》を|畏《おそ》れず、|誠《まこと》を|忘《わす》れ|利慾《りよく》に|走《はし》り、|義《ぎ》を|弁《わきま》へず|富貴《ふうき》を|羨《うらや》み|嫉《ねた》み、|貧賤《ひんせん》を|侮《あなど》り|己《おのれ》より|勝《すぐ》れたる|人《ひと》を|見《み》れば、|従《したが》つて|学《まな》び|且《か》つ|教《をし》へらるることを|為《な》さず、|却《かへ》つて|之《これ》を|譏《そし》り|嘲《あざけ》り|己《おの》れの|足《た》らざる|点《てん》を|補《おぎな》ふことを|為《な》さず、|善《ぜん》にもあれ|悪《あく》にもあれ、|己《おのれ》を|賞《ほ》め|己《おのれ》に|随従《ずゐじゆう》するものを|親友《しんいう》となし、|遂《つひ》に|一身上《いつしんじやう》の|災禍《さいくわ》を|招《まね》き、|忽《たちま》ち|怨恨《ゑんこん》の|炎《ほのほ》を|燃《も》やすもの、|是《これ》|魔心《まごころ》の|結実《けつじつ》である。|執着心《しふちやくしん》|強《つよ》くして|解脱《げだつ》し|能《あた》はず、|自《みづか》ら|地獄道《ぢごくだう》を|造《つく》り|出《だ》し|邪気《じやき》を|生《う》み、|自《みづか》ら|苦《くる》しむもの|天下《てんか》に|充満《じうまん》し、|阿鼻叫喚《あびけうくわん》の|惨状《さんじやう》を|露出《ろしゆつ》する|社会《しやくわい》の|惨状《さんじやう》を|見《み》たまひて|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|大神《おほかみ》は|坐視《ざし》するに|耐《た》へず、|娑婆即寂光土《しやばそくじやくくわうど》の|真諦《しんたい》を|説《と》き、|人生《じんせい》をして|意義《いぎ》あらしめむとの|大慈悲心《だいじひしん》より、|胎蔵《たいざう》せし|苦集滅道《くしふめつだう》を|説《と》き、|道法礼節《だうはふれいせつ》を|開示《かいじ》したまひたるは、|此《こ》の|物語《ものがたり》であります。|非《ひ》は|理《り》に|克《か》たず、|理《り》は|法《はふ》に|克《か》たず、|法《はふ》は|権《けん》に|克《か》たず、|権《けん》は|天《てん》に|克《か》たず、|天《てん》|定《さだ》まつて|人《ひと》を|制《せい》するてふ|真諦《しんたい》を、|神《かみ》のまにまに|二十二巻《にじふにくわん》まで|口述《こうじゆつ》し|了《をは》りました。|神諭《しんゆ》に|曰《い》ふ、
『|三月三日《みつきみつか》、|五月五日《いつつきいつか》は|変性女子《へんじやうによし》に|取《と》りて|結構《けつこう》な|日柄《ひがら》である|云々《うんぬん》』
と、いよいよ|大正《たいしやう》|十年《じふねん》|九月《くぐわつ》|八日《やうか》に|神命《しんめい》|降《くだ》り|十日間《とをかかん》の|斎戒沐浴《さいかいもくよく》を|了《をは》つて、|同《どう》|十八日《じふはちにち》より|口述《こうじゆつ》を|始《はじ》め、|大正《たいしやう》|十一年《じふいちねん》|壬戌《みづのゑいぬ》の|旧《きう》|三月三日《さんぐわつみつか》|迄《まで》に|五六七《みろく》の|神《かみ》に|因《ちな》みたる|五百六十七章《ごひやくろくじふしちしやう》を|述《の》べ|了《を》へ、|続《つづ》いて|五月五日《ごぐわついつか》までに|瑞月《ずゑげつ》|王仁《おに》に|因《ちな》みたる|七百十二章《しちひやくじふにしやう》を|惟神的《かむながらてき》に|述《の》べ|了《をは》りたるも、|又《また》|神界《しんかい》の|御経綸《ごけいりん》の|毫《がう》も|違算《ゐさん》なきに|驚歎《きやうたん》する|次第《しだい》であります。|本年《ほんねん》|五十二歳《ごじふにさい》の|瑞月《ずゐげつ》が、|本書《ほんしよ》を|口述《こうじゆつ》し|始《はじ》むるや、パリサイ|人《じん》の|批難《ひなん》|攻撃《こうげき》|相当《さうたう》に|現《あら》はれ、|随分《ずゐぶん》|編輯者《へんしふしや》|以下《いか》|筆録者《ひつろくしや》も|甚《はなは》だしく|苦《くる》しまれたのですが、|神助《しんじよ》の|下《もと》に|辛《から》ふじて|本巻《ほんくわん》まで|口述《こうじゆつ》|筆記《ひつき》を|終《をは》り、|神竜《しんりう》の|片鱗《へんりん》を|爰《ここ》に|開示《かいじ》し|得《え》たるを、|大教祖《だいけうそ》の|神霊《しんれい》に|謹《つつし》んで|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》り、|外山《とやま》|豊二《とよじ》を|始《はじ》め|加藤《かとう》|女史《ぢよし》、|松村《まつむら》|真澄《まさずみ》、|谷村《たにむら》|真友《まさとも》、|近藤《こんどう》|貞二《ていじ》、|谷口《たにぐち》|雅治《まさはる》、|桜井《さくらゐ》|重雄《しげを》、|北村《きたむら》|隆光《たかてる》、|山上《やまがみ》|女史《ぢよし》その|他《た》|本書《ほんしよ》|関係《くわんけい》の|諸氏《しよし》が|渾身《こんしん》の|努力《どりよく》を、|茲《ここ》に|謹《つつし》んで|感謝《かんしや》する|次第《しだい》であります。
大正十一年五月二十八日 旧五月二日 於松雲閣
第一篇 |暗雲低迷《あんうんていめい》
第一章 |玉騒疑《たまさわぎ》〔六九三〕
|天《あめ》と|地《つち》との|元津御祖《もとつみおや》、|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》は、|醜《しこ》の|曲津《まがつ》の|猛《たけ》びに|依《よ》りて|是非《ぜひ》なく|豊国姫尊《とよくにひめのみこと》と|共《とも》に、|独身神《ひとりがみ》となりまして|御身《みみ》を|隠《かく》し|給《たま》ひ、|茲《ここ》に|大国治立尊《おほくにはるたちのみこと》の|御子《みこ》と|坐《ま》します|神伊弉諾大神《かむいざなぎのおほかみ》、|神伊弉冊大神《かむいざなみのおほかみ》の|二柱《ふたはしら》、|天津大神《あまつおほかみ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》み、|海月《くらげ》なす|漂《ただよ》へる|国《くに》を|造《つく》り|固《かた》め|成《な》さむとして、|神勅《しんちよく》を|奉《ほう》じ、|天《あめ》の|浮橋《うきはし》に|立《た》ち、|泥水《どろみづ》|漂《ただよ》ふ|豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほのくに》を、|天《あま》の|瓊矛《ぬほこ》を|以《もつ》て、シオコヲロ、コヲロに|掻《か》き|鳴《な》し|給《たま》ひ、|滴《したた》る|矛《ほこ》の|雫《しづく》より|成《な》りしてふ|自転倒島《おのころじま》の|天教山《てんけうざん》に|下《お》り|立《た》ち、|天《あめ》の|御柱《みはしら》、|国《くに》の|御柱《みはしら》を|搗《つ》き|固《かた》め、|撞《つき》の|御柱《みはしら》を|左右《ひだりみぎ》りより|廻《めぐ》り|会《あ》ひ|再《ふたた》び|豊葦原《とよあしはら》の|中津国《なかつくに》を、|神代《かみよ》の|本津国《もとつくに》に|復《かへ》さむと、|木花姫命《このはなひめのみこと》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|言議《ことはか》り|給《たま》ひて、|心《こころ》を|協《あは》せ|力《ちから》を|尽《つく》し、|神国《しんこく》|成就《じやうじゆ》の|為《ため》に|竭《つく》し|給《たま》ひしが、|天足彦《あだるひこ》、|胞場姫《えばひめ》の|霊《みたま》より|現《あら》はれ|出《い》でたる|醜《しこ》の|曲津見《まがつみ》、|再《ふたた》び|処《ところ》を|得《え》て、|縦横無尽《じうわうむじん》に|暴《あ》れ|狂《くる》ひ、|八百万《やほよろづ》の|神人《しんじん》は|又《また》も|心《こころ》|捩《ねぢ》けて、あらぬ|方《かた》にと|赴《おもむ》きつ、|復《ふたた》び|世《よ》は|常闇《とこやみ》となりにけり。
|茲《ここ》に|天照大御神《あまてらすおほみかみ》、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》は|伊弉諾命《いざなぎのみこと》の|御子《みこ》と|現《あ》れまして|天津神《あまつかみ》、|国津神《くにつかみ》、|八百万《やほよろづ》の|神人《しんじん》に|誠《まこと》の|道《みち》を|説《と》き|諭《さと》し|給《たま》ひしが、|世《よ》は|日《ひ》に|月《つき》に|穢《けが》れ|行《ゆ》きて、|畔放《あはな》ち|溝埋《みぞう》め、|樋放《ひはな》ち|頻蒔《しきま》き|串差《くしさ》し、|生剥《いけは》ぎ|逆剥《さかは》ぎ、|屎戸許々太久《くそへここたく》の|罪《つみ》、|天地《てんち》に|充満《じうまん》し、|生膚断《いきはだだち》、|死膚断《しにはだだち》、|白人胡久美《しらひとこくみ》、|己《おの》が|母《はは》|犯《をか》せる|罪《つみ》、|己《おの》が|子《こ》|犯《をか》せる|罪《つみ》、|母《はは》と|子《こ》と|犯《をか》せる|罪《つみ》、|子《こ》と|母《はは》と|犯《をか》せる|罪《つみ》、|畜《けもの》|犯《をか》せる|罪《つみ》、|昆虫《はふむし》の|災《わざはひ》、|高津神《たかつかみ》の|災《わざはひ》、|高津鳥《たかつとり》の|災《わざはひ》、|畜《けもの》|殪《たふ》し|蠱物《まじもの》せる|罪《つみ》、|許々太久《ここたく》の|罪《つみ》|出《い》で|来《きた》り、|世《よ》は|益々《ますます》|暗黒《あんこく》の|雲《くも》に|閉《とざ》され|黒白《あやめ》も|分《わ》かずなり|行《ゆ》きたれば、|素盞嗚大神《すさのをのおほかみ》は|葦原国《あしはらのくに》を|治《をさ》め|給《たま》ふ|術《すべ》もなく|日夜《にちや》に|御心《みこころ》を|砕《くだ》かせ|給《たま》ひ、|泣《な》き|伊佐知《いさち》|給《たま》へば、|茲《ここ》に|神伊弉諾命《かむいざなぎのみこと》、|天《あめ》より|降《くだ》り|給《たま》ひて、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》にその|故由《ゆゑよし》を|問《と》はせ|給《たま》ひ、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》は|地上《ちじやう》の|罪悪《ざいあく》を|一身《いつしん》に|引受《ひきう》け、|部下《ぶか》の|神々《かみがみ》|又《また》は|八岐大蛇《やまたのをろち》|醜神《しこがみ》の|曲《まが》を|隠《かく》し、|我《あ》が|一柱《ひとはしら》の|言心行《げんしんかう》|悪《あ》しき|為《ため》なりと|答《こた》へ|給《たま》へば、|伊弉諾大神《いざなぎのおほかみ》は|怒《いか》らせ|給《たま》ひ、
『ここに|汝《な》は|海原《うなばら》を|知食《しろしめ》すべき|資格《しかく》なければ、|母《はは》の|国《くに》に|臻《いた》りませ』
と|厳《おごそ》かに|言宣《ことの》り|給《たま》へば、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》は|姉《あね》の|大神《おほかみ》に|事《こと》の|由《よし》を|委細《つぶさ》に|申《まを》し|上《あ》げむと、|高天原《たかあまはら》に|上《のぼ》り|給《たま》ふ。|此《この》|時《とき》|山川草木《やまかはくさき》を|守護《しゆご》せる|神々《かみがみ》|驚《おどろ》きて|動揺《どうえう》し、|世《よ》はますます|暗黒《あんこく》となりければ、|姉大神《あねおほかみ》は|弟神《おとうとがみ》に|黒《きたな》き|心《こころ》ありと|言挙《ことあ》げし|給《たま》ひ、|茲《ここ》に|天《あま》の|安河《やすかは》を|中《なか》に|置《お》き、|天《あめ》の|真奈井《まなゐ》に|御禊《みそぎ》して、|厳之御魂《いづのみたま》、|瑞之御魂《みづのみたま》の|証明《あかし》し|給《たま》ひ、|姉大神《あねおほかみ》は|変性男子《へんじやうなんし》の|御霊《みたま》、|弟神《おとうとがみ》は|変性女子《へんじやうによし》の|御霊《みたま》なる|事《こと》を|宣《の》り|分《わ》け|給《たま》ひぬ。
|素盞嗚尊《すさのをのみこと》に|従《したが》ひませる|八十猛《やそたける》の|神々《かみがみ》は|大《おほい》に|怒《いか》りて、
『|吾《あ》が|仕《つか》へ|奉《まつ》る|素盞嗚大神《すさのをのおほかみ》は|清明無垢《せいめいむく》の|瑞霊《ずゐれい》に|坐《ま》しませり。|然《しか》るに|何《なに》を|以《もつ》て|吾《あ》が|大神《おほかみ》に|対《たい》し、|黒《きたな》き|心《こころ》ありと|宣《の》らせ|給《たま》ひしか』
と|怒《いか》り|狂《くる》ひて、|遂《つひ》に|姉大神《あねおほかみ》をして|天《あま》の|岩戸《いはと》に|隠《かく》れ|給《たま》ふの|已《や》むなきに|到《いた》らしめたのは、|実《じつ》に|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|為《ため》に|惜《を》しむべき|事《こと》である。
|茲《ここ》に|素盞嗚大神《すさのをのおほかみ》はいよいよ|千座《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》ひ|給《たま》ひ、|吾《あ》が|治《しら》せる|国《くに》を|姉大神《あねおほかみ》に|奉《たてまつ》り、|高天原《たかあまはら》を|下《くだ》りて、|葦原《あしはら》の|中津国《なかつくに》に|騒《さや》れる|曲津神《まがつかみ》を|言向《ことむ》け|和《やは》し、|八岐大蛇《やまたのをろち》や|醜狐《しこぎつね》、|曲鬼《まがおに》、|醜女《しこめ》、|探女《さぐめ》の|霊《みたま》を|清《きよ》め、|誠《まこと》の|道《みち》に|救《すく》ひ、|完全無欠《くわんぜんむけつ》、|至善《しぜん》|至美《しび》なるミロクの|神政《しんせい》を|樹立《じゆりつ》せむとし、|親《みづか》ら|漂浪《さすらひ》の|旅《たび》を|続《つづ》かせ|給《たま》ふ|事《こと》となつた。
|大洪水《だいこうずゐ》|以前《いぜん》はヱルサレムを|中心《ちうしん》として|神業《しんげふ》を|開始《かいし》し|給《たま》ひしが、|茲《ここ》に|国治立尊《くにはるたちのみこと》の|分霊《わけみたま》|国武彦《くにたけひこ》と|現《あら》はれて、|自転倒島《おのころじま》に|下《くだ》りまし、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》と|共《とも》に|五六七神政《みろくしんせい》の|基礎《きそ》を|築《きづ》かせ|給《たま》ふ|事《こと》となつた。それより|自転倒島《おのころじま》は、いよいよ|世界統一《せかいとういつ》の|神業地《しんげふち》と|定《さだ》まつた。
|顕国玉《うつしくにたま》の|精《せい》より|現《あら》はれ|出《い》でたる|如意宝珠《によいほつしゆ》を|始《はじ》め、|黄金《こがね》の|玉《たま》、|紫《むらさき》の|玉《たま》は、|神界《しんかい》における|三種《さんしゆ》の|神宝《しんぽう》として、|最《もつと》も|貴重《きちよう》なる|物《もの》とせられて|居《ゐ》る。|此《この》|三《みつ》つの|玉《たま》を|称《しよう》して|瑞《みづ》の|御霊《みたま》と|云《い》ふ。|此《この》|玉《たま》の|納《をさ》まる|国《くに》は、|豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほのくに》を|統一《とういつ》すべき|神憲《しんけん》、|惟神《かむながら》に|備《そな》はつて|居《ゐ》るのである。
|茲《ここ》に|国治立命《くにはるたちのみこと》は|天教山《てんけうざん》を|出入口《でいりぐち》となし、|豊国姫神《とよくにひめのかみ》は|鳴門《なると》を|出入口《でいりぐち》として、|地上《ちじやう》の|経綸《けいりん》に|任《にん》じ|給《たま》ひ、|永《なが》く|世《よ》に|隠《かく》れて、|五六七神政《みろくしんせい》|成就《じやうじゆ》の|時機《じき》を|待《ま》たせ|給《たま》ひぬ。|素盞嗚尊《すさのをのみこと》は|其《その》|分霊《わけみたま》|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|地中《ちちう》に|隠《かく》し、|少彦名命《すくなひこなのみこと》として|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せしめ|給《たま》ひしが、|今《いま》|又《また》|言依別命《ことよりわけのみこと》と|現《あら》はして、|三種《さんしゆ》の|神宝《しんぽう》を|保護《ほご》せしめ|給《たま》ふ|事《こと》となつた。|言依別命《ことよりわけのみこと》の|神業《しんげふ》に|依《よ》りて、|三種《さんしゆ》の|神宝《しんぽう》は|錦《にしき》の|宮《みや》に|納《をさ》まり、いよいよ|神政成就《しんせいじやうじゆ》に|着手《ちやくしゆ》し|給《たま》はむとする|時《とき》、|国治立命《くにはるたちのみこと》と|豊国姫命《とよくにひめのみこと》の|命《めい》に|依《よ》り、|未《いま》だ|時機《じき》|尚早《しやうそう》なれば、|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》の|春《はる》を|待《ま》ちて|三箇《さんこ》の|神宝《しんぽう》を|世《よ》に|現《あら》はすべしとありければ、|言依別命《ことよりわけのみこと》は|私《ひそ》かに|神命《しんめい》を|奉《ほう》じて、|自転倒島《おのころじま》の|或《ある》|地点《ちてん》に|深《ふか》く|隠《かく》し|給《たま》ひし|御神業《ごしんげふ》の|由来《ゆらい》を|本巻《ほんくわん》に|於《おい》て|口述《こうじゆつ》せむとす。|有形《いうけい》にして|無形《むけい》、|無形《むけい》にして|有形《いうけい》、|無声《むせい》にして|有声《いうせい》、|有声《いうせい》にして|無声《むせい》なる|神変不可思議《しんぺんふかしぎ》の|神宝《しんぽう》なれば、|凡眼《ぼんがん》を|以《もつ》て|見《み》る|事《こと》|能《あた》はざるは|固《もと》よりなり。
|凩《こがらし》|荒《すさ》ぶ|冬《ふゆ》の|夜《よ》の |月《つき》の|光《ひかり》を|浴《あ》びながら
|心《こころ》にかかる|黒雲《くろくも》の |晴《は》るる|隙《ひま》なき|黒姫《くろひめ》が
|言依別命《ことよりわけのみこと》より |言《い》ひつけられて|人《ひと》|知《し》れず
|納《をさ》め|置《お》きたる|黄金《わうごん》の |玉《たま》の|在処《ありか》を|調《しら》べむと
|丑満時《うしみつどき》に|起《お》き|出《い》でて |独《ひと》りスゴスゴ|四尾山《よつをやま》
|麓《ふもと》の|一《ひと》つ|松《まつ》が|根《ね》に |匿《かく》まひ|置《お》きし|石櫃《いしびつ》の
そつと|蓋《ふた》をば|開《ひら》き|見《み》て |思《おも》はずドツと|打倒《うちたふ》れ
|吾《わが》|責任《せきにん》も|玉《たま》|無《な》しの |藻脱《もぬけ》の|殻《から》の|悲《かな》しさに
|如何《いかが》はせむと|起《お》き|直《なほ》り |思案《しあん》に|暮《く》れて|居《ゐ》たりしが
|忽《たちま》ち|人《ひと》の|足音《あしおと》に |気《き》を|取直《とりなほ》し|立《た》ちあがり
|木蔭《こかげ》を|索《もと》めて|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|窺《うかが》ひ|寄《よ》つたる|二人《ふたり》の|男《をとこ》、|松《まつ》の|根元《ねもと》に|立寄《たちよ》りて、
|甲《かふ》『ヤア|黒姫《くろひめ》さまの|様子《やうす》が|怪《あや》しいと|思《おも》うて|跟《つ》いて|来《き》たが、|大方《おほかた》これは|蜈蚣姫《むかでひめ》が|占領《せんりやう》して|居《を》つた|黄金《わうごん》の|玉《たま》を、|言依別命《ことよりわけのみこと》から|信任《しんにん》を|得《え》て、|黒姫《くろひめ》が|隠《かく》して|置《お》きよつたのだなア』
|乙《おつ》『|併《しか》し|黒姫《くろひめ》さまは|蓋《ふた》を|開《あ》けるが|早《はや》いか|吃驚《びつくり》して|尻餅《しりもち》を|搗《つ》いたぢやないか。|大方《おほかた》|紛失《ふんしつ》して|居《ゐ》たのぢやあるまいかな。そんな|事《こと》だつたら、|黒姫《くろひめ》もサツパリ|駄目《だめ》だがなア』
『あんまりの|玉《たま》の|光《ひかり》に|驚《おどろ》いて、|尻餅《しりもち》を|搗《つ》いたのだらう、それに|定《きま》つて|居《ゐ》るよ。|誰一人《たれひとり》こんな|所《ところ》に|隠《かく》して|置《お》いたつて、|探知《たんち》する|者《もの》がないからな。|肝腎《かんじん》の|紫姫《むらさきひめ》さまでさへも|御存《ごぞん》じない|位《くらゐ》だから………』
『イヤどうも|怪《あや》しい|黒姫《くろひめ》の|姿《すがた》、|影《かげ》が|薄《うす》い|様《やう》だ。|一《ひと》つそつと|尋《たづ》ねて|見《み》ようぢやないか。グヅグヅして|居《を》ると、|姿《すがた》が|分《わか》らなくなつて|了《しま》ふよ』
『サ、|早《はや》く|往《ゆ》かう。|最早《もはや》|姿《すがた》が|見《み》えなくなつたぢやないか』
とキヨロキヨロ|其処《そこ》らを|見廻《みまは》して|居《ゐ》る。|忽《たちま》ち|下手《しもて》の|溜池《ためいけ》にバサリと|人《ひと》の|飛《と》び|込《こ》む|水音《みづおと》、|二人《ふたり》は|驚《おどろ》いて|池《いけ》の|辺《ほとり》に|駆《か》けつけ|見《み》れば、|何《なん》の|影《かげ》もなく、|唯《ただ》|水面《すゐめん》を|波《なみ》が|円《ゑん》を|描《ゑが》いて|揺《ゆ》らいで|居《ゐ》る。|月《つき》の|影《かげ》さへも|砕《くだ》けて、|串団子《くしだんご》の|様《やう》に|長《なが》く|重《かさ》なり|動《うご》いて|居《ゐ》る。
|甲《かふ》『ヤア|此処《ここ》に|履物《はきもの》が|一足《いつそく》|脱《ぬ》いである。こりや【てつきり】|黒姫《くろひめ》さまのだ。ヤア|大変《たいへん》だ、カーリンス、|貴様《きさま》は|早《はや》く|帰《かへ》つて|言依別《ことよりわけ》|様《さま》に|申《まを》し|上《あ》げ、|大勢《おほぜい》の|信者《しんじや》を|引率《いんそつ》して|救援隊《きうゑんたい》を|繰出《くりだ》して|呉《く》れ。|俺《おれ》はそれ|迄《まで》|此処《ここ》に|保護《ほご》して|居《を》る』
『|馬鹿《ばか》|言《い》ふない。グヅグヅして|居《ゐ》る|間《ま》に|縡《ことき》れて|了《しま》ふぢやないか』
と|云《い》ふより|早《はや》く、カーリンスは、|薄氷《はくひよう》の|張《は》りかけた|池《いけ》に、|赤裸《まつぱだか》となつて|飛《と》び|込《こ》み、|水《みづ》を|潜《もぐ》つて|黒姫《くろひめ》を|引抱《ひつかか》へ、|漸《やうや》くにして|救《すく》ひあげた。|黒姫《くろひめ》は|最早《もはや》|虫《むし》の|息《いき》となつて|居《ゐ》る。
『オイ、テーリスタン、|誰《たれ》にも|此奴《こいつ》ア、|様子《やうす》を|聞《き》く|迄《まで》|極秘《ごくひ》にして|置《お》かなくては、|黒姫《くろひめ》さまの|為《ため》にはよくなからうぞ。|兎《と》も|角《かく》|俺《おれ》も|寒《さむ》くて|体《からだ》が|凍《い》てさうだ。そつと|此処《ここら》で|火《ひ》を|焚《た》いて|黒姫《くろひめ》|様《さま》の|体《からだ》を|温《あたた》めて|息《いき》を|吹《ふ》き|返《かへ》さすのが|第一《だいいち》だ。オイ|貴様《きさま》|早《はや》く、そつと|帰《かへ》つて|二人《ふたり》の|着物《きもの》を……|何《なん》でも|良《よ》いから|持《も》つて|来《き》て|呉《く》れ』
『ヨシ|合点《がつてん》だツ』
とテーリスタンは|黒姫《くろひめ》の|館《やかた》へ|駆《か》けつけ、そつと|衣服《いふく》を|二人前《ににんまへ》、|小脇《こわき》に|抱《か》い|込《こ》み|帰《かへ》つて|来《き》た。|其《その》|間《ま》に|黒姫《くろひめ》は|息《いき》を|吹《ふ》き|返《かへ》して|居《ゐ》た。テーリスタンは|息《いき》を|喘《はづ》ませながら、
『サア|漸《やうや》く|持《も》つて|来《き》た。|早《はや》く|着《き》て|呉《く》れ。|寒《さむ》かつただらう』
『アヽそれは|御苦労《ごくらう》だつた。サア|黒姫《くろひめ》さま、|兎《と》も|角《かく》これを|着《き》て|下《くだ》さい』
『お|前《まへ》はテー、カーの|両人《りやうにん》ぢやないか。なぜ|妾《わし》の|折角《せつかく》の|投身《みなげ》を|邪魔《じやま》なさるのだい。どこまでも|妾《わし》を|苦《くる》しめる|心算《つもり》かい』
カーリンス『コレ|黒姫《くろひめ》さま、チツと|確《しつか》りなさらぬか。お|前《まへ》さまは|精神《せいしん》に|異状《いじやう》を|来《きた》して|居《ゐ》るのだらう。|生命《いのち》を|助《たす》けて|貰《もら》つて|不足《ふそく》を|云《い》ふ|者《もの》が|何処《どこ》にありますか。なア、テーリスタン。|御苦労《ごくらう》だつた|位《くらゐ》|云《い》つても、あんまり|損《そん》はいくまいに………こんな|怪体《けつたい》な|事《こと》を|聞《き》いたことはないのう』
テーリスタン『コレ|黒姫《くろひめ》さま、お|前《まへ》さまが|覚悟《かくご》で|陥《はま》つたのか、|過《あやま》つて|陥《はま》つたのか………そら|知《し》らぬが、|吾々《われわれ》|二人《ふたり》は|生命《いのち》を|的《まと》に、|此《この》|寒《さむ》いのにお|前《まへ》さまの|生命《いのち》を|助《たす》けたのだ。なぜそんな|不足《ふそく》さうな|事《こと》を|言《い》ふのだい』
『|妾《わし》はどうしても|生《い》きて|居《を》られぬ|理由《わけ》があるのだよ。どうぞ|死《し》なしてお|呉《く》れ』
と|又《また》もや|駆《か》け|出《だ》さむとするを、カーリンスは|大手《おほて》を|拡《ひろ》げ、
『|待《ま》つた|待《ま》つた、|死《し》んで|花実《くわじつ》が|咲《さ》く|例《ため》しがない。|仮令《たとへ》どんな|事《こと》があつても、|死《し》んで|言訳《いひわけ》が|立《た》つものか。|却《かへつ》て|神界《しんかい》に|於《おい》て|薄志弱行者《はくしじやくかうしや》として|冥罰《めいばつ》を|受《う》けねばなるまい』
『|何《なん》と|云《い》つても|死《し》なねばならぬ|理由《わけ》がある。どうぞ|助《たす》けてお|呉《く》れ』
『|助《たす》けて|上《あ》げたぢやないか』
『|助《たす》けると|云《い》ふのは、|妾《わし》の|自由《じいう》に|為《さ》して|呉《く》れと|云《い》ふのだよ』
『|自由《じいう》にするとは、そりや|又《また》どうすると|云《い》ふのだい。|一日《いちにち》でも|生《い》きよう|生《い》きようとするのが|人間《にんげん》の|本能《ほんのう》だ。|死《し》ぬのを|助《たす》かるとはチツと|道理《だうり》に|合《あ》はない。そこまでお|前《まへ》さまも|覚悟《かくご》をした|以上《いじやう》は、どんな|活動《はたらき》でも|出来《でき》るだらう。|生命《いのち》を|的《まと》に|神界《しんかい》の|為《ため》に|活動《くわつどう》し|今迄《いままで》の|罪《つみ》を|贖《あがな》ひし|上《うへ》、|神様《かみさま》のお|召《め》しに|依《よ》つて|国替《くにがへ》するのが|本当《ほんたう》だよ』
テーリスタン『|此《この》|位《くらゐ》な|道理《だうり》の|分《わか》らぬ|貴女《あなた》ぢやないが、|何故《なぜ》|又《また》さう|分《わか》らぬのだらうかナア』
『|何《なに》も|彼《か》もサツパリ|分《わか》らぬ|様《やう》になつて|来《き》ましたよ』
『お|前《まへ》さま、|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》より|保管《ほくわん》を|命《めい》ぜられた、|黄金《わうごん》の|玉《たま》を|紛失《ふんしつ》したのだらう』
『|何《なに》ツ、それが|如何《どう》してお|前《まへ》に|分《わか》つたのか』
『|私《わたし》は|貴女《あなた》がチヨコチヨコ|夜分《やぶん》になると、|宅《うち》を|出《で》て|往《ゆ》ゆくので、|此奴《こいつ》ア|不思議《ふしぎ》だと、|二人《ふたり》が|何時《いつ》も|気《き》を|付《つ》けて|居《を》つたのだ。さうすると、|四尾山《よつをやま》の|一本松《いつぽんまつ》の|麓《ふもと》へ|行《い》つて|居《ゐ》らつしやる。|今日《けふ》も|今日《けふ》とて|不思議《ふしぎ》で|堪《たま》らず、|来《き》て|見《み》れば、お|前《まへ》さまは|松《まつ》の|木《き》の|根元《ねもと》で、|唐櫃《からびつ》を|開《ひら》いて|腰《こし》を|抜《ぬ》かしなさつただらう。【てつきり】|黄金《わうごん》の|玉《たま》を|誰《たれ》かに|盗《ぬす》まれ、|其《その》|責《せめ》を|負《お》うて|自殺《じさつ》しようとしたのだらうがナ』
『|何《なに》ツ、お|前《まへ》は|何時《いつ》も|妾《わし》の|行動《かうどう》を|考《かんが》へて|居《ゐ》たのか。|油断《ゆだん》のならぬ|男《をとこ》だ。そんなら|其《その》|玉《たま》の|盗賊《たうぞく》はお|前達《まへたち》|両人《ふたり》に|間違《まちがひ》なからう……サア|有態《ありてい》に|仰有《おつしや》れ』
『これはしたり、|黒姫《くろひめ》さま。それは|何《なん》と|云《い》ふ|無理《むり》を|仰有《おつしや》るのだ。|能《よ》う|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい。|吾々《われわれ》|両人《ふたり》が|其《その》|玉《たま》を|仮《か》りに|盗《ぬす》んだとすれば、どうしてお|前《まへ》さまを|助《たす》けるものかい。|池《いけ》へ|陥《はま》つたのを|幸《さいはひ》に、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をして|居《ゐ》るぢやないか』
『|兎《と》も|角《かく》、あの|松《まつ》の|木《き》の|下《した》へは、お|前達《まへたち》|二人《ふたり》、|何時《いつ》も|来《く》ると|云《い》ふぢやないか。|玉《たま》の|在処《ありか》を|知《し》つた|者《もの》が|盗《と》らいで|誰《たれ》が|盗《と》らう。|何《なん》と|云《い》つても|嫌疑《けんぎ》のかかるのは|当然《たうぜん》ぢや。|妾《わし》もあの|玉《たま》に|就《つい》ては|生命懸《いのちがけ》に|保護《ほご》をして|居《ゐ》るのだから、お|前《まへ》の|生命《いのち》を|奪《と》つてでも|白状《はくじやう》させねば|置《お》かぬのだよ』
とカーリンスの|胸倉《むなぐら》をグツと|握《と》り、|首《くび》を|締《し》め、
『サア、カーリンス、|玉《たま》の|在処《ありか》を|白状《はくじやう》しなさい』
テーリスタン『コレコレ|黒姫《くろひめ》さま、|何《なに》をなさいます。あんまりぢや|御座《ござ》いませぬか』
『エー|喧《やかま》しい。お|前《まへ》も|同類《どうるゐ》だ。|白状《はくじやう》せぬと、カーリンスの|様《やう》に|揉《も》み|潰《つぶ》して|了《しま》はうか。|二人《ふたり》が|共謀《きようぼう》して|居《を》るのだから、|見《み》せしめに|此奴《こいつ》の|息《いき》の|根《ね》を|止《と》め、|次《つぎ》にお|前《まへ》の|番《ばん》だから、|其処《そこ》|一寸《いつすん》も|動《うご》くこたアならぬぞえ』
『アヽ|苦《くる》しい|苦《くる》しい。オイ、テ、テ、テーリスタン、|婆《ば》アさまを|退《の》けて|呉《く》れ、|息《いき》がト、ト|止《と》まる』
と|声《こゑ》も|絶《た》え|絶《だ》えに|叫《さけ》んで|居《ゐ》る。テーリスタンは|已《や》むを|得《え》ず、|黒姫《くろひめ》の|腰帯《こしおび》をグツと|握《にぎ》り、|力《ちから》に|任《まか》せて|後《うしろ》へ|引《ひ》いた。|黒姫《くろひめ》は|夜叉《やしや》の|如《ごと》く、|声《こゑ》も|荒《あら》らかに、
『モウ|此《この》|上《うへ》は|破《やぶ》れかぶれだ。|汝等《おまへら》|両人《ふたり》|白状《はくじやう》すれば|可《よ》し、|白状《はくじやう》|致《いた》さねば|冥途《めいど》の|道伴《みちづれ》にしてやらう』
と|死物狂《しにものぐる》ひに|両人《りやうにん》に|向《むか》つて|飛《と》び|付《つ》き|来《きた》る|其《そ》の|凄《すさま》じさ。|二人《ふたり》は、
『|黒姫《くろひめ》さま、|待《ま》つた|待《ま》つた。|私《わたし》ぢやない。さう|疑《うたが》はれては|大変《たいへん》な|迷惑《めいわく》を|致《いた》しますよ』
『ナニ、|貴様《きさま》は|高春山《たかはるやま》で|悪《わる》い|事《こと》ばかりやつて|居《ゐ》た|奴《やつ》だから、また|病気《びやうき》が|再発《さいはつ》したのだ。|改心《かいしん》したと|見《み》せかけ、|鷹依姫《たかよりひめ》と|諜《しめ》し|合《あ》はして、|此《この》|玉《たま》を|盗《と》り、|尚《なほ》|其《その》|上《うへ》|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》を|持《も》つて|逃《に》げる|計画《たくみ》に|違《ちがひ》ない。アヽさうなると、|妾《わし》も|今《いま》|死《し》ぬのは|早《はや》い。お|前達《まへたち》の|計画《たくみ》をスツカリと|素破抜《すつぱぬ》いて、|根底《こんてい》から|覆《くつが》へさねばならないのだ。サア|如何《どう》ぢや、|何処《どこ》へ|隠《かく》した。|早《はや》く|言《い》はぬかい』
テー、カー|両人《りやうにん》は|泣声《なきごゑ》になつて、
『モシモシ|黒姫《くろひめ》さま、それはあまり|残酷《ざんこく》ぢやありませぬか』
『ナニ、どちらが|残酷《ざんこく》だ。|妾《わし》に|是《こ》れ|丈《だけ》の|失敗《しつぱい》をさせて|置《お》いて、|白々《しらじら》しく、|知《し》らぬ|存《ぞん》ぜぬの|一点張《いつてんばり》で|貫《つ》き|通《とほ》さうと|思《おも》つても、|此《この》|黒姫《くろひめ》が|黒《くろ》い|眼《め》でチヤンと|睨《にら》んだら|間違《まちがひ》はないのだよ。|斯《か》う|云《い》ふ|所《ところ》で|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》ると|人《ひと》に|見付《みつ》かつては|大変《たいへん》だ。サア|妾《わし》の|館《やかた》までそつと|出《で》て|来《き》なさい。ユツクリと|話《はなし》をして|互《たがひ》に|打解《うちと》けて、|玉《たま》の|在処《ありか》をアツサリ|聞《き》かして|貰《もら》ひませう。さうすれば|妾《わし》も|結構《けつこう》なり、お|前《まへ》も|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》にとりなして|幹部《かんぶ》に|入《い》れてあげる。|何時《いつ》までも|妾《わし》の|宅《うち》に|門番《もんばん》をして|居《を》つても|詰《つま》らぬからナア……』
テ、カ『ハイ、そんなら|御言葉《おことば》に|従《したが》ひ、お|宅《たく》へ|参《まゐ》りませう』
『ア、それでヤツと|安心《あんしん》した。|素直《すなほ》に|在処《ありか》を|白状《はくじやう》するのだよ』
『ハテ、|困《こま》つた|事《こと》だなア』
と|二人《ふたり》は|思案《しあん》に|暮《く》れてゐる。
(大正一一・五・二四 旧四・二八 松村真澄録)
第二章 |探《さぐ》り|合《あ》ひ〔六九四〕
|言依別《ことよりわけ》に|託《たく》されし、|黄金《わうごん》の|玉《たま》の|行方《ゆくへ》をば、|見失《みうしな》ひたる|黒姫《くろひめ》は、テーリスタンやカーリンス、|二人《ふたり》の|男《をとこ》に|疑《うたが》ひを、|抱《いだ》きながらにトボトボと、|己《おの》が|館《やかた》に|立《た》ち|帰《かへ》り、|二人《ふたり》を|前《まへ》に|坐《すわ》らせつ、|茶《ちや》の|湯《ゆ》を|進《すす》め|機嫌《きげん》をとり、|威《おど》しつ|慊《すか》しつ|訊《たづ》ぬれば、|素《もと》より|二人《ふたり》は|白紙《しらかみ》の、|疚《やま》しき|所《ところ》【なく】|涙《なみだ》、|声《こゑ》を|絞《しぼ》つて|弁解《べんかい》すれど、|容易《ようい》に|晴《は》れぬ|黒姫《くろひめ》の、|胸《むね》に|心《こころ》を|悩《なや》ませつ、|互《たがひ》に|顔《かほ》を|見合《みあは》せて、|如何《いかが》はせむと|腕《うで》を|組《く》み、|差俯向《さしうつむ》いて|黙然《もくねん》たるぞ|憐《いぢ》らしき。
|黒姫《くろひめ》『|人間《にんげん》は|神様《かみさま》の|生宮《いきみや》だから、|何処《どこ》までも|正直《しやうぢき》にせなくてはなりませぬぞや。|如何《いか》なる|罪科《つみとが》があつても、|悔《く》い|改《あらた》めたならば|大神様《おほかみさま》は、|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し、|聞直《ききなほ》し、|宣直《のりなほ》して|下《くだ》さるのだ。|此《こ》の|世《よ》の|中《なか》は、|隅《すみ》から|隅《すみ》まで|日月《じつげつ》の|如《ごと》く|明《あきら》かなる|神様《かみさま》の|御支配《ごしはい》であるから、どんな|小《ちひ》さいことでも|神《かみ》の|御眼《おんめ》を|眩《くら》ますことは|出来《でき》ない。【わづか】の|此《こ》の|世《よ》で|目的《もくてき》を|達《たつ》しても、|永遠無窮《ゑいゑんむきう》の|神界《しんかい》で|苦《くる》しみを|受《う》けるやうなことが|出来《でき》ては|大変《たいへん》な|不利益《ふりえき》だから、|私《わし》は|神様《かみさま》のため、|世人《よびと》のため、|又《また》お|前達《まへたち》|両人《りやうにん》の|身魂《みたま》の|幸福《かうふく》のために|云《い》ふのだから、|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》と|玉《たま》の|在処《ありか》を|知《し》らしておくれ。|何時《いつ》まで|腕組《うでぐみ》|思案《しあん》してゐた|処《ところ》で、|悪《あく》が|善《ぜん》に|復《かへ》る|筈《はず》はない。|盗《ぬす》むと|云《い》ふ|一事《いちじ》は|何処迄《どこまで》も|万劫末代《まんがふまつだい》|消《き》えませぬぞえ。サ、あまり|世間《せけん》にパツとせない|間《うち》、|私《わし》に|一伍一什《いちぶしじふ》を|白状《はくじやう》して|下《くだ》さい。|私《わし》の|落度《おちど》にもなり、お|前《まへ》さまの|罪《つみ》にもなるのだから、|今《いま》の|間《うち》に|私《わし》に|白状《はくじやう》しさへすれば、|此《この》|場《ば》|限《かぎ》りで|何処《どこ》も|彼《か》も|天下泰平《てんかたいへい》|無事《ぶじ》|安穏《あんのん》に|治《をさ》まる|訳《わけ》だから。サア、テーリスタン、カーリンス、|早《はや》く|素直《すなほ》に|言《い》つておくれ』
テーリスタン『これは|又《また》してもお|訊《たづ》ねですが、|何《なん》と|仰有《おつしや》つても|知《し》らぬ|事《こと》は|知《し》らぬと|答《こた》へるより|外《ほか》に|途《みち》が|無《な》いぢやありませぬか』
『エー|又《また》しても|白《しら》ツぱくれなさるのか。さてもさても|分《わか》らぬ|人《ひと》だなア。これこれカーリンス、お|前《まへ》は|正直者《しやうぢきもの》だ。|私《わし》を|助《たす》けて|呉《く》れただけあつて、|何処《どこ》ともなしに|徳《とく》のある|顔《かほ》をして|居《ゐ》る。|神様《かみさま》のお|姿《すがた》みたやうだ。|屹度《きつと》お|前《まへ》は|霊肉《れいにく》|共《とも》に|清浄《せいじやう》|潔白《けつぱく》だから、テーリスタンに|対《たい》し|堅《かた》い|約束《やくそく》を|破《やぶ》つてはならないと|隠《かく》してゐるのだらうが、そんな|心遣《こころづかひ》は|要《い》らぬ|事《こと》だ。|事《こと》の|軽重《けいちよう》|大小《だいせう》により|考《かんが》へて|見《み》なさい。お|前《まへ》が|私《わし》に|全然《すつかり》|白状《はくじやう》をしたと|云《い》つても、|決《けつ》してテーリスタンを|苦《くる》しめるのでも|責《せ》めるのでもない。|畢竟《つまり》テーリスタンも、|私《わし》も、お|前《まへ》も|大慶《たいけい》だし、ツイ|当座《たうざ》の|出来心《できごころ》だから。|若《わか》い|時《とき》には|誰《たれ》しもある|事《こと》だから、|屹度《きつと》|神様《かみさま》は|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|宣直《のりなほ》して|下《くだ》さる。|私《わし》も|何程《なにほど》お|前《まへ》が|悪《わる》うても、|見直《みなほ》し、|聞直《ききなほ》し、|初《うぶ》の|心《こころ》で|今《いま》までの|事《こと》は|川《かは》へサラリと|流《なが》し、|心《こころ》|許《ゆる》して|交際《かうさい》をさして|貰《もら》ふから、さア、チヤツとカーリンス、|言《い》はつしやいよ』
カーリンスは|頭《あたま》を|掻《か》きながら、
『ヘイ|貴女《あなた》の|御言葉《おことば》はよく|分《わか》つて|居《を》ります』
『さうだらう、|分《わか》つたぢやらう。|矢張《やつぱ》りお|前《まへ》はテーリスタンとは、|一寸《ちよつと》|兄貴《あにき》だけあつて|賢《かしこ》い、|偉《えら》いものだ。|正直《しやうぢき》は|此《この》|世《よ》の|宝《たから》だ。なア、カーリンス』
『モシ|黒姫《くろひめ》|様《さま》、|知《し》らぬことを|知《し》つたやうに|云《い》つたら、それでも|誠《まこと》になりますか』
『|知《し》つたことを|知《し》らぬと|云《い》ふのが|悪《わる》いのだ。|知《し》つたことを「|知《し》つて|居《を》ります、|斯様々々《かやうかやう》|致《いた》しました」と|言《い》ひさへすれば、|途方《とはう》もない|玉盗人《たまぬすと》をしたお|前《まへ》も、|罪《つみ》が|消《き》えて|却《かへつ》て|素直《すなほ》な|奴《やつ》だと|大神様《おほかみさま》が|誉《ほ》めて|下《くだ》さるぞえ』
『オイ、テーリスタン、|斯《こ》んな|婆《ばあ》さまに|掛《かか》り|合《あ》つたら、【とりもち】|桶《をけ》へ|脚《あし》を|突込《つつこ》んだやうなものだなア。|何《ど》うしたらよからうか』
テーリスタン『それだと|云《い》つて|第一《だいいち》|吾々《われわれ》を|日頃《ひごろ》から|大切《たいせつ》にして|下《くだ》さる|黒姫《くろひめ》|様《さま》の|御難儀《ごなんぎ》になるのだから、あゝして|厳《きび》しう|執拗《しつこ》くお|訊《たづ》ねなさるのも|仕方《しかた》がない。|黒姫《くろひめ》|様《さま》のお|立場《たちば》になれば|無理《むり》もないよ。ぢやと|云《い》つて|吾々《われわれ》|両人《ふたり》は|本当《ほんたう》に|迷惑《めいわく》だなア』
『お|前達《まへたち》|其処《そこ》|迄《まで》|物《もの》が|分《わか》つて|居《を》りながら、|何故《なぜ》|私《わし》を|焦《じ》らすのだい。|盗人猛々《ぬすびとたけだけ》しいとはお|前達《まへたち》のことだよ。|他《ひと》が|温順《おとな》しく|出《で》れば【つけ】|上《あが》り、|歯抜《はぬ》けが|蛸《たこ》を|噛《か》むやうにグヂヤグヂヤと|歯切《はぎ》れのせぬ|返事《へんじ》ばつかりして………エー|辛気臭《しんきくさ》い。|困《こま》つた|泥坊《どろばう》だなア』
と|長煙管《ながぎせる》で|丸火鉢《まるひばち》をクワンクワンとはたき、|眼《め》をキリツと|釣《つ》り|上《あ》げ、|片膝《かたひざ》を|立《た》てて|斜《しや》に|構《かま》へ|息《いき》を|喘《はづ》ませて|見《み》せた。|折柄《をりから》|錦《にしき》の|宮《みや》の|高楼《たかどの》に|夜明《よあけ》と|見《み》えて、|祝詞《のりと》|奏上《そうじやう》の|始《はじ》まる|五六七《みろく》の|太鼓《たいこ》が|響《ひび》いて|来《き》た。
『オイ、カーリンス、あれは|五六七《みろく》の|太鼓《たいこ》の|音《おと》、モー|御礼《おれい》だ。|一先《ひとま》づ|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》つて|参拝《さんぱい》をして|来《こ》うかい』
『オーそうだ、|黒姫《くろひめ》|様《さま》、ゆつくり|心《こころ》を|落着《おちつ》けて|吾々《われわれ》の|無実《むじつ》を|御考《おかんが》へ|下《くだ》さいませ。これからお|詣《まゐ》りして|来《き》ます』
『オホヽヽ、|五六七《みろく》の|太鼓《たいこ》は、お|前《まへ》さまの|為《ため》には|結構《けつこう》な|助《たす》け|舟《ぶね》だ。|併《しか》し|乍《なが》ら|五六七《みろく》でも|七五三《しちごさん》でもお|詣《まゐ》りは|出来《でき》ませぬよ。|此《こ》の|話《はなし》の|解決《かいけつ》がつくまで|参拝《さんぱい》は|黒姫《くろひめ》が|許《ゆる》しませぬ。そんな|盗人《ぬすと》|根性《こんじやう》で|神様《かみさま》へ|詣《まゐ》つて、|結構《けつこう》な|御宮様《おみやさま》を|汚《けが》すと|云《い》ふ|事《こと》があるものか、|罰当《ばちあた》り|奴《め》が、アルプス|教《けう》の|教《をしへ》とはチツト|違《ちが》ふぞえ』
と|又《また》もや|声《こゑ》を|尖《とが》らせ、|火鉢《ひばち》を|叩《たた》く。
テーリスタン『オイ、|兄弟《きやうだい》、|何《ど》うしようかな。エライことに|取《と》ツつかまつたものだワイ』
『|取《と》ツつかまるも|取《と》ツつかまらぬも、お|前《まへ》の|自業自得《じごうじとく》だよ。|心《こころ》の|鬼《おに》が|身《み》を|責《せ》めるのだ。お|前《まへ》は|結構《けつこう》な|身魂《みたま》だが、|其《そ》の|心《こころ》の|鬼《おに》が|矢張《やつぱ》り|邪魔《じやま》をするのだらう。サア|早《はや》く|鬼《おに》を|突《つ》き|出《だ》して|美《うつく》しい|身魂《みたま》になつて|玉《たま》の|在処《ありか》を|知《し》らすのだよ。|大方《おほかた》|鷹依姫《たかよりひめ》の|指図《さしづ》でお|前《まへ》が|隠《かく》しとるのぢやないかなア。|紫《むらさき》の|玉《たま》を|気好《きよ》う|献上《けんじやう》するなんて|言《い》ひよつて、|麦飯《むぎめし》で|鯉《こひ》を|釣《つ》るやうな|企《たく》みをしたのだらう。|紫《むらさき》の|玉《たま》が|何程《なにほど》|立派《りつぱ》でも|黄金《わうごん》の|玉《たま》に|比《くら》ぶれば|何《なん》でもない。|却々《なかなか》アルプス|教《けう》に|居《を》つた|奴《やつ》は|油断《ゆだん》がならぬ。アヽさうぢや、お|前《まへ》の|事《こと》ばかり|責《せ》めて|居《を》つても|訳《わけ》が|分《わか》らぬ。|大方《おほかた》|陰《かげ》から|操《あやつ》つて|居《を》るのであらう。|此《こ》の|聖地《せいち》へ|来《き》てから|鷹依姫《たかよりひめ》は、|始終《しじう》|使《つか》ひ|馴《な》れたお|前達《まへたち》|二人《ふたり》を|私《わし》の|部下《ぶか》にして|呉《く》れと|云《い》つた|点《てん》からが|抑《そもそ》も|疑《うたが》はしい。|私《わし》が|黄金《わうごん》の|玉《たま》の|監督者《かんとくしや》と|云《い》ふことは、よく|分《わか》つて|居《を》るのだから、|屹度《きつと》|鷹依姫《たかよりひめ》の|指図《さしづ》であらうがな。ホヽヽヽ、お|前達《まへたち》は|忠実《ちうじつ》なものだ。|善《ぜん》にも|強《つよ》ければ|悪《あく》にも|強《つよ》い。|一旦《いつたん》|主人《しゆじん》と|仰《あふ》いだ|鷹依姫《たかよりひめ》へ、|其処《そこ》まで|尽《つく》す|親切《しんせつ》は|見上《みあ》げたものだ。|俄主人《にはかしゆじん》の|黒姫《くろひめ》に|云《い》つて|下《くだ》さらぬのも|無理《むり》はない。アーア|私《わし》の|了簡《りやうけん》が|間違《まちが》つて|居《を》つた。ドレ|是《これ》から|鷹依姫《たかよりひめ》を|呼《よ》んで|訊問《じんもん》してみよう』
テーリスタン『|滅相《めつさう》なこと|仰有《おつしや》いますな。|鷹依姫《たかよりひめ》さまは、そんなお|方《かた》ぢやございませぬ。|苟《いやし》くも|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|竜国別《たつくにわけ》さまの|母上《ははうへ》ではありませぬか。|大神様《おほかみさま》の|御神徳《おかげ》で|親子《おやこ》の|対面《たいめん》が|出来《でき》たと|云《い》つて、それはそれは|温順《おとな》しく|誠《まこと》の|信仰《しんかう》に|入《はい》つてゐられます。あんまり|御疑《おうたが》ひなさるのは|殺生《せつしやう》でございますよ』
『アヽ|無理《むり》もない、さうでなければ|人間《にんげん》ぢやない、|感心《かんしん》|感心《かんしん》。|私《わし》もそんな|家来《けらい》をたとへ|半時《はんとき》でも|欲《ほ》しいものだ。|併《しか》し|乍《なが》ら、よく|考《かんが》へて|見《み》なさい。お|前《まへ》は|大神様《おほかみさま》の|誠《まこと》の|道《みち》に|背《そむ》いても、|一人《ひとり》の|鷹依姫《たかよりひめ》が|大切《だいじ》か』
『これは|聊《いささ》か|迷惑千万《めいわくせんばん》。こんなことを|鷹依姫《たかよりひめ》|様《さま》がお|聞《き》きにならうものなら、ビツクリして|肝《きも》を|潰《つぶ》されます』
『ソリヤ|当然《あたりまへ》だよ。|余《あま》り|肝玉《きもだま》の|太《ふと》い|事《こと》をすると|神様《かみさま》に|睨《にら》まれ、|肝《きも》が|玉《たま》なしになつて|了《しま》ふのは|天地《てんち》の|許《ゆる》さぬ|道理《だうり》、オホヽヽヽ、さてもさても【しぶとい】|代物《しろもの》だなア。ドレドレ|五六七《みろく》の|太鼓《たいこ》が|鳴《な》つた。|朝《あさ》のお|勤《つと》めに|行《い》つて|来《く》るから、お|前達《まへたち》は|何処《どこ》にも|逃《に》げることはならぬぞえ。|鷹依姫《たかよりひめ》に【とつく】と|言《い》ひ|聞《き》かし、|私《わし》が|帰《かへ》る|迄《まで》に【そつ】と|黄金《わうごん》の|玉《たま》を|持《も》つて|来《き》て|置《お》くのだよ』
『アー|何《ど》うしたらよからうなア』
と|二人《ふたり》は|吐息《といき》をつく。
|黒姫《くろひめ》は|錦《にしき》の|宮《みや》に|参拝《さんぱい》せむと|衣紋《えもん》をつくろひ、|紋付《もんつき》|羽織《はおり》を|着《ちやく》し、|稍《やや》|悄気気分《せうげきぶん》になつて|道路《みち》の|石《いし》を|一《ひと》つ|一《ひと》つ|数《かぞ》へるやうな|調子《てうし》で【なめくぢり】の|旅行式《りよかうしき》に、|力《ちから》なげに|参拝《さんぱい》に|出掛《でか》けた|後《あと》に|二人《ふたり》は|黒姫《くろひめ》の|残《のこ》して|置《お》いた|長煙管《ながぎせる》を|握《と》り、テーリスタンは|黒姫《くろひめ》の|座席《ざせき》に|坐《すわ》り、
『これこれカーリンス、お|前《まへ》は|余程《よつぽど》|好《い》い|児《こ》ぢや、さあチヤツと|玉《たま》の|在処《ありか》を|云《い》ふのだよ。|何処《どこ》へ|隠《かく》したか、|黒姫《くろひめ》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、このテーリスタンまでが|側杖《そばづゑ》を|食《く》つて、|終《つひ》に|累《るゐ》を|鷹依姫《たかよりひめ》|様《さま》に|及《およ》ぼさむとして|居《を》る|大切《たいせつ》な|危急《ききふ》な|場合《ばあひ》だよ。|黒姫《くろひめ》の|居《を》る|処《ところ》では|云《い》ひ|憎《にく》からうが、|黒姫《くろひめ》|代理《だいり》のテーリスタンは|今《いま》まで|兄弟《きやうだい》|同様《どうやう》に|交際《つきあ》つて|来《き》たのだから、|何一《なにひと》つ|心遣《こころづか》ひは|要《い》らない。サア、|言《い》つて|御覧《ごらん》』
カーリンス『オイオイ|兄貴《あにき》、お|前《まへ》までが|何《なに》を|言《い》ふのだい。|矢張《やつぱ》り|俺《おれ》を|疑《うたが》つて|居《を》るのか』
『|疑《うたが》はずに|居《を》れぬぢやないか。|此《この》|間《あひだ》|俺《おれ》が|一緒《いつしよ》に|往《ゆ》かうと|言《い》つた|時《とき》、|貴様《きさま》は|親切《しんせつ》さうに「テーリスタン、お|前《まへ》は|風邪《かぜ》をひいて|居《ゐ》るから|今日《けふ》は|休《やす》め、|俺《おれ》が|代《かは》りに|黒姫《くろひめ》|様《さま》の|御保護《ごほご》を|見《み》え|隠《かく》れにして|来《く》る」と|言《い》つただらう。|親切《しんせつ》な|正直《しやうぢき》な|貴様《きさま》のことだから、【よもや】とは|思《おも》へども|前後《ぜんご》の|事情《じじやう》から|考《かんが》へて|見《み》れば、|何《ど》うしても|貴様《きさま》を|疑《うたが》はねばならぬのだ。お|前《まへ》が|盗《と》つたとより|考《かんが》へられないワ』
『アーア、|情《なさけ》ないことになつて|来《き》たワイ。|間違《まちが》へば|斯《か》うも|間違《まちが》ふものかなア。なんとした|私《わし》は|因果《いんぐわ》な|生《うま》れつきだらう。|天地《てんち》の|神様《かみさま》に|見放《みはな》されてゐるのか』
『|天地《てんち》の|神様《かみさま》に|見放《みはな》されようと|見放《みはな》されまいと、|貴様《きさま》の|心《こころ》の|持《も》ちやう|一《ひと》つだ。|愚図々々《ぐづぐづ》してゐると|黒姫《くろひめ》さまが|帰《かへ》つて|来《く》るぞ。|早《はや》く|俺《おれ》に|云《い》つて|了《しま》へ。さうすれば|俺《おれ》も|責任《せきにん》を|分担《ぶんたん》して「|隠《かく》してゐましたが|実《じつ》はこれです」と【つき】|出《だ》して、|怺《こら》へて|貰《もら》ふのだから』
『オイ|兄貴《あにき》、|一寸《ちよつと》お|前《まへ》|下《した》へ|降《お》りて|呉《く》れ。|俺《おれ》が|其処《そこ》へ|行《ゆ》かぬと|話《はなし》が|出来《でき》ぬ』
『ヨシヨシ|言《い》ひさへすれば|好《い》いのだ。|如何《どう》でもしてやらう。サア、|煙草《たばこ》でも|燻《くす》べもつてすつかり|言《い》つて|了《しま》へ。|俺《おれ》は|下《した》へ|降《お》りて|聞《き》き|役《やく》だから』
と|茲《ここ》に|二人《ふたり》は|位置《ゐち》を|変《へん》じ、カーリンスは|長煙管《ながぎせる》で|火鉢《ひばち》を|叩《たた》きながら|眼尻《めじり》を|釣《つ》り|上《あ》げ、
『コリヤ、テーリスタン、|盗人《ぬすびと》|猛々《たけだけ》しいとは|貴様《きさま》のことだ。|覚《おぼ》えのない|俺《おれ》に|自分《じぶん》の|悪《あく》を|塗《ぬ》りつけようとするのは|怪《け》しからぬぢやないか。|俺《おれ》が|此《この》|間《あひだ》|貴様《きさま》の|病気《びやうき》を|苦《く》にして|親切《しんせつ》に|云《い》つてやつたら、それを|逆《さか》に|取《と》つて|俺《おれ》を|盗人《ぬすびと》と|誣《しゆ》るのか。さう|云《い》ふ|貴様《きさま》こそ|怪《あや》しい|点《てん》がある。|此《この》|間《あひだ》の|晩《ばん》だつた、|昨夜《ゆうべ》のやうに|月《つき》は|出《で》てない、|鼻《はな》を|撮《つま》まれても|分《わか》らぬやうな|時《とき》、|貴様《きさま》は|倒《こ》けたとか、|道路《みち》が|分《わか》らぬとか|云《い》つて|大変《たいへん》に|時間《ひま》をとつた|事《こと》があるだらう。サア|何処《どこ》へ|隠《かく》した、|有体《ありてい》に|白状《はくじやう》せ。もう|斯《か》うなる|以上《いじやう》は|兄弟《きやうだい》の|縁切《えんぎ》れだ。|併《しか》しさうは|云《い》ふものの、|事実《じじつ》さへ|白状《はくじやう》すれば、|矢張《やつぱ》り|元《もと》の|兄弟《きやうだい》だ、|親友《しんいう》だ。|鷹依姫《たかよりひめ》|様《さま》は|既《すで》に|改心《かいしん》なさつたのだから、|玉《たま》を|欲《ほ》しがる|道理《だうり》はない。さすれば|貴様《きさま》は|其《そ》の|玉《たま》をもつて、|三国ケ岳《みくにがだけ》の|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》に|献上《けんじやう》し、バラモン|教《けう》で|羽振《はぶ》りを|利《き》かさうとする|野心《やしん》があるのだらう。サアサ、|早《はや》く|申《まを》さぬか、|今迄《いままで》のカーリンスとは|訳《わけ》が|違《ちが》ふぞ。|閻魔《えんま》が|浄玻璃《じやうはり》の|鏡《かがみ》にかけて|善悪《ぜんあく》を|今《いま》に|立別《たてわ》けて|見《み》せる。さア、|如何《どう》ぢや』
と|力任《ちからまか》せに|火鉢《ひばち》を|殴《なぐ》つた|途端《とたん》、|細《ほそ》い|竹《たけ》の|羅宇《らお》はポクリと|折《を》れて、|雁首《がんくび》はテーリスタンの|額口《ひたひぐち》に|喰《く》ひついた。
テーリスタンはムツと|腹《はら》を|立《た》て、
『なに|貴様《きさま》、|他《ひと》に|己《おのれ》の|罪《つみ》を|塗《ぬ》りつけようとする|大悪人《だいあくにん》|奴《め》』
と|両手《りやうて》をひろげて|武者振《むしやぶ》りついた。カーリンスは、
『|何《なに》ツ、|猪口才《ちよこざい》な』
と|握《にぎ》り|拳《こぶし》を|固《かた》めて、|無性《むしやう》|矢鱈《やたら》に|黒姫《くろひめ》の|留守中《るすちう》に|大格闘《だいかくとう》の|幕《まく》が|下《お》りた。
(大正一一・五・二四 旧四・二八 外山豊二録)
第三章 |不知火《しらぬひ》〔六九五〕
|黒姫《くろひめ》は|錦《にしき》の|宮《みや》の|朝参《てうさん》を|済《す》ませ、|帰途《きと》|竜国別《たつくにわけ》の|家《いへ》に|立《た》ち|寄《よ》り、|奥《おく》の|一室《ひとま》に|入《い》り|鷹依姫《たかよりひめ》と、ひそひそ|話《はなし》を|始《はじ》めかけた。
|黒姫《くろひめ》『|鷹依姫《たかよりひめ》さま、|世《よ》の|中《なか》に|宝《たから》と|云《い》うたら|何《なに》が|一番《いちばん》だと|思《おも》ひますか』
|鷹依姫《たかよりひめ》『|私《わたくし》は|如意宝珠《によいほつしゆ》よりも、|黄金《わうごん》の|玉《たま》よりも、|紫《むらさき》の|玉《たま》よりも、|天地《てんち》の|誠《まこと》が|一番《いちばん》の|宝《たから》だと|考《かんが》へて|居《を》ります』
『ア|左様《さやう》か、それは|御尤《ごもつと》も。|併《しか》し|貴女《あなた》はその|宝《たから》を|如何《どう》しました』
『|何分《なにぶん》にも|曇《くも》つた|身魂《みたま》で|御座《ござ》いますから、|誠《まこと》の|宝《たから》が|手《て》に|入《はい》らいで、|神様《かみさま》に|対《たい》しはづかしいことで|御座《ござ》います。|神様《かみさま》は|誠《まこと》の|玉《たま》を|早《はや》く|取《と》れよと|突《つ》き|出《だ》して|御座《ござ》るのですが、|何《ど》うも|人間《にんげん》は|身魂《みたま》の|曇《くも》りが|甚《ひど》いのでお|貰《もら》ひ|申《まを》す|事《こと》が|出来《でき》ませぬ。|何《なん》とかして|早《はや》く|誠《まこと》と|云《い》ふ|宝《たから》を|手《て》に|入《い》れたいと|朝夕《あさゆふ》|祈《いの》つて|居《を》ります』
『お|前《まへ》さまはさうぢやありますまい。|誠《まこと》の|玉《たま》よりも、|黄金《わうごん》の|玉《たま》が|結構《けつこう》なのでせう。|三五教《あななひけう》の|唯一《ゆいつ》の|宝《たから》、|黄金《わうごん》の|玉《たま》を、|貴女《あなた》こつそりと|何処《どこ》へ|隠《かく》しましたか』
『エ、|何《なん》とおつしやいます。|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬお|言葉《ことば》、|黄金《わうごん》の|玉《たま》が|何《ど》うなつたと|仰有《おつしや》るのですか』
『|白々《しらじら》しい、|呆《とぼ》けなさいますな。|心《こころ》に|覚《おぼ》えが|御座《ござ》いませう。|何《なん》とお|隠《かく》しなさつても、|此《この》|黒姫《くろひめ》の|目《め》でちやんと|睨《にら》んだら|外《はづ》れつこはありませぬ。|既《すで》にテーリスタンや、カーリンスがお|前《まへ》さまの|命令《めいれい》で、|黄金《わうごん》の|玉《たま》を|盗《ぬす》んだと|云《い》はぬばかりの|口吻《くちぶり》をして|居《ゐ》ますよ』
『あの、テー、カーの|二人《ふたり》がそんな|事《こと》を|云《い》ひましたか。|何《なに》を|証拠《しようこ》にそんな|大《だい》それた|嘘《うそ》を|云《い》ふのでせうか』
『ヘン、|貴女《あなた》よく|呆《とぼ》けますねえ。|松《まつ》の|根元《ねもと》から|掘《ほ》り|出《だ》しなさつた、あの|黄金《わうごん》の|玉《たま》ですよ。|貴女《あなた》が|高春山《たかはるやま》でアルプス|教《けう》の|教主《けうしゆ》と|云《い》うて|威張《ゐば》つて|居《を》られた|時《とき》、|徳公《とくこう》を|聖地《せいち》に|入《い》り|込《こ》ませ、|玉《たま》の|在処《ありか》を|考《かんが》へさして|居《を》つたぢやありませぬか。あの|徳《とく》と|云《い》ふ|奴《やつ》は|蜈蚣姫《むかでひめ》に|在処《ありか》を|知《し》らした|奴《やつ》だ。それが|又《また》お|前《まへ》さまの|三五教《あななひけう》へ|偽帰順《にせきじゆん》と|共《とも》に、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をして|入《はい》つて|来《き》て|居《ゐ》ませうがな。|真実《ほんと》は|彼奴《あいつ》の|手引《てび》きで、テー、カーの|両人《りやうにん》が|私《わたし》の|保管《ほくわん》して|居《を》る|黄金《わうごん》の|玉《たま》を、お|前《まへ》さまの|指図《さしづ》で|盗《と》つたに|違《ちが》ひありませぬ。|私《わたし》も、もう|命《いのち》がけだ。お|前《まへ》さまの|生首《なまくび》を|引《ひ》き|抜《ぬ》いて、|私《わたし》も|潔《いさぎよ》く|死《し》んで|仕舞《しま》ふのだ、さあ|何《ど》うだ』
と|藪《やぶ》から|棒《ぼう》の|詰問《きつもん》に、|鷹依姫《たかよりひめ》は|呆《あき》れ|果《は》て、|茫然《ばうぜん》として|顔《かほ》を|真蒼《まつさを》にし、|黒姫《くろひめ》を|凝視《みつ》めて|居《ゐ》る。
『|悪事《あくじ》|千里《せんり》と|云《い》うて、|悪《わる》い|事《こと》は|出来《でき》ますまいがな。|併《しか》し|神様《かみさま》は|屹度《きつと》|赦《ゆる》して|下《くだ》さいますから|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》と|白状《はくじやう》なさいませ。お|前《まへ》さまは|可愛《かあい》い|一人《ひとり》の|息子《むすこ》の|竜国別《たつくにわけ》さまに|毒茶《どくちや》を|呑《の》ませ、|熱湯《ねつたう》を|浴《あ》びせるやうなものだ。|私《わたし》も|仮令《たとへ》|一日《いちにち》でも|大切《たいせつ》な|玉《たま》が|紛失《ふんしつ》して|居《を》つたと|云《い》ふことが、|皆《みな》さまに|知《し》れては|大変《たいへん》だから、|何処迄《どこまで》も|秘密《ひみつ》を|守《まも》つて、お|前《まへ》さまが|盗《ぬす》んだとは|云《い》はないから、サア、ちやつと|出《だ》して|下《くだ》さい。お|前《まへ》さまの|身《み》のため、|竜国別《たつくにわけ》さまのためだ。|随分《ずゐぶん》|温順《おとなし》さうな|顔《かほ》をして|居《を》つて、|貴女《あなた》も|敏腕家《やりて》ぢやなア。|黒姫《くろひめ》も|其《その》|腕前《うでまへ》には|感心《かんしん》|致《いた》しましたよ。ホヽヽヽヽ』
と|嫌《いや》らしく|笑《わら》ふ。|鷹依姫《たかよりひめ》は|当惑顔《たうわくがほ》、|涙《なみだ》をぼろぼろと|流《なが》し、
『あゝ|神様《かみさま》、|何卒《どうぞ》|此《この》|黒白《こくびやく》を|分《わ》けて|下《くだ》さいませ。|私《わたくし》は|今《いま》、|大変《たいへん》の|難題《なんだい》を|蒙《かうむ》つて|居《を》ります』
と|手《て》を|合《あは》す。|黒姫《くろひめ》は|声《こゑ》を|尖《とが》らして、
『|鷹依姫《たかよりひめ》さま、|馬鹿《ばか》な|真似《まね》をなさいますな。そんな|嘘《うそ》を|喰《く》ふ|黒姫《くろひめ》とは、ヘン、|些《ちつ》と|種《たね》が|違《ちが》ひますぞや』
『|黒姫《くろひめ》さま、そりや|貴女《あなた》|本気《ほんき》で|仰有《おつしや》るのですか。|夢《ゆめ》にも|思《おも》はぬ|難題《なんだい》を|私《わたくし》に|持《も》ちかけ、|自分《じぶん》が|監督不行届《かんとくふゆきとどき》の|罪《つみ》を|塗《ぬ》りつけようと|遊《あそ》ばすのか。|私《わたくし》もかう|見《み》えても|一度《いちど》は|一教派《いちけうは》の|教主《けうしゆ》をして|来《き》たものだ。|滅多《めつた》な|事《こと》を|仰有《おつしや》ると|了簡《りやうけん》なりませぬぞや』
『|了簡《りやうけん》ならぬとは、そりや|誰《たれ》に|云《い》ふのだえ。|此方《こちら》からこそ|了簡《りやうけん》ならぬ。|何《なん》と|図太《づぶと》い|胆玉《きもだま》だなア』
『|黒姫《くろひめ》|様《さま》、|貴女《あなた》は|何《なに》か|私《わたし》に|恨《うらみ》があつてそんな|難題《なんだい》を|吹《ふ》きかけるのでせう。それならそれで|宜敷《よろし》い、|私《わたし》にも|考《かんが》へがある。お|前《まへ》さまの|様《やう》に|子《こ》のないものならそれで|宜《よ》いが、|私《わたし》には|天《てん》にも|地《ち》にも|一人《ひとり》の|可愛《かあい》い|伜《せがれ》がある。そんな|難題《なんだい》を|吹《ふ》つかけられて|何《ど》うして|伜《せがれ》が|世《よ》の|中《なか》に|立《た》つて|行《い》けませう。|竜国別《たつくにわけ》の|母親《ははおや》は|聖地《せいち》に|於《おい》て|宝《たから》を|盗《ぬす》んだと|云《い》はれては、|伜《せがれ》どころか|先祖《せんぞ》の|名《な》|迄《まで》|汚《けが》すぢやありませぬか。|何《なに》を|証拠《しようこ》にそんな|無茶《むちや》な|事《こと》を|仰有《おつしや》るのだ。|私《わたし》は|高姫《たかひめ》|様《さま》のやうに、|呑《の》んだり|吐《は》いたり、そんな|芸当《げいたう》はよう|致《いた》しませぬ。お|前《まへ》さまは|私《わたし》が|腹《はら》にでも|呑《の》んで|居《を》るやうに|思《おも》うて|居《ゐ》るのでせう』
『そりや|貴女《あなた》の|腹《はら》にありませう。|人《ひと》の|腹《はら》は|外《そと》からは|分《わか》りませぬからなア』
『そんなら|私《わたし》は|潔白《けつぱく》を|示《しめ》すために|腹《はら》を|切《き》つてお|目《め》にかける。その|代《かは》り、もし|呑《の》んで|居《ゐ》なかつたら|何《ど》うして|下《くだ》さる』
『|玉《たま》を|隠《かく》すのは|腹《はら》ばつかりぢやありませぬ。|土《つち》の|中《なか》でも、|倉《くら》の|中《なか》でも、|川《かは》の|中《なか》でも、どつこへでも|隠《かく》せるぢやありませぬか。そんな【あざとい】|事《こと》を|云《い》うて、|黒姫《くろひめ》を【ちよろまか】さうと|思《おも》つても、いつかな いつかな、|此《この》|黒姫《くろひめ》は|些《ちつ》と|違《ちが》ひますから、お|前《まへ》さまの|口車《くちぐるま》には|乗《の》りませぬぞい。オホヽヽヽ』
と|頤《あご》をしやくり、|肩《かた》を|四角《しかく》にし、|舌端《ぜつたん》を|唇《くちびる》の|所《ところ》へ|少《すこ》し|出《だ》して、|目《め》まで【しばづか】せて|見《み》せた。|鷹依姫《たかよりひめ》は|無念《むねん》さ、|口惜《くや》しさに|声《こゑ》をあげて|泣《な》き|立《た》てる。
『|泣《な》いて|事《こと》が|済《す》むと|思《おも》うて|居《ゐ》なさるか、なぜ|堂々《だうだう》と|仰有《おつしや》らぬのだ。|泣《な》いて|威《おど》さうと|思《おも》つたつて、|女郎《おやま》の|涙《なみだ》も|同然《どうぜん》、そんな|手《て》を|喰《く》ふ|私《わし》かいな』
と|又《また》|頤《あご》をしやくつて|馬鹿《ばか》にする。|鷹依姫《たかよりひめ》は|腹立《はらだ》たしさに|益々《ますます》|泣《な》き|入《い》る。|声《こゑ》を|聞《き》きつけて|今《いま》|門口《かどぐち》に|帰《かへ》つて|来《き》たばかりの|竜国別《たつくにわけ》は|走《はし》り|来《きた》り、
『お|母《はは》さま、|何処《どこ》ぞ|悪《わる》う|御座《ござ》いますか、|何《ど》うなさいました。ヤア|黒姫《くろひめ》さま、お|早《はや》う|御座《ござ》います。|母《はは》は|何処《どこ》か|悪《わる》いのですか』
|黒姫《くろひめ》は|憎々《にくにく》しげに、
『よう、お|前《まへ》は|竜国別《たつくにわけ》、|悪《わる》けりやこそ|泣《な》くのぢやないか。|息《いき》が|詰《つま》つて、ものの|答《こたへ》が|出来《でき》なくなつたものだから|泣《な》き|入《い》るのだよ。お|前《まへ》の|親《おや》で|云《い》ふぢやないが、ほんとに、|驚《おどろ》いた|悪党《あくたう》だ』
『|黒姫《くろひめ》さま、|私《わたくし》の|母《はは》が|悪党《あくたう》だとは、そりや|又《また》|何《ど》うした|訳《わけ》で』
|黒姫《くろひめ》は【につこ】と|笑《わら》ひ、
『|同《おな》じ|穴《あな》の|狐《きつね》、ようここまで|信頼《しんらい》したものだナア。お|前《まへ》と|云《い》ひ、テーリスタンと|云《い》ひ、カーリンスと|云《い》ひ、これだけマア|悪《あく》の|四魂《しこん》が|揃《そろ》へば、どんな|悪事《あくじ》でも|出来《でき》ますワイ。|油断《ゆだん》も|隙《すき》もあつたものぢや|御座《ござ》いませぬワイなア。オホヽヽヽヽ』
と|腰《こし》から|上《うへ》を|揺《ゆす》つて|見《み》せる。
|斯《か》かる|処《ところ》へテーリスタン、カーリンスの|両人《りやうにん》はバラバラと|入《い》り|来《きた》る。|竜国別《たつくにわけ》はこれを|見《み》て、
『オイ、テー、カーの|二人《ふたり》、|何《なん》だ|其《その》|顔《かほ》は、|貴様《きさま》、|喧嘩《けんくわ》でもしたのか』
カーリンス『イヤもう|大変《たいへん》な|事《こと》です。|黒姫《くろひめ》の|奴《やつ》、|玉《たま》を|盗《と》られ、【せう】|事《こと》なしに|池《いけ》へ|身《み》を|投《な》げ、それを|吾々《われわれ》が|助《たす》けてやつたら、あべこべに|鷹依姫《たかよりひめ》さまと|共謀《きようぼう》して|黄金《わうごん》の|玉《たま》を|盗《ぬす》んだと|云《い》ふのです。|黒姫《くろひめ》さまも|大切《たいせつ》な|玉《たま》の|監督《かんとく》の|役目《やくめ》を|仕損《しそん》じたのだから、|何《なに》どころぢやありますまい。お|察《さつ》しはするが、|併《しか》し|吾々《われわれ》|二人《ふたり》を|始《はじ》め、|鷹依姫《たかよりひめ》さままでを|泥坊《どろばう》にするとは|余《あんま》りぢやありませぬか。|私《わたし》も|終《しまひ》にはテーリスタンを|疑《うたが》ひ|出《だ》し、テーリスタンは|私《わたし》を|疑《うたが》ふと|云《い》ふので、|暫《しばら》く|大喧嘩《おほげんくわ》をやつてこんな|態《ざま》になつたのです。|併《しか》し|何《ど》うしても|吾々《われわれ》|二人《ふたり》を|始《はじ》め、|鷹依姫《たかよりひめ》さまは|潔白《けつぱく》です。|何《なん》とかして|黒姫《くろひめ》さまの|疑《うたがひ》を|解《と》きたいものです』
|竜国別《たつくにわけ》『そりや|大変《たいへん》だ。|何《なに》は|兎《と》もあれ|大切《たいせつ》な|御神宝《ごしんぽう》、こりや|此《この》|儘《まま》にしては|置《お》かれぬ。|神様《かみさま》に|伺《うかが》つて|来《く》るから、それ|迄《まで》|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さい。お|母《かあ》さま、|御心配《ごしんぱい》なさいますな。|貴女《あなた》の|潔白《けつぱく》は|私《わたくし》が|承知《しようち》して|居《ゐ》ます』
|黒姫《くろひめ》『|何《なん》と|云《い》つてもお|前達《まへたち》|三人《さんにん》を|共謀者《きようぼうしや》と|認《みと》めます。|竜国別《たつくにわけ》はあんな|事《こと》を|云《い》つて|尻《しり》こそばゆくなつて|逃《に》げたのだらう。オホヽヽヽ、どれもこれも、|心《こころ》に|覚《おぼ》えがあると|見《み》えて、あの|詮《つま》らなささうな|顔《かほ》ワイな。|思《おも》ひ|内《うち》にあれば|色《いろ》|外《そと》に|現《あら》はる、|神様《かみさま》は|正直《しやうぢき》だ。|余《あま》り|可笑《をか》しさを|通《とほ》り|越《こ》して|阿呆《あはう》らしいワイのう。オホヽヽヽ』
と|身体《からだ》を|揺《ゆす》り|嘲弄《てうろう》する。|暫《しばら》くあつて|竜国別《たつくにわけ》は|宙《ちう》を|飛《と》んで|帰《かへ》つて|来《き》た。
