霊界物語 第一六巻 如意宝珠 卯の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第十六巻』愛善世界社
1996(平成8)年04月07日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年03月27日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|凡例《はんれい》
|総説歌《そうせつか》
第一篇 |神軍霊馬《しんぐんれいば》
第一章 |天橋立《あまのはしだて》〔五九一〕
第二章 |暗夜《やみよ》の|邂逅《かいこう》〔五九二〕
第三章 |門番《もんばん》の|夢《ゆめ》〔五九三〕
第四章 |夢《ゆめ》か|現《うつつ》か〔五九四〕
第五章 |秋山館《あきやまやかた》〔五九五〕
第六章 |石槍《いしやり》の|雨《あめ》〔五九六〕
第七章 |空籠《からかご》〔五九七〕
第八章 |衣懸松《きぬかけまつ》〔五九八〕
第九章 |法螺《ほら》の|貝《かひ》〔五九九〕
第一〇章 |白狐《びやくこ》の|出現《しゆつげん》〔六〇〇〕
第二篇 |深遠微妙《しんゑんびめう》
第一一章 |宝庫《ほうこ》の|鍵《かぎ》〔六〇一〕
第一二章 |捜索隊《そうさくたい》〔六〇二〕
第一三章 |神集《かうづ》の|玉《たま》〔六〇三〕
第一四章 |鵜呑鷹《うのみだか》〔六〇四〕
第一五章 |谷間《たにま》の|祈《いのり》〔六〇五〕
第一六章 |神定《しんてい》の|地《ち》〔六〇六〕
第一七章 |谷《たに》の|水《みづ》〔六〇七〕
第三篇 |真奈為ケ原《まなゐがはら》
第一八章 |遷宅婆《せんたくばば》〔六〇八〕
第一九章 |文珠如来《もんじゆによらい》〔六〇九〕
第二〇章 |思《おも》はぬ|歓《よろこび》〔六一〇〕
第二一章 |御礼参詣《おれいまゐり》〔六一一〕
|跋《ばつ》
|霊《たま》の|礎《いしずゑ》(一)
|霊《たま》の|礎《いしずゑ》(二)
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|序文《じよぶん》
いよいよ|本巻《ほんくわん》より、|古称《こしよう》|自転倒島《おのころじま》すなはち|現代《げんだい》の|日本国内《にほんこくない》における、|太古《たいこ》の|霊界物語《れいかいものがたり》となりました。|十五巻《じふごくわん》までは|天教山《てんけうざん》および|大台ケ原山《おほだいがはらさん》を|除《のぞ》く|外《ほか》すべて|海外《かいぐわい》|諸国《しよこく》の|物語《ものがたり》です。
|本巻《ほんくわん》には、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の|生《う》みませる|八乙女《やおとめ》の|御一人《おひとり》、|英子姫《ひでこひめ》が、メソポタミヤの|顕恩郷《けんおんきやう》より、|邪神《じやしん》のために|老朽船《らうきうせん》に|乗《の》せられて|海原《うなばら》に|流《なが》され、|漸《やうや》くにして|日本海《にほんかい》を|横断《よこぎ》り、|丹後国《たんごのくに》|天《あま》の|橋立《はしだて》|附近《ふきん》の|竜燈松《りうとうまつ》の|根元《ねもと》に|安着《あんちやく》し、|大江山《おほえやま》に|割拠《かつきよ》せるバラモン|教《けう》の|大棟梁《だいとうりやう》|鬼雲彦《おにくもひこ》の|部下《ぶか》の|悪党《わるもの》どもに|出会《であ》ひ、|種々《しゆじゆ》|辛酸《しんさん》を|嘗《な》め、|遂《つひ》には|由良《ゆら》の|湊《みなと》の|人子《ひとご》の|司《つかさ》|秋山彦《あきやまひこ》の|館《やかた》に|身《み》を|遁《のが》れ、ゆくりなくも、|父《ちち》|素盞嗚大神《すさのをのおほかみ》および|国治立命《くにはるたちのみこと》の|御分霊《おんわけみたま》なる|国武彦命《くにたけひこのみこと》に|面会《めんくわい》し、|大江山《たいかうざん》に|鎮《しづ》まり|給《たま》ふ|鬼武彦《おにたけひこ》|一派《いつぱ》の|白狐《びやくこ》に|救《すく》はれ、|或《あるひ》はウラナイ|教《けう》の|棟梁株《とうりやうかぶ》、|高姫《たかひめ》、|黒姫《くろひめ》の|死者狂《しにものぐるひ》の|大活動《だいくわつどう》より、|剣尖山麓《けんさきさんろく》の|谷川《たにがは》における|御禊《みそぎ》の|修業《しうげふ》、|皇大神《すめおほかみ》の|貴《うづ》の|御舎《みあらか》の|建設《けんせつ》ならびに|天《あめ》の|真名井嶽《まなゐだけ》に|向《むか》つて、|悦子姫《よしこひめ》は|四五《しご》の|従者《じゆうしや》と|共《とも》に|進《すす》み|入《い》り、|豊国姫尊《とよくにひめのみこと》の|御降臨地《ごかうりんち》を|探《たづ》ぬる|一条《いちでう》や、|厳《いづ》の|御魂《みたま》、|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|大神《おほかみ》が、|綾《あや》の|高天原《たかあまはら》の|蓮華台上《れんげだいじやう》に、|神秘的《しんぴてき》|経綸《けいりん》の|基礎《きそ》を|開《ひら》き|給《たま》ふ|深遠《しんゑん》なる|経緯《けいゐ》の|大略《たいりやく》を|述《の》べて|置《お》きました。|猶《なほ》|引続《ひきつづ》き|数巻《すうくわん》に|亘《わた》り|内地《ないち》の|物語《ものがたり》であります。
|数十万年前《すふじふまんねんぜん》の|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》にも|抱《かか》はらず、|近代《きんだい》の|言語《げんご》|又《また》は|出来事《できごと》などを|引証《いんしよう》して|有《あ》りますから、|懐疑《くわいぎ》の|念《ねん》を|以《もつ》て|迎《むか》へらるる|読者《どくしや》もありませうが、|神々様《かみがみさま》の|意思《いし》を|表白《へうはく》する|便宜上《べんぎじやう》|用《もち》ひられたのでありますから、|悪《あ》しからず|御諒解《ごりやうかい》を|願《ねが》ひます。
大正十一年旧三月二十日
於瑞祥閣 王仁識
|凡例《はんれい》
一、|序文《じよぶん》にもある|通《とほ》り、|本巻《ほんくわん》より|古称《こしよう》|自転倒島《おのころじま》すなはち|現代《げんだい》の|日本国《にほんこく》を|舞台《ぶたい》とせる|物語《ものがたり》に|入《い》つた|訳《わけ》で、|一層《いつそう》|読者《どくしや》の|興味《きようみ》を|喚《よ》び|起《おこ》すことであらうと|思《おも》ひます。
一、|本巻《ほんくわん》の|中《うち》に『【大江山】』といふ|地名《ちめい》が|出《で》て|来《き》ますが、|鬼武彦《おにたけひこ》の|鎮《しづ》まれる|方《はう》の『【大江山】』はタイカウザンと|読《よ》み、|鬼雲彦《おにくもひこ》の|割拠《かつきよ》せる|方《はう》の『【大江山】』は、オホエヤマと|読《よ》むのですから|御注意《ごちうい》|下《くだ》さい。
一、|本巻《ほんくわん》より『|霊《たま》の|礎《いしずゑ》』と|題《だい》して、|瑞月《ずゐげつ》|先生《せんせい》の|自《みづか》ら|執筆《しつぴつ》せらるる|文章《ぶんしやう》を|掲載《けいさい》されることになりました。これは|直接《ちよくせつ》『|物語《ものがたり》』に|関係《くわんけい》ある|訳《わけ》ではありませんが、|霊的《れいてき》|研究熱《けんきうねつ》の|勃興《ぼつこう》せる|今日《こんにち》、|必《かなら》ずや|読者《どくしや》の|多大《ただい》なる|歓迎《くわんげい》を|受《う》くべきものだらうと|思《おも》ひます。これによつて、|顕幽神《けんいうしん》|三界《さんかい》の|真理《しんり》、|死後《しご》の|生活《せいくわつ》、|天国《てんごく》の|状況《じやうきやう》、|根底《ねそこ》の|国《くに》の|状況《じやうきやう》|等《とう》について、|今日《こんにち》まで|何人《なんぴと》と|雖《いへど》も|断定《だんてい》し|得《え》ざる|真理《しんり》が|闡明《せんめい》されてゆくに|相違《さうゐ》ありませぬ。
大正十一年十二月
編者識
|総説歌《そうせつか》
|廿五年《にじふごねん》の|時《とき》つ|風《かぜ》 |待《ま》ちに|待《ま》つたる|三月三日《さんぐわつみつか》
|梅《うめ》は|散《ち》れども|桃李《もも》の|花《はな》 |香《か》も|馥郁《ふくいく》と|天地《あめつち》の
|神《かみ》の|集《あつ》まる|園《その》の|内《うち》 |物《もの》は|言《い》はねどおのづから
|小径《こみち》をなして|集《つど》ひ|来《く》る |民《たみ》は|豊《ゆたか》に|豊国姫《とよくにひめ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》の|分霊《わけみたま》 |瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|開《ひら》け|口《ぐち》
|深《ふか》き|恵《めぐみ》は|大八洲彦《おほやしまひこ》 |神《かみ》の|司《つかさ》の|遠近《をちこち》に
|輝《かがや》き|亘《わた》る|三五《あななひ》の |月《つき》の|教《をしへ》は|五六七殿《みろくでん》
|神代《かみよ》を|明《あ》かす|物語《ものがたり》 |清《きよ》く|伝《つた》へて|末《すゑ》の|世《よ》の
|鑑《かがみ》となさむ|礎《いしずゑ》を |修理固成《つくりかため》し|瑞霊《みづみたま》
|厳《いづ》の|霊《みたま》を|経《たて》となし |緯機《よこはた》|織《お》りなす|瑞月《ずゐげつ》が
|過去《くわこ》と|未来《みらい》と|現在《げんざい》に |亘《わた》りて|述《の》ぶる|言《こと》の|葉《は》も
|栄《さか》ゆる|天《あま》の|橋立《はしだて》や |文珠《もんじゆ》の|智慧《ちゑ》の|神心《かみごころ》
|身《み》は|虚空蔵《こくうざう》の|空《そら》に|置《お》き |妙音菩薩《めうおんぼさつ》、|最勝妙如来《さいしようめうによらい》
|三十三相《さんじふさんさう》の|観世音《くわんぜおん》 |大日如来《だいにちによらい》と|現《あら》はれし
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御活動《みはたらき》 |木《こ》の|花《はな》|四方《よも》に|咲耶姫《さくやひめ》
|松《まつ》の|神世《かみよ》の|開《ひら》くまで |深《ふか》き|経綸《しぐみ》は|弥仙山《みせんざん》
|曲津《まがつ》の|荒《すさ》ぶ|世《よ》の|中《なか》に |心《こころ》を|配《くば》り|気《き》を|配《くば》り
|此《この》|世《よ》を|渡《わた》す|地蔵尊《ぢざうそん》 |神《かみ》も|悪魔《あくま》も|助《たす》け|行《ゆ》く
|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|弥勒神《みろくしん》 |現《あら》はれ|出《い》でて|治《しら》す|世《よ》は
|亀《かめ》の|齢《よはひ》の|瑞祥閣《ずゐしやうやかた》 |御空《みそら》に|高《たか》く|舞鶴《まひづる》の
|神代《かみよ》の|幸《さち》を|冠島《かむりじま》 |畏《かしこ》き|御代《みよ》に|大島《おほしま》や
|人《ひと》に|踏《ふ》まるる|沓島《くつじま》の |小島《こじま》の|果《はて》に|至《いた》る|迄《まで》
あら|有難《ありがた》や|荒波《あらなみ》に |漂《ただよ》ふ|世人《よびと》を|助《たす》けむと
|綾《あや》の|高天原《たかま》に|現《あら》はれて |教《をしへ》を|流《なが》す|和知《わち》の|川《かは》
|金竜《きんりう》|銀竜《ぎんりう》|舞《ま》ひ|遊《あそ》ぶ |綾《あや》と|錦《にしき》の|錦水亭《きんすゐてい》
|言霊閣《ことたまかく》は|大空《おほぞら》に |雲《くも》を|圧《あつ》して|聳《そび》ゆれど
|暗《やみ》に|迷《まよ》へる|人《ひと》の|目《め》は |神《かみ》の|光《ひかり》も|三重《みへ》の|塔《たふ》
|梅《うめ》さく|苑《その》や|常磐木《ときはぎ》の |小松《こまつ》|茂《しげ》れる|竜宮館《たつやかた》
|春《はる》の|嵐《あらし》に|吹《ふ》かれつつ |教御祖《をしへみおや》を|祀《まつ》りたる
|珍《うづ》の|御舎《みあらか》ふしをがみ |身《み》を|横《よこ》たへて|神霊《しんれい》の
|厳《きび》しき|鞭《むち》に|打《う》たれつつ |横《よこ》に|立《た》てりて|述《の》べてゆく
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》が |生《う》ませ|給《たま》ひし|八柱《やはしら》の
|心《こころ》|優《やさ》しき|乙女子《おとめご》が メソポタミヤの|楽園《らくゑん》を
|後《あと》に|眺《なが》めて|四方《よも》の|国《くに》 |父《ちち》の|尊《みこと》の|遭難《さうなん》を
|風《かぜ》の|便《たよ》りに|聞《き》きしより |豊葦原《とよあしはら》の|八洲国《やしまくに》
|西《にし》や|東《ひがし》や|北南《きたみなみ》 |国《くに》の|八十国《やそくに》|八十《やそ》の|島《しま》
|隈《くま》なく|尋来《まぎ》て|大神《おほかみ》に |廻《めぐ》り|会《あ》はむと|御跡《おんあと》を
|慕《した》ふ|心《こころ》の|矢《や》も|楯《たて》も |堪《たま》りかねてぞ|種々《いろいろ》に
|姿《すがた》をやつし|出《い》で|給《たま》ふ |悲《かな》しき|神代《かみよ》の|経緯《いきさつ》を
|三月三日《みつきみつか》に|因《ちな》みたる |瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|和魂《にぎみたま》
|畏《かしこ》き|御代《みよ》に|大八洲彦《おほやしまひこ》 |神《かみ》の|司《つかさ》の|神実《かむざね》を
|高天原《たかあまはら》に|神集《かみつど》ふ |教司《をしへつかさ》や|信徒《まめひと》が
|赤《あか》き|心《こころ》の|花《はな》|開《ひら》く |神《かみ》の|都《みやこ》の|五六七殿《みろくでん》
|斎《いつ》き|祀《まつ》りて|演芸《わざおぎ》の |守《まも》りの|神《かみ》と|斎《いは》ひつつ
|誠《まこと》|【一】《ひと》つの|教子《をしへご》は |神《かみ》と|君《きみ》とに|【二】心《ふたごころ》
|吾《われ》あらめやと|仕《つか》へ|行《ゆ》く |【三】【四】《みよ》の|栄《さかえ》は|【五】《いつ》までも
|【六】《むつ》び|栄《さか》えよ|【七】《なな》の|国《くに》 |神徳《しんとく》かをる|大【八】洲《おほやしま》
|【九】《ここの》つ|花《ばな》の|咲《さ》き|出《い》でて |常夜《とこよ》の|闇《やみ》を|照《て》らし|行《ゆ》く
|【十】曜《とえう》の|神紋《しんもん》きらきらと |輝《かがや》く|棟《むね》を|眺《なが》めつつ
|玉《たま》の|御柱《みはしら》つき|固《かた》め |栄《さか》ゆる|御代《みよ》を|【松村】《まつむら》や(松村仙造)
|御国《みくに》の|先祖《せんぞ》(|【仙造】《せんざう》)と|現《あ》れませる |国常立《くにとこたち》の|大神《おほかみ》の
|教《をしへ》を|開《ひら》き|【北村】《きたむら》や |【隆々】《りうりう》|光《ひか》る|神《かみ》の|教《のり》(北村隆光)
|【外山】《とやま》の|霞《かすみ》かきわけて |【豊二】《ゆたかに》|昇《のぼ》る|朝日影《あさひかげ》(外山豊二)
|【山】《やま》の|尾《を》の|【上】《へ》を|照《て》らしつつ |百花《ももばな》|千花《ちばな》は|馥【郁】《ふくいく》と(山上郁太郎)
|輝《かがや》き|渡《わた》り|澄《す》みわたり |薫《かほ》るもゆかし|教《のり》の|花《はな》
|遠《とほ》つ(【藤津】)|神代《かみよ》の|昔《むかし》より |幾億年《いくおくねん》の|末《すゑ》|迄《まで》も(藤津久子)
|見《み》きはめ|尽《つく》す|【久】方《ひさかた》の |神《かみ》の|御言《みこと》をいや|【加藤】《かとう》(加藤明月)
|項《うなじ》に|受《う》けて|説《と》き|【明】《あ》かす |三五《さんご》の|【月】《つき》の|数《かず》みちて
|四四十六《ししじふろく》の|菊《きく》の|巻《まき》 |九月八日《くぐわつやうか》の|神界《しんかい》の
|錦《にしき》の|機《はた》の|糸口《いとぐち》を |結《むす》ぶも|嬉《うれ》し|道《みち》の|友《とも》
|栄《さかえ》|五六七《みろく》の|末《すゑ》|迄《まで》も |堅磐常磐《かきはときは》に|宣《の》り|伝《つた》ふ
|口《くち》の|車《くるま》や|筆《ふで》の|梶《かぢ》 |果《はて》しもあらず|進《すす》み|行《ゆ》く
|今日《けふ》の|生日《いくひ》ぞ|芽出《めで》たけれ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐世《ましませ》よ。
(大正一一・四・五 旧三・九 松村真澄録)
第一篇 |神軍霊馬《しんぐんれいば》
第一章 |天橋立《あまのはしだて》〔五九一〕
|葦原《あしはら》の|瑞穂《みづほ》の|国《くに》に|名《な》にしおふ メソポタミヤの|顕恩郷《けんおんきやう》
ノアの|子孫《しそん》と|生《うま》れたる ハムの|一族《いちぞく》|鬼雲彦《おにくもひこ》は
バラモン|教《けう》を|楯《たて》となし |霊主体従《れいしゆたいじう》を|標榜《へうぼう》し
|現《うつつ》の|世《よ》をば|軽《かろ》んじて |魂《たま》の|行方《ゆくへ》の|幽界《かくりよ》を
|堅磐常磐《かきはときは》の|住所《すみか》ぞと |教《をし》へ|諭《さと》すはよけれども
|名実《めいじつ》|共《とも》に|叶《かな》はねば |醜《しこ》の|曲事《まがごと》|日《ひ》に|月《つき》に
|潮《うしほ》の|如《ごと》く|拡《ひろ》がりて |天《あめ》の|下《した》なる|神人《しんじん》は
|苦《くるし》み|悶《もだ》え|村肝《むらきも》の |心《こころ》ねぢけて|日《ひ》に|月《つき》に
|世《よ》は|常暗《とこやみ》と|曇《くも》り|行《ゆ》く |八岐大蛇《やまたをろち》や|醜狐《しこぎつね》
|醜神《しこがみ》|率《ひき》ゐる|曲鬼《まがおに》を |言向和《ことむけやは》し|豊《ゆたか》なる
|神《かみ》の|御国《みくに》を|樹《た》てむとて |恵《めぐみ》も|広《ひろ》き|瑞霊《みづみたま》
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》は |教《をしへ》を|開《ひら》く|八乙女《やおとめ》の
|珍《うづ》の|御子《みこ》をば|遣《つか》はして |鬼雲彦《おにくもひこ》が|身辺《しんぺん》を
|見守《みまも》り|給《たま》ひ|曲神《まがかみ》の |醜《しこ》の|健《たけ》びを|鎮《しづ》めむと
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |肝太玉《きもふとだま》の|命《みこと》をば
|遣《つか》はし|給《たま》ひ|八乙女《やおとめ》と |心《こころ》を|併《あは》せ|力《ちから》をば
|一《ひと》つになして|顕恩郷《けんおんきやう》 |治《をさ》め|給《たま》ひし|折柄《をりから》に
|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|去《さ》りし バラモン|教《けう》の|大棟梁《だいとうりやう》
|鬼雲彦《おにくもひこ》の|一類《いちるゐ》は フサの|国《くに》をば|打渡《うちわた》り
あちらこちらに|教線《けうせん》を |布《し》きつつ|進《すす》む|魔《ま》の|力《ちから》
|斯《か》かる|時《とき》しも|天教山《てんけうざん》の |高天原《たかあまはら》に|大御神《おほみかみ》は
|天《あま》の|岩戸《いはと》に|隠《かく》ろひて |暗《くら》さは|暗《くら》し|烏羽玉《うばたま》の
|闇《やみ》に|徨《さまよ》ふ|世《よ》の|中《なか》の |人《ひと》の|憂《うれ》ひに|附《つ》け|入《い》りて
|時《とき》を|得顔《えがほ》の|曲神《まがかみ》は |益々《ますます》|荒《すさ》び|初《そ》めにけり
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》は |千座《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》はせつつ
|何処《いづく》を|当《あて》と|長《なが》の|旅《たび》 |姿《すがた》|隠《かく》して|千万《ちよろづ》の
|悩《なや》みに|遭《あ》はせ|給《たま》ひつつ |八千八声《はつせんやこゑ》の|時鳥《ほととぎす》
|血《ち》を|吐《は》く|思《おも》ひの|旅《たび》の|空《そら》 |遠《とほ》き|近《ちか》きの|隔《へだ》てなく
|八洲《やしま》の|国《くに》を|漂浪《さすらひ》の |御身《おんみ》の|果《はて》ぞ|憐《あはれ》なる
|勢《いきほひ》|猛《たけ》き|竜神《たつがみ》も |時《とき》を|得《え》ざれば|身《み》を|潜《ひそ》め
|蠑〓《いもり》|蚯蚓《みみづ》と|成《な》り|果《は》てて |塵《ちり》や|芥《あくた》に|潜《ひそ》むごと
|高天原《たかあまはら》に|名《な》も|高《たか》き |皇大神《すめおほかみ》の|弟《おとうと》と
|生《うま》れ|出《い》でたる|大神《おほかみ》も いと|浅猿《あさま》しき|罪神《つみがみ》の
|怪《あや》しき|御名《みな》に|包《つつ》まれて |心《こころ》も|曇《くも》る|五月空《さつきぞら》
|空《そら》|行《ゆ》く|雲《くも》の|果《はて》しなく |親《おや》に|離《はな》れし|雛鳥《ひなどり》の
|愛《いと》しき|五人《ごにん》の|姫御子《ひめみこ》は |心《こころ》|汚《きたな》き|曲神《まがかみ》の
|捕虜《とりこ》となりて|痛《いた》はしく |塩《しほ》の|八百路《やほぢ》の|八潮路《やしほぢ》の
|大海原《おほうなばら》に|捨小船《すてをぶね》 |波《なみ》のまにまに|漂《ただよ》ひつ
|海路《うなぢ》も|遠《とほ》き|竜宮《りうぐう》の |魔神《まがみ》の|猛《たけ》ぶ|一《ひと》つ|島《じま》
|自転倒島《おのころじま》や|錫蘭《しろ》の|島《しま》 |常世《とこよ》の|国《くに》や|智利《てる》の|国《くに》
|波《なみ》のまにまに|流《なが》されて ここに|姉妹《おとどひ》|五柱《いつはしら》
|詮術《せんすべ》さへも|浪《なみ》の|上《うへ》 |涙《なみだ》の|雨《あめ》にうるほひつ
|雨《あめ》|風《かぜ》|霜《しも》に|打《う》たれつつ |漂泊《さすら》ひ|給《たま》ふぞ|苛《いぢら》しき
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の |霊《みたま》に|生《あ》れます|八柱《やはしら》の
|乙女《おとめ》の|中《なか》にも|秀《ひい》でたる |姿《すがた》|優《やさ》しき|英子姫《ひでこひめ》
|容《みめ》も|貌《かたち》も|悦子姫《よしこひめ》の |待女《じぢよ》を|引《ひき》つれ|朽《く》ち|果《は》てし
|危《あやふ》き|生命《いのち》の|捨小船《すてをぶね》 |何時《いつ》の|間《ま》にやら|日数《ひかず》を|重《かさ》ね
|年《とし》も|二八《にはち》の|若狭湾《わかさわん》 |身《み》の|行先《ゆくさき》はどうなりと
|成生《なりふ》の|岬《みさき》を|後《あと》にして |昨日《きのふ》や|経ケ岬《きやうがみさき》をば
|右手《めて》に|眺《なが》めて|宮津湾《みやづわん》 |神伊弉諾《かむいざなぎ》の|大神《おほかみ》の
いねます|間《うち》に|倒《たふ》れしと |言《い》ひ|伝《つた》へたる|波《なみ》の|上《うへ》
|長《なが》く|浮《う》かべる|橋立《はしだて》の |切《き》り|戸《ど》を|越《こ》えて|成相《なりあひ》の
|山《やま》の|嵐《あらし》に|吹《ふ》かれつつ |漸《やうや》く|心地《ここち》も|与謝《よさ》の|海《うみ》
|波《なみ》も|柔《やはら》ぐ|竜灯《りうとう》の |松《まつ》の|根元《ねもと》に|着《つ》きにける。
|二人《ふたり》は|舟《ふね》を|棄《す》てて、|竜灯松《りうとうまつ》の|根元《ねもと》に|漸《やうや》く|上陸《じやうりく》したり。|折柄《をりから》の|烈風《れつぷう》|海面《かいめん》を|撫《な》で、|峰《みね》|吹《ふ》き|渡《わた》る|松風《まつかぜ》の|音《おと》は、|一層《ひとしほ》|寂寥《せきれう》の|感《かん》を|与《あた》へたり。|寒《さむ》さ|身《み》に|沁《し》む|夕暮《ゆふぐれ》の|空《そら》、ねぐら|求《もと》めて|立帰《たちかへ》る|烏《からす》の|群《むれ》|幾千羽《いくせんば》、カワイカワイと|啼《な》き|立《た》て|乍《なが》ら、|大江山《おほえやま》の|方面《はうめん》|指《さ》して|翔《かけ》り|行《ゆ》く。|雲《くも》の|衣《ころも》は|破《やぶ》れて、|処々《ところどころ》より|天書《ほし》の|光《ひかり》|瞬《またた》き|始《はじ》めける。|二人《ふたり》は|路傍《ろばう》に|腰《こし》を|下《おろ》し、|来《こ》し|方《かた》|行末《ゆくすゑ》の|身《み》を|案《あん》じ|煩《わづら》ひつつ、ヒソビソ|物語《ものがた》る。
|悦子姫《よしこひめ》『|英子姫《ひでこひめ》|様《さま》、メソポタミヤの|顕恩郷《けんおんきやう》を|立出《たちい》でましてより、|情無《つれな》き|魔神《まがみ》の|為《ため》に、|朽《く》ち|果《は》てたる|舟《ふね》に|乗《の》せられ、|押流《おしなが》された|時《とき》の|事《こと》を|思《おも》へば、|夢《ゆめ》の|様《やう》で|御座《ござ》いますなア。それにしても、|君子姫《きみこひめ》|様《さま》|始《はじ》め、|四人《よにん》の|姫様《ひめさま》は、どうなられましたでせう、……|貴女《あなた》の|御無事《ごぶじ》に|此処《ここ》へお|着《つ》きになつたに|就《つ》いて、|四柱《よはしら》の|姫君様《ひめぎみさま》の|御身《おみ》の|上《うへ》、|心《こころ》にかかる|冬《ふゆ》の|空《そら》、|情《つれ》|無《な》き|凩《こがらし》に|吹《ふ》き|捲《ま》くられ、|冷《つめ》たき|人《ひと》のさいなみに、|心《こころ》を|砕《くだ》かせ|給《たま》ふやも|計《ばか》り|難《がた》し。|併《しか》し|乍《なが》ら|此処《ここ》もやつぱり|鬼雲彦《おにくもひこ》が|繩張《なはばり》の|内《うち》、ウカウカすれば、|又《また》もや|如何《いか》なる|憂目《うきめ》にあはされむも|計《はか》られませぬ。|一時《いちじ》も|早《はや》く|森林《しんりん》に|身《み》を|忍《しの》び、|一夜《ひとや》を|明《あ》かし、|山越《やまごし》に|聖地《せいち》を|指《さ》して|参《まゐ》りませうか』
|英子姫《ひでこひめ》『アさうだな、|長居《ながゐ》は|恐《おそ》れ、|何《なん》とかせなくてはなりますまい。それに|就《つい》ても|姉妹《きやうだい》|四人《よにん》の|身《み》の|上《うへ》、|今頃《いまごろ》は|何処《いづく》の|果《はて》に|悩《なや》み|煩《わづら》ふならむか』
と|首《くび》を|傾《かたむ》け、|暫《しば》し|涙《なみだ》に|沈《しづ》む。|暫《しば》しあつて|英子姫《ひでこひめ》は|頭《かうべ》をあげ、
『アヽ|思《おも》ふまい|思《おも》ふまい、|何事《なにごと》も|刹那心《せつなしん》、|惟神《かむながら》に|任《まか》すより|途《みち》はない、サア|悦子姫《よしこひめ》、|急《いそ》ぎませう』
と|立上《たちあが》らむとする|所《ところ》へ、|近付《ちかづ》き|来《きた》る|四五人《しごにん》の|男《をとこ》の|声《こゑ》、ハツと|驚《おどろ》き|逃《に》げむとする|時《とき》しも|如何《いかが》はしけむ、|英子姫《ひでこひめ》は|其《その》|場《ば》にピタリと|倒《たふ》れたり。|悦子姫《よしこひめ》は|探《さぐ》り|探《さぐ》りて|磯端《いそばた》の|水《みづ》を|手《て》に|掬《すく》ひ|口《くち》に|含《ふく》み、|英子姫《ひでこひめ》の|面部《めんぶ》を|目蒐《めが》けて|伊吹《いぶき》の|狭霧《さぎり》を|吹《ふ》きかけたるに、|英子姫《ひでこひめ》は|漸《やうや》くにして|顔《かほ》をあげ、
『アヽ|悦子姫《よしこひめ》どの、|又《また》もや|吾身《わがみ》を|襲《おそ》ふ|持病《ぢびやう》の|癪《しやく》、モウ|斯《か》うなつては|一足《ひとあし》も|歩《ある》かれませぬ、|敵《てき》に|捉《とら》はれては|一大事《いちだいじ》、そなたは|妾《わらは》に|構《かま》はず|疾《と》く|此《この》|場《ば》を|落《お》ち|延《の》びなさい。サア|早《はや》く|早《はや》く』
と|苦《くる》しき|息《いき》の|下《した》より|急《せ》き|立《た》つるを、|悦子姫《よしこひめ》は|涙《なみだ》を|揮《ふる》ひ|乍《なが》ら、
『|姫君様《ひめぎみさま》、|何《なん》と|仰《あふ》せられます。|大切《たいせつ》な|主人《しゆじん》の|危難《きなん》を|見棄《みす》てて、どうして|是《こ》れが|逃《に》げられませうか、|仮令《たとへ》|如何《いか》なる|運命《うんめい》に|陥《おちい》る|共《とも》、|主従《しゆじゆう》|死生《しせい》を|共《とも》にし、|未来《みらい》は|必《かなら》ず|一蓮托生《いちれんたくしやう》と|詔《の》らせ|給《たま》ひしお|詞《ことば》は、|妾《わらは》が|胸《むね》に|深《ふか》く|刻《きざ》み|込《こ》まれ、|一日片時《ひとひかたとき》も|忘《わす》れた|暇《ひま》とては|御座《ござ》いませぬ。どうぞ|妾《わらは》に|介抱《かいほう》させて|下《くだ》さいませ』
と|泣《な》き|伏《ふ》しにければ、|英子姫《ひでこひめ》は、
『エヽ|聞分《ききわ》けのない|悦子姫《よしこひめ》、|妾《わらは》は|病身《びやうしん》の|体《からだ》、|仮令《たとへ》|此《この》|場《ば》を|無事《ぶじ》に|遁《のが》るればとて、|再《ふたた》び|繊弱《かよわ》き|女《をんな》の|身《み》の、|何時《いつ》|病《やまひ》に|犯《をか》され、|悪神《あくがみ》の|為《ため》に|捉《とら》はるるやも|計《はか》り|難《がた》し、|汝《なんぢ》は|一刻《いつこく》も|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》り、|聖地《せいち》をさして|進《すす》み|行《ゆ》かれよ』
|悦子姫《よしこひめ》は|首《くび》を|振《ふ》り、
『イエイエ、|何《なん》と|仰《おほ》せられても、|此《この》|場《ば》を|去《さ》ることは|忍《しの》ばれませぬ』
『エヽ|聞分《ききわ》けのない、|主人《しゆじん》の|言葉《ことば》を|汝《なんぢ》は|背《そむ》くか。|妾《わらは》は|今《いま》より|主従《しゆじゆう》の|縁《えん》を|切《き》るぞゑ』
『|姫君様《ひめぎみさま》、|縁《えん》を|切《き》るとはお|情《なさけ》|無《な》い|其《その》お|言葉《ことば》……』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|暗《やみ》に|閃《ひらめ》く|両刃《もろは》の|短刀《たんたう》、|英子姫《ひでこひめ》は、|病《やまひ》に|苦《くるし》む|身《み》を|打忘《うちわす》れ、|手早《てばや》く|悦子姫《よしこひめ》の|腕《うで》を、|力《ちから》|限《かぎ》りに|握《にぎ》り|締《し》め、|涙声《なみだごゑ》、
『|逸《はや》まるな|悦子姫《よしこひめ》、|其方《そなた》は|壮健《さうけん》なる|身《み》の|上《うへ》、|一日《ひとひ》も|永《なが》く|生《い》き|長《なが》らへて、|吾《わが》|父《ちち》に|巡《めぐ》り|会《あ》ひ、|妾《わらは》|姉妹《おとどひ》が|消息《せうそく》を|伝《つた》へて|呉《く》れねばならぬ。サアどうぞ|気《き》を|取直《とりなほ》し、|一刻《いつこく》も|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立《た》つて|下《くだ》さい、………アレあの|通《とほ》り|間近《まぢか》く|聞《きこ》える|人々《ひとびと》の|声《こゑ》、|見付《みつ》けられては|一大事《いちだいじ》、|早《はや》く|早《はや》く……』
と|急《せ》き|立《た》て|玉《たま》へば、
『ぢやと|申《まを》して|此《こ》れが、どうして|見逃《みのが》せませう。|仮令《たとへ》|主従《しゆじゆう》の|縁《えん》は|切《き》られても、|是《こ》れが|見棄《みす》てて|行《ゆ》けませうか』
『|主人《しゆじん》が|一生《いつしやう》の|頼《たの》みぢや、どうぞ|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》つて|下《くだ》さい。|斯《こ》う|云《い》ふ|間《うち》にも|人《ひと》の|足音《あしおと》サア|早《はや》く|早《はや》く』
と|小声《こごゑ》に|急《せ》き|立《た》てる。|悦子姫《よしこひめ》は|後髪《うしろがみ》|引《ひ》かるる|心地《ここち》して、|此《この》|場《ば》を|見棄《みす》てかね、|心《こころ》|二《ふた》つに|身《み》は|一《ひと》つ、|胸《むね》を|砕《くだ》く|時《とき》こそあれ、|四五人《しごにん》の|荒男《あらをとこ》|進《すす》み|来《きた》り、|稍《やや》|酒気《しゆき》を|帯《お》びたる|銅羅声《どらごゑ》にて、
『ナナ|何《なん》だ、|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》れとは、それや|誰《たれ》に|吐《ぬ》かすのだい、|立去《たちさ》るも、|立去《たちさ》らぬ、もあつたものかい、|俺《おれ》は|今《いま》|大江山《おほえやま》の|御大将《おんたいしよう》の|命令《めいれい》を|受《う》けて、|此処《ここ》へ|漂着《へうちやく》して|来《く》る|筈《はず》の、|二人《ふたり》の|女《あま》【つちよ】を|捉《とら》まへようと|思《おも》つて、|立現《たちあら》はれた|所《ところ》だ。|立去《たちさ》れも|糞《くそ》も|有《あ》つたものかい、………ヘン、|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にするない、|石熊《いしくま》の|野郎《やらう》め、|貴様《きさま》は|何時《いつ》も|暗《くら》がりになると|怪《け》つ|体《たい》の|悪《わる》い、|女《をんな》の|泣声《なきごゑ》を|出《だ》しよつて………チツト|男《をとこ》らしうせないかい』
と|云《い》ひつつ|拳骨《げんこつ》を|固《かた》めて、|一人《ひとり》の|男《をとこ》の|横《よこ》つ|面《つら》をポカンと|打《う》つたり。
|石熊《いしくま》は、
『アイタタ、コラ|鬼虎《おにとら》の|奴《やつ》、|馬鹿《ばか》にしやがるない』
と|又《また》もや、|石熊《いしくま》は、
『サア|返礼《へんれい》だ』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|鬼虎《おにとら》の|横《よこ》つ|面《つら》を|続《つづ》け|打《うち》に、|腕《うで》の|折《を》れるほど|擲《なぐ》り|付《つ》ける。|其《その》|機《はづみ》に|鬼虎《おにとら》はヨロヨロとヨロめいて、|二人《ふたり》の|娘《むすめ》の|上《うへ》にドサンと|倒《たふ》れ、|鬼虎《おにとら》は、
『ワアー、|恐《おそ》ろしい、……ヤイヤイ|出《で》やがつた、|毛《け》の|長《なが》い……|色《いろ》の|青《あを》い、|冷《つめた》い|奴《やつ》ぢや。コラ|皆《みな》の|奴《やつ》、|俺《おれ》を|伴《つ》れて|逃《に》げぬかい』
|石熊《いしくま》は、|暗《くら》がりより、
『アハヽヽヽ、|態《ざま》ア|見《み》やがれ、|臆病者《おくびやうもの》|奴《め》が……オイオイ|皆《みな》の|連中《れんぢう》、|彼奴《あいつ》ア、|酒《さけ》に|喰《くら》ひ|酔《よ》つて、あんな|夢《ゆめ》を|見《み》やがつたのだ、ウツカリ|傍《そば》へ|行《ゆ》かうものなら、|暗《くら》がりに|握拳《にぎりこぶし》を|振《ふ》り|廻《まは》されて、|目玉《めだま》が|飛《と》んで|出《で》るような|目《め》に|遇《あ》はされるぞ。……|行《ゆ》くな|行《ゆ》くな、まあジツと|酔《よ》ひの|醒《さ》める|迄《まで》、|容子《ようす》を|見《み》て|居《を》らうぢやないか……アーア|俺《おれ》も|大分《だいぶ》に|酔《ゑひ》がまはつた、どうやら|足《あし》が|隠居《いんきよ》した|様《やう》だワイ』
|一人《ひとり》の|男《をとこ》|大声《おほごゑ》で、
『|一体《いつたい》|汝等《なんぢら》、|何《なん》の|為《ため》に|沢山《たくさん》の|手当《てあて》を|貰《もら》つて|偵察《ていさつ》に|歩《ある》いて|居《ゐ》るのだい……|其《その》|足《あし》は|何《なん》だ、|肝腎要《かんじんかなめ》の|正念場《しやうねんば》になつて、|足《あし》を|取《と》られると|云《い》ふ|事《こと》があるものかい、チツと|確《しつか》りせないか』
|石熊《いしくま》『|有《あ》るとも|有《あ》るとも、|俺《おれ》やアル|中《ちう》だ』
男『アルチウと|云《い》つても、|歩《ある》いて|居《を》らぬぢやないか』
『アルコール|中毒《ちうどく》だ、|邪魔《じやま》|臭《くさ》いから、アル|中《ちう》と|云《い》つたのだい、………アーア、もう|一足《ひとあし》もアル|中《ちう》|事《こと》が|出来《でき》ぬ|様《やう》になつたワイ………。コラ|熊鷹《くまたか》の|野郎《やらう》、|貴様《きさま》は|何《なん》だ、|他人《ひと》にばつかり|偉相《えらさう》に|云《い》ひよつて……|貴様《きさま》も|足《あし》が|変《へん》テコぢやないか』
|熊鷹《くまたか》『チチチツと、なんだ、|何《なん》して……|居《ゐ》るものだから、いまこそは、|千鳥《ちどり》にあらめノチハ、ナトリニアラムヲ、イノチハ、ナシセタマヘソ、イシトウヤ、アマハセヅカイ、アマノハシダテ、|二人《ふたり》の|女《をんな》を|見失《みうしな》ひ、|鬼雲彦《おにくもひこ》|様《さま》に、コトノカタリゴトモコウバだ、アハヽヽヽ。アヲヤマニ、ヒガカクラバ、ヌバタマノヨハイデナン、アサヒノ、エミサカヘキテ、タクヅヌノ、シロキタダムキ、アワユキノ、ワカヤルムネヲ、ソダタキ、タタキマナガリ、マタマデタマデ、サシマキ、モモナガニ、イヲシナセ、トヨミキタテマツラセ……てな|事《こと》を|宅《うち》の|山《やま》の|神様《かみさま》|奴《め》が|仰有《おつしや》りまして、ついトヨミキをアカニノホに|飲《きこ》し|召《め》したのだ。|神酒《みき》は|甕瓶《みかのへ》|高《たか》しり、|甕《みか》のはら|満《み》て|並《なら》べて、|海河山野《うみかはやまぬの》|種々《くさぐさ》の|珍物《うましもの》を|横山《よこやま》の|如《ごと》く、うまらに、つばらに|飲食《きこしめ》し、|大海原《おほうなばら》に|船《ふね》|充《み》ち|続《つづ》けて、|陸《くが》より|行《ゆ》く|路《みち》を、|荷《に》の|緒《を》|結《ゆひ》かため、|駒《こま》の|蹄《つめ》の|至《いた》り|止《とど》まる|限《かぎ》り、………|熊鷹《くまたか》の|爪《つめ》は、|随分《ずゐぶん》|長《なが》いぞ。|愚図々々《ぐづぐづ》|吐《ぬ》かすと、|石熊《いしくま》の|菊石面《あばたづら》を|抓《つめ》つてやらう、イヤサ|掻《か》きむしらうかい、ウーンウン アハヽヽヽ』
|石熊《いしくま》『|何《なに》を|吐《ぬか》すのだい、お|役目《やくめ》|大切《たいせつ》に|致《いた》さぬかい、コンナ|処《ところ》へ、|暗《くら》まぎれに、|二人《ふたり》の|娘《むすめ》が|遣《や》つて|来《き》よつたら、|貴様《きさま》どうする|積《つも》りだ。|彼奴《あいつ》ア、|中々《なかなか》|女《をんな》に|似合《にあ》はぬ|腕利《うでき》きと|云《い》ふ|事《こと》だ、|経ケ岬《きようがみさき》の|虎彦《とらひこ》が|急報《きふはう》に|依《よ》つて、|鬼雲彦《おにくもひこ》より|火急《くわきふ》の|御命令《ごめいれい》、しつかり|致《いた》さぬと、|反対《あべこべ》にやられて|了《しま》ふぞ。アーツ、エーツ、ガ、ガアー、ガラガラガラガラ』
|熊鷹《くまたか》は、
『アア|臭《くさ》いワイ、|酒《さけ》や|飯《めし》の|混合《こんがふ》した|滝《たき》を、|人《ひと》の|顔《かほ》の|上《うへ》へ|流《なが》しよつて、……|胸《むね》の|悪《わる》い……エエ、アどうやら|俺《おれ》もへへへへ、へどが|出《だ》さうな。オイコラ、おとら……ヲヲ|桶《をけ》を|持《も》て|来《こ》い、………|背《せなか》を|叩《たた》け、ガアヽヽヽガラガラガラガラ』
|鬼虎《おにとら》は|震《ふる》ひ|声《ごゑ》で、
『オオオイ、|貴様《きさま》は|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》るのだ、|早《はや》く|来《こ》ぬかい、|俺《おれ》をかたげて|逃《に》げてくれ、|何《なん》だか|怪体《けたい》な、ババ|化州《ばけしう》が|出《で》やがつたゾ』
|石熊《いしくま》は、
『エー|喧《やかま》し|吐《ぬか》すない、……|俺《おれ》の|口《くち》から|大洪水《だいこうずゐ》が|出《で》て、|人家《じんか》|殆《ほとん》ど|流失《りうしつ》、|死傷《ししやう》|算《さん》なしと|云《い》ふ|惨状《さんじやう》だ、|貴様《きさま》を|助《たす》ける|所《どころ》かい、|非常組《ひじやうぐみ》でも|繰出《くりだ》して|救援《きうゑん》に|向《むか》はぬかい、ガラガラガラガラ』
|熊鷹《くまたか》『エー|怪《け》つ|体《たい》の|悪《わる》い、|合点《がてん》の|往《ゆ》かぬ|夜《よ》さだナア、|此処《ここ》まで|来《き》たと|思《おも》へば、|俄《にはか》にピタリと|足《あし》が|止《と》まり、まるで|地《つち》から|生《は》えた|木《き》の|様《やう》になつて|了《しま》つた。……ヤイ|何《なん》とかして|俺《おれ》の|足《あし》を|動《うご》く|様《やう》にせぬかい』
|暗《くら》がりより、
『|動《うご》く|様《やう》にせいと|云《い》つたつて、|俄《にはか》に、|鋸《のこ》の|持合《もちあは》せがないから、|根《ね》から|伐《き》つてやる|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、マア|冬《ふゆ》が|来《き》て、|木《こ》の|葉《は》が|散《ち》り、|枯木《かれき》になる|迄《まで》|辛抱《しんばう》したが|宜《よ》からう。さうすりや|又《また》、|三五教《あななひけう》ぢやないが、|枯木《かれき》に|冷《つめ》たい|花《はな》が|咲《さ》かうも|知《し》れぬぞ、ワハヽヽヽ』
|熊鷹《くまたか》『エ、エ、どいつも|此奴《こいつ》も、|腰《こし》の|弱《よわ》い|奴《やつ》|許《ばか》りだナア』
|鬼虎《おにとら》『ヤーイ、|皆《みな》の|奴《やつ》、どうやら|此奴《こいつ》ア、|目的《もくてき》の|二人《ふたり》の|奴《やつ》らしいぞ、しつかりして|生捕《いけどり》にせうぢやないか』
|石熊《いしくま》『ナ、ナ、|何《なん》ぢやア、|貴様《きさま》、|最前《さいぜん》から|腰《こし》が|抜《ぬ》けたと|吐《ぬ》かしよつて、|綺麗《きれい》な|女《をんな》の|二人《ふたり》の|上《うへ》に、ムツクリと|寝《ね》て|居《ゐ》よつたのか、|抜目《ぬけめ》のない|奴《やつ》だのう』
|鬼虎《おにとら》『まだ|目《め》は|抜《ぬ》けぬが、サツパリ|腰《こし》が|抜《ぬ》けたのだ。……|誰《たれ》か|腰《こし》の|抜《ぬ》けぬ|奴《やつ》、|出《で》て|来《き》て|此奴《こいつ》を|縛《しば》らないか。どうやら|癪《しやく》を|起《お》こして|居《ゐ》るらしい、|今《いま》フン|縛《じば》るのなら、|容易《ようい》なものだ……コラ|石熊《いしくま》、|熊鷹《くまたか》、|早《はや》く|来《き》て|捕縛《ほばく》せよ』
|熊鷹《くまたか》『|何《なん》だか|今日《けふ》は|日和《ひより》が|悪《わる》いので、キヽヽ|気《き》に|喰《く》はぬので……ヲヽヽ|叔母《をば》の|命日《めいにち》だから|殺生《せつしやう》は|廃《や》めとこかい、……コラ、ヤイヤイ|石熊《いしくま》、|今日《けふ》は|貴様《きさま》の|番《ばん》だ、|貴様《きさま》に|手柄《てがら》を|譲《ゆづ》つてやらう』
|石熊《いしくま》『|俺《おれ》も|何《なん》だか|今日《けふ》は|気《き》が|進《すす》まぬワイ、|女房《にようばう》の|命日《めいにち》だから、|殺生《せつしやう》はやめとこかい』
|熊鷹《くまたか》『アハヽヽヽ、|貴様《きさま》、|女房《にようばう》も|持《も》つた|事《こと》のないのに、|命日《めいにち》が|何処《どこ》にあるか、|馬鹿《ばか》にするない』
|石熊《いしくま》『|俺《おれ》の|女房《にようばう》は|貴様《きさま》|知《し》らぬのか、ザツと|十八人《じふはちにん》だ、|其《その》|中《なか》に|一番《いちばん》|大事《だいじ》のお|春《はる》が|今日《けふ》|死《し》ンだ|日《ひ》ぢや、|彼女《あれ》が|俺《おれ》の|霊《みたま》の|女房《にようばう》だ。アーア|思《おも》へば|可哀相《かはいさう》な|事《こと》をしたワイ、オンオンだ』
|鬼虎《おにとら》『|何《なに》を|吐《ぬ》かしやがる、ソラ|隣《となり》の|八兵衛《はちべゑ》の|女房《にようばう》だらう、|間違《まちが》へると|云《い》つても、|嬶《かかあ》を|取違《とりちが》へる|奴《やつ》がどこにあるかい』
|石熊《いしくま》『|俺《おれ》は|勝手《かつて》に|俺《おれ》の|心《こころ》で|女房《にようばう》にして|居《を》つたのだ。アンアンアン、|思《おも》へば|可憐《いぢ》らしい|事《こと》をしたワイの、オンオンだい』
|英子姫《ひでこひめ》は、
『ヤア|悦子姫《よしこひめ》|殿《どの》、|妾《わらは》も|其方《そなた》の|親切《しんせつ》なる|介抱《かいほう》で|快《こころよ》くなりました。サアサア|二人《ふたり》|揃《そろ》うて|行《ゆ》きませう』
『ハア|夫《そ》れは|夫《そ》れは|嬉《うれ》しい|事《こと》で|御座《ござ》います、|是《こ》れと|申《まを》すも|全《まつた》く|御父《おんちち》|神素盞嗚《かむすさのを》の……』
|英子姫《ひでこひめ》は|小声《こごゑ》で、
『シツ』
と|制《せい》しながら、|口《くち》に|手《て》を|当《あ》てたまへば、|悦子姫《よしこひめ》は|早速《さつそく》の|頓智《とんち》、
『|是《こ》れと|申《まを》すも|全《まつた》くお|酒《さけ》の|爛《かん》が|荒《すさ》びましたので、|皆様《みなさま》があの|通《とほ》り、|妾《わらは》|達《たち》に|余興《よきよう》をして|見《み》せて|下《くだ》さいますのですなア。ここへお|月様《つきさま》でも|上《あが》つて|下《くだ》さいましたら、さぞ|面白《おもしろ》い|事《こと》でせうに、………お|声《こゑ》|許《ばか》りで|見栄《みばえ》が|御座《ござ》いませぬ、|耳《みみ》で|見《み》て、|目《め》で|聞《き》けとの|神様《かみさま》の|御教《おをしへ》、ホヽヽヽ』
|熊鷹《くまたか》『ヤイヤイヤイ、|貴様《きさま》は|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|娘《むすめ》であらう、|何《なに》を|吐《ぬか》すのだい、|耳《みみ》で|見《み》るの|目《め》で|聞《き》くのと、まるでババ|化物《ばけもの》の|様《やう》な|事《こと》を|吐《ぬか》す|奴《やつ》だ。コリヤ|女《をんな》、そこ|動《うご》くなツ』
|悦子姫《よしこひめ》は、
『オホヽヽヽ|皆《みな》さま、|動《うご》くなと|仰有《おつしや》つても、|何《なん》だか|体《からだ》が|独《ひと》り|自由自在《じいうじざい》に|動《うご》いて|仕方《しかた》がありませぬワ、|皆《みな》さまは|動《うご》きたいと|思《おも》つても|動《うご》けますまい、|妾《わらは》が|一寸《ちよつと》|霊縛《れいばく》をかけて|置《お》きましたからネー、マアマア|御寛《ごゆる》りと|管《くだ》でも|巻《ま》いて|夜徹《よあ》かしをなさいませ、……|左様《さやう》ならば|皆《みな》さま、お|気《き》の|毒様《どくさま》|乍《なが》ら、お|先《さき》|失礼《しつれい》を|致《いた》します………あの、もし|姫君様《ひめぎみさま》、サア|斯《こ》うお|出《い》でなさいませ』
|英子姫《ひでこひめ》は、
『ホヽヽヽ|皆様《みなさま》、|御寛《ごゆる》りと、|何《なに》も|御座《ござ》いませぬが、ヘドなつと|掻《か》き|集《あつ》めて、ネーおあがり|遊《あそ》ばせ。あなたのお|身《み》の|内《うち》から|出《で》た|物《もの》、あなたの|又《また》お|身《み》の|内《うち》へお|入《い》れ|遊《あそ》ばすのだ。|人《ひと》を|呪《のろ》はば|穴《あな》|二《ふた》つ、おのれに|出《い》でて|己《おの》れに|帰《かへ》るとかや、あな|有難《ありがた》や|神様《かみさま》のお|守《まも》り』
と|行《ゆ》かむとするを、|鬼虎《おにとら》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|英子姫《ひでこひめ》の|裾《すそ》を|握《にぎ》つた|儘《まま》|放《はな》さぬ。
|英子姫《ひでこひめ》『ヤア|厭《いや》なこと、|此《この》|男《をとこ》、|妾《わらは》の|裾《すそ》を|握《にぎ》つてチツとも|放《はな》して|呉《く》れないワ』
|悦子姫《よしこひめ》『どうしませう………アヽさうさう、|此《この》|男《をとこ》が|姫君様《ひめぎみさま》のお|裾《すそ》を|握《にぎ》つた|儘《まま》|霊縛《れいばく》をかけられたものですから、|其《その》|儘《まま》|凝《かたま》つて|了《しま》つたのでせう。ホヽヽヽ、|是《こ》れは|偉《えら》い|不調法《ぶてうはふ》|致《いた》しました。……コリヤコリヤ|此《この》|鬼《おに》の|様《やう》な|片腕《かたかいな》、|霊縛《れいばく》を|解《と》いて|遣《や》る、サア|放《はな》せ』
『ウン』と|一声《ひとこゑ》、|鬼虎《おにとら》の|握《にぎ》り|拳《こぶし》はパラリと|解《と》けたりける。
|英子姫《ひでこひめ》『アヽ|有難《ありがた》う、|是《こ》れで|放《はな》れました』
|石熊《いしくま》『ヤイヤイ|鬼虎《おにとら》の|奴《やつ》、|案《あん》に|違《たが》はず、|女《をんな》の|裾《すそ》をひつぱつて|居《ゐ》やがつたな、ナマクラな|奴《やつ》だ。よしよし|貴様《きさま》の|嬶《かかあ》に、|明朝《みやうてう》|早々《さうさう》|告発《こくはつ》だ、さう|覚悟《かくご》|致《いた》せ』
|熊鷹《くまたか》『ナニ|心配《しんぱい》するな、|俺《おれ》が|特別《とくべつ》|弁護人《べんごにん》になつて|喋々《てふてふ》と|弁論《べんろん》をまくし|立《た》ててやるから、キツト|石熊《いしくま》の|敗訴《はいそ》だ、|無罪《むざい》|放免《はうめん》になつた|上《うへ》、|損害《そんがい》|賠償《ばいしやう》を|此方《こちら》から|提起《ていき》してやらうか、アハヽヽヽ』
|英子姫《ひでこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》は|暗《やみ》に|紛《まぎ》れてスタスタと、|何処《いづく》ともなく|姿《すがた》を|没《ぼつ》したりける。|後《あと》には|海面《かいめん》を|吹《ふ》く|風《かぜ》の|音《おと》、|天鼓《てんこ》の|如《ごと》くドドンドドンと|鳴《な》り|響《ひび》きぬ。|五人《ごにん》の|男《をとこ》は|暗《くら》がりより、|破《やぶ》れ|太鼓《だいこ》の|様《やう》な|声《こゑ》を|張上《はりあ》げて、
『オーイオーイ、|二人《ふたり》の|女《をんな》、|暫《しばら》く|待《ま》てい。オーイオーイ、かやせ、|戻《もど》せい……』
と|熊谷《くまがい》もどきに|叫《さけ》び|居《ゐ》たりけり。
(大正一一・四・五 旧三・九 松村真澄録)
第二章 |暗夜《やみよ》の|邂逅《かいこう》〔五九二〕
|大江颪《おほえおろし》の|凩《こがらし》に |吹《ふ》かれて|進《すす》む|英子姫《ひでこひめ》
|神《かみ》に|任《まか》せた|身魂《みたま》には |如何《いか》になろとも|悦子姫《よしこひめ》
|爪先《つまさき》|上《のぼ》りの|山道《やまみち》を |転《こけ》つ【まろ】びつ|四辺《あたり》に|心《こころ》を|配《くば》りつつ
|鬼《おに》や|大蛇《をろち》や|曲津神《まがつかみ》 |二人《ふたり》の|乙女《おとめ》に|怖《おそ》れてや
|谷《たに》の|彼方《あなた》にコンコンと |響《ひび》く|狐《きつね》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》
|人《ひと》も|出《で》て|来《こ》ん|鬼《おに》も|来《こ》ん 【こん】|輪奈落《りんならく》の|底《そこ》|迄《まで》も
|探《さが》し|索《もと》めて|父上《ちちうへ》に |逢《あ》はずに|此《この》|儘《まま》|置《お》くべきか
|運《はこ》ぶ|足並《あしなみ》ゆらゆらと |由良《ゆら》の|港《みなと》の|手前《てまへ》|迄《まで》
|辿《たど》り|来《きた》れる|折柄《をりから》に |闇《やみ》を|通《とほ》して|鳴《な》り|響《ひび》く
|声《こゑ》も|涼《すず》しき|宣伝歌《せんでんか》 |道《みち》の|傍《かたへ》の|物影《ものかげ》に
|二人《ふたり》は|立《た》ち|寄《よ》り|身《み》を|忍《しの》び |何人《なにびと》ならむと|窺《うかが》へば
|夜目《よめ》には|確《しか》と|分《わか》らねど |顕恩郷《けんおんきやう》にて|別《わか》れたる
|印象《いんしやう》|深《ふか》き|宣伝使《せんでんし》 |万代《よろづよ》|祝《いは》ふ|亀彦《かめひこ》が
|神素盞嗚《かむすさのを》の|行衛《ゆくゑ》をば |尋《たづ》ねて|来《き》たる|益良夫《ますらを》の
|凛々《りり》しき|姿《すがた》の|面影《おもかげ》に |飛《と》び|立《た》つ|許《ばか》り|英子姫《ひでこひめ》
|折《をり》も|悦子《よしこ》の|姫《ひめ》|二人《ふたり》 |闇《やみ》の|中《なか》より|淑《しと》やかに
かくる|言葉《ことば》も|震《ふる》ひ|声《ごゑ》。
|英子姫《ひでこひめ》『モシモシ|旅《たび》の|御方《おかた》、|突然《とつぜん》|乍《なが》ら|物《もの》を|御尋《おたづ》ねいたします。|妾《わらは》は|女《をんな》の|二人連《ふたりづれ》、|様子《やうす》あつて|遠《とほ》き|国《くに》より、|此《この》|自転倒島《おのころじま》の|中心地《ちうしんち》にやうやう|渡《わた》り|着《つ》いたる、|孱弱《かよわ》き|女《をんな》で|御座《ござ》います。|貴方《あなた》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》では|御座《ござ》いませぬか』
|暗《くら》がりより|突然《とつぜん》|聞《きこ》ゆる|女《をんな》の|声《こゑ》に|亀彦《かめひこ》は、|不審《ふしん》の|眉《まゆ》を|顰《ひそ》め|乍《なが》らツト|立《た》ち|止《どま》り、|暫《しば》らく|無言《むごん》の|儘《まま》、|坂道《さかみち》に|双手《もろで》を|組《く》んで|首《かうべ》を|左《ひだり》に|傾《かたむ》けながら、|糸《いと》の|縺《もつ》れをとく|心地《ここち》して、|古《ふる》き|記憶《きおく》をたぐつてゐる。たぐれどたぐれど|容易《ようい》にとけぬ|胸《むね》の|縺《もつ》れ、|百条《ももすぢ》|千条《ちすぢ》|八千条《やちすぢ》の|辻《つじ》に|佇《たたず》み|行手《ゆくて》に|迷《まよ》ふが|如《ごと》くなり。
|暗《くら》がりより|二人《ふたり》の|女《をんな》の|声《こゑ》として、
『モシ|旅《たび》の|御方《おかた》、|御返事《ごへんじ》なきは|妾《わらは》が|知人《ちじん》に|在《おは》さざりしか、|但《ただし》は|女《をんな》|盗賊《たうぞく》の|出現《しゆつげん》と|御思召《おぼしめ》しての|御見違《おみちが》ひか、|妾《わらは》は|決《けつ》して|怪《あや》しき|女《をんな》には|候《さふら》はず、|少《すこ》し|以前《いぜん》、|竜灯松《りうとうまつ》の|麓《ふもと》に|於《おい》て|怪《あや》しき|人影《ひとかげ》に|出会《であ》ひ、|漸《やうや》く|此処《ここ》に|遁《のが》れ|来《きた》りし|者《もの》で|御座《ござ》います。|御差支《おさしつかへ》|無《な》くば|御名《おんな》を|名告《なのら》せ|給《たま》へ』
|亀彦《かめひこ》『|何《なん》となく|聞《き》き|覚《おぼ》えのある|御声《おこゑ》なれど、|少《すこ》しく|心《こころ》の|沈《しづ》む|事《こと》|有之候《これありさふら》へば、|容易《ようい》に|記憶《きおく》の|浮《う》かび|出《い》で|申《まを》さず、|願《ねが》はくは|御二人《おふたり》のネームを|名告《なのら》せ|給《たま》へ』
|暗《くら》がりの|中《なか》より|頓狂《とんきやう》な|声《こゑ》、
|金州《きんしう》『やア|何《なん》ぢや、|道《みち》の|真中《まんなか》に|立《た》ちはだかりやがつて、ネームぢやの、【ねる】だのと|怪体《けつたい》な|代物《しろもの》だ。オイ|源州《げんしう》、|一寸《ちよつと》|起《お》きぬかい。|怪体《けつたい》な|奴《やつ》が|来居《きを》つたぢやないか』
|源州《げんしう》『ウウ、ムニヤムニヤムニヤムニヤ』
|金州《きんしう》『オイ|源州《げんしう》、|大変《たいへん》だぞ』
|源州《げんしう》『ウヽヽヽウン|何《なん》だ、|喧《やかま》しい|哩《わい》。|金州《きんしう》の|奴《やつ》、|葬礼《さうれん》の|家《いへ》へ|出会《でくは》して|沢山《どつさり》と|御馳走《ごちそう》を|頂《いただ》き|掛《かか》つた|最中《さいちう》に|揺《ゆす》り|起《お》こしやがつて、さア|罰金《ばつきん》だ、|御馳走《ごちそう》の|損害《そんがい》|賠償《ばいしやう》を|請求《せいきう》するぞ。アヽ|眠《ねむ》い|眠《ねむ》い』
|金州《きんしう》『あちらにも|眠《ねむ》い、こちらにも|眠《ねむ》い、やア|一向《いつかう》|訳《わけ》が|分《わか》らぬ|様《やう》になつて|来《き》た|哩《わい》。|如何《いか》に|夢《ゆめ》の|浮世《うきよ》だと|云《い》つても、|大江山《おほえやま》に|鬼雲彦《おにくもひこ》と|云《い》ふ|変《へん》な|奴《やつ》が|現《あら》はれた|世《よ》の|中《なか》だから、|夜中《やちう》は|化物《ばけもの》が|現《あら》はれて、|天《てん》を|枕《まくら》に|縦《たて》に|寝《ね》る|奴《やつ》が|出《で》て|来《き》たのかな。オイ|源州《げんしう》、|起《おき》ぬかい、|幸《さいは》ひ|夜半《よなか》の|事《こと》であり、|対方《むかふ》は|只《たつた》|一人《ひとり》、|片一方《かたいつぱう》は|壁《かべ》の|様《やう》な|絶壁《ぜつぺき》だ。|片一方《かたいつぱう》は|断崖《だんがい》、おまけに|荒波《あらなみ》|猛《たけ》る|海《うみ》と|来《き》てるのだから、|斯《か》う|云《い》う|時《とき》に|一《ひと》つ|追剥《おひはぎ》の|練習《れんしふ》でもやらねば、やる|時《とき》が|無《な》いぞ。サア|起《お》きた|起《お》きた。コラコラ、ネーム、|貴様《きさま》の|持物《もちもの》を|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》と|此《この》|場《ば》で|脱《ぬ》いて|金《きん》さまに|呉《く》れないか』
|亀彦《かめひこ》『|生憎《あひにく》|長《なが》の|道中《だうちう》で|懐中《くわいちゆう》|欠乏《けつぼふ》、|金《きん》サンに|縁《えん》が|薄《うす》い|哩《わい》。アハヽヽヽ』
|二人《ふたり》の|女《をんな》『オホヽヽヽ、オホヽヽヽ』
|源州《げんしう》は、ヌツと|起《お》き|上《あが》り|乍《なが》ら、
『そら|薩張《さつぱり》|源助《げんすけ》だ、|何《なん》だ、|男《をとこ》の|声《こゑ》かと|思《おも》へば|忽《たちま》ち|変《へん》じて|女《をんな》の|声《こゑ》、|曲神《まがかみ》の|奴《やつ》、|味《あぢ》|好《よ》うやり|居《を》る|哩《わい》』
|亀彦《かめひこ》『|源《げん》、|金《きん》は|持《も》つて|居《を》らぬ。|其《その》|代《かは》りに|拳骨《げんこ》を|呉《く》れてやらうかい』
(|拳骨《げんこ》といへば|此《この》|地方《ちはう》では、|固《かた》い|握《にぎ》り|飯《めし》の|代名詞《だいめいし》である)
|源州《げんしう》『ヤアそりや|気《き》がきいて|居《を》る。|有難《ありがた》い、いくらでも|遠慮《ゑんりよ》は|致《いた》さぬ。|一体《いつたい》いくら|持《も》つて|居《を》るか、ヤイ|金州《きんしう》、|貴様《きさま》も|金《かね》の|代《かは》りに|拳骨《げんこ》でも|沢山《どつさり》と|頂戴《ちやうだい》したらどうだ』
|金州《きんしう》『よう、そりや|有難《ありがた》いな、モシモシ|旅《たび》の|御方《おかた》、|本当《ほんたう》に|下《くだ》さいますか。|貰《もら》ふのは|私《わたくし》は|結構《けつこう》だが、|貴方《あなた》のお|腹《なか》が|空《す》きませう。|二《ふた》つ|三《み》つ|残《のこ》して、|残《あと》は|下《くだ》さいませ』
|亀彦《かめひこ》『やア|俺《おれ》の|拳骨《げんこ》は|無尽蔵《むじんざう》だ。|望《のぞ》みとあらば|百《ひやく》でも|千《せん》でも|一万《いちまん》でも|呉《く》れてやらう。さア|顔《かほ》を|出《だ》せ、|頬《ほほ》ぺたを|向《む》け、|近《ちか》く|寄《よ》れ、|何《なん》だか|薄暗《うすぐら》くて|見当《けんたう》がとれない|様《やう》だ』
(この|地方《ちはう》にては|間食《かんしよく》を、【けんとう】といふ)
|源州《げんしう》『|見当《けんたう》が|之《これ》でやつと|取《と》れました。|成《な》るべくは|手《て》に|下《くだ》さいな。|頬《ほほ》ぺたに|貰《もら》ふのは、|口《くち》に|近《ちか》うて|好《よ》い|様《やう》なものの、|若《も》しも|転《ころ》げて|落《お》ちたら|勿体《もつたい》ないからな』
|亀彦《かめひこ》は、|声《こゑ》する|方《はう》に|向《むか》つて|拳骨《げんこつ》を|固《かた》め、
|亀彦《かめひこ》『サア|盗賊《どろばう》|奴《め》、これを|喰《くら》へ』
と|滅多《めつた》|矢鱈《やたら》に|乱打《らんだ》すれば、
|源州《げんしう》『アイタヽヽヽ、|之《これ》は|又《また》|大変《たいへん》な|固《かた》い|拳骨《げんこ》で|御座《ござ》いますナ。|暗《くら》がりで|何処《どこ》へ|落《お》ちよつたか|薩張《さつぱり》|分《わか》らぬ|様《やう》になつて|了《しま》つた。|同《おな》じ|貰《もら》ふのならソツと|手《て》に|乗《の》せて|下《くだ》さると|宜《よ》いになア』
|亀彦《かめひこ》『|不届《ふとどき》な|泥坊《どろばう》|奴《め》、グヅグヅ|吐《ぬか》すと|踏《ふ》み|蹂《にじ》り|握《にぎ》り|潰《つぶ》してやらうか』
|源州《げんしう》『アヽ|勿体《もつたい》ない、|目《め》が|潰《つぶ》れますぜ。|結構《けつこう》な|握《にぎ》り|飯《めし》を|踏《ふ》み|蹂《にじ》つたり、|握《にぎ》り|潰《つぶ》したりすると、|百姓《ひやくしやう》が|汗水《あせみづ》|垂《た》らして、やつと|作《つく》つた|其《その》|米《こめ》を、そう|粗末《そまつ》にするものぢやありませぬで』
|英子姫《ひでこひめ》『ホヽヽヽヽ』
|悦子姫《よしこひめ》『ホヽヽヽヽ』
|金州《きんしう》『イヤ|何《なに》だ、|此奴《こいつ》|化物《ばけもの》だな。|声《こゑ》を|三《みつ》つにも|使《つかひ》|分《わ》けしやがつて、|男《をとこ》になつたり|女《をんな》になつたり、|莫迦《ばか》にするない。|大方《おほかた》|団子石《だんごいし》を、|握《にぎ》り|飯《めし》だナンテ|吐《ぬか》して、|俺《おれ》に|打付《ぶつつ》けよつたのだな、|道理《だうり》で|痛《いた》いと|思《おも》つた』
|亀彦《かめひこ》『アハヽヽヽヽ』
|二女《にぢよ》『ホヽヽヽヽ』
|金州《きんしう》『ヤア|此奴《こいつ》は|愈《いよいよ》【バ】の|字《じ》に【ケ】の|字《じ》だ。オイ|源州《げんしう》、|命《いのち》あつての|物種《ものだね》だ、|逃《に》げろ|逃《に》げろ』
と|暗《くら》がりの|中《なか》を|横《よこ》になつて、|団子《だんご》を|転《ころ》がした|様《やう》に|転《ころ》げ|逃《に》げ|行《ゆ》く。
|亀彦《かめひこ》『アハヽヽヽ、|妙《めう》な|乞食《こじき》が|居《を》つたものだ、イヤ|併《しか》し|乍《なが》ら|是《これ》から|先《さき》は|危険《きけん》|区域《くゐき》だ、|気《き》を|付《つ》けねばなるまい。モシモシお|女中《ぢよちう》さま、|貴女《あなた》は|何《いづ》れの|方《かた》で|御座《ござ》るかナ』
|英子姫《ひでこひめ》『|是非《ぜひ》に|及《およ》ばぬ、|申上《まをしあ》げませう。|妾《わらは》は|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|娘《むすめ》|英子姫《ひでこひめ》で|御座《ござ》います。|一人《ひとり》は|召使《めしつかひ》の|悦子姫《よしこひめ》で|御座《ござ》います』
|亀彦《かめひこ》『|如何《いか》にも|紛《まが》ふ|方《かた》なき|其《その》|御声《おんこゑ》、これはこれは|暗夜《やみよ》の|事《こと》とて|失礼《しつれい》を|致《いた》しました。|私《わたくし》は|御存《ごぞん》じの|亀彦《かめひこ》で|御座《ござ》います』
|英子姫《ひでこひめ》『ソンナラ|貴方《あなた》は、|妹《いもうと》|菊子姫《きくこひめ》の|夫《をつと》、|思《おも》はぬ|処《ところ》でお|目《め》に|掛《かか》り|大《おほ》いに|力《ちから》を|得《え》ました。して|又《また》こちらへ|御出《おい》でになつたのは、|如何《どう》いふお|考《かんが》へで』
|亀彦《かめひこ》『|申上《まをしあ》げ|難《にく》い|事《こと》|乍《なが》ら、|御父上様《おんちちうへさま》は|高天原《たかあまはら》の|事変《じへん》より、|千座《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》はせ|給《たま》ひ、|世界《せかい》|漂泊《さすらひ》の|旅《たび》にお|出《で》ましになりました。|私《わたくし》は|斎苑《いそ》の|山《やま》の|頂《いただき》に|於《おい》て、|御父上《おんちちうへ》の|御消息《ごせうそく》を|知《し》り、|自転倒島《おのころじま》にお|下《くだ》り|遊《あそ》ばしたと|聞《き》いた|故《ゆゑ》、はるばると|荒海《あらうみ》を|渡《わた》り、|漸《やうや》く|由良《ゆら》の|港《みなと》に|着《つ》いて|御所在《おんありか》を|尋《たづ》ねむものと|此処迄《ここまで》|参《まゐ》りました|途中《とちう》で|御座《ござ》います。|噂《うはさ》に|聞《き》けば、|父《ちち》|大神様《おほかみさま》は|大江山《おほえやま》の|魔神《まがみ》の|捕手《とりて》に|御捕《おんとら》はれの|御身《おみ》の|上《うへ》、|併《しか》し|乍《なが》ら|亀彦《かめひこ》が|参《まゐ》りました|以上《いじやう》は|必《かなら》ず|御心配《ごしんぱい》なさいますな。|屹度《きつと》|救《すく》ひ|出《だ》して|御覧《ごらん》に|入《い》れます』
|此《この》|時《とき》|傍《かたはら》の|木《き》の|茂《しげ》みの|中《なか》より、|二三十人《にさんじふにん》の|男《をとこ》が|三人《さんにん》の|前《まへ》に|立《た》ち|現《あら》はれ、
『ヤア|其《その》|方《はう》は|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|一味《いちみ》の|奴《やつ》ばら、|最前《さいぜん》からの|汝等《なんぢら》|三人《さんにん》が|囁《ささや》き|話《ばなし》、|木蔭《こかげ》に|忍《しの》び|残《のこ》らず|聞《き》いた。さア|此《この》|上《うへ》は|搦《から》め|取《と》つて|大江山《おほえやま》の|砦《とりで》に|連《つ》れ|帰《かへ》らむ、|覚悟《かくご》を|致《いた》せ』
と|闇《やみ》に|閃《ひらめ》く|氷《こほり》の|刃《やいば》、|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|突《つ》き|掛《かか》る。|三人《さんにん》は|両刃《もろは》の|短刀《たんたう》をヒラリと|抜《ぬ》き|放《はな》ち、
『|何《なに》|猪口才《ちよこざい》な、|木《こ》ツ|端《ぱ》|武者《むしや》』
と|獅子奮迅《ししふんじん》の|勢《いきほひ》にて|防《ふせ》ぎ|戦《たたか》ふ。|数十人《すうじふにん》の|捕手《とりて》はドツと|寄《よ》せては、|又《また》もやドツと|逃《に》げ、|寄《よ》せては|返《かへ》す|磯《いそ》の|波《なみ》、|四辺《あたり》に|響《ひび》く|剣戟《けんげき》の|音《おと》。
|亀彦《かめひこ》『|斯《か》かる|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|魔神《まがみ》に|対《たい》しては、|善言美詞《ぜんげんびし》の|言霊《ことたま》を|以《もつ》て|打《う》ち|向《むか》ふは|勿体《もつたい》なし、|懲《こら》しめの|為《ため》、|斬《き》つて|斬《き》つて|斬《き》り|捨《す》てむ』
と|阿修羅王《あしゆらわう》の|如《ごと》く|暴《あ》れ|狂《くる》ふ。|敵《てき》は|二《ふた》つに|別《わか》れて、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げて|行《ゆ》く。
