霊界物語 第一七巻 如意宝珠 辰の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第十七巻』愛善世界社
1996(平成8)年08月25日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年03月27日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|凡例《はんれい》
|総説歌《そうせつか》
第一篇 |雪山幽谷《せつざんいうこく》
第一章 |黄金《わうごん》の|衣《ころも》〔六一二〕
第二章 |魔《ま》の|窟《いはや》〔六一三〕
第三章 |生死《せいし》|不明《ふめい》〔六一四〕
第四章 |羽化登仙《うくわとうせん》〔六一五〕
第五章 |誘惑婆《いうわくばば》〔六一六〕
第六章 |瑞《みづ》の|宝座《はうざ》〔六一七〕
第二篇 |千態万様《せんたいばんやう》
第七章 |枯尾花《かれをばな》〔六一八〕
第八章 |蚯蚓《みみず》の|囁《ささやき》〔六一九〕
第九章 |大逆転《だいぎやくてん》〔六二〇〕
第一〇章 |四百種病《しひやくしゆびやう》〔六二一〕
第一一章 |顕幽《けんいう》|交通《かうつう》〔六二二〕
第三篇 |鬼ケ城山《おにがじやうざん》
第一二章 |花《はな》と|花《はな》〔六二三〕
第一三章 |紫姫《むらさきひめ》〔六二四〕
第一四章 |空谷《くうこく》の|足音《そくいん》〔六二五〕
第一五章 |敵味方《てきみかた》〔六二六〕
第一六章 |城攻《しろぜめ》〔六二七〕
第一七章 |有終《いうしう》の|美《び》〔六二八〕
|霊《たま》の|礎《いしずゑ》(三)
|暁山雲《げうざんのくも》(謡曲)
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|序文《じよぶん》
|本巻《ほんくわん》は|陰暦《いんれき》|三月《さんぐわつ》|二十五日《にじふごにち》より|二十七日《にじふしちにち》、|即《すなは》ち|四月《しぐわつ》|二十一日《にじふいちにち》より|二十三日《にじふさんにち》の|三日間《みつかかん》に|亘《わた》り|口述《こうじゆつ》したるものでありまして、|比沼《ひぬ》の|真名井ケ原《まなゐがはら》|参拝《さんぱい》より、|丹波村《たんばむら》お|節《せつ》|親子《おやこ》の|邪教《じやけう》|宣伝者《せんでんしや》|黒姫《くろひめ》|撃退《げきたい》、|並《ならび》に|鬼ケ城《おにがじやう》に|割拠《かつきよ》せる|鬼熊別《おにくまわけ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》|夫婦《ふうふ》の|邪神《じやしん》、|数多《あまた》の|魔軍《まぐん》を|振捨《ふりす》て、|天《あま》の|磐船《いはふね》に|身《み》を|任《まか》せ、|天空《てんくう》|高《たか》く|姿《すがた》を|隠《かく》したる|所《ところ》までの、|山岳《さんがく》を|中心《ちうしん》とする|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》であります。
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|悦子姫《よしこひめ》、|音彦《おとひこ》、|加米彦《かめひこ》、|青彦《あをひこ》を|始《はじ》め、|魔神《まがみ》の|為《ため》に|三岳山《みたけやま》の|岩窟《がんくつ》に|捕《とら》はれ|居《ゐ》たる|紫姫《むらさきひめ》|主従《しゆじゆう》|三人《さんにん》が|救《すく》はれて、|之《これ》に|参加《さんか》せる|言霊戦《ことたません》を|以《もつ》て|本巻《ほんくわん》の|終局《しうきよく》としてあります。|地名《ちめい》|等《とう》に|於《おい》て、|現代《げんだい》とは|少々《せうせう》|変《かは》つて|居《を》りますが、|分《わか》り|易《やす》くするため、|新《あたら》しき|地名《ちめい》を|用《もち》ゐて|口述《こうじゆつ》して|置《お》きました。|特《とく》に|注意《ちうい》すべき|事《こと》は、|神界《しんかい》|幽界《いうかい》|現界《げんかい》|共通《きやうつう》の|面白《おもしろ》き|場面《ばめん》が|現《あら》はれ|居《を》る|事《こと》であります。|見落《みおと》しなくお|読《よ》み|下《くだ》さい。
大正十一年四月二十三日
於瑞祥閣 王仁
|凡例《はんれい》
一、|本巻《ほんくわん》に|現《あら》はれてゐる|地名《ちめい》は、|現代《げんだい》と|多少《たせう》|違《ちが》つてゐるのもありますが、|多《おほ》くわれわれに|親《した》しみをもつた|地名《ちめい》ですから、|興味《きようみ》を|感《かん》じつつ|読《よ》ンで|行《ゆ》くことが|出来《でき》るでありませう。
一、『|霊《たま》の|礎《いしずゑ》』は、|雑誌《ざつし》『|神《かみ》の|国《くに》』に|連載《れんさい》されましたが、|非常《ひじやう》に|貴重《きちよう》なものであると|信《しん》じますので、|本書《ほんしよ》にも|巻《くわん》を|逐《お》うて|掲載《けいさい》いたします。
一、|巻末《くわんまつ》の『|暁山雲《げうざんのくも》』は、|瑞月《ずゐげつ》|聖師《せいし》が|謡曲《えうきよく》の|形式《けいしき》に|作《つく》られたものです。そして|節付《ふしつけ》もなされたのでありますが、その|符号《ふがう》は|印刷上《いんさつじやう》|都合《つがふ》よくゆき|兼《かね》ますので、|単《たん》に|本文《ほんぶん》たけを|載《の》せておきました。
大正十一年十二月
編者識
|総説歌《そうせつか》
|西《にし》に|半国《はんごく》|聳《そび》え|立《た》ち  |東《ひがし》に|愛宕《あたご》の|峰《みね》|高《たか》く
|南《みなみ》|遥《はるか》に|妙見《めうけん》の  |山《やま》|雲表《うんぺう》に|屹立《きつりつ》し
|帝釈山《たいしやくざん》は|北方《ほつぱう》に  コバルト|色《いろ》を|染《そ》め|出《いだ》し
|若芽《わかめ》に|萌《も》ゆる|山屏風《やまびやうぶ》  |中《なか》の|穴太《あなほ》に|牛《うし》|飼《か》ひし
|吾《わが》|故郷《ふるさと》に|名《な》も|高《たか》き  |西国《さいこく》|二十一番《にじふいちばん》の
|札所《ふだしよ》と|聞《きこ》えし|穴太寺《あなほでら》  |故郷《こきやう》を|出《い》でて|二十五年《にじふごねん》
|神《かみ》の|真道《まみち》に|服《まつろ》ひて  |幼稚心《をさなごころ》に|慕《した》ひたる
|三十三相《さんじふさんさう》|備《そな》へます  |聖《ひじり》に|対《たい》し|尻喰《しりくら》ひ
|観音《くわんのん》さまとて|棄《す》てられず  |松村《まつむら》|加藤《かとう》|中野氏《なかのうぢ》
|筆《ふで》の|勇者《ゆうしや》を|伴《ともな》ひて  |三日三夜《みつかみよさ》を|棒《ぼう》に|振《ふ》り
|帰《かへ》つて|一日《いちにち》グウグウと  |疲労《くたびれ》|休《やす》み|気《き》の|休《やす》み
|愈《いよいよ》|腹帯《はらおび》|締《し》めなをし  |語《かた》り|出《い》でたる|大江山《おほえやま》
|悪魔《あくま》|退治《たいぢ》の|其《その》|続《つづ》き  |黄金《こがね》の|色《いろ》の|花《はな》|咲《さ》きて
|地《ち》は|一面《いちめん》の|銀世界《ぎんせかい》  |真名井ケ原《まなゐがはら》に|詣《まう》でむと
せう|事《こと》なさのまる|裸《はだか》  |寒《さむ》さ|耐《こら》へて|登《のぼ》り|行《ゆ》く
|爺《ぢ》サン|婆《ば》サンや|娘子《むすめご》を  |背中《せなか》に|負《お》うて|比治山《ひぢやま》の
|峠《たうげ》の|上《うへ》に|登《のぼ》り|行《ゆ》く  |寒《さむ》さは|寒《さむ》し|忽《たちま》ちに
|五人男《ごにんをとこ》は|昇天《しようてん》し  |親子《おやこ》|三人《さんにん》|是非《ぜひ》もなく
|進《すす》み|行《ゆ》く|手《て》に|黒姫《くろひめ》が  |伏屋《ふせや》の|中《なか》より|現《あら》はれて
|力《ちから》|限《かぎ》りに|喰《くら》ひとめる  |信神《しんじん》|堅固《けんご》の|老爺《ぢぢ》、|娘《むすめ》
|婆《ばば》の|話《はなし》を|聞捨《ききす》てて  |勇《いさ》み|進《すす》みて|比沼真名井《ひぬまなゐ》
|清水《しみづ》|湧《わ》き|出《で》る|霊場《れいぢやう》に  |首尾《しゆび》|能《よ》く|詣《まう》で|立帰《たちかへ》り
|手桶《てをけ》をさげて|庭《には》の|面《おも》  ウンと|転《こ》けたが|病就《やみつき》で
|爺《ぢ》サンは|幽界《あのよ》の|人《ひと》となり  |又《また》もや|娘《むすめ》が|病気《いたづき》の
|床《とこ》に|苦《くるし》み|日《ひ》に|夜《よる》に  |痩衰《やせおとろ》へしお|節嬢《せつぢやう》
|婆《ばば》の|頼《たの》みに|黒姫《くろひめ》は  |肩《かた》を|怒《いか》らし|出《い》で|来《きた》り
|訳《わけ》の|分《わか》からぬお|筆先《ふでさき》  ウラナイ|教《けう》の|宣伝歌《せんでんか》
|汗《あせ》を|流《なが》して|宣《の》りつれば  |病《やまひ》は|益々《ますます》|重《おも》くなり
これや|堪《たま》らぬと|黒姫《くろひめ》は  |神界《しんかい》|御用《ごよう》が|急《せ》く|故《ゆゑ》に
|妾《わたし》は|帰《かへ》らにやならないと  |態《てい》よく|此《この》|場《ば》を|逃《に》げ|帰《かへ》る
|娘《むすめ》のお|節《せつ》は|夢心地《ゆめごこち》  |仮死《かし》|状態《じやうたい》に|陥《おちい》りて
|荒野ケ原《あれのがはら》をトボトボと  |進《すす》み|行《ゆ》く|居《を》り|忽《たちま》ちに
|裸男《はだかをとこ》の|五人連《ごにんづ》れ  お|節《せつ》を|見《み》かけ|打《うち》かかり
|危《あやふ》く|見《み》えし|折柄《をりから》に  |顔色《かほいろ》|青《あを》き|青彦《あをひこ》の
|霊魂《みたま》|忽《たちま》ち|現《あら》はれて  |娘《むすめ》の|難《なん》を|救《すく》ひたり
お|節《せつ》は|呼吸《いき》を|吹《ふ》き|返《かへ》し  |喜《よろこ》ぶ|折《をり》しも|黒姫《くろひめ》が
|大《おほ》きな|面《つら》して|出《い》で|来《きた》り  |何《なん》ぢやカンぢやと|減《へ》らず|口《ぐち》
|時《とき》しもあれや|青彦《あをひこ》は  |肉体《にくたい》さげて|入来《いりきた》り
お|楢婆《ならば》サンの|懇望《こんばう》に  お|節《せつ》を|嫁《よめ》に|貰《もら》はうと
|半《なかば》|約《やく》して|帰《かへ》り|行《ゆ》く  |三岳《みたけ》の|山《やま》を|乗《の》り|越《こ》えて
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |曲津《まがつ》の|巣《すく》ふ|鬼ケ城《おにがじやう》
|鉾《ほこ》を|揃《そろ》へて|一斉《いつせい》に  |言霊戦《ことたません》を|開始《かいし》する
|実《げ》に|面白《おもしろ》き|物語《ものがたり》  |瑞祥閣《ずゐしやうかく》に|北枕《きたまくら》
|火鉢《ひばち》|眺《なが》めて|西《にし》を|向《む》き  |黒《くろ》い|顔《かほ》をば|睨《にら》み|合《あ》ひ
ボンボリ|灯《つ》けて|筆《ふで》を|執《と》る  |松村《まつむら》|北村《きたむら》|加藤氏《かとううぢ》
|東尾《ひがしを》|吉雄氏《よしをし》|四人連《よにんづ》れ  |縦横無尽《じうわうむじん》に|書《か》きまくる
|現幽神界《げんいうしんかい》|混同《こんどう》の  |夢物語《ゆめものがたり》|面黒《おもくろ》し
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》の|幸《さち》を|賜《たま》へかし
|頭《あたま》かしかし|穴《あな》かしこ。
大正十一年四月二十三日 旧三月二十七日
於瑞祥閣 王仁
第一篇 |雪山幽谷《せつざんいうこく》
第一章 |黄金《わうごん》の|衣《ころも》〔六一二〕
|見渡《みわた》す|限《かぎ》り|野《の》も|山《やま》も  |平《たひら》|一面《いちめん》の|銀世界《ぎんせかい》
|人《ひと》の|心《こころ》を|冷《ひや》やかに  わかやる|胸《むね》を|撫《な》で|下《お》ろし
|雪《ゆき》の|肌《はだへ》の|愛娘《まなむすめ》  |魔神《まがみ》の|深《ふか》き|計略《けいりやく》に
|押籠《おしこ》められて|岩窟《いはやど》の  |中《なか》にて|絞《しぼ》る|涙《なみだ》の|雨《あめ》
|何時《いつ》しか|比沼《ひぬ》の|真名井ケ原《まなゐがはら》に  |一陽来復《いちやうらいふく》の|春《はる》|待《ま》ち|兼《か》ねて
|皇神《すめかみ》の|恵《めぐみ》の|露《つゆ》に|綻《ほころ》びし  |心《こころ》|切《せつ》なき|節子姫《せつこひめ》
|此《この》|岩窟《いはやど》に|捕《とら》はれて  |悲《かな》しき|月日《つきひ》を|送《おく》る|内《うち》
|春夏秋《はるなつあき》と|十二節《じふにせつ》  |越《こ》えて|漸《やうや》う|東雲《しののめ》の
|空《そら》|晴《は》れ|渡《わた》る|思《おも》ひなり。
|悦子姫《よしこひめ》に|送《おく》られ、|祖父母《そふぼ》の|家《いへ》に|帰《かへ》り|来《きた》れる|節子姫《せつこひめ》は、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|一夜《ひとや》を|明《あ》かし、あくれば|正月《しやうぐわつ》|二十八日《にじふはちにち》、|平助《へいすけ》、お|楢《なら》の|祖父母《そふぼ》と|共《とも》に、|雪《ゆき》|積《つ》む|野路《のぢ》を|辿《たど》りつつ、|心《こころ》も|深《ふか》き|礼《れい》|参《まゐ》り、|岩公《いはこう》、|勘公《かんこう》、|櫟公《いちこう》|諸共《もろとも》に、|真名井ケ嶽《まなゐがだけ》の|麓《ふもと》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
お|節《せつ》『お|客《きやく》さま、|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り、|年《とし》を|老《と》つたる|老爺《ぢい》サン|婆《ば》アサン、それに|繊弱《かよわ》き|女《をんな》の|妾《わたし》、|思《おも》ふ|様《やう》に|足許《あしもと》も|捗《はかど》りませぬ。あなた|方《がた》は|神様《かみさま》にお|仕《つか》へ|遊《あそ》ばす|身《み》の|上《うへ》、|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》が|嘸《さぞ》お|待兼《まちかね》で|御座《ござ》いませう。|何《いづ》れ|真名井ケ原《まなゐがはら》の|神様《かみさま》の|御前《おんまへ》にて、お|目《め》に|掛《かか》りませうから、どうぞ|妾等《わたしら》にお|構《かま》ひなく、|一足先《ひとあしさき》へ|行《い》つて|下《くだ》さいませ』
|岩公《いはこう》『|左様《さやう》なれば、お|先《さき》へ|道開《みちあ》けの|為《ため》に|参《まゐ》りませう。|一切万事《いつさいばんじ》|用意《ようい》を|整《ととの》へ、お|待受《まちうけ》を|致《いた》して|居《を》ります、どうか|緩々《ゆるゆる》お|出《い》で|下《くだ》さいませ。お|老爺《ぢい》サン、お|婆《ば》アサン、お|節《せつ》さま、|左様《さやう》なれば|吾々《われわれ》|三人《さんにん》は|一足先《ひとあしさき》へ|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》りませう。|何卒《どうぞ》ゆるりとお|越《こ》し|下《くだ》さいませ』
|平助《へいすけ》『アヽそれが|宜《よろ》しい。|此方《こちら》は|年老《としと》つた|老爺《ぢぢい》に|婆《ばば》ア、|繊弱《かよわ》き|娘《むすめ》、|到底《たうてい》あなた|方《がた》の|様《やう》な|屈強《くつきやう》な|若《わか》いお|方《かた》と、|同道《どうだう》するのは|苦《くる》しう|御座《ござ》ります。|又《また》あなた|方《がた》もマドロしく|思《おも》はれませう。それよりも|早《はや》う|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》のお|側《そば》へ|行《い》つて、すべての|御用《ごよう》をお|聞《き》き|下《くだ》さいませ。|吾々《われわれ》|三人《さんにん》はボツボツ|後《あと》から|参《まゐ》ります』
|岩公《いはこう》『ソンナラお|老爺《ぢい》さま、お|婆《ば》アさま、お|節《せつ》さま、|一足先《ひとあしさき》へ|失礼《しつれい》|致《いた》しませう。……サア|勘公《かんこう》、|櫟公《いちこう》、|雪中《せつちゆう》|強行軍《きやうかうぐん》だ。|前進々々《ぜんしんぜんしん》、お|一《いち》、|二《に》、|三《さん》』
と|掛声《かけごゑ》|諸共《もろとも》、バラバラと|駆出《かけだ》しける。
お|楢《なら》『アノ、|夜前《やぜん》のお|客《きやく》さまの|元気《げんき》の|良《よ》い|事《こと》、……アーア、|年《とし》は|取《と》りたくないものだ。これ|程《ほど》|雪《ゆき》の|積《つも》つた|路《みち》を、|猪《しし》かナンゾの|様《やう》に、|驀地《まつしぐら》に|駆出《かけだ》して、|早《はや》モウ|姿《すがた》が|見《み》えなくなつて|了《しま》つた。サアサアボツボツ|行《ゆ》きませう』
と|三人《さんにん》は|杖《つゑ》を|突《つ》き|乍《なが》ら、|岩公《いはこう》|等《たち》の|通《とほ》つた|足跡《あしあと》を|踏《ふ》んでボツボツと|進《すす》み|行《ゆ》く。
|話《はなし》は|後《あと》へ|戻《もど》る…………………………
|心《こころ》の|鬼《おに》に|責《せめ》られて|泊《とま》りも|得《え》せず、|雪《ゆき》|積《つ》む|夜路《よみち》をトボトボと、|雪《ゆき》しばきに|向《むか》ひ|乍《なが》ら、|互《たがひ》に|肩《かた》を|組《く》み|合《あは》せ、|西《にし》へ|西《にし》へと|進《すす》み|行《い》つた|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》の|両人《りやうにん》は、|路《みち》|踏《ふ》み|迷《まよ》ひ、|路傍《ろばう》の|糞壺《くそつぼ》の|中《なか》へ、|肩《かた》を|組《く》んだまま、ドボンと|転落《てんらく》し、|頭《あたま》の|先《さき》から|足《あし》の|爪先《つまさき》まで、|忽《たちま》ち|黄金仏《わうごんぶつ》と|早替《はやがは》り、|二人《ふたり》は|漸《やうや》く|生命《いのち》からがら|這《は》ひ|上《あが》り、|身《み》を|切《き》る|如《ごと》き|寒風《かんぷう》のピユウピユウと|吹《ふ》いて|来《く》る|中《なか》を、|震《ふる》へ|声《ごゑ》を|搾《しぼ》り|乍《なが》ら、
|鬼彦《おにひこ》『|罰《ばち》は|目《め》の|前《まへ》だ、コンナ|事《こと》なら、|頭《あたま》の|一《ひと》つや|二《ふた》つ、|平助《へいすけ》|老爺《ぢい》に|叩《たた》かれても、|素直《すなほ》に|謝罪《あやま》つて、|泊《と》めて|貰《もら》つたが|得策《まし》だつた。|貴様《きさま》が、テレ|臭《くさ》いとか、|何《なん》とか|言《い》つて、|痩我慢《やせがまん》を|出《だ》すものだから、コンナ|目《め》に|遭《あ》つたのだよ。|実《じつ》に|糞慨《ふんがい》の|至《いた》りだ』
|鬼虎《おにとら》『|過去《すぎさ》つた|事《こと》を、|今《いま》になつて|言《い》つた|所《とこ》で、|何《なん》になるか。|過去《すぎこ》し|苦労《くらう》は|大禁物《だいきんもつ》だと|云《い》ふ|事《こと》を|忘《わす》れたか。|刹那心《せつなしん》だよ。|併《しか》し|乍《なが》ら、|斯《か》うして|居《を》れば、|着物《きもの》も|体《からだ》も|氷結《ひようけつ》して|了《しま》ふ。|零度《れいど》|以下《いか》|二十度《にじふど》と|云《い》ふ|此《この》|寒空《さむぞら》に、|糞汁《くそしる》の|着物《きもの》を|着《き》て|歩《ある》いて|居《を》るのも|能《い》い|加減《かげん》ナものだ。|况《ま》して|神様《かみさま》は|神聖《しんせい》な……|清浄《せいじやう》|潔白《けつぱく》をお|喜《よろこ》び|遊《あそ》ばす。コンナ|着物《きもの》を|着《き》て、どうして|参拝《さんぱい》が|出来《でき》ようか。……|貴様達《きさまたち》はまだ|悪《あく》が|消《き》えないから、|参拝《さんぱい》の|資格《しかく》がないと|云《い》つて、|神様《かみさま》が|糞壺《くそつぼ》へ|放《ほ》り|込《こ》んだのかも|知《し》れぬ。……アヽ|寒《さむ》い|寒《さむ》い……|寒《さむ》さが|通《とほ》り|越《こ》して、|体中《からだぢう》が|痛《いた》くなつて|来《き》た。そこら|中《ぢう》|錐《きり》で|揉《も》まるるやうだ。……|冷《つめ》たい、|痛《いた》い。……アーア|泣《な》くに|泣《な》かれぬ。どうしたら|宜《よ》からうなア』
|鬼彦《おにひこ》『|平助《へいすけ》やお|楢《なら》に|屁《へ》を|噛《か》まされ、|馬鹿《ばか》|臭《くさ》い、テレ|臭《くさ》い、|阿呆《あはう》|臭《くさ》い……と|臭《くさ》い|目《め》に|会《あ》うて、|其《その》|上《うへ》|又《また》|糞壺《くそつぼ》へ|放《ほ》り|込《こ》まれ、……アーアぢぢ|臭《くさ》い、ババ|臭《くさ》い……|此処《ここ》にも|平助《へいすけ》、お|楢《なら》が|居《ゐ》よつた|様《やう》なものだ。おセツない|思《おも》ひをして、|真名井ケ原《まなゐがはら》へ|進《すす》むにも|進《すす》まれず………エー|糞《くそ》いまいましい。どつか|此処《ここ》らに|家《うち》でもあつたら、|今度《こんど》は|何《なん》と|言《い》つても|構《かま》はぬ、|無理《むり》に|押入《おしい》つて、|焚物《たきもの》でも|焚《た》いて、|体《からだ》を|温《あたたか》め、ゆつくり|湯《ゆ》でも|沸《わか》して|浄《きよ》めなくては、どうする|事《こと》も|出来《でき》ぬぢやないか。グヅグヅして|居《を》ると、|身体《しんたい》|強直《きやうちよく》、|石地蔵《いしぢざう》の|様《やう》になつて|了《しま》うワ、サア|往《ゆ》かう|往《ゆ》かう』
|二人《ふたり》は|生命《いのち》からがら、|二三丁《にさんちやう》ばかり|前進《ぜんしん》すると、バタツと|行当《ゆきあた》つた|又《また》もや|一軒《いつけん》の|茅屋《あばらや》、
『ヨー|天道《てんだう》は|人《ひと》を|殺《ころ》さずだ。|此処《ここ》に|一軒屋《いつけんや》が|有《あ》るワイ。……ハテ|此《こ》れは|物置《ものおき》|小屋《ごや》と|見《み》える。……マア|兎《と》も|角《かく》、|這入《はい》つて|体《からだ》の|処置《しよち》を|附《つ》けようかい』
|二人《ふたり》は|戸《と》を|押《お》し|開《あ》け、|怖々《こわごわ》|這入《はい》つて|見《み》ると、|暗《くら》がりに|赤《あか》い|物《もの》が|見《み》える。
|鬼彦《おにひこ》『ハハア、|誰《たれ》か|火《ひ》を|焚《た》いて|行《ゆ》きやがつたなア。|大方《おほかた》|音彦《おとひこ》、|加米彦《かめひこ》の|仕事《しごと》だらう』
と|附近《あたり》の|藁《わら》を|引摺《ひきず》り|出《だ》し、|火《ひ》を|吹《ふ》き|点《つ》け、|真裸《まつぱだか》となり、
『|一寸《ちよつと》|是《これ》で|楽《らく》だ。|併《しか》し|乍《なが》ら、|着物《きもの》を|乾《かわ》かさねばなるまい。……それにしても|一度《いちど》|洗濯《せんたく》をして、|其《その》|上《うへ》にせなくては、|乾《かわ》いた|所《ところ》で、|臭《くさ》くて、どうにも|斯《か》うにも|仕方《しかた》があるまい、のう|鬼虎《おにとら》』
『ウン|此《この》|茅屋《あばらや》も、|元《もと》は|誰《たれ》か|住《す》んで|居《を》つたのだらう。|井戸《ゐど》がある|筈《はず》ぢや。|一《ひと》つ|探《さが》して、|井戸《ゐど》でも|有《あ》つたら、|俺達《おれたち》の|着物《きもの》を|突込《つつこ》み、バサバサとやつて、|充分《じゆうぶん》に|圧搾《あつさく》を|加《くは》へ、|水気《みづけ》を|除《と》り、|大火《おほび》を|焚《た》いて|焙《あぶ》る|事《こと》にしやうかい。……オー|有《あ》る|有《あ》る、グヅグヅして|居《を》ると、|落《お》ち|込《こ》むかも|知《し》れぬぞ。どうやら|水溜《みづたま》りが|有《あ》るらしい。……オイ|貴様《きさま》|火《ひ》を|焚《た》く|役《やく》だ、|俺《おれ》が|暫《しばら》く|洗濯鬼《せんたくおに》になつてやらう。|人鬼《ひとおに》だ。|婆《ばば》の|来《こ》ぬ|間《ま》に|鬼《おに》が|洗濯《せんたく》……アハヽヽヽ』
|両人《りやうにん》は|糞《くそ》まぶれの|着物《きもの》を、|水溜《みづたま》りに|向《む》けて、|手早《てばや》く|脱《ぬ》ぎ、|投《な》げ|込《こ》み、
『サアこれで|洗濯《せんたく》の|用意《ようい》は|出来《でき》た。|併《しか》し|乍《なが》ら|着《き》る|物《もの》がない。どつか|此処《ここ》らに|薦《こも》でもないかナア』
と|二人《ふたり》はガサガサと、|小屋《こや》の|隅《すみ》クラを、|手探《てさぐ》り、|古薦《ふるごも》や、|古蓆《ふるござ》を|探《さが》し|索《もと》めて、やうやう|身《み》に|纏《まと》ひ、
『アヽこれで|生命《いのち》|丈《だけ》は|助《たす》かつた』
と|大火《おほび》を|焚《た》いて、|両人《りやうにん》は【あた】つて|居《ゐ》る。
『オイ、|鬼虎《おにとら》の|大将《たいしやう》、お|前《まへ》は|洗濯《せんたく》にかかるのだよ。|俺《おれ》は|干《ほ》す|役《やく》を|勤《つと》めるから』
『|自分《じぶん》の|着物《きもの》は|自分《じぶん》が|洗濯《せんたく》し、|他人《ひと》の|世話《せわ》になると|云《い》ふやうな|事《こと》は|天則違反《てんそくゐはん》だぞ。……ヨシ、|自分《じぶん》の|丈《だけ》を|洗濯《せんたく》して、お|望《のぞ》みとあらば、|干《ほ》す|役《やく》もして|貰《もら》はうかい。……ヤア|井戸《ゐど》かと|思《おも》へば、|又《また》|糞壺《くそつぼ》だ。|家《いへ》の|中《なか》に|雪隠《せつちん》を|拵《こしら》へて|置《お》きやがるものだから、|間違《まちが》うのも|無理《むり》はない。|併《しか》しマア|陥《はま》らなンだ|丈《だけ》は|結構《けつこう》だ』
『オイ|鬼虎《おにとら》、|俺《おれ》の|方《はう》は、どうやら|本物《ほんもの》らしいぞ、【かやく】が|浮《う》いて|居《を》らぬワイ』
『アハヽヽヽ、|鬼彦《おにひこ》、|貴様《きさま》のは|小便桶《せうべんたご》だ。|何《なん》とかせなくてはなるまいぞ』
『アツヽヽ、|火《ひ》が|点《つ》きやがつた。オイ|鬼虎《おにとら》どうしやうどうしやう』
『|雪《ゆき》の|中《なか》へ|転《ころ》げ|込《こ》め』
『よし|来《き》た』
と|鬼彦《おにひこ》は、|矢庭《やには》に|外《そと》へ|駆《か》け|出《だ》し、|雪《ゆき》の|上《うへ》を|転《ころ》げて|居《ゐ》る。|又《また》もや|鬼虎《おにとら》のお|米《こめ》の|木《き》の|着物《きもの》に|火《ひ》が|燃《も》へ|移《うつ》り|鬼虎《おにとら》は、
『|此奴《こいつ》ア|堪《た》まらぬ』
とザブリと|水溜《みづたま》りへ|飛《と》び|込《こ》めば、|何処《いづく》よりともなく|怪《あや》しき|笑《わら》ひ|声《ごゑ》、
『アツハヽヽヽ、オホヽヽヽ』
『オイ|鬼虎《おにとら》、ナア|貴様《きさま》は|気楽《きらく》な|奴《やつ》だ。|糞責《くそぜ》め、|火責《ひぜ》め、|水責《みづぜ》めに|逢《あ》うて|苦《くる》しみて|居《ゐ》るのに、|何《なに》が|可笑《をか》しいのだ。|怪体《けたい》な|声《こゑ》を|出《だ》しやがつて……』
『|鬼虎《おにとら》が|笑《わら》つたのぢやない、|物《もの》が|笑《わら》つたのぢやない。……ソレ、|物《もの》が|物言《ものい》うとるぢやないか』
『ヤイヤイどこの|奴《やつ》ぢや。|何《なに》が|可笑《をか》しいのだ。|俺《おれ》は|鬼彦《おにひこ》さまだぞ』
|又《また》もや|隅《すみ》の|方《はう》より、
『|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》、|随分《ずゐぶん》|苦労《くらう》をしたネー。お|節《せつ》の|宿《やど》で|半殺《はんごろ》しに|会《あ》ひ、|今《いま》|又《また》|此処《ここ》で|半殺《はんごろ》しの|様《やう》な|目《め》に|遭《あ》つて、|牡丹餅《ぼたもち》の|様《やう》に、|黄金《わうごん》の|餡《あん》や、|雪《ゆき》の|餡《あん》を|着《つ》けて、|中々《なかなか》うまい|事《こと》をやるのウ。サアこれから、|俺《おれ》が|招待《よば》れてやらう。|鬼《おに》の|共喰《ともぐひ》だ、アハヽヽヽ』
『さう|言《い》ふ|声《こゑ》は|岩公《いはこう》ぢやないか、|奴跛《どちんば》の|癖《くせ》しやがつて、|巫山戯《ふざけ》た|態《ざま》をさらすと、|鬼彦《おにひこ》が|承知《しようち》をせぬぞ』
|作《つく》り|声《ごゑ》にて、
『|此《この》|方《はう》は|岩公《いはこう》でも|無《な》い、|鬼《おに》でも|無《な》い、|物《もの》ぢや、|物《もの》ぢや』
|鬼彦《おにひこ》『|物《もの》とは|何《なん》だ、|化物《ばけもの》と|云《い》ふ|事《こと》か。|夜《よ》がホンノリと|明《あ》けかかつて|居《を》るのに、|化物《ばけもの》が|出《で》るナンテ、チツト|時季《しゆん》が|過《す》ぎとるぞ。|化《ば》け|損《ぞこな》ひの|大馬鹿者《おほばかもの》|奴《め》が』
|加米彦《かめひこ》『アハヽヽヽ、|実《じつ》の|所《ところ》は|加米彦《かめひこ》さまだ。|悦子姫《よしこひめ》さまが|豊国姫《とよくにひめ》の|神様《かみさま》から|命令《めいれい》を|受《う》けて、|今《いま》|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》の|両人《りやうにん》|改心《かいしん》の|為《ため》、|糞壺《くそつぼ》へ|陥《は》めてあるから、グヅグヅして|居《を》ると|凍《い》て|着《つ》いて|了《しま》ふ。|体《からだ》は|糞《くそ》まぶれだ。|早《はや》く|往《い》つて|真名井《まなゐ》の|水《みづ》で|体《からだ》を|清《きよ》め、|此《この》|着物《きもの》を|着《き》せてやれ…と|仰有《おつしや》つて、|生《うま》れてから|見《み》た|事《こと》もない|様《やう》な|立派《りつぱ》な|着物《きもの》を|預《あづか》つて|来《き》たのだよ』
|両人《りやうにん》|一度《いちど》に、
『ヤアそれは|有難《ありがた》い』
|鬼虎《おにとら》『|流石《さすが》は|悦子姫《よしこひめ》さまだ。|腕《うで》|振《ふ》り|合《あ》ふも|多生《たしやう》の|縁《えん》、|夢《ゆめ》にも|文珠堂《もんじゆだう》で|此《この》|鬼虎《おにとら》が、|悦子姫《よしこひめ》さまを、|間違《まちが》つて|叩《たた》いたお|蔭《かげ》で、|斯《か》う|云《い》ふ|結構《けつこう》な|着物《きもの》を|頂戴《ちやうだい》するのだ。
|叩《たた》かれて、|丸《まる》う|治《をさ》まる、|桶《をけ》の|底《そこ》、
だ……オイ|鬼彦《おにひこ》、|俺《おれ》のお|蔭《かげ》だぞ』
|鬼彦《おにひこ》『|加米彦《かめひこ》さま、あなたは|偉《えら》いものだ。サア|早《はや》く|着物《きもの》を|着《き》せて|下《くだ》さいナ』
|加米彦《かめひこ》『|待《ま》て|待《ま》て、これから|半里《はんみち》|許《ばか》り、|其《その》|儘《まま》|歩《ある》いて、|真名井ケ原《まなゐがはら》の|塩《しほ》の|溜《たま》りで|体《からだ》を|浄《きよ》め、それから|清《きよ》の|井戸《ゐど》でマ|一遍《いつぺん》|清《きよ》め、|三遍目《さんべんめ》に|大清《おほきよ》の|井戸《ゐど》で|浄《きよ》めた|上《うへ》で、|着物《きもの》を|着《き》せて|下《くだ》さるのだ。|今《いま》は|持合《もちあは》せがないのだよ』
|鬼彦《おにひこ》『ナーンだ。それまで|体《からだ》が|続《つづ》くだらうか、|困《こま》つた|事《こと》だワイ』
|斯《か》かる|所《ところ》へ、|岩公《いはこう》、|勘公《かんこう》、|櫟公《いちこう》の|三人《さんにん》、|息急《いきせ》き|切《き》つて|現《あら》はれ|来《きた》り、
『オイオイ|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》の|両人《りやうにん》、まだコンナ|所《とこ》に|居《を》つたのか。|大変《たいへん》だぞ。|夜前《やぜん》は|俺達《おれたち》は|半殺《はんごろ》しに|遇《あ》うて|来《き》たのだ。|貴様《きさま》も|夜前《やぜん》|泊《とま》つた|位《くらゐ》なら、|鏖殺《みなごろ》しになる|所《ところ》だつたよ、マアマア|生命《いのち》が|有《あ》つてお|芽出度《めでた》う。……ナンダナンダ、|裸《はだか》ぢやないか。|一体《いつたい》|着物《きもの》はどうしたのだ』
|鬼彦《おにひこ》『|着物《きもの》かい、|着物《きもの》は|神様《かみさま》に|寄附《きふ》して|了《しま》つたワイ』
|岩公《いはこう》『どこの|神様《かみさま》に|寄附《きふ》したのだ』
|鬼彦《おにひこ》『|雪隠《せんち》の|神様《かみさま》に………。これから|裸《はだか》、|跣足《はだし》で|参《まゐ》るより|仕方《しかた》が|無《な》い。|貴様《きさま》も|一《ひと》つ、|摩利支天《まりしてん》さまに、|一枚《いちまい》|脱《ぬ》いで|寄附《きふ》|致《いた》さぬかい』
|岩公《いはこう》『ヤア|本当《ほんたう》に、|両人《りやうにん》とも|赤裸《まつぱだか》だなア。|元気《げんき》な|事《こと》だ。|俺達《おれたち》の|着物《きもの》を|寄附《きふ》してやりたいが、|此方《こちら》も|着《き》の|身《み》|着《き》の|儘《まま》ぢや。|山椒《さんせう》の|木《き》に|飯粒《めしつぶ》ぢや、|仕方《しかた》が|無《な》い。マア|行《ゆ》く|所《ところ》まで|行《い》かうか』
|鬼虎《おにとら》『それだつて、|裸《はだか》で|道中《だうちう》がなるものかイ』
|岩公《いはこう》『なつてもならないでも|仕方《しかた》が|無《な》いワ。グヅグヅして|居《ゐ》ると、|夜前《やぜん》のお|節《せつ》さまが、おつつけ|此処《ここ》に|出《で》て|来《く》るぞ。コンナ|姿《すがた》を|見《み》つけられたら|醜《みつと》もない。サア|行《ゆ》かう|行《ゆ》かう』
|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》、|岩《いは》、|勘《かん》、|櫟《いち》の|五人《ごにん》は、|夜《よ》の|明《あ》けた|雪路《ゆきみち》を、トボトボと|進《すす》み|行《ゆ》く。|家《いへ》の|内《うち》より|加米彦《かめひこ》の|声《こゑ》、
『オイオイ|鬼虎《おにとら》、|鬼彦《おにひこ》。|着物《きもの》だ|着物《きもの》だ』
とボロボロの|継《つ》ぎ|継《つ》ぎだらけの|着物《きもの》を|引《ひ》つ|抱《かか》へ|加米彦《かめひこ》がやつて|来《き》て、
『サア|兎《と》も|角《かく》、|当座《たうざ》|凌《しの》ぎに、これなと|着《き》て|行《ゆ》け』
|鬼虎《おにとら》『ヤア、|全然《まるで》|東海道《とうかいだう》|以上《いじやう》だ、|百《ひやく》ツギも|二百《にひやく》ツギもやつた|着物《きもの》だ。…………エヽ|仕方《しかた》が|無《な》い。|鬼彦《おにひこ》、これでも|無《な》いより|優《ま》しだ。|拝借《はいしやく》しようかい』
『さうださうだ、|寒《さむ》い|時《とき》に|穢《きたな》い|物《もの》なし』
と|手早《てばや》く|加米彦《かめひこ》の|手《て》よりひつたくり、クルクルと|身《み》に|纏《まと》ひ、
『アヽなんだか、ウヂウヂするぢやないか』
|加米彦《かめひこ》『|定《きま》つた|事《こと》ぢや。|虱《しらみ》の|本宅《ほんたく》だ。サアサア|進《すす》もう|進《すす》もう』
と|雪路《ゆきみち》を|西《にし》へ|西《にし》へと|走《はし》りゆく。|道端《みちばた》に|小瀟洒《こざつぱり》とした|綺麗《きれい》な|家《いへ》が|左側《ひだりがは》に|建《た》つて|居《ゐ》る。|一人《ひとり》の|綺麗《きれい》な|娘《むすめ》、|戸口《とぐち》を|開《あ》け、
『もうしもうし、あなた|方《がた》は、|真名井ケ嶽《まなゐがだけ》へ|御参詣《ごさんけい》の|方《かた》と|見《み》えますが、|此《この》|雪路《ゆきみち》に|嘸《さぞ》お|困《こま》りでせう。|湯《ゆ》も|沸《わ》いて|居《を》ります。どうぞ|一服《いつぷく》して|行《い》つて|下《くだ》さいませ。|別《べつ》にお|茶代《ちやだい》の|請求《せいきう》も|致《いた》しませぬ。|今日《けふ》は|親《おや》の|命日《めいにち》で、お|茶《ちや》や|御飯《ごはん》のお|接待《せつたい》を|致《いた》して|居《を》ります。サアサアどうぞ|這入《はい》つて|往《い》て|下《くだ》さいませ』
|鬼彦《おにひこ》『ヤア|捨《す》てる|神《かみ》もあれば|拾《ひろ》ふ|神《かみ》も|有《あ》るとは|能《よ》う|言《い》つた|事《こと》だ。|皆《みな》さま|一服《いつぷく》さして|貰《もら》ひませうかな』
と|鬼彦《おにひこ》は|早《はや》くも|先《さき》に|立《た》ち、|屋内《をくない》に|飛《と》び|込《こ》みたり。
『サアサア|皆《みな》さま、お|這入《はい》りなさいませ』
|加米彦《かめひこ》は、
『アイ|御免《ごめん》よ』
と|尻《しり》|振《ふ》り|乍《なが》ら|這入《はい》り、
『ヨー、|此処《ここ》の|家《うち》は、|外《そと》から|見《み》た|割《わり》とは|広《ひろ》い|家《うち》だ。……さうしてお|娘《むすめ》、コンナ|小広《こびろ》い|家《うち》にお|前《まへ》|一人《ひとり》|居《を》るのかい、|随分《ずゐぶん》|険呑《けんのん》なものだなア。|大江山《おほえやま》の|鬼雲彦《おにくもひこ》の|乾分《こぶん》、|鬼虎《おにとら》、|鬼彦《おにひこ》がやつて|来《き》て、お|節《せつ》|女郎《めらう》の|様《やう》に|掻攫《かつさら》へて|帰《い》ぬかも|知《し》れませぬぞ。|気《き》を|付《つ》けなさいませや』
『ホヽヽヽ、|鬼虎《おにとら》も、|鬼彦《おにひこ》も、|今日《こんにち》の|様《やう》に、|善《ぜん》の|途《みち》に|堕落《だらく》して|仕舞《しま》へば、モウ|駄目《だめ》ですよ。お|節《せつ》の|家《うち》では|断《ことわ》られ、|糞壺《くそつぼ》へは|落《お》ち|込《こ》み、|薦《こも》を|着《き》ては|火《ひ》に|舐《な》められ、|虱《しらみ》だらけの|着物《きもの》を|着《き》て、ウンバラ、|散《さん》バラ|若布《わかめ》の|行列《ぎやうれつ》、|褞褸《しめし》の|親分《おやぶん》、|雑巾屋《ざふきんや》の|看板《かんばん》も|跣足《はだし》で|逃《に》げると|云《い》ふ|様《やう》な、|立派《りつぱ》な|着物《きもの》をお|召《め》しになつて、|真名井ケ嶽《まなゐがだけ》へ|参拝《さんぱい》する|様《やう》になつては、モウ|駄目《だめ》ですワ、ホヽヽヽ』
|勘公《かんこう》『ヤア|此奴《こいつ》ア|妙《めう》だ。|優《やさ》しい|顔《かほ》をして|居乍《ゐなが》ら、|口《くち》の|達者《たつしや》な|女《をんな》だ』
|娘《むすめ》『マアマア|皆《みな》さま、ゆつくりなさいませ。|併《しか》しプンプンと|匂《にほ》ふぢやありませぬか、|裏《うら》に|溜池《ためいけ》が|有《あ》ります。あの|池《いけ》の|外《そと》で、|頭《あたま》から|水《みづ》をかぶり、|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》さまは、|洗濯《せんたく》をして|来《き》なさい。モシモシ|岩《いは》さまとやら、あなた、|此処《ここ》に|横槌《よこづち》が|御座《ござ》います。|二人《ふたり》の|髻《たぶさ》を|掴《つか》んで、|溜池《ためいけ》に|突込《つつこ》み、|石《いし》の|上《うへ》でキユウキユウと|踏《ふ》み|潰《つぶ》し、|此《この》|横槌《よこづち》でコンコンとこづいて|充分《じゆうぶん》に|圧搾《あつさく》をかけ、|火《ひ》に|焙《あぶ》つて、|綺麗《きれい》サツパリと|洗濯《せんたく》をしてあげて|下《くだ》さいナ』
『|馬鹿《ばか》にしやがる。|着物《きもの》と|人間《にんげん》の|体《からだ》と|一《ひと》つにしられて|彦《ひこ》も|虎《とら》も|堪《た》まるものかい』
|娘《むすめ》『キモノ|弱《よわ》い|人《ひと》は、キモノ|弱《よわ》いのも、おなじことぢや。|一遍《いつぺん》|洗濯《せんたく》して、|糊《のり》でも|着《つ》けねば|腰《こし》が|立《た》つまい。よつぽどよい|腰抜《こしぬけ》|野郎《やらう》だからなア』
|鬼彦《おにひこ》『|馬鹿《ばか》にしやがるない。|貴様《きさま》は|一体《いつたい》|何者《なにもの》だ』
|女《をんな》|白《しろ》き|牙《きば》をニユツと|出《だ》し、|目《め》をクルリと|剥《む》き、|腮《あご》をしやくり|乍《なが》ら、
『あてかいな、あてい……あの……おコンと|云《い》ふ|者《もの》ですよ』
|鬼彦《おにひこ》『エイ、|狐《きつね》みたいな|名《な》の|奴《やつ》だ、|大方《おほかた》……|狐《きつね》が|瞞《だま》しとるのぢやないかナ』
おコン『|雪《ゆき》に|閉《とざ》され、|誠《まこと》にコン|窮千万《きうせんばん》、どうぞコン|夜《よ》|丈《だけ》お|泊《と》め|下《くだ》されと、コン|願《ぐわん》したが、|平助爺《へいすけぢい》に、コンと|肱鉄砲《ひぢてつぱう》を|喰《く》はされ、コンな|事《こと》なら、|悪《わる》い|事《こと》するぢやなかつたのに、エーエ|仕方《しかた》がない、コン|夜《や》は|雪《ゆき》の|路《みち》を、コンパスの|続《つづ》く|限《かぎ》り|歩《ある》かうかと、|二人《ふたり》はコン|限《かぎ》り|力《ちから》|限《かぎ》り|走《はし》つた|揚句《あげく》に|糞壺《くそつぼ》の|中《なか》へコン|倒《たふ》し、コンな|因果《いんぐわ》が|古《こ》コンを|尋《たづ》ねても、|又《また》と|一人《ひとり》あるものか………とコン|惑《わく》の|態《てい》、|茅屋《あばらや》の|中《なか》へ|飛《と》び|込《こ》み、|薦《こも》を|被《かぶ》つて|火《ひ》に|焙《あぶ》り、やつと|安心《あんしん》する|間《ま》もなく|体《からだ》に|火《ひ》が|燃《も》えつき、|雪《ゆき》の|上《うへ》に|転《ころ》げるやら|小便桶《せうべんたご》へ|陥《はま》るやら、コン|難《なん》の|最中《さいちう》に|加米公《かめこう》の|御親切《ごしんせつ》な|御志《おこころざし》、|虱《しらみ》の|宿《やど》の|様《やう》な|襤褸《つづれ》の|錦《にしき》を|恵《めぐみ》まれて、|此処《ここ》までやつて|来《き》たお|前《まへ》ぢやないか。|是《こ》れから|此《この》オコンさまが、アンナ|失敗《しつぱい》を|今後《こんご》|繰返《くりかへ》さぬ|様《やう》に、コンコンと|説諭《せつゆ》してあげよう。|早《はや》く|体《からだ》を|洗《あら》つて|出《で》て|来《き》なさい。|炬燵《こたつ》へでも|潜《くぐ》り|込《こ》んで、ゆつくりと、おコンの|話《はなし》を|聞《き》かつしやいツ』
|岩公《いはこう》『|兎《と》も|角《かく》も、|此《この》|縁《えん》の|端《はし》を|貸《か》して|貰《もら》ひませう。|二人《ふたり》の|体《からだ》の|処置《しよち》をつけなくては、どうする|事《こと》も|出来《でき》ませぬワイ』
|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》は、|裏口《うらぐち》の|溜池《ためいけ》にて、|薄氷《うすこほり》の|張《は》つた|池水《いけみづ》を|掬《すく》ひ|乍《なが》ら、ザブザブと|御禊《みそぎ》をやつて|居《ゐ》る。|二人《ふたり》は|体《からだ》を|清《きよ》め、ビリビリ|震《ふる》へ|乍《なが》ら、
『アヽ|皆《みな》さま、お|待《ま》たせしました。これで|気分《きぶん》がサラリとした。|併《しか》し|困《こま》つた|事《こと》にはお|召物《めしもの》の|心配《しんぱい》だ。どうしたら|宜《よ》からうかなア』
おコン『ホヽヽヽ、ご|心配《しんぱい》なされますなお|二人様《ふたりさま》、お|召物《めしもの》はチヤンと|此処《ここ》に|用意《ようい》|致《いた》して|御座《ござ》います。|悦子姫《よしこひめ》さまが|前《まへ》|以《もつ》てお|預《あづ》けになりました。サアサア|御遠慮《ごゑんりよ》なしにお|召《め》し|遊《あそ》ばせ。……これが|鬼彦《おにひこ》|様《さま》のお|召物《めしもの》……|此方《こちら》が|鬼虎《おにとら》さまのお|召物《めしもの》ですよ』
|鬼彦《おにひこ》、|矢庭《やには》にグルグルと|身《み》に|纏《まと》ひ、
|鬼彦《おにひこ》『ヤア|立派《りつぱ》な|物《もの》だ。これは|正《まさ》しく|宣伝使《せんでんし》の|装束《しやうぞく》だ……ヤアナンダ、|妙《めう》な|物《もの》が|貼《は》つてあるぞ。……エ……|鬼彦《おにひこ》を|改名《かいめい》して、|只今《ただいま》より|彦安命《ひこやすのみこと》と|名《な》を|与《あた》ふ……ヤア|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い、|何《なん》だか|鬼《おに》の|字《じ》が|癪《しやく》に|障《さは》つて|仕方《しかた》がなかつた。サア|是《こ》れから|彦安命《ひこやすのみこと》の|宣伝使《せんでんし》だ。……オイ|鬼虎《おにとら》、|今日《けふ》から|俺《おれ》の|弟子《でし》にしてやらう。オツホン』
|鬼虎《おにとら》『アハヽヽヽ、|彦安命《ひこやすのみこと》さま、|誠《まこと》に|済《す》みませぬが、|拙者《せつしや》も|虎彦命《とらひこのみこと》と|名《な》を|与《あた》ふ……としてあるのだ。|五分《ごぶ》|五分《ごぶ》だよ。サア|勘《かん》、|櫟《いち》、|岩《いは》、|只今《ただいま》より|天下《てんか》|晴《は》れての|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だ。|左様《さやう》|心得《こころえ》たが|宜《よ》からうぞ』
|岩公《いはこう》『ヘン|馬鹿《ばか》にしやがるワイ、|糞宣伝使《くそせんでんし》|奴《め》が。|雪隠虫《せんちむし》|奴《め》が。|平助《へいすけ》に|屁《へ》を|嗅《か》がされて、お|楢《なら》に|追《お》ひ|出《だ》され、|宣伝使《せんでんし》もあつたものかい、アハヽヽヽ』
おコン『サア|皆《みな》さま|是《これ》からが|正念場《しやうねんば》だ。|十四五丁《じふしごちやう》|進《すす》めば、|愈《いよいよ》|真奈井ケ原《まなゐがはら》の|聖地《せいち》に|着《つ》く、|此処《ここ》で|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|天《あま》の|数歌《かずうた》をあげてお|出《いで》なさい。|妾《わたし》が|導師《だうし》を|致《いた》しませう』
と、|声《こゑ》も|涼《すず》しくおコンは|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》する。|一同《いちどう》その|後《あと》に|従《つ》いて、|一心不乱《いつしんふらん》に|合唱《がつしやう》する。|平助《へいすけ》、お|楢《なら》、お|節《せつ》の|三人《さんにん》、|杖《つゑ》を|突《つ》き|乍《なが》ら、ヒヨコヒヨコと|此処《ここ》に|現《あら》はれ、
|平助《へいすけ》『お|前《まへ》は|昨夜《ゆうべ》の|御客《おきやく》ぢやないか。|大勢《おほぜい》の|方《かた》が、コンナ|雪《ゆき》の|中《なか》に|赤裸《まつぱだか》になつて、|何《なに》をして|御座《ござ》るのだ。|皆《みな》さま、サアサア|行《ゆ》きませう。|着物《きもの》はどうしなさつた』
『ハツ』と|一同《いちどう》|気《き》がつけば、|野雪隠《のぜんち》を|中央《まんなか》に、|一同《いちどう》|手《て》を|合《あは》せ、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》して|居《ゐ》た。|後《うしろ》の|山《やま》より|狐《きつね》の|鳴《な》き|声《ごゑ》|二声《ふたこゑ》、|三声《みこゑ》、
『コンコン、カイカイ』
(大正一一・四・二一 旧三・二五 松村真澄録)
第二章 |魔《ま》の|窟《いはや》〔六一三〕
|平助《へいすけ》|親子《おやこ》|三人《さんにん》に|声《こゑ》かけられて|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》、|岩《いは》、|勘《かん》、|櫟《いち》の|一同《いちどう》は、フト|気《き》がつけば|野中《のなか》の|汚《きたな》き|雪隠《せんち》を|中央《まんなか》に|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し|居《ゐ》たりける。
|鬼彦《おにひこ》『アヽ、|馬鹿《ばか》らしい、|大《おほ》きな|顔《かほ》して|日中《ひなか》に|歩《ある》けた|態《ざま》ぢやない|哩《わい》。これと|云《い》ふも|全《まつた》く|大江山《おほえやま》の|鬼雲彦《おにくもひこ》に|加担《かたん》し、|所在《あらゆる》|悪《あく》を|尽《つく》して|来《き》た|天罰《てんばつ》が|報《むく》うて|来《き》たのでせう。|身魂《みたま》の|借銭《しやくせん》|済《な》しと|思《おも》へば|結構《けつこう》だが、|何時《いつ》の|間《ま》にやら|五人《ごにん》が|五人《ごにん》とも|生《うま》れ|赤子《あかご》のやうに|真裸《まつぱだか》になり、|褌《まわし》|一《ひと》つ|持《も》たぬ|無一物《むいちぶつ》となつて|仕舞《しま》ひました。|男《をとこ》は|裸《はだか》|百貫《ひやくくわん》だ、サアこれから|男《をとこ》としての|真剣《ほんたう》の|力《ちから》を|試《ため》す|時《とき》だ、|精神《せいしん》さへ|確《しつか》りして|居《を》れば|少々《せうせう》の|雪《ゆき》だつて|感応《こた》へるものか、|力士《すまうとり》は|寒中《かんちう》でも|真裸《まつぱだか》だ、サアサア|皆《みな》さま|往《ゆ》きませう』
と|鬼彦《おにひこ》は|先《さき》に|立《た》つ。
|岩公《いはこう》『|何《なん》とマア、|裸《はだか》の|行列《ぎやうれつ》と|云《い》ふものは、|見《み》つともないものだ。それにつけても|鬼彦《おにひこ》は|叮嚀《ていねい》な|言葉《ことば》を|使《つか》ふかと|思《おも》へば|忽《たちま》ち|荒《あら》つぽい|言葉《ことば》になる、|何《ど》ちらにか|定《き》めて|貰《もら》はないと|吾々《われわれ》が|応対《おうたい》するについても|方針《はうしん》が|定《き》まらないからなア』
|鬼彦《おにひこ》『|本守護神《ほんしゆごじん》や、|正守護神《せいしゆごじん》や、|副守護神《ふくしゆごじん》の|言葉《ことば》が|混合《こんがふ》して|出《で》るから|仕方《しかた》がありませぬわいやい。オイ|岩公《いはこう》、|今《いま》|暫《しばら》く|辛抱《しんばう》なされませ、|此《この》|鬼彦《おにひこ》も|些《ちつ》と|許《ばか》り|精神《せいしん》が|落着《おちつき》を|欠《か》いで|居《ゐ》るからなア』
と|云《い》ひつつ|大股《おほまた》に|雪路《ゆきみち》を|跨《また》げ|山《やま》|深《ふか》く|進《すす》みゆく。|正月《しやうぐわつ》|二十八日《にじふはちにち》の|太陽《たいやう》は|晃々《くわうくわう》として|輝《かがや》き、|徐々《そろそろ》|雪《ゆき》は|解《と》け|初《はじ》め、|真名井ケ嶽《まなゐがだけ》より|転《ころ》げ|落《お》つる|雪崩《なだれ》の|大塊《おほかたまり》は、|幾十《いくじふ》ともなく|囂々《がうがう》と|音《おと》を|立《た》て|落下《らくか》する|其《その》|剣呑《けんのん》さ。|忽《たちま》ち|落下《らくか》し|来《きた》る|大雪塊《だいせつくわい》に|押潰《おしつぶ》され、お|節《せつ》は|首《くび》から|上《うへ》を|出《だ》して|悲鳴《ひめい》をあげ、
『お|助《たす》け お|助《たす》け』
と|声《こゑ》|限《かぎ》りに|叫《さけ》び|泣《な》く。
|鬼彦《おにひこ》『オイ|鬼虎《おにとら》、|去年《きよねん》はお|節《せつ》さまを|苦《くる》しめた、|其《その》お|詫《わび》にあの|雪塊《せつくわい》を|取《と》り|除《の》けて|命《いのち》を|助《たす》け、お|詫《わび》をしやうぢやないか』
|鬼虎《おにとら》『さうぢや、お|詫《わび》をするのは|今《いま》ぢや、|今《いま》を|措《お》いてコンナ|機会《きくわい》があるものか。モシモシお|節《せつ》さま、|今《いま》|私《わたくし》がお|助《たす》け|致《いた》します、|暫《しばら》く|待《ま》つて|下《くだ》さい。エイエイ|固《かた》い|雪塊《ゆきかたまり》だ、|冷《つめた》い|奴《やつ》だなア』
お|節《せつ》|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》り、
『いゑいゑ|仮令《たとへ》|死《し》すとも|鬼彦《おにひこ》や|鬼虎《おにとら》のお|世話《せわ》にはなりませぬ、どうぞ|外《ほか》のお|方《かた》、|出《で》てきて|助《たす》けて|下《くだ》さいませ』
|鬼彦《おにひこ》『エヽ、|何処迄《どこまで》も|執念深《しふねんぶか》いお|節《せつ》さまだナア、|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|場合《ばあひ》|人嫌《ひとぎらひ》どころぢやあるまい。サア|鬼虎《おにとら》|貴様《きさま》と|二人《ふたり》、|今《いま》がお|詫《わび》のし|時《どき》だ、サア|来《こ》い|一《ひい》|二《ふう》|三《み》つ』
と|雪塊《せつくわい》にむかひ|真裸《まつぱだか》の|体《たい》を|打《ぶ》つける。さしもの|大塊《おほかたまり》|突《つ》けども|押《お》せどもビクともしない。
|平助《へいすけ》お|楢《なら》は|泣《な》き|声《ごゑ》を|振《ふ》り|絞《しぼ》り、
|平助《へいすけ》『アヽ、|私達《わたくしたち》|程《ほど》|因果《いんぐわ》なものが|三千世界《さんぜんせかい》に|又《また》とあらうか、|折角《せつかく》|機嫌《きげん》のよい|姿《すがた》を|見《み》てやつと|蘇生《そせい》の|思《おも》ひをしたと|思《おも》へば、|一日《いちにち》|経《た》つや|経《た》たずの|間《あひだ》に、|又《また》もや|不慮《ふりよ》の|災難《さいなん》|何《ど》うして|之《これ》が|生《いき》て|居《を》られう。オイお|楢《なら》、お|前《まへ》も|私《わし》も|是《これ》から|娘《むすめ》と|共《とも》に|十万億土《じふまんおくど》の|旅《たび》に|出《で》かけませう。サア|用意《ようい》ぢや、よいか』
お|楢《なら》『ハイハイ|私《わたくし》も|女《をんな》の|端《はし》くれ、|親子《おやこ》|三人《さんにん》|此《この》|場《ば》で|潔《いさぎよ》く|命《いのち》を|果《はた》し、|神界《しんかい》とやらに|参《まゐ》りませう。コレお|節《せつ》、|婆《ばば》は|一足先《ひとあしさき》へ|行《ゆ》く|程《ほど》にどうぞ|悠《ゆつ》くり|後《あと》から|来《き》て|下《くだ》さい、|六道《ろくだう》の|辻《つじ》で|婆《ばば》と|爺《ぢぢ》とが|待《ま》つて|居《ゐ》ます、オンオンオン』
|平助《へいすけ》『これやこれやお|楢《なら》、|何事《なにごと》も|運命《うんめい》の|綱《つな》に|操《あやつ》られて|居《ゐ》るのだ。|此《この》|期《ご》に|及《およ》んで|涙《なみだ》は|禁物《きんもつ》だ、サア|潔《いさぎよ》く』
と|云《い》ふより|早《はや》く|懐剣《くわいけん》|抜《ぬ》く|手《て》も|見《み》せず、|吾《われ》と|吾《わが》|腹《はら》にぐつと|突《つ》き|立《た》てむとする。|鬼彦《おにひこ》は|驚《おどろ》いて|平助《へいすけ》の|利《き》き|腕《うで》を|確《しつか》と|握《にぎ》り、
|鬼彦《おにひこ》『ヤア、お|爺《ぢい》さま|待《ま》つた|待《ま》つた、|死《し》ぬのは|早《はや》いぞ、|死《し》んで|花実《はなみ》が|咲《さ》くものか、|此《この》|世《よ》で|安心《あんしん》をせずにどうして|彼《あ》の|世《よ》で|安心《あんしん》が|出来《でき》ると|思《おも》ふか、マアマア|待《ま》つた|待《ま》つた、|短気《たんき》は|損気《そんき》だ』
お|楢《なら》『|平助《へいすけ》どのさらば』
と|又《また》もや|短刀《たんたう》を|抜《ぬ》くより|早《はや》く|喉《のど》に|突《つ》き|刺《さ》さむとする|一刹那《いちせつな》、|鬼虎《おにとら》は|吾《われ》を|忘《わす》れてお|楢《なら》の|利《き》き|腕《うで》グツと|握《にぎ》り、
|鬼虎《おにとら》『お|婆《ば》アさま|待《ま》つた|待《ま》つた』
お|楢《なら》『ヤア|誰《たれ》かと|思《おも》へば|大江山《おほえやま》の|鬼雲彦《おにくもひこ》の|乾児《こぶん》であつた|鬼虎《おにとら》だな、エヽ|汚《けが》らはしい、|構《かま》つて|下《くだ》さるな、|婆《ばば》の|命《いのち》を|婆《ばば》が|捨《す》てるのだ。お|前《まへ》に|厘毛《りんまう》の|損害《そんがい》を|掛《か》けるのでない、|放《ほ》つて|置《お》いて|下《くだ》さい、|入《い》らぬお|世話《せわ》だ、あた|汚《けが》らはしい、お|前《まへ》のやうな|悪人《あくにん》に|助《たす》けられて|何《ど》うしてノメノメ|此《この》|世《よ》に|生《いき》て|居《を》られるものか、エヽ|放《ほ》つて|置《お》いて|下《くだ》さい』
|鬼虎《おにとら》、|涙声《なみだごゑ》になつて、
『お|楢《なら》さま|何《ど》うしても|私《わたくし》の|罪《つみ》は|赦《ゆる》して|下《くだ》さいませぬか』
お|楢《なら》『|定《きま》つた|事《こと》だ、|死《し》んでも|許《ゆる》しやせぬ、|仮令《たとへ》ミロクの|世《よ》が|来《き》てもお|前《まへ》の|恨《うらみ》は|忘《わす》れるものか』
|鬼虎《おにとら》『お|楢《なら》さま、ソンナラ|貴女《あなた》の|手《て》にかけて、|私《わたくし》を|思《おも》ふ|存分《ぞんぶん》|弄《なぶ》り|殺《ごろ》しにして|下《くだ》さい。さうしたら|貴女《あなた》の|恨《うらみ》は|些《ちつ》とは|晴《は》れませう、さうして|私《わたくし》の|罪《つみ》を|忘《わす》れて|下《くだ》さいませ』
|平助《へいすけ》|大声《おほごゑ》に|泣《な》きながら、
『コラコラお|楢《なら》、もう|好《よ》い|加減《かげん》に|愚痴《ぐち》を|云《い》うて|置《お》かぬかい、|是《これ》|丈《だけ》|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い|善《ぜん》の|魂《たましひ》に|立《た》ち|復《かへ》つた|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》の|両人《りやうにん》、|此《この》|上《うへ》|愚痴《ぐち》を|零《こぼ》すと|却《かへ》つて|此方《こちら》が|深《ふか》い|罪《つみ》になるぞ。|夫《それ》よりも|潔《いさぎよ》く|娘《むすめ》と|共《とも》に|神界《しんかい》の|旅《たび》を|致《いた》さうぢやないか、|娑婆《しやば》に|執着《しふちやく》を|些《ちつ》とも|残《のこ》さぬやうにして|呉《く》れ、アヽ|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》|両人《りやうにん》さま、|貴方方《あなたがた》の|真心《まごころ》は|頑固《ぐわんこ》|一辺《いつぺん》の|平助《へいすけ》も|骨身《ほねみ》に|徹《こた》へました。|決《けつ》して|決《けつ》してもう|此《この》|上《うへ》は|貴方《あなた》を|恨《うら》みませぬ、どうぞ|手《て》を|放《はな》して|下《くだ》さい』
|鬼彦《おにひこ》『どうしてどうして|貴方方《あなたがた》を|見殺《みごろ》しにしてなるものか、|短気《たんき》を|起《おこ》さずに、も|一度《いちど》|思《おも》ひ|直《なほ》して|下《くだ》さい、オイ|鬼虎《おにとら》、お|楢《なら》さまの|腕《かいな》を|放《はな》すぢやないぞ、|確《しつか》り|掴《つか》まへて|居《ゐ》て|呉《く》れ、これやこれや|岩公《いはこう》、|勘《かん》、|櫟《いち》、|早《はや》くお|節《せつ》さまを|救《すく》ひ|出《だ》さぬか、|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》|致《いた》して|居《ゐ》るのぢや』
|岩公《いはこう》『|最前《さいぜん》から|吾々《われわれ》|三人《さんにん》が|此《この》|通《とほ》り|雪塊《せつくわい》|除《の》けに|尽《つく》して|居《ゐ》るのが|分《わか》らぬか、サアサアお|節《せつ》さま、もう|大分《だいぶん》に|軽《かる》くなつたらう、|一寸《ちよつと》|動《うご》いて|見《み》て|下《くだ》さい』
お|節《せつ》『ハイハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います、|息《いき》が|切《き》れさうにありましたが、|追々《おひおひ》とお|蔭様《かげさま》で|楽《らく》になつて|来《き》ました、も|些《すこ》し|取《と》り|除《の》けて|下《くだ》されば|大丈夫《だいぢやうぶ》|助《たす》かりませう、モシモシお|爺《ぢい》さま、お|婆《ば》アさま、どうぞ|確《しつか》りして|下《くだ》さいませ、|節《せつ》はどうやら|助《たす》けて|貰《もら》へさうで|御座《ござ》います』
|平助《へいすけ》、お|楢《なら》|一時《いちじ》に、
『ヤアヤアお|節《せつ》|助《たす》かるか、それは|何《なに》よりぢや、お|前《まへ》が|此《この》|世《よ》に|生《いき》て|居《ゐ》るのなれば、|爺《ぢぢ》や|婆《ばば》は、どうして|此《この》|世《よ》を|去《さ》つてなるものか、もう|皆《みな》さま|安心《あんしん》して|下《くだ》さい、|死《し》ねと|仰有《おつしや》つても|死《し》ぬものぢやない、お|前《まへ》さまも|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》と|云《い》つて|随分《ずゐぶん》|悪人《あくにん》だつたが、|好《よ》う【そこ】まで|改心《かいしん》が|出来《でき》た。サアサア|神様《かみさま》にお|礼《れい》を|申《まをし》ませう』
|岩公《いはこう》『モシモシ、お|爺《ぢい》さま、お|婆《ば》アさま、それや|結構《けつこう》だがまだ|此《この》|雪塊《せつくわい》は|容易《ようい》にとれないのだ、お|前《まへ》さま|等《ら》は|祝詞《のりと》を|上《あ》げて|下《くだ》さい、これやこれや|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》、もはやお|爺《ぢい》さまお|婆《ばば》アさまの|方《はう》は|安心《あんしん》だ、|此方《こちら》へ|加勢《かせい》だ|加勢《かせい》だ』
『おうさうだ』
と|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》は|雪塊除《せつくわいの》けに|全力《ぜんりよく》を|尽《つく》して|居《ゐ》る。|漸《やうや》くにして|雪塊《ゆきだま》は|取《と》り|除《の》けられ、お|節《せつ》はむくむくと|起《お》き|上《あが》り、|嫌《いや》らしき|笑《わら》ひ|声《ごゑ》、|舌《した》を|四五寸《しごすん》|許《ばか》りノロノロと|出《だ》し、
お|節《せつ》『キヤアツ キヤアツ キヤアツ キヤハヽヽヽ』
と|尻《しり》を|引《ひ》き|捲《ま》くり、トントントンと|山奥《やまおく》さして|姿《すがた》を|隠《かく》したりける。
|五人《ごにん》の|男《をとこ》は|肝《きも》を|潰《つぶ》し|腰《こし》を|抜《ぬ》かさむ|許《ばか》りに、|嫌《いや》らしさと|寒《さむ》さに|慄《ふる》うて|居《ゐ》る。|平助《へいすけ》お|楢《なら》の|二人《ふたり》は|皺嗄声《しわがれごゑ》を|張上《はりあ》げながら、
『オイお|節《せつ》、オーイオーイ、|爺《ぢぢ》と|婆《ばば》とは|此処《ここ》に|居《ゐ》るぞ、|待《ま》つて|呉《く》れ|待《ま》つて|呉《く》れ』
と|呶鳴《どな》りながら、|雪崩《なだれ》の|落下《らくか》する|谷道《たにみち》を|危険《きけん》を|忘《わす》れて|杖《つゑ》を|力《ちから》に|倒《こ》けつ|転《まろ》びつ|上《のぼ》り|行《ゆ》く。|五人《ごにん》の|裸男《はだかをとこ》は|二人《ふたり》の|後《あと》を|慕《した》ひ、
『|爺《ぢい》さま|婆《ばあ》さま|危《あぶ》ない|危《あぶ》ない、|待《ま》つた|待《ま》つた、お|節《せつ》さまと|見《み》えたのは|化物《ばけもの》だつた、|命《いのち》あつての|物種《ものだね》だ、|危《あぶ》ない|危《あぶ》ない』
と|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|後《あと》から|追《お》つかける。|爺《ぢい》サンと|婆《ばあ》サンは|一生懸命《いつしやうけんめい》|無我夢中《むがむちう》になつてお|節《せつ》の|後《あと》を|追《お》つて|行《ゆ》く。
お|節《せつ》は|或《ある》|谷川《たにがは》を|左右《さいう》に|猿《ましら》の|如《ごと》く|飛《と》び|交《かは》ひながら、とある|行《ゆ》き|当《あた》つた|岩石《がんせき》の|前《まへ》にピタリと|倒《たふ》れ、|其《その》|儘《まま》|姿《すがた》は|白煙《しらけぶり》、|雪解《ゆきど》けの|雫《しづく》の|音《おと》は|雨《あめ》の|如《ごと》く|梢《こずゑ》よりポトリポトリと|落《お》ち|下《くだ》る。|平助《へいすけ》|夫婦《ふうふ》はハツと|許《ばか》り|此《この》|場《ば》に|打《う》ち|倒《たふ》れ、|前後《ぜんご》も|知《し》らず|泣《な》き|沈《しづ》む。|五人《ごにん》の|裸男《はだかをとこ》|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ、|気絶《きぜつ》して|居《ゐ》る|平助《へいすけ》お|楢《なら》に|其辺《あたり》の|雪《ゆき》を|口《くち》に|含《ふく》ませ、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|神霊《しんれい》|注射《ちうしや》を|行《おこな》ひければ、|老夫婦《らうふうふ》は|漸《やうや》くウンと|息《いき》|吹《ふ》き|返《かへ》し、|又《また》もや『お|節《せつ》お|節《せつ》』と|泣《な》き|叫《さけ》ぶ。
|鬼虎《おにとら》『ヤア|此処《ここ》は|魔《ま》の|巌窟《いはや》だ、|去年《きよねん》の|今頃《いまごろ》だつたな、|鬼雲彦《おにくもひこ》の|命《めい》によつて|此《この》|巌窟《いはや》にお|節《せつ》さまを|押《お》し|込《こ》め、|固《かた》く|出入《しゆつにふ》|出来《でき》ないやうにして|置《お》いたのは|俺《おれ》だ。|其《その》|後《ご》|鬼雲彦《おにくもひこ》の|大将《たいしやう》チヨコチヨコとやつて|来《く》る|筈《はず》だつたが、お|節《せつ》の|事《こと》を|念頭《ねんとう》から|遺失《ゐしつ》して|居《ゐ》たのか、|未《いま》だ|一回《いつくわい》も|此《この》|岩《いは》を|接触《いぢ》つた|痕跡《こんせき》がない、|一年《いちねん》|位《くらゐ》の|食料《しよくれう》として|勝栗《かちぐり》が|沢山《たくさん》|入《い》れてあれば|滅多《めつた》に|飢死《うゑじに》して|居《ゐ》る|筈《はず》も|無《な》からうし、|水《みづ》も|天然《てんねん》に|湧《わ》き|出《で》て|居《ゐ》るから|寿命《じゆみやう》さへあれば|生《いき》て|居《ゐ》るのだらう、|最前《さいぜん》のお|節《せつ》と|思《おも》うたのは|何《なん》でも|妖怪変化《えうくわいへんげ》であつた。サアサア|爺《ぢい》さま|婆《ば》アさま、|此《この》|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》が|改心《かいしん》の|証拠《しようこ》に|真実《ほんと》のお|節《せつ》さまに|遇《あ》はして|上《あ》げやう。|何卒《どうぞ》これで|日頃《ひごろ》の|恨《うらみ》を|晴《は》らして|下《くだ》さい』
|平助《へいすけ》『|真実《ほんと》の|娘《むすめ》に|遇《あ》はして|下《くだ》さるか、|娘《むすめ》さへ|無事《ぶじ》に|生《いき》て|居《を》れば、|今迄《いままで》の|恨《うらみ》も|何《なに》もすつかり|忘《わす》れて|了《しま》ひませう、ナアお|楢《なら》、さうぢやないか』
お|楢《なら》『どうぞ|早《はや》う|助《たす》けて|下《くだ》さい、|真実《ほんと》の|娘《むすめ》が|見《み》たい|哩《わい》なア、オーンオーンオーン』
と|泣《な》きそそる。|鬼虎《おにとら》、|鬼彦《おにひこ》は|四辺《あたり》の|手《て》ごろの|石《いし》を|拾《ひろ》ひ、|一《ひ》イ|二《ふ》ウ|三《み》つと|合図《あひづ》しながら|岩壁《がんぺき》を|一度《いちど》に|力《ちから》|限《かぎ》り|撲《なぐ》つた。|岩《いは》の|戸《と》は|内《うち》に|開《ひら》いて|中《なか》には|真暗《まつくら》の|道《みち》がついて|居《ゐ》る。
|鬼彦《おにひこ》『サア|開《ひら》きました、|誰《たれ》も|這入《はい》らないと|見《み》えて|随分《ずゐぶん》エライ|蜘蛛《くも》の|巣《す》だ、オイ|岩公《いはこう》、|其《その》|辺《へん》の|木《き》の|枝《えだ》を|折《を》つて|来《こ》い、さうして|貴様《きさま》|蜘蛛《くも》の|巣《す》|払《ばら》ひだ』
|岩公《いはこう》『|妙《めう》な|巌窟《がんくつ》もあつたものだ、よし|来《き》た』
と|傍《かたはら》の|常磐木《ときはぎ》の|枝《えだ》を|折《を》り|取《と》り、|左右左《さいうさ》と|振《ふ》りながら|暗《くら》き|巌窟《がんくつ》の|奥《おく》を|目蒐《めが》けて|進《すす》み|入《い》る。|鬼虎《おにとら》は|後《あと》|振《ふ》り|返《かへ》り、
|鬼虎《おにとら》『お|爺《ぢ》イさま、お|婆《ば》アさま、|巌窟《がんくつ》の|中《なか》は|大変《たいへん》に|危険《きけん》で|御座《ござ》います、|暫《しばら》く|此処《ここ》に|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さい、お|節《せつ》さまを|立派《りつぱ》にお|連《つ》れ|申《まをし》て|帰《かへ》つて|来《き》ます』
お|楢《なら》『ハイハイ|有難《ありがた》う、|何卒《どうぞ》|一時《いちじ》も|早《はや》う|会《あ》はして|下《くだ》され』
|平助《へいすけ》『|何卒《どうぞ》|皆《みな》さま|頼《たの》みます』
|鬼虎《おにとら》『|承知《しようち》しました』
と|段々《だんだん》と|奥《おく》へ|進《すす》みつつ|鬼彦《おにひこ》に|向《むか》ひ|小《ちひ》さい|声《こゑ》で、
|鬼虎《おにとら》『オイ|鬼彦《おにひこ》、|此処《ここ》へ|押込《おしこ》めてからもう|一年《いちねん》になるが、|鬼雲彦《おにくもひこ》の|大将《たいしやう》|其《その》|後《ご》|一度《いちど》も|此処《ここ》に|来《き》て|居《ゐ》ないやうだ、|万々一《まんまんいち》お|節《せつ》さまが|死《し》んで|了《しま》つて|居《を》つたら、|老人《らうじん》|夫婦《ふうふ》にどうして|云《い》ひ|訳《わけ》をしたら|好《よ》からうなア、|屹度《きつと》|夫婦《ふうふ》は|又《また》|喉《のど》|突《つ》き|騒《さわ》ぎをやるに|極《きま》つて|居《ゐ》る。ハテ|心配《しんぱい》な|事《こと》ぢやないか』
|鬼彦《おにひこ》『ナニ|心配《しんぱい》するにや|及《およ》ぶまい、|屹度《きつと》|神様《かみさま》が|守《まも》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さるだらう。ソンナ|入《い》らざる|取越苦労《とりこしくらう》をするよりも、|一刻《いつこく》も|早《はや》う|前進《ぜんしん》して|安否《あんぴ》を|探《さぐ》ることにしようぢやないか。もし|万々一《まんまんいち》お|節《せつ》さまが|死《し》んで|居《ゐ》たら、|吾々《われわれ》も|罪滅《つみほろぼ》しに|潔《いさぎよ》く|割腹《かつぷく》したらよいぢやないか』
|岩公《いはこう》『オイ|勘公《かんこう》、|櫟公《いちこう》、|何《なん》だか|今日《けふ》は|怪体《けたい》な|日《ひ》ぢやないか、|彼方《あちら》にも|此方《こちら》にも|死《し》ぬだの|割腹《かつぷく》だの|国替《くにがへ》だのと|縁起《えんぎ》の|悪《わる》い|事《こと》|許《ばか》り|云《い》ひよつて、|俺達《おれたち》も|何《なん》だか|大変《たいへん》|気《き》にかかり、|穴《あな》へでも|這入《はい》り|度《た》いやうになつて|仕舞《しま》つた』
|勘公《かんこう》『|既《すで》に|吾々《われわれ》は|穴《あな》へ|這入《はい》つて|居《ゐ》るぢやないか、|穴阿呆《あなあはう》らしい』
|一同《いちどう》『アハヽヽヽ、|向《むか》ふに|明《あ》かるい|影《かげ》が|見《み》えるぞ。|大方《おほかた》|彼処《あすこ》の|辺《あた》りだらう、ナア|鬼彦《おにひこ》、あの|辺《へん》がお|節《せつ》さまの|隠《かく》してある|処《ところ》でせう』
|鬼彦《おにひこ》『ウンさうだ、もう|其処《そこ》だ、|急《いそ》げ|急《いそ》げ』
と|一行《いつかう》|五人《ごにん》は|岩彦《いはひこ》を|先頭《せんとう》に|巌穴《いはあな》の|幽《かす》かな|光《ひかり》を|目当《めあ》てに|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・四・二一 旧三・二五 加藤明子録)
第三章 |生死《せいし》|不明《ふめい》〔六一四〕
|真名井ケ岳《まなゐがだけ》の|山奥《やまおく》の、|暗《くら》き|岩窟《いはや》に|閉《と》ぢ|籠《こ》められし、|丹波村《たんばむら》の|平助《へいすけ》が|孫娘《まごむすめ》お|節《せつ》は、|色《いろ》|青褪《あをざ》め|痩衰《やせおとろ》へて、|手足《てあし》は|針金《はりがね》の|如《ごと》く|吹《ふ》く|呼吸《いき》も|細《ほそ》り|勝《が》ち、|涙《なみだ》|片手《かたて》に|口説《くど》き|言《ごと》、|他所《よそ》の|見《み》る|目《め》も|憐《あは》れなり。|人里《ひとざと》はなれ|月日《つきひ》の|光《ひかり》さへも|通《かよ》はぬ|此《こ》の|岩窟《がんくつ》の|奥深《おくふか》く、|閉《と》じこめられしお|節《せつ》は、|初冬《しよとう》の|霜《しも》に|身《み》を|啣《かこ》つ、|秋野《あきの》の|虫《むし》の|断末魔《だんまつま》、|悲《かな》しき|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて、|思《おも》ひを|歌《うた》に|任《まか》せつつ、|悶々《もんもん》の|情《じやう》を|慰《なぐさ》めつつありける。
『|思《おも》へば|去年《こぞ》の|雪《ゆき》の|空《そら》  |春《はる》とは|言《い》へど|未《ま》だ|寒《さむ》く
|四方《よも》の|山々《やまやま》|雪《ゆき》|積《つ》みて  |野分《のわき》|烈《はげ》しき|夕暗《ゆふやみ》に
|吾《わが》|家《や》を|尋《たづ》ね|出《い》で|来《きた》る  |怪《あや》しの|男《をとこ》|二人連《ふたりづれ》
|数多《あまた》の|枉人《まがびと》|門口《かどぐち》に  |忍《しの》ばせ|置《お》きて|年老《としおい》し
|爺《ぢい》サン|婆《ばあ》サンや|妾《わらは》まで  |言葉《ことば》|巧《たくみ》に|誑《たばか》りつ
|一間《ひとま》の|内《うち》に|鬼彦《おにひこ》と  |心《こころ》の|猛《たけ》き|鬼虎《おにとら》が
