霊界物語 第二〇巻 如意宝珠 未の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第二〇巻』愛善世界社
1997(平成9)年04月06日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年10月22日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序《じよ》
|凡例《はんれい》
|総説歌《そうせつか》
第一篇 |宇都山郷《うづやまがう》
第一章 |武志《たけし》の|宮《みや》〔六六三〕
第二章 |赤児《あかご》の|誤《あやまり》〔六六四〕
第三章 |山河不尽《さんがふじん》〔六六五〕
第四章 |六六六《みろく》〔六六六〕
第二篇 |運命《うんめい》の|綱《つな》
第五章 |親不知《おやしらず》〔六六七〕
第六章 |梅花《ばいくわ》の|痣《あざ》〔六六八〕
第七章 |再生《さいせい》の|歓《よろこび》〔六六九〕
第八章 |心《こころ》の|鬼《おに》〔六七〇〕
第三篇 |三国ケ嶽《みくにがだけ》
第九章 |童子教《どうじけう》〔六七一〕
第一〇章 |山中《さんちう》の|怪《くわい》〔六七二〕
第一一章 |鬼婆《おにばば》〔六七三〕
第一二章 |如意宝珠《によいほつしゆ》〔六七四〕
|霊《たま》の|礎《いしずゑ》(六)
|霊《たま》の|礎《いしずゑ》(七)
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|序《じよ》
|鬼《おに》も|十八《じふはち》|蛇《じや》も|二十《はたち》の|巻《まき》|物語《ものがた》り、いよいよ|述《の》べ|了《をは》りぬ。|大江山《おほえやま》、|三国ケ岳《みくにがだけ》、|鬼ケ城《おにがじやう》に|立籠《たてこも》りたる|神代《かみよ》の|鬼賊《きぞく》、バラモン|教《けう》の|棟梁株《とうりやうかぶ》|鬼雲彦《おにくもひこ》、|鬼熊別《おにくまわけ》は、|正義《せいぎ》の|神軍《しんぐん》が|発射《はつしや》する|善言美詞《ぜんげんびし》の|言霊《ことたま》に|驚《おどろ》き、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|遁走《とんそう》して、|波斯《フサ》の|国《くに》に|潜伏《せんぷく》し、|鬼熊別《おにくまわけ》の|妻《つま》|蜈蚣姫《むかでひめ》が|三国ケ岳《みくにがだけ》に|隠《かく》れ、|千変万化《せんぺんばんくわ》の|奸策《かんさく》を|弄《ろう》し、バラモン|教《けう》の|回復《くわいふく》を|企《くはだ》て、|聖地《せいち》|桶伏山《をけふせやま》の|神宝《しんぽう》を|掠奪《りやくだつ》せるを、|言依別命《ことよりわけのみこと》|以下《いか》の|活動《くわつどう》の|結果《けつくわ》、|再《ふたた》び|神宝《しんぽう》の|聖地《せいち》に|還《かへ》りたる、|目出度《めでた》き|太古《たいこ》の|物語《ものがたり》。|満載《まんさい》したる|言霊車《ことたまぐるま》の|跡《あと》、あらあらかくの|如《ごと》しと|言爾《しかいふ》。
大正十一年五月十四日 旧四月十八日
於錦水亭 王仁識
|凡例《はんれい》
ストーナー|夫人《ふじん》は|言《い》つてゐる。『|総《すべ》ての|子供《こども》は|生《うま》れながら、|第六《だいろく》の|感覚《かんかく》──|諧謔《ユーモア》の|感《かん》じを|持《も》つてゐる。しかし|多《おほ》くの|者《もの》は、その|育《そだ》つ|環境《くわんきよう》のためにこの|感覚《かんかく》を|鈍《にぶ》らされ、|或《あるひ》は|夙《と》くから|失《うしな》つてしまふものである。|楽《たの》しいものを|見《み》ても、|笑《わら》ふ──|心《こころ》の|底《そこ》から|笑《わら》ふことが|出来《でき》ず、|苦笑《にがわら》ひや|忍《しの》び|笑《わら》ひすら|出来《でき》ない|人間《にんげん》ほど|哀《あは》れに|思《おも》はれるものはない。|顔面《がんめん》|筋肉《きんにく》の|痙攣《けいれん》のために、|冷笑《れいせう》したやうな|表情《へうじやう》に|苦《くる》しむ|人《ひと》の|如《ごと》く、|絶《た》えず|歯《は》を|露《あら》はしてゐる|必要《ひつよう》は|少《すこ》しもない。が|小《ちい》さい|時《とき》から|愛《あい》とほほゑみに|取《と》りまかれて|育《そだ》つた|子供《こども》は、|実《じつ》に|自然《しぜん》に|笑《わら》ひ、またユーモアに|敏感《びんかん》である。|彼《かれ》は|苦悩《くなう》の|真中《まんなか》に|在《あ》つても、あらゆる|事物《じぶつ》の|面白《おもしろ》い|半面《はんめん》を|眺《なが》めることが|出来《でき》る。|彼《かれ》は|常《つね》に|楽天家《らくてんか》である。そしてこの|事《こと》は、|世《よ》の|中《なか》で|成功《せいこう》する|男《をとこ》も|女《をんな》も、|楽天家《らくてんか》であるといふ|事実《じじつ》を|証明《しようめい》するものである。|真《しん》の|厭世家《えんせいか》が|勝利《しようり》を|得《う》ることは|決《けつ》してない』と。|実際《じつさい》|夫人《ふじん》の|言《い》つてゐるやうに『|笑《わら》ひ』|位《くらゐ》|人間《にんげん》|生活《せいくわつ》にとつて|貴《たふと》いものはない。『|笑《わら》ひ』は|人間《にんげん》の|本能《ほんのう》である。|殊《こと》に|日本人《にほんじん》は|一般《いつぱん》に|諧謔《ユーモア》|好《ず》き、|喜《よろこ》び|好《ず》きで|悲《かな》しみが|嫌《きら》ひだといはれる。|我々《われわれ》は|何時《いつ》までもペシミズムの|暗《くら》い|室《へや》の|中《なか》にうめいてゐる|必要《ひつよう》はない。『|霊界物語《れいかいものがたり》』の|読者《どくしや》は、このストーナー|夫人《ふじん》の|言《げん》を|味《あぢ》はつて|見《み》る|必要《ひつよう》がある。『|物語《ものがたり》』を|読《よ》んで|笑《わら》ふことの|出来《でき》る|人《ひと》は|幸福《かうふく》である。|馬鹿《ばか》らしいと|感《かん》ずる|人《ひと》は、きつと|不幸《ふかう》な|人《ひと》に|相違《さうゐ》ない。
大正十二年三月三日   編者識
|総説歌《そうせつか》
|待《ま》ちに|待《ま》ちたる|三月三日《さんぐわつみつか》  |弥生《やよひ》の|春《はる》も|夢《ゆめ》と|過《す》ぎ
|若葉《わかば》の|色《いろ》も|濃厚《のうこう》に  |彩《いろど》る|初夏《しよか》の|風《かぜ》|清《きよ》き
|松雲閣《しよううんかく》や|教祖殿《けうそでん》  |奥《おく》の|一間《ひとま》に|王仁《おに》|始《はじ》め
|三男一女《さんなんいちによ》の|筆将《ひつしやう》は  |共《とも》に|神助《しんじよ》を|蒙《かうむ》りつ
|五《いつ》つの|身魂《みたま》|睦《むつ》まじく  |五六七《みろく》の|神《かみ》の|永久《とこしへ》に
|尽《つき》せぬ|長《なが》き|物語《ものがたり》  |西《にし》と|東《ひがし》に|立別《たちわか》れ
|錦《にしき》の|機《はた》のおりおりに  |瑞雲《ずゐうん》たなびく|大御空《おほみそら》
|八千代《やちよ》の|君《きみ》が|瑞光《ずゐくわう》を  |心《こころ》の|空《そら》に|輝《かがや》かし
|現《あら》はれ|出口《でぐち》の|瑞月《ずゐげつ》が  |卯月《うづき》の|中《なか》の|六日《むゆか》より
|数《かぞ》へて|三日《みつか》の|光陰《くわういん》を  |呑《の》んで|吐《は》き|出《だ》す|言糸《こといと》の
|粗製《そせい》|濫造《らんざう》の|譏《そし》り|走《ばし》りも  |元《もと》より|覚悟《かくご》の|夢物語《ゆめものがたり》
|神《かみ》のまにまに|伝《つた》へ|侍《はべ》りぬ。
大正十一年旧四月十八日 於錦水亭 王仁
第一篇 |宇都山郷《うづやまがう》
第一章 |武志《たけし》の|宮《みや》〔六六三〕
|常世《とこよ》の|暗《やみ》を|晴《は》らさむと  |神《かみ》の|御稜威《みいづ》も|高熊《たかくま》の
|静《しづ》の|岩窟《いはや》の|奥深《おくふか》き  |恵《めぐみ》の|露《つゆ》の|雨《あめ》となり
|雪《ゆき》ともなりて|空蝉《うつせみ》の  |醜世《しこよ》を|洗《あら》ひ|照《てら》さむと
|空《そら》に|輝《かがや》く|旭子《あさひこ》の  |光《ひかり》も|強《つよ》き|玉照彦《たまてるひこ》の
|伊豆《いづ》の|命《みこと》を|奉按《ほうあん》し  |言照姫《ことてるひめ》の|神霊《しんれい》や
|数多《あまた》の|神《かみ》に|送《おく》られて  |五六七《みろく》の|神代《みよ》を|松姫《まつひめ》が
|心《こころ》イソイソ|山坂《やまさか》を  |渉《わた》りて|来《きた》る|玉鉾《たまぼこ》の
|道《みち》も|広《ひろ》らに|世継王山《よつわうざん》  |東表面《ひがしおもて》の|峰《みね》|続《つづ》き
|紅葉《もみぢ》の|色《いろ》も|照山《てらやま》の  |麓《ふもと》に|立《た》てる|仮《かり》の|殿《との》
|神《かみ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて  |悦子《よしこ》の|姫《ひめ》が|守《まも》りたる
|珍《うづ》の|宮居《みやゐ》に|木《こ》の|花《はな》の  |姫《ひめ》の|命《みこと》の|御水火《みいき》より
|出《い》でし|玉照彦《たまてるひこ》の|神《かみ》  |勇《いさ》み|進《すす》んで|送《おく》り|来《く》る
|天火水地《てんくわすゐち》と|結《むす》びたる  |紫姫《むらさきひめ》や|若彦《わかひこ》は
|喜《よろこ》び|勇《いさ》み|彦神《ひこがみ》を  |迎《むか》へ|奉《まつ》りて|玉照《たまてる》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|夫神《つまがみ》と  |称《たた》へまつらむ|真心《まごころ》の
|限《かぎ》りを|尽《つく》し|仕《つか》へ|居《を》る  |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》は
|英子《ひでこ》の|姫《ひめ》を|遣《つか》はして  |五六七《みろく》の|神代《みよ》の|礎《いしずゑ》の
|百《もも》の|仕組《しぐみ》に|仕《つか》へしめ  |国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》が
|国武彦《くにたけひこ》と|現《あら》はれて  |曇《くも》り|果《は》てたる|末《すゑ》の|世《よ》を
|照《てら》し|清《きよ》むる|先駆《さきがけ》と  |姿《すがた》|隠《かく》して|桶伏山《をけふせやま》
|黄金《こがね》の|玉《たま》と|諸共《もろとも》に  |御稜威《みいづ》は|四方《よも》に|輝《かがや》きぬ
|言依別《ことよりわけ》の|宣伝使《せんでんし》  |斎苑《いそ》の|館《やかた》を|立出《たちい》でて
|雲路《くもぢ》|押分《おしわ》け|遥々《はるばる》と  |綾《あや》の|聖地《せいち》に|着《つ》き|玉《たま》ひ
|心《こころ》の|空《そら》に|玉照彦《たまてるひこ》の  |神《かみ》の|命《みこと》や|姫命《ひめみこと》
|経《たて》と|緯《よこ》との|皇神《すめかみ》の  |分《わけ》の|御霊《みたま》と|嬉《うれ》しみて
|三五教《あななひけう》を|弥《いや》|固《かた》に  いや|遠永《とほなが》に|宣《の》り|伝《つた》ふ。
|言依別命《ことよりわけのみこと》は、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の|命《めい》を|奉《ほう》じ、|照山《てらやま》と|桶伏山《をけふせやま》の|山間《やまあひ》に、|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》、|豊国姫《とよくにひめ》の|大神《おほかみ》の、|貴《うづ》の|御舎《みあらか》を|仕《つか》へまつりて、|其《その》|威霊《ゐれい》を|鎮祭《ちんさい》し、|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫《たまてるひめ》をして|宮仕《みやづか》へとなし、|世界経綸《せかいけいりん》の|神業《しんげふ》の|基礎《きそ》を|樹立《じゆりつ》せむとしたまひ、|遠近《をちこち》の|山野《さんや》の|木《き》を|伐《き》り、|瑞《みづ》の|御舎《みあらか》を|仕《つか》へまつつた。|神人《しんじん》|等《ら》の|道《みち》を|思《おも》ひ、|世《よ》を|思《おも》ふ|真心《まごころ》|凝結《ぎようけつ》して、|荘厳無比《さうごんむひ》の|瑞《みづ》の|御舎《みあらか》は|瞬《またた》く|中《うち》に|建造《けんざう》された。|称《しよう》して|錦《にしき》の|宮《みや》と|云《い》ふ。|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫《たまてるひめ》は|幼時《えうじ》より|数多《あまた》の|神人《しんじん》に|秀《ひい》で、|神徳《しんとく》|高《たか》く、|神格《しんかく》|勝《すぐ》れ、|神代《かみよ》に|於《お》ける|救世主《きうせいしゆ》として、|天下万民《てんかばんみん》の|尊敬《そんけい》を|集《あつ》めたまふに|到《いた》りけり。
|言依別命《ことよりわけのみこと》は、|素盞嗚大神《すさのをのおほかみ》の|命《めい》を|奉《ほう》じ、|錦《にしき》の|宮《みや》を|背景《はいけい》として、|自転倒島《おのころじま》に|於《お》ける|三五教《あななひけう》の|総統権《そうとうけん》を|握《にぎ》り、コーカス|山《ざん》、|斎苑《いそ》の|館《やかた》と|相俟《あひま》つて、|天下《てんか》|修斎《しうさい》の|神業《しんげふ》を|宇内《うだい》に|拡張《くわくちやう》し|給《たま》ふ|事《こと》となつた。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》は|云《い》ふも|更《さら》なり、ウラナイ|教《けう》を|樹《た》て、|瑞之御霊《みづのみたま》に|極力《きよくりよく》|反抗《はんかう》したる|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》、|松姫《まつひめ》は、|夢《ゆめ》の|覚《さ》めたる|如《ごと》く|心《こころ》を|翻《ひるがへ》し、|身命《しんめい》を|三五教《あななひけう》に|奉《ほう》じ、|自転倒島《おのころじま》を|始《はじ》め、|海外《かいぐわい》|諸国《しよこく》を|跋渉《ばつせう》して、|神徳《しんとく》を|拡充《くわくじゆう》することとなつた。|茲《ここ》に|元照彦《もとてるひこ》の|御霊《みたま》の|再来《さいらい》、|天《あめ》の|真浦《まうら》は、|大台ケ原《おほだいがはら》の|山麓《さんろく》に|生《うま》れ、|木樵《きこり》を|業《わざ》となし|其《その》|日《ひ》を|送《おく》り|居《ゐ》たるが、|綾《あや》の|高天《たかま》に|錦《にしき》の|宮《みや》の|建造《けんざう》され、|神徳《しんとく》|四方《よも》に|光《ひか》り|輝《かがや》くと|聞《き》きて、|樵夫《きこり》の|業《わざ》を|廃《はい》し、|遥々《はるばる》|聖地《ここ》に|訪《たづ》ね|来《きた》り、|言依別命《ことよりわけのみこと》に|謁《えつ》し、|新《あらた》に|宣伝使《せんでんし》となることを|得《え》た。|天《あめ》の|真浦《まうら》は|大《おほい》に|喜《よろこ》び、|昼夜《ちうや》の|区引《くべつ》なく|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひ|乍《なが》ら、|先《ま》づ|自転倒島《おのころじま》に|向《むか》つて、|神徳《しんとく》|宣布《せんぷ》の|神業《しんげふ》を|試《こころ》みむとし、|聖地《せいち》を|後《あと》に|唯《ただ》|一人《ひとり》、|霧《きり》の|海原《うなばら》|押分《おしわ》けて|風《かぜ》のまにまに、|人《ひと》の|尾峠《をたうげ》の|西麓《せいろく》に|着《つ》いた。|道《みち》|行《ゆ》く|人《ひと》も|見《み》えぬ|許《ばか》りの|粉雪《こなゆき》、|滝《たき》の|如《ごと》くに|降《ふ》り|来《きた》り、|見《み》る|見《み》る|一尺《いつしやく》|許《ばか》りも|地上《ちじやう》に|積《つ》もり、|日《ひ》は|黄昏《たそが》れて、|道《みち》いよいよ|遠《とほ》く、|真浦《まうら》は|行手《ゆくて》に|迷《まよ》ひ、|進《すす》みもならず、|退《しりぞ》きもならず、|蓑笠《みのかさ》を|着《つ》けたる|儘《まま》、|路上《ろじやう》に|佇立《ちよりつ》して、|声低《こゑびく》に|天津祝詞《あまつのりと》を|幾度《いくど》となく|繰返《くりかへ》しつつあつた。|怪《あや》しき|獣《けだもの》の|影《かげ》|幾十《いくじふ》となく|隊《たい》をなして、|山上《さんじやう》より|降《くだ》り|来《く》る。されど|真浦《まうら》は|滝《たき》と|降《ふ》り|来《く》る|雪《ゆき》に|眼《め》を|遮《さへぎ》られ、|足許《あしもと》に|進《すす》み|来《く》るまで|知《し》らざりき。|唯《ただ》|何《なん》となく|雪《ゆき》|踏《ふ》み|砕《くだ》く|何者《なにもの》かの|足音《あしおと》、|追々《おひおひ》|近《ちか》づく|声《こゑ》のみ|耳《みみ》に|入《い》る。|真浦《まうら》は|独言《ひとりごと》、
『|今迄《いままで》|暖《あたた》かい|国《くに》に|育《そだ》ち、|此《この》|様《やう》な|深雪《ふかゆき》は|見《み》た|事《こと》がなかつた。|始《はじ》めて|神様《かみさま》のお|道《みち》に|入《い》り、|百日百夜《ひやくにちひやくや》の|修行《しうぎやう》を|積《つ》み、|漸《やうや》く|許《ゆる》されて|今《いま》|茲《ここ》に|宣伝使補《せんでんしほ》となり、|足《あし》に|任《まか》せて|進《すす》みて|来《き》たが……アヽ【ゆき】|詰《つま》つたものだ。|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》より「|汝《なんぢ》は|是《こ》れより|人《ひと》の|尾峠《をたうげ》を|越《こ》え、|河水《かはみづ》|清《きよ》き|宇都《うづ》の|郷《さと》に|初宣伝《はつせんでん》を|試《こころ》みよ」と|仰《あふ》せられた。|併《しか》し|乍《なが》ら、|斯《か》う|降《ふ》り|積《つも》る|大雪《おほゆき》、|況《ま》して|樹木《じゆもく》|茂《しげ》れる|此《この》|谷間《たにあひ》、|日《ひ》は|暮《くれ》かかる……アーア|宣伝使《せんでんし》も|辛《つら》いものだ。|追々《おひおひ》|積《つも》る|雪《ゆき》の|量《かさ》、|罷《まか》り|違《ちが》へば|我《わが》|身《み》は|雪《ゆき》に|埋《うづ》まつて、|冷《つめ》たくなつて|了《しま》うであらう。|進退《しんたい》|惟谷《これきは》まるとは|此《この》|事《こと》だなア』
と|心細《こころぼそ》げに|呟《つぶや》く|折《をり》しも、|最前《さいぜん》の|足音《あしおと》|追々《おひおひ》|近《ちか》づき|来《きた》る。|見《み》れば|数十頭《すうじつとう》の|熊《くま》の|群《むれ》、|真浦《まうら》が|足許《あしもと》を|勢込《いきほひこ》んで|走《はし》り|行《ゆ》く。|真浦《まうら》は|驚《おどろ》いて|雪《ゆき》の|中《なか》に|路《みち》を|避《さ》けた。|熊《くま》の|群《むれ》は|何《なん》の|遠慮《ゑんりよ》もなくスタスタと|列《れつ》を|組《く》んで、|西方《せいはう》さして|走《はし》り|行《ゆ》く。
|真浦《まうら》はホツと|息《いき》をつき、
『アヽ、|有難《ありがた》い、|沢山《たくさん》の|熊《くま》が|現《あら》はれて|雪路《ゆきみち》を|踏《ふ》み|分《わ》けて、|立派《りつぱ》な|通路《つうろ》を|開《ひら》いて|呉《く》れた。|是《こ》れも|全《まつた》く|神様《かみさま》の|御神徳《ごしんとく》であらう…………|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し』
と|感謝《かんしや》しながら、|熊《くま》の|足跡《あしあと》を|踏《ふ》み|分《わ》け|上《のぼ》り|行《ゆ》く。|道《みち》の|傍《かたはら》に|一軒《いつけん》の|茅屋《あばらや》が|有《あ》ることが|目《め》に|付《つ》いた。|屋内《をくない》には|幽《かす》かな|火影《ほかげ》が|瞬《またた》いて|居《ゐ》る。|風《かぜ》が|持《も》て|来《く》る|雪《ゆき》しばき|益々《ますます》|烈《はげ》しく、|熊《くま》の|折角《せつかく》|開《ひら》いて|呉《く》れた|雪《ゆき》の|新道《しんだう》も、|瞬《またた》く|間《うち》に|閉塞《へいそく》して|了《しま》つた。|屋内《をくない》には|気楽《きらく》さうに|笑《わら》ひさざめく|声《こゑ》。|真浦《まうら》は|此《この》|愉快気《ゆくわいげ》に|笑《わら》ふ|声《こゑ》を|聞《き》き、
『ホンに|羨《うらや》ましい|事《こと》だなア。|我《わ》れは|神命《しんめい》とは|言《い》ひ|乍《なが》ら、|此《この》|雪路《ゆきみち》に|悩《なや》み、|玉《たま》の|緒《を》さへも|切《き》れなむとする|極寒《ごくかん》の|苦《くる》しみ、|血管《けつくわん》を|流《なが》るる|血潮《ちしほ》も|凝結《ぎようけつ》せむとする|辛《つら》さに|引替《ひきか》へ、|此《この》|家《や》の|内《うち》の|面白《おもしろ》さうな|笑《わら》ひ|声《ごゑ》、…………|実《じつ》に|人《ひと》の|境遇《きやうぐう》|位《くらゐ》|運否《うんぷ》のあるものはない。|併《しか》し|乍《なが》ら|我《わ》れも|神《かみ》の|道《みち》を|伝《つた》ふる|宣伝使《せんでんし》の|初陣《うひぢん》、|斯《かく》の|如《ごと》き|雪《ゆき》に|恐《おそ》れ、|人《ひと》の|家《いへ》に|這入《はい》つて、|一夜《いちや》の|宿《やど》を|請《こ》はんとするも、|何《なん》となくウラ|恥《はづ》かしい、アヽ|如何《いか》にせむか』
と|躊躇《ためら》ふ|折《をり》しも、|屋内《をくない》より|男《をとこ》の|声《こゑ》、
|男《をとこ》『オイ、どこの|乞食《こじき》だか|知《し》らぬが、|此《この》|雪《ゆき》の|降《ふ》るのに、|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》るのだ。チツと|俺《おれ》の|宅《うち》へでも|這入《はい》つて|休《やす》んだらどうだ。あつたかい|湯《ゆ》も|沸《わ》いてある。|沢山《たくさん》な|火《ひ》も|焚《た》いてあるぞ』
|真浦《まうら》『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|併《しか》し|乍《なが》ら|私《わたくし》はどうしても|此《この》|峠《たうげ》を|越《こ》さねばなりませぬ。|御志《おこころざし》は|有難《ありがた》う|御座《ござ》いますが……』
|男《をとこ》『ナニ、|俺《おれ》の|宅《うち》で|休《やす》むのは|厭《いや》だと|云《い》ふのか、|馬鹿《ばか》な|奴《やつ》だなア。|俺《おれ》は|此《この》|辺《へん》の|杣人《そまびと》だ。|少《すこ》しの|雪《ゆき》はチツとも|苦《く》にならない|男《をとこ》だが、|流石《さすが》|山猿《やまざる》の|俺《おれ》でさへも、|一歩《いつぽ》も|今日《けふ》の|雪《ゆき》には|歩《あゆ》む|事《こと》は|出来《でき》ない。どうして|此《この》|坂《さか》が|登《のぼ》れると|思《おも》ふのか。マアそんな|馬鹿《ばか》な|事《こと》を|言《い》はずに|旅《たび》は|道連《みちづ》れ|世《よ》は|情《なさけ》だ。|一樹《いちじゆ》の|蔭《かげ》の|雨宿《あまやど》り、|一河《いちが》の|流《なが》れを|汲《く》む|人《ひと》も、|深《ふか》い|縁《えにし》の|有《あ》るものだ。サア|遠慮《ゑんりよ》は|要《い》らぬ、|這入《はい》つて|休息《きうそく》したがいい』
|真浦《まうら》は|其《その》|言葉《ことば》に|稍《やや》|心《こころ》|動《うご》き、
『どなたか|知《し》りませぬが、|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|左様《さやう》ならば|暫《しばら》く|休息《きうそく》をさせて|頂《いただ》きませう』
|男《をとこ》『アヽそれが|良《よ》い。サアサアお|這入《はい》りなさい』
と|真浦《まうら》の|手《て》を|取《と》り|引《ひ》き|入《い》れ、|斜《はすかひ》に|歪《ゆが》んだ|雨戸《あまど》をピシヤツと|閉《し》めた。
|男《をとこ》『|大変《たいへん》な|大雪《おほゆき》で、|倒《こ》けかかつた|家《いへ》が|益々《ますます》|怪《あや》しくなつて|来《き》た。|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》ると|雪《ゆき》の|重《おも》みで、|此《この》|家《いへ》も|平太《へた》つて|了《しま》ふかも|知《し》れないぞ。………オイ|駒公《こまこう》、お|客《きやく》さまだ。どつさりと|薪木《たきぎ》を|燻《く》べて|御馳走《ごちそう》するのだぞ。|寒《さむ》い|時《とき》には|火《ひ》が|一番《いちばん》|御馳走《ごちそう》だ』
|駒公《こまこう》『|馬鹿《ばか》|言《い》ふな。どこの|馬《うま》の|骨《ほね》か、|鹿《しか》の|骨《ほね》か|分《わか》りもせぬ|代物《しろもの》を、|物好《ものず》きにも|駒《こま》さんの|承諾《しようだく》も|得《え》ず、|引《ひ》き|摺《ず》り|込《こ》みやがつて、|火《ひ》を|焚《た》けも|有《あ》つたものかい。|貴様《きさま》は|何《なん》でも|取込《とりこ》む|事《こと》ばつかり|考《かんが》へて|居《ゐ》やがる。チツと|執着心《しふちやくしん》を|脱却《だつきやく》せぬかい。|取《と》り|込《こ》むことなら|犬《いぬ》の|葬式《さうしき》でも|喜《よろこ》んで|引張《ひつぱ》り|込《こ》むと|云《い》ふ|代物《しろもの》だから|困《こま》つて|了《しま》ふ。そんな|事《こと》で|此《こ》の|立派《りつぱ》な|家《いへ》が、どうして|立《た》つて|行《ゆ》くと|思《おも》ふのか、|秋公《あきこう》の|不経済家《ふけいざいか》には|俺《おれ》も|本当《ほんたう》に【アキ】が|来《き》た。|寒《さむ》い|時《とき》に|俄《にはか》に|体《からだ》を|火《ひ》に|近《ちか》づけると、|却《かへつ》て|凍傷《とうしやう》を|起《おこ》すものだ。どこの|奴《やつ》か|知《し》らぬが、|赤裸《まつぱだか》にして|頭《あたま》から|冷水《れいすゐ》でも、ドツサリ|御馳走《ごちそう》してやるのだなア。|貴様《きさま》と|二人《ふたり》|斯《か》うして|雪《ゆき》に|閉《とざ》されて|居《を》つても、チツとも|面白味《おもしろみ》がない。|此奴《こいつ》の|衣服《いふく》|万端《ばんたん》を|奪《うば》ひ|取《と》り、|其《その》|上《うへ》|赤裸《まつぱだか》にして|水《みづ》をかけ、それを|肴《さかな》に|一杯《いつぱい》やつたら|面白《おもしろ》からう』
|真浦《まうら》『なんだ、|其《その》|方《はう》らは|甘言《かんげん》を|以《もつ》て|此《この》|方《はう》をひつぱり|込《こ》み、|泥棒《どろばう》を|致《いた》すのか』
|秋彦《あきひこ》『アハヽヽヽ、|好《い》い|頓馬《とんま》だなア。そんな|事《こと》を|尋《たづ》ねるのが|馬鹿《ばか》だ。|俺《おれ》も|今日《けふ》が|泥棒《どろばう》の|初陣《うひぢん》だ。|此《この》|家《いへ》は|実《じつ》は|吾々《われわれ》の|物《もの》ではない。|老爺《ぢい》と|婆《ばば》アとが|居《を》つたのだが、|凄《すご》い|文句《もんく》を|並《なら》べてやつた|所《ところ》、|昨日《きのふ》の|日《ひ》の|暮《くれ》|頃《ごろ》、どつかへ|逃《に》げて|行《ゆ》きよつた。|彼奴《あいつ》は|雪爺《ゆきぢい》に|雪婆《ゆきばば》だつたと|見《み》えて|俄《にはか》にこんな|大雪《おほゆき》が|降《ふ》つて|来《き》た。サア|皮《かは》を|剥《む》いてやらう』
と|真浦《まうら》の|身《み》に|着《つ》けたる|衣服《いふく》を|剥奪《はくだつ》せむとする。
|真浦《まうら》『それは、あまりぢや。|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|呉《く》れ』
|秋彦《あきひこ》『|松《まつ》も|檜《ひのき》も|有《あ》つたものか。|袋《ふくろ》の|鼠《ねずみ》、どうしたつて|剥《む》かねば|置《お》かぬ』
|真浦《まうら》『|此《この》|家《や》を|立去《たちさ》る|時《とき》に|脱《ぬ》ぎませう。それまで|此《この》|衣服《いふく》を|私《わたくし》に|貸《か》して|下《くだ》さいませぬか』
|駒彦《こまひこ》『オイ|秋公《あきこう》、|仕方《しかた》がない、|貸《か》してやれ。……オイ|何程《なんぼ》|借賃《かりちん》を|出《だ》す? それから|約束《やくそく》して|置《お》かねば|喰逃《くひに》げされては、|泥棒《どろばう》|商売《しやうばい》も|棒《ぼう》が|折《を》れるからなア。ワハヽヽヽ』
|真浦《まうら》『|自分《じぶん》の|着物《きもの》に|利息《りそく》をつけて|貸《か》して|貰《もら》ふとは、|又《また》|妙《めう》な|規則《きそく》の|出来《でき》たものですなア』
|駒彦《こまひこ》『|愚図々々《ぐづぐづ》|言《い》ふない。|郷《がう》に|入《い》つては|郷《がう》に|従《したが》へだ。|是《こ》れが|泥棒《どろばう》|社会《しやくわい》の|規則《きそく》だ』
|真浦《まうら》『|貴様達《きさまたち》は|丸《まる》でバラモン|教《けう》みたやうな|奴《やつ》だなア』
|駒彦《こまひこ》『きまつた|事《こと》だ。|鬼雲彦《おにくもひこ》|様《さま》の|乾児《こぶん》だよ。|秋《あき》、|駒《こま》と|云《い》つたら、それは|本当《ほんたう》に|翔《た》つ|鳥《とり》も|落《おと》すやうなバラモン|教《けう》の|有名《いうめい》な|宣伝使《せんでんし》だぞ。|貴様《きさま》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》を|標榜《へうぼう》して|居《ゐ》る|腰抜教《こしぬけけう》の|奴《やつ》だから、|指一本《ゆびいつぽん》|俺《おれ》に|触《さ》へても、|抗言《くちごたへ》|一《ひと》つ|致《いた》しても、|抵抗《ていかう》した|事《こと》になる。|頭《あたま》をカチ|割《わ》られようが、|黙《だま》つて|辛抱《しんばう》するのだぞ』
|真浦《まうら》『アーア|困《こま》つた|事《こと》になつたもんだワイ。|三五教《あななひけう》には|噂《うはさ》に|聞《き》けば、もとは|馬《うま》、|鹿《しか》と|云《い》ふ|紫姫《むらさきひめ》|様《さま》の|家来《けらい》があつて、それが|高城山《たかしろやま》の|松姫《まつひめ》さまを|帰順《きじゆん》させ、|駒彦《こまひこ》、|秋彦《あきひこ》と|云《い》ふ|名《な》を|貰《もら》つたさうだが、お|前《まへ》の|名《な》は|秋《あき》と|云《い》ひ、|駒《こま》と|云《い》ひ、|能《よ》く|似《に》て|居《ゐ》る。|何《なに》か|因縁《いんねん》の|糸《いと》が|結《むす》ばれて|居《を》る|様《やう》だ。もしや|三五教《あななひけう》の|駒彦《こまひこ》、|秋彦《あきひこ》ではなからうかなア』
|秋彦《あきひこ》『そんな|腰抜《こしぬけ》の|秋彦《あきひこ》や、|駒彦《こまひこ》とはチト|相場《さうば》が|違《ちが》ふのだぞ。|俺《おれ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|真浦《まうら》と|云《い》ふ|新米者《しんまいもの》が|宇都山《うづやま》の|郷《さと》へ|初陣《うひぢん》に|往《い》くので、|言依別《ことよりわけ》の|神様《かみさま》から……』
|駒彦《こまひこ》『オイ|秋公《あきこう》、|何《なに》を|言《い》ふのだ。ウツカリした|事《こと》を|言《い》ふものでないぞ』
|真浦《まうら》『アハヽヽヽ、|大方《おほかた》そんな|事《こと》だと|思《おも》つた。|言依別《ことよりわけ》の|神様《かみさま》が|俺《おれ》の|信仰力《しんかうりよく》を|試《ため》す|為《ため》に、|貴様《きさま》を|此処《ここ》へ|廻《まは》しおき、そうして|此《この》|道《みち》を|通《とほ》れと|仰有《おつしや》つたのだなア……オイ|秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》、モウ|駄目《だめ》だぞ。|泥棒《どろばう》でも、バラモンでも、ベラボウでもない、|貴様《きさま》の|襟《えり》の|印《しるし》は|何《なん》だ』
|駒《こま》、|秋《あき》『アハヽヽヽ、|到頭《たうとう》|陰謀《いんぼう》|発覚《はつかく》したか。エヽ|仕方《しかた》がない。そんなら|事実《じじつ》をスツカリ|白状《はくじやう》|致《いた》して|遣《つか》はす』
|真浦《まうら》『イヤもう|沢山《たくさん》だ。|何《なに》も|承《うけたま》はる|必要《ひつえう》は|有《あ》りませぬワイ』
|駒公《こまこう》『|先《ま》づ|宣伝使《せんでんし》の|点数《てんすう》|六十五点《ろくじふごてん》だ。|速《すみやか》に|言依別《ことよりわけ》の|神様《かみさま》に|成績表《せいせきへう》を|書留《かきとめ》|郵便《ゆうびん》で|送《おく》つて|置《お》かう。|夜《よ》が|明《あ》ける|迄《まで》|三人《さんにん》|鼎坐《ていざ》してお|神酒《みき》を|戴《いただ》いて|御日待《おひまち》をしようではないか』
|真浦《まうら》『またそんな|事《こと》|言《い》つて、|点数《てんすう》を|減《へ》らすのではないか』
|秋彦《あきひこ》『|心配《しんぱい》するな。|一旦《いつたん》|認《みと》めた|以上《いじやう》は|減点《げんてん》は|決《けつ》してしない。|其《その》|代《かは》り|俺《おれ》の|事《こと》もよく|報告《はうこく》するのだぞ』
|真浦《まうら》『|能《よ》く|報告《はうこく》してやらう。コンミツシヨンとしてモウ|四十五点《しじふごてん》あげて|呉《く》れ』
|秋彦《あきひこ》『|六十五点《ろくじふごてん》に|四十五点《しじふごてん》を|加《くは》へると|満点《まんてん》|以上《いじやう》になつて|了《しま》ふ。それでは|試験官《しけんくわん》として|報告《はうこく》の|仕方《しかた》がないワ』
|真浦《まうら》『|俺《おれ》の|改心《かいしん》は|百点《ひやくてん》|以上《いじやう》だ。|其《その》|代《かは》り|貴様《きさま》は|百八十点《ひやくはちじつてん》に|俺《おれ》から|報告《はうこく》してやらう。|併《しか》し|二人《ふたり》|合計《がふけい》してだから……』
と|他愛《たあい》なき|雑談《ざつだん》に|一夜《いちや》を|明《あ》かしたりける。
|天《あめ》の|真浦《まうら》の|宣伝使《せんでんし》  |秋彦《あきひこ》|駒彦《こまひこ》|諸共《もろとも》に
|神《かみ》の|教《をしへ》を|伝《つた》へむと  |人《ひと》の|尾峠《をたうげ》の|急坂《きふはん》を
|雪《ゆき》かき|分《わ》けて|登《のぼ》り|行《ゆ》く  |地《ち》は|一面《いちめん》の|銀世界《ぎんせかい》
|金烏《きんう》の|光《ひか》りキラキラと  またたき|初《そ》めて|大空《おほぞら》は
|拭《ぬぐ》ふが|如《ごと》く|晴《は》れ|渡《わた》り  |茲《ここ》に|三人《みたり》は|勇《いさ》ましく
|谷《たに》の|流《なが》れに|沿《そ》ひ|乍《なが》ら  |足《あし》|踏《ふ》みなづみ|進《すす》み|行《ゆ》く
|旭《あさひ》|輝《かがや》く|雪《ゆき》は|照《て》る  |神《かみ》の|恵《めぐみ》も|白妙《しらたへ》の
|雪《ゆき》に|包《つつ》まる|宇都《うづ》の|郷《さと》  |武志《たけし》の|宮《みや》を|祀《まつ》りたる
|浮木《うきき》の|里《さと》に|辿《たど》り|着《つ》く  |又《また》もや|降《ふ》り|来《く》る|雪《ゆき》しばき
|茲《ここ》に|三人《みたり》は|大宮《おほみや》の  |脇《わき》に|建《た》ちたる|社務所《ながとこ》に
|雪《ゆき》を|凌《しの》いで|車座《くるまざ》に  なつて|暖《だん》をば|採《と》り|乍《なが》ら
|携《たづさ》へ|持《も》てる|握《にぎ》り|飯《めし》  ムシヤリムシヤリと|平《たひら》げて
|四方《よも》の|話《はなし》に|耽《ふけ》る|折《をり》  |雪《ゆき》かき|分《わ》けて|登《のぼ》り|来《く》る
|怪《あや》しの|翁《おきな》|唯《ただ》|一人《ひとり》  |覚束《おぼつか》|無《な》げに|杖《つゑ》を|突《つ》き
|宮《みや》の|階段《かいだん》|登《のぼ》り|来《く》る  |真浦《まうら》|秋彦《あきひこ》|駒彦《こまひこ》は
|眼《まなこ》を|据《す》ゑて|眺《なが》むれば  |怪《あや》しの|翁《おきな》は|神前《しんぜん》に
やうやう|近《ちか》づき|拍手《かしはで》の  |音《おと》も|涼《すず》しく|太祝詞《ふとのりと》
|称《とな》ふる|声《こゑ》の|麗《うるは》しく  |三人《みたり》の|耳《みみ》に|透《す》きとほる
|神《かみ》の|使《つかひ》か|真人《しんじん》か  |但《ただし》は|悪魔《あくま》の|化身《けしん》かと
|怪《あや》しみ|乍《なが》ら|秋彦《あきひこ》は  |此《この》|場《ば》を|立《た》ちてザクザクと
|雪《ゆき》|踏《ふ》み|鳴《な》らし|神前《しんぜん》に  |額《ぬか》づく|翁《おきな》に|打向《うちむか》ひ
|汝《なれ》は|何処《いづく》の|何人《なにびと》ぞ  |人里《ひとざと》|離《はな》れし|此《この》|森《もり》に
|雪《ゆき》を|冒《をか》して|参来《まゐき》たり  |祈願《ねぎごと》するは|何故《なにゆゑ》ぞ
|聞《き》かまほしやと|尋《たづ》ぬれば  |翁《おきな》は|漸《やうや》く|顔《かほ》を|上《あ》げ
|胸《むね》に|垂《た》れたる|白鬚《しらひげ》を  |二《ふた》つの|手《て》にて|撫《な》で|乍《なが》ら
|四辺《あたり》キヨロキヨロ|見廻《みまは》して  |武志《たけし》の|宮《みや》の|神司《かんづかさ》
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|真心《まごころ》を  |尽《つく》して|仕《つか》へ|奉《たてまつ》る
|吾《わ》れは|松鷹彦《まつたかひこ》の|司《かみ》  |汝《いまし》は|何処《いづく》の|何人《なにびと》ぞ
|訝《いぶ》かしさよと|問《と》ひ|返《かへ》す  |其《その》|容貌《ようばう》のどことなく
|得《え》も|言《い》はれざる|気高《けだか》さに  |秋彦《あきひこ》|思《おも》はず|手《て》を|突《つ》いて
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |心《こころ》の|色《いろ》も|紅葉《もみぢば》の
|錦《にしき》の|宮《みや》に|仕《つか》へたる  |秋彦《あきひこ》|駒彦《こまひこ》|二人連《ふたりづ》れ
|天《あめ》の|真浦《まうら》も|諸共《もろとも》に  |宇都山郷《うづやまがう》に|現《あら》はれし
バラモン|教《けう》の|曲神《まがかみ》を  |言向《ことむ》け|和《やは》す|鹿島立《かしまだ》ち
|雪《ゆき》を|冒《をか》してやうやうに  |此処《ここ》まで|進《すす》み|来《きた》りしぞ
|雪《ゆき》に|埋《うづ》まる|山里《やまざと》の  |家並《やなみ》も|見《み》えぬ|淋《さび》しさに
|武志《たけし》の|宮《みや》の|社務所《ながとこ》を  |借《か》りて|休《やす》らひ|居《ゐ》たりけり
|綾《あや》の|高天《たかま》に|現《あら》はれし  |玉照彦《たまてるひこ》や|玉照姫《たまてるひめ》の
|宇豆《うづ》の|命《みこと》の|仕《つか》へます  |三五教《あななひけう》の|司神《つかさがみ》
|言依別《ことよりわけ》の|御言《みこと》もて  あもり|来《きた》りし|三人連《みたりづ》れ
|汝《なんぢ》|松鷹彦《まつたかひこ》の|司《かみ》  |吾等《われら》|三人《みたり》を|宇都山《うづやま》の
バラモン|館《やかた》に|伴《とも》なひて  |太《ふと》しき|功績《いさを》を|建《た》てませよ
|応答《いらへ》|如何《いかん》と|詰《つ》め|寄《よ》れば  |松鷹彦《まつたかひこ》は|畏《かしこ》みて
|老《おい》の|歩《あゆ》みもトボトボと  |雪《ゆき》の|階段《かいだん》|降《くだ》りつつ
|天《あめ》の|真浦《まうら》や|駒彦《こまひこ》が  |前《まへ》に|現《あら》はれ|会釈《ゑしやく》なし
|先頭《せんとう》に|立《た》たむと|誘《いざな》へば  |三人《みたり》は|勇《いさ》み|喜《よろこ》びつ
|翁《おきな》の|後《あと》に|従《したが》ひて  |武志《たけし》の|宮《みや》に|一礼《いちれい》し
|東《ひがし》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
|松鷹彦《まつたかひこ》は|雪路《ゆきみち》を|杖《つゑ》を|突《つ》き|乍《なが》ら|先頭《せんとう》に|立《た》ちて、バラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》と|聞《きこ》えたる|友彦館《ともひこやかた》に|案内《あんない》すべく|進《すす》み|行《ゆ》く。|真浦《まうら》は|翁《おきな》の|後《あと》に|七八尺《しちはつしやく》|遅《おく》れて、|一歩一歩《ひとあしひとあし》|深雪《ふかゆき》の|中《なか》の|足跡《あしがた》を|目標《めあて》に|進《すす》む|折《をり》しも、|秋彦《あきひこ》、|駒彦《こまひこ》は|物《もの》をも|云《い》はず、|真浦《まうら》を|引抱《ひつかか》へ、|数丈《すうぢやう》の|崖下《がけした》に|突落《つきおと》した。|突落《つきおと》された|真浦《まうら》は|何《なん》の|負傷《ふしやう》もせず、|高《たか》く|積《つ》もれる|雪《ゆき》の|上《うへ》にニコニコと|安坐《あんざ》して|三人《さんにん》の|姿《すがた》を|仰《あふ》ぎ|見《み》て|居《ゐ》る。
|秋彦《あきひこ》『モシ|真浦《まうら》さま、どうだ、|御気分《ごきぶん》は|宜《よろ》しいかな。どこもお|怪我《けが》は|御座《ござ》いませぬか』
|真浦《まうら》『ハイ|有難《ありがた》う、|無事《ぶじ》|着陸《ちやくりく》|致《いた》しました』
|駒彦《こまひこ》『サア|六十五点《ろくじふごてん》に|三十五点《さんじふごてん》を|加《くは》へて|百点《ひやくてん》だ。|肉体《にくたい》は|高所《かうしよ》から|落第《らくだい》したが、|御霊《みたま》はいよいよ|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》に|及第《きふだい》したのだから|喜《よろこ》び|給《たま》へ』
|松鷹彦《まつたかひこ》、|目《め》を|円《まる》くし、
|松鷹彦《まつたかひこ》『コレコレお|前達《まへたち》は|何《なん》と|云《い》ふ|乱暴《らんばう》な|事《こと》をするのだい。|世界《せかい》の|人民《じんみん》を|助《たす》けて|天国《てんごく》へ|救《すく》ふ|役《やく》であり|乍《なが》ら、|地獄《ぢごく》のやうな|断崖《だんがい》から|突落《つきおと》すと|云《い》ふ|事《こと》が|有《あ》るものか、グヅグヅして|居《を》ると|此《この》|老人《としより》まで、どんな|事《こと》をするか|分《わか》つたものぢやない』
|秋彦《あきひこ》『お|爺《ぢい》さま|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな。|身魂《みたま》|調《しら》べの|為《ため》に、|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》は|言依別《ことよりわけ》|様《さま》の|御命令《ごめいれい》に|依《よ》りて、あの|男《をとこ》の|修業《しうげふ》をさせに|来《き》たのです。ここで|腹《はら》を|立《た》てる|様《やう》な|事《こと》では、|宣伝使《せんでんし》の|資格《しかく》がないのだから、|謂《い》はば|我々《われわれ》は|宣伝使《せんでんし》の|試験委員《しけんゐゐん》だ。|是《こ》れであの|男《をとこ》も|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》になりました』
|松鷹彦《まつたかひこ》『こんな|絶壁《ぜつぺき》から|落《おと》されては、どうする|事《こと》も|出来《でき》ない。|何《なん》とか|工夫《くふう》をして|此処《ここ》まで|救《すく》ひ|上《あ》げて|来《き》なさらねばなりますまい』
|秋彦《あきひこ》『|何《なに》も|御心配《ごしんぱい》は|要《い》りませぬよ。|獅子《しし》は|児《こ》を|産《う》んで|三日目《みつかめ》に|谷底《たにそこ》へ|棄《す》て、|上《あが》つて|来《き》た|奴《やつ》を|又《また》|突落《つきおと》し、|三遍目《さんべんめ》に|上《あ》がつた|奴《やつ》を、|始《はじ》めて|自分《じぶん》の|子《こ》にすると|云《い》ふ|事《こと》だ。こんな|所《とこ》から|一遍《いつぺん》や|二遍《にへん》|突落《つきおと》されて|屁古垂《へこた》れる|様《やう》な|者《もの》なら、|到底《たうてい》|駄目《だめ》だ。|悪魔《あくま》の|栄《さか》ゆる|世《よ》の|中《なか》の|宣伝使《せんでんし》にはなれませぬ。|上《あが》つて|来《き》よつたら、|又《また》|突《つ》き|落《おと》す|積《つも》りです』
|松鷹彦《まつたかひこ》『それだと|言《い》つて、それはあまり|残酷《ざんこく》ぢやないか。|早《はや》く|助《たす》けてお|上《あ》げなさい』
|秋彦《あきひこ》『そんな|宋襄《そうじやう》の|仁《じん》は|却《かへ》つてあの|男《をとこ》を|憎《にく》む|様《やう》なものだ。|可愛《かはい》いから|此《この》|断崕《だんがい》から|突《つ》き|落《おと》してやつたのです』
|松鷹彦《まつたかひこ》『なんと|妙《めう》な|可愛《かはい》がり|様《やう》も|有《あ》つたものだなア。|私《わし》も|此《この》|年《とし》をして|居《を》るが、そんな|愛《あい》は|聞《き》いた|事《こと》が|無《な》い』
と|不思議《ふしぎ》さうに|覗《のぞ》き|込《こ》んで|居《ゐ》る。
|駒彦《こまひこ》『お|爺《ぢい》さま、お|前《まへ》も|一《ひと》つ|可愛《かはい》がつてあげようか』
|松鷹彦《まつたかひこ》『イヤもう|結構《けつこう》|々々《けつこう》、お|前等《まへら》に|可愛《かはい》がられようものなら、|生命《いのち》も|何《なに》も|無《な》くなつて|了《しま》ふ。|若《わか》い|者《もの》は|兎《と》も|角《かく》も、|此《この》|老人《としより》がどうなるものか。|恐《おそ》ろしい|人《ひと》|達《たち》だなア』
と|蒼惶《さうくわう》として|走《はし》り|去《さ》る。
|駒彦《こまひこ》『アハヽヽヽ、|到頭《たうとう》|老爺《ぢい》さま|肝《きも》を|潰《つぶ》して|逃《に》げて|了《しま》ひよつた。サア|秋彦《あきひこ》、モウ|用《よう》が|済《す》んだ。|是《こ》れから|各自《めいめい》|手分《てわ》けをして、|命《めい》ぜられた|方面《はうめん》へ|行《ゆ》く|事《こと》にしよう。…コレコレ|真浦《まうら》さま、マアゆつくりと|雪《ゆき》の|上《うへ》でお|鎮魂《ちんこん》でもなさいませ。これでお|暇《いとま》|致《いた》します。|其《その》|代《かは》りに|百点《ひやくてん》だよ』
と|両手《りやうて》を|拡《ひろ》げて|見《み》せ、|雪路《ゆきみち》を|一生懸命《いつしやうけんめい》に|何処《いづく》ともなく|左右《さいう》に|別《わか》れて|走《はし》り|行《ゆ》く。|真浦《まうら》は|苦心惨憺《くしんさんたん》の|結果《けつくわ》、|漸《やうや》く|廻《まは》り|路《みち》を|見出《みいだ》だして、|元《もと》の|所《ところ》に|駆上《かけあが》り、|四辺《あたり》をキヨロキヨロ|見廻《みまは》し|乍《なが》ら、
|真浦《まうら》『アヽ|誰《たれ》も|彼《かれ》も|皆《みな》どつかへ|埋没《まいぼつ》して|了《しま》つた。エヽ|仕方《しかた》がない、|足型《あしがた》を|便《たよ》りに|後追《あとお》つかけよう』
と|独語《どくご》しつつ|雪《ゆき》に|印《いん》した|草鞋《わらぢ》の|跡《あと》を、|犬《いぬ》が|鋭利《えいり》な|嗅覚《きゆうかく》で|猪《しし》の|後《あと》を|逐《お》ふ|様《やう》な|調子《てうし》で|進《すす》んで|行《ゆ》く。|雪《ゆき》は|鵞毛《がまう》と|降《ふ》り|頻《しき》り、|足跡《あしあと》の|窪《くぼ》みは|殆《ほとん》ど|埋没《まいぼつ》して|了《しま》つた。|見渡《みわた》す|限《かぎ》りの|白雪《しらゆき》の|野《の》を、|一歩々々《ひとあしひとあし》|探《さぐ》る|様《やう》にして、|遂《つひ》には|大川《おほかは》の|畔《ほとり》に|辿《たど》り|着《つ》いた。|河《かは》の|堤《つつみ》に|細《ほそ》い|烟《けぶり》の|破風口《はふぐち》より|立昇《たちのぼ》る|小《ちひ》さき|茅屋《ばうをく》が|淋《さび》しげに|立《た》つて|居《ゐ》る。|真浦《まうら》は『|御免《ごめん》』と|押戸《おしど》を|開《あ》けて|入《い》り|見《み》れば|以前《いぜん》の|老爺《ぢい》が、|婆《ばば》アと|二人《ふたり》|茶《ちや》を|啜《すす》つて|居《ゐ》る。
|松鷹彦《まつたかひこ》『ヤアお|前《まへ》は|最前《さいぜん》の|宣伝使《せんでんし》だつたなア。|能《よ》う|来《き》て|下《くだ》さつた。|随分《ずゐぶん》|乱暴《らんばう》な|男《をとこ》も|有《あ》つたものだ。あれは|大方《おほかた》バラモンの|残党《ざんたう》であらう。お|前《まへ》|気《き》を|付《つ》けないと、どんな|目《め》に|遭《あ》はされるか|知《し》れませぬぞや』
|真浦《まうら》『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|実《じつ》は|人《ひと》の|尾峠《をたうげ》の|西麓《せいろく》に|於《おい》て、|盗賊《たうぞく》に|出会《であ》ひました。それから|其《その》|盗賊《たうぞく》さまに|武志《たけし》の|宮《みや》まで|送《おく》つて|頂《いただ》いたのです』
|松鷹彦《まつたかひこ》『|何《なに》か|盗《と》られましたかなア』
|真浦《まうら》『イエ|別《べつ》に……|盗《と》られる|処《どころ》か|結構《けつこう》な|物《もの》を|沢山《たくさん》|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しました。|盗難品《たうなんひん》は|唯《ただ》の|一点《いつてん》も|無《な》く、|貰《もら》つたものは|前後《ぜんご》|二回《にくわい》で|百点《ひやくてん》ばかりです。|実《じつ》に|結構《けつこう》な|御神徳《おかげ》を|頂《いただ》きました。|最前《さいぜん》もアノ|絶壁《ぜつぺき》から|突《つ》き|落《おと》され、|其《その》|時《とき》にも|三十五点《さんじふごてん》|呉《く》れましたよ』
|松鷹彦《まつたかひこ》『ハテ|合点《がてん》のゆかぬ|事《こと》を|仰有《おつしや》る。その|代物《しろもの》はどこに|御所持《ごしよぢ》なさるかなア』
|真浦《まうら》『ハイ|残《のこ》らず|私《わたし》の|腹《はら》の|中《なか》に【しま】つてあります。|要《えう》するに|無形《むけい》の|宝《たから》ですよ』
|松鷹彦《まつたかひこ》、|両手《りやうて》を|拍《う》ち、|打諾《うちうな》づき|乍《なが》ら、
|松鷹彦《まつたかひこ》『ハヽヽヽ、|年《とし》を|老《と》つて、わしも|余程《よほど》|耄碌《まうろく》したと|見《み》えるワイ、ホンにそうだ。わしもお|前《まへ》さまから|宝《たから》を|四五十点《しごじつてん》|頂戴《ちやうだい》した。|実《じつ》に|忍耐《にんたい》と|云《い》ふ|宝《たから》は|結構《けつこう》なものだ。さうでなくては|誠《まこと》の|道《みち》は|拡《ひろ》まりますまい。バラモン|教《けう》は|随分《ずゐぶん》|荒行《あらぎやう》を|致《いた》しますが……|私《わし》も|元《もと》は|三五教《あななひけう》を|奉《ほう》じて|居《を》りました。それから|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|行方《やりかた》があまり|脱線《だつせん》だらけで、|愛想《あいさう》が|尽《つ》き、|同《おな》じ|事《こと》なら|大勢《おほぜい》の|者《もの》の|信《しん》ずるバラモン|教《けう》の|方《はう》が|処世上《しよせいじやう》の|便利《べんり》だと|思《おも》ひ、|一旦《いつたん》は|入信《にふしん》しましたが、これ|亦《また》どうしても|私《わし》の|腑《ふ》に|落《お》ちない|点《てん》が|沢山《たくさん》ある。そうかうして|居《を》る|間《うち》にバラモン|教《けう》の|一部《いちぶ》を|採《と》り、ウラル|教《けう》の|或《ある》|点《てん》を|加味《かみ》し、|三五教《あななひけう》を|加《くは》へて、|新《あらた》に|起《おこ》つたウラナイ|教《けう》と|云《い》ふ|新《あたら》しき|教《をしへ》が|出《で》て|来《き》たので、|又《また》もやウラナイ|教《けう》に|間男《まをとこ》をしました。そうして|神様《かみさま》を|武志《たけし》の|宮《みや》にお|祀《まつ》りした|処《ところ》が、その|夕《ゆふべ》から|夫婦《ふうふ》の|者《もの》が|俄《にはか》に|病気《びやうき》|付《づ》き|大変《たいへん》な|発熱《はつねつ》で、|幾度《いくたび》も|死《し》ぬ|様《やう》な|目《め》に|遭《あ》ひ……コリヤやつぱり|元《もと》の|神様《かみさま》にすがらねばなるまい……と|夫婦《ふうふ》の|者《もの》が|三五教《あななひけう》の|大神《おほかみ》に|謝罪《おわび》をした|処《ところ》、|不思議《ふしぎ》にも|其《その》|時《とき》より|熱《ねつ》が|段々《だんだん》に|降《さが》り、|婆《ばば》アは|二三日《にさんにち》の|後《のち》ケロリと|嘘《うそ》を|吐《つ》いた|様《やう》に|全快《ぜんくわい》して|了《しま》つた。|私《わし》は|此《こ》れから|一里《いちり》|許《ばか》りある|下《した》の|村《むら》の|者《もの》から|選《えら》まれて、|武志《たけし》の|宮《みや》の|神主《かんぬし》をして|居《を》る|者《もの》だが、|村人《むらびと》にさう|幾度《いくど》も|幾度《いくど》も|神様《かみさま》を|出《だ》したり|入《い》れたりすると|思《おも》はれては、|信用《しんよう》がないから、ソツとウラナイ|教《けう》の|高姫《たかひめ》さまが|祀《まつ》つて|呉《く》れた|御神号《ごしんがう》を|河《かは》に|流《なが》し、|今《いま》では|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》をお|祀《まつ》りしたいのだが、|一旦《いつたん》|御神号《ごしんがう》を|流《なが》して|了《しま》つたので、|戴《いただ》く|訳《わけ》にもゆかず、|空《から》の|宮《みや》を……|今日《けふ》も|今日《けふ》とて|謝罪《おわび》|旁《かたがた》|拝《をが》みに|行《ゆ》きました。|今日《けふ》で|此《この》|雪路《ゆきみち》を|三七廿一日《さんしちにじふいちにち》、|毎日《まいにち》|通《かよ》ひましたが、|不思議《ふしぎ》な|事《こと》には、あなた|方《がた》に|宮様《みやさま》の|前《まへ》でお|目《め》にかかつたのは、|全《まつた》く|神様《かみさま》の|御引《おひ》き|合《あは》せで|御座《ござ》いませう。|併《しか》し|詳《くは》しい|教理《けうり》は|存《ぞん》じませぬが、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》はみな|貴方《あなた》の|様《やう》に|忍耐《にんたい》が|強《つよ》い|方《かた》ばかりですか』
|真浦《まうら》『|昔《むかし》の|三五教《あななひけう》は|随分《ずゐぶん》|乱暴《らんばう》な|宣伝使《せんでんし》もあり|脱線者《だつせんしや》も|沢山《たくさん》|出《で》たさうです。|併《しか》し|此《この》|頃《ごろ》は|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫《たまてるひめ》と|云《い》ふ|立派《りつぱ》な|神様《かみさま》の|生《うま》れ|替《が》はりが、|聖地《せいち》に|現《あら》はれ|玉《たま》うてより、|誰《たれ》も|彼《かれ》も、|緊張《きんちやう》|気分《きぶん》になり、|忍耐《にんたい》を|第一《だいいち》として|天下《てんか》に|宣伝《せんでん》を|始《はじ》めて|居《を》ります。|恥《はづ》かし|乍《なが》ら|私《わたし》は|大台ケ原《おほだいがはら》|山麓《さんろく》の|暖《あたた》かい|所《ところ》に|生《うま》れ、|楽《らく》に|育《そだ》つて|来《き》た|報《むく》いで、|此《この》|雪国《ゆきぐに》へ|始《はじ》めて|宣伝《せんでん》に|参《まゐ》り、|余程《よほど》|苦《くるし》みました。さうして|今日《けふ》が|宣伝《せんでん》の|初陣《うひぢん》です。|僅《わづ》かの|時日《じじつ》、|神様《かみさま》の|教《をしへ》を|聞《き》かして|頂《いただ》き、|言依別《ことよりわけ》の|教主様《けうしゆさま》から|許《ゆる》されて、|宣伝《せんでん》に|参《まゐ》つた|者《もの》ですから、|詳細《くは》しい|事《こと》はまだ|存《ぞん》じませぬ』
|松鷹彦《まつたかひこ》『さうすると、あなたは|今日《けふ》が|始《はじ》めてですか。それはそれは|本当《ほんたう》に|結構《けつこう》です。|宣伝使《せんでんし》は|分《わか》らぬ|間《うち》こそ|却《かへつ》て|神徳《しんとく》もあり、|人徳《じんとく》も|備《そな》はるものだ。|少《すこ》し|物《もの》が|分《わか》ると|知《し》らず|識《し》らずに|慢心《まんしん》が|出《で》て、|終《つひ》には|信仰《しんかう》に|苔《こけ》が|生《は》え、|又《また》|元《もと》の|邪道《じやだう》に|逆転《ぎやくてん》するものだ。|私《わし》もさう|云《い》ふ|初心《うぶ》な|宣伝使《せんでんし》に|一度《いちど》|会《あ》ひたいと|思《おも》うて|居《を》つた。どうぞ|貴方《あなた》はこれから|私《わし》の|茅屋《あばらや》に|逗留《とうりう》し、|武志《たけし》の|宮《みや》の|御神体《ごしんたい》を|斎《まつ》つて|下《くだ》さい。さうして|村《むら》の|者《もの》にも|教《をしへ》を|伝《つた》へ、バラモン|教《けう》を|改《あらた》めさせたいものです』
|真浦《まうら》『|神様《かみさま》を|祀《まつ》ると|云《い》つても、|私《わたし》の|様《やう》なものでは、|到底《たうてい》それだけの|資格《しかく》が|有《あ》りませぬ。|時《とき》を|得《え》て|聖地《せいち》にあなたも|参拝《さんぱい》し、|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》に|面会《めんくわい》して、|御神体《ごしんたい》を|奉迎《ほうげい》してお|帰《かへ》りなさいませ。それが|何《なに》より|結構《けつこう》でせう。|我々《われわれ》は|宣伝《せんでん》をするばかりの|役《やく》、|神様《かみさま》の|御神体《ごしんたい》を|扱《あつか》ふ|事《こと》は|出来《でき》ませぬ』
|松鷹彦《まつたかひこ》『|如何《いか》にも、さう|聞《き》けばさうです。|物品《ぶつぴん》か|何《なに》かの|様《やう》に|軽々《かるがる》しう|扱《あつか》ふ|事《こと》は|出来《でき》ますまい。|時機《じき》をみて|御願《おねが》ひする|事《こと》に|致《いた》しませう。さうして|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》の|樹《た》て|方《かた》は、|大体《だいたい》どう|云《い》ふ|事《こと》が|眼目《がんもく》になつて|居《を》りますか』
|真浦《まうら》『あなたは|最前《さいぜん》も、|三五教《あななひけう》に|入信《はいつ》て|居《ゐ》たと|仰有《おつしや》つた。|私《わたし》よりは、|謂《い》はば|古参者《こさんしや》、|能《よ》くお|分《わか》りでせう』
|松鷹彦《まつたかひこ》『|唯々《ただただ》|世界《せかい》|統一《とういつ》の|神様《かみさま》だと|信《しん》じ、|此《この》|曇《くも》つた|世《よ》の|中《なか》を|早《はや》う|安楽《あんらく》な、|潔白《けつぱく》に|世《よ》にしたい|許《ばか》りに|信仰《しんかう》を|続《つづ》けて|居《ゐ》たのみで、|言《い》はば|徹底《てつてい》せない|信仰《しんかう》で|有《あ》りました。それ|故《ゆゑ》あちら|此方《こちら》と|迂路付《うろつ》いて|見《み》たのだが、どうしても|三五教《あななひけう》が|斎《まつ》る|神様《かみさま》に|御神力《ごしんりき》がある|様《やう》だ。|何《なん》とはなしに|恋《こひ》しくなつて|来《き》ました』
|真浦《まうら》『|私《わたし》が|知《し》つて|居《ゐ》る|事《こと》の|大体《だいたい》だけを|簡単《かんたん》に|申《まを》しますれば、……|世界《せかい》を|神《かみ》の|慈愛《じあい》の|教《をしへ》に|依《よ》りて、|道義的《だうぎてき》に|統一《とういつ》し、|世《よ》の|立替《たてかへ》|立直《たてなほ》しを|断行《だんかう》する|事《こと》。|能《あた》ふ|限《かぎ》り|神様《かみさま》の|道《みち》を|宣揚《せんやう》し、|体主霊従《たいしゆれいじう》の|物質的《ぶつしつてき》|教《をしへ》に|心酔《しんすゐ》せざる|様《やう》|教《をし》ふる|事《こと》。|如何《いか》なる|事《こと》も|神様《かみさま》にお|任《まか》せ|申《まを》し、|自分《じぶん》の|我《が》を|出《だ》さずに|能《あた》ふ|限《かぎ》り|道《みち》に|依《よ》りて|力《ちから》を|尽《つく》す|事《こと》。|天地神明《てんちしんめい》の|鴻恩《こうおん》を|悟《さと》り、|造次《ざうじ》にも|顛沛《てんぱい》にも、|感謝《かんしや》|祈願《きぐわん》の|道《みち》を|忘《わす》れざる|事《こと》。|常《つね》に|謙譲《けんじやう》の|徳《とく》を|養《やしな》ふ|事《こと》。|如何《いか》なる|難儀《なんぎ》に|遇《あ》うとも、|誠《まこと》の|道《みち》の|為《ため》ならば|少《すこ》しも|恐《おそ》れず、|誠《まこと》を|以《もつ》て|切《き》り|抜《ぬ》ける|事《こと》。|社会《しやくわい》の|為《ため》に|全力《ぜんりよく》を|尽《つく》し、|天下《てんか》|救済《きうさい》の|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》する|事《こと》なぞを|以《もつ》て、|吾々《われわれ》は|宣伝使《せんでんし》の|尽《つく》すべき|職務《しよくむ》と|確信《かくしん》して|居《を》ります。|併《しか》し|乍《なが》ら、|中々《なかなか》|思《おも》つた|様《やう》に|行《おこな》ひが|出来《でき》ないので、|神様《かみさま》に|対《たい》して|何時《いつ》も|恥入《はぢい》つて|居《を》る|次第《しだい》で|御座《ござ》います』
|松鷹彦《まつたかひこ》『オウ、それで|大体《だいたい》の|御主意《ごしゆい》が|分《わか》りました。|今《いま》までの|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》は、|三五教《あななひけう》には|退却《たいきやく》の|二字《にじ》は|無《な》いと|云《い》つて、|随分《ずゐぶん》|乱暴《らんばう》な|喧嘩《けんくわ》もしたものです。|然《しか》るに|今日《こんにち》あなたの|御説《おせつ》の|通《とほ》り、|三五教《あななひけう》|自身《じしん》に|立替《たてかへ》が|出来《でき》た|以上《いじやう》は、|最早《もはや》|天下《てんか》|何者《なにもの》をか|恐《おそ》れむやである。|其《その》|実行《じつかう》さへ|出来《でき》れば、|此《この》|宇都山《うづやま》の|里人《さとびと》も|残《のこ》らず|帰順《きじゆん》するでせう。どうぞ|武志《たけし》の|宮《みや》の|社務所《ながとこ》にお|止《とど》まり|下《くだ》さつて、|不言実行《ふげんじつかう》の|手本《てほん》を|見《み》せて|下《くだ》さい。それが|第一《だいいち》の|宣伝《せんでん》です』
|真浦《まうら》『|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|何分《なにぶん》|宜《よろ》しく|御願《おねが》ひ|致《いた》します。|私《わたし》の|初陣《うひぢん》として、あなたの|御病気《ごびやうき》の|全快《ぜんくわい》を|神様《かみさま》に|祈《いの》らして|下《くだ》さいませぬか』
|松鷹彦《まつたかひこ》『それは|是非《ぜひ》|共《とも》|頼《たの》まねばならぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら|不言実行《ふげんじつかう》だ。お|前《まへ》さまが|私《わし》の|宅《うち》へ|来《き》て|間《ま》もなく、|私《わし》の|病気《びやうき》が|知《し》らぬ|間《ま》に|癒《なほ》る|様《やう》になさらぬか。|願《ねが》はして|呉《く》れ……なぞと|仰有《おつしや》るのが|間違《まちが》つて|居《を》る。まだお|前《まへ》さまはチツと|許《ばか》り|名誉慾《めいよよく》の|魔《ま》が|憑《つ》いて|居《ゐ》ますな』
|真浦《まうら》『ハイ|恐《おそ》れ|入《い》りました。それならモウ|決《けつ》して|祈《いの》りませぬ。あなたの|病気《びやうき》には|無関係《むくわんけい》ですから、さう|思《おも》つて|下《くだ》さい』
|松鷹彦《まつたかひこ》『ハイハイ|分《わか》つた|分《わか》つた。|御互《おたがひ》に|神様《かみさま》の|御子《みこ》ぢや。|右《みぎ》の|手《て》より|施《ほどこ》す|物《もの》を|左《ひだり》の|手《て》が、|知《し》らぬ|様《やう》にするのが、|誠《まこと》の|不言実行《ふげんじつかう》、|三五《あななひ》の|教《をしへ》だ』
|真浦《まうら》『あなたは|何《なに》も|彼《か》も|能《よ》く|知《し》つて|居《ゐ》て、|私《わたし》を|実地《じつち》|教育《けういく》して|下《くだ》さるのだなア。|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。アヽ|神様《かみさま》は|人《ひと》の|口《くち》を|藉《か》つて、イロイロと|修業《しうげふ》をさして|下《くだ》さるか、|思《おも》へば|思《おも》へば|有難《ありがた》い、|勿体《もつたい》ない』
と|涙《なみだ》を|袖《そで》に|拭《ぬぐ》ふ。
|松鷹彦《まつたかひこ》『わしは|何《なん》にも|知《し》らない。|唯《ただ》お|前《まへ》さまと|話《はなし》をして|居《ゐ》る|際《さい》、|俄《にはか》に|体《からだ》が|変《へん》になつて、あんな|失礼《しつれい》な|事《こと》を|言《い》ひました。どうぞ|気《き》に|止《と》めて|下《くだ》さるな……アヽ|有難《ありがた》い、|今迄《いままで》ヅキヅキとウヅいて|居《を》つた|私《わし》の|足《あし》が、|何時《いつ》の|間《ま》にかスツカリ|癒《なほ》つて|了《しま》つた』
と|拍手《はくしゆ》|再拝《さいはい》、|真浦《まうら》を|神《かみ》の|如《ごと》くに|手《て》を|合《あは》して|拝《をが》み|立《た》てる。
|雪《ゆき》に|閉《とざ》され|四五日《しごにち》|真浦《まうら》は、|老夫婦《らうふうふ》の|親切《しんせつ》にほだされて、|教話《けうわ》を|説《と》き|乍《なが》ら|冬《ふゆ》の|日《ひ》を|消《け》した。
|松鷹彦《まつたかひこ》『|此処《ここ》は|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り、|山《やま》と|山《やま》とに|囲《かこ》まれて|不便《ふべん》の|土地《とち》、|御馳走《ごちそう》も|一度《いちど》|上《あ》げたいと|思《おも》へども、|斯《か》う|雪《ゆき》に|閉《とざ》されては、どうする|事《こと》も|出来《でき》ぬ。|幸《さいは》ひ|此《この》|川《かは》の|淵《ふち》には、|沢山《たくさん》な|小魚《こざかな》が|居《を》つて、つい|其処《そこ》の|淵《ふち》には、|冬《ふゆ》の|寒《さむ》さで|一所《ひととこ》に|籠《こも》つて|居《を》る。これを|掬《すく》うて|来《き》て、お|前《まへ》さまの|御馳走《ごちそう》にして|上《あ》げませう』
|真浦《まうら》『ア、それは|有難《ありがた》う』
と|言《い》ひつつ、|後《あと》は|小声《こごゑ》で、
|真浦《まうら》『|不言実行《ふげんじつかう》が|肝腎《かんじん》だなかつたかなア』
と|幽《かす》かに|呟《つぶや》いた。|老爺《ぢい》さまは|玉網《たまあみ》を|担《かた》げ、|雪《ゆき》|掻《か》き|分《わ》けて|川縁《かはぶち》に|行《い》つた。そうして|玉網《たまあみ》を|淵《ふち》に|突《つ》つ|込《こ》み、|荐《しき》りに|骨《ほね》を|折《を》つて|居《ゐ》る。|此《この》|家《や》の|座敷《ざしき》から|能《よ》く|見《み》える|距離《きより》である。|婆《ば》アさまと|真浦《まうら》は、|爺《ぢい》さんの|川漁《かはれう》を|面白《おもしろ》げに|眺《なが》めて|居《ゐ》た。|松鷹彦《まつたかひこ》はどうした|動機《はずみ》か、|誤《あやま》つてドブンと|川《かは》に|落込《おちこ》み、チツとも|浮《う》いて|来《こ》ない。|婆《ば》アさまは|素知《そし》らぬ|顔《かほ》して|眺《なが》めて|居《ゐ》る。|真浦《まうら》は|驚《おどろ》いて、
|真浦《まうら》『ヤアお|爺《ぢい》さまが|川《かは》へ|落《お》ち|込《こ》んだ。|助《たす》けてあげねばなるまい』
と|立《た》ちあがる。|婆《ば》アさまは|初《はじ》めて|口《くち》を|開《ひら》き、
|婆《ばば》『|不言実行《ふげんじつかう》だ』
|真浦《まうら》『|恐《おそ》れ|入《い》りました。これから|私《わたし》もお|前《まへ》さまに|代《かは》はつてあの|青淵《あをふち》|目蒐《めが》けて、バサンと|飛《と》び|込《こ》み、ヂイさまを|救《すく》はう』
|婆《ばば》『お|手並《てなみ》|拝見《はいけん》の|後《のち》|御礼《おれい》を|申《まを》しませう。|何《なに》は|兎《と》も|有《あ》れ|不言実行《ふげんじつかう》ですからなあ』
|真浦《まうら》は|尻《しり》ひつからげ|雪《ゆき》の|中《なか》を|倒《こ》けつ|転《まろ》びつ|飛《と》んで|行《ゆ》く。|爺《ぢ》イは|此《この》|時《とき》|柳《やなぎ》の|木《き》に|取《と》り|付《つ》き、ムクムクと|上《あが》つて|来《き》た。
|真浦《まうら》『お|爺《ぢい》さま、|結構《けつこう》でした。|能《よ》う|助《たす》かつて|下《くだ》さつた。|実《じつ》は|私《わたし》もビツクリして|助《たす》けに|来《き》たのだ』
|松鷹彦《まつたかひこ》『あなたは|有言不実行《いうげんふじつかう》だ、アハヽヽヽ』
|真浦《まうら》は|黙《だま》つて|老爺《ぢい》さまの|着物《きもの》を|搾《しぼ》りかけた。
|松鷹彦《まつたかひこ》『|自分《じぶん》の|着物《きもの》は|自分《じぶん》が|絞《しぼ》る。モツと|忘《わす》れたものがあるだらう』
|真浦《まうら》は|黙《だま》つて|引返《ひきかへ》し、|矢庭《やには》に|座敷《ざしき》の|中《なか》をキヨロキヨロ|見《み》|乍《なが》ら、おやぢさまの|着替《きがへ》を|見付《みつ》け、|小脇《こわき》に|抱《かか》へて|飛出《とびだ》した。|婆《ば》アは、
|婆《ばば》『コレコレお|前《まへ》さま、それはおやぢの|着物《きもの》だ。|老爺《おやじ》の|陥《はま》つたのを|幸《さいは》ひ、|大切《たいせつ》な|着替《きがへ》を|不言実行《ふげんじつかう》して、どこへ|浚《さら》へて|行《い》くのだ。……ホンにホンに|油断《ゆだん》のならぬ|人《ひと》だなア、オホヽヽヽ』
|真浦《まうら》『エー|夫《をつと》の|危難《きなん》を|前《まへ》に|見《み》|乍《なが》ら、|一言《ひとこと》も|頼《たの》みもせず、|不言実行《ふげんじつかう》だなんテ、|謎《なぞ》をかけやがつて、おまけに|俺《おれ》を|盗人《ぬすびと》|扱《あつか》ひにして|洒落《しやれ》て|居《ゐ》やがる。|此奴《こいつ》ア|普通《ひととほり》の|狐《きつね》……オツトドツコイ|女《をんな》ぢやあるまい。……|早《はや》く|行《ゆ》かぬと、|爺《ぢい》が|凍《い》てて|了《しま》ふ』
と|裏口《うらぐち》を|跨《また》げかける。|婆《ば》アは、
|婆《ばば》『|真浦《まうら》さま、|早《はや》く|早《はや》く、|不言実行《ふげんじつかう》だ』
|真浦《まうら》は|物《もの》をも|言《い》はず、|爺《ぢい》の|所《ところ》に|走《はし》り|着《つ》いた。|老爺《ぢい》は|赤裸《まつぱだか》となりて|真浦《まうら》の|持《も》つて|来《き》た|着物《きもの》を、|手早《てばや》く|身《み》に|着《つ》け『|大《おほ》きに』とも、『|御苦労《ごくらう》』とも|言《い》はず、|黙《だま》つてスゴスゴと|吾《わが》|家《や》に|帰《かへ》る。|真浦《まうら》は|濡《ぬ》れた|着物《きもの》や|網《あみ》を|引抱《ひつかか》へ、
|真浦《まうら》『アヽ|本当《ほんたう》に|不言実行《ふげんじつかう》|歩《ほう》と|出《で》よつたな。|油断《ゆだん》のならぬ|化物爺《ばけものぢい》だ。モウこれからは|暫時《しばらく》|唖《おし》の|修業《しうげふ》だ』
と|独《ひとり》ごちつつ、|爺《ぢい》の|家《いへ》に|帰《かへ》つて|来《き》た。