|亀彦《かめひこ》は|坂《さか》を|下《くだ》つて|西《にし》へ|西《にし》へと|走《はし》り|行《ゆ》く。|一方《いつぱう》|英子姫《ひでこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》は|攻《せ》め|来《く》る|敵《てき》に|向《むか》つて|華々《はなばな》しく|戦《たたか》へば|流石《さすが》の|魔神《まがみ》も|敵《てき》しかね、|東《ひがし》を|指《さ》して|駆《か》け|出《だ》したり。|二人《ふたり》は|一生懸命《いつしやうけんめい》|後《あと》を|追《お》ひ|行《ゆ》きぬ。アヽ|此《この》|結果《けつくわ》はどうなるであらう。
(大正一一・四・五 旧三・九 藤津久子録)
第三章 |門番《もんばん》の|夢《ゆめ》〔五九三〕
|夜《よ》は|深々《しんしん》と|更《ふ》け|渡《わた》る |水《みづ》さへ|音《おと》なき|丑《うし》の|刻《こく》
|波《なみ》を|照《てら》して|一塊《いつくわい》の |巨大《きよだい》な|光《ひかり》|嚠々《りうりう》と
|呻《うな》りを|立《た》てて|竜灯《りうとう》の |松《まつ》を|目蒐《めが》けて|走《はし》り|来《く》る。
|火光《くわくわう》は|一旦《いつたん》|松《まつ》の|周囲《しうゐ》を|廻転《くわいてん》し、|梢《こづゑ》に|光《ひかり》|皎々《かうかう》と|留《とど》まり|輝《かがや》きぬ。|樹下《じゆか》に|倒《たふ》れた|五人《ごにん》の|男《をとこ》は、|吃驚《びつくり》|仰天《ぎやうてん》|目《め》を|覚《さ》まし、アフンと|許《ばか》り|空《そら》を|眺《なが》め|鰐口《わにぐち》|開《あ》けて、|天《てん》から|降《ふ》つた|牡丹餅《ぼたもち》を|頂《いただ》く|様《やう》な|為体《ていたらく》なり。|棚《たな》からさへも|牡丹餅《ぼたもち》は|容易《ようい》に|落《お》ちて|来《こ》ないのに、|木《き》から|落《お》ちたる|猿《さる》の|如《ごと》く、|老木《おいき》の|下《した》に|腰《こし》を|抜《ぬ》かし、|夜《よ》の|明《あ》け|行《ゆ》くを|松《まつ》の|下《した》、|可笑《をか》しかりける|次第《しだい》なり。
|東《ひがし》の|方《かた》より|数十人《すうじふにん》の|消魂《けたた》ましき|足音《あしおと》するに|眼《まなこ》を|転《てん》じて|眺《なが》むれば、|東雲《しののめ》|近《ちか》き|薄明《うすあか》り、|鬼雲彦《おにくもひこ》の|手下《てした》の|者《もの》|共《ども》、|一人《ひとり》の|男《をとこ》に|追《お》はれつつ、|生命《いのち》からがら|逃《に》げ|来《きた》る。|腰《こし》を|抜《ぬ》かした|五人連《ごにんづれ》に、|先《さき》に|立《た》ちたる|四五人《しごにん》は、|足《あし》|引《ひ》つかけて|顛倒《てんたふ》し、|次《つぎ》から|次《つぎ》へ|出《で》て|来《く》る|奴《やつ》は|折《を》り|重《かさ》なつて、|相互怨《かたみうら》みの|無《な》い|様《やう》に、|交際《つきあひ》の|良《よ》い|社会《しやくわい》|主義《しゆぎ》、|民衆《みんしう》|運動《うんどう》の|花《はな》|咲《さ》きて、|転《ころ》んで|土《つち》|食《く》ふ|奴《やつ》ばかりなり。
|亀彦《かめひこ》『ヤア|其《そ》の|方等《はうら》は|大江山《おほえやま》に|本拠《ほんきよ》を|構《かま》ふる|鬼雲彦《おにくもひこ》の|乾児《こぶん》の|奴輩《やつばら》、|片《かた》つ|端《ぱし》から|撫《な》で|切《ぎ》りに|致《いた》し|呉《く》れむ、|覚悟《かくご》をせよ』
と|両刃《もろは》の|剣《つるぎ》を|逆手《さかて》に|持《も》ち|真向《まつかう》|上段《じやうだん》に|振《ふ》り|翳《かざ》したり。
|石熊《いしくま》『ヤイ、|其《その》|方《はう》は|肝腎《かんじん》の|二人《ふたり》の|娘《むすめ》を|如何《どう》|致《いた》した、コンナ|処《ところ》へ|踏《ふ》ん|迷《まよ》うて|来《く》る|処《ところ》ぢやあるまいぞ、|二人《ふたり》の|女《をんな》を|早《はや》く|助《たす》けてやらぬか、そしたら|吾々《われわれ》もお|蔭《かげ》で|助《たす》かる|哩《わい》、アハヽヽヽ』
|亀彦《かめひこ》『オー、さうじや、|余《あま》り|勢《いきほひ》に|乗《じやう》じて|英子姫《ひでこひめ》|様《さま》を|念頭《ねんとう》より|遺失《ゐしつ》して|仕舞《しま》つた、|此奴《こいつ》|堪《たま》らぬ。|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》れば|磨滅《まめつ》の|厄《やく》に|遭《あ》ひ|給《たま》ふやも|図《はか》り|難《がた》い、オイ|敵《かたき》の|奴輩《やつばら》、|木端武者《こつぱむしや》|能《よ》く|注意《ちうい》して|呉《く》れた、|汝《なんぢ》の|手柄《てがら》に|免《めん》じて|今日《けふ》は|之《これ》にて|許《ゆる》してやらう』
と|云《い》ふより|早《はや》く|踵《きびす》を|返《かへ》し、|矢《や》を|射《い》る|如《ごと》くもと|来《き》し|道《みち》に|引《ひ》き|返《かへ》す。
|石熊《いしくま》『オイ、|鬼虎《おにとら》、|熊鷹《くまたか》の|阿兄《あにい》、|何《ど》うだ、|此《この》|方《はう》の|文珠《もんじゆ》の|智慧《ちゑ》、|貴様《きさま》の|様《やう》な|天《あま》の|橋立《はしだて》ない|智慧《ちゑ》の|持主《もちぬし》では|仕方《しかた》がない、|斯《こ》んな|時《とき》に、ちつとも|間《ま》に|合《あ》はぬ。|当意即妙《たういそくめう》、|智謀《ちぼう》|絶倫《ぜつりん》、|文珠《もんじゆ》|菩薩《ぼさつ》も|石熊《いしくま》|親分《おやぶん》の|無量智《むりやうち》には|尻《しり》はし|居《を》つてスタコラ、ヨイヤサと|御遁走《ごとんさう》、|持《も》つべきものは|知識《ちしき》なりけりだ、アハヽヽヽ、オホヽヽヽ、エヘヽヽヽ』
|不思議《ふしぎ》なる|哉《かな》、|此《この》|樹下《じゆか》に|来《き》たものは|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|一蓮托生《いちれんたくしやう》、|腰《こし》が|薩張《さつぱ》り|抜《ぬ》けて|仕舞《しま》つた。|一同《いちどう》の|魔神《まがみ》は|叶《かな》はぬときの|神頼《かみだの》み、|悪《あく》にも|三分《さんぶ》の|理屈《りくつ》がある、|神《かみ》の|救《すく》ひを|求《もと》めむと|十能《じうのう》の|様《やう》な|大《おほ》きい|手《て》を|合《あは》し、
『|阿耨多羅三藐三菩提《あのくたらさんみやくさんぼだい》、|南無与仏有縁与仏《なむよぶつうえんよぶつ》、|有縁仏法僧《うえんぶつぽふそう》、|縁常楽我長《えんじやうらくがちやう》、|朝念観世音《てうねんくわんぜおん》、|暮念観世音《ぼねんくわんぜおん》、|念々従信起《ねんねんじうしんき》、|念々不離心《ねんねんふりしん》』
と|手《て》と|口《くち》とは|自由権《じいうけん》を|許《ゆる》されて、|甲乙《かふおつ》の|区別《くべつ》もなく|平等《べうどう》に|言霊《ことたま》を|連続《れんぞく》|発射《はつしや》して|居《を》る。
|話《はなし》|変《かは》つて|英子姫《ひでこひめ》は|器量《きりやう》も|愛想《あいさう》も|悦子姫《よしこひめ》、|由良《ゆら》の|港《みなと》の|国司《くにつかさ》|秋山彦《あきやまひこ》の|門前《もんぜん》に|佇《たたず》み|乍《なが》ら|夜《よ》の|明《あ》け|行《ゆ》くを|待《ま》ち|居《ゐ》たりしが、|忽《たちま》ちガラリと|開《あ》いた|表門《おもてもん》、|門番《もんばん》は|二人《ふたり》の|姿《すがた》を|見《み》るより|顔色《かほいろ》を|変《か》へて|一散走《いちさんばし》り、|彼方《かなた》を|指《さ》して|隠《かく》れ|行《ゆ》く。|忽《たちま》ち|四五《しご》の|荒男《あらをとこ》、|十手《じつて》|打《う》ち|振《ふ》り|打《う》ち|振《ふ》りつ、|二人《ふたり》の|前《まへ》に|塞《ふさ》がりて|有無《うむ》を|言《い》はせず|手《て》とり|足《あし》とり、|口《くち》には|嵌《は》ます|猿轡《さるぐつわ》、|何《なに》と|応答《いらへ》もなくばかり、|身《み》を|藻掻《もが》けども|容赦《ようしや》なく、|竈《かまど》の|下《した》の|灰猫《はひねこ》が、|小鼠《こねずみ》を|喰《く》はへて|行《ゆ》く|様《やう》に、|二人《ふたり》を|奥《おく》へ|担《かつ》ぎ|入《い》る。
○
|又《また》もや|続《つづ》いて|一人《ひとり》の|男《をとこ》、|此《この》|門前《もんぜん》に|現《あら》はれて、|割《わ》るる|許《ばか》りに|戸《と》を|敲《たた》き、『|開《ひら》け|開《ひら》け』と|呶鳴《どな》り|居《を》る。|門番《もんばん》は|不性不性《ふしようぶしよう》に、
『アヽア|今日《けふ》は|怪《け》つ|体《たい》な|日《ひ》ぢや、|朝《あさ》つぱらから|門《もん》を|開《あ》けるなり、|弁才天《べんざいてん》の|様《やう》な|別嬪《べつぴん》が|来《き》よつて、ヤレしてやつたりと|喜《よろこ》ぶ|間《ま》もなく|館《やかた》の|御大将《おんたいしやう》、|有無《うむ》を|言《い》はせず|奥《おく》へ|連《つ》れて|行《い》つて|仕舞《しま》つた。アヽ|之《これ》を|思《おも》へば|大将《たいしやう》になりたいものだな。|何処《どこ》の|唐変木《たうへんぼく》か|知《し》らぬが|怪《け》つ|体《たい》な|声《こゑ》を|出《だ》しよつて、|腹《はら》が|立《た》つ|程《ほど》|門《もん》を|敲《たた》きよる、エー|仕方《しかた》がない、|之《これ》も|門番《もんばん》の|職務《しよくむ》だ。|朝《あさ》つぱらから|酒《さけ》に|喰《くら》ひ|酔《よ》うて|呶鳴《どな》つて|居《ゐ》よるが、まだちつと|位《くらゐ》|瓢箪《へうたん》に|残《のこ》して|居《ゐ》よるかも|知《し》れぬ、それでも|奪《ひつたく》つて|埋《うづ》め|合《あは》せをやらうかい。オイ|加米公《かめこう》、|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》るのだ、|貴様《きさま》も|可《い》い|加減《かげん》に|起《お》きぬかい、それだから|夜遊《よあそ》びをするなと|言《い》ふのだ。|夜遊《よあそ》びするのなら|人《ひと》に|起《お》こされぬ|様《やう》に、|起《お》きる|時分《じぶん》には|起《お》きて|勤《つと》めるのだぞ』
|門《もん》を|敲《たた》く|声《こゑ》、|益々《ますます》|猛烈《まうれつ》になつて|来《き》た。
|銀公《ぎんこう》『オイ、|加米公《かめこう》、|早《はや》う|起《お》きて|貴様《きさま》|開《あ》けてやれ』
|亀彦《かめひこ》、|門前《もんぜん》にて、
『ヤア、|何《なん》だ、|此奴《こいつ》は|怪《あや》しいぞ、コンナ|遠国《ゑんごく》に|吾々《われわれ》の|名《な》を|知《し》つてる|奴《やつ》は|無《な》い|筈《はず》だが、|何《なに》は|兎《と》もあれ、|一《ひと》つ|掛合《かけあ》うて|見《み》よう……………………|亀公《かめこう》は|門外《もんぐわい》に|待《ま》つて|居《ゐ》るのだ、|勝手《かつて》に|開《ひら》けと|言《い》うた|所《ところ》で、|其方《そちら》から|開《あ》けて|呉《く》れなくちや|這入《はい》れないワイ』
|銀公《ぎんこう》『これや|加米《かめ》の|奴《やつ》、|上役《うはやく》に|向《むか》つて|何《なん》と|言《い》ふ|無礼《ぶれい》な|事《こと》を|申《まを》す、|俺《おれ》は|命令権《めいれいけん》を|有《も》つて|居《ゐ》るのだ、|貴様《きさま》は|開《あ》ける|役《やく》だ、|開《あ》けて|呉《く》れとは|何《なん》だ、|何《ど》の|為《た》めに|結構《けつこう》な|扶持《ふち》を|頂《いただ》いて|居《ゐ》るのだい』
|加米公《かめこう》『アーン、アンアンアン、さう|叱《しか》つて|呉《く》れないやい。|俺《おれ》は|何《なに》もまだ|一言《ひとこと》も|言《い》つては|居《ゐ》ないワ』
|銀公《ぎんこう》『それでも|今《いま》、|加米《かめ》だと|言《い》つたぢやないか、|俺《おれ》の|耳《みみ》はまだ|隠居《いんきよ》はして|居《を》らぬぞ』
|加米公《かめこう》は、|門《もん》の|閂《かんぬき》の|前《まへ》に|進《すす》み|寄《よ》り、
『アヽア、|銀公《ぎんこう》の|大将《たいしやう》、|無茶《むちや》ばかり|云《い》ひよる、もの|言《い》へば|唇《くちびる》|寒《さむ》し|秋《あき》の|風《かぜ》、ものも|言《い》はぬのに|言《い》うたと|云《い》うて|因縁《いんねん》をつけられ、|本当《ほんたう》に|馬鹿《ばか》らしい|哩《わい》、|俺《おれ》の|心《こころ》の|中《うち》を|開《ひら》いて|見《み》せてやり|度《た》い【もん】だな』
|外《そと》より|亀彦《かめひこ》、
『すつた、【もん】だ|吐《ぬか》さず、|亀公《かめこう》さまの|御出《おい》でだ、|早《はや》く|開《あ》けぬか』
|銀公《ぎんこう》『|貴様《きさま》はまだ|此《この》|銀公司《ぎんこうつかさ》に|命令《めいれい》をするのか、「|開《あ》けて|見《み》たい【もん】だな」ナンテ|当然《あたりまへ》だ、|早《はや》く|門《もん》を|開《あ》けてやらぬかい』
と|拳骨《げんこつ》を|固《かた》めて|頭《あたま》を|三《み》つ|四《よ》つポカポカと|喰《くら》はしたり。
『アイタヽ、アイタ アイタ アイタ、【あかんもん】だ。コンナ|奴《やつ》に|三《み》つ|四《よ》つ|殴《なぐ》られて、でけ【もん】が|出来《でき》るとは|余《よ》つ|程《ぽど》、|引《ひ》き|合《あ》はぬ【もん】だな』
|銀公《ぎんこう》『あいたあいたと|吐《ぬか》すがまだ|門《もん》は|開《あ》いて|居《を》らぬぢやないか、|弱《よわ》い【もん】だとは、それや|何《なに》を|吐《ぬか》す、|御主人様《ごしゆじんさま》が|心魂《しんこん》を|錬《ね》つて|選《よ》りに|選《よ》つて|立派《りつぱ》な|材木《ざいもく》で|拵《こしら》へになつた、コンナ|綺麗《きれい》な|表門《おもてもん》が|何《なん》で|弱《よわ》いのだい』
と|酒《さけ》の|酔《よ》ひに|舌《した》も|廻《まは》らずぐぜつて|居《ゐ》る。|加米公《かめこう》は|泣《な》き|泣《な》き|閂《かんぬき》を|外《はづ》し、
『さア、|何処《どこ》のお|方《かた》か|存《ぞん》じませぬが、|愚図々々《ぐづぐづ》|致《いた》さずとトツトと|這入《はい》りやがれ』
|亀彦《かめひこ》『アハヽヽヽ、|之《これ》は|之《これ》は|門番《もんばん》どの、|朝《あさ》|早《はや》くからお|邪魔《じやま》を|致《いた》しました、|貴方《あなた》は|初《はじ》めは|非常《ひじやう》に|御丁寧《ごていねい》で|後《あと》ほどお|言葉《ことば》が|荒《あら》くなりますなア』
『きまつた|事《こと》だい、|先《さき》の|半分《はんぶん》は|加米《かめ》の|本守護神《ほんしゆごじん》だ、|後《あと》から|言《い》うた|奴《やつ》は|副守護神《ふくしゆごじん》が|言《い》つたのだ、|閂《かんぬき》【もん】の【かん】|懸《がか》りだよ』
|亀彦《かめひこ》『アハヽヽヽ、お|前《まへ》も|矢張《やつぱり》カメサンと|言《い》ふのだな、|同《おな》じ|名《な》が|門《もん》の|内《うち》と|外《そと》とにあつて|大変《たいへん》に|面倒《めんだう》|臭《くさ》いワ』
『お|前《まへ》は|亀《かめ》さまだから|千年《せんねん》も|万年《まんねん》も|門《もん》の|外《そと》で|長立《ながだ》ちをさして|上《あ》げやうと|思《おも》つたが、|此《この》|頃《ごろ》は|世界中《せかいぢう》|不景気風《ふけいきかぜ》が|吹《ふ》き|廻《まは》つて、|物価《ぶつか》|下落《げらく》で|俺《おれ》も|投売《なげうり》をする|考《かんが》へで|安《やす》く|開《ひら》いてやつたのだ、|世《よ》の|中《なか》は|能《よ》くも|行《ゆ》き|詰《つま》つた【もん】ぢやなア』
|亀彦《かめひこ》『アハヽヽヽ、|貴様《きさま》は|余《よ》つ|程《ぽど》、|能《よ》く|洒落《しやれ》る【もん】だなア。|問答《【もん】だふ》も、もう|之《これ》|位《くらゐ》で|廃《や》めて|置《お》かう、|此処《ここ》へ|二人《ふたり》の|女《をんな》は|出《で》て|来《こ》なかつたか』
『ヤアお|前《まへ》はあの|女《をんな》の【これ】だなア』
と|親指《おやゆび》をニユツと|出《だ》して|見《み》せる。
『それや|何《なん》だ、|指《ゆび》ぢやないか』
|加米《かめ》『|何《なん》だか【ゆび】ありげな|汝《なんぢ》の|顔付《かほつき》、【ゆび】にも|忘《わす》れぬ【れこ】の|後《あと》を|何《なに》しようと|思《おも》うて|来《き》たのだらう。|二人《ふたり》の|女《をんな》は、とつくの|昔《むかし》に|何々《なになに》が|何々《なになに》して|今頃《いまごろ》は|何々《なになに》の|何々《なになに》ぢや、|俺達《おれたち》も|何々《なになに》し|度《た》いと|思《おも》つて|居《を》つたのに|何々《なになに》が|来《き》よつて|何々《なになに》して|何々《なになに》しよつたもんだから|薩張《さつぱり》|駄目《だめ》だよ』
『|貴様《きさま》の|言《い》ふ|事《こと》は|何《なに》が|何《なん》ぢややら|薩張《さつぱ》り|訳《わけ》が|分《わか》らぬぢやないか、も|少《すこ》し、はつきりと|打明《うちあ》けて|言《い》はないか』
|銀公《ぎんこう》『やい、カメカメの|両人《りやうにん》、|何々《なになに》が|聞《き》きたければ|何々《なになに》を|出《だ》せ、さうしたら|俺《おれ》が|何々《なになに》に|何々《なになに》して|何々《なになに》の|何々《なになに》を|何々《なになに》してやらう。ナント|言《い》つても|銀行《ぎんかう》いや|銀公《ぎんこう》が|肝心《かんじん》だ』
|亀彦《かめひこ》『|益々《ますます》|分《わか》らぬ|奴《やつ》だナ、エー|無理《むり》もない、|門番《もんばん》|位《くらゐ》に|尋《たづ》ね|様《やう》とするのが|此方《こつち》の|不覚《ふかく》だ』
と|奥《おく》へ|進《すす》まむとする。
|銀公《ぎんこう》『|何《なに》、【|深《ふか》く】、さう|深《ふか》く|進《すす》んでは|無礼《ぶれい》だぞ。|暫時《しばらく》|待《ま》つて、|俺《おれ》が|何々《なになに》に|会《あ》うて|何々《なになに》の|様子《やうす》を|何々《なになに》して|来《き》てやらう、|地獄《ぢごく》の|沙汰《さた》も|何々《なになに》|次第《しだい》だからノウ』
と|手《て》を|重《かさ》ねて|前《まへ》に|突《つ》き|出《だ》す。
|亀彦《かめひこ》『ハヽヽヽヽ、|何処迄《どこまで》も|物質《ぶつしつ》|主義《しゆぎ》だな、|黄金《わうごん》|万能《ばんのう》|主義《しゆぎ》の|悪風《あくふう》は|神聖《しんせい》なる|自転倒島《おのころじま》まで|吹《ふ》き|荒《すさ》むで|居《を》るか、|吁《あゝ》、|世《よ》も|終《をは》りじや、|尾張大根《をはりだいこん》だ。|形《かたち》ばつかり|立派《りつぱ》でも|味《あぢ》も【しや】しやりもない、|水《みづ》|臭《くさ》い|世《よ》の|中《なか》になつたものだ|哩《わい》』
|亀彦《かめひこ》は|委細《ゐさい》|構《かま》はず|奥《おく》へ|進《すす》み|行《ゆ》かむとする。|二人《ふたり》は|亀彦《かめひこ》の|両足《りやうあし》にグツと|喰《くら》ひ|付《つ》き、
『|何々《なになに》する|迄《まで》|通《とほ》す|事《こと》|罷《まか》りならぬ』
と|噛《しが》み|付《つ》く。|亀彦《かめひこ》は|二人《ふたり》の|男《をとこ》に|足《あし》を|捉《とら》へられ|乍《なが》ら、ノソリノソリと|二人《ふたり》を|小付《こづ》けにして|奥《おく》を|目蒐《めが》けて|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・四・五 旧三・九 北村隆光録)
第四章 |夢《ゆめ》か|現《うつつ》か〔五九四〕
|亀彦《かめひこ》は|二人《ふたり》の|門番《もんばん》を、|靴《くつ》に|穿《は》いたやうな|心持《こころもち》で、|本宅《ほんたく》の|入口《いりぐち》|迄《まで》やつて|来《き》た。|門口《もんぐち》の|騒《さわ》がしさに|中《なか》より|戸《と》を|引《ひ》き|開《あ》けて|現《あら》はれし|二人《ふたり》の|女《をんな》、
『ヤア|貴方《あなた》は|亀彦《かめひこ》さま』
|亀彦《かめひこ》『ヨウ、お|二人様《ふたりさま》、|不思議《ふしぎ》な|処《ところ》でお|目《め》に|掛《かか》りました』
|英子姫《ひでこひめ》『|亀彦《かめひこ》さま、|貴方《あなた》|何《なに》を|足《あし》に|引《ひ》つかけてゐらつしやるの』
|亀彦《かめひこ》『ヤア、|何《なん》でも|御座《ござ》らぬ、|糞《ふん》から|生《わ》いた|銀蠅《ぎんばへ》が|一匹《いつぴき》と|糞亀《くそがめ》が|一匹《いつぴき》、|足《あし》に|喰《く》ひつきました、|鰌《どぢやう》の|生《なま》でもあつたら|一《ひと》つやつて|下《くだ》さいナ、アハヽヽヽ』
|二女《にぢよ》『ホヽヽヽ』
|銀《ぎん》、|加米《かめ》『チエツ、|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にして|居《ゐ》やがる、|此《この》|銀公司《ぎんこうつかさ》を|捉《つかま》へて|銀蠅《ぎんばへ》だの、|加米《かめ》を|糞亀《くそがめ》だのと|虫《むし》の|好《よ》い|事《こと》を|云《い》やがるワイ。これや|亀《かめ》の|奴《やつ》、|今《いま》に、|一寸《いつすん》の|虫《むし》でも|五分《ごぶ》の|魂《たましひ》だ、【むしかへ】しをやつてやるから、|其《その》|覚悟《かくご》で|居《ゐ》たらよからうぞ』
|亀彦《かめひこ》は、|右《みぎ》の|足《あし》を|中天《ちうてん》に|向《むか》つてピンと|跳《はね》る|途端《とたん》に、|銀公《ぎんこう》は|七八間《しちはちけん》プリンプリンプリンと|中天《ちうてん》に|舞《ま》ひ|上《あが》り、|表門《おもてもん》の|自分《じぶん》の|室《しつ》の|前《まへ》に|行儀《ぎやうぎ》よく|落《お》ちたまま、チヨコナンと|坐《すわ》つて|居《ゐ》る。|亀彦《かめひこ》は|又《また》も|左《ひだり》の|足《あし》をピンと|跳《はね》ると、|加米公《かめこう》は|中空《ちうくう》を|毬《まり》の|如《ごと》く|舞《ま》ひながら|再《ふたた》び|自分《じぶん》の|門番小屋《もんばんごや》にチヨコナンと|坐《すわ》つて|居《ゐ》る。
|銀公《ぎんこう》『アヽヽヽ、|淋《さび》しい|事《こと》だ、|偉《えら》い|奴《やつ》が|来《き》よつて、|俺《おれ》を|中天《ちうてん》に|蹴《け》り|上《あ》げよつたと|思《おも》つたら、|何《な》んだ|夢《ゆめ》を|見《み》て|居《ゐ》たのか、それにしても|怪体《けつたい》な|夢《ゆめ》を|見《み》たもんだワイ』
|加米公《かめこう》『ヤヤ|銀公《ぎんこう》、|貴様《きさま》も|夢《ゆめ》を|見《み》たのか、|俺《おれ》も|其《その》|通《とほ》りだ。|亀《かめ》と|云《い》ふ|奴《やつ》が|来《き》よつて、|俺《おれ》を|足《あし》の|先《さき》で|中天《ちうてん》に|蹴《け》りよつたと|思《おも》つたら、|俺《おれ》も|矢張《やつぱ》り|夢《ゆめ》だつた。アヽコンナ|夢《ゆめ》を|見《み》るやうでは、|碌《ろく》な|事《こと》はない|哩《わい》、|獏《ばく》に|喰《く》はせ|獏《ばく》に|喰《く》はせ、|茫々漠々《ばうばうばくばく》として|夢《ゆめ》の|如《ごと》しだアハヽヽ』
|此《この》|時《とき》|門前《もんぜん》に|声《こゑ》あつて、
『モシモシ|門番様《もんばんさま》、|妾《わたし》は|漂泊《さすらひ》の|旅《たび》の|女《をんな》、|何卒《どうぞ》お|慈悲《じひ》に|此《この》|門《もん》|開《ひら》いて|下《くだ》さいませ。|悪神《わるがみ》に|取巻《とりま》かれ、|命《いのち》からがら|此処迄《ここまで》|逃《に》げて|参《まゐ》りました』
『ヤア|聞《き》き|慣《な》れぬ|女《をんな》の|声《こゑ》』
と|云《い》ひながら|門《もん》をサラリと|開《ひら》けば、|二人《ふたり》は|丁寧《ていねい》に|目礼《もくれい》しながら、|奥《おく》を|目蒐《めが》けて|足早《あしばや》に|進《すす》み|往《ゆ》く。
|銀公《ぎんこう》『オイ|加米公《かめこう》、|夢《ゆめ》に|見《み》た|通《とほ》りの|二人《ふたり》の|美人《びじん》がやつて|来《き》よつた。|夢《ゆめ》と|云《い》ふものは|馬鹿《ばか》にならぬなア』
|加米公《かめこう》『ヨー|其《その》|夢《ゆめ》なら|俺《おれ》も|見《み》たのだ。|夢《ゆめ》に|見《み》た|美人《びじん》と|些《ちつ》とも|違《ちが》はぬ|瓜二《うりふた》つだ、|併《しか》しながら、|斯《か》う|夢《ゆめ》が|当《あた》るとすれば、|今度《こんど》|目《め》に|出《で》て|来《く》る|亀彦《かめひこ》と|云《い》ふ|強《つよ》い|奴《やつ》は、それこそ|大変《たいへん》だぞ、|柔《おと》なしく|下《した》に|出《で》て|無事《ぶじ》に|門《もん》を|通《とほ》すに|限《かぎ》るぞ』
|銀公《ぎんこう》『オヽさうだ、|相手《あひて》にならぬやうに|柔《おとな》しく|開《あ》けてやらうかい』
|斯《か》かる|所《ところ》へ|門前《もんぜん》に|聞《きこ》ゆる|男《をとこ》の|声《こゑ》、|門《もん》をポンポンと|叩《たた》いて、
『モシモシ、|私《わたくし》は|旅《たび》の|男《をとこ》|亀彦《かめひこ》と|申《まを》します、お|邪魔《じやま》で|有《あ》りませうが、|此《この》|門《もん》を|何《ど》うか|開《あ》けて|下《くだ》さいますまいか』
|加米公《かめこう》『それそれ|夢《ゆめ》が|本当《ほんたう》になつて|来《き》たぞ、|加米《かめ》さんがよい|相方《あひかた》だ』
と|又《また》もや|門《もん》をサラリと|開《ひら》き、
|加米公《かめこう》『これはこれはようこそお|出《い》で|下《くだ》さいました。サアずつと|奥《おく》へお|通《とほ》り|下《くだ》さい、どうぞ|中天《ちうてん》へ|放《ほ》り|上《あ》げる|事《こと》だけは、オツト、ドツコイこれは|夢《ゆめ》で|御座《ござ》いました、|早《はや》く|柔《おとな》しく|暴《あば》れずにお|入《はい》りなさいませ』
|亀彦《かめひこ》『|私《わたくし》は|決《けつ》して|乱暴《らんばう》な|事《こと》は|致《いた》しませぬ、|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
と|奥《おく》を|目蒐《めが》けて|悠々《いういう》と|進《すす》み|入《い》る。
|由良《ゆら》の|港《みなと》の|人子《ひとご》の|司《つかさ》 |秋山彦《あきやまひこ》の|門前《もんぜん》を
サツと|開《ひら》かせ|入《い》り|来《きた》る |暗夜《やみよ》もはれて|英子姫《ひでこひめ》
|四方《よも》の|景色《けしき》も|悦子姫《よしこひめ》 |小春《こはる》の|朝日《あさひ》を|身《み》にうけて
|冬《ふゆ》の|初《はじめ》と|云《い》ひながら まだ|温《あたた》かき|破風口《はふぐち》に
|猫《ねこ》の|眠《ね》て|居《ゐ》る|長閑《のどか》さよ |夜昼《よるひる》|不寝身《ねずみ》の|門番《もんばん》も
|主《しゆ》には|尽《つく》す|忠勤振《ちうきんぶり》 |中門《なかもん》サラリと|引《ひ》き|開《あ》けて
|何《なん》の|躊躇《ちうちよ》も|荒男《あらをとこ》 |門番役《もんばんやく》に|送《おく》られて
|玄関口《げんくわんぐち》にさしかり |頼《たの》も|頼《たの》もと|訪《おとな》へば
あいと|応《こた》へて|二人《ふたり》の|女《をんな》 |襖《ふすま》|押《お》しあけ|出《い》で|来《きた》る
アツと|見合《みあは》す|顔《かほ》と|顔《かほ》 オヽ|亀彦《かめひこ》か|姫様《ひめさま》か
|思《おも》はぬ|所《ところ》で|遇《あ》ひました |魔神《まがみ》の|様子《やうす》は|如何《いか》にぞと
|問《と》はむとせしが|待《ま》て|暫《しば》し |心《こころ》|許《ゆる》せぬ|此《この》|館《やかた》
|如何《いか》なる|魔神《まがみ》の|潜《ひそ》むやら |隙《ひま》|行《ゆ》く|駒《こま》のいつしかに
|漏《も》れてはならぬ|壁《かべ》に|耳《みみ》 |父《ちち》の|便《たよ》りを|菊月《きくづき》の
|九月《くぐわつ》|八日《やうか》の|今朝《けさ》の|秋《あき》 |目《め》と|目《め》に|物《もの》を|云《い》はせつつ
|二人《ふたり》の|女《をんな》は|静々《しづしづ》と |奥《おく》の|間《ま》さして|入《い》りにける
|後《あと》にしよんぼり|亀彦《かめひこ》は |両手《りやうて》を|組《く》みて|思案顔《しあんがほ》
あゝ|訝《いぶ》かしや|訝《いぶ》かしや |様子《やうす》ありげの|此《この》|館《やかた》
|英子《ひでこ》の|姫《ひめ》の|御眼《おんめ》つき |只事《ただごと》ならぬ|気配《けはい》なり
|戸《と》を|押《お》し|明《あ》けて|踏《ふ》み|込《こ》もか |待《ま》て|待《ま》て|暫《しば》し|待《ま》て|暫《しば》し
|大事《だいじ》の|前《まへ》の|一《いち》|小事《せうじ》 もしも|仕損《しそん》じた|其《その》|時《とき》は
|長《なが》の|苦労《くらう》も|水《みづ》の|泡《あわ》 |遇《あ》はぬは|遇《あ》ふに|弥《いや》まさる
|例《ためし》も|数多《あまた》ある|月日《つきひ》 |暫《しば》しは|此処《ここ》に|佇《たたず》みて
|家《いへ》の|内外《うちと》の|様子《やうす》をば |事細《ことこま》やかに|探《さぐ》らむと
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し |思《おも》ひ|直《なほ》すぞ|雄々《をを》しけれ。
|玄関《げんくわん》に|佇《たたず》みし|亀彦《かめひこ》は、さし|上《のぼ》る|朝日《あさひ》に|向《むか》つて|合掌《がつしやう》し、|何事《なにごと》か|沁々《しみじみ》と|暗祈黙祷《あんきもくたう》を|続《つづ》けて|居《ゐ》る。|此《この》|時《とき》|玄関《げんくわん》の|襖《ふすま》を|颯《さつ》と|開《ひら》いて|現《あら》はれ|出《い》でたる|二人《ふたり》の|娘《むすめ》は、|亀彦《かめひこ》に|向《むか》つて|丁寧《ていねい》に|会釈《ゑしやく》し、
『これはこれは|遠方《ゑんぱう》のお|客様《きやくさま》、|奥《おく》へ|案内《あんない》|致《いた》しませう、サアこうお|出《い》でなさいませ』
と|廊下《らうか》を|指《さ》して、ニコニコしながら|先《さき》に|立《た》つて|進《すす》み|入《い》る。
|亀彦《かめひこ》は、
『ヤア|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い、|一《ひと》つ|違《ちが》へば|門前《もんぜん》|払《ばら》ひの|憂目《うきめ》に|遇《あ》ふ|所《ところ》だつた。アヽ|世間《せけん》に|鬼《おに》はない、|此処《ここ》には|広《ひろ》いお|庭《には》がある。|鬼《おに》は|外々《そとそと》|福《ふく》は|内《うち》、|家《いへ》の|様子《やうす》は|何処《どこ》となく|物床《ものゆか》しげに、|一弦《いちげん》の|琴《こと》の|音《ね》さへも|聞《きこ》えて|居《ゐ》る。あの|声《こゑ》は|確《たしか》に|英子姫《ひでこひめ》の|御手《おて》すさび、|此《この》|家《いへ》は|自《おのづ》と|平和《へいわ》な|風《かぜ》も|福《ふく》の|神《かみ》、|上下《かみしも》|揃《そろ》うて|睦《むつ》まじく|月日《つきひ》を|送《おく》る|其《その》|様子《やうす》、もしや|此《この》|家《いへ》に、|吾《わ》が|慕《した》ふ|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の|隠《かく》れ|在《いま》すには|非《あら》ざるか、|神《かみ》ならぬ|身《み》の|心《こころ》にも、|物穏《ものおだや》かな|内外《うちと》の|空気《くうき》』
と|独《ひと》り|言《ご》ちつつ|娘《むすめ》の|後《あと》に|従《したが》ひて、|長《なが》き|廊下《らうか》を|伝《つた》ひ|行《ゆ》く。
|此《この》|家《や》の|主人《しゆじん》と|見《み》えて、|人品骨柄《じんぴんこつがら》|卑《いや》しからぬ、|五十《ごじふ》|前後《ぜんご》の|男《をとこ》、|服装《みなり》|正《ただ》しく|衣紋《えもん》|繕《つくろ》ひ|出《い》で|迎《むか》へ、
『これはこれは|噂《うはさ》に|聞《き》き|及《およ》ぶ|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|亀彦《かめひこ》|様《さま》、よくも|入《い》らせられました。|私《わたくし》は|此《この》|郷《さと》の|人子《ひとご》の|司《つかさ》、|秋山彦《あきやまひこ》と|申《まを》すもの、サアサア|遠慮《ゑんりよ》なくズツと|大奥《おほおく》へお|通《とほ》り|下《くだ》さいませ、|御案内《ごあんない》|致《いた》しませう』
と|先《さき》に|立《た》つて|進《すす》み|往《ゆ》く。|亀彦《かめひこ》は|不審《ふしん》の|首《かうべ》を|傾《かたむ》けながら、|前後左右《ぜんごさいう》に|目《め》を|配《くば》り、|心《こころ》を|注《そそ》ぎ、
『ヤア、|嫌《いや》らしき|程《ほど》の|鄭重《ていちよう》なもてなしだ。|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》ると|抱《だ》き|落《おと》しにかけられて、|醜《しこ》の|窟《いはや》のやうに|陥穽《おとしあな》にでも|落《おと》されるのではあるまいか。|否々《いないな》|人《ひと》を|疑《うたが》ふは|罪《つみ》の|最《もつと》も|大《だい》なるもの、|心《こころ》に|曇《くも》りあれば|人《ひと》を|疑《うたが》ふとやら、アヽ|恥《はづ》かしい、|未《いま》だ|副守護神《ふくしゆごじん》の|奴《やつ》、|身体《からだ》の|一部《いちぶ》に|割拠《かつきよ》して|猜疑心《さいぎしん》の|矢《や》を|放《はな》ち|猛威《まうゐ》を|逞《たくま》しうせむと|計画《けいくわく》して|居《ゐ》るらしい、|恐《おそ》るべきは|心《こころ》の|内《うち》の|敵《てき》だ』
と|思《おも》はず|大声《おほごゑ》を|出《だ》した。
|秋山彦《あきやまひこ》は|此《この》|声《こゑ》を|聞《き》いて|後《あと》|振《ふ》り|返《かへ》り、
『これはこれは|亀彦《かめひこ》|様《さま》、|貴方《あなた》は|今《いま》|敵《てき》だと|仰《おほ》せられましたが、|決《けつ》して|敵《てき》では|御座《ござ》いませぬ、|御心配《ごしんぱい》なくお|通《とほ》り|下《くだ》さい』
『イヤ|誠《まこと》に|済《す》みませぬ、|吾々《われわれ》の|心中《しんちゆう》に|潜《ひそ》む|副守《ふくしゆ》の|奴《やつ》が|囁《ささや》いたのです、|心《こころ》の|鬼《おに》が|身《み》を|責《せめ》るとやら、いやもう|神《かみ》ならぬ|身《み》の|吾々《われわれ》|人間《にんげん》は、|宣伝使《せんでんし》と|云《い》ふ|立派《りつぱ》なレツテルは|貼《は》つて|居《を》りますが、|実《じつ》にお|恥《はづ》かしい|代物《しろもの》です』
と|歩《あゆ》み|歩《あゆ》み|語《かた》り|居《ゐ》る。
『サアこれが|大奥《おほおく》の|間《ま》で|御座《ござ》います、|貴方《あなた》にお|会《あ》はせ|申度《まをした》き|御方《おんかた》も|御座《ござ》いますれば、|何卒《どうぞ》お|入《はい》り|下《くだ》さいませ』
と|腰《こし》を|屈《かが》め、|淑《しと》やかに|襖《ふすま》を|押《お》しあけ|案内《あんない》する。|亀彦《かめひこ》は|不審《ふしん》の|雲《くも》に|包《つつ》まれながら|進《すす》み|入《い》り、|上座《じやうざ》を|見《み》れば、こは|如何《いか》に、|正面《しやうめん》の|高座《かうざ》には、|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》、|厳然《げんぜん》として|控《ひか》へさせたまひ、|少《すこ》しく|下《さ》がつて|国武彦《くにたけひこ》、|右側《みぎがは》には|英子姫《ひでこひめ》、ズツと|下《さ》がつて|悦子姫《よしこひめ》、|此《この》|家《や》の|妻《つま》と|見《み》えて|四十歳《しじつさい》|許《ばか》りの|麗《うるは》しき|女《をんな》、|行儀《ぎやうぎ》よく|控《ひか》へ|居《ゐ》る。|亀彦《かめひこ》は|一目《ひとめ》|見《み》るより|打《う》ち|驚《おどろ》き、
『ヤア|貴神《あなた》は|尊様《みことさま》』
と|一言《ひとこと》|云《い》つたきり|後《あと》は|涙《なみだ》にかき|曇《くも》り、|袖《そで》に|顔《かほ》をば|覆《おほ》ひつつ|暫《しば》しが|間《あひだ》は|平伏《へいふく》|沈黙《ちんもく》を|持続《ぢぞく》し|居《ゐ》たりける。|四十《しじふ》|許《ばか》りの|女《をんな》は|亀彦《かめひこ》の|頭《あたま》を|上《あ》ぐるを|待《ま》ちかねたやうな|調子《てうし》で、
『これはこれは|亀彦《かめひこ》|様《さま》とやら、よく|来《き》て|下《くだ》さいました。|妾《わらは》は|秋山彦《あきやまひこ》の|妻《つま》|紅葉姫《もみぢひめ》と|申《まを》す|者《もの》、|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り|不便《ふべん》の|土地《とち》、お|構《かま》ひも|出来《でき》ませぬが、どうぞ、ゆるりと|御逗留《ごとうりう》|下《くだ》さいませ』
|亀彦《かめひこ》『これはこれは|痛《いた》み|入《い》つたる|御挨拶《ごあいさつ》、|何分《なにぶん》|宜敷《よろし》くお|願《ねが》ひ|致《いた》します。ヤア|貴神《あなた》は|尊様《みことさま》で|御座《ござ》いましたか、|好《よ》うまア|無事《ぶじ》で|居《ゐ》て|下《くだ》さいました。|嬉《うれ》しう|存《ぞん》じます』
|素尊《すそん》『|其《その》|方《はう》は|亀彦《かめひこ》なりしか、|無事《ぶじ》で|先《ま》づ|目出度《めでた》い。|英子姫《ひでこひめ》が|途中《とちう》に|於《おい》て【いかい】お|世話《せわ》になつたさうだナア』
|亀彦《かめひこ》『どう|致《いた》しまして』
|英子姫《ひでこひめ》『|亀彦《かめひこ》さま|貴方《あなた》も|無事《ぶじ》でお|目出度《めでた》う、|妾《わらは》は|今《いま》の|今迄《いままで》お|案《あん》じ|申《まをし》て|居《を》りました、|安心《あんしん》|安心《あんしん》』
と|喜《よろこ》ぶ|折《をり》しも、|門外《もんぐわい》|俄《にはか》に|騒《さわ》がしく|数多《あまた》の|人声《ひとごゑ》、|秋山彦《あきやまひこ》は|慌《あはただ》しく|入《い》り|来《きた》り、
『アヽ|皆様《みなさま》、お|静《しづ》かにして|下《くだ》さいませ、|表《おもて》は|私《わたくし》が|引受《ひきう》けます、|一寸《ちよつと》した|事《こと》が|起《おこ》つて|来《き》ました』
|素尊《すそん》『アハヽヽヽ、|其《その》|方《はう》|好《よ》きに|取計《とりはか》らへ』
|亀彦《かめひこ》『|秋山彦《あきやまひこ》|殿《どの》、|事《こと》が|起《おこ》つたとは|鬼雲彦《おにくもひこ》の|襲来《しふらい》したのでせう、|何卒《どうぞ》|私《わたくし》も|連《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さい、ヤア|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、|日頃《ひごろ》|鍛《きた》へし|言霊《ことたま》の|力《ちから》を|試《ため》すは|今《いま》|此《この》|時《とき》』
と|先《さき》に|立《た》つて|行《ゆ》かむとす。|国武彦《くにたけひこ》は|初《はじ》めて|口《くち》を|開《ひら》き、
『ヤア|亀彦《かめひこ》|暫《しばら》く|待《ま》たれよ、|尊《みこと》の|御許《おゆる》しあるまでは、|一寸《いつすん》も|此《この》|場《ば》を|動《うご》く|事《こと》|罷《まか》りなりませぬぞ』
|亀彦《かめひこ》|右《みぎ》の|手《て》にて|頭《あたま》を|掻《か》きながら、
『ヘエヘエヘヽヽヽヘイ、シシ|仕方《しかた》がありませぬ、ハイ、|鳴《な》るは|鳴《な》るは|此《この》|腕《うで》が、ウンウンと|云《い》つて|仕方《しかた》が|無《な》いワイ』
|一同《いちどう》『アハヽヽヽ、オホヽヽヽ』
(大正一一・四・五 旧三・九 加藤明子録)
第五章 |秋山館《あきやまやかた》〔五九五〕
|高天原《たかあまはら》を|追《やら》はれて |千座《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》はせつつ
|八洲《やしま》の|国《くに》を|漂浪《さすらひ》の |旅《たび》に|出立《いでた》ち|給《たま》ひたる
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の |行衛《ゆくゑ》|如何《いかん》と|案《あん》じつつ
|東《あづま》の|空《そら》を|打眺《うちなが》め |心《こころ》にかかる|村肝《むらきも》の
|雲《くも》の|渦巻《うづまき》サラサラと |晴《は》れて|嬉《うれ》しき|今日《けふ》の|朝《あさ》
|君《きみ》の|便《たよ》りを|菊月《きくづき》の |上九日《かみここのか》の|菊《きく》の|宴《えん》
|親子《おやこ》|主従《しゆじゆう》めぐり|会《あ》ひ |胸《むね》の|岩戸《いはと》も|秋山彦《あきやまひこ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》の|真心《まごころ》に |綾《あや》と|錦《にしき》の|機《はた》を|織《お》る
|赤《あか》き|心《こころ》は|紅葉姫《もみぢひめ》 |万代《よろづよ》|祝《いは》ふ|亀彦《かめひこ》が
|暗《やみ》を|照《て》らして|英子姫《ひでこひめ》 |心地《ここち》もわけて|悦子姫《よしこひめ》
|廻《めぐ》り|会《あ》うたる|折柄《をりから》に |表《おもて》に|聞《きこ》ゆる|鬨《とき》の|声《こゑ》
|忽《たちま》ち|開《ひら》く|表門《おもてもん》 |秋山彦《あきやまひこ》は|立出《たちい》でて
|寄《よ》せ|来《く》る|魔軍《まぐん》に|打向《うちむか》ひ |天《あま》の|数歌《かずうた》|勇《いさ》ましく
|力限《ちからかぎ》りに|宣《の》りつれば |敵《てき》の|人数《にんず》も|大江山《おほえやま》
|鬼雲彦《おにくもひこ》が|部下《てした》|共《ども》 |大地《だいち》にドツと|打倒《うちたふ》れ
|苦《くるし》み|悶《もだ》ゆる|状態《ありさま》は |実《げ》に|面白《おもしろ》き|限《かぎ》りなり
|顔色《かほいろ》|赤《あか》く|目《め》は|青《あを》く |棕櫚《しゆろ》の|赤髪《あかがみ》を|振紊《ふりみだ》し
|六尺《ろくしやく》|計《ばか》りも|踏張《ふんば》つて ノソリノソリと|遣《や》つて|来《く》る
|鬼雲彦《おにくもひこ》が|懐《ふところ》の |刀《かたな》と|頼《たの》む|鬼彦《おにひこ》は
|虎皮《こひ》の|褌《ふんどし》|締《し》め|乍《なが》ら |牛《うし》の|様《やう》なる|角目《つのめ》|立《た》て
|大口《おほぐち》|開《あ》けて|高笑《たかわら》ひ。
|鬼彦《おにひこ》『アハヽヽヽ、|猪口才《ちよこざい》|千万《せんばん》な、|秋山彦《あきやまひこ》が|言霊《ことたま》の|防戦《ばうせん》、|左様《さやう》な|事《こと》でたぢつく|様《やう》な|鬼彦《おにひこ》と|思《おも》うて|居《ゐ》るか。|此方《こちら》には|雲霞《うんか》の|如《ごと》きジヤンジヤヒエールが、|数《かず》|限《かぎ》りもなく|控《ひか》へて|居《ゐ》るぞ。|仮令《たとへ》|汝《なんじ》|獅子王《ししわう》の|勢《いきほひ》あるとも、|此《この》|鬼彦《おにひこ》が|片腕《かたうで》を|揮《ふる》ふや|否《いな》や、|汝《なんぢ》の|身体《からだ》は|木《こ》つ|端《ぱ》|微塵《みじん》、|今日《けふ》は|九月《くぐわつ》|九日《ここのか》、|大江山《おほえやま》の|本城《ほんじやう》に|於《おい》ては、|鬼雲彦《おにくもひこ》の|御大将《おんたいしやう》、バラモンの|大祭典《だいさいてん》を|御執行《ごしつかう》の|贄《いけにへ》として、|神前《しんぜん》に|暖《あたた》かき|人肉《じんにく》を|供《そな》へ、|血《ち》の|酒《さけ》を|献《たてまつ》らねばならぬ。それに|就《つい》ては、バラモン|教《けう》を|目《め》の|敵《かたき》と|狙《ねら》ふ|三五教《あななひけう》の|張本人《ちやうほんにん》、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》|一族《いちぞく》の|者《もの》、|汝《なんぢ》が|館《やかた》に|隠《かく》れ|忍《しの》ぶと|聞《き》く、|四《し》の|五《ご》の|吐《ぬか》さず、|速《すみやか》に|主人《しゆじん》を|吾《わが》|面前《めんぜん》に|引《ひき》ずり|出《いだ》せ。ゴテゴテ|吐《ぬか》さば、それがし|自《みづか》ら|踏《ふ》み|込《こ》みて、|片《かた》つ|端《ぱし》から|腕《うで》を|捻《ね》ぢ、|脚《あし》を|折《を》り、|量《かさ》を|低《ひく》く|致《いた》して|此《この》|網代籠《あじろかご》に|詰《つ》め|込《こ》み、|汝《なんぢ》|諸共《もろとも》|神《かみ》の|神饌《しんせん》に|供《きよう》してくれむ』
と|言《い》ふより|早《はや》く、|秋山彦《あきやまひこ》の|襟首《えりくび》をグツと|握《にぎ》り、|締《し》め|附《つ》けたり。|秋山彦《あきやまひこ》は|豪力無双《がうりきむさう》の|鬼彦《おにひこ》に|捻《ね》ぢ|伏《ふ》せられ|乍《なが》ら、|委細《ゐさい》|構《かま》はず|言霊《ことたま》を|奏上《そうじやう》せむとするや、|手頃《てごろ》の|石《いし》を|拾《ひろ》つて|秋山彦《あきやまひこ》の|口《くち》に|捻《ね》ぢ|込《こ》み、|其《その》|上《うへ》に|猿轡《さるぐつわ》を|啣《は》ませ、
|鬼彦《おにひこ》『アツハヽヽヽ、|最早《もはや》|大丈夫《だいぢやうぶ》だ、サア|秋山彦《あきやまひこ》、|汝《なんぢ》が|唯一《ゆゐいつ》の|武器《ぶき》と|頼《たの》む|言霊《ことたま》も、モウ|斯《こ》うなつては|叶《かな》ふまい。オイ|言霊《ことたま》はどうだい……ヤアヤア|皆《みな》の|者《もの》|共《ども》、|最早《もはや》|心配《しんぱい》は|要《い》らぬ。|速《すみやか》に|立上《たちあが》れ』
と|云《い》ふ|間《ま》もなく、|言霊《ことたま》に|打《う》たれて|苦悶《くもん》し|居《ゐ》たる|部下《ぶか》の|魔神《まがみ》|共《ども》は、やうやう|立上《たちあ》がり、|真《ま》つ|青《さを》な|顔《かほ》に、|空元気《からげんき》を|附《つ》け、ガタガタ|震《ぶる》ひの|空威張《からゐば》り|声《ごゑ》、
『ウワア ウワア』
と|鬨《とき》を|作《つく》つて、|盛《さかん》に|示威《じゐ》|運動《うんどう》を|開始《かいし》するこそ|可笑《をかし》かりける。
|奥《おく》には|糸竹管絃《しちくくわんげん》の|響《ひびき》、|長閑《のどか》な|歌《うた》の|声《こゑ》、|此《この》|場《ば》の|光景《くわうけい》を|知《し》らず|顔《がほ》に|響《ひび》き|渡《わた》りける。|魔軍《まぐん》は|力《ちから》|限《かぎ》りに|鬨《とき》の|声《こゑ》を|揚《あ》げ|呶鳴《どな》り|立《た》て|居《ゐ》たり。|此方《こなた》の|奥殿《おくでん》には、|此《この》|声《こゑ》を|峰《みね》の|嵐《あらし》の|音《おと》と|聞《き》き|流《なが》し|酒宴《しゆえん》の|真最中《まつさいちう》、|慌《あは》ただしく|駆《か》けつけ|来《きた》る|門番《もんばん》の|銀公《ぎんこう》、|加米公《かめこう》はピタリと|両手《りやうて》をつき、|頭《かしら》を|畳《たたみ》に|摺《す》り|附《つ》け|乍《なが》ら、
『|申上《まをしあ》げます、|表門《おもてもん》はタタ|大変《たいへん》で|御座《ござ》います』
|紅葉姫《もみぢひめ》『ヤア|汝《なんぢ》は|加米《かめ》、|銀《ぎん》の|両人《りやうにん》、|大変《たいへん》とは|何事《なにごと》なるぞ。|委曲《つぶさ》に|物語《ものがた》れ』
|加米公《かめこう》『ハイハイ|申上《まをしあ》げます、あのモシ……あの……|何《なん》で|御座《ござ》います。|夫《そ》れは|夫《そ》れは|申上《まをしあ》げ|難《にく》い|事《こと》で……マアマア|大変《たいへん》な|事《こと》が|出来《でき》ました……|斯《こ》う|言《い》へば、|申上《まをしあ》げずとも|大抵《たいてい》、|御判断《ごはんだん》が|附《つ》きませう』
|紅葉姫《もみぢひめ》『|早《はや》くしつかり|申《まを》しなさい』
|加米公《かめこう》『オイ|銀公《ぎんこう》、お|前《まへ》は|上役《うはやく》だ。|詳《くは》しい|事《こと》は、お|前《まへ》が|知《し》つとる|筈《はず》だ。|御主人《ごしゆじん》の|御容子《ごようす》を……』
|銀公《ぎんこう》『ヤア|此方《こちら》は|折悪《をりあし》く|雪隠《せつちん》に|往《い》つて|居《を》つたのだから、|実状《じつじやう》は|承知《しようち》して|居《を》らぬ。|加米《かめ》、|貴様《きさま》は|実地《じつち》|目撃《もくげき》して|居《を》つたのだ。|直《すぐ》に|申上《まをしあ》げぬか』
|加米公《かめこう》『|上役《うはやく》の|分際《ぶんざい》として、|御主人様《ごしゆじんさま》が|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|場合《ばあひ》、|雪隠《せつちん》へ|隠《かく》れよつて、|慄《ふる》うて|居《を》つたぢやないか。|俺《おれ》は|何分《なにぶん》|大勢《おほぜい》の|寄《よ》せ|手《て》に、|肝《きも》を|潰《つぶ》し、|目《め》は|眩《くら》み、|実地《じつち》|目撃《もくげき》|不充分《ふじゆうぶん》、|貴様《きさま》は|安全《あんぜん》|地帯《ちたい》に|身《み》を|隠《かく》し、|雪隠《せんち》の|窓《まど》から|覗《のぞ》いて|居《ゐ》よつたのだ。|早《はや》く|申《まを》さぬと、|御主人様《ごしゆじんさま》の|口《くち》に|石《いし》を|捻《ね》ぢ|込《こ》み、|猿轡《さるぐつわ》を|箝《は》め、|高手小手《たかてこて》に|縛《いま》しめて、|網代籠《あじろかご》に、|手足《てあし》をもぎとり|量《かさ》を|低《ひく》うして、|今日《けふ》の|祭典《まつり》に|大江山《おほえやま》の|本城《ほんじやう》に|連《つ》れ|帰《かへ》り、|犠牲《ぎせい》にするかも|知《し》れぬぞや、|早《はや》く|実地《じつち》を|申《まを》さぬかい』
|銀公《ぎんこう》『ハア|申上《まをしあ》げます。|加米公《かめこう》の|申《まを》した|通《とほ》り、|寸分《すんぶん》|違《ちがひ》は|御座《ござ》いませぬ。|早《はや》く|何々《なになに》をなさらぬと、|鬼彦《おにひこ》が|御主人様《ごしゆじんさま》を|何々《なになに》して、|何々《なになに》へ|何々《なになに》するかも|知《し》れませぬ。どうぞ|一時《いつとき》も|早《はや》く|表門《おもてもん》に|立向《たちむか》ひ、|御主人様《ごしゆじんさま》をお|助《たす》け|下《くだ》さいませ』
|素尊《すそん》『ハヽヽヽヽ』
|国武彦《くにたけひこ》『ヤア|面白《おもしろ》い|事《こと》が|出来《でき》ました。|鬼彦《おにひこ》とやらの|軍勢《ぐんぜい》を、|当館《たうやかた》を|開放《かいはう》し|奥深《おくふか》く|侵入《しんにふ》させて、|彼等《かれら》が|手振《てぶ》り|足振《あしぶ》りを|眺《なが》め|乍《なが》ら、|悠《ゆつ》くりと|菊見《きくみ》の|宴《えん》を|張《は》りませう』
|亀彦《かめひこ》『これはこれは|国武彦《くにたけひこ》の|御言葉《おことば》とも|覚《おぼ》えぬ。|今《いま》|承《うけたま》はれば、|秋山彦《あきやまひこ》は|敵《てき》の|為《ため》に|囚《とら》はれの|身《み》となり、|危機一髪《ききいつぱつ》の|場合《ばあひ》、チツトは|紅葉姫《もみぢひめ》の|御心中《ごしんちう》も|察《さつ》し|上《あ》げねばなりますまい。それだから|此《この》|亀彦《かめひこ》が、|寄《よ》せ|来《く》る|敵《てき》に|向《むか》つて|進《すす》まむと|致《いた》せし|時《とき》、|横合《よこあひ》から|吾《わ》が|行動《かうどう》を|止《と》めさせられたは、|其《その》|意《い》を|得《え》ぬ。|冷淡《れいたん》|至極《しごく》の|貴下《きか》が|振舞《ふるまひ》、|秋山彦《あきやまひこ》を|見殺《みごろ》しになさる|所存《しよぞん》か|返答《へんたふ》|聞《き》かう』
と|目《め》を|怒《いか》らし、|腕《うで》を|張《は》つて|詰《つ》め|寄《よ》せたれば、|国武彦《くにたけひこ》はニツコリしながら、
『|秋山彦《あきやまひこ》の|一人《ひとり》や|二人《ふたり》|犠牲《ぎせい》にした|処《ところ》で、|何《なに》|騒《さわ》ぐ|事《こと》があるか。|一人《ひとり》を|殺《ころ》して|吾々《われわれ》|数人《すうにん》が|助《たす》かると|云《い》ふものだ。|一人《ひとり》を|損《そん》するか、|吾等《われら》|一同《いちどう》を|損《そん》するか、|利害得失《りがいとくしつ》を|能《よ》く|胸《むね》に|手《て》を|当《あ》て、|算段《さんだん》をして|見《み》よ。|情《なさけ》を|棄《す》つるか、|理智《りち》を|棄《す》つるか、|二《ふた》つに|一《ひと》つの|性念場《しやうねんば》だ。|情《なさけ》に|惹《ひ》かされ、|大事《だいじ》を|謬《あやま》る|天下《てんか》の|痴呆者《うつけもの》、|仮令《たとへ》|秋山彦《あきやまひこ》の|三人《さんにん》、|五人《ごにん》|殺《ころ》されようとも、|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》|様《さま》さへ|御無事《ごぶじ》ならば、|吾等《われら》は|是《こ》れにて|満足《まんぞく》|致《いた》す。マアマアゆつくりと、|酒《さけ》でも|飲《の》みて、|今日《けふ》の|酒宴《しゆえん》を|賑《にぎ》やかに|致《いた》せ。|喜悦《よろこび》の|座席《ざせき》に|血腥《ちなまぐさ》い|話《はなし》を|持込《もちこ》まれては、サツパリお|座《ざ》が|醒《さ》める』
|亀彦《かめひこ》『|汝《なんぢ》|国武彦《くにたけひこ》とは|真赤《まつか》な|詐《いつは》り、|大江山《おほえやま》に|現《あら》はれたる、|鬼雲彦《おにくもひこ》が|鬼《おに》の|片腕《かたうで》、|国武彦《くにたけひこ》と|名《な》を|偽《いつは》り、|三五教《あななひけう》に|忍《しの》び|込《こ》み|来《き》たり、|内外《ないぐわい》|相応《あひおう》じ、|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》を|損《そこな》はむとする|者《もの》ならむ、|首途《かどで》の|血祭《ちまつ》り、|亀彦《かめひこ》が|一刀《いつたう》の|下《もと》に|斬《き》りつけ、|蹴散《けち》らかして|呉《く》れむ』
と|短剣《たんけん》ヒラリと|引抜《ひきぬ》いて、|切《き》つて|掛《か》かるを、|国武彦《くにたけひこ》は|少《すこ》しも|騒《さわ》がず、|体《たい》を|左右《さいう》に|躱《かは》し、あしらひ|乍《なが》ら、
『アハヽヽヽヽ、|亀《かめ》の|踊《をどり》は|格別《かくべつ》|面白《おもしろ》う|御座《ござ》る、ヤア|素盞嗚《すさのを》の|大神殿《おほかみどの》、|御愉快《ごゆくわい》では|御座《ござ》らぬか』
『ワハヽヽヽヽ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い』
|亀彦《かめひこ》『|是《こ》れは|怪《け》しからぬ、|利己主義《りこしゆぎ》の|中心《ちうしん》、|個人主義《われよし》の|行方《やりかた》……|高天原《たかあまはら》を|神退《かむやら》ひに|退《やら》はれたは、|寧《むし》ろ|当然《たうぜん》の|成行《なりゆき》、|此《この》|亀彦《かめひこ》は|今迄《いままで》|貴神《きしん》が|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|心中《しんちう》を|知《し》らず、|至善《しぜん》|至美《しび》|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|大神《おほかみ》と|信《しん》じて|居《ゐ》たは|残念《ざんねん》だ。モウ|斯《こ》うなる|上《うへ》は、|天下《てんか》の|為《ため》に|汝《なんぢ》を|滅《ほろぼ》し、|吾《わ》れも|生命《いのち》を|棄《す》てて、|宇宙《うちう》の|悪魔《あくま》を|除《のぞ》かむ』
と|切《き》つて|掛《かか》るを、|英子姫《ひでこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》は|其《その》|前《まへ》に|立塞《たちふさ》がり、
『オホヽヽヽヽあの|亀彦《かめひこ》の|元気《げんき》な|事《こと》、さぞお|草臥《くたびれ》でせう。|妾《わらは》が|代《かは》はつて|一芝居《ひとしばゐ》|致《いた》しませう。マアマアお|休《やす》み|遊《あそ》ばせ』
|紅葉姫《もみぢひめ》は|声《こゑ》を|挙《あ》げて|泣伏《なきふ》しける。
|亀彦《かめひこ》『|是《こ》れは|是《こ》れは|紅葉姫《もみぢひめ》|様《さま》、お|歎《なげ》き|御尤《ごもつと》も、|主人《しゆじん》の|災難《さいなん》を|聞《き》き|乍《なが》ら、|女房《にようばう》として|此《こ》れがどう|忍《しの》ばれませう。あかの|他人《たにん》の|亀彦《かめひこ》さへも、|残念《ざんねん》で|残念《ざんねん》で|堪《たま》りませぬワイ。|斯《こ》う|云《い》ふ|時《とき》に|助《たす》けて|貰《もら》はうと|思《おも》つて、|秋山彦《あきやまひこ》が|日頃《ひごろ》の|親切《しんせつ》、イヤモウ|気楽《きらく》|千万《せんばん》な|素盞嗚《すさのを》の|御大将《おんたいしやう》|呆《あき》れ|蛙《がへる》の|面《つら》の|水《みづ》と|申《まを》さうか、|馬耳東風《ばじとうふう》と|言《い》はうか、|味方《みかた》の|危難《きなん》を|対岸《たいがん》の|火災視《くわさいし》し、|一臂《いつぴ》の|力《ちから》も|添《そ》へざるのみか、|愉快気《ゆくわいげ》に|酒《さけ》を|飲《の》むで|戯《たは》むれむとするは、|人情《にんじやう》|軽薄《けいはく》|紙《かみ》の|如《ごと》く、イヤもう|実《じつ》に|呆《あき》れ|果《は》てて|御座《ござ》る。サア|紅葉姫《もみぢひめ》|殿《どの》、|斯《か》かる|連中《れんぢう》に|斟酌《しんしやく》なく、|亀彦《かめひこ》と|共《とも》に|表《おもて》へ|駆《か》け|出《だ》し、|秋山彦《あきやまひこ》が|弔戦《とむらひいくさ》、|此《この》|細腕《ほそうで》の|続《つづ》かむ|限《かぎ》り、|剣《つるぎ》の|目釘《めくぎ》の|続《つづ》く|丈《だけ》、|縦横無尽《じうわうむじん》に|斬《き》り|立《た》て、|薙《な》ぎ|立《た》て、|敵《てき》の|奴輩《やつばら》|一人《ひとり》も|残《のこ》さず、|秋《あき》の|紅葉《もみぢ》を|散《ち》らせし|如《ごと》く、|大地《だいち》を|血汐《ちしほ》に|染《そ》めなし、|血河屍山《けつかしざん》の|大活動《だいくわつどう》を|仕《つかまつ》らう、|紅葉姫《もみぢひめ》、サア|亀彦《かめひこ》に|続《つづ》かせ|給《たま》へ』
と|表《おもて》を|指《さ》して|行《ゆ》かむとす。|英子姫《ひでこひめ》は|腰《こし》の|紐帯《ひもおび》を|取《と》るより|早《はや》く、|亀彦《かめひこ》が|首《くび》にヒラリと|打《うち》かけ、グイと|引戻《ひきもど》せば、|亀彦《かめひこ》は|細紐《ほそひも》に|喉笛《のどぶえ》を|締《し》められ、|脆《もろ》くも|仰向《あふむけ》に|其《その》|場《ば》にパタリと|倒《たふ》れたり。|表《おもて》に|聞《きこ》ゆる|人声《ひとごゑ》は、|刻々《こくこく》に|館《やかた》の|奥《おく》を|目蒐《めが》けて|近《ちか》づき|来《きた》る。
|紅葉姫《もみぢひめ》は、
|心《こころ》も|魂《たま》も|捧《ささ》げたる |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》に
|力《ちから》の|限《かぎ》り|身《み》の|限《かぎ》り |仕《つか》へまつるか|但《ただ》し|又《また》
|此《この》|場《ば》を|棄《す》てて|吾《わが》|夫《つま》の |秋山彦《あきやまひこ》を|救《すく》はむか。
|神命《しんめい》は|重《おも》し|又《また》|夫《をつと》の|身《み》の|上《うへ》は、|妻《つま》の|身《み》として|坐視《ざし》するに|忍《しの》びず、|千思万慮《せんしばんりよ》とつおいつ、|心《こころ》の|中《うち》を|紅葉姫《もみぢひめ》、|顔《かほ》に|散《ち》らした|唐紅《からくれなゐ》の|血汐《ちしほ》|漲《みなぎ》る|鬨《とき》の|声《こゑ》、|胸《むね》はドキドキ、|刻々《こくこく》に、|近付《ちかづ》き|来《きた》る|敵《てき》の|勢《ぜい》、|姫《ひめ》が|心《こころ》ぞ|憐《あは》れなる。
|此《この》|場《ば》に|近付《ちかづ》き|来《きた》るかと|聞《きこ》えし|声《ごゑ》は、|何時《いつ》しか|消《き》えて|跡《あと》なき|小春空《こはるぞら》、|秋山彦《あきやまひこ》は|悠然《いうぜん》と|騒《さわ》がず、|遽《あせ》らず、|奥《おく》の|間《ま》|指《さ》して|帰《かへ》り|来《く》る。|亀彦《かめひこ》、|紅葉姫《もみぢひめ》の|両人《りやうにん》は、|余《あま》りの|嬉《うれ》しさに、ハツと|胸《むね》|逼《せま》り、ものをも|言《い》はず、|其《その》|場《ば》に|打倒《うちたふ》れ、|夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|幻《まぼろし》かと、|吾《われ》と|吾《わ》が|心《こころ》を|疑《うたが》ひ、|思案《しあん》に|時《とき》を|移《うつ》すのみ。|国武彦《くにたけひこ》は|立《た》ちあがり、
『|亀彦《かめひこ》、|紅葉姫《もみぢひめ》、|心配《しんぱい》|致《いた》すな。|吾等《われら》が|眷族《けんぞく》|鬼武彦《おにたけひこ》をして、|鬼雲彦《おにくもひこ》の|悪逆無道《あくぎやくぶだう》を|懲《こら》す|為《ため》|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|神術《かむわざ》を|用《もち》ひ、|敵《てき》の|本城《ほんじやう》に|忍《しの》ばせたれば、|少《すこ》しも|案《あん》ずる|事《こと》|勿《なか》れ』
と|始《はじ》めて|事情《じじやう》を|打明《うちあ》けたるにぞ、|亀彦《かめひこ》、|紅葉姫《もみぢひめ》は、
『ハヽア、ハツ』
と|計《ばか》りに|嬉《うれ》し|泣《な》き、|暫《しば》しは|顔《かほ》を|得上《えあ》げざりしが、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》は|亀彦《かめひこ》に|向《むか》ひ、
『ヤア|亀彦《かめひこ》、|汝《なんぢ》が|心《こころ》の|中《うち》の|美《うる》はしさ、|吾《わ》れは|満足《まんぞく》|致《いた》したぞよ、イザ|是《こ》れより|賑々《にぎにぎ》しく|酒宴《しゆえん》を|催《もよほ》し、|大江山《おほえやま》の|本城《ほんじやう》は|彼等《かれら》|眷族《けんぞく》に|打任《うちまか》せ、|吾々《われわれ》|一行《いつかう》は|由良《ゆら》の|湊《みなと》より|船《ふね》に|乗《の》り|綾《あや》の|高天原《たかま》に|進《すす》まむ』
と|宣示《せんじ》し|給《たま》へば、|亀彦《かめひこ》は|勇《いさ》み|立《た》ち、
|亀彦《かめひこ》『アヽ、ハツハヽヽヽ|芽出《めで》たし|芽出《めで》たし、|愈《いよいよ》|是《こ》れより|大神《おほかみ》の|御伴《おとも》|致《いた》し、|聖地《せいち》を|指《さ》して|逸早《いちはや》く|進《すす》み|上《のぼ》り、|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|基《もとい》を|開《ひら》かむ、ヤア|秋山彦《あきやまひこ》、|紅葉姫《もみぢひめ》、お|喜《よろこ》びあれ。|貴下《きか》が|誠忠《せいちう》、|至誠《しせい》、|至愛《しあい》の|真心《まごころ》|天地《てんち》に|通《つう》じたり。|併《しか》し|乍《なが》ら|吾々《われわれ》|一同《いちどう》|当家《たうけ》を|去《さ》らば、|再《ふたた》び|大江山《おほえやま》より|鬼雲彦《おにくもひこ》の|部下《ぶか》の|者《もの》、|又《また》もや|押《お》し|寄《よ》せ|来《きた》るも|計《ばか》り|難《がた》し、|随分《ずゐぶん》|心《こころ》を|附《つ》け|召《め》されよ』
|秋山彦《あきやまひこ》|夫婦《ふうふ》は|涙《なみだ》を|揮《ふる》ひ、
『|何《なに》から|何《なに》まで、|貴下《あなた》の|御親切《ごしんせつ》、|骨身《ほねみ》に|徹《てつ》して|辱《かたじけ》なう|存《ぞん》じます。|併《しか》し|乍《なが》ら|吾等《われら》は|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の|御守《おまも》りあれば、|必《かなら》ず|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな、|一時《いちじ》も|早《はや》く|聖地《せいち》を|指《さ》して|御上《おのぼ》り|下《くだ》され。|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|基礎《きそ》を|樹立《じゆりつ》する|為《ため》、|御奮励《ごふんれい》の|程《ほど》|偏《ひとへ》に|希《こひねが》ひ|上《あ》げ|奉《たてまつ》る』
と|慇懃《いんぎん》に|謝辞《しやじ》を|述《の》べける。
|素尊《すそん》『ヤア|秋山彦《あきやまひこ》|夫婦《ふうふ》、|多大《いか》いお|世話《せわ》になりしよ。|我《わ》れは|是《これ》より|一先《ひとま》づ|聖地《せいち》に|立向《たちむか》ひ、|天下《てんか》の|悪神《あくがみ》を|掃蕩《さうたう》すべき|準備《じゆんび》をなさむ、|船《ふね》の|用意《ようい》を|致《いた》せ』
|秋山彦《あきやまひこ》『ハハア|委細《ゐさい》|承知《しようち》|仕《つかまつ》りました。……|銀公《ぎんこう》、|加米公《かめこう》、|汝《なんぢ》は|一時《いちじ》も|早《はや》く|湊《みなと》に|出《い》で、|御船《みふね》の|用意《ようい》にかかれ』
|銀公《ぎんこう》『ハヽア|委細《ゐさい》|承知《しようち》|仕《つかまつ》りました。|併《しか》し|乍《なが》ら|船《ふね》は|敵軍《てきぐん》の|為《ため》に|殆《ほとん》ど|占領《せんりやう》せられたるやも|計《はか》られませぬ。|万々一《まんまんいち》|船《ふね》なき|時《とき》は、|如何《いかが》|取計《とりはか》らひませうや』
|秋山彦《あきやまひこ》|双手《もろて》を|組《く》み|頭《かうべ》を|傾《かたむ》け|思案《しあん》にくるるを、|国武彦《くにたけひこ》は、
『ナニ|心配《しんぱい》に|及《およ》ばぬ、|御船《みふね》は|残《のこ》らず|国武彦《くにたけひこ》が|眷属《けんぞく》を|以《もつ》て|守《まも》らせあれば|大丈夫《だいぢやうぶ》なり。|安心《あんしん》|致《いた》せ。|且《かつ》|又《また》|当邸《たうてい》の|周囲《しうゐ》には、|最早《もはや》|敵《てき》の|片影《へんえい》だもなし、|勇《いさ》み|出船《しゆつせん》の|用意《ようい》をせよ』
|銀公《ぎんこう》、|加米公《かめこう》は、
『ハイ』
と|答《こた》へて|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》りぬ。|又《また》もや|糸竹管絃《しちくくわんげん》の|響《ひびき》は|屋外《をくぐわい》に|洩《も》るる|陽気《やうき》と|一変《いつぺん》したりけり。
|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》は|突立《つつたち》|上《あが》り、|声《こゑ》も|涼《すず》しく|歌《うた》はせ|給《たま》ひぬ。
『|高天原《たかあまはら》を|立出《たちい》でて |四方《よも》の|国々《くにぐに》|島々《しまじま》を
|世人《よびと》を|助《たす》け|守《まも》らむと |彼方《あちら》こちらと|漂浪《さすらひ》の
|旅《たび》を|重《かさ》ねて|西蔵《チベツト》や フサの|荒野《あらの》を|打渡《うちわた》り
ウブスナ|山《さん》に|立籠《たてこも》り イソ|山峠《やまたうげ》の|絶頂《ぜつちやう》に
|仮《かり》の|館《やかた》を|構《かま》へつつ |熊野樟毘命《くまのくすびのみこと》をば
|留守居《るすゐ》の|神《かみ》と|定《さだ》めおき |我《わ》れは|悲《かな》しき|隠《かく》れ|身《み》の
|愛《いと》しき|娘《むすめ》は|四方八方《よもやも》に |四鳥《してう》の|別《わか》れ|釣魚《てうぎよ》の|涙《なみだ》
|憂《うき》を|重《かさ》ねてやうやうに |渡《わた》りて|来《きた》る|和田《わだ》の|原《はら》