|吾等《われら》を|計《はか》る|空寝入《そらねい》り  |水《みづ》も|眠《ねむ》れる|丑満《うしみつ》の
|鐘《かね》を|合図《あひづ》に|起《お》き|出《い》でて  |何《なん》の|容赦《ようしや》も|荒繩《あらなは》の
|思《おも》ひも|寄《よ》らぬ|強盗《がうたう》が  |憐《あは》れや|爺《ぢい》さま|婆《ば》アさまを
|罪《つみ》も|無《な》いのに|無残《むざん》にも  |家《いへ》の|柱《はしら》に|縛《しば》り|附《つ》け
|長《なが》い|刃物《はもの》を|抜《ぬ》き|放《はな》ち  |宝《たから》を|渡《わた》せ|金《かね》|出《だ》せと
|退引《のつぴき》ならぬ|強談判《こわだんぱん》  |爺《ぢい》やも|婆《ば》アやも|驚《おどろ》いて
|生命《いのち》ばかりはお|助《たす》けと  |声《こゑ》も|憐《あは》れに|頼《たの》み|入《い》る
|若《わか》い|時《とき》から|苦労《くらう》して  |貯《た》めた|宝《たから》を|奪《うば》ひ|取《と》り
|尚《なほ》|飽《あ》き|足《た》らぬ|鬼《おに》|共《ども》は  |何《なん》の|容赦《ようしや》も|情《なさけ》けなや
|二人《ふたり》|在《お》はする|目《め》の|前《まへ》に  |思《おも》ひも|寄《よ》らぬ|横恋慕《よこれんぼ》
|嫌《いや》と|申《まを》さば|老人《らうじん》|夫婦《ふうふ》  |刀《かたな》の|錆《さび》にして|呉《く》れむ
お|節《せつ》|如何《いか》にと|詰《つ》めかくる  |妾《わらは》は|繊弱《かよわ》き|乙女子《おとめご》の
|何《なん》の|応答《いらへ》もなくばかり  |鬼《おに》や|悪魔《あくま》の|瀰漫《はびこ》りて
|威猛《ゐたけ》り|狂《くる》ふ|世《よ》の|中《なか》を  |清《きよ》め|助《たす》くる|神々《かみがみ》は
|此《この》|世《よ》の|中《なか》に|無《な》きものか  |善《ぜん》は|衰《おとろ》へ|悪《あく》|栄《さか》え
|世《よ》は|烏羽玉《うばたま》の|真《しん》の|闇《やみ》  やみやみ|魔神《まがみ》に|捕《とら》へられ
|名《な》も|恐《おそ》ろしき|大江山《おほえやま》  |鬼雲彦《おにくもひこ》の|面前《めんぜん》に
|荒々《あらあら》しくも|引《ひ》き|出《だ》され  |絶《た》え|入《い》る|許《ばか》りの|思《おも》ひして
|網代《あじろ》の|駕籠《かご》に|放《ほ》り|込《こ》まれ  |目《め》も|廻《ま》ふ|許《ばか》りゆらゆらと
|揺《ゆ》られて|来《きた》る|比治山《ひぢやま》の  |北《きた》に|聳《そび》ゆる|真名井岳《まなゐだけ》
|雪《ゆき》|積《つ》む|山《やま》の|谷《たに》の|底《そこ》  |岩《いは》を|開《ひら》いて|押《お》しこまれ
|黒白《あやめ》も|分《わ》かぬ|暗《くら》がりの  |此《この》|巌窟《がんくつ》に|只《ただ》|一人《ひとり》
|押《お》しこめられて|日《ひ》を|送《おく》る  |扨《さて》も|扨《さて》も|世《よ》の|中《なか》に
|妾《わし》|程《ほど》|因果《いんぐわ》があるものか  |如何《いか》なる|宿世《すぐせ》の|罪業《ざいごう》か
|廻《めぐ》りて|茲《ここ》に|父母《ちちはは》の  お|顔《かほ》も|知《し》らず|慈悲《じひ》|深《ぶか》き
|爺《ぢい》やと|婆《ばあ》やに|助《たす》けられ  |花《はな》の|蕾《つぼみ》の|最中《さいちう》を
|霜《しも》にはうたれ|荒風《あらかぜ》に  |悩《なや》まされつつ|味気《あぢき》なき
|岩窟《いはや》の|中《なか》の|憂《う》き|住居《ずまゐ》  |昼夜《ひるよる》|分《わ》かぬ|身《み》の|宿世《すぐせ》
|救《すく》ひ|給《たま》へと|天地《あめつち》の  |神《かみ》に|願《ねがひ》を|掛巻《かけま》くも
|畏《かしこ》き|神《かみ》の|夢《ゆめ》の|告《つげ》  |日《ひ》の|出神《でのかみ》と|現《あ》れまして
|声《こゑ》|厳《おごそ》かに|宣《の》らす|様《やう》  アヽ|愛《あい》らしきお|節嬢《せつぢやう》
|今《いま》に|汝《なんぢ》の|此《この》|憂《う》き|目《め》  |晴《は》らし|与《あた》へむ|汝《な》が|慕《した》ふ
|爺《ぢぢ》、|婆《ばば》さまに|会《あ》はさむと  |詔《の》らせ|給《たま》うと|見《み》る|中《うち》に
|忽《たちま》ち|夢《ゆめ》は|破《やぶ》られて  |吾《わが》|身《み》は|悲《かな》しき|岩窟《いはやど》の
|中《なか》にくよくよ|物《もの》|案《あん》じ  |此《この》|世《よ》に|神《かみ》が|在《ま》しまさば
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|片時《かたとき》も  |疾《と》く|速《すむや》けく|親《おや》と|娘《こ》の
|切《せつ》なき|思《おも》ひを|憐《あは》れみて  |救《すく》はせ|給《たま》へ|天津神《あまつかみ》
|国津神《くにつかみ》|等《たち》|八百万《やほよろづ》  |万《よろづ》の|神《かみ》の|御守護《おまも》りに
|天《あま》の|岩戸《いはと》の|開《ひら》く|如《ごと》  これの|魔窟《まくつ》のすくすくに
|開《ひら》いて|妾《わらは》を|明《あか》るみに  |救《すく》はせたまへ|惟神《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐《ま》しませよ  |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|曲津《まがつ》の|神《かみ》は|荒《すさ》ぶとも  |誠《まこと》の|神《かみ》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|此《この》|神言《かみごと》を|力《ちから》とし  |朝《あさな》|夕《ゆふな》に|吾《わが》|宣《の》りし
|厳《いづ》の|言霊《ことたま》|何時《いつ》しかに  |一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》
|春《はる》は|来《きた》れど|花《はな》|咲《さ》かぬ  |此《この》|岩窟《いはやど》の|佗《わび》|住居《ずまゐ》
|憐《あは》れみ|給《たま》へ|百《もも》の|神《かみ》  |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》  |只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ  |身《み》の|過《あやまち》は|宣《の》り|直《なほ》せ
|委曲《うまら》に|詳細《つばら》に|教《をし》へたる  |三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|教《のり》
アヽ|有難《ありがた》や|尊《たふと》しや  |心《こころ》の|岩戸《いはと》はさやさやに
|蓮《はちす》の|花《はな》の|匂《にほ》ふ|如《ごと》  |開《ひら》いて|空《そら》に|美《うる》はしき
|真如《しんによ》の|月《つき》は|輝《かがや》けど  |又《また》もや|曇《くも》る|胸《むね》の|空《そら》
|身《み》は|岩窟《いはやど》に|囚《とら》はれて  |空《そら》に|輝《かがや》く|日月《じつげつ》の
|光《ひかり》も|知《し》らず|降《ふ》りしきる  |涙《なみだ》の|雨《あめ》は|何時迄《いつまで》も
|比沼《ひぬ》の|真名井《まなゐ》の|此《この》|岩窟《いはや》  |何時《いつ》かは|逃《のが》れ|厳霊《いづみたま》
|百《もも》の|苦《くる》しみ|瑞霊《みづみたま》  |三五《さんご》の|月《つき》の|輝《かがや》きて
|思《おも》ひも|深《ふか》き|親《おや》と|子《こ》が  |互《たがひ》に|手《て》に|手《て》を|執《と》り|交《か》はし
|抱《いだ》きて|泣《な》かむ|時《とき》は|何時《いつ》  アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐《ま》しませよ  アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐《ま》しませよ』
と|幽《かす》かに|女《をんな》の|謡《うた》ふ|声《こゑ》きこへ|来《き》たりぬ。
|鬼彦《おにひこ》『ヤア|此処《ここ》だ|此処《ここ》だ、|久《ひさ》し|振《ぶ》りでお|節《せつ》さまのお|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|居《ゐ》る。マア|之《これ》で|生命《いのち》だけは|助《たす》かつたと|云《い》ふものだ、ナア|鬼虎《おにとら》、|先《ま》づ|安心《あんしん》したが|宜《よ》からうぜ』
|鬼虎《おにとら》『|何《なん》と|細《ほそ》い|嫌《いや》らしい|声《こゑ》ぢやないか、|実際《じつさい》お|節《せつ》さまの|声《こゑ》だらうか、|名《な》に|負《お》ふ|魔《ま》の|岩窟《いはや》、|何《なに》が|化《ば》けて|居《ゐ》るか|分《わか》つたものぢや|無《な》い、とつくりと|調《しら》べた|上《うへ》の|事《こと》だよ』
|鬼彦《おにひこ》は、
『もしもし』
と|岩穴《いはあな》を|覗《のぞ》き、
『|私《わたくし》で|御座《ござ》います』
お|節《せつ》、フツと|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》き|窓口《まどぐち》を|見《み》れば|擬《まが》ふ|方《かた》なき|鬼彦《おにひこ》の|顔《かほ》、お|節《せつ》は|見《み》るより、
『ヤア|汝《なんぢ》は|大江山《おほえやま》の|鬼雲彦《おにくもひこ》が|家来《けらい》|鬼彦《おにひこ》ではないか、|年老《としよ》り|夫婦《ふうふ》の|汗《あせ》や|膏《あぶら》を|絞《しぼ》つた|宝《たから》を|奪《うば》ひ|取《と》り、|剰《あまつさ》へ|妾《わらは》を|誘拐《かどはか》し、かかる|巌窟《がんくつ》に|長《なが》らくの|間《あひだ》|閉《と》ぢこめ|置《お》いた|汝《なんぢ》|悪神《あくがみ》の|眷属《けんぞく》、|此処《ここ》へ|来《き》たのは|日頃《ひごろ》|念《ねん》ずる|神様《かみさま》のお|引《ひ》き|合《あは》せ、さア|覚悟《かくご》を|致《いた》せ』
と|云《い》ふより|早《はや》く|有《あ》りあふ|岩石《がんせき》を|右手《めて》に|握《にぎ》り、|鬼彦《おにひこ》の|面部《めんぶ》を|目蒐《めが》けて|打《う》ちつけたるに、|狙《ねら》ひ|外《はづ》れて|岩壁《がんぺき》に|中《あた》り、かたかたと|音《おと》して|巌窟内《がんくつない》に|落《お》ちた。お|節《せつ》は|又《また》もや|拾《ひろ》ひ|上《あ》げ|鬼彦《おにひこ》の|面部《めんぶ》を|目蒐《めが》けて|打《う》たむとするにぞ、|鬼彦《おにひこ》は|驚《おどろ》いて|覗《のぞ》いた|顔《かほ》を|竦《すく》め|乍《なが》ら、
『モシモシお|節《せつ》さま、|其《その》|腹立《はらだ》ちは|御尤《ごもつと》もだが、|私《わたくし》は|去年《きよねん》の|鬼彦《おにひこ》とは|雲泥《うんでい》の|相違《さうゐ》だ。|今《いま》は|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い、お|前《まへ》を|助《たす》けに|来《き》たのだ、|平助《へいすけ》さまもお|楢《なら》さまも|岩窟《いはと》の|入口《いりぐち》に|待《ま》つて|御座《ござ》る。サアサア|開《あ》けてあげようから|出《で》て|下《くだ》さい』
お|節《せつ》『|能《よ》くベラベラと|囀《さへづ》る|汝《なんぢ》が|侫弁《ねいべん》、|其《その》|手段《しゆだん》にのるものか、|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》れ』
|鬼彦《おにひこ》『|其《その》|御立腹《ごりつぷく》は|一応《いちおう》|御尤《ごもつと》もで|御座《ござ》います、|然《しか》し|乍《なが》ら|何時《いつ》までも|此処《ここ》に|御座《ござ》つても|詮《せん》なき|事《こと》、|何《なに》はともあれ|今《いま》|岩戸《いはと》を|開《あ》けますから|何卒《どうぞ》お|出《で》まし|下《くだ》さい。アーア|一旦《いつたん》|悪《わる》い|事《こと》をすれば|何時《いつ》までも|悪《わる》い|事《こと》をする|様《やう》に|云《い》はれる|哩《わい》、|人間《にんげん》と|云《い》ふものは|常《つね》が|大切《たいせつ》だと|云《い》ふのは|此処《ここ》の|事《こと》かなア、これこれ|鬼虎《おにとら》、|吾々《われわれ》|許《ばか》りにものを|云《い》はして|貴方《あなた》は|沈黙《ちんもく》して|居《ゐ》るのか、ヤア|男《をとこ》らしくも|無《な》いメソメソ|泣《な》いて|居《ゐ》るのだな、エーじれつたい、|泣《な》くのなら|又《また》|悠《ゆつ》くり|後《あと》で|泣《な》け、|千騎一騎《せんきいつき》の|場合《ばあひ》だ、お|前《まへ》も|一《ひと》つ|事情《じじやう》をお|節《せつ》さまの|得心《とくしん》の|往《ゆ》く|所《ところ》まで|打明《うちあ》けて|呉《く》れ、|此《この》|岩戸《いはと》を|開《あ》けるのは|易《やす》い|事《こと》だが、お|節《せつ》さまの|諒解《りやうかい》を|得《え》てからで|無《な》いと、|開《あ》けるが|最後《さいご》|出《で》かけに|如何《どん》な|目《め》に|遭《あ》はされるか|分《わか》つたものぢや|無《な》い、|第一《だいいち》|交渉《かうせふ》が|肝腎《かんじん》だよ』
|鬼虎《おにとら》『アーア、|仕方《しかた》が|無《な》いな、|此《この》|鬼虎《おにとら》の|様《やう》な|鬼《おに》の|様《やう》な|虎《とら》の|様《やう》な|名《な》の|付《つ》いた|悪党《あくたう》の|俺《おれ》でも、|今迄《いままで》の|悪業《あくごふ》が|記憶《きおく》から|浮《う》かんで|来《き》て、|心《こころ》の|鬼《おに》に|五臓六腑《ござうろつぷ》を|抉《えぐ》られる|様《やう》だ、アーア、|開《あ》けねばならず、|開《あ》けてはならず、|開《あ》けて|悔《くや》しい|玉手箱《たまてばこ》、お|節《せつ》さまに|会《あ》はす|顔《かほ》が|如何《どう》してあらうか』
と|声《こゑ》を|放《はな》つて|泣《な》き|伏《ふ》したり。
|鬼彦《おにひこ》『おい、|岩公《いはこう》、|貴様《きさま》は|無疵《むきず》だ、|俺《おれ》に|代《かは》はつて|一《ひと》つ|此《この》|穴《あな》から|顔《かほ》|突《つ》き|出《だ》し|談判《だんぱん》をして|呉《くれ》ないか、|特別《とくべつ》|弁理《べんり》|公使《こうし》だ、|之《これ》が|甘《うま》く|往《い》つたら|貴様《きさま》を|勲一等《くんいつとう》にしてやるから』
|岩公《いはこう》『|勲一等《くんいつとう》でも|何《なん》でも|御免《ごめん》だ、|迂濶《うつかり》|首《くび》でも|出《だ》して|笠《かさ》の|台《だい》でも|引《ひ》き|抜《ぬ》かれて|見《み》よ、よい|面《つら》の|皮《かは》だ、|聖人君子《せいじんくんし》は|危《あやふ》きに|近寄《ちかよ》らずだ、マアやめとこかい』
|鬼彦《おにひこ》『エー、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|鬼味噌《おにみそ》|許《ばか》りだ、|強《つよ》|相《さう》な|顔《かほ》して|居《ゐ》よつて|胆玉《きもだま》の【ちよろ】こい|腰抜《こしぬ》けだなア、オイ|勘公《かんこう》、|櫟公《いちこう》、|貴様《きさま》に|交渉《かうせふ》|委員《ゐゐん》を|任命《にんめい》する』
|勘公《かんこう》『|何《なに》を|吐《ぬか》すのだい、|此《この》|談判《だんぱん》は|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》の|避《さ》くべからざる|義務《ぎむ》があるのだ、|誰《たれ》が|之《これ》だけ|辛《から》い|時節《じせつ》に|人《ひと》の|責任《せきにん》までも|引受《ひきう》けて|危《あやふ》い|事《こと》をする|奴《やつ》があるものか、ナア|櫟公《いちこう》』
|櫟公《いちこう》『オヽさうだ、マアマア|今日《けふ》は|日和《ひより》が|悪《わる》いから|止《や》めとこうかい』
|鬼彦《おにひこ》『エー、|仕方《しかた》がない、|開《あ》けてやらう』
と|合図《あひづ》の|岩壁《がんぺき》をグツと|押《お》し|開《ひら》けば、お|節《せつ》は|日頃《ひごろ》|鍛《きた》えて|置《お》いた|岩壁《がんぺき》で|造《つく》つた|鋭利《えいり》な|石槍《いしやり》を|逆手《さかて》に|持《も》ち、|鬼彦《おにひこ》|目蒐《めが》けて|突《つ》きかかる。|鬼彦《おにひこ》は|元《もと》|来《き》し|隧道《すゐだう》を|生命《いのち》からがら|逃《と》び|出《だ》す、|岩公《いはこう》はお|節《せつ》の|後《うしろ》より、|無手《むづ》と|許《ばか》り|抱《いだ》きとめ、
|岩公《いはこう》『モシモシお|節《せつ》どの、マアマアお|待《ま》ち|下《くだ》され、|之《これ》には|深《ふか》い|仔細《しさい》が|御座《ござ》います』
『|此《この》|期《ご》に|及《およ》んで|何《なん》の|言訳《いひわけ》、|汝《なんぢ》も|鬼雲彦《おにくもひこ》が|一派《いつぱ》の|悪魔《あくま》|共《ども》、|大神《おほかみ》の|神力《しんりき》を|身《み》に|帯《お》びたる|丹波村《たんばむら》のお|節《せつ》が|武者振《むしやぶ》り、|思《おも》ひ|知《し》れよ』
と|振《ふ》り|返《かへ》り|突《つ》いてかかる。|岩公《いはこう》は|又《また》もやトントンと|元《もと》|来《き》し|隧道《すゐだう》を|頭《あたま》を|打《う》ち|臂《ひぢ》を|岩壁《がんぺき》に|打《う》ちつけ|乍《なが》ら、|倒《こ》けつ|転《まろ》びつ|出口《でぐち》の|方《はう》へ|走《はし》り|行《ゆ》く。お|節《せつ》は|四辺《あたり》をキヨロキヨロ|見廻《みまは》しつつ、
『ヤア|其方《そなた》は|擬《まが》ふ|方《かた》なき|鬼虎《おにとら》では|無《な》いか、|克《よ》くも|妾《わらは》を|苦《くる》しめよつたな、サアもう|斯《こ》うなる|上《うへ》は|百年目《ひやくねんめ》、お|節《せつ》が|怨恨《うらみ》の|刃《やいば》、|喰《く》つて|見《み》よ』
と|真向《まつかう》に|振《ふ》り|翳《かざ》し|飛《と》びかからむとする|其《その》|形相《ぎやうさう》の|凄《すさま》じさ。
|鬼虎《おにとら》『モシモシお|節《せつ》さま、|悪《わる》かつた|悪《わる》かつた、|何卒《なにとぞ》|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ、|之《これ》には|深《ふか》い、|仔細《しさい》がある』
お|節《せつ》『|其《その》|言訳《いひわけ》を|聞《き》く|耳《みみ》は|持《も》たぬ』
と|突《つ》いてかかる。|鬼虎《おにとら》は|前後左右《ぜんごさいう》に|巌窟内《がんくつない》に|体《たい》を|躱《かは》し|鋭鋒《えいほう》を|避《さ》けつつあつた。|如何《いかが》はしけむ、お|節《せつ》は|巌《いはほ》に|躓《つまづ》き|其《その》|場《ば》に|打《う》ち|倒《たふ》れ|悶絶《もんぜつ》したりけり。
|鬼虎《おにとら》『アヽ|失敗《しま》つた、これや|大変《たいへん》だ、おいおい|勘公《かんこう》、|櫟公《いちこう》、|貴様《きさま》は|早《はや》く|出口《でぐち》へ|行《い》つて|鬼彦《おにひこ》、|岩公《いはこう》に|此《この》|次第《しだい》を|急報《きふはう》|致《いた》せ。|俺《おれ》はお|節《せつ》さまが|気《き》の|付《つ》く|様《やう》に|介抱《かいほう》して|居《ゐ》るから|何卒《どうぞ》|早《はや》く|行《い》つて|呉《く》れ、おい|崎嶇《きく》たる|隧道《すゐだう》の|中《なか》、|慌《あは》てて|躓《つまづ》き|怪我《けが》するな、|早《はや》く|行《い》つて|来《こ》い』
『よし|合点《がつてん》だ』
と|勘公《かんこう》|櫟公《いちこう》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|出口《でぐち》に|向《むか》つて|駆出《かけだ》したり。|鬼虎《おにとら》は|叶《かな》はぬ|時《とき》の|神頼《かみだの》み、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|天《あま》の|数歌《かずうた》を|声《こゑ》|高《たか》らかに|奏上《そうじやう》し|居《ゐ》る。
|一方口《いつぱうぐち》の|岩窟《いはや》の|声《こゑ》は|出入口《でいりぐち》を|兼《か》ねたる|岩窟《いはや》の|前《まへ》の|老夫婦《らうふうふ》を|始《はじ》め|鬼彦《おにひこ》、|岩公《いはこう》|等《ら》が|耳《みみ》に|透《す》き|通《とほ》る|如《ごと》く|聞《きこ》え|来《き》たりぬ。|勘公《かんこう》、|櫟公《いちこう》は|岩窟《いはや》の|中《なか》より|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ、
『モシモシ|鬼彦《おにひこ》、|岩公《いはこう》の|大将《たいしやう》、タヽヽヽヽ|大変《たいへん》だ、シヽヽヽヽ|死《し》んだ、|死《し》んだ、|死《し》んだ、|死《し》んだ|哩《わい》』
|平助《へいすけ》『エ、|何《なん》と|仰有《おつしや》る、それは|誰《たれ》が|死《し》んだのだい、|判然《はつきり》|言《い》はないのか』
|勘公《かんこう》『これが|如何《どう》して|判然《はつきり》|言《い》はれやうかい、シヽヽヽ|死《し》んだのぢや|死《し》んだのぢや、アーン、アンアンアン』
|岩公《いはこう》『|鬼虎《おにとら》が|死《し》んだのか』
|勘公《かんこう》『シヽヽヽ、|死《し》んだのは|死《し》んだのぢやが、しつかりは|知《し》らぬ|哩《わい》、|行《い》つて|見《み》れや|分《わか》る、もう|此《この》|上《うへ》|言《い》ふのは|勘弁《こら》へて|呉《く》れ』
|鬼彦《おにひこ》『お|節《せつ》どのが|死《し》んだのぢや|無《な》いか』
|勘公《かんこう》『シヽヽヽ|知《し》らぬ|知《し》らぬ、マアマア|兎《と》も|角《かく》|二人《ふたり》の|内《うち》|一人《ひとり》が|死《し》んだのぢや』
|平助《へいすけ》『これこれお|前達《まへたち》、|此《この》|年寄《としより》を|嬲《なぶ》るのか、|若《も》しお|節《せつ》が|死《し》んででも|居《を》つたら|年《とし》は|老《と》つてもまだ|何処《どこ》かに|元気《げんき》がある、お|前達《まへたち》の|三人《さんにん》や|五人《ごにん》、|捻《ひね》り|潰《つぶ》してやるから、さう|覚悟《かくご》を|致《いた》せ』
|勘公《かんこう》『それでも|私《わたくし》|丈《だ》けは|除外例《ぢよがいれい》でせうなア』
|平助《へいすけ》『|何《なに》、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|皆殺《みなごろ》しだ』
|櫟公《いちこう》『|皆殺《みなごろ》しなら|何程《なんぼ》でも|頂戴《ちやうだい》|致《いた》します』
|岩公《いはこう》『エー、ソンナ|処《どころ》かい、サアサア|早《はや》く|行《ゆ》かうぢやないか、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》ると|折角《せつかく》|助《たす》けたお|節《せつ》さまの|生命《いのち》が|危《あやふ》いぞ、モシモシ|爺《ぢい》さま、|何《なに》は|兎《と》もあれ、|奥《おく》へ|行《い》つて|調《しら》べませう、サア|来《こ》い、|来《きた》れ』
と|先《さき》に|立《た》つて|走《はし》り|行《ゆ》く。|平助《へいすけ》、お|楢《なら》はブツブツ|呟《つぶや》き|乍《なが》ら|四人《よにん》が|後《あと》に|随《つ》いて|行《ゆ》く。|鬼虎《おにとら》は|一生懸命《いつしやうけんめい》|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》しウンウンと|神霊《しんれい》の|注射《ちうしや》を|行《おこな》つて|居《ゐ》る、お|節《せつ》は|漸《やうや》く|息《いき》|吹《ふ》き|返《かへ》し|顔《かほ》ふり|上《あ》げ、|見《み》れば|日頃《ひごろ》|怨恨《うらみ》|重《かさ》なる|鬼虎《おにとら》が|真裸《まつぱだか》の|儘《まま》|両手《もろて》を|組《く》み|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祈願《きぐわん》して|居《を》る。
お|節《せつ》『ヤア、|訝《いぶ》かしき|汝《なんぢ》の|行動《かうどう》、|極悪無道《ごくあくぶだう》の|身《み》を|以《もつ》て|殊勝《しゆしよう》らしく|神《かみ》を|念《ねん》じ、|妾《わらは》を|詐《いつは》らむとするか、|思《おも》ひ|知《し》れや』
と|又《また》もや|突《つ》いてかかる。
|鬼虎《おにとら》『マアマアマア、|待《ま》つて|下《くだ》さい、お|節《せつ》さま、|之《これ》には|深《ふか》い|理由《わけ》がある、|待《ま》つた|待《ま》つた』
お|節《せつ》『|何《なに》、|待《ま》つたもあるものか』
と|突《つ》きかかるを、|鬼虎《おにとら》は|右《みぎ》に|左《ひだり》に|体《たい》を|躱《かは》し、
『お|鎮《しづ》まりお|鎮《しづ》まり』
と|言《い》ひつつ|迯《に》げ|廻《まは》る。|此処《ここ》へ|転《ころ》げる|様《やう》に|這入《はい》つて|来《き》た|平助《へいすけ》お|楢《なら》は、
『ヤアお|前《まへ》はお|節《せつ》じやないか』
お|節《せつ》『ヤア、|爺《ぢい》さまか、|婆《ばあ》さまか、|如何《どう》して|此処《ここ》へお|居《ゐ》でになりましたえ』
『ヤ、お|節《せつ》、|会《あ》ひ|度《た》かつたわいなア』
『ヤ、|能《よ》う、マア|無事《ぶじ》で|居《ゐ》て|呉《く》れた』
と|三人《さんにん》|互《たがひ》に|抱《いだ》き|付《つ》き|前後《ぜんご》を|忘《わす》れて|嬉《うれ》し|涙《なみだ》にかき|暮《く》れる。|暫時《しばらく》あつて|平助《へいすけ》|夫婦《ふうふ》の|証言《しようげん》によりお|節《せつ》はやつと|安心《あんしん》の|上《うへ》、|改《あらた》めて|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し|一行《いつかう》|八人《はちにん》|此《この》|岩窟《いはやど》を|立《た》ち|出《い》で、|五人《ごにん》の|裸男《はだかをとこ》と|共《とも》に|道《みち》を|左《ひだり》にとり|真名井ケ岳《まなゐがだけ》の|豊国姫《とよくにひめ》の|出現場《しゆつげんば》を|指《さ》して|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・四・二一 旧三・二五 北村隆光録)
第四章 |羽化登仙《うくわとうせん》〔六一五〕
|名《な》さへ|恐《おそ》ろしき|魔《ま》の|岩窟《いはや》よりお|節《せつ》を|救《すく》ひ|出《だ》し、|鬼彦《おにひこ》|一行《いつかう》|五人《ごにん》は|裸《はだか》のまま、|比治山颪《ひぢやまおろし》に|吹《ふ》かれ、|震《ふる》ひ|震《ふる》ひ|平助《へいすけ》|親子《おやこ》を|先《さき》に|立《た》て、|雪解《ゆきどけ》の|山坂《やまさか》を|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
|岩公《いはこう》『アヽ|平助《へいすけ》さま、お|楢《なら》さま、|年寄《としよ》りの|身《み》で、|此《この》|山坂《やまさか》をお|上《のぼ》りになるのは、|大抵《たいてい》の|事《こと》ぢや|有《あ》りますまい。お|節《せつ》さまも|永《なが》い|間《あひだ》、|岩《いは》の|中《なか》に|押《お》し|込《こ》められ、|足《あし》も|弱《よわ》つたでせう。どうぞ、|吾々《われわれ》は|若《わか》い|者《もの》、あなた|方《がた》を|負《お》はして|下《くだ》さいませぬかナア』
|平助《へいすけ》『イエイエ|滅相《めつさう》な、ソンナ|事《こと》をすると、|参詣《まゐ》つたが|参詣《まゐ》つたになりませぬ。|人様《ひとさま》のお|世話《せわ》になつて|行《ゆ》く|位《くらゐ》なら、|婆《ばば》アと|二人《ふたり》が|炬燵《こたつ》の|中《なか》から|拝《をが》みて|居《を》りますわ』
|岩公《いはこう》『これはしたり|平助《へいすけ》さま、それもさうだが、|吾々《われわれ》を|助《たす》けると|思《おも》つて、|負《お》はれて|下《くだ》さい。|実《じつ》の|事《こと》を|云《い》へば、|赤裸《まるはだか》で|風《かぜ》に|当《あて》られ、|何程《なにほど》|元気《げんき》な|私達《わたしたち》でも、|辛抱《しんばう》が|出来《でき》ませぬ、|負《お》はして|下《くだ》さらば、|体《からだ》も|暖《あたたか》くなり、|又《また》お|前《まへ》さま|等《ら》も|楽《らく》に|参《まゐ》れると|云《い》ふものだ。|此《こ》れが|一挙両得《いつきよりやうとく》、|私《わたし》も|喜《よろこ》び、あなた|方《がた》も|楽《らく》に|参《まゐ》れると|云《い》ふものぢや。|神様《かみさま》は|好《この》んで|苦労《くらう》をせよとは|仰有《おつしや》らぬ。チツとでも|楽《らく》に|信神《しんじん》が|出来《でき》るのを、お|喜《よろこ》びなさるのだから、どうぞ|痩馬《やせうま》に|乗《の》ると|思《おも》つて、|私《わたし》の|背中《せなか》にとまつて|下《くだ》さいな』
|平助《へいすけ》『お|前《まへ》の|背中《せなか》は|宿屋《やどや》ぢやあるまいし、………|鳥《とり》かなぞの|様《やう》にトマル|事《こと》が|出来《でき》るかい。あまり|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にするものぢやない』
|岩公《いはこう》『ヤア|是《こ》れは|是《こ》れは|失言《しつげん》|致《いた》しました。どうぞ|三人《さんにん》さま|共《とも》、|御馬《おうま》の|御用《ごよう》を|仰《あふ》せ|付《つ》け|下《くだ》さいますれば、|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます』
|平助《へいすけ》『コレコレお|楢《なら》、お|節《せつ》、|大分《だいぶ》キツイ|坂《さか》ぢや。|裸馬《はだかうま》に|乗《の》ると|思《おも》うて、|乗《の》つてやらうかい』
お|楢《なら》『アハヽヽヽ、|二本足《にほんあし》の|馬《うま》に|乗《の》るのはお|爺《ぢい》サン、ちつと|剣呑《けんのん》ぢやないかい』
|平助《へいすけ》『ナアニ、|此奴《こいつ》ア|六本足《ろつぽんあし》だ。|本当《ほんたう》の|馬《うま》より|大丈夫《だいぢやうぶ》かも|知《し》れぬ』
|岩公《いはこう》『おぢいさま、|六本足《ろつぽんあし》とはソラどう|言《い》ふものだ。|三人《さんにん》|一緒《いつしよ》に|勘定《かんぢやう》しられては、チツと|困《こま》るデ……』
|平助《へいすけ》『ナニお|前《まへ》、|三人《さんにん》|寄《よ》れば|十八本《じふはちほん》だ。お|前《まへ》|一人《ひとり》で|六本《ろつぽん》ぢや。|肉体《にくたい》の|足《あし》が|二本《にほん》と、|副守護神《ふくしゆごじん》の|四足《よつあし》と|合《あ》はしたら、|六本《ろつぽん》になるぢやないかい』
|鬼彦《おにひこ》『アハヽヽヽ、|馬鹿《ばか》にしよる。|俺達《おれたち》を|獣類《けもの》|扱《あつかひ》にするのだなア』
|平助《へいすけ》『|定《き》まつた|事《こと》だよ。|狐《きつね》とも、|狸《たぬき》とも、|鬼《おに》とも|分《わか》らぬ|代物《しろもの》だ。|六本足《ろつぽんあし》と|言《い》うて|貰《もら》うのはまだ|結構《けつこう》ぢや』
|鬼彦《おにひこ》『エツ、|寒《さむ》いのに|仕様《せう》もない|事《こと》を|言《い》つて、|冷《ひや》かして|呉《く》れないツ………ナア|鬼虎《おにとら》、|寒《さむ》いぢやないか』
|鬼虎《おにとら》『ウン、|大分《だいぶ》に|能《よ》く|感《かん》じますなア、………もしもしおぢいさま、お|婆《ば》アさま、どうぞ|吾々《われわれ》を|助《たす》けると|思《おも》うて、|背中《せなか》に|乗《の》つて|下《くだ》さい………アヽ|寒《さむ》いさむい、お|助《たす》けだ』
|平助《へいすけ》『アヽそれならば、お|楢《なら》や、お|節《せつ》、|乗《の》つてやらうかい。|大分《だいぶ》|寒《さむ》さうぢや。チツと|汗《あせ》を|掻《か》かしてやつたら、|温《ぬく》もつてよからう。これも|神様《かみさま》|参《まゐ》りの|善根《ぜんこん》ぢやと|思《おも》うて、|少々《せうせう》|苦《くる》しいても|辛抱《しんばう》してやらう。|其《その》|代《かは》りにお|前達《まへたち》、|落《おと》す|事《こと》はならぬぞ、|落《おと》したが|最後《さいご》|神罰《しんばつ》が|当《あた》るから、|鄭重《ていちよう》にお|伴《とも》するが|良《よ》いワ』
『ヤア|早速《さつそく》のお|聞《きき》|届《とど》け、|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》、|身《み》に|取《と》り、|歓喜《くわんき》|雀躍《じやくやく》の|至《いた》りで|御座《ござ》います』
|平助《へいすけ》『コレ、|彦《ひこ》に、|虎《とら》、|誰《たれ》がお|前《まへ》の|様《やう》な、|意地癖《いぢくせ》の|悪《わる》いジヤジヤ|馬《うま》に|乗《の》るものか、わしの|乗《の》るのは|岩馬《いはうま》ぢや。|婆《ばば》アは|勘馬《かんうま》の|背中《せなか》に、お|節《せつ》は|櫟馬《いちうま》の|背中《せなか》に|乗《の》つて|往《い》くのだよ。|大《おほ》きに、|御親切《ごしんせつ》|有難《ありがた》う』
『どうしても|吾々《われわれ》には、|御思召《おぼしめし》が|御座《ござ》いませぬか』
|平助《へいすけ》『エー、|何程《なにほど》|金《かね》を|呉《く》れたつて、お|前等《まへら》の|様《やう》な|者《もの》に|乗《の》つて|堪《たま》るかい。|体《からだ》が|汚《けが》れますワイ。|一寸《いつすん》の|虫《むし》も|五分《ごぶ》の|魂《たましひ》だ。|酷《えら》い|目《め》に|遇《あ》はされて、|負《お》うて|貰《もら》つた|位《くらゐ》で、|恨《うら》みを|晴《は》らす|様《やう》な|腰抜《こしぬけ》があつてたまるものか。|何処《どこ》までも、お|前《まへ》の|御世話《おせわ》にやなりませぬワイナ』
|鬼虎《おにとら》『アーア、|執心《しつしん》の|深《ふか》いお|老爺《ぢい》さまだ。|併《しか》しこれも|身《み》から|出《で》た|錆《さび》だ。………エー|仕方《しかた》がない、|寒《さぶ》い|寒《さぶ》い、|体《からだ》も|何《なに》も|氷結《ひようけつ》しさうだ。|比治山峠《ひぢやまたうげ》に|於《おい》て、|首尾《しゆび》|能《よ》く|凍死《とうし》するのかなア……オイ|鬼彦《おにひこ》、|一《ひと》つ……モウ|仕方《しかた》がないから、|裸《はだか》を|幸《さいは》ひ、|相撲《すまう》でも|取《と》つて、|体《からだ》でも|温《ぬく》めやうぢやないか』
『オウさうぢや。|良《い》い|所《ところ》へ|気《き》が|付《つ》いた』
と|二人《ふたり》は|少《すこ》し|広《ひろ》い|所《ところ》に|佇《たたず》み、|両方《りやうはう》から|力《ちから》を|籠《こ》めて、|押合《おしあ》ひを|始《はじ》め|出《だ》した。あまり|力《ちから》を|入《い》れすぎ、ヨロヨロと、|鬼彦《おにひこ》が|蹌跟《よろめ》く|途端《とたん》に、|二人《ふたり》は|真裸《まつぱだか》の|儘《まま》、|雑木《ざふき》|茂《しげ》れる|急坂《きふはん》をかすり|乍《なが》ら、|谷底《たにそこ》へ|落《お》ち|込《こ》みにける。|平助《へいすけ》は|背中《せなか》に|負《お》はれ|乍《なが》ら、
|平助《へいすけ》『アーア|罰《ばち》は|目《め》の|前《まへ》じや。あまり|悪党《あくたう》な|事《こと》をすると、アンナものぢや。|神様《かみさま》は|正直《しやうぢき》ぢやなア。……オイ|岩公《いはこう》、|貴様《きさま》も|彼奴等《あいつら》の……もとは|乾児《こぶん》ぢやつたらう。|今日《けふ》は|俺《おれ》のお|蔭《かげ》で|温《ぬく》い|目《め》に|会《あ》はして|貰《もら》うて、さぞ|満足《まんぞく》ぢやらう。アハヽヽヽ』
|岩公《いはこう》『コレコレぢいさま、お|前《まへ》さまも|好《い》い|加減《かげん》に|打解《うちと》けたらどうだイ。あれ|丈《だけ》|鬼彦《おにひこ》や、|鬼虎《おにとら》の|哥兄《あにい》が|改心《かいしん》して、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|謝罪《あやま》つて|居《を》るのに、お|前《まへ》さまはどこまでも|好《い》い|気《き》になつて、|苦《くるし》めようとするのか……イヤ|恥《はぢ》をかかすのか。|斯《か》うなると、|此《この》|岩公《いはこう》も|却《かへつ》て|二人《ふたり》の|方《はう》に|同情《どうじやう》したくなつて|来《き》た。エー|平助《へいすけ》ヂイ|奴《め》がツ……|谷底《たにそこ》へ|放《ほ》り|込《こ》みてやらうか。|好《よ》い|気《き》になりよつて、あまりだ。|傲慢《ごうまん》|不遜《ふそん》な|糞老爺《くそぢぢ》|奴《め》が……』
|平助《へいすけ》『コラコラ|岩公《いはこう》、|滅多《めつた》な|事《こと》を|致《いた》すまいぞ。コンナ|所《ところ》へ|放《はう》られようものなら、それこそ|一《ひと》たまりもない、|俺《おれ》の|生命《いのち》は|風前《ふうぜん》の|灯火《ともしび》だ。|気《き》を|附《つ》けて|行《ゆ》かぬかい。……|第一《だいいち》|貴様《きさま》の|足《あし》は|長短《ながみじか》があつて、|乗心地《のりごこち》が|悪《わる》い。|其《その》|跛馬《びつこうま》に|乗《の》つてやつて|居《を》るのに、|何《なん》ぢや、|其《その》|恩《おん》を|忘《わす》れよつて、|御託《ごうたく》|吐《ぬか》すと|云《い》ふ|事《こと》が|有《あ》るものか。グヅグヅ|云《い》うと、|鬢《びん》の|毛《け》をひつぱつてやらうか』
|岩公《いはこう》『アイタヽヽ、コラぢいさま、ソンナ|所《とこ》を|引《ひ》つ|張《ぱ》られると、|痛《いた》いワイ』
|平助《へいすけ》『|痛《いた》い|様《やう》に|引《ひ》つ|張《ぱ》るのだ。サアしつかりと|上《のぼ》らぬか、………モツとひつぱらうか』
|岩公《いはこう》『オイ|勘公《かんこう》、|櫟公《いちこう》、どうぢや、|大変《たいへん》|都合《つがふ》が|好《い》い|所《とこ》が|有《あ》る。|三人《さんにん》|一度《いちど》に|此処《ここ》から|転《ころ》げたろか。あまり|劫腹《ごうはら》ぢやないか、|此《この》|糞老爺《くそぢぢ》|奴《め》、|馬鹿《ばか》にしやがる。|裸一貫《はだかいつくわん》の|荒男《あらをとこ》を|掴《つか》まへて、|爺《ぢぢ》、|婆《ばば》アや|阿魔女《あまつちよ》に、コミワラれて|堪《た》まるものかい。|此処《ここ》まで、|吾々《われわれ》も|善《ぜん》を|尽《つく》し、|親切《しんせつ》を|尽《つく》して|来《き》たのだ。|最早《もはや》|勘忍袋《かんにんぶくろ》の|緒《を》が|切《き》れた。|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》の|哥兄《あにい》は|今頃《いまごろ》は|谷底《たにそこ》に|落《お》ちて、ドンナ|目《め》に|遭《あ》つてるか|知《し》れやしないぞ。|此奴等《こいつら》|三人《さんにん》を|一緒《いつしよ》こたに|谷底《たにそこ》へ|放《はう》り|込《こ》んで、|俺等《おいら》も|一緒《いつしよ》に、|哥兄《あにい》と|心中《しんぢう》しやうぢやないか』
|勘公《かんこう》『オウさうぢや、|俺《おれ》もモウむかついて|来《き》た。|此《この》|坂《さか》を|婆《ばば》アを|背中《せなか》に|乗《の》せて、|御苦労《ごくらう》さまとも|言《い》うて|貰《もら》はずに、|恩《おん》に|着《き》せられ、おまけに|悪口《あくこう》までつかれて|堪《たま》つたものぢや|無《な》い、いつその|事《こと》、|一《ひ》イ|二《ふ》ウ|三《みつ》ツでやつたろかい………アイタヽヽ……コラコラ|婆《ば》アさま、|酷《ひど》い|事《こと》をするない。|鬢《びん》の|毛《け》を|無茶苦茶《むちやくちや》にひつぱりよつて……』
お|楢《なら》『|曳《ひ》かいでかい|曳《ひ》かいでかい、|此《この》|馬《うま》は|手綱《たづな》が|無《な》いから、|手綱《たづな》の|代《かは》りに、|鬢《びん》なと|引《ひ》かねば、どうして|馬《うま》が|動《うご》くものか。シイ、シーツ……ドード……ハイハイ』
|勘公《かんこう》『エーツ、|怪体《けたい》の|悪《わる》い……|愈《いよいよ》|四足《よつあし》|扱《あつか》ひにしられて|了《しま》つた。……オイ|櫟公《いちこう》、|貴様《きさま》はどうだ。|一《ひ》イ|二《ふ》ウ|三《みつ》ツで、|谷底《たにそこ》へゴロンとやらうぢやないか。|貴様《きさま》も|賛成《さんせい》ぢやらう』
|櫟公《いちこう》『どうしてどうして、|是《こ》れが|放《ほか》されるものか。|寒《さむ》うて|堪《たま》らない|所《ところ》を|温《あたたか》かうして|貰《もら》つて、|汗《あせ》の|出《で》るのも|三人《さんにん》のお|蔭《かげ》だ。ソンナ|事《こと》を|言《い》うと|冥加《みやうが》に|尽《つ》きるぞ。|罰《ばち》が|当《あた》らうぞい……』
|勘公《かんこう》『アヽ|貴様《きさま》はよつ|程《ぽど》|目カ一ヽヽ《めかいちちよんちよん》の|十《じふ》ぢやな。お|節《せつ》の|若《わか》い|娘《むすめ》に|跨《またが》つて|貰《もら》ひ、|気分《きぶん》が|良《よ》からうが、|俺《おれ》は|皺苦茶《しわくちや》だらけの、|骨《ほね》の|堅《かた》い|婆《ば》アを|背中《せなか》に|負《お》うて、|温《ぬく》い|事《こと》も、なんにも|有《あ》りやしないワ。|喃《のう》、|岩公《いはこう》……』
|岩公《いはこう》『オウさうぢや、まだ|貴様等《きさまら》は|婆《ばば》アでも|女《をんな》だから|好《い》いが、|俺《おれ》の|身《み》になつて|見《み》い、|堅《かた》い|堅《かた》いコンパスを、ニユウと|前《まへ》の|方《はう》へ|突出《つきだ》しよつて、|前高《まへだか》の|山路《やまみち》、|歩《ある》けたものぢやないワ。エー、|大分《だいぶ》に|体《からだ》も|温《ぬく》うなつた。……オイ|老爺《ぢい》に、|婆《ば》ア、モウ|下《お》りて|貰《もら》ひませうかイ』
|平助《へいすけ》『アヽもう|下《おろ》して|下《くだ》さるか。それは|有難《ありがた》い。|酷《きつ》い|所《ところ》はモウ|済《す》みたし、|此《これ》からは|平地《ひらち》なり、|前下《まへさ》がり|路《みち》だ。|目《め》を|塞《ふさ》いどつても、モウ|往《ゆ》ける……アー|苦《くる》しい|事《こと》ぢやつた。|其《その》|代《かは》りお|前達《まへたち》は|又《また》|寒《さむ》いぞ。|昔《むかし》の|地金《ぢがね》を|出《だ》して、|俺達《おれたち》の|着物《きもの》を|追剥《おひはぎ》でもしやせぬかな』
|岩公《いはこう》『アヽ|老爺《ぢい》さま、|情《なさけ》|無《な》い|事《こと》を|言《い》つて|呉《く》れな。|改心《かいしん》した|以上《いじやう》は、|塵片《ちりぎれ》|一本《いつぽん》だつて、|他人《ひと》の|物《もの》を|盗《と》る|様《やう》な|根性《こんじやう》が|出《で》るものかいナ』
|平助《へいすけ》『それでもなア、|婆《ば》ア、|此奴等《こいつら》の|改心《かいしん》と|云《い》ふものは、|当《あて》にならぬものぢや。|婆《ば》ア、しつかりして|居《を》れよ』
お|楢《なら》『さうともさうとも、|老爺《ぢい》さまお|前《まへ》も|確《しつか》りしなさい、コレコレお|節《せつ》や、お|前《まへ》も|気《き》を|附《つ》けぬと|云《い》うと、|何時《なんどき》|追剥《おひはぎ》に|早変《はやがは》りするかも|知《し》れたものぢやない。|背《せ》に|腹《はら》は|替《か》へられぬと|云《い》つて、|年寄《としよ》りや、|女子《をなご》を|幸《さいは》ひに、|追剥《おひはぎ》をするかも|分《わか》つたものぢやないワ』
|此《この》|時《とき》、|鬼虎《おにとら》、|鬼彦《おにひこ》は、|谷《たに》の|底《そこ》からガサガサと|這《は》ひ|上《あ》がり|来《き》たり、
|岩公《いはこう》『ヤア|彦《ひこ》に|虎《とら》か、|貴様《きさま》は|谷底《たにそこ》で、|今頃《いまごろ》は|五体《ごたい》ズタズタに|破壊《はくわい》して|了《しま》つたぢやらうと|思《おも》うて|居《ゐ》たのに、まだ|死《し》なずに|帰《かへ》つて|来《き》たか、マア|結構々々《けつこうけつこう》、サア|祝《いは》ひに|此処《ここ》で|一服《いつぷく》でもしやうかい』
『|一服《いつぷく》も|可《い》いが、|斯《か》う|風《かぜ》のある|所《ところ》では、|寒《さむ》うて|休《やす》む|気《き》にもならぬ。|体《からだ》さへ|動《うご》かして|居《を》れば|暖《あたた》かいから、ボツボツ|行《い》くことにしやうかい』
|此《この》|時《とき》|何処《いづく》ともなく|微妙《びめう》の|音楽《おんがく》|聞《きこ》え|来《き》たり。|一行《いつかう》|八人《はちにん》は|思《おも》はず|耳《みみ》を|倚《そばだ》て|聞《き》き|入《い》る。|忽《たちま》ち|空中《くうちう》に|声《こゑ》あり、
『|岩公《いはこう》、|勘公《かんこう》、|櫟公《いちこう》、|真裸《まつぱだか》で|嘸《さぞ》|寒《さむ》いであらう、|今《いま》|天《てん》より|暖《あたた》かき|衣裳《いしやう》を|与《あた》へてやらう。|之《これ》を|身《み》に|着《つ》けて、|潔《いさぎよ》く|真名井ケ原《まなゐがはら》の|奥《おく》に|進《すす》むが|宜《よ》からう』
|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》|一度《いちど》に、
『モシモシ、|空中《くうちう》の|声《こゑ》の|神様《かみさま》、|吾々《われわれ》|二人《ふたり》も|真裸《まつぱだか》で|御座《ござ》います。どうぞお|見落《みおと》しなさらぬ|様《やう》に……|同《おな》じ|事《こと》なら、モウ|二人分《ふたりぶん》|与《あた》へて|下《くだ》さいませ』
|空中《くうちう》の|声《こゑ》『|鬼虎《おにとら》、|鬼彦《おにひこ》の|衣裳《いしやう》は、|追《お》つて|詮議《せんぎ》の|上《うへ》、………|与《あた》へるとも、|与《あた》へぬとも、|決定《けつてい》せない。|今《いま》|暫《しばら》く|辛抱《しんばう》|致《いた》すが|良《よ》からう』
|何処《どこ》ともなく、|立派《りつぱ》なる|宣伝使《せんでんし》の|服《ふく》|三着《さんちやく》、|此《この》|場《ば》に|風《かぜ》に|揺《ゆ》られて|下《くだ》り|来《きた》り、|三人《さんにん》の|身体《からだ》に|惟神的《かむながらてき》に|密着《みつちやく》した。
|岩公《いはこう》『ヤア|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い、|時節《じせつ》は|待《ま》たねばならぬものぢや。……オイ|勘《かん》に、|櫟《いち》よ、|立派《りつぱ》な|服《ふく》ぢやないか。これさへ|有《あ》れば、|宙《ちう》でも|翔《た》てる|様《やう》になるだらう、|天《てん》から|降《くだ》つた|天《あま》の|羽衣《はごろも》では|有《あ》るまいかなア。……もしもし|平助《へいすけ》さま、お|婆《ばば》アさま、お|節《せつ》さま、|偉《えら》う|御心配《ごしんぱい》をかけました。お|蔭様《かげさま》で、|此《この》|通《とほ》り|立派《りつぱ》な|天《あま》の|羽衣《はごろも》を|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しました』
|平助《へいすけ》『お|前等《まへら》は、|悪人《あくにん》ぢや|悪人《あくにん》ぢやと|思《おも》うて|居《を》つたが、……ホンに|立派《りつぱ》な|衣裳《いしやう》を|神様《かみさま》から|貰《もら》ひなさつた。モウこれから、|決《けつ》して|決《けつ》してお|前《まへ》さまに|口応《くちごた》へは|致《いた》さぬ。どうぞ|赦《ゆる》して|下《くだ》され』
|三人《さんにん》の|着《つ》けたる|装束《しやうぞく》は、|見《み》る|見《み》る|羽衣《はごろも》の|如《ごと》くに|変化《へんくわ》し、|岩《いは》、|勘《かん》、|櫟《いち》の|顔《かほ》は|忽《たちま》ち|天女《てんによ》の|姿《すがた》となり、|空中《くうちう》を|前後左右《ぜんごさいう》に|飛《と》びまわり|乍《なが》ら、|真名井ケ原《まなゐがはら》の|奥《おく》を|目蒐《めが》けて、|悠々《いういう》と|翔《かけ》り|行《ゆ》く。|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》、|平助《へいすけ》、お|楢《なら》、お|節《せつ》の|五人《ごにん》は、|此《この》|光景《くわうけい》を|打仰《うちあふ》ぎ、|呆然《ばうぜん》として|控《ひか》へ|居《ゐ》る。|暫《しばら》くあつて、お|節《せつ》は|声《こゑ》を|揚《あ》げて|泣《な》き|出《だ》したれば、|平助《へいすけ》、お|楢《なら》は|驚《おどろ》いて、
『コレヤコレヤお|節《せつ》、どうしたどうした、|腹《はら》でも|痛《いた》いのか。|何《なに》を|泣《な》く……』
と|左右《さいう》より、|老爺《ぢい》と|婆《ば》アとは|獅噛《しが》み|付《つ》き、|顔色《かほいろ》|変《か》へて|問《と》ひかける。お|節《せつ》は|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ひ|乍《なが》ら、
『お|祖父《ぢい》さま、お|祖母《ばあ》さま、どうぞ|改心《かいしん》して|下《くだ》さいませ。あの|様《やう》な|荒《あら》くれ|男《をとこ》の|岩《いは》さま、|勘《かん》さま、|櫟《いち》さまは|大神様《おほかみさま》の|御心《みこころ》に|叶《かな》ひ、あの|立派《りつぱ》な|平和《へいわ》の|女神《めがみ》となつて、|神様《かみさま》の|御用《ごよう》にお|立《た》ちなさつた。|妾《わたし》は|女《をんな》の|身《み》であり|乍《なが》ら、|改心《かいしん》が|足《た》らぬと|見《み》えて、|神様《かみさま》の|御用《ごよう》に|立《た》てて|下《くだ》さらぬ。どうぞ、あなた|二人《ふたり》は、|今迄《いままで》の|執拗《しつえう》な|心《こころ》をサラリと|払《はら》ひ|捨《す》て|惟神《かむながら》の|心《こころ》になつて|下《くだ》さい。さうでなければ、|妾《わたし》は|神様《かみさま》にお|仕《つか》へする|事《こと》が|出来《でき》ませぬ』
と|又《また》もや『ワツ』と|許《ばか》りに|泣《な》き|沈《しづ》む。|此《この》|時《とき》|天上《てんじやう》に|声《こゑ》あり、
『|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》、|今《いま》|天《てん》より|下《くだ》す|羽衣《はごろも》を|汝《なんぢ》に|与《あた》ふ。|汝《なんぢ》が|改心《かいしん》の|誠《まこと》は、|愈《いよいよ》|天《てん》に|通《つう》じたり』
|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》は|飛《と》び|立《た》つ|許《ばか》り|打喜《うちよろこ》び、|両人《りやうにん》|大地《だいち》に|平伏《へいふく》し、
『ハハア、ハツ』
と|言《い》つた|限《き》り、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|掻《か》き|暮《く》れて|居《ゐ》る。|二人《ふたり》は|不図《ふと》|顔《かほ》をあぐれば、えも|謂《ゐ》はれぬ|麗《うるは》しき|羽衣《はごろも》、|地上《ちじやう》|一二尺《いちにしやく》|離《はな》れた|所《ところ》に|浮游《ふいう》して|居《ゐ》る。|手早《てばや》く|拾《ひろ》ひ|上《あ》げむとする|刹那《せつな》、ピタリと|二人《ふたり》の|体《からだ》に|密着《みつちやく》した。|追々《おひおひ》|羽衣《はごろも》は|拡大《くわくだい》し、|自然《しぜん》に|身体《からだ》は|浮上《うきあが》り、|二人《ふたり》は|空中《くうちう》を|前後左右《ぜんごさいう》に|飛揚《ひやう》しながら、
『|平助《へいすけ》さま、お|楢《なら》さま、お|節《せつ》さま、|左様《さやう》ならお|先《さき》へ|参《まゐ》ります』
と|空中《くうちう》を|悠々《いういう》として、|真名井ケ岳《まなゐがだけ》の|霊地《れいち》に|向《むか》つて|翔《かけ》り|行《ゆ》く。|後《あと》に|三人《さんにん》は|呆然《ばうぜん》として、|此《この》|光景《くわうけい》を|物《もの》をも|言《い》はずに|見詰《みつ》め|居《ゐ》たりけり。
|平助《へいすけ》『アーア|人間《にんげん》と|云《い》ふ|者《もの》は、|訳《わけ》の|分《わか》らぬものぢやなア、|俺《わし》の|様《やう》な|善人《ぜんにん》は、|斯《か》うして|山《やま》の|上《うへ》で|寒《さむ》い|風《かぜ》に|曝《さら》され、|娘《むすめ》は|痩衰《やせおとろ》へ、|親子《おやこ》|三人《さんにん》やうやう|此処《ここ》まで|出《で》て|来《く》る|事《こと》は|来《き》たが、|五人《ごにん》の|大江山《おほえやま》の|眷属共《けんぞくども》は|又《また》、どうしたものぢや。アンナ|立派《りつぱ》な|衣裳《いしやう》を|天《てん》から|頂《いただ》きよつて、|羽化登仙《うくわとうせん》、|自由自在《じいうじざい》の|身《み》となりよつた。|神様《かみさま》もあまりぢや あまりぢや、アンナ|男《をとこ》が|天人《てんにん》に|成《な》れるのなら、|俺達《おれたち》|親子《おやこ》|三人《さんにん》も、|立派《りつぱ》な|天人《てんにん》にして|下《くだ》さつたら|良《よ》かりさうなものぢやないか。アーア|此《こ》れもヤツパリ、|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》|性来《しやうらい》で、|何時《いつ》までも|出世《しゆつせ》が|出来《でき》ぬのかなア』
お|楢《なら》『おやぢドン|何事《なにごと》も|神様《かみさま》の|思召《おぼしめし》|通《どほ》りより|行《い》くものぢやない。|人間《にんげん》の|目《め》から|悪《あく》に|見《み》えても|善《ぜん》の|身魂《みたま》もあり、|人間《にんげん》が|勝手《かつて》に|善《ぜん》ぢや|善《ぜん》ぢやと|思《おも》うて、|自惚《うぬぼれ》て|居《ゐ》ると、|何時《いつ》の|間《ま》にやら|邪道《じやだう》に|落《お》ちて|苦《くる》しむと|云《い》ふ|事《こと》ぢや、|去年《きよねん》お|節《せつ》を|奪《と》られてから、|二人《ふたり》が|泣《な》きの|涙《なみだ》に|暮《く》らしたのも、|若《わか》い|間《あひだ》から|慾《よく》ばつかりして、|金《かね》を|蓄《た》め、|人《ひと》を|泣《な》かして|来《き》た|報《むく》いで、|金《かね》はぼつたくられ、|一年《いちねん》の|間《あひだ》も|泣《な》いて|暮《くら》したのぢや。|今迄《いままで》の|事《こと》を、|胸《むね》に|手《て》を|当《あ》てて|考《かんが》へて|見《み》れば、|人《ひと》こそ、|形《かたち》の|上《うへ》で|殺《ころ》さぬが、|藪医者《やぶいしや》の|様《やう》に、|無慈悲《むじひ》な|事《こと》をして、|何程《なにほど》|人《ひと》の|心《こころ》を|殺《ころ》して|来《き》たか、|分《わか》つたものぢやない、おやぢどの、お|前《まへ》も|若《わか》い|中《うち》から、|鬼《おに》の|平助《へいすけ》、|渋柿《しぶがき》の|平助《へいすけ》と|言《い》はれて|来《き》たのぢやから、コンナ|憂目《うきめ》に|遭《あ》うのは|当然《あたりまへ》だよ。|親《おや》の|罰《ばち》が|子《こ》に|報《むく》うて、|可愛《かあい》いお|節《せつ》が、|一年《いちねん》が|間《あひだ》、コンナ|目《め》に|遭《あ》うたのぢや。|誰《たれ》を|恨《うら》める|事《こと》も|無《な》い。みな|自分《じぶん》の|罪障《ざいしやう》が|報《むく》うて|来《き》たのじや、アンアンアン』
|平助《へいすけ》『|俺《おれ》が|常平生《つねへいぜい》、|食《く》ふ|物《もの》も|食《く》はず、|慾《よく》に|金《かね》を|蓄《た》めたのも、みなお|節《せつ》が|可愛《かあい》いばつかりぢや、どうぞしてお|節《せつ》を|一生《いつしやう》|楽《らく》に|暮《くら》さしてやりたいと|思《おも》うた|為《ため》に、チツとは|無慈悲《むじひ》な|事《こと》も|行《や》つて|来《き》たが、それぢやと|云《い》うて、|別《べつ》に|俺《おれ》が|美味《うま》い|物《もの》|一遍《いつぺん》|食《く》つたのでもなし、|身慾《みよく》と|云《い》ふ|事《こと》は|一《ひと》つもして|居《を》らぬぢやないか』
お|楢《なら》『それでも、おやぢドン、ヤツパリ|身慾《みよく》になるのぢや。|他人《ひと》の|子《こ》には|辛《つら》く|当《あた》り、|団子《だんご》|一片《ひときれ》|与《や》るでもなし、|何《なに》も|彼《か》も、お|節《せつ》お|節《せつ》と、|身贔屓《みびいき》ばつかりしとつて、|天罰《てんばつ》で|一年《いちねん》の|苦《くる》しみを|受《う》けたのぢや。そこで|神様《かみさま》が|此《この》|通《とほ》り、|善《ぜん》と|悪《あく》との|鑑《かがみ》を|見《み》せて|下《くだ》さつたのぢや。これから|綺麗《きれい》サツパリと|心《こころ》を|容《い》れ|替《か》へて|下《くだ》されや、|婆《ばば》アも|唯今《ただいま》|限《かぎ》り|改心《かいしん》をする。|親《おや》の|甘茶《あまちや》が|毒《どく》になつて、お|節《せつ》の|体《からだ》もあまり|丈夫《ぢやうぶ》ではない。コンナ|繊弱《かよわ》い|体《からだ》を|此《この》|世《よ》に|遺《のこ》して、|年《とし》|取《と》つて|夫婦《めをと》が|幽界《あのよ》とやらへ|行《ゆ》く|時《とき》に、|後《あと》に|心《こころ》が|残《のこ》る|様《やう》な|事《こと》では|行《ゆ》く|所《ところ》へも|行《ゆ》けない。|今《いま》の|間《うち》に|改心《かいしん》し、お|節《せつ》の|身体《からだ》が|丈夫《ぢやうぶ》になる|様《やう》に、|真名井《まなゐ》の|神様《かみさま》へ、|心《こころ》から|誓《ちか》ひをして|来《き》ませう』
と|三人《さんにん》は、|雪《ゆき》|積《つ》む|路《みち》をボツボツと、|真名井ケ原《まなゐがはら》の|豊国姫命《とよくにひめのみこと》が|出現場《しゆつげんば》|指《さ》して、|杖《つゑ》を|力《ちから》に|進《すす》み|行《ゆ》く。
|因《ちなみ》に、|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》、|其《その》|他《た》|三人《さんにん》の|羽化登仙《うくわとうせん》せしは、|其《その》|実《じつ》|肉体《にくたい》にては、|徹底的《てつていてき》|改心《かいしん》も|出来《でき》ず、|且《かつ》|又《また》|神業《しんげふ》に|参加《さんか》する|資格《しかく》|無《な》ければ、|神界《しんかい》の|御慈悲《おじひ》に|依《よ》り、|国替《くにがへ》(|凍死《とうし》)せしめ、|天国《てんごく》に|救《すく》ひ|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せしめ|給《たま》ひたるなり。|五人《ごにん》の|肉《にく》の|宮《みや》は、|神《かみ》の|御慈悲《おじひ》に|依《よ》つて、|平助《へいすけ》|親子《おやこ》の|知《し》らぬ|間《ま》に、|或《ある》|土中《ちちう》へ|深《ふか》く|埋《うづ》められ、|雪崩《なだれ》に|圧《あつ》せられ、|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》に|救《すく》ひ|出《だ》されたお|節《せつ》は、|其《その》|実《じつ》|鬼武彦《おにたけひこ》の|眷属《けんぞく》の|白狐《びやくこ》が|所為《しよゐ》なりき。|又《また》|夜中《やちう》お|節《せつ》を|送《おく》つて|来《き》た|悦子姫《よしこひめ》は|其《その》|実《じつ》は、|白狐《びやくこ》|旭明神《あさひみやうじん》の|化身《けしん》なりき。お|節《せつ》を|隠《かく》したる|岩窟《がんくつ》は、|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》の|両人《りやうにん》ならでは、|救《すく》ひ|出《だ》す|事《こと》が|出来《でき》なかつたのである。それは|岩窟《がんくつ》を|開《ひら》くに|就《つい》て、|一《ひと》つの|目標《もくへう》を|知《し》つて|居《ゐ》る|者《もの》は、|此《この》|両人《りやうにん》と|鬼雲彦《おにくもひこ》より|外《ほか》になかつたから、|鬼武彦《おにたけひこ》の|計《はか》らひに|依《よ》つて、|此処《ここ》まで|両人《りやうにん》を|引寄《ひきよ》せ、お|節《せつ》を|救《すく》ひ|出《だ》さしめ|給《たま》うたのである。|又《また》|途中《とちう》に|五人《ごにん》の|男《をとこ》を|裸《はだか》にした|娘《むすめ》のおコンは、|白狐《びやくこ》|旭《あさひ》の|眷属神《けんぞくしん》の|化身《けしん》であつた。|曩《さき》に|文珠堂《もんじゆだう》にて|別《わか》れたる|悦子姫《よしこひめ》、|及《およ》び|平助《へいすけ》の|門口《かどぐち》にて|別《わか》れたる|音彦《おとひこ》、|青彦《あをひこ》、|加米彦《かめひこ》は|真名井ケ岳《まなゐがだけ》の|聖地《せいち》に|既《すで》に|到着《たうちやく》し|居《ゐ》たりしなり。
(大正一一・四・二一 旧三・二五 松村真澄録)
第五章 |誘惑婆《いうわくばば》〔六一六〕
|平助《へいすけ》は、お|楢《なら》、お|節《せつ》と|共《とも》に|崎嶇《きく》たる|山路《やまみち》を|心細《こころぼそ》げにとぼとぼと|進《すす》み|行《ゆ》く。|春日《はるひ》に|照《て》らされて|日向辺《ひなたべり》の|坂道《さかみち》は|雪《ゆき》|解《と》け、|山《やま》の|肌《はだ》を|現《あら》はして|居《ゐ》る。|斯《か》かる|処《ところ》へ|蓑笠《みのかさ》|着《き》た|一人《ひとり》の|婆《ばば》、|若《わか》い|娘《むすめ》を|二人《ふたり》|伴《ともな》ひ、|行手《ゆくて》に|立《た》ち|塞《ふさ》がり、
|婆《ばば》『これはこれは、お|爺《ぢい》さま、お|婆《ば》アさま、|青白《あをじろ》い|痩《や》せた|娘《むすめ》を|連《つ》れて|何処《どこ》へ|行《ゆ》くのぢや』
|平助《へいすけ》『ハイハイ、お|前《まへ》さまは|何処《どこ》のお|方《かた》か|知《し》らぬが、|私《わたくし》は|真名井ケ原《まなゐがはら》の、|今度《こんど》|現《あら》はれなさつた|結構《けつこう》な|神様《かみさま》に、お|礼《れい》|詣《まゐ》りに|行《ゆ》くのぢや、どうぞ|其処《そこ》を|退《の》いて|下《くだ》され』
|婆《ばば》『お|前《まへ》さま、|真名井ケ原《まなゐがはら》へ|御礼《おれい》|詣《まゐ》りに|行《ゆ》くのぢやと|云《い》うたな、アンナ|処《ところ》へ|行《い》つて|一体《いつたい》|何《なに》をするのぢや、あの|神《かみ》は|悪神《あくがみ》ぢやぞ』
|平助《へいすけ》『|悪神《あくがみ》でも|何《なん》でも|構《かま》うて|下《くだ》さるな、|信仰《しんかう》は|自由《じいう》だ、|私《わたくし》の|心《こころ》で|私《わたくし》が|拝《をが》むのぢや、|何処《どこ》の|婆《ばば》アか|知《し》らぬけれど、|人《ひと》の|信仰《しんかう》を|落《おと》ささうと|思《おも》うて、コンナ|山《やま》の|中《なか》へ|出《で》しや|張《ば》つて、よい|物好《ものず》きもあればあるものぢやワイ』
|婆《ばば》『はてさて|困《こま》つた|人達《ひとたち》だ、|可憐《かわい》さうなものだナア。|良薬《りやうやく》は|口《くち》に|苦《にが》し、|利益《りえき》になる|事《こと》を|云《い》へば|嫌《きら》はれる|世《よ》の|中《なか》だ、お|前《まへ》さま、これから|先《さき》に|行《ゆ》かうものなら|命《いのち》がないぞへ、|命《いのち》を|捨《す》てても|信神《しんじん》をするのかい』
|平助《へいすけ》『|誰人《だれ》が|命《いのち》まで|放《ほ》かして|信神《しんじん》する|物好《ものずき》があるものか、|長命《ながいき》がしたさにお|参詣《まゐり》するのぢや。|真名井ケ原《まなゐがはら》の|豊国姫《とよくにひめ》の|神様《かみさま》と|云《い》つたら、それはそれは|結構《けつこう》な、|命《いのち》の|神様《かみさま》ぢや。お|前《まへ》も|一《ひと》つ|詣《まゐ》つてお|蔭《かげ》を|頂《いただ》いてはどうだい、|何時《いつ》|迄《まで》|生《いき》て|居《ゐ》ても|生満足《いきたんのう》せぬ|此《この》|世《よ》の|中《なか》だ。サアサア|往《ゆ》かう|往《ゆ》かう』
|婆《ばば》『マアマアお|爺《ぢ》イさま、|一服《いつぷく》しなさい、|此処《ここ》を|少《すこ》し|横《よこ》へ|寄《よ》ると|小《ちひ》さい|家《いへ》がある、|其処《そこ》が|私《わたし》の|修業場《しうげふば》ぢや、お|前達《まへたち》のやうな|瑞《みづ》の|霊《みたま》に|呆《とぼ》けて|出《で》てくる|亡者《まうじや》を|済度《さいど》しやうと|思《おも》うて、|俄《にはか》に|修行場《しうぎやうば》を|拵《こしら》へたのだ、|喰《く》はず|嫌《ぎら》ひは|信用《あて》にならぬものぢや、マア|兎《と》に|角《かく》この|婆《ばあ》さまに|随《つ》いて|御出《おいで》なさい』
|平助《へいすけ》『オイお|楢《なら》、|何《ど》うせう、この|婆《ばあ》さまの|云《い》ふ|通《とほ》り、|大分《だいぶん》|足《あし》も|疲《つか》れた。|一寸《ちよつと》|一服《いつぷく》して|話《はなし》を|聞《き》くだけ|聞《き》いて|見《み》ようかなア』
お|楢《なら》『お|爺《ぢ》イさま、お|前《まへ》はそれだから|困《こま》ると|云《い》ふのぢや、|直《ぢき》に|人《ひと》の|口車《くちぐるま》に|乗《の》つて、ソンナ|事《こと》で|信神《しんじん》が|出来《でき》るものか、|私《わたし》が|何時《いつ》も|意見《いけん》すると、|仕様《しやう》のない|婆《ばば》アの|老婆心《らうばしん》で|吐《ぬか》す|事《こと》は|聞《き》く|耳《みみ》|持《も》たぬと、|二《ふた》つ|目《め》には|頑張《ぐわんば》りなさるが、|些《ちつ》とは|此《この》|婆《ばば》アの|云《い》ふ|事《こと》も|聞《き》きなさい、お|前《まへ》も|余《あんま》り|老爺心《らうやしん》が|勝過《かちす》ぎて|居《を》る。|何処《どこ》の|婆《ば》アさまか|知《し》らぬけれど、|私《わたし》より|些《ちつ》と|若《わか》いと|思《おも》うて|早《はや》|乗《の》り|気《き》になつて|御座《ござ》るが、|嫌《いや》ぢや|嫌《いや》ぢや、|私《わたし》はどうしても、ソンナ|処《ところ》へは|行《ゆ》かぬ、それよりも|早《はや》く|真名井《まなゐ》さまに|参詣《さんけい》して|御礼《おれい》を|申《まを》さねばなるまい、サアサアお|節《せつ》|行《ゆ》かう|行《ゆ》かう』
|平助《へいすけ》『|婆《ばば》アがさう|云《い》うても、お|節《せつ》お|前《まへ》はどうだ、|一寸《ちよつと》|寄《よ》つて|見《み》る|気《き》はないか』
お|節《せつ》『お|爺《ぢ》イさま、|道草《みちぐさ》を|喰《く》はずにトツトと|参《まゐ》りませうよ』
|婆《ばば》『これはこれはお|婆《ば》アさまと|云《い》ひ、|娘《むすめ》さまと|云《い》ひ、|何《なん》と|云《い》ふ|不心得《ふこころえ》な|事《こと》だい、|夫《をつと》や|親《おや》の|言葉《ことば》を|背《そむ》くと|云《い》ふ|事《こと》があるものか、|大方《おほかた》お|前《まへ》さまは|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》であらう』
お|節《せつ》『|尤《もつと》も|妾《わたし》は|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》で|御座《ござ》います、お|爺《ぢ》イさまお|婆《ば》アさまは|無宗教者《むしうけうしや》、|妾《わらは》は|大江山《おほえやま》のバラモン|教《けう》の|大将《たいしやう》に|誘拐《かどはか》され、|巌窟《がんくつ》の|中《なか》に|閉《と》ぢ|込《こ》められ|苦《くる》しみ|悶《もだ》えて|居《を》りました。|其処《そこ》へ|有難《ありがた》い|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》が|夢枕《ゆめまくら》に|立《た》つて|下《くだ》さいまして、|宣伝歌《せんでんか》を|教《をし》へて|下《くだ》さつた、|其《その》|宣伝歌《せんでんか》を|唱《とな》へて|居《ゐ》ると、|間《ま》もなく|悪者《わるもの》が|改心《かいしん》を|致《いた》しまして、|助《たす》けに|来《き》て|呉《く》れました。|世《よ》の|中《なか》に|何《ど》の|神様《かみさま》が|尊《たふと》いと|云《い》うても、|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》|位《くらゐ》|有難《ありがた》い|神様《かみさま》はありませぬ、|私《わたし》は|三五教《あななひけう》を|守護《しゆご》|遊《あそ》ばす|豊国姫《とよくにひめ》の|神様《かみさま》が、|今度《こんど》|真名井ケ原《まなゐがはら》に|御出現《ごしゆつげん》になつたので、お|礼《れい》|詣《まゐ》りに|行《ゆ》く|所《ところ》で|御座《ござ》います、どうぞ|神詣《かみまゐ》りの|途中《とちう》で|邪魔《じやま》して|下《くだ》さいますな、お|話《はなし》があれば|下向《げかう》の|途中《とちう》に|寛《ゆ》る|寛《ゆ》ると|承《うけたま》はりませう』
|婆《ばば》『サアそれがいかぬのだよ、|三五教《あななひけう》は|今《いま》は|高天原《たかあまはら》をおつ|放《ぽ》り|出《だ》された|素盞嗚尊《すさのをのみこと》と|云《い》ふ|奴《やつ》が|大将《たいしやう》をして|居《を》るのだ、|悪《わる》けれやこそ|結構《けつこう》な|処《ところ》を|逐出《おひだ》されたのぢやないか、お|前《まへ》さま|達《たち》もさうぢやらう、|柔順《おとな》しい|自分《じぶん》の|兄弟《きやうだい》を|誰《たれ》が|逐出《おひだ》すものか、|親《おや》を|泣《な》かし、|兄弟《きやうだい》を|泣《な》かし、【ヤンチヤ】の|有《あ》り|切《き》りを|尽《つく》し、|近所《きんじよ》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|其辺中《そこらぢう》に|迷惑《めいわく》をかける|極道《ごくだう》|息子《むすこ》は|何程《なにほど》|可愛《かあい》いと|云《い》うても、|世間《せけん》の|手前家《てまへうち》に|置《お》いておくと|云《い》ふ|事《こと》は|出来《でき》まいがな。それと|同《おな》じ|事《こと》に、|伊邪諾《いざなぎ》の|大神様《おほかみさま》や、|姉《あね》の|神様《かみさま》が|愛想《あいさう》をつかし、|世間《せけん》に|済《す》まぬと|云《い》うて|切《き》つても|切《き》れぬ|姉弟《きやうだい》の|中《なか》を|放《ほ》り|出《だ》された|位《くらゐ》だもの、|酢《す》でも|蒟蒻《こんにやく》でも|行《い》く|代物《しろもの》ぢやない、その|素盞嗚尊《すさのをのみこと》が|采配《さいはい》を|振《ふ》つて|居《を》る|三五教《あななひけう》へ|迷《まよ》ひ|込《こ》むとは|何《なん》と|云《い》ふお|前達《まへたち》は|没分暁漢《わからずや》ぢやいナア、|三五教《あななひけう》の|真実《ほんと》の|事《こと》が|聞《き》きたけれや、この|婆《ばば》が|篤《とつく》りと|説明《せつめい》して|上《あ》げる、サアサア|何《なん》と|云《い》つても|連《つ》れて|行《ゆ》く、|来《き》なされ|来《き》なされ』
お|節《せつ》『|仮令《たとへ》お|爺《ぢ》イさま、お|婆《ば》アさまが|行《ゆ》くと|仰有《おつしや》つても|妾《わたし》だけはよう|参《まゐ》りませぬ』
|婆《ばば》『エヽ|分《わか》らぬ|娘《こ》じやなア、これこの|通《とほ》り|綺麗《きれい》な|二人《ふたり》の|娘《むすめ》が、|此《この》|婆《ばば》の|言《い》ふ|事《こと》を|心《こころ》から|納得《なつとく》して、|朝夕《あさゆふ》|忠実《ちうじつ》に|仕《つか》へて|居《を》るのぢや、|新《あたら》しい|女《をんな》の|流行《はや》る|時節《じせつ》にお|前《まへ》さまは|又《また》|何《なん》とした|旧《ふる》い|頭脳《あたま》ぢや、それもその|筈《はず》|一年《いちねん》|許《ばか》りも|世間《せけん》|見《み》ずに、|岩《いは》の|穴《あな》へ|押込《おしこ》められて|居《ゐ》たのだから|世間《せけん》の|様子《やうす》も|分《わか》るまい、|世《よ》の|中《なか》は|随分《ずゐぶん》|進《すす》みて|居《を》るぞえ、|些《ちつ》と|確《しつか》りして|此《この》お|婆《ば》アさまの|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》きなされ、|斯《か》う|見《み》えてもこの|婆《ばば》は、|若《わか》い|時《とき》からドンナ|事《こと》にも|経験《けいけん》を|積《つ》みて|来《き》た|苦労人《くらうにん》の|黒姫《くろひめ》ぢや、|苦労《くらう》なしに|誠《まこと》の|花《はな》は|咲《さ》かぬぞえ』
お|節《せつ》『お|説《せつ》は|御尤《ごもつと》もで|御座《ござ》いませうが、|入《い》らぬ|御節介《おせつかい》、|何《なん》と|仰《あふ》【せつ】けられましても、|折角《せつかく》ながら|応《おう》じ|兼《か》ねます、|入《い》らぬ|御節介《おせつかい》|止《や》めて|下《くだ》さいませ』
|黒姫《くろひめ》『エイ|我《が》の|強《つよ》い|女《をんな》ぢやなア。|青瓢箪《あをべうたん》に|屁吸《へす》はしたやうな|顔《かほ》をしやがつて、ようまあツベコベと|理屈《りくつ》を|囀《さへづ》る|小娘《こむすめ》だ、イヤ|我羅苦多娘《がらくたむすめ》ぢや、もしもしお|爺《ぢ》イさま、お|前《まへ》も|年《とし》が|寄《よ》つてコンナ【やんちや】|娘《むすめ》を|持《も》つて|居《ゐ》ては|末《すゑ》が|案《あん》じられる、もつと|真面目《まじめ》な|真実《ほんと》の|身魂《みたま》になつて、お|前《まへ》さま|夫婦《ふうふ》の|安心《あんしん》の|出来《でき》るやうに|教育《けういく》して|上《あ》げるから、サアサアあそこ|迄《まで》|来《き》て|下《くだ》さい、この|通《とほ》り|二人《ふたり》の|娘《むすめ》さまは|淑《しと》やかなものだ、これも|全《まつた》く|私《わたし》の|教育《けういく》がよいからぢやぞゑ』
|平助《へいすけ》『エヽ|喧《やかま》しいワイ、|娘《むすめ》がお|転婆《てんば》にならうと、|何《ど》うならうと|貴様等《きさまら》のお|世話《せわ》にならぬ|哩《わい》、サアサアお|節《せつ》、コンナ|糞婆《くそばば》に|係《かか》り|合《あ》つて|居《を》つたら|日《ひ》が|暮《く》れる、サアサア|行《ゆ》かう|行《ゆ》かう』
お|楢《なら》『モシモシお|爺《ぢ》イさま、さう|云《い》つたものぢやない、|一《ひと》つお|前《まへ》|聞《き》いたらどうぢや、|後生《ごしやう》のためになるかも|知《し》れぬぞえ』