|黒姫《くろひめ》『|竜国別《たつくにわけ》、|何《ど》うだつたかナ』
『|神様《かみさま》に|御神籤《おみくじ》を|伺《うかが》ひましたら、|時節《じせつ》を|待《ま》てと|仰有《おつしや》いました』
『あゝさうだらう、|神様《かみさま》が|何《なに》そんな|事《こと》を|仰有《おつしや》るものか。お|前《まへ》の|心《こころ》に|覚《おぼ》えのある|事《こと》を…|誰人《たれ》が|阿呆《あはう》らしい。|神様《かみさま》だつて|返答《へんたふ》なさるものかい。【テツキリ】お|前達《まへたち》が|私《わし》を|失策《しくじ》らさうと|思《おも》つて|隠《かく》したのか、|但《ただ》しは|蜈蚣姫《むかでひめ》と|気脈《きみやく》を|通《つう》じて|御神宝《ごしんぱう》を|盗《ぬす》み|出《だ》す|考《かんが》へだらう。そんな【あざとい】|事《こと》をしたつて、その|悪《あく》が|何処迄《どこまで》やり|貫《ぬ》けるものぢやありませぬワイ。|併《しか》し|乍《なが》ら|何《ど》うでも|此《この》|玉《たま》の|在処《ありか》が|知《し》れぬと|云《い》へば、|私《わし》は|死《し》なねばならぬ。|私《わし》|許《ばか》りぢやあるまい、|鷹依姫《たかよりひめ》さま、|竜国別《たつくにわけ》さま、お|前《まへ》も|腹《はら》でも|切《き》つて|言《い》ひ|訳《わけ》をなさらにやなるまい。さあ|私《わし》から|自害《じがい》をするから、お|前達《まへたち》も|冥途《めいど》の|伴《とも》をなさいませ』
と|懐剣《くわいけん》を|引《ひ》き|抜《ぬ》き|吾《わが》|喉《のど》に|当《あ》てむとする|時《とき》しも、テーリスタン、カーリンスの|二人《ふたり》は|肩《かた》を|揺《ゆす》り、
『オイ|黒姫《くろひめ》、|態《ざま》|見《み》やがれ、|其《その》|実《じつ》は|鷹依姫《たかよりひめ》さま、|竜国別《たつくにわけ》さまも|知《し》つた|事《こと》ぢやないワ。このテーリスタン、カーリンスの|御両人様《ごりやうにんさま》が|盗《ぬす》み|出《だ》して、とうの|昔《むかし》に|蜈蚣姫《むかでひめ》の|手《て》に|秘蔵《ひざう》されてあるのだよ。|欲《ほ》しけりや|蜈蚣姫《むかでひめ》に|頼《たの》んで|返《かへ》して|貰《もら》へ。アハヽヽヽ、|小気味《こぎみ》のよい|事《こと》だ』
と|大声《おほごゑ》に|罵《ののし》り|出《だ》した。|黒姫《くろひめ》は【かつ】となり、
『こりやテー、カーの|両人《りやうにん》、この|黒姫《くろひめ》の|目《め》は|間違《まちが》ひなからう、|大《だい》それた|奴《やつ》だ。さあ|早《はや》く|其《その》|玉《たま》を|蜈蚣姫《むかでひめ》の|手《て》から|取《と》り|還《かへ》して|来《こ》い。|神罰《しんばつ》が|恐《おそ》ろしいぞや』
テ、カ『|神罰《しんばつ》が|恐《おそ》ろしいやうな|事《こと》で、|誰《たれ》がそんな|玉盗人《たまぬすびと》をするものか。|馬鹿《ばか》|々々《ばか》』
と|連発《れんぱつ》する。|黒姫《くろひめ》、|竜国別《たつくにわけ》、|鷹依姫《たかよりひめ》の|三人《さんにん》は|一斉《いつせい》に|立《た》ち|上《あが》り、
『|極悪無道《ごくあくぶだう》の|蜈蚣姫《むかでひめ》に|款《くわん》を|通《つう》ずる|両人《りやうにん》、もはや|了簡《りやうけん》ならぬぞ』
と|茲《ここ》に|五人《ごにん》は|入《い》り|乱《みだ》れて|大喧嘩《おほげんくわ》をおつ|始《はじ》めた。
|言依別命《ことよりわけのみこと》は|錦《にしき》の|宮《みや》の|拝礼《はいれい》を|終《をは》り、|静々《しづしづ》と|此《この》|前《まへ》を|通《とほ》り、|騒々《さうざう》しき|物音《ものおと》に|何事《なにごと》ならむと|奥《おく》へ|入《い》り|来《きた》り|見《み》れば、|此《こ》の|騒《さわ》ぎ。
|言依別命《ことよりわけのみこと》『これこれ|皆《みな》さま、|宣伝使《せんでんし》や|信者《しんじや》の|身《み》を|以《もつ》て|何《なに》|喧嘩《けんくわ》をなさるのか』
|黒姫《くろひめ》『|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》、|此奴《こいつ》|両人《りやうにん》、|私《わたくし》が|保管《ほくわん》して|居《ゐ》る|玉《たま》を|盗《ぬす》んだのはテー、カーだ。|蜈蚣姫《むかでひめ》に|渡《わた》してやつたのだ。|馬鹿者《ばかもの》よと|云《い》うて、|私等《わたくしら》を|嘲弄《てうろう》する|不届《ふとど》きな|奴《やつ》で|御座《ござ》います』
|言依別命《ことよりわけのみこと》『テーリスタン、カーリンス、お|前《まへ》は|実《じつ》に|感心《かんしん》な|奴《やつ》だ。さうなくてはならぬ、|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》の|亀鑑《きかん》だ。|誠《まこと》の|玉《たま》を|能《よ》くも|手《て》に|入《い》れたなア』
テー、カーの|二人《ふたり》は|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|暮《く》れて、
『ハイハイ』
と|云《い》つたきり|畳《たたみ》に|食《く》ひついて|泣《な》いて|居《ゐ》る。
|黒姫《くろひめ》『モシモシ|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》、お|前様《まへさま》は|何《なん》と|云《い》ふ|事《こと》を|仰有《おつしや》る。こんな【ドラ】|盗人《ぬすびと》を|褒《ほ》めると|云《い》ふ|事《こと》がありますか。|何《ど》うかして|居《ゐ》ますなア』
|言依別命《ことよりわけのみこと》『アヽ、|黒姫《くろひめ》、|鷹依姫《たかよりひめ》、|竜国別《たつくにわけ》、テーリスタン、カーリンス|殿《どの》、|何事《なにごと》も|神様《かみさま》の|御計《おはか》らひだ。|御心配《ごしんぱい》なさいますな、|神様《かみさま》に|深《ふか》き|思召《おぼしめし》のある|事《こと》でせう。|只今《ただいま》|限《かぎ》り|玉《たま》の|事《こと》は|云《い》はないがよい。|互《たがひ》に|迷惑《めいわく》ですから、|何事《なにごと》も|私《わたくし》に|任《まか》して|置《お》いて|下《くだ》さい』
|黒姫《くろひめ》『|玉《たま》がなくてもかまひませぬのか』
|言依別命《ことよりわけのみこと》『|責任《せきにん》は|私《わたくし》が|負《お》ひます。|皆《みな》さま、これきり|忘《わす》れて|下《くだ》さい』
と|懐《ふところ》より|幣《ぬさ》を|取《と》り|出《だ》し、
『|祓《はら》ひ|給《たま》へ|清《きよ》め|給《たま》へ』
と|云《い》ひながら|左右左《さいうさ》に|打《う》ち|振《ふ》り、
『さあ|皆《みな》さま、これですつかり|解決《かいけつ》がつきましたよ』
|黒姫《くろひめ》は|坐《すわ》つたまま|左《ひだり》の|腕《うで》を|突《つ》つ|張《ぱ》り、|体《からだ》を|斜《ななめ》にして|言依別命《ことよりわけのみこと》の|顔《かほ》を|穴《あな》のあくほど|凝視《みつ》め、|鼈《すつぽん》に|尻《しり》を|抜《ぬ》かれたやうなスタイルで、
『ヘー』
と|長返事《ながへんじ》しながら|落着《おちつ》かぬ|面色《おももち》である。
|言依別命《ことよりわけのみこと》『サア|皆《みな》さま、お|宮《みや》へ|参拝《さんぱい》しませう』
と|先《さき》に|立《た》つ。|一同《いちどう》は|漸《やうや》く|胸《むね》を|撫《な》で|下《おろ》し、|錦《にしき》の|宮《みや》に|参拝《さんぱい》せむと|竜国別《たつくにわけ》の|家《いへ》を|立《た》ち|出《い》でた。
|初春《はつはる》の|太陽《たいやう》は|六人《ろくにん》の|頭《あたま》を|煌々《くわうくわう》と|眩《まばゆ》きまでに|照《てら》し|給《たま》うた。
|黄金《わうごん》の|玉《たま》も|如意宝珠《によいほつしゆ》 |紫玉《むらさきだま》も|又《また》|宝珠《ほつしゆ》
|金剛不壊《こんがうふゑ》の|神玉《しんぎよく》も |如意《によい》の|宝珠《ほつしゆ》と|称《とな》ふなり
|中《なか》にも|別《わ》けて|高姫《たかひめ》が |腹《はら》に|呑《の》み|居《ゐ》し|神玉《しんぎよく》は
|神宝《たから》の|中《なか》の|神宝《たから》なり |言依別命《ことよりわけのみこと》より
|委託《ゐたく》されたる|黄金《わうごん》の |玉《たま》の|在処《ありか》を|失《うしな》ひし
|黒姫《くろひめ》|心《こころ》も|落着《おちつ》かず テーリスタンやカーリンス
|鷹依姫《たかよりひめ》まで|疑《うたが》ひて |色々《いろいろ》|雑多《ざつた》と|気《き》を|焦《いら》ち
ヤツサモツサの|最中《さいちう》へ |言依別《ことよりわけ》が|現《あら》はれて
|一先《ひとま》づその|場《ば》は|事《こと》もなく |治《をさ》まりつれど|治《をさ》まらぬ
|心《こころ》の|空《そら》の|雲霧《くもきり》を |払《はら》ふ|術《すべ》なき|折柄《をりから》に
|十字街頭《じふじがいとう》に|高姫《たかひめ》が |錦《にしき》の|宮《みや》に|参詣《さんけい》の
|折《をり》も|折《をり》とて|出会《しゆつくわい》し |黒姫《くろひめ》|始《はじ》め|外《ほか》|四人《よにん》
|高姫宅《たかひめたく》に|招《せう》ぜられ |尊《たふと》き|神《かみ》の|御宝《みたから》を
|紛失《ふんしつ》したる|責任《せきにん》を |問《と》ひ|詰《つ》められて|黒姫《くろひめ》は
いよいよ|爰《ここ》に|決心《けつしん》の |臍《ほぞ》を|固《かた》めて|聖域《せいゐき》を
あとに|眺《なが》めつ|黄金《わうごん》の |玉《たま》の|在処《ありか》を|探《さぐ》らむと
|鷹依姫《たかよりひめ》や|竜国別《たつくにわけ》 テーリスタンやカーリンス
|五人《ごにん》は|各自《かくじ》に|天《あめ》の|下《した》 |四方《よも》の|国々《くにぐに》|隈《くま》もなく
|探《たづ》ね|行《ゆ》くこそ|神界《しんかい》の |深《ふか》き|経綸《しぐみ》と|白雲《しらくも》の
|余所《よそ》に|求《もと》むるあはれさよ さはさりながら|此《この》|度《たび》の
|玉《たま》の|在処《ありか》は|言依別《ことよりわけ》の |神《かみ》の|命《みこと》の|胸《むね》の|内《うち》
|神《かみ》の|命令《みこと》を|畏《かしこ》みて |心《こころ》に|深《ふか》く|秘《ひ》めおきし
|此《この》|神策《しんさく》は|神《かみ》ならぬ |人《ひと》の|身《み》として|知《し》るよしも
|泣々《なくなく》|出《で》て|行《ゆ》くあさましさ これより|五人《ごにん》は|神界《しんかい》の
|仕組《しぐみ》の|糸《いと》に|操《あやつ》られ |悪魔《あくま》|退治《たいぢ》の|神業《かむわざ》に
|知《し》らず|識《し》らずに|奉仕《ほうし》する |奇《くし》き|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》
|口述《こうじゆつ》|進《すす》むに|従《したが》ひて |次第《しだい》|々々《しだい》に|面白《おもしろ》く
|深《ふか》き|神慮《しんりよ》を|覚《さと》り|得《え》む あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ。
(大正一一・五・二四 旧四・二八 加藤明子録)
第四章 |玉探志《たまさがし》〔六九六〕
|言依別命《ことよりわけのみこと》に|従《したが》ひて|黒姫《くろひめ》、|鷹依姫《たかよりひめ》、|竜国別《たつくにわけ》、テーリスタン、カーリンスの|五人《ごにん》は|錦《にしき》の|宮《みや》に|参拝《さんぱい》し、|言依別命《ことよりわけのみこと》は|宮殿《きうでん》|深《ふか》く|神務《しんむ》の|為《た》めに|進《すす》み|入《い》り、|五人《ごにん》は|各《おのおの》|家路《いへぢ》に|帰《かへ》らむとする|時《とき》しも、|高姫《たかひめ》、|紫姫《むらさきひめ》、|若彦《わかひこ》の|三人《さんにん》と|十字街頭《じふじがいとう》にピタリと|出会《でつくわ》した。
|高姫《たかひめ》『これはこれは|黒姫《くろひめ》さま、|鷹依姫《たかよりひめ》さま、その|他《た》|御一同《ごいちどう》、|一寸《ちよつと》|高姫《たかひめ》の|宅《たく》まで|来《き》て|下《くだ》さい。|折入《をりい》つてお|訊《たづ》ねしたい|事《こと》が|御座《ござ》います』
|意味《いみ》あり|気《げ》な|此《こ》の|言葉《ことば》に|黒姫《くろひめ》はハツと|胸《むね》を|刺《さ》される|心地《ここち》がした。されど、さあらぬ|態《てい》にて、
『ハイ、|何用《なによう》か|存《ぞん》じませぬが、|妾《わたし》は|今《いま》|参拝《さんぱい》の|帰《かへ》り|路《みち》で|御座《ござ》います。|何時《いつ》|参《まゐ》りましたら|宜《よろ》しいでせうか』
『|皆《みな》さま、|妾等《わたしら》|三人《さんにん》は|参拝《さんぱい》して|来《き》ますから、|先《さき》へ|妾《わたし》の|宅《たく》まで|帰《かへ》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さい。|直《すぐ》に|帰《かへ》りますから。|鷹依姫《たかよりひめ》さまも、|竜国別《たつくにわけ》さまも、テーさまも、カーさまも|御一緒《ごいつしよ》に|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さい』
と|撥《は》ねた|様《やう》な|言葉尻《ことばじり》を|残《のこ》して|忙《いそが》しさうに|参拝道《さんぱいみち》に|進《すす》み|行《ゆ》く。|黒姫《くろひめ》は|胸《むね》に|一物《いちもつ》、|思案《しあん》に|暮《く》れながら|高姫《たかひめ》の|宅《たく》に|立寄《たちよ》り、|帰宅《かへり》を|五人《ごにん》|一同《いちどう》|打揃《うちそろ》ひ|待《ま》つて|居《ゐ》た。
テーリスタン『モシ|黒姫《くろひめ》さま、|高姫《たかひめ》さまの|顔色《かほいろ》が|変《かは》つて|居《ゐ》ましたな。|悪事《あくじ》|千里《せんり》と|云《い》つて、|今朝《けさ》の|騒《さわ》ぎが|高姫《たかひめ》さまの|耳《みみ》へ|這入《はい》つたのぢやありますまいか』
|黒姫《くろひめ》『サア、|何《なん》だか|何時《いつ》もに|変《かは》る|気色《けしき》だつた、|困《こま》つた|事《こと》になりましたな。お|前《まへ》、|仕様《しやう》もない|事《こと》をするものだから|各々《めいめい》に|心配《しんぱい》をするのだよ』
テー、カーは|首《くび》を|傾《かたむ》け、
『ハイ、|私《わたし》が|悪《わる》う|御座《ござ》いました。|併《しか》し|教主様《けうしゆさま》がお|赦《ゆる》し|下《くだ》さつたのだから、もう|彼《あ》の|話《はなし》は|言《い》はぬやうに|致《いた》しませうかい。|折角《せつかく》|教主《けうしゆ》の|言葉《ことば》を|無《む》にしてガヤガヤ|騒《さわ》ぐと、|世間《せけん》へ|洩《も》れてはなりませぬから』
『ヘン、|貴方《あなた》には|都合《つがふ》が|宜《よろ》しからうが、|責任者《せきにんしや》たる|妾《わたし》は|大変《たいへん》に|面目玉《めんぼくだま》を|潰《つぶ》しました。|本当《ほんたう》に|油断《ゆだん》のならぬお|方《かた》ぢやなア。テーリスタン、これから|口《くち》の|物《もの》を|喰《く》ひ|合《あ》ふ|様《やう》な|仲《なか》でも|油断《ゆだん》は|出来《でき》ませぬぜ、|本当《ほんたう》に|困《こま》つた|人《ひと》だ。もう|是《これ》きり|改心《かいしん》をするでせうな』
カーリンス『|玉《たま》から|事件《じけん》が|方角《はうがく》|違《ちが》ひに|外《はづ》れて|居《ゐ》るのだから|仕方《しかた》がない。まあまあ|兎《と》も|角《かく》、|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》が|盗《ぬす》んだ|事《こと》に|成《な》つて|居《ゐ》るのだから、|何《なん》と|言《い》はれても|仕方《しかた》がないさ』
『ヘン、なつて|居《ゐ》るから|仕方《しかた》がないとは|能《よ》う|言《い》へたものだよ。オホヽヽヽヽ』
|斯《か》く|言《い》ふ|処《ところ》へ|高姫《たかひめ》は|身体《からだ》をプリンプリンと|振《ふ》りながら、チヨコチヨコ|走《ばし》りに|慌《あわただ》しく|帰《かへ》り|来《きた》り、
『サア|若彦《わかひこ》さま、|紫姫《むらさきひめ》さま、お|這入《はい》りなさいませ』
と|先《さき》に|立《た》つ。
『ハイ』
と|答《こた》へて|両人《ふたり》は|奥《おく》へ|通《とほ》つた。
|黒姫《くろひめ》『|高姫《たかひめ》|様《さま》、えらう|早《はや》う|御座《ござ》いましたな』
|高姫《たかひめ》『いつもの|様《やう》に、ゆつくりと|御礼《おれい》も|出来《でき》ませぬわ。|能《よ》うマアお|前《まへ》さま、ヌツケリと|落着《おちつ》いて|居《ゐ》られますなア。|黄金《わうごん》の|玉《たま》の|行方《ゆくへ》は|分《わか》りましたかい』
『エー、|未《いま》だに………|分《わか》り…………ませぬ。|然《しか》し|貴女《あなた》は|誰《たれ》にお|聞《き》きなさいましたか』
『|貴女《あなた》は|誰《たれ》も|知《し》らぬかと|思《おも》つて|居《ゐ》らつしやるが、|夜前《やぜん》から|貴女《あなた》|等《がた》の|喧嘩《けんくわ》を|誰《たれ》も|知《し》らない|者《もの》は|一人《ひとり》もありませぬよ。みんな|聞《き》いて|居《ゐ》ましたよ』
『|寔《まこと》に|申訳《まをしわけ》なき|事《こと》で|御座《ござ》います』
『|申訳《まをしわけ》がないと|言《い》つて|肝腎要《かんじんかなめ》の|御神宝《ごしんぱう》を|紛失《ふんしつ》し、|能《よ》う|安閑《あんかん》として|居《を》れますなア』
テーリスタン『もし|高姫《たかひめ》|様《さま》、|黒姫《くろひめ》|様《さま》が|悪《わる》いのぢや|御座《ござ》いませぬ。|私《わたし》とカーリンスと|二人《ふたり》が|何々《なになに》したのですワ』
『エー|聞《き》きますまい、あた|穢《けがら》はしい。そんな|事《こと》あ、ちやんと|妾《わたし》の|耳《みみ》に|入《はい》つて|居《を》る。|併《しか》し|乍《なが》ら|肝腎《かんじん》の|責任《せきにん》は|黒姫《くろひめ》|様《さま》にあるのだ。|黒姫《くろひめ》|様《さま》|何《なん》となさいます。|一《ひと》つ|御了簡《ごりやうけん》を|承《うけたま》はり|度《た》い』
『|何事《なにごと》も|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》が|御引受《おひきう》け|下《くだ》さいましたから|申《まを》しますまい』
『それで|貴女《あなた》、|責任《せきにん》が|済《す》むと|思《おも》ひますか、|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》に|何《なに》も|彼《か》も|塗《ぬ》りつけて、|能《よ》うお|前《まへ》さま、|平気《へいき》の|平左《へいざ》で|済《す》まして|居《を》られますな。|無神経《むしんけい》にも|程《ほど》があるぢやありませぬか』
『さうだと|言《い》つて|如何《どう》も|仕方《しかた》がないぢやありませぬか。|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》の|執念深《しふねんぶか》き|企《たく》みに|依《よ》つて、バラモンの|手《て》に|疾《とう》の|昔《むかし》、|手《て》に|這入《はい》つて|了《しま》つたものを、|如何《どう》してこれが|元《もと》へ|帰《かへ》りませう。|妾《わたし》がテー、カーの|様《やう》な|者《もの》を|使《つか》つたのが|過失《あやまり》です』
『これ、テーにカー、お|前《まへ》|如何《どう》する|積《つも》りだい』
テーリスタン『ハイ、|申訳《まをしわけ》がありませぬ』
カーリンス『|仕方《しかた》がありませぬ』
|高姫《たかひめ》『|能《よ》う、そんな|事《こと》が|言《い》へますワイ。これ|黒姫《くろひめ》さま、この|責任《せきにん》を|果《はた》す|為《た》めにお|前《まへ》さまは|生命《いのち》のあらむ|限《かぎ》り|草《くさ》を|分《わ》けても|探《たづ》ね|出《だ》し、|再《ふたた》び|手《て》に|入《い》れて|神政成就《しんせいじやうじゆ》のお|宝《たから》を|御返《おかへ》し|申《まを》さねば|済《す》みますまい。|何《なに》をキヨロキヨロして|居《ゐ》なさる』
と|坐《すわ》つた|膝《ひざ》を|畳《たたみ》が|凹《へこ》む|程《ほど》|打《うち》つけて|雄猛《をたけ》びした。
|黒姫《くろひめ》『|妾《わたし》も|決心《けつしん》して|居《を》りますよ』
『|二言目《ふたことめ》には|刃物《はもの》|三昧《ざんまい》の|決心《けつしん》は|廃《や》めて|貰《もら》ひませう。そんな|無責任《むせきにん》な|事《こと》がありますか。サアサアとつとと|出《で》なさい。さうして|其《その》|玉《たま》が|手《て》に|入《い》らぬ|事《こと》には|再《ふたた》びお|目《め》には|懸《かか》りませぬよ。|鷹依姫《たかよりひめ》さま、お|前《まへ》さまも|嫌疑《けんぎ》が|掛《かか》つた|身体《からだ》ぢや、|黙《じつ》としては|居《を》られますまい。|竜国別《たつくにわけ》さまは、|親《おや》の|疑《うたがひ》を|晴《は》らす|為《ため》に|是《これ》も|黙《じつ》としては|居《を》られまい。テー、カーの|両人《りやうにん》も|本当《ほんたう》に|盗《と》つたか|盗《と》らぬか、そりや|知《し》らぬが、もう|一苦労《ひとくらう》して|世界《せかい》に|踏《ふ》み|出《だ》し、|五人《ごにん》が|五大洲《ごだいしう》に|別《わか》れて|探《さが》して|来《こ》ねばなりますまい。さうぢやありませぬか。|若彦《わかひこ》さま、|紫姫《むらさきひめ》さま、|黄金《わうごん》の|玉《たま》を|盗《と》られた|玉《たま》|無《な》しの|宮《みや》を、ヌツケリと|番《ばん》して|居《を》る|訳《わけ》にはゆきますまい。|紫姫《むらさきひめ》さま、|若彦《わかひこ》さま、|返答《へんたふ》を|聞《き》かせなさい』
と|無関係《むくわんけい》の|両人《りやうにん》にまで|腹立《はらだ》ち|紛《まぎ》れに|八《や》つ|当《あた》りに|当《あた》る。
|若彦《わかひこ》『あゝあ、|何処《どこ》へ|飛沫《とばしり》が|来《く》るか|分《わか》つたものぢやない。|併《しか》し|私《わたくし》は|言依別《ことよりわけ》さまの|御意見《ごいけん》を|伺《うかが》つて|其《その》|上《うへ》に|致《いた》しませう。|紫姫《むらさきひめ》さまも|今《いま》では|重要《ぢうえう》な|位置《ゐち》に|居《を》られるのだから、|之《これ》も|自分《じぶん》の|自由《じいう》にはなりますまい』
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》さまに|直接《ちよくせつ》|責任《せきにん》がないと|言《い》つて、そんな|平気《へいき》な|事《こと》を|言《い》つて|居《を》られますかいなア。|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》は|柔弱《にうじやく》な|奴灰殻《どはひから》ぢやから、|斯《こ》んな|黒姫《くろひめ》さまの|失態《しつたい》を|何《なん》とも|処置《しよち》をつけないのだ。|然《しか》し|教主《けうしゆ》として|誰《たれ》を|悪《わる》いと|云《い》ふ|訳《わけ》にもゆかず、|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|本性《ほんしやう》を|現《あら》はし、|表面《おもて》は|何《なに》|喰《く》はぬ|顔《かほ》して|平気《へいき》に|見《み》せて|御座《ござ》るが、|心《こころ》の|裡《うち》は|矢張《やつぱ》り|御心配《ごしんぱい》して|御座《ござ》るに|間違《まちが》ひない。|一《いち》を|聞《き》いて|十《じふ》を|悟《さと》る|身魂《みたま》でないと、|肝腎《かんじん》の|御用《ごよう》は|勤《つと》まりますまい。サア|黒姫《くろひめ》さま、|如何《どう》なさいます、|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》が|赦《ゆる》されても、|此《この》|高姫《たかひめ》が|承知《しようち》|致《いた》しませぬぞや。|妾《わたし》も|一度《いちど》はウラナイ|教《けう》を|樹《た》て、お|前《まへ》さま|等《ら》と|共《とも》に|変性女子《へんじやうによし》に|背《そむ》いて|見《み》たが、それも|素盞嗚尊《すさのをのみこと》|様《さま》のお|心《こころ》を|取違《とりちが》ひして|居《を》つたからだ。|変性女子《へんじやうによし》の|身魂《みたま》からお|生《うま》れ|遊《あそ》ばした|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》も|自分《じぶん》が|其《その》|罪《つみ》を|一身《いつしん》に|御引受《おひきう》け|遊《あそ》ばして|御座《ござ》るのぢや、それを|思《おも》へば|妾《わたし》はお|気《き》の|毒《どく》で|堪《たま》らない。|地《ち》の|高天原《たかあまはら》は|此《この》|高姫《たかひめ》が|是《これ》から|玉照彦《たまてるひこ》さま、|玉照姫《たまてるひめ》さまを|守《も》り|立《た》てて|立派《りつぱ》に|御用《ごよう》を|勤《つと》めて|見《み》せます。サア|早《はや》く|何《なん》とか|準備《じゆんび》を|為《な》さらぬか』
|黒姫《くろひめ》『|妾《わたし》も|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|屹度《きつと》|何《なん》とか|働《はたら》いてお|目《め》に|掛《か》けます』
|竜国別《たつくにわけ》『|吾々《われわれ》も|母上様《ははうへさま》の|嫌疑《けんぎ》を|解《と》く|為《た》め、お|暇《ひま》を|頂《いただ》いて|世界《せかい》|漫遊《まんいう》に|出《で》かけます。さうして|玉《たま》の|在処《ありか》を|探《たづ》ねて|来《き》ます』
|鷹依姫《たかよりひめ》『いや|妾《わたし》も|年寄《としより》と|云《い》つても|元気《げんき》がある。|何処迄《どこまで》も|此《この》|玉《たま》を|探《さが》し|当《あ》てる|迄《まで》|世界中《せかいぢう》を|巡歴《じゆんれき》して|来《き》ます』
|高姫《たかひめ》『それは|大《おほい》に|宜《よろ》しからう、さうなくてはならぬ|筈《はず》だ。これ、テー、カー、お|前等《まへら》は|如何《どう》する|心算《つもり》だい』
テーリスタン『|仮令《たとへ》|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》の|腹《はら》の|中《なか》を|潜《くぐ》つてでも、|玉《たま》の|在処《ありか》を|探《さが》さねば|措《お》きませぬ』
カーリンス『|私《わたくし》も|其《その》|通《とほ》りだ。|然《しか》し|高姫《たかひめ》さま、|言《い》うて|置《お》くが、|何卒《どうぞ》|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》と|紫《むらさき》の|玉《たま》を|紛失《ふんしつ》せない|様《やう》に、|言依別《ことよりわけ》の|神様《かみさま》を|助《たす》けて|保管《ほくわん》を|願《ねが》ひますよ』
|高姫《たかひめ》『ハイハイ、そんな|事《こと》は|言《い》つて|貰《もら》はいでも、|気《き》を|付《つ》けた|上《うへ》にも|気《き》を|付《つ》けて|居《ゐ》ます。|心配《しんぱい》をせずに|一日《ひとひ》も|早《はや》く|玉《たま》の|在処《ありか》を|探《たづ》ねにお|出《い》でなさい。さうして|在処《ありか》が|分《わか》つたら、|無言霊話《むげんれいわ》を|早速《さつそく》|掛《か》けて|下《くだ》さい。|皆《みな》さまも|其《そ》のお|積《つも》りで…………|宜《よろ》しいか』
と|叩《たた》きつける|様《やう》に|言《い》ひ|放《はな》つた。
『ハイ|承知《しようち》|致《いた》しました。|然《しか》らば|之《これ》より|言依別《ことよりわけ》の|教主様《けうしゆさま》に|一寸《ちよつと》お|暇乞《いとまご》ひを|致《いた》して|来《き》ませう』
と|五人《ごにん》が|立《た》ち|上《あが》らむとするを、|高姫《たかひめ》は|押《お》し|止《とど》め、
『まあお|待《ま》ちなさい。|貴女方《あなたがた》が|神様《かみさま》の|為《ため》に|尽《つ》くすのなら、|此《この》|儘《まま》|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》に|分《わか》らない|様《やう》にするのが|誠《まこと》だ。|教主《けうしゆ》は|涙脆《なみだもろ》いから、|又《また》|甘《うま》い|事《こと》を|仰有《おつしや》ると、|忽《たちま》ちお|前《まへ》さま|達《たち》の|腰《こし》が|弱《よわ》つて|了《しま》ふから、|妾《わたし》が|善《よ》き|様《やう》に|申《まを》し|上《あ》げて|置《お》く。サア|早《はや》くお|出《で》ましなさいませ』
|竜国別《たつくにわけ》『あゝあ、|偉《えら》い|災難《さいなん》で、|高姫《たかひめ》さまに|高天原《たかあまはら》を|追《お》ひ|出《だ》されるのかなア』
『|嫌《いや》なら|行《ゆ》かいでも|宜《よろ》しい』
と|高姫《たかひめ》は|睨《ね》め|付《つ》ける。|五人《ごにん》は|是非《ぜひ》なく|高姫《たかひめ》の|宅《たく》をスゴスゴと|立《た》ち|出《い》で|錦《にしき》の|宮《みや》を|遥《はるか》に|拝《はい》し、|各《おのおの》|旅装《りよさう》を|整《ととの》へ|世界《せかい》の|各地《かくち》に|向《むか》つて|玉《たま》の|捜索《そうさく》に|出《で》かけた。
(大正一一・五・二四 旧四・二八 北村隆光録)
第二篇 |心猿意馬《しんゑんいば》
第五章 |壇《だん》の|浦《うら》〔六九七〕
|金剛不壊《こんがうふゑ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》を|始《はじ》め、|紫《むらさき》の|玉《たま》の|改《あらた》めて|納《をさ》まりたる|錦《にしき》の|宮《みや》を|背景《はいけい》とせる|聖地《せいち》は|何《なん》となく|活気《くわつき》|加《くは》はり、|神人《しんじん》|喜悦《きえつ》の|色《いろ》に|満《み》ち、|神徳《しんとく》|日《ひ》に|日《ひ》にあがりつつあつた。|端《はし》なくも|黒姫《くろひめ》が|保管《ほくわん》せる|黄金《わうごん》の|玉《たま》の|何者《なにもの》にか|奪取《だつしゆ》され、|黒姫《くろひめ》は|責任《せきにん》を|帯《お》びて、|夜《よる》|窃《ひそか》に|鷹依姫《たかよりひめ》、|竜国別《たつくにわけ》、テー、カーの|五人《ごにん》、|思《おも》ひ|思《おも》ひに|聖地《せいち》を|後《あと》に、|玉《たま》の|行方《ゆくへ》を|捜索《そうさく》に|出《い》でたる|事《こと》、|忽《たちま》ち|神人《しんじん》の|間《あひだ》に|喧伝《けんでん》され、|又《また》もや|不安《ふあん》の|念《ねん》に|駆《か》られ、|何《なん》となく|物《もの》|淋《さび》しき|感《かん》じが|聖地《せいち》の|空《そら》に|漂《ただよ》うた。|三五教《あななひけう》の|幹部《かんぶ》を|始《はじ》め、|信徒《しんと》は|此処《ここ》|彼処《かしこ》に|頭《かしら》を|鳩《あつ》め、|此《この》|話《はなし》にて|持切《もちき》りであつた。|高姫《たかひめ》は|錦《にしき》の|宮《みや》の|傍《かたはら》なる|高楼《たかどの》に|付属《ふぞく》せる|八尋殿《やひろどの》に|宣伝使《せんでんし》|及《およ》び|信者《しんじや》を|集《あつ》め、|一場《いちぢやう》の|注意《ちゆうい》を|与《あた》へむと|演説会《えんぜつくわい》を|開《ひら》いた。
|能弁家《のうべんか》の|高姫《たかひめ》が|此《この》|突発《とつぱつ》|事件《じけん》に|対《たい》し|如何《いか》なる|事《こと》を|言《い》ひ|出《だ》すやと、|先《さき》を|争《あらそ》うて|立錐《りつすゐ》の|余地《よち》なき|迄《まで》|集《あつ》まつた。|高姫《たかひめ》は|忽《たちま》ち|壇上《だんじやう》に|立上《たちあが》り、|稍《やや》|怒気《どき》を|含《ふく》み|目《め》を|釣《つ》り|上《あ》げながら、|諄々《じゆんじゆん》と|語《かた》り|始《はじ》めた。
|高姫《たかひめ》は|満座《まんざ》を|睥睨《へいげい》しながら、
『|皆《みな》さま、|今日《こんにち》は|能《よ》くこそ|御出場《ごしゆつぢやう》|下《くだ》さいました。|三五教《あななひけう》に|取《と》つて|一大事《いちだいじ》が|突発《とつぱつ》|致《いた》しましたに|就《つい》ては、|今後《こんご》の|注意《ちゆうい》は|申《まを》すまでもなく、|此《この》|処置《しよち》に|就《つい》て|如何《いかが》|致《いた》したら|宜《よろ》しいか。|神様《かみさま》の|為《ため》、|国《くに》の|為《ため》、|世界《せかい》|人類《じんるゐ》の|為《ため》に|由々《ゆゆ》しき|大問題《だいもんだい》で|御座《ござ》います。と|云《い》ふのは、|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り、|広大無辺《くわうだいむへん》な|御神徳《ごしんとく》に|依《よ》りまして、|一旦《いつたん》|妾《わたし》が|神界《しんかい》の|経綸上《けいりんじやう》、|腹《はら》に|呑《の》み|込《こ》んだ|顕国《うつしくに》の|御玉《みたま》の|一《ひと》つ|玉《だま》、|金剛不壊《こんがうふゑ》の|宝玉《ほうぎよく》は、|木《こ》の|花姫《はなひめ》|様《さま》の|御霊《みたま》の|懸《かか》らせ|給《たま》ふお|初《はつ》さまの|執成《とりな》しに|依《よ》つて、|再《ふたた》び|御神宝《ごしんぱう》として|此《この》お|宮《みや》に|納《をさ》まる|事《こと》となり、モ|一《ひと》つの|紫《むらさき》の|玉《たま》は|鷹依姫《たかよりひめ》の|改心《かいしん》|帰順《きじゆん》と|共《とも》に、|是《これ》|亦《また》|錦《にしき》の|宮《みや》の|宝物《ほうもつ》と|相《あひ》|成《な》り、|曩《さき》に|青雲山《せいうんざん》より|運《はこ》び|来《きた》りし|黄金《こがね》の|如意宝珠《によいほつしゆ》と|共《とも》に、|霊力体《れいりよくたい》|相揃《あひそろ》ひ、いよいよ|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|機運《きうん》|到来《たうらい》|疑《うたがひ》なしと|喜《よろこ》ぶ|折《をり》しも、|不注意《ふちゆうい》なる|黒姫《くろひめ》がために、|大切《たいせつ》なる|黄金《わうごん》の|玉《たま》を|紛失《ふんしつ》|致《いた》しました|事《こと》は、|返《かへ》す|返《がへ》すも|残念《ざんねん》で|御座《ござ》います。|斯《かく》の|如《ごと》き|大事変《だいじへん》が|突発《とつぱつ》して|居《ゐ》るのに、|皆《みな》さまは|何《なん》ともないのですか。|此《この》|噂《うはさ》は|最早《もはや》あなた|方《がた》の|耳《みみ》には|幾度《いくたび》も|這入《はい》つて|居《ゐ》る|筈《はず》です。|然《しか》るに|今日《こんにち》まで|妾《わたし》の|許《もと》に|膿《う》んだ|鼻《はな》が|潰《つぶ》れたとも|云《い》つて|来《き》た|人《ひと》がないのは、|何《なん》たる|冷淡《れいたん》な|事《こと》で|御座《ござ》いませう。さぞ|神様《かみさま》も|諸君《あなたがた》の|至誠《しせい》を|御満足《ごまんぞく》に|思《お》ぼ|召《しめ》すで|御座《ござ》いませう』
と|棄鉢《すてばち》|口調《くてう》で|八《や》つ|当《あた》りに|当《あた》つて|見《み》せた。|国依別《くによりわけ》は|高姫《たかひめ》の|立《た》てる|壇上《だんじやう》に|立現《たちあら》はれ、
『|高姫《たかひめ》さまに|御尋《おたづ》ね|致《いた》します。|吾々《われわれ》は|此《こ》の|件《けん》に|就《つい》て、|寄《よ》り|寄《よ》り|幹部《かんぶ》と|協議《けふぎ》を|凝《こ》らして|居《を》るのですが、|何分《なにぶん》|肝腎《かんじん》の|黒姫《くろひめ》|様《さま》の|行方《ゆくへ》が|分《わか》らないので、|如何《どう》してよいのか|調《しら》べる|事《こと》も|出来《でき》ない。|承《うけたま》はれば|貴方《あなた》は|専横《せんわう》にも、|独断的《どくだんてき》に|黒姫《くろひめ》|以下《いか》|四人《よにん》を|放逐《はうちく》されたと|云《い》ふ|事《こと》だが、そりや|又《また》|誰《たれ》の|聴許《ゆるし》を|受《う》けてなされましたか。|一応《いちおう》|吾々《われわれ》|幹部《かんぶ》に|対《たい》し|御相談《ごさうだん》がありさうなものです。これに|就《つい》ては|何《なに》か|裏面《りめん》に|伏在《ふくざい》するのではありますまいか。どうぞ|此《この》|席上《せきじやう》に|於《おい》て、|吾々《われわれ》の|疑惑《ぎわく》を|晴《は》らす|為《ため》に、|詳細《しやうさい》なる|御報告《ごはうこく》を|願《ねが》ひます』
『|国依別《くによりわけ》さま、お|黙《だま》りなさい。|神界《しんかい》の|事《こと》は|俄宣伝使《にはかせんでんし》の|巡礼《じゆんれい》|上《あが》りのお|前《まへ》さまに、|何《ど》うして|分《わか》りますか。|何事《なにごと》も|神界《しんかい》の|御経綸《おしぐみ》ですから、|出《で》る|杭《くひ》は|打《う》たれるとやら、チツトつつしみなされ』
『これは|怪《け》しからぬ。これが|如何《どう》して|黙《だま》つてをれますか。|又《また》あなたが|黒姫《くろひめ》|以下《いか》を|勝手《かつて》に|処置《しよち》する|権能《けんのう》は|何処《どこ》にあります。|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫《たまてるひめ》|様《さま》の|御神慮《ごしんりよ》も|伺《うかが》はず、|又《また》|教主《けうしゆ》の|御意見《ごいけん》も|無視《むし》して、|勝手《かつて》|気儘《きまま》にそんな|事《こと》をしても|良《よ》いのですか。|左様《さやう》な|事《こと》が|貴方《あなた》に|出来《でき》るのならば、お|二人《ふたり》の|宮司《みやつかさ》も、|教主《けうしゆ》も、|幹部《かんぶ》も|必要《ひつえう》はないぢやありませぬか』
『|妾《わたし》はそんな|肉体《にくたい》の|云《い》ふ|事《こと》は|聞《き》きませぬよ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》の|御指図《おさしづ》に|依《よ》つて|申上《まをしあ》げたのだ。|知慧《ちゑ》や|学《がく》で|神界《しんかい》の|御経綸《おしぐみ》が|分《わか》るものですかい』
『|貴方《あなた》は|二《ふた》つ|目《め》に|神界《しんかい》|々々《しんかい》と|仰《あふ》せられますが、|大変《たいへん》に|都合《つがふ》のよい|隠《かく》れ|場所《ばしよ》を|御持《おも》ちで|御座《ござ》いますなア。|吾々《われわれ》に|相談《さうだん》する|必要《ひつえう》がなければ、|何故《なぜ》|御招《おまね》きになりました?』
|満座《まんざ》の|中《なか》より、
『|国依別《くによりわけ》さま|頼《たの》んますぜ。|確《しつか》り|確《しつか》り』
などと|野次《やじ》る|者《もの》がある。
|高姫《たかひめ》『|黒姫《くろひめ》さまを|決《けつ》して|逐出《おひだ》したのではない。|妾《わたし》が|道理《だうり》を|説《と》いて|聞《き》かし|責任《せきにん》のある|所《ところ》を|明《あきら》かに|示《しめ》したのだ。そこで|黒姫《くろひめ》さまは|自発的《じはつてき》に|尻《しり》をからげて|玉《たま》の|探索《たんさく》に|行《ゆ》かれたのです。お|前《まへ》さま|達《たち》もさうキヨロキヨロとして|居《ゐ》る|時《とき》ではありますまい。|此《この》|広《ひろ》い|世《よ》の|中《なか》|三人《さんにん》や|五人《ごにん》|探《さが》しに|出《で》た|所《ところ》で|大海《たいかい》へ|落《おと》した|真珠《しんじゆ》の|玉《たま》を|探《さが》す|様《やう》なものだ。|何時《いつ》も|御道《おみち》の|為《ため》には|生命《いのち》も|何《なに》も|捧《ささ》げると|誓《ちか》つて|居《ゐ》るあなた|方《がた》、|此《この》|高姫《たかひめ》が|言《い》はなくとも|何故《なぜ》|不言実行《ふげんじつかう》が|出来《でき》ませぬか。まさかの|時《とき》になつたら|逃《に》げる|奴《やつ》ばかりぢやと|神《かみ》さまが|何時《いつ》も|仰有《おつしや》る。|本当《ほんたう》に|神《かみ》さまの|御言葉《おことば》は|毛筋《けすぢ》も|違《ちが》ひませぬ。サア|皆《みな》さま|如何《どう》なさる。|決《けつ》して|黒姫《くろひめ》さま|許《ばか》りの|責任《せきにん》ぢやありますまい。|国依別《くによりわけ》さま、あなたはまだ|神界《しんかい》の|事《こと》がテンで|分《わか》つて|居《を》らぬ。|自分《じぶん》の|席《せき》にトツトとお|下《さが》りなされ』
|国依別《くによりわけ》『|貴方《あなた》は|金剛不壊《こんがうふゑ》の|玉《たま》の|保管役《ほくわんやく》と|承《うけたま》はつて|居《を》りますが、|大丈夫《だいぢやうぶ》ですかな。|余《あま》り|他《ひと》の|事《こと》を|云《い》ふものぢやありませぬぞ。|今日《けふ》の|非《ひ》は|他人《ひと》の|事《こと》、|明日《あす》の|非《ひ》は|吾《わが》|事《こと》と|云《い》ふ|事《こと》をちツとは|御考《おかんが》へなさい』
『|何《なに》をツベコベと|云《い》ふのだい。|此《この》|高姫《たかひめ》が|保管《ほくわん》する|以上《いじやう》は、どんな|偉《えら》い|者《もの》が|来《き》ても、|指一本《ゆびいつぽん》|触《さ》へさすものではありませぬ。|万一《まんいち》|其《その》|玉《たま》が|損失《そんしつ》する|様《やう》な|事《こと》があるとしたら、|二度《にど》とお|目《め》に|掛《かか》りませぬワ』
と|肩《かた》を|四角《しかく》にし、|少《すこ》し|腮《あご》を|前《まへ》へ|突出《つきだ》し、|憎々《にくにく》しげに|言《い》ひ|放《はな》つた。|満座《まんざ》の|中《なか》より、
『まさか|違《ちが》うたら|呑《の》み|込《こ》むのだから|大丈夫《だいぢやうぶ》だよ。|大方《おほかた》|黄金《わうごん》の|玉《たま》も|呑《の》んだのかも|知《し》れないぞ。|国依別《くによりわけ》さま、シツカリ|頼《たの》む』
と|野次《やじ》る。|高姫《たかひめ》|益々《ますます》|語気《ごき》を|荒《あら》らげ、
『|千騎一騎《せんきいつき》の|此《この》|場合《ばあひ》、|芝居《しばゐ》|見物《けんぶつ》か|二十世紀《にじつせいき》の|議会《ぎくわい》の|様《やう》に、|野次《やじ》ると|云《い》ふ|不心得者《ふこころえもの》は|誰《たれ》だ。|顔《かほ》を|隠《かく》して|作《つく》り|声《ごゑ》をして、|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》な。|何故《なぜ》|堂々《だうだう》と、|意見《いけん》があるなら|高姫《たかひめ》の|面前《めんぜん》へ|現《あら》はれて|仰有《おつしや》れ。|卑怯《ひけふ》ぢやありませぬか。たかが|女《をんな》の|一人《ひとり》、|一人前《いちにんまへ》の|男《をとこ》が|其《その》|態《ざま》は|何《なん》の|事《こと》だい』
と|呶鳴《どな》りつける。|満座《まんざ》の|一同《いちどう》は|手《て》を|拍《う》つて、
『ワアイ ワアイ』
と|笑《わら》ひさざめく。
|高姫《たかひめ》『|皆《みな》さまは|此席《ここ》を|何《なん》と|心得《こころえ》て|御座《ござ》る。|斯《か》かる|神聖《しんせい》な|八尋殿《やひろどの》に|集《あつ》まりながら、|不届千万《ふとどきせんばん》ではありますまいか。|此《この》|高姫《たかひめ》の|云《い》ふ|事《こと》が|気《き》に|入《い》らねば、トツトと|出《で》て|貰《もら》ひませう。|沢山《たくさん》に|頭数《あたまかず》は【ごまめ】の|様《やう》にあつても、どれ|一《ひと》つ|間《ま》に|合《あ》ふ|者《もの》はない。なんと|人民《じんみん》と|云《い》ふ|者《もの》は|情《なさけ》ないものだなア』
|国依別《くによりわけ》『|皆《みな》さま、|高姫《たかひめ》さまのお|言葉《ことば》が|気《き》に|入《い》らぬ|方《かた》は、|御註文《ごちゆうもん》|通《どほ》り|御退場《ごたいぢやう》を|願《ねが》ひます』
|大勢《おほぜい》の|中《なか》より、
『|国依別《くによりわけ》さまの|仰《あふ》せの|通《とほ》り、|気《き》に|入《い》らぬ|者《もの》に|退場《たいぢやう》せよなら、|残《のこ》る|者《もの》は|高姫《たかひめ》|一人《ひとり》よりないぞ、それでも|良《よ》いか』
と|怒鳴《どな》りたてる。|高姫《たかひめ》は|躍気《やつき》となり、
『|神界《しんかい》の|帳《ちやう》を|切《き》られても|好《よ》ければ、トツトと|出《で》たが|宜《よろ》しい』
|大勢《おほぜい》の|中《なか》より、
『お|前《まへ》さまに|帳《ちやう》を|切《き》られても、|神界《しんかい》から|切《き》られなければ|宜《よろ》しい』
と|叫《さけ》ぶ|者《もの》がある。|場内《ぢやうない》は|忽《たちま》ち|喧々囂々《けんけんがうがう》、|鼎《かなへ》の|沸《わ》く|如《ごと》く、|雀蜂《すずめばち》の|巣《す》を|突《つ》き|破《やぶ》つた|如《ごと》くであつた。
|此《この》|時《とき》|言依別命《ことよりわけのみこと》は|若彦《わかひこ》、|紫姫《むらさきひめ》、|玉治別《たまはるわけ》と|共《とも》に|壇上《だんじやう》に|悠然《いうぜん》として|現《あら》はれた。
|一同《いちどう》は|拍手《はくしゆ》して|言依別命《ことよりわけのみこと》を|迎《むか》へた。|今《いま》や|散乱《さんらん》せむとしつつあつた|数多《あまた》の|信者《しんじや》は、|再《ふたた》び|腰《こし》を|下《おろ》し、|花形《はながた》|役者《やくしや》の|言依別命《ことよりわけのみこと》が|高姫《たかひめ》に|対《たい》する|論戦《ろんせん》の|矢《や》は|如何《いか》にと|固唾《かたづ》を|呑《の》んで|待《ま》つ|事《こと》となつた。|言依別命《ことよりわけのみこと》は|満座《まんざ》に|向《むか》ひ、|声《こゑ》も|淑《しとや》かに、
『|皆《みな》さま、|今日《こんにち》は|高姫《たかひめ》さまの|招《まね》きに|依《よ》つて|御集合《おあつまり》になつたさうですが、|何《なに》か|纏《まと》まつた|御話《おはなし》でも|御座《ござ》いましたか』
と|極《きは》めて|平静《へいせい》の|態度《たいど》で、|微笑《びせう》を|浮《うか》べながら、|満座《まんざ》に|問《と》うた。|座中《ざちう》より|一人《ひとり》の|男《をとこ》がスツクと|立上《たちあが》り、
『|不得要領《ふとくえうりやう》、|何《なに》が|何《なん》だか|訳《わけ》が|分《わか》りませぬ。|何《なん》だか|黒姫《くろひめ》さまが|玉《たま》を|奪《と》られたとか|云《い》つて、ブウブウと|私《わたし》|達《たち》|一同《いちどう》に|熱《ねつ》を|吹《ふ》かれるのですから、|堪《たま》りませぬ』
|言依別命《ことよりわけのみこと》『|如何《いか》なる|事《こと》かと|思《おも》へば、|黄金《わうごん》の|玉《たま》の|紛失《ふんしつ》|事件《じけん》ですか。それは|少《すこ》しも|御心配《ごしんぱい》はいりませぬ。|何事《なにごと》も|神《かみ》さまの|御経綸《ごけいりん》ですから、|誰一人《たれひとり》として|神《かみ》さまに|対《たい》し|不都合《ふつがふ》は|御座《ござ》いませぬから、|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
|高姫《たかひめ》は|口《くち》を|尖《とが》らし、
『コレコレ|教主《けうしゆ》さま、あなたは|何《なん》と|云《い》ふ|事《こと》を|仰有《おつしや》るのですか。|三千世界《さんぜんせかい》を|水晶《すゐしやう》にする|誠《まこと》の|生粋《きつすゐ》の|御玉《おんたま》を|紛失《ふんしつ》しながら、|肝腎《かんじん》の|御方《おかた》からそんな|気楽《きらく》な|無責任《むせきにん》なことを|云《い》つて|如何《どう》なりますか。それだからあなたは|変性女子《へんじやうによし》の|野良久羅者《のらくらもの》だと|人《ひと》が|云《い》ふのですよ。チツとは|責任《せきにん》|観念《くわんねん》をお|持《も》ちなされ』
|言依別命《ことよりわけのみこと》『|世界《せかい》を|自由《じいう》に|遊《あそ》ばす|大神《おほかみ》|様《さま》が|御守護《ごしゆご》の|錦《にしき》の|宮《みや》、|加《くは》ふるに|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫《たまてるひめ》の|神人《しんじん》が|御守護《ごしゆご》|遊《あそ》ばし、|且《か》つ|地《ち》は|自転倒島《おのころじま》の|中心点《ちうしんてん》、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》の|宮屋敷《みややしき》ではありませぬか。|何《なに》|事《ごと》も|皆《みな》|神界《しんかい》のご|経綸《けいりん》です。|御心配《ごしんぱい》は|要《い》りますまい。|余《あま》り|黒姫《くろひめ》さまを|御責《おせめ》になると、あなたも|亦《また》お|困《こま》りになる|事《こと》が|出来《でき》ますぞ』
『エー|奴灰殻《どはひから》の|柔弱《にうじやく》な|言依別《ことよりわけ》、モウ|愛想《あいさう》が|尽《つ》きました。これから|妾《わたし》が|此《この》|高天原《たかあまはら》を|背負《せお》うて|立《た》つ|考《かんが》へだ。お|前《まへ》さまにも|一《ひと》つの|責任《せきにん》がある。|黄金《わうごん》の|玉《たま》が|再《ふたた》び|手《て》に|入《い》るまで|教主《けうしゆ》の|席《せき》をお|辷《すべ》りなさい。|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|高姫《たかひめ》の|口《くち》を|藉《か》りて|申《まを》し|付《つ》けるツ』
『|私《わたし》は|教主《けうしゆ》の|地位《ちゐ》に|恋々《れんれん》として|居《ゐ》る|者《もの》ではありませぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら|此《この》|聖地《せいち》は|貴女《あなた》が|教主《けうしゆ》になつて|治《をさ》まる|所《ところ》ではありませぬ。やがて|貴女《あなた》は|黒姫《くろひめ》さま|同様《どうやう》、|玉《たま》を|探《さが》しに|行《ゆ》かねばなりますまい』
『エー|何《なに》を|仰有《おつしや》る。|妾《わたし》が|今《いま》|聖地《せいち》を|出《で》ようものなら、サツパリ|暗雲《やみくも》だ。|終局《しまひ》には|金剛不壊《こんがうふゑ》の|宝珠《ほつしゆ》も、|紫《むらさき》の|玉《たま》も、|亦《また》|紛失《ふんしつ》するかも|知《し》れませぬぞ』
『|万一《まんいち》|其《その》|玉《たま》が|紛失《ふんしつ》して|居《ゐ》たら、|貴女《あなた》は|如何《どう》なさいますか』
『そんな|事《こと》|仰有《おつしや》るまでもなく、|此《この》|高姫《たかひめ》が|一《ひと》つよりない|首《くび》を|十《とを》でも|二十《にじふ》でも|進上《しんじやう》|致《いた》しますワイな。そんな|間抜《まぬけ》と|思《おも》つて|御座《ござ》るのですか。チツト|黒姫《くろひめ》とは|品物《しなもの》が|違《ちが》ひます。あんまり|見違《みちが》ひして|下《くだ》さいますな。お|前《まへ》さまは|教主《けうしゆ》と|云《い》つても、ホンの|看板《かんばん》も|同然《どうぜん》、|斯《こ》んな|所《ところ》へ|出《で》て|来《く》る|場合《ばあひ》ぢやありませぬ。スツ|込《こ》んで|居《ゐ》なさい、|空気抜《くうきぬ》けさま』
『あなたの|保管《ほくわん》して|居《を》られる|玉《たま》を|一寸《ちよつと》|此処《ここ》で|皆《みな》さまに|拝《をが》ましてあげて|貰《もら》ひたい。|斯《か》う|云《い》ふ|人心《じんしん》|不安《ふあん》な|時《とき》は|噂《うはさ》は|噂《うはさ》を|生《う》み、|金剛不壊《こんがうふゑ》の|玉《たま》も、|紫《むらさき》の|玉《たま》も|紛失《ふんしつ》したげな……と|大変《たいへん》な|評判《ひやうばん》が|立《た》つて|居《ゐ》ますから………』
『エー|人間《にんげん》と|云《い》ふ|者《もの》は|仕方《しかた》のないものだナ。|天眼通《てんつうがん》でチヤンと|見《み》えて|居《を》る、|決《けつ》して|紛失《ふんしつ》なんかして|居《ゐ》ませぬ。|直《すぐ》にお|目《め》に|掛《か》けます。|折角《せつかく》|妾《わたし》が|保管《ほくわん》して|置《お》いた|秘密《ひみつ》|場所《ばしよ》を|見《み》せた|以上《いじやう》は|又《また》|場所《ばしよ》を|替《か》へねばならぬ。どんな|奴《やつ》が|信者《しんじや》に|化《ば》けて|這入《はい》り|込《こ》んで|居《を》るか|分《わか》つたものぢやない。|妾《わたし》は|黒姫《くろひめ》の|様《やう》に|松《まつ》の|木《き》の|根元《ねもと》へ|隠《かく》し、|毎晩《まいばん》|々々《まいばん》、|降《ふ》つても|照《て》つてもお|百度《ひやくど》|参《まゐ》りをして|終局《しまひ》に|人《ひと》に|嗅《か》ぎつけられる|様《やう》な|拙劣《へた》な|事《こと》はやりませぬワイなア、ヘン』
と|稍《やや》|軽侮《けいぶ》の|色《いろ》を|大勢《おほぜい》の|前《まへ》に|曝《さら》しながら、
『|皆《みな》さま|玉《たま》を|拝《をが》ましてあげる。|目《め》が|潰《つぶ》れぬ|様《やう》にシツカリとしなされ』
と|云《い》ひながら、|八尋殿《やひろどの》の|畳《たたみ》を|一枚《いちまい》|剥《はぐ》り、|中《なか》より|恭《うやうや》しく|桐《きり》の|箱《はこ》を|取《と》り|出《だ》し、
『|皆《みな》さま|如何《どう》です。|斯《か》う|云《い》ふ|近《ちか》い|所《ところ》に|隠《かく》してあつても|分《わか》りますまいがな。それだから|灯台下《とうだいもと》は|真暗《まつくら》がりと|云《い》ふのですよ。チツト|身魂《みたま》を|研《みが》きなされ。|言依別《ことよりわけ》|様《さま》、お|前《まへ》さまの|命令《めいれい》した|所《ところ》とは|違《ちが》ひませうがな。お|前《まへ》さまの|命令《めいれい》|通《どほ》り|行《や》つて|居《を》らうものなら、|黒姫《くろひめ》の|様《やう》にサツパリな|目《め》に|遇《あ》うて|居《を》るのぢや。サア|蓋《ふた》を|開《あ》けて|検《あらた》めて|御覧《ごらん》』
『どうぞ|貴女《あなた》|開《あ》けて|下《くだ》さい』
『さうだらう さうだらう。|此《この》|玉《たま》は|実地《じつち》|誠《まこと》の|御神徳《ごしんとく》がないと、|何程《なにほど》|教主《けうしゆ》でも、|身魂《みたま》の|曇《くも》りが|現《あら》はれて、|恥《はづか》しうて、|面《おもて》を|向《む》ける|事《こと》も|出来《でき》ませぬワイ。サア|皆《みな》さま、|目《め》のお|正月《しやうぐわつ》を|為《さ》してあげるから、|心《こころ》の|饑饉《ききん》を|起《おこ》してはなりませぬぞや』
と|得意気《とくいげ》に、
『サア|此処《ここ》に|金剛不壊《こんがうふゑ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》の|御宝《おんたから》、|一《ひと》つは|紫《むらさき》の|御玉《みたま》、|身魂《みたま》が|研《みが》けて|居《を》らぬと、|玉石混同《ぎよくせきこんどう》と|云《い》つて、|石塊《いしくれ》に|見《み》える|人《ひと》もありますよ。|千里《せんり》の|馬《うま》も|伯楽《はくらう》を|得《え》ざれば|駑馬《どば》で|終《をは》るとやら、|皆《みな》さま、シツカリ|眼《め》を|据《す》ゑ、|身魂《みたま》を|光《ひか》らして|御覧《ごらん》……|否《いや》|拝観《はいくわん》なされ』
と|口《くち》を|一《いち》の|字《じ》に|結《むす》び、|横柄《わうへい》な|面付《つらつき》しながら、|二三回《にさんくわい》|玉箱《たまばこ》を|頭上《づじやう》に|捧《ささ》げ、|静《しづ》かに|被覆《おほひ》を|外《はづ》し|唐櫃《からうど》の|蓋《ふた》を|開《あ》けるや|否《いな》や、|顔色《がんしよく》サツと|蒼白色《さうはくしよく》に|変《へん》じ、|舌《した》を|捲《ま》き、|目《め》を|梟《ふくらふ》の|如《ごと》く|円《まる》くし、|肩《かた》を|細《ほそ》く|高《たか》くこぢあげ、|首《くび》を|半分《はんぶん》ばかり|肩《かた》に|埋《うづ》め、|無言《むごん》の|儘《まま》|立《た》つて|居《ゐ》る。
|言依別命《ことよりわけのみこと》『|高姫《たかひめ》さま、|立派《りつぱ》な|霊光《れいくわう》が|輝《かがや》き|給《たま》ふでせうなア』
|国依別《くによりわけ》はツカツカと|進《すす》み|寄《よ》り、|玉箱《たまばこ》の|中《なか》を|覗《のぞ》いて|見《み》て、
『ヤアこりや|何《なん》だ。|皆《みな》さま、|玉《たま》と|思《おも》ひの|外《ほか》、|何時《いつ》の|間《ま》にか|石《いし》に|変《かは》つて|居《を》りますよ。これは|誰《だれ》の|責任《せきにん》でせう。|一《ひと》つよりない|首《くび》を|沢山《たくさん》に|渡《わた》さねばならぬ|手品《てじな》が|見《み》られようかも|知《し》れませぬ。とは|云《い》ふものの|大変《たいへん》な|事《こと》が|出来《しゆつたい》|致《いた》しました』
|一同《いちどう》はアフンとして|呆《あき》れ|返《かへ》るばかりであつた。|紫姫《むらさきひめ》は、
『モシ|高姫《たかひめ》さま、こりや|又《また》|何《ど》うした|訳《わけ》ですか』
『|何《ど》うでもありませぬ。|斯《か》うして|石《いし》に|見《み》えてもヤツパリ|正真正銘《しやうしんしやうめい》の|如意宝珠《によいほつしゆ》、お|前《まへ》さま|達《たち》|一同《いちどう》の|身魂《みたま》が|悪《わる》いから、|宝珠《ほつしゆ》|様《さま》が|石《いし》に|化《ば》けちやつたのだ。|神《かみ》さまは|鏡《かがみ》も|同様《どうやう》だから、|皆《みな》さまの|心《こころ》が|石瓦《いしかはら》|同然《どうぜん》だから、|皆《みな》さまの|意《い》の|如《ごと》く|変化《へんげ》|遊《あそ》ばすのだ。それで|如意宝珠《によいほつしゆ》と|申《まを》します。……コレコレ|如意宝珠《によいほつしゆ》|様《さま》、さぞあなたは|御無念《ごむねん》でせう。せめて|二三日《にさんにち》か|一週間《いつしうかん》、|皆《みな》さま|水行《すゐぎやう》をしてお|出《い》でなされ。さうしたら|本当《ほんたう》の|宝珠《ほつしゆ》の|御神体《ごしんたい》が|拝《をが》めますよ』
|大勢《おほぜい》の|中《なか》より、
『オイ、|高姫《たかひめ》さま、|何程《なにほど》|研《みが》いても、|見直《みなほ》しても、|石《いし》はヤツパリ|石《いし》ぢやないか。|此《この》|中《なか》に|一人《ひとり》や|半分《はんぶん》、|魂《たま》の|研《みが》けた|者《もの》がないとはいへまい。それに|誰《たれ》も|玉《たま》ぢやと|言《い》ふ|者《もの》がないぢやないか。お|前《まへ》さまはあんまり|慢心《まんしん》が|強《つよ》いから|奪《と》られたのだよ。さうでなくばウラナイ|教《けう》を|再設《さいせつ》する|積《つも》りで、|黒姫《くろひめ》と|申合《まをしあは》せ、|黒姫《くろひめ》に|黄金《わうごん》の|玉《たま》を|持《も》つてフサの|都《みやこ》へ|先《さき》へ|帰《かへ》らせ、|自分《じぶん》は|残《のこ》りの|二《ふた》つの|玉《たま》を|何々《なになに》して|謀叛《むほん》を|企《たく》むのだらう』
|高姫《たかひめ》クワツとなり、
『|誠《まこと》|一《ひと》つの|大和魂《やまとだましひ》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》に|向《むか》つて、|何《なん》と|云《い》ふ|事《こと》を|仰有《おつしや》る。サア|此処《ここ》へ|出《で》て|来《き》なさい。|黒白《こくびやく》を|分《わ》けてあげるから』
|大勢《おほぜい》|一度《いちど》に、
『ウラナイ|教《けう》、ウラナイ|教《けう》の|再設《さいせつ》。……|悪《あく》の|道《みち》へ|逆転《ぎやくてん》|旅行《りよかう》の|張本人《ちやうほんにん》……』
と|口々《くちぐち》に|呶鳴《どな》り|立《た》てる。|高姫《たかひめ》は|烈火《れつくわ》の|様《やう》になつて、
『エー|残念《ざんねん》|々々《ざんねん》、|此《この》|腹《はら》を|切《き》つて|見《み》せてやりたいやうだ』
と|壇上《だんじやう》に|地団駄《ぢだんだ》を|踏《ふ》む。
|言依別命《ことよりわけのみこと》『|高姫《たかひめ》さま、|何事《なにごと》も|神界《しんかい》の|御都合《ごつがふ》でせう。|先《ま》づ|御安心《ごあんしん》なさいませ。|御一同《ごいちどう》さま、|此《こ》れには|何《なに》か|神界《しんかい》の|御都合《ごつがふ》のある|事《こと》と|私《わたし》は|確《かた》く|信《しん》じます。どうぞ|鎮《しづ》まつて|下《くだ》さい。|責任《せきにん》は|私《わたし》が|負《お》ひますから……』
と|淑《しとや》かに|宥《なだ》める。|一同《いちどう》は|教主《けうしゆ》の|挨拶《あいさつ》に|是非《ぜひ》なく、ブツブツ|呟《つぶや》き|乍《なが》ら|錦《にしき》の|宮《みや》に|拝礼《はいれい》し、|各《おのおの》|家路《いへぢ》に|帰《かへ》つて|行《ゆ》く。
|高姫《たかひめ》は|面《つら》を|膨《ふく》らし、|石《いし》の|玉箱《たまばこ》を|小脇《こわき》に|抱《かか》へ、|夜叉《やしや》の|如《ごと》き|相好《さうがう》を|寒風《かんぷう》に|曝《さら》し|乍《なが》ら、|己《おの》が|居宅《きよたく》へ|一散走《いちさんばし》りに|帰《かへ》り|行《ゆ》く。|傍《かたはら》の|榎《えのき》の|枝《えだ》に|烏《からす》が|二三羽《にさんば》、|寒風《かんぷう》に|揺《ゆら》れ|乍《なが》ら、|枝《えだ》の|先《さき》にタワタワと|波《なみ》を|打《う》ち、|空中《くうちう》に|浮《うき》つ|沈《しづ》みつ『|阿呆《あはう》|々々《あはう》』と|鳴《な》き|立《た》てて|居《ゐ》る。
(大正一一・五・二五 旧四・二九 松村真澄録)
第六章 |見舞客《みまひきやく》〔六九八〕
|高姫《たかひめ》はすごすごと|我《わが》|家《や》に|帰《かへ》り|頭痛《づつう》がするとて|臥床《ふしど》に|入《い》り|捩鉢巻《ねぢはちまき》の|大発熱《だいはつねつ》、|大苦悶《だいくもん》。|遠州《ゑんしう》、|武州《ぶしう》は|種々《いろいろ》と|介抱《かいほう》に|全力《ぜんりよく》を|尽《つく》して|居《ゐ》る。|玉治別《たまはるわけ》は|妻《つま》のお|勝《かつ》と|共《とも》に|高姫《たかひめ》の|病気《びやうき》と|聞《き》き、|見舞《みまひ》のために|訪《たづ》ねて|来《き》た。|玉治別《たまはるわけ》は|庭《には》の|表《おもて》に|立《た》ち|働《はたら》いて|居《ゐ》る|遠州《ゑんしう》に|向《むか》ひ、
『|遠州《ゑんしう》さま、|承《うけたま》はれば|高姫《たかひめ》さまには|少《すこ》しお|塩梅《あんばい》が|悪《わる》いと|聞《き》きましたが、|御様子《ごやうす》はどうですかナ』
『ハイ、この|間《あひだ》|八尋殿《やひろどの》で|演説《えんぜつ》をなさつてから|肝腎《かんじん》のお|宝《たから》が|石《いし》に|化《ば》けて|居《を》つたとか|云《い》つて、|怒《おこ》つて|溜池《ためいけ》の|中《なか》に|放《はう》り|込《こ》まれました。それから|気分《きぶん》が|悪《わる》いと|云《い》うてお|寝《やす》みになつたきり、|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|玉々《たまたま》と、|囈語《うはごと》ばつかり|云《い》うて|居《ゐ》らつしやいます。|誠《まこと》に|困《こま》りものですよ』
『|何《ど》うか|差支《さしつかへ》なくば、|玉治別《たまはるわけ》|夫婦《ふうふ》がお|見舞《みまひ》に|参《まゐ》つたと、|伝《つた》へて|下《くだ》さい』
『|承知《しようち》|致《いた》しました』
と|奥《おく》に|入《い》り|耳許《みみもと》に|口《くち》を|寄《よ》せて、
『|高姫《たかひめ》|様《さま》、|玉治別《たまはるわけ》の|宣伝使《せんでんし》がお|見舞《みまひ》に|見《み》えました』
|高姫《たかひめ》は|人事不省《じんじふせい》に|陥《おちい》りながらも、|玉《たま》の|一声《ひとこゑ》にふつと|気《き》がつき、
『|何《なに》、|玉《たま》が|出《で》て|来《き》たと、そりや|結構《けつこう》だ。|早《はや》く|見《み》せてお|呉《く》れ』
と|起《お》き|上《あが》つた。|遠州《ゑんしう》は|玉《たま》ではない、|玉治別《たまはるわけ》が|来《き》たのだと|実《じつ》を|明《あ》かせば、|又《また》もや|高姫《たかひめ》が|落胆《らくたん》して|重態《ぢゆうたい》に|陥《おちい》る|事《こと》を|案《あん》じ、|何気《なにげ》なう、
『ハイ、|玉《たま》がお|出《いで》になりました』
と|皆《みな》まで|云《い》はさず、|高姫《たかひめ》は、
『|早《はや》く|此処《ここ》へ|持《も》つてお|出《い》で』
|遠州《ゑんしう》は、
『ハイ』
と|答《こた》へて|表《おもて》に|出《い》で、
『|玉治別《たまはるわけ》さま、お|勝《かつ》さま、どうぞ|奥《おく》へお|通《とほ》り|下《くだ》さいませ。|高姫《たかひめ》|様《さま》が|大変《たいへん》お|待《ま》ち|兼《か》ねで|御座《ござ》います』
|玉治別《たまはるわけ》はお|勝《かつ》と|共《とも》に【つと】|奥《おく》に|進《すす》み|入《い》り、|見《み》れば|高姫《たかひめ》は|真赤《まつか》な|顔《かほ》をしながら|捩鉢巻《ねぢはちまき》の|儘《まま》|病床《びやうしやう》に|坐《すわ》つて|居《ゐ》る。
|玉治別《たまはるわけ》『|高姫《たかひめ》|様《さま》、|承《うけたま》はりますれば|御病気《ごびやうき》との|事《こと》、|何《ど》うかとお|案《あん》じ|申《まを》しましてお|訪《たづ》ねに|上《あが》りました』
|高姫《たかひめ》『|別《べつ》に|私《わたくし》は、|病気《びやうき》なんかありませぬが、つい|癇癪玉《かんしやくだま》がつき|詰《つ》めて|熱《ねつ》が|出《で》たのです。|常《つね》に|健康《たつしや》なものが|偶《たま》に|寝《ね》ると、|大変《たいへん》な|噂《うはさ》が|立《た》つと|見《み》えます。ヤアもう|大丈夫《だいぢやうぶ》です』
お|勝《かつ》『|毎度《まいど》|夫《をつと》がお|世話《せわ》になりまして、|一度《いちど》お|訪《たづ》ね|致《いた》さねばならないのですが、つい|御無礼《ごぶれい》を|致《いた》しました』
『お|前《まへ》さまが|玉《たま》さまの|奥《おく》さまかい。ほんに|可愛《かあい》らしい|御器量《ごきりやう》のよいお|方《かた》だこと、|玉治別《たまはるわけ》さまもお|仕合《しあは》せな|事《こと》ですワイ。|時《とき》に|玉治別《たまはるわけ》さま、|皆《みな》さまは|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》の|紛失《ふんしつ》に|就《つい》て、どう|云《い》うて|居《ゐ》られますかな』
『いやもう|種々《いろいろ》の|噂《うはさ》で|御座《ござ》います。|高姫《たかひめ》さまが|独断《どくだん》で|黒姫《くろひめ》さまを|追《お》ひ|出《だ》し|遊《あそ》ばしたが、|人《ひと》を|呪《のろ》はば|穴《あな》|二《ふた》つ、|自分《じぶん》も|亦《また》|玉《たま》で|失敗《しつぱい》して|何処《どこ》かへ|逃《に》げ|出《だ》さねばなるまい、と|云《い》つて|居《を》る|人《ひと》もあり、|中《なか》には|如意宝珠《によいほつしゆ》は|決《けつ》して|紛失《ふんしつ》して|居《ゐ》ない、|吾々《われわれ》の|身魂《みたま》が|曇《くも》つて|居《ゐ》るから|石《いし》に|見《み》えたのだと|云《い》ふ|人《ひと》もあり、|一方《いつぱう》には|何《ど》うも|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》の|御処置《ごしよち》が|手《て》ぬるいと|云《い》つて|居《を》る|方《かた》もあります。つまり|百人《ひやくにん》が|百人《ひやくにん》、|種々《いろいろ》の|意見《いけん》を|立《た》てて|騒《さわ》いで|居《ゐ》ますよ』
『|私《わたくし》は|誰《たれ》が|何《なん》と|云《い》うても|此処《ここ》は|動《うご》きませぬよ。|三千世界《さんぜんせかい》の|救《すく》ひ|主《ぬし》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が|離《はな》れて、どうして|御経綸《おしぐみ》が|成就《じやうじゆ》|致《いた》しますか。|大神《おほかみ》さまは|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生魂《いきだま》を|地《ぢ》と|致《いた》して|三千世界《さんぜんせかい》を|助《たす》けると、お|筆先《ふでさき》にまで|書《か》いて|示《しめ》して|御座《ござ》るのだから』
『|大変《たいへん》な|御決心《ごけつしん》で|結構《けつこう》ですが、|併《しか》しあの|玉《たま》が|若《も》し|紛失《ふんしつ》して|居《ゐ》たら、|貴女《あなた》の|責任上《せきにんじやう》どうするお|考《かんが》へですか』
『|青二才《あをにさい》の|分際《ぶんざい》で、そんな|事《こと》までお|構《かま》ひなさるには|及《およ》びますまい』
『|何程《なにほど》|青二才《あをにさい》だつて、やつぱり|私《わたくし》も|宣伝使《せんでんし》の|一人《ひとり》、|参考《さんかう》までに|聞《き》いて|置《お》かねばなりませぬ』
『|若《わか》い|人《ひと》|達《たち》の|聞《き》く|事《こと》ぢやない。お|前達《まへたち》は|兎《と》に|角《かく》|神様《かみさま》のお|話《はなし》さへして|居《を》ればよいのだ。|私等《わしら》とはお|顔《かほ》の|段《だん》が|違《ちが》ふのだから。それについても|言依別《ことよりわけ》も|何《なん》とかして|大勢《おほぜい》の|者《もの》に|云《い》ひつけて、|宝《たから》の|在処《ありか》を|探《さが》して|下《くだ》さりさうなものぢやに、エヽ|辛気《しんき》|臭《くさ》い|事《こと》だ。|玉照彦《たまてるひこ》さまも、|玉照姫《たまてるひめ》さまも|何程《なにほど》|立派《りつぱ》な|神様《かみさま》だとか|云《い》うても、|何分《なにぶん》|年《とし》が|若《わか》いものだから、こんな|時《とき》には|仕方《しかた》がない。アヽ|頭《あたま》が|痛《いた》くなつて|来《き》た。もう|玉治別《たまはるわけ》|御夫婦《ごふうふ》|帰《かへ》つて|下《くだ》さい。|私《わし》が|本復《ほんぷく》の|後《のち》、|篤《とく》と|皆《みな》さまに|分《わか》るやう、|千騎一騎《せんきいつき》の|活動《くわつどう》を|遊《あそ》ばすやうに|一伍一什《いちぶしじふ》の|因縁《いんねん》を|説《と》いて|聞《き》かして|上《あ》げます。|此《この》|頃《ごろ》の|聖地《せいち》の|方々《かたがた》は|薩張《さつぱ》り|桶《をけ》のたががゆるんでしまつて、|誰《たれ》も|彼《かれ》も|蒟蒻《こんにやく》の|幽霊《いうれい》|見《み》たやうな|空気抜《くうきぬ》けばかりぢや、さうだから|結構《けつこう》な|玉《たま》を|全部《ぜんぶ》|盗《と》られて|仕舞《しま》ひ、|平気《へいき》の|平左《へいざ》でポカンとして|為《な》す|所《ところ》を|知《し》らずと|云《い》ふ|腑甲斐《ふがひ》ない|為体《ていたらく》、|私《わし》は|思《おも》うても|腹《はら》が|立《た》ちますワイな。|玉治別《たまはるわけ》さま、お|前《まへ》さまも、ちつと|此《この》|玉《たま》の|事《こと》に|就《つい》て|御心配《ごしんぱい》なさつては|何《ど》うだい。|宇津山郷《うづやまがう》の|蛙飛《かはづと》ばしの|蚯蚓切《みみづき》り、|薯《いも》の|赤子《あかご》を|育《そだ》てるのとは、ちと|宣伝使《せんでんし》は|六ケ敷《むつかし》いですよ。|貴方《あんた》|第一《だいいち》【チヨカ】だから|此《この》|玉《たま》|探《さが》しに|率先《そつせん》して、もう|今頃《いまごろ》にや|何処《どこ》かに|飛《と》んでいつてゐらつしやると|思《おも》うて|居《ゐ》たのに、|気楽《きらく》さうに|夫婦《ふうふ》|連《づ》れで、ぞろぞろと|昼《ひる》の|真最中《まつさいちう》に|何《なん》の|事《こと》だいな、ちと|確《しつか》りなさらぬか。|人間《にんげん》の|家《うち》は|女房《にようばう》が|肝腎《かんじん》ぢやぞえ。これお|勝《かつ》さまとやら、お|前《まへ》さまがこの|玉治別《たまはるわけ》さまを、ちつと|鞭撻《べんたつ》せなければならぬぞえ。|千騎一騎《せんきいつき》の|此《こ》の|場合《ばあひ》に、|何《なに》を|迂路々々《うろうろ》と|間誤《まご》ついて|御座《ござ》るのぢやい』