|婆《ばば》『|流石《さすが》|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》ぢや。|能《よ》う|気《き》が|付《つ》いた。これでお|前《まへ》も|又《また》|一点《いつてん》|程《ほど》|点数《てんすう》が|増《ま》えましたデ、ホヽヽヽヽ』
|松鷹彦《まつたかひこ》『アイタヽヽ、|又《また》しても|痛《いた》くなつた。|此奴《こいつ》ア|病気《びやうき》が|撥《は》ね|返《かへ》るのではあるまいか。|非常《ひじやう》な|激痛《げきつう》だ』
と|顔《かほ》を|顰《しか》め、
|松鷹彦《まつたかひこ》『|不言実行《ふげんじつかう》|不言実行《ふげんじつかう》』
と|呶鳴《どな》つて|居《を》る。|婆《ば》アは、
『|折角《せつかく》|御神徳《ごしんとく》を|戴《いただ》き|乍《なが》ら……|爺《おやぢ》さま、お|前《まへ》は|二口目《ふたくちめ》には|不言実行《ふげんじつかう》と|仰有《おつしや》るが、|取《と》らぬ|狸《たぬき》の|皮算用《かはざんよう》をする|様《やう》に、|棚《たな》の|牡丹餅《ぼたもち》をおろして|喰《く》ふ|様《やう》に、|慢心《まんしん》して、|真浦《まうら》さんに|御馳走《ごちそう》をしてあげようかなんテ、|仰有《おつしや》るものだから、|忽《たちま》ち|神様《かみさま》の|御戒《おいまし》めを|食《く》つて、|有言不実行《いうげんふじつかう》になり、そんな|土産《みやげ》を|頂戴《ちやうだい》して|苦《くるし》むのだよ。チツと|神様《かみさま》に|謝罪《おわび》をなさらぬか』
|松鷹彦《まつたかひこ》『|俺《おれ》は|神様《かみさま》に|対《たい》して|不言実行《ふげんじつかう》、|暗祈黙祷《あんきもくたう》を|行《や》つて|居《ゐ》るのだ。どつか|其辺《そこ》らに|不言実行者《ふげんじつかうしや》が、モウ|出《で》さうなものだ。アイタヽヽ』
|真浦《まうら》は|赤裸《まつぱだか》となり、|裏《うら》の|川《かは》にザンブと|飛《と》び|込《こ》み、|御禊《みそぎ》をなし、|一生懸命《いつしやうけんめい》で|何事《なにごと》か|祈願《きぐわん》し|始《はじ》めた。|爺《ぢ》イの|足《あし》の|痛《いた》みは|不思議《ふしぎ》にもピタリと|止《と》まつた。
|松鷹彦《まつたかひこ》『|真浦様《まうらさま》、|有難《ありがた》う。|御神徳《おかげ》を|頂《いただ》きました。サアどうぞ|此方《こちら》へ|来《き》て|下《くだ》さい。|火《ひ》を|焚《た》いてあたらしてあげませう』
|真浦《まうら》は|川《かは》より|這《は》ひ|上《あが》り、|身体《からだ》の|露《つゆ》を|拭《ぬぐ》ひ|乍《なが》ら、
|真浦《まうら》『お|老爺《ぢい》さま、|火《ひ》を|焚《た》くのもヤツパリ|不言実行《ふげんじつかう》だ、アハヽヽヽ』
(大正一一・五・一二 旧四・一六 松村真澄録)
第二章 |赤児《あかご》の|誤《あやまり》〔六六四〕
|雪《ゆき》に|埋《うづ》まる|川端《かはばた》の  |賤《しづ》の|伏家《ふせや》も|春《はる》が|来《き》て
|冷《つめ》たき|雪《ゆき》も|何時《いつ》しかに  |溶《と》けて|嬉《うれ》しき|老夫婦《らうふうふ》
|宇都山川《うづやまがは》の|水《みづ》|温《ぬる》み  |枯木《かれき》も|青芽《あをめ》を|萌《ふ》き|出《だ》して
|軒端《のきば》の|梅《うめ》も|匂《にほ》ひ|初《そ》め  |谷《たに》の|戸《と》|開《あ》けて|鶯《うぐひす》の
|訪《おとづ》る|季節《きせつ》となりにける  |山《やま》と|山《やま》とに|包《つつ》まれし
|此処《ここ》は|世界《せかい》の|秘密郷《ひみつきやう》  |人《ひと》の|心《こころ》も|質朴《しつぼく》に
|宛然《さながら》|神代《かみよ》の|如《ごと》くなり  |時《とき》しもあれや|婆羅門《ばらもん》の
|神《かみ》の|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》  |鬼雲彦《おにくもひこ》の|残党《ざんたう》と
|世《よ》に|聞《きこ》えたる|友彦《ともひこ》が  |二十戸《にじつと》|許《ばか》りの|里人《さとびと》に
|霊主体従《れいしゆたいじう》を|標榜《へうぼう》し  |剣《つるぎ》を|渡《わた》り|火《ひ》を|渡《わた》り
|水底《みなそこ》|潜《くぐ》り|浮《う》き|沈《しづ》み  |鳥《とり》さへとまらぬ|茨室《いばむろ》に
|郷《さと》の|男女《なんによ》を|裸体《はだか》とし  |言葉《ことば》|巧《たくみ》に|説《と》きつけて
|身体《からだ》を|破《やぶ》る|曲《まが》の|行《ぎやう》  |足駄《あしだ》の|表《おも》に|釘《くぎ》を|打《う》ち
|穿《うが》ちて|歩《あゆ》む|村人《むらびと》は  |神《かみ》に|仕《つか》ふる|第一《だいいち》の
|清《きよ》き|御業《みわざ》と|迷信《めいしん》し  |心《こころ》を|痛《いた》め|身《み》を|痛《いた》め
|無理往生《むりわうじやう》の|嬉《うれ》し|泣《な》き  この|惨状《さんじやう》を|救《すく》はむと
|天《あめ》の|真浦《まうら》の|宣伝使《せんでんし》  |松鷹彦《まつたかひこ》が|賤《しづ》の|家《や》に
|長《なが》らく|足《あし》を|留《とど》めつつ  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|神《かみ》の|道《みち》
【うまら】に|委曲《つばら》に|説《と》きつれど  |迷《まよ》ひ|切《き》つたる|里人《さとびと》の
|肯《うけご》ふ|事《こと》とならずして  |迷《まよ》ひに|迷《まよ》ふ|憫《あは》れさよ。
|春《はる》は|漸《やうや》く|深《ふか》く、|菜種《なたね》の|花《はな》も【すげ】なく|散《ち》りて|青《あを》い|莢《さや》の|針《はり》をいただき、|大根《だいこん》の|花《はな》|遅《おく》れ|馳《ば》せ|乍《なが》ら|白《しろ》く|咲《さ》いてゐる。|一方《いつぱう》は|大川《おほかは》、|一方《いつぱう》は|田圃《たんぼ》で|挟《はさ》まれた|川堤《かはづつみ》の|松鷹彦《まつたかひこ》の|茅屋《ばうをく》さして|入《い》り|来《きた》る|四五人《しごにん》の|男女《なんによ》、
|甲《かふ》『ハイ|御免《ごめん》なさいませ』
|松鷹彦《まつたかひこ》『ヤアお|前《まへ》は|留公《とめこう》か。|大勢《おほぜい》|伴《づ》れで|血相《けつさう》|変《か》へて|何処《どこ》へ|行《ゆ》くのだ』
|留公《とめこう》『イヤ|何処《どこ》へも|行《ゆ》かぬ。|当家《たうけ》へ|村人《むらびと》の|代表者《だいへうしや》として、|吾々《われわれ》|五人《ごにん》がやつて|来《き》たのだ。|今日《けふ》は|確《しつか》りと|聞《き》いて|貰《もら》ひませう。お|前等《まへら》|夫婦《ふうふ》の|身《み》の|上《うへ》に|関《くわん》する|大問題《だいもんだい》だから』
|松鷹彦《まつたかひこ》『|大問題《だいもんだい》とはソラ|何《なん》だ。|又《また》|水《みづ》の|中《なか》で|河童《かつぱ》が|屁《へ》を|放《ひ》つたやうな|事《こと》を|針小棒大《しんせうぼうだい》に|言《い》つて|来《き》たのだらう』
|留公《とめこう》は|肩《かた》を|張《は》り、|腕《うで》を|捲《まく》り|捩鉢巻《ねぢはちまき》をし|乍《なが》ら、|半分《はんぶん》|許《ばか》り|逃《に》げ|腰《ごし》になつて、
|留公《とめこう》『オイお|前達《まへたち》、|道《みち》をサツと|開《あ》けて|置《お》けよ。【まさか】の|時《とき》に|邪魔《じやま》になると|困《こま》るから』
|松鷹彦《まつたかひこ》『なんだ|貴様《きさま》は|肩《かた》をいからし、|腕《うで》をまくり、よう|気張《きば》つたものだなア。|今《いま》からそれだけ|力一杯《ちからいつぱい》|出《だ》して|気張《きば》つて|居《を》ると、|力《ちから》の|原料《げんれう》が|欠乏《けつぼう》するぞ。|先《ま》づ【じつくり】せぬかい』
|留公《とめこう》は|少《すこ》し|肩《かた》の|角《かど》を|削《けづ》り、|手持無沙汰《てもちぶさた》にそつと|捲《まく》つた|腕《うで》を|隠《かく》す。
|松鷹彦《まつたかひこ》『なんだ|其《そ》の|鉢巻《はちまき》は。|他人《ひと》の|家《うち》へ|出《で》て|来《く》るのに、あまり|無作法《ぶさはふ》ぢやないか。|親《おや》の|仇敵《かたき》にでも|出会《であ》つたやうな|勢《いきほひ》だなア』
|留公《とめこう》『|親《おや》の|仇敵《かたき》どころかい。|大自在《だいじざいてん》|天大国彦《おほくにひこ》の|神様《かみさま》の、|最《もつと》も|大切《たいせつ》な|仇敵《かたき》をお|前《まへ》の|家《うち》に|匿《かく》まうて|居《を》るでないか。|其奴《そいつ》を|一《ひと》つ【ふん】|縛《じば》つて|帰《かへ》り、|友彦《ともひこ》の|宣伝使《せんでんし》の|御前《おんまへ》に|曳《ひ》き|据《す》ゑて、|相当《さうたう》の|処置《しよち》をつけるのだ。サア|爺《ぢい》、もう|斯《か》うなつた|以上《いじやう》は|隠《かく》しても|駄目《だめ》だ、キリキリと|宣伝使《せんでんし》を【おつ】|放《ぽ》り|出《だ》して|吾々《われわれ》に|渡《わた》すのだよ。ゴテゴテ|吐《ぬか》すと|村中《むらぢう》が|貴様《きさま》の|信用《しんよう》を|買《か》はないぞ。ボイコツトを|始《はじ》めるが、それでもいいか。さうすれば、|武志《たけし》の|宮《みや》の|宮司《みやづかさ》は、|足袋屋《たびや》の|看板《かんばん》|足上《あしあが》り、|鼻《はな》の|下《した》の|大旱魃《だいかんばつ》、|大恐慌《だいきようくわう》だ。|悪《わる》いことは|言《い》はないからさつさと|渡《わた》して|呉《く》れ。|老爺《おやぢ》の|身《み》に|取《と》つて|実《じつ》に|大切《たいせつ》な|場合《ばあひ》ぢやぞ。|焦頭爛額《せうとうらんがく》の|急場《きふば》と|言《い》ふのは|今《いま》のことだ。サア|早《はや》く|神妙《しんめう》に|宣伝使《せんでんし》を|吾々《われわれ》に|渡《わた》したがよからう。|里人《さとびと》の|代表者《だいへうしや》|留公《とめこう》の|言葉《ことば》に|二言《にごん》はないぞ。|覚悟《かくご》を|定《き》めて|返答《へんたふ》しろ』
|松鷹彦《まつたかひこ》『|何事《なにごと》かと|思《おも》へばそんな|事《こと》かい。ベラボウ|教《けう》のドモ|彦《ひこ》だな。|矢張《やつぱ》り|彼奴《あいつ》は|何時迄《いつまで》も|頑張《ぐわんば》つて|居《ゐ》るのかい。|遠《とほ》の|昔《むかし》に|宇都山《うづやま》の|里《さと》から|消滅《せうめつ》した|筈《はず》だが、オイ|留公《とめこう》、|此方《こちら》には|用《よう》が|無《な》いが|訊《たづ》ねたい|事《こと》があれば、|宣伝使《せんでんし》は|奥《おく》にチヤンと|祭《まつ》りこみてあるから、|友彦《ともひこ》と|云《い》ふ|御大将《おんたいしやう》を|此処《ここ》へ|連《つ》れて|来《こ》い。|及《およ》ばず|乍《なが》ら|松鷹彦《まつたかひこ》が|天地《てんち》の|道理《だうり》を|説《と》き|諭《さと》し、|友彦《ともひこ》の|身魂《みたま》を|浄《きよ》めて|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|真浦様《まうらさま》のお|伴彦《ともひこ》として|使《つか》つてやるから|早《はや》く|帰《かへ》つて|注進《ちうしん》|致《いた》せ』
|留公《とめこう》『|中々《なかなか》|老耄《おいぼれ》の|癖《くせ》に|俄《にはか》に|強《つよ》くなりやがつたな。オイお|春《はる》、お|弓《ゆみ》、|樽公《たるこう》、|捨公《すてこう》、|貴様等《きさまら》|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》してゐるのだ。|俺《おれ》と|一緒《いつしよ》に|奥《おく》へ|踏《ふ》んごみ、|宣伝使《せんでんし》を【ふん】|縛《じば》つて|帰《かへ》らうぢやないか。こんな|奴《やつ》が|此《こ》の|結構《けつこう》な|里《さと》に|来《き》やがつて、|三五教《あななひけう》とかを|説《と》きやがるものだから、この|御天道様《おてんだうさま》の|色《いろ》を|見《み》よ。|御機嫌《ごきげん》が|悪《わる》うて|黒《くろ》い|雲《くも》が|出《で》て|居《を》るぢやないか。|御天道《おてんだう》さまのお|気《き》に|入《い》らぬ|奴《やつ》が|此《こ》の|里《さと》へ|来《く》ると、|何時《いつ》も|黒《くろ》い|雲《くも》が|出《で》ると|云《い》ふことだ。|二三日前《にさんにちまへ》から|人《ひと》の|尾峠《をたうげ》の|頂《いただ》きに、|真黒《まつくろ》けの|鍋墨《なべずみ》のやうな|雲《くも》が|現《あら》はれたのも、|全《まつた》くお|前達《まへたち》が|仕様《しやう》も|無《な》い|奴《やつ》を|宿《と》めて|居《を》るからだ。バラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》|友彦《ともひこ》さまの|御示《おしめ》しだぞ』
|奥《おく》の|間《ま》より|真浦《まうら》の|声《こゑ》として、|涼《すず》しき|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》|聞《きこ》え|来《き》たる。
『|天教山《てんけうざん》に|現《あら》はれし  |木花姫《このはなひめ》の|分霊《わけみたま》
|玉照彦《たまてるひこ》や|玉照姫《たまてるひめ》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|朝夕《あさゆふ》に
|心《こころ》を|清《きよ》め|身《み》を|浄《きよ》め  |仕《つか》へ|給《たま》へる|丹波《あかなみ》の
|国《くに》の|真秀良場《まほらば》ただなはる  |青垣山《あをがきやま》を|繞《めぐ》らせる
|真中《まなか》に|立《た》てる|世継王山《よつわうざん》  |御稜威《みいづ》も|高《たか》く|照山《てらやま》の
|袂《たもと》にひらく|神《かみ》の|苑《その》  |錦《にしき》の|宮《みや》の|最聖《いときよ》き
|心《こころ》の|花《はな》も|咲耶姫《さくやひめ》  |彦火々出見《ひこほほでみ》の|二柱《ふたはしら》
|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》や  |豊国姫《とよくにひめ》の|大神《おほかみ》の
|厳《いづ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて  |天地《てんち》にさやる|曲津神《まがつかみ》
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜狐《しこぎつね》  バラモン|教《けう》に|立籠《たてこも》る
|醜《しこ》の|曲鬼《まがおに》|言向《ことむ》けて  |此《この》|世《よ》を|清《きよ》め|澄《すま》さむと
|七十五声《しちじふごせい》の|言霊《ことたま》を  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|宣《の》り|出《い》でて
|教司《をしへつかさ》を|招《よ》び|集《つど》へ  |言依別《ことよりわけ》を|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|柱《はしら》と【つき】|立《た》てて  |錦《にしき》の|機《はた》の|御経綸《おんしぐみ》
|開《ひら》かせ|給《たま》ふ|常磐木《ときはぎ》の  われは|小《ちひ》さき|者《もの》なれど
|神《かみ》の|恵《めぐみ》を|蒙《かうむ》りし  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|天《あめ》の|真浦《まうら》の|命《みこと》ぞや  |高天原《たかあまはら》を|立《た》ち|出《い》でて
|雲霧《くもきり》|分《わ》けて|降《くだ》り|来《く》る  |人《ひと》の|尾山《をやま》は|高《たか》くとも
|宇都山川《うづやまがは》は|深《ふか》くとも  |如何《いか》で|及《およ》ばむ|神《かみ》の|徳《とく》
バラモン|教《けう》の|友彦《ともひこ》が  |舌《した》の|剣《つるぎ》に|操《あやつ》られ
|神《かみ》よりうけし|生血《いきち》をば  |滝《たき》の|如《ごと》くに|流《なが》し|居《を》る
|哀《あは》れ|果敢《はか》なき|里人《さとびと》を  |諭《さと》して|誠《まこと》の|大道《おほみち》に
|救《すく》はむための|鹿島立《かしまだち》  |武志《たけし》の|宮《みや》に|立寄《たちよ》りて
しばし|憩《やす》らふ|折柄《をりから》に  |宮《みや》の|司《つかさ》の|松鷹彦《まつたかひこ》
|現《あら》はれ|来《きた》り|吾々《われわれ》を  これの|伏家《ふせや》に|伴《ともな》ひて
|朝夕《あさゆふ》|唱《とな》ふる|太祝詞《ふとのりと》  |神《かみ》の|恵《めぐ》みもいやちこに
|五風十雨《ごふうじふう》の|順序《ついで》よく  |花《はな》は|梢《こずゑ》に|咲《さ》き|乱《みだ》れ
|梅《うめ》の|蕾《つぼみ》はさわさわに  |枝《えだ》もたわわに|重《かさ》なり|合《あ》ひ
|見渡《みわた》す|限《かぎ》り|野《の》も|山《やま》も  |色《いろ》|蒼々《あをあを》と|栄《さか》え|行《ゆ》く
|神《かみ》の|恵《めぐ》みを|目《ま》の|当《あた》り  |眺《なが》め|乍《なが》らに|汝等《いましら》は
|何《なに》を|狼狽《うろた》へ|騒《さわ》ぐぞよ  |一時《いちじ》も|早《はや》く|立帰《たちかへ》り
|汝《なんぢ》が|親《おや》と|頼《たの》み|居《ゐ》る  バラモン|教《けう》の|友彦《ともひこ》を
わが|目《め》の|前《まへ》に|伴《つ》れ|来《きた》り  |天《あめ》と|地《つち》とを|守《まも》ります
|誠《まこと》の|神《かみ》の|御心《みこころ》を  【うまら】に|委曲《つばら》に|説《と》き|諭《さと》し
|汝等《なんぢら》|里人《さとびと》|悉《ことごと》が  |眠《ねむ》れる|眼《まなこ》を|醒《さ》まさなむ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |我《わが》|宗門《しうもん》の|神力《しんりき》は
|如何《いか》に|強《つよ》しと|誇《ほこ》るとも  |誠《まこと》|一《ひと》つの|言霊《ことたま》の
|幸《さちは》ひ|助《たす》くる|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》に|比《くら》ぶれば
|月《つき》に|鼈《すつぽん》|雲《くも》に|泥《どろ》  |天地《てんち》の|差別《けじめ》あることを
|洩《も》らさず|落《おと》さず|細《こま》やかに  |教《をし》へて|呉《く》れむ|里人《さとびと》よ
|神代《かみよ》ながらの|里人《さとびと》よ  |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》  |唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し  |世《よ》の|過《あやま》ちを|宣《の》り|直《なほ》す
|神《かみ》の|教《をしへ》に|省《かへり》みて  |天地《てんち》の|道《みち》を|誤《あやま》りし
|深《ふか》き|罪《つみ》をも|差赦《さしゆる》し  |高天原《たかあまはら》の|神国《かみぐに》の
|教《をしへ》の|御子《みこ》と|何時迄《いつまで》も  |心《こころ》に|安《やす》きを|与《あた》ふべし
|栄《さか》えの|花《はな》は|永久《とは》に|咲《さ》く  |高天原《たかあまはら》の|神《かみ》の|子《こ》と
|生《うま》れ|変《かは》りし|其《その》|上《うへ》は  |此《この》|世《よ》に|恐《おそ》るるものは|無《な》し
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
|留公《とめこう》|其《その》|他《た》の|里人《さとびと》を  |安《やす》きに|救《すく》ひ|給《たま》へかし
アヽ|留公《とめこう》よ|里人《さとびと》よ  |友彦《ともひこ》|伴《ともな》ひ|早来《はやきた》れ
|天《あめ》の|真浦《まうら》の|神司《かむづかさ》  |襟《えり》を|正《ただ》して|待暮《まちくら》す
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|屋外《をくぐわい》に|響《ひび》く|竜声《りうせい》に|留公《とめこう》|始《はじ》め|四人《よにん》の|男女《なんによ》は、
『ヤア|大変《たいへん》だ。|頭《あたま》が|痛《いた》い、|胸《むね》が|苦《くる》しい。|一先《ひとま》づ|此《この》|家《や》を|立去《たちさ》り、|友彦《ともひこ》の|宣伝使《せんでんし》に|注進《ちうしん》せむ』
と|大麦《おほむぎ》、|小麦《こむぎ》、|豌豆《えんどまめ》、|蚕豆畑《そらまめばたけ》を|踏躙《ふみにじ》り、|周章狼狽《あわてふため》き|帰《かへ》り|往《ゆ》く。
|松鷹彦《まつたかひこ》『|此《こ》の|村《むら》は|質朴《しつぼく》な|代《かは》りに|理解力《りかいりよく》が|無《な》いので|困《こま》る。|信仰《しんかう》も|結構《けつこう》だが|無理解《むりかい》な|信仰《しんかう》にああ|堅《かた》くなつては、|何《ど》うにも|斯《か》うにも|手《て》の|付《つ》け|方《かた》が|無《な》い。まるで|鉄《てつ》を|以《もつ》て|固《かた》めた|城壁《じやうへき》に|向《むか》つて、|無手《むて》で|子供《こども》が|襲撃《しふげき》するやうなものだ。アヽ|何《ど》うしたら|彼等《かれら》の|目《め》を|醒《さま》す|事《こと》が|出来《でき》ようかなア。|斯《か》う|云《い》ふ|時《とき》に|不言実行《ふげんじつかう》の|教理《けうり》を|徹底的《てつていてき》に|発揮《はつき》して|欲《ほ》しいものだ。|広《ひろ》い|世界《せかい》には|何処《どこ》かに、|一人《ひとり》や|半分《はんぶん》|位《くらゐ》|天《てん》から|溢《こぼ》れて|来《き》て|居《を》り|相《さう》なものだなア』
と、わざと|奥《おく》の|間《ま》に|聞《きこ》えよがしに、
『ナアお|竹《たけ》』
と|婆《ば》アに|向《むか》つて|話《はな》しかけたればお|竹《たけ》はウナヅイて、
『さうですな、|随分《ずゐぶん》いろいろの|神様《かみさま》の|教《をしへ》もあり、|宣伝使《せんでんし》も|沢山《たくさん》ありますが、どれもこれも|言葉《ことば》の|花《はな》の|山吹《やまぶき》ばつかりで、|実《み》の【のつた】|例《ためし》は|無《な》い。あれだけ|近《ちか》くにバラモンが|跋扈《ばつこ》して|居《を》るのだから、|何《なん》とかして|彼《あ》の|様《やう》な|惨酷《ざんこく》な|教《をしへ》を|根底《こんてい》より|転覆《てんぷく》させ、せめて|此《こ》の|村《むら》だけなりと|助《たす》けて|呉《く》れる|真人《しんじん》が|現《あら》はれ|相《さう》なものだなア』
とお|竹《たけ》も|亦《また》|爺《ぢぢ》の|言葉尻《ことばじり》について、|奥《おく》の|間《ま》に|聞《き》けよがしに|言《い》つてゐる。|真浦《まうら》は|之《これ》を|聞《き》くや|否《いな》や、|奥《おく》の|間《ま》の|戸《と》を、|音《おと》させじとソツと|開《ひら》き、スタスタと|宇都山《うづやま》の|里《さと》を|目《め》ざして|走《はし》り|行《ゆ》く。
|留公《とめこう》の|離《はな》れ|座敷《ざしき》に|陣取《ぢんど》つて|日夜《にちや》|怪気焔《くわいきえん》を|吐《は》き|里人《さとびと》を|煙《けぶり》に|捲《ま》いてゐるバラモン|教《けう》の|友彦《ともひこ》は、|松鷹彦《まつたかひこ》の|茅屋《ばうをく》に|遣《つか》はしたる|使《つかひ》の|帰《かへ》り|来《く》るを、|今《いま》や|遅《おそ》しと|首《くび》を|長《なが》くして|日当《ひあた》りのよい|角窓《かくまど》から|覗《のぞ》いてゐる。|倒《こ》けつ|転《まろ》びつ、ハーハー、スースーと|息《いき》を|喘《はず》ませ|帰《かへ》り|来《く》る|留公《とめこう》|一行《いつかう》の|姿《すがた》を|見《み》るより、|友彦《ともひこ》は、
|友彦《ともひこ》『ヤア|待《ま》ち|兼《か》ねた。|様子《やうす》は|如何《どう》だ。|早《はや》く|返答《へんたふ》|聞《き》かして|呉《く》れ』
|留公《とめこう》『イヤもう|暗雲《あんうん》|低迷《ていめい》、|前途《ぜんと》|暗黒《あんこく》、|収拾《しうしふ》すべからざる|形勢《けいせい》で|御座《ござ》いました。この|留公《とめこう》が|深遠微妙《しんゑんびめう》の|言霊《ことたま》に|依《よ》つて、|漸《やうや》く|騒乱《さうらん》|鎮静《ちんせい》の|曙光《しよくわう》を|認《みと》めました』
|友彦《ともひこ》『アヽさうか、それは|大儀《たいぎ》であつたのう』
お|春《はる》『モシモシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|全《まつた》くですよ。|全《まつた》くは|全《まつた》くだが|零敗《ゼロはい》の|大当違《おほあてちが》ひ、|夜食《やしよく》に|外《はづ》れた|梟鳥《ふくろどり》の|憫《あは》れ|儚《はか》なき|列《れつ》を|乱《みだ》した|頓狂《とんきやう》|振《ぶ》り、|実《じつ》に|目《め》も|当《あ》てられぬ|惨状《さんじやう》でしたワ』
|留公《とめこう》『コラコラ|女《をんな》の|差出《さしで》るところでない。|黙《だま》つて|物言《ものい》へ。それだから|女《をんな》に|大事《だいじ》は|明《あ》かされぬと|昔《むかし》の|聖人《せいじん》が|云《い》つたのだ』
|友彦《ともひこ》『|一体《いつたい》|何方《どちら》が|本当《ほんたう》だ。|吉《きち》か|凶《きよう》か、|天《てん》か|地《ち》か、|月《つき》か|鼈《すつぽん》か、|雪《ゆき》か|炭《すみ》か』
お|春《はる》『|鼈《すつぽん》に|炭《すみ》の|様《やう》なものです。|爺《ぢい》さま、|中々《なかなか》の|剛情者《がうじやうもの》で|村中《むらぢう》の|協議《けふぎ》の|結果《けつくわ》を|一《いち》も|二《に》もなく|退《しりぞ》け、|青瓢箪《あをべうたん》のやうなヘボ|宣伝使《せんでんし》の|加勢《かせい》ばつかりやつて|居《ゐ》ます。さうして|奥《おく》の|間《ま》から|何百人《なんびやくにん》とも|知《し》れぬ|大《おほ》きな|声《こゑ》を|揃《そろ》へて、|照《て》るとか|曇《くも》るとか|歌《うた》ひ|居《を》つた。|其《そ》の|声《こゑ》に|私《わたし》|達《たち》の|結構《けつこう》な|笠《かさ》の|台《だい》は|忽《たちま》ち|地異天変《ちいてんぺん》、|目《め》は|暈《ま》ふ、|鼻《はな》はうづく、|口《くち》は|自然《しぜん》に|弛《ゆる》んで|下顎《したあご》が|乳《ちち》の|辺《あたり》まで|垂下《すゐか》する、|胸《むね》は|早鐘《はやがね》をつく|消防夫《せうばうふ》は|駆出《かけだ》す、|纏《まとひ》はガサガサ チヤンチヤン』
|友彦《ともひこ》『オイオイ|貴様《きさま》|何《なに》を|言《い》つてゐるのだ。|何処《どこ》へ|行《い》つて|来《き》たのだ』
|留公《とめこう》『ハイ|一寸《ちよつと》|小火《ぼや》があつたものですから』
お|春《はる》『|留《とめ》さま、|何《なに》をボヤボヤして|居《を》るのだ。|火事《くわじ》つたら|何処《どこ》にあつたのだい』
|留公《とめこう》『エー|貴様《きさま》の|見《み》えない、|遠《とほ》い|遠《とほ》い|神霊界《しんれいかい》に|無形《むけい》の|火事《くわじ》があつたのだよ。|霊眼《れいがん》の|開《ひら》けないデモ|信者《しんじや》の|窺知《きち》し|得《う》る|限《かぎ》りでないワイ。|女《をんな》だてらブカブカと|此《こ》の|場面《ばめん》に|浮《う》き|出《だ》して|水《みづ》をさすよりも|女《をんな》らしう|暫《しば》らく|沈艇《ちんてい》をしてゐて|呉《く》れ』
|友彦《ともひこ》『アハアお|前《まへ》たちはフの|字《じ》だな』
お|春《はる》『フの|字《じ》ですとも、それはそれは|麩《ふ》のやうな|腑抜《ふぬ》け|魂《だま》ですよ。|戦況《せんきやう》を|詳細《しやうさい》に|報告《はうこく》|致《いた》しませうか』
|留公《とめこう》『オイ|敗軍《はいぐん》の|将《しやう》は|兵《へい》を|語《かた》らずだ。|弱虫《よわむし》は|弱虫《よわむし》らしう|控《ひか》へて|居《を》らう』
|斯《か》く|争《いさか》ふ|所《ところ》へ、スタスタと|現《あら》はれて|来《き》た|一人《ひとり》の|男《をとこ》、|鍬《くは》をかたげ|頬被《ほほかぶ》りをし|乍《なが》ら、
|男《をとこ》『|留《とめ》さん、|一寸《ちよつと》|外《そと》へ|出《で》て|下《くだ》さい。|俺《おれ》ん|所《とこ》の|大事《だいじ》な|赤子《あかご》を|踏《ふ》み|殺《ころ》しやがつて、|如何《どう》して|呉《く》れるのだい』
|留公《とめこう》『|貴様《きさま》の|家《いへ》に|赤子《あかご》があるのか。|何時《いつ》の|間《ま》に|子《こ》を|産《う》んだのだ。|嬶《かかあ》も|無《な》い|癖《くせ》に|如何《どう》して|赤子《あかご》を|踏《ふ》まれる|道理《だうり》があるか』
|男《をとこ》『|有《あ》らいでか、|有《あ》りやこそ|言《い》うて|来《き》たのだ。|嘘《うそ》と|思《おも》ふなら|俺《おれ》ん|所《とこ》の|畑《はたけ》までやつて|来《こ》い。さうしたら|一目瞭然《いちもくれうぜん》|貴様《きさま》も|成程《なるほど》と|合点《がつてん》がいくだらう』
|留公《とめこう》『|赤子《あかご》の|三《みつ》つや|五《いつ》つ|踏《ふ》み|殺《ころ》したつて、なんだい。|此《こ》の|村《むら》は|今《いま》や|地異天変《ちいてんぺん》の|最中《さいちう》だ。ちつと|位《くらゐ》|辛抱《しんばう》して|作戦《さくせん》の|用意《ようい》にかからねばならぬだないか。|悠々《いういう》と|野良《のら》へ|出《で》て|仕事《しごと》をして|居《を》る|場合《ばあひ》ぢやない。|挙国《きよこく》|一致《いつち》で|敵《てき》に|当《あた》らねばならぬ|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|場合《ばあひ》だぞ』
|男《をとこ》『それでも|貴重《きちよう》な|赤子《あかご》を|捨《す》ててまで|馬鹿《ばか》らしい、|斯《こ》んな|戦争《せんそう》が|出来《でき》るかい。|婦人国有論《ふじんこくいうろん》が|起《おこ》つて|赤子《あかご》を|一人《ひとり》でも|殖《ふ》やさにやならぬ|時《とき》に、|二十《にじふ》も|三十《さんじふ》も|踏《ふ》み|殺《ころ》されてたまるものかい』
|留公《とめこう》『|貴様《きさま》|鼠《ねずみ》のやうな|奴《やつ》だな。|沢山《たくさん》な|赤子《あかご》を|如何《どう》して|産《う》んだのだい。あまり|仕様《しやう》も|無《な》い|種子《たね》を|蒔《ま》くと、|米《こめ》が|騰貴《とうき》して|国家的《こくかてき》|破産《はさん》を|来《きた》さねばならぬやうになるぞ。|産児《さんじ》|制限《せいげん》の|問題《もんだい》が|喧《やかま》しい|時《とき》だ。|俺《おれ》が|踏《ふ》み|殺《ころ》したのも|国家《こくか》の|為《た》めだよ』
|男《をとこ》『|天地《てんち》の|大神様《おほかみさま》の|御恵《みめぐ》みで、やうやうと|芽《め》をふき、|葉《は》も|出来《でき》、|花《はな》も|一寸《ちよつと》|咲《さ》きかけたとこだ。それを|貴様《きさま》が|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》に|驚《おどろ》き|慌《あわ》てて、|広《ひろ》い|道路《みち》があるのに|俺《おれ》ん|所《とこ》の|芋畑《いもばたけ》を|通《とほ》りやがつて、|三度芋《さんどいも》の|赤子《あかご》をすつかり|踏割《ふみわ》つて|了《しま》ひやがつた』
|留公《とめこう》『|何《なに》を|吐《ぬか》しやがるのだい。|俺《おれ》は|又《また》|人間《にんげん》の|赤子《あかご》だと|早合点《はやがつてん》して、|聊《いささ》か|同情《どうじやう》の|涙《なみだ》にくれて|居《を》つたのだ。|貴様《きさま》の|芋畑《いもばたけ》を|通《とほ》つたものは|俺《おれ》ばかりぢやないぞ、|五人《ごにん》も|居《を》るのだから、そりや|大方《おほかた》|人違《ひとちがひ》だらう』
|男《をとこ》『|馬鹿《ばか》|言《い》ふな、|足型《あしがた》でよく|分《わか》つて|居《を》る。|六本《ろつぽん》も|指《ゆび》のある|奴《やつ》は、|此《この》|村《むら》には|貴様《きさま》|一人《ひとり》より|無《な》いのだ。|指《ゆび》の|型《かた》が|証拠《しようこ》だ。モシモシ バラモン|教《けう》の|先生《せんせい》、あんなことをしても|神様《かみさま》は|許《ゆる》されますか。|私《わたくし》は|何時《いつ》も|貴方《あなた》の|御話《おはなし》を|聞《き》いてゐますが、|畔放《あはな》ちの|罪《つみ》と|云《い》ふことは|大変《たいへん》な|重《おも》い|罪《つみ》だ。そんなことを|致《いた》したものは|直《ただち》にバラモン|教《けう》を|破門《はもん》すると|仰有《おつしや》いましたなア』
|友彦《ともひこ》『それは|何時《いつ》も|言《い》うて|居《ゐ》る|通《とほ》りだ。オイ|留公《とめこう》、お|前《まへ》は|今日《けふ》|限《かぎ》り|破門《はもん》する。|併《しか》し|乍《なが》ら|明日《あす》は|又《また》|明日《あす》のことだ。|兎《と》も|角《かく》|教《をしへ》が|許《ゆる》さぬから|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》つたがよからう』
|留公《とめこう》『エー|置《お》きやがれ、|今《いま》まで|先生《せんせい》|々々《せんせい》と|崇《あが》めてやれば、|好《い》い|気《き》になりやがつて、なんだい|芋種子《いもだね》の|二十《にじふ》や|三十《さんじふ》|踏《ふ》み|躙《にじ》つたと|言《い》つて、それがそれ|程《ほど》|悪《わる》いのか。|芋《いも》と|人間《にんげん》と|何方《どちら》が|貴《たつと》い、|芋《いも》よりも|安《やす》く|見《み》られるのなら、|俺《おれ》も|此方《こちら》から|破門《はもん》だ。|其《そ》の|代《かは》りにタツタ|今《いま》|頭《あたま》の|痛《いた》い、|胸《むね》の|苦《くるし》い|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》つて、|天《あめ》の|真浦《まうら》とか|云《い》ふ|偉《えら》い|生神様《いきがみさま》がやつて|来《く》るから、その|時《とき》に|犬突這《いぬつくば》ひになつて、ベソをかかぬやうに|用心《ようじん》せい。これが|俺《おれ》の|別《わか》れのお|土産《みやげ》だ。オイお|春《はる》、|貴様《きさま》も|好《よ》い|加減《かげん》に|目《め》を|醒《さま》せ。|俺《おれ》はこれから|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》に|御味方《おみかた》するのだ』
と|言《い》ひ|捨《す》て、|一目散《いちもくさん》に|駆出《かけだ》した。
(大正一一・五・一二 旧四・一六 外山豊二録)
第三章 |山河不尽《さんがふじん》〔六六五〕
|留公《とめこう》はドンドンと|地響《ぢひび》きさせ|乍《なが》ら|性凝《しやうこ》りもなく|芋畑《いもばたけ》の|赤子《あかご》を|御丁寧《ごていねい》に|再《ふたた》び|蹂躙《ふみにじ》り、『エイ、|此《この》|芋《いも》の|野郎《やらう》、|俺《おれ》に|影響《えいきやう》を|及《およ》ぼしやがつた、|芋《いも》だつて|油断《ゆだん》のならぬものだ、エヽもう|斯《か》うなる|上《うへ》は|善《い》【いも】、|悪《わる》【いも】、|恐《こは》【いも】、|可愛《かはい》【いも】、|難《むつ》かし【いも】、|嬉《うれ》し【いも】、|悲《かな》し【いも】あつたものかい、|三度芋《さんどいも》の|野郎《やらう》、|何処《どこ》までも|六本《ろつぽん》の|指《ゆび》で|蹂躙《じうりん》してやらう。アタ【いも】いもしい』
と|足《あし》に|力《ちから》を|入《い》れて|心《こころ》ゆく|許《ばか》り|踏《ふ》み|砕《くだ》いて|居《を》る。そこへ|走《はし》つて|来《き》たのは|真浦《まうら》の|宣伝使《せんでんし》、|此《この》|態《てい》を|見《み》て、
|真浦《まうら》『|留《とめ》さん、|何《なに》をして|居《ゐ》なさる』
|留公《とめこう》『|之《これ》はしたり、|大変《たいへん》な|所《とこ》を|発見《はつけん》されました。|然《しか》し|何卒《どうぞ》もう|宣伝歌《せんでんか》|丈《だ》けは|許《ゆる》して|下《くだ》さい、|頭《あたま》の|数《かず》が|幾《いく》つにも|分家《ぶんけ》する|様《やう》な|心持《こころもち》がしますから……』
|真浦《まうら》『よしよし|嫌《いや》とあれば|沈黙《ちんもく》しませう、|然《しか》し|今《いま》お|前《まへ》の|踏《ふ》んで|居《ゐ》るのは|芋《いも》ではないか』
|留公《とめこう》『ハイ、|物価《ぶつか》|騰貴《とうき》の|今日《こんにち》、|斯《か》う|沢山《たくさん》に|赤子《あかご》が|殖《ふ》えては、|第一《だいいち》|国民《こくみん》が|食糧《しよくりやう》に|困《こま》ります。|三度芋《さんどいも》と|云《い》つて|年《ねん》に|三度《さんど》も|子《こ》を|生《う》む|奴《やつ》ぢや、|産児《さんじ》|制限《せいげん》の|為《た》めにサンガー|夫人《ふじん》がやつて|来《き》て、|今《いま》|此処《ここ》に|大活動《だいくわつどう》を|開始《かいし》した|所《とこ》ですよ。|何卒《どうぞ》|大目《おほめ》に|見《み》て|上陸《じやうりく》を|拒否《きよひ》せない|様《やう》に|願《ねが》ひます、アハヽヽヽ』
|真浦《まうら》『そんな|事《こと》しては|困《こま》るぢやないか、|天津御空《あまつみそら》の|星《ほし》の|数《かず》|程《ほど》|人《ひと》を|殖《ふ》やし、|浜《はま》の|真砂《まさご》の|数《かず》|程《ほど》|赤子《あかご》を|生《う》まねばならぬ|神様《かみさま》のお|道《みち》ぢや、|生成化育《せいせいくわいく》の|大道《だいだう》を|無視《むし》してその|様《やう》な|乱暴《らんばう》な|事《こと》をして|良《よ》いものか』
|留公《とめこう》『|私《わたくし》は|之《これ》が|国家《こくか》の|経済上《けいざいじやう》から|見《み》ても、|人類共存上《じんるゐきようぞんじやう》の|学理《がくり》から|考《かんが》へても|最《もつと》も|神《かみ》の|意志《いし》に|適《てき》した|良法《りやうはふ》だと|確信《かくしん》して|居《ゐ》ます。|何卒《なにとぞ》|私《わたくし》の|演説《えんぜつ》を|一《ひと》つ|聞《き》いて|見《み》なさい、|能《よ》く|徹底《てつてい》して|居《ゐ》ますよ』
|真浦《まうら》『|演説《えんぜつ》は|中止《ちゆうし》、|否《いな》|絶対《ぜつたい》に|解散《かいさん》を|命《めい》じます』
|斯《かか》る|処《ところ》へ|以前《いぜん》の|男《をとこ》、|鍬《くは》を|担《かた》げ|乍《なが》ら|怒髪《どはつ》|天《てん》を|衝《つ》いて|走《はし》り|来《きた》り、
|男《をとこ》『こらこら|又《また》しても|大切《だいじ》の|大切《だいじ》の|赤子《あかご》を|殺《ころ》すのか』
|留公《とめこう》『オヽ、バラモン|教《けう》と|取換《とつか》へこして|迄《まで》、|赤子《あかご》を|征伐《せいばつ》する|覚悟《かくご》をきめたのだから、|何《なん》と|云《い》つても|中止《ちうし》はせない。マア|之《これ》も|前世《ぜんせ》の|因縁《いんねん》だと|諦《あきら》めて|鄭重《ていちよう》に|弔《とむら》ひでもしてやるが|良《よ》からう』
|男《をとこ》は|怒《いか》り|心頭《しんとう》に|達《たつ》し|鍬《くは》を|真向《まつかう》に|翳《かざ》し|留公《とめこう》の|頭《あたま》を|目蒐《めが》けて|打《う》ち|下《お》ろした。|留公《とめこう》はヒラリと|体《たい》を|躱《かは》した|機《はずみ》に、|鍬《くは》は|外《そ》れて|真浦《まうら》の|足《あし》の|小指《こゆび》を|斬《き》り|落《おと》した。|真浦《まうら》は|顔《かほ》を|顰《しか》め|落《お》ちた|指《ゆび》を|手早《てばや》く|拾《ひろ》つて|傷口《きずぐち》にあてた。|指《ゆび》は|其《その》|儘《まま》に|密着《みつちやく》した。|余《あま》り|慌《あは》てたと|見《み》えて|小指《こゆび》の|先《さき》は|裏表《うらおもて》に|付《つ》けて|仕舞《しま》つた。|之《これ》|迄《まで》は|真浦《まうら》に|対《たい》し|守彦《もりひこ》と|云《い》ふ|名《な》が|付《つ》いて|居《ゐ》たが|茲《ここ》に|初《はじ》めて|真浦《まうら》と|云《い》ふ|名《な》が|出来《でき》たのである。
|男《をとこ》『|之《これ》は|之《これ》は|失礼《しつれい》な|事《こと》を|致《いた》しました、|何卒《どうぞ》|赦《ゆる》して|下《くだ》さいませ。|勿体《もつたい》ない、|宣伝使《せんでんし》の|指《ゆび》を|斬《き》るなんて……|私《わたくし》は|如何《どう》して|此《この》|罪《つみ》を|贖《あがな》うたら|宜《よろ》しいでせう、|神界《しんかい》に|対《たい》して|取返《とりかへ》しのならん|不調法《ぶてうはふ》を|致《いた》しました』
と|泣《な》き|沈《しづ》む。
|留公《とめこう》『|世界《せかい》を|救《たす》ける|生神《いきがみ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》だ。|指《ゆび》の|一本《いつぽん》や|手《て》の|半本《はんぼん》|位《くらゐ》|取《と》れたとて、そんな|事《こと》で|弱《こた》へる|様《やう》では|宣伝使《せんでんし》ぢやない。それよりも|貴様《きさま》の|所《とこ》の|赤子《あかご》の|生命《いのち》、|随分《ずゐぶん》|無残《むざん》な|事《こと》になつたものだのう』
|男《をとこ》『|之《これ》だけ|丹精《たんせい》を|凝《こ》らして|作《つく》つた|芋種《いもだね》を|台《だい》なしにして|置《お》き|乍《なが》ら、まだ|業託《ごふたく》を|吐《ほざ》きやがるか。エーもう|堪忍袋《かんにんぶくろ》の|緒《を》がきれた、|覚悟《かくご》をせよ』
と|又《また》もや|鍬《くは》を|振《ふ》り|翳《かざ》し|留公《とめこう》に|迫《せま》る。|宣伝使《せんでんし》は|此《この》|鍬《くは》の|柄《え》を|確《しか》と|受止《うけと》め、
|真浦《まうら》『マアマアお|待《ま》ちなさい、|短気《たんき》は|損気《そんき》だ。|芋《いも》も|大切《たいせつ》だが|人《ひと》の|生命《いのち》も|大切《たいせつ》だ』
|男《をとこ》『|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|自分《じぶん》の|産《う》んだ|子《こ》も|同然《どうぜん》に|肥料《こえ》を|掛《か》けたり、|草《くさ》を|引《ひ》いたり、|色々《いろいろ》と|世話《せわ》をして|来《き》た|可愛《かはい》い|芋《いも》の|子《こ》、それをムザムザ|踏《ふ》み|潰《つぶ》されて……|育《そだ》ての|親《おや》が|如何《どう》して|黙《だま》つて|居《を》れませう。|芋《いも》は|芋《いも》だけの|精霊《せいれい》が|宿《やど》つて|居《ゐ》る。|屹度《きつと》|苦《くる》しんで|居《を》るでせう。|可哀相《かあいさう》に……|此《この》|赤子《あかご》は|誰《たれ》に|此《この》|無念《むねん》を|訴《うつた》へる|事《こと》が|出来《でき》ませう、|私《わたくし》が|怒《いか》つてやらねば|此《この》|赤子《あかご》は|能《よ》う|浮《うか》びますまい……アヽ|芋《いも》の|子《こ》よ、|可憐相《かはいさう》な|者《もの》だが、もう|斯《か》うなつては|仕方《しかた》が|無《な》い、|俺《おれ》が|之《これ》からお|前《まへ》の|冥福《めいふく》を|祈《いの》つてやるから|心《こころ》|残《のこ》さずに|幽冥界《いうめいかい》に|旅立《たびだち》して|安楽《あんらく》に|暮《くら》してくれ、アンアン』
と|態《わざ》と|男泣《をとこな》きに|泣《な》き|立《た》てる。
|留公《とめこう》『アハヽヽヽ、それだから|田吾作《たごさく》、|貴様《きさま》は|馬鹿《ばか》だと|云《い》ふのだよ、それ|程《ほど》|可愛《かはい》い|芋《いも》なら|大《おほ》きうなつた|奴《やつ》を|何故《なぜ》|釜煎《かまいり》にしたり|庖丁《はうちやう》にかけて|喰《く》ふのだ。そんな|矛盾《ほことん》な|事《こと》を|云《い》ふからキ|印《じるし》だと|云《い》はれるのだ。モシ|宣伝使《せんでんし》さま、ちつと|理屈《りくつ》が|合《あ》はぬぢやありませぬか』
としたり|顔《がほ》に|云《い》ふ。
|田吾作《たごさく》『それはそうだけれど……|何《なん》だか|可憐相《かはいさう》で|仕方《しかた》が|無《な》い|哩《わい》、|西《にし》も|東《ひがし》も|知《し》らぬ|弱《よわ》い|赤子《あかご》を|無残《むざん》にも|斯《こ》んなに|虐殺《ぎやくさつ》すると|云《い》ふ|事《こと》があるものか、|芋《いも》は|芋《いも》としての|寿命《じゆみやう》がある|筈《はず》だ。|秋《あき》が|来《き》て|蔓《つる》が|枯《か》れた|時《とき》は|寿命《じゆみやう》の|尽《つ》きた|時《とき》だ、そこで|喰《く》ふのなら|芋《いも》も|得心《とくしん》するであらう、|折角《せつかく》お|前《まへ》も|生《うま》れて|来《き》て|不運《ふうん》な|奴《やつ》だのう』
と|又《また》も|涙含《なみだぐ》む。
|留公《とめこう》『オイ|田吾作《たごさく》、|貴様《きさま》は|人《ひと》の|命《いのち》が|大切《たいせつ》か、|芋《いも》の|子《こ》が|大切《たいせつ》か、|何方《どちら》を|主《しゆ》とするのだ』
|田吾作《たごさく》『きまつた|事《こと》よ、|貴様《きさま》は|芋《いも》で|譬《たとへ》たら|良《よ》い|喰《くら》ひ|頃《ごろ》だ。|此《この》|世《よ》に|最早《もはや》|用《よう》の|無《な》い|代物《しろもの》だから|別《べつ》に|惜《を》しくも|無《な》ければ、|国家《こくか》の|損失《そんしつ》でも|無《な》い。|却《かへ》つて|社会《しやくわい》の|塵埃《ごもく》|掃除《さうぢ》が|出来《でき》た|様《やう》なものだい』
|真浦《まうら》『アハヽヽヽ、|随分《ずゐぶん》|面白《おもしろ》い|芋論《いもろん》を|聞《き》かして|貰《もら》ひました、|併《しか》し|乍《なが》ら|万物《ばんぶつ》|一切《いつさい》|皆《みんな》|神様《かみさま》の|霊《れい》が|宿《やど》つてゐるのだから、|貴賤《きせん》|老幼《らうえう》|草木《さうもく》|器具《きぐ》の|区別《くべつ》なくそれ|相当《さうたう》の|霊魂《みたま》がある。|万有一切《ばんいういつさい》は|総《すべ》て|神様《かみさま》の|大切《たいせつ》なる|御霊《おんみたま》が|宿《やど》つてるから、|木《こ》の|葉《は》|一枚《いちまい》だつて|粗末《そまつ》にしてはなりませぬぞや』
|田吾作《たごさく》『そら|見《み》たか、|留州《とめしう》、キ|印《じるし》の|阿呆《あはう》の|云《い》つた|事《こと》でも|矢張《やつぱり》|天地《てんち》の|真理《しんり》に|適《かな》つて|居《ゐ》るのが、ちと|妙《めう》ではないか』
|留公《とめこう》は|首《くび》を|傾《かたむ》け|手《て》を|組《く》んで|青芝《あをしば》の|上《うへ》に|端坐《たんざ》し|何事《なにごと》か|頻《しき》りに|考《かんが》へて|居《を》る。|漸《やうや》くにして|顔《かほ》を|上《あ》げ、
|留公《とめこう》『ヤ、|何事《なにごと》も|氷解《ひようかい》しました。|田吾作《たごさく》どの、どうぞ|怺《こら》へて|呉《く》れ、|之《これ》からは|決《けつ》してもう|斯《こ》んな|事《こと》はせないから……』
|田吾作《たごさく》『|何《なん》と|云《い》つても|斯《か》うなつた|以上《いじやう》は|仕方《しかた》は|無《な》い、|今後《こんご》は|気《き》をつけて|呉《く》れ。|芋《いも》ばつかりぢやないよ、|豆《まめ》だつて|麦《むぎ》だつて|皆《みな》|其《その》|通《とほ》りだからなア』
|留公《とめこう》『ハイ|承知《しようち》|致《いた》しました、ちつと|心得《こころえ》ます』
と|以前《いぜん》に|変《かは》つて|丁寧《ていねい》に|挨拶《あいさつ》する。
|真浦《まうら》『アヽ|之《これ》で|凡《すべ》ての|解決《かいけつ》がついた、|芋《いも》の|死骸《しがい》で|最早《もはや》|平和《へいわ》|克復《こくふく》だ。サア|之《これ》からバラモン|教《けう》の|友彦《ともひこ》さんにお|目《め》に|掛《かか》つてお|話《はなし》を|承《うけたま》はりませうか』
と|行《ゆ》かむとするを|留公《とめこう》は|引《ひ》き|留《とど》め、
|留公《とめこう》『モシ、|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さい、|貴方《あなた》|只《ただ》|一人《ひとり》でお|出《い》でになつては|大変《たいへん》です、|私《わたし》|等《たち》は|勝手《かつて》を|能《よ》く|覚《おぼ》えて|居《ゐ》ますが、|私《わたし》の|離座敷《はなれざしき》に|宣伝使《せんでんし》が|置《お》いてある、そこに|神様《かみさま》も|祀《まつ》つてあります。|然《しか》し|乍《なが》ら|家《いへ》の|周囲《まはり》に|広《ひろ》い|深《ふか》い|溝《みぞ》が|掘《ほ》つてあつて|迂濶《うつかり》|跨《また》げようものなら……それこそ|大変《たいへん》……|生命《いのち》が|無《な》くなりますぜ』
|真浦《まうら》『それは|本当《ほんたう》の|話《はなし》か』
|留公《とめこう》『|本当《ほんたう》ですとも、|現在《げんざい》|私《わたし》の|家《いへ》ですもの、|何《なに》|間違《まちが》つた|事《こと》を|云《い》ひませう。|軒下《のきした》を|貸《か》して|母屋《おもや》を|取《と》られると|云《い》ふ|譬《たとへ》の|通《とほ》り、|初《はじ》め|乞食《こじき》の|様《やう》な|態《ざま》をしてやつて|来《き》た|友彦《ともひこ》の|宣伝使《せんでんし》が、|今《いま》では|大変《たいへん》な|勢《いきほひ》で|私《わたし》の|座敷《ざしき》や|本宅《ほんたく》を|我物顔《わがものがほ》に|振舞《ふるま》ひ、|私《わたし》は|丁稚役《でつちやく》、|主客《しゆきやく》|顛倒《てんたう》も|之《これ》|位《くらゐ》|甚《はなはだ》しい|事《こと》はありませぬ。|私《わたし》は|初《はじ》めの|頃《ころ》は|実《じつ》に|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》だと|思《おも》つて|現《うつつ》を|抜《ぬ》かし、|云《い》ふが|儘《まま》にして|居《を》りましたが、|此《この》|頃《ごろ》の|宣伝使《せんでんし》の|言行《げんかう》の|一致《いつち》せない|事《こと》、|実《じつ》にお|話《はなし》になりませぬ。けれども|私《わたし》が|率先《そつせん》して|村中《むらぢう》の|者《もの》に|勧《すす》め|廻《まは》つたと|云《い》ふ|廉《かど》があるので、|今更《いまさら》|責任上《せきにんじやう》|此《この》|宣伝使《せんでんし》は|喰《く》はせ|者《もの》だつたと|云《い》つて|告白《こくはく》する|訳《わけ》にもゆかず、|本当《ほんたう》に|困《こま》り|抜《ぬ》いて|居《を》つた|所《ところ》ですが、|最前《さいぜん》|松鷹彦《まつたかひこ》の|宅《うち》へ|使《つかひ》に|行《い》つた|時《とき》、|奥《おく》の|間《ま》に|何百人《なんびやくにん》とも|知《し》れぬ|人声《ひとごゑ》で|宣伝歌《せんでんか》が|聞《きこ》えて|来《き》た。その|声《こゑ》の|恐《おそ》ろしさ、|実《じつ》に|無限《むげん》の|威力《ゐりよく》が|備《そな》はつて|居《ゐ》ました。|私《わたくし》はバラモン|教《けう》は|愛想《あいさう》がつき|三五教《あななひけう》へ|入信《にふしん》したいので|御座《ござ》いますが、あの|様《やう》な|頭《あたま》の|割《わ》れる|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》はれては|困《こま》るなり、|如何《どう》したら|良《よ》いでせうかなア』
|真浦《まうら》『|宣伝歌《せんでんか》は|聞《き》けば|聞《き》く|程《ほど》|気分《きぶん》が|良《よ》くなつて|来《く》るものだ。お|前《まへ》に|憑依《ひようい》して|居《を》る|副守護神《ふくしゆごじん》が|嫌《きら》ふのだ、それさへ|体内《たいない》より|放逐《はうちく》して|仕舞《しま》へば|何《なん》でも|無《な》いのだ。さうしてあの|小《ちひ》さい|家《いへ》に|百人《ひやくにん》も|居《ゐ》る|筈《はず》がない、|其《その》|実《じつ》は|私《わたし》|一人《ひとり》より|居《を》らなかつたのだ』
|留公《とめこう》『イエイエそれでも|沢山《たくさん》なお|声《こゑ》でした。|年寄《としより》の|声《こゑ》、|若《わか》い|者《もの》の|声《こゑ》、|鈴《すず》の|様《やう》な|綺麗《きれい》な|女《をんな》の|声《こゑ》も|聞《きこ》えましたがなア』
|真浦《まうら》『そら、そうだらう、|沢山《たくさん》な|神様《かみさま》が|集《あつ》まつて|宣伝歌《せんでんか》を|合唱《がつしやう》|遊《あそ》ばす|事《こと》が|始終《しじう》あるからだ。そりやお|前《まへ》の|神徳《しんとく》の|頂《いただ》け|口《ぐち》だ、|天耳通《てんじつう》の|開《ひら》けかけだから|安心《あんしん》して|吾々《われわれ》の|唱《とな》ふるお|道《みち》へ|這入《はい》るが|宜《よ》からう』
|留公《とめこう》『そんなら|私《わたし》を|入信《にふしん》させて|下《くだ》さいますか』
|真浦《まうら》『アヽ|宜《よろ》しい|宜《よろ》しい、|何卒《どうぞ》|入信《にふしん》して|下《くだ》さい』
|留公《とめこう》『|之《これ》は|有難《ありがた》い、もう|斯《か》うなる|上《うへ》は|百人力《ひやくにんりき》だ。オイ|田吾作《たごさく》、お|前《まへ》も|仲直《なかなほ》りをした|以上《いじやう》は、|俺《おれ》と|同様《どうやう》に|此《この》|方《かた》に|従《したが》つて|三五教《あななひけう》を|信仰《しんかう》しようぢやないか』
|田吾作《たごさく》『ウンそうだ、さうなれば|此《この》|村《むら》も|天下《てんか》|泰平《たいへい》だ。|毎日《まいにち》|日《ひ》にち|血《ち》を|見《み》る|残酷《ざんこく》な|行《ぎやう》を|強圧的《きやうあつてき》にさせられる|心配《しんぱい》も|要《い》らず、|定《さだ》めて|女《をんな》|子供《こども》が|喜《よろこ》ぶ|事《こと》だらう』
|真浦《まうら》『|然《しか》し|私《わし》がお|前《まへ》の|宅《うち》へ|出張《しゆつちやう》すれば、|友彦《ともひこ》の|宣伝使《せんでんし》が|随分《ずゐぶん》|妙《めう》な|顔《かほ》をするだらうなア』
|留公《とめこう》『そりや|致《いた》しませうとも、|今迄《いままで》は|無鳥郷《むてうきやう》の|蝙蝠《へんぷく》|気取《きど》りで|随分《ずゐぶん》|威張《ゐば》つて|居《ゐ》ましたが、|上《うへ》には|上《うへ》があるから|何時迄《いつまで》も|世《よ》は|持《も》ちきりにはなりますまい、|之《これ》が|良《よ》い|切《き》り|替《か》へ|時《どき》でせう。サアサア|世《よ》の|立替《たてかへ》|立直《たてなほ》しは|之《これ》からだ、|天《あま》の|岩戸《いはと》の|開《ひら》け|口《ぐち》だ』
と|雀躍《こをどり》し|乍《なが》ら|先《さき》に|立《た》ち|二人《ふたり》を|伴《ともな》ひ|吾《わが》|家《や》を|指《さ》して|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|留公《とめこう》は|矢庭《やには》に|友彦《ともひこ》の|割拠《かつきよ》せる|離座敷《はなれざしき》に|躍《をど》り|入《い》り、
|留公《とめこう》『サア|友彦《ともひこ》、|今日《けふ》から|一寸《ちよつと》|都合《つがふ》があるので|此《この》|家《いへ》を|開《あ》けて|貰《もら》ひ|度《た》いのだ。|俺《わし》も|今迄《いままで》はバラモン|教《けう》のお|世話係《せわがかり》をやつて|来《き》たが、お|前《まへ》さんから|除名《ぢよめい》されてからは|何時迄《いつまで》も|此《この》|家《いへ》を|貸《か》す|訳《わけ》にはゆかない。|之《これ》から|三五教《あななひけう》の|宣伝《せんでん》をしようとするのだから、|未練《みれん》|残《のこ》さずトツトと|帰《かへ》つてお|呉《く》れ』
|友彦《ともひこ》は|怪訝《けげん》な|顔《かほ》して、
|友彦《ともひこ》『オイ|留公《とめこう》、そりや|何《なに》を|云《い》ふのだ。|貴様《きさま》、|初《はじ》めに|何《なん》と|云《い》つた、……|私《わたし》の|家《いへ》はお|粗末《そまつ》|乍《なが》ら|一切《いつさい》|神様《かみさま》にお|供《そな》へします。……と|大勢《おほぜい》の|前《まへ》に|立派《りつぱ》に|誓《ちか》つたぢやないか』
|留公《とめこう》『そりや|誓《ちか》ひました、|否《いや》|違《ちが》ひました。|然《しか》し|神様《かみさま》に|上《あ》げるも|上《あ》げぬもない、|世界中《せかいぢう》|皆《みな》|神様《かみさま》のものだ。|仮令《たとへ》|上《あ》げると|云《い》つた|所《ところ》でお|前《まへ》に|上《あ》げたのぢやない、|天地《てんち》の|元《もと》の|大神様《おほかみさま》に|奉《たてまつ》つたものだから、|何卒《どうぞ》|出《で》て|呉《く》れやがれ』
|友彦《ともひこ》『|左様《さやう》な|不都合《ふつがふ》な|事《こと》を|申《まを》すと|神罰《しんばつ》は|立所《たちどころ》に|当《あた》るぞ、それでも|宜《よ》いか、|此《この》|友彦《ともひこ》だつて|天地《てんち》の|大神様《おほかみさま》、|殊《こと》に|大国別《おほくにわけ》の|神様《かみさま》の|生宮《いきみや》だ、|神様《かみさま》の|生宮《いきみや》が|神様《かみさま》の|家《いへ》に|居《を》るのだ、|貴様《きさま》の|様《やう》な|四足《よつあし》の|容器《いれもの》とは|違《ちが》ふぞ、エヽ|穢《けが》らはしい、トツト|出《で》てゆけ。|左様《さやう》な|無体《むたい》な|事《こと》を|申《まを》すと|神様《かみさま》は|兎《と》も|角《かく》として|村中《むらぢう》の|信者《しんじや》が|承知《しようち》|致《いた》すまいぞ』
と|信者《しんじや》をバツクに|落日《らくじつ》の|孤城《こじやう》を|固守《こしゆ》せむとする。
|留公《とめこう》『|何《なん》といつても、もう|駄目《だめ》だよ。|零落《おち》ぶれて|袖《そで》に|涙《なみだ》のかかる|時《とき》、|人《ひと》の|心《こころ》の|奥《おく》ぞ|知《し》らるると|云《い》つてな、|除名《ぢよめい》された|俺《おれ》は|村中《むらぢう》の|除外者《はねのけもの》になり、|何処《どこ》へ|頼《たよ》る|所《ところ》もなし、|自暴自棄《じばうじき》となつて|田吾作《たごさく》の|芋畑《いもばたけ》に|駆込《かけこ》み、|事《こと》の|起《おこ》りは|此奴《こいつ》ぢやと|芋《いも》の|赤子《あかご》を|片端《かたつぱし》から|踏《ふ》み|殺《ころ》す|最中《さいちう》に、|一人《ひとり》で|百人《ひやくにん》の|声《こゑ》を|出《だ》すと|云《い》ふ|立派《りつぱ》な|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が|其処《そこ》に|忽然《こつぜん》として|現《あら》はれ|給《たま》ひ、|此《この》|留公《とめこう》の|頭《あたま》を、|膝《ひざ》に|上《のぼ》つた|猫《ねこ》でも|撫《な》でる|様《やう》な|調子《てうし》で|可愛《かはい》がり、|一《いち》の|乾児《こぶん》にして|下《くだ》さつたのだ。サアサア|早《はや》く|出立《しゆつたつ》|致《いた》さぬと|表《おもて》に|三五教《あななひけう》の|御大将《おんたいしやう》が|見張《みは》つて|御座《ござ》るぞ』
|友彦《ともひこ》『|何《なに》、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が|見張《みは》つて|居《ゐ》るとな、|大方《おほかた》|武志《たけし》の|宮《みや》の|神主《かむぬし》の|宅《うち》に|去年《きよねん》の|冬《ふゆ》から|潜伏《せんぷく》して|居《ゐ》た|守彦《もりひこ》と|云《い》ふ|弱腰《よわごし》|宣伝使《せんでんし》だらう。バラモン|教《けう》の|友彦《ともひこ》が|威勢《ゐせい》に|恐《おそ》れて|今《いま》まで|蟄伏《ちつぷく》して|居《ゐ》た|蛙《かわづ》の|様《やう》な|代物《しろもの》だ、そんな|者《もの》が|仮令《たとへ》|千匹《せんびき》|万匹《まんびき》やつて|来《き》たとて|驚《おどろ》くものかい。|万々一《まんまんいち》|此《この》|場《ば》へ|進《すす》んで|来《こ》ようものなら、それこそ|神界《しんかい》の|御仕組《おしぐみ》の|陥穽《おとしあな》に|真逆様《まつさかさま》に|顛倒《てんたう》し|生命《いのち》を|捨《す》つるは|目《ま》の|当《あた》りだ。|心配《しんぱい》|致《いた》すな、|貴様《きさま》も|今日《けふ》|限《かぎ》り|除名《ぢよめい》|処分《しよぶん》を|取消《とりけ》すから|安心《あんしん》せい』
|留公《とめこう》『|何《なに》を|吐《ほざ》きやがるのだ、|取消《とりけし》も|何《なに》もあつたものかい、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》は|俺《おれ》の|詳細《しやうさい》なる|報告《はうこく》に|依《よ》つて|陥穽《おとしあな》の|箇所《かしよ》は|全部《ぜんぶ》|承知《しようち》して|御座《ござ》るのだ。さうして|俺《おれ》は|案内役《あんないやく》だから|滅多《めつた》に|別条《べつでう》は|無《な》い、|吾《わが》|身《み》の|一大事《いちだいじ》が|迫《せま》つて|来《き》て|居《を》るのにお|前《まへ》、|人《ひと》の|疝気《せんき》を|頭痛《づつう》に|病《や》む|様《やう》な|馬鹿《ばか》な|真似《まね》はなさいますなや。|大《おほ》きに|御心配《ごしんぱい》……|有難《ありがた》う』
と|長《なが》い|舌《した》を|出《だ》し、|両手《りやうて》を|鳶《とんび》が|羽翼《はね》を|拡《ひろ》げた|様《やう》な|風《ふう》にして|二三遍《にさんぺん》|虚空《こくう》を|掻《か》き、|尻《しり》をニユツと|突出《つきだ》して|舞《ま》うて|見《み》せる。
|友彦《ともひこ》は|祭壇《さいだん》の|前《まへ》に|額《ぬかづ》き|祈願《きぐわん》の|詞《ことば》を|奏上《そうじやう》し、|言霊戦《ことたません》を|以《もつ》て|真浦《まうら》の|宣伝《せんでん》を|撃退《げきたい》せむと、|声《こゑ》|張《は》り|上《あ》げて|謡《うた》ひ|初《はじ》めたり。
『|常世《とこよ》の|国《くに》を|守《まも》ります  |大国彦《おほくにひこ》の|大神《おほかみ》の
|珍《うづ》の|御裔《みすゑ》と|現《あ》れませる  |大国別《おほくにわけ》の|大神《おほかみ》は
|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|救世主《すくひぬし》  |常世《とこよ》の|国《くに》より|遥々《はるばる》と
イホの|国《くに》|迄《まで》|渡《わた》りまし  |霊主体従《れいしゆたいじう》の|御教《みをしへ》を
|開《ひら》かむ|為《ため》に|霊幸《たまちは》ふ  |神《かみ》に|等《ひと》しき|鬼雲《おにくも》の
|彦《ひこ》の|命《みこと》や|鬼熊別《おにくまわけ》や  |其《その》|他《た》|数多《あまた》の|神々《かみがみ》を
|豊葦原《とよあしはら》の|中津国《なかつくに》  メソポタミヤの|顕恩郷《けんおんきやう》
|果実《このみ》|豊《ゆたか》な|楽園《らくゑん》に  |本拠《ほんきよ》を|定《さだ》めフサの|国《くに》
ツキの|国《くに》まで|教線《けうせん》を  |拡《ひろ》め|給《たま》ひて|自転倒《おのころ》の
|島《しま》に|又《また》もや|下《くだ》りまし  |大江《おほえ》の|山《やま》を|中心《ちうしん》に
|神《かみ》の|光《ひかり》を|三岳山《みたけやま》  |鬼《おに》をも|拉《ひし》ぐ|鬼ケ城《おにがじやう》
|伊吹《いぶき》の|山《やま》まで|開《ひら》きまし  |世人《よびと》を|救《すく》ひ|助《たす》けむと
|心《こころ》を|尽《つく》し|魂《たま》を|錬《ね》り  |此《この》|世《よ》を|乱《みだ》す|悪神《あくがみ》の
|神素盞嗚《かむすさのを》の|枉津見《まがつみ》が  |下《した》に|仕《つか》ふる|悦子姫《よしこひめ》
|鬼武彦《おにたけひこ》や|高倉《たかくら》や  |旭《あさひ》、|月日《つきひ》の|白狐《びやくこ》|等《ら》が
|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|振舞《ふるまひ》に  |時《とき》を|得《え》ずして|本国《ほんごく》へ
|一先《ひとま》づ|退却《たいきやく》し|給《たま》へど  |必《かなら》ず|捲土重来《けんどぢうらい》の
|時《とき》こそ|今《いま》に|近《ちか》づきて  コーカス|山《さん》やウブスナの
|山《やま》に|建《た》つたる|斎苑館《いそやかた》  |黄金山《わうごんざん》はまだ|愚《おろか》
|自転倒島《おのころじま》の|中心地《ちうしんち》  |世継王《よつわう》の|山《やま》の|辺傍《かたほとり》
|錦《にしき》の|宮《みや》を|忽《たちま》ちに  |手《て》の|掌《ひら》|翻《かへ》す|其《その》|如《ごと》く
|土崩瓦解《どほうぐわかい》は|目《ま》の|当《あた》り  |先《さき》の|見《み》えたる|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》は|風前《ふうぜん》の  |灯火《とうくわ》の|如《ごと》く|日《ひ》に|月《つき》に
|危険《きけん》|益々《ますます》|迫《せま》り|行《ゆ》く  |実《じつ》に|憐《あは》れな|其《その》|教義《をしへ》
それをも|知《し》らぬ|守彦《もりひこ》が  |天《あめ》の|使《つかひ》と|名乗《なの》りつつ
|図々《づうづう》しくもバラモンの  |神《かみ》の|使《つかひ》の|友彦《ともひこ》が
|館《やかた》を|指《さ》して|来《きた》るとは  |飛《と》んで|火《ひ》に|入《い》る|夏《なつ》の|虫《むし》
それに|従《したが》ふ|留公《とめこう》や  |田吾作《たごさく》|野郎《やらう》の|蚯蚓《みみず》きり
|蛙《かはづ》もきれぬ|分際《ぶんざい》で  |神徳《しんとく》|高《たか》き|友彦《ともひこ》に
|刃向《はむか》ひ|来《く》るとは|何事《なにごと》ぞ  |身《み》の|程《ほど》|知《し》らぬも|程《ほど》がある
|天《てん》が|地《ち》となり|地《ち》が|天《てん》と  |変《かは》る|此《こ》の|世《よ》が|来《く》るとても
|三五教《あななひけう》に|迷《まよ》ふなよ  |霊主体従《れいしゆたいじう》の|此《この》|教義《をしへ》
|誠《まこと》|一《ひと》つの|神界《しんかい》の  |深《ふか》き|経綸《しぐみ》は|三五《あななひ》の
|浅《あさ》き|教《をしへ》ぢや|分《わか》らない  |飯守彦《めしもりひこ》の|宣伝使《せんでんし》
|留公《とめこう》|田吾作《たごさく》|諸共《もろとも》に  |今《いま》から|心《こころ》を|立直《たてなほ》し
バラモン|教《けう》の|神徳《しんとく》を  |受《う》けて|身魂《みたま》を|研《みが》き|上《あ》げ
|神世《かみよ》を|来《きた》す|神業《しんげふ》に  |心《こころ》を|尽《つく》し|身《み》を|尽《つく》し
|天地《てんち》に|代《かは》る|功績《いさをし》を  |千代万代《ちよよろづよ》に|樹《た》てよかし
これ|友彦《ともひこ》が|詐《いつは》らぬ  |誠《まこと》|一《ひと》つの|言葉《ことば》ぞや
|言霊《ことたま》|幸《さち》はふ|世《よ》の|中《なか》に  |善《ぜん》ぢや|悪《あく》ぢやと|何《なん》の|事《こと》
|朝日《あさひ》が|照《て》るとか|曇《くも》るとか  |月《つき》が|盈《み》つとか|虧《か》くるとか
|大地《だいち》が|泥《どろ》に|沈《しづ》むとか  |世人《よびと》|欺《あざむ》くコケ|嚇《おど》し
そんな|馬鹿《ばか》げた|言霊《ことたま》を  |之《これ》だけ|開《ひら》けた|世《よ》の|中《なか》の
|人《ひと》が|如何《どう》して|聞《き》くものか  |馬鹿《ばか》を|尽《つく》すも|程《ほど》がある
|一時《いちじ》も|早《はや》く|目《め》を|覚《さま》せ  |神《かみ》の|心《こころ》は|皆《みな》|一《ひと》つ
|世界《せかい》の|氏子《うぢこ》を|助《たす》けむと  |大国別《おほくにわけ》の|御言《みこと》もて
|憂瀬《うきせ》に|沈《しづ》む|民草《たみくさ》を  |救《すく》はせ|給《たま》ふ|有難《ありがた》さ
|一度《いちど》は|喰《く》つて|味《あぢ》はへよ  |喰《く》はず|嫌《ぎら》ひは|仕様《しやう》がない
|苦《にが》けりや|吐《は》き|出《だ》せ|甘《うま》ければ  |遠慮《ゑんりよ》は|要《い》らぬドシドシと
|心《こころ》ゆく|迄《まで》|喰《く》ふがよい  |善《ぜん》の|中《なか》にも|悪《あく》がある
|悪《あく》の|中《なか》にも|善《ぜん》がある  |三五教《あななひけう》は|表向《おもてむき》
|善《ぜん》と|雖《いへど》も|内実《ないじつ》は  |悪鬼《あくき》|悪魔《あくま》の|囈言《たはごと》ぞ
バラモン|教《けう》は|表《おもて》から  |眺《なが》めて|見《み》ても|善《ぜん》である
|裏《うら》から|見《み》ても|亦《また》|善《ぜん》ぢや  |其《その》|内実《ないじつ》は|殊更《ことさら》に
|善一筋《ぜんひとすぢ》で|固《かた》めたる  |昔《むかし》の|元《もと》の|神《かみ》の|道《みち》
|斯《こ》んな|結構《けつこう》な|御教《みをしへ》を  |調《しら》べもせずに|一口《ひとくち》に
|悪《あく》の|雅号《ががう》で|葬《はうむ》りて  |此《この》|世《よ》を|潰《つぶ》さうと|企《たく》む|奴《やつ》
|憎《にく》さも|憎《にく》い|三五教《あななひけう》  |一時《いちじ》も|早《はや》く|留公《とめこう》よ
|飯守彦《めしもりひこ》と|云《い》ふ|奴《やつ》の  |甘《うま》い|言葉《ことば》にのせられて
お|尻《しり》の|毛《け》|迄《まで》|抜《ぬ》かれなよ  |憐《あは》れみ|深《ぶか》い|友彦《ともひこ》が
|真心《まごころ》|籠《こ》めて|気《き》をつける  |大国別《おほくにわけ》の|神様《かみさま》よ
|彼等《かれら》が|心《こころ》に|生命《せいめい》を  |与《あた》えて|再《ふたた》びバラモンの
|神《かみ》の|教《をしへ》に|救《すく》ひませ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひ|坐《まし》ませよ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひ|坐《まし》ませよ』
と|口《くち》から|出任《でまか》せに|汗《あせ》をブルブル|流《なが》し|乍《なが》ら|呶鳴《どな》り|立《た》てて|居《を》る。|留公《とめこう》は|此《この》|歌《うた》を|聞《き》いて|躍起《やくき》となり、
『オイ、バラモン|教《けう》の|御大将《おんたいしやう》、|随分《ずゐぶん》|立派《りつぱ》な|言霊《ことたま》だのう。|雲烟模糊《うんえんもこ》として|捕捉《ほそく》すべからず、|支離滅裂《しりめつれつ》、|聞《き》くに|堪《た》へざる|亡国《ばうこく》の|悲歌《ひか》、そんな|事《こと》を|囀《さへづ》ると|天地《てんち》が|暗《くら》くなつて|仕舞《しま》ふ|哩《わい》。サア|之《これ》から|此《この》|留公《とめこう》が|十一七番《じふいちしちばん》の|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》つてやらう、|耳《みみ》を|浚《さら》へて|謹聴《きんちやう》せい』
と|長々《ながなが》と|前置《まへおき》してエヘンと|一《ひと》つ|咳払《せきばら》ひ、|鷹《たか》が|翼《つばさ》を|拡《ひろ》げた|様《やう》な|手付《てつき》で|腰《こし》を|屈《かが》め|足《あし》を|踏《ふ》ん|張《ば》り、|右《みぎ》や|左《ひだり》へ|身体《からだ》を|揺《ゆす》ぶり|乍《なが》ら|奇声《きせい》|怪音《くわいおん》を|放《はな》つて|揺《うた》ひ|出《だ》した。
『|此処《ここ》は|名《な》に|負《お》ふ|秘密郷《ひみつきやう》  |四面《しめん》|深山《みやま》に|包《つつ》まれて
|中《なか》を|流《なが》るる|宇都《うづ》の|川《かは》  |流《なが》れも|清《きよ》く|澄《す》み|渡《わた》る
|武志《たけし》の|宮《みや》の|御住家《おんすみか》  |大江《おほえ》の|山《やま》を|破壊《ばら》されて