|此《この》|時《とき》|前方《ぜんぱう》より|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|遣《や》つて|来《く》る|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》があつた。お|節《せつ》は|此《この》|声《こゑ》に|力《ちから》を|得《え》、|宣伝歌《せんでんか》に|合《あは》して、
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ』
と|手《て》を|打《う》ち|踊《をど》り|出《だ》したれば、|黒姫《くろひめ》は|前後《ぜんご》の|宣伝歌《せんでんか》の|板挟《いたばさ》みとなり、
|黒姫《くろひめ》『エイエイ、|折《をり》も|折《をり》|肝腎《かんじん》の|所《ところ》へ|又《また》もや|我羅苦多《がらくた》|宣伝使《せんでんし》|奴《め》が|来《き》よつて|頭《あたま》が|痛《いた》い|哩《わい》。|亡国的《ばうこくてき》の|声《こゑ》を|出《だ》しよつて、アヽ|胸《むね》が|苦《くる》しい、サアサアお|爺《ぢ》イさまにお|婆《ば》アさま、アンナ|奴《やつ》に|見付《みつ》かつたら|大変《たいへん》だ、|其《その》【ヤンチヤ】|娘《むすめ》も|早《はや》く|私《わたし》の|後《あと》へついて|来《く》るのだよ』
お|楢《なら》『サアサア|平助《へいすけ》さま、お|前《まへ》この|方《かた》の|後《あと》に|随《つ》いて|行《ゆ》かう、|怖《こわ》い|者《もの》が|出《で》て|来《く》るさうな』
|平助《へいすけ》『お|節《せつ》の|話《はなし》を|聞《き》いて、|三五教《あななひけう》と|云《い》ふのがある|事《こと》を|聞《き》いたが、|何《なん》だか|神様《かみさま》のやうな|声《こゑ》だ、|俺《おれ》は|此《この》|声《こゑ》を|聞《き》くと|益々《ますます》|真名井ケ原《まなゐがはら》の|神様《かみさま》が|有難《ありがた》くなつて|来《き》たワイ』
|黒姫《くろひめ》『エイエイ|仕方《しかた》のない|耄碌《まうろく》|許《ばか》りぢやなア、|誠《まこと》|一《ひと》つで|助《たす》けてやらうと|思《おも》へば、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|嫌《いや》がつて|滅亡《ほろび》の|道《みち》に|飛《と》んで|行《ゆ》かうとする。|嗚呼《ああ》、|縁《えん》なき|衆生《しうじやう》は|済度《さいど》し|難《がた》しとは、|能《よ》く|云《い》うたものだ。エヽ|気分《きぶん》の|悪《わる》い、|宣伝歌《せんでんか》が|段々《だんだん》|近《ちか》づいて|来《く》る、これこれ|清《きよ》さま、|照《てる》さま、|早《はや》く|早《はや》く』
と|急《せ》き|立《た》て、|傍《かたはら》の|木《き》の|茂《しげ》みに|手早《てばや》く|姿《すがた》を|隠《かく》したり。
|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれたる|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》は|音彦《おとひこ》と|青彦《あをひこ》なりける。
『ヤアお|前《まへ》さまは|丹波村《たんばむら》のお|爺《ぢ》イさま、お|婆《ば》アさまに|娘《むすめ》さまぢやな、|夜前《やぜん》は|岩公《いはこう》や、|勘公《かんこう》、|櫟公《いちこう》が|豪《えら》い|御世話《おせわ》になつたさうですナア。|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》が|大変《たいへん》に|御待兼《おまちかね》です、サアサア|行《ゆ》きませう』
|平助《へいすけ》『イヽエ、|何《ど》う|致《いた》しまして、|誠《まこと》に|不都合《ふつがふ》な|家《うち》でお|礼《れい》を|云《い》つて|貰《もら》うと|却《かへつ》て|心苦《こころぐる》しう|御座《ござ》います、|神様《かみさま》の|御蔭《おかげ》で|一年振《いちねんぶり》に、|大事《だいじ》な|大事《だいじ》なお|節《せつ》の|顔《かほ》を|見《み》る|事《こと》が|出来《でき》ました。これこれお|楢《なら》、お|節《せつ》、|此《この》|方《かた》は|神様《かみさま》の|御使様《おつかひさま》だ、サアサアちやつと|御礼《おれい》を|申《まを》さぬか』
お|楢《なら》『|貴方《あなた》は|神様《かみさま》の|御使《おつかひ》、|何《なに》も|申《まをし》ませぬ、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います』
と|涙《なみだ》ぐむ。
お|節《せつ》『|神様《かみさま》の|御蔭《おかげ》で|助《たす》けて|貰《もら》ひました、|何分《なにぶん》|宜敷《よろし》く|御願《おねが》ひ|致《いた》します』
|音彦《おとひこ》『|今《いま》|此処《ここ》に|何《なん》だか|人影《ひとかげ》が|現《あら》はれて、クサクサと|云《い》つて|居《ゐ》たやうですが、|何処《どこ》へ|行《ゆ》きましたか』
お|節《せつ》『ハイ|黒姫《くろひめ》と|云《い》ふ|婆《ば》アさまが|出《で》て|来《き》て、|二人《ふたり》の|綺麗《きれい》な|娘《むすめ》さまと|共《とも》に|私等《わたくしら》|親子《おやこ》の|者《もの》に|真名井ケ原《まなゐがはら》に|詣《まゐ》るな、|此方《こつち》へ|来《こ》いと|云《い》つて|道《みち》を|塞《ふさ》ぎ|困《こま》つて|居《ゐ》ました、|其処《そこ》へ|貴方方《あなたがた》の|宣伝歌《せんでんか》が|聞《きこ》えましたので、……とうとう|何処《どこ》かへ|姿《すがた》を|隠《かく》しました、アヽ|良《い》い|所《ところ》へ|来《き》て|下《くだ》さいまして|親子《おやこ》|三人《さんにん》が|助《たす》かりました。これと|云《い》ふのも|神様《かみさま》の|御引合《おひきあは》せで|御座《ござ》いませう』
|音彦《おとひこ》『ヤア|何《なん》と|仰《あふ》せられます、|黒姫《くろひめ》が|出《で》て|来《き》ましたか、どこまでも|執拗《しつえう》な|奴《やつ》ぢやナア、ハテ|何処《どこ》へ|行《ゆ》きよつたか|知《し》らぬ』
お|節《せつ》『|今《いま》|此《この》|林《はやし》の|中《なか》をコソコソと|下《くだ》つて|行《ゆ》きましたよ』
|音彦《おとひこ》『|何《ど》うも|仕方《しかた》のない|奴《やつ》ぢやなア、|兎《と》も|角《かく》も|早《はや》く|御参詣《おまゐり》|致《いた》しませう、|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》が|貴方《あなた》のお|出《いで》を|大変《たいへん》お|待《ま》ち|兼《か》ねで、|吾々《われわれ》はお|迎《むか》ひに|参《まゐ》つたのです、サア|行《ゆ》きませう』
と|五人《ごにん》は|勢《いきほひ》よく|西《にし》へ|西《にし》へと|辿《たど》り|行《ゆ》く。
(大正一一・四・二一 旧三・二五 加藤明子録)
第六章 |瑞《みづ》の|宝座《はうざ》〔六一七〕
|樹木《じゆもく》|鬱蒼《うつさう》として|生茂《おひしげ》れる|四方《しはう》|山《やま》に|包《つつ》まれたる|清浄《せいじやう》の|境域《きやうゐき》に、|水晶《すゐしやう》の|如《ごと》き|水《みづ》は|潺々《せんせん》として|流《なが》れ、|処々《ところどころ》に|青《あを》み|立《た》ちたる|清泉《せいせん》|幾《いく》つとなく|散在《さんざい》して|居《ゐ》る。|中空《ちうくう》には|容色《ようしよく》|麗《うるは》しき|天津乙女《あまつおとめ》の|七八人《しちはちにん》、|微妙《びめう》の|音楽《おんがく》につれて|右往左往《うわうさわう》に|舞《ま》ひ|狂《くる》ひ、|迦陵頻伽《がりようびんか》、|鳳凰《ほうわう》、|孔雀《くじやく》の|瑞鳥《ずゐちやう》|相交《あひまじ》はりて|前後左右《ぜんごさいう》に|飛《と》び|交《か》ふ|様《さま》は、|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|大祭日《だいさいじつ》も|斯《か》くやと|思《おも》はるる|許《ばか》りの|壮観《さうくわん》なりき。|苔生《こけむ》す|美《うる》はしき|巌《いはほ》の|上《うへ》に|容色端麗《ようしよくたんれい》にして|威儀《ゐぎ》|儼然《げんぜん》たる|一人《ひとり》の|女性《ぢよせい》、|日《ひ》の|丸《まる》の|扇《あふぎ》を|両手《りやうて》に|持《も》ちて|唄《うた》ひ|居《を》れり。
『|自転倒島《おのころじま》は|松《まつ》の|国《くに》  |堅磐常磐《かきはときは》に|揺《ゆる》ぎなく
|御代《みよ》は|平《たひら》らに|安《やす》らかに  |国《くに》も|豊《ゆたか》に|治《をさ》まりて
|天下《てんか》|泰平《たいへい》|国土《こくど》|成就《じやうじゆ》  |五穀《ごこく》|成熟《せいじゆく》|山《やま》|青《あを》く
|水《みづ》|清《きよ》く|実《げ》に|豊国姫《とよくにひめ》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|知《し》らす|世《よ》は
|天津御空《あまつみそら》の|神国《かみくに》か  |常世《とこよ》の|春《はる》の|永久《とこしへ》に
|栄《さか》え|久《ひさ》しき|松《まつ》の|御代《みよ》  |天津神《あまつかみ》たち|国津神《くにつかみ》
|万《よろづ》の|神《かみ》|等《たち》|始《はじ》めとし  |百《もも》の|民草《たみぐさ》|押《お》し|並《な》べて
|歓《えら》ぎ|賑《にぎは》ふミロクの|世《よ》  |天津乙女《あまつおとめ》は|天上《てんじやう》に
|錦《にしき》の|袖《そで》を|翻《ひるがへ》し  |鳥《とり》は|万代《よろづよ》|囀《うた》ひ|舞《ま》ふ
|天《あめ》と|地《つち》との|水鏡《みづかがみ》  |真如《しんによ》の|月《つき》を|浮《うか》べつつ
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の  |此《この》|世《よ》を|清《きよ》め|洗《あら》ひます
|瑞《みづ》の|霊《みたま》は|弥赫耀《いやちこ》に  |輝《かがや》き|渡《わた》る|大御代《おほみよ》の
|誉《ほまれ》|目出度《めでた》き|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》の|遠近《をちこち》に
|真名井ケ原《まなゐがはら》と|鳴《な》り|響《ひび》く  |豊国姫《とよくにひめ》の|神霊《かむみたま》
|神素盞嗚《かむすさのを》の|瑞霊《みづみたま》  |野立《のだち》の|彦《ひこ》や|野立姫《のだちひめ》
|暗夜《やみよ》を|照《て》らす|日《ひ》の|出別《でわけ》  |一度《いちど》に|開《ひら》く|木《こ》の|花《はな》の
|咲耶《さくや》の|姫《ひめ》の|御神姿《おんすがた》  |青雲《あをくも》|高《たか》き|富士《ふじ》の|山《やま》
|轟《とどろ》き|鳴戸《なると》|瀬戸《せと》の|海《うみ》  |深《ふか》き|恵《めぐ》みの|神《かみ》の|露《つゆ》
|潤《うるほ》ふ|世《よ》こそ|楽《たの》しけれ  |潤《うるほ》ふ|世《よ》こそ|楽《たの》しけれ
|春《はる》とは|言《い》へど|尚《まだ》|寒《さむ》き  |四方《よも》の|山々《やまやま》|樹々《きぎ》の|雪《ゆき》
|纒《まと》ひて|謳《うた》ふ|君《きみ》が|御代《みよ》  |君《きみ》と|臣《おみ》とは|睦《むつ》び|合《あ》ひ
|青人草《おほみたから》も|服《まつろ》ひて  |世《よ》は|永久《とこしへ》に|栄《さか》え|行《ゆ》く
|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》の  |表《おもて》に|現《あら》はれ|知《し》らす|世《よ》を
|松竹梅《まつたけうめ》の|永久《とこしへ》に  |待《ま》つ|間《ま》の|長《なが》き|鶴《つる》の|首《くび》
|万代《よろづよ》|祝《ことほ》ぐ|緑毛《りよくまう》の  |亀《かめ》の|齢《よはひ》の|限《かぎ》りなく
|三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|教《のり》  |千代《ちよ》に|栄《さか》えよ|永久《とことは》に
|幾億年《いくおくねん》の|末《すゑ》|迄《まで》も  |動《うご》かぬ|御代《みよ》と|進《すす》み|行《ゆ》け
|変《か》はらぬ|御代《みよ》と|開《ひら》け|行《ゆ》け  |教《をしへ》の|道《みち》は|開《ひら》け|行《ゆ》く
|御代《みよ》の|扇《あふぎ》の|末《すゑ》|広《ひろ》く  |神《かみ》の|御風《みかぜ》に|靡《なび》く|世《よ》を
|来《き》たさせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》  |霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐《ま》し|坐世《ませ》よ
アヽ|惟神《かむながら》かむながら  |霊《みたま》の|幸《さち》を|永久《とこしへ》に
|世人《よびと》の|上《うへ》に|悉《ことごと》く  |蒙《かむ》らせ|給《たま》へ|大御神《おほみかみ》
|豊国姫《とよくにひめ》の|神霊《かむみたま》  |千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|祈《ね》ぎ|奉《まつ》る』
と|自《みづか》ら|謡《うた》ひ|自《みづか》ら|舞《ま》ひつつあるのは|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|悦子姫《よしこひめ》なりき。|音彦《おとひこ》は|立《た》ち|上《あが》り、
『|高天原《たかあまはら》を|追《やら》はれて  |地教《ちけう》の|山《やま》に|伊邪那美《いざなみ》の
|尊《みこと》に|会《あ》はせ|給《たま》ひつつ  |名《な》も|高国別《たかくにわけ》と|現《あら》はれし
|活津彦根《いくつひこね》と|諸共《もろとも》に  |山河《やまかは》|渡《わた》り|野路《のぢ》を|越《こ》え
|高山《たかやま》|四方《よも》に|廻《めぐ》らせる  |西蔵国《チベツトくに》を|言向《ことむ》けて
フサの|国《くに》をば|横断《わうだん》し  ウブスナ|山《やま》の|頂《いただき》に
|斎苑《いそ》の|宮居《みやゐ》を|建《た》て|給《たま》ひ  |熊野樟日《くまのくすび》の|命《みこと》をば
|守護《まもり》の|神《かみ》と|定《さだ》めつつ  |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》は
|八洲《やしま》の|国《くに》を|悉《ことごと》く  |廻《めぐ》り|給《たま》ひて|今《いま》|此処《ここ》に
|自転倒島《おのころじま》に|渡《わた》りまし  |由良《ゆら》の|港《みなと》の|国司《くにつかさ》
|秋山彦《あきやまひこ》の|神館《かむやかた》に  |暫時《しばし》|息《いき》をば|休《やす》ませつ
|聖地《せいち》を|指《さ》して|出《い》で|給《たま》ひ  |国武彦《くにたけひこ》の|大神《おほかみ》に
|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|経綸《けいりん》を  |神《かむみ》|議《はか》りに|議《はか》らせつ
|東《あづま》を|指《さ》して|出《い》で|給《たま》ふ  |後《あと》に|残《のこ》りし|英子姫《ひでこひめ》
|万代《よろづよ》|祝《いは》ふ|亀彦《かめひこ》の  |神《かみ》の|命《みこと》は|大江山《おほえやま》
|曲《まが》の|猛《たけ》びを|鎮《しづ》めむと  |悦子《よしこ》の|姫《ひめ》を|伴《ともな》ひて
|剣尖山《けんさきやま》の|谷《たに》の|底《そこ》  |由緒《ゆいしよ》も|深《ふか》き|霊泉《れいせん》に
|魂《たま》を|清《きよ》めて|皇神《すめかみ》の  |珍《うづ》の|御舎《みあらか》|仕《つか》へまし
|悦子《よしこ》の|姫《ひめ》は|青彦《あをひこ》を  |伴《とも》なひ|再《ふたた》び|大江山《おほえやま》の
|魔窟ケ原《まくつがはら》に|来《き》て|見《み》れば  |心《こころ》|汚《きたな》き|黒姫《くろひめ》の
|辻褄《つじつま》|合《あ》はぬ|繰言《くりごと》に  |言向《ことむ》け|兼《か》ねて|進《すす》み|来《く》る
|心《こころ》も|清《きよ》き|雪《ゆき》の|道《みち》  |天《あま》の|橋立《はしだて》|後《あと》に|見《み》て
|駒《こま》に|鞭《むちう》つ|膝栗毛《ひざくりげ》  |此《この》|音彦《おとひこ》も|諸共《もろとも》に
|悦子《よしこ》の|姫《ひめ》の|後《あと》を|追《お》ひ  |真名井ケ原《まなゐがはら》に|来《き》て|見《み》れば
|聞《き》きしに|勝《まさ》る|神《かみ》の|園《その》  |天《あめ》の|真名井《まなゐ》と|名《な》にし|負《お》ふ
|清《きよ》き|流《なが》れに|身禊《みそぎ》して  |瑞《みづ》の|霊《みたま》となり|代《かは》り
|四方《よも》の|国々《くにぐに》|島々《しまじま》に  |羽振《はぶ》りを|利《き》かす|曲神《まがかみ》を
|言《こと》むけ|向和《やは》し|神国《かみくに》の  |守護《まもり》の|神《かみ》と|現《あら》はれて
|瑞《みづ》の|霊《みたま》に|神習《かむなら》ひ  |御代《みよ》|永久《とこしへ》に|守《まも》るべし
アヽ|勇《いさ》ましし|吾《わが》|心《こころ》  アヽ|美《うる》はしき|神《かみ》の|庭《には》
|神《かみ》より|生《あ》れし|神《かみ》の|子《こ》の  |務《つと》めを|尽《つく》すは|此《この》|時《とき》ぞ
|神《かみ》の|力《ちから》を|世《よ》に|広《ひろ》く  |輝《かがや》き|照《て》らすは|此《この》|時《とき》ぞ
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐世《ましませ》よ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |神《かみ》の|大道《おほぢ》は|変《か》へざらめ
|誠《まこと》の|道《みち》は|外《はづ》さざれ  |容《みめ》も|貌《かたち》も|悦子姫《よしこひめ》
|聖《ひじり》の|御代《みよ》に|青彦《あをひこ》や  |万代《よろづよ》|祝《いは》ふ|加米彦《かめひこ》の
|身魂《みたま》|照《て》らすは|今《いま》なるぞ  |勇《いさ》み|進《すす》みて|皇神《すみかみ》の
|珍《うづ》の|御業《みわざ》に|仕《つか》へなむ  |珍《うづ》の|御業《みわざ》に|仕《つか》へなむ
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐世《ましませ》よ』
|音彦《おとひこ》の|此《この》|歌《うた》に|悦子姫《よしこひめ》を|始《はじ》め|一同《いちどう》は|勇《いさ》み|立《た》ち、|豊国姫《とよくにひめ》の|時々《ときどき》|神姿《しんし》を|現《あら》はし|給《たま》うてふ、|中央《ちうあう》の|石《いし》の|宝座《ほうざ》に|向《むか》つて|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひ|終《をは》る。|折《をり》しも|息《いき》せききつて|走《はし》り|来《きた》る|加米彦《かめひこ》は、
『ハー|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》、|音彦《おとひこ》さま、|青彦《あをひこ》さま、その|他《た》の|御連中様《ごれんちうさま》、|御用心《ごようじん》なされませ、|只今《ただいま》ウラナイ|教《けう》の|魔神《まがみ》の|大将株《たいしやうかぶ》なる|黒姫《くろひめ》は、|何時《いつ》の|間《ま》にやら|数多《あまた》の|眷族《けんぞく》を|駆《か》り|集《あつ》め、|此《この》|地《ち》に|向《むか》つて|攻《せ》め|寄《よ》せ、|貴方等《あなたがた》を|十重二十重《とへはたへ》に|取捲《とりま》き、|霊肉《れいにく》ともに|殲滅《せんめつ》せしめむとの|計略《けいりやく》|整《ととの》へ、|時《とき》ならず|此《この》|場《ば》に|向《むか》つて|進撃《しんげき》し|来《きた》る|形勢《けいせい》|歴然《れきぜん》たるもので|御座《ござ》いますれば、|別条《べつでう》はありますまいが|其《その》お|考《かんがへ》えで|居《ゐ》て|下《くだ》さい。|仮令《たとへ》|黒姫《くろひめ》|幾千万《いくせんまん》の|曲神《まがかみ》を|引率《ひきつ》れ|押寄《おしよ》せ|来《きた》るとも、|此《この》|加米彦《かめひこ》が|円満清朗《ゑんまんせいろう》なる|言霊《ことたま》の|発射《はつしや》に|依《よ》つて、|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|言向《ことむ》け|和《やは》すは|案《あん》の|内《うち》、|必《かなら》ず|共《とも》に|御油断《ごゆだん》あるな』
と|息《いき》を|喘《はづ》ませ|物語《ものがた》る。
|音彦《おとひこ》『アハヽヽヽ、|黒姫《くろひめ》の|奴《やつ》、|百計《ひやくけい》|尽《つ》きて|今度《こんど》は|死物狂《しにものぐる》ひになりよつたな、|小人《せうじん》|窮《きう》すれば|乱《らん》すとかや。ヤア|之《これ》は|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、それに|就《つ》いても|俄《にはか》に|偉《えら》い|元気《げんき》になつたものだナア』
|加米彦《かめひこ》『|承《うけたま》はれば|高姫《たかひめ》の|肝煎《きもい》りにて、フサの|国《くに》より|高山彦《たかやまひこ》と|云《い》ふ|勇将《ゆうしやう》、|数多《あまた》の|軍勢《ぐんぜい》を|引《ひ》き|率《つ》れ|来《きた》り、|黒姫《くろひめ》と|結婚《けつこん》の|式《しき》を|挙《あ》げ|勢力《せいりよく》を|合《あは》して|大団体《だいだんたい》を|作《つく》り、|一挙《いつきよ》に|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|根拠地《こんきよち》たる、|真名井ケ原《まなゐがはら》を|攻略《こうりやく》せむとの|彼等《かれら》が|計画《けいくわく》と|承《うけたま》はる、|必《かなら》ず|必《かなら》ず|御油断《ごゆだん》あるな』
|音彦《おとひこ》『アハヽヽヽ、|又《また》しても|又《また》しても、|飛《と》んで|火《ひ》に|入《い》る|夏《なつ》の|虫《むし》か、|憐《あは》れな|者《もの》だな。|青彦《あをひこ》、|汝《なんぢ》は|加米彦《かめひこ》と|共《とも》に、|言霊《ことたま》を|以《もつ》て|寄《よ》せ|来《く》る|敵《てき》を|言向《ことむ》け|和《やは》せ、|吾《われ》は|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》と|共《とも》に|豊国姫《とよくにひめ》の|降臨《かうりん》を|仰《あふ》ぎ|神勅《しんちよく》を|乞《こ》はむ』
『|委細承知《ゐさいしようち》|仕《つかまつ》りました。|吾々《われわれ》|二人《ふたり》ある|限《かぎ》り|仮令《たとへ》|雲霞《うんか》の|如《ごと》き|大軍《たいぐん》|一時《いちじ》に|攻《せ》め|寄《よ》せ|来《きた》るとも、|言霊《ことたま》の|速射砲《そくしやはう》を|以《もつ》て|鏖殺《みなごろ》しに|仕《つかまつ》らむ、アヽ|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し』
と|勇《いさ》み|喜《よろこ》ぶその|健気《けなげ》さ。|悦子姫《よしこひめ》は|声《こゑ》を|掛《か》け、
『ヤア|加米彦《かめひこ》|殿《どの》、|青彦《あをひこ》|殿《どの》、|妾《わらは》は|皇大神《すめおほかみ》の|深《ふか》き|御威霊《ごゐれい》を|賜《たまは》り、|最早《もはや》|神変《しんぺん》|自由《じいう》の|神業《かむわざ》を|修得《しうとく》したれば、|天下《てんか》に|恐《おそ》るるものは|何物《なにもの》もなし。|汝等《なんぢら》|妾《わらは》に|心《こころ》|惹《ひ》かれず|力《ちから》|限《かぎ》り|言霊《ことたま》を|以《もつ》て|奮戦《ふんせん》せよ』
|加米彦《かめひこ》、|青彦《あをひこ》|一度《いちど》に|頭《かうべ》を|下《さ》げ|地上《ちじやう》に|両手《りやうて》をつき、
『|委細承知《ゐさいしようち》|仕《つかまつ》りました、|何分《なにぶん》|宜敷《よろしく》|御願《おねが》ひ|申《まを》す』
と|勇《いさ》み|進《すす》みて|此《この》|場《ば》を|立退《たちの》かむとする。|時《とき》しもあれ、|加米彦《かめひこ》の|急報《きふはう》に|違《たが》はず|近《ちか》づき|来《き》たる|黒姫《くろひめ》が|軍勢《ぐんぜい》、|高山彦《たかやまひこ》を|先頭《せんとう》に|旗鼓堂々《きこだうだう》と|此方《こなた》に|向《むか》つて|進《すす》み|来《きた》る|物々《ものもの》しさ。
|加米彦《かめひこ》、|青彦《あをひこ》は|寄《よ》せ|来《く》る|高山彦《たかやまひこ》の|軍勢《ぐんぜい》に|向《むか》ひ、
『ヤア|高山彦《たかやまひこ》、|御参《ござん》なれ、|身《み》の|程《ほど》|知《し》らぬ|馬鹿者《ばかもの》|共《ども》、|某《それがし》が|言霊《ことたま》の|速射砲《そくしやはう》にかかつて|斃《くたば》るな』
|高山彦《たかやまひこ》は|馬背《ばはい》に|跨《またが》り|乍《なが》ら、
『ヤア|汝《なんぢ》は|噂《うはさ》に|聞《き》く|木端武者《こつぱむしや》の|加米彦《かめひこ》とやら、その|広言《くわうげん》は|後《あと》に|致《いた》せ、ヤアヤア|者共《ものども》、|加米彦《かめひこ》、|青彦《あをひこ》に|向《むか》つて|進撃《しんげき》せよ』
|常彦《つねひこ》、|菊若《きくわか》、|夏彦《なつひこ》、|富彦《とみひこ》、|岩高《いはたか》の|大将株《たいしやうかぶ》は|高山彦《たかやまひこ》の|指図《さしづ》の|許《もと》に、|各々《おのおの》|数多《あまた》の|部下《てした》を|引率《ひきつ》れ、|二人《ふたり》の|周囲《しうゐ》をバラバラと|取《と》り|囲《かこ》み、
『サア|加米彦《かめひこ》、|青彦《あをひこ》、|其《その》|他《た》の|奴輩《やつばら》、もう|斯《か》うなつては|叶《かな》ふまい、|此方《こなた》が|刃《やいば》の|錆《さび》とならむよりは、|一時《いちじ》も|早《はや》く|心《こころ》を|改《あらた》め|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|邪教《じやけう》を|捨《す》ててウラナイ|教《けう》の|誠《まこと》の|道《みち》に|帰順《きじゆん》|致《いた》すか、|神《かみ》は|汝等《なんぢら》を|憐《あは》れみ|給《たま》ふぞ、|我《が》を|折《を》り|降参《かうさん》|致《いた》せば、|如何《いか》に|反対《はんたい》せし|悪《あく》の|身魂《みたま》も|赦《ゆる》して|遣《つか》はす、サア|返答《へんたふ》は|如何《どう》じや、|如何《いか》に|汝《なんぢ》|勇猛《ゆうまう》なりとて|多勢《たぜい》に|無勢《ぶぜい》、|最早《もはや》|汝《なんぢ》が|運《うん》の|尽《つき》、|返答《へんたふ》|如何《いか》に|覚悟《かくご》は|如何《どう》ぢや』
と|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|抜刀《ぬきみ》を|揃《そろ》へ|攻《せ》めかかる、|加米彦《かめひこ》、|青彦《あをひこ》は|一度《いちど》に|高笑《たかわら》ひ、
『アハヽヽヽ、|心《こころ》も|黒《くろ》い|色《いろ》も|真黒々《まつくろくろ》の|黒助《くろすけ》の|黒姫《くろひめ》に|加担《かたん》|致《いた》す|馬鹿者《ばかもの》|共《ども》、|仮令《たとへ》|幾万人《いくまんにん》|攻《せ》め|来《きた》る|共《とも》|蟷螂《たうらう》の|斧《をの》を|揮《ふる》つて|竜車《りうしや》に|向《むか》ふにも|等《ひと》しき|奴輩《やつばら》、|吾《わが》|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》を|見《み》よ』
と|云《い》ふより|早《はや》く|双手《もろて》を|組《く》み|一生懸命《いつしやうけんめい》に|神霊《しんれい》の|注射《ちうしや》をサーチライトの|如《ごと》く|指頭《しとう》より|発射《はつしや》し、|右《みぎ》に|左《ひだり》に|向《むか》つて|振《ふ》り|廻《まは》せば、|数多《あまた》の|寄《よ》せ|手《て》は|俄《にはか》に|頭《かしら》|痛《いた》み、|眩暈《めま》ひ、|舌《した》つり、|身体《しんたい》|或《あるひ》は|強直《きやうちよく》し|或《あるひ》は|痳痺《まひ》し、ウンウンと|呻声《うめきごゑ》を|立《た》てて|此《この》|場《ば》にバタリと|倒《たふ》れたり。|黒姫《くろひめ》は|此《この》|体《てい》を|見《み》て|高山彦《たかやまひこ》の|馬《うま》に|跨《またが》り、|馬上《ばじやう》に|二人《ふたり》|抱《いだ》き|合《あ》ひ|乍《なが》ら|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|行《ゆ》く|可笑《をか》しさ。|加米彦《かめひこ》は|打笑《うちわら》ひ、
『アハヽヽヽ、|青彦《あをひこ》|殿《どの》、|扨《さ》ても|扨《さ》ても|愉快《ゆくわい》な|事《こと》では|御座《ござ》らぬか、|吾々《われわれ》|誠《まこと》の|神《かみ》の|教《をしへ》を|伝《つた》ふる|宣伝使《せんでんし》に|向《むか》ひ、|傍若無人《ばうじやくぶじん》にも|凶器《きやうき》を|携《たづさ》へ|攻《せ》め|来《きた》り、|脆《もろ》くも|吾《わが》|言霊《ことたま》の|発射《はつしや》にザツクバラン、|身体《しんたい》|竦《すく》み|忽《たちま》ち|地上《ちじやう》に|倒《たふ》れて|藻掻《もが》く|可笑《をか》しさ、それに|付《つ》けても|一層《いつそう》|面白《おもしろ》きは|黒姫《くろひめ》、|高山彦《たかやまひこ》の|両人《りやうにん》、|味方《みかた》を|見捨《みすて》て|逃《に》げ|行《ゆ》く|狼狽《うろた》へさ|加減《かげん》、|何《なん》と|愉快《ゆくわい》では|御座《ござ》らぬか』
|青彦《あをひこ》『アハヽヽヽ、|実《じつ》に|愉快《ゆくわい》ですな、|矢張《やつぱり》|三五教《あななひけう》は|違《ちが》ひますよ』
|加米彦《かめひこ》『|貴方《あなた》も、もう|高姫《たかひめ》のウラナイ|教《けう》には、よもや|後戻《あともど》りは|成《な》されますまいなア』
|青彦《あをひこ》『|仮令《たとへ》|大地《だいち》が|覆《か》へるとも|変《かは》つてなりませうか』
|加米彦《かめひこ》『サア、|何《なん》とも|分《わか》らぬ、まだお|前《まへ》さまの|言霊《ことたま》には|少《すこ》し|許《ばか》り|濁《にご》りがある、その|濁《にご》りの|分《ぶん》がまだウラナイ|教《けう》に|執着心《しふちやくしん》があるのだ』
|青彦《あをひこ》『|殺生《せつしやう》な|事《こと》を|言《い》つて|下《くだ》さるな、|其《その》|濁《にご》りはウラナイ|教《けう》の|信仰《しんかう》の|惰力《だりよく》でせう。もう|暫《しば》らくお|待《ま》ち|下《くだ》さらば|本当《ほんたう》の|言霊《ことたま》が|出《で》る|様《やう》になりませう』
|加米彦《かめひこ》『それは|兎《と》も|角《かく》、|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》、|音彦《おとひこ》さまがお|待《ま》ち|兼《か》ねでせう、サアサア|早《はや》く|霊場《れいぢやう》へ|引《ひ》き|返《かへ》しませう』
と|先《さき》に|立《た》つて|行《ゆ》く。|悦子姫《よしこひめ》は|音彦《おとひこ》の|審神《さには》の|許《もと》に|豊国姫《とよくにひめ》の|神《かみ》の|御降臨《ごかうりん》の|最中《さいちう》なりける。
|音彦《おとひこ》『|只今《ただいま》|悦子姫《よしこひめ》の|肉《にく》の|宮《みや》に|懸《かか》らせ|給《たま》ふ|大神《おほかみ》は|何《いづ》れの|神《かみ》に|坐《ま》しますぞ、|仰《あふ》ぎ|願《ねが》はくば|御名《みな》を|名乗《なの》らせ|給《たま》へ、|某《それがし》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|音彦《おとひこ》の|審神者《さには》に|御座《ござ》います、|神界《しんかい》の|思召《おぼしめし》、|何卒《なにとぞ》|委細《つぶさ》に|吾等《われら》に|仰《あふ》せ|聞《き》けられ|下《くだ》されますれば|有難《ありがた》う|御座《ござ》います』
|豊国姫《とよくにひめ》『|我《われ》は|豊雲野尊《とよくもぬのみこと》、|又《また》の|御名《みな》|豊国姫《とよくにひめ》の|神《かみ》なるぞ、|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》と|共《とも》に|一旦《いつたん》|地底《ちてい》の|国《くに》に|身《み》を|潜《ひそ》め、|再《ふたた》び|地教《ちけう》の|山《やま》に|現《あら》はれて、|大海原《おほうなばら》に|漂《ただよ》へる|国土《くぬち》を|修理固成《つくりかため》なしつつ|時《とき》の|至《いた》るを|待《ま》ち|居《ゐ》たりしに、|天運《てんうん》|循環《じゆんかん》して|天津神《あまつかみ》より|此《この》|聖地《せいち》を|我《わが》|鎮座所《すみか》と|神定《かむさだ》め|給《たま》ひたり。|我《われ》は|此《この》|地《ち》に|霊魂《みたま》を|止《とど》め|自転倒島《おのころじま》はいふも|更《さら》なり、|大八洲《おほやしま》の|国々《くにぐに》|島々《しまじま》に|我《わが》|霊魂《みたま》を|配《くば》り|置《お》きて|世《よ》を|永久《とこしへ》に|守《まも》らむ。|汝《なんぢ》は|之《これ》より|鬼雲彦《おにくもひこ》を|使役《しえき》しつつありし|八岐大蛇《やまたをろち》の|片割《かたわ》れ|鬼ケ城山《おにがじやうざん》に|姿《すがた》を|隠《かく》し|時《とき》を|窺《うかが》ひ、|聖地《せいち》を|蹂躙《じうりん》せむとしつつあれば|一日《ひとひ》も|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》り、|加米彦《かめひこ》、|青彦《あをひこ》を|引率《ひきつ》れ|此《この》|比治山《ひぢやま》の|峰伝《みねづた》ひに|鬼ケ城山《おにがじやうざん》に|向《むか》へよ、|我《われ》は|汝《なんぢ》が|影身《かげみ》に|添《そ》ひ、|太《ふと》しき|功勲《いさを》を|永久《とこしへ》に|立《た》てさせむ、|必《かなら》ず|必《かなら》ず|案《あん》じ|煩《わづら》ふな、|仮令《たとへ》|幾千万《いくせんまん》の|曲神《まがかみ》|攻《せ》め|来《きた》るとも|屈《くつ》するな、|恐《おそ》るるな、|神《かみ》を|力《ちから》に|誠《まこと》を|杖《つゑ》に|善《よ》く|戦《たたか》へ、|誠《まこと》の|鉾《ほこ》を|執《と》つて|敵《てき》を|言向《ことむ》け|和《やは》せよ、|又《また》|此《この》|聖地《せいち》は|我《わが》|霊魂《みたま》|永久《とことは》に|守《まも》りあれば|後《あと》に|心《こころ》を|残《のこ》す|事《こと》なく|一刻《いつこく》も|早《はや》く|此処《ここ》を|立《た》ち|出《い》でよ。|加米彦《かめひこ》、|青彦《あをひこ》、|汝等《なんぢら》も|音彦《おとひこ》と|共《とも》に|鬼ケ城《おにがじやう》に|向《むか》つて|進撃《しんげき》せよ』
|音彦《おとひこ》『|委細承知《ゐさいしようち》|仕《つかまつ》りました、いざ|之《これ》よりは|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》を|先頭《せんとう》に|吾々《われわれ》|一同《いちどう》|時《とき》を|移《うつ》さず、|八岐大蛇《やまたをろち》の|退治《たいぢ》に|立《た》ち|向《むか》ひませう、|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|御守護《ごしゆご》を|仰《あふ》ぎ|奉《たてまつ》る』
|豊国姫《とよくにひめ》『|何事《なにごと》も|神《かみ》に|任《まか》せ|汝等《なんぢら》が|力《ちから》のあらむ|限《かぎ》り|誠《まこと》を|尽《つく》せよ』
と|云《い》ひ|残《のこ》し|神《かむ》あがり|給《たま》ひければ、|悦子姫《よしこひめ》は|初《はじ》めて|正気《しやうき》に|復《かへ》り、
『アヽ|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し、|大神《おほかみ》の|御降臨《ごかうりん》、サア|音彦《おとひこ》|殿《どの》、その|他《た》|御一同様《ごいちどうさま》、|鬼ケ城《おにがじやう》に|時《とき》を|移《うつ》さず|神勅《しんちよく》のまにまに|向《むか》ひませう』
『|委細承知《ゐさいしようち》|仕《つかまつ》りました、|左様《さやう》ならば|之《これ》より|参《まゐ》りませう』
|加米彦《かめひこ》『サア|平助《へいすけ》、お|楢《なら》、お|節《せつ》どの、|御苦労《ごくらう》でありました、|之《これ》でお|別《わか》れ|致《いた》しませう』
|平助《へいすけ》『|私達《わたくしたち》は|之《これ》から|貴方等《あなたがた》に|別《わか》れて|後《あと》は|如何《どう》|致《いた》しませう、|只今《ただいま》の|如《ごと》く|数多《あまた》の|軍勢《ぐんぜい》|押《お》し|寄《よ》せ|来《きた》らば、|吾々《われわれ》は|如何《いかん》とも|防《ふせ》ぎ|戦《たたか》ふ|事《こと》は|出来《でき》ませぬ、|何卒《なにとぞ》|吾々《われわれ》も|一緒《いつしよ》に|連《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さいませぬかナア』
|音彦《おとひこ》『ヤ、それはなりませぬ、|然《しか》し|乍《なが》ら|如何《いか》なる|敵《てき》も|御心配《ごしんぱい》|遊《あそ》ばすな、|叶《かな》はぬ|時《とき》は|三五教《あななひけう》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し|宣伝歌《せんでんか》をお|謡《うた》ひなさい。さすれば|如何《いか》なる|強敵《きやうてき》も|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|去《さ》つて|仕舞《しま》ひます、|之《これ》が|神歌《しんか》の|功力《くりき》であります。|左様《さやう》なら、|親爺《おやぢ》どの、|婆《ば》アさま|娘子《むすめご》、|御縁《ごえん》があらば|又《また》|御目《おめ》に|懸《かか》らう』
と|左右《さいう》に|分《わか》れ|比治山《ひぢやま》の|嶺伝《みねづた》ひに|南《みなみ》を|指《さ》して|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひつつ|一行《いつかう》|四人《よにん》は|進《すす》み|行《ゆ》く。|平助《へいすけ》|親子《おやこ》|三人《さんにん》は|名残《なごり》を|惜《をし》みつつ、トボトボと|家路《いへぢ》を|指《さ》して|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・四・二一 旧三・二五 北村隆光録)
第二篇 |千態万様《せんたいばんやう》
第七章 |枯尾花《かれをばな》〔六一八〕
|味方《みかた》の|人数《にんずう》も|大江山《おほえやま》  |魔窟ケ原《まくつがはら》に|穿《うが》ちたる
|岩窟《いはや》の|中《なか》に|黒姫《くろひめ》は  |五十路《いそぢ》の|坂《さか》を|越《こ》え|乍《なが》ら
|歯《は》さへ|落《お》ちたる|秋《あき》の|野《の》の  |梢《こずゑ》|淋《さび》しき|返《かへ》り|咲《ざ》き
|此《この》|世《よ》にアキの|霜《しも》の|髪《かみ》  コテコテ|塗《ぬ》つた|黒漆《くろうるし》
|俄作《にはかづく》りの|夕鴉《ゆふがらす》  カワイカワイと|皺枯《しはが》れた
|声《こゑ》|張《は》り|上《あ》げてウラナイの  |道《みち》を|伝《つた》ふる|空元気《からげんき》
|天狗《てんぐ》の|鼻《はな》の|高山彦《たかやまひこ》を  |三世《さんぜ》の|夫《つま》と|定《さだ》めてゆ
|流石《さすが》|女《をんな》の|恥《はづ》かしげに  |顔《かほ》に|紅葉《もみぢ》を|散《ち》らしつつ
|黒地《くろぢ》に|白粉《おしろい》ペツタリと  |生地《きぢ》を|秘《かく》した|曲津面《まがつづら》
|口《くち》|喧《やかま》しき|燕《つばくろ》や  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なにチユウチユウと
|雀《すずめ》|百《ひやく》まで|牡鳥《をんどり》を  |忘《わす》れかねてか|婿《むこ》|欲《ほ》しと
あこがれ|居《ゐ》たる|片相手《かたあひて》  |星《ほし》を|頂《いただき》|月《つき》を|踏《ふ》み
|日《ひ》にち|毎日《まいにち》|山坂《やまさか》を  |駆《か》け|廻《まは》りつつ|通《かよ》ひ|来《く》る
|男《をとこ》の|数《かず》は|限《かぎ》りなく  |蓼《たで》|喰《く》ふ|虫《むし》も|好《す》き|好《ず》きと
|酷《えぐ》い|婆《ばば》アの|皺面《しわづら》に  |惚《のろ》けて|出《で》て|来《く》る|浅間《あさま》しさ
|広《ひろ》い|様《やう》でも|狭《せま》いは|世間《せけん》  |色《いろ》は|真黒《まつくろ》|黒姫《くろひめ》の
|心《こころ》に|叶《かな》うた|高山彦《たかやまひこ》の  タカか|鳶《とんび》か|知《し》らね|共《ども》
|烏《からす》の|婿《むこ》と|選《えら》まれて  |怪《け》しき|名《な》に|負《お》ふ|大江山《おほえやま》
|魔窟ケ原《まくつがはら》の|穴《あな》|覗《のぞ》き  |奥《おく》へ|奥《おく》へと|進《すす》み|入《い》る
|一《いつ》コク|二《に》コクと|迫《せま》り|来《く》る  |三国一《さんごくいち》の|花婿《はなむこ》を
|取《と》つた|祝《いは》ひの|黒姫《くろひめ》が  |嬉《うれ》しき|便《たよ》りを|菊若《きくわか》や
|心《こころ》|頑固《ぐわんこ》な|岩高《いはたか》や  |人《ひと》の|爺《おやぢ》を|寅若《とらわか》の
|情《なさけ》|容赦《ようしや》も|夏彦《なつひこ》や  |富彦《とみひこ》、|常彦《つねひこ》|諸共《もろとも》に
|飲《の》めよ|騒《さわ》げの|大酒宴《だいしゆえん》  |岩屋《いはや》の|中《なか》は|蜂《はち》の|巣《す》の
|一度《いちど》に|破《やぶ》れし|如《ごと》くなり。
|黒姫《くろひめ》は|皺苦茶《しわくちや》だらけの|垢黒《あかぐろ》い|顔《かほ》に、|白《しろ》い|物《もの》をコテコテに|塗《ぬ》り、|鉄倉《かなぐら》の|上塗《うはぬり》みた|様《やう》な、|真白《まつしろ》な|厚化粧《あつげしやう》、|白髪《しらが》は|烏《からす》の|濡羽色《ぬればいろ》に|染《そ》め、|梅《うめ》の|花《はな》を|散《ち》らした|派手《はで》な|襠衣《うちかけ》を|羽織《はおり》り、|三国一《さんごくいち》の|婿《むこ》の|来《きた》るを、|今《いま》や|遅《おそ》しと、|太《ふと》い|短《みじか》い|首筋《くびすぢ》を|細長《ほそなが》く|延《の》ばして、|蜥蜴《とかげ》が|天井《てんじやう》を|覗《のぞ》いた|様《やう》なスタイルで、|入口《いりぐち》の|岩窟《がんくつ》を|覗《のぞ》き|込《こ》み、|年《とし》の|寄《よ》つた|嗄《しはが》れ|声《ごゑ》に|色《いろ》を|附《つ》け、ワザと|音曲《おんぎよく》に|慣《な》れた|若《わか》い|声《こゑ》を|出《だ》し、
『コレコレ|夏彦《なつひこ》、|常彦《つねひこ》、まだお|客《きやく》さまは|見《み》えぬかな。お|前《まへ》は|御苦労《ごくらう》だが、|一寸《ちよつと》そこまで|迎《むか》へに|往《い》つて|来《き》て|下《くだ》さらぬか。|由良《ゆら》の|湊《みなと》までは、フサの|国《くに》から、|天《あま》の|鳥船《とりふね》に|乗《の》つてお|越《こ》しなのだから、|轟々《ぐわうぐわう》と|音《おと》が|聞《きこ》えたら、それが|高山彦《たかやまひこ》さまの|一行《いつかう》だ。|空《そら》に|気《き》をつけ|足許《あしもと》にも|気《き》を|付《つ》けて|往《い》て|来《き》て|下《くだ》さい』
|夏《なつ》|彦《ひこ》『ハイハイ|承知《しようち》|致《いた》しました。|遠方《ゑんぱう》の|事《こと》とは|云《い》ひ|乍《なが》ら、|随分《ずゐぶん》|暇《ひま》の|要《い》る|事《こと》ですなア。サア|常彦《つねひこ》、お|迎《むか》へに|行《い》つて|来《こ》うぢやないか』
|常彦《つねひこ》『|黒姫《くろひめ》さま、|今日《けふ》はお|芽出度《めでた》う。ソンナラ|往《い》て|来《き》ませうか』
|黒姫《くろひめ》『|何《なん》ぢや|常彦《つねひこ》、|改《あらた》まつて、お|芽出度《めでた》うもあつたものか。あまり|年寄《としよ》りが|婿《むこ》を|貰《もら》うと|思《おも》うて|冷《ひや》やかすものぢやない。サアサア トツトと|往《い》て|来《き》なさい』
|常彦《つねひこ》『ソンナラ、|何《なん》と|言《い》つて|挨拶《あいさつ》をしたら|好《よ》いのですか。|今日《けふ》は|芽出《めで》たいのぢやありませぬか』
|黒姫《くろひめ》『|芽出《めで》たいと|云《い》へば|芽出《めで》たいのぢやが、ナニもう|妾《わし》は、|五十《ごじふ》の|坂《さか》を|越《こ》えて、|誰《たれ》が|好《この》みて|婿《むこ》を|貰《もら》うたりするものか。これと|云《い》ふのも、|神様《かみさま》の|教《をしへ》を|拡《ひろ》げる|為《ため》に、|此《この》|黒姫《くろひめ》の|体《からだ》を|犠牲《ぎせい》にして、|天下《てんか》|国家《こくか》の|為《ため》に|尽《つく》すのだよ。お|芽出《めで》たうと|云《い》ふ|代《かは》りに|御苦労様《ごくらうさま》と|言《い》ひなされ』
|常彦《つねひこ》『これはこれは|五苦労《ごくらう》の|四苦労《しくらう》、|真黒々助《まつくろくろすけ》の|黒姫《くろひめ》|様《さま》、|十苦労《とくらう》さまで|御座《ござ》います』
|黒姫《くろひめ》『エーエーお|前《まへ》は|此《この》|黒姫《くろひめ》を|馬鹿《ばか》にするのかい。|十苦労《とくらう》と|云《い》ふ|事《こと》があるものか。あまりヒヨトくりなさるな』
|常彦《つねひこ》『イエ|滅相《めつさう》な、あなたも|天下《てんか》の|為《ため》に|犠牲《ぎせい》に|御成《おな》りなさるのは|五苦労《ごくらう》さまぢや。|又《また》|此《この》|常彦《つねひこ》が|三国一《さんごくいち》の|婿《むこ》さまを、|斯《か》う|日《ひ》の|暮《くれ》になつてから、|細《ほそ》い|山路《やまぢ》を|迎《むか》ひに|行《ゆ》くのも、ヤツパリ|五苦労《ごくらう》さまぢや。お|前《まへ》さまの|五苦労《ごくらう》と|私《わたくし》の|五苦労《ごくらう》と、|日韓《にちかん》|併合《へいがふ》して|十苦労様《とくらうさま》と|云《い》うたのですよ。アハヽヽヽ』
|夏彦《なつひこ》『|常彦《つねひこ》、|行《い》かうかい』
と、|岩穴《いはあな》をニユツと|覗《のぞ》き、
『ヤア|占《しめ》た|占《しめ》た、モウ|行《い》かいでも|可《よ》い』
|常彦《つねひこ》『|行《い》かでも|良《よ》いとは、ソラ|何《なん》だい、|高山彦《たかやまひこ》さまが|見《み》えたのかい』
|夏彦《なつひこ》『きまつた|事《こと》だ。モシモシ|黒姫《くろひめ》さま、お|喜《よろこ》びなさいませ。|偉《えら》い|勢《いきほひ》で|沢山《たくさん》な|家来《けらい》を|伴《つ》れて|見《み》えましたよ』
|黒姫《くろひめ》『それはそれは|御苦労《ごくらう》な|事《こと》ぢや。どうぞ|穴《あな》の|口《くち》まで|迎《むか》ひに|行《い》て|下《くだ》され。あまり|這入《はい》り|口《ぐち》が|小《ちひ》さいので、|行過《ゆきすご》されてはお|困《こま》りだからなア』
|夏彦《なつひこ》は|肩《かた》から|上《うへ》をニユツと|出《だ》し、|高山彦《たかやまひこ》の|一行《いつかう》の|近付《ちかづ》き|来《きた》るを|待《ま》ち|居《ゐ》たる。
|高山彦《たかやまひこ》『|此処《ここ》は|黒姫《くろひめ》の|住家《すみか》と|聞《きこ》えたる|魔窟ケ原《まくつがはら》ぢやないか。モウ|誰《たれ》か|迎《むか》ひに|来《き》て|居《ゐ》さうなものだに、|何《なに》をして|居《ゐ》るのだらうな』
|虎若《とらわか》『ヤア|御大将様《おんたいしやうさま》、|此《この》|魔窟ケ原《まくつがはら》は|随分《ずゐぶん》|広《ひろ》い|所《ところ》と|聞《き》きました。|何《いづ》れ|先方《むかう》から|遣《や》つて|来《こ》られませうが、|何分《なにぶん》|予定《よてい》とは|早《はや》く|着《つ》いたものですから、|先方《むかう》も|如才《じよさい》なく|準備《じゆんび》はやつて|居《を》られませうが、つい|遅《おそ》くなつたのでせう。|御馳走《ごちそう》|一《ひと》つ|拵《こしら》へるにも|斯《こ》う|云《い》ふ|不便《ふべん》な|土地《とち》、|何事《なにごと》も|三五教《あななひけう》ぢやないが、|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|御機嫌《ごきげん》を|直《なほ》してモウ|一息《ひといき》お|進《すす》み|下《くだ》さいませ』
|高山彦《たかやまひこ》『それはさうだが、|如何《いか》に|黒姫《くろひめ》、|部下《ぶか》が|無《な》いと|云《い》つても、|二十人《にじふにん》や|三十人《さんじふにん》は|有《あ》りさうなものだ。|三人《さんにん》や|五人《ごにん》|迎《むか》ひに|来《よこ》したつて|良《い》いぢやないか。|縁談《えんだん》は|飯《めし》|炊《た》く|間《ま》にも|冷《ひえ》ると|云《い》ふ|事《こと》が|有《あ》る。あまり|寒《さむ》いので、|冷《ひえ》たのぢやあるまいか、ナア|虎若《とらわか》』
|虎若《とらわか》『トラ、ワカりませぬ。|何分《なにぶん》|此《この》|通《とほ》り、あちらにも|此方《こちら》にも|雪《ゆき》が|溜《たま》つて|居《を》りますから|随分《ずゐぶん》|冷《ひえ》る|事《こと》でせう。|私《わたくし》も|何《なん》だか|体《からだ》が|寒《さむ》くなつて|来《き》た。フサの|国《くに》を|出《で》た|時《とき》は|随分《ずゐぶん》|暖《あたた》かであつたが、|空中《くうちう》を|航行《かうかう》した|時《とき》の|寒《さむ》さ、それに|又《また》|此《この》|自転倒島《おのころじま》へ|着《つ》いてからの|寒《さむ》さと|云《い》つたら、|骨身《ほねみ》に|徹《こた》えますワ』
|高山彦《たかやまひこ》は|苦虫《にがむし》を|喰《く》つた|様《やう》な|不機嫌《ふきげん》な|顔《かほ》をし|乍《なが》ら、|爪先《つまさき》|上《あが》りの|雪路《ゆきみち》を|進《すす》み|来《く》る。|雪《ゆき》の|一面《いちめん》に|積《つも》つた|地《ち》の|中《なか》から、|夏彦《なつひこ》は|首《くび》|丈《だけ》を|出《だ》して、
『コレハコレハ|高山彦《たかやまひこ》のお|出《い》で、サアサアお|這入《はい》り|下《くだ》さいませ。|黒姫《くろひめ》さまが|大変《たいへん》にお|待兼《まちかね》で|御座《ござ》います。あなたも|遥々《はるばる》と|国家《こくか》の|為《ため》に|犠牲《ぎせい》になつて|下《くだ》さいまして|有難《ありがた》う|御座《ござ》います』
|虎若《とらわか》『ヤア|何《なん》だ、コンナ|所《ところ》に|首《くび》が|一《ひと》つ|落《お》ちて、|物《もの》|言《い》つて|居《ゐ》やがる。……ハヽア|此奴《こいつ》ア、|大江山《おほえやま》の|化州《ばけしう》だな……オイ|化州《ばけしう》、|這入《はい》れと|言《い》つても、|蚯蚓《みみづ》ぢやあるまいし、|何処《どこ》から|這入《はい》るのぢやい。|入口《いりぐち》が|無《な》いぢやないか。|貴様《きさま》の|体《からだ》は|如何《どう》したのぢや。|松露《しようろ》か|何《なん》ぞの|様《やう》に|頭《あたま》ばつかりで|活《いき》てる|筈《はず》もあるまいし、|怪体《けつたい》な|代物《しろもの》ぢやなア』
|夏彦《なつひこ》『|黒姫《くろひめ》さまは|高山彦《たかやまひこ》さまに、お|惚《のろ》け|遊《あそ》ばして|首《くび》つ|丈《たけ》|陥《はま》つて|御座《ござ》るが、|此《この》|夏彦《なつひこ》は|首《くび》は|外《ほか》へ|出《だ》して、|体《からだ》|丈《だけ》はまつて|御座《ござ》るのだ。サアサア|不都合《ふつがふ》な|這入口《はいりぐち》の|様《やう》だが、|中《なか》は|立派《りつぱ》な|御座敷《おざしき》、|用心《ようじん》の|為《ため》にワザと|入口《いりぐち》が|細《ほそ》うしてある。|高山彦《たかやまひこ》さま、どうぞお|這入《はい》り|下《くだ》さいませ。|一人《ひとり》づつ|這入《はい》つて|貰《もら》へば、|何程《なにほど》|大《おほ》きな|男《をとこ》でも|引《ひ》つ|掛《かか》らずに|這入《はい》れます』
と|言《い》ふより|早《はや》く|夏彦《なつひこ》は|窟内《くつない》に|姿《すがた》を|隠《かく》しける。
|虎若《とらわか》『ヤア|妙《めう》だ。|見《み》た|割《わり》とは|大《おほ》きな|洞《ほら》が|開《あ》いて|居《ゐ》る。ヤア|階段《きざはし》もついて|居《ゐ》る。サア|高山彦《たかやまひこ》さま、|御案内《ごあんない》|致《いた》しませう』
|虎若《とらわか》を|先頭《せんとう》に、|高山彦《たかやまひこ》は|数多《あまた》の|従者《じゆうしや》と|共《とも》に、ゾロゾロと|岩窟《いはや》の|中《なか》に|潜《くぐ》り|入《い》る。|黒姫《くろひめ》は|此《この》|時《とき》|既《すで》に|奥《おく》の|間《ま》に|忍《しの》び|込《こ》み、|鏡《かがみ》の|前《まへ》で|口《くち》を|開《あ》けたり、|目《め》を|剥《む》いたり、|鼻《はな》を|摘《つま》ンで|見《み》たり、|顔《かほ》の|整理《せいり》に|余念《よねん》なかりける。|夏彦《なつひこ》は|此《この》|場《ば》に|走《はし》り|来《きた》り、
『モシモシ、|高山彦《たかやまひこ》の|御大将《おんたいしやう》が|見《み》えました。どうぞ|早《はや》く|此方《こちら》へお|越《こ》し|下《くだ》さいませ』
|黒姫《くろひめ》『エー|気《き》の|利《き》かぬ|事《こと》ぢやなア。|何《なん》とか|云《い》つて、お|茶《ちや》でも|出《だ》して、|口《くち》の|間《ま》で|休《やす》まして|置《お》くのだよ。それまでに|化粧《けしやう》をチヤンと|整《ととの》へて、|型《かた》ばかりの|祝言《しうげん》をせなくてはならぬ。|菊若《きくわか》、|岩高《いはたか》は|何《なに》をして|居《を》るのだ。|料理《れうり》の|用意《ようい》は|出来《でき》たか。お|茶《ちや》でも|献《あ》げて|世間話《せけんばなし》でもして|待《ま》つて|貰《もら》ふのだよ』
|夏彦《なつひこ》『|今日《けふ》は|芽出度《めでた》い|婚礼《こんれい》、それにお|茶《ちや》をあげては、|茶々無茶苦《ちやちやむちやく》になりやしませぬか。|今日《けふ》はお|水《みづ》を|進《あ》げたらどうでせう』
|黒姫《くろひめ》『エー|茶《ちや》ア|茶《ちや》ア|言《い》ひなさるな。|茶《ちや》が|良《い》いのだ。|水《みづ》をあげると|水臭《みづくさ》くなると|可《い》かぬから……』
|夏彦《なつひこ》『ハヽア、|茶《ちや》ア|茶《ちや》アと|茶《ちや》ツつく|積《つも》りで、|茶《ちや》を|呑《の》ませと|仰有《おつしや》るのかなア……|茶《ちや》、|承知《しようち》|致《いた》しました』
|黒姫《くろひめ》『エーグヅグヅ|言《い》はずに、あちらへ|行《い》つて、|高山彦《たかやまひこ》|様《さま》|御一同《ごいちどう》のお|相手《あひて》になるのだよ。こつちの|準備《じゆんび》が|出来《でき》たら、|祝言《しうげん》の|盃《さかづき》にかかる|様《やう》にして|置《お》きなさい。……アーア|人《ひと》を|使《つか》へば|苦《く》を|使《つか》ふとは、|能《よ》う|言《い》つたものだ。|男《をとこ》ばつかりで、|女手《をんなで》の|無《な》いのも……ア|困《こま》つたものだ。|清《きよ》サン、|照《てら》サンと|云《い》ふ|二人《ふたり》の|若《わか》い|女《をんな》は|有《あ》つたけれども、これは|真名井ケ原《まなゐがはら》の|隠《かく》れ|家《が》に|置《お》いてあるなり、|斯《こ》う|云《い》ふ|時《とき》に|女《をんな》が|居《を》らぬと|便利《べんり》が|悪《わる》い。お|酒《さけ》の|酌《しやく》|一《ひと》つするにも、|男《をとこ》ばつかりでは|角《かど》ばつて|面白《おもしろ》くない。|併《しか》し|乍《なが》ら|清《きよ》サン、|照《てら》サンは|十人《じふにん》|並《なみ》|優《すぐ》れた|美《うつく》しい|女《をんな》、|折角《せつかく》|貰《もら》うた|婿《むこ》どのを|横取《よこどり》しられちや|大変《たいへん》だと|思《おも》つて、|伴《つ》れて|来《こ》なかつたが、|安心《あんしん》な|代《かは》りには|便利《べんり》が|悪《わる》いワイ。サアサアこれで|若《わか》うなつて|来《き》た。|化粧《けしやう》と|云《い》ふものは|偉《えら》いものだナア。|昔《むかし》から|女《をんな》は|化物《ばけもの》だと|云《い》ふが……われと|吾《わが》|手《て》に|見惚《みと》れる|様《やう》になつた。|如何《いか》に|色男《いろをとこ》の|高山彦《たかやまひこ》でも、|此《この》|姿《すがた》を|見《み》たら|飛《と》び|付《つ》くであらう。|現在《げんざい》|女《をんな》の|自分《じぶん》でさへも、|自分《じぶん》の|姿《すがた》に|見惚《みと》れるのだもの……ヤツパリ|霊魂《みたま》が|良《よ》いと|見《み》える。アーア|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。………コレコレ|常彦《つねひこ》……オツトドツコイ、コンナ|年《とし》の|寄《よ》つた|婆声《ばばごゑ》を|出《だ》しては|愛想《あいさう》を|尽《つ》かされてはならぬ。|端唄《はうた》や|浄瑠璃《じやうるり》で|鍛《きた》へて|置《お》いた|十七八《じふしちはち》の|娘《むすめ》の|声《こゑ》を|使《つか》はねばなるまい、……コレコレ|夏彦《なつひこ》、|用意《ようい》が|出来《でき》たよ。これ|夏彦《なつひこ》、|一寸《ちよつと》|此方《こちら》へお|越《こ》し』
|夏彦《なつひこ》『エツ、|何《なん》だ、|妙《めう》な|声《こゑ》がするぞ。|黒姫《くろひめ》さま、|何時《いつ》の|間《ま》にか|若《わか》い|照《てら》サン、|清《きよ》サンを|引《ひつ》ぱつて|来《き》たと|見《み》える。アンナ|別嬪《べつぴん》を|連《つ》れて|来《き》たら、|婿《むこ》を|横取《よこど》りに|仕《し》られて|了《しま》うがな……』
|黒姫《くろひめ》『コレコレ|夏彦《なつひこ》サン、|早《はや》う|来《き》なさらぬかいな』
|夏彦《なつひこ》『|婆《ばば》アと|違《ちが》うて、|娘《むすめ》の|声《こゑ》は|何処《どこ》ともなしに|気分《きぶん》が|好《よ》いワイ。|今晩《こんばん》|黒姫《くろひめ》と|高山彦《たかやまひこ》の|婆組《ばばぐみ》が|婚礼《こんれい》をする。|後《あと》は|照《てる》サンと|夏彦《なつひこ》サンの|婚礼《こんれい》だ。これ|丈《だけ》|沢山《たくさん》に|男《をとこ》も|居《を》るのに、あの|優《やさ》しい|声《こゑ》で|夏彦《なつひこ》サンと|言《い》ひやがるのは、|余《よ》つ|程《ぽど》|思召《おぼしめし》が|有《あ》ると|見《み》えるワイ。どうれ、|一《ひと》つ、|襟《えり》でも|直《なほ》して、お|目《め》に|掛《かか》らうかい』
|目《め》を|擦《こす》り、|鼻《はな》をほぜくり、|唇《くちびる》を|舐《な》め、|襟《えり》の|合《あは》せ|目《め》をキチンとし、|帯《おび》から|袴《はかま》まで|検《あらた》め、
『ヤアこれで|天晴《あつぱ》れ|色男《いろをとこ》だ……エツヘン』
|足音《あしおと》を|変《か》へ|乍《なが》ら、|稍《やや》|反《そ》り|返《かへ》りて、|色男然《いろをとこぜん》と|澄《す》まし|顔《がほ》、|一間《ひとま》の|障子《しやうじ》をガラリと|開《あ》け、
『|今《いま》お|呼《よ》びとめになつたのは、|照《てる》サンで|御座《ござ》いますか、|何用《なによう》で|御座《ござ》います……』
|黒姫《くろひめ》『お|前《まへ》は|夏彦《なつひこ》ぢやないか。|何《なん》ぢや|其《その》|済《す》ました|顔《かほ》は……|照《てる》サンぢやないかテ…|夜《よ》も|昼《ひる》も|照《てる》サンに……|照《てる》の|女《あま》に|現《うつつ》を|抜《ぬ》かしよつて、わしの|云《い》うた|事《こと》が|耳《みみ》へ|這入《はい》らぬのか』
|夏彦《なつひこ》『それでも|若《わか》い|女《をんな》の|声《こゑ》がしましたもの、|若《わか》い|女《をんな》と|言《い》へば、|今《いま》の|所《ところ》では|照《てる》サン、|清《きよ》サンより|無《な》いぢやありませぬか』
|黒姫《くろひめ》『|照《てる》や|清《きよ》は|真名井ケ岳《まなゐがだけ》の|隠《かく》れ|家《が》に|置《お》いてあるぢやないか。|何《なに》をとぼけて|居《ゐ》るのぢや。|黒姫《くろひめ》が|呼《よ》びたのですよ』
|夏彦《なつひこ》『ヘエー、|何《なん》と|若《わか》い|声《こゑ》が|出《で》るものですな』
|黒姫《くろひめ》『きまつた|事《こと》ぢや。|言霊《ことたま》の|練習《れんしふ》がしてあるから、|老爺《ぢい》の|声《こゑ》でも、|婆《ばば》の|声《こゑ》でも、|十七八《じふしちはち》の|女《をんな》の|声《こゑ》でも、|赤児《あかご》の|声《こゑ》でも、|鳶《とび》でも、|烏《からす》でも、|猫《ねこ》でも、|鼠《ねずみ》でも、|自由自在《じいうじざい》の|言霊《ことたま》が|使《つか》へるのですよ』
|夏彦《なつひこ》『ア、ハハー、さうですか、さうすると|今晩《こんばん》は、|鼠《ねずみ》の|鳴声《なきごゑ》を|聞《き》かして|貰《もら》はうと|儘《まま》ですな、アハヽヽヽ』
|黒姫《くろひめ》『エーエー|喧《やかま》しいワイ。|早《はや》うお|客《きやく》さまのお|相手《あひて》をして、それからソレ……レイの|用意《ようい》をするのよ』
|夏彦《なつひこ》『レイの|用意《ようい》だつて……|何《ど》の|事《こと》だか|分《わか》りませぬがなア』
|黒姫《くろひめ》『レイの|上《うへ》にコンが|付《つ》くのぢや。アタ|恥《はづか》しい。|良《い》い|加減《かげん》に|気《き》を|利《き》かしたらどうぢや』
|夏彦《なつひこ》『|霜《しも》|降《ふ》り|頭《あたま》に|黒《くろ》ン|坊《ばう》を|着《つ》けて、|鍋墨《なべずみ》の|様《やう》な|顔《かほ》に|白粉《おしろい》を|附《つ》けて、|華美《はで》な|着物《きもの》を|着《き》ると、ヤツパリ|浦若《うらわか》い|娘《むすめ》の|様《やう》な|気《き》になつて、|恥《はづ》かしうなるものかいなア。|恥《はづ》かしい|事《こと》と|言《い》つたら|知《し》らぬ|黒姫《くろひめ》ぢやと|思《おも》うて|居《を》つたのに、|流石《さすが》は|女《をんな》だ。|恥《はづ》かしいと|仰有《おつしや》る、アツハヽヽヽ』
|其処《そこ》へ|常彦《つねひこ》|現《あら》はれ|来《きた》り、
『|黒姫《くろひめ》|様《さま》、|万事《ばんじ》|万端《ばんたん》|用意《ようい》が|整《ととの》ひました。サアどうぞお|越《こ》し|下《くだ》さいませ』
|黒姫《くろひめ》はつと|立《た》ちあがり、|姿見鏡《すがたみ》の|前《まへ》に、|腰《こし》を|揺《ゆす》り、|尻《しり》を|叩《たた》き、|羽《はね》ばたきし|乍《なが》ら、|稍《やや》|空向気味《そらむきぎみ》になり、すまし|込《こ》み、|仕舞《しまひ》でも|舞《ま》う|様《やう》な|足附《あしつき》で、ソロリソロリと|婚礼《こんれい》の|間《ま》に|進《すす》み|行《ゆ》く。
|黒姫《くろひめ》、|高山彦《たかやまひこ》の|結婚式《けつこんしき》は|無事《ぶじ》に|終結《しうけつ》した。|三々九度《さんさんくど》の|盃《さかづき》、|神前《しんぜん》|結婚《けつこん》の|模様《もやう》|等《とう》は|略《りやく》しておきます。
|黒姫《くろひめ》は|結婚《けつこん》を|祝《しゆく》する|為《ため》、|長袖《ちやうしう》|淑《しと》やかに、|自《みづか》ら|歌《うた》ひ|自《みづか》ら|舞《ま》ふ。|日頃《ひごろ》|鍛《きた》へし|腕前《うでまへ》、|声調《せいてう》と|云《い》ひ、|身振《みぶ》りと|云《い》ひ、|足《あし》の|辷《すべ》り|方《かた》、|手《て》の|操《あやつ》り|方《かた》、|実《じつ》に|巧妙《かうめう》を|極《きは》め、|出色《しゆつしよく》のものなりける。
|黒姫《くろひめ》『【|色《いろ》は|匂《にほ》へど|散《ち》りぬるを】  【|吾《わ》が|世《よ》|誰《たれ》ぞ|常《つね》ならむ】
【|有為《うゐ》の|奥山《おくやま》|今日《けふ》|越《こ》えて】  【|浅《あさ》き|夢見《ゆめみ》しゑひもせず】
|昨日《きのふ》や【きやう】(|京《きやう》)の|飛鳥川《あすかがは》  |清《きよ》く|流《なが》れて|行末《ゆくすゑ》は
|善《よし》も|悪《あし》きも|浪速江《なにはえ》の  |綿帽子《わたばうし》|隠《かく》したツノ|国《くに》の
|春《はる》の|景色《けしき》に|紛《まが》ふなる  |花《はな》の|容顔《かんばせ》|月《つき》の|眉《まゆ》
|年《とし》は|幾《いく》つか|白雲《しらくも》の  |二八《にはち》の|春《はる》の|優姿《やさすがた》
|皺《しわ》は|寄《よ》つても|村肝《むらきも》の  |心《こころ》の|色《いろ》は|稚桜姫《わかざくらひめ》
|神《かみ》の|命《みこと》の|御教《みをしへ》を  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|畏《かしこ》みて
|仕《つか》へ|奉《まつ》りし|甲斐《かひ》ありて  |色香《いろか》つつしむ|一昔《ひとむかし》
|花《はな》は|紅《くれなゐ》、|葉《は》は|緑《みどり》  |手折《たを》り|難《がた》きは|高山彦《たかやまひこ》の
|空《そら》に|咲《さ》きたる|梅《うめ》の|花《はな》  |時節《じせつ》は|待《ま》たにやならぬもの
|天《てん》は|変《かは》りて|地《つち》となり  |地《つち》は|上《のぼ》りて|天《てん》となる
さしもに|高《たか》き|高山彦《たかやまひこ》の  |吾《わが》|背《せ》の|命《みこと》の|遅《おそ》ざくら
|手折《たを》る|今日《けふ》こそ|芽出度《めでた》けれ  |疳声《かんごゑ》|高《たか》き|高姫《たかひめ》の
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|口角《こうかく》を  |磨《みが》きすまして|泡《あわ》|飛《と》ばし
|宣《の》る|言霊《ことたま》も|水《みづ》の|泡《あわ》  アワぬ|昔《むかし》は|兎《と》も|角《かく》も
|会《あ》うた|此《この》|世《よ》の|嬉《うれ》しさは  |仮令《たとへ》|天地《てんち》が|変《かは》るとも
|替《か》へてはならぬ|妹《いも》と|背《せ》の  |嬉《うれ》しき|道《みち》の|此《この》|旅出《たびで》
|旅《たび》は|憂《う》いもの|辛《つら》いもの  |辛《つら》いと|言《い》つても|夫婦連《ふうふづれ》
|凩《こがらし》|荒《すさ》ぶ|山路《やまみち》も  |霜《しも》の|剣《つるぎ》を|抜《ぬ》きかざす
|浅茅ケ原《あさぢがはら》も|何《なん》のその  |夫婦《ふうふ》|手《て》に|手《て》を|取《と》りかわし
|互《たがひ》に|睦《むつ》ぶ|二人仲《ふたりなか》  |二世《にせ》の|夫《つま》とは|誰《た》が|言《い》うた
|五百世《いほせ》までも|夫婦《ふうふ》ぞと  |世《よ》の|諺《ことわざ》に|言《い》ふものを
|坊《ぼ》ツチヤン|育《そだ》ちの|緯役《よこやく》が  |世間《せけん》をミヅの|御霊《みたま》とて
|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を|言《い》ふ  |表《おもて》は|表《おもて》、|裏《うら》は|裏《うら》
|仮令《たとへ》|雪隠《せんち》の|水《みづ》つきと  |分《わか》らぬ|奴《やつ》が|吐《ほざ》くとも
|斯《こ》うなる|上《うへ》は|是非《ぜひ》もない  |雪隠《せんち》|千年《せんねん》|万年《まんねん》も
|浮世《うきよ》に|浮《う》いて|瓢箪《へうたん》の  |胸《むね》の|辺《あた》りに|締《し》めくくり
|縁《えにし》の|糸《いと》をしつかりと  |呼吸《いき》を|合《あは》して|結《むす》び|昆布《こぶ》
|骨《ほね》も|砕《くだ》けし|蛸入道《たこにふだう》  |烏賊《いか》に|世人《よびと》は|騒《さわ》ぐとも
|登《のぼ》り|詰《つ》めたは|吾《わが》|恋路《こひぢ》  |成就《じやうじゆ》|鯣《するめ》の|今日《けふ》の|宵《よひ》
|善《よ》いも|悪《わる》いも|門外漢《もんぐわいかん》の  |容喙《ようかい》すべき|事《こと》でない
|高山彦《たかやまひこ》の|吾《わが》|夫《つま》よ  |千軍万馬《せんぐんばんば》の|功《こう》を|経《へ》し
|苦労《くらう》に|苦労《くらう》を|重《かさ》ねたる  すべての|道《みち》にクロトなる
|此《この》|黒姫《くろひめ》と|末永《すえなが》く  |世帯《しよたい》|駿河《するが》の|富士《ふじ》の|山《やま》
|解《と》けて|嬉《うれ》しき|夏《なつ》の|雪《ゆき》  |白《しろ》き|肌《はだへ》を|露《あら》はして
|薫《かほ》り|初《そ》めたる|兄《こ》の|花《はな》の  |一度《いちど》に|開《ひら》く|楽《たの》しみは
|神伊弉諾《かむいざなぎ》の|大神《おほかみ》が  |妹《いも》の|命《みこと》と|諸共《もろとも》に
|天《あま》の|瓊矛《ぬぼこ》をかき|下《おろ》し  コヲロコヲロに|掻《か》き|鳴《な》して
|山河草木《やまかはくさき》|百《もも》の|神《かみ》  |生《う》み|出《い》でませし|其《その》|如《ごと》く
|汝《なれ》は|左《ひだり》へ|妾《わし》は|右《みぎ》  |右《みぎ》と|左《ひだり》の|呼吸《いき》|合《あは》せ
|明《あ》かす|誠《まこと》に|裏《うら》は|無《な》い  ウラナイ|教《けう》の|神《かみ》の|道《みち》
|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》の  |開《ひら》き|給《たま》ひし|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》も|今《いま》は|早《はや》  |瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|混《ま》ぜ|返《かへ》し
|穴有《あなあ》り|教《けう》となりにける  |愈《いよいよ》|是《こ》れから|比治山《ひぢやま》の
|峰《みね》の|続《つづ》きの|比沼真名井《ひぬまなゐ》  |豊国姫《とよくにひめ》の|現《あら》はれし
|珍《うづ》の|宝座《はうざ》を|蹂躙《じうりん》し  |誠《まこと》|一《ひと》つのウラナイの
|神《かみ》の|教《をしへ》を|永久《とことは》に  |夫婦《ふうふ》の|呼吸《いき》を|合《あは》せつつ
|立《た》てねば|置《お》かぬ|経《たて》の|教《のり》  |稚桜姫《わかざくらひめ》の|神《かみ》さへも
|花《はな》の|色香《いろか》に|踏《ふ》み|迷《まよ》ひ  |心《こころ》を|紊《みだ》して|散《ち》り|給《たま》ふ
|其《その》|古事《ふるごと》に|神習《かむなら》ひ  |此《この》|黒姫《くろひめ》も|慎《つつし》みて
|神《かみ》の|御跡《みあと》を|追《お》ひまつる  |五十路《いそぢ》の|坂《さか》を|越《こ》え|乍《なが》ら
|浮《う》いた|婆《ばば》アと|笑《わら》ふ|奴《やつ》  |世間《せけん》|知《し》らずの|間抜者《まぬけもの》
さはさり|乍《なが》ら|夏彦《なつひこ》よ  |岩高彦《いはたかひこ》よ|常彦《つねひこ》よ
|色々《いろいろ》|話《はなし》を|菊若《きくわか》よ  |妾《わらは》に|習《なら》つて|過《あやま》つな
|年《とし》を|老《と》つての|夫《をつと》|持《も》つ  |妾《わたし》は|深《ふか》い|因縁《いんねん》の
|綱《つな》にからまれ|是非《ぜひ》もなく  |神《かみ》の|御為《おんため》|国《くに》の|為《ため》
ウラナイ|教《けう》の|御為《おんため》に  |心《こころ》にもなき|夫《つま》を|持《も》つ
|陽気《やうき》|浮気《うはき》で|黒姫《くろひめ》が  コンナ|騒《さわ》ぎをするものか
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し  |善言美詞《ぜんげんびし》に|宣《の》り|直《なほ》し
|必《かなら》ず|悪口《わるくち》|言《い》ふでない  |後《あと》になつたら|皆《みな》|判明《わか》る
|神《かみ》の|奥《おく》には|奥《おく》が|有《あ》る  |其《その》|又《また》|奥《おく》には|奥《おく》がある
|昔《むかし》の|昔《むかし》のさる|昔《むかし》  マ|一《ひと》つ|昔《むかし》のまだ|昔《むかし》
まだも|昔《むかし》の|大昔《おほむかし》  |神《かみ》の|定《さだ》めた|因縁《いんねん》の
|魂《たま》と|魂《たま》との|真釣《まつ》り|合《あ》ひ  |晴《は》れて|扇《あふぎ》の|末《すゑ》|広《ひろ》く
|仰《あふ》げよ|仰《あふ》げ|神心《かみごころ》  |心《こころ》|一《ひと》つの|持《も》ちやうで
|此《この》|黒姫《くろひめ》の|言《い》ふ|事《こと》は  |善《ぜん》に|見《み》えたり|又《また》|悪《あく》に
|見《み》えて|居《を》るかも|知《し》れないが  |身魂《みたま》の|曇《くも》つた|人間《にんげん》が
|心《こころ》|驕《たか》ぶりツベコベと  |構《かま》ひ|立《だ》てをばするでない
|総《すべ》て|細工《さいく》は|流々《りうりう》ぢや  |仕上《しあ》げた|所《ところ》を|見《み》てお|呉《く》れ
|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》|性来《しやうらい》の  |大根本《だいこつぽん》の|根本《こつぽん》を
|知《し》つたる|神《かみ》は|外《ほか》に|無《な》い  |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》と
|定《さだ》まりきつた|高姫《たかひめ》や  |永《なが》らく|海《うみ》の|底《そこ》の|国《くに》
お|住居《すまゐ》なされた|竜宮《りうぐう》の  |乙姫《おとひめ》さまの|肉《にく》の|宮《みや》
|此《この》|黒姫《くろひめ》と|唯《ただ》|二人《ふたり》  |要《い》らぬ|屁理屈《へりくつ》|言《い》はぬもの
|心《こころ》も|清《きよ》きモチヅキの  |音《おと》に|耳《みみ》をば|澄《す》ましつつ
|三五《さんご》の|月《つき》の|清《きよ》らかな  |心《こころ》の|鏡《かがみ》をみがきあげ
ウラナイ|教《けう》の|御仕組《おんしぐみ》  |何《なに》も|言《い》はずに|見《み》て|御座《ござ》れ
|今《いま》は|言《い》ふべき|時《とき》でない  |言《い》はぬは|云《い》ふに|弥《いや》|勝《まさ》る
|高山彦《たかやまひこ》や|黒姫《くろひめ》の  |婚礼《こんれい》したのも|理由《わけ》がある
|人間心《にんげんごころ》で|因縁《いんねん》が  どうして|分《わか》らう|筈《はず》はない