『|高姫《たかひめ》さま、|貴女《あなた》は|人《ひと》を|責《せ》むるに|急《きふ》にして|己《おのれ》を|責《せ》むると|云《い》ふ|事《こと》は|知《し》らないのですか』
『そんな|事《こと》は|疾《と》うの|昔《むかし》に|知《し》つて|居《を》りますワイな。よう|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい。|金剛不壊《こんがうふゑ》の|宝珠《ほつしゆ》の|玉《たま》や|紫《むらさき》の|玉《たま》は、|謂《い》はば|一旦《いつたん》|私《わし》の|身《み》の|内《うち》のもので、|私《わし》の|御魂《みたま》|同然《どうぜん》だ。|腹《はら》の|中《なか》から|吐《は》きだしたのと、|吐《は》き|出《だ》さぬだけの|相違《さうゐ》ぢやないか。アヽこんな|事《こと》なら|腹《はら》に|呑《の》んでさへ|居《を》れば、こんな|不調法《ぶてうはふ》は|出来《でき》やしまいのに、お|前《まへ》さまが|仕様《しやう》ない|木挽《こびき》の|杢助《もくすけ》やらお|初《はつ》のやうな|阿魔《あま》つちよを|引張《ひつぱ》つて|来《き》て|高姫《たかひめ》の|腹《はら》から|吐《は》き|出《だ》さしたりするものだから、こんな|事《こと》になつたのだ。この|大責任《だいせきにん》は|元《もと》を|糺《ただ》せば、|玉《たま》さま、お|前《まへ》が|負《お》はねばならぬのだ。その|次《つぎ》に|杢助《もくすけ》の|娘《むすめ》のお|初《はつ》、|是《これ》でも|口答《くちごた》へをするならして|見《み》なさい』
『|高姫《たかひめ》さま、|怪《け》しからぬ|事《こと》を|仰有《おつしや》います。|玉《たま》を|吐《は》き|出《だ》したのと|此《この》|度《たび》の|紛失《ふんしつ》とは|別問題《べつもんだい》ぢやありませぬか。さう|混淆《ごちやまぜ》にせられては|聊《いささ》か|私《わたくし》も|迷惑《めいわく》|致《いた》します』
『|其《その》|理屈《りくつ》が|悪《わる》いのだよ。お|前《まへ》さまは|謂《い》はば|新米者《しんまいもの》の|端役人《はしたやくにん》ぢや。|私《わし》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》ぢや、|同《おな》じ|宣伝使《せんでんし》にしても|天《てん》と|地《ち》との|懸隔《けんかく》がある。|私《わし》を|失敗《しくじ》らしてお|前《まへ》さまは|平気《へいき》で|見《み》て|居《を》る|気《き》か。|私《わし》の|失敗《しくじり》は|謂《い》はば|三五教《あななひけう》の|自滅《じめつ》も|同然《どうぜん》ぢや。お|前《まへ》さまが|一人《ひとり》や|二人《ふたり》|失敗《しくじ》つたつて、|決《けつ》して|三五教《あななひけう》に|影響《えいきやう》を|及《およ》ぼすものでない。|兎《と》も|角《かく》|大責任《だいせきにん》を|自覚《じかく》し|私《わし》が|盗《と》りましたと|云《い》うて|責任《せきにん》を|帯《お》び、|一先《ひとま》ず|此《この》|場《ば》の【ごみ】を|濁《にご》しなさい。その|間《あひだ》にこの|高姫《たかひめ》が|天眼通《てんがんつう》で|在処《ありか》を|探《さが》し、お|前《まへ》さまの|無実《むじつ》を|晴《は》らし、さうして|玉治別《たまはるわけ》さまは|立派《りつぱ》な|人《ひと》だと|云《い》はれて|信用《しんよう》が|益々《ますます》あがつて|来《く》る。|神《かみ》さまに|仕《つか》へるものは、これ|位《くらゐ》な|犠牲的《ぎせいてき》|精神《せいしん》がなくては|駄目《だめ》ぢや、それが|出来《でき》ないやうな|事《こと》なら|宣伝使《せんでんし》を|返上《へんじやう》なさいませ。なアお|勝《かつ》さま、|私《わし》の|云《い》ふ|事《こと》が|無理《むり》ですか、|無理《むり》なら|無理《むり》とハツキリ|云《い》うて|下《くだ》さい』
と|稍《やや》|精神《せいしん》に|異状《いじやう》を|帯《お》びたせいか、|勝手《かつて》|気儘《きまま》な|理屈《りくつ》を|吹《ふ》き|出《いだ》す。
|玉治別《たまはるわけ》『まアまア|高姫《たかひめ》さま、お|鎮《しづ》まりなさいませ。|貴女《あなた》は|少《すこ》し|許《ばか》り|逆上《ぎやくじやう》して|居《ゐ》ますから、|病気《びやうき》の|害《がい》になると|済《す》まぬによつて、|今日《けふ》は|一先《ひとま》づお|暇《いとま》|致《いた》します』
『これこれ、|此《この》|重大《ぢうだい》なる|責任《せきにん》を|此《この》|高姫《たかひめ》に|塗《ぬ》りつけようとするのか。|大方《おほかた》お|前《まへ》さまがそつと|何々《なになに》したのぢやなからうかな。|何《ど》うも|素振《そぶり》が|怪《あや》しいぞえ』
『|病人《びやうにん》だと|思《おも》うて【あし】らつて|居《を》れば|余《あま》りの|事《こと》を|云《い》ひなさる。これから|私《わたくし》も|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》さまにお|届《とど》けして|来《き》ます』
『|言依別《ことよりわけ》が|何《なん》ぢやいな、あれは|言依姫《ことよりひめ》の|婿《むこ》ぢやないか。|謂《い》はば|私《わし》の|妹《いもうと》の|婿《むこ》で|私《わし》の|弟《おとうと》も|同然《どうぜん》だ。|真《しん》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|憑《かか》つた|高姫《たかひめ》を|措《お》いて、あんな|者《もの》に|何《なに》を|云《い》つたつて|埒《らち》が|開《あ》くものかい。あれは|知慧《ちゑ》と|学《がく》とで、|人間界《にんげんかい》では|一寸《ちよつと》|豪《えら》さうに|見《み》えるが、|神《かみ》の|方《はう》から|云《い》へば|赤坊《あかんぼ》みたやうなものぢや。なぜ|高姫《たかひめ》の|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》きなさらぬのかい』
と|目《め》を|三角《さんかく》にして|睨《にら》みつける。お|勝《かつ》は|悔《くや》し|涙《なみだ》に|堪《た》へ|兼《か》ねて|其《その》|場《ば》に|泣《な》き|倒《たふ》れる。
|高姫《たかひめ》『|泣《な》いて|事《こと》が|済《す》むなら|易《やす》い|事《こと》だ。|私《わし》でも|泣《な》きたいけれども|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|御宝《おんたから》の|行方《ゆくへ》を|探《さが》す|迄《まで》は、そんな|気楽《きらく》な、|泣《な》いてをれますか。|大《おほ》きな|口《くち》を|開《あ》けて、わあわあと|泣《な》くお|前《まへ》さまより、ぢいつと|耐《こら》へて|気張《きば》つて|居《を》る|高姫《たかひめ》の|方《はう》が|何程《なにほど》|苦《くる》しいか|分《わか》りませぬぞえ』
|玉治別《たまはるわけ》『|兎《と》も|角《かく》|今日《けふ》はお|暇《いとま》を|致《いた》します。ゆつくりと|思案《しあん》して|御返事《ごへんじ》に|参《まゐ》ります』
『どつこい、|夫婦《ふうふ》の|者《もの》、|此《この》|解決《かいけつ》がつく|迄《まで》|一寸《いつすん》も|動《うご》いてはなりませぬぞや』
『はて|迷惑《めいわく》の|事《こと》だ。お|勝《かつ》、どうしようかなア』
お|勝《かつ》は|又《また》もや|大声《おほごゑ》を|上《あ》げてオイオイ|泣《な》き|出《だ》した。|高姫《たかひめ》は|枕《まくら》|許《もと》の|金盥《かなだらひ》を|爪《つめ》でガシガシと|掻《か》き|鳴《な》らし|乍《なが》ら、もどかしさうに、
『あゝ|玉《たま》が|欲《ほ》しい。|玉《たま》が|欲《ほ》しい。|玉《たま》はやつとあつても【がらくた】|人間《にんげん》の【どたま】|計《ばか》りで|仕方《しかた》がない。よう|是《これ》だけ|蒟蒻玉《こんにやくだま》が|集《あつ》まつたものだ、これ|確《しつか》り……|玉《たま》さま……せぬかいな』
と|金盥《かなだらひ》をもつて|玉治別《たまはるわけ》の|頭《あたま》をガンとやつた。|玉治別《たまはるわけ》は、
『|困《こま》つた|事《こと》になつたものぢや、|云《い》ふ|事《こと》が|薩張《さつぱり》|支離滅裂《しりめつれつ》、|到頭《たうとう》|魂《たま》が|抜《ぬ》けて|発狂《はつきやう》して|了《しま》つた』
と|呟《つぶや》くを|聞《き》き|咎《とが》めて、|高姫《たかひめ》は|口《くち》を|尖《とが》らし、
『|何《なに》、|私《わし》が|発狂《はつきやう》したと|見《み》えますか』
『|八《はつ》(|発《はつ》)|狂《きやう》と|嘲弄《からか》ふ|貴女《あなた》は、|非常《ひじやう》に|九《く》(|苦《く》)|境《きやう》に|陥《おちい》つて|居《ゐ》るやうに|見《み》えますワイ。アハヽヽヽ』
と|焼糞《やけくそ》になつて|高笑《たかわら》ひをする。|高姫《たかひめ》はムツと|腹《はら》を|立《た》て、
『|長上《めうへ》に|対《たい》して|無礼千万《ぶれいせんばん》なその|振舞《ふるまひ》』
とあべこべに、|頭《あたま》をこづいた|方《はう》から|無礼《ぶれい》|呼《よば》はりを|浴《あ》びせかけられ、|玉治別《たまはるわけ》はお|勝《かつ》の|手《て》を|取《と》り、
『サアお|勝《かつ》、|長坐《ながゐ》は|畏《おそ》れぢや、|気《き》の|鎮《しづ》まる|迄《まで》|家《いへ》に|帰《かへ》らう』
と|此《この》|場《ば》を|見捨《みす》てて|表《おもて》へ|駆出《かけだ》した。|高姫《たかひめ》は|狂気《きやうき》の|如《ごと》く|奥《おく》の|間《ま》で|怒鳴《どな》つて|居《ゐ》る。
|高姫《たかひめ》の|病気《びやうき》と|聞《き》いて|見舞《みまひ》にやつて|来《き》た|杢助《もくすけ》は、お|初《はつ》の|手《て》を|引《ひ》き、|門口《かどぐち》で|玉治別《たまはるわけ》|夫婦《ふうふ》にベツタリ|出会《でつくは》し、
『ヤア、|先生《せんせい》か』
『|杢助《もくすけ》さまか、お|初《はつ》さま、ようお|出《いで》なさいました』
『|高姫《たかひめ》さまの|様子《やうす》は|何《ど》うですか』
『いやもう|大変《たいへん》です。カンと|叩《や》られて|来《き》ました。|大変《たいへん》に、|私《わたし》やお|初《はつ》さま|始《はじ》め、|杢助《もくすけ》さまを|恨《うら》んで|居《ゐ》ますよ。|用心《ようじん》なさい、|又《また》カンとやられちや|耐《たま》りませぬからなア』
『テンと|訳《わけ》が|分《わか》りませぬなア』
『|別《べつ》に|勘考《かんかう》せいでも|奥《おく》へお|出《いで》になれば|分《わか》ります。|一寸《ちよつと》|私《わたし》は|急《いそ》ぎますから、お|先《さき》へ|御免《ごめん》|蒙《かうむ》ります』
と|云《い》ひながら|女房《にようばう》のお|勝《かつ》と|共《とも》に、|慌《あわただ》しく|吾《わが》|家《や》をさして|帰《かへ》つて|行《ゆ》く。
(大正一一・五・二五 旧四・二九 加藤明子録)
第七章 |囈語《うはごと》〔六九九〕
|高姫《たかひめ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》|精神《せいしん》|錯乱《さくらん》|状態《じやうたい》になつて、|熱《ねつ》に|浮《う》かされ|猛虎《まうこ》の|如《ごと》く、|咆哮怒号《はうかうどがう》の|声《こゑ》|屋外《をくぐわい》にビリビリと|響《ひび》いて|来《き》た。|遠州《ゑんしう》、|武州《ぶしう》は|驚《おどろ》いて|奥《おく》へ|駆《か》け|入《い》つたり|表《おもて》へ|出《で》たり、|手《て》の|施《ほどこ》す|所《ところ》も|知《し》らず、
|武州《ぶしう》『オイ|遠州《ゑんしう》、|何《ど》うしよう。|大変《たいへん》ぢやないか。|大変《たいへん》|々々《たいへん》』
と|狼狽《うろた》へ|廻《まは》つて|居《ゐ》る。
|杢助《もくすけ》はお|初《はつ》の|手《て》を|引《ひ》きながら|門《もん》の|戸《と》をがらりと|開《あ》け、|悠々《いういう》と|入《い》り|来《きた》り、
『オイ、|遠州《ゑんしう》、|武州《ぶしう》、|何《なに》を|騒《さわ》いでゐるのだ』
|遠州《ゑんしう》『あの|声《こゑ》を|御聞《おき》きなさいませ、|刻々《こくこく》と|鳴動《めいどう》が【きつく】なります。|浅間山《あさまやま》が|爆発《ばくはつ》するのか、|高姫山《たかひめやま》が|破裂《はれつ》するのか|知《し》りませぬが、|大変《たいへん》な|騒動《さうだう》が|始《はじ》まりかけて|居《ゐ》ます。|何処《どこ》へ|避難《ひなん》したらいいかと|思《おも》つて、|周章狼狽《しうしやうらうばい》の|体《てい》で|御座《ござ》います』
『アハヽヽヽ、|如何《いか》にも|偉《えら》い|鳴動《めいどう》ですな』
『|何《なん》と|云《い》つても|三十八度《さんじふはちど》と|四十度《よんじふど》の|間《あひだ》を|昇降《しやうかう》してゐる|熱《ねつ》ですから、|随分《ずゐぶん》|偉《えら》い|煙《けむり》も|吐《は》き|出《だ》します。|側《そば》に|居《ゐ》られた|態《ざま》ぢやありませぬ。|何卒《どうぞ》|貴方《あなた》、|鎮《しづ》めて|下《くだ》さいな』
『この|鳴動《めいどう》は|大森《おほもり》|博士《はかせ》だつて、|如何《どう》することも|出来《でき》はしない。|併《しか》し|杢助《もくすけ》が|一《ひと》つ|鎮魂《ちんこん》をして|鎮《しづ》めて|見《み》ませう』
とお|初《はつ》と|共《とも》に|高姫《たかひめ》の|病床《びやうしやう》に|進《すす》み|入《い》つた。
|高姫《たかひめ》は|金盥《かなだらひ》の|底《そこ》をガンガン|叩《たた》きながら、|起《た》ちつ|坐《すわ》りつ|捩鉢巻《ねぢはちまき》になつて|暴《あば》れ|狂《くる》うてゐる。|杢助《もくすけ》は|両手《りやうて》を|組《く》み、|一《ひと》、|二《ふた》、|三《み》、|四《よ》、……………と|天《あま》の|数歌《かずうた》を|静《しづ》かに|唱《とな》へ、ウンと|一声《いつせい》|指頭《しとう》より|霊光《れいくわう》を|発射《はつしや》し、|高姫《たかひめ》の|面《おもて》を|照《てら》した。|高姫《たかひめ》は|漸《やうや》く|鎮静《ちんせい》|状態《じやうたい》に|復《ふく》し、バタリと|床《とこ》の|上《うへ》に|倒《たふ》れ、|肩《かた》で|息《いき》をしながらウンウンと|唸《うな》つてゐる。|杢助《もくすけ》は|高姫《たかひめ》の|肩《かた》を|撫《な》で|擦《さす》りながら|声低《こゑびく》に、
『モシモシ|高姫《たかひめ》さま、|大層《たいそう》|御苦《おくる》しみと|見《み》えますが、|何事《なにごと》も|神様《かみさま》のなさることでせうから、|決《けつ》して|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》のなきやうに、|気《き》を|確《たしか》に|持《も》つて|下《くだ》さい。|言依別《ことよりわけ》の|教主様《けうしゆさま》も|至極《しごく》|平気《へいき》で|居《ゐ》られますから』
|高姫《たかひめ》は|此《この》|声《こゑ》にムツクと|立上《たちあが》り、|杢助《もくすけ》の|胸倉《むなぐら》を|矢庭《やには》にグツと|引掴《ひつつか》み、|肩《かた》をいからし|声《こゑ》を|震《ふる》はし、|歯《は》ぎしりをキリキリと|言《い》はせながら|眼《め》を|釣上《つりあ》げ、
『お|前《まへ》は|杢助《もくすけ》ぢやないか、|仮令《たとへ》|言依別《ことよりわけ》が|何《なん》と|云《い》つても、|大事《だいじ》の|大事《だいじ》の|結構《けつこう》な|玉《たま》を|紛失《ふんしつ》|致《いた》したのは、|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|為《ため》には|大変《たいへん》な|大失策《だいしつさく》だ。これと|言《い》ふのも|貴様《きさま》がお|初《はつ》を|伴《つ》れて|来《き》て、|高姫《たかひめ》の|生宮《いきみや》から|無理《むり》に|引張《ひつぱ》り|出《だ》さしたその|為《ため》に、|斯《こ》んな|目《め》に|遇《あ》うたのだ。|私《わし》もそれから|何《なん》となく|変《へん》になり、|斯《こ》んな|病気《びやうき》になつたのも、みんな|杢助《もくすけ》、お|前《まへ》の|為《ため》だ。|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|妨害《ばうがい》を|致《いた》す|大曲津《おほまがつ》|奴《め》が。|大方《おほかた》|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》が|化《ば》けて|居《を》るのだらう。サア|白状《はくじやう》|致《いた》して|玉《たま》の|在処《ありか》を|知《し》らせよ。さうでなければ|何処《どこ》までも|放《はな》しは|致《いた》さぬぞや』
『|高姫《たかひめ》さま、それは|偉《えら》い|迷惑《めいわく》、マア|悠《ゆつ》くりと|気《き》を|落着《おちつ》けて|冷静《れいせい》になつて|下《くだ》さい』
『|何《なに》ツ、|迷惑《めいわく》と|申《まを》すか。お|前《まへ》の|迷惑《めいわく》は|小《ちひ》さいことだ。|大神様《おほかみさま》を|始《はじ》め|世界《せかい》|万民《ばんみん》の|迷惑《めいわく》ぢや。|第一《だいいち》この|高姫《たかひめ》が|起《た》つても|坐《ゐ》ても|居《ゐ》られぬ|迷惑《めいわく》な|目《め》に|遇《あ》うてゐる。サア、キリキリと|白状《はくじやう》|致《いた》せ』
|杢助《もくすけ》は|高姫《たかひめ》の|手《て》を|強力《がうりき》に|任《まか》せグツと|放《はな》した|途端《とたん》に、|高姫《たかひめ》はどんと|仰向《あふむ》けに|倒《たふ》れ、|口《くち》から|蟹《かに》のやうに|泡《あわ》を|吹《ふ》き|飛《と》ばし、|前歯《まへば》の|抜《ぬ》けた|口《くち》を|斜交《はすかひ》に|開《ひら》いて、|頻《しき》りに|何事《なにごと》か|言《い》はむと|上下《うへした》の|唇《くちびる》をたたいている。
お|初《はつ》『|小母《をば》さま、|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》なさいますな。その|玉《たま》は|神様《かみさま》の|御手《おんて》に|御預《おあづか》り|遊《あそ》ばして|御座《ござ》るから、|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|妨害《さまたげ》にはなりませぬ。|三個《さんこ》の|玉《たま》は|有形《いうけい》です、そのために|皆様《みなさま》はモツト|立派《りつぱ》な|無形《むけい》の|玉《たま》を|一個《いつこ》|宛《づつ》|頂《いただ》きましたから、|御安心《ごあんしん》なさいませ』
|此《この》|声《こゑ》に|高姫《たかひめ》は|気《き》がつき、
『ヤア、お|前《まへ》はお|初《はつ》ぢやな。|小豆《こまめ》のやうな|態《ざま》をして、ようツベコベ|囀《さへづ》る|奴《やつ》ぢや。|私《わし》の|玉《たま》を|叩《たた》き|出《だ》した|曲者《くせもの》、サア、もう|斯《か》うなる|上《うへ》は|此《この》|高姫《たかひめ》が|承知《しようち》|致《いた》さぬ』
と|飛《と》びかからうとする。お|初《はつ》は|体《たい》をヒラリと|躱《かは》し、
『|小母《をば》さま、|気《き》を|落着《おちつ》けなさい』
『|何《なに》ツ、|猪口才《ちよこざい》な、ゴテゴテ|言《い》はずにすつこんで|居《を》れ。|大方《おほかた》|貴様《きさま》が|玉《たま》を|盗《ぬす》んだのであらう。サア、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が|承知《しようち》|致《いた》さぬ』
と|又《また》もや|飛《と》びかかる。お|初《はつ》は|右《みぎ》へ|左《ひだり》へ|胡蝶《こてふ》の|飛《と》び|交《か》ふ|如《ごと》く、ヒラリヒラリと|高姫《たかひめ》の|鋭鋒《えいほう》を|避《さ》けて|居《ゐ》る。|門口《かどぐち》にはテルヂー、|雲州《うんしう》の|二人《ふたり》、|高姫《たかひめ》の|病気《びやうき》|危篤《きとく》と|聞《き》いて|見舞《みまひ》にやつて|来《き》たと|見《み》え、
テルヂー『これ|遠州《ゑんしう》さま、|一寸《ちよつと》|開《あ》けて|下《くだ》さい。テルヂー、|雲州《うんしう》の|両人《りやうにん》だ』
|遠州《ゑんしう》は|此《この》|声《こゑ》にガラリと|戸《と》を|引《ひ》き|開《あ》け、
『ヤア、よく|来《き》て|下《くだ》さつた。|大変《たいへん》に|大将《たいしやう》の|病気《びやうき》が、|変《へん》になつて|来《き》たので|困《こま》つてゐるのだ』
|雲州《うんしう》『|変《へん》になつたとは|何《ど》うだい。|危篤《きとく》と|云《い》ふのか』
『|時々《ときどき》|高姫山《たかひめやま》が|鳴動《めいどう》をするので|危険《きけん》でたまらないのだよ。|人事不省《じんじふせい》の|高姫山《たかひめやま》、うつかり|踏査《たふさ》でもしようものなら、|山《やま》と|共《とも》に|奈落《ならく》の|底《そこ》まで|陥落《かんらく》するか|分《わか》つたものぢやない。|今《いま》も|玉治別《たまはるわけ》さまがカーンとやられて、|遁《に》げ|帰《かへ》らしやつたとこだ。|気《き》がついたら|又《また》|俺《おれ》から|篤《とつく》りと|云《い》うて|置《お》くから、|帰《かへ》つたがよからうぞ』
テル『|折角《せつかく》|此処《ここ》まで|来《き》たのだから、|御顔《おかほ》だけでも|拝見《はいけん》して|帰《かへ》らうか。なア、|雲州《うんしう》』
|雲州《うんしう》『|危険区域《きけんくゐき》だと|云《い》つて|退却《たいきやく》するのは|男子《だんし》の|本分《ほんぶん》ではない。これも|修行《しうぎやう》のためだ、|一《ひと》つ|踏査《たふさ》することにしようかい』
と|遠州《ゑんしう》の|止《とど》むるをも|聞《き》かず、|無理《むり》に|奥《おく》の|間《ま》に|進《すす》み|入《い》つた。
|高姫《たかひめ》は|火《ひ》の|如《ごと》き|顔色《がんしよく》に|眼《め》を|釣《つ》り、|拳《こぶし》を|固《かた》めて|六歳《ろくさい》のお|初《はつ》|目蒐《めが》けて|追《お》ひかけてゐる。|杢助《もくすけ》は|此《こ》の|騒《さわ》ぎを|他所事《よそごと》のやうに|煙草《たばこ》をくすべながら、|師団《しだん》|演習《えんしふ》の|観戦《くわんせん》でもしてゐるやうな|調子《てうし》で|泰然《たいぜん》と|構《かま》へてゐる。|二人《ふたり》の|姿《すがた》を|見《み》るより、|高姫《たかひめ》は、
『ヤー、お|前《まへ》はテルヂーに|雲州《うんしう》ぢやないか。|貴様《きさま》は|元《もと》が|小盗人《こぬすと》だから、|大方《おほかた》あの|玉《たま》を|盗《ぬす》みよつたのだらう。サア、|了簡《りやうけん》せぬ。|早《はや》く|此処《ここ》へ|玉《たま》を|吐《は》き|出《だ》せ』
と|雲州《うんしう》の|素首《そつくび》をグツと|捻《ね》ぢ、|畳《たたみ》に|摺《すり》つけ、
『サア、|吐《は》け|吐《は》け』
と|高春山《たかはるやま》でお|初《はつ》の|玉《たま》|吐《は》せを|見《み》てゐた|高姫《たかひめ》は、|同《おな》じ|流儀《りうぎ》に|倣《なら》つて|腰《こし》を|滅多《めつた》|矢鱈《やたら》に|叩《たた》きつける。
|雲州《うんしう》『アイタヽ、ウンウン。モシモシさう|叩《たた》いて|貰《もら》ひますと、|尻《しり》からプン|州《しう》や、ウン|州《しう》が|出《で》ますワイなア。オイ、テルヂー、|早《はや》う|俺《おれ》を|助《たす》けて|呉《く》れぬかい』
『|貴様《きさま》は|身魂《みたま》が|悪《わる》いから|尻《しり》から|吐《は》くのだらう。コラ、|今《いま》デルジリと|吐《ぬ》かしただらう。|早《はや》く|尻《しり》を|出《だ》せ』
|杢助《もくすけ》は|強力《がうりき》に|任《まか》せ、|高姫《たかひめ》の|素首《そつくび》をグツと|握《にぎ》つて、|猫《ねこ》を|抓《つま》んだやうに|引提《ひつさ》げ、ポイと|蒲団《ふとん》の|上《うへ》に|抓《つま》み|下《おろ》した。
|又《また》もや|高姫《たかひめ》は|発熱《はつねつ》|甚《はなは》だしく、ウンウンと|苦悶《くもん》の|声《こゑ》を|上《あ》げながら、|床上《しやうじやう》に|力《ちから》なくグタリと|倒《たふ》れて|囈語《うはごと》を|始《はじ》めた。
『|三五教《あななひけう》の|変性男子様《へんじやうなんしさま》の|結構《けつこう》な|教《をしへ》を、|変性女子《へんじやうによし》がワヤに|致《いた》して|盗《と》つて|了《しま》はうとするので、これは|何《なん》でも|系統《ひつぱう》の|高姫《たかひめ》が、|一《ひと》つ|腰《こし》を|入《い》れねばなるまいと|黒姫《くろひめ》を|説《と》き|諭《さと》し、|青彦《あをひこ》や|魔我彦《まがひこ》に|言《い》ひ|聞《き》かして、|到頭《たうとう》ウラナイ|教《けう》を|樹《た》てて、|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|御用《ごよう》を|致《いた》さうと|思《おも》ひ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が|現《あら》はれ、|黒姫《くろひめ》には|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|様《さま》が|引添《ひつそ》うて、|御守護《ごしゆご》|遊《あそ》ばすなり、|力一杯《ちからいつぱい》|変性女子《へんじやうによし》の|悪《あく》の|守護神《しゆごじん》に|敵対《てきた》うて|見《み》たところが、|思《おも》うたよりは|立派《りつぱ》な|身魂《みたま》で、ミロクさまのやうな|素盞嗚尊《すさのをのみこと》ぢやと|感心《かんしん》して、それから|心《こころ》を|改《あらた》め|三五教《あななひけう》へ|帰《かへ》つて、|手《て》を|引合《ひきあ》うてやらうと|思《おも》へば、|奴灰殻《どはひから》の|学《がく》と|智慧《ちゑ》とで|固《かた》まつた|言依別命《ことよりわけのみこと》が|教主《けうしゆ》となり、|又《また》もや|学《がく》と|智慧《ちゑ》とで|此《この》|世《よ》をワヤに|致《いた》さうと|致《いた》すに|依《よ》つて、アヽ|三五教《あななひけう》も|駄目《だめ》だ、|私《わし》が|三《み》つの|玉《たま》を|呑《の》み|込《こ》んで、|再《ふたた》びウラナイ|教《けう》を|樹《た》てて|見《み》ようと、|心《こころ》の|底《そこ》で|思《おも》つて|居《を》つた。それ|故《ゆゑ》|黒姫《くろひめ》に|黄金《わうごん》の|玉《たま》の|御守《おもり》をさして|置《お》いたのに、|彼奴《あいつ》は|莫迦《ばか》だから|到頭《たうとう》|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》の|眷属《けんぞく》に|奪《と》られて|了《しま》ひよつた。アヽ|残念《ざんねん》ぢや。|三《み》つの|御玉《みたま》が|一《ひと》つ|欠《か》けた、|何《ど》うしよう、|斯《か》うしようと|気《き》が|気《き》でならず、|到頭《たうとう》|黒姫《くろひめ》を|鞭撻《むちう》つて|玉《たま》|探《さが》しに|出《だ》したが、これでは|雲《くも》を|掴《つか》むやうな|頼《たよ》りのない|話《はなし》。|併《しか》しながら|此《こ》の|高姫《たかひめ》が|保管《ほくわん》して|居《ゐ》る|二《ふた》つの|玉《たま》さへあれば、|何《ど》うなり、|斯《か》うなりと、|神様《かみさま》に|対《たい》して|高姫《たかひめ》が|変性男子《へんじやうなんし》の|御用継《ごようつ》ぎを|致《いた》せると|思《おも》うて|居《を》つたら、|其《そ》の|二《ふた》つの|玉《たま》も|大蛇《をろち》の|乾児《こぶん》に、|何時《いつ》の|間《ま》にか|盗《と》られて|了《しま》ひ、|今《いま》は|蟹《かに》の|手足《てあし》を【ぼがれ】たやうな|悲惨《みじめ》な|事《こと》になつて|了《しま》つた。
これと|云《い》ふのも|言依別命《ことよりわけのみこと》が、|余《あま》り|物喰《ものく》ひがよいので、|何《なん》でも|彼《かん》でも|塵芥《ごもくた》を、|此《こ》の|聖《きよ》らかな|神様《かみさま》の|御屋敷《おやしき》へ|引張《ひつぱ》り|込《こ》むものだから、|斯《こ》んな|縮尻《しくじり》が|出来《でき》たのだ。エーもう|仕方《しかた》が|無《な》い。|併《しか》し|此《こ》の|玉《たま》は|遠《とほ》くは|行《ゆ》くまい。|何《いづ》れ|未《ま》だ|近《ちか》くに|隠《かく》してあるに|違《ちが》ひない。さうでなければ|誰《たれ》かが|呑《の》み|込《こ》んでゐるのかも|知《し》れぬ。|仮令《たとへ》|死《し》んでも、|火《ひ》になつても|蛇《じや》になつても、|此《こ》の|三《み》つの|玉《たま》を|取返《とりかへ》さねば|置《お》くものか。エーエー|残念《ざんねん》や、|口惜《くや》しや、ウンウンウン』
と|千切《ちぎ》れ|千切《ちぎ》れに|自分《じぶん》の|腹《はら》の|底《そこ》まで|白状《はくじやう》して|了《しま》つた。
|之《これ》を|聞《き》いた|杢助《もくすけ》、お|初《はつ》、テルヂー、|遠州《ゑんしう》、|雲州《うんしう》、|武州《ぶしう》は|目《め》と|目《め》を|見合《みあ》はし、|高姫《たかひめ》の|腹《はら》の|中《なか》の|清《きよ》からざりしに|肝《きも》を|潰《つぶ》してゐる。
|高姫《たかひめ》の|大病《たいびやう》と|聞《き》きつけて、|次《つぎ》から|次《つぎ》へと|見舞客《みまひきやく》は|踵《きびす》を|接《せつ》し、|門口《かどぐち》は|非常《ひじやう》に|雑沓《ざつたふ》を|極《きは》めた。されど|杢助《もくすけ》は|深《ふか》く|慮《おもんぱか》るところあり、|高姫《たかひめ》の|囈語《うはごと》を|大勢《おほぜい》に|聞《き》かせては|大変《たいへん》と、|遠州《ゑんしう》、|雲州《うんしう》に|堅《かた》く|言《い》ひつけ|面会《めんくわい》を|謝絶《しやぜつ》せしめつつあつた。|此処《ここ》へ|国依別《くによりわけ》は|駿州《すんしう》、|三州《さんしう》を|伴《ともな》ひやつて|来《き》た。
|国依別《くによりわけ》『コレコレ|遠州《ゑんしう》さま、|高姫《たかひめ》さまの|御病気《ごびやうき》は|如何《どう》です。|些《ちつ》とよい|方《はう》ですか』
|遠州《ゑんしう》『|善《ぜん》とも|悪《あく》とも、テンと|見当《けんたう》がつきませぬ。|善《よ》いと|思《おも》へば|悪《わる》い、|悪《わる》いと|思《おも》へば|善《よ》い、|到底《たうてい》|凡夫《ぼんぶ》の|吾々《われわれ》、|見当《けんたう》の|取《と》れぬ|仕組《しぐみ》と|見《み》えますワイ』
『コレコレ|遠州《ゑんしう》さま、|今日《けふ》は|教理《けうり》のことをたづねに|来《き》たのぢやない。|御病気《ごびやうき》は|如何《いかが》と|云《い》ふのだよ』
『|病気《びやうき》ですかい。|御病気《ごびやうき》は|矢張《やつぱり》|身体《からだ》の|機械《きかい》が、どつか|破損《はそん》したのですなア。|随分《ずゐぶん》|奇怪千万《きつくわいせんばん》な|病気《びやうき》ですよ。|何《なん》でも|彼《あ》りや|憑《つ》いてますなア』
『|誰《たれ》が【つい】て|居《ゐ》るのだ。|看護婦《かんごふ》は|何人《なんにん》|位《くらゐ》|居《を》るか』
『|何分《なにぶん》|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまの|生宮《いきみや》ですから、|神主《かむぬし》もそれはそれは|沢山《たくさん》|居《を》るでせう。|人間《にんげん》の|目《め》には|根《ね》つから|見《み》えませぬなア。|死虱《しじらみ》とか|云《い》つて、|随分《ずゐぶん》|観音《くわんのん》さまが|沢山《たくさん》、|御守護《ごしゆご》してゐらつしやいますワ』
『|莫迦《ばか》|云《い》ふない。オイ、|駿州《すんしう》、|三州《さんしう》、|斯《こ》んな|奴《やつ》に|相手《あひて》になつて|居《を》つても、とんと|要領《えうりやう》を|得《え》ない。サア、|奥《おく》へ|強行的《きやうかうてき》|進軍《しんぐん》だ』
と|行《ゆ》かむとする。|遠州《ゑんしう》は|両手《りやうて》を|拡《ひろ》げ、
『アヽ|国《くに》さま、|駿《すん》、|三《さん》、マア|待《ま》つて|下《くだ》さい。|杢助《もくすけ》さまが|喧《やか》ましいから』
『なに、|杢助《もくすけ》さまが|来《き》てゐるのか。そんなら|猶《なほ》の|事《こと》、|這入《はい》らねばなるまい』
『|今《いま》お|前達《まへたち》が|這入《はい》ると|病気《びやうき》は|益々《ますます》|危篤《きとく》になると|云《い》つて、|杢助《もくすけ》さまが|心配《しんぱい》して|御座《ござ》つたので、|軈《やが》て|御臨終《ごりんじう》も|近寄《ちかよ》つただらう』
『それほど|危篤《きとく》に|陥《おちい》つて|御座《ござ》るのなら|尚更《なほさら》の|事《こと》だ。|何《ど》うしても|御目《おめ》にかからねばなるまい。|其処《そこ》|除《の》け、|邪魔《じやま》ひろぐな』
と|突《つ》き|除《の》け|刎《は》ね|除《の》け|進《すす》み|入《い》る。|見《み》れば|高姫《たかひめ》は、|杢助《もくすけ》に|抱《だ》かれて、スヤヤスと|睡《ねむ》つてゐる。
|国依別《くによりわけ》『アヽお|初《はつ》さま、|杢助《もくすけ》さま、|皆《みな》さま、|大変《たいへん》に|御苦労《ごくらう》でした。|御様子《ごやうす》は|何《ど》うですな』
|杢助《もくすけ》『ハイ、|案《あん》じられた|容態《ようだい》で|困《こま》つてゐます。|精神《せいしん》|錯乱《さくらん》と|見《み》えて|取止《とりと》めもないことを|口走《くちばし》るので、|実《じつ》のところは|面会《めんくわい》|謝絶《しやぜつ》をしてゐたのです。|併《しか》しよう|来《き》て|下《くだ》さつた。|到底《たうてい》もう|駄目《だめ》でせう』
と|絶望的《ぜつばうてき》|悲調《ひてう》を|帯《お》びたカスリ|声《こゑ》で、|力《ちから》なげに|答《こた》へる。
お|初《はつ》はニコニコしながら、
『|何《いづ》れも|方《がた》、|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな。これには|深《ふか》い|様子《やうす》のあることでせう』
|斯《かか》る|処《ところ》へ|言依別命《ことよりわけのみこと》は、|言依姫《ことよりひめ》、お|玉《たま》の|方《かた》、|言照姫《ことてるひめ》、|紫姫《むらさきひめ》、|若彦《わかひこ》を|伴《ともな》ひ、|病気《びやうき》|見舞《みまひ》のために|此処《ここ》に|現《あら》はれ、|枕頭《まくらもと》に|座《ざ》を|占《し》め、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|唱《とな》へて|恢復《くわいふく》を|祈《いの》つた。
(大正一一・五・二五 旧四・二九 外山豊二録)
第八章 |鬼《おに》の|解脱《げだつ》〔七〇〇〕
|頭髪《かしら》に|霜《しも》を|戴《いただ》きし |此《この》|世《よ》を|半《なかば》|過《す》ぎ|去《さ》つた
|皺《しわ》くちや|婆《ばばあ》の|一人旅《ひとりたび》 |枯野《かれの》にすだく|虫《むし》の|音《ね》も
|細《ほそ》く|聞《きこ》ゆる|断末魔《だんまつま》 |風《かぜ》のそよぎも|何《なん》となく
|淋《さび》しさ|交《まじ》る|荒野原《あらのはら》 |杖《つゑ》を|力《ちから》に|進《すす》み|行《ゆ》く。
|道《みち》の|傍《かたへ》の|薄原《すすきはら》に|埋《うづも》つた|頭《あたま》の|欠《か》けた|石塔《せきたふ》|七《なな》つ|八《や》つ、|苔生《こけむ》して|字《じ》も|碌《ろく》に|見《み》え|兼《か》ねるばかり|古《ふる》びて|居《ゐ》る。|側《そば》に|頭《あたま》のとれた|石地蔵《いしぢざう》、|左手《ひだりて》に|玉《たま》を|載《の》せ、|右手《みぎて》に|親指《おやゆび》と|中指《なかゆび》を|合《あは》して|輪《わ》となし、|食指《ひとさしゆび》をツンと|空《そら》に|立《た》て、|地蔵《ぢざう》も|銭《ぜに》なき|衆生《しゆじやう》は|度《ど》し|難《がた》しと、|首《くび》まで|刎《と》られても|執念深《しふねんぶか》く、|未《ま》だ|金銭《かね》の|慾《よく》が|放《はな》せないと|見《み》え、|此処《ここ》にも|亦《また》|執着心《しふちやくしん》を|遺憾《ゐかん》なく|暴露《ばくろ》して|居《ゐ》る。
|一人《ひとり》の|婆《ばば》は|地蔵《ぢざう》の|玉《たま》をツクヅクと|打眺《うちなが》め|打眺《うちなが》め、
『オイ、お|前《まへ》は|何者《なにもの》ぢや、|其《その》|玉《たま》は|勿体《もつたい》なくも|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》ではないか、|此《この》|高姫《たかひめ》が|秘蔵《ひざう》せし|神宝《しんぽう》を|何時《いつ》の|間《ま》にか|盗《ぬす》みよつて|其《その》|天罰《てんばつ》で|貴様《きさま》の|首《くび》は|此《この》|通《とほ》り、サア|早《はや》く|此方《こちら》へ|渡《わた》せ』
と|石地蔵《いしぢざう》の|手《て》から|無理《むり》に【むし】り|取《と》らうと|藻掻《もが》いて|居《ゐ》る。|石塔《せきたふ》の|裏《うら》から|萱《かや》の|穂《ほ》をガサガサ|言《い》はせながら、ヌツと|現《あら》はれた|二人《ふたり》の|婆《ばば》に|三人《さんにん》の|男《をとこ》、|力《ちから》なき|声《こゑ》で、
『|高姫《たかひめ》 |高姫《たかひめ》』
と|呼《よ》び|止《と》める。|高姫《たかひめ》は|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて|萱原《かやはら》に|目《め》を|注《そそ》げば、|豈《あに》|図《はか》らむや、|黒姫《くろひめ》、|鷹依姫《たかよりひめ》、|竜国別《たつくにわけ》、テーリスタン、カーリンスの|五人連《ごにんづ》れである。
|高姫《たかひめ》『これ、|黒姫《くろひめ》さま、|黄金《わうごん》の|玉《たま》は|如何《どう》なつた。お|前達《まへたち》は|五人連《ごにんづ》れで|手分《てわ》けして、|世界中《せかいぢう》を|探《たづ》ね|廻《まは》り、あの|玉《たま》を|受取《うけと》り|無言霊話《むげんれいわ》を|掛《か》けよと|吩咐《いひつ》けて|置《お》いたのに、|斯《こ》んな|所《ところ》で|何《なに》|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》るのだい』
|黒姫《くろひめ》『|妾《わたし》は|貴方《あなた》に|無体《むたい》な|事《こと》を|言《い》はれ、それが|残念《ざんねん》で|残念《ざんねん》で|堪《たま》らなくなつて、|到頭《たうとう》|丹後《たんご》の|海《うみ》へ|五人《ごにん》|一度《いちど》に|身《み》を|投《な》げて|死《し》んだワイ|喃《のう》。この|怨恨《うらみ》を|晴《は》らさむ|為《た》めにお|前《まへ》に|憑依《とりつ》いて|生命《いのち》をとつたのだ。サア|之《これ》から|五人《ごにん》が|寄《よ》つて|集《たか》つて、|首《くび》を|抜《ぬ》き|手《て》を|抜《ぬ》き|足《あし》を|抜《ぬ》き、|嬲殺《なぶりごろし》にしてやらう、|覚悟《かくご》をなされ』
と|蒼白《まつさを》な|顔《かほ》を|曝《さら》け|出《だ》し、|両手《りやうて》を|乳《ちち》の|辺《あたり》から|蟷螂《かまきり》の|様《やう》に|前《まへ》に|下《さ》げ、|風《かぜ》のまにまにフワリフワリと|高姫《たかひめ》の|前後左右《ぜんごさいう》に|押《お》し|寄《よ》せて|来《く》る。
|高姫《たかひめ》『|此処《ここ》は|何処《どこ》と|心得《こころえ》て|居《を》る、お|前達《まへたち》は|冥途《めいど》へ|行《い》つて、まだ|迷《まよ》うて|居《を》るのか。エー|死《し》んだ|奴《やつ》は|仕方《しかた》がないから、もう|許《ゆる》してやらう、|早《はや》く|成仏《じやうぶつ》したが|宜《よ》からうぞ』
|鷹依姫《たかよりひめ》『お|前《まへ》の|為《た》めに|母子《おやこ》|二人《ふたり》が|此《この》|難儀《なんぎ》、お|前《まへ》は|現界《げんかい》の|積《つも》りだらうが、|此処《ここ》は|地獄《ぢごく》の|八丁目《はつちやうめ》だ、|精神錯乱《せいしんさくらん》してお|前《まへ》は|最早《もはや》|地獄《ぢごく》の|旅《たび》をして|居《ゐ》るのだよ』
|高姫《たかひめ》『はて、|不思議《ふしぎ》』
と|頭《あたま》に|手《て》を|当《あ》てて|見《み》れば、|何時《いつ》の|間《ま》にか|三角形《さんかくけい》の|紙《かみ》の|帽子《ばうし》を|被《かぶ》せられて|居《ゐ》る。
『ヤア、こりや|大変《たいへん》だ、いつの|間《ま》に|死《し》んだのかなア。もう|斯《か》う|成《な》つては|神政成就《しんせいじやうじゆ》も|糞《くそ》もあつたものぢやない。|死《し》んだ|人間《にんげん》が|二度《にど》|死《し》ぬ|例《ためし》はあるまい。|此《この》|上《うへ》は|破《やぶ》れかぶれ、|生命《いのち》を|的《まと》にお|前達《まへたち》を|滅《ほろぼ》して|地獄《ぢごく》の|釜《かま》のどん|底《ぞこ》へ|連《つ》れて|行《い》つてやらう。|覚悟《かくご》をせよ』
と|目《め》を|釣《つ》つて|呶鳴《どな》りつけた。|竜国別《たつくにわけ》は|威丈高《ゐたけだか》になり、
『こりや|高姫《たかひめ》、|俺等《おいら》|母子《おやこ》を|斯《こ》んな|目《め》に|遇《あ》はせよつたのも、|元《もと》は|貴様《きさま》|故《ゆゑ》ぢや。|何程《なにほど》|貴様《きさま》が|頑張《ぐわんば》つても|此方《こちら》は|五人《ごにん》|其方《そちら》は|一人《ひとり》、|到底《たうてい》|衆寡敵《しうくわてき》する|事《こと》は|出来《でき》まい。サア|覚悟《かくご》をせい』
と|細《ほそ》い|腕《かいな》でグツと|高姫《たかひめ》を|掴《つか》みにかかる。テーリスタン、カーリンスは|棍棒《こんぼう》を|持《も》ち、|両方《りやうはう》から|叩《たた》き|潰《つぶ》して|呉《く》れむと|打《う》つてかかる。|黒姫《くろひめ》、|鷹依姫《たかよりひめ》は|肩《かた》を|揺《ゆす》り|腮《あご》をしやくり、|小気味《こぎみ》よささうに、
『ホヽヽヽヽ、ホウホウホウ』
と|笑《わら》つて|居《ゐ》る。|流石《さすが》の|高姫《たかひめ》も|進退《しんたい》|維《こ》れ|谷《きは》まり、|生命《いのち》からがら|枯野ケ原《かれのがはら》を|当途《あてど》もなく|逃《に》げて|行《ゆ》く。|後《あと》より|五人《ごにん》は、
『オーイオーイ、|待《ま》つた|待《ま》つた』
と|追《お》ひ|駆《か》け|来《きた》る。ピタツと|行《ゆ》き|当《あた》つた|大川《おほかは》、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》れば|五人《ごにん》に|取捉《とつつか》まるかも|知《し》れぬ。|地獄《ぢごく》の|釜《かま》の|一足飛《いつそくと》び、|行《ゆ》く|処《とこ》まで|行《ゆ》かむと|決心《けつしん》の|臍《ほぞ》を|固《かた》めた|高姫《たかひめ》は、|身《み》を|躍《をど》らして|濁流《だくりう》へバサンと|飛《と》び|込《こ》み、|流《なが》れ|渡《わた》りに|向岸《むかふぎし》に|着《つ》いて、|着衣《ちやくい》を|換《か》へて|忽《たちま》ち|洗濯婆《せんたくばあ》となつて|了《しま》つた。|続《つづ》いて|二人《ふたり》はバサンバサンと|飛《と》び|込《こ》んだ。|三人《さんにん》の|男《をとこ》は|真裸《まつぱだか》となり、|着衣《ちやくい》を|頭《あたま》に|括《くく》りつけ|泳《およ》いで|此方《こなた》へ|渡《わた》つて|来《く》る。|高姫《たかひめ》は、
『こりや|大変《たいへん》』
と|濡《ぬ》れた|着物《きもの》を|引抱《ひつかか》へ、|真裸《まつぱだか》のまま|枯《か》れた|薄ケ原《すすきがはら》を|身体中《からだぢう》|擦傷《すりきず》を|負《お》ひながら、|呼吸《いき》を|限《かぎ》りに|何処《どこ》ともなく|駆《か》けだした。|五人《ごにん》は|執念深《しふねんぶか》く|追《お》つ|駆《か》けて|行《ゆ》く。
|高姫《たかひめ》は|身《み》を|没《ぼつ》する|許《ばか》りの|枯《か》れた|薄《すすき》の|中《なか》に|蹲《しやが》んで|居《ゐ》る。|五人《ごにん》は|一生懸命《いつしやうけんめい》|駆《か》けつけ|来《きた》り、
『ヤア、|臭《くさ》いぞ|臭《くさ》いぞ、|高姫《たかひめ》の|臭《にほひ》がするぞ』
と|其処《そこら》|中《ぢう》を|犬《いぬ》の|様《やう》に|嗅《か》ぎつけ|廻《まは》る。|高姫《たかひめ》は|薄《すすき》の|中《なか》から|怖々《こはごは》|五人《ごにん》の|姿《すがた》を|見《み》れば|黒姫《くろひめ》、|鷹依姫《たかよりひめ》、|竜国別《たつくにわけ》、テーリスタン、カーリンスと|見《み》えしは|謬《あや》まり、|何《いづ》れも|青《あを》、|赤《あか》、|黒《くろ》の|鬼《おに》の|姿《すがた》で|金棒《かなぼう》を|打《う》ち|振《ふ》り、|萱原《かやはら》を|片端《かたつぱし》から|将棋倒《しやうぎだふ》しに|叩《たた》いて|廻《まは》り、|高姫《たかひめ》の|在処《ありか》は|何処《いづく》ぞと|厳重《げんぢゆう》に|捜索《そうさく》し|始《はじ》めた。|五人《ごにん》の|男女《なんによ》の|鬼《おに》は、
『アヽ|疲《くたび》れた。もう|此処《ここ》まで|探《さが》して|居《を》らねば|先方《むかふ》へ|逃《に》げたのだらう。|思惑《おもわく》とは|脚《あし》の|達者《たつしや》な|奴《やつ》だ。|現界《げんかい》では|口達者《くちたつしや》だと|評判《ひやうばん》な|奴《やつ》だが、|口《くち》|八丁《はつちやう》|足《あし》|八丁《はつちやう》とは|此奴《こいつ》の|事《こと》だ。グヅグヅして|居《を》ると|俺等《おいら》の|関門《くわんもん》を|突破《とつぱ》して、|天国《てんごく》へ|遁走《とんそう》するかも|知《し》れないぞ。サア|早《はや》う|行《ゆ》かう』
と|駆《か》け|出《だ》す。|一人《ひとり》の|鬼《おに》は、
『オイ、|貴様達《きさまたち》|四人《よにん》、|先《さき》へ|行《ゆ》け。|俺《おれ》は|未《ま》だ|此処《ここ》に|暫時《しばらく》|残《のこ》つて|再調査《さいてうさ》をやつて|見《み》るから……|如何《どう》も|俺《おれ》の|鼻《はな》には|高姫《たかひめ》の|臭《にほひ》がして|仕方《しかた》がない』
|四人《よにん》の|鬼《おに》は、
『あと|確《しつか》り|頼《たの》んだぞ』
と|息《いき》せききつてバタバタ|駆《か》け|出《だ》す|音《おと》、|高姫《たかひめ》の|耳《みみ》に|雷《らい》の|如《ごと》く|響《ひび》いて|来《く》る。|高姫《たかひめ》は|二三間《にさんげん》|薄《すすき》を|隔《へだ》てて|赤鬼《あかおに》が|角《つの》|突《つ》き|立《た》て、|巨眼《きよがん》を|剥《む》き|出《だ》し|砂煙草《すなたばこ》を|吸《す》うて|居《を》るのに、|心《こころ》も|心《こころ》ならず、|呼吸《いき》さへようせず|小《ちひ》さくなつて|慄《ふる》へて|居《ゐ》る。
|鬼《おに》『あゝ|俺《わし》も|生存中《せいぞんちう》は|黒姫《くろひめ》と|言《い》つて|色《いろ》が|黒《くろ》い|黒《くろ》いと|言《い》はれた|者《もの》だが、|斯《か》う|冥途《めいど》へ|来《き》て|見《み》れば|身体中《からだぢう》が|真赤《まつかい》けの|赤鬼《あかおに》となつて|了《しま》つた。|然《しか》し|高姫《たかひめ》さまは、あゝ|言《い》ふものの|気《き》の|毒《どく》な|事《こと》だ。|如何《どう》かして|助《たす》けて|上《あ》げたいものだなア。|何《なん》でも|此《この》|辺《へん》に|居《ゐ》るに|違《ちが》ひない。|皆《みな》の|奴《やつ》をあゝしてまいた|以上《いじやう》は、もう|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|一時《いちじ》も|早《はや》く|嗅《か》ぎつけて|高姫《たかひめ》さまを|救《すく》ひ|出《だ》さねばなるまい。ヤア|四人《よにん》の|奴《やつ》は|大分《だいぶ》|先方《むかふ》へ|行《い》つた』
と|小声《こごゑ》に|呟《つぶや》きながら、|高姫《たかひめ》の|潜《ひそ》める|場所《ばしよ》へ|萱《かや》の|穂《ほ》を|踏《ふ》み|分《わ》け|現《あら》はれ|来《きた》り、
『|高姫《たかひめ》さま、|久振《ひさしぶ》りでしたなア』
|高姫《たかひめ》『ハイ、|貴方《あなた》は|誰方《どなた》で|御座《ござ》いますか。|何卒《どうぞ》お|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
『|私《わし》は|赤鬼《あかおに》ぢや、お|前《まへ》さまの|知《し》つている|通《とほ》り|黄金《わうごん》の|玉《たま》を|盗《と》られた、その|悔《くや》しさ|残念《ざんねん》さが|残《のこ》つて|今《いま》|此処《ここ》に|赤鬼《あかおに》となつて|現《あら》はれたのだ。お|前《まへ》さまも|玉《たま》を|盗《と》られて|悔《くや》しからう。グヅグヅして|居《ゐ》ると|又《また》|鬼《おに》の|群《むら》がやつて|来《き》て|何《ど》んな|目《め》に|遭《あ》はすか|知《し》れませぬぞえ。サア|私《わし》の|背中《せなか》に|負《お》ぶさつて|下《くだ》さい、|之《これ》から|向《むか》ふの|山《やま》へお|伴《とも》|致《いた》しませう。|其処《そこ》は|幽界《いうかい》|第一《だいいち》の|安全《あんぜん》|地帯《ちたい》です』
と|恐《おそ》ろしい|顔《かほ》に|似《に》ず|親切《しんせつ》な|言葉《ことば》に、|高姫《たかひめ》はヤツと|安心《あんしん》し、
『あゝお|前《まへ》は|黒姫《くろひめ》であつたか、|何卒《どうぞ》|妾《わし》を|助《たす》けて|下《くだ》さい』
『|承知《しようち》しました』
と|高姫《たかひめ》を|仁王《にわう》が|三《みつ》つ|児《ご》を|負《お》うた|様《やう》に|軽々《かるがる》しく|背《せな》に|負《お》ひ、|金棒《かなぼう》を|引抱《ひつかか》へ、
『ヨイシヨ ヨイシヨ』
と|足拍子《あしびやうし》をとりながら、|茨《いばら》だらけの|嶮《けは》しき|野山《のやま》を|何《なん》の|苦《く》もなく|韋駄天《ゐだてん》|走《ばし》りに|踏《ふ》み|越《こ》え|踏《ふ》み|越《こ》え、|殆《ほとん》ど|二三十《にさんじふ》ばかりの|山《やま》を|登《のぼ》りつ|下《くだ》りつ、|瞬《またた》く|間《うち》に|青々《あをあを》した|玉草《たまぐさ》の|生《は》えて|居《ゐ》る|池辺《ちへん》へ|下《おろ》した。
|此《この》|時《とき》|池《いけ》の|波《なみ》、|俄《にはか》に|風《かぜ》もなきに|立《た》ち|騒《さわ》ぎ|始《はじ》めた。|高姫《たかひめ》は|不審《ふしん》の|雲《くも》に|包《つつ》まれつつ|池《いけ》の|面《おもて》を|目《め》を|放《はな》さず|凝視《みつめ》て|居《ゐ》る。|赤鬼《あかおに》は|忽《たちま》ちザブンと|波《なみ》たつ|池中《ちちう》に|身《み》を|躍《をど》らして|飛《と》び|込《こ》んだ。あとに|残《のこ》るは|金棒《かなぼう》ばかりである。
|高姫《たかひめ》『こりや、|大変《たいへん》な|重《おも》いものを|持《も》つたものだナ』
と|手《て》に|握《と》り|見《み》れば、|桐《きり》の|樹《き》で|作《つく》つた|張子《はりこ》の|金棒《かなぼう》であつた。
『へん、|莫迦《ばか》にして|居《ゐ》る。|何《なん》だ、|大《おほ》きな|金棒《かなぼう》だと|思《おも》つて|居《ゐ》たのに、|斯《こ》んな|鼻糞《はなくそ》で|的《まと》を|貼《は》つた|様《やう》な|苧殻《をがら》|同然《どうぜん》の|金棒《かなぼう》だ、こんな|奴《やつ》なら|五本《ごほん》や|十本《じつぽん》、|仮令《たとへ》|千本《せんぼん》|万本《まんぼん》でも|一遍《いつぺん》に|踏《ふ》み|躙《にじ》つて|了《しま》つてやる。それにしても|黒姫《くろひめ》の|赤鬼《あかおに》、|此《この》|池《いけ》に|身《み》を|投《な》げて|死《し》んだのであらうか、|真《ほん》に|不愍《ふびん》な|事《こと》だ』
と|金棒《かなぼう》を|持《も》つや|否《いな》や、|俄《にはか》に|自分《じぶん》の|姿《すがた》は|真黒《まつくろ》けの|黒鬼《くろおに》と|化《くわ》して|了《しま》つた。|暫《しばら》くすると|黒姫《くろひめ》の|姿《すがた》は|水面《すゐめん》に|浮《うか》び|上《あ》がつた。
|高姫《たかひめ》『あゝ|黒姫《くろひめ》さま、|鬼《おに》の|姿《すがた》は|如何《どう》なつた』
|黒姫《くろひめ》『|妾《わたし》は|其《その》|金棒《かなぼう》に|執着《しふちやく》が|残《のこ》つて|居《を》つて、|鬼《おに》となつて|了《しま》つたのだが、|此処《ここ》へ|来《き》て|金棒《かなぼう》を|放擲《はうてき》し、|運《うん》を|天《てん》に|任《まか》し|此《この》|池《いけ》の|中《なか》へ|身《み》を|投《とう》じた|処《ところ》、|池中《ちちう》に|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまの|様《やう》な|立派《りつぱ》な|女神《めがみ》さまが|現《あら》はれて、|妾《わたし》の|鬼《おに》の|皮《かは》を|剥《は》ぎとり、|旧《もと》の|肉体《からだ》にして|下《くだ》さつたのです。お|前《まへ》さまも|其《その》|金棒《かなぼう》を|放《ほ》かしなさい。そんな|物《もの》に|執着《しふちやく》があると、|其《その》|通《とほ》り|忽《たちま》ち|鬼《おに》になつて|了《しま》ひますよ。|金棒《かなぼう》は|愚《おろか》、|形《かたち》ある|玉《たま》なんかに|執着《しふちやく》すると、ま|一《ひと》つ|苦《くる》しい|地獄《ぢごく》へ|陥《お》ちねばなりませぬ』
と|波《なみ》の|上《うへ》に|浮《うか》ぶ|葭《よし》の|葉《は》に|軽《かる》く|止《と》まつて|気楽《きらく》さうに|笑《わら》つて|居《ゐ》る。
|此《この》|時《とき》|以前《いぜん》の|四人《よにん》の|鬼《おに》、|金棒《かなぼう》を|提《ひつさ》げ|一目散《いちもくさん》に|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ、
『ヤア、|高姫《たかひめ》は|此処《ここ》に|居《を》つたか、|覚悟《かくご》を|致《いた》せ。|何時《いつ》の|間《ま》にやら|俺《おれ》の|仲間《なかま》になりよつた。|僣越至極《せんゑつしごく》、サア|打《う》ち|倒《の》めしてやらう。|覚悟《かくご》をせよ』
と|四方《しはう》より|金棒《かなぼう》を|以《もつ》て|打《う》つてかかる。
『|何《なに》ツ、|苧殻《をがら》の|様《やう》な|金棒《かなぼう》が|何《なに》|恐《おそ》ろしいか。さア|来《こ》い』
と|自分《じぶん》も|黒姫《くろひめ》の|捨《す》てた|鉄棒《てつぼう》を|拾《ひろ》ひ、|打《う》つてかからうと|構《かま》へる|折《をり》しも、|水面《すゐめん》に|浮《うか》んだ|黒姫《くろひめ》は、
『そんな|物《もの》に|執着《しふちやく》してはなりませぬ。|放《ほ》かしなさいよ』
と|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|叫《さけ》ぶ。|其《その》|言葉《ことば》にハツと|気《き》がつき、|池畔《ちはん》に|投《な》げ|棄《す》て、|身《み》を|躍《をど》らして|高姫《たかひめ》は|蒼味《あをみ》だつた|池《いけ》の|面《おも》|目蒐《めが》けてバサンと|飛《と》び|込《こ》む。|続《つづ》いて|四人《よにん》の|鬼《おに》は|同《おな》じく|鉄棒《てつぼう》を|投《な》げ、|同様《どうやう》にバサンバサンと|身《み》を|躍《をど》らした。|忽《たちま》ち|水底《みなそこ》に|沈《しづ》んだ|時《とき》、|麗《うるは》しき|女神《めがみ》の|一柱《ひとはしら》|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ、|言葉《ことば》|淑《しとや》かに、
『|汝《なんぢ》は|未《いま》だ|幽界《いうかい》に|来《きた》るべき|者《もの》に|非《あら》ず、|一刻《いつこく》も|早《はや》く|立《た》ち|帰《かへ》れ。|執着心《しふちやくしん》の|悪魔《あくま》に|引《ひ》き|摺《ず》られ|斯《こ》んな|所《ところ》まで|迷《まよ》うて|来《き》たのだ。|妾《わらは》は|小和田姫命《さわだひめのみこと》、|亦《また》の|名《な》は|地蔵菩薩《ぢざうぼさつ》だ。|早《はや》く|此《この》|鬼《おに》の|衣《ころも》を|脱《ぬ》げ』
と|諭《さと》しの|言葉《ことば》に|五人《ごにん》はハツと|鰭伏《ひれふ》す|途端《とたん》に|元《もと》の|姿《すがた》に|復《かへ》つて|了《しま》つた。|池《いけ》の|水《みづ》は|何時《いつ》しか|影《かげ》もなく、|黄紅白紫《くわうこうはくし》に|咲《さ》き|乱《みだ》れたる|美《うる》はしき|原野《げんや》の|真中《まんなか》に|花《はな》と|花《はな》とに|囲《かこ》まれ、|涼《すず》しき|風《かぜ》を|身《み》に|浴《あ》びながら|立《た》つて|居《ゐ》た。|忽《たちま》ち|聞《きこ》ゆる|祝詞《のりと》の|声《こゑ》、|空《そら》を|見上《みあ》ぐれば、|言依別命《ことよりわけのみこと》、|言依姫命《ことよりひめのみこと》、|玉治別《たまはるわけ》、|国依別《くによりわけ》、|紫姫《むらさきひめ》、|若彦《わかひこ》、お|玉《たま》の|方《かた》、|時置師神《ときおかしのかみ》、|言照姫《ことてるひめ》、お|初《はつ》を|始《はじ》め|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫《たまてるひめ》、|雲《くも》に|乗《の》り|悠々《いういう》として|此《この》|場《ば》に|降《くだ》り|来《きた》るよと|見《み》る|間《ま》に、|忽《たちま》ち|全身《ぜんしん》|冷水《れいすゐ》を|浴《あ》びたる|如《ごと》く|涼《すず》しさを|感《かん》ずると|共《とも》に|目《め》を|開《ひら》けば、|時置師神《ときおかしのかみ》に|抱《いだ》かれ、|言依別命《ことよりわけのみこと》|以下《いか》の|枕辺《まくらべ》に|端座《たんざ》して、|天津祝詞《あまつのりと》や|数歌《かずうた》を|奏上《そうじやう》しつつあつた。
|是《これ》より|高姫《たかひめ》の|病気《びやうき》は、|拭《ぬぐ》ふが|如《ごと》く|全快《ぜんくわい》した。|今後《こんご》|高姫《たかひめ》は|如何《いか》なる|活動《くわつどう》をなすであらうか。
|枯野ケ原《かれのがはら》を|只《ただ》|一人《ひとり》 |道《みち》|問《と》ふ|人《ひと》もあら|涙《なみだ》
|胸《むね》の|動悸《どうき》も|高姫《たかひめ》が とぼとぼ|進《すす》む|暗《やみ》の|路《みち》
かたへの|淋《さび》しき|薄野《すすきの》に |顔《かほ》|痩《や》せこけた|五人連《ごにんづれ》
よくよく|見《み》ればコハ|如何《いか》に |鷹依姫《たかよりひめ》を|始《はじ》めとし
|心《こころ》の|黒姫《くろひめ》|竜国別《たつくにわけ》 テーリスタンやカーリンスが
|亡者《まうじや》となつて|高姫《たかひめ》の |姿《すがた》|見《み》かけて|攻《せ》め|来《きた》る
コリヤ|叶《かな》はぬと|雲霞《くもかすみ》 |一目散《いちもくさん》に|逃《に》げ|出《だ》せば
|途《みち》に|横《よこ》たふ|大河《おほかは》の |波《なみ》に|胸《むね》をば|躍《をど》らせつ
|後《あと》|振《ふ》り|返《かへ》り|眺《なが》むれば |五人《ごにん》は|忽《たちま》ち|鬼《おに》となり
|金棒《かなぼう》|打振《うちふ》り|追《お》ひ|来《きた》る |南無三宝《なむさんぽう》や|一大事《いちだいじ》
|前後《ぜんご》も|水《みづ》の|激流《げきりう》に ザンブとばかり|飛《と》び|込《こ》んで
|流《なが》れ|渡《わた》りに|向《むか》ふ|岸《ぎし》 ヤツト|一息《ひといき》|濡衣《ぬれぎぬ》を
|搾《しぼ》る|折《をり》しも|鬼《おに》|共《ども》は |河《かは》を|渡《わた》りて|追《お》ひ|迫《せま》る
|一生懸命《いつしやうけんめい》|高姫《たかひめ》は |丈《たけ》なす|萱《かや》の|茂《しげ》みへと
|身《み》を|忍《しの》びつつ|震《ふる》ひ|居《を》る |五人《ごにん》の|鬼《おに》は|執拗《しつえう》に
|高姫《たかひめ》|臭《くさ》いと|遠近《をちこち》を |探《さが》し|廻《まは》るぞ|恐《おそ》ろしき
|四《よ》ツの|鬼《おに》|奴《め》は|赤鬼《あかおに》を |一《ひと》つ|残《のこ》して|一散《いつさん》に
|姿《すがた》|求《もと》めて|走《はし》り|行《ゆ》く |残《のこ》りし|鬼《おに》は|高姫《たかひめ》を
|鬼《おに》に|似合《にあ》はぬ|親切《しんせつ》に |背《せな》に|負《お》ひつつ|山谷《やまたに》を
|幾《いく》つも|越《こ》えて|清水《せいすゐ》の |漂《ただよ》ふ|池《いけ》の|袂《たもと》まで
|誘《いざな》ひ|行《ゆ》きて|金棒《かなぼう》を |忽《たちま》ち|投《な》げ|棄《す》て|池中《いけなか》に
|身《み》を|躍《をど》らして|沈《しづ》み|入《い》る |時《とき》しも|四《よつ》ツの|鬼《おに》|共《ども》は
|高姫《たかひめ》|此処《ここ》かと|駆《か》け|来《きた》り |金棒《かなぼう》|翳《かざ》して|打向《うちむか》ふ
|進退《しんたい》|茲《ここ》に|谷《きは》まりて |高姫《たかひめ》|池中《ちちう》に|飛《と》び|込《こ》めば
|四鬼《しき》も|続《つづ》いて|池《いけ》の|底《そこ》へ たちまち|水《みづ》は|右左《みぎひだり》
サツと|別《わか》れて|美《うる》はしき |女神《めがみ》の|姿《すがた》ありありと
|現《あら》はれ|給《たま》ひ|執着心《しふちやくしん》を |洗《あら》ひ|落《おと》せば|高姫《たかひめ》も
|五《いつ》つの|鬼《おに》も|元《もと》の|如《ごと》 |尊《たふと》き|身魂《みたま》と|還《かへ》るよと
|見《み》ればたちまち|夢《ゆめ》|破《やぶ》れ |四辺《あたり》を|見《み》れば|言依別《ことよりわけ》の
|神《かみ》の|命《みこと》を|始《はじ》めとし |杢助《もくすけ》お|初《はつ》その|外《ほか》の
|人々《ひとびと》|病床《びやうしやう》に|集《あつ》まりて |天津祝詞《あまつのりと》や|言霊《ことたま》の
|神《かみ》に|奏上《そうじやう》のまつ|最中《さいちう》 |流石《さすが》|頑固《ぐわんこ》の|高姫《たかひめ》も
いよいよ|覚《さと》りて|執着《しふちやく》の |心《こころ》を|捨《す》てて|三五《あななひ》の
|誠《まこと》の|道《みち》を|真解《しんかい》し |言依別《ことよりわけ》の|神言《かみごと》を
|守《まも》りて|道《みち》に|尽《つく》すべく |霊魂研《みたまみが》きの|御経綸《ごけいりん》
|実《げ》に|神界《しんかい》の|御事《おんこと》は |凡夫《ぼんぷ》の|如何《いか》にあせるとも
|窮知《きち》し|得《う》べくもあらたふと かしこき|神《かみ》のお|取《とり》なし
|高姫《たかひめ》|始《はじ》めて|中心《ちうしん》の |的《まと》を|掴《つか》みし|物語《ものがたり》
ここにあらあら|誌《しる》しおく あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ。
(大正一一・五・二五 旧四・二九 北村隆光録)
第三篇 |黄金化神《わうごんけしん》
第九章 |清泉《きよいづみ》〔七〇一〕
|天津御神《あまつみかみ》の|賜《たま》ひてし |生言霊《いくことたま》の|一《ひと》|二《ふた》|三《みつ》
|四尾《よつを》の|峰《みね》の|山麓《さんろく》に |厳《いづ》の|御霊《みたま》と|現《あら》はれて
|五六七《みろく》の|神世《みよ》を|造《つく》らむと |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》が
|生《うみ》の|御子《おんこ》と|現《あ》れませる |八人乙女《やたりおとめ》の|其《その》|中《なか》に
|秀《ひい》でて|貴《たか》き|英子姫《ひでこひめ》 |悦子《よしこ》の|姫《ひめ》と|諸共《もろとも》に
|錦《にしき》の|宮《みや》の|九十《ここのたり》 |百千万《ももちよろづ》の|神策《しんさく》を
|幾億年《いくおくねん》の|末《すゑ》までも |堅磐常磐《かきはときは》に|固《かた》めむと
|天津御神《あまつみかみ》の|神言《みこと》もて |金剛不壊《こんがうふゑ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》
|黄金《わうごん》の|玉《たま》や|紫《むらさき》の |貴《うづ》の|宝《たから》を|永久《とこしへ》に
|秘《ひ》め|隠《かく》したる|桶伏《をけぶせ》の |山《やま》の|岩戸《いはと》を|何時《いつ》しかに
|開《ひら》きて|茲《ここ》に|黒姫《くろひめ》や |胸《むね》の|動悸《どうき》も|高姫《たかひめ》が
|玉《たま》|失《うしな》ひし|苦《くる》しさに |天地《てんち》の|神《かみ》に|言解《こととき》の
|言葉《ことば》もなくなく|高姫《たかひめ》は |千々《ちぢ》に|心《こころ》を|砕《くだ》きつつ
|夜《よる》に|紛《まぎ》れて|四尾《よつをう》の |山《やま》の|麓《ふもと》を|出立《しゆつたつ》し
|六甲山《ろくかふざん》の|峰続《みねつづ》き |蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》の|一族《いちぞく》が
|立籠《たてこも》りたる|魔谷ケ岳《まやがだけ》 |玉《たま》の|行方《ゆくへ》は|分《わか》らねど
|執念《しふねん》|深《ぶか》き|曲神《まがかみ》の |八岐大蛇《やまたをろち》の|計画《けいくわく》と
|早合点《はやがつてん》の|高姫《たかひめ》は |鷹鳥山《たかとりやま》に|小《ささ》やけき
|庵《いほり》を|結《むす》び|夜《よ》も|昼《ひる》も |鷹鳥《たかとり》ならぬ|隼《はやぶさ》や
|鵜《う》の|目《め》に|隙《すき》を|窺《うかが》ひつ |水《みづ》も|洩《も》らさぬ|三五《あななひ》の
|教《をしへ》をここに|経《たて》となし |緯《ぬき》さしならぬ|身《み》の|破目《はめ》を
|押開《おしひら》かむと|村肝《むらきも》の |心《こころ》に|包《つつ》み|岩《いは》が|根《ね》に
|二三《にさん》の|信徒《まめひと》|伴《ともな》ひて |時《とき》を|待《ま》つこそ|忌々《ゆゆ》しけれ。
|春《はる》の|陽気《やうき》も|漂《ただよ》うて、|山桜《やまざくら》の|此処《ここ》|彼処《かしこ》、お|多福《たふく》|面《づら》ではなけれども、|花《はな》より|葉《は》が|前《まへ》に|出《で》る、|谷路《たにみち》|伝《つた》うてスタスタと|登《のぼ》り|来《きた》る|二人《ふたり》の|男《をとこ》、|山桜《やまざくら》の|古木《こぼく》の|根元《ねもと》に|腰《こし》|打《う》ち|掛《か》け、|竹《たけ》の|子笠《こがさ》を|大地《だいち》に|投《な》げ|棄《す》てヒソビソ|話《ばなし》に|耽《ふけ》る。
|甲《かふ》『|此《この》|通《とほ》り|四方《よも》の|山々《やまやま》|新装《しんさう》をこらし、|春《はる》の|英気《えいき》を|含《ふく》んで、|木々《きぎ》の|木《こ》の|芽《め》は|時々刻々《じじこくこく》に|際限《さいげん》もなく|新芽《しんめ》を|吹《ふ》き|出《いだ》し、|常世《とこよ》の|春《はる》を|寿《ことほ》ぎ、|花《はな》は|笑《わら》ひ、|鳥《とり》は|歌《うた》ひ、|実《じつ》に|何《なん》とも|云《い》へぬ|気分《きぶん》になつて|来《き》た。|併《しか》し|乍《なが》ら|吾々《われわれ》の|奉《ほう》ずるバラモン|教《けう》も、|一時《いちじ》は|大江山《おほえやま》の|鬼雲彦《おにくもひこ》さまが|鬼ケ城山《おにがじやうざん》の|鬼熊別《おにくまわけ》と|南北《なんぼく》|相呼応《あひこおう》して、|遠近《ゑんきん》を|風靡《ふうび》さした|隆盛《りうせい》に|引《ひ》き|替《か》へ、|今日《こんにち》のバラモン|教《けう》は|恰度《ちやうど》|冬《ふゆ》が|来《き》たやうなものだなア。|吾々《われわれ》は|三国ケ岳《みくにがだけ》の|砦《とりで》を|三五教《あななひけう》の|為《ため》に|取《と》り|毀《こぼ》たれてより、|一旦《いつたん》|本国《ほんごく》へ|帰《かへ》り、|時《とき》を|待《ま》つて|捲土重来《けんどぢうらい》せむものと、|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》に|幾度《いくたび》|諫言《かんげん》を|試《こころ》みたか|知《し》れなかつたが、どうしてもお|聞《き》きなさらず、|又《また》もやアルプス|教《けう》の|鷹依姫《たかよりひめ》と|共《とも》に、|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》の|御威徳《ごゐとく》を|発揮《はつき》せむと|主張《しゆちやう》し、|此《この》|魔谷ケ岳《まやがだけ》にお|越《こ》しになつてから|早三月《はやみつき》も|経《た》つた。|併《しか》し|乍《なが》ら|高春山《たかはるやま》の|没落《ぼつらく》|以来《いらい》|影響《えいきやう》を|受《う》け、|折角《せつかく》|集《あつ》まつて|来《き》た|信者《しんじや》も、|日向《ひなた》の|氷《こほり》の|如《ごと》く、|日《ひ》に|日《ひ》に|消滅《せうめつ》の|運命《うんめい》を|繰返《くりかへ》し、|吾々《われわれ》の|知《し》つた|事《こと》か|何《なん》ぞの|様《やう》に|蜈蚣姫《むかでひめ》の|御大将《おんたいしやう》の|不機嫌《ふきげん》、|日夜《にちや》の|八当《やつあた》り、|実《じつ》に|困《こま》つたものぢやないか。|今日《けふ》は|何《なん》とか|一《ひと》つお|土産《みやげ》を|持《も》つて|帰《かへ》らねば、あの|難《むづ》かしい|顔《かほ》が|元《もと》の|鞘《さや》に|納《をさ》まらない、|何《なん》とか|良《い》い|名案《めいあん》はあるまいかなア』
|乙《おつ》『|名案《めいあん》と|云《い》つて、|吾々《われわれ》の|智嚢《ちなう》の|底《そこ》を|搾《しぼ》り|切《き》つた|上《うへ》の|事《こと》だから、モウ|此《この》|上《うへ》|逆様《さかさま》に|振《ふ》つても|虱《しらみ》|一匹《いつぴき》|産出《さんしゆつ》……|否《いや》|落《お》ちて|来《く》る|気遣《きづか》ひがない。|要《えう》するに|非常《ひじやう》|手段《しゆだん》を|用《もち》ゐるより|方法《はうはふ》はあるまいよ。|鷹鳥山《たかとりやま》の|鷹鳥姫《たかとりひめ》は|相当《さうたう》な|年増《としま》で、|蜈蚣姫《むかでひめ》と|同《おな》じ|様《やう》な|年輩《ねんぱい》だが、まだ|此方《こちら》へ|現《あら》はれてから|幾《いく》らにもならぬのに|大変《たいへん》な|勢《いきほひ》だ。|何時《いつ》も|四《よ》つ|時《どき》からかけて|鷹鳥山《たかとりやま》の|岩《いは》の|根《ね》に|道《みち》を|説《と》く|鷹鳥姫《たかとりひめ》の|庵《いほり》に|通《かよ》ふ|老若男女《らうにやくなんによ》は|非常《ひじやう》なものだ。|何《なん》でも|鷹鳥姫《たかとりひめ》は|紫《むらさき》の|玉《たま》、|金剛不壊《こんがうふゑ》の|宝珠《ほつしゆ》を|腹《はら》に|呑《の》み|込《こ》んで|居《を》ると|云《い》ふ|事《こと》だから、|一《ひと》つ|彼奴《あいつ》を|直接《ちよくせつ》|行動《かうどう》で|何々《なになに》して|了《しま》へば、|後《あと》はバラモン|教《けう》の|天下《てんか》だ。それに|就《つい》て、|彼《かれ》が|股肱《ここう》と|頼《たの》む|玉能姫《たまのひめ》と|云《い》ふ|頗《すこぶ》る|美人《びじん》が|居《ゐ》る。|先《ま》づ|其《その》|女《をんな》から|巧妙《うま》く|説《と》きつけて、|此方《こちら》のものにしさへすれば、|鷹鳥姫《たかとりひめ》に|接近《せつきん》の|機会《きくわい》を|得《う》ると|云《い》ふものだ。|大樹《たいじゆ》を|伐《き》る|者《もの》は|先《ま》ず|其《その》|枝《えだ》を|伐《き》る……』
『|将《しやう》を|射《い》むとする|者《もの》は|先《ま》づ|其《その》|馬《うま》を|射《い》ると|云《い》ふ|筆法《ひつぱふ》だな。|併《しか》しさうウマく|計画《けいくわく》|通《どほ》りに|行《ゆ》くだらうか。|当事《あてごと》と|牛《うし》の【おもがひ】は|向《むか》ふから|外《はづ》れると|云《い》つて、|実《じつ》に|不安心《ふあんしん》なものだ』