|逃《に》げて|出《で》て|来《き》たバラモンの  |言霊《ことたま》|濁《にご》る【ども】|彦《ひこ》が
|鳥《とり》なき|里《さと》の|蝙蝠《かうもり》か  |蛇《へび》なき|里《さと》の|青蛙《あをかはづ》
|威張《ゐばり》|散《ち》らして|村人《むらびと》を  |何《なん》ぢやかんぢやとチヨロまかし
|霊主体従《れいしゆたいじう》を|標榜《へうぼう》し  |利己《りこ》|一片《いつぺん》の|強慾心《がうよくしん》
|最極端《さいきよくたん》に|発揮《はつき》して  |宇都山村《うづやまむら》の|婆《ばば》、|嬶《かか》を
|有難涙《ありがたなみだ》に|咽《むせ》ばせつ  |遂《つひ》に|進《すす》んで|吾々《われわれ》も
|慣用《くわんよう》|手段《しゆだん》の|口《くち》の|先《さき》  |一寸《ちよつと》うまうま|乗《の》つて|見《み》た
さはさり|乍《なが》らつくづくと  |胸《むね》に|手《て》を|当《あ》て|真夜中《まよなか》に
|臥《ふ》せりもやらず|窺《うかが》へば  |表面《うはべ》を|包《つつ》む|金鍍金《きんメツキ》
|愈《いよいよ》|色《いろ》は|剥《は》げかけた  |時《とき》しもあれや|三五《あななひ》の
|誠《まこと》|一《ひと》つの|宣伝使《せんでんし》  |天《あめ》の|使《つかひ》の|守彦《もりひこ》が
|雲路《くもぢ》を|分《わ》けて|下《くだ》りまし  |武志《たけし》の|宮《みや》の|御前《おんまへ》に
|現《あら》はれました|雪《ゆき》の|道《みち》  |雪《ゆき》より|清《きよ》い|神心《かみごころ》
|松鷹彦《まつたかひこ》の|住《す》む|家《いへ》に  |去年《きよねん》の|冬《ふゆ》から|出《い》でまして
|世界《せかい》の|立替《たてかへ》|立直《たてなほ》し  |天地《あめつち》|百《もも》の|神《かみ》|等《たち》を
|宇都《うづ》の|川辺《かはべ》に|呼《よ》び|集《あつ》め  |神徳《しんとく》|茲《ここ》に|備《そな》はつて
バラモン|教《けう》の|枉神《まがかみ》を  |言向《ことむ》け|和《やは》し|如何《どう》しても
|往生《わうじやう》|致《いた》さな|是非《ぜひ》はない  |神《かみ》の|定《さだ》めの|根《ね》の|国《くに》や
も|一《ひと》つ|違《ちが》うたら|底《そこ》の|国《くに》  |万劫末代《まんごふまつだい》|上《あが》れない
|根底《ねそこ》の|底《そこ》のまだ|底《そこ》の  |真黒暗《まつくらやみ》のドン|底《ぞこ》へ
|落《おと》してやらうかこりや|如何《どう》ぢや  |此《この》|世《よ》でさへも|限《き》りがある
|早《はや》く|心《こころ》をきり|替《か》へて  |瓦落多教《ぐわらくたけう》に|暇《ひま》|呉《く》れて
|誠《まこと》の|神《かみ》の|開《ひら》きたる  |三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》せよ
|俺《おれ》も|長《なが》らく|友彦《ともひこ》を  |師匠《ししやう》と|仰《あふ》いで|来《き》た|誼《よしみ》
|別《わか》れに|際《さい》して|親切《しんせつ》に  |誠心《まことごころ》で|気《き》をつける
|気《き》をつけられた|其《その》|中《うち》に  |聞《き》かねば|後《あと》は|知《し》らぬぞよ
|神《かみ》の|心《こころ》を|取《と》り|違《ちが》へ  |留公《とめこう》さまの|真心《まごころ》を
|無《む》にするならばするがよい  |皆《みんな》お|前《まへ》の|身《み》の|上《うへ》に
かかつて|来《きた》ること|許《ばか》り  |俺《おれ》はもう|早《は》や|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》に|帰順《きじゆん》した  バラモン|教《けう》に|用《よう》は|無《な》い
とは|言《い》ふものの|人《ひと》は|皆《みな》  |同《おな》じ|御神《みかみ》の|分霊《わけみたま》
|世界《せかい》|同胞《どうはう》の|誼《よしみ》もて  |一度《いちど》は|忠告《ちうこく》|仕《つかまつ》る
|早《はや》く|改心《かいしん》して|呉《く》れよ  |決《けつ》して|俺《おれ》に|損得《そんとく》の
|一《ひと》つも|関《かか》はる|事《こと》ぢやない  みんなお|前《まへ》が|可愛《かはい》から
お|前《まへ》が|改心《かいしん》するなれば  |宇都山村《うづやまむら》の|神村《かみむら》も
|天下《てんか》|泰平《たいへい》|無事《ぶじ》|安穏《あんをん》  |五穀《ごこく》|成就《じやうじゆ》|目《ま》のあたり
|改心《かいしん》せなけりや|是非《ぜひ》も|無《な》い  |留《とめ》の|腕《うで》には|骨《ほね》がある
|天地《てんち》の|神《かみ》になり|代《かは》り  |貴様《きさま》の|雁首《がんくび》|引《ひ》き|抜《ぬ》こか
|眼玉《めだま》を|抜《ぬ》こか|舌《した》|抜《ぬ》こか  |地獄《ぢごく》の|鬼《おに》ぢやなけれども
|止《や》むに|止《や》まれぬ|大和魂《やまとだま》  とめてとまらぬ|留公《とめこう》が
|思《おも》ひ|詰《つ》めたる|善《ぜん》の|道《みち》  |道《みち》に|迷《まよ》うた|里人《さとびと》を
|助《たす》けにやならぬ|此《この》|場合《ばあひ》  |先《ま》づ|第一《だいいち》に|友彦《ともひこ》が
|改心《かいしん》すれば|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|司《つかさ》と|手《て》を|引《ひ》いて
|元《もと》は|一《ひと》つの|神《かみ》の|道《みち》  |腹《はら》を|合《あは》して|仲好《なかよ》くし
お|道《みち》を|開《ひら》く|気《き》はないか  |早《はや》く|薫《かんば》しい|返事《へんじ》せよ
|返事《へんじ》がなければ|是非《ぜひ》が|無《な》い  |芋《いも》の|赤子《あかご》を|潰《つぶ》す|様《やう》に
|片《かた》つ|端《ぱし》から|踏《ふ》みにじり  |鬼《おに》の|餌食《ゑじき》にしてやろか
サアサア|早《はや》うサア|早《はや》う  お|返事《へんじ》なされよ|三五《あななひ》の
|誠《まこと》|一《ひと》つの|宣伝使《せんでんし》  |言霊戦《ことたません》を|開《ひら》いたら
とても|敵《かな》はぬ|尻《しり》に|帆《ほ》を  |掛《か》けて|走《はし》らにやなるまいぞ
そんな|見《み》つとも|無《な》い|事《こと》を  するより|早《はや》く|我《が》を|折《を》つて
|改心《かいしん》なされ|改心《かいしん》を  すれば|忽《たちま》ち|其《その》|日《ひ》から
|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|神界《しんかい》の  |御用《ごよう》が|屹度《きつと》|出来《でき》ますぞ
|三五教《あななひけう》が|善《ぜん》なるか  |又《また》|悪《あく》なるか|俺《おれ》や|知《し》らぬ
|俺《おれ》の|感《かん》じた|動機《どうき》こそ  |不言実行《ふげんじつかう》の|誠《まこと》のみ
バラモン|教《けう》は|善《ぜん》の|道《みち》  |善《ぜん》ぢや|善《ぜん》ぢやと|謡《うた》へども
|言心行《げんしんかう》が|一致《いつち》せぬ  |一致《いつち》を|欠《か》いだ|御教《みをしへ》は
|半善半悪《はんぜんはんあく》|雑種教《ざつしゆけう》  |斯《こ》んな|教《をしへ》が|世《よ》の|中《なか》に
|若《も》しも|拡《ひろ》まるものならば  |世界《せかい》の|人《ひと》は|悉《ことごと》く
みんな|不具者《かたわ》になつて|仕舞《しま》ふ  |生血《いきち》に|飢《う》ゑたる|枉神《まがかみ》の
|醜《しこ》の|企《たく》みと|知《し》らないか  お|前《まへ》も|天地《てんち》の|御徳《みとく》にて
|生《うま》れ|出《い》でたる|神《かみ》の|宮《みや》  |悪魔《あくま》の|巣《すく》ふ|破《やぶ》れ|屋《や》と
なつて|天地《てんち》の|神々《かみがみ》に  |如何《どう》して|言訳《いひわけ》|立《た》つものか
|早《はや》く|改心《かいしん》してお|呉《く》れ  |留公《とめこう》さまが|一生《いつしやう》の
|誠《まこと》|尽《つく》しのお|願《ねがひ》ぢや  |之《これ》|程《ほど》|誠《まこと》で|頼《たの》むのに
|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》るならば  もう|是非《ぜひ》なしと|諦《あきら》めて
|直接《ちよくせつ》|行動《かうどう》にとりかかる  |返答《へんたふ》|聞《き》かせ|友彦《ともひこ》よ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  お|前《まへ》|一人《ひとり》は|如何《どう》しても
|改心《かいしん》させねば|措《お》かないぞ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひ|坐《ま》しまして  |頑固《ぐわんこ》|一途《いちづ》の|友彦《ともひこ》が
|心《こころ》を|照《てら》させ|給《たま》へかし  |身魂《みたま》を|光《ひか》らせ|給《たま》へかし』
と|敵《てき》やら|味方《みかた》やら|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|歌《うた》を|謡《うた》ひ|首《くび》をすくめ、|糞垂《ばばた》れ|腰《ごし》になつて、|左右《さいう》の|手《て》を|胸《むね》の|四辺《あたり》に【かまきり】がすくんだ|様《やう》な|手付《てつき》し、ピリピリ|慄《ふる》ひ|乍《なが》ら|左右《さいう》の|足《あし》を|一所《いつしよ》にキチンと|合《あは》せ|待《ま》つて|居《を》る。その|可笑《をか》しさに|友彦《ともひこ》も、|跟《つ》いて|来《き》た|田吾作《たごさく》も、|思《おも》はず|声《こゑ》を|上《あ》げて|笑《わら》ひ|転《こ》けたり。
(大正一一・五・一二 旧四・一六 北村隆光録)
第四章 |六六六《みろく》〔六六六〕
|鬼《おに》も|十八《じふはち》、|番茶《ばんちや》も|出花《でばな》、|蛇《じや》も|廿《はたち》なる|巻物語《まきものがたり》、|六六六《みろく》の|節《せつ》に|当《あた》つて|少《すこ》しく|季節《きせつ》は|早《はや》けれど、|蚊蜻蛉然《かとんぼぜん》たる|細長《ほそなが》き、|加藤如来《かとうによらい》に|筆《ふで》|執《と》らせ、|横《よこ》に|臥《ふ》しつつ|瑞月《ずゐげつ》が、|古今《ここん》を|混同《こんどう》したる|夢物語《ゆめものがたり》、ハートに|浪《なみ》もウツ|山《やま》の、|里《さと》に|割拠《かつきよ》せし、バラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》、|言霊《ことたま》|濁《にご》る【ども】|彦《ひこ》が、|天《あめ》の|真浦《まうら》の|言霊《ことたま》に、|当《あた》りて|逃出《にげだ》す|一条《ひとくだり》、|天井《てんじやう》の|棧《さん》を|読《よ》みながら、|布団《ふとん》を|尻《しり》に|敷島《しきしま》の|煙《けぶり》と|共《とも》に|雲煙《うんえん》|朦朧《もうろう》、|捉《つか》まへ|所《どころ》のなき|泣《な》き|述《の》ぶるドモ|彦《ひこ》|物語《ものがたり》、|嗚呼《ああ》|惟神《かむながら》|々々《かむながら》、|辷《すべ》る|言霊口車《ことたまくちぐるま》、いやいやながら|乗《の》つて|行《ゆ》く。
|田吾作《たごさく》は|鍬《くは》を|杖《つゑ》につき、|煮染《にし》めたやうな|垢《あか》ついた|手拭《てぬぐひ》で|頬被《ほほかぶ》りをし|乍《なが》ら、|留公《とめこう》の|側《そば》にツと|寄《よ》り|添《そ》ひ、|石原《いしはら》を|石油《せきゆ》の|空缶《あきくわん》でも|引《ひき》ずり|廻《まは》したやうなガラガラ|声《ごゑ》を|振《ふ》り|上《あ》げて、お|交際的《つきあひてき》に|支離滅裂《しりめつれつ》なる|友彦征服歌《ともひこせいふくか》を|謡《うた》ひ|始《はじ》めたり。
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|宇都山村《うづやまむら》の|里人《さとびと》は  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|鍬《くは》|担《かた》げ
|婆《ばば》も|娘《むすめ》も|野良仕事《のらしごと》  いそしみ|励《はげ》む|其《その》|中《なか》へ
どこから|降《ふ》つて|出《で》て|来《き》たか  |規律《きりつ》を|乱《みだ》すバラモンの
|偽善一途《ぎぜんいちづ》の|神柱《かむばしら》  おん|友彦《ともひこ》がやつて|来《き》て
イの|一番《いちばん》に|留公《とめこう》を  |言向《ことむ》け|和《やは》し|次《つ》ぎにお|春《はる》の|若後家《わかごけ》が
|現《うつつ》を|抜《ぬ》かした|其《その》|日《ひ》より  |二十余軒《にじふよけん》の|里人《さとびと》は
|野良《のら》の|仕事《しごと》も|打忘《うちわす》れ  |朝《あさ》から|晩《ばん》までバラモンの
|訳《わけ》も|分《わか》らぬ|経《きやう》を|読《よ》み  |随喜《ずゐき》の|涙《なみだ》|流《なが》しつつ
|今年《ことし》で|恰度《ちやうど》|満三年《まるみとせ》  |田畑《たはた》は|毎年《まいねん》|荒《あ》れて|行《ゆ》く
こんな|事《こと》ではどうなろと  |道《みち》に|迷《まよ》うた|里人《さとびと》に
ド|偏屈《へんくつ》よと|笑《わら》はれつ  |麦《むぎ》を|蒔《まき》つけ|豆《まめ》を|植《う》ゑ
|芋《いも》の|赤子《あかご》を|朝夕《あさゆふ》に  |肥料《こえ》を|与《あた》へて|育《はぐく》みつ
|其《その》|成人《せいじん》を|楽《たのし》みに  |朝《あさ》から|晩《ばん》まで|汗《あせ》をかき
|作《つく》る|畑《はたけ》へ|留公《とめこう》が  |三五教《あななひけう》の|守彦《もりひこ》の
|生言霊《いくことたま》に|怖《お》ぢ|恐《おそ》れ  |野路《のぢ》を|外《はづ》して|我《わが》|畑《はた》に
|踏《ふ》み|込《こ》み|赤子《あかご》を|無残《むざん》にも  |躙《にじ》り|殺《ころ》してしもた|故《ゆゑ》
|俺《おれ》もチツとは|腹《はら》が|立《た》ち  |留公《とめこう》が|宅《うち》へやつて|来《き》て
|強談判《こわだんぱん》と|出《で》て|見《み》れば  |留公《とめこう》の|奴《やつ》の|言《い》ひ|草《ぐさ》が
どしても|俺《おれ》の|腑《ふ》に|落《お》ちぬ  |女《をんな》|国有《こくいう》の|説《せつ》もある
|此《この》|世《よ》の|中《なか》に|芋《いも》にせよ  |赤子《あかご》を|踏《ふ》まれて|堪《たま》らうか
|旧《もと》の|通《とほ》りにしてかやせ  バラモン|教《けう》の|御教《みをしへ》は
|天《てん》の|恵《めぐみ》を|無残《むざん》にも  |損《そこな》ひ|破《やぶ》つて|良《よ》いものか
|返答《へんたふ》|聞《き》かむと|詰《つ》め|寄《よ》れば  |此《この》|留公《とめこう》は|面《おも》をあげ
|頻《しき》りに|冷笑《れいせう》|浮《う》かべつつ  サンガー|夫人《ふじん》がやつて|来《き》て
|産児《さんじ》の|制限《せいげん》までもする  |八釜《やかま》し|説《せつ》を|吐《は》く|時《とき》に
|芋《いも》の|赤子《あかご》の|二十《にじふ》|三十《さんじふ》  |潰《つぶ》してやるのは|国《くに》の|為《ため》
|世人《よびと》の|為《ため》ぢやと|逆理屈《さかりくつ》  |流石《さすが》の|俺《おれ》も|堪《たま》り|兼《か》ね
|携《たづさ》へ|持《も》つた|鍬《くは》の|先《さき》  |留公《とめこう》の|頭《あたま》を|的《まと》として
|骨《ほね》も|砕《くだ》けと|打下《うちお》ろす  |忽《たちま》ち|留公《とめこう》|身《み》をかはし
|逃《に》げる|機《はず》みに|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》
|守彦《まもひこ》さまが|足《あし》の|指《ゆび》  |思《おも》ひがけなく|切《き》り|落《おと》し
ビツクリ|仰天《ぎやうてん》|地《ち》に|這《は》うて  |無礼《ぶれい》を|謝《しや》すれば|守彦《もりひこ》の
|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|真人《しんじん》は  |顔《かほ》に|笑《ゑみ》をば|湛《たた》へつつ
|罪《つみ》を|赦《ゆる》して|下《くだ》さつた  あゝ|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し
バラモン|教《けう》の|友彦《ともひこ》が  |指《ゆび》であつたら|何《なん》とせう
|摺《す》つた|揉《も》んだと|苛《いぢ》められ  |忽《たちま》ち|衣《ころも》を|剥《は》ぎ|取《と》られ
|鳥《とり》もとまらぬ|茨畔《いばらぐろ》  |剣《つるぎ》の|橋《はし》や|火渡《ひわた》りや
|水底《みなそこ》|潜《くぐ》り|荒行《あらぎやう》を  |五日《いつか》|十日《とをか》と|強《し》ひられて
|生命《いのち》の|程《ほど》も|計《はか》られぬ  |之《これ》を|思《おも》へば|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》の|尊《たふと》さが  |心《こころ》の|底《そこ》に|浸《し》み|込《こ》んで
|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|入信《にふしん》の  |手続《てつづ》き|終《を》へた|田吾作《たごさく》は
|最早《もはや》バラモン|教《けう》でない  サア|友彦《ともひこ》よ|友彦《ともひこ》よ
|最早《もはや》|汝《なんぢ》が|運《うん》の|尽《つ》き  |一日《ひとひ》も|早《はや》く|改心《かいしん》の
|実《じつ》を|示《しめ》すかさもなくば  |大江《おほえ》の|山《やま》の|鬼雲彦《おにくもひこ》が
|館《やかた》を|指《さ》して|帰《かへ》り|行《ゆ》け  お|前《まへ》の|様《やう》な|悪神《あくがみ》が
|鳥《とり》なき|里《さと》の|蝙蝠《かうもり》と  |羽振《はぶ》りを|利《き》かしたシーズンは
|昔《むかし》の|夢《ゆめ》となつたぞよ  |田吾作《たごさく》ぢやとて|馬鹿《ばか》にすな
|俺《おれ》も|天地《てんち》の|分霊《わけみたま》  |仮令《たとへ》|養子《やうし》の|身《み》なりとて
|家《いへ》を|嗣《つ》いだら|主人《しゆじん》ぢやぞ  |貴様《おまへ》は|口《くち》に|蜜《みつ》|含《ふく》み
|尻《しり》に|剣《けん》|持《も》つ|土蜂《つちばち》の  |女房《にようぼ》|子供《こども》に|至《いた》るまで
うまく|騙《だま》してくれた|故《ゆゑ》  |村中《むらぢう》の|内輪《うちわ》ゴテゴテと
|宗旨《しうし》|争《あらそ》ひ|絶間《たえま》なく  イカイ|迷惑《めいわく》かけよつた
さはさり|乍《なが》ら|今《いま》となり  |理屈《りくつ》を|言《い》ふは|野暮《やぼ》なれど
|腹《はら》の|虫《むし》|奴《め》がをさまらぬ  |一日《ひとひ》も|早《はや》く|兜《かぶと》|脱《ぬ》ぎ
|鉾逆様《ほこさかさま》に|旗《はた》|捲《ま》いて  |降参《かうさん》するなら|田吾作《たごさく》が
|日頃《ひごろ》の|恨《うら》み|解《と》けようが  |何時《いつ》まで|渋《しぶ》とう|威張《ゐば》るなら
|堪忍袋《かんにんぶくろ》の|緒《を》を|切《き》つて  |蛙《かはづ》|飛《と》ばしの|蚯蚓《みみづ》|切《き》り
どん|百姓《びやくしやう》と|云《い》はれたる  |此《この》|田吾作《たごさく》が|承知《しようち》せぬ
|返答《へんたふ》|聞《き》かせ|早《はや》|聞《き》かせ  |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》  |唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ  |宣《の》り|直《なほ》せよと|皇神《すめかみ》の
|尊《たふと》き|教《をしへ》は|聞《き》きつれど  |何《ど》うしてこれが|忘《わす》られよか
|俺等《おいら》|一人《ひとり》の|難儀《なんぎ》でない  |宇都山村《うづやまむら》は|云《い》ふも|更《さら》
ひいて|世界《せかい》の|大難儀《だいなんぎ》  |今《いま》の|間《あひだ》に|悪神《あくがみ》の
|根《ね》を|断《た》ち|切《き》つて|葉《は》を|枯《か》らし  |昔《むかし》の|元《もと》の|秘密郷《ひみつきやう》
|宇都山村《うづやまむら》を|立直《たてなほ》し  |武志《たけし》の|宮《みや》の|御前《おんまへ》に
お|礼《れい》|参《まゐ》りをせにやならぬ  さあ|友彦《ともひこ》よ|友彦《ともひこ》よ
|早《はや》く|改心《かいしん》|致《いた》さぬか  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|清新《せいしん》の
|同《おな》じ|空気《くうき》を|吸《す》うた|俺《おれ》  お|前《まへ》の|難儀《なんぎ》を|目《ま》のあたり
|見逃《みのが》す|訳《わけ》にも|行《ゆ》きませぬ  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|天《あめ》の|真浦《まうら》が|言霊《ことたま》を  |発射《はつしや》なさらぬ|其《その》|間《うち》に
|早《はや》く|去就《きよしう》を|決《けつ》せよや  お|前《まへ》の|行末《ゆくすゑ》|案《あん》じての
|我《わが》|忠告《ちうこく》を|馬鹿《ばか》にして  |聞《き》いてくれねば|止《や》むを|得《え》ず
|神《かみ》の|御心《みむね》に|任《まか》すより  もはや|仕方《しかた》がない|程《ほど》に
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましまして
|道《みち》に|迷《まよ》ひし|友彦《ともひこ》が  |心《こころ》を|照《て》らさせ|給《たま》へかし
|御魂《みたま》を|研《みが》かせ|給《たま》へかし  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
と|揺《うた》ひ|終《をは》つて、|頬被《ほほかむり》をはづし、|顔《かほ》の|汗《あせ》を|拭《ぬぐ》ひ|鍬《くは》を|担《かた》げて|表《おもて》へ|飛《と》び|出《だ》した。|友彦《ともひこ》は|閻魔大王《えんまだいわう》が|年末《ねんまつ》の|会計《くわいけい》|検査《けんさ》をするやうな|面構《つらがま》へで、|口《くち》を【へ】の|字《じ》に|結《むす》び、ビリビリと|地震《ぢしん》の|神《かみ》の|神憑《かんがか》りをやつて|居《を》る。
|真浦《まうら》『|天地《てんち》を|造《つく》り|固《かた》めたる  |国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》の
|大御神命《おほみみこと》を|畏《かしこ》みて  |豊国姫《とよくにひめ》の|分霊《わけみたま》
ミロクの|御代《みよ》に|大八洲彦《おほやしまひこ》  |神《かみ》の|命《みこと》や|大足彦《おほだるひこ》の
|教《をしへ》を|開《ひら》く|宣伝使《せんでんし》  |開《ひら》くる|御代《みよ》も|弘子彦《ひろやすひこ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|生御霊《いくみたま》  |宇宙万有《うちうばんいう》|統《す》べ|守《まも》る
|七十五声《しちじふごせい》の|神《かみ》の|教《のり》  |言霊別《ことたまわけ》の|伊都能売《いづのめ》の
|神《かみ》は|尊《たふと》き|神界《しんかい》の  |大経綸《だいけいりん》を|果《はた》さむと
|天教山《てんけうざん》に|現《あ》れませる  |木花姫《このはなひめ》や|烏羽玉《うばたま》の
|闇世《やみよ》を|晴《は》らす|日《ひ》の|神《かみ》の  |霊《たま》より|現《あ》れし|日《ひ》の|出神《でかみ》
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の  |瑞《みづ》の|御霊《みたま》と|諸共《もろとも》に
|珍《うづ》の|聖地《せいち》のヱルサレム  コーカス|山《ざん》やウブスナの
|御山《みやま》|続《つづ》きの|斎苑《いそ》の|山《やま》  エデンの|園《その》を|始《はじ》めとし
|自転倒島《おのころじま》の|中心地《ちうしんち》  |桶伏山《をけふせやま》の|山麓《さんろく》に
|大宮柱太《おほみやばしらふと》しりて  |仕《つか》へ|奉《まつ》りし|神《かみ》の|宮《みや》
|伊都《いづ》の|仕組《しぐみ》も|三千歳《みちとせ》の  |花《はな》|咲《さ》く|春《はる》に|相生《あひおひ》の
|玉照彦《たまてるひこ》や|玉照姫《たまてるひめ》の  |珍《うづ》の|命《みこと》と|現《あら》はれて
|埴安彦《はにやすひこ》の|開《ひら》きたる  |三五教《あななひけう》を|立直《たてなほ》し
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》に|反抗《はむか》ひし  ウラナイ|教《けう》の|神司《かむづかさ》
|高姫《たかひめ》|黒姫《くろひめ》|松姫《まつひめ》が  |心《こころ》の|底《そこ》より|悔悟《くわいご》して
|神《かみ》の|御伴《みとも》に|馳参《はせさん》じ  |教《をしへ》を|四方《よも》に|伝《つた》へ|行《ゆ》く
|言霊《ことたま》|天地《てんち》に|鳴《な》り|渡《わた》り  |太平洋《たいへいやう》を|控《ひか》へたる
|大台ケ原《おほだいがはら》の|山麓《さんろく》に  |産声《うぶごゑ》|揚《あ》げし|守彦《もりひこ》が
|霊夢《れいむ》に|感《かん》じて|杣人《そまびと》の  |業務《なりはひ》|棄《す》てて|照妙《てるたへ》の
|綾《あや》の|高天《たかま》に|馳登《はせのぼ》り  |百日百夜《ももかももよ》の|行《ぎやう》を|終《を》へ
|言依別《ことよりわけ》の|大神《おほかみ》に  |差許《さしゆる》されし|宣伝使《せんでんし》
|雪《ゆき》|踏《ふ》み|分《わ》けて|人《ひと》の|尾《を》の  |山《やま》の|麓《ふもと》に|来《き》て|見《み》れば
|忽《たちま》ち|雪《ゆき》の|槍《やり》ぶすま  |進《すす》みもならず|退《しりぞ》くも
|心《こころ》に|任《まか》せぬ|雪《ゆき》の|宵《よひ》  |忽《たちま》ち|聞《きこ》ゆる|足音《あしおと》に
|何物《なにもの》ならむと|佇《たたず》めば  |限《かぎ》り|知《し》られぬ|黒影《くろかげ》は
|人《ひと》か|獣《けもの》か|曲神《まがかみ》か  |但《ただ》しは|敵《てき》の|襲来《しふらい》かと
|雪《ゆき》に|埋《うづ》もり|窺《うかが》へば  |幽《かす》かに|瞬《またた》く|火《ひ》の|光《ひかり》
|力《ちから》の|綱《つな》と|近寄《ちかよ》れば  |半《なか》ば|破《やぶ》れし|門《かど》の|戸《と》を
サツと|開《ひら》いて|出来《いできた》る  |雲《くも》|突《つ》く|許《ばか》りの|荒男《あらをとこ》
お|這入《はい》りなされと|親切《しんせつ》に  |顔《かほ》に|似気《にげ》なき|御挨拶《ごあいさつ》
|薄《うす》き|氷《こほり》を|踏《ふ》む|心地《ここち》  |進退《しんたい》ここに|谷《きは》まりて
|神《かみ》のまにまに|入《い》り|見《み》れば  |又《また》もや|一人《ひとり》の|荒男《あらをとこ》
|囲炉裏《ゐろり》の|側《そば》に|安坐《あぐら》かき  |厭《いや》らし|眼付《めつき》で|睨《ね》めまはす
あゝ|山賊《さんぞく》の|棲《す》み|家《か》かと  |怪《あや》しむ|折《をり》しも|向《むか》ふより
|名乗《なの》り|出《い》でたる|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》
|秋彦《あきひこ》|駒彦《こまひこ》|両人《りやうにん》と  |判《わか》つた|時《とき》の|嬉《うれ》しさは
|常世《とこよ》の|春《はる》に|会《あ》ふ|心地《ここち》  |明《あ》くるを|待《ま》ちて|三人《さんにん》は
|人《ひと》の|尾峠《をたうげ》の|雪《ゆき》をふみ  こけつ|転《まろ》びつ|浮木《うけ》の|里《さと》
|武志《たけし》の|宮《みや》の|御前《おんまへ》に  |到《いた》りて|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し
|暫《しば》し|休《やす》らふ|時《とき》もあれ  |杖《つゑ》を|力《ちから》に|登《のぼ》り|来《く》る
|白髪《はくはつ》|異様《いやう》の|老人《らうじん》は  |武志《たけし》の|宮《みや》の|神司《かむづかさ》
|松鷹彦《まつたかひこ》の|神参詣《かみまうで》  |翁《おきな》の|後《あと》に|従《したが》ひて
|五尺《ごしやく》|有余《いうよ》も|積《つも》りたる  |雪《ゆき》に|半身《はんしん》|没《ぼつ》しつつ
|見上《みあ》ぐる|許《ばか》りの|断崖《だんがい》に  かかる|折《をり》しも|秋彦《あきひこ》や
|心《こころ》のはやる|駒彦《こまひこ》が  |油断《ゆだん》を|見《み》すまし|我《わが》|体《からだ》
|力《ちから》|限《かぎ》りに|突《つ》きつれば  |空中滑走《くうちうくわつそう》の|離《はな》れ|業《わざ》
|雪《ゆき》|積《つ》む|崖下《がいか》に|着陸《ちやくりく》し  |神《かみ》の|試錬《しれん》と|喜《よろこ》びて
|感謝《かんしや》|祈願《きぐわん》をこらす|居《を》り  |秋彦《あきひこ》|駒彦《こまひこ》|両人《りやうにん》は
|口《くち》を|揃《そろ》へて|語《かた》るやう  |人《ひと》の|尾峠《をたうげ》の|山麓《さんろく》で
|六十五点《ろくじふごてん》|与《あた》へたり  |又《また》もや|此処《ここ》に|我々《われわれ》が
|検定委員《けんていゐゐん》と|現《あら》はれて  |汝《なんぢ》が|身魂《みたま》|試験《しけん》せり
いよいよ|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》  |三十五点《さんじふごてん》を|与《あた》ふれば
|天下《てんか》|晴《は》れての|神使《かんづかひ》  |御祝《おいは》ひ|申《まを》すと|言《い》ひ|乍《なが》ら
|姿《すがた》は|消《き》えて|白雪《しらゆき》の  |足音《あしおと》さへもかくれ|行《ゆ》く
|鵞毛《がまう》と|降《ふ》り|来《く》る|白雪《しらゆき》を  |冒《をか》して|川辺《かはべ》の|一《ひと》つ|家《や》に
|辿《たど》りて|見《み》ればこは|如何《いか》に  |松鷹彦《まつたかひこ》の|老夫婦《らうふうふ》
|囲炉裏《ゐろり》の|前《まへ》に|端坐《たんざ》して  |渋茶《しぶちや》を|啜《すす》る|真最中《まつさいちう》
|居《を》ること|此処《ここ》に|三四日《さんよつか》  |翁《おきな》は|川《かは》に|網《あみ》を|持《も》ち
|小魚《こうを》を|掬《すく》ひ|守彦《もりひこ》に  |饗応《きやうおう》せむと|出《い》でて|行《ゆ》く
|忽《たちま》ちバサンと|水煙《みづけむ》り  |驚《おどろ》き|駆《か》け|付《つ》け|救《すく》はむと
|到《いた》りて|見《み》れば|老人《らうじん》は  |川辺《かはべ》の|柳《やなぎ》に|取《と》り|付《つ》いて
ニコニコ|笑《わら》ひ|上《のぼ》り|来《く》る  |我《わ》れは|忽《たちま》ち|駆《は》せ|帰《かへ》り
|不言実行《ふげんじつかう》の|着替《きが》へ|持《も》ち  |再《ふたた》び|川辺《かはべ》に|駆《は》せ|付《つ》けて
|翁《おきな》に|渡《わた》し|濡《ぬ》れ|衣《ごろも》  |絞《しぼ》りて|伏屋《ふせや》に|立帰《たちかへ》る
|老人《らうじん》|夫婦《ふうふ》は|喜《よろこ》びて  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|神《かみ》の|教《のり》
|問《と》ひつ|問《と》はれつ|語《かた》り|合《あ》ひ  |雪《ゆき》|積《つ》む|春《はる》を|明《あ》けの|春《はる》
|梅《うめ》さへ|散《ち》りて|麦《むぎ》の|穂《ほ》の  |筆《ふで》を|含《ふく》みし|弥生空《やよひぞら》
バラモン|教《けう》の|友彦《ともひこ》が  |使《つかひ》と|称《しよう》して|入《い》り|来《きた》る
|留公《とめこう》|始《はじ》め|五人連《ごにんづ》れ  |門《かど》の|戸口《とぐち》に|顔《かほ》を|出《だ》し
|爺《ぢい》さん|婆《ば》さんに|打《う》ち|向《むか》ひ  |何《なに》かヒソビソ|語《かた》り|合《あ》ふ
|様子《やうす》|怪《あや》しと|戸《と》の|破《やぶ》れ  |垣間《かいま》|見《み》れば|五人連《ごにんづれ》
|形勢《けいせい》|不穏《ふおん》と|見《み》えしより  |始《はじ》めて|開《ひら》く|言霊《ことたま》の
|車《くるま》を|押《お》せば|忽《たちま》ちに  |踵《きびす》を|返《かへ》して|逃《に》げて|行《ゆ》く
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》の|幸《さち》を|目《ま》のあたり
|眺《なが》めて|神《かみ》の|大御稜威《おほみいづ》  【うまら】に|委曲《つばら》に|讃《たた》へつつ
そつと|此《この》|家《や》を|脱《ぬ》け|出《い》でて  |豆麦《まめむぎ》|茂《しげ》る|田圃路《たんぼみち》
|進《すす》み|来《きた》れる|折柄《をりから》に  |先《さき》に|来《きた》りし|留公《とめこう》が
|一人《ひとり》の|男《をとこ》と|何事《なにごと》か  |芋《いも》の|畑《はたけ》にいがみ|合《あ》ふ
おつとり|鍬《くは》を|振《ふり》あげて  |芋《いも》の|畑《はたけ》の|赤《あか》ん|坊《ぼ》を
|踏《ふ》んだ|踏《ふ》まぬと|心《こころ》まで  |捩鉢巻《ねぢはちまき》の|大喧嘩《おほげんくわ》
|仲裁《ちうさい》せむと|立《た》ち|寄《よ》りて  |折《をり》を|伺《うかが》ふ|一刹那《いちせつな》
|力《ちから》|限《かぎ》りに|田吾作《たごさく》が  |打下《うちおろ》したる|鍬《くは》の|尖《さき》
|留公《とめこう》ヒラリと|身《み》をかはし  |勢《いきほひ》|余《あま》つて|吾《わが》|足《あし》に
|力《ちから》|限《かぎ》りにかぶりつき  |小指《こゆび》を|一本《いつぽん》|喰《く》ひちぎる
|周章《あわて》ふためき|手《て》を|延《の》ばし  |親《おや》と|頼《たの》みし|小指《こゆび》をば
ついで|直《なほ》せば|裏表《うらおもて》  それより|忽《たちま》ち|田吾作《たごさく》は
|留公《とめこう》さんと|手《て》を|握《にぎ》り  |平和《へいわ》|談判《だんぱん》|締結《ていけつ》し
|目出度《めでた》く|進《すす》み|来《き》て|見《み》れば  |神《かみ》の|教《をしへ》の|友彦《ともひこ》が
|悠々然《いういうぜん》と|構《かま》へつつ  |天地《てんち》に|響《ひび》く|宣伝歌《せんでんか》
|耳《みみ》をすまして|聞《き》くからに  どことはなしに|善悪《ぜんあく》の
|差別《けじめ》も|分《わ》かぬ|言霊戦《ことたません》  |善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|判断《はんだん》に
|苦《くるし》み|佇《たたず》む|時《とき》もあれ  |留公《とめこう》さんが|進《すす》み|出《い》で
|俺《おれ》の|腕《うで》には|骨《ほね》がある  |早《はや》|返答《へんたふ》と|詰《つ》めかくる
|其《その》スタイルの|可笑《をか》しさに  |済《す》まぬ|事《こと》とは|知《し》り|乍《なが》ら
|思《おも》はず|知《し》らず|噴《ふ》き|出《い》だす  |続《つづ》いて|進《すす》む|田吾作《たごさく》が
|心《こころ》をこめた|宣伝歌《せんでんか》  |何《いづ》れ|劣《おと》らぬ|花紅葉《はなもみぢ》
|実《みの》りはせねど|紅葉《もみぢば》の  |上《うへ》に|閃《ひらめ》くプロペラの
|右《みぎ》と|左《ひだり》に|別《わか》れたる  |支離滅裂《しりめつれつ》の|大虚空《だいこくう》
|空《そら》|翔《た》つ|様《やう》な|宣《の》り|言《ごと》に  バラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》
|神《かみ》の|教《をしへ》の|友彦《ともひこ》が  |不意《ふい》を|喰《くら》つた|怪訝顔《けげんがほ》
|館《やかた》をめぐる|陥穽《おとしあな》  これぞ|金城鉄壁《きんじやうてつぺき》と
|頼《たの》みし|甲斐《かひ》も|荒男《あらを》の|子《こ》  |二人《ふたり》の|男《をとこ》と|友彦《ともひこ》の
|仲《なか》には|深《ふか》い|陥穽《かんせい》の  |近寄《ちかよ》り|難《がた》い|深溝《ふかみぞ》が
|忽《たちま》ち|茲《ここ》に|穿《うが》たれた  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして  |皇大神《すめおほかみ》の|御恵《みめぐ》みの
|深《ふか》き|尊《たふと》き|事《こと》の|由《よし》  |友彦司《ともひこつかさ》の|胸《むね》の|奥《おく》
|早《はや》く|照《て》らさせ|玉《たま》へかし  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |天《あめ》の|真浦《まうら》が|真心《まごころ》は
|救《すく》ひまつらにや|置《お》くべきか  |元《もと》は|天地《てんち》の|分霊《わけみたま》
|三五教《あななひけう》もバラモンも  |仕《つか》ふる|人《ひと》は|神《かみ》の|御子《みこ》
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|御心《みこころ》を  |直《なほ》させ|玉《たま》へ|神司《かむづかさ》
|天《あめ》の|真浦《まうら》が|真心《まごころ》を  |茲《ここ》に|披陳《ひちん》し|奉《たてまつ》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》るや|友彦《ともひこ》は|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》いてか、|忽《たちま》ち|裏門《うらもん》より|韋駄天《ゐだてん》|走《ばし》りに|駆出《かけいだ》し、|川《かは》にザンブと|飛《と》び|込《こ》み、|対岸《むかうぎし》|指《さ》して|流《なが》れ|渡《わた》りに|打渡《うちわた》り|老木《らうぼく》の|茂《しげ》みに|姿《すがた》を|没《ぼつ》したり。|桜《さくら》を|散《ち》らす|山嵐《やまあらし》、|川《かは》の|面《おもて》を|撫《な》でて、|魚鱗《ぎよりん》の|波《なみ》を|描《ゑが》いて|居《ゐ》る。|茲《ここ》に|真浦《まうら》は|留公《とめこう》、|田吾作《たごさく》を|始《はじ》め、|数多《あまた》の|里人《さとびと》に|歓迎《くわんげい》され、|武志《たけし》の|宮《みや》に|寄《よ》り|集《つど》ひて、|一同《いちどう》|感謝《かんしや》|祈願《きぐわん》を|奏上《そうじやう》し、|次《つ》いで|暫《しばら》く|松鷹彦《まつたかひこ》が|茅屋《ばうをく》に|足《あし》を|留《とど》むる|事《こと》となりける。
|四方《よも》の|山辺《やまべ》は|新緑《しんりよく》の  |衣《ころも》|着飾《きかざ》る|初夏《しよか》の|風《かぜ》
|釈迦《しやか》の|生《うま》れた|卯《う》の|月《つき》の  |空《そら》|晴《は》れ|渡《わた》る|後《のち》の|夜《よ》の
|寒《さむ》さに|震《ふる》ふ|月《つき》の|下《した》  |窓《まど》|引《ひき》あけて|眺《なが》むれば
|【新井】《あらい》すました|【如衣】宝珠《によいほつしゆ》  |頂《いただ》き|照《て》らす|【山】《やま》の|【上】《うへ》 新井如衣
|【郁太】《いくた》の|山《やま》の|高《たか》し|【郎】《らう》に  |光《ひかり》も|強《つよ》く|照《て》り|渡《わた》る 山上郁太郎
|和知《わち》の|流《なが》れは|淙々《そうそう》と  |波音《なみおと》|高《たか》く|自《おのづ》から
|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し  |山川草木《やまかはくさき》|一時《いちどき》に
|天地《てんち》|自然《しぜん》のダンスをば  |春《はる》の|名残《なごり》と|舞《ま》ひ|暮《くら》す
|山《やま》と|山《やま》との|【谷村】《たにむら》に  |【真】《まこと》の|【友】《とも》の|寄《よ》り|合《あ》ひて 谷村真友
|二十《はたち》の|巻《まき》の|物語《ものがたり》  |六六六《みろく》の|節《ふし》までやうやうに
|述《の》べつ|記《しる》して|【北村】《きたむら》の  |筆《ふで》の|剣《つるぎ》も|【隆光】《たかひか》る 北村隆光
|【出口】《でぐち》の|【王仁】《おに》が|口車《くちぐるま》  |横《よこ》に|押《お》すのを|【松村】氏《まつむらし》 出口王仁三郎
|心《こころ》も|【真澄】《ますみ》の|大御空《おほみそら》  |【外山】《とやま》の|頂《いただ》き|晴《は》れ|渡《わた》る 松村真澄
|【豊】《ゆた》かな|春【二】《はるに》|教子《をしへご》が  |六六《ろくろく》|夜《よる》も|寝《い》ねもせで 外山豊二
|六六六《ろくろくろく》の|物語《ものがたり》  |【加藤】《かとう》|結《むす》んだ|松《まつ》の|心《しん》 加藤明子
|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》が|香《か》の  |香《かを》りゆかしく|説《と》き|【明】《あ》かす
|時《とき》しもあれや|汽車《きしや》の|音《おと》  |本宮山《ほんぐうやま》の|麓《ふもと》をば
|矢《や》を|射《い》る|如《ごと》く|辷《すべ》り|行《ゆ》く  |一潟千里《いつしやせんり》の|勢《いきほひ》に
|火車《くわしや》の|車《くるま》は|走《はし》れども  |余《あま》り|日永《ひなが》に|草臥《くたび》れて
|辷《すべ》りあぐみし|口車《くちぐるま》  いよいよここに|留《とど》めおく
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひ|玉《たま》へかし。
(大正一一・五・一二 旧四・一六 加藤明子録)
第二篇 |運命《うんめい》の|綱《つな》
第五章 |親不知《おやしらず》〔六六七〕
|黄金《こがね》の|波《なみ》も|宇都山《うづやま》の  |山《やま》と|山《やま》との|谷間《たにあひ》を
|縫《ぬ》うて|流《なが》るる|宇都《うづ》の|川《かは》  |水《みづ》も|温《ぬる》みて|遡《のぼ》り|来《く》る
|真鯉《まごひ》|緋鯉《ひごひ》や|鮒《ふな》|雑魚《もろこ》  |鮎《あゆ》の|季節《きせつ》も|漸《やうや》くに
|漁《すなど》る|人《ひと》の|此処《ここ》|彼処《かしこ》  |中《なか》に|勝《すぐ》れて|背《せ》も|高《たか》く
|何《なん》とはなしに|逞《たくま》しき  |白髪《はくはつ》|異様《いやう》の|老人《らうじん》は
|立《た》つる|煙《けぶり》も|細竿《ほそざを》の  |先《さき》に|餌《ゑさ》をば|取《と》りつけて
|永《なが》き|春日《はるひ》を|過《す》ごさむと  |釣《つり》を|楽《たの》しむ|折柄《をりから》に
|川辺《かはべ》を|伝《つた》ひ|上《のぼ》り|来《く》る  |蓑笠《みのかさ》|着《つ》けた|二人連《ふたりづ》れ
|諸行無常《しよぎやうむじやう》|是生滅法《ぜしやうめつぽふ》  |生滅滅已《しやうめつめつい》|寂滅為楽《じやくめつゐらく》と|記《しる》したる
|菅《すげ》の|小笠《をがさ》を|頂《いただ》きつ  |金剛杖《こんがうづゑ》に|助《たす》けられ
|釣《つり》する|翁《おきな》の|前《まへ》に|立《た》ち  |釣《つ》れますかなと|阿呆面《あはうづら》
|翁《おきな》は|釣《つり》に|気《き》を|取《と》られ  |見向《みむ》きもやらぬもどかしさ
|行者《ぎやうじや》はツカツカ|側《そば》に|寄《よ》り  コレコレ|爺《ぢ》さまと|背《せな》|叩《たた》き
|釣《つ》れますかなと|又《また》|問《と》へば  |情《つれ》|無《な》い|浮世《うきよ》の|一人者《ひとりもの》
|婆《ばば》アは|川《かは》に|誤《あやま》つて  |寂滅為楽《じやくめつゐらく》となりました
|諸行無常《しよぎやうむじやう》の|世《よ》の|中《なか》の  |是生滅法《ぜしやうめつぽふ》の|道理《ことわり》に
|洩《も》れぬ|人生《じんせい》を|果敢《はか》なみて  |余生《よせい》を|送《おく》る|川《かは》の|辺《べ》の
|吾《わ》れは|松鷹彦翁《まつたかひこおきな》  |汝《なれ》は|夫婦《ふうふ》の|修験者《しうげんじや》
|本来《ほんらい》この|世《よ》は|無東西《むとうざい》  |何処有南北《かしようなんぼく》|此《こ》れ|宇宙《うちう》
|迷《まよ》ふが|故《ゆゑ》に|三界城《さんがいじやう》  |悟《さと》るが|故《ゆゑ》に|十方空《じつぱうくう》
|食《く》うて|糞《はこ》して|寝《ね》て|起《お》きて  さて|其《その》|後《あと》は|死《し》ぬるのみ
|是《こ》れが|人生《じんせい》の|通路《つうろ》ぞや  |汝《なんぢ》は|若《わか》い|年《とし》に|似《に》ず
|行者《ぎやうじや》になるは|何故《なにゆゑ》ぞ  |此《こ》れには|仔細《しさい》あるならむ
|委曲《つぶさ》に|語《かた》れと|促《うなが》せば  |若《わか》き|男《をとこ》は|笠《かさ》を|除《と》り
|蓑《みの》|脱《ぬ》ぎ|捨《す》てて|川《かは》の|辺《べ》に  どつかと|坐《ざ》して|目《め》を|拭《ぬぐ》ひ
バラモン|教《けう》の|修験者《しうげんじや》  |宗彦《むねひこ》お|勝《かつ》の|両人《りやうにん》が
|一粒種《ひとつぶだね》の|愛《いと》し|子《ご》に  |先立《さきだ》たれたる|悲《かな》しさに
|赤児《あかご》の|冥福《めいふく》|祈《いの》らむと  |二世《にせ》を|契《ちぎ》つた|妹《いも》と|背《せ》が
|足《あし》に|任《まか》せて|雲水《うんすゐ》の  |行衛《ゆくへ》|定《さだ》めぬ|草枕《くさまくら》
|旅《たび》に|出《い》でたる|其《その》|日《ひ》より  |憂《う》きを|三年《みとせ》の|夫婦《ふうふ》|連《づ》れ
|月日《つきひ》の|駒《こま》は|矢《や》の|如《ごと》く  |吾《わ》れを|見棄《みす》てて|流《なが》れ|行《ゆ》く
|二人《ふたり》の|果《は》ては|小夜砧《さよきぬた》  |宇都山川《うづやまがは》の|水音《みなおと》も
|悲《かな》しき|無情《むじやう》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》  |万有《ばんいう》|愛護《あいご》の|御教《みをしへ》を
|守《まも》る|吾等《われら》は|河海《かはうみ》に  |泛《うか》び|遊《あそ》べるうろくづの
|天津御神《あまつみかみ》の|精霊《せいれい》の  |宿《やど》り|玉《たま》うと|聞《き》くからに
|翁《おきな》の|釣《つり》を|見《み》るにつけ  |諸行無常《しよぎやうむじやう》の|感《かん》|深《ふか》し
|生者必滅《せいじやひつめつ》|会者定離《ゑしやぢやうり》  |世《よ》の|慣習《ならはし》と|云《い》ひ|乍《なが》ら
|釣魚《てうぎよ》の|歎《なげ》きは|目《ま》のあたり  |見《み》る|吾《われ》こそは|痛《いた》ましく
|彼《か》れが|菩提《ぼだい》を|弔《とむら》ひて  せめて|吾《わが》|子《こ》の|冥福《めいふく》を
|祈《いの》りやらむと|松鷹彦《まつたかひこ》が  |心《こころ》をこめて|釣《つ》りあげし
|鮒《ふな》や|雑魚《もろこ》の|死骸《なきがら》に  |両手《りやうて》を|合《あは》せ|拝《をが》み|居《ゐ》る
|松鷹彦《まつたかひこ》は|驚《おどろ》いて  |竿《さを》|投《な》げ|棄《す》てて|釣《つ》りし|魚《な》を
|川《かは》の|瀬《せ》|目蒐《めが》けて|放《はな》ちやり  |涙《なみだ》|流《なが》してスゴスゴと
|茅屋《あばらや》さして|帰《かへ》り|行《ゆ》く  |宗彦《むねひこ》お|勝《かつ》の|両人《りやうにん》は
|悲哀《ひあい》の|涙《なみだ》に|暮《く》れ|乍《なが》ら  |吐息《といき》つくづく|老人《らうじん》が
|後《あと》を|慕《した》うて|探《さぐ》り|行《ゆ》く。
|川辺《かはべ》に|建《た》てる|茅屋《あばらや》を、|宗彦《むねひこ》お|勝《かつ》の|両人《りやうにん》は、|漸《やうや》く|見《み》つけだし、|戸《と》の|外面《そとも》より、
『|頼《たの》もう|頼《たの》もう』
と|訪《おとな》へば、|中《なか》より|以前《いぜん》の|翁《おきな》、
|翁《おきな》『お|前《まへ》は、|最前《さいぜん》|逢《あ》うたバラモン|教《けう》の|巡礼《じゆんれい》だらう。わしはバラモン|教《けう》は|嫌《いや》だ。けれど|最前《さいぜん》お|前《まへ》の|言《い》つた|事《こと》に|少《すこ》しばかり|首《くび》を|傾《かたむ》けて|考《かんが》へねばならぬ|事《こと》が|有《あ》るやうだ。|此《この》|里《さと》はバラモン|教《けう》の|信者《しんじや》|許《ばか》りであつたが、つい|一年《いちねん》|許《ばか》り|前《まへ》から、|三五教《あななひけう》に|全村《ぜんそん》|挙《こぞ》つてなつたのだから、|表向《おもてむき》|這入《はい》つて|貰《もら》ふ|事《こと》は|出来《でき》ないのだが、|川辺《かはべり》の|一《ひと》つ|家《や》を|幸《さいは》ひ、|誰《たれ》も|見《み》て|居《ゐ》ないから、そつと|這入《はい》つて|下《くだ》され。わしも|此《この》|村《むら》の|武志《たけし》の|宮《みや》の|神主《かむぬし》をして|居《を》る|者《もの》だ。|婆《ばば》アに|先立《さきだ》たれ、|余《あま》り|淋《さび》しいので、|毎日日々《まいにちひにち》、|漁《すなど》りを|楽《たの》しみ、|婆《ばば》アの|霊前《れいぜん》に|清鮮《せいせん》な|魚《うを》を|供《そな》へて、せめてもの|慰《なぐさ》めとして|居《を》るのだ。それに|就《つい》てお|前《まへ》に|聞《き》きたい|事《こと》がある。サアサアお|這入《はい》りなさい』
|宗彦《むねひこ》『バラモン|教《けう》でも、|三五教《あななひけう》でも、|道理《だうり》に|二《ふた》つはない|筈《はず》だ。|開闢《かいびやく》の|初《はじめ》から、|火《ひ》は|熱《あつ》い|水《みづ》は|冷《つめ》たいと|云《い》ふ|事《こと》は、チヤンと|定《きま》つて|居《ゐ》る。それ|程《ほど》バラモン|教《けう》を|排斤《はいせき》するのならば、お|前《まへ》の|宅《うち》へ|這入《はい》る|事《こと》は|中止《ちゆうし》|致《いた》しませう。サアお|勝《かつ》、|行《ゆ》かうぢやないか』
|松鷹彦《まつたかひこ》『お|前《まへ》は|年《とし》が|若《わか》いので|直《すぐ》に|腹《はら》を|立《た》てるが、マアじつくりとお|茶《ちや》でも|飲《の》んで、|気《き》を|落《お》ち|着《つ》け、|話《はなし》の|交換《かうくわん》をしたらどうだな。わしも|一人暮《ひとりぐら》しで、|川端柳《かはばたやなぎ》ぢやないが、|水《みづ》の|流《なが》れを|見《み》て、クヨクヨと|世《よ》を|送《おく》る|者《もの》だから』
お|勝《かつ》『|宗彦《むねひこ》さま、お|爺《ぢい》さまの|仰有《おつしや》る|通《とほ》り、|一服《いつぷく》さして|貰《もら》ひませうか』
|宗彦《むねひこ》『そうだなア、そんならドツと|譲歩《じやうほ》して|這入《はい》つてやらうか』
|松鷹彦《まつたかひこ》『サアサア|這入《はい》つてやらつしやい……(|小声《こごゑ》で)……バラモン|教《けう》の|奴《やつ》は、どこまでも|剛腹《がうばら》な|奴《やつ》だなア』
と|呟《つぶや》き|乍《なが》ら|真黒《まつくろ》けの|土瓶《どびん》から、|忍草《にんぞう》の|茶《ちや》を|汲《く》んで|勧《すす》める。
|松鷹彦《まつたかひこ》『お|前《まへ》は、|見《み》ればまだ|若《わか》い|夫婦《ふうふ》と|見《み》えるが、|能《よ》う|其処《そこ》まで|発起《ほつき》したものだなア、|是《こ》れには|深《ふか》い|訳《わけ》が|有《あ》るだらう、|一《ひと》つ|聞《き》かして|貰《もら》ひたいものだ』
|宗彦《むねひこ》『|私《わたし》も|実《じつ》の|所《ところ》は、|来世《らいせ》が|怖《おそ》ろしくなつて|来《き》たので、|罪亡《つみほろ》ぼしに|巡礼《じゆんれい》となつて、|各地《かくち》の|霊山《れいざん》|霊場《れいぢやう》を|巡拝《じゆんぱい》し、|今日《けふ》で|殆《ほとん》ど|三年《さんねん》、この|自転倒島《おのころじま》を|廻《まは》つて|来《き》ました。|私《わたし》も|今《いま》こそ、|斯《か》うして|猫《ねこ》の|様《やう》に|温順《おとな》しくなつて|了《しま》つたが、|随分《ずゐぶん》|名代《なだい》の|悪者《わるもの》でしたよ。|家妻《かない》を|貰《もら》つては|赤裸《まつぱだか》にして|追出《おひだ》し、|押《おし》かけ|婿《むこ》にいつては、|其《その》|家《いへ》を|潰《つぶ》し、|何度《なんど》となく|嬶《かかあ》|泣《な》かせの|家潰《いへつぶ》しや、|後家倒《ごけだふ》し|借《か》り|倒《たふ》しなど、|悪《わる》い|事《こと》の|有《あ》らむ|限《かぎ》りを|尽《つく》して|来《き》た|所《ところ》、|最後《さいご》の|女房《にようばう》が|私《わたし》の|不身持《ふみもち》を|苦《く》にして、|裏《うら》の|溜池《ためいけ》へドンブリコとやつて、ブルブルブル、|波立《なみた》つ|泡《あわ》と|共《とも》に|寂滅為楽《じやくめつゐらく》となつて|了《しま》つた。それから|直《すぐ》に|此《この》お|勝《かつ》を|女房《にようばう》となし、|睦《むつま》じう|養家《やうか》の|財産《ざいさん》を|当《あて》に、|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|差向《さしむか》ひで、|酒《さけ》ばつかり|飲《の》んで|居《を》つた|所《ところ》、|嬶《かか》アの|霊《れい》を|祀《まつ》つた|霊壇《れいだん》から|夜半《よなか》|頃《ごろ》になると、ポーツポーツと|青白《あをじろ》い|火《ひ》が|燃《も》えて|来《く》る。|夫婦《ふうふ》の|者《もの》は|夜着《よぎ》を|被《かぶ》つて、|息《いき》を|凝《こ》らして|慄《ふる》へて|居《を》ると、|冷《つめ》たい|手《て》で|二人《ふたり》の|顔《かほ》を|撫《な》で|廻《まは》す|厭《いや》らしさ。|此奴《こいつ》ア|先妻《せんさい》のお|国《くに》の|亡霊《ばうれい》ぢやと|合点《がつてん》し、|一言《ひとこと》|謝罪《あやま》らうと|思《おも》うても、どうしたものか|声《こゑ》が|出《で》て|来《こ》ぬ。|長《なが》い|夜中《よるぢう》|厭《いや》らしい|声《こゑ》がする。|冷《つめ》たい|手《て》で|撫《な》でる。こいつア|堪《たま》らぬと、|朝《あさ》から|晩《ばん》までバラモン|教《けう》のお|経《きやう》を|唱《とな》へ|通《とほ》して|居《を》ると、|其《その》|夜《よ》はお|蔭《かげ》で|霊壇《れいだん》の|怪《くわい》は|止《や》んだ。さう|斯《か》うする|間《うち》に、ザアザアと|雨戸《あまど》を|叩《たた》く|音《おと》、それが|又《また》|死《し》んだ|女房《にようばう》の|声《こゑ》に|聞《きこ》えて|来《く》る。ソツと|窓《まど》から|透《すか》して|見《み》れば、お|国《くに》の|陥《はま》つた|前栽《せんざい》の|池《いけ》から、|白《しろ》い|煙《けぶり》が|盛《さかん》に|立昇《たちのぼ》り、|髪《かみ》|振《ふ》り|乱《みだ》した|青白《あをじろ》い|女房《にようばう》の|顔《かほ》、|恨《うら》めし|相《さう》に|家《いへ》の|中《なか》を|見詰《みつ》めて|居《を》る。そこで|女房《にようばう》に「|別《わか》れて|呉《く》れ、さうしたらお|国《くに》も|解脱《げだつ》するであらうから」と|何程《なにほど》|頼《たの》んでも、|此《この》お|勝《かつ》の|執念深《しふねんぶか》さ、|何《ど》うしても|斯《か》うしても|離《はな》れて|呉《く》れませぬ。「お|前《まへ》が|縁《えん》を|切《き》るなら|切《き》つて|下《くだ》さい。|池《いけ》に|身《み》を|投《な》げて|幽霊《いうれい》になり、お|国《くに》と|一緒《いつしよ》に|幽霊同盟会《いうれいどうめいくわい》を|組織《そしき》して|襲撃《しふげき》してやる」……とアタ|厭《いや》らしい|事《こと》を|吐《ぬか》しやがるので、|家《うち》に|居《を》る|事《こと》もならず、|巡礼姿《じゆんれいすがた》に|化《ば》けて|我《わが》|家《や》を|飛《と》び|出《だ》しました。さうすると|一年《いちねん》|程《ほど》|経《た》つた|春《はる》の|頃《ころ》、|辻堂《つじだう》の|前《まへ》を|通《とほ》れば、|一人《ひとり》の|女《をんな》が|癪気《しやくき》を|起《おこ》して|苦《くるし》んで|居《を》る。……「オイお|女中《ぢよちう》、|此《この》|人通《ひとどほ》りのない|辻堂《つじだう》で|嘸《さぞ》|御難儀《ごなんぎ》であらう、|介抱《かいほう》してあげませう」と|近寄《ちかよ》り|見《み》れば|豈《あに》|図《はか》らむや|執念深《しふねんぶか》い|此《この》お|勝《かつ》が|巡礼姿《じゆんれいすがた》になつて、|私《わたし》の|行衛《ゆくへ》を|探《さぐ》して|居《を》るのにベツタリ|出会《でつくは》し、アーア|何《なん》とした|甚《きつ》い|惚方《ほれかた》だらう、|蛇《へび》に|狙《ねら》はれた|様《やう》なものだ。こんな|事《こと》と|知《し》つたなら|黙《だま》つて|通《とほ》つたらよかつたのに……|神《かみ》ならぬ|身《み》の……アヽ|是非《ぜひ》もなやと、|天《てん》を|仰《あふ》いで|歎息《たんそく》して|居《ゐ》ました。|死《し》ねばよいのに、お|勝《かつ》の|奴《やつ》、|私《わたくし》の|顔《かほ》を|見《み》るなり、|癪《しやく》も|何《なに》もケロリと|忘《わす》れ、「アイタ、アイタ……イタイはイタイが|逢《あ》【いたかつた】のぢや」とぬかしやがる。……エ、|仕方《しかた》がない、|色男《いろをとこ》に|生《うま》れたが|我《わが》|身《み》の|不仕合《ふしあは》せ、と|因果腰《いんぐわごし》を|定《さだ》め、|嫌《きら》ひでもない|女房《にようばう》を……アタ|恰好《かつかう》の|悪《わる》くも|何《なん》ともない……かうして|伴《つ》れて|歩《ある》いて|居《を》りますのだ』
お|勝《かつ》『コレ|宗《むね》さま、|何《なに》を|言《い》ひなさる。そりやお|前《まへ》の|事《こと》ぢやらう。|飛《と》んで|出《で》たのは|妾《わたし》ぢやないか。お|前《まへ》、お|国《くに》の|亡霊《ばうれい》が|出《で》るのは、|妾《わたし》が|後妻《ごさい》に|入《い》り|込《こ》んだのがお|気《き》に|容《い》らぬのであらう。|妾《わたし》さへ|出《で》れば|家《いへ》は|無事《ぶじ》|太平《たいへい》、お|国《くに》の|霊《れい》も|解脱《げだつ》|遊《あそ》ばすに|違《ちがひ》ない。|是《こ》れ|丈《だけ》|惚《ほ》れた|爺《おやぢ》、|何《なん》と|言《い》つても|暇《ひま》を|呉《く》れる|気遣《きづかひ》はない、|妾《わたし》から|飛《と》び|出《だ》すのが|上分別《じやうふんべつ》だと、お|前《まへ》に|酒《さけ》をドツサリ|飲《の》まし、|夜陰《やいん》に|紛《まぎ》れて|巡礼姿《じゆんれいすがた》となり、バラモン|教《けう》のお|経《きやう》を|称《とな》へつつ、お|国《くに》の|冥福《めいふく》を|祈《いの》つて、|霊山《れいざん》|霊地《れいち》を|参拝《さんぱい》して|彷徨《さまよ》ふ|折《をり》しも、|辻堂《つじだう》の|中《なか》で|一人《ひとり》の|男《をとこ》が、|一尺《いつしやく》|位《くらゐ》な|光《ひか》る|物《もの》をニユツと|出《だ》し、|腹《はら》を|出《だ》して|自殺《じさつ》を|図《はか》らうとして|居《ゐ》る|者《もの》がある。|何処《いづこ》の|誰人《たれびと》かは|知《し》らねども、|是《こ》れが|見捨《みす》てて|行《ゆ》かれようかと、|吾《わが》|身《み》を|忘《わす》れて|躍《をど》りかかり、|其《その》|光《ひか》る|短刀《たんたう》をひつたくり、……「モシモシ|如何《いか》なる|事情《じじやう》か|知《し》りませぬが|生《せい》は|難《かた》く|死《し》は|易《やす》し、|先《ま》づ|先《ま》づ|気《き》を|落《お》ち|着《つ》けなさいませ」……と|女《をんな》の|細腕《ほそうで》に|全身《ぜんしん》の|力《ちから》を|籠《こ》めて|止《とど》むれば、「イヤどこのお|女中《ぢよちう》か|知《し》りませぬが、|私《わたし》はどうしても|死《し》なねばならぬ|深《ふか》い|理由《わけ》が|有《あ》る。お|慈悲《じひ》は|却《かへつ》て|無慈悲《むじひ》となる。どうぞ|此《この》|腕《うで》|放《はな》しやンせい」……と|無理《むり》に|振放《ふりはな》さうとする。|妾《わたし》はバラモン|教《けう》のお|経《きやう》を|一生懸命《いつしやうけんめい》に|唱《とな》へて|居《を》ると、|其《その》|男《をとこ》は……「|可愛《かはい》い|女房《にようばう》は|幽霊《いうれい》が|怖《こは》さに|家《いへ》を|飛《と》び|出《だ》し、|行衛《ゆくゑ》|不明《ふめい》となりました。|今迄《いままで》|沢山《たくさん》|女《をんな》も|有《も》つて|見《み》たが、あの|位《くらゐ》|気《き》の|好《よ》い、|綺麗《きれい》な|女房《にようばう》は|持《も》つた|事《こと》がない。あの|女房《にようばう》と|添《そ》はれぬのなら|此《この》|世《よ》の|中《なか》に|生《いき》て|居《を》つても、|何《なに》|楽《たのし》みも|無《な》い。|此《この》|広《ひろ》い|世《よ》の|中《なか》を|十年《じふねん》や|二十年《にじふねん》|探《さが》し|廻《まは》つた|所《ところ》で|会《あ》へるとも|会《あ》へぬとも|分《わか》りませぬ。|娑婆《しやば》の|苦《く》を|遁《のが》れる|為《ため》に、|此《この》|場《ば》で|腹《はら》|掻《か》き|切《き》つて|浄土《じやうど》|参《まゐ》りをするのだ。ヒヨツとしたら|女房《にようばう》も|先《さき》にいつてるかも|知《し》れませぬ」……と|云《い》つて|見《み》つともない、|女《をんな》の|一人《ひとり》|位《ぐらゐ》に|生命《いのち》を|捨《す》てようとする|馬鹿《ばか》な|奴《やつ》は、どこの|何者《なにもの》かと|能《よ》く|能《よ》く|月影《つきかげ》に|照《てら》して|見《み》れば、アタ|気色《きしよく》の|悪《わる》く|無《な》い、|此《この》|人《ひと》でしたよ。まるで|蛇《へび》に|狙《ねら》はれた|蛙《かへる》の|様《やう》なものだと、|因果《いんぐわ》を|定《さだ》めて、|此処《ここ》まで|随《つ》いて|来《き》てやつたのですよ』
|宗彦《むねひこ》は|真赤《まつか》な|顔《かほ》して|俯向《うつむ》く。|松鷹彦《まつたかひこ》は、
『アハヽヽヽ、|随分《ずゐぶん》おめでたいローマンスを|沢山《たくさん》に|拝聴《はいちやう》|致《いた》しました。|千僧万僧《せんぞうばんぞう》の|読経《どくきやう》よりも、|宅《うち》の|婆《ばば》アが|聴《き》いて|喜《よろこ》ぶ|事《こと》でせう。|此《この》|爺《ぢい》だつて|素《もと》より|木《き》や|石《いし》では|無《な》い。|若《わか》い|時《とき》にや、|随分《ずゐぶん》|情話《じやうわ》の|種《たね》を|蒔《ま》いたものだ。しかし|過越苦労《すぎこしくらう》は|止《や》めて|置《お》きませうかい。また|姑《しうとめ》の|十八《じふはち》を|言《い》つて|誇《ほこ》ると|思《おも》はれても|詰《つま》らぬからな、アハヽヽ。|併《しか》しお|前達《まへたち》はさうして|夫婦《ふうふ》|仲良《なかよ》く|意茶《いちや》つき|喧嘩《げんくわ》をチヨコチヨコやつて、|天下《てんか》を|遍歴《へんれき》して|居《を》れば|随分《ずゐぶん》|面白《おもしろ》からう。……わしもお|前等《まへら》|夫婦《ふうふ》の|苦楽《くらく》を|共《とも》にする|状態《じやうたい》を|見《み》て|羨《うらや》ましうなつて|来《き》た。どうしても|人間《にんげん》は|異性《いせい》が|付《つ》いて|居《を》らねば、|世《よ》の|中《なか》が|何《なん》ともなしに|寂《さび》しくて、|春《はる》の|暖《あたた》かい|日《ひ》も|冷《つめ》たい|様《やう》な|気分《きぶん》がするものだ』
|宗彦《むねひこ》『あなたのやうに|年《とし》が|寄《よ》つて、|行先《ゆくさき》の|短《みじか》い|爺《ぢい》さまでも、ヤツパリ|女房《にようばう》が|要《い》りますかなア』
|松鷹彦《まつたかひこ》『|定《きま》つた|事《こと》だよ。|雀《すずめ》|百《ひやく》まで|牝鳥《めんどり》|忘《わす》れぬと|云《い》つて、|年《とし》が|寄《よ》れば|寄《よ》る|程《ほど》、|皺苦茶婆《しわくちやばば》でも|恋《こひ》しうなるものだ。|夫婦《ふうふ》と|云《い》ふものは、|若《わか》い|時《とき》よりも|年《とし》が|寄《よ》つてから|本当《ほんたう》の|力《ちから》になるものだ。|若《わか》い|時《とき》には|春《はる》の|蝶《てふ》が|彼方《あちら》の|白《しろ》い|花《はな》や|此方《こちら》の|黄色《うこん》の|花《はな》に|飛《と》び|交《か》ひて、|花《はな》の|唇《くちびる》にキツスをする|様《やう》に、|花《はな》も|亦《また》|喜《よろこ》んで|受《う》けてくれるが、|斯《か》う|体中《からだぢう》に|皺《しわ》が|寄《よ》り、|皮《かは》が|余《あま》つて|来《き》、|竹笠《たけがさ》の|様《やう》に|骨《ほね》と|皮《かは》ばつかりになつて、|胃病《ゐびやう》の|看板然《かんばんぜん》と|痩衰《やせおとろ》へては、|誰《たれ》だつて|見向《みむ》いてもくれやしない。|其《その》|時《とき》には|本当《ほんたう》の|力《ちから》になつてくれる|者《もの》は、|爺《ぢい》に|対《たい》しては|婆《ばば》ア、|婆《ばば》アの|力《ちから》になる|者《もの》は|爺《ぢい》だ。|何程《なにほど》|可愛《かはい》い|子《こ》が|沢山《たくさん》|有《あ》つてもヤツパリ|大事《だいじ》の|話《はなし》は、|夫婦《ふうふ》でなければ、|打解《うちと》けて|話《はな》せるものぢやない。……アヽ|中年《ちうねん》に【やもを】|鳥《どり》になる|者《もの》|程《ほど》|不幸《ふかう》な|者《もの》は|有《あ》りませぬワイ』
|宗彦《むねひこ》『|若《わか》い|時《とき》の|心《こころ》と、|年《とし》の|寄《よ》つた|時《とき》の|心《こころ》とは、それ|丈《だけ》|違《ちが》ふものですかいな。|我々《われわれ》から|見《み》ると、|爺《ぢい》さまが|皺苦茶婆《しわくちやばば》を|可愛《かはい》がり、|婆《ばば》アが|又《また》|目《め》から|汁《しる》を|出《だ》し、|水《みづ》【ばな】を|垂《た》れ、|歯糞《はくそ》をためて|枯木《かれき》の|様《やう》になつた、|不潔《きたな》い|爺《おやぢ》を|大切《たいせつ》にするのを|見《み》ると|胸《むね》が|悪《わる》い|様《やう》な|気《き》がするものだが、なんと|人間《にんげん》と|云《い》ふものは|合点《がつてん》のゆかぬものですなア』
|松鷹彦《まつたかひこ》『お|前達《まへたち》は|庚申《かうしん》の|眷属《けんぞく》の|様《やう》に、あつちやの|枝《えだ》に|止《と》まつては|小便《せうべん》を|掛《か》け、こつちやの|枝《えだ》に|止《と》まつては|小便《せうべん》を|垂《た》れて、|結構《けつこう》な|人間《にんげん》を|弄物《おもちや》の|様《やう》に|取扱《とりあつか》ひ、|色《いろ》が|白《しろ》いの、|黒《くろ》いの、|背《せい》が|高《たか》いの|短《みじか》いのと、|小言《こごと》を|云《い》つて|居《ゐ》られるが、わしの|様《やう》な|世捨人《よすてびと》になつて|了《しま》へば、|誰《たれ》も|相手《あひて》になる|者《もの》はありやしない。|蚊《か》だつて|味《あぢ》が|悪《わる》いと|云《い》つて|吸《す》ひ|付《つ》きにも|来《き》てくれやしない。|本当《ほんたう》に|寂《さび》しいものだ。それで、せめて|婆《ばば》アの|幽霊《いうれい》になりと、|好《すき》な|魚《うを》を|毎日《まいにち》|供《そな》へてやつて、|追懐《つゐくわい》して|居《を》るのだ。わしの|真心《まごころ》が|通《かよ》うたと|見《み》えて、|婆《ばば》アは|毎晩《まいばん》|床《とこ》の|間《ま》に|現《あら》はれ、わしと|一緒《いつしよ》に|飯《めし》も|食《く》ひ、|茶《ちや》も|飲《の》み、それはそれは|大切《たいせつ》にしてくれるが、|併《しか》し|何《なん》となしに|便《たよ》りないものだ。|嬉《うれ》しいと|云《い》ふ|表情《へうじやう》は|見《み》せるが、|唯《ただ》の|一言《ひとこと》も|爺《ぢい》さまとも、|爺《おやぢ》どのとも|言《い》やアしない。|是《こ》れ|丈《だけ》が|現幽《げんいう》|処《ところ》を|異《こと》にした|為《ため》でもあらうが、どうぞお|前《まへ》さまも|今晩《こんばん》|泊《とま》つて、|婆《ばば》アの|幽霊《いうれい》を|一遍《いつぺん》|見《み》なさつたらどうだ。お|茶《ちや》|位《くらゐ》は|汲《く》んでくれるなり、|冷《つめ》たい|手《て》でお|前《まへ》の|様《やう》な|若《わか》い|男《をとこ》なら|握手《あくしゆ》して|呉《く》れるかも|知《し》れやしないぞ。そりやマア|親切《しんせつ》な|者《もの》だ。|死《し》んでからでも、|斯《こ》んな|目脂《めやに》、|鼻汁《はなじる》を|垂《た》れる|爺《ぢい》を|慕《した》うて|来《く》るのだから、わしもドツかに|好《い》い|所《ところ》があるのだらう、アハヽヽヽ』
|宗彦《むねひこ》『お|爺《ぢい》さま|本当《ほんたう》に|出《で》るのかい。……イヤお|出《で》ましになるのかい。|私《わたし》はもう|幽《いう》サン|丈《だけ》は|真平《まつぴら》|御免《ごめん》だ。|併《しか》し|随分《ずゐぶん》よう|惚《のろ》けたものですな』
|松鷹彦《まつたかひこ》『きまつた|事《こと》だよ。|淋《さび》しい【やもを】の|前《まへ》で|艶《つや》つぽい|意茶《いちや》つき|話《ばなし》を|聞《き》かされて、|大変《たいへん》にわしも|若《わか》やいだ。|返礼《へんれい》の|為《ため》に|一寸《ちよつと》|秘密《ひみつ》の|倉《くら》を|開《あ》けて|見《み》せたのだ。|夫婦《ふうふ》と|云《い》ふものはマアざつと|斯《こ》んなものだ。|夫婦《ふうふ》の|中《なか》の|愛情《あいじやう》は|若《わか》いお|方《かた》には|一寸《ちよつと》には|分《わか》るものぢやない。|併《しか》しお|前《まへ》さまは|最前《さいぜん》|柳《やなぎ》の|木《き》の|側《そば》で、|私《わし》が|釣《つり》して|居《ゐ》る|時《とき》に、|一粒種《ひとつぶだね》の|子《こ》に|放《はな》れたのが|悲《かな》しさに|巡礼《じゆんれい》に|廻《まは》つたと|云《い》うたぢやないか。|今《いま》|聞《き》けば|子《こ》に|別《わか》れたと|言《い》ふのは|全《まつた》くの|嘘《うそ》だらう。そんな|憐《あは》れつぽい|事《こと》を|云《い》つて、|世人《よびと》の|同情《どうじやう》を|買《か》ひ、|殊勝《しゆしよう》な|若夫婦《わかふうふ》だと|言《い》はれようと|思《おも》つて|嘘八百《うそはつぴやく》を|言《い》ひ|並《なら》べて|歩《ある》くのだらう』
|宗彦《むねひこ》『|本来無東西《ほんらいむとうざい》、|何処有南北《かしようなんぼく》、|色即是空《しきそくぜくう》、|空即是色《くうそくぜしき》、|有《あ》ると|思《おも》へば|有《あ》る、|無《な》いと|思《おも》へば|無《な》い。|死《し》んだと|思《おも》へばヤツパリ|死《し》んだのぢや。|併《しか》し|私《わたし》の|子《こ》を|殺《ころ》したと|云《い》ふのは、ホギヤホギヤと|唄《うた》ふ|子《こ》ぢやない。|日《ひ》が|暮《く》れるのを|待《ま》ち|兼《か》ねて|妙《めう》な|手《て》つきをして…コレコレ|宗彦《むねひこ》さま、|夜《よ》も|大分《だいぶ》に|更《ふ》けました。|隣《となり》のお|竹《たけ》さまはモウ|就寝《やすま》しやつたと|見《み》えて|砧《きぬた》の|音《おと》が|止《と》まつた。あんたも|好《い》い|加減《かげん》にお|就寝《やす》みなさいませ。|又《また》|明日《あす》が|大事《だいじ》ですから……と|妙《めう》な|目付《めつき》して|褥《しとね》を|布《し》いて|呉《く》れる……|猫《ねこ》が|死《し》んだと|云《い》ふのだ。|猫《ねこ》かと|思《おも》へばチウチウと|啼《な》く|事《こと》もある。|猫《ねこ》か|鼠《ねずみ》か|赤《あか》ん|坊《ばう》か|知《し》らぬが、わしはマア、ニヤンチウ|運《うん》の|悪《わる》いものだと、ミカシラベにハラバヒ、|御足辺《みあしべ》にハラバヒテ|泣《な》き|給《たま》ふ|時《とき》|現《あ》れませる|神《かみ》は、ウネヲのコノモトにます|泣沢女《なきさはめ》の|神《かみ》と|云《い》ふ』
|松鷹彦《まつたかひこ》『アハヽヽヽ、それは|古事記《こじき》の|焼《や》き|直《なほ》しぢやないか』