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |此《この》|因縁《いんねん》は|人《ひと》の|身《み》の
|窺《うかが》ひ|知《し》らるる|事《こと》でない  |今《いま》に|五六七《みろく》の|世《よ》が|来《く》れば
|唯《ただ》|一厘《いちりん》の|神界《しんかい》の  |仕組《しぐみ》をあけて|見《み》せてやる
それ|迄《まで》|喧《やかま》しう|言《い》ふでない  |口《くち》を|慎《つつし》み、ギユツと|締《し》め
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》にとぼけたる  |訳《わけ》の|分《わか》らぬ|人民《じんみん》は
|高山彦《たかやまひこ》や|黒姫《くろひめ》の  |此《この》|結婚《けつこん》を|彼此《かれこれ》と
|口《くち》を|極《きは》めて|誹《そし》るだらう  |譏《そし》らば|誹《そし》れ、|言《い》はば|言《い》へ
|妾《わたし》の|心《こころ》は|神《かみ》ぞ|知《し》る  |神《かみ》の|御為《おんため》|国《くに》の|為《ため》
お|道《みち》の|為《ため》に|黒姫《くろひめ》が  |尽《つく》す|誠《まこと》を|逸早《いちはや》く
|世界《せかい》の|者《もの》に|知《し》らせたい  |吁《あゝ》、|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ  アヽ、|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
そろうて|酒《さけ》をば|飲《の》むがヨイ  ヨイヨイヨイトサア
ヨイトサノサツサ』
|黒姫《くろひめ》は|調子《てうし》に|乗《の》つて|踊《をど》り|狂《くる》ひ、|汗《あせ》をタラタラ|流《なが》し、|白粉《おしろい》をはがし、|顔一面《かほいちめん》|繩暖簾《なはのれん》を|下《さ》げたる|如《ごと》くなりにける。|高山彦《たかやまひこ》は|立《た》ちあがり、|祝歌《しゆくか》を|唄《うた》ふ。
『フサの|都《みやこ》に|生《うま》れ|出《い》で  |浮世《うきよ》の|風《かぜ》に|揉《も》まれつつ
|妻子《つまこ》を|捨《す》てて|遥々《はるばる》と  ウラナイ|教《けう》の|大元《おほもと》の
|北山村《きたやまむら》に|来《き》て|見《み》れば  |鼻高々《はなたかだか》と|高姫《たかひめ》が
|天地《てんち》の|道理《だうり》を|説《と》き|聞《き》かす  |支離滅裂《しりめつれつ》の|繰言《くりごと》を
|厭《いや》な|事《こと》ぢやと|耳《みみ》|押《おさ》へ  |三日《みつか》|四日《よつか》と|経《た》つ|内《うち》に
|腹《はら》の|虫《むし》|奴《め》が|何時《いつ》の|間《ま》か  グレツと|変《かは》つてウラナイの
|神《かみ》の|教《をしへ》が|面白《おもしろ》く  |聞《き》けば|聴《き》く|程《ほど》|味《あぢ》が|出《で》る
|牛《うし》に|牽《ひ》かれて|善光寺《ぜんくわうじ》  |爺《ぢ》サン|婆《ば》サンが|参《まゐ》る|様《やう》に
|何時《いつ》の|間《ま》にやらウラナイの  |教《をしへ》の|擒《とりこ》と|成《な》り|果《は》てて
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なの|水垢離《みづごうり》  |蛙《かはづ》の|様《やう》な|行《ぎやう》をして
|嬉《うれ》し|嬉《うれ》しの|日《ひ》を|送《おく》る  |盲《めくら》|聾《つんぼ》の|集《あつ》まりし
ウラナイ|教《けう》の|大元《おほもと》は  |目《め》あき|一人《ひとり》の|高山彦《たかやまひこ》が
|天津空《あまつそら》より|降《くだ》り|来《き》し  |天女《てんによ》の|様《やう》に|敬《うやま》はれ
|持《も》て|囃《はや》されて|高姫《たかひめ》の  |鋭《するど》き|眼鏡《めがね》に|叶《かな》うたか
|抜擢《ばつてき》されて|黒姫《くろひめ》が  |夫《つま》となれとの|御託宣《ごたくせん》
|断《ことわ》りするも|何《なん》とやら  |枯木《かれき》に|花《はな》も|咲《さ》くためし
|地獄《ぢごく》の|上《うへ》を|飛《と》ぶ|様《やう》に  |胆力《たんりよく》|据《す》ゑて|高姫《たかひめ》に
|承知《しようち》の|旨《むね》を|答《こた》ふれば  |高姫《たかひめ》さまも|雀躍《こをど》りし
これで|妾《わたし》も|安心《あんしん》と  |数多《あまた》の|家来《けらい》を|差《さ》しまわし
み|空《そら》を|翔《か》ける|磐船《いはふね》を  |数多《あまた》|準備《しつら》ひフサの|国《くに》ゆ
|唸《うな》りを|立《た》てて|中空《ちうくう》に  |思《おも》ひがけなき|高上《たかあが》り
|高山彦《たかやまひこ》や|低山《ひきやま》の  |空《そら》を|掠《かす》めて|渡《わた》り|来《く》る
|大海原《おほうなばら》の|島々《しまじま》も  |数多《あまた》|越《こ》えつつ|悠々《いういう》と
|風《かぜ》に|揺《ゆ》られて|下《お》り|来《きた》る  |由良《ゆら》の|湊《みなと》の|広野原《ひろのはら》
イヨイヨ|無事《ぶじ》に|着陸《ちやくりく》し  |虎若《とらわか》|富彦《とみひこ》|伴《ともな》ひて
|大江《おほえ》の|山《やま》を|探《さぐ》りつつ  |魔窟ケ原《まくつがはら》に|来《き》て|見《み》れば
|見渡《みわた》す|限《かぎ》り|銀世界《ぎんせかい》  |妻《つま》の|住家《すみか》は|何処《いづく》ぞと
|眼《まなこ》|白黒《しろくろ》|黒姫《くろひめ》の  |岩戸《いはと》を|守《まも》る|夏彦《なつひこ》が
|首《くび》から|先《さき》を|突出《つきだ》して  ヤア|婿《むこ》さまか|婿《むこ》さまか
|黒姫《くろひめ》さまのお|待兼《まちか》ね  |遠慮《ゑんりよ》は|要《い》らぬサア|早《はや》く
お|這入《はい》りなされと|先《さき》に|立《た》ち  |頭《あたま》を|隠《かく》して|段階《だんばしご》
ヒヨコリヒヨコリと|下《くだ》り|行《ゆ》く  |虎若《とらわか》、|富彦《とみひこ》|先《さき》に|立《た》ち
|高山彦《たかやまひこ》を|伴《とも》なひて  |内《うち》はホラホラ|岩窟《いはやど》に
|潜《くぐ》りて|見《み》れば|此《こ》は|如何《いか》に  |名《な》は|黒姫《くろひめ》と|聞《き》きつれど
|聞《き》きしに|違《たが》ふ|白《しろ》い|顔《かほ》  |夢《ゆめ》に|牡丹餅《ぼたもち》|食《く》た|様《やう》な
|嬉《うれ》しき|契《ちぎり》の|今日《けふ》の|宵《よひ》  |年《とし》は|二八《にはち》か|二九《にく》からぬ
|姿《すがた》|優《やさ》しき|此《この》ナイス  |幾久《いくひさ》しくも|末永《すゑなが》く
|鴛鴦《をし》の|衾《ふすま》の|睦《むつ》び|合《あ》ひ  |浮《う》きつ|沈《しづ》みつ|世《よ》を|渡《わた》る
|今日《けふ》の|結縁《かため》ぞ|楽《たの》しけれ  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |高山彦《たかやまひこ》と|黒姫《くろひめ》の
|妹背《いもせ》の|中《なか》は|何時《いつ》までも  いや|常永《とこしへ》に|変《かは》らざれ
|八洲《やしま》の|国《くに》は|広《ひろ》くとも  |女《をんな》の|数《かず》は|多《おほ》くとも
|女房《にようばう》にするは|唯《ただ》|一人《ひとり》  |神《かみ》の|結《むす》びし|此《この》|縁《えにし》
|睦《むつ》び|親《した》しむ|玉椿《たまつばき》  |八千代《やちよ》の|春《はる》を|迎《むか》へつつ
ウラナイ|教《けう》の|神《かみ》の|憲《のり》  |四方《よも》の|国々《くにぐに》|宣《の》り|伝《つた》へ
|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|神業《かむわざ》に  |仕《つか》へ|奉《まつ》りて|麗《うるは》しき
|尊《たふと》き|御代《みよ》を|弥勒《みろく》の|世《よ》  |弥勒三会《みろくさんゑ》の|暁《あかつき》の
|鐘《かね》は|鳴《な》るとも|破《わ》れるとも  |二人《ふたり》の|中《なか》は|変《かは》らまじ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|謡《うた》つて、|大《おほ》きな|図体《づうたい》をドスンとおろした|其《その》|機会《はづみ》に、|盃《さかづき》も、|徳利《とくり》も、|一二尺《いちにしやく》|飛《と》び|上《あが》り、|俄《にはか》に|舞踏《ぶたふ》を|演《えん》じ、|思《おも》はぬ|余興《よきよう》を|添《そ》へにける。|夏彦《なつひこ》は、くの|字《じ》に|曲《まが》つた|腰《こし》を、|三《み》つ|四《よ》つ|握《にぎ》り|拳《こぶし》にて|打《う》ち|乍《なが》ら、|土盃《かはらけ》を|右手《めて》に|捧《ささ》げ、オツチヨコチヨイのチヨイ|腰《ごし》になつて、|自《みづか》ら|謡《うた》ひ、|自《みづか》ら|踊《をど》り|始《はじ》めける。
『アヽ|芽出《めで》たい|芽出《めで》たいお|芽出《めで》たい  |年《とし》は|老《と》つても|色《いろ》の|道《みち》
|忘《わす》れられぬと|見《み》えまする  |娘《むすめ》や|孫《まご》のある|中《なか》に
|田舎《いなか》の|雪隠《せんち》の|水漬《みづつき》か  ババアが|浮《う》いてうき|散《ち》らし
|顔《かほ》に|白粉《おしろい》コテコテと  |雀《すずめ》のお|宿《やど》のお|婆《ば》アさま
|高《たか》い|山《やま》から|雄《を》ン|鳥《どり》を  |言葉《ことば》|巧《たくみ》に|誘《さそ》て|来《き》て
|言《い》ふな|言《い》ふなと|吾々《われわれ》の  |舌切雀《したきりすずめ》のお|芽出《めで》たさ
|夜《よ》さりも|昼《ひる》もチヨンチヨンと  |皺《しわ》のよつたる|機《はた》を|織《お》る
ハタの|見《み》る|目《め》は|堪《たま》らない  |雀《すずめ》|百《ひやく》までをンどりを
|忘《わす》れぬ|例《ためし》は|聞《き》いて|居《ゐ》る  |私《わし》も|男《をとこ》のはしぢやもの
|相手《あひて》が|欲《ほ》しい|欲《ほ》しいわいナ  |恋路《こひぢ》に|迷《まよ》うと|云《い》ふ|事《こと》は
|可愛《かわ》い|男《をとこ》に|米《おほやしま》[#米は米国]  |〓《しんにう》かけた|事《こと》ぢやげな
|図蟹《づがに》が|泡《あわ》を|福《ふく》の|神《かみ》  |恵比須《ゑべす》|大黒《だいこく》ニコニコと
|腹《はら》を|抱《かか》へて|踊《をど》り|出《だ》す  |弁天《べんてん》さまの|真似《まね》をして
|顔《かほ》コテコテと|撫塗《なづ》り|立《た》て  |月《つき》が|重《かさ》なりや|布袋腹《ほていばら》
|膨《ふく》れて|困《こま》るは|目《め》のあたり  それでも|私《わし》は|黙《だま》つてる
|長《なが》い|頭《あたま》の|寿老人《げほう》さま  |高山彦《たかやまひこ》を|婿《むこ》に|持《も》ち
まるビシヤモンを|叩《たた》き|付《つ》け  |上《うへ》を|下《した》への|大戦《おほいくさ》
|大洪水《だいこうずゐ》に|流《なが》されて  |天変地妖《てんぺんちえう》の|大騒動《おほさうどう》
|黒白《あやめ》も|分《わ》かぬ|暗《やみ》の|夜《よ》に  |思《おも》はぬ|地震《ぢしん》が|揺《ゆ》るであろ
|地震《ぢしん》|雷《かみなり》|火《ひ》の|車《くるま》  |変《かは》れば|変《かは》る|世《よ》の|中《なか》ぢや
|娘《むすめ》や|孫《まご》のある|人《ひと》が  |烏《からす》の|婿《むこ》に|鷹《たか》を|取《と》り
|目《め》を|光《ひか》らして|是《これ》からは  |天《あめ》が|下《した》なる|有象無象《うぞむぞ》を
|何《なん》の|容赦《ようしや》も|荒鷹《あらたか》の  |勢《いきほひ》|猛《たけ》き|山《やま》の|神《かみ》
|苦労《くらう》|重《かさ》なる|黒姫《くろひめ》の  |行末《ゆくすゑ》こそはお|芽出《めで》たい
あゝなつかしや|夏彦《なつひこ》の  |夢寐《むび》にも|忘《わす》れぬ|照《てる》さまは
どうして|御座《ござ》るか|比治山《ひぢやま》の  |黒姫《くろひめ》さまの|隠家《かくれが》に
|肱《ひぢ》を|枕《まくら》に|寝《ね》て|御座《ござ》ろ  アヽなつかしやなつかしや
|高山彦《たかやまひこ》や|黒姫《くろひめ》の  |今日《けふ》の|慶事《けいじ》を|見《み》るにつけ
|心《こころ》にかかるは|照《てる》さまの  |比治山峠《ひぢやまたうげ》の|独寝《ひとりね》ぢや
コンナ|所《ところ》を|見《み》せられて  |羨《け》なり|涙《なみだ》がポロポロと
|私《わし》は|零《こぼ》れて|来《き》たわいナ  アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
ホンに|叶《かな》はぬ|事《こと》ぢやわい  |叶《かな》はぬ|時《とき》の|神頼《かみだの》み
|比沼《ひぬ》の|真名井《まなゐ》の|神《かみ》さまに  |一《ひと》つ|願《ねが》ひを|掛《か》けて|見《み》よう
ウラナイ|教《けう》に|入《い》つてより  |早《はや》|十年《じふねん》になるけれど
|神《かみ》の|教《をしへ》の|信徒《まめひと》は  |女《をんな》に|眼《まなこ》|呉《く》れなよと
|高姫《たかひめ》さまや|黒姫《くろひめ》の  |何時《いつ》も|厳《きび》しきお|警告《いましめ》
それに|何《なん》ぞや|今日《けふ》は|又《また》  |黒姫《くろひめ》さまが|身《み》を|扮装《やつ》し
|天女《てんによ》の|様《やう》に|化《ば》けかはり  |返《かへ》り|咲《ざ》きとは|何《なん》の|事《こと》
|黒姫《くろひめ》さまが|口癖《くちぐせ》に  |裏《うら》と|表《おもて》がある|教《をしへ》
|奥《おく》の|奥《おく》には|奥《おく》があると  |言《い》うて|居《ゐ》たのは|此《この》|事《こと》か
|俺《おれ》はあンまり|神《かみ》さまに  |呆《はう》けて|居《を》つて|馬鹿《ばか》を|見《み》た
|馬鹿正直《ばかしやうぢき》の|夏彦《なつひこ》も  これから|心《こころ》を|改悪《かいあく》し
|今《いま》まで|堪《こら》へた|恋《こひ》の|道《みち》  |土手《どて》を|切《き》らしてやつて|見《み》る
サア|常彦《つねひこ》よ|岩高《いはたか》よ  |何時《いつ》も|話《はなし》を|菊若《きくわか》の
|若《わか》い|奴等《やつら》は|俺《おれ》の|後《あと》を  |慕《した》うて|出《で》て|来《こ》ひ|比治山《ひぢやま》の
|照《てる》さま、|清《きよ》さま|潜《ひそ》む|家《や》に  |肱鉄砲《ひぢてつぱう》を|覚悟《かくご》して
|訪《たづ》ねて|行《ゆ》かうサア|行《ゆ》かう  |高山彦《たかやまひこ》や|黒姫《くろひめ》の
|今日《けふ》の|結婚《けつこん》|済《す》みたなら  |私《わし》はお|暇《ひま》を|頂《いただ》かう
グヅグヅしてると|年《とし》が|老《よ》る  |若《わか》い|盛《さか》りは|二度《にど》とない
|皺苦茶爺《しわくちやぢぢ》イになつてから  |如何《いか》に|女房《にようばう》を|探《さが》しても
|適当《てきたう》な|奴《やつ》は|有《あ》りはせぬ  |時《とき》|遅《おく》れては|一大事《いちだいじ》
|花《はな》の|盛《さか》りの|吾々《われわれ》は  |今《いま》から|心《こころ》を|取直《とりなほ》し
|女房《にようばう》|持《も》つて|潔《いさぎよ》く  |体主霊従《たいしゆれいじう》の|有丈《ありたけ》を
|尽《つく》して|暮《くら》すが|一生《いつしやう》の  |各自《めいめい》の|得《とく》ぢやトツクリと
|思案《しあん》|定《さだ》めて|行《い》かうかいの  サアサ|往《い》かうではないかいナ
ドツコイシヨウ ドツコイシヨウ  ウントコドツコイ|黒姫《くろひめ》さま
ヤツトコドツコイ|高山彦《たかやまひこ》の  |長《なが》い|頭《あたま》のゲホウさま
ドツコイシヨのドツコイシヨ』
と|自暴自棄《やけくそ》になつて、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|不平《ふへい》を|漏《も》らし|躍《をど》り|狂《くる》ふ。|常彦《つねひこ》、|岩高《いはたか》、|菊若《きくわか》も、|夏彦《なつひこ》の|唄《うた》に|同意《どうい》を|表《へう》し、|杯《さかづき》を|投《な》げ、|燗徳利《かんどくり》を|破《わ》り、|什器《じふき》を|踏《ふ》み|砕《くだ》き、|酔《ゑひ》にまぎらし|乱痴気《らんちき》|騒《さわ》ぎに|其《その》|夜《よ》を|徹《あ》かしけるが、|流石《さすが》の|黒姫《くろひめ》も|結婚《けつこん》の|祝《いは》ひの|夜《よる》とて|一言《ひとこと》もツブやかず、|夏彦《なつひこ》|等《ら》が|乱暴《らんばう》をなす|儘《まま》に|任《まか》せ|居《ゐ》たりける。
|明《あ》くれば|正月《しやうぐわつ》|二十七日《にじふしちにち》、|黒姫《くろひめ》は、|高山彦《たかやまひこ》|其《その》|他《た》の|面々《めんめん》を|一間《ひとま》に|招《まね》き、|比沼《ひぬ》の|真名井《まなゐ》の|豊国姫《とよくにひめ》が|出現場《しゆつげんば》なる、|瑞《みづ》の|宝座《ほうざ》を|占領《せんりやう》せむことを|提議《ていぎ》し、|満場《まんぢやう》|一致《いつち》|可決《かけつ》の|結果《けつくわ》、|猫《ねこ》も|杓子《しやくし》も|脛腰《すねこし》の|立《た》つ|者《もの》|全部《ぜんぶ》を|引連《ひきつ》れ、|高山彦《たかやまひこ》は|駒《こま》に|跨《またが》り、|真名井ケ原《まなゐがはら》|指《さ》して|驀地《まつしぐら》に|進撃《しんげき》し、|茲《ここ》に|正月《しやうぐわつ》|二十八日《にじふはちにち》の|大攻撃《だいこうげき》を|開始《かいし》し、|青彦《あをひこ》、|加米彦《かめひこ》が|言霊《ことたま》に、|散々《さんざん》な|目《め》に|会《あ》ひ|散《ち》り|散《ぢ》りバラバラに、|再《ふたた》び|魔窟ケ原《まくつがはら》の|岩窟《がんくつ》に|引返《ひきかへ》し、|第二《だいに》の|作戦《さくせん》|計画《けいくわく》に|着手《ちやくしゆ》したりける。|嗚呼《ああ》、|黒姫《くろひめ》|一派《いつぱ》は|如何《いか》なる|手段《しゆだん》を|以《もつ》て、|真名井ケ原《まなゐがはら》の|聖場《せいぢやう》を|占領《せんりやう》せむとするにや。
(大正一一・四・二二 旧三・二六 松村真澄録)
第八章 |蚯蚓《みみず》の|囁《ささやき》〔六一九〕
|黒姫《くろひめ》、|高山彦《たかやまひこ》の|発議《はつぎ》により、|愈《いよいよ》|真名井ケ原《まなゐがはら》の|瑞《みづ》の|宝座《ほうざ》を|蹂躙《じうりん》し、あはよくば|占領《せんりやう》せむとの|計画《けいくわく》は|定《さだ》まつた。|黒姫《くろひめ》|夫婦《ふうふ》は|婚礼《こんれい》の|後片付《あとかたづけ》に|忙殺《ぼうさつ》を|極《きは》めて|居《ゐ》る。|三軍《さんぐん》の|将《しやう》と|定《きま》つた|夏彦《なつひこ》、|常彦《つねひこ》、|岩高《いはたか》、|菊若《きくわか》の|四人《よにん》は|入口《いりぐち》の|間《ま》に|胡坐《あぐら》をかき、|出発《しゆつぱつ》に|先《さき》だち|種々《いろいろ》の|不平談《ふへいだん》に|花《はな》を|咲《さ》かし|居《ゐ》たりける。
|常彦《つねひこ》『|人間《にんげん》と|云《い》ふものは|身勝手《みがつて》のものぢやないか、|石部金吉金兜《いしべきんきちかなかぶと》|押《お》しても|突《つ》いても|此《この》|信仰《しんかう》は|動《うご》かぬ、|神政成就《しんせいじやうじゆ》する|迄《まで》は|男《をとこ》のやうなものは|傍《そば》へも|寄《よ》せぬ、|三十珊《さんじふサンチ》の|大砲《たいはう》で|男《をとこ》と|云《い》ふ|男《をとこ》は|片端《かたつぱし》から|肱鉄砲《ひぢでつぱう》を|喰《く》はすのだ、お|前達《まへたち》も|神政成就《しんせいじやうじゆ》|迄《まで》は|若《わか》いと|云《い》うても|決《けつ》して|女《をんな》などに|目《め》を|呉《く》れてはならぬぞ、|若《わか》い|者《もの》が|女《をんな》に|目《め》を|呉《く》れるやうな|事《こと》では|神界《しんかい》の|経綸《しぐみ》が|成就《じやうじゆ》せぬと、|明《あ》けても|暮《く》れても|口癖《くちぐせ》のやうに、|長《なが》い|煙管《きせる》をポンと|叩《たた》いて|皺苦茶面《しわくちやづら》をして、|厳《きび》しいお|説教《せつけう》を|始《はじ》めて|御座《ござ》つたが、|昨夜《ゆうべ》の|態《ざま》つたら|見《み》られたものぢやない、|雪達磨《ゆきだるま》がお|天道様《てんだうさま》の|光《ひかり》に|解《と》けたやうに、|相好《さうがう》を|崩《くづ》しよつて、「モシ|高山彦《たかやまひこ》の|吾《わが》|夫様《つまさま》」ナンテ、|団栗眼《どんぐりまなこ》を|細《ほそ》うしよつて|何《なに》を|吐《ぬか》しよつたやら、|訳《わけ》の|分《わか》つたものぢやない、|俺《おれ》やもう|嫌《いや》になつて|仕舞《しま》つたワ』
|岩高《いはたか》『|定《きま》つた|事《こと》ぢや、|女《をんな》に|男《をとこ》はつきものだ。|茶碗《ちやわん》に|箸《はし》、|鑿《のみ》に|槌《つち》、|杵《きね》に|臼《うす》、|何《なん》と|云《い》つたつて|此《この》|世《よ》の|中《なか》は|男女《だんぢよ》が|揃《そろ》はねば|物事《ものごと》|成就《じやうじゆ》せぬのだ、|二本《にほん》の|手《て》と|二本《にほん》の|足《あし》とがあつて|人間《にんげん》は|自由自在《じいうじざい》に|働《はたら》けるやうなものだ、|三十後家《さんじふごけ》は|立《た》つても|四十後家《しじふごけ》は|立《た》たぬと|云《い》ふ|事《こと》があるぢやないか』
|常彦《つねひこ》『|四十後家《しじふごけ》なら|仕方《しかた》が|無《な》いが|彼奴《あいつ》は|五十後家《ごじふごけ》ぢやないか、コレコレ|常《つね》さま、お|前《まへ》は|因縁《いんねん》の|身霊《みたま》ぢやによつて、|何《ど》うしても|三十《さんじふ》になるまで|女房《にようばう》を|持《も》つてはいけませぬぞえ、|人間《にんげん》は|三十《さんじふ》にして|立《た》つと|云《い》ふ|事《こと》があるなぞと|云《い》よるが、|此《この》|時節《じせつ》に|三十《さんじふ》にして|立《た》つ|奴《やつ》は|碌《ろく》なものぢやない、|俺等《おれら》は|既《すで》に|既《すで》に|十六七《じふろくしち》から|立《た》つて|居《ゐ》るのぢや、|今《いま》|思《おも》うと|立《た》つものは|腹《はら》ばかりぢや』
|夏彦《なつひこ》『|貴様等《きさまら》は|何《なに》を|下《くだ》らぬ|事《こと》を|云《い》うて|居《ゐ》るのだ、|高姫《たかひめ》さまだつて|余《あま》り|大《おほ》きな|声《こゑ》では|云《い》はれぬが、|何々《なになに》と|何々《なになに》し、|又《また》|○○《まるまる》と|○○《まるまる》し、|夫《それ》は|夫《それ》は|口《くち》でこそ|立派《りつぱ》に|道心堅固《だうしんけんご》のやうに|云《い》うて|居《ゐ》るが、|口《くち》と|心《こころ》と|行《おこな》ひの|揃《そろ》つた|奴《やつ》はウラナイ|教《けう》には|一匹《いつぴき》もありやしないワ、|俺《おれ》も|魔我彦《まがひこ》や、|蠑〓別《いもりわけ》や|高姫《たかひめ》に|限《かぎ》つてソンナ|事《こと》はあるまい、|言行心《げんかうしん》|一致《いつち》だと|初《はじめ》の|程《ほど》は|信《しん》じて|居《ゐ》たが、|此《こ》の|頃《ごろ》は|何《ど》うやら|怪《あや》しくなつて|来《き》たやうだ、|本当《ほんたう》に|気張《きば》る|精《せい》も|無《な》くなつて|了《しま》つた。|今迄《いままで》は|二《ふた》つ|目《め》には|黒姫《くろひめ》の|奴《やつ》、|夏彦《なつひこ》|何《ど》うせう、|常彦《つねひこ》|何《ど》うせう、|岩高《いはたか》、|菊若《きくわか》、|斯《か》うしたら|好《よ》からうかなアと|吐《ぬか》しよつて、|一《いち》から|十《じふ》|迄《まで》、ピンからキリ|迄《まで》|相談《さうだん》をかけたものだが、|昨日《きのふ》から|天候《てんこう》|激変《げきへん》、ケロリと|吾々《われわれ》を|念頭《ねんとう》から|磨滅《まめつ》しよつて、|箸《はし》の|倒《こ》けた|事《こと》まで、ナアもし|高山彦《たかやまひこ》さま、これもしこちの|人《ひと》、|何《ど》うしませう、|斯《か》うした|方《はう》が|宜敷《よろし》くは|御座《ござ》いますまいかと、|皺面《しわづら》にペツタリコと|白《しろ》いものをつけよつて、|田螺《たにし》のやうな|歯《は》を|剥《む》き|出《だ》し、|酒《さけ》|許《ばか》り|飲《くら》ひよつて、|俺達《おれたち》には|一《ひと》つ|飲《の》めとも|云《い》ひよりやせむ、かう|天候《てんこう》が|激変《げきへん》すると|何時《いつ》|俺達《おれたち》の|頭《あたま》の|上《うへ》に|雷鳴《らいめい》が|轟《とどろ》き、|暴風《ばうふう》が|襲来《しふらい》するか|分《わか》つたものぢやない、|俺《おれ》はホトホトウラナイ|教《けう》の|真相《しんさう》が|分《わか》つて|愛想《あいさう》が|尽《つ》きたよ。|今更《いまさら》|三五教《あななひけう》へ|入信《はいら》うと|云《い》つた|所《ところ》で、|力《ちから》|一《いつ》ぱい|高姫《たかひめ》や|黒姫《くろひめ》の|言葉《ことば》の|尻《しり》について、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|悪口雑言《あくこうざふごん》をふれ|廻《まは》して|来《き》たものだから、どうせ|三五教《あななひけう》の|連中《れんちう》の|耳《みみ》へ|入《はい》つて|居《ゐ》るに|違《ちが》ひない、さうすれば|三五教《あななひけう》へ|入信《はい》る|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、ウラナイ|教《けう》に|居《ゐ》ても|面白《おもしろ》くはなし、|厄介者《やつかいもの》|扱《あつかひ》のやうな|態度《たいど》を|見《み》せられ、|苦《くる》しい|方《はう》へ|許《ばか》り|廻《まは》されて|本当《ほんたう》に|珠算盤《そろばん》があはぬぢやないか、|何時迄《いつまで》もコンナ|事《こと》をして|居《ゐ》ると|身魂《みたま》の|身代限《しんだいかぎり》をしなくてはならぬやうになつて|了《しま》ふ、|今《いま》の|中《うち》に|各自《めいめい》に|身魂《みたま》の|土台《どだい》を|確《しつか》り|固《かた》めて|置《お》かうではないか。よい|程《ほど》|扱《こ》き|使《つか》はれて|肝腎《かんじん》の|時《とき》になつてから、お|前《まへ》は|何《ど》うしても|改心《かいしん》が|出来《でき》ぬ、|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》が|悪《わる》いナンテ|勝手《かつて》な|理屈《りくつ》を|云《い》つてお|払《はら》ひ|箱《ばこ》にせられては|約《つま》らぬぢやないか』
|常彦《つねひこ》『それやさうだ。|高姫《たかひめ》は|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《ひつぱう》ぢやと|聞《き》いた|許《ばか》りに、|変性女子《へんじやうによし》の|身魂《みたま》より|余程《よほど》|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》だと|思《おも》うて|今迄《いままで》ついて|来《き》たのだ。|併《しか》し|日《ひ》の|出神《でのかみ》もよい|加減《かげん》なものだ。|各自《めいめい》ウラナイ|教《けう》|脱退《だつたい》の|覚悟《かくご》をしやうではないか』
|菊若《きくわか》『オイ、ソンナ|大《おほ》きな|声《こゑ》で|云《い》うと|奥《おく》へ|聞《きこ》えるぞ、|静《しづか》にせぬかい』
|夏彦《なつひこ》『ナニ、|今日《けふ》は|何程《なにほど》|大《おほ》きな|声《こゑ》で|云《い》つたところで|俺達《おれたち》の|声《こゑ》は|黒姫《くろひめ》の|耳《みみ》に|入《はい》るものか、|耳《みみ》へ|入《はい》るものは|高山彦《たかやまひこ》の|声《こゑ》|許《ばか》りだ、|俺達《おれたち》の|声《こゑ》が|耳《みみ》に|入《はい》る|程《ほど》|注意《ちうい》を|払《はら》つて|呉《く》れる|程《ほど》|親切《しんせつ》があるなら、もとよりコンナ|問題《もんだい》は|提起《ていき》しないのぢや、|乞食《こじき》の|虱《しらみ》ぢやないが|口《くち》の|先《さき》で|俺達《おれたち》を|旨《うま》く|殺《ころ》しよつて、|今迄《いままで》|旨《うま》く|使《つか》つて|居《ゐ》たのだ、|随分《ずゐぶん》|気《き》に|入《い》つたと|見《み》え、|枯《か》れて|松葉《まつば》の|二人連《ふたりづれ》、|虱《しらみ》の|卵《たまご》ぢやないが|彼奴《あいつ》ア|死《し》ンでも|離《はな》れつこは|無《な》いぞ、アハヽヽヽ』
|岩高《いはたか》『|併《しか》し、そろそろ|真名井ケ嶽《まなゐがだけ》に|出発《しゆつぱつ》の|時刻《じこく》が|近《ちか》よつて|来《き》たが、お|前達《まへたち》は|出陣《しゆつじん》する|考《かんが》へか』
|夏彦《なつひこ》『|否《いや》と|云《い》つたつて|仕方《しかた》が|無《な》いぢやないか、ウラナイ|教《けう》に|居《ゐ》る|以上《いじやう》は|否《いや》でも|応《おう》でも|出陣《しゆつじん》せねばなるまい、|併《しか》しながら|根《ね》つから|葉《は》つから|気乗《きのり》がしなくなつて|来《き》た、|仕方《しかた》が|無《な》いから|形式的《おじやうもく》に|出陣《しゆつぢん》し、|態《わざ》と|三五教《あななひけう》に|負《ま》けて|逃《に》げてやらうぢやないか、さうすれば|黒姫《くろひめ》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|高姫《たかひめ》もちつとは|胸《むね》に|手《て》を|当《あ》てて|考《かんが》へるだらう、|高山彦《たかやまひこ》だつて|愛想《あいさう》をつかして|黒姫《くろひめ》を|捨《す》てて|去《い》ぬかも|知《し》れぬぞ。|今《いま》こそ|花婿《はなむこ》が|来《き》たのだと|思《おも》つて|上品《じやうひん》ぶつて、|大《おほ》きな|鰐口《わにぐち》を|無理《むり》におちよぼ|口《ぐち》をしやがつて、|高尚《かうしやう》らしく|見《み》せて|居《ゐ》るが、|暫《しばら》くすると|地金《ぢがね》を|出《だ》して、|又《また》|女《をんな》だてら|大勢《おほぜい》の|中《なか》で、サイダーやビールの|喇叭飲《らつぱの》みをやらかすやうになるのは|定《きま》つてゐる。|鍍金《めつき》した|金属《きんぞく》が|何時迄《いつまで》も|剥《は》げぬ|道理《だうり》はない、|俺達《おれたち》もウラナイ|教《けう》の|信者《しんじや》と|云《い》ふ|鍍金《めつき》を|今迄《いままで》|塗《ぬ》つて|居《ゐ》たが、もう|耐《たま》らなくなつて、そろそろ|剥《は》げかけたぢやないか、アハヽヽヽ』
|斯《かか》る|所《ところ》へ|虎若《とらわか》と|富彦《とみひこ》の|両人《りやうにん》|現《あら》はれ|来《きた》り、
|虎《とら》、|富《とみ》『ヤア|四天王《してんわう》の|大将方《たいしやうがた》、|高山彦《たかやまひこ》、|黒姫《くろひめ》|様《さま》の|御命令《ごめいれい》で|御座《ござ》る、|一時《いちじ》も|早《はや》く|真名井ケ原《まなゐがはら》に|向《むか》つて|出陣《しゆつじん》の|用意《ようい》めされ』
と|云《い》ひ|捨《す》てて|此《この》|場《ば》を|急《いそ》ぎ|立《た》ち|去《さ》りにけり。
|夏彦《なつひこ》『エヽ|何《なん》だ、|馬鹿《ばか》にしてゐる。|昨日《きのふ》|来《き》た|許《ばか》りの|虎若《とらわか》、|富彦《とみひこ》を|使《つか》つて|吾々《われわれ》に|命令《めいれい》を|伝《つた》へるナンテ、あまり|吾々《われわれ》を|軽蔑《けいべつ》し|過《す》ぎて|居《を》るぢやないか、|如何《いか》に|気《き》に|入《い》つた|高山彦《たかやまひこ》の|連《つ》れて|来《き》た|家来《けらい》ぢやと|云《い》つて、|古参者《こさんしや》の|吾々《われわれ》を|放《ほ》つて|置《お》き|勝手《かつて》に|新参者《しんざんもの》に|命令《めいれい》を|下《くだ》し、|吾々《われわれ》を|一段下《いちだんした》に|下《おろ》しよつたな、これだから|好《よ》い|加減《かげん》に|見切《みき》らねばならぬと|云《い》ふのだよ』
|常彦《つねひこ》『アヽ、|仕方《しかた》がない、|兎《と》も|角《かく》も|形式《けいしき》なりと|出陣《しゆつぢん》する|事《こと》にしやうかい』
|黒姫《くろひめ》は|突然《とつぜん》|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれて、
『これこれ|夏彦《なつひこ》、|常彦《つねひこ》、お|前《まへ》|今《いま》|何《なに》を|云《い》つてゐらしたの』
|常彦《つねひこ》『ハイ、|真名井ケ嶽《まなゐがだけ》に|出陣《しゆつぢん》の|用意《ようい》をしやうと|申《まをし》て|居《を》りました』
|黒姫《くろひめ》『それは|御苦労《ごくらう》ぢやつたが、|其《その》|次《つぎ》を|聞《き》かして|下《くだ》さい、|其《その》|次《つぎ》は|何《なん》と|仰《おつしや》つた』
|常彦《つねひこ》『ハイハイ、|次《つぎ》は|矢張《やはり》|其《その》|次《つぎ》で|御座《ござ》いますナ』
|黒姫《くろひめ》『|天《てん》に|口《くち》あり、|壁《かべ》に|耳《みみ》と|云《い》ふ|事《こと》をお|前達《まへたち》は|知《し》らぬか、|最前《さいぜん》から|四人《よにん》の|話《はなし》を|初《はじ》めから|終《しまひ》|迄《まで》、|次《つぎ》の|間《ま》に|隠《かく》れて|聞《き》いて|居《を》りました。|随分《ずゐぶん》|高山《たかやま》さまや|黒姫《くろひめ》の|事《こと》を|褒《ほ》めて|下《くだ》さつたな』
|四人《よにん》|一時《いちじ》に|頭《あたま》を|掻《か》いて、
『イヤ|何《なに》|滅相《めつさう》も|御座《ござ》いませぬ、つい|酒《さけ》に|酔《よ》うて|口《くち》が|辷《すべ》りました、どうぞ|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》して|下《くだ》さいませ』
『お|前《まへ》|酔《よ》うたと|云《い》ふが、|何時《いつ》|酒《さけ》を|飲《の》みたのだい』
|夏彦《なつひこ》『ハイ、|酒《さけ》を|飲《の》みたのは|貴女《あなた》と|高山《たかやま》さまと|祝言《しうげん》の|杯《さかづき》をなされました|時《とき》……ぢやから|其《その》|為《ため》に|酔《ゑい》が|廻《まは》つてつい|脱線《だつせん》|致《いた》しました』
|黒姫《くろひめ》『|馬鹿《ばか》な|事《こと》を|云《い》ひなさるな、|酒《さけ》も|飲《の》まぬに|酔《ゑい》が|廻《まは》り、|管捲《くだま》く|奴《やつ》が|何処《どこ》にあるものか、それやお|前達《まへたち》、|本真剣《ほんしんけん》で|云《い》つたのだらう、サアサアウラナイ|教《けう》はお|前《まへ》さま|達《たち》のやうな|没分暁漢《わからずや》に|居《ゐ》て|貰《もら》へば|邪魔《じやま》になる、サアサア|今日《けふ》|限《かぎ》り|何処《どこ》へなりと|行《い》つて|下《くだ》さい。エイエイ、お|前達《まへたち》の【しやつ】|面《つら》を|見《み》るのも|汚《けが》らはしい』
|夏彦《なつひこ》『そらさうでせう、|好《す》きな|顔《かほ》が|目《め》の|前《まへ》にちらついて|来《き》たものだから、|吾々《われわれ》の【しやつ】|面《つら》は|見《み》るのも|嫌《いや》になりましただらう』
|黒姫《くろひめ》『エヽ|入《い》らぬ|事《こと》を|云《い》ひなさるな、サアとつとと|去《い》んだり|去《い》んだり、ウラナイ|教《けう》では|暇《ひま》を|出《だ》され、|三五教《あななひけう》では|肱鉄《ひぢてつ》を|食《く》はされ、|野良犬《のらいぬ》のやうに|彼方《あつち》にうろうろ、|此方《こつち》にうろうろ、|終《しまひ》には|棍棒《こんぼう》で|頭《あたま》の|一《ひと》つも|撲《くら》はされて、キヤンキヤンと|云《い》うて|又《また》|元《もと》のウラナイ|教《けう》に|尾《を》を|振《ふ》つて|帰《かへ》つて|来《こ》ねばならぬやうにならねばならぬ|事《こと》は|見《み》え|透《す》いて|居《ゐ》るわ、ウラナイ|教《けう》の|太元《おほもと》の|大橋《おほはし》|越《こ》えてまだ|先《さき》に|行方《ゆくへ》|分《わか》らず|後戻《あともど》り、|慢心《まんしん》すると|其《その》|通《とほ》り、|白米《しらが》に|籾《もみ》の|混《まじ》つたやうに、|謝罪《あやま》つて|帰《かへ》つて|来《き》ても|隅《すみ》の|方《はう》に|小《ちひ》さくなつて|居《ゐ》るのを|見《み》るのが|気《き》の|毒《どく》ぢや、|今《いま》の|中《うち》に|改心《かいしん》をしてこの|黒姫《くろひめ》の|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》きなされ、|黒姫《くろひめ》は|口《くち》でかう|厳《きび》しく|云《い》つても、|心《こころ》の|中《なか》は、|花《はな》も|実《み》もある|誠一途《まこといちづ》の|情深《なさけぶか》い|性来《しやうらい》ぢや、|誠《まこと》|生粋《きつすゐ》の|水晶玉《すいしやうだま》の|選《え》り|抜《ぬ》きの|日本魂《やまとだましひ》の|持主《もちぬし》ぢやぞえ、サアどうぢや、|確《しつか》り|返答《へんたふ》しなさい、|夏彦《なつひこ》の|昨夜《ゆうべ》の|歌《うた》は|何《なん》ぢや、|目出度《めでた》い|時《とき》だと|思《おも》うて|辛抱《しんばう》して|居《を》れば|好《よ》い|気《き》になつて|悪口《わるくち》たらだら、|大抵《たいてい》の|者《もの》だつたらあの|時《とき》に|摘《つま》み|出《だ》して|仕舞《しま》ふのぢやけれど、|神様《かみさま》のお|道《みち》の|誠《まこと》の|奥《おく》を|悟《さと》つた|此《この》|黒姫《くろひめ》は、|心《こころ》が|広《ひろ》いから|松《まつ》|吹《ふ》く|風《かぜ》と|聞《き》き|流《なが》して|許《ゆる》して|居《ゐ》たのだ、それに|又《また》もや|四人《よにん》の|大将株《たいしやうかぶ》が|燕《つばめ》の|親方《おやかた》のやうに|知《し》らぬ|者《もの》の|半分《はんぶん》も|知《し》らぬ|癖《くせ》に|何《なに》を|云《い》ふのだい。お|前達《まへたち》に|誠《まこと》の|神《かみ》の|大御心《おほみこころ》が|分《わか》つて|耐《たま》るものか、|知《し》らにや|知《し》らぬで|黙言《だま》つて|居《ゐ》なさい』
|夏彦《なつひこ》『ハイハイ、|誠《まこと》に|申訳《まをしわけ》がありませぬ、|何卒《どうぞ》|今度《こんど》に|限《かぎ》り|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》して|下《くだ》さいませ』
|黒姫《くろひめ》『|此《この》|度《たび》に|限《かぎ》つて|許《ゆる》して|置《お》く、|此《この》|後《ご》に|於《おい》て、|一口《ひとくち》でも|半口《はんくち》でも、|高山《たかやま》さまや|黒姫《くろひめ》の|事《こと》を|云《い》はうものなら、|夫《それ》こそ|叩《たた》き|払《ばらひ》にするからさう|思《おも》ひなさい、サアサア|常彦《つねひこ》、|菊若《きくわか》、|岩高《いはたか》|愈《いよいよ》|出陣《しゆつぢん》の|用意《ようい》だ、|高山彦《たかやまひこ》の|御大将《おんたいしやう》はもはや|出陣《しゆつぢん》の|準備《じゆんび》が|整《ととの》うたぞへ』
|四人《よにん》|一度《いちど》に、
『ハイ|確《たしか》に|承知《しようち》|仕《つかまつ》りました』
|茲《ここ》に|黒姫《くろひめ》、|高山彦《たかやまひこ》は|一族《いちぞく》|郎党《らうたう》を|集《あつ》め、|旗鼓堂々《きこだうだう》と|真名井ケ原《まなゐがはら》に|向《むか》つて|進撃《しんげき》したが、|加米彦《かめひこ》、|青彦《あをひこ》の|言霊《ことたま》に|脆《もろ》くも|打《う》ち|破《やぶ》られ、|蜘蛛《くも》の|子《こ》を|散《ち》らすが|如《ごと》く|四方《しはう》に|散乱《さんらん》したりけり。
ウラナイ|教《けう》の|鍵鑰《けんやく》を|握《にぎ》つて|居《ゐ》た|黒姫《くろひめ》の|部下《ぶか》|四天王《してんわう》と|頼《たの》みたる|夏彦《なつひこ》、|岩高《いはたか》、|菊若《きくわか》、|常彦《つねひこ》の|閣僚《かくれう》は|黒姫《くろひめ》|結婚《けつこん》|以来《いらい》|上下《じやうげ》の|統一《とういつ》を|欠《か》ぎ、|自然《しぜん》|三五教《あななひけう》に|向《むか》つて|其《その》|思想《しさう》は|暗遷黙移《あんせんもくい》しつつありき。|其《そ》の|為《た》め、|折角《せつかく》の|真名井ケ原《まなゐがはら》の|攻撃《こうげき》も|味方《みかた》の|四天王《してんわう》より|故意《わざ》と|崩解《ほうかい》し、|黒姫《くろひめ》が|神力《しんりき》を|籠《こ》めたる|神算鬼謀《しんさんきぼう》の|作戦《さくせん》|計画《けいくわく》も|殆《ほとん》ど|画餅《ぐわべい》に|帰《き》し|終《をは》りたるなりき。|嗚呼《ああ》|人心《じんしん》を|収攪《しうらん》せむとするの|難《かた》き、|到底《たうてい》|巧言令色《こうげんれいしよく》|権謀術数《けんぼうじゆつすう》|等《とう》の|虚偽《きよぎ》|行動《かうどう》をもつて|左右《さいう》すべからざるを|知《し》るに|足《た》る。|之《これ》に|反《はん》して|三五教《あななひけう》は|一《ひと》つの|包蔵《はうざう》もなく|手段《しゆだん》もなく、|唯々《ただただ》|至誠《しせい》|至実《しじつ》をもつて|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》し、ミロクの|精神《せいしん》を|惟神的《かむながらてき》に|発揮《はつき》するのみ。されば|人心《じんしん》は|期《き》せずして|三五教《あななひけう》に|集《あつ》まり、|日《ひ》に|夜《よ》に|其《その》|数《かず》を|増加《ぞうか》し、|何時《いつ》とはなしに|天下《てんか》の|大勢力《だいせいりよく》となりぬ。ウラナイ|教《けう》は|広《ひろ》い|大八洲国《おほやしまくに》に|於《おい》て|直接《ちよくせつ》に|信徒《しんと》を|集《あつ》めたるもの|唯《ただ》|一人《ひとり》もなく、|唯々《ただただ》|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》したる|未熟《みじゆく》の|信者《しんじや》に|対《たい》し、|巧言令色《こうげんれいしよく》をもつて|誘引《いういん》し、|且《か》つ|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《けいとう》より|出《い》でたる|高姫《たかひめ》を|唯一《ゆゐいつ》の|看板《かんばん》となし|世《よ》を|欺《あざむ》くのみにして、|根底《こんてい》の|弱《よわ》き|事《こと》、|砂上《さじやう》に|建《た》てたる|楼閣《ろうかく》の|如《ごと》く、|其《その》|剥脱《はくだつ》し|易《やす》き|事《こと》|炭団《たどん》に|着《き》せたる|金箔《きんぱく》の|如《ごと》く、|豆腐《とうふ》の|如《ごと》く、|一《ひと》つの|要《かなめ》もなく|唯《ただ》|弁《べん》に|任《まか》し|表面《へうめん》を|糊塗《こと》するのみ、|其《その》|説《と》く|所《ところ》|恰《あたか》も|売薬屋《ばいやくや》の|効能書《かうのうがき》の|如《ごと》く、|名《な》のみあつて|其《その》|実《じつ》なく、|有名無実《いうめいむじつ》、|有害無益《いうがいむえき》の|贅物《ぜいぶつ》とは、|所謂《いはゆる》ウラナイ|教《けう》の|代名詞《だいめいし》であらうと|迄《まで》|取沙汰《とりざた》されけり。されど|執拗《しつえう》なる|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》は|少《すこ》しも|屈《くつ》せず……|女《をんな》の|一心《いつしん》|岩《いは》でも|突貫《つきぬ》く、|非《ひ》が|邪《じや》でも|邪《じや》が|非《ひ》でも|仮令《たとへ》|太陽《たいやう》|西天《せいてん》より|昇《のぼ》る|世《よ》ありとも、|一旦《いつたん》|思《おも》ひ|詰《つ》めたる|心《こころ》の|中《うち》の|決心《けつしん》は、|幾千万度《いくせんまんたび》|生《うま》れ|代《かは》り|死代《しにかは》り|生死《せいし》|往来《わうらい》の|旅《たび》を|重《かさ》ぬるとも、いつかないつかな|摧《くぢ》けてならうか……との|大磐石心《だいばんじやくしん》、|固《かた》まりきつた|女《をんな》の|片意地《かたいぢ》、|張合《はりあひ》もなき|次第《しだい》なり。
|黒姫《くろひめ》は|力《ちから》と|頼《たの》む|青彦《あをひこ》の|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》せし|事《こと》を|日夜《にちや》に|惜《をし》み、|如何《いか》にもして|再《ふたた》びウラナイ|教《けう》の|謀主《ぼうしゆ》たらしめむと、|千思万慮《せんしばんりよ》の|結果《けつくわ》、フサの|国《くに》より|高山彦《たかやまひこ》に|従《したが》ひ|来《きた》れる|虎若《とらわか》、|富彦《とみひこ》に|命《めい》じ、|青彦《あをひこ》が|日夜《にちや》に|念頭《ねんとう》を|離《はな》れざるお|節《せつ》を|説《と》きつけ、お|節《せつ》より|青彦《あをひこ》が|信仰《しんかう》を|落《おと》させむものと|肝胆《かんたん》を|砕《くだ》きつつありける。
(大正一一・四・二二 旧三・二六 加藤明子録)
第九章 |大逆転《だいぎやくてん》〔六二〇〕
|比沼《ひぬ》の|真名井ケ原《まなゐがはら》に|現《あら》はれ|給《たま》ふ|豊国姫《とよくにひめ》の|瑞《みづ》の|宝座《ほうざ》に|詣《まう》でたる|平助《へいすけ》|親子《おやこ》|三人《さんにん》は、|珍《うづ》の|聖地《せいち》を|踏《ふ》みしめて|心《こころ》も|勇《いさ》み、|意気《いき》|揚々《やうやう》と|帰《かへ》り|来《きた》る。|雪《ゆき》|積《つ》む|道《みち》を|苦《く》にもせず、|杖《つゑ》を|曳《ひ》きつつ|漸《やうや》う|荒屋《あばらや》の|門口《かどぐち》に|着《つ》きにけり。
|平助《へいすけ》『お|蔭《かげ》で|無事《ぶじ》に|下向《げかう》が|出来《でき》た。サアサアお|楢《なら》、|早《はや》うお|湯《ゆ》を|沸《わ》かしてくれ、|足《あし》でも|洗《あら》つて|悠《ゆつ》くり|休《やす》まうぢやないか』
お|節《せつ》『イエイエ、お|爺《ぢい》さま、|妾《わたし》が|湯《ゆ》を|沸《わ》かします。お|婆《ば》アさま、|何卒《どうぞ》お|休《やす》み|下《くだ》さいませ』
お|楢《なら》『イヤイヤ、お|前《まへ》は|永《なが》らく|彼《あ》の|様《やう》な|暗《くら》い|穴《あな》の|中《なか》に|閉《と》ぢ|籠《こ》められて|居《を》つたのだから、|火《ひ》を|焚《た》いて|目《め》が|悪《わる》くなるといかぬ、|此《この》|婆《ばば》が|焚《た》きますから、サアサア|親爺《おやぢ》どの、|水《みづ》を|汲《く》みて|下《くだ》され』
お|節《せつ》『お|爺《ぢい》さま、|妾《わらは》が|水《みづ》を|汲《く》みます、|何卒《どうぞ》お|休《やす》み|下《くだ》さい』
|平助《へいすけ》『イヤイヤお|前《まへ》は|身体《からだ》が|弱《よわ》つてる、|此《この》|爺《おやぢ》が|汲《く》みてやるから|湯《ゆ》が|沸《わ》く|迄《まで》、マアマアゆつくりして|居《ゐ》るがよい』
|爺《ぢい》は|撥釣瓶《はねつるべ》を|覚束《おぼつか》なげに|何回《なんくわい》も|右左《みぎひだり》にブリンブリンと|振《ふ》り|廻《まは》し|漸《やうや》う|半分《はんぶん》ばかり|汲《く》み|上《あ》げ、|汲《く》み|上《あ》げては|手桶《てをけ》に|移《うつ》し|又《また》|汲《く》み|上《あ》げては|手桶《てをけ》に|移《うつ》し、
『サアサアお|楢《なら》、|水《みづ》が|汲《く》めた、|早《はや》う|沸《わ》かしてくれ、アーア|年《とし》が|寄《よ》ると|水《みづ》も|碌《ろく》に|汲《く》めはせないワ』
お|楢《なら》『|老《おい》ては|子《こ》に|従《したが》へと|云《い》ふ|事《こと》がある、|何《なん》でお|節《せつ》に|汲《く》ましなさらぬのぢや、それだからお|前《まへ》は|何時《いつ》も|我《が》が|強《つよ》いと|言《い》ふのぢや、|若《も》し|腰《こし》の|骨《ほね》でも|折《を》つたら|如何《どう》なさる、お|前《まへ》の|難儀《なんぎ》|許《ばか》りぢや|無《な》い、|婆《ばば》もお|節《せつ》も|総体《そうたい》の|難儀《なんぎ》ぢやないか』
|平助《へいすけ》『エー|八釜《やかま》しう|云《い》ふない、|何程《なにほど》|年《とし》が|寄《よ》つても|水《みづ》|位《くらゐ》は|提《さ》げ【えで】かい』
と|手桶《てをけ》に|一杯《いつぱい》|盛《も》つた|水《みづ》を、ヨロヨロと|提《ひつさ》げ|乍《なが》ら、|庭《には》の|滑石《なめらいし》に|滑《すべ》つてスツテンドウと|仰向《あふむけ》にひつくり|覆《かへ》り、
『アイタヽ、ウンウン』
と|呻《うな》つたきり|庭《には》の|真中《まんなか》に|打《ぶ》つ|倒《たふ》れける。お|楢《なら》、お|節《せつ》は|驚《おどろ》き、|気《き》も|狂乱《きやうらん》し、|爺《おやぢ》の|頭部《とうぶ》|足部《そくぶ》に|走《はし》り|寄《よ》り、
お|楢《なら》『お|爺《ぢい》さま、オーイオーイ、|気《き》をつけなさいのう』
お|節《せつ》も、
『お|爺《ぢい》さまお|爺《ぢい》さま』
と|泣《な》き|猛《たけ》る。
お|楢《なら》『アーア、|如何《どう》しても|此奴《こいつ》はいかぬ、サアサアお|節《せつ》、もう|斯《こ》うなつては|神様《かみさま》をお|願《ねがひ》するより|仕方《しかた》がない、お|前《まへ》は|三五教《あななひけう》とやらの|歌《うた》を|知《し》つてるさうぢや、|何卒《どうぞ》|早《はや》く|歌《うた》つて|爺《おやぢ》さまの|息《いき》を|吹《ふ》き|返《かへ》して|下《くだ》され』
お|節《せつ》『ハイハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました、お|婆《ばあ》さま|早《はや》くお|爺《ぢい》さまに|気《き》を|注《つ》けて|下《くだ》さい、|一《ひと》、|二《ふた》、|三《み》、|四《よ》、|五《いつ》、|六《むゆ》、|七《なな》、|八《や》、|九《ここの》、|十《たり》、|百《もも》、|千《ち》、|万《よろづ》』
と|三四回《さんしくわい》|繰返《くりかへ》せば、|平助《へいすけ》は|漸《やうや》く|呼吸《いき》を|吹《ふ》き|返《かへ》し、
『アーア、えらい|事《こと》ぢやつた、|天《てん》は|青《あを》く|山《やま》も|野《の》も|緑《みどり》の|色《いろ》を|帯《お》び、|種々《いろいろ》の|美《うつく》しい|花《はな》は|処狭《ところせ》きまで|咲《さ》き|匂《にほ》ひ、|何《なん》とも|云《い》へぬ|美《うつく》しい|大鳥《おほとり》|小鳥《ことり》は|涼《すず》しい|声《こゑ》を|出《だ》して、|常世《とこよ》の|春《はる》を|歌《うた》ひ、|其辺処《そこら》|一面《いちめん》の|花莚《はなむしろ》、|何《なん》とも|云《い》へぬ|綺麗《きれい》な|綺麗《きれい》な|田圃道《たんぼみち》を|進《すす》み|行《ゆ》くと、|向《むか》ふの|方《はう》に|何《なん》とも|云《い》へぬ|立派《りつぱ》な|三重《みへ》の|塔《たふ》が|見《み》えた。|其《その》|塔《たふ》は|上《うへ》から|下《した》まで|黄金作《こがねづく》り、それに|日輪様《にちりんさま》がキラキラと|輝《かがや》いて|何《なん》とも|云《い》へぬ|爽快《さうくわい》な|思《おも》ひに|充《みた》され、|一時《いちじ》も|早《はや》く|其処《そこ》へ|行《ゆ》き|度《た》い|様《やう》な|気《き》がして|杖《つゑ》を|力《ちから》に|一生懸命《いつしやうけんめい》に|駆出《かけだ》すと、|遠《とほ》い|遠《とほ》い|後《うしろ》の|山《やま》より|幽《かすか》に|聞《きこ》ゆるお|楢《なら》の|声《こゑ》、|続《つづ》いて|可愛《かあい》らしいお|節《せつ》の|声《こゑ》がフツと|耳《みみ》に|這入《はい》つたので、アヽ|折角《せつかく》コンナ|綺麗《きれい》な|処《ところ》に|来《き》て|居《を》るのに|何故《なぜ》|馬鹿娘《ばかむすめ》が|俺《わし》を|呼《よ》び|止《と》めるのか、アヽ|情《なさけ》ない|奴《やつ》ぢや、|然《しか》し|乍《なが》ら|久《ひさ》し|振《ぶ》りで|会《あ》うた|娘《むすめ》、|何時《いつ》もならば|頑張《ぐわんば》つて|呼《よ》び|止《と》めた|位《くらゐ》に|後戻《あともど》りする|平助《へいすけ》ぢやないが、あまり|娘《むすめ》が|可愛《かあい》い|声《こゑ》で|悲《かな》し|相《さう》に|呼《よ》ぶものだから、フツと|立《た》ち|止《と》まり|聞《き》いて|居《を》れば、|誰《たれ》だか|知《し》らぬが|俺《わし》の|年《とし》を|一《ひと》つ|二《ふた》つ|三《みつ》と|数《かぞ》へ|出《だ》し、|終《しまひ》には|百千万《ももちよろづ》と|呼《よ》びて|居《を》る。アヽ|俺《わし》は|見慣《みな》れぬ|結構《けつこう》な|処《ところ》へ|来《き》て|居《ゐ》るが、|之《これ》はヒヨツとしたら|神界《しんかい》を|旅行《りよかう》してゐるのではあるまいか、まだまだ|七十《しちじふ》や、そこいらで|神界《しんかい》へ|来《く》るのぢやない、|百千万《ももちよろづ》の|年《とし》を|現界《げんかい》で|苦労《くらう》せなくてはコンナ|結構《けつこう》な|処《ところ》へは|来《こ》られぬのぢやと|思《おも》ふ|刹那《せつな》に|気《き》がつけば、|水《みづ》だらけの|庭《には》に|打《ぶ》つ|倒《たふ》れて|居《を》つたのか、アヽ|情《なさけ》ない|情《なさけ》ない、コンナ|事《こと》なら|後戻《あともど》りをせなかつた|方《はう》が|良《よ》かつたに、|又《また》|娑婆《しやば》で|一息《ひといき》|苦労《くらう》をせにやならぬかいな』
お|楢《なら》『コレコレ|親爺《おやぢ》どの、それやお|前《まへ》|何《なに》を|云《い》ふのだい、|二世《にせ》も|三世《さんぜ》も|先《さき》の|世《よ》かけても|誓《ちか》うた|夫婦《ふうふ》の|仲《なか》、|此《この》|婆《ばば》|一人《ひとり》を|娑婆《しやば》に|残《のこ》して|置《お》いて、お|前《まへ》ばつかり|極楽《ごくらく》へ|行《い》つて|済《す》むのかいなア』
|平助《へいすけ》『アヽさうだつたな、あまり|結構《けつこう》な|処《ところ》でお|前《まへ》の|事《こと》は|何時《いつ》の|間《ま》にやら|念頭《ねんとう》を|去《さ》つて|居《ゐ》たよ、|然《しか》し|乍《なが》ら|目《め》をまはして|夢《ゆめ》を|見《み》て|居《を》つたのだ、|夢物語《ゆめものがたり》を|捉《つかま》へてさう|真剣《しんけん》に|怒《おこ》つて|貰《もら》うては|困《こま》るぢや|無《な》いか、ア、お|節《せつ》か、|何卒《どうぞ》|二人《ふたり》|寄《よ》つて|俺《おれ》の|身体《からだ》を|介抱《かいほう》して|寝床《ねどこ》を|敷《し》いて|休《やす》まして|呉《く》れ、|何《なん》だか|腰《こし》の|具合《ぐあひ》が|変《へん》だから』
お|楢《なら》、お|節《せつ》は|涙《なみだ》|乍《なが》ら|寝床《ねどこ》を|拵《こしら》へ|足《あし》の|掃除《さうぢ》もそこそこに|平助《へいすけ》を|抱《かか》へて|床《とこ》に|休《やす》ませたるが、それより|平助《へいすけ》は|発熱《はつねつ》し|毎日《まいにち》|日《ひ》にち|囈言《うさごと》を|云《い》ひ|半月《はんつき》ばかり|経《へ》て|遂《つひ》に|帰幽《きいう》したりける。お|楢《なら》、お|節《せつ》は|死骸《しがい》に|取《と》り|着《つ》き|号泣《がうきふ》し|漸《やうや》く|野辺《のべ》の|送《おく》りも|済《す》ませ|其《その》|後《のち》|二人《ふたり》は|日課《につくわ》の|様《やう》に|朝《あさ》|昼《ひる》|晩《ばん》と|三回《さんくわい》|常磐木《ときはぎ》の|枝《えだ》を|折《お》つては|供《そな》へ|水《みづ》を|持《も》ち|搬《はこ》びて|亡《な》き|人《ひと》の|霊《れい》を|慰《なぐさ》めて|居《ゐ》たり。お|楢婆《ならば》アは|爺《ぢい》に|先立《さきだ》たれ、|娘《むすめ》のお|節《せつ》を|力《ちから》に|面白《おもしろ》からぬ|月日《つきひ》を|送《おく》り|居《ゐ》たりけり。
|然《しか》るにお|節《せつ》は|平助《へいすけ》の|帰幽《きいう》した|頃《ころ》より|身体《しんたい》|益々《ますます》|痩衰《やせおとろ》へ|又《また》もや|床《とこ》にべつたり|着《つ》き|囈言《うさごと》さへ|言《い》ふ|様《やう》になりければ、|婆《ばば》は|堪《た》まり|兼《か》ね|一生懸命《いつしやうけんめい》に|真名井ケ原《まなゐがはら》に|跣参詣《はだしまゐり》を|初《はじ》め|彼《か》の|比治山峠《ひぢやまたうげ》を|登《のぼ》りつめると|例《れい》の|黒姫《くろひめ》が|白壁《しらかべ》の|様《やう》に|皺苦茶顔《しわくちやがほ》をコテコテ|塗《ぬ》り|立《た》て|花《はな》を|欺《あざむ》く|妙齢《めうれい》の|照子《てるこ》、|清子《きよこ》の|二人《ふたり》と|共《とも》に|前方《ぜんぱう》に|立《た》ち|塞《ふさ》がり、
|黒姫《くろひめ》『これこれ、お|婆《ば》さま、お|前《まへ》は|此《この》|間《あいだ》|此処《ここ》を|通《とほ》つた|親子《おやこ》|三人連《さんにんづ》れの|婆《ばば》さまぢやないか。|又《また》しても|又《また》しても|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|悪神《あくがみ》の|教《をしへ》を|迷信《めいしん》して|真名井山《まなゐさん》へ|詣《まゐ》るのだな』
お|楢《なら》『ハイハイ|左様《さやう》で|御座《ござ》います、|力《ちから》と|頼《たの》む|親爺《おやぢ》どのは|神様《かみさま》に|詣《まゐ》つて|帰《かへ》るが|早《はや》いか|庭《には》で|打《ぶ》ち|倒《こ》けて、それが|原因《もと》となり|夜昼《よるひる》|苦《くる》しみた|揚句《あげく》、|到頭《たうとう》あの|世《よ》の|人《ひと》となつて|仕舞《しま》ひました、オーン、オンオン』
と|泣《な》き|崩《くづ》れる。|黒姫《くろひめ》はニヤリと|笑《わら》ひ、
『さうぢやろさうぢやろ、アンナ|処《ところ》へ|俺《わし》の|親切《しんせつ》を|無《む》にして|詣《まゐ》るものだから、|瑞《みづ》の|霊《みたま》の|悪神《あくがみ》に|大切《たいせつ》な|生命《いのち》をとられて|仕舞《しま》うたのぢや。ようまアお|前《まへ》|胸《むね》に|手《て》を|当《あ》てて|考《かんが》へて|見《み》なさい、|神様《かみさま》へ|詣《まゐ》るのは|倒《こ》けて|死《し》ぬのが|目的《もくてき》ぢやあるまい、|千年《せんねん》も|万年《まんねん》も|長生《ながいき》して|孫《まご》から|曾孫《ひまご》、|玄孫《つるまご》まで|生《う》みて、|百年《ひやくねん》も|二百年《にひやくねん》も|長生《ながいき》|出来《でき》る|様《やう》に|詣《まゐ》るのぢやないか、それに|何《なん》の|事《こと》ぢや、|神様《かみさま》に|詣《まゐ》つて|帰《かへ》るなりウンと、|畳《たたみ》の|上《うへ》ならまだしもだが|庭《には》の|真《ま》ン|中《なか》に|糞蛙《くそがへる》を|打《ぶ》つ|付《つ》けた|様《やう》にフン|伸《の》びて、おまけに|水《みづ》|迄《まで》|被《かぶ》つて|寂滅《じやくめつ》する|様《やう》な|信心《しんじん》が|何《なん》になるかいな、それぢやから|彼《あ》れ|程《ほど》|俺《わし》が|親切《しんせつ》に|止《と》めたのぢや、|土台《どだい》お|前《まへ》の|親爺《おやぢ》は|屁《へ》の|様《やう》な|名《な》でも|仲々《なかなか》|我《が》が|強《つよ》いから|罰《ばち》は|覿面《てきめん》ぢや。|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》るとお|前《まへ》の|娘《むすめ》まで|生命《いのち》をとられ、|終《しまひ》にはお|前《まへ》も|死《し》ンで|仕舞《しま》ふぞや、メソメソと|何程《なにほど》|泣《な》いたつて|後《あと》の|後悔《こうくわい》|先《さき》に|立《た》たずぢや、エーもう|死《し》ンだ|爺《ぢい》は|仕方《しかた》が|無《な》いとして、お|前《まへ》|丈《だ》けなりと|長生《ながいき》するやうに|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》と|改心《かいしん》して、|三五教《あななひけう》の|神《かみ》を|河《かは》へでも|流《なが》し、|結構《けつこう》な|結構《けつこう》なウラナイ|教《けう》の|誠《まこと》の|艮《うしとら》の|金神様《こんじんさま》をお|祭《まつ》りなされ、|何時迄《いつまで》も|頑張《ぐわんば》つて|居《を》るとド|偉《えら》い|事《こと》が|出来《でき》ますぜ、|大方《おほかた》お|前《まへ》の|娘《むすめ》も|青《あを》い|顔《かほ》して|居《を》つたが、|今頃《いまごろ》は|三《み》つ|児《ご》が|痺疳《ひかん》を|病《や》みた|様《やう》にヒーヒー|云《い》うて|朝《あさ》から|晩《ばん》まで、ひしつて|居《を》るだらう』
お|楢《なら》『ハイハイ|仰《おつ》しやる|通《とほ》り|爺《ぢい》さまと|云《い》ひ、|大切《たいせつ》の|孫娘《まごむすめ》は|何《なん》だか|知《し》らぬが|日《ひ》に|日《ひ》に|身体《からだ》は|痩《やせ》る、|日向《ひなた》に|氷《こほり》が|溶《と》ける|様《やう》に|息《いき》の|音《ね》まで|細《ほそ》つて|行《ゆ》きます。|私《わたし》も|親爺《おやぢ》どのに|先立《さきだ》たれ、|力《ちから》と|思《おも》ふ|孫娘《まごむすめ》は|何時《いつ》|死《し》ぬやら|分《わか》らぬ|様《やう》な|大病《たいびやう》に|罹《かか》り、|其《その》|上《うへ》|耳《みみ》は|遠《とほ》くなり|腰《こし》は|曲《まが》り、|足《あし》は|碌《ろく》に|動《うご》きませぬ。アヽコンナ|事《こと》なら|親爺《おやぢ》どのと|一緒《いつしよ》に|死《し》ンだが【まし】ぢやつたと、|昨夕《ゆうべ》も|一人《ひとり》そつと|墓《はか》へ|参《まゐ》り「|親爺《おやぢ》どの、|何卒《どうぞ》|私《わたし》も|早《はや》う|呼《よ》びに|来《き》て|下《くだ》さい、|浮世《うきよ》が|嫌《いや》になつた、お|前《まへ》と|一緒《いつしよ》にあの|世《よ》で|暮《くら》したいから」と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|頼《たの》みて|居《を》りましたら、|死《し》ンでも|正念《しやうねん》があると|見《み》えまして、|親爺《おやぢ》の|姿《すがた》が|墓《はか》の|中《なか》からポツと|現《あら》はれ「お|前《まへ》は|女房《にようばう》のお|楢《なら》か、|能《よ》う|云《い》うて|呉《く》れた、ソンナラ|俺《おれ》が|之《これ》から|冥途《めいど》へ|連《つ》れて|行《い》つてやらう」と|嫌《いや》らしい|顔《かほ》して|云《い》ひました。|私《わたし》も|俄《にはか》に|死《し》ぬのが|嫌《いや》になり「|今度《こんど》の|今度《こんど》の|其《その》|今度《こんど》、|十年《じふねん》|二十年《にじふねん》|三十年《さんじふねん》、|百年《ひやくねん》|経《た》つた|其《その》|上《うへ》に|迎《むか》ひに|来《き》て|下《くだ》され」と|吃驚《びつくり》して|倒《こ》けつ|転《まろ》びつ|吾《わが》|家《や》へ|帰《かへ》つて|見《み》れば、|娘《むすめ》のお|節《せつ》が|何《なん》だか|知《し》らぬが|青彦《あをひこ》|々々《あをひこ》と|夢中《むちう》になつて|嫌《いや》らしい|声《こゑ》を|出《だ》して|居《を》ります。|親爺《おやぢ》どのの|墓《はか》では|青《あを》い|火《ひ》に|蒼《あを》い|面《つら》を|見《み》せられ|生命《いのち》からがら|逃《に》げて|来《く》れば、|一人《ひとり》の|娘《むすめ》は|熱《ねつ》に|浮《う》かされて|青彦《あをひこ》|々々《あをひこ》と|夢中《むちう》になつて|呻《うめ》いて|居《ゐ》る、|如何《どう》して|之《これ》が|堪《たま》りませうかいな、アーン、アンアン、ウーン、ウンウン』
と|泣《な》き|崩《くづ》れ|居《ゐ》る。
|黒姫《くろひめ》『|何《なに》、お|前《まへ》の|娘《むすめ》のお|節《せつ》が|青彦《あをひこ》|々々《あをひこ》と|呼《よ》びて|居《を》るか、それは|偉《えら》いものぢや、お|前《まへ》は|俺《わし》の|言《い》ふ|事《こと》を|聞《き》いてウラナイ|教《けう》になりなさい、そしたら|娘《むすめ》の|病気《びやうき》は|千《せん》に|一《いち》も|助《たす》かるかも|知《し》れませぬよ、お|前《まへ》も|死《し》に|度《た》い|死《し》に|度《た》いと|云《い》つても、サア|今《いま》となれば|矢張《やつぱり》|死《し》ぬのが|嫌《いや》だらう、|千年《せんねん》も|万年《まんねん》も|長生《ながいき》の|出来《でき》るウラナイ|教《けう》の|神様《かみさま》を|信心《しんじん》しなさい、|之《これ》から|俺《おれ》がお|前《まへ》の|宅《うち》へ|行《い》つて、|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》が|祭《まつ》つてあれば|放《ほ》り|出《だ》し、ウラナイ|教《けう》の|大神様《おほかみさま》を|祭《まつ》つて|上《あ》げよう』
お|楢《なら》『イエイエ、まだ|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》は|祭《まつ》つて|御座《ござ》いませぬ、|娘《むすめ》のお|節《せつ》が|助《たす》けられたと|云《い》ふので|信心《しんじん》をして|居《を》るので|御座《ござ》います、|恰度《ちやうど》|幸《さいは》ひお|前《まへ》さまが|来《き》て|祭《まつ》つて|下《くだ》されば|娘《むすめ》の|病気《びやうき》は|癒《なほ》るだらうし、|俺《わし》も|長生《ながいき》が|出来《でき》ませうから、|一時《いちじ》も|早《はや》く|頼《たの》みますわいな、ウン、ウン、ウン(|泣声《なきごゑ》)』
|黒姫《くろひめ》『よしよし|祭《まつ》つては|上《あ》げるが、さう|軽々《かるがる》しう|結構《けつこう》な|神様《かみさま》だから、|荷物《にもつ》を|持《も》ち|運《はこ》ぶ|様《やう》にはいけませぬ、マアお|節《せつ》どのにも|篤《とつく》り|云《い》ひ|聞《き》かし、|三五教《あななひけう》を|思《おも》ひ|断《き》らした|其《その》|上《うへ》で|祭《まつ》つて|上《あ》げ|様《やう》かい、サアサ|之《これ》より|早《はや》く|比沼《ひぬ》の|真名井《まなゐ》の|瑞《みづ》の|宝座《ほうざ》とやらを|拝《をが》みて|来《き》なさい、さうして|又《また》|帰《かへ》つて|庭《には》に|大《だい》の|字《じ》になつて……オホヽヽヽ』
お|楢《なら》『イエイエ|如何《どう》して|如何《どう》して、|貴女《あなた》のお|話《はなし》を|聞《き》いた|上《うへ》は|誰《たれ》が|真名井《まなゐ》|等《など》へ|詣《まゐ》りませうか、あの|時《とき》にも|俺《わし》はお|前《まへ》さまの|話《はなし》を|聞《き》いて|耳《みみ》を|傾《かたむ》け|改心《かいしん》しかけて|居《を》つたのだが、|昔気質《むかしかたぎ》の|親爺《おやぢ》どのなり|娘《むすめ》のお|節《せつ》が|聞《き》かぬものだから|仕方《しかた》なしに|詣《まゐ》りました、あの|時《とき》|貴女《あなた》の|仰《おつ》しやる|通《とほ》りにして|置《お》けば|宜《よ》かつたのに、|親爺《おやぢ》どのも|取《と》り|返《かへ》しのならぬ|下手《へた》をしたものぢやわいな、アーン、アンアン』
|黒姫《くろひめ》『サア|婆《ばば》さま、|決心《けつしん》がきまつたら|仕方《しかた》がない、|俺《わし》が|特別《とくべつ》|待遇《たいぐう》で|出張《しゆつちやう》してあげよう、お|前《まへ》は|余程《よつぽど》|型《かた》の|良《よ》いお|方《かた》ぢや、|俺《わし》に|直接《ちよくせつ》|来《き》て|貰《もら》うと|云《い》ふ|様《やう》な|事《こと》は|滅多《めつた》に|無《な》いぞえ』
お|楢《なら》『ハイハイ、お|勿体《もつたい》ない、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います、お|蔭様《かげさま》でお|節《せつ》の|病気《びやうき》も|本復《ほんぷく》|致《いた》しませう、|何分《なにぶん》|宜《よろ》しくお|頼《たの》み|申《まを》します』
|黒姫《くろひめ》『アーア、|生神様《いきがみさま》になると|忙《いそが》しいものだ、たつた|一人《ひとり》の|娘《むすめ》でも|皆《みな》|天地《てんち》の|神《かみ》の|分霊《わけみたま》に|違《ちが》ひはない、|一視同仁《いつしどうじん》、|至仁至愛《みろく》の|心《こころ》を|出《だ》して|助《たす》けて|上《あ》げようかい、サアサア|照《てる》さま、|清《きよ》さま、お|前《まへ》も|一緒《いつしよ》に|跟《つ》いて|来《く》るのだよ、これこれお|楢《なら》さま、|嬉《うれ》しいかい』
お|楢《なら》『ハイハイ、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います、ソンナラ|之《これ》から|私《わたし》が|御案内《ごあんない》|致《いた》しませう』
|黒姫《くろひめ》『よしよし|行《い》つてあげよう、お|前《まへ》は|余《よ》つ|程《ぽど》|幸福者《しあはせもの》ぢや、もう|之《これ》で|真名井山《まなゐさん》を|思《おも》ひ|切《き》つたぢやらうな』
お|楢《なら》『ヘイヘイ、|誰《たれ》が|真名井山《まなゐさん》なぞへ|参《まゐ》りますものか』
と|先《さき》に|立《た》つて|行《ゆ》く。|黒姫《くろひめ》はしすましたりと|北叟笑《ほくそゑ》み|乍《なが》ら|二人《ふたり》の|娘《むすめ》を|伴《ともな》ひ|丹波村《たんばむら》の|婆《ばば》が|伏屋《ふせや》を|指《さ》して|意気《いき》|揚々《やうやう》と|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・四・二二 旧三・二六 北村隆光録)
第一〇章 |四百種病《しひやくしゆびやう》〔六二一〕
|真名井ケ原《まなゐがはら》の|珍《うづ》の|宝座《ほうざ》に|参拝《さんぱい》せむと、|息《いき》せき|切《き》つて|進《すす》み|行《ゆ》きたるお|楢《なら》は、【ゆくり】なくもウラナイ|教《けう》の|鍵鑰《けんやく》を|握《にぎ》れる|女豪傑《をんながうけつ》|黒姫《くろひめ》に|説《と》き|伏《ふ》せられ、【くれり】と|心機《しんき》|一変《いつぺん》し、|手《て》の|掌《ひら》|足《あし》の|裏《うら》を|覆《かへ》して、スタスタと|黒姫《くろひめ》|一行《いつかう》を|伴《ともな》ひ、|漸《やうや》く|丹波村《たんばむら》の|伏屋《ふせや》に|着《つ》きにける。
お|楢《なら》『モシモシ、ウラナイ|教《けう》の|大将様《たいしやうさま》、|此処《ここ》が|私《わたし》の|荒屋《あばらや》で|御座《ござ》います。サアサアどうぞお|這入《はい》り|下《くだ》さいませ。|嘸《さぞ》お|疲労《くたびれ》でせう』
|黒姫《くろひめ》『ナニ、これしきの|雪道《ゆきみち》で|疲労《くたびれ》るやうな|事《こと》で、|三千世界《さんぜんせかい》の|神界《しんかい》の|御用《ごよう》が|出来《でき》ますものか、ウラナイ|教《けう》にはソンナ|弱虫《よわむし》は|居《を》りませぬ、オホヽヽヽ』
お|楢《なら》『どうぞ|気《き》をつけてお|這入《はい》り|下《くだ》さい、|大江山《おほえやま》の|鬼落《おにおと》しが|掘《ほ》つて|御座《ござ》いますから、ウカウカ|這入《はい》ると|大変《たいへん》な|事《こと》が|出来《しゆつたい》|致《いた》します。サアサア|私《わたし》の|通《とほ》る|処《ところ》を|足《あし》をきめて|通《とほ》つて|下《くだ》され、|一足《ひとあし》でも|外《ほか》を|歩《ある》くと、|陥穽《おとしあな》へ|落《お》ち|込《こ》みますから』
|黒姫《くろひめ》『ナント|用心《ようじん》の|良《よ》い|事《こと》だナア、アヽ|感心《かんしん》|々々《かんしん》、|何《なん》と|云《い》うても|比沼《ひぬ》の|真名井《まなゐ》に|瑞《みづ》の|霊《みたま》の|悪神《あくがみ》が|現《あら》はれる|世《よ》の|中《なか》ぢやから、この|位《くらゐ》の|注意《ちうい》はして|置《お》かななりますまい。サアサア、|照《てる》さま、|清《きよ》さま、|私《わたし》の|後《あと》を|踏《ふ》みて|来《く》るのだよ』
お|楢《なら》『モウ|大丈夫《だいぢやうぶ》で|御座《ござ》います。サアサアどうぞお|上《あが》り|下《くだ》さいませ』
|黒姫《くろひめ》『ハヽア、|平助《へいすけ》どのはこの|井戸《ゐど》の|水《みづ》を|汲《く》みて|倒《こ》けたのだな。ホンニホンニ|危《あぶ》なさうな|井戸《ゐど》ぢや。お|婆《ば》アさま、お|前《まへ》も|随分《ずゐぶん》|年《とし》をとつて|居《を》るから|気《き》を|付《つ》けなされよ』
お|楢《なら》『|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|娘《むすめ》も|嘸《さぞ》|喜《よろこ》ぶことで|御座《ござ》いませう』
お|節《せつ》は|夢中《むちう》になつて、
『|青彦《あをひこ》さま、|青彦《あをひこ》さま』
と|呼《よ》ンで|居《ゐ》る。
|黒姫《くろひめ》『ドレドレ、これから|神《かみ》さまへ|御祈念《ごきねん》をして|上《あ》げよう。それについても|一《ひと》つ|妾《わたし》の|話《はなし》を|篤《とつく》りと|聞《き》いた|上《うへ》の|事《こと》だ。お|婆《ば》アさま、|聞《き》きますかな』
お|楢《なら》『|有難《ありがた》い|神《かみ》さまのお|話《はなし》、どうぞ|聞《き》かして|下《くだ》さいませ』
|黒姫《くろひめ》『この|娘《むすめ》の|病気《びやうき》は、|全体《ぜんたい》【けつたい】な|病《やまひ》ぢや。|病気《びやうき》には|四百種病《しひやくしゆびやう》というて|沢山《たくさん》な|病《やまひ》がある。|其《その》|中《なか》でも|百種《ひやくいろ》の|病《やまひ》は|放《ほ》つて|置《お》いても|癒《なほ》る。あとの|百種《ひやくいろ》は|薬《くすり》と|医者《いしや》とで|全快《ぜんくわい》する。|又《また》あとの|百種《ひやくいろ》は、|神《かみ》さまぢや|無《な》いと|癒《なほ》らぬのぢや。そして、あとの|百種《ひやくいろ》は|神《かみ》さまでも|医者《いしや》でも|薬《くすり》でも|癒《なほ》りはせぬ。これを|四百種病《しひやくしゆびやう》と|云《い》ふのだ。この|娘《むすめ》は|第三番目《だいさんばんめ》に|言《い》うた|神信心《かみしんじん》で|無《な》ければ|到底《たうてい》|癒《なほ》らぬ。お|医者《いしや》さまでも|有馬《ありま》の|湯《ゆ》でもと|云《い》ふ|怪体《けつたい》な|粋《すゐ》な|病気《びやうき》ぢや、|青彦《あをひこ》|々々《あをひこ》と|云《い》ふのは、|大方《おほかた》|妾《わたし》の|使《つか》つて|居《ゐ》るウラナイ|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》、|今《いま》は|三五教《あななひけう》に|呆《はう》けて、この|間《あひだ》も|音彦《おとひこ》とやらの|後《あと》についてウロついて|居《ゐ》た|男《をとこ》ぢや。この|娘《むすめ》が|快《よ》くなつたら|青彦《あをひこ》を|養子《やうし》に|貰《もら》ひ、|娘《むすめ》から|青彦《あをひこ》を|説《と》きつけて、|又《また》|旧《もと》のウラナイ|教《けう》に|逆戻《ぎやくもど》りさせる|神様《かみさま》のお|仕組《しぐみ》の|病気《びやうき》に|違《ちが》ひない。お|婆《ば》アさま、これを|良《よ》く|承知《しようち》して|居《ゐ》て|貰《もら》はぬと|癒《なほ》す|事《こと》は|出来《でき》ぬぞい』