『その|玉能姫《たまのひめ》は|何時《いつ》も|谷川《たにがは》に|水《みづ》を|汲《く》みにやつて|来《く》るさうだ。|表口《おもてぐち》へ|廻《まは》れば|沢山《たくさん》の|参詣者《さんけいしや》だから、|到底《たうてい》|目的《もくてき》は|達《たつ》し|得《え》なからうが、|玉能姫《たまのひめ》は|裏坂《うらさか》の|椿谷《つばきだに》の|清泉《きよいづみ》に|何時《いつ》も|下《お》り|立《た》ち、|霊泉《れいせん》を|汲《く》みに|来《く》ると|云《い》ふ|事《こと》を|探知《たんち》して|居《ゐ》るのだ。あの|水《みづ》は|何《なん》でも|非常《ひじやう》な|薬品《やくひん》を|含《ふく》んで|居《ゐ》る。それを|御神水《ごしんすゐ》だと|云《い》つて、|鷹鳥姫《たかとりひめ》が|数多《あまた》の|者《もの》に|与《あた》へるので、|凡《すべ》ての|病気《びやうき》は|奇妙《きめう》に|全快《ぜんくわい》するさうだ。|之《これ》を|鷹鳥姫《たかとりひめ》の|奴《やつ》、|御神力《ごしんりき》だと|称《しよう》し、|股肱《ここう》の|臣《しん》たる|玉能姫《たまのひめ》にソツと|汲《く》ませ、|神前《しんぜん》に|供《そな》へさせて|置《お》くさうだ。|第一《だいいち》|玉能姫《たまのひめ》を|巧妙《うま》く|此方《こちら》の|手《て》に|入《い》れて、|其《その》|上《うへ》で|本城《ほんじやう》へ|駆《か》け|向《むか》へば、|成功《せいこう》|疑《うたがひ》なしだよ。サア|清泉《きよいづみ》まで|僅《わづ》か|二三丁《にさんちやう》だ。|早《はや》く|行《ゆ》かう』
とカナンボール、スマートボールの|両人《りやうにん》は、|崎嶇《きく》たる|谷道《たにみち》を|笠《かさ》を|手《て》にしながら、チクチクと|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
カナン、スマートの|両人《りやうにん》は|鷹鳥山《たかとりやま》の|清泉《せいせん》に|漸《やうや》く|辿《たど》り|着《つ》いた。|急坂《きふはん》を|太《ふと》き|竹製《たけせい》の|手桶《てをけ》を|両手《りやうて》に|提《ひつさ》げ、|背恰好《せかつかう》、|容貌《ようばう》、|寸分《すんぶん》|違《たが》はぬ|三人《さんにん》の|女《をんな》、ニコニコしながら|二人《ふたり》の|前《まへ》に|現《あら》はれ|来《きた》り、
|甲女《かふぢよ》『あなたは、バラモン|教《けう》のカナンさまでせう』
カナン『|御察《おさつ》しの|通《とほ》りカナンです。|此奴《こいつ》ア、スマートと|云《い》つて、|私《わたくし》の|乾児《こぶん》です。どうぞ|此《この》|面《つら》を|能《よ》くお|目《め》に|止《と》められまして、お|忘《わす》れなき|様《やう》に……』
『ホツホヽヽヽ、|忘《わす》れようと|云《い》つたつて、|其《その》お|顔《かほ》が|如何《どう》して|忘《わす》れられませう』
スマート『オイ、カナン、|一目《ひとめ》|見《み》てさへ、|斯《か》う|云《い》ふ|美人《びじん》が|忘《わす》れられぬと|云《い》ふのだから、|大《たい》した|者《もの》だらう』
『ホヽヽヽヽ』
と|腹《はら》を|抱《かか》へて|女《をんな》は|蹲《しやが》む。
スマ『コレコレお|女中《ぢよちう》さま、|何《なに》をお|笑《わら》ひなさる。どつか|私《わたくし》の|顔《かほ》に|特徴《とくちやう》がありますか……どつかお|気《き》に|入《い》つた|所《ところ》が|御座《ござ》いますかなア』
カナン『オイ、スマート、|貴様《きさま》は|余程《よつぽど》|良《い》い|馬鹿《ばか》だなア。|一寸《ちよつと》|水鏡《みづかがみ》に|照《て》らして|見《み》よ。|随分《ずゐぶん》|立派《りつぱ》な|顔《かほ》だぞ』
|三人《さんにん》の|女《をんな》は、|一度《いちど》に|臍《へそ》を|抱《かか》へて|笑《わら》ひ|倒《こ》ける。
『ハテナ』
と|不審《ふしん》そうにスマートは|清泉《せいせん》に|顔《かほ》を|照《て》らし|眺《なが》めようとする。|見《み》られては|大変《たいへん》と|言《い》はぬ|許《ばか》りに、カナンは|手頃《てごろ》の|石《いし》を|拾《ひろ》ふより|早《はや》く|泉《いづみ》の|中《なか》へ|投《な》げ|込《こ》んだ。|忽《たちま》ち|波立《なみた》ち、スマートの|顔《かほ》は|細《ほそ》く|長《なが》く|横《よこ》に|平《ひら》たく、|前後左右《ぜんごさいう》に|随意《ずゐい》|活動《くわつどう》、|伸縮《しんしゆく》|自在《じざい》、|真黒《まつくろ》けの|姿《すがた》が|映《うつ》る。
スマート『|何《なん》だかチツとも|見《み》えないワ。|此《この》|泉《いづみ》には|黒《くろ》ん|坊《ばう》の|霊《れい》が|浮《う》いて|居《ゐ》るぢやないか』
カナン『アハヽヽヽ、|俺《おれ》も|可笑《をか》しうてカナンワイ、のうスマート』
と|又《また》|笑《わら》ふ。|三人《さんにん》の|女《をんな》は|益々《ますます》|笑《わら》ひ|倒《こ》ける。スマートは|合点《がてん》|行《ゆ》かず、|波《なみ》の|静《しづ》まつたのを|見定《みさだ》め、|又《また》もや|覗《のぞ》きかける。カナンは|石《いし》を|投《な》げ|込《こ》む。スマートは、
『|馬鹿《ばか》にするない。|何故《なぜ》|水鏡《みづかがみ》を|見《み》ようと|思《おも》ふのに、|邪魔《じやま》をするのだ』
『|貴様《きさま》の|顔《かほ》を|貴様《きさま》が|見《み》ると、|俺《おれ》も|一寸《ちよつと》カナン|事《こと》があるのだよ。アハヽヽヽ、|随分《ずゐぶん》|黒《くろ》う|人《と》だなア』
『|何《なん》だか|俺《おれ》の|顔《かほ》は|今朝《けさ》から|鬱陶敷《うつたうしく》て|仕方《しかた》がない。スマートな|気《き》がせないよ。|実際《じつさい》は|如何《どう》なつたのか』
『お|目出度《めでた》い|奴《やつ》だ。|蜈蚣姫《むかでひめ》さまが|何方《どちら》へ|向《む》いとるか|分《わか》らぬ|様《やう》にと、|墨《すみ》を|塗《ぬ》つて|置《お》かしやつたのだ。|貴様《きさま》の|顔《かほ》|一面《いちめん》|墨《すみ》だらけだよ。|俺《おれ》は|面黒《おもくろ》くてカナンボールだ』
『そりや|大変《たいへん》だ。スマートも|一《ひと》つ|此処《ここ》で|手水《てうづ》を|使《つか》はうかなア』
『イヤイヤそんな|事《こと》しようものなら|大変《たいへん》だぞ。|貴様《きさま》は|注意《ちゆうい》が|足《た》らぬので、|三国ケ岳《みくにがだけ》で|玉《たま》の|在処《ありか》をお|玉《たま》の|方《かた》に|知《し》らした|奴《やつ》だと|蜈蚣姫《むかでひめ》さまに|睨《にら》まれて|居《を》るのだ。|大変《たいへん》な|恥辱《ちじよく》を|与《あた》へよつた……|蜈蚣姫《むかでひめ》の|顔《かほ》に|墨《すみ》を|塗《ぬ》りやがつたから、あの|玉《たま》を|奪《と》り|返《かへ》す|迄《まで》はスマートの|顔《かほ》に|墨《すみ》を|塗《ぬ》つて|置《お》くのだから……と|云《い》つてな、|貴様《きさま》が|酒《さけ》に|喰《くら》ひ|酔《よ》うて|寝《ね》てる|間《ま》に、ペツタリコと|左官屋《さくわんや》を|遊《あそ》ばしたのだ』
『そりや|余《あんま》り|殺生《せつしやう》ぢやないか。|斯《か》う|云《い》ふナイスにそんな|面《つら》を|見《み》られては|堪《たま》らない。スマートはあんな|黒《くろ》い|奴《やつ》だと、|三人女《さんにんをんな》の|印象《いんしやう》に|何時《いつ》までも|残《のこ》つちや|堪《たま》らない。|一《ひと》つ|墨《すみ》を|洗《あら》ひ|落《おと》して、|好男子《かうだんし》|振《ぶ》りを|認《みと》めて|置《お》いて|貰《もら》はぬと|詮《つま》らぬからなア』
と|無理矢理《むりやり》に|水《みづ》を|掬《すく》ひ、|顔《かほ》の|垢《あか》を|落《おと》す。|如何《どう》したものか、さしもに|清冽《せいれつ》なる|泉《いづみ》は|墨《すみ》を|流《なが》した|如《ごと》く|真黒《まつくろ》になつて|了《しま》つた。|三人《さんにん》の|女《をんな》は、
『あれ、マア|何《ど》うしませう』
と|顔《かほ》をかくす。スマートはスツカリと|墨《すみ》を|落《おと》した。|生《うま》れ|付《つ》きの|好男子《かうだんし》である。
スマート『オイ、カナン、|俺《おれ》の|顔《かほ》を|塗《ぬ》りよつたのは、|蜈蚣姫《むかでひめ》さまぢやなからう。|貴様《きさま》は|怪体《けつたい》な|御面相《ごめんさう》だから、|俺《おれ》と|一緒《いつしよ》に|歩《ある》くと|目立《めだ》つと|思《おも》つて|悪戯《いたづら》をしたのだらう』
カナン『マア|何《ど》うでも|好《い》いワ。すべて|神《かみ》の|道《みち》に|在《あ》る|者《もの》は、|犠牲的《ぎせいてき》|精神《せいしん》が|肝腎《かんじん》だから、|誰《たれ》がしたにもせよ、|俺《おれ》がした|事《こと》にして|置《お》けば|良《い》いのだよ』
『|兎《と》も|角《かく》、|三人《さんにん》のお|方《かた》、|貴女《あなた》は|玉能姫《たまのひめ》さまとか|云《い》ふ|方《かた》ぢやありませぬか。どうぞスマートを|鷹鳥山《たかとりやま》へ|連《つ》れて|往《い》つて|下《くだ》さいますまいかな』
|甲女《かふぢよ》『ホヽヽヽヽ、あなたの|様《やう》な|瓜実顔《うりざねがほ》を|連《つ》れて|帰《かへ》らうものなら、|青物屋《あをものや》と|間違《まちが》へられますわ。カナンさまの|南瓜顔《かぼちやがほ》、どうぞそれ|計《ばか》りは|勘忍《こら》へて|頂戴《ちやうだい》な』
カナン『オイ|女《をんな》、|南瓜《かぼちや》とは|何《なん》だ。|瓜実顔《うりざねがほ》とは|何《なん》ぢや。|馬鹿《ばか》にするない。|八百屋《やほや》ぢやあるまいし、サアもう|斯《か》うなつた|以上《いじやう》は、|否《いや》でも|応《おう》でも、|魔谷ケ岳《まやがだけ》へ|担《かた》げて|帰《かへ》る。|覚悟《かくご》をせい』
|乙女《をとめ》『|誰《たれ》が|汚《けが》らはしい。お|前《まへ》の|様《やう》なヒヨツトコに|担《かつ》がれて|行《ゆ》く|者《もの》がありますかい』
スマート『ますます|貴様《きさま》は|七尺《しちしやく》の|男子《だんし》を、|馬鹿《ばか》にするのだな。こりや、|俺《おれ》を|誰様《どなた》と|心得《こころえ》て|居《を》る。バラモン|教《けう》の|蜈蚣姫《むかでひめ》が|左守《さもり》の|神《かみ》と|聞《きこ》えたる、スマートさまぢやぞ。|斯《か》う|見《み》えても|何《なに》から|何《なに》まで、|知《し》らぬ|事《こと》のないチヤアチヤアだ。|玉能姫《たまのひめ》、|覚悟《かくご》をせい』
|甲女《かふぢよ》『|本当《ほんたう》の|玉能姫《たまのひめ》が……それ|丈《だけ》|能《よ》く|分《わか》るお|前《まへ》さまなら……|何《ど》れだか|当《あ》てて|御覧《ごらん》……』
スマート『|一人《ひとり》は|玉能姫《たまのひめ》、|二人《ふたり》はお|化《ば》けだよ』
|甲女《かふぢよ》『どれがお|化《ば》けで、どれが|本物《ほんもの》ですか』
『オイ、カナン、|此奴《こいつ》|三人《さんにん》|共《とも》|引括《ひつくく》つて|伴《つ》れて|帰《かへ》らう。|何《ど》れがどうだか|余《あんま》り|能《よ》う|化《ば》けて|居《ゐ》よつて、|見当《けんたう》が|取《と》れぬぢやないか』
『さうだなア。|併《しか》し|斯《か》う|云《い》ふ|美人《びじん》を|担《かつ》いで|帰《い》ぬと、|途中《とちう》で|又《また》|魔《ま》がさし、|中途《ちうと》でボツたくられると|困《こま》るから、|幸《さいは》ひ|此《この》|泉《いづみ》の|水《みづ》を|塗《ぬ》り|付《つ》け、|真黒《まつくろ》けにして|帰《かへ》らうかい。|宅《うち》へ|帰《かへ》つて|軽石《かるいし》や|曹達《そうだ》で|擦《こす》れば、|現在《いま》の|様《やう》な|綺麗《きれい》な|面《つら》になるのだからのう……オイ|女《をんな》、|此処《ここ》へ|来《こ》い。|一《ひと》つお|黒《くろ》いを|塗《ぬ》つてやらう』
|三人《さんにん》の|女《をんな》|一度《いちど》に、
『ホツホヽヽヽ』
と|笑《わら》ひこける|途端《とたん》に、シユウシユウと|立《た》ち|昇《のぼ》る|白煙《はくえん》、|忽《たちま》ち|四辺《あたり》を|包《つつ》んで|了《しま》つた。|二人《ふたり》は|息《いき》も|詰《つま》るやうな|苦《くる》しさに|其《その》|場《ば》にパタリと|倒《たふ》れた。|三人《さんにん》の|女《をんな》は|真黒《まつくろ》の|水《みづ》を|手桶《てをけ》に|掬《すく》ひ、|二人《ふたり》の|顔《かほ》から|手足《てあし》|一面《いちめん》に|注《そそ》いだ。|両人《りやうにん》は|焼木杭《やけぼつくひ》の|様《やう》な|色《いろ》になつて、|其《その》|側《そば》に|倒《たふ》れた|儘《まま》|気絶《きぜつ》して|居《ゐ》る。|三人《さんにん》の|女《をんな》は、
『|旭《あさひ》さま……|月日《つきひ》さま……ヤア|高倉《たかくら》さま……さア|帰《かへ》りませう』
と|互《たがひ》に|白狐《びやくこ》と|還元《くわんげん》し、|魔谷ケ岳《まやがだけ》の|蜈蚣姫《むかでひめ》が|館《やかた》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
|此処《ここ》へ|上《あが》つて|来《き》たバラモン|教《けう》の|部下《ぶか》|四五人《しごにん》、
|甲《かふ》『オイ、スマートにカナンの|大将《たいしやう》は、|此《この》|鷹鳥山《たかとりやま》の|庵《いほり》へ|進《すす》むべく、|教主《けうしゆ》の|命《めい》を|奉《ほう》じて|登《のぼ》つた|筈《はず》だが、どうなつただらう。|最早《もはや》|日《ひ》も|暮《く》れかかつて|居《を》る。|何《なん》とか|便《たよ》りがありさうなものだなア』
|乙《おつ》『|折角《せつかく》|働《はたら》いて、|是《これ》から|休《やす》まして|貰《もら》はうと|思《おも》つて|居《ゐ》るのに、|大将《たいしやう》が|帰《かへ》りが|遅《おそ》いものだから、こんな|危険区域《きけんくゐき》へ|派遣《はけん》されて、|堪《たま》つたものぢやない。|此《この》|山《やま》は|随分《ずゐぶん》|恐《おそ》ろしい|化物《ばけもの》の|出《で》る|所《とこ》ぢやから、|迂濶《うつかり》して|居《ゐ》ると、|又《また》|此《この》|間《あひだ》の|様《やう》に|真黒黒助《まつくろくろすけ》の|怪物《ばけもの》が|出《で》て、|目玉《めだま》を|剔《く》り|抜《ぬ》かれるか|知《し》れやしないぞ。|転公《てんこう》は|目玉《めだま》を|抜《ぬ》かれたきり、たうとうあの|通《とほ》り|不自由《ふじゆう》な|盲目《めくら》となつて|了《しま》つた』
|甲《かふ》『なアに、あれは|黒《くろ》ン|坊《ばう》の|化《ばけ》【もん】ぢやない。|此《この》|森林《しんりん》を|暗《くら》がり|紛《まぎ》れに|歩《ある》きやがつて、|松《まつ》の|枯枝《かれえだ》に|目玉《めだま》を|突当《つきあ》て|飛《と》び|出《で》たのだ。|目《め》を|突《つ》くが|最後《さいご》|其辺《そこら》が|見《み》えなくなつたものだから、|黒《くろ》ン|坊《ばう》の|化物《ばけもの》が|目《め》を|剔《と》つたなどと|云《い》つてるのだ。|用心《ようじん》せないと、どんな|目《め》に|遇《あ》ふかも|知《し》れないぞ』
|乙《おつ》『イヤイヤ、|松《まつ》の|木《き》ぢやない。|本当《ほんたう》に|黒《くろ》ン|坊《ばう》が|出《で》たさうだ。|用心《ようじん》せよ。そろそろ|暮《く》れかかつたからなア』
と|云《い》ひながら|登《のぼ》つて|来《く》る。カナンはフト|気《き》が|付《つ》き|見《み》れば、|赤裸《まつぱだか》にしられた|真黒《まつくろ》の|男《をとこ》が|傍《かたはら》に|横《よこ》たはつて|居《ゐ》る。
『オイ、スマート、|何処《どこ》へ|往《い》つた。|早《はや》く|来《き》て|呉《く》れ。|此《この》|間《あひだ》|転公《てんこう》の|目《め》を|抜《ぬ》きよつた|黒《くろ》ン|坊《ばう》の|化物《ばけもの》が、|茲《ここ》に|一匹《いつぴき》|横《よこ》たはつて|居《ゐ》よるワイ。オーイ、|早《は》よ|来《こ》ぬかい』
スマートは|此《この》|声《こゑ》にムクムクと|動《うご》き|出《だ》した。
『ヤア、お|前《まへ》の|声《こゑ》はカナンぢやないか』
『オウさうだ。|貴様《きさま》は|化物《ばけもの》だらう。|又《また》|目《め》をとらうと|思《おも》つて|出《で》よつたのだらう。|其《その》|手《て》は|喰《く》はぬぞ』
『|貴様《きさま》こそカナンに|化《ば》けた|黒《くろ》ン|坊《ばう》だ。|俺《おれ》が|了簡《りやうけん》せぬのだ。|覚悟《かくご》せい』
と|足許《あしもと》のガラガラした|石《いし》を|拾《ひろ》つて|投《な》げつける。カナンも|亦《また》|石《いし》を|拾《ひろ》つて|投《な》げつける。|双方《さうはう》より|石合戦《いしがつせん》の|真最中《まつさいちう》、
『アイタヽヽ』
『アイタヽヽ』
と|云《い》ひながら|大格闘《だいかくとう》を|始《はじ》め、|真黒《まつくろ》けに|濁《にご》つた|清泉《きよいづみ》の|中《なか》へ|組《く》んづ|組《く》まれつ、ドブンと|落込《おちこ》んだ。|薄暗《うすくら》がりに|上《あが》つて|来《き》た|五人《ごにん》の|男《をとこ》、
|甲《かふ》『オイ、|何《なん》だか|妙《めう》な|音《おと》がしたぢやないか』
|乙《おつ》『さうだなア。|一《ひと》つ|調《しら》べて|見《み》ようか。|何《なん》でも|此《この》|辺《へん》には|鷹鳥姫《たかとりひめ》の|庵《いほり》に|仕《つか》へて|居《ゐ》る、|玉能姫《たまのひめ》と|云《い》ふ|美人《びじん》が、チヨコチヨコ|現《あら》はれるさうだから、ヒヨツとしたら、|水汲《みづく》みに|来《き》やがつて|薄暗《うすぐら》がりに|過《あやま》つて、ドンブリコとやつたのかも|知《し》れないぞ。|蜈蚣姫《むかでひめ》さまが|彼奴《あいつ》さへ|手《て》に|入《い》れば、|後《あと》はどうでもなると|仰有《おつしや》つて、カナン、スマートの|大将《たいしやう》に|言《い》ひつけて|御座《ござ》る|位《くらゐ》だから、|俺達《おれたち》が|手柄《てがら》をして|彼奴等《あいつら》の|上役《うはやく》にならうぢやないか。|此《この》|清泉《きよいづみ》へ|今頃《いまごろ》に|水汲《みづく》みに|来《く》る|奴《やつ》は、|玉能姫《たまのひめ》より|外《ほか》にありやせぬぞ』
|丙《へい》『オイ、|愚図々々《ぐづぐづ》|云《い》つて|居《を》ると、|水《みづ》を|呑《の》んで|死《し》んで|了《しま》つたら|何《なん》にもならぬぢやないか。サア|早《はや》く|助《たす》けてやらう』
と|清泉《きよいづみ》の|傍《そば》に|五人《ごにん》は|探《さぐ》り|探《さぐ》り|立《た》ち|寄《よ》つた。|余《あま》り|深《ふか》くない|泉《いづみ》の|中《なか》、|二人《ふたり》の|黒《くろ》ン|坊《ばう》は|組《く》んづ|組《く》まれつ|無言《むごん》の|儘《まま》|掴《つか》み|合《あ》うて|居《ゐ》る。|黒《くろ》さは|益々《ますます》|黒《くろ》く、|腸《はらわた》まで|浸《し》み|込《こ》んで|了《しま》つた。
|甲《かふ》『コレコレ、|玉能姫《たまのひめ》さま、お|危《あぶ》ないこつて|御座《ござ》いました。サア|私《わたくし》が|助《たす》けてあげませう。|余《あんま》り|暗《くら》くつて|一寸《ちよつと》も|分《わか》らぬ。それにお|前《まへ》さま|黒《くろ》い|着物《きもの》を|着《き》て|居《ゐ》るものだからサツパリ|見当《けんたう》が|付《つ》かぬ。|私《わたくし》の|声《こゑ》のする|方《はう》へお|出《い》でなさい』
|横幅《よこはば》|三間《さんげん》|縦《たて》|五六間《ごろくけん》の|泉《いづみ》の|中《なか》で、バサバサと|一生懸命《いつしやうけんめい》に|格闘《かくとう》して|居《ゐ》る。|黒《くろ》い|水《みづ》は|両人《りやうにん》の|耳《みみ》の|穴《あな》に|吸収《きふしう》され、|知《し》らぬ|間《ま》に|聾《つんぼ》になつて|居《ゐ》る。|目玉《めだま》まで|真黒《まつくろ》け、|一寸先《いつすんさき》も|見《み》えなくなつて|了《しま》つた。
|乙《おつ》『オイ、|玉能姫《たまのひめ》にしてはチツと|様子《やうす》が|違《ちが》ふぢやないか』
|甲《かふ》『|何《なに》、|何時《いつ》も|三人《さんにん》|同《おな》じ|様《やう》な|別嬪《べつぴん》が|此泉《ここ》へ|現《あら》はれると|云《い》ふ|事《こと》だ。|大方《おほかた》|一人《ひとり》|陥《はま》つたので|二人《ふたり》が|助《たす》ける|積《つも》りで|飛《と》び|込《こ》んで|居《ゐ》るのだらう。|同《おな》じ|人《ひと》を|助《たす》けるのにも、あゝ|云《い》ふ|美人《びじん》を|助《たす》けるのは|気分《きぶん》が|良《い》い。……「どこのお|方《かた》か|知《し》りませぬが、|大切《たいせつ》な|生命《いのち》をお|拾《ひろ》ひ|下《くだ》さいまして、|此《この》|御恩《ごおん》は|忘《わす》れませぬ」……とかなんとか|言《い》つて、|俺達《おれたち》に|秋波《しうは》を|送《おく》るのは|請合《うけあひ》だ。|三人《さんにん》の|女《をんな》を|三人《さんにん》|寄《よ》つて|助《たす》ける|事《こと》にしよう。|皆《みんな》|同《おな》じ|別嬪《べつぴん》だから、|甲乙《かふおつ》がなくて|後《あと》の|争論《いさかひ》も|起《おこ》らず、|大変《たいへん》|都合《つがふ》が|好《い》い。……オイ、|熊《くま》、|蜂《はち》、|貴様《きさま》は|其処《そこ》に|番《ばん》ついて|居《を》れ。|吾々《われわれ》|三人《さんにん》が|功名《こうみやう》|手柄《てがら》をするのだから……』
と|囁《ささや》いて|居《ゐ》る。|黒《くろ》い|影《かげ》はビシヤン、バシヤンと|相変《あひかは》らず|向《むか》ふの|方《はう》で|水煙《みづけむり》を|立《た》てながら|格闘《かくとう》を|続《つづ》けて|居《ゐ》る。|清泉《きよいづみ》の|真黒《まつくろ》けになつた|事《こと》は、|薄暗《うすぐら》がりで|少《すこ》しも|五人《ごにん》には|気《き》が|付《つ》かなかつた。|甲《かふ》は|真裸《まつぱだか》となつて|救《すく》い|出《だ》さむと|飛《と》び|込《こ》んだ。|乙《おつ》|丙《へい》も|吾《われ》|劣《おと》らじと|飛《と》び|込《こ》み、
『コレコレお|女中《ぢよちう》、|玉能姫《たまのひめ》さま、|私《わたくし》が|助《たす》けてあげませう』
と|進《すす》み|行《ゆ》く。|此奴《こいつ》も|真黒《まつくろ》けになり、|三人《さんにん》|共《とも》|盲《めくら》|聾《つんぼ》の|真黒《まつくろ》けの|体《からだ》に|変《へん》じ、|五人《ごにん》は|互《たがひ》に|同志打《どうしうち》を|始《はじ》めて|居《ゐ》る。|夜《よ》は|追々《おひおひ》と|暗《やみ》の|帳《とばり》が|深《ふか》く|下《お》りて|来《き》た。|熊公《くまこう》は、
『オイ|蜂《はち》、コラ|一体《いつたい》どうなるのだらうなア。オイ、|金公《きんこう》、|銀公《ぎんこう》、|鉄《てつ》、|何《なに》してるのだ。|玉能姫《たまのひめ》は|如何《どう》なつたのだ。|良《い》い|加減《かげん》に|上《あが》つて|来《こ》ぬか。|温泉《をんせん》か|何《なん》ぞへ|這入《はい》つたやうに|気楽《きらく》さうに|泉《いづみ》の|中《なか》で|意茶《いちや》|付《つ》いとるのだな。……オイ|早《はや》くあがらぬかい』
と|呼《よ》べど|叫《さけ》べど、|盲《めくら》|聾《つんぼ》の|真黒黒助《まつくろくろすけ》には|少《すこ》しも|分《わか》らず、|遂《つひ》には|甲《かふ》|乙《おつ》|丙《へい》の|区別《くべつ》を|取違《とりちが》へ、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|格闘《かくとう》して|居《ゐ》る。|此《この》|時《とき》|以前《いぜん》の|女神《めがみ》|又《また》もやパツと|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれた。さうしてアークライトの|様《やう》な|光《ひかり》は|頭上《づじやう》に|輝《かがや》いて|来《き》た。|五人《ごにん》の|目《め》は、|始《はじ》めてボーツと|明《あか》りが|見《み》えて|来出《きだ》した。
カナン『ヤア|此奴《こいつ》あ|失策《しくじ》つた。|何時《いつ》の|間《ま》にか|美人《びじん》が|又《また》やつて|来《き》よつた。オイ、スマート、|斯《こ》んな|所《ところ》で|喧嘩《けんくわ》をして|居《を》る|時《とき》ぢやない。|何《なん》だ、|貴様《きさま》の|姿《すがた》は|真黒《まつくろ》けぢやないか。|矢張《やつぱ》りスマートぢやなからう。|化衆《ばけしう》ぢやなア』
スマート『|貴様《きさま》はカナンの|声《こゑ》を|使《つか》つて、|馬鹿《ばか》にするな。……コリヤ|女《をんな》、|俺達《おれたち》をこんな|所《ところ》へ|落《おと》しよつて、|高所《たかみ》で|見物《けんぶつ》すると|云《い》ふ|事《こと》があるかい』
|金《きん》、|銀《ぎん》、|鉄《てつ》の|三人《さんにん》も|女神《めがみ》の|姿《すがた》に|驚《おどろ》いて|俄《にはか》に|這《は》ひあがつた。
|甲女《かふぢよ》『|危《あやふ》い|所《ところ》をお|助《たす》け|下《くだ》さいまして、お|蔭《かげ》で|助《たす》かりました。|此《この》|御恩《ごおん》は|決《けつ》して|忘《わす》れませぬ』
|金《きん》『ハイハイ、|滅相《めつさう》もない。|併《しか》し|何時《いつ》お|上《あが》りになりました。|私《わたくし》は|貴女《あなた》をお|助《たす》けしたいと|思《おも》うて、|此《この》|通《とほ》り|飛《と》び|込《こ》み|大活動《だいくわつどう》を|致《いた》して|居《を》りました。……それはまア|結構《けつこう》でした。|併《しか》し|御礼《おれい》を|言《い》はれるのはチツと|不思議《ふしぎ》だ。|救《すく》ひ|上《あ》げた|覚《おぼ》えがないのだから』
|乙女《をつぢよ》『|銀《ぎん》さまとやら、あなたは|妾《わたし》を|救《すく》うて|下《くだ》さつた|御恩人《ごおんじん》ですよ』
|丙女《へいぢよ》『|鉄《てつ》さま、|能《よ》う|助《たす》けて|下《くだ》さつた』
|鉄《てつ》『へー、|有難《ありがた》う……ナニ、|滅相《めつさう》な、|何方《どちら》を|言《い》つて|良《い》いか|訳《わけ》が|分《わか》らぬやうになつて|来《き》たワイ、|助《たす》けてあげたやうにも|思《おも》ふし、|助《たす》けてあげない|様《やう》にも|思《おも》ふし、……こりやマア、|如何《どう》なつたのだらう』
|甲女《かふぢよ》『|金《きん》さま、お|前《まへ》さまは、|何《なん》とした|黒《くろ》い|姿《すがた》にならしやつたのだ。|妾《わたし》、|残念《ざんねん》で|御座《ござ》います』
|金助《きんすけ》|始《はじ》めて|気《き》が|付《つ》き|体《からだ》を|見《み》れば、|空地《あきち》なきまで|墨《すみ》の|化物《ばけもの》の|様《やう》になつて|居《ゐ》る。|銀《ぎん》、|鉄《てつ》はと|見《み》れば、これも|真黒黒助《まつくろくろすけ》。
|金《きん》『ヤア、|此《この》|光《ひかり》に|照《て》らし|見《み》れば、|誰《たれ》も|彼《かれ》も|何故《なぜ》|斯《か》う|黒《くろ》くなつたのだらう』
|甲女《かふぢよ》『|妾《わたし》の|生命《いのち》の|御恩人《ごおんじん》、|金《きん》さま、|銀《ぎん》さま、|鉄《てつ》さま、どうぞ|此方《こちら》へ|来《き》て|下《くだ》さい。|妾《わたし》が|拭《ふ》き|取《と》つてあげませう』
と|雪《ゆき》の|様《やう》な|手《て》を|延《の》べ、|四辺《あたり》の|草《くさ》をむしつて|牛馬《ぎうば》の|行水《ぎやうずゐ》でもさせる|様《やう》に、カサカサと|擦《こす》り|始《はじ》めた。|金《きん》、|銀《ぎん》、|鉄《てつ》の|三人《さんにん》は、|元《もと》の|黒《くろ》ン|坊《ばう》が|黄疸《わうだん》を|病《や》んだ|様《やう》な|肌《はだへ》、|忽《たちま》ち|純白色《じゆんぱくしよく》となつて|了《しま》つた。
|乙女《をつぢよ》『ホツホヽヽヽ、|綺麗《きれい》だこと。|三人《さんにん》さま、|一寸《ちよつと》|御覧《ごらん》なさいませ。|玉子《たまご》の|様《やう》な|綺麗《きれい》な|肌付《はだつき》におなりなさいました』
|三人《さんにん》はフト|自分《じぶん》の|体《からだ》を|見《み》て、|純白色《じゆんぱくしよく》に|変《へん》じて|居《を》るのに|且《かつ》|驚《おどろ》き|且《かつ》|喜《よろこ》び、|天《てん》にも|昇《のぼ》る|心地《ここち》して、|思《おも》はず|手《て》を|拍《う》ち|飛《と》び|上《あが》つた。|三人《さんにん》の|女《をんな》は|美《うる》はしき|衣《きぬ》を|各々《めいめい》|取《と》り|出《いだ》し、|金《きん》、|銀《ぎん》、|鉄《てつ》の|三人《さんにん》に|着《き》せた。|何《なん》とも|云《い》へぬ|立派《りつぱ》な|好男子《かうだんし》になつて|了《しま》つた。カナン、スマートは|真黒《まつくろ》けに|染《そま》つた|儘《まま》|恨《うら》めしさうに|眺《なが》めて|居《ゐ》る。
|甲女《かふぢよ》『スマートさま、カナンさま、|随分《ずゐぶん》お|黒《くろ》うおなりやしたネー。|妾《わたし》は|斯《か》うして|三人《さんにん》の|美《うつく》しき|殿御《とのご》を|持《も》ちました。|羨《けな》りい|事《こと》は|御座《ござ》いませぬか』
と|嬉《うれ》しさうに|手《て》を|取《と》つて、
『サア、|金《きん》さま、|銀《ぎん》さま、|鉄《てつ》さま、|斯《か》う|舞《ま》ふのだよ。|妾《わたし》とダンスを|致《いた》しませう』
と|三男三女《さんなんさんによ》は|手《て》を|握《と》つてキリキリと|舞《ま》うて|見《み》せる。|二人《ふたり》は|這《は》ひあがり、|指《ゆび》を|啣《くは》へて、
カナン『アーア、|夢《ゆめ》かいな。|夢《ゆめ》なれば|結構《けつこう》だが、|斯《こ》んな|真黒《まつくろ》けになつて|了《しま》つては、|宅《うち》へ|帰《かへ》つて|嬶《かか》アにだつて|追払《おつぱら》はれて|了《しま》ふワ』
|熊《くま》、|蜂《はち》『オイ|金《きん》、|銀《ぎん》、|鉄《てつ》、|貴様等《きさまら》は|三人《さんにん》の|美人《びじん》を|助《たす》けて、そんな|陽気《やうき》な|事《こと》をしやがつて|俺達《おれたち》を|馬鹿《ばか》にするのか。チツと|俺《おれ》にも|分配《ぶんぱい》したらどうだ』
|金《きん》『|生憎《あひにく》|三人《さんにん》の|美人《びじん》だから、パンか|何《なに》かの|様《やう》に|割《わ》つて|与《あた》へる|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、まあ|時節《じせつ》を|待《ま》つのだなア。カナンにスマートの|御大将《おんたいしやう》でさへも、あの|通《とほ》り|黒《くろ》ン|坊《ばう》になつて|了《しま》つたのだから、|其《その》|事《こと》を|思《おも》へば|貴様《きさま》はまだ|元《もと》の|生地《きぢ》の|儘《まま》|保留《ほりう》されて|居《を》るのだから、せめてもの|喜悦《よろこび》として、グヅグヅ|言《い》はぬが|得《とく》だらう。|俺《おれ》はこれから|此《この》ナイスと|共《とも》に|鷹鳥山《たかとりやま》に|立向《たちむか》ひ、|鷹鳥姫《たかとりひめ》|様《さま》にお|目《め》にかかつて、|御馳走《ごちそう》に|預《あづ》かつて|来《く》る。まアゆつくり|黒《くろ》い|水《みづ》でも|飲《の》んで、|俺達《おれたち》の|凱旋祝《がいせんいはひ》の|準備《じゆんび》でもして|居《ゐ》て|呉《く》れ。カナン、スマートの|御大将《おんたいしやう》、アリヨース。サアサア|三人《さんにん》の|御姫《おひめ》さま、こんな|所《ところ》で|黒《くろ》ン|坊《ばう》を|眺《なが》めてゐても|殺風景《さつぷうけい》です。どつかへ|転地《てんち》|療養《れうやう》と|出《で》かけませうか』
|甲女《かふぢよ》『|新婚《しんこん》|旅行《りよかう》と|洒落《しやれ》て、これから|鷹鳥山《たかとりやま》、|再度山《ふたたびやま》、|魔谷ケ岳《まやがだけ》、|六甲山《ろくかふざん》と、|天然都会《てんねんとくわい》を|漫遊《まんいう》|致《いた》しませう』
カナン『オイ、|金公《きんこう》、|待《ま》たぬかい』
と|呶鳴《どな》つて|居《ゐ》る。|忽《たちま》ちアーク|灯《とう》の|様《やう》な|光《ひかり》はブスツと|消《き》えた。|六《む》つの|白《しろ》い|姿《すがた》は|闇《やみ》に|浮《う》いた|様《やう》に|山上《さんじやう》|目蒐《めが》けて|薄《うす》れ|行《ゆ》く。
(大正一一・五・二六 旧四・三〇 松村真澄録)
第一〇章 |美《び》と|醜《しう》〔七〇二〕
|玉能姫《たまのひめ》と|現《あら》はれたる|三人《さんにん》の|女《をんな》は、|甲《かふ》を|上枝姫《ほづえひめ》と|云《い》ひ、|乙《おつ》を|中枝姫《なかえひめ》と|云《い》ひ、|丙《へい》を|下枝姫《しづえひめ》と|云《い》ふ。|金《きん》、|銀《ぎん》、|鉄《てつ》の|三人《さんにん》は|漸《やうや》く|美人《びじん》に|導《みちび》かれ、|名《な》も|知《し》らぬ|山《やま》の|頂《いただき》に|辿《たど》り|着《つ》いて|居《ゐ》た。
|金《きん》『|上枝《ほづえ》さま、|不思議《ふしぎ》の|縁《えん》で|貴女《あなた》と|斯《か》う|云《い》ふ|仲《なか》になつたのも|何《なに》かの|因縁《いんねん》でせうなア。|一寸先《いつすんさき》も|分《わか》らないやうなあの|山道《やまみち》を、|貴女《あなた》のお|蔭《かげ》で|漸《やうや》く|此処《ここ》に|登《のぼ》つて|来《き》ましたが、どうも|此《この》|辺《へん》は|鷹鳥山《たかとりやま》とは|趣《おもむき》が|違《ちが》ふぢやありませぬか』
|上枝姫《ほづえひめ》『|違《ちが》ひますとも。|鷹鳥山《たかとりやま》を|距《さ》る|事《こと》、|殆《ほとん》ど|三百里《さんびやくり》ですよ』
『|何時《いつ》の|間《ま》に、そんなに|遠《とほ》く|来《き》たのでせう』
『ホヽヽヽヽ、|貴方《あなた》は|御存《ごぞん》じありますまいが、|私《わたし》は|天人《てんにん》ですよ。|貴方《あなた》の|体《からだ》を|翼《はがひ》の|中《なか》に|入《い》れて|来《き》たのですから、|殆《ほとん》ど|半時《はんとき》|許《ばか》りの|間《ま》より|経《た》つて|居《ゐ》ませぬ』
『それにしても|余《あま》り|早《はや》いぢやありませぬか。|併《しか》し|今迄《いままで》|銀《ぎん》、|鉄《てつ》、|外《ほか》|二人《ふたり》の|姫《ひめ》さまは|此所《ここ》へ|一緒《いつしよ》に|来《き》た|筈《はず》だのに、|何処《どこ》へ|往《い》つて|仕舞《しま》つたのでせう』
『|神界《しんかい》では、タイムもなければ|遠近《ゑんきん》もありませぬ。さう|御心配《ごしんぱい》なさらずとも|今《いま》に|会《あ》ふ|事《こと》が|出来《でき》ます。|今《いま》と|云《い》つても|現界《げんかい》で|云《い》へば|五十万年《ごじふまんねん》の|未来《みらい》です』
『|何《なん》と|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|事《こと》を|仰有《おつしや》いますなア。|此処《ここ》は|現界《げんかい》ではありませぬか』
『|現界《げんかい》と|云《い》へば|現界《げんかい》、|神界《しんかい》と|云《い》へば|神界《しんかい》で、|顕神幽《けんしんいう》|一致《いつち》の|大宇宙《だいうちう》の|世界《せかい》を|逍遥《せうえう》して|居《を》るのですからなア』
『|何《なん》だか|私《わたし》は|狐《きつね》に|誑《つま》まれたやうな|気《き》が|致《いた》します。|性来《うまれつき》の|黒《くろ》ン|坊《ばう》の|私《わたくし》、|何時《いつ》の|間《ま》にやら|艶々《つやつや》した|皮膚《ひふ》になり、|色《いろ》|迄《まで》|白《しろ》くなつて|来《き》ました。さうして|貴女《あなた》の|様《やう》な|立派《りつぱ》なネースに|手《て》を|曳《ひ》かれ、|見《み》も|知《し》らぬ|麗《うるは》しき|山《やま》の|頂《いただき》に|導《みちび》かれたと|云《い》ふのは、どうしても|合点《がてん》が|往《ゆ》きませぬ。|夢《ゆめ》ぢやありますまいか』
『|夢《ゆめ》は|現界《げんかい》の|人間《にんげん》の|見《み》るものです。|聖人《せいじん》に|夢《ゆめ》なしと|云《い》うて、|清浄《せいじやう》|潔白《けつぱく》の|人間《にんげん》に|夢《ゆめ》があつて|耐《たま》りますか。|畢竟《つまり》|貴方《あなた》が|玉能姫《たまのひめ》さまが|清泉《きよいづみ》に|陥《おちい》り|溺死《できし》をしようとして|居《ゐ》たのを|助《たす》けて|上《あ》げたいと|云《い》ふ|其《その》|真心《まごころ》が|凝《こ》つて、|此処《ここ》に|私《わたくし》と|斯《か》う|楽《たのし》く|暮《くら》す|事《こと》が|出来《でき》る|様《やう》になつたのです。|要《えう》するに|其《その》|心《こころ》より|玉能姫《たまのひめ》さま|同様《どうやう》の|妾《わらは》を|生出《うみだ》し|救《すく》ひの|国《くに》を|開《ひら》かれたのです。|併《しか》し|其《その》|次《つぎ》に|貴方《あなた》は|玉能姫《たまのひめ》を|救《すく》ひ|上《あ》げ、それを|恩《おん》に|着《き》せて|自分《じぶん》の|物《もの》にしようと|思《おも》ひ|且《かつ》|其《その》|言霊《ことたま》を|使《つか》つたでせう。それで|其《その》|心《こころ》と|言葉《ことば》が|凝《こ》つて|又《また》|一《ひと》つの|迷《まよ》ひの|国《くに》が|展開《てんかい》して|居《ゐ》ます。|其処《そこ》へ|貴方《あなた》は|是《これ》から|旅行《りよかう》せねばなりますまい。も|一《ひと》つ|奥《おく》の|国《くに》は|蜈蚣姫《むかでひめ》に|褒《ほ》められて|手柄《てがら》をしようと|云《い》ふ|修羅道《しゆらだう》が|展開《てんかい》して|居《ゐ》ます、これも|一度《いちど》|踏《ふ》まねばなりますまい。|私《わたくし》と|斯《か》うして|楽《たのし》く、|麗《うるは》しき|山《やま》の|頂《いただき》に、|百花爛漫《ひやくくわらんまん》たる|種々《さまざま》の|花《はな》を|褒《ほ》めながら|楽《たのし》むのも|束《つか》の|間《ま》ですよ。|唯《ただ》|貴方《あなた》の|初一念《しよいちねん》の|玉能姫《たまのひめ》を|救《すく》ふと|云《い》ふ|好意《かうい》が|造《つく》つた|世界《せかい》は|極短《ごくみじか》いものです。|左様《さやう》なら』
と|云《い》ふかと|見《み》れば|姿《すがた》は|煙《けむり》となつて|消《き》えて|仕舞《しま》つた。|四面《しめん》|暗澹《あんたん》として|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜざるに|至《いた》つた。|金《きん》は、
『モシモシ|上枝様《ほづえさま》、|何処《どこ》へお|出《いで》になりました。も|一度《いちど》お|顔《かほ》を|見《み》せて|下《くだ》さいませ。アヽもう|姿《すがた》がなくなつたか、|仮令《たとへ》|妖怪変化《えうくわいへんげ》でも、|唯《ただ》の|一時《いちじ》でもこんな|愉快《ゆくわい》な|気分《きぶん》になる|事《こと》を|得《え》ば|死《し》んでも|満足《まんぞく》だ。アヽどうしたら|良《よ》からう』
と|暗夜《あんや》の|道《みち》を|前後左右《ぜんごさいう》に|狂《くる》ひ|廻《まは》る|途端《とたん》に、|千仭《せんじん》の|谷《たに》に|真逆様《まつさかさま》に|顛落《てんらく》し、|谷川《たにがは》の|青淵《あをふち》に【ざんぶ】とばかり|落《お》ち|込《こ》んで|仕舞《しま》つた。
|何処《いづこ》ともなく|現《あら》はれ|来《きた》る|一人《ひとり》の|鬼婆《おにばば》、|矢庭《やには》に|真裸《まつぱだか》となり、|金助《きんすけ》を|小脇《こわき》に|引《ひ》き|抱《かか》へ|救《すく》ひ|上《あ》げた。|金《かね》|助《すけ》は|今《いま》や|溺死《できし》せむと|苦《くるし》み|悶《もだ》えたる|矢先《やさき》、|何人《なんぴと》かに|救《すく》はれ、|嬉《うれ》しさの|余《あま》り、
『|何《いづ》れの|方《かた》かは|存《ぞん》じませぬが、よくマア|助《たす》けて|下《くだ》さいました。|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます』
と|面《おもて》を|上《あ》げよくよく|見《み》れば、いつしか|夜《よ》は|明《あ》け|放《はな》れ、|山奥《やまおく》の|谷川《たにがは》の|辺《ほとり》に|見《み》るも|恐《おそ》ろしい|鬼婆《おにばば》に|救《すく》はれて|居《ゐ》た。|金助《きんすけ》は|吃驚仰天《びつくりぎやうてん》、|此《この》|場《ば》を|逃《に》げ|去《さ》らむとする|時《とき》、|鬼婆《おにばば》はグツと|素首《そつくび》を|握《にぎ》り、
『これこれ|金助《きんすけ》さま、お|前《まへ》さまを|助《たす》けたのは|此《この》|婆《ばば》だよ。さアこれから|私《わたし》のハズバンドになつて|下《くだ》さい』
『やア|此奴《こいつ》は|大変《たいへん》ぢや。|上枝様《ほづえさま》のやうな|美人《びじん》なら、|仮令《たとへ》|化衆《ばけしう》でも|恐《おそ》ろしくはないが、お|前《まへ》のやうな|皺苦茶《しわくちや》だらけの、|口《くち》が|耳《みみ》まで|裂《さ》けた|鬼婆《おにば》アさまの|亭主《おやぢ》になるのは|許《ゆる》して|貰《もら》ひたいなア』
『|私《わたし》は【いもり】|姫《ひめ》と|云《い》ふ|腹《はら》に|真赤《まつか》な|痣《あざ》があり、|南無妙法蓮華経《なむめうはふれんげきやう》と|御題目《おだいもく》を|天然《てんねん》に|表《あら》はした、【いもり】の|様《やう》な|婆《ばばあ》だ。これもお|前《まへ》の|心《こころ》から|造《つく》つて|生《う》んだ|鬼婆《おにばば》だから、お|前《まへ》の|世話《せわ》にならいで|誰人《だれ》の|世話《せわ》にならう。お|前《まへ》は|玉能姫《たまのひめ》を|助《たす》け、それを|恩《おん》に|着《き》せて、|恋《こひ》の|慾望《よくばう》を|遂《と》げようとしたではないか。【いもり】の|黒焼《くろやき》|振《ふ》りかけて、|女《をんな》を|思《おも》ひつかさうとするやうな|虫《むし》の|好《よ》い|考《かんが》へを|起《おこ》すものだから、たうとう|其《その》|心《こころ》の|鬼《おに》が|私《わたし》を|生《う》んだのだから、|何《なん》と|云《い》つても|離《はな》れやせぬぞえ』
『「|惚薬《ほれぐすり》、|他《ほか》にないかと|蠑〓《いもり》に|問《と》へば、|指《ゆび》を|輪《わ》にして|見《み》せたげな」|指《ゆび》を|輪《わ》にすると|云《い》ふ|意味《いみ》は、|世《よ》の|中《なか》の|仇敵《きうてき》として|喜《よろこ》ばれて|居《ゐ》る|妙《めう》な|運命《うんめい》を|辿《たど》る|金助《きんすけ》の|事《こと》だよ。|金《きん》ちやんには|美人《びじん》が|惚《ほ》れる|可能性《かのうせい》が|備《そな》はつて|居《ゐ》る。|併《しか》し|乍《なが》ら|蠑〓姫《いもりひめ》では|駄目《だめ》だよ。なんぼ|金《きん》さまが|色男《いろをとこ》でも、お|前《まへ》のやうな|悪《あく》|垂《た》れ|婆《ばば》には|聊《いささ》か|御迷惑千万《ごめいわくせんばん》、ナンノホウレンゲキヨウだ。|今度《こんど》ばかりは|何《ど》うか|許《ゆる》して|呉《く》れ。|又《また》|逢《あ》ふ|時《とき》もあらうからなア』
|鬼婆《おにばば》の|蠑〓姫《いもりひめ》は、|涙《なみだ》をハラハラと|流《なが》し、
『そりや|聞《きこ》えませぬ|金助《きんすけ》さま。お|前《まへ》と|私《わたし》の|其《その》|仲《なか》は、|金助《きんすけ》や|経惟子《きやうかたびら》の|事《こと》かいな。|初《はじ》めて|逢《あ》うた|其《その》|日《ひ》から……』
『コラコラ、|何《なに》|吐《ぬか》すのだ。|昨日《きのふ》や|今日《けふ》の|事《こと》ぢやない、と|云《い》ひやがるが、|現《げん》に|今《いま》|逢《あ》うた|許《ばか》りぢやないか』
『そりや|違《ちが》ひます|金助《きんすけ》さま。お|言葉《ことば》|無理《むり》とは|思《おも》はねど、お|前《まへ》は|元来《ぐわんらい》【ずるい】|人《ひと》、|女《をんな》の|尻《しり》を|付《つ》け|狙《ねら》ひ、|狙《ねら》ひ|狙《ねら》うた|魂《たましひ》が、|凝《こ》り|固《かた》まつて|七八年《ななやとせ》、ここに【いもり】の|姫《ひめ》となり、お|前《まへ》の|心《こころ》の|黒幕《くろまく》を、|開《あ》けて|生《うま》れた|此《この》|妾《わたし》、|今更《いまさら》|捨《す》てようとはそりや|聞《きこ》えませぬ、|胴慾《どうよく》ぢや。|仮令《たとへ》|此《この》|身《み》は|閻魔《えんま》の|庁《ちやう》で、|如何《いか》なる|酷《きつ》い|成敗《せいばい》に|遭《あ》はされうとも、|私《わたし》の|夫《をつと》とも|親《おや》とも|頼《たの》む|金助《きんすけ》さま、どうしてこれが|思《おも》ひ|切《き》られようか。|思《おも》へば|思《おも》へば|前《さき》の|世《よ》の、まだ|前《さき》の|世《よ》の|前《さき》の|世《よ》の、|昔《むかし》の|昔《むかし》のさる|昔《むかし》、|去《さ》つた|女房《にようばう》の|怨霊《をんりやう》や、|泣《な》かした|女《をんな》の|魂《たましひ》が、|凝《こ》り|固《かた》まつて|今《いま》|此処《ここ》に、お|前《まへ》に|逢《あ》うた|嬉《うれ》しさは、|千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|万代《よろづよ》も、|忘《わす》れてならうか【いもり】|姫《ひめ》、|逢《あ》ひたかつた、|見《み》たかつた、|明《あ》けても|暮《く》れてもお|前《まへ》の|事《こと》、|夢寐《むび》にも|忘《わす》れぬ|女房《にようばう》が、|心《こころ》を|推量《すゐりやう》して|下《くだ》さんせいなア』
『こりやこりや、【いもり】|姫《ひめ》とやら、|切《せつ》なる|心《こころ》は|察《さつ》すれど、|某《それがし》は|鷹鳥山《たかとりやま》の|岩窟《いはや》に|立《た》ち|向《むか》ひ|華々《はなばな》しく|言霊戦《ことたません》を|開始《かいし》して、|当《たう》の|敵《てき》たる|鷹鳥姫《たかとりひめ》を|虜《とりこ》に|致《いた》し、|如意宝珠《によいほつしゆ》の|宝玉《ほうぎよく》を|手《て》に|入《い》れねばならぬ|大切《たいせつ》な|身《み》の|上《うへ》、|夫婦《ふうふ》になれなら、|事《こと》と|品《しな》によつてはならぬ|事《こと》もない。|何《なに》は|兎《と》もあれ|凱旋《がいせん》の|後《のち》、|否《いな》やの|返事《へんじ》を|仕《つかまつ》らむ。サア|早《はや》う|其処《そこ》を|放《はな》しや。|時《とき》|延《の》びる|程《ほど》|不覚《ふかく》の|基《もとゐ》、エヽ|聞《き》き|分《わ》けのない|鬼婆《おにばば》め』
『|愛憐《いとし》き|夫《をつと》が|討死《うちじに》の、|門出《かどで》を|見《み》かけて|女房《にようばう》が、これが|黙《だま》つて|居《を》られうか、|泣《な》く|泣《な》く|取《と》り|出《だ》す|拳骨《げんこつ》の|痛《いた》さ、|耐《こら》へて|往《ゆ》かしやんせ』
『こりや|鬼婆《おにばば》、|洒落《しやれ》ない。|貴様等《きさまら》に|拳骨《げんこつ》を|喰《く》はされて|耐《たま》るか、あた|縁起糞《げんくそ》の|悪《わる》い、|討死《うちじに》の|門出《かどで》なんて|何《なに》を|云《い》ふのだ』
『これ|金《きん》さま、|妾《わたし》の|素性《すじやう》を|知《し》つて|居《を》るかい。お|前《まへ》は|女《をんな》にかけては|随分《ずゐぶん》ずるい|人《ひと》だが、|金《かね》にかけては|雪隠《せつちん》のはたの|猿食柿《さるくはず》、|一名《いちめい》|身不知《みしらず》と|云《い》ふ、|柿《かき》のやうな|男《をとこ》だ。|渋《しぶ》うて、|汚《きたな》うて、|細《こま》かうて、|喰《く》へぬ|男《をとこ》だと|云《い》はれて|来《き》ただらう。そして|鬼金《おにきん》だ|鬼金《おにきん》だと|人《ひと》に|持《も》て|囃《はや》された|悪党者《あくたうもの》だ。|金《かね》が|敵《かたき》の|世《よ》の|中《なか》だよ。|大勢《おほぜい》の|恨《うらみ》とお|前《まへ》の|鬼心《おにごころ》が|混淆《ごつちや》になつて、こんな【いもり】|姫《ひめ》の|鬼婆《おにばば》が|出現《しゆつげん》したのだ。|云《い》はば|色《いろ》と|金《かね》との|権現様《ごんげんさま》だ。お|前《まへ》は|豪《えら》さうに|人間面《にんげんづら》を|提《さ》げて|歩《ある》いて|居《を》るが、|決《けつ》してそんな|資格《しかく》はありませぬぞえ』
『エヽ|困《こま》つた|口《くち》の|悪《わる》い|婆《ばば》が|現《あら》はれたものだなア、|人間《にんげん》でなければ|三《さん》げんか、|四《し》けんか、|五《ご》んげんさまか』
『|良《い》い|加減《かげん》にお|前《まへ》さまも|改心《かいしん》して、|解脱《げだつ》さして|呉《く》れたら|何《ど》うだいな。それが|出来《でき》ねば|何処迄《どこまで》もお|前《まへ》さまにくつ|着《つ》いて|行《ゆ》かねばならぬ。|磁石《じしやく》が|鉄《てつ》に|吸着《すひつ》くやうなものだ。スヰートハートした|病《やまひ》は、お|医者《いしや》さまでも|有馬《ありま》の|湯《ゆ》でも、|根《ね》つから|葉《は》つから|何処迄《どこまで》も|癒《なほ》りやせぬワイなア。アヽ|味気《あぢき》なき|闇《やみ》の|浮世《うきよ》だ。|誰《たれ》がすき|好《この》んでこんな|鬼婆《おにばば》になりたいものか、お|前《まへ》と|云《い》ふ|男《をとこ》は|殺生《せつしやう》な|男《をとこ》だ。サア|何《ど》うして|下《くだ》さる』
と|堅《かた》い|冷《つめ》たい|皺《しわ》だらけの|手《て》で、|金助《きんすけ》の|両腕《りやううで》を|左手《ゆんで》に|一掴《ひとつか》みとなし、|右《みぎ》の|腕《うで》に|蠑螺《さざえ》の|壺焼《つぼやき》を|固《かた》めて、
『これ|金《きん》さま、お|前《まへ》は|本当《ほんたう》に|情《つれ》ない|人《ひと》だ。イヤイヤ|喰《く》へない|人《ひと》だ。サア|此《この》|婆《ばば》の|身《み》を|何《ど》うして|下《くだ》さる』
と|耳《みみ》|迄《まで》|引《ひ》き|裂《さ》けた|口《くち》をパクパクさせながら|口説《くど》きたてるその|嫌《いや》らしさ、|身《み》の|毛《け》もよだち|首筋元《くびすぢもと》の【ぞわ】ぞわと|寒《さむ》さにハツと|気《き》が|付《つ》けば、|以前《いぜん》の|清泉《きよいづみ》の|中《なか》に|飛《と》び|込《こ》んだ|途端《とたん》、|向脛《むかふづね》を|打《う》ち、|気絶《きぜつ》して|居《ゐ》た|事《こと》が|分《わか》つた。|傍《かたはら》を|見《み》れば|人《ひと》の|呻声《うめきごゑ》、|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜぬ|闇《やみ》の|中《なか》から|次々《つぎつぎ》に|聞《きこ》えて|来《く》る。
|斯《か》くして|漸《やうや》く|夜《よる》は|烏《からす》の|声《こゑ》にカアと|明《あ》け|放《はな》れ、|四辺《あたり》を|見《み》れば、|銀《ぎん》、|鉄《てつ》、|熊《くま》、|蜂《はち》、カナンボール、スマートボールの|六人《ろくにん》は、|彼方此方《あなたこなた》の|草《くさ》の|中《なか》に、|荊蕀掻《いばらか》きの|血《ち》だらけの|顔《かほ》を|曝《さら》して|苦悶《くもん》して|居《ゐ》た。
(大正一一・五・二六 旧四・三〇 加藤明子録)
第一一章 |黄金像《わうごんざう》〔七〇三〕
|向脛《むかふずね》を|擦《す》り|剥《む》き、|顔《かほ》を|顰《しか》めながら|清泉《きよいづみ》の|岩壺《いはつぼ》より|這《は》ひ|上《あが》りたる|金助《きんすけ》は、スマートボール、カナンボール、|銀《ぎん》、|鉄《てつ》、|熊《くま》、|蜂《はち》の|顔面《がんめん》の|擦過傷《すりきず》や|茨掻《いばらか》きの|傷《きず》を|眺《なが》め、
『アー|誰《たれ》も|彼《かれ》も|負傷《ふしやう》せないものは|一人《ひとり》もないのだな。|斯《こ》んな|事《こと》があらう|道理《だうり》がない。|如何《どう》しても|吾々《われわれ》の|行動《かうどう》に|良《よ》くない|点《てん》があるのだらう。バラモン|教《けう》の|大神様《おほかみさま》の|為《ため》に|所在《あらゆる》|最善《さいぜん》の|努力《どりよく》を|費《つひや》してゐる|吾々《われわれ》|七人《しちにん》が|七人《しちにん》|乍《なが》ら|斯《こ》んな|目《め》に|遇《あ》ふと|云《い》ふのは、|全《まつた》く|神様《かみさま》の|御神慮《ごしんりよ》に|叶《かな》はないのかも|知《し》れない。|但《ただ》しはバラモン|教《けう》の|神様《かみさま》の|御精神《ごせいしん》かも|分《わか》らない。|何《なに》が|何《なん》だか|一向《いつかう》|合点《がてん》が|行《ゆ》かぬ。|併《しか》し|乍《なが》らバラモン|教《けう》の|本国《ほんごく》に|於《おい》ては、|真裸体《まつぱだか》にして|茨《いばら》の|中《なか》へ|投《ほ》り|込《こ》まれ、|水《みづ》を|潜《くぐ》り|火《ひ》を|渡《わた》り、|剣《つるぎ》の|刃渡《はわた》り、|釘《くぎ》を|一面《いちめん》に|打《う》つた|下駄《げた》を|穿《は》くと|云《い》ふ|事《こと》が、|最《もつと》も|神様《かみさま》を|悦《よろこ》ばしめる|行《ぎやう》となつてゐるさうだ。|自転倒島《おのころじま》では、そこ|迄《まで》の|事《こと》は|到底《たうてい》|行《おこな》はれないから、|今《いま》のバラモン|教《けう》は|荒行《あらぎやう》は|全然《すつかり》|廃《はい》されてゐる。|併《しか》し|乍《なが》ら|此《この》|通《とほ》り|惟神的《かむながらてき》に、|皆《みな》が|皆《みな》まで|血《ち》を|出《だ》したと|云《い》ふのは、|或《あるひ》は|御神慮《ごしんりよ》かも|知《し》れない。|併《しか》し|乍《なが》ら|天地《てんち》の|神《かみ》の|生宮《いきみや》たる|肉体《にくたい》を|毀損《きそん》し、|神霊《しんれい》の|籠《こも》つた|血液《けつえき》を|無暗《むやみ》に|体外《たいぐわい》へ|絞《しぼ》り|出《だ》すと|云《い》ふ|事《こと》は、|決《けつ》して|正《ただ》しき|神業《しんげふ》ではあるまい。|之《これ》を|思《おも》へばバラモンの|教《をしへ》は|全《まつた》く|邪教《じやけう》であらう。|嗚呼《ああ》|吾々《われわれ》も|今迄《いままで》は|善《ぜん》と|信《しん》じて、|斯《か》かる|邪道《じやだう》に|耽溺《たんでき》してゐたのではなからうか。バラモン|教《けう》が|果《はた》して|誠《まこと》の|神《かみ》なれば、|鷹鳥姫《たかとりひめ》を|言向和《ことむけやは》す|出征《しゆつせい》の|途中《とちう》に|於《おい》て、|斯《こ》んな|不吉《ふきつ》なことが|突発《とつぱつ》する|道理《だうり》がない。それに|就《つい》ては|昨夜《さくや》の|夢《ゆめ》、|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|節《ふし》が|沢山《たくさん》にある。|自分《じぶん》の|心《こころ》より|美人《びじん》を|生《う》み、|極楽《ごくらく》|世界《せかい》を|拓《ひら》き、|又《また》|鬼《おに》を|生《う》み、|地獄《ぢごく》、|餓鬼道《がきだう》、|修羅道《しゆらだう》を|現出《げんしゆつ》すると|云《い》ふ|真理《しんり》を|悟《さと》らされた。|此処《ここ》は|鷹鳥山《たかとりやま》の|深谷《しんこく》、|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》のわが|身魂《みたま》に|降《くだ》らせ|給《たま》うて、|斯様《かやう》な|実地《じつち》の|教訓《けうくん》を|御授《おさづ》け|下《くだ》さつたのであらう。アヽ|有難《ありがた》し、|勿体《もつたい》なし、|三五教《あななひけう》の|大神様《おほかみさま》、|今迄《いままで》の|罪《つみ》を|御赦《おゆる》し|下《くだ》さいませ。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|念《ねん》じてゐる。|六人《ろくにん》は|傷《きず》だらけの|顔《かほ》を|互《たがひ》に|見合《みあは》せ、
『ヤー、お|前《まへ》は|如何《どう》した。オー、|貴様《きさま》もえらい|傷《きず》だ』
と|互《たがひ》に|叫《さけ》びながら、|金助《きんすけ》の|前《まへ》に|期《き》せずして|集《あつ》まり|来《きた》り、|金助《きんすけ》が|懺悔《ざんげ》の|独語《ひとりごと》を|聴《き》いて|怪《あや》しみ、|首《かうべ》を|傾《かたむ》け|凝視《みつ》めてゐる。|金助《きんすけ》は|忽《たちま》ち|神懸《かむがかり》|状態《じやうたい》となり、|四角《しかく》|張《ば》つた|肩《かた》を、なだらかに|地蔵肩《ぢざうがた》のやうにして|了《しま》ひ、|容貌《ようばう》も|何《なん》となく|美《うる》はしく|一種《いつしゆ》の|威厳《ゐげん》を|帯《お》び|断《き》れ|断《ぎ》れに|口《くち》を|切《き》つた。|六人《ろくにん》は、
『ハテ|不思議《ふしぎ》』
と|穴《あな》の|開《あ》く|程《ほど》、|金助《きんすけ》の|顔《かほ》を|打眺《うちなが》めて、|何《なに》を|言《い》ふかと|聴耳《ききみみ》|立《た》てた。|金助《きんすけ》は|口《くち》をモガモガさせながら、
『|天上天下《てんじやうてんか》|唯我独尊《ゆゐがどくそん》』
と|叫《さけ》んだ。カナンボールは、
『オイ|金助《きんすけ》、ちと|確《しつか》りせぬかい。たかが|知《し》れた|魔谷ケ岳《まやがだけ》の|山賊《さんぞく》|上《あが》りのバラモン|信者《しんじや》の|身《み》を|以《もつ》て、|天上天下《てんじやうてんか》|唯我独尊《ゆゐがどくそん》もあつたものかい。|三十余万年《さんじふよまんねん》|未来《みらい》の|印度《いんど》に|生《うま》れた|釈尊《しやくそん》が|運上取《うんじやうと》りに|来《く》るぞ。ハア|困《こま》つた|気違《きちが》ひが|出来《でき》たものだ。オイ|銀公《ぎんこう》、|清泉《きよいづみ》の|水《みづ》でも|掬《すく》うて|来《き》て|顔《かほ》に|打掛《ぶつか》けてやれ。まだ|目《め》が|覚《さ》めぬと|見《み》えるワイ』
|銀公《ぎんこう》『あんな|黒《くろ》い|水《みづ》を|掬《すく》つて|来《こ》ようものなら、|手《て》も|口《くち》も、|真黒《まつくろ》けになるぢやないか』
カナン『まだ|夢《ゆめ》の|連続《れんぞく》を|辿《たど》つて|居《を》るのか。よく|目《め》を|開《あ》けて|見《み》よ。|水晶《すゐしやう》のやうな|水《みづ》が、ただようてゐる』
|銀公《ぎんこう》『それでも|貴様《きさま》、|一度《いちど》|真黒《まつくろ》けの|黒《くろ》ン|坊《ばう》に|染《そ》まつて|了《しま》つたぢやないか』
カナン『それが|夢《ゆめ》だよ、|俺達《おれたち》の|顔《かほ》を|見《み》よ。【どつこも】|黒《くろ》いところはないぢやないか。|貴様《きさま》は|目《め》を|塞《ふさ》いでゐるから、|其辺《そこら》|中《ぢう》が|闇《くら》く|見《み》えるのだ。|確《しつか》りせぬかい』
と|平手《ひらて》でピシヤツと|横面《よこづら》を|撲《なぐ》つた|途端《とたん》に、|銀公《ぎんこう》は|初《はじ》めてパツと|目《め》を|開《ひら》き、
『アヽ、|矢張《やつぱり》|夢《ゆめ》だつたかなア』
|金助《きんすけ》『|此《この》|世《よ》は|夢《ゆめ》の|浮世《うきよ》だ、|諸行無常《しよぎやうむじやう》、|是生滅法《ぜしやうめつぽふ》、|生滅滅已《しやうめつめつい》、|寂滅為楽《じやくめつゐらく》、|如是我聞《によぜがもん》、|熟々《つらつら》|惟《おもんみ》るに|宇宙《うちう》に|独一《どくいつ》の|真神《しんしん》あり、|之《これ》を|称《しよう》して|国祖《こくそ》|国常立尊《くにとこたちのみこと》と|曰《い》ふ。|汝《なんぢ》|一切《いつさい》の|衆生《しゆじやう》、わが|金言玉辞《きんげんぎよくじ》を|聴聞《ちやうもん》せよ。|南無《なむ》|無尽意菩薩《むじんいぼさつ》の|境地《きやうち》に|立《た》ち、|三界《さんかい》の|理法《りはふ》を|説示《せつじ》する|妙音菩薩《めうおんぼさつ》が|善言美詞《ぜんげんびし》ゆめゆめ|疑《うたが》ふ|勿《なか》れ。|風《かぜ》は|自然《しぜん》の|音楽《おんがく》を|奏《そう》し、|宇宙万有《うちうばんいう》|惟神《かむながら》にして|舞踏《ぶたふ》す。|天地間《てんちかん》|一物《いちぶつ》として|真《しん》ならざるはなし。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|帰命頂礼《きみやうちやうらい》。|天上《てんじやう》|三体《さんたい》の|神人《しんじん》の|前《まへ》に|赤心《せきしん》を|捧《ささ》げ、|心身《しんしん》を|清浄《せいじやう》|潔白《けつぱく》にして|幽玄微妙《いうげんびめう》の|真理《しんり》を|聴聞《ちやうもん》せよ。|吾《われ》は|三界《さんかい》に|通《つう》ずる|宇宙《うちう》の|関門《くわんもん》|普賢《ふげん》|聖至《せいし》の|再来《さいらい》、|今《いま》は|最勝妙如来《さいしようめうによらい》、|三十三相顕現《さんじふさんさうけんげん》して|観自在天《くわんじざいてん》となり、|阿弥陀如来《あみだによらい》の|分身《ぶんしん》|閻魔大王《えんまだいわう》|地蔵尊《ぢざうそん》、|神息総統《しんそくそうとう》|弥勒最勝妙如来《みろくさいしようめうによらい》と|顕現《けんげん》す。|微妙《びめう》の|教旨《けうし》|古今《ここん》を|絶《ぜつ》し、|東西《とうざい》を|貫《つらぬ》く。|穴《あな》かしこ、|穴《あな》かしこ、ウンウン』
と|云《い》つた|限《き》り|身体《からだ》を|二三尺《にさんじやく》|空中《くうちう》に|巻揚《まきあ》げ、|得《え》も|言《い》はれぬ|美《うる》はしき|雲《くも》に|包《つつ》まれ、|山上《さんじやう》|目蒐《めが》けて|上《のぼ》り|行《ゆ》く。|其《そ》の|審《いぶか》しさにスマート、カナン|其《その》|他《た》|四人《よにん》は|後《あと》|見届《みとど》けむと|尻《しり》ひつからげ、|荊蕀《けいきよく》|茂《しげ》る|谷道《たにみち》に|脚《あし》を|引掻《ひつか》きながら、|山《やま》の|頂《いただき》|指《さ》して|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|六人《ろくにん》は|鷹鳥山《たかとりやま》の|頂《いただき》に|登《のぼ》り|着《つ》いた。
|金助《きんすけ》は|忽《たちま》ち|黄金像《わうごんざう》となり、|紫磨黄金《しまわうごん》の|膚《はだ》|美《うる》はしく、|葡萄《ぶだう》の|冠《かむり》を|戴《いただ》きながら、|咲《さ》き|乱《みだ》れたる|五色《ごしき》の|花《はな》の|上《うへ》に|安坐《あんざ》してゐた。
|銀公《ぎんこう》『ヤー|此奴《こいつ》は|金助《きんすけ》によく|似《に》て|居《を》るぞ。|金助《きんすけ》は|其《その》|名《な》の|如《ごと》く、|全部《ぜんぶ》|黄金《わうごん》に|化《な》つて|了《しま》ひよつた。オイ|皆《みな》の|者《もの》、これだけ|黄金《わうごん》があれば|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|六人《ろくにん》が|棒《ぼう》を|作《つく》つて|帰《かへ》り、|分解《ぶんかい》して|各自《めいめい》に|吾《わが》|家《や》の|財産《ざいさん》とすれば|大《たい》したものだぞ』
|鉄《てつ》『まだそれでも|目《め》がギヨロギヨロ|廻転《くわいてん》し、|口《くち》がパクツイてゐるぢやないか。こんな|未成品《みせいひん》を|持《も》つて|帰《かへ》つたところで、|中心《なか》まで|化石《くわせき》|否《いな》|化金《くわきん》してゐない。|暫《しば》らく|時機《じき》を|待《ま》つて、うまく|固《かた》まるまで|捨《す》てて|置《お》かうぢやないか』
カナン『|一時《いちじ》も|早《はや》く|持《も》つて|帰《かへ》らなくちや、|鷹鳥姫《たかとりひめ》の|部下《ぶか》に|占領《せんりやう》されて|仕舞《しま》ふ|虞《おそ》れがある。コリヤ|魔谷ケ岳《まやがだけ》の|或《ある》|地点《ちてん》まで|担《かつ》いで|往《ゆ》かう。さア、|早《はや》く|用意《ようい》をせい』
|熊《くま》、|蜂《はち》の|両人《りやうにん》は|携《たづさ》へ|持《も》つた|鎌《かま》にて|手頃《てごろ》の|木《き》を|伐《き》り|棒《ぼう》を|作《つく》つてゐる。スマートボールは|此《こ》の|坐像《ざざう》の|周囲《しうゐ》をクルクル|廻《めぐ》り、|指頭《しとう》を|以《も》つて|抑《おさ》へながら、
『ヤーまだ|少《すこ》し|温味《あたたかみ》があり、|血《ち》が|通《かよ》うてゐるやうだ。こんな|化物《ばけもの》を|迂濶《うつか》り|担《かつ》ぎ|込《こ》まうものなら、どんな|事《こと》が|起《おこ》るかも|知《し》れない。オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、|此《この》|儘《まま》にして|帰《かへ》らうぢやないか』
|金《きん》の|像《ざう》『|貴様等《きさまら》は|執着心《しふちやくしん》の|最《もつと》も|旺盛《さかん》な|奴輩《やつども》ぢや。この|金助《きんすけ》が|化体《くわたい》を|一部《いちぶ》たりとも|動《うご》かせるものなら|動《うご》かして|見《み》よ。|宇宙《うちう》の|関門《くわんもん》|最勝妙如来《さいしようめうによらい》が|坐禅《ざぜん》の|姿勢《しせい》、|本来《ほんらい》|無一物《むいちぶつ》、|色即是空《しきそくぜくう》、|空即是色《くうそくぜしき》、|一念三千《いちねんさんぜん》、|三千一念《さんぜんいちねん》の|宇宙《うちう》の|理法《りはふ》を|知《し》らざるか。|娑婆《しやば》の|亡者《まうじや》|共《ども》、|吾《われ》こそは|今迄《いままで》の|匹夫《ひつぷ》の|肉体《にくたい》を|有《いう》する|金助《きんすけ》に|非《あら》ず、|紫磨黄金《しまわうごん》の|膚《はだへ》と|化《くわ》したる|三界《さんかい》の|救世主《きうせいしゆ》であるぞよ』
カナン『ヤー|愈《いよいよ》|怪《あや》しくなつて|来《き》た。|訳《わけ》の|分《わか》らぬことを|言《い》ひ|出《だ》したぞ。オイ|金助《きんすけ》、モツト|俺達《おれたち》の|耳《みみ》にもわかるやうに|言《い》つて|呉《く》れ』
『|宇宙一切《うちういつさい》、|可解不可解《かかいふかかい》、|凡耳不徹底《ぼんじふてつてい》、|凡眼不可視《ぼんがんふかし》』
『ますます|訳《わけ》の|分《わか》らないことを|云《い》ふぢやないか。オイ|金州《きんしう》、|洒落《しやれ》ない。|貴様《きさま》は|何故《なぜ》|元《もと》の|金助《きんすけ》に|還元《くわんげん》せないのだ。|何程《なにほど》|貴《たふと》い|黄金像《わうごんざう》になつて|見《み》たところで、|身体《からだ》の|自由《じいう》が|利《き》かねば|仕方《しかた》がないぢやないか』
『|如不動即動是《じよふどうそくどうし》、|如不言即言是《じよふげんそくげんし》、|如不聴即聴是《じよふちやうそくちやうし》、|顕幽一貫善悪不二《けんいういつくわんぜんあくふじ》、|表裏一体《へうりいつたい》、|即身即仏即凡夫《そくしんそくぶつそくぼんぷ》』
『ますます|分《わか》らぬことを|言《い》ひやがる。オイこんな|代物《しろもの》にお|相手《あひて》をしてゐたら、|莫迦《ばか》にしられるぞ。モー|帰《かへ》らうぢやないか』
|銀公《ぎんこう》『これが|見捨《みす》てて|帰《かへ》られようか、|宝《たから》の|山《やま》に|入《い》りながら|一物《いちもつ》も|得《え》ずして|裸体《はだか》で|帰《かへ》ると|云《い》ふのは|此《こ》の|事《こと》だ。|何処《どこ》までも|荒魂《あらみたま》の|勇《ゆう》を|鼓《こ》し、|六人《ろくにん》が|協心戮力《けふしんりくりよく》|此《こ》の|黄金像《わうごんざう》を|魔谷ケ岳《まやがだけ》の|偲ケ淵《しのぶがふち》|迄《まで》|伴《つ》れて|行《ゆ》かう。サア、|皆《みな》の|奴《やつ》、|一《ひい》|二《ふう》|三《みつ》だ』
と|前後左右《ぜんごさいう》よりバラバラと|武者振《むしやぶ》りつく。|金像《きんざう》は|一《ひと》つ|身慄《みぶる》ひをするよと|見《み》る|間《ま》に、|六人《ろくにん》の|姿《すがた》は|暴風《ばうふう》に|蚊軍《ぶんぐん》の|散《ち》るが|如《ごと》く、|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|目《め》にとまらぬ|許《ばか》りの|急速度《きふそくど》を|以《もつ》て|飛散《ひさん》して|了《しま》つた。
|金像《きんざう》は|体内《たいない》より|鮮光《せんくわう》を|放射《はうしや》し、|微妙《びめう》の|霊音《れいおん》を|響《ひび》かせながら、ムクムクと|動《うご》き|始《はじ》めた。|忽《たちま》ち|三丈《さんぢやう》|三尺《さんじやく》の|立像《りつざう》と|変《へん》じ、|鷹鳥山《たかとりやま》の|山頂《さんちやう》にスツクと|立《た》ち、|南面《なんめん》して|瀬戸《せと》の|海《うみ》を|瞰下《かんか》し、|両眼《りやうがん》より|日月《じつげつ》の|光明《くわうみやう》を|放射《はうしや》し|始《はじ》めた。
|鷹鳥山《たかとりやま》は|暗夜《あんや》と|雖《いへど》も|光明赫灼《くわうみやうかくしやく》として、|数十里《すうじふり》の|彼方《かなた》より|雲《くも》を|通《とほ》して|其《そ》の|光輝《くわうき》を|見《み》ることを|得《う》るに|至《いた》つた。
これ|果《はた》して|何神《なにがみ》の|憑依《ひようい》し|給《たま》ひしものぞ。|説《と》き|来《きた》り|説《と》き|去《さ》るに|随《したが》つて、|其《そ》の|真相《しんさう》を|不知不識《しらずしらず》の|間《あひだ》に|窺知《きち》することを|得《う》るであらう。
(大正一一・五・二六 旧四・三〇 外山豊二録)
第一二章 |銀公着瀑《ぎんこうちやくばく》〔七〇四〕
|鷹鳥山《たかとりやま》の|中腹《ちうふく》の|岩《いは》の|根《ね》に|庵《いほり》を|結《むす》び、|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》の|御柱《みはしら》を|築《きづ》かむと|立籠《たてこも》りたる|鷹鳥姫《たかとりひめ》、|若彦《わかひこ》、|玉能姫《たまのひめ》の|三人《みたり》は、|何《なに》か|心《こころ》に|期《き》する|所《ところ》あるものの|如《ごと》く、|谷川《たにがは》に|下《お》り|立《た》ち、|禊身《みそぎ》を|修《しう》して|居《を》る|時《とき》しも、|中空《ちうくう》を|掠《かす》めて|鳩《はと》の|如《ごと》く|降《くだ》り|来《きた》れる|一人《ひとり》の|男《をとこ》、|滝壺《たきつぼ》にザンブとばかり|落《お》ち|込《こ》んだ。|三人《さんにん》は|俄《にはか》の|出来事《できごと》に|驚《おどろ》いて|目《め》を|瞠《みは》り、|滝壺《たきつぼ》を|熟視《じゆくし》すれば、|水面《すゐめん》の|蜒《うね》りに|揺《ゆ》られて|浮《う》き|上《あが》り|来《きた》る|男《をとこ》の|姿《すがた》、
『こは|大変《たいへん》』
と|若彦《わかひこ》は|身《み》を|躍《をど》らし|滝壺《たきつぼ》に|飛《と》び|入《い》り、|小脇《こわき》に|引抱《ひつかか》へ|漸《やうや》くにして|救《すく》ひ|上《あ》げた。これは|二十四五歳《にじふしごさい》の|元気《げんき》|盛《ざか》りの|男《をとこ》の|姿《すがた》。|種々《いろいろ》と|耳《みみ》|近《ちか》くに|口《くち》を|寄《よ》せ、
『オーイ オーイ』
と|魂呼《たまよ》びの|神術《かむわざ》をなし、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|力限《ちからかぎ》りに|唱《とな》ふれば、|漸《やうや》くにして|息《いき》|吹《ふ》き|返《かへ》し、|四辺《あたり》をキヨロキヨロ|見廻《みまは》しながら、|三人《さんにん》を|見《み》て、
『|此処《ここ》は|何処《いづこ》で|御座《ござ》います。|私《わたくし》は|何時《いつ》の|間《ま》に|此様《こん》な|所《ところ》へ|来《き》たのでせうか、|見知《みし》らぬお|方《かた》ばかり………|貴方《あなた》|様《さま》は|何《なん》と|言《い》ふお|方《かた》で|御座《ござ》います』
|若彦《わかひこ》『|此処《ここ》は|鷹鳥山《たかとりやま》の|中腹《ちうふく》、|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》の|射場《いば》(|教場《けうぢやう》)、|鷹鳥姫《たかとりひめ》の|御住家《おんすみか》だ』