|宗彦《むねひこ》『|古事記《こじき》の|焼《や》き|直《なほ》しぢやから、|若夫婦《わかふうふ》が|乞食《こじき》に|歩《ある》いとるのだ。お|前《まへ》さまも|年《とし》を|老《と》つた|癖《くせ》に|合点《がつてん》の|悪《わる》い|人《ひと》だな。|余程《よほど》|耄碌《まうろく》したと|見《み》えるワイ。|太公望《たいこうばう》|気取《きど》りで、|何時《いつ》まで|川《かは》の|縁《ふち》で|魚《うを》を|釣《つ》つて|居《を》つても、|西伯文王《せいはくぶんわう》は|釣《つ》れやしない。|婆《ばば》アの|幽霊《いうれい》だつて|喰《く》ひ|付《つ》きやしませぬぞえ。|良《い》い|加減《かげん》に|諦《あきら》めて、|殺生《せつしやう》は|廃《や》めなされ。|【五生】《ごしやう》が|大事《だいじ》だ、そんな|【六生】《ろくしやう》な|事《こと》をすると|【七生】《しちしやう》|迄《まで》|浮《うか》ばれぬからなア。|今《いま》|斯《か》うして|婆《ば》アさまの|噂《うはさ》をして|居《を》ると、|冥土《めいど》に|御座《ござ》るお|竹《たけ》さまが|今頃《いまごろ》にや|【八九生】《はつくしやう》と|嚔《くさめ》でもして|居《を》るだらう。|【十生】《としやう》も|無《な》い|爺《おやぢ》だと|恨《うら》んで|御座《ござ》るであらうのに、|思《おも》へば|思《おも》へばお|爺《ぢい》さま、|私《わたし》も|身《み》に|詰《つま》されて、|悲《かな》しうも|何《なん》ともありませぬワイ。……アンアンアン』
と|目《め》に|唾《つばき》を|付《つ》け|泣《な》いて|見《み》せる。
|松鷹彦《まつたかひこ》『|年《とし》が|寄《よ》つて|目《め》がウトイと|思《おも》つて、そんな|俄作《にはかづく》りの|同情《どうじやう》の|涙《なみだ》を|零《こぼ》して|見《み》せても、|声《こゑ》の|色《いろ》に|現《あらは》れて|居《を》る。お|前《まへ》さまアタむさくるしい。|唾《つば》を|日月《じつげつ》にも|譬《たとへ》ふべき|両眼《りやうがん》にこすりつけて、そんな|虚礼虚式的《きよれいきよしきてき》な|巧言《じやうず》は|廃《や》めて|貰《もら》ひませうかい。|本当《ほんたう》に|唾棄《だき》すべき|心事《しんじ》と|云《い》ふのは|常習《じやうしふ》|乞食《こじき》の|遍歴《へんれき》|行者《ぎやうじや》の|馬鹿《ばか》|夫婦《ふうふ》……オツトドツコイ|若夫婦連《わかめおとづ》れ、モウモウわしも|何《なん》だか|胸《むね》が|悪《わる》くなつて|来《き》た。サアサア|早《はや》く|此処《ここ》を|立《た》つて|貰《もら》ひませう』
|宗彦《むねひこ》『ハハア、|俺《おれ》が|宗彦《むねひこ》ぢやと|思《おも》つて、|胸《むね》が|悪《わる》うなつたなぞと、|爺《ぢい》さま|随分《ずゐぶん》|腹《はら》が|悪《わる》いな』
|松鷹彦《まつたかひこ》『|腹《はら》が|悪《わる》いから、ムカつくのだよ。|此《この》|冬枯《ふゆが》れの|木《き》の|様《やう》な|寂《さび》しい|爺《ぢぢ》イの|所《とこ》へ|出《で》て|来《き》て、お|安《やす》くもないローマンスを|見《み》せ|付《つ》けられて|堪《たま》るものかい。お|前《まへ》も|世界《せかい》を|遍歴《へんれき》して、|苦労《くらう》の|味《あぢ》が|分《わか》つて|居《を》るなら、|気《き》を|利《き》かして、トツトと|帰《かへ》つたらどうだ。|併《しか》し|乍《なが》らウラル|教《けう》の|言《い》ひ|草《ぐさ》だないが、|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》の|夜《よ》だ、|諸行無常《しよぎやうむじやう》だ。|随分《ずゐぶん》|足許《あしもと》に|気《き》を|付《つ》けて|行《ゆ》きなされ。|左様《さやう》なら……』
お|勝《かつ》『モシモシお|爺《ぢい》さま、|此《この》|宗彦《むねひこ》はチツト|智慧《ちゑ》を|落《おと》して|来《き》てますから、どうぞ|気《き》に|障《さ》へて|下《くだ》さいますな。|妾《わたし》だつて|斯《こ》んな|分《わか》らずやと|旅行《りよかう》するのは、|【胸】《むね》が|悪《わる》いのだけれど、|妾《わたし》が|【尻】《しり》を|振《ふ》れば|宗《むね》さまが|【腹】《はら》を|立《た》て、|【腰】《こし》を|据《す》ゑて|頑張《ぐわんば》り、|【手】《て》にも|【足】《あし》にも|合《あ》はないから、|【口】惜《くや》し|乍《なが》ら|【目】《め》を|塞《ふさ》いで、|【鼻】持《はなもち》ならぬ|香《にほひ》のする|男《をとこ》を|連《つ》れて|歩《ある》いて|居《を》るのだ。|本当《ほんたう》に|好《す》かぬたらしい|野郎《やらう》ですよ』
|宗彦《むねひこ》『コラコラお|勝《かつ》、|貴様《きさま》は|何処《どこ》までも|夫《をつと》を|馬鹿《ばか》にするのか』
お|勝《かつ》『ヘン、|夫《をつと》なんて、|膃肭臍《をつとせい》が|聞《き》いて|呆《あき》れますワイ。お|前《まへ》さまは|人《ひと》の|宅《うち》を、|女房《にようばう》の|有《あ》る|身《み》を|以《もつ》て、|毎晩々々《まいばんまいばん》|連子《れんじ》の|窓《まど》を|覗《のぞ》きに|来《き》て、|水門壺《すゐもんつぼ》へ|落込《おちこ》み|恥《は》ぢをかき、|結局《しまひのはて》にはお|勝《かつ》さまを|呉《く》れねば、|死《し》ぬとか、|走《はし》るとか、|男《をとこ》らしうもない|吠面《ほえづら》かわいて、|近所《きんじよ》|合壁《がつぺき》に|迷惑《めいわく》を|掛《か》けたぢやないか。それを|先妻《せんさい》のお|国《くに》さまが|苦《く》にして|病気《びやうき》を|起《おこ》し、とうとう|帰《かへ》らぬ|旅《たび》に|赴《おもむ》かしやつた。|墓《はか》の|土《つち》のまだ|乾《かわ》かぬ|前《さき》に、|無理矢理《むりやり》に|妾《わたし》を|是非《ぜひ》|共《とも》と|言《い》つて、ひつぱり|込《こ》んだと|云《い》ふデレさんだから、|妾《わたし》もホトホトと|愛想《あいさう》が|尽《つ》きて|来《き》た。|三文一文《さんもんいちもん》|助《たす》けて|貰《もら》うたのでもなし。|嫁入《よめいり》に|持《も》つていつた|着物《きもの》も|帯《おび》も、|何《なに》も|何《か》も|六一銀行《ろくいちぎんかう》へ|無期徒刑《むきとけい》に|落《おと》して|了《しま》ひ、|本当《ほんたう》に|仕方《しかた》のない|男《をとこ》だよ。|誰《たれ》か|目鼻《めはな》のついた|女《をんな》が|出《で》て|来《き》て、お|前《まへ》を|喰《く》はへて|帰《い》んで|呉《く》れるものがないかと、|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|聞《きこ》えぬ|様《やう》に|暗祈黙祷《あんきもくたう》を|続《つづ》けて|居《を》るのだが、|根《ね》つから、|金勝要大神《きんかつかねのおほかみ》さまもどうなさつたのか、|添《そ》ひたい|縁《えん》なら|添《そ》はしてもやらう、|切《き》りたい|縁《えん》なら|切《き》つてもやらうと|仰有《おつしや》る|癖《くせ》に、|此《この》|頃《ごろ》は|神《かみ》さまも|聾《つんぼ》になられたと|見《み》えて、|見向《みむ》きもして|下《くだ》さらない。……アヽ|残念《ざんねん》な、|口惜《くや》しい、……わしはお|国《くに》の|霊魂《れいこん》ぢや、アンアンアン』
|宗彦《むねひこ》『|何《なん》だ、|最前《さいぜん》から|俺《おれ》の……|善《よ》くもない|事《こと》の|棚卸《たなおろし》ばつかりやりやがると|思《おも》へば、お|国《くに》と|二人連《ふたりづれ》だな。|随分《ずゐぶん》|厭《いや》らしい|奴《やつ》を|連《つ》れて|歩《ある》いたものだワい』
お|勝《かつ》『|半顕半幽《はんけんはんいう》だよ。|幽顕一致《いうけんいつち》、|霊魂《みたま》の【|奥《おく》にはおくに】さまが|納《をさ》まつて|御座《ござ》るのだ。お|国《くに》は|何処《いづこ》と|尋《たづ》ねて|見《み》れば、……アイわたしは|阿波《あは》の|徳島《とくしま》で|御座《ござ》ります、……と|云《い》ふ|様《やう》なものです、オホヽヽヽ』
|宗彦《むねひこ》『|爺《おやぢ》さま、|一《ひと》つ……あなたも|武志《たけし》の|宮《みや》の|神主《かむぬし》さまと|云《い》ふ|事《こと》だから、|一遍《いつぺん》|此奴《こいつ》を|審神《さには》して|下《くだ》さらぬか。お|国《くに》を|放《ほ》り|出《だ》して、お|勝《かつ》の|本当《ほんたう》の|肉体《にくたい》ばつかりにして|下《くだ》さいな』
|松鷹彦《まつたかひこ》『ソリヤお|前《まへ》さま|可《い》けませぬぞえ。|結構《けつこう》な|神様《かみさま》の|御神懸《おかむがか》りだ。|国常立尊《くにとこたちのみこと》|様《さま》の|御分霊《ごぶんれい》かも|知《し》れんぞや。イロイロに|化《ば》けて|化《ば》けて|此《この》|世《よ》を|御守護《ごしゆご》なさる|神様《かみさま》ぢやから……|天勝国勝《あまかつくにかつ》と|云《い》つて、お|国様《くにさま》がお|懸《かか》りなさつて|御守護《ごしゆご》して|御座《ござ》るのだ。さうしてお|前《まへ》は|女房《にようばう》のお|勝《かつ》に|甘《あま》いだらう。そこでアマカツ、|国《くに》カツだ。……|結構《けつこう》な|国所《くにとこ》を|立《た》ち|退《の》いて|来《き》たから、|国所立《くにとこた》ち|退《の》きの|命様《みことさま》の|御守護《ごしゆご》だよ。|俺《わし》の|様《やう》な|者《もの》がウツカリ|審神《さには》でもしようものなら、それこそ|又《また》|俺《わし》が|憑《の》りうつられて、|年《とし》が|寄《よ》つてから|住《す》み|慣《な》れし|第二《だいに》の|故郷《こきやう》を|後《あと》に|国所立退《くにとこたちの》きの|命《みこと》にならねばならぬから、マア|此《この》|審判《さには》は|御免《ごめん》|蒙《かうむ》らうかい』
お|勝《かつ》|俄《にはか》に|体《からだ》を|振《ふ》り、|神懸《かむがか》り|状態《じやうたい》になり、
お|勝《かつ》『|金勝要大神《きんかつかねのおほかみ》であるぞよ。|切《き》りたい|縁《えん》なら|切《き》つてもやらう。|添《そ》ひたい|縁《えん》なら|添《そ》はしてはやらぬぞよ。|宗彦《むねひこ》は|今迄《いままで》|沢山《たくさん》な|女《をんな》をチヨロまかした|罪悪《ざいあく》の|報《むく》いに|依《よ》りて、|唯今《ただいま》|限《かぎ》りお|勝《かつ》との|縁《えん》を|切《き》るぞよ。ウーンウンウン』
|松鷹彦《まつたかひこ》『アハヽヽヽ、お|勝《かつ》さま、ウマイウマイ、モウ|一《ひと》しきり|神懸《かむがか》りをやつて|下《くだ》さい。|此奴《こいつ》アどう|考《かんが》へても|私憑《しひよう》だ。コレコレ|宗彦《むねひこ》さま、|胸《むね》に|手《て》を|当《あ》てて、|今迄《いままで》の|事《こと》を|能《よ》う|考《かんが》へて|見《み》るが|宜《よ》い。|神様《かみさま》は|決《けつ》して|無理《むり》な|事《こと》は|仰有《おつしや》いませぬぞ』
|宗彦《むねひこ》『そうだつて、|私《わたし》の|女房《にようばう》を、|頼《たの》みもせぬのに、|縁《えん》を|切《き》るとはあまりだ。|切《き》ると|云《い》つても、|金輪際《こんりんざい》こつちから|切《き》りませぬワイ』
お|勝《かつ》『エー|思《おも》ひ|切《き》りの|悪《わる》い|男《をとこ》だなア。それだから|此《この》|肉体《にくたい》が|嫌《きら》ふのだ。|男《をとこ》は|断《だん》の|一字《いちじ》が|肝腎《かんじん》だ。どうだ|是《こ》れから|此《この》|肉体《にくたい》に|先妻《せんさい》のお|国《くに》に、お|光《みつ》、お|福《ふく》、お|三《さん》、お|四《よ》つ、お|市《いち》、お|高《たか》が|同盟軍《どうめいぐん》を|作《つく》つて|憑依《ひようい》して|来《く》るが、それでも|其《その》|方《はう》はまだ|未練《みれん》があるか、どうだ|厭《いや》らしい|事《こと》はないか』
|宗彦《むねひこ》『|何《なに》が|厭《いや》らしいかい。どれもこれも|因縁《いんねん》あつて|仮令《たとへ》|三日《みつか》でも|夫婦《ふうふ》になつた|仲《なか》ぢや、|肉体《にくたい》の|有《あ》る|女房《にようばう》を|数多《やつと》|連《つ》れて|居《を》ると、|経済上《けいざいじやう》|困《こま》るが、|物《もの》も|喰《く》はん|嬶《かか》アなら、|千人《せんにん》でも|万人《まんにん》でも|出《で》て|来《こ》い。アーア|色男《いろをとこ》と|云《い》ふものは|偉《えら》いものだ。|幽冥界《いうめいかい》からまでもヤツパリ|電波《でんぱ》を|送《おく》ると|見《み》える。|何《なん》だか|知《し》らぬが、|肩《かた》が|重《おも》くなつたと|思《おも》へば、|此《こ》れ|丈《だけ》|沢山《たくさん》な|女房《にようばう》に|対《たい》し、|責任《せきにん》を|双肩《さうけん》に|担《にな》つて|居《ゐ》るのだから|無理《むり》もないワイ。|正式《せいしき》|結婚《けつこん》の|女房《にようばう》の|霊《れい》も、|準正式《じゆんせいしき》も、|雑式《ざつしき》も、|野合《やがふ》も|何《なに》も|彼《か》もやつて|来《こ》い。|此《この》|頃《ごろ》は|多数決《たすうけつ》の|流行《はや》る|時節《じせつ》だ。|何程《なにほど》|偉《えら》い|者《もの》だつて|少数党《せうすうたう》では|目醒《めざ》ましい|仕事《しごと》は|出来《でき》やしないワ』
|松鷹彦《まつたかひこ》『オホヽヽヽ、|宗彦《むねひこ》さま、お|前《まへ》の|背後《うしろ》を|一寸《ちよつと》|御覧《ごらん》、|針金《はりがね》の|妄念《もうねん》の|様《やう》な、|蟷螂腕《かまきりかひな》を|出《だ》して|餓利法師《がりぼし》が|踊《をど》つて|居《ゐ》るぢやないか』
|宗彦《むねひこ》『アヽそんな|事《こと》|言《い》うて|下《くだ》さるな。|見《み》さへせねば|良《い》いのだ。|目《め》|程《ほど》|不潔《きたな》いものの、|恐《おそ》ろしいものはない』
お|勝《かつ》は『ウーン、ドスン』を|腰《こし》を|下《おろ》し、ケロリとした|顔《かほ》で、
お|勝《かつ》『|宗《むね》サン、|妾《わたし》|何《なに》か|言《い》ひましたかな。|夢《ゆめ》でも|見《み》とつたのか|知《し》らぬ。|沢山《たくさん》な|厭《いや》らしい|亡者《まうじや》が、|柳《やなぎ》の|木《き》の|麓《ふもと》で、「|宗彦《むねひこ》は|生前《せいぜん》に|我々《われわれ》を|機械扱《きかいあつか》ひにしよつたから、|今晩《こんばん》は|餓鬼《がき》も|人数《にんず》だ。|力《ちから》を|協《あは》して、|素首《そつくび》を|引《ひ》き|抜《ぬ》いてやらう」と|相談《そうだん》して|居《を》りましたよ。その|時《とき》に|妾《わたし》にも|同盟《どうめい》せいと|言《い》はれたのです。けれども、あまりお|前《まへ》さまが|可哀相《かはいさう》だから「さう|皆《みな》さま|慌《あわて》るに|及《およ》びませぬ。|何《いづ》れ|彼奴《あいつ》も|年《とし》が|寄《よ》つたら|此処《ここ》へ|来《く》るのだから、|其《その》|時《とき》に|苛《いぢ》めてやりさへすれば|良《い》いだないか」と|一時遁《いちじのが》れに|其《その》|場《ば》を|切《き》り|抜《ぬ》けようとしたが、|中々《なかなか》|亡者《まうじや》の|連中《れんちう》|聞《き》きませぬがな。|今《いま》の|間《うち》に|宗《むね》サンの|生命《いのち》を|取《と》らねば、|死《し》ぬ|迄《まで》|待《ま》つて|居《を》つたら|我々《われわれ》は|又《また》もや|現界《げんかい》に|生《うま》れ|替《かは》り、|幽冥界《いうめいかい》は|不在《るす》になつて|了《しま》ふ。そうだから|讎《かたき》を|討《う》つのは|今《いま》の|内《うち》だと|言《い》つて、それはそれはエライ|勢《いきほひ》でしたよ。|用心《ようじん》しなさいや』
|宗彦《むねひこ》『そりや|貴様《きさま》、|本当《ほんたう》か、|嘘《うそ》ぢやないか』
お|勝《かつ》『|嘘《うそ》か|本真《ほんま》か、|今晩中《こんばんちう》に|分《わか》りますわいな』
|宗彦《むねひこ》『そら|分《わか》るだらうが……どちらだ。|実際《ほんま》か、|虚言《うそ》か|聞《き》かして|呉《く》れ』
お|勝《かつ》『|幽冥《いうめい》の|秘《ひ》、|妄《みだ》りに|語《かた》る|可《べか》らずと、どこともなしに|神様《かみさま》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えました。マア|今迄《いままで》の|年貢《ねんぐ》|納《をさ》めだと|思《おも》つて、|楽《たのし》んで|日《ひ》の|暮《く》れるのを|待《ま》ちなさい。あのマア|青《あを》い|顔《かほ》、オホヽヽヽ』
|宗彦《むねひこ》『お|爺《ぢい》さま、|大変《たいへん》な|事《こと》になつて|来《き》た。|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》ると、|忽《たちま》ち|此処《ここ》に【やもめ】が|一人《ひとり》|出来《でき》ますワイ。|何《なん》とかして|助《たす》けて|下《くだ》さいなア』
|松鷹彦《まつたかひこ》『わしも|此《この》|村《むら》で【やもを】の|連《つ》れが|無《な》うて、|寂《さび》しうて|困《こま》つて|居《を》つたのだから、お|前《まへ》さまも|早《はや》く【やもめ】が|出来《でき》る|様《やう》に|死《し》なつしやい、それの|方《はう》が|結句《けつく》|気楽《きらく》で|宜《よ》からうぞい』
|宗彦《むねひこ》『|何《なに》が|何《なん》だか、サツパリ|分《わか》らぬ|様《やう》になつて|来《き》たワイ。|夢《ゆめ》でも|見《み》とるのでは|有《あ》るまいかなア』
と|頻《しき》りに|頬《ほほ》を|抓《つめ》つて|見《み》て|居《ゐ》る。かかる|所《ところ》へ|捻鉢巻《ねぢはちまき》をした|二人《ふたり》の|男《をとこ》、|慌《あわ》ただしく|入《い》り|来《きた》り、
|留公《とめこう》『|松鷹彦《まつたかひこ》の|神主《かむぬし》さま、お|前《まへ》は|聞《き》く|所《ところ》に|依《よ》れば、|又《また》してもバラモン|教《けう》の|行者《ぎやうじや》を|引張込《ひつぱりこ》んで、しやうもないお|説教《せつけう》を|聴聞《ちやうもん》しとると|云《い》ふ|事《こと》だ。さう|猫《ねこ》の|目《め》の|様《やう》にクレクレと|精神《せいしん》を|変《か》へて|貰《もら》うと、|村《むら》の|者《もの》が|迷《まよ》つて|仕方《しかた》がない。|一体《いつたい》どうする|量見《りやうけん》だ。お|竹《たけ》さまが|死《し》んでから、お|前《まへ》さまは|益々《ますます》|変《へん》になつたぢやないか』
|松鷹彦《まつたかひこ》『チツトは|変《へん》にならうかい』
|留公《とめこう》『|変《へん》にもならうかいも|有《あ》つたものかい。|改心《かいしん》して|殺生《せつしやう》を|止《や》め、|神妙《しんめう》にお|宮《みや》さまの|御用《ごよう》を|勤《つと》めたらどうだ。あんまりお|前《まへ》の|行《おこな》ひが|悪《わる》いので、|村《むら》の|者《もの》が|此間《こなひだ》も|庚申待《かうしんまち》に|集《よ》つてお|前《まへ》をおつ|放《ぽ》り|出《だ》し、|三五教《あななひけう》の|真浦《まうら》さまを|跡釜《あとがま》に|据《す》わつて|貰《もら》はうと|云《い》ふ|相談《そうだん》があつたぞ。こんな|事《こと》ども|村《むら》の|連中《れんちう》に|聞《きこ》えようものなら、それこそ|今日《けふ》|限《かぎ》り|叩《たた》き|払《ばらひ》だ。そうなればお|前《まへ》さまも|可哀相《かはいさう》だからと|思《おも》つて、|気《き》を|注《つ》けに|来《き》たのだ。お|春《はる》やお|弓《ゆみ》の|奴《やつ》、チヤンと|知《し》つて、|俺《おれ》に|話《はな》しよつたから、|俺《おれ》は|決《けつ》して|誰《たれ》にも|言《い》ふぢやないと|口止《くちど》めをして|来《き》たのぢや。どうだ|止《や》めて|下《くだ》さるか』
|松鷹彦《まつたかひこ》『わしは|武志《たけし》の|宮《みや》の|神様《かみさま》にお|仕《つか》へして|居《を》るのだ。|決《けつ》して|村《むら》の|人間《にんげん》のお|給仕役《きふじやく》ぢやない。|神様《かみさま》から|命《めい》じられたものを|人間《にんげん》が|寄《よ》つて|集《たか》つて|動《うご》かさうとした|所《ところ》で、そいつア|駄目《だめ》だ。そう|云《い》ふ|事《こと》をすると|村中《むらぢう》に|神罰《しんばつ》が|当《あた》つて、|米《こめ》も|麦《むぎ》も|穫《と》れぬ|様《やう》な|饑饉《ききん》が|出《で》て|来《く》るぞや』
|田吾作《たごさく》『お|爺《やぢ》さま、お|前《まへ》の|仰有《おつしや》るこたア|一応《いちおう》|尤《もつと》もだが、ヤツパリ|人間《にんげん》の|皮《かは》を|被《かぶ》つて|居《ゐ》る|以上《いじやう》は、|人間《にんげん》の|規則《きそく》にもチツトは|従《したが》はねばなるまい。そんな|我《が》の|強《つよ》い|事《こと》を|言《い》はずに、チツトは|省《かへり》みたらどうだい』
|松鷹彦《まつたかひこ》『|馬鹿《ばか》にするない。|人間《にんげん》の|皮《かは》|被《かぶ》つとるなんぞと……|骨《ほね》から|腸《はらわた》まで、|魂《たましひ》まで、|皆《みんな》|人間《にんげん》だ。|皮《かは》|被《かぶ》つとる|奴《やつ》はお|前達《まへたち》ぢや』
|留公《とめこう》『|爺《ぢい》さま、お|前《まへ》さまこそ|魂《たましひ》が|四《よ》つ|足《あし》ぢやで。|其《その》|証拠《しようこ》にや、|川獺《かはうそ》か|何《なん》ぞの|様《やう》に、|神様《かみさま》の|方《はう》はそつち|除《の》けにして、|魚捕《さかなとり》ばつかりに|憂身《うきみ》をやつし、|盆過《ぼんすぎ》の|幽霊《いうれい》の|様《やう》に、|水《みづ》ばつかり|羨《けな》りさうに|眺《なが》めて|暮《くら》して|居《ゐ》るぢやないか。|一体《いつたい》|神様《かみさま》にお|仕《つか》へする|者《もの》が、|殺生《せつしやう》をすると|云《い》ふ|事《こと》が|有《あ》るものかい』
|松鷹彦《まつたかひこ》『わしは|神様《かみさま》に|仕《つか》へて|居《ゐ》るから|魚《さかな》を|捕《と》るのだ。|御神前《ごしんぜん》で|海河山野《うみかはやまぬ》の|珍味物《うましもの》だとか、|鰭《はた》の|広物《ひろもの》、|鰭《はた》の|狭物《さもの》と|称《とな》へ|乍《なが》ら、|魚《さかな》|一匹《いつぴき》、|誰《たれ》もお|供《そな》へする|者《もの》がないのだから、|仕方《しかた》なしに|此《この》|老人《としより》が|魚《さかな》を|漁《と》つてお|供《そな》へするのだ』
|留公《とめこう》『ヘン、うまい|事《こと》|言《い》つてるワイ。|大方《おほかた》|自分《じぶん》の|喉《のど》の|神《かみ》さまに|供《そな》へるのだらう。|神主《かむぬし》は|神主《かむぬし》らしうやつて|居《を》ればいいのだ。|猫《ねこ》は|鼠《ねずみ》を|捕《と》るのが|商売《しやうばい》、|猟師《れふし》は|獣《けだもの》を|獲《と》り、|漁夫《ぎよふ》は|魚《さかな》を|漁《と》ると、チヤンと|天則《てんそく》が|定《き》まつて|居《ゐ》るのだ』
|松鷹彦《まつたかひこ》『それだつて、わしが|漁《と》つても、|漁師《れふし》が|漁《と》つても、|生命《いのち》の|無《な》くなるのは|同《おな》じ|事《こと》だ、そんな|開《ひら》けぬ|事《こと》を|言《い》ふものだないワイ。|息子《むすこ》は|嫁《よめ》|取《と》る、|娘《むすめ》は|婿《むこ》|取《と》ると|云《い》つて、お|前達《まへたち》は|若《わか》いから|楽《たの》しみだが、|俺《おれ》の|様《やう》な|老爺《ぢぢ》は、あんまり|外分《ぐわいぶん》が|悪《わる》くつて、|嫁《よめ》を|取《と》る|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|仕方《しかた》が|無《な》いから|魚《さかな》を|漁《と》るのだ。チツトは|大目《おほめ》に|見《み》て、|長老《ちやうらう》を|敬《うやま》ふのだぞ。|長幼《ちやうえう》|序《じよ》ありと|云《い》ふ|事《こと》を|知《し》つて|居《を》るか。|今日《こんにち》は|養老会《やうらうくわい》と|云《い》つて、|老人《としより》を|大切《たいせつ》にする|会《くわい》が、|彼方《あちら》にも|此方《こちら》にも|開《ひら》けて|居《ゐ》るぢやないか。それに|此《この》|村《むら》の|奴《やつ》ア、|年《とし》が|老《よ》つたら|姥捨山《うばすてやま》へでも|捨《す》てたら|良《い》いものの|様《やう》に|思《おも》つて|居《ゐ》るから、|事《こと》が|面倒《めんだう》になるのだ。|老人《らうじん》は|村《むら》の|宝《たから》、|生字引《いきじびき》だ。|俺《おれ》が|此《この》|村《むら》に|居《を》ればこそ、|古《ふる》い|事《こと》が|分《わか》るのだないか。|俺《おれ》の|体《からだ》は|俺《おれ》|一人《ひとり》のものぢやない。|一方《いつぱう》はお|宮様《みやさま》の|召使《めしつかひ》、|一方《いつぱう》は|此《この》|村《むら》の|骨董品《こつとうひん》だ……|否《いな》|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》だ。|今《いま》こそ|貴様達《きさまたち》は|不潔《きたな》い|爺《ぢぢ》いだと|云《い》つて、|沢山《たくさん》さうに|思《おも》うて|居《を》るが、|俺《おれ》が|死《し》んでみい、|思《おも》ひ|出《だ》す|事《こと》が|幾《いく》らでも|出来《でき》る。……アーア|松鷹彦《まつたかひこ》|様《さま》がモウちつと|生《い》きて|御座《ござ》つたら、|御尋《おたづ》ねするのに…|斯《こ》んな|事《こと》なら|生存中《せいぞんちゆう》に…あれも|聞《き》いて|置《お》いたら|良《よ》かつたに、|此《こ》れも|教《をし》へて|貰《もら》つて|置《お》けば|宜《よ》かつたのに………と|後悔《こうくわい》をして、|泣《な》いても、|悔《くや》んでも|後《あと》の|祭《まつ》りだ。せめては|故人《こじん》の|徳《とく》を|忘《わす》れぬ|為《ため》だと|云《い》つて、|宮《みや》の|境内《けいだい》か|川《かは》の|縁《ふち》に|記念碑《きねんひ》を|建《た》てて|何程《なにほど》|拝《をが》んだつて、|石《いし》になつてから|物《もの》は|言《い》やしないぞ』
|留公《とめこう》『お|前《まへ》の|様《やう》な|爺《ぢい》さまに|聞《き》いたつて、|何《なに》が|分《わか》らうかい。|併《しか》し|一《ひと》つ|聞《き》いて|置《お》かねばならぬ|事《こと》がある。|其奴《そいつ》ア、どこの|淵《ふち》には|魚《さかな》が|余計《よけい》|寄《よ》つとるか……と|云《い》ふ|事《こと》だ。なア|川獺《かはうそ》の|先生《せんせい》』
|松鷹彦《まつたかひこ》『エー|大人《おとな》|嬲《なぶ》りの|骨《ほね》なぶりだ。グヅグヅ|言《い》うと、|死《し》んだら|目《め》が|潰《つぶ》れて|物《もの》が|言《い》へなくなり、|身体《からだ》がビクとも|動《うご》かなくなつて|了《しま》ふぞ』
|留公《とめこう》、|肩《かた》を|上《あ》げ|下《さ》げし、|鷹《たか》が|羽《はね》を|拡《ひろ》げた|様《やう》な|調子《てうし》で、|体《からだ》を|揺《ゆす》り、|舌《した》を|出《だ》し、
|留公《とめこう》『ウフヽヽヽ』
と|笑《わら》ふ。
|松鷹彦《まつたかひこ》『|貴様《きさま》の|其《その》|状態《ざま》は|何《なん》だ。|鳶《とんび》の|様《やう》なスタイルをしやがつて……』
|留公《とめこう》『オイ、お|前《まへ》がバラモン|教《けう》の|駆落《かけおち》|巡礼《じゆんれい》だなア。|何《なん》だ|人気《ひとぎ》の|悪《わる》い|鯱面《しやちづら》をしよつて……|此《この》|川獺《かはうそ》|先生《せんせい》の|所《ところ》へ|無心《むしん》に|来《き》よつたのか。……コリヤ|此《この》|村《むら》はバラモン|教《けう》は|禁物《きんもつ》だ。|布教《ふけう》|禁制《きんせい》の|場所《ばしよ》だぞ。|而《しか》も|気楽《きらく》さうに|女房《にようばう》を|連《つ》れて|何《なん》の|事《こと》だい。そんな|事《こと》で|神聖《しんせい》な|神様《かみさま》の|御用《ごよう》が|出来《でき》ると|思《おも》うて|居《ゐ》るのか。|一時《いつとき》も|早《はや》う、|足許《あしもと》の|明《あ》かるい|間《うち》に|帰《かへ》つて|了《しま》へ。|帰《かへ》るのが|厭《いや》なら、|此《この》|川《かは》へドブンと|飛《と》び|込《こ》め。さうすりや|寧《いつそ》|埒《らち》が|明《あ》いて|良《い》いワ』
|宗彦《むねひこ》『ハイハイ、|私《わたくし》は|御存《ごぞん》じの|通《とほ》りバラモン|教《けう》のお|経《きやう》を|唱《とな》へて、|巡礼《じゆんれい》に|廻《まは》つて|居《ゐ》る|者《もの》で|吾《わが》|子《こ》の|冥福《めいふく》を|祈《いの》る|丈《だけ》の|者《もの》、|人《ひと》さんに|宣伝《せんでん》なぞは|決《けつ》して|致《いた》しませぬ。|私《わたし》の|身体《からだ》には|大変《たいへん》な|地異天変《ちいてんぺん》が|勃発《ぼつぱつ》したので、|何《なに》|所《どころ》の|騒《さわ》ぎじや|御座《ござ》いませぬワイ。|女房《にようばう》が|今《いま》となつて|暇《ひま》を|呉《く》れの、|何《なん》のと|言《い》ふものだから…』
|留公《とめこう》『ハツハア、|地異天変《ちいてんぺん》て、どんな|事《こと》かと|思《おも》へば、|嬶《かか》アにお|尻《しり》を|向《む》けられたのだなア、そりや|気《き》の|毒《どく》だ。|俺《おれ》も|覚《おぼ》えが|有《あ》る。それなら|両手《りやうて》を|挙《あ》げて|同情《どうじやう》…|否《いな》|賛成《さんせい》だ。オイオイ|奥《おく》さま、|斯《こ》んな|結構《けつこう》な、|青瓢箪然《あをべうたんぜん》たるハズバンドを|持《も》ち|乍《なが》ら、そんな|綺麗《きれい》な|顔《かほ》したナイスのお|前《まへ》が、こんな|所《ところ》までやつて|来《き》て、|肱鉄砲《ひぢでつぱう》を|噛《か》ますとはチツト|人情《にんじやう》に|外《はづ》れては|居《ゐ》やせぬかい』
お|勝《かつ》『|妾《わたし》は|訳《わけ》を|聞《き》いて|貰《もら》はねば|分《わか》りませぬが、あまりの|事《こと》で、モウ|見切《みき》りを|付《つ》けました。|同《おな》じ|事《こと》なら…あの…|見《み》た|様《やう》な|何々《なになに》に、|何々《なになに》したう|御座《ござ》います』
と|笠《かさ》に|顔《かほ》を|隠《かく》す。
|留公《とめこう》『ハツハツハア、|分《わか》つた。お|前《まへ》のホの|字《じ》とレの|字《じ》は、トの|字《じ》とメの|字《じ》の|付《つ》く|男《をとこ》に|秋波《しうは》を|送《おく》つて|居《ゐ》るのだな。|生憎様《あいにくさま》|乍《なが》らトーさまには、|立派《りつぱ》な|烏《からす》の|様《やう》な|色《いろ》の|黒《くろ》い【おから】と|云《い》ふ|奥《おく》さまが|御座《ござ》んすわいな』
お|勝《かつ》『イエイエ|妾《わたし》は|若《わか》い|人《ひと》や、|土臭《つちくさ》い|蛙切《かはづき》りは|虫《むし》がすきませぬ。|同《おな》じ|添《そ》ふのなら|此《この》お|爺《ぢい》さまの|女房《にようばう》になりたいのですよ。|年《とし》は|老《と》つて|居《を》られても、どこともなしに|崇高《すうかう》な|御容貌《ごようばう》、|今年《ことし》で|三年《さんねん》が|間《あひだ》、|広《ひろ》い|世界《せかい》を|股《また》にかけて|探《さが》して|見《み》ましたが、こんな|立派《りつぱ》な|気品《きひん》の|高《たか》いお|方《かた》に|逢《あ》うた|事《こと》は|有《あ》りませぬ。まるで|太公望《たいこうばう》の|様《やう》な|御方《おかた》ですワ。|此処《ここ》へ|来《く》るなり、|宅《うち》のハズバンドが|厭《いや》になつて|了《しま》つたのですよ、ホヽヽヽヽ』
|留公《とめこう》『|是《こ》れは|又《また》エライ|物好《ものずき》も|有《あ》つたものだナア、ヘーン』
と|言《い》つた|限《き》り、|舌《した》を|斜《はす》かひに|噛《か》み|出《だ》し、|白眼《しろめ》を|剥《む》いて、|両手《りやうて》の|遣《や》り|場《ば》が|無《な》い|様《やう》な|調子《てうし》で、|下前方《かぜんぱう》へ|俯向《うつむ》けに|手《て》を|垂《た》らしシユーツと|延《の》ばし、|呆《あき》れた【ふり】をして|見《み》せる。
|田吾作《たごさく》『わしは|未《ま》だ|独身《ひとりみ》だがなア。アーアどつかに|合口《あひくち》があつたら、|一《ひと》つ|買《か》ひたいものだ』
|留公《とめこう》『コリヤコリヤ|短刀《あひくち》なんか|買《か》つて|如何《どう》するのだい。|過激派《くわげきは》|取締《とりしまり》の|喧《やかま》しい|時《とき》に、そんな|物《もの》でも|買《か》ひに|往《い》かうものなら、それこそポリスに|追跡《つゐせき》され、|終局《しまひ》には|高等警察《かうとうけいさつ》|要視察人簿《えうしさつにんぼ》に|登録《とうろく》されて|了《しま》ふぞ』
|田吾作《たごさく》『|女房《にようばう》を|貰《もら》つて、|警察《けいさつ》に【つけ】られるのなら、|村中《むらぢう》の|奴《やつ》ア、みんな|高警《かうけい》|要視察人《えうしさつにん》ぢやないか』
|留公《とめこう》『|貴様《きさま》も|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|奴《やつ》ぢやなア。……|破《わ》れ|鍋《なべ》に|綴蓋《とぢぶた》と|云《い》つて、それ|相当《さうたう》の|女房《にようばう》を|持《も》たねば、|遂《つひ》には|破鏡《はきやう》の|悲《かな》しみを|味《あぢ》ははねばならぬぞ。こんな|立派《りつぱ》なナイスに|対《たい》して|秋波《しうは》を|送《おく》るのは、チツと|提灯《ちやうちん》に|釣鐘《つりがね》だ。|併《しか》しお|爺《ぢい》さま、|枯木《かれき》に|花《はな》が|咲《さ》いたやうなものだ。|流石《さすが》はエライ。それなれば|私《わたし》も|賛成《さんせい》だ。|貰《もら》ひなさい。|其《その》|代《かは》りに|私《わたし》がチヨイチヨイと|水《みづ》|汲《く》み|位《くらゐ》、|手伝《てつだ》ひに|来《き》てあげるワ』
お|勝《かつ》『オホヽヽヽ』
|宗彦《むねひこ》はクルクルと|着物《きもの》を|脱《ぬ》ぎ|棄《す》て、|褌《まはし》まで|除《と》つて、|川《かは》の|早瀬《はやせ》へ|惜《を》し|気《げ》も|無《な》く、|笠《かさ》も|蓑《みの》も|杖《つゑ》も|一緒《いつしよ》に|投《な》げ|込《こ》んで|了《しま》つた。
|宗彦《むねひこ》『ヤアお|爺《ぢい》さま、モウ|是《こ》れでバラモン|教《けう》のレツテルを|残《のこ》らず|剥《は》がし、|生《うま》れ|赤児《あかご》になつて|了《しま》つた。どうぞお|前《まへ》さまの|弟子《でし》にして|下《くだ》さい。さうして|女房《にようばう》は|貰《もら》つてやつて|下《くだ》さいませ。|今日《けふ》からは|女房《にようばう》をあなたの|奥《おく》さまとして|敬《うやま》ひます。ナアお|勝《かつ》、|遠慮《ゑんりよ》は|要《い》らぬから|宗々《むねむね》と|呼《よ》びつけにするのだよ』
お|勝《かつ》は|又《また》もやクルクルと|下帯《したおび》まで|脱《ぬ》ぎ|棄《す》て、|同《おな》じく|蓑《みの》も|笠《かさ》も、|金剛杖《こんがうづゑ》も|一括《ひとまとめ》にしてザンブとばかり|投《な》げ|込《こ》んだ。
|宗彦《むねひこ》『アヽやつぱり|女房《にようばう》は|女房《にようばう》だ。|斯《か》うなるとチツとチツと、ミとレンが|残《のこ》つとる|様《やう》な|気《き》がする。|併《しか》し|乍《なが》らお|爺《ぢい》さま、|着物《きもの》を|私《わたし》に|恵《めぐ》んで|下《くだ》さい。|何《なん》でも|宜《よろ》しいから……』
|松鷹彦《まつたかひこ》『さうだと|云《い》つて、わしも|北国雷《ほくこくかみなり》ぢやないが【|着《き》たなり】だ。|山椒《さんせう》の|木《き》に|飯粒《めしつぶ》で、【|着《き》の|実《み》|着《き》の|儘《まま》】、どうする|事《こと》も|出来《でき》やしない。|先祖《せんぞ》|譲《ゆづ》りの|洋服《やうふく》で、|二人《ふたり》|共《とも》|暫《しばら》く|辛抱《しんばう》するのだなア』
|留公《とめこう》『ヤア|宅《うち》の|嬶《かか》アの|着物《きもの》を、|俺《おれ》が|取《と》つて|来《き》て、|裸《はだか》ナイスに|進上《しんじやう》しよう。|田吾作《たごさく》、|貴様《きさま》はお|前《まへ》の|一張羅《いつちやうら》を|献上《けんじやう》せい』
|田吾作《たごさく》『|貰《もら》うて|下《くだ》さるだらうかな。わしはチツと|背《せ》が|低《ひく》いから、|身《み》に|合《あ》ふだらうか』
|留公《とめこう》『|合《あ》うても|合《あ》はいでも、|無《な》いより|優《ま》しだ』
|松鷹彦《まつたかひこ》『ヤア|留《とめ》さま|田吾作《たごさく》さま、|世《よ》の|中《なか》は|相身互《あひみたが》ひぢや。さうなくてはならぬ。|是《こ》れもヤツパリ|三五教《あななひけう》の|感化力《かんくわりよく》のお|神徳《かげ》だ……』
(大正一一・五・一三 旧四・一七 松村真澄録)
第六章 |梅花《ばいくわ》の|痣《あざ》〔六六八〕
|松鷹彦《まつたかひこ》は|今迄《いままで》|飯《めし》よりも|好《す》きであつた|漁《すなどり》を|断念《だんねん》し、|武志《たけし》の|宮《みや》の|社務所《ながとこ》に|居《きよ》を|転《てん》じ、|宗彦《むねひこ》、お|勝《かつ》の|両人《りやうにん》と|共《とも》に|朝夕《あさゆふ》|神《かみ》に|仕《つか》へ、|且《かつ》|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|細々《ほそぼそ》|乍《なが》ら|伝《つた》へてゐた。|田吾作《たごさく》、お|春《はる》の|両人《りやうにん》は|御宮《おみや》の|参拝《さんぱい》を|兼《か》ね、|爺《ぢい》さんの|話《はなし》を|聴《き》く|可《べ》く|立寄《たちよ》つた。
|田吾作《たごさく》『お|爺《ぢい》さま、お|前《まへ》さまも|此《この》|頃《ごろ》は|大分《だいぶん》に|村中《むらぢう》の|評判《ひやうばん》が|善《よ》くなつたぞい。|朝《あさ》は|早《はや》うから|御祝詞《おのりと》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えるお|蔭《かげ》で、|村中《むらぢう》が|無病《むびやう》|息災《そくさい》で|全《まつた》く|松鷹彦《まつたかひこ》|様《さま》のお|蔭《かげ》だと|言《い》うてゐますぞや。|尚《なほ》|宗彦《むねひこ》さま、お|勝《かつ》さまの|評判《ひやうばん》も|仲々《なかなか》よろしい。|併《しか》し|村《むら》の|者《もの》の|話《はなし》には、お|前《まへ》さまが|此処《ここ》へ|来《き》て|神主《かむぬし》になられてから、|随分《ずゐぶん》|年《とし》も|経《た》つたが、お|竹《たけ》さまは|亡《な》くなり、|後《あと》には|女房《にようばう》|子《こ》の|無《な》い|一人《ひとり》の【やもを】|暮《ぐら》し、|本当《ほんたう》に|御気《おき》の|毒《どく》だ。|一層《いつそう》の|事《こと》|宗彦《むねひこ》さまとお|勝《かつ》さまを|子《こ》に|貰《もら》つて、|後《あと》を|継《つ》がしたら|如何《どう》だらうかとチヨイチヨイ|村人《むらびと》の|話頭《わとう》に|上《のぼ》りかけましたよ』
|松鷹彦《まつたかひこ》『|私《わし》は|最早《もはや》|三五教《あななひけう》へ|這入《はい》つてから、|今迄《いままで》の|執着心《しふちやくしん》を【すつかり】と|除《と》つて|了《しま》ひ、|幽界《いうかい》の|結構《けつこう》なことも|悟《さと》つたのだから、|後継《あとつぎ》を|貰《もら》つて|心配《しんぱい》をするよりも|一層《いつそう》|一人《ひとり》で|余生《よせい》を|送《おく》る|方《はう》が|何程《なにほど》|気楽《きらく》だか|知《し》れやしない。|此《この》やうな|老耄《おいぼ》れた|爺《ぢぢい》の|子《こ》になつて|呉《く》れる|者《もの》は|恐《おそ》らく|広《ひろ》い|世界《せかい》にありますまい。|私《わし》が|亡《な》くなつた|時《とき》は|滅多《めつた》に|捨《す》てて|置《お》きはせまい。|村人《むらびと》の|情《なさけ》で|何処《どこ》かへ|葬《はうむ》つてくれるだらう。それよりも|幽界《いうかい》に|行《い》つて|姿《ばば》と|一緒《いつしよ》に|暮《くら》す|方《はう》が、|現世《このよ》に|執着心《しふちやくしん》が|残《のこ》らなくてよい』
お|春《はる》『お|爺《ぢい》さま、そりやそうだがお|前《まへ》さまがもしも|病気《びやうき》になつた|時《とき》には、|矢張《やつぱ》り|世話《せわ》をして|呉《く》れるものがないぢやないか。|何程《なにほど》|村《むら》のものだつてさうお|前《まへ》さまの|病気《びやうき》に|付添《つきそ》うて|看病《かんびやう》する|訳《わけ》にも|行《ゆ》くまい。|野良《のら》の|暇《ひま》の|時《とき》ならば|兎《と》も|角《かく》も、|田植《たうゑ》の|最中《さいちう》や、|稲刈《いねか》りの|最中《さなか》に|患《わづら》ひでもなさつたら、それこそ|仕方《しかた》がありますまい。なんとか|後継《あとつぎ》をこしらへて|置《お》きなさい』
|松鷹彦《まつたかひこ》『イヤもう|藁《わら》の|上《うへ》から|育《そだ》てた|子供《こども》なれば、なんとか|無理《むり》を|言《い》つて|介抱《かいほう》もして|貰《もら》へるだらうが、|俄《にはか》に|貰《もら》つた|息子《むすこ》に|対《たい》して、さうヅケヅケと|言《い》へるものでもなしに、|却《かへつ》て|遠慮《ゑんりよ》をせなくちやならない|様《やう》なものだから、もう|何卒《どうぞ》それだけは|勧《すす》めて|下《くだ》さるな』
|田吾作《たごさく》『お|前《まへ》さま、|子《こ》は|無《な》かつたのかい』
|松鷹彦《まつたかひこ》『|私《わし》は|元《もと》は|紀《き》の|国《くに》で|生《うま》れたものだが、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》|様《さま》が|高天原《たかあまはら》を|神追《かむやら》ひに|追《やら》はれて|遠《とほ》い|国《くに》へ|御出《おで》ましになつた|其《その》|時《とき》に、|世《よ》の|中《なか》は|一旦《いつたん》は|常暗《とこやみ》の|夜《よる》になつた|事《こと》がある。|其《そ》の|時《とき》だつた、|悪魔《あくま》が|横行《わうかう》して|男《をとこ》|二人《ふたり》、|女《をんな》|一人《ひとり》の|三人《さんにん》の|子供《こども》を|何者《なにもの》にか|攫《さら》はれて|了《しま》ひ、|女房《にようばう》と|二人《ふたり》が|泣《な》きの|涙《なみだ》で、|十五六年前《じふごろくねんぜん》に|此処《ここ》へ|出《で》て|来《き》て|村人《むらびと》の|情《なさけ》に|依《よ》つて、|此《こ》の|宮守《みやもり》をさして|貰《もら》ひ|余生《よせい》を|送《おく》つて|居《を》るのだ。アーア|我《わ》が|子《こ》は|如何《どう》なつたであらう。|今迄《いままで》は|女房《にようばう》や|子《こ》の|事《こと》は|好《す》きな|漁《すなどり》に|心《こころ》を|紛《まぎ》らして|忘《わす》れてゐたが、こんな|話《はなし》が|出《で》ると|又《また》|思《おも》ひ|出《だ》す』
と|涙含《なみだぐ》む。|宗彦《むねひこ》は、
|宗彦《むねひこ》『モシお|爺《ぢい》さま、|貴方《あなた》は|今《いま》|紀《き》の|国《くに》のものだと|仰有《おつしや》いましたな。|一体《いつたい》|何《ど》の|辺《へん》でございます』
|松鷹彦《まつたかひこ》『|私《わし》は|熊野《くまの》の|生《うま》れだ』
|宗彦《むねひこ》『ハテ|不思議《ふしぎ》なことを|承《うけたま》はります。|私《わたし》も|実《じつ》の|所《ところ》|両親《りやうしん》がわからず、|他人《ひと》から|熊野《くまの》|辺《へん》の|生《うま》れだと|子供《こども》の|時分《じぶん》に|聞《き》いたことがあります。|私《わたし》は|大台ケ原《おほだいがはら》の|山奥《やまおく》の|巌窟《がんくつ》に|悪神《あくがみ》に|攫《さら》へられて、|長《なが》らく|閉《と》ぢこめられて|居《を》りました。|其処《そこ》へ|立派《りつぱ》な|神様《かみさま》が|現《あら》はれて、「お|前《まへ》はこれから|浪速《なには》の|里《さと》へ|往《い》て|苦労《くらう》せよ。|一人前《いちにんまへ》になつたら|世界《せかい》を|順礼《じゆんれい》せい」と|仰有《おつしや》いました。それを|未《いま》だに|夢《ゆめ》のやうに|覚《おぼ》えて|居《を》ります。さうして|私《わたし》も|兄弟《きやうだい》が|三人《さんにん》あつたさうです。|何処《どこ》へ|行《い》つても|親《おや》もなければ|兄弟《きやうだい》もない|者《もの》は、|誰《たれ》も|可愛《かはい》がつては|呉《く》れず、|漸《やうや》く|成人《せいじん》して|牛馬《うしうま》にも|踏《ふ》まれないやうになつた|頃《ころ》から、|徐々《そろそろ》|酒《さけ》を|呑《の》み、そこら|辺《あた》りへ|養子《やうし》にも|幾度《いくたび》か|行《い》つて|見《み》、|又《また》|家《いへ》も|持《も》つて|見《み》ましたが、|何分《なにぶん》|子供《こども》の|時分《じぶん》から|乞食《こじき》のやうに、|其処《そこら》|中《ぢう》を|彷徨《さまよ》うて|育《そだ》つて|来《き》たものですから、|家《いへ》を|持《も》つの、|養子《やうし》に|往《ゆ》くのと|云《い》ふことは|窮屈《きうくつ》でツイ|飛《と》び|出《だ》し、|自棄酒《やけざけ》を|呑《の》んで|女房《にようばう》に|心配《しんぱい》をかけ、|沢山《たくさん》の|女房《にようばう》を|先立《さきだ》たしました。|或《ある》|人《ひと》に|聞《き》けば|私《わたし》は|丙午《ひのえうま》の|年《とし》に|生《うま》れたとかで、|女《をんな》に|祟《たた》る|身魂《みたま》ぢやさうです。|私《わたし》も|今《いま》は|斯《か》うして|若《わか》いが、|子《こ》が|出来《でき》ないのでお|爺《ぢい》さまのことを|思《おも》ふにつけ、|先《さき》が|案《あん》じられてなりませぬ』
|松鷹彦《まつたかひこ》『お|前《まへ》さま、|腋《わき》の|下《した》に|梅《うめ》の|花《はな》のやうな|痣《あざ》がありはせぬかなア』
|宗彦《むねひこ》『そりや|又《また》|貴老《あなた》は|何《ど》うして|御存《ごぞん》じですか』
|松鷹彦《まつたかひこ》『イヤ|私《わし》の|子供《こども》は|男《をとこ》の|方《はう》は|二人《ふたり》とも|梅《うめ》の|花《はな》の|痣《あざ》が|付《つ》いて|居《を》る。|兄《あに》は|左《ひだり》の|腋《わき》の|下《した》、|弟《おとうと》の|方《はう》は|右《みぎ》の|腋《わき》の|下《した》にハツキリと|出《で》てゐた|筈《はず》ぢや。それを|頼《たよ》りに|夫婦《ふうふ》|連《づ》れ、|四五年《しごねん》が|間《あひだ》|探《さが》して|見《み》たが、|人《ひと》を|捉《つか》まへて|一々《いちいち》|裸体《はだか》になつて|腋《わき》を|見《み》せて|呉《く》れと|言《い》ふ|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|夏《なつ》になると|海水浴場《かいすゐよくぢやう》へ|往《い》つて、わが|子《こ》の|年輩《ねんぱい》|位《ぐらゐ》な|人《ひと》の|腋《わき》の|下《した》を|一々《いちいち》|調《しら》べて|見《み》たが、|何《なに》を|言《い》つても|見《み》え|難《にく》いところ、|温泉《をんせん》へ|行《い》つても|見当《みあた》らず、これ|位《くらゐ》|心配《しんぱい》したことは|無《な》い』
と|又《また》|俯向《うつむ》く。
|宗彦《むねひこ》『お|爺《ぢい》さま、|私《わたし》の|右《みぎ》の|腋《わき》の|下《した》に|何《なん》だか|花《はな》のやうな|型《かた》がありますが、|一寸《ちよつと》|見《み》て|下《くだ》さらぬか』
|松鷹彦《まつたかひこ》はビクリツと|身《み》を|自然的《しぜんてき》に【しやくり】|乍《なが》ら、
|松鷹彦《まつたかひこ》『ドレドレ|一寸《ちよつと》|見《み》せて|下《くだ》さい。アーアほんにほんに|擬《まが》ふ|方《かた》なき|梅《うめ》の|花《はな》の|痣《あざ》、|五弁《ごべん》の|梅《うめ》が|上《うへ》の|方《はう》は|少《すこ》し|欠《か》けて|居《を》つたが、|矢張《やつぱ》り|欠《か》けて|居《を》る。さうするとお|前《まへ》は|竹《たけ》と|云《い》ふ|男《をとこ》ぢやなかつたか』
|宗彦《むねひこ》『ハイ|子供《こども》の|時《とき》は|竹《たけ》と|云《い》ひました。バラモン|教《けう》から|宗彦《むねひこ》といふ|名《な》を|貰《もら》つたのです』
|田吾作《たごさく》は|二人《ふたり》の|顔《かほ》を|見較《みくら》べて|見《み》て、
|田吾作《たごさく》『お|爺《ぢい》さま、|頭《あたま》の|恰好《かつかう》と|云《い》ひ、|小鼻《こばな》のつんもりとした|辺《へん》から|耳《みみ》の|塩梅《あんばい》、よく|似《に》てをるぢやないか。ヒヨツとしたらお|前《まへ》さまの|子《こ》ぢやあるまいかな』
|松鷹彦《まつたかひこ》『|擬《まが》ふ|方《かた》ない|私《わし》の|息子《むすこ》だ。アーこれ|宗彦《むねひこ》、ようマア|無事《ぶじ》で|居《を》つて|呉《く》れた。これと|云《い》ふのも|矢張《やつぱ》り|神様《かみさま》の|御神徳《おかげ》だなア』
と|泣《な》き|伏《ふ》す。
|宗彦《むねひこ》『お|父《とう》さまでございましたか、|存《ぞん》ぜぬこととて|御無礼《ごぶれい》を|申《まを》しました。どうぞ|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ』
と|宗彦《むねひこ》は、カツパと|伏《ふ》して|嬉《うれ》し|泣《な》きに|声《こゑ》を|上《あ》げて|泣《な》く。お|勝《かつ》は|手《て》を|組《く》み|思案《しあん》に|暮《く》れ|乍《なが》ら、|松鷹彦《まつたかひこ》を|抱《だ》き|起《おこ》し、
お|勝《かつ》『モシモシお|爺《ぢい》さま、|貴老《あなた》、|一人《ひとり》の|息女《むすめ》があつたと|仰有《おつしや》いましたなア、|其《そ》の|息女《むすめ》さまには|何《なに》か|特徴《とくちやう》は|有《あ》りませぬか』
|松鷹彦《まつたかひこ》は|声《こゑ》をかすめて、
|松鷹彦《まつたかひこ》『|息女《むすめ》の|特徴《とくちやう》と|云《い》ふのは、|臍《へそ》の|上《うへ》に|三角形《さんかくけい》なりに|黒子《ほくろ》が|行儀《ぎやうぎ》よく|出来《でき》て|居《ゐ》たやうに|覚《おぼ》えて|居《ゐ》る。アーア|一人《ひとり》の|伜《せがれ》に|廻《めぐ》り|合《あ》つて|嬉《うれ》しいが、|兄《あに》の|松《まつ》や、お|梅《うめ》は|何処《どこ》の|何処《いづく》に|暮《くら》して|居《ゐ》るであらうか。|一《ひと》つ|叶《かな》へば|又《また》|一《ひと》つ、|折角《せつかく》|除《と》れた|執着心《しふちやくしん》が|再発《さいはつ》して|来《き》た、ほんに|苦《くる》しい|浮世《うきよ》だなア』
と|打沈《うちしづ》む。お|勝《かつ》の|胸《むね》にグツとこたへたのは|臍《へそ》の|上《うへ》の|三角形《さんかくけい》の|黒子《ほくろ》、|宗彦《むねひこ》と|夫婦《ふうふ》になつて|暮《くら》して|来《き》た|関係上《くわんけいじやう》、|名乗《なの》りもならず、|一人《ひとり》|胸《むね》を|痛《いた》めてゐる。
|松鷹彦《まつたかひこ》『|妙《めう》なことを|訊《たづ》ねるが|私《わし》の|心《こころ》の【せい】か、|何《なん》となくお|前《まへ》が|恋《こひ》しいやうな|気《き》がしてならぬのだ。|竹《たけ》に|何処《どこ》ともなしに|似《に》たやうな|所《ところ》もあり、|女房《にようばう》のお|竹《たけ》にも|何処《どこ》か|似《に》て|居《ゐ》るやうだが、|若《も》しや|私《わし》の|息女《むすめ》ではあるまいか』
お|勝《かつ》は|口《くち》ごもり|乍《なが》ら、
お|勝《かつ》『|私《わたくし》も|親《おや》も|兄弟《きやうだい》もあつたさうですが、|行方《ゆくへ》は|今《いま》にわかりませぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら|今《いま》|貴老《あなた》の|仰有《おつしや》る|黒子《ほくろ》はありませぬ』
|松鷹彦《まつたかひこ》『アーさうかな、それは|幸《さいは》ひだつた。|万一《もしも》|娘《むすめ》だとすれば|血族《けつぞく》|結婚《けつこん》になり、|天則違反《てんそくゐはん》で|神様《かみさま》に|罪《つみ》せられるから、|可愛《かはい》さうだがマア|兄妹《きやうだい》でなくて|結構《けつこう》だつた』
お|勝《かつ》『|兄妹《きやうだい》の|結婚《けつこん》はそれ|程《ほど》|罪《つみ》が|重《おも》いのですか。|併《しか》し|乍《なが》ら|万一《もしも》|知《し》らずに|結婚《けつこん》をしたら、それは|如何《どう》なります?』
|松鷹彦《まつたかひこ》『サア、それは|何《なん》とも|私《わし》にはわからない。|余《あま》り|例《ためし》の|無《な》い|事《こと》だから、この|年《とし》になつても|聞《き》いたこともなし、|三五教《あななひけう》の|真浦《まうら》さまにも|教《をし》へて|貰《もら》つたこともないのだから』
|宗彦《むねひこ》『|知《し》らぬ|神《かみ》に|祟《たた》りなしと|云《い》ふぢやありませんか。|万一《まんいち》|世間《せけん》にそんな|夫婦《ふうふ》があるとしても、|慈悲深《じひぶか》い|神様《かみさま》は|屹度《きつと》|赦《ゆる》して|下《くだ》さいませう』
お|勝《かつ》は|両《りやう》の|袂《たもと》を|顔《かほ》に|当《あ》て、|身《み》を|悶《もだ》えて|泣《な》いて|居《ゐ》る。
|田吾作《たごさく》『コレコレお|勝殿《かつどの》、|結構《けつこう》な|父子《おやこ》の|対面《たいめん》にお|前《まへ》さまが|泣《な》くと|云《い》ふことがあるものか、ハー|羨《けな》りいのだなア。|宗彦《むねひこ》さまは|焦《こが》れて|居《を》つたお|父《とう》さまに|会《あ》うて|嬉《うれ》しからうが、|私《わし》は|何時《いつ》になつたら|会《あ》へるだらうと|思《おも》ひ|出《だ》して|泣《な》くのだな。マヽヽ|何事《なにごと》も|神様《かみさま》に|任《まか》して|時節《じせつ》を|待《ま》ちなさい。|屹度《きつと》|信心《しんじん》の|徳《とく》に|依《よ》つてお|父《とう》さまや、お|母《かあ》さまが|現世《このよ》にござつたら、|会《あ》はして|下《くだ》さるでせう』
お|勝《かつ》『ハイ|有難《ありがた》うございます。よう|云《い》つて|下《くだ》さいました。|折角《せつかく》|親子《おやこ》の……イエイエ|親《おや》と|子《こ》と|御対面《ごたいめん》なさつて|喜《よろこ》んでゐられるのを|御喜《およろこ》びもせず|涙《なみだ》を|零《こぼ》して|見《み》せました。|誠《まこと》に|済《す》まぬことでございます。|何卒《どうぞ》お|父様《とうさま》|否《いや》|宗彦《むねひこ》さまのお|父様《とうさま》、どうぞ|私《わたくし》も|子《こ》の|様《やう》に|思《おも》うて|可愛《かはい》がつて|下《くだ》さいませ。これからは|打《う》つて|変《かは》つて|親《おや》のやうに|思《おも》つて|孝行《かうかう》|致《いた》します』
|松鷹彦《まつたかひこ》『アヽよう|言《い》うて|下《くだ》さつた。|私《わし》も|他人《たにん》のやうには、どうしても|思《おも》へない。|親子《おやこ》も|同然《どうぜん》|互《たがひ》に|親切《しんせつ》を|尽《つく》し|合《あ》うて|神様《かみさま》の|御用《ごよう》を|致《いた》しませう』
|三人《さんにん》は|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|暮《く》れて、|暫時《しばし》|無言《むごん》の|儘《まま》|沈黙《ちんもく》の|幕《まく》が|下《お》りた。|春《はる》の|日《ひ》は|晃々《くわうくわう》として|武志《たけし》の|森《もり》の|千年杉《せんねんすぎ》の|梢《こずゑ》にかかつてゐる。|烏《からす》は|卵《たまご》を|孵化《かへ》し、|雌雄《しゆう》|互《たがひ》に|飛《と》び|交《かは》ひ、|餌《ゑ》を|漁《あさ》つて|子烏《こがらす》に|与《あた》へてゐる。|子烏《こがらす》は|黄色《きいろ》い|口《くち》を|裂《さ》ける|程《ほど》|開《あ》けてゐる。
|田吾作《たごさく》は|性来《しやうらい》の|慌者《あわてもの》、
|田吾作《たごさく》『ヤア|爺《ぢい》さま、|宗《むね》さま、|親子《おやこ》の|対面《たいめん》|御芽出度《おめでた》う。ドーレこれから|帰《かへ》つて|御祝《おいは》ひでも|持《も》つて|来《き》ませう。オイお|春《はる》さま、お|前《まへ》も|何《なに》か|祝《いは》はにやなるまい。さア|帰《かへ》らう』
|松鷹彦《まつたかひこ》『モシモシ|田吾作《たごさく》さま、お|春《はる》さま、どうぞ|暫《しば》らく|村《むら》の|人《ひと》に|言《い》うて|下《くだ》さるな。|又《また》|騒《さわ》がせると|気《き》の|毒《どく》だから』
|田吾作《たごさく》『|何《なに》を|爺《ぢい》さま|仰有《おつしや》るのだ。|地異天変《ちいてんぺん》、|手《て》の|舞《ま》ひ|脚《あし》の|踏《ふ》む|所《ところ》を|知《し》らざる|大観喜天様《だいくわんきてんさま》の|御来迎《ごらいこう》、これが|黙《だま》つて|居《を》られますか。サアお|春《はる》さま、|早《はや》く|早《はや》く』
と|促《うなが》し、|爺《ぢい》の|呼《よ》び|留《とめ》るのも|聞《き》かばこそ、|捻鉢巻《ねぢはちまき》をグツと|締《し》め、|尻《しり》【ひん】|捲《まく》り、|我《わが》|家《や》を|指《さ》して|馳帰《はせかへ》る。
|松鷹彦《まつたかひこ》『アーア|親切《しんせつ》な|男《をとこ》だ。よう【ちよかつく】|人《ひと》だが、|併《しか》し|彼《あ》れ|位《くらゐ》|心《こころ》のキレイな|方《かた》はない、アー|見《み》えても|心《こころ》は|確《しつか》りして|居《ゐ》る。|村中《むらぢう》の|賞《ほ》めものだ。どうぞ|好《よ》い|嫁《よめ》さまをお|世話《せわ》して|上《あ》げたいものだ』
|一方《いつぱう》|田吾作《たごさく》は|何《なに》よりも|早《はや》く|留公《とめこう》が|離家《はなれ》に|居《ゐ》る|真浦《まうら》の|宣伝使《せんでんし》に|報告《はうこく》せむとし、
『|大変《たいへん》|大変《たいへん》』
と|道々《みちみち》|呼《よ》ばはり|乍《なが》ら、|近所《きんじよ》に|火事《くわじ》でも|起《おこ》つた|様《やう》な|周章方《あわてかた》で|走《はし》つて|来《き》た。|留公《とめこう》は|鍬《くは》を|担《かた》げて|門口《かどぐち》へ|出《で》ようとするところであつた。
|田吾作《たごさく》は、
『オイ|留公《とめこう》、|貴様《きさま》は|鍬《くは》を|担《かた》げて|何処《どこ》へゆくのだ。|大変《たいへん》だ、|地異天変《ちいてんぺん》だ、|欣喜雀躍《きんきじやくやく》|手《て》の|舞《ま》ひ、|脚《あし》の|踏《ふ》む|所《ところ》を|知《し》らぬ|大事件《だいじけん》が|突発《とつぱつ》した。サアサア|早《はや》く|貴様《きさま》も|用意《ようい》をせぬかい、|何《なに》をグツグツしてゐるのだ、|野良仕事《のらしごと》|位《くらゐ》は|休《やす》んでも|好《い》い。|天変《てんぺん》だ|天変《てんぺん》だ』
と|地団太《ぢだんだ》ふんで|踊《をど》り|廻《まは》る。
|留公《とめこう》『|貴様《きさま》さう|云《い》つたつて|理由《わけ》も|言《い》はずに|解《わか》らぬぢやないか。|一体《いつたい》なんだい』
|田吾作《たごさく》『なんだつて|解《わか》つとるぢやないか。|芽出度《めでた》いことだ。タヽヽ|大変《たいへん》だ。|早《はや》く|宣伝使《せんでんし》の|真浦《まうら》さまに|取次《とりつい》で|呉《く》れ』
|留公《とめこう》『そら|取次《とりつ》がぬ|事《こと》は|無《な》いが、ちつと|落《お》ちつかぬかい。|詳細《しやうさい》に|報告《はうこく》せなくては|事件《じけん》の|真相《しんさう》どころか、|端緒《たんしよ》も|探《さぐ》れぬぢやないか』
|田吾作《たごさく》『エー|邪魔《じやま》|臭《くさ》い、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》ると|喜《よろこ》びが|何処《どこ》かへ|消滅《せうめつ》して|了《しま》ふと|大変《たいへん》だ。|邪魔《じやま》ひろぐな』
と|無理矢理《むりやり》に|真浦《まうら》の|居間《ゐま》に|走《はし》り|込《こ》んだ。
|真浦《まうら》『|田吾作《たごさく》さま、|大変《たいへん》な|勢《いきほ》ひで|何事《なにごと》が|起《おこ》つたのだ』
|田吾作《たごさく》『|何事《なにごと》が|起《おこ》つたもあるものか。|梅《うめ》ぢや|梅《うめ》ぢや、|梅《うめ》の|花《はな》ぢや』
|真浦《まうら》『|梅《うめ》だと|云《い》つたつて|解《わか》らぬぢやないか。|梅《うめ》が|必要《ひつえう》なら|裏《うら》に|沢山《たくさん》なつてゐる。トツトとむしつてゆかつしやれ』
|田吾作《たごさく》『そんな|事《こと》どころか。|梅《うめ》と|云《い》つたら|梅《うめ》ぢやな。|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|宣伝使《せんでんし》だな。|親子《おやこ》の|対面《たいめん》だ』
|斯《か》かる|処《ところ》へ|留公《とめこう》は|跡《あと》を|追《お》つて|走《はし》り|来《きた》り、
|留公《とめこう》『オイ|田吾作《たごさく》、|貴様《きさま》は|気《き》が|違《ちが》ひ|居《を》つたのか。チト|確《しつか》りせぬかい』
と|背中《せなか》を|握《にぎ》り|拳《こぶし》で|二《ふた》つ|三《みつ》つ|叩《たた》いた。
|田吾作《たごさく》『アイタヽヽ、|腕《かひな》が|抜《ぬ》けるやうな|目《め》に|会《あ》はせやがつた。オーそれそれ 【かひな】ぢや、かひなぢや かひなぢや』
と|腋《わき》を|左《ひだり》の|食指《ひとさしゆび》で|頻《しき》りに|指《さ》し|示《しめ》す。
|真浦《まうら》『|腕《かひな》が|何《ど》うしたと|云《い》ふのだい』
|田吾作《たごさく》『|腕《かひな》に|梅《うめ》の|花《はな》が|咲《さ》いたのだ。|五弁《ごべん》の|上《うへ》の|奴《やつ》がちよつと|欠《か》けて|居《ゐ》る。それで|親子《おやこ》の|対面《たいめん》だ。|武志《たけし》の|森《もり》の|社務所《ながどこ》で|腕《かひな》に|咲《さ》いた|梅《うめ》の|花《はな》、|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》のやうな|喜悦《よろこび》だ』
|真浦《まうら》『とんと|合点《がつてん》が|行《ゆ》かぬ|哩《わい》。|田吾《たご》さま、もうチツト|落《お》ちついて|云《い》つて|下《くだ》さい』
|田吾作《たごさく》『|他人《たにん》の|乃公《わし》まで、あまり|嬉《うれ》しうて、これが|何《ど》うして|落《お》ちつけよう。|梅《うめ》ぢや|梅《うめ》ぢや。|武志《たけし》の|森《もり》まで|往《い》つて|見《み》りや|解《わか》る』
|真浦《まうら》『|益々《ますます》|解《わか》らぬことを|云《い》ふぢやないか』
と|訝《いぶ》かし|相《さう》に|首《くび》を|傾《かたむ》ける。|其処《そこ》へお|春《はる》が|遅《おく》れ|馳《ば》せにやつて|来《き》た。
お|春《はる》『モシモシ|大変《たいへん》な|喜《よろこ》びが|出来《でき》ました。|田吾作《たごさく》さまに|大体《だいたい》のことは、|御聴《おき》きでせうから|私《わたくし》が|申上《まをしあ》げるものも|二重《にぢう》ですが、|本当《ほんたう》に|結構《けつこう》でございますよ。|松鷹彦《まつたかひこ》のお|爺《ぢい》さまも|到頭《たうとう》|親子《おやこ》の|対面《たいめん》をなさいました』
|真浦《まうら》『|何《なに》ツ、お|爺《ぢい》さまが|親子《おやこ》の|対面《たいめん》、して|其《その》|子《こ》と|云《い》ふのは|誰《たれ》のことだな』
お|春《はる》『|彼《あ》の|此《この》|間《あひだ》|行者《ぎやうじや》になつて|出《で》て|来《き》た|宗彦《むねひこ》さまが、お|爺《ぢい》さまの|子《こ》だつた|相《さう》です。|右《みぎ》の|腋《わき》の|下《した》に|梅《うめ》の|花《はな》の|痣《あざ》があつたので、それで|親子《おやこ》と|云《い》ふことに|気《き》が|付《つ》いたのです。|彼《あ》の|方《かた》は|紀《き》の|国《くに》の|生《うま》れで、|名前《なまへ》は|竹《たけ》さまとか|云《い》つたさうです。さうしてまだ|松《まつ》さまといふ|兄《あに》があり、お|梅《うめ》さまといふ|妹《いもうと》があるさうです。それは|未《ま》だ|分《わか》りませぬ。|併《しか》し|乍《なが》らお|爺《ぢい》さまは|竹《たけ》さまに|会《あ》つたので|大変《たいへん》な|御喜《およろこ》び、どうぞ|貴方《あなた》も|早《はや》く|武志《たけし》の|森《もり》|迄《まで》いつて|神様《かみさま》に|御礼《おれい》を|申《まを》して|下《くだ》さい。|村中《むらぢう》|明日《あす》は|総休《そうやす》みをして|御祝《おいは》ひをせなくてはなりませぬから』
|真浦《まうら》『|何《なに》ツ、|三人《さんにん》|兄妹《きやうだい》、さうして|竹《たけ》と|云《い》ふのが|彼《あ》の|男《をとこ》か』
|田吾作《たごさく》『オーさうぢやさうぢや、なにを|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》るのだ。|早《はや》くいきなさらぬか。お|春《はる》さま|女《をんな》だてら|構《かま》はひでも|好《い》いワ。|早《はや》く|帰《かへ》つて|御馳走《ごちそう》の|用意《ようい》をせないか』
お|春《はる》は『ハイ』と|答《こた》へて|足早《あしばや》に|立《た》ち|去《さ》つた。|真浦《まうら》は|手《て》を|組《く》み、
|真浦《まうら》『ハテナ』
と|云《い》つたきり、|深《ふか》き|思案《しあん》に|沈《しづ》むものの|如《ごと》くである。
|田吾作《たごさく》『ハテナもあつたものかい。サアサア|御輿《おみこし》を|上《あ》げたり|上《あ》げたり。お|前《まへ》さまは|斯《こ》んな|芽出度《めでた》いことが|何《なん》とも|無《な》いのか。|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》してゐるのだ。それだから|私《わし》に|鍬《くは》の|尖《さき》で|指《ゆび》を|斬《き》られるやうな|事《こと》が|出来《でき》るのだ。サア|早《はや》う|早《はや》ういつてお|呉《く》れなさい』
|真浦《まうら》は|何故《なにゆゑ》か|太《ふと》き|息《いき》を|吐《つ》き、|無言《むごん》の|儘《まま》うつむいて|頻《しき》りに|考《かんが》へてゐる。
|田吾作《たごさく》『オー|今《いま》|思《おも》ひ|出《だ》した。|此《この》|間《あひだ》お|前《まへ》さまが|禊身《みそぎ》の|時《とき》に|私《わし》がチラと|見《み》ておいた、お|前《まへ》さまの|腋《わき》の|下《した》に|梅《うめ》の|痣《あざ》がありましたなア。それならひよつとしたら|爺《ぢい》さまの|子《こ》で|松《まつ》と|云《い》ふ|男《をとこ》かも|知《し》れはしない。|何《ど》うだい、|違《ちが》ひはありますまいがな』
|真浦《まうら》『コレコレ|田吾作《たごさく》さま、|滅多《めつた》な|事《こと》を|云《い》つて|下《くだ》さるな。|梅《うめ》の|紋《もん》の|痣《あざ》のあるものは、|広《ひろ》い|世界《せかい》には|沢山《たくさん》あるだらう。さう|軽率《けいそつ》に|云《い》つて|貰《もら》つては|困《こま》るからなア』
|田吾作《たごさく》『なに|化物《ばけもの》のやうに|人間《にんげん》の|身体《からだ》に、|梅《うめ》の|花《はな》の|咲《さ》いた|奴《やつ》が、さう|沢山《たくさん》あつてたまりますかい。【うめ】い|言《い》ひ|訳《わけ》をしなさるな。ドーレ|一《ひと》つこれから|爺《ぢい》さまの|所《ところ》へトツ|走《ぱし》つて|注進《ちうしん》だ。ヤア|天変《てんぺん》だ、|天変《てんぺん》だ』
と|駆出《かけだ》す。
|真浦《まうら》『コレコレ|留《とめ》さま、|一寸《ちよつと》|田吾作《たごさく》さまを|捉《つか》まへて|下《くだ》さいな』
|留公《とめこう》は、
|留公《とめこう》『|合点《がつてん》だ』
と|田吾作《たごさく》の|後《あと》を|追《お》ひ|駆《かけ》る。|田吾作《たごさく》は|一生懸命《いつしやうけんめい》|走《はし》り|出《だ》す。|踏《ふ》み|外《はづ》して|崖下《がけした》の|麦畑《むぎばたけ》へ|顛落《てんらく》し、
|田吾作《たごさく》『アーアやつぱり|地異天変《ちいてんぺん》だ。|麦《むぎ》|一升《いつしよう》な|目《め》に|会《あ》つたものだ。オイ|留公《とめこう》、この|報告《はうこく》は|俺《おれ》が|承《うけたま》はつたのだ、|先《さき》へいつて|喜《よろこ》ばしやがると|承知《しようち》せぬぞ』
|留公《とめこう》『|貴様《きさま》の|言《い》ふことは|何《なに》が|何《なん》だか、|薩張《さつぱり》|解《わか》らせんワ。|俺《おれ》ん|所《ところ》の|麦畑《むぎばたけ》をワヤにしやがつて|何《ど》うして|呉《く》れるのだい』
|田吾作《たごさく》『|何《ど》うも|斯《か》うもあつたものかい。|麦《むぎ》の|一升《いつしよう》や|二升《にしよう》ワヤになつたつて、|此《こ》の|喜《よろこ》びに|替《か》へられるものか。|親子《おやこ》の|人《ひと》に|寄附《きふ》したと|思《おも》へば|済《す》むのだ。|此《こ》の|場合《ばあひ》になつて|吝嗇《けち》くさいことを|言《い》ふな』
|留公《とめこう》は|又《また》もや|両手《りやうて》を|組《く》んで、
|留公《とめこう》『ハテナ』
と|思案《しあん》に|暮《く》れてゐる。|松鷹彦《まつたかひこ》は|二人《ふたり》に|留守《るす》を|命《めい》じ|置《お》き、【あかざ】の|杖《つゑ》をつき|田吾作《たごさく》の|後《あと》を|追《お》うてヒヨロヒヨロと|此処《ここ》までやつて|来《き》た。
|留公《とめこう》『ヤア|貴方《あなた》は|宮《みや》のお|爺《ぢい》さま』
|松鷹彦《まつたかひこ》『お|前《まへ》は|留《とめ》さまぢやないか。|斯《こ》んな|路傍《みちばた》に|何《なに》|心配《しんぱい》さうにして|立《た》つてござるのだ』
|留公《とめこう》『|別《べつ》に|心配《しんぱい》も|何《なに》もありませぬが、|田吾作《たごさく》の|奴《やつ》|俄《にはか》に|発狂《はつきやう》し|居《を》つて、これ|此《この》|通《とほ》り|此《こ》の|高土手《たかどて》から|顛落《てんらく》し、|訳《わけ》のわからぬ|事《こと》を|言《い》つてます』
|爺《ぢい》さんは|恐《こは》|相《さう》に|崖下《がいか》をソツと|覗《のぞ》いた。|高所《かうしよ》から|落《お》ちて|腰《こし》を|痛《いた》め、|脚《あし》の|蝶番《てふつがい》を|破損《はそん》した|田吾作《たごさく》は、|爺《ぢい》の|顔《かほ》を|見《み》るより、
|田吾作《たごさく》『ヨーお|爺《ぢい》さま、|大変《たいへん》|大変《たいへん》、|左《ひだり》の|腋下《わきした》にモ|一《ひと》つの|梅《うめ》の|花《はな》が|咲《さ》いた』
|松鷹彦《まつたかひこ》『それは|何処《どこ》に|咲《さ》いたのだな』
|田吾作《たごさく》『|何処《どこ》にも|彼処《かしこ》にも|咲《さ》いて|咲《さ》いて|咲《さ》き|乱《みだ》れて|居《を》る。|真浦《まうら》ぢや|真浦《まうら》ぢや、|真浦《まうら》の|左《ひだり》の|腋下《わきした》に|梅《うめ》の|花《はな》の|痣《あざ》があるのだよ。|的切《てつき》りお|前《まへ》の|伜《せがれ》の|松《まつ》さまに|間違《まちが》ひなからう。いつて|来《き》なさい。|私《わし》はお|前《まへ》に|報告《はうこく》のため、|駄賃《だちん》|取《と》らずの|飛脚《ひきやく》さまで|今日《けふ》|一日《いちにち》は、お|前《まへ》のために|社会《しやくわい》|奉仕《ほうし》をするのだよ』
|松鷹彦《まつたかひこ》『それはマア|妙《めう》なことを|聞《き》くが|実際《じつさい》そんなことがあるのかい。|嘘《うそ》ぢやあるまいなア』
|田吾作《たごさく》『|嘘《うそ》を|云《い》つた|所《ところ》で|一文《いちもん》の|徳《とく》にもなりはせぬ。|早《はや》く|帰《かへ》つて|親子《おやこ》|対面《たいめん》の|用意《ようい》をしなさい。オイ|留公《とめこう》、|真浦《まうら》さまを|宮《みや》の|社務所《ながどこ》まで|引張《ひつぱ》つて|来《く》るのだよ』