お|楢《なら》『ハイハイ、ドンナ|事《こと》でも|生命《いのち》さへ|助《たす》けて|下《くだ》されば|承《うけたま》はります』
|黒姫《くろひめ》『サア、これから|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》のお|筆先《ふでさき》を|頂《いただ》くから|聞《き》きなされ、このお|節《せつ》の|守護神《しゆごじん》にも|読《よ》みて|聞《き》かして|改心《かいしん》|致《いた》させねば、|三五教《あななひけう》の|悪守護神《あくしゆごじん》が|憑《つ》いて|居《を》るから、|追《お》ひ|出《だ》す|為《ため》に|結構《けつこう》な|御筆先《おふでさき》を|聞《き》かして|上《あ》げよう。|謹《つつし》みて|聞《き》きなされや』
|筆先《ふでさき》『|変性男子《へんじやうなんし》の|孫統《ひつぽう》の|御身魂《おんみたま》、|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》の|生宮《いきみや》、|常世姫命《とこよひめのみこと》と|現《あら》はれて、|高姫《たかひめ》の|肉体《にくたい》を|藉《か》りて、|三千世界《さんぜんせかい》の|世《よ》の|初《はじ》まりの、|根本《こつぽん》の|根本《こつぽん》の、|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》|性来《しやうらい》から、|大先祖《おほせんぞ》がどう|成《な》つて|居《を》ると|云《い》ふ|事《こと》を|明白《ありやか》に|説《と》いて|聞《き》かす|筆先《ふでさき》であるぞよ。|変性男子《へんじやうなんし》は|経《たて》の|御役《おんやく》、|誠《まこと》|生粋《きつすゐ》の|正真《しやうまつ》の|大和魂《やまとだましひ》、|一分一厘《いちぶいちりん》|違《ちが》へられぬ|御役《おやく》であるぞよ。|毛筋《けすぢ》の|横巾《よこはば》も|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《ひつぽう》の|肉体《にくたい》に|憑《うつ》つて|書《か》いた|事《こと》は|間違《まちが》ひは|無《な》いぞよ。|三千世界《さんぜんせかい》の|大立替《おほたてかへ》|大立直《おほたてなほ》しの|根本《こつぽん》の|結構《けつこう》な|御筆先《おふでさき》であるぞよ。|変性女子《へんじやうによし》の|身魂《みたま》は|緯《よこ》の|御用《ごよう》であるぞよ。|緯《よこ》はサトクが|落《お》ちたり、|糸《いと》が|切《き》れたり、|色々《いろいろ》と|致《いた》すから|当《あて》にならぬ|悪《あく》のやり|方《かた》であるから、|変性女子《へんじやうによし》の|書《か》いた|筆先《ふでさき》も、|申《まを》す|事《こと》も、|行状《おこなひ》も|真実《まこと》に|致《いた》すでないぞよ。|一《ひと》つ|一《ひと》つ|審神《さには》を|致《いた》さねば、ドエライ|目《め》に|会《あ》はされるぞよ。|女子《によし》の|御役《おやく》は|悪役《あくやく》で、|気《き》の|毒《どく》な|御用《ごよう》であるぞよ。|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》|性来《しやうらい》で、|善《ぜん》と|思《おも》うて|致《いた》す|事《こと》が|皆《みな》|悪《あく》になるぞよ。|善《ぜん》にも|強《つよ》い|悪《あく》にも|強《つよ》い|常世姫《とこよひめ》の|筆先《ふでさき》、|耳《みみ》を|浚《さら》へて|確《しつか》り|聞《き》いて|下《くだ》されよ。|毛筋《けすぢ》も|違《ちが》はぬ|誠《まこと》|一《ひと》つの、|生粋《きつすゐ》の|大和魂《やまとだましひ》の、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》の|常世姫命《とこよひめのみこと》の|性来《しやうらい》、|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪神《あくがみ》を、|一旦《いつたん》キユウと|腹《はら》に|締《し》め|込《こ》みて|改心《かいしん》させる|御役《おやく》であるぞよ。それに|就《つ》いても|黒姫《くろひめ》の|御用《ごよう》、|誠《まこと》に|結構《けつこう》な|御役《おんやく》であるぞよ。|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまがお|鎮《しづ》まり|遊《あそ》ばして|御座《ござ》るぞよ。|魔我彦《まがひこ》には|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|分霊《わけみたま》、|柔道正宗《じうだうまさむね》が|守護《しゆご》|致《いた》すぞよ。|蠑〓別《いもりわけ》には|大広木正宗《おほひろきまさむね》の|守護《しゆご》であるぞよ。|此《この》|神《かみ》|一度《いちど》|筆先《ふでさき》に|出《だ》したら、|何時《いつ》になりても|違《ちが》ひは|致《いた》さぬぞよ。|違《ちが》ふ|様《やう》にあるのはその|人《ひと》の|心《こころ》が|違《ちが》うからだぞよ。|唐《から》と|日本《にほん》の|戦《たたか》ひが|始《はじ》まるぞよ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|教《をしへ》は|日本《にほん》の|教《をしへ》であるぞよ。|変性女子《へんじやうによし》の|教《をしへ》はカラの|教《をしへ》であるぞよ。|変性男子《へんじやうなんし》の|筆先《ふでさき》と、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|筆先《ふでさき》とをよつく|調《しら》べて|見《み》て|下《くだ》されよ。さうしたら|変性女子《へんじやうによし》の|因縁《いんねん》がすつくり|判《わか》りて|来《き》て、ドンナ|者《もの》でも|愛想《あいさう》をつかして|逃《に》げて|去《い》ぬぞよ。アフンと|致《いた》さなならぬぞよ。|常世姫《とこよひめ》の|御魂《みたま》の|憑《うつ》るこの|肉体《にくたい》は、|昔《むかし》の|昔《むかし》のさる|昔《むかし》、またも|昔《むかし》のその|昔《むかし》、モ|一《ひと》つ|昔《むかし》の|大昔《おほむかし》から、|此《この》|世《よ》の|御用《ごよう》さす|為《ため》に、|天《てん》の|大神《おほかみ》が|地《ち》の|底《そこ》に|八百万《やほよろづ》の|神《かみ》に|判《わか》らぬ|様《やう》に|隠《かく》して|置《お》かれた|誠《まこと》|一《ひと》つの|結構《けつこう》な|生身魂《いきみたま》であるから、|世界《せかい》の|人民《じんみん》が|疑《うたが》ふのは|無理《むり》なき|事《こと》であるぞよ。|神《かみ》の|奥《おく》には|奥《おく》があり、その|又《また》|奥《おく》には|奥《おく》があるぞよ。|三千年《さんぜんねん》の|深《ふか》い|仕組《しぐみ》であるから、|人民《じんみん》の|智慧《ちゑ》や|学《がく》では、ソウ|着々《ちやくちやく》と|判《わか》る|筈《はず》は|無《な》いぞよ。|今迄《いままで》の|腹《はら》の|中《なか》の|塵埃《ごもくた》をすつくりと|吐《は》き|出《だ》して|誠正真《まことしやうまつ》の|生粋《きつすゐ》の|大和魂《やまとだましひ》に|成《な》りて|下《くだ》さらぬと、|誠《まこと》のお|蔭《かげ》を|取《と》り|外《はづ》すぞよ。アフンと|致《いた》して|眩暈《めまひ》が|来《く》るぞよ。|何程《なにほど》|変性女子《へんじやうによし》が|鯱《しやち》になりて|耐《こば》りても、|誠《まこと》の|神《かみ》には|叶《かな》はぬぞよ。|此《こ》の|肉体《にくたい》は|元《もと》を|査《ただ》せば、|変性男子《へんじやうなんし》の|生粋《きつすゐ》の|身魂《みたま》から|生《うま》れて|来《き》た|女豪傑《をんながうけつ》、|若《わか》い|時分《じぶん》から|男子女《をとこをんな》と|綽名《あだな》を|取《と》つた、|天狗《てんぐ》の|鼻《はな》の|高姫《たかひめ》であるぞよ。|今《いま》はフサの|国《くに》の|北山村《きたやまむら》のウラナイ|教《けう》の|太元《おほもと》の、|神《かみ》の|誠《まこと》の|柱《はしら》であるぞよ。|此《この》|世《よ》を|水晶《すゐしやう》に|立直《たてなほ》す|為《ため》に、|永《なが》い|間《あひだ》|隠《かく》してありた|結構《けつこう》な|身魂《みたま》であるぞよ。|世界《せかい》の|人民《じんみん》よ、|改心《かいしん》|致《いた》されよ。|誠《まこと》|程《ほど》|結構《けつこう》は|無《な》いぞよ。|苦労《くらう》の|花《はな》が|咲《さ》くのであるぞよ。|苦労《くらう》|無《な》しにお|蔭《かげ》を|取《と》らうと|致《いた》して、|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《ひつぽう》を|抱《いだ》き|込《こ》みて、|我《わが》|身《み》の|我《が》で|遣《や》らうと|致《いた》したらスコタンを|喰《く》うぞよ。|開《あ》いた|口《くち》がすぼまらぬ、|牛《うし》の|糞《くそ》が|天下《てんか》を|取《と》るとは、|今度《こんど》の|譬《たとへ》であるぞよ。|神《かみ》の|申《まを》す|事《こと》をきかずに|遣《や》つて|見《み》よれ、|十万億土《じふまんおくど》の|地獄《ぢごく》の|釜《かま》のドン|底《ぞこ》へ|落《おと》して|了《しま》ふぞよ、|神界《しんかい》、|幽界《いうかい》、|現界《げんかい》の|誠《まこと》の|救《すく》ひ|主《ぬし》は、|変性男子《へんじやうなんし》と|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》とであるぞよ。|女子《によし》の|身魂《みたま》は|此《この》|世《よ》の|紊《みだ》れた|遣《や》り|方《かた》を|見《み》せるお|役《やく》、|天《あま》の|岩戸《いはと》を|閉《し》める|御苦労《ごくらう》なかけ|替《が》への|無《な》い|身魂《みたま》であるぞよ。これも|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》|性来《しやうらい》で、|昔《むかし》の|因縁《いんねん》が|廻《まは》つて|来《き》たのであるから、|神《かみ》を|恨《うら》めて|下《くだ》さるなよ。|吾《わが》|身《み》の|因縁《いんねん》を|恨《うら》みて|置《お》こうより|仕方《しかた》が|無《な》いぞよ。|天《てん》にも|地《ち》にもかけ|替《が》への|無《な》い|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が、|三千世界《さんぜんせかい》の|神《かみ》、|仏事《ぶつじ》、|守護神《しゆごじん》、|人民《じんみん》に|気《き》をつけて|置《お》くぞよ。|改心《かいしん》さへ|出来《でき》て、この|常世姫《とこよひめ》の|申《まを》す|事《こと》が|判《わか》りたら、|如何《どん》な|事《こと》でも|叶《かな》へてやるぞよ。|病《やまひ》|位《くらゐ》は|屁《へ》でも|無《な》いぞよ。|魂《たましひ》を|磨《みが》いて|改心《かいしん》なされ。|常世姫《とこよひめ》が|気《き》をつけた|上《うへ》にも|気《き》を|付《つ》けるぞよ。|俄信心《にはかしんじん》|間《ま》に|合《あ》はん。|信心《しんじん》は|正勝《まさか》の|時《とき》の|杖《つゑ》に|成《な》るぞよ。|一時《いちじ》も|早《はや》く|身魂《みたま》の|洗濯《せんたく》いたして、|神《かみ》に|縋《すが》りて|下《くだ》されよ。|昔《むかし》は|神《かみ》はものは|言《い》はなかつたぞよ。|時節《じせつ》|来《きた》りて|艮《うしとら》の|金神《こんじん》|世《よ》に|現《あら》はれて、|三千世界《さんぜんせかい》の|立替《たてか》へ|立直《たてなほ》しを|遊《あそ》ばすについて、|第一番《だいいちばん》に、|御改心《ごかいしん》なされたのが|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|様《さま》であるぞよ。この|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|様《さま》は、|黒姫《くろひめ》の|肉体《にくたい》にお|鎮《しづ》まり|遊《あそ》ばして、|日夜《にちや》に|神界《しんかい》の|御苦労《ごくらう》に|成《な》りて|居《を》るから、|粗末《そまつ》に|思《おも》うたら、|神《かみ》の|気《き》ざわりに|成《な》るぞよ。|高姫《たかひめ》の|肉体《にくたい》は|元《もと》の|性来《しやうらい》が|勿体《もつたい》なくも|天《てん》の|大神様《おほかみさま》の|直々《ぢきぢき》の|分霊《わけみたま》であるから、|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|引《ひ》つ|添《そ》うて、|世《よ》の|立替《たてかへ》の|地《ぢ》となつて、|千騎一騎《せんきいつき》の|御活動《ごくわつどう》を|遊《あそ》ばす|御役《おんやく》となりたぞよ。|金勝要《きんかつかね》の|大神《おほかみ》、|坤金神《ひつじさるのこんじん》も、|一寸《ちよつと》|我《が》が|強《つよ》いぞよ。|早《はや》く|改心《かいしん》なさらぬと、|神界《しんかい》の|御用《ごよう》が|遅《おく》れるぞよ。|神界《しんかい》の|御用《ごよう》が|遅《おく》れると、それ|丈《だけ》、|神《かみ》も|人民《じんみん》も|難儀《なんぎ》を|致《いた》すから、|早《はや》く|改心《かいしん》|致《いた》して、|変性男子《へんじやうなんし》と|常世姫《とこよひめ》の|御魂《みたま》の|宿《やど》りて|居《を》る|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》の|申《まを》す|事《こと》を|聞《き》いて|下《くだ》されよ。きかな|聞《き》くやうに|致《いた》して|改心《かいしん》させるぞよ。|三五教《あななひけう》は|神《かみ》の|気障《きざわ》りがあるから、|神《かみ》は|仕組《しぐみ》を|変《か》へて|此《こ》の|肉体《にくたい》に|御用《ごよう》をさして|居《を》るぞよ。|神力《しんりき》と|智慧《ちゑ》|学《がく》との|力《ちから》|比《くら》べ、|常世姫《とこよひめ》の|神力《しんりき》が|強《つよ》いか、|変性女子《へんじやうによし》の|智慧《ちゑ》|学《がく》が|強《つよ》いか、|神《かみ》と|学《がく》との|力《ちから》|比《くら》べであるぞよ。|神《かみ》の|道《みち》には|旧道《きうだう》と|新道《しんだう》と|道《みち》が|二筋《ふたすぢ》|拵《こしら》へてありて、|何《ど》の|道《みち》へ|行《ゆ》きよるかと|思《おも》うて、|神《かみ》がジツと|見《み》て|居《を》れば、|新道《しんだう》へ|喜《よろこ》びて|行《ゆ》きよるが|仕舞《しまひ》にはバツタリ|行当《ゆきあた》りて|了《しま》うて、|又《また》もとの|旧道《きうだう》へ|復《かへ》つて|来《こ》ねば|成《な》らぬ|様《やう》に|成《な》つて|了《しま》うぞよ。|大橋《おほはし》|越《こ》えて|未《ま》だ|先《さき》へ、|行方《ゆくへ》|判《わか》らぬ|後戻《あともど》り、|慢神《まんしん》すると|其《その》|通《とほ》り、|早《はや》く|改心《かいしん》|致《いた》さぬと、|青《あを》い|顔《かほ》してシヨゲ|返《かへ》り|白米《しらが》に|籾《もみ》が|混《まじ》つた|様《やう》にして|居《を》るのを|見《み》るのが、|此《こ》の|常世姫《とこよひめ》が|辛《つら》いから、|腹《はら》が|立《た》つ|程《ほど》|気《き》を|付《つ》けてやるが、|変性女子《へんじやうによし》が|我《が》が|強《つよ》うて、|慢神《まんしん》|致《いた》して|居《を》るから、|神《かみ》ももう|助《たす》けやうが|無《な》いぞよ。もう|勘忍袋《かんにんぶくら》がきれたぞよ。それにつけては|皆《みな》の|者《もの》、|変性女子《へんじやうによし》の|申《まを》すこと、|一々《いちいち》|審神《さには》を|致《いた》してかからぬと、アフンと|致《いた》す|事《こと》が|出来《しゆつたい》|致《いた》すぞよ。|常世姫《とこよひめ》の|憑《うつ》る|肉体《にくたい》を|侮《あなど》りて|居《を》ると、スコタン|喰《く》う|事《こと》が|出来《でき》るから、クドウ|申《まを》して|気《き》をつけて|置《お》くぞよ』
と|厳《いづ》の|御魂《みたま》の|筆先《ふでさき》の|抜萃《ばつすい》した|高姫《たかひめ》の|書《か》いた|神諭《しんゆ》を、|声《こゑ》|高々《たかだか》と|読《よ》み|聞《き》かして|居《を》る。
お|楢《なら》は|畳《たたみ》に|頭《あたま》を|擦《す》りつけ、ブルブルと|慄《ふる》ひ|泣《な》きに|泣《な》いて|居《ゐ》る。お|節《せつ》は|発熱《はつねつ》|甚《はなはだ》しく、|益々《ますます》『|青彦《あをひこ》|青彦《あをひこ》』と|夢中《むちう》になつて|叫《さけ》びはじめたり。|黒姫《くろひめ》は|清子《きよこ》、|照子《てるこ》の|二人《ふたり》に|向《むか》ひ、
『サアサア|妾《わたし》が|今《いま》お|筆先《ふでさき》を|拝読《いただ》いたから、|今度《こんど》はお|前《まへ》さまがウラナイ|教《けう》の|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ふのぢや、サアサア|早《はや》う、|言《い》ひ|損《ぞこな》ひの|無《な》いやうに|謡《うた》ひなされ』
|二人《ふたり》はハイと|答《こた》へて|座《ざ》を|起《た》ち、|病《やまひ》に|苦《くる》しむお|節《せつ》の|枕辺《まくらべ》に|廻《まは》り、|声《こゑ》|張上《はりあ》げて、
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  ウラナイ|教《けう》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|常世《とこよ》の|国《くに》の|常世姫《とこよひめ》  |昔《むかし》の|神代《かみよ》のそのままの
|大和魂《やまとだましひ》の|生粋《きつすゐ》で  |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》と
|現《あら》はれ|出《い》でたる|高姫《たかひめ》の  |身魂《みたま》にかかりて|筆《ふで》をとり
|三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》  |一度《いちど》に|開《ひら》くことのよし
|委曲《うまら》に|詳細《つばら》に|説《と》き|諭《さと》す  たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|月日《つきひ》は|西《にし》から|昇《のぼ》るとも  |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が
|書《か》いた|筆先《ふでさき》|言《い》うたこと  |毛筋《けすぢ》の|横巾《よこはば》ちがはぬぞ
|違《ちが》うと|思《おも》ふは|其《その》|人《ひと》の  |心《こころ》|間違《まちが》ひある|故《ゆゑ》ぞ
|昔《むかし》の|神代《かみよ》の|折《をり》からに  |世界《せかい》のために|苦労《くらう》した
|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》、|魔我彦《まがひこ》や  |高山彦《たかやまひこ》や|蠑〓別《いもりわけ》
いづの|身魂《みたま》と|現《あら》はれて  |竜宮《りうぐう》さまの|御守護《おんしゆご》で
|此《この》|世《よ》の|宝《たから》を|掘《ほ》り|上《あ》げて  |北山村《きたやまむら》にウラナイの
|神《かみ》の|教《をしへ》の|射場《いば》を|建《た》て  |世界《せかい》の|人《ひと》を|教《をし》へ|行《ゆ》く
|実《げ》にも|尊《たふと》き|神《かみ》の|代《よ》の  |其《そ》の|根本《こつぽん》の|因縁《いんねん》を
どこどこ|迄《まで》も|説《と》き|諭《さと》す  |常世《とこよ》の|姫《ひめ》のお|筆先《ふでさき》
|昔々《むかしむかし》の|神代《かみよ》から  |隠《かく》しおいたる|生身魂《いくみたま》
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生魂《いくたま》で  |唐《から》も|日本《やまと》も|悉《ことごと》く
|悪《あく》の|仕組《しぐみ》をとり|調《しら》べ  |四方《よも》の|国々《くにぐに》|島々《しまじま》に
|漏《も》れなく|知《し》らす|神《かみ》の|道《みち》  いづの|身魂《みたま》の|御教《おんをしへ》
|変性男子《へんじやうなんし》の|御身魂《おんみたま》  |善《ぜん》の|身魂《みたま》の|生粋《きつすゐ》ぞ
|変性女子《へんじやうによし》の|瑞身魂《みづみたま》  |悪《あく》の|鏡《かがみ》と|定《さだ》まりた
|善《ぜん》は|苦労《くらう》が|永《なが》けれど  |悪《あく》の|苦労《くらう》は|短《みじか》いぞ
|悪《あく》の|道《みち》|行《ゆ》きや|歩《ある》きよい  |善《ぜん》の|道《みち》|程《ほど》|険《けは》しいぞ
|険《けは》しい|道《みち》を|喜《よろこ》びて  |歩《ある》いて|行《ゆ》けば|末《すゑ》|遂《つひ》に
|誠《まこと》も|開《ひら》く|神《かみ》の|国《くに》  |広《ひろ》い|道《みち》をば|喜《よろこ》びて
|進《すす》みて|行《ゆ》けば|末《すゑ》つひに  ハタと|詰《つま》つて|茨《いばら》むら
|針《はり》に|身体《からだ》をひつ|掻《か》いて  |逆転倒《さかとんぼり》を|皆《みな》うつて
ヂリヂリ|舞《まひ》をしたとても  あとの|祭《まつり》ぢや|十日菊《とをかぎく》
|誠《まこと》の|神《かみ》の|申《まを》すうち  |聞《き》かずに|行《や》るならやつて|見《み》よ
|善《ぜん》と|悪《あく》との|立別《たてわ》けの  |千騎一騎《せんきいつき》の|大峠《おほたうげ》
|変性女子《へんじやうによし》をふり|捨《す》てて  |常世《とこよ》の|姫《ひめ》の|生宮《いきみや》と
|現《あら》はれ|出《い》でたる|高姫《たかひめ》の  |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御経綸《おんしぐみ》
|万劫末代《まんごふまつだい》|芳《かん》ばしき  |名《な》を|残《のこ》さうと|思《おも》ふなら
ウラナイ|教《けう》の|神《かみ》の|道《みち》  |一日《ひとひ》も|早《はや》く|片時《かたとき》も
|先《さき》を|争《あらそ》ひ|歩《あゆ》めかし  |畏《かしこ》き|神《かみ》のウラナイの
|誠《まこと》|一《ひと》つの|根本《こつぽん》の  |毛筋《けすぢ》も|違《ちが》はぬこの|教《をしへ》
|神《かみ》の|奥《おく》には|奥《おく》がある  その|又《また》|奥《おく》には|奥《おく》がある
|大国常立大神《おほくにとこたちおほかみ》の  |三千年《さんぜんねん》の|御仕組《おんしぐみ》
|隅《すみ》から|隅《すみ》まで|悟《さと》つたる  あの|高姫《たかひめ》の|生宮《いきみや》は
|三千世界《さんぜんせかい》の|宝物《たからもの》  |広《ひろ》い|世界《せかい》の|人民《じんみん》よ
|今《いま》ぢや|早《はや》ぢやと|早鐘《はやがね》を  |撞《つ》いて|知《し》らする|常世姫《とこよひめ》
|暗《やみ》に|迷《まよ》うた|身魂《みたま》をば  |日《ひ》の|出《で》の|守護《しゆご》に|助《たす》けむと
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|一筋《ひとすぢ》に  |誠《まこと》の|教《をしへ》|伝《つた》へ|行《ゆ》く
|常世《とこよ》の|姫《ひめ》の|真心《まごころ》は  |善《ぜん》の|鑑《かがみ》ぢや|世《よ》の|鑑《かがみ》
|誠《まこと》の|鑑《かがみ》はここにある  |身魂《みたま》を|清《きよ》めて|出《で》て|来《き》たら
|三千世界《さんぜんせかい》が|見《み》えすくぞ  |鎮魂帰神《ちんこんきしん》を【せい】|出《だ》して
|変性女子《へんじやうによし》に|倣《なら》ふより  |神《かみ》から|出《だ》したこの|鏡《かがみ》
|一《ひと》つ|覗《のぞ》いて|見《み》るがよい  |三千世界《さんぜんせかい》の|有様《ありさま》は
|一目《ひとめ》に|見《み》えるこの|教《をしへ》  ウラナイ|教《けう》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|誠《まこと》の|道《みち》の|神《かむ》ばしら  |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が
|三千世界《さんぜんせかい》の|太柱《ふとばしら》  グツと|握《にぎ》つて|居《を》る|程《ほど》に
|世界《せかい》の|事《こと》は|何《なん》なりと  |常世《とこよ》でなけりや|判《わか》りやせぬ
|真名井《まなゐ》の|神《かみ》が|何《なに》|偉《えら》い  |瑞《みづ》の|身魂《みたま》が|何《なに》|怖《こわ》い
|怖《こわ》いと|云《い》うたら|吾《わが》|心《こころ》  |心《こころ》|一《ひと》つのウラナイ|教《けう》
|心《こころ》も|身《み》をも|大神《おほかみ》に  |捧《ささ》げて|祈《いの》れよく|祈《いの》れ
|祈《いの》る|誠《まこと》は|神心《かみごころ》  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|身魂幸倍坐《みたまさちはへま》しませよ』
と|謡《うた》ひ|了《をは》れば、お|節《せつ》は|益々《ますます》|苦《くる》しみ|悶《もだ》え、|遂《つひ》にはキヤアキヤアと|怪《あや》しき|声《こゑ》を|振《ふ》り|絞《しぼ》り、|冷汗《ひやあせ》は|滝《たき》の|如《ごと》く|流《なが》れ|出《い》で、|容態《ようだい》は|刻々《こくこく》に|危険《きけん》|状態《じやうたい》に|入《い》りける。
お|楢《なら》『モシモシ|皆《みな》さま、|御親切《ごしんせつ》に|拝《をが》みて|下《くだ》さいまして|有難《ありがた》う|御座《ござ》いますが、お|前《まへ》さまが|此処《ここ》へ|御座《ござ》つてから、お|節《せつ》の|病気《びやうき》は|楽《らく》になるかと|思《おも》へば、|一息々々《ひといきひといき》、|苦《くる》しさうに|成《な》つて|来《く》る、コラマア|何《ど》うしたら|宜《よろ》しいのだ。オーンオーンオーン』
|黒姫《くろひめ》『コレコレお|婆《ば》アさま、|勿体《もつたい》ない|事《こと》を|言《い》ひなさるな。これ|程《ほど》|結構《けつこう》な|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》の|御筆先《おふでさき》を|読《よ》みて|聞《き》かし、|結構《けつこう》な|結構《けつこう》な|宣伝歌《せんでんか》まで|唱《とな》へて、|夫《そ》れで|悪《わる》うなつて|死《し》ぬ|様《やう》な|事《こと》があつたら、|神《かみ》さまのお|蔭《かげ》やと|思《おも》ひなされ。|妾《わたし》ぢやとて|何《ど》うして|一刻《いつこく》も|早《はや》う|楽《らく》に|仕《し》て|上《あ》げたい、|生命《いのち》を|助《たす》けて|上《あ》げたいと|思《おも》へばこそ、コンナ|山路《やまみち》を|雪《ゆき》|踏《ふ》み|分《わ》けて|遥々《はるばる》と|来《き》たのぢやないか。コンナ|繊弱《かよわ》い|妙齢《としごろ》の|娘《むすめ》を|二人《ふたり》まで|連《つ》れて|此処《ここ》へ|来《き》たのも、|神《かみ》から|言《い》へば|浅《あさ》からぬ|因縁《いんねん》ぢや。|何《ど》うなるも|斯《こ》うなるも|神様《かみさま》の|思召《おぼしめし》、|仮令《たとへ》お|節《せつ》さまが|国替《くにがへ》なさつた|処《ところ》が、|別《べつ》に|悔《くや》むにも|及《およ》ばぬ、|如才《じよさい》の|無《な》い|神《かみ》さまが、|結構《けつこう》な|処《ところ》へ|遣《や》つて|下《くだ》さつて、|神界《しんかい》の|立派《りつぱ》な|御用《ごよう》をさして|下《くだ》さるのぢや。お|前《まへ》さまの|達者《たつしや》を|守《まも》り、この|家《いへ》を|守護《しゆご》する|守《まも》り|神《がみ》として|下《くだ》さるのぢや。|勿体《もつたい》ない、|何《なに》を|不足《ふそく》さうに、|吠面《ほえづら》をかわくのぢやい、|何《ど》うなつても|諦《あきら》めが|肝腎《かんじん》ぢやぞへ』
お|楢《なら》『ハイハイ、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|然《しか》し|乍《なが》ら|妾《わたし》の|生命《いのち》を|取《と》つて、どうぞお|節《せつ》を|助《たす》けて|下《くだ》さいませ。それがお|願《ねが》ひで|御座《ござ》います』
|黒姫《くろひめ》『ハテサテ|判《わか》らぬ|方《かた》ぢやなア。|何程《なにほど》|偉《えら》い|神《かみ》さまぢやとて、お|前《まへ》の|生命《いのち》とお|節《せつ》さまの|生命《せいめい》と|交換《かうくわん》が|出来《でき》るものか。ソンナ|無茶《むちや》な|事《こと》を|言《い》ひなさるな』
お|節《せつ》の|容態《ようだい》は|益々《ますます》|危篤《きとく》に|成《な》つて|来《く》る。|黒姫《くろひめ》は|何《なん》とは|無《な》しに|落《お》ち|着《つ》かぬ|様子《やうす》にて、
『コレコレ|照《てる》さま、|清《きよ》さま、|今日《けふ》は|神界《しんかい》に|大変《たいへん》な|御用《ごよう》がある。サア|帰《かへ》りませう。コレコレお|婆《ば》アさま|心配《しんぱい》なさるな。|気《き》を|確《しつか》り|持《も》つて|居《ゐ》なさいよ。|私《わし》は|神界《しんかい》の|御用《ごよう》が|急《せ》くから、|今日《けふ》はこれでお|暇《いとま》|致《いた》します』
お|楢《なら》『モシモシお|節《せつ》は|助《たす》かりませうか、|助《たす》かりますまいか』
|黒姫《くろひめ》『いづれ|楽《らく》になるわいナ。|屹度《きつと》|癒《なほ》る、|安心《あんしん》なされ』
お|楢《なら》『|楽《らく》に|成《な》るとはあの|世《よ》へ|往《ゆ》く|事《こと》ぢやありませぬか、|癒《なほ》ると|仰有《おつしや》るのは、|霊壇《れいだん》へ|御魂《みたま》に|成《な》つて|直《なほ》ると|云《い》ふ|謎《なぞ》ではありますまいか』
|黒姫《くろひめ》『アヽ|神界《しんかい》の|御用《ごよう》が|忙《いそが》しい。|照《てら》さま、|清《きよ》さま、サアサアお|出《い》で』
と|雲《くも》を|霞《かすみ》と|比治山《ひぢやま》の|彼方《あなた》を|指《さ》してバラバラと|走《は》せ|帰《かへ》り|行《ゆ》く。あとにお|楢《なら》はワツと|許《ばか》り|泣《な》き|伏《ふ》しぬ。
(大正一一・四・二二 旧三・二六 東尾吉雄録)
第一一章 |顕幽《けんいう》|交通《かうつう》〔六二二〕
|空《そら》ドンヨリと、|灰色《はひいろ》の|雲《くも》に|包《つつ》まれ、|血腥《ちなまぐ》さき|風《かぜ》|吹《ふ》き|荒《すさ》む|萱野ケ原《かやのがはら》を、|痩《やせ》た|女《をんな》の|一人旅《ひとりたび》、|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》を|幽《かす》かに|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|心《こころ》ほそぼそ|進《すす》み|来《きた》る。|凩《こがらし》すさぶ|辻堂《つじだう》の|側《そば》に|立寄《たちよ》り|眺《なが》むれば、|堂《だう》の|後《うしろ》の|戸《と》を|開《ひら》き、|現《あら》はれ|出《い》でたる|雲《くも》|突《つ》く|許《ばか》りの|裸体《らたい》の|男《をとこ》、|歯《は》をガチガチ|言《い》はせ|乍《なが》ら、
『オーお|節《せつ》か、|能《よ》う|出《で》て|来《き》やがつた。|比治山峠《ひぢやまたうげ》で|赤裸《まつぱだか》になつた|俺達《おれたち》を|附《つ》け|込《こ》み、|四足扱《よつあしあつかひ》をしやがつた|事《こと》を|覚《おぼ》えて|居《を》るだらう。|俺《おれ》は|其《その》|時《とき》に|癪《しやく》に|障《さわ》り……エー|谷底《たにそこ》へ|老爺《ぢぢい》も|婆《ばば》アも|貴様《きさま》も|一緒《いつしよ》に|放《ほ》り|込《こ》みてやらうと|思《おも》うては|見《み》たが、|又《また》|思《おも》ひ|直《なほ》し、|神様《かみさま》が|怖《おそ》ろしうなつて、|忍耐《こら》へてやつた。|間《ま》もなく|肉体《にくたい》は|寒《さむ》さに|凍《こご》え、|血《ち》は|動《うご》かなくなつて、|已《や》むを|得《え》ず、|厭《いや》な|冥土《めいど》へ|出《で》て|来《き》たのだ。|貴様《きさま》の|為《ため》に|死《し》ンだのではないが、あまり|貴様《きさま》たち|親子《おやこ》が|業託《ごうたく》を|言《い》やがるので、むかついた、|其《その》|時《とき》の|妄念《もうねん》が|今《いま》に|遺《のこ》つて|此《この》|通《とほ》り、|貴様等《きさまら》|親子《おやこ》|三人《さんにん》の|生命《いのち》を|取《と》つてやらうと|思《おも》ひ、|五人《ごにん》の|霊《れい》が|四辻《よつつじ》に|待《ま》ち|伏《ふ》せて、お|前達《まへたち》|親子《おやこ》の|者《もの》を|地獄《ぢごく》へ|落《おと》してやらうと|待《ま》つて|居《を》るのだ。サア|此処《ここ》へ|来《き》たのは|運《うん》の|尽《つ》き、|首《くび》をひき|千切《ちぎ》つて|恨《うら》みを|晴《は》らしてやらう』
お|節《せつ》『これはこれは|皆《みな》さま、お|腹《はら》が|立《た》つたでせう。|併《しか》し|乍《なが》ら|頑固《ぐわんこ》な|爺《おやぢ》の|申《まを》した|事《こと》、|決《けつ》して、|妾《わらは》があなた|方《がた》を|虐待《ぎやくたい》したのではありませぬ。|妾《わらは》は|櫟《いち》サンが|負《お》はして|呉《く》れいと|仰有《おつしや》つたので|負《お》うて|貰《もら》つた|丈《だけ》の|事《こと》、どうか|勘弁《かんべん》して|下《くだ》さいませ』
|岩公《いはこう》『エーソンナ|勘弁《かんべん》が|出来《でき》る|様《やう》な|霊《みたま》なら、コンナ|地獄《ぢごく》の|八丁目《はつちやうめ》にブラついてるものかい、|此処《ここ》はどこぢやと|思《おも》うて|居《ゐ》る、|善悪《ぜんあく》の|標準《へうじゆん》も|無《な》ければ、|慈悲《じひ》も|情《なさけ》けも|無《な》い、|怨《うら》みと|嫉《ねた》みの|荒野ケ原《あらのがはら》ぢや。エーグヅグヅ|吐《ぬか》すな。オイオイ|皆《みな》の|者《もの》、|此奴《こいつ》を|叩《たた》き|延《の》ばせ、|手足《てあし》を|引《ひ》きむしれツ』
お|節《せつ》は|進退《しんたい》|惟《これ》|谷《きは》まり、|声《こゑ》を|限《かぎ》りに、
『どなたか|来《き》て|下《くだ》さいなア。どうぞ|繊弱《かよわ》き|妾《わたし》をお|助《たす》け|下《くだ》さいませ。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|念《ねん》じ|居《ゐ》る。|此《この》|場《ば》に|忽然《こつぜん》と|現《あら》はれた|一人《ひとり》の|色《いろ》の|青白《あをじろ》い|優男《やさをとこ》、いきなり|五人《ごにん》の|裸男《はだかをとこ》に|向《むか》ひ、|大麻《おほぬさ》を|左右左《さいうさ》に|打振《うちふ》れば、|裸男《はだかをとこ》は、
『ヤア、|飛《と》ンでも|無《な》い|奴《やつ》が|出《で》て|来《き》やがつた。オイ|勘公《かんこう》、|櫟公《いちこう》、|岩公《いはこう》、|鬼虎《おにとら》、……|鬼彦《おにひこ》に|続《つづ》けツ』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|逃《に》げ|行《ゆ》かむとする。|一人《ひとり》の|男《をとこ》|五人《ごにん》に|向《むか》ひ『ウン』と|霊縛《れいばく》を|加《くは》へたるに、|五人《ごにん》は|足《あし》を|踏《ふ》ン|張《ば》つた|儘《まま》、|化石《くわせき》の|様《やう》になつて|了《しま》ひ、|目《め》を|剥《む》き、|舌《した》をニヨロニヨロと|出《だ》し、|涙《なみだ》を|滝《たき》の|如《ごと》く|流《なが》してふるえ|居《ゐ》る。
|男《をとこ》『ホーあなたは|丹波村《たんばむら》のお|節《せつ》さまぢや|有《あ》りませぬか。どうしてコンナ|所《ところ》へ|踏《ふ》ン|迷《まよ》うてお|出《い》でなさいました。|私《わたくし》は|三五教《あななひけう》の|青彦《あをひこ》と|申《まを》す|宣伝使《せんでんし》で|御座《ござ》います。|大神様《おほかみさま》の|命《いのち》に|依《よ》り、|鬼ケ城《おにがじやう》の|魔神《まがみ》に|対《たい》し、|言霊戦《ことたません》に|出《で》かけて|居《を》る|最中《さいちう》で|御座《ござ》いますが、あなたが、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》と|仰有《おつしや》つた|声《こゑ》に|曳《ひ》かされ、|体《からだ》が|引《ひ》きつけられる|様《やう》に、|此処《ここ》へ|飛《と》ンで|来《き》ました。サアサ、コンナ|所《ところ》に|居《を》つては|大変《たいへん》です。|早《はや》く|現界《げんかい》へお|帰《かへ》りなさい』
お|節《せつ》『あなたは|噂《うはさ》に|聞《き》いた|三五教《あななひけう》の|青彦《あをひこ》さまで|御座《ござ》いますか。あなたも|亦《また》|幽界《いうかい》へ|何時《いつ》お|越《こ》し|遊《あそ》ばしたの……』
|青彦《あをひこ》『イエイエ|私《わたくし》の|肉体《にくたい》は|唯今《ただいま》、|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》、|加米彦《かめひこ》、|音彦《おとひこ》|等《ら》と|共《とも》に|大活動《だいくわつどう》をやつて|居《を》ります。|一寸《ちよつと》|肉体《にくたい》の|休息《きうそく》の|隙間《すきま》に、|和魂《にぎみたま》がやつて|来《き》たのですよ』
お|節《せつ》『アア|左様《さやう》で|御座《ござ》いますか。|危《あぶ》ない|所《ところ》をお|助《たす》け|下《くだ》さいまして|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|併《しか》しあの|五人《ごにん》の|裸《はだか》さまを|助《たす》けて|上《あ》げて|下《くだ》さいナ』
|青彦《あをひこ》『アアお|節《せつ》さま、|感心《かんしん》だ、あれ|丈《だけ》|酷《えら》い|目《め》に|会《あ》ひかけて|居《を》つた|亡者《まうじや》を、|助《たす》けてやつて|呉《く》れいと|仰有《おつしや》るのか。その|心《こころ》なればこそ、|再《ふたた》び|現界《げんかい》へ|帰《かへ》る|事《こと》が|出来《でき》ますよ』
お|節《せつ》『あの|五人《ごにん》の|方《かた》も|現界《げんかい》へ|返《かへ》して|上《あ》げる|訳《わけ》にゆけませぬか』
|青彦《あをひこ》『あれは|駄目《だめ》ですよ。|五人《ごにん》の|男《をとこ》の|本守護神《ほんしゆごじん》は、|既《すで》に|立派《りつぱ》な|天人《てんにん》となつて|昇天《しようてん》し、|天《あま》の|羽衣《はごろも》を|身《み》に|着《つ》けて、|真名井ケ原《まなゐがはら》の|豊国姫《とよくにひめ》|様《さま》のお|側《そば》にご|用《よう》をして|居《を》りますよ。|彼奴《あいつ》はああ|見《み》えても、|副守護神《ふくしゆごじん》の|鬼《おに》の|霊《れい》だから、|幽界《いうかい》でモウちつと|業《ごう》を|曝《さら》し、|瞋恚《しんい》の|心《こころ》を|消滅《せうめつ》させねば、|浮《う》かぶ|事《こと》は|出来《でき》ない。|併《しか》し|乍《なが》ら|霊縛《れいばく》は|解《と》いてやりませう』
|青彦《あをひこ》は|五人《ごにん》に|向《むか》ひ、|声《こゑ》も|涼《すず》しく、
|青彦《あをひこ》『|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》』
と|数歌《かずうた》を|二回《にくわい》|繰返《くりかへ》せば、|五人《ごにん》の|裸男《はだかをとこ》は|身体《しんたい》|元《もと》の|如《ごと》くなり、|青彦《あをひこ》が|前《まへ》に|犬突這《いぬつくばひ》となり、
|五人《ごにん》『コレはコレは|青彦《あをひこ》|様《さま》、|能《よ》う|助《たす》けて|下《くだ》さいました。|結構《けつこう》な|神歌《かみうた》をお|聞《き》かせ|下《くだ》さいまして|是《こ》れで|私《わたくし》の|修羅《しゆら》の|妄執《まうしふ》もサラリと|解《と》けました。|此《この》|後《ご》は|決《けつ》して|決《けつ》してお|節《せつ》さまの|肉体《にくたい》に|祟《たた》りは|致《いた》しませぬ。|私《わたくし》も|是《こ》れから|結構《けつこう》な|神《かみ》となりて、|神界《しんかい》に|救《すく》はれます』
と|涙《なみだ》を|垂《た》らして|泣《な》き|入《い》るにぞ、|青彦《あをひこ》は、
『アヽ|結構《けつこう》だ。お|前達《まへたち》は|私《わし》と|一緒《いつしよ》に|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》しなさい』
|鬼《おに》『|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。オイオイ|皆《みな》の|連中《れんちう》、|青彦《あをひこ》の|宣伝使《せんでんし》について、|祝詞《のりと》をあげませうかい』
|茲《ここ》に|青彦《あをひこ》は|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し|始《はじ》めた。お|節《せつ》を|始《はじ》め|五人《ごにん》の|裸男《はだかをとこ》は、|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|青彦《あをひこ》と|共《とも》に|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し|終《をは》るや、|五人《ごにん》の|姿《すがた》は|見《み》る|見《み》る|麗《うるは》しき|牡丹《ぼたん》の|様《やう》な|花《はな》と|変《へん》じ、|暖《あたた》かき|風《かぜ》に|吹《ふ》かれて、フワリフワリと、|天上《てんじやう》|高《たか》く|姿《すがた》を|隠《かく》したりける。
|青彦《あをひこ》『サアお|節《せつ》どの、あなたもお|帰《かへ》りなさい。|又《また》|現界《げんかい》でお|目《め》にかかりませう』
と|言葉《ことば》を|残《のこ》し、|青彦《あをひこ》は|麗《うるは》しき|光玉《くわうぎよく》となりて、|南方《なんぱう》の|天《てん》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。お|節《せつ》は|今《いま》まで|苦《くる》しかりし|身体《しんたい》|俄《にはか》に|爽快《さうくわい》を|覚《おぼ》え、えも|言《い》はれぬ|音楽《おんがく》の|響《ひびき》|聞《きこ》ゆると|見《み》る|間《ま》に|正気《しやうき》づき、|四辺《あたり》を|見《み》れば、|婆《ばば》アのお|楢《なら》が|枕許《まくらもと》に|坐《すわ》つて、お|節《せつ》の|手《て》をシツカと|握《にぎ》り|締《し》め、|泣《な》き|居《ゐ》たりける。
お|節《せつ》『お|婆《ば》アさまでは|御座《ござ》いませぬか』
お|楢《なら》『ヤアお|節《せつ》、|気《き》が|付《つ》いたか、|嬉《うれ》しい|嬉《うれ》しい。これと|云《い》ふも、|全《まつた》く|神様《かみさま》のお|蔭《かげ》、ウラナイ|教《けう》の|黒姫《くろひめ》といふ|婆《ば》アが|遣《や》つて|来《き》て、|筆先《ふでさき》とやらを|読《よ》みて|聞《き》かし、|宣伝歌《せんでんか》とやらを|唄《うた》ふが|最後《さいご》、お|前《まへ》の|病気《びやうき》は|漸々《だんだん》と|悪《わる》くなり、|到頭《たうとう》|縡切《ことき》れて|了《しま》ひ、|妾《わし》も|気《き》が|気《き》でならず、|又《また》|気《き》を|取《と》り|直《なほ》し、|真名井ケ原《まなゐがはら》の|豊国姫《とよくにひめ》の|神様《かみさま》、|素盞嗚神《すさのをのかみ》|様《さま》を|一生懸命《いつしやうけんめい》に|念《ねん》じて|居《ゐ》ました。さうすると、|段々《だんだん》|冷《つめ》たうなつて|居《ゐ》たお|前《まへ》の|体《からだ》に|温《ぬく》みが|出来《でき》て|来《き》、|青白《あをじろ》い|顔《かほ》は|追々《おひおひ》に|赤味《あかみ》を|増《ま》し、|細《ほそ》い|息《いき》をしだすかと|見《み》れば、お|蔭《かげ》で|物《もの》を|言《い》ふ|様《やう》になつて|呉《く》れた。アヽ|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い、|真名井ケ原《まなゐがはら》に|現《あら》はれませる|大神様《おほかみさま》……』
と|婆《ばば》アは|嬉《うれ》し|泣《な》きに|泣《な》き|入《い》りぬ。お|節《せつ》は|日一日《ひいちにち》と|快方《くわいはう》に|向《むか》い、|四五日《しごにち》|過《す》ぎて、|炊事《すゐじ》|万端《ばんたん》の|手伝《てつだひ》ひを|健々《まめまめ》しく|立働《たちはたら》かるる|迄《まで》になり、モウ|二三日《にさんにち》|経《た》てば、|婆《ば》アさまと|共《とも》に、|真名井ケ原《まなゐがはら》の|宝座《ほうざ》にお|礼《れい》|参詣《まゐり》をなさむと、|親子《おやこ》|相談《さうだん》の|最中《さいちう》、|門《もん》の|戸《と》を|押開《おしあ》けて、|中《なか》を|覗《のぞ》き|込《こ》む|二三人《にさんにん》の|人影《ひとかげ》|有《あ》り、よく|見《み》れば|黒姫《くろひめ》、|夏彦《なつひこ》、|常彦《つねひこ》の|三人《さんにん》なりける。
|黒姫《くろひめ》『ヤアお|婆《ば》アさま、|何故《なぜ》、|娘《むすめ》が|全快《ぜんくわい》したら、|御礼参詣《おれいまゐり》に|出《で》て|来《こ》ぬのだい』
お|楢《なら》『お|前《まへ》は|黒姫《くろひめ》ぢやないか。お|節《せつ》の|病気《びやうき》を|癒《なほ》してやるなぞと、|偉相《えらさう》な|頬桁《ほほげた》を|叩《たた》きよつて、どうぢやつたい。|長《なが》たらしい|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|筆先《ふでさき》とやら|云《い》ふものを|勿体《もつたい》|振《ぶ》つて|読《よ》み、|其《その》|上《うへ》に|若《わか》い|娘《むすめ》の|口《くち》から|千遍歌《せんべんか》とか、|万遍歌《まんべんか》とかいふものを|耳《みみ》が|痛《いた》い|程《ほど》|囀《さへづ》つて、|娘《むすめ》は|見《み》る|見《み》る|様子《やうす》が|悪《わる》うなるばつかり、|虫《むし》の|息《いき》になつて、|何時《なんどき》|死《し》ぬか|知《し》れぬと|云《い》ふ|所《ところ》を|見済《みす》まし、|神界《しんかい》に|御用《ごよう》が|有《あ》るの|何《なん》のと|言《い》つてコソコソと|逃《に》げたぢやないか、あまり|偉相《えらさう》な|事《こと》を|言《い》ふものぢやないワイ。|矢張《やつぱ》り、ウラナイ|教《けう》の|神《かみ》は、ガラクタ|神《がみ》の、|貧乏神《びんばふがみ》の、|死神《しにがみ》の、|腰抜《こしぬ》け|神《がみ》ぢや。モウモウ|死《し》ンだつて、ウラナイ|教《けう》を|信仰《しんかう》するものかい。……エーエ|汚《けが》らはしい、|病神《やまひがみ》、|早《はや》う、|帰《かへ》りて|呉《く》れ|帰《かへ》りて|呉《く》れ。|折角《せつかく》|快《よ》うなつたお|節《せつ》が|又《また》|悪《わる》なると|困《こま》る。サア|早《はや》う|早《はや》う、|帰《かへ》りたり|帰《かへ》りたり』
|黒姫《くろひめ》『コレコレ|婆《ば》アさま、お|前《まへ》ソレヤ|大変《たいへん》な|取違《とりちがひ》ぢや。|妾《わし》が|御祈念《ごきねん》をしてやつたお|蔭《かげ》で|助《たす》かつたのぢやないか。|其《その》|時《とき》にはチツと|悪《わる》うても……|悪《わる》うなるのが、|快《よ》うなる|兆《しるし》ぢや。|峠《たうげ》を|一《ひと》つ|越《こ》えるのにも、|苦《くる》しい|目《め》をして、|登《のぼ》り|詰《つ》めたら、|後《あと》は|降《くだ》り|坂《ざか》ぢや。|何時《いつ》までも、|蛇《くちなわ》の|生殺《なまごろし》の|様《やう》に、お|節《せつ》ドンを|苦《くる》しめて|置《お》くのは|可哀相《かはいさう》ぢやから、|此《この》|黒姫《くろひめ》が|神力《しんりき》で|峠《たうげ》まで|送《おく》つてやつたから、|其《その》お|蔭《かげ》でお|節《せつ》さまが|危《あぶ》ない|生命《いのち》を|助《たす》かつたのぢやないか。|生命《いのち》を|助《たす》けて|貰《もら》うて|小言《こごと》を|云《い》ふと、|又《また》|罰《ばつ》が|当《あた》らうぞい』
お|楢《なら》『|巧《うま》い|事《こと》|言《い》ふない、ソンナ|瞞《だま》しを|喰《く》ふ|様《やう》な|婆《ばば》アぢやないぞ。あンまり|甘《あま》う|見《み》て|貰《もら》うまいかイ。|若《わか》い|時《とき》は|鬼娘《おにむすめ》のお|楢《なら》とまで|言《い》はれた、|酢《す》いも|甘《あま》いも、|人《ひと》の|心《こころ》の|奥底《おくそこ》まで、|一目《ひとめ》|見《み》たら|知《し》つて|居《ゐ》る|此《この》お|楢《なら》ぢやぞえ』
|黒姫《くろひめ》『|婆《ば》アさま、お|前《まへ》チツと|逆上《のぼ》せて|居《を》るのぢやないかいナ。マア|能《よ》う|気《き》を|落《お》ち|着《つ》けて、|妾《わし》の|言《い》ふ|事《こと》を|一通《ひととほ》り|聞《き》いて|下《くだ》されや』
お|楢《なら》『アア|五月蠅《うるさ》いツ、|聞《き》かぬ|聞《き》かぬ。トツトと|帰《かい》りて|下《くだ》され。…お|節《せつ》ウ、|箒《はうき》を|貸《か》し………あの|婆《ばば》アを|掃《は》き|出《だ》してやるのだ。|黒《くろ》いとも、|白《しろ》いとも|分《わか》らぬ|様《やう》な|面《つら》をしやがつて、|力《ちから》も|無《な》い|癖《くせ》に、|口先《くちさき》で|誤魔化《ごまくわ》さうと|思《おも》うても、ソンナ|事《こと》に|誤魔化《ごまくわ》されるお|楢婆《ならば》アぢやないぞや』
|黒姫《くろひめ》『お|楢《なら》さま、|能《よ》う|聞《き》いて|下《くだ》さいや。|時計《とけい》が|一《ひと》つ|潰《つぶ》れても、|根本《こつぽん》から|直《なほ》さうと|思《おも》へば、|一旦《いつたん》|中《なか》の|機械《きかい》をスツパリ|解体《かいたい》して|了《しま》ひ、それから|修繕《しうぜん》をせねば、|完全《くわんぜん》に|直《なほ》るものぢやない。|恰度《ちやうど》|大病《たいびやう》になると|其《その》|通《とほ》りぢや。お|節《せつ》さまの|体《からだ》の|中《なか》の|機械《きかい》を、|神様《かみさま》が|一遍《いつぺん》|引《ひ》き|抜《ぬ》いて、|更《さら》に|組立《くみた》てて|下《くだ》さつたのぢや。|訳《わけ》を|知《し》らぬ|素人《しろうと》は、|時計《とけい》の|機械《きかい》を|解体《かいたい》するとバラバラになるものだから、|其《その》|時計《とけい》が|以前《まへ》より|悪《わる》うなつた|様《やう》に|思《おも》うて|怒《おこ》るものぢやが、|一旦《いつたん》バラバラに|為《し》なくては|完全《くわんぜん》な|修繕《しうぜん》は|出来《でき》ぬ|様《やう》なもので、|大病《たいびやう》になるとスツカリ|機械《きかい》の|入《い》れ|替《かへ》を、|神様《かみさま》がなさるのぢや。|其《その》|時《とき》はチツト|容態《ようだい》が|悪《わる》うなるのは|当然《あたりまへ》ぢや。そこをお|前《まへ》さまが|眺《なが》めて、|却《かへつ》て|悪《わる》うなつた|様《やう》に|思《おも》つて|居《ゐ》るのが|根本《こつぽん》の|間違《まちがひ》ぢや。|悪《わる》うなつたお|蔭《かげ》で、|今《いま》の|様《やう》なピンピンした|体《からだ》になつたのぢや。|罰《ばち》の|当《あた》つた………|何《なに》を|叱言《こごと》を|云《い》ふのぢやい。ウラナイ|教《けう》の|神様《かみさま》に、お|節《せつ》さまも|一緒《いつしよ》に|御礼《おれい》を|申《まを》しなされ』
お|節《せつ》『|黒姫《くろひめ》さまとやら、|御親切《ごしんせつ》に|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいますが、|妾《わらは》はどう|考《かんが》へても、ウラナイ|教《けう》は|虫《むし》が|好《す》きませぬ。ウの|字《じ》を|聞《き》いても、|頭《あたま》が|痛《いた》うなります。それよりも|三五教《あななひけう》の|青彦《あをひこ》さまと|云《い》ふ|宣伝使《せんでんし》に、|半日《はんにち》なりと|御説教《おせつけう》が|聴《き》かして|欲《ほ》しいワイナ』
|黒姫《くろひめ》『|三五教《あななひけう》の|青彦《あをひこ》と|云《い》ふ|奴《やつ》は、|妾《わし》の|弟子《でし》ぢや。|彼奴《あいつ》は|妾《わし》の|片腕《かたうで》ぢやが、|此《この》|頃《ごろ》|三五教《あななひけう》へ|間者《かんじや》となつて|妾《わし》が|入《い》れておいたのぢや。|青彦《あをひこ》が|偉《えら》いなら|其《その》|大将《たいしやう》の|妾《わし》は|尚《なほ》の|事《こと》、|神徳《しんとく》が|沢山《たくさん》|有《あ》る|筈《はず》ぢや。サアサアま|一遍《いつぺん》|拝《をが》みてあげよう』
お|楢《なら》、お|節《せつ》、|一時《いちじ》に、
『イヤイヤ|一時《いつとき》も|早《はや》う|帰《かへ》つて|下《くだ》さい』
|黒姫《くろひめ》『ハヽヽヽ、|盲《めくら》と|云《い》ふ|者《もの》は|仕方《しかた》の|無《な》いものぢや。|何程《なにほど》|現当利益《げんたうりやく》を|神様《かみさま》がお|見《み》せなさつても、お|神徳《かげ》をお|神徳《かげ》と|思《おも》はぬ|盲《めくら》|聾《つんぼ》にかけたら、|取《と》り|付《つ》く|島《しま》も|有《あ》つたものぢやない。……コレコレ|夏彦《なつひこ》、|常彦《つねひこ》、お|前《まへ》チツと|言《い》はぬかいなア。|唖《ごろ》か|何《なん》ぞの|様《やう》に、|此《この》|黒姫《くろひめ》ばつかりに|骨《ほね》を|折《を》らして、|知《し》らぬ|顔《かほ》の|半兵衛《はんべゑ》をきめ|込《こ》むとは、|何《なん》の|態《ざま》ぢや。チト|確《しつか》りしなさらぬか』
|夏彦《なつひこ》『|誰《たれ》に|説教《せつけう》をして|宜《よ》いか、サツパリ|見当《けんたう》が|取《と》れませぬワイ』
|黒姫《くろひめ》『|見当《けんたう》が|取《と》れぬとは、ソラ|何《なに》を|言《い》ふのぢや。|折角《せつかく》お|神徳《かげ》を|貰《もら》うた|此《この》|家《や》の|娘《むすめ》のお|節《せつ》や、お|楢婆《ならば》アさまを|捉《つか》まへて、|言向和《ことむけやは》せと|云《い》ふのぢやないか。|何《なに》をグヅグヅして|居《ゐ》なさる』
|常彦《つねひこ》『|私《わたし》は|最前《さいぜん》から、|両方《りやうはう》の|話《はなし》を、|中立《ちうりつ》|地帯《ちたい》に|身《み》を|置《お》いて、|観望《くわんばう》して|居《を》れば、どうやら|黒姫《くろひめ》さまの|方《はう》が、|道理《だうり》が|間違《まちが》つとる|様《やう》な|気《き》が|致《いた》しますので、お|気《き》の|毒《どく》で、あなたに|恥《はぢ》をかかす|訳《わけ》にもゆかず、|沈黙《ちんもく》を|守《まも》つて|居《ゐ》る|方《はう》が、|双方《さうはう》の|安全《あんぜん》だと|思《おも》つて|扣《ひか》へて|居《を》りました』
|黒姫《くろひめ》『エー|二人《ふたり》|共《とも》|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|代物《しろもの》ぢやなア』
|夏彦《なつひこ》『|神《かみ》の|裏《うら》には|裏《うら》があり、|奥《おく》には|奥《おく》が|有《あ》る|位《くらゐ》ならば、|耳《みみ》が|蛸《たこ》になる|程《ほど》|聞《き》いて|居《を》りますワイ。|今《いま》までは|何《なん》でも|彼《かん》でも、あなたの|仰有《おつしや》る|通《とほ》り|盲従《まうじゆう》して|来《き》ましたが、|今日《こんにち》の|様《やう》に|民衆《みんしう》|運動《うんどう》が|盛《さか》ンになつて|来《き》ては、|今迄《いままで》の|様《やう》な|厳格《げんかく》な|階級《かいきふ》|制度《せいど》は|駄目《だめ》ですよ。|今日《こんにち》のウラナイ|教《けう》で、あなたの|言《い》ふ|事《こと》を|本当《ほんたう》に|信《しん》じ、|本当《ほんたう》に|実行《じつかう》する|者《もの》は、|高山彦《たかやまひこ》さまタツタ|一人《ひとり》、|又《また》|高山彦《たかやまひこ》さまの|命令《めいれい》に|服従《ふくじゆう》する|者《もの》は、|黒姫《くろひめ》さまタツタ|一人《ひとり》と|云《い》ふ|今日《こんにち》のウラナイ|教《けう》の|形勢《けいせい》、|何《なん》でも|彼《かん》でも|盲従《まうじゆう》して|居《ゐ》ると、|同僚《どうれう》の|奴《やつ》に|馬鹿《ばか》にしられますワイ。|私《わたし》も|今日《けふ》|限《かぎ》りお|暇《ひま》を|頂《いただ》きます。……お|前《まへ》さまと|手《て》を|切《き》つた|上《うへ》は、|師匠《ししやう》でもなければ|弟子《でし》でもない。アカの|他人《たにん》も|同様《どうやう》ぢや。|吾々《われわれ》|二人《ふたり》は、|今《いま》のお|言葉《ことば》で、|心《こころ》の|底《そこ》から|愛想《あいさう》が|尽《つ》きました。どうぞ|御免《ごめん》|下《くだ》さいませ』
|黒姫《くろひめ》『ソレヤ、|夏彦《なつひこ》、|常彦《つねひこ》、|藪《やぶ》から|棒《ぼう》を|突出《つきだ》した|様《やう》に、|何《なに》を|言《い》ふのだい。|暇《ひま》を|呉《く》れなら、やらぬ|事《こと》もないが、|今迄《いままで》の|黒姫《くろひめ》とは|違《ちが》ひますぞゑ。|勿体《もつたい》なくも|高山彦《たかやまひこ》の|命《みこと》の|奥方《おくがた》、|女《をんな》と|思《おも》ひ|侮《あなど》つての|雑言《ざふごん》|無礼《ぶれい》、|容赦《ようしや》は|致《いた》さぬぞや』
|斯《か》く|争《あらそ》ふ|所《ところ》へ、|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひ|乍《なが》ら|入《い》り|来《き》たるは、|青彦《あをひこ》なりける。|黒姫《くろひめ》は|青彦《あをひこ》を|見《み》るなり、|胸倉《むなぐら》をグツと|取《と》り、
『コレヤお|前《まへ》は|青彦《あをひこ》ぢやないか。|何《なん》の|事《こと》ぢや。|結構《けつこう》なウラナイ|教《けう》を|棄《す》てて、|嘘《うそ》で|固《かた》めた|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》になりよつて、わし|達《たち》の|邪魔《じやま》ばつかりして|居《を》るぢやないか。サア|改心《かいしん》すれば|良《よ》いし、グヅグヅ|言《い》ひなさると、|女《をんな》|乍《なが》らも、|鍛《きた》へあげたる|此《この》|腕《うで》が|承知《しようち》をしませぬぞや』
|青彦《あをひこ》『アハヽヽヽ、アヽお|前《まへ》は|黒姫《くろひめ》さまか。|老《い》い|年《とし》して|居《を》つて、|良《い》い|加減《かげん》に|我《が》を|折《を》りなさつたらどうぢや。|棺桶《くわんをけ》へ|片足《かたあし》|突《つ》つ|込《こ》みて|居《を》り|乍《なが》ら、|千年《せんねん》も|万年《まんねん》も|活《いき》る|様《やう》に、|何時《いつ》まで【はしやぐ】のぢや。チツと|年《とし》と|相談《さうだん》をして|見《み》たらよからうに』
|夏《なつ》、|常《つね》|二人《ふたり》は|拍手《はくしゆ》して、
『ヒヤヒヤ、|青彦《あをひこ》の|宣伝使《せんでんし》、シツカリやり|給《たま》へ』
|黒姫《くろひめ》『コラ|夏彦《なつひこ》、|常彦《つねひこ》、|何《なん》の|事《こと》ぢや。|悪人《あくにん》の|青彦《あをひこ》に|加担《かたん》すると|云《い》ふ|事《こと》があるものか、お|前《まへ》は|気《き》が|狂《くる》うたか、|血迷《ちまよ》うたのか』
|常彦《つねひこ》『|只今《ただいま》|迄《まで》はウラナイ|教《けう》の|身内《みうち》の|者《もの》、|只今《ただいま》|縁《えん》を|断《き》つた|以上《いじやう》は、|三五教《あななひけう》にならうと、バラモン|教《けう》にならうと、|常彦《つねひこ》の|勝手《かつて》ぢや。ナア|夏彦《なつひこ》、さうぢやないか』
|夏彦《なつひこ》『オウさうともさうとも、……モシモシ|青彦《あをひこ》さま、あなたも|元《もと》はウラナイ|教《けう》のお|方《かた》ぢやつたさうですなア。|私《わたくし》は|矢張《やつぱ》りウラナイ|教《けう》ぢや。|併《しか》し|乍《なが》らあまり|此《この》|婆《ば》アの|言心行《げんしんかう》が|一致《いつち》せないので、|誰《たれ》も|彼《か》れも|愛想《あいさう》を|尽《つ》かし、|晨《あした》に|一人《ひとり》、|夕《ゆふべ》に|三人《さんにん》と、|各自《めいめい》に|後足《あとあし》で|砂《すな》をかけて、|脱退《だつたい》する|者《もの》ばつかり、|私《わたくし》も|疾《と》うから、ウラナイ|教《けう》は|面白《おもしろ》くないから、|三五教《あななひけう》になりたいと|思《おも》つて、|朝夕《あさゆふ》|念《ねん》じて|居《を》りましたが、|一旦《いつたん》|黒姫《くろひめ》や|高姫《たかひめ》に|瞞《だま》されて、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》の|悪口《わるくち》を|広告《ふ》れて|歩《ある》いたものだから、|今更《いまさら》|閾《しきゐ》が|高《たか》うて、|三五教《あななひけう》に|兜《かぶと》を|脱《ぬ》ぐ|訳《わけ》にも|行《ゆ》かないし、|宙《ちう》ブラリで|困《こま》つて|居《を》りました。どうぞ|青彦《あをひこ》さま|私等《わたくしら》|二人《ふたり》の|境遇《きやうぐう》を|御推察《ごすいさつ》の|上《うへ》、どうぞ|宜《よろ》しく|御執《おと》り|成《な》しをお|願《ねがひ》|申《まを》します』
|青彦《あをひこ》『ハア|宜《よろ》しい|承知《しようち》|致《いた》しました。|御安心《ごあんしん》なされ。……オイ|黒姫《くろひめ》、|人《ひと》の|胸倉《むなぐら》を|取《と》りよつて|何《なん》の|態《ざま》ぢや。|放《はな》さぬかい』
|黒姫《くろひめ》『|寝《ね》ても|起《お》きても、お|前《まへ》の|事《こと》ばつかり|思《おも》うて|居《を》るのぢや。|大事《だいじ》のお|前《まへ》を|三五教《あななひけう》に|取《と》られたと|思《おも》へば、|残念《ざんねん》で|残念《ざんねん》で|堪《たま》らぬワイ。|常彦《つねひこ》や|夏彦《なつひこ》のガラクタとは|違《ちが》うて、お|前《まへ》はチツト|見込《みこみ》があると|思《おも》うて|居《を》つた。|今《いま》はウラナイ|教《けう》も|追々《おひおひ》|改良《かいりやう》して、|三五教《あななひけう》|以上《いじやう》の|結構《けつこう》な|教《をしへ》が|立《た》ち、|御神力《ごしんりき》も|赫灼《いやちこ》だから、どうぢや|一《ひと》つ、|元《もと》の|巣《す》へ|返《かへ》つて、|黒姫《くろひめ》と|一緒《いつしよ》に|活動《くわつどう》する|気《き》はないか』
|夏彦《なつひこ》『モシモシ|青彦《あをひこ》さま、|嘘《うそ》だ|嘘《うそ》だ。|改良《かいりやう》|所《どころ》か、|日《ひ》に|日《ひ》に|改悪《かいあく》するばつかりだ。|此《この》|間《あひだ》もフサの|国《くに》から、ゲホウの|様《やう》な|頭《あたま》をした|高山彦《たかやまひこ》と|云《い》ふ|男《をとこ》が|出《で》て|来《き》て、|黒姫《くろひめ》の|婿《むこ》になり、|天下《てんか》を|吾物顔《わがものがほ》に|振《ふ》れ|舞《ま》ふものだから、|誰《た》れもかれも|愛想《あいさう》をつかし、|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|脱退者《だつたいしや》は|踵《くびす》を|接《せつ》すると|云《い》ふ|有様《ありさま》、|四天王《してんわう》の|一人《ひとり》と|呼《よ》ばれた|吾々《われわれ》でさへも、|愛想《あいさう》が|尽《つ》きたのだ。|黒姫《くろひめ》の|口車《くちぐるま》に|乗《の》らぬ|様《やう》にして|下《くだ》さい』
|黒姫《くろひめ》『コラ|夏《なつ》、|常《つね》、|要《い》らぬ|事《こと》を|言《い》ふない。|貴様《きさま》ア|厭《いや》なら|厭《いや》で、|勝手《かつて》に|退《の》いたら|宜《よ》い。|人《ひと》の|事《こと》まで|構《かま》ふ|権利《けんり》があるか。……サア|青彦《あをひこ》、|返答《へんたふ》はどうぢやな。|返答《へんたふ》|聞《き》くまで、|仮令《たとへ》|死《し》ンでも、|此《この》|腕《うで》が【むし】れても|放《はな》しやせぬぞ』
|青彦《あをひこ》『エー|執念深《しふねんぶか》い|婆《ば》アだナア。|放《はな》さな|放《はな》さぬで|良《い》いワ』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|赤裸《まつぱだか》になつた。|黒姫《くろひめ》は|着物《きもの》ばかりを|握《にぎ》つて、
『|誰《たれ》が|何《なん》と|言《い》うても|放《はな》すものかい。……ヤア|何時《いつ》の|間《ま》にやら、スブ|抜《ぬ》けを|喰《く》はしよつたナ、エーコンナ|皮《かは》ばつかり|掴《つか》みて|居《を》つても、なにもならぬ。|忌《い》ま|忌《い》ましい』
と|言《い》ひつつ|着物《きもの》を|大地《だいち》に|投《な》げつけるを|夏彦《なつひこ》は|手早《てばや》く|拾《ひろ》ひあげ、|常彦《つねひこ》、|青彦《あをひこ》|諸共《もろとも》にお|節《せつ》の|家《いへ》に|飛《と》び|込《こ》み、|中《なか》からピシヤリと|戸《と》を|閉《し》め、|錠《ぢやう》を【おろし】たり。|黒姫《くろひめ》は|唯一人《ただひとり》|門口《かどぐち》に|取《と》り|残《のこ》され、ブツブツつぶやき|乍《なが》ら、|比治山《ひぢやま》の|方《はう》を|指《さ》してスゴスゴと|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
お|楢《なら》『ヤアヤアお|前《まへ》さまは、|青彦《あをひこ》さまか。|能《よ》う|来《き》て|下《くだ》さつた。こないだの|晩《ばん》に|泊《とま》つて|貰《もら》はうと|思《おも》つて|居《を》つたのに、|泊《とま》つて|欲《ほ》しい|人《ひと》は|泊《とま》つて|呉《く》れず、|厭《いや》な|奴《やつ》ばつかりノソノソと|泊《とま》り、|執念深《しふねんぶか》い……|死《し》ンでからも|爺《おやぢ》ドンの|生命《いのち》を|取《と》りに|来《き》、|又《また》|聞《き》けば、お|節《せつ》の|生命《いのち》まで|亡霊《ばうれい》となつて|狙《ねら》ひよつたさうぢや。お|前《まへ》さまが|夢《ゆめ》に|現《あら》はれて、|悪魔《あくま》を|改心《かいしん》させ|娘《むすめ》を|助《たす》けて|下《くだ》さつた|夢《ゆめ》を|見《み》たら、|其《その》|日《ひ》から|不思議《ふしぎ》にも、お|節《せつ》が|段々《だんだん》と|快《よ》くなり、|婆《ばば》アも、お|節《せつ》も、|毎日《まいにち》|日日《ひにち》、|青彦《あをひこ》さま|青彦《あをひこ》さまと|真名井《まなゐ》の|神様《かみさま》よりも|尊敬《そんけい》して|居《を》りました。|能《よ》う|来《き》て|下《くだ》さつた。サアサア【むさくる】しいが、ズーツと|奥《おく》へお|通《とほ》り|下《くだ》され。……そこの|二人《ふたり》は|黒姫《くろひめ》の|弟子《でし》ではないか、エーエー|黒姫《くろひめ》の|身内《みうち》ぢやと|思《おも》へば|何《なん》だか|気持《きもち》が|悪《わる》い。|二人《ふたり》のお|方《かた》は|折角《せつかく》|乍《なが》ら、トツトと|帰《かへ》りて|下《くだ》され』
|青彦《あをひこ》『お|婆《ば》アさま、|私《わたくし》も|元《もと》は|黒姫《くろひめ》の|弟子《でし》になつて|居《を》りましたが、あまりの|身勝手《みがつて》な|奴《やつ》だから、|愛想《あいさう》が|尽《つ》きて|三五教《あななひけう》に|籍《せき》を|変《か》へ、|御神徳《ごしんとく》を|戴《いただ》いて|今《いま》は|御覧《ごらん》の|通《とほ》り、|宣伝使《せんでんし》になりました。|此《この》|二人《ふたり》は、|今日《けふ》|只今《ただいま》|迄《まで》、|常彦《つねひこ》、|夏彦《なつひこ》と|云《い》うて、|黒姫《くろひめ》の|四天王《してんわう》とまで|謂《い》はれて|居《を》つた|豪者《えらもの》だが、|此《この》|二人《ふたり》も|私《わたくし》の|様《やう》に、|愛想《あいさう》をつかし、|今《いま》|此家《ここ》の|門口《かどぐち》で|師弟《してい》の|縁《えん》を|断《き》り|私《わたくし》の|友達《ともだち》になつたのだから、さう|気強《きづよ》い|事《こと》を|言《い》はずに、|大事《だいじ》にしてあげて|下《くだ》さい』
お|楢《なら》『アアさうかいナさうかいナ。それとは|知《し》らずに|偉《えら》い|失礼《しつれい》な|事《こと》を|申《まを》しました。……コレコレお|節《せつ》、|何《なに》|恥《はづ》かしさうにして|居《ゐ》るのぢや。|早《はや》うお|客《きやく》さまにお|茶《ちや》でも|汲《く》まぬかいナ』
お|節《せつ》は|袖《そで》に|顔《かほ》を|包《つつ》み、|稍《やや》|俯《うつ》むき|気味《きみ》になつて、
『これはこれは|青彦《あをひこ》|様《さま》、|能《よ》う|来《き》て|下《くだ》さいました』
と|言《い》つた|限《きり》、|俯伏《うつぶせ》になり|震《ふる》ひ|居《ゐ》る。
お|楢《なら》『アーア|若《わか》い|者《もの》と|云《い》ふ|者《もの》は、|仕方《しかた》の|無《な》いものぢや。……モシモシ|青彦《あをひこ》さま、|婆《ばば》アの|頼《たの》みぢやが、|不束《ふつつか》な|娘《むすめ》で、お|気《き》には|入《い》りますまいが、どうぞお|節《せつ》の|婿《むこ》になつて|下《くだ》され。これが|婆《ばば》アの|一生《いつしやう》の|頼《たの》みぢや。……コレコレお|節《せつ》、お|前《まへ》も|頼《たの》まぬかいナ』
お|節《せつ》『………』
|常彦《つねひこ》『ナアーンと|偉《えら》いローマンスを|見《み》せて|頂《いただ》きました。ナア|夏彦《なつひこ》、|此《こ》の|間《あひだ》は|高山彦《たかやまひこ》と|黒姫《くろひめ》のお|安《やす》うない|所《ところ》を|拝観《はいくわん》さして|貰《もら》ひ、|今日《けふ》は|又《また》|一層《いつそう》|濃厚《のうこう》なローマンスを|目《め》の|前《まへ》にブラ|下《さ》げられて、……イヤもうお|芽出《めで》たい|事《こと》ぢや。……|青彦《あをひこ》さま、|一杯《いつぱい》|奢《おご》りなされや』
|青彦《あをひこ》『お|婆《ば》アさま、|私《わたくし》の|様《やう》な|破《やぶ》れ|宣伝使《せんでんし》に|大事《だいじ》の|娘《むすめ》|様《さま》の|婿《むこ》になつてくれいと|仰有《おつしや》るのは、|有難《ありがた》う|御座《ござ》いますが、|私《わたくし》は|今《いま》|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》の|御命令《ごめいれい》によりて、|鬼ケ城《おにがじやう》の|言霊戦《ことたません》に|出陣《しゆつぢん》せねばなりませぬ。|又《また》|私《わたくし》|一量見《いちりやうけん》ではゆきませぬから、|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》や、|音彦《おとひこ》さまのお|許《ゆる》しを|得《え》て、ご|返辞《へんじ》を|致《いた》します。それ|迄《まで》|何卒《どうぞ》|待《ま》つて|下《くだ》さいませ。……かういふ|内《うち》にも|心《こころ》が|急《せ》けます。|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》が、|青彦《あをひこ》はどこへ|行《い》つただらうと、お|尋《たづ》ね|遊《あそ》ばして|御座《ござ》るに|違《ちが》ひない。|肝腎要《かんじんかなめ》の|場合《ばあひ》、|女《をんな》の|愛《あい》にひかされてコンナ|所《ところ》へ|舞《ま》ひ|戻《もど》つて|来《き》たと|思《おも》はれてはなりませぬから、|兎《と》も|角《かく》|御返辞《ごへんじ》は|後《あと》に|致《いた》しませう。|左様《さやう》なれば……|御機嫌《ごきげん》よう……お|婆《ば》アさま、お|節《せつ》どの』
と|言《い》ひすてて|門口《かどぐち》へ|急《いそ》ぎ|出《い》でむとするをお|楢《なら》は、
『どうぞ、お|節《せつ》の|事《こと》を|忘《わす》れて|下《くだ》さるなや』
|常彦《つねひこ》『モシモシ|青彦《あをひこ》さま、どうぞ|私《わたくし》も|鬼ケ城《おにがじやう》へ|連《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さい』
|夏彦《なつひこ》『|私《わたくし》も、どうぞ、お|伴《とも》をさして|下《くだ》さい』
|青彦《あをひこ》『|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》の|意見《いけん》を|聞《き》かねば、|何《なん》ともお|答《こたへ》は|出来《でき》かねますが、|御都合《ごつがふ》が|好《よ》ければ、|私《わたくし》と|一緒《いつしよ》に|参《まゐ》りませう』
|二人《ふたり》『どうぞ|宜《よろ》しうお|頼《たの》み|申《まを》す。……|婆《ば》アさま、お|節《せつ》さま、|偉《えら》いお|邪魔《じやま》を|致《いた》しました。|御縁《ごえん》が|有《あ》れば|又《また》お|目《め》にかかりませう』
お|楢《なら》『|左様《さやう》なら……』
お|節《せつ》『|御機嫌《ごきげん》よう……』