『|何卒《どうぞ》|怺《こら》へて|下《くだ》さいませ。|生命《いのち》ばかりはお|助《たす》けを|願《ねが》ひます』
『|生命《いのち》を|助《たす》けてやつたお|前《まへ》さまを、|誰《たれ》が|又《また》|生命《いのち》をとるものか。ちと|気《き》を|落《お》ち|着《つ》けなさい。お|前《まへ》さまは|何《なん》と|言《い》ふ|名《な》だ』
『ハイ、|私《わたくし》は|名《な》は|確《たし》か……|銀《ぎん》と|言《い》つた|様《やう》に|覚《おぼ》えて|居《ゐ》ます』
『アハヽヽヽ|自分《じぶん》の|名《な》を、|銀《ぎん》といつた|様《やう》に|覚《おぼ》えて|居《ゐ》るとは、ちつと|可笑《をか》しいぢやないか。|今《いま》|見《み》て|居《を》れば|天《てん》から|降《ふ》つて|来《き》た|様《やう》だが、|一体《いつたい》|何処《どこ》の|国《くに》から|来《き》たのだ』
『ハイ、|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さい。さう|短兵急《たんぺいきふ》にお|尋《たづ》ねになつても、|魂《たましひ》が|何処《どこ》か|宿替《やどがへ》したと|見《み》えて、はつきりとお|答《こた》へが|出来《でき》ませぬ』
『ア、さうだらう、|無理《むり》もない。|大空《おほぞら》から|降《ふ》つて|来《き》たのだもの。まアゆつくり|着物《きもの》を|着替《きか》へさして|上《あ》げるから、|此処《ここ》で|休《やす》んで|気《き》を|落着《おちつ》け、|其《その》|上《うへ》で|物語《ものがたり》をしたが|宜《よ》からう。|鷹鳥姫《たかとりひめ》さま、どうも|妙《めう》な|事《こと》があるものですなア』
|鷹鳥姫《たかとりひめ》『|何《いづ》れ|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》の|御子《おこ》さまが|沢山《たくさん》あると|言《い》ふ|事《こと》だから、|妾等《わたしら》が|誠《まこと》を|憐《あはれ》み|給《たま》うて|天《てん》から|応援《おうゑん》に|来《き》て|下《くだ》さつたのかも|知《し》れませぬぜ。|兎《と》も|角《かく》|大切《たいせつ》に|扱《あつか》はねばなりますまい。さアさア|玉能姫《たまのひめ》さま、|貴方《あなた》は|衣服《きもの》を|着替《きか》へさして|上《あ》げなさい』
|玉能姫《たまのひめ》は、
『アイ』
と|答《こた》へて|若彦《わかひこ》の|着替《きがへ》を|持《も》ち|出《だ》し、|男《をとこ》に|着替《きか》へさせ、|手《て》を|引《ひ》きながら|一室《ひとま》に|連《つ》れ|込《こ》み|静《しづ》かに|寝《ね》させ、|男《をとこ》の|濡《ぬ》れた|衣《きぬ》を|絞《しぼ》り|木《き》の|枝《えだ》に|懸《か》けて|乾《かわ》かさうとして|居《ゐ》る。
|若彦《わかひこ》『コレ、|玉能姫《たまのひめ》、|其《その》|着物《きもの》の|裏《うら》に|何《なに》か|標《しるし》はついて|居《ゐ》ないか。よく|調《しら》べてお|呉《く》れ』
と|言《い》ひすて|再《ふたた》び|鷹鳥姫《たかとりひめ》と|共《とも》に|以前《いぜん》の|滝壺《たきつぼ》の|傍《かたはら》に|至《いた》り、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|頻《しき》りに|水垢離《みづごり》にかかり|始《はじ》めた。
|玉能姫《たまのひめ》は|衣《きぬ》を|干《ほ》しながら|詳細《しやうさい》に|何《なに》か|標《しるし》は|無《な》きやと|探《さが》す|中《うち》、「|銀《ぎん》」と|言《い》ふ|印《しるし》に|目《め》が|付《つ》いた。
『ハア……|最前《さいぜん》|銀《ぎん》と|言《い》ふ|様《やう》に|思《おも》ひますがと|彼《あ》の|方《かた》が|言《い》つたのは、|矢張《やつぱ》り|現《うつつ》でもなかつたらしい。それにしても|天上《てんじやう》から|彼《あ》の|淵《ふち》へ|天降《あまくだ》つて|来《く》るのは|何《なに》か|理由《わけ》がなくてはなるまい。|一《ひと》つお|気《き》の|鎮《しづ》まつた|折《をり》を|考《かんが》へて|詳《くは》しく|尋《たづ》ねて|見《み》よう』
と|独語《ひとりご》ちつつ|男《をとこ》の|横臥《わうぐわ》せる|枕許《まくらもと》に|進《すす》み|寄《よ》り|見《み》れば、|以前《いぜん》の|男《をとこ》は|床上《しやうじやう》に|起上《おきあが》り、|不思議《ふしぎ》さうに|四辺《あたり》をキヨロキヨロ|見廻《みまは》して|居《ゐ》る。
『モシモシ|貴方《あなた》、お|気分《きぶん》は|如何《どう》です』
『ハイ、|大変《たいへん》に|気分《きぶん》が|良《よ》くなりました。|然《しか》し|此処《ここ》は|何《なん》と|云《い》ふ|所《ところ》で|御座《ござ》いますか』
『|此処《ここ》は|鷹鳥山《たかとりやま》の|三五教《あななひけう》の|射場《いば》です。|貴方《あなた》は|天《てん》から|真逆様《まつさかさま》に|滝壺《たきつぼ》へ|降《ふ》つて|御座《ござ》つたが、|一体《いつたい》|何処《どこ》から|御出《おい》でになつたのです』
|銀公《ぎんこう》は|三五教《あななひけう》の|射場《いば》と|聞《き》いて|心《こころ》に|打驚《うちおどろ》き、
『ヤア、|大変《たいへん》だ。|知《し》らず|識《し》らずに|黄金像《わうごんざう》に|撥《は》ね|飛《と》ばされて、|敵《てき》の|中《なか》へ|落《お》ち|込《こ》み|敵《てき》に|救《すく》はれたのか。こりや|迂濶《うつかり》バラモン|教《けう》だなどと|言《い》はうものなら|大変《たいへん》だ。|何《なん》とかよい|考《かんが》へはあるまいか』
と|腕《うで》を|組《く》んで|思案《しあん》に|暮《く》れて|居《ゐ》る。
『|何卒《どうぞ》|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいませ。|今《いま》|貴方《あなた》のお|召物《めしもの》を|絞《しぼ》つて|干《ほ》します|時《とき》に、|銀《ぎん》と|云《い》ふ|標《しるし》が|付《つ》いて|居《ゐ》ました』
と|聞《き》いて|銀公《ぎんこう》は|一層《いつそう》|心《こころ》に|打驚《うちおどろ》きしが、さあらぬ|態《てい》にて、
『|私《わたくし》は|無住所如来《むぢうしよによらい》と|言《い》つて、|天《てん》にも|住《す》み、|地《ち》にも|住《す》み、|時《とき》としては|地中《ちちう》にも|住《す》む|者《もの》で|御座《ござ》います。|銀《ぎん》の|字《じ》の|印《しるし》のついたのは|銀河《ぎんが》を|渡《わた》る|時《とき》、|棚機姫《たなばたひめ》|様《さま》に|余《あま》り|着物《きもの》が|古《ふる》くなつたので|替《か》へて|貰《もら》つたのです。|此処《ここ》は|矢張《やつぱ》り|地上《ちじやう》ですか。|天上《てんじやう》の|国《くに》から|見《み》れば、お|話《はなし》にならない|穢《むさくる》しい|所《ところ》ですな』
『|天上《てんじやう》の|国《くに》はそれ|程《ほど》|綺麗《きれい》ですか』
『ヘエヘエ、それはそれは|比較《ひかく》になりませぬ』
『|貴方《あなた》は|何《なに》か、|天《てん》からお|降《くだ》りになつたと|言《い》ふお|証《しるし》を|持《も》つて|居《ゐ》られますか』
『ハイ|持《も》つて|居《ゐ》ましたが、|中空《ちうくう》に|於《おい》て|悪魔《あくま》の|群《むれ》に|出会《でつくわ》し|盗《と》られて|了《しま》ひ、その|為《た》めに|通力《つうりき》を|失《うしな》つて|不覚《ふかく》をとり、|此処《ここ》に|顛落《てんらく》したのです。|然《しか》し|無住所如来《むぢうしよによらい》の|私《わたくし》、|無《む》は|即《すなは》ち|有《いう》、|有《いう》|即《すなは》ち|無《む》、|何処《どこ》も|彼処《かしこ》も|吾々《われわれ》の|自由自在《じいうじざい》の|遊楽地《いうらくち》ではありますが、|余《あま》り|地上《ちじやう》は|穢《けが》れて|居《を》るので|住《す》むべき|所《ところ》がなく、|本当《ほんたう》の……|今《いま》は|無住所如来《むぢうしよによらい》になりました。アハヽヽヽ』
と|空惚《そらとぼ》ける。|玉能姫《たまのひめ》は|怪訝《けげん》な|顔《かほ》してマジマジと|銀公《ぎんこう》の|顔《かほ》を|凝視《みつ》め、
『ヤア、お|前《まへ》は………』
と|頓狂《とんきやう》な|声《こゑ》を|出《だ》し|倒《たふ》れむばかりに|驚《おどろ》いた。|男《をとこ》は|此《この》|声《こゑ》に、
『|発見《はつけん》されたか、|一大事《いちだいじ》』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|駆《か》け|出《だ》さうとする。|玉能姫《たまのひめ》はグツと|襟首《えりくび》を|後《うしろ》より|掴《つか》んで|其《その》|場《ば》に|引《ひ》き|据《す》ゑ、
『|汝《なんぢ》はバラモン|教《けう》のカナンボールが|部下《てした》の|者《もの》、|銀公《ぎんこう》と|言《い》ふ|悪者《わるもの》だらう。いつやら|妾《わたし》が|清泉《きよいづみ》へ|霊水《れいすゐ》を|汲《く》みに|行《い》つた|時《とき》、|四五《しご》の|同類《どうるゐ》と|共《とも》に|妾《わたし》に|向《むか》つて|無理難題《むりなんだい》を|吹《ふ》きかけ、|手籠《てごめ》に|致《いた》さうとした|奴《やつ》であらうがな』
『ソヽヽヽヽ、そんな|事《こと》があつたか|存《ぞん》じませぬが、|余《あま》り|事件《じけん》が|多《おほ》いので、ねつから|記憶《きおく》に|浮《うか》びませぬワ』
『|事件《じけん》が|多《おほ》いとは|悪事《あくじ》の|数々《かずかず》を|重《かさ》ねたと|云《い》ふ|事《こと》だらう。サア、もう|斯《か》うなる|上《うへ》は|此《この》|儘《まま》では|帰《かへ》さぬ。|飽《あく》までも|言霊《ことたま》を|以《もつ》て|責悩《せめなや》めて|上《あ》げねばなりませぬ。マア|気《き》を|落着《おちつ》けてお|坐《すわ》り|下《くだ》さい』
|銀公《ぎんこう》は|口《くち》の|中《なか》で、
『|此奴《こいつ》|一人《ひとり》なら……どうなつとして|逃《に》げてやるのだが、まだ|外《ほか》に|大将《たいしやう》が|二人《ふたり》、|信者《しんじや》の|奴《やつ》が|沢山《たくさん》にウロウロと|出入《ではい》りをして|居《を》るから、|逃《に》げる|事《こと》も|出来《でき》ず、ハテ、|困《こま》つた|事《こと》だなア』
と|終《しま》ひの|一句《いつく》を|思《おも》はず|高《たか》く|叫《さけ》んだ。|玉能姫《たまのひめ》は|之《これ》を|聞《き》き、
『|困《こま》つた|事《こと》だとは、そりや|何《なに》をおつしやる。|善言美詞《ぜんげんびし》の|言霊《ことたま》を|手向《たむ》けてやらうと|云《い》ふのだよ』
『そんなら|血《ち》を|出《だ》すのだけは|堪《こら》へて|下《くだ》さいませ。|言霊《ことたま》には|誠《まこと》に|困《こま》ります』
『バラモン|教《けう》で|言霊《ことたま》と|云《い》へば、|如何《どん》なものだなア』
『ハイ、バラモン|教《けう》の|言霊《ことたま》は、|例《たと》へば|此処《ここ》に|一人《いちにん》の|道《みち》を|破《やぶ》つた|者《もの》が|現《あら》はれたとすれば、|其処《そこ》に|居《を》る|全部《ぜんぶ》の|人《ひと》が、|五十人《ごじふにん》あらうが|千人《せんにん》あらうが、|一人《ひとり》|々々《ひとり》|悉《ことごと》く|手頃《てごろ》の|石《いし》を|以《もつ》て|頭《あたま》を|小突《こづ》いて|血《ち》を|出《だ》します。それを|贖罪《とくざい》の|証《しるし》とするのです。|此処《ここ》にも|余程《よほど》|沢山《たくさん》のお|人《ひと》が|居《ゐ》られますが、|一《ひと》つ|宛《づつ》やられても|大変《たいへん》だから、|之《これ》だけは|特別《とくべつ》を|以《もつ》て|御免除《ごめんぢよ》を|願《ねが》ひます』
『ホヽヽヽ、|三五教《あななひけう》の|言霊《ことたま》は|善言美詞《ぜんげんびし》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》して、|神界《しんかい》へお|詫《わび》する|事《こと》です』
『お|蔭《かげ》で|私《わたくし》の|頭《あたま》も|助《たす》かりました』
とやつと|安心《あんしん》の|態《てい》にて|額《ひたひ》を|撫《な》でて|見《み》て|居《ゐ》る。
|鷹鳥姫《たかとりひめ》、|若彦《わかひこ》|二人《ふたり》は|禊身《みそぎ》を|終《をは》り、|数多《あまた》の|信徒《しんと》と|共《とも》に|悠々《いういう》として|此《この》|場《ば》に|入《い》り|来《きた》り、
|鷹鳥姫《たかとりひめ》『アヽお|前《まへ》さま、|気分《きぶん》は|如何《どう》だなア』
|銀公《ぎんこう》『ハイ、|思《おも》ひも|寄《よ》らぬ|御厄介《ごやくかい》をかけまして、|其《その》|上《うへ》|着物《きもの》まで|拝借《はいしやく》|致《いた》しまして、|又《また》|言霊《ことたま》までお|許《ゆる》し|下《くだ》さいまして、こんな|有難《ありがた》い|事《こと》は|御座《ござ》いませぬ』
|若彦《わかひこ》『|三五教《あななひけう》の|言霊《ことたま》はバラモン|教《けう》とは|些《ち》つと|違《ちが》ふのだよ。さう|御遠慮《ごゑんりよ》には|及《およ》びませぬ』
『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|然《しか》し|三五教《あななひけう》の|言霊《ことたま》を|聞《き》きますと、|矢張《やつぱ》り|石《いし》で|小突《こづ》かれた|様《やう》に|頭《あたま》が|痛《いた》くなり、|胸《むね》が|苦《くる》しくなりますから………|御厄介《ごやくかい》になつた|上《うへ》に|御厄介《ごやくかい》になるのも|済《す》みませぬから、|之《これ》ばかりは|御辞退《ごじたい》|申《まを》します』
|若彦《わかひこ》は|一寸《ちよつと》|見《み》て、
『ヤア、お|前《まへ》はバラモン|教《けう》の|銀公《ぎんこう》ぢやないか。|随分《ずゐぶん》|玉能姫《たまのひめ》を|苦《くる》しめた|者《もの》だねえ。|玉能姫《たまのひめ》を|苦《くる》しめて|呉《く》れたお|礼《れい》に、|善言美詞《ぜんげんびし》の|言霊《ことたま》で|御礼《おれい》を|申《まを》し|上《あ》げようか』
『さう|現銀《げんぎん》に|仰有《おつしや》らないでも|宜《い》いぢやありませぬか。|金《きん》…|金《きん》…|金公《きんこう》がそれはそれは|偉《えら》い|事《こと》ですぜ』
|鷹鳥姫《たかとりひめ》『あの|金公《きんこう》が、|何《なん》ぞ|又《また》|悪《わる》い|事《こと》を|企《たく》らんで|居《を》ると|云《い》ふのかい』
『いいえ、|悪《わる》い|事《こと》を|企《たく》らむ|様《やう》な|奴《やつ》なら、ちつとは|気《き》が|利《き》いて|居《を》るのだが、|薩張《さつぱ》り|此《この》|頃《ごろ》は|呆気《はうけ》て|仕舞《しま》つてカンカンになりました。|終《しまひ》には|私《わたくし》を|中天《ちうてん》に|捲《ま》き|上《あ》げて|斯《こ》んな|目《め》に|遇《あ》はしたのですよ』
『これ|若彦《わかひこ》さま、|此《この》|男《をとこ》は|妙《めう》な|事《こと》を|云《い》ひますな』
『そりや、あんな|妙《めう》な|事《こと》があるのだもの』
|若彦《わかひこ》『どんな|事《こと》があるのだ。さつさと|云《い》つて|見《み》なさい』
『|金《きん》の|奴《やつ》、|俄《にはか》に|黄金仏《わうごんぶつ》になつて|仕舞《しま》ひ、|訳《わけ》の|分《わか》らぬお|経《きやう》を|百万陀羅囀《ひやくまんだらさへづ》るのです。あいつの|身体《からだ》から|光《ひかり》が|現《あら》はれて、|空《そら》の|雲《くも》まで|色《いろ》が|変《かは》つて|居《ゐ》ませうがな。|一寸《ちよつと》|外《そと》へ|出《で》て、|空《そら》を|見《み》て|御覧《ごらん》』
|若彦《わかひこ》は|妙《めう》な|事《こと》を|云《い》ふ|奴《やつ》だと|呟《つぶや》きながら|戸外《こぐわい》に|飛《と》び|出《だ》し|眺《なが》むれば、|鷹鳥山《たかとりやま》の|山頂《さんちやう》に|光《ひかり》|煌々《くわうくわう》として|輝《かがや》き、|空《そら》の|色《いろ》まで|金色《きんいろ》に|照《てら》して|居《ゐ》る。|若彦《わかひこ》は|慌《あわただ》しく|入《い》り|来《きた》り、
『|鷹鳥姫《たかとりひめ》さま、|大変《たいへん》です。|金色燦然《きんしよくさんぜん》として|四辺《あたり》|眩《まば》ゆきまで|照《て》り|輝《かがや》く、|異様《いやう》の|神人《しんじん》が|現《あら》はれたと|見《み》えます。|而《しか》も|鷹鳥山《たかとりやま》の|山頂《さんちやう》に………こりや|屹度《きつと》|三五教《あななひけう》の|為《た》めには|大吉瑞《だいきちずゐ》でせう。オイ|銀公《ぎんこう》さま、お|前《まへ》さまも|行《ゆ》かないか』
|銀公《ぎんこう》『|又《また》|空中滑走《くうちうくわつそう》をやらねばなりませぬから、|近寄《ちかよ》つてはいけませぬ。|然《しか》し|貴方等《あなたがた》はお|出《い》でなさいませ。そして|肩《かた》や|背中《せなか》を|撫《な》でておやりなさいませ。|金像《きんざう》がプリツと|肩《かた》を|動《うご》かしたが|最後《さいご》、|中天《ちうてん》の|空《そら》まで……|飛行機《ひかうき》ぢやないが……|上《のぼ》りつめ、|又《また》|滝壺《たきつぼ》へ|真逆様《まつさかさま》に|陥《お》ち|込《こ》むと|云《い》ふ|芸当《げいたう》が|演《えん》ぜられます。|私《わたくし》はもう|懲《こ》りこりしました。|金像《きんざう》の|金《きん》の|字《じ》を|聞《き》いても|胆《きも》が|潰《つぶ》れます』
|若彦《わかひこ》『お|前《まへ》は|金銀《きんぎん》を|得《え》むが|為《た》めに|今迄《いままで》|利己主義《われよし》の|行動《かうどう》を|続《つづ》けて|来《き》た|男《をとこ》だから、|閻魔《えんま》さまでも|忽《たちま》ち|地蔵顔《ぢざうがほ》になると|云《い》ふ|金《きん》の|顔《かほ》を|見《み》るのは|余《あま》り|悪《わる》くはあるまい。サアサア|行《ゆ》かう、お|前《まへ》のやうな|者《もの》を|留守《るす》させて|置《お》けば、|如何《どん》な|事《こと》するか|分《わか》つたものぢやない。|留守《るす》の|間《ま》に|赤鼬《あかいたち》でも|這《は》はされたら|大変《たいへん》ですよ』
『|滅相《めつさう》な、|生命《いのち》を|助《たす》けて|貰《もら》つた|恩人《おんじん》の|館《やかた》に、|赤鼬《あかいたち》を|這《は》はして|済《す》みますか。【いたち】て|神妙《しんめう》にお|留守《るす》を【いたち】ます。|何卒《どうぞ》|早《はや》く|貴方等《あなたがた》、|探険《たんけん》にお|出《い》でなさいませ』
|鷹鳥姫《たかとりひめ》『|如何《どう》しても|銀公《ぎんこう》さまが|動《うご》かぬと|云《い》ふのだから、|若彦《わかひこ》さま、お|前《まへ》さまは|此処《ここ》に|銀公《ぎんこう》さまの|監督《かんとく》がてら|留守《るす》して|居《ゐ》て|下《くだ》さい。|玉能姫《たまのひめ》さまと|二人《ふたり》、|探険《たんけん》に|行《い》つて|参《まゐ》ります』
と|欣々《いそいそ》として|山頂《さんちやう》の|光《ひかり》を|目標《めあて》に|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|鷹鳥姫《たかとりひめ》、|玉能姫《たまのひめ》の|二人《ふたり》は|鷹鳥山《たかとりやま》の|光《ひかり》|目標《めあて》に|登《のぼ》り|見《み》れば、|銀公《ぎんこう》の|云《い》うた|金像《きんざう》は|背《せ》の|高《たか》さ|五丈《ごぢやう》|六尺《ろくしやく》|七寸《ななすん》もあらうかと|思《おも》はるる|許《ばか》りに|伸長《しんちやう》して|突立《つつた》ち、|二人《ふたり》の|姿《すがた》を|見《み》るより、|鷹鳥姫《たかとりひめ》を|左手《ゆんで》に|引掴《ひつつか》み、
『オイ、まだ|俺《おれ》の|所《ところ》へ|来《く》るのは|早《はや》い、もとへ|帰《かへ》れ』
と|猫《ねこ》の|首筋《くびすぢ》を|掴《つか》んだ|様《やう》に|鷹鳥山《たかとりやま》の|中腹《ちうふく》|目蒐《めが》けてポイと|放《はふ》つた。|右《みぎ》の|手《て》に|玉能姫《たまのひめ》を|同《おな》じく|提《ひつさ》げノソリノソリと|五歩六歩《いつあしむあし》|東《ひがし》に|向《むか》つて|歩《あゆ》み|出《だ》し、
『お|前《まへ》は|彼辺《あちら》へ|行《ゆ》け』
と|又《また》ポイと|投《な》げた。|忽《たちま》ち|金像《きんざう》は|煙《けむり》となつて、|巨大《きよだい》な|爆音《ばくおん》と|共《とも》に|消《き》えて|了《しま》つた。|後《あと》に|金助《きんすけ》の|肉体《にくたい》は、
『アヽア、|偉《えら》い|神《かみ》さまになつたと|思《おも》へば、|矢張《やつぱ》り|元《もと》の|金助《きんすけ》か。こりや、マア、|如何《どう》した|訳《わけ》だらう。|何《なに》は|兎《と》もあれ、もう|斯《か》うなる|以上《いじやう》は|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》だから、|鷹鳥姫《たかとりひめ》さまの|庵《いほり》を|訪《たづ》ねて|帰順《きじゆん》の|意《い》を|表《へう》し、|使《つか》つて|貰《もら》はうか』
と|独語《どくご》しつつ|山頂《さんちやう》を|降《くだ》り|行《ゆ》く。
|茲《ここ》に|金助《きんすけ》は|鷹鳥姫《たかとりひめ》の|庵《いほり》に|来《きた》り、|銀公《ぎんこう》と|共《とも》に|改心《かいしん》の|意《い》を|表《へう》し、|若彦《わかひこ》の|股肱《ここう》となつて|神業《しんげふ》に|参加《さんか》する|事《こと》となつた。あゝ|此《この》|金助《きんすけ》を|包《つつ》み|居《ゐ》たる|黄金《わうごん》の|立像《りつざう》は|何神《なにがみ》の|化身《けしん》であらうか。
(大正一一・五・二六 旧四・三〇 北村隆光録)
第四篇 |改心《かいしん》の|幕《まく》
第一三章 |寂光土《じやくくわうど》〔七〇五〕
|嵐《あらし》のたけぶ|魔谷ケ岳《まやがだけ》 バラモン|教《けう》に|立籠《たてこも》る
|蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》を|教主《けうしゆ》とし |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|真心《まごころ》を
|捧《ささ》げて|尽《つく》す|金助《きんすけ》も |心《こころ》の|駒《こま》を|立直《たてなほ》し
|神《かみ》の|御稜威《みいづ》も|鷹鳥《たかとり》の |山《やま》の|谷間《たにま》に|湧《わ》き|出《い》づる
|流《なが》れも|清《きよ》き|清泉《きよいづみ》 |魂《たま》を|洗《あら》ひて|忽《たちま》ちに
|心《こころ》の|園《その》に|一輪《いちりん》の |花《はな》の|薫《かを》りを|認《みと》めてゆ
|直《ただち》に|開《ひら》く|大御空《おほみそら》 |高天原《たかあまはら》に|日月《じつげつ》の
|光《ひかり》|隈《くま》なく|照《て》り|渡《わた》り |娑婆即寂光浄土《しやばそくじやくくわうじやうど》の|真諦《しんたい》を
|悟《さと》るや|忽《たちま》ち|黄金《わうごん》の |衣《きぬ》に|包《つつ》まれ|煌々《くわうくわう》と
|輝《かがや》き|渡《わた》る|神御霊《かむみたま》 |紫磨黄金《しまわうごん》の|膚《はだ》|清《きよ》く
|身《み》の|丈《たけ》|三丈《さんぢやう》|三尺《さんじやく》の |三十三魂《みづのみたま》と|成《な》り|変《かは》り
|鷹鳥山《たかとりやま》の|山頂《さんちやう》に |宇宙万有《うちうばんいう》|睥睨《へいげい》し
|茲《ここ》に|弥勒《みろく》の|霊体《れいたい》を |現《げん》じて|四方《よも》を|照《てら》しける
|折《をり》しもあれや|玉能姫《たまのひめ》 |鷹鳥姫《たかとりひめ》は|山上《さんじやう》の
|光《ひかり》を|求《もと》めて|岩ケ根《いはがね》の |庵《いほり》を|後《あと》にエチエチと
|近《ちか》づき|見《み》れば|金像《きんざう》は |五丈《ごぢやう》|六尺《ろくしやく》|七寸《ななすん》の
|巨体《きよたい》と|変《へん》じ|給《たま》ひつつ |左右《さいう》の|御手《みて》に|鷹鳥《たかとり》の
|神《かみ》の|司《つかさ》や|玉能姫《たまのひめ》 |物《もの》をも|言《い》はず|鷲掴《わしづか》み
|中天《ちうてん》|高《たか》く|投《な》げやれば |翼《つばさ》なき|身《み》の|鷹鳥《たかとり》の
|姫《ひめ》の|司《つかさ》は|忽《たちま》ちに |元《もと》の|庵《いほり》に|恙《つつが》なく
|投《な》げ|返《かへ》されて|胸《むね》をつき |心《こころ》|鎮《しづ》めて|三五《あななひ》の
|道《みち》の|蘊奥《おくが》を|細々《こまごま》と |奥《おく》の|奥《おく》まで|探《さぐ》り|入《い》る
|玉能《たまの》の|姫《ひめ》は|中天《ちうてん》に |玉《たま》の|如《ごと》くに|廻転《くわいてん》し
|再度山《ふたたびやま》の|山麓《さんろく》に |落《お》ちて|生田《いくた》の|森《もり》の|中《なか》
|木々《きぎ》の|若芽《わかめ》も|春風《はるかぜ》に |薫《かを》る|稚姫君《わかひめぎみ》の|神《かみ》
|鎮《しづ》まりいます|聖場《せいぢやう》へ |端《はし》なく|下《くだ》り|着《つ》きにけり
|遠《とほ》き|神代《かみよ》の|昔《むかし》より |皇大神《すめおほかみ》の|定《さだ》めてし
|五六七神政《みろくしんせい》の|経綸地《けいりんち》 |時節《じせつ》を|待《ま》つて|伊都能売《いづのめ》の
|貴《うづ》の|御霊《みたま》の|姫神《ひめがみ》と |仕《つか》へて|茲《ここ》に|時置師《ときおかし》
|此《この》|世《よ》を|忍《しの》ぶ|杢助《もくすけ》が |妻《つま》のお|杉《すぎ》の|腹《はら》を|藉《か》り
|生《あ》れ|出《い》でませし|初稚《はつわか》の |姫《ひめ》の|命《みこと》と|諸共《もろとも》に
|清《きよ》く|仕《つか》ふる|三《み》つ|御霊《みたま》 |三五《さんご》の|月《つき》の|皎々《かうかう》と
|四海《しかい》を|照《て》らす|神徳《しんとく》を |暫《しば》し|隠《かく》して|岩躑躅《いはつつじ》
|花《はな》|咲《さ》く|春《はる》の|先駆《さきがけ》を |仕組《しぐ》ませ|給《たま》ふ|尊《たふと》さよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
|鷹鳥山《たかとりやま》の|頂《いただき》に |示現《じげん》し|給《たま》ひし|弥勒神《みろくしん》
|深《ふか》き|経綸《しぐみ》の|蓋《ふた》|開《あ》けて |輝《かがや》き|給《たま》ふ|時《とき》|待《ま》ちし
|堅磐常磐《かきはときは》の|松《まつ》の|世《よ》の |栄《さか》え|目出度《めでた》き|神《かみ》の|苑《その》
|花《はな》は|紅《くれなゐ》|葉《は》は|緑《みどり》 |天《あめ》と|地《つち》とは|紫《むらさき》に
|彩《いろど》る|神代《みよ》の|祥瑞《しやうずゐ》に |天津神《あまつかみ》|等《たち》|国津神《くにつかみ》
|百《もも》の|神々《かみがみ》|百人《ももびと》は |雄島《をしま》|雌島《めしま》の|隔《へだ》てなく
|老木若木《をいきわかぎ》の|差別《けぢめ》なく |栄《さか》ゆる|御代《みよ》に|大八洲《おほやしま》
|樹《た》てる|小松《こまつ》のすくすくと |天津御光《あまつみひかり》|月《つき》の|水《みづ》
|受《う》けて|日《ひ》に|夜《よ》に|伸《の》ぶる|如《ごと》 |進《すす》む|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》
|黄金閣《わうごんかく》の|頂上《ちやうじやう》に |輝《かがや》き|渡《わた》る|日地月《につちげつ》
|貴《うづ》の|瓢《ひさご》の|永久《とこしへ》に |開《ひら》くる|御代《みよ》の|魁《さきがけ》を
|語《かた》るも|嬉《うれ》し|神館《かむやかた》 |月《つき》の|桂《かつら》を|手折《たを》りつつ
|言葉《ことば》の|花《はな》を|翳《かざ》しゆく |醜《しこ》の|魔風《まかぜ》の|吹《ふ》き|荒《すさ》び
|朽《く》ちよ|果《は》てよと|迫《せま》り|来《く》る |曲《まが》の|嵐《あらし》も|何《なん》のその
|松《まつ》の|操《みさを》のどこまでも |神《かみ》の|御業《みわざ》に|仕《つか》へずば
|固《かた》き|心《こころ》は|山桜《やまざくら》 |大和心《やまとごころ》のどこまでも
ひきて|返《かへ》さぬ|桑《くは》の|弓《ゆみ》 |言葉《ことば》のツルを|手繰《たぐ》りつつ
|五六七《みろく》の|代《よ》まで|伝《つた》へ|行《ゆ》く ミロ|九《ク》の|神代《みよ》を|【松村】《まつむら》が
|心《こころ》|【真澄】《ますみ》のいと|清《きよ》く |【山】《やま》の|尾《を》の|【上】《へ》に|馥【郁】《ふくいく》と
|咲《さ》き|匂《にほ》ひたる|教《のり》の|花《はな》 |【太】折《たを》りて|語【郎】《かたる》|善美世《うましよ》は
|開《ひら》き|始《はじ》めて|【北村】氏《きたむらし》 |【隆】《たか》き|御稜威《みいづ》も|【光】《て》りわたり
|海《うみ》の|内【外】《うちと》の|【山】川《やまかは》も |草木《くさき》もなべて|皇神《すめかみ》の
|豊《とよ》の|恵【二】《めぐみに》|浴《よく》しつつ |神代《かみよ》を|祝《いは》ふ|神人《かみびと》の
|稜威《いづ》の|身魂《みたま》を|照《て》らさむと |雪《ゆき》に|撓《たわ》める|糸柳《いとやぎ》の
いと|軟《やは》らかに|長々《ながなが》と |二十二巻《にじふにくわん》の|小田巻《をだまき》の
|錦《にしき》の|糸《いと》を|繰返《くりかへ》し |心《こころ》も|【加藤】《かとう》|説《と》き|【明】《あか》す
|鷹鳥山《たかとりやま》の|高姫《たかひめ》が |娑婆即寂光浄土《しやばそくじやくくわうじやうど》をば
|心《こころ》の|底《そこ》より|正覚《しやうかく》し |国治立《くにはるたち》の|神業《かむわざ》に
|仕《つか》へ|奉《まつ》りて|素盞嗚《すさのを》の |神《かみ》の|尊《みこと》の|神力《しんりき》を
|悟《さと》り|初《そ》めたる|物語《ものがたり》 |言《こと》の|葉車《はぐるま》|欣々《いそいそ》と
|風《かぜ》のまにまに|辷《すべ》り|行《ゆ》く あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ。
|鷹鳥姫《たかとりひめ》は|玉能姫《たまのひめ》を|伴《ともな》ひ、|山上《さんじやう》の|光《ひかり》を|目標《めあて》に|登《のぼ》り|行《い》つた|後《あと》に、|若彦《わかひこ》は|金助《きんすけ》、|銀公《ぎんこう》の|両人《りやうにん》に|対《たい》し、|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|説《と》き|諭《さと》す|折《をり》しも、|如何《いかが》はしけむ、|金助《きんすけ》、|銀公《ぎんこう》の|二人《ふたり》はキヤツと|一声《ひとこゑ》|叫《さけ》ぶと|共《とも》に|其《そ》の|場《ば》に|倒《たふ》れ、|人事不省《じんじふせい》に|陥《おちい》つて|了《しま》つた。|若彦《わかひこ》は|驚《おどろ》いて|谷水《たにみづ》を|汲《く》み|来《きた》り、|両人《りやうにん》の|面部《めんぶ》に|伊吹《いぶき》の|狭霧《さぎり》を|吹《ふ》き|掛《か》け、|甦《よみがへ》らさむと|焦《あせ》る|折《をり》しも、|風《かぜ》を|切《き》つて|頭上《づじやう》より|降《くだ》り|来《きた》る|鷹鳥姫《たかとりひめ》の|姿《すがた》に|二度《にど》ビツクリ、|近寄《ちかよ》り|見《み》れば、|鷹鳥姫《たかとりひめ》は|庭前《ていぜん》の|青苔《あをごけ》の|上《うへ》に|仰向《あふむ》けとなり|大《だい》の|字《じ》になつて、
『ウン』
と|云《い》つたきり、ピリピリと|手足《てあし》を|蠢動《しゆんどう》させて|居《ゐ》る。|若彦《わかひこ》は|周章狼狽《しうしやうらうばい》|為《な》す|所《ところ》を|知《し》らず、|右《みぎ》へ|左《ひだり》へ|水桶《みづをけ》を|提《ひつさ》げた|儘《まま》|駆《か》けまはる|途端《とたん》に、|鷹鳥姫《たかとりひめ》の|足《あし》に|躓《つまづ》き、スツテンドウと|其《そ》の|上《うへ》に|手桶《てをけ》と|共《とも》に|打倒《ぶつたふ》れた。|手桶《てをけ》の|水《みづ》は|一滴《いつてき》も|残《のこ》らず|大地《だいち》に|吸収《きふしう》されて|了《しま》つた。|若彦《わかひこ》は|如何《どう》したものか、|挙措《きよそ》|度《ど》を|失《うしな》ひし|結果《けつくわ》、|立上《たちあが》る|事《こと》が|出来《でき》なくなつて|了《しま》つた。|庭前《ていぜん》の|苔《こけ》の|上《うへ》にやうやう|身《み》を|起《おこ》し、|坐禅《ざぜん》の|姿勢《しせい》を|取《と》り、|双手《もろて》を|組《く》んで|溜息吐息《ためいきといき》、|思案《しあん》に|暮《く》れて|居《ゐ》る。
『|嗟《ああ》、|金《きん》、|銀《ぎん》の|両人《りやうにん》と|云《い》ひ、|力《ちから》と|頼《たの》む|鷹鳥姫《たかとりひめ》|様《さま》は|此《こ》の|通《とほ》り、|介抱《かいほう》しようにも|腰《こし》は|立《た》たず、|加《くは》ふるに|妻《つま》の|玉能姫《たまのひめ》の|消息《せうそく》はどうなつたであらう。|神徳《しんとく》|高《たか》き|鷹鳥姫《たかとりひめ》|様《さま》でさへ|斯《かく》の|如《ごと》き|悲惨《ひさん》な|目《め》に|遇《あ》ひ|給《たま》うた|位《くらゐ》だから、|吾《わが》|妻《つま》も|亦《また》どつかの|谷間《たにま》に|投《な》げ|棄《す》てられ、|木端《こつぱ》|微塵《みじん》になつたかも|知《し》れない。あゝ、|神《かみ》も|仏《ほとけ》もないものか』
と|稍《やや》|信仰《しんかう》の|箍《たが》が|緩《ゆる》まうとした。|時《とき》しもあれや、バラモン|教《けう》のスマートボール、カナンボールを|先頭《せんとう》に、|鉄《てつ》、|熊《くま》、|蜂《はち》|其《その》|他《た》|数十人《すうじふにん》の|荒男《あらをとこ》、|竹槍《たけやり》を|翳《かざ》しながら|此方《こなた》を|指《さ》して|進《すす》み|来《きた》り、|此《この》|態《てい》を|見《み》て|何《なん》と|思《おも》つたか|近寄《ちかよ》りも|得《え》せず、|垣《かき》を|作《つく》つて|佇《たたず》み|居《ゐ》る。|神殿《しんでん》に|参拝《さんぱい》し|居《を》りし|七八人《しちはちにん》の|老若男女《らうにやくなんによ》の|信徒《しんと》は、|此《この》|惨状《さんじやう》と|寄《よ》せ|来《く》る|敵《てき》の|猛勢《まうせい》に|肝《きも》を|潰《つぶ》し、|裏口《うらぐち》よりコソコソと|遁《のが》れ|出《い》で、|這々《はうばう》の|態《てい》にて|山《やま》を|駆登《かけのぼ》り、|何処《いづこ》ともなく|消散《せうさん》して|了《しま》つた。
|山桜《やまざくら》は|折柄《をりから》|吹《ふ》き|来《く》る|山嵐《やまあらし》に|打叩《うちたた》かれて、|繽紛《ひんぷん》として|散《ち》り|乱《みだ》れ、|無常迅速《むじやうじんそく》の|味気《あぢき》なき|世《よ》の|有様《ありさま》を|遺憾《ゐかん》なく|暴露《ばくろ》して|居《ゐ》る。|若彦《わかひこ》は|漸《やうや》く|吾《われ》に|返《かへ》り|独語《ひとりごと》。
『あゝ|兵《へい》は|強《つよ》ければ|亡《ほろ》び、|木《き》|硬《かた》ければ|折《を》れ、|革《かは》|固《かた》ければ|裂《さ》く。|歯《は》は|舌《した》よりも|堅《かた》くして|是《こ》れに|先立《さきだ》ちて|破《やぶ》るとかや。|吾々《われわれ》はミロクの|大神《おほかみ》の|大御心《おほみこころ》を|誤解《ごかい》し、|勝《かち》に|乗《じやう》じて|猛進《まうしん》を|続《つづ》け、|進《すす》むを|知《し》つて|退《しりぞ》き、|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|宣直《のりなほ》す|事《こと》を|怠《をこた》つて|居《ゐ》た。|日夜《にちや》|見直《みなほ》せ|宣直《のりなほ》せの|聖言《せいげん》も、|機械的《きかいてき》|無意識《むいしき》に|口《くち》より|出《い》づる|様《やう》になつては、モウ|駄目《だめ》だ。あゝ|過《あやま》つたり|誤《あやま》つたり。
|積《つ》む|雪《ゆき》に|撓《たわ》めど|折《を》れぬ|柳《やなぎ》こそ やはらかき|枝《えだ》の|力《ちから》なりけり
とは|言依別命《ことよりのわけみこと》|様《さま》の|御宣示《ごせんじ》であつた。|慈愛《じあい》|深《ふか》き|大神様《おほかみさま》は|吾々《われわれ》に|恵《めぐみ》の|鞭《むち》を|加《くは》へさせ|給《たま》うたのか、|殆《ほとん》ど|荒廃《くわうはい》せむとする|身魂《みたま》を、|再《ふたた》び|練《ね》り|直《なほ》し|給《たま》ひしか、あゝ|有難《ありがた》し|辱《かたじけ》なし、|神様《かみさま》、お|赦《ゆる》し|下《くだ》さいませ。|神《かみ》や|仏《ほとけ》は|無《な》きものかと、|今《いま》の|今《いま》まで|恨《うら》みの|言葉《ことば》を|申《まを》し|上《あ》げました。|柔《じう》|能《よ》く|剛《がう》を|制《せい》すの|真理《しんり》を、|何故《なぜ》|今迄《いままで》|悟《さと》らなかつたか。|口《くち》には|常《つね》に|称《とな》へながら|有言不実行《いうげんふじつかう》の|罪《つみ》を|重《かさ》ねて|来《き》た|吾々《われわれ》、|実《じつ》に|天地《てんち》に|対《たい》し|恥《はづ》かしくなつて|来《き》ました。|鷹鳥姫《たかとりひめ》|様《さま》が|斯様《かやう》な|目《め》にお|遇《あ》ひなさつたのも、|玉能姫《たまのひめ》の|消息《せうそく》の|分《わか》らないのも、|吾《わが》|脛腰《すねこし》の|立《た》たなくなつたのも|此《この》|若彦《わかひこ》が|誤解《ごかい》の|罪《つみ》、|実《じつ》に|神様《かみさま》は|公平無私《こうへいむし》である。|敵味方《てきみかた》の|区別《くべつ》を|立《た》つるは|吾々《われわれ》|人間《にんげん》の|煩悩《ぼんなう》の|鬼《おに》の|為《な》す|業《わざ》、|慈愛《じあい》|深《ふか》き|神《かみ》の|御目《おんめ》より|見給《みたま》ふ|時《とき》は、|一視同仁《いつしどうじん》、|敵味方《てきみかた》などの|障壁《しやうへき》はない。あゝ|神様《かみさま》、あゝ、|此《この》|世《よ》を|造《つく》り|給《たま》ひし|大神様《おほかみさま》、|心《こころ》も|広《ひろ》き|厚《あつ》き|限《かぎ》りなき|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》の|神様《かみさま》、|何卒々々《なにとぞなにとぞ》、|至《いた》らぬ|愚者《おろかもの》の|吾々《われわれ》が|罪《つみ》、|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し|下《くだ》さいませ。|今迄《いままで》の|曲事《まがごと》は|唯今《ただいま》|限《かぎ》り|宣《の》り|直《なほ》します』
と|声《こゑ》を|曇《くも》らせ、バラモン|教《けう》の|一味《いちみ》の|前《まへ》に|在《あ》る|事《こと》も|打忘《うちわす》れ、|浩歎《かうたん》の|声《こゑ》を|洩《も》らして|居《ゐ》る。スマートボールは|声《こゑ》も|荒々《あらあら》しく、
『ヤイ|三五教《あななひけう》の|青瓢箪《あをべうたん》、|若彦《わかひこ》の|宣伝使《せんでんし》、|態《ざま》ア|見《み》やがれ。|金助《きんすけ》、|銀公《ぎんこう》の|二人《ふたり》を|貴様《きさま》の|宅《うち》に|捕虜《ほりよ》にして|居《ゐ》やがるのだらう。|其《その》|天罰《てんばつ》でバラモン|教《けう》の|御本尊《ごほんぞん》|大国別命《おほくにわけのみこと》|様《さま》に|睨《にら》み|付《つ》けられ、|鷹鳥姫《たかとりひめ》は|其《その》|態《ざま》、|貴様《きさま》は|又《また》|脛腰《すねこし》も|立《た》たず|何《なに》をベソベソと|吠面《ほえづら》かわくのだ。|俺達《おれたち》はバラモンの|教《をしへ》の|為《ため》に|魔道《まだう》を|拡《ひろ》むる|汝等《なんぢら》|一味《いちみ》を|征伐《せいばつ》せむが|為《ため》に|実行団《じつかうだん》を|組織《そしき》し|此《この》|場《ば》に|立向《たちむか》うたのだ。これから|此《この》スマートボールが|汝等《なんぢら》|一味《いちみ》の|奴輩《やつばら》を、|芋刺《いもざ》し、|串刺《くしざ》し、|田楽刺《でんがくざ》し、|山椒味噌《さんせうみそ》を|塗《ぬ》りつけて|炙《あぶ》つて|食《く》つて|了《しま》ふのだ。オイ|泣《な》き|味噌《みそ》、|貴様《きさま》も|肝腎要《かんじんかなめ》の|所《ところ》で、|大変《たいへん》な|味噌《みそ》を|付《つ》けたものだなア。コリヤ|鬼味噌《おにみそ》、|何《なに》を|殊勝《しゆしよう》らしく|祈《いの》つて|居《ゐ》やがるのだ。|天道様《てんたうさま》もテント|御聞《おき》き|遊《あそ》ばす|道理《だうり》がないぞ。サアこれから|顛覆《てんぷく》だ』
と|槍《やり》の|穂先《ほさき》を|揃《そろ》へて|前後左右《ぜんごさいう》よりバラバラと|攻《せ》め|掛《かか》る。|悔悟《くわいご》の|涙《なみだ》に|暮《く》れたる|若彦《わかひこ》は、|最早《もはや》|心中《しんちう》|豁然《かつぜん》として|梅花《ばいくわ》の|咲《さ》き|匂《にほ》ふが|如《ごと》く、|既《すで》に|今迄《いままで》の|若彦《わかひこ》ではなかつた。|傲慢《がうまん》|無礼《ぶれい》のスマートボールが|罵詈《ばり》|雑言《ざふごん》も|侮辱《ぶじよく》も、|今《いま》は|妙音菩薩《めうおんぼさつ》の|音楽《おんがく》か、|弥勒如来《みろくによらい》の|来迎《らいがう》かと|響《ひび》くばかりになつて|居《ゐ》る。
『アヽ|有難《ありがた》い。われも|北光《きたてる》の|神様《かみさま》になるのかなア。どうぞ|早《はや》く|目《め》を|突《つ》いて|欲《ほ》しい。|〓《なまじひ》に|肉眼《にくがん》を|所有《しよいう》して|居《ゐ》るために、|宇宙《うちう》の|光《ひかり》を|認《みと》むることが|出来《でき》ないのだ。アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|心中《しんちう》に|暗祈黙祷《あんきもくたう》を|続《つづ》けて|居《ゐ》る。スマートボールは、
『オイ、カナン、どうだ。これ|丈《だけ》|勢込《いきほひこ》んでやつて|来《き》たのに、|一《ひと》つの|応答《おうたふ》もせず、|又《また》|反抗的《はんかうてき》|態度《たいど》も|行《や》らない|奴《やつ》に|向《むか》つて、|攻撃《こうげき》するも|馬鹿《ばか》らしいぢやないか。|如何《どう》したらよからう』
『|今《いま》こそ|三五教《あななひけう》を|顛覆《てんぷく》させるには|千載一遇《せんざいいちぐう》の|好機《かうき》だ、|何《なに》|躊躇逡巡《ちうちよしゆんじゆん》する|事《こと》があるか。|一思《ひとおも》ひにやつて|了《しま》へよ、スマートボール』
『|併《しか》し|乍《なが》ら、お|前《まへ》は|屋内《をくない》に|駆入《かけい》り、|金《きん》、|銀《ぎん》の|在処《ありか》を|探《さが》して|呉《く》れよ。|俺《おれ》は|是《これ》から|此奴等《こいつら》に|引導《いんだう》をわたさねばならぬ。……|鷹鳥姫《たかとりひめ》の|婆《ばば》、|並《なら》びに|若彦《わかひこ》のヘボ|宣伝使《せんでんし》、よつく|聞《き》け。|此《この》|世《よ》は|大自在天《だいじざいてん》|大国別命《おほくにわけのみこと》の|治《しろ》しめす|世《よ》の|中《なか》だ。|然《しか》るに|何《なん》ぞ、|天則違反《てんそくゐはん》の|罪《つみ》を|負《お》ひて、|永遠無窮《ゑいゑんむきう》の|根底《ねそこ》の|国《くに》に、|神退《かむやら》ひに|退《やら》はれた|国治立命《くにはるたちのみこと》や、|現在《げんざい》|漂浪《さすらひ》の|旅《たび》を|続《つづ》けて|居《ゐ》る|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|悪神《わるがみ》を|頭《かしら》に|戴《いただ》き、|猫《ねこ》を|被《かぶ》つて、|天下《てんか》を|混乱《こんらん》させむとは|憎《にく》き|奴共《やつども》。|天《てん》はバラモン|教《けう》の|蜈蚣姫《むかでひめ》が|部下《ぶか》スマートボールの|手《て》を|借《か》りて|汝《なんぢ》を|誅戮《ちうりく》すべく|此処《ここ》に|向《むか》はせ|給《たま》うたのだ。サア|此《この》|世《よ》の|置土産《おきみやげ》、|遺言《ゆゐごん》あらば|武士《ぶし》の|情《なさけ》だ、|聞《き》いてやらう。|娑婆《しやば》に|心《こころ》を|残《のこ》さず、|一時《いつとき》も|早《はや》く|幽界《いうかい》に|旅立《たびだち》|到《いた》せ。|覚悟《かくご》はよいか』
と|部下《ぶか》に|目配《めくば》せしながら、|竹槍《たけやり》をすごいてアワヤ|一突《ひとつき》にせむとする|折《をり》しも、|中空《ちうくう》より|急速力《きふそくりよく》を|以《もつ》て|降《くだ》り|来《きた》れる|一塊《いつくわい》の|火弾《くわだん》、|忽《たちま》ち|庭《には》の|敷石《しきいし》に|衝突《しようとつ》して|爆発《ばくはつ》し、|大音響《だいおんきやう》と|共《とも》に|四面《しめん》|白煙《はくえん》に|包《つつ》まれ、|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜざるに|立到《たちいた》つた。|中《なか》よりコンコンと|白狐《びやくこ》の|鳴《な》き|声《ごゑ》、|谷《たに》の|彼方《あなた》|此方《こなた》に|警鐘《けいしよう》を|乱打《らんだ》せし|如《ごと》く、|頻《しき》りに|聞《きこ》えて|来《き》た。レコード|破《やぶ》りの|大音響《だいおんきやう》に、|失心《しつしん》して|居《ゐ》た|鷹鳥姫《たかとりひめ》はハツと|気《き》が|付《つ》き、|頭《かしら》を|上《あ》げて|眺《なが》むれば、|四辺《しへん》|白煙《はくえん》に|包《つつ》まれ、|身《み》は|空中《くうちう》にあるか|地底《ちてい》にあるか、|判別《はんべつ》に|苦《くる》しみつつ、|独《ひと》り|頭《かしら》を|傾《かたむ》けて|記憶《きおく》の|糸《いと》を|手繰《たぐ》つて|居《ゐ》る。|金助《きんすけ》、|銀公《ぎんこう》|両人《りやうにん》もハツと|気《き》が|付《つ》き、|咫尺《しせき》も|弁《べん》ぜぬ|白煙《はくえん》の|中《なか》を|腹這《はらば》ひながら|表《おもて》に|出《い》で、|若彦《わかひこ》、|鷹鳥姫《たかとりひめ》の|傍《かたはら》に|知《し》らず|識《し》らずに|寄《よ》つて|来《き》た。|忽《たちま》ち|空中《くうちう》より|優美《いうび》にして|流暢《りうちよう》な|女神《めがみ》の|声《こゑ》にて、
『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|鷹鳥姫《たかとりひめ》、|若彦《わかひこ》の|両人《りやうにん》、よつく|聞《き》かれよ。|取別《とりわ》けて|鷹鳥姫《たかとりひめ》は|執着《しふちやく》の|念《ねん》|未《いま》だ|去《さ》らず、|教主《けうしゆ》|言依別命《ことよりわけのみこと》の|示諭《じゆ》を|軽視《けいし》し、|執拗《しつえう》にも|汝《なんぢ》が|意地《いぢ》を|立《た》てむとし、|神業《しんげふ》|繁多《はんた》の|身《み》を|以《もつ》て|聖地《せいち》を|離《はな》れ、|此《この》|鷹鳥山《たかとりやま》に|居《きよ》を|構《かま》へ、|大神《おほかみ》を|斎《まつ》り、|汝《なんぢ》が|失《うしな》ひし|二個《にこ》の|宝玉《ほうぎよく》を|如何《いか》にもして|再《ふたた》び|取返《とりかへ》さむと、|千々《ちぢ》に|心《こころ》を|砕《くだ》く|汝《なんぢ》の|熱心《ねつしん》、|嘉《よみ》すべきには|似《に》たれども、|未《いま》だ|自負心《じふしん》の|暗雲《あんうん》|汝《なんぢ》が|心天《しんてん》を|去《さ》らず、|常《つね》に|悶々《もんもん》として|至善《しぜん》|至美《しび》なる|現天国《げんてんごく》を|悪魔《あくま》の|世界《せかい》と|観《くわん》じ、|飽《あ》くまでも|初心《しよしん》を|貫徹《くわんてつ》せむと、|迷《まよ》ひに|迷《まよ》ふ|其《その》|果敢《はか》なさよ。|地上《ちじやう》に|天国《てんごく》を|建設《けんせつ》せむとせば、|先《ま》づ|汝《なんぢ》の|心《こころ》に|天国《てんごく》を|建《た》てよ。|迷《まよ》ひの|雲《くも》に|包《つつ》まれて、|今《いま》や|汝《なんぢ》は|地獄《ぢごく》、|餓鬼《がき》、|修羅《しゆら》、|畜生《ちくしやう》の|天地《てんち》を|生《う》み|出《だ》し、|汝《なんぢ》|自《みづか》ら|苦《くるし》む|其《その》|憐《あは》れさ。|片時《かたとき》も|早《はや》く|本心《ほんしん》に|立復《たちかへ》り、|自我心《じがしん》を|滅却《めつきやく》し、|我情《がじやう》の|雲《くも》を|払拭《ふつしき》し、|明皓々《めいかうかう》たる|真如《しんによ》の|日月《じつげつ》を|心天心海《しんてんしんかい》に|輝《かがや》かし|奉《まつ》れ』
と|厳《おごそ》かに|神示《しんじ》を|宣《の》らせ|給《たま》ひ、|御姿《みすがた》は|見《み》えねども、|空中《くうちう》を|帰《かへ》り|給《たま》ふ|其《その》|気配《けはい》、|目《め》に|見《み》る|如《ごと》くに|感《かん》じられた。|鷹鳥姫《たかとりひめ》は|夢《ゆめ》の|覚《さ》めたる|如《ごと》く|心《こころ》に|打諾《うちうなづ》き、
『アヽ|謬《あやま》れり|謬《あやま》れり、|今迄《いままで》|吾々《われわれ》は|神界《しんかい》の|為《ため》、|天下万民《てんかばんみん》の|為《ため》に|最善《さいぜん》の|努力《どりよく》を|尽《つく》し、|不惜身命《ふじやくしんみやう》の|大活動《だいくわつどう》を|継続《けいぞく》し、|五六七神政《みろくしんせい》の|御用《ごよう》に|奉仕《ほうし》せしものと|思《おも》ひしは、わが|心《こころ》の|驕《おごり》なりしか。アヽわれ|如何《いか》に|心力《しんりよく》を|尽《つく》すと|雖《いへど》も、|無限絶対《むげんぜつたい》、|無始無終《むしむしう》の|大神《おほかみ》の|大御心《おほみこころ》に|比《くら》ぶれば、|九牛《きうぎう》の|一毛《いちまう》だにも|及《およ》び|難《がた》し。|慢心《まんしん》|取違《とりちがひ》の………われは|標本人《へうほんにん》なりしか、|吁《あゝ》|浅《あさ》ましや|浅《あさ》ましや。|慈愛《じあい》|深《ふか》き|誠《まこと》の|神様《かみさま》、|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|鷹鳥姫《たかとりひめ》が|不明《ふめい》を|憐《あは》れみ|給《たま》ひ、|神業《しんげふ》の|一端《いつたん》に|奉仕《ほうし》せしめられむことを|懇願《こんぐわん》|致《いた》します。|唯今《ただいま》より|心《こころ》を|悔《く》い|改《あらた》め、|誠《まこと》の|神《かみ》の|召使《めしつかひ》として|微力《びりよく》の|限《かぎ》りを|尽《つく》させ|下《くだ》さいませ。|神慮《しんりよ》|宏遠《くわうゑん》にして、|吾等《われら》|凡夫《ぼんぶ》の|如何《いか》でか|窺知《きち》し|奉《たてまつ》るを|得《え》む。|今《いま》まで|犯《をか》せし|天津罪《あまつつみ》|国津罪《くにつつみ》は|申《まを》すも|更《さら》なり、|知《し》らず|識《し》らずに|作《つく》りし|許々多久《ここたく》の|罪穢《つみけがれ》を|恵《めぐみ》の|風《かぜ》に|吹払《ふきはら》ひ、|助《たす》け|給《たま》へ。アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|咽《むせ》びながら|一心不乱《いつしんふらん》に|天地《てんち》の|神霊《しんれい》に|謝罪《しやざい》と|祈願《きぐわん》を|籠《こ》めて|居《ゐ》る。|四辺《しへん》を|包《つつ》みし|白煙《はくえん》は|忽《たちま》ち|晴《は》れて、|四辺《あたり》を|見《み》れば|此《こ》は|如何《いか》に、|鷹鳥姫《たかとりひめ》が|庵《いほり》の|前《まへ》の|苔蒸《こけむ》す|花園《はなぞの》であつた。|何処《いづこ》よりともなく|三柱《みはしら》の|美人《びじん》、|上枝姫《ほづえひめ》、|中枝姫《なかえひめ》、|下枝姫《しづえひめ》は、|玉《たま》の|如《ごと》き|顔貌《かんばせ》に、|梅花《ばいくわ》の|笑《わら》ふが|如《ごと》き|装《よそほ》ひにて|現《あら》はれ|来《きた》り、|鷹鳥姫《たかとりひめ》、|若彦《わかひこ》、|金助《きんすけ》、|銀公《ぎんこう》の|手《て》を|取《と》りて|引起《ひきおこ》し、|懐《ふところ》より|幣《ぬさ》を|取出《とりだ》して|四人《よにん》が|塵《ちり》を|打払《うちはら》ひ、|労《いた》はり|助《たす》けて|庵《いほり》の|内《うち》に|進《すす》み|入《い》る。スマートボール、カナンボール|以下《いか》|一同《いちどう》は|如何《いかが》はしけむ、|身体《しんたい》|強直《きやうちよく》し、|立《たち》はだかつた|儘《まま》|此《この》|光景《くわうけい》を|不審《ふしん》げに|目送《もくそう》して|居《ゐ》る。|谷《たに》の|木霊《こだま》に|響《ひび》く|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》、|雷《いかづち》の|如《ごと》く|聞《きこ》えて|来《き》た。
(大正一一・五・二七 旧五・一 松村真澄録)
第一四章 |初稚姫《はつわかひめ》〔七〇六〕
|杢助《もくすけ》『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》す |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|誠《まこと》の|道《みち》を|踏《ふ》み|外《はづ》し |心《こころ》|鷹《たか》ぶる|高姫《たかひめ》が
|小《ちひ》さき|意地《いぢ》に|囚《とら》はれて |錦《にしき》の|宮《みや》を|守《まも》ります
|玉照彦《たまてるひこ》や|玉照《たまてる》の |姫《ひめ》の|命《みこと》や|言依《ことより》の
|別《わけ》の|命《みこと》の|御心《みこころ》を |空《そら》|吹《ふ》く|風《かぜ》のいと|軽《かる》く
|聞《き》き|流《なが》したる|身《み》の|報《むく》い |鷹鳥山《たかとりやま》の|頂《いただ》きに
|現《あら》はれ|給《たま》ひし|黄金《わうごん》の |神《かみ》の|化身《けしん》が|誡《いまし》めの
|礫《つぶて》に|谷間《たにま》へ|顛落《てんらく》し |苦《くる》しみ|悶《もだ》ゆる|娑婆《しやば》|世界《せかい》
|心《こころ》|一《ひと》つの|持《も》ちやうで |神《かみ》の|造《つく》りし|此《この》|国《くに》は
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》|地獄道《ぢごくだう》 |自由自在《じいうじざい》に|開《ひら》けゆく
|吾《わが》|身《み》の|作《つく》りし|修羅《しゆら》|畜生《ちくしやう》 |心《こころ》の|中《なか》の|枉鬼《まがおに》に
|虐《しひた》げられて|高姫《たかひめ》は |清泉《せいせん》|忽《たちま》ち|濁《にご》り|水《みづ》
|湧《わ》きかへりたる|胸《むね》の|中《うち》 |聞《き》くも|無残《むざん》な|今日《けふ》の|春《はる》
|花《はな》|咲《さ》き|匂《にほ》ひ|風《かぜ》|薫《かを》り |小鳥《ことり》は|歌《うた》ひ|蝶《てふ》は|舞《ま》ふ
|花《はな》と|花《はな》とに|包《つつ》まれし |常世《とこよ》の|春《はる》も|目《ま》のあたり
|神《かみ》の|大道《おほぢ》を|白煙《しらけむり》 |深《ふか》く|包《つつ》まれ|目《め》も|鼻《はな》も
|口《くち》さへ|利《き》かぬ|浅《あさ》ましさ それに|続《つづ》いて|若彦《わかひこ》が
|血気《けつき》にはやる|雄健《をたけ》びの たけび|外《はづ》して|久方《ひさかた》の
|天津空《あまつそら》より|降《くだ》り|来《く》る |神《かみ》の|礫《つぶて》に|身《み》を|打《う》たれ
|忽《たちま》ち|地上《ちじやう》に|倒《たふ》れ|伏《ふ》し |息《いき》|絶《た》え|絶《だ》えの|瞬間《しゆんかん》に
|心《こころ》の|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》 |天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|楽園《らくゑん》を
|初《はじ》めて|覚《さと》る|胸《むね》の|中《うち》 |今迄《いままで》|犯《をか》せし|身《み》の|罪《つみ》や
|心《こころ》の|汚《けが》れ|忽《たちま》ちに |悟《さと》りの|風《かぜ》に|吹《ふ》き|払《はら》ひ
|初《はじ》めて|此処《ここ》に|麻柱《あななひ》の |真《まこと》の|司《つかさ》となりにけり
あゝ|高姫《たかひめ》よ|若彦《わかひこ》よ |娑婆即寂光《しやばそくじやくくわう》|浄土《じやうど》ぞや
|神《かみ》も|仏《ほとけ》も|枉鬼《まがおに》も |大蛇《をろち》|醜女《しこめ》も|狼《おほかみ》も
|心《こころ》を|焦《いら》つ|針《はり》の|山《やま》 |身《み》を|苦《くる》しむる|火《ひ》の|車《くるま》
|忽《たちま》ち|消《き》ゆる|水《みづ》の|霊《たま》 |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の
|千座置戸《ちくらおきど》の|勲《いさをし》に |心《こころ》の|空《そら》の|雲霧《くもきり》を
|払《はら》はせたまふ|神言《かみごと》を |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|嬉《うれ》しみて
|尊《たふと》き|恵《めぐみ》を|忘《わす》れなよ |神《かみ》は|汝《なんぢ》と|倶《とも》にあり
とは|云《い》ふものの|拗《ねぢ》けたる |身魂《みたま》の|主《ぬし》に|何《なん》として
|正《ただ》しき|神《かみ》の|坐《い》まさむや あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|恩頼《みたまのふゆ》を|蒙《かかぶ》りて |心《こころ》の|岩戸《いはと》を|押《お》し|開《ひら》き
|誠明石《まことあかし》の|浦風《うらかぜ》に |真帆《まほ》をあげつつ|往《ゆ》く|船《ふね》の
|浪《なみ》のまにまに|消《き》ゆるごと |一日《ひとひ》も|早《はや》く|八千尋《やちひろ》の
|海《うみ》より|深《ふか》き|罪咎《つみとが》を |祓戸四柱大御神《はらひどよはしらおほみかみ》
|祓《はら》はせ|給《たま》へ|神《かみ》の|子《こ》と |生《うま》れ|出《い》でたる|高姫《たかひめ》や
|若彦《わかひこ》つづいて|玉能姫《たまのひめ》 |金助《きんすけ》、|銀公《ぎんこう》|其《その》|他《ほか》の
バラモン|教《けう》に|仕《つか》へたる スマートボールを|始《はじ》めとし
カナンボールや|鉄《てつ》、|熊《くま》や |其《その》|他《ほか》|数多《あまた》の|教子《をしへご》よ
|早《はや》く|身魂《みたま》を|立《た》て|直《なほ》せ |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》ける |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|誠《まこと》|一《ひと》つの|神《かみ》の|道《みち》 |幾千代《いくちよ》|迄《まで》も|変《かは》らまじ
|変《かは》らぬ|誠《まこと》の|一道《ひとみち》に |向《むか》ひまつりて|松《まつ》の|世《よ》の
|光《ひかり》ともなり|花《はな》となり |塩《しほ》ともなりて|世《よ》の|中《なか》の
|汚《けが》れを|清《きよ》め|味《あぢ》をつけ |神《かみ》の|柱《はしら》とうたはれて
|恥《はぢ》らふことのなき|迄《まで》に |磨《みが》き|悟《さと》れよ|神《かみ》の|子《こ》よ
|神《かみ》に|仕《つか》へし|杢助《もくすけ》が |赤《あか》き|心《こころ》を|立《た》て|通《とほ》し
|初稚姫《はつわかひめ》の|命《みこと》もて |玉能《たまの》の|姫《ひめ》の|神魂《しんこん》を
|此処《ここ》に|伴《ともな》ひ|来《きた》りたり |汝《なんぢ》|高姫《たかひめ》、|若彦《わかひこ》よ
|神《かみ》の|御声《みこゑ》に|目《め》を|醒《さ》ませ |心《こころ》にかかる|村雲《むらくも》も
|忽《たちま》ち|晴《は》れて|日月《じつげつ》の |光《ひかり》|照《て》らすは|目《ま》のあたり
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|歌《うた》ひつつ|時置師神《ときおかしのかみ》の|杢助《もくすけ》は、|初稚姫《はつわかひめ》を|背《せな》に|負《お》ひ、|玉能姫《たまのひめ》と|諸共《もろとも》に|此《この》|場《ば》を|指《さ》して|現《あら》はれた。
|此《この》|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》に|鷹鳥姫《たかとりひめ》、|若彦《わかひこ》、|金《きん》、|銀《ぎん》の|四人《よにん》は|身体《しんたい》|元《もと》の|如《ごと》く|自由《じいう》となりて|立《た》ち|上《あが》り、|杢助《もくすけ》の|前《まへ》に|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|咽《むせ》びながら|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|感謝《かんしや》の|意《い》を|表《へう》し、|恭《うやうや》しく|首《かうべ》を|垂《た》れて|居《ゐ》る。
|杢助《もくすけ》『|皆《みな》さま、|大変《たいへん》なおかげを|頂《いただ》きましたなア』
|鷹鳥姫《たかとりひめ》『ハイ、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|余《あま》り|吾々《われわれ》の|偉《えら》い|取違《とりちが》ひで、|今迄《いままで》|開《あ》いた|口《くち》のすぼめやうが|御座《ござ》いませぬ』
|若彦《わかひこ》『|御神諭《ごしんゆ》の|通《とほ》りアフンと|致《いた》しました』
|杢助《もくすけ》『|随分《ずゐぶん》|沢山《たくさん》な|警護《けいご》の|役人《やくにん》が、|竹槍《たけやり》を|持《も》つて|御守護《ごしゆご》|遊《あそ》ばして|居《を》られますな。|此《この》|方々《かたがた》は|何時《いつ》お|出《いで》になつたのですか』
|鷹鳥姫《たかとりひめ》『ハイ、|吾々《われわれ》の|心《こころ》に|潜《ひそ》む|悪魔《あくま》を|追出《おひだ》しに|来《き》て|下《くだ》さつた|御恩《ごおん》の|深《ふか》いお|方《かた》|計《ばか》りです』
|若彦《わかひこ》『|此《この》|方々《かたがた》はバラモン|教《けう》の|蜈蚣姫《むかでひめ》さまの|部下《ぶか》の|方《かた》ださうです。|厚《あつ》いお|世話《せわ》になりました。|何卒《どうぞ》|貴方《あなた》から|宜敷《よろし》くお|礼《れい》を|云《い》うて|下《くだ》さいませ』
|体《からだ》は|棒《ぼう》のやうになつて|強直《きやうちよく》したバラモン|教《けう》の|連中《れんちう》も、|首《くび》から|上《うへ》は|自由《じいう》が|利《き》くので|互《たがひ》に|首《くび》を|掉《ふ》り、|顔《かほ》を|見合《みあは》せ、|小声《こごゑ》になつて、
スマート『オイ、カナン、|嫌《いや》らしい|事《こと》を|云《い》ふぢやないか。|散々《さんざん》|悪口《あくこう》をつかれ、|危《あぶ》ない|目《め》に|遇《あ》はされた|俺達《おれたち》に|向《むか》ひ、|礼《れい》を|云《い》つて|呉《く》れと|吐《ぬか》しやがる。この|御礼《おれい》は|中々《なかなか》|骨《ほね》があるぞ。|確《しつか》りして|居《を》らぬと、|中空《ちうくう》より|飛行機《ひかうき》|墜落《つゐらく》|惨死《ざんし》の|幕《まく》が|切《き》つて|落《おと》されるかも|知《し》れない。|困《こま》つたものだなア』
カナン『|何《なん》と|云《い》うても、この|通《とほ》り|不動《ふどう》の|金縛《かなしば》りを|食《く》うたのだから|謝罪《あやま》るより|仕方《しかた》がない。|抵抗《ていかう》しようと|云《い》うた|所《ところ》で、こんな|木像《もくざう》では|何《ど》うする|事《こと》も|出来《でき》ぬぢやないか』
と|囁《ささや》いて|居《ゐ》る。|杢助《もくすけ》の|背《せな》から|下《おろ》された|初稚姫《はつわかひめ》は|一同《いちどう》の|前《まへ》に|立《た》ち、|忽《たちま》ち|神懸《かみがか》り|状態《じやうたい》になつて|仕舞《しま》つた。|一同《いちどう》は|期《き》せずして|初稚姫《はつわかひめ》に|視線《しせん》を|向《む》けた。|初稚姫《はつわかひめ》は|言《ことば》|静《しづか》に、
『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|鷹鳥姫《たかとりひめ》、|若彦《わかひこ》|其《その》|他《た》|一同《いちどう》の|人々《ひとびと》よ、|八岐大蛇《やまたのをろち》の|猛《たけ》り|狂《くる》ふ|世《よ》の|中《なか》、|暗黒無道《あんこくむだう》の|娑婆《しやば》|世界《せかい》とは|云《い》ひながら、|汝等《なんぢら》が|心《こころ》の|岩戸《いはと》|開《ひら》けし|上《うへ》は|暗黒無明《あんこくむみやう》の|此《この》|世《よ》も、もはや|娑婆《しやば》|世界《せかい》ではない、|天国《てんごく》|浄土《じやうど》である。|娑婆即寂光浄土《しやばそくじやくくわうじやうど》の、|至歓《しくわん》|至楽《しらく》のパラダイスだ。|汝等《なんぢら》は|八岐大蛇《やまたのをろち》を|言向《ことむ》け|和《やは》し、ミロク|神政《しんせい》の|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せむと|欲《ほつ》せば、|先《ま》づ|汝《なんぢ》が|心《こころ》の|娑婆《しやば》|世界《せかい》をして|天国《てんごく》|浄土《じやうど》たらしめよ。この|世界《せかい》は|汝《なんぢ》が|心《こころ》によりて|天国《てんごく》ともなり|又《また》|地獄《ぢごく》ともなるものぞ。|風《かぜ》は|清《きよ》く|山《やま》は|青《あを》く、|河《かは》|悠久《とこしへ》に|流《なが》れ、|木々《きぎ》の|梢《こずゑ》は|緑《みどり》の|芽《め》を|吹《ふ》き|出《いだ》し、|花《はな》は|笑《わら》ひ|小鳥《ことり》は|歌《うた》ひ、|蝶《てふ》は|舞《ま》ひ、|自然《しぜん》の|音楽《おんがく》は|不断《ふだん》に|聞《きこ》え、|森羅万象《しんらばんしやう》|心地《ここち》よげに|舞踏《ぶたふ》し、|吾等《われら》の|目《め》を|楽《たの》しましめ、|耳《みみ》を|喜《よろこ》ばせ、|馨《かんば》しき|匂《にほ》ひは|鼻《はな》を|養《やしな》ふ。|木《こ》の|実《み》は|実《みの》り|五穀《ごこく》は|熟《じゆく》し、|魚《うを》は|跳《は》ね、|野菜《やさい》は|笑《ゑみ》を|含《ふく》みて|吾等《われら》が|食《くら》ふを|待《ま》つ。|大道《だいだう》|耽々《たんたん》として|開《ひら》け、|鉄橋《てつけう》、|石橋《せきけう》、|木橋《もくけう》は|架渡《かけわた》され、|道《みち》|往《ゆ》く|旅人《たびびと》も|夕《ゆふべ》になれば|旅宿《りよしゆく》ありて|叮寧《ていねい》に|宿泊《しゆくはく》せしめ、|湯《ゆ》を|与《あた》へ|食《しよく》を|与《あた》へ|暖《あたた》かき|寝具《しんぐ》を|提供《ていきよう》し、|往《ゆ》くとして|天国《てんごく》の|状況《じやうきやう》ならざるはない。|遠《とほ》きに|往《ゆ》かむとすれば|汽車《きしや》あり、|電車《でんしや》あり、|郵便《ゆうびん》|電信《でんしん》の|便《べん》あり、|斯《か》くの|如《ごと》き|完全無欠《くわんぜんむけつ》の|神国《しんこく》に|生《せい》を|託《たく》しながら、|是《これ》をしも|娑婆《しやば》|世界《せかい》と|観《くわん》じ、|暗黒《あんこく》|無明《むみやう》の|世《よ》と|見《み》るは|何故《なにゆゑ》ぞ、|汝《なんぢ》の|心《こころ》が|暗《くら》きが|故《ゆゑ》なり、|身魂《みたま》の|汚《けが》れたる|為《ため》なり。|宣伝歌《せんでんか》に|云《い》はずや「|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》、|心《こころ》もひろき|大直日《おほなほひ》」と、あゝ|斯《かく》の|如《ごと》き|直日《なほひ》の|神《かみ》の|神恩《しんおん》|天《てん》の|高《たか》くして|百鳥《ももどり》の|飛《と》ぶに|任《まか》すが|如《ごと》く、|海《うみ》の|深《ふか》く|広《ひろ》くして|魚鼈《ぎよべつ》の|踊《をど》るに|任《まか》すが|如《ごと》き、|直日《なほひ》の|心《こころ》を|以《もつ》て|一切《いつさい》|衆生《しゆじやう》に|臨《のぞ》めば、|何《いづ》れも|皆《みな》|神《かみ》の|光《ひかり》ならざるはなく|恵《めぐみ》ならざるはなし。|鬼《おに》もなければ|仇《あだ》もなし、|暗《やみ》もなければ|汚《けが》れもなし。|一日《ひとひ》も|早《はや》く|真心《まごころ》に|省《かへり》み、|一切《いつさい》に|対《たい》して|心《こころ》|静《しづか》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ、|以前《いぜん》の|誤解《ごかい》は|速《すみや》かに|宣《の》り|直《なほ》せよ。これ|惟神《かむながら》なるミロクの|万有《ばんいう》に|与《あた》へ|給《たま》ふ|大御恵《おほみめぐみ》なるぞよ。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|云《い》ひ|終《をは》つて|初稚姫《はつわかひめ》は|元《もと》に|復《ふく》し、|再《ふたた》び|杢助《もくすけ》の|背《せ》に|愛《あい》らしき|幼《をさな》き|姿《すがた》を|托《たく》した。
|鷹鳥姫《たかとりひめ》、|若彦《わかひこ》は|一言《いちごん》も|発《はつ》し|得《え》ず|地《つち》に|噛《かじ》りつき、|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》|止《と》め|度《ど》なく|身《み》を|慄《ふる》はして|居《ゐ》た。|今迄《いままで》|玉能姫《たまのひめ》と|見《み》えしは|幽体《いうたい》にて、かき|消《け》す|如《ごと》く|消《き》え|失《う》せた。|杢助《もくすけ》|父子《おやこ》の|姿《すがた》も、|如何《いかが》なりしか|目《め》にも|止《と》まらず、スマートボール|以下《いか》の|人々《ひとびと》も|何時《いつ》しか|消《き》えて、|白雲《しらくも》の|漂《ただよ》ふ|天津日《あまつひ》は|煌々《くわうくわう》として|此《この》|光景《くわうけい》を|見下《みおろ》したまひつつあつた。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・五・二七 旧五・一 加藤明子録)
第一五章 |情《なさけ》の|鞭《むち》〔七〇七〕
|時置師神《ときおかしのかみ》、|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》は、|忽然《こつぜん》として|此《こ》の|場《ば》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。|何時《いつ》の|間《ま》にか|押寄《おしよ》せ|来《きた》りしバラモン|教《けう》のスマートボール|以下《いか》|数拾人《すうじふにん》の|人影《ひとかげ》も、|煙《けむり》の|如《ごと》く|消《き》えて|了《しま》つた。|鷹鳥姫《たかとりひめ》、|若彦《わかひこ》は|互《たがひ》に|顔《かほ》を|見合《みあは》せ、|不審《ふしん》の|念《ねん》に|駆《か》られながら、