と|身体《からだ》の|痛《いた》みも|忘《わす》れて、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|叫《さけ》んでゐる。|松鷹彦《まつたかひこ》は|半信半疑《はんしんはんぎ》|乍《なが》らも、|何《なに》か|心《こころ》に|期《き》する|所《ところ》あるものの|如《ごと》く、|覚束《おぼつか》なき|足《あし》も|欣々《いそいそ》と|軽《かる》げに|元《もと》|来《き》し|道《みち》へ|踵《きびす》を|返《かへ》した。
|留公《とめこう》は|田吾作《たごさく》を|助《たす》けむと、|少《すこ》しく|迂回《うくわい》して|側《かたはら》に|近付《ちかづ》き、
|留公《とめこう》『オイ|田吾作《たごさく》、しつかりせぬか、|口《くち》ばつかり|噪《はし》やぎ|居《を》つて、|腰《こし》がチツとも|立《た》たぬぢやないか』
|田吾作《たごさく》『あまり|嬉《うれ》しくて|嬉《うれ》し|腰《ごし》が|抜《ぬ》け|居《を》つたのだい』
|留公《とめこう》『サア、|俺《おれ》が|負《お》うてやるから|俺《おれ》の|背中《せなか》に|喰《くら》ひつくのだ』
|田吾作《たごさく》『|俺《おれ》を|負《お》ふ|人《ひと》があるのだ。それ|迄《まで》|待《ま》つてゐるのだよ。|大《おほ》きに|憚《はばか》りさま』
|留公《とめこう》『|負惜《まけをし》みの|強《つよ》い|奴《やつ》だな。|俺《おれ》が|親切《しんせつ》に|負《お》うてやらうと|言《い》ふのに、|何故《なぜ》|負《お》はれぬのか』
|田吾作《たごさく》『かうして|此処《ここ》に|平太《へた》つて|居《を》れば、|屹度《きつと》|通《とほ》る|人《ひと》があるのだよ。カヽヽエー|矢張《やつぱり》|構《かま》うてくれな。|何事《なにごと》も|惟神《かむながら》に|任《まか》すのだ』
|留公《とめこう》『ハハア、カヽヽと|云《い》ひやがつて、|大方《おほかた》お|勝《かつ》さまに|負《お》うて|貰《もら》はうと|思《おも》つてゐるのだらう、サアサ|俺《おれ》がお|勝《かつ》さまの|所《ところ》へ|負《お》つて|連《つ》れて|行《い》つてやらう。|背中《せなか》に|喰《くら》ひつくのだよ』
|田吾作《たごさく》はソーと|腰《こし》を|上《あ》げてみて、
|田吾作《たごさく》『アー|妙《めう》だ、|何時《いつ》の|間《ま》にか|自然《しぜん》|療法《れうはふ》で|全快《ぜんくわい》し|居《を》つた。マア|生命《いのち》に|別条《べつでう》はない。|安心《あんしん》してくれ』
|留公《とめこう》『こんな|奴《やつ》に|相手《あひて》になつて|居《ゐ》ると|狐《きつね》につままれたやうなものだ。エヽ|怪体《けつたい》の|悪《わる》い』
とボヤキボヤキ|上《あが》つて|行《ゆ》く。|田吾作《たごさく》はシヤンシヤンとして|後《あと》を|追《お》ふ。|漸《やうや》く|顛落《てんらく》した|箇所《かしよ》までやつて|来《き》た。
|田吾作《たごさく》『アヽ|此処《ここ》だ、|俺《おれ》の|一生《いつしやう》|一代《いちだい》の|放《はな》れ|業《わざ》の|遺跡《ゐせき》だ。|臨時《りんじ》に|目標《もくへう》でも|建《た》てて|記念《きねん》にして|置《お》かうかな』
|其処《そこ》へ|慌《あわただ》しくやつて|来《き》たのは|真浦《まうら》である。
|真浦《まうら》『|留《とめ》さま、|田吾作《たごさく》さま、|何《なに》をしてゐるのだ』
|留公《とめこう》『|今《いま》|田吾作《たごさく》が|空中滑走《くうちうくわつそう》の|曲芸《きよくげい》を|演《えん》じ、|此《こ》の|留《とめ》さまに|御覧《ごらん》に|供《きよう》した|所《ところ》です』
|田吾作《たごさく》『ヤア|左《ひだり》の|腋《わき》の|下《した》の|梅《うめ》の|花《はな》か、サア|早《はや》く|来《き》た。もう|爺《ぢい》さんに|注進《ちうしん》|済《ず》みだ。|屹度《きつと》|四頭《しとう》|立《だ》ての|黒塗《くろぬ》りの|馬車《ばしや》か、|自動車《じどうしや》を|以《もつ》て|迎《むか》ひに|来《き》ますぜ。マア、ゆつくり|此《こ》の|田圃路《たんぼみち》に|待《ま》つて|居《ゐ》なさい』
|真浦《まうら》はニタリと|笑《わら》ひ|乍《なが》ら、|足早《あしばや》に|武志《たけし》の|森《もり》をさして|急《いそ》ぎ|行《ゆ》く。|二人《ふたり》も|捻鉢巻《ねぢはちまき》し|乍《なが》ら|大股《おほまた》に|宙《ちう》を|飛《と》んで、|宮《みや》の|社務所《ながどこ》|目蒐《めが》けて|駆《か》け|出《だ》した。
(大正一一・五・一三 旧四・一七 外山豊二録)
第七章 |再生《さいせい》の|歓《よろこび》〔六六九〕
|松鷹彦《まつたかひこ》は【あかざ】の|杖《つゑ》をつき、|田吾作《たごさく》、お|春《はる》の|慌《あわ》てて|駆出《かけだ》した|跡《あと》を|気遣《きづか》ひ、|覚束《おぼつか》ない|足《あし》つきにて|二人《ふたり》に|留守《るす》を|托《たく》しながら|出《で》て|往《い》つて|仕舞《しま》つた。|後《あと》には|夫婦《ふうふ》|連《づ》れ、|何《いづ》れも|喜《よろこ》びと|驚《おどろ》きの|涙《なみだ》に|暮《く》れて|居《ゐ》る。
お|勝《かつ》『モシ|宗彦《むねひこ》さま、|何卒《どうぞ》|私《わたし》に|暇《いとま》を|下《くだ》さいませぬか』
|宗彦《むねひこ》『そりやお|前《まへ》、|本当《ほんたう》に|欲《ほ》しいのか』
お|勝《かつ》『|何《なに》しに|心《こころ》にもない|事《こと》を|云《い》ひませう、|一寸《ちよつと》|感《かん》じた|事《こと》が|御座《ござ》いますから、|何卒《どうぞ》|今日《けふ》|限《かぎ》り|縁《えん》を|切《き》つて|下《くだ》さい』
|宗彦《むねひこ》『ハハ|分《わか》つた、お|前《まへ》は、|私《わたし》の|父親《てておや》は、もつと|立派《りつぱ》なものと|思《おも》うて|居《ゐ》たのだらう、あの|爺《おやぢ》さまが、|私《わたし》の|親《おや》と|云《い》ふ|事《こと》が|分《わか》つたので|俄《にはか》に|嫌《いや》になつたのだな』
お|勝《かつ》『イエイエどうしてどうして、|嫌《いや》になりますものか、|層一層《そういつそう》|懐《なつか》しうなつて|来《き》ました』
|宗彦《むねひこ》『そんなら|尚更《なほさら》の|事《こと》、|夫婦《ふうふ》|睦《むつ》まじく|暮《くら》して|呉《く》れたらどうだ。|俺《おれ》も|折角《せつかく》お|父《とう》さまに|遇《あ》うて|喜《よろこ》ぶ|間《ま》もなく、|女《をんな》の|方《はう》から|暇《いとま》を|貰《もら》つてどうして|親《おや》に|合《あは》す|顔《かほ》があらうか、|昨日《きのふ》|迄《まで》なら|止《や》むを|得《え》ざれば|切《き》つてもやるが、|今《いま》となつてそんな|事《こと》が|出来《でき》るものか、|俺《おれ》の|心《こころ》も|些《ちつ》とは|察《さつ》して|呉《く》れたらどうだ』
お|勝《かつ》『それはさうで|御座《ござ》いますが、これには|云《い》ふに|云《い》はれぬ|仔細《しさい》があつて』
|宗彦《むねひこ》『|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もない|夫婦《ふうふ》の|仲《なか》、|云《い》はれぬ|秘密《ひみつ》があらう|筈《はず》はない、サアその|秘密《ひみつ》を|聞《き》かして|呉《く》れ』
お|勝《かつ》『|其《その》|秘密《ひみつ》を|申《まを》し|上《あ》げたら|貴方《あなた》は|吃驚《びつくり》をきつとなさいませう、|是《これ》|許《ばか》りは|死《し》んでも|申《まを》し|上《あ》げられませぬ』
|宗彦《むねひこ》『ハヽア、さうするとお|前《まへ》は|田吾作《たごさく》さまと、なんか|俺《おれ》に|内証《ないしよう》で|契約《けいやく》でもしたのだらう、|田吾作《たごさく》とお|前《まへ》の|視線《しせん》がどうも|怪《あや》しかつた』
お|勝《かつ》『|何《なん》と|云《い》ふ|情《なさけ》ない|事《こと》を|仰《おつ》しやるのですか、|私《わたし》の|腹《はら》を|切《き》つてでも|見《み》せて|上《あ》げたい、|何《いづ》れ|死《し》なねばならぬ|罪《つみ》の|重《おも》いこの|体《からだ》』
と|云《い》ふり|早《はや》く|懐《ふところ》の|懐剣《くわいけん》を|取《と》り|出《だ》し、|帷子《かたびら》の|薄衣《うすぎぬ》の|上《うへ》からグサリと|突《つ》き|立《た》てようとした。|宗彦《むねひこ》は|驚《おどろ》いてぐつと|其《その》|手《て》を|握《にぎ》り、
|宗彦《むねひこ》『|待《ま》て|待《ま》て』
お|勝《かつ》『イエイエ|何《ど》うぞ|留《と》めて|下《くだ》さいますな、|潔《いさぎよ》く|死《し》なして|下《くだ》さいませ、|腹《はら》を|切《き》つて|臨終《いまは》の|際《きは》に|一言《ひとこと》|申《まを》し|上《あ》げて、|神様《かみさま》や|貴方《あなた》にお|詫《わび》を|申《まを》し|上《あ》げます』
|宗彦《むねひこ》『|生死《せいし》を|共《とも》にしようと|云《い》つて、|山野河海《さんやかかい》を|見窄《みすぼ》らしい|巡礼姿《じゆんれいすがた》となり|下《さ》がり、|手《て》に|手《て》を|把《と》つて|此処迄《ここまで》|互《たがひ》に|父母《ふぼ》の|後《あと》を|慕《した》ひ|来《き》たのではないか、お|前《まへ》は|大方《おほかた》|私《わたし》が|親子《おやこ》の|対面《たいめん》をしたので|恨《うら》めしうなつたのだらう、イヤ|失望落胆《しつばうらくたん》したのであらう、きつと|遇《あ》ふ|時節《じせつ》が|来《く》るから|短気《たんき》を|起《おこ》して|呉《く》れな、|夫《をつと》が|妻《つま》に|手《て》をついて、サア|此《この》|通《とほ》りだ』
と|片手《かたて》にお|勝《かつ》の|腕《うで》を|握《にぎ》り、|片手《かたて》を|目《め》の|前《まへ》に|突《つ》きつけて、|涙《なみだ》と|共《とも》にお|勝《かつ》を|拝《おが》む。
お|勝《かつ》『アヽ|勿体《もつたい》ない、そこ|迄《まで》|思《おも》うて|下《くだ》さるなれば|死《し》ぬのは|止《や》めませう、|安心《あんしん》して|下《くだ》さいませ、その|代《かは》り|只今《ただいま》|限《かぎ》り|無条件《むでうけん》でお|暇《ひま》を|願《ねが》ひたう|御座《ござ》います』
|宗彦《むねひこ》『|暇《ひま》をやらねば|死《し》ぬと|云《い》ふなり、|暇《ひま》をやれば|親父《おやぢ》に|心配《しんぱい》をかけるなり、|嗚呼《ああ》|恩《おん》と|恋《こひ》との|締木《しめぎ》にかかつて、こんな|苦《くるし》い|事《こと》が|世《よ》にあらうか。これお|勝《かつ》、|何卒《どうぞ》|暫《しばら》くでいいから|夫婦《ふうふ》になつて|居《ゐ》てくれ、|又《また》|時《とき》をみてお|前《まへ》の|望《のぞ》み|通《どほ》り、|離縁《りえん》をするから』
お|勝《かつ》『それが|待《ま》たれるやうな|事《こと》なれば、なぜ|私《わたくし》がお|願《ねが》ひ|致《いた》しませう、|女房《にようばう》が|夫《をつと》に|対《たい》し|離縁《りえん》を|申込《まをしこ》むなぞと|云《い》ふやうな、|不合理《ふがふり》な|事《こと》が|何処《どこ》に|御座《ござ》いませう。|貴方《あなた》は|嘸々《さぞさぞ》|不貞腐《ふてくさ》れの|女《をんな》だと|思召《おぼしめ》すでせうが、|私《わたくし》の|胸《むね》の|中《うち》は|千万無量《せんまんむりやう》、|焼鏝《やきごて》を|当《あ》てるやうで|御座《ござ》います』
|宗彦《むねひこ》『アヽ|何《ど》うしたら|此《この》|苦《くるし》みを|逃《のが》れる|事《こと》が|出来《でき》ようかなア、|暇《ひま》をくれと|云《い》へば|云《い》ふ|程《ほど》|心《こころ》の|中《うち》の|恋《こひ》と|云《い》ふ|曲者《くせもの》が|躍《をど》り|出《だ》し、|俺《おれ》の|体《からだ》も|焦熱地獄《せうねつぢごく》に|陥《お》ちたやうだ』
と|太《ふと》き|息《いき》をつく。|夫婦《ふうふ》の|間《あひだ》に|得《え》も|云《い》はれぬ|悲惨《ひさん》な|雲《くも》の|幕《まく》が|下《お》りた。|斯《か》かる|所《ところ》へ|松鷹彦《まつたかひこ》はいそいそと|帰《かへ》り|来《きた》り、
|松鷹彦《まつたかひこ》『ヤア|宗彦《むねひこ》、お|勝《かつ》、お|前《まへ》は|泣《な》いて|居《を》るのか、こんな|目出度《めでた》い|時《とき》に|夫婦《ふうふ》が|揃《そろ》うて|泣《な》くと|云《い》ふ|事《こと》があるものか、|泣《な》きたければ|又《また》|夜中《よなか》に|悠《ゆつ》くりと|泣《な》いて|満足《たんのう》するがよい、|今《いま》|其処《そこ》へ|村《むら》の|衆《しう》が|出《で》て|御座《ござ》るから、サアサア|早《はや》う|機嫌《きげん》|直《なほ》して|呉《く》れ』
|宗彦《むねひこ》『お|父《とう》さま、|余《あま》り|嬉《うれ》しうて|嬉《うれ》し|涙《なみだ》が|溢《こぼ》れたのです、|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな』
|松鷹彦《まつたかひこ》『アヽ、さうだらう さうだらう|無理《むり》も|無《な》い、|併《しか》しお|勝《かつ》も|泣《な》いて|居《ゐ》たやうだ、|目《め》を|腫《は》らして|居《ゐ》るぢやないか、これこれお|勝《かつ》、|見《み》つともない、|泣《な》いて|呉《く》れな』
と|留《とど》めながら|松鷹彦《まつたかひこ》は|自分《じぶん》も|泣《な》き|出《だ》した。
|宗彦《むねひこ》『お|父《とう》さま、|申上《まをしあ》げ|悪《にく》い|事《こと》ですが、|女房《にようばう》が|只今《ただいま》より|暇《ひま》が|欲《ほ》しいと|云《い》ふのです、それで|実《じつ》は|二人《ふたり》が|談判《だんぱん》して|居《を》つたのです』
|松鷹彦《まつたかひこ》『|若《わか》い|者《もの》と|云《い》ふものは|仕方《しかた》がないものだな、|私《わし》も|覚《おぼ》えがある。|天下《てんか》|御免《ごめん》だから|犬《いぬ》も|喰《く》はぬ|喧嘩《けんくわ》を|精《せい》|出《だ》してやつて|呉《く》れ』
|後《あと》は|嬉《うれ》し|涙《なみだ》をしやくり|上《あ》げる。
|斯《かか》る|所《ところ》へ、|天《あめ》の|真浦《まうら》の|宣伝使《せんでんし》を|始《はじ》め、|田吾作《たごさく》、|留公《とめこう》、お|春《はる》は|四五《しご》の|里人《さとびと》と|共《とも》に、スタスタとやつて|来《き》た。
|田吾作《たごさく》『モシモシ、お|爺《ぢい》さま、お|喜《よろこ》びなさいませ、|真浦《まうら》の|宣伝使《せんでんし》は|確《たしか》に|左《ひだり》の|腋《わき》の|下《した》に|梅《うめ》の|紋《もん》が|鮮《あざや》かに|現《あら》はれて|居《を》ります。|屹度《きつと》|最前《さいぜん》|仰有《おつしや》つた、|貴方《あなた》の|御長男《ごちやうなん》|松《まつ》さまに|間違《まちが》ひありません。ナア|真浦《まうら》さま、さうでせう』
|真浦《まうら》『ハイ』
と|云《い》つたきり、|何《なん》となく|心《こころ》|落《お》ち|着《つ》かぬ|返事《へんじ》をして|居《ゐ》る。
|松鷹彦《まつたかひこ》『モシモシ|真浦《まうら》さま、|失礼《しつれい》な|事《こと》をお|尋《たづ》ね|致《いた》しますが、あなたのお|国《くに》は|何所《どこ》で|御座《ござ》いましたか』
|真浦《まうら》『ハイ、|私《わたくし》は|紀《き》の|国《くに》|熊野《くまの》の|生《うま》れで|御座《ござ》います』
|松鷹彦《まつたかひこ》『お|父《とう》さま、お|母《はは》さまはお|達者《たつしや》にして|御座《ござ》るでせうな』
|真浦《まうら》『イエ|父《ちち》も|母《はは》も|行方不明《ゆくへふめい》となり、|三人《さんにん》の|兄妹《きやうだい》も|何《ど》うなつたか、|何分《なにぶん》|小《ちひ》さい|時《とき》に|分《わか》れたのものですから|顔《かほ》も|知《し》らず、|全然《まるで》|世《よ》の|中《なか》に|親族《みうち》も|何《なに》もない|一人《ひとり》ぼつちです。|私《わたくし》の|力《ちから》とするのは|唯《ただ》もう|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|神様《かみさま》|許《ばか》り、|度々《たびたび》|夢《ゆめ》を|見《み》ますが、|私《わたくし》の|父《ちち》はどうも|貴方《あなた》に|良《よ》く|似《に》て|居《ゐ》るやうに|思《おも》ひます。|併《しか》しこれは|夢《ゆめ》の|事《こと》ですから、あてにはなりませぬ。|何卒《なにとぞ》お|心《こころ》に【さへ】て|下《くだ》さいますな』
|松鷹彦《まつたかひこ》『お|前《まへ》さま|左《ひだり》の|腋《わき》に|梅《うめ》の|花《はな》の|痣《あざ》があると|云《い》ふ|事《こと》ぢやが、それは|真実《ほんたう》ですか、|真実《ほんたう》なら|一寸《ちよつと》|見《み》せて|下《くだ》さい。|私《わし》の|子供《こども》には|兄弟《きやうだい》とも|兄《あに》は|左《ひだり》に|弟《おとうと》は|右《みぎ》に、|不思議《ふしぎ》な|事《こと》には|梅《うめ》の|紋《もん》の|痣《あざ》がついて|居《ゐ》る、|何《なん》でも|是《これ》は|神様《かみさま》の|生《うま》れ|変《がは》りと|聞《き》いて|居《ゐ》る。|一人《ひとり》の|娘《むすめ》には|臍《へそ》の|上《うへ》に|三角星《さんかくせい》のやうな|黒子《ほくろ》があつた』
|真浦《まうら》『|是《これ》は|妙《めう》な|事《こと》を|承《うけたま》はります、サア|何《ど》うぞお|調《しら》べ|下《くだ》さいませ』
と|肌《はだ》を|脱《ぬ》ぐ。|松鷹彦《まつたかひこ》は|眼《め》を|光《ひか》らし、つくづくと|眺《なが》めて、
|松鷹彦《まつたかひこ》『マヽ|擬《まが》ふ|方《かた》なき|私《わし》の|忰《せがれ》であつた。|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い、これと|云《い》ふのも|神様《かみさま》のお|引《ひ》き|合《あは》せ、|婆《ばば》が|生《いき》て|居《ゐ》たらどれだけ|喜《よろこ》ぶであらうに、|可憐《かはい》さうな|事《こと》をした。|婆《ばば》と|明《あ》け|暮《く》れ|三人《さんにん》の|子供《こども》の|事《こと》を|思《おも》ひ|出《だ》しては|泣《な》き、|云《い》ひ|出《だ》しては|泣《な》き、|可憐《かはい》さうに|泣《な》いて|泣《な》いて|泣《な》き|暮《くら》し、|終《しまひ》には|自暴自棄《やけ》になつて、|河《かは》の|魚《うを》を|漁《すなど》り、|殺生《せつしやう》ばかりして|悶々《もんもん》の|情《じやう》を|慰《なぐさ》めて|居《ゐ》た。アーア|可憐《かはい》さうだつた』
と|流石《さすが》|妻《つま》を|思《おも》ふ|愛情《あいじやう》の|雲《くも》に|包《つつ》まれて|其《その》|場《ば》に|力《ちから》なく|泣《な》き|沈《しづ》む。
|田吾作《たごさく》『こんな|目出度《めでた》い|時《とき》に|何《なに》をベソベソ|泣《な》くのだ。|男《をとこ》と|云《い》ふものは|涙《なみだ》を|目《め》から|外《そと》へ|落《おと》すのは|大変《たいへん》な|恥《はぢ》だ、|潔《いさぎよ》うなさいませ。|歌《うた》でも|謡《うた》つて|祝《いは》ひの|酒《さけ》でも|飲《の》んで|機嫌《きげん》ようするのだなア、|私《わたし》も|何《なん》だか|陰気《いんき》になつて|来《き》た。サア|一《ひと》つ|歌《うた》つて|見《み》ようかな、ぢやと|云《い》うて|酒《さけ》も|呑《の》まずに|何《なん》だか|拍子抜《へうしぬけ》がしたやうだ。お|弓《ゆみ》の|奴《やつ》、|酒《さけ》を|買《か》うて|持《も》つて|往《ゆ》くと|云《い》ひながら、|何《なに》をして|居《を》るのだらう。|又《また》|爺《おやぢ》と【いちや】ついて|居《を》るのだなからうかなア』
と|態《わざ》と|潔《いさぎよ》う|喋《しやべ》り|立《た》てる。|留公《とめこう》は、
|留公《とめこう》『モシモシ、|真浦《まうら》の|宣伝使《せんでんし》さま、|何《なに》を|俯向《うつむ》いて|居《を》るのだ。|早《はや》くお|父《とう》さまに|久《ひさ》し|振《ぶ》りの|御対面《ごたいめん》の|御挨拶《ごあいさつ》をなさらぬか、|何《なん》だか|目出度《めでた》い|事《こと》だと|思《おも》うて|来《き》たのに|薩張《さつぱり》|座《ざ》が|湿《しめ》つて|仕舞《しま》ひ、|五月雨《さみだれ》の|空《そら》のやうだ。ヤアお|弓《ゆみ》さんが|酒《さけ》を|持《も》つて|来《き》た。オイ|田吾作《たごさく》、お|前《まへ》は|酒好《さけず》きだから、|早《はや》く|飲《の》んで|一《ひと》つ|踊《をど》つて|此《この》|場《ば》の|空気《くうき》を|一洗《いつせん》してくれ、|俺《おれ》は|御馳走《ごちそう》の|用意《ようい》にかかるから、|追々《おひおひ》|村《むら》の|者《もの》が|出《で》て|来《く》る|時分《じぶん》ぢやから|愚図々々《ぐづぐづ》しては|居《を》られぬぞや』
と|足早《あしばや》に|炊事場《すゐじば》|指《さ》して|走《はし》り|行《ゆ》く。
|田吾作《たごさく》はお|弓《ゆみ》の|持《も》つて|来《き》た|酒《さけ》をグイと|引《ひ》つ|手繰《たぐ》り、|其《その》|儘《まま》|口《くち》にあてて|法螺貝飲《ほらがひの》みを|始《はじ》めて|居《ゐ》る。|松鷹彦《まつたかひこ》、|真浦《まうら》、|宗彦《むねひこ》、お|勝《かつ》の|四人《よにん》は|喜《よろこ》びと|悲《かな》しさの|雲《くも》に|包《つつ》まれ、|黙念《もくねん》として|傾首《うなだ》れて|居《ゐ》る。|田吾作《たごさく》は|酒《さけ》の|機嫌《きげん》で|謡《うた》ひ|出《だ》した。
『とうとうたらりや とうたらり  たらりや たらりや とうたらり
|天下泰平《てんかたいへい》|国土成就《こくどじやうじゆ》  |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》ける  |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》  |唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ  |身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》す
|三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|道《みち》  |神《かみ》の|御稜威《みいづ》のいや|高《たか》き
|武志《たけし》の|宮《みや》の|御前《おんまへ》に  |親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》の|邂逅《めぐりあひ》
|三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》  |左《ひだり》の|腕《かひな》は|厳御霊《いづみたま》
|右《みぎ》りの|腕《かひな》は|瑞御霊《みづみたま》  |厳《いづ》と|瑞《みづ》との|神《かみ》の|子《こ》が
|弥《いよいよ》|此処《ここ》に|現《あら》はれて  |三五《さんご》の|月《つき》の|御教《みをしへ》を
|四方《よも》に|広《ひろ》むる|常磐木《ときはぎ》の  |松鷹彦《まつたかひこ》のお|喜《よろこ》び
|臍下丹田《あまのいはと》のその|上《うへ》に  |瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|印《しるし》ある
|黒子《ほくろ》の|出来《でき》たお|勝《かつ》さま  |私《わたし》ばかりは|知《し》つて|居《ゐ》る
さはさりながら|皆《みな》の|人《ひと》  |必《かなら》ず|怪《あや》しみ|給《たま》ふなよ
わしとお|勝《かつ》さんの|其《その》|仲《なか》は  |汚《けが》れた|事《こと》は|露《つゆ》もない
|宇都《うづ》の|河原《かはら》にお|勝《かつ》さま  |御禊《みそぎ》せられた|其《その》|時《とき》に
|横《よこ》から|一寸《ちよつと》|見《み》て|置《お》いた  |松鷹彦《まつたかひこ》の|先刻《さきほど》の
|御物語《おものがたり》を|伺《うかが》へば  これぞてつきり|御兄妹《ごきやうだい》
|松竹梅《まつたけうめ》の|三人《さんにん》が  |弥《いよいよ》|揃《そろ》うた|神《かみ》の|前《まへ》
|皆《みな》さま|喜《よろこ》びなさいませ  こんな|目出度《めでた》い|事《こと》はない
|仮令《たとへ》|天地《てんち》は|変《かは》るとも  |親子《おやこ》の|縁《えん》は|変《かは》りやせぬ
|親子《おやこ》は|一世《いつせ》|夫婦《ふうふ》|二世《にせ》  |切《き》るに|切《き》られぬ|親《おや》と|子《こ》が
|長《なが》い|間《あひだ》の|生《い》き|別《わか》れ  |此処《ここ》で|遇《あ》うたは|優曇華《うどんげ》の
|花《はな》|咲《さ》く|春《はる》の|梅《うめ》の|花《はな》  |開《ひら》いて|散《ち》るな|実《み》を|結《むす》べ
|七重《ななへ》に|八重《やへ》に|九重《ここのへ》に  |十重《とへ》に|廿重《はたへ》に|咲《さ》き|匂《にほ》ふ
|神《かみ》の|教《をしへ》の|瑞祥《ずゐしやう》ぞ  アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましまして  |知《し》らず|知《し》らずに|犯《をか》したる
|宗彦《むねひこ》|夫婦《ふうふ》が|身《み》の|罪《つみ》を  |三五教《あななひけう》の|大御神《おほみかみ》
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》しましまして  |罪《つみ》も|汚《けが》れもあら|川《かは》の
|淵瀬《ふちせ》に|流《なが》して|清《きよ》めませ  アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
と|剽軽《へうきん》な|男《をとこ》に|似《に》ず、|今日《けふ》に|限《かぎ》つて|真面目《まじめ》に|謡《うた》ひ、|真面目《まじめ》に|舞《ま》うて|見《み》せた。この|言霊《ことたま》に|白《しら》けかかつた|一座《いちざ》は|俄《にはか》に|陽気《やうき》だち、|何《いづ》れも|顔色《かほいろ》|変《か》へて|春風《はるかぜ》に|桜《さくら》の|綻《ほころ》ぶ|如《ごと》き|笑顔《ゑがほ》を|見《み》せたり。
|宗彦《むねひこ》『アヽお|勝《かつ》、お|前《まへ》は|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|事《こと》を|俄《にはか》に|云《い》うと|思《おも》つて|居《ゐ》たが、アヽ|妹《いもうと》であつたか。なぜ|遠慮《ゑんりよ》をするのだ、|素《もと》より|兄妹《きやうだい》と|知《し》つて|天則《てんそく》を|犯《をか》したのでもなし、|知《し》らず|識《し》らずの|反則《はんそく》であるから|神様《かみさま》も|赦《ゆる》して|下《くだ》さるだらう。|何《ど》うぞ|心配《しんぱい》してくれな、|併《しか》し|兄妹《きやうだい》と|分《わか》つた|以上《いじやう》は、お|前《まへ》の|望《のぞ》み|通《どほ》り|暇《ひま》を|上《あ》げませう』
|松鷹彦《まつたかひこ》、|真浦《まうら》は|打驚《うちおどろ》き、|夢《ゆめ》か|現《うつつ》か、|親《おや》か|子《こ》か|兄妹《きやうだい》かと、|目《め》と|目《め》を|見合《みあは》し、|呆《あき》れて|言葉《ことば》も|泣《な》く|許《ばか》り。|天《あめ》の|真浦《まうら》は|立《た》ち|上《あが》り、
『|天《あめ》と|地《つち》との|其《その》|中《なか》に  |生《うま》れ|来《きた》りし|人草《ひとぐさ》の
|中《なか》にも|別《わ》けて|我《わ》が|親子《おやこ》  |運命《うんめい》の|神《かみ》に|操《あやつ》られ
|親子《おやこ》は|四方《よも》に|離散《りさん》して  |行方《ゆくへ》も|知《し》らぬ|旅《たび》の|空《そら》
|親《おや》は|我《わが》|子《こ》の|行先《ゆくさき》を  |尋《たづ》ねて|風雨《ふうう》に|身《み》を|曝《さ》らし
|慈愛《じあい》の|涙《なみだ》そそぎつつ  |山河《やまかは》|渡《わた》り|荒野《あれの》|越《こ》え
|我等《われら》が|跡《あと》を|老《おい》の|身《み》の  |憂《うき》を|忘《わす》れてあちこちと
|彷徨《さまよ》ひませる|親心《おやごころ》  |山《やま》より|高《たか》く|海《うみ》よりも
|深《ふか》き|尊《たふと》き|御恵《おんめぐ》み  |我等《われら》|三人《みたり》の|兄妹《けうだい》は
|親《おや》に|離《はな》れし|雛鳥《ひなどり》の  |寄《よ》る|辺《べ》|渚《なぎさ》の|捨小舟《すてをぶね》
|流《なが》れ|漂《ただよ》ひあちこちと  |情《つれ》なき|人《ひと》に|虐《さいな》まれ
|百《もも》の|艱《なや》みを|凌《しの》ぎつつ  |我《わが》|垂乳根《たらちね》の|行先《ゆくさき》を
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|当《あて》もなく  |探《さぐ》りし|事《こと》の|悲《かな》しさよ
|天地《てんち》に|神《かみ》のますならば  |悲《かな》しき|我等《われら》がこの|思《おも》ひ
|晴《は》らさせ|給《たま》ひて|片時《かたとき》も  |早《はや》く|遇《あ》はさせ|給《たま》へやと
|神《かみ》に|祈《いの》りをかけまくも  |畏《かしこ》き|御稜威《みいづ》|幸《さち》はひて
|思《おも》ひもかけぬ|親《おや》と|子《こ》が  |今日《けふ》の|対面《たいめん》|何《なん》として
|天地《てんち》の|神《かみ》に|礼代《いやしろ》の  |言霊《ことたま》さへもなくばかり
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》の|幸《さち》を|賜《たま》はりし
|恵《めぐみ》も|深《ふか》き|三五《あななひ》の  |道《みち》を|守《まも》らす|大御神《おほみかみ》
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の  |瑞《みづ》の|光《ひかり》に|照《て》らされて
|月《つき》|満《み》つ|今日《けふ》の|邂逅《めぐりあひ》  |父《ちち》は|此《この》|世《よ》にましませど
|母《はは》は|早《はや》くも|娑婆《しやば》|世界《せかい》  |後《あと》に|見捨《みす》てて|去《さ》りましぬ
さはさりながら|吾《われ》のみは  |恋《こひ》しき|母《はは》と|知《し》らずして
お|目《め》にかかりし|嬉《うれ》しさよ  |此《この》|世《よ》に|母《はは》のましまさば
|如何《いか》に|喜《よろこ》び|給《たま》ふらむ  |嗚呼《ああ》|父上《ちちうへ》よ|弟《おとうと》よ
|日頃《ひごろ》|尋《たづ》ねし|妹《いもうと》よ  いざ|是《こ》れよりは|大神《おほかみ》の
|真《まこと》の|道《みち》に|服従《まつろ》ひて  |生命《いのち》の|限《かぎ》り|身《み》の|極《きは》み
|誠《まこと》|一《ひと》つの|言霊《ことたま》に  |悪魔《あくま》の|猛《たけ》ぶ|現世《うつしよ》を
|洗《あら》ひ|清《きよ》めて|母上《ははうへ》の  |御心《みこころ》|慰《なぐさ》め|奉《たてまつ》り
|父《ちち》の|誉《ほまれ》を|万代《よろづよ》に  |伝《つた》へむものと|励《はげ》みませ
|淵瀬《ふちせ》と|変《かは》る|人《ひと》の|世《よ》は  |明日《あす》をも|知《し》らぬ|身《み》の|上《うへ》ぞ
|嬉《うれ》しき|春《はる》に|廻《めぐ》り|遭《あ》ひ  |互《たがひ》に|顔《かほ》をみたり|連《づ》れ
|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》  |三千世界《さんぜんせかい》の|名《な》を|負《お》ひし
|三角星座《さんかくせいざ》の|印《しるし》ある  |名《な》さへ|目出度《めでた》き|梅子姫《うめこひめ》
|常磐堅磐《ときはかきは》にいつ|迄《まで》も  |松竹梅《まつたけうめ》の|勇《いさ》ましく
|生《い》き|長《なが》らへて|吾《わ》が|父《ちち》に  |能《あた》ふ|限《かぎ》りの|孝養《かうやう》を
|尽《つ》くすも|嬉《うれ》し|兄妹《けうだい》の  |今日《けふ》の|喜《よろこ》び|月照《つきてる》の
ミロクの|神《かみ》の|御前《おんまへ》に  |喜《よろこ》び|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
と|謡《うた》ひ|終《をは》つて|座《ざ》についた。
|村中《むらぢう》の|老若男女《らうにやくなんによ》は|残《のこ》らず|空家《あきや》にして|此《この》|場《ば》に|馳集《はせあつ》まり、|飲《の》めよ|謡《うた》へよの|大祝《おほいは》ひに|夜《よ》を|明《あ》かした。
|天《あめ》の|真浦《まうら》は|永《なが》く|武志《たけし》の|宮《みや》に|留《とど》まりて|父《ちち》に|孝養《かうやう》を|尽《つく》し、お|春《はる》を|女房《にようばう》に|持《も》ち、|父《ちち》の|後《あと》を|継《つ》ぐ|事《こと》となつた。お|勝《かつ》は|留公《とめこう》の|媒酌《ばいしやく》にて|田吾作《たごさく》の|妻《つま》となり、|夫婦仲《ふうふなか》よく|一生涯《いつしやうがい》を|送《おく》り、|子孫《しそん》|繁栄《はんゑい》して|裕《ゆたか》な|身《み》となつた。
|宗彦《むねひこ》|及《およ》び|田吾作《たごさく》の|二人《ににん》はこれより|聖地《せいち》に|上《のぼ》り、|言依別命《ことよりわけのみこと》に|謁《えつ》し、|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|体得《たいとく》し、|自転倒島《おのころじま》を|始《はじ》め、|世界《せかい》|到《いた》る|所《ところ》に|足跡《そくせき》を|印《いん》し|神業《しんげふ》に|参加《さんか》し、|遂《つひ》には|素盞嗚大神《すさのをのおほかみ》に|見出《みいだ》されて|立派《りつぱ》なる|大宣伝使《だいせんでんし》となりにける。
(大正一一・五・一三 旧四・一七 加藤明子録)
第八章 |心《こころ》の|鬼《おに》〔六七〇〕
|宗彦《むねひこ》は|親兄妹《おやきやうだい》に|別《わか》れを|告《つ》げ|一旦《いつたん》|聖地《せいち》に|参《ま》ゐのぼり、|言依別命《ことよりわけのみこと》より|天晴《あつぱ》れ|宣伝使《せんでんし》の|役《やく》を|命《めい》ぜられ、|心《こころ》いそいそとして|再《ふたた》び|宇都山《うづやま》の|里《さと》に|立《た》ち|帰《かへ》り、|武志《たけし》の|宮《みや》の|前《まへ》に|報告祭《はうこくさい》を|行《おこな》ひ|里人《さとびと》に|別《わか》れを|告《つ》げて、|山奥《やまおく》|深《ふか》く|三国ケ岳《みくにがだけ》に|割拠《かつきよ》する|魔神《まがみ》を|征服《せいふく》せむと、|旅装《りよさう》を|整《ととの》へ|宣伝《せんでん》の|初旅《はつたび》に|就《つ》いた。|留公《とめこう》、|田吾作《たごさく》の|二人《ふたり》は|村《むら》の|外《はづ》れに|先廻《さきまは》りして|待《ま》つて|居《ゐ》た。
|宗彦《むねひこ》『お|前《まへ》は|義弟《おとうと》の|田吾作《たごさく》ぢやないか、おゝ|留《とめ》さまも|其処《そこ》に|居《を》るなア、|何処《どこ》へ|行《ゆ》くのだ』
|田吾作《たごさく》『|何卒《どうぞ》|私《わたくし》を|二三日《にさんにち》、|宣伝使《せんでんし》のお|伴《とも》に|連《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さいな、|留《とめ》さまと|相談《そうだん》の|上《うへ》|此処《ここ》に|待伏《まちぶせ》して|居《を》りました』
|宗彦《むねひこ》『それは|折角《せつかく》だが|宣伝使《せんでんし》は|一人《ひとり》のものだと|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》より|承《うけたま》はつて|居《ゐ》る。|外《ほか》の|事《こと》なら|一緒《いつしよ》に|行《ゆ》かうが、|今日《けふ》は|宣伝《せんでん》の|初陣《うひぢん》だから、|御親切《ごしんせつ》は|有難《ありがた》いが|是非《ぜひ》なくお|断《ことわ》り|申《まを》す』
|田吾作《たごさく》『|私《わたくし》は|宣伝使《せんでんし》でない|以上《いじやう》は、|信者《しんじや》としてお|伴《とも》しても|差支《さしつかへ》ありますまい』
|留公《とめこう》『|何卒《どうぞ》|二三日《にさんにち》で|宜敷《よろし》いから|連《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さい』
|宗彦《むねひこ》『お|前《まへ》の|足《あし》でお|前《まへ》が|勝手《かつて》に|行《ゆ》くのなら|差支《さしつかへ》|無《な》からう、|同《おな》じ|一条《ひとすぢ》の|道《みち》を|通《とほ》るのだから……|然《しか》し|宣伝使《せんでんし》として|宗彦《むねひこ》は|徹頭徹尾《てつとうてつび》|一人旅《ひとりたび》だ』
|留公《とめこう》『|貴方《あなた》は|何処《どこ》を|指《さ》してお|出《い》でになるのですか』
|宗彦《むねひこ》『そうだなア、|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》は|明石峠《あかしたうげ》を|越《こ》え、それから|山国《やまぐに》を|経《へ》て|三国ケ岳《みくにがだけ》の|悪魔《あくま》を|征服《せいふく》して|来《こ》いとの|事《こと》だつた。|随分《ずゐぶん》|高《たか》い|山《やま》だらうなア』
|留公《とめこう》『|近江《あふみ》の|国《くに》と|若狭《わかさ》、|田庭《たんば》|三国《さんごく》に|跨《またが》る|高山《かうざん》です、|大変《たいへん》な|猛獣《まうじう》や|猿《さる》が|棲《す》み|大蛇《をろち》が|居《ゐ》ると|云《い》ふ|事《こと》です』
|田吾作《たごさく》『さう|聞《き》くと|私《わたくし》は|貴方《あなた》|一人《ひとり》をやる|訳《わけ》にはゆきませぬ、|是非《ぜひ》お|伴《とも》をさして|下《くだ》さいな』
|宗彦《むねひこ》『|絶対《ぜつたい》になりませぬ』
と|首《くび》を|振《ふ》り|振《ふ》り|先《さき》に|立《た》つて|行《ゆ》く。
|折《をり》しも|秋《あき》の|初《はじ》め、|田庭《たんば》|名物《めいぶつ》の|深霧《ふかぎり》に|六尺先《ろくしやくさき》は|少《すこ》しも|見《み》えない。|宗彦《むねひこ》は|足《あし》を|速《はや》めて|明石峠《あかしたうげ》をさして|進《すす》み|行《ゆ》く。|二人《ふたり》の|男《をとこ》は|霧《きり》に|隠《かく》れて|足《あし》を|速《はや》め、|先廻《さきまは》りして|明石峠《あかしたうげ》の|麓《ふもと》に|落《お》つる|大瀑布《だいばくふ》に|真裸《まつぱだか》となり、|身禊《みそぎ》し|乍《なが》ら|宗彦《むねひこ》の|進《すす》み|来《きた》るを|待《ま》つて|居《ゐ》た。|宗彦《むねひこ》は|二人《ふたり》の|滝《たき》にうたれて|居《ゐ》るのを|霧《きり》にさへぎられて|気《き》がつかず、
|宗彦《むねひこ》『|何《なん》だか|大変《たいへん》な|水音《みなおと》がして|居《ゐ》るなア』
と|小声《こごゑ》に|囁《ささや》き|乍《なが》ら|坂《さか》を|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|二人《ふたり》の|男《をとこ》は|宗彦《むねひこ》が|我《わが》|二三間前《にさんげんまへ》の|道《みち》を|通過《つうくわ》して|居《ゐ》るのに|少《すこ》しも|気《き》がつかなかつた。|宗彦《むねひこ》は|明石峠《あかしたうげ》の|頂上《ちやうじやう》に|登《のぼ》り|着《つ》いた。|霧《きり》は|谷間《たにま》を|埋《うづ》めて|処々《ところどころ》に|高山《かうざん》の|頂《いただ》きのみ|画《ゑ》の|様《やう》に|浮《う》いて|居《ゐ》る。
|宗彦《むねひこ》『アヽ|何《なん》と|霧《きり》の|海《うみ》の|景色《けしき》と|云《い》ふものは|綺麗《きれい》なものだなア、|到底《たうてい》|紀《き》の|国《くに》では|見《み》られぬ|図《づ》だ。|此《この》|景色《けしき》を|眺《なが》めて|居《を》る|心持《こころもち》は|全《まる》で|第一天国《だいいちてんごく》へ|遊楽《いうらく》して|居《ゐ》る|様《やう》な|気分《きぶん》だ』
と|独語《モノログ》して|居《ゐ》る。
|時《とき》しも|窶《やつ》れ|果《は》てた|四十《しじふ》|位《くらゐ》の|一人《ひとり》の|女《をんな》、|見《み》【すぼら】しき|風姿《みなり》をしてスタスタと|霧《きり》の|中《なか》から|浮《う》いた|様《やう》に|現《あら》はれて|来《き》た。
|宗彦《むねひこ》『イヨー、|妙《めう》な|女《をんな》がやつて|来《き》よつたぞ、|大変《たいへん》に|忙《いそが》し|相《さう》に|歩《ある》いて|居《ゐ》る、|何《なに》か|之《これ》には|様子《やうす》があり|相《さう》だ、|一《ひと》つ|此処《ここ》へ|近《ちか》づいたら|訊《たづ》ねて|見《み》よう』
と|心《こころ》に|思《おも》つて|居《ゐ》る。|女《をんな》は|宗彦《むねひこ》の|姿《すがた》に|気《き》がつきキツト|立《た》ち|止《とどま》り、|怪《あや》しの|目《め》を【ぎよろ】つかせ|此方《こなた》を|見詰《みつ》めて|居《ゐ》る。
|宗彦《むねひこ》『|貴女《あなた》は|此《この》|高《たか》い|峠《たうげ》を|越《こ》えて|女《をんな》の|身《み》の|只《ただ》|一人《ひとり》、|何処《どこ》へ|行《ゆ》くのだ』
|女《をんな》は|怖《こは》|相《さう》に、
|女《をんな》『ハイ、|私《わたくし》は|此《この》|下《した》の|熊田《くまだ》と|云《い》ふ|小村《こむら》の|者《もの》で|御座《ござ》います。|明石《あかし》の|滝《たき》へ|是《これ》から|打《う》たれに|参《まゐ》ります』
|宗彦《むねひこ》『|明石《あかし》の|滝《たき》と|云《い》ふのは|何処《どこ》にあるのだ』
|女《をんな》『|此《この》|山《やま》を|七八丁《しちはつちやう》|許《ばか》り|下《さが》つた|処《ところ》に|御座《ござ》います』
|宗彦《むねひこ》『|私《わし》も|今《いま》|此《この》|坂《さか》を|登《のぼ》つて|来《き》たのだが|余《あま》りの|深霧《ふかぎり》で|気《き》がつかなかつた。|道理《だうり》で|水音《みなおと》のした|箇所《かしよ》があつた|様《やう》に|思《おも》つた。して|又《また》|滝《たき》に|打《う》たれに|行《ゆ》くと|云《い》ふのは|何《なに》か|深《ふか》い|理由《わけ》があるであらう、それを|言《い》つて|見《み》なさい』
|女《をんな》『ハイ、|私《わたくし》の|夫《をつと》は|原彦《はらひこ》と|申《まを》すもの、|二三年前《にさんねんまへ》からフラフラと|患《わづら》ひつき|此《この》|頃《ごろ》では|大変《たいへん》な|大病《たいびやう》で|御座《ござ》います。それで|明石《あかし》の|滝《たき》の|神様《かみさま》へお|願《ねが》ひ|申《まを》して|夫《をつと》の|病気《びやうき》を|助《たす》けたさに、|滝《たき》に|身《み》を|浸《ひた》しに|参《まゐ》る|者《もの》で|御座《ござ》います』
|宗彦《むねひこ》『|何《ど》んな|病気《びやうき》だな、|都合《つがふ》に|依《よ》つたら|神様《かみさま》に|願《ねが》つて|助《たす》けて|上《あ》げようと|思《おも》ふのだが…』
|女《をんな》『ハイ、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います、|夜分《やぶん》になると|色々《いろいろ》のものが|出《で》て|参《まゐ》ります、さうして|苦《くるし》めるのです、その|度《たび》|毎《ごと》に|冷汗《ひやあせ》をグツスリかき|日《ひ》に|日《ひ》に|痩衰《やせおとろ》へ、|今《いま》は|最早《もはや》|骨《ほね》と|皮《かは》ばかりに|見《み》【すぼら】しくなつて|居《を》ります』
|宗彦《むねひこ》『そりや|何《なん》か|物《もの》の|怪《け》の|病気《びやうき》であらう。サア|一遍《いつぺん》|調《しら》べて|見《み》るから|案内《あんない》をしてお|呉《く》れ』
|女《をんな》『それは|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|之《これ》から|此《この》|山坂《やまさか》を|下《くだ》り、|四五丁《しごちやう》|許《ばか》り|行《い》つた|所《ところ》の|小《ちひ》さき|村《むら》で、|山《やま》の|麓《ふもと》に|私《わたくし》の|茅屋《あばらや》が|建《た》つて|居《を》ります。|御苦労《ごくらう》|乍《なが》らお|頼《たの》み|申《まを》します』
と|先《さき》に|立《た》つて|案内《あんない》する。|漸《やうや》く|女《をんな》の|家《いへ》に|着《つ》いた。|大樹《たいじゆ》の|森《もり》の|下《した》に|冠木門《かぶきもん》をあしらつた|一棟《ひとむね》の|相当《さうたう》に|広《ひろ》い|家《いへ》がある、それが|此《この》|女《をんな》の|邸宅《ていたく》。
|女《をんな》『|見《み》【すぼら】しき|茅屋《あばらや》で|御座《ござ》いますが、|何卒《どうぞ》お|這入《はい》り|下《くだ》さいませ』
と|会釈《ゑしやく》して|内《うち》に|入《い》る。|夫《をつと》|原彦《はらひこ》の|何物《なにもの》にか|魘《うな》されて|苦《くる》しむ|声《こゑ》は|戸外《こぐわい》に|迄《まで》|洩《も》れて|来《き》た。|女《をんな》は『|又《また》|来《き》よつたなア』と|小声《こごゑ》でつぶやき|乍《なが》ら、|慌《あわ》てて|屋内《をくない》に|飛《と》び|込《こ》み、|病人《びやうにん》の|枕許《まくらもと》に|駆《か》け|寄《よ》つた。|宗彦《むねひこ》は|少《すこ》し|遅《おく》れて|閾《しきゐ》を|跨《また》げ、|床上《しやうじやう》に|上《のぼ》り|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》するや、|病人《びやうにん》は|益々《ますます》|苦悶《くもん》の|声《こゑ》を|放《はな》ち|狂《くる》ひ|廻《まは》る。|四五人《しごにん》の|村人《むらびと》は|次《つぎ》の|間《ま》に|控《ひか》へて|何事《なにごと》か|話《はな》し|合《あ》つて|居《ゐ》た。|祝詞《のりと》の|声《こゑ》を|聞《き》くより|二三人《にさんにん》の|男《をとこ》|其《その》|場《ば》に|現《あら》はれ、
|男《をとこ》『|何処《いづく》の|方《かた》かは|知《し》りませぬが、|定《さだ》めてお|露《つゆ》さまがお|連《つ》れ|申《まを》して|帰《かへ》つた|方《かた》でせう、サア|何卒《どうぞ》|此方《こちら》へ|来《き》て|御休息《ごきうそく》|下《くだ》さいませ』
|宗彦《むねひこ》は『|御免《ごめん》』と|云《い》ひつつ|招《まね》かれて|一間《ひとま》に|踏込《ふみこ》み|座《ざ》に|着《つ》いた。|何事《なにごと》か|確《しか》とは|聞《き》きとれないが、|非常《ひじやう》に|病人《びやうにん》はお|露《つゆ》を|相手《あひて》に|呶鳴《どな》つて|居《ゐ》る。|此《この》|声《こゑ》を|聞《き》いて|宗彦《むねひこ》は|村人《むらびと》に|向《むか》ひ、
|宗彦《むねひこ》『|何時《いつ》も|病気《びやうき》はあの|通《とほ》りですか』
|甲《かふ》『|此《この》|四五日前《しごにちまへ》から|一層《いつそう》|烈《はげ》しく|成《な》つて|来《き》ました「|田吾《たご》が|来《く》る|田吾《たご》が|来《く》る」と|云《い》ひ|出《だ》しまして……それはそれは|随分《ずゐぶん》|苦《くる》しむのです。さうして|又《また》ケロリと|嘘《うそ》を|吐《つ》いた|様《やう》に|癒《なほ》る|事《こと》もあるのです。|理由《わけ》の|分《わか》らぬ|病気《びやうき》……|何《なん》でも|死霊《しりやう》の|祟《たた》りだと|云《い》ふ|事《こと》です』
|宗彦《むねひこ》『|死霊《しりやう》の|祟《たた》りとは、……そりや|又《また》|何《なに》か|心当《こころあた》りがあるのですか』
|甲《かふ》『|吾々《われわれ》|村人《むらびと》も|初《はじ》めはちつとも|病気《びやうき》の|原因《げんいん》が|分《わか》りませなんだが、|此《この》|頃《ごろ》そろそろ|死霊《しりやう》だと|云《い》ふ|事《こと》が|分《わか》り|出《だ》したのです。|何《なん》でも|茲《ここ》|二三日《にさんにち》の|間《うち》に|生命《いのち》を|取《と》らねば|措《お》かぬと|口走《くちばし》り、それはそれは|大変《たいへん》な|藻掻《もが》き|様《やう》です』
|乙《おつ》『|何《なん》でも|此処《ここ》の|主人《しゆじん》の|原彦《はらひこ》は|上方《かみがた》の|者《もの》らしいが、お|露《つゆ》さんの|婿《むこ》になつてから|早《はや》|十三年《じふさんねん》にもなりますのに|素姓《すじやう》を|明《あ》かさないので、|何処《どこ》の|人《ひと》だか、|何《なに》をして|居《を》つたのか|分《わか》らなかつたのだが、|病人《びやうにん》の|囈言《うさごと》を|云《い》ふのを|聞《き》いて|見《み》れば、|大《おほ》きな|声《こゑ》では|言《い》はれませぬが、|此《この》|男《をとこ》は|泥棒《どろばう》をして|人《ひと》を|殺《ころ》した|奴《やつ》らしいですよ。そして|殺《ころ》された|男《をとこ》の|死霊《しりやう》が|祟《たた》つて|居《ゐ》るのだと|云《い》ふ|事《こと》、|病人《びやうにん》|自《みづか》ら|現《うつつ》になつて|喋《しやべ》ります。|天罰《てんばつ》と|云《い》ふものは|恐《おそ》ろしいものですなア』
|宗彦《むねひこ》『|人間《にんげん》と|云《い》ふものは|随分《ずゐぶん》|不知不識《しらずしらず》の|間《あひだ》に|罪《つみ》を|作《つく》つて|居《を》るものだ、|人《ひと》を|殺《ころ》し|火《ひ》を|放《はな》ち、|或《あるひ》は|強盗《がうたう》、|詐偽《さぎ》|等《とう》の|罪悪《ざいあく》を|犯《をか》す|者《もの》は|実《じつ》に|天下《てんか》の|為《ため》に|憎《にく》むべき|者《もの》であります。|然《しか》し|乍《なが》ら|其《その》|罪《つみ》を|憎《にく》んで|人《ひと》を|憎《にく》まずと|云《い》ふ|事《こと》がある、|公平無私《こうへいむし》な|神様《かみさま》は|肉体《にくたい》を|罰《ばつ》し|給《たま》ふ|様《やう》な|事《こと》はありますまい、|屹度《きつと》|其《その》|罪《つみ》の|為《た》めに|苦《くる》しめられて|居《ゐ》るのでせう。|罪《つみ》さへとれれば|原彦《はらひこ》さまも|間《ま》も|無《な》く|本復《ほんぷく》するでせう。|世《よ》の|中《なか》には|人間《にんげん》の|目《め》に|見《み》えぬ|罪人《ざいにん》が|沢山《たくさん》ある、|中《なか》でも|一番《いちばん》|罪《つみ》の|重《おも》いのは|学者《がくしや》と|宗教家《しうけうか》だ。|神様《かみさま》から|頂《いただ》いた|結構《けつこう》な|霊魂《たましひ》を|曇《くも》らせ、|腐《くさ》らせ、|殺《ころ》すのは、|誤《あやま》つた|学説《がくせつ》を|流布《るふ》したり、|神様《かみさま》の|御心《みこころ》を|取違《とりちが》へて|誠《まこと》しやかに|宣伝《せんでん》したり、|或《あるひ》は|神様《かみさま》の|真似《まね》をするデモ|宗教家《しうけうか》、デモ|学者《がくしや》が|最《もつと》も|重罪《ぢうざい》を|神《かみ》の|国《くに》に|犯《をか》して|居《ゐ》るものですよ』
|甲《かふ》『ヘイ、そんなものですかなア、|心《こころ》に|犯《をか》した|罪《つみ》や、|学者《がくしや》や|宗教家《しうけうか》の|罪《つみ》は|何処《どこ》で|善悪《ぜんあく》を|調《しら》べるのですか』
|宗彦《むねひこ》『|到底《たうてい》|不完全《ふくわんぜん》な|人間《にんげん》が|善悪《ぜんあく》ぢやとか、|功罪《こうざい》だとか|云《い》ふ|事《こと》は|判断《はんだん》のつくものぢやありませぬ。それだから|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》け|遊《あそ》ばすので、|人間《にんげん》は|只《ただ》|何事《なにごと》でも|善意《ぜんい》に|解釈《かいしやく》し、|直霊《なほひ》の|神《かみ》にお|願《ねがひ》し、|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|罪《つみ》を|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し|詔直《のりなほ》して|貰《もら》ふより|仕方《しかた》がありませぬよ。|我々《われわれ》は|日々《にちにち》|一生懸命《いつしやうけんめい》に|国家《こくか》の|為《た》め、お|道《みち》の|為《た》め、|社会《しやくわい》の|為《た》めと|思《おも》つてやつてる|事《こと》に|大変《たいへん》な|罪悪《ざいあく》を|包含《はうがん》して|居《ゐ》ることが|不知不識《しらずしらず》に|出来《でき》て|居《ゐ》るものです。それだと|云《い》つて|善《ぜん》だと|信《しん》じた|事《こと》は|何処迄《どこまで》も|敢行《かんかう》せねば、|天地経綸《てんちけいりん》の|司宰者《しさいしや》としての|天職《てんしよく》が|務《つと》まらず、|罪悪《ざいあく》になつてはならぬと|云《い》つてジツとして|居《を》れば、|怠惰者《なまけもの》の|大罪《だいざい》を|犯《をか》すものですから、|最善《さいぜん》と|信《しん》じた|事《こと》は|飽迄《あくまで》も|決行《けつかう》し、|朝夕《あさゆふ》に|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し|神様《かみさま》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》しを|願《ねが》ふより|仕方《しかた》はありませぬ』
|乙《おつ》『|今《いま》の|法律《はふりつ》は|行為《かうゐ》の|上《うへ》の|罪《つみ》|許《ばか》りを|罰《ばつ》して、|精神上《せいしんじやう》の|罪《つみ》を|罰《ばつ》する|事《こと》はせないのですが、|万一《まんいち》|霊魂《みたま》が|罪《つみ》を|犯《をか》し、|肉体《にくたい》が|道具《だうぐ》に|使《つか》はれても|矢張《やつぱり》|其《その》|肉体《にくたい》が|罪人《つみびと》になると|云《い》ふのは、|神界《しんかい》の|上《うへ》から|見《み》れば|実《じつ》に|矛盾《むじゆん》の|甚《はなはだ》しいものではありますまいか』
|宗彦《むねひこ》『そこが|人間《にんげん》ですよ、|兎《と》も|角《かく》|法律《はふりつ》と|云《い》ふものは|人間《にんげん》|相互《さうご》の|生活上《せいくわつじやう》、|都合《つがふ》の|悪《わる》い|事《こと》は|皆《みな》|罪《つみ》とするのですから……|仮令《たとへ》|法律上《はふりつじやう》の|罪人《ざいにん》になつても|神界《しんかい》に|於《おい》ては|結構《けつこう》な|御用《ごよう》として|褒《ほ》めらるる|事《こと》もあり、|法律上《はふりつじやう》|立派《りつぱ》な|行《おこな》ひだと|認《みと》められて|居《ゐ》る|事《こと》が、|神界《しんかい》に|於《おい》て|大罪悪《だいざいあく》と|認《みと》められる|事《こと》もあるのです。それだから|何事《なにごと》も|神様《かみさま》が|現《あら》はれてお|裁《さば》き|下《くだ》さらぬ|事《こと》には|善《ぜん》と|悪《あく》との|立別《たてわ》けは|人間《にんげん》の|分際《ぶんざい》として、|絶対《ぜつたい》に|公平《こうへい》に|出来《でき》るものではありませぬ。|又《また》|人間《にんげん》の|法律《はふりつ》や|国家《こくか》の|制裁力《せいさいりよく》と|云《い》ふものは、|有限的《いうげんてき》のものであつて、|絶対的《ぜつたいてき》のものでは|無《な》い、|浅間山《あさまやま》が|噴火《ふんくわ》して|山林田畑《さんりんでんぱた》を|荒《あら》し、|人家《じんか》を|倒《たふ》し、|桜島《さくらじま》が|爆発《ばくはつ》して|数多《あまた》の|人命《じんめい》を|毀損《きそん》し、|地震《ぢしん》の|鯰《なまづ》が|躍動《やくどう》して|山《やま》を|海《うみ》にし、|海《うみ》に|山《やま》を|拵《こしら》へ|家《いへ》を|焼《や》き|人《ひと》を|殺《ころ》し、|財産《ざいさん》を|全然《すつかり》|掠奪《りやくだつ》して|仕舞《しま》つても、|人間《にんげん》の|作《つく》つた|法律《はふりつ》で|浅間山《あさまやま》や|地震《ぢしん》や|桜島《さくらじま》を|被告《ひこく》として|訴《うつた》へる|処《ところ》もなし、|放《はう》り|込《こ》む|刑務所《けいむしよ》も|無《な》し、|裁判《さいばん》する|事《こと》も|出来《でき》ぬ|様《やう》なもので|到底《たうてい》|駄目《だめ》です。|只《ただ》|何事《なにごと》も|神様《かみさま》の|大御心《おおみこころ》に|任《まか》すより|仕方《しかた》がありませぬなア』
|斯《か》く|話《はな》す|折《をり》しも|次《つぎ》の|間《ま》の|病人《びやうにん》、いやらしい|声《こゑ》を|出《だ》して、
|原彦《はらひこ》『ヤア|田吾作《たごさく》|田吾作《たごさく》、|赦《ゆる》して|呉《く》れ、|俺《おれ》が|悪《わる》かつた、お|前《まへ》は|大井川《おほゐがは》から|俺《おれ》に|落《おと》されて|死《し》んで|悔《くや》しからうが、|今《いま》となつて|如何《どう》する|事《こと》も|出来《でき》ない、|之《これ》も|何《なに》かの|因縁《いんねん》ぢやと|諦《あきら》めて|何卒《どうぞ》|俺《わし》の|生命《いのち》|丈《だ》けは|助《たす》けて|呉《く》れ、アヽ|悪《わる》かつた|悪《わる》かつた、|赦《ゆる》して|赦《ゆる》して』
と|叫《さけ》び|出《だ》した。
|宗彦《むねひこ》『ハテナ、|此《この》|辺《へん》に|田吾作《たごさく》と|云《い》ふ|人《ひと》があつたのですか』
|乙《おつ》『|田吾作《たごさく》と|云《い》つたら|皆《みな》|我々《われわれ》の|雅名《がめい》です。|田吾作《たごさく》は|田畑《たはた》を|耕《たがや》し、|杢兵衛《もくべゑ》は|山林《さんりん》にわけ|入《い》つて|樵夫《きこり》をやつたり|薪物《たきもの》を|刈《か》つて|来《く》る|人間《にんげん》の|代名詞《だいめいし》|見《み》た|様《やう》なものですから、あまり|沢山《たくさん》の|田吾作《たごさく》で|誰《たれ》が|殺《ころ》されたのやら|訳《わけ》が|分《わか》りませぬ』
|宗彦《むねひこ》『それは|分《わか》りましたが、|然《しか》し|一人《ひとり》に|特定《とくてい》の|名《な》の|付《つ》いた|田吾作《たごさく》と|云《い》ふ|男《をとこ》はありますまいかな』
|甲《かふ》、|乙《おつ》|一時《いちじ》に、
|甲《かふ》、|乙《おつ》『サア|余《あま》り|聞《き》きませぬなア、|何《なん》でも|宇都山《うづやま》の|里《さと》に|大変《たいへん》な|周章者《あわてもの》があつて、その|男《をとこ》を|田吾作《たごさく》と|云《い》ふさうですが、それも|実際《じつさい》の|名《な》か、|一般的《いつぱんてき》の|百姓《ひやくしやう》の|名《な》か、そいつア|判然《はつきり》|致《いた》しませぬ。|少《すこ》し|慌《あわ》ててやり|損《ぞこな》ひをする|男《をとこ》を、|此《この》|辺《へん》では|宇都山《うづやま》の|田吾作《たごさく》みた|様《やう》な|奴《やつ》だと|云《い》つて|居《ゐ》ます、|仄《ほのか》に|話《はなし》に|聞《き》いて|居《を》る|許《ばか》りで|実際《じつさい》そんな|方《かた》が|有《あ》るのか|無《な》いのかそれも|分《わか》りませぬ』
|隣《となり》の|室《しつ》より|病人《びやうにん》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》、
|原彦《はらひこ》『|田吾作《たごさく》の|幽霊《いうれい》どの、|悪《わる》かつた|悪《わる》かつた、|何卒《どうぞ》|助《たす》けて|呉《く》れ……|何《なに》、|貴様《きさま》の|様《やう》な|悪人《あくにん》を|助《たす》けて|堪《たま》らうかい、|俺《おれ》の|生命《いのち》をとつた|奴《やつ》だ、|貴様《きさま》の|肉体《にくたい》に|宿《やど》り|腸《はらわた》を|喰《く》ひ、|肺臓《はいざう》を|抉《えぐ》り、|胃袋《ゐぶくろ》を|捻切《ねぢき》り、|苦《くる》しめて|苦《くる》しめて|嬲殺《なぶりごろ》しにしてやるのだ。|此《この》|怨《うら》みを|晴《は》らさな|措《お》かうか』
と|原彦《はらひこ》は|自問自答的《じもんじたふてき》に|呶鳴《どな》つて|居《ゐ》る。
|甲《かふ》『|不思議《ふしぎ》な|病人《びやうにん》でせうがな、|何《なん》でも|腹《はら》の|中《なか》に|死霊《しりやう》が|這入《はい》つたり|出《で》たりすると|見《み》えます。|今《いま》は|屹度《きつと》|腹《はら》へ|這入《はい》つて|居《ゐ》ると|見《み》えて|本人《ほんにん》と|変《かは》つた|声《こゑ》で|云《い》つて|居《ゐ》ます…あれが|殺《ころ》された|田吾作《たごさく》の|怨霊《をんりやう》に|違《ちが》ひありませぬなア、|何卒《どうぞ》|一《ひと》つ|祈祷《きたう》をしてやつて|下《くだ》さいますまいか、|私《わたくし》|達《たち》も|村中《むらぢう》が|代《かは》る|代《がは》る|五人《ごにん》づつ|斯《か》うして|不寝《ねず》の|番《ばん》をして|居《を》るのですから、お|露《つゆ》さんも|気《き》の|毒《どく》ぢやが、|吾々《われわれ》|村中《むらぢう》の|者《もの》も|大変《たいへん》に|手間《てま》が|取《と》れて|困《こま》つて|居《ゐ》るのです』
|宗彦《むねひこ》は|打《う》ち|頷《うなづ》き|裏《うら》の|谷川《たにがは》にて|口《くち》を|嗽《すす》ぎ|手《て》を|洗《あら》ひ、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|徐々《しづしづ》と|病人《びやうにん》の|居間《ゐま》に|入《い》り|来《きた》り|枕頭《ちんとう》に|端坐《たんざ》し、|両手《りやうて》を|組《く》み|三五教《あななひけう》の|奉斎主神《ほうさいしゆしん》の|御名《みな》を|唱《とな》へ、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|二三回《にさんくわい》|繰返《くりかへ》すや|否《いな》や、|病人《びやうにん》はムクムクと|起《お》き|上《あが》り、|目《め》を|剥《む》き|鼻《はな》を|左右《さいう》に|馬《うま》の|様《やう》にムケムケと|廻転《くわいてん》させ、|舌《した》を|出《だ》し、
|原彦《はらひこ》『アーラ|怨《うら》めしやなア、|俺《おれ》は|田吾作《たごさく》の|怨霊《をんりやう》だ、|此《この》|肉体《にくたい》を|何処迄《どこまで》も|苦《くる》しめ|生命《いのち》をとらいで|措《お》くものかア』
と|妙《めう》な|手付《てつき》をなし|衰弱《すゐじやく》しきつて|動《うご》けない|病人《びやうにん》が|俄《にはか》に|立《た》つて|騒《さわ》ぎ|出《だ》す。|宗彦《むねひこ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|天《あま》の|数歌《かずうた》を|奏上《そうじやう》し、
|宗彦《むねひこ》『これこれ|原彦《はらひこ》さま、|決《けつ》して|田吾作《たごさく》の|怨霊《をんりやう》が|殃《わざはひ》をして|居《ゐ》るのではない、お|前《まへ》の|心《こころ》の|鬼《おに》が|身《み》を|責《せめ》るのだ。|神様《かみさま》にお|詫《わび》をしてやるから、お|前《まへ》の|罪《つみ》は|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》|様《さま》の|千座《ちくら》の|置戸《おきど》の|贖《あがな》ひの|御徳《おんとく》に|依《よ》つて|最早《もはや》|救《すく》はれた、|安心《あんしん》なされ』
|原彦《はらひこ》は|形相《ぎやうさう》|凄《すさま》じく、
|原彦《はらひこ》『アラ|怨《うら》めしやなア、|何程《なにほど》|救《すく》はれたと|云《い》つても、|生命《いのち》をとられた|田吾作《たごさく》は|何処《どこ》までも|祟《たた》らにやおかぬ。|親《おや》を|殺《ころ》し、|本人《ほんにん》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|女房《にようばう》の|生命《いのち》をとり、|一家《いつか》|親類《しんるゐ》|村中《むらぢう》までも|祟《たた》つてやるぞよ……』
|宗彦《むねひこ》『お|前《まへ》は|田吾作《たごさく》と|云《い》ふがその|田吾作《たごさく》は|今何処《どこ》に|居《を》るのだ』
|原彦《はらひこ》『|田吾作《たごさく》は|大井川《おほゐがは》の|大橋《おほはし》の|下《した》で|肉体《にくたい》は|亡《ほろ》びたが、|精霊《みたま》は|此処《ここ》に|悪魔《あくま》となつて|憑《つ》いて|居《を》るのぢや|哩《わい》のう、|怨《うら》めしやア|怨《うら》めしやア』
|宗彦《むねひこ》『|田吾作《たごさく》の|顔《かほ》には|何《なに》か|特徴《とくちやう》があるか』
|原彦《はらひこ》『|特徴《とくちやう》と|云《い》ふのは|外《ほか》でもない、|眉間《みけん》の|真《ま》ん|中《なか》に|大《おほ》きな|黒子《ほくろ》があるばつかりだ、|俺《おれ》の|顔《かほ》を|見《み》て|呉《く》れ、|之《これ》が|証拠《しようこ》だ』
と|原彦《はらひこ》は|宗彦《むねひこ》の|前《まへ》に|額《ひたひ》を|突《つ》き|出《だ》す。
|宗彦《むねひこ》『|別《べつ》に|黒子《ほくろ》も|何《なに》もないぢやないか』
|原彦《はらひこ》『お|前《まへ》は|霊眼《れいがん》が|開《ひら》けて|居《ゐ》ないから|大方《おほかた》|原彦《はらひこ》の|肉体《にくたい》を|見《み》て|居《ゐ》るのだらう、|私《わし》の|正体《しやうたい》を|目《め》を|光《ひか》らして|見《み》て|呉《く》れたら|眉間《みけん》の|黒子《ほくろ》が|分《わか》るだらう。あゝ|怨《うら》めしい、キヤツキヤツ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|嫌《いや》らしい|相好《さうがう》を|遺憾《ゐかん》なく|曝《さら》して、|又《また》|元《もと》の|寝間《ねま》へクスクス|這込《はひこ》み『ウンウン』と|苦《くる》しさうに|呻《うな》りを|続《つづ》けて|居《ゐ》る。
お|露《つゆ》『もうし、|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|此《この》|病人《びやうにん》は|癒《なほ》るでせうか』
|宗彦《むねひこ》『|癒《なほ》りますとも、|眉間《みけん》に|黒子《ほくろ》のある|田吾作《たごさく》は|死《し》んでは|居《ゐ》ませぬよ、|確《たしか》にピンピンして|生《い》きて|居《ゐ》ます、|今《いま》に|此処《ここ》へやつて|来《く》るでせう、|要《えう》するに|神経病《しんけいびやう》だ、|心《こころ》に|犯《をか》した|罪悪《ざいあく》の|鬼《おに》に|責《せめ》られて|居《ゐ》るのです。|今《いま》に|当人《たうにん》がやつて|来《き》て「|許《ゆる》す」と|一言《ひとくち》|云《い》つたら|全快《ぜんくわい》は|請合《うけあひ》です』
お|露《つゆ》『|何《なん》と|仰有《おつしや》います、あの|田吾作《たごさく》さんが|生《い》きて|居《を》られますか、そりや|又《また》|如何《どう》した|訳《わけ》でせう』
|宗彦《むねひこ》『どうでも|有《あ》りませぬ、|実際《じつさい》|生《い》きて|居《ゐ》るのですから|今《いま》に|実物《じつぶつ》をお|目《め》に|掛《か》けませう、|田吾作《たごさく》が|此処《ここ》へ|参《まゐ》る|迄《まで》、|次《つぎ》の|室《ま》で|休息《きうそく》して|待《ま》つ|事《こと》に|致《いた》しませう』
お|露《つゆ》『|御苦労様《ごくらうさま》で|御座《ござ》いました、|何卒《なにとぞ》|奥《おく》でお|茶《ちや》なりと|召《め》し|上《あが》り|緩々《ゆるゆる》|御休息《ごきうそく》|下《くだ》さいませ』
|宗彦《むねひこ》は『|有難《ありがた》う』と|一礼《いちれい》し|奥《おく》の|間《ま》に|行《い》つて|休息《きうそく》した。
|甲《かふ》『|何《なん》と|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|妙《めう》な|病人《びやうにん》で|御座《ござ》いますなア、マア|千人《せんにん》に|一人《ひとり》|位《くらゐ》な|者《もの》でせうか、さうして|承《うけたま》はれば|田吾作《たごさく》さまは|生《い》きて|御座《ござ》るとは、そりや|又《また》|何《なん》と|云《い》ふ|不思議《ふしぎ》でせう』
|宗彦《むねひこ》『|凡《すべ》て|天地《てんち》の|間《あひだ》は|不思議《ふしぎ》ばかりで|満《み》たされて|居《ゐ》るのです、|菜《な》の|葉《は》|一枚《いちまい》だつて|考《かんが》へてみれば|実《じつ》に|不思議《ふしぎ》なものです。|今《いま》の|人間《にんげん》は|石地蔵《いしぢざう》を|祈《いの》つて|疣《いぼ》がとれたとか、|脚気《かつけ》が|癒《なほ》つたとか|云《い》つて|不思議《ふしぎ》がつて|居《を》るが、そんな|事《こと》は|不思議《ふしぎ》とするに|足《た》りませぬ。|第一《だいいち》|人間《にんげん》は、ものを|云《い》ふのが|不思議《ふしぎ》ではありますまいか、|何程《なにほど》|立派《りつぱ》な|解剖学《かいばうがく》や|生理学《せいりがく》の|上《うへ》から|調《しら》べてみても、|声《こゑ》の|袋《ふくろ》もなし、それに|色々《いろいろ》の|言霊《ことたま》が|七十五声《しちじふごせい》|際限《さいげん》もなく|出《で》て|来《く》るのですから、|是《これ》|位《くらゐ》|不思議《ふしぎ》な|事《こと》はありませぬよ』
|乙《おつ》『さう|聞《き》けばさうですな、|森羅万象《しんらばんしやう》|一《いつ》として|不思議《ふしぎ》ならざるは|無《な》しですなア』
|斯《か》く|話《はな》す|折《をり》しも|田吾作《たごさく》、|留公《とめこう》の|両人《りやうにん》は|門《もん》の|戸《と》を|敲《たた》き、
|田《た》、|留《とめ》『モシモシ、|一寸《ちよつと》お|尋《たづ》ね|致《いた》します、|宗彦《むねひこ》と|云《い》ふ|三五教《あななひけう》の|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》は|若《も》しや|此《この》|家《いへ》にお|立寄《たちよ》りでは|御座《ござ》いませぬか』
|此《この》|声《こゑ》にお|露《つゆ》は|慌《あわ》てて|門口《かどぐち》に|走《はし》り|出《い》で、|田吾作《たごさく》の|顔《かほ》を|見《み》るより、
お|露《つゆ》『アツ、|貴方《あなた》の|眉間《みけん》に|黒子《ほくろ》がある、|田吾作《たごさく》さまでは|御座《ござ》いませぬか、エライ|私《わたくし》の|夫《やど》が|貴方《あなた》に|対《たい》し|御無礼《ごぶれい》を|致《いた》したさうです、|何卒《なにとぞ》|堪忍《かんにん》してやつて|下《くだ》さい』
|田吾作《たごさく》は|何《なに》が|何《なに》やら|合点《がつてん》ゆかず、|留公《とめこう》と|共《とも》にお|露《つゆ》の|後《あと》に|引添《ひつそ》ひ、|宗彦《むねひこ》の|憩《いこ》へる|居間《ゐま》に|入《い》つた。
|宗彦《むねひこ》『アヽ|能《よ》う|来《き》てくれた、さはさり|乍《なが》ら|一寸《ちよつと》|此方《こちら》へ|来《き》ておくれ』
と|原彦《はらひこ》の|病室《びやうしつ》に|伴《ともな》ひ|原彦《はらひこ》を|揺《ゆ》すり|起《おこ》した。|原彦《はらひこ》は|病《やまひ》に|疲《つか》れた|身体《からだ》を|漸《やうや》く|起《お》き|上《あが》り、|目《め》を|開《ひら》き|田吾作《たごさく》の|姿《すがた》を|見《み》るなり『アツ』と|一声《ひとこゑ》、|又《また》もや|寝具《しんぐ》の|上《うへ》に|打倒《うちたふ》れ|藻掻《もが》き|苦《くる》しむ。|田吾作《たごさく》は|原彦《はらひこ》の|窶《やつ》れたとは|言《い》へ|何処《どこ》とはなしに|目付《めつき》、|鼻《はな》の|恰好《かつかう》、|口許《くちもと》の|具合《ぐあひ》の|十数年前《じふすうねんぜん》|大井川《おほゐがは》の|橋《はし》の|上《うへ》に|於《おい》て、|河中《かはなか》に|突《つ》き|落《おと》した|泥棒《どろばう》によく|似《に》て|居《ゐ》るなアと|半信半疑《はんしんはんぎ》の|態《てい》で|打《う》ち|見《み》まもつて|居《ゐ》る。
|宗彦《むねひこ》『コレ|原彦《はらひこ》さま、お|前《まへ》に|橋《はし》から|突《つ》き|落《おと》されて|死《し》んだ|筈《はず》の|田吾作《たごさく》は|此《この》|通《とほ》りピンピンして|居《ゐ》る、お|前《まへ》の|迷《まよ》ひだから|気《き》を|取《と》り|直《なほ》したが|宜《よ》からうぜ』