と|青彦《あをひこ》は|此《この》|家《や》を|後《あと》に、|心《こころ》いそいそ|南《みなみ》を|指《さ》して|二人《ふたり》を|伴《ともな》ひ、|韋駄天《ゐだてん》|走《ばし》りに|走《はし》り|行《ゆ》く。
(大正一一・四・二二 旧三・二六 松村真澄録)
第三篇 |鬼ケ城山《おにがじやうざん》
第一二章 |花《はな》と|花《はな》〔六二三〕
メソポタミヤの|瑞穂国《みづほくに》  |世界《せかい》の|楽土《らくど》と|聞《きこ》えたる
|顕恩郷《けんおんきやう》を|振《ふ》りすてて  |自転倒島《おのころじま》に|逃《に》げ|来《きた》り
|醜《しこ》の|曲津《まがつ》の|大江山《おほえやま》  |山寨《とりで》を|構《かま》へて|神国《かみくに》を
|蹂躙《じうりん》せむと|千万《ちよろづ》に  |心《こころ》を|尽《つく》す|鬼雲彦《おにくもひこ》は
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》に  |仕《つか》へまつれる|鬼武彦《おにたけひこ》に
|逐《お》ひ|退《やら》はれて|中空《ちうくう》を  |翔《かけ》つて|伊吹《いぶき》の|山《やま》の|辺《へ》に
|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|散《ち》れど  |鬼雲彦《おにくもひこ》が|力《ちから》と|頼《たの》む
|剛力《がうりき》|無双《むさう》の|曲司《まがつかさ》  |名《な》も|怖《おそ》ろしき|鬼熊別《おにくまわけ》は
|八岐大蛇《やまたをろち》の|醜《しこ》の|霊《みたま》に|操《あやつ》られ  |荒鷹《あらたか》|鬼鷹《おにたか》|諸共《もろとも》に
|大江《おほえ》の|山《やま》の|峰《みね》つづき  |鬼ケ城《おにがじやう》にと|第二《だいに》の|砦《とりで》を|構《かま》へ
|時《とき》を|計《はか》らひ|捲土重来《けんどぢうらい》の  |秘策《ひさく》を|凝《こ》らし
|一挙《いつきよ》に|聖地《せいち》に|攻《せ》め|寄《よ》せて  |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》や
|国武彦《くにたけひこ》の|大神《おほかみ》の  |神政成就《しんせいじやうじゆ》の|経綸地《けいりんち》
|桶伏山《をけふせやま》の|蓮華台《れんげだい》  |続《つづ》いて|四尾《よつを》の|神山《かみやま》を
|力限《ちからかぎ》りに|占領《せんりやう》せむと  |心《こころ》を|砕《くだ》くぞ|果《はか》|無《な》けれ。
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|悦子姫《よしこひめ》は|音彦《おとひこ》、|加米彦《かめひこ》を|伴《ともな》ひ|真名井ケ原《まなゐがはら》を|後《あと》にして|三獄山《みたけやま》に|差《さし》かかる。|時《とき》しもあれや|谷川《たにがは》に、|血《ち》に|塗《まみ》れたる|衣《ころも》を|濯《すす》ぐ|一人《ひとり》の|美人《びじん》、|三人《さんにん》の|姿《すがた》を|眺《なが》めて|呆《あき》れ|顔《がほ》、
|音彦《おとひこ》『モシモシ|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》、|此《この》|深山幽谷《しんざんいうこく》に|見《み》らるる|如《ごと》き|妙齢《めうれい》の|美人《びじん》|唯《ただ》|一人《ひとり》、|血《ち》に|塗《まみ》れたる|衣《きぬ》を|洗《あら》ひ、|吾々《われわれ》の|姿《すがた》を|眺《なが》めて|何《なに》か|思案顔《しあんがほ》、これには|深《ふか》き|様子《やうす》のある|事《こと》で|御座《ござ》いませう。|一《ひと》つあの|女《をんな》を|引捉《ひつとら》まへて|詰問《きつもん》して|見《み》ませうか』
|悦子姫《よしこひめ》『|何《なに》を|云《い》うても|人里《ひとざと》|離《はな》れし|此《この》|谷川《たにがは》、|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|事《こと》である。|貴方《あなた》|御苦労《ごくらう》だが|柔《おと》なしくあの|女《をんな》に|聞《き》いて|見《み》て|下《くだ》さい』
|音彦《おとひこ》『|承知《しようち》|致《いた》しました、|加米彦《かめひこ》、お|前《まへ》は|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》と|此処《ここ》に|待《ま》つて|居《ゐ》て|呉《く》れ、|俺《おれ》は|此《この》|谷川《たにがは》を|渡《わた》つて|怪《あや》しの|女《をんな》に|一《ひと》つ|質問《しつもん》をやつて|見《み》る、|大抵《たいてい》この|山《やま》の|様子《やうす》も|分《わか》らうから』
と|云《い》ふより|早《はや》く|裾《すそ》をからげ|谷川《たにがは》を|向岸《むかう》へ|渡《わた》つた。
|音彦《おとひこ》『コレヤコレヤ、|人里《ひとざと》|離《はな》れしこの|深山幽谷《しんざんいうこく》に|浦若《うらわか》き|女《をんな》の|一人《ひとり》、|血《ち》に|塗《まみ》れたる|衣服《いふく》を|洗濯《せんたく》|致《いた》し|居《を》るは|如何《いか》なる|理由《りいう》あつてか、|定《さだ》めて|此《この》|辺《へん》には|悪神《あくがみ》の|巣窟《さうくつ》があつて、|人《ひと》を|取《と》り|喰《くら》うと|察《さつ》せらるる、サア【つぶさ】に|委細《ゐさい》を|物語《ものがた》れよ』
|女《をんな》は|涙《なみだ》をはらはらと|流《なが》しながら、
『ハイ|私《わたくし》は|都《みやこ》の|女《をんな》で|御座《ござ》います、|大江山《おほえやま》の|鬼雲彦《おにくもひこ》が|一味《いちみ》の|悪神《あくがみ》、|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》の|両人《りやうにん》が、|真名井ケ原《まなゐがはら》の|神様《かみさま》へ|二人《ふたり》の|僕《しもべ》を|従《したが》へ|参詣《さんけい》の|途中《とちう》、|言葉《ことば》|巧《たくみ》に|計略《けいりやく》をもつて|妾《わらは》|主従《しゆじゆう》を|連《つ》れ|来《きた》り、|二人《ふたり》の|下僕《しもべ》は|種々《いろいろ》と|苦役《くえき》を|命《めい》ぜられ、|身体《しんたい》|疲労《ひらう》の|結果《けつくわ》、もはや|手足《てあし》も|動《うご》けなくなりまして、|苦《くる》しみ|悶《もだ》える|所《ところ》を、|慈悲《じひ》も|情《なさけ》も|荒鷹《あらたか》|鬼鷹《おにたか》の|両人《りやうにん》の|指揮《しき》の|下《もと》に、|寄《よ》つて|集《たか》つて|二人《ふたり》の|下僕《しもべ》を|嬲殺《なぶりごろ》し、|手足《てあし》をもぎ|取《と》り、|真裸《まつぱだか》となし|土中《どちう》に|埋《う》めましたさうです。さうして|妾《わらは》は|情《なさけ》けない|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》|両人《りやうにん》に|虐《しいた》げられ、あるにあられぬ|悲《かな》しい|月日《つきひ》を|送《おく》つて|居《を》ります。|今日《けふ》は|幸《さいは》ひ|両人《りやうにん》|鬼ケ城《おにがじやう》の|鬼熊別《おにくまわけ》が|大将《たいしやう》の|許《もと》に|召《め》されて|参《まゐ》りました。|後《あと》には|四五《しご》の|下僕《しもべ》|共《ども》、|二人《ふたり》の|留守《るす》を|幸《さいは》ひお|酒《さけ》を|呑《の》ませ|酔《よ》はして|置《お》いて、|下僕《しもべ》|二人《ふたり》が|着衣《ちやくい》を|探《さが》し|求《もと》め、|此《この》|谷水《たにみづ》に|洗《あら》ひ|清《きよ》め|天日《てんぴ》に|乾《ほ》し、これを|夜具《やぐ》に|造《つく》り|替《か》へて、せめては|下僕《しもべ》の|遺物《かたみ》と|彼《かれ》が|菩提《ぼだい》を|弔《とむら》うため、|妾《わらは》が|肌身《はだみ》につけ|其《その》|霊《れい》を|慰《なぐさ》めやらむと|今《いま》|此処《ここ》に、|隙《すき》を|窺《うかが》ひ|洗濯《せんたく》に|参《まゐ》りました』
と、ワツと|許《ばか》りに|泣《な》き|入《い》りぬ。|音彦《おとひこ》は|両手《りやうて》を|組《く》み|太息《ふといき》を|吐《つ》きながら、
『|嗚呼《ああ》|飽迄《あくまで》も|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|大自在天《だいじざいてん》、バラモン|教《けう》の|奴輩《やつばら》の|惨虐《ざんぎやく》さ』
と|音彦《おとひこ》は|涙《なみだ》を|腮辺《しへん》にハラハラと|流《なが》し、|黙念《もくねん》としてうつむき|居《ゐ》る。
|女《をんな》『|貴方様《あなたさま》は|何《いづ》れの|方《かた》かは|存《ぞん》じませぬが、|一寸《ちよつと》お|見受《みう》け|申《まを》せば|力《ちから》の|強《つよ》さうな|御姿《おすがた》、|美《うつく》しき|御婦人《ごふじん》を|連《つ》れて|何《いづ》れへお|越《こ》し|遊《あそ》ばしますか。|此《この》|三獄山《みたけやま》は、|大江山《おほえやま》の|峰続《みねつづ》き、|鬼ケ城《おにがじやう》との|中心点《ちうしんてん》に|聳立《そばだ》つ、|恐《おそ》ろしき|魔《ま》の|山《やま》で|御座《ござ》います。これから|先《さき》には|沢山《たくさん》の|魔神《まがみ》が|棲《す》みて|居《を》りますれば、これより|先《さき》は|剣呑《けんのん》|千万《せんばん》、どうぞ|此《この》|場《ば》よりお|引《ひ》き|返《かへ》し|下《くだ》さいませ、|又《また》|妾《わらは》の|如《ごと》き|憂目《うきめ》にお|遇《あ》ひなされてはお|気《き》の|毒《どく》で|御座《ござ》います』
|音彦《おとひこ》は|目《め》をしばたたきながら、
『オヽお|女中《ぢよちう》、|御親切《ごしんせつ》に|能《よ》く|云《い》うて|下《くだ》さいました。|併《しか》しながら|吾々《われわれ》は、|人《ひと》を|助《たす》ける|神《かみ》の|取次《とりつぎ》、|如何《いか》なる|悪魔《あくま》も|言向《ことむ》け|和《やは》さねばならぬ|神界《しんかい》の|使命《しめい》を|帯《お》びて|参《まゐ》つたもの、|仮令《たとへ》|如何《いか》なる|鬼《おに》|大蛇《をろち》、|魔神《まがみ》の|襲来《しふらい》|致《いた》すとも、|一歩《いつぽ》たりとも|退却《たいきやく》|致《いた》す|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。どうぞ|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》の|住家《すみか》へ|御案内《ごあんない》|下《くだ》さいませ』
|女《をんな》『|左様《さやう》では|御座《ござ》いませうが|貴方等《あなたら》は|一行《いつかう》|三人《さんにん》、|一方《いつぱう》は|数《かず》|限《かぎ》りのない|悪魔《あくま》の|集団《しふだん》、|何程《なにほど》|貴方《あなた》が|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》でも|多数《たすう》と|少数《せうすう》、|勝敗《しようはい》の|数《すう》は|戦《たたか》はずして|分《わか》つて|居《を》ります。サアサアどうぞ|早《はや》くお|帰《かへ》り|遊《あそ》ばせ』
|音彦《おとひこ》『|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|併《しか》しながら|先刻《せんこく》|承《うけたま》はれば|貴方《あなた》は|都《みやこ》の|女《をんな》と|仰《あふ》せられましたが、|何《なん》と|云《い》ふお|方《かた》で|御座《ござ》います』
|女《をんな》『ハイ、|名《な》を|聞《き》かれては|恥《はづ》かしう|御座《ござ》いますが、|妾《わらは》は|紫姫《むらさきひめ》と|申《まを》す|不恙《ふつつか》な|女《をんな》で|御座《ござ》います』
|谷川《たにがは》の|向《むかう》より|加米彦《かめひこ》、|大《おほ》きな|声《こゑ》で、
『オーイオーイ、|音彦《おとひこ》、|美人《びじん》を|捉《とら》へて|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》|云《い》つて|居《を》るのだ。|吾々《われわれ》を|待《ま》たして|置《お》いて|密約《みつやく》|締結《ていけつ》でもやつて|居《を》るのか、ソンナ|陽気《やうき》な|場合《ばあひ》ぢやないぞ、コンナ|谷底《たにそこ》でいちやつく|奴《やつ》があるか、|好《よ》い|加減《かげん》に|談判《だんぱん》を|切《き》り|上《あ》げて|敵情《てきじやう》を|大本営《だいほんえい》に|報告《はうこく》しないか、|悦子姫《よしこひめ》|女王様《ぢよわうさま》が|顔色《がんしよく》を|変《か》へて|御機嫌斜《ごきげんななめ》なりだ。アハヽヽヽ』
|悦子姫《よしこひめ》は|聞《き》き|咎《とが》め、
『これこれ|加米彦《かめひこ》さま、|悦子姫《よしこひめ》の|御機嫌斜《ごきげんななめ》なりとは|何《なに》を|仰有《おつしや》る』
|加米彦《かめひこ》『アア|済《す》みませぬ、|私《わたくし》の|言葉《ことば》は|意味深長《いみしんちやう》に|聞《きこ》えたでせう、どうぞ|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》して|下《くだ》さいませ、|時《とき》の|興《きよう》に|乗《じやう》じつい|洒落気《しやれき》になつて|音彦《おとひこ》に|揶揄《からかつ》て|見《み》たのですよ。|谷川《たにがは》の|此方《こちら》には|花《はな》を|斯《あざむ》く|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》、そして|加米彦《かめひこ》の|配合《はいがふ》、|川《かは》の|対岸《むこう》には|妙齢《めうれい》のナイス、|音彦《おとひこ》の|大丈夫《ますらを》、|谷《たに》を|隔《へだ》てて|一対《いつつい》の|若夫婦然《わかふうふぜん》とした|此《この》|光景《くわうけい》、|絵《ゑ》にあるやうなスタイルぢやありませぬか。|樹木《じゆもく》の|間《あひだ》に|雪《ゆき》はチラチラと|残《のこ》り、|淙々《そうそう》たる|渓流《けいりう》は|琴《こと》を|弾《だん》じ、|幽邃閑雅《いうすゐかんが》の|深谷川《ふかたにがは》、|上手《じやうず》な|画工《ぐわこう》にでも|写生《しやせい》させたら|随分《ずゐぶん》|立派《りつぱ》なものが|出来《でき》ませう、アハヽヽヽ』
|悦子姫《よしこひめ》『|加米彦《かめひこ》さま、|此処《ここ》は|最《もつと》も|危険《きけん》|区域《くゐき》ですよ、|些《ちつ》と|緊張《きんちやう》しなさらぬか』
|加米彦《かめひこ》『|柔《じう》|能《よ》く|剛《がう》を|制《せい》す、|剛《がう》|中《ちう》|柔《じう》あり|柔《じう》|中《ちう》|剛《がう》あり、|敵地《てきち》に|臨《のぞ》んで|悠々《いういう》|閑々《かんかん》|綽々《しやくしやく》として|余裕《よゆう》を|存《ぞん》するは、ヒーロー|豪傑《がうけつ》の|心事《しんじ》で|御座《ござ》る、アハヽヽヽ』
|川向《かはむか》ふより|音彦《おとひこ》、
『オーイオーイ|加米彦《かめひこ》、|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》のお|伴《とも》をして|此地《こつち》へ|渡《わた》つて|来《こ》い、|耳《みみ》よりの|話《はなし》がある』
|加米彦《かめひこ》『ヨシヨシ、|悦子姫《よしこひめ》さま、サア|参《まゐ》りませう、|此《この》|深《ふか》い|谷川《たにがは》、|貴方《あなた》は|御婦人《ごふじん》の|身《み》、お|困《こま》りでせう、|何《なん》なら|加米彦《かめひこ》の|背《せ》に|被負《おぶさ》つて|下《くだ》さい』
|悦子姫《よしこひめ》『|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》う|御座《ござ》います、|併《しか》し|乍《なが》ら|加米彦《かめひこ》さま、|自分《じぶん》の|事《こと》は|自分《じぶん》で|処置《しよち》をつけねばならぬぢやありませぬか、|神様《かみさま》の|教《をしへ》には|必《かなら》ず|人《ひと》を|杖《つゑ》につくなと|御座《ござ》います』
|加米彦《かめひこ》『|其《その》お|言葉《ことば》は|尤《もつと》もながら|何《なん》だか|案《あん》じられてなりませぬ、|然《しか》らばお|手《て》を|取《と》つて|上《あ》げませう、サア|参《まゐ》りませう』
と|裾《すそ》をからげ、|谷川《たにがは》に|下《お》りたちぬ。
|悦子姫《よしこひめ》『|加米彦《かめひこ》さま、|妾《わらは》が|貴方《あなた》の|手《て》を|引《ひ》いて|上《あ》げませう、|大変《たいへん》な|危険《きけん》な|激流《げきりう》で|御座《ござ》いますから』
と|互《たがひ》に|友《とも》の|危難《きなん》を|気遣《きづか》ふ|殊勝《しゆしよう》さ。
|加米彦《かめひこ》『アア|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い、この|谷川《たにがは》が|無《な》くば|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》と|握手《あくしゆ》したり|提携《ていけい》したりすると|云《い》ふ|事《こと》は|出来《でき》ない、|南無谷川大明神《なむたにがはだいみやうじん》』
|悦子姫《よしこひめ》『ホヽヽヽ、|冗談《ぜうだん》も|好《よ》い|加減《かげん》になされませ』
|加米彦《かめひこ》『|冗談《ぜうだん》から|暇《ひま》が|出《で》る、|瓢箪《へうたん》から|駒《こま》が|出《で》る、|三獄山《みたけやま》から|古今無双《ここんむさう》のナイスが|現《あら》はれる、|大江山《おほえやま》から|鬼《おに》が|出《で》る、|鬼ケ城《おにがじやう》から|大蛇《をろち》が|出《で》る、|私《わたし》の|口《くち》から|涎《よだれ》が|出《で》る、|余《あま》り|嬉《うれ》しうて|涙《なみだ》が|出《で》る、アハヽヽヽ』
|悦子姫《よしこひめ》『ホヽヽヽ、これこれ|加米彦《かめひこ》さま|確《しつか》りしなさらぬか、|辷《すべ》つたら|大変《たいへん》ぢやありませぬか』
|加米彦《かめひこ》『|辷《すべ》つても|転《ころ》げても|構《かま》ひますものか、|貴女《あなた》と|私《わたし》と|此《この》|谷川《たにがは》で|悦《よろこ》びて|転《ころ》こンで|寝転《ねころ》ンで|辷《すべ》り|込《こ》ンで|心中《しんぢう》したら|一寸《ちよつと》|乙《おつ》でせう、|美男《びなん》と|美人《びじん》の|心中《しんぢう》|物語《ものがたり》、いつの|世《よ》にか|稗田《ひえだ》の|阿礼《あれい》の|二代目《にだいめ》が|現《あら》はれて、|霊界物語《れいかいものがたり》に|此《この》ローマンスを|針小棒大《しんせうぼうだい》に|書《か》き|立《た》て、|名《な》を|竹帛《ちくはく》に|垂《た》れ|末代《まつだい》の|語《かた》り|草《ぐさ》にして|呉《く》れるかも|知《し》れませぬよ、アハヽヽヽ』
|悦子姫《よしこひめ》『|加米彦《かめひこ》さま、|何《ど》うやらお|蔭《かげ》で|無難《ぶなん》に|渡《わた》つて|来《き》ました』
|加米彦《かめひこ》『アヽ|割《わ》りとは|狭《せま》い|川《かは》だ、|貴女《あなた》と|一緒《いつしよ》に|握手《あくしゆ》|提携《ていけい》して|歩《ある》くなら、|仮令《たとへ》|河幅《かははば》が|三里《さんり》あつても|五里《ごり》あつても、|少《すこ》しも、|遠《とほ》いとは|思《おも》ひませぬワ』
|悦子姫《よしこひめ》『ホヽヽヽ、|加米《かめ》さま、|好《よ》い|加減《かげん》に|惚気《のろけ》て|置《お》きなさい』
とポンと|叩《たた》く。|加米《かめ》、|首《くび》をすくめ|目《め》を|細《ほそ》うし、|舌《した》を|一寸《ちよつと》|出《だ》して、
『ヤア|占《し》めた|占《し》めた、お|出《いで》たな、もつともつと|叩《たた》いて|下《くだ》さいな』
|悦子姫《よしこひめ》『アヽ|加米《かめ》さまの|好《す》かぬたらしいお|方《かた》、ホヽヽヽ』
|音彦《おとひこ》『オーイオーイ、|加米彦《かめひこ》、|何《なん》だか|知《し》らぬが|御機嫌斜《ごきげんななめ》ならずだなア、|要領《えうりやう》を|得《え》たのか、|密約《みつやく》は|成立《せいりつ》したか』
|悦子姫《よしこひめ》『ホヽヽヽ』
|加米彦《かめひこ》『|何《なに》、|条約《でうやく》|不成立《ふせいりつ》|不得要領《ふとくえうりやう》だ』
|音彦《おとひこ》『|不得要領《ふとくえうりやう》の|中《うち》に|要領《えうりやう》を|得《う》るのが|戦術家《せんじゆつか》の|智略《ちりやく》だ、アハヽヽヽ』
|紫姫《むらさきひめ》『ホヽヽヽ、|貴方等《あなたがた》は|気楽《きらく》なお|方《かた》ですねえ、|最前《さいぜん》からの|皆様《みなさま》のお|話《はなし》で|私《わたくし》の|心《こころ》の|憂愁《いうしう》も|何処《どこ》へやら|煙散霧消《えんさんむせう》して|仕舞《しま》ひましたワ』
|悦子姫《よしこひめ》、|加米彦《かめひこ》は|漸《やうや》く|二人《ふたり》の|前《まへ》に|辿《たど》り|着《つ》きぬ。
|音彦《おとひこ》『モシモシ|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》、|此《この》お|方《かた》は|紫姫《むらさきひめ》と|云《い》つて|都《みやこ》の|方《かた》ぢやさうです、|二人《ふたり》の|下僕《しもべ》を|従《したが》へ|真名井ケ原《まなゐがはら》へ|参詣《さんけい》の|途中《とちう》、|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》|両人《りやうにん》に|誘拐《かどはか》され、|二人《ふたり》の|下僕《しもべ》が|嬲殺《なぶりごろ》しに|遇《あ》はされたさうです、|気《き》の|毒《どく》ぢやありませぬか』
|悦子姫《よしこひめ》『………』
|加米彦《かめひこ》『ナニ、|二人《ふたり》の|下僕《しもべ》が|嬲殺《なぶりごろ》しに|遇《あ》つたと、ヨシ|俺《おれ》にも|考《かんが》へがある、サア|音彦《おとひこ》、|其《その》|荒鷹《あらたか》|鬼鷹《おにたか》と|云《い》ふ|奴《やつ》、これから|一《ひと》つ|鬼ケ城《おにがじやう》を|征伐《せいばつ》の|門出《かどで》の|血祭《ちまつり》にしやうではないか、モシモシ|紫姫《むらさきひめ》|様《さま》、|長《なが》らくお|目《め》に|懸《かか》りませぬ、|御機嫌《ごきげん》|宜敷《よろし》う、|誠《まこと》に|御無沙汰《ごぶさた》を|致《いた》しまして』
|紫姫《むらさきひめ》『|貴方《あなた》は|何方《どなた》で|御座《ござ》いましたか、|記憶《きおく》に|浮《う》かびませぬ』
|加米彦《かめひこ》『アヽさうでした、|初《はじ》めてお|目《め》にぶら|下《さが》つたのですよ、|私《わたくし》の|若《わか》い|時《とき》のスヰートハートしたナイスに、|何処《どこ》やら|能《よ》く|似《に》まして|御座《ござ》るものだから、つい|考《かんが》へ|違《ちが》ひを|致《いた》しました、アハヽヽヽ』
|音彦《おとひこ》『ワハヽヽヽ』
|紫姫《むらさきひめ》『ホヽヽヽヽ』
|紫姫《むらさきひめ》、|初《はじ》めてニタリと|笑《わら》ふ。
|音彦《おとひこ》『|紫姫《むらさきひめ》さま、|貴女《あなた》の|囚《とら》はれて|居《ゐ》る|巌窟《がんくつ》に|案内《あんない》して|下《くだ》さい、これから|行《い》つて|悪神《あくがみ》の|奴《やつ》、|片《かた》つ|端《ぱし》から|粉砕《ふんさい》して|呉《く》れませう、ヤア|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、|腕《うで》が|鳴《な》つて|耐《たま》らないワ、この|握《にぎ》り|拳《こぶし》のやり|所《どころ》が|無《な》い、サア|早《はや》く|案内《あんない》して|下《くだ》さいナ』
|紫姫《むらさきひめ》『ヤアそれはお|見合《みあは》せ|遊《あそ》ばせ、|大変《たいへん》で|御座《ござ》いますよ、ならう|事《こと》なら|妾《わらは》も|一緒《いつしよ》に|連《つ》れて|逃《に》げて|下《くだ》さいませぬか』
|加米彦《かめひこ》『エヽ|気《き》の|弱《よわ》い|事《こと》を|仰有《おつしや》るな、|吾々《われわれ》は|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の|御守護《ごしゆご》がある、|必《かなら》ず|必《かなら》ず|御心配《ごしんぱい》なさいますな、サア|案内《あんない》して|下《くだ》さい、|悦子姫《よしこひめ》さま、|音彦《おとひこ》|殿《どの》、サア|往《ゆ》きませう』
|紫姫《むらさきひめ》『|左様《さやう》なら|妾《わらは》が|御案内《ごあんない》|致《いた》します、|荊棘《けいきよく》|茂《しげ》る|難路《なんろ》で|御座《ござ》います、|残《のこ》ンの|雪《ゆき》も|溜《たま》つて|居《を》りますれば|足許《あしもと》に|気《き》をつけて|下《くだ》さいや』
と|先《さき》に|立《た》つ。|一行《いつかう》は|雪《ゆき》の|坂道《さかみち》|辿《たど》つて|紫姫《むらさきひめ》の|後《あと》について|行《ゆ》く。|紫姫《むらさきひめ》に|導《みちび》かれ|二三丁《にさんちやう》|羊腸《やうちやう》の|小道《こみち》を|辿《たど》り|行《ゆ》く。|前方《ぜんぱう》に|見上《みあぐ》る|許《ばか》りの|大岩石《だいがんせき》|広《ひろ》く|左右《さいう》に|二三丁《にさんちやう》|許《ばか》り|展開《てんかい》し|居《ゐ》たり。
|紫姫《むらさきひめ》は|中央《まんなか》の|岩石《がんせき》を|指《さ》し、
『|皆様《みなさま》、あの|巌《いはほ》の|下《した》に|巨大《きよだい》なる|穴《あな》が|開《あ》いて|居《を》ります、|今日《けふ》は|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》の|大将株《たいしやうかぶ》は|鬼ケ城《おにがじやう》に|参《まゐ》りまして|不在《ふざい》で|御座《ござ》います。|四五人《しごにん》の|小鬼《こおに》|共《ども》は|皆《みな》|酒《さけ》に|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れて|寝《やす》みて|居《を》りますから|大丈夫《だいぢやうぶ》、|御安心《ごあんしん》して|下《くだ》さいませ』
|加米彦《かめひこ》『ヤア|思惑《おもわく》とは|洒落《しやれ》た|事《こと》を|悪神《あくがみ》の|奴《やつ》やつて|居《を》る|哩《わい》、|山《やま》|又《また》|山《やま》に|包《つつ》まれたこの|高山《かうざん》の|幽谷《いうこく》、|難攻不落《なんこうふらく》の|金城鉄壁《きんじやうてつぺき》とは|此《この》|事《こと》だ。|遉《さすが》は|悪神《あくがみ》だけあつて|好《よ》い|地利《ちり》を|選《えら》ンだものだ。|一卒《いつそつ》|道《みち》に|当《あた》れば|万軍《ばんぐん》|進《すす》む|能《あた》はずと|云《い》ふ|要害《えうがい》|堅固《けんご》の|絶所《ぜつしよ》だなア』
と|首《くび》を|傾《かたむ》け|呆《あき》れて|舌《した》を|捲《ま》いて|居《ゐ》る。
|音彦《おとひこ》『よく|感心《かんしん》する|男《をとこ》だなア、|加米《かめ》さま|気《き》に|入《い》つたかな』
|加米彦《かめひこ》『|気《き》に|入《い》るの|入《い》らないのつて、いやもうずつと|気《き》に|入《い》りました、|風景《ふうけい》と|云《い》ひ|要害《えうがい》と|云《い》ひ|天下《てんか》の|珍《ちん》だ、サアサア|往《い》きませう、|巌窟《がんくつ》の|探険《たんけん》も|退屈《たいくつ》ざましに|面白《おもしろ》からう』
と|先《さき》に|立《た》つて|走《はし》り|出《だ》すを、|紫姫《むらさきひめ》は|手《て》を|挙《あ》げて、
『モシモシ|貴方《あなた》、|妾《わらは》が|御案内《ごあんない》|致《いた》しませう、|其処《そこ》には|深《ふか》い|深《ふか》い|陥穽《おとしあな》が|御座《ござ》います、|滅多《めつた》|矢鱈《やたら》にお|出《いで》なさつては|剣呑《けんのん》で|御座《ござ》いますから』
|加米彦《かめひこ》は|耳《みみ》にもかけず|巌窟《がんくつ》|目蒐《めが》けて|一目散《いちもくさん》に|駆出《かけだ》したるが、|忽《たちま》ちドサツと|音《おと》して|陥穽《おとしあな》に|落《お》ち|込《こ》みにける。
|紫姫《むらさきひめ》『アヽ|大変《たいへん》|大変《たいへん》、|皆様《みなさま》どうぞ|助《たす》けて|上《あ》げて|下《くだ》さいませ』
|音彦《おとひこ》『|慌者《あわてもの》だなア、|仕方《しかた》が|無《な》い』
と|走《はし》り|行《ゆ》かむとするを|紫姫《むらさきひめ》は、
『モシモシ|慌《あわて》て|下《くだ》さるな、|沢山《たくさん》の|陥穽《おとしあな》、|妾《わらは》が|御案内《ごあんない》|致《いた》します、|後《あと》からついて|来《き》て|下《くだ》さい』
|音彦《おとひこ》『アヽさうかなア、|何処迄《どこまで》も|注意《ちうい》|周到《しうたう》なものだ、ソンナラ|先頭《せんとう》を|頼《たの》みませう、|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》、|失礼《しつれい》ながらお|先《さき》に|参《まゐ》ります、|私《わたくし》の|足跡《あしあと》を|踏《ふ》みて|来《き》て|下《くだ》さい、|危険《きけん》ですから』
|悦子姫《よしこひめ》『ハイ|有難《ありがた》う』
|加米彦《かめひこ》は|二三丈《にさんぢやう》もある|深《ふか》い|陥穽《おとしあな》に|落《お》ち|込《こ》みしが、|幸《さいは》ひ|少《すこ》しの|怪我《けが》もなく|井戸《ゐど》の|底《そこ》に|突立《つつた》ちながら、
『ヤア|悪神《わるがみ》の|奴《やつ》、エライ|事《こと》をしよつた。|紫姫《むらさきひめ》とやら、|彼奴《あいつ》は|鬼熊別《おにくまわけ》|一味《いちみ》の|奴《やつ》に|相違《さうゐ》ない、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》ると|悦子姫《よしこひめ》さまも|音彦《おとひこ》も|同《おな》じやうに、|空中《くうちう》|滑走《かつそう》|井底《せいてい》|着陸《ちやくりく》とやられるか|知《し》れやしないぞ、かうして|井底《せいてい》に|佇立《ちよりつ》して|居《ゐ》る|頭《あたま》の|上《うへ》から|岩石《がんせき》でも|落《おと》されやうものなら、それこそお|耐《たま》り|小坊子《こぼし》が|無《な》いワイ、|嗚呼《ああ》|縮尻《しくじつ》たりな|縮尻《しくじつ》たりな、|三五教《あななひけう》は|穴《あな》が|無《な》くて|安心《あんしん》だが、|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》は【どこ】も【か】も|穴《あな》だらけだ。|穴《あな》|怖《おそ》ろしの|娑婆《しやば》|世界《せかい》』
と|呟《つぶや》き|居《ゐ》たりしが、|足許《あしもと》の|水溜《みづたま》りにパツと|写《うつ》つた|悦子姫《よしこひめ》の|顔《かほ》、
|加米彦《かめひこ》『ヤア|又《また》|出《で》やがつたな、|彼《あ》の|谷川《たにがは》を|渡《わた》る|時《とき》、|悦子姫《よしこひめ》さまに|揶揄《からか》つたものだから、|紫姫《むらさきひめ》の|奴《やつ》、|加米彦《かめひこ》は|悦子姫《よしこひめ》に|現《うつつ》を|抜《ぬ》かしてゐると|早合点《はやがつてん》しよつて、|井《ゐ》の|底《そこ》に|姫《ひめ》の|顔《かほ》を|現《あら》はしよつたのだな、どつこい|其《その》|手《て》は|喰《く》はぬぞ、|総《すべ》て|悪神《あくがみ》は|色《いろ》をもつて、|男子《だんし》を|死地《しち》に|陥入《おとしい》るると|聞《き》く、オイ|化物《ばけもの》、|悦子姫《よしこひめ》の|姿《すがた》を|見《み》せた|処《ところ》で|其《その》|手《て》に|乗《の》るものかい、|道心堅固《だうしんけんご》の|三五教《あななひけう》の|加米彦《かめひこ》だ、|馬鹿《ばか》にするない』
|頭上《づじやう》から|悦子姫《よしこひめ》は、
『モシモシ|加米彦《かめひこ》さま|大変《たいへん》なお|危《あぶ》ない|事《こと》で|御座《ござ》いました。お|怪我《けが》は|御座《ござ》いませぬか』
|加米彦《かめひこ》『ヤア|悦子姫《よしこひめ》さまか、ようマア|無事《ぶじ》で|陥穽《おとしあな》へもはまらないで|居《ゐ》て|下《くだ》さつた。|音彦《おとひこ》さまはどうなりました。|御無事《ごぶじ》ですかなア』
|悦子姫《よしこひめ》『ハイ|有難《ありがた》う、|此処《ここ》に|紫姫《むらさきひめ》さまと|来《き》て|居《を》られます、|貴方《あなた》をお|助《たす》けしやうと|思《おも》つて|綱《つな》を|編《あ》みて|居《を》るところで|御座《ござ》います、|暫《しばら》くお|待《ま》ち|下《くだ》さいませ』
|加米彦《かめひこ》『ヤア|有難《ありがた》う、|神《かみ》の|救《すく》ひの|御綱《おつな》、|此《この》|神《かみ》は|此《この》|人《ひと》と|思《おも》うて|綱《つな》をかけたら|放《はな》さぬぞよと|云《い》ふ|御神勅《ごしんちよく》の|実現《じつげん》だナア。アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|音彦《おとひこ》、|紫姫《むらさきひめ》の|二人《ふたり》は|手早《てばや》く|繩梯子《なはばしご》を|編《あ》み、|吊《つ》り|下《お》ろせば、|加米彦《かめひこ》は、
『ヤア|有難《ありがた》い』
と|手《て》を|合《あは》しゐる。
|音彦《おとひこ》『サア|加米彦《かめひこ》さま、この|綱《つな》に|確《しつか》り|掴《つか》まつた。|三人《さんにん》が|力《ちから》を|合《あは》して|釣《つ》り|上《あ》げませう、|一《いち》|二《に》|三《さん》』
と|三人《さんにん》|一度《いちど》に|手繰《たぐ》り|上《あ》げたり。
|加米彦《かめひこ》『アヽ|有難《ありがた》う、お|蔭《かげ》で|命《いのち》が|助《たす》かりました。|井戸《ゐど》い|目《め》に|遇《あ》うところだつた、アヽハヽヽ』
|紫姫《むらさきひめ》『|加米《かめ》|様《さま》とやら、お|怪我《けが》が|無《な》くてお|目出度《めでた》う|御座《ござ》います。サアこれから|巌窟《がんくつ》に|参《まゐ》りませう』
と|先《さき》に|立《た》ち|細《ほそ》い|穴《あな》を|潜《くぐ》り|入《い》る。|一行《いつかう》も|続《つづ》いて|巌窟《がんくつ》に|姿《すがた》を|隠《かく》しける。
(大正一一・四・二三 旧三・二七 加藤明子録)
第一三章 |紫姫《むらさきひめ》〔六二四〕
|細《ほそ》い|暗《くら》い|穴《あな》を|腰《こし》を|屈《かが》めて|二三十間《にさんじつけん》|進《すす》んで|行《ゆ》くと、|其処《そこ》に|明《あか》りのさした|稍《やや》|広《ひろ》き|隧道《すゐだう》が|前方《ぜんぱう》に|貫通《くわんつう》し|居《ゐ》たり。
|紫姫《むらさきひめ》『サア|之《これ》から|天井《てんじやう》も|高《たか》う|御座《ござ》います、|何卒《どうぞ》お|腰《こし》を|伸《の》ばしてお|歩《ある》き|下《くだ》さいませ、|此《この》|巌窟《がんくつ》は|長《なが》さ|三丁《さんちやう》|許《ばか》り|縦横《たてよこ》|十文字《じふもんじ》に|隧道《すゐだう》が|穿《うが》たれ、|処々《ところどころ》に|四角《しかく》い|岩窟《いはや》の|室《ま》が|御座《ござ》います。|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》の|居《を》ります|場所《ばしよ》は|特《とく》に|広《ひろ》く|築《きづ》いてあります』
|加米彦《かめひこ》『ヤア|益々《ますます》|鬼《おに》の|奴《やつ》、|洒落《しやれ》た|事《こと》をやつて|居《ゐ》よる|哩《わい》、|鬼ケ城《おにがじやう》へ|行《い》つて|不在中《ふざいちゆう》で|安心《あんしん》な|様《やう》なものだが、|若《も》しひよつと|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》ると|中途《ちうと》に|帰《かへ》つて|来《き》よつて、あの|細《ほそ》い|入口《いりぐち》をピツタリ|塞《ふさ》ぎよるか|但《ただし》は|青松葉《あをまつば》でも|燻《くす》べられたら、それこそ|大変《たいへん》だ、|良《い》い|加減《かげん》に|探険《たんけん》したら|斯様《かやう》な|危険《きけん》|地帯《ちたい》は|退却《たいきやく》するに|限《かぎ》る、ナア|音彦《おとひこ》さま』
|音彦《おとひこ》『さうだなア、|一方口《いつぱうぐち》を|塞《ふさ》がれては|袋《ふくろ》の|鼠《ねずみ》も|同然《どうぜん》だ』
|紫姫《むらさきひめ》『イエイエ|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな、|二ケ所《にかしよ》も|三ケ所《さんかしよ》も|非常口《ひじやうぐち》が|開《あ》いて|居《ゐ》ます、|妾《わたし》は|能《よ》く|承知《しようち》して|居《を》りますから|御安心《ごあんしん》して|下《くだ》さい』
|加米彦《かめひこ》『アヽさうですか、それなら|安心《あんしん》だ』
と|紫姫《むらさきひめ》の|後《あと》につき|大手《おほて》を|振《ふ》つて|大股《おほまた》にフン|張《ば》り|行《ゆ》く。
|加米彦《かめひこ》『ヤア|小鬼《こおに》|共《ども》が|沢山《たくさん》|寝《ね》て|居《ゐ》よるワ。オイオイ、|小鬼《こおに》の|奴《やつこ》、|起《お》きぬかい、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|悦子姫《よしこひめ》|一行《いつかう》の|御臨検《ごりんけん》だ、サアサア|之《これ》から|簡閲点呼《かんえつてんこ》の|始《はじ》まり』
|五六人《ごろくにん》の|男《をとこ》|吃驚《びつくり》して|起《お》き|上《あが》り、
『|何方《どなた》さまか|知《し》りませぬが|生憎《あいにく》|御大将《おんたいしやう》は|御不在《ごふざい》、|一向《いつかう》お|構《かま》ひ|出来《でき》ませぬ、|何卒《なにとぞ》|悠々《ゆるゆる》とお|休《やす》み|下《くだ》さいませ』
|加米彦《かめひこ》『|休《やす》めと|云《い》はいでも|休《やす》みてやる、|然《しか》し|乍《なが》ら|貴様達《きさまたち》は|何《なん》の|為《ため》に|留守番《るすばん》を|致《いた》して|居《を》るのぢや、|鬼《おに》の|上前《うはまへ》を|越《こ》す|音彦《おとひこ》や、|加米彦《かめひこ》がノソノソと|奥深《おくふか》く|進入《しんにふ》し、|此《この》|岩窟《いはや》は|最早《もはや》|陥落《かんらく》より|外《ほか》に|道《みち》なき|悲境《ひきやう》に|立《た》ち|到《いた》つて|居《を》るのに、|大将《たいしやう》の|留守《るす》を|窺《うかが》ひ、|秘蔵《ひざう》の|酒《さけ》に|喰《くら》ひ|酔《よ》ひ、|鱶《ふか》の|様《やう》に|愚助八兵衛《ぐうすけはちべゑ》と|前後《ぜんご》も|知《し》らず|寝《ね》て|居《を》るとは|不届《ふとど》き|至極《しごく》な|代物《しろもの》だ、サア|此《この》|加米彦《かめひこ》が|目《め》に|留《と》まつた|以上《いじやう》は|容赦《ようしや》は|致《いた》さぬ、|鬼鷹《おにたか》、|荒鷹《あらたか》の|両人《りやうにん》になり|代《かは》り、|今日《こんにち》|只今《ただいま》より|暇《ひま》を|遣《つか》はす、|何《いづれ》へなりと|勝手《かつて》に|出《で》て|行《ゆ》け』
|小鬼《こおに》『オイ|丹州《たんしう》、|金州《きんしう》、|源州《げんしう》、|遠州《ゑんしう》、|播州《ばんしう》、|大変《たいへん》だぞ、|只今《ただいま》|限《かぎ》り|免職《めんしよく》だとえ』
|丹州《たんしう》『それだから|酒《さけ》は|飲《の》むな、|酒《さけ》を|飲《の》んだら|縮尻《しくじ》ると|何時《いつ》も|云《い》うとるのだ、|俺《おれ》もウラナイ|教《けう》の|黒姫《くろひめ》の|児分《こぶん》になつて|二三年《にさんねん》|随《つ》いて|廻《まは》つて|居《を》つたが、|三五教《あななひけう》には|随分《ずゐぶん》|偉《えら》い|豪傑《がうけつ》が|居《を》つて|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|術《じゆつ》を|使《つか》ひ、ドンナ|処《ところ》へでも|生命《いのち》|構《かま》はずに|出《で》て|来《く》ると|云《い》ふ|事《こと》を|云《い》つて|居《を》つたが、|本当《ほんたう》に|油断《ゆだん》のならぬ|三五教《あななひけう》ぢや、|三五教《あななひけう》は|穴《あな》が|無《な》いのでコンナ|鬼《おに》の|穴《あな》まで|探《さが》して|取《と》りに|来《く》るのだらうなア』
|加米彦《かめひこ》『コレコレ|丹州《たんしう》とやら、|何《なに》を|申《まを》す、|神妙《しんめう》に|此《この》|方《はう》の|申《まを》す|通《とほ》り|退却《たいきやく》|致《いた》さぬか』
|丹州《たんしう》『お|前《まへ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》ぢやないか、ドンナ|悪神《あくがみ》でも|悪人《あくにん》でも|鬼《おに》でも|餓鬼《がき》でも|虫族《むしけら》までも|助《たす》けると|云《い》ふお|役《やく》だらう、|仮令《たとへ》|吾々《われわれ》は|鬼《おに》の|乾児《こぶん》になつて|居《を》つても、|元《もと》は|天地《てんち》の|大神様《おほかみさま》の|結構《けつこう》な|御分霊《わけみたま》、|指一本《ゆびいつぽん》でも|触《さ》へるなら|触《さ》へて|見《み》なさい、|天則違反《てんそくゐはん》の|大罪《だいざい》で|根《ね》の|国《くに》、|底《そこ》の|国《くに》へ|真逆様《まつさかさま》に|落《おと》されますぞえ』
|加米彦《かめひこ》『アハヽヽヽ、|此奴《こいつ》、|仲々《なかなか》|理屈《りくつ》を|云《い》ひよる|哩《わい》、オイ|丹州《たんしう》、|貴様《きさま》は|何処《どこ》の|出生《うまれ》ぢや』
|丹州《たんしう》『|俺《おれ》かい、|俺《おれ》は|云《い》はいでも|定《きま》つた|事《こと》ぢや、|国《くに》の|生《うま》れだよ』
|加米彦《かめひこ》『|国《くに》と|云《い》つても|沢山《たくさん》あるぢやないか、|何処《どこ》の|国《くに》だ』
|丹州《たんしう》『エー、|頭脳《あたま》の|悪《わる》い|男《をとこ》だなア、ソンナ|事《こと》で|宣伝使《せんでんし》が|勤《つと》まるか、|丹波《たんば》の|国《くに》に|居《ゐ》て|国《くに》の|生《うま》れと|云《い》へば|丹波《たんば》に|定《きま》つて|居《ゐ》るではないか』
|加米彦《かめひこ》『アハヽヽヽ、そうして|丹波《たんば》の|何処《どこ》だ』
|丹州《たんしう》『|丹波《たんば》の|三嶽山《みたけやま》ぢや』
|加米彦《かめひこ》『|三嶽山《みたけやま》は|定《きま》つて|居《ゐ》る、|何《なん》と|云《い》ふ|村《むら》の|何《なん》と|云《い》ふ|者《もの》から|生《うま》れたのだ』
|丹州《たんしう》『|生《うま》れた|処《ところ》の|村《むら》が|分《わか》つたり、|親《おや》が|判《わか》る|様《やう》なら|誰《たれ》がコンナ|鬼《おに》の|乾児《こぶん》になつて|居《ゐ》るものかい、お|前《まへ》も|余程《よつぽど》|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を|云《い》ふものぢやな』
|音彦《おとひこ》『サアサア|加米彦《かめひこ》、|早《はや》く|探険《たんけん》と|出掛《でか》け|様《やう》ぢやないか、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》ると|大将株《たいしやうかぶ》が|帰《かへ》つて|来《き》よるかも|知《し》れないぞ』
|加米彦《かめひこ》『|大将株《たいしやうかぶ》の|帰《かへ》つて|来《く》るのを|待《ま》つて|居《ゐ》るのだ、|盗賊《たうぞく》の|親方《おやかた》の|居《を》らぬ|奴《やつこ》サン|許《ばか》りの|処《ところ》へ|出《で》て|来《き》て|威張《ゐば》る|訳《わけ》にも|往《ゆ》かぬ、|張合《はりあひ》が|抜《ぬ》けて|困《こま》つて|居《を》るのだ』
|丹州《たんしう》『モシモシ|加米《かめ》サンとやら、|御心配《ごしんぱい》なさいますな。|最前《さいぜん》|此《この》|丹州《たんしう》が|鬼ケ城《おにがじやう》の|方《はう》へ|向《む》けて|合図《あひづ》をして|置《お》きました、たつた|今《いま》|雲霞《うんか》の|如《ごと》き|勇将《ゆうしやう》|猛卒《まうそつ》を|引率《いんそつ》し、|鬼熊別《おにくまわけ》の|御大将《おんたいしやう》、|旗鼓堂々《きこだうだう》と|此方《こなた》に|向《むか》つて|攻《せ》めて|来《き》ますよ、マアお|前《まへ》さまも|暫時《しばらく》の|生命《いのち》だ、ゆつくりと|法螺《ほら》でも|吹《ふ》いて|刹那心《せつなしん》を|楽《たの》しみなさい』
|加米彦《かめひこ》『ハツハヽヽヽ、|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだい、|仮令《たとへ》|悪神《あくがみ》の|千匹《せんびき》や|万匹《まんびき》、やつて|来《き》た|処《ところ》で、|三五教《あななひけう》|独特《どくとく》の|神霊《しんれい》|発射《はつしや》によつて|忽《たちま》ち|消滅《せうめつ》さしてやるのだ、|一時《いちじ》も|早《はや》く|攻《せ》め|寄《よ》せて|来《こ》ないかいなア、アヽ|待《ま》ち|遠《どほ》しいワイ』
|丹州《たんしう》『アハヽヽヽ、|力《ちから》は|何《ど》うだか|知《し》らぬが|随分《ずゐぶん》|吹《ふ》きますな』
|加米彦《かめひこ》『きまつた|事《こと》だよ、|二百十日《にひやくとをか》と|綽名《あだな》を|取《と》つた|加米彦《かめひこ》だ、まごまごして|居《を》ると、|俺《おれ》の|鼻息《はないき》で|貴様等《きさまら》の|木端鬼《こつぱおに》|共《ども》を|中天《ちうてん》へ|捲《ま》き|上《あ》げるぞ』
|丹州《たんしう》『|実《じつ》の|処《ところ》|私《わたくし》は|真名井ケ原《まなゐがはら》に|現《あ》れました|玉彦《たまひこ》と|申《まを》すもの、あまり|悪神《あくがみ》が|跋扈《ばつこ》するので|豊国姫《とよくにひめ》|様《さま》の|御命令《ごめいれい》を|受《う》け、|小鬼《こおに》と|身《み》を|窶《やつ》し、|此《この》|岩窟《がんくつ》に|紛《まぎ》れ|込《こ》み|悪魔《あくま》の|状勢《じやうせい》を|探《さぐ》つて|居《ゐ》たもので|御座《ござ》いますよ、|紫姫《むらさきひめ》|様《さま》のお|伴《とも》になつた|二人《ふたり》の|僕《しもべ》は、|私《わたくし》の|計企《はからひ》で|或処《あるところ》に|大切《たいせつ》にして|隠《かく》して|置《お》きました、やがてお|目《め》に|掛《か》けませう』
|紫姫《むらさきひめ》『ホー、|其方《そなた》は|何《なん》と|仰有《おつしや》る、あの|僕《しもべ》を|隠《かく》して|置《お》いたとな、ソンナラ|何故《なぜ》|二人《ふたり》の|着物《きもの》は|血塗泥《ちみどろ》になつて|居《を》つたのですか、|其《その》|理由《わけ》を|聞《き》かして|下《くだ》さい』
|丹州《たんしう》『アハヽヽヽ、それは|此《この》|丹州《たんしう》が|計企《はからひ》に|依《よ》つて|猪《しし》を|獲《と》つた|其《その》|血《ち》で|着物《きもの》を|染《そ》め、|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》の|大将《たいしやう》に「|此《この》|通《とほ》り|嬲殺《なぶりごろ》しに|致《いた》しました」と|云《い》つて|見《み》せたのだ、お|疑《うたが》ひとあらば|今《いま》お|目《め》に|掛《か》けませう』
|紫姫《むらさきひめ》『|何卒《なにとぞ》|一時《いちじ》も|早《はや》く|会《あ》はして|下《くだ》さい』
|丹州《たんしう》『オイ、|皆《みな》の|奴《やつ》、|何時《いつ》も|俺《わし》が|云《い》うて|聞《き》かしてある|通《とほ》り、|何《なに》も|彼《か》も、|服従《ふくじゆう》するだらうなア』
|甲《かふ》|乙《おつ》|丙《へい》|丁《てい》、|一度《いちど》に|頭《かしら》を|下《さ》げ、
『ハイハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました』
|丹州《たんしう》『ヨシヨシ、それでこそ|俺《おれ》の|家来《けらい》だ、サア|金州《きんしう》、|遠州《ゑんしう》の|両人《りやうにん》、|二人《ふたり》をこれへ|連《つ》れて|来《こ》い』
『|畏《かしこ》まりました』
と|金《きん》、|遠《ゑん》の|二人《ふたり》は|急《いそ》いで|岩窟《がんくつ》の|彼方《あなた》に|姿《すがた》を|隠《かく》したるが、|暫時《しばらく》ありて|二人《ふたり》の|男《をとこ》を|伴《ともな》ひ|来《きた》り、
『サア|親方《おやかた》、|二人《ふたり》のお|客《きやく》さまを|御案内《ごあんない》して|参《まゐ》りました』
|紫姫《むらさきひめ》『ヤアお|前《まへ》は|鹿《しか》に|馬《うま》、|能《よ》うマア|無事《ぶじ》に|居《ゐ》て|下《くだ》さつたナア』
|鹿《しか》、|馬《うま》|一度《いちど》に|両手《りやうて》をつき|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|暮《く》れて|居《ゐ》る。
|悦子姫《よしこひめ》『コレコレ|丹州様《たんしうさま》とやら、|其方《そなた》は|一目《ひとめ》|見《み》た|時《とき》から|変《かは》つたお|方《かた》ぢやと|思《おも》つて|居《ゐ》ましたが、|豊国姫《とよくにひめ》の|神様《かみさま》の|御命令《ごめいれい》で|御越《おこ》しになつたとは、それは|真実《しんじつ》で|御座《ござ》いますか』
|丹州《たんしう》『ハイハイ、|真実《しんじつ》も|真実《しんじつ》、ずつと|正真正銘《しやうしんしやうめい》の|真実《しんじつ》で|御座《ござ》います』
|加米彦《かめひこ》『|悦子姫《よしこひめ》さま、|音彦《おとひこ》さま、|何《なん》だか|勢《いきほひ》|込《こ》ンで|岩窟《いはや》の|探険《たんけん》と|出《で》て|来《く》るは|来《き》たものの、|暗《くら》がりで|屁《へ》を|踏《ふ》ンだ|様《やう》な|話《はなし》ですな。もうコンナ|処《ところ》は|張合《はりあひ》がないから|何処《どこ》か|抜《ぬ》け|道《みち》を|教《をし》へて|貰《もら》つて、|崎嶇《きく》たる|山道《やまみち》を|跋渉《ばつせふ》し|鬼ケ城《おにがじやう》へ|向《むか》つたら|何《ど》うでせう、|三五教《あななひけう》には|退却《たいきやく》の|二字《にじ》は|無《な》いから|元来《もとき》た|道《みち》に|引《ひ》き|返《かへ》す|事《こと》もならず、|何処《どこ》の|抜《ぬ》け|穴《あな》でも|見付《みつ》かつたら|脱出《だつしゆつ》するのですなア』
|丹州《たんしう》『|此《この》|岩窟《いはや》には|三ケ所《さんかしよ》も|抜《ぬ》け|穴《あな》があります、|一方《いつぱう》は|鬼ケ城《おにがじやう》へ|行《ゆ》く|道《みち》、|一方《いつぱう》は|大江山《おほえやま》へ|行《ゆ》く|道《みち》、|一方《いつぱう》は|谷《たに》へ|水《みづ》を|汲《く》みに|行《ゆ》く|抜《ぬ》け|穴《あな》、|何方《どちら》へ|御案内《ごあんない》を|致《いた》しませうか』
|加米彦《かめひこ》『|同《おな》じ|事《こと》なら|鬼ケ城《おにがじやう》の|方《はう》へ|案内《あんない》して|下《くだ》さい』
|丹州《たんしう》『|承知《しようち》|致《いた》しました』
と|先《さき》に|立《た》ちドンと|突《つ》き|当《あた》つた|岩石《がんせき》を|片手《かたて》でグイと|押《お》す|途端《とたん》にガラリと|開《あ》いた。|見《み》れば|三嶽《みたけ》の|山頂《さんちやう》、|四方《しはう》|八方《はつぱう》|見晴《みは》らしのよき|場所《ばしよ》なりける。
|加米彦《かめひこ》『サアもう|大丈夫《だいぢやうぶ》だ、|皆《みな》さま|此《この》|風景《ふうけい》を|眺《なが》めて|一休《ひとやす》み|致《いた》しませうか、|紫姫《むらさきひめ》さまも|如何《どう》です、|一緒《いつしよ》にお|伴《とも》|致《いた》しませう、|此《この》|様《やう》な|岩窟《がんくつ》に|何時迄《いつまで》も|蟄居《ちつきよ》して|居《ゐ》ても|何《なん》の|楽《たの》しみもありますまい、|貴女《あなた》のお|好《す》きな|音彦《おとひこ》さまと、ね……』
|紫姫《むらさきひめ》『ホヽヽヽ』
と|袖《そで》で|顔《かほ》を|隠《かく》し|俯向《うつむ》く。
|一同《いちどう》は|山上《さんじやう》の|風景《ふうけい》|佳《よ》き|処《ところ》に|腰《こし》|打《う》ち|下《お》ろし|四方《しはう》を|眺《なが》め|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》る。|折《をり》しも|西南《せいなん》の|天《てん》に|当《あた》り|一塊《いつくわい》の|黒雲《くろくも》|現《あら》はれ、|見《み》る|見《み》る|拡大《くわくだい》して|満天《まんてん》|墨《すみ》を|流《なが》せし|如《ごと》く|四方《しはう》|暗黒《あんこく》に|包《つつ》まれ|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜざるに|立《た》ち|至《いた》りぬ。|身《み》をきる|許《ばか》りの|寒風《かんぷう》、|岩石《がんせき》を|飛《と》ばし、|樹木《じゆもく》も|倒《たふ》れよと|許《ばか》り|吹《ふ》きつけ|来《きた》る。|金州《きんしう》、|源州《げんしう》、|遠州《ゑんしう》、|播州《ばんしう》の|四人《よにん》は『アツ』と|云《い》つたきり|風《かぜ》に|吹《ふ》き|捲《ま》くられて|暗《やみ》の|谷底《たにそこ》へ|姿《すがた》を|隠《かく》したり。
|音彦《おとひこ》『ヤア|大変《たいへん》な|事《こと》になつて|来《き》たワイ、|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》が|襲来《しふらい》し|相《さう》な|形勢《けいせい》が|現《あら》はれたぞ。|紫姫《むらさきひめ》さま、|私《わたくし》が|手《て》を|握《にぎ》つてあげませう、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》ると|吹《ふ》き|散《ち》らされて|了《しま》ひますよ。ヤ、|加米彦《かめひこ》、お|前《まへ》は|悦子姫《よしこひめ》さまの|保護《ほご》の|任《にん》に|当《あた》れ、|丹州《たんしう》、お|前《まへ》は|御苦労《ごくらう》だが|一人《ひとり》で|随《つ》いて|来《き》て|呉《く》れ』
|丹州《たんしう》『ハイハイ、|委細《ゐさい》|承知《しようち》|致《いた》しました、|然《しか》し|乍《なが》ら、もう|暫時《しばらく》|此処《ここ》に|休息《きうそく》しなさつたら|如何《どう》です、|之《これ》から|先《さき》は|大変《たいへん》な|断崖《だんがい》|絶壁《ぜつぺき》、|暗《くら》がりに|踏《ふ》み|外《はづ》したら|大変《たいへん》です』
|加米彦《かめひこ》『|何《なに》、|構《かま》うものかい、|何《ど》うなるも|斯《こ》うなるも|神様《かみさま》の|思召《おぼしめし》だ。|之《これ》ばかしの|風《かぜ》に|屁古垂《へこた》れて|宣伝使《せんでんし》が|勤《つと》まるか』
|丹州《たんしう》『|偉《えら》い|馬力《ばりき》ですな、|然《しか》し|足許《あしもと》が|分《わか》りますか』
|加米彦《かめひこ》『それや|一寸《ちよつと》|分《わか》らないよ、|足《あし》に|目《め》が|無《な》いからなア』
|黒雲《くろくも》は|左右《さいう》に|別《わか》れてヌツと|現《あら》はれた|巨大《きよだい》の|竜体《りゆうたい》、|中央《ちうあう》に|半身《はんしん》を|現《あら》はし|大口《おほぐち》を|開《ひら》き|五人《ごにん》の|頭上《づじやう》にブラ|下《さが》り、|一丈《いちぢやう》ばかりの|紅《あか》い|舌《した》を|出《だ》して|舐《なめ》かかる。
|加米彦《かめひこ》『ヤア、やりよつたな、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、オイ|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》、|貴様《きさま》の|十八番《じふはちばん》はそれ|位《くらゐ》なものか、それ|位《くらゐ》の|事《こと》で|吾々《われわれ》|観客《くわんきやく》は「やんや」と|云《い》はないぞ、もちつと|変《かは》つた|放《はな》れ|業《わざ》をやらないか、|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》』
と|言霊《ことたま》の|発射《はつしや》に|大蛇《をろち》の|姿《すがた》はおひおひ|縮小《しゆくせう》し|遂《つひ》には|雲《くも》に|全身《ぜんしん》を|没《ぼつ》し|終《をは》りける。
|加米彦《かめひこ》『アハヽヽヽ、|加米彦《かめひこ》さまの|言霊《ことたま》の|発射《はつしや》は|見事《みごと》なものだ、ナア|音彦《おとひこ》さま、|此《この》|神力《しんりき》には|流石《さすが》の|悦子姫《よしこひめ》さまも|御感服《ごかんぷく》|遊《あそ》ばすだらう』
|悦子姫《よしこひめ》『ホヽヽヽ、|加米《かめ》サン、|何故《なぜ》|折角《せつかく》|出《で》て|来《き》た|大蛇《をろち》を|去《い》なして|了《しま》つたの、|捕擒《とりこ》に|出来《でき》なかつたの』
|加米彦《かめひこ》『エ、|荷物《にもつ》の|多《おほ》いのにあの|様《やう》な|嵩《かさ》の|高《たか》い、|不恰好《ぶかつかう》の|奴《やつ》を|荷物《にもつ》にした|処《ところ》が|棒《ぼう》にもならず、|杖《つゑ》にもならず、|帯《おび》には|短《みじか》し|襷《たすき》にや|長《なが》し、|邪魔《じやま》になるから|助《たす》けてやりました。アハヽヽ、|東西々々《とうざいとうざい》、|只今《ただいま》の|芸当《げいたう》お|目《め》に|留《とど》まりますれば|次《つぎ》なる|芸当《げいたう》お|目《め》に|掛《か》けます』
|音彦《おとひこ》『アハヽヽヽ、|陽気《やうき》な|男《をとこ》だな、|序《ついで》にモ|一《ひと》つ|立派《りつぱ》な|手品《てじな》を|見《み》せて|貰《もら》はうかい』
|加米彦《かめひこ》『|八釜《やかま》しう|云《い》ふない、|今《いま》|大蛇《をろち》の|奴《やつ》が|楽屋《がくや》で|厚化粧《あつげしやう》の|最中《さいちう》だ、|暫《しば》らく|待《ま》つて|下《くだ》さい、|今度《こんど》は|素敵滅法界《すてきめつぱふかい》の|代物《しろもの》をお|目《め》にぶら|下《さ》げます』
|風《かぜ》はピタリと|止《や》み、|満天《まんてん》の|黒雲《くろくも》はさらりと|霽渡《はれわた》り、|日光《につくわう》は|晃々《くわうくわう》と|輝《かがや》き|始《はじ》めたり。
|加米彦《かめひこ》『サアサア|天《あま》の|岩戸開《いはとびら》きと|御座《ござ》い、|皆《みな》さまお|目《め》に|留《と》まりますれば|拍手《はくしゆ》|喝采《かつさい》の|代《かは》りに|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》して|下《くだ》さい』
|茲《ここ》に|悦子姫《よしこひめ》、|音彦《おとひこ》、|加米彦《かめひこ》、|紫姫《むらさきひめ》、|丹州《たんしう》、|鹿公《しかこう》、|馬公《うまこう》の|一同《いちどう》は、|西天《せいてん》に|向《むか》ひ|両手《りやうて》を|合《あは》せ|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひ|終《をは》つて、|一行《いつかう》|潔《いさぎよ》く|南《みなみ》を|指《さ》して|山伝《やまづた》ひ、|雲表《うんぺう》に|聳《そび》ゆる|鬼ケ城《おにがじやう》を|目蒐《めが》けて|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・四・二三 旧三・二七 北村隆光録)
第一四章 |空谷《くうこく》の|足音《そくいん》〔六二五〕
|頃《ごろ》しも|二月《にぐわつ》|十五日《じふごにち》  |東《あづま》の|空《そら》を|輝《かがや》かし
|山《やま》の|端《は》|出《い》づる|月影《つきかげ》に  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|色《いろ》|青彦《あをひこ》の|神司《かむつかさ》は  |夏彦《なつひこ》|常彦《つねひこ》ともなひて
|鬼ケ城山《おにがじやうざん》に|立《た》て|籠《こも》る  |八岐大蛇《やまたをろち》の|分霊《わけみたま》
|鬼熊別《おにくまわけ》の|一類《いちるゐ》を  |言向《ことむ》け|和《やは》し|皇神《すめかみ》の
|恵《めぐ》みの|露《つゆ》に|救《すく》はむと  |比沼《ひぬ》の|真名井《まなゐ》を|後《あと》にして
|谷間《たにま》の|雪《ゆき》をみたけ|山《やま》  |川《かは》を|飛《と》び|越《こ》え|山《やま》の|尾《を》わたり
|立出《たちい》でたまふ|悦子姫《よしこひめ》  |音彦《おとひこ》、|加米彦《かめひこ》|三人《さんにん》が
あとを|尋《たづ》ねて|走《はし》り|来《く》る  |見渡《みわた》す|限《かぎ》り|山《やま》と|山《やま》
|日《ひ》は|黄昏《たそがれ》に|近《ちか》づきて  |塒《ねぐら》たづぬる|群烏《むらがらす》
|熊鷹《くまたか》、|鳶《とんび》、|百鳥《ももどり》の  |各《おのおの》すみかへ|帰《かへ》り|行《ゆ》く
|時《とき》しもあれや|忽然《こつぜん》と  |吹《ふ》き|来《く》る|烈風《れつぷう》に|身《み》を|煽《あふ》られて
|青彦《あをひこ》、|夏彦《なつひこ》、|常彦《つねひこ》は  |深《ふか》き|谿間《たにま》に|転落《てんらく》し
|足《あし》をいためつ|腰《こし》を|打《う》ち  |苦《くる》しみ|悶《もだ》ゆる|折《をり》からに
|遠音《とほね》に|聞《きこ》ゆる|宣伝歌《せんでんか》  |木霊《こだま》にひびきて|三人《さんにん》が
|鼓膜《こまく》をかすめ|送《おく》り|来《く》る。
|青彦《あをひこ》『アヽ|大変《たいへん》な|事《こと》であつたワイ。レコード|破《やぶ》りの|烈風《れつぷう》に|吹《ふ》き|散《ち》らされ、|千仭《せんじん》の|谷間《たにま》に|陥落《かんらく》し|少々《せうせう》|腰《こし》を|打《う》ち、|暫《しばら》くは|目《め》を|眩《まはか》して|居《ゐ》たが、|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》が|耳《みみ》に|微《かすか》にひびき、これでどうやら|此方《こつち》のものらしい|気分《きぶん》がして|来《き》た。|夏彦《なつひこ》、|常彦《つねひこ》、お|前《まへ》はどうだ。|何処《どこ》も|怪我《けが》は|無《な》かつたか』
|夏彦《なつひこ》『|其処《そこ》ら|一面《いちめん》|真暗《まつくら》がりになつて、|大蛇《をろち》の|奴《やつ》、|大空《おほぞら》から|大《おほ》きな|舌《した》を|出《だ》し、|中天《ちうてん》にぶら|下《さが》つた|時《とき》の|恐《おそ》ろしさ、それから|後《あと》はどう|成《な》つたか、|一向《いつかう》|覚《おぼ》えて|居《を》りませぬが、どうやら|足《あし》を|挫《くじ》いたらしい。|踵《かかと》がキクキクと|痛《いた》み|出《だ》した。|一体《いつたい》|此処《ここ》は|何処《どこ》でせうな』
|青彦《あをひこ》『|此処《ここ》は|矢張《やつぱり》|三嶽山《みたけやま》の|谷底《たにそこ》ぢや。オイ|常彦《つねひこ》、お|前《まへ》はどうぢや』
|常彦《つねひこ》『いや|何《ど》うも|斯《こ》うも|有《あ》りませぬ|哩《わい》、|痛《いた》いと|云《い》つても、|苦《くる》しいと|云《い》つても、コンナ|非道《ひど》い|目《め》にあふのなら、|矢張《やつぱり》|黒姫《くろひめ》の|御用《ごよう》をきくのだつたに、|丹波村《たんばむら》で|別《わか》れた|時《とき》、|黒姫《くろひめ》の|奴《やつ》|大《おほ》きな|目《め》をむきよつて、|嫌《いや》らしい|笑《わら》ひ|顔《がほ》をして|行《ゆ》きよつたが、その|笑《わら》ひには|確《たし》かに|貴様等《きさまら》|俺《おれ》に|叛《そむ》くと、|谷底《たにそこ》へ|落《お》ちてエライ|目《め》に|会《あ》ふぞよといふ、|言《い》はず|語《かた》りの|色《いろ》が|見《み》えて|居《を》つた、アーアー|膝節《ひざぶし》が|抜《ぬ》けた|様《やう》だ。ウラナイ|教《けう》の|大神様《おほかみさま》、|誠《まこと》に|心得《こころえ》|違《ちが》ひを|致《いた》しました。どうぞお|赦《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
|青彦《あをひこ》『アハヽヽヽ、よう|精神《せいしん》の|動揺《どうえう》する|奴《やつ》ぢやなア、|貴様《きさま》の|信仰《しんかう》は、|砂上《さじやう》の|楼閣《ろうかく》、|風前《ふうぜん》の|灯火《ともしび》|同様《どうやう》だ』
|夏彦《なつひこ》『こいつは|風前《ふうぜん》の|灯火《ともしび》では|無《な》うて|風後《ふうご》の|変心《へんしん》ですよ。アハヽヽヽ。モシモシ|青彦《あをひこ》さま、|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》が|益々《ますます》|近寄《ちかよ》つて|来《く》るぢやありませぬか。|此方《こちら》から|一《ひと》つ|大《おほ》きな|声《こゑ》を|出《だ》して|合図《あひづ》をしたらどうでせう』
|青彦《あをひこ》『あれは|確《たし》かに|悦子姫《よしこひめ》さまの|御一行《ごいつかう》らしい。コンナ|谷底《たにそこ》へ|吹《ふ》き|飛《と》ばされ、|名自《めいめい》に|怪我《けが》をして【みつとも】ない。|自分《じぶん》の|怪我《けが》は|自分《じぶん》が|処置《しよち》せなくては|成《な》るまい。|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》にも|人《ひと》の|救《すく》ひを|求《もと》めるとは、|男子《だんし》の|恥《は》づ|可《べ》き|処《ところ》だ。それよりも|此方《こちら》から|声《こゑ》を|尋《たづ》ねて|出《で》かけたらどうだ』
|常彦《つねひこ》『|出《で》かけると|云《い》つた|処《ところ》で、|膝《ひざ》が|脱《ぬ》けて|了《しま》ひ、コンパスの|使用《しよう》|不可能《ふかのう》と|成《な》つて|居《ゐ》るのにどうして|歩《ある》けませうか』
|夏彦《なつひこ》『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな、|俺《おれ》だつて|足《あし》は|痛《いた》い、|青彦《あをひこ》さまだつて|腰《こし》の|骨《ほね》を|挫《くじ》いて|御座《ござ》るのだ。コンナ|処《ところ》で|弱音《よわね》を|吹《ふ》いて|耐《たま》るものかい。|何事《なにごと》も|精神《せいしん》で|勝《か》つのだ。|七尺《しちしやく》の|男子《だんし》が、|身体《からだ》の|一箇所《いつかしよ》や|二箇所《にかしよ》|怪我《けが》したと|云《い》つて、|屁古垂《へこた》れるといふ|事《こと》が|有《あ》るものか。|蛙《かへる》や|蜥蜴《とかげ》を|見《み》い、|身体《からだ》の|半分《はんぶん》|位《くらゐ》|切《き》られても、|平気《へいき》でピヨコピヨコ|飛《と》ンで|居《ゐ》るではないか。|兎角《とかく》|人間《にんげん》は|精神《せいしん》が|第一《だいいち》ぢや、サアサア|行《ゆ》かう』
|常彦《つねひこ》『ソンナ|事《こと》|云《い》つたつて、|動《うご》かぬぢやないか』
|夏彦《なつひこ》『|俺《おれ》の|様《やう》な|腰《こし》の|曲《まが》つた|中年寄《ちうとしより》が、|足《あし》を|怪我《けが》してもこれ|丈《だ》けの|元気《げんき》だ。それに|何《なん》だ。|若《わか》い|屈強《くつきやう》|盛《ざか》りの|身《み》を|以《もつ》て、モウ|動《うご》かぬの|動《うご》けぬのと、|弱《よわ》い|事《こと》を|言《い》ふない』
|常彦《つねひこ》『ハヽヽヽ、|俺《おれ》は|天下無双《てんかむさう》の|豪傑《がうけつ》だ、|信仰心《しんかうしん》は|磐石《ばんじやく》の|如《ごと》く、チツトも|動《うご》かぬ。|試《まこと》|生粋《きつすゐ》の|日本魂《やまとだましひ》だ。|如何《いか》なる|難局《なんきよく》にブツカツても|動揺《どうえう》しないと|云《い》ふ|代物《しろもの》だからな』
|夏彦《なつひこ》『ヘン、|口《くち》|許《ばか》り|黒姫《くろひめ》|仕込《じこ》みだけあつて、|仰有《おつしや》います|哩《わい》。|貴様《きさま》の|信仰《しんかう》はガタガタ|震《ぶる》ひの|動揺《どうえう》|震《ぶる》ひだが、|動《うご》かぬのは|親譲《おやゆづ》りの|交通機関《かうつうきくわん》|許《ばか》りだらう。グズグズ|吐《ぬか》すと|邪魔《じやま》|臭《くさ》いから、|谷底《たにそこ》にホツトイてやるぞ。サアサア|青彦《あをひこ》さま、|此奴《こいつ》は|矢張《やつぱり》|黒姫党《くろひめたう》だ。|見捨《みす》てて|参《まゐ》りませうか』
|青彦《あをひこ》『|常彦《つねひこ》さまの|足《あし》の|起《た》つやうに、|鎮魂《ちんこん》を|願《ねが》ひませうか』
|夏彦《なつひこ》『イヤもう|結構《けつこう》、コンナ|奴《やつ》に|鎮魂《ちんこん》して、|足《あし》でも|起《た》つたが|最後《さいご》、|又《また》もや|黒姫《くろひめ》の|処《ところ》へ|信仰《しんかう》|逆転《ぎやくてん》|旅行《りよかう》と|早変《はやがは》り、|膺懲《こらしめ》の|為《た》めに、|御筆先《おふでさき》|通《どほ》り、|改心《かいしん》|致《いた》さぬと|谷底《たにそこ》へ|落《おと》すぞよ。|落《おと》して|行《ゆ》きませう』
|常彦《つねひこ》『アハヽヽヽ、|嘘《うそ》だ|嘘《うそ》だ、ドツコも|鵜《う》の|毛《け》で|突《つ》いた|程《ほど》も|怪我《けが》は|無《な》いのだよ。|完全無欠《くわんぜんむけつ》ネツトプライスの|完全体《くわんぜんたい》だ。|大《おほ》きに|色々《いろいろ》と|御心配《ごしんぱい》をかけました。サアサア|参《まゐ》りませう、お|二人《ふたり》のお|方《かた》、|私《わたくし》の|後《あと》に|跟《つ》いてうせやがれ』
|夏彦《なつひこ》『ヤイ|常彦《つねひこ》、|俺《おれ》に|何程《なにほど》|汚《きたな》い|言葉《ことば》を|使《つか》うても、|友達《ともだち》の|仲《なか》だから|構《かま》はないが、ソンナ|事《こと》を|言《い》うと、|青彦《あをひこ》さまに|御無礼《ごぶれい》ぢやぞ。|速《すみや》かに|宣《の》り|直《なほ》さぬかい』
|常彦《つねひこ》『|初《はじ》めのは|青彦《あをひこ》さまに|対《たい》して|御叮嚀《ごていねい》に|申上《まをしあ》げたのだ。|跟《つ》いてうせやがれと|言《い》うたのは|御註文《ごちうもん》|通《どほ》り|貴様《きさま》に|言《い》つたのだ。アハヽヽヽ』
|夏彦《なつひこ》『|俺《おれ》もお|蔭《かげ》で|蚤《のみ》が|喰《く》た|程《ほど》も|怪我《けが》は|無《な》い。|大《おほ》きに|御心配《ごしんぱい》をかけました』
|青彦《あをひこ》『アヽ|私《わたくし》も|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。サアサア|行《ゆ》かう』
|常彦《つねひこ》『モシモシ|青彦《あをひこ》さま、|貴方《あなた》|最前《さいぜん》、|腰《こし》が|抜《ぬ》けたと|仰有《おつしや》つたぢや|有《あ》りませぬか。あれは|嘘《うそ》でしたか。|宣伝使《せんでんし》たるものが、|仮《か》りにも|嘘《うそ》を|吐《つ》いて|良《よ》いのですか』
|青彦《あをひこ》『|腰《こし》が|抜《ぬ》けかけたと|言《い》うたのは、|常彦《つねひこ》さまの|信仰《しんかう》の|腰《こし》が|抜《ぬ》けさうだと|言《い》つたのだよ。まかり|違《ちが》へばまたもやウラナイ|教《けう》に|逆転《ぎやくてん》する|処《ところ》でしたね』
|常彦《つねひこ》『|三五教《あななひけう》に|入信《はい》つてから、|三嶽山《みたけやま》の|吹《ふ》き|放《はな》しを|歩《ある》いて|居《を》つた|時《とき》、|大変《たいへん》な|大風《おほかぜ》、|脚下《あしもと》はヨロヨロ、|両方《りやうはう》は|千仭《せんじん》の|谷間《たにま》、これやテツキリ|三五教《あななひけう》ぢやない、アブナイ|教《をしへ》ぢやと|思《おも》つて、|怖々《こわごわ》|歩《ある》いて|居《ゐ》ると、|忽《たちま》ち|一陣《いちぢん》の|烈風《れつぷう》に|吹《ふ》き|捲《まく》られ、|空中《くうちう》を|幾回《いくくわい》となく|逆転《ぎやくてん》して|遂《つひ》にこの|谷底《たにそこ》へ|無事《ぶじ》|着陸《ちやくりく》、これ|丈《だ》け|逆転《ぎやくてん》の|修行《しうぎやう》をすれば、モウ|此《この》|上《うへ》は|逆転《ぎやくてん》も|懲《こ》り|懲《こ》りです。|御安心《ごあんしん》して|下《くだ》さいませ』
|夏彦《なつひこ》『|常彦《つねひこ》の|安心《あんしん》して|呉《く》れも|可《い》い|加減《かげん》なものだ。|常平常《つねへいぜい》から|心《こころ》の|定《きま》らぬ|奴《やつ》で、|狐《きつね》の|様《やう》に|嘘《うそ》|許《ばか》り|言《い》ふから、|同僚間《どうれうかん》から、|彼奴《あいつ》は|狐彦《きつねひこ》だと|言《い》つて|居《ゐ》るのを|知《し》らぬのか』
|常彦《つねひこ》『|狐彦《きつねひこ》でも|狸彦《たぬきひこ》でも、お|構《かま》ひ|御無用《ごむよう》、サアサア|狐彦《きつねひこ》は|山中《さんちう》は|勝手《かつて》をよく|知《し》つて|居《を》ります。|狐《きつね》の|後《あと》から|馬《うま》が|来《く》るのだよ』
|青彦《あをひこ》『アハヽヽヽ』
|三人《さんにん》は|月夜《つきよ》を|幸《さいは》ひ、|四《よ》ツ|這《ば》ひに|成《な》つて|嶮《けは》しき|山腹《さんぷく》を|駆《か》け|登《のぼ》る。こちらには|悦子姫《よしこひめ》の|一行《いつかう》、|皎々《かうかう》たる|満月《まんげつ》を|眺《なが》め、|山上《さんじやう》の|岩《いは》に|各《おのおの》|腰《こし》|打《う》ち|掛《か》け、|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》り|居《ゐ》る。