|鷹鳥姫《たかとりひめ》『これ|若彦《わかひこ》さま、なんと|不思議《ふしぎ》ぢやありませぬか。|私《わたくし》は|貴方《あなた》に|御留守《おるす》を|頼《たの》み、|此《この》|山《やま》の|頂《いただき》に|玉能姫《たまのひめ》さまと|登《のぼ》つて|見《み》れば、|黄金《わうごん》の|立像《りつざう》|四辺《あたり》|眩《まば》ゆき|許《ばか》りに|輝《かがや》き|給《たま》ひ、|荘厳無比《さうごんむひ》にして|近《ちか》づくべからざるやうでしたが、|勇気《ゆうき》を|出《だ》して|御側《おそば》|近《ちか》く|立寄《たちよ》つたと|思《おも》へば、|左右《さいう》の|御手《みて》を|伸《の》ばして|吾等《われら》|二人《ふたり》を|中空《ちうくう》に|投《ほ》り|上《あ》げ|給《たま》ひ、|後《あと》は|夢心地《ゆめごこち》、|覚《さ》めて|見《み》れば|吾《わが》|庵《いほり》の|庭先《にはさき》に|倒《たふ》れてゐました。さうして|天《てん》より|神《かみ》さまの|声《こゑ》|聞《きこ》え、いろいろの|教訓《けうくん》を|賜《たま》はりし|時《とき》は、|実《じつ》に|畏《おそ》れ|入《い》つて|自分《じぶん》の|今《いま》までの|罪《つみ》が|山《やま》の|如《ごと》く|前《まへ》に|現《あら》はれ|来《きた》り、|何《なん》とも|云《い》へぬ|心《こころ》の|苦《くる》しさ。|今迄《いままで》の|取違《とりちが》ひを|全《まつた》く|覚《さと》り、|神《かみ》さまに|罪《つみ》を|赦《ゆる》されたと|思《おも》へば、バラモン|教《けう》の|人《ひと》は|竹槍《たけやり》を|以《もつ》て、|妾《わたし》|等《たち》|二人《ふたり》を|突《つ》き|滅《ほろ》ぼさむと|攻《せ》め|寄《よ》せ|来《きた》る|危機一髪《ききいつぱつ》の|際《さい》、|杢助《もくすけ》さまは|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》を|背《せな》に|負《お》ひ、|玉能姫《たまのひめ》さまを|伴《ともな》ひ、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ、|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》を|背《せな》より|下《おろ》し|給《たま》うたと|思《おも》へば、|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》は|神懸《かみがかり》|状態《じやうたい》に|御成《おな》り|遊《あそ》ばし、|娑婆即寂光浄土《しやばそくじやくくわうじやうど》の|因縁《いんねん》を|細々《こまごま》と|御説《おと》き|下《くだ》され、ヤレ|有難《ありがた》やと|伏《ふ》し|拝《をが》むと|見《み》れば、|三人《さんにん》の|御姿《おすがた》は|煙《けむり》と|消《き》えて|了《しま》はれた。|不思議《ふしぎ》な|事《こと》があればあるものだなア』
|若彦《わかひこ》『|私《わたくし》も|其《そ》の|通《とほ》りで|御座《ござ》います。|天《てん》から|女神《めがみ》の|声《こゑ》|聞《きこ》え、いろいろの|尊《たふと》き|教訓《けうくん》を|賜《たま》はり、|杢助《もくすけ》|様《さま》|一行《いつかう》は|現《げん》に|此処《ここ》に|御出《おい》でになつたのは、|決《けつ》して|夢《ゆめ》でも|現《うつつ》でもありますまい。|又《また》|蜈蚣姫《むかでひめ》の|部下《ぶか》の|人々《ひとびと》が|攻《せ》め|寄《よ》せて|来《き》たのも|事実《じじつ》です。|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》は|杢助《もくすけ》|様《さま》|親子《おやこ》に|救《すく》はれたも|同様《どうやう》ですから、|黙《だま》つて|居《を》る|訳《わけ》には|行《ゆ》きますまい。|是《これ》から|杢助《もくすけ》|様《さま》の|御宿《おやど》を|訪《たづ》ね、|御礼《おれい》に|参《まゐ》らねばなりますまい』
『さうですかなア、|貴方《あなた》|御苦労《ごくらう》だが|妾《わたし》は|此処《ここ》に|神《かみ》|様《さま》の|御給仕《おきふじ》をしながら、|留守《るす》をしてゐます。|一度《いちど》|御礼《おれい》に|行《い》つて|来《き》て|下《くだ》さい。|金《きん》さま、|銀《ぎん》さま、|貴方《あなた》も|共《とも》に|助《たす》けて|頂《いただ》いたのだ。|若彦《わかひこ》さまと|一緒《いつしよ》に|杢助《もくすけ》さまの|宅《たく》|迄《まで》、|御礼《おれい》に|行《い》つてお|出《い》でなさい』
|金《きん》、|銀《ぎん》|一度《いちど》に、
『ハイ、|有難《ありがた》う、|御伴《おとも》|致《いた》します』
と|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|咽《むせ》ぶ。|茲《ここ》に|若彦《わかひこ》は|口《くち》を|嗽《そそ》ぎ|手《て》を|洗《あら》ひ、|高姫《たかひめ》、|金《きん》、|銀《ぎん》|二人《ふたり》と|共《とも》に、|神前《しんぜん》に|向《むか》ひ|恭《うやうや》しく|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|神言《かみごと》を|宣《の》り、|庵《いほり》を|後《あと》に|崎嶇《きく》たる|山坂《やまさか》を|伝《つた》ひ|伝《つた》ひて|下《くだ》り|行《ゆ》く。
|山麓《さんろく》の|稍《やや》|平坦《へいたん》なる|大木《たいぼく》の|茂《しげ》みに|差掛《さしかか》る|時《とき》しも、|午睡《ひるね》をしてゐた|拾数人《じふすうにん》の|男《をとこ》、|三人《さんにん》の|姿《すがた》を|見《み》るよりスツクと|立《た》ち|上《あが》り、|前途《ゆくて》に|大手《おほて》を|拡《ひろ》げ、
『ヤー、|其《その》|方《はう》は|三五教《あななひけう》の|若彦《わかひこ》であらう。|汝《なんぢ》は|玉能姫《たまのひめ》と|云《い》ふ|魔神《ましん》を|使《つか》つて、|俺達《おれたち》を|清泉《きよいづみ》に|投《な》げ|込《こ》んだ|悪神《あくがみ》の|張本《ちやうほん》、|手足《てあし》も|顔《かほ》も|傷《きず》だらけに|致《いた》しやがつた。サア、これからは|返報《へんぱう》がやしして|呉《く》れむ、|覚悟《かくご》をせよ』
と|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|棍棒《こんぼう》|打振《うちふ》り|攻《せ》め|来《きた》る。
|若彦《わかひこ》は|飽《あ》く|迄《まで》|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》を|支持《しぢ》すれども、|敵《てき》の|勢《いきほひ》|余《あま》り|猛烈《まうれつ》にして|危《あやふ》くなりければ、|四辺《あたり》の|枝《えだ》|振《ぶ》りよき|松《まつ》を|目蒐《めが》けて|猿《ましら》の|如《ごと》く|駆《か》け|上《のぼ》つた。|金助《きんすけ》、|銀公《ぎんこう》の|二人《ふたり》は|松《まつ》の|小株《こかぶ》を|楯《たて》に|取《と》り、
|金助《きんすけ》『オイ、スマートボール、カナンボールの|阿兄《あにい》、その|腹立《はらだち》は|最《もつと》もだが、|此《こ》の|宣伝使《せんでんし》の|知《し》つたことぢやない。|貴様等《きさまら》が|作《つく》つた|心《こころ》の|穽《おとしあな》に|落《お》ち|込《こ》んだのだ。|敵《てき》は|汝《なんぢ》の|心《こころ》に|潜《ひそ》んでゐるぞ。マア|気《き》を|落着《おちつ》けよ。|貴様《きさま》は|今《いま》|杢助《もくすけ》の|娘《むすめ》|初稚姫《はつわかひめ》に|危急《ききふ》を|救《すく》はれて、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|遁《に》げ|去《さ》りながら、|其《そ》の|御恩《ごおん》を|忘《わす》れ、|未《ま》だ|三五教《あななひけう》に|敵意《てきい》を|含《ふく》むのか。|貴様《きさま》|冷静《れいせい》に|考《かんが》へて|見《み》よ』
スマート『|考《かんが》へるも|考《かんが》へぬもあつたものかい。|俺《おれ》が|何時《いつ》|杢助《もくすけ》の|娘《むすめ》に|救《たす》けられたか。|莫迦《ばか》を|云《い》ふない、テンで|鷹鳥姫《たかとりひめ》の|庵《いほり》に|行《い》つたこともない。なア、カナン、|妙《めう》なことを|金助《きんすけ》の|奴《やつ》|吐《ぬか》すぢやないか』
『|吐《ぬか》すも|吐《ぬか》さぬもあつたものかい、|白々《しらじら》しい。|僅《わづ》か|一人《ひとり》や|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》に|向《むか》つて、|竹槍隊《たけやりたい》を|引率《いんそつ》し、|芋刺《いもざ》しにして|呉《く》れむと、|大人気《おとなげ》なくも|襲撃《しふげき》して|来《き》よつたぢやないか。|余《あま》り|空《そら》|惚《とぼ》けない』
『|貴様《きさま》はちつと|逆上《のぼ》せてゐよるなア。これから|俺《おれ》が|谷水《たにみづ》でも|掬《すく》つて|飲《の》ましてやらう』
『|逆上《のぼ》せて|居《ゐ》るのは|貴様等《きさまら》ぢや。|皆《みな》|神《かみ》|様《さま》が|貴様等《きさまら》のやうな|分《わか》らん|屋《や》には|相手《あひて》になるなと|云《い》つて、|若彦《わかひこ》さまを|此《こ》の|松《まつ》の|木《き》の|頂上《てつぺん》まで|上《のぼ》らせてござるのだ。ちつと|上《のぼ》せ|様《やう》が|違《ちが》ふぞ。|水《みづ》を|飲《の》ましてやると|云《い》ひよつたが、|俺《おれ》の|欲《ほつ》する|水《みづ》は、|飲《の》めば|直様《すぐさま》、|汗《あせ》や|小便《せうべん》になるやうな|水《みづ》ではない。|乾《かわ》くことなく、|尽《つ》くることなき|身魂《みたま》を|洗《あら》ふ|生命《いのち》の|水《みづ》だ。|瑞《みづ》の|身魂《みたま》の|救《すく》ひの|清水《せいすゐ》だ。サア、これから|俺《おれ》が|飲《の》ましてやらう。|確《しつか》り|聞《き》けよ』
カナン『|金助《きんすけ》の|奴《やつ》、|貴様《きさま》は|筒井順慶式《つついじゆんけいしき》だな。|腹《はら》の|黒《くろ》い|裏返《うらがへ》り|者《もの》、サア、|一《ひと》つ|目《め》を|覚《さ》ましてやらう。|覚悟《かくご》を|致《いた》せ』
と|迫《せま》り|来《きた》る。
|金助《きんすけ》『アハヽヽヽ、|俺《おれ》の|腹《はら》が|黒《くろ》いと|吐《ぬか》すが、|貴様《きさま》が|大将《たいしやう》と|仰《あふ》ぐ|蜈蚣姫《むかでひめ》は|何《ど》うだい。|身体《からだ》|一面《いちめん》|真黒《まつくろ》ぢやないか。|其《そ》の|股肱《ここう》と|仕《つか》へてゐる|貴様《きさま》の|顔《かほ》は|野山《のやま》の|炭焼《すみや》きか、|炭団玉《たどんだま》か、|但《ただし》は|屋根葺爺《やねふきおやぢ》か、アフリカの|黒《くろ》ン|坊《ばう》か、|烏《からす》のお|化《ば》けか、|紺屋《こんや》の|丁稚《でつち》か、|岩戸《いはと》を|閉《し》めた|曲神《まがかみ》か、|得体《えたい》の|分《わか》らぬ|真黒黒助《まつくろくろすけ》。アハヽヽヽ』
と|肩《かた》を|大《おほ》きく|揺《ゆす》り、|二三度《にさんど》|足《あし》で|大地《だいち》に|餅《もち》|搗《つ》きながら|笑《わら》つて|見《み》せた。スマート、カナンは|烈火《れつくわ》の|如《ごと》く|憤《いきどほ》り、
『|腹黒《はらぐろ》の|二枚舌《にまいじた》、|腰抜《こしぬ》け|野郎《やらう》|奴《め》、|云《い》はして|置《お》けば|際限《さいげん》もなき|雑言《ざふごん》|無礼《ぶれい》、|最早《もはや》|勘忍《かんにん》|相成《あひな》らぬ、|覚悟《かくご》|致《いた》せ』
と|武者振《むしやぶ》りつく。|金《きん》、|銀《ぎん》|二人《ふたり》は|拾数人《じふすうにん》を|相手《あひて》にコロンツ、コロンツと|格闘《かくとう》を|始《はじ》めた。
|松《まつ》の|大木《たいぼく》の|上《うへ》より|若彦《わかひこ》は|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『|神《かみ》の|造《つく》りし|神《かみ》の|国《くに》 |恵《めぐ》みの|露《つゆ》に|潤《うるほ》ひて
|大神宝《おほみたから》と|生《うま》れたる |世界《せかい》の|人《ひと》は|神《かみ》の|御子《みこ》
|人《ひと》のみならず|鳥《とり》|獣《けもの》 |魚貝《ぎよかひ》の|端《はし》に|至《いた》るまで
|神《かみ》の|造《つく》りし|貴《うづ》の|御子《みこ》 |互《たがひ》に|憎《にく》み|争《あらそ》ふは
|吾等《われら》を|造《つく》りし|祖神《おやがみ》の |深《ふか》き|心《こころ》に|背《そむ》くなり
スマートボール|其《その》|他《ほか》の バラモン|教《けう》の|人々《ひとびと》よ
|吾等《われら》も|同《おな》じ|天地《あめつち》の |神《かみ》のみ|息《いき》に|生《うま》れたる
|断《き》つても|断《き》れぬ|同胞《はらから》よ |愛《あい》し|愛《あい》され|助《たす》け|合《あ》ひ
|聖《きよ》き|尊《たふと》き|此《こ》の|世《よ》をば |一日《ひとひ》も|長《なが》く|存《なが》らへて
|皇大神《すめおほかみ》の|降《ふ》らします |恵《めぐみ》の|雨《あめ》に|浴《よく》し|合《あ》ひ
|互《たがひ》に|心《こころ》|打《う》ち|解《と》けて |四海同胞《しかいどうはう》の|標本《へうほん》を
|世界《せかい》に|示《しめ》し|神《かみ》の|子《こ》と |生《うま》れし|実《じつ》をめいめいに
|挙《あ》げよぢやないか|人々《ひとびと》よ |三五教《あななひけう》やバラモンと
|名《な》は|変《かは》れども|世《よ》を|救《すく》ふ |誠《まこと》と|心《こころ》は|皆《みな》|一《ひと》つ
|一《ひと》つ|心《こころ》に|睦《むつ》び|合《あ》ひ |下《くだ》らぬ|争《あらそ》ひ|打切《うちき》りて
|手《て》を|引合《ひきあ》うて|神《かみ》の|道《みち》 |花《はな》|咲《さ》く|春《はる》をやすやすと
|心《こころ》|楽《たの》しきパラダイス |進《すす》み|行《ゆ》く|世《よ》を|松《まつ》の|上《うへ》
|松《まつ》の|緑《みどり》の|若彦《わかひこ》が |皇大神《すめおほかみ》に|照《て》らされし
|心《こころ》の|魂《たま》を|打開《うちあ》けて |神《かみ》より|出《い》でし|同胞《はらから》に
|真心《まごころ》|籠《こ》めて|説《と》き|諭《さと》す あゝ|諸人《もろびと》よ|諸人《もろびと》よ
|三五教《あななひけう》やバラモンと |小《ちひ》さき|隔《へだ》てを|打破《うちやぶ》り
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御子《みこ》として |清《きよ》き|此《この》|世《よ》を|永遠《とこしへ》に
|千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|暮《くら》さうか |返答《へんたふ》|聞《き》かせ|早《はや》|聞《き》かせ
|汝《なれ》が|心《こころ》の|仇波《あだなみ》は |汝《なれ》が|心《こころ》に|立《た》ち|騒《さわ》ぐ
|波《なみ》の|鎮《しづ》まる|其《そ》の|間《あひだ》 この|若彦《わかひこ》は|何時《いつ》|迄《まで》も
|松《まつ》の|梢《こずゑ》に|安坐《あんざ》して |改心《かいしん》するを|待《ま》ち|暮《くら》す
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |神《かみ》は|吾等《われら》の|御親《みおや》ぞや
|人《ひと》は|残《のこ》らず|神《かみ》の|御子《みこ》 |人《ひと》と|人《ひと》とは|同胞《はらから》よ
|親子《おやこ》|兄弟《きやうだい》|睦《むつ》び|合《あ》ひ |五六七《みろく》の|神代《みよ》を|永遠《とこしへ》に
|手《て》を|引合《ひきあ》うて|楽《たのし》まむ |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あ》れまして
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|別《わ》け|給《たま》ふ |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》 |唯《ただ》|何事《なにごと》も|吾々《われわれ》は
|互《たがひ》に|胸《むね》を|明《あ》かし|合《あ》ひ |過《あやま》ちあらば|御互《おたがひ》に
|諫《いさ》め|交《かは》して|天地《あめつち》の |神《かみ》の|心《こころ》に|叶《かな》ひつつ
|二《ふた》つの|教《をしへ》を|解《と》け|合《あは》せ |誠《まこと》|一《ひと》つの|神界《しんかい》の
|道《みち》に|復《かへ》ろぢやないかいな |道《みち》に|進《すす》もぢやないかいな
これ|若彦《わかひこ》が|一生《いつしやう》の バラモン|教《けう》の|人々《ひとびと》に
|対《たい》して|願《ねが》ふ|真心《まごころ》ぞ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つた。
|俄《にはか》に|吹《ふ》き|来《く》る|春風《はるかぜ》に、|松葉《まつば》の|戦《そよ》ぎ【そよ】そよと、|梢《こずゑ》を|伝《つた》ひ|下《くだ》り|来《きた》る。|此《こ》の|言霊《ことたま》に|辟易《へきえき》し、スマートボールを|始《はじ》めとし、|数多《あまた》の|人々《ひとびと》|一散《いつさん》に、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|走《はし》り|行《ゆ》く。|金《きん》、|銀《ぎん》|一度《いちど》に、
『|若彦《わかひこ》さま、|貴方《あなた》の|宣伝歌《せんでんか》に|依《よ》つて|一同《いちどう》の|者《もの》は、|頭《あたま》を|抱《かか》へ|尻《しり》|引《ひつ》からげ、|初《はじ》めの|勢《いきほひ》にも|似《に》ず、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|遁《に》げ|散《ち》つて|了《しま》ひました。|併《しか》し|乍《なが》ら|彼等《かれら》とても|良心《りやうしん》の|閃《ひらめ》きはありませうが、さうぢやと|云《い》つて|決《けつ》して|油断《ゆだん》はなりませぬ。|気《き》をつけて|参《まゐ》りませうか』
|若彦《わかひこ》『マア|急《いそ》ぐに|及《およ》ばぬ。バラモン|教《けう》の|人々《ひとびと》に|対《たい》し、|私《わたくし》の|宣伝歌《せんでんか》が|功《こう》を|奏《そう》したか、|奏《そう》しなかつたかは|知《し》りませぬが、|兎《と》も|角《かく》|吾々《われわれ》の|進路《しんろ》を|開《ひら》いて|呉《く》れただけでも|結構《けつこう》だ。|此《こ》の|松《まつ》の|木《き》の|麓《ふもと》に|於《おい》て|大神《おほかみ》さまに|感謝《かんしや》の|祝詞《のりと》を|献《ささ》げませう』
と|言《い》ひ|終《をは》り|早《はや》くも|拍手《はくしゆ》|再拝《さいはい》、|鷹鳥山《たかとりやま》の|絶頂《ぜつちやう》を|目標《めあて》に|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し|始《はじ》めた。|若彦《わかひこ》|外《ほか》|二人《ふたり》が|汗《あせ》を|流《なが》して|奏上《そうじやう》する|英気《えいき》に|充《み》ちた|顔《かほ》を、|遠慮《ゑんりよ》えしやくもなく|山《やま》の|春風《はるかぜ》が|吹《ふ》いて|通《とほ》る。
|再度山《ふたたびやま》の|山麓《さんろく》、|生田《いくた》の|森《もり》の|中《なか》に|庵《いほり》を|結《むす》ぶ|杢助《もくすけ》の|仮住居《かりずまゐ》、|形《かたち》ばかりの|門戸《もんこ》を|開《ひら》いて|入《い》り|来《きた》る|三人《さんにん》の|男《をとこ》があつた。その|中《なか》の|一人《ひとり》は|若彦《わかひこ》である。|若彦《わかひこ》は、
『|頼《たの》みます |頼《たの》みます』
と|門《もん》の|戸《と》を|叩《たた》いて|訪《おとな》へば、
『オー』
と|答《こた》へて|出《い》で|来《きた》る|以前《いぜん》の|杢助《もくすけ》、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》にて、
『ヤーお|前《まへ》さまは|若彦《わかひこ》の|宣伝使《せんでんし》さま、|鷹鳥山《たかとりやま》の|庵《いほり》に|於《おい》て|身魂《みたま》を|研《みが》き、|旁《かたがた》|御教《みをしへ》を|鷹鳥姫《たかとりひめ》と|共《とも》に|四方《よも》に|宣伝《せんでん》して|御座《ござ》ると|聞《き》いて|居《ゐ》たが、|今日《けふ》は|又《また》|如何《いか》なる|風《かぜ》の|吹《ふ》き|廻《まは》しか、|此《こ》の|杢助《もくすけ》が|隠家《かくれが》を|訪《たづ》ねて|御越《おこ》し|遊《あそ》ばしたのは、|如何《いか》なる|御用《ごよう》でございますか』
『|最前《さいぜん》は|鷹鳥姫《たかとりひめ》|様《さま》|始《はじ》め|吾々《われわれ》|一同《いちどう》、いかい|御世話《おせわ》になりました。|御礼《おれい》を|申《まを》さむかと|思《おも》ふ|間《ま》もなく、|貴方《あなた》は|初稚姫《はつわかひめ》さま、|玉能姫《たまのひめ》と|共《とも》に|御帰《おかへ》り|遊《あそ》ばしたので、|鷹鳥姫《たかとりひめ》さまも|一《ひと》つ、|言葉《ことば》の|御礼《おれい》に|行《い》つて|来《こ》ねば|済《す》まないから「|若彦《わかひこ》、お|前《まへ》|御礼《おれい》に|行《い》つて|来《こ》い」との|仰《あふ》せ、|遅《おく》れながら|只今《ただいま》|参《まゐ》りました』
『|此《こ》の|日《ひ》の|暮《くれ》|紛《まぎ》れに|三人連《さんにんづ》れで、|此処《ここ》へやつて|来《く》るとは|合点《がてん》が|行《ゆ》かぬ。|此《こ》の|杢助《もくすけ》は|二三日前《にさんにちまへ》から|閾《しきゐ》|一《ひと》つ|跨《また》げた|事《こと》はござらぬ。|随《したが》つて|貴方《あなた》を|最前《さいぜん》とやら|御助《おたす》け|申《まを》した|覚《おぼ》えはござらねば、|何《ど》うぞ|此《この》|儘《まま》|御帰《おかへ》り|下《くだ》さいませ』
と|膠《にべ》も|杓子《しやくし》もなく、|榎《えのき》で|鼻《はな》を|擦《こす》つたやうな|挨拶《あいさつ》|振《ぶ》り、|稍《やや》|面《つら》を|膨《ふく》らし、|目《め》を|凝視《みつ》めて|不機嫌顔《ふきげんがほ》、|若彦《わかひこ》は|合点《がてん》|行《ゆ》かず、|暫《しば》し|答《こた》ふる|言葉《ことば》も|知《し》らなかつたが、|思《おも》ひ|切《き》つたやうに、
『|玉能姫《たまのひめ》は|貴方《あなた》の|宅《うち》に|御世話《おせわ》になつて|居《を》りませぬか』
『それを|訊《たず》ねて|何《なん》となさる。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》たるものは、|一切《いつさい》を|神様《かみさま》に|任《まか》せ、|総《すべ》ての|執着《しふちやく》を|去《さ》り、|師匠《ししやう》を|杖《つゑ》につかず、|人《ひと》を|相手《あひて》とせず、|親子《おやこ》|女房《にようばう》|血類《けつるい》を|力《ちから》にすなとの|教《をしへ》ではござらぬか。|何《なに》を|血迷《ちまよ》うて|鷹鳥山《たかとりやま》の|霊場《れいぢやう》に|玉能姫《たまのひめ》を|伴《つ》れ|込《こ》み、|穢《けが》らはしくも|此《こ》の|杢助《もくすけ》の|宅《たく》に|玉能姫《たまのひめ》は|居《ゐ》ないかなぞと|以《もつ》ての|外《ほか》の|御心得《おこころえ》|違《ちが》ひ、|左様《さやう》な|腐《くさ》つた|魂《たましひ》の|宣伝使《せんでんし》には|今日《けふ》|限《かぎ》り|絶縁《ぜつえん》|致《いた》します。|此《こ》の|閾《しきゐ》、|一歩《いつぽ》でも|跨《また》げるなら、サア、|跨《また》げて|見《み》なさい』
|奥《おく》には|玉能姫《たまのひめ》の|咳《せき》|払《ばら》ひ、|若彦《わかひこ》の|耳《みみ》には|殊更《ことさら》|刺激《しげき》を|与《あた》へた。|玉能姫《たまのひめ》は|杢助《もくすけ》に|救《すく》はれ、|此処《ここ》に|病気《いたづき》の|身《み》を|横《よこた》へながら、|若彦《わかひこ》との|問答《もんだふ》を|心《こころ》|痛《いた》めて|聞《き》いて|居《ゐ》る。|飛《と》び|立《た》つばかり|会《あ》ひたさ|見《み》たさに、|玉能姫《たまのひめ》は|心《こころ》は|矢竹《やたけ》に|焦《あせ》れども、|人目《ひとめ》の|関《せき》や、|抜《ぬ》きさしならぬ|杢助《もくすけ》の|堅《かた》き|言葉《ことば》に|遮《さへぎ》られ、|何《なん》と|返答《いらへ》もないじやくり、|夜具《やぐ》に|食《く》ひつきハラハラと|涙《なみだ》を|袂《たもと》に|拭《ぬぐ》ひつつあつた。
|杢助《もくすけ》は|二人《ふたり》の|心《こころ》を|察《さつ》し|得《え》ない|程《ほど》の|木石漢《ぼくせきかん》にはあらねども、|二人《ふたり》を|思《おも》ふ|慈悲心《じひしん》の|波《なみ》にせかれて|涙《なみだ》を|隠《かく》し、|態《わざ》と|呶鳴声《どなりごゑ》、
『ヤイ、|黄昏《たそがれ》のこととて|顔《かほ》は|慥《たし》かに|分《わか》らねど、|其《そ》の|声《こゑ》は|若彦《わかひこ》によく|似《に》たり。|恐《おそ》らくは|若彦《わかひこ》に|間違《まちが》ひなからうかも|知《し》れぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら|三五教《あななひけう》には|不惜身命的《ふじやくしんみやうてき》|宣伝使《せんでんし》の|数多《あまた》|綺羅星《きらぼし》の|如《ごと》く、|心《こころ》の|玉《たま》を|輝《かがや》かし|神《かみ》の|教《をしへ》の|道《みち》を|猛進《まうしん》し、|世人《せじん》を|導《みちび》く|身分《みぶん》として|女房《にようばう》に|心《こころ》を|奪《うば》はれ、|教《をしへ》の|館《やかた》を|捨《す》てて|遥々《はるばる》|訪《たづ》ね|来《く》る|如《ごと》き|腰抜《こしぬ》けは|一人《ひとり》も|御座《ござ》らぬ。|汝《なんぢ》は|神《かみ》の|名《な》|否《いな》|宣伝使《せんでんし》の|雅号《ががう》をサツクとなし、|此《この》|世《よ》を|誑《たば》かる|泥坊《どろばう》の|類《たぐひ》ならむ。|汝《なんぢ》の|如《ごと》き|偽物《にせもの》、|諸方《しよはう》を|徘徊《はいくわい》|致《いた》すに|依《よ》つて、|第一《だいいち》|三五教《あななひけう》の|面《つら》|汚《よご》し、|獅子身中《しししんちう》|否《いな》|志士集団《しししふだん》の|団体《だんたい》をして|腰抜教《こしぬけけう》と|天下《てんか》に|誤解《ごかい》せしめ、|神《かみ》の|神聖《しんせい》を|冒涜《ばうとく》するもの、|汝《なんぢ》は|是《これ》より|己《おの》が|住家《すみか》へ|帰《かへ》り、|一意専念《いちいせんねん》|身魂《みたま》を|研《みが》き、|名実相合《めいじつあひがつ》する|神人《しんじん》となつて、|然《しか》る|後《のち》|宣伝使《せんでんし》が|希望《きばう》ならば|宣伝使《せんでんし》となれ。それが|嫌《いや》なら|只今《ただいま》の|儘《まま》|流浪人《さすらひびと》となつて|人《ひと》の|門戸《もんこ》を|叩《たた》き、|乞食《こじき》の|恥《はぢ》を|曝《さら》すがよからう。|斯《か》く|申《まを》す|杢助《もくすけ》の|心《こころ》は|千万無量《せんばんむりやう》、|推量《すゐりやう》|致《いた》して|名誉《めいよ》|泥坊《どろばう》の|二人《ふたり》と|共《とも》に|疾《と》く|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》れ。|又《また》|玉能姫《たまのひめ》とやらの|宣伝使《せんでんし》は、|神界《しんかい》のため|夫《をつと》に|暫《しばら》く|離《はな》れて|素盞嗚大神《すさのをのおほかみ》の|御楯《みたて》となり、|華々《はなばな》しき|功名《こうみやう》を|致《いた》す|迄《まで》、|夫《をつと》に|面会《めんくわい》は|致《いた》すまいぞ』
と|声《こゑ》|張《は》り|上《あ》げて|夫婦《ふうふ》に|聞《き》かす|杢助《もくすけ》が|情《なさけ》の|言葉《ことば》、|若彦《わかひこ》は|胸《むね》に|鎹《かすがひ》|打《う》たるる|心地《ここち》、|両手《りやうて》を|合《あは》せ|杢助《もくすけ》の|庵《いほり》を|伏《ふ》し|拝《をが》み、|名残《なごり》|惜《を》しげに|振返《ふりかへ》り|振返《ふりかへ》り、|二人《ふたり》の|男《をとこ》と|共《とも》に、|闇《やみ》の|帳《とばり》に|包《つつ》まれてしまつた。
|後《あと》に|杢助《もくすけ》は|声《こゑ》を|湿《しめ》らせながら|独言《ひとりごと》、
『|大神《おほかみ》のため、|世人《よびと》のためとは|云《い》ひながら、|生木《なまき》を|裂《さ》くやうな|杢助《もくすけ》が|仕打《しうち》ち、|若彦《わかひこ》|必《かなら》ず|恨《うら》んで|呉《く》れな。それに|就《つい》ても|玉能姫《たまのひめ》、せめて|一目《ひとめ》なりと|会《あ》はして|呉《く》れたら|良《よ》ささうなものだのに、|気強《きづよ》い|杢助《もくすけ》であると|嘸《さぞ》|恨《うら》んで|居《ゐ》るであらう。|最前《さいぜん》|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》の|御知《おし》らせに|依《よ》つて|鷹鳥山《たかとりやま》へ|救援《きうゑん》に|向《むか》ふ|折《を》りしも|玉能姫《たまのひめ》は|御伴《おとも》をしようと|云《い》つた。|其《その》|時《とき》|無下《むげ》に|叱《しか》りつけ|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》を|背《せな》に|負《お》ひ、|後《あと》に|心《こころ》を|残《のこ》しつつ|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|鷹鳥姫《たかとりひめ》が|館《やかた》に|行《い》つて|見《み》れば、|神《かみ》の|御告《おつげ》に|寸分《すんぶん》|違《たが》はず、|悲惨《ひさん》の|幕《まく》が|下《お》りて|居《ゐ》た。|玉能姫《たまのひめ》の|幽体《いうたい》は|又《また》|見《み》えつ|隠《かく》れつ|来《き》て|居《を》つたやうだ。|嗚呼《ああ》|無理《むり》もない。|併《しか》し|乍《なが》ら|今《いま》|会《あ》はせるは|易《やす》けれど、|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》の|御内命《ごないめい》もあり、|且《かつ》|又《また》|至仁至愛《みろく》の|大神様《おほかみさま》の|厳《きび》しき|御示《おしめ》し、|何程《なにほど》|玉能姫《たまのひめ》の|心情《しんじやう》を|察《さつ》すればとて、|神《かみ》さまの|仰《おほせ》には|背《そむ》かれず、|神《かみ》の|教《をしへ》と|人情《にんじやう》の|締木《しめき》にかかつた|此《こ》の|杢助《もくすけ》の|胸《むね》の|苦《くる》しさよ。アヽ|両人《りやうにん》、|今《いま》の|辛《つら》き|別《わか》れは|勝利《しようり》の|都《みやこ》に|達《たつ》する|首途《かどで》、|杢助《もくすけ》が|心《こころ》の|中《なか》も|些《ちつと》は|推量《すゐりやう》して|下《くだ》され』
と|流石《さすが》|剛毅《がうき》の|杢助《もくすけ》も|情《なさけ》に|絡《から》まれ、|潜々《さめざめ》と|落涙《らくるい》に|咽《むせ》んでゐる。|奥《おく》には|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》が|奏《かな》づる|一絃琴《いちげんきん》の|音《ね》、しとやかに|鼓膜《こまく》をそそる。
(大正一一・五・二七 旧五・一 外山豊二録)
第一六章 |千万無量《せんまんむりよう》〔七〇八〕
|玉能姫《たまのひめ》『|水《みづ》の|流《なが》れと|人《ひと》の|行末《ゆくすゑ》 |昨日《きのふ》や|今日《けふ》の|飛鳥川《あすかがは》
|淵瀬《ふちせ》と|変《かは》る|世《よ》の|中《なか》に |神《かみ》の|御水火《みいき》に|生《うま》れ|来《き》て
|夫《をつと》ともなり|妻《つま》となり |親子《おやこ》となるも|神《かみ》の|世《よ》の
|縁《えにし》の|糸《いと》に|結《むす》ばれて |解《と》くる|由《よし》なき|空蝉《うつせみ》の
うつつの|世《よ》ぞと|知《し》りながら |輪廻《りんね》の|雲《くも》に|包《つつ》まれて
|進《すす》みかねたる|恋《こひ》の|途《みち》 |暗路《やみぢ》に|迷《まよ》ふ|浅間《あさま》しさ
|日《ひ》は|照《て》り|渡《わた》り|月《つき》は|盈《み》ち |或《あるひ》は|虧《か》くる|世《よ》の|中《なか》に
|変《かは》らぬものは|親《おや》と|子《こ》の |尽《つ》きせぬ|名残《なごり》|妹《いも》と|背《せ》の
|深《ふか》き|契《ちぎり》と|白雲《しらくも》の |汝《なれ》は|東《ひがし》へ|吾《あ》は|西《にし》へ
|南《みなみ》や|北《きた》と|彷徨《さまよ》ひて いつかは|廻《めぐ》り|近江路《あふみぢ》や
|美濃《みの》|尾張《をはり》さへ|定《さだ》めなく |神《かみ》の|恵《めぐみ》を|遠江《とほとほみ》
|祈《いの》り|駿河《するが》の|富士《ふじ》の|山《やま》 |木花姫《このはなひめ》の|御神《おんかみ》に
|願《ねが》ひ|掛巻《かけま》く|甲斐《かひ》ありて |嬉《うれ》しき|逢瀬《あふせ》を|三保《みほ》の|浜《はま》
|浦凪《うらな》ぎ|渡《わた》る|羽衣《はごろも》の |松《まつ》の|響《ひびき》も|爽《さはや》かに
|風《かぜ》のまにまに|流《なが》れ|行《ゆ》く |此《この》|世《よ》を|救《すく》ふ|生神《いきがみ》の
|貴《うづ》の|御楯《みたて》と|選《えら》まれし |神《かみ》の|任《よさ》しの|宣伝使《せんでんし》
|千変万化《せんぺんばんくわ》に|身《み》を|窶《やつ》し |百《もも》の|艱難《なやみ》を|身《み》に|受《う》けて
|世人《よびと》を|救《すく》ふ|真心《まごころ》の |凝《こ》り|固《かた》まりし|夫婦仲《めをとなか》
|鷹鳥山《たかとりやま》の|頂《いただき》に |黄金《こがね》の|光《ひかり》を|放《はな》ちつつ
|衆生済度《しゆじやうさいど》の|御誓《おんちか》ひ |天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|基礎《いしずゑ》を
|堅磐常磐《かきはときは》に|固《かた》めむと |治《をさ》まる|御代《みよ》をみろくの|世《よ》
|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》や |豊国姫大御神《とよくにひめのおほみかみ》
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の |三《み》つの|御霊《みたま》の|神勅《みことのり》
|項《うなじ》にうけて|世《よ》を|開《ひら》く |心《こころ》の|色《いろ》も|若彦《わかひこ》の
|夫《つま》の|命《みこと》は|今《いま》|何処《いづこ》 |折角《せつかく》|会《あ》ひは|会《あ》ひながら
|人目《ひとめ》の|関《せき》に|隔《へだ》てられ |其《その》|声《こゑ》さへも|碌々《ろくろく》に
|聞《き》きも|得《え》ざりし|玉能姫《たまのひめ》 |果敢《はか》なき|夢路《ゆめぢ》を|辿《たど》りつつ
|生田《いくた》の|森《もり》の|吾《わが》|思《おも》ひ |稚姫君《わかひめぎみ》の|御霊《おんみたま》
|堅磐常磐《かきはときは》に|鎮《しづ》まりて |再《ふたた》び|神代《かみよ》を|立直《たてなほ》し
|四方《よも》の|天地《あめつち》|神人《かみびと》を |救《すく》はせ|給《たま》ふ|経綸地《けいりんち》
|守《まも》るも|嬉《うれ》しき|吾《わが》|身魂《みたま》 |行末《ゆくすゑ》こそは|楽《たの》しけれ
あゝ|吾《わが》|夫《つま》よ|若彦《わかひこ》よ |妾《わらは》がひそむ|此《この》|庵《いほり》
|遥々《はるばる》|訪《たづ》ね|来《きた》ります |清《きよ》き|尊《たふと》き|御心《おんこころ》
|仇《あだ》に|帰《かへ》せし|胸《むね》の|裡《うち》 うまらに|細《つぶ》さに|酌《く》み|取《と》りて
|必《かなら》ず|恨《うら》ませ|給《たま》ふまじ |此《この》|世《よ》を|救《すく》ふ|生神《いきがみ》の
|在《あ》れます|限《かぎ》り|汝《な》と|吾《われ》は |又《また》もや|何時《いつ》か|相生《あひおひ》の
|松《まつ》の|緑《みどり》の|常久《とこしへ》に |霜《しも》を|戴《いただ》く|世《よ》ありとも
|相互《たがひ》に|昔《むかし》を|語《かた》りつつ |歓《ゑら》ぎ|楽《たの》しむ|事《こと》あらむ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
|夫《つま》と|在《あ》れます|若彦《わかひこ》が |行末《ゆくすゑ》|厚《あつ》く|守《まも》りませ
|吾《われ》は|女《をんな》の|身《み》なれども |神《かみ》を|敬《うやま》ひ|天《あめ》が|下《した》
|四方《よも》の|身魂《みたま》を|慈《いつく》しむ |清《きよ》き|心《こころ》は|束《つか》の|間《ま》も
|胸《むね》に|放《はな》さず|天地《あめつち》の |神《かみ》に|祈《いの》りて|身《み》の|限《かぎ》り
|心《こころ》の|限《かぎ》り|三五《あななひ》の |誠《まこと》|一《ひと》つを|筑紫潟《つくしがた》
|心《こころ》の|底《そこ》も|不知火《しらぬひ》の |世人《よびと》は|如何《いか》に|騒《さわ》ぐとも
|只《ただ》|皇神《すめかみ》の|御為《おんため》に |夫婦《めをと》|心《こころ》を|協《あは》せつつ
|身《み》は|東西《とうざい》に|生《い》き|別《わか》れ |如何《いか》なる|艱難《なやみ》の|来《きた》るとも
|神《かみ》に|任《まか》せし|汝《な》が|命《みこと》 |妾《わらは》も|後《あと》より|大神《おほかみ》の
|御言《みこと》のままに|白雲《しらくも》の |遠《とほ》き|国《くに》をば|踏《ふ》み|分《わ》けて
|神《かみ》の|司《つかさ》の|宣伝使《せんでんし》 |山野《やまの》を|渉《わた》り|河《かは》を|越《こ》え
|海《うみ》に|浮《うか》びつ|常世国《とこよくに》 |高砂島《たかさごじま》の|果《はて》までも
|進《すす》みて|行《ゆ》かむ|惟神《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|一絃琴《いちげんきん》に|連《つ》れて|歌《うた》の|声《こゑ》|諸共《もろとも》に、|幽邃《かすか》に|庵《いほり》の|外《そと》に|響《ひび》き|渡《わた》りつつあつた。
|杢助《もくすけ》は|慨歎《がいたん》|稍《やや》|久《ひさ》しうして、|力《ちから》なげに|二女《にぢよ》が|琴《こと》を|弾《だん》ずる|其《その》|場《ば》に|現《あら》はれ、
『|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》、|大変《たいへん》に|音色《ねいろ》が|良《よ》くなりましたよ。|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、|貴女《あなた》の|音色《ねいろ》も|余程《よほど》|宜敷《よろし》|否《いな》、|稍《やや》|悲調《ひてう》を|帯《お》びて|居《ゐ》る|様《やう》です。|何《なに》かお|心《こころ》に|懸《かか》つた|事《こと》はありませぬか、|心《こころ》の|色《いろ》は|直《す》ぐに|言霊《ことたま》の|上《うへ》に|現《あら》はれるものですから』
|玉能姫《たまのひめ》『ハイ、|余《あんま》り|神様《かみさま》の|思召《おぼしめし》が|有難《ありがた》くて|身《み》に|沁《し》み|渡《わた》り、|又《また》|他人様《ひとさま》のお|情《なさけ》が|胸《むね》に|応《こた》へまして、|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|咽《むせ》んで|居《ゐ》ました』
『|世《よ》の|中《なか》は|喜《よろこび》があれば|悲《かなしみ》がある、|悲《かなしみ》の|後《あと》には|屹度《きつと》|喜《よろこ》ばしい|花《はな》が|咲《さ》くものです。|桜《さくら》の|花《はな》は|此《この》|通《とほ》り|夜《よる》の|嵐《あらし》に|無残《むざん》に|散《ち》りましたが、|梢《こずゑ》に|眺《なが》めた|花《はな》よりも|斯《か》う|一面《いちめん》|庭《には》の|面《おも》に|散《ち》り|敷《し》く|美《うつく》しさは|又《また》|一入《ひとしほ》ですな。|人間《にんげん》は|何事《なにごと》も|神様《かみさま》の|御心《みこころ》に|任《まか》すより|外《ほか》に|途《みち》はありませぬ。|如何《いか》なる|艱難辛苦《かんなんしんく》に|遭遇《さうぐう》するとも|悔《くや》むものでは|決《けつ》してありませぬ。|私《わたし》も|一人《ひとり》の|妻《つま》に|死別《しにわか》れ、|一度《いちど》は|悲《かな》しき|鰥鳥《やもめどり》の|幼児《をさなご》を|抱《かか》へて|浮世《うきよ》の|無常《むじやう》を|感《かん》じましたが「イヤ|待《ま》て|暫時《しばし》、|斯《か》くなり|行《ゆ》くも|人間業《にんげんわざ》ではない、|何《なに》か|深《ふか》き|思召《おぼしめし》のある|事《こと》であらう。|死別《しにわか》れた|女房《にようばう》は|不愍《ふびん》な|様《やう》だが、|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|神様《かみさま》は|屹度《きつと》|今《いま》より|以上《いじやう》、|結構《けつこう》な|処《ところ》へお|助《たす》け|下《くだ》さるであらう。あゝ|私《わし》が|悔《くや》めば|可愛《かあい》い|女房《にようばう》が|神《かみ》の|御国《みくに》へも|能《よ》う|行《ゆ》かず|輪廻《りんね》に|迷《まよ》ひ|苦《くるし》み|悶《もだ》えるであらう。|忘《わす》れるが|何《なに》よりだ」と|一念《いちねん》|発起《ほつき》した|上《うへ》は|却《かへつ》て|独身《ひとりみ》の|方《はう》が|結句《けつく》|気楽《きらく》で|宜《よろ》しい。|斯《こ》んな|事《こと》を|言《い》ふと「お|前《まへ》さまは|無情《むじやう》な|夫《をつと》だ」と|心《こころ》の|底《そこ》で|蔑《さげす》みも|笑《わら》ひもなさらうが、さてさて|何程《なにほど》|悔《くや》んで|見《み》た|所《ところ》で|仕方《しかた》がない。お|前《まへ》さまも|人間《にんげん》の|身《み》を|以《もつ》て|此《この》|世《よ》に|生《うま》れ、|況《ま》して|尊《たふと》き|宣伝使《せんでんし》に|使《つか》はれた|以上《いじやう》は、|世間《せけん》の|凡夫《ぼんぶ》とは|事変《ことかは》り、|楽《たの》しみも|一層《いつそう》|深《ふか》い|代《かは》りに|苦《くる》しみも|亦《また》|一層《いつそう》|深《ふか》いでせう。|其《その》|苦《くる》しみが|神様《かみさま》の|恵《めぐみ》の|鞭《むち》だ。|何事《なにごと》があつても|決《けつ》して|心配《しんぱい》はなされますなや』
と|口《くち》には|元気《げんき》に|言《い》へど、|何《なん》となく|玉能姫《たまのひめ》が|心《こころ》も|推量《おしはか》り、|同情《どうじやう》の|涙《なみだ》の|色《いろ》が|声《こゑ》に|現《あら》はれて|居《ゐ》た。
|玉能姫《たまのひめ》『|何《なに》から|何《なに》まで、|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|吾々《われわれ》|夫婦《ふうふ》の|者《もの》を|立派《りつぱ》な|神様《かみさま》にしたててやらうと|思召《おぼしめ》し|下《くだ》さいまして、|重《かさ》ね|重《がさ》ねの|御心遣《おこころづか》ひ、|神様《かみさま》の|様《やう》に|存《ぞん》じます』
と|琴《こと》の|手《て》をやめて、|両手《りやうて》を|膝《ひざ》に|置《お》き、|俯向《うつむ》きて|涙《なみだ》を|隠《かく》す|愛憐《いぢら》しさ。|初稚姫《はつわかひめ》は|愛《あい》らしき|唇《くちびる》を|開《ひら》き、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |尊《たふと》き|神《かみ》の|御前《おんまへ》に
|魂《たま》の|限《かぎ》りを|捧《ささ》げつつ |誠《まこと》|一《ひと》つの|言霊《ことたま》を
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|怠《をこた》らず |讃《たた》へまつれよ|惟神《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして |天《あめ》が|下《した》なる|悉《ことごと》は
|余《あま》さず|残《のこ》さず|皇神《すめかみ》の |心《こころ》のままに|幸《さち》はひて
|安《やす》きに|救《すく》ひ|給《たま》ふべし |神《かみ》は|吾等《われら》と|倶《とも》にあり
|神《かみ》は|吾等《われら》と|倶《とも》にあり |神《かみ》の|御水火《みいき》を|杖《つゑ》となし
|誠《まこと》の|道《みち》を|力《ちから》とし |荒浪《あらなみ》|猛《たけ》る|海原《うなばら》も
|虎伏《とらふ》す|野辺《のべ》も|矗々《すくすく》と |何《なん》の|艱《なやみ》もあら|尊《たふ》と
|勝利《しようり》の|都《みやこ》へ|達《たつ》すべし |賞《ほ》めよ|讃《たた》へよ|神《かみ》の|恩《おん》
|尽《つく》せよ|竭《つく》せ|神《かみ》の|道《みち》 |尽《つく》せよ|竭《つく》せ|人《ひと》の|道《みち》
|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》 |人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つて|又《また》もや|一絃琴《いちげんきん》を|手《て》にし、|心地好《ここちよ》げに|微笑《びせう》を|浮《うか》べて|居《ゐ》る。
|俄《にはか》に|窓《まど》の|外《そと》|騒《さわ》がしく|十数人《じふすうにん》の|足音《あしおと》、バタバタと|聞《きこ》えて|来《き》た。|折柄《をりから》|昇《のぼ》る|月影《つきかげ》に|顔《かほ》は|確《しか》と|分《わか》らねど|人影《ひとかげ》の|蠢《うご》めく|姿《すがた》、|手《て》にとる|如《ごと》く|三人《さんにん》の|目《め》に|入《い》つた。|見《み》れば|大喧嘩《おほげんくわ》である。|一人《ひとり》の|男《をとこ》を|引縛《ひつくく》り、|杢助《もくすけ》が|庵《いほり》の|窓前《まどさき》に|運《はこ》び|来《きた》り、|寄《よ》つて|集《たか》つて|拳骨《げんこつ》の|雨《あめ》を|降《ふ》らして|居《ゐ》る。
|甲《かふ》『ヤイ、|往生《わうじやう》いたしたか、|吾々《われわれ》バラモン|教《けう》の|信徒《しんと》を|悪神《あくがみ》|扱《あつか》ひしやがつて、|鷹鳥山《たかとりやま》に|巣《す》を|構《かま》へ、|貴様《きさま》の|女房《にようばう》の|玉能姫《たまのひめ》に|魔術《まじゆつ》を|使《つか》はせ|此《この》|方《はう》を|清泉《きよいづみ》の|真中《まんなか》へ|放《ほ》り|込《こ》み、|身体《からだ》に|沢山《たくさん》の|手疵《てきず》を|負《お》はせやがつた、|其《その》|返報《へんぱう》がへしだ。サア、もう|斯《か》うなつては|此方《こつち》のもの、|息《いき》の|根《ね》を|止《と》めて|十万億土《じふまんおくど》の|旅立《たびだち》さしてやらう。こりや|若彦《わかひこ》、|能《よ》う【のめ】のめと|生田《いくた》の|森《もり》まで|彷徨《さまよ》うて|来《き》よつたなア』
と|又《また》もや|鉄拳《てつけん》の|雨《あめ》を|所《ところ》|構《かま》はず|降《ふ》らして|居《ゐ》る。
|現在《げんざい》|眼《め》の|前《まへ》に|夫《をつと》が|打擲《ちやうちやく》されて|居《ゐ》る|実況《じつきやう》を|見《み》たる|玉能姫《たまのひめ》の|心《こころ》は|張《は》り|裂《さ》ける|如《ごと》く、|仮令《たとへ》|天地《てんち》の|法則《はふそく》を|破《やぶ》るとも、|飛《と》びかかつて|悪者《わるもの》に|一太刀《ひとたち》なりと|酬《むく》いたきは|山々《やまやま》なれど、|泰然自若《たいぜんじじやく》たる|杢助《もくすけ》に|心《こころ》|惹《ひ》かれ、|苦《くる》しき|胸《むね》を|抱《いだ》き|平気《へいき》を|装《よそほ》うて|居《ゐ》る。
|杢助《もくすけ》『|玉能姫《たまのひめ》さま、|何《なん》と|面白《おもしろ》い|事《こと》が|出来《でき》ましたな。|坐《ゐ》ながらにして|窓《まど》の|内《うち》から|活劇《くわつげき》を|見《み》せて|貰《もら》ひました。これも|有難《ありがた》き|思召《おぼしめし》でせう。サア|早《はや》く|神様《かみさま》に|感謝《かんしや》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》なさいませ。|私《わたくし》はゆつくりと|此《この》|活劇《くわつげき》を|見物《けんぶつ》|致《いた》しませう。|神様《かみさま》が|如何《どう》しても|使《つか》はねばならぬ|必要《ひつえう》の|人物《じんぶつ》と|思召《おぼしめ》したならば、|仮令《たとへ》|百万《ひやくまん》の|敵《てき》が|攻《せ》め|来《きた》るとも、|如何《いか》に|鉄拳《てつけん》の|雨《あめ》を|蒙《かうむ》るとも、|鵜《う》の|毛《け》で|突《つ》いた|程《ほど》の|怪我《けが》も|致《いた》しますまい。|何処《いづこ》の|人《ひと》かは|知《し》らねども、|貴女《あなた》の|夫《をつと》の|名《な》によく|似《に》た|若彦《わかひこ》と|言《い》ふ|男《をとこ》らしう|御座《ござ》います。さてもさても|腑甲斐《ふがひ》ない|男《をとこ》もあつたものだなア。アハヽヽヽヽ』
と|作《つく》り|笑《わら》ひに|紛《まぎ》らす。|玉能姫《たまのひめ》は|心《こころ》も|心《こころ》ならず、|轟《とどろ》く|胸《むね》を|抑《おさ》へながら|静《しづか》に|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|始《はじ》めた。|何《なん》となく|声《こゑ》は|震《ふる》うて|居《ゐ》た。|地上《ちじやう》に|投《な》げられ|数多《あまた》の|悪者《わるもの》に|苛責《さいな》まれ|居《ゐ》た|若彦《わかひこ》の|身体《しんたい》より、|忽《たちま》ち|五色《ごしき》の|霊光《れいくわう》|発射《はつしや》し、ドンと|一声《ひとこゑ》、|不思議《ふしぎ》の|物音《ものおと》に|杢助《もくすけ》、|玉能姫《たまのひめ》は|窓外《そうぐわい》を|眺《なが》むれば、|人影《ひとかげ》は|何処《いづこ》へ|消《き》えしか|跡形《あとかた》もなく、|窓《まど》|近《ちか》く|一《ひと》つの|白狐《びやくこ》ノソリノソリと|太《ふと》き|尾《を》を|下《さ》げて|森《もり》の|彼方《かなた》に|進《すす》み|行《ゆ》く。
|杢助《もくすけ》『アハヽヽヽ、|神様《かみさま》は|何処迄《どこまで》も|吾々《われわれ》の|気《き》をお|惹《ひ》き|遊《あそ》ばすワイ』
|玉能姫《たまのひめ》は|両手《りやうて》を|合《あは》せ、
『|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|初稚姫《はつわかひめ》『|皇大神《すめおほかみ》|守《まも》り|給《たま》へ|幸《さちは》へ|給《たま》へ』
(大正一一・五・二七 旧五・一 北村隆光録)
第五篇 |神界経綸《しんかいけいりん》
第一七章 |生田《いくた》の|森《もり》〔七〇九〕
|三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》 |薫《かを》りゆかしく|実《み》を|結《むす》び
|四方《よも》の|春野《はるの》を|飾《かざ》りたる |桜《さくら》も|散《ち》りてむらむらと
|咲《さ》き|乱《みだ》れたる|卯《う》の|花《はな》の |白《しろ》きを|神《かみ》の|心《こころ》にて
|生田《いくた》の|森《もり》の|片《かた》ほとり |花《はな》を|欺《あざむ》く|玉能姫《たまのひめ》
|初稚姫《はつわかひめ》の|二人連《ふたりづれ》 |初夏《しよか》の|景色《けしき》を|眺《なが》めつつ
|再度山《ふたたびやま》の|山頂《さんちやう》に |神《かみ》の|御告《みつげ》を|蒙《かうむ》りて
|登《のぼ》り|行《ゆ》くこそ|床《ゆか》しけれ。
|杢助《もくすけ》は|唯《ただ》|一人《ひとり》|神前《しんぜん》に|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》する|折《をり》しも、|門戸《もんこ》を|叩《たた》き、
『|頼《たの》まう |頼《たの》まう』
と|訪《おとづ》るる|一人《ひとり》の|宣伝使《せんでんし》があつた。|杢助《もくすけ》は|神前《しんぜん》の|礼拝《れいはい》を|終《をは》り、|門《もん》の|戸《と》を|開《ひら》き、
『ヤア、|其方《そなた》は|国依別《くによりわけ》の|宣伝使《せんでんし》、|何用《なによう》あつて|杢助《もくすけ》が|館《やかた》を|御訪《おたづ》ねなさつたか』
|国依別《くによりわけ》はツと|門《もん》の|敷居《しきゐ》を|跨《また》げ、|杢助《もくすけ》と|共《とも》に|座敷《ざしき》に|通《とほ》り、|煙草盆《たばこぼん》を|前《まへ》に|置《お》きながら|二人《ふたり》|向《むか》ひ|合《あは》せ、
『|今日《けふ》|参《まゐ》つたのは|余《よ》の|儀《ぎ》では|御座《ござ》らぬ。あなたは|折角《せつかく》|三五教《あななひけう》に|入《い》りながら|此《この》|頃《ごろ》の|御様子《ごやうす》|怪《け》しからぬ|事《こと》を|承《うけたま》はる。|事《こと》の|実否《じつぴ》を|探《さぐ》らむ|為《ため》、|国依別《くによりわけ》|宣伝《せんでん》の|途中《とちう》、|紀《き》の|国《くに》より|取《と》る|物《もの》も|取《と》り|敢《あ》へず|引返《ひきかへ》し、ここに|参《まゐ》りました。あなたは|太元教《おほもてけう》とかを|立《た》てて|居《を》られるさうだ。|神様《かみさま》に|対《たい》し|御無礼《ごぶれい》では|御座《ござ》いませぬか』
|杢助《もくすけ》|大口《おほぐち》を|開《あ》けて|高笑《たかわら》ひ、
『|何事《なにごと》ならむかと|思《おも》へば、|左様《さやう》な|御尋《おたづ》ねで|御座《ござ》るか。|杢助《もくすけ》が|折角《せつかく》の|信仰《しんかう》を|翻《ひるがへ》し、|太元教《おほもてけう》を|新《あらた》に|開《ひら》いたのは|余《よ》の|儀《ぎ》では|御座《ござ》らぬ。|其《その》|理由《りいう》と|致《いた》す|所《ところ》は、|此《この》|杢助《もくすけ》|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》を|標榜《へうぼう》し|居《を》ると、|腰抜《こしぬけ》の|宣伝使《せんでんし》や|信者《しんじや》が、|言依別《ことよりわけ》|様《さま》の|御命令《ごめいれい》だとか|何《なん》だとか|言《い》つて、|旅費《りよひ》を|貸《か》せとか、|履物《はきもの》を|出《だ》せとか、いろいろ|雑多《ざつた》の|厄介《やくかい》をかけ、|小便《せうべん》や|糞《ばば》をひりかけ|後《あと》は|知《し》らぬ|顔《かほ》の|半兵衛《はんべゑ》さん。それも|一人《ひとり》|二人《ふたり》なれば|辛抱《しんばう》|致《いた》すが、|絡繹《らくえき》として|蟻《あり》の|甘《あま》きに|集《つど》ふが|如《ごと》く、イナもう|煩雑《うるさ》くて|堪《たま》り|申《まを》さぬ。|杢助《もくすけ》の|家《いへ》でさへも|此《この》|通《とほ》りだから、|其《その》|他《た》の|信徒《しんと》の|迷惑《めいわく》は|思《おも》ひやらるる。それ|故《ゆゑ》|心《しん》の|内《うち》にて|三五教《あななひけう》を|信《しん》ずれども、|表面《へうめん》は|太元教《おほもてけう》と、|見《み》らるる|如《ごと》く|大看板《だいかんばん》を|掲《かか》げたので|御座《ござ》る。|国依別《くによりわけ》|殿《どの》、|其方《そなた》も|其《その》|亜流《ありう》では|御座《ござ》らぬか』
『そんな|奴《やつ》は|三五教《あななひけう》には|一人《ひとり》もない|筈《はず》です。|大方《おほかた》バラモン|教《けう》の|奴《やつ》が、|三五教《あななひけう》の|仮面《かめん》を|被《かぶ》つて|居《を》るのでせう』
『バラモン|教《けう》もチヨコチヨコやつて|来《く》る。|併《しか》し|乍《なが》ら|教《をしへ》の|建《た》て|方《かた》が|違《ちが》ふものだから、|先方《むかふ》も|遠慮《ゑんりよ》を|致《いた》して|居《を》ると|見《み》えて、|唯《ただ》|杢助《もくすけ》が|忙《せは》しきタイムを|奪《うば》つて|帰《かへ》る|位《くらゐ》なものだ。|金銭《きんせん》|物品《ぶつぴん》まで|借用《しやくよう》しようとは|申《まを》さぬ。|宣伝使《せんでんし》たる|者《もの》は|未《いま》だ|教《をしへ》の|及《およ》ばざる|地方《ちはう》|又《また》は|人《ひと》に|対《たい》してこそ|宣伝《せんでん》の|必要《ひつえう》あれ、|一旦《いつたん》|入信《にふしん》したる|者《もの》の|宅《たく》に|何時《なんどき》となく|訪問《はうもん》|致《いた》し、|厄介《やくかい》を|掛《か》け、|安《あん》を|求《もと》むる|如《ごと》きは、|宣伝使《せんでんし》の|薄志弱行《はくしじやくかう》を|自《みづか》ら|表白《へうはく》するものだ。そなたも|杢助館《もくすけやかた》に|訪問《はうもん》する|時間《じかん》があらば、なぜ|其《その》|光陰《くわういん》を|善用《ぜんよう》して、|未信者《みしんじや》の|宅《たく》を|訪問《はうもん》なさらぬか。|半時《はんとき》の|間《ま》も|粗末《そまつ》に|空費《くうひ》する|事《こと》は、|宣伝使《せんでんし》として|慎《つつし》むべき|事《こと》でせう。サア|一時《いちじ》も|早《はや》く|帰《かへ》つて|下《くだ》され。お|茶《ちや》を|進《しん》ぜたいが、|茶《ちや》を|飲《の》ませては、|信者《しんじや》の|吾々《われわれ》|忽《たちま》ち|貧乏神《びんばふがみ》に|襲《おそ》はれねばならない。|仮令《たとへ》|番茶《ばんちや》の|一杯《いつぱい》でも|小判《こばん》の|端《はし》だ。それを|進《しん》ぜた|所《ところ》で……|何《なん》だ|杢助《もくすけ》は、|折角《せつかく》|訪問《はうもん》してやつたのに|番茶《ばんちや》を|飲《の》まして|追《お》ひ|返《かへ》した……と|云《い》はれては|一向《いつかう》|算盤《そろばん》が|合《あ》ひ|申《まを》さぬ。|愚図々々《ぐづぐづ》して|御座《ござ》ると、|第一《だいいち》タイムの|損害《そんがい》、|畳《たたみ》が|汚《よご》れる。さすれば|又《また》もや|表替《おもてがへ》をそれ|丈《だけ》|早《はや》く|致《いた》さねばならぬ|道理《だうり》だ。|最早《もはや》|杢助《もくすけ》は|三五教《あななひけう》に|食《く》はれ、|飲《の》まれ、|借《か》り|倒《たふ》され、|逆様《さかさま》になつても|血《ち》も|出《で》ない|様《やう》な|貧乏《びんばふ》になつて|了《しま》つた。|斯《こ》んな|貧乏神《びんばふがみ》の|館《やかた》へ|出《で》て|来《く》るよりも、|巨万《きよまん》の|富《とみ》を|積《つ》みながら、|此《この》|世《よ》の|行末《ゆくすゑ》を|案《あん》じ、|吾《わが》|身《み》の|無常《むじやう》を|託《かこ》ちつつある|憐《あは》れな|精神上《せいしんじやう》の|極貧者《ごくひんしや》は、|世界《せかい》に|幾《いく》らあるか|分《わか》らない。|物質《ぶつしつ》に|富《と》み、|無形《むけい》の|宝《たから》に|飢《う》ゑたる|人《ひと》を|求《もと》めて|神《かみ》の|教《をしへ》を|説《と》き|諭《さと》し、|錆《さ》びず|朽《く》ちず、|火《ひ》に|焼《や》けず、|水《みづ》に|流《なが》れぬ|尊《たふと》き|宝《たから》を|与《あた》へて、|物質上《ぶつしつじやう》の|宝《たから》を|自由自在《じいうじざい》に|気楽《きらく》に|使用《しよう》したが|宜《よ》からう。|精神上《せいしんじやう》の|宝《たから》に|充《み》たされ、|物質上《ぶつしつじやう》の|宝《たから》に|欠乏《けつぼう》を|告《つ》げたる|此《この》|杢助《もくすけ》の|館《やかた》に、|宣伝使《せんでんし》の|必要《ひつえう》は|少《すこ》しも|御座《ござ》らぬ』
『あなたは|此《この》|春《はる》|頃《ごろ》から|心機一転《しんきいつてん》、|余程《よほど》|吝《けち》|臭《くさ》くなられましたなア』
『|何《なん》だかお|前《まへ》さまの|声《こゑ》を|聞《き》くと|直《すぐ》に、|此《この》|通《とほ》り|吝《けち》|臭《くさ》くなつたのだ。|心《こころ》|貧《まづ》しき|力弱《ちからよわ》き|其方《そなた》の|守護神《しゆごじん》が、|杢助《もくすけ》の|体内《たいない》に|飛《と》び|込《こ》んで、|斯様《かやう》な|事《こと》を|吐《ほ》ざいて|居《を》るのだ。|此《この》|杢助《もくすけ》は|何《なん》にも|知《し》らぬ、|早《はや》く|国依別《くによりわけ》さま、|心《こころ》の|貧乏神《びんばふがみ》、|柔弱神《にうじやくがみ》を|追《お》ひ|出《だ》して、|連《つ》れて|帰《かへ》つて|下《くだ》さい。|杢助《もくすけ》|真《まこと》に|迷惑千万《めいわくせんばん》で|御座《ござ》る。アハヽヽヽヽ』
と|腹《はら》を|抱《かか》へ、|体《からだ》を|大《おほ》きく|揺《ゆす》つて、ゴロンと|笑《わら》ひ|転《こ》けて|了《しま》つた。
|国依別《くによりわけ》『さうして|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》、|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》はどこへお|出《い》でになりましたか』
|杢助《もくすけ》|仰向《あふむけ》になつた|儘《まま》、|足《あし》をニユーと|天井《てんじやう》の|方《はう》に|直立《ちよくりつ》させ、
『|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》は「|国《くに》」とか|云《い》ふ|貧乏神《びんばふがみ》がやつて|来《く》るから、|憑依《ひようい》されてはならないと|云《い》つて|一時《ひととき》|許《ばか》り|前《まへ》に|逃《に》げ|出《だ》しました。|折角《せつかく》|結構《けつこう》な|神様《かみさま》が|杢助《もくすけ》の|館《やかた》にお|鎮《しづ》まり|遊《あそ》ばすのに、|腰抜神《こしぬけがみ》の|貧乏神《びんばふがみ》がやつて|来《く》るものだから、|肝腎《かんじん》の|玉能姫《たまのひめ》……オツトドツコイ|魂《たま》までが|脱《ぬ》け|出《だ》して|了《しま》つた。オイ|魂抜《たまぬ》けの|国依別《くによりわけ》、どうぞ|早《はや》く|帰《かへ》つて|呉《く》れ。|此《この》|杢助《もくすけ》もそなたの|霊《みたま》が|憑《かか》つて、|此《この》|通《とほ》り|四《よ》つ|足《あし》になつて|了《しま》つた。|其《その》|四《よ》つ|足《あし》もまだ|俯向《うつむ》いて|居《を》れば|歩《ある》く|事《こと》も|出来《でき》るが、この|通《とほ》り|腹《はら》と|背中《せなか》を|換《か》へて|了《しま》つては、|何程《なにほど》|藻掻《もが》いて|見《み》ても|空《くう》を|掻《か》くばかり、|畳《たたみ》に|平張《へばり》|付《つ》いて|動《うご》きが|取《と》れない。アヽ|国依別《くによりわけ》、たまたま|訪《たづ》ねて|来《き》て、|四《よ》つ|足《あし》のお|土産《みやげ》は|真平《まつぴら》|御免《ごめん》だ。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》がやつて|来《く》ると、|手足《てあし》を|藻掻《もが》いても、|如何《どう》しても、|動《うご》きの|取《と》れないことになつて|了《しま》ふ。|馬《うま》に|灸《やいと》で|貧窮《ひんきう》だ。|狐《きつね》に|灸《やいと》で|困窮《コンきう》だ。|其方《そなた》は|牛《うし》に|灸《やいと》で|何《なん》ぞモウギウな|事《こと》がないかと|思《おも》つて|来《き》たのであらうが、|最早《もう》|灸《きう》も|茲《ここ》まで|据《す》ゑられては、|艾《もぐさ》もあるまい。モグサモグサ|致《いた》さずトツトと|帰《かへ》つたがよからう』
『|杢助《もくすけ》さま、|火《ひ》の|付《つ》いた|様《やう》な|火急《くわきふ》なお|言葉《ことば》、あなたは|杢助《もくすけ》さまではなくて、ヤイトをすゑる|艾助《もぐさすけ》さまになつて|了《しま》ひましたなア。これはこれは|真《まこと》にアツイ|御志《おこころざし》……|否《いな》|御教訓《ごけうくん》、どつさり|此《この》|四《よ》つ|足《あし》の|守護神《しゆごじん》もヤイトを|据《す》ゑられました。それなら|四《よ》つ|足《あし》は|唯今《ただいま》|限《かぎ》り|帰《かへ》ります。あなたもどうぞ|元《もと》の|杢阿弥《もくあみ》……オツトドツコイ|杢助《もくすけ》さまに|帰《かへ》つて|下《くだ》さい』
『ハイ|有難《ありがた》う。それなら|改《あらた》めて|国依別《くによりわけ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|三五教《あななひけう》の|杢助《もくすけ》|改《あらた》めて|対面《たいめん》|仕《つかまつ》らう、|今迄《いままで》は|四《よ》つ|足《あし》|同志《どうし》の|掛合《かけあひ》で|御座《ござ》つた。アツハヽヽヽヽ』
と|笑《わら》ひながら|起《お》き|直《なほ》り、|庭《には》の|泉《いづみ》に|手《て》を|洗《あら》ひ、|口《くち》を|漱《そそ》ぎ、|礼装《れいさう》を|着《ちやく》し、
『サア、|国依別《くによりわけ》|様《さま》、|神前《しんぜん》に|拝礼《はいれい》|致《いた》しませう』
と|促《うなが》しながら、|拍手《はくしゆ》|再拝《さいはい》、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|始《はじ》めた。|国依別《くによりわけ》も|杢助《もくすけ》の|背後《はいご》に|端坐《たんざ》し、|恭《うやうや》しく|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し|終《をは》つた。
|杢助《もくすけ》『|国依別《くによりわけ》|様《さま》、あなたは|是《こ》れから|何処《どこ》へお|出《い》でになる|心組《つもり》ですか』
|国依別《くによりわけ》『ハイ|私《わたくし》の|今迄《いままで》の|教《をしへ》は、|実《じつ》を|申《まを》せば|貴方《あなた》の|御宅《おたく》に|参《まゐ》り、|一《ひと》つお|尋《たづ》ねをせなくてはならない|事《こと》があつたものですから、ワザワザやつて|来《き》たのですが、モウ|申《まを》しますまい。これで|貴方《あなた》の|深《ふか》き|御精神《ごせいしん》も|了解《れうかい》|致《いた》しましたから……』
『アツハヽヽヽ、|若彦《わかひこ》|一件《いつけん》でお|出《いで》になつたのですな。|若彦《わかひこ》は|今《いま》|紀州《きしう》に|居《を》りますか』
『ハイ、|紀州《きしう》の|熊野《くまの》の|滝《たき》で|大変《たいへん》に|荒行《あらぎやう》を|致《いた》して|居《を》る|事《こと》を|聞《き》きました。それで|私《わたくし》は|熊野《くまの》の|滝《たき》へ|参《まゐ》つた|所《ところ》、|若彦《わかひこ》は|唯《ただ》|一言《ひとこと》も|申《まを》さず、|無言《むごん》の|行《ぎやう》を|致《いた》して|居《ゐ》る。|手真似《てまね》で|尋《たづ》ねても|文字《もじ》を|地《ち》に|書《か》いて|糺《ただ》して|見《み》ても、|何《なん》の|答《こたへ》も|致《いた》さず、|石仏《いしぼとけ》|同様《どうやう》、|取《と》り|付《つ》く|島《しま》もなく、|鷹鳥山《たかとりやま》に|於《おい》て|何《なに》か|感《かん》じた|事《こと》があるのだらう、|其《その》|峰続《みねつづ》きに|御住《おすま》ひ|遊《あそ》ばす|貴方《あなた》にお|尋《たづ》ねすれば、|様子《やうす》は|分《わか》らうかと|存《ぞん》じまして|参《まゐ》りました。|併《しか》し|唯《ただ》|一言《ひとこと》……|杢助《もくすけ》さま|有難《ありがた》う………と|若彦《わかひこ》の|言《い》つた|言葉《ことば》|幽《かすか》に|聞《きこ》えたので、|何《なに》もかも|様子《やうす》を|御存《ごぞん》じだらう。あの|喧《やかま》しやの|若彦《わかひこ》が、あの|通《とほ》り|神妙《しんめう》になつて|了《しま》つたのは、|貴方《あなた》の|感化《かんくわ》に|依《よ》るのだと|信《しん》じます。|過去《くわこ》を|繰返《くりかへ》すは|御神慮《ごしんりよ》に|反《はん》するでせうが、|御差支《おさしつかへ》なくば|少《すこ》しなりと|御漏《おも》らし|下《くだ》さらば|安心《あんしん》|致《いた》します』
『|若彦《わかひこ》は|鷹鳥山《たかとりやま》に|立籠《たてこも》り、|悪魔《あくま》に|憑依《ひようい》され、|四《よ》つ|足《あし》となつて|門口《かどぐち》まで|参《まゐ》りました。|私《わたくし》は「モウ|一《ひと》つ|修業《しうげふ》をして|来《こ》い、|四《よ》つ|足《あし》に|用《よう》はない………」と|云《い》つて、|杓《しやく》に|水《みづ》を|汲《く》んで|犬《いぬ》の|様《やう》にぶつかけてやつたら、|尾《を》を|掉《ふ》つて|駆《か》け|出《だ》したきりですよ。ヤツパリ|若彦《わかひこ》は|人間《にんげん》らしう|立《た》つて|歩《ある》いて|居《ゐ》ましたかなア。イヤもう|四《よ》つ|足《あし》の|容物《いれもの》ばかりで|困《こま》つて|了《しま》ひますワイ。アツハヽヽヽヽ』
『さうすると|私《わたくし》もチヨボチヨボですな』
『チヨボチヨボなら|結構《けつこう》だが、|愚図々々《ぐづぐづ》すると、コンマ|以下《いか》のチヨボチヨボに|落《お》ちて|了《しま》ふから、|気《き》を|付《つ》けねばなりますまい。お|前《まへ》さまも|折角《せつかく》|今《いま》、|宣伝使《せんでんし》に|始《はじ》めてなつたのだから、どうぞチヨボチヨボにならぬ|様《やう》に|願《ねが》ひますよ。|貴方《あなた》がさうなると、|私《わたくし》までも|感染《かんせん》しては、|最前《さいぜん》のやうに|二進《につち》も|三進《さつち》も|行《ゆ》かぬ|苦境《くきやう》に|陥《おちい》り、キウ|窮《きう》|言《い》はねばなりませぬからな、アツハヽヽヽヽ』
『アツハヽヽヽヽ』
と|笑《わら》ひ|合《あ》ふ。|門口《かどぐち》へ|又《また》もや|婆《ばば》の|声《こゑ》、
『|生田《いくた》の|森《もり》の|杢助《もくすけ》さまのお|宅《たく》は|此処《ここ》で|御座《ござ》いますか。チヨツト|開《あ》けて|下《くだ》され』
|杢助《もくすけ》『|国《くに》さま、|又《また》もやチヨボチヨボがやつて|来《き》たやうです。お|前《まへ》さま|一《ひと》つ|私《わたし》に|代《かは》はつて|応対《おうたい》をして|下《くだ》さい。|私《わたくし》は|奥《おく》へ|行《い》つて|少《すこ》しく|神《かみ》さまに|承《うけたま》はらねばならぬ|事《こと》が|御座《ござ》いますから』
と|云《い》ひ|棄《す》て、|慌《あわただ》しく|姿《すがた》を|隠《かく》した。|国依別《くによりわけ》はツと|立《た》ち、|門口《かどぐち》の|戸《と》をガラリと|引開《ひきあ》け、
『|此処《ここ》は|太元教《おほもてけう》の|御本山《ごほんざん》だ。|何処《どこ》の|四《よ》つ|足《あし》か|知《し》らぬが、トツトと|帰《かへ》つて|呉《く》れ』
『|何《なに》ツ、|杢助《もくすけ》が|太元教《おほもてけう》を|樹《た》てたとは、|噂《うはさ》に|聞《き》いたが、ヤハリ|事実《じじつ》だなア。なぜ|左様《さやう》な|二心《ふたごころ》をお|出《だ》しなさるか』
|国依別《くによりわけ》は|黄昏《たそがれ》を|幸《さいは》ひ、ワザと|杢助《もくすけ》の|声色《こわいろ》を|使《つか》つて|居《ゐ》る。
『わしは|鷹鳥姫《たかとりひめ》だが、お|前《まへ》さまに|一《ひと》つ|御礼《おれい》を|申《まを》さねばならぬ|事《こと》もあり、|御意見《ごいけん》をせなくてはならぬ|事《こと》があるからお|訪《たづ》ねしたのだ』