|田吾作《たごさく》『オイ、|病人《びやうにん》さま、|久《ひさ》し|振《ぶ》りだつたなア、|十三年前《じふさんねんぜん》の|月夜《つきよ》の|晩《ばん》だつた、お|前《まへ》は|狭《せま》い|橋《はし》の|上《うへ》で|俺《おれ》の|懐中《ふところ》の|玉《たま》を|強奪《がうだつ》しようとする、|俺《おれ》はとられてはならんと|争《あらそ》ひ、|遂《つひ》には|組《く》みつ|組《く》まれつ|戦《たたか》うた|末《すゑ》、|足《あし》|踏外《ふみはづ》し|濁流《だくりう》|漲《みなぎ》る|大井川《おほゐがは》に|真逆様《まつさかさま》に|顛落《てんらく》し、それより|心《こころ》は|疎《うと》くなり、|現世《このよ》と|幽界《あのよ》の|境界《さかひ》の|山《やま》の|口《くち》|迄《まで》|歩《ある》いて|行《ゆ》くと、|後《あと》から|大勢《おほぜい》の|俺《おれ》を|呼《よ》ぶ|声《こゑ》、|振《ふ》り|返《かへ》る|途端《とたん》に|気《き》がついて|見《み》れば、|高城山《たかしろやま》の|麓《ふもと》の|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|横《よこ》たはり、|大勢《おほぜい》の|人《ひと》が|火《ひ》を|焚《た》いて|介抱《かいほう》をして|居《ゐ》てくれた、お|蔭《かげ》で|私《わし》は|生命《いのち》が|助《たす》かつた。それから|宇都山村《うづやまむら》の|住人《ぢうにん》となつて|此《この》|通《とほ》りピンピンと|跳廻《はねまは》つて|居《ゐ》るのだ、|決《けつ》して|決《けつ》して|露《つゆ》|程《ほど》も|怨《うら》んでは|居《を》らぬ。|其《その》|時《とき》に|私《わし》が|執着心《しふちやくしん》を|離《はな》しさへすれば|斯《こ》んな|目《め》に|遇《あ》ふのでは|無《な》かつたのだ。エヽ|済《す》まぬ|事《こと》をした、あの|人《ひと》に|渡《わた》せばよかつたと|始終《しじう》|懐中《ふところ》|離《はな》さず|其《その》|橋《はし》の|辺《あたり》を|通《とほ》り、その|方《かた》に|会《あ》うたら|心《こころ》|好《よ》う|進《しん》ぜようと|思《おも》つてゐたのだ、それ……この|玉《たま》だらう』
と|懐中《ふところ》から|出《だ》して、|病人《びやうにん》の|手《て》に|渡《わた》した。|原彦《はらひこ》は|初《はじ》めてヤツと|安心《あんしん》した|刹那《せつな》に|病気《びやうき》は|軽快《けいくわい》に|向《むか》ひ、|日《ひ》を|追《お》うて|恢復《くわいふく》し、|漸々《やうやう》|肉《にく》もつき、|十日《とをか》|程《ほど》の|後《のち》には|全《まつた》く|元《もと》の|壮健体《さうけんたい》となつて|仕舞《しま》つた。
|原彦《はらひこ》|夫婦《ふうふ》を|初《はじ》め|村人《むらびと》|一同《いちどう》は|執着心《しふちやくしん》より|恐《おそ》るべき|罪《つみ》の|発生《はつせい》し、|其《その》|罪《つみ》は|忽《たちま》ち|邪気《じやき》となつて|我《わが》|身《み》を|責《せ》むると|云《い》ふ|真理《しんり》を|心《こころ》の|底《そこ》より|悟《さと》り、|熊田《くまだ》の|小村《こむら》は|挙《こぞ》つて|宗彦《むねひこ》の|教《をしへ》を|信《しん》じ、|遂《つひ》に|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》となつて|仕舞《しま》つた。
(大正一一・五・一三 旧四・一七 北村隆光録)
第三篇 |三国ケ嶽《みくにがだけ》
第九章 |童子教《どうじけう》〔六七一〕
|九重《ここのへ》の|花《はな》の|都《みやこ》の|山背《やまうしろ》  |畏《かしこ》き|神代《かみよ》に|近江路《あふみぢ》や
|色《いろ》も|若狭《わかさ》に|丹波《あかなみ》の  |三国《みくに》に|跨《またが》る|三国ケ嶽《みくにがだけ》
|木立《こだち》ちの|茂《しげ》みは|大空《おほぞら》の  |月日《つきひ》を|封《ふう》じて|物凄《ものすご》く
|昼《ひる》さへ|暗《くら》き|大高峰《だいかうほう》  |鬼《おに》か|大蛇《をろち》か|魔《ま》か|人《ひと》か
|見《み》るさへ|凄《すご》き|婆《ばば》|一人《ひとり》  |聳《そび》えて|高《たか》き|岩《いは》の|根《ね》に
|仮《かり》の|庵《いほり》を|結《むす》びつつ  |蛇《へび》や|蛙《かはづ》を|捕喰《とりくら》ひ
|其《その》|日《ひ》を|送《おく》る|物凄《ものすご》さ  |此《この》|山麓《さんろく》に|立並《たちなら》ぶ
|形《かたち》ばかりの|破《やぶ》れ|家《や》の  |小《ちひ》さき|棟《むね》も|三四十《さんしじふ》
|浮世《うきよ》|離《はな》れし|別世界《べつせかい》  |老若男女《らうにやくなんによ》は|谷川《たにがは》の
|蟹《かに》や|蛙《かはづ》を|漁《あさ》りつつ  |餌食《ゑじき》となして|日《ひ》を|送《おく》る
|鬼婆《おにばば》|一人《ひとり》を|棟梁《とうりやう》と  |仰《あふ》いで|遠《とほ》く|夜《よ》に|紛《まぎ》れ
|山城《やましろ》|丹波《たんば》|近江路《あふみぢ》や  |若狭《わかさ》|能登《のと》まで|手《て》を|延《の》ばし
|赤児《あかご》の|声《こゑ》を|探《さが》しつつ  |隙《すき》さへあらば|引捉《ひつとら》へ
|山《やま》の|尾《を》|伝《づた》ひに|逃《に》げ|帰《かへ》り  |婆《ばば》の|餌食《ゑじき》に|奉《たてまつ》る
|此《この》|曲津見《まがつみ》は|何者《なにもの》か  |言向《ことむ》け|和《やは》し|世《よ》の|中《なか》の
|悩《なや》みを|払《はら》ひ|救《すく》はむと  |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の
|御言《みこと》|畏《かしこ》み|高天《たかあま》の  |原《はら》に|現《あ》れます|言依別《ことよりわけ》は
|聖地《せいち》に|上《のぼ》り|来《きた》りたる  |心《こころ》も|清《きよ》き|宗彦《むねひこ》に
|依《よ》さし|玉《たま》へば|喜《よろこ》びて  |一《いち》も|二《に》もなく|承諾《しようだく》し
これぞ|布教《ふけう》の|初陣《うひぢん》と  |親兄妹《おやきやうだい》に|暇乞《いとまごひ》
|明石峠《あかしたうげ》を|乗越《のりこ》えて  |道《みち》の|熊田《くまだ》の|一《ひと》つ|家《いへ》
|病《やまひ》に|悩《なや》む|原彦《はらひこ》が  |心《こころ》の|迷《まよ》ひ|吹《ふ》き|払《はら》ひ
|奇《く》しき|御稜威《みいづ》を|現《あら》はして  |里《さと》の|老若男女《らうにやくなんによ》をば
|三五教《あななひけう》の|大道《おほみち》に  |一人《ひとり》も|残《のこ》らず|帰順《きじゆん》させ
|少時《しばし》|足《あし》をば|休《やす》めつつ  |原彦《はらひこ》、|田吾作《たごさく》、|留公《とめこう》の
|三人《みたり》の|信者《しんじや》を|伴《ともな》ひて  |青垣山《あをがきやま》を|繞《めぐ》らせる
|平野《ひらの》の|里《さと》や|山国《やまぐに》の  |一本橋《いつぽんばし》を|打渡《うちわた》り
|宮村《みやむら》、|花瀬《はなせ》を|後《あと》にして  |三国ケ嶽《みくにがだけ》の|山麓《さんろく》に
|四人《よにん》は|漸《やうや》く|着《つ》きにける。
さしも|三国《さんごく》に|渡《わた》る|大高山《だいかうざん》、|杉《すぎ》の|木立《こだち》は|鬱蒼《うつさう》として|風《かぜ》を|孕《はら》み、|咆哮《ほうかう》する|声《こゑ》、|数百千《すうひやくせん》の|獅子《しし》|狼《おほかみ》が|一度《いちど》に|雄猛《をたけ》びする|如《ごと》く|聞《きこ》えて|来《く》る。|夏《なつ》とは|言《い》ひ|乍《なが》ら|何《なん》となく|底《そこ》|冷《つめ》たき|空気《くうき》|漂《ただよ》ひ、|谷川《たにがは》の|音《おと》も|何処《どこ》となく|物《もの》|凄《すご》く、|悪魔《あくま》の|囁《ささや》くが|如《ごと》く|耳《みみ》を|打《う》つ。|猿《さる》の|群《むれ》は|梢《こずゑ》を|伝《つた》ひて、キヤツキヤツと|鳴《な》き|叫《さけ》ぶ。|四人《よにん》は|山麓《さんろく》を|流《なが》るる|深谷川《ふかたにがは》の|畔《ほとり》にドツカと|坐《ざ》し、|旅《たび》の|疲《つか》れを|休《やす》め|乍《なが》ら、ヒソビソ|話《ばなし》に|耽《ふけ》つて|居《を》る。
|留公《とめこう》『|随分《ずゐぶん》|薄気味《うすきみ》の|悪《わる》い|谷間《たにあひ》だないか。|山国《やまぐに》の|丸木橋《まるきばし》を|越《こ》えてからと|云《い》ふものは、|人《ひと》の|子《こ》|一人《ひとり》|出会《であ》つた|事《こと》もなし、|時々《ときどき》|左右《さいう》の|密林《みつりん》から|怪《あや》しの|声《こゑ》、どうしても|此処《ここ》は|大江山《おほえやま》|以上《いじやう》の|魔窟《まくつ》らしい。オイ|田吾作《たごさく》、|此処《ここ》までは|喜《よろこ》び|勇《いさ》んでやつて|来《き》たものの、|首筋《くびすぢ》がゾウゾウとして、|何《な》んとも|言《い》へぬ|気分《きぶん》になつて|了《しま》つたぢやないか』
|田吾作《たごさく》『|宇都山村《うづやまむら》で、|魚《さかな》を|漁《と》つたり、|麦畠《むぎばたけ》に|鍬杖《くはづゑ》ついて、|雲雀《ひばり》の|糞《くそ》を|頭《あたま》から|浴《あ》びせられて|居《ゐ》るのとは、そりやチツとは|骨《ほね》が|有《あ》るワイ。こんな|山奥《やまおく》へ|悪魔《あくま》|退治《たいぢ》に|来《き》たのだもの、どうせ|満足《まんぞく》に|生命《いのち》を|持《も》つて|帰《かへ》れないのは、|出発《しゆつぱつ》の|際《さい》から|定《きま》りきつた|話《はなし》だ。|貴様《きさま》|宅《うち》を|出《で》る|時《とき》の|勢《いきほひ》はどうだつた。|鬼《おに》でも|大蛇《をろち》でも|虎《とら》でも、|狼《おほかみ》でも、|何《なん》でも|来《こ》い。|此《この》|留公《とめこう》の|腕《うで》には|骨《ほね》が|有《あ》ると、|力味《りきみ》|返《かへ》つた|時《とき》の|事《こと》を|考《かんが》へて|見《み》よ。こんな|所《ところ》でそんな|弱音《よわね》を|吹《ふ》いて|宣伝使《せんでんし》のお|伴《とも》が|出来《でき》ると|思《おも》ふか』
|留公《とめこう》『そらそうだ。|併《しか》し|乍《なが》らモウ|少《すこ》し|暖《あたた》かい|山《やま》ぢやと|思《おも》うて|居《ゐ》たに、|夏《なつ》の|最中《さなか》に|斯《か》う|寒《さむ》くつては|耐《きば》れないぢやないか。|斯《こ》んな|事《こと》と|知《し》つたなら、|袷《あはせ》の|一枚《いちまい》も|持《も》つて|来《く》るのだつたが、|薄《うす》い|単衣《ひとへ》|一枚《いちまい》では|堪《こら》へられない。|俺《おれ》は|一《ひと》つ、|宇都山村《うづやまむら》まで|引返《ひきかへ》して、|着物《きもの》を|着替《きがへ》て|出直《でなほ》して|来《く》るから、お|前《まへ》|御苦労《ごくらう》だが、|宣伝使《せんでんし》の|御伴《おとも》をしてボツボツ|登《のぼ》りかけて|呉《く》れ』
|田吾作《たごさく》『ハヽヽヽ、|隣近所《となりきんじよ》か|何《なん》ぞの|様《やう》に、さう|着々《ちやくちやく》と|着替《きがへ》に|帰《い》ねるものか。|巧《うま》い|辞令《じれい》を|作《つく》つて、|態《てい》よく|遁走《とんそう》するつもりだらう。|口《くち》|程《ほど》にもない|代物《しろもの》だなア。ヨー|今《いま》からビリビリ|慄《ふる》うて|居《ゐ》よるなア』
|留公《とめこう》『|何程《なにほど》|留《と》めようと|思《おも》つても、ガチガチと|歯《は》が|拍子木《へうしぎ》を|打《う》つものだから|仕方《しかた》がないワ。モシモシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|私《わたくし》を|此処《ここ》から……|実際《じつさい》の|事《こと》|言《い》へば、|帰《かへ》らして|貰《もら》ひたいのです』
|宗彦《むねひこ》『それだから|伴《つ》れて|行《ゆ》かぬと|言《い》ふのに、お|前《まへ》が|無理《むり》に|来《き》たのぢやないか。|宣伝使《せんでんし》は|一人旅《ひとりたび》、|決《けつ》して|同伴《つれ》はならぬのだ。|私《わし》に|相談《そうだん》は|要《い》らぬ、|自由《じいう》|行動《かうどう》を|取《と》つたがよからう』
|留公《とめこう》『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。お|蔭《かげ》で|命《いのち》が|助《たす》かりました。あなた|方《がた》も、どうぞ|無事《ぶじ》で|帰《かへ》つて|下《くだ》さいませ。キツと、|私《わたくし》は|此処《ここ》でお|別《わか》れしても、あなたの|事《こと》は|忘《わす》れませぬ。お|茶湯《ちやたう》でも|献《あ》げて|冥福《めいふく》を|祈《いの》ります』
|田吾作《たごさく》『オイ|留公《とめこう》、|冥福《めいふく》を|祈《いの》るとは|何《なん》だ。|死《し》ぬに|定《きま》つた|様《やう》な|事《こと》を|言《い》ひやがつて、|吾々《われわれ》の|首途《かどで》を|祝《しゆく》する|事《こと》を|措《お》いて、|貴様《きさま》は|弔《とむら》ふのだな』
|留公《とめこう》『|弔《とむら》ふのか、|呪《のろ》ふのか、|祝《いは》ふのか、どつちか|一《ひと》つの|内《うち》だ。エー|長居《ながゐ》は|恐《おそ》れ、こんな|生臭《なまぐさ》い|風《かぜ》が|吹《ふ》くからには、|太《ふと》い|長《なが》い|奴《やつ》がノロノロと|今《いま》にやつて|来《く》るだらう。|宣伝使《せんでんし》は|一人《ひとり》と|仰有《おつしや》つた。|遠慮《ゑんりよ》は|要《い》らぬ、|原彦《はらひこ》、お|前《まへ》は|先《さき》へ|行《ゆ》け。さうして|田吾作《たごさく》は|俺《おれ》の|尻《しり》に|従《つ》いて|帰《かへ》るのだ。サアサア|帰《かへ》つたり|帰《かへ》つたり』
|原彦《はらひこ》『|私《わたくし》は|生命《いのち》を|助《たす》けて|貰《もら》つた|御恩返《ごおんがへ》しに、|御案内役《ごあんないやく》となつて|来《き》たのですから、|宣伝使《せんでんし》の|為《ため》に|生命《いのち》を|棄《す》てた|所《ところ》で、|別《べつ》に|欠損《けつそん》にもなりませぬ。|元々《もともと》です。|此《この》|場《ば》に|及《およ》んで|男《をとこ》らしくもない、|帰《かへ》れますものか』
|留公《とめこう》『|生命《いのち》の|安《やす》い|奴《やつ》は|行《い》つたが|宜《よ》からう。……オイ|田吾作《たごさく》、|貴様《きさま》は|生命《いのち》が|大事《だいじ》だらう。お|勝《かつ》の|事《こと》もチツとは|思《おも》うてやれ』
|田吾作《たごさく》『お|勝《かつ》がなんだ。|神様《かみさま》の|御用《ごよう》のお|伴《とも》をするのに、そんなことを|気《き》に|掛《か》けて|居《を》つて|勤《つと》まるものかい。|貴様《きさま》|勝手《かつて》にしたがよからう』
|留公《とめこう》は、
|留公《とめこう》『|蛙《かはづ》の|行列《ぎやうれつ》|向《むか》う|見《み》ず、|生命《いのち》|知《し》らずの|馬鹿者《ばかもの》』
と|口《くち》ぎたなく|罵《ののし》り|乍《なが》ら、|坂路《さかみち》|指《さ》して|韋駄天《ゐだてん》|走《ばし》りに、|霧《きり》の|中《なか》に|姿《すがた》を|没《ぼつ》した。
|田吾作《たごさく》『ハヽヽヽ、|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|随分《ずゐぶん》|妙《めう》な|活劇《くわつげき》|否《いな》|悲劇《ひげき》が|演《えん》ぜられましたなア。|何《いづ》れ|彼奴《あいつ》は|今《いま》|言《い》つた|様《やう》な|臆病者《おくびやうもの》ぢやないから、|先駆《さきが》けの|功名《こうみやう》|手柄《てがら》をやらかさうと|思《おも》つて、キツト|単騎《たんき》|登山《とざん》と|道《みち》を|変《か》へて|出《で》かけやがつたのでせう。|途中《とちう》でアツと|言《い》はせる|様《やう》な|芸当《げいたう》を|演《えん》ずるのかも|知《し》れませぬから、|怪《あや》しき|者《もの》が|出《で》たら|油断《ゆだん》をなさいますなや。キツト|留公《とめこう》の|化者《ばけもの》に|定《きま》つてゐます。|彼奴《あいつ》は|何時《いつ》でもああ|云《い》ふ|事《こと》をして|喜《よろこ》ぶ|癖《くせ》があるのです。それで|私《わたし》も|勝手《かつて》に|帰《い》んだがよからうと、あなたの|御言葉《おことば》を|幸《さいは》ひに|帰《い》なしてやりました』
|宗彦《むねひこ》『|面白《おもしろ》い|男《をとこ》ですな。|何《いづ》れ|岩窟《いはや》の|附近《ふきん》まで|往《い》つたら、|鬼婆《おにばば》の|真似《まね》でもして|現《あら》はれるのでせう。|原彦《はらひこ》さん、サア|案内《あんない》を|頼《たの》みませう』
|原彦《はらひこ》『|私《わたくし》も|御案内《ごあんない》とは|申《まを》しましたが、|実《じつ》は|初《はじ》めての|事《こと》で|一向《いつかう》|不案内《ふあんない》です。|併《しか》し|私《わたくし》の|通《とほ》る|所《ところ》は|貴方《あなた》も|通《とほ》れるでせう。|露払《つゆばらひ》や|蜘蛛《くも》の|巣《す》|払《ばらひ》に、|先《さき》へ|行《ゆ》きますから、|従《つ》いて|来《き》て|下《くだ》さい』
と|不案内《ふあんない》の|路《みち》を|谷《たに》に|沿《そ》うて、トントンと|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|二人《ふたり》は|後《あと》を|追《お》ふ。|前途《ぜんと》に|激潭飛沫《げきたんひまつ》の|谷川《たにがは》が|横《よこ》たはつて|居《ゐ》る。|四五人《しごにん》の|男女《なんによ》が|熊《くま》の|皮《かは》を|洗《あら》ひ|晒《さ》らして|木《き》の|梢《こずゑ》に|架《か》け|渡《わた》し|風《かぜ》を|当《あ》てて|乾《かわ》かして|居《ゐ》る。さうして|何《ど》れも|此《こ》れも|皆《みな》、|黒《くろ》い|熊《くま》の|皮《かは》や、|赤《あか》い|猪《しし》の|皮《かは》を|身《み》に|纏《まと》うて|立働《たちはたら》いて|居《ゐ》た。
|原彦《はらひこ》『オーイ、オイ、|其処《そこ》に|居《ゐ》る|五六人《ごろくにん》の|御連中《ごれんちう》さま、|三国ケ嶽《みくにがだけ》の|婆《ばば》アの|岩窟《いはや》は、どつちやへ|行《い》つたら|良《よ》いのかな』
|川向《かはむか》ひの|男《をとこ》、|無言《むごん》の|儘《まま》、|指先《ゆびさき》で……|此《この》|谷川《たにがは》を|渡《わた》り、|東《ひがし》へ|指《さ》して|行《ゆ》け……と|手真似《てまね》で|知《しら》して|居《ゐ》る。
|原彦《はらひこ》『アヽ|此奴《こいつ》ア|唖《おし》と|見《み》えるワイ。|併《しか》し|乍《なが》ら|此《この》|谷川《たにがは》を|渡《わた》つて|東《ひがし》の|方《はう》へ|行《ゆ》けと|云《い》うたのだらう。……モシモシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|私《わたくし》が|一寸《ちよつと》|瀬踏《せぶ》みをして|見《み》ませう。|大変《たいへん》|流《なが》れも|急《きふ》なり、|水量《みづかさ》も|多《おほ》いから、|万一《まんいち》|私《わたくし》が|死《し》ぬ|様《やう》な|事《こと》があつたら、キツト|渡《わた》らない|様《やう》にして|下《くだ》さい。|先《ま》づお|毒見《どくみ》……|否《いな》お|水見《みづみ》を|勤《つと》めませう』
と|尻《しり》を|捲《まく》つて|早《はや》くも|谷川《たにがは》を|渡《わた》らうとする。
|田吾作《たごさく》『オイ|原彦《はらひこ》、|死《し》ぬのはチツと|惜《を》しいぢやないか。お|水試《みづみ》なんかせなくとも|分《わか》つてる。どれ|程《ほど》|水《みづ》の|達者《たつしや》な|河童《かつぱ》の|兄弟分《きやうだいぶん》でも、|此《この》|急流《きふりう》がどうして|渡《わた》れるものか。マア|危《あやふ》きに|近寄《ちかよ》らんがよからうぞ』
|原彦《はらひこ》『|私《わたくし》は|命《いのち》を|既《すで》に|宣伝使《せんでんし》|様《さま》に|差上《さしあ》げてあるのだから、|運《うん》を|天《てん》に|任《まか》して|渡《わた》つて|見《み》る』
と|無理無体《むりむたい》に|川瀬《かはせ》を|横《よこ》ぎり、|漸《やうや》く|辛《から》うじて|対岸《むかうぎし》に|着《つ》いた。|五人《ごにん》の|男女《なんによ》は|之《これ》を|見《み》て|驚《おどろ》き、『ア、ア、アー』と|声《こゑ》を|立《た》て、|一目散《いちもくさん》に|歩《あゆ》み|慣《な》れし|山《やま》の|細路《ほそみち》を|伝《つた》うて、|霧《きり》の|林《はやし》に|姿《すがた》を|没《ぼつ》した。
|原彦《はらひこ》『ヤア|有難《ありがた》い。|沢山《たくさん》な|熊《くま》の|皮《かは》が|並《なら》べてある。|乾《かわ》いた|奴《やつ》も|相当《さうたう》に|有《あ》るワイ。サア|此奴《こいつ》を|一《ひと》つ|身《み》に|纏《まと》うて|登《のぼ》つてやらう。……オイオイ|田吾作《たごさく》、|早《はや》う|渡《わた》つた|渡《わた》つた。|割《わり》とは|浅《あさ》かつた。|大丈夫《だいぢやうぶ》だよ』
|田吾作《たごさく》『サア|宗彦《むねひこ》さま、お|渡《わた》りなさいませ。|私《わたし》が|後《あと》から|従《つ》いて|行《ゆ》きます。もしも|誤《あやま》つて|水《みづ》の|藻屑《もくづ》にならしやつた|所《ところ》が、|義理《ぎり》の|兄弟《きやうだい》の|私《わたし》が、|決《けつ》して|棄《す》てては|置《お》きませぬ。キツト|死骸《しがい》は|拾《ひろ》つてあげます。サアあなたからお|先《さき》へお|渡《わた》りお|渡《わた》り』
|宗彦《むねひこ》『そこまで|徹底的《てつていてき》に|受合《うけあ》つて|貰《もら》へば、|私《わたし》も|安心《あんしん》だ』
と|戯談《じやうだん》|半分《はんぶん》に|喋舌《しやべ》り|乍《なが》ら、|尻《しり》を|捲《まく》つて|漸《やうや》く|対岸《むかうぎし》に|着《つ》いた。|田吾作《たごさく》は|手《て》を|拍《う》つて、
|田吾作《たごさく》『アハヽヽヽ、|本当《ほんたう》の|登《のぼ》り|路《みち》は|此方《こちら》にあるのだ。そんな|方《はう》へ|行《ゆ》かうものなら、|近江《あふみ》の|国《くに》へ|往《い》つて|了《しま》ふぞ』
|原彦《はらひこ》は|川《かは》の|向《むか》うから|大《おほ》きな|声《こゑ》を|出《だ》して、
|原彦《はらひこ》『コレ|田吾作《たごさく》、そんな|事《こと》が|分《わか》つて|居《ゐ》るのなら|何故《なぜ》|早《はや》くに|知《し》らして|下《くだ》さらぬのだ』
|田吾作《たごさく》『|知《し》らしてなるものか。|俺《おれ》のお|土産《みやげ》に|其《その》|猪《しし》の|皮《かは》を|全部《ぜんぶ》ひつ|抱《かか》へて|此方《こちら》へ|渡《わた》るのだ。|宣伝使《せんでんし》|様《さま》も|四五枚《しごまい》|掻攫《かつさら》へてお|帰《かへ》りなさい。|其《その》|為《ため》に|此《この》|田吾作《たごさく》が|計略《けいりやく》で、|向《むか》ふへ|渡《わた》らしたのだ』
|宗彦《むねひこ》『ハヽハア、|一杯《いつぱい》|喰《く》はされましたな。|併《しか》し|失敗《しつぱい》が|幸《さいは》ひになるとは|茲《ここ》の|事《こと》だ。|何《いづ》れ|他人《ひと》にも|要《い》るだらうし、|原彦《はらひこ》さま、お|前《まへ》と|二人《ふたり》、|持《も》てる|丈《だけ》|持《も》つて|向《むか》ふへ|渡《わた》らうかな』
と|大《おほ》きな|熊《くま》の|皮《かは》をひん|抱《だ》き|谷川《たにがは》に|足《あし》を|入《い》れる。|原彦《はらひこ》も|体《からだ》|一面《いちめん》に|熊《くま》の|皮《かは》をくくりつけ、|漸《やうや》くにして|再《ふたた》び|谷川《たにがは》を|渡《わた》り、|田吾作《たごさく》の|前《まへ》に|引返《ひきかへ》して|来《き》た。
|田吾作《たごさく》『|皆《みな》さま|大《いか》い|御苦労《ごくらう》で|御座《ござ》いました。お|土産《みやげ》に|一番《いちばん》|飛切《とびきり》の|上等《じやうとう》を|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しませう』
|原彦《はらひこ》『イエイエ|是《こ》れは|私《わたくし》の|分《ぶん》|丈《だけ》だ。|生命《いのち》も|危《あぶ》ない|此《この》|谷川《たにがは》を、どうして|二人前《ふたりまへ》も|背負《せお》うて|渡《わた》れるものか、お|前《まへ》の|分《ぶん》はチヤンと|向《むか》ふに、|屑《くづ》ばつかり|残《のこ》してある。|人《ひと》の|苦労《くらう》で|徳《とく》を|取《と》るといふ|事《こと》は、|神様《かみさま》の|大変《たいへん》に|戒《いまし》め|玉《たま》ふ|所《ところ》だ。サアサア|自分《じぶん》の|物《もの》は|自分《じぶん》で|処置《しよち》をつけるのだよ』
|田吾作《たごさく》『そんな|事《こと》は、|遠《とほ》の|昔《むかし》から|御存《ごぞん》じの|田吾作《たごさく》だ。|釈迦《しやか》に|経《きやう》を|説《と》く|様《やう》な|事《こと》を|言《い》うて|貰《もら》ふまいかい』
|早《はや》くもザブザブと|対岸《むかうぎし》へ|渡《わた》り、|洗《あら》ひ|立《た》ての|選《よ》り|残《のこ》りのヅクヅクばつかり|引抱《ひつかか》へ、
|田吾作《たごさく》『ヤア|重《おも》い|奴《やつ》ばつかり|除《の》けて|置《お》きやがつた。|併《しか》し|己《おの》れの|欲《ほつ》する|所《ところ》|能《よ》く|人《ひと》に|施《ほどこ》せ。|欲《ほつ》せざる|所《ところ》は|人《ひと》に|施《ほどこ》す|勿《なか》れと|云《い》ふ|事《こと》が|有《あ》るなア』
とワザと|大音声《だいおんじやう》に|呼《よば》はり|乍《なが》ら、|藤蔓《ふぢつる》に|残《のこ》らず|縛《しば》りつけ、|自分《じぶん》の|腰《こし》に|結《いは》ひ、ザアザアと|引《ひき》ずり|乍《なが》ら|帰《かへ》つて|来《き》た。
|田吾作《たごさく》『|宣伝使《せんでんし》さま、|私《わたし》の|智慧《ちゑ》は|大《たい》したものでせう。|神智《しんち》|神策《しんさく》、|水《みづ》も|洩《も》らさぬ|所《とこ》まで|水《みづ》を|利用《りよう》し、|此《この》|通《とほ》り|沢山《たくさん》の|獲物《えもの》を|占領《せんりやう》して|来《き》ました。ヤツパリ|役者《やくしや》が|七八枚《しちはちまい》も|上《うへ》だ。|千両《せんりやう》|役者《やくしや》だからなア』
と|独《ひと》り|悦《えつ》に|入《い》つて|居《を》る。
|原彦《はらひこ》『チツと|絞《しぼ》つてあげませうか。こりや|干《ほ》さねば|重《おも》たくて|持《も》つて|往《ゆ》けますまい』
|田吾作《たごさく》『|不言実行《ふげんじつかう》だよ』
|原彦《はらひこ》『|不言実行《ふげんじつかう》とは|初《はじ》めて|聞《き》きますが、どう|云《い》ふ|意味《いみ》ですか。|言《い》つて|下《くだ》さいな』
|田吾作《たごさく》『|言《い》はないのに|気《き》がついて|実行《じつかう》するのが|不言実行《ふげんじつかう》だ。|言《い》つてやるとよいが、|天機《てんき》を|洩《も》らすと|雨《あめ》が|降《ふ》る。|不言《ふげん》の|教《をしへ》|無為《むゐ》の|化《くわ》だ。マアマア|考《かんが》へて|社会《しやくわい》|奉仕《ほうし》を|励《はげ》むが、|御神徳《おかげ》の|入口《いりぐち》だな、アハヽヽヽ』
|原彦《はらひこ》『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|不言実行《ふげんじつかう》の|訳《わけ》を|聞《き》かして|下《くだ》さいませぬか』
|宗彦《むねひこ》は|黙々《もくもく》として、|濡《ぬ》れた|皮《かは》を|取《と》り|上《あ》げ、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|絞《しぼ》つては|木《き》の|枝《えだ》に|引《ひ》つかける。|原彦《はらひこ》も|黙《だま》つて|見《み》て|居《ゐ》る|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|同《おな》じく|皮《かは》を|絞《しぼ》つては|懸《か》け、|絞《しぼ》つては|懸《か》けて|風《かぜ》に|乾《かわ》かさうと、|車輪《しやりん》の|活動《くわつどう》を|行《や》つて|居《を》る。|田吾作《たごさく》は、
|田吾作《たごさく》『アヽそれが|不言実行《ふげんじつかう》だよ。|分《わか》つたか』
|原彦《はらひこ》『まだ|分《わか》りませぬ』
|田吾作《たごさく》『|分《わか》らなくても、|実地《じつち》さへ|出来《でき》ればよいのだ。|現今《いま》の|奴《やつ》は|宣伝《せんでん》だけは|立派《りつぱ》だが|少《すこ》しも|実行《じつかう》が|伴《ともな》はない。|併《しか》しマアマア|漸《やうや》く|及第点《きふだいてん》に|達《たつ》した。|宗彦《むねひこ》|様《さま》は|率先《そつせん》して|不言実行《ふげんじつかう》をやられたから|六十五点《ろくじふごてん》、お|前《まへ》は|漸《やうや》く|四十五点《しじふごてん》だ。|五点《ごてん》の|事《こと》で|落第点《らくだいてん》になる|所《ところ》だよ』
|原彦《はらひこ》『ますます|分《わか》りませぬ』
|田吾作《たごさく》『|原《はら》の|腹《はら》が|暗《くら》くつて、|胸《むね》が|開《ひら》けぬから、|実地《じつち》の|事《こと》が|目《め》が|有《あ》つても|見《み》えず、|田吾作《たごさく》の|立派《りつぱ》な|生《い》きた|教《をしへ》が|耳《みみ》へ|這入《はい》らず、|嗅出《かぎだ》す|事《こと》も|出来《でき》ず、|舌《した》は|有《あ》つても|味《あぢ》はふ|事《こと》が|出来《でき》ないのだ。|斯《か》う|思《おも》へば|何《なん》にも|知《し》らずに|実行《じつかう》する|者《もの》|位《くらゐ》|幸福《かうふく》な|者《もの》はないワイ』
|宗彦《むねひこ》『|有難《ありがた》う|御座《ござ》いました。お|蔭《かげ》で|田吾作《たごさく》の|宣伝使《せんでんし》より|六十五点《ろくじふごてん》|頂戴《ちやうだい》しました。サア|是《こ》れでモウ|三十五点《さんじふごてん》|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しませうか』
と|一番《いちばん》|立派《りつぱ》な|熊《くま》の|皮《かは》を|選《よ》り|出《だ》して、|田吾作《たごさく》の|背中《せなか》に|着《き》せる。
|田吾作《たごさく》『ヨシヨシ、モウ|試験済《しけんずみ》だ。|希望《きばう》|通《どほ》り|三十五点《さんじふごてん》を|与《あた》へる。これで|満点《まんてん》だ。|【満天】下《まんてんか》に|神教《しんけう》を|宣伝《せんでん》しても|恥《は》ぢることなき|大宣伝使《だいせんでんし》だ。お|芽出《めで》たう。|銀《ぎん》のセコンドでも|賞与《しやうよ》に|与《や》りたいのだが、|生憎《あいにく》|持《も》つて|居《ゐ》ないから、|親譲《おやゆづ》りのヘソンドで|辛抱《しんばう》するのだなア、これでも|十二時《じふにじ》が|来《く》るとよく|知《し》つて|居《ゐ》る』
|原彦《はらひこ》『|私《わたくし》にも、せめて|二十点《にじつてん》|下《くだ》さいな』
と|自分《じぶん》の|攫《さら》へて|来《き》た|中《なか》より、|最《もつと》も|優《すぐ》れたる|毛皮《けがは》を|取《と》り|出《だ》し、|田吾作《たごさく》の|背中《せなか》に|乗《の》せる。
|田吾作《たごさく》『ヨシヨシ、|物品《ぶつぴん》|【一点】《いつてん》|俺《おれ》に|呉《く》れたから、|【一点】《いつてん》を|増《ま》してやらう。|総計《そうけい》|四十六点《しじふろくてん》だ、アハヽヽヽ』
|田吾作《たごさく》は|原彦《はらひこ》の|顔《かほ》を|眺《なが》め|乍《なが》ら、|又《また》もや、
|田吾作《たごさく》『|不言実行《ふげんじつかう》 |不言実行《ふげんじつかう》』
と|節《ふし》をつけて|謡《うた》ふ|様《やう》に|繰返《くりかへ》して|居《ゐ》る。|原彦《はらひこ》は|狼狽《うろた》へて、|彼方《あちら》の|皮《かは》をかやして|見《み》、|此方《こちら》の|皮《かは》を|嬲《なぶ》つて|見《み》、|田吾作《たごさく》の|背中《せなか》を|撫《な》でて|見《み》るやら、|宣伝使《せんでんし》の|足許《あしもと》の|草鞋《わらぢ》が|切《き》れて|居《ゐ》るのではなからうかと、キリキリ|舞《ま》ひをして|居《ゐ》る。|田吾作《たごさく》は|一層《いつそう》|大《おほ》きな|声《こゑ》で、|節《ふし》をつけて、
|田吾作《たごさく》『|不言実行《ふげんじつかう》 |不言実行《ふげんじつかう》』
を|又《また》もや|繰返《くりかへ》して|居《ゐ》る。|原彦《はらひこ》はハツと|膝《ひざ》を|叩《たた》いて、|片方《かたへ》に|落《お》ちてゐた|棒《ぼう》の|様《やう》な|木切《きぎれ》を|拾《ひろ》ひ、|毛皮《けがは》を|両端《りやうはし》に|括《くく》りつけ、|肩《かた》に|担《かつ》いで、
|原彦《はらひこ》『サア|私《わたくし》が|不言実行《ふげんじつかう》のお|伴《とも》を|致《いた》します。|不言菩薩《ふげんぼさつ》に|実行菩薩様《じつかうぼさつさま》、サアお|出《い》でなさいませ』
|田吾作《たごさく》『|普賢菩薩《ふげんぼさつ》は|聞《き》いた|事《こと》があるが、|実行菩薩《じつかうぼさつ》は|聞《き》き|始《はじ》めだ』
|原彦《はらひこ》『|実行菩薩《じつかうぼさつ》といへば、ミロク|様《さま》の|事《こと》だよ。|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》さまだ。|本当《ほんたう》に|月光《げつくわう》(|結構《けつこう》)な|神《かみ》さまと|云《い》ふ|事《こと》だよ』
|田吾作《たごさく》『アハー|月光菩薩《ぐわつくわうぼさつ》の|洒落《しやれ》だな。|洒落《しやれ》|所《どころ》かい、|是《これ》から|先《さき》は|不言実行《ふげんじつかう》で|勝《か》つのだ。|最前《さいぜん》の|五人《ごにん》の|男女《だんぢよ》を|見《み》い。|一口《ひとくち》も|言《い》はず、|不言実行《ふげんじつかう》の|標本《へうほん》を|示《しめ》して、|手早《てばや》く|逃《に》げやがつたぢやないか。あれ|位《くらゐ》|慈悲深《じひぶか》い|奴《やつ》は|有《あ》つたものぢやない。|其《その》お|蔭《かげ》で|吾々《われわれ》は|月光《げつくわう》な|恩恵《おんけい》に|浴《よく》したのだ、アハヽヽヽ、ドレ|田吾作《たごさく》も|不言実行菩薩《ふげんじつかうぼさつ》と|出《で》かけようかい』
と|先《さき》に|立《た》ちて|羊腸《やうちやう》の|小径《こみち》を|辿《たど》り|辿《たど》り|進《すす》んで|行《ゆ》く。|田吾作《たごさく》は|歩《あゆ》み|減《へ》らした|細《ほそ》い|路《みち》を、|曲々《きよくきよく》と|舞《ま》ひ|乍《なが》ら、|先《さき》に|立《た》ちて|稍《やや》|平坦《へいたん》な|地点《ちてん》に|着《つ》いた。
|田吾作《たごさく》『アヽ|不言実行組《ふげんじつかうぐみ》は|何《なに》をして|居《ゐ》るのか。|足《あし》の|遅《おそ》い|事《こと》だなア』
と|呟《つぶや》いて|居《を》る。そこへ|横合《よこあひ》から|三人《さんにん》の|五六才《ごろくさい》と|覚《おぼ》しき|男《をとこ》の|子《こ》、|一人《ひとり》は|赤裸《まつぱだか》となり|顔《かほ》に|手《て》を|当《あ》てて|泣《な》いて|居《ゐ》る。|一人《ひとり》は|裸《はだか》の|儘《まま》で|面《つら》ふくらして|怒《おこ》つて|居《を》る。|一人《ひとり》はニヤニヤと|笑《わら》ふ。
|田吾作《たごさく》『ヤア|此奴《こいつ》ア|三国ケ嶽《みくにがだけ》の|化物《ばけもの》だな。こんな|所《ところ》で|三人《さんにん》|上戸《じやうご》が|出《で》て|来《き》やがつて、|酒《さけ》でも|有《あ》つたら|不言実行《ふげんじつかう》してやるのだが。|生憎《あいにく》|酒《さけ》もなし……ハヽハ|赤裸《まつぱだか》だ。ヨシヨシ|考《かんが》へがある。|早《はや》く|原彦《はらひこ》の|奴《やつ》、|毛皮《けがは》を|持《も》つて|来《き》やがると|良《い》いのだけれどなア』
と|云《い》ふ|折《をり》しもハアハアと|息《いき》を|喘《はず》ませ、|両人《りやうにん》は|登《のぼ》つて|来《き》た。|田吾作《たごさく》は|物《もの》をも|言《い》はず、|原彦《はらひこ》の|担《かつ》いで|居《を》る|荷《に》をボツタクり、|手早《てばや》くほどいて、|其《その》|中《なか》の|小《ちひ》ささうな|皮《かは》を|選《え》り|別《わ》け|出《だ》した。|原彦《はらひこ》は、
|原彦《はらひこ》『|不言実行《ふげんじつかう》だつて、|泥棒《どろばう》まで|実行《じつかう》して|良《よ》いのか』
と|脹《ふく》れる。|田吾作《たごさく》は|三人《さんにん》の|童子《どうじ》を|指《さ》し|示《しめ》した。|宗彦《むねひこ》、|原彦《はらひこ》は|見《み》るより『ヤア』と|倒《たふ》れむばかりに|驚《おどろ》いた。よくよく|見《み》れば|三人《さんにん》の|童子《どうじ》の|背後《はいご》から|五色《ごしき》の|光明《くわうみやう》が|輝《かがや》き、|麗《うるは》しき|霊衣《れいい》に|包《つつ》まれて|居《ゐ》る。|田吾作《たごさく》は|少《すこ》しも|気《き》が|付《つ》かず、|慌《あわ》てまはして、|適当《てきたう》の|毛皮《けがは》を|取《と》り|出《だ》し、|三人《さんにん》に|一々《いちいち》|着《き》せて|廻《まは》つた。|三人《さんにん》は|黙《だま》つて|毛皮《けがは》を|取《と》り|外《はづ》し、|大地《だいち》にパツと|敷《し》いて、|各自《めいめい》|其《その》|上《うへ》に|行儀《ぎやうぎ》よくキチンと|坐《すわ》つた。
|宗彦《むねひこ》『これはこれは|何神様《なにがみさま》かは|知《し》りませぬが、よくマア|現《あら》はれて|下《くだ》さいました。|私《わたくし》は|是《こ》れより|山頂《さんちやう》の|岩窟《いはや》に|割拠《かつきよ》する|鬼婆《おにばば》を|言向《ことむ》け|和《やは》す|為《ため》に|参《まゐ》ります。どうぞ|御守護《ごしゆご》を|御願《おねが》ひ|致《いた》します』
|笑童子《わらひどうじ》『アハヽヽヽ、|七尺《しちしやく》の|男子《だんし》が……|而《しか》も|宣伝使《せんでんし》の|肩書《かたがき》を|持《も》ち、|岩窟《がんくつ》の|鬼婆《おにばば》を|退治《たいぢ》せむと、|此処《ここ》まで|勇《いさ》み|進《すす》んで|登《のぼ》り|来《き》|乍《なが》ら、|人《ひと》の|助《たす》けを|借《か》らうとするのか。ハツハツハ|可笑《をか》しい|可笑《をか》しい、|依頼心《いらいしん》の|強《つよ》い|男《をとこ》だなア』
|宗彦《むねひこ》『|恐《おそ》れ|入《い》りました。モウ|決《けつ》して|依頼《いらい》は|致《いた》しませぬ。|何《いづ》れの|神様《かみさま》か|知《し》りませぬが、ついお|頼《たの》み|申《まを》すとか、|御守護《ごしゆご》を|願《ねが》ひますとか|云《い》ふ|事《こと》が、|吾々《われわれ》の|常套語《じやうたうご》になつて|居《ゐ》ますので|心《こころ》にもなき|卑怯《ひけふ》な|事《こと》を|申《まを》したので|御座《ござ》います。どうぞ|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》して|下《くだ》さいませ』
|泣童子《なきどうじ》『アンアンアン、|情《なさけ》|無《な》い|宣伝使《せんでんし》ぢやなア。|三人《さんにん》も|荒男《あらをとこ》が、たつた|一人《ひとり》の|婆《ばば》アを|当《あて》に|出《で》て|来《き》よつて、|何《なん》の|態《ざま》ぢや。|斯《こ》んな|事《こと》でどうして|三五教《あななひけう》の|神徳《しんとく》が|現《あら》はれようぞ。|思《おも》へば|思《おも》へば|厭《いや》になつて|来《き》た。これでは|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》|様《さま》、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》|様《さま》が|何程《なにほど》|骨《ほね》を|折《を》り、|心《こころ》を|砕《くだ》かしやつても、こんなガラクタ|宣伝使《せんでんし》ばつかりでは、|神政成就《しんせいじやうじゆ》も|覚束《おぼつか》|無《な》いわいの、……オンオンオン』
|宗彦《むねひこ》『どうぞモウ|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し|下《くだ》さいませ。|是《これ》からキツと|勇猛心《ゆうまうしん》を|発揮《はつき》し、|婆《ばば》アの|千匹《せんびき》や|万匹《まんびき》は、|善言美詞《ぜんげんびし》の|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》に|依《よ》つて|吹《ふ》き|散《ち》らしますから、どうぞ|泣《な》いて|下《くだ》さいますな』
|泣童子《なきどうじ》『|捕《と》らぬ|狸《たぬき》の|皮算用《かはざんよう》をしよつて、|当《あて》もない|事《こと》に|威張《ゐば》つて|居《を》る……|其《その》|心根《こころね》が|可憐《いぢ》らしい。|一寸先《いつすんさき》は|暗《やみ》の|世《よ》ぢや。なんにも|知《し》らぬ|人民《じんみん》は、|足許《あしもと》に|火《ひ》が|燃《も》えて|来《く》る|迄《まで》|分《わか》らないのか。アヽア|可哀相《かはいさう》なものぢや。どうして|人間《にんげん》は|是《こ》れ|丈《だけ》、|物《もの》が|分《わか》らぬのだらうな……オンオンオン』
|宗彦《むねひこ》『|誠《まこと》に|汗顔《かんがん》の|至《いた》りで|御座《ござ》います。さう|仰《おつ》しやれば……さうですが、|何事《なにごと》も|神様《かみさま》にお|任《まか》せ|致《いた》して|進《すす》むので|御座《ござ》います』
|怒《おこ》つた|顔《かほ》の|童子《どうじ》、|面《つら》ふくらし|目《め》を|剥《む》き、
|童子《どうじ》『|惟神《かむながら》、|惟神《かむながら》と|口癖《くちぐせ》の|様《やう》に|言《い》ひやがつて、|難《なん》を|避《さ》け|易《やす》きに|就《つ》き、|自分《じぶん》の|責任《せきにん》を|神様《かみさま》に|転嫁《てんか》し、|惟神中毒病《かむながらちうどくびやう》を|起《おこ》し、|大《おほ》きな|面《つら》をして|天下《てんか》を|股《また》にかけ、|濁《にご》つた|言霊《ことたま》の|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひ、|折角《せつかく》の|結構《けつこう》な|世《よ》の|中《なか》を|濁《にご》す|奴《やつ》は|貴様《きさま》の|様《やう》な|代物《しろもの》だ。チツとも|足元《あしもと》に|目《め》が|付《つ》かず、|尻《しり》が|結《むす》べぬ|馬鹿者《ばかもの》だ。それでも|誠《まこと》の|道《みち》の|宣伝使《せんでんし》かい。|貴様《きさま》の|様《やう》な|穀潰《ごくつぶ》しが|沢山《たくさん》に|世《よ》の|中《なか》に、ウヨウヨと|発生《わき》やがるものだから、|世界《せかい》の|人民《じんみん》が|苦《くるし》むのだ、エーエー|腹立《はらだ》たしい。|神《かみ》を|笠《かさ》に|着《き》たり、|杖《つゑ》に|突《つ》いたり、|尻敷《しりしき》にしたり、|汚《けが》らはしい、|盗《ぬす》んで|来《き》た|熊《くま》の|皮《かは》を|俺達《おれたち》の|背中《せなか》に|乗《の》せよつて、ケツケツけがらはしいワイ。|尻敷《しりしき》にしてやつてもまだ|虫《むし》が|承知《しようち》せないのだ。コラ|斯《か》う|小《ちひ》さい|子供《こども》の|様《やう》に|見《み》えても、|至大無外《しだいむぐわい》、|至小無内《しせうむない》、|千変万化《せんぺんばんくわ》の|結構《けつこう》な|神様《かみさま》のお|使《つか》ひだぞ。|貴様《きさま》の|量見《りやうけん》|次第《しだい》で、|閻魔《えんま》ともなれば、|鬼《おに》ともなり、|大蛇《をろち》ともなつて|喰《く》て|了《しま》うてやらうか。イヤ|背筋《せすぢ》を|立《た》ち|割《わ》り|鉛《なまり》の|熱湯《ねつたう》を|流《なが》し|込《こ》んで、|制敗《せいばい》をしてやらうか。|三国ケ岳《みくにがだけ》に|大蛇《をろち》が|居《を》るの、|鬼婆《おにばば》が|居《を》るのと|吐《ぬか》して、|言向《ことむ》け|和《やは》すの、|征服《せいふく》するのとは|何《なん》の|事《こと》だい。|鬼婆《おにばば》も|大蛇《をろち》も、|鬼《おに》も|悪魔《あくま》も、|貴様《きさま》の|胸《むね》に|割拠《かつきよ》して|居《ゐ》るのを|知《し》らぬのか。|鬼婆《おにばば》を|言向《ことむ》け|和《やは》さうと|思《おも》へば、|貴様達《きさまたち》の|腹《はら》の|中《なか》の|鬼婆《おにばば》から|先《さき》へ|改心《かいしん》さして|出《で》て|行《ゆ》きやがれ。|大馬鹿者《おほばかもの》|奴《め》。ウーン』
と|目《め》を|剥《む》き|出《だ》し、|大《おほ》きな|口《くち》を|開《あ》け、|咬《かぶ》り|付《つ》く|様《やう》な|勢《いきほひ》で、|突《つ》つ|立《た》ち|上《あが》り、|三人《さんにん》の|顔《かほ》をギヨロギヨロと|睨《ね》めまはす。|三人《さんにん》は|一度《いちど》に|大地《だいち》に|頭《かしら》を|下《さ》げ、
|三人《さんにん》『|誠《まこと》に|取違《とりちが》ひを|致《いた》して|居《を》りました。イヤもう|結構《けつこう》な|御神徳《ごしんとく》を|戴《いただ》きました。モウこれから|改心《かいしん》を|致《いた》します』
|笑童子《わらひどうじ》『アハヽヽヽ、|一寸《ちよつと》よいと|得意《とくい》がつて|無暗《むやみ》に|噪《はし》やぎ、|一寸《ちよつと》|叱言《こごと》を|聞《き》いては|直《すぐ》に|悄気《しよげ》|返《かへ》るカメリヲンの|様《やう》な|男《をとこ》だな。|大《おほ》きな|図体《づうたい》をして、こんなチツポケな|子供《こども》に|叱《しか》られて、それが|怖《こは》いのかい。|神界《しんかい》にはそんな|妙《めう》な|弱《よわ》い|弱《よわ》い|人足《にんそく》は|一人《ひとり》も|居《を》りはせぬぞや。|神界《しんかい》の|喜劇《きげき》よりも、よつぽど|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い。アハヽヽヽアハヽヽヽ』
と|臍《へそ》を|抱《かか》へて|笑《わら》ひ|転《こ》ける。
|泣童子《なきどうじ》『アーア|情《なさけ》|無《な》い|事《こと》を|見《み》せられたものだ。これでも|現界《げんかい》では|選《よ》りに|選《よ》つて|選《えら》まれた|特別《とくべつ》|選手《せんしゆ》ぢやさうなが、|其《その》|他《た》は|推《お》して|知《し》るべしだ。|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|祖神様《おやがみさま》も|嘸《さぞ》|御骨《おほね》の|折《お》れる|事《こと》だらう。オイオイオイ。あまり|悲《かな》しうて|涙《なみだ》も|出《で》やせぬわいなア。|宣伝使《せんでんし》と|云《い》ふ|者《もの》は、|何《なん》とした|腑甲斐《ふがひ》ないものだらう。|蛸《たこ》の|様《やう》に|骨《ほね》も|何《なに》も|有《あ》りやせぬワ。こんな|事《こと》で、どうして|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》が|退治《たいぢ》が|出来《でき》るものか、|世《よ》の|中《なか》は|益々《ますます》|悪鬼《あくき》|羅刹《らせつ》の|横行《わうかう》|濶歩《くわつぽ》を|擅《ほしいまま》にさせるのみだ。どうして|現界《げんかい》には|誠《まこと》らしい|者《もの》が|無《な》いのだらうか、アンアンアン』
|田吾作《たごさく》『モシモシ|子供《こども》の|神《かみ》さま、さうお|歎《なげ》きなさいますな。|広《ひろ》い|世界《せかい》には|一人《ひとり》や|二人《ふたり》は|立派《りつぱ》な|者《もの》が|無《な》いとも|言《い》へませぬ。|現《げん》に|此処《ここ》に|唯《ただ》|一人《ひとり》|有《あ》るぢやありませぬか。さう|取越《とりこし》し|苦労《くらう》をして、|泣《な》くものぢやありませぬ。|世《よ》の|中《なか》は|何事《なにごと》も|善言美詞《ぜんげんびし》に|宣《の》り|直《なほ》すのが|天地《てんち》の|御規則《ごきそく》だ。|泣《な》いて|暮《くら》すも|一生《いつしやう》なら、|笑《わら》つて|暮《くら》すも|一生《いつしやう》だ。|結構《けつこう》な|此《この》|世《よ》の|中《なか》に、|何《なに》が|不足《ふそく》でメソメソと|泣《な》くのだ。わしは「|悔《くや》み|事《ごと》と|泣《な》き|事《ごと》は|大《だい》の|嫌《きら》ひであるぞよ。|勇《いさ》んで|暮《くら》して|下《くだ》されよ」と|云《い》ふ|神様《かみさま》の|教《をしへ》を|守《まも》つて、|世《よ》の|中《なか》を|大楽観《だいらくくわん》して|活動《くわつどう》して|居《を》るのだ。お|前《まへ》さまもチツとは|思《おも》ひ|直《なほ》して|改心《かいしん》なさつたらどうだ。「|悔《くや》めば|悔《くや》む|事《こと》が|出来《でき》て|来《く》るぞよ」……と|云《い》ふ|事《こと》を|知《し》つとりますか。ヤ、まだ|子供《こども》だから|分《わか》らぬのも|無理《むり》はない』
|泣童子《なきどうじ》『わしも|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|泣《な》いて|暮《くら》した|事《こと》はない。|今日《けふ》|初《はじ》めて|泣《な》かねばならぬ|事《こと》が|出来《でき》たのだわいのう…アンアンアンアン…|折角《せつかく》|骨《ほね》|折《を》つて、|生命《いのち》|懸《が》けで|熊《くま》を|捕《と》り、|皮《かは》を|綺麗《きれい》に|洗《あら》ひ、|爺《ぢい》さま|婆《ば》アさまの|着物《きもの》にしようと|思《おも》つて、|楽《たの》しんで|居《を》つた|人間《にんげん》の|物品《ぶつぴん》を、|横奪《わうだつ》した|泥棒《どろばう》|根性《こんじやう》の|宣伝使《せんでんし》に|説教《せつけう》を|聞《き》かされるかと|思《おも》へば、|残念《ざんねん》で|残念《ざんねん》で、|是《これ》が|泣《な》かずに|居《を》られようか。モウどうぞ|今日《けふ》|限《かぎ》り|泥棒《どろばう》|根性《こんじやう》はやめて|下《くだ》さい……アンアンアン…それに|付《つ》けても|言依別神《ことよりわけのかみ》|様《さま》から、|大切《たいせつ》な|御命令《ごめいれい》を|受《うけ》た|宗彦《むねひこ》のデモ|宣伝使《せんでんし》、|二人《ふたり》の|奴《やつ》が|盗人《ぬすびと》をするのに、なぜ|黙《だま》つて|居《を》つたか、…イヤ|自分《じぶん》から|率先《そつせん》して|泥棒《どろばう》の|手本《てほん》を|見《み》せよつたぢやないか。|斯《こ》んな|事《こと》でどうして|誠《まこと》の|道《みち》が|開《ひら》けると|思《おも》ふか。アーア|日《ひ》|暮《く》れて|道《みち》|遠《とほ》しの|感《かん》|益々《ますます》|深《ふか》しだ。どうしたら|人間《にんげん》らしい|人間《にんげん》が、|一人《ひとり》でも|出来《でき》るだらう。|泥棒《どろばう》に|聖山《せいざん》を|汚《けが》されて|取返《とりかへ》しのならぬ|事《こと》をした|哩《わい》……アンアンアンアン』
|宗彦《むねひこ》『イヤ|決《けつ》して|決《けつ》して|泥棒《どろばう》をすると|云《い》ふ|様《やう》な|考《かんが》へはチツとも|有《あ》りませぬ。あの|様《やう》な|所《ところ》に|棄《す》てておいては、|又《また》|泥棒《どろばう》が|攫《さら》へて|行《い》つちやならない………それよりも|吾々《われわれ》が|暫《しばら》く|拝借《はいしやく》して、|又《また》|帰《かへ》りがけにや、|旧《もと》の|所《ところ》へ|御返《おかへ》しをして|帰《かへ》る|積《つも》りだつた。|世《よ》の|中《なか》は|相身《あひみ》|互《たがひ》だからと|思《おも》つて、|一寸《ちよつと》|借《か》つたのですよ。|心《こころ》の|底《そこ》から|泥棒《どろばう》する|根性《こんじやう》は|有《あ》りませぬ』
|怒童子《おこりどうじ》『エーつべこべと|此《この》|期《ご》に|及《およ》んで|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》な|言《い》ひ|訳《わけ》をするのが|気《き》に|喰《く》はぬワイ。|貴様《きさま》は|女殺《をんなごろ》しの|後家倒《ごけたふ》し、|其《その》|上《うへ》|嬶泣《かかあな》かせの|家潰《いへつぶ》し、|沢山《たくさん》な|人《ひと》を|泣《な》かして|来《き》た|揚句《あげく》、|不知不識《しらずしらず》とは|云《い》ひながら、|平気《へいき》の|平三《へいざ》でお|勝《かつ》と〇〇になつて|居《ゐ》た|汚《けが》れた|人足《にんそく》だ。|何程《なにほど》|言依別神《ことよりわけのかみ》|様《さま》から|大任《たいにん》を|仰《あふ》せ|付《つ》けられたと|言《い》つて、|一《いち》も|二《に》もなく|御受《おう》けして|来《く》ると|云《い》ふ|事《こと》が|有《あ》るものか。|貴様《きさま》はそれでも|清浄《せいじやう》|潔白《けつぱく》な|人間《にんげん》だと|思《おも》うて|居《を》るのか。|此《こ》の|岩窟《いはや》の|鬼婆《おにばば》よりも、モ|一《ひと》つ|悪《わる》い|奴《やつ》だ。|心《こころ》の|底《そこ》から|改心《かいしん》すればよし、マゴマゴして|居《を》ると、|天狗風《てんぐかぜ》を|吹《ふ》かして|吹《ふ》き|飛《と》ばしてやるぞ。|天下《てんか》の|娑婆塞《しやばふさ》ぎ|奴《め》。ここを|何処《どこ》だと|心得《こころえ》てゐる。|貴様《きさま》の|目《め》には|悪神《あくがみ》の|巣窟《さうくつ》と|見《み》えるであらうが、|誠《まこと》の|神《かみ》の|目《め》から|見《み》れば、どこもかしこも|皆《みんな》|天国《てんごく》|浄土《じやうど》だ。|貴様《きさま》の|心《こころ》に|地獄《ぢごく》が|築《きづ》かれ、|鉄条網《てつでうまう》が|張《は》られ、|鬼《おに》が|巣《す》を|組《く》んで|居《を》るのが|分《わか》らぬか』
|三人《さんにん》は|頭《あたま》を|鉄槌《てつつゐ》にて|打砕《うちくだ》かるる|様《やう》な|心地《ここち》し、|一言《いちごん》も|発《はつ》し|得《え》ず、|大地《だいち》にピタリと|鰭伏《ひれふ》し、|暫《しばら》くは|頭《かしら》を|得上《えあ》げず、|慄《ふる》ひ|戦《をのの》いて|居《ゐ》た。|半時《はんとき》ばかり|経《た》ちしと|思《おも》ふ|頃《ころ》、|得《え》も|謂《い》はれぬ|美《うる》はしき|天然《てんねん》の|音楽《おんがく》|耳《みみ》を|澄《す》まして|響《ひび》きわたる。|三人《さんにん》はフト|頭《かしら》を|擡《もた》げ|四辺《あたり》を|見《み》れば、|童子《どうじ》の|影《かげ》もなく|又《また》|一枚《いちまい》の|獣皮《けがは》も|無《な》くなつて|居《ゐ》る。
|田吾作《たごさく》『|神様《かみさま》から|大変《たいへん》なお|目玉《めだま》を|頂戴《ちやうだい》したものだ。|原彦《はらひこ》の|奴《やつ》|率先《そつせん》して|不言窃盗《ふげんせつとう》をやるものだから、|斯《こ》んな|目《め》に|遭《あ》つたのだよ。|併《しか》し|乍《なが》らマアマア|結構《けつこう》な|教訓《けうくん》を|受《う》けたものだ。|先《ま》づ|自分《じぶん》の|心《こころ》の|中《なか》の|鬼婆《おにばば》を|征服《せいふく》して|掛《かか》らねば、|何程《なにほど》|努力《どりよく》しても|駄目《だめ》だワイ』
|原彦《はらひこ》『|三人《さんにん》の|愁笑怒《しうせうど》の|神様《かみさま》が|現《あら》はれて、|噛《か》んで|呑《の》む|様《やう》に、|詳細《しやうさい》に|堂々《だうだう》と|教《をし》へて|下《くだ》さるのに、お|前《まへ》が|口答《くちごた》へをするものだから、|到頭《たうとう》|怒鳴《どな》りつけられ、|縮《ちぢ》みあがつて、|大《おほ》きな|七尺《しちしやく》の|男《をとこ》が|斯《こ》んな|馬鹿《ばか》な|態《ざま》を|見《み》たのだ。チツト|是《こ》れから|言霊《ことたま》を|控《ひか》へて|貰《もら》はねば、|此《この》|先《さき》はどんな|事《こと》が|突発《とつぱつ》するか|分《わか》つたものぢやありませぬワイ。ナア|宗彦《むねひこ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》』
|宗彦《むねひこ》『|何事《なにごと》も|神様《かみさま》のなさる|事《こと》。|惟神《かむながら》に|我々《われわれ》は|任《まか》すより|仕方《しかた》が|有《あ》りませぬ』
|田吾作《たごさく》『それ|又《また》|覚《おぼ》えの|悪《わる》い、|今《いま》|惟神《かむながら》と|云《い》つて|怒《おこ》られたぢやありませぬか。|惟神中毒《かむながらちうどく》をすると、|怒《おこ》り|神《がみ》さんが|又《また》|現《あら》はれますぞや。|貴方《あなた》こそ|慎《つつし》んで|貰《もら》はねばなりませぬ』
|宗彦《むねひこ》『さうだと|云《い》つて、|我々《われわれ》は|惟神《かむながら》の|道《みち》に|仕《つか》へて|居《を》る|者《もの》だ。|惟神《かむながら》を|言《い》はなければ、|宣伝《せんでん》も|何《なに》も|出来《でき》ぬぢやないか。|鶏《にはとり》にコケコーと|鳴《な》くな、|烏《からす》にカアカア|囀《さへづ》るな、|釣鐘《つりがね》になんぼ|敲《たた》かれてもゴンゴンと|鳴《な》らずに|沈黙《ちんもく》せよと|云《い》ふ|様《やう》な|註文《ちうもん》だないか。そんな|天地《てんち》|不自然《ふしぜん》な|事《こと》がどうして|実行《じつかう》|出来《でき》るものかい』
|田吾作《たごさく》『|惟神《かむながら》、|不言実行《ふげんじつかう》さへすれば|良《い》のですよ。|何事《なにごと》も|心《こころ》と|行《おこな》ひを|惟神《かむながら》にして、|口《くち》だけは|暫《しばら》く|言《い》はない|方《はう》が|宜《よろ》しかろ。|材木《ざいもく》でもカンナがらをかけて|見《み》なさい、|一遍々々《いつぺんいつぺん》|細《ほそ》くなるぢやないか。あまり|執拗《しつか》うカンナがらを|使《つか》つて|居《を》ると、|結局《しまひ》にや|糸《いと》の|様《やう》になつて、|結構《けつこう》な|宣伝使《せんでんし》|神柱《かむばしら》の|資格《しかく》が|消滅《せうめつ》して|了《しま》ひますワ』
|宗彦《むねひこ》『ハヽヽヽ、|余程《よほど》|怒《おこ》り|神様《かみさま》の|御言《おことば》が|感応《こた》へたと|見《み》えるワイ。ありや|一体《いつたい》どこから|来《き》た|神様《かみさま》だと|思《おも》つて|居《を》るのだ』
|田吾作《たごさく》『|神界《しんかい》の|事《こと》は|我々《われわれ》に|分《わか》るものぢや|有《あ》りませぬが、マア|天《てん》から|天降《あまくだ》られたと|云《い》ふより|仕方《しかた》が|有《あ》りますまい』
|宗彦《むねひこ》『|馬鹿《ばか》|言《い》ふな、あの|怒《おこ》り|神《がみ》さまは|宗彦《むねひこ》さまの|本守護神《ほんしゆごじん》だ。|泣神《なきがみ》さまが|貴様《きさま》の|本守護神《ほんしゆごじん》、|笑《わら》ひ|神《がみ》さまが|留公《とめこう》の|守護神《しゆごじん》だ。チツト|貴様《きさま》|改心《かいしん》せぬとあの|通《とほ》り|守護神《しゆごじん》がベソを|掻《か》いて|居《を》るぢやないか』
|田吾作《たごさく》『そりやチト|違《ちが》ひませう。|笑《わら》つて|居《を》るのが|私《わたし》の|守護神《しゆごじん》、|怒《おこ》つて|居《を》るのがあなたの|守護神《しゆごじん》、|泣《な》いとる|奴《やつ》が|留公《とめこう》の|守護神《しゆごじん》に|違《ちが》ひありませぬワイ。|結構《けつこう》な|御用《ごよう》を|仰《あふ》せ|付《つ》かり|乍《なが》ら、お|前《まへ》さまはまだ|腹《はら》の|底《そこ》に|曇《くも》りがあると|見《み》えて、|本守護神《ほんしゆごじん》が|怒《おこ》つて|居《を》るのだ。|良《い》い|加減《かげん》に|改心《かいしん》をしなさらぬと、どんな|地異天変《ちいてんぺん》が【おこ】つて【おこ】つて、【おこ】りさがすか|知《し》れませぬぞ。お|前《まへ》さまの|大将面《たいしやうづら》して|威張《ゐば》つて|歩《ある》くのがあまり|可笑《をか》しうて、|田吾《たご》さんの|本守護神《ほんしゆごじん》が|笑《わら》つて|居《を》るのだ』
|宗彦《むねひこ》『どうでも|良《い》いぢやないか。|怒《おこ》る|神《かみ》もあれば|笑《わら》ひ|神《がみ》もあり、|泣《な》き|神《がみ》もある。|実際《じつさい》のこたア、|三柱《みはしら》の|神《かみ》|共《とも》|共通的《きようつうてき》に|守護《しゆご》して|御座《ござ》るのだ』
|原彦《はらひこ》『モシモシ|私《わたくし》|丈《だけ》は|本守護神《ほんしゆごじん》がどうなりました』
|田吾作《たごさく》『お|前《まへ》の|本守護神《ほんしゆごじん》はまだ|現《あら》はれる|幕《まく》ぢやない、|地平線下《ちへいせんか》の|身魂《みたま》だから、|土《つち》の|上《うへ》へ|出《で》る|所《とこ》へは|往《い》かぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら|孟宗竹《まうそうだけ》でさへも|土《つち》を|割《わ》つてニユーと|首《くび》を|突出《つきだ》すのだから、どつか|其辺《そこら》に|頭《あたま》をあげかけてゐるかも|分《わか》らぬぞ。チツト|探《さが》して|見《み》たらどうだ』
|原彦《はらひこ》『アハヽヽヽ、|身魂《みたま》と|筍《たけのこ》と|一《ひと》つに|見《み》られちや、|原彦《はらひこ》も|迷惑《めいわく》だ。|丸《まる》でドクトルの|身魂《みたま》の|様《やう》に、|田吾《たご》さんが|仰《おつ》しやいますワイ。|疑《うたが》ふのぢやありませぬけれど、|随分《ずゐぶん》|道理《だうり》に|違《ちが》うた|事《こと》を|言《い》ふお|方《かた》ですな。
「|竹《たけ》の|子《こ》の|番人《ばんにん》|見《み》れば|藪《やぶ》にらみ」
アハヽヽヽ、オイ|藪《やぶ》にらみの|田吾竹《たごたけ》さま』
|田吾作《たごさく》『|議論《ぎろん》は|後《あと》にせい。|筍《たけのこ》の|身魂《みたま》と|云《い》ふ|事《こと》は、モウつい、|日日薬《ひにちくすり》で|竹々《ちくちく》と|分《わか》つて|来《く》る。チクと|身魂《みたま》を|練薬《ねりやく》して、|俺《おれ》の|言《い》ふ|事《こと》を|膏薬《かうやく》(|後学《こうがく》)の|為《ため》に|聞《き》いて|置《お》くのだな。……エー|何《なに》を|薬々《くすりくすり》と|笑《わら》ふのだい。|薬価《やくか》い(|厄介《やくかい》)|者《もの》|奴《め》、それよりも|身魂《みたま》の|煎薬《せんやく》(|洗濯《せんたく》)が|一等《いつとう》だぞ』
|原彦《はらひこ》『これはこれはイカい(|医界《いかい》)お|世話《せわ》になりました。|漸《やうや》く|医師《いし》(|意思《いし》)が|疎通《そつう》しました。モウ|此《この》|上《うへ》|決《けつ》して、|医《い》(|異《い》)|議《ぎ》は|申《まを》しませぬ』
|田吾作《たごさく》『キツト|医薬《いやく》(|違約《ゐやく》)をするでないぞ。|俺《おれ》の|云《い》ふ|事《こと》を|守《まも》れば、キツト|薬《くすり》|九層倍《くそうばい》の|報《むく》いが|出《で》て|来《く》る。|力一杯《ちからいつぱい》|薬《やく》(|約《やく》)を|守《まも》つて、|此《この》|上《うへ》は|口答《くちごた》へをしてはならぬぞ。|俺《おれ》の|云《い》ふ|事《こと》はチツトは|苦《にが》い|事《こと》もある。|併《しか》し|良薬《りやうやく》は|口《くち》に|苦《にが》しだ。|薬《やく》(|厄《やく》)|雑魂《ざだましひ》を|下痢《げり》させて、|神霊《しんれい》の|注射《ちうしや》を|為《な》し、|身体《からだ》|一面《いちめん》|何《なん》の|医《い》(|異《い》)|状《じやう》もないとこまで|清《きよ》めて、|是《こ》れから|悪魔《あくま》|征伐《せいばつ》に|向《むか》ふのだ。|心《こころ》に|煩《わづら》ひのある|時《とき》は|病《やまひ》が|起《おこ》ると|云《い》ふ、|其《その》|病《やまひ》の|問屋《とんや》が|山《やま》の|神《かみ》を|置去《おきざ》りにして、|斯《こ》んな|深《ふか》い【|山《やま》い】(|病《やまひ》)あがつて|来《く》るものだから、|到頭《たうとう》|逆上《ぎやくじやう》して|不健窃盗病《ふけんせつたうびやう》が|勃発《ぼつぱつ》するのだ、アハヽヽヽ』
|宗彦《むねひこ》『サアもう|行《ゆ》こう。グヅグヅして|居《を》ると、|中途《ちうと》で|日《ひ》が|暮《く》れて|薬鑵《やくわん》が|風《かぜ》を|引《ひ》いて|了《しま》ふぞ』
|二人《ふたり》は|黙《だま》つて|座《ざ》を|立《た》ち、|宗彦《むねひこ》の|後《あと》よりエチエチと|小柴《こしば》を|分《わ》け、|這《は》ふ|様《やう》にして|胸突坂《むねつきざか》を|掻《か》きあがる。|忽《たちま》ち|右方《うはう》の|谷間《たにま》に|当《あた》つて|女《をんな》の|悲鳴《ひめい》が|聞《きこ》えて|来《き》た。
|田吾作《たごさく》『イヨー|怪《あや》しい|声《こゑ》がするぞ。|婆《ばば》アの|声《こゑ》にしては|少《すこ》し|若《わか》い|様《やう》だ。|併《しか》し|婆《ばば》ア|許《ばか》りぢやない、|沢山《たくさん》な|女《をんな》も|居《ゐ》るであらうから、|一《ひと》つ|声《こゑ》を|当《あて》に|実地《じつち》|検分《けんぶん》と|出《で》かけたらどうでせう。ナア|宗彦《むねひこ》さま』
|宗彦《むねひこ》『|追々《おひおひ》と|叫《さけ》び|声《ごゑ》が|高《たか》くなつて|来《く》るやうです。|何《なに》か|此《これ》には|秘密《ひみつ》が|伏蔵《ふくざう》されて|居《を》るでせう。|私《わたし》は|此処《ここ》に|原彦《はらひこ》さまと|待《ま》つて|居《を》るから、|一寸《ちよつと》|偵察《ていさつ》して|来《き》て|貰《もら》へませぬかなア』
|田吾作《たごさく》『ハイ|診察《しんさつ》して|参《まゐ》ります。|探険家《たんけんか》のオーソリチーの|田吾作《たごさく》ですよ』
と|早《はや》くも|小柴《こしば》の|中《なか》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。|宗彦《むねひこ》は、
|宗彦《むねひこ》『アハヽヽヽ、|口《くち》も|達者《たつしや》な|男《をとこ》だが、|随分《ずゐぶん》|足《あし》も|達者《たつしや》だ…ヨウヨウ、|一人《ひとり》の|声《こゑ》かと|思《おも》へば|大勢《おほぜい》らしいぞ。こりや|安閑《あんかん》としては|居《を》られない。|私《わたし》も|行《い》つて|調《しら》べて|見《み》ようかな』
と|首《くび》を|傾《かた》げて|居《ゐ》る。|原彦《はらひこ》は、
『マア|少時《しばらく》|御待《おま》ちなさいませ。|今《いま》に|田吾《たご》さまが|帰《かへ》へつて|来《く》れば、|様子《やうす》が|分《わか》りませうから、|大方《おほかた》|最前《さいぜん》|出《で》た|泣《な》きの|守護神《しゆごじん》が|極端《きよくたん》に|泣《な》きの|本性《ほんしやう》を|発揮《はつき》してるのかも|知《し》れませぬぜ。|最前《さいぜん》の|様《やう》なお|叱言《こごと》を|頂戴《ちやうだい》すると|困《こま》りますから、マアゆつくりと|此処《ここ》に|待《ま》ちませうかい』
|宗彦《むねひこ》『そうだな。|待《ま》つてもよいが、|併《しか》し|何《なん》だか|気《き》がイライラして|来《き》た。|田吾作《たごさく》|一人《ひとり》|遣《や》つて|置《お》くのも|心許《こころもと》ない。………そんなら|此処《ここ》に|待《ま》つて|居《を》るから、|原《はら》さま、お|前《まへ》|往《い》つて|来《き》て|呉《く》れないか』
|原彦《はらひこ》『ハイ、そりやモウさうです。あまり|何《なん》ですから、|何《なん》となく|気分《きぶん》が|何《なに》しませぬ。ならう|事《こと》なら、|何々様《なになにさま》と|御一緒《ごいつしよ》に|願《ねが》ひたいものですなア』
|宗彦《むねひこ》『|分《わか》つたやうな|分《わか》らぬやうな|事《こと》を|云《い》ふぢやないか。ハツキリと|言《い》つたらどうだ』
|原彦《はらひこ》『|現在《げんざい》|私《わたくし》の|心《こころ》が、あなたには|分《わか》りませぬか。|天眼通《てんがんつう》、|天耳通《てんじつう》、|漏尽通《ろじんつう》、|宿命通《しゆくめいつう》、|自他神通《じたしんつう》、|感通《かんつう》に|天言通《てんげんつう》、|七神通《しちじんつう》の|阿羅耶識《あらやしき》を|得《え》たと|云《い》ふ|宣伝使《せんでんし》ぢやありませぬか、「|一《いち》を|聞《き》いて|十《じふ》を|知《し》る|身魂《みたま》でないと、|誠《まこと》の|御用《ごよう》は|出来《でき》ぬぞよ」……と|神様《かみさま》が|仰有《おつしや》いませう。さうすれば|貴方《あなた》は|最前《さいぜん》の|百点《ひやくてん》を|返上《へんじやう》なさらねばならぬ|破目《はめ》に|陥《おちい》りますよ』
|宗彦《むねひこ》『|俺《おれ》は|天言通《てんげんつう》はお|神徳《かげ》を|戴《いただ》いて|居《を》るが、どうもまだ|人語通《じんごつう》は|得《え》て|居《ゐ》ないのだ。|況《ま》して|曇《くも》つた|身魂《みたま》の|囁《ささや》きは|尚更《なほさら》|判別《はんべつ》がつきかねる。|何程《なにほど》|近《ちか》くに|居《を》つても、|御神諭《ごしんゆ》の|通《とほ》り「|灯台下《とうだいもと》は|真暗《まつくら》がり、|遠国《ゑんごく》からわかりて|来《く》るぞよ」……と|云《い》ふのが|本当《ほんたう》だからなア』
|原彦《はらひこ》『|左様《さやう》か、|左様《さやう》ならばあなたも|何々《なになに》の|割《わり》とは|何々《なになに》ですな。|私《わたくし》は|今迄《いままで》チツト|許《ばか》り|八丁笠《ばつちやうがさ》を|買《か》ひ|被《かぶ》つて|居《を》りました』
|宗彦《むねひこ》『さうだらう、|御互様《おたがひさま》だ。お|前《まへ》もモウチツト|勇気《ゆうき》が|有《あ》るかと|思《おも》へば、|実《じつ》に|脆《もろ》いものだ、|田吾作《たごさく》でさへも、|一人《ひとり》で|探険《たんけん》にいつたのに、わしの|側《そば》にくつついて、|慄《ふる》うて|居《を》るとは|実《じつ》に|見上《みあ》げたものだ。|生命《いのち》を|宣伝使《せんでんし》に|差上《さしあ》げると|云《い》つた|癖《くせ》に、ヤツパリ|生命《いのち》が|惜《をし》いと|見《み》えるワイ。きつく|俺《おれ》も|買《か》ひ|被《かぶ》つたものだワイ』
|原彦《はらひこ》『|初《はじ》めに|言《い》つたのは、アラ|見本《みほん》ですよ。|見本通《みほんどほり》の|物品《ぶつぴん》を|製造《せいざう》して|輸出《ゆしゆつ》でもしようものなら、|海関税《かいくわんぜい》を|沢山《たくさん》|取《と》られて、|今日《こんにち》の|烈《はげ》しい|商業《しやうげふ》|戦争《せんそう》に|零敗《ゼロはい》を|取《と》りますワ』
|宗彦《むねひこ》『アハヽヽヽ、お|前《まへ》は|口《くち》ばつかりの|男《をとこ》だなア』
|原彦《はらひこ》『さうですとも、ハラから|出口《でぐち》の|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて、|此《この》|世《よ》を|悪《あく》【に】|立直《たてなほ》し、|善《ぜん》の|身魂《みたま》【を】|改心《かいしん》させるお|役《やく》ですもの……』
|宗彦《むねひこ》『|悪《あく》に|立直《たてなほ》し、|善《ぜん》の|身魂《みたま》を|改心《かいしん》さすとは、そら|何《なに》を|言《い》ふのだ』
|原彦《はらひこ》『イヤ|一寸《ちよつと》|違《ちが》ひました。「ニ」と「ヲ」との|配置《はいち》を|誤《あやま》つたのです。|悪《あく》【を】|立直《たてなほ》し、|善《ぜん》の|身魂《みたま》【に】|改心《かいしん》させるのです。|上《うへ》に|付《つ》くか、|下《した》に|付《つ》くか、「に」……にか、「を」にか、どつちやにせよ、チツト|許《ばか》りの|間違《まちが》ひだ。さう|一字《いちじ》や|二字《にじ》|配置《はいち》が|違《ちが》つたと|言《い》つて、|気《き》の|小《ちひ》さい|事《こと》を|言《い》ふものぢやありませぬワ。アハヽヽヽ』