|醜《しこ》の|曲津《まがつ》も|大江山《おほえやま》 |鬼雲彦《おにくもひこ》を|言向《ことむ》けて
|世人《よびと》の|悩《なや》みを|救《すく》はむと |船《ふね》に|揺《ゆ》られて|由良湊《ゆらみなと》
|心《こころ》も|赤《あか》き|秋山彦《あきやまひこ》の |館《やかた》に|暫《しば》し|身《み》を|休《やす》め
|四方《よも》の|国形《くにがた》|伺《うかが》へば |十里《じふり》|四方《しはう》は|宮《みや》の|内《うち》
|内《うち》と|外《そと》との|境《さかひ》なる |大江《おほえ》の|山《やま》にバラモンの
|神《かみ》の|司《つかさ》の|鬼雲彦《おにくもひこ》が |又《また》もや|砦《とりで》を|築《きづ》きつつ
|醜《しこ》の|荒《すさ》びの|最中《さいちう》に |訪《たづ》ねて|来《きた》る|艮《うしとら》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|分霊《わけみたま》 |国武彦《くにたけひこ》と|現《あら》はれて
|我《わ》れに|附添《つきそ》ひ|右左《みぎひだり》 |前《まへ》や|後《うしろ》を|構《かま》ひつつ
|鬼武彦《おにたけひこ》の|伊猛《いたけ》るの |神《かみ》に|従《したが》ふ|白狐《びやくこ》|共《ども》
|暗夜《やみよ》を|照《て》らす|朝日子《あさひこ》や |月日明神《つきひみやうじん》|神徳《しんとく》も
|高倉《たかくら》|稲荷《いなり》の|活動《はたらき》に |悩《なや》ませられて|悪神《あくがみ》は
|愈《いよいよ》|今日《けふ》は|運《うん》の|尽《つき》 |月《つき》に|村雲《むらくも》|花《はな》に|風《かぜ》
|心《こころ》の|錦《にしき》|秋山彦《あきやまひこ》の |神《かみ》の|司《つかさ》の|真心《まごころ》は
|紅葉《もみぢ》の|姫《ひめ》の|如《ごと》くなり |光《ひかり》|眩《まば》ゆき|英子姫《ひでこひめ》
すべての|用意《ようい》も|悦子姫《よしこひめ》 |万代《よろづよ》|固《かた》むる|亀彦《かめひこ》が
|忠義《ちうぎ》の|刃《やいば》|研《と》ぎすまし さしもに|猛《たけ》き|曲神《まがかみ》を
|言向和《ことむけやは》すは|目前《まのあたり》 |吁《あゝ》、|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し
さはさりながら|神心《かみごころ》 |凡《すべ》ての|敵《てき》を|救《すく》はむと
|善《ぜん》をば|助《たす》け|曲神《まがかみ》を |懲《こら》して|救《すく》ふ|神《かみ》の|道《みち》
|青垣山《あをがきやま》を|繞《めぐ》らせる |天津神籬《あまつひもろぎ》|磐境《いはさか》と
|現《あら》はれませる|世継王山《よつわうざん》 |深《ふか》き|仕組《しぐみ》を|暫《しばら》くは
|雲《くも》に|包《つつ》みて|弥仙山《みせんざん》 |本宮山《ほんぐうやま》に|現《あら》はれて
はちすの|山《やま》の|蓮華台《れんげだい》 |三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》を
|常磐堅磐《ときはかきは》に|搗固《つきかた》め |鬼《おに》も|大蛇《をろち》も|丸山《まるやま》の
|神《かみ》の|稜威《みいづ》に|桶伏《をけぶせ》や |汚《けが》れを|流《なが》す|由良《ゆら》の|川《かは》
|言霊《ことたま》|響《ひび》く|五十鈴川《いすずがは》 |曲《まが》の|健《たけ》びは|音無瀬《おとなせ》の
|水《みづ》に|流《なが》して|清《きよ》め|行《ゆ》く |科戸《しなど》の|風《かぜ》の|福知山《ふくちやま》
めぐりて|此処《ここ》に|鬼城山《きじやうざん》 |鬼《おに》も|悪魔《あくま》も|無《な》き|世《よ》ぞと
|治《をさ》むる|御代《みよ》こそ|楽《たの》しけれ |治《をさ》むる|御代《みよ》こそ|楽《たの》しけれ』
|国武彦《くにたけひこ》は|立《た》ちあがり|歌《うた》ひけり。その|歌《うた》、
『|宇宙《うちう》を|造《つく》り|固《かた》めたる |大国治立神《おほくにはるたちのかみ》の|裔《すゑ》
|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》と |綾《あや》の|高天原《たかま》に|現《あら》はれて
|天地《てんち》の|律法《りつぱう》|制定《せいてい》し |天地《てんち》を|浄《きよ》め|照《てら》さむと
|思《おも》ひし|事《こと》も|水《みづ》の|泡《あわ》 |天足《あだる》の|彦《ひこ》や|胞場姫《えばひめ》の
|邪気《じやき》より|成《な》れる|鬼《おに》|大蛇《をろち》 |醜《しこ》の|狐《きつね》や|悪神《わるがみ》の
|荒《すさ》びの|息《いき》は|四方《よも》の|国《くに》 |充塞《みちふさ》がりて|月《つき》も|日《ひ》も
|光《ひかり》|失《うしな》ひ|山河《やまかは》や |木草《きくさ》の|果《は》てに|至《いた》るまで
|所得《ところえ》ずしてサワサワに |騒《さわ》ぎ|烈《はげ》しき|醜《しこ》の|風《かぜ》
|誠《まこと》|嵐《あらし》の|吹《ふ》き|荒《すさ》び |日《ひ》の|稚宮《わかみや》に|坐《ま》しませる
|日《ひ》の|大神《おほかみ》の|思召《おぼしめ》し |根底《ねそこ》の|国《くに》に|退《やら》はれて
|百千万《ももちよろづ》の|苦《くる》しみを |嘗《な》め|尽《つく》したる|身《み》の|果《は》ては
|野立彦《のだちひこ》の|神《かみ》と|現《あら》はれて |天教山《てんけうざん》を|胞衣《えな》となし
|猛火《まうくわ》の|中《なか》を|出入《しゆつにふ》し |此《この》|世《よ》を|守《まも》る|我《わ》が|身魂《みたま》
|世《よ》を|艮《うしとら》の|神国《しんこく》と |鳴《な》り|響《ひび》きたる|中津国《なかつくに》
|自転倒島《おのころじま》の|中央《まんなか》に |姿《すがた》|隠《かく》して|今《いま》は|早《はや》
|国武彦《くにたけひこ》となり|下《さが》り |五六七《みろく》の|御代《みよ》の|来《きた》る|迄《まで》
|心《こころ》を|尽《つく》し|守《まも》らむと |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》と|諸共《もろとも》に |愈《いよいよ》|此処《ここ》に|厳御霊《いづみたま》
|三《みづ》と|五《いづ》との|組合《くみあは》せ |八洲《やしま》の|国《くに》を|三五《あななひ》の
|教《をしへ》の|則《のり》に|治《をさ》めむと |心《こころ》|尽《つく》しの|益良夫《ますらを》が
|花《はな》|咲《さ》く|春《はる》を|松《まつ》の|世《よ》の |松《まつ》の|緑《みどり》に|花《はな》が|咲《さ》き
|一度《いちど》に|開《ひら》く|白梅《しらうめ》の |花《はな》の|香《かをり》を|天地《あめつち》に
|揚《あ》ぐる|時《とき》こそ|待《ま》たれける |我《われ》は|是《これ》より|世継王《よつわう》の
|山《やま》の|麓《ふもと》に|身《み》を|忍《しの》び |弥勒《みろく》の|御代《みよ》の|魁《さきがけ》を
|勤《つと》むる|艮《うしとら》|金《かね》の|神《かみ》 |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》は
|一旦《いつたん》|聖地《せいち》に|現《あら》はれて |三五教《あななひけう》の|礎《いしずゑ》を
|築固《つきかた》めたる|其《その》|上《うへ》に |又《また》もや|海原《うなばら》|打渡《うちわた》り
|大地《だいち》|隈《くま》なく|言向《ことむ》けて |五六七《みろく》の|御代《みよ》の|魁《さきがけ》を
|開《ひら》く|神業《みわざ》に|真心《まごころ》を |注《そそ》がせ|給《たま》ふ|瑞御霊《みづみたま》
|三五《さんご》の|月《つき》のキラキラと |明《あか》き|神代《かみよ》を|望《もち》の|夜《よ》の
|月《つき》より|丸《まる》く|治《をさ》めませ |治《をさ》まる|御代《みよ》は|日《ひ》の|本《もと》の
|誠《まこと》|一《ひと》つの|光《ひかり》なり |誠《まこと》|一《ひと》つの|光《ひかり》なり』
|英子姫《ひでこひめ》は|立上《たちあが》り、
『|父大神《ちちおほかみ》の|御言《みこと》もて |妾《わらは》|姉妹《おとどひ》|八乙女《やおとめ》は
|豊葦原《とよあしはら》の|中津国《なかつくに》 メソポタミヤの|顕恩《けんおん》の
|郷《さと》に|籠《こも》れる|曲神《まがかみ》の |鬼雲彦《おにくもひこ》を|平《たひら》げて
|三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|道《みち》 |八洲《やしま》の|国《くに》に|照《てら》さむと
|思《おも》ふ|折《をり》しも|曲神《まがかみ》が |醜《しこ》の|企《たく》みの|捨小船《すてをぶね》
|波《なみ》のまにまに|流《なが》されて |流《なが》す|涙《なみだ》も|海《うみ》の|上《うへ》
|荒《あら》き|汐路《しほぢ》を|踏《ふ》み|分《わ》けて やうやう|此処《ここ》に|揺《ゆ》られつつ
|由良《ゆら》の|湊《みなと》に|来《き》て|見《み》れば |秋山彦《あきやまひこ》が|真心《まごころ》に
|妾等《われら》|二人《ふたり》は|照《てら》されて |心《こころ》の|暗《やみ》も|晴《は》れわたる
|斯《かか》る|浮世《うきよ》に|鬼《おに》|無《な》しと |世人《よびと》は|言《い》へど|大江山《おほえやま》
|鬼《おに》の|棲家《すみか》のいと|近《ちか》く |人《ひと》の|生血《いきち》を|絞《しぼ》り|喰《く》ふ
|此《この》|有様《ありさま》を|聞《き》き|乍《なが》ら どうして|此《この》|場《ば》を|去《さ》られうか
|父大神《ちちおほかみ》や|国武彦《くにたけひこ》の |神《かみ》の|命《みこと》の|出立《いでたち》は
|是非《ぜひ》に|及《およ》ばず|然《さ》り|乍《なが》ら |妾《わらは》は|後《あと》に|残《のこ》り|居《ゐ》て
|鬼雲彦《おにくもひこ》の|一類《いちるゐ》を |言向和《ことむけやわ》し|世《よ》の|中《なか》の
|醜《しこ》の|災禍《わざはひ》|根《ね》を|絶《た》ちて |聖地《せいち》に|進《すす》むも|遅《おそ》からじ
|許《ゆる》させ|給《たま》へ|父《ちち》の|神《かみ》 |国武彦《くにたけひこ》の|大神《おほかみ》よ
|偏《ひとへ》に|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る |偏《ひとへ》に|拝《をが》み|奉《たてまつ》る』
と|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|二神《にしん》に|向《むか》つて|拝礼《はいれい》し、|涙《なみだ》と|共《とも》に|頼《たの》み|入《い》る。
|国武彦《くにたけひこ》『|英子姫《ひでこひめ》の|願《ねがひ》、|一応《いちおう》|尤《もつと》もなれども、|多寡《たくわ》が|知《し》れたる|鬼雲彦《おにくもひこ》が|一派《いつぱ》、|何《なん》の|恐《おそ》るる|事《こと》かあらむ。|神力《しんりき》|無限《むげん》の|鬼武彦《おにたけひこ》をして、|彼《か》れ|悪神《わるがみ》が|征討《せいたう》に|向《むか》はせたれば|安心《あんしん》あれ、サアサア|一時《いちじ》も|早《はや》く|聖地《せいち》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》かむ。|躊躇《ちうちよ》に|及《およ》ばば、|鬼雲彦《おにくもひこ》が|一派《いつぱ》|鬼掴《おにつかみ》の|眷属《けんぞく》|共《ども》、|我等《われら》が|到着《たうちやく》に|先立《さきだ》ち、|聖地《せいち》を|穢《けが》すの|虞《おそれ》あり、イザ|早《はや》く……』
と|急《せ》き|立《た》つれば、|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》は、|装束《しやうぞく》|整《ととの》へ、|一行《いつかう》と|共《とも》に|悠然《いうぜん》として|此《この》|家《や》を|立出《たちい》で、|由良《ゆら》の|湊《みなと》の|渡船場《とせんば》、|世継王丸《よつわうまる》に|身《み》を|任《まか》せ、|折《をり》から|吹《ふ》き|来《く》る|北風《きたかぜ》に|真帆《まほ》を|孕《はら》ませ、|悠々《いういう》と|河瀬《かはせ》を|溯《さかのぼ》り|給《たま》ふこそ|尊《たふと》けれ。
(大正一一・四・一四 旧三・一八 於瑞祥閣 松村真澄録)
第六章 |石槍《いしやり》の|雨《あめ》〔五九六〕
|大空《おほぞら》|碧《あを》く|澄《す》み|渡《わた》り |山河《やまかは》|清《きよ》くさやかにて
|静《しづ》かに|流《なが》るる|和知《わち》の|川《かは》 |枝《えだ》も|鳴《な》らさぬ|音無瀬《おとなせ》の
|川《かは》の|流《なが》れは|緩《ゆる》やかに |幾千丈《いくせんぢやう》の|青絹《あをぎぬ》を
|流《なが》すが|如《ごと》くゆらゆらと |水瀬《みなせ》も|深《ふか》き|由良《ゆら》の|川《かは》
|神代《かみよ》も|廻《めぐ》り|北《きた》の|風《かぜ》 |真帆《まほ》を|膨《ふく》らせ|登《のぼ》り|来《く》る
|深《ふか》き|恵《めぐみ》を|河守駅《かうもりえき》や |河《かは》の|中央《なかば》に|立《た》ち|岩《いは》の
|関所《せきしよ》を|越《こ》えて|漸《やうや》うに |足許《あしもと》|早《はや》き|長谷《はせ》の|川《かは》
|水《みづ》の|落合《おちあひ》|右左《みぎひだり》 |左手《ゆんで》に|向《むか》ひ|舵《かぢ》をとり
|上《のぼ》る|河路《かはぢ》も|長砂《ながすな》や |幾多《いくた》の|村《むら》の|瀬《せ》を|越《こ》えて
|此処《ここ》は|聖地《せいち》と|白瀬橋《しらせばし》 |下《した》を|潜《くぐ》つて|上《のぼ》り|来《く》る
|臥竜《ぐわりよう》の|松《まつ》の|川水《かはみづ》に |枝《えだ》を|浸《ひた》して|魚《うを》|躍《をど》り
|月《つき》は|梢《こづゑ》に|澄《す》み|渡《わた》る |向方《むかう》に|見《み》ゆるは|稲山《いねやま》か
|丹波《たんば》の|富士《ふじ》と|聞《きこ》えたる |弥仙《みせん》の|山《やま》は|雲表《うんぺう》に
|聳《そび》えて|立《た》てる|雄々《をを》しさよ |敵《てき》も|無《な》ければ|味方郷《みかたがう》
|味方平《みかただひら》に|船《ふね》|留《と》めて |四方《よも》の|国形《くにがた》|眺《なが》むれば
|青垣山《あをがきやま》を|繞《めぐ》らせる |下津岩根《したついはね》の|竜宮館《りうぐうやかた》
|此処《ここ》は|名《な》におふ|小亜細亜《せうアジア》 |地上《ち》の|高天《たかあま》と|聞《きこ》えたる
|昔《むかし》の|聖地《せいち》ヱルサレム |橄欖山《かんらんざん》や|由良《ヨルダン》の
|景色《けしき》に|勝《まさ》る|聖地《せいち》なり。
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》、|国武彦命《くにたけひこのみこと》|其《その》|他《た》|三人《さんにん》は、|桶伏山《をけふせやま》の|蓮華台上《れんげだいじやう》に|登《のぼ》らせ|給《たま》ひ、|天神地祇《てんしんちぎ》|八百万《やほよろづ》の|神《かみ》を|神集《かむつど》へに|集《つど》へ|給《たま》へば、|命《みこと》の|清《きよ》き|言霊《ことたま》に|先《さき》を|争《あらそ》ひ|寄《よ》り|来《く》る|百《もも》の|神等《かみたち》、|処《ところ》|狭《せま》きまで|集《あつ》まりて、|皇大神《すめおほかみ》の|出《い》でましを、|祝《いは》ひ|寿《ことほ》ぐ|有様《ありさま》は、|蓮花《はちすのはな》の|一時《いつとき》に、|開《ひら》き|初《そ》めたる|如《ごと》くなり。
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》は、|国武彦命《くにたけひこのみこと》に|何事《なにごと》か、|密《ひそか》に|依《よ》さし|給《たま》ひ、ミロク|神政《しんせい》の|暁《あかつき》|迄《まで》|三十五万年《さんじふごまんねん》の|其《その》|後《のち》に|再会《さいくわい》を|約《やく》し、|忽《たちま》ち|来《きた》る|丹頂《たんちやう》の|鶴《つる》にヒラリと|跨《またが》り、|中空《ちうくう》|高《たか》く|東《ひがし》を|指《さ》して|飛《と》び|去《さ》り|給《たま》ふ。|国武彦命《くにたけひこのみこと》は|亀彦《かめひこ》を|始《はじ》め、|英子姫《ひでこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》に|何事《なにごと》か|囁《ささや》き|乍《なが》ら|万司《ばんしん》に|向《むか》ひ|厳格《げんかく》なる|神示《しんじ》を|与《あた》へ、|茲《ここ》に|別《わか》れて|只一柱《ただひとはしら》、|四王《よつわう》の|峰《みね》の|彼方《あなた》に|雄々《をを》しき|姿《すがた》を|隠《かく》したまひける。
|後《あと》に|残《のこ》されし|一男二女《いちなんにぢよ》の|宣伝使《せんでんし》は|二神《にしん》の|依《よ》さしの|神言《かみごと》を|心《こころ》の|底《そこ》に|秘《ひ》め|置《お》きて、|又《また》もや|此処《ここ》を|立《た》ち|出《い》でて、|大江《おほえ》の|山《やま》を|目蒐《めが》けて、いそいそ|進《すす》み|行《ゆ》く。|嗟《ああ》|此《こ》の|山上《さんじやう》の|五柱《いつはしら》は、|如何《いか》なる|神策《しんさく》を|提議《ていぎ》されしぞ。|神界《しんかい》の|秘密《ひみつ》|容易《ようい》に|窺知《きち》すべからず、|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも、|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ、|誠《まこと》の|神《かみ》が|出現《しゆつげん》し|再《ふたた》びミロクの|御代《みよ》となり、|世界《せかい》|悉《ことごと》く|其《その》|堵《と》に|安《やす》むじて、|天地《てんち》の|神《かみ》の|恵《めぐ》みを|寿《ことほ》ぎ、|喜《よろこ》び、|勇《いさ》む|尊《たふと》き|神代《かみよ》の|来《きた》るまで、|云《い》うてはならぬ|神《かみ》の|道《みち》、|言《い》ふに|言《い》はれぬ|此《この》|仕組《しぐみ》、|坊子頭《ぼうずあたま》か、|禿頭《はげあたま》、|頭《あたま》かくして|尻尾《しつぽ》の|先《さき》を|些《すこ》し|許《ばか》り|述《の》べて|置《お》く。もとより|物語《ものがたり》する|王仁《おに》も、|筆《ふで》|執《と》る|人《ひと》も|聞《き》く|人《ひと》も、|何《なん》だか|拍子《へうし》の|抜《ぬ》けたやうな|心《こころ》いぶせき|物語《ものがたり》、|今《いま》は|包《つつ》みてかく|言《い》ふになむ。
|秋山彦《あきやまひこ》の|門前《もんぜん》に|数多《あまた》の|魔人《まびと》を|引連《ひきつ》れて、|現《あら》はれ|出《い》でたる|鬼彦《おにひこ》は、|第一着《だいいちちやく》に|秋山彦《あきやまひこ》の|口《くち》に|石《いし》を|捻込《ねぢこ》み、|猿轡《さるぐつわ》を|箝《は》ませ、|高手小手《たかてこて》に|縛《いまし》め|置《お》き、|尚《なほ》も|進《すす》みて|奥殿《おくでん》|深《ふか》く、|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》を|始《はじ》め、|国武彦《くにたけひこ》、|紅葉姫《もみじひめ》、|英子姫《ひでこひめ》、|亀彦《かめひこ》|諸共《もろとも》、|高手小手《たかてこて》に|踏《ふ》ン|縛《じば》り、|勝鬨《かちどき》あげて|悠々《いういう》と|大江山《おほえやま》の|本城《ほんじやう》を|指《さ》して|勇《いさ》み|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|千歳《ちとせ》の|老松《らうしよう》|生茂《おひしげ》れる|山道《やまみち》を、|網代《あじろ》の|駕籠《かご》を|舁《か》つぎながら、|川《かは》を|飛《と》び|越《こ》え|岩間《いはま》を|伝《つた》ひ、やつと|出《で》て|来《き》た|魔窟ケ原《まくつがはら》、|一同《いちどう》|網代《あじろ》の|駕籠《かご》を|下《お》ろし|周囲《あたり》の|岩《いは》に|腰《こし》|打《う》ち|掛《か》け、|息《いき》を|休《やす》めながら|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》る。
|甲《かふ》『オイ|鬼虎《おにとら》、|貴様《きさま》は|竜灯松《りうとうまつ》の|根本《ねもと》に|於《おい》て、さしも|強敵《きやうてき》なる|二人《ふたり》の|女《をんな》に【ちやつちや】、【もちやく】にせられ、|鬼雲彦《おにくもひこ》の|御大将《おんたいしやう》に|目《め》から|火《ひ》の|出《で》るやうなお|目玉《めだま》を|頂戴《ちやうだい》|致《いた》して|真青《まつさを》になり、|縮上《ちぢみあが》つて|居《ゐ》よつたが、|何《ど》うだい、|今日《けふ》は|大《おほ》きな|顔《かほ》をして|帰《かへ》れるだらう、|帰《かへ》つたら|一《ひと》つ|奢《おご》らにやなるまいぞ』
|鬼虎《おにとら》『オヽさうだ、|熊鷹《くまたか》、|貴様《きさま》らも|同《おな》じ|事《こと》だ、あの|時《とき》の|態《ざま》つたら|見《み》られたものぢやなかつたよ。|何分《なにぶん》|此《この》|方様《はうさま》の|御命令《ごめいれい》|通《どほ》り|服従《ふくじゆう》せないものだから、ハーモニイ|的《てき》|行動《かうどう》を|欠《か》いだ|為《た》めに|思《おも》はぬ|失敗《しつぱい》を|演《えん》じたのだ。それにしても|慎《つつし》むべきは|酒《さけ》ではないか、あの|時《とき》に|吾々《われわれ》は|酒《さけ》さへ|飲《の》みて|居《ゐ》なかつたら、アンナ|失敗《しつぱい》は|演《えん》じなかつたのだよ』
|熊鷹《くまたか》『ナニ、|決《けつ》して|失敗《しつぱい》でもない、|二人《ふたり》の|女《をんな》を|取《と》り|逃《に》がした|為《ため》に|却《かへつ》て|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|所在《ありか》が|分《わか》り、|禍《わざはひ》|転《てん》じて|幸《さいはひ》となつたやうなものだ。|何事《なにごと》も|世《よ》の|中《なか》は|人間《にんげん》|万事《ばんじ》|塞翁《さいをう》が|馬《うま》の|糞《くそ》だ、|併《しか》し|今日《けふ》は|鬼彦《おにひこ》の|指揮《しき》|宜《よろ》しきを|得《え》たる|為《ため》に、かういう|効果《かうくわ》を|齎《もたら》したのだ、|何事《なにごと》も|戦《たたか》ひは|上下《じやうか》|一致《いつち》ノーマル|的《てき》の|活動《くわつどう》でなくては|駄目《だめ》だワイ、|何程《なにほど》ジヤンジヤヒエールが|沢山《たくさん》|揃《そろ》つて|居《ゐ》たところで|総《すべ》ての|行動《かうどう》に|統一《とういつ》を|欠《か》いだならば|失敗《しつぱい》は|目前《まのあたり》だ。|総《すべ》て|何事《なにごと》も|大将《たいしやう》の|注意《ちうい》|周到《しうたう》なる|指揮《しき》|命令《めいれい》と、|吾々《われわれ》が|大将《たいしやう》に|対《たい》する|忠実《ちうじつ》|至誠《しせい》のベストを|尽《つく》すにあるのだ、サテ|鬼彦《おにひこ》の|御大将《おんたいしやう》、|今日《こんにち》の|御成功《ごせいこう》お|祝《いは》ひ|申《まを》す、|之《これ》で|鬼雲彦《おにくもひこ》の|御大将《おんたいしやう》も|御安心《ごあんしん》|貴方《あなた》も|安心《あんしん》|皆《みな》の|者《もの》も|安心《あんしん》、|共《とも》に|吾々《われわれ》も|御安心《ごあんしん》だ、アハヽヽヽ』
|此《この》|時《とき》|頭上《づじやう》の|松《まつ》の|茂《しげ》みよりポトリポトリと|石《いし》の|団子《だんご》が|雨《あめ》の|如《ごと》く|降《ふ》り|来《きた》り、|鬼彦《おにひこ》|始《はじ》め、|鬼虎《おにとら》、|熊鷹《くまたか》|其《その》|他《た》|一同《いちどう》の|体《からだ》に|向《むか》つて|叩《たた》きつけるやうに|落《お》ち|来《き》たり。|一同《いちどう》はアイタヽ、コイタヽ、イヽイタイと|逃《に》げようとすれども、|石雨《いしあめ》の|槍襖《やりぶすま》に|隔《へだ》てられ、|些《すこ》しも|身動《みうご》きならず|頭部《とうぶ》|面部《めんぶ》に|団瘤《たんこぶ》を|幾《いく》つとなく|拵《こしら》へけり。|石熊《いしくま》は|頭上《づじやう》を|仰《あふ》ぐ|途端《とたん》に|鼻柱《はなばしら》にパチツと|当《あた》つた|拳骨大《げんこつだい》の|石《いし》に|鼻《はな》をへしやがれ、|血《ち》をたらたらと|流《なが》し、|目《め》をしかめ、ウンと|其《その》|場《ば》に|倒《たふ》れたり。|網代《あじろ》|駕籠《かご》の|中《なか》に|囚《とら》はれたる|神々《かみがみ》は、|金城鉄壁《きんじやうてつぺき》|極《きは》めて|安全《あんぜん》|無事《ぶじ》、|此《この》|光景《くわうけい》を|眺《なが》めて|思《おも》はず|一度《いちど》に|高笑《たかわら》ひ、アハヽヽヽ、オヽホヽヽヽ。
|石《いし》の|雨《あめ》はピタリとやみぬ。|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》を|始《はじ》め、|一同《いちどう》|七人《しちにん》はヌツと|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれたりと|見《み》れば|猿轡《さるぐつわ》も|縛《いましめ》の|繩《なは》も|何時《いつ》の|間《ま》にか|解《と》かれ|居《ゐ》たりける。
|悦子姫《よしこひめ》『オー|皆様《みなさま》|気《き》の|毒《どく》な|事《こと》が|出来《でき》ましたナア。|此《この》|峻嶮《しゆんけん》の|難路《なんろ》を|吾々《われわれ》を|駕籠《かご》に|乗《の》せて、|命辛々《いのちからがら》|汗水《あせみづ》|垂《た》らして|送《おく》つて|来《き》て|呉《く》れました|博愛《はくあい》|無限《むげん》な|人足《にんそく》を、|頭部《とうぶ》|面部《めんぶ》の|嫌《きら》ひなく、|支店《してん》を|開業《かいげふ》して|団子《だんご》|販売《はんばい》|営業《えいげふ》を|盛《さかん》に|奨励《しやうれい》|致《いた》して|居《を》ります。|何《ど》うか|皆《みな》さま|腹《おなか》も|減《す》いたでせう、あの|出店《でみせ》の|団瘤《たんこぶ》を|一《ひと》つ|宛《づつ》|買《か》つてやつて|下《くだ》さい、アハヽヽヽ』
|亀彦《かめひこ》『|吾々《われわれ》も|大変《たいへん》|腹《はら》が|減《す》きました。|支店《してん》の|売品《ばいひん》では|面白《おもしろ》くない、|一層《いつそう》の|事《こと》|本店《ほんてん》の|背《せ》から|上《うへ》の|目鼻《めはな》の|附《つ》いた|団瘤《だんこぶ》を|捩《ねぢ》【ちぎ】つて|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しませうか。アハヽヽヽ』
|一同《いちどう》『ホヽヽヽヽ』
|鬼虎《おにとら》は|顔《かほ》を|顰《しか》めながら、
『ヤイヤイ|皆《みな》の|奴《やつ》|確《しつか》りせぬかい、|石《いし》の|雨《あめ》が|降《ふ》つたつてさう|屁古垂《へこた》れるものぢやない。|俺《おれ》は|除外例《ぢよがいれい》だが、|貴様達《きさまたち》は|早《はや》く|元気《げんき》をつけて|此奴《こいつ》を|踏《ふ》ン|縛《じば》つて|仕舞《しま》はねば、ドンナ|事《こと》が|出来《しゆつたい》|致《いた》すも|分《わか》らぬぞ。エイ、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|腰抜《こしぬ》けばかりだナア、|鬼掴《おにつかみ》の|奴《やつ》、|敵《てき》と|味方《みかた》と|感違《かんちが》ひを|仕《し》よつて、|味方《みかた》の|頭上《づじやう》に|石弾《いしだま》を|降《ふ》らしよつたのだ。|敵《てき》の|石弾《せきだん》に|打《う》たれたと|云《い》ふのならまだしもだが、|味方《みかた》の|石弾《いしだま》に|打《う》たれてこの|谷川《たにがは》の|露《つゆ》と|消《き》えるかと|思《おも》へば、|俺《おれ》ア|死《し》ンでも|死《し》なれぬ|哩《わい》。アヽヽ|何《ど》うやら|息《いき》が|切《き》れさうだ、オイ|貴様達《きさまたち》、|俺《おれ》の|女房《にようばう》を|呼《よ》ンで|来《き》て|呉《く》れ、|最後《いまは》の|際《きは》に|唯《ただ》|一目《ひとめ》|会《あ》うて|死《し》にたい|顔《かほ》|見《み》たい、そればつかりが|黄泉《よみぢ》の|迷《まよ》ひだ。アンアンアン』
|熊鷹《くまたか》『ヤイヤイ|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|確《しつか》りせぬかい、|何《なん》ぢや、|地獄《ぢごく》から|火《ひ》を|取《と》りに|来《き》たやうな|真青《まつさを》な|顔《かほ》をしよつて、ソンナ|弱《よわ》い|事《こと》でこの|役目《やくめ》が|勤《つと》まらうか、|確《しつか》りせぬかい、アイタヽヽ、|矢張《やつぱ》り|俺《おれ》も|苦《くる》しい|哩《わい》、|苦《くる》しい|時《とき》の|鬼頼《おにだの》みだ、|南無《なむ》|鬼雲彦《おにくもひこ》|大明神《だいみやうじん》|様《さま》、|吾等《われら》が|精忠《せいちう》|無比《むひ》の|真心《まごころ》を|憐《あは》れみ|給《たま》ひ、|一時《いちじ》も|早《はや》く|痛《いた》みを|止《とど》め、|其《その》|反対《はんたい》に|素盞嗚《すさのを》|一派《いつぱ》の|奴《やつ》の|頭《あたま》の|上《うへ》に|鋼鉾《まがねのほこ》の|雨《あめ》でも|降《ふ》らして|滅《ほろ》ぼし|給《たま》へ。それも|矢張《やつぱり》|貴方《あなた》の|為《ため》ぢや、|一挙両得《いつきよりやうとく》|自分《じぶん》が|助《たす》かりや|家来《けらい》も|助《たす》かる、コンナ|好《よ》い|事《こと》が|何処《どこ》にあるものか、エヽナンボ|頼《たの》みても|聞《き》き|分《わ》けのないバラモン|教《けう》の|大神様《おほかみさま》だワイ』
|此《この》|時《とき》|又《また》もや|鋭利《えいり》なる|切尖《きつさき》の|付《つ》いた|矢《や》は|雨《あめ》の|如《ごと》く|降《ふ》り|来《きた》り、|鬼彦《おにひこ》|以下《いか》の|魔神《まがみ》の|身体《しんたい》に|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もなく|突《つ》き|立《た》ちにける。
『アヽまたか、|大神様《おほかみさま》は|感違《かんちがひ》をなされたか、|敵《てき》はあの|通《とほ》り|無事《ぶじ》、|味方《みかた》には|激《はげ》しき|征矢《そや》の|集注《しふちう》、|好《よ》く|間違《まちが》へば|間違《まちが》ふものだなア、アイタヽヽヽ|耐《たま》らぬ|真実《ほんと》に|此《この》|度《たび》は|息《いき》が|切《き》れるぞ、|仕方《しかた》が|無《な》い|死《し》ンだら|最後《さいご》|地獄《ぢごく》の|鬼《おに》となつて|此奴《こいつ》|共《ども》の|来《く》るのを|待《ま》ち|受《う》け、|返報《へんぱう》がへしをしてこます、ヤイ|素盞嗚尊《すさのをのみこと》、|其《その》|他《た》の|奴等《やつら》|覚《おぼ》えて|居《を》れ、|貴様《きさま》が|死《し》ンだら|目《め》が|潰《つぶ》れるやうに、|口《くち》が|利《き》けぬやうに、びくとも|動《うご》けぬやうにしてやるぞや』
|亀彦《かめひこ》『アハヽヽヽ、|吐《ほざ》くな|吐《ほざ》くな、|目《め》が|潰《つぶ》れる|口《くち》が|利《き》けぬ、|体《からだ》が|動《うご》かぬやうにしてやらうとは|好《よ》くも|言《い》へたものだワイ、|天下一品《てんかいつぴん》の|珍言妙語《ちんげんめうご》だ、モシモシ|英子姫《ひでこひめ》さま、|悦子姫《よしこひめ》さま、|舞《まひ》でも|舞《ま》うたらどうでせう、コンナ|面白《おもしろ》い|光景《くわうけい》は|滅多《めつた》に、|大江山《おほえやま》でなくては|見《み》られませぬよ』
『ホヽヽヽヽ』
|秋山彦《あきやまひこ》は|両手《りやうて》を|組《く》み、|声《こゑ》も|涼《すず》しく|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》と|天《あま》の|数歌《かずうた》を|唱《とな》ふるや、|一同《いちどう》の|魔神《まがみ》の|創所《きずしよ》は|忽《たちま》ち|拭《ぬぐ》ふが|如《ごと》くに|癒《い》え|来《き》たり、|彼方《あちら》にも|此方《こちら》にも|喜《よろこ》びの|声《こゑ》、|充《み》ち|充《み》ちにける。
『アヽ|助《たす》かつた』
『|妙《めう》だ』
『|不思議《ふしぎ》だ』
『|怪体《けたい》の|事《こと》があるものだワイ』
と|囁《ささや》き|始《はじ》めたり。|秋山彦《あきやまひこ》は|一同《いちどう》に|向《むか》ひ|声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ふ。
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|鬼雲彦《おにくもひこ》は|強《つよ》くとも |大江《おほえ》の|山《やま》は|深《ふか》くとも
|数多《あまた》の|部下《てした》はあるとても |虱《しらみ》の|如《ごと》き|弱虫《よわむし》の
|人《ひと》の|生血《いきち》を|朝夕《あさゆふ》に |漁《あさ》りて|喰《くら》ふ|奴《やつ》ばかり
|沢山《たくさん》|絞《しぼ》つて|蓄《たくは》へた |身体《からだ》の|中《なか》の|生血《いきち》をば
|吐《は》き|出《だ》すための|神《かみ》の|業《わざ》 |頭《あたま》を|砕《くだ》く|石《いし》の|雨《あめ》
|血《ち》を|絞《しぼ》り|出《だ》す|征矢《そや》の|先《さき》 |潮《うしほ》の|如《ごと》く|流《なが》れ|出《い》でぬ
|吾《われ》は|此《この》|世《よ》を|救《すく》ふてふ |人子《ひとご》の|司《つかさ》|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》のまめ|人《ひと》ぞ |鬼《おに》や|悪魔《あくま》となり|果《は》てし
|汝《なんぢ》が|身魂《みたま》を|谷川《たにがは》の |清《きよ》き|流《なが》れに|禊《みそぎ》して
|天津御神《あまつみかみ》のたまひたる もとの|身魂《みたま》に|立《た》て|直《なほ》し
|今迄《いままで》|犯《をか》せし|罪咎《つみとが》を |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し
|百千万《ももちよろづ》の|過《あやま》ちを |直日《なほひ》の|御霊《みたま》に|宣《の》り|直《なほ》す
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の |恵《めぐみ》も|深《ふか》き|御教《おんをしへ》
|胆《きも》に|銘《めい》じて|忘《わす》れなよ |石熊《いしくま》、|熊鷹《くまたか》、|鬼熊《おにくま》よ
|心《こころ》|猛《たけ》しき|鬼彦《おにひこ》も |此処《ここ》で|心《こころ》を|取《と》り|直《なほ》せ
|如何《いか》なる|敵《てき》も|敵《てき》とせず |救《すく》ひ|助《たす》くる|神《かみ》の|道《みち》
|誠《まこと》の|力《ちから》は|身《み》を|救《すく》ふ |救《すく》ひの|神《かみ》に|従《したが》ふか
|曲津《まがつ》の|神《かみ》に|心服《まつろ》ふか |善《ぜん》と|悪《あく》との|国境《くにざかひ》
|栄《さか》え|久《ひさ》しき|天国《てんごく》の |神《かみ》の|御魂《みたま》となり|変《か》はり
|誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の |教《をしへ》にかへれ|百人《ももびと》よ
|元《もと》は|天地《てんち》の|分霊《わけみたま》 |善《ぜん》もなければ|悪《あく》もない
|善悪邪正《ぜんあくじやせい》を|超越《てうゑつ》し |生《うま》れ|赤子《あかご》の|気《き》になりて
|天地《てんち》の|法則《のり》に|従《したが》へば |鬼《おに》や|大蛇《をろち》の|荒《すさ》ぶなる
|魔窟ケ原《まくつがはら》も|忽《たちま》ちに メソポタミヤの|顕恩郷《けんおんきやう》
|栄《さか》えの|花《はな》は|永久《とこしへ》に |木《こ》の|実《み》は|熟《じゆく》し|味《あぢ》もよく
|心《こころ》を|砕《くだ》いて|世《よ》の|人《ひと》を |苦《くる》しめ|悩《なや》め|吾《わが》|身《み》|亦《また》
|苦《くる》しむ|事《こと》は|要《い》らぬもの サア|諸人《もろびと》よ|諸人《もろびと》よ
|心《こころ》の|底《そこ》より|改《あらた》めて |真《まこと》の|道《みち》に|帰《かへ》るなら
|神《かみ》は|救《すく》の|御手《みて》を|延《の》べ |栄《さかえ》に|充《み》てる|永久《とこしへ》の
|高天《たかま》に|救《すく》ひ|玉《たま》ふべし |応《こたへ》は|如何《いか》にサア|如何《いか》に
|心《こころ》を|定《き》めて|返《かへ》り|言《ごと》 |声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣《の》れよかし
|神《かみ》は|汝《なんぢ》の|身《み》に|添《そ》ひて |厚《あつ》く|守《まも》らせ|給《たま》ふらむ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐世《ましませ》よ』
と|謡《うた》ひ|終《をは》れば、|鬼彦《おにひこ》|始《はじ》め|一同《いちどう》は|大地《だいち》に【はた】と|身《み》を|伏《ふ》せて、|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|咽《むせ》びつつ|山岳《さんがく》も|揺《ゆる》ぐばかりに|声《こゑ》を|放《はな》つて|泣《な》き|叫《さけ》びける。
(大正一一・四・一四 旧三・一八 加藤明子録)
第七章 |空籠《からかご》〔五九七〕
|秋山彦《あきやまひこ》が|心《こころ》|籠《こ》めたる|宣伝歌《せんでんか》に|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》、|石熊《いしくま》、|熊鷹《くまたか》|其《その》|他《た》の|面々《めんめん》は|心《こころ》の|底《そこ》より|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い、|一行《いつかう》の|前《まへ》に|鰭伏《ひれふ》して|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|覚束《おぼつか》なき|言霊《ことたま》の|息《いき》を|固《かた》めて|秋山彦《あきやまひこ》の|後《あと》につき|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|宣伝歌《せんでんか》を|唱《とな》へ|帰順《きじゆん》の|意《い》を|表《へう》したりけり。
|鬼彦《おにひこ》『|素盞嗚尊《すさのをのみこと》|様《さま》を|始《はじ》め|御一同《ごいちどう》の|方々《かたがた》に|御礼《おれい》|申《まを》し|上《あ》げます、|吾々《われわれ》の|如《ごと》き|悪魔《あくま》の|容器《いれもの》|赦《ゆる》し|難《がた》き|罪人《ざいにん》の|危難《きなん》をお|救《すく》ひ|下《くだ》され、|其《その》|上《うへ》にも|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|大神《おほかみ》の|大御心《おほみこころ》を|以《もつ》て|身体《しんたい》|不自由《ふじゆう》の|吾々《われわれ》をお|助《たす》け|下《くだ》されし|御志《おんこころざし》|何《なん》と|御礼《おれい》を|申《まを》し|上《あ》げて|宜《よろ》しいやら、|今後《こんご》は|心《こころ》の|底《そこ》より|悔《く》い|改《あらた》めます、サアサ|何卒《なにとぞ》|一刻《いつこく》も|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|御立退《おたちの》き|下《くだ》さいませ、|此《この》|魔窟ケ原《まくつがはら》をズツト|奥《おく》へ|進《すす》みますれば|愈《いよいよ》|鬼雲彦《おにくもひこ》の|岩窟《いはや》の|棲家《すみか》、|又《また》|立派《りつぱ》なる|本城《ほんじやう》が|御座《ござ》いまする、|其処《そこ》へ|参《まゐ》れば|数多《あまた》の|邪人《まがびと》|共《ども》|手具脛《てぐすね》|引《ひ》いて|待《ま》ち|構《かま》へ|居《を》れば、|如何《いか》に|勇猛《ゆうまう》なる|貴神様《あなたさま》も|多少《たせう》|御苦《おくるし》みの|事《こと》と|存《ぞん》じますれば、|吾々《われわれ》の|言葉《ことば》をお|用《もち》ひ|下《くだ》さいまして、|何卒《なにとぞ》|此《この》|場《ば》より|御逃《おのが》れ|下《くだ》さいますよう』
と|真心《まごころ》を|面《おもて》に|表《あら》はして|忠告《ちゆうこく》する。|亀彦《かめひこ》は|揶揄《からかひ》|半分《はんぶん》に、
『ホー|鬼彦《おにひこ》の|大将《たいしやう》、|随分《ずゐぶん》|智慧《ちゑ》が|能《よ》く|廻《まは》るぢやないか、|親切《しんせつ》ごかしに|吾々《われわれ》の|勇将《ゆうしやう》を|撃退《げきたい》し|暫時《ざんじ》の|猶予《いうよ》を|貪《むさぼ》らむとする|猾《ずる》い|計略《けいりやく》、|今《いま》|此処《ここ》に|於《おい》て|吾《われ》ら|一行《いつかう》を|苦《くるし》めむとせし|処《ところ》、|天罰《てんばつ》|立所《たちどころ》に|致《いた》り|過《あやま》つて|味方《みかた》の|石弾《いしだま》、|征矢《そや》に|中《あた》り|零敗《ゼロはい》の|大見当違《おほあてちが》ひを|演《えん》じ|懲《こ》り|懲《こ》りしたと|見《み》えるワイ。|然《しか》し|乍《なが》ら|吾々《われわれ》は|決《けつ》して|婆羅門教《ばらもんけう》の|如《ごと》く、|否《いな》|鬼雲彦《おにくもひこ》の|如《ごと》く|善《ぜん》の|仮面《かめん》を|被《かぶ》り|天下《てんか》を|攪乱《かくらん》せむとするものに|非《あら》ず、|之《これ》より|鬼雲彦《おにくもひこ》に|面会《めんくわい》し|彼《かれ》をして|汝等《なんぢら》の|如《ごと》く|心《こころ》の|底《そこ》より|悔《く》い|改《あらた》めしめねばならぬ、|今《いま》よりは|吾々《われわれ》|一行《いつかう》を|旧《もと》の|如《ごと》くに|高手小手《たかてこて》に|縛《いまし》め、|御苦労《ごくらう》|乍《なが》ら、|此《この》|網代籠《あじろかご》に|乗《の》せて|担《かつ》いで|行《い》つて|呉《く》れよ』
|鬼彦《おにひこ》『イヤ|滅相《めつさう》な、|貴神等《あなたがた》の|如《ごと》きお|方《かた》を|本城《ほんじやう》へ|迎《むか》へ|入《い》れるが|最後《さいご》、|天地《てんち》|転動《てんどう》の|大騒動《おほさうどう》、|大江山《おほえやま》の|城内《じやうない》は|乱離骨灰《らんりこつぱい》、|落花微塵《らくくわみぢん》の|惨状《さんじやう》を|演出《えんしゆつ》するは|明鏡《めいきやう》の|物《もの》を|照《てら》して|余蘊《ようん》なきが|如《ごと》しであります、|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|此《この》|場《ば》をお|引《ひ》き|取《と》り|下《くだ》さいませ』
|亀彦《かめひこ》『|貴様《きさま》は|矢《や》つ|張《ぱ》り|鬼雲彦《おにくもひこ》の|贔屓《ひいき》を|致《いた》して|居《を》るな、ヤア|感心々々《かんしんかんしん》、|一旦《いつたん》|大将《たいしやう》と|恃《たの》みた|者《もの》に|対《たい》してそれ|丈《だ》けの|心遣《こころづか》ひを|致《いた》すは|人間《にんげん》の|真心《まごころ》の|発露《はつろ》である。|併《しか》し|乍《なが》ら|此処迄《ここまで》|思《おも》ひ|立《た》つたる|吾々《われわれ》の|心中《しんちゆう》、|中途《ちうと》に|駒《こま》の|頭《かしら》を|立《た》て|直《なほ》す|事《こと》は|男子《だんし》として|忍《しの》び|難《がた》き|処《ところ》だ、|如何《どう》しても|聞《き》かねば|吾々《われわれ》は|之《これ》より|強行的《きやうかうてき》|行脚《あんぎや》を|続《つづ》け|大江山《おほえやま》の|本城《ほんじやう》に|立向《たちむか》ふであらう』
とそろそろ|歩《あゆ》み|初《はじ》めたれば、|鬼彦《おにひこ》は|泣声《なきごゑ》を|出《だ》し、
『モシモシ、タヽヽヽ|大変《たいへん》で|御座《ござ》います、|如何《いか》に|貴神方《あなたがた》が|英雄《えいゆう》なればとて|多勢《たぜい》に|対《たい》する|無勢《ぶぜい》、|御苦戦《ごくせん》の|程《ほど》お|察《さつ》し|申《まを》す』
と|真心《まごころ》より|止《と》める。|部下《ぶか》の|一同《いちどう》は|驚異《きやうい》の|面相《めんさう》を|陳列《ちんれつ》して|鬼彦《おにひこ》の|顔《かほ》をうち|衛《まも》り|居《ゐ》る。
|亀彦《かめひこ》『|何《なん》だ、|女《め》々しい|事《こと》を|言《い》ふな、|貴様《きさま》も|鬼雲彦《おにくもひこ》の|左守《さもり》と|迄《まで》|言《い》はれた|男《をとこ》じやないか、それに|何《なん》ぞや、|亡国的《ばうこくてき》|哀音《あいおん》を|立《た》て|絶望的《ぜつばうてき》|悲調《ひてう》の|涙《なみだ》を|湛《たた》へて|吾々《われわれ》を|止《とど》めむとするは|其《その》|意《い》を|得《え》ない、|之《これ》には|何《なに》か|深《ふか》き|謀計《ぼうけい》のある|事《こと》ならむ、|吾等《われら》|一行《いつかう》は|自由自在《じいうじざい》に|山中《さんちゆう》|徒歩《とほ》の|権利《けんり》を|有《いう》す、サアサ|御一同様《ごいちどうさま》、|進《すす》みて|参《まゐ》りませう。|仮令《たとへ》|鬼雲彦《おにくもひこ》|百万《ひやくまん》の|大軍《たいぐん》を|擁《よう》し|防《ふせ》ぎ|戦《たたかひ》うとも|此《この》|亀彦《かめひこ》が|只《ただ》|一人《ひとり》あれば|沢山《たくさん》なり。|強風《きやうふう》の|砂塵《さぢん》を|捲《ま》き|上《あ》ぐる|如《ごと》く、|吾《わが》|一言《いちごん》の|息吹《いぶき》によつて|根底《こんてい》より|悔《く》い|改《あらた》めしめ、|悪魔《あくま》の|巣窟《さうくつ》をして|天国《てんごく》|楽園《らくゑん》と|化《くわ》せしめむ。ヤア|面白《おもしろ》し、|勇《いさ》ましし』
と|独語《ひとりご》ちつつ|肩《かた》を|怒《いか》らし|気焔万丈《きえんばんぢやう》|当《あた》るべからず、|足《あし》|踏《ふ》み|鳴《な》らし|雄猛《をたけ》びする。
|鬼彦《おにひこ》『|亀彦《かめひこ》|様《さま》、|大変《たいへん》な|勢《いきほひ》でメートルをお|上《あ》げになつて|居《を》られますな』
|亀彦《かめひこ》『オウさうだ、|敵《てき》の|敗亡《はいばう》|目前《もくぜん》にメートルだ、|某《それがし》の|前進《ぜんしん》を|妨《さまた》げむとしてメートルの|事《こと》|致《いた》すと|量見《りやうけん》ならぬぞ、ジヤンジヤ、ヒエールの|某《それがし》を|何《なん》と|心得《こころえ》てるか』
|鬼彦《おにひこ》『ジヤンジヤ、ヒエールか、ジヤンジヤ|馬《うま》か|存《ぞん》じませぬが|能《よ》う|貴下《あなた》はジヤンジヤを|捏《こ》ねるお|方《かた》ですな』
|亀彦《かめひこ》『エーエ、ジヤンジヤマ|臭《くさ》い、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》ると|折角《せつかく》|上《のぼ》つたメートルがヒエールだ、サアサ|行《ゆ》かう』
と|又《また》もや|行《ゆ》かむとする。
|鬼彦《おにひこ》『アヽア、|行《い》つて|下《くだ》さるなと|親切《しんせつ》に|申《まを》し|上《あ》げても|貴下《あなた》は|何処《どこ》までも|行《ゆ》かむとする|御気色《おんけしき》、モウ|斯《こ》うなつては【ゆかん】|乍《なが》ら【ゆかん】ともする|事《こと》が|出来《でき》ませぬ|哩《わい》』
|亀彦《かめひこ》『エ、|洒落《しやれ》どころかい、|愚図々々《ぐづぐづ》|吐《ぬか》さずと|此《この》|方《はう》を|縛《しば》り|上《あ》げて|本城《ほんじやう》へ|担《かつ》ぎ|込《こ》まぬか』
|鬼彦《おにひこ》『ソヽヽヽそれが|大変《たいへん》で|御座《ござ》います、|今迄《いままで》の|私《わたくし》なれば|貴下等《あなたがた》が|何程《なにほど》|行《ゆ》かむと|仰《おつ》しやつても|連《つ》れて|行《い》つて|手柄《てがら》に|致《いた》しまするが、|最早《もはや》|天地《てんち》の|因果《いんぐわ》を|悟《さと》り|悪《あく》を|悔《く》い|改《あらた》めた|上《うへ》は、|如何《どう》して|之《これ》が|黙《だま》つて|居《を》られませう、|人《ひと》の|性《せい》は|善《ぜん》で|御座《ござ》います、|決《けつ》して|悪《わる》い|事《こと》は|申《まを》しませぬ』
|亀彦《かめひこ》『ヤア|仕方《しかた》のない|弱虫《よわむし》ばかりだナア、|鬼雲彦《おにくもひこ》もコンナ|連中《れんちう》を|養《やしな》つて|居《を》れば|並大抵《なみたいてい》の|事《こと》でもあるまい、|思《おも》へば|思《おも》へば|鬼雲彦《おにくもひこ》の|御心中《ごしんちう》お|可憐相《かはいさう》である|哩《わい》』
|斯《か》かる|処《ところ》へ|二本《にほん》の|角《つの》をニユツと|生《はや》した|鬘《かづら》を|被《かぶ》つた|五人《ごにん》の|男《をとこ》、ノソリノソリと|手槍《てやり》を|提《ひつさ》げ、|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|来《きた》り、
|男《をとこ》『ヤア、|鬼彦《おにひこ》の|大将《たいしやう》、お|手柄《てがら》お|手柄《てがら》、サア|之《これ》から|吾々《われわれ》が|御案内《ごあんない》|申《まを》さう、|鬼雲彦《おにくもひこ》の|御大将《おんたいしやう》|様子《やうす》|如何《いか》にと|首《くび》を|長《なが》うしてお|待《ま》ちかね、|嘸《さぞ》お|骨折《ほねをり》で|御座《ござ》つたらう』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら|駕籠《かご》の|中《なか》を|一々《いちいち》|覗《のぞ》きこみ、
|男《をとこ》『ヤア|何《なん》だ、|空籠《からかご》じやないか、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》|其《その》|他《た》は|如何《どう》なされた、|首尾《しゆび》|克《よ》う|生擒《いけど》つたとの|御注進《ごちうしん》ではなかつたか』
|鬼虎《おにとら》、|熊鷹《くまたか》、|石熊《いしくま》、|鬼彦《おにひこ》は|四辺《あたり》を|見《み》れば|此《こ》は|如何《いか》に、|今迄《いままで》|盛《さかん》にメートルを|上《あ》げて|居《ゐ》た|亀彦《かめひこ》の|姿《すがた》も|素盞嗚尊《すさのをのみこと》、|国武彦《くにたけひこ》|其《その》|他《た》|一行《いつかう》の|影《かげ》も|形《かたち》もなくなつて|居《ゐ》る。
|鬼彦《おにひこ》『ヤア、|此奴《こいつ》は|不思議《ふしぎ》だ、|今迄《いままで》|此《この》|網代籠《あじろかご》に|乗《の》せて|来《き》た|一同《いちどう》の|神人《しんじん》、ではない|囚人《めしうど》|何処《どこ》へ|姿《すがた》を|隠《かく》しよつたか、|合点《がてん》の|往《ゆ》かぬ|事《こと》である|哩《わい》』
|熊鷹《くまたか》『サア|此処《ここ》は|名《な》に|負《お》ふ|魔窟ケ原《まくつがはら》、|目《め》に|見《み》えない|悪魔《あくま》が|出《で》て|来《き》よつて|吾々《われわれ》が|知《し》らぬ|間《あひだ》に|喰《く》つて|仕舞《しま》つたのか、|但《ただし》は|鬼雲彦《おにくもひこ》の|大将《たいしやう》の|威勢《ゐせい》に|恐《おそ》れて|自然《しぜん》|消滅《せうめつ》|致《いた》したか、|何《なん》に|付《つ》けても|合点《がてん》の|往《ゆ》かぬ|事《こと》である|哩《わい》。ヤア|五人《ごにん》の|方々《かたがた》、|一時《いちじ》も|早《はや》く|本城《ほんじやう》へ|立《た》ち|帰《かへ》り|此《この》|由《よし》|早《はや》く|注進《ちうしん》|致《いた》すな』
|五人《ごにん》の|中《なか》の|一人《ひとり》、|目《め》を|円《まる》くし、
|男《をとこ》『ヤア|何《なん》と|仰《あふ》せられます、|一時《いちじ》も|早《はや》く|注進《ちうしん》|致《いた》すなとは|合点《がてん》が|承知《しようち》|仕《つかまつ》らぬ』
|熊鷹《くまたか》『|俺《おれ》は|昨日《きのふ》|迄《まで》の|熊鷹《くまたか》ではない、|今日《けふ》は|立派《りつぱ》な|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》であるぞ、|之《これ》より|本城《ほんじやう》へ|逆襲《ぎやくしふ》なし|鬼雲彦《おにくもひこ》が|素首《そつくび》|捻切《ねぢき》り|引《ひ》き【ちぎ】り|八岐大蛇《やまたをろち》の|身魂《みたま》を|片《かた》つ|端《ぱし》より|言向和《ことむけやは》し、|勝鬨《かちどき》あげるは|瞬《またた》く|間《うち》だ、|汝《なんぢ》は|一刻《いつこく》も|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》り|吾々《われわれ》が|寄《よ》せ|手《て》の|軍勢《いくさ》に|向《むか》つて|防戦《ばうせん》の|用意《ようい》オサオサ|怠《おこた》るな』
|五人《ごにん》は|一度《いちど》にいぶかり|乍《なが》ら、
『ソヽヽヽそれは|真実《しんじつ》で|御座《ござ》るか』
|熊鷹《くまたか》『|真偽《しんぎ》は|今《いま》に|分《わか》るであらう、|汝《なんぢ》は|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》れ』
この|権幕《けんまく》に|五人《ごにん》は|互《たがひ》に|顔《かほ》|見合《みあは》せて、
『|何《なん》だ、|鬼彦《おにひこ》の|大将《たいしやう》と|言《い》ひ、|熊鷹《くまたか》の|阿兄《あにい》と|言《い》ひ、|其《その》|他《た》|一同《いちどう》の|顔《かほ》の|紐《ひも》は|薩張《さつぱり》|解《ほど》けて|仕舞《しま》ひ、|今迄《いままで》の|鬼面《おにづら》は|忽《たちま》ち|変《へん》じて|光《ひかり》|眩《まばゆ》き|女神《めがみ》の|様《やう》な|顔色《かほいろ》に|堕落《だらく》して|仕舞《しま》ひよつた、ハテ|困《こま》つた|事《こと》だワイ、|善《ぜん》の|道《みち》へ|堕落《だらく》するとコンナ|腰抜《こしぬ》けに|成《な》つて|仕舞《しま》ふものかなア』
|五人《ごにん》は|踵《きびす》を|返《かへ》し|一目散《いちもくさん》に|彼方《かなた》を|指《さ》して|逃《に》げ|帰《かへ》る。|鬼彦《おにひこ》は|衝立《つつた》ち|上《あが》り|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひ|終《をは》り、
『サア|一同《いちどう》の|方々《かたがた》、|如何《いかが》で|御座《ござ》る、|何《なん》だか|拍子抜《へうしぬ》けがした|様《やう》には|御座《ござ》らぬか』
|一同《いちどう》『|左様《さやう》で|御座《ござ》る、|折角《せつかく》|張《は》り|詰《つ》めた|今迄《いままで》の|悪心《あくしん》は|水《みづ》の|中《なか》で|屁《へ》を|放《ひ》つた|様《やう》にブルブルと|泡《あわ》となつて|消《き》え|失《う》せました、|誰《たれ》も|彼《かれ》もアルコールの|脱《ぬ》けた|甘酒《あまざけ》の|様《やう》になつて|仕舞《しま》つた、|亀彦《かめひこ》が|意見《いけん》をして|呉《く》れたが|之《これ》も|余《あま》り|拠《よ》り|所《どころ》が|無《な》い、|甘《うま》い|様《やう》な|辛《から》い|様《やう》な、|厳《きび》しい|様《やう》な|寛《ゆるや》かな|様《やう》な|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|言葉《ことば》であつた。|丁度《ちやうど》|甘酒《あまざけ》に、|生姜《しやうが》の|汁《しる》を|入《い》れて|飲《の》む|様《やう》なものだ、|親爺《おやぢ》の|強意見《こわいけん》を|聞《き》き|乍《なが》らソツとお|金《かね》を|貰《もら》ふ|様《やう》な|心持《こころもち》だつた、サアサ|之《これ》から|入信《にふしん》の|記念《きねん》として|大江山《おほえやま》の|本城《ほんじやう》に|駆《か》け|向《むか》ひ|鬼雲彦《おにくもひこ》の|素首《そつくび》、オツト、ドツコイ|悪神《あくがみ》の|魂《たま》を|抜《ぬ》いて|助《たす》けてやらねばなるまい』
|一同《いちどう》|拍手《はくしゆ》して|賛成《さんせい》の|意《い》を|表《へう》し、|鬼彦《おにひこ》を|先頭《せんとう》に|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひつつ、|凩《こがらし》|荒《すさ》ぶ|荒野原《あれのはら》や|谷川《たにがは》を|右《みぎ》に|左《ひだり》に|跳《と》び|越《こ》え|進《すす》む|折《をり》しも、|忽然《こつぜん》として|叢《くさむら》の|中《なか》より|現《あら》はれ|出《い》でたる|男女《だんぢよ》の|二人《ふたり》、|鬼彦《おにひこ》|一行《いつかう》の|姿《すがた》を|目蒐《めが》けて|冷《ひや》やかに|笑《わら》ひ|乍《なが》ら、
『ヤア|貴方《あなた》は|大江山《おほえやま》の|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》と|聞《きこ》えたる|御方《おんかた》、|然《しか》るに|今日《けふ》のお|姿《すがた》は|如何《どう》で|御座《ござ》る。|薩張《さつぱり》|台《だい》なしでは|御座《ござ》らぬか、|玉《たま》の|落《お》ちたラムネの|様《やう》な|判然《はつきり》|致《いた》さぬ|其《その》|顔付《かほつき》、|狐《きつね》にでも|欺《だま》されなさつたか、イヤ、エ、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|悪神《あくがみ》の|口車《くちぐるま》に|乗《の》せられて|胆《きも》をとられ|腰《こし》を|抜《ぬ》かしたのではあるまいか、|何《いづ》れにしても|合点《がてん》の|往《ゆ》かぬ|耄碌姿《まうろくすがた》、|耄碌魂《まうろくだましひ》、|脆《もろ》くも|敵《てき》に|翻弄《ほんろう》されてノソノソと|帰《かへ》り|来《く》るとは|言《い》ひ|甲斐《がひ》なき|鬼彦《おにひこ》|一同《いちどう》の|面々《めんめん》、|鬼雲彦《おにくもひこ》の|大将《たいしやう》に|於《お》かせられても|嘸々《さぞさぞ》お|喜《よろこ》び|遊《あそ》ばす|事《こと》であらう、|持《も》つべきものは|家来《けらい》なりけりと|団栗《どんぐり》の|様《やう》な|涙《なみだ》を|流《なが》してお|喜《よろこ》びになるであらう、アハヽヽヽ、オホヽヽヽ』
と|笑《わら》ひ|転《こ》ける。|鬼彦《おにひこ》はムツト|顔《がほ》にて、
『エー、|何処《どこ》の|何奴《どやつ》か|知《し》らぬが|吾々《われわれ》は|吾々《われわれ》としての|自由《じいう》の|権利《けんり》を|実行《じつかう》したのだ、|汝等《なんぢら》の|如《ごと》きものの|容喙《ようかい》すべき|処《ところ》でない、|愚図々々《ぐづぐづ》|吐《ぬか》すと|言霊《ことたま》の|発射《はつしや》を|致《いた》してやらうか。|蠑螺《さざえ》の|如《ごと》き|鉄拳《てつけん》、|否《いな》|牡丹餅《ぼたもち》で|貴様《きさま》の|頬辺《ほつぺた》を|殴《なぐ》つてやらうか』
『アハヽヽヽ、オホヽヽヽ、ヤア|皆《みな》の|方々《かたがた》、|此方《こちら》へ|御座《ござ》れ、サアサ|早《はや》く』
と|岩《いは》をクレツと|剥《めく》れば、|中《なか》には|階段《かいだん》がついて|居《ゐ》る。
|鬼彦《おにひこ》『ヤア|何時《いつ》も|吾々《われわれ》のお|通《とほ》り|路《みち》だがコンナ|処《ところ》に|穴《あな》があるとは|今迄《いままで》|知《し》らなかつた。こいつは|妙《めう》だ、ヤイ|鬼虎《おにとら》、|熊鷹《くまたか》、|石熊《いしくま》|其《その》|他《た》の|面々《めんめん》|一同《いちどう》、|見学《けんがく》の|為《た》めに|岩窟《がんくつ》の|探険《たんけん》と|出掛《でかけ》ようではないか』
|鬼虎《おにとら》は、
『|面白《おもしろ》からう』
と|先《さき》に|立《た》つて|下《くだ》り|行《ゆ》く。|数百人《すうひやくにん》の|荒男《あらをとこ》は|残《のこ》らず|好奇心《かうきしん》に|駆《か》られて|岩窟《がんくつ》の|中《なか》にガラガラツと|田螺《たにし》の|殻《から》を|山《やま》の|上《うへ》から|打《ぶ》ちあけた|様《やう》な|勢《いきほひ》で|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|転《ころ》げ|込《こ》むだ。|忽然《こつぜん》として|現《あら》はれたる|鬼武彦《おにたけひこ》は|岩石《いはいし》の|蓋《ふた》をピタリと|閉《し》め|其《その》|上《うへ》に|千引《ちびき》の|岩《いは》をドスンと|載《の》せ、
『アハヽヽヽ、マア|之《これ》で|暫《しばら》くは|安心《あんしん》だワイ』
(大正一一・四・一四 旧三・一八 北村隆光録)
第八章 |衣懸松《きぬかけまつ》〔五九八〕
|大江山《おほえやま》の|本城《ほんじやう》に|間近《まぢか》くなつた|童子ケ淵《どうじがふち》の|傍《かたはら》に|現《あら》はれ|出《い》でたる|二人《ふたり》の|男女《だんぢよ》、|又《また》もや|地中《ちちう》より|這《は》ひ|出《い》でて、|岩戸《いはと》の|入口《いりぐち》を|打眺《うちなが》め、
|青彦《あをひこ》『ヤア|高姫《たかひめ》さま、|何時《いつ》の|間《ま》にか、|吾等《われら》が|入口《いりぐち》を、|斯《か》くの|如《ごと》き|千引《ちびき》の|岩《いは》を|以《もつ》て|塞《ふさ》ぎよつたと|見《み》えます。|幸《さいは》ひ|脱《ぬ》け|穴《あな》より|斯《か》うして|出《で》て|来《き》たものの、|万一《まんいち》|此《この》|穴《あな》がなかつたならば|吾々《われわれ》は|三五教《あななひけう》に|魂《たま》を|抜《ぬ》かれた|鬼彦《おにひこ》|一派《いつぱ》の|奴《やつ》と|共《とも》に、|徳利詰《とつくりづめ》に|遭《あ》つて|滅《ほろ》びねばならない|所《ところ》であつたのです。|何《なん》とかして、|此《この》|岩《いは》を|取《と》り|除《の》けたいものですな』
|高姫《たかひめ》『オホヽヽ、|是《こ》れ|全《まつた》くウラナイ|教《けう》の|神様《かみさま》の|御守護《ごしゆご》で|御座《ござ》いませう。|何《いづ》れ|又《また》|時節《じせつ》|到来《たうらい》せば、|此《この》|岩《いは》は|春《はる》の|日《ひ》に|氷《こほり》の|解《と》けるが|如《ごと》く|消滅《せうめつ》するであらう。|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|変性女子《へんじやうによし》が|悪戯《いたづら》を|致《いた》しよつたに|相違《さうゐ》なからふ。|必《かなら》ず|心配《しんぱい》に|及《およ》びますまい』
|青彦《あをひこ》『さうだと|言《い》つて、|此《この》|巨大《きよだい》なる|岩石《がんせき》が、どうして|解《と》けませうか。|押《お》したつて、|曳《ひ》いたつて、|百人《ひやくにん》や|千人《せんにん》の|力《ちから》では、ビクとも|致《いた》しますまい』
|高姫《たかひめ》『あのマア|青彦《あをひこ》さまの|青《あを》ざめた|顔《かほ》ワイなあ、これ|位《くらゐ》な|事《こと》に|心配《しんぱい》|致《いた》す|様《やう》では、|神政成就《しんせいじやうじゆ》は|出来《でき》ますまい。あなたも|聖地《せいち》ヱルサレムに|現《あら》はれた|行成彦命《ゆきなりひこのみこと》と|化《ば》けた|以上《いじやう》は、モウ|少《すこ》し|肝玉《きもだま》を|大《おほ》きうして|下《くだ》さいや』
|青彦《あをひこ》『ぢやと|申《まを》して、|此《この》|岩《いは》を|取《と》り|除《の》けなくては、|再《ふたた》び|吾等《われら》は|地底《ちてい》の|巌窟《がんくつ》に|出入《しゆつにふ》する|事《こと》は|出来《でき》|申《まを》さぬ。|出《で》る|事《こと》はヤツトの|事《こと》で、|胸《むね》の|薄皮《うすかは》を|摺剥《すりむ》き|乍《なが》ら|出《で》て|来《き》ましたが、|這入《はい》るのは|到底《たうてい》|困難《こんなん》です。|早速《さつそく》の|間《ま》に|合《あはぬ》ぢやありませぬか。|鬼雲彦《おにくもひこ》の|大勢力《だいせいりよく》を|以《もつ》て、|今《いま》にも|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|来《きた》るとあらば、|吾々《われわれ》は|如何《いかが》|致《いた》すで|御座《ござ》らう、|吁《あゝ》、|心許《こころもと》ない|今《いま》の|有様《ありさま》』
と|悄気《しほげ》|返《かへ》る。|高姫《たかひめ》はカラカラと|打笑《うちわら》ひ、
『ホヽヽヽ、マア|阿呆《あはう》|正直《しやうぢき》な|青彦《あをひこ》さま、|顔《かほ》から|首《くび》まで|真青《まつさを》にして、|慄《ふる》うて|居《を》るのか、|夫《そ》れだから、|世間《せけん》からお|前《まへ》は|青首《あをくび》だと|言《い》はれても|仕方《しかた》があるまい。チト|確乎《しつかり》なさらぬか、|鬼雲彦《おにくもひこ》が|何恐《なにおそ》ろしい』
|青彦《あをひこ》『それでも|鬼雲彦《おにくもひこ》はバラモン|教《けう》の|大棟梁《だいとうりやう》、|彼奴《あいつ》が|恐《こは》さに、|万一《まさか》の|時《とき》の|用意《ようい》と、|此処《ここ》に|巌窟《がんくつ》を|掘《ほ》つておいたのではなかつたのですか』
|高姫《たかひめ》『|一旦《いつたん》はさう|考《かんが》へたが、|最早《もはや》|今日《こんにち》となつては、|何事《なにごと》も|此《この》|高姫《たかひめ》が|胸中《きようちう》の|策略《さくりやく》を|以《もつ》て、|鬼雲彦《おにくもひこ》も|大半《たいはん》|此方《こちら》の|者《もの》、あまり|心配《しんぱい》するものでない。お|前《まへ》もチツトは|改心《かいしん》を|致《いた》して、|鬼心《おにごころ》になつたが|宜《よ》からう』
|青彦《あをひこ》『イヤ、|其《その》|様《やう》な|悪魔《あくま》に|与《くみ》するならば、|吾々《われわれ》は|真《ま》つ|平《ぴら》|御免《ごめん》だ、|今日《けふ》|限《かぎ》りお|暇《ひま》を|頂《いただ》きませう』
|高姫《たかひめ》『オホヽヽヽモウ|斯《こ》うなつては、|逃《に》げようと|云《い》つたつて、|金輪《こんりん》|奈落《ならく》、|逃《に》がすものか、チヤンと、|湯巻《ゆまき》の|紐《ひも》でお|前《まへ》の|知《し》らぬ|間《ま》に、|体《からだ》も|魂《たましひ》も|縛《しば》つて|置《お》いた。|逃《に》げようと|云《い》つたつて、どうも|出来《でき》まい、|逃《に》げるなら、|勝手《かつて》に|逃《に》げて|御覧《ごら》うじ、|妾《わたし》の|掛《か》けた|細紐《ほそひも》は、|鉄《てつ》の|鎖《とざ》よりもまだ|強《つよ》い、|女《をんな》の|髪《かみ》の|毛《け》|一筋《ひとすぢ》で|大象《たいざう》でも|繋《つな》ぐと|云《い》ふではないか。|夫《そ》れさへあるに|下紐《したひも》を|以《もつ》て|結《むす》び|付《つ》けた|以上《いじやう》は、ジタバタしてもあきませぬ。ホヽヽヽ』
|青彦《あをひこ》『わたしは|今迄《いままで》、あなたの|教《をしへ》は、|三五教《あななひけう》|以上《いじやう》だ、|変性女子《へんじやうによし》の|御霊《みたま》をトコトン|懲《こら》しめ、|部下《ぶか》の|奴等《やつら》を|一人《ひとり》も|残《のこ》らず、ウラナイ|教《けう》の|擒《とりこ》に|致《いた》し、|善《ぜん》に|導《みちび》き|助《たす》けてやらうと|思《おも》つて|居《ゐ》たのに、これや|又《また》|大変《たいへん》な|当違《あてちが》ひ、|善《ぜん》か|悪《あく》か、あなたの|本心《ほんしん》が|聞《き》きたい』