|音彦《おとひこ》『|今日《けふ》の|暴風《ばうふう》といつたら|何《ど》うだらう、|真黒《まつくろ》けの|雲《くも》の|中《なか》より、|大蛇《をろち》の|奴《やつ》、|乙《おつ》な|芸当《げいたう》を|演《えん》じやがる。|風《かぜ》は|吹《ふ》いて|吹《ふ》いて|吹《ふ》き|捲《ま》くる。イヤもう|落花狼藉《らくくわらうぜき》、|修羅道《しゆらだう》の|旅行《りよかう》のやうだつたね。|加米彦《かめひこ》が|二百十日《にひやくとをか》だなぞと、|大風呂敷《おほぶろしき》を|拡《ひろ》げるものだから、アンナ|事《こと》が|突発《とつぱつ》したのでせう。|何事《なにごと》も|言霊《ことたま》の|幸《さちは》ふ|世《よ》の|中《なか》、|言霊《ことたま》は|慎《つつし》まねばなりませぬなア』
|悦子姫《よしこひめ》『さうですとも、|言霊《ことたま》の|天照《あまて》る|国《くに》、|言霊《ことたま》の|助《たす》くる|国《くに》、|言霊《ことたま》の|生《いけ》る|国《くに》ですもの』
|加米彦《かめひこ》『ヤア|悦子姫《よしこひめ》さま|有難《ありがた》う。|只今《ただいま》|限《かぎ》り、|悪《あく》の|言霊《ことたま》に|停電《ていでん》を|命《めい》じます。どうぞ|今日《けふ》のところ|見直《みなほ》して|下《くだ》さいませ。それについても|青彦《あをひこ》はどうして|居《を》るのだらう。|三嶽山《みたけやま》の|登《のぼ》り|口《ぐち》まで|跟《つ》いて|来《き》よつたが、|林《はやし》の|中《なか》へ|小便《こよう》にでも|行《ゆ》くやうな|顔《かほ》をして、それきり|姿《すがた》を|見《み》せぬぢやありませぬか。|大方《おほかた》|丹波村《たんばむら》のお|節《せつ》さまの|処《ところ》へでも|往《い》つたのぢや|有《あ》るまいかなア。|青彦《あをひこ》は|此《こ》の|間《あひだ》、|真名井ケ原《まなゐがはら》の|珍《うづ》の|宝座《ほうざ》の|前《まへ》で、お|節《せつ》の|顔《かほ》を|穴《あな》のあく|程《ほど》|眺《なが》めて|居《ゐ》た。さうしてお|節《せつ》さまは|良《い》い|女《をんな》だ、|良《い》い|女《をんな》だと、|口癖《くちぐせ》のやうに|執着心《しふちやくしん》を|発揮《はつき》して|居《ゐ》たから、|大方《おほかた》|今頃《いまごろ》は、お|節《せつ》の|膝《ひざ》を|枕《まくら》に、|夜中《やちう》の|夢《ゆめ》でも|見《み》て|居《ゐ》るのでせう』
|音彦《おとひこ》『ナニ、ソンナ|事《こと》が|有《あ》るものか。|深山《みやま》の|事《こと》だから、|吾々《われわれ》|一行《いつかう》の|姿《すがた》を|見失《みうしな》ひ、|迷《まよ》うて|居《ゐ》るのかも|知《し》れない。|都合《つがふ》に|依《よ》れば、|吾々《われわれ》よりも|先《さき》に|行《い》つて|居《を》るかも|分《わか》らない。さう|断定的《だんていてき》|判断《はんだん》を|下《くだ》すものぢやないよ』
|加米彦《かめひこ》『|貧乏人《びんばふにん》の|材木屋《ざいもくや》だ。ワルぎを|廻《まは》すのだ。アハヽヽヽ。|青彦《あをひこ》の|青瓢箪彦《あをべうたんひこ》、|実際《じつさい》|何《なに》をして|居《ゐ》るのだ。|何《なん》だか|知《し》らぬが、|俺《わし》は|胸騒《むなさわ》ぎがして、|猿《さる》の|小便《せうべん》ぢや|無《な》いが、きにかかつて|仕方《しかた》がない』
|青彦《あをひこ》、|木《き》の|茂《しげ》みより、
『|加米彦《かめひこ》さま、ご|心配《しんぱい》|有難《ありがた》う』
|加米彦《かめひこ》『ヤア、|何《なん》ぢや、|姿《すがた》も|無《な》いのに|声《こゑ》|許《ばか》り|聞《きこ》えてゐるぞ。ハヽア|判《わか》つた、|途中《とちう》に|於《おい》て|鬼熊別《おにくまわけ》の|部下《てした》の|奴等《やつら》に、|岩窟《がんくつ》へ|投《ほ》り|込《こ》まれ、|散々《さんざん》にさいなまれて|生命《いのち》を|奪《と》られ、|幽霊《いうれい》に|成《な》つて|化《ば》けて|来《き》よつたのだ。|杜鵑《ほととぎす》ぢやないが、|声《こゑ》は|聞《き》けども|姿《すがた》は|見《み》えずぢや、エーイ、ケツタイの|悪《わる》い|夜《よさ》だ。|音彦《おとひこ》さま、|確《しつか》りせぬと|青彦《あをひこ》が|青《あを》い|青《あを》い|顔《かほ》をして、ヒユードロドロとやつて|来《き》ますぜ』
|音彦《おとひこ》『|加米彦《かめひこ》、お|前《まへ》は|随分《ずゐぶん》|元気《げんき》な|男《をとこ》ぢやが、|死《し》んだ|者《もの》が|何故《なぜ》そのやうに|怖《こわ》いのか。|怖《こわ》いものは|此《こ》の|世《よ》の|中《なか》に|人間《にんげん》|許《ばか》りだ。|人間《にんげん》|位《くらゐ》|怖《こわ》い|者《もの》は|無《な》いぞ。|仮令《たとへ》|幽霊《いうれい》が|出《で》たつて、|人間《にんげん》の|死《し》んだのぢや|無《な》いか。マア|気《き》を|落《お》ち|着《つ》けたらどうだ、|何《なに》をビクビク|震《ふる》うて|居《ゐ》るのだ』
|木《き》の|中《なか》より|夏彦《なつひこ》の|声《こゑ》、
『|夏《なつ》、|夏《なつ》、|夏《なつ》、|夏彦《なつひこ》の|幽霊《いうれい》ぢや。|青彦《あをひこ》は|青《あを》い|火《ひ》を|灯《とも》して、|谷《たに》の|底《そこ》で|幽霊《いうれい》に|化《な》つて|居《を》るわいのう。|加米《かめ》さまが|恋《こひ》しいから、|今《いま》お|目《め》にかかる。|夏彦《なつひこ》|一足先《ひとあしさき》へ|行《い》つて|偵察《ていさつ》をして|来《こ》いと|仰有《おつしや》つた。ヒユードロドロ ドロドロ』
と|腰《こし》の|屈《かが》みた|夏彦《なつひこ》は|加米彦《かめひこ》の|前《まへ》に|髪《かみ》をサンバラにし、|妙《めう》な|手真似《てまね》をして|現《あらは》れた。|加米彦《かめひこ》は、
『キヤツ』
と|一声《ひとこゑ》|腰《こし》を|抜《ぬ》かし、
『ヤイヤイ、|貴様《きさま》は|幽霊《いうれい》の|乾児《こぶん》か。アヽもう|仕方《しかた》が|無《な》い。|青彦《あをひこ》に|能《よ》う|言《い》うて|呉《く》れ、お|目《め》にかかつたも|同然《どうぜん》ぢや。|御親切《ごしんせつ》は|有難《ありがた》いが、|今《いま》では|無事《ぶじ》に|暮《くら》して|居《を》る。|黄泉《あのよ》へ|行《い》つたらもう|仕方《しかた》が|無《な》い。|俺《おれ》に|執着心《しふちやくしん》を|起《おこ》さずに、トツトと|神界《しんかい》へ|行《い》けと|伝言《ことづて》をして|呉《く》れ、|何《なん》だ、お|前《まへ》の|腰《こし》はよう|曲《まが》つて|居《を》るぢやないか、|幽霊《いうれい》のお|爺《ぢい》さまだらう、サアサア、トツトと|去《い》ンだり|去《い》ンだり』
|悦子姫《よしこひめ》『ホヽヽヽヽ』
|紫姫《むらさきひめ》『ホヽヽヽヽ』
|加米彦《かめひこ》『エーエー、イヤらしい|声《こゑ》を|出《だ》して、コンナ|山《やま》の|上《うへ》で、おいて|下《くだ》さいな』
|青彦《あをひこ》この|場《ば》にヌツと|現《あら》はれ、
『アハヽヽヽ、これはこれは|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》、お|待《ま》たせ|致《いた》しました。ヤア|音彦《おとひこ》さま、|加米彦《かめひこ》さま、|済《す》まなかつた。|見《み》なれぬ|御女中《おぢよちう》や|沢山《たくさん》のお|伴《とも》が|居《を》られますが、|何《いづ》れの|方《かた》ですか。これはこれは|初《はじ》めてお|目《め》に|懸《かか》ります。どうか|御昵懇《ごぢつこん》に|願《ねが》ひます』
|加米彦《かめひこ》『アハヽヽ、オイ|青彦《あをひこ》、|貴様《きさま》|谷底《たにそこ》へ|風《かぜ》に|吹《ふ》き|飛《と》ばされて、|蟄居《ちつきよ》して|居《ゐ》よつたのだな、お|節《せつ》は|何《なん》と|言《い》つた。|加米《かめ》さまに|宜《よろ》しう、どうぞ|一時《いちじ》も|早《はや》く|鬼ケ城《おにがじやう》の|魔神《まがみ》を|言向《ことむ》け|和《やは》し、|優《やさ》しい|加米《かめ》さまのお|顔《かほ》を|拝《をが》まして|下《くだ》さいと、|伝言《ことづて》をして|居《を》つただらう』
|音彦《おとひこ》『オイ|加米彦《かめひこ》、|何《ど》うだ、|俄《にはか》に|元気《げんき》づいたぢやないか』
|加米彦《かめひこ》『あまり|退屈《たいくつ》なから、|一《ひと》つ|臆病者《おくびやうもの》の|演劇《しばゐ》をして、|悦子姫《よしこひめ》さまなり、|紫姫《むらさきひめ》さまのお|慰《なぐさ》みに|供《きよう》したのだ。アハヽヽヽ』
|一同《いちどう》|声《こゑ》を|揃《そろ》へて|笑《わら》ひこける。
|青彦《あをひこ》『|悦子姫《よしこひめ》さま、|音彦《おとひこ》|様《さま》にお|願《ねが》ひが|御座《ござ》います。どうぞ|御聴《おき》き|届《とど》け|下《くだ》さいませぬか』
|悦子姫《よしこひめ》『これは|又《また》|改《あらた》まつたお|言葉《ことば》、お|願《ねが》ひとは|何事《なにごと》で|御座《ござ》います』
|青彦《あをひこ》『ハイ、|犬《いぬ》の|子《こ》を|二匹《にひき》|拾《ひろ》つて|来《き》ました』
|音彦《おとひこ》『|其《そ》の|犬《いぬ》は|何処《どこ》に|居《を》るのだ』
|青彦《あをひこ》は、
『ハイ』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|夏彦《なつひこ》、|常彦《つねひこ》を|指《ゆび》さし、
『これで|御座《ござ》います』
|夏彦《なつひこ》『エイ、|殺生《せつしやう》な』
|常彦《つねひこ》『|青《あを》サン、|余《あんま》り|馬鹿《ばか》にして|貰《もら》ふまいかい。ソンナ|事《こと》を|云《い》うと、お|節《せつ》の|事《こと》を|素破抜《すつぱぬ》かうか』
|青彦《あをひこ》『ハヽヽヽ、お|前達《まへたち》|両人《りやうにん》に|対《たい》し|只今《ただいま》より|嵌口令《かんこうれい》を|施《し》く。|暫《しばら》く|沈黙《ちんもく》するのだよ』
|加米彦《かめひこ》『ワハヽヽヽヽ、|何《なん》だか|意味《いみ》ありげな|此《こ》の|場《ば》の|光景《くわうけい》だ。ナニ、|加米彦《かめひこ》が|許《ゆる》す。|二匹《にひき》の|犬《いぬ》とやら、|充分《じゆうぶん》|吠《ほえ》て|吠《ほえ》て|吠立《ほえた》てるのだよ』
|青彦《あをひこ》『エヽ|喧《やかま》しい。|俺《おれ》が|口切《くちき》りする|迄《まで》、|黙《だま》つて|聞《き》いて|居《を》らう。エヽ|悦子姫《よしこひめ》さま、|実《じつ》はこの|男《をとこ》|二人《ふたり》は、ウラナイ|教《けう》の|黒姫《くろひめ》が|四天王《してんわう》と|呼《よ》ばれたる、|其《その》|中《うち》の|二人《ふたり》で、|夏彦《なつひこ》、|常彦《つねひこ》と|云《い》ふ|豪《がう》の|者《もの》で|御座《ござ》います。さうした|処《ところ》が|黒姫《くろひめ》の|内幕《うちまく》をすつかり|看破《かんぱ》し、|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》の|優秀《いうしう》なる|事《こと》を、|心《こころ》の|底《そこ》より|悟《さと》りまして、どうぞ|入信《にふしん》させて|呉《く》れいと、|犬《いぬ》つく|這《ば》いになつて、|低頭平身《ていとうへいしん》|嘆願《たんぐわん》|致《いた》しますので、|物《もの》の|哀《あは》れを|知《し》る|吾々《われわれ》、さう|無情《むげ》に|見捨《みす》ても|成《な》らず、|貴方《あなた》がたにお|目玉《めだま》を|頂戴《ちやうだい》するかも|知《し》れぬと、|恐《おそ》る|恐《おそ》る|此処《ここ》まで|連《つ》れて|参《まゐ》りました。|然《しか》し|乍《なが》ら|何時《なんどき》|今《いま》の|固《かた》い|信仰《しんかう》がグラツイて、|元《もと》の|古巣《ふるす》へ|尾《を》を|振《ふ》つて|去《い》ぬかも|知《し》れませぬ、その|段《だん》は|保証《ほしよう》|出来《でき》ないので、イヌものと|覚悟《かくご》し、|二匹《にひき》の|犬《いぬ》と|申上《まをしあ》げました』
|加米彦《かめひこ》『オイ|青彦《あをひこ》さま、|言霊《ことたま》が|悪《わる》いぞ、|宣《の》り|直《なほ》せ|宣《の》り|直《なほ》せ』
|悦子姫《よしこひめ》『オホヽヽヽ』
|音彦《おとひこ》『|直《すぐ》に|真似《まね》をしよるなア、アハヽヽヽ、|夜《よ》は|追《お》ひ|追《お》ひと|更《ふ》けて|来《き》ました。|今《いま》から|行《ゆ》けば|途中《とちう》に|夜《よ》が|明《あ》けますまいから、|一同《いちどう》|此処《ここ》で|悠《ゆつ》くりと|休息《きうそく》し、|明日《あす》の|黎明《よあけ》を|待《ま》つて、|鬼ケ城《おにがじやう》へ|立向《たちむか》ふ|事《こと》に|致《いた》しませうか』
|悦子姫《よしこひめ》『アヽそれが|宣《よろ》しからう。|紫姫《むらさきひめ》さま、|妾《わたし》の|側《そば》でお|休《やす》み|下《くだ》さい』
|紫姫《むらさきひめ》『|有難《ありがた》う|御座《ござ》います』
と、|一同《いちどう》は|肱《ひぢ》を|枕《まくら》に、|月《つき》の|光《ひかり》を|浴《あ》びて、|蓑《みの》を|敷《し》きゴロリと|横《よこ》たはる。|忽《たちま》ち|聞《きこ》ゆる|鼾《いびき》の|声《こゑ》、|無心《むしん》の|月《つき》は、|一行《いつかう》の|頭上《づじやう》をにこにこ|笑《わら》ひ|乍《なが》ら|射照《いて》らし|居《ゐ》る。
(大正一一・四・二三 旧三・二七 東尾吉雄録)
第一五章 |敵味方《てきみかた》〔六二六〕
|二月《にぐわつ》|十五日《じふごにち》の|月光《げつくわう》を|浴《あ》びて、|三嶽山《みたけやま》の|頂上《ちやうじやう》の|平地《へいち》に、|一蓮托生《いちれんたくしやう》、|蓑《みの》を|敷《し》き、|肱《ひじ》を|枕《まくら》に|華胥《くわしよ》の|国《くに》に|入《い》る。|馬公《うまこう》|鹿公《しかこう》は|峰《みね》|吹《ふ》く|嵐《あらし》の|音《おと》に|夢《ゆめ》を|破《やぶ》られ、|一度《いちど》にムツクと|起上《おきあが》り、
|鹿公《しかこう》『アー|恐《おそ》ろしい|事《こと》だつた。|折角《せつかく》|紫姫《むらさきひめ》|様《さま》のお|情《なさけ》けに|依《よ》りて、|岩窟《いはや》の|難《なん》を|免《まぬが》れたと|思《おも》へば|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》の|両人《りやうにん》、|鬼ケ城《おにがじやう》より|帰《かへ》り|来《きた》り、|俺達《おれたち》|二人《ふたり》をフン|縛《じば》つて、|又《また》もや|岩窟《がんくつ》に|捻込《ねぢこ》みやがつたと|思《おも》へば、|夢《ゆめ》だつた。アー|恐《おそ》ろしい|恐《おそ》ろしい、|夢《ゆめ》に|見《み》ても、アンナ|悪人《あくにん》はゾツとする』
|馬公《うまこう》『ヤアお|前《まへ》も|夢《ゆめ》を|見《み》たか。|俺《おれ》も|同様《どうやう》の|夢《ゆめ》を|見《み》た。|何《なん》だか|此処《ここ》は|寝心《ねごころ》が|悪《わる》い。チツト|月夜《つきよ》でもあり、そこらをブラついて|見《み》ようかい』
|鹿公《しかこう》『さうだなア、|是《こ》れ|丈《だけ》の|同勢《どうぜい》があれば、まさかの|時《とき》には|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|一丁《いつちやう》や|二丁《にちやう》|離《はな》れたつて、|気遣《きづか》ひはあるまい。|万一《まんいち》|荒鷹《あらたか》や、|鬼鷹《おにたか》が|出《で》て|来《き》やがつた|所《ところ》で「オイ|助《たす》けて|呉《く》れい」と|一言《ひとこと》|云《い》へば、すぐ|加米彦《かめひこ》さまが、|言霊《ことたま》の|発射《はつしや》とやらで|助《たす》けて|下《くだ》さるは|請合《うけあひ》ぢや。サア|行《い》かう|行《い》かう。|皆《みな》さまはマア、よう|寝《やす》ンで|居《ゐ》らつしやること。|吾々《われわれ》の|様《やう》に|罪《つみ》が|深《ふか》い|者《もの》は、|恐怖心《きようふしん》に|駆《か》られて、|安眠《あんみん》も|碌《ろく》に|出来《でき》ないワ。|起《お》きて|居《を》れば|怖《こわ》い|目《め》に|遭《あ》はされる、|寝《ね》れば|眠《ね》るで|怖《こわ》い|夢《ゆめ》を|見《み》る、|寝《ね》ても|醒《さ》めても、|責《せめ》られ|通《とほ》しだ………|結構《けつこう》なお|月様《つきさま》の|光《ひかり》をたよりに、チツと|其処辺《そこら》を、|保養《ほやう》がてら、ウロつかうぢやないか』
|馬公《うまこう》『|宜《よ》からう』
と、フツと|立《た》ち、|二人《ふたり》は|手《て》をつなぎ、ブラブラと|山《やま》の|頂《いただ》きを|逍遥《せうえう》して|居《ゐ》る。
『アヽ|何《なん》と、|佳《い》い|景色《けしき》だ。|山《やま》の|上《うへ》で|風《かぜ》は|良《い》い|加減《かげん》に|冷《つめ》たいが、|木《き》の|葉《は》に|露《つゆ》が|溜《たま》り|一々《いちいち》|月《つき》が|宿《やど》つて|居《ゐ》る、|此《この》|光景《くわうけい》はまるで、|水晶《すゐしやう》の|世界《せかい》に|居《を》る|様《やう》だ。アーア|俺達《おれたち》の|様《やう》な|不仕合《ふしあは》せ|者《もの》でも、|亦《また》コンナ|愉快《ゆくわい》な|光景《くわうけい》を|見《み》る|事《こと》が|出来《でき》る。|人間《にんげん》は|長生《ながいき》したいものだなア』
と|鼻唄《はなうた》を|唄《うた》ひ、あちらこちらとウロついて|居《ゐ》る。
|加米彦《かめひこ》は|中途《ちうと》に|目《め》を|醒《さ》まし、
『アーア|皆《みな》さま|打揃《うちそろ》うて、よく|寝《ね》て|居《ゐ》らつしやるワイ。|悦子姫《よしこひめ》さまの|白《しろ》い|顔《かほ》、|桃色《ももいろ》の|頬《ほほ》べた、|紫姫《むらさきひめ》さまの|花《はな》のやうな|麗《うるは》しきお|姿《すがた》、|一方《いつぱう》は|花《はな》の|顔容《かんばせ》、|一方《いつぱう》は|雪《ゆき》の|肌《はだ》、|空《そら》には|三五《さんご》の|明月《めいげつ》、お|月《つき》さまも|余程《よほど》|気《き》に|入《い》つたと|見《み》えて、|二人《ふたり》のナイスの|顔《かほ》を、|特別《とくべつ》|待遇《たいぐう》でお|照《てら》しなさると|見《み》える、いやが|上《うへ》にも|綺麗《きれい》なお|顔《かほ》だ|事《こと》。………アヽ|音彦《おとひこ》の|顔《かほ》か、|随分《ずゐぶん》|力《ちから》をオト|彦《ひこ》テなスタイルだ。|片腕《かたかひな》をくの|字《じ》に|曲《ま》げ、|無作法《ぶさはふ》に|口《くち》を|開《あ》けて|寝《ね》て|御座《ござ》るワイ。|今頃《いまごろ》は|五十子姫《いそこひめ》の|夢《ゆめ》でも|見《み》て|居《を》るのだらう。|可愛《かあい》い|女房《にようばう》をバラモン|教《けう》の|奴《やつ》に|攫《さら》はれ、|今《いま》に|行衛不明《ゆくへふめい》、|思《おも》へば|思《おも》へば|心中《しんちう》を|察《さつ》してやる。それでも|此《この》|永《なが》の|間《あひだ》|一緒《いつしよ》に|歩《ある》いて|居《を》るが、|五十子姫《いそこひめ》のイの|字《じ》も|口《くち》に|出《だ》しよらぬ|所《ところ》を|見《み》ると、|余程《よほど》|確《しつか》りして|居《ゐ》るワイ……|人間《にんげん》の|寝顔《ねがほ》を|見《み》れば、|大抵《たいてい》|其《その》|人《ひと》の|精神《せいしん》が|分《わか》るものだ。どれどれ|青瓢箪彦《あをべうたんひこ》の|首実検《くびじつけん》と|出《で》かけよう………ヤア|此奴《こいつ》は|嬉《うれ》しさうにホヤホヤと|笑《わら》うて|居《を》る。|何《なん》でも|丹波村《たんばむら》とかのお|節《せつ》の|夢《ゆめ》でも|見《み》て|居《を》るのだらう。ヤア|益々《ますます》|笑《わら》ひよるぞ。|幽霊《いうれい》と|仮称《かしよう》せられる|様《やう》な|奴《やつ》だから、どうで|笑《わら》ひにも|何処《どこ》ともなしに|厭味《いやみ》たつぷりの|所《ところ》がある。コンナ|所《ところ》を|一《ひと》つお|節《せつ》に|見《み》せてやりたいものだなア、アハヽヽヽ。ヤア|此奴《こいつ》は|丹州《たんしう》かな、|一寸《ちよつと》|好《い》い|顔《かほ》をして|居《ゐ》やがるぞ。|何《なん》でも|豊国姫《とよくにひめ》の|神様《かみさま》の|御命令《ごめいれい》だと|云《い》つて|居《ゐ》たが、|何処《どこ》ともなしに|威厳《ゐげん》が|備《そな》はつて|居《ゐ》る。ハヽア|顔《かほ》の|真中《まんなか》に|妙《めう》な|光《ひかり》が|現《あら》はれて|居《ゐ》るぞ。|木《こ》の|花姫《はなひめ》の|化身《けしん》か、|妙音菩薩《めうおんぼさつ》の|再来《さいらい》か、|此奴《こいつ》ア、ウツカリ|軽蔑《けいべつ》する|訳《わけ》には|行《ゆ》かぬワイ。|我々《われわれ》|一行中《いつかうちう》での|大人格者《だいじんかくしや》と|見《み》える。……ヤア|良《い》い|審神《さには》をした。|明日《あす》になつたら|音彦《おとひこ》の|大将《たいしやう》に|一泡《ひとあわ》|吹《ふ》かしてやらう。……ウン|此奴《こいつ》は|黒姫《くろひめ》|仕込《じこ》みの、|腰曲《こしまが》りの|夏彦《なつひこ》と|云《い》ふ|奴《やつ》だ。なんと|情《なさけ》ない|鯱《しや》つ|面《つら》だなア。ヤア|此奴《こいつ》ア|批評《ひへう》の|価値《かち》がないワイ。|此処《ここ》に|一寸《ちよつと》こましい|面《つら》の|持主《もちぬし》がある。|此奴《こいつ》が、|何《なん》でも|狐《きつね》とか|狸《たぬき》とか|云《い》ふ|奴《やつ》だ。ウンさうさう|常彦《つねひこ》|々々《つねひこ》、|今《いま》|寝《ね》て|居《ゐ》る|間《うち》に、|髪《かみ》と|髪《かみ》とを|括《くく》つといてやらうかなア』
|加米彦《かめひこ》は|二人《ふたり》の|長髪《ちやうはつ》をソツと|掴《つか》み、|端《はし》と|端《はし》とで|地獄結《ぢごくむすび》に|括《くく》つて|了《しま》ひ、
『サア|此奴《こいつ》が|目《め》が|覚《さ》めたら、|随分《ずゐぶん》|滑稽《こつけい》だらう。これからが、|音彦《おとひこ》さまと|青彦《あをひこ》の|番《ばん》だ。|併《しか》しあまり|距離《きより》が|遠《とほ》いので……|髪《かみ》と|髪《かみ》とが|届《とど》かぬらしい。|待《ま》て|待《ま》て……エー|此処《ここ》に|綱《つな》がある。|此奴《こいつ》で|括《くく》つて|置《お》かう』
と|手早《てばや》く|括《くく》り|合《あは》し、
『ハヽヽヽ、これで|紛失《ふんしつ》の|憂《うれ》ひなしだ。|此《この》|次《つぎ》が|悦子姫《よしこひめ》さま、|紫姫《むらさきひめ》さまか………ヤア|此奴《こいつ》ア、|惜《をし》いぞ。|紫姫《むらさきひめ》と|丹州《たんしう》とを|継《つ》ぎ|合《あは》せ、|最後《さいご》に|悦子姫《よしこひめ》と|加米彦《かめひこ》の|大神《おほかみ》さまとの|継《つ》ぎ|合《あは》せだ。これで|二四ケ八人《にしがはちにん》、|二八十六本《にはちじふろくぽん》の|手《て》と|足《あし》。ヤア|面白《おもしろ》い、|面白《おもしろ》い』
と|手探《てさぐ》りに、|紫姫《むらさきひめ》の|髪《かみ》をソツと|掴《つか》みかかつた。|紫姫《むらさきひめ》はムツクと|起《お》き|上《あが》りさま、|加米彦《かめひこ》の|腕首《うでくび》|掴《つか》ンで、ドツカと|投《な》げたるその|勢《いきほひ》あまつて|加米彦《かめひこ》は、|傍《かたはら》の|谷《たに》を|目《め》がけてドスーン。
『アイタヽヽヽ』
と|叫《さけ》び|居《ゐ》る。
|紫姫《むらさきひめ》『ヤア|皆《みな》さま、|起《お》きて|下《くだ》さいませ。|又《また》もや|鬼熊別《おにくまわけ》の|部下《てした》の|者共《ものども》が|現《あら》はれました。サア|御用意《ごようい》|々々《ごようい》』
|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて|一同《いちどう》は|撥《は》ね|起《お》き、|常彦《つねひこ》は、
『アイタヽヽヽ』
|夏彦《なつひこ》『エヽヽエタイワイエタイワイ、|誰《たれ》だ|誰《たれ》だ、|人《ひと》の|髪《かみ》の|毛《け》を|引《ひ》つぱりよつて……|放《はな》さぬかい』
|常彦《つねひこ》『オイ|夏《なつ》、|貴様《きさま》だらう』
|夏彦《なつひこ》『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな、|貴様《きさま》が|俺《おれ》の|髪《かみ》を|引《ひ》つぱつとるのだ』
|青彦《あをひこ》『ヤア|俺《おれ》の|頭《あたま》を|曳《ひ》く|奴《やつ》がある。………ヤア|何《なん》だ、|寝《ね》て|居《ゐ》る|間《ま》に、|髪《かみ》と|髪《かみ》とを|継《つ》ぎ|合《あは》しよつたな、コンナ|悪戯《いたづら》をする|奴《やつ》は、|大方《おほかた》|加米公《かめこう》だらう。……オイ|加米彦《かめひこ》、|何処《どこ》へ|行《い》つた。|早《はや》く|出《で》て|来《き》て、ほどかないか』
|加米彦《かめひこ》『オーイ、オイ、|俺《おれ》はエライ|所《ところ》に、|後手《うしろで》に|括《くく》られて、|困《こま》つて|居《ゐ》るワイ。|誰《たれ》か|出《で》て|来《き》てほどいて|呉《く》れ』
|青彦《あをひこ》『ヤア|加米彦《かめひこ》も|括《くく》られよつたのかな、|是《こ》れだから、|油断《ゆだん》は|大敵《たいてき》と|云《い》ふのだ。|敵地《てきち》に|臨《のぞ》みて|気《き》を|許《ゆる》し、|寝《ね》てるのが|此方《こつち》の|不覚《ふかく》だ、|併《しか》し|人間《にんげん》が|紛失《ふんしつ》せなくてまだしもだ』
|加米彦《かめひこ》『オーイ、|青彦《あをひこ》、|皆《みな》さま、|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな、|私《わたくし》のは|自繩自縛《じじようじばく》、|自繩自解《じじやうじかい》、|依然《いぜん》として|元《もと》の|通《とほ》り』
|青彦《あをひこ》『ナアーンだ、|人《ひと》を|脅嚇《おど》かしよつて……どこを|括《くく》られて|居《を》つたのだ』
|加米彦《かめひこ》『マアどうでも|良《よ》い、|一体《いつたい》お|前達《まへたち》はナアンだ。|頭《あたま》に|長《なが》い|尾《を》を|附《つ》けよつて……』
|丹州《たんしう》『|加米彦《かめひこ》さま、あなた|随分《ずゐぶん》|悪戯《いたづら》をしましたネー。|私《わたくし》が|知《し》らぬ|顔《かほ》をして|見《み》て|居《を》りましたよ。|紫姫《むらさきひめ》さまに|取《と》つて|放《はふ》られなさつたときの|面白《おもしろ》さ、アツハヽヽヽ』
|加米彦《かめひこ》『ヤア|失敗《しま》つた。|皆《みな》さま、|飛《と》ンだ|失礼《しつれい》を|演《えん》じまして、……どうぞ|神直日《かむなほひ》、|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》して|下《くだ》さいませ』
|音彦《おとひこ》『|戯談《じようだん》にも|程《ほど》がある。|宣伝使《せんでんし》の|神聖《しんせい》を|害《がい》する|行動《かうどう》だ。|今日《けふ》|限《かぎ》り、|素盞嗚大神《すさのをのおほかみ》の|代《かは》りとなつて、|汝《なんじ》に|対《たい》し、|宣伝使《せんでんし》の|職《しよく》を|解《と》く。|有難《ありがた》う|思《おも》へ』
|加米彦《かめひこ》『|此奴《こいつ》ア|一寸《ちよつと》|迷惑《めいわく》だ。モシモシ|音彦《おとひこ》さま、|鬼ケ城《おにがじやう》の|征伐《せいばつ》が|済《す》む|迄《まで》、|執行《しつかう》|猶予《いうよ》をして|下《くだ》さいな』
|音彦《おとひこ》『イヤなりませぬ』
|加米彦《かめひこ》『モシモシ|悦子姫《よしこひめ》さま、どうぞ|仲裁《ちうさい》して|下《くだ》さいませ』
|悦子姫《よしこひめ》『コレ|音彦《おとひこ》さま、|今後《こんご》、コンナ|悪戯《いたづら》をなさらぬ|様《やう》に、|能《よ》く|戒《いまし》めて、|今度《こんど》は|赦《ゆる》して|上《あ》げて|下《くだ》さいナ』
|音彦《おとひこ》『|赦《ゆる》し|難《がた》き|其《その》|方《はう》なれど、|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》のお|言葉《ことば》に|従《したが》ひ、|今度《こんど》は|忘《わす》れて|遣《つか》はす』
|加米彦《かめひこ》『アツハヽヽヽ、|何《な》に|吐《ぬか》しよるのだい。|遣《つか》はす………が|聞《き》いて|呆《あき》れるワイ、アハヽヽヽ、あまり|可笑《をか》しくて、|腹《はら》が|痛《いた》くなつた。|真面目《まじめ》くさつた|面構《つらがま》へをしよつて|何《なん》だい。………チツと|捌《さば》けぬかい。|何程《なにほど》|五十子姫《いそこひめ》の|事《こと》を|思《おも》つて|心配《しんぱい》したつて、|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》に|漂着《へうちやく》して|居《を》る|女房《にようばう》に|遇《あ》へるでもなし、|刹那心《せつなしん》を|出《だ》して、モウちつと|砕《くだ》けぬかい。|何《なん》だか、ソンナむつかしい|顔《かほ》した|奴《やつ》が|混《まじ》つて|居《を》ると、|道中《だうちう》が|面白《おもしろ》くないワ』
|音彦《おとひこ》『ナニツ、|五十子姫《いそこひめ》は|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》に|漂着《へうちやく》して|居《を》るのか、それやお|前《まへ》、|何時《いつ》、|誰《たれ》に|聞《き》いたのぢや』
|加米彦《かめひこ》『ソンナ|事《こと》が|分《わか》らぬ|様《やう》な|事《こと》で、|宣伝使《せんでんし》が|勤《つと》まるかい。|加米彦《かめひこ》さまの|天眼通《てんがんつう》で、チヤーンと|調《しら》べてあるのだ。|梅子姫《うめこひめ》さまと|侍女《じぢよ》の|今子姫《いまこひめ》、|宇豆姫《うづひめ》の|四人連《よにんづ》れで、|今《いま》|竜宮島《りうぐうじま》でバラモン|教《けう》と|激戦《げきせん》の|最中《さいちう》だ。|併《しか》し|心配《しんぱい》は|致《いた》すな、|神様《かみさま》が|護《つ》いて|御座《ござ》る』
|音彦《おとひこ》『ヤアさうだつたか、|五十子姫《いそこひめ》は、ウラナイ|教《けう》に、|若《も》しや|擒《とりこ》になつて|居《を》るのではなからうかと|種々《いろいろ》と|工夫《くふう》をして、|黒姫《くろひめ》の|荷持《にもち》となり、|様子《やうす》を|考《かんが》へて|居《ゐ》たが、どうもウラナイ|教《けう》には|居《を》りさうもないので、|若《も》しや|大江山《おほえやま》の|鬼雲彦《おにくもひこ》が|為《ため》に|捕《とら》はれの|身《み》となつて|居《を》るのではなからうかと|思《おも》つて|居《ゐ》たのだ。|鬼ケ城《おにがじやう》へ|是《これ》から|行《い》つて、モシや|五十子姫《いそこひめ》が|居《を》つたら|助《たす》けてやらねばなるまい、と、|此処《ここ》まで|勇《いさ》みて|来《き》たのだ。さうすれば|鬼ケ城《おにがじやう》には、|五十子姫《いそこひめ》は|居《ゐ》ないかなア』
|加米彦《かめひこ》『ハヽヽヽ、お|気《き》の|毒様《どくさま》、|明日《あす》は|鬼ケ城《おにがじやう》を|征服《せいふく》し、|可愛《かあい》い|女房《にようばう》の|五十子姫《いそこひめ》さまに|芽出度《めでた》く|対面《たいめん》|遊《あそ》ばす|御心中《ごしんちう》であつたのに、エライ|悪《わる》い|事《こと》を|申《まを》しました。……お|力《ちから》|落《おと》しさま』
『ホヽヽヽヽ』
|音彦《おとひこ》『|何事《なにごと》も|運命《うんめい》だ。|人間《にんげん》がどれ|程《ほど》|煩悶《はんもん》したつて、|成《な》る|様《やう》にほか|成《な》りはせぬ。|今晩《こんばん》はゆつくりと|此処《ここ》でモウ|一寝入《ひとねい》りして、|明日《あす》は|花々《はなばな》しく|言霊戦《ことたません》を|開始《かいし》する|事《こと》にしやう。サア|皆《みな》さま|休《やす》みませう。|加米彦《かめひこ》、お|前《まへ》は|御苦労《ごくらう》だが、|今夜《こんや》は|不寝番《ねずのばん》だ』
|加米彦《かめひこ》、ワザと|叮嚀《ていねい》に、|大地《だいち》に|頭《かしら》を|摺《すり》つけ、|両手《りやうて》を|突《つ》き|乍《なが》ら、
|加米彦《かめひこ》『これはこれは|音彦《おとひこ》の|君《きみ》の|御仰《おんあふ》せ、|確《たしか》に|承知《しようち》|仕《つかまつ》つて|御座《ござ》いまする』
|一同《いちどう》『アハヽヽヽ、オホヽヽヽ』
|又《また》もや|思《おも》ひ|思《おも》ひに|寝《しん》に|就《つ》く。|月《つき》の|景色《けしき》に|浮《う》かされて、|鹿公《しかこう》、|馬公《うまこう》の|二人《ふたり》は|思《おも》はず|知《し》らず、|七八丁《しちはつちやう》ばかり、|一行《いつかう》の|休息場《きうそくば》より|南《みなみ》に|離《はな》れて|了《しま》つた。|此《この》|時《とき》|四五人《しごにん》の|荒男《あらをとこ》、|突然《とつぜん》|木蔭《こかげ》より|現《あら》はれ|来《きた》り、バラバラと|二人《ふたり》の|周囲《しうゐ》を|取《と》り|巻《ま》き、|棍棒《こんぼう》を|携《たづさ》へ、
『ヤア|其《その》|方《はう》は、|紫姫《むらさきひめ》の|僕《しもべ》、|鹿《しか》、|馬《うま》の|両人《りやうにん》ではないか、どうして|此処《ここ》へ|脱《ぬ》け|出《だ》して|来《き》た』
|鹿公《しかこう》『コレハコレハ|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》の|親分様《おやぶんさま》、|誠《まこと》にお|気《き》の|毒《どく》で|御座《ござ》いますが、|岩窟《がんくつ》を|叩《たた》き|破《やぶ》つてやうやう|此処《ここ》まで|出《で》て|参《まゐ》りました』
|荒鷹《あらたか》『|貴様《きさま》はどうして、あの|堅固《けんご》な|岩窟《がんくつ》を|破《やぶ》つたのか』
|鹿公《しかこう》『|私《わたくし》は|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り、|身《み》に|寸鉄《すんてつ》も|持《も》たない、どうする|事《こと》も|出来《でき》ませぬが、|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|言霊《ことたま》に|依《よ》りて、|自然《しぜん》に|岩戸《いはと》は|左右《さいう》にパツと|開《ひら》き、|平和《へいわ》の|女神《めがみ》に|誘《さそ》はれて、|此処《ここ》までやつて|来《き》ましたよ』
|鬼鷹《おにたか》『ナニ、|平和《へいわ》の|女神《めがみ》とは|誰《たれ》の|事《こと》だ。|紫姫《むらさきひめ》の|事《こと》ではないか』
|馬公《うまこう》『|紫姫《むらさきひめ》も|結構《けつこう》だが、|見目《みめ》も|貌《かたち》も|悦子姫《よしこひめ》と|云《い》ふ|絶世《ぜつせい》のナイスが、|突然《とつぜん》|現《あら》はれ|給《たま》ひ、|馬《うま》さま、|鹿《しか》さまの|御手《おて》をとり、|救《すく》ひ|出《いだ》させ|給《たま》うたのだ。モウ|斯《こ》うなる|上《うへ》は|千人力《せんにんりき》だ、|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》、|其《その》|他《た》の|小童武者《こわつぱむしや》|共《ども》、|千疋《せんびき》、|万疋《まんびき》|一度《いちど》に|掛《かか》らうと、ビクとも|致《いた》さぬ|某《それがし》だ、アハヽヽヽ』
|荒鷹《あらたか》『オイ|鬼鷹《おにたか》の|大将《たいしやう》、|此奴《こいつ》アちつと|変《へん》ぢやないか。|毎日《まいにち》|日日《ひにち》ベソベソと|吠面《ほえづら》かわいて|慄《ふる》うて|居《を》つた|両人《りやうにん》が、|今日《けふ》は|心底《しんてい》から|気楽《きらく》さうに、|大言《たいげん》を|吐《は》いて|居《を》る、どうしたものだらう』
|鬼鷹《おにたか》『|此奴《こいつ》ア、|発狂《はつきやう》したのだらう。さうでなくては、アンナ|事《こと》が|言《い》へたものぢやない』
|荒鷹《あらたか》『それにしても、|肝腎《かんじん》の|目的物《もくてきぶつ》たる|紫姫《むらさきひめ》は、どうなつただらう。|鬼熊別《おにくまわけ》の|御大将《おんたいしやう》に|御約束《おやくそく》をして|来《き》たのだ。|若《も》し|紛失《ふんしつ》でもして|居《ゐ》たら|大変《たいへん》だがなア』
|鹿公《しかこう》『アツハヽヽヽ、タヽヽ|大変《たいへん》だ|大変《たいへん》だ。|大変《たいへん》が|通《とほ》り|越《こ》して、|天変《てんぺん》|地変《ちへん》だ、|地震《ぢしん》|雷《かみなり》|火《ひ》の|車《くるま》、|鬼《おに》の|岩窟《いはや》は|忽《たちま》ち|明日《あす》をも|待《ま》たず、|木端微塵《こつぱみぢん》、|憐《あは》れ|果敢《はか》なき|次第《しだい》なり、ワツハヽヽヽ』
|鬼鷹《おにたか》『ヤア|益々《ますます》|怪《あや》しいぞ、………オイ|鹿《しか》、|馬《うま》の|奴《やつ》、|紫姫《むらさきひめ》の|所在《ありか》を|有態《ありてい》に|申《まを》せ』
|鹿公《しかこう》『アハヽヽヽ、あの|心配《しんぱい》さうな|面付《かほつき》、|蟻《あり》か、|蚯蚓《みみづ》か、|鼬《いたち》か|知《し》らぬが、|貴様等《きさまら》の|翫弄物《おもちや》にはお|成《な》り|遊《あそ》ばす|紫姫《むらさきひめ》ぢや|御座《ござ》らぬワイ。|鬼熊別《おにくまわけ》の|大将《たいしやう》に|奉《たてまつ》つて、|御褒美《ごほうび》に|与《あづか》らうと|云《い》ふ|目的《もくてき》であらうが、|細引《ほそびき》きの|褌《ふんどし》、あちらへ|外《はづ》れ、こちらへ|外《はづ》れ、お|気《き》の|毒《どく》|乍《なが》ら|目的《もくてき》は|成就《じやうじゆ》|致《いた》さぬワイ。あまり|呆《あき》れて|腮《あご》が|外《はづ》れぬ|様《やう》に|御注意《ごちうい》なされませや』
|鬼鷹《おにたか》『ヤア|益々《ますます》|合点《がてん》のゆかぬ|事《こと》を|申《まを》す|奴《やつ》だ。コラ|馬《うま》、|鹿《しか》、|貴様《きさま》は|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》|御両人様《ごりやうにんさま》の|御威勢《ごゐせい》を|恐《おそ》れぬか』
|鹿公《しかこう》『コレヤ|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》、|貴様《きさま》は|鹿公《しかこう》さま|馬公《うまこう》さま|御両人《ごりやうにん》の|御威勢《ごゐせい》を|何《なん》と|思《おも》ふか、|恐《おそ》れ|入《い》らぬか、アツハヽヽヽ』
|荒鷹《あらたか》『|益々《ますます》|可怪《をか》しい|奴《やつ》だ。|何《なん》でも|此奴《こいつ》ア、|強力《がうりき》な|尻押《しりお》しが|出来《でき》たに|違《ちがひ》ない。オイ|鹿《しか》、|貴様《きさま》の|後《あと》に|誰《たれ》か|尻《しり》を|押《お》す|奴《やつ》が|出来《でき》たのだらう。|逐一《ちくいち》|白状《はくじやう》|致《いた》せ』
|鹿公《しかこう》『きまつた|事《こと》だよ、|此《この》|方《はう》には|大江山《おほえやま》の|鬼雲彦《おにくもひこ》を|始《はじ》めとし、|其《その》|他《た》|数万《すうまん》の|天下《てんか》の|豪傑《がうけつ》、|雲霞《うんか》の|如《ごと》く|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》を|救援《きうゑん》に|向《むか》ひ、|三嶽《みたけ》の|山《やま》の|岩窟《がんくつ》を|滅茶《めつちや》|苦茶《くちや》に|叩《たた》き|潰《つぶ》し、|五六人《ごろくにん》の|留守番《るすばん》の|奴等《やつら》は|谷底《たにそこ》へ|吹《ふ》き|散《ち》らし、|是《こ》れより|進《すす》みて|鬼ケ城《おにがじやう》の|敵《てき》に|向《むか》つて|攻撃《こうげき》の|準備中《じゆんびちう》だ。|東方《とうはう》よりは|又《また》もや|数多《あまた》の|軍勢《ぐんぜい》、|亀彦《かめひこ》、|英子姫《ひでこひめ》のヒーロー|豪傑《がうけつ》を|先頭《せんとう》に、|数十万《すうじふまん》とも|限《かぎ》りなく、|日《ひ》ならず|攻《せ》め|寄《よ》せる|計画《けいくわく》|整《ととの》うたり。モウ|斯《か》うなる|上《うへ》は、|鬼ケ城《おにがじやう》もガタガタの|滅茶々々《めちやめちや》、|一時《いちじ》も|早《はや》く|引返《ひつかへ》し、|此《この》|由《よし》を|鬼熊別《おにくまわけ》の|腰抜《こしぬけ》|大将《たいしやう》に|注進《ちうしん》|致《いた》すが|宜《よ》からうぞ』
|荒鷹《あらたか》『ナニツ、|言《い》はしておけば|際限《さいげん》なき|雑言《ざふごん》|無礼《ぶれい》、|首途《かどで》の|血祭《ちまつり》、|汝等《なんぢら》|二人《ふたり》の|身体《からだ》は、|此《この》|棍棒《こんぼう》の|先《さき》に|粉砕《ふんさい》し|呉《く》れむ……ヤアヤア|者共《ものども》、|二人《ふたり》に|向《むか》つて|打《う》つて|掛《かか》れ』
|一同《いちどう》は|二人《ふたり》を|目《め》あてに、|棍棒《こんぼう》|打振《うちふ》り|打《う》つてかかるを、|鹿《しか》、|馬《うま》の|両人《りやうにん》は|一生懸命《いつしやうけんめい》、|韋駄天《ゐだてん》|走《ばし》りに、|悦子姫《よしこひめ》が|休息場《きうそくば》に|向《むか》つて|逃《に》げ|帰《かへ》る。
|荒鷹《あらたか》『ヤア|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》な|馬《うま》、|鹿《しか》の|両人《りやうにん》、|口《くち》|程《ほど》にもない|代物《しろもの》、……ヤアヤア|者共《ものども》、|汝《なんじ》ら|四五人《しごにん》にて|結構《けつこう》だ。|早《はや》く|追《お》つかけ|両人《りやうにん》を|生捕《いけどり》に|致《いた》して|来《こ》い』
『|畏《かしこ》まりました』
と|五六人《ごろくにん》の|男《をとこ》は、|二人《ふたり》の|後《あと》を|追《お》つて|北《きた》へ|北《きた》へと|走《はし》り|行《ゆ》く。
|加米彦《かめひこ》『ヤア|騒々《さうざう》しき|足音《あしおと》が|聞《きこ》えて|来《き》た。|青彦《あをひこ》、|常彦《つねひこ》、|夏彦《なつひこ》、|起《お》きたり|起《お》きたり』
|斯《か》く|云《い》ふ|内《うち》、|鹿公《しかこう》、|馬公《うまこう》は|此《この》|場《ば》に|走《はし》り|来《きた》り、
『|宣伝使《せんでんし》に|申《まを》し|上《あ》げます。|只今《ただいま》|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》の|両人《りやうにん》、|四五人《しごにん》の|乾児《こぶん》を|引《ひ》きつれ、|棍棒《こんぼう》を|打振《うちふ》り、|此《この》|場《ば》に|進《すす》みて|参《まゐ》ります。|防戦《ばうせん》の|御用意《ごようい》なされませ』
|加米彦《かめひこ》『ヤア|最早《もはや》やつて|来《き》よつたか。|序《ついで》に|鬼ケ城《おにがじやう》の|鬼熊別《おにくまわけ》|全軍《ぜんぐん》を|率《ひき》ゐて|来《き》て|呉《く》れれば、|埒《らち》が|明《あ》いて|良《い》いがなア。|五人《ごにん》や|十人《じふにん》|邪魔《じやま》|臭《くさ》い』
|鹿公《しかこう》『もうし|加米彦《かめひこ》さま、|随分《ずゐぶん》|力一杯《ちからいつぱい》、|馬公《うまこう》と|二人《ふたり》で|吹《ふ》いて|吹《ふ》いて|吹《ふ》き|捲《まく》つてやりました。|是《これ》であなたの|二代目《にだいめ》が|勤《つと》まりませうなア』
|加米彦《かめひこ》『ヤア|此《この》|場《ば》へ|敵《てき》がやつて|来《き》ては、|悦子姫《よしこひめ》さま|其《その》|他《た》の|安眠《あんみん》|妨害《ばうがい》だ。それよりも|此方《こちら》から|向《むか》つて、|一《ひと》つ|奮戦《ふんせん》だ。|鹿公《しかこう》、|馬公《うまこう》、サア|来《こ》い|来《きた》れ……』
と|云《い》ふより|早《はや》く|加米彦《かめひこ》は、|南《みなみ》を|指《さ》して|走《はし》り|行《ゆ》く。|忽《たちま》ち|南方《なんぱう》より|息《いき》せき|切《き》つて|走《はし》り|来《きた》る|四五《しご》の|物影《ものかげ》、|三人《さんにん》は|傍《かたへ》の|木《き》の|茂《しげ》みに|身《み》を|忍《しの》ばせ、|様子《やうす》を|窺《うかが》つて|居《ゐ》る。
|甲《かふ》『オイ|貴様《きさま》さつきへ|往《ゆ》かぬかい』
|乙《おつ》『|先《さき》も|後《あと》もあつたものかい。|先《さき》へ|行《い》た|者《もの》が|険呑《けんのん》だとも、|安全《あんぜん》だとも|分《わか》るものぢやない。|何事《なにごと》も|運命《うんめい》の|儘《まま》に|進《すす》めば|良《い》いのだ。ソンナ|臆病風《おくびやうかぜ》を|出《だ》して、|悪《あく》の|御用《ごよう》が|勤《つと》まるかい』
|甲《かふ》『ナニ|誰《たれ》が|悪《あく》の|御用《ごよう》だ。|吾々《われわれ》は|是《これ》|位《くらゐ》|最善《さいぜん》の|道《みち》はないと|思《おも》つて、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|活動《くわつどう》して|居《を》るのだ。|鬼熊別《おにくまわけ》の|大将《たいしやう》は|何時《いつ》も|仰有《おつしや》るぢやないか。|世界《せかい》は|悪魔《あくま》の|世《よ》の|中《なか》だ。|優勝劣敗《いうしようれつぱい》だ。さうだから|世界《せかい》の|人間《にんげん》が|可哀相《かあいさう》だ、|強《つよ》い|者《もの》を|苛《いぢ》め、|弱《よわ》い|者《もの》を|助《たす》けてやるのが|人間《にんげん》だ……と、|何時《いつ》も|仰有《おつしや》るぢやないか。|俺《おれ》は|鬼熊別《おにくまわけ》の|大将《たいしやう》が|毛筋《けすぢ》|程《ほど》でも|悪《あく》だと|思《おも》つたら、コンナ|夜夜中《よるよなか》に|山坂《やまさか》を|駆巡《かけめぐ》り、|辛《つら》い|働《はたら》きはせないよ。|何《なん》でも、|三五教《あななひけう》とやらの、|強《つよ》い|者勝《ものがち》の|悪神《わるがみ》が|出《で》て|来《き》よつて、|世界《せかい》の|弱《よわ》い|人民《じんみん》を|虐《しひた》げると|云《い》ふ|事《こと》だから、|俺《おれ》も|天下《てんか》の|為《ため》|悪人《あくにん》を|滅亡《ほろぼ》すのが|唯一《ゆゐいつ》の|目的《もくてき》だ』
|乙《おつ》『アハヽヽヽ、|貴様《きさま》は|割《わ》りとは|馬鹿正直《ばかしやうぢき》な|奴《やつ》だなア、|鬼熊別《おにくまわけ》はアヽ|見《み》えても、|悪《あく》が|七分《しちぶ》に|善《ぜん》が|三分《さんぶ》だ、それが|貴様《きさま》|分《わか》らぬのか。……アーアもう|一歩《ひとあし》も|前進《ぜんしん》する|事《こと》が|出来《でき》なくなつて|了《しま》つた』
|丙《へい》『さうだなア、|此処《ここ》まで|来《く》ると、|足《あし》がピタリと|止《と》まつた。|何《なん》でも|最前《さいぜん》|逃《に》げて|行《い》きよつた|二人《ふたり》の|奴《やつ》、|魔法《まはふ》を|使《つか》つて|俺達《おれたち》の|足止《あしど》めをしよつたのかも|知《し》れぬぞ』
|木《き》の|茂《しげ》みの|中《なか》より、
『|加米彦《かめひこ》さま、|世界《せかい》に|絶対《ぜつたい》の|悪人《あくにん》はありませぬなア、|今《いま》|彼等《かれら》の|話《はなし》を|聞《き》けば、|鬼《おに》の|乾児《こぶん》にもヤツパリ|善人《ぜんにん》が|混《まじ》つて|居《ゐ》るぢやありませぬか』
|加米彦《かめひこ》『そうだ、|如何《いか》に|悪人《あくにん》と|云《い》つても、|元《もと》はみな|神様《かみさま》の|結構《けつこう》な|霊《みたま》が|血管《けつくわん》の|中《なか》を|流《なが》れて|居《ゐ》るのだから、|悪《あく》になるのは|皆《みんな》|誤解《ごかい》からだ。|併《しか》し|悪《あく》と|知《し》りつつ|悪《あく》を|行《や》る|奴《やつ》は|滅多《めつた》にないものだ。|吾々《われわれ》も|斯《か》うして|善《ぜん》を|尽《つく》した|積《つも》りでも、|智徳《ちとく》|円満《ゑんまん》|豊美《ほうび》なる|神様《かみさま》の|御心《みこころ》から|御覧《ごらん》になれば、|知《し》らず|識《し》らずの|間《あひだ》に|罪《つみ》を|重《かさ》ねて|居《ゐ》るか|知《し》れないよ。そうだから|人間《にんげん》は|何事《なにごと》も|惟神《かむながら》に|任《まか》し、|己《おのれ》を|責《せ》め、|謙遜《へりくだ》り|省《かへり》くてはならないのだ』
|鹿公《しかこう》『ヘン……|殊勝《しゆしよう》らしい|事《こと》を|仰有《おつしや》います|事《こと》、あなたは|随分《ずゐぶん》|謙遜《へりくだ》る|所《どころ》か、|高慢心《かうまんしん》の|強《つよ》いお|方《かた》ぢや、|法螺《ほら》ばつかり|吹《ふ》いて|吹《ふ》いて|吹《ふ》き|倒《たふ》し、|人《ひと》を|煙《けぶり》に|巻《ま》いて、|鼻《はな》を|高《たか》うして|得意《とくい》がつてるお|方《かた》ぢや|有《あ》りませぬか。あなたも、よつぽど|耄碌《まうろく》しましたなア』
|加米彦《かめひこ》『アハヽヽヽ、それだから|困《こま》ると|云《い》ふのだ。お|前達《まへたち》は|表面《へうめん》ばつかり|見《み》て、|吾々《われわれ》の|魂《たましひ》を|見《み》て|呉《く》れないから|困《こま》るナア』
|甲《かふ》『ヤア|何《なん》だ、|林《はやし》の|中《なか》から|声《こゑ》が|聞《きこ》えるぢやないか』
|乙《おつ》『そうだ、|最前《さいぜん》から|怪体《けつたい》な|声《こゑ》がすると|思《おも》うて|居《ゐ》た。……オイオイ|今《いま》の|声《こゑ》の|主人公《しゆじんこう》は|何処《どこ》に|居《を》るのだ。|敵《てき》でも|味方《みかた》でも|良《よ》いワ、みな|神様《かみさま》の|目《め》から|見《み》れば|世界《せかい》|兄弟《けいてい》だ。ソンナ|所《ところ》に|怖《こは》|相《さう》に|引込《ひきこ》みて、ヒソビソ|話《ばなし》をするよりも、|公然《こうぜん》と|此《この》|場《ば》に|現《あらは》れて、|一《ひと》つ|懇談会《こんだんくわい》でもやつたらどうだい』
|加米彦《かめひこ》『|此奴《こいつ》ア|面白《おもしろ》い、お|前達《まへたち》は|鬼ケ城《おにがじやう》に|割拠《かつきよ》する|鬼熊別《おにくまわけ》の|部下《てした》の|者《もの》だらう。|俺《おれ》は|三五教《あななひけう》の|加米彦《かめひこ》と|云《い》ふ|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》だ。|一《ひと》つ|宣伝歌《せんでんか》を|聞《き》かしてやらうか』
|甲《かふ》『ハイハイ|良《よ》い|所《ところ》で……ドツコイ|不思議《ふしぎ》な|所《ところ》でお|目《め》にかかりました。どうぞ|生命《いのち》|許《ばか》りはお|助《たす》け|下《くだ》さいませ』
|乙《おつ》『オイオイ|何《なに》を|謝罪《あやま》るのだ。|結構《けつこう》な|歌《うた》を|聴《き》かしてやると|仰有《おつしや》るのだよ』
|甲《かふ》『アヽさうか、おれや|又《また》、|煎《せん》じて|食《く》てやらうと|聞《きこ》えたので、ビツクリしたのだよ』
|乙《おつ》『アハヽヽヽ、モシモシ|宣伝使《せんでんし》とやら|云《い》ふお|方《かた》、あなたの|言霊《ことたま》は、どうも|明瞭《はつきり》して|居《を》ります。|吾々《われわれ》に|対《たい》し|一寸《ちよつと》も|敵意《てきい》を|含《ふく》みて|居《ゐ》ない。ヤアもう|安心《あんしん》|致《いた》しました、どうぞ|聞《き》かして|下《くだ》さいませ』
|鹿公《しかこう》『オイ|鬼《おに》の|部下《てした》|共《ども》、|俺達《おれたち》は|鹿公《しかこう》ぢやぞ。あまり|安心《あんしん》を|早《はや》うすると、|後《あと》で|後悔《こうくわい》をせにやならぬぞ』
|乙《おつ》『ナニ、お|前《まへ》は|今《いま》|逃《に》げた|鹿公《しかこう》ぢやなア、|此処《ここ》へ|出《で》て|来《こ》ぬかい、|一《ひと》つ|力《ちから》|比《くら》べをして、|負《まけ》たら|従《したが》うてやる、|勝《か》つたら|従《したが》はすぞよ』
|鹿公《しかこう》『アハヽヽヽ、|三五教《あななひけう》のお|筆先《ふでさき》の|様《やう》な|事《こと》を|云《い》つて|居《ゐ》やがる。|勝《か》つも|負《ま》けるも|時《とき》の|運《うん》だ。|併《しか》し|乍《なが》ら|勝負《しようぶ》は|最早《もはや》ついて|居《ゐ》るぢやないか。サツパリ|加米彦《かめひこ》の|宣伝使《せんでんし》の|言霊《ことたま》に|零敗《れいはい》して|了《しま》つた。アツハヽヽヽ』
|斯《か》かる|所《ところ》へ|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》の|両人《りやうにん》、ノソリノソリと|現《あらは》れ|来《きた》り、
『オイ|貴様達《きさまたち》、コンナ|所《ところ》で|何《なに》をして|居《を》るのだ、|吾々《われわれ》の|命令《めいれい》に|服従《ふくじゆう》せないのか』
|甲《かふ》『ハイ|俄《にはか》に|強《つよ》くなつて、|腹《はら》の|底《そこ》から、|何《なん》だかムクムクと|動《うご》き|出《だ》し、|阿呆《あほ》らしくなつて、あなた|方《がた》の|命令《めいれい》に|服従《ふくじゆう》する|事《こと》が|出来《でき》なくなつて|来《き》ました』
|荒鷹《あらたか》『ソラ|何《なに》を|言《い》ふのだ、|貴様《きさま》、|臆病風《おくびやうかぜ》に|誘《さそ》はれて|腰《こし》を|抜《ぬ》かし、|逆上《のぼ》せやがつたな』
|乙《おつ》『モシモシ|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》の|両人《りやうにん》さま、モウ|駄目《だめ》ですよ、あなたの|威張《ゐば》るのも|今日《けふ》|唯今《ただいま》|限《かぎ》り、|私《わたし》もどうやら|腹《はら》の|底《そこ》から、|本守護神《ほんしゆごじん》とやらがムクムクと|頭《あたま》を|抬《もた》げ「ナーニ|鬼鷹《おにたか》|荒鷹《あらたか》の|木端武者《こつぱむしや》、|今《いま》|此《この》|場《ば》で|改心《かいしん》|致《いた》せば|良《よ》し、|致《いた》さぬに|於《おい》ては、|腕《かいな》を|捩折《ねぢお》り、|股《また》から|引裂《ひきさ》いて|喰《く》つて|了《しま》へ」と|囁《ささや》いて|御座《ござ》る、アツハヽヽヽ』
|丙《へい》『ヤア|鬼鷹《おにたか》、|荒鷹《あらたか》、どうぢや、|降参《かうさん》|致《いた》したか』
|丁《てい》『|改心《かいしん》するか』
|戊《ぼう》『|往生《わうじやう》|致《いた》すか、|三五教《あななひけう》に|従《したが》ふか、|悪《あく》を|改《あらた》め|善《ぜん》に|立帰《たちかへ》るか、|返答《へんたふ》はどうぢや。|宣伝歌《せんでんか》を|聴《き》かしてやらうか』
|荒鷹《あらたか》『アイタヽヽヽ、|此奴《こいつ》ア|変《へん》だ、|頭《あたま》が|鑿《のみ》でカチ|割《わ》られる|様《やう》に|痛《いた》くなつて|来《き》よつた、|鬼鷹《おにたか》、お|前《まへ》はどうだ』
|鬼鷹《おにたか》『アイタヽヽヽ、|俺《おれ》も|何《なん》だか、|痛《いた》くなつて|来《き》たやうだ。ハテ|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|事《こと》だワイ』
|林《はやし》の|中《なか》より、|加米彦《かめひこ》の|声《こゑ》、
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |曲津《まがつ》の|神《かみ》は|多《おほ》くとも
|三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|道《みち》  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》けて
|鬼《おに》も|大蛇《をろち》も|曲津見《まがつみ》も  |誠《まこと》の|道《みち》に|皆《みな》|救《すく》ふ
|世《よ》の|荒風《あらかぜ》に|揉《も》まれつつ  |神《かみ》の|御子《みこ》なる|諸人《もろびと》は
|右《みぎ》や|左《ひだり》や|前後《まへうし》ろ  |彷徨《さまよ》ひ|惑《まど》ふ|其《その》|間《うち》に
|善《ぜん》にも|進《すす》み|又《また》|悪《あく》に  |知《し》らず|識《し》らずに|陥《おちい》りて
|神《かみ》より|受《う》けし|生御魂《いくみたま》  |或《あるひ》は|汚《けが》し|又《また》|破《やぶ》り
|破《やぶ》れかぶれの|其《その》|果《はて》は  |心《こころ》の|鬼《おに》に|責《せ》められて
あらぬ|方《かた》へと|傾《かたむ》きつ  |誠《まこと》の|道《みち》を|踏《ふ》み|外《はづ》し
|邪《よこさ》の|道《みち》に|勇《いさ》ましく  |知《し》らず|識《し》らずに|進《すす》み|行《ゆ》く
|元《もと》は|天帝《てんてい》の|分霊《わけみたま》  |善《ぜん》も|無《な》ければ|悪《あく》も|無《な》い
|善《ぜん》と|悪《あく》とは|人《ひと》の|世《よ》の  |其《その》|折々《をりをり》の|捨言葉《すてことば》
アテにはならぬ|物《もの》ぞかし  あゝ|荒鷹《あらたか》よ|鬼鷹《おにたか》よ
|汝《なれ》も|神《かみ》の|子《こ》|人《ひと》の|子《こ》よ  |尊《たふと》き|神《かみ》の|子《こ》と|生《うま》れ
|何《なに》|苦《くる》しさに|鬼ケ城《おにがじやう》  |鬼熊別《おにくまわけ》の|部下《ぶか》となり
|世人《よびと》を|苦《くる》しめ|虐《しひた》ぐる  |身魂《みたま》を|直《なほ》せ|今《いま》|直《なほ》せ
|三嶽《みたけ》の|山《やま》の|頂《いただ》きで  |吾《われ》に|逢《あ》うたは|神々《かみがみ》の
|篤《あつ》き|恵《めぐみ》の|引合《ひきあは》せ  |心《こころ》|一《ひと》つの|持方《もちかた》で
|悪《あく》ともなれば|善《ぜん》となる  |善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|分水嶺《ぶんすゐれい》
|覚悟《かくご》は|如何《いか》にサア|如何《いか》に  |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》  |唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》を
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|宣《の》り|直《なほ》す  |神《かみ》の|樹《た》てたる|三五教《あななひけう》
|復《かへ》れよ|帰《かへ》れ|真心《まごころ》に  |磨《みが》けよみがけ|天地《あめつち》の
|神《かみ》より|受《う》けし|生魂《いくみたま》  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして  |荒鷹《あらたか》|鬼鷹《おにたか》|其《その》|外《ほか》の
|魔神《まがみ》の|身魂《みたま》を|清《きよ》めませ  |偏《ひとへ》に|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る
|偏《ひとへ》に|祈願《こひのみ》|申《まを》します』
と|声《こゑ》も|涼《すず》しく|歌《うた》ひ|終《をは》るや、|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》|其《その》|他《た》|一同《いちどう》は|大地《だいち》に|平伏《へいふく》し、|涙《なみだ》をハラハラと|流《なが》し|唯《ただ》、
『|有難《ありがた》う|有難《ありがた》う』
と|僅《わづか》に|感謝《かんしや》の|意《い》を|表《へう》して|居《ゐ》る。
|斯《か》かる|所《ところ》へ、|悦子姫《よしこひめ》の|一行《いつかう》は|現《あら》はれ|来《きた》り、
|音彦《おとひこ》『ヤア|加米彦《かめひこ》、|御手柄《おてがら》|々々《おてがら》、|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》の|大将《たいしやう》も、どうやら|救《すく》はれた|様《やう》な|塩梅《あんばい》ですなア』
|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》|一度《いちど》に、
『これはこれは|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|私《わたくし》は|今日《こんにち》、|只今《ただいま》、|神《かみ》の|御霊《みたま》に|照《てら》されて、|発根《ほつこん》と|心《こころ》の|岩戸《いはと》が|開《ひら》けました。|最早《もはや》|吾々《われわれ》は|悪《あく》より|救《すく》はれました。どうぞ|今日《けふ》|限《かぎ》り、あなたのお|道《みち》に|入《い》れて|下《くだ》さいまして、お|伴《とも》に|御使《おつか》ひ|下《くだ》されば|有難《ありがた》う|御座《ござ》います』
|音彦《おとひこ》『ホーそれは|何《なに》より|重畳《ちようでう》だ。もうし|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》、|如何《いかが》|致《いた》しませう。|斯《か》う|早《はや》く|改心《かいしん》せられては|鬼ケ城《おにがじやう》の|言霊戦《ことたません》も、|何《なん》だか|張合《はりあひ》が|抜《ぬ》けた|様《やう》です、|何卒《どうぞ》あなたの|指揮《しき》を|願《ねが》ひます』
|悦子姫《よしこひめ》、|儼然《げんぜん》として|立上《たちあが》り、
『イヤ|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》の|両人《りやうにん》、そなたは|一先《ひとま》づ|鬼ケ城《おにがじやう》に|立帰《たちかへ》り、|妾《わたし》の|一行《いつかう》と|花々《はなばな》しく|言霊《ことたま》の|戦《いくさ》を|開始《かいし》し、|其《その》|上《うへ》にて|双方《さうはう》より|和睦《わぼく》をする|事《こと》に|致《いた》しませう』
|荒鷹《あらたか》『ナント|仰《あふ》せられます、|最早《もはや》|私《わたくし》|共《ども》はあなた|方《がた》に|向《むか》つて|戦《たたか》ふ|勇気《ゆうき》はありませぬ。ナア|鬼鷹《おにたか》、お|前《まへ》もさうだらう』
|鬼鷹《おにたか》『|吾々《われわれ》は|絶対《ぜつたい》に|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》|致《いた》しました。|勿体《もつたい》ない、どうしてあなた|方《がた》に|刃向《はむか》ふ|事《こと》ができませうか』
|悦子姫《よしこひめ》『|分《わか》りました。|併《しか》し|乍《なが》ら|鬼熊別《おにくまわけ》の|帰順《きじゆん》する|迄《まで》は、あなたは、|三五教《あななひけう》に|入信《にふしん》の|許可《きよか》を|保留《ほりう》して|置《お》きます。|今迄《いままで》|首領《しゆりやう》と|仰《あふ》いだ|鬼熊別《おにくまわけ》に|対《たい》し|親切《しんせつ》が|通《とほ》りませぬ。|成《な》る|事《こと》ならばあなた|方《がた》より|鬼熊別《おにくまわけ》を、|改心《かいしん》さして|頂《いただ》きたい。|併《しか》し|乍《なが》ら|俄《にはか》にあなた|方《がた》の|仰有《おつしや》る|事《こと》を、|大将《たいしやう》として|聞《き》けますまいから、|茲《ここ》に|一《ひと》つの|神策《しんさく》を|案《あん》じ、|一旦《いつたん》あなた|方《がた》と|立別《たちわか》れて、|花々《はなばな》しく|言霊戦《ことたません》を|開始《かいし》し、|其《その》|結果《けつくわ》|和睦《わぼく》|開城《かいじやう》と|云《い》ふ|段取《だんどり》となるのが、|穏健《おんけん》な|行方《やりかた》でせう。|就《つい》ては|今迄《いままで》|三岳《みたけ》の|岩窟《いはや》に|捕《とら》はれて|居《ゐ》た|紫姫《むらさきひめ》さま、|鹿《しか》さま、|馬《うま》さまを|始《はじ》め、|丹州《たんしう》さまは|荒鷹《あらたか》さま、|鬼鷹《おにたか》さまと|共《とも》に、|一先《ひとま》ず|鬼ケ城《おにがじやう》へ|御帰《おかへ》り|下《くだ》さい。さうして|妾《わたし》の|神軍《しんぐん》に|向《むか》つて|言霊戦《ことたません》を|開始《かいし》なされませ。あなたの|方《はう》は|防禦軍《ばうぎよぐん》、|妾《わたし》の|方《はう》は|攻撃軍《こうげきぐん》で|御座《ござ》います。|攻撃軍《こうげきぐん》には、|悦子姫《よしこひめ》、|音彦《おとひこ》、|加米彦《かめひこ》、|青彦《あをひこ》、|夏彦《なつひこ》、|常彦《つねひこ》を|以《もつ》て|之《これ》に|当《あ》てます、………サアサア|一時《いちじ》も|早《はや》く|鬼ケ城《おにがじやう》へ|御帰《おかへ》り|遊《あそ》ばせ。|時《とき》を|移《うつ》さず|妾《わたし》は|神軍《しんぐん》を|引率《いんそつ》し、|大攻撃《だいこうげき》に|着手《ちやくしゆ》|致《いた》します』
|丹州《たんしう》『ヤア|六韜三略《りくたうさんりやく》の|姫様《ひめさま》の|御神策《ごしんさく》、|心得《こころえ》ました。サアサア|紫姫《むらさきひめ》|様《さま》、|鹿公《しかこう》、|馬公《うまこう》、|是《これ》から|鬼ケ城《おにがじやう》へ|乗《の》り|込《こ》み、|悦子姫《よしこひめ》さまの|攻撃《こうげき》に|向《むか》つて、|極力《きよくりよく》|防戦《ばうせん》を|致《いた》しませう。………|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》、|戦場《せんぢやう》にて、|改《あらた》めてお|目《め》に|掛《かか》りませう。|此《この》|丹州《たんしう》が|言霊《ことたま》の|威力《ゐりよく》をお|目《め》にかける、|必《かなら》ずオメオメと|敗走《はいそう》なされますな。あゝ|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し、|吾等《われら》は|是《これ》より|鬼ケ城《おにがじやう》の|本城《ほんじやう》に|立帰《たちかへ》り、|鬼熊別《おにくまわけ》を|総大将《そうだいしやう》と|仰《あふ》ぎ、|寄《よ》せ|来《く》る|三五教《あななひけう》の|神軍《しんぐん》に|向《むか》つて、あらゆる|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|言霊《ことたま》の|秘術《ひじゆつ》を|尽《つく》し、|千変万化《せんぺんばんくわ》にかけ|悩《なや》まし、|木端微塵《こつぱみぢん》に|平《たひら》げ|呉《く》れむ、さらば|悦子姫《よしこひめ》|殿《どの》』
|悦子姫《よしこひめ》『さらば|丹州殿《たんしうどの》、|改《あらた》めて|戦場《せんぢやう》にてお|目《め》に|掛《かか》りませう』
(大正一一・四・二三 旧三・二七 松村真澄録)
第一六章 |城攻《しろぜめ》〔六二七〕
|冷《つめ》たき|風《かぜ》も|福知山《ふくちやま》、|世《よ》を|艮《うしとら》の|大空《おほぞら》に|聳《そそ》り|立《た》ちたる|鬼ケ城《おにがじやう》、|千引《ちびき》の|岩《いは》にて|固《かた》めたる、|鬼熊別《おにくまわけ》が|千代《ちよ》の|住家《すみか》、|金城鉄壁《きんじやうてつぺき》|一卒《いつそつ》これを|守《まも》れば|万卒《ばんそつ》|攻《せ》むべからざる、|敵《てき》の|攻撃《こうげき》に|対《たい》しては|絶対的《ぜつたいてき》の|安全《あんぜん》|地帯《ちたい》、|岩窟《いはや》の|中《なか》に|築《きづ》きたる|八尋殿《やひろどの》に|砦《とりで》の|棟梁《とうりやう》|鬼熊別《おにくまわけ》は、|角《つの》の|生《は》えたる|命《いのち》の|女房《にようばう》、|顔色《かほいろ》|黒《くろ》い|蜈蚣姫《むかでひめ》|数多《あまた》の|人足《にんそく》|従《したが》へて|夜昼《よるひる》|堅固《けんご》に|守《まも》り|居《ゐ》る。|鬼熊別《おにくまわけ》が|懐中刀《ふところがたな》と|頼《たの》みたる、|荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》|始《はじ》めとし、|紫姫《むらさきひめ》や|容貌《みめかたち》|美《よ》き|丹州《たんしう》の、|味方《みかた》の|兵士《つはもの》を|呼《よ》び|集《あつ》め、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|悦子姫《よしこひめ》が|率《ひき》ゐ|来《きた》る|言霊隊《ことたまたい》の|進軍《しんぐん》に|対《たい》して、|防戦《ばうせん》の|協議《けふぎ》を|凝《こ》らす|大会議《だいくわいぎ》、|数多《あまた》の|従卒《じゆうそつ》|岩窟戸《いはやど》の|周囲《まはり》を|十重二十重《とへはたへ》に|取《と》り|囲《かこ》み、|敵《てき》の|襲来《しふらい》に|備《そな》へ|居《ゐ》るその|物々《ものもの》しさ、よその|見《み》る|目《め》も|勇《いさ》ましき。|鬼熊別《おにくまわけ》は|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
『|三五教《あななひけう》の|奴原《やつばら》、|大江山《おほえやま》に|在《ましま》す|鬼雲彦《おにくもひこ》の|御大将《おんたいしやう》の|館《やかた》を|蹂躙《じうりん》し、|尚《な》ほ|進《すす》みて|三嶽《みたけ》の|岩窟《がんくつ》を|破壊《はくわい》し|去《さ》り、|今《いま》や|少数《せうすう》の|神軍《しんぐん》をもつて|本城《ほんじやう》に|押《お》し|寄《よ》せ|来《きた》るとの|注進《ちうしん》、|吾《われ》は|名《な》に|負《お》ふ|大軍《たいぐん》を|擁《よう》し、|斯《かか》る|堅城鉄壁《けんじやうてつぺき》を|構《かま》へ|居《を》れば、|如何《いか》なる|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》|鬼神《きしん》の|襲来《しふらい》と|雖《いへど》も|屈《くつ》するに|及《およ》ばず、|然《さ》はさりながら|油断《ゆだん》は|大敵《たいてき》、|汝等《なんぢら》は|是《これ》より、|味方《みかた》の|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|引率《いんそつ》し、|所在《あらゆる》|武器《ぶき》をもつて|敵《てき》に|向《むか》ひ、|只《ただ》|一戦《いつせん》に|殲滅《せんめつ》せよ、|夫《それ》についての|作戦《さくせん》|計画《けいくわく》、|意見《いけん》あらば|各《かく》|吾前《わがまへ》へ|開陳《かいちん》せよ』
と|厳命《げんめい》したりければ、|荒鷹《あらたか》は|進《すす》み|出《い》で、
|荒鷹《あらたか》『|御大将《おんたいしやう》の|御仰《おんあふ》せ、|一応《いちおう》|御尤《ごもつと》もでは|御座《ござ》いますが、|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り|大江山《おほえやま》の|鬼雲彦《おにくもひこ》は|数多《あまた》の|味方《みかた》を|擁《よう》しながら、|僅《わづか》|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》のために|一敗地《いつぱいち》に|塗《まみ》れて|雲《くも》を|霞《かすみ》と|遁走《とんそう》せられたる|如《ごと》く、|到底《たうてい》|天来《てんらい》の|神軍《しんぐん》に|対《たい》し|武器《ぶき》をもつて|向《むか》ふは|心許《こころもと》なし、|何《なに》か|良《よ》き|方法《はうはふ》あらばお|示《しめ》し|下《くだ》さいませ』
|蜈蚣姫《むかでひめ》『さうだと|申《まを》して|此《この》|鬼ケ城《おにがじやう》に|於《おい》ては、|槍《やり》、|長刀《なぎなた》、|剣《つるぎ》の|外《ほか》に|敵《てき》に|対《たい》する|武器《ぶき》はあらず。|汝等《なんぢら》|如何《いか》に|致《いた》す|所存《しよぞん》にや、|良策《りやうさく》あらば|遠慮《ゑんりよ》なく|開陳《かいちん》せよ』
|鬼鷹《おにたか》『|畏《おそ》れながら、|鬼熊別《おにくまわけ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》|様《さま》に|申上《まをしあげ》ます、|敵《てき》は|言霊《ことたま》を|以《もつ》て|迫《せま》り|来《きた》り、|五色《ごしき》の|霊光《れいくわう》を|放射《はうしや》し|敵《てき》を|縦横無尽《じうわうむじん》に|駆悩《かけなや》ます|神力《しんりき》を|具備《ぐび》し|居《を》れば、|到底《たうてい》|此《この》|儘《まま》にては|叶《かな》ひ|難《がた》し。|吾《われ》は|幸《さいは》ひ|一声《いつせい》|天地《てんち》を|震撼《しんかん》し、|一言《いちげん》|風雨雷霆《ふううらいてい》を|叱咤《しつた》する|神力《しんりき》を|図《はか》らずも|三嶽山《みたけやま》の|山上《さんじやう》に|於《おい》て|白髪《はくはつ》|異様《いやう》の|神人《しんじん》より|伝授《でんじゆ》されました、もう|此《この》|上《うへ》は|大丈夫《だいぢやうぶ》、|仮令《たとへ》|幾万《いくまん》の|武器《ぶき》ありとも、|部下《ぶか》の|身体《からだ》を|霊縛《れいばく》されなば|如何《いかん》ともする|事《こと》は|出来《でき》ますまい、|吾々《われわれ》は|言霊《ことたま》を|以《もつ》て|寄《よ》せ|来《く》る|敵《てき》を|殲滅《せんめつ》するを|最上《さいじやう》の|策《さく》と|存《ぞん》じます』
|鬼熊別《おにくまわけ》『|汝《なんぢ》|一人《ひとり》|如何《いか》に|言霊《ことたま》を|応用《おうよう》すればとて、|其《その》|他《た》の|部将《ぶしやう》は|如何《いかが》|致《いた》す|積《つも》りだ』
|鬼鷹《おにたか》『|畏《おそ》れながら、|荒鷹《あらたか》、|丹州《たんしう》、|紫姫《むらさきひめ》のお|歴々《れきれき》は、|私《わたし》と|一度《いちど》に|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|言霊《ことたま》の|妙術《めうじゆつ》を|神人《しんじん》より|伝授《でんじゆ》され|居《を》りますれば、|必《かなら》ず|必《かなら》ず|御心配《ごしんぱい》あらせられな、|仮令《たとへ》|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|霊術《れいじゆつ》をもつて|迫《せま》り|来《きた》るとも、|吾《わ》が|言霊《ことたま》の|威力《ゐりよく》を|以《もつ》て、|縦横無尽《じうわうむじん》にかけ|悩《なや》まさむ、|必《かなら》ず|必《かなら》ず|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|労《らう》し、|兇器《きようき》をもつて|向《むか》はせ|給《たま》ふべからず、|確《たしか》に|吾々《われわれ》|勝算《しようさん》が|御座《ござ》る』