|俄《にはか》に|傍《そば》の|小柴《こしば》の|中《なか》よりガサガサと|音《おと》を|立《た》て、|現《あら》はれて|来《き》たのは|田吾作《たごさく》であつた。
|宗彦《むねひこ》『ヤア|田吾作《たごさく》か、|様子《やうす》はどうだなア』
|田吾作《たごさく》『|最早《もはや》|讐敵《かたき》は|攻《せ》め|寄《よ》せて|候《さふら》へば、あなたに|代《かは》はつて|一戦《ひといくさ》、|御身《おんみ》は|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|遁《のが》れて|下《くだ》さりませ……と|口《くち》には|言《い》へど|御名残《おんなごり》……チヽヽヽヽヽヽチンチンだ』
|宗彦《むねひこ》『ハヽヽヽヽ、そんな|冗談《ぜうだん》|言《い》つてる|所《ところ》ぢやなからう。どんな|事《こと》が|起《おこ》つて|居《を》つたか、|早《はや》く|聞《き》かして|呉《く》れい』
|田吾作《たごさく》『ハイ|申上《まをしあ》げます。|一方《いつぱう》の|大将《たいしやう》は|大岩石《だいがんせき》を|楯《たて》に|取《と》り、|一丈《いちぢやう》|有余《いうよ》の|大木《たいぼく》の|小枝《こえだ》に|甲冑《かつちう》を|鎧《よろ》ひ、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|阿修羅王《あしゆらわう》の|如《ごと》く|荒《あ》れ|狂《くる》ひ、|采配《さいはい》|採《と》つて|号令《がうれい》をなすあり、|此方《こちら》の|谷間《たにま》よりは、|又《また》|古今無双《ここんむさう》の|豪傑《がうけつ》|樹上《じゆじやう》に|陣取《ぢんど》り、|負《まけ》ず|劣《おと》らず|声《こゑ》を|限《かぎ》りにキヤツ キヤツ キヤツ キヤツの|言霊戦《ことたません》、|勇《いさ》ましかりける|次第《しだい》なり、ハアハアハアハアだ。ウツフツフツ ウツフツフツフウ』
|宗彦《むねひこ》『なアンだ、ちツとも|分《わか》らぬぢやないか』
|田吾作《たごさく》『ソラさうでせうとも。|実地《じつち》|目撃《もくげき》した|私《わたし》でさへも、テンと|了解《れうかい》の|出来《でき》ない、|猿芝居《さるしばゐ》、|否《いな》|猿合戦《さるがつせん》ですもの……』
|宗彦《むねひこ》『ハヽヽヽヽ、|千匹猿《せんびきざる》の|喧嘩《けんくわ》だつたのか。なアーンだ、しやうもない。……サアサア|愚図々々《ぐづぐづ》しては|居《を》られまいぞ。|此《この》|前途《さき》で|又々《またまた》|大蛇《をろち》の|芝居《しばゐ》か、|熊《くま》のダンスでも|開演《かいえん》されて|居《を》るだらう、|面白《おもしろ》い|無料《むれう》|観覧《くわんらん》と|出《で》かけよう』
(大正一一・五・一四 旧四・一八 松村真澄録)
第一〇章 |山中《さんちう》の|怪《くわい》〔六七二〕
|田吾作《たごさく》『|朝日《あさひ》は|光《ひか》る|月《つき》は|照《て》る  |武志《たけし》の|森《もり》の|小夜砧《さよきぬた》
|宇都山郷《うづやまがう》を|立出《たちい》でて  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|神《かみ》のまにまに|宗彦《むねひこ》が  |後《あと》に|随《したが》ひ|来《き》て|見《み》れば
|誠明石《まことあかし》の|山道《やまみち》は  |忽《たちま》ち|霧《きり》に|塞《ふさ》がりて
|不動《ふどう》の|滝《たき》も|雲隠《くもがく》れ  |一歩二歩《ひとあしふたあし》|探《さぐ》り|寄《よ》り
|水音《みなおと》|合図《あひづ》に|留公《とめこう》が  |留《とめ》るも|聞《き》かず|真裸体《まつぱだか》
|蛙《かはづ》の|面《つら》に|水行《みづぎやう》を  ザワザワザワと|浴《あ》び|乍《なが》ら
|手早《てばや》く|衣類《いるゐ》を|肩《かた》にかけ  |霧《きり》|押《おし》わけて|山頂《さんちやう》に
|上《のぼ》つて|四方《よも》を|眺《なが》むれば  |丹波《たんば》|名物《めいぶつ》|霧《きり》の|海《うみ》
|彼方《あちら》|此方《こちら》にポコポコと  |山《やま》の|頂《いただ》き|浮《う》き|出《い》でて
|宛然《さながら》|絵《ゑ》を|見《み》る|如《ごと》くなる  |景色《けしき》に|名残《なご》りを|惜《をし》みつつ
|歩《あゆ》みの|下手《へた》な|留公《とめこう》を  |抱《かか》へるやうに|可愛《いたは》りつ
|明石《あかし》の|里《さと》も|乗《の》り|越《こ》えて  |道《みち》の|傍《かたへ》の|一《ひと》つ|家《や》に
|病《やまひ》に|悩《なや》む|原彦《はらひこ》が  |身《み》の|禍《わざはひ》をとり|除《の》けて
|此処《ここ》にいよいよ|四人連《よにんづ》れ  |宗彦司《むねひこつかさ》の|後《あと》を|追《お》ひ
|山国川《やまくにがは》の|一《ひと》つ|橋《ばし》  |渡《わた》る|折《をり》しも|川下《かはしも》に
ザンブと|立《た》ちし|水煙《みづけぶり》  |唯事《ただごと》ならじと|田吾作《たごさく》が
|脚《あし》を|速《はや》めて|川《かは》の|辺《べ》に  |駆《は》せつけ|見《み》ればこは|如何《いか》に
|雪《ゆき》を|欺《あざむ》く|白《しろ》い|顔《かほ》  |優《やさ》しき|細《ほそ》き|手《て》を|上《あ》げて
|流《なが》れの|中《なか》に|立岩《たちいは》の  |蔭《かげ》に|潜《ひそ》みて|声《こゑ》|限《かぎ》り
|救《たす》けを|叫《さけ》ぶ|真最中《まつさいちう》  |見《み》るに|見《み》かねて|田吾作《たごさく》が
|仁慈《みろく》の|心《こころ》を|発揮《はつき》して  わが|身《み》を|忘《わす》れ|飛《と》び|込《こ》めば
|川《かは》に|落《お》ちたる|妙齢《めうれい》の  |美人《びじん》と|見《み》えしは|大江山《おほえやま》
|鬼《おに》の|身魂《みたま》の|再来《さいらい》か  |青《あを》い|角《つの》をば|額上《がくじやう》に
ニユツと|生《はや》して|目《め》を|剥《む》いて  |鰐口《わにぐち》|開《ひら》きカラカラと
|笑《わら》うてけつかる|厭《いや》らしさ  |波《なみ》に|揉《も》まれた|田吾作《たごさく》も
|進退《しんたい》|茲《ここ》に|谷《きは》まりて  |溺死《できし》をするかと|思《おも》ふほど
|息《いき》も|苦《くる》しくなつた|時《とき》  |何《なん》だか|知《し》らぬが|妙《めう》な|声《こゑ》
|聞《きこ》え|来《きた》るとみるうちに  |裸体《はだか》になつた|俺《おれ》の|身《み》は
|巌《いはほ》の|上《うへ》に|衝《つ》つ|立《た》ちぬ  |人三化七《にんさんばけしち》|鬼娘《おにむすめ》
|悪魔《あくま》の|奴《やつ》が|睨《にら》み|居《ゐ》る  コリヤ|堪《たま》らぬと|気《き》を|焦《いら》ち
|宗彦《むねひこ》さまや|留公《とめこう》を  |声《こゑ》を|限《かぎ》りに|招《まね》けども
|臆病風《おくびやうかぜ》に|襲《おそ》はれた  いの|一番《いちばん》に|宣伝使《せんでんし》
|宗彦《むねひこ》さまを|始《はじ》めとし  |留公《とめこう》、|原彦《はらひこ》|両人《りやうにん》は
|青《あを》い|顔《かほ》して|慄《ふる》へゐる  エーもう|駄目《だめ》だもう|駄目《だめ》だ
|斯《こ》んな|卑怯《ひけふ》な|腰抜《こしぬ》けを  |力《ちから》にするのが|間違《まちが》ひよ
モー|此《この》|上《うへ》は|是非《ぜひ》もない  |地獄《ぢごく》の|釜《かま》のド|天井《てんじやう》
|一足飛《いつそくと》びに|飛《と》ぶ|心地《ここち》  |川《かは》へザンブと|踊《をど》り|入《い》り
|鬼《おに》の|娘《むすめ》の|肩《かた》をとり  |心中《しんぢう》しようか|待《ま》て|暫《しば》し
たつた|一《ひと》つの|此《この》|生命《いのち》  |死《し》ぬのはチツト|早《はや》かろと
|日頃《ひごろ》|手練《しゆれん》の|游泳術《いうえいじゆつ》  |悠々《いういう》|騒《さわ》がず|急流《きふりう》を
|渡《わた》つて|岸《きし》に|駆《か》け|上《あが》り  |後《あと》|振《ふ》り|返《かへ》り|眺《なが》むれば
|鬼《おに》の|娘《むすめ》にあらずして  |見《み》るも|怖《おそ》ろし|大蛇《をろち》の|姿《すがた》
アヽ|欺《だま》された|欺《だま》された  |俺《おれ》は|夢《ゆめ》でも|見《み》て|居《ゐ》たか
|頬《ほほ》を|抓《つめ》つて|調《しら》ぶれば  やつぱり|頬《ほほ》はピリピリと
|微《かすか》に|苦痛《くつう》を|訴《うつた》へる  |水《みづ》は|何《ど》うだと|手《て》に|掬《すく》ひ
|嘗《な》めて|見《み》たれば|矢張《やつぱ》り|水《みづ》  |瑞《みづ》の|身魂《みたま》の|御守護《おんしゆご》は
|清《きよ》く|涼《すず》しく|此《この》|通《とほ》り  |俺《おれ》は|結構《けつこう》な|修業《しうげふ》した
|筑紫《つくし》の|日向《ひむか》の|立花《たちはな》の  |小戸《をど》の|青木ケ原《あをきがはら》に|降《お》り
|上《かみ》の|流《なが》れは|瀬《せ》が|速《はや》い  |下《しも》の|流《なが》れは|瀬《せ》が|弱《よわ》い
|瑞《みづ》の|身魂《みたま》や|三栗《みつぐり》の  |中瀬《なかせ》に|下《お》りて|心地《ここち》|好《よ》く
|禊《みそ》ぎ|祓《はら》ひの|神業《かむわざ》を  |首尾《しゆび》|克《よ》く|了《を》へて|三人《さんにん》が
|茫然自失《ばうぜんじしつ》の|為体《ていたらく》  アフンとして|居《ゐ》る|其《その》|前《まへ》に
ニユツと|現《あら》はれオイ|留公《とめこう》  |原彦《はらひこ》|何《なに》をして|居《ゐ》るか
ちつとは|確《しつか》りしてくれと  |癪《しやく》に|障《さは》つて|横面《よこづら》を
ポカリとやつて|見《み》た|所《ところ》  |神力《しんりき》こもる|鉄腕《てつわん》に
|一堪《ひとたま》りもなく|顛倒《てんたう》し  |風《かぜ》に|木《こ》の|葉《は》の|散《ち》るやうに
さしもに|広《ひろ》い|大川《おほかは》を  |毬《まり》を|中空《ちうくう》に|投《な》げし|如《ごと》
|二人《ふたり》の|奴《やつ》は|飛《と》び|散《ち》つた  それより|宗彦《むねひこ》|宣伝使《せんでんし》
|田吾作《たごさく》さまの|神力《しんりき》に  |肝《きも》を|潰《つぶ》して|今迄《いままで》の
|態度《たいど》は|忽《たちま》ち|一変《いつぺん》し  |心《こころ》の|底《そこ》から|我《が》を|折《を》つて
|田吾作《たごさく》さまを|様付《さまづ》けに  |言霊《ことたま》|変《か》へた|可笑《をか》しさよ
|丸木《まるき》の|橋《はし》を|後《あと》にして  |旗鼓堂々《きこだうだう》と|来《き》て|見《み》れば
|錦《にしき》の|衣《ころも》を|纏《まと》ひたる  |山姫《やまひめ》さまが|左右《さいう》より
|化粧《けしやう》を|凝《こ》らして|田吾作《たごさく》を  ちよつと|待《ま》つてと|呼《よ》び|止《と》める
|三国ケ嶽《みくにがだけ》の|曲神《まがかみ》を  |征伐道中《せいばつだうちう》の|此《この》|身体《からだ》
お|門《かど》が|広《ひろ》いサア|放《はな》せ  |花瀬《はなせ》の|里《さと》を|後《あと》にして
|谷《たに》を|飛《と》び|越《こ》え|岩伝《いはづた》ひ  やうやう|三国《みくに》の|山麓《さんろく》に
|辿《たど》りついたる|折《をり》もあれ  |留公《とめこう》の|態度《たいど》は|一変《いつぺん》し
|徐々《そろそろ》|弱音《よわね》を|吹《ふ》きかける  コリヤ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い
|屹度《きつと》|彼奴《あいつ》のことならば  |奇抜《きばつ》な|芝居《しばゐ》を|打《う》つであろ
|勝手《かつて》にせよと|突《つ》きやれば  |留公《とめこう》の|奴《やつ》は|喜《よろこ》んで
|尻《しり》ひつからげスタスタと  |今《いま》|来《き》し|道《みち》を|下《くだ》り|行《ゆ》く
|後《あと》に|残《のこ》つた|三人《さんにん》は  |激湍《げきたん》|飛沫《ひまつ》|轟々《ぐわうぐわう》と
|音《おと》|喧《かしま》しき|谷川《たにがは》の  |辺《ほと》りを|伝《つた》ひわけ|登《のぼ》る
|川《かは》を|隔《へだ》てて|四五人《しごにん》の  |得体《えたい》の|知《し》れぬ|老若《らうにやく》が
|熊《くま》の|皮《かは》やら|猪《しし》の|皮《かは》  |襷《たすき》|十字《じふじ》にあやどつて
|木々《きぎ》の|梢《こずゑ》に|干《ほ》し|乍《なが》ら  |残《のこ》つた|熊《くま》の|生皮《なまかは》を
|谷《たに》の|流《なが》れに|浸《ひた》しつつ  |物《もの》をも|言《い》はず|洗《あら》ひ|居《ゐ》る
|一行《いつかう》の|中《なか》の|周章者《あわてもの》  |腹《はら》の|腐《くさ》つた|原彦《はらひこ》が
|慾《よく》に|恍《とぼ》けてザブザブと  |生命《いのち》を|的《まと》の|谷渡《たにわた》り
|見《み》るより|五人《ごにん》の|老若《らうにやく》は  この|勢《いきほ》ひに|辟易《へきえき》し
|物《もの》をも|言《い》はず|手真似《てまね》して  |雲《くも》を|霞《かすみ》と|遁《に》げて|行《ゆ》く
|続《つづ》いて|宗彦《むねひこ》|宣伝使《せんでんし》  |又《また》もや|谷《たに》を|打渡《うちわた》り
|慾《よく》に|限《かぎ》り|無《な》き|熊鷹《くまたか》の  |面《つら》の|皮剥《かはは》ぎヌースー|式《しき》
|遺《のこ》るくまなく|発揮《はつき》して  |矛《ほこ》も|交《まじ》へぬ|戦利品《せんりひん》
|鼻《はな》|高々《たかだか》とうごめかし  |不言実行《ふげんじつかう》と|洒落《しやれ》|乍《なが》ら
|田吾作《たごさく》さんが|捕獲《ほくわく》した  |濡《ぬ》れた|皮《かは》をば|汗《あせ》かいて
|絞《しぼ》つてくれた|殊勝《しゆしよう》さよ  |迷《まよ》うた|路《みち》を|踏《ふ》み|直《なほ》し
|小柴《こしば》をわけてテクテクと  |胸《むな》つき|坂《ざか》を|這《は》ひ|上《あが》る
|忽《たちま》ち|茲《ここ》に|三人《さんにん》の  |童子《どうじ》の|姿《すがた》|現《あら》はれて
|泣《な》き|出《だ》す|笑《わら》ふ|又《また》|怒《おこ》る  |七尺《しちしやく》|有余《いうよ》の|荒男《あらをとこ》
|三尺《さんじやく》|足《た》らずの|幼児《をさなご》に  |叱《しか》り|飛《と》ばされ|散々《さんざん》に
|油《あぶら》の|汗《あせ》を|搾《しぼ》られて  |謝《あやま》り|入《い》つた|不甲斐《ふがひ》なさ
|童子《どうじ》の|姿《すがた》は|忽《たちま》ちに  |煙《けぶり》と|消《き》えた|其《その》|後《あと》に
|耳《みみ》の|鼓膜《こまく》を|破《やぶ》りつつ  |伝《つた》はり|来《きた》る|怪声《くわいせい》に
|三国ケ嶽《みくにがだけ》の|大秘密《だいひみつ》  |探《さぐ》る|手段《てだて》とならうかと
|怖気《おぢけ》づいたる|両人《りやうにん》を  |後《あと》に|残《のこ》して|田吾作《たごさく》が
|小柴《こしば》|押《おし》わけ|怪声《くわいせい》を  |辿《たど》り|辿《たど》りて|千仭《せんじん》の
|谷《たに》の|傍《かたへ》に|来《き》て|見《み》れば  |木伝《こづた》ふ|猿《ましら》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》
|案《あん》に|相違《さうゐ》の|自棄腹《やけつぱら》  スゴスゴ|帰《かへ》つて|両人《りやうにん》を
わが|言霊《ことたま》に|脅《おびや》かし  |面白《おもしろ》|可笑《をか》しく|上《のぼ》り|行《ゆ》く
|軈《やが》ては|名高《なだか》き|鬼婆《おにばば》の  |岩窟《いはや》の|棲処《すみか》も|見《み》えるだろ
|神《かみ》の|賜《たま》ひし|言霊《ことたま》の  |伊吹《いぶき》の|狭霧《さぎり》を|極端《きよくたん》に
|神力《しんりき》|強《つよ》い|田吾作《たごさく》が  イの|一番《いちばん》に|発射《はつしや》して
|高天原《たかあまはら》の|蓮華台《れんげだい》  |錦《にしき》の|宮《みや》の|御前《おんまへ》に
|功《いさを》を|建《た》つるは|目《ま》の|当《あた》り  アヽ|勇《いさ》ましや|勇《いさ》ましや
これから|乃公《わし》が|司令官《しれいくわん》  |宗彦《むねひこ》さまよ|原彦《はらひこ》よ
|互《たがひ》に|胸《むね》を|打《う》ち|開《あ》けて  |【腹】《はら》を|合《あは》して|田吾作《たごさく》が
|指揮《しき》|命令《めいれい》を|遵奉《じゆんぽう》し  |蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》の|成《な》れの|果《は》て
|人《ひと》を|取《と》り|喰《く》ふ|鬼婆《おにばば》や  それに|随《したが》ふ|曲神《まがかみ》を
|一泡《ひとあわ》|吹《ふ》かせ|三五《あななひ》の  |教《をしへ》の|道《みち》に|救《すく》はむは
|今《いま》|目《ま》の|当《あた》り|見《み》る|様《やう》だ  アヽ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|田吾作《たごさく》ここに|現《あら》はれて  |神《かみ》と|鬼《おに》とを|立別《たてわ》けて
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|皇神《すめかみ》の  |貴《うづ》の|御前《みまへ》に|復命《かへりごと》
|申《まを》すも|余《あま》り|遠《とほ》からず  |来《きた》れよ|来《きた》れいざ|来《きた》れ
|敵《てき》は|幾万《いくまん》ありとても  |怖《おそ》るる|勿《なか》れ|怖《おそ》るるな
|神《かみ》は|汝《なんぢ》と|倶《とも》に|在《あ》り  |神《かみ》は|我《わが》|身《み》に|宿《やど》ります
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|呂律《ろれつ》も|廻《まは》らぬ|口《くち》から|出任《でまか》せの|歌《うた》を|謡《うた》ひ、|田吾作《たごさく》は|勢《いきほひ》|鋭《するど》く、|山上《さんじやう》|目蒐《めが》けて|進《すす》み|行《ゆ》く。|幼《いとけ》なき|赤児《あかご》に|乳《ちち》をふくませ|乍《なが》ら|下《くだ》り|来《く》る|妙齢《めうれい》の|美人《びじん》|唯《ただ》|一人《ひとり》、|稍《やや》|面部《めんぶ》に|憂愁《いうしう》の|色《いろ》を|浮《うか》べ|乍《なが》ら、|灌木《くわんぼく》の|茂《しげ》みより|浮《う》いたやうに|現《あら》はれた。
|田吾作《たごさく》『ヤア|山姫《やまひめ》の|奴《やつ》、|俺《おれ》の|円満清朗《ゑんまんせいろう》なる|言霊《ことたま》に|感動《かんどう》し|居《を》つて、|感謝《かんしや》の|意《い》を|表《へう》するために|現《あら》はれたのだな。コレハコレハ|山上《さんじやう》の|御婦人《ごふじん》、|山《やま》の|神様《かみさま》、|出迎《でむか》ひ|大儀《たいぎ》でござる』
|女《をんな》『オホヽヽヽ』
|田吾作《たごさく》『コリヤ|山女《やまをんな》、|俺《おれ》を|誰《たれ》だと|心得《こころえ》て|居《ゐ》る。|七尺《しちしやく》の|男子《だんし》が|物申《ものまを》して|居《ゐ》るのに、|無礼千万《ぶれいせんばん》にも|吾々《われわれ》を|冷笑《れいせう》いたすとは|怪《け》しからぬ|代物《しろもの》だ。|汝《なんぢ》は|何《なん》といふ|魔神《まがみ》であるか。あり|体《てい》に|申上《まをしあ》げろ。|愚図々々《ぐづぐづ》|致《いた》せば|此《こ》の|鉄腕《てつわん》が|承知《しようち》を|致《いた》さぬぞ』
|女《をんな》『オホヽヽヽ』
|赤児《あかご》『フギア フギア フギア』
|田吾作《たごさく》『|宗彦《むねひこ》さま、|原彦《はらひこ》さま、チツト|加勢《かせい》して|下《くだ》さらぬか。|随分《ずゐぶん》|怪《あや》しい|代物《しろもの》ですがなア』
|宗彦《むねひこ》『|最前《さいぜん》からお|前《まへ》の|歌《うた》を|聞《き》いて|居《を》れば、|随分《ずゐぶん》|豪勢《がうせい》なものだつた。|何事《なにごと》も|自分《じぶん》でなければ|出来《でき》ないやうな|業託《ごふたく》を|列《なら》べたぢやないか』
|田吾作《たごさく》『|業託《ごふたく》は|業託《ごふたく》として|此《この》|際《さい》|一臂《いつぴ》の|補助《ほじよ》を|願《ねが》はねば、|言霊《ことたま》|会社《くわいしや》も|経営難《けいえいなん》に|陥《おちい》り、|破産《はさん》の|運命《うんめい》に|瀕《ひん》するかも|分《わか》りませぬ。どうぞ|嘘八百株《うそはつぴやくかぶ》ほど|持《も》つて|下《くだ》さらぬか。さうして|原彦《はらひこ》さまには|代言《だいげん》|三百株《さんびやくかぶ》ほど|御願《おねが》ひします』
|宗彦《むねひこ》『アハヽヽヽ』
|原彦《はらひこ》『ウフヽヽヽ』
|女《をんな》『オホヽヽヽ』
|赤児《あかご》『フギア フギア フギア』
|田吾作《たごさく》『エー|貴様等《きさまら》は|泣《な》いたり、|笑《わら》うたり|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にするのか。|貴様《きさま》が|泣笑《なきわら》ひで|責《せ》めるなら|俺《おれ》は|怒《おこ》りの|言霊《ことたま》だ。【おこり】といふものは|間歇性《かんけつせい》の|病気《びやうき》で、|隔日《かくじつ》に|来《く》るものだが、|俺《おれ》は|毎日《まいにち》|毎晩《まいばん》|【確実】《かくじつ》に|責《せ》めてやるから、|左様《さう》|思《おも》へ』
|女《をんな》『オホヽヽヽ』
|赤児《あかご》『フギア フギア フギア』
|田吾作《たごさく》『エー|又《また》|泣《な》いたり|笑《わら》つたり、|此《こ》の|結構《けつこう》な|神国《しんこく》に|生《うま》れて、|泣《な》いたり|笑《わら》つたりする|奴《やつ》があるか。|謹《つつし》み|畏《かしこ》み|真面目《まじめ》になつて|御神恩《ごしんおん》を|感謝《かんしや》せぬかい』
|宗彦《むねひこ》『モシモシ|御女中《おぢよちう》、|斯様《かやう》な|処《ところ》に|赤《あか》ん|坊《ばう》を|抱《だ》いて|現《あら》はれ|給《たま》うたのは、|何《いづ》れの|神様《かみさま》でございますか。どうぞ|御名《みな》を|名告《なの》り|下《くだ》さいませ』
|田吾作《たごさく》『エー|宗彦《むねひこ》の|宣伝使《せんでんし》、|何《なに》を|恍《とぼ》けてござるのだ。|此奴《こいつ》は|三国ケ嶽《みくにがだけ》の|古狐《ふるぎつね》だ。|古狐《ふるぎつね》に|御丁寧《ごていねい》な|敬《うやま》ひ|言葉《ことば》を|使《つか》ふといふ|事《こと》がありますか。|大方《おほかた》|眉毛《まゆげ》を|読《よ》まれて|了《しま》つたのでせう。アア|御用心《ごようじん》|御用心《ごようじん》』
と|言《い》ひつつ|頻《しき》りに|眉《まゆ》に|唾《つばき》を|指尖《ゆびさき》で|発送《はつそう》してゐる。
|田吾作《たごさく》『アー|留公《とめこう》は|予《かね》ての|計画《けいくわく》を|忘《わす》れ|居《を》つたか。なんぼ|待《ま》つて|居《を》つても|現《あら》はれてはくれず、|力《ちから》に|思《おも》ふ|宣伝使《せんでんし》は|狐《きつね》につままれる。|何程《なにほど》|智謀《ちぼう》|絶倫《ぜつりん》の|俺《おれ》でも、マア|二人《ふたり》の|気違《きちが》ひを|看病《かんびやう》し|乍《なが》ら|敵地《てきち》に|進《すす》むことは|出来《でき》ない。|誰《たれ》か|出《で》て|来《き》て|此《この》|足手纏《あしてまと》ひの|気違《きちが》ひを|引留《ひきと》めてくれるものがあるまいかなア。|近《ちか》くに|癲狂院《てんきやうゐん》があれば|入院《にふゐん》させたいものだが、|深山《しんざん》の|事《こと》とて、|仰天院《ぎやうてんゐん》ばかりで|精神病院《せいしんびやうゐん》らしいものも|無《な》し、|何《ど》うしたらよからう。|無線《むせん》|電話《でんわ》をかけて|言依別《ことよりわけ》|様《さま》の|応援《おうゑん》を|願《ねが》ふ|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、アヽ|困《こま》つた|破目《はめ》になつたものだ。イヤア|待《ま》て|待《ま》て、これから|無言霊話《むげんれいわ》をかけて|留公《とめこう》を|呼《よ》んでやらう』
|女《をんな》は|大《おほ》きな|臀《しり》をクレツと|捲《まく》つて|見《み》せた。|熊《くま》のやうな|真黒《まつくろ》の|毛《け》を|一面《いちめん》に|生《はや》し、|見《み》る|見《み》る|間《うち》に|上半身《じやうはんしん》は|純白《じゆんぱく》となり、|後半身《こうはんしん》は|純黒《じゆんこく》の|獣《けもの》となつてガサリガサリと|歩《あゆ》み|出《だ》し、|三間《さんげん》|程《ほど》|行《い》つてはギヨロツと|後《うしろ》を|向《む》き、|又《また》|三間《さんげん》|程《ほど》|行《い》つてはギロリツと|振向《ふりむ》き、|幾十回《いくじつくわい》とも|無《な》く|繰返《くりかへ》し|乍《なが》ら|山上《さんじやう》|目蒐《めが》けて|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
|田吾作《たごさく》『どうですか、|宗彦《むねひこ》さま、|原彦《はらひこ》さま、|天眼通《てんがんつう》も|此処《ここ》まで|応用《おうよう》|出来《でき》れば|結構《けつこう》なものでせう。|無言霊話《むげんれいわ》を|高天原《たかあまはら》へかけたところ、|忽《たちま》ち|数万《すうまん》の|神軍《しんぐん》|此処《ここ》に|現《あら》はれ|給《たま》ひしその|御威勢《ごゐせい》に|怖《おそ》れ、さしもに|兇暴《きようばう》なる|曲神《まがかみ》も、|目《め》も|身体《からだ》も|白黒《しろくろ》させて|正体《しやうたい》を|露《あら》はし|遁《に》げて|行《い》つたでせう。これでも|田吾作《たごさく》が|命令《めいれい》を|聞《き》きませぬか』
|宗彦《むねひこ》『それは、まぐれ|当《あた》りだよ。お|前《まへ》は|未《ま》だ|宣伝使《せんでんし》の|肩書《かたがき》がないのだから、|何《なん》と|云《い》つても|表面《おもて》に|通《とほ》らない。|腐《くさ》つても|鯛《たひ》だ、|名《な》は|実《じつ》の|主《しゆ》だから|矢張《やつぱ》り|宣伝使《せんでんし》と|云《い》ふ|名《な》に|怖《おそ》れて、|悪魔《あくま》が|正体《しやうたい》を|露《あら》はしたのだ。|如何《いか》に|悪魔《あくま》だつて|名《な》も|無《な》き|奴等《やつら》に|降伏《かうふく》するものか、|無名《むめい》の|人物《じんぶつ》に|降伏《かうふく》するやうなことでは、|悪魔《あくま》の|体面《たいめん》に|関《くわん》するからなア』
|田吾作《たごさく》『アハヽヽヽ、よう|仰有《おつしや》いますワイ、|宣伝使《せんでんし》のレツテル|一枚《いちまい》|位《くらゐ》を|金城鉄壁《きんじやうてつぺき》と|頼《たの》んで、|何事《なにごと》もそれでやつて|行《い》かうと|云《い》ふのは|実《じつ》に|無謀《むぼう》だ、|無恥《むち》だ、|依頼心《いらいしん》を|極端《きよくたん》に|発揮《はつき》したものだなア。|宣伝使《せんでんし》なんかは|地《ち》の|高天原《たかあまはら》から|紙《かみ》|一枚《いちまい》|下《くだ》つて|来《き》たが|最後《さいご》、|直《すぐ》に|首落《くびお》ちになるのだからなア。
|宗彦《むねひこ》
一、|此《この》|度《たび》の|三国ケ嶽《みくにがだけ》の|言向戦《ことむけせん》に|不都合《ふつがふ》の|廉《かど》|有之《これある》を|以《もつ》て、|評議《へうぎ》の|上《うへ》|其《その》|職《しよく》を|免《めん》ずべきもの|也《なり》。
|言依別命《ことよりわけのみこと》
とこれだけだ。あんまり|肩書《かたがき》を|力《ちから》にして|貰《もら》ふまいかい。それよりも|腹《はら》の|中《なか》の|第一鬼《だいいちおに》を|征服《せいふく》し、|本守護神《ほんしゆごじん》|即《すなは》ち|天人《てんにん》の|御発動《ごはつどう》を|御祈願《ごきぐわん》するのが|一等《いつとう》だ』
|宗彦《むねひこ》『よう|小理屈《こりくつ》を|囀《さへづ》る|男《をとこ》だなア。|私《わし》も|妹《いもうと》の|婿《むこ》に|百舌鳥《もず》や|燕《つばめ》を|持《も》つたかと|思《おも》へば|残念《ざんねん》だワイ、アハヽヽヽ』
|原彦《はらひこ》『モシモシ|貴方等《あなたがた》は|義理《ぎり》の|兄弟《きやうだい》ぢやありませぬか、|見《み》つともない、|喧嘩《けんくわ》はお|止《よ》しなさいませ。|兄弟《けいてい》|墻《かき》に|鬩《せめ》ぐとも|外《ほか》|其《その》|侮《あなど》りを|防《ふせ》ぐと|云《い》ふことぢやありませぬか。|喧嘩《けんくわ》したければ|家《いへ》へ|帰《かへ》つて、いくらでも|御《お》やりなさい。|此処《ここ》は|敵前《てきぜん》|否《いな》|敵《てき》の|領地《りやうち》へ|這入《はい》つて|来《き》て|居《を》るのですからなア』
|田吾作《たごさく》『|敵地《てきち》は|敵地《てきち》、|喧嘩《けんくわ》は|喧嘩《けんくわ》、|兄弟《きやうだい》は|兄弟《きやうだい》と|区別《くべつ》を|立《た》てねば、|国政《こくせい》|整理上《せいりじやう》|都合《つがふ》が|悪《わる》い。|何《なに》も|彼《か》もゴモク|飯《めし》のやうに|混同《こんどう》されては、|社会《しやくわい》の|秩序《ちつじよ》が|紊《みだ》れて|了《しま》ふ。|総《すべ》て|分業的《ぶんげふてき》になつて|来《き》た|文明《ぶんめい》の|世《よ》の|中《なか》だ。|兄弟《きやうだい》は|他人《たにん》の|始《はじ》まりと|云《い》ふ|事《こと》があるが、|私《わし》の|兄弟《きやうだい》は|一種《いつしゆ》|特別《とくべつ》だ、|他人《たにん》は|兄弟《きやうだい》の|始《はじ》まりとなつたのだからなア、アハヽヽヽ』
|宗彦《むねひこ》『もう|好《い》い|加減《かげん》に|猫《ねこ》【じやれ】の|様《やう》な|喧嘩《けんくわ》は|止《や》めようかい。|花《はな》ばつかり|咲《さ》かして|居《ゐ》る|山吹《やまぶき》では|仕方《しかた》がない。サアこれからが|戦場《せんぢやう》だ』
|原彦《はらひこ》は|心配相《しんぱいさう》な|顔《かほ》をして、
|原彦《はらひこ》『|田吾作《たごさく》さま、あの|通《とほ》り|宣伝使《せんでんし》が|仰有《おつしや》るのだから、お|前《まへ》も|今《いま》|暫《しばら》く|沈黙《ちんもく》して|下《くだ》さい。|最前《さいぜん》から|矢釜敷《やかまし》う|仰有《おつしや》つた|彼《あ》の|不言実行《ふげんじつかう》とやらを、|何処《どこ》へ|落《おと》しなさつたのか』
|田吾作《たごさく》『|目下《もくか》|熟考中《じゆくかうちう》だ。さう|八釜敷《やかまし》う|云《い》つてくれない。|何程《なんぼ》、|普賢菩薩《ふげんぼさつ》の|俺《おれ》でも、|俄《にはか》にさう|奇智《きち》|名案《めいあん》が|湧《わ》くものではない。|今《いま》|心《こころ》の|畑《はたけ》に|智慧《ちゑ》の|種子《たね》を|蒔《ま》いたところだから、せめて|十日《とをか》や|二十日《はつか》|待《ま》つてくれないと、|蕪《かぶら》とも|菜種《なたね》とも|見当《けんたう》がつかぬ|哩《わい》。アハヽヽヽ』
と|他愛《たあい》も|無《な》く|笑《わら》ひ|乍《なが》ら、|大木《たいぼく》の|根《ね》に|腰《こし》をかけて|横臥《わうぐわ》する。|四辺《しへん》|暗澹《あんたん》として|天日《てんじつ》を|没《ぼつ》し、|闇《やみ》の|帳《とばり》は|固《かた》く|閉《とざ》された。|深山《しんざん》の|常《つね》として|猛獣《まうじう》の|吼《たけ》り|狂《くる》ふ|声《こゑ》、|天狗《てんぐ》の|木《き》を|捻折《ねぢを》るが|如《ごと》き|怪《あや》しの|物音《ものおと》、|間断《かんだん》|無《な》く|聞《きこ》えて|来《く》る。|原彦《はらひこ》は|此《こ》の|物凄《ものすご》き|声《こゑ》に|肝《きも》を|奪《うば》はれ、|声《こゑ》をも|立《た》て|得《え》ずビリビリと|慄《ふる》ひ|上《あが》り、|田吾作《たごさく》の|袖《そで》を|確《しつか》と|握《にぎ》り|小声《こごゑ》にて、
|原彦《はらひこ》『オイ|田吾作《たごさく》、コリヤ|何《ど》うなるのだらう。|随分《ずゐぶん》|気分《きぶん》が|悪《わる》い|事《こと》はエーないぢやないか』
|田吾作《たごさく》『そうだ、あまり|気分《きぶん》がよくない|事《こと》はない|哩《わい》。|併《しか》し|吾々《われわれ》の|小宇宙《せううちう》に|変動《へんどう》を|来《きた》し、|震災《しんさい》の|厄《やく》に|見舞《みま》はれて|居《ゐ》る|所《ところ》だなア』
|原彦《はらひこ》『さう|高《たか》い|声《こゑ》で|言《い》つてくれな。|宣伝使《せんでんし》が|目《め》を|開《あ》けて|聞《き》かれたら|態《ざま》が|悪《わる》いワ』
|田吾作《たごさく》『|態《ざま》が|悪《わる》いなんて、よう|吐《ぬか》すなア。|貴様《きさま》の|旧悪《きうあく》は【みんな】|宣伝使《せんでんし》の|前《まへ》で、【うつつ】になつて|喋《しやべ》つたのだから、|今《いま》になつてそんな【テレ】|隠《かく》しをしたつて|駄目《だめ》だよ。|随分《ずゐぶん》|昔《むかし》は|悪人《あくにん》だつたなア。|俺《おれ》が|愛宕山《あたごやま》を|越《こ》えて|結構《けつこう》な|黄色《わうしよく》の|宝玉《ほうぎよく》を|懐《ふところ》に|持《も》ち、|保津《ほづ》の|里《さと》|迄《まで》やつて|来《く》ると、|森蔭《もりかげ》から|頬被《ほうかむ》りをしてヌーと|現《あら》はれた|奴《やつ》は|誰《たれ》だつたいのー。|随分《ずゐぶん》|彼処《あこ》も|此処《ここ》も|劣《おと》らぬ|凄《すご》い|所《ところ》だつたねー。さうして|何々《なになに》とか|云《い》ふ|腹《はら》の|悪《わる》い|男《をとこ》が|俺《おれ》の|玉《たま》を|嗅《かぎ》つけ、|腹《はら》をペコペコ、|鼻《はな》をピコピコ、【ハラ】ハラ【ヒコ】ヒコさせ|乍《なが》ら|現《あら》はれて|来《き》やがつて「モーシモーシ|旅《たび》の|御方《おかた》、|私《わたくし》は|此《この》|辺《へん》の|猟人《かりうど》でございます。|最前《さいぜん》からの|雨《あめ》に|火繩《ひなは》も|湿《しめ》り、|困難《こんなん》を|致《いた》して|居《を》りますれば、どうぞ|提灯《ちやうちん》の|火《ひ》を|御貸《おか》し|下《くだ》さいませ」と|出《で》て|来居《きを》つたのだ。さうすると|田吾作《たごさく》と|云《い》ふ|旅人《たびびと》が「ハテ|心得《こころえ》ぬ、|此《こ》の|淋《さび》しき|山道《やまみち》の、しかも|森林《しんりん》の|中《なか》より|狩人《かりうど》が|現《あら》はれるとは|合点《がてん》が|行《ゆ》かぬ。|昼《ひる》ならば|兎《と》も|角《かく》、|夜分《やぶん》に|猪《しし》が|目《め》につく|筈《はず》はない。こんな|不合理《ふがふり》なことを|言《い》ふ|奴《やつ》は、|確《たし》かに|猪《しし》の|猟夫《れふし》ではなからう。|懐《ふところ》の|我《わ》が|玉《たま》を|猟《れふ》する|曲者《くせもの》か、|但《ただし》は|追剥《おひはぎ》か」と|流石《さすが》の|奇智《きち》|神謀《しんぼう》に|富《と》んだ|旅人《たびびと》は|稍《やや》|躊躇《ちうちよ》の|態《てい》であつた』
|原彦《はらひこ》『オイオイそんなことを|言《い》ふものぢやない。もう|好《よ》い|加減《かげん》に|止《や》めてくれ』
|田吾作《たごさく》『マア|好《い》いぢやないか。|此《こ》の|夜《よ》の|長《なが》いのに、ちつと|言《い》はしてくれ、|口《くち》に|虫《むし》が|湧《わ》く|哩《わい》。エー|一寸《ちよつと》|五分間《ごふんかん》|休息《きうそく》を|致《いた》しました。お|客様方《きやくさまがた》|御待《おま》たせをして|済《す》みませぬ。これから|前段《ぜんだん》の|引続《ひきつづ》きを|一席《いつせき》|講演《かうえん》|致《いた》しまして|御高聞《ごかうぶん》に|達《たつ》します』
|原彦《はらひこ》『さう|昔《むかし》の|事《こと》を|思《おも》ひ|出《だ》し、|心気《しんき》|昂奮《かうふん》させた|所《ところ》が|仕方《しかた》がないぢやないか。もう|好《よ》い|加減《かげん》に|止《や》めて|欲《ほ》しいものだなア』
|田吾作《たごさく》『|俺《おれ》のは|天下《てんか》の|公憤《こうふん》だよ。|決《けつ》してお|前《まへ》に|対《たい》して|私憤《しふん》を|洩《も》らすのぢやない。|又《また》お|前《まへ》と|俺《おれ》との|話《はなし》でも|何《なん》でも|無《な》い。|過《す》ぎし|昔《むかし》の|夢物語《ゆめものがたり》で、|決《けつ》して|俺《おれ》の|腹《はら》も|原彦《はらひこ》も|悪《わる》いのぢやない。お|前《まへ》はこんな|事《こと》を|聞《き》くと、むかついて|宗彦《むねひこ》が|悪《わる》くなるだらうが、これも|時《とき》の|廻《まは》り|合《あは》せだ。|忍耐《にんたい》は|幸福《かうふく》の|基《もと》だから、|忍耐《にんたい》をして|面白《おもしろ》い|話《はなし》を|聞《き》くのだよ。……|時《とき》しもあれや|怪《あや》しき|何者《なにもの》かの|足音《あしおと》がする。よくよく|見《み》れば|一頭《いつとう》の|手負《てお》ひ|猪《じし》だ。|猟夫《れふし》と|名乗《なの》つた|男《をとこ》は|忽《たちま》ち|肝《きも》を|潰《つぶ》し、キヤツと|声《こゑ》を|立《た》て|旅人《たびびと》の|身体《からだ》に【しがみ】ついた。|旅人《たびびと》は|心《こころ》の|中《なか》に|思《おも》ふやう。|四足《よつあし》の|一匹《いつぴき》|位《くらゐ》に|胆《きも》を|潰《つぶ》すやうな|奴《やつ》だから、まさか|悪人《あくにん》ではあるまいと|哀憐《あいれん》の|情《じやう》が|勃然《ぼつぜん》として、|心中《しんちう》に|萠芽《はうが》し……』
|原彦《はらひこ》『そんなむづかしい|事《こと》を|云《い》つて、|解《わか》るものかい』
|田吾作《たごさく》『|解《わか》らぬのは|有難《ありがた》いのだぞ。|坊主《ばうず》のお|経《きやう》だつて、ダダブダ ダダブダと|拍子《へうし》の|抜《ぬ》けた|声《こゑ》でずるずるべつたりに|棒読《ぼうよ》みにするから、|人間《にんげん》に|解《わか》らぬから|有難《ありがた》いやうなものだ。お|経《きやう》といふものは|不可解《ふかかい》なのが|調法《てうはふ》なのだ。|俺《おれ》のも|少《すこ》し|和讃《わさん》【じみ】て|居《を》るが、これでも|新奇《しんき》|流行《りうかう》のアホダラ|経《きやう》を|聞《き》くと|思《おも》うて|聞《き》いて|見《み》よ。|随分《ずゐぶん》|利益《りえき》があるぞ。|第一《だいいち》|怖《おそ》ろしいと|云《い》ふ|観念《かんねん》を|忘《わす》れ、|夜《よ》が|長《なが》いと|云《い》ふ|苦《くる》しみを|其《その》|間《あひだ》だけなつと|救《すく》はれるのだ。|此《この》|位《くらゐ》|現当利益《げんたうりやく》の|御蔭《おかげ》はありませぬ。|併《しか》し|此《この》|内《うち》に|一人《ひとり》|位《くらゐ》は|耳《みみ》に|応《こた》へる|優婆塞《うばそく》があるかも|知《し》れぬ。それも|修行《しうぎやう》だと|思《おも》つて|聞《き》いて|居《を》れば|遂《つひ》に|習慣性《しふくわんせい》となり、|初《はじ》めには|耳《みみ》についた|汽車《きしや》の|音《おと》が、|終《しま》ひには|何《なん》ともないやうになるのと|同《おな》じことだ。マア|辛抱《しんばう》してお|日《ひ》|待《ま》ちの|説教《せつけう》を|聞《き》くと|思《おも》つて|聞《き》くがよいワ』
|宗彦《むねひこ》『アーア|喧《やかま》しいなア。|何《なに》をヒソビソとお|前達《まへたち》は|言《い》つて|居《ゐ》るのだ。|黙《だま》つて|寝《ね》ないか。|最前《さいぜん》から|聞《き》いて|居《を》れば|猟夫《れふし》がどうしたの、|斯《か》うしたのと|仕様《しやう》も|無《な》い|昔話《むかしばな》しを|持《も》ち|出《だ》して、|乞食《こじき》|坊主《ばうず》のホイト|節《ぶし》のやうなことを|云《い》つてゐたぢやないか。|好《よ》い|加減《かげん》に|寝《ね》え|寝《ね》え。|又《また》|明日《あす》|大活動《だいくわつどう》をやらねばならぬから|肉体《にくたい》の|休養《きうやう》が|肝腎《かんじん》だ』
|原彦《はらひこ》『|宣伝使《せんでんし》さま、|何《なん》と|云《い》つても|田吾《たご》さまが、|耳《みみ》の|痛《いた》いことを|喋《しやべ》るのですもの、チツト|叱《しか》つて|下《くだ》さいな』
|宗彦《むねひこ》は|早《はや》くも|眠《ねむ》りに|就《つい》たと|見《み》えて|何《なん》の|応答《いらへ》も|無《な》い。
|田吾作《たごさく》『そーれから、そーれから、
|〓《ゑゝ》、|鱧《はも》、|鰈《かれひ》、|矢柄《やがら》(エーはばかり|乍《なが》ら)  |無精山《ぶしやうざん》|道楽寺《だうらくじ》ナマ|臭《ぐさ》|厄介《やくかい》|坊主《ばうず》の
|自堕落上人《じだらくしやうにん》|御招待《ごせうたい》に|預《あづか》りました  |抑《そもそ》も|愚僧《ぐそう》が|万国《ばんこく》|修行《しうぎやう》の|根元《こんげん》
|戒行《かいぎやう》、|難行《なんぎやう》、|苦行《くぎやう》、|故郷《こきやう》の  |住《す》めば|都《みやこ》を|後《あと》に|愛宕《あたご》の|山《やま》を|乗《の》り|越《こ》えて
|闇《やみ》を|冒《をか》してスタスタと  |保津《ほづ》の|里《さと》までやつて|来《き》ました
|時《とき》しもあれや|森蔭《もりかげ》に  |七尺《しちしやく》|有余《いうよ》の|荒男《あらをとこ》
|現《あら》はれ|出《い》でて|皺嗄《しわが》れた  |声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げコレコレモーシ|旅《たび》の|人《ひと》
|提灯《ちやうちん》の|明《あ》かり|貸《か》して|下《くだ》さんせ  |聞《き》いて|旅人《たびびと》|立止《たちと》まり
|此《こ》の|闇黒《くらがり》に|提灯《ちやうちん》の  |火《ひ》が|欲《ほ》しい|奴《やつ》は|何者《なにもの》ぞ
|夏《なつ》の|夕《ゆふ》べの|火取虫《ひとりむし》か  |飛《と》んで|火《ひ》に|入《い》り|身《み》を|焼《や》いて
|死《し》んで|了《しま》ふのを|知《し》らないか  そんな|馬鹿《ばか》な|事《こと》|止《よ》せ|止《よ》せと
|後《あと》をも|見《み》ずに|進《すす》み|行《ゆ》く  |性凝《しやうこ》りも|無《な》く|怪《あや》しの|男《をとこ》
オツトどつこい|一寸《ちよつと》|違《ちが》うた  |折《をり》から|猪《しし》|奴《め》が|飛《と》んで|来《き》た
|怪《あや》しの|男《をとこ》は|驚《おどろ》いて  |猿《ましら》のやうな|声《こゑ》を|上《あ》げ
キヤツキヤと|言《い》うてしがみつく  |此奴《こいつ》はよつぽど|弱虫《よわむし》と
|心《こころ》を|許《ゆる》して|道伴《みちづ》れに  なつてやつたがわが|不覚《ふかく》
|大井《おほゐ》の|川《かは》の|袂《たもと》まで  |来《きた》る|折《をり》しも|其奴《そやつ》めが
コレコレモーシ|旅《たび》の|人《ひと》  お|前《まへ》の|懐中《くわいちう》に|光《ひか》るもの
|一寸《ちよつと》|私《わたし》に|貸《か》してくれ  |貸《か》さな|斯《か》うぢやと|高飛車《たかびしや》に
|拳固《げんこ》をかためて|攻《せ》め|寄《よ》せる  |此方《こなた》も|痴者《しれもの》【ひつ】ぱづし
|腕首《うでくび》|掴《つか》んで|中天《ちうてん》に  |力《ちから》を|籠《こ》めて|投《な》げやれば
|空中《くうちう》の|舞《まひ》を|舞《ま》ひ|納《をさ》め  |遥《はるか》|向方《むかう》の|川中《かはなか》へ
はまつて|死《し》んだと|思《おも》ひきや  |蛙《かはづ》のやうな|態《ざま》をして
|草《くさ》の|中《なか》からガサガサと  やつて|来居《きを》つて|旅人《たびびと》が
|胸倉《むなぐら》グツト|引掴《ひつつか》み  |川《かは》へザンブと|投《ほ》り|込《こ》んだ
|怪《あや》しの|男《をとこ》は|肝腎《かんじん》の  |玉《たま》が|無《な》いので|力《ちから》|抜《ぬ》け
|青《あを》い|顔《かほ》してノソノソと  |疵《きず》|持《も》つ|足《あし》の|何処《どこ》となく
|帰《かへ》つて|行《い》たが|其《そ》の|跡《あと》は  |何処《どこ》かの|松《まつ》の|並木原《なみきはら》
|根元《ねもと》に|埋《う》められ|肥料《こえ》となり  くたばりしかと|思《おも》ふうち
|明石峠《あかしたうげ》の|麓《ふもと》なる  |小《ちひ》さい|村《むら》の|離《はな》れ|家《や》の
|首《くび》をおつるが|婿《むこ》となり  【ハラ】ハラし|乍《なが》ら|十五年《じふごねん》
|胸《むね》も【ヒコ】ヒコ|十五年《じふごねん》  |終《つひ》には|病《やまひ》を|惹《ひ》き|起《おこ》し
|明日《あす》をも|知《し》れぬ|難儀《なんぎ》の|場《ば》  |三五教《あななひけう》の|宗彦《むねひこ》が
|留公《とめこう》、|田吾作《たごさく》|両人《りやうにん》の  |立派《りつぱ》な|家来《けらい》を|引伴《ひきつ》れて
お|出《い》でましたるその|御《お》かげ  ケロリと|癒《なほ》つた|人足《にんそく》が
|今《いま》は|三国《みくに》の|山《やま》|登《のぼ》り  |猛獣《まうじう》|毒蛇《どくじや》の|唸《うな》り|声《ごゑ》
|聞《き》いてブルブル|慄《ふる》て|居《ゐ》る  アヽ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い
エー|無精山《ぶしやうざん》|道楽寺《だうらくじ》  なまぐさ|厄介《やくかい》|坊主《ばうず》の|自堕落上人《じだらくしやうにん》が
|此《こ》の|所《ところ》に|現《あら》はれまして  |諸行無常《しよぎやうむじやう》や|是生滅法《ぜしやうめつぽふ》
やがて|寂滅為楽《じやくめつゐらく》の|愁歎場《しうたんば》  ブツブツ|唱《とな》へ|奉《たてまつ》る
チヤカポコ チヤカポコ ポコポコポコ』
|此《この》|時《とき》|一寸先《いつすんさき》も|見《み》えぬ|闇黒《くらがり》の|中《なか》より|聞《き》き|慣《な》れぬ|妙《めう》な|鼻声《はなごゑ》|交《まじ》りの|婆《ばば》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》た。
|婆《ばば》『ハテ|訝《いぶ》かしやな、|俺《わし》は|三国ケ嶽《みくにがだけ》の|鬼婆《おにばば》である。|今日《けふ》|三五教《あななひけう》の|身魂《みたま》の|研《みが》けた|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》が、|当山《たうざん》へわれを|退治《たいぢ》せむと|企《くはだ》て、|上《のぼ》り|来《きた》ると|聞《き》き、これこそ|天《てん》の|時節《じせつ》の|到来《たうらい》と|喉《のど》を|鳴《な》らして|待《ま》つてゐた。|蛙《かはづ》や【くちなは】はモウ|喰《く》ひ|飽《あ》いた。|赤児《あかご》も|最早《もはや》|飽《あ》いて|来《き》た。|宗彦《むねひこ》と|云《い》ふ|奴《やつ》、|魂《みたま》の|綺麗《きれい》な|奴《やつ》と|聞《き》いた|故《ゆゑ》、|噛《か》ぶつて|喰《く》うたら|甘《うま》からうと、|此《この》|間《あひだ》から|楽《たの》しんで|待《ま》つてゐた。どうやらこれが|宗彦《むねひこ》らしい。さうして|二人《ふたり》の|奴《やつ》は、どれもこれも|口《くち》ばつかり|大《おほ》きい|奴《やつ》で、ちよつとも|実《み》のない|奴《やつ》だ。|三匹《さんびき》が|三匹《さんびき》とも、よう|斯《こ》んなガラクタが|揃《そろ》うたものだ。アー【あて】が|違《ちが》うた。この|年寄《としより》が|足許《あしもと》の|見《み》えぬやうな|闇黒《くらがり》をうまい|餌食《ゑじき》があると|思《おも》つて|出《で》て|来《き》たのに、|薩張《さつぱ》り|梟鳥《ふくろどり》の|宵企《よひだく》み、|夜食《やしよく》に|外《はづ》れたやうなものだ。それでも|尻《しり》の|傍《はた》には、|少《すこ》し|甘《うま》さうな|肉《み》が|付《つ》いて|居《ゐ》るだらうから、これなつと|喰《く》てやらうかな』
|田吾作《たごさく》『コリヤ|婆《ばば》のやうな|声《こゑ》を|出《だ》しやがつて、|何《なに》を|吐《ぬか》すのだ。|尻《しり》なつと|喰《くら》へ、|貴様《きさま》がそんな|作《つく》り|声《ごゑ》をしたつて、|田吾作《たごさく》さんはよく|知《し》つて|居《ゐ》るのだ。まだ|貴様《きさま》の|出《で》る|幕《まく》ぢやないぞ。|気《き》の|利《き》いた|化物《ばけもの》はモウ|足《あし》を|洗《あら》つて|寝《ね》る|時分《じぶん》だ。|言依別命《ことよりわけのみこと》さまに|願《ねが》つた|事《こと》を|早《はや》く|往《い》つて|計画《けいくわく》せぬかい。|馬鹿《ばか》だなア、|陰謀《いんぼう》|発覚《はつかく》の|虞《おそれ》があるぞ。|化《ばけ》るならモツと|仮声《こわいろ》を|上手《じやうず》に|使《つか》へ。|留《とめ》……イヤウーン|留度《とめど》も|無《な》く|馬鹿《ばか》ばつかり|垂《た》れやがつて、|何処《どこ》の|呆《はう》け|曲津《まがつ》だ。|愚図々々《ぐづぐづ》|致《いた》すと|承知《しようち》せぬぞ』
|原彦《はらひこ》は|又《また》|小声《こごゑ》で、
|原彦《はらひこ》『オイ|田吾作《たごさく》さま、|相手《あひて》になるな。あんな|化物《ばけもの》に|此《こ》の|闇黒《くらがり》で|相手《あひて》になつたとこで、どうすることも|出来《でき》ぬぢやないか』
|田吾作《たごさく》『|八釜敷《やかまし》う|云《い》ふない。|俺《おれ》の|言霊《ことたま》を|留公《とめこう》……オツトどつこい|留《と》めようとしたつて、|斯《か》う|馬力《ばりき》がかかつてからは、|容易《ようい》に|止《と》まるものぢやないワ』
|留公《とめこう》『|田吾作《たごさく》、|原彦《はらひこさま》、|宗彦様《むねひこ》|様《さま》、|又《また》|明日《あす》|御目《おめ》にかからう。|頭《あたま》から|岩窟《いはや》の|婆《ばば》が|塩《しほ》つけて|噛《か》ぶつてやらう。それを|楽《たの》しんで|居《を》つたがよからう』
|宗彦《むねひこ》『あの|声《こゑ》は|婆《ばば》の|声《こゑ》のやうでもあり、|鼻声《はなごゑ》だが|何処《どこ》ともなしに|留公《とめこう》に|似《に》たとこがあるぢやないか、ナア|田吾作《たごさく》さま』
|田吾作《たごさく》『マア|何《なん》でもよろしい|哩《わい》。|何《いづ》れ|明日《あす》になつたら|解《わか》りませう。サアサアモー|一寝入《ひとねい》り』
と|横《よこ》になり、|喋《しやべ》り|草臥《くたび》れて|他愛《たあい》もなく|寝込《ねこ》んで|了《しま》つた。
|宗彦《むねひこ》も|亦《また》|寝《しん》に|就《つ》く。|原彦《はらひこ》は|時々《ときどき》|怪《あや》しき|声《こゑ》の|響《ひび》き|来《きた》るに|脅《おびや》かされ、|二人《ふたり》の|中《なか》に|挟《はさ》まつて|一睡《いつすゐ》も|得《え》せず、|一夜《いちや》を|明《あ》かしける。
(大正一一・五・一四 旧四・一八 外山豊二録)
第一一章 |鬼婆《おにばば》〔六七三〕
|夜《よ》は|漸《やうや》くに|明《あ》け|離《はな》れ、|木《こ》の|間《ま》に|囀《さへづ》る|諸鳥《もろとり》の|声《こゑ》に|送《おく》られて、|三人《さんにん》は|足《あし》に|任《まか》せて|進《すす》み|行《ゆ》く。|大岩窟《だいがんくつ》を|背景《はいけい》に|茅葺《かやぶ》き|屋根《やね》の|三四十《さんしじふ》、|軒《のき》を|並《なら》べて|立《た》つて|居《ゐ》る。
|田吾作《たごさく》『サア、とうとう|三国ケ岳《みくにがだけ》の|鬼婆《おにばば》の|大都会《だいとくわい》が|見《み》えて|来《き》た。|戸数《こすう》|無慮《むりよ》|三十余万《さんじふよまん》、|人口《じんこう》|殆《ほとん》ど|嘘八百万《うそはつぴやくまん》と|云《い》ふ、|一大都会《いちだいとくわい》だ。|大分《だいぶん》に|俺達《おれたち》も|足《あし》が|変《へん》になつたから、|定《さだ》めし|都会《とくわい》には|高架《かうか》|鉄道《てつだう》もあるだらうし、|自動車《じどうしや》、|電車《でんしや》の|設備《せつび》も|完全《くわんぜん》に|出来《でき》て|居《を》るだらう、|一《ひと》つ|乗《の》つて|見《み》ようかなア』
|原彦《はらひこ》、|田吾作《たごさく》の|肩《かた》を|揺《ゆす》り、
|原彦《はらひこ》『オイ、|田吾作《たごさく》さま、これからが|肝腎《かんじん》だ、|今《いま》から|呆《はう》けてどうするのだ、|確《しつか》りせぬかいな。|片方《かたはう》は|岩窟《がんくつ》にたてかけた|藁小屋《わらごや》が|三四十《さんしじふ》|並《なら》んで|居《を》るだけぢやないか、そんな|狂気《きやうき》じみた|事《こと》を|云《い》うて|呉《く》れると|俺《おれ》も|淋《さび》しうなつて|来《き》た』
|田吾作《たごさく》『アハヽヽヽ、|此処《こいつ》は|余《よ》つ|程《ぽど》|馬鹿《ばか》だなア、|一寸《ちよつと》|景気《けいき》をつけるために、|誇大的《こだいてき》に|広告《くわうこく》して|見《み》たのだ。|蛇喰《へびく》ひや|蛙喰《かはづくら》ひの|半獣半鬼《はんじうはんき》の|巣窟《さうくつ》だ。これからもう|馬鹿口《ばかぐち》は|慎《つつし》んで|不言実行《ふげんじつかう》にかからう』
|宗彦《むねひこ》『お|前《まへ》たち|二人《ふたり》はいよいよ|戦場《せんぢやう》に|向《むか》つたのだから|確《しつか》りしてくれないと|困《こま》るよ。|又《また》|決《けつ》して|乱暴《らんばう》な|事《こと》はしてはならないから、|慎《つつし》んでくれ。|頭《あたま》の|三《み》つや|四《よ》つ|撲《なぐ》られた|位《くらゐ》で、|目《め》を|釣《つ》り|上《あ》げたり、|口《くち》を|歪《ゆが》めるやうでは、|此《この》|度《たび》の|御用《ごよう》は|勤《つと》まらぬから、|兎《と》に|角《かく》|忍《にん》と|云《い》ふ|字《じ》を|心《こころ》に|離《はな》さぬやうにするのだ。|忍《にん》と|云《い》ふ|字《じ》は|刃《やいば》の|下《した》に|心《こころ》だ。|敵《てき》の|刃《やいば》の|下《した》も|誠《まこと》の|心《こころ》で|潜《くぐ》つて|敵《てき》を|改心《かいしん》させるのだから、くれぐれも|心得《こころえ》てくれ』
|田吾《たご》、|原《はら》の|両人《りやうにん》は|小声《こごゑ》で『ハイハイ』と|答《こた》へながら|進《すす》んで|行《ゆ》く。|二百人《にひやくにん》|許《ばか》りの|老若男女《らうにやくなんによ》が|一《ひと》つの|部落《ぶらく》を|作《つく》つて|居《を》る。さうして|此処《ここ》の|人間《にんげん》はどれもこれも|皆《みな》|唖《おし》ばかりになつて|居《を》る。|蜈蚣姫《むかでひめ》の|鬼婆《おにばば》が|計略《けいりやく》で|篏口令《かんこうれい》を|布《し》くかはりに、|皆《みな》|茶《ちや》に|毒《どく》を|入《い》れて|呑《の》まされたものばかりだ。|恰度《ちやうど》|唖《おし》の|国《くに》へ|来《き》たも|同様《どうやう》である。|田吾作《たごさく》は|些《すこ》しも|此《この》|事情《じじやう》を|知《し》らず、|一《ひと》つの|家《いへ》に|飛《と》び|込《こ》み、
|田吾作《たごさく》『|一寸《ちよつと》、|物《もの》を|尋《たづ》ねますが、|婆《ばば》アの|館《やかた》はどう|往《い》つたら|宜敷《よろし》いかな』
|中《なか》より|四五人《しごにん》の|男女《なんによ》、ダラダラと|戸口《とぐち》に|走《はし》り|出《い》で、|不思議《ふしぎ》な|顔《かほ》をして|何《いづ》れも|口《くち》をポカンと|開《あ》けて、アヽヽヽと|唖《おし》のやうに|云《い》つて|居《ゐ》る。|田吾作《たごさく》は|声《こゑ》を|張上《はりあ》げて、
|田吾作《たごさく》『|婆《ばば》アの|所《ところ》は|何処《どこ》だと|問《と》うてゐるのだ』
|天賦《てんぷ》の|言霊器《げんれいき》と|聴声器《ちやうせいき》を|破壊《はくわい》された|一同《いちどう》は、|何《なん》の|事《こと》だか|少《すこ》しも|分《わか》らず、|唯《ただ》|口《くち》を|開《あ》けて、アヽヽヽと|叫《さけ》ぶのみである。
|田吾作《たごさく》『モシ、|宣伝使《せんでんし》さま、|何《なん》と|言《い》つても|返事《へんじ》もせず、|唯《ただ》|口《くち》を|開《あ》けてアヽヽヽと|云《い》うて|居《を》る|唖《おし》|見《み》たやうな|奴《やつ》|許《ばか》りですな、|次《つぎ》の|家《うち》へ|行《い》つて|尋《たづ》ねて|見《み》ませうか』
|宗彦《むねひこ》『お|前《まへ》に|一任《いちにん》するから、|何卒《どうか》、|私《わたし》が|当選《たうせん》するやうに|戸別《こべつ》|訪問《はうもん》をして、|清《きよ》き|一票《いつぺう》をと|丁寧《ていねい》に、お|辞儀《じぎ》に|資本《もと》は|要《い》らぬから|頼《たの》んでくれい』
|田吾作《たごさく》『|何《なん》ぼ|資本《もと》が|要《い》らぬと|云《い》つても、さうペコペコ|頭《あたま》を|下《さ》げては|頭痛《づつう》がします|哩《わい》。|【投票】《とうへう》もない|事《こと》を|仰有《おつしや》るな、|人《ひと》の|選挙《せんきよ》(|疝気《せんき》)を|頭痛《づつう》にやんで、|耐《たま》りますかい。|何程《なにほど》|気張《きば》つたつて|解散《かいさん》の|命令《めいれい》が|下《くだ》つたら、それこそ|元《もと》の|黙阿弥《もくあみ》ですよ』
|宗彦《むねひこ》『|兎《と》も|角《かく》お|前《まへ》に|一任《いちにん》する』
|田吾作《たごさく》『|承知《しようち》|致《いた》しました。|在野党《ざいやたう》と|思《おも》つて|選挙《せんきよ》|干渉《かんせう》をやらぬやうにして|下《くだ》さいや。モシモシ|此《こ》の|家《や》のお|方《かた》、|婆《ばば》アのお|住居《すまゐ》は|何処《どこ》だ、|知《し》らしてくれないか、|決《けつ》して|投票《とうへう》|乞食《こじき》ぢやないから|安心《あんしん》して|云《い》つておくれ』
|家《いへ》の|中《なか》から|又《また》もや|四五人《しごにん》の|男女《なんによ》、|怪訝《けげん》な|顔《かほ》して|門口《かどぐち》に|立《た》ち|現《あら》はれ、|口《くち》を|開《あ》けてアヽヽヽと|云《い》ふばかり。あゝ|此奴《こいつ》も|駄目《だめ》だと、|田吾作《たごさく》はまた|次《つぎ》へ|行《ゆ》く。|行《い》つても|行《い》つても、アヽ|責《ぜめ》に|遇《あ》はされて|一向《いつかう》|要領《えうりやう》を|得《え》ない。とうとう|一戸《いつこ》も|残《のこ》らず|戸口《ここう》|調査《てうさ》を|無事《ぶじ》|終了《しうれう》して|仕舞《しま》つた。されど|何《なん》の|得《う》る|所《ところ》もなく、|婆《ばば》アの|姿《すがた》も|見当《みあた》らなかつた。
|三人《さんにん》は|是非《ぜひ》なく|腰掛《こしかけ》に|都合《つがふ》の|好《よ》い|岩《いは》を|探《さが》して、ドシンと|尻《しり》を|下《お》ろし、|暫《しばら》く|息《いき》を|休《やす》める。|赤《あか》ん|坊《ばう》を|懐中《ふところ》に|抱《いだ》いた|女《をんな》、|幾十人《いくじふにん》ともなく、|不思議《ふしぎ》さうに|三人《さんにん》の|前《まへ》に|立《た》ち|現《あら》はれ、|口《くち》を|開《あ》けて、アヽヽヽヽとア|声《ごゑ》の|連発《れんぱつ》をやつて|居《ゐ》る。
|田吾作《たごさく》『エヽ|怪《け》つ|体《たい》な|所《ところ》だな、|矢張《やつぱり》|三国ケ岳《みくにがだけ》の|辺《へん》は|野蛮《やばん》|未開《みかい》の|土地《とち》だから、|言語《げんご》が|無《な》いと|見《み》える|哩《わい》』
と|話《はな》して|居《ゐ》る。|其処《そこ》へ|容色《ようしよく》|優《すぐ》れたる|一人《ひとり》の|女《をんな》が|現《あら》はれ|来《きた》り、|宣伝使《せんでんし》に|会釈《ゑしやく》し、|是《これ》|亦《また》アヽヽヽを|連発《れんぱつ》しながら|北《きた》の|谷間《たにま》を|指《ゆび》ざし|走《はし》り|行《ゆ》く。この|女《をんな》は|玉照姫《たまてるひめ》の|生母《せいぼ》お|玉《たま》であつた。|婆《ばば》の|手下《てした》の|者《もの》に|誘拐《かどわか》され、この|山奥《やまおく》に|連《つ》れ|込《こ》まれてゐたのである。
|婆《ばば》の|考《かんが》へとしては、|玉照姫《たまてるひめ》を|占奪《せんだつ》する|手段《しゆだん》として、|先《ま》づ|生母《せいぼ》のお|玉《たま》をうまうまと|此処《ここ》へ|奪《うば》ひ|帰《かへ》つたのである。|三人《さんにん》はお|玉《たま》の|顔《かほ》を|一度《いちど》も|見《み》た|事《こと》がないので、そんな|秘密《ひみつ》の|伏在《ふくざい》する|事《こと》は|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、お|玉《たま》の|跡《あと》を|追《お》つて、スタスタと|駆出《かけだ》した。
|四五丁《しごちやう》ばかり|谷《たに》に|沿《そ》うて|左《ひだり》へ|進《すす》むと、|壁《かべ》を|立《た》てたやうな|巨岩《きよがん》が|幾《いく》つともなく|谷間《たにま》に|碁列《ごれつ》して|居《ゐ》る。お|玉《たま》は|手招《てまね》きしながら、|岩窟《がんくつ》の|穴《あな》を|潜《くぐ》つて|姿《すがた》を|隠《かく》した。|三人《さんにん》は|其《その》|後《あと》から、ドンドンと|足《あし》を|速《はや》めて|岩窟《がんくつ》の|中《なか》を|五六間《ごろくけん》|許《ばか》り|進《すす》む。|此処《ここ》が|鬼ケ城山《おにがじやうざん》に|割拠《かつきよ》して|居《ゐ》た|鬼熊別《おにくまわけ》の|妻《つま》|蜈蚣姫《むかでひめ》が|自転倒島《おのころじま》に|於《お》ける|第二《だいに》の|作戦地《さくせんち》であつた。|蛇《へび》、|蛙《かへる》、|山蟹《やまがに》、|其《その》|他《た》|獣類《けもの》の|肉《にく》はよく|乾燥《かんさう》さして|岩窟《がんくつ》の|中《なか》に|幾《いく》つともなく|釣《つ》り|下《さ》げられてある。
|田吾作《たごさく》『アイ|御免《ごめん》なさい、バラモン|教《けう》の|鬼婆《おにばば》アの|住家《すまひ》は|此処《ここ》で|御座《ござ》いますか』
|婆《ばば》『|此処《ここ》が|鬼婆《おにばば》|蜈蚣姫《むかでひめ》の|住家《すみか》だよ』
|田吾作《たごさく》『アヽ、|左様《さやう》で|御座《ござ》いましたか、これは|失礼《しつれい》|致《いた》しました。なんと|立派《りつぱ》なお|館《やかた》ですな、これでは|風雨雷電《ふううらいでん》、|地震《ぢしん》も|大丈夫《だいぢやうぶ》でせう。|吾々《われわれ》もせめて|半日《はんにち》なりと、こんな|結構《けつこう》な|館《やかた》に|暮《くら》したいものです|哩《わい》』
|婆《ばば》『お|前《まへ》は|一体《いつたい》|何処《どこ》の|人《ひと》ぢや、そして|又《また》|二人《ふたり》も|伴《とも》を|連《つ》れて|来《き》て|居《を》るのかな』
|田吾作《たごさく》『ハイ、|実《じつ》の|所《ところ》は|三五教《あななひけう》の|予備《よび》|宣伝使《せんでんし》を|拝命《はいめい》|致《いた》しまして、|今日《けふ》が|初陣《うひぢん》で|御座《ござ》います。|此《この》|通《とほ》り、|宗彦《むねひこ》、|原彦《はらひこ》と|云《い》ふケチな|野郎《やらう》を|連《つ》れて|居《を》ります。|大変《たいへん》|腹《はら》を|減《へ》らして|居《を》るさうですから、|蛙《かへる》の|干乾《ひぼし》でも|恵《めぐ》んでやつて|下《くだ》さいな』
|婆《ばば》『|折角《せつかく》の|御入来《ごじゆらい》だから、|大切《たいせつ》な|蛙《かへる》ぢやけれど、|饗応《よん》であげませう。この|蛙《かへる》は|当山《たうざん》の|名物《めいぶつ》お|殿蛙《とのがへる》と|云《い》つて、|虫《むし》の|薬《くすり》にもなり、|一切《いつさい》の|病気《びやうき》の|妙薬《めうやく》だ。|田圃《たんぼ》にヒヨコヒヨコ|飛《と》んで|居《を》る|青蛙《あをがへる》や|糞蛙《くそがへる》とは|些《ちつ》と|撰《せん》を|異《こと》にして|居《を》るのだから、|其《その》|積《つも》りで|味《あぢ》はつて|食《あ》がりなさい。お|前《まへ》さんは|蛙飛《かへると》ばしの|蚯蚓切《みみずき》りだからなア』
|田吾作《たごさく》『チヨツ、|馬鹿《ばか》にして|居《ゐ》やがる|哩《わい》』
|原彦《はらひこ》『オイオイ|宣伝使《せんでんし》の|化《ばけ》サン、そんな|事《こと》を|言《い》うてくれては|困《こま》るぢやないか』
|田吾作《たごさく》『|困《こま》るやうにお|願《ねが》ひしたのだよ、|昔《むかし》、|竹熊《たけくま》が|竜宮城《りうぐうじやう》の|使臣《ししん》を|招待《せうたい》した|時《とき》には、|百足《むかで》や|蜴蜥《とかげ》、【なめくじ】などの|御馳走《ごちそう》を|食《く》はしたと|云《い》ふぢやないか、|鰈《かれひ》か|鯣《するめ》だと|思《おも》うて|食《く》ひさへすりやよいのだ。お|前《まへ》は|食《く》はず|嫌《ぎら》ひだなくて、|蛙《かへる》|嫌《ぎら》ひだから|困《こま》る、アハヽヽヽ』
|婆《ばば》『|三人《さんにん》ともそんな|所《ところ》に|立《た》つて|居《ゐ》ずに、サアサア|足《あし》を|洗《あら》つてお|上《あが》りなさい。|今晩《こんばん》は|悠《ゆつ》くりと|話《はな》しませう。お|前《まへ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が|初陣《うひぢん》だと|云《い》つたな』
|田吾作《たごさく》『ハイ、|申《まを》しました、|全《まつた》く|其《その》|通《とほ》りです』
|婆《ばば》『そんなら|尚《なほ》|結構《けつこう》だ、なまりはんぢやくの、|苔《こけ》の|生《は》えた|宣伝使《せんでんし》は|何《ど》うも|強太《しぶと》うて|改心《かいしん》が|出来《でき》ぬ。お|前《まへ》はまだまだほやほやだから、|十分《じふぶん》の|【教理】《けうり》も|聞《き》いて|居《ゐ》やせまい』
|田吾作《たごさく》『|私《わたし》は|【郷里】《きやうり》を|立《た》つて|来《き》たところですが、|何《なん》と|妙《めう》な|事《こと》を|仰有《おつしや》いますな』
|婆《ばば》『ハヽヽヽヽ、お|前《まへ》は|余《よ》つ|程《ぽど》|無学者《むがくしや》と|見《み》える|哩《わい》、【けうり】と|云《い》ふ|事《こと》は|【故郷】《こきやう》の|意味《いみ》ぢやない、|三五教《あななひけう》の|筋《すぢ》はどうだと|問《と》ふのだ』
|田吾作《たごさく》『つい、【きより】きよりして|居《ゐ》ましたので|筋《すぢ》も|何《なに》も|分《わか》りませぬ』
|婆《ばば》『アヽそうだらうそうだらう、|筋《すぢ》が|分《わか》つたら|阿呆《あはう》らしうて|三五教《あななひけう》に|居《を》れたものぢやない。|筋《すぢ》が|分《わか》らぬのが|結構《けつこう》だ。サアこれから|此処《ここ》で|百日《ひやくにち》ばかり|無言《むごん》の|行《ぎやう》をして、|其《その》|上《うへ》|言霊《ことたま》を|開《ひら》いて、バラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》になるのだよ。お|前《まへ》、|此処《ここ》へ|来《く》る|道《みち》に|沢山《たくさん》の|家《いへ》があつたらうがな、|皆《みな》|無言《むごん》の|行《ぎやう》がさしてあるのだ』
|田吾作《たごさく》『あの|儘《まま》ものが|言《い》へなくなるのぢやないのですか、どうやら|聾《つんぼ》のやうですが』
|婆《ばば》『|聾《つんぼ》は|尚更《なほさら》|結構《けつこう》だ。モ|一《ひと》つ|荒行《あらぎやう》をすれば|目《め》も|見《み》えぬやうになつて|仕舞《しま》ふ。だけれど|目《め》だけは|退《の》けて|置《お》かぬと、|不自由《ふじゆう》だと|思《おも》つて|大目《おほめ》に|見《み》てあるのだ。|百日《ひやくにち》の|行《ぎやう》をして|好《よ》いものもある、|十日《とをか》で|好《よ》いものもある、|修業《しうげふ》さへ|出来《でき》たら|口《くち》も|利《き》けるやうに、|耳《みみ》も|聞《きこ》えるやうにチヤンとしてあるのだ』
|田吾作《たごさく》『|婆《ば》アサン、そりあ|無言《むごん》の|行《ぎやう》ぢやない、|云《い》はれぬから|云《い》はぬのだらう、|云《い》へる|口《くち》を|持《も》つて|居《を》つて|云《い》はぬやうにし、|聞《きこ》える|耳《みみ》を|持《も》つて|居《ゐ》て|聞《き》かぬやうにして|居《ゐ》るのなら、|行《ぎやう》にもならうが、しよう|事《こと》なしに|云《い》はざる|聞《き》かざるはあまり|行《ぎやう》にもならないぢやないか』
|婆《ばば》『そんな|理屈《りくつ》を|云《い》ふものぢやない、|信仰《しんかう》の|道《みち》には|理屈《りくつ》は|禁物《きんもつ》だ。|人間《にんげん》の|分際《ぶんざい》として、さうガラガラと|鈴《すず》の|化物《ばけもの》のやうに|小理屈《こりくつ》を|云《い》ふものぢやない|哩《わい》』
|田吾作《たごさく》『ヘエ』
と|首《くび》を|傾《かたむ》ける。
|宗彦《むねひこ》『|私《わたし》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》です。|今《いま》|宣伝使《せんでんし》と|云《い》つて|居《を》つた|男《をとこ》はまだ|卵《たまご》ですから、|何《なに》を|云《い》ふか|分《わか》りませぬ』
|婆《ばば》『アヽさうだらうと|思《おも》つた。|何《なん》だか|間拍子《まべうし》の|抜《ぬ》けた|理屈《りくつ》を|捏《こ》ねる|人《ひと》だ。|人間《にんげん》も|大悟《たいご》|徹底《てつてい》すると、|神様《かみさま》の|広大無辺《くわうだいむへん》の|御威徳《ごゐとく》が|分《わか》つて、|何《なん》とも|云《い》はれぬやうになつて|仕舞《しま》うて|黙《だま》つて|居《ゐ》て|改心《かいしん》するやうになるものぢや、|流石《さすが》にお|前《まへ》は|偉《えら》い、|最前《さいぜん》から|婆《ばば》の|云《い》ふ|事《こと》を|耳《みみ》を|傾《かたむ》けて|聞《き》きなさつた。|偉《えら》いものだ、|言葉《ことば》|多《おほ》ければ|品《しな》|少《すくな》し、|空虚《くうきよ》なる|器物《きぶつ》は|強大《きやうだい》なる|音響《おんきやう》を|発《はつ》すと|云《い》うて、ガラガラドンドン|云《い》ふ|男《をとこ》に|限《かぎ》り、|智慧《ちゑ》もなければ|信仰《しんかう》も|無《な》いものだ。お|前《まへ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》なら、あの|青彦《あをひこ》、|紫姫《むらさきひめ》、|常彦《つねひこ》、|亀彦《かめひこ》、|悦子姫《よしこひめ》と|云《い》ふ|没分暁漢《わからずや》を|知《し》つて|居《を》るだらうなア』
|宗彦《むねひこ》『イエイエ|私《わたし》|達《たち》|三人《さんにん》は、|宇都山村《うづやまむら》の|者《もの》で|御座《ござ》いまして、|唯《ただ》|一度《いちど》|聖地《せいち》へ|参《まゐ》り、|暫《しばら》く|修業《しうげふ》を|致《いた》しましたが、そんなお|方《かた》にはお|目《め》にかかつた|事《こと》も|御座《ござ》いませぬ、|何処《どこ》か|宣伝《せんでん》に|廻《まは》つて|御座《ござ》るのでせう』
|婆《ばば》『どうぢや、お|前《まへ》も|三五教《あななひけう》を|止《や》めて、|私《わし》の|弟子《でし》になつたら』
|宗彦《むねひこ》『|有難《ありがた》う|御座《ござ》いますが、|各自《めいめい》に|自分《じぶん》の|宗旨《しうし》は|良《よ》く|見《み》えるものです。|私《わたし》は|貴女《あなた》に|改心《かいしん》をして|貰《もら》つて、|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》して|頂《いただ》かうと|思《おも》ひ、|遥々《はるばる》と|参《まゐ》つたのですよ。|何《ど》うです、|私《わたし》の|云《い》ふ|事《こと》を|一通《ひととほ》りお|聞《き》き|下《くだ》さつて、|其《その》|上《うへ》で|入信《にふしん》なさつたら』