|高姫《たかひめ》『|善《ぜん》に|見《み》せて|悪《あく》を|働《はたら》く|神《かみ》もあれば、|悪《あく》に|見《み》せて|善《ぜん》を|働《はたら》く|神《かみ》もある。|善悪邪正《ぜんあくじやせい》の|分《わか》らぬ|様《やう》な|事《こと》で、|能《よ》う|今迄《いままで》|妾《わし》に|随《つ》いて|来《き》た、………|愛想《あいさう》が|尽《つ》きた|身魂《みたま》ぢやなア、ホヽヽホーホ』
|青彦《あをひこ》『さうすると、ウラナイ|教《けう》は、|善《ぜん》に|見《み》せて|悪《あく》を|働《はたら》くのか、|悪《あく》に|見《み》せて|善《ぜん》を|働《はたら》くのか、どちらが|本当《ほんたう》で|御座《ござ》る』
|高姫《たかひめ》『エー、|悟《さと》りの|悪《わる》い、|悪《あく》いと|言《い》へば|何事《なにごと》に|係《かか》はらずキチリキチリと|埒《らち》の|明《あ》く|人間《にんげん》の|事《こと》だ。|善《ぜん》と|云《い》へば、|他人《ひと》の|苦労《くらう》で|得《とく》を|取《と》る、|畢竟《つまり》|御膳《おぜん》を|据《す》ゑさして、|苦労《くらう》なしに|箸《はし》を|取《と》ることだ』
|青彦《あをひこ》『|益々《ますます》|合点《がてん》が|往《い》かぬ、あなたの|仰《あふ》せ……』
|高姫《たかひめ》『|善《ぜん》に|強《つよ》ければ|悪《あく》にも|強《つよ》い、|此方《こちら》は|仮令《たとへ》|善《ぜん》であらうと、ソンナ|事《こと》に|頓着《とんちやく》はない、|盗人《ぬすびと》の|群《むれ》に|捕手《とりて》が|来《き》たら、|其《その》|捕手《とりて》は|盗人《ぬすびと》からは|大悪人《だいあくにん》ぢや、コツソリと|博奕《ばくち》を|打《う》つて|居《ゐ》る|其《その》|場《ば》へポリスが|踏《ふ》み|込《こ》んで|来《き》た|時《とき》は、|博奕打《ばくちうち》から|見《み》たら、|其《その》ポリスは|大悪人《だいあくにん》だ。お|前《まへ》と|妾《わし》と|暗《やみ》の|夜《よ》に|橋《はし》の|袂《たもと》でヒソヒソ|話《ばなし》をして|居《ゐ》る|所《ところ》へ、|三五《さんご》の|月《つき》が|雲《くも》の|戸《と》|開《あ》けて|覗《のぞ》いた|時《とき》は、|其《その》|月《つき》こそ|吾等《われら》の|為《ため》には|大《だい》の|悪魔《あくま》だ。これ|位《くらゐ》の|事《こと》が|分《わか》らいで、ウラナイ|教《けう》がどうして|開《ひら》けるか。|全然《まるで》|是《こ》れから|数十万年《すふじふまんねん》|未来《みらい》の|十七八世紀《じふしちはつせいき》の|人間《にんげん》の|様《やう》な|事《こと》を|思《おも》つて|居《ゐ》らつしやる。せめて|十九世紀末《じふくせいきまつ》か、|二十世紀《にじつせいき》|初頭《しよとう》の、|善悪《ぜんあく》|不可解《ふかかい》の|人間《にんげん》に|改善《かいぜん》しなさい。エーエー|悟《さと》りの|悪《わる》い。……|一人《ひとり》の|神柱《かむばしら》を|拵《こしら》へるのにも|骨《ほね》のをれた|事《こと》だ。|若《わか》い|時《とき》から|男性女《をとこをんな》と|云《い》はれたる|此《この》|高姫《たかひめ》が、|心《こころ》に|潜《ひそ》む|一厘《いちりん》の|仕組《しぐみ》、|言《い》うてやりたいは|山々《やまやま》なれど、まだまだお|前《まへ》にや|明《あ》かされぬ、エーエー|困《こま》つた|事《こと》になつたワイ』
|青彦《あをひこ》|双手《もろて》を|組《く》み、|暫《しば》し|思案《しあん》にくれて|居《ゐ》る。
|高姫《たかひめ》『アヽ|仕方《しかた》がない、コンナ|分《わか》らぬ|神柱《かむばしら》を|相手《あひて》にして|居《を》ると、|肩《かた》が|凝《こ》る。エー|仕方《しかた》がない。サアサア|衣懸松《きぬかけまつ》の|麓《ふもと》の|妾《わたし》が|隠《かく》れ|家《が》に|引返《ひきかへ》して、|酒《さけ》でも|飲《の》みて|機嫌《きげん》を|直《なほ》し、ヒソヒソ|話《ばなし》の|序《ついで》に、|誠《まこと》の|事《こと》を|知《し》らして|遣《や》らう。さうしたら、チツとはお|前《まへ》も|改悪《かいあく》して|胸《むね》が|落着《おちつ》くであらう。|改心《かいしん》と|云《い》ふ|事《こと》は、|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》の|誠《まこと》の|教《をしへ》を、|嘘《うそ》だ|嘘《うそ》だと|言《い》つて、|其《その》|教子《をしへご》を|虱殺《しらみごろ》しに|喰《く》ひ|殺《ころ》し、そつと|舌《した》を|出《だ》して、|会心《くわいしん》の|笑《ゑみ》を|漏《も》らすと|云《い》ふ|謎《なぞ》だよ。お|前《まへ》もまだ|悪《あく》が|足《た》らぬ、|飽《あ》くまで|改心《かいしん》……ドツコイ……|慢心《まんしん》するが|宜《よ》い。|慢心《まんしん》の|裏《うら》は|改心《かいしん》だ、|改心《かいしん》の|裏《うら》は|慢心《まんしん》だ、|表教《おもてけう》の|裏《うら》はウラル|教《けう》、|表《おもて》と|裏《うら》と|一《ひと》つになつて、|天地《てんち》の|経綸《けいりん》が|行《おこな》はれるのだよ』
|青彦《あをひこ》『エー|益々《ますます》|訳《わけ》が|分《わか》らなくなつた。さうすると|貴女《あなた》は|迷信教《めいしんけう》を|開《ひら》くのだな』
|高姫《たかひめ》『さうだ、|迷信《めいしん》とは|米《こめ》の|字《じ》に、|〓《しんにう》をかけたのだ。|米《こめ》の|字《じ》は|大八洲《おほやしま》の|形《かたち》だよ、|大八洲彦《おほやしまひこ》の|命《みこと》の|砦《とりで》に|侵入《しんにふ》して、|信者《しんじや》をボツタクるから、|所謂《いはゆる》|迷信教《めいしんけう》だ。オホヽヽヽ、|迷《まよ》うたと|云《い》ふ|言葉《ことば》は、|悪魔《あくま》の|魔《ま》を|呼《よ》ぶと|云《い》ふ|事《こと》だ。それに|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》は|馬鹿《ばか》だから、|迷《まよ》うたと|云《い》ふのは、|誠《まこと》のマに|酔《よ》ふのだなどと、|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を|言《い》つてゐよる、|嗚呼《ああ》|迷信《めいしん》なる|哉《かな》、|迷信《めいしん》なるかなだ』
|青彦《あをひこ》『ますます|迷宮《めいきう》に|入《い》つて|来《き》た』
|高姫《たかひめ》『|定《き》まつた|事《こと》だ。|米《こめ》の|字《じ》に|因縁《いんねん》のある|所《ところ》に|建《た》てたお|宮《みや》に|立《た》てこもつた|吾々《われわれ》は、|迷宮《めいきう》に|居《ゐ》るのは|当然《あたりまへ》だ。|三五教《あななひけう》の|素盞嗚尊《すさのをのみこと》は、よつぽど、|馬鹿正直《ばかしやうぢき》な|奴《やつ》だ、|世界《せかい》の|為《ため》に|千座《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》ひよつて、|善《ぜん》を|尽《つく》し、|美《び》を|尽《つく》し、|世界《せかい》から|悪魔《あくま》だ、|外道《げだう》だと|言《い》はれて、|十字架《じふじか》を|負《お》ふのは|自分《じぶん》の|天職《てんしよく》だと|甘《うま》ンじて|居《ゐ》る、コンナ|馬鹿《ばか》が|世界《せかい》に|又《また》と|一人《ひとり》あるものか、|世界《せかい》の|中《うち》で|馬鹿《ばか》の|鑑《かがみ》と|云《い》へば、|調子《てうし》に|乗《の》つて|木登《きのぼ》りする|奴《やつ》と、|自《みづか》ら|千座《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》ふ|奴《やつ》と、|広《ひろ》い|街道《かいだう》を|人《ひと》の|軒下《のきした》を|歩《ある》いて、|看板《かんばん》で|頭《あたま》を|打《う》つて|瘤《こぶ》を|拵《こしら》へて|吠《ほ》える|奴《やつ》|位《くらゐ》が|大関《おほぜき》だ。……|鬼雲彦《おにくもひこ》も|余《よ》つ|程《ぽど》|馬鹿《ばか》だ。|初《はじめ》から|悪《あく》を|標榜《へうぼう》して|悪《あく》を|働《はたら》かうと|思《おも》つたつて、ナニそれが|成功《せいこう》するものか、|智慧《ちゑ》の|無《な》い|奴《やつ》のする|事《こと》は、|大抵《たいてい》|皆《みんな》|頓珍漢《とんちんかん》ばつかりだよ。|善悪不二《ぜんあくふじ》、|正邪《せいじや》|同根《どうこん》と|云《い》ふ|真理《しんり》を|知《し》らぬ|馬鹿者《ばかもの》の|世《よ》の|中《なか》だ。|青彦《あをひこ》、お|前《まへ》も|大分《だいぶん》|素盞嗚尊《すさのをのみこと》に|被《かぶ》れたな、|世《よ》の|中《なか》は|何事《なにごと》も|裏表《うらおもて》のあるものだよ、ゴンベレル|丈《だけ》|権兵衛《ごんべ》り、ボロレル|丈《だけ》ボロつて、|其《その》|後《あと》は、|白蓮《びやくれ》るのが|賢《かしこ》い|行方《やりかた》だ。お|前《まへ》も|余《よ》つ|程《ぽど》|能《よ》い|青瓢箪《あをべうたん》だなア』
と、ビシヤリと|額《ひたひ》を|叩《たた》く。
|青彦《あをひこ》『ヤアどうも|意味深長《いみしんちやう》なる|御説明《ごせつめい》|恐《おそ》れ|入《い》つて|御座《ござ》います。モウ|斯《こ》うなる|上《うへ》は、どうならうとも、あなたにお|任《まか》せ|致《いた》しますワ』
|高姫《たかひめ》『アヽさうぢや さうぢや、さうなくては|信仰《しんかう》は|出来《でき》ない。|信仰《しんかう》は|恋慕《れんぼ》の|心《こころ》と|同《おな》じ|事《こと》だ、|男女間《だんぢよかん》の|恋愛《れんあい》を|極度《きよくど》に|拡大《くわくだい》し、|宇宙大《うちうだい》に|拡《ひろ》めたのが|信仰《しんかう》だ。|恋《こひ》に|上下《じやうげ》|美醜《びしう》|善悪《ぜんあく》の|隔《へだ》ては|無《な》い、|宜《よ》いか、|分《わ》かりましたか』
|青彦《あをひこ》『ハイ、|根《ね》つから……|能《よ》く|分《わか》りました』
|高姫《たかひめ》『エー|怪体《けつたい》な、|歯切《はぎ》れのせぬ、|古綿《ふるわた》を|噛《か》む|様《やう》な、|歯脱《はぬ》けが|蛸《たこ》でもシヤブル|様《やう》な|返辞《へんじ》だなア、オホヽヽヽ、|何《なに》は|兎《と》もあれ、|衣懸松《きぬかけまつ》の|隠《かく》れ|家《が》へ|行《ゆ》きませう』
と|先《さき》に|立《た》つてスタスタとコンパスの|廻転《くわいてん》を|初《はじ》める。|青彦《あをひこ》は|不性不性《ふしようぶしよう》に|随《つ》いて|行《ゆ》く。
|最前《さいぜん》|現《あら》はれた|鬼雲彦《おにくもひこ》の|使《つかひ》の|魔神《まがみ》、|五人《ごにん》の|男《をとこ》は|先《さき》に|立《た》ち、|数多《あまた》の|魔軍《まぐん》を|引連《ひきつ》れて、|此方《こちら》を|指《さ》して|進《すす》み|来《く》る。|忽《たちま》ち|聞《きこ》ゆる|叫《さけ》び|声《ごゑ》、|右《みぎ》か|左《ひだり》か|後《うしろ》か|前《まへ》か、|何方《いづかた》ならむと|窺《うかが》へど、|姿《すがた》は|見《み》えず|声《こゑ》ばかり、|足《あし》の|下《した》より|響《ひび》き|来《く》る。|鬼雲彦《おにくもひこ》は|栗毛《くりげ》の|馬《うま》にチリンチリンのチヨコチヨコ|走《ばし》り、|馬《うま》を|止《と》めて|大音声《だいおんじやう》、
『ヤアヤア|者共《ものども》、|此《この》|岩石《がんせき》を|取除《とりのぞ》け。…|此《この》|地底《ちてい》には|宏大《くわうだい》なる|岩窟《いはや》がある、ウラナイ|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》|高姫《たかひめ》、|青彦《あをひこ》の|二人《ふたり》、|数多《あまた》の|人々《ひとびと》と|共《とも》に|隠《かく》れ|忍《しの》ぶと|見《み》えたり。|早《はや》く|此《この》|岩石《がんせき》を|取除《とりのぞ》けよ』
と|呶鳴《どな》り|立《た》つれば、|数多《あまた》の|魔神《まがみ》は|此《この》|巨岩《きよがん》に|向《むか》つて、|牡丹餅《ぼたもち》に|蟻《あり》が|集《たか》つた|様《やう》に、|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|武者振《むしやぶ》り|付《つ》く。|然《さ》れども|幾千万貫《いくせんまんくわん》とも|知《し》れぬ、|小山《こやま》の|如《ごと》き|岩石《がんせき》に|対《たい》して、|如何《いかん》ともする|事《こと》が|出来《でき》ざりけり。|鬼雲彦《おにくもひこ》は|気《き》を|焦《いら》ち、|自《みづか》ら|駒《こま》を|飛《と》び|下《お》りて、|人《ひと》の|頭髪《とうはつ》を|以《もつ》て|綯《あざな》へる|太《ふと》き|毛綱《けづな》を|持出《もちだ》し|来《きた》り、|巌《いはほ》に|引《ひ》つかけ、|一度《いちど》に|声《こゑ》を|揃《そろ》へて、エーヤエーヤと|曳《ひ》きつける。|曳《ひ》けども、|引《ひ》けども、|動《うご》かばこそ、|蟻《あり》の|飛脚《ひきやく》が|通《とほ》る|程《ほど》も、|岩《いは》は|腰《こし》を|上《あ》げぬ。|中《なか》より|聞《きこ》ゆる|数多《あまた》の|人声《ひとごゑ》|刻々《こくこく》に|迫《せま》り|来《く》る。|斯《か》かる|所《ところ》へ|天地《てんち》も|揺《ゆ》るぐ|許《ばか》りの|大声《おほごゑ》を|張上《はりあ》げ|乍《なが》ら、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ、|十曜《とえう》の|手旗《てばた》を|打振《うちふ》り|打振《うちふ》り|進《すす》み|来《きた》る|一男二女《いちなんにぢよ》の|宣伝使《せんでんし》ありき。
|亀彦《かめひこ》『ヤアヤア|鬼雲彦《おにくもひこ》の|一派《いつぱ》の|奴輩《やつばら》、|最早《もはや》|汝《なんぢ》が|運《うん》の|尽《つ》き、|吾《わ》れこそは|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|万代《よろづよ》|祝《いは》ふ|亀彦《かめひこ》、|暗夜《やみよ》を|照《て》らす|英子姫《ひでこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》の|三人《さんにん》なるぞ。|一言《いちげん》|天地《てんち》を|震動《しんどう》し、|一声《いつせい》|風雨雷霆《ふううらいてい》を|叱咤《しつた》するてふ|三五教《あななひけう》|独特《どくとく》の|清《きよ》き|言霊《ことたま》を|食《く》つて|見《み》よ』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|謡《うた》ひ|上《あ》げつつ、|三人《さんにん》|一度《いちど》に|右手《みぎて》を|差出《さしだ》し|食指《ひとさしゆび》の|先《さき》より|五色《ごしき》の|霊光《れいくわう》を|発射《はつしや》して、|一同《いちどう》にサーチライトの|如《ごと》く|射照《いてら》せば、|流石《さすが》の|鬼雲彦《おにくもひこ》も|馬《うま》を|乗《の》り|棄《す》て、|転《こ》けつ、|輾《まろ》びつ|一生懸命《いつしやうけんめい》、|大江山《おほえやま》の|本城《ほんじやう》|指《さ》して|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げて|行《ゆ》く。
|亀彦《かめひこ》『アハヽヽヽ』
|二女《にぢよ》『ホヽヽヽヽ』
|亀彦《かめひこ》『ヤア|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、|彼《あ》れが|鬼雲彦《おにくもひこ》の|大将《たいしやう》、|我《わが》|言霊《ことたま》に|畏縮《ゐしゆく》して|逃散《にげち》つたる|時《とき》の|可笑《をか》しさ、イヤもう|話《はなし》にも|杭《くひ》にも|掛《かか》つたもので|御座《ござ》らぬ。|是《こ》れと|申《まを》すも|全《まつた》く、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の|尊《たふと》き|御守《おまも》り、|国武彦《くにたけひこ》の|御守護《ごしゆご》の|力《ちから》の|致《いた》す|所《ところ》、|先《ま》づ|先《ま》づ|此処《ここ》で|一服《いつぷく》|仕《つかまつ》り、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|神界《しんかい》に|対《たい》し|御礼《おれい》を|奏上《そうじやう》し、ボツボツと|参《まゐ》りませう。|今日《けふ》は|九月《くぐわつ》|九日《ここのか》|菊《きく》の|紋日《もんび》、|是《ぜ》が|非《ひ》でも、|今日《けふ》の|内《うち》に|悪神《わるがみ》を|言向《ことむ》け|和《やは》さねばなりますまい。|六日《むゆか》の|菖蒲《あやめ》|十日《とをか》の|菊《きく》となつては、|最早《もはや》|手遅《ておく》れ、|後《あと》の|祭《まつ》り、ゆるゆると|急《いそ》ぎませう』
|茲《ここ》に|三人《さんにん》は|巨岩《きよがん》の|傍《そば》に|端坐《たんざ》し、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》したりしが、|祝詞《のりと》の|声《こゑ》は|九天《きうてん》に|響《ひび》き、|百千《ひやくせん》の|天人《てんにん》|天女《てんによ》|下《くだ》り|来《きた》つて、|音楽《おんがく》を|奏《かな》づるかと|疑《うたが》はるる|許《ばか》りなり。|祝詞《のりと》の|声《こゑ》は|山《やま》|又《また》|山《やま》、|谷《たに》と|谷《たに》との|木霊《こだま》に|響《ひび》き、|悪魔《あくま》の|影《かげ》は|刻々《こくこく》と|煙《けむり》となつて|消《き》ゆるが|如《ごと》き|思《おもひ》に|充《み》たされける。
|亀彦《かめひこ》『サアサア|御二方《おふたかた》、ゆつくりと|休息《きうそく》を|致《いた》しませう』
|英子姫《ひでこひめ》『|大変《たいへん》に|足《あし》も|疲労《ひらう》を|感《かん》じました。|休息《きうそく》も|宜《よろ》しからう』
|悦子姫《よしこひめ》『ゆつくり|英気《えいき》を|養《やしな》つて、|又《また》もや|華々《はなばな》しく|言霊戦《ことたません》を|開始《かいし》しませう』
|茲《ここ》に|三人《さんにん》は|手足《てあし》を|延《の》ばし、|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もなく、ゴロリと|横《よこ》たはりぬ。|後《うしろ》の|方《はう》より|震《ふる》ひを|帯《お》びた|疳声《かんごゑ》を|張上《はりあ》げ|乍《なが》ら、
『オーイオーイ』
と|呼《よ》ばはりつつ、|此方《こなた》を|指《さ》してスタスタと|息《いき》をはづませ|遣《や》つて|来《く》るのは|男女《だんぢよ》の|二人《ふたり》、
|亀彦《かめひこ》『ヤア|何《なん》だか|気分《きぶん》の|悪《わる》い、|亡国的《ばうこくてき》|悲調《ひてう》を|帯《お》びた|声《こゑ》がする。あの|言霊《ことたま》より|観察《くわんさつ》すれば、どうで|碌《ろく》な|神《かみ》ではあるまい。ウラル|教《けう》|的《てき》|声調《せいてう》を|帯《お》びて|居《ゐ》る。……モシ|英子姫《ひでこひめ》|様《さま》、|一寸《ちよつと》|起《お》きて|御覧《ごらん》なさいませ』
|英子姫《ひでこひめ》はムツクと|立上《たちあ》がり、|後《うしろ》を|振返《ふりかへ》り|眺《なが》むれば、|顔《かほ》を|真白《まつしろ》に|塗《ぬ》り|立《た》て、|天上眉毛《てんじやうまゆげ》の|角隠《つのかく》し、|焦茶色《こげちやいろ》の|着物《きもの》を|着流《きなが》した|男女《だんぢよ》の|二人《ふたり》、|忽《たちま》ち|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれて、
|女《をんな》『これはこれは|旅《たび》の|御方様《おかたさま》、|斯様《かやう》な|所《ところ》で|御休息《ごきうそく》なされては、|嘸《さぞ》やお|背《せな》が|痛《いた》う|御座《ござ》いませう、|少《すこ》し|道寄《みちよ》りになりますが、|妾《わたし》の|宅《うち》へお|越《こ》し|下《くだ》さいますれば、|渋茶《しぶちや》なりと|差上《さしあ》げませう。あの|衣懸松《きぬかけまつ》の|麓《ふもと》に|出張《しゆつちやう》|致《いた》す|者《もの》、どうぞ|御遠慮《ごゑんりよ》なくお|出《い》で|下《くだ》さいませ。あなたのお|姿《すがた》を|眺《なが》むれば、どうやら|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》とお|見受《みう》け|申《まを》す。|妾等《わたしら》も|三五教《あななひけう》には|切《き》つても|切《き》れぬ、|浅《あさ》からぬ|因縁《いんねん》を|持《も》つて|居《ゐ》る、|実地《じつち》|誠《まこと》の|事《こと》は、|常世姫《とこよひめ》の|霊《みたま》の|憑《うつ》つた|此《この》|肉体《にくたい》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》にお|聞《き》きなさらねば、|後《あと》で|後悔《こうくわい》して、|地団駄《ぢだんだ》|踏《ふ》みても|戻《もど》らぬ|事《こと》が|出来《でき》まする。あなたは|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》をお|開《ひら》きなさるのは、|天下《てんか》|国家《こくか》の|為《ため》、|誠《まこと》に|結構《けつこう》で|御座《ござ》いまするが、|併《しか》し|乍《なが》ら|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》は|国武彦命《くにたけひこのみこと》が|表《おもて》であつて、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》は|緯役《よこやく》、|邪《よこ》さの|道《みち》ばつかり|教《をし》へる。|天《あま》の|岩戸《いはと》を|閉《し》める、|悪《あく》の|鑑《かがみ》で|御座《ござ》いまする。|根本《こんぽん》のトコトンの|一厘《いちりん》の|仕組《しぐみ》は、|此《この》|高姫《たかひめ》が|扇《あふぎ》の|要《かなめ》を|握《にぎ》つて|居《を》りますれば、マアマア|一寸《ちよつと》|立寄《たちよ》つて|下《くだ》さい。|本当《ほんたう》の|因縁《いんねん》|聞《き》かして|上《あ》げませう。|他人《ひと》の|苦労《くらう》で|徳《とく》を|取《と》らうと|致《いた》す|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|教《をしへ》は|駄目《だめ》ですよ。|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》は|国武彦《くにたけひこ》の|神《かみ》がお|開《ひら》き|遊《あそ》ばしたのだ。|本当《ほんたう》の|事《こと》は|系統《ひつぱう》に|聞《き》かねば|分《わか》りませぬ。サアサア|永《なが》い|暇《ひま》は|取《と》りませぬ。どうぞお|出《い》で|下《くだ》さりませ』
|亀彦《かめひこ》『|私《わたくし》はお|察《さつ》しの|通《とほ》り|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|併《しか》し|乍《なが》ら、あなたとは|反対《はんたい》で、|国武彦《くにたけひこ》の|教《をしへ》は|嫌《いや》です、|緯役《よこやく》の|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|教《をしへ》が|飯《めし》より|好《すき》、お|生憎様《あひにくさま》|乍《なが》ら、どうしても、あなたと|私《わたくし》は|意向《そり》が|合《あ》はぬ。|真《ま》つ|平《ぴら》|御免《ごめん》|蒙《かうむ》りませう、ナア|英子姫《ひでこひめ》さま、|悦子姫《よしこひめ》さま』
|英子姫《ひでこひめ》『ホヽヽヽ、|亀彦《かめひこ》さま、|物《もの》は|試《ため》しだ、|一服《いつぷく》がてらに|聞《き》いてやつたらどうでせう』
|高姫《たかひめ》|眉《まゆ》を|逆立《さかだ》て、|口《くち》をへの|字《じ》に|結《むす》び、グツと|睨《にら》み、|暫《しばら》くあつて|歯《は》の|脱《ぬ》けた|大口《おほぐち》を|開《ひら》き、
『サア|夫《そ》れだから、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|教《をしへ》は|不可《いか》ぬと|云《い》ふのだよ。|女《をんな》の|分際《ぶんざい》として、|今《いま》の|言葉《ことば》|遣《づか》ひは|何《なん》の|態《ざま》、……ホンニホンニ|立派《りつぱ》な|三五教《あななひけう》ぢや、ホヽヽヽ。コレコレ|青彦《あをひこ》さま、お|前《まへ》もチツト|言《い》はぬかいな、|唖《おし》か|人形《にんぎやう》の|様《やう》に、|知《し》らぬ|顔《かほ》の|半兵衛《はんべゑ》では、|三五教《あななひけう》|崩壊《ほうくわい》の|大望《たいもう》は…………ドツコイ………|三五教《あななひけう》|改良《かいりやう》の|大望《たいもう》は|成就《じやうじゆ》|致《いた》しませぬぞや』
|青彦《あをひこ》『|何《いづ》れの|方《かた》かは|存《ぞん》じませぬが、|吾々《われわれ》も|元《もと》は|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|教《をしへ》を|信《しん》じ、|三五教《あななひけう》に|迷《まよ》うて|居《ゐ》ました。|併《しか》し|乍《なが》らどうしても|変性女子《へんじやうによし》の|言行《げんかう》が|腑《ふ》に|落《お》ちぬので、|五里霧中《ごりむちゆう》に|彷徨《さまよ》ふ|折《をり》から、|変性男子《へんじやうなんし》のお|肉体《にくたい》より|現《あら》はれ|給《たま》うた|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》、|誠《まこと》|生粋《きつすゐ》の|日本魂《やまとだましひ》の|高姫《たかひめ》さまのお|話《はなし》を|聞《き》いて、スツクリと|改心《かいしん》|致《いた》しました。あなたも|今《いま》は|変性女子《へんじやうによし》に|一生懸命《いつしやうけんめい》と|見《み》えますが、マア|一寸《ちよつと》|聞《き》いて|見《み》なさい、|如何《いか》な|金太郎《きんたらう》のあなたでも、|訳《わけ》を|聞《き》いたら|変性女子《へんじやうによし》に|愛想《あいさう》が|尽《つ》きて、|嘔吐《へど》でも|吐《は》き|掛《か》けたい|様《やう》になりますぜ。|物《もの》は|試《ため》しだ、|一《ひと》つ|行《ゆ》きなさつたら|如何《どう》ですか』
|亀彦《かめひこ》『ソンナラ|一《ひと》つ|聴《き》いてやらうか』
|高姫《たかひめ》『|聴《き》いて|要《い》りませぬ、|誠《まこと》の|道《みち》を|教《をし》へて、|助《たす》けて|上《あ》げようと、|親切《しんせつ》に|言《い》つて|居《ゐ》るのに、|聴《き》いてやらうとは、|何《なん》たる|暴言《ばうげん》ぞや。どうぞお|聴《き》かせ|下《くだ》され………と|何故《なぜ》|手《て》を|合《あ》はしてお|頼《たの》みなさらぬか』
|亀彦《かめひこ》『アハヽヽヽ、お|前《まへ》の|方《はう》から|聴《き》いて|呉《く》れいと|頼《たの》みたぢやないか、|夫《そ》れだから、|研究《けんきう》の|為《ため》に|聴《き》いてやらうと|言《い》つたのが、|何《なに》が|誤《あやま》りだ。エーもう|煩雑《うるさ》くなつた。ご|免《めん》|蒙《かうむ》らうかい』
|高姫《たかひめ》『|妾《わらは》が|是《こ》れと|見込《みこ》みた|以上《いじやう》は、どうしても、|斯《か》うしても、ウラナイ|教《けう》を、|腹《はら》を|破《やぶ》つてでも、|叩《たた》き|込《こ》まねば|承知《しようち》がならぬ、|厭《いや》でも、|応《おう》でも、|改心《かいしん》させる。|早《はや》く|我《が》を|折《を》りなされ、|素直《すなほ》にするのが、|各自《めいめい》のお|得《とく》だ。あいた|口《くち》が|塞《すぼ》まらぬ、キリキリ|舞《まひ》を|致《いた》さなならぬ|様《やう》な|事《こと》が|出《で》て|来《き》ては|可哀相《かはいさう》だから、……サアサア|早《はや》う、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》の|申《まを》す|事《こと》を、|耳《みみ》を|浚《さら》へて|聴《き》いたが|能《よ》からう』
|亀彦《かめひこ》『アハヽヽヽ』
|英子姫《ひでこひめ》『オホヽヽヽ』
|悦子姫《よしこひめ》『ホヽヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『|何《なん》ぢや、お|前《まへ》さま|等《ら》は、|此《この》|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》を|馬鹿《ばか》にするのかい』
|亀彦《かめひこ》『イエイエ、どうしてどうして、あまり|勿体《もつたい》なくて、|見当《けんたう》が|取《と》れなくなつて、|面白《おもしろ》|笑《わら》ひに|笑《わら》ひました。|笑《わら》ふ|門《かど》には|福《ふく》|来《きた》る。|副守護神《ふくしゆごじん》か、|伏魔《ふくま》か|知《し》らぬが、|米々《こめこめ》と|能《よ》く|囀《さへづ》つて|人《ひと》の|虚《きよ》に|侵入《しんにふ》せむとする、|天晴《あつぱれ》の|手腕《しゆわん》、|天《てん》の|星《ほし》を【ガラツ】|様《やう》な|御説教《ごせつけう》、|旅《たび》の|憂《う》さを|散《さん》ずる|為《ため》|聴《き》かして|貰《もら》ひませう』
|高姫《たかひめ》『サアサア|神政成就《しんせいじやうじゆ》、|日本魂《やまとだましひ》の|根本《こつぽん》の|一厘《いちりん》の|仕組《しぐみ》を|聴《き》かして|上《あ》げよう………エヘン……オホン……』
と|女《をんな》に|似合《にあ》はぬ、|肩《かた》を|怒《いか》らし、|拳《こぶし》を|握《にぎ》り、|大手《おほて》を|振《ふ》り、|外輪《そとわ》に|歩《ある》いて、ヅシンヅシンと、|衣懸松《きぬかけまつ》の|麓《ふもと》を|指《さ》して|跨《また》げて|行《ゆ》く。|三人《さんにん》は|微笑《びせう》を|泛《うか》べ|乍《なが》ら、|青彦《あをひこ》を|後《うしろ》に|従《したが》へ|伴《つ》いて|行《ゆ》く。
|衣懸松《きぬかけまつ》の|麓《ふもと》に|近寄《ちかより》|見《み》れば、|些《ささ》やかなる|草屋根《わらやね》の|破風口《はふぐち》より|黒烟《こくえん》、|猛炎々々《まうえんまうえん》と|立《た》ち|昇《のぼ》る。|高姫《たかひめ》は|此《この》|態《てい》を|見《み》てビツクリ|仰天《ぎやうてん》、
|高姫《たかひめ》『ヤア|火事《くわじ》だ|火事《くわじ》だ、サアサア|皆《みな》さま、|火《ひ》を|消《け》して|下《くだ》さい』
|亀彦《かめひこ》『|煙《けむり》は|猛炎々々《まうえんまうえん》と|立上《たちあが》れ|共《ども》、|家《いへ》はヤツパリ|燃《も》えると|見《み》える。お|前《まへ》さまの|腹《はら》の|中《なか》も|此《この》|通《とほ》り|紅蓮《ぐれん》の|舌《した》を|吐《は》いて|燃《も》えて|居《を》るであらう、|霊肉一致《れいにくいつち》、|本当《ほんたう》に|眼《め》から|火《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》だ、アハヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『ソンナ|事《こと》は|後《あと》で|聞《き》いたら|宜《よろ》しい。|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|場合《ばあひ》、|早《はや》く|助《たす》けて|下《くだ》さい、|水《みづ》を|掛《か》けなされ』
|亀彦《かめひこ》『ヤア|大分《だいぶん》|最前《さいぜん》から|問答《もんだふ》もして|来《き》た。|水掛論《みづかけろん》は|良《い》い|加減《かげん》に|止《や》めて|貰《もら》はうかい、|舌端《ぜつたん》|火《ひ》を|吐《は》いた|報《むく》いに、|家《いへ》まで|火《ひ》を|吐《は》いた。|人《ひと》を|烟《けむり》に|巻《ま》いた|天罰《てんばつ》で、|家《いへ》まで|烟《けむり》に|巻《ま》かれよつた。|天罰《てんばつ》と|云《い》ふものは|恐《おそ》ろしいものだ。マアゆつくり|高姫《たかひめ》さまの|活動振《くわつどうぶり》を|見《み》せて|貰《もら》ひませう。|雪隠小屋《せんちごや》の|様《やう》な|家《いへ》が|焼《や》けた|所《ところ》で、|別《べつ》に|騒《さわ》ぐ|必要《ひつえう》もなからう。|人《ひと》の|飛出《とびだ》した|空《から》の|家《いへ》が|焼《や》けるのだ。|高姫《たかひめ》さまは|雪隠《せんち》の|火事《くわじ》で|糞《くそ》【やけ】になつて|居《を》らうが、|此方《こちら》は|高見《たかみ》の|見物《けんぶつ》で、|対岸《たいがん》の|火災視《くわさいし》するとは|此《この》|事《こと》だ。|一切《いつさい》の|執着心《しふちやくしん》を|取《と》る|為《ため》には、|火《ひ》の|洗礼《せんれい》が|一番《いちばん》だ、|是《こ》れで|火《ひ》の|出神《でのかみ》の|神徳《しんとく》が|完全《くわんぜん》に|発揮《はつき》されたのだ。ナア|高姫《たかひめ》さま、あなたの……|此《こ》れで|御守護神《ごしゆごじん》が|証明《しようめい》されると|云《い》ふものだ。お|喜《よろこ》びなさい』
|高姫《たかひめ》『エー|喧《やかま》しいワイ、|何《なに》どこの|騒《さわ》ぎぢやない、グヅグヅして|居《を》ると、|皆《みな》|焼《や》けて|仕舞《しま》わア、|中《なか》へ|這入《はい》つて、|燗徳利《かんどくり》なと|引《ひ》つ|張《ぱ》り|出《だ》して|呉《く》れい。コレコレ|青彦《あをひこ》、|何《なに》して|居《を》る、|火事《くわじ》と|云《い》ふのは|家《いへ》が|焼《や》けるのだ、|水《みづ》が|流《なが》れるのは|川《かは》だ、|目《め》は|鼻《はな》の|上《うへ》に|在《あ》る』
と|狼狽《うろた》へ|騒《さわ》いで|半気違《はんきちがひ》になり、|摺鉢《すりばち》|抱《かか》へて|右往左往《うわうさわう》に|狂《くる》ひ|廻《まは》る|可笑《をか》しさ。|瞬《またた》く|間《うち》に|火《ひ》は|棟《むね》を|貫《つらぬ》き、バサリと|焼《や》け|落《お》ちた。|高姫《たかひめ》、|青彦《あをひこ》は|着衣《ちやくい》の|袖《そで》を|猛火《まうくわ》に|嘗《な》められ、|頭髪《とうはつ》をチリチリと|燻《くす》べ|乍《なが》ら、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|走《はし》りゆく。|火《ひ》は|風《かぜ》に|煽《あふ》られて|益々《ますます》|燃《も》え|拡《ひろ》がる。|警鐘《けいしよう》|乱打《らんだ》の|声《こゑ》、|速大鼓《はやだいこ》の|音《おと》|頻《しき》りに|聞《きこ》え|来《く》る、|二人《ふたり》は|進退《しんたい》|谷《きは》まり、|丸木橋《まるきばし》の|上《うへ》より|青淵《あをぶち》|目蒐《めが》けて、|井戸《ゐど》に|西瓜《すゐくわ》を|投《な》げた|様《やう》に、ドブンと|落込《おちこ》みしが、|此《この》|音《おと》に|驚《おどろ》いて|目《め》を|覚《さま》せば、|宮垣内《みやがいち》の|賤《しづ》の|伏屋《ふせや》に、|王仁《おに》の|身《み》は|横《よこ》たはり|居《ゐ》たり。|堅法華《かたほつけ》のお|睦婆《むつば》アが、|豆太鼓《まめだいこ》を|叩《たた》き|鐘《かね》を|鳴《な》らして、|法華経《ほつけきやう》のお|題目《だいもく》を|唱《とな》へる|音《おと》かしまし。
(大正一一・四・一四 旧三・一八 松村真澄録)
第九章 |法螺《ほら》の|貝《かひ》〔五九九〕
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |万代《よろづよ》|祝《いは》ふ|亀彦《かめひこ》が
|言霊《ことたま》の|息《いき》にあふられて |雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|散《ち》りし
|鬼雲彦《おにくもひこ》は|命《いのち》|辛々《からがら》|本城《ほんじやう》へ |韋駄天《ゐだてん》|走《ばし》りに|駆《か》け|戻《もど》り
|赤白青《あかしろあを》の|鬼共《おにども》を |一間《ひとま》に|集《あつ》めて|鬼彦《おにひこ》や
|鬼虎《おにとら》、|石熊《いしくま》、|熊鷹《くまたか》が |行方《ゆくへ》を|探《さが》す|大評定《だいへうぢやう》
バラモン|教《けう》の|祭壇《さいだん》を |半《なかば》|祭《まつ》つた|其《その》|儘《まま》に
|厭《いや》な|便《たよ》りを|菊月《きくづき》の |苦《くる》しみ|藻掻《もが》く|九月《くぐわつ》|九日《ここのか》
|何《なに》を|夕《ゆふべ》のすべもなく |半円《はんゑん》の|月《つき》は|御空《みそら》に|輝《かがや》けど
|心《こころ》の|空《そら》は|掻《か》き|曇《くも》る |鬼《おに》に|責《せ》められ|村雲《むらくも》に
|包《つつ》まれきつた|鬼雲《おにくも》が |心《こころ》の|中《うち》ぞ|哀《あは》れなる。
|鬼雲彦《おにくもひこ》は|奥《おく》の|一間《ひとま》を|開放《かいはう》し、|上段《じやうだん》に|胡坐《あぐら》をかき、|象牙《ざうげ》のやうな|角《つの》をニユウと|立《た》て、|鰐口《わにぐち》を|開《ひら》いて|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
『|今日《けふ》は|実《じつ》に|目出度《めでた》き|菊見《きくみ》の|宴《えん》、バラモン|教《けう》が|祭典日《さいてんび》に|犠牲《いけにへ》を|奉《たてまつ》らむと、|神饌《しんせん》の|蒐集《しうしふ》に|遣《つか》はしたる|鬼彦《おにひこ》|以下《いか》は|何処《いづこ》へ|姿《すがた》を|隠《かく》せしぞ。|今《いま》に|及《およ》びて|帰《かへ》り|来《きた》らざるは|何《なに》か|非常事《ひじやうじ》の|出来《しゆつたい》せしならむ。|斯《か》くなる|上《うへ》は|油断《ゆだん》は|大敵《たいてき》なるぞ、|一々《いちいち》|武装《ぶさう》を|整《ととの》へ|如何《いか》なる|敵《てき》の|来《きた》るとも|怯《お》めず|屈《くつ》せず|克《よ》く|戦《たたか》ひ|克《よ》く|防《ふせ》ぎ、|敵《てき》を|千里《せんり》に|追《お》ひ|散《ち》らし、バラモン|教《けう》が|神力《しんりき》を|天下《てんか》に|現《あら》はせよ』
と|下知《げち》したるに、|満座《まんざ》の|中《なか》より|現《あら》はれ|出《い》でたる|一寸坊子《いつすんぼうし》、|福助《ふくすけ》のやうな|不恰好《ぶかつかう》な|頭《かしら》をぐらつかせながら、|危《あぶ》なき|足許《あしもと》ひよろひよろと|鬼雲彦《おにくもひこ》が|前《まへ》に|現《あら》はれ|来《きた》り、
|一寸坊子《いつすんぼうし》『|申上《まをしあ》げます、|鬼彦《おにひこ》|其《その》|他《た》の|勇将《ゆうしやう》は|心機一転《しんきいつてん》して|三五教《あななひけう》に|寝返《ねがへ》りを|打《う》ち、|綾《あや》の|高天《たかま》に|馳上《はせのぼ》り、|日《ひ》ならず|大軍《たいぐん》を|率《ひき》ゐて|当山《たうざん》を|十重二十重《とへはたへ》に|取《と》り|巻《ま》き、|鬼雲彦《おにくもひこ》の|大将《たいしやう》を|初《はじ》め|一人《ひとり》も|残《のこ》さず|木端微塵《こつぱみぢん》に|攻《せ》めつけ、|大江山《おほえやま》を|三五教《あななひけう》の|牙城《がじやう》とせむとの|敵《てき》の|計略《けいりやく》、|一日《いちにち》も|早《はや》くこの|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》るか、|但《ただ》しは|味方《みかた》の|全軍《ぜんぐん》を|率《ひき》ゐて|聖地《せいち》に|向《むか》つて|進軍《しんぐん》するか、|時《とき》|遅《おく》れては|一大事《いちだいじ》、|先《さき》ンずれば|人《ひと》を|制《せい》す、|一刻《いつこく》も|早《はや》く|進退《しんたい》を|定《さだ》めさせられよ』
と|述《の》べ|立《た》つるにぞ、|鬼雲彦《おにくもひこ》は|両手《りやうて》を|組《く》み|青息吐息《あをいきといき》の|連続的《れんぞくてき》|発射《はつしや》に|余念《よねん》なかりき。|時《とき》しもあれや、|表門《おもてもん》にガヤガヤとさざめく|人声《ひとごゑ》、|鬼雲彦《おにくもひこ》は|自《みづか》ら|立《た》つて|表門《おもてもん》に|立《た》ち|現《あら》はれ、|屹《きつ》と|目《め》をすゑ|眺《なが》むれば、こは|抑《そも》|如何《いか》に、|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》、|熊鷹《くまたか》、|石熊《いしくま》の|四天王《してんわう》は|数多《あまた》の|従卒《じゆうそつ》に|網代《あじろ》の|駕籠《かご》を|舁《か》つがせながら|意気《いき》|揚々《やうやう》と|帰《かへ》り|来《く》る。|鬼雲彦《おにくもひこ》はハツと|胸《むね》を|撫《な》で|下《お》ろし、
『ヤア|天晴《あつぱ》れ|天晴《あつぱ》れ、|汝《なんぢ》は|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》、|熊鷹《くまたか》、|石熊《いしくま》、よくも|無事《ぶじ》で|帰《かへ》りしぞ。|獲物《えもの》は|何《ど》うぢや』
|鬼彦《おにひこ》は|肩《かた》を|怒《いか》らし、|鼻《はな》を|蠢《うごめ》かしながら、
『|鬼雲彦《おにくもひこ》の|御大将《おんたいしやう》に|申上《まをしあ》げる、|抑々《そもそも》|吾等《われら》|従卒《じゆうそつ》を|引率《いんそつ》し、|由良《ゆら》の|港《みなと》の|秋山彦《あきやまひこ》が|館《やかた》に|立《た》ち|向《むか》ひ、さしもに|固《かた》き|大門《おほもん》も|右手《めて》を|延《の》ばしてウンと|一声《ひとこゑ》|向《むか》うへ|押《お》せばガラガラガラ、|力《ちから》|余《あま》つて|鬼彦《おにひこ》は|押《お》した|途端《とたん》に|門《もん》の|中《なか》へ|四五間《しごけん》ばかりドツと|飛《と》び|込《こ》みし|時《とき》の|危《あやふ》さ|否《いな》|面白《おもしろ》さ、|続《つづ》いて|入《い》り|来《く》る|数多《あまた》の|従卒《じゆうそつ》、|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|手分《てわけ》を|致《いた》して|玄関《げんくわん》、|納戸《なんど》、|水門《すゐもん》、|物置《ものおき》、|柴部屋《しばべや》より|鬨《とき》を|作《つく》つて|乱《みだ》れ|入《い》る、さしもに|豪傑《がうけつ》|無双《むさう》の|素盞嗚尊《すさのをのみこと》も|国武彦《くにたけひこ》|其《その》|他《た》|従《したが》ふ|奴輩《やつばら》も|肝《きも》を|潰《つぶ》して|右往左往《うわうさわう》に|逃《に》げ|惑《まど》うと|見《み》えしが|忽《たちま》ち|勢力《せいりよく》を|盛返《もりかへ》し、|千引《ちびき》の|岩《いは》を|手玉《てだま》に|取《と》つて|大地《だいち》も|割《わ》れむ|許《ばか》りドスン、ドスンと|岩石《がんせき》の|雨《あめ》、|忽《たちま》ち|秋山彦《あきやまひこ》の|門前《もんぜん》は|直径《ちよくけい》|一里《いちり》もあらむと|云《い》ふ|岩《いは》の|山《やま》を|築《きづ》いたり、されども|少《すこ》しも|怯《ひる》まぬ|味方《みかた》の|勇士《ゆうし》|鬼彦《おにひこ》は|真先《まつさき》に|立《た》ち、さしもに|固《かた》き|岩山《いはやま》を|片足《かたあし》|揚《あ》げてポンと|蹴《け》ればガラガラガラ、|又《また》もや|左《ひだり》の|足《あし》を|揚《あ》げてポンと|蹴《け》つた|途端《とたん》に|秋山彦《あきやまひこ》の|館《やかた》は|中天《ちうてん》にクルクルと|舞《ま》ひ|上《あが》る。|吾《われ》は|之《これ》にも|飽《あ》き|足《た》らず、|数万貫《すうまんくわん》の|大岩石《だいがんせき》を|手毬《てまり》の|如《ごと》くヒン|握《にぎ》り、|海原《うなばら》|目蒐《めが》けて|雨《あめ》や|霰《あられ》と|投《な》げつくれば、さしもに|深《ふか》き|千尋《ちひろ》の|海《うみ》も、ドボンドボンと|音《おと》|立《た》てて|水量《みづかさ》まさり、|遂《つひ》には|大《だい》なる|一《ひと》つ|島《じま》が|現《あら》はれたり。ヤア|開闢《かいびやく》|以来《いらい》|斯《かか》る|勇士《ゆうし》が|天《てん》にも|地《ち》にもあるものか、|斯《か》く|迄《まで》|強《つよ》き|豪傑《がうけつ》が、|何《なん》として|鬼雲彦《おにくもひこ》|如《ごと》き|大将《たいしやう》に|盲従《まうじゆう》するや、|吾《われ》と|吾《わが》|身《み》を|顧《かへり》みればいやもう|馬鹿《ばか》らしくなりにけり。さはさりながら|今日《けふ》はバラモン|教《けう》の|祭典日《さいてんび》、|如何《いか》に|豪傑《がうけつ》なればとて|神様《かみさま》には|叶《かな》はぬ、|一度《いちど》|礼《れい》を|申上《まをしあ》げむと|唯今《ただいま》|立《た》ち|帰《かへ》りし|処《ところ》で|御座《ござ》る』
|熊鷹《くまたか》は|又《また》もや|大手《おほて》を|振《ふ》り|大地《だいち》に|四股《しこ》|踏《ふ》み|鳴《な》らしながら、
『|某《それがし》は|鬼彦《おにひこ》の|絶対《ぜつたい》|無限《むげん》の|神力《しんりき》に|驚《おどろ》きもせず、|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》と|渡《わた》り|合《あ》ひ、|千引《ちびき》の|岩《いは》をもつて|互《たがひ》に|挑《いど》み|戦《たたか》へば、|尊《みこと》は|吾《われ》の|猛威《まうゐ》に|辟易《へきえき》し、|二三歩《にさんぽ》よろめきわたる|隙《すき》を|窺《うかが》ひ、|飛鳥《ひてう》の|如《ごと》くつけ|入《い》つて|有無《うむ》を|云《い》はさず|鉄《てつ》より|固《かた》き|両腕《りやううで》を|後《うしろ》に|廻《まは》し|踏縛《ふんじば》り、|網代《あじろ》の|駕籠《かご》に|押《お》し|込《こ》みて|番卒《ばんそつ》に|固《かた》く|守護《しゆご》させ|置《お》き、|強力無双《がうりきむさう》の|国武彦《くにたけひこ》の|所在《ありか》は|何処《いづこ》と|尋《たづ》ねる|中《うち》、|現《あら》はれ|出《い》でたる|大《だい》の|男《をとこ》、|之《これ》こそ|確《たしか》に|国武彦《くにたけひこ》、|熊鷹《くまたか》が|力《ちから》を|見《み》せて|呉《く》れむと|云《い》ふより|早《はや》く|拳固《げんこ》を|固《かた》めて、|縦横無尽《じうわうむじん》に|打《う》ち|振《ふ》り|打《う》ち|振《ふ》り、|国武彦《くにたけひこ》の|横面《よこづら》|目蒐《めが》けてポカンと|一《ひと》つ|擲《なぐ》るや|否《いな》や、|首《くび》は|中天《ちうてん》に|舞《ま》ひ|上《あが》り、|日本海《にほんかい》の|彼方《かなた》にザンブと|許《ばか》り|音《おと》を|立《た》てて|水煙《みづけぶり》、|姿《すがた》も|水《みづ》となりにけり』
|鬼虎《おにとら》は|又《また》もや|四股《しこ》|踏《ふ》み|鳴《な》らし、
『|某《それがし》は|秋山彦《あきやまひこ》の|館《やかた》に|向《むか》ひ、|様子《やうす》|如何《いか》にと|眺《なが》むれば、|四天王《してんわう》の|一人《ひとり》|鬼彦《おにひこ》|並《ならび》に|熊鷹《くまたか》の|両人《りやうにん》は|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》や、|国武彦《くにたけひこ》を|向《むか》うに|廻《まは》し、|獅子奮迅《ししふんじん》の|勢《いきほひ》|凄《すさま》じく、|丁々発止《ちやうちやうはつし》と|秘術《ひじゆつ》を|尽《つく》す|上段《じやうだん》|下段《げだん》、|下《した》を|払《はら》へば|中天《ちうてん》に|飛《と》び|上《あが》り、|上《うへ》を|払《はら》へば|根底《ねそこ》の|国《くに》に|身《み》を|潜《ひそ》め、|天地《てんち》|四方《しはう》を|自由自在《じいうじざい》に|飛《と》び|廻《まは》る、|電光石火《でんくわうせきくわ》の|大活動《だいくわつどう》|目覚《めざま》しかりける|次第《しだい》なり。|吾《われ》も|四天王《してんわう》の|其《その》|一人《ひとり》、|目《め》に|物《もの》|見《み》せむと|云《い》ふより|早《はや》く、|臀部《しり》を|捲《まく》つてポンと|一発《いつぱつ》|発射《はつしや》すれば|雲煙《うんえん》|濛々《もうもう》として|四辺《あたり》を|包《つつ》み、|黒白《あやめ》も|分《わか》らぬ|真《しん》の|闇《やみ》、|自繩自縛《じじようじばく》、これや|耐《たま》らぬと|臍《へそ》の|下《した》より|息《いき》を|固《かた》めフツと|許《ばか》り|吹《ふ》き|放《はな》てば、こは|抑《そも》|如何《いか》に、|今迄《いままで》|此処《ここ》に|華々《はなばな》しく|戦《たたか》ひたる|敵《てき》も|味方《みかた》も|影《かげ》もなく、|大江山《おほえやま》の|此方《こなた》を|指《さ》して|駕籠《かご》も|人数《にんずう》も|何《なに》も|彼《か》も|宙《ちう》を|駆《か》けつて|散《ち》つて|行《ゆ》く、あゝ|有難《ありがた》や|有難《ありがた》や、バラモン|教《けう》の|神力《しんりき》は|斯《かく》|迄《まで》|尊《たふと》きものなるか、|此《この》|勢《いきほひ》をばいかして|大江山《おほえやま》の|本城《ほんじやう》に|立《た》ち|帰《かへ》り、|鬼雲彦《おにくもひこ》の|大将《たいしやう》に|尻《しり》を|捲《まく》つて|屁《へ》を|放《ひ》れば、|館《やかた》|諸共《もろとも》|中天《ちうてん》に|舞《ま》ひ|上《のぼ》り|真逆様《まつさかさま》に|和田《わだ》の|原《はら》、|忽《たちま》ち|船《ふね》と|早変《はやがは》り、|転宅《てんたく》などの|面倒《めんだう》は|要《い》らぬ、サアサア|一《ひと》つ|捲《まく》つて|見《み》ようか、|鬼雲彦《おにくもひこ》の|御大将《おんたいしやう》』
と|肩《かた》を|怒《いか》らし|雄猛《をたけ》びをする。|四天王《してんわう》の|一人《ひとり》と|聞《きこ》えたる|石熊《いしくま》は、|又《また》もや|腕《うで》を|振《ふ》り|胸《むね》をドンドンと|打《う》ちながら、
『|某《それがし》は|当城《たうじやう》より|御大将《おんたいしやう》の|命令《めいれい》を|受《う》け、|数多《あまた》の|木端武者《こつぱむしや》を|引《ひ》き|連《つ》れ、|秋山彦《あきやまひこ》の|館《やかた》に|至《いた》つて|見《み》れば、|今《いま》|三人《さんにん》が|申上《まをしあ》げたる|通《とほ》りの|乱痴気《らんちき》|騒《さわ》ぎの|真最中《まつさいちう》、|人《ひと》の|手柄《てがら》の|後《あと》|追《お》ふも|面白《おもしろ》くなしと|股《また》を|拡《ひろ》げて|朝鮮国《てうせんごく》へ|一足飛《いつそくとび》に|飛《と》び|行《ゆ》けば、|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の|隠《かく》れ|場所《ばしよ》なる|慶尚道《けいしやうだう》の|壇山《だんざん》に|某《それがし》が|片足《かたあし》を|踏《ふ》み|込《こ》み|館《やかた》も|何《なに》も|滅茶《めつちや》|苦茶《くちや》、|留守居《るすゐ》の|神《かみ》はこれに|恐《おそ》れて|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|散《ち》れば、|一歩《いつぽ》|跨《また》げてウブスナ|山脈《さんみやく》の|斎苑《いそ》の|宮居《みやゐ》を|足《あし》にかけ、コーカス|山《さん》も|蹂躙《ふみにじ》り、|背伸《せの》びをすれば、コツンと|当《あた》つた|額《ひたひ》の|痛《いた》さ、よくよく|見《み》れば|天《てん》に|輝《かがや》く|大太陽《だいたいやう》、これ|調法《てうはふ》と|懐中《ふところ》に|無理《むり》に|捻込《ねぢこ》み|帰《かへ》つて|見《み》れば、|夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|幻《まぼろし》か、|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|此《この》|場《ば》の|光景《くわうけい》、|木端武者《こつぱむしや》|等《ら》が|寄合《よりあ》つて|吾等《われら》が|行方《ゆくへ》を|詮議《せんぎ》の|最中《さいちう》、|面白《おもしろ》かりける|次第《しだい》なりけり、アハヽヽヽ』
と|法螺《ほら》を|吹《ふ》いて、|一同《いちどう》を|煙《けぶり》に|捲《ま》きけり。|鬼雲彦《おにくもひこ》は|四人《よにん》の|顔《かほ》を|熟々《つくづく》|眺《なが》め、
『ヤアヤア、|汝等《なんぢら》|四人《よにん》|狂気《きやうき》せしや、|空々漠々《くうくうばくばく》として|雲《くも》を|掴《つか》むが|如《ごと》き|注進《ちうしん》|振《ぶ》り、|何《なに》は|兎《と》もあれ|網代《あじろ》|駕籠《かご》を|此《この》|場《ば》に|引《ひ》き|据《す》ゑよ、|吾《われ》|一々《いちいち》|敵《てき》の|首《くび》を|実見《じつけん》せむ』
|鬼彦《おにひこ》『いや、|決《けつ》して|決《けつ》して|空々漠々《くうくうばくばく》ではありませぬ、|何《いづ》れも|副守護神《ふくしゆごじん》の|御詫宣《ごたくせん》、|肝腎要《かんじんかなめ》の|御本尊《ごほんぞん》は|既《すで》に|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》|致《いた》して|御座《ござ》る』
『ナニ、|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》|致《いた》したとな、それや|何故《なにゆゑ》ぞ』
|鬼彦《おにひこ》『これはこれは|失言《しつげん》で|御座《ござ》いました。【に】と【が】との|言《い》ひ|過《あやま》り、|三五教《あななひけう》【に】|帰順《きじゆん》したのではない、|三五教《あななひけう》【が】|帰順《きじゆん》したので|御座《ござ》る。アハヽヽヽ』
|鬼雲彦《おにくもひこ》は|得意《とくい》|満面《まんめん》に|溢《あふ》れ、|網代《あじろ》|駕籠《かご》の|戸《と》を|荒々《あらあら》しく|引《ひ》き|開《あ》け|眺《なが》むれば、こは|抑《そも》|如何《いか》に、|最愛《さいあい》の|妻《つま》の|鬼雲姫《おにくもひめ》は|五体《ごたい》ズタズタに|斬《き》り|放《はな》たれ|血《ち》に|塗《ぬ》れ、|真裸《まつぱだか》の|儘《まま》|縡《こと》ぎれ|居《ゐ》る。|又《また》もや|四《よ》つの|駕籠《かご》より|現《あら》はれ|出《い》でたる|血塗《ちみど》ろの|男女《だんぢよ》、|見《み》れば|最愛《さいあい》の|吾《わが》|伜《せがれ》|及《およ》び|娘《むすめ》なり。|息子《むすこ》|娘《むすめ》は|数十箇所《すうじつかしよ》の|傷《きず》を|身《み》に|負《お》ひながら、|虫《むし》の|泣《な》くやうな|声《こゑ》を|絞《しぼ》り、
『|父上様《ちちうへさま》|残念《ざんねん》で|御座《ござ》います』
と|一言《ひとこと》|残《のこ》しその|場《ば》にバタリと|倒《たふ》れ|全身《ぜんしん》|冷《ひ》えわたり、|氷《こほり》の|如《ごと》くなりにける。|月《つき》は|皎々《かうかう》と|輝《かがや》き|初《そ》め|四辺《あたり》は|昼《ひる》の|如《ごと》くに|明《あか》るく、|寝惚《ねとぼ》け|烏《がらす》は|中天《ちうてん》に|飛《と》び|狂《くる》ひ|阿呆々々《あはうあはう》と|鳴《な》き|立《た》つる。アヽ|此《この》|結果《けつくわ》は|如何《いか》に。
(大正一一・四・一四 旧三・一八 加藤明子録)
第一〇章 |白狐《びやくこ》の|出現《しゆつげん》〔六〇〇〕
|八洲《やしま》の|国《くに》を|駆《か》け|巡《めぐ》り この|世《よ》を|曇《くも》らす|自在天《じざいてん》
|自由自在《じいうじざい》の|活動《くわつどう》を |続《つづ》けて|茲《ここ》に|婆羅門《ばらもん》の
|大棟梁《だいとうりやう》と|仰《あふ》がれし |鬼雲彦《おにくもひこ》の|猛将《まうしやう》も、
|最愛《さいあい》の|妻《つま》の|非業《ひがう》の|最後《さいご》に|又《また》もや|続《つづ》いて|子女《しぢよ》の|浅《あさ》ましき|此《この》|姿《すがた》を|見《み》て|胸《むね》も|張《は》り|裂《さ》く|許《ばか》り、|魂《こん》|消《き》え、|魄《はく》|亡《ほろ》びる|如《ごと》き|心地《ここち》し|乍《なが》らドツカと|其《その》|場《ば》に|打倒《うちたふ》れ|無念《むねん》の|涙《なみだ》にくれ|居《ゐ》たり。|鬼彦《おにひこ》は|肩《かた》を|揺《ゆす》り|乍《なが》ら|大口《おほぐち》|開《あ》けて|高笑《たかわら》ひ、
『アハヽヽヽ、|吾《われ》こそは|鬼彦《おにひこ》とは|詐《いつは》り|誠《まこと》は|大江山《たいかうざん》に|現《あら》はれし|白狐《びやくこ》の|鬼武彦《おにたけひこ》、|汝《なんぢ》|悪神《あくがみ》の|計略《けいりやく》を|根底《こんてい》より|覆《くつが》へさむと|千変万化《せんぺんばんくわ》の|活動《くわつどう》を|続《つづ》け、|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の|大命《たいめい》を|奉《ほう》じ、|汝《なんぢ》が|一類《いちるゐ》を|征服《せいふく》に|向《むか》うたり、|汝《なんぢ》が|力《ちから》と|恃《たの》む|鬼彦《おにひこ》は|魔窟ケ原《まくつがはら》の|岩窟《がんくつ》に|匿《かくま》ひあれば|汝《なんぢ》が|神力《しんりき》を|以《もつ》て|索《もと》め|出《だ》せよ、さり|乍《なが》ら|彼《かれ》は|最早《もはや》|汝《なんぢ》の|意志《いし》に|従《したが》ふ|者《もの》に|非《あら》ず、|立派《りつぱ》なる|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》となりて|居《ゐ》るぞ、|汝《なんぢ》が|妻《つま》と|見《み》えしは|汝《なんぢ》が|眼《め》の|誤《あやま》り、|吾《わが》|眷族《けんぞく》の|名《な》もなき|白狐《びやくこ》の|変化《へんげ》』
と|言葉《ことば》|終《をは》らずに|鬼雲姫《おにくもひめ》は|忽《たちま》ち|巨大《きよだい》なる|白狐《びやくこ》となつてノソリノソリと|這《は》ひ|始《はじ》め、|鬼雲彦《おにくもひこ》に|向《むか》つて|眼《め》を|光《ひか》らせ|牙《きば》を|剥《む》き|飛《と》びかからむとする|勢《いきほひ》を|示《しめ》し|居《ゐ》る。|鬼虎《おにとら》は|又《また》もや|威丈《ゐだ》け|高《だか》に|胸《むね》を|打《う》ち|乍《なが》ら|大口《おほぐち》|開《あ》けて|高笑《たかわら》ひ、
『アハヽヽヽ、|吾《われ》こそは|大江山《たいかうざん》に|現《あら》はれて|四方《よも》の|魔神《まがみ》を|征服《せいふく》し|言向《ことむ》け|和《やは》す|神《かみ》の|使《つかひ》、|旭《あさひ》の|白狐《びやくこ》が|化身《けしん》なるぞ、|汝《なんぢ》が|力《ちから》と|恃《たの》む|四天王《してんわう》の|随一《ずゐいつ》と|聞《きこ》えたる|鬼虎《おにとら》は|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い|今《いま》は|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》となれり、|魔窟ケ原《まくつがはら》の|岩窟《がんくつ》に|匿《かくま》ひあれば|未練《みれん》あらば|汝《なんぢ》|自由《じいう》に|岩戸《いはと》を|開《ひら》いて|面会《めんくわい》せよ、|汝《なんぢ》が|伜《せがれ》と|見《み》えたるは、|之《これ》も|白狐《びやくこ》の|化身《けしん》なり、|汝《なんぢ》が|妻子《さいし》は|手段《てだて》を|以《もつ》て、|或《ある》|処《ところ》に|匿《かく》まひあれば|改心《かいしん》|次第《しだい》にて|親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》の|対面《たいめん》を|許《ゆる》し|呉《く》れむ』
と|言葉《ことば》|終《をは》らぬに|又《また》もや|一《ひと》つの|網代籠《あじろかご》よりノソノソ|這《は》ひ|出《で》た|巨大《きよだい》の|白狐《びやくこ》、|以前《いぜん》の|如《ごと》く|鬼雲彦《おにくもひこ》が|身辺《しんぺん》に|目《め》を|〓《いか》らし|牙《きば》を|剥《む》きつつ|進《すす》み|寄《よ》る。|熊鷹《くまたか》は|又《また》もや|立《た》ち|上《あが》り、
『|吾《われ》こそは|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の|立《た》てさせ|給《たま》ふ|三五《あななひ》の|教《をしへ》に|仕《つか》ふる|白狐《びやくこ》の|高倉《たかくら》、|熊鷹《くまたか》と|見《み》えしは|此《この》|方《はう》が|化身《けしん》』
と|言葉《ことば》|終《をは》らぬに|又《また》もや|這《は》ひ|出《で》た|巨大《きよだい》の|白狐《びやくこ》、|同《おな》じく|鬼雲彦《おにくもひこ》に|向《むか》つて|襲《おそ》ひ|行《ゆ》く。|石熊《いしくま》は|又《また》もや|立《た》ち|上《あが》り、
『|吾《われ》こそは|月日明神《つきひみやうじん》と|名《な》を|頂《いただ》きし|常夜《とこよ》の|国《くに》の|大江山《たいかうざん》に|現《あら》はれたる|白狐《びやくこ》なるぞ、|汝《なんぢ》は|今《いま》より|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い|婆羅門教《ばらもんけう》を|振《ふ》り|棄《す》てて|三五《あななひ》の|神《かみ》の|教《をしへ》に|信従《しんじゆう》するか、|違背《ゐはい》に|及《およ》ばば|大江《おほえ》の|山《やま》は|木端微塵《こつぱみぢん》に|踏《ふ》み|砕《くだ》き、|草《くさ》の|片葉《かきは》に|至《いた》る|迄《まで》|焼《や》き|亡《ほろ》ぼさむ、|返答《へんたふ》|如何《いか》に』
と|詰《つ》めかける。|又《また》もや|一《ひと》つの|駕籠《かご》よりは|巨大《きよだい》の|白狐《びやくこ》|現《あら》はれて|鬼雲彦《おにくもひこ》を|前後左右《ぜんごさいう》より|取《と》り|巻《ま》きコンコンと|啼《な》き|立《た》て|乍《なが》ら|改心《かいしん》を|迫《せま》る。|鬼雲彦《おにくもひこ》は|忽《たちま》ち|精神《せいしん》|錯乱《さくらん》して|大刀《だいたう》を|引《ひ》き|抜《ぬ》き|前後左右《ぜんごさいう》に|荒《あ》れ|狂《くる》ひ、|館《やかた》を|後《あと》に|木《き》の|茂《しげ》みを|指《さ》して|姿《すがた》を|隠《かく》したり。|数多《あまた》の|従卒《じゆうそつ》|共《ども》は|鬼雲彦《おにくもひこ》が|後《あと》を|追《お》ひ、|山《やま》を|越《こ》え|谷《たに》を|渉《わた》り|鬼ケ城山《おにがじやうざん》の|方面《はうめん》さして|力《ちから》|限《かぎ》りに|遁走《とんそう》したりける。
|鬼ケ城山《おにがじやうざん》の|方面《はうめん》より|亀彦《かめひこ》を|先登《せんとう》に|英子姫《ひでこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》は|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひ|乍《なが》ら|此方《こちら》に|向《むか》つて|前進《ぜんしん》し|来《きた》る。|流石《さすが》の|鬼雲彦《おにくもひこ》も|前後《ぜんご》に|敵《てき》を|受《う》け|死物狂《しにものぐるひ》の|勇気《ゆうき》を|現《あら》はし、|長刀《ちやうたう》を|引《ひ》き|抜《ぬ》いて|亀彦《かめひこ》|目蒐《めが》けて|斬《き》つて|掛《かか》るを、|心得《こころえ》たりと|亀彦《かめひこ》は|右《みぎ》に|左《ひだり》に|身《み》を|躱《かは》し|飛鳥《ひてう》の|如《ごと》く|挑《いど》み|戦《たたか》へば|鬼雲彦《おにくもひこ》は|踵《きびす》を|返《かへ》し、もと|来《き》し|道《みち》を|一目散《いちもくさん》に|帰《かへ》り|行《ゆ》く。|数多《あまた》の|従卒《じゆうそつ》は|吾《われ》|後《おく》れじと|三十六計《さんじふろくけい》の|奥《おく》の|手《て》を|出《だ》して|散《ち》り|散《ち》りバラバラ、|足《あし》に|任《まか》せて|逃《に》げて|行《ゆ》く。|何時《いつ》の|間《ま》にやら|鬼雲彦《おにくもひこ》は|又《また》もや|本城《ほんじやう》の|門前《もんぜん》に|帰《かへ》り|来《き》たりぬ。|門内《もんない》には|鬼雲姫《おにくもひめ》が|叫《さけ》び|声《ごゑ》、
『|鬼雲彦《おにくもひこ》の|夫《をつと》はあらざるか、|虎彦《とらひこ》、|亀彦《かめひこ》、|山姫《やまひめ》、|河姫《かはひめ》は|何所《いづこ》ぞ』
と|身《み》を|藻掻《もが》き|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|叫《さけ》び|居《を》る。|鬼雲彦《おにくもひこ》は|息《いき》も|絶《た》え|絶《だ》え|門戸《もんこ》を|敲《たた》き、
『ヤアさう|言《い》ふ|声《こゑ》は|女房《にようばう》なるか、|俺《おれ》は|無事《ぶじ》に|此処《ここ》まで|帰《かへ》つて|来《き》たぞよ。|鬼武彦《おにたけひこ》は|如何《どう》なつた、|白狐《びやくこ》の|奴等《やつら》は|何処《どこ》へ|行《い》つた、|返答《へんたふ》せよ』
と|呶鳴《どな》り|立《た》てる。|鬼雲姫《おにくもひめ》は|門内《もんない》より、
『アヽ|恋《こひ》しき|吾《わが》|夫《をつと》、|能《よ》くも|無事《ぶじ》に|帰《かへ》らせ|給《たま》ひしぞ』
と|中《なか》より|門《もん》を|颯《さつ》と|押《お》し|開《ひら》き|鬼雲彦《おにくもひこ》が|手《て》を|執《と》つて|奥《おく》へ|奥《おく》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。|余《あま》りの|嬉《うれ》しさに|足許《あしもと》|見《み》えず|鬼雲姫《おにくもひめ》は|夫《をつと》の|手《て》を|携《たづさ》へたる|儘《まま》、かねて|穿《うが》ち|置《お》いたる|城内《じやうない》の|井戸《ゐど》に|夫婦《ふうふ》|共々《ともども》にドスンと|許《ばか》り|陥《おちこ》みぬ。|大江山《おほえやま》の|本城《ほんじやう》は|敵《てき》も|味方《みかた》も|影《かげ》を|隠《かく》し|幽《かす》かに|鼠《ねずみ》の|泣《な》き|声《ごゑ》のみ|聞《きこ》え|居《ゐ》る。|門前《もんぜん》には|大江山《おほえやま》の|山颪《やまおろし》、|岩《いは》も|飛《と》べよと|許《ばか》り|吹《ふ》き|荒《すさ》みゐる。|月《つき》は|早《はや》|西《にし》に|没《ぼつ》し|黒雲《こくうん》|四辺《しへん》を|包《つつ》み|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜず、|暗黒《あんこく》の|帳《とばり》は|下《おろ》されたり。|鬼雲彦《おにくもひこ》|夫婦《ふうふ》は|千仭《せんじん》の|井戸《ゐど》の|底《そこ》に|数多《あまた》の|蝮《まむし》と|諸共《もろとも》に|世間《せけん》|知《し》らずの|楽隠居《らくいんきよ》、|否《いな》|蝮《まむし》|地獄《ぢごく》の|苦《くるし》き|生活《せいくわつ》|哀《あは》れなりける|次第《しだい》なり。