と|事《こと》もなげに|述《の》べ|立《た》てたるに、|鬼熊別《おにくまわけ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》は|満面《まんめん》に|笑《ゑみ》を|湛《たた》へ、
『|然《しか》らば|鬼鷹《おにたか》|汝《なんぢ》に|全軍《ぜんぐん》の|指揮《しき》を|命《めい》ず、|必《かなら》ず|共《とも》に|油断《ゆだん》|致《いた》すな、|吾《われ》は|是《これ》より|高楼《たかどの》に|登《のぼ》り、|汝等《なんぢら》が|奮戦《ふんせん》の|状況《じやうきやう》を|見《み》む、|蜈蚣姫《むかでひめ》|来《きた》れ』
と|此《この》|場《ば》を|立《た》つて|奥《おく》の|一間《ひとま》に|悠々《いういう》と|忍《しの》び|入《い》る。|忽《たちま》ち|聞《きこ》ゆる|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》に|耳《みみ》を|聳立《そばだ》て、
|鬼鷹《おにたか》『ヤアヤアかたがた、|敵《てき》は|間近《まぢか》く|攻《せ》め|寄《よ》せました、|何《いづ》れも|防戦《ばうせん》の|用意《ようい》あれ』
|荒鷹《あらたか》『|仮令《たとへ》|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|悦子姫《よしこひめ》、|音彦《おとひこ》、|加米彦《かめひこ》、|青瓢箪彦《あをべうたんひこ》、|腰《こし》の|曲《まが》つた|夏彦《なつひこ》、|狐《きつね》のやうに|目《め》の|釣《つ》り|上《あが》つた|常彦《つねひこ》|押寄《おしよ》せ|来《きた》るとも、|吾《われ》は|孫呉《そんご》の|秘術《ひじゆつ》を|揮《ふる》ひ、|否々《いないな》|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|言霊《ことたま》の|妙術《めうじゆつ》を|発揮《はつき》し、|敵《てき》を|千変万化《せんぺんばんくわ》に|駆悩《かけなや》まし、|勝鬨《かちどき》|上《あ》げるは|瞬《またた》く|間《うち》』
と|勇《いさ》める|顔色《がんしよく》|英気《えいき》に|満《み》ち、|威風《ゐふう》|凛々《りんりん》として|四辺《あたり》を|払《はら》ふ|勇《いさ》ましさ。|一同《いちどう》は|双手《もろて》を|打《う》ち|一斉《いつせい》にウローウローと|鬨《とき》の|声《こゑ》、|山岳《さんがく》も|崩《くづ》るる|許《ばか》りの|光景《くわうけい》なり。
|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》に|一同《いちどう》は|勇《いさ》み|立《た》ち、|鬼鷹《おにたか》、|荒鷹《あらたか》|其《その》|他《た》の|言霊隊《ことたまたい》は|廊下《らうか》に|立《た》ち|現《あら》はれ、|寄《よ》せ|来《く》る|神軍《しんぐん》の|言霊《ことたま》の|散弾《さんだん》に|向《むか》つて|防戦《ばうせん》の|用意《ようい》に|取《と》りかかりぬ。|寄手《よせて》の|部将《ぶしやう》|加米彦《かめひこ》は|声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣伝歌《せんでんか》を|宣《の》り|始《はじ》めたり。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》ける
|鬼熊別《おにくまわけ》の|運《うん》の|尽《つ》き  |亡《ほろ》び|行《ゆ》く|世《よ》は|如月《きさらぎ》の
|三五《さんご》の|月《つき》は|大空《おほぞら》に  |明皎々《めいかうかう》と|輝《かがや》きて
|鬼《おに》の|頭《かしら》を|照《てら》すなり  |万代《よろづよ》|祝《いは》ふ|加米彦《かめひこ》が
|悪魔《あくま》の|砦《とりで》に|攻《せ》め|寄《よ》せて  |宣《の》る|言霊《ことたま》は|天地《あめつち》の
|百《もも》の|神《かみ》|達《たち》|八百万《やほよろづ》  |諾《うべな》ひ|給《たま》へ|鬼ケ城《おにがじやう》
|群《むら》がる|曲《まが》を|言向《ことむ》けて  |西《にし》の|海《うみ》へと|逐散《おひち》らし
|豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》  |隈《くま》なく|照《てら》す|言霊《ことたま》の
|誠《まこと》の|水火《いき》を|受《う》けて|見《み》よ  |槍雉刀《やりなぎなた》や|剣太刀《つるぎたち》
|穂先《ほさき》を|揃《そろ》へて|攻《せ》め|来《く》とも  |皇大神《すめおほかみ》の|守《まも》ります
|吾《わが》|加米彦《かめひこ》の|誠心《まごころ》は  |火《ひ》にも|焼《や》けない|又《また》|水《みづ》に
|溺《おぼ》れもせない|如意宝珠《によいほつしゆ》  |万代《よろづよ》|朽《く》ちぬ|生身魂《いくみたま》
|玉《たま》の|御柱《みはしら》|立《た》て|直《なほ》し  |言向《ことむ》け|和《やは》す|其《その》ために
|今《いま》や|加米彦《かめひこ》|向《むか》うたり  |吾《われ》と|思《おも》はむ|奴原《やつばら》は
|一人《ひとり》|二人《ふたり》は|面倒《めんだう》だ  |千万人《せんまんにん》も|一時《ひととき》に
|小束《こたば》となつて|攻《せ》め|来《きた》れ  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|神《かみ》の|御魂《みたま》を|蒙《かかぶ》りて  |息吹《いぶき》の|狭霧《さぎり》に|吹《ふ》き|払《はら》ひ
|風《かぜ》に|木《こ》の|葉《は》の|散《ち》る|如《ごと》く  |吹《ふ》き|散《ち》らさむは|目《ま》のあたり
|心《こころ》|改《あらた》め|吾《わが》|前《まへ》に  |帰順《きじゆん》|致《いた》すかさもなくば
|城《しろ》を|枕《まくら》に|討死《うちじに》か  それも|厭《いや》なら|逸早《いちはや》く
|城《しろ》|明《あ》け|渡《わた》し|逃《に》げ|出《いだ》せ  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |此《この》|加米彦《かめひこ》が|麻柱《あななひ》の
|心《こころ》の|魂《たま》に|言向《ことむ》けて  |丹波《たんば》の|空《そら》に|塞《ふさ》がれる
|雲霧《くもきり》|四方《よも》に|吹《ふ》き|払《はら》ひ  |清《きよ》めて|晴《は》らす|神《かみ》の|道《みち》
|嗚呼《ああ》|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い  |神《かみ》の|守《まも》りの|宣伝使《せんでんし》
|嗚呼《ああ》|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御魂《みたま》|幸《さち》はひ|坐《まし》ませよ』
と|謡《うた》ひ|終《をは》りし|加米彦《かめひこ》が|宣伝歌《せんでんか》に|四辺《あたり》を|守《まも》る|数多《あまた》の|部卒《ぶそつ》は|頭《あたま》を|振《ふ》り|暫《しばら》く|苦悶《くもん》の|体《てい》を|現《あら》はしける。
|少壮《せうさう》|白面《はくめん》の|丹州《たんしう》は、|加米彦《かめひこ》の|言霊《ことたま》に|応戦《おうせん》すべく|白扇《はくせん》を|披《ひら》き|左右左《さいうさ》に|打《う》ちふりながら、
『|誠《まこと》の|風《かぜ》の|福知山《ふくちやま》  |人《ひと》の|心《こころ》の|鬼ケ城《おにがじやう》
|鬼《おに》も|大蛇《をろち》も|言向《ことむ》けて  |世人《よびと》を|救《すく》ふ|神心《かみごころ》
|鬼熊別《おにくまわけ》はバラモンの  |神《かみ》の|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》
|素《もと》より|悪《あし》き|者《もの》ならず  |顔色《かほいろ》|黒《くろ》き|蜈蚣姫《むかでひめ》
|色《いろ》の|黒《くろ》いに|霊《たま》ぬかれ  |知《し》らず|識《し》らずに|水晶《すゐしやう》の
|清《きよ》き|霊《みたま》は|曇《くも》り|果《は》て  |常夜《とこよ》の|暗《やみ》となり|果《は》てぬ
さはさりながら|加米彦《かめひこ》よ  |人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》
|悪《あく》の|中《なか》にも|善《ぜん》がある  |善《ぜん》に|見《み》えても|悪《あく》がある
|鬼熊別《おにくまわけ》の|大将《たいしやう》は  |慾《よく》に|心《こころ》を|曇《くも》らせて
|曲《まが》の|言霊《ことたま》|宣《の》りつれど  |時節《じせつ》|来《きた》れば|又《また》|元《もと》の
|神《かみ》の|霊《みたま》と|立《た》ち|復《かへ》り  |神《かみ》の|御為《おんた》め|国《くに》のため
|世人《よびと》のために|勲功《いさをし》を  ひよつと|立《た》てまいものでない
|許《ゆる》せよ|許《ゆる》せ|麻柱《あななひ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》せ  これぞ|天地《てんち》の|大神《おほかみ》の
|御旨《みむね》に|等《ひと》しき|心《こころ》なり  |嗚呼《ああ》|加米彦《かめひこ》よ|加米彦《かめひこ》よ
これの|砦《とりで》に|立《た》ち|向《むか》ひ  |言霊戦《ことたません》を|開始《かいし》して
|勝鬨《かちどき》あぐる|汝《な》が|心《こころ》  さはさりながらさりながら
|満《み》つれば|欠《か》くる|世《よ》の|習《なら》ひ  |弱《よわ》きを|助《たす》け|強《つよ》きをば
|抑《おさ》へて|行《ゆ》くが|神《かみ》の|道《みち》  |勝《かち》に|乗《じやう》じて|徒《いたづら》に
|吾等《われら》が|味方《みかた》を|悩《なや》ますな  |神《かみ》の|御眼《みめ》より|見給《みたま》へば
|世界《せかい》の|者《もの》は|皆《みな》|我《わ》が|子《こ》  |神《かみ》は|親《おや》なり|人《ひと》は|子《こ》よ
|人《ひと》と|人《ひと》とは|兄弟《きやうだい》よ  |兄弟喧嘩《けうだいげんくわ》は|両親《りやうしん》に
|対《たい》して|不幸《ふかう》となるものぞ  |吾《わ》が|言霊《ことたま》の|一《ひと》つだに
|汝《なんぢ》が|耳《みみ》に|入《い》るならば  |早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》れよ
|世人《よびと》を|救《すく》ふ|宣伝使《せんでんし》  |嗚呼《ああ》|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御魂《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
と|謡《うた》ひ|終《をは》り|忽《たちま》ち|姿《すがた》を|隠《かく》したり。
|加米彦《かめひこ》『|何《なん》だ|丹州《たんしう》の|奴《やつ》、|敵《てき》だか|味方《みかた》だか|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を|云《い》ひよつたな、エヽ|気《き》の|弱《よわ》い|奴《やつ》だ。|鬼熊別《おにくまわけ》に|余程《よほど》|気兼《きがね》をして|居《ゐ》ると|見《み》える|哩《わい》、アハヽヽヽヽ』
|腰《こし》のくの|字《じ》に|曲《まが》つた|小男《こをとこ》の|夏彦《なつひこ》は|敵《てき》の|岩窟《がんくつ》に|向《むか》ひ、|言霊戦《ことたません》を|開始《かいし》すべく|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めたり。
『|鬼《おに》の|棲家《すみか》と|聞《きこ》えたる  |曲津《まがつ》の|潜《ひそ》む|鬼ケ城《おにがじやう》
|鬼熊別《おにくまわけ》や|蜈蚣姫《むかでひめ》  |牛《うし》のやうなる|角《つの》|生《は》やし
|虎皮《こひ》の|褌《ふんどし》きうと|締《し》め  |広《ひろ》い|世界《せかい》をのそのそと
|吾物顔《わがものがほ》に|蹂躙《ふみにじ》り  |彼方《あちら》|此方《こちら》の|女《をんな》|達《たち》
|弱《よわ》いと|見《み》たら|忽《たちま》ちに  |小脇《こわき》に|掻《か》い|込《こ》み|連《つ》れ|帰《かへ》り
|寄《よ》つてかかつて|嬲者《なぶりもの》  |生血《いきち》を|啜《すす》り|肉《にく》を|喰《く》ひ
|未《ま》だ|飽《あ》き|足《た》らで|人《ひと》の|家《や》に  |隙《すき》を|窺《うかが》ひ|忍《しの》び|込《こ》み
|目《め》より|大事《だいじ》と|蓄《たくは》へた  |金《かね》や|宝《たから》をぼつたくり
|栄耀栄華《えいようえいぐわ》の|仕放題《しはうだい》  |雲《くも》に|聳《そび》ゆる|鬼ケ城《おにがじやう》
|殊更《ことさら》|高《たか》い|高楼《たかどの》に  |登《のぼ》つて|悠《ゆつ》くり|酒《さけ》|喰《くら》ひ
|世人《よびと》を|眼下《がんか》に|見下《みくだ》して  |暑《あつ》さ|寒《さむ》さも|知《し》らず|顔《がほ》
いかい|眼《め》を|剥《む》き|鼻《はな》を|剥《む》き  |大《でつか》い|口《くち》をかつと|開《あ》け
|人《ひと》を|見下《みお》ろす|鬼瓦《おにがはら》  |夏彦司《なつひこつかさ》の|言霊《ことたま》の
|霰《あられ》を|喰《く》つて|忽《たちま》ちに  がらりがらりとめげ|落《お》ちる
|鬼熊別《おにくまわけ》の|身《み》の|果《は》てぞ  |今《いま》から|思《おも》ひやられける
|春《はる》とは|云《い》へど|夏彦《なつひこ》が  |誠《まこと》にアツき|言霊《ことたま》の
|矢玉《やだま》を|一《ひと》つ|喰《く》つて|見《み》よ  |鬼鷹《おにたか》、|荒鷹《あらたか》、|鹿《しか》に|馬《うま》
|紫姫《むらさきひめ》も|丹州《たんしう》も  |風《かぜ》に|木葉《このは》の|散《ち》る|如《ごと》く
|不意《ふい》を|喰《くら》つてばらばらばら  |夕立《ゆふだち》のやうな|涙雨《なみだあめ》
|乾《かわ》く|間《ま》もなき|袖時雨《そでしぐれ》  |月《つき》は|御空《みそら》に|輝《かがや》けど
|汝《なんぢ》がためには|運《うん》の|尽《つ》き  ウロ【つき】|間誤《まご》【つき】キヨロ【つき】の
ウロつき|廻《まは》る|狐憑《きつねつ》き  |鬼《おに》に|大蛇《をろち》はつきものぢや
|昔々《むかしむかし》の|神代《かみよ》より  |鬼《おに》の|夫《をつと》に|蛇《じや》の|女房《にようばう》
|世《よ》の|諺《ことわざ》はあるものに  これや|又《また》|何《なん》とした|事《こと》か
|鬼《おに》の|女房《にようばう》に|蜈蚣姫《むかでひめ》  |青《あを》い|爺《おやぢ》に|黒《くろ》い|嬶《かか》
サア|是《これ》からは|夏彦《なつひこ》が  |日頃《ひごろ》|鍛《きた》へし|言霊《ことたま》の
|霊弾《ひだま》を|向《む》けて|鬼ケ城《おにがじやう》  |紅蓮《ぐれん》の|舌《した》で|舐《な》めてやろ
|嗚呼《ああ》|面黒《おもくろ》い|面赤《おもあか》い  |嗚呼《ああ》|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
とても|叶《かな》はぬ|叶《かな》はぬから  |耐《たま》りませぬと|鬼《おに》|共《ども》が
|逃《に》げ|行《ゆ》く|姿《すがた》を|目《ま》の|当《あた》り  |見《み》る|吾《われ》こそは|楽《たの》しけれ
|見《み》る|吾《われ》こそは|面白《おもしろ》き。
アハヽヽヽ』
|加米彦《かめひこ》『オイ|夏彦《なつひこ》、|何《なん》と|云《い》ふまづい|言霊《ことたま》だ、ソンナ|事《こと》で|敵《てき》が|降服《かうふく》するものか、|宣《の》り|直《なほ》せ|宣《の》り|直《なほ》せ』
|夏彦《なつひこ》『|身魂《みたま》|相応《さうおう》の|言霊《ことたま》をやつたのだ、|何程《なにほど》|宣《の》り|直《なほ》せと|云《い》うても、はや|品切《しなぎれ》に|相成申候《あひなりまをしさふらふ》だよ』
|加米彦《かめひこ》『アハヽヽヽ、|怪体《けたい》の|言霊《ことたま》もあるものだなア、|併《しか》しこれも|今度《こんど》の|戦闘《せんとう》の|景物《けいぶつ》と|思《おも》へば|辛抱《しんばう》が|出来《でき》るよ』
|夏彦《なつひこ》『|何《いづ》れ|腰《こし》が|曲《まが》つて|居《ゐ》るものだから、|臍下丹田《せいかたんでん》から|出《で》る|言霊《ことたま》も|何《ど》うせ|腰折《こしを》れ|歌《うた》だよ、アハヽヽヽ』
|岩窟《がんくつ》の|方《はう》より|鹿公《しかこう》は|立《た》ち|上《あが》り、|又《また》もや|扇《あふぎ》を|打振《うちふ》り|打振《うちふ》り、|寄《よ》せ|手《て》に|向《むか》つて|大音声《だいおんぜう》に|言霊戦《ことたません》を|開始《かいし》したり。その|歌《うた》、
『|真名井ケ原《まなゐがはら》に|現《あ》れませる  |豊国姫《とよくにひめ》の|大神《おほかみ》に
|詣《まう》でむものと|紫姫《むらさきひめ》の  |神《かみ》の|司《つかさ》は|都《みやこ》をば
|立《た》ち|出《い》で|給《たま》ひ|馬《うま》と|鹿《しか》  |二人《ふたり》の|伴《とも》を|従《したが》へて
|山《やま》|越《こ》え|谷《たに》|越《こ》え|川《かは》を|越《こ》え  |大野ケ原《おほのがはら》や|里《さと》を|越《こ》え
|真名井ケ原《まなゐがはら》の|手前《てまへ》|迄《まで》  |進《すす》み|来《きた》れる|折柄《をりから》に
|三嶽《みたけ》の|岩窟《いはや》に|立《た》て|籠《こも》る  |荒鷹《あらたか》、|鬼鷹《おにたか》|両人《りやうにん》が
|部下《てした》の|魔神《まがみ》に|欺《あざむ》かれ  |真名井ケ原《まなゐがはら》は|此方《こちら》ぢやと
|云《い》うた|言葉《ことば》を|真《ま》に|受《う》けて  |暗《くら》き|岩窟《いはや》に|誘《いざな》はれ
|深《ふか》い|穴《あな》へと|放《ほ》り|込《こ》まれ  |馬《うま》と|鹿《しか》とは|馬鹿《ばか》を|見《み》た
|紫姫《むらさきひめ》は|幸《さいはひ》に  |渋皮《しぶかは》|剥《む》けたるお|蔭《かげ》にて
|鬼鷹《おにたか》|荒鷹《あらたか》|両人《りやうにん》が  お|目《め》に|留《と》まつて|助《たす》けられ
【チンコ】、【はいこ】と|敬《うやま》はれ  |岩窟《いはや》の|女王《ぢよわう》となり|済《す》まし
|権威《けんゐ》を|揮《ふる》ふ|凄《すさま》じさ  |間《ま》もなく|出《で》て|来《き》た|麻柱《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》  |容貌《みめ》も|形《かたち》も|悦子姫《よしこひめ》
|松《まつ》|吹《ふ》く|風《かぜ》の|音彦《おとひこ》や  |背《せなか》の|堅《かた》い|加米彦《かめひこ》が
のそのそ|来《きた》る|谷《たに》の|口《くち》  バサンバサンと|衣《きぬ》|洗《あら》ふ
|婆々《ばば》にはあらぬ|紫姫《むらさきひめ》の  |神《かみ》の|司《つかさ》の|優姿《やさすがた》
|肝《きも》を|潰《つぶ》して|加米彦《かめひこ》が  |荊棘《いばら》の|茂《しげ》る|坂道《さかみち》を
|転《こ》けつ|辷《すべ》りつ|漸《やうや》うに  |岩窟《いはや》の|前《まへ》にやつて|来《き》て
|思《おも》ひがけなき|陥穽《おとしあな》  ドスンと|落《お》ちて|尻餅《しりもち》を
ついたかつかぬか|俺《おれ》や|知《し》らぬ  それから|三人《さんにん》のこのこと
|紫姫《むらさきひめ》に|誘《いざな》はれ  |岩窟《いはや》の|中《なか》にやつて|来《き》て
|俺《おれ》を|助《たす》けて|呉《く》れた|故《ゆゑ》  そこで|二人《ふたり》は|麻柱《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》に|入信《にふしん》し  |三嶽《みたけ》の|山《やま》の|絶頂《ぜつちやう》で
レコード|破《やぶ》りの|風《かぜ》に|遇《あ》ひ  これや|耐《たま》らぬと|四《よ》つ|這《ば》ひに
なつて|漸《やうや》う|木《き》の|茂《しげ》み  |一同《いちどう》|此処《ここ》に|息《いき》やすめ
|白河夜船《しらかはよぶね》と|寝《ね》て|居《を》れば  |鬼鷹《おにたか》|荒鷹《あらたか》やつて|来《き》て
|鹿《しか》と|馬《うま》とを|後手《うしろで》に  |縛《しば》つて|又《また》もや|岩窟《いはやど》に
|押《お》し|込《こ》められた|夢《ゆめ》を|見《み》て  ビツクリ|仰天《ぎやうてん》|起《お》き|上《あが》り
|月《つき》の|光《ひかり》を|賞《ほ》めながら  |其辺《そこら》をぶらつく|時《とき》もあれ
|現《あら》はれ|来《きた》る|黒《くろ》い|影《かげ》  |摺《す》つた|揉《も》みたといさかいつ
とうとう|鬼鷹《おにたか》|荒鷹《あらたか》の  |二人《ふたり》の|奴《やつ》を|言向《ことむ》けて
|三五教《あななひけう》に|導《みちび》きつ  |悦子《よしこ》の|姫《ひめ》の|命令《めいれい》で
|帰《かへ》つて|来《き》たは|表向《おもてむき》  おつとどつこいこれや|違《ちが》ふ
|俺《おれ》が|言《い》ふのぢやなかつたに  |余《あま》り|嬉《うれ》して|間違《まちが》つた
ヤイヤイ|夏彦《なつひこ》|常彦《つねひこ》よ  ドツコイすべつた|灰小屋《はひごや》で
|灰《はひ》にまみれて|真黒気《まつくろけ》  もう|斯《か》うなれば|是非《ぜひ》もない
|他人《ひと》は|兎《と》も|角《かく》|俺《おれ》だけは  |今《いま》を|限《かぎ》りに|鬼熊別《おにくまわけ》の
|大将《たいしやう》に|尻《しり》を|喰《か》ますぞよ  むかづくまいぞよ|蜈蚣姫《むかでひめ》
うつかり|剥《は》げた|嘘《うそ》の|皮《かは》  |俺《おれ》の|身魂《みたま》はまだ|暗《くら》い
|言霊戦《ことたません》は|皆《みな》|駄目《だめ》だ  |嗚呼《ああ》|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ  |蛙《かわづ》は|口《くち》から|知《し》らぬ|間《ま》に
|腹《はら》の|中《なか》をば|曝《さら》け|出《だ》し  もう|叶《かな》はぬから|逃《に》げて|出《で》る
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |本当《ほんたう》に|吾《われ》は|帰順《きじゆん》する
|何《ど》うぞ|赦《ゆる》して|下《くだ》されや』
と|尻《しり》を|捲《まく》つて|一散走《いちさんばし》り、|音彦《おとひこ》が|戦陣《せんぢん》に|向《むか》つて、|一目散《いちもくさん》に|逃《に》げ|来《きた》る|可笑《をか》しさ、|悦子姫《よしこひめ》、|音彦《おとひこ》、|加米彦《かめひこ》は|可笑《をか》しさに|吹《ふ》き|出《だ》し、|笑《わら》ひ|転《こ》けたり。
(大正一一・四・二三 旧三・二七 加藤明子録)
(昭和一〇・五・二六 王仁校正)
第一七章 |有終《いうしう》の|美《び》〔六二八〕
|常彦《つねひこ》『|世《よ》は|常暗《とこやみ》と|成《な》り|果《は》てて  |鬼《おに》や|大蛇《をろち》や|曲津神《まがつかみ》
|天《あめ》が|下《した》をば|横行《わうかう》し  |吹《ふ》き|来《く》る|風《かぜ》は|腥《なまぐさ》く
|歎《なげ》き|悲《かな》しむ|人《ひと》の|声《こゑ》  |鬼《おに》の|棲《す》むてふ|大江山《おほえやま》
|憂《うき》を|三嶽《みたけ》の|岩窟《いはやど》に  |鬼熊別《おにくまわけ》の|片腕《かたうで》と
|誇《ほこ》り|顔《がほ》なる|鬼鷹《おにたか》や  |情《なさけ》|容赦《ようしや》も|荒鷹《あらたか》の
|爪《つめ》|研《と》ぎすまし|世《よ》の|人《ひと》を  |見付《みつ》け|次第《しだい》に|引攫《ひつつか》み
|岩窟《いはや》の|中《なか》へと|連《つ》れ|帰《かへ》り  |人《ひと》を|悩《なや》ます|曲津神《まがつかみ》
それさへあるに|鬼ケ城《おにがじやう》の  |数多《あまた》の|部下《てした》を|従《したが》へて
|天《あめ》が|下《した》をば|吾儘《わがまま》に  |振《ふ》る|舞《ま》ひ|暮《くら》す|曲霊《まがみたま》
|鬼熊別《おにくまわけ》を|始《はじ》めとし  それに|連《つ》れ|添《そ》ふ|蜈蚣姫《むかでひめ》
|数多《あまた》の|魔神《まがみ》と|諸共《もろとも》に  バラモン|教《けう》の|教理《けうり》をば
|世人《よびと》|欺《あざむ》く|種《たね》となし  |男《をとこ》、|女《をんな》の|嫌《きら》ひなく
|暇《ひま》さへあれば|引捕《ひつとら》へ  |己《おの》が|棲処《すみか》へ|連《つ》れ|帰《かへ》り
|無理《むり》|往生《わうじやう》に|部下《ぶか》となし  |日《ひ》に|日《ひ》にまさる|頭数《あたまかず》
|烏合《うがふ》の|衆《しう》を|駆《か》り|集《あつ》め  |世《よ》を|驚《おどろ》かす|空威張《からゐば》り
|山砦《とりで》は|立派《りつぱ》に|見《み》ゆれども  その|内実《ないじつ》は|反比例《はんぴれい》
|風《かぜ》が|吹《ふ》いてもガタガタと  |障子《しやうじ》は|踊《をど》る|戸《と》は|叫《さけ》ぶ
|柱《はしら》はグキグキ|泣《な》き|出《いだ》す  |一寸《ちよつと》の|風《かぜ》にも|屋根《やね》の|皮《かは》
|剥《む》けて|忽《たちま》ち|雨《あめ》が|漏《も》る  コンナ|山砦《とりで》を|偉相《えらさう》に
|難攻不落《なんこうふらく》の|鉄城《てつじやう》と  |誇《ほこ》る|奴等《やつら》の|気《き》が|知《し》れぬ
|鼻《はな》の|糞《くそ》にて|的《まと》|貼《は》つた  |様《やう》な|要害《えうがい》|何《なん》になる
|三五教《あななひけう》の|言霊《ことたま》に  |忽《たちま》ち|城《しろ》は|滅茶々々《めちやめちや》に
|砕《くだ》けて|逃《に》げ|出《だ》す|曲津《まがつ》|共《ども》  |蜘蛛《くも》の|子《こ》ちらす|其《そ》の|如《ごと》く
|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|散乱《さんらん》し  |這《は》うて|逃行《にげゆ》く|可笑《をか》しさは
|他所《よそ》の|見《み》る|目《め》も|哀《あは》れなり  ドツコイ|待《ま》つたそれや|先《さき》ぢや
|今《いま》は|鬼鷹《おにたか》|荒鷹《あらたか》が  |死力《しりよく》を|竭《つく》して|防戦《ばうせん》の
|真最中《まつさいちう》のお|気苦労《きぐらう》  |遥《はるか》に|察《さつ》し|奉《たてまつ》る
もう|良《よ》い|加減《かげん》に|我《が》を|折《お》つて  |運《うん》の|尽《つ》きたる|此《この》|城《しろ》を
|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》|引《ひ》き|渡《わた》せ  |花《はな》も|実《み》もある|其《その》|間《うち》に
|渡《わた》すが|利巧《りかう》なやり|方《かた》ぞ  |人《ひと》を|助《たす》ける|宣伝使《せんでんし》
|相互《たがひ》の|為《ため》にならぬ|様《やう》な  |下手《へた》な|事《こと》をば|申《まを》さない
サアサア|如何《どう》ぢや、さア|如何《どう》ぢや  |返答《へんたふ》|聞《き》かせ|早《はや》う|聞《き》かせ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|千年《せんねん》かかるとも  |三五教《あななひけう》の|言霊《ことたま》の
|続《つづ》く|限《かぎ》りは|攻《せ》めかける  |水攻《みづぜ》め|火攻《ひぜ》めはまだ|愚《おろか》
|地震《ぢしん》|雷《かみなり》|火《ひ》の|車《くるま》  |大洪水《だいこうずゐ》は|宵《よひ》の|口《くち》
それより|怖《こは》ひ|俺《おれ》の|口《くち》  |口《くち》|惜《を》しからうが|我《が》を|折《お》つて
|素直《すなほ》に|降参《かうさん》するが|良《よ》い  |宵《よひ》に|企《たく》みた|梟鳥《ふくろどり》
|夜食《やしよく》に|外《はづ》れてつまらない  |顔《かほ》を|見《み》るのが|気《き》の|毒《どく》ぢや
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|只《ただ》|何事《なにごと》も|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》の|吾々《われわれ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》す  |深《ふか》き|恵《めぐみ》に|省《かへり》みて
|鬼熊別《おにくまわけ》の|家来《けらい》ども  |胸《むね》の|戸《と》|開《ひら》いてさらさらと
|醜《しこ》の|岩窟《いはや》を|明《あ》け|渡《わた》せ  |渡《わた》る|浮世《うきよ》に|鬼《おに》は|無《な》い
|泣《な》いて|暮《くら》すも|一生《いつしやう》ぢや  |怒《おこ》つて|暮《くら》すも|一生《いつしやう》ぢや
|笑《わら》うて|暮《くら》せ|鬼ケ城《おにがじやう》  |笑《わら》ふ|門《かど》には|福《ふく》が|来《く》る
|鬼《おに》は|仏《ほとけ》と|早変《はやがは》り  |仏《ほとけ》は|神《かみ》と|出世《しゆつせ》する
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》ける
|此《この》|世《よ》の|立替《たてかへ》|立別《たてわけ》の  |出《で》て|来《く》る|迄《まで》に|逸早《いちはや》く
|神《かみ》の|御子《おんこ》と|生《うま》れたる  |鬼熊別《おにくまわけ》の|家来《けらい》|共《ども》
|叶《かな》はぬ|時《とき》の|神頼《かみだの》み  もう|斯《か》うなつては|百年目《ひやくねんめ》
|早《はや》く|山砦《とりで》を|明《あ》け|渡《わた》せ  |此《この》|常彦《つねひこ》が|気《き》をつける
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐世《ましませ》よ』
|夏彦《なつひこ》『|何《なん》だ、|常彦《つねひこ》、|俺《おれ》の|言霊《ことたま》を|随分《ずゐぶん》|冷《ひや》かしたが|貴様《きさま》の|言霊《ことたま》は|何《なん》だ、|長《なが》い|長《なが》い|大蛇《だいじや》の|様《やう》なぬるぬるとした、|蜒《くね》り【さがした】|骨無《ほねな》し|歌《うた》ぢやないか』
|常彦《つねひこ》『きまつた|事《こと》だ、|先方《むかふ》が|大蛇《をろち》の|身魂《みたま》だから|此方《こちら》もぬるぬると|長《なが》く|攻《せめ》かけたのだよ』
|加米彦《かめひこ》『|何《なん》だか|根《ね》つから|能《よ》う|分《わか》る|言霊《ことたま》だつた、|之《これ》には|流石《さすが》の|鬼熊別《おにくまわけ》も|胆《きも》を|潰《つぶ》して|腹《はら》を|抱《かか》へて|笑《わら》ひ|転《こ》けるであらう、アハヽヽヽ』
|馬公《うまこう》は|岩窟《いはや》の|高欄《かうらん》の|上《うへ》に|立《た》ち、|怪《あや》しき|身振《みぶ》りをし|乍《なが》ら|謡《うた》ひ|初《はじ》めた。
『|花《はな》の|都《みやこ》を|立《た》ち|出《い》でて  |馬《うま》と|鹿《しか》との|二人連《ふたりづ》れ
|紫姫《むらさきひめ》のお|伴《とも》して  |比沼《ひぬ》の|真名井《まなゐ》に|詣《まう》でむと
|遥々《はるばる》やつて|来《き》た|折《をり》に  バラモン|教《けう》の|神《かみ》の|子《こ》と
|現《あら》はれ|出《い》でたる|鬼鷹《おにたか》や  |心《こころ》の|荒《あら》き|荒鷹《あらたか》の
|二人《ふたり》の|奴《やつ》にうまうまと  |口《くち》の|車《くるま》に|乗《の》せられて
|馬《うま》と|鹿《しか》との|両人《りやうにん》は  |馬鹿《ばか》にしられて|三嶽山《みたけやま》
|岩窟《いはや》の|中《なか》に|放《ほ》りこまれ  |泣《な》いて|怒《おこ》つて|暮《くら》す|中《うち》
|折《をり》も|悦子《よしこ》のお|姫《ひめ》さま  |音彦《おとひこ》さまや|加米彦《かめひこ》の
|二人《ふたり》の|取次《とりつぎ》|従《したが》へて  |岩窟《いはや》の|中《なか》に|御入来《ごじうらい》
|折《をり》よく|私《わたし》は|助《たす》けられ  |忽《たちま》ち|変《かは》る|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》の|信徒《まめひと》と  なつて|嬉《うれ》しき|今日《けふ》の|日《ひ》は
|鬼《おに》の|棲《す》まへる|鬼ケ城《おにがじやう》  |言霊戦《ことたません》に|加《くは》はりて
|鬼熊別《おにくまわけ》の|土手《どて》つ|腹《ぱら》  |突《つ》いて|突《つ》いて|突《つ》き|捲《まく》り
オツトドツコイこら|違《ちご》うた  |心《こころ》の|裡《うち》は|兎《と》も|角《かく》も
|表《おもて》は|矢張《やつぱり》|鬼ケ城《おにがじやう》  |鬼《おに》の|味方《みかた》になり|居《を》れと
|悦子《よしこ》の|姫《ひめ》が|仰有《おつしや》つた  かねて|定《さだ》めた|八百長《やほちやう》の
|此《この》|言霊《ことたま》の|戦《たたか》ひに  |敵《てき》と|味方《みかた》の|区別《くべつ》なく
|言向《ことむ》け|和《やは》し|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》を|敷島《しきしま》の
|大和島根《やまとしまね》はまだ|愚《おろか》  |豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》
|国《くに》の|八十国《やそくに》|八十《やそ》の|島《しま》  |一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》
|開《ひら》いてちりて|実《み》を|結《むす》ぶ  |結《むす》ぶ|誠《まこと》の|神《かみ》の|縁《えん》
|鬼熊別《おにくまわけ》の|大頭《おほあたま》  お|色《いろ》の|黒《くろ》い|蜈蚣姫《むかでひめ》
|一時《いちじ》も|早《はや》く|村肝《むらきも》の  |心《こころ》の|鬼《おに》を|追《お》ひ|出《いだ》し
|神《かみ》に|貰《もら》うた|真心《まごころ》に  |早《はや》く|復《かへ》つて|下《くだ》されや
|馬公《うまこう》が|一生《いつしやう》のお|頼《たの》みぢや  |荒鷹《あらたか》|改心《かいしん》するならば
|敵《てき》も|味方《みかた》もありはせぬ  |天下《てんか》|泰平《たいへい》|無事《ぶじ》|安穏《あんをん》
|千秋万歳《せんしうばんざい》|万々歳《ばんばんざい》  |散《ち》らぬ|萎《しほ》れぬ|花《はな》が|咲《さ》く
|誠《まこと》|一《ひと》つの|神《かみ》の|道《みち》  |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|神《かみ》のお|道《みち》は|変《かは》らない  |誠《まこと》の|道《みち》は|二《ふた》つない
|誠《まこと》|一《ひと》つに|立《た》ち|復《かへ》り  |神《かみ》の|光《ひかり》に|照《てら》されて
|恵《めぐみ》の|露《つゆ》に|潤《うるほ》へよ  |鬼熊別《おにくまわけ》や|蜈蚣姫《むかでひめ》
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |音彦《おとひこ》|加米彦《かめひこ》|青彦《あをひこ》よ
お|前《まへ》も|一寸《ちよつと》|我《が》が|強《つよ》い  |序《ついで》に|言霊《ことたま》|放《はな》し|置《お》く
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐世《ましませ》よ』
|鹿公《しかこう》『アハヽヽヽ、オイ|馬《うま》、|貴様《きさま》は|何方《どちら》に|向《むか》つて|言霊戦《ことたません》をやつたのだ、|貴様《きさま》|余程《よつぽど》|筒井式《つつゐしき》だな』
|馬公《うまこう》『きまつた|事《こと》だ、|味方《みかた》をつついたり、|敵《てき》をつついたりするから【つつい】|式《しき》だよ、|旗色《はたいろ》の|良《よ》い|方《はう》へつくのが|当世《たうせい》の|処世法《しよせいほふ》だ、オツトドツコイ|戦略《せんりやく》だよ、ハヽヽヽ』
|攻撃軍《こうげきぐん》の|青彦《あをひこ》は|敵城《てきじやう》に|向《むか》ひ、|又《また》もや|立《た》つて|言霊《ことたま》の|発射《はつしや》を|開始《かいし》する。
『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |誠《まこと》の|道《みち》を|宣《の》べ|伝《つた》ふ
|神《かみ》の|御子《みこ》たる|青彦《あをひこ》が  |之《これ》の|山砦《とりで》の|司神《つかさがみ》
|鬼熊別《おにくまわけ》や|蜈蚣姫《むかでひめ》  |二人《ふたり》の|君《きみ》に|物申《ものまを》す
|天《あめ》と|地《つち》との|其《その》|中《なか》に  |生《いき》とし|生《い》ける|者《もの》|皆《みな》は
|皇大神《すめおほかみ》の|珍《うづ》の|御子《みこ》  |青人草《おほみたから》と|称《たた》へられ
|神《かみ》の|御業《みわざ》をそれぞれに  |御仕《みつか》へまつる|者《もの》ぞかし
|汝《なれ》が|命《みこと》も|天地《あめつち》の  |神《かみ》の|霊魂《みたま》を|受《う》け|給《たま》ひ
|此《この》|世《よ》に|生《あ》れし|者《もの》なれば  |人《ひと》の|憫《あは》れを|顧《かへり》みて
|善《よし》と|悪《あし》とを|推《お》し|量《はか》り  |世人《よびと》を|救《すく》ふ|其《その》|為《た》めに
|誠《まこと》の|道《みち》に|立《た》ち|復《かへ》れ  それに|従《したが》ふ|人々《ひとびと》よ
バラモン|教《けう》の|神《かみ》の|教《のり》  |心《こころ》|一《ひと》つに|励《いそ》しみて
|仕《つか》へ|給《たま》ふは|良《よ》けれども  |神《かみ》の|心《こころ》を|取違《とりちが》へ
|知《し》らず|識《し》らずの|其《その》|中《うち》に  |曲津《まがつ》の|神《かみ》の|容器《いれもの》と
|成《な》らせ|給《たま》ひて|天地《あめつち》の  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|許々多久《ここたく》の
|罪《つみ》をば|重《かさ》ね|世《よ》を|穢《けが》し  |根底《ねそこ》の|国《くに》の|苦《くるし》みを
|受《う》けさせ|給《たま》ふ|事《こと》あらば  |吾等《われら》はいかでか|忍《しの》びむや
|天《てん》を|父《ちち》とし|地《ち》を|母《はは》と  |仰《あふ》ぎ|生《うま》れし|人《ひと》の|子《こ》は
|皆《みな》|兄弟《はらから》よ|姉妹《おとどひ》よ  |一日《ひとひ》も|早《はや》く|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》  |神《かみ》の|真道《まみち》に|立復《たちかへ》り
|誠《まこと》の|道《みち》にのりかへて  |今迄《いままで》|尽《つく》せし|曲業《まがわざ》を
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|悔《く》い|給《たま》へ  |三五教《あななひけう》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|神《かみ》の|誠《まこと》の|言《こと》の|葉《は》を  |四方《よも》に|伝《つた》ふる|天使《あまつかい》
|心《こころ》の|耳《みみ》に|安《やす》らかに  |吾《わが》|言霊《ことたま》を|聞《きこ》し|召《め》せ
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐世《ましませ》よ』
と|声《こゑ》|淑《しと》やかに|謡《うた》ひ|終《をは》つた。|荒鷹《あらたか》は|又《また》もや|立《た》ち|上《あが》り|青彦《あをひこ》に|向《むか》つて、|言霊《ことたま》の|砲弾《はうだん》を|発射《はつしや》し|始《はじ》めた。
『|神《かみ》の|恵《めぐみ》のあら|尊《たふと》  |心《こころ》の|荒《あら》き|荒鷹《あらたか》も
|心《こころ》|新《あらた》に|立直《たてなほ》し  |世《よ》の|荒浪《あらなみ》に|掉《さをさ》して
|神《かみ》の|助《たす》けの|船《ふね》に|乗《の》り  |心《こころ》|改《あらた》め|行《おこな》ひを
|改《あらた》め|直《なほ》し|世《よ》を|広《ひろ》く  |神《かみ》の|教《をしへ》を|服《まつろ》ひて
|誠《まこと》の|道《みち》を|立《た》て|徹《とほ》し  バラモン|教《けう》やウラナイの
|神《かみ》の|教《をしへ》の|長《ちやう》を|採《と》り  |短《たん》をば|捨《す》てて|新玉《あらたま》の
|春《はる》|立《た》ち|返《かへ》る|初《はじめ》より  あな|有難《ありがた》や|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》に|身《み》を|任《まか》せ  |心《こころ》の|花《はな》も|一時《ひととき》に
|開《ひら》いて|薫《かほ》る|梅《うめ》の|花《はな》  |日《ひ》の|出神《でのかみ》や|木《こ》の|花姫《はなひめ》の
|神《かみ》の|命《みこと》に|神習《かむなら》ひ  |野立《のだち》の|彦《ひこ》や|野立姫《のだちひめ》
|埴安彦《はにやすひこ》や|埴安姫《はにやすひめ》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|御心《みこころ》を
うまらにつばらに|推量《くみと》りて  |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の
|此《この》|世《よ》を|洗《あら》ふ|瑞霊《みづみたま》  |厳《いづ》の|霊《みたま》の|御教《おんをしへ》
|身《み》もたなしらに|励《いそ》しみて  |仕《つか》へ|守《まも》るぞ|嬉《うれ》しけれ
|鬼熊別《おにくまわけ》や|蜈蚣姫《むかでひめ》  |今迄《いままで》|仕《つか》へし|荒鷹《あらたか》が
|今《いま》|改《あらた》めて|願《ね》ぎ|申《まを》す  |汝《なんぢ》が|尽《つく》せし|許々多久《ここたく》の
|邪悪《よこさ》の|道《みち》を|今《いま》よりは  |改《あらた》めまして|天地《あめつち》の
|神《かみ》の|御言《みこと》を|謹《つつし》みて  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|村肝《むらきも》の
|心《こころ》にかけて|守《まも》りませ  |汝《なれ》が|命《みこと》に|真心《まごころ》を
|尽《つく》しまつるは|荒鷹《あらたか》が  |清《きよ》き|心《こころ》の|表現《あらわれ》ぞ
|必《かなら》ず|怒《いか》らせ|給《たま》ふまじ  |回顧《かへりみ》すれば|荒鷹《あらたか》が
バラモン|教《けう》に|仕《つか》へてゆ  |早《は》や|二十年《はたとせ》になりたれど
|天《あめ》と|地《つち》との|神々《かみがみ》や  |世《よ》の|人々《ひとびと》の|身《み》に|対《たい》し
|一《ひと》つの|功績《いさを》|立《た》てしこと  まだ|荒鷹《あらたか》の|身《み》の|因果《いんぐわ》
|赦《ゆる》し|給《たま》はれ|天津神《あまつかみ》  |国津神《くにつかみ》|等《たち》|百《もも》の|神《かみ》
|偏《ひとへ》に|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る  アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐世《ましませ》よ』
|荒鷹《あらたか》は|斯《か》く|謡《うた》ひ|涙《なみだ》をはらはらと|降《ふ》らし|鬼熊別《おにくまわけ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》の|端坐《たんざ》せる|高楼《たかどの》の|前《まへ》に|向《むか》つて|合掌《がつしやう》したり。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|音彦《おとひこ》はすつくと|立《た》ち|敵城《てきじやう》に|向《むか》ひ、|又《また》もや|言霊《ことたま》の|速射砲《そくしやはう》を|差《さ》し|向《む》けたり。その|歌《うた》、
『|日本《にほん》の|国《くに》は|松《まつ》の|国《くに》  |松《まつ》|吹《ふ》く|風《かぜ》の|音彦《おとひこ》が
|音《おと》に|名高《なだか》き|鬼ケ城《おにがじやう》  |司《つかさ》の|神《かみ》と|現《あ》れませる
|鬼熊別《おにくまわけ》の|御前《おんまへ》に  |稜威《いづ》の|言霊《ことたま》|宣《の》り|上《あ》げて
|清《きよ》き|言《こと》の|葉《は》|宣《の》り|伝《つた》ふ  |豊葦原《とよあしはら》の|中津国《なかつくに》
メソポタミヤの|楽園《らくゑん》に  |教《をしへ》|開《ひら》きしバラモンの
|鬼雲彦《おにくもひこ》が|言《こと》の|葉《は》は  |霊主体従《れいしゆたいじう》の|御教《おんをしへ》
|三五教《あななひけう》も|其《その》|通《とほ》り  |之《これ》|亦《また》|霊主体従《れいしゆたいじう》を
|珍《うづ》の|御旗《みはた》と|押《お》し|立《た》てて  |四方《よも》の|草木《くさき》を|靡《なび》かしつ
|天《あめ》が|下《した》をば|吹《ふ》き|払《はら》ふ  |科戸《しなど》の|風《かぜ》の|神司《かむづかさ》
|松《まつ》に|声《こゑ》あり|立《た》つ|波《なみ》の  |音彦《おとひこ》|此処《ここ》に|現《あら》はれて
|誠《まこと》の|道《みち》を|宣《の》べ|伝《つた》ふ  |霊主体従《れいしゆたいじう》と|称《とな》へたる
その|名目《めいもく》は|一《いつ》なれど  |内容《なかみ》は|変《かは》る|雪《ゆき》と|墨《すみ》
|白《しろ》き|黒《くろ》きも|弁《わきま》へて  |汝《なれ》が|命《みこと》は|逸早《いちはや》く
お|伴《とも》の|者《もの》と|諸共《もろとも》に  |誠《まこと》の|神《かみ》の|開《ひら》きたる
|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》に  |一日《ひとひ》も|早《はや》く|片時《かたとき》も
|疾《と》く|速《すむや》けくかへりませ  |元《もと》は|天地《てんち》の|分霊《わけみたま》
|天《あめ》が|下《した》には|敵《てき》も|無《な》し  |相互《たがひ》に|扶《たす》け|助《たす》けられ
|睦《むつ》び|親《した》しみ|世《よ》の|中《なか》に  |茂《しげ》り|栄《さか》ゆる|人《ひと》の|道《みち》
|省《かへり》み|給《たま》へ|蜈蚣姫《むかでひめ》  |鬼熊別《おにくまわけ》の|司神《つかさがみ》
|三五教《あななひけう》の|音彦《おとひこ》が  |真心《まごころ》|籠《こ》めて|宣《の》り|申《まを》す
|吾《わが》|言霊《ことたま》の|一《ひと》つだに  |汝《なれ》が|命《みこと》の|御耳《おんみみ》に
|響《ひび》き|渡《わた》りて|行《おこな》ひを  |直《なほ》させ|給《たま》へば|我《われ》として
|之《これ》に|越《こ》えたる|喜《よろこ》びは  |又《また》と|世界《せかい》にあらざらめ
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |霊《たま》の|復《かへ》しを|待《ま》ち|奉《まつ》る』
と|謡《うた》ひ|終《をは》つて|岩石《がんせき》の|上《うへ》に|腰《こし》を|下《お》ろしたり。|鬼熊別《おにくまわけ》の|片腕《かたうで》と|聞《きこ》えたる|鬼鷹《おにたか》は|白扇《はくせん》を|開《ひら》いて|衝《つ》つ|立《た》ち|上《あが》り、|攻撃軍《こうげきぐん》に|向《むか》ひ|言霊《ことたま》の|応戦《おうせん》を|開始《かいし》したりけり。
『|神《かみ》の|身魂《みたま》と|生《あ》れ|乍《なが》ら  |誠《まこと》の|道《みち》を|踏《ふ》み|外《はづ》し
|心《こころ》|汚《きたな》き|鬼神《おにがみ》の  |醜《しこ》の|曲津《まがつ》の|群《むれ》に|入《い》り
|日《ひ》に|夜《よ》に|募《つの》る|許々多久《ここたく》の  |罪《つみ》や|穢《けがれ》に|包《つつ》まれて
|此《この》|世《よ》からなる|生地獄《いきぢごく》  |心《こころ》に|鬼《おに》が|棲《す》むのみか
|鬼雲彦《おにくもひこ》の|曲津神《まがつかみ》  |鬼熊別《おにくまわけ》や|蜈蚣姫《むかでひめ》
|醜《しこ》の|従僕《しもべ》となり|果《は》てて  |名《な》も|恐《おそ》ろしき|鬼鷹《おにたか》と
|天地《てんち》の|御子《みこ》と|生《うま》れきて  |万《よろづ》の|長《をさ》と|名《な》を|負《お》ひつ
|鬼《おに》|畜生《ちくしやう》や|鳥翼《とりつばさ》  |虫《むし》にも|劣《おと》る|醜魂《しこたま》の
|此《この》|世《よ》を|乱《みだ》す|曲業《まがわざ》に  |心《こころ》|砕《くだ》きし|浅猿《あさま》しさ
かかる|汚《きた》なき|吾《わが》|身《み》にも  |慈愛《じあい》の|深《ふか》き|皇神《すめかみ》は
|恵《めぐみ》の|鞭《むち》を|鞭《う》たせつつ  |今日《けふ》は|嬉《うれ》しき|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》に|照《てら》されて  |心《こころ》も|広《ひろ》く|蓮花《はちすばな》
|薫《かほ》り|床《ゆか》しき|木《こ》の|花《はな》の  |咲耶《さくや》の|姫《ひめ》の|御仰《おんあふ》せ
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御神力《ごしんりき》  |千座《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》ひ|給《たま》ひ
|普《あまね》く|世人《よびと》を|救《すく》ひます  |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》と|現《あら》はれて  |身魂《みたま》も|清《きよ》き|神《かみ》の|御子《みこ》
|神《かみ》も|仏《ほとけ》もなき|世《よ》かと  |日《ひ》に|夜《よ》に|胸《むね》を|痛《いた》めしが
|時節《じせつ》|待《ま》ちつる|甲斐《かひ》ありて  |悪《あく》を|斥《しりぞ》け|善道《ぜんだう》に
|忽《たちま》ち|復《かへ》る|今日《けふ》の|空《そら》  |霽《は》れゆく|雪《ゆき》の|跡《あと》|見《み》れば
|三五《さんご》の|月《つき》は|皎々《かうかう》と  |己《おの》が|頭《かうべ》を|照《て》らしつつ
|恵《めぐみ》の|露《つゆ》をたれ|給《たま》ふ  アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐世《ましませ》よ  |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|月日《げつじつ》|西《にし》より|昇《のぼ》るとも  |神《かみ》に|誓《ちか》ひし|吾《わが》|心《こころ》
|幾世《いくよ》|経《へ》ぬとも|変《かは》らまじ  |変《かは》る|浮世《うきよ》と|云《い》ひ|乍《なが》ら
|遠《とほ》き|神代《かみよ》の|昔《むかし》より  |誠《まこと》の|道《みち》に|変《かは》りなし
アヽ|尊《たふと》しや|有難《ありがた》や  |三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|教《のり》
|喜《よろこ》び|仰《あふ》ぎ|奉《たてまつ》る  |曲津《まがつ》の|集《あつ》まる|鬼ケ城《おにがじやう》
|八岐大蛇《やまたをろち》の|醜魂《しこみたま》  |八握《やつか》の|剣《つるぎ》|抜《ぬ》き|持《も》たせ
|五百美須麻琉《いほみすまる》の|玉《たま》の|緒《を》に  |神《かみ》の|御水火《みいき》を|結《むす》びつつ
|心《こころ》の|鏡《かがみ》|照《て》り|渡《わた》る  |月照彦《つきてるひこ》の|大神《おほかみ》や
|足真《だるま》の|彦《ひこ》の|大神《おほかみ》の  |伝《つた》へ|給《たま》ひし|御教《おんをしへ》
|埴安彦《はにやすひこ》や|埴安姫《はにやすひめ》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|現《あら》はれて
|織《お》り|出《い》でませる|経緯《たてよこ》の  |綾《あや》と|錦《にしき》の|神機《かみはた》を
|天津御風《あまつみかぜ》に|飜《ひるがへ》し  |山《やま》の|尾《を》の|上《へ》や|河《かは》の|瀬《せ》に
|荒《あら》ぶる|百《もも》の|神《かみ》|等《たち》を  |草木《くさき》の|風《かぜ》に|靡《なび》く|如《ごと》
|言向《ことむ》け|和《やは》し|皇神《すめかみ》の  |御水火《みいき》も|清《きよ》く|九十《ここのたり》
|十曜《とえう》の|神紋《しんもん》|中空《ちうくう》に  |靡《なび》かせ|奉《まつ》り|皇神《すめかみ》の
|御稜威《みいづ》を|四方《よも》に|輝《かがや》かし  |醜《しこ》の|山砦《とりで》に|進撃《しんげき》し
|太《ふと》き|功績《いさを》を|永久《とことは》に  |立《た》てて|心《こころ》の|真木柱《まきばしら》
|高天原《たかあまはら》に|千木《ちぎ》|高《たか》く  |仕《つか》へまつらむ|吾《わが》|心《こころ》
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐世《ましませ》よ』
と|謡《うた》ひ|終《をは》り、|天地《てんち》に|向《むか》つて|合掌《がつしやう》し|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|咽《むせ》びつつ|地上《ちじやう》にドツと|打《う》ち|倒《たふ》れたり。|鬼熊別《おにくまわけ》が|幕下《ばくか》の|者共《ものども》、|感激《かんげき》の|涙《なみだ》にうたれ、ものをも|言《い》はず|大地《だいち》に|平伏《ひれふ》し、|落《お》つる|涙《なみだ》に|大地《だいち》を|潤《うるほ》しける。|紫姫《むらさきひめ》は|立《た》ち|上《あが》り|声《こゑ》|淑《しと》やかに|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひ|初《はじ》めたり。
『|救《すく》ひの|神《かみ》と|現《あ》れませる  |厳《いづ》の|御霊《みたま》や|瑞御霊《みづみたま》
|天教山《てんけうざん》や|地教山《ちけうざん》  |名《な》さへ|目出度《めでた》き|万寿山《まんじゆざん》
|霊鷲山《りやうしうざん》の|三葉彦《みつばひこ》  |神《かみ》の|命《みこと》の|御教《みをしへ》は
|天地《あめつち》|四方《よも》に|拡《ひろ》ごりて  |世《よ》は|永久《とこしへ》に|開《ひら》け|行《ゆ》く
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひ|坐《ま》しまして
|醜《しこ》の|魔風《まかぜ》も|凪《な》ぎ|渡《わた》り  |荒《あら》き|波風《なみかぜ》|鎮《をさ》まりて
|御代《みよ》は|平《たひら》らに|安《やす》らかに  |常磐堅磐《ときはかきは》の|松《まつ》の|世《よ》と
|治《をさ》め|給《たま》ふぞ|尊《たふと》けれ  |妾《われ》は|都《みやこ》に|現《あら》はれて
|紫姫《むらさきひめ》と|名乗《なの》りつつ  |恋《こひ》しき|父《ちち》に|生《い》き|別《わか》れ
|悲《かな》しき|月日《つきひ》を|送《おく》る|内《うち》  |心《こころ》の|色《いろ》も|悦子姫《よしこひめ》
|嬉《うれ》しき|便《たよ》りの|音彦《おとひこ》や  |名《な》さへ|目出度《めでた》き|加米彦《かめひこ》の
|教《をしへ》の|御子《みこ》に|助《たす》けられ  |三五教《あななひけう》の|御柱《みはしら》と
|仕《つか》へまつりし|今日《けふ》こそは  |千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|忘《わす》られぬ
|生日足日《いくひたるひ》と|祝《いは》ひつつ  |心《こころ》に|住《す》める|曲津見《まがつみ》を
|禊《みそ》ぎ|祓《はら》ひて|真澄空《ますみぞら》  |三五《さんご》の|月《つき》のいと|円《まる》く
|神《かみ》の|大道《おほぢ》を|力《ちから》とし  |円《まる》く|治《をさ》めむ|神《かみ》の|国《くに》
アヽ|有《あ》りがたや|尊《たふと》しや  |三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|恩《おん》
|千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|永久《とこしへ》に  |仕《つか》へまつりて|忘《わす》れまじ
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》の|幸《さち》を|賜《たま》へかし
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》の|幸《さち》を|賜《たま》へかし』
と|謡《うた》ひ|終《をは》り|天地《てんち》に|向《むか》つて|恭《うやうや》しく|拝礼《はいれい》したり。|三五教《あななひけう》の|宣伝使長《せんでんしちやう》|悦子姫《よしこひめ》は|立上《たちあが》り、|鬼熊別《おにくまわけ》の|館《やかた》に|向《むか》つて|声《こゑ》を|張上《はりあ》げ|宣伝歌《せんでんか》を|送《おく》りたり。
『|天《あめ》の|八重雲《やへくも》|掻《か》き|別《わ》けて  |天降《あも》りましたる|皇神《すめかみ》の
|珍《うづ》の|御子《おんこ》と|現《あら》はれし  |神素盞嗚《かむすさのを》の|瑞霊《みづみたま》
|木花姫《このはなひめ》の|生御霊《いくみたま》  |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|厳霊《いづみたま》
|三五《さんご》の|月《つき》の|御教《みをしへ》を  |四方《よも》の|国々《くにぐに》|隈《くま》もなく
|月照彦《つきてるひこ》の|大神《おほかみ》や  |金勝要《きんかつかね》の|大御神《おほみかみ》
|従《したが》ひ|給《たま》ふ|八百万《やほよろづ》  |神《かみ》の|使《つかい》の|宣伝使《せんでんし》
|教《をしへ》を|開《ひら》く|八洲国《やしまぐに》  |誠《まこと》の|道《みち》にさやりたる
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜《しこ》の|鬼《おに》  |醜《しこ》の|狐《きつね》や|曲神《まがかみ》の
|曇《くも》りし|御魂《みたま》を|照《てら》さむと  |心《こころ》を|千々《ちぢ》に|配《くば》りつつ
|霜《しも》の|剣《つるぎ》や|雪《ゆき》の|空《そら》  |雨《あめ》の|襖《ふすま》に|包《つつ》まれて
|尾羽《をは》|打《う》ち|枯《か》らしシトシトと  あてども|無《な》しに|進《すす》み|行《ゆ》く
|教《をしへ》|伝《つた》ふる|宣伝使《せんでんし》  |夜《よ》な|夜《よ》な|変《かは》る|石枕《いしまくら》
|草《くさ》の|褥《しとね》に|雪《ゆき》の|夜着《よぎ》  |世人《よびと》の|為《ため》に|身《み》も|窶《やつ》れ
|心《こころ》も|疲《つか》れ|山河《やまかは》を  |数《かず》|限《かぎ》りなく|渡《わた》り|来《き》て
|曲津《まがつ》の|神《かみ》にさいなまれ  |寒《さむ》さを|凌《しの》ぎ|飢《うゑ》、|渇《かはき》
|心《こころ》を|千々《ちぢ》に|尽《つく》しつつ  |救《すく》ひの|綱《つな》に|操《あやつ》られ
|愈《いよいよ》|此処《ここ》に|鬼城山《きじやうざん》  |司《つかさ》の|神《かみ》と|現《あら》はれし
|鬼熊別《おにくまわけ》や|蜈蚣姫《むかでひめ》  |永久《とは》の|棲処《すみか》と|聞《きこ》えたる
|魔窟《まくつ》の|山《やま》に|登《のぼ》り|来《き》て  |宣《の》り|足《た》らはれし|言霊《ことたま》の
|稜威《いづ》の|力《ちから》に|許々多久《ここたく》の  |罪《つみ》や|穢《けがれ》を|吹《ふ》き|払《はら》ひ
|祓《はら》ひ|清《きよ》むる|神《かみ》の|道《みち》  |世《よ》は|紫陽花《あぢさゐ》の|変《かは》るとも
|色香《いろか》|褪《あ》せざる|兄《こ》の|花《はな》の  |一度《いちど》に|開《ひら》く|神《かみ》の|教《のり》
|宣《の》り|伝《つた》へ|行《ゆ》く|楽《たの》しさよ  アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐世《ましませ》よ』
と|言葉《ことば》|短《みじか》に|謡《うた》ひ|終《をは》れる|折《をり》しも|高殿《たかどの》より、|火煙《くわえん》|濛々《もうもう》と|立《た》ち|昇《のぼ》り|阿鼻叫喚《あびけうくわん》の|声《こゑ》、|耳朶《じだ》を|打《う》つ。|一同《いちどう》はハツと|驚《おどろ》き|見上《みあ》ぐる|途端《とたん》に|鬼熊別《おにくまわけ》、|蜈蚣姫《むかでひめ》の|二人《ふたり》は|高閣《かうかく》に|納《をさ》めたりし|天《あま》の|岩船《いはふね》にひらりと|飛《と》び|乗《の》り、プロペラの|音《おと》|轟々《ぐわうぐわう》と|中空《ちうくう》を|轟《とどろ》かせ|乍《なが》ら|東方《とうはう》の|天《てん》を|目蒐《めが》けて|一目散《いちもくさん》に|翔《かけ》り|行《ゆ》く。|敵《てき》も|味方《みかた》も|一度《いちど》に|声《こゑ》|張上《はりあ》げて、
『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|万歳《ばんざい》|々々《ばんざい》』
と|三唱《さんしやう》したりける。|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》き|目覚《めざ》むれば|瑞月《ずゐげつ》の|身《み》は|宮垣内《みやがいち》の|賤《しづ》の|伏屋《ふせや》に|横《よこ》たわり、|枕許《まくらもと》には|里鬼《さとおに》と|綽名《あだな》を|取《と》つた|丸松《まるまつ》が、|真赤《まつか》な|顔《かほ》をして|二三人《にさんにん》の|隣人《りんじん》と|共《とも》に|酒《さけ》をグビリグビリと|傾《かたむ》け|居《ゐ》たりける。
(大正一一・四・二三 旧三・二七 北村隆光録)
|霊《たま》の|礎《いしずゑ》(三)
一、|高天原《たかあまはら》の|天国《てんごく》に|上《のぼ》るものは、|地上《ちじやう》にある|時《とき》|其《その》|身内《しんない》に|愛《あい》と|信《しん》との|天国《てんごく》を|開設《かいせつ》し|置《お》かなければ、|死後《しご》に|於《おい》て|身外《しんぐわい》の|天国《てんごく》を|摂受《せつじゆ》することは|不可能《ふかのう》である。
一、|人間《にんげん》として、|其《その》|身内《しんない》に|天国《てんごく》を|有《いう》し|無《な》かつたならば|身外《しんぐわい》に|在《あ》る|天国《てんごく》は|決《けつ》して|其《その》|人《ひと》に|流《なが》れ|来《く》るものでは|無《な》い。|又《また》|之《これ》を|摂受《せつじゆ》することが|出来《でき》ぬものである。|要《えう》するに|人《ひと》は|現実界《げんじつかい》にある|間《あひだ》に、|自《みづか》ら|心身内《しんしんない》に|天国《てんごく》を|造《つく》りおく|必要《ひつえう》がある。|而《しか》して|天国《てんごく》を|自《みづか》ら|造《つく》り|且《か》つ|開《ひら》くのは、|神《かみ》を|愛《あい》し|神《かみ》を|信《しん》じ|無限絶対《むげんぜつたい》と|合一《がふいつ》しておかねば|成《な》らぬ。|人《ひと》は|何《ど》うしても、この|無限絶対《むげんぜつたい》の|一断片《いちだんぺん》である|以上《いじやう》は、|何処《どこ》までも|無限絶対《むげんぜつたい》、|無始無終《むしむしう》の|真神《しんしん》を|信愛《しんあい》せなくては|霊肉《れいにく》|共《とも》に|安静《あんせい》を|保《たも》つことは|出来《でき》ぬものである。
一、|真神《しんしん》たる|天之御中主《あめのみなかぬし》の|大神《おほかみ》その|霊徳《れいとく》の|完備《くわんび》|具足《ぐそく》せるを|天照皇大御神《あまてらすすめおほみかみ》と|称《とな》へ|奉《たてまつ》り、|又《また》|撞《つき》の|大御神《おほみかみ》と|称《とな》へ|奉《たてまつ》る。|而《しか》して|火《ひ》の|御祖神《ごそしん》(|霊《れい》)を|高皇産霊大神《たかみむすびのおほかみ》と|称《とな》へ|厳《いづ》の|御魂《みたま》と|申《まを》し|奉《たてまつ》り、|水《みづ》の|御祖神《ごそしん》(|体《たい》)を|神皇産霊大神《かむみむすびのおほかみ》と|称《とな》へ|瑞《みづ》の|御魂《みたま》と|申《まを》し|奉《たてまつ》る。
一、|霊系《れいけい》の|主宰神《しゆさいしん》は|厳《いづ》の|御魂《みたま》に|坐《ま》します|国常立神《くにとこたちのかみ》、|体系《たいけい》の|主宰神《しゆさいしん》は|瑞《みづ》の|御魂《みたま》と|坐《ま》します|豊国主尊《とよくにぬしのみこと》と|申《まを》し|奉《たてまつ》る。
一、|以上《いじやう》の|三神《さんしん》は|其《その》|御活動《ごくわつどう》に|由《よ》りて|種々《しゆじゆ》の|名義《めいぎ》あれども、|三位一体《さんみいつたい》にして|天之御中主《あめのみなかぬし》の|大神《おほかみ》(|大国常立命《おほくにとこたちのみこと》)|御一柱《おんひとはしら》に|帰着《きちやく》するのである。
一、|故《ゆゑ》に|独一真神《どくいつしんしん》と|称《とな》へ|奉《たてまつ》り、|一神《いつしん》|即《すなは》ち|多神《たしん》にして|多神《たしん》|即《すなは》ち|一神《いつしん》である。|之《これ》を|短縮《たんしゆく》して|主《しゆ》と|曰《い》ふ。|又《また》|厳《いづ》の|御魂《みたま》は|霊界人《れいかいじん》の|主《しゆ》である。|又《また》|瑞《みづ》の|御魂《みたま》は|現界人《げんかいじん》の|心身内《しんしんない》を|守《まも》り|治《をさ》むる|主《しゆ》である。
一、|現界人《げんかいじん》にして|心身内《しんしんない》に|天国《てんごく》を|建《た》てておかねば|死後《しご》|身外《しんぐわい》の|天国《てんごく》を|摂受《せつじゆ》することは|到底《たうてい》|不可能《ふかのう》である。|死後《しご》|天国《てんごく》の|歓喜《くわんき》を|摂受《せつじゆ》し|且《か》つ|現実界《げんじつかい》の|歓喜《くわんき》|生活《せいくわつ》を|送《おく》らむと|思《おも》ふものは、|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|守《まも》りを|受《う》けねばならぬ。|要《えう》するに|生命《いのち》の|清水《しみづ》を|汲《く》み|取《と》り|飢《うゑ》|渇《かは》ける|心霊《しんれい》を|霑《うるほ》しておかねば|成《な》らぬのである。|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|手《て》を|通《とほ》し、|口《くち》を|通《とほ》して|示《しめ》されたる|言霊《ことたま》が|即《すなは》ち|生命《いのち》の|清水《しみづ》である。|霊界物語《れいかいものがたり》によつて|人《ひと》は|心身《しんしん》|共《とも》に|歓喜《くわんき》に|咽《むせ》び、|永遠《ゑいゑん》の|生命《せいめい》を|保《たも》ち、|死後《しご》の|歓楽境《くわんらくきやう》を|築《きづ》き|得《う》るものである。
一、|天帝《てんてい》|即《すなは》ち|主《しゆ》は|水火《すゐくわ》の|息《いき》を|呼吸《こきふ》して|無限《むげん》にその|生命《せいめい》を|保《たも》ち|又《また》|宇宙《うちう》|万有《ばんいう》の|生命《せいめい》の|源泉《げんせん》と|成《な》り|玉《たま》ふ。
一、|太陽《たいやう》|又《また》|水火《すゐくわ》の|息《いき》を|呼吸《こきふ》して|光温《くわうをん》を|万有《ばんいう》に|与《あた》ふ。されど|太陽神《たいやうしん》の|呼吸《こきふ》する|大気《たいき》は、|太陰神《たいいんしん》の|呼吸《こきふ》する|大気《たいき》ではない。|又《また》|人間《にんげん》の|呼吸《こきふ》する|大気《たいき》は、|主《しゆ》|及《およ》び|日月《じつげつ》の|呼吸《こきふ》する|大気《たいき》では|無《な》い。|故《ゆゑ》に|万物《ばんぶつ》の|呼吸《こきふ》する|大気《たいき》も|亦《また》、|夫《そ》れ|夫《ぞ》れに|違《ちが》つて|居《ゐ》る。|凡《すべ》て|神《かみ》の|呼吸《こきふ》する|大気《たいき》は|現体《げんたい》の|呼吸《こきふ》する|大気《たいき》では|無《な》い。|現実界《げんじつかい》と|精霊界《せいれいかい》と|凡《すべ》ての|事象《じしやう》の|相違《さうゐ》あるは、|是《これ》にても|明《あきら》かである。|併《しか》しながら|現実界《げんじつかい》も|精霊界《せいれいかい》も、|外面《ぐわいめん》より|見《み》れば|殆《ほと》んど|相似《さうじ》して|居《ゐ》るものである。|何《な》ンとなれば|現実界《げんじつかい》の|一切《いつさい》は|精霊界《せいれいかい》の|移写《いしや》なるを|以《もつ》てである。
一、|高天原《たかあまはら》の|天国《てんごく》は|主《しゆ》の|神格《しんかく》に|由《よ》りて|所成《しよせい》せられて|居《を》る。|故《ゆゑ》に|全徳《ぜんとく》の|人間《にんげん》の|往《ゆ》く|天国《てんごく》と、|三徳《さんとく》|二徳《にとく》|一徳《いつとく》の|人間《にんげん》の|往《ゆ》く|天国《てんごく》とは|各《おのおの》|高下《かうげ》の|区別《くべつ》がある。|又《また》|主《しゆ》を|見《み》る|人々《ひとびと》に|由《よ》つて|主《しゆ》の|神格《しんかく》に|相違《さうゐ》があるのである。
一、そして|何人《なにびと》の|眼《まなこ》にも|同一《どういつ》に|見《み》えざるは|主神《しゆしん》の|身《み》に|変異《へんい》があるのでは|無《な》い。|主《しゆ》を|見《み》る|所《ところ》の|塵身《ぢんしん》|又《また》は|霊身《れいしん》に、その|徳《とく》の|不同《ふどう》があつて、|自身《じしん》の|情動《じやうだう》に|由《よ》りて|其《その》|標準《へうじゆん》を|定《さだ》むるからである。
一、|天国《てんごく》には|霊身《れいしん》の|善徳《ぜんとく》の|如何《いかん》に|由《よ》つて|高下《かうげ》|大小《だいせう》|種々《しゆじゆ》の|団体《だんたい》が|開《ひら》かれて|居《を》る。|主《しゆ》を|愛《あい》し|主《しゆ》を|信《しん》じて|徳《とく》|全《まつた》きものは、|最高天国《さいかうてんごく》に|上《のぼ》り|最歓喜《さいくわんき》の|境《きやう》に|遊《あそ》び、|主《しゆ》の|御姿《みすがた》も|亦《また》|至真《ししん》|至美《しび》|至善《しぜん》に|映《えい》ずるのである。|茲《ここ》に|於《おい》てか|天国《てんごく》に|種々《しゆじゆ》の|区別《くべつ》が|現出《げんしゆつ》し、|主神《しゆしん》の|神格《しんかく》を|見《み》る|眼《まなこ》に|高下勝劣《かうげしようれつ》の|区別《くべつ》が|出来《でき》るのである。
一、|又《また》|天国外《てんごくぐわい》に|在《あ》る|罪悪《ざいあく》|不信《ふしん》の|徒《と》に|致《いた》つては|主神《しゆしん》を|見《み》れば|苦悶《くもん》に|堪《た》へず、|且《か》つ|悪相《あくさう》に|見《み》え|恐怖《きようふ》|措《を》く|能《あた》はざるに|致《いた》るのである。
一、|主神《しゆしん》が|天国《てんごく》の|各《かく》|団体《だんたい》の|中《なか》にその|神姿《しんし》を|現《あら》はし|給《たま》ふ|時《とき》は、|其《その》|御相《おんさう》は|一個《いつこ》の|天人《てんにん》に|似《に》させ|玉《たま》ふ。されど|主《しゆ》は|他《た》の|諸多《しよた》の|天人《てんにん》とは|天地《てんち》の|相違《さうゐ》がある。|主《しゆ》|自《みづか》らの|御神格《ごしんかく》が|其《その》|神身《しんしん》より|全徳《ぜんとく》に|由《よ》つて|赫《かがや》き|玉《たま》ふからである。
一、|一霊四魂《いちれいしこん》|即《すなは》ち|直霊《ちよくれい》、|荒魂《あらみたま》、|和魂《にぎみたま》、|奇魂《くしみたま》、|幸魂《さちみたま》、|以上《いじやう》の|四魂《しこん》には|各自《かくじ》|直霊《ちよくれい》と|云《い》ふ|一霊《いちれい》が|之《これ》を|主宰《しゆさい》して|居《を》る。この|四魂《しこん》|全《まつた》く|善《ぜん》と|愛《あい》と|信《しん》とに|善動《ぜんどう》し|活用《くわつよう》するを|全徳《ぜんとく》と|曰《い》ふ。|全徳《ぜんとく》の|霊身《れいしん》|及《およ》び|塵身《ぢんしん》は|直《ただち》に|天国《てんごく》の|最高《さいかう》|位地《ゐち》に|上《のぼ》り、|又《また》|三魂《さんこん》の|善《ぜん》の|活用《くわつよう》するを|三徳《さんとく》と|云《い》ひ|第二《だいに》の|天国《てんごく》に|進《すす》み、|又《また》|二魂《にこん》の|善《ぜん》の|活用《くわつよう》するを|二徳《にとく》と|云《い》ひ|第三《だいさん》の|天国《てんごく》へ|進《すす》み、|又《また》|一魂《いつこん》の|善《ぜん》の|活用《くわつよう》するを|一徳《いつとく》|又《また》は|一善《いちぜん》と|云《い》ひ、|最下級《さいかきふ》の|天国《てんごく》へ|到《いた》り|得《う》るものである。|一徳一善《いつとくいちぜん》の|記《しる》すべき|無《な》きものは、|草莽間《さうまうかん》に|漂浪《へうらう》し、|又《また》は|天《あめ》の|八衢《やちまた》に|彷徨《はうかう》するものである。
一、|之《これ》に|反《はん》して|悪《あく》の|強《つよ》きもの、|不信《ふしん》|不愛《ふあい》|不徳《ふとく》の|徒《と》は、|其《その》|罪業《ざいごう》の|軽重《けいちよう》に|応《おう》じて|夫《そ》れ|夫《ぞ》れの|地獄《ぢごく》へ|堕《だ》し、|罪《つみ》|相当《さうたう》の|苦悶《くもん》を|受《う》くるのである。
大正十一年十二月
|暁山雲《げうざんのくも》(謡曲)
|万世《よろづよ》の|稜威輝《みいづかがや》く|不二《ふじ》が|嶺《ね》の
|稜威《みいづ》|輝《かがや》く|不二《ふじ》が|嶺《ね》の
|雲《くも》に|白《しら》むか|暁《あかつき》の
|八重棚雲《やへたなぐも》もあかねさし
|神代《かみよ》の|姿《すがた》そのままに
|寿《ことほ》ぐ|松《まつ》の|世《よ》|末《すゑ》ながく
|迎《むか》ふる|年《とし》こそ|楽《たの》しけれ
|迎《むか》ふる|年《とし》こそ|楽《たの》しけれ
(昭和一〇・五・二六 王仁校正)
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霊界物語 第一七巻 如意宝珠 辰の巻
終り