『|何《なん》とか|彼《か》とか|口実《こうじつ》を|設《まう》けて、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》や|信者《しんじや》が、|金《かね》を|貸《か》せの、|履物《はきもの》を|貸《か》せ、|飯《めし》を|食《く》はせ、|茶《ちや》を|飲《の》ませ、|小遣銭《こづかひ》を|渡《わた》せと、まるで|雲助《くもすけ》の|様《やう》な|事《こと》を|吐《ぬか》し、|小便《せうべん》、|糞《ばば》を|垂《た》れながして|帰《かへ》る|奴《やつ》ばかりだから、|此《この》|杢助《もくすけ》も|愛想《あいさう》をつかし、|心《こころ》は|三五教《あななひけう》でも|表《おもて》は|太元教《おほもてけう》と|標榜《へうぼう》して|居《ゐ》るのだ。|最早《もはや》|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|浴《よく》し、|神徳《しんとく》|充実《じうじつ》した|杢助《もくすけ》には|意見《いけん》は|御無用《ごむよう》だ。|掛《かか》り|合《あ》つて|居《を》れば|大切《たいせつ》なタイムまでも|盗《ぬす》まれて|了《しま》ふ。|番茶《ばんちや》|一杯《いつぱい》|飲《の》まれてもそれ|丈《だけ》|欠損《けつそん》がゆく。|身代《しんだい》|限《かぎ》り、|家資分散《かしぶんさん》の|憂目《うきめ》に|遭《あ》はねばならぬから、|一足《ひとあし》なりとも|這入《はい》つて|呉《く》れな。お|前《まへ》に|礼《れい》を|言《い》はれる|道理《だうり》はない。トツトと|早《はや》く|帰《かへ》つたが|宜《よ》からう』
『|何《なん》と|云《い》つても、そんな|事《こと》を|聞《き》く|以上《いじやう》は、ますます|動《うご》く|事《こと》は|出来《でき》ぬ。コレ|杢助《もくすけ》さま、|心機一転《しんきいつてん》もあまりぢやないか』
『オイ、|其《その》|心機一転《しんきいつてん》だ。|暫《しばら》くの|間《あひだ》|現《あら》はれて|消《き》える|蜃気楼《しんきろう》、|名《な》あつて|実《じつ》なき|鷹鳥姫《たかとりひめ》の|宣伝使《せんでんし》、それなら|這入《はい》る|丈《だけ》は|許《ゆる》してやらう。|其《その》|代《かは》り|番茶《ばんちや》|一杯《いつぱい》|飲《の》ます|事《こと》もせぬ。|何程《なにほど》|無料《ただ》で|湧《わ》いた|水《みづ》でも、|飲《の》ましちやそれ|丈《だけ》|減《へ》るのだから、|其《その》|覚悟《かくご》で|這入《はい》つたが|宜《よ》からう』
『|大変《たいへん》|貴方《あなた》は|吝坊《けちんぼう》になつたものだなア。|執着心《しふちやくしん》の|大変《たいへん》に|甚《きつ》い|方《かた》だ。|御免《ごめん》なさい』
と|蓑笠《みのかさ》を|脱《ぬ》ぎ|棄《す》て、ツカツカと|座敷《ざしき》にあがる。|国依別《くによりわけ》は|又《また》もや|煙草盆《たばこぼん》を|前《まへ》に|据《す》ゑ、|杢助《もくすけ》|気取《きど》りになつて|坐《すわ》り|込《こ》んだ。
|鷹鳥姫《たかとりひめ》『コレ|杢助《もくすけ》さま、お|前《まへ》さまは|俄《にはか》に|小《ちひ》さい|事《こと》を|仰有《おつしや》ると|思《おも》へば、|体《からだ》まで|小《ちひ》さくなつたぢやないか』
|国依別《くによりわけ》はゴロンと|仰向《あふむ》けになり、|尻《しり》を|鷹鳥姫《たかとりひめ》の|方《はう》に|向《む》け、|手足《てあし》をヌツと|天井《てんじやう》の|方《はう》に|伸《の》ばして|見《み》せ、
『|金剛不壊《こんがうふゑ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》や|紫《むらさき》の|玉《たま》が|喉《のど》から|出《で》て|了《しま》つたものだから、|此《この》|通《とほ》り|瘠《や》せて|人間《にんげん》が|小《ちひ》さくなり、|元《もと》の|杢助《もくすけ》ではなうて|杢阿弥《もくあみ》。|神徳《しんとく》も|何《なに》もなくなつて|了《しま》ひ、|鷹鳥山《たかとりやま》で|已《や》むを|得《え》ず|若彦《わかひこ》、|玉能姫《たまのひめ》を|召《め》し|連《つ》れ、バラモン|教《けう》の|蜈蚣姫《むかでひめ》が【てつきり】|隠《かく》して|居《を》るのに|相違《さうゐ》ないから、|何《なん》とかして|取返《とりかへ》さねば|聖地《せいち》の|役員《やくゐん》|信徒《しんと》に|対《たい》し|合《あ》はす|顔《かほ》がないと、|執着心《しふちやくしん》に|駆《か》られ|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》の|篤《あつ》き|心《こころ》を|無《む》にして|行《や》つて|居《を》つた|所《ところ》、|俄《にはか》に|山《やま》の|頂《いただき》に|黄金《わうごん》の|像《ざう》|現《あら》はれ、|身《み》の|丈《たけ》|五丈《ごぢやう》|六尺《ろくしやく》|七寸《ななすん》、【てつきり】|弥勒様《みろくさま》の|御出現《ごしゆつげん》、|鷹鳥姫《たかとりひめ》の|信心《しんじん》の|力《ちから》に|依《よ》りて|愈《いよいよ》|五六七神政《みろくしんせい》の|太柱《ふとはしら》を|握《にぎ》つた。|誠《まこと》の|霊地《れいち》は|四尾山麓《よつをさんろく》ではない、|鷹鳥山《たかとりやま》にきはまつたりと、|鼻《はな》の|鷹鳥姫《たかとりひめ》が|得意顔《したりがほ》に|雀躍《こをど》りしながら、チヨツと|薄気味《うすぎみ》|悪《わる》さうに|近付《ちかづ》き|見《み》れば、|黄金像《わうごんざう》は|高姫《たかひめ》の|素首《そつくび》をグツと|鷲掴《わしづか》み、|猫《ねこ》でも|放《ほ》る|様《やう》にプリンプリンと、|鷹鳥山《たかとりやま》の|教《をしへ》の|庭《には》にドスンと|落下《らくか》し、|人事不省《じんじふせい》となり、ピリピリピリと|蛙《かはづ》をぶつつけた|様《やう》になつて|了《しま》ひ、|其処《そこ》へ|此《この》|杢助《もくすけ》がやつて|往《い》つて、|生命《いのち》|丈《だけ》は|助《たす》けてやつた。|其《その》|為《ため》に|此《この》|杢助《もくすけ》は……コレ|此《この》|通《とほ》り|足《あし》が|上《うへ》を|向《む》き|背中《せなか》が|下《した》を|向《む》いて、サツパリ|自由《じいう》の|利《き》かぬ|四《よ》つ|足《あし》になつて|了《しま》つたのだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|此《この》|杢助《もくすけ》は|信神《しんじん》|堅固《けんご》の|勇士《ゆうし》……|斯《こ》んな|事《こと》になる|筈《はず》はない。|鷹鳥姫《たかとりひめ》の|副守護神《ふくしゆごじん》が|憑依《ひようい》したのだから、どうぞ|早《はや》う、こんな……|土産《みやげ》はスツ|込《こ》めて|下《くだ》さい。なア|鷹鳥姫《たかとりひめ》さま、お|前《まへ》も|却々《なかなか》|執着心《しふちやくしん》が|酷《ひど》いと|見《み》える。|同《おな》じ|四《よ》つ|足《あし》でも|下向《したむ》いて|歩《ある》けるものならまだしもだが、|斯《か》うなつては|天地顛倒《てんちてんたふ》、|背中《せなか》に|腹《はら》を|換《か》へられて、どうして|此《この》|世《よ》が|渡《わた》られうか。……アツハヽヽヽヽ……。オイ|笑《わら》ふ|所《どころ》か、|高姫《たかひめ》の|守護神《しゆごじん》|此《この》|国《くに》……オツトドツコイ|神《かみ》の|国《くに》に|出《で》て|来《き》て、|神《かみ》の|教《をしへ》を|建《た》てるなんて、あんまり|精神《せいしん》が|顛倒《てんたふ》して|居《ゐ》るではないか。|元《もと》の|杢阿弥《もくあみ》の|杢助《もくすけ》の|真心《まごころ》に|立返《たちかへ》り、|早《はや》く|副守護神《ふくしゆごじん》を|連《つ》れて|帰《かへ》つて|呉《く》れ。|杢助《もくすけ》|誠《まこと》に|迷惑《めいわく》だ。|国《くに》、クニ、【|苦《く》に】なつて|仕方《しかた》がない。【|依《よ》】りにヨツて、【|別《わけ》】のわからぬ|副守護神《ふくしゆごじん》を|連《つ》れて|来《く》るものだから、|玉能姫《たまのひめ》さまも|初稚姫《はつわかひめ》さまも、チヤンと|御存《ごぞん》じ、どつかへ|蒙塵《もうぢん》|遊《あそ》ばしたぞ。|杢助《もくすけ》の|本守護神《ほんしゆごじん》も|愛想《あいさう》を|尽《つ》かして|隠《かく》れて|了《しま》つたぞ。ウンウンウン』
『コレコレ|杢助《もくすけ》さま、お|前《まへ》さまは|何《なん》とした|情《なさけ》ない|事《こと》になつたのだい。|結構《けつこう》な|三五教《あななひけう》を|見限《みかぎ》つて|太元教《おほもてけう》なんて、そんな|謀叛《むほん》を|起《おこ》すものだから、|天罰《てんばつ》で|四《よ》つ|足《あし》になつて|了《しま》ひ、|肩身《かたみ》が|狭《せま》う|小《ちひ》さくなつたのだよ。それだから|油断《ゆだん》は|大敵《たいてき》、|改心《かいしん》なされと|云《い》ふのだ。|何程《なにほど》|大持《おほも》てにモテる|積《つも》りでも、|大《おほ》モテン|教《けう》だ。|早《はや》く|改心《かいしん》なされ、|神様《かみさま》は|人間《にんげん》が|子《こ》を|思《おも》ふと|同《おな》じ|事《こと》、|片輪《かたわ》の|子《こ》や|悪人《あくにん》|程《ほど》|可愛《かあい》がらつしやるのだから、わしも|斯《こ》んな|悲惨《みじめ》な|態《ざま》を|見《み》て、|此《この》|儘《まま》|帰《かへ》る|訳《わけ》にも|行《ゆ》かぬ。サアこれから|鎮魂《ちんこん》をして|誠《まこと》の|教《をしへ》を|聞《き》かしてあげよう。エーエー|困《こま》つた|事《こと》が|出来《でき》た。|此《この》|高姫《たかひめ》の|守護神《しゆごじん》が|憑《うつ》つたのだなどと、よう|言《い》へたものだ。|悪神《あくがみ》と|云《い》ふ|者《もの》は、どこどこまでも|抜目《ぬけめ》のない|奴《やつ》だ。|到頭《たうとう》|守護神《しゆごじん》の|悪《あく》の|性来《しやうらい》を|現《あら》はしよつたか。アーア|杢助《もくすけ》さまの|肉体《にくたい》が|可哀相《かあいさう》だ。オイ|四《よ》つ|足《あし》、|杢助《もくすけ》さまの|肉体《にくたい》を|残《のこ》してトツトと|魔谷ケ岳《まやがだけ》へ|帰《かへ》つてお|呉《く》れ。|愚図々々《ぐづぐづ》|吐《ぬか》すと、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が|承知《しようち》を|致《いた》さぬぞや』
『|此《この》|杢助《もくすけ》は|最早《もはや》お|前《まへ》さまの|副守《ふくしゆ》になつて|了《しま》つた。お|前《まへ》さまは|何時《いつ》も|口《くち》からものを|言《い》はず、ものを|尻《しり》で|聞《き》いたり|人《ひと》の|言葉尻《ことばじり》を|取《と》り、|尻《しり》でもの|言《い》ふから、|屁理屈《へりくつ》ばつかりだ。|鼻持《はなもち》ならぬ|匂《にほひ》がする。|何程《なにほど》|三五教《あななひけう》でも|尻《しり》の|締《しま》りがなければヤツパリ|穴有《あなあ》り|教《けう》ぢや。|終局《しまひ》には|気張《きば》り|糞《ぐそ》を|放《ひ》つて、|此《この》|通《とほ》り|四《よ》つ|足《あし》に|還元《くわんげん》して|了《しま》ふ。|早《はや》く|杢助《もくすけ》の|肉体《にくたい》から|退《の》かぬかいなア。|杢助《もくすけ》は|大変《たいへん》な|御迷惑様《ごめいわくさま》だ。アツハヽヽヽヽ』
と|自《みづか》ら|可笑《をか》しさを|耐《こら》へ、|忍《しの》び|笑《わら》ひに|笑《わら》ひ、|体中《からだぢう》に|波《なみ》を|打《う》たせて|居《ゐ》る。
『なんだ。|低《ひく》い|所《ところ》から|声《こゑ》が|出《で》ると|思《おも》へば、|暗《くら》がりで|分《わか》らなかつたが、お|前《まへ》さま|失礼《しつれい》な|寝《ね》て|話《はなし》をすると|云《い》ふ|事《こと》があるものか、チト|失敬《しつけい》ぢやないか』
『|霊界物語《れいかいものがたり》でさへも、|寝《ね》て|足《あし》を|上《あ》げたり、|下《おろ》したりして|言《い》ふぢやないか。お|前《まへ》さま|位《ぐらゐ》な|四《よ》つ|足《あし》に|話《はな》すのは|寝《ね》とつて|結構《けつこう》だよ』
『|到頭《たうとう》|変性女子《へんじやうによし》の|四《よ》つ|足《あし》の|守護神《しゆごじん》が|現《あら》はれましたなア。|早《はや》く|改心《かいしん》をなさらぬと、|頭《あたま》を|下《した》にし|足《あし》を|上《うへ》にして、ノタクラねばならぬ|事《こと》が|出来《しゆつたい》|致《いた》すぞよと、|大神様《おほかみさま》のお|筆《ふで》にチヤンと|誡《いまし》めてあります。|鼻《はな》を|撮《つま》まれても|分《わか》らぬ|程《ほど》|身魂《みたま》が|曇《くも》つて|居《ゐ》るものだから、お|前《まへ》さまは|天《てん》と|地《ち》と|間違《まちが》へて|居《を》るのではなからうか。どうやら|足《あし》が|天井《てんじやう》の|方《はう》を|向《む》いて|居《を》るぢやないか』
|国依別《くによりわけ》は、
『アーア、|悪性《あくしやう》な|守護神《しゆごじん》を|連《つ》れて|来《き》て|私《わたし》に|憑《うつ》すものだから、|段々《だんだん》|足《あし》が|上《うへ》へあがり|頭《あたま》が|下《した》になつて|了《しま》ひ、|手《て》で|歩《ある》かねばならぬ|様《やう》になつて|来《き》たぞよ』
と|云《い》ひながら|逆立《さかだち》になり、|両《りやう》の|手《て》で|座敷《ざしき》を|歩《ある》いて|見《み》せた。|七手《ななて》|許《ばか》り|歩《ある》いた|途端《とたん》に、|体《からだ》の|中心《ちうしん》を|失《うしな》つて、|高姫《たかひめ》の|頭《あたま》の|上《うへ》へドスンと|倒《たふ》れた。
『コレコレ|杢助《もくすけ》さま、|妾《わたし》にはそんな|守護神《しゆごじん》は|居《を》りませぬぞえ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》に、|何時《いつ》までもそんな|巫山戯《ふざけ》た|態《ざま》をなさると|承知《しようち》なさらぬぞ。あゝモウ|駄目《だめ》だな。|初稚姫《はつわかひめ》さまも|玉能姫《たまのひめ》さまも|逃《に》げて|行《ゆ》かつしやる|筈《はず》だワイ。わしも|鷹鳥山《たかとりやま》を|断念《だんねん》し、|此処迄《ここまで》|来《く》るは|来《き》たものの、こんな|悲惨《ひさん》な|幕《まく》を|目撃《もくげき》しては、|帰《かへ》りもならず、|居《を》る|事《こと》も|出来《でき》ず、|困《こま》つた|事《こと》だ。ドレこれから|神様《かみさま》に|御願《おねがひ》して|助《たす》けてやつて|貰《もら》はう。|仕方《しかた》がない』
|国依別《くによりわけ》は、
『|不言実行《ふげんじつかう》だよ。|高姫《たかひめ》さま』
とからかふ|所《ところ》へ、|手燭《てしよく》を|左《ひだり》の|手《て》に|持《も》ち、ノソリノソリとやつて|来《き》た|真正《しんせい》の|杢助《もくすけ》、
『ヤアお|前《まへ》は|鷹鳥姫《たかとりひめ》に|能《よ》く|似《に》た|化物《ばけもの》だなア。|此処《ここ》にも|一人《ひとり》、お|前《まへ》の|分霊《わけみたま》が|倒《たふ》れて|居《ゐ》る。ヤアもう|此《この》|頃《ごろ》は|沢山《たくさん》の|狐《きつね》が|人間《にんげん》の|皮《かは》を|被《かぶ》つて、|杢助《もくすけ》を|誤魔化《ごまくわ》しに|出《で》て|来《き》よるので|油断《ゆだん》も|隙《すき》もあつたものでない』
『ヤアお|前《まへ》さまは|本当《ほんたう》の|杢助《もくすけ》さま。どうして|御座《ござ》つた』
『|何《ど》うしても|御座《ござ》らぬ。|最前《さいぜん》から|闇《やみ》に|紛《まぎ》れて、|四《よ》つ|足《あし》|同志《どうし》の|珍妙《ちんめう》な|芸当《げいたう》を|拝見《はいけん》|致《いた》して|居《を》つたのだ。|何《なん》でもタカとか|鳶《とんび》とか、クモとか|国《くに》とか|云《い》ふ|怪体《けつたい》な|代物《しろもの》が、|断《ことわ》りもなく|杢助《もくすけ》の|身魂《みたま》や|住家《すみか》を|蹂躙《じうりん》し、エライ|曲芸《きよくげい》を|演《えん》じて|居《を》つた。まるで|此《この》|化物《ばけもの》は|鷹鳥山《たかとりやま》の|鷹鳥姫《たかとりひめ》に|似《に》た|様《やう》な|脱線振《だつせんぶり》りを、|遺憾《ゐかん》なく|発揮《はつき》しよるワイ。アツハヽヽヽヽ』
|国依別《くによりわけ》は、
『ワツハヽヽヽ、オツホヽヽヽ』
と|笑《わら》ひながらムツクと|起《お》き、ワザとカンテラの|前《まへ》に|顔《かほ》を|突《つ》き|出《だ》し、|鷹鳥姫《たかとりひめ》に|俺《おれ》の|首実験《くびじつけん》せよと|言《い》はぬ|許《ばか》りにさらけ|出《だ》した。
『|何《なん》ぢや。お|前《まへ》は|国依別《くによりわけ》の|理屈《りくつ》|言《い》ひの|宣伝使《せんでんし》ぢやないか。みつともない、|四《よ》つ|足《あし》の|真似《まね》をしたり………チツト|慎《つつし》みなさい。モシモシ|杢助《もくすけ》さま、これでも|分《わか》りませうがなア。サツパリ|正体《しやうたい》が|現《あら》はれて、|御覧《ごらん》の|通《とほ》り|本当《ほんたう》に|悲惨《みじめ》なもので|御座《ござ》いますワイ。こんな|精神病者《せいしんびやうしや》を、お|前《まへ》さまもお|預《あづか》りなさつて、|大抵《たいてい》のこつちや|御座《ござ》いますまい』
|杢助《もくすけ》『|今《いま》の|今迄《いままで》|何《なん》ともなかつたのですが、お|前《まへ》さまが|持《も》つて|来《き》た……|否《いや》お|前《まへ》さまの|執着《しふちやく》とか|名《な》のついた|副守護神《ふくしゆごじん》が|憑《うつ》つたのですよ。アヽ、どうやら、|私《わし》も|変《へん》になつて|来《き》た。|体中《からだぢう》にウザウザと|毛《け》が|生《は》える|様《やう》な|気分《きぶん》が|致《いた》しますワイ』
|国依別《くによりわけ》『|杢助《もくすけ》さま、|国《くに》もどうやら|茶色《ちやいろ》の|毛《け》が|生《は》え|出《だ》して|来《き》ました。|風邪《かぜ》を|引《ひ》いたのか、|俄《にはか》に|腹《はら》の|中《なか》でコンコンと|咳《せき》をして|居《ゐ》ます。|今晩《こんばん》と|云《い》ふ|今晩《こんばん》は|実《じつ》に|不思議《ふしぎ》な|宵《よひ》ですな』
『なんとお|前《まへ》さま|達《たち》は、これ|程《ほど》|神界《しんかい》が|御多忙《ごたばう》なのに、|気楽《きらく》な|洒落《しやれ》をなさつて|日《ひ》を|送《おく》りなさるのは、チツト|了簡《りやうけん》が|違《ちが》やしませぬか。|利己主義《われよし》の|守護神《しゆごじん》が|極端《きよくたん》に|発動《はつどう》して|居《を》りますなア、|妾《わたし》の|守護神《しゆごじん》が|憑依《ひようい》したなんて、ヘンよう|仰有《おつしや》りますワイ。これから|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》が|御神力《ごしんりき》を|現《あら》はして|見《み》せませうか。そこらが|眩《まばゆ》うて|目《め》もあけて|居《を》られぬ|様《やう》になりますぜ』
|杢助《もくすけ》は|笑《わら》ひながら、
『「|何《なに》を|言《い》つても、|私《わたくし》は|折角《せつかく》|呑《の》み|込《こ》んだ|二《ふた》つの|玉《たま》を、|杢助《もくすけ》の|娘《むすめ》のお|初《はつ》に|叩《たた》き|出《だ》されて|了《しま》つたものだから、サツパリ|腰《こし》は|抜《ぬ》け、|鷹鳥山《たかとりやま》もサツパリ|駄目《だめ》になり、これから|何処《どこ》へ|迂路《うろ》ついて|行《ゆ》かうか。|若彦《わかひこ》は|姿《すがた》を|隠《かく》すなり、せめて|杢助《もくすけ》さま|宅《とこ》へでも|往《い》つて……|此《この》|間《あひだ》はエライ|御世話《おせわ》になりました……と|御礼《おれい》をきつかけに、|何《なん》とかよい|智慧《ちゑ》を|借《か》りたいものぢやと、ノコノコやつて|来《き》て|見《み》れば|杢助《もくすけ》さまは|御座《ござ》らつしやらず、|理屈《りくつ》|言《い》ひの|捏廻《こねまは》し|上手《じやうず》の|国依別《くによりわけ》が|人《ひと》を|嘲弄《てうろう》しやがる。エー|此《この》|上《うへ》は|如何《どう》したら|宜《よ》からうかなア。アンアンアン」……|斯《か》う|云《い》ふ|声《こゑ》は|杢助《もくすけ》の|言葉《ことば》では|御座《ござ》らぬ。|鷹鳥姫《たかとりひめ》の|薄志弱行《はくしじやくかう》と|名《な》の|付《つ》いた|守護神《しゆごじん》が、|私《わし》にこんな|事《こと》を|囁《ささや》かすのだ。|早《はや》く|此《この》|守護神《しゆごじん》を|放《ほ》り|出《だ》し、|自分《じぶん》も|此《この》|館《やかた》を|放《ほ》り|出《で》て、どこかへお|道《みち》の|為《ため》に|行《い》つて|貰《もら》ひたいものだ。|杢助《もくすけ》も|大変《たいへん》に|迷惑《めいわく》だ。アツハヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》は|暫《しばら》く|腕《うで》を|組《く》み、|首《くび》を|頻《しき》りに|振《ふ》り、|思案《しあん》に|沈《しづ》む。|国依別《くによりわけ》は、
『あの|高姫《たかひめ》さまの|心配《しんぱい》さうな|顔《かほ》、どうしたら|元《もと》の|通《とほ》りになるだらう。………オウ|分《わか》つた、あの|玉《たま》の|在処《ありか》を|知《し》らしてやりさへすれば、|元《もと》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》で|威張《ゐば》れるだらう、さうすりやキツト|全快《ぜんくわい》するに|定《きま》つて|居《ゐ》る。ヤツパリ|言《い》ふまいかなア。|又《また》|呑《の》まれ、|今迄《いままで》の|様《やう》に|噪《はしや》がれると|困《こま》る、|当《あた》る|可《べ》からざる|万丈《ばんぢやう》の|気焔《きえん》を|吐《は》かれると、|側《そば》へも|寄《よ》りつけないやうになるから……』
『|何《なに》、|宝珠《ほつしゆ》の|行方《ゆくへ》を、お|前《まへ》|知《し》つて|居《ゐ》るのかい』
『|知《し》つて|居《を》らいでかい、|国《くに》さまだもの』
『そんならお|前《まへ》が|妾《わし》を|困《こま》らさうと|思《おも》つて|隠《かく》したのだなア。|油断《ゆだん》のならぬ|男《をとこ》だ。サア|杢助《もくすけ》さま、|蛙《かはづ》は|口《くち》からわれと|吾《わが》|手《て》に|白状《はくじやう》しました。|締木《しめぎ》に|懸《か》けても|言《い》はしめて、|玉《たま》の|在処《ありか》を|探《さが》して|見《み》ませうかい』
|杢助《もくすけ》『サア|如何《どう》だかなア。|大方《おほかた》|蒟蒻玉《こんにやくだま》か|何《なん》ぞと|間違《まちが》つて|居《ゐ》るのだらう。それが|違《ちが》うたら|瓢六玉《へうろくだま》か、|狸《たぬき》の|睾玉《きんたま》|位《くらゐ》なものだ。アツハヽヽヽ』
|国依別《くによりわけ》『ナアニ|杢助《もくすけ》さま、|本当《ほんたう》に|玉《たま》の|在処《ありか》を|発見《はつけん》したのですよ。これから|私《わたし》がコツソリと|其《その》|玉《たま》を|拾《ひろ》ひあげ、|高姫《たかひめ》さまぢやないが、|腹《はら》へ|呑《の》み|込《こ》んで、|一《ひと》つ|大日《おほひ》の|出神《でのかみ》となる|心算《つもり》だ………オツト|失敗《しま》つた。|高姫《たかひめ》さまの|居《を》る|所《とこ》で|言《い》ふぢやなかつたに………|秘密《ひみつ》が|暴露《ばくろ》したワイ、アハヽヽヽ』
『|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|御宝《おたから》、|一日《ひとひ》も|早《はや》く|現《あら》はして|御用《ごよう》に|立《た》てねばなりますまい。|三五教《あななひけう》は|日《ひ》に|日《ひ》に|衰《おとろ》へて|行《ゆ》くぢやありませぬか』
『ヤツパリ|国《くに》の|夢《ゆめ》やつたかいな………イヤイヤ|夢《ゆめ》ではない、|現実《げんじつ》だ。|併《しか》し|高姫《たかひめ》さまの|前《まへ》では|夢《ゆめ》にしとかうかい。|鷹鳥姫《たかとりひめ》が|忽《たちま》ち|玉取姫《たまとりひめ》に|早変《はやがは》りすると、|折角《せつかく》|発見《はつけん》した|私《わし》の|功績《てがら》が|無《む》になる。|言依別《ことよりわけ》の|神様《かみさま》に|御褒《おほ》めの|言葉《ことば》を|戴《いただ》き、それから|三五教《あななひけう》の|総務《そうむ》になつて、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》を|腮《あご》で|使《つか》ふと|云《い》ふ|段取《だんどり》だ。|高姫《たかひめ》さま、お|気《き》の|毒《どく》ながら|時世時節《ときよじせつ》と|諦《あきら》めて|下《くだ》さい。あゝこんな|愉快《ゆくわい》な|事《こと》があらうか』
『|本当《ほんたう》にあるのなら、|二《ふた》つの|玉《たま》を、|一《ひと》つお|前《まへ》に|上《あ》げるから、|一《ひと》つは|妾《わし》に|手柄《てがら》を|譲《ゆづ》つて|下《くだ》さい。|別《べつ》に|呑《の》み|込《こ》んで|了《しま》ふのぢやないから………』
『|何《なん》でも|呑《の》み|込《こ》みのよいお|前《まへ》さまだから|剣呑《けんのん》なものだ。それなら|一《ひと》つ|相談《さうだん》をしよう。|紫《むらさき》の|玉《たま》はお|前《まへ》さまが|預《あづか》るとして、|私《わし》は|金剛不壊《こんがうふゑ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》を|預《あづ》かる|事《こと》にしよう。それさへ|決定《きま》れば、|何時《なんどき》でも|知《し》らしてあげる』
『そりやチツト|虫《むし》がよすぎる。|金剛不壊《こんがうふゑ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》は、|永《なが》らく|妾《わたし》の|腹《はら》の|中《なか》に|鎮座《ちんざ》ましました|宝玉《ほうぎよく》だ。|謂《い》はば|妾《わたし》の|生御魂《いくみたま》も|同然《どうぜん》だ。お|前《まへ》さまは|紫《むらさき》の|玉《たま》で|辛抱《しんばう》しなさい』
『|滅相《めつさう》な、|鷹鳥姫《たかとりひめ》がアルプス|教《けう》の|御本尊《ごほんぞん》として|居《ゐ》た|位《くらゐ》な|紫《むらさき》の|玉《たま》は、|如意宝珠《によいほつしゆ》に|比《くら》べては|余程《よほど》|劣《おと》つて|居《ゐ》る。|身魂相応《みたまさうおう》だから、お|前《まへ》さまが|紫《むらさき》の|玉《たま》だ。|私《わたし》は|何《なん》と|云《い》つても|如意宝珠《によいほつしゆ》を|取《と》るのだから、さう|覚悟《かくご》しなさい』
『エー|訳《わけ》の|分《わか》からぬ|男《をとこ》だなア。モウ|斯《か》うなる|以上《いじやう》は|何《なん》と|云《い》つても|承知《しようち》せぬ。|奴盗人《どぬすびと》|奴《め》が、サア|引摺《ひきず》つて|往《い》つてでも|在処《ありか》を|白状《はくじやう》させる』
『|世界《せかい》|見《み》え|透《す》く|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまの|生宮《いきみや》が、|私《わし》の|様《やう》な|人間《にんげん》を|連《つ》れて|行《ゆ》かねば、|玉《たま》の|在処《ありか》が|知《し》れぬとは、|実《じつ》に|気《き》の|毒《どく》なものだなア』
『|妾《わし》の|悪口《わるくち》を|言《い》ふのなら|辛抱《しんばう》もするが、|畏《おそ》れ|多《おほ》い、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》の|悪口《わるくち》まで|言《い》ひよつたなア、サアもう|了簡《りやうけん》ならぬ』
といきなり|胸倉《むなぐら》をグツと|取《と》つて|締《し》めつける。|国依別《くによりわけ》は、
『|何《なに》ツ、|猪口才《ちよこざい》な|高姫《たかひめ》の|奴《やつ》』
と|又《また》|胸倉《むなぐら》を|取《と》り、|両方《りやうはう》から|睨《にら》み|合《あ》つて、|真赤《まつか》な|顔《かほ》を|膨《ふく》らして|居《ゐ》る。|杢助《もくすけ》は、
『コレ|高姫《たかひめ》さま、|国依別《くによりわけ》さま、お|鎮《しづ》まりなさい。|同《おな》じ|三五教《あななひけう》の|宝《たから》、|誰《たれ》が|手《て》に|入《い》れても|同《おな》じ|事《こと》ぢやないか』
|高姫《たかひめ》『イエ、|斯《こ》んな|奴《やつ》に|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》を|弄《なぶ》らさうものなら、それこそ|穢《けが》れて|了《しま》ひます。|如何《どう》しても|斯《か》うしても、|一歩《いつぽ》|譲《ゆづ》つて|紫《むらさき》の|玉《たま》だけは|発見《はつけん》した|褒美《ほうび》としてなぶらしてやるが、|仮令《たとへ》|天《てん》が|地《ち》になり|地《ち》が|天《てん》となつても、|如意宝珠《によいほつしゆ》ばかりは、こんな|奴《やつ》に|持《も》たして|堪《たま》らうか……』
|国依別《くによりわけ》『ナアニ|発見主《はつけんぬし》は|俺《おれ》だ。|先取権《せんしゆけん》があるのだから、グヅグヅ|云《い》ふと、|二《ふた》つながら|俺《おれ》が|預《あづか》るのだ』
『|何《なに》ツ、|玉盗人《たまぬすびと》の|分際《ぶんざい》として|広言《くわうげん》を|吐《は》くか』
と|高姫《たかひめ》は|組《く》んづ|組《く》まれつ、|座敷中《ざしきちう》をのたうち|廻《まは》り、|終局《しまひ》には|金切声《かなきりごゑ》を|張上《はりあ》げて、|汗《あせ》みどろになつて|大活動《だいくわつどう》を|始《はじ》めて|居《ゐ》る。|杢助《もくすけ》は、
『コラコラ|国依別《くによりわけ》さま、お|前《まへ》、|本当《ほんたう》に|其《その》|玉《たま》の|在処《ありか》を|知《し》つて|居《ゐ》るのか』
『ナアニ|発見《はつけん》したら……と|云《い》ふ|話《はなし》です。|夢《ゆめ》にでも|見《み》たら|俺《おれ》が|見《み》つけたのぢやから、|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》を|俺《わし》が|預《あづか》ると|云《い》つたばかりです。まだ|皆目《かいもく》|在処《ありか》は|分《わか》らぬのです、アツハヽヽヽ、あまり|一生懸命《いつしやうけんめい》で|嘘《うそ》が|真実《ほんま》になつて|了《しま》つた。アツハヽヽヽ』
『|何《なに》ツ、お|前《まへ》|嘘《うそ》を|云《い》つたのか。なアんの|事《こと》だいな。あーア、|要《い》らぬ|苦労《くらう》をやらされて|了《しま》つた。そこらが|茨掻《いばらかき》だらけだがな』
|杢助《もくすけ》『アツハヽヽヽ、|又《また》|執着《しふちやく》と|云《い》ふ|魔《ま》が|憑《つ》いて、|面白《おもしろ》い|演芸《えんげい》を|無料《むれう》|観覧《くわんらん》させて|呉《く》れたものだな、アツハヽヽヽヽ』
と|腹《はら》を|抱《かか》へて|笑《わら》ふ。
(大正一一・五・二八 旧五・二 松村真澄録)
第一八章 |布引《ぬのびき》の|滝《たき》〔七一〇〕
|初稚姫《はつわかひめ》、|玉能姫《たまのひめ》は|霊夢《れいむ》に|感《かん》じ、|杢助《もくすけ》の|庵《いほり》を|立《た》ち|出《い》で、|青葉《あをば》も|薫《かを》る|初夏《しよか》の|山路《やまみち》を|再度山《ふたたびやま》の|山頂《さんちやう》|目蒐《めが》けて|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|淙々《そうそう》たる|滝《たき》の|音《おと》が|間近《まぢか》く|聞《きこ》えて|来《き》た。
|玉能姫《たまのひめ》『|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》、あの|音《おと》は|布引《ぬのびき》の|滝《たき》に|近《ちか》くなつたのでせう。|一《ひと》つ|御禊《みそぎ》をしてお|夢《ゆめ》にお|示《しめ》しの|山頂《さんちやう》に|参《まゐ》り、|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》より|玉《たま》を|預《あづ》かつて|帰《かへ》りませうか』
|初稚姫《はつわかひめ》『|小《ちひ》さな|声《こゑ》で|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さい。|此《この》|辺《へん》は|曲神《まがかみ》の|悪霊《あくれい》が|充満《じうまん》して|居《を》りますから、|神界《しんかい》の|秘密《ひみつ》を|探《さぐ》り、|又《また》もや|妨害《ばうがい》を|加《くは》へられては|大変《たいへん》ですから』
『アヽさうでしたね。|兎《と》も|角《かく》|滝《たき》の|音《おと》を|目当《めあ》てに、|霧《きり》を|分《わ》けて|参《まゐ》りませう』
と|夕霧《ゆふきり》|籠《こ》むる|谷間《たにあひ》を、|玉能姫《たまのひめ》は|初稚姫《はつわかひめ》の|手《て》を|取《と》り|労《いた》はりつつ|谷《たに》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》る。
|見上《みあ》ぐる|許《ばか》りの|瀑布《ばくふ》の|傍《かたはら》、|飛《と》び|散《ち》る|狭霧《さぎり》の|玉《たま》は|雨《あめ》の|如《ごと》く|降《ふ》りしきり、|周囲《あたり》の|樹木《じゆもく》は|何《いづ》れも|誕生《たんじやう》の|釈迦《しやか》のやうになつて|居《ゐ》る。|二人《ふたり》は|佇《たたず》み、|滝《たき》の|雄大《ゆうだい》さを|褒《ほ》めて|居《ゐ》る。|霧《きり》|押《お》し|分《わ》けて|現《あら》はれ|出《い》でたる|十数人《じふすうにん》の|荒男《あらをとこ》、
|甲《かふ》『オイ、カナンボール、|此《この》|間《あひだ》は|山桜《やまざくら》の|盛《さか》りの|時《とき》だつたがなア、|鷹鳥山《たかとりやま》の|清泉《きよいづみ》まで|往《い》つた|時《とき》、|出《で》て|来《き》よつたお|化《ばけ》の|女《をんな》、|玉能姫《たまのひめ》が|現《あら》はれたぞ。|其《その》|時《とき》には|同《おな》じ|姿《すがた》が|三人連《さんにんづ》れとなり|俺達《おれたち》を|偉《えら》い|目《め》に|遇《あ》はしよつたが、|今度《こんど》は|手《て》を|替《か》へて|二人《ふたり》となり、|一人《ひとり》はあんな【チツポケ】な|小娘《こむすめ》に|化《ば》けて|出《で》よつた。さアこれから|一方口《いつぽうぐち》の|此《この》|谷間《たにあひ》、|逃《に》げようと|云《い》つたつて|逃《に》げられない|屈強《くつきやう》の|場所《ばしよ》、|一《ひと》つ|彼奴《あいつ》を|取捉《とつつかま》へて|魔谷ケ岳《まやがだけ》に|連《つ》れ|帰《かへ》り、|蜈蚣姫《むかでひめ》さまの|御褒美《ごほうび》に|預《あづ》からうぢやないか』
スマート『|貴様《きさま》の|云《い》ふ|事《こと》は|実《じつ》に|名案《めいあん》だ。|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》ると、|又《また》もや|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》が|出《で》て|来《き》ては|大変《たいへん》だ。|善《ぜん》は|急《いそ》げだ。|早《はや》く|片付《かたづ》けて|仕舞《しま》はう。|何《なん》でも|此《この》|辺《あたり》に|鷹依姫《たかよりひめ》が|持《も》つて|居《ゐ》た|紫《むらさき》の|玉《たま》が|隠《かく》してあると|云《い》ふ|事《こと》だから、|彼奴《あいつ》を|捉《つかま》へて|詮議《せんぎ》すれば|明白《めいはく》になるであらう。|序《ついで》に|三五教《あななひけう》の|本山《ほんざん》ではモウ|二《ふた》つの|玉《たま》が|紛失《ふんしつ》したと|云《い》うて|騒《さわ》いで|居《ゐ》るが、|大方《おほかた》|玉能姫《たまのひめ》が|何々《なになに》しやがつて、|此処《ここら》に|匿《かく》して|居《ゐ》るに|違《ちが》ひないと|云《い》ふ|噂《うはさ》だ。さア|今度《こんど》こそ【ぬかつ】てはならないぞ。オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、|其辺《そこら》にすつこんで|逃《に》げ|道《みち》を|警戒《けいかい》し、|万一《もし》も|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》が|出《で》て|来《き》よつたら|合図《あひづ》の|柴笛《しばぶえ》を|吹《ふ》くのだぞ』
|鉄公《てつこう》『ハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました。|皆《みな》の|奴《やつ》を|監督《かんとく》して|違算《ゐさん》なきやうに|鉄条網《てつでうまう》となつて、|如何《いか》なる|強敵《きやうてき》も、|一歩《いつぽ》たりとも|侵入《しんにふ》しないやうに|致《いた》します。|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さい』
と|霧《きり》に|隠《かく》れて|谷口《たにぐち》の|樹木《じゆもく》の|中《なか》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。
スマート『オイ、それなる|女《をんな》、|汝《なんぢ》は|鷹鳥山《たかとりやま》の|魔性《ましやう》の|女《をんな》、|玉呑姫《たまのみひめ》であらうがな。|三《み》つの|玉《たま》を|何処《どこ》へ|呑《の》んだか、|否《いや》|隠《かく》したか。キリキリちやつと|白状《はくじやう》|致《いた》し、|此《この》|方《はう》に|渡《わた》せばよし、|渡《わた》さぬなどと|吐《ぬか》すが|最後《さいご》、|汝《なんぢ》が|素首《そつくび》|取捉《とつつか》まへて|魔谷ケ岳《まやがだけ》の|霊場《れいぢやう》へ|連《つ》れ|帰《かへ》り、|水責《みづぜ》め|火責《ひぜ》めはまだ|愚《おろ》か、|剣《つるぎ》の|責苦《せめく》に|遇《あ》はしてでも|白状《はくじやう》させる。ならう|事《こと》なら|俺達《おれたち》も|神《かみ》に|仕《つか》ふる|身分《みぶん》だ。|苦《くる》しめたくはない、|早《はや》く|白状《はくじやう》|致《いた》すが|汝《なんぢ》の|得策《とくさく》だらう。|手具脛《てぐすね》|引《ひ》いて|待《ま》つて|居《ゐ》た。|此処《ここ》へ|来《き》たのは|汝《なんぢ》に|取《と》つて|最早《もはや》|百年目《ひやくねんめ》、|因果《いんぐわ》を|定《さだ》めて|返答《へんたふ》せい』
|玉能姫《たまのひめ》『エヽ、|誰人《たれ》かと|思《おも》へばバラモン|教《けう》の|蜈蚣姫《むかでひめ》が|部下《ぶか》のスマートボールさまにカナンボールの|大将《たいしやう》さま、|私《わたくし》が|如何《いか》に|玉能姫《たまのひめ》ぢやと|云《い》つて、|玉《たま》を|持《も》つて|居《ゐ》るとは|些《ち》と|可笑《をか》しいぢやありませぬか。それは|貴方《あなた》のお|考《かんが》へ|違《ちが》ひでせう』
カナン『|考《かんが》へ|違《ちが》ひもあつたものかい。|三五教《あななひけう》の|裏返《うらがへ》り|者《もの》。|貴様《きさま》は|三《みつ》つの|玉《たま》を|持《も》ち|出《だ》して|隠《かく》し|場所《ばしよ》に|困《こま》り、|狼狽《うろた》へて|居《ゐ》やがると|云《い》ふ|事《こと》は、|聖地《せいち》へ|入《い》り|込《こ》ましてある|天州《てんしう》の|報告《はうこく》によつて|明《あきら》かなる|処《ところ》だ。|三五教《あななひけう》でさへも|皆《みな》|貴様《きさま》の|所作《しよさ》だと|目星《めぼし》をつけ、その|在処《ありか》を、|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|宣伝使《せんでんし》が|探《たづ》ね|廻《まは》つて|居《ゐ》る。|貴様《きさま》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》にぶつつかるや|否《いな》や、|笠《かさ》の|台《だい》がなくなる|代物《しろもの》だ。それよりも|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》と|白状《はくじやう》|致《いた》し、バラモン|教《けう》に|其《その》|玉《たま》を|献上《けんじやう》|致《いた》し、|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》の|片腕《かたうで》となり、|俺《おれ》と|共《とも》に|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》する|気《き》はないか』
|玉能姫《たまのひめ》は|微笑《びせう》しながら、
『これは|偉《えら》い|迷惑《めいわく》、|三五教《あななひけう》の|人《ひと》|達《たち》までが、さう|私《わたくし》を|疑《うたが》つて|居《ゐ》るのですか。そりや|嘘《うそ》でせう』
|初稚姫《はつわかひめ》は|小声《こごゑ》で、
『|嘘《うそ》です|嘘《うそ》です、|玉能姫《たまのひめ》さま、|真実《ほんとう》にしちやいけませぬよ。|三五教《あななひけう》には|一人《ひとり》として|貴女《あなた》を|疑《うたが》つて|居《ゐ》るものはありませぬ。|安心《あんしん》なさいませ。あんな|事《こと》を|云《い》つて|気《き》を|引《ひ》くのですからな』
|玉能姫《たまのひめ》『ハヽアさうでせう。|油断《ゆだん》のならぬ|奴《やつ》ですな』
スマート『こりやこりやコメツチヨ、|要《い》らぬ|智慧《ちゑ》をつけやがるない。|何《なん》だツ、チンピラの|癖《くせ》に、|子供《こども》は|子供《こども》らしくせい。これこれ|玉能姫《たまのひめ》、|何《なん》と|云《い》つても|調《しら》べ|抜《ぬ》いてあるのだから、このスマートボールの|云《い》ふ|事《こと》に|間違《まちがひ》はあるまい。|玉《たま》がないならないで、|玉呑姫《たまのみひめ》でも|連《つ》れて|帰《かへ》らねばならない。さア|返答《へんたふ》はどうだ。|今度《こんど》は|化《ば》けようと|云《い》つたつて|化《ば》けさせぬぞ』
『オホヽヽヽ、|貴方等《あなたがた》は|徹底《てつてい》した|没分漢《わからずや》ですな。|玉《たま》で|見当《けんたう》|違《ちが》ひですよ』
『|見当《けんたう》の|取《と》れぬ|仕組《しぐみ》と|云《い》ふぢやないか、その|見当《けんたう》を|取《と》るものがバラモン|教《けう》だ。|最早《もはや》|矢《や》は|弦《つる》を|離《はな》れたも|同然《どうぜん》、【てつきり】|俺《おれ》の|的《まと》は|外《はづ》れつこはない。|一度《いちど》|放《はな》つた|矢《や》は|行《ゆ》く|処《ところ》まで|行《ゆ》かねば|落《お》ちつかないぞ。|何《なん》と|云《い》つても|貴様《きさま》はバラモン|教《けう》の|恨《うら》みの|的《まと》、|否《いな》|目的物《もくてきぶつ》だ。さアさア、ゴテゴテ|云《い》はずに、|俺達《おれたち》の|申《まを》す|通《とほ》りに|包《つつ》み|隠《かく》さず|云《い》つて|仕舞《しま》へ。それが|却《かへつ》てお|前《まへ》の|出世《しゆつせ》の|因《もと》だ』
『オホヽヽヽ、|私《わたくし》は|別《べつ》に|出世《しゆつせ》なんかしたくはありませぬ。そんな|執着心《しふちやくしん》は|疾《と》うの|昔《むかし》に|神様《かみさま》にお|供《そな》へして|仕舞《しま》ひました。|病気《びやうき》も、|罪《つみ》も、|汚《けが》れも、|一切《いつさい》|残《のこ》らず|三五教《あななひけう》の|大神様《おほかみさま》に|奉納《ほうなふ》した|私《わたし》、この|滝水《たきみづ》のやうに|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》、|今《いま》では|水《みづ》の|御魂《みたま》の|水晶玉《すいしやうだま》。お|生憎様《あひにくさま》、なんにも|御座《ござ》いませぬよ』
『|何《なに》ツ、|水晶《すゐしやう》だと、それさへあれば|三《みつ》つの|玉《たま》よりも|優《まさ》つて|居《ゐ》る。さア|其《その》|玉《たま》|此方《こちら》へ|渡《わた》せ』
『オホヽヽヽ、|何処迄《どこまで》も|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|玉抜《たまぬ》け|男《をとこ》だ|事《こと》。こんなお|方《かた》にお|相手《あひて》して|居《を》つては|処方《こつち》がたまらぬ。|御免《ごめん》なさいませ』
と|先《さき》へ|進《すす》まうとする。
カナン『コレコレ|女《をんな》、かう|見《み》えてもバラモン|教《けう》の|蜈蚣姫《むかでひめ》が|左守《さもり》、|右守《うもり》の|神様《かみさま》だ。|玉能姫《たまのひめ》は|三五教《あななひけう》で、|何《ど》れだけ|地位《ちゐ》をもつて|居《ゐ》るか|知《し》らないが、|到底《たうてい》|俺達《おれたち》に|比《くら》べものにはなるまい。|些《ち》つとは|礼儀《れいぎ》を|弁《わきま》へて|居《ゐ》るだらう、なぜ|解決《かいけつ》をつけてゆかないか』
|玉能姫《たまのひめ》『オホヽヽヽ、|色《いろ》のお|黒《くろ》い|蜈蚣姫《むかでひめ》さまの|御眷属《ごけんぞく》だけあつてお|二人様《ふたりさま》、お|色《いろ》の|黒《くろ》い|事《こと》、|黒《くろ》いにかけては|天下《てんか》|無類《むるゐ》の|豪傑《がうけつ》でせう。|私《わたくし》は|根《ね》つから、|色《いろ》の|黒《くろ》いのは|虫《むし》が|好《す》きませぬ』
『|何《なん》だツ、|善言美詞《ぜんげんびし》を|使《つか》ふと|云《い》ふ|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》が、|人《ひと》の|顔《かほ》の|品評《しなさだめ》までやると|云《い》ふ|事《こと》があるものか。|他《ひと》の|顔《かほ》が|黒《くろ》いなんて、|女《をんな》の|分際《ぶんざい》で|男《をとこ》を|嘲弄《てうろう》|致《いた》すのか』
『ホヽヽヽヽ、|貴方《あなた》は|色《いろ》の|黒《くろ》いのが|御自慢《ごじまん》でせう。|烏《からす》は|黒《くろ》いのが|重宝《ちようほう》、|白鷺《しらさぎ》は|白《しろ》いのが|重宝《ちようほう》でせう。|蜈蚣姫《むかでひめ》のお|気《き》にいる|貴方等《あなたがた》だから|黒《くろ》いといつたのは、|畢竟《つまり》|私《わたくし》が|尊敬《そんけい》を|払《はら》つたのです。|悪《わる》く|取《と》つて|貰《もら》つちや|困《こま》りますなア。あのまアお|二人様《ふたりさま》とも|揃《そろ》ひも|揃《そろ》うてお|黒《くろ》い|事《こと》、|何方《どちら》|向《む》いて|御座《ござ》るのか、|近《ちか》よつて|見《み》なくては|分《わか》りませぬ』
カナン『オイ、スマート、なんぼ|尊敬《そんけい》を|払《はら》ふと|云《い》つたつて、|色《いろ》が|黒《くろ》いと|云《い》はれるのは、|根《ね》つから|有難《ありがた》うないぢやないか』
スマート『|何《なに》、|此奴《こいつ》ア|海千《うみせん》、|川千《かはせん》、|山千《やません》の|化物《ばけもの》だから、|尊敬《そんけい》どころか、|体《てい》のよい|辞令《じれい》を|使《つか》つて|俺達《おれたち》を|極端《きよくたん》に|罵倒《ばたふ》して|居《を》るのだよ。サアもう|斯《か》うなつては|俺《おれ》も|承知《しようち》がならぬ。オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、|出《で》て|来《こ》い。|此奴《こいつ》をふん|縛《じば》つて|布引《ぬのびき》の|滝《たき》へ|投《ほ》り|込《こ》むのだ』
『オーイ』
と|答《こた》へて|四辺《あたり》の|樹《き》の|茂《しげ》みより|十数人《じふすうにん》、バラバラと|二人《ふたり》の|周囲《しうゐ》に|駆《か》け|集《あつ》まつた。
|玉能姫《たまのひめ》『コレコレ|初稚姫《はつわかひめ》さま、|確《しつ》かりして|居《ゐ》て|下《くだ》さいや。|是《これ》から|一《ひと》つ|私《わたし》が|奮闘《ふんとう》して、|皆《みな》の|奴《やつ》に|一泡《ひとあわ》|吹《ふ》かせて|改心《かいしん》をさせて|見《み》せませう。|言霊戦《ことたません》も|結構《けつこう》だが、|彼様《あん》な|心《こころ》の|盲《めくら》|聾《つんぼ》には|言霊《ことたま》の|効能《かうのう》は|覚束《おぼつか》ない。|先《ま》づ|第一着手《だいいちちやくしゆ》として|女《をんな》の|細腕《ほそうで》が|続《つづ》く|限《かぎ》り、|直接《ちよくせつ》|行動《かうどう》を|開始《かいし》|致《いた》しませう』
と|懐中《くわいちう》より|襷《たすき》を|取《と》り|出《だ》し、|十文字《じふもんじ》にあやどり、|裾《すそ》を|高《たか》くからげ、|大地《だいち》に|四股《しこ》を|踏《ふ》み、|両手《りやうて》をひろげ、
『サア|来《こ》い、|来《きた》れ、|木端武者《こつぱむしや》|共《ども》。|三五教《あななひけう》の|玉能姫《たまのひめ》が|武勇《ぶゆう》の|試《ため》し|時《どき》』
と|両手《りやうて》に|唾《つばき》しながら|身構《みがま》へた。|六才《ろくさい》の|初稚姫《はつわかひめ》も|捩鉢巻《ねぢはちまき》を|凛《りん》と|締《し》め、|襷《たすき》を|十文字《じふもんじ》にあやどり、|袴《はかま》の|股立《ももだち》|締《し》め|上《あ》げ、これ|亦《また》|両手《りやうて》を|拡《ひろ》げ|唾《つばき》しながら、
『ヤアヤア、バラモン|教《けう》を|奉《ほう》ずる|小童《こわつぱ》|共《ども》、|初稚姫《はつわかひめ》が|幼《をさな》の|腕力《わんりよく》を|試《ため》すは|此《この》|時《とき》、さア|来《こ》い、|来《きた》れ』
と|雄健《をたけ》びする|其《その》|凛々《りり》しさ。
スマート『アハヽヽヽ、|些《ち》つと|洒落《しやれ》てけつかる。|小《ちひ》さい|態《ざま》をして|何《なん》だ。オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、こんな|女《をんな》|二人《ふたり》|位《ぐらゐ》に|大勢《おほぜい》の|男《をとこ》がかかつたと|云《い》はれては|末代《まつだい》の|恥《はぢ》だ。|俺《おれ》|一人《ひとり》で|沢山《たくさん》だ。|貴様等《きさまら》はこの|活劇《くわつげき》を|観覧《くわんらん》してをれ。サア|女《をんな》、この|腕《うで》を|見《み》よ。|中《なか》まで|鉄《てつ》だよ』
|玉能姫《たまのひめ》『|腕《うで》ばかりか、|体《からだ》|一面《いちめん》|黒《くろ》い|黒《くろ》い|鉄《てつ》の|様《やう》な|真黒黒助《まつくろくろすけ》。|水晶玉《すいしやうだま》の|玉能姫《たまのひめ》が、|今《いま》|汝《なんぢ》の|垢《あか》を|落《おと》してやらう。サア|来《こ》い、|勝負《しようぶ》だ』
『|何《なに》ツ|猪口才《ちよこざい》な、|其《その》|大言《たいげん》|後《あと》に|致《いた》せ』
と|頑丈《ぐわんぢやう》な|腕《うで》をぶんぶん|云《い》はせながら|玉能姫《たまのひめ》に|打《う》つてかかる。|玉能姫《たまのひめ》はヒラリと|体《たい》をかはしスマートが|足《あし》を|掬《すく》つた|途端《とたん》、|滝壺《たきつぼ》へ【ドブン】と|真逆様《まつさかさま》。こりや|大変《たいへん》だとカナンは|忽《たちま》ち|捩鉢巻《ねぢはちまき》し、|又《また》もや|鉄拳《てつけん》を|振《ふる》うて|打《う》ちかかる。|初稚姫《はつわかひめ》は、
『ホヽヽヽヽホ、ホヽヽ』
と|体《からだ》をしやくつて|笑《わら》うて|居《ゐ》る。|玉能姫《たまのひめ》は、
『エヽ|面倒《めんだう》な。|汝《なんぢ》も|共《とも》に|滝壺《たきつぼ》へ|水葬《すゐさう》だ。|覚悟《かくご》|致《いた》せ』
と|飛《と》びつき|来《きた》るカナンボールの|首筋《くびすぢ》に|手《て》を|掛《か》くるや|否《いな》や、エイツと|一声《いつせい》、|中空《ちうくう》を|二三遍《にさんぺん》|廻転《くわいてん》し、|滝壺《たきつぼ》へ|又《また》もや【ザンブ】と|落《お》ち|込《こ》んだ。|十余《じふよ》の|荒男《あらをとこ》は|二人《ふたり》の|危急《ききふ》を|見《み》て、|死物狂《しにものぐる》ひに|前後左右《ぜんごさいう》より|打《う》ち|掛《か》かる。|玉能姫《たまのひめ》は|右《みぎ》から|来《く》る|奴《やつ》は|左《ひだり》に|投《な》げ、|左《ひだり》から|来《く》る|奴《やつ》は|右《みぎ》へ|投《な》げ、|前《まへ》から|来《く》る|奴《やつ》は|後《うしろ》へ|放《ほ》かし、|後《うしろ》から|抱《だ》きつき|喰《く》ひつく|奴《やつ》は|身《み》を|縮《すく》めて|前方《ぜんぱう》の|谷底《たにそこ》へ【ステンドウ】と|放《ほ》り|投《な》げた。|初稚姫《はつわかひめ》は|飛鳥《ひてう》の|如《ごと》く|飛《と》び|廻《まは》り、
『ホヽヽヽヽ、ホヽヽ』
と|笑《わら》ひ|専門《せんもん》の|活動《くわつどう》をやつて|居《ゐ》る。
|此《この》|時《とき》|数十人《すうじふにん》の|足音《あしおと》が|聞《きこ》えて|来《き》た。|近《ちか》より|見《み》れば|霧《きり》の|中《なか》より|現《あら》はれた|真黒黒助《まつくろくろすけ》の|蜈蚣姫《むかでひめ》、
『ヤアヤア、|汝《なんぢ》は|三五教《あななひけう》の|玉能姫《たまのひめ》なるか、よくも|吾等《われら》が|部下《ぶか》を|悩《なや》ましよつたな。|此《この》|蜈蚣姫《むかでひめ》が|現《あら》はれた|以上《いじやう》はもう|叶《かな》ふまい。サア|尋常《じんじやう》に|降伏《かうふく》|致《いた》すか。この|谷口《たにぐち》は|数十人《すうじふにん》の|部下《ぶか》を|以《もつ》て|守《まも》らせあれば、|汝《なんぢ》が|身《み》は|袋《ふくろ》の|鼠《ねずみ》も|同然《どうぜん》、サア|何《ど》うぢや。|往生《わうじやう》|致《いた》したか』
|玉能姫《たまのひめ》『ホヽヽ、|噂《うはさ》に|聞《き》き|及《およ》ぶ|蜈蚣姫《むかでひめ》とは|汝《なんぢ》の|事《こと》なるか。|聞《き》きしに|勝《まさ》る|黒《くろ》い|婆《ば》アさま、|雪《ゆき》より|白《しろ》い|玉能姫《たまのひめ》が、|此《この》|滝壺《たきつぼ》へ|放《ほ》り|込《こ》んで|洗濯《せんたく》してやらう。サア|来《こ》い』
と|手《て》に|唾《つば》きして|身構《みがま》へすれば、|蜈蚣姫《むかでひめ》はカラカラと|笑《わら》ひ、
『|蟷螂《たうらう》の|斧《をの》を|揮《ふる》つて|竜車《りうしや》に|向《むか》ふが|如《ごと》き、|危《あぶな》い|汝《なんぢ》の|振舞《ふるま》ひ。|大人嬲《おとななぶ》りの|骨嬲《ほねなぶ》り、|神妙《しんめう》に|降伏《かうふく》|致《いた》したが|汝《なんぢ》の|為《ため》であらう』
『|誠《まこと》|一《ひと》つを|貫《つら》ぬく|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|汝《なんぢ》が|一族《いちぞく》の|身魂《みたま》を|此《この》|滝水《たきみづ》にさらし、|水晶魂《すゐしやうだま》に|研《みが》いて|呉《く》れむ。|有難《ありがた》く|感謝《かんしや》せよ』
と|婆《ばば》の|皺苦茶腕《しわくちやうで》を|取《と》らむとすれば、|婆《ばば》も【しれ】|者《もの》、その|手《て》を|引《ひ》きはづし、|玉能姫《たまのひめ》にウンと|一声《ひとこゑ》|当身《あてみ》を|喰《く》はせた。|玉能姫《たまのひめ》は|脆《もろ》くも|其《その》|場《ば》に|倒《たふ》れてしまつた。|後《あと》に|残《のこ》つた|初稚姫《はつわかひめ》は|又《また》もや|小《ちひ》さき|両手《りやうて》を|拡《ひろ》げ、
『ヤア、|蜈蚣姫《むかでひめ》、|吾《われ》は|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》、|汝《なんぢ》が|眷属《けんぞく》|共《ども》を|残《のこ》らず|滝壺《たきつぼ》に|放《ほ》り|込《こ》み、|身魂《みたま》の|洗濯《せんたく》をしてやつて|居《を》るのに|其《その》|御恩《ごおん》も|知《し》らず、|玉能姫《たまのひめ》に|当身《あてみ》を|喰《く》はすとは|理不尽《りふじん》|千万《せんばん》、もう|斯《か》うなる|上《うへ》は|初稚姫《はつわかひめ》が|了簡《れうけん》ならぬぞや。サア|来《こ》い、|蜈蚣姫《むかでひめ》』
と|手《て》に|唾《つばき》する。
『オホヽヽヽ、|玉能姫《たまのひめ》さへも|此《この》|婆《ばば》の|手《て》にかかつて、|一溜《ひとたま》りもなく|気絶《きぜつ》|致《いた》したではないか、コメツチヨの|分際《ぶんざい》として|武力《ぶりよく》|絶倫《ぜつりん》なる|蜈蚣姫《むかでひめ》に|口答《くちごた》へ、|否《いや》|手向《てむか》ひしようとは|不埒《ふらち》|千万《せんばん》、|道理《だうり》が|分《わか》らぬも|程《ほど》がある。ヤア|無理《むり》もない、|何《なに》を|云《い》うてもまだ|子供《こども》だからな』
『|満《まん》|六才《ろくさい》になつた|初稚姫《はつわかひめ》の|細腕《ほそうで》の|力《ちから》を|喰《く》つて|見《み》よ』
『|何《なに》ツ、|猪口才《ちよこざい》|千万《せんばん》な』
と|武者振《むしやぶ》りつく。|初稚姫《はつわかひめ》は|右《みぎ》へ|左《ひだり》へ|体《たい》を|躱《かは》し、|暫時《しばし》が|程《ほど》は|挑《いど》み|戦《たたか》ひしが、|遂《つひ》に|蜈蚣姫《むかでひめ》の|為《ため》に|組《く》み|敷《し》かれ、|今《いま》や|息《いき》の|根《ね》を|絶《た》たれむとする|時《とき》しもあれ、|滝《たき》の|上方《じやうはう》より|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》た。|蜈蚣姫《むかでひめ》は|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》き、ハツと|滝壺《たきつぼ》の|上《うへ》を|見上《みあ》ぐる|機《はづみ》に|手《て》が|緩《ゆる》んだ。|初稚姫《はつわかひめ》はその|虚《きよ》に|乗《じやう》じ、【ムツク】と|立《た》ち|上《あが》り、
『ヤア|蜈蚣姫《むかでひめ》、もう|此《この》|上《うへ》は|勘忍《かんにん》ならぬ。|覚悟《かくご》せい』
と|小《ちひ》さき|拳《こぶし》を|固《かた》め、|又《また》もや|打《う》つてかかる。|滝《たき》の|上《うへ》の|二人《ふたり》の|男《をとこ》、
『ヤイ|滝公《たきこう》、あれは|確《たしか》に|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》ぢやないか』
|滝公《たきこう》『|思《おも》はぬ|御遭難《ごさうなん》、お|助《たす》け|申《まを》さねばなるまい。オイ|谷丸《たにまる》、|俺《おれ》に|続《つづ》け』
と|壁《かべ》の|如《ごと》き|岩《いは》に|纏《まと》へる|藤葛《ふぢかづら》、|木《き》の|枝《えだ》などを|力《ちから》に、|猿《ましら》の|如《ごと》く|下《お》りて|来《き》た。|谷丸《たにまる》は、
『ホー、|貴女《あなた》は|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》』
|初稚姫《はつわかひめ》『ヤア|谷丸《たにまる》、|滝公《たきこう》、よく|来《き》て|下《くだ》さつた。|玉能姫《たまのひめ》さまは|気絶《きぜつ》して|居《を》られます』
|滝公《たきこう》『|何《なに》ツ、|玉能姫《たまのひめ》さまが』
と|両人《りやうにん》は|玉能姫《たまのひめ》に|向《むか》つて|滝水《たきみづ》を|含《ふく》み、|面部《めんぶ》に|吹《ふ》きかける。
|蜈蚣姫《むかでひめ》『エヽもう|一息《ひといき》と|云《い》ふ|処《ところ》へ|怪体《けつたい》な|奴《やつ》がやつて|来《き》よつて、|俺達《おれたち》の|邪魔《じやま》を|致《いた》すのか、|覚悟《かくご》を|致《いた》せ』
と|婆《ばば》は|谷丸《たにまる》に|武者振《むしやぶ》りつく。|谷丸《たにまる》は|体《たい》を|躱《かは》した|途端《とたん》に|婆《ばば》の|足《あし》を|浚《さら》へた。|蜈蚣姫《むかでひめ》は|傍《かたはら》の|谷底《たにそこ》へ、|筋斗《もんどり》うつて|顛落《てんらく》し、|狐鼠々々《こそこそ》と|霧《きり》に|紛《まぎ》れて|逃《に》げ|出《だ》した。スマートボール、カナンボール|其《その》|他《た》の|連中《れんちう》は、|思《おも》ひ|思《おも》ひ|濃霧《のうむ》を|幸《さいは》ひ|四方《よも》に|散乱《さんらん》してしまつた。
|玉能姫《たまのひめ》は|滝公《たきこう》の|介抱《かいほう》に|初《はじ》めて|正気《しやうき》づき、|四辺《あたり》をきよろきよろ|見廻《みまは》し、
『|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》 |初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》』
と|呼《よ》び|立《た》てる。|初稚姫《はつわかひめ》は|傍《そば》|近《ちか》く|寄《よ》り|添《そ》ひ、
『|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、|安心《あんしん》して|下《くだ》さい、|此《この》|通《とほ》り|無事《ぶじ》で|居《を》ります。|蜈蚣姫《むかでひめ》|以下《いか》の|悪者《わるもの》|共《ども》は|残《のこ》らず|退散《たいさん》|致《いた》しました。|谷丸《たにまる》さまや|滝公《たきこう》さまが|危急《ききふ》の|場合《ばあひ》に|現《あら》はれて、|私達《わたくしたち》の|危難《きなん》を|救《すく》うて|下《くだ》さつたのですよ。これも|全《まつた》く|神様《かみさま》の|助《たす》け|船《ぶね》、お|喜《よろこ》びなさいませ』
|玉能姫《たまのひめ》は|此《この》|言葉《ことば》にやつと|胸《むね》|撫《な》で|下《おろ》し、
『アヽ|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》、|御無事《ごぶじ》で|何《なに》よりでした。|谷丸《たにまる》|様《さま》、|滝公様《たきこうさま》、|有難《ありがた》う、よう|来《き》て|下《くだ》さいましたなア』
と|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|沈《しづ》む。|各《おのおの》|滝《たき》に|身《み》を|清《きよ》め、|初稚姫《はつわかひめ》の|導師《だうし》にて|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|終《をは》つて、|二三町《にさんちやう》|許《ばか》り|谷道《たにみち》を|下《くだ》り、|稍《やや》|平坦《へいたん》なる|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|身《み》を|横《よこ》たへ|息《いき》を|休《やす》めた。
|玉能姫《たまのひめ》『|不思議《ふしぎ》な|所《ところ》へ|貴方等《あなたがた》がお|越《こ》し|下《くだ》さいまして、|加勢《かせい》をして|頂《いただ》き、|何《なん》ともお|礼《れい》の|申《まを》しやうが|御座《ござ》いませぬ。さうしてお|二人《ふたり》さま、|何御用《なにごよう》あつて、|此処《ここ》へお|越《こ》しになつて|居《ゐ》たのですか』
|谷丸《たにまる》は、
『|実《じつ》は|貴女《あなた》だから|申上《まをしあ》げますが、|言依別《ことよりわけ》さまの|御供《おとも》をして|再度山《ふたたびやま》の|山頂《さんちやう》|迄《まで》|参《まゐ》り、|教主《けうしゆ》さまは|一生懸命《いつしやうけんめい》に|何事《なにごと》かお|祈《いの》りをして|居《ゐ》られます。|何《なん》でも|大変《たいへん》な|神様《かみさま》の|御用《ごよう》ださうです。つい|今《いま》の|先《さき》|教主様《けうしゆさま》は|俄《にはか》に|神懸《かみがか》りにお|成《な》り|遊《あそ》ばして「|汝等《なんぢら》|両人《りやうにん》、|吾《われ》に|構《かま》はず|布引《ぬのびき》の|滝《たき》へこれから|参《まゐ》れ、|御用《ごよう》がある」と|仰《あふ》せになりましたので、|両人《りやうにん》は|何事《なにごと》ならむと|山《やま》を|駆《か》け|下《くだ》り、|滝《たき》の|上《うへ》より|眺《なが》めて|見《み》れば|今《いま》の|有様《ありさま》、|私《わたくし》の|用《よう》と|申《まを》すのは|此《この》|事《こと》で|御座《ござ》いましたでせう』
『それは|御苦労《ごくらう》で|御座《ござ》いました。|吾々《われわれ》|二人《ふたり》は|神様《かみさま》のお|夢《ゆめ》に|感《かん》じ、|此《この》お|山《やま》の|頂《いただき》に|大変《たいへん》な|御用《ごよう》があると|承《うけたま》はり、|生田《いくた》の|森《もり》の|杢助《もくすけ》さまの|館《やかた》を|立《た》ち|出《い》で、|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》の|手《て》を|曳《ひ》いて|滝《たき》の|麓《ふもと》|迄《まで》やつて|来《き》ました|所《ところ》、バラモン|教《けう》の|一味《いちみ》の|者《もの》に|取《と》り|囲《かこ》まれ、|既《すで》に|危《あやふ》き|所《ところ》で|御座《ござ》いました。これと|申《まを》すも|神様《かみさま》の|吾々《われわれ》への|御試錬《ごしれん》でせう。いつもなら|言霊《ことたま》をもつて|言向《ことむ》け|和《やは》すのですが、|何《なん》だか|今日《けふ》に|限《かぎ》つて|腕《うで》を|揮《ふる》ひたくなつて|参《まゐ》りました。|実《じつ》にお|恥《はづ》かしい|事《こと》で|御座《ござ》います』
|滝公《たきこう》は、
『イヤ、|何事《なにごと》も|神界《しんかい》の|御都合《ごつがふ》でせう。|此《この》|先《さき》|幾多《いくた》の|悪者《わるもの》、|続出《ぞくしゆつ》するかも|知《し》れませぬ、|千騎一騎《せんきいつき》の|時《とき》に|用《もち》ふる|武術《ぶじゆつ》ですから、|強《あなが》ち|罪《つみ》にもなりますまい』
|初稚姫《はつわかひめ》は|優《やさ》し|味《み》のある|声《こゑ》にて、
『|是《これ》より|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》に|面会《めんくわい》し、|神界経綸上《しんかいけいりんじやう》|必要《ひつえう》なる|宝玉《ほうぎよく》をお|預《あづか》り|致《いた》し、|或《ある》|地点《ちてん》に|埋蔵《まいざう》すべく|吾等《われら》は|神務《しんむ》を|帯《お》びて|居《を》るのです。|宝《たから》を|付狙《つけねら》ふ|悪魔《あくま》は|数《かず》|限《かぎ》りもなく|居《ゐ》ますから、|武術《ぶじゆつ》を|応用《おうよう》するも|已《や》むを|得《え》ませぬ。きつと|神様《かみさま》はお|許《ゆる》し|下《くだ》さりませう。|谷丸《たにまる》、|滝公《たきこう》|両人《りやうにん》、|吾等《われら》|二人《ふたり》を|固《かた》く|守《まも》り|此《この》|山頂《さんちやう》に|案内《あんない》|致《いた》されよ』
と|云《い》つて|神懸《かみがか》りは|元《もと》に|復《ふく》した。|谷丸《たにまる》、|滝公《たきこう》は|二人《ふたり》の|前後《ぜんご》を|警護《けいご》しながら、|山頂《さんちやう》|目蒐《めが》けて|登《のぼ》り|往《ゆ》く。
|言依別命《ことよりわけのみこと》は|山頂《さんちやう》の|麗《うるは》しき|巌《いはほ》の|上《うへ》に、|十重二十重《とへはたへ》に|包《つつ》みたる|三個《さんこ》の|玉《たま》を|安置《あんち》し、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らす|最中《さいちう》であつた。|谷丸《たにまる》は、
『|教主《けうしゆ》さま、|唯今《ただいま》|帰《かへ》りました。|大変《たいへん》な|事《こと》が|出来《しゆつたい》|致《いた》して|居《ゐ》ました』
『それは|御苦労《ごくらう》であつた。|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》、|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》は|御無事《ごぶじ》であつたかな』
『ハイ、|危機一髪《ききいつぱつ》の|時《とき》|両人《りやうにん》が|参《まゐ》りましたので、|先《ま》づ|生命《いのち》だけは|助《たす》かりました、やがて|滝公《たきこう》がお|守《まも》り|申《まを》して|登《のぼ》つて|来《き》ませう。|私《わたくし》は|一足先《ひとあしさき》に|御報告《ごはうこく》のために、|途中《とちう》から|急《いそ》いで|帰《かへ》りました』
『あゝそれは|御苦労《ごくらう》であつたなア』
と|言依別命《ことよりわけのみこと》はニコニコ|嬉《うれ》しさうに|笑《わら》つて|居《ゐ》る。
『やつとこどつこい、うんとこしよ』
と|一歩々々《ひとあしひとあし》に|拍子《ひやうし》を|取《と》り、|急坂《きふはん》を|登《のぼ》つて|来《き》た|滝公《たきこう》は、|峰《みね》の|尾上《をのへ》に|立《た》ち、
『サアお|二人《ふたり》さま、もう|楽《らく》です。つい|其処《そこ》に|教主《けうしゆ》が|居《を》られます。|何《なん》でも|貴女《あなた》に|結構《けつこう》なものをお|渡《わた》し|遊《あそ》ばすさうです。|御神諭《ごしんゆ》にも「|何《ど》んな|人《ひと》が、|何《ど》んな|御用《ごよう》をするやら|分《わか》らぬ」と|示《しめ》されて|居《ゐ》ますが、|肝腎《かんじん》の|幹部《かんぶ》のお|歴々《れきれき》|様《さま》には、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をして、|女《をんな》や|子供《こども》に|御神徳《ごしんとく》、|否《いな》|肝腎《かんじん》な|御用《ごよう》を|御命《おめい》じになるさうです。|吾々《われわれ》は|実《じつ》に|羨《うらや》ましう|御座《ござ》います。|併《しか》し|乍《なが》ら|聖地《せいち》に|於《おい》ては|門掃《かどは》き、|草《くさ》むしりばかりやらせられて|居《を》つた|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》が、|肝腎《かんじん》の|教主様《けうしゆさま》の|御微行《おびかう》の|御供《おとも》をさして|頂《いただ》いたのですから、|実《じつ》に|有難《ありがた》いものですよ。|神様《かみさま》は|公平無私《こうへいむし》ですから、|人間《にんげん》の|勝手《かつて》に|決《き》めた|階級《かいきふ》などに|頓着《とんちやく》|遊《あそ》ばさない。さうでなければ|吾々《われわれ》も|耐《た》まりませぬからなア』
と|教主《けうしゆ》の|前《まへ》に|一歩々々《ひとあしひとあし》|近寄《ちかよ》つて|来《く》る。
|言依別命《ことよりわけのみこと》『|皆《みな》さま、よく|来《き》て|下《くだ》さいました。|随分《ずゐぶん》この|山《やま》は|嶮岨《けんそ》で|御困《おこま》りでしたらう』
|玉能姫《たまのひめ》『イエイエ、|神様《かみさま》のお|蔭《かげ》で|知《し》らぬ|中《うち》に|登《のぼ》つて|参《まゐ》りました。|昨夜《さくや》|神様《かみさま》の|霊夢《れいむ》に|感《かん》じ、|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》を|伴《ともな》ひ|当山《たうざん》に|参《まゐ》ります|途中《とちう》、|布引《ぬのびき》の|滝《たき》に|於《おい》てバラモン|教《けう》の|一派《いつぱ》に|包囲《はうゐ》せられ、|進退谷丸《しんたいきはまる》|処《ところ》へ、|布引《ぬのびき》の|瀑布《ばくふ》のやうな|清《きよ》い|滝公《たきこう》さまを|初《はじ》め、|谷丸《たにまる》さまがお|越《こ》し|下《くだ》さいまして、|一切《いつさい》の|悶着《もんちやく》も|滝水《たきみづ》の|如《ごと》くさらさらと|落着《らくちやく》|致《いた》しました。|何《なに》か|神界《しんかい》の|御用《ごよう》を|妾《わたくし》|達《たち》に|仰《あふ》せつけ|下《くだ》さいますのでせうか』
『|貴女《あなた》は|霊夢《れいむ》に|感《かん》じながら、|直《す》ぐさま|山頂《さんちやう》に|登《のぼ》らず、|体《からだ》を|清《きよ》めようなぞと|思《おも》つて、【わき】|道《みち》をなさつたものですから、|一寸《ちよつと》|神様《かみさま》に|誡《いまし》められたのですよ。|今後《こんご》は|何事《なにごと》も|柔順《すなほ》になさいませ』
『|有難《ありがた》う|御座《ござ》います』
|初稚姫《はつわかひめ》『|教主様《けうしゆさま》、|御機嫌《ごきげん》|宜敷《よろし》う|御座《ござ》います』