かかる|処《ところ》へ|後《あと》|追《お》ひ|来《き》たる|亀彦《かめひこ》はツカツカと|門内《もんない》に|進《すす》み|入《い》り|城内《じやうない》|隈《くま》なく|探《さが》せども|人影《ひとかげ》さへも|見《み》えざれば|如何《いかが》せしやと|三人《さんにん》は|四辺《あたり》に|心《こころ》を|配《くば》りつつ|窺《うかが》ふ|折《をり》しも|井戸《ゐど》の|底《そこ》より|怪《あや》しき|叫《さけ》び|声《ごゑ》、はて|訝《いぶ》かしやと|手燭《てしよく》を|点《とぼ》して|覗《うかが》へば|紛《まぎ》ふ|方《かた》なき|鬼雲彦《おにくもひこ》が|夫婦《ふうふ》の|者《もの》、|九死一生《きうしいつしやう》の|此《この》|苦《くるし》みを|見《み》るに|見《み》かね|館《やかた》の|井桁《ゐげた》に|太繩《ふとなは》を|打《う》ち|掛《か》けツルツルと|井中《ゐなか》に|釣《つ》り|下《おろ》せば、|鬼雲彦《おにくもひこ》|夫婦《ふうふ》は|無我夢中《むがむちう》になつて|手早《てばや》く|此《この》|綱《つな》に|跳《と》び|付《つ》くや|否《いな》や|綱《つな》はツルツルと|何物《なにもの》にか|引《ひ》き|上《あ》げられて|再《ふたた》び|旧《もと》の|処《ところ》へ|帰《かへ》り|行《い》きぬ。|暗《やみ》を|通《とほ》して|聞《きこ》ゆる|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》、|鬼雲彦《おにくもひこ》|夫婦《ふうふ》は|叶《かな》はぬ|時《とき》の|神頼《かみだの》み、|婆羅門教《ばらもんけう》の|神歌《しんか》を|唱《とな》へ|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|哀願《あいぐわん》する。|一方《いつぱう》|鬼武彦《おにたけひこ》は|先《さき》に|据《す》ゑ|置《お》きたる|千引《ちびき》の|岩《いは》を|取《と》り|除《のぞ》き|岩蓋《いはぶた》をサツと|開《ひら》けば|待《ま》ちかねたる|如《ごと》く|現《あら》はれ|来《きた》る|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》、|熊鷹《くまたか》、|石熊《いしくま》|其《その》|他《た》|数多《あまた》の|帰順《きじゆん》せし|人々《ひとびと》は、|枯木《かれき》に|花《はな》の|咲《さ》きしが|如《ごと》く|喜《よろこ》び|勇《いさ》み、|大江山《おほえやま》の|本城《ほんじやう》|目蒐《めが》けて|帰《かへ》り|来《き》たりぬ。
|東《あづま》の|空《そら》はホンノリと|白《しら》み|初《そ》め、|明《あ》けの|鵲《からす》がカアカアと|啼《な》き|初《はじ》めたり。|漸《やうや》く|山上《さんじやう》の|鬼雲彦《おにくもひこ》が|門前《もんぜん》に|立《た》ち|帰《かへ》れば|亀彦《かめひこ》、|英子姫《ひでこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》の|三人《さんにん》に|取《と》り|巻《ま》かれ、|鬼雲彦《おにくもひこ》|夫婦《ふうふ》は|何事《なにごと》か|説諭《せつゆ》を|受《う》けつつありぬ。|鬼彦《おにひこ》|初《はじ》め|一同《いちどう》は|亀彦《かめひこ》|一行《いつかう》に|一礼《いちれい》し|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》を|声《こゑ》を|揃《そろ》へて|宣《の》りつれば、|鬼雲彦《おにくもひこ》|夫婦《ふうふ》は|居《ゐ》たたまらず|館《やかた》を|捨《す》てて|一目散《いちもくさん》に|雲《くも》を|霞《かすみ》と|駆《か》け|出《だ》し|伊吹山《いぶきやま》の|方面《はうめん》を|目蒐《めが》けて|天《あま》の|岩船《いはふね》に|手早《てばや》く|打乗《うちの》り|夫婦《ふうふ》|諸共《もろとも》|中空《ちうくう》を|翔《かけ》り|行《ゆ》く。
|亀彦《かめひこ》、|英子姫《ひでこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》は、|鬼武彦《おにたけひこ》の|神《かみ》を|言霊《ことたま》を|以《もつ》てさし|招《まね》けば|忽《たちま》ち|昼《ひる》の|天《てん》を|掠《かす》め|白煙《はくえん》となりて|南方《なんぱう》より|現《あら》はれ|来《きた》り|忽《たちま》ち|三人《さんにん》の|前《まへ》に|英姿《えいし》を|現《あら》はしたり。
|亀彦《かめひこ》『ヤア|鬼武彦《おにたけひこ》|殿《どの》、|貴下《きか》の|活動《くわつどう》|天晴《あつぱ》れ|天晴《あつぱ》れ、|吾《われ》は|之《これ》より|聖地《せいち》に|向《むか》つて|再《ふたた》び|進《すす》まむ。|貴下《きか》は|此処《ここ》に|留《とど》まり|給《たま》ひて、|旭《あさひ》、|高倉《たかくら》、|月日《つきひ》の|諸使《しよし》と|共《とも》に|悪魔《あくま》|征服《せいふく》の|守護《しゆご》をなし|給《たま》へ』
|鬼武彦《おにたけひこ》『|委細承知《ゐさいしようち》|仕《つかまつ》る、|当山《たうざん》は|天下《てんか》の|邪神《じやしん》|集《あつ》まり|来《きた》る|霊界《れいかい》の|四辻《よつつじ》なれば|国武彦《くにたけひこ》の|大神《おほかみ》、|以前《いぜん》の|如《ごと》く|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》と|現《あら》はれ|給《たま》ひ、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》と|現《あら》はれて、|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|暁《あかつき》まで|代《かは》はる|代《がは》る|当山《たうざん》を|守護《しゆご》し|奉《たてまつ》らむ、|吾々《われわれ》|此処《ここ》にあらむ|限《かぎ》りは|豊葦原《とよあしはら》の|中津国《なかつくに》なる|自転倒島《おのころじま》は|先《ま》づ|先《ま》づ|安心《あんしん》なされ|度《た》し、|貴下《きか》は|素盞嗚《すさのを》の|大神様《おほかみさま》の|御後《おんあと》に|従《したが》ひ|天下《てんか》に|蟠《わだかま》る|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》を|言向《ことむ》けて|神政《しんせい》|復古《ふくこ》の|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》されよ、|万一《まんいち》|御身《おんみ》の|上《うへ》に|危急《ききふ》の|事《こと》あらば|土地《とち》の|遠近《をちこち》を|問《と》はず、|鬼武彦《おにたけひこ》、|旭《あさひ》、|高倉《たかくら》、|月日《つきひ》の|名《な》を|呼《よ》ばせ|給《たま》へば、|時刻《じこく》を|移《うつ》さず|出張《しゆつちやう》|応援《おうゑん》|仕《つかまつ》らむ』
|亀彦《かめひこ》、|英子姫《ひでこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》は|一度《いちど》に|満足《まんぞく》の|意《い》を|表《へう》し|鬼武彦《おにたけひこ》の|千変万化《せんぺんばんくわ》の|神業《かむわざ》を|激賞《げきしやう》し|此処《ここ》に|目出度《めでた》く|袂《たもと》を|分《わか》ち|東《ひがし》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・四・一四 旧三・一八 北村隆光録)
第二篇 |深遠微妙《しんゑんびめう》
第一一章 |宝庫《ほうこ》の|鍵《かぎ》〔六〇一〕
|神素盞嗚《かむすさのを》の|瑞霊《みづみたま》 |国武彦《くにたけひこ》の|厳霊《いづみたま》
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |名《な》さへ|目出度《めでた》き|亀彦《かめひこ》が
|闇《やみ》を|照《てら》して|英子姫《ひでこひめ》 |悦子《よしこ》の|姫《ひめ》と|諸共《もろとも》に
|鬼武彦《おにたけひこ》の|守護《まも》りにて さしもに|猛《たけ》き|曲津神《まがつかみ》
|鬼雲彦《おにくもひこ》の|一族《いちぞく》を |言向《ことむ》け|和《やは》し|服従《まつろ》はぬ
|数多《あまた》の|鬼《おに》は|四方八方《よもやも》に |雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|散《ち》りて
|鬼雲彦《おにくもひこ》は|雲《くも》に|乗《の》り |伊吹《いぶき》の|山《やま》の|方面《はうめん》に
|逃《に》げ|失《う》せたりと|取《と》り|取《ど》りの |高《たか》き|噂《うはさ》を|菊月《きくづき》の
|空《そら》を|照《てら》して|昇《のぼ》り|来《く》る |三五《さんご》の|月《つき》の|夕間暮《ゆふまぐれ》
|秋山彦《あきやまひこ》の|門前《もんぜん》に |現《あら》はれ|出《い》でたる|二人《ふたり》の|男女《だんぢよ》
|覆面《ふくめん》|頭巾《づきん》の|扮装《いでたち》に |四辺《あたり》を|憚《はばか》り|声低《こゑひく》に
そつと|門戸《もんこ》を|叩《たた》きつつ |頼《たの》も|頼《たの》もと|訪《おとな》へば
ハツと|答《こた》へて|出《い》で|来《きた》る |加米公《かめこう》|銀公《ぎんこう》の|両人《りやうにん》は
|戸《と》の|隙間《すきま》より|垣間見《かいまみ》て |二人《ふたり》の|姿《すがた》を|怪《あや》しみつ
|何人《なにびと》なるかと|訊《たづ》ぬれば |声《こゑ》|淑《しと》やかに|答《こた》へらく
|我《われ》は|日《ひ》の|出大神《でのおほかみ》ぞ |行成彦《ゆきなりひこ》の|神《かみ》の|宮《みや》
|早《はや》く|開《あ》けさせ|給《たま》へかし |秋山彦《あきやまひこ》の|神司《かむつかさ》に
|申上《まをしあ》ぐべき|仔細《しさい》あり |早《はや》く|早《はや》くと|急《せ》き|立《た》てて
|何《なん》とはなしに|落《お》ち|付《つ》かぬ |怪《あや》しき|風情《ふぜい》に|加米公《かめこう》は
|口《くち》を|尖《とが》らし|呶鳴《どな》り|立《た》て |日《ひ》の|出神《でのかみ》とは|心得《こころえ》ぬ
|三五《さんご》の|月《つき》の|皎々《かうかう》と |上《のぼ》り|初《そ》めたる|夕間暮《ゆふまぐれ》
|門戸《もんこ》を|叩《たた》き|訪《おとな》ふは |日暮《ひぐれ》の|神《かみ》に|非《あら》ざるか
|行成彦《ゆきなりひこ》とは|嘘《うそ》の|皮《かは》 |宿《やど》を|失《うしな》ひ|行詰《ゆきつま》り|彦《ひこ》の
|醜《しこ》の|命《みこと》の|曲神《まがかみ》か |門《もん》は|締《し》めても|秋山彦《あきやまひこ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》の|御館《おんやかた》 |汝等《なんぢら》|二人《ふたり》の|胸《むね》の|内《うち》
|未《いま》だ|開《ひら》かぬ|曲津見《まがつみ》の |醜《しこ》の|容《い》れ【もん】|砕《くだ》け|門《もん》
|摺《す》つた|門《もん》だと|申《まを》さずに |早《はや》く|帰《かへ》るがよからうぞ
|日暮《ひぐれ》に|門《もん》を|叩《たた》く|奴《やつ》 |碌《ろく》な|奴《やつ》ではあるまいぞ
|用事《ようじ》があれば|明日《あす》|来《きた》れ |此《こ》の|大門《だいもん》は|吾々《われわれ》が
|夜昼《よるひる》|寝《ね》ずに|守《まも》る|門《もん》 |大門《おほもん》|開《びら》きは|日《ひ》の|出時《でどき》
|其《その》|日《ひ》|暮《ぐら》しの|門番《もんばん》も |日暮《ひぐれ》の|門《もん》は|開《ひら》かない
|帰《かへ》れ|帰《かへ》れと|急《せ》き|立《た》つる。
|高姫《たかひめ》『|十里四方《じふりしはう》は|宮《みや》の|内《うち》、|大門《おほもん》|開《びら》きの|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|一時《いちじ》も|早《はや》く|秋山彦《あきやまひこ》の|御大将《おんたいしやう》に、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|行成彦《ゆきなりひこ》の|神《かみ》の|御入来《ごじゆらい》と|申《まを》し|伝《つた》へよ、|門番《もんばん》の|分際《ぶんざい》として|門《もん》の|開閉《かいへい》を|拒《こば》む|事《こと》はなるまい、|愚図々々《ぐづぐづ》|致《いた》して、|後《あと》で|後悔《こうくわい》するな、|今宵《こよひ》に|迫《せま》る|当家《たうけ》の|大難《たいなん》、|救《すく》ひの|神《かみ》と|現《あら》はれた|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|何《なん》と|心得《こころえ》る』
と|慄《ふる》ひを|帯《お》びた|癇声《かんごゑ》を|張上《はりあ》げ、|形相《ぎやうさう》|凄《すさま》じく|突立《つつた》ち|居《を》る。
|加米公《かめこう》『オイ|銀公《ぎんこう》、|一寸《ちよつと》|覗《のぞ》いて|見《み》よ、|顔《かほ》に|白粉《おしろい》をべたりとつけて|何《なん》だか|嫌《いや》らしい|女《をんな》が|一人《ひとり》、|青瓢箪《あをべうたん》のやうな|面《つら》をした|男《をとこ》が|一人《ひとり》だ。|何《なん》でも|大変《たいへん》な|事《こと》がお|館《やかた》にあるので|知《し》らしに|来《き》たとか、|此《この》|門《もん》|開《あ》けねば|明日《あす》になつて|後悔《こうくわい》をするとか|云《い》つて|居《ゐ》る、どうしたら|好《よ》からうかな』
|銀公《ぎんこう》『|何《なん》と|云《い》うても|御主人様《ごしゆじんさま》の|云《い》ひつけ、|暮六《くれむ》つ|過《す》ぎたなら、|何人《なにびと》が|来《き》ても|開《あ》ける|事《こと》はならぬとの|厳命《げんめい》だ。ほつとけほつとけ』
|加米公《かめこう》『それでも|普通《ふつう》の|人間《にんげん》ではない、|神《かみ》だとか|云《い》つて|居《ゐ》るやうだ』
|銀公《ぎんこう》『|神《かみ》にも|種々《いろいろ》ある、|人《ひと》を|喰《く》ふ|狼《おほかみ》もあれば|曲津神《まがつかみ》もあり、|鼻紙《はなかみ》、|塵紙《ちりかみ》、|尻拭《しりふ》き|紙《かみ》もあるワ、よう【かみ】|分《わ》けて|判断《はんだん》をせないと|後《あと》になつて|歯《は》【がみ】をなして|悔《くや》しがらねばならぬ|事《こと》が|出来《しゆつたい》するぞ、どれどれ|一《ひと》つ|俺《おれ》が|覗《のぞ》いて|様子《やうす》を|調《しら》べてやらう』
|銀公《ぎんこう》は|門《もん》の|隙間《すきま》より|片目《かため》を|塞《ふさ》ぎ、|片目《かため》を|当《あ》てて|覗《のぞ》きながら、
|銀公《ぎんこう》『ハヽヽヽヽ、|彼奴《あいつ》ア|神《かみ》に|間違《まちが》ひないが、|薑《はじかみ》だ、|咳嗽《せき》や|痰《たん》の|薬《くすり》なら|持《も》つてこいだ。よう|何《なん》だか|耳《みみ》に|口《くち》を|当《あ》てて|密々話《ひそひそばなし》をやつて|居《ゐ》よるワ、あの|顔色《かほいろ》の|青《あを》い|男《をとこ》はあの|女《をんな》のハズバンドだな、|気楽《きらく》な|奴《やつ》もあればあるものだ、|人《ひと》の|門前《もんぜん》に|立《た》つて|意茶《いちや》ついて|居《ゐ》やがる。お|月《つき》さまに|恥《はづ》かしくは|無《な》いだらうかなア』
|青彦《あをひこ》『モシモシ、|御館《おやかた》に|対《たい》して|今夜《こんや》の|中《うち》に|大事《だいじ》が|突発《とつぱつ》|致《いた》します、|一寸先《いつすんさき》は|闇《やみ》の|夜《よ》だ、|吾々《われわれ》は|天下《てんか》を|助《たす》ける|宣伝使《せんでんし》だ、どうぞ|開《あ》けて|下《くだ》さい』
|銀公《ぎんこう》『ナヽヽ|何《なに》を|吐《ぬか》すのだ、|今夜《こんや》のやうな|明月《めいげつ》に、|一寸先《いつすんさき》は|闇《やみ》の|夜《よ》だとはそれや|貴様《きさま》の|心《こころ》の|中《うち》の|事《こと》だらう、|用事《ようじ》があらば|明日《あす》|来《こ》い。|仮令《たとへ》|此《この》|館《やかた》に|如何《いか》なる|変事《へんじ》が|突発《とつぱつ》せうとも、|貴様《きさま》の|容喙《ようかい》する|所《ところ》ぢやない、トツトと|帰《かへ》れ』
|高姫《たかひめ》『|左様《さやう》では|御座《ござ》いませうが|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》より|強《た》つての|御神勅《ごしんちよく》、|何《なに》は|兎《と》もあれ|秋山彦《あきやまひこ》の|御主人《ごしゆじん》に|此《この》|由《よし》お|伝《つた》へ|下《くだ》さいませ』
|銀公《ぎんこう》『アヽ|仕方《しかた》がないな、|兎《と》も|角《かく》|御主人様《ごしゆじんさま》に|申《まを》し|上《あ》げて|来《く》るから、それまで、|貴様《きさま》は|此処《ここ》に|待《ま》つてけつかりませ、オイオイ|加米公《かめこう》、|俺《おれ》が|出《で》て|来《く》るまで|邪《じや》が|非《ひ》でも|開《あ》けてはならぬぞ』
と|言《い》ひ|捨《す》て|奥《おく》を|目蒐《めが》けて|駆《か》け|出《だ》したり。
|青彦《あをひこ》『もしもし|門番《もんばん》さま、|早《はや》く|開《あ》けないか、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》るとお|前《まへ》の|身《み》の|上《うへ》が|危《あぶ》ないぞ。|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》へ|真逆様《まつさかさま》に|落《おと》されると|可憐《かはい》さうだから|気《き》をつけてやり|度《た》いと|神様《かみさま》の|御神勅《ごしんちよく》で|出《で》て|来《き》たのだ』
|加米公《かめこう》『|神勅《しんちよく》でも|何《なん》でも|主人《しゆじん》の|許《ゆる》しなきまでは|開《あ》けられぬ、|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》と|云《い》ふ|地獄《ぢごく》に|落《お》ちるか|知《し》らぬが、|地獄《ぢごく》の|沙汰《さた》も|金《かね》|次第《しだい》だ、もし|此《この》|門《もん》あけて|地獄《ぢごく》にでも|落《お》ちては|困《こま》るから、お|前《まへ》さまも|何々《なになに》を|出《だ》しなさい、さうしたら|開《あ》けて|上《あ》げやう、|金《かね》さへあれば|地獄《ぢごく》の|釜《かま》の|蓋《ふた》でも|開《あ》くと|云《い》ふ|事《こと》、|鬼《おに》に|酒代《さかて》をやつて|地獄《ぢごく》を|逃《のが》れる|分別《ふんべつ》をさせなくてはならぬからサア|出《だ》したり|出《だ》したり、|惚薬《ほれぐすり》|外《ほか》にないかと|蠑〓《いもり》に|問《と》へば|指《ゆび》を|輪《わ》にして|見《み》せたげな、|蠑〓《いもり》でさへもそれだもの、|同《おな》じ|水《みづ》に|住《す》む|加米公《かめこう》に|円《まる》いものを|出《だ》しなさい、そつと|開《あ》けてやるから』
|高姫《たかひめ》『サアこれだから|瑞《みづ》の|霊《みたま》の|教《をしへ》は|悪《あく》のやり|方《かた》だと|云《い》ふのだよ、|門番《もんばん》までが|金取《かねとり》|主義《しゆぎ》ぢや。これこれ|青彦《あおひこ》さま、この|一事《いちじ》を|見《み》ても|如何《いか》に|三五教《あななひけう》が|現金《げんきん》|主義《しゆぎ》、|利己主義《りこしゆぎ》、|吾《われ》よしの|遣方《やりかた》と|云《い》ふ|事《こと》が|分《わか》るぢやないか。お|前《まへ》さまもよい|加減《かげん》に|目《め》を|醒《さ》まさぬと|瑞《みづ》の|霊《みたま》に|尻《しり》の|毛《け》が|一本《いつぽん》も|無《な》いところ|迄《まで》|抜《ぬ》かれて|仕舞《しま》ひますぞゑ』
|青彦《あをひこ》『さうですな、|隅《すみ》から|隅《すみ》まで|抜《ぬ》け|目《め》のないお|前《まへ》さまと|思《おも》つて|居《ゐ》たのに、|三五教《あななひけう》はも|一《ひと》つ|哥兄《あにき》ですなア』
|加米公《かめこう》『エヽ、|愚図々々《ぐづぐづ》と|出《だ》し|惜《をし》みをする|奴《やつ》だなア、|何処《どこ》の|宣伝使《せんでんし》か|知《し》らぬが、|三五教《あななひけう》が|銭払《ぜにばら》ひがよい、|吾々《われわれ》のやうな|門番《もんばん》のやくざものでも、|此方《こちら》から|何《なに》も|云《い》はぬに|小判《こばん》の|二枚《にまい》や|三枚《さんまい》はそつと|懐中《ふところ》に|入《い》れて|呉《く》れる、|此奴《こいつ》はウラナイ|教《けう》と|見《み》えて|此方《こちら》から|露骨《ろこつ》に|請求《せいきう》しても|出《だ》しやがらぬ|吝嗇坊《けちんばう》だ、それだから|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》を|自分《じぶん》が|苦労《くらう》もせずに|掻《か》き|落《おと》しに|廻《まは》つてウラナイ|教《けう》に|入《い》れる|事《こと》|許《ばか》り|考《かんが》へて|居《ゐ》やがるのだ。オイオイ|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》、|忘《わす》れ【もの】はないか、|何《なに》かお|前《まへ》は|忘《わす》れて|居《ゐ》るだらう、|渡《わた》し|船《ぶね》に|乗《の》つても【はし】|銭《せん》が|要《い》るぢやないか、|門《もん》を|潜《くぐ》るのに|何々《なになに》で|潜《くぐ》ると|云《い》ふ|法《はふ》があるか、エヽ|気《き》の|利《き》かぬ|宣伝使《せんでんし》ぢやな、|銀公《ぎんこう》の|奴《やつ》が|居《を》らぬ|間《ま》に|一《ひと》つ|権兵《ごんべ》る|積《つも》りで|居《ゐ》たのに、|先方《むかう》が|気《き》の|利《き》かぬ【ドン】ベイだから|成功《せいこう》|覚束《おぼつか》なしと|云《い》ふものだ』
|斯《か》かる|所《ところ》へ|銀公《ぎんこう》は|走《はし》り|来《きた》り、
『ヤア|加米公《かめこう》、|御主人《ごしゆじん》の|申《まをし》つけだ、|直《ただち》に|門《もん》を|開《ひら》いてお|通《とほ》し|申《まを》せ』
『アヽさうか』
と|閂《かんぬき》を|外《はづ》し|左右《さいう》に|開《ひら》いて|声《こゑ》を|変《か》へ、
|加米《かめ》『アヽこれはこれは|立派《りつぱ》な|立派《りつぱ》な|御神徳《ごしんとく》のありさうな|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|私《わたくし》は|奥《おく》に|急用《きふよう》あつて|居《を》りませなかつたものだから|家来《けらい》の|奴《やつ》、|摺《す》つた|門《もん》だと|理屈《りくつ》を|申《まを》し、|吝嗇《けち》な|事《こと》を|申《まを》してお|金《かね》を|強請《ねだ》つたさうで|御座《ござ》います、|決《けつ》して、|当家《たうけ》は|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》ですから、|上《うへ》から|下《した》まで|清浄《せいじやう》|潔白《けつぱく》お|金《かね》などは|手《て》に|触《ふ》れるのも|汚《きたな》がつて|居《ゐ》るものばかりです、|此《この》|頃《ごろ》|傭《やと》うた|門番《もんばん》が|一人《ひとり》|御座《ござ》いまして、|其奴《そいつ》が|今迄《いままで》バラモン|教《けう》の|信者《しんじや》であつたものですから、|二《ふた》つ|目《め》にはお|金《かね》の|事《こと》を|申《まを》しまして|恥《はづ》かしう|御座《ござ》います、|決《けつ》して|私《わたくし》が|申《まをし》たのでは|御座《ござ》いませぬ、|悪《あ》しからず、|御主人《ごしゆじん》にお|会《あ》ひになつても|加米公《かめこう》が|云《い》つたのではないと|弁解《べんかい》して|置《お》いて|下《くだ》さい、|兎角《とかく》|誤解《ごかい》の|多《おほ》い|世《よ》の|中《なか》、|清浄《せいじやう》|潔白《けつぱく》の|加米公《かめこう》|迄《まで》が、|門番《もんばん》の|傍杖《そばづゑ》を|喰《く》つて|痛《いた》くない|腹《はら》を|探《さぐ》られるのも|余《あんま》り|心持《こころもち》の|好《い》い|門《もん》ぢや|御座《ござ》いませぬ』
と|初《はじ》めの|作《つく》り|声《ごゑ》をいつしか|忘《わす》れて|元《もと》の|地声《ぢごゑ》になつて|仕舞《しま》ひける。
|高姫《たかひめ》『ホヽヽそれでも|貴方《あなた》のお|声《こゑ》が|好《よ》く|似《に》てますナア、|初《はじめ》の|方《はう》は|違《ちが》ふ|方《かた》かと|思《おも》ひましたが、|矢張《やつぱり》|最前《さいぜん》のお|声《こゑ》の|持主《もちぬし》、ようマアお|化《ば》け|遊《あそ》ばすなア、|大化物《おほばけもの》の|瑞霊《みづみたま》の|乾児《こぶん》だけあつて|化《ば》ける|事《こと》は|奇妙《きめう》なものだ。ホヽヽヽヽ』
|加米公《かめこう》は|又《また》もや|作《つく》り|声《ごゑ》になつて、
『イエイエ|決《けつ》して|決《けつ》して、|初《はじめ》の|内《うち》は|私《わたくし》の|地声《ぢごゑ》で|御座《ござ》いました、|中途《ちうと》に|新米《しんまい》|門番《もんばん》の|生霊《いきりやう》が|憑《つ》きやがつて|云《い》つたのです、|夫《そ》れで|新米《しんまい》|門番《もんばん》|其儘《そつくり》の|声《こゑ》が|出《で》ました。アハヽヽヽ』
と|笑《わら》ひに|紛《まぎ》らさうとする。
|銀公《ぎんこう》『アハヽヽヽ、|地獄《ぢごく》の|沙汰《さた》も|加米《かめ》|次第《しだい》だな』
|加米公《かめこう》『|地獄《ぢごく》の|沙汰《さた》も|加米《かめ》と|銀公《ぎんこう》とで|埒《らち》が|明《あ》く|世《よ》の|中《なか》だ。アハヽヽヽ、サアサアお|二人《ふたり》のお|方《かた》、トツトとお|入《はい》り|遊《あそ》ばせ』
|二人《ふたり》は|定《きま》つた|事《こと》だと|云《い》はぬ|許《ばか》りに|大手《おほて》を|振《ふ》り|大股《おほまた》に|意気《いき》|揚々《やうやう》として、のそりのそりとのさばり|行《ゆ》く。|二人《ふたり》は|玄関《げんくわん》にヌツと|立《た》つて|家《いへ》の|様子《やうす》を|覗《のぞ》き|込《こ》むやうな、|覗《のぞ》かぬやうな|体《てい》に|聞《き》き|耳《みみ》|立《た》てて|居《ゐ》る。|玄関《げんくわん》の|障子《しやうじ》をさつと|開《ひら》いて|現《あら》はれ|出《い》でたる|一人《ひとり》の|男《をとこ》、
『オー|貴方《あなた》は|高姫《たかひめ》さま、|青彦《あおひこ》さま、|此《この》|間《あひだ》は|豪《えら》いお|気《き》の|毒《どく》な|御災難《ごさいなん》が|御座《ござ》いまして、|其《その》|後《ご》|一度《いちど》お|見舞《みまひ》に|参《まゐ》らうと|思《おも》つては|居《ゐ》ませぬが、|随分《ずゐぶん》お|火傷《やけど》なさいましたさうで、|水責《みづぜめ》、|火責《ひぜめ》、|煙責《けぶりぜめ》、|眼《め》から|火《ひ》の|出《で》の|神様《かみさま》、|青息吐息《あをいきといき》の|顔《かほ》|真青《まつさを》な|青彦《あをひこ》さま、ようマア|態々《わざわざ》、お|尋《たづ》ね|下《くだ》さりやがつた。マアマア|御遠慮《ごゑんりよ》がありますれば、|御用事《ごようじ》|無《な》く、【とつと】と|入《はい》りやがるな』
と|云《い》ふかと|見《み》ればプスリと|姿《すがた》は|消《き》えにける。|二人《ふたり》は|玄関《げんくわん》に|立《た》ちながら、
|高姫《たかひめ》『これだから|化物教《ばけものけう》だと|云《い》ふのだよ、|青彦《あをひこ》さま、これだから|私《わたくし》に|随《つ》いて|実地《じつち》|教育《けういく》を|受《う》けねば|駄目《だめ》だと|云《い》ふのだよ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|眼力《がんりき》は|違《ちが》やしよまいがな』
|青彦《あをひこ》『|本当《ほんたう》にさうです、いやもう|恐《おそ》れ|入谷《いりや》の|鬼子母神《きしもじん》ですワ』
|高姫《たかひめ》『ソンナ|剽軽《へうきん》な|事《こと》を|云《い》うてはなりませぬ。お|前《まへ》も|何《ど》うやらすると|瑞《みづ》の|霊《みたま》の|悪霊《あくれい》に|憑依《ひようい》されたと|見《み》える、|些《ちつ》と|確《しつか》りなさらぬかい』
|此《この》|時《とき》|奥《おく》の|方《はう》より|紅葉姫《もみぢひめ》は|淑《しと》やかに|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ、
『これはこれはお|二人《ふたり》のお|方《かた》、|夜中《やちう》にお|越《こ》し|下《くだ》さいましたのは|何《なに》か|変《か》はつた|事《こと》が|在《おは》すのでは|御座《ござ》いませぬか、|兎《と》も|角《かく》お|上《あが》り|下《くだ》さいまして|御休息《ごきうそく》の|上《うへ》、|御用《ごよう》の|趣《おもむき》|仰《あふ》せ|聞《き》け|下《くだ》さいませ』
|高姫《たかひめ》『|左様《さやう》ならば|遠慮《ゑんりよ》なく|御免《ごめん》|蒙《かうむ》ります、サア|青彦《あをひこ》、|貴方《あなた》も|随《つ》いて|来《き》なさい、|随分《ずゐぶん》|気《き》をつけて|油断《ゆだん》せぬやう|眼《まなこ》を|八方《はつぱう》に|配《くば》るのだよ』
|紅葉姫《もみぢひめ》『|私方《わたくしかた》は|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》、|善《ぜん》の|道《みち》を|遵奉《じゆんぽう》するもの、|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さるな、|滅多《めつた》に|陥穽《おとしあな》もありませぬ、|又《また》|地《ち》の|底《そこ》に|魔窟ケ原《まくつがはら》のやうな|隠《かく》れ|場所《ばしよ》も|造《つく》つては|御座《ござ》いませぬ、マア|悠《ゆつ》くりと、|安心《あんしん》して|胴《どう》を|据《す》ゑて|下《くだ》さいませ』
|高姫《たかひめ》『|此《この》|間《あひだ》は|御主人様《ごしゆじんさま》はお|気《き》の|毒《どく》な|事《こと》で|御座《ござ》いましたなア、|何《ど》うぞ|霊様《みたまさま》なりと|拝《をが》まして|下《くだ》さい、|三五教《あななひけう》を|信仰《しんかう》なさつても|矢張《やつぱり》|悪魔《あくま》には|叶《かな》はぬと|見《み》えます、|大江山《おほえやま》の|鬼雲彦《おにくもひこ》の|部下《てした》に|捕《とら》へられ|嬲殺《なぶりごろ》しにお|遭《あ》ひなさつたさうだが、|私《わたくし》が|聞《き》いても|涙《なみだ》が|澪《こぼ》れる、|况《ま》して|女房《にようばう》の|貴女《あなた》、|御愁傷《ごしうしやう》の|程《ほど》お|察《さつ》し|申《まを》します』
と、そつと|目《め》に|唾《つばき》をつけ、オンオンと|空泣《そらな》きに|泣《な》き|立《た》てる。|青彦《あをひこ》はポカンとして|紅葉姫《もみぢひめ》の|顔《かほ》を|見詰《みつ》めて|居《を》る。|高姫《たかひめ》は|青彦《あをひこ》の|裾《すそ》をそつと|引《ひ》き、|泣《な》き|真似《まね》をせよと|合図《あひづ》をする、|青彦《あをひこ》は|些《すこ》しも|合点《がてん》|行《ゆ》かず、
『エ|何《なん》ですか、|私《わたくし》の|着物《きもの》に|何《なん》ぞ|着《つ》いて|居《を》りますか、|甚《ひど》う|引《ひ》つ|張《ぱ》りなさいますな』
|紅葉姫《もみぢひめ》『オホヽヽヽ、それは|御親切《ごしんせつ》|有難《ありがた》う|御座《ござ》います、|私《わたくし》の|主人《しゆじん》は|無事《ぶじ》|帰《かへ》つて|参《まゐ》りました、これも|全《まつた》く|三五教《あななひけう》の|御神徳《ごしんとく》で|御座《ござ》います、|余《あま》り|三五教《あななひけう》の|勢力《せいりよく》が|強《つよ》いので|嫉《ねた》み|猜《そね》みから、ウラナイ|教《けう》とやらが|出来《でき》て、|其処《そこ》ら|中《ぢう》を|掻《か》き|廻《まは》して|歩《ある》くと|云《い》ふ|事《こと》で|御座《ござ》います、よう|人《ひと》の|真似《まね》の|流行《はや》る|世《よ》の|中《なか》、|人《ひと》が|成功《せいこう》したからと|云《い》うて|自分《じぶん》が|其《その》|真似《まね》をして|向《むか》ふを|張《は》らうと|思《おも》つても、|身魂《みたま》の|因縁性来《いんねんしやうらい》で|到底《たうてい》|思惑《おもわく》は|立《た》つものぢやありませぬ、|貴女《あなた》はウラナイ|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》とお|見受《みうけ》|致《いた》しますが、|一体《いつたい》ウラナイ|教《けう》はドンナ|教《をしへ》で|御座《ござ》いますか』
|高姫《たかひめ》『|三五教《あななひけう》はあれは|元《もと》は|好《よ》かつたが、|今《いま》は|薩張《さつぱ》り|駄目《だめ》です、|三五教《あななひけう》の|誠《まこと》|生粋《きつすゐ》の|根本《こつぽん》は、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》、この|高姫《たかひめ》が|何《なに》も|彼《か》もこの|世《よ》の|開《ひら》けた|根本《こつぽん》の|初《はじま》りから、|万劫末代《まんがふまつだい》の|世《よ》の|事《こと》、|何一《なにひと》つ|知《し》らぬと|云《い》ふものはないウラナイ|教《けう》です、それだから|誰《たれ》にも|聞《き》かずにお|家《うち》の|御主人《ごしゆじん》|秋山彦《あきやまひこ》|様《さま》の|御遭難《ごさうなん》もチヤンと|分《わか》つて|居《ゐ》るのです、ナンとウラナイ|教《けう》は|立派《りつぱ》なものでせうがナ』
|紅葉姫《もみぢひめ》『|死《し》ンでも|居《ゐ》ない|吾《わが》|夫《をつと》|秋山彦《あきやまひこ》を|死人《しにん》|扱《あつか》ひなさるのは、|如何《いか》にも|好《よ》く|分《わか》つた|偉《えら》い|神様《かみさま》ですなア、|秋山彦《あきやまひこ》はピンピンして|居《を》りますよ』
|高姫《たかひめ》『それは|貴女《あなた》|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》をご|存《ぞん》じないからソンナ|理屈《りくつ》を|仰有《おつしや》るが、|三五教《あななひけう》で|一旦《いつたん》|大江山《おほえやま》に|囚《とら》はれ|死《し》ンだ|処《ところ》を、|此《この》|高姫《たかひめ》が|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|水火《いき》を|遠隔《ゑんかく》の|地《ち》よりかけて、|神霊《しんれい》の|注射《ちうしや》をやつたから|生返《いきかへ》つたのだよ、サアこれからは|心《こころ》を|改《あらた》めてウラナイ|教《けう》に|改宗《かいしう》なされ』
|紅葉姫《もみぢひめ》『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも、|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも、|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも、|三五教《あななひけう》は|世《よ》を|救《すく》ふ、|誠《まこと》の|神《かみ》の|御教《おんをしへ》、ウラナイ|教《けう》はどうしても|虫《むし》が|好《す》きませぬ、|合縁奇縁《あひえんきえん》|蓼喰《たでく》ふ|虫《むし》も|好《す》き|好《ず》き、えぐい|煙草《たばこ》の|葉《は》にも|虫《むし》がつく、|改宗《かいしう》するのは|見合《みあは》しませう、いや|絶対《ぜつたい》に|嫌《いや》ですワ、ホヽヽヽヽ』
|奥《おく》の|方《はう》より|秋山彦《あきやまひこ》の|声《こゑ》がして、
『|紅葉姫《もみぢひめ》|紅葉姫《もみぢひめ》』
と|聞《きこ》え|来《きた》る。
『ハイ』と|答《こた》へて|紅葉姫《もみぢひめ》は|二人《ふたり》に|軽《かる》く|会釈《ゑしやく》して|奥《おく》の|間《ま》さして|進《すす》み|入《い》る。
|二人《ふたり》は|紅葉姫《もみぢひめ》の|後姿《うしろすがた》を|目送《もくそう》しながら|眼《め》を|転《てん》じて|額《がく》を|見《み》れば、|額《がく》の|裏《うら》に|鍵《かぎ》の|端《はし》が|現《あら》はれて|居《を》る。|高姫《たかひめ》は|立上《たちあが》り、|手《て》に|取《と》り|見《み》れば|冠島《かむりじま》|沓島《くつじま》の|宝庫《はうこ》の|鍵《かぎ》と|記《しる》されてある。|高姫《たかひめ》はニヤリと|笑《わら》ひ、これさへあれば|大願《たいぐわん》|成就《じやうじゆ》と|手早《てばや》く|懐中《くわいちゆう》に|捻込《ねぢこ》み|素知《そし》らぬ|顔《かほ》、|青彦《あをひこ》はがたがた|慄《ふる》ひ|出《だ》し、
|青彦《あをひこ》『もしもし|高姫《たかひめ》さま、ソヽそれは|何《なん》と|云《い》ふ|事《こと》をなされます、|当家《たうけ》の|什物《じふもつ》を|貴女《あなた》の|懐中《くわいちゆう》にお|入《い》れ|遊《あそ》ばすとは|合点《がてん》が|参《まゐ》りませぬ』
|高姫《たかひめ》『シーツ、エヽ|融通《ゆうづう》の|利《き》かぬ|男《をとこ》だな、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御命令《ごめいれい》だ、|此家《ここ》に|冠島《かむりじま》|沓島《くつじま》の|鍵《かぎ》を|持《も》つて|居《を》る|事《こと》は|天眼通《てんがんつう》でチヤンと|睨《にら》みてある、|之《これ》をかぎ|出《だ》す|為《ため》にやつて|来《き》たのだよ、サアサア|今《いま》の|中《うち》に|夜《よ》に|紛《まぎ》れて|此処《ここ》を|立《た》ち|去《さ》り|船《ふね》を|拵《こしら》へ|冠島《かむりじま》に|渡《わた》りませう』
と|先《さき》に|立《た》つて|行《ゆ》かむとする。
|青彦《あをひこ》『|一応《いちおう》|当家《たうけ》の|方々《かたがた》に|御挨拶《ごあいさつ》を|申上《まをしあ》げねばなりますまい、|何《なん》だか|心懸《こころがけ》りでなりませぬわい』
|高姫《たかひめ》『エヽ|合点《がてん》の|悪《わる》い、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》る|時《とき》ぢやない、|時期《じき》|切迫《せつぱく》|間髪《かんぱつ》を|容《い》れずと|云《い》ふこの|場合《ばあひ》だ。|大功《たいこう》は|細瑾《さいきん》を|顧《かへり》みず|細君《さいくん》は|夫《をつと》を|顧《かへり》みず、|神国《しんこく》|成就《じやうじゆ》の|為《ため》に|沐雨櫛風《もくうしつぷう》、|獅子奮迅《ししふんじん》の|大活動《だいくわつどう》|早《はや》く|御座《ござ》れ』
と|裏門《うらもん》よりそつと|此《この》|家《や》を|逃出《にげだ》したり。|秋山彦《あきやまひこ》|邸内《ていない》の|者《もの》は|一人《ひとり》として|二人《ふたり》の|者《もの》の|逃走《たうそう》せし|事《こと》に|気《き》が|付《つ》かざりける。|二人《ふたり》は|由良《ゆら》の|港《みなと》に|駆《か》けつけ|一艘《いつそう》の|小船《こぶね》を|○○《まるまる》し、|青彦《あをひこ》は|艪《ろ》を|操《あやつ》り、|高姫《たかひめ》は|櫂《かい》を|漕《こ》ぎ|一生懸命《いつしやうけんめい》|月《つき》|照《て》る|海原《うなばら》を|漕《こ》ぎ|出《だ》したりける。
(大正一一・四・一五 旧三・一九 加藤明子録)
第一二章 |捜索隊《そうさくたい》〔六〇二〕
|由良《ゆら》の|港《みなと》の|人子《ひとご》の|司《つかさ》|秋山彦《あきやまひこ》は、|見晴《みは》らしよき|奥《おく》の|一間《ひとま》に、|数多《あまた》の|家子《いへのこ》|郎党《らうたう》を|集《あつ》め、|折柄《をりから》|昇《のぼ》る|三五《さんご》の|月《つき》を|眺《なが》めて、|大江山《おほえやま》の|鬼雲彦《おにくもひこ》|退治《たいぢ》の|祝宴《しゆくえん》を|挙《あ》げ|居《ゐ》たり。|紺碧《こんぺき》の|青空《あをぞら》には|一点《いつてん》の|雲影《うんえい》も|無《な》く、|星《ほし》は|疎《まばら》に、|月《つき》は|清《きよ》く|涼《すず》しく、|銀鏡《ぎんきやう》を|懸《か》けたるが|如《ごと》し。
|秋山彦《あきやまひこ》『アヽ|佳《い》い|月《つき》だ、|月々《つきづき》に|月《つき》てふ|月《つき》は|多《おほ》けれど、|月《つき》|見《み》る|月《つき》は|今日《けふ》の|夜《よ》の|月《つき》、といふ|仲秋《ちうしう》の|月《つき》よりも、|麗《うるは》しい|好《い》い|心持《こころもち》だ、|悪魔《あくま》|退治《たいぢ》の|嬉《うれ》しさに【みろく】|様《さま》のお|顔《かほ》もにこにことしてござる、かかる|麗《うるは》しき|尊《たふと》き|月《つき》を|眺《なが》めて、|月見《つきみ》の|宴《えん》を|張《は》るは|実《じつ》に|勿体《もつたい》ないやうだ。|然《しか》し|乍《なが》らこれが【みろく】|神《のかみ》の|広大無辺《くわうだいむへん》の|御慈光《ごじくわう》といふものだ、|貴賤《きせん》|老幼《らうえう》の|区別《くべつ》なく、|月《つき》を|眺《なが》めて|快感《くわいかん》を|覚《おぼ》えない|者《もの》はない、|何程《なにほど》|日輪様《にちりんさま》が|立派《りつぱ》だと|言《い》つても、|昼《ひる》の|最中《さいちう》に|日輪様《にちりんさま》を|見《み》て|酒《さけ》を|飲《の》む|者《もの》はない、また|日輪《にちりん》|見物《けんぶつ》をするといふ|事《こと》は|到底《たうてい》|出来《でき》ない、|中天《ちうてん》の|太陽《たいやう》を|暫《しばら》く|見詰《みつ》めて|居《を》れば|忽《たちま》ち|目《め》が|眩《くら》みてしまう、これを|見《み》ても|月日《つきひ》の|働《はたら》きの|区別《くべつ》は|歴然《れきぜん》たるものだ、|素盞嗚大神《すさのをのおほかみ》|様《さま》は|月《つき》の|御魂《みたま》と|承《うけたま》はる、|実《じつ》に|尊《たふと》い|麗《うるは》しい|仁慈《じんじ》に|富《と》めるお|顔《かほ》、|紅葉姫《もみぢひめ》は|何処《どこ》にゐるか、この|立派《りつぱ》なお|姿《すがた》を|拝《をが》ましたいものだ』
と|自《みづか》ら|座《ざ》を|起《た》ち、|玄関《げんくわん》の|次《つぎ》の|間《ま》より、
『|紅葉姫《もみぢひめ》|々々々《もみぢひめ》』
と|呼《よ》ばはりける。|紅葉姫《もみぢひめ》は|夫《をつと》の|声《こゑ》に、|二人《ふたり》の|来客《らいきやく》を|待《ま》たせ|置《お》き、|月見《つきみ》の|席《せき》に|現《あら》はれ、|秋山彦《あきやまひこ》に|向《むか》ひ、ウラナイ|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》の|来訪《らいはう》を|告《つ》げたるに、|秋山彦《あきやまひこ》は|顔色《がんしよく》|忽《たちま》ち|変《かは》り、
『ナニ、ウラナイ|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》の|来訪《らいはう》とナ、|夫《それ》こそ|大変《たいへん》、|体《てい》よく|挨拶《あいさつ》を|致《いた》して|無事《ぶじ》に|帰《かへ》すがよからう。イヤ|紅葉姫《もみぢひめ》、|汝《なんぢ》は|一刻《いつこく》も|早《はや》く|玄関《げんくわん》の|客《きやく》に|対《たい》しお|断《ことわ》りを|申《まを》せ』
|紅葉姫《もみぢひめ》は、|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》と|秋山彦《あきやまひこ》の|板挟《いたばさみ》となつた|心地《ここち》し、|漸《やうや》く|玄関《げんくわん》に|立現《たちあら》はれ|見《み》れば、|二人《ふたり》の|影《かげ》もなし。ハテ|訝《いぶ》かしと|四辺《あたり》を|見廻《みまは》す|途端《とたん》に|額《がく》の|裏《うら》に|匿《かく》しありし|玉鍵《たまかぎ》の|房《ふさ》の|見《み》えざるに|気《き》がつき、|驚《おどろ》き|額裏《がくうら》を|検《あらた》め|見《み》れば、|這《こ》は|如何《いか》に、|最前《さいぜん》までここに|納《しま》ひ|置《お》きし|冠島《かむりじま》、|沓島《くつじま》の|宝庫《はうこ》の|鍵《かぎ》は、|何者《なにもの》かに|盗《ぬす》まれてゐる。|紅葉姫《もみぢひめ》は|驚《おどろ》き|慌《あは》て、|奥殿《おくでん》に|入《い》つて、|夫《をつと》|秋山彦《あきやまひこ》に、|玉鍵《たまかぎ》の|紛失《ふんしつ》せし|事《こと》を|怖《おそ》る|怖《おそ》る|告《つ》げたるに、|秋山彦《あきやまひこ》は、
『すわこそ|大変《たいへん》、|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》の|所為《しよゐ》にはあらざるか、ヤアヤア|者共《ものども》、|酒宴《しゆえん》どころではない、|女《をんな》|共《ども》は|境内《けいだい》|隈《くま》なく|捜索《そうさく》せよ、|男《をとこ》|共《ども》は|門外《もんぐわい》に|駆《か》け|出《だ》し、|宣伝使《せんでんし》の|所在《ありか》を|詮《たづ》ね|鍵《かぎ》の|有無《うむ》を|調《しら》べ|来《きた》れ』
と|下知《げち》すれば、|数多《あまた》の|男女《だんぢよ》は|門《もん》の|内《うち》と|外《そと》とに|手配《てくば》りしながら、|鍵《かぎ》の|行方《ゆくへ》を|捜索《そうさく》する|事《こと》となりぬ。|秋山彦《あきやまひこ》は|門番《もんばん》の|銀公《ぎんこう》、|加米公《かめこう》を|傍近《そばちか》く|招《まね》き、
『|其《その》|方《はう》は|表門《おもてもん》を|守《まも》る|身《み》であり|乍《なが》ら、|二人《ふたり》の|男女《だんぢよ》の|脱出《だつしゆつ》するを|気《き》づかざりしか、|様子《やうす》を|聞《き》かせよ』
|銀公《ぎんこう》『|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》はお|役目《やくめ》|大切《たいせつ》と|山門《さんもん》の|仁王《にわう》の|如《ごと》く、|厳《きび》しく|眼《め》を|見張《みは》り|警護《けいご》|致《いた》して|居《を》れば、|鼠《ねずみ》の|出入《でいり》さへも|委《くは》しく|存《ぞん》じて|居《を》ります。|然《しか》るに|最前《さいぜん》|入《い》り|来《きた》りし|男女《だんぢよ》の|二人《ふたり》は、まだ|表門《おもてもん》をくぐりませぬ。|大方《おほかた》|邸内《ていない》に|潜伏《せんぷく》|致《いた》して|居《を》りませうから、|篤《とく》と|御詮議《ごせんぎ》|下《くだ》されませ』
|秋山彦《あきやまひこ》『|裏門《うらもん》は|如何《いかが》|致《いた》した』
|加米公《かめこう》は|頭《あたま》を|掻《か》き|乍《なが》ら、
『ハイ|其《その》|裏門《うらもん》は|根《ね》ツから|葉《は》ツから|存《ぞん》じませぬ』
|秋山彦《あきやまひこ》『|門番《もんばん》と|申《まを》せば、|表《おもて》ばかりでない、|裏門《うらもん》も|矢張《やつぱり》|門《もん》のうちだ、それがために|二人《ふたり》の|門番《もんばん》が|置《お》いてあるのではないか、|大方《おほかた》|裏門《うらもん》より|抜《ぬ》け|出《で》たのであらう』
|加米公《かめこう》『|表門《おもてもん》は|何《なん》でも|彼《かん》でも|這入《はい》るのが|商売《しやうばい》、|裏門《うらもん》は|何《なん》でも|彼《か》でも|皆《みな》|粕《かす》の|出《で》るところ』
|秋山彦《あきやまひこ》『|馬鹿《ばか》、|早《はや》く|裏門《うらもん》の|方面《はうめん》を|捜索《そうさく》|致《いた》せ』
と|血相《けつさう》|変《か》へて|呶鳴《どな》り|入《ゐ》る。|二人《ふたり》は|裏門口《うらもんぐち》に|差《さ》しかかりけるに、|何物《なにもの》か|黒《くろ》きものが|門《もん》の|入口《いりぐち》に|落《お》ちゐたり、|手早《てばや》く|拾《ひろ》ひ|上《あ》げ|眺《なが》むれば、|玉鍵《たまかぎ》の|房《ふさ》なりき。
|銀公《ぎんこう》『ヤア、これさへあれば、もう|大丈夫《だいぢやうぶ》だ、スンデのことで|二人《ふたり》の|賊《ぞく》を|取《と》り|逃《に》がし、|免職《めんしよく》を|喰《く》うところだつた、これで|漸《やうや》く|申《まを》し|訳《わけ》が|立《た》つ』
と|裏門《うらもん》を|固《かた》く|閉《し》め、|意気《いき》|揚々《やうやう》として、|秋山彦《あきやまひこ》の|居間《ゐま》に|進《すす》み|入《い》りぬ。|秋山彦《あきやまひこ》は|脇足《けうそく》に|凭《もた》れ|眼《め》を|塞《ふさ》ぎ、|深《ふか》き|思案《しあん》に|沈《しづ》みゐる。|銀公《ぎんこう》は|懐《ふところ》に|玉鍵《たまかぎ》の|房《ふさ》を|入《い》れ、|少《すこ》しく|其《その》|端《はし》を|見《み》せ|乍《なが》ら、
『|旦那様《だんなさま》、|御心配《ごしんぱい》なされますな、|慥《たしか》に|賊《ぞく》は|逃《に》げ|去《さ》りましたが、|彼《かれ》が|奪《うば》ひ|取《と》つた|品物《しなもの》は|裏門口《うらもんぐち》に|遺失《ゐしつ》して|居《を》りました。|此《この》|銀公《ぎんこう》は|月夜《つきよ》にも|拘《かか》はらず|目敏《めざと》く|悟《さと》つて|拾《ひろ》ひ|上《あ》げ、|今《いま》ここに|持参《ぢさん》いたしてございます、サアお|検《あらた》め|下《くだ》されませ』
と|元気《げんき》さうに|言《い》ふ。|秋山彦《あきやまひこ》は|顔《かほ》を|上《あ》げ|眼《め》を|開《ひら》き、|満面《まんめん》に|笑《ゑみ》を|湛《たた》へ|乍《なが》ら、
『ナニ、|玉鍵《たまかぎ》が|遺失《ゐしつ》してあつたか、それは|重畳《ちようでう》、|出来《でか》した|出来《でか》した、サア|早《はや》く、|吾《わが》|前《まへ》に|出《いだ》せよ』
|銀公《ぎんこう》は|指《ゆび》の|先《さき》で|懐《ふところ》の|房《ふさ》を|一寸《ちよつと》|指《ゆび》さし、
『ヘヽヽヽ、|真《ま》ツこの|通《とほ》り、|立派《りつぱ》な|房《ふさ》でござります、|総絹《そうきぬ》で、ぼとぼとするほど|重《おも》たい|麗《うるは》しい|光沢《くわうたく》、これさへあれば、お|騒《さわ》ぎ|召《め》さるにも|及《およ》びますまい』
|秋山彦《あきやまひこ》『それは|有難《ありがた》い、|吾《わが》|前《まへ》に|持《も》ち|来《きた》れ』
|銀公《ぎんこう》は|肩《かた》を|聳《そび》やかせ|乍《なが》ら、
『サア、これでございます、よくよくお|検《あらた》め|下《くだ》さいませ』
と|勿体《もつたい》|振《ぶ》つて、|前《まへ》に|突《つ》き|出《だ》したり。
|秋山彦《あきやまひこ》『ヤア、これは|玉鍵《たまかぎ》の|房《ふさ》だ、|鍵《かぎ》は|何処《いづこ》にあるか』
|銀公《ぎんこう》『|旦那様《だんなさま》、|彼《あ》のやうな|錆《さび》た|鍵《かぎ》はどうでも|宜《よろ》しい、ご|心配《しんぱい》なされますな、|鉄《てつ》の|一片《ひときれ》もあれば、|直《すぐ》に|鍛《う》ち|直《なほ》して|上《あ》げませう。|立派《りつぱ》な|此《こ》の|房《ふさ》が|手《て》に|入《い》るからは、あのやうな|汚《きたな》いものにお|構《かま》ひ|遊《あそ》ばすな』
|秋山彦《あきやまひこ》『ヤア|失敗《しま》つた、これや|斯《こ》うしては|居《を》られぬ|哩《わい》、ヤア|銀公《ぎんこう》、|加米公《かめこう》、|船《ふね》の|用意《ようい》を|致《いた》せ』
『|委細承知《ゐさいしようち》|仕《つかまつ》りました』
と|此《この》|場《ば》を|立出《たちい》でる。|紅葉姫《もみぢひめ》は|室内《しつない》|隈《くま》なく|捜索《そうさく》し、|鍵《かぎ》の|所在《ありか》の|知《し》れざるに、|当惑《たうわく》の|息《いき》を|吐《つ》き|乍《なが》ら、|此《この》|場《ば》に|現《あらは》れ|来《きた》り、
『|旦那様《だんなさま》、|如何《いかが》|致《いた》しませう、|素盞嗚大神《すさのをのおほかみ》|様《さま》、|国武彦命《くにたけひこのみこと》|様《さま》に、|申訳《まをしわけ》がございませぬ』
|秋山彦《あきやまひこ》『|今《いま》となつて、|繰言《くりごと》いつた|所《とこ》で|追《お》つ|付《つ》かない、|彼等《かれら》は|冠島沓島《をしまめしま》に|船《ふね》にて|渡《わた》りしに|相違《さうゐ》ない、|一時《いちじ》も|早《はや》く|船《ふね》の|用意《ようい》をなし、|後《あと》|追《おひ》かけて|鍵《かぎ》を|取返《とりかへ》さねばなるまい』
|斯《かか》る|所《ところ》へ|表《おもて》の|方《かた》|再《また》もや|俄《にはか》に|騒《さわ》がしくなり|来《き》たりぬ。|夫婦《ふうふ》は|互《たがひ》に|顔《かほ》を|見合《みあは》せ、|何事《なにごと》ならむと|耳《みみ》を|澄《すま》して|表《おもて》の|様子《やうす》を|聴《き》き|入《い》りにける。
(大正一一・四・一五 旧三・一九 河津雄録)
第一三章 |神集《かうづ》の|玉《たま》〔六〇三〕
|秋山館《あきやまやかた》の|門番《もんばん》なる|銀公《ぎんこう》、|加米公《かめこう》|両人《りやうにん》は|由良《ゆら》の|港《みなと》に|立出《たちいで》て|船出《ふなで》の|用意《ようい》|致《いた》さむと|表門《おもてもん》へ|駆《か》け|出《だ》す。|折《をり》から|現《あら》はれし|一男二女《いちなんにぢよ》の|宣伝使《せんでんし》、|宣伝歌《せんでんか》を|謳《うた》ひ|乍《なが》ら|悠々《いういう》として|門内《もんない》に|入《い》らむとする。|銀公《ぎんこう》、|加米公《かめこう》は|大手《おほて》を|拡《ひろ》げて、
『|其《その》|方《はう》は|亀彦《かめひこ》の|宣伝使《せんでんし》、|鍵盗人《かぎぬすびと》の|同類《どうるゐ》であらう。もうもうもう|宣伝使《せんでんし》の【せ】の|字《じ》を|聞《き》いても|嫌《いや》になる|哩《わい》、|最前《さいぜん》|来《き》やがつた|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》|奴《め》が、|大切《たいせつ》なる|鍵《かぎ》を【ちよろ】まかして|裏門《うらもん》より|逃失《にげう》せやがつた。それが|為《た》めに|当館《たうやかた》の|中《うち》は|上《うへ》を|下《した》への|大騒動《おほさうどう》だ、|貴様《きさま》ももう|駄目《だめ》だ、|肝腎要《かんじんかなめ》の|鍵《かぎ》は|先《さき》の|宣伝使《せんでんし》が|持《も》つて|帰《かへ》つた、|神秘《しんぴ》の|鍵《かぎ》を|盗《ぬす》まれ|当館《たうやかた》は|空前絶後《くうぜんぜつご》の|大混雑《だいこんざつ》、|之《これ》から|沢山《たくさん》な|番犬《ばんけん》でもかり|集《あつ》めて【かぎ】|探《さが》させる|処《ところ》だ、|貴様《きさま》も|宜《い》い|加減《かげん》に|帰《かへ》れ』
|亀彦《かめひこ》『|之《これ》は|心得《こころえ》ぬ|其方《そなた》の|言葉《ことば》、|吾々《われわれ》に|対《たい》し|盗人《どろぼう》|扱《あつか》ひをなさるのか』
|加米公《かめこう》『|極《きま》つた|事《こと》だよ、|宣伝使《せんでんし》と|言《い》へば|鍵盗人《かぎぬすびと》の|代名詞《だいめいし》だ、|通《とほ》る|事《こと》|罷《まか》りならぬ、|貴様《きさま》の|様《やう》な|者《もの》を|奥《おく》へふみ|込《こ》まさうものなら、それこそ|大変《たいへん》だ』
|亀彦《かめひこ》『|一応《いちおう》|合点《がてん》の|往《ゆ》かぬ|汝《なんじ》が|言葉《ことば》、|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》とはウラナイ|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》であらう、|吾々《われわれ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だ、|神秘《しんぴ》の|鍵《かぎ》を|与《あた》へる|者《もの》だ』
|銀公《ぎんこう》『|何《なに》、|神秘《しんぴ》の|鍵《かぎ》を|与《あた》へるとな、サア|早《はや》く|其《その》|鍵《かぎ》を|見《み》せて|呉《く》れ、|鍵《かぎ》を|渡《わた》せば|通行《つうかう》を|許《ゆる》して|与《や》らう、|宣伝使《せんでんし》と|言《い》へば|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|皆《みんな》|鍵盗人《かぎぬすびと》の|様《やう》な|気《き》がする、|貴様《きさま》は|何処《どこ》で|神秘《しんぴ》の|鍵《かぎ》とやらを|盗《ぬす》みて|来《き》たのだ、サアサ|早《はや》く|手《て》に|渡《わた》せ』
|亀彦《かめひこ》『アハヽヽヽ、|訳《わけ》の|分《わか》からぬ|門番《もんばん》だな、サアサ|英子姫《ひでこひめ》さま|悦子姫《よしこひめ》さま|参《まゐ》りませう』
と|行《ゆ》かむとする。|銀公《ぎんこう》、|加米公《かめこう》は|大声《おほごゑ》をあげて|呶鳴《どな》り|立《た》てる。|此《この》|声《こゑ》を|聞《き》きつけたる|秋山彦《あきやまひこ》は|何事《なにごと》ならむと|表《おもて》に|飛《と》び|出《だ》し|到《いた》り|見《み》れば|亀彦《かめひこ》の|宣伝使《せんでんし》|一行《いつかう》なりけり。
|秋山彦《あきやまひこ》『ア、|之《これ》は|之《これ》は|亀彦《かめひこ》|様《さま》、|英子姫《ひでこひめ》|様《さま》、|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》|克《よ》く|入《い》らせられました。|少《すこ》し|許《ばか》り|取込《とりこみ》が|出来《でき》ましたので|大騒《おほさわ》ぎを|致《いた》して|居《を》ります、|素盞嗚大神《すさのをのおほかみ》|様《さま》よりお|預《あづか》り|申《まを》した|大切《たいせつ》なる|玉鍵《たまかぎ》を|何者《なにもの》かに|盗《ぬす》まれ、|唯今《ただいま》|僕《しもべ》|共《ども》を|四方《しはう》に|遣《つか》はし|探索《たんさく》の|最中《さいちう》で|御座《ござ》います』
|亀彦《かめひこ》『ア、それで|分《わか》りました、|門番《もんばん》|共《ども》が|私《わたくし》に|対《たい》し|鍵盗人《かぎぬすびと》だとか|何《なん》だとか|大変《たいへん》な|事《こと》を|言《い》つて|居《ゐ》ました、|然《しか》しそれは|大事《おほごと》ですな、|何《なに》か|心当《こころあた》りは|御座《ござ》いますまいか』
|秋山彦《あきやまひこ》『|先程《さきほど》ウラナイ|教《けう》の|高姫《たかひめ》、|青彦《あをひこ》と|言《い》ふ|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》が|玄関《げんくわん》まで|来訪《らいはう》|致《いた》し、|其《その》|儘《まま》|姿《すがた》を|隠《かく》しました。あとを|見《み》れば|玄関《げんくわん》の|間《ま》の|額《がく》の|裏《うら》に|匿《しま》ひ|置《お》きたる|大切《たいせつ》な|玉鍵《たまかぎ》が|紛失《ふんしつ》|致《いた》して|居《を》ります、|人《ひと》を|疑《うたが》ふは|決《けつ》して|良《い》い|事《こと》ではありませぬが、よもやと|思《おも》ひ|心《こころ》の|裡《うち》に|罪《つみ》を|作《つく》つて|居《を》ります』
|亀彦《かめひこ》『ヤア、それは|御心配《ごしんぱい》、お|察《さつ》し|申《まを》す、|吾々《われわれ》も|共々《ともども》に|力添《ちからぞへ》を|致《いた》しまして、|鍵《かぎ》の|所在《ありか》を|捜索《そうさく》|致《いた》しませう』
|秋山彦《あきやまひこ》『あの|鍵《かぎ》は|冠島《かむりじま》、|沓島《くつじま》の|宝《たから》の|鍵《かぎ》で|御座《ござ》いますれば、|万々一《まんまんいち》|其《その》|鍵《かぎ》を|以《もつ》て|両島《りやうたう》に|押《お》し|渡《わた》り、|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》を|盗《ぬす》み|取《と》る|様《やう》な|事《こと》が|御座《ござ》いましては、|折角《せつかく》の|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|基礎《きそ》も|滅茶々々《めちやめちや》になつて|仕舞《しま》ひまする、|生命《いのち》に|代《か》へても|此《この》|鍵《かぎ》と|玉《たま》とは|守《まも》らねばなりませぬ』
|亀彦《かめひこ》『アヽ、さうぢや、|斯《か》ういふ|時《とき》こそ|鬼武彦《おにたけひこ》|殿《どの》にお|頼《たの》み|申《まを》さねばなるまい』
と|大江山《たいこうざん》の|方《はう》に|向《むか》つて|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|救援《きうゑん》を|求《もと》めたるに、|言下《げんか》に、
『オウ』
と|答《こた》へて|現《あら》はれ|来《きた》る|覆面《ふくめん》の|大男《おほをとこ》、|能《よ》く|能《よ》く|見《み》れば|鬼武彦《おにたけひこ》なりける。
|亀彦《かめひこ》『ヤア|貴下《あなた》は|鬼武彦《おにたけひこ》|様《さま》、|能《よ》うこそ|御入来《ごじゆらい》|下《くだ》さいました、お|願《ねが》ひの|筋《すぢ》は|斯《か》く|斯《か》く』
と|鍵《かぎ》の|紛失《ふんしつ》せし|事《こと》を|詳細《しやうさい》に|物語《ものがた》れば、|鬼武彦《おにたけひこ》は|暫時《しばし》|頭《かうべ》を|傾《かたむ》け|目《め》を|閉《と》ぢ|居《ゐ》たりしが|忽《たちま》ち|顔色《かほいろ》|華《はなやか》に、
『アハヽヽヽ、|此《この》|鍵《かぎ》の|掠奪者《りやくだつしや》はウラナイ|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》|高姫《たかひめ》、|青彦《あをひこ》と|言《い》ふ|奴《やつ》、|只今《ただいま》|由良《ゆら》の|港《みなと》より|船《ふね》に|乗《の》り|博奕ケ岬《ばくちがさき》|迄《まで》|漕《こ》ぎ|出《だ》して|居《を》りまする、サア|吾々《われわれ》がお|伴《とも》|致《いた》しませう、|船《ふね》を|出《だ》しなさいませ、|秋山彦《あきやまひこ》|殿《どの》、|御心配《ごしんぱい》|御無用《ごむよう》だ』
|秋山彦《あきやまひこ》『|有難《ありがた》う|御座《ござ》います、|何卒《なにとぞ》|何卒《なにとぞ》|宜《よろ》しく|御願《おねがひ》|申《まを》します』
|鬼武彦《おにたけひこ》『|某《それがし》は|之《これ》より|亀彦《かめひこ》と|共《とも》に|船《ふね》を|準備《しつら》へ|冠島《かむりじま》、|沓島《くつじま》に|向《むか》ひませう、|秋山彦《あきやまひこ》を|始《はじ》め|英子姫《ひでこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》は|当館《たうやかた》にあつて|吾々《われわれ》が|帰《かへ》るを|待《ま》ち|受《う》けられよ、|亀彦《かめひこ》|来《きた》れ』
と|言《い》ふより|早《はや》く、|加米公《かめこう》その|他《た》|秋山彦《あきやまひこ》の|家《いへ》の|子郎党《こらうたう》|十数人《じふすうにん》を|引率《いんそつ》し|三艘《さんそう》の|小船《こぶね》を|艤装《ぎさう》して|由良《ゆら》の|港《みなと》の|月《つき》|照《て》る|海原《うなばら》を|艪櫂《ろかい》の|音《おと》|勇《いさ》ましく|漕《こ》ぎ|出《だ》したり。|三五《さんご》の|月《つき》は|海底《かいてい》|深《ふか》く|姿《すがた》を|浮《う》かべ、|船《ふね》の|動揺《どうえう》につれて|忽《たちま》ち|上下左右《じやうげさいう》に|延長《えんちやう》し|海底《かいてい》に|銀竜《ぎんりう》の|姿《すがた》を|現《げん》じつつ、うつ|波《なみ》の|博奕ケ岬《ばくちがさき》を|後《あと》に|見《み》て|潮《しほ》の|飛沫《ひまつ》をカブラ|岩《いは》、|経ケ岬《けうがみさき》を|左手《ゆんで》に|眺《なが》め|高雲山《かううんざん》を|右手《めて》に|望《のぞ》み|矢《や》を|射《い》る|如《ごと》く|高姫《たかひめ》の|後《あと》を|追《お》ひしき|行《ゆ》きぬ。
|高姫《たかひめ》は|二時《ふたとき》ばかり|以前《いぜん》に|冠島《かむりじま》に|上陸《じやうりく》し|玉鍵《たまかぎ》を|以《もつ》て|素盞嗚尊《すさのをのみこと》が|秘《ひ》め|置《お》かれたる|如意宝珠《によいほつしゆ》を|取《と》り|出《だ》し、|山上《さんじやう》の|大桑樹《だいさうじゆ》の|根元《ねもと》に|密《ひそか》に|埋《うづ》め|目標《めじるし》をなし、|又《また》もや|青彦《あをひこ》と|共《とも》に|船《ふね》に|乗《の》り|沓島《くつじま》に|向《むか》ひける。
|巨大《きよだい》なる|鰐《わに》は|数《かず》|限《かぎ》りなく|沓島《くつじま》の|周辺《しうへん》を|取《と》り|囲《かこ》み|堅《かた》く|守《まも》り|居《ゐ》る、|鰐《わに》の|群《むれ》に|圧《あつ》せられて、|船《ふね》は|最早《もは》や|一尺《いつしやく》も|進《すす》む|事《こと》|能《あた》はず、|高姫《たかひめ》は|船《ふね》の|綱《つな》を|腰《こし》に|結《むす》び|付《つ》け|鰐《わに》の|背《せ》を|渡《わた》つて|青彦《あをひこ》|諸共《もろとも》|漸《やうや》く|断崖《だんがい》に|登《のぼ》り|着《つ》きぬ。|此《この》|間《かん》|殆《ほとん》ど|二時《ふたとき》|許《ばか》りを|要《えう》したりける。|鬼武彦《おにたけひこ》、|亀彦《かめひこ》の|一行《いつかう》は|忽《たちま》ち|此《この》|場《ば》に|追《お》ひつきける。|数多《あまた》の|鰐《わに》は|左右《さいう》に|分《わか》れ|船路《ふなぢ》を|開《ひら》く。|一同《いちどう》は|直《ただち》に|島《しま》に|駆《か》け|上《あが》り|頂上《ちやうじやう》の|岩窟《がんくつ》に|向《むか》つて|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|釣鐘岩《つりがねいは》の|絶頂《ぜつちやう》に|直立《ちよくりつ》|一丈《いちぢやう》|許《ばか》りの|岩窟《がんくつ》あり。|其処《そこ》には|黄《き》、|紅《くれなゐ》、|青《あを》、|赤《あか》、|紫《むらさき》|其《その》|他《た》|色々《いろいろ》の|光彩《くわうさい》を|放《はな》てる|金剛不壊《こんがうふゑ》の|宝玉《ほうぎよく》が|匿《かく》されあり。|二人《ふたり》は|余念《よねん》なく|其《その》|岩窟《がんくつ》に|跳《と》び|込《こ》み|玉《たま》を|取《と》らむとて|汗《あせ》み|泥《どろ》になつて|働《はたら》き|居《ゐ》る。|鍵《かぎ》は|穴《あな》の|端《ふち》に|大切相《だいじさう》に|木葉《このは》を|敷《し》いて|置《お》きありぬ。|亀彦《かめひこ》は|手早《てばや》く|其《その》|鍵《かぎ》をとり|上《あ》げ|懐中《ふところ》に|捻《ね》ぢ|込《こ》みける。|金剛不壊《こんがうふゑ》の|此《この》|玉《たま》は、|地底《ちてい》の|世界《せかい》より|突出《とつしゆつ》せしものにして|巌《いはほ》の|尖端《せんたん》に|密着《みつちやく》しあれば|容易《ようい》に|摂取《せつしゆ》する|事《こと》|能《あた》はず、|鬼武彦《おにたけひこ》は|密《ひそか》に|傍《かたはら》の|大岩石《だいがんせき》を|引《ひ》き|抜《ぬ》き|来《きた》り|岩穴《いはあな》の|上《うへ》にドスンと|載《の》せたり。|二人《ふたり》は|徳利口《とくりぐち》を|塞《ふさ》がれて|如何《いかん》ともする|事《こと》|能《あた》はず|悲鳴《ひめい》をあげて|泣《な》き|叫《さけ》ぶ。
|鬼武彦《おにたけひこ》|始《はじ》め|一同《いちどう》は|此処《ここ》に|悠然《いうぜん》として|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|宣伝歌《せんでんか》を|唱《とな》へ|且《かつ》その|周囲《しうゐ》に|蝟集《ゐしふ》して|休息《きうそく》し|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》りぬ。|岩《いは》と|岩《いは》との|隙間《すきま》より|二人《ふたり》の|藻掻《もが》く|態《さま》は|歴然《れきぜん》と|見《み》え|居《ゐ》たり。|亀彦《かめひこ》は|隙間《すきま》よりヌツと|中《なか》を|覗《のぞ》けば、|穴《あな》の|中《なか》より|高姫《たかひめ》は|亀彦《かめひこ》の|顔《かほ》を|見上《みあ》げ、