|婆《ばば》『アヽ、いやいや|誰人《だれ》が|三五教《あななひけう》のやうな|馬鹿《ばか》な|教《をしへ》には|入《い》る|奴《やつ》があるものか、|改心《かいしん》をしてくれなんて、そりやお|前《まへ》、|何《なに》を|云《い》ふのだい。|是《これ》|程《ほど》|澄《す》み|切《き》つた|塵《ちり》|一《ひと》つない|御霊《みたま》の|鬼婆《おにばば》だ、|改心《かいしん》があつて|耐《たま》るものか、|改心《かいしん》するのはお|前等《まへら》の|事《こと》だ』
|宗彦《むねひこ》は|拍手《はくしゆ》し、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|初《はじ》める。|婆《ばば》は|驚《おどろ》いて、
『コレコレ|皆様《みなさま》、|祝詞《のりと》も|結構《けつこう》だが|折角《せつかく》|拵《こしら》へた|蛙《かへる》の|御飯《ごはん》、お|気《き》に|入《い》らねば|食《た》べて|貰《もら》はいでもよいが、せめて|神様《かみさま》に|供《そな》へたのだから、|御神酒《おみき》とお|茶《ちや》をお|食《あが》り|下《くだ》さい、それで|悠《ゆつ》くりとお|祝詞《のりと》を|上《あ》げなさい。|私《わし》も|一緒《いつしよ》に|上《あ》げさせて|頂《いただ》くから』
と|無理《むり》に|引《ひ》き|留《とめ》る。
|宗彦《むねひこ》『|弁当《べんたう》は|此処《ここ》にパンを|所持《しよぢ》して|居《ゐ》ますからお|茶《ちや》を|下《くだ》さいませ』
|婆《ばば》『お|神酒《みき》は|好《すき》だらう、|自然薯《じねんぢよ》で|醸造《こしら》へた|美味《おいし》い|酒《さけ》がある。|一《ひと》つあがつたら|何《ど》うだな』
|宗彦《むねひこ》『イヤ、|茶《ちや》さへ|頂《いただ》けば|結構《けつこう》です』
|田吾作《たごさく》『|婆《ば》アさま、|論戦《ろんせん》は|一先《ひとま》づ|中止《ちゆうし》して、そんなら|暖《あたた》かいお|茶《ちや》をよんで|下《くだ》さい、|今晩《こんばん》|悠《ゆつ》くりと|言霊戦《ことたません》を|負《まけ》ず|劣《おと》らず|開始《かいし》しませう。そして|負《まけ》た|方《はう》が|従《したが》ふと|云《い》ふ|事《こと》に|致《いた》しませうか』
|婆《ばば》『アヽ|面白《おもしろ》からう|面白《おもしろ》からう、そんならさう|致《いた》しませう。バラモン|教《けう》の|神様《かみさま》は、|御神徳《ごしんとく》が|強《つよ》いから、|迂濶《うつかり》|御無礼《ごぶれい》な|事《こと》を|云《い》はうものなら|罰《ばち》が|当《あた》つて|口《くち》が|利《き》けなくなるから、|心得《こころえ》て|物《もの》を|云《い》ひなさいや。アヽどれどれ|手《て》づからお|茶《ちや》を|温《あたた》めて|上《あ》げよう』
と|次《つぎ》の|間《ま》に|立《た》つて|行《ゆ》く。|暫《しばら》くあつて|婆《ばば》アは|土瓶《どびん》に|茶《ちや》を|沸騰《たぎ》らせ、
|婆《ばば》『サアサア|茶《ちや》が|沸《わ》いた、|皆《みな》さま|沢山《どつさり》|呑《の》んで|下《くだ》さい、これも|婆《ばば》の|寸志《こころざし》だ。バラモン|教《けう》だつて、|三五教《あななひけう》だつて、|神《かみ》と|云《い》ふ|字《じ》に|二《ふた》つはない。|互《たがひ》に|手《て》を|引合《ひきあ》うて|御神徳《ごしんとく》のある|神様《かみさま》の|方《はう》へ|帰順《きじゆん》するのだな。|此《この》|婆《ばば》も|都合《つがふ》によつては|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》せぬものでもない、オホヽヽヽ』
|三人《さんにん》は|何《なん》の|気《き》も|付《つ》かず、|婆《ばば》の|注《つ》いだ|茶《ちや》を|呑《の》んではパンを|食《く》ひ、|呑《の》んでは|食《く》ひ、|喉《のど》が|乾《かわ》いたと|見《み》えて|土瓶《どびん》に|一杯《いつぱい》の|茶《ちや》を|残《のこ》らず|平《たひら》らげて|仕舞《しま》つた。
|三人《さんにん》は|俄《にはか》に|息苦《いきぐる》しくなり、|言語《げんご》を|発《はつ》せむとすれども、|一言《ひとこと》も|発《はつ》する|事《こと》が|出来《でき》なくなつた。|三人《さんにん》は|顔《かほ》を|見合《みあは》せ、アヽヽヽとア|声《ごゑ》の|連発《れんぱつ》をやつて|居《ゐ》る。
|婆《ばば》『アハヽヽヽ……|好《よ》いけれまたもあればあるものだ。とうとう|婆《ばば》の|計略《けいりやく》にかかりよつた。|口《くち》も|利《き》けず、|耳《みみ》も|聞《きこ》えず、|憐《あは》れなものだ。お|玉《たま》を|首尾《しゆび》|好《よ》く|手《て》に|入《い》れ、|又《また》|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》や|卵《たまご》を|三人《さんにん》|収穫《しうくわく》した。|如何《いか》に|頑強《ぐわんきやう》な|三五教《あななひけう》でも、|玉照姫《たまてるひめ》の|親《おや》を|取《と》られ、|又《また》|大切《たいせつ》な|宣伝使《せんでんし》を|取《と》られ、|黙《だま》つて|居《ゐ》る|事《こと》は|出来《でき》まい。|屹度《きつと》|謝罪《あやま》つて|返《かへ》して|貰《もら》ひに|来《く》るのだらう。|其《その》|時《とき》には|玉照姫《たまてるひめ》と|玉照彦《たまてるひこ》とを|此方《こちら》へ|受取《うけと》り、|其《その》|上《うへ》に|返《かへ》してやつたらよいのだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|玉照姫《たまてるひめ》が|黄金《わうごん》なら、|此奴《こいつ》は|洋銀《やうぎん》|位《くらゐ》なものだから|先方《むかう》も|此《これ》|位《くらゐ》では|往生《わうじやう》|致《いた》すまい。マア|時節《じせつ》を|待《ま》つて|鼠《ねずみ》が|餅《もち》をひくやうに|二人《ふたり》|三人《さんにん》と|引張込《ひつぱりこ》み、|往生《わうじやう》づくめで|仮令《たとへ》|玉照彦《たまてるひこ》だけでも|此方《こちら》のものに|仕度《した》いものだ。|鬼雲彦《おにくもひこ》の|大将《たいしやう》は|脆《もろ》くも|波斯《フサ》の|国《くに》に|泡《あわ》|食《く》つて|逃《に》げ|帰《かへ》つて|仕舞《しま》はれた。|併《しか》し|乍《なが》ら|私《わし》は|女《をんな》の|一心《いつしん》|岩《いは》でも|突《つ》き|貫《ぬ》くのだ。|此処《ここ》で|斯《か》うして|時節《じせつ》を|待《ま》ち、|大江山《おほえやま》、|鬼ケ城《おにがじやう》を|回復《くわいふく》し、|三五教《あななひけう》の|錦《にしき》の|宮《みや》も|往生《わうじやう》させて、バラモン|教《けう》として|仕舞《しま》ふ|蜈蚣姫《むかでひめ》の|計略《けいりやく》は|旨々《うまうま》と|端緒《たんちよ》が|開《ひら》けかけた。アヽ|有難《ありがた》い|事《こと》だ。|一《ひと》つ|此処《ここ》でお|玉《たま》に|酌《しやく》でもさして|酒《さけ》でも|飲《の》まうかい、そして|三人《さんにん》を|肴《さかな》にしてやらうかい。これこれお|玉《たま》、お|酒《さけ》だよ。これ|程《ほど》|呼《よ》んで|居《を》るに|何故《なぜ》|返事《へんじ》をせぬのか、オヽさうさう、|耳《みみ》の|聾《つんぼ》になる|薬《くすり》を|呑《の》まして|置《お》いた。|聞《きこ》えぬも|無理《むり》はない。つい|私《わし》も|余《あま》り|嬉《うれ》しくて、|精神車《せいしんしや》が|何処《どこ》かに|脱線《だつせん》したと|見《み》える、オホヽヽヽ』
と|独言《ひとりごと》を|云《い》ひながら|笑壺《ゑつぼ》に|入《い》つて|居《を》る。|三人《さんにん》は|無念《むねん》の|歯噛《はが》みをなし、|躍《をど》り|上《あ》がつて|破《やぶ》れかぶれ、|婆《ばば》を|叩《たた》き|伸《の》めしてやらうと|心《こころ》に|定《き》めて|見《み》たが、|何《ど》うしたものか|体《からだ》がビクとも|動《うご》けなくなつて|居《を》る。|言霊《ことたま》を|応用《おうよう》するにも|肝腎《かんじん》の|発生器《はつせいき》の|油《あぶら》が|切《き》れて、|且《か》つ|筒口《つつぐち》が|閉塞《へいそく》して|居《を》るのだから、|如何《いかん》ともする|事《こと》が|出来《でき》ず、|口《くち》は|自然《しぜん》に|紐《ひも》が|解《ほ》どけて、|頤《あご》と|一緒《いつしよ》に|垂《た》れ|下《さが》り、ポカンと|開《あ》いて|来《く》る。|三人《さんにん》は|一度《いちど》に|涎《よだれ》をタラタラ|流《なが》し、|顔《かほ》を|見合《みあは》せ、|首《くび》を|振《ふ》り、アヽヽヽと|僅《わづか》に|声《こゑ》を|発《はつ》する|許《ばか》りであつた。
|婆《ばば》は|愉快《ゆくわい》げに|安坐《あぐら》をかき、|長《なが》い|煙管《きせる》で|煙草《たばこ》を|燻《くす》べ、|酒《さけ》を|呑《の》み、
|婆《ばば》『オイこりや、|阿呆《あはう》|宣伝使《せんでんし》、|俺《おれ》の|智慧《ちゑ》はこんなものだぞ。|蜘蛛《くも》が|巣《す》をかけて|待《ま》つて|居《を》る|処《ところ》へ|茅蝉《ひぐらし》が|飛《と》んで|来《き》て|引《ひつ》かかるやうなものだ、|動《うご》くなら|動《うご》いて|見《み》い、|言霊《ことたま》が|使《つか》へるなら|使《つか》つて|見《み》い、|耳《みみ》も|聞《きこ》えまい』
と|長煙管《ながぎせる》の|雁首《がんくび》で|耳《みみ》の|穴《あな》をグツと|突《つ》いて|見《み》る。|宗彦《むねひこ》は|耳《みみ》の|穴《あな》を|突《つ》かれてカツと|怒《おこ》り|出《だ》した。されど|何《ど》うする|事《こと》も|出来《でき》ぬ。|此度《こんど》は|婆《ばば》は|煙草《たばこ》の|吸殻《すひがら》を|宗彦《むねひこ》の|口《くち》の|中《なか》にフツと|吹《ふ》いて|放《ほ》り|込《こ》み、
|婆《ばば》『|熱《あつ》からう、そりや|些《ちつ》と|熱《あつ》い、|火《ひ》だからのう。|加之《おまけ》にえぐいだらう、えぐいのはズだ。|煙草《たばこ》のズに、えぐい|婆《ばば》の|御馳走《ごちそう》だから、|序《ついで》に|此《この》|酒《さけ》も|飲《の》ましてやろか。イヤイヤ|待《ま》て|待《ま》てこいつを|飲《の》ましてやると|私《わし》の|飲《の》むのがそれだけ|減《へ》る|道理《だうり》ぢや、マアマア|斯《か》うして|二ケ月《にかげつ》も|三ケ月《さんかげつ》も|固《かた》めて|置《お》けば|大丈夫《だいぢやうぶ》だ、|若《わか》い|奴《やつ》が|二三日《にさんにち》したら|大江山《おほえやま》の|方《はう》から|帰《かへ》つて|来《く》るだらうから、|其《その》|時《とき》この|生木像《なまもくざう》を|穴庫《あなぐら》へでも|格納《かくなふ》さしてもよい|哩《わい》、マアマアそれ|迄《まで》は|頭《あたま》を|叩《たた》いたり、|耳《みみ》に|煙管《きせる》を|突《つ》つ|込《こ》んだりして、バラモン|教《けう》の|御規則《ごきそく》|通《どほ》りの|修業《しうげふ》をさしてやるのだ。なんと|心地《ここち》|好《よ》い|事《こと》だ。|是《これ》で|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》さまもさぞ|御満足《ごまんぞく》だらう。|嗚呼《ああ》|大蛇大明神様《をろちだいみやうじんさま》、|喜《よろこ》びたまへ|勇《いさ》みたまへ。|婆《ばば》の|腕前《うでまへ》は|此《こ》の|通《とほ》りで|御座《ござ》います、|何《ど》うぞ|此《この》|手柄《てがら》により、|鬼熊別《おにくまわけ》の|失敗《しつぱい》の|罪《つみ》を|赦《ゆる》して|下《くだ》さいませ。|天《てん》にも|地《ち》にも|無《な》い|私《わたし》の|夫《をつと》、|神様《かみさま》の|御用《ごよう》を|縮尻《しくじ》つて、|死《し》んで|神罰《しんばつ》を|蒙《かうむ》り、|地獄《ぢごく》の|釜《かま》の|焦起《こげおこ》しにせられるのも|女房《にようばう》として|見《み》て|居《を》られませぬ、|何卒《どうぞ》|私《わたし》と|一緒《いつしよ》に、|今《いま》ぢや|御座《ござ》いませぬが、|命数《めいすう》の|尽《つ》きた|時《とき》は|天国《てんごく》にやつて|下《くだ》さい。|南無八岐大蛇大明神様《なむやまたをろちだいみやうじんさま》、ハズバンドの|罪《つみ》を|許《ゆる》したまへ、|払《はら》ひたまへ、|清《きよ》めたまへ、|金毛九尾《きんまうきうび》の|命《みこと》』
と|祈願《きぐわん》して|居《ゐ》る。|此《この》|時《とき》|岩窟《がんくつ》の|口《くち》より、|声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひ|来《く》る|男《をとこ》があつた。
|男《をとこ》『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|分《わ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》す  |三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|教《のり》
|綾《あや》の|聖地《せいち》に|現《あ》れませる  |言依別命《ことよりわけのみこと》もて
|三国ケ岳《みくにがだけ》の|曲津見《まがつみ》を  |言向《ことむ》け|和《やは》すそのために
|三五教《あななひけう》の|宗彦《むねひこ》が  |宇都《うづ》の|里《さと》をば|後《あと》にして
|足《あし》に|任《まか》せてテクテクと  これの|岩窟《いはや》に|来《き》て|見《み》れば
|悪《あく》にかけては|抜《ぬ》け|目《め》なき  |鬼熊別《おにくまわけ》が|宿《やど》の|妻《つま》
|顔色《かほいろ》|黒《くろ》き|蜈蚣姫《むかでひめ》  |小智慧《こぢゑ》の|廻《まは》る|中年増《ちうとしま》
|此《この》|岩窟《いはやど》に|陣取《ぢんど》りて  |四方《よも》の|人々《ひとびと》|欺《あざむ》きつ
|赤子《あかご》の|声《こゑ》を|聞《き》きつけて  |十里《じふり》|二十里《にじふり》|三十里《さんじふり》
|遠《とほ》き|道《みち》をば|厭《いと》ひなく  |手下《てした》の|魔神《まがみ》を|配《くば》り|置《お》き
|此《この》|岩窟《がんくつ》に|連《つ》れ|帰《かへ》り  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なにさいなみて
|悪《あく》の|限《かぎ》りを|尽《つく》しつつ  |日《ひ》に|夜《よ》に|酒《さけ》に|酔《ゑ》ひ|狂《くる》ふ
|宗彦《むねひこ》、|田吾作《たごさく》、|原彦《はらひこ》は  |婆《ばば》が|引《ひ》き|出《だ》す|口車《くちぐるま》
|知《し》らず|識《し》らずに|乗《の》せられて  |毒茶《どくちや》をどつさり|飲《の》みまはし
|口《くち》も|利《き》かねば|耳《みみ》|利《き》かず  |五体《ごたい》すくみて|一寸《いつすん》も
|動《うご》きの|取《と》れぬ|破目《はめ》となり  |眼《め》ばかりきよろきよろきよろつかせ
|其《その》|上《うへ》ポカンと|口《くち》あけて  |涎《よだれ》を|流《なが》しアヽヽヽと
|鳴《な》りも|合《あ》はざる|言霊《ことたま》を  |連発《れんぱつ》するこそいとしけれ
|天《あめ》の|真浦《まうら》の|神司《かむづかさ》  この|留公《とめこう》の|腹《はら》を|知《し》り
|肝腎要《かんじんかなめ》の|神策《しんさく》を  そつと|知《し》らして|下《くだ》さつた
|宗彦《むねひこ》、|原彦《はらひこ》、|田吾作《たごさく》は  |知《し》らず|識《し》らずに|魔《ま》が|神《かみ》の
|罠《わな》に|陥《おちい》り|今日《けふ》の|態《ざま》  |助《たす》けてやらねば|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》が|立《た》ち|兼《か》ねる  サアこれからは|留公《とめこう》が
|神《かみ》に|貰《もら》うた|言霊《ことたま》の  |御稜威《みいづ》をかりて|三人《さんにん》の
|危難《きなん》を|救《すく》ひ|玉照《たまてる》の  |姫《ひめ》の|命《みこと》を|生《う》みませる
お|玉《たま》の|方《かた》を|救《すく》ひ|出《だ》し  |鬼《おに》のお|婆《ばば》を|言向《ことむ》けて
この|岩窟《いはやど》を|改良《かいりやう》し  |三五教《あななひけう》の|皇神《すめかみ》の
|御霊《みたま》を|斎《いつき》|祀《まつ》りつつ  ミロクの|御代《みよ》の|魁《さきがけ》を
|仕《つか》へまつらむ|頼《たの》もしさ  |嗚呼《ああ》|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
と|謡《うた》ひつつ|三人《さんにん》が|前《まへ》に|現《あら》はれ|来《き》たる。|婆《ばば》は|身体《しんたい》|竦《すく》み、|身動《みうご》きならず、|目《め》をぱちつかせ|苦《くる》しみ|居《ゐ》る。この|時《とき》、|岩窟《がんくつ》の|奥《おく》の|方《はう》より|涼《すず》しき|女《をんな》の|声《こゑ》、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》けて
|誡《いまし》め|給《たま》ふ|時《とき》は|来《き》ぬ  |四継王《よつわう》の|山《やま》の|聖麓《せいろく》に
|錦《にしき》の|宮《みや》と|仕《つか》へたる  |玉照姫《たまてるひめ》の|生《う》みの|母《はは》
お|玉《たま》の|方《かた》は|妾《わらは》なり  |桶伏山《をけふせやま》に|隠《かく》されし
|珍《うづ》の|宝《たから》を|奪《うば》ひ|取《と》り  |逃《に》げ|行《ゆ》く|姿《すがた》を|見《み》るよりも
|妾《わらは》は|驚《おどろ》き|身《み》を|忘《わす》れ  |跡《あと》を|追《お》ひかけ|山坂《やまさか》を
|駆《か》ける|折《をり》しも|木影《こかげ》より  |現《あら》はれ|出《い》でたる|曲神《まがかみ》の
|手下《てした》の|奴《やつ》に|見《み》つけられ  |手足《てあし》を|縛《し》ばりいろいろと
|苦《くる》しき|笞《しもと》を|受《う》けながら  |憂《うき》をみくにの|山《やま》の|上《うへ》
この|岩窟《がんくつ》に|押《お》し|込《こ》まれ  |蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》てふ|鬼婆《おにばば》に
|茶《ちや》を|勧《すす》められ|一時《いつとき》は  |息《いき》|塞《ふさ》がりて|言霊《ことたま》の
|車《くるま》も|廻《まは》らぬ|苦《くる》しさに  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|黙祷《もくたう》し  |居《ゐ》たるに|忽《たちま》ち|喉《のど》|開《ひら》き
|胸《むね》は|涼《すず》しく|晴渡《はれわた》る  されど|妾《わらは》は|慎《つつし》みて
|唯《ただ》|一言《ひとこと》も|言挙《ことあ》げを  なさず|唖《おし》をば|装《よそほ》ひつ
|珍《うづ》の|宝《たから》の|所在《ありか》をば  |今迄《いままで》|探《さぐ》り|居《ゐ》たりしぞ
|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|幸《さちは》ひて  いよいよ|茲《ここ》に|宗彦《むねひこ》が
|言依別《ことよりわけ》のみことのり  |身《み》に|受《う》けまして|出《い》でたまひ
|顔《かほ》を|合《あは》せて|居《ゐ》ながらも  |一面識《いちめんしき》もなき|故《ゆゑ》か
|悟《さと》り|給《たま》はず|吾《わが》|配《くば》る  |眼《まなこ》に|心《こころ》|留《と》めまさず
やみやみ|毒茶《どくちや》を|飲《の》み|玉《たま》ふ  その|様《さま》|見《み》たる|我《わ》が|心《こころ》
|剣《つるぎ》を|呑《の》むよりつらかりし  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》は|此《この》|世《よ》に|在《ま》さずやと  |女心《をんなごころ》の|愚《おろか》にも
|愚痴《ぐち》の|繰事《くりごと》|繰返《くりかへ》す  |時《とき》しもあれや|表《おもて》より
|涼《すず》しく|聞《きこ》えし|宣伝歌《せんでんか》  |耳《みみ》をすまして|伺《うかが》へば
|三五教《あななひけう》の|教《のり》の|声《こゑ》  |地獄《ぢごく》で|仏《ほとけ》に|遇《あ》ひしごと
|心《こころ》いそいそ|今《いま》|此処《ここ》に  |現《あら》はれ|来《きた》るお|玉《たま》こそ
|天《あま》の|岩戸《いはと》も|一時《いつとき》に  |開《ひら》くばかりの|嬉《うれ》しさよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましまして
|宗彦《むねひこ》、|田吾作《たごさく》、|原彦《はらひこ》の  |病《やまひ》を|癒《い》やし|給《たま》へかし
|悩《なや》みを|助《たす》け|給《たま》へかし』
と|歌《うた》ひつつ|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれたり。|不思議《ふしぎ》や|三人《さんにん》は|俄《にはか》に|身体《しんたい》|自由《じいう》となり、|耳《みみ》も|聞《きこ》え、|口《くち》も|縦横無碍《じうわうむげ》に|動《うご》き|出《だ》した。
|田吾作《たごさく》『イヤ、|留公《とめこう》さま、よう|来《き》てくれた。もう|一足《ひとあし》|早《はや》ければこんな|目《め》に|遇《あ》ふのだ|無《な》かつたに、しかし|乍《なが》ら|最前《さいぜん》|途中《とちう》で|見《み》たお|女中《ぢよちう》さまが、|今《いま》|聞《き》けば|玉照姫《たまてるひめ》さまの|御生母《ごせいぼ》と|云《い》ふ|事《こと》だ、|何《なん》とマア|神様《かみさま》の|御経綸《ごけいりん》は|分《わか》らぬものですなア』
お|玉《たま》『|皆《みな》さま、|良《よ》い|処《ところ》へ|来《き》て|下《くだ》さいまして|結構《けつこう》で|御座《ござ》いました。|実《じつ》はこの|婆《ばば》アの|手下《てした》の|者共《ものども》が、ミロク|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|御宝《おたから》を、|桶伏山《をけふせやま》から|盗《ぬす》み|出《だ》し、|此《この》|岩窟《がんくつ》に|秘蔵《ひざう》して|居《ゐ》たのを、|今朝《けさ》になつて|所在《ありか》を|知《し》り、|何《なん》とかして|逃《に》げ|出《だ》さうと|思《おも》つて|居《ゐ》たのですが、|婆《ばば》アの|監視《かんし》が|酷《きつ》いので、どうする|事《こと》も|出来《でき》ず、|誰人《たれ》か|助太刀《すけだち》に|来《き》て|下《くだ》さつたらと|思《おも》うて|居《ゐ》た|矢先《やさき》、|貴方《あなた》のお|出《い》で、こんな|結構《けつこう》な|事《こと》はありませぬ。サア|一時《いちじ》も|早《はや》くこのお|宝《たから》を|持《も》つて|聖地《せいち》へ|帰《かへ》りませう』
と|後《あと》は|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|声《こゑ》さへ|曇《くも》る。
|宗彦《むねひこ》『アヽさうで|御座《ござ》いましたか、|私《わたくし》は|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》より、|是非《ぜひ》|共《とも》|三国ケ岳《みくにがだけ》へ|行《い》つて|来《こ》いと|仰《あふ》せられて、|魔神《まがみ》を|征服《せいふく》せむと|出《で》て|来《き》たのです。|貴方《あなた》が|此処《ここ》に|囚《とら》はれて|御座《ござ》る|事《こと》も、|今《いま》の|今迄《いままで》|夢《ゆめ》にも|知《し》らなかつた。サア|是《これ》からこの|婆《ばば》アを|言向《ことむ》け|和《や》はし、|寛《ゆ》る|寛《ゆ》ると|凱旋《がいせん》|致《いた》しませう』
お|玉《たま》『|到底《たうてい》|婆《ばば》アには|改心《かいしん》の|望《のぞ》みはありませぬ、|自分《じぶん》から|斯《か》うして|霊縛《れいばく》にかかつて|居《ゐ》るのですから、これを|幸《さいは》ひに|皆《みな》さん|聖地《せいち》へ|帰《かへ》りませう。|此《この》お|宝《たから》は|厳重《げんぢう》に|封《ふう》をして|置《お》きました、|私《わたくし》が|捧持《ほうぢ》して|帰《かへ》ります。|前後《ぜんご》を|警固《けいご》して|下《くだ》さい。|此《この》|婆《ばば》アは|半日《はんにち》|許《ばか》り|霊縛《れいばく》の|解《と》けないやうに|願《ねが》ひ|置《お》けば、|追《お》ひかけて|来《く》る|気遣《きづか》ひもありませぬ。|五六十人《ごろくじふにん》の|手下《てした》の|荒《あら》くれ|男《をとこ》が、|今日《けふ》に|限《かぎ》つて、|何《いづ》れも|遠方《ゑんぱう》へ|出稼《でかせ》ぎに|行《い》つた|留守《るす》の|間《ま》、これ|全《まつた》く|天《てん》の|恵《めぐ》みたまふ|時《とき》でせう。サアサア|長居《ながゐ》はおそれ』
とお|玉《たま》の|方《かた》は|帰綾《きれう》を|促《うなが》す。
|宗彦《むねひこ》を|先頭《せんとう》にお|玉《たま》、|田吾作《たごさく》、|留公《とめこう》、|原彦《はらひこ》と|云《い》ふ|順序《じゆんじよ》で、|宣伝歌《せんでんか》を|高《たか》く|謡《うた》ひ、|四辺《あたり》の|木魂《こだま》に|響《ひび》かせながら、|聖地《せいち》を|指《さ》して|目出度《めでた》く|凱旋《がいせん》することとはなりける。
|岩窟《がんくつ》の|中《なか》には|進退自由《しんたいじいう》を|失《うしな》つた|婆《ばば》ア|唯《ただ》|一人《ひとり》、|谷《たに》の|彼方《かなた》には|淋《さび》しげに|閑古鳥《かんこどり》が|鳴《な》いて|居《ゐ》る。
(大正一一・五・一四 旧四・一八 加藤明子録)
第一二章 |如意宝珠《によいほつしゆ》〔六七四〕
|心《こころ》の|色《いろ》も|照山《てらやま》の  |麓《ふもと》に|建《た》てる|高殿《たかどの》は
|錦《にしき》の|宮《みや》の|社務所《ながとこ》と  |世《よ》に|鳴《な》り|渡《わた》る|秋《あき》の|風《かぜ》
|紅葉《もみぢ》の|錦《にしき》|散《ち》り|敷《し》きて  |寒《さむ》さ|身《み》に|沁《し》む|時《とき》もあれ
|頭《かしら》に|霜《しも》を|戴《いただ》きし  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|黒姫《くろひめ》、|高姫《たかひめ》、|青彦《あをひこ》や  |紫姫《むらさきひめ》は|終夜《よもすがら》
|眠《ねむ》りもやらずヒソヒソと  |秘密《ひみつ》の|話《はなし》に|耽《ふけ》り|居《を》る。
|高姫《たかひめ》『|皆《みな》さま、|高《たか》い|声《こゑ》では|云《い》はれませぬが、|玉照彦《たまてるひこ》|様《さま》、|玉照姫《たまてるひめ》|様《さま》|御両人《ごりやうにん》も|大切《たいせつ》だが、それよりも、もつともつと|肝腎要《かんじんかなめ》の|根本《こつぽん》の|生粋《きつすゐ》の|神政成就《しんせいじやうじゆ》のお|宝《たから》が|紛失《ふんしつ》したのを|皆《みな》さま|知《し》つて|居《ゐ》ますか』
|青彦《あをひこ》は『エヽツ』と|頓狂《とんきやう》な|声《こゑ》を|出《だ》し、|驚《おどろ》いて|仰向《あふむ》きに|倒《たふ》れようとしてやつと|身《み》を|支《ささ》へた。
|高姫《たかひめ》『コレコレ、|青彦《あをひこ》さま……お|前《まへ》の|名《な》は|若彦《わかひこ》ぢやが……つい|口癖《くちぐせ》になつて|云《い》うたのだから|怺《こら》へて|下《くだ》されや。|若葉《わかば》の|色《いろ》は|青《あを》いから|若彦《わかひこ》でも|青彦《あをひこ》でもよう|通《かよ》ひますからな……|然《しか》し、ちつと|気《き》を|沈《しづ》めて|聞《き》いて|下《くだ》さい。|外《ほか》の|人《ひと》に|斯《こ》んな|話《はなし》が|聞《きこ》えたら|高天原《たかあまはら》は|大騒動《おほさうどう》ぢや、|何《なん》とか|工夫《くふう》せねばなるまい。こんな|事《こと》はまだ|誰《たれ》にも|言《い》うては|無《な》いのぢやが|本当《ほんたう》に|心配《しんぱい》の|事《こと》が|出来《でき》て|居《ゐ》るのだよ』
|黒姫《くろひめ》『|心配《しんぱい》な|事《こと》とは|何事《なにごと》が|起《おこ》りました、|妾《わたし》の|力《ちから》に|及《およ》ぶことなら|生命《いのち》を|捨《す》ててでも|御用《ごよう》を|聞《き》かして|貰《もら》ひませう』
|高姫《たかひめ》『|実《じつ》はお|玉《たま》の|方《かた》がバラモン|教《けう》の|悪神《あくがみ》に|攫《さら》はれて|仕舞《しま》ひ、|今《いま》に|行方《ゆくへ》が|分《わか》らぬので|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》にも|申上《まをしあ》げ、|心配《しんぱい》をして|居《を》るのぢや』
|是《これ》を|聞《き》いて|黒姫《くろひめ》、|紫姫《むらさきひめ》、|若彦《わかひこ》は|真蒼白《まつさを》な|顔《かほ》をし『ヘエ』と|言《い》つたきり|呆《あき》れて、|互《たがひ》に|目《め》と|目《め》を|見合《みあは》すのみで|途方《とはう》に|暮《く》れて|居《ゐ》る。
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》さま、お|玉《たま》の|方《かた》が|攫《さら》はれたと|言《い》つてそれだけ|吃驚《ぴつくり》する|様《やう》な|事《こと》では|仕方《しかた》がないぢやないか、ちつと|胴《どう》を|据《す》ゑなさい。「|身魂《みたま》が|研《みが》けて|居《を》らぬと|真逆《まさか》の|時《とき》にびく|付《つ》くぞよ。|身魂《みたま》さへ|研《みが》いて|置《お》けば|如何《どん》な|心配《しんぱい》が|起《おこ》つても|胴《どう》が|据《すわ》つて|楽《らく》に|凌《しの》げるぞよ」とお|筆先《ふでさき》に|有《あ》りませうがな、まだまだ|吃驚《びつくり》の|親玉《おやだま》がモ|一《ひと》つありますぞや』
|紫姫《むらさきひめ》『|高姫《たかひめ》さま、|吃驚《びつくり》の|親玉《おやだま》とは|如何《どん》な|事《こと》です、|何卒《どうぞ》|聞《き》かして|下《くだ》さい。|妾《わたし》も|力一杯《ちからいつぱい》|出来《でき》る|事《こと》なら|勤《つと》めさして|頂《いただ》きますから』
|高姫《たかひめ》『|親玉《おやだま》と|言《い》つたら|玉《たま》を|盗《と》られたのぢやがなア』
|紫姫《むらさきひめ》『あのお|玉《たま》の|方《かた》をですか』
|高姫《たかひめ》『お|玉《たま》もお|玉《たま》ぢやが、そんな|玉《たま》とは|玉《たま》で|玉《たま》が|違《ちが》ふのぢや。|天地《てんち》がデングリ|覆《がへ》る|様《やう》な|大騒動《おほさうどう》ぢや。|皆《みな》さまに|言《い》うて|上《あ》げ|度《た》いけれど、あまり|胴《どう》が|据《すわ》つて|居《を》らぬので|如何《どう》する|事《こと》も|出来《でき》やしない。アヽア、|神様《かみさま》の、もつと|確《しつか》りしたお|道具《だうぐ》に|成《な》る|人《ひと》が|欲《ほ》しいものだなア』
|黒姫《くろひめ》『|玉《たま》とは|何《なん》で|御座《ござ》います』
|高姫《たかひめ》『|金《きん》の|玉《たま》ぢや、それを|盗《と》られたのぢや』
|黒姫《くろひめ》『それは|言依別《ことよりわけ》|様《さま》ですか、|高山彦《たかやまひこ》さまですか、そんな|処《とこ》を……また|誰《たれ》が|如何《どう》して……|穢《むさくる》しい……|取《と》つたのでせう』
|高姫《たかひめ》『エー、|合点《がつてん》の|悪《わる》い|人《ひと》ぢや、|睾丸《きんたま》と|違《ちが》ひますよ。|桶伏山《をけふせやま》に|埴安彦神《はにやすひこのかみ》|様《さま》が|匿《かく》して|置《お》かれた、|青雲山《せいうんざん》から|持《も》つて|来《こ》られた|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|元津御霊《もとつみたま》の|黄金《こがね》の|玉《たま》、|如意宝珠《によいほつしゆ》の|宝物《ほうもつ》を……|皆《みんな》が|気《き》をつけぬものだから、|到頭《たうとう》|盗《と》られて|仕舞《しま》うた。こりや|屹度《きつと》バラモン|教《けう》が|攫《さら》へて|去《い》んだのに|違《ちが》ひない、|大変《たいへん》だらうがな』
|黒姫《くろひめ》『|大変《たいへん》です、|如何《どう》したら|宜《よろ》しからう、|言依別命《ことよりわけのみこと》|様《さま》に|伺《うかが》ひませうか』
|若彦《わかひこ》『|困《こま》つた|事《こと》になりましたなア、そつと|伺《うかが》つて|来《き》ませうか』
|高姫《たかひめ》『そんな|事《こと》は|此《この》|間《あひだ》から|幾度《いくど》も|幾度《いくど》も、|妾《わし》がそつと|言依別《ことよりわけ》の|教主《けうしゆ》に|相談《そうだん》に|行《い》つて|居《を》るのぢやけれども、|何《な》んとか、かんとか|言《い》つて、「マア|黙《だま》つて|居《を》つて|下《くだ》さい、|何《なん》とか|神様《かみさま》がして|下《くだ》さるでせう」なんて、キヨロリ、カンと|大山《たいざん》が|崩《くづ》れて|来《き》ても|動《うご》かぬと|言《い》ふやうな|態度《たいど》をして|御座《ござ》るものだから、|妾《わし》は、もう|気《き》が|揉《も》めて|揉《も》めて、|立《た》つても|居《ゐ》ても|居《を》られぬから、|今日《けふ》はお|前《まへ》さま|達《たち》に|寄《よ》つて|貰《もら》つて、|何《なん》とかせねばならぬと|思《おも》ひ、|相談《そうだん》をするのぢや』
|黒姫《くろひめ》『これは|又《また》、どえらい|失敗《しつぱい》をしたものですな、|夜警《やけい》にも|廻《まは》る|者《もの》が|無《な》かつたのかいな』
|高姫《たかひめ》『その|夜警《やけい》ぢやて、|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》らしう|見《み》せて|這入《はい》つて|来《き》よつて、|其奴《そいつ》が|手引《てびき》して|黄金《こがね》の|玉《たま》を|盗《ぬす》み、|何処《どこ》かへ|逃《に》げて|行《ゆ》きよつたのぢや。それだから|神様《かみさま》が|各自《めんめ》に|気《き》をつけて|置《お》けと|仰有《おつしや》るのぢや。|若《わか》い|者《もの》の|眠《ねむ》たい|盛《さか》りに|夜警《やけい》をさして、|寝《ね》つきの|悪《わる》い|年寄《としより》が、|無理《むり》に|寝《ね》ようとして|無精《ぶしやう》をかわくものだから、|神様《かみさま》が|改心《かいしん》の|為《た》めに|罰《ばつ》をあてなさつたのぢや。|之《これ》から|年寄《としより》は|夜《よる》|寝《ね》ぬ|事《こと》にして|下《くだ》さい。その|代《かは》り|昼《ひる》は|何程《いくら》なりと|寝《ね》て、|夜《よさり》は|気《き》を|付《つ》けて|貰《もら》はねば、|之《これ》から|先《さき》に|如何《どん》な|事《こと》が|起《おこ》るか|分《わか》つたものぢやない。|若《わか》い|者《もの》を|昼《ひる》|遊《あそ》ばし|夜《よさり》|夜警《やけい》をさすと、|屹度《きつと》|碌《ろく》な|事《こと》は|出来《でき》はしない。|夜分《やぶん》は|宵《よひ》から|寝《ね》させ、|昼《ひる》|働《はたら》けば|宜《よ》いのぢやに、|第一《だいいち》|幹部《かんぶ》のやり|方《かた》が|御神慮《ごしんりよ》に|叶《かな》はぬものだから、|斯《こ》んな|心配事《しんぱいごと》が|起《おこ》るのぢや。|黒姫《くろひめ》さま、ちつと|気《き》をつけなされや』
|黒姫《くろひめ》『ハイハイ、|気《き》をつけます。|何《なん》と|言《い》つても|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》|性来《しやうらい》だから|仕方《しかた》がありませぬワ。|悪《あく》の|御用《ごよう》をさされる|身魂《みたま》と|善《ぜん》の|御用《ごよう》をさされる|身魂《みたま》と、|神様《かみさま》が|立別《たてわ》けて|見《み》せて|下《くだ》さるのぢやから、|最前《さいぜん》も|高姫《たかひめ》さまが「|神《かみ》さまの|罰《ばち》が|当《あた》つた」と|仰有《おつしや》つたが、そりやチツトお|考《かんが》へ|違《ちが》ひぢやありませぬか。|神様《かみさま》|自《みづか》らがお|仕組《しぐみ》|遊《あそ》ばす|肝腎《かんじん》の|宝《たから》を|敵《てき》に|盗《と》られて|迄《まで》、|妾《わたし》|達《たち》に|罰《ばち》を|当《あ》てるなんて…|可怪《をか》しいぢやありませぬか。|妾等《わたしら》が|盗《と》られたのぢやない、|畢竟《つまり》|神様《かみさま》が|神業《かむわざ》の|宝《たから》を|盗《と》られなさつたのぢや、|謂《い》はば|神様《かみさま》に|罰《ばち》が|当《あた》つたのぢや。さうぢやから|素盞嗚尊《すさのをのみこと》|様《さま》は|善《よ》い|所《とこ》もあるけど、|変性女子《へんじやうによし》だから|間《あひさ》に|大縮尻《おほしくじり》をなさるのぢや。|緯《よこ》は|梭《さとく》が|落《お》ちたり|糸《いと》が|切《き》れると|言《い》ふのは、ここの|事《こと》でせう。|経《たて》は|一条《ひとすぢ》を|立《た》て|通《とほ》してさへ|居《を》れば|斯《こ》んな|事《こと》は|無《な》いのだけれどなア。アーア|然《しか》し|時世時節《ときよじせつ》には|神様《かみさま》も|叶《かな》はぬのだから、|妾等《わたしら》は|一旦《いつたん》|改心《かいしん》した|以上《いじやう》は、|時《とき》の|天下《てんか》に|従《したが》ふより|外《ほか》に|道《みち》は|有《あ》りませぬ、|大将《たいしやう》がしつかりしてくれぬと|下《した》の|者《もの》|迄《まで》が|難儀《なんぎ》をする。|一匹《いつぴき》の|馬《うま》が|狂《くる》へば|千匹《せんびき》の|馬《うま》が|狂《くる》ふとやら|言《い》うて、|良《よ》い|大将《たいしやう》の|神様《かみさま》が|欲《ほ》しいものだ。|如何《どう》しても|変性女子《へんじやうによし》の|身魂《みたま》が|我《が》を|張《は》つた|時《とき》は|斯《こ》んな|懲戒《みせしめ》が|出《で》て|来《く》るのぢや。|神《かみ》さんだつて|矢張《やつぱり》|失敗《しつぱい》はあるのだからなア』
|若彦《わかひこ》『これ、|黒姫《くろひめ》さま、そりやちつと|量見《りやうけん》が|違《ちが》ひはせぬか、|言《い》へばお|前《まへ》さま|達《たち》の|取締《とりしまり》が|悪《わる》いから|斯《こ》んな|事《こと》になつたのぢや。|自分《じぶん》の|責任《せきにん》を|棚《たな》へ|上《あ》げて|二《ふた》つ|目《め》には|瑞《みづ》の|御霊《みたま》さんへ|責任《せきにん》を|持《も》つて|行《ゆ》くのぢやな、|何程《なにほど》|千座《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》うて|下《くだ》さる|神《かみ》さまぢやと|言《い》うても……そいつア|余《あんま》りぢや、お|前《まへ》さまの|論法《ろんぱふ》は|脱線《だつせん》だらけぢやないか』
|黒姫《くろひめ》『ちつとは|脱線《だつせん》もしようかい、|天変地異《てんぺんちい》の|大騒動《おほさうどう》が|起《おこ》つとるのだから……|一《ひと》つや|二《ふた》つ|汽車《きしや》|電車《でんしや》の|脱線《だつせん》はありさうなものぢや』
|高姫《たかひめ》『|何時《いつ》まで|斯《こ》んな|事《こと》を|言《い》うて|居《を》つた|所《とこ》で、|黄金《こがね》の|玉《たま》は|帰《かへ》つて|来《く》る|気遣《きづか》ひも|無《な》し、お|玉《たま》の|方《かた》が|戻《もど》つて|御座《ござ》る|筈《はず》もない。ここは|一《ひと》つ|我々《われわれ》が|千騎一騎《せんきいつき》の|活動《くわつどう》をして、|生命《いのち》を|的《まと》に|黄金《こがね》の|玉《たま》を|取返《とりかへ》し、お|玉《たま》の|方《かた》を|探《さが》して|帰《かへ》つて|来《こ》ねば、|第一《だいいち》|我々《われわれ》|初《はじ》め|貴女等《あなたがた》の|責任《せきにん》が|済《す》みますまい』
|此《この》|時《とき》ガラガラと|表《おもて》の|戸《と》を|開《あ》けて|這入《はい》つて|来《き》た|二人《ふたり》の|男《をとこ》、|若彦《わかひこ》は|目早《めばや》く|見《み》て、
|若彦《わかひこ》『ヤア、お|前《まへ》はテルヂーにコロンボぢやないか、しつかり|夜警《やけい》をして|居《ゐ》るかな』
テルヂー『|夜警《やけい》も|神妙《しんめう》にやつて|居《ゐ》ますが、|黄金《こがね》の|玉《たま》を、|前《まへ》に|来《き》て|居《を》つた|徳《とく》の|野郎《やらう》|奴《め》、バラモン|教《けう》の|蜈蚣姫《むかでひめ》の|間者《まはしもの》と|共謀《ぐる》になりやがつて、ソツと|玉《たま》を|盗《ぬす》んで|行《ゆ》きやがつてからと|言《い》ふものは、|何《なん》の|為《た》めに|夜警《やけい》をするのやら|有名無実《いうめいむじつ》、|馬鹿《ばか》らしうて|夜警《やけい》も【やけ】|気味《ぎみ》になつて|来《き》ます|哩《わい》』
|高姫《たかひめ》『なに、あの|徳《とく》|奴《め》が|此《この》|間《あひだ》から|姿《すがた》を|見《み》せぬと|思《おも》へば、|彼奴《あいつ》が|手引《てびき》をして|居《を》つたのか。|何《なん》と|悪《わる》い|奴《やつ》ぢやな、それで|人《ひと》に|心《こころ》を|許《ゆる》すでないぞよと|神様《かみさま》が|仰有《おつしや》るのだ、|皆《みな》さまよう|聞《き》いて|下《くだ》さいや、うまい|事《こと》|言《い》うて|来《き》ても|神《かみ》に|伺《うかが》はねば|相手《あひて》になつては|往《い》かぬとのお|筆先《ふでさき》を|余《あんま》り|軽《かる》く|見《み》て|居《を》つたから、|斯《こ》んな|事《こと》になつて|仕舞《しま》ふのぢや』
|黒姫《くろひめ》『モシ|高姫《たかひめ》|様《さま》、|貴方《あなた》は|何時《いつ》も|徳《とく》さんは|偉《えら》い、|誠《まこと》の|人《ひと》ぢや、あんな|人《ひと》ばつかり|信者《しんじや》になつて|居《を》つたら、|三五教《あななひけう》は|一遍《いつぺん》に|世界《せかい》の|掌《てのひら》を|翻《かへ》す|事《こと》が|出来《でき》ると|云《い》うて|褒《ほ》めそやし、お|前《まへ》も|徳《とく》さまを|見習《みなら》うて|手本《てほん》にしなさいと|仰有《おつしや》いましたな。|貴方《あなた》の|仰有《おつしや》る|事《こと》を|聞《き》いて|手本《てほん》にでもして|居《を》つたものなら、|今頃《いまごろ》は|如何《どん》な|騒動《そうだう》がオツ|始《ぱじ》まつて|居《ゐ》るやら|分《わか》りやしませぬぞえ。|鼈《すつぽん》に|尻《けつ》の|穴《あな》を|吸《す》はれた|様《やう》な|惨目《みじめ》な|目《め》に|成《な》つて|仕舞《しま》ふのだ』
|高姫《たかひめ》『|黒姫《くろひめ》さま、お|前《まへ》は|何《なに》を|言《い》ふのぢやぞえ、|誰《たれ》がそんな|事《こと》を|言《い》うたのぢや。|一寸《ちよつと》|一遍《いつぺん》|手洗《てうづ》でも|使《つか》うて|来《き》なさい』
|言依別命《ことよりわけのみこと》は|何《なん》となく|心《こころ》いそいそして|寝《ねむ》られぬままに、|月《つき》の|光《ひかり》を|浴《あ》び、|杖《ステツキ》をついてブラブラと|此《この》|高殿《たかどの》の|前《まへ》にやつて|来《き》た。|屋内《をくない》の|争《いさか》ひ|声《ごゑ》に|耳《みみ》をとめ、|自《みづか》ら|雨戸《あまど》を|引《ひ》き|開《あ》けて|進《すす》み|入《い》り、
|言依別《ことよりわけ》『ヤア|皆《みな》さま、|遅《おそ》う|迄《まで》エライ|勉強《べんきやう》ですな、|何《なん》ぞ|結構《けつこう》なお|話《はなし》でもありますかな』
|高姫《たかひめ》『|貴方《あなた》は|高天原《たかあまはら》の|大将《たいしやう》ぢやありませぬか、|能《よ》うそんな|気楽《きらく》な|事《こと》を|言《い》うて|居《を》られますな、|肝腎要《かんじんかなめ》の|根本《こつぽん》のお|宝《たから》を|紛失《ふんしつ》し、お|玉《たま》の|方《かた》の|肉《にく》の|宮《みや》は|行方不明《ゆくへふめい》となつて、|妾《わたし》|達《たち》が|夜《よ》も|碌《ろく》によう|寝《ね》ず、|此《この》|通《とほ》り|目《め》を|赤《あか》うして|心配《しんぱい》をして|居《ゐ》ますのに、|貴方《あなた》は|何《なん》ともありませぬか。|貴方《あなた》が|余《あんま》り|平気《へいき》な|顔《かほ》して|御座《ござ》るものですから、|幹部《かんぶ》の|連中《れんちう》さまが|誰《たれ》も|彼《かれ》も、いや|惟神《かむながら》とか、|御都合《ごつがふ》だとか|言《い》つて、|尽《つく》すべき|事《こと》も|尽《つく》さず、|懐中《ふところ》に|手《て》を|束《つか》ね、|握《にぎ》り|麻羅《まら》でポカンとみて|居《を》るのぢや、ちつと|確《しつか》りして|下《くだ》さい』
|言依別《ことよりわけ》『ハヽヽヽヽ、エライ|御心配《ごしんぱい》を|掛《か》けて|済《す》みませぬな、|神様《かみさま》は|抜目《ぬけめ》が|有《あ》りませぬから、さう|心配《しんぱい》はなさいますな』
|高姫《たかひめ》『|抜目《ぬけめ》の|無《な》い|神様《かみさま》なら、なんで|其《そ》んな|大切《たいせつ》な|玉《たま》を|盗《と》られなさつたのぢや。|神《かみ》さまだつて|此方《こちら》から|気《き》をつけて|上《あ》げなければ|如何《どう》なるものか、こんな|不調法《ぶてうはふ》ばかりなさる、|筆先《ふでさき》にも「|何卒《どうぞ》|誠《まこと》の|者《もの》は|神《かみ》に|気《き》をつけて|下《くだ》されよ」と|現《あら》はれて|居《を》るぢやないか、|能《よ》うマア、ほんにほんにそんな|陽気《やうき》|浮気《うはき》で|如何《どう》して|此《この》|高天原《たかあまはら》の|城《しろ》が|保《たも》てますか、|大勢《おほぜい》の|者《もの》の|統一《とういつ》が|出来《でき》ますかい』
|言依別《ことよりわけ》『|黄金《こがね》の|玉《たま》も、お|玉《たま》の|方《かた》も、|何《いづ》れ|明日《あす》の|朝《あさ》か|昼頃《ひるごろ》には|此処《ここ》へ|帰《かへ》つて|見《み》えますよ。|神《かみ》さまがちやんと|仕組《しぐ》んで|居《を》られるから……|貴方等《あなたがた》が|何程《なにほど》|鯱《しやち》になつても|駄目《だめ》ですよ』
|此《この》|時《とき》|門《もん》の|戸《と》を|慌《あわただ》しく|叩《たた》き、
『モシモシ、|言依別神《ことよりわけのかみ》|様《さま》はお|見《み》えになつて|居《を》りませぬか』
|黒姫《くろひめ》『|誰《たれ》だいなア、|無作法《ぶさはふ》な……|戸《と》を|割《わ》れる|程《ほど》ポンポン|叩《たた》いて……ヤアお|前《まへ》は|谷丸《たにまる》ぢやな、|身体《しんたい》|維《こ》れ|谷丸《たにまる》|処《ところ》ぢや、|早《はや》う|彼方《あつち》へ|行《い》つて|夜警《やけい》をして|来《き》なさい』
|鬼丸《おにまる》『エー、|滅相《めつさう》な|夜警《やけい》どころですかい、|大変《たいへん》な|事《こと》が|起《おこ》りました。|何卒《どうぞ》|早《はや》う|言依別神《ことよりわけのかみ》|様《さま》に|帰《かへ》つて|貰《もら》ひ|度《た》いのです。|実《じつ》の|処《ところ》は|此《この》|間《あひだ》|盗《ぬす》まれた|黄金《こがね》の|玉《たま》とお|玉《たま》の|方《かた》が|今《いま》|表門《おもてもん》まで|無事《ぶじ》に|帰《かへ》られました』
|言依別《ことよりわけ》『|宗彦《むねひこ》も|一緒《いつしよ》に|帰《かへ》つたかな』
|鬼丸《おにまる》『ハイ、|宗彦《むねひこ》さまも、その|外《ほか》|三人《みたり》のお|伴《とも》もついてお|帰《かへ》りになりました』
|言依別命《ことよりわけのみこと》は|莞爾《にこにこ》し|乍《なが》ら|鬼丸《おにまる》を|伴《ともな》ひ|表門《おもてもん》へ|進《すす》み|行《ゆ》く。
|高姫《たかひめ》『サア|黒姫《くろひめ》さま、|青《あを》さま、|若《わか》さま、|紫《むらさき》さま、|如何《どう》しよう|如何《どう》しよう、|大変《たいへん》ぢや|大変《たいへん》ぢや』
|若彦《わかひこ》、|紫姫《むらさきひめ》、|黒姫《くろひめ》、|高姫《たかひめ》は|嬉《うれ》しさの|余《あま》り|室内《しつない》を|狼狽《うろた》へ|廻《まは》つて|居《ゐ》る。お|玉《たま》の|方《かた》に|抱《だ》かれて|黄金《こがね》の|玉《たま》の|御神体《ごしんたい》は|一《ひ》とまづ|錦《にしき》の|宮《みや》の|殿内《でんない》|深《ふか》く|納《をさ》まり|給《たま》うた。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
|言依別命《ことよりわけのみこと》は|祝意《しゆくい》を|表《へう》し|立《た》つて|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めたり。
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|三五教《あななひけう》の|神宝《かんだから》  |黄金《こがね》の|玉《たま》の|如意宝珠《によいほつしゆ》
バラモン|教《けう》の|曲神《まがかみ》に  そつと|盗《ぬす》まれ|言依《ことより》の
|別《わけ》の|命《みこと》は|驚《おどろ》いて  |錦《にしき》の|宮《みや》に|馳《は》せ|参《さん》じ
|玉照彦《たまてるひこ》や|玉照《たまてる》の  |姫《ひめ》の|命《みこと》に|伺《うかが》へば
|宝珠《ほつしゆ》の|玉《たま》は|三国岳《みくにだけ》  バラモン|教《けう》の|副棟梁《ふくとうりやう》
|心《こころ》の|鬼ケ城山《おにがじやうざん》に  |砦《とりで》|構《かま》へし|鬼熊別《おにくまわけ》の
|醜《しこ》の|魔神《まがみ》の|宿《やど》の|妻《つま》  |蜈蚣《むかで》の|姫《ひめ》の|鬼婆《おにば》さま
|岩窟《いはや》の|中《なか》に|立《た》て|籠《こも》り  |貴《うづ》の|宝《たから》を|奪《うば》ひ|取《と》り
お|玉《たま》の|方《かた》と|諸共《もろとも》に  |占奪《せんだつ》せりと|聞《き》きしより
|我《われ》は|神勅《しんちよく》|畏《かしこ》みて  |人《ひと》に|知《し》らさず|三五《あななひ》の
|道《みち》の|司《つかさ》の|新参者《しんざんもの》  |天《あめ》の|真浦《まうら》が|弟《おとと》なる
|心《こころ》の|清《きよ》き|宗彦《むねひこ》に  |旨《むね》を|含《ふく》めて|霧《きり》の|海《うみ》
|渡《わた》りて|三国《みくに》の|山奥《やまおく》に  |遣《つか》はしければ|宗彦《むねひこ》は
|使命《しめい》を|果《はた》し|漸《やうや》うに  お|玉《たま》の|方《かた》と|諸共《もろとも》に
いそいそ|此処《ここ》に|帰《かへ》りけり  |玉照彦《たまてるひこ》や|玉照姫《たまてるひめ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|神司《かんづかさ》  お|玉《たま》の|方《かた》の|三《み》つ|霊《みたま》
|黄金《こがね》の|玉《たま》の|五《い》つ|霊《みたま》  |三《み》つと|五《い》つとの|睦《むつ》み|合《あ》ひ
|此処《ここ》に|愈《いよいよ》|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》は|輝《て》り|渡《わた》る
|三五《さんご》の|月照彦《つきてるひこ》の|神《かみ》  |思《おも》ひも|此処《ここ》に|足真彦《だるまひこ》
|教《をしへ》は|四方《よも》に|弘子彦《ひろやすひこ》の  |神《かみ》の|命《みこと》と|現《あら》はれて
|悪《あ》しき|病《やまひ》も|少名彦《すくなひこ》  |愈《いよいよ》|神《かみ》の|御光《みひかり》も
|高照姫《たかてるひめ》や|純世姫《すみよひめ》  |真澄《ますみ》の|姫《ひめ》の|鑑《かがみ》なす
|尊《たふと》き|教《をしへ》も|竜世姫《たつよひめ》  |御代《みよ》も|豊《ゆたか》に|国治立《くにはるたち》の
|神《かみ》の|命《みこと》や|豊国姫《とよくにひめ》の  |瑞《みづ》の|御魂《みたま》のお|喜悦《よろこぴ》
|埴安彦《はにやすひこ》や|埴安姫《はにやすひめ》の  |清《きよ》き|御魂《みたま》も|勇《いさ》み|立《た》ち
|天津神《あまつかみ》|等《たち》|八百万《やほよろづ》  |国津神《くにつかみ》|等《たち》|八百万《やほよろづ》
|是《これ》の|聖地《せいち》に|神集《かむつど》ひ  |今日《けふ》の|生日《いくひ》の|喜悦《よろこび》を
|祝《ことほ》ぎ|給《たま》ふ|嬉《うれ》しさよ  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはひ》|坐《ま》しまして  |世《よ》は|久方《ひさかた》の|空《そら》|高《たか》く
|天津日嗣《あまつひつぎ》の|永久《とこしへ》に  |動《うご》かぬ|御代《みよ》と|守《まも》りませ
|円山姫《まるやまひめ》の|守《まも》られし  |黄金《こがね》の|玉《たま》は|恙《つつが》なく
|再《ふたた》び|此処《ここ》に|復《かへ》りまし  |五六七神政《みろくしんせい》の|神業《かむわざ》の
|光《ひかり》と|現《あら》はれ|給《たま》ふらむ  |勇《いさ》めよ|勇《いさ》め|諸人《もろびと》よ
|人《ひと》が|勇《いさ》めば|神《かみ》|勇《いさ》む  |吾《われ》は|言依別命《ことよりわけのみこと》
コーカス|山《ざん》や|斎苑館《いそやかた》  |珍《うづ》の|都《みやこ》のヱルサレム
エデンの|園《その》に|現《あ》れませる  |御神《みかみ》も|共《とも》に|喜《よろこ》びて
|堅磐常磐《かきはときは》に|何時《いつ》までも  |栄《さか》えませよと|祈《いの》りつつ
|日《ひ》の|出神《でのかみ》や|日《ひ》の|出別《でわけ》  |木《こ》の|花姫《はなひめ》の|御活動《おはたらき》
|天地《てんち》の|神《かみ》も|三五《あななひ》の  |教《をしへ》の|司《つかさ》も|信徒《まめひと》も
|歓《えら》ぎ|喜《よろこ》び|舞《ま》ひ|遊《あそ》ぶ  |鶴《つる》の|齢《よはひ》の|末長《すゑなが》く
|亀《かめ》|万歳《ばんざい》の|永久《とこしへ》に  |守《まも》らせ|給《たま》ふ|此《この》|教《をしへ》
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸倍《さちはひ》|坐《ま》しませよ』
(大正一一・五・一四 旧四・一八 北村隆光録)
|霊《たま》の|礎《いしずゑ》(六)
一、|第一天国《だいいちてんごく》たる|最高《さいかう》|最勝《さいしよう》の|位置《ゐち》を|占《しめ》たる|天国《てんごく》の|天人《てんにん》の|姿《すがた》は、|実《じつ》に|花《はな》の|如《ごと》く、|黄金《わうごん》の|如《ごと》く、|瑠璃光《るりくわう》の|如《ごと》く、|且《かつ》|金剛石《こんがうせき》の|幾十倍《いくじふばい》とも|知《し》れないやうな、|肌《はだ》の|色《いろ》を|保《たも》つて|居《を》る|天人《てんにん》ばかりである。そして|大抵《たいてい》は|有色《いうしよく》|人種《じんしゆ》、|殊《こと》に|黄色《くわうしよく》|人種《じんしゆ》が|多《おほ》く、|白色《はくしよく》|人種《じんしゆ》は|其《その》|数《すう》に|於《おい》て|余程《よほど》|少数《せうすう》である。|之《これ》を|第二《だいに》、|第三《だいさん》の|天国《てんごく》の|住民《ぢうみん》より|仰《あふ》ぎ|見《み》る|時《とき》は、|只《ただ》|単《たん》に|像《ざう》が|強力《がうりき》なる|光輝《くわうき》を|放射《はうしや》して|居《ゐ》るやうで、|充分《じゆうぶん》に|見分《みわ》くることが|出来《でき》ない。
|又《また》|第二《だいに》、|第三《だいさん》の|天国《てんごく》には|白色《はくしよく》|人種《じんしゆ》も|多数《たすう》に|住《す》み、|有色《いうしよく》|人種《じんしゆ》も|多数《たすう》に|住居《ぢうきよ》して|居《ゐ》る。そして|白色《はくしよく》|人種《じんしゆ》は|白色《はくしよく》|人種《じんしゆ》で|団体《だんたい》を|造《つく》り、ここに|集合《しふがふ》し、|有色《いうしよく》|人種《じんしゆ》は|比較的《ひかくてき》に|少《すくな》いやうである。
|又《また》|宗教《しうけう》の|異同《いどう》に|依《よ》つて、|人霊《じんれい》の|到《いた》る|天国《てんごく》も|違《ちが》つて|居《を》る。|仏教《ぶつけう》|信者《しんじや》は|仏教《ぶつけう》の|団体《だんたい》なる|天国《てんごく》へ|上《のぼ》り、|耶蘇教《やそけう》|信者《しんじや》は|耶蘇教《やそけう》の|団体《だんたい》なる|天国《てんごく》へ|上《のぼ》り、|回々教《ふいふいけう》|信者《しんじや》は|回々教《フイフイけう》の|団体《だんたい》なる|天国《てんごく》へ|上《のぼ》り、それ|相応《さうおう》の|歓喜《くわんき》を|摂受《せつじゆ》して、|天国《てんごく》の|神業《しんげふ》に|従事《じゆうじ》して|居《ゐ》る。また|神道《しんだう》の|信者《しんじや》は|神道《しんだう》の|団体《だんたい》なる|天国《てんごく》に|上《のぼ》り、|神業《しんげふ》に|従事《じゆうじ》して|居《ゐ》る。そして|神道《しんだう》の|中《うち》にも|種々《しゆじゆ》の|派《は》が|分《わ》かれ、|各自《かくじ》|違《ちが》つた|信仰《しんかう》を|持《も》つて|居《ゐ》るものは、|又《また》それ|相当《さうたう》の|団体《だんたい》にあつて|活動《くわつどう》し、|歓喜《くわんき》に|浴《よく》して、|天国《てんごく》の|生涯《しやうがい》を|楽《たのし》んで|居《ゐ》る。
一、|如何《いか》なる|宗教《しうけう》と|雖《いへど》も、|善《ぜん》を|賞《しやう》し|悪《あく》を|憎《にく》まない|教《をしへ》の|無《な》い|限《かぎ》り、|何《いづ》れの|宗教《しうけう》|信者《しんじや》も|各自《かくじ》|天国《てんごく》へ|上《のぼ》り|得《う》る|資格《しかく》は|在《あ》る。|併《しか》しその|教《をしへ》にして|充分《じゆうぶん》に|徹底《てつてい》したものは、|堂《どう》しても|高《たか》き|優《すぐ》れたる|天国《てんごく》が|開《ひら》かれてあるから、|不徹底《ふてつてい》にして、|霊界《れいかい》の|消息《せうそく》に|暗《くら》いやうな|宗教《しうけう》の|天国《てんごく》は|実《じつ》に|最下方《さいかはう》にあつて、|見聞《けんぶん》の|狭《せま》い|人間《にんげん》のみの|団体《だんたい》が|造《つく》られてある。|現代《げんだい》の○○|教《けう》や○○|教《けう》などは、|倫理的《りんりてき》|教理《けうり》のみに|堕《だ》して|居《ゐ》て、|肝腎《かんじん》の|霊界《れいかい》の|消息《せうそく》を|教《をし》へない、|否《いな》|霊界《れいかい》の|真相《しんさう》を|徹底的《てつていてき》に|知悉《ちしつ》して|居《ゐ》ないから、|却《かへつ》て|中有界《ちううかい》に|逍遥《せうえう》する|人間《にんげん》が|多《おほ》い。
|凡《すべ》て|天国《てんごく》の|団体《だんたい》に|加入《かにふ》し|得《う》るものは、|神《かみ》を|固《かた》く|信《しん》じ、|篤《あつ》く|愛《あい》し|得《う》るものである。|不信仰《ふしんかう》にして|天国《てんごく》に|到《いた》る|者《もの》も|有《あ》るが|極《きは》めて|少数《せうすう》である。|何《いづ》れの|宗教《しうけう》も|信《しん》ぜず、|守《まも》らず|神《かみ》の|存在《そんざい》を|知《し》らずして|天国《てんごく》へ|往《い》つたものは、|大変《たいへん》に|魔誤《まご》|付《つ》き、|後悔《こうくわい》し、|且《か》つ|天国《てんごく》や|死後《しご》の|生涯《しやうがい》の|在《あ》りしことに|驚《おどろ》くものである。|又《また》|現界《げんかい》に|在《あ》る|時《とき》、|熱心《ねつしん》に|宗教《しうけう》を|信《しん》じ、|神《かみ》を|唱《とな》へながら、|天国《てんごく》に|上《のぼ》り|得《え》ずして|中有界《ちううかい》に|迷《まよ》つたり、|甚《はなは》だしきは|地獄《ぢごく》へさへ|落《お》つる|人間《にんげん》もある。|神仏《しんぶつ》の|教導職《けうだうしよく》にして|却《かへつ》て|天国《てんごく》に|上《のぼ》り|得《え》ず、|中有界《ちううかい》に|迷《まよ》ひ、|或《あるひ》は|地獄《ぢごく》に|落《お》つるものは|随分《ずゐぶん》に|沢山《たくさん》ある。|神仏《しんぶつ》を|種《たね》にして、|現界《げんかい》に|於《おい》て|表面《へうめん》|善人《ぜんにん》を|装《よそほ》ひつつ、|内心《ないしん》に|信仰《しんかう》なく、|愛《あい》|無《な》く、|神仏《しんぶつ》を|認《みと》めない|宣教者《せんけうしや》は、|死後《しご》の|生涯《しやうがい》は|実《じつ》に|哀《あは》れなものである。|又《また》|熱心《ねつしん》にして|良《よ》く|神《かみ》を|認《みと》め、|愛《あい》と|信《しん》とに|全《まつた》き|者《もの》は、|死後《しご》|天国《てんごく》の|団体《だんたい》に|加入《かにふ》し、|歓喜《くわんき》を|尽《つく》しつつあるに|引替《ひきか》へ|肝腎《かんじん》の|天国《てんごく》の|案内役《あんないやく》ともいふべき|宣教者《せんけうしや》が、|却《かへつ》て|地獄落《ぢごくおち》が|多《おほ》くて|天国行《てんごくゆ》きが|尠《すくな》いのは、|所謂《いはゆる》|神仏《しんぶつ》|商売《しやうばい》の|人間《にんげん》が|多《おほ》い|故《ゆゑ》である。|現界《げんかい》に|於《おい》て|為《な》すべき|事業《じげふ》も、|又《また》|商売《しやうばい》も|沢山《たくさん》にあるに、それには|関係《くわんけい》せず、|濡手《ぬれて》で|粟《あは》を|掴《つか》む|様《やう》なことや、|働《はたら》かずして、|神仏《しんぶつ》を|松魚節《かつをぶし》に|使《つか》つて|居《ゐ》る、|似而非宗教家《えせしうけうか》ぐらゐ、|霊界《れいかい》に|於《おい》て|始末《しまつ》の|悪《わる》いものは|無《な》く、|且《か》つ|地獄行《ぢごくゆ》きの|多《おほ》いものはない。
一、|高天原《たかあまはら》に|於《お》ける|団体《だんたい》は、|大《だい》なるものは|十万人《じふまんにん》もあり、|五万人《ごまんにん》、|三万人《さんまんにん》、|一万人《いちまんにん》、|五千人《ごせんにん》、|尠《すくな》い|団体《だんたい》になると|四五十人《しごじふにん》のもある。|故《ゆゑ》に|各自《かくじ》の|団体《だんたい》の|天人《てんにん》は、|自分《じぶん》の|団体《だんたい》の|一人《ひとり》でも|多《おほ》くなることを|希望《きばう》して|居《ゐ》るから、|天国《てんごく》へ|上《のぼ》り|来《きた》る|人間《にんげん》に|対《たい》して、|非常《ひじやう》なる|好感《かうかん》を|以《もつ》て|迎《むか》へる。
一、|又《また》|天国《てんごく》の|団体《だんたい》にある|天人《てんにん》は、|何《いづ》れも|男子《だんし》なれば|現界人《げんかいじん》の|三十才《さんじつさい》|前後《ぜんご》、|女子《ぢよし》なれば|二十才《にじつさい》|前後《ぜんご》の|若《わか》い|姿《すがた》である。この|故《ゆゑ》は|現界人《げんかいじん》の|肉体《にくたい》は|物質界《ぶつしつかい》の|法則《はふそく》に|由《よ》つて、|年々《ねんねん》に|老衰《らうすゐ》して|頭《かしら》に|白雪《しらゆき》を|頂《いただ》き、|身体《しんたい》に|皺《しわ》の|寄《よ》るものであるが、|人間《にんげん》の|霊魂《れいこん》や|情動《じやうだう》は|不老不死《ふらうふし》であつて、どこ|迄《まで》も|変《かは》らないものだから、|精霊界《せいれいかい》の|天人《てんにん》は|年《とし》が|寄《よ》つても、|姿《すがた》は|変《へん》じない。
|故《ゆゑ》に、|現界《げんかい》に|於《おい》て|八九十才《はちくじつさい》にて|死《し》んだ|人間《にんげん》も、|精霊界《せいれいかい》の|天国《てんごく》へ|復活《ふくくわつ》した|後《のち》は、その|強壮《きやうさう》な|霊魂《れいこん》の|儘《まま》で|居《を》るのだから、|決《けつ》して|老衰《らうすゐ》するといふことは|無《な》い。|天人《てんにん》にも|五衰《ごすゐ》といふ|説《せつ》があるが、それは|決《けつ》して|天人《てんにん》の|事《こと》ではない、|霊界《れいかい》の|八衢《やちまた》に|彷徨《はうくわう》して|居《ゐ》る|中有界《ちううかい》の|人間《にんげん》の|事《こと》である。|故《ゆゑ》に|天国《てんごく》へ|往《い》つた|時《とき》に、|自分《じぶん》の|現界《げんかい》の|父母《ふぼ》や|兄妹《きやうだい》、|又《また》は|朋友《ほういう》、|知己《ちき》なぞに|会《あ》つても|一寸《ちよつと》には|気《き》の|付《つ》かない|如《や》うなことが|沢山《たくさん》にある。その|故《ゆゑ》は|自分《じぶん》の|幼児《えうじ》たりし|子《こ》は|既《すで》に|天国《てんごく》にて|成長《せいちやう》し、|老《おい》たる|父母《ふぼ》は|自分《じぶん》と|同様《どうやう》に|壮者《さうしや》の|霊身《れいしん》を|保《たも》ちて|居《を》るからである。|然《さ》れど|能《よ》く|能《よ》く|見《み》る|時《とき》は、|何処《どこ》ともなしにその|俤《おもかげ》が|残《のこ》つて|居《を》る。|精霊《せいれい》の|世界《せかい》は|凡《すべ》てが|霊的《れいてき》の|要素《えうそ》から|成《な》り|立《た》つて|居《を》るから、|現界《げんかい》の|事物《じぶつ》の|如《ごと》く、|容易《ようい》に|変遷《へんせん》するものではない。|是《これ》が|精霊界《せいれいかい》と|肉体界《にくたいかい》との|相違《さうゐ》せる|点《てん》である。
アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
大正十一年十二月
|霊《たま》の|礎《いしずゑ》(七)
|凡《すべ》ての|人《ひと》は|死《し》して|後《のち》  |天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|昇《のぼ》り|行《ゆ》く
|無限《むげん》の|歓喜《くわんき》に|浴《よく》すべき  |人間《にんげん》|特有《とくいう》の|資質《ししつ》あり
これ|神《かみ》ごころ|大和魂《やまとだま》  |仏者《ぶつしや》の|所謂《いはゆる》|仏性《ぶつしやう》ぞ
そもそも|人《ひと》は|色々《いろいろ》と  |輪廻転生《りんねてんしやう》の|門《もん》を|越《こ》え
|禽獣虫魚《きんじうちうぎよ》の|境涯《きやうがい》を  |渉《わた》りて|現世《げんせ》に|人間《にんげん》と
|生《うま》れ|来《き》たりし|者《もの》もあり  |高天原《たかあまはら》の|天人《てんにん》が
|男女《だんぢよ》|情交《じやうかう》のその|結果《けつくわ》  |霊子《れいし》となりて|地《ち》に|蒔《ま》かれ
|因縁《いんねん》ふかき|男子《だんし》|女子《ぢよし》  |陰《いん》と|陽《やう》との|水火《いき》の|中《なか》に
|交《まじ》はり|入《い》りて|生《うま》るあり  |人《ひと》の|霊魂《みたま》は|至精《しせい》|至微《しび》
|過去《くわこ》と|現在《げんざい》|未来《みらい》との  |区別《くべつ》も|知《し》らず|生《い》き|通《とほ》し
|幾万劫《いくまんごふ》の|昔《むかし》より  |生死《せいし》の|途《みち》を|往来《わうらい》し
|善果《ぜんくわ》を|積《つ》みて|人間《にんげん》と  |漸《やうや》く|生《うま》れたる|上《うへ》は
|如何《いか》でか|高天《たかま》の|天国《てんごく》へ  |昇《のぼ》り|得《え》られぬ|事《こと》やある
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|仁慈《じんじ》ぞ|有難《ありがた》き。
|神《かみ》の|御子《みこ》たる|人《ひと》の|身《み》は  |善悪正邪《ぜんあくせいじや》に|拘《かか》はらず
|高天原《たかあまはら》の|天国《てんごく》へ  |上《のぼ》りて|諸《もろ》の|歓楽《くわんらく》を
|味《あぢ》はひ|得《う》べき|萌芽《ほうが》あり  これを|称《しよう》して|神性《しんしやう》といふ
|偶《たまたま》|根底《ねそこ》の|暗界《あんかい》へ  |墜《お》ちて|苦《くる》しむ|者《もの》あるは
|体主霊従《たいしゆれいじう》|利己主義《りこしゆぎ》や  |我性我執《がしやうがしふ》の|妖雲《えううん》に
おほはれ|自《みづか》ら|身《み》を|破《やぶ》り  |自《みづか》ら|地獄《ぢごく》の|因《いん》を|蒔《ま》き
|自《みづか》ら|苦悶《くもん》の|深淵《しんえん》に  |沈《しづ》み|溺《おぼ》るる|魂《たま》のみぞ
さは|然《さ》りながら|天地《あめつち》を  |造《つく》り|玉《たま》ひし|主《す》の|神《かみ》は
|至仁《しじん》|至愛《しあい》に|坐《ま》しませば  |極悪無道《ごくあくぶだう》の|人間《にんげん》も
|容易《ようい》に|悪《にく》ませ|給《たま》ふ|無《な》く  |天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|救《すく》はむと
|天《てん》の|使《つかひ》を|地《ち》に|降《くだ》し  |神《かみ》の|尊《たふと》き|御教《みをしへ》を
うまらにつばらに|隈《くま》もなく  |開《ひら》かせたまひて|世《よ》の|人《ひと》を
|導《みちび》き|給《たま》ふぞありがたき。
|神《かみ》の|御眼《みめ》より|見給《みたま》へば  |聖人君子《せいじんくんし》も|小人《せうじん》も
|智者《ちしや》と|愚者《ぐしや》との|区別《くべつ》なく  |一切《いつさい》|平等《べうどう》に|映《えい》じ|給《たま》ふ
これぞ|仁愛《みろく》のこころなり  |実相真如《じつさうしんによ》の|太陽《たいやう》は
|生死《せいし》の|長夜《ちやうや》を|照却《せうきやく》し  |本有常住《ほんうじやうぢゆう》の|月神《げつしん》は
|煩悩《ぼんなう》の|迷雲《めいうん》|破却《はきやく》なし  |現世《げんせ》の|人《ひと》は|昔《むかし》より
|例《ため》しもあらぬ|聖代《せいだい》に  いとも|尊《たふと》く|生《うま》れ|遇《あ》ひ
|仁慈《じんじ》の|教《をしへ》を|蒙《かうむ》りて  |心《こころ》の|暗《やみ》を|押開《おしひら》き
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|手引《てびき》をば  |開示《かいじ》されたる|尊《たふと》さは
|渡《わた》りに|舟《ふね》を|得《え》し|如《ごと》く  |金剛不壊《こんがうふゑ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》
|双手《もろて》に|受《う》けしその|如《ごと》く  |暗夜《あんや》に|炬火《きよくわ》を|得《え》し|如《ごと》し
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|仁慈《じんじ》の|限《かぎ》り|無《な》く
|窮極《きうきよく》なきに|咽《むせ》びつつ  |感謝《かんしや》の|波《なみ》に|漂《ただよ》ひぬ
そもそも|人《ひと》の|心霊《しんれい》は  |幸福《かうふく》|以外《いぐわい》の|物々《ぶつぶつ》に
|対《たい》して|一切《いつさい》|無感覚《むかんかく》  なるべく|造《つく》られ|居《を》るものぞ
|故《ゆゑ》に|諸人《しよじん》の|心霊《しんれい》は  |無限《むげん》の|歓喜《くわんき》を|永遠《ゑいゑん》に
|享《う》けむが|為《た》めに|存在《そんざい》す  |人《ひと》の|心霊《しんれい》の|歓喜《くわんき》とは
|一々《いちいち》|知悉《ちしつ》し|理解《りかい》する  ことに|由《よ》りての|歓喜《くわんき》なり
|此《こ》の|世《よ》に|生《うま》れて|何事《なにごと》も  |知悉《ちしつ》し|得《え》られず|理解《りかい》せず
|暗黒無明《あんこくむみやう》の|生涯《しやうがい》を  |送《おく》るもの|程《ほど》|悲《かな》しみの
|深《ふか》きものこそ|無《な》かるべし  |第一《だいいち》|死後《しご》の|生涯《しやうがい》に
|対《たい》して|無知識《むちしき》なることは  |悲哀《ひあい》の|中《なか》の|悲哀《ひあい》なり
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ。
大正十一年十二月
(昭和一〇・六・五 王仁校正)
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霊界物語 第二〇巻 如意宝珠 未の巻
終り