と|小《ちひ》さき|手《て》を|地《ち》に|突《つ》いて|挨拶《あいさつ》する。|言依別命《ことよりわけのみこと》も|亦《また》|大地《だいち》に|手《て》をつき|丁寧《ていねい》に|応答《おうたふ》し、|終《をは》つて、
『|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》、|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、|貴方《あなた》|等《がた》は|是《これ》から|大望《たいもう》な|御用《ごよう》を|勤《つと》めて|頂《いただ》かねばなりませぬ。それについては|心《こころ》の|底《そこ》|迄《まで》|見抜《みぬ》いた|谷丸《たにまる》、|滝公《たきこう》の|両人《りやうにん》をして|御供《おとも》をさせますれば、|何卒《どうぞ》|極秘密《ごくひみつ》にして|勤《つと》め|上《あ》げて|下《くだ》さい。|金剛不壊《こんがうふゑ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》と|紫《むらさき》の|玉《たま》を、|瀬戸《せと》の|海《うみ》の|一《ひと》つ|島《じま》に|埋蔵《まいざう》する|御用《ごよう》をお|任《まか》せ|致《いた》します。|私《わたくし》が|参《まゐ》るのは|易《やす》い|事《こと》ですが、|余《あま》り|目立《めだ》つては|却《かへ》つて|秘密《ひみつ》が|破《やぶ》れますから、|此処《ここ》でお|目《め》にかかつたのです』
|玉能姫《たまのひめ》『エヽ、|何《なん》と|仰有《おつしや》います。あの|紛失《ふんしつ》したと|云《い》ふお|宝物《たからもの》が、これで|御座《ござ》いますか。|錚々《さうさう》たる|立派《りつぱ》な|幹部《かんぶ》の|方々《かたがた》がおありなさるのに、|私《わたくし》のやうな|女風情《をんなふぜい》が、|斯様《かやう》な|大切《たいせつ》な|御用《ごよう》を|承《うけたま》はつては|分《ぶん》に|過《す》ぎます。|何卒《どうぞ》|幹部《かんぶ》の|方《かた》に|仰《あふ》せつけられますやうに』
『|沢山《たくさん》の|宣伝使《せんでんし》は|居《を》りますが、|余《あま》り|浅薄《せんぱく》で|執着心《しふちやくしん》が|深《ふか》くて、|嫉妬心《しつとしん》が|盛《さか》んで|功名心《こうみやうしん》に|駆《か》られ、|且《か》つ|口《くち》の|軽《かる》い|連中《れんちう》ばかりで、|誠《まこと》の|御用《ごよう》を|命《めい》ずるものは|一人《ひとり》も|御座《ござ》いませぬ。|私《わたくし》は|此《この》|事《こと》について|日夜《にちや》|憂慮《いうりよ》して|居《を》りました|処《ところ》、|錦《にしき》の|宮《みや》の|大神様《おほかみさま》に、|玉照彦《たまてるひこ》|様《さま》、|玉照姫《たまてるひめ》|様《さま》がお|伺《うかが》ひの|結果《けつくわ》、|教主《けうしゆ》の|私《わたくし》をお|招《まね》きになり、「|貴女《あなた》|等《がた》にこの|御用《ごよう》をさせよ」との|厳格《げんかく》なる|御命令《ごめいれい》で|御座《ござ》いました。|是非《ぜひ》|共《とも》|是《これ》は|御辞退《ごじたい》なされては|御神慮《ごしんりよ》に|背《そむ》きます。|是非《ぜひ》|此《この》|御用《ごよう》にお|仕《つか》へ|下《くだ》さいませ』
『ぢやと|申《まを》して、|余《あま》り|畏《おそ》れ|多《おほ》いぢや|御座《ござ》いませぬか』
|初稚姫《はつわかひめ》『|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、|教主様《けうしゆさま》のお|言葉《ことば》の|通《とほ》り、|謹《つつし》んでお|受《う》けなさいませ。|私《わたくし》も|喜《よろこ》んで、|御用《ごよう》を|承《うけたま》はりませう』
『|左様《さやう》ならば|不束《ふつつか》ながらお|使《つか》ひ|下《くだ》さいませ』
『|早速《さつそく》の|御承知《ごしようち》、|大神様《おほかみさま》も|嘸《さぞ》|御満足《ごまんぞく》に|思召《おぼしめ》すで|御座《ござ》いませう。さア|是《これ》より|谷丸《たにまる》、|滝公《たきこう》の|両人《りやうにん》は、お|二方《ふたかた》を|保護《ほご》し、|二《ふた》つの|玉《たま》を|埋蔵《まいざう》すべく|御供《おとも》をして|神島《かみじま》に|渡《わた》つて|呉《く》れ』
|谷《たに》、|滝《たき》|両人《りやうにん》はハツと|頭《かうべ》を|下《さ》げ、
|谷丸《たにまる》『|私等《わたくしら》の|如《ごと》き|卑《いや》しき|者《もの》に、|此《この》|御用《ごよう》|仰《あふ》せつけ|下《くだ》さいまして|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます』
『|今《いま》より|谷丸《たにまる》に|対《たい》し|佐田彦《さだひこ》と|名《な》を|与《あた》へ、|滝公《たきこう》に|対《たい》し|波留彦《はるひこ》と|名《な》を|与《あた》ふ。|是《これ》よりは|佐田彦《さだひこ》、|波留彦《はるひこ》となつて|大切《たいせつ》なる|御神業《ごしんげふ》に|奉仕《ほうし》されよ』
|二人《ふたり》は|有難涙《ありがたなみだ》に|暮《く》れつつ、
|谷丸《たにまる》『|大切《たいせつ》な|御用《ごよう》を|仰《あふ》せつけられた|上《うへ》、|結構《けつこう》な|御名《おな》|迄《まで》|賜《たま》はりまして、|吾々《われわれ》|身《み》に|取《と》りて|此《この》|上《うへ》なき|光栄《くわうえい》で|御座《ござ》います』
『お|礼《れい》には|及《およ》ばぬ、|皆《みな》|大神様《おほかみさま》の|御命令《ごめいれい》だ。|今日《けふ》から|佐田彦《さだひこ》の|宣伝使《せんでんし》、|波留彦《はるひこ》の|宣伝使《せんでんし》と|任命《にんめい》する』
|二人《ふたり》は|夢《ゆめ》かと|許《ばか》り|打《う》ち|喜《よろこ》び、|地上《ちじやう》に|頭《かうべ》を|下《さ》げ|歓喜《くわんき》の|涙《なみだ》に|暮《く》れて|居《ゐ》る。
|言依別命《ことよりわけのみこと》『この|玉《たま》は|金剛不壊《こんがうふゑ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》、|初稚姫《はつわかひめ》さまにお|預《あづ》け|申《まを》す。|是《これ》は|紫《むらさき》の|玉《たま》、|玉能姫《たまのひめ》さまにお|預《あづ》け|申《まを》す。も|一《ひと》つ|黄金《わうごん》の|玉《たま》、これは|言依別《ことよりわけ》が|或《ある》|霊山《れいざん》に|埋蔵《まいざう》して|置《お》きます』
|玉能姫《たまのひめ》『|教主様《けうしゆさま》は|神島《かみじま》へはお|渡《わた》りになりませぬか』
『|三十余万年《さんじふよまんねん》の|未来《みらい》に|於《おい》て、|此《この》|宝玉《はうぎよく》|光《ひかり》を|発《はつ》する|時《とき》、|迎《むか》へに|参《まゐ》ります。それ|迄《まで》は|断《だん》じて|渡《わた》りませぬ。サア|四人《よにん》の|方《かた》、|此《この》|峰伝《みねづた》ひに|明石《あかし》の|海辺《うみべ》を|通《とほ》り、|高砂《たかさご》の|浦《うら》より、|窃《ひそ》かにお|渡《わた》り|下《くだ》さい。これでお|別《わか》れ|致《いた》します』
と|言依別命《ことよりわけのみこと》は|峰《みね》を|伝《つた》ひ|足早《あしばや》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。
|此《この》|黄金《わうごん》の|玉《たま》は|高熊山《たかくまやま》の|霊山《れいざん》に|埋蔵《まいざう》され、ミロク|出現《しゆつげん》の|世《よ》を|待《ま》たれたのである。|其《その》|時《とき》の|証《しるし》として|三葉躑躅《みつばつつじ》を|植《う》ゑて|置《お》いた。|三個《さんこ》の|宝玉《ほうぎよく》|世《よ》に|出《い》でて|光《ひか》り|輝《かがや》く|其《その》|活動《くわつどう》を、|三《み》つの|御魂《みたま》の|出現《しゆつげん》とも|云《い》ふのである。
(大正一一・五・二八 旧五・二 加藤明子録)
第一九章 |山《やま》と|海《うみ》〔七一一〕
|佐田彦《さだひこ》は|腰帯《こしおび》を|解《と》き、|幾重《いくへ》にも|包《つつ》みたる|玉函《たまばこ》をクルクルと|両端《りやうはし》に|包《つつ》み、|肩《かた》に【ふわり】と|引掛《ひつか》け|得《う》るやうに|荷造《にづく》りした。|波留彦《はるひこ》は|驚《おどろ》いて、
『コリヤ|佐田彦《さだひこ》、|大切《たいせつ》な|御神宝《ごしんぱう》を、|何《なん》だ、|貴様《きさま》の|肌《はだ》につけた|穢苦《むさくるし》き|三尺帯《さんしやくおび》に|包《つつ》むと|云《い》ふことがあるか、|玉《たま》の|威徳《ゐとく》を|涜《けが》すと|云《い》ふことを|心得《こころえ》ぬか。さうして|其《そ》の|態《ざま》は|何《なん》だ。|帯除《おびと》け|裸体《はだか》になつて、みつともないぞ』
|佐田彦《さだひこ》『お|前《まへ》の|帯《おび》を|縦《たて》に|引裂《ひつさ》いて、|半分《はんぶん》|呉《く》れなければ|仕方《しかた》がない。|藤蔓《ふぢづる》でも【ちぎ】つて|帯《おび》にしよう』
『エー、そんなことして|道中《だうちう》が|出来《でき》るか、みつともない。|自分《じぶん》の|帯《おび》は|自分《じぶん》がして|行《ゆ》け。|神玉《しんぎよく》の|御威徳《ごゐとく》を|涜《けが》すぞよ』
『イヤ|波留彦《はるひこ》、さうでないよ。|此《この》|山《やま》|続《つづ》きは|随分《ずゐぶん》バラモンの|連中《れんちう》が|徘徊《はいくわい》してゐるから、|貴重品《きちようひん》と|見《み》せかけて|狙《ねら》はれてはならぬ。|幾重《いくへ》にも|包《つつ》んだ|宝玉《ほうぎよく》、|滅多《めつた》に|穢《けが》れる|気遣《きづか》ひはない。|斯《か》うして|往《ゆ》かねば|剣呑《けんのん》だから』
『|如何《いか》に|剣呑《けんのん》だと|云《い》つて、そりや|余《あま》りぢやないか』
『|万劫末代《まんがふまつだい》に|一度《いちど》の|大切《たいせつ》な|御用《ごよう》だ。|二度目《にどめ》の|岩戸開《いはとびら》きの|瑞祥《ずゐしやう》を|祝《しゆく》するため、|言依別《ことよりわけ》|様《さま》が|此《この》|再度山《ふたたびやま》の|山頂《さんちやう》で、|二度《にど》とない|結構《けつこう》な|御用《ごよう》を|仰《あふ》せつけられたのだ。|失策《しくじ》つては|大変《たいへん》だから、|斯《か》うして|往《ゆ》くが|安全《あんぜん》だよ』
|波留彦《はるひこ》は、
『なんだか|勿体《もつたい》ないやうな|心持《こころもち》がするのだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|肝腎《かんじん》の|宝《たから》を|敵《てき》に|奪《と》られては|一大事《いちだいじ》だから、そんならお|前《まへ》の|言《い》ふ|通《とほ》りにして|行《ゆ》かう。サア、|俺《おれ》の|帯《おび》を|半分《はんぶん》やらう』
と|縦《たて》に|真中《まんなか》からバリバリと|引裂《ひきさ》いて|佐田彦《さだひこ》に|渡《わた》した。|佐田彦《さだひこ》は、
『イヤ、|有難《ありがた》う。これで|確《しつ》かり|腹帯《はらおび》が|締《しま》つて|来《き》た。|併《しか》し|乍《なが》ら|玉能姫《たまのひめ》さま、|初稚姫《はつわかひめ》さま、|貴女《あなた》|等《がた》はそんな|綺麗《きれい》な|服装《ふくさう》で|御出《おいで》になつては、|悪漢《わるもの》に|後《あと》をつけられては|詮《つま》りませぬよ、|何《なん》とか|工夫《くふう》をなさいませ』
|玉能姫《たまのひめ》『ハイ、|吾々《われわれ》|二人《ふたり》は|着物《きもの》を|裏向《うらむ》けに|着《き》て、|気違《きちが》ひの|真似《まね》をして|参《まゐ》りませう』
|佐田彦《さだひこ》『ヤー、それは|妙案《めうあん》だ。|流石《さすが》は|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》だ。サアサア、|佐田彦《さだひこ》が|着替《きか》へさして|上《あ》げませう』
と|立《た》ち|上《あが》らむとするを|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》は|首《くび》を|左右《さいう》に|掉《ふ》り、
|玉能姫《たまのひめ》『イエイエ、|滅相《めつさう》な、|妾《わたし》も|玉能姫《たまのひめ》、|自分《じぶん》のことは|自分《じぶん》で|処置《しよち》をつけねばなりませぬ』
と|云《い》ひつつ、クルクルと|帯《おび》を|解《と》き、|裏向《うらむ》けに|着物《きもの》を|着替《きか》へて|了《しま》つた。
|初稚姫《はつわかひめ》も|亦《また》|着物《きもの》を|脱《ぬ》がうとするを、|玉能姫《たまのひめ》は|少《すこ》し|首《くび》を|傾《かたむ》け、
『|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さい。|気違《きちが》ひが|二人《ふたり》もあつては|却《かへ》つて|疑《うたが》はれるかも|知《し》れませぬから、|貴方《あなた》は|気違《きちが》ひの|娘《むすめ》になつて|下《くだ》さい』
|初稚姫《はつわかひめ》『そんなら|気違《きちが》ひのお|母《かあ》さま。サア、|何処《どこ》なつと|参《まゐ》りませう』
|玉能姫《たまのひめ》『オイ|佐田公《さだこう》、|波留公《はるこう》、|貴様《きさま》は|何処《どこ》の|奴《やつ》だ。|余程《よつぽど》|好《い》いヒヨツトコ|野郎《やらう》だな』
|佐田彦《さだひこ》『これはしたり、|玉能姫《たまのひめ》さま、|姫御前《ひめごぜ》のあられもない、|何《なん》と|云《い》ふ|荒《あら》いことを|仰有《おつしや》りますか』
『|知《し》らぬ|知《し》らぬ、アーア、|斯《こ》んなヒヨツトコ|野郎《やらう》の|莫迦者《ばかもの》と|道伴《みちづ》れになるかと|思《おも》へば|残念《ざんねん》だ。|気《き》が|狂《くる》ひさうだ』
『|玉能姫《たまのひめ》さま、|今《いま》から|気違《きちが》ひになつて|貰《もら》つては|波留彦《はるひこ》も|堪《たま》りませぬで』
『|伊勢《いせ》は|津《つ》で|持《も》つ、|津《つ》は|伊勢《いせ》で|持《も》つ。|大根役者《だいこんやくしや》が|玉《たま》を|持《も》つ、コリヤコリヤコリヤ』
|佐田彦《さだひこ》『|玉能姫《たまのひめ》さま、|洒落《しやれ》も|可《い》い|加減《かげん》になさいませな。これから|未《ま》だ|沢山《たくさん》な|道程《みちのり》、|今《いま》から|気違《きちが》ひの|真似《まね》して|居《を》つては|怺《たま》りませぬで』
『なに、|妾《わらは》を|気違《きちが》ひとな。エー|残念《ざんねん》だ。バラモン|教《けう》に|於《おい》て|其《そ》の|人《ひと》ありと|聞《きこ》えたる|鬼熊別《おにくまわけ》の|妻《つま》、|蜈蚣姫《むかでひめ》とはわが|事《こと》なるぞ。|汝《なんぢ》は|三五教《あななひけう》の|腰抜《こしぬけ》|宣伝使《せんでんし》、この|蜈蚣姫《むかでひめ》が|尻《しり》でも|喰《くら》へ。|残念《ざんねん》なか、|口惜《くや》しいか。あの|詮《つま》らぬさうな|顔付《かほつき》ワイの。オホヽヽヽ』
と|臍《へそ》を|抱《かか》へて|笑《わら》ひ|倒《こ》ける。
|佐田彦《さだひこ》『アー、|仕方《しかた》がないなア、あんまり|嬉《うれ》しうて|玉能姫《たまのひめ》さまは|本当《ほんたう》に|逆上《のぼ》せて|了《しま》つたのだらうかなア、|波留公《はるこう》』
|玉能姫《たまのひめ》『|定《さだ》めて|逆上《のぼ》せたのであらう。|逆上《のぼ》せ|切《き》つた|蜈蚣姫《むかでひめ》の|再来《さいらい》が、お|前《まへ》の|頭《あたま》をポカンと|波留彦《はるひこ》だ』
と|言《い》ひながら|波留彦《はるひこ》の|横面《よこづら》をピシヤピシヤと|撲《なぐ》り、
『アハヽヽヽ』
と|腹《はら》を|抱《かか》へて|笑《わら》ひ|倒《こ》ける。
|波留彦《はるひこ》『なんぼ|女《をんな》にはられて|気分《きぶん》が|好《よ》いと|言《い》つても、キ|印《じるし》に|撲《なぐ》られて|怺《たま》るものか。さア|行《ゆ》きませう、|玉能姫《たまのひめ》さま、|確《しつ》かりなさいませ』
|玉能姫《たまのひめ》『ホヽヽ、|私《わし》は|玉能姫《たまのひめ》ぢやないよ、|狸姫《たぬきひめ》だよ』
|波留彦《はるひこ》『エー、|怪体《けたい》の|悪《わる》い、|肝腎《かんじん》の|御神業《ごしんげふ》の|最中《さいちう》に【やくたい】だなア。|初稚姫《はつわかひめ》さま、ちつと|確《しつ》かり|言《い》つて|聞《き》かして|下《くだ》さいな。コリヤ|本当《ほんたう》に|逆上《のぼ》せて|居《ゐ》ますで』
|初稚姫《はつわかひめ》『お|母《かあ》さま、|往《ゆ》きませう』
とすがり|付《つ》く|其《そ》の|手《て》を|取《と》り|放《はな》し、
『エー、お|前《まへ》|迄《まで》が|私《わし》を|気違《きちが》ひと|思《おも》つて|居《ゐ》るのかい。アヽ|穢《けが》らはしい。|斯《こ》んな|所《ところ》には|一時《いつとき》も|居《を》れない』
と|二《ふた》つの|玉《たま》を|包《つつ》んだ|帯《おび》を|肩《かた》に|引《ひ》つかけ、|山伝《やまづた》ひに|雲《くも》を|霞《かすみ》と|走《はし》り|行《ゆ》く。
|初稚姫《はつわかひめ》は|負《ま》けず|劣《おと》らず、|玉能姫《たまのひめ》の|後《あと》に|随《したが》ひ|矢《や》の|如《ごと》く|走《はし》り|行《ゆ》く。|佐田彦《さだひこ》、|波留彦《はるひこ》は|遁《に》げられては|大変《たいへん》と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|後《あと》を|追《お》ふ。|何時《いつ》の|間《ま》にか|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》の|姿《すがた》は|見《み》えなくなつた。
|佐田彦《さだひこ》『オイ、|波留彦《はるひこ》、|大変《たいへん》なことが|起《おこ》つたものぢやないか』
『|貴様《きさま》が|確《しつか》り|握《にぎ》つて|居《を》らぬから、|到頭《たうとう》|狸《たぬき》が|憑《うつ》りやがつて|持《も》つて|去《い》んで|了《しま》つたのだい。アヽもう|仕方《しかた》がない、|神様《かみさま》に|申訳《まをしわけ》がない。|此《この》|絶壁《ぜつぺき》から|言《い》ひ|訳《わけ》のために|身《み》を|投《な》げて|死《し》んで|了《しま》はうかい』
『さうだと|言《い》つて、そんな|事《こと》をすれば|益々《ますます》|神界《しんかい》の|罪《つみ》だよ』
と|心配《しんぱい》さうに|悔《くや》んでゐる。
|向《むか》ふの|木《き》の|茂《しげ》みから、
『オーイ、|波留彦《はるひこ》さま、|佐田彦《さだひこ》さま、|此処《ここ》だよ|此処《ここ》だよ』
と|玉能姫《たまのひめ》は|呼《よ》んでゐる。
|波留彦《はるひこ》『ヤア、|在処《ありか》が|分《わか》つた。|気違《きちが》ひ|奴《め》、あの|禿《は》げた|山《やま》の|横《よこ》の|小松《こまつ》の|下《した》に|顔《かほ》だけ|出《だ》してゐよる、|表《おもて》から|行《ゆ》くと|又《また》|逃《に》げられては|大変《たいへん》だ。|廻《まは》り|道《みち》をしてそつと|捉《つか》まへようかい』
と|二人《ふたり》は|山路《やまみち》を|外《はづ》し、|木《き》の|茂《しげ》みの|中《なか》を|蜘蛛《くも》の|巣《す》に|引《ひ》つかかりながら、|漸《やうや》く|玉能姫《たまのひめ》の|間近《まぢか》に|寄《よ》つた。
|玉能姫《たまのひめ》『あの|二人《ふたり》の|御方《おかた》、よう|来《き》て|下《くだ》さんした。【たま】たま|御用《ごよう》を|仰《あふ》せつけられながら、|玉能姫《たまのひめ》に|玉《たま》を|奪《と》られて|玉《たま》らぬだらう。さアさア|初稚姫《はつわかひめ》さま、あんなヒヨツトコ|野郎《やらう》に|構《かま》はず|行《ゆ》きませうよ。ホヽヽヽ』
と|嘲笑《あざわら》ひと|共《とも》に|掻《か》き|消《け》す|如《ごと》く、|又《また》もや|一目散《いちもくさん》に|木《き》の|茂《しげ》みを|脱《ぬ》けて、|何処《どこ》へか|姿《すがた》を|隠《かく》した。|二人《ふたり》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|追《お》ひかける。|初稚姫《はつわかひめ》の|計《はか》らひで|処々《ところどころ》に|小柴《こしば》が|折《を》つて|標《しるし》がしてある。
|佐田彦《さだひこ》『ヤア、|流石《さすが》は|初稚姫《はつわかひめ》さまだ。|子供《こども》に|似合《にあ》はぬ|好《い》い|智慧《ちゑ》が|出《で》たものだ。|俺達《おれたち》に|之《これ》を|合図《あひづ》に|来《こ》いと|云《い》つて、|小柴《こしば》を|所々《ところどころ》|折《を》つて|標《しるし》をつけて|於《おい》て|下《くだ》さつた。オイ、|之《これ》を|探《たづ》ねて|走《はし》らうぢやないか、のう|波留彦《はるひこ》』
『オーさうだ』
と|二人《ふたり》は|捩鉢巻《ねぢはちまき》しながら、|小柴《こしば》の|折《を》れを|目標《めあて》に|追《お》ひかけて|行《ゆ》く。
|鷹鳥ケ岳《たかとりがだけ》の|山麓《さんろく》の|松林《まつばやし》に|七八人《しちはちにん》の|男《をとこ》、|胡床《あぐら》を|掻《か》き|車座《くるまざ》になつて、ひそびそ|話《ばなし》に|耽《ふけ》つてゐる。
|甲《かふ》『オイ、|大変《たいへん》に|強《つよ》い|女《をんな》もあればあるものぢやないか。|俺達《おれたち》の|兄分《あにぶん》のスマートボールやカナンボールを|苦《く》もなく|滝壺《たきつぼ》へ|投《な》げ|込《こ》み、|剰《あま》つさへ|俺達《おれたち》を|谷底《たにそこ》へ|投《ほ》り|込《こ》みやがつて、|此《この》|通《とほ》り|痛《いた》い|目《め》に|遇《あ》はせ、|終局《しまひ》の|果《はて》には|蜈蚣姫《むかでひめ》の|教主様《けうしゆさま》まで、あんな|目《め》に|遇《あ》はせよつた。|彼奴《あいつ》は|何《なん》でも|偉《えら》い|神様《かみさま》の|再来《さいらい》かも|知《し》れないよ』
|乙《おつ》『なアに、|彼奴《あいつ》は|玉能姫《たまのひめ》と|云《い》つて|鷹鳥山《たかとりやま》の|鷹鳥姫《たかとりひめ》の|婢《はした》|奴《め》となり、|清泉《きよいづみ》の|水汲《みづくみ》をやつて|居《を》つた|奴《やつ》だ。あの|時《とき》は|此方《こちら》は|女《をんな》や|子供《こども》と|思《おも》つて|油断《ゆだん》をして|居《ゐ》たから、あんな|不覚《ふかく》を|取《と》つたのだ。|何《いづ》れ|此辺《ここら》へ|迂路《うろ》ついて|来《く》るかも|知《し》れない。なんでも|彼奴《あいつ》を|捉《つか》まへて|三五教《あななひけう》の|宝《たから》の|在処《ありか》を|白状《はくじやう》させ、バラモン|教《けう》へ|占領《せんりやう》せねば、|到底《たうてい》|此《この》|自転倒島《おのころじま》に|於《おい》ては|俺達《おれたち》の|教派《けうは》は|拡《ひろ》まらない、なんとかして、まア|一度《いちど》|彼奴《あいつ》の|行方《ゆくへ》を|探《たづ》ね、|目的《もくてき》を|達《たつ》したいものだ』
|丙《へい》『そんな|危《あぶ》ないことは|止《よ》しにせエ。|生命《いのち》あつての|物種《ものだね》だ。|蜈蚣姫《むかでひめ》さまでさへも|彼奴《あいつ》の|乾児《こぶん》がやつて|来《き》て、|谷底《たにそこ》へ|放《ほ》り|投《な》げたやうな|強力《がうりき》が|随《つ》いてゐるから、うつかり|手出《てだ》しは|出来《でき》ないよ』
|甲《かふ》『ちよろ|臭《くさ》いことを|云《い》ふな。|計略《けいりやく》を|以《もつ》て|旨《うま》く|引張《ひつぱ》り|込《こ》めば|何《なん》でもない。|俺《おれ》が|一《ひと》つ|智慧《ちゑ》を|貸《か》してやらう』
|丙《へい》『どうすると|云《い》ふのだい』
|甲《かふ》『|貴様等《きさまら》|二三人《にさんにん》が|俺《おれ》と|一緒《いつしよ》に|女《をんな》に|化《ば》けて|鷹鳥山《たかとりやま》に|乗《の》り|込《こ》み、|三五教《あななひけう》の|求道者《きうだうしや》となつて|誤魔化《ごまくわ》すのだ』
|乙《おつ》『|貴様《きさま》の|面《つら》では|女《をんな》に|変装《へんさう》したつて|到底《たうてい》|駄目《だめ》だよ。|貴様《きさま》が|変装《へんさう》したら、それこそ|鬼婆《おにばば》に|見《み》えて|仕舞《しま》ふぞ』
|甲《かふ》『|鬼婆《おにばば》でも、|鬼爺《おにぢぢ》に|見《み》えなければ|宜《い》いぢやないか。それで|完全《くわんぜん》な|女《をんな》になつたのだ。|善悪美醜《ぜんあくびしう》は|問《と》ふところに|非《あら》ず。|俺《おれ》は|皺苦茶婆《しわくちやばあ》さまになつて|入《い》り|込《こ》むから、|貴様《きさま》は|皺苦茶爺《しわくちやぢぢ》になつて、|杖《つゑ》でもついて|腰《こし》を|屈《かが》め、|俺《おれ》の|後《あと》に|踵《つ》いて|来《こ》い』
|乙《おつ》『いつその|事《こと》、|堂々《だうだう》と|男《をとこ》の|求道者《きうだうしや》になつて|行《い》つたらどうだ』
|丙《へい》『そんな|悪相《あくさう》な|面《つら》をして|行《ゆ》かうものなら、|忽《たちま》ち|看破《かんぱ》されて|了《しま》ふぜ』
|斯《か》く|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》る|折《をり》しも、|向《むか》ふの|方《はう》より|一人《ひとり》の|女《をんな》、|何《なに》か|肩《かた》に|引《ひ》つかけ、|髪《かみ》を|振《ふ》り|乱《みだ》し、|衣服《きもの》を|裏向《うらむ》けに|着《き》ながら、|女《をんな》に|似合《にあ》はず|大股《おほまた》にトントンと|此方《こなた》に|向《むか》つて|来《く》る。
|七歳《しちさい》ばかりの|少女《せうぢよ》は、
『お|母《かあ》さま お|母《かあ》さま』
と|連呼《れんこ》しながら|後《あと》|追《お》ひかけ|来《きた》る。|又《また》もや|続《つづ》いて|二人《ふたり》の|荒男《あらをとこ》、
『オーイオーイ。|待《ま》つた|待《ま》つた』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|息《いき》を|喘《はづ》ませ|進《すす》み|来《きた》る。
|甲《かふ》『アリヤ|何《なん》だ、【あた】|嫌《いや》らしい。|髪《かみ》を|振《ふ》り|乱《みだ》し|着物《きもの》を|裏向《うらむ》けに|着《き》やがつて、|褌《ふんどし》に|何《なん》だか|石《いし》のやうなものを|包《つつ》んで|走《はし》つて|来《く》るぢやないか。|彼奴《あいつ》は【てつきり】|気違《きちが》ひだよ。|気違《きちが》ひに|噛《か》ぶりつかれでもしたら、まるで|犬《いぬ》に|喰《く》はれたやうなものだ。オイ、|皆《みな》の|奴《やつ》、すつこめ すつこめ』
『よし|来《き》た』
と|林《はやし》の|草《くさ》の|中《なか》に|小《ちひ》さくなつて|横《よこ》たはる。その|前《まへ》を|踏《ふ》まむ|許《ばか》りに|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》は、
『キヤア キヤア』
と|金切声《かなきりごゑ》を|張《は》り|上《あ》げながら|通《とほ》つて|行《ゆ》く。|二人《ふたり》の|男《をとこ》|汗《あせ》を|垂《た》らし、
『オーイ、|気違《きちが》ひ|待《ま》つた』
と|又《また》もや|一生懸命《いつしやうけんめい》|西方《せいはう》|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。|一同《いちどう》はやうやう|頭《あたま》を|上《あ》げ、
|甲《かふ》『ヤー|何処《どこ》の|奴《やつ》か|知《し》らぬが、|女房《にようばう》が|気《き》が|狂《くる》つたと|見《み》えて、|偉《えら》い|勢《いきほひ》で|追《お》ひかけて|行《ゆ》きよつた。|可愛相《かはいさう》に、あんな|娘《むすめ》がある|仲《なか》で、|女房《にようばう》に|発狂《はつきやう》されては|怺《たま》つたものぢやない。|併《しか》しなかなか|別嬪《べつぴん》らしかつたぢやないか』
|乙《おつ》『さうだなア、|可愛相《かはいさう》なものだ。|先《さき》へ|行《い》つたのはあれの|爺《おやじ》だらう。|後《あと》から|行《ゆ》く|奴《やつ》はヒヨツとしたら|下男《げなん》かなんかだらうよ。|何《なに》は|兎《と》もあれ、どえらい|勢《いきほひ》だつた。まるきり|夜叉明王《やしやみやうわう》が|荒《あ》れ|狂《くる》うたやうな|勢《いきほひ》だ。マアマア|俺達《おれたち》は|無事《ぶじ》に|御通過《ごつうくわ》を|願《ねが》うて|幸《さいは》ひだつた』
と|話《はな》してゐる。|暫《しば》らくすると|蜈蚣姫《むかでひめ》は、スマートボール、カナンボール|其《その》|他《た》|拾数人《じふすうにん》の|部下《ぶか》を|引連《ひきつ》れ、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|此《この》|場《ば》に|駆《か》け|来《きた》り、|五六人《ごろくにん》の|姿《すがた》を|見《み》て、
『オイ、お|前《まへ》は|信州《しんしう》、|播州《ばんしう》、|芸州《げいしう》の|連中《れんちう》ぢやないか。なにして|居《ゐ》る。|今《いま》|此処《ここ》へ|玉能姫《たまのひめ》が|通《とほ》つた|筈《はず》だがお|前《まへ》は|知《し》らぬか』
|信州《しんしう》『|最前《さいぜん》から|此処《ここ》で|一服《いつぷく》して|居《ゐ》ましたが、|玉能姫《たまのひめ》のやうな|奴《やつ》は|根《ね》つから|通《とほ》りませぬで。|髪《かみ》|振《ふ》り|乱《みだ》した|気違《きちがひ》がキヤアキヤア|云《い》つて|通《とほ》つたばかり、|後《あと》から|爺《おやじ》が|可愛相《かはいさう》に|汗《あせ》をブルブルに|掻《か》いて|追《お》つかけて|行《ゆ》きました』
『どうしても|此処《ここ》を|通《とほ》らにやならぬ|筈《はず》だが、ハテ|不思議《ふしぎ》だなア。それなら|大方《おほかた》|杢助館《もくすけやかた》へでも|廻《まは》つたのだらう。|一体《いつたい》|何処《どこ》へ|行《ゆ》きよるのか。|皆《みな》の|奴《やつ》、|斯《か》うしては|居《を》られない。|再度山《ふたたびやま》の|山麓《さんろく》、|生田《いくた》の|森《もり》に|引返《ひきかへ》せ』
と|慌《あわただ》しく|呼《よ》ばはつた。スマートボールを|先頭《せんとう》に|全隊《ぜんたい》|引率《ひきつ》れて、|東《ひがし》を|指《さ》して|一生懸命《いつしやうけんめい》バラバラと|走《はし》り|行《ゆ》く。
|梢《こずゑ》を|渡《わた》る|松風《まつかぜ》の|音《おと》、|刻々《こくこく》に|烈《はげ》しくなり、|瀬戸《せと》の|海《うみ》の|浪《なみ》は|山嶽《さんがく》の|如《ごと》く|吼《たけ》り|狂《くる》うてゐる。|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》は|漸々《やうやう》にして|高砂《たかさご》の|森《もり》に|着《つ》いた。|四辺《あたり》に|人《ひと》なきを|幸《さいは》ひ、|乱《みだ》れ|髪《がみ》を|掻《か》き|上《あ》げ、|顔《かほ》を|立派《りつぱ》に|繕《つくろ》ひ、|着物《きもの》を|脱《ぬ》ぎ|替《か》へ、|元《もと》の|玉能姫《たまのひめ》となつて|了《しま》つた。|息《いき》|急《せ》き|切《き》つて|走《はし》り|来《きた》つた|佐田彦《さだひこ》、|波留彦《はるひこ》は|此《こ》の|姿《すがた》を|見《み》て、
|佐田彦《さだひこ》『ヤー、|玉能姫《たまのひめ》さま、|気《き》がつきましたか。|大変《たいへん》|心配《しんぱい》でしたよ』
|玉能姫《たまのひめ》『オホヽヽヽ、お|約束《やくそく》|通《どほ》り|上手《じやうず》に|気違《きちがひ》に|化《ば》けたでせう。|須磨《すま》の|浜辺《はまべ》の|難関《なんくわん》を、あゝせなくては|通過《つうくわ》が|出来《でき》ませぬからなア』
|佐田彦《さだひこ》『イヤもう|恐《おそ》れ|入《い》りました。|流石《さすが》|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》が|御見出《おみいだ》し|遊《あそ》ばしただけあつて、|佐田彦《さだひこ》|如《ごと》き|凡夫《ぼんぶ》の|到底《たうてい》|及《およ》ばぬ|智慧《ちゑ》を|持《も》つてゐなさるなア』
|波留彦《はるひこ》『|本当《ほんたう》に|七尺《しちしやく》の|男子《だんし》|波留彦《はるひこ》も|睾丸《きんたま》を|放《ほ》かしたくなつて|来《き》ました。アハヽヽヽ』
|佐田彦《さだひこ》『それにしても|初稚姫《はつわかひめ》さま、|小《ちひ》さいのによく|踵《つ》いてお|出《い》でなさいましたなア。|何時《いつ》もお|父《とう》さまに|甘《あま》へて|負《お》はれ|通《どほ》しだのに、|今日《けふ》は|又《また》どうしてそんな|勢《いきほひ》が|出《で》たのでせう』
『|神様《かみさま》が|私《わたくし》を|引《ひ》つ|抱《かか》へて|来《き》て|下《くだ》さいました。あの|大《おほ》きな|神様《かみさま》が|御目《おめ》に|止《と》まりませ|何《なん》だか』
『さう|聞《き》くと|何《なん》だか|大《おほ》きな|影《かげ》の|様《やう》なものが、|始終《しじう》|踵《つ》いて|居《ゐ》たやうに|思《おも》ひました』
『【かげ】が|見《み》えましたか。それが|神様《かみさま》の|御《お》【かげ】ですよ。オホヽヽヽ』
『|子供《こども》の|癖《くせ》によく|洒落《しやれ》ますなア。シヤレ シヤレ|恐《おそ》れ|入《い》りましたもので|御座《ござ》るワイ』
『サア、これから|高砂《たかさご》の|浜辺《はまべ》へボツボツ|参《まゐ》りませう。|幸《さいは》ひに|日《ひ》も|暮《く》れました』
と|玉能姫《たまのひめ》は|先《さき》に|立《た》つ。|三人《さんにん》は|欣々《いそいそ》と|後《あと》に|随《したが》ひ、|浜《はま》に|立《た》ち|向《むか》ふ。
|五月五日《ごぐわついつか》の|月《つき》は|西天《せいてん》に|輝《かがや》き、|薄雲《はくうん》の|布《きぬ》を|或《あるひ》は|被《かぶ》り|或《あるひ》は|脱《ぬ》ぎ、|月光《げつくわう》|明滅《めいめつ》、|四人《よにん》が|秘密《ひみつ》の|神業《しんげふ》を|見《み》え|隠《かく》れに、|窺《うかが》ふものの|如《ごと》くであつた。|鳴門嵐《なるとあらし》の|暴風《ばうふう》は|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もなく|海面《かいめん》を|撫《な》で、|山嶽《さんがく》の|如《ごと》き|荒浪《あらなみ》は|立《た》ち|狂《くる》ひ、|高砂《たかさご》の|浜辺《はまべ》に|押寄《おしよ》せ、|駻馬《かんば》の|鬣《たてがみ》を|振《ふ》つて|噛《か》みついて|居《ゐ》る。
|佐田彦《さだひこ》は、|猿田彦《さるたひこ》|気取《きど》りで|先《さき》に|進《すす》み、|船頭《せんどう》の|家《いへ》を|叩《たた》き、
『モシモシ、|船頭《せんどう》さま、これから|家島《えじま》へ|往《ゆ》くのだから、|船《ふね》を|出《だ》して|下《くだ》さいな。|賃銀《ちんぎん》は|幾何《いくら》でも|出《だ》しますから』
|船頭《せんどう》は|家《いへ》の|中《なか》より、
『|何処《どこ》の|方《かた》か|知《し》らぬが、|何《なに》を|呆《ほう》けてゐるのだ。レコード|破《やぶ》りの|荒浪《あらなみ》に、|如何《どう》して|船《ふね》が|出《だ》せるものかい。こんな|日《ひ》に|沖《おき》に|出《で》ようものなら、|生命《いのち》が【いくつ】あつても|堪《たま》るものでない。マア、|二三日《にさんにち》|風《かぜ》の|凪《な》ぐ|迄《まで》|待《ま》つたらよからう』
|佐田彦《さだひこ》は|小声《こごゑ》で、
『ハテ、|困《こま》つたなア。|吾々《われわれ》はどうしても|家島《えじま》へ|渡《わた》らねばならないのだ。せめて|中途《ちうと》の|神島《かみじま》までなつと|送《おく》つて|呉《く》れないか』
『なんと|言《い》つても|此《こ》の|時化《しけ》には|船《ふね》は|出《だ》せないよ。|桑名《くはな》の|徳蔵《とくぞう》ならばイザ|知《し》らず、|俺達《おれたち》のやうな|普通《ふつう》の|船頭《せんどう》では、|到底《たうてい》|駄目《だめ》だよ。こんな|日《ひ》に|船《ふね》を|出《だ》す|位《くらゐ》なら、|家《いへ》もなんにも|要《い》つたものぢやない。そんな|分《わか》らぬことを|言《い》はずと、|二三日《にさんにち》|待《ま》つたがよからうに』
『どうしても|出《だ》して|呉《く》れませぬか、|仕方《しかた》がない。それなら|船《ふね》を|貸《か》して|下《くだ》さいな』
『|滅相《めつさう》もないこと|仰有《おつしや》るな。|船《ふね》でも|貸《か》さうものなら|商売《しやうばい》|道具《だうぐ》を|忽《たちま》ち|滅茶々々《めちやめちや》にされて|了《しま》うて、|女房《にようばう》や|子《こ》の|鼻《はな》の|下《した》が|乾上《ひあ》がつて|了《しま》ふ。|一《ひと》つの|船《ふね》を|慥《こしら》へるにも|百両《ひやくりやう》の|金子《かね》が|要《い》るのだ。|自家《うち》の|身代《しんだい》は|此《こ》の|船《ふね》|一《ひと》つだ。マア、そんなことは|絶対《ぜつたい》に|御断《おことわ》り|申《まを》さうかい』
『|未《ま》だ|外《ほか》に|船頭衆《せんどうしう》はあらうな』
『|此《こ》の|浜辺《はまべ》には|二三十人《にさんじふにん》の|船頭《せんどう》が|居《を》る。|併《しか》し|乍《なが》ら|開闢《かいびやく》|以来《いらい》、この|荒浪《あらなみ》に|船《ふね》を|出《だ》すやうな|莫迦者《ばかもの》は|一人《いちにん》も|居《を》りませぬワイ。|今日《けふ》は|五月五日《ごぐわついつか》、|菖蒲《しやうぶ》の|節句《せつく》、|神様《かみさま》が|神島《かみじま》から|高砂《たかさご》へ|御出《おい》で|遊《あそ》ばす|日《ひ》だから、|尚々《なほなほ》|船《ふね》は|出《だ》せないのだ。|仮令《たとへ》|浪《なみ》はなくとも|今日《けふ》|一日《いちにち》は、|此《こ》の|海《うみ》の|渡海《とかい》は|出来《でき》ないのだ。|暮《くれ》|六《む》つから|神様《かみさま》が|高砂《たかさご》の|森《もり》へお|越《こ》しになるのだ。モー|今頃《いまごろ》は|神島《かみじま》を|御出立《ごしゆつたつ》|遊《あそ》ばして|御座《ござ》る|時分《じぶん》だよ。|何《なん》としてそんな|処《とこ》へ|行《ゆ》くのだい』
『|俺《おれ》は|家島《えじま》へ|行《ゆ》くのだ。|浪《なみ》の|都合《つがふ》で|一寸《ちよつと》|御水《おみづ》を|頂《いただ》きに|神島《かみじま》へ|寄《よ》りたいと|思《おも》ふのだよ』
|船頭《せんどう》は|不思議《ふしぎ》な|奴《やつ》が|出《で》て|来《き》たものだと|呟《つぶや》きながら|表《おもて》に|立出《たちい》で、
『ヤー、|見《み》れば|若《わか》い|御女中《おぢよちう》に|娘《むすめ》さま。お|前《まへ》さま|等《ら》も|御一行《ごいつかう》かな』
|玉能姫《たまのひめ》『ハイ、|左様《さやう》で|御座《ござ》います。どうぞ|船《ふね》を|御出《おだ》し|下《くだ》さいませ』
|船頭《せんどう》|頻《しきり》に|首《くび》を|振《ふ》り、
『アーいかぬいかぬ、|途方《とはう》もないこと|云《い》ひなさるな。|男《をとこ》でさへも|行《ゆ》かれぬ|処《ところ》へ、|妙齢《としごろ》の|女《をんな》が|渡《わた》ると|云《い》ふことは|到底《たうてい》|出来《でき》ない。|平常《つね》の|日《ひ》でも|女《をんな》は|絶対《ぜつたい》に|乗《の》せることは|出来《でき》ませぬワイ』
|初稚姫《はつわかひめ》『|小父《をぢ》さま、そんなら|其《そ》の|船《ふね》を|売《う》つて|御呉《おく》れぬか』
『|売《う》つて|呉《く》れと|云《い》つたつて、|中々《なかなか》|安《やす》うはないぞ。|百両《ひやくりやう》もかかるのだから』
『それなら|小父《をぢ》さま、|二百両《にひやくりやう》|上《あ》げるから、お|前《まへ》の|船《ふね》を|売《う》つてお|呉《く》れ』
『|百両《ひやくりやう》の|船《ふね》を|二百両《にひやくりやう》に|買《か》つて|貰《もら》へば、|船《ふね》が|二隻《にせき》|新調《しんてう》|出来《でき》るやうなものだ。それは|誠《まこと》に|有難《ありがた》いが、|併《しか》し|乍《なが》らみすみすお|前《まへ》さま|達《たち》を|海《うみ》の|藻屑《もくづ》となし、|鱶《ふか》の|餌食《ゑじき》にして|了《しま》ふのは|何程《なにほど》|慾《よく》な|船頭《せんどう》でも|忍《しの》びない。そんなことは|言《い》はずに|諦《あきら》めて|帰《かへ》つて|下《くだ》さい。|男《をとこ》の|方《かた》なら|二三日《にさんにち》したら|船《ふね》を|出《だ》して|上《あ》げよう』
『|女《をんな》は|何《ど》うしていけないのですか』
『アヽ、いけないいけない。|理屈《りくつ》は|知《し》らぬが、|昔《むかし》から|行《い》つたことがない|島《しま》だから』
|佐田彦《さだひこ》『|船頭《せんどう》さま、そんなら|時化《しけ》が|止《や》んでから|明日《あす》でも|俺達《おれたち》が|勝手《かつて》に|漕《こ》いで|行《ゆ》くから、|二百両《にひやくりやう》で|売《う》つて|下《くだ》さい』
『|百両《ひやくりやう》のものを|二百両《にひやくりやう》に|売《う》ると|云《い》ふことは、|大変《たいへん》に|欲張《よくば》つたやうで|気《き》が|済《す》まぬが、|併《しか》し|船《ふね》を|売《う》つて|了《しま》へば、|次《つぎ》の|船《ふね》が|出来《でき》るまで|徒食《としよく》をせねばならぬから、|貯蓄《たくはへ》の|無《な》い|俺達《おれたち》、そんなら|二百両《にひやくりやう》で|売《う》りませう』
『|有難《ありがた》い、そんなら|手《て》を|打《う》ちます。|一《いち》、|二《に》、|三《さん》』
と|船頭《せんどう》と|佐田彦《さだひこ》は|顔《かほ》を|見合《みあは》せ、|手《て》を|拍《う》つて|了《しま》つた。
|初稚姫《はつわかひめ》は|懐《ふところ》より|山吹色《やまぶきいろ》の|小判《こばん》を|取出《とりだ》し、
『サア、|小父《をぢ》さま、|改《あらた》めて|受取《うけと》つて|下《くだ》さい』
と|突《つ》き|出《だ》す。|船頭《せんどう》は|検《あらた》めて|見《み》て、
『ヤー、|有難《ありがた》う、|左様《さやう》なら。モウ|一旦《いつたん》|手《て》を|拍《う》つたのだから、|変換《へんが》へは|利《き》きませぬよ』
と|言《い》ひ|捨《す》て、|恐《こは》さうに|家《いへ》に|飛《と》び|込《こ》み、|中《なか》よりピシヤンと|戸《と》を|閉《し》め、|丁寧《ていねい》に|突張《つつぱ》りを【こう】てゐる。|波《なみ》は|益々《ますます》|猛《たけ》り|狂《くる》ふ。
『アヽ|此《こ》の|船《ふね》だ。サア|皆《みな》さま、|乗《の》りませう。ちつと|荒《あ》れた|方《はう》が|面白《おもしろ》からう』
と|佐田彦《さだひこ》は|先《さき》に|飛《と》び|込《こ》んだ。|三人《さんにん》も|喜《よろこ》んで|船中《せんちう》の|人《ひと》となつて|了《しま》つた。
|佐田彦《さだひこ》『サア、|波留彦《はるひこ》、|櫂《かい》を|使《つか》つて|下《くだ》さい。|俺《おれ》は|船頭《せんどう》だ。|艪《ろ》を|漕《こ》いで|行《ゆ》く。|随分《ずゐぶん》|高《たか》い|浪《なみ》だよ』
とそろそろ|捩鉢巻《ねぢはちまき》になつて、|艪《ろ》を|操《あやつ》り|始《はじ》めた。
|月《つき》は|雲《くも》|押《お》し|開《ひら》きて|利鎌《とがま》のやうな|光《ひかり》を|投《な》げ、|四人《よにん》の|乗《の》つた|神島丸《かみじままる》を|照《てら》して|居《ゐ》る。|不思議《ふしぎ》や|暴風《ばうふう》は|忽《たちま》ち|止《と》まり、|浪《なみ》は|見《み》る|見《み》る|畳《たたみ》の|如《ごと》く|凪《な》ぎ|渡《わた》つた。|二人《ふたり》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|櫂《かい》を|操《あやつ》りながら、|沖《おき》に|浮《うか》べる|神島《かみじま》|目標《めあて》に|漕《こ》ぎ|出《だ》した。|漸《やうや》くにしてミロク|岩《いは》の|磯端《いそばた》に|横付《よこづ》けになつた。
|玉能姫《たまのひめ》『|皆《みな》さま、|御苦労《ごくらう》でした。|貴方《あなた》|等《がた》|二人《ふたり》は|此処《ここ》に|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さい』
|佐田彦《さだひこ》『イエ|私《わたくし》も|御供《おとも》を|致《いた》しませう。これ|丈《だけ》|篠竹《しのたけ》の|茂《しげ》つた|山《やま》、|大蛇《をろち》が|沢山《たくさん》に|居《ゐ》ると|云《い》ふことですから、|保護《ほご》のために|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》が|御供《おとも》|致《いた》しませう。|言依別《ことよりわけ》の|教主様《けうしゆさま》より「|両人《りやうにん》の|保護《ほご》を|頼《たの》む」と|云《い》はれたのだから、もし|御両人様《ごりやうにんさま》が|大蛇《をろち》にでも|呑《の》まれて|了《しま》ふやうなことが|出来《しゆつたい》したら、それこそ|申訳《まをしわけ》がありませぬ。|是非《ぜひ》|御供《おとも》を|致《いた》します』
|初稚姫《はつわかひめ》『その|大蛇《をろち》に|用《よう》があるのだから、|来《き》て|下《くだ》さるな。|大蛇《をろち》は|男《をとこ》が|行《ゆ》くと|大変《たいへん》に|腹《はら》|立《た》てて|怒《おこ》るさうですから』
|波留彦《はるひこ》『|大蛇《をろち》でも|矢張《やつぱ》り|女《をんな》が|好《い》いのかなア。|斯《こ》うなると|男《をとこ》に|生《うま》れたのも|詮《つま》らぬものだ』
|玉能姫《たまのひめ》『さア、|初稚姫《はつわかひめ》さま、|参《まゐ》りませう。|御両人《ごりやうにん》の|御方《おかた》、|決《けつ》して、|後《あと》から|来《き》てはなりませぬよ。|用《よう》が|済《す》んだら|呼《よ》びますから、それまで|此処《ここ》に|待《ま》つてゐて|下《くだ》さい』
|二人《ふたり》は|頭《あたま》を|掻《か》き|乍《なが》ら、
|佐田彦《さだひこ》『エー|仕方《しかた》がない。|役目《やくめ》が|違《ちが》ふのだから、そんなら|神妙《しんめう》に|待《ま》つて|居《ゐ》ます。|御用《ごよう》が|済《す》んだら|呼《よ》んで|下《くだ》さい』
|玉能姫《たまのひめ》『ハイ、|承知《しようち》しました。|何《ど》うぞ|機嫌《きげん》よう|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さいませ』
と|初稚姫《はつわかひめ》の|手《て》を|把《と》り、|篠竹《しのたけ》を|押分《おしわ》け|山上《さんじやう》|目蒐《めが》けて|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
|辛《から》うじて|二人《ふたり》は|山《やま》の|頂《いただき》に|到着《たうちやく》した。|五六歳《ごろくさい》の|童子《どうじ》|五人《ごにん》と|童女《どうぢよ》|三人《さんにん》、|黄金《こがね》の|鍬《くは》を|持《も》つて|何処《いづこ》よりともなく|現《あら》はれ|来《きた》り、さしもに|堅《かた》き|岩石《がんせき》を|瞬《またた》く|間《ま》に|掘《ほ》つて|了《しま》つた。
|初稚姫《はつわかひめ》『アー、|貴女《あなた》は|厳《いづ》の|身魂《みたま》、|瑞《みづ》の|身魂《みたま》の|大神様《おほかみさま》、|只今《ただいま》|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》の|御命令《ごめいれい》に|依《よ》つて、|無事《ぶじ》に|此処《ここ》まで|玉《たま》の|御供《おとも》をして|参《まゐ》りました。さア、|何《ど》うぞ|納《をさ》めて|下《くだ》さい』
|五人《ごにん》の|童子《どうじ》は【にこ】にこ|笑《わら》ひながら、ものをも|言《い》はず|一度《いちど》に|小《ちひ》さき|手《て》を|差出《さしだ》す。|初稚姫《はつわかひめ》は|金剛不壊《こんがうふゑ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉函《たまばこ》を|取《と》り、|恭《うやうや》しく|頭上《づじやう》に|捧《ささ》げながら|五人《ごにん》の|手《て》の|上《うへ》に|載《の》せた。|十本《じつぽん》の|掌《てのひら》の|上《うへ》に|一個《いつこ》の|玉函《たまばこ》、|忽《たちま》ち|五瓣《ごべん》の|梅花《ばいくわ》が|開《ひら》いた。|童子《どうじ》は|玉函《たまばこ》と|共《とも》に、|今《いま》|掘《ほ》つたばかりの|岩《いは》の|穴《あな》に|消《き》えて|了《しま》つた。
|三人《さんにん》の|童女《どうぢよ》は|又《また》もや|手《て》を|拡《ひろ》げて、|玉能姫《たまのひめ》の|前《まへ》に|進《すす》み|来《きた》る。|玉能姫《たまのひめ》は|紫《むらさき》の|宝珠《ほつしゆ》の|函《はこ》を|取《と》り|上《あ》げ、|恭《うやうや》しく|頭上《づじやう》に|捧《ささ》げ、|次《つい》で|三人《さんにん》の|童女《どうぢよ》の|手《て》に|渡《わた》した。|童女《どうぢよ》はものをも|言《い》はず|微笑《びせう》を|浮《うか》べたまま、|玉函《たまばこ》と|共《とも》に|同《おな》じ|岩穴《いはあな》に|消《き》えて|了《しま》つた。|玉能姫《たまのひめ》は|怪《あや》しんで|穴《あな》を|覗《のぞ》き|見《み》れば、|童男《どうなん》、|童女《どうぢよ》の|姿《すがた》は|影《かげ》もなく、|只《ただ》|二《ふた》つの|玉函《たまばこ》、|微妙《びめう》の|音声《おんせい》を|発《はつ》し、|鮮光《せんくわう》|孔内《こうない》を|照《て》らして|居《ゐ》る。
|二人《ふたり》は|恭《うやうや》しく|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|次《つい》で|神言《かみごと》を|唱《とな》へ、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|歌《うた》ひ、|岩蓋《いはふた》をなし、|其《その》|上《うへ》に|今《いま》|童女《どうぢよ》が|捨《す》て|置《お》きし、|黄金《こがね》の|鍬《くは》を|各自《てんで》に|取《と》り|上《あ》げ、|土《つち》を|厚《あつ》く|衣《き》せ、|四辺《あたり》の|小松《こまつ》を|其《その》|上《うへ》に|植《う》ゑて、|又《また》もや|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し、|悠々《いういう》として|山《やま》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。
|玉能姫《たまのひめ》は、
『お|二人《ふたり》さま、【えらう】|御待《おま》たせしました。さア、もう|御用《ごよう》が|済《す》みました。|帰《かへ》りませう』
|佐田彦《さだひこ》、|波留彦《はるひこ》|両人《りやうにん》は|口《くち》を|揃《そろ》へて、
『それは|結構《けつこう》で|御座《ござ》いました。|御目出度《おめでた》う。これから|私等《わたくしら》が|一度《いちど》|登《のぼ》つて|来《き》ますから、|暫《しば》らく|此処《ここ》に|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さいませ』
|初稚姫《はつわかひめ》『モー|御用《ごよう》が|済《す》みましたのですから、|一歩《ひとあし》も|上《あが》つてはなりませぬ。さア|帰《かへ》りませうよ』
|佐田彦《さだひこ》『|折角《せつかく》|此処迄《ここまで》|苦労《くらう》して|御供《おとも》をして|来《き》たのだから、|埋《うづ》めた|跡《あと》なりと|拝《をが》まして|下《くだ》さいな』
|初稚姫《はつわかひめ》は|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》つてゐる。|玉能姫《たまのひめ》を|見《み》れば、|是《これ》|亦《また》|無言《むごん》の|儘《まま》|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》つてゐる。|何処《どこ》ともなく|雷《らい》の|如《ごと》き|声《こゑ》、
『|一刻《いつこく》も|猶予《いうよ》はならぬ。これより|高砂《たかさご》へは|寄《よ》らず、|淡路島《あはぢしま》を|目標《めあて》に|再度山《ふたたびやま》の|麓《ふもと》に|船《ふね》をつけよ。サア、|早《はや》く|早《はや》く』
と|呶鳴《どな》るものがある。|此《この》|言葉《ことば》に|佐田彦《さだひこ》、|波留彦《はるひこ》は、
『ハイ、|畏《かしこ》まりました』
と|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》を|迎《むか》へ|入《い》れ|一生懸命《いつしやうけんめい》に|艪櫂《ろかい》を|操《あやつ》りつつ、|再度山《ふたたびやま》の|方面《はうめん》|指《さ》して|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・五・二八 旧五・二 外山豊二録)
第二〇章 |三《みつ》の|魂《みたま》〔七一二〕
|時置師神《ときおかしのかみ》は、|神《かみ》の|仕組《しぐみ》の|時津風《ときつかぜ》、|吹《ふ》き|渡《わた》る|初夏《しよか》の|青葉《あをば》の|薫《かを》りを|身《み》に|浴《あ》び|乍《なが》ら|窓外《そうぐわい》を|眺《なが》め|居《ゐ》る。|時《とき》しも|森《もり》の|木蔭《こかげ》より|玉能姫《たまのひめ》は|初稚姫《はつわかひめ》の|手《て》を|携《たづさ》へ、|二人《ふたり》の|荒男《あらをとこ》と|共《とも》に|欣然《きんぜん》として|帰《かへ》り|来《きた》る。|杢助《もくすけ》は|窓《まど》を|引《ひ》き|開《あ》け|拍手《はくしゆ》して|之《これ》を|迎《むか》へて|居《ゐ》る。|二三日前《にさんにちぜん》より|此《この》|家《や》に|訪《たづ》ね|来《きた》りし|高姫《たかひめ》、|国依別《くによりわけ》は、|杢助《もくすけ》と|教理《けうり》を|闘《たたか》はし|乍《なが》ら|此処《ここ》に|逗留《とうりう》して|居《ゐ》た。
|高姫《たかひめ》『|杢助《もくすけ》さま、|貴方《あなた》は|今《いま》|東《ひがし》の|窓《まど》から|手《て》を|拍《う》ちましたが、|日天様《につてんさま》は|西《にし》の|方《はう》へ|廻《まは》つて|居《ゐ》られますよ』
『いや、|今《いま》|此処《ここ》へ|日天様《につてんさま》や、|月天様《ぐわつてんさま》が|御《お》いでになりましたから』
『|国依別《くによりわけ》には|日天月天《につてんぐわつてん》の|往《ゆ》かぬ|事《こと》を|仰有《おつしや》いますな』
と|云《い》ひながら|窓《まど》を|覗《のぞ》き、
『ヤア、お|帰《かへ》りになりました。|杢助《もくすけ》さま、お|目出度《めでた》う、|今迄《いままで》|御心配《ごしんぱい》でしたらう』
『ハイ、|杢助《もくすけ》も|一寸《ちよつと》|心配《しんぱい》して|居《を》りましたよ』
|高姫《たかひめ》は|妙《めう》な|顔《かほ》しながら、
『|貴方《あなた》は|口《くち》では|平気《へいき》で|言《い》つて|居《ゐ》らつしやるが、|矢張《やつぱ》り|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》の|事《こと》が|気《き》に|懸《かか》ると|見《み》えますなア』
『|別《べつ》に|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》の|事《こと》に|就《つい》ては、|神様《かみさま》がついて|御座《ござ》るから|心配《しんぱい》は|致《いた》しませぬが、|大切《たいせつ》な|御用《ごよう》を|巧《うま》く|勤《つと》めあげたか|知《し》らぬと|思《おも》つて|居《を》つたので……|然《しか》しあの|顔色《かほいろ》で|見《み》れば、|巧《うま》く|御用《ごよう》が|出来《でき》たらしいですよ』
『|大切《たいせつ》の|御用《ごよう》とは………それや|又《また》どんな|事《こと》で|御座《ござ》いますか。|高姫《たかひめ》にも|聞《き》かして|下《くだ》さいな』
|杢助《もくすけ》はニコニコ|笑《わら》ひながら、
『ハイ|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》から|大切《たいせつ》な|秘密《ひみつ》の|御用《ごよう》を……|玉能姫《たまのひめ》、|初稚姫《はつわかひめ》の|御両人《ごりやうにん》が|承《うけたま》はりましたのですよ』
『|妾《わたし》の|様《やう》な|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》を|差措《さしお》き、あの|様《やう》な|子供《こども》や|若彦《わかひこ》の|女房《にようばう》に|大切《たいせつ》な|御用《ごよう》を|仰《あふ》せ|付《つ》けるとは……|言依別《ことよりわけ》も|些《ちつ》と|聞《きこ》えませぬ。それだから|人《ひと》を|使《つか》ふ|目《め》が|無《な》いと|言《い》ふのだ。|困《こま》つたハイカラの|教主《けうしゆ》だなア』
|杢助《もくすけ》は、
『アハヽヽヽ』
と|嬉《うれ》しさうに|笑《わら》ふ。|国依別《くによりわけ》は|門《もん》の|戸《と》を|押《お》し|開《ひら》き、|丁寧《ていねい》に|出迎《でむか》へ、
『|皆《みな》さま、|御苦労《ごくらう》で|御座《ござ》いました。|無事《ぶじ》に|納《をさ》まりましたかな』
|二人《ふたり》は|顔《かほ》に|笑《ゑみ》を|湛《たた》へながら|一言《いちごん》も|発《はつ》せず、|丁寧《ていねい》に|腰《こし》を|屈《かが》め、|二人《ふたり》の|男《をとこ》と|共《とも》に|欣々《いそいそ》と|這入《はい》つて|来《き》た。|杢助《もくすけ》は|見《み》るより、
『|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》、|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、|谷丸《たにまる》さま、|滝公《たきこう》さま、|御苦労《ごくらう》で|御座《ござ》いました』
|谷丸《たにまる》『|私《わたくし》は|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》より|佐田彦《さだひこ》の|宣伝使《せんでんし》と|名《な》を|賜《たま》はりました。|滝公《たきこう》さまは|波留彦《はるひこ》の|宣伝使《せんでんし》と|名《な》を|賜《たま》はりましたから、|何卒《どうぞ》|今後《こんご》は、|其《その》お|心組《つもり》で|呼《よ》んで|下《くだ》さい。お|節《せつ》………いやいや|玉能姫《たまのひめ》|様《さま》、|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》のお|伴《とも》を|致《いた》しまして|神島《かみじま》………ではない、|神様《かみさま》の|御用《ごよう》に|参《まゐ》つて|来《き》ました。いやもう|大変《たいへん》な|結構《けつこう》な|事《こと》で|御座《ござ》いましたわ』
|杢助《もくすけ》『|何《なに》は|兎《と》もあれ、|神様《かみさま》に|御礼《おれい》を|申《まを》し|上《あ》げ、お|祝《いはひ》の|御神酒《おみき》を|頂戴《ちやうだい》する|事《こと》に|致《いた》しませう』
|高姫《たかひめ》『アヽ、それは|結構《けつこう》で|御座《ござ》いますな。|然《しか》し|如何《どん》な|御用《ごよう》で|御出《おい》でになさつたのか、|高姫《たかひめ》にも|様子《やうす》を|聞《き》かして|下《くだ》さいませ。これ|玉能姫《たまのひめ》さま』
|玉能姫《たまのひめ》『|此《この》|事《こと》ばかりは|三十五万年《さんじふごまんねん》の|間《あひだ》、|申《まを》し|上《あ》げる|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|何《いづ》れ|未来《みらい》でお|分《わか》りになるでせう』
|高姫《たかひめ》『|何《なん》と……マア|遠《とほ》い……|気《き》の|長《なが》い|事《こと》だなア』
|杢助《もくすけ》『|何処《どこ》の|地点《ちてん》に|納《をさ》めたと|云《い》ふ|事《こと》は|申《まを》し|上《あ》げ|難《にく》いが、|実際《じつさい》は|貴方《あなた》の|一旦《いつたん》|呑《の》んで|居《ゐ》た|金剛不壊《こんがうふゑ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》と|紫《むらさき》の|宝玉《はうぎよく》が|三五教《あななひけう》の|教主《けうしゆ》の|手《て》に|返《かへ》り、|其《その》|御用《ごよう》を|仰《あふ》せ|付《つ》かつて|或《あ》る|霊地《れいち》へ|埋蔵《まいざう》の|御用《ごよう》に|行《い》つたのですよ。|黄金《わうごん》の|玉《たま》は|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》|自《みづか》ら|何処《どこ》かの|霊地《れいち》へ|埋蔵《まいざう》されたさうだ。これで|三《み》つの|御玉《みたま》が|揃《そろ》ひまして……|高姫《たかひめ》さま、お|喜《よろこ》びなさいませ』
|高姫《たかひめ》、|怪訝《けげん》な|顔《かほ》して|舌《した》を|捲《ま》き|目《め》を|剥《む》き、
『ヘエ、ケヽヽヽ|結構《けつこう》ですなア』
と|云《い》つたきり、|嬉《うれ》しい|様《やう》な、|悲《かな》しい|様《やう》な、|不興《てれ》くさい|様《やう》な|顔《かほ》して|俯向《うつむ》く。|国依別《くによりわけ》、|手《て》を|拍《う》つて|笑《わら》ひ、
『ハヽヽヽヽ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》も|薩張《さつぱ》り|往生《わうじやう》|遊《あそ》ばしたか、|誠《まこと》にお|気《き》の|毒《どく》の|至《いた》り。|然《しか》し|乍《なが》ら|矢張《やつぱ》り|高姫《たかひめ》さまも|喜《よろこ》ばねばなりますまい。もう|之《これ》で|貴方《あなた》の|副守護神《ふくしゆごじん》の|断念《あきらめ》が|出来《でき》るでせう。|是《これ》から|一意専心《いちいせんしん》、|教主《けうしゆ》の|意見《いけん》に|従《したが》つて、|神界《しんかい》の|御用《ごよう》をなさいませ』
|高姫《たかひめ》『ハイ、|如何《どう》も|神様《かみさま》は|皮肉《ひにく》な|事《こと》をなさいますな。|寝《ね》ても|醒《さ》めても|玉《たま》の|行方《ゆくへ》を|探《さが》し、|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|御用《ごよう》を|勤《つと》めあげむと、|千騎一騎《せんきいつき》の|活動《くわつどう》を|致《いた》して|居《を》る|此《この》|高姫《たかひめ》をアフンと|致《いた》さして、|思《おも》ひも|寄《よ》らぬ|人《ひと》|達《たち》に、|肝腎《かんじん》な|一厘《いちりん》の|経綸《しぐみ》を|吩咐《いひつ》けるとは……|妙《めう》な|神様《かみさま》も……いや|教主《けうしゆ》もあるものだ。|教主《けうしゆ》の【きやう】は|獣扁《けものへん》に|王《わう》さまだらう、オホヽヽヽヽ』
|佐田彦《さだひこ》『|是《これ》は|聞《き》き|捨《ずて》ならぬ|高姫《たかひめ》の|言葉《ことば》、その|脱線振《だつせんぶ》りは|何事《なにごと》で|御座《ござ》るか。|今迄《いままで》の|谷丸《たにまる》ならば|黙《だま》つて|居《ゐ》るが、|最早《もはや》|教主《けうしゆ》より|命《めい》ぜられたる|宣伝使《せんでんし》だ。|宣《の》り|直《なほ》しなさねば|承知《しようち》せぬ』
|波留彦《はるひこ》『|佐田彦《さだひこ》|宣伝使《せんでんし》の|言《い》はれた|通《とほ》り、|速《すみやか》に|宣《の》り|直《なほ》しなさるが|宜《よ》からうと、|波留彦《はるひこ》は|思《おも》ひます』
|高姫《たかひめ》『|高姫鉄道《たかひめてつだう》の|終点《しうてん》、アフンの|駅《えき》に|着《つ》いたのだから、|脱線《だつせん》の|余地《よち》も|無《な》く、【のり】|直《なほ》し|様《やう》もなく、|乗《の》り|替《か》へも|何《なん》の|駅《えき》もないぢやありませぬか。オホヽヽヽヽ』
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|因《ちなみ》に|言依別命《ことよりわけのみこと》は、|一旦《いつたん》|高熊山《たかくまやま》の|霊地《れいち》に|神秘《しんぴ》の|経綸《けいりん》を|遂行《すゐかう》し、|聖地《せいち》に|帰《かへ》りて|神業《しんげふ》に|参《さん》じ、|錦《にしき》の|宮《みや》の|神司《かむづかさ》|玉照彦命《たまてるひこのみこと》、|玉照姫命《たまてるひめのみこと》の|神示《しんじ》を|海外《かいぐわい》にまで|弘布《こうふ》し、|八岐大蛇《やまたをろち》の|征服《せいふく》に|従事《じうじ》する|数多《あまた》の|神人《しんじん》を|教養《けうやう》し、|其《その》|名《な》を|天下《てんか》に|轟《とどろ》かした|神代《かみよ》の|英雄神《えいゆうしん》である。また|杢助《もくすけ》は|元《もと》の|時置師神《ときおかしのかみ》と|現《あら》はれ、|聖地《せいち》の|八尋殿《やひろどの》に|於《おい》て|教主《けうしゆ》を|助《たす》け、|初稚姫《はつわかひめ》と|共《とも》に|忠実《ちうじつ》に|奉仕《ほうし》し、|三五教《あななひけう》の|柱石《ちうせき》と|呼《よ》ばれる|事《こと》となつた。|玉能姫《たまのひめ》は|生田《いくた》の|森《もり》に|止《とどま》り、|或《ある》|神命《しんめい》を|帯《お》びて|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|神霊《しんれい》を|祀《まつ》り、|五六七神政《みろくしんせい》の|魁《さきがけ》を|勤《つと》めた。
|若彦《わかひこ》は|自転倒島《おのころじま》|全体《ぜんたい》を|巡歴《じゆんれき》し、|終《つひ》に|神界《しんかい》の|命《めい》によりて|玉能姫《たまのひめ》と|共《とも》に|神霊《しんれい》に|奉仕《ほうし》する|事《こと》となつた。|国依別《くによりわけ》は|兄《あに》の|真浦《まうら》が|波斯《フサ》の|国《くに》へ|出《い》で|行《ゆ》きしを|以《もつ》て、|已《や》むを|得《え》ず|宇都山郷《うづやまがう》の|武志《たけし》の|宮《みや》に|仕《つか》へて|神教《しんけう》を|伝《つた》へ、|父《ちち》の|松鷹彦《まつたかひこ》に|孝養《かうやう》を|尽《つく》した。
|高姫《たかひめ》は|聖地《せいち》にあつて|錦《にしき》の|宮《みや》に|仕《つか》へつつありしが、|黒姫《くろひめ》のあとを|追《お》うて|海外《かいぐわい》に|渡《わた》り、|真正《しんせい》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|出会《しゆつくわい》し、|初《はじ》めて|自己《じこ》の|守護神《しゆごじん》の|素性《すじやう》を|悟《さと》り、|悔《く》い|改《あらた》めて|大車輪《だいしやりん》の|活動《くわつどう》を|続《つづ》けた。|佐田彦《さだひこ》、|波留彦《はるひこ》は|言依別命《ことよりわけのみこと》の|膝下《しつか》にあつて、|神業《しんげふ》を|輔佐《ほさ》することとなつた。
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|大正《たいしやう》|壬戌《みづのえいぬ》の|年《とし》 |卯月《うづき》の|二十八日《にじふはちにち》に
|二十二人《にじふににん》の|生魂《いくみたま》 |三《み》つの|御玉《みたま》の|隠《かく》し|所《どこ》
|述《の》べ|終《をは》りたる|今日《けふ》の|日《ひ》は |楽《たの》しき|神世《かみよ》を|五六七殿《みろくでん》
|日《ひ》の|神《かみ》、|月《つき》の|大御神《おほみかみ》 |天照皇大神《あまてらすすめおほかみ》や
|此《この》|世《よ》の|祖神《おや》と|現《あ》れませる |国常立之大御神《くにとこたちのおほみかみ》
|豊国主《とよくにぬし》の|大御神《おほみかみ》 |大本教《おほもとけう》を|守《まも》ります
|百千万《ももちよろづ》の|神々《かみがみ》の |貴《うづ》の|御前《みまへ》に|飛《と》び|降《くだ》る
|神《かみ》の|使《つかひ》の|霊鷹《れいよう》は |生田《いくた》の|森《もり》や|再度山《ふたたびやま》の
|峰《みね》の|尾《を》の|上《へ》の|御仕組《おんしぐみ》 |鷹鳥姫《たかとりひめ》の|改心《かいしん》の
|瑞祥《ずゐしやう》|祝《いは》ふ|其《その》|為《た》めに |三度《みたび》|舞《ま》ひ|来《く》る|鷹津神《たかつかみ》
さしもに|広《ひろ》き|殿内《でんない》を |右《みぎ》や|左《ひだり》と|翔《と》び|交《か》ひて
|画竜《ぐわりう》の|額《がく》に|翼《はね》|休《やす》め |仮設劇場《かせつげきぢやう》の|梁《つりはり》に
|悠々《いういう》|翼《つばさ》を|休《やす》めたる |今日《けふ》の|生日《いくひ》の|足日《たるひ》こそ
|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|生《うま》れたる |生日《いくひ》に|因《ちな》みて|七百《しちひやく》と
|十二《じふに》の|章《ふし》も|面白《おもしろ》く |松雲閣《しよううんかく》の|奥《おく》の|間《ま》に
|今日《けふ》は|珍《めづら》し|身《み》を|起《おこ》し |神《かみ》の|教《をしへ》を|敷島《しきしま》の
|筆者《ひつしや》を|烟《けぶり》に|巻《ま》き|乍《なが》ら |遠《とほ》き|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》
|今《いま》に|写《うつ》して|眺《なが》むるも |少《すこ》しも|変《かは》らぬ|言《こと》の|葉《は》の
|栄《さか》ゆる|御代《みよ》を|【松村】氏《まつむらし》 |天津御空《あまつみそら》も|海原《うなばら》も
|心《こころ》|【真澄】《ますみ》の|玉鏡《たまかがみ》 |海《うみ》の|内【外】《うちと》の|隔《へだ》てなく
|諸越【山】《もろこしやま》も|乗《の》り|越《こ》えて |【豊】九【二】主《とよくにぬし》の|分霊《わけみたま》
|瑞《みづ》の|神徳《しんとく》|天地《あめつち》に |輝《かがや》く|時《とき》も|【北村】《きたむら》の
|空《そら》|澄《す》み|渡《わた》り|【隆】々《りうりう》と |【光】《ひか》り|普《あまね》き|神《かみ》の|道《みち》
|亜細亜《アジア》、|亜弗利加《アフリカ》、|欧羅巴《ようろつぱ》 |亜米利【加藤】《あめりかとう》く|高砂《たかさご》の
|島《しま》の|果《はて》まで|説《と》き|【明】《あか》す |【近藤】《こんど》の|霊界物語《れいかいものがたり》
|道《みち》も|【貞】《さだ》か|【二】《に》|成《な》り|行《ゆ》きて |【山】《やま》の|尾《を》の|【上】《へ》や|野《の》の|末《すゑ》も
|教《をしへ》の|花《はな》の|馥【郁】《ふくいく》と |薫《かをり》も|床《ゆか》しき|【佐賀】《さが》の|奥《おく》
|神《かみ》の|【伊佐男】《いさを》は|遠近《をちこち》に |【秀妻】《ほつま》の|国《くに》を|初《はじ》めとし
|自転倒島《おのころじま》の|【中】心地《ちうしんち》 |【野】山《のやま》も|青《あを》く|茂《しげ》りつつ
|神代《かみよ》を|【祝】《いは》ふ|今日《けふ》の|空《そら》 |神世《かみよ》の|秘密《ひみつ》|洩《も》らさじと
|御空《みそら》を|隠《かく》す|雲《くも》の|戸《と》を |開《ひら》いて|此処《ここ》に|【松】《まつ》の|【雲】《くも》
|【松雲閣】《しよううんかく》の|奥《おく》の|室《ま》で |初夏《しよか》の|風《かぜ》をばあびながら
|二十二巻《にじふにくわん》の|物語《ものがたり》 |目出《めで》たくここに|述《の》べをはる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ
(大正一一・五・二八 旧五・二 北村隆光録)
(昭和一〇・六・五 王仁校正)
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霊界物語 第二二巻 如意宝珠 酉の巻
終り