|高姫《たかひめ》『ヤア|汝《なんぢ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|吾々《われわれ》は|神勅《しんちよく》を|奉《ほう》じて|此《この》|玉《たま》をお|迎《むか》へに|参《まゐ》つたもの、|神業《しんげふ》の|妨害《ばうがい》すると|地獄《ぢごく》の|釜《かま》に|真逆様《まつさかさま》に|落《おと》されるぞ、|早《はや》く|悪戯《いたづら》をやめて|誠《まこと》の|道《みち》に|立《た》ち|復《かへ》り、|此《この》|岩《いは》を|除《の》けて|日《ひ》の|出神《でのかみ》にお|詫《わび》を|申《まを》さぬか、|不届《ふとどき》な|奴《やつ》めが』
|亀彦《かめひこ》『アハヽヽヽ、|末代《まつだい》|上《あが》れぬ|岩穴《いはあな》に|放《ほ》り|込《こ》まれて|減《へ》らず|口《ぐち》を|叩《たた》くな、|此《この》|岩《いは》は|巨大《きよだい》なる|千引岩《ちびきいは》、|仮令《たとへ》|百人《ひやくにん》|千人《せんにん》|来《きた》るとも|容易《ようい》に|動《うご》かぬ|代物《しろもの》だ、マアマア|悠《ゆる》りと|此処《ここ》に|安居《あんきよ》して|沈思黙考《ちんしもくかう》なされませ、|吾々《われわれ》は|之《これ》より|聖地《せいち》を|指《さ》してお|先《さき》へ|御免《ごめん》|蒙《かうむ》る』
|高姫《たかひめ》『|岩石《がんせき》を|取《と》らぬなら|取《と》らぬで|宜《よ》い、|其《その》|代《かは》りに|冠島《かむりじま》の|玉《たま》の|所在《ありか》は|分《わか》るまい、|玉《たま》の|所在《ありか》が|知《し》り|度《た》くば|此《この》|岩《いは》を|取《と》り|除《の》けて|吾々《われわれ》|二人《ふたり》を|救《すく》ひ|上《あ》げ|船《ふね》に|乗《の》せ|鄭重《ていちよう》に|田辺《たなべ》の|港《みなと》まで|送《おく》り|帰《かへ》せ、|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》は|欲《ほ》しくは|無《な》いか』
|亀彦《かめひこ》『エー、|抜《ぬ》け|目《め》のない|奴《やつ》だ、|鬼武彦《おにたけひこ》さま、|如何《どう》|致《いた》しませうか、|貴方《あなた》の|天眼力《てんがんりき》で、|玉《たま》の|所在《ありか》をお|探《さが》し|下《くだ》さらぬか』
|鬼武彦《おにたけひこ》『|一旦《いつたん》|悪神《あくがみ》の|手《て》に|渡《わた》つた|如意宝珠《によいほつしゆ》なれば|外部《ぐわいぶ》は|穢《けが》れ|曇《くも》り|一向《いつかう》|霊気《れいき》を|放射《はうしや》|致《いた》さぬ、あの|玉《たま》を|再《ふたた》び|用《もち》ひむとすれば|七日七夜《なぬかななよ》の|間《あひだ》、|和知《わち》の|清泉《せいせん》に|清《きよ》めて|磨《みが》かねばなりませぬ、さりとて、|所在《ありか》が|分《わか》らねばこれ|亦《また》|素盞嗚《すさのを》の|大神《おほかみ》に|対《たい》して|申《まを》し|訳《わけ》が|立《た》たぬ、エー|仕方《しかた》がない、|高姫《たかひめ》、|青彦《あをひこ》|両人《りやうにん》に|白状《はくじやう》させるより|外《ほか》に|道《みち》はありますまい』
|亀彦《かめひこ》『|困《こま》つたな、|万劫末代《まんがふまつだい》|此《この》|岩穴《いはあな》に|封《ふう》じ|込《こ》めて|与《や》らうと|思《おも》つたに|惜《を》しい|事《こと》だ、オイ、|高姫《たかひめ》、|青彦《あをひこ》の|両人《りやうにん》、|貴様《きさま》は|余《よ》つ|程《ぽど》|幸福者《しあはせもの》だ、|玉《たま》の|所在《ありか》を|逐一《ちくいち》|申《まを》せ、|然《しか》らば|此《この》|岩《いは》を|取《と》り|除《のぞ》いて|与《や》らう』
|高姫《たかひめ》『ドツコイ、さうは|往《ゆ》きませぬぞ、|岩石《がんせき》を|除《のぞ》いて|吾々《われわれ》を|冠島《かむりじま》|迄《まで》|送《おく》り|届《とど》けなければ|仲々《なかなか》|白状《はくじやう》|致《いた》さぬ、|万一《まんいち》|迂濶《うつかり》|所在《しよざい》を|知《し》らすが|最後《さいご》|此《この》|儘《まま》にして|置《お》かれては|吾々《われわれ》の|立《た》つ|瀬《せ》が|無《な》い、|吾々《われわれ》を|救《すく》ふ|方法《はうはふ》は|玉《たま》の|所在《ありか》を|知《し》らさぬ|一法《いつぱふ》あるのみだ、ホヽヽヽ』
|亀彦《かめひこ》『エー、|酢《す》でも|蒟蒻《こんにやく》でも|往《ゆ》かぬ|奴《やつ》だ、|一歩《いつぽ》|譲《ゆづ》つて|此《この》|岩《いは》を|取《と》り|除《の》けて|助《たす》けて|与《や》ろか、|打《う》たぬ|博奕《ばくち》に|負《まけ》たと|思《おも》うて|辛抱《しんばう》するかなア』
と|呟《つぶや》き|乍《なが》ら|鬼武彦《おにたけひこ》に|目配《めくば》せすれば|鬼武彦《おにたけひこ》はウンと|一声《ひとこゑ》、|力《ちから》をこめて|岩《いは》を|蹴《け》る、|岩石《がんせき》はガラガラガラツ、ドドンツと|音響《おんきやう》を|立《た》て|眼下《がんか》の|紫色《むらさきいろ》の|海中《かいちう》に|向《むか》つて|水柱《みづばしら》をたてつつドブンと|落《お》ち|込《こ》みぬ。|高姫《たかひめ》、|青彦《あをひこ》は|漸《やうや》く|這《は》ひ|上《あが》り、
『ヤア|皆《みな》さま、|御心配《ごしんぱい》を|掛《か》けました。お|蔭《かげ》さまで|助《たす》けて|貰《もら》ひました。サアサ、|帰《かへ》りませう』
|亀彦《かめひこ》『コレヤコレヤさうは|往《ゆ》かぬ、|何処《どこ》に|隠《かく》した、|白状《はくじやう》|致《いた》さぬか』
|高姫《たかひめ》『|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》は|冠島《かむりじま》に|隠《かく》してある。|此処《ここ》では|無《な》い、|早《はや》く|船《ふね》を|出《だ》しなさい、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》ると|荒風《あらかぜ》が|吹《ふ》いて|帰《かへ》る|事《こと》が|出来《でき》なくなる』
|鬼武彦《おにたけひこ》|一行《いつかう》は|釣鐘岩《つりがねいは》を|辛《から》うじて|下《くだ》り|船《ふね》に|乗《の》り|込《こ》みぬ。|高姫《たかひめ》、|青彦《あをひこ》は|鬼武彦《おにたけひこ》、|亀彦《かめひこ》の|船《ふね》に|分乗《ぶんじやう》せしめ|彼《かれ》が|乗《の》り|来《きた》りし|船《ふね》には|秋山彦《あきやまひこ》の|僕《しもべ》を|乗《の》せ、|艪櫂《ろかい》の|音《おと》|勇《いさ》ましく|冠島《かむりじま》に|向《むか》つて|漕《こ》ぎ|帰《かへ》る。|高姫《たかひめ》は|冠島《かむりじま》へ|着《つ》くや|否《いな》や、|猿《ましら》の|如《ごと》く|山上《さんじやう》に|駆《か》け|上《のぼ》り、|手早《てばや》く|珠《たま》を|掘《ほ》り|出《だ》し|懐中《ふところ》に|捻込《ねぢこ》み、
『サア|如意宝珠《によいほつしゆ》は|之《これ》で|御座《ござ》る、|今《いま》お|渡《わた》しすると|貴方《あなた》は|都合《つがふ》が|宜《よろ》しからうが|妾《わたし》の|都合《つがふ》が|一寸《ちよつと》|悪《わる》い、|万一《まんいち》|船中《せんちう》に|於《おい》て|海中《かいちう》に|放《ほ》り|込《こ》まれでもしては|大変《たいへん》だ、もし|放《ほ》り|込《こ》まれたら|懐中《ふところ》の|玉《たま》と|一緒《いつしよ》に|沈《しづ》む|覚悟《かくご》だ、サアサ|田辺《たなべ》の|港《みなと》でお|渡《わた》し|申《まを》す』
|亀彦《かめひこ》『|何処迄《どこまで》も|注意《ちうい》|周到《しうたう》な|奴《やつ》だナア、|吾々《われわれ》は|決《けつ》して|汝等《なんぢら》を|苦《くる》しめる|考《かんが》へでは|無《な》い、|今《いま》|直《すぐ》に|渡《わた》して|呉《く》れよ。|屹度《きつと》|田辺《たなべ》に|送《おく》り|着《つ》けてやる』
|高姫《たかひめ》『|滅相《めつさう》もない、|其方《そちら》の|出様《でやう》|次第《しだい》に|依《よ》つて|此《この》|玉《たま》を|岩石《がんせき》に|打付《ぶつつ》けて|砕《くだ》いて|仕舞《しま》ふか、|疵《きず》をつけるか、|海中《かいちう》に|投《な》げ|込《こ》むか、|未《いま》だ|見当《けんたう》が|付《つ》いて|居《を》らぬ。|渡《わた》す|渡《わた》さぬは|田辺《たなべ》へ|着《つ》いた|上《うへ》の|事《こと》だ、オホヽヽヽ』
|亀彦《かめひこ》『ソンナラ|貴様《きさま》だけ|船《ふね》に|乗《の》せてやる、|青彦《あをひこ》は|此《この》|島《しま》に|暫時《ざんじ》|居《を》つて|修業《しうげふ》をしたが|宜《よろ》しからう』
|高姫《たかひめ》『|滅相《めつさう》な、|車《くるま》の|両輪《りやうりん》、|二本《にほん》の|脚《あし》、|御神酒徳利《おみきどつくり》、|鑿《のみ》と|槌《つち》、|二人《ふたり》|居《を》らねば|何事《なにごと》も|一人《ひとり》では|物事《ものごと》|成就《じやうじゆ》|致《いた》さぬ、|一本《いつぽん》では|歩《ある》けない。|青彦《あをひこ》も|一緒《いつしよ》に|連《つ》れて|帰《かへ》れ』
|亀彦《かめひこ》『|何処迄《どこまで》も|図々《づづ》しい|奴《やつ》だ、それ|位《くらゐ》でなくては|三五教《あななひけう》の|切《き》り|崩《くづ》しは|到底《たうてい》|出来《でき》よまい、アア|感心《かんしん》|感心《かんしん》、|韓信《かんしん》の|股潜《またくぐ》りだ、アハヽヽヽ』
|鬼武彦《おにたけひこ》『サア|亀彦《かめひこ》さま、|話《はなし》は|悠《ゆる》りと|船中《せんちう》でなさいませ、|東北《とうほく》の|天《てん》に|当《あた》つて|怪雲《くわいうん》が|現《あら》はれました。|暴風《ばうふう》の|襲来《しふらい》|刻々《こくこく》に|迫《せま》つて|来《き》ました。サア|早《はや》く|早《はや》く』
と|急《せ》き|立《た》てる。|亀彦《かめひこ》、|高姫《たかひめ》|其《その》|他《た》|一同《いちどう》は|四艘《しさう》の|船《ふね》に|分乗《ぶんじやう》し|艪櫂《ろかい》の|音《おと》|勇《いさ》ましく|田辺《たなべ》を|指《さ》して|帰《かへ》り|来《く》る。アヽ|此《この》|宝珠《ほつしゆ》は|如何《どう》なるであらうか。
|因《ちなみ》に|言《い》ふ、|此《この》|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》は|一名《いちめい》|言霊《ことたま》と|称《しよう》し|又《また》|神集《かうづ》の|玉《たま》とも|言《い》ひ|言語《げんご》を|発《はつ》する|不可思議《ふかしぎ》の|生玉《いきたま》である。|丁度《ちやうど》|近代《きんだい》|流行《りうかう》の|蓄音器《ちくおんき》の|玉《たま》の|様《やう》な|活動《くわつどう》をする|宝玉《ほうぎよく》にして|今《いま》はウラナイ|教《けう》の|末流《まつりう》たる|悪神《あくがみ》の|手《て》に|保存《ほぞん》せられ|独逸《ドイツ》の|或《ある》|地点《ちてん》に|深《ふか》く|秘蔵《ひざう》されありと|言《い》ふ。
(大正一一・四・一五 旧三・一九 北村隆光録)
(昭和一〇・五・二六 天恩郷 王仁校正)
第一四章 |鵜呑鷹《うのみだか》〔六〇四〕
|亀彦《かめひこ》は|艪《ろ》を|漕《こ》ぎ|乍《なが》ら、|海風《うなかぜ》に|向《むか》つて、
|亀彦《かめひこ》『|田辺《たなべ》|見《み》たさに|松原《まつばら》|越《こ》せば、|田辺《たなべ》|隠《かく》しの|霧《きり》がこむ』
と|船唄《ふなうた》|面白《おもしろ》く、|遂《つひ》に|竹島《たけしま》、|博奕ケ岬《ばくちがさき》、|目《め》の|白黒岩《しろくろいは》を|越《こ》え、|松原《まつばら》を|右手《めて》に|眺《なが》め、|蛇島《じやじま》、|広島《ひろしま》|左手《ゆんで》に|眺《なが》めて、やうやう|十七夜《じふしちや》の|黄昏《たそがれ》|過《す》ぐる|頃《ころ》、|田辺《たなべ》の|湊《みなと》に|安着《あんちやく》したり。|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜぬ|宵闇《よひやみ》の|空《そら》、|高姫《たかひめ》、|青彦《あをひこ》は、|船《ふね》の|横着《よこづ》けになるを|待《ま》ち|兼《か》ね、ヒラリと|飛上《とびあが》り、|暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|姿《すがた》を|隠《かく》しける。
|亀彦《かめひこ》『ヤア|高姫《たかひめ》は|居《を》らぬか、|青彦《あをひこ》は|何処《いづく》ぞ……|鬼武彦《おにたけひこ》|様《さま》どう|致《いた》しませう』
|暗《くら》がりの|中《なか》より、|青彦《あをひこ》、|高姫《たかひめ》の|声《こゑ》、
『アハヽヽヽ、オホヽヽヽ、|大《おほ》きに|憚《はばか》りさま、|此《この》|玉《たま》|渡《わた》してなるものかい、……|皆《みな》さま、アバヨ、アリヨース』
と|冷嘲的《れいてうてき》|怪声《くわいせい》を|漏《も》らし、|何処《どこ》ともなく、|闇《やみ》に|紛《まぎ》れて|消《き》え|失《う》せたり。|鬼武彦《おにたけひこ》、|亀彦《かめひこ》は|直《ただ》ちに|船《ふね》を|飛《と》びあがり、
『アー|失敗《しま》つた、|由良《ゆら》の|湊《みなと》へ|着《つ》けさへすれば、コンナ|事《こと》も|無《な》かつたらうに、……|高姫《たかひめ》の|言《げん》に|従《したが》ひ、|田辺《たなべ》へ|着《つ》けたのが|此方《こちら》の|不覚《ふかく》……エー|仕方《しかた》がない、|後《あと》を|追《お》つかけようにも|真《しん》の|暗《やみ》、|一先《ひとま》づ|秋山彦《あきやまひこ》の|館《やかた》に|立帰《たちかへ》り、|御相談《ごさうだん》を|致《いた》しませう』
と|力《ちから》|無《な》げに|物語《ものがた》りつつ、|由良《ゆら》の|湊《みなと》を|指《さ》して、テクの|継続《けいぞく》をなし、|由良《ゆら》の|湊《みなと》の|少《すこ》し|手前《てまへ》まで|一行《いつかう》|帰《かへ》り|来《きた》る|折《をり》しも、|東天《とうてん》を|照《てら》して|昇《のぼ》り|来《く》る|十七夜《じふしちや》の、|楕円形《だゑんけい》の|月《つき》|松《まつ》の|木《こ》の|間《ま》に|姿《すがた》を|現《あら》はし、|一同《いちどう》を|冷笑《れいせう》し|給《たま》ふ|如《ごと》く|見《み》えける。|凩《こがらし》まがひの|寒風《かんぷう》は|容赦《ようしや》なく|向《むか》う|面《づら》に|突《つ》き|当《あた》り、|四辺《あたり》の|木々《きぎ》は|時《とき》ならぬ|笛《ふえ》を|吹《ふ》き|立《た》て、|一行《いつかう》の|失敗《しつぱい》を|囃《はや》すが|如《ごと》く|聞《きこ》え|来《き》たりぬ。
|亀彦《かめひこ》『アー|怪体《けつたい》の|悪《わる》い、|丸《まる》で|高姫《たかひめ》のお|伴《とも》をした|様《やう》なものだ。|仮令《たとへ》|高姫《たかひめ》|天《てん》を|翔《かけ》り、|地《ち》を|潜《くぐ》るとも、|彼女《あれ》の|所在《ありか》を|探《たづ》ね、|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》を|取返《とりかへ》さで|置《お》くべきか』
と|大道《だいだう》の|正中《まんなか》に|地団駄《ぢだんだ》|踏《ふ》み、|遂《つひ》には|胡坐《あぐら》をかいて|動《うご》かなくなりぬ。|鬼武彦《おにたけひこ》は、
『ヤア|亀彦《かめひこ》|殿《どの》、|斯《か》うなる|上《うへ》は、|悔《くや》みても|復《かへ》らぬ|事《こと》、|草《くさ》を|分《わ》けても|彼《かれら》が|行衛《ゆくへ》を|探《さが》し、|玉《たま》を|取返《とりかへ》すより|外《ほか》に|途《みち》は|御座《ござ》らぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら|吾《わ》れは|秋山彦《あきやまひこ》に|会《あ》はす|顔《かほ》なし、|是《こ》れよりお|暇《いとま》|申《まを》す』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|白煙《しろけぶり》となつて|姿《すがた》を|隠《かく》しぬ。|秋山彦《あきやまひこ》が|家《いへ》の|子《こ》|十数人《じふすうにん》は|当惑《たうわく》の|態《てい》にて、|如何《いかが》はせむと、|各自《めいめい》|双手《もろて》を|組《く》み、|歎《なげ》|息《いき》の|声《こゑ》|暫《しば》しはやまざりにけり。
|甲《かふ》『もしもし|亀彦《かめひこ》さま、あなたが|左様《さう》|気投《きな》げして|貰《もら》つては、|吾々《われわれ》はどう|致《いた》したら|宜《よ》いのですか、|館《うち》へ|帰《かへ》つて|御主人《ごしゆじん》に、|何《なん》と|言《い》つてお|詫《わび》を|致《いた》しませうやら、|報告《はうこく》の|仕方《しかた》がありませぬ』
|亀彦《かめひこ》『|有態《ありてい》の|通《とほ》り|報告《はうこく》すれば|良《い》いぢやないか。|俺《おれ》はモウ|是《こ》れ|限《かぎ》り、|秋山彦《あきやまひこ》の|館《やかた》へは|帰《かへ》らない。|早《はや》く|帰《かへ》つて|主人《しゆじん》|夫婦《ふうふ》を|始《はじ》め、|英子姫《ひでこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》に|此《この》|由《よし》|伝《つた》へて|呉《く》れよ』
|甲《かふ》『|夫《そ》れは|又《また》あまり、……ご|主人様《しゆじんさま》や、|二人《ふたり》の|女宣伝使《をんなせんでんし》が|首《くび》を|長《なが》うして|待《ま》つて|居《を》られます。|後《あと》は|兎《と》も|角《かく》も、|一度《いちど》|御帰《おかへ》り|下《くだ》さいませ』
|亀彦《かめひこ》『………』
|乙《おつ》『|夫《そ》れだから、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》は|腰抜《こしぬけ》だと、|俺《おれ》は|何時《いつ》も|言《い》ふのだよ。ウラナイ|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》の|敏捷《すばしこ》い|事《こと》を|見《み》たか、|岩《いは》の|中《なか》で、|閉《と》ぢこめられて|居《ゐ》ても、あれ|位《くらゐ》な|談判《だんぱん》をしよる。|喉元《のどもと》に|刃《やいば》を|突《つ》き|付《つ》けられて|居乍《ゐなが》ら、|逆様《さかさま》に|其《その》|刀《かたな》で、|押《おさ》へた|奴《やつ》の|首《くび》を|切《き》る|様《やう》な|妙案《めうあん》|奇策《きさく》をやつたぢやないか。|亀彦《かめひこ》なぞと、コンナ|我羅苦多《がらくた》|宣伝使《せんでんし》に|従《つ》いて|行《ゆ》くものだから、|生《うま》れてから|無《な》い|様《やう》な|赤恥《あかはぢ》を|天地《てんち》に|曝《さら》させられたのだ。アーア、どうして|是《こ》れが、|主人《しゆじん》に|顔《かほ》が|会《あ》はされよう』
|丙《へい》『ソンナ|事《こと》を|言《い》つたつて|仕方《しかた》がない。|死《し》んだ|子《こ》の|年《とし》を|数《かぞ》へる|様《やう》なものだ。|何事《なにごと》も|諦《あきら》めが|肝腎《かんじん》だ。|悪人《あくにん》の|栄《さか》え|善人《ぜんにん》の|衰《おとろ》へる|世《よ》の|中《なか》だもの、|善人《ぜんにん》が|瞞《だま》されるのは|無理《むり》もない。|俺達《おれたち》は|益々《ますます》|三五教《あななひけう》の|正《ただ》しい|事《こと》に|感心《かんしん》した。サア|亀彦《かめひこ》|様《さま》、ソンナ|事《こと》を|仰有《おつしや》らずに|早《はや》く|帰《かへ》りませう』
|亀彦《かめひこ》『サア|行《ゆ》かう、お|前達《まへたち》が|如何《どん》な|意見《いけん》を|持《も》つてるかと|思《おも》つて、|一寸《ちよつと》|探《さぐ》つて|見《み》たのだよ。ナアニ|玉《たま》|位《ぐらゐ》|奪《と》られた|所《ところ》で、どつかに|匿《かく》してある。|滅多《めつた》に|地獄《ぢごく》の|底《そこ》|迄《まで》|隠《かく》しても|居《を》るまい。ウラナイ|教《けう》の|本陣《ほんぢん》へ|乗込《のりこ》みて、|有無《うむ》を|言《い》はせず、とつ|返《かへ》して|呉《く》れる。|兎《と》も|角《かく》|是《こ》れは|時日《じじつ》の|問題《もんだい》だ。|皆《みな》の|者《もの》、|何事《なにごと》も|亀彦《かめひこ》に|任《まか》せよ。|心配《しんぱい》|致《いた》すな。サア|行《ゆ》かう』
と|先《さき》に|立《た》ちて|勢《いきほひ》よく、|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し、|聞直《ききなほ》し、|宣《の》り|直《なほ》しつつ、|由良《ゆら》の|湊《みなと》の|秋山彦《あきやまひこ》が|館《やかた》を|指《さ》して、|一行《いつかう》|十五六人《じふごろくにん》、スタスタと|帰《かへ》り|着《つ》きける。|亀彦《かめひこ》は|先《さき》に|立《た》ち、|表門《おもてもん》を|力《ちから》|無《な》げに|潜《くぐ》り|入《い》らむとする|時《とき》、|門番《もんばん》の|銀公《ぎんこう》は|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ、
『ヤア|亀彦《かめひこ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、お|手柄《てがら》お|手柄《てがら》、あなたのお|蔭《かげ》で、|一旦《いつたん》|敵《てき》に|奪《と》られたる|如意宝珠《によいほつしゆ》の|珠《たま》も、|鍵《かぎ》も、|首尾《しゆび》|能《よ》く|手《て》に|入《い》りまして、さぞ|御主人様《ごしゆじんさま》も|御喜《およろこ》びで|御座《ござ》いませう。|主人《しゆじん》も|喜《よろこ》び、|奥様《おくさま》もお|喜《よろこ》び、|第一《だいいち》あなたのお|喜《よろこ》び、|従《つ》いて|往《い》つた|奴等《やつら》の|喜《よろこ》び、|共《とも》に|私《わたくし》もお|喜《よろこ》びだ。|流石《さすが》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、ヤアもう|感《かん》じ|入《い》つて|御座《ござ》います。|奥《おく》には|貴方《あなた》の|成功《せいこう》を|祝《しゆく》する|為《ため》、|海山河野《うみやまかはぬの》|種々《くさぐさ》の|馳走《ちそう》を|拵《こしら》へ、|旦那様《だんなさま》が|御機嫌《ごきげん》|麗《うるは》しく、お|待兼《まちかね》で|御座《ござ》います。|吾々《われわれ》も|御同慶《ごどうけい》に|堪《た》へませぬ』
とイソイソと、|肩《かた》をゆすぶり、はしやいで|居《ゐ》る。|亀彦《かめひこ》は|軽《かる》く|目礼《もくれい》し、トボトボと|奥《おく》を|指《さ》して|進《すす》み|入《い》る。
|銀公《ぎんこう》『オイ|岩公《いはこう》、|市公《いちこう》、どうぢやつた。|随分《ずゐぶん》|面白《おもしろ》かつたらうな』
|岩公《いはこう》|肩《かた》を|聳《そび》やかし、
『きまつた|事《こと》だよ。|天下無双《てんかむさう》の|剛力男《がうりきをとこ》の|岩公《いはこう》のお|出《いで》だもの、|高姫《たかひめ》の|一疋《いつぴき》や|二疋《にひき》は、|屁《へ》のお|茶《ちや》だ。|併《しか》し|乍《なが》ら|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》も|良《い》い|加減《かげん》なものだよ。とうと|玉《たま》を|奪《と》られやがつてなア……』
|銀公《ぎんこう》『ナニ? |玉《たま》を|奪《と》られたとは、それや|本当《ほんたう》か』
|岩公《いはこう》『ウン、|奪《と》られた……でもない、マア……|奪《うば》つたのだ』
|銀公《ぎんこう》『どちらが|奪《と》つたのだい』
|岩公《いはこう》『マアマア|奪《と》つた|奴《やつ》が|奪《と》つたのだ。|奪《と》られた|奴《やつ》が、|奪《と》られた……と|云《い》ふ|様《やう》なものかいナ』
|銀公《ぎんこう》『|高姫《たかひめ》は、|折角《せつかく》|奪《と》つた|玉《たま》を、フンだくられやがつて、|妙《めう》な|顔《かほ》しただらうな』
|岩公《いはこう》『ウンさうだ。……|何分《なにぶん》|一《いち》の|暗《くら》みの|事《こと》で、|鼻《はな》|摘《つま》まれても|分《わか》らぬ|位《くらゐ》だから、ドンナ|顔《かほ》したか|知《し》らぬが、|一方《いつぱう》は|意気《いき》|揚々《やうやう》、|一方《いつぱう》は|意気消沈《いきせうちん》、|屠所《としよ》に|曳《ひ》かるる|羊《ひつじ》の|如《ごと》しだ。お|気《き》の|毒《どく》なりける|次第《しだい》なりけりだ』
|銀公《ぎんこう》『マアマア|結構《けつこう》だ。|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》|及《およ》び|鍵《かぎ》が|戻《もど》つた|以上《いじやう》は、|今晩《こんばん》はお|祝酒《いはひざけ》でもドツサリ|戴《いただ》けるかなア』
|市公《いちこう》『あまり|大《おほ》きな|声《こゑ》では|言《い》はれぬが、サツパリぢや』
|銀公《ぎんこう》『|何《なに》がサツパリぢや』
|市公《いちこう》『|兎《と》も|角《かく》サツパリコンと、|蛸《たこ》があげ|壺《つぼ》|喰《く》つた|様《やう》なものだよ、アフンと|致《いた》して、|梟鳥《ふくろどり》が|夜食《やしよく》に|外《はづ》れた|様《やう》なむつかしい|顔《かほ》を|致《いた》すと|云《い》ふ……|是《こ》れからが|幕《まく》|開《あ》きだよ』
|一同《いちどう》は|急《いそ》いで、|奥《おく》を|指《さ》して|進《すす》み|入《い》る。|秋山彦《あきやまひこ》|夫婦《ふうふ》を|始《はじ》め、|英子姫《ひでこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》は|玄関《げんくわん》に、|亀彦《かめひこ》を|出《い》で|迎《むか》へ、
|秋山彦《あきやまひこ》『|是《こ》れは|是《こ》れは|多大《いか》い|御心配《ごしんぱい》をかけました。|様子《やうす》は|如何《いかが》で|御座《ござ》いまするか』
|亀彦《かめひこ》『ハイ、|左様《さやう》、|然《しか》らば|逐一《ちくいち》|報告《はうこく》|致《いた》しませう』
|英子姫《ひでこひめ》『|一時《いちじ》も|早《はや》く|嬉《うれ》しき|便《たよ》りを|聞《き》かして|下《くだ》さいナ。|今《いま》か|今《いま》かと|時《とき》の|経《た》つのを、|一日《いちにち》|千秋《せんしう》の|思《おも》ひで|待《ま》つて|居《ゐ》ました。|何事《なにごと》にも|抜《ぬ》け|目《め》の|無《な》い|亀彦《かめひこ》さまの|事《こと》、|鬼武彦《おにたけひこ》の|神様《かみさま》も|伴《つ》いて|居《ゐ》られる|以上《いじやう》は、|滅多《めつた》な|不調法《ぶてうはふ》はありますまい。……|大勝利《だいしようり》……|大万歳《だいばんざい》……サア|早《はや》く|面白《おもしろ》い|顛末《てんまつ》を|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいませ』
|亀彦《かめひこ》『|只今《ただいま》|詳細《つぶさ》に|言上《ごんじやう》|仕《つかまつ》る』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|両肌《もろはだ》を|脱《ぬ》ぎ、|両刃《もろは》の|短刀《たんたう》|抜《ぬ》く|手《て》も|見《み》せず、|左《ひだり》の|脇腹《わきばら》に、グサと|突立《つつた》て|抉《えぐ》り|始《はじ》めたり。|英子姫《ひでこひめ》は|驚《おどろ》いて|其《その》|手《て》に|取《と》りすがり、
『ヤア|亀彦《かめひこ》|殿《どの》、|早《はや》まり|給《たま》ふな』
|亀彦《かめひこ》、|苦《くる》しき|息《いき》の|下《した》より、
『|早《はや》まるなとはお|情《なさけ》|無《な》い、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》|様《さま》の|唯一《ゆいつ》の|御宝《おたから》をば、オメオメとウラナイ|教《けう》の|高姫《たかひめ》の|為《ため》に|欺《あざむ》き|奪《と》られ、|会《あ》はす|顔《かほ》が|御座《ござ》いませぬ。|最早《もはや》|死《し》を|決《けつ》した|某《それがし》、なまじひに|止《と》め|立《だ》てして|苦《くるし》めて|下《くだ》さるな。|委細《ゐさい》は|岩公《いはこう》、|市公《いちこう》、|磯公《いそこう》にお|聞《き》き|下《くだ》され。|拙者《せつしや》は|此《この》|失敗《しつぱい》の|申《まを》し|訳《わけ》に、|腹《はら》|掻《か》き|切《き》つてお|詫《わび》|申《まを》す。|何《いづ》れもさらば』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|力《ちから》を|籠《こ》めて|一抉《ひとえぐ》り、|忽《たちま》ち|息《いき》は|絶《た》えにけり。|英子姫《ひでこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》は『ワアツ』と|計《ばか》り、|亀彦《かめひこ》が|死骸《しがい》に|取《とり》つき、|前後《ぜんご》も|知《し》らず|泣《な》き|伏《ふ》しぬ。|秋山彦《あきやまひこ》|夫婦《ふうふ》も|目《め》をしばたき、|黙然《もくねん》として、|悲歎《ひたん》の|涙《なみだ》に|袖《そで》を|絞《しぼ》る。|此《この》|時《とき》|表門《おもてもん》より|現《あら》はれ|出《い》でたる|一人《ひとり》の|男《をとこ》、|此《この》|場《ば》を|指《さ》して|韋駄天《ゐだてん》|走《ばし》りに|駆《か》け|来《きた》る。|見《み》れば|鬼武彦《おにたけひこ》は|高姫《たかひめ》、|青彦《あをひこ》の|二人《ふたり》を|左右《さいう》の|手《て》に、|猫《ねこ》を|提《ひつさ》げた|様《やう》な|体裁《ていさい》にて|出《い》で|来《きた》り、
『ヤア|何《いづ》れも|様《さま》、|高姫《たかひめ》、|青彦《あをひこ》の|両人《りやうにん》を|引《ひ》つ|捉《とら》へ|参《まゐ》りました。|玉《たま》は|確《たしか》に|高姫《たかひめ》の|懐中《くわいちゆう》に|御座《ござ》れば|是《こ》れより|拙者《それがし》が|詮議《せんぎ》|致《いた》して|取返《とりかへ》し|呉《く》れむ。|何《いづ》れも|様《さま》、|御安心《ごあんしん》|有《あ》れ……』
|秋山彦《あきやまひこ》|夫婦《ふうふ》は|二度《にど》ビツクリ、
『ヤア|鬼武彦《おにたけひこ》|様《さま》か、|能《よ》うマア|来《き》て|下《くだ》さいました。それは|誠《まこと》に|有難《ありがた》い、さは|然《さ》り|乍《なが》ら、|今《いま》の|今迄《いままで》|元気《げんき》|能《よ》く|居《ゐ》らせられた|亀彦《かめひこ》さまは、|腹《はら》を|切《き》つてお|果《は》てなされました』
と|泣《な》き|伏《ふ》せば、|鬼武彦《おにたけひこ》はカラカラと|打笑《うちわら》ひ、
『ヤア|皆様《みなさま》|御心配《ごしんぱい》なされますな、|亀彦《かめひこ》の|宣伝使《せんでんし》は|頓《やが》て|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれませう』
『エーツ』
と|驚《おどろ》く|一同《いちどう》。|亀彦《かめひこ》の|死骸《しがい》はムクムクと|起上《おきあが》り、|見《み》る|見《み》る|尨犬《むくいぬ》の|如《ごと》き|毛《け》を|全身《ぜんしん》に|生《しやう》じ、|灰色《はひいろ》の|虎《とら》とも|見《み》えず、|熊《くま》とも|見《み》えず、|怪獣《くわいじう》となつてノソリノソリと|這《は》ひ|出《だ》し、|表門《おもてもん》|指《さ》して|帰《かへ》りゆく。|一同《いちどう》は|夢《ゆめ》に|夢見《ゆめみ》る|心地《ここち》して、|一言《いちごん》も|発《はつ》せず、|暫《しば》しは|互《たがひ》に|顔《かほ》を|見合《みあは》せ|居《ゐ》るのみなりき。|斯《か》かる|所《ところ》へ|現《あら》はれ|来《きた》る|正真《しやうまつ》の|亀彦《かめひこ》はニコニコし|乍《なが》ら、
|亀彦《かめひこ》『ヤア|鬼武彦《おにたけひこ》|様《さま》、|偉《えら》い|御心配《ごしんぱい》を|掛《か》けました。|暗夜《あんや》の|事《こと》と|言《い》ひ、|何《いづ》れに|潜《ひそ》み|隠《かく》れしやと|一時《いちじ》は|周章狼狽《しうしやうらうばい》|致《いた》しましたが、お|蔭様《かげさま》で|十七日《じふしちにち》の|月《つき》は|東天《とうてん》に|輝《かがや》き|給《たま》うた、|弥勒様《みろくさま》のお|蔭《かげ》で、ヤツとの|事《こと》、|目的物《もくてきぶつ》が|手《て》に|入《い》り、コンナ|有難《ありがた》い|事《こと》は|御座《ござ》いませぬ。……アヽ|秋山彦《あきやまひこ》|夫婦《ふうふ》のお|方《かた》、|英子姫《ひでこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》|殿《どの》、|御安心《ごあんしん》なさいませ』
|秋山彦《あきやまひこ》『ヤア|何《なに》よりも|結構《けつこう》な|事《こと》で|御座《ござ》いました。|誠《まこと》に|偉《いか》い|骨折《ほねをり》をさせました。サアサア|奥《おく》に|馳走《ちそう》の|用意《ようい》がして|御座《ござ》います。|皆《みな》さまどうぞ|奥《おく》へ|入《い》らつしやいませ』
|鬼武彦《おにたけひこ》は|高姫《たかひめ》、|青彦《あをひこ》を|玄関《げんくわん》にドサリと|下《おろ》したり。
|高姫《たかひめ》『アヽ|鬼武彦《おにたけひこ》|殿《どの》、|御苦労《ごくらう》であつたのう、お|蔭《かげ》でお|土《つち》も|踏《ふ》まず、|宙《ちう》を|駆《か》けつて|楽《らく》に|参《まゐ》りましたよ。ホヽヽヽ、|玉《たま》は|確《たしか》に|此処《ここ》に|一《ひと》つ|御座《ござ》います。|一《ひと》つで|足《た》らねば、|青彦《あをひこ》が|金色《こんじき》の|玉《たま》を|二《ふた》つ|持《も》つて|居《を》ります。|是《こ》れで|三《み》つ|揃《そろ》うた|瑞《みづ》の|御霊《みたま》……ホヽヽヽ』
|亀彦《かめひこ》『コレコレ|高姫《たかひめ》さま、お|前《まへ》さまも|随分《ずゐぶん》|意地《いぢ》の|悪《わる》い|人《ひと》だネ』
|高姫《たかひめ》『|意地《いぢ》の|悪《わる》いは、ソリヤお|前《まへ》の|事《こと》だよ。|折角《せつかく》|二人《ふたり》が|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》を|手《て》に|入《い》れ、|次《つぎ》に|金剛不壊《こんがうふゑ》の|玉《たま》を|奪《と》らうとする|最中《さいちう》に、|大《おほ》きな|岩《いは》で|桶伏《をけぶ》せに|会《あ》はしたり……|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》として、|人《ひと》を|助《たす》ける|身《み》であり|乍《なが》ら、ソンナ|意地《いぢ》の|悪《わる》い|事《こと》をして|宜《よ》いものか。チツト|反省《たしな》みなされ。|此《この》|高姫《たかひめ》は|決《けつ》して|鍵《かぎ》を|盗《ぬす》みたのでも、|玉《たま》を|掠奪《りやくだつ》したのでもないワ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》の|御命令《ごめいれい》に|依《よ》つて、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまから|受取《うけと》りに|行《い》つたのだ。それをお|前達《まへたち》が、アタ|意地《いぢ》の|悪《わる》い、|邪魔《じやま》に|来《き》よつたのだ。|素盞嗚尊《すさのをのみこと》も|偉《えら》いが、|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまは、ドンナ|方《かた》だと|思《おも》うて|居《を》る。|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまも、|永《なが》らく|海《うみ》の|底《そこ》のお|住居《すまゐ》であつたが、|此《こ》の|高姫《たかひめ》の|生宮《いきみや》に、|今度《こんど》は|残《のこ》らず|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》とお|渡《わた》し|遊《あそ》ばす|世《よ》が|参《まゐ》つたのだ。|変性女子《へんじやうによし》の|下《くだ》らぬ|教《をしへ》を|聞《き》きかぢつて、|神界《しんかい》の|御経綸《おしぐみ》の|邪魔《じやま》をすると、|頭《あたま》を|下《した》にし、|足《あし》を|上《うへ》にして|歩《ある》かねばならぬ|事《こと》が|出来《でき》て|来《く》るぞよ。アンナ|者《もの》がコンナ|者《もの》になると|云《い》ふ|神《かみ》の|教《をしへ》へを、お|前《まへ》は|一体《いつたい》、|何《なん》と|考《かんが》へなさる……|此《この》|高姫《たかひめ》は|詰《つま》らぬ|女《をんな》の|様《やう》に|見《み》えても、|系統《ひつぽう》だぞへ、|変性男子《へんじやうなんし》の……|切《き》つても|切《き》れぬ|御系統《ごひつぽう》だ。|亀彦《かめひこ》なぞと、|何処《どこ》から|来《き》たか|知《し》らぬが、|元《もと》は……|偉相《えらさう》に|言《い》うても……ウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》ぢやないか。|竜宮洲《りうぐうじま》へ|渡《わた》つて、|飯依彦《いひよりひこ》の|様《やう》な|蛸爺《たこおやぢ》に|泡《あわ》|吹《ふ》かされて|逃《に》げ|帰《かへ》り、|途中《とちう》で|日《ひ》の|出別《でわけ》の|神《かみ》に|助《たす》けて|貰《もら》うたのだらう。ソンナ|事《こと》は|此《この》|腹《はら》の|中《なか》で|日《ひ》の|出神《でのかみ》が、チヤンと|仰有《おつしや》つて|御座《ござ》る。|醜《しこ》の|岩窟《いはや》の|中《なか》で、|井戸《ゐど》の|中《なか》へ|陥《はま》つたり、|種々《いろいろ》|惨々《さんざん》な|目《め》に|逢《あ》うて、ヤツとの|事《こと》で|宣伝使《せんでんし》になり|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|阿婆摺《あばず》れ|娘《むすめ》を|女房《にようばう》に|持《も》つたと|思《おも》つて、|余《あま》り|威張《ゐば》らぬが|宜《よ》からう。|何処《どこ》の|馬《うま》の|骨《ほね》か|牛《うし》の|骨《ほね》か、|素性《すじやう》も|分《わか》らぬ|様《やう》な|代物《しろもの》に、|肝心《かんじん》の|娘《むすめ》を|呉《く》れてやると|云《い》ふ|様《やう》な|紊《みだ》れた|行方《やりかた》の|素盞嗚尊《すさのをのみこと》が、|何《なに》が、|夫《そ》れ|程《ほど》|有難《ありがた》いのだい。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|側《そば》へ|出《だ》したら、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》は、|猫《ねこ》の|前《まへ》の|鼠《ねずみ》の|様《やう》なものだ。さうぢやから|昔《むかし》からの|因縁《いんねん》を|聞《き》いて|置《お》かぬと、【まさか】の|時《とき》にアフンとせねばならぬと、|神様《かみさま》が|仰有《おつしや》るのだよ』
|亀彦《かめひこ》『エーソンナ|事《こと》は|聞《き》きたく|有《あ》りませぬワイ。|又《また》|庚申待《かうしんまち》の|晩《ばん》にでも、ゆつくり|聴《き》かして|貰《もら》ひませうかい』
|高姫《たかひめ》『それは|不可々々《いかんいかん》、どうでも|斯《こ》うでも|因縁《いんねん》を|説《と》いて|聴《き》かして、|根本《こつぽん》から|改心《かいしん》させねば|承知《しようち》をせぬのぢや。|此《この》|月《つき》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまの|教《をしへ》を、|耳《みみ》を|浚《さら》へて|菊《きく》の|月《つき》ぢやぞへ。|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》と|日《ひ》の|出神《でのかみ》との|尊《たふと》い|御守護《ごしゆご》のある|此《この》|肉体《にくたい》だ。|亀公《かめこう》|位《くらゐ》が|百人《ひやくにん》|千人《せんにん》|束《たば》になつてきた|所《ところ》で|何《なん》の|効《かう》が|有《あ》るものか、|効《かう》と|言《い》つたら、|堅《かた》い|堅《かた》い、|邪魔《じやま》になる|亀《かめ》の|甲《かふ》|位《くらゐ》なものだよ。ゲツヘヽヽヽ』
|秋山彦《あきやまひこ》『お|話《はなし》は|酒宴《しゆえん》の|席《せき》で|承《うけたま》はりませう。サアサア|奥《おく》へお|越《こ》し|下《くだ》さいませ。|玄関口《げんくわんぐち》でお|話《はなし》は|見《み》つとも|良《よ》う|御座《ござ》いませぬから……』
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》が|秋山彦《あきやまひこ》ぢやな、|道理《だうり》で、|一寸《ちよつと》|見《み》ても|飽《あ》きの|来《き》さうなお|顔立《かほだち》だ。|紅葉姫《もみぢひめ》さまも、コンナ|夫《をつと》を|持《も》つてお|仕合《しあは》せだ、オツホヽヽヽ』
|秋山彦《あきやまひこ》、|稍《やや》|機嫌《きげん》の|悪《わる》さうな|顔付《かほつき》し|乍《なが》ら、
『ハイハイ、どうで|碌《ろく》な|者《もの》ぢや|有《あ》りませぬワイ、|三五教《あななひけう》に|現《うつつ》を|抜《ぬ》かす|代物《しろもの》ですから、|善《ぜん》ばつかりに|呆《はう》けまして、ウラナイ|教《けう》の|様《やう》な、|他人《よそ》の|家《うち》の|鍵《かぎ》を|持出《もちだ》して、|平気《へいき》で|業託《ごうたく》を|並《なら》べる|様《やう》な、|謙遜《けんそん》な|善人《ぜんにん》は|居《を》りませぬ、アハヽヽヽ、サアサア|奥《おく》へお|出《いで》なさいませ』
|高姫《たかひめ》『|三五教《あななひけう》は、|善《ぜん》に|見《み》せて|悪《あく》、ウラナイ|教《けう》は|悪《あく》に|見《み》せても|善《ぜん》、マアマア|奥《おく》へ|往《い》つて、トツクリと|妾《わたし》の|諭《さと》しをお|聴《き》きなさい』
と|立《た》ちあがる。|秋山彦《あきやまひこ》を|先頭《せんとう》に、|一同《いちどう》はドシドシと|奥《おく》の|間《ま》|目《め》がけて|進《すす》み|入《い》る。|鬼武彦《おにたけひこ》は|最後《さいご》の|殿《しんがり》を|勤《つと》め|乍《なが》ら、|高姫《たかひめ》、|青彦《あをひこ》の|身体《しんたい》に|目《め》を|配《くば》り、|奥《おく》へ|従《つ》いて|行《ゆ》く。
|八尋殿《やひろどの》には、|山野河海《さんやかかい》の|珍肴《ちんかう》、|所狭《ところせ》きまで|並《なら》べられありぬ。|高姫《たかひめ》は|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もなく|最上座《さいじやうざ》に|座《ざ》を|占《し》め、|紙雛《かみひな》の|様《やう》に|袖《そで》をキチンと|前《まへ》に|畳《たた》み、|手《て》を|臍《へそ》の|辺《あた》りにつくね、|仔細《しさい》らしく|構《かま》へ|込《こ》みたり。|亀彦《かめひこ》は|高姫《たかひめ》の|傍《かたはら》に|座《ざ》を|占《し》めむとするや、|高姫《たかひめ》|柳眉《りうび》を|逆立《さかだ》て、
『ヤア|亀彦《かめひこ》、お|前《まへ》は|身魂《みたま》が|低《ひく》い。|三段《さんだん》|下《さ》がつてお|坐《すわ》りなされ。|抑《そもそ》も|霊《みたま》は|上中下《じやうちうげ》の|三段《さんだん》の|区別《くべつ》が|有《あ》る。|上《じやう》の|中《なか》にも|上中下《じやうちうげ》が|有《あ》り、|中《ちう》の|中《うち》にも|上中下《じやうちうげ》の|三段《さんだん》があり、|下《げ》の|中《うち》にも、|亦《また》|上中下《じやうちうげ》の|三段《さんだん》が|有《あ》る。お|前《まへ》は、|下《げ》の|中《ちう》|位《くらゐ》な|霊魂《みたま》ぢや。|上《じやう》の|上《じやう》の|生粋《きつすゐ》の|大和魂《やまとだましひ》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》の|前《まへ》に|坐《ま》ると|云《い》ふのは、|身魂《みたま》の|位地《ゐち》を|紊《みだ》すと|云《い》ふものだ。それだから、|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》が|分《わか》らぬ|宣伝使《せんでんし》は|困《こま》ると|云《い》ふのだよ。|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》は、|上《じやう》の|上《じやう》の|身魂《みたま》が|持《も》つべきものだ。|下《げ》の|中《ちう》|身魂《みたま》|位《くらゐ》では|到底《たうてい》|手《て》も|触《ふ》れる|事《こと》は|出来《でき》ぬ……|鬼武彦《おにたけひこ》ナンテ、|力《ちから》は|強《つよ》いが、|多寡《たくわ》が|稲荷《いなり》ぢやないか、|四足《よつあし》の|親玉《おやだま》ぢや、|稲荷《いなり》は|下郎《げろう》の|役《やく》を|勤《つと》めるものぢや、コンナ|座席《ざせき》にすわると|云《い》ふ|事《こと》が|有《あ》るものか。|天狗《てんぐ》や、|野狐《のぎつね》や、|狸《たぬき》、|豆狸《まめだぬき》の|霊《みたま》は、ズツトズツト|下《げ》の|下《げ》の|座《ざ》にお|直《なほ》りなされ』
|亀彦《かめひこ》『|神界《しんかい》には、|正神界《せいしんかい》と|邪神界《じやしんかい》が|有《あ》つて、|正神界《せいしんかい》にも|上中下《じやうちうげ》|三段《さんだん》があり、|邪神界《じやしんかい》にも|亦《また》|上中下《じやうちうげ》の|三段《さんだん》が|有《あ》る、さうして|段《だん》|毎《ごと》に|又《また》|三段《さんだん》がある。|吾々《われわれ》は|仮令《たとへ》|下《げ》の|中《ちう》か|知《し》らぬが、|正神界《せいしんかい》だ。お|前《まへ》は|上《じやう》の|上《じやう》でも、|邪神界《じやしんかい》の|上《じやう》の|上《じやう》だから、|是《こ》れ|位《くらゐ》|悪党《あくたう》はないのだよ、|月《つき》と|鼈《すつぽん》、|雪《ゆき》と|炭《すみ》|程《ほど》|違《ちが》う。|邪神界《じやしんかい》の|身魂《みたま》は、|正神界《せいしんかい》と|席《せき》を|同《おな》じうする|事《こと》は|出来《でき》ない。お|下《さが》りなされ』
|高姫《たかひめ》『|仮令《たとへ》|正神界《せいしんかい》でも、|邪神界《じやしんかい》でも、|上《じやう》は|上《じやう》に|違《ちがひ》ない。|下《げ》はヤツパリ|下《げ》ぢや。|上《じやう》といふ|字《じ》はカミと|云《い》ふ|字《じ》ぢや。カミのカミが|上《じやう》の|上《じやう》ぢや。カミに|坐《すわ》るのは|高姫《たかひめ》の|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》|性来《しやうらい》……オホン|誠《まこと》に|済《す》みませぬナ、|亀彦《かめひこ》チヤン……』
|亀彦《かめひこ》『チヨツ、|善悪《ぜんあく》の|区別《くべつ》を|知《し》らぬ|奴《やつ》に|掛《かか》つたら|仕方《しかた》がないワ………アーア|折角《せつかく》の|玉《たま》を|邪神界《じやしんかい》の|身魂《みたま》に|汚《けが》されて|仕舞《しま》つて|残念《ざんねん》な|事《こと》だワイ』
|高姫《たかひめ》『|妾《わし》が|邪神界《じやしんかい》なら、モウ|此《この》|玉《たま》は|用《よう》が|無《な》い|筈《はず》……ソンナラ|高姫《たかひめ》が|更《あらた》めて|頂戴《ちやうだい》する』
と|懐《ふところ》より|如意宝珠《によいほつしゆ》を|取出《とりだ》し、|手《て》の|掌《ひら》に|乗《の》せて、|手《て》に|唾液《つばき》を|附《つ》け、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|両《りやう》の|手《て》の|掌《ひら》で、|揉《も》みて|揉《も》みて|揉《も》みさがし|居《を》る。|此《この》|玉《たま》は|拡大《くわくだい》する|時《とき》は|宇宙《うちう》に|拡《ひろ》がり、|縮小《しゆくせう》する|時《とき》は|鷄卵《けいらん》の|如《ごと》くになる|特色《とくしよく》のある|神宝《しんぽう》なり。|堅《かた》くもなれば、|軟《やは》らかくもなる、|高姫《たかひめ》は|揉《も》みて|揉《も》みて|揉《も》みさがし、|鷄卵《けいらん》の|如《ごと》く|縮小《しゆくせう》し、|搗《つ》きたての|餅《もち》の|様《やう》に|軟《やは》らげ、
|高姫《たかひめ》『|亀彦《かめひこ》さま、|秋山彦《あきやまひこ》さま、お|狐《きつね》さま、|改《あらた》めて|頂戴《ちやうだい》|致《いた》します。オツ』
と|云《い》ふより|早《はや》く|大口《おほぐち》を|開《あ》けて、|目《め》を|白黒《しろくろ》し|乍《なが》ら、|蛇《へび》が|蛙《かはづ》を|呑《の》む|様《やう》に、グツト|一口《ひとくち》に|嚥《の》み|下《おろ》したり。
|亀彦《かめひこ》『アヽ|大変《たいへん》な|事《こと》になつた。……ヤイ|高姫《たかひめ》、|玉《たま》を|返《かや》せ』
|高姫《たかひめ》『ホヽヽヽ、|分《わか》らぬ|身魂《みたま》ぢやナア、|呑《の》みて|了《しま》うた|物《もの》が、どうして|手《て》に|渡《わた》せるか、お|前《まへ》も、モチツと|物《もの》の|道理《だうり》が|分《わか》つた|方《かた》ぢやと|思《おも》うて|居《を》つたのに、|子供《こども》よりも|劣《おと》つた|人《ひと》ぢやナア』
|亀彦《かめひこ》『|腹《はら》を|裂《さ》いても、|取戻《とりもど》して|遣《や》らねば|置《お》かぬぞツ、|馬鹿《ばか》に|致《いた》すな』
|高姫《たかひめ》『|宇宙《うちう》の|縮図《しゆくづ》たる|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》を、わが|腹中《ふくちう》に|納《をさ》めた|以上《いじやう》は、|高姫《たかひめ》の|体《からだ》は|即《すなは》ち|宇宙《うちう》……|宇宙《うちう》には|天神地祇《てんしんちぎ》、|八百万《やほよろづ》の|神《かみ》が|集《あつ》まり|給《たま》ふ。|今《いま》までの|肉体《にくたい》は、|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》の|生宮《いきみや》であつたが、|最早《もはや》|唯今《ただいま》より、|天《てん》の|御三体《ごさんたい》の|大神様《おほかみさま》を|始《はじ》め、|天地《てんち》|八百万《やほよろづ》の|神《かみ》が|高姫《たかひめ》の|身体《からだ》に|神詰《かむつま》り|遊《あそ》ばすのぢや、サア|神《かみ》に|仕《つか》へる|宣伝使《せんでんし》の|身《み》を|以《もつ》て、|此《この》|肉体《にくたい》に|指一本《ゆびいつぽん》|触《さ》へるなら、さへて|見《み》よツ』
|亀彦《かめひこ》『どこまでも|馬鹿《ばか》にしやがる。モウ|量見《りやうけん》ならぬ、|破《やぶ》れかぶれだ。……ヤイ|高姫《たかひめ》、|貴様《きさま》の|生命《いのち》は|俺《おれ》が|貰《もら》つた、|覚悟《かくご》|致《いた》せツ』
|高姫《たかひめ》『ホヽヽヽ、|此方《こちら》が|馬鹿《ばか》にしたのぢやない、|生《うま》れ|付《つき》の|馬鹿《ばか》が、|馬鹿《ばか》な|事《こと》を|仕《し》たのぢや、|誰《たれ》に|不足《ふそく》を|言《い》うて|行《ゆ》く|所《とこ》もあるまい、|自業自得《じごうじとく》だよ。|覚悟《かくご》|致《いた》せとは……ソラ|何《なん》の|事《こと》、|虫《むし》|一疋《いつぴき》|殺《ころ》す|事《こと》のならぬ|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》ぢやないか。|其《その》|教《をしへ》をする|宣伝使《せんでんし》が、|勿体《もつたい》なくも|天《てん》の|大神様《おほかみさま》の|御霊《みたま》の|現《げん》に|納《をさ》まり|給《たま》ふ|肉体《にくたい》を|悩《なや》めやうとは、|盲《めくら》|蛇《へび》に|怖《お》ぢず、|馬鹿《ばか》に|附《つ》ける|薬《くすり》は|無《な》し、ハヽヽヽ、|困《こま》つたものぢや、イヤ|気《き》の|毒《どく》な|者《もの》ぢや。|親《おや》の|在《あ》る|間《うち》に|直《なほ》して|置《お》かぬと、|不治難症《いつせうやまひ》ぢや。サア|今《いま》から|改心《かいしん》をして、|亀彦《かめひこ》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|英子姫《ひでこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》、|秋山彦《あきやまひこ》、|紅葉姫《もみぢひめ》、|鬼武彦《おにたけひこ》、|其《その》|外《ほか》の|厄雑《やくざ》|人足《にんそく》|共《ども》、ウラナイ|教《けう》の|御趣旨《ごしゆし》を|遵奉《じゆんぽう》するか、サアどうぢや、|返答《へんたふ》|聞《き》かう……』
|亀彦《かめひこ》『モシモシ|秋山彦《あきやまひこ》さま、|此奴《こいつ》ア、|居《ゐ》すわり|強盗《がうたう》ですナア、|一層《いつそう》の|事《こと》、|踏《ふ》ン|縛《じば》つて、|海《うみ》へでも|放《ほ》り|込《こ》みてやりませうか』
|秋山彦《あきやまひこ》『あまりの|事《こと》で、|私《わたくし》も|腹《はら》が|立《た》ちます。|併《しか》し|乍《なが》ら|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》が|納《をさ》まりある|以上《いじやう》はどうする|事《こと》も|出来《でき》ませぬ。|困《こま》つた|事《こと》になりました』
|高姫《たかひめ》『サアサア|皆《みな》の|神々《かみがみ》|共《ども》、|只今《ただいま》より、|天《てん》の|御三体《ごさんたい》の|大神《おほかみ》の|生宮《いきみや》の|高姫《たかひめ》へお|給仕《きふじ》を|致《いた》すが|可《よ》からうぞ、|又《また》と|再《ふたた》び、コンナ|結構《けつこう》な|生宮《いきみや》に、お|目《め》に|掛《かか》る|事《こと》も|出来《でき》ねば、お|給仕《きふじ》さして|頂《いただ》く|事《こと》も|出来《でき》ぬぞや。|今日《けふ》は|特別《とくべつ》を|以《もつ》て、|祝意《しゆくい》を|表《へう》する|為《ため》にお|給仕《きふじ》を|差許《さしゆる》す』
|亀彦《かめひこ》『エーツ、|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ、モウ|斯《か》うなつては|天則違反《てんそくゐはん》も|何《なに》も|有《あ》つたものじやない、|両刃《もろは》の|剣《つるぎ》の|御馳走《ごちそう》だ』
と|一刀《いつたう》スラリと|引《ひ》き|抜《ぬ》き、|斬《き》り|掛《かか》らむとするを|高姫《たかひめ》は、
『ギヤツハヽヽヽ、ギヨツホヽヽヽ、|短気《たんき》は|損気《そんき》、マアマア|静《しづ》まれ、|急《せ》いては|事《こと》を|仕損《しそん》ずる。|後《あと》で|後悔《こうくわい》せぬがよいぞ』
と|澄《すま》してゐる。
|亀彦《かめひこ》『|後悔《こうくわい》も|糞《くそ》もあつたものかい、……|貴様《きさま》も|讎敵《かたき》の|端《はし》くれ……』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|青彦《あをひこ》の|頭《あたま》を、|足《あし》を|上《あ》げてポンと|蹴《け》り|倒《たふ》し、|又《また》もや|両刃《もろは》の|剣《つるぎ》を|閃《ひらめ》かし、|生命《いのち》を|的《まと》に|突《つ》いて|掛《かか》れば、|流石《さすが》の|高姫《たかひめ》も、
『|如何《いか》に|立派《りつぱ》な|神《かみ》でも、|無茶《むちや》には|叶《かな》はぬ。……サアサア|青彦《あをひこ》、|一先《ひとま》づ|此《この》|場《ば》を|逃《に》げたり|逃《に》げたり』
と|促《うなが》す。|青彦《あをひこ》は|狼狽《うろた》へ|騒《さわ》いで、|逃路《にげみち》を|失《うしな》ひ、|同《おな》じ|所《ところ》をクルクルと|廻転《くわいてん》して|居《ゐ》る。|亀彦《かめひこ》は|益々《ますます》|激《はげ》しく|突《つ》つかかる。|秋山彦《あきやまひこ》は、
『エー|斯《か》うなれば、|破《やぶ》れかぶれだ。……|紅葉姫《もみぢひめ》、|薙刀《なぎなた》を|執《と》れツ』
と|下知《げち》すれば、|鶴《つる》の|一声《ひとこゑ》、|紅葉姫《もみぢひめ》は|長押《なげし》の|薙刀《なぎなた》|執《と》るより|早《はや》く、
『|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|高姫《たかひめ》、|覚悟《かくご》せよ』
と|斬《き》つてかかるを|高姫《たかひめ》は、|右《みぎ》に|左《ひだり》に|身《み》をかはし、|暫《しばら》くは|扇《あふぎ》を|以《もつ》てあしらひ|居《ゐ》たるが、|衆寡《しうくわ》|敵《てき》せず、|忽《たちま》ち|白煙《はくえん》と|化《くわ》し、|天井窓《てんじやうまど》より|一目散《いちもくさん》に、|西北《せいほく》の|天《てん》を|目蒐《めが》けて、|中空《ちうくう》に|雲《くも》の|帯《おび》を|曳《ひ》き|乍《なが》ら、|逸早《いちはや》く|姿《すがた》を|隠《かく》したりける。|後《あと》に|青彦《あをひこ》は、|青菜《あをな》に|塩《しほ》した|如《ごと》く、ビリビリと|慄《ふる》ひ|居《ゐ》たり。
|亀彦《かめひこ》『エー、コンナ|弱虫《よわむし》を|相手《あひて》にしたつて|仕方《しかた》がない。|助《たす》けてやらう。サアサア|早《はや》くこの|場《ば》を|立去《たちさ》れツ』
|折角《せつかく》の|御馳走《ごちそう》も、|踏《ふ》んで|踏《ふ》んで|踏《ふ》みにぢられ、|台《だい》なしになつて|了《しま》ひける。|鬼武彦《おにたけひこ》は|忽《たちま》ち|白煙《はくえん》と|化《くわ》し、|又《また》もや|天井《てんじやう》の|窓《まど》より、|帯《おび》を|曳《ひ》きつつ、|西北《せいほく》の|天《てん》を|目蒐《めが》け、|高姫《たかひめ》の|後《あと》を|逐《お》ひて|中天《ちうてん》に|姿《すがた》を|隠《かく》しける。
|秋山彦《あきやまひこ》|夫婦《ふうふ》を|始《はじ》め、|亀彦《かめひこ》、|英子姫《ひでこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》は、|神前《しんぜん》に|恭《うやうや》しく|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひ|終《をは》り、|茲《ここ》に|別《わか》れを|告《つ》げて、|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》は|由良川《ゆらがは》を|遡《さかのぼ》り、|聖地《せいち》に|向《むか》ふ|事《こと》となりにけり。
(大正一一・四・一五 旧三・一九 松村真澄録)
第一五章 |谷間《たにま》の|祈《いのり》〔六〇五〕
|亀彦《かめひこ》、|英子姫《ひでこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》の|三人《さんにん》は、|由良《ゆら》の|流《なが》れを|遡《さかのぼ》り|河守駅《かうもりえき》に|辿《たど》り|着《つ》き、|路傍《ろばう》の|石《いし》に|腰打《こしうち》|掛《か》け|息《いき》を|休《やす》めゐる。|右《みぎ》も|左《ひだり》も|鬱蒼《うつさう》たる|老樹《らうじゆ》|繁茂《はんも》し、|昼《ひる》|尚《な》ほ|暗《くら》き|谷《たに》の|底《そこ》、|蟻《あり》の|甘《あま》きにつくが|如《ごと》く|絡繹《らくえき》として|数多《あまた》の|老若男女《らうにやくなんによ》は|山奥《やまおく》|目蒐《めが》けて|進《すす》み|往《ゆ》く。
|亀彦《かめひこ》はその|中《なか》の|一人《ひとり》を|捉《とら》へ、
『|斯《か》う|沢山《たくさん》に|人《ひと》が|北《きた》へ|北《きた》へと|行列《ぎやうれつ》を|組《く》みて|往《ゆ》くのは、|何《なに》か|変《か》はつたことがあるのか。|様子《やうす》を|聞《き》き|度《た》いものだナア』
|男《をとこ》『ハイハイ|何《なん》だか|知《し》りませぬが、|二三日《にさんにち》|以前《いぜん》から|大江山《おほえやま》の|麓《ふもと》の|剣尖山《けんさきやま》の|谷間《たにあひ》に|結構《けつこう》な|神様《かみさま》が|現《あら》はれたと|云《い》ふことで、|何《いづ》れも|病気《びやうき》|平癒《へいゆ》や、|商売《しやうばい》|繁昌《はんじやう》などの|御願《おねがひ》で|参拝《さんぱい》を|致《いた》すものでございます。|私《わたくし》も|別《べつ》に|願《ねがひ》とては|無《な》いけれども、|余《あんま》り|沢山《たくさん》の|人《ひと》が|詣《まゐ》るなり、|偉《えら》い|評判《ひやうばん》だから、ドンナ|者《もの》か|一《ひと》つ|見《み》がてらに|参《まゐ》る|所《ところ》です』
|亀彦《かめひこ》『それは|一体《いつたい》|何《なん》と|云《い》ふ|神様《かみさま》だ』
|男《をとこ》『ナンデも|裏《うら》とか、|表《おもて》とか|云《い》ふ|名《な》の|附《つ》いた|畳屋《たたみや》の|様《やう》な|神《かみ》さまぢや|相《さう》です。さうして|青彦《あをひこ》とか、|青蛙《あをがへる》とか、|青畳《あをだたみ》とか、ナンデも|青《あを》の|附《つ》く|名《な》の|御取次《おとりつぎ》が|居《を》つて、|樹《き》の|枝《えだ》を|以《もつ》て|参拝者《さんぱいしや》を|一々《いちいち》しばくと、それで|病気《びやうき》が|立所《たちどころ》に|癒《なほ》つたり、|願望《ぐわんばう》が|成就《じやうじゆ》したりするとか|云《い》つて、それはそれは|偉《えら》い|人気《にんき》でございます。|流行神《はやりがみ》さまは、|何《なん》でも|早《はや》う|参《まゐ》らねば|御神徳《ごしんとく》が|無《な》いと、|皆《みな》|剣尖山《けんさきやま》の|麓《ふもと》へ|指《さ》して|弁当持《べんたうもち》で|参拝《さんぱい》するのです。マアお|前《まへ》さまも|妙《めう》な|風《ふう》をしてござるが、|大方《おほかた》|神《かみ》さまの|取次《とりつぎ》ではありますまいか』
|亀彦《かめひこ》『さうぢや、|吾々《われわれ》も|神《かみ》の|道《みち》の|取次《とりつぎ》ぢや』
|男《をとこ》『ヤア|貴方《あなた》は|取次《とりつぎ》と|云《い》つても、|生臭《なまぐさ》|取次《とりつぎ》ぢやろ。|此《こ》の|奥《おく》の|谷川《たにがは》に|現《あら》はれた|青《あを》い|名《な》の|附《つ》く|御取次《おとりつぎ》は、|精進潔斎《しやうじんけつさい》、|女《をんな》などは|傍《そば》にも|寄《よ》せつけぬと|云《い》ふ、それはそれは|偉《えら》い|行者《ぎやうじや》ぢやさうな。それにお|前《まへ》は|鶏《にはとり》か|何《なん》ぞの|様《やう》に|三羽番《さんばつがひ》で、|誰《たれ》がお|前《まへ》の|言《い》ふことを|聞《き》くものか、|笑《わら》ふに|定《きま》つとるワ。アハヽヽヽ』
|亀彦《かめひこ》『|決《けつ》して|決《けつ》して|女房《にようばう》でも|何《なん》でもござらぬ。|各自《めいめい》|一個《いつこ》|独立《どくりつ》の|教《をしへ》の|道《みち》の|宣伝使《せんでんし》だ。お|前達《まへたち》は|男《をとこ》と|女《をんな》と|歩《ある》いて|居《を》れば、|直《すぐ》にそれだから|困《こま》る。|凡夫《ぼんぶ》と|云《い》ふ|者《もの》は|浅猿《あさま》しいものだ』
|男《をとこ》『ヘエ、うまいこと|仰有《おつしや》いますワイ。|凡夫《ぼんぶ》の|中《なか》にも|聖人《せいじん》があり、|聖人《せいじん》らしう|見《み》せても|凡夫《ぼんぶ》がある|世《よ》の|中《なか》ぢや。|余《あんま》り【ボン】ボン|言《い》つて|貰《もら》ふまいかい。【ボン】くら|凡夫《ぼんぶ》の【ボン】ボン|宣伝使《せんでんし》|奴《め》が。マア|悠乎《ゆつくり》と|路傍《みちばた》で|三羽番《さんばつがひ》、|羽巻《はねまき》でもして|狎戯《いちやつ》いたがよからう。アーア、コンナ|偽宣伝使《にせせんでんし》に|掛《かか》り|合《あ》つて、|伴《つれ》の|奴《やつ》はモー|何処《どこ》か|先《さき》へ|往《い》つて|了《しま》ひやがつた』
と|一目散《いちもくさん》に|駆《か》け|出《だ》し、|奥《おく》へ|奥《おく》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。
|亀彦《かめひこ》『|英子姫《ひでこひめ》さま、|今《いま》の|男《をとこ》の|話《はなし》に|依《よ》つて|考《かんが》へて|見《み》ると、|何《ど》うやらウラナイ|教《けう》の|青彦《あをひこ》のことらしい|様《やう》に|思《おも》はれます。|又《また》もやウラナイ|教《けう》を|弘《ひろ》めて|世人《せじん》を|迷《まよ》はし、|害毒《がいどく》を|流《なが》す|様《やう》なことがあつては|神界《しんかい》へ|対《たい》し、|吾々《われわれ》|宣伝使《せんでんし》の|役《やく》が|済《す》みませぬから、|是《これ》から|一《ひと》つ|実場《じつち》|調査《てうさ》に|参《まゐ》りませうか』
|英子姫《ひでこひめ》『さうですなア、|別《べつ》に|急《いそ》ぐ|旅《たび》でも|無《な》し、|調《しら》べて|見《み》ませうか。これも|何《なに》かの|神様《かみさま》の|御仕組《おしぐみ》かも|知《し》れませぬ』
|悦子姫《よしこひめ》『それは|面白《おもしろ》うございませう。|先日《せんじつ》より|余《あんま》り|沈黙《ちんもく》を|守《まも》つて|居《ゐ》ましたので、|口《くち》に|虫《むし》が|湧《わ》く|様《やう》で|不快《ふくわい》で|堪《たま》りませぬ。|何卒《どうぞ》|今度《こんど》は|一《ひと》つ|妾《わらは》に|交渉《かうせふ》をさせて|下《くだ》さい。|言霊《ことたま》の|有《あ》らむ|限《かぎ》り|奮闘《ふんとう》してお|目《め》にかけます』
|英子姫《ひでこひめ》『アーそれも|面白《おもしろ》からう』
|亀彦《かめひこ》『サアサア|参《まゐ》りませう。|悦子姫《よしこひめ》さまの|雄弁《ゆうべん》|振《ぶ》り、|奮戦《ふんせん》|振《ぶ》りを|拝見《はいけん》さして|貰《もら》ひませう』
と|三人《さんにん》は|群集《ぐんしふ》に|紛《まぎ》れて|昼《ひる》|尚《な》ほ|暗《くら》き|山道《やまみち》を、|北《きた》へ|北《きた》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。
|一行《いつかう》は|群集《ぐんしふ》に|紛《まぎ》れ|漸《やうや》く|剣尖山《けんさきやま》の|麓《ふもと》を|流《なが》るる|谷川《たにがは》の|畔《ほとり》に|着《つ》きぬ。|此《こ》の|谷川《たにがは》の|岩壁《がんぺき》には|産釜《うぶがま》、|産盥《うぶだらひ》と|云《い》ふ|美《うる》はしき|水《みづ》を|湛《たた》へた|天然《てんねん》の|水壺《みづつぼ》あり。ウラナイ|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》|青彦《あをひこ》は|厳《いかめし》き|白装束《しろしやうぞく》の|儘《まま》、|此《こ》の|滝壺《たきつぼ》の|側《そば》に|立《た》ち、|谷川《たにがは》の|水《みづ》を|杓《しやく》で|汲《く》み|上《あ》げ|柴《しば》の|枝《えだ》に|吹《ふ》きかけ、|数多《あまた》の|老若男女《らうにやくなんによ》に|向《むか》つて|病《やまひ》を|癒《なほ》し、|或《あるひ》はいろいろの|神占《うらなひ》を|為《な》し、|数多《あまた》の|男女《だんぢよ》を|誑惑《けうわく》しつつありける。|悦子姫《よしこひめ》は|亀彦《かめひこ》、|英子姫《ひでこひめ》に|向《むか》ひ、
『サア|御約束《おやくそく》の|通《とほ》り、|是《これ》から|妾《わらは》が|一人《ひとり》|舞台《ぶたい》、|貴方等《あなたがた》は|日《ひ》の|暮《く》れたを|幸《さいは》ひ、|木蔭《こかげ》に|潜《ひそ》み|妾《わらは》の|活動《くわつどう》|振《ぶ》りを|御覧《ごらん》|下《くだ》さい』
と|云《い》ひ|棄《す》て|何処《どこ》ともなく|深林《しんりん》の|中《なか》に|姿《すがた》を|隠《かく》したり。|青彦《あをひこ》は|儼然《げんぜん》として|水壺《みづつぼ》の|側《そば》に|立《た》ち、|数多《あまた》の|人々《ひとびと》に|対《たい》して|教訓《けうくん》を|施《ほどこ》し|居《ゐ》る。
|甲《かふ》は|拍手《はくしゆ》し|乍《なが》ら、|恐《おそ》る|恐《おそ》る|青彦《あをひこ》の|前《まへ》に|蹲踞《しやが》み、
『|生神様《いきがみさま》に|一《ひと》つ|御願《おねが》ひがございます。|私《わたくし》は|疝《せん》の|病《やまひ》に、|年《ねん》が|年中《ねんぢう》|苦《くる》しみてゐます。ナントか|御神徳《ごしんとく》を|以《もつ》て|御助《おたす》け|下《くだ》さいませ。|薬《くすり》で|治《なを》ることなら|何薬《なにぐすり》がよいか。これも|御指図《おさしづ》|願《ねが》ひ|度《た》うございます』
|青彦《あをひこ》『|疝《せん》でも|何《なん》でも|治《なを》らぬことは|無《な》い。それはお|前《まへ》の|改心《かいしん》|次第《しだい》ぢや。|一時《いちじ》も|早《はや》く|此《この》|頃《ごろ》|流行《はや》る|三五教《あななひけう》を|放《ほか》して、ウラナイ|教《けう》の|神様《かみさま》の|信者《しんじや》になれ。|其《その》|日《ひ》から|疝《せん》の|病気《びやうき》は|嘘《うそ》を|吐《つ》いた|様《やう》に|全快《ぜんくわい》|間違《まちが》ひなしぢや』
|甲《かふ》『ハイハイ|有《あ》り|難《がた》うございます。|疝《せん》の|治《なを》ることなら、|何時《いつ》でもウラナイ|教《けう》になります』
|後《うしろ》の|方《はう》より|疳高《かんだか》き|女《をんな》の|声《こゑ》、
『ウラナイ|教《けう》を|見切《みき》つて|三五教《あななひけう》に|誠《まこと》に|尽《つ》くせ、|疝気《せんき》の|虫《むし》は|三五教《あななひけう》の|神力《しんりき》に|怖《おそ》れて|滅《ほろ》びて|了《しま》ふぞ。|此奴《こいつ》は|金毛九尾《きんまうきうび》の|狐《きつね》に|使《つか》はれて|居《ゐ》る|曲津《まがつ》の|容器《いれもの》だ。ホヽヽヽ』
|甲《かふ》『モシモシ|生神様《いきがみさま》、|男《をとこ》の|声《こゑ》を|出《だ》したり、|女《をんな》の|声《こゑ》を|出《だ》したりなさいまして、|先《さき》に|仰有《おつしや》つた|事《こと》と|後《あと》から|仰有《おつしや》つた|事《こと》とは|全然《ぜんぜん》|裏表《うらおもて》ぢやありませぬか』
|青彦《あをひこ》『|此《この》|方《はう》は|誠《まこと》の|道《みち》の|宣伝使《せんでんし》だ。|決《けつ》して|決《けつ》して|二言《にごん》は|申《まを》さぬ』
|甲《かふ》『それでも|今《いま》|妙《めう》な|声《こゑ》を|出《だ》してござつたぢやありませぬか』
|又《また》もや|暗黒《くらがり》より|女《をんな》の|声《こゑ》、
『|妾《わらは》こそは|天上《てんじやう》より|降《くだ》り|来《きた》れる|天照大神《あまてらすおほかみ》の|御使《おんつかひ》、|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|教《をし》へ|給《たま》へる|三五教《あななひけう》の|生神《いきがみ》なるぞ。|青彦《あをひこ》の|如《ごと》き|体主霊従《たいしゆれいじう》の|教《をしへ》を|耳《みみ》に|入《い》れるな』
|青彦《あをひこ》『ヤアこれは|怪《け》しからぬ。|何者《なにもの》とも|知《し》れず|空中《くうちう》に|声《こゑ》を|出《だ》して、|某《それがし》が|宣伝《せんでん》を|妨害《ばうがい》|致《いた》す|魔神《まがみ》|現《あら》はれたりと|覚《おぼ》ゆ。コラコラ|悪神《あくがみ》の|奴《やつ》、この|青彦《あをひこ》が|言霊《ことたま》の|威力《ゐりよく》を|以《もつ》て、|汝《なんぢ》が|正体《しやうたい》を|現《あら》はし|呉《く》れむ』
と|拍手《はくしゆ》し、|言霊《ことたま》|濁《にご》れる|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し|始《はじ》めたり。|又《また》もや|暗黒《くらがり》の|中《なか》より|女《をんな》の|声《こゑ》、
『ホヽヽヽ、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、|彼《あ》の|青彦《あをひこ》の|青《あを》い|顔《かほ》わいな』
|青彦《あをひこ》『エー|又《また》しても|又《また》しても|曲津神《まがつかみ》が|出《で》て|来《き》よつて。コラコラ|今《いま》に|往生《わうじやう》さしてやるぞ』
と|汗《あせ》みどろになり、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|天津祝詞《あまつのりと》を|何回《なんくわい》となく|奏上《そうじやう》する。|後方《うしろ》の|山《やま》の|小高《こだか》き|暗中《あんちう》より、|又《また》もや|女《をんな》の|声《こゑ》、
『オホヽヽヽ、|青彦《あをひこ》、|汝《なんぢ》は|秋山彦《あきやまひこ》の|館《やかた》に|於《おい》て|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|亀彦《かめひこ》に|悩《なや》まされ、|生命《いのち》|辛々《からがら》|此処《ここ》まで|遁《に》げ|延《の》び、|又《また》もや|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|継続《けいぞく》|事業《じげふ》を|開始《かいし》してゐるのか。|好《よ》い|加減《かげん》に|改心《かいしん》|致《いた》さぬと|汝《なんぢ》が|霊魂《みたま》を|引抜《ひきぬ》き、|根《ね》の|国《くに》、|底《そこ》の|国《くに》に|落《おと》してやらうか』
|青彦《あをひこ》『ナンダ、|誠《まこと》の|道《みち》の|妨害《ばうがい》|致《いた》す|悪魔《あくま》ども、|容赦《ようしや》は|致《いた》さぬ。|今《いま》|青彦《あをひこ》が|神徳《しんとく》|無限《むげん》のウラナイ|教《けう》の|言霊《ことたま》を|以《もつ》て、|汝《なんぢ》が|身魂《みたま》を|破滅《はめつ》せしめむ。|速《すみや》かに|退散《たいさん》|致《いた》さばよし、|愚図々々《ぐづぐづ》|致《いた》さば|容赦《ようしや》はならぬぞ』
とぶるぶる|慄《ふる》ひ|乍《なが》ら|空元気《からげんき》を|附《つ》けて|呶鳴《どな》りゐる。|暗中《あんちう》より、|又《また》もや|女《をんな》の|声《こゑ》、
『オホヽヽヽ、|可笑《をか》しい|哩《わい》。|汝《なんぢ》が|力《ちから》と|思《おも》ふ|高姫《たかひめ》は|今《いま》フサの|国《くに》に|遁《に》げ|帰《かへ》り、|黒姫《くろひめ》は|行方不明《ゆくへふめい》となりし|今日《こんにち》、|何程《なにほど》|汝《なんぢ》、|力味返《りきみかへ》るとも|斯《かく》の|如《ごと》き|誠《まこと》の|神《かみ》の|使《つかひ》|現《あら》はれし|上《うへ》は|最早《もはや》|汝《なんぢ》が|運《うん》の|尽《つ》き、|一刻《いつこく》も|早《はや》く|此《こ》の|場《ば》を|退却《たいきやく》|致《いた》せよ』
|青彦《あをひこ》『エーナント|云《い》つても|一旦《いつたん》|思《おも》ひ|立《た》つた|拙者《それがし》が|宣伝《せんでん》、たとへ|此《こ》の|身《み》は|八裂《やつざき》に|遭《あ》はうとも、いつかないつかな|心《こころ》を|飜《ひるがへ》すやうな|腰抜《こしぬ》けではないぞ。|何《いづ》れの|魔神《まがみ》か|知《し》らねども、|人《ひと》を|見損《みそこな》ふにも|程《ほど》がある。サア|正体《しやうたい》を|此処《ここ》に|現《あら》はせ。|誠《まこと》の|道《みち》を|説《と》いて|聞《き》かして|改心《かいしん》させてやらう|程《ほど》に』
|暗中《あんちう》より『オホヽヽヽ』
|乙《おつ》は|拍手《かしはで》を|打《う》ち、
『モシモシ|生神様《いきがみさま》、ナンダか|貴方《あなた》が|仰有《おつしや》いますと、|後《うしろ》の|中空《ちうくう》の|方《はう》に|妙《めう》な|声《こゑ》が|聞《きこ》えます、ナンデも|貴方様《あなたさま》に|反対《はんたい》の|神様《かみさま》らしうございます。|此《こ》の|暗《くら》いのに|神様《かみさま》が|喧嘩《けんくわ》|遊《あそ》ばして|吾々《われわれ》なにも|知《し》らぬものが|側杖《そばづゑ》を|喰《くら》ひまして|誠《まこと》に|迷惑《めいわく》。|何卒《どうぞ》|此《こ》の|声《こゑ》を|止《と》めて|下《くだ》さいませぬか』
|又《また》もや|女《をんな》の|声《こゑ》、
『オホヽヽヽ、|止《と》めて|止《と》まらぬ|声《こゑ》の|道《みち》、|道《みち》は|二筋《ふたすぢ》|善《ぜん》と|悪《あく》、|善《ぜん》に|服《まつ》らふか、|悪《あく》に|従《したが》ふか、|何《いづ》れも|今《いま》ここでハツキリと|返答《へんたふ》を|致《いた》せよ』
|青彦《あをひこ》『|何《いづ》れの|神《かみ》かは|知《し》らねども、|拙者《それがし》が|宣伝《せんでん》を|妨害《ばうがい》|致《いた》す|曲者《くせもの》、|了見《れうけん》|致《いた》さぬぞ』
|暗中《あんちう》より、|又《また》もや、
『オホヽヽヽ、|彼《あ》のマア|青彦《あをひこ》の|空威張《からいば》り』
|青彦《あをひこ》『ヤア|何《なん》とはなしに|聞《き》き|覚《おぼ》えのある|声《こゑ》だ。|其《その》|方《はう》は|三五教《あななひけう》の|女宣伝使《をんなせんでんし》であらう。|後《うしろ》の|山《やま》に|潜《ひそ》み、|拙者《せつしや》が|宣伝《せんでん》を|妨害《ばうがい》|致《いた》すと|覚《おぼ》えたり。|今《いま》に|正体《しやうたい》|現《あら》はし|呉《く》れむ』
と|火打《ひうち》を|取出《とりだ》しカチカチと|火《ひ》を|打《う》ち|四辺《あたり》の|枯柴《かれしば》を|集《あつ》めて|盛《さか》ンに|火《ひ》を|焚《た》きつけたり。
|一同《いちどう》の|顔《かほ》は|昼《ひる》の|如《ごと》く|照《て》らされたれど、|木《き》の|茂《しげ》みに|隠《かく》れたる|悦子姫《よしこひめ》の|姿《すがた》は|見《み》えざりける。|悦子姫《よしこひめ》は|尚《なほ》も|屈《くつ》せず、
『オホヽヽヽ、ウラナイ|教《けう》の|阿呆彦《あはうひこ》の|宣伝使《せんでんし》、|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|昔《むかし》|天照大御神《あまてらすおほみかみ》|様《さま》の|御生《おう》まれ|遊《あそ》ばした|時《とき》に、|産湯《うぶゆ》を|取《と》らせ|給《たま》うた|産釜《うぶがま》、|産盥《うぶだらひ》の|側《そば》に|立《た》ち|宣伝《せんでん》を|致《いた》すとは、|僣越至極《せんゑつしごく》の|汝《なんぢ》が|振舞《ふるまひ》、|今《いま》に|数多《あまた》の|蜂《はち》|現《あら》はれ|来《きた》つて|汝《なんぢ》が|眼《まなこ》を|潰《つぶ》すであらう。オホヽヽヽ』
|焚火《たきび》の|光《ひかり》に|驚《おどろ》いて|傍《かたはら》に|巣《す》を|喰《く》つてゐた|雀蜂《すずめばち》の|群《むれ》、|火焔《くわえん》の|舌《した》に|巣《す》を|嘗《な》められ|堪《たま》り|兼《か》ね、|青彦《あをひこ》の|底光《そこびか》りのする|目玉《めだま》を|目《め》がけて、|一生懸命《いつしやうけんめい》|幾百千《いくひやくせん》ともなく|襲撃《しふげき》し|始《はじ》めたるにぞ、|青彦《あをひこ》は、
『アイター』
と|其《そ》の|場《ば》に|倒《たふ》れける。|蜂《はち》の|群《むれ》は|青彦《あをひこ》の|身体《しんたい》|一面《いちめん》に|空地《あきぢ》もなく|噛《かぢ》み|付《つ》きける。
|数多《あまた》の|参詣人《さんけいにん》は|蜂《はち》に|光《ひか》つた|目《め》を|刺《さ》され、|苦《くる》しむもの|彼方《あなた》|此方《こなた》に|現《あら》はれ、|泣《な》くもの、|喚《わめ》くもの、|忽《たちま》ち|阿鼻叫喚《あびけうくわん》の|巷《ちまた》となりぬ。|又《また》もや|暗中《あんちう》より、
『ヤアヤア|此処《ここ》に|集《あつ》まる|老若男女《らうにやくなんによ》、|穢《けが》らはしき|肉体《にくたい》を|持《も》ち|乍《なが》ら、|此《こ》の|聖場《せいぢやう》を|汚《けが》すこと|不届千万《ふとどきせんばん》な、|一時《いちじ》も|早《はや》く|神界《しんかい》に|謝罪《しやざい》をせよ。|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》を|唱《とな》へ|奉《たてまつ》り、|蜂《はち》の|災禍《わざはひ》を|払《はら》ひ|与《あた》へむ。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|唱《とな》ふる|声《こゑ》につれ、|一同《いちどう》は|一生懸命《いつしやうけんめい》になりて、
『|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|唱《とな》へ|始《はじ》めける。
|此《こ》の|声《こゑ》は|四辺《あたり》の|山岳《さんがく》をも|揺《ゆる》がす|許《ばか》りなり。|暗中《あんちう》より、
『ヤアヤ、|汝等《なんぢら》|蜂《はち》に|刺《さ》された|目《め》は、これで|全快《ぜんくわい》したであらう。|聖場《せいぢやう》を|汚《けが》してはならないから、|一刻《いつこく》も|早《はや》く|此《こ》の|場《ば》を|立去《たちさ》り、|綾《あや》の|高天《たかま》へ|御礼《おれい》のために|時《とき》を|移《うつ》さず|参詣《さんけい》|致《いた》せよ。|夢々《ゆめゆめ》|疑《うたが》ふな。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|一同《いちどう》は|此《こ》の|声《こゑ》に|驚《おどろ》き、|且《か》つ|歓《よろこ》び、|声《こゑ》する|方《かた》に|向《むか》つて|拍手《はくしゆ》し|乍《なが》ら、|長居《ながゐ》は|恐《おそ》れと|一目散《いちもくさん》に|河伝《かはづた》ひに|帰《かへ》り|往《ゆ》く。アヽ|青彦《あをひこ》の|運命《うんめい》は|如何《いかん》。
(大正一一・四・一五 旧三・一九 外山豊二録)
第一六章 |神定《しんてい》の|地《ち》〔六〇六〕
|青彦《あをひこ》は|身体《からだ》|一面《いちめん》に|熊蜂《くまばち》に|取《とり》つかれ|痛《いた》みに|堪《た》えず、|苦《くる》しみ|悶《もだ》えつつありき。|此《この》|体《てい》を|見《み》るより|亀彦《かめひこ》、|英子姫《ひでこひめ》は|常磐木《ときはぎ》の|松《まつ》の|小枝《こえだ》を|手折《たを》り、|青彦《あをひこ》が|前《まへ》に|進《すす》み|出《い》で|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|唱《とな》へながら|左右左《さいうさ》と|打《う》ち|振《ふ》れば、|蜂《はち》は|忽《たちま》ち|何処《いづこ》ともなく|姿《すがた》を|隠《かく》し、|青彦《あをひこ》が|身体《からだ》の|苦痛《くつう》も|俄《にはか》に|静《しづ》まりける。
|青彦《あをひこ》は|漸《やうや》く|頭《あたま》を|上《あ》げ|篝火《かがりび》に|照《てら》し|見《み》れば、|豈《あに》|図《はか》らむや|亀彦《かめひこ》、|英子姫《ひでこひめ》の|二人《ふたり》、|吾《わが》|前《まへ》に|端坐《たんざ》し、|一心不乱《いつしんふらん》に|吾《わ》がために|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らし|居《ゐ》るにぞ、|青彦《あをひこ》は|忽《たちま》ち|大地《だいち》に|両手《りやうて》をつき、
『|貴方《あなた》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|亀彦《かめひこ》|様《さま》、|英子姫《ひでこひめ》|様《さま》で|御座《ござ》いましたか、|危《あやふ》き|所《ところ》をお|助《たす》け|下《くだ》さいまして、お|礼《れい》の|申《まを》しやうも|御座《ござ》いませぬ』
と|嬉《うれ》し|泣《なき》に|泣《な》き|入《い》る。|後《うしろ》の|木《き》の|茂《しげ》みより|又《また》もや|女《をんな》の|声《こゑ》、
『ヤア|青彦《あをひこ》、|汝《なんぢ》は|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪狐《あくこ》に|魅《みい》せられたる|高姫《たかひめ》の|妖言《えうげん》に|迷《まよ》ひ、|三五《あななひ》の|教《をしへ》を|捨《す》ててウラナイ|教《けう》に|陥没《かんぼつ》したる|心《こころ》|弱《よわ》きデモ|宣伝使《せんでんし》、|汝《なんぢ》が|心《こころ》を|立直《たてなほ》さむと|誠《まこと》の|神《かみ》は|今《いま》|此処《ここ》に|現《あら》はれ、|汝《なんぢ》に|誡《いまし》めの|鞭《むち》を|与《あた》へたるぞ、|尚《なほ》|改《あらた》めざるに|於《おい》ては、|今後《こんご》|如何《いか》なる|災禍《さいくわ》|汝《なんぢ》の|身《み》に|降《くだ》らむも|計《はか》り|難《がた》し、ヤア|亀彦《かめひこ》、|英子姫《ひでこひめ》|大儀々々《たいぎたいぎ》。|汝《なんぢ》が|至誠《しせい》|至実《しじつ》の|言霊《ことたま》に|依《よ》つて、|青彦《あをひこ》が|危難《きなん》を|救《すく》ひたるは|天晴《あつぱれ》|功名《こうみやう》|手柄《てがら》、|此《この》|由《よし》|大神《おほかみ》に|奏上《そうじやう》|致《いた》さむ』
|亀彦《かめひこ》『ヤア|何《いづ》れの|神様《かみさま》か|存《ぞん》じませぬが|足《たら》はぬ|吾々《われわれ》に|向《むか》つて|過分《くわぶん》の|賞詞《しやうし》、|身《み》に|余《あま》る|光栄《くわうえい》と|存《ぞん》じます、|此《この》|上《うへ》は|益々《ますます》|粉骨砕身《ふんこつさいしん》、|神国《しんこく》|成就《じやうじゆ》の|為《ため》に|努力《どりよく》|致《いた》しますれば、|何卒《どうぞ》|厚《あつ》き|広《ひろ》き|御保護《ごほご》を|垂《た》れさせ|給《たま》はむ|事《こと》を|偏《ひとへ》に|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る』
|英子姫《ひでこひめ》『アヽ|有難《ありがた》き|大神《おほかみ》の|神示《しんじ》、|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|慎《つつし》みて、|言心行《げんしんかう》|一致《いつち》を|励《はげ》み|神界《しんかい》のために|能《あた》ふ|限《かぎ》りの|活動《くわつどう》を|致《いた》しませう、|何卒《なにとぞ》|何卒《なにとぞ》|仁慈《じんじ》の|鞭《むち》を|御加《おくは》へ|下《くだ》さいまして、|妾《わらは》が|弱《よわ》き|信仰《しんかう》を|益々《ますます》|強《つよ》く|宇宙大《うちうだい》に|発揮《はつき》せしめたまへ』
と|合掌《がつしやう》する。|青彦《あをひこ》は|涙《なみだ》にくれながら|唯《ただ》|何事《なにごと》も|得《え》|云《い》はず、【あな】|有難《ありがた》し|忝《かたじけ》なしと|又《また》もや|大地《だいち》に|平伏《へいふく》するのみ。|暗中《あんちう》より|又《また》もや|女《をんな》の|声《こゑ》、
『|汝《なんぢ》|青彦《あをひこ》、|心《こころ》の|底《そこ》より|悔《く》い|改《あらた》めて|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》を|遵奉《じゆんぽう》するや、|返答《へんたふ》|聞《き》かむ』
と|呼《よ》ばはる|声《こゑ》に|青彦《あをひこ》は|起《お》き|直《なほ》り、
『|何《いづ》れの|神様《かみさま》か|存《ぞん》じませぬが、もう|斯《か》うなる|上《うへ》は|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》とウラナイ|教《けう》を|諦《あきら》めます。|何卒《どうぞ》|元《もと》の|如《ごと》く|三五《あななひ》の|道《みち》にお|使《つか》ひ|下《くだ》さいますやうに』
|暗中《あんちう》より|又《また》もや|女神《めがみ》の|声《こゑ》、
『|吾《われ》は|天照皇大神《あまてらすすめおほかみ》なるぞ、|其《その》|昔《むかし》|此《この》|御山《みやま》に|現《あら》はれ、|産釜《うぶがま》、|産盥《うぶだらひ》と|俗《ぞく》に|称《しよう》する|天《あめ》の|真名井《まなゐ》に|御禊《みそぎ》して、|神格《しんかく》を|作《つく》り|上《あ》げたる|我《わが》|旧蹟《きうせき》なり、|汝等《なんぢら》|宜敷《よろし》く|此処《ここ》に|宮殿《きうでん》を|造《つく》り、|我《わが》|御霊《みたま》を|祀《まつ》れ、|悦子姫《よしこひめ》の|肉体《にくたい》を|借《か》りて|此《この》|由《よし》|宣示《せんじ》し|置《お》く、|夢々《ゆめゆめ》|疑《うたが》ふなかれ』
|亀彦《かめひこ》『|委細承知《いさいしやうち》|仕《つかまつ》りました。|之《これ》より|此《この》|谷川《たにがは》に|身《み》を|清《きよ》め、|大神《おほかみ》の|美頭《みづ》の|御舎《みあらか》|仕《つか》へ|奉《まつ》り、|神霊《しんれい》を|奉斎《ほうさい》し、|天下《てんか》|太平《たいへい》|国土《こくど》|安穏《あんをん》の|祈願所《きぐわんしよ》と|定《さだ》めまつらむ』
と|答《こた》ふれば|天照大御神《あまてらすおほみかみ》|嬉《うれ》しげに|打《う》ち|笑《わら》はせ|給《たま》ひ、
『|亀彦《かめひこ》、|英子姫《ひでこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》|三人《さんにん》の|神柱《かむばしら》に|宮殿《きうでん》の|造営《ざうえい》を|一任《いちにん》し|置《お》く、サラバ』
と|云《い》ふより|早《はや》く|元津御座《もとつみくら》に|帰《かへ》り|給《たま》へば、|悦子姫《よしこひめ》は|元《もと》の|肉体《にくたい》に|復《ふく》し|三人《さんにん》が|前《まへ》に|現《あら》はれ、|大神《おほかみ》の|神勅《しんちよく》を|畏《かしこ》み、|改《あらた》めて|谷川《たにがは》に|禊《みそぎ》し|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|忌鋤《いむすき》、|忌斧《いむをの》を|造《つく》りて|宮殿《きうでん》の|造営《ざうえい》に|身心《しんしん》を|傾注《けいちう》し、|百日百夜《ひやくにちひやくや》を|経《へ》て|全《まつた》く|工《こう》を|終《を》へ、|茲《ここ》に|天照大御神《あまてらすおほみかみ》の|神霊《しんれい》を|招《お》ぎ|奉《まつ》り、|鄭重《ていちよう》に|祭神《さいじん》の|鎮座式《ちんざしき》を|奉仕《ほうし》したりける。これ|伊勢《いせ》|神宮《じんぐう》|宮殿《きうでん》|造営《ざうえい》の|嚆矢《こうし》なり。|今《いま》は|丹後《たんご》の|元伊勢《もといせ》と|云《い》ふ、この|谷川《たにがは》は|是《これ》より|宮川《みやかは》と|称《とな》へられたり。
|此《この》|因縁《いんねん》により、|大本《おほもと》|開祖《かいそ》は|明治《めいぢ》|三十四年《さんじふよねん》|旧《きう》|三月《さんぐわつ》の|八日《やうか》、|数多《あまた》の|教子《をしへご》を|引《ひ》き|連《つ》れ、|亀彦《かめひこ》の|名《な》に|因《ちな》みたる|上杉《うへすぎ》の|木下《きのした》|亀吉《かめきち》を|率《ひき》ゐ、|禊《みそぎ》の|神業《しんげふ》を|仰《あふ》せつけられたるは、|最《もつと》も|深《ふか》き|神界《しんかい》の|御経綸《ごけいりん》の|在《おは》します|事《こと》と|察《さつ》せらるるなり。|又《また》|此《この》|産盥《うぶだらひ》、|産釜《うぶがま》の|清水《せいすゐ》は|竜宮館《りうぐうやかた》の|金明水《きんめいすゐ》に|注《そそ》ぎ|込《こ》まれ、|次《つい》で|開祖《かいそ》は|数多《あまた》の|教子《をしへご》を|率《ひき》ゐ、|明治《めいぢ》|三十四年《さんじふよねん》|旧《きう》|六月《ろくぐわつ》|八日《やうか》、|沓島《くつじま》の|山上《さんじやう》より|大海原《おほうなばら》に|向《むか》つて|打注《うちそそ》ぎ|給《たま》ひたるも、|天下《てんか》|修斎《しうさい》の|大神業《だいしんげふ》の|一端《いつたん》と|察《さつ》し|奉《たてまつ》るなり。|穴賢《あなかしこ》、|穴賢《あなかしこ》。
(大正一一・四・一五 旧三・一九 加藤明子録)
第一七章 |谷《たに》の|水《みづ》〔六〇七〕
|剣尖山《けんさきやま》の|山麓《さんろく》に |現《あら》はれ|出《い》でたる|青彦《あをひこ》は
ウラナイ|教《けう》を|開《ひら》かむと |麓《ふもと》を|流《なが》るる|谷川《たにがは》の
|岸《きし》に|穿《うが》てる|産盥《うぶだらひ》 |片方《かたへ》に|一《ひと》つ|産釜《うぶがま》の
|縁由《えんゆ》も|深《ふか》き|清泉《せいせん》に |禊《みそぎ》し|乍《なが》ら|遠近《をちこち》の
|老若男女《らうにやくなんによ》を|救《すく》ひつつ ウラナイ|教《けう》を|宣《の》べ|伝《つた》ふ
|時《とき》しもあれや|亀彦《かめひこ》は |日《ひ》も|黄昏《たそが》れし|闇《やみ》の|空《そら》
|人《ひと》|押《お》し|分《わ》けて|入《い》り|来《きた》り |森《もり》の|茂《しげ》みに|佇《たたず》みて
|様子《やうす》|如何《いか》にと|聞《き》き|居《を》れば |姿《すがた》|隠《かく》して|悦子姫《よしこひめ》
|暗《やみ》の|中《なか》より|三五《あななひ》の |神《かみ》の|教《をしへ》を|宣《の》べ|伝《つた》ふ
|老若男女《らうにやくなんによ》は|青彦《あをひこ》の |殊更《ことさら》|濁《にご》れる|言霊《ことたま》に
|驚《おどろ》き|呆《あき》れ|怪《あや》しみつ |由来《ゆらい》を|聞《き》かむと|焦慮《あせ》る|折《をり》
|皇大神《すめおほかみ》の|神懸《かむがか》り |清《きよ》く|涼《すず》しき|言霊《ことたま》に
|青彦《あをひこ》までも|驚《おどろ》きて |燧石《ひうち》|取《と》り|出《だ》しカチカチと
|火《ひ》を|切《き》り|出《い》だし|手探《てさぐ》りに |枯木《かれき》|枯葉《かれは》を|掻《か》き|集《あつ》め
|火《ひ》を|点《てん》ずれば|忽《たちま》ちに |四辺《あたり》は|真昼《まひる》の|如《ごと》くなり
|火光《くわくわう》を|目蒐《めが》けて|集《あつ》まれる |数多《あまた》の|蜂《はち》に|身《み》を|刺《さ》され
|呻吟《しんぎん》|苦悶《くもん》の|最中《さいちう》に |現《あら》はれ|出《いで》たる|英子姫《ひでこひめ》
|亀彦《かめひこ》|諸共《もろとも》|常磐木《ときはぎ》の |松《まつ》の|小枝《こえだ》を|打折《うちを》りて
|俄《にはか》|作《づく》りの|大麻《おほぬさ》と |代用《だいよう》しつつ|村肝《むらきも》の
|心《こころ》を|籠《こ》めて|左右左《さいうさ》に |打振《うちふ》り|打振《うちふ》り|許々多久《ここたく》の
|勢《いきほひ》|猛《たけ》き|熊蜂《くまばち》を |闇《やみ》の|彼方《あなた》に|追《お》ひのけて
|青息吐息《あをいきといき》の|青彦《あをひこ》が |危難《きなん》を|救《すく》ふ|神《かみ》の|業《わざ》
|青彦《あをひこ》|漸《やうや》う|顔《かほ》をあげ |四辺《あたり》キヨロキヨロ|見廻《みまは》して
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |名《な》さへ|目出度《めでた》き|亀彦《かめひこ》や
|英子《ひでこ》の|姫《ひめ》の|出現《しゆつげん》に |感謝《かんしや》の|涙《なみだ》|拭《ぬぐ》ひつつ
|前非《ぜんぴ》を|悔《く》いて|只管《ひたすら》に |謝《あやま》り|入《い》るこそ|健気《けなげ》なれ
|悦子《よしこ》の|姫《ひめ》も|現《あら》はれて |天《あま》の|数歌《かずうた》|打《う》ち|揃《そろ》ひ
|一《ひと》|二《ふた》|三《みい》|四《よ》|五《いつ》つ|六《む》つ |七《なな》|八《や》|九《ここの》つ|十《たり》|百《もも》|千《ち》
|万代《よろづよ》|祝《ことほ》ぐ|亀彦《かめひこ》が |人《ひと》に|勝《すぐ》れし|神業《しんげふ》を
|褒《ほ》め|称《たた》へつつ|皇神《すめかみ》の |御言《みこと》|畏《かしこ》み|岩《いは》の|上《へ》に
|美頭《みづ》の|御舎《みあらか》つかへむと |上津岩根《うはついはね》に|搗《つ》き|凝《こ》らし
|下津岩根《したついはね》に|搗《つ》き|固《かた》め |忌鋤《いむすき》|忌斧《いむをの》|取《と》り|寄《よ》せて
|大峡小峡《おほがいをがい》の|樹《き》を|伐《き》りつ |百日百夜《ももかももよ》が|其《その》|間《あひだ》
|此《この》|谷川《たにがは》に|禊斎《みそぎ》して |此《この》|世《よ》を|救《すく》ふ|柱立《はしらだて》
|晴《は》れて|嬉《うれ》しき|棟上《むねあげ》や |千草百草《ちぐさももぐさ》|何《なに》やかや
|萱《かや》|刈《か》り|集《あつ》め|屋根《やね》となし |千木《ちぎ》|勝男木《かつをぎ》も|勇《いさ》ましく
|仕《つか》へ|奉《まつ》るぞ|目出度《めでた》けれ |魔窟ケ原《まくつがはら》に|現《あら》はれて
|心《こころ》の|岩戸《いはと》を|押《お》し|開《ひら》き |誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の
|道《みち》に|服《まつろ》ひまつりたる |鬼雲彦《おにくもひこ》が|懐《ふところ》の
|刀《かたな》と|聞《きこ》えし|鬼虎《おにとら》や |鬼彦《おにひこ》、|石熊《いしくま》、|熊鷹《くまたか》の
ヒーロー|豪傑《がうけつ》|始《はじ》めとし それに|従《したが》ふ|百人《ももびと》は
|前非《ぜんぴ》を|悔《く》いて|勇《いさ》ましく |之《これ》の|谷間《たにま》に|現《あら》はれて
|帰順《きじゆん》しきつたる|青彦《あをひこ》を |匠《たくみ》の|神《かみ》と|仰《あふ》ぎつつ
|夜《よる》と|昼《ひる》との|際目《けじめ》なく いと|健《まめ》やかに|働《はたら》きて
|千代《ちよ》の|礎《いしずゑ》|万代《よろづよ》の ミロクの|基礎《もと》をつき|固《かた》め
|皇大神《すめおほかみ》の|神霊《かむみたま》 |招《まね》き|迎《むか》へて|厳《おごそ》かに
|斎《いつ》き|奉《まつ》るぞ|尊《たふと》けれ |光《ひか》り|輝《かがや》く|元伊勢《もといせ》の
|谷《たに》を|流《なが》るる|五十鈴川《いすずがは》 |天《あめ》の|真名井《まなゐ》の|水鏡《みづかがみ》
|清《きよ》き|神姿《すがた》を|後《のち》の|世《よ》に |写《うつ》すも|嬉《うれ》し|霊界《れいかい》の
|尊《たふと》き|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》 |四魂《しこん》|揃《そろ》うて|十六《じふろく》の
|巻物語《まきものがたり》|瑞祥《ずゐしやう》の |閣《やかた》に|身《み》をば|横《よこ》たへて
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し |現《げん》、|神《しん》、|幽《いう》を|一貫《いつくわん》し
|過去《くわこ》と|未来《みらい》と|現在《げんざい》を |超越《てうゑつ》したる|不可解《ふかかい》の
|幽玄微妙《いうげんびめう》の|言《こと》の|葉《は》は |一度《いちど》に|開《ひら》く|白梅《しらうめ》の
|薫《かを》り|床《ゆか》しく|春風《はるかぜ》に |散《ち》り|行《ゆ》く|後《あと》に|実《み》を|結《むす》ぶ
|花《はな》も|実《み》もある|物語《ものがたり》 |真名井ケ岳《まなゐがだけ》や|曽我部郷《そがべがう》
|登由気《とゆけ》の|神《かみ》や|素盞嗚《すさのを》の |遠《とほ》き|神代《かみよ》の|御経綸《ごけいりん》
|大《ひろ》き|正《ただ》しき|十《とを》あまり |一《ひと》つの|年《とし》の|弥生空《やよひぞら》
|月《つき》の|光《ひかり》も|宵暗《よひやみ》の |空《そら》を|霽《はら》して|昇《のぼ》り|来《く》る
|玉兎《たま》の|光《ひかり》に|照《てら》されて |腹《はら》より|出《いづ》る|口車《くちぐるま》
|筆《ふで》の|舵《かぢ》をば|取《と》り|乍《なが》ら あてども|知《し》らずスクスクと
|横《よこ》に|車《くるま》を|押《お》して|行《ゆ》く |縦《たて》と|横《よこ》との|十字街《じふじがい》
|辻褄《つじつま》あはぬと|世《よ》の|人《ひと》の |百《もも》の|誹《そしり》を|顧《かへり》みず
|八岐大蛇《やまたをろち》の|長々《ながなが》と |右《みぎ》や|左《ひだり》へ|蜿《うね》りつつ
|彼方《あちら》|此方《こちら》と|飛《と》び|飛《と》びに |蛙《かはづ》の|行列《ぎやうれつ》|向《むか》ふ|見《み》ず
|瑞《みづ》の|霊《みたま》の|本性《ほんしやう》を |一皮《ひとかは》|剥《む》いて|述《の》べて|置《お》く
ホンに|分《わか》らぬ|物語《ものがたり》 アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐世《ましませ》よ。
(大正一一・四・一六 旧三・二〇 北村隆光録)
第三篇 |真奈為ケ原《まなゐがはら》
第一八章 |遷宅婆《せんたくばば》〔六〇八〕
|百日百夜《ひやくにちひやくや》の|一同《いちどう》が|苦辛《くしん》|惨憺《さんたん》の|結果《けつくわ》、|漸《やうや》く|建《た》ち|上《あが》りし|白木《しらき》の|宮殿《きうでん》、|鎮祭式《ちんさいしき》も|無事《ぶじ》に|済《す》み|一同《いちどう》|直会《なほらひ》の|宴《えん》にうつる。|今日《けふ》は|正月《しやうぐわつ》|十五日《じふごにち》、|雪《ゆき》は|鵞毛《がまう》と|降《ふ》りしきり、|見渡《みわた》す|限《かぎ》り|一面《いちめん》の|銀世界《ぎんせかい》、|天津日《あまつひ》の|影《かげ》は|地上《ちじやう》に|光《ひかり》を|投《な》げ、|玲瓏《れいろう》として|乾坤《けんこん》|一点《いつてん》の|塵埃《ぢんあい》も|留《とど》めず、|実《じつ》に|美《うる》はしき|天国《てんごく》の|御園《みその》も|斯《か》くやと|思《おも》はるる|許《ばか》りなり。
|英子姫《ひでこひめ》は|神霊《しんれい》|鎮祭《ちんさい》の|斎主《さいしゆ》を|奉仕《ほうし》し|悠々《いういう》として|階段《かいだん》を|降《くだ》り|来《きた》るや、|忽《たちま》ち|神霊《しんれい》に|感《かん》じ|神々《かうがう》しき|姿《すがた》は|弥《いや》が|上《うへ》に|威厳《ゐげん》|備《そな》はり|徐《おもむろ》に|口《くち》を|開《ひら》いて|宣《の》り|給《たま》ふやう、
『|我《われ》は|天照大神《あまてらすおほかみ》の|和魂《にぎみたま》なり、|抑《そもそ》も|当所《たうしよ》は|綾《あや》の|聖地《せいち》に|次《つ》げる|神聖《しんせい》の|霊場《れいぢやう》にして|天神地祇《てんしんちぎ》の|集《あつ》まり|給《たま》ふ|神界《しんかい》|火水《ひみつ》の|経綸場《けいりんぢやう》なり、|神界《しんかい》に|於《お》ける|天《あめ》の|霊《ひ》の|川《かは》の|源泉《げんせん》にして|宇宙《うちう》の|邪気《じやき》を|洗《あら》ひ|清《きよ》め|百《もも》の|身魂《みたま》を|神国《しんこく》に|救《すく》ふ|至厳《しげん》|至聖《しせい》の|神域《しんゐき》なり。|又《また》この|東北《とうほく》に|当《あた》つて|大江山《おほえやま》あり、|此処《ここ》は|神界《しんかい》の|芥川《あくたがは》と|称《しよう》し|邪霊《じやれい》の|集合《しふがふ》|湧出《ゆうしゆつ》する|源泉《げんせん》なれば|霊《ひ》の|川《かは》の|霊泉《れいせん》を|以《もつ》て|世界《せかい》に|氾濫《はんらん》せむとする|濁悪汚穢《だくあくをくわい》の|泥水《でいすゐ》を|清《きよ》むべき|使命《しめい》の|地《ち》なり。|此《この》|濁流《だくりう》の|彼方《かなた》に|天《あめ》の|真名井ケ岳《まなゐがだけ》あり、|此処《ここ》は|清濁《せいだく》|併《あは》せ|呑《の》む|天地《てんち》の|経綸《けいりん》を|司《つかさど》る|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|神々《かみがみ》の|集《あつ》まる|源泉《げんせん》なり。|豊国姫《とよくにひめ》の|分霊《わけみたま》、|真名井ケ岳《まなゐがだけ》に|天降《あまくだ》りミロク|神政《しんせい》の|経綸《けいりん》に|任《にん》じ|給《たま》ひつつあり、されども|曲神《まがかみ》の|勢力《せいりよく》|旺盛《わうせい》にして|千変万化《せんぺんばんくわ》の|妖術《えうじゆつ》を|以《もつ》て|豊国姫《とよくにひめ》が|経綸《けいりん》を|妨碍《ばうがい》せむとしつつあり。|汝《なんぢ》|悦子姫《よしこひめ》、|之《これ》より|大江山《おほえやま》の|濁流《だくりう》を|渡《わた》り|真名井ケ岳《まなゐがだけ》に|打向《うちむか》ひ|百《もも》の|曲霊《まがひ》を|言向和《ことむけやは》し|追《お》ひ|払《はら》ひ|吹《ふ》き|清《きよ》めよ。|又《また》|亀彦《かめひこ》、|英子姫《ひでこひめ》には|神界《しんかい》に|於《おい》て|特別《とくべつ》の|使命《しめい》あれば|之《これ》より|聖地《せいち》に|向《むか》へ、|其《その》|上《うへ》|改《あらた》めて|汝《なんぢ》に|特別《とくべつ》|使命《しめい》を|与《あた》ふべし』
と|言葉《ことば》|厳《おごそ》かに|言挙《ことあ》げし|給《たま》ひ|忽《たちま》ち|聞《きこ》ゆる|微妙《びめう》の|音楽《おんがく》と|共《とも》に|引《ひ》きとらせ|給《たま》ひぬ。アヽ|尊《たふと》き|哉《かな》|皇大神《すめおほかみ》の|御神勅《ごしんちよく》よ。
|茲《ここ》に|亀彦《かめひこ》、|英子姫《ひでこひめ》は|神勅《しんちよく》を|奉《ほう》じ、|熊鷹《くまたか》、|石熊《いしくま》|両人《りやうにん》を|始《はじ》め|数十人《すうじふにん》の|供人《ともびと》と|共《とも》に、|聖地《せいち》に|向《むか》ふ|事《こと》となりぬ。|又《また》|悦子姫《よしこひめ》、|青彦《あをひこ》は、|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》の|二人《ふたり》に、|四五《しご》の|従者《じゆうしや》を|伴《ともな》ひ|谷川《たにがは》に|禊《みそぎ》を|修《しう》し|宣伝歌《せんでんか》を|唱《とな》へ|乍《なが》ら|大江山《おほえやま》の|魔窟ケ原《まくつがはら》を|打越《うちこ》え|真名井ケ岳《まなゐがだけ》に|向《むか》つて|進《すす》む|事《こと》になりける。
|悦子姫《よしこひめ》は|宮川《みやかは》の|渓流《けいりう》を|溯《さかのぼ》り、|険《けは》しき|谷間《たにま》を|右《みぎ》に|跳《と》び、|左《ひだり》に|渉《わた》り|漸《やうや》くにして|魔窟ケ原《まくつがはら》の|中央《ちうあう》に|進《すす》み|入《い》り、|衣懸松《きぬかけまつ》の|傍《そば》に|立《た》ち|止《と》まり|見《み》れば、|百日前《ひやくにちぜん》に|焼《や》け|失《う》せたる|高姫《たかひめ》の|隠家《かくれが》は|又《また》もや|蔦葛《つたかづら》を|結《むす》び、|新《あたら》しく|同《おな》じ|場所《ばしよ》に|仮小屋《かりごや》が|建《た》てられありたり。
|悦子姫《よしこひめ》『|此《この》|間《あひだ》|妾《わたし》が|高姫《たかひめ》に|招《まね》かれて|此《この》|松《まつ》の|下《した》へ|来《く》ると、|間《ま》もなく|火煙《くわえん》|濛々《もうもう》と|立昇《たちのぼ》り、|小屋《こや》の|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|猛烈《まうれつ》に|紅蓮《ぐれん》の|舌《した》を|吐《は》いて|瞬《またた》く|内《うち》に|舐尽《なめつく》し、|高姫《たかひめ》さま|始《はじ》め|此《この》|青彦《あをひこ》さまも|火鼠《ひねずみ》の|様《やう》に、|彼《あ》の|丸木橋《まるきばし》から|青淵《あをふち》へ|目蒐《めが》けて|飛《と》び|込《こ》まれた|時《とき》の|光景《くわうけい》は|実《じつ》にお|気《き》の|毒《どく》なりし。その|時《とき》|妾《わたし》は|高姫《たかひめ》さまの|水《みづ》に|溺《おぼ》れて|苦《くる》しみ|藻掻《もが》き|居《を》られるのを、|真裸《まつぱだか》になりて|救《すく》ひ|上《あ》げた|時《とき》、|高姫《たかひめ》さまに|非常《ひじやう》に|怒《おこ》られた|事《こと》あり、「|妾《わたし》が|勝手《かつて》に|心地《ここち》よく|水泳《すゐえい》をやつて|居《ゐ》るのに、|真裸《まつぱだか》で|飛《と》ンで|来《き》て|妾《わたし》の|手《て》を|引《ひ》ン|握《にぎ》り、ひつ|張《ぱ》り|上《あ》げるとは|怪《け》しからぬ」と|反対《あべこべ》に|生命《いのち》を|助《たす》けて|怒《おこ》られた|事《こと》あり、あの|一本橋《いつぽんばし》を|見《み》ると|其《その》|時《とき》の|光景《くわうけい》が|今《いま》|見《み》る|様《やう》な』
と|述懐《じゆつくわい》を|漏《もら》したり。
|青彦《あをひこ》『さうでしたな、あの|時《とき》に|私《わたくし》も|亀彦《かめひこ》さまが|居《ゐ》なかつたら|土左衛門《どざゑもん》になる|処《ところ》でした。|真実《しんじつ》に|生命《いのち》の|親《おや》だと|思《おも》つて|心《こころ》の|底《そこ》から|感謝《かんしや》して|居《ゐ》ました。それに|高姫《たかひめ》さまは|私《わたくし》がお|礼《れい》を|申《まを》さうとすれば|目《め》を|縦《たて》にして|睨《にら》むものですから、つひお|礼《れい》を|申《まを》し|上《あ》げず|心《こころ》の|裡《うち》に|済《す》まぬ|事《こと》ぢやと|思《おも》つて|居《ゐ》ました、|真実《ほんと》に|負惜《まけをし》みの|強《つよ》い|方《かた》ですな』
|鬼彦《おにひこ》『ウラナイ|教《けう》の|奴《やつ》は|皆《みな》アンナ|者《もの》だよ、|向《むか》ふ|意気《いき》の|強《つよ》い、|負《まけ》ず|嫌《ぎら》ひばかりが|寄《よ》つて|居《を》るから|負《まけ》た|事《こと》や|弱《よわ》つた|事《こと》は|知《し》らぬ|奴《やつ》だ、|悪《あく》と|云《い》ふ|事《こと》も|知《し》らず|本当《ほんたう》に|片意地《かたいぢ》な|教《をしへ》だ、|負《まけ》た|事《こと》を|知《し》らぬものに|勝負《かちまけ》も|無《な》ければ、|恥《はぢ》を|知《し》らぬものに|恥《はぢ》はない、|人間《にんげん》もああなれば|強《つよ》いものだ、|否《いな》|気楽《きらく》なものだ、|自分《じぶん》のする|事《こと》は|何事《なにごと》も|皆《みな》|善《ぜん》ときめてかかつて|居《を》るのだから|身魂《みたま》の|立《た》て|直《なほ》し|様《やう》がありませぬ|哩《わい》』
|青彦《あをひこ》『ヤア|私《わたくし》も|高姫《たかひめ》の|強情《がうじやう》なには|呆《あき》れて|物《もの》が|言《い》はれませぬ、|沓島《くつじま》で|岩蓋《いはぶた》をせられた|時《とき》にも|私《わたくし》は|消《き》え|入《い》る|様《やう》な|思《おも》ひがして、|泣《な》くにも|泣《な》かれず|慄《ふる》うて|居《ゐ》ましたが、|高姫《たかひめ》は|豪気《がうき》なものです、|反対《あべこべ》に|窮鼠《きうそ》|却《かへつ》て|猫《ねこ》を|咬《か》む|様《やう》な|談判《だんぱん》をやるのですから|呆《あき》れざるを|得《え》ぬぢやありませぬか、|漸《やうや》く|田辺《たなべ》に|着《つ》いたと|思《おも》へば|暗《やみ》に|紛《まぎ》れてドロンと|消《き》え|失《う》せ、|間《ま》もなく|月《つき》の|光《ひかり》に|発見《はつけん》されて|鬼武彦《おにたけひこ》に|素首《そつくび》を|掴《つか》まれ、|提《ひつさ》げられて|長《なが》い|道中《だうちう》を|秋山彦《あきやまひこ》の|館《やかた》まで|連《つ》れ|行《ゆ》かれ、|苦《くる》しいの、|苦《くる》しうないのつて、|息《いき》が|切《き》れさうでしたよ、それでも|減《へ》らず|口《ぐち》を|叩《たた》いて|太平楽《たいへいらく》を|並《なら》べると|云《い》ふ|意地《いぢ》の|悪《わる》い|女《をんな》だから、|何処迄《どこまで》|押《お》し|尻《けつ》が|強《つよ》いか|分《わか》つたものぢやない。|如意宝珠《によいほつしゆ》の|玉《たま》を|大勢《おほぜい》の|目《め》の|前《まへ》で|平気《へいき》の|平左《へいざ》で|自分《じぶん》の|腹《はら》の|中《なか》に|呑《の》み|込《こ》みて|仕舞《しま》ひ、|終《しまひ》には|煙《けぶり》の|様《やう》に|天井窓《てんじやうまど》から|逃出《にげだ》すと|云《い》ふ|放《はな》れ|業《わざ》をやるのだから、|化物《ばけもの》だか、|神様《かみさま》だか、|魔《ま》だか、|素性《えたい》の|知《し》れぬ|痴者《しれもの》だ、そして|随分《ずゐぶん》|口先《くちさき》の|達者《たつしや》な|事《こと》と|言《い》つたら|燕《つばめ》か|雀《すずめ》の|親方《おやかた》の|様《やう》だ、|人《ひと》には|交際《つきあ》つてみねば|分《わか》らぬが、あの|剛腹《がうはら》の|態度《たいど》と|弁《べん》【ちやら】とに|掛《かか》つたら、|大抵《たいてい》の|男女《だんぢよ》は|十人《じふにん》が|九人《くにん》|迄《まで》やられて|仕舞《しま》ふ、|本当《ほんたう》に|巧《たくみ》な|者《もの》だ、|其処《そこ》へ|又《また》、も|一《ひと》つ|弁舌《べんぜつ》の|上手《じやうず》な|黒姫《くろひめ》と|言《い》ふのが|始終《しじう》|後《うしろ》について|居《を》つて|応援《おうゑん》をするものだから、|口《くち》|八丁《はつちやう》|手《て》|八丁《はつちやう》|悪《あく》|八丁《はつちやう》と|言《い》ふ|豪《がう》の|者《もの》に|作《つく》りあげて|仕舞《しま》つたのだ。|然《しか》しチヤンと|此《この》|焼《や》け|跡《あと》に|又《また》もや|新《あたら》しい|小屋《こや》が|建《た》つて|居《ゐ》る、|大方《おほかた》|黒姫《くろひめ》の|奴《やつ》、|後追《あとお》つかけて|来《き》よつて|焼《や》け|跡《あと》に|小屋《こや》を|建《た》てて|隠《かく》れて|居《を》るのではあるまいか、|何処《どこ》までも|執念深《しふねんぶか》いのはウラナイ|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》だからな』
|鬼虎《おにとら》『|一《ひと》つ|調《しら》べてやりませうかい』
|鬼彦《おにひこ》『|若《も》し|黒姫《くろひめ》が|居《を》つたら|貴様《きさま》|何《ど》うする、|又《また》|舌《した》の|先《さき》でチヨロチヨロと|舐《なめ》られてグニヤグニヤとなりやせぬかな』
|鬼虎《おにとら》『|何《なに》、|大丈夫《だいぢやうぶ》だよ、|鬼虎《おにとら》には|鬼虎《おにとら》の|虎《とら》の|巻《まき》がある、|俺《おれ》の|十一七番《じふいちひちばん》を|御目《おめ》に|懸《か》けてやるから|悠《ゆる》りと|見物《けんぶつ》をせい』
|一同《いちどう》は|路傍《ろばう》の|恰好《かつかう》の|石《いし》に|腰掛《こしかけ》けて|休息《きうそく》し|乍《なが》ら|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》る。|鬼虎《おにとら》は|七八間《しちはちけん》|許《ばか》り|稍《やや》|傾斜《けいしや》の|道《みち》を|下《くだ》り|衣懸《きぬかけ》の|松《まつ》の|麓《ふもと》の|藁小屋《わらごや》を|外《そと》からソツと|覗《のぞ》き、
|鬼彦《おにひこ》『ヤア、|居《を》るぞ|居《を》るぞ、|婆《ばば》が|一匹《いつぴき》、|男《をとこ》が|二匹《にひき》だ、オイ|婆《ばば》ア、|貴様《きさま》は|何《なん》だ、バラモン|教《けう》か、ウラナイ|教《けう》か、ウラル|教《けう》か、|返答《へんたふ》|致《いた》せ』
|小屋《こや》の|中《なか》より、
『エー、|八釜《やかま》しい|哩《わい》、|何処《どこ》の|穀潰《ごくつぶ》しか|知《し》らぬが|新宅《しんたく》の|成功祝《せいこういはひ》で、グツスリ|酒《さけ》を|飲《の》みて|暖《あたたか》い|夢《ゆめ》を|見《み》て|居《ゐ》た|処《ところ》だ、|大《おほ》きな|声《こゑ》で|目《め》を|覚《さ》まさしよつてチツト|人情《にんじやう》を|知《し》らぬかい。|安眠《あんみん》|妨害《ばうがい》で|告発《こくはつ》するぞ』
|鬼虎《おにとら》『ヤア、|一寸《ちよつと》|洒落《しやれ》て|居《ゐ》やがる、よう|牛《うし》の|様《やう》にツベコベと|寝《ね》|乍《なが》ら【ねち】ねちと|口《くち》を|動《うご》かす|奴《やつ》だ、|丸《まる》で|高姫《たかひめ》か|黒姫《くろひめ》みたいな|餓鬼《がき》だ、|改心《かいしん》せぬと|又《また》それ|紅蓮《ぐれん》の|舌《した》に|舐《な》められて、|藁小屋《わらごや》は|祝融子《しゆくゆうし》に|見舞《みま》はれ|全部《ぜんぶ》|烏有《ういう》に|帰《き》し、|頭《あたま》の|毛《け》や|着衣《ちやくい》に|火《ひ》が|延焼《えんせう》して|一本橋《いつぽんばし》から|身《み》を|投《な》げて|寂滅為楽《じやくめつゐらく》、|十万億土《じふまんおくど》の|旅立《たびだち》をせにやならぬ|様《やう》になるぞ』
|小屋《こや》の|中《なか》より、
『|何処《どこ》の|奴《やつ》か|知《し》らぬが|俺《わし》は|貴様《きさま》の|今《いま》|言《い》うた|黒姫《くろひめ》だよ、|名《な》は|黒姫《くろひめ》でも|顔《かほ》の|色《いろ》はそれ|今《いま》|其処《そこ》らに|降《ふ》つてる|雪《ゆき》の|様《やう》に|白《しろ》い|雪《ゆき》ン|婆《ば》の|様《やう》な|心《こころ》の|綺麗《きれい》なウラナイ|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》ぢや、|此《この》|沢山《たくさん》な|雫《しづく》を|掻《か》き|別《わ》けて|寒《さむ》い|寒《さむ》い|山道《やまみち》を【うろつく】|奴《やつ》は|余程《よほど》【ゆき】つまつた【しろ】|物《もの》と|見《み》える|哩《わい》。|今日《けふ》らの|日《ひ》に|彷徨《さまよ》ふ|奴《やつ》は|家《いへ》の|無《な》いもののする|事《こと》ぢや、|田螺《たにし》でも|蝸牛虫《でんでんむし》でも|一《ひと》つは|家《いへ》を|持《も》つて|居《ゐ》る、|家《いへ》|無《な》しのド|乞食《こじき》|奴《め》が、|何《なん》とか、|彼《かん》とか|言《い》ひよつて|人《ひと》の|処《ところ》の|家《いへ》へ|泊《と》めて|貰《もら》はうと|思《おも》つても……さうは|往《ゆ》かぬぞ、|然《しか》し|魚心《うをごころ》あれば|水心《みづごころ》ありぢや、|俺《わし》の|言《い》ふ|事《こと》を|聞《き》くのなら|泊《と》めてやらぬ|事《こと》は|無《な》いわ、それ|程《ほど》|寒《さむ》|相《さう》に|歯《は》の|根《ね》も|合《あ》はぬ|程《ほど》、カツカツ|慄《ふる》ふよりも|如何《どう》ぢや、|俺《わし》の|結構《けつこう》な|話《はなし》を|聞《き》いて|暖《あたたか》い|火《ひ》にあたつて、|味《あぢ》の|良《よ》い|濁酒《どぶろく》でも|鱈腹《たらふく》|飲《の》みた|方《はう》がましだらう、|世《よ》の|中《なか》は|馬鹿者《ばかもの》が|多《おほ》いので|此《この》|雪《ゆき》の|降《ふ》つてピユウピユウと|顔《かほ》の|皮《かは》が|剥《む》ける|様《やう》な|風《かぜ》が|吹《ふ》くのに、|下《くだ》らぬ|宣伝歌《せんでんか》を|涙《なみだ》|交《まじ》りに|謡《うた》ひよつても|誰《たれ》が|集《あつ》まつて|聞《き》くものかい、|後《あと》から|後《あと》から|此《この》|雪《ゆき》の|様《やう》に|冷《ひや》かされる|一方《いつぱう》だ、|一《ひと》つ|冷静《れいせい》に|酒《さけ》の|燗《かん》ドツコイ|考《かんが》へて|見《み》たが|宜《よ》からうぞ』
|鬼虎《おにとら》『アハヽヽヽ、オイ|鬼彦《おにひこ》、|一寸《ちよつと》|来《こ》い、|大分《だいぶ》に|能《よ》うツベコベ|吐《ぬか》す|奴《やつ》ぢや、|高姫《たかひめ》の|二代目《にだいめ》が|居《を》りよる|哩《わい》。|白姫《しろひめ》とか|赤姫《あかひめ》とか|吐《ぬか》す|中年増《ちうどしま》の|婆《ばば》ぢや、|一《ひと》つ|此奴《こいつ》を、|真名井ケ岳《まなゐがだけ》に|行《ゆ》く|途中《とちう》の|先登《せんとう》として|言向《ことむ》け|和《やは》したら|面白《おもしろ》からうぞ』
|鬼彦《おにひこ》『ヤ、さうか、|何《なん》でも|婆《ばば》の|潜《ひそ》みて|居《ゐ》さうな|藁小屋《わらごや》ぢやと|思《おも》つた。ドレドレ|之《これ》から|鬼彦《おにひこ》が|応援《おうゑん》に|出掛《でか》け|様《やう》かい』
|雪《ゆき》の|中《なか》をザクザクと|音《おと》させ|乍《なが》ら|小屋《こや》の|側《そば》に|寄《よ》り|添《そ》ひソツと|中《なか》を|覗《のぞ》き、
|鬼彦《おにひこ》『ヤア、|居《を》る|居《を》る、|此奴《こいつ》は|何時《いつ》やら|見《み》た|事《こと》のある|奴《やつ》ぢや。|随分《ずゐぶん》|八釜《やかま》しい|婆《ばば》ぢやぞ、|鈴《すず》の|化物《ばけもの》|見《み》た|様《やう》な|奴《やつ》ぢや』
|鬼虎《おにとら》『|鈴《すず》か|煤《すす》か|知《し》らぬが|何《なん》でも|黒《くろ》い|名《な》のつくババイババイ|婆宣伝使《ばばせんでんし》だ。オイ、|婆《ばば》ア、|一《ひと》つ|貴様《きさま》の|得意《とくい》の|雄弁《ゆうべん》を|振《ふる》つて|天下《てんか》|分《わ》け|目《め》の|舌鋒戦《ぜつぽうせん》でも|開始《かいし》したら|如何《どう》だ、|面白《おもしろ》いぞ』
|婆《ばば》『オイ、|音《おと》、|勘《かん》、|酒《さけ》に|喰《くら》ひ|酔《よ》うて|何時迄《いつまで》|寝《ね》て|居《を》るのだ、|外《そと》には|貴様《きさま》に|合《あ》うたり|叶《かな》うたりの|荷担《にな》うたら|棒《ぼう》が|折《を》れる|様《やう》なヒヨツトコ|男《をとこ》が|来《き》よつて、|百舌鳥《もず》の|様《やう》に|囀《さへづ》つて|居《ゐ》る、|貴様《きさま》|一《ひと》つ|出《で》て|舌戦《ぜつせん》をやらぬかいナ』
|音《おと》、|勘《かん》『ムヽヽヽ、ムニヤムニヤムニヤ、アヽア、アー』(|寝惚《ねぼ》け|声《ごゑ》で)
|婆《ばば》『エー、【じれつたい】、|欠伸《あくび》|許《ばか》りして|夜中《よなか》の|夢《ゆめ》でも|見《み》てるのかい、もう|午時《うまどき》ぢや、|早《はや》く|起《お》きぬか』
|音公《おとこう》『|午時《うまどき》か|猫時《ねこどき》か|知《し》らぬが|二人《ふたり》がグツスリと|猫《ねこ》を|釣《つ》つて、|甘《うま》い|物《もの》をドツサリ|喰《く》つた|夢《ゆめ》を|見《み》てる|時《とき》に、アヽ|偉《えら》い|損《そん》をした、|十七八《じふしちはち》の|頗《すこぶ》るのナイスが|現《あら》はれて、|細《ほそ》い|白《しろ》い|柔《やはら》かい|手《て》で|目《め》を|細《ほそ》うして「|音《おと》さま、|一杯《いつぱい》」と|盃《さかづき》をさして|呉《く》れた|最中《さいちう》に|起《おこ》されて、エーエ|怪《け》つ|体《たい》の|悪《わる》い、|一生《いつしやう》|取《と》り|返《かへ》しのならぬ|大損害《だいそんがい》だ、|生《うま》れてから|見《み》た|事《こと》もない|様《やう》なナイスにお|給仕《きふじ》をして|貰《もら》ふ|時《とき》の|心持《こころもち》と|言《い》つたら|天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|行《い》つても、|夢《ゆめ》でなくては|有《あ》りさうもない、アヽア、|嬉《うれ》しかつた|嬉《うれ》しかつた』
|婆《ばば》『オイ、|音《おと》、|何《なに》をお|前《まへ》は|惚《とぼ》けて|居《を》るのだい、チツト|確《しつか》りしなさらぬか、|戸《と》を|開《あ》けて|外《そと》を|見《み》なさい、|沢山《たくさん》の|耄碌《まうろく》がやつて|来《き》て|今《いま》|此《この》|黒姫《くろひめ》の|舌鋒《ぜつぽう》に|刺《さ》されて、ウラナイ|教《けう》に|帰順《きじゆん》せむとする|準備《じゆんび》の|最中《さいちう》だ、サアサア|勘公《かんこう》も|起《お》きたり|起《お》きたり』
|婆《ばば》はノソリノソリと|小屋《こや》を|立《た》ち|出《い》で、
『ヤア|誰《たれ》かと|思《おも》へば|青彦《あをひこ》も|其処《そこ》に|居《を》るのか、コレヤ、マア|如何《どう》したのだ、|何時《いつ》の|間《ま》に|三五教《あななひけう》に|這入《はい》りよつたのだ、|宣伝使《せんでんし》の|服《ふく》が|変《かは》つて|居《を》るぢやないか、サア|早《はや》く|脱《ぬ》ぎ|捨《す》ててウラナイ|教《けう》の|教服《けうふく》と|更《か》へるのだよ』
|青彦《あをひこ》『これはこれは|黒姫《くろひめ》|先生《せんせい》、|憚《はばか》り|乍《なが》ら|今日《こんにち》の|青彦《あをひこ》は|最早《もはや》|百日前《ひやくにちぜん》の|青彦《あをひこ》とは|趣《おもむき》が|違《ちが》つて|居《ゐ》ますから、その|積《つも》りで|物《もの》を|言《い》つて|貰《もら》ひませぬと、|某《それがし》|聊《いささ》か|迷惑《めいわく》の|至《いた》りだよ』
|婆《ばば》『オホヽヽヽ、|猫《ねこ》の|眼《め》の|玉《たま》の|様《やう》に、|能《よ》う|変《かは》る|灰猫《はひねこ》|野郎《やらう》だな、そこに|居《を》る|女宣伝使《をんなせんでんし》は|此《この》|間《あひだ》|来《き》た|悦子姫《よしこひめ》と|言《い》ふ|破《やぶ》れ|宣伝使《せんでんし》だらう、ソンナ|者《もの》に|従《つ》いて|歩《ある》いて|何《なに》になるか、チツトお|前《まへ》も|物《もの》の|道理《だうり》を|考《かんが》へて|利害得失《りがいとくしつ》を|弁《わきま》へたが|宜《よ》からうぞ、オホヽヽヽ』
|勘公《かんこう》『|皆《みな》さま、ソンナ|処《ところ》へ|腰《こし》|掛《か》けて|居《を》らずに、トツトとお|這入《はい》りなさいませ、|内《うち》はホラホラ|外《と》はスウスウぢや、|随分《ずゐぶん》|広《ひろ》い|間《ま》がありますよ』
|婆《ばば》『コレヤ、|勘公《かんこう》よ、|能《よ》う|勘考《かんかう》してものを|言《い》はぬかい、|主人《しゆじん》の|黒姫《くろひめ》にも|応《こた》へずに|僕《しもべ》の|分際《ぶんざい》として|勝手《かつて》にお|這入《はい》り|下《くだ》さいとはソレヤ|何《なに》を|言《い》ふのか、アンナ|者《もの》を|一緒《いつしよ》に|入《い》れたら|丸《まる》で|爆弾《ばくだん》を|詰《つ》めた|様《やう》なものぢや、|何処《どこ》から|破裂《はれつ》|致《いた》すやら|分《わか》つたものぢやないぞ』
|勘公《かんこう》『|爆弾《ばくだん》でも|何《なん》でも|宜《よ》いぢやありませぬか、|先方《むかう》の|爆弾《ばくだん》をソツと|此方《こちら》へ|占領《せんりやう》して|使《つか》ふのが|妙案《めうあん》|奇策《きさく》、|敵《てき》の|糧《かて》を|以《もつ》て|敵《てき》を|制《せい》する|六韜三略《りくたうさんりやく》の|兵法《へいはふ》で|御座《ござ》る、アハヽヽヽ』
|婆《ばば》『お|前《まへ》の|兵法《へいはふ》は|矢張《やつぱり》|屁《へ》の|様《やう》な|物《もの》だ、|匂《にほ》ひも|無《な》ければ|音《おと》もこたへず、|音公《おとこう》と|同《おな》じ|様《やう》な|掴《つか》まへ|所《どころ》の|無《な》い|人三化七《にんさんばけしち》ぢや』
|音公《おとこう》『これこれ、|黒姫《くろひめ》のチヤアチヤアさま、|音公《おとこう》の|様《やう》な|者《もの》とは、ソレヤ|何《なに》を|証拠《しようこ》に|言《い》ふのだ、チヤアチヤア|吐《ぬか》すと|量見《りやうけん》せぬぞ、|世界《せかい》|一目《ひとめ》に|見《み》え|透《す》く|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》ぢやぞと、|明《あ》けても|暮《く》れても|口癖《くちぐせ》の|様《やう》に|自慢《じまん》して|居《を》るが、|現在《げんざい》|足許《あしもと》に|居《を》る|此《この》|音《おと》さまを|誰《たれ》だと|思《おも》つて|居《を》るのか、|明《あ》き|盲目《めくら》だな、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|音彦司《おとひこつかさ》とは|此方《こなた》の|事《こと》だぞ』
|婆《ばば》『|音《おと》に|名高《なだか》い|音彦《おとひこ》の|宣伝使《せんでんし》と|言《い》ふのはお|前《まへ》の|事《こと》か、オツト、ドツコイ、|音《おと》に|聞《き》いた|程《ほど》も|無《な》い|見劣《み【おと】》りした|腰抜《こしぬ》け|野郎《やらう》だ、|水《みづ》の|中《なか》で【おと】した|屁《へ》の|様《さま》な|男《をとこ》(|音公《おとこう》)だな、|斯《こ》ンなガラクタ|男《をとこ》が|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だなぞと|本当《ほんたう》に【おと】ましい|哩《わい》、|生《うま》るる|時《とき》に|母親《ははおや》の|腹《はら》の|中《なか》で|肝腎《かんじん》な、|目《め》に|見《み》えぬものを【おと】して|来《き》た|様《やう》な|間抜《まぬ》けた|顔付《かほつき》をしよつて、|宣伝使《せんでんし》の|何《なん》のつて、|雪隠虫《せんちんむし》が|聞《き》いて|呆《あき》れますぞえ、|宣伝使《せんでんし》ぢや|無《の》うて|雪隠虫《せんちんむし》ぢやらう、オホヽヽヽ』
|音彦《おとひこ》『エー、|仕方《しかた》のない|剛情《がうじやう》な|婆《ばば》ばかりウラナイ|教《けう》には|寄《よ》つて|居《ゐ》やがるな』
|婆《ばば》『きまつた|事《こと》ぢや、お|前《まへ》も|余《よ》つ|程《ぽど》の|馬鹿《ばか》|人足《にんそく》だな、|今頃《いまごろ》に|瘧《おこり》が|落《お》ちた|様《やう》な|顔《かほ》しよつて、「|剛情《がうじやう》な|奴《やつ》ばかりウラナイ|教《けう》は|寄《よ》つて|居《ゐ》やがるな」なぞとソンナ|迂《うと》い|気《き》の|利《き》かぬ|事《こと》でウラナイ|教《けう》の|間者《かんじや》に|這入《はい》つたつて|何《なに》が|成功《せいこう》するものか、|此《この》|黒姫《くろひめ》は|此奴《こいつ》|一癖《ひとくせ》ある|間抜《まぬ》けだと|思《おも》つて、|知《し》らぬ|顔《かほ》で|居《を》れば|良《よ》い|気《き》になりよつて|何《なに》を|言《い》ふのだ、|貴様《きさま》の|面《つら》を|見《み》い、|世界一《せかいいち》の|大馬鹿者《おほばかもの》、|三五教《あななひけう》の|腰抜《こしぬ》け|野郎《やらう》と|貴様《きさま》の|寝《ね》てる|間《ま》に|此《この》|黒姫司《くろひめつかさ》が|墨《すみ》|黒々《くろぐろ》と|書《か》いて|置《お》いた、それも|知《し》らずに|偉相《えらさう》に|言《い》ふな、|鍋《なべ》の|尻《しり》の|様《やう》な|面《つら》になりよつて、お|前《まへ》も|余《よ》つ|程《ぽど》【くろう】|好《ず》きぢやと|見《み》える、「|心《こころ》からとて|吾《わが》|郷《さと》|離《はな》れ、|知《し》らぬ|他国《たこく》で|苦労《くらう》する」とはお|前《まへ》の|様《やう》な|馬鹿者《ばかもの》の|境遇《きやうぐう》を|剔抉《てつけつ》して|余蘊《ようん》なしだ、ホヽヽヽ、それに|付《つ》けても|青彦《あをひこ》の|奴《やつ》、|何《なん》の|態《ざま》ぢや、|日蔭《ひかげ》に|育《そだ》つた|瓢箪《へうたん》の|様《やう》な|面《つら》をして|結構《けつこう》なウラナイ|教《けう》の|神様《かみさま》に|屁《へ》をかがしたか、かかさぬか、…………ド|拍子《べうし》の|抜《ぬ》けたシヤツ|面《つら》を|此《この》|寒空《さむぞら》に|曝《さら》し、|瑞《みづ》の|霊《みたま》と|言《い》ふ|冷《つめ》たい|名《な》の|付《つ》いた|奴《やつ》の|教《をしへ》を|有難《ありがた》|相《さう》に|聞《き》きよつて、|蒟蒻《こんにやく》の|化物《ばけもの》の|様《やう》にビリビリ|慄《ふる》ひ|歩《ある》く|地震《ぢしん》の|化物《ばけもの》|奴《め》、チツと|胸《むね》に|手《て》を|当《あ》てて|自身《【じしん】》の|心《こころ》を|考《かんが》へて|見《み》よ』
|青彦《あをひこ》『|大《おほ》きに|憚《はばか》り|様《さま》、|何《ど》うせ|青彦《あをひこ》と|黒姫《くろひめ》は|名《な》からして|色彩《しきさい》が|違《ちが》ふから|反《そり》が|合《あひ》ませぬ|哩《わい》。|黒《くろ》い|黒《くろ》い|顔《かほ》に|石灰釜《いしばひがま》の|鼬《いたち》|見《み》たように、ドツサリと|白粉《おしろい》をコテコテ|塗《ぬ》りたて、|丸《まる》で|此処《ここ》にある|焼杭木《やけぼつくひ》に|雪《ゆき》が|積《つも》つた|様《やう》なものだ。|五十《ごじふ》の|尻《けつ》を|作《つく》りよつて|白髪《しらが》を|染《そ》めたり、|顔《かほ》を|塗《ぬ》つたりしたつて|皺《しわ》は|隠《かく》れはせぬぞ、|若《わか》い|者《もの》の|真似《まね》をして|若《わか》|相《さう》に|見《み》せ|様《やう》と|思《おも》つても|雪隠《せんちん》の|洪水《こうずゐ》で|糞《ばば》|浮《う》きぢや、|汚《きたな》いばかりぢや、|良《よ》い|加減《かげん》に|改心《かいしん》せぬかい』
|婆《ばば》『|俺《おれ》が|顔《かほ》に|白粉《おしろい》をつけて|居《を》るのが|何《なに》が|可笑《をか》しい、|何事《なにごと》も|隅《すみ》から|隅《すみ》まで|前《まへ》にも|気《き》をつけ【おしろい】にも|手《て》を|廻《まは》して|抜目《ぬけめ》の|無《な》い|教《をしへ》と|言《い》ふ|印《しるし》に|白粉《おしろい》をつけて|居《を》るのだ、|貴様《きさま》は|尾白《をしろ》い|狐《きつね》に|魅《つま》まれよつてウロウロと【うろ】ついてるのだな、|娑婆《しやば》|幽霊《いうれい》の|死損《しにぞこ》なひ|奴《め》が』
|青彦《あをひこ》『|娑婆《しやば》|幽霊《いうれい》の|死損《しにぞこ》なひとは|貴様《きさま》の|事《こと》だよ、|人生《じんせい》は|僅《わづ》か|五十年《ごじふねん》、|五十《ごじふ》の|坂《さか》を|越《こ》えよつて|白粉《おしろい》をつけて|〓《やつ》した|処《ところ》で|地獄《ぢごく》の|鬼《おに》は|惚《ほ》れては|呉《く》れはせぬぞ、|三途川《せうづがは》の|鬼婆《おにばば》の|姉妹《きやうだい》と|取《と》り|違《ちが》へられて、|冥土《めいど》に|行《い》つても|又《また》|大々的《だいだいてき》|排斥《はいせき》をせらるるのは|判《はん》を|捺《お》した|様《やう》なものだ、|本当《ほんたう》に|困《こま》つた|婆《ばば》だな、|執着心《しふちやくしん》の|強《つよ》い|粘着《ねんちやく》の|深《ふか》い、|着《つ》いたら|離《はな》れぬと|言《い》ふ|牛蝨《だに》の|様《やう》な|代物《しろもの》だ、|如何《どう》ぞして|結構《けつこう》な|三五教《あななひけう》に|救《すく》うてやり|度《た》いと|思《おも》つて|居《を》るのだが、もう|斯《か》うなりては|駄目《だめ》かな、|耳《みみ》は|蛸《たこ》になり|目《め》は|木《き》の|節穴《ふしあな》の|様《やう》に|硬化《かうくわ》して|仕舞《しま》ひ、|口《くち》ばつかり|無病《むびやう》|健全《けんぜん》と|言《い》ふ|代物《しろもの》だから、|如何《どう》しても|見込《みこ》みがつかぬ|哩《わい》』
|婆《ばば》『エー、ツベコベと|世迷《よま》ひ|言《ごと》を|能《よ》う|囀《さへづ》る|男《をとこ》だ、|初《はじ》めには|三五教《あななひけう》が|結構《けつこう》だと|言《い》つて|涙《なみだ》を|零《こぼ》し、|洟《はな》まで|垂《た》らして|有難《ありがた》がり、|次《つぎ》には|三五教《あななひけう》は|薩張《さつぱ》り|駄目《だめ》だ、|瑞《みづ》の|霊《みたま》の|不可解《ふかかい》な|行動《かうどう》が|腑《ふ》に|落《お》ちぬ、もうもう|愛想《あいさう》がつきた、|三五教《あななひけう》の【あ】の|字《じ》を|聞《き》いても|胸《むね》が|悪《わる》いと|言《い》ひよつて、|此《この》|黒姫《くろひめ》の|紹介《せうかい》でウラナイ|教《けう》にヤツと|拾《ひろ》ひ|上《あ》げ、もう|何《ど》うなり|斯《か》うなり|一人《ひとり》|歩《ある》きが|出来《でき》る|様《やう》になつたと|思《おも》へば|又《また》もや|変心病《へんしんびやう》を|出《だ》しよつて、「|矢張《やつぱ》りウラナイ|教《けう》は|駄目《だめ》だ、|先《せん》の|嬶《かかあ》は|嘘《うそ》はつかぬ|哩《わい》、|三五教《あななひけう》の|御神力《ごしんりき》が|強《つよ》い」と、|萍《うきぐさ》の|様《やう》な|心《こころ》になつて、|風《かぜ》が|東《ひがし》から|吹《ふ》けば|西《にし》に|漂《ただよ》ひ、|西《にし》から|吹《ふ》けば|東《ひがし》の|岸《きし》に|漂着《へうちやく》すると|言《い》ふ|漂着者《へうちやくもん》だ、ソンナ|事《こと》で|神様《かみさま》の|御蔭《おかげ》が|貰《もら》へるか、|終始一貫《しうしいつくわん》、|不変《ふへん》|不動《ふどう》、|岩《いは》をも|射抜《いぬ》く|梓弓《あづさゆみ》、|行《ゆ》きて|帰《かへ》らぬ|強《つよ》き|信仰《しんかう》を|以《もつ》て|神《かみ》に|仕《つか》ふるのが|万物《ばんぶつ》の|霊長《れいちやう》たる|人間《にんげん》の|意気《いき》だよ、|能《よ》うフラフラと|変《かは》る|瓢六玉《へうろくだま》だ、アヽ|可憐相《かはいさう》な|者《もの》だ、ヤア|哀《あはれ》なものだなア、オホヽヽヽ』
|青彦《あをひこ》『|何《なに》を|言《い》ひよるのだ、コラ|黒姫《くろひめ》、|貴様《きさま》だつて|三五教《あななひけう》は|結構《けつこう》だ、|広《ひろ》い|世界《せかい》にコンナ|誠《まこと》の|教《をしへ》があらうかと|言《い》ひよつて、|今迄《いままで》|信《しん》じて|居《ゐ》たバラモン|教《けう》を|弊履《へいり》を|捨《す》つるが|如《ごと》く|念頭《ねんとう》より|放棄《はうき》し、|今《いま》|又《また》ウラナイ|教《けう》の|高姫《たかひめ》の|参謀《さんぼう》になりよつたと|思《おも》つて、|偉相《えらさう》な|事《こと》を|言《い》ふない。お|猿《さる》の|尻笑《しりわら》ひと|言《い》ふのは|貴様《きさま》の|事《こと》ぢや、オヽそれそれ|猿《さる》で|思《おも》ひ|出《だ》した、|猿《さる》と|言《い》ふ|奴《やつ》はかく|事《こと》の|上手《じやうず》な|奴《やつ》ぢや、|貴様《きさま》は|高姫《たかひめ》の|筆先《ふでさき》だとか、|何《なん》とか|折《を》れ|釘《くぎ》の|行列《ぎやうれつ》の|様《やう》な、|柿《かき》の【へた】の|様《やう》なものを|毎日《まいにち》、|日《ひ》にち|写《うつ》しよつて、それを|唯一《ゆゐいつ》の|武器《ぶき》と|恃《たの》み、|鬼《おに》の|首《くび》を|篦《へら》でかき|切《き》つた|様《やう》な|心持《こころもち》になつて、|世界中《せかいぢう》の|誠《まこと》の|信者《しんじや》の|信仰《しんかう》をかき|廻《まは》すと|言《い》ふ、【さる】とはさるとは|困《こま》つた|代物《しろもの》だよ、|猿《さる》が|餅《もち》|搗《つ》くお|亀《かめ》がまぜると|言《い》ふ|事《こと》がある、コラ|猿婆《さるばば》|貴様《きさま》の|舌端《ぜつたん》に|火《ひ》を|吐《は》いて|言向《ことむ》け|和《やは》した|信者《しんじや》の|持《も》ち|場《ば》を、|青彦《あをひこ》の|宣伝使《せんでんし》が|之《これ》から【かき】|廻《まは》すのだから、マアマア|精《せい》|出《だ》して|活動《くわつどう》するが|良《よ》い|哩《わい》、|貴様《きさま》は|三五教《あななひけう》の|先走《さきばし》りだ、イヤ、もう|御苦労《ごくらう》のお|役《やく》だ、|霊魂《みたま》の|因縁《いんねん》に|依《よ》つて|悪《あく》の|御用《ごよう》に|廻《まは》されたと|思《おも》へば|寧《むし》ろお|気《き》の|毒《どく》に|堪《た》へぬワイ、アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|叶《かな》はぬから|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、アハヽヽヽ』
(大正一一・四・一六 旧三・二〇 北村隆光録)
第一九章 |文珠如来《もんじゆによらい》〔六〇九〕
ヤンチヤ|婆《ばば》アの|黒姫《くろひめ》は、|性来《しやうらい》の|聞《き》かぬ|気《き》を|極度《きよくど》に|発揮《はつき》し、|青彦《あをひこ》、|音彦《おとひこ》|其《その》|他《た》に|向《むか》つて|舌端《ぜつたん》|黒煙《こくえん》を|吐《は》き、|一人《ひとり》も|残《のこ》さず|紅蓮《ぐれん》の|焔《ほのほ》に|焼《や》き|尽《つく》さむと|凄《すさま》じき|勢《いきほひ》なり。
|黒姫《くろひめ》『コレコレ、|最前《さいぜん》から|其処《そこ》に、|男《をとこ》とも、|女《をんな》とも、|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|風《ふう》をして|居《ゐ》る|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|良《い》い|加減《かげん》に|此《この》|世《よ》に|暇乞《いとまご》ひをしても|悦子姫《よしこひめ》の|阿婆擦《あばず》れ|女《をんな》、|沢山《たくさん》の|荒男《あらをとこ》を|引《ひ》きつれて、|女王《ぢよわう》|気取《きど》りで、|傲然《ごうぜん》と|構《かま》へて|御座《ござ》るが、チト|此《この》|婆《ばば》アが|天地《てんち》の|根本《こつぽん》の|道理《だうり》を|噛《か》みて|啣《ふく》める|様《やう》に|言《い》ひ|聞《き》かしてやるから、ソンナ|蓑笠《みのかさ》をスツパリと|脱《ぬ》いで、|此処《ここ》へ|御座《ござ》れ、|滅多《めつた》にウラナイ|教《けう》の|為《ため》に|悪《わる》い|様《やう》な|事《こと》は|申《まを》さぬ。|問《と》ふは|当座《たうざ》の|恥《はぢ》、|知《し》らぬは|末代《まつだい》の|恥《はぢ》だ、|此《この》|山《やま》の|中《なか》で|結構《けつこう》な|神徳《しんとく》を|戴《いただ》いて、|又《また》|都会《ひろみ》へ|出《で》たら、|自分《じぶん》が|発明《はつめい》した|様《やう》に、|宣伝使面《せんでんしづら》を|提《さ》げて|歩《ある》かうと|儘《まま》ぢや。|何《なん》でも|聴《き》いて|置《お》けば|損《そん》は|往《ゆ》かぬ。サアサア|婆《ばば》アの|渋茶《しぶちや》でも|呑《の》みて、トツクリと|身魂《みたま》の|洗濯《せんたく》をしなされ。チツト|此《この》|頃《ごろ》はお|前《まへ》も|顔色《かほいろ》が|悪《わる》い。|此《この》|黒姫《くろひめ》が|脈《みやく》を|執《と》つて|上《あ》げよう。……どうやら|浮中沈《ふちうちん》、|七五三《しちごさん》の|脈膊《みやくはく》が|混乱《こんらん》して|居《ゐ》る|様《やう》ぢや、|今《いま》の|間《うち》に|療養《れうやう》せぬと、|丸気違《まるきちがひ》になつて|了《しま》ふぜ。|今《いま》でさへも|半気違《はんきちがひ》ぢや。|神霊《しんれい》|注射《ちうしや》を|行《や》つてあげようか。それが|利《き》かなくば、モルヒネ|注射《ちうしや》でもしてやらうかい。サアサア トツトと|前《まへ》へ|来《き》なさい』
|悦子姫《よしこひめ》『それはそれは、|何《なに》から|何《なに》まで|御心《おこころ》を|附《つ》けられまして、|御親切《ごしんせつ》|有難《ありがた》う|御座《ござ》います』
|黒姫《くろひめ》『|有難《ありがた》いか、ウラナイ|教《けう》は|親切《しんせつ》なものだらう。|頭《あたま》の|先《さき》から|足《あし》の|爪先《つまさき》、|神経《しんけい》|系統《けいとう》から|運動《うんどう》|機関《きくわん》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|食道《しよくだう》、|消化《せうくわ》|機関《きくわん》から|生殖器《せいしよくき》、|何《なに》から|何《なに》|迄《まで》、チヤンと|気《き》をつけて、|根本《こつぽん》から|説《と》き|明《あ》かし、|病《やまひ》の|根《ね》を|断《き》る|重宝《ちようほう》な|教《をしへ》ぢや。お|前《まへ》も|神経《しんけい》|中枢《ちうすう》に|多少《たせう》|異状《いじやう》があると|見《み》えて、|三五教《あななひけう》の|木花姫《このはなひめ》の|生宮《いきみや》の|様《やう》に、|女《をんな》だてら、|男《をとこ》の|風采《なり》をして、|男《をとこ》を|同伴《つら》つて、そこら|中《ぢう》を|歩《ある》きまはすのは、|普通《ひととほり》ではない。|此《この》|儘《まま》|放《ほ》つとくと、|巣鴨《すがも》|行《ゆき》をせなければならぬかも|知《し》れやしない。………サアサア|此《この》|黒姫《くろひめ》は|耆婆扁鵲《きばへんじやく》も|跣足《はだし》で|逃《に》げると|云《い》ふ|義理《ぎり》|堅《がた》い|義婆《ぎば》ぢや。|世間《せけん》の|奴《やつ》は|訳《わけ》も|知《し》らずに、|黒姫《くろひめ》を|何《なん》の|彼《かん》のと|申《まを》すけれども、|燕雀《えんじやく》|何《な》ンぞ|大鵬《たいほう》の|志《こころざし》を|知《し》らむやだ。|三千世界《さんぜんせかい》の|立替《たてかへ》|立直《たてなほ》しの|根本《こつぽん》を|探《さぐ》ると|云《い》ふ、|大望《たいまう》なウラナイ|教《けう》を、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|位《くらゐ》に|分《わか》つて|堪《たま》るものか。お|前《まへ》が|此処《ここ》へ|来《き》たのも、みなウラナイ|教《けう》を|守護《しゆご》し|給《たま》ふ、|尊《たふと》き|大神様《おほかみさま》の|御引合《おひきあは》せぢや。|躓《つまづ》く|石《いし》も|縁《えん》の|端《はし》と|言《い》つて、|世界《せかい》には|道《みち》を|歩《ある》いて|居《ゐ》ると、|沢山《たくさん》な|石《いし》が|転《ころ》がつて|居《ゐ》る。|其《その》|幾十万《いくじふまん》とも|知《し》れぬ|石《いし》の|中《うち》に、|躓《つまづ》く|石《いし》と|云《い》つたら、|僅《わづか》に|一《ひと》つか|二《ふた》つ|位《くらゐ》なものだよ。これも|因縁《いんねん》が|無《な》ければ|蹴躓《けつまづ》く|事《こと》も|出来《でき》なければ、|蹴躓《けつまづ》かれる|事《こと》も|出来《でき》やしない。|同《おな》じ|時代《じだい》に|生《うま》れ、|同《おな》じお|土《つち》の|上《うへ》に|居《を》つても、コンナ|結構《けつこう》なウラナイ|教《けう》を|知《し》らずに、|三五教《あななひけう》にとぼけて|一生《いつしやう》を|送《おく》る|様《やう》な|事《こと》は|本当《ほんたう》に|詰《つま》らぬぢやないか。|何事《なにごと》も|神様《かみさま》のお|引合《ひきあは》せ、|惟神《かむながら》の|御摂理《ごせつり》、|縁《えん》あればこそ、|斯《か》うしてお|前《まへ》は|此《この》|山《やま》の|奥《おく》に|踏《ふ》み|迷《まよ》ひ……イヤイヤ|神様《かみさま》に|引《ひ》つ|張《ぱ》られて|来《き》たのだ。|決《けつ》して|決《けつ》して|黒姫《くろひめ》の|我《が》で|云《い》うと|思《おも》つたら|量見《りやうけん》が|違《ちが》ひますデ、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまが|仰有《おつしや》るのだ。|今迄《いままで》|永《なが》らく|海《うみ》の|底《そこ》のお|住居《すまゐ》で、|沢山《たくさん》の|宝《たから》を|海《うみ》の|底《そこ》に|蓄《たくは》へて|居《を》られたのぢやが、|今度《こんど》|艮《うしとら》の|金神様《こんじんさま》が|世《よ》にお|上《あが》りなさるに|就《つい》て、|物質的《ぶつしつてき》の|宝《たから》よりも、|誠《まこと》の|宝《たから》が|良《よ》いと|云《い》つて、|五六七《みろく》|神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》の|為《ため》に、|惜《を》しげも|無《な》く|綺麗《きれい》サツパリと、|艮《うしとら》の|金神《こんじん》さまに|御渡《おわた》しなされると|云《い》ふ|段取《だんど》りぢや。|併《しか》し|人間《にんげん》は|誠《まこと》の|宝《たから》も|結構《けつこう》ぢやが、|肉体《にくたい》の|有《あ》る|限《かぎ》り、|家《いへ》も|建《た》てねばならず、|着物《きもの》も|着《き》ねばならず、|美味《うま》いものも|食《く》はねばならず、あいさには|酒《さけ》もチヨツピリ|飲《の》みたいと|云《い》ふ|代物《しろもの》だから、|形《かたち》のある|宝《たから》も|必要《ひつえう》ぢや。|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》は「この|世《よ》の|宝《たから》は、|錆《さび》び、|腐《くさ》り、|焼《や》け、|溺《おぼ》れ、|朽果《くちは》つる|宝《たから》だ、|無形《むけい》の|宝《たから》を|神《かみ》の|国《くに》に|積《つ》め」なぞと、|水《みづ》の|中《なか》で|屁《へ》を|放《こ》いた|様《やう》な|屁理屈《へりくつ》を|言《い》つて、|世界《せかい》の|奴《やつ》を|誤魔化《ごまくわ》して|居《ゐ》るが、お|前等《まへら》も|大方《おほかた》|其《その》|部類《くち》だらう……イヤ|其《その》|通《とほ》り|宣伝《せんでん》して|歩《ある》くのだらう。……|能《よ》う|考《かんが》へて|見《み》なされ。お|前《まへ》だつて|食《く》はず|飲《の》まずに、|内的《ないてき》|生活《せいくわつ》ばかり|主張《しゆちやう》して|居《を》つて、|堂《だう》して|神《かみ》の|道《みち》の|宣伝《せんでん》に|歩行《ある》けるか。これ|程《ほど》|分《わか》り|切《き》つた|現実《げんじつ》の|道理《だうり》を|無視《むし》すると|云《い》ふ|教《をしへ》はヤツパリ|邪教《じやけう》ぢや。|瑞霊《みづのみたま》の|吐《ぬか》す|事《こと》は、|概《がい》して|皆《みな》コンナものだ。|言《い》ふ|可《べ》くして|行《おこな》ふ|可《べか》らざる|教《をしへ》が|何《なに》になるものか。|体主霊従《たいしゆれいじう》と|霊主体従《れいしゆたいじう》の|正中《まんなか》を|言《い》ふのが|当世《たうせい》ぢや。|当世《たうせい》に|合《あは》ぬ|様《やう》な|教《をしへ》をしたつて|誰《たれ》が|聴《き》くものか。|神《かみ》の|清《きよ》き|御心《みこころ》に|合《あは》むとすれば、|暗黒《あんこく》なる|世《よ》の|人《ひと》の|心《こころ》に|合《あは》ず、|俗悪《ぞくあく》|世界《せかい》の|人《ひと》の|心《こころ》に|合《あは》むとすれば、|神《かみ》の|心《こころ》に|叶《かな》はず……なぞと|訳《わけ》の|分《わか》り|切《き》つた|小理屈《こりくつ》を、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|馬鹿神《ばかがみ》が|囀《さえづ》りよつて、|易《やす》きを|棄《す》て|難《かた》きに|就《つ》かむとする、|迂遠《うゑん》|極《きは》まる|盲信教《まうしんけう》だから、|根《ね》つから、|葉《は》つから、|羽《はね》が|生《は》えぬのぢや。ウラナイ|教《けう》は|斯《か》う|見《み》えても、|今《いま》は|雌伏《しふく》|時代《じだい》ぢや。|軍備《ぐんび》を|充実《じゆうじつ》した|上《うへ》で、|捲土重来《けんどぢうらい》、|回天動地《くわいてんどうち》の|大活動《だいくわつどう》を|演《えん》じ、それこそ|開《あ》いた|口《くち》が|塞《ふさ》がらぬ、|牛《うし》の|糞《くそ》が|天下《てんか》を|取《と》る、アンナ|者《もの》がコンナ|者《もの》になると|云《い》ふ|仕組《しぐみ》の|奥《おく》の|手《て》を|現《あら》はして、|天《てん》の|御三体《ごさんたい》の|大神様《おほかみさま》にお|目《め》にかける、|艮《うしとら》の|金神《こんじん》の|仕組《しぐみ》ぢや。|三五教《あななひけう》は|艮《うしとら》の|金神《こんじん》の|教《をしへ》を|樹《た》てとる|様《やう》な|顔《かほ》して|居《ゐ》るが、|本当《ほんたう》は|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|教《をしへ》が|九分九厘《くぶくりん》ぢや。|黒姫《くろひめ》はそれがズンとモウ|気《き》に|喰《く》はぬので、|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《ひつぽう》の|肉体《にくたい》の、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》を|力《ちから》と|頼《たの》み、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまの|生宮《いきみや》となつて、|外国《ぐわいこく》の|行方《やりかた》を、|隅《すみ》から|隅《すみ》|迄《まで》|調《しら》べあげて、|今度《こんど》の|天《あま》の|岩戸開《いはとびらき》に、|千騎一騎《せんきいつき》の|大活動《だいくわつどう》をするのぢや。お|前《まへ》も、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》と|云《い》ふ|事《こと》ぢやが、|名《な》はどうでもよい、お|三体《さんたい》の|大神様《おほかみさま》と|艮《うしとら》の|金神様《こんじんさま》の|御用《ごよう》を|聴《き》きさへすれば|宜《よ》いのだらう。サアサア|今日《けふ》|限《かぎ》り|化物《ばけもの》の|様《やう》な|奴《やつ》の|吐《ぬか》す|事《こと》を、|弊履《へいり》の|如《ごと》く|打棄《うちす》てて、|最勝最妙《さいしようさいめう》、|至貴《しき》|至尊《しそん》、|無限絶対《むげんぜつたい》、|無始無終《むしむしう》の|神徳《しんとく》|輝《かがや》く、ウラナイ|教《けう》に|兜《かぶと》を|脱《ぬ》いで、|迷夢《めいむ》を|醒《さ》まし、|綺麗《きれい》サツパリと|改心《かいしん》して、ウラナイ|教《けう》を|迷信《めいしん》なされ、|悪《わる》い|事《こと》は|申《まを》しませぬ、ギヤツハヽヽヽ』
|悦子姫《よしこひめ》『ホヽヽヽ、アハヽヽヽ、あのマア|黒姫《くろひめ》さまの|黒《くろ》い|口《くち》、……|妾《わたし》の|様《やう》な|口《くち》の|端《はた》に|乳《ちち》の|附《つ》いてる|様《やう》な|者《もの》では、|到底《たうてい》あなたの|舌鋒《ぜつぽう》に|向《むか》つて|太刀打《たちうち》は|出来《でき》ませぬ。あなたは|何時《いつ》|宣伝使《せんでんし》にお|成《な》りになりましたか、|随分《ずゐぶん》|円転滑脱《ゑんてんかつだつ》、|自由自在《じいうじざい》に|布留那《ふるな》の|弁《べん》、|懸河《けんが》の|論説《ろんせつ》|滔々《たうたう》として|瀑布《ばくふ》の|落《お》ちるが|如《ごと》くですナ』
|黒姫《くろひめ》『|定《きま》つた|事《こと》だよ。|入信《にふしん》してからまだ|十年《じふねん》にはならぬ。|夫《そ》れでも|此《この》|通《とほ》りの|雄弁家《ゆうべんか》だ、|是《こ》れには|素養《そやう》がある。|若《わか》い|時《とき》から|諸国《しよこく》を|遍歴《へんれき》して、|言霊《ことたま》を|練習《れんしふ》し、|唄《うた》であらうが、|浄瑠璃《じやうるり》であらうが、|浪花節《なにはぶし》であらうが、|音曲《おんきよく》と|云《い》ふ|音曲《おんきよく》は|残《のこ》らず|上達《じやうたつ》して|鍛《きた》へたのぢや。|千変万化《せんぺんばんくわ》、|自由自在《じいうじざい》の|口車《くちぐるま》、|十万馬力《じふまんばりき》を|掛《か》けた|輪転機《りんてんき》の|様《やう》に、|廻転《くわいてん》|自由自在《じいうじざい》ぢや、オホヽヽヽ』
|加米彦《かめひこ》『モシモシ|悦子姫《よしこひめ》さま、コンナ|婆《ばば》アに、|何時《いつ》までも|相手《あひて》になつとると、|日《ひ》が|暮《く》れますで、|一時《いちじ》も|早《はや》く|真名井ケ原《まなゐがはら》に|向《むか》ひませうか』
|悦子姫《よしこひめ》『アヽさうだ、|折角《せつかく》の|尊《たふと》いお|説教《せつけう》を|聞《き》かして|貰《もら》うて、お|名残《なごり》|惜《を》しいが、|先《さき》が|急《せ》きますから|此処《ここ》らで|御免《ごめん》|蒙《かうむ》りませうか』
|鬼虎《おにとら》『アーア、|最前《さいぜん》から|黙《だま》つて|聴《き》いて|居《を》れば、|随分《ずゐぶん》|能《よ》く|囀《さへづ》つたものだ。|一寸《ちよつと》|謂《い》はれを|聞《き》けば、|根《ね》つから|葉《は》つから|有難《ありがた》い|様《やう》だが、|執拗《しつこ》う|聞《き》けば、|向《むか》つ|腹《ぱら》が|立《た》つ……お|婆《ば》アさま、ゆつくり、|膝《ひざ》とも|談合《だんがふ》、|膝坊主《ひざばうず》でも|抱《かか》へて、|自然《しぜん》に|言霊《ことたま》の|停電《ていでん》するまで、|馬力《ばりき》をかけ、メートルを|上《あ》げなさい。アリヨース』
|黒姫《くろひめ》『|待《ま》つた|待《ま》つた、|大《おほ》いにアリヨースだ、|様子《やうす》あつて|此《この》|婆《ばば》アは、|此《この》|魔窟ケ原《まくつがはら》に|仮小屋《かりごや》を|拵《こしら》へ、お|前達《まへたち》の|来《く》るのを|待《ま》つて|居《ゐ》たのだ。|往《ゆ》くと|云《い》つたつて、|一寸《いつすん》だつて、|此《この》|婆《ばば》が、|是《こ》れと|睨《にら》みたら|動《うご》かすものか』
|鬼虎《おにとら》『まるで|蛇《へび》の|様《やう》な|奴《やつ》ぢやナア。|執念深《しふねんぶか》い……|何時《いつ》の|間《ま》にか、|俺達《おれたち》に|魅入《みい》れよつたのぢやナ』
|黒姫《くろひめ》『さうぢや、|魅《み》を|入《い》れたのぢや、お|前《まへ》もチツト|身入《みい》れて|聞《き》いたが|宜《よ》からう、|蛇《くちなは》に|狙《ねら》はれた|蛙《かへる》の|様《やう》なものぢや、|此処《ここ》を【かへる】と|云《い》つたつて、|帰《かへ》る|事《こと》の|出来《でき》ぬ|様《やう》に、チヤーンと|霊縛《れいばく》が|加《くは》へてある。|悪霊《あくれい》|注射《ちうしや》も|知《し》らず|識《し》らずの|間《あひだ》に、チヤアンと|行《や》つて|了《しま》うた。サア|動《うご》くなら|動《うご》いて|見《み》よれ』
|鬼虎《おにとら》『アハヽヽ、|何《なに》を|吐《ぬか》すのだ。|動《うご》けぬと|云《い》つたつて、|俺《おれ》の|体《からだ》を|動《うご》かすのは、|俺《おれ》の|自由《じいう》|権利《けんり》だ。……ソレ……どうだ。これでも|動《うご》かぬのか』
|黒姫《くろひめ》『それでも|動《うご》かぬぞ。お|前《まへ》が|今晩《こんばん》|真名井ケ原《まなゐがはら》に|着《つ》いて、|草臥《くたび》れて、|前後《ぜんご》も|知《し》らず、|寝《やす》ンだ|時《とき》は、ビクとも|体《からだ》を|動《うご》かぬ|様《やう》にしてやるワイ』
|鬼虎《おにとら》『アハヽヽヽ、|大方《おほかた》ソンナ|事《こと》ぢやろと|思《おも》うた。……ヤイヤイ|黒姫《くろひめ》、|三五教《あななひけう》は|起《お》きとる|人間《にんげん》を、|目《め》の|前《まへ》で|霊縛《れいばく》して|動《うご》けぬ|様《やう》にするのぢやぞ。|一《ひと》つやつてやらうか、……|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》……』
|黒姫《くろひめ》『|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|心地《ここち》よろづウ……ソラ|何《なに》を|言《い》ふのぢや、それぢやから|三五教《あななひけう》は|体主霊従《たいしゆれいじう》と|云《い》ふのぢや。|朝《あさ》から|晩《ばん》まで、|算盤《そろばん》はぢく|様《やう》に|数《かず》を|数《かぞ》へて、|一《いち》から|十《じふ》まで|千《せん》から|万《まん》まで……|取《と》り|込《こ》む|事《こと》につけては|抜目《ぬけめ》のない|教《をしへ》ぢや。|神《かみ》の|道《みち》は|無形《むけい》に|視《み》、|無算《むさん》に|数《かぞ》へ、|無声《むせい》に|聞《き》くと|云《い》ふのぢやないか、…|何《な》ンぢや、|小学校《せうがくかう》の|生徒《せいと》の|様《やう》に、|一《ひと》つ|二《ふた》つ|三《み》つと|勿体《もつたい》らしさうに、……ソンナことは、|三《み》つ|児《ご》でも|知《し》つてるワイ。……|大《おほ》きな|声《こゑ》を|出《だ》しよつて、アオウエイぢやの、カコクケキぢやのアタ|阿呆《あはう》らしい、|何《なに》を|吐《ぬか》すのぢやい……|白髪《しらが》を|蓬々《ぼうぼう》と|生《は》やしよつた|大《だい》の|男《をとこ》が|見《み》つともない、|桶伏山《をけぶせやま》の|上《うへ》へあがつて、イロハからの|勉強《べんきやう》ぢやと|云《い》ひよつてな、……|小学校《せうがくかう》の|生徒《せいと》が|笑《わら》うて|居《を》るのも|知《し》らぬのか、…|良《い》い|腰抜《こしぬけ》だなア、それよりも|天地《てんち》|根本《こつぽん》の|大先祖《おほせんぞ》の|因縁《いんねん》を|知《し》らずに|神《かみ》の|教《をしへ》が|樹《た》つものか、|三五教《あななひけう》の|様《やう》な|阿呆《あはう》ばつかりなら|宜《よ》いが、|世《よ》の|中《なか》には|三人《さんにん》や|五人《ごにん》、|目《め》の|開《あ》いた|人間《にんげん》も|無《な》いとは|謂《ゐ》はれぬ。|其《その》|時《とき》に、|昔《むかし》の|昔《むかし》のサル|昔《むかし》からの|因縁《いんねん》を|知《し》らずに、どうして|教《をしへ》が|出来《でき》るか、|馬鹿《ばか》も|良《い》い|加減《かげん》にしといたが|宜《よ》からう。|鎮魂《ちんこん》ぢや、|暗魂《あんこん》ぢやとか|云《い》ひよつて、|糞詰《ふんづま》りが|雪隠《せんち》へでも|行《い》つた|様《やう》に、ウンウンと|汗《あせ》をかきよつて、|何《なん》のザマぢやい、|尻《しり》の|穴《あな》が|詰《つま》つて|穴無《あなな》い|教《けう》と|云《い》ふのか、|阿呆《あはう》らしい、|進《すす》むばつかりの|行方《やりかた》で、|尻《しり》の|締《しま》りの|出来《でき》ぬ|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|紊《みだ》れた|教《をしへ》、|何《なに》が|夫《それ》|程《ほど》|有難《ありがた》いのぢや、|勿体《もつたい》ないのぢや、サア|鎮魂《ちんこん》とやらをかけるのなら、|懸《か》けて|見《み》い、……ソンナ|糞垂腰《ばばたれごし》で|鎮魂《ちんこん》が|掛《かか》つてたまるかイ。グヅグヅすると、|妾《わし》の|方《はう》から、|暗魂《あんこん》をかけてやらうか』
|加米彦《かめひこ》『ヤア|時刻《じこく》が|移《うつ》る、|婆《ば》アさま、|又《また》ゆつくりと、|後日《ごじつ》お|目《め》にかかりませう』
|黒姫《くろひめ》『|後日《ごじつ》お|目《め》にかからうと|云《い》つたつて、|一寸先《いつすんさき》は|闇《やみ》の|夜《よ》ぢや。|逢《あ》うた|時《とき》に|笠脱《かさぬ》げと|云《い》ふぢやないか、|此《この》|笠松《かさまつ》の|下《した》でスツクリと|改心《かいしん》して、|宣伝使《せんでんし》の|笠《かさ》を|脱《ぬ》ぎ、|蓑《みの》を|除《と》り、ウラナイ|教《けう》に|改悪《かいあく》しなさい。|一時《いつとき》も|早《はや》う|慢心《まんしん》をせぬと、|大峠《おほたうげ》が|出《で》て|来《き》た|時《とき》に|助《たす》けて|貰《もら》へぬぞや』
|加米彦《かめひこ》『アハヽヽヽ、オイ|婆《ば》アさま、お|前《まへ》さま|本気《ほんき》で|言《い》つてるのかい、お|前《まへ》の|言《い》ふ|事《こと》は|支離滅裂《しりめつれつ》、|雲煙《うんえん》|模糊《もこ》、|捕捉《ほそく》す|可《べか》らずだがナア』
|黒姫《くろひめ》『|定《きま》つた|事《こと》だイ、|広大無辺《くわうだいむへん》の|大神《おほかみ》の|生宮《いきみや》、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまのお|宿《やど》ぢや、|捕捉《ほそく》す|可《べか》らざるは|竜神《りうじん》の|本体《ほんたい》ぢや、お|前達《まへたち》の|様《やう》な|凡夫《ぼんぶ》が、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》の|尻尾《しつぽ》でも|捉《とら》へようと|思《おも》ふのが|誤《あやま》りぢや、ギヤツハヽヽヽ』
|音彦《おとひこ》『アヽ|是《こ》れは|是《こ》れは、|加米彦《かめひこ》さま、|久《ひさ》し|振《ぶり》ぢやつたナア』
|加米彦《かめひこ》『ヤア|聞覚《ききおぼ》えのある|声《こゑ》だが、……その|顔《かほ》はナンダ、|真黒《まつくろ》けぢやないか、|炭焼《すみやき》の|爺《ぢい》かと|思《おも》つて|居《ゐ》た、……|一体《いつたい》お|前《まへ》は|誰《たれ》だ』
|音彦《おとひこ》『|音彦《おとひこ》だよ、|北山村《きたやまむら》より|此《この》|婆《ばば》アの|後《あと》に|従《つ》いて、ドンナ|事《こと》をしよるかと|思《おも》つて、ウラナイ|教《けう》に|化《ば》け|込《こ》み|伴《つ》いて|来《き》たのだ。イヤモウ|言語道断《ごんごどうだん》、|表《おもて》は|立派《りつぱ》で、|中《なか》へ|這入《はい》ると、シヤツチもないものだ、|伏見《ふしみ》|人形《にんぎやう》の|様《やう》に、|表《おもて》ばつかり|飾《かざ》り|立《た》てよつて、|裏《うら》へ|這入《はい》ればサツパリぢや。|腹《はら》の|中《なか》はガラガラぢや。ウラナイ|教《けう》は|侮《あなど》る|可《べか》らざる|強敵《きやうてき》と|思《おも》つて|今日《けふ》|迄《まで》|細心《さいしん》の|注意《ちうい》を|怠《おこた》らなかつたが、|噂《うはさ》の|様《やう》にない|微弱《びじやく》なものぢや、|何程《なにほど》|高姫《たかひめ》や、|黒姫《くろひめ》が|車輪《しやりん》になつても、|最早《もはや》|前途《ぜんと》は|見《み》えて|居《を》る。|吾々《われわれ》もモウ|安心《あんしん》だ。|到底《たうてい》|歯牙《しが》に|掛《か》くるに|足《た》らない|教理《けうり》だから、わしもお|前《まへ》の|後《あと》に|伴《つ》いて、|今《いま》より|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》と|公然《こうぜん》|名乗《なの》つて|行《ゆ》く|事《こと》にしよう。|此《この》|婆《ば》アさまは、|如何《どう》しても|駄目《だめ》だ。|改心《かいしん》の|望《のぞ》みが|付《つ》かぬ、|縁《えん》なき|衆生《しゆじやう》は|済度《さいど》し|難《がた》し、……エー|可憐相《かはいさう》|乍《なが》ら、|見殺《みごろ》しかいなア』
|黒姫《くろひめ》『アーア|音彦《おとひこ》も|可憐相《かはいさう》なものだナア。|如何《どう》ぞして|誠《まこと》の|事《こと》を|聞《き》かしてやらうと|思《おも》ふのに、|魂《たましひ》が|痺《しび》れ|切《き》つて|居《を》るから、|食塩《しよくえん》|注射《ちうしや》|位《くらゐ》では|効験《かうけん》がない|哩《わい》、アーア|気《き》の|毒《どく》ぢや、いぢらしい|者《もの》ぢや……それに|付《つ》けても|青彦《あをひこ》の|奴《やつ》、|可憐相《かはいさう》で|堪《たま》らぬ。……コラコラ|青彦《あをひこ》モ|一遍《いつぺん》、|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|胸《むね》に|手《て》を|当《あ》てて|能《よ》う|省《かへり》みて、ウラナイ|教《けう》に|救《すく》はれると|云《い》ふ|気《き》はないか。|此《この》|婆《ばば》はお|前《まへ》の|行先《ゆくさき》が|案《あん》じられてならぬワイ』
|青彦《あをひこ》『アーア、|黒姫《くろひめ》|婆《ば》アさま、お|前《まへ》の|御親切《ごしんせつ》は|有難《ありがた》い、|併《しか》し|乍《なが》ら、|個人《こじん》としては|其《その》|親切《しんせつ》を|力一杯《ちからいつぱい》|感謝《かんしや》する、が、|主義《しゆぎ》|主張《しゆちやう》に|於《おい》ては、|全然《ぜんぜん》|反対《はんたい》ぢや、|人情《にんじやう》を|以《もつ》て|真理《しんり》を|曲《ま》げる|事《こと》は|出来《でき》ぬ、|真理《しんり》は|鉄《てつ》の|棒《ぼう》の|如《ごと》きもの、|曲《ま》げたり、ゆがめたり、|折《を》つたりは|出来《でき》ない、|公私《こうし》の|区別《くべつ》は|明《あきら》かにせなくては、|信仰《しんかう》の|真諦《しんたい》を|誤《あやま》るからナア、……|左様《さやう》なら…|御《ご》ゆるりと|御休《おやす》みなされませ、|私《わたくし》は|是《こ》れから、|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》のお|後《あと》を|慕《した》ひ、|一行《いつかう》|花々《はなばな》しく、|悪魔《あくま》の|征討《せいたう》に|向《むか》ひます。ウラナイ|教《けう》が|何程《なにほど》、シヤチになつても、|釣鐘《つりがね》に|蚊《か》が|襲撃《しふげき》する|様《やう》なものだ。|三五教《あななひけう》は|穴《あな》が|無《な》いから|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|水《みづ》も|洩《も》らさぬ|神《かみ》の|教《をしへ》、|御縁《ごえん》が|有《あ》つたら|又《また》お|目《め》に|掛《かか》りませう』
|黒姫《くろひめ》『アーア、|縁《えん》なき|衆生《しゆじやう》は|度《ど》し|難《がた》しか、……エー|仕方《しかた》がないワイ………ウラナイ|教《けう》|大明神《だいみやうじん》、|叶《かな》はぬから|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|叶《かな》はぬから|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、……ポンポン』
|魔窟ケ原《まくつがはら》の|黒姫《くろひめ》が |伏屋《ふせや》の|軒《のき》に|暇乞《いとまご》ひ
|日《ひ》は|西山《せいざん》に|傾《かたむ》いて |附近《あたり》を|陰《かげ》に|包《つつ》めども
|四方《よも》の|景色《けしき》は|悦子姫《よしこひめ》 |松《まつ》|吹《ふ》く|風《かぜ》の|音彦《おとひこ》や
|秋山彦《あきやまひこ》の|門番《もんばん》と |身《み》をやつしたる|加米彦《かめひこ》が
|顔《かほ》の|色《いろ》さへ|青彦《あをひこ》を |伴《とも》なひ|進《すす》む|九十九折《つくもをり》
|鬼《おに》の|棲処《すみか》と|聞《きこ》えたる |大江《おほえ》の|本城《ほんじやう》|左手《ゆんで》に|眺《なが》め
|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》、|岩《いは》、|市《いち》、|勘公《かんこう》|引連《ひきつ》れて さしも|嶮《けは》しき|坂路《さかみち》を
|喘《あへ》ぎ|喘《あへ》ぎて|登《のぼ》り|行《ゆ》く |地《ち》は|一面《いちめん》の|銀世界《ぎんせかい》
|脛《すね》を|没《ぼつ》する|雪路《ゆきみち》を |転《こ》けつ|転《まろ》びつ|汗水《あせみづ》を
|垂《た》らして|進《すす》む|岩戸口《いはとぐち》 |折柄《をりから》|吹《ふ》き|来《く》る|雪《ゆき》しばき
|面《おもて》を|向《む》くべき|由《よし》もなく |笠《かさ》を|翳《かざ》して|下《くだ》り|行《ゆ》く
|夜《よる》の|帳《とばり》はおろされて |遠音《とほね》に|響《ひび》く|波《なみ》の|音《おと》
|松《まつ》の|響《ひびき》も|成相《なりあひ》の |空《そら》|吹《ふ》き|渡《わた》る|天《あま》の|原《はら》
|天《あま》の|橋立《はしだて》|下《した》に|見《み》て |雪路《ゆきみち》|渉《わた》る|一行《いつかう》は
|勇気《ゆうき》|日頃《ひごろ》に|百倍《ひやくばい》し |気焔《きえん》|万丈《ばんぢやう》|止《と》め|度《ど》なく
|文珠《もんじゆ》の|切戸《きりど》に|着《つ》きにけり。
|青彦《あをひこ》『アーア、|日《ひ》も|暮《く》れたし、|前途《ぜんと》|遼遠《れうゑん》、|足《あし》も|良《よ》い|程《ほど》|疲労《くたび》れました。アヽ|文珠堂《もんじゆだう》の|中《なか》へ|這入《はい》つて|一夜《いちや》を|凌《しの》ぎ、|団子《だんご》でも|噛《かぢ》つて|休息《きうそく》|致《いた》しませうか』
|悦子姫《よしこひめ》『|何《いづ》れもさま|方《がた》、|随分《ずゐぶん》|御疲労《おつかれ》でせう。|青彦《あをひこ》さまの|仰有《おつしや》る|通《とほ》り、あのお|堂《だう》の|中《なか》で、|兎《と》も|角《かく》|休息《きうそく》|致《いた》しませうか』
|一同《いちどう》|此《この》|言葉《ことば》に『オウ』と|答《こた》へて、|急《いそ》ぎ|文珠堂《もんじゆだう》に|向《むか》つて|駆《か》けり|行《ゆ》く。
|鬼虎《おにとら》『ヤア|此処《ここ》へ|来《く》ると、|何時《いつ》やらの|事《こと》を|連想《れんさう》するワイ、|恰度《ちやうど》|今夜《こんや》の|様《やう》な|晩《ばん》ぢやつた。|此《この》|様《やう》に|雪《ゆき》は|積《つも》つて|居《を》らぬので、あたりは|真暗《まつくら》がり、|鬼雲彦《おにくもひこ》の|大将《たいしやう》の|命令《めいれい》に|依《よ》つて、あの|竜灯松《りうたうまつ》の|麓《ふもと》へ、|悦子姫《よしこひめ》さま|達《たち》を|召捕《めしとり》に|行《い》つた|時《とき》の|事《こと》を|思《おも》へば、|全然《まるで》|夢《ゆめ》のやうだ。|昨日《きのふ》の|敵《てき》は|今日《けふ》の|味方《みかた》、|天《あめ》が|下《した》に|敵《てき》と|云《い》ふ|者《もの》は|無《な》きものぞと、|三五教《あななひけう》の|御教《おんをしへ》、つくづくと|偲《しの》ばれます。|其《その》|時《とき》に|悦子姫《よしこひめ》さまに|霊縛《れいばく》をかけられた|時《とき》は、どうせうかと|思《おも》つた。|本当《ほんたう》に|貴女《あなた》も|随分《ずゐぶん》|悪戯好《いたづらずき》の|方《かた》でしたなア』
|悦子姫《よしこひめ》『ホヽヽヽヽ』
|鬼彦《おにひこ》『オイオイ|鬼虎《おにとら》、|貴様《きさま》はお|二人《ふたり》の|中央《まんなか》にドツカリ|坐《すわ》りよつて、|良《い》い|気《き》になつて|居《ゐ》たのだらう』
|鬼虎《おにとら》『|馬鹿《ばか》|言《い》へ、|何《なに》が|何《なん》だか、|柔《やはら》かいものの|上《うへ》に、ぶつ|倒《たふ》れて、|気分《きぶん》が|悪《わる》いの、|悪《わる》くないのつて、|何分《なにぶん》|正体《しやうたい》が|分《わか》らぬものだから、ホーズの|化物《ばけもの》が|出《で》たかと|思《おも》つて|気《き》が|気《き》ぢやなかつたよ、それに|就《つ》けても、|生者必滅《しやうじやひつめつ》|会者定離《ゑしやぢやうり》、|栄枯盛衰《ゑいこせいすゐ》、|有為転変《うゐてんぺん》の|世《よ》の|中《なか》|無常迅速《むじやうじんそく》の|感《かん》|愈《いよいよ》|深《ふか》しだ。|飛《と》ぶ|鳥《とり》も|落《おと》す|勢《いきほひ》の|鬼雲彦《おにくもひこ》の|御大将《おんたいしやう》は、|鬼武彦《おにたけひこ》の|為《ため》に|伊吹山《いぶきやま》に|遁走《とんそう》し、|吾々《われわれ》は|四天王《してんわう》と|呼《よ》ばれ、|随分《ずゐぶん》|羽振《はぶり》を|利《き》かした|者《もの》だが、|変《かは》れば|替《か》はる|世《よ》の|中《なか》だ。あの|時《とき》の|事《こと》を|思《おも》へば、|長者《ちやうじや》と|乞食《こじき》|程《ほど》の|懸隔《けんかく》がある。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|卵《たまご》になつて|悦子姫《よしこひめ》さまのお|供《とも》と|迄《まで》、|成《な》り|下《さが》つたのか、|成上《なりあ》がつたのか|知《し》らぬが、モ|一度《いちど》、あの|時《とき》の|四天王《してんわう》|振《ぶり》が|発揮《はつき》したい|様《やう》な|気《き》もせぬ|事《こと》はない。アーア|誠《まこと》の|道《みち》は|結構《けつこう》なものの、|辛《つら》いものだ。
あひ|見《み》ての|後《のち》の|心《こころ》に|比《くら》ぶれば |昔《むかし》は|物《もの》を|思《おも》はざりけり
だ。|善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|区別《くべつ》も|知《し》らず、|天下《てんか》を|吾物顔《わがものがほ》に、|利己主義《われよし》の|自由《じいう》|行動《かうどう》を|採《と》つた|時《とき》の|方《はう》が、|何程《なにほど》|愉快《ゆくわい》だつたか|知《し》れやしない、|吁《あゝ》、|併《しか》し|乍《なが》ら|人間《にんげん》は|天地《てんち》の|神《かみ》を|畏《おそ》れねばならぬ、|今《いま》の|苦労《くらう》は|末《すゑ》の|為《ため》だ。アーア コンナ|世迷言《よまひごと》はヨウマイ ヨウマイ。|神直日大直日《かむなほひおほなほひ》に……|神様《かみさま》、|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》して|下《くだ》さい。|私《わたくし》は|今日《こんにち》|限《かぎ》り、|今迄《いままで》の|繰言《くりごと》を|宣《の》り|直《なほ》します。アヽ、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|青彦《あをひこ》『|因縁《いんねん》と|云《い》ふものは|妙《めう》なものですな、|同《おな》じ|此《この》|竜灯《りうとう》の|松《まつ》の|下蔭《したかげ》に|於《おい》て、|捉《とら》へようとした|宣伝使《せんでんし》を|師匠《ししやう》と|仰《あふ》いで、お|伴《とも》をなさるのは、|反対《あべこべ》に|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》の|擒《とりこ》となつた|様《やう》なものだ。アハヽヽヽ、|吾々《われわれ》も|全《まつた》く|三五教《あななひけう》の|捕虜《ほりよ》になつて|了《しま》つた。それに|就《つ》けても、|執拗《しつえう》なのは|黒姫《くろひめ》ぢや、|何故《なぜ》あれ|程《ほど》|頑固《ぐわんこ》なか|知《し》らぬ、どうしても|彼奴《あいつ》ア|改心《かいしん》が|出来《でき》ぬと|見《み》えますなア』
|音彦《おとひこ》『|到底《たうてい》|駄目《だめ》でせう。|私《わたくし》もフサの|国《くに》の|北山《きたやま》のウラナイ|教《けう》の|本山《ほんざん》へ、|信者《しんじや》となり|化《ば》け|込《こ》みて、|内《うち》の|様子《やうす》を|探《さぐ》つて|見《み》れば、|何《ど》れも|此《こ》れも|盲《めくら》と|聾《つんぼ》ばつかり、|桶屋《をけや》さまぢやないが、|【輪変】吾善《わがへわがへ》と|思《おも》つてる|奴《やつ》ばつかり、|中《なか》にも|蠑〓別《いもりわけ》だの、|魔我彦《まがひこ》だのと|云《い》ふ|奴《やつ》は、|素的《すてき》に|頑固《ぐわんこ》な|分《わか》らぬ|屋《や》だ。|高姫《たかひめ》|黒姫《くろひめ》と|来《き》たら、|酢《す》でも|蒟蒻《こんにやく》でもいく|奴《やつ》ぢやない。どうかして|帰順《きじゆん》さしたいと|思《おも》ひ、|千辛万苦《せんしんばんく》の|結果《けつくわ》、|黒姫《くろひめ》の|荷持役《にもちやく》とまで|漕《こ》ぎつけ、|遥々《はるばる》と|自転倒島《おのころじま》まで|従《つ》いて|来《き》て、|折《をり》に|触《ふ》れ|物《もの》に|接《せつ》し、チヨイチヨイと|注意《ちうい》を|与《あた》へたが、|元来《ぐわんらい》が|精神上《せいしんじやう》の|盲《めくら》|聾《つんぼ》だから、|如何《いかん》ともする|事《こと》が|出来《でき》ない。|私《わたし》も|加米彦《かめひこ》さまに|会《あ》うたのを|限《きり》として、|此処迄《ここまで》|来《き》たのだが、|随分《ずゐぶん》ウラナイ|教《けう》は|頑固者《ぐわんこもの》の|寄合《よりあひ》ですよ』
|加米彦《かめひこ》『フサの|国《くに》で、あなたが|宣伝《せんでん》をして|居《を》られた|時《とき》、|酒《さけ》を|飲《の》むな|酒《さけ》を|飲《の》むなと|厳《きび》しい|御説教《ごせつけう》、|私《わたし》はムカついて、お|前《まへ》サンの|横面《よこづら》を、|七《なな》つ|八《や》つ|擲《なぐ》つた。|其《その》|時《とき》にお|前《まへ》サンは、|痛《いた》さを|堪《こら》へて、ニコニコと|笑《わら》ひ、|禁酒《きんしゆ》の|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》うて|御座《ござ》つた、その|熱心《ねつしん》に|感《かん》じ、|三五教《あななひけう》を|信《しん》じて、|村中《むらぢう》に|弘《ひろ》めて|居《を》つた|処《ところ》、バラモン|教《けう》の|捕手《とりて》の|奴等《やつら》に|嗅付《かぎつ》けられ、|可愛《かはい》い|妻子《つまこ》を|捨《す》てて、|夜昼《よるひる》なしに、トントントンと|東《ひがし》を|指《さ》して|駆出《かけだ》し、|月《つき》の|国《くに》まで|来《き》て|見《み》れば、|此処《ここ》にもバラモン|教《けう》の|勢力《せいりよく》|盛《さか》ンにして、|居《を》る|事《こと》が|出来《でき》ず、|西蔵《チベツト》を|越《こ》え、|蒙古《もうこ》に|渡《わた》り、|天《あめ》の|真名井《まなゐ》を|横断《よこぎ》つて|暴風《ばうふう》に|遭《あ》ひ、|船《ふね》は|沈《しづ》み、|底《そこ》の|藻屑《もくづ》となつたと|思《おも》ひきや、|気《き》が|附《つ》けば|由良《ゆら》の|湊《みなと》に|真裸《まつぱだか》の|儘《まま》|横《よこ》たはり、|火《ひ》を|焚《た》いて|焙《あぶ》られて|居《ゐ》た。「アーア|世界《せかい》に|鬼《おに》は|無《な》い、|何処《どこ》の|何方《どなた》か|知《し》りませぬが、|生命《いのち》を|御助《おたす》け|下《くだ》さいまして|有難《ありがた》う」と|御礼《おれい》を|申《まを》し|見《み》れば|秋山彦《あきやまひこ》の|御大将《おんたいしやう》、|生命《いのち》を|拾《ひろ》つて|貰《もら》うた|恩返《おんがへ》しに、|門番《もんばん》となり、|馬鹿《ばか》に|成《な》りすまし|勤《つと》めて|来《き》たが、|人間《にんげん》の|身《み》は|変《かは》れば|替《か》はるものぢや、|世界《せかい》は|広《ひろ》い|様《やう》なものの|狭《せま》いものぢや。フサの|国《くに》で、あなたを|虐待《ぎやくたい》した|私《わたくし》が、|又《また》あの|様《やう》な|破《やぶ》れ|小屋《ごや》でお|目《め》にかからうとは|神《かみ》ならぬ|身《み》の|計《はか》り|知《し》られぬ|人《ひと》の|運命《うんめい》だ…………アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|三五教《あななひけう》の|大神様《おほかみさま》|有難《ありがた》う|御座《ござ》います、|川《かは》の|流《なが》れと|人《ひと》の|行末《ゆくすゑ》、|何事《なにごと》も|皆《みな》|貴神《あなた》の|御自由《ごじいう》で|御座《ござ》います。どうぞ|前途《ぜんと》|幸福《かうふく》に、|無事《ぶじ》|神業《しんげふ》に|参加《さんか》|出来《でき》まする|様《やう》、|特別《とくべつ》の|御恩寵《ごおんちやう》を|垂《た》れさせ|給《たま》はむ|事《こと》を|偏《ひとへ》に|希《こひねが》ひ|上《あ》げ|奉《たてまつ》ります』
|悦子姫《よしこひめ》『サアサア|皆《みな》さま、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》|致《いた》しませう』
|一同《いちどう》は『オウ』と|答《こた》へ、|声《こゑ》も|涼《すず》しく|奏上《そうじやう》し|終《をは》る。
|悦子姫《よしこひめ》『サア|皆《みな》さま、|坊主《ばうず》は|経《きやう》が|大事《だいじ》、|吾々《われわれ》は|又《また》|明日《あす》が|大切《だいじ》だ。ゆつくりとお|休《やす》みなされませ。|妾《わたし》は|皆《みな》さまの|安眠《あんみん》を|守《まも》る|為《ため》、|今晩《こんばん》は|不寝番《ねずのばん》を|勤《つと》めませう』
|鬼虎《おにとら》『ヤア|滅相《めつさう》な、あなたは|吾々《われわれ》|一同《いちどう》の|為《ため》には|御大将《おんたいしやう》だ。|不寝番《ねずのばん》は|此《この》|鬼虎《おにとら》が|仕《つかまつ》りませう。どうぞお|休《やす》み|下《くだ》さいませ』
|悦子姫《よしこひめ》『さうかナ、|鬼虎《おにとら》さまに|今晩《こんばん》は|御苦労《ごくらう》にならうか』
と|蓑《みの》を|纒《まと》うた|儘《まま》、|静《しづ》かに|横《よこ》たはる。|一同《いちどう》は|思《おも》ひ|思《おも》ひに|横《よこ》になり、|忽《たちま》ち|鼾声《かんせい》|雷《らい》の|如《ごと》く|四辺《あたり》の|空気《くうき》を|動揺《どうえう》させつつ、|華胥《くわしよ》の|国《くに》に|入《い》る。|鬼虎《おにとら》は|不寝番《ねずのばん》の|退屈《たいくつ》|紛《まぎ》れに|雪路《ゆきぢ》をノソノソと|歩《ある》き|出《だ》し、|何時《いつ》の|間《ま》にやら、|竜灯《りうとう》の|松《まつ》の|根元《ねもと》に|着《つ》き、ふつと|気《き》が|付《つ》き、
『あゝ|此処《ここ》だ|此処《ここ》だ、|悦子姫《よしこひめ》に|霊縛《れいばく》をかけられた|古戦場《こせんじやう》だ。|折《をり》から|火光《くわくわう》|天《てん》を|焦《こが》して|竜灯《りうとう》の|松《まつ》を|目蒐《めが》けて、ブーンブーンと|唸《うな》りを|立《た》てて|遣《や》つて|来《き》た|時《とき》の|凄《すさま》じさ、|今《いま》|思《おも》つても|竦然《ぞつ》とするワイ。あれは|一体《いつたい》|何《なん》の|火《ひ》だらう。|人《ひと》の|能《よ》く|言《い》ふ|鬼火《おにび》では|有《あ》るまいか。|鬼虎《おにとら》が|居《を》ると|思《おも》つて、|鬼火《おにび》の|奴《やつ》、|握手《あくしゆ》でもせうと|思《おも》ひよつたのかナア。|霊魂《みたま》もお|肉体《にくたい》もあの|時《とき》はビリビリのブルブルぢやつた。どうやら|空《そら》の|様子《やうす》が|可笑《をか》しいぞ、|真黒《まつくろ》けの|鬼《おに》が|東北《とうほく》の|天《てん》に|渦巻《うづま》き|始《はじ》めた。|今度《こんど》こそ|遣《や》つて|来《き》よつた|位《くらゐ》なら、|一《ひと》つ|奮戦《ふんせん》|激闘《げきとう》、|正体《しやうたい》を|見届《みとど》けてやらねばなるまい。|是《こ》れが|宣伝使《せんでんし》の|肝試《きもだめ》しだ。オーイ、オイ、|鬼火《おにび》の|奴《やつ》、|鬼虎《おにとら》さまの|御出張《ごしゆつちやう》だ、|三五教《あななひけう》の|俄宣伝使《にはかせんでんし》|鬼虎《おにとら》の|命《みこと》|此処《ここ》に|在《あ》り、|得体《えたい》の|知《し》れぬ|火玉《ひだま》となつて|現《あら》はれ|来《く》る|鬼火《おにび》の|命《みこと》に|対面《たいめん》せむ』
とお|山《やま》の|大将《たいしやう》|俺《おれ》|一人《ひとり》|気取《きどり》になつて、|雪《ゆき》の|中《なか》に|呶鳴《どな》つて|居《ゐ》る。|忽《たちま》ち|一道《いちだう》の|火光《くわくわう》、|天《てん》の|一方《いつぱう》に|閃《ひらめ》き|始《はじ》めた。
『ヤア|天晴々々《あつぱれあつぱれ》、|噂《うはさ》をすれば|影《かげ》とやら、|呼《よ》ぶより|譏《そし》れとは|此《この》|事《こと》だ。|鬼虎《おにとら》の|言霊《ことたま》は、マアざつと|斯《か》くの|通《とほ》りぢや。|一声《いつせい》|風雲《ふううん》を|捲《ま》き|起《おこ》し、|一音天火《いちおんてんび》を|喚起《よびおこ》す。|斯《か》うなつては|天晴《あつぱ》れ|一人前《いちにんまへ》のネツトプライス、チヤキチヤキの|宣伝使《せんでんし》ぢや、イザ|来《こ》い|来《きた》れ、|天火命《てんびのみこと》、|此《この》|鬼虎《おにとら》が|獅子奮迅《ししふんじん》の|活動振《くわつどうぶ》り……イヤサ|厳《いづ》の|雄猛《をたけ》び|踏《ふ》み|健《たけ》び|御覧《ごらん》に|入《い》れむ』
|言下《げんか》に|東北《とうほく》の|天《てん》に|現《あら》はれたる|火光《くわくわう》は、|巨大《きよだい》なる|火団《くわだん》となりて、|中空《ちうくう》を|掠《かす》め、|四辺《あたり》を|照《てら》し、|竜灯《りうとう》の|松《まつ》|目蒐《めが》けて|下《くだ》り|来《く》る。
|鬼虎《おにとら》『ヨウ|大分《だいぶ》に|張込《はりこ》みよつたな、|此《この》|間《あひだ》の|奴《やつ》の|事《こと》|思《おも》へば、|余程《よほど》ネオ|的《てき》だとみえる。|容積《ようせき》に|於《おい》て、|光沢《くわうたく》に|於《おい》て|天下一品《てんかいつぴん》だ……|否《いな》|天上《てんじやう》|一品《いつぴん》だ。サア|是《こ》れから|腹帯《はらおび》でもシツカリ|締《しめ》て、|捻鉢巻《ねぢはちまき》でも|致《いた》さうかい、|腹《はら》の|帯《おび》が|緩《ゆる》むとまさかの|時《とき》に|忍耐《こば》れぬぞよと、|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》が|仰有《おつしや》つた。サアサア|鬼虎《おにとら》さまの|肝玉《きもだま》が|大《おほ》きいか、|天火《てんび》の|命《みこと》の|火《ひ》の|玉《たま》が|大《おほ》きいか、|大《おほ》きさ|比《くら》べぢや』
|火団《くわだん》は|竜灯《りうとう》の|松《まつ》を|中心《ちうしん》に、|円《ゑん》を|描《ゑが》き、|地上《ちじやう》|五六尺《ごろくしやく》の|所《ところ》まで|下《くだ》り|来《きた》り、ブーンブーンと|唸《うな》りを|立《た》て、ジヤイロコンパスの|様《やう》に、|急速度《きふそくど》を|以《もつ》てクルクルと|回転《くわいてん》し|居《ゐ》たり。
|鬼虎《おにとら》『ヤイヤイ|火《ひ》の|玉《たま》、|何時《いつ》までも|宙《ちう》にぶら|下《さ》がつて|居《ゐ》るのは、チツト、ノンセンスだないか、|良《い》い|加減《かげん》に|正体《しやうたい》を|現《あら》はし、|此《この》|方《はう》さまと|握手《あくしゆ》をしたらどうだい。お|前《まへ》は|天《てん》の|鬼火命《おにびのみこと》、|俺《おれ》は|地《ち》の|鬼虎命《おにとらのみこと》だ、|天地《てんち》|合体《がつたい》|和合《わがふ》|一致《いつち》して、|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せうではないか。|是《こ》れからは|火《ひ》の|出《で》の|守護《しゆご》になるのだから、|貴様《きさま》のやうな|奴《やつ》は|時代《じだい》に|匹敵《ひつてき》した|代物《しろもの》だ……イヤ|無《な》くて|叶《かな》はぬ|人物《じんぶつ》だ。サアサア|早《はや》く、|天《てん》と|地《ち》との|障壁《しやうへき》を|打破《だは》して、|開放的《かいはうてき》にならぬかい。お|前《まへ》と|俺《おれ》と|互《たがひ》にハーモニーすれば、ドンナ|事《こと》でも|天下《てんか》に|成《な》らざるなしだ』
|火団《くわだん》は|忽《たちま》ち|掻《か》き|消《け》す|如《ごと》く、|姿《すがた》を|隠《かく》しけるが、|鬼虎《おにとら》の|前《まへ》に|忽然《こつぜん》として|現《あら》はれた|白面《はくめん》|白衣《びやくい》のうら|若《わか》き|美女《びぢよ》、|紅《くれなゐ》の|唇《くちびる》を|開《ひら》き、
『ホヽヽヽヽ、お|前《まへ》は|鬼虎《おにとら》さまか、ようマア|無事《ぶじ》で|居《ゐ》て|下《くだ》さつたナア』
|鬼虎《おにとら》『|何《なん》ぢやア、|見《み》た|事《こと》も|無《な》い、|雪《ゆき》ン|婆《ば》アの|様《やう》な|真白《まつしろ》けの|美人《びじん》に|化《ば》けよつて、|雪《ゆき》に|白鷺《しらさぎ》が|下《お》りた|様《やう》に、|白《しろ》い|処《ところ》へ|白《しろ》い|者《もの》、|一寸《ちよつと》|見当《けんたう》の|取《と》れぬ|代物《しろもの》だナア。|俺《おれ》を|知《し》つて|居《ゐ》るとは|一体《いつたい》どうした|訳《わけ》だ、|俺《おれ》は|生《うま》れてから、お|前《まへ》の|様《やう》な|美人《びじん》に|会《あ》つた|事《こと》は|一度《いちど》も|無《な》い、|何時《いつ》|見《み》て|居《を》つたのだ』
『ホヽヽヽヽ、モウ|忘《わす》れなさつたのかいなア、|覚《おぼ》えの|悪《わる》い|此方《こち》の|人《ひと》、お|前《まへ》は|今《いま》から|五十六億《ごじふろくおく》|七千万年《しちせんまんねん》のツイ|昔《むかし》、|妾《わらは》が|文珠《もんじゆ》|菩薩《ぼさつ》と|現《あら》はれて、|此《この》|切戸《きりど》に|些《ささ》やかな|家《いへ》を|作《つく》り、|一人住居《ひとりずまゐ》をして|居《を》つた|所《ところ》へ、|年《とし》も|二八《にはち》の|優姿《やさすがた》、|在原《ありはら》の|業平朝臣《なりひらあそん》の|様《やう》な、|綺麗《きれい》な|顔《かほ》をして|烏帽子《ゑぼし》|直垂《ひたたれ》で、|此処《ここ》を|御通《おとほ》り|遊《あそ》ばしただらう。|其《その》|時《とき》に|妾《わらは》は|物書《ものか》きをして|居《を》つたが、|何《なん》だか|香《かん》ばしき|匂《にほ》ひがすると|思《おも》つて、|窓《まど》から|覗《のぞ》けば、|絵《ゑ》にある|様《やう》な|殿御《とのご》のお|姿《すがた》、ホヽヽヽヽおお|恥《はづか》し……|其《その》|一刹那《いちせつな》に|互《たがひ》に|見合《みあは》す|顔《かほ》と|顔《かほ》、お|前《まへ》の|涼《すず》しい……|彼《あ》の|時《とき》の|眼《め》、|何百年《なんびやくねん》|経《た》つても|忘《わす》られようか、|妾《わらは》が|目《め》の|電波《でんぱ》は|直射的《ちよくしやてき》にお|前《まへ》の|目《め》に|送《おく》られた。お|前《まへ》も|亦《また》「オウ」とも|何《なん》とも|言《い》はずに、|電波《でんぱ》を|返《かへ》した……。あの|時《とき》のローマンスをモウお|前《まへ》は|忘《わす》れたのかいなア。エーエ|変《か》はり|易《やす》きは|殿御《とのご》の|心《こころ》、|桜《さくら》の|花《はな》ぢやないが、|最早《もはや》お|前《まへ》の|心《こころ》の|枝《えだ》から、|花《はな》は|嵐《あらし》に|打《う》たれて|散《ち》つたのかい……、アーア|残念《ざんねん》や、|口惜《くちを》しや、|男心《をとこごころ》と|秋《あき》の|空《そら》、|妾《わらは》は|神《かみ》や|仏《ほとけ》に|心願《しんぐわん》|掛《か》けて、やつと|思《おも》ひの|叶《かな》うた|時《とき》は、|時《とき》ならぬ|顔《かほ》に|紅葉《もみぢ》を|散《ち》らした|哩《わい》なア、オホヽヽヽ、|恥《はづか》しやなア』
|鬼虎《おにとら》『さう|言《い》へば、ソンナ|気《き》もせぬでも|無《な》いやうだ。|何分《なにぶん》|色男《いろをとこ》に|生《うま》れたものだから、お|門《かど》が|広《ひろ》いので、スツカリ|心《こころ》の|中《なか》からお|前《まへ》の|記憶《きおく》を|磨滅《まめつ》して|居《ゐ》たのだ。|必《かなら》ず|必《かなら》ず|気強《きづよ》い|男《をとこ》と|恨《うら》めて|呉《く》れな。|是《こ》れでも|血《ち》も|有《あ》り、|涙《なみだ》も|有《あ》る。|物《もの》の|哀《あは》れは|百《ひやく》も|承知《しようち》、|千《せん》も|合点《がてん》だ。サア|是《こ》れから|互《たがひ》に|手《て》に|手《て》を|取《とり》かはし、|死《し》なば|諸共《もろとも》、|三途《せうづ》の|川《かは》や|死出《しで》の|山《やま》、|蓮《はす》の|台《うてな》に|一蓮托生《いちれんたくしやう》、|弥勒《みろく》の|代《よ》までも|楽《たのし》みませう』
|女《をんな》『ホヽヽヽ、|好《す》かぬたらしいお|方《かた》、|誰《たれ》がオ|前《まへ》の|様《やう》な|山葵卸《わさびおろし》の|様《やう》な|剽男《ひよつとこ》|野郎《やらう》に|心中立《しんぢうだて》するものかいナ。|妾《わらは》は|今《いま》|其処《そこ》に、|天《てん》から|下《お》りて|御座《ござ》つた|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》にお|話《はなし》をしとるのだよ。|良《よ》い|気《き》になつて、お|前《まへ》が|話《はなし》の|横取《よこど》りをして、|色男《いろをとこ》|気取《きど》りになつて……|可笑《をか》しいワ、ホヽヽヽ』
|鬼虎《おにとら》『エーツ|何《なん》の|事《こと》だ。|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にしよるな、まるで|夢《ゆめ》のやうな|話《はなし》だワイ』
|女《をんな》『ホヽヽヽ、|夢《ゆめ》になりとも|会《あ》ひたいと|云《い》ふぢやないか。|妾《わし》の|様《やう》な|女神《めがみ》を|掴《つか》まへて、スヰートハートせうとは、|身分《みぶん》|不相応《ふさうおう》ですよ。|馬《うま》は|馬《うま》|連《づ》れ、|牛《うし》は|牛《うし》|連《づ》れ、|烏《からす》の|女房《にようばう》はヤツパリ|烏《からす》ぢや。|此《この》|雪《ゆき》の|降《ふ》つた|白《しろ》い|世界《せかい》に|烏《からす》の|下《お》りたよな|黒《くろ》い|男《をとこ》を、|誰《たれ》がラブする|物好《ものずき》があるものか。|自惚《うぬぼれ》も|程々《ほどほど》になさいませ。オツホヽヽヽ、おかしいワ……』
|鬼虎《おにとら》『エー|馬鹿《ばか》にするな、|俺《おれ》を|何《なん》と|思《おも》つて|居《ゐ》る。|大江山《おほえやま》の|鬼雲彦《おにくもひこ》が|四天王《してんわう》と|呼《よ》ばれたる、|剛力《がうりき》|無双《むさう》のジヤンヂヤチツクのジヤンジヤ|馬《うま》、|鬼虎《おにとら》さまとは|俺《おれ》の|事《こと》だよ。|繊弱《かよわ》き|女《をんな》の|分際《ぶんざい》として、|暴言《ばうげん》を|吐《は》くにも|程《ほど》が|有《あ》る。サアもう|量見《りやうけん》ならぬ。この|蠑螺《さざえ》の|壺焼《つぼやき》を|喰《く》つて|斃《くた》ばれ』
と|力《ちから》|限《かぎ》りに、ウンと|斗《ばか》り|擲《なぐ》り|付《つ》けたり。
|悦子姫《よしこひめ》『アイタタタ…|誰《たれ》だイ、|人《ひと》が|休眠《やす》みてるのに、……|力《ちから》|一杯《いつぱい》|頭《あたま》を|擲《な》ぐるとはあまりぢやありませぬか』
|鬼虎《おにとら》『ヤア、|済《す》みませぬ。|悦子姫《よしこひめ》さまで|御座《ござ》いましたか。ツイ|別嬪《べつぴん》に|翫弄《おもちや》にしられた|夢《ゆめ》を|見《み》まして、|力《ちから》|一杯《いつぱい》|擲《なぐ》つたと|思《おも》へば、|貴女《あなた》で|御座《ござ》いましたか。ヤア|誠《まこと》に|済《す》まぬ|事《こと》を|致《いた》しました。|真平《まつぴら》|御免《ごめん》|下《くだ》さいませ。|決《けつ》して|決《けつ》して、|悪気《わるぎ》でやつたのぢや|御座《ござ》いませぬ』
|悦子姫《よしこひめ》『ホヽヽヽ、|三五教《あななひけう》に|這入《はい》つても、ヤツパリ|美人《びじん》の|事《こと》は|忘《わす》れられませぬなア』
|鬼虎《おにとら》『ヤアもう|申訳《まをしわけ》も|御座《ござ》いませぬ。|世《よ》の|中《なか》に|女《をんな》がなくては、|人間《にんげん》の|種《たね》が|絶《た》えまする。|日《ひ》の|出神《でのかみ》も|素盞嗚尊《すさのをのみこと》も、|世界《せかい》の|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》は、みな|女《をんな》から|生《うま》れたのです。
|故郷《ふるさと》の|穴太《あなを》の|少《すこ》し|上小口《うへこぐち》 ただぼうぼうと|生《は》えし|叢《くさむら》
とか|申《まを》しまして、|女《をんな》|位《くらゐ》、|夢《ゆめ》に|見《み》ても|気分《きぶん》の|良《よ》い|者《もの》は|有《あ》りませぬワ、アハヽヽヽ』
|鬼彦《おにひこ》『ナヽ|何《な》ンぢや、|夜《よる》の|夜中《よなか》に|大《おほ》きな|声《こゑ》で|笑《わら》ひよつて、|良《よ》い|加減《かげん》に|寝《ね》ぬかイ。|明日《あす》が|大事《だいじ》ぢやぞ。|貴様《きさま》は、……|今晩《こんばん》|私《わたくし》が|不寝番《ねずのばん》を|致《いた》します……なぞと、|怪体《けたい》な|事《こと》をぬかすと|思《おも》つて|居《ゐ》たが、|悦子姫《よしこひめ》さまの|綺麗《きれい》な|顔《かほ》を、|穴《あな》の|開《あ》く|程《ほど》|覗《のぞ》いて|居《ゐ》よつただらう。デレ|助《すけ》だなア』
|鬼虎《おにとら》『|馬鹿《ばか》を|言《い》ふない。|俺《おれ》は|職務《しよくむ》|忠実《ちうじつ》に|勤《つと》める|積《つも》りで|居《を》つたのに、|何時《いつ》の|間《ま》にか、ウトウト|睡魔《すゐま》に|襲《おそ》はれ、|竜灯松《りうとうまつ》の|下《した》へ|行《い》つて|別嬪《べつぴん》に|逢《あ》うた|夢《ゆめ》を|見《み》て|居《を》つたのぢや。|聖人君子《せいじんくんし》でなくてはアンナ|愉快《ゆくわい》な|夢《ゆめ》は|見《み》られないぞ。|貴様《きさま》のやうな|身魂《みたま》の|曇《くも》つた|人間《にんげん》は、|到底《たうてい》アンナ|夢《ゆめ》は|末代《まつだい》に|一度《いちど》だつて|見《み》られるものかい』
|鬼彦《おにひこ》『アツハヽヽヽ、その|後《あと》を|聞《き》かして|貰《もら》はうかい。|他人《ひと》の|恋女《こひをんな》に|岡惚《をかぼれ》しよつて、|色男《いろをとこ》|気取《きど》りになつて、|肱鉄《ひぢてつ》を|喰《くら》つた|夢《ゆめ》を|見《み》よつたのだらう。|大抵《たいてい》ソンナものだよ、アハヽヽヽ。|早《はや》く|寝《ね》ぬかい、|夜《よ》が|明《あ》けたら|又《また》、テクつかねばならぬぞ』
|此《こ》の|時《とき》|天《てん》の|一方《いつぱう》より、|今度《こんど》は|真正《しんせい》の|火団《くわだん》|閃《ひらめ》くよと|見《み》る|間《ま》に、|竜灯松《りうとうまつ》を|目蒐《めが》けて、|唸《うな》りを|立《た》て|矢《や》を|射《い》る|如《ごと》く|降《くだ》り|来《きた》り、|一同《いちどう》の|前《まへ》にズドンと|大音響《だいおんきやう》を|発《はつ》し、|爆発《ばくはつ》したり。|火光《くわくわう》はたちまち、|花火《はなび》の|如《ごと》く|四方《よも》に|散乱《さんらん》し、|数百千《すうひやくせん》の|小《ちひ》さき|火球《くわきう》となつて、|地上《ちじやう》|二三丈《にさんぢやう》|許《ばか》りの|所《ところ》を、|青《あを》、|赤《あか》、|白《しろ》、|紫《むらさき》、|各種《かくしゆ》の|色《いろ》に|変《へん》じ、|蚋《ぶと》の|餅搗《もちつき》する|如《ごと》くに|浮動《ふどう》|飛散《ひさん》し|始《はじ》めたる。|其《その》|壮観《さうくわん》に|一同《いちどう》|魂《たま》を|抜《ぬ》かして|見惚《みと》れ|居《ゐ》る。|吁《あゝ》、|此《この》|火光《くわくわう》は|何神《なにがみ》の|変化《へんげ》なりしか。
(大正一一・四・一六 旧三・二〇 松村真澄録)
第二〇章 |思《おも》はぬ|歓《よろこび》〔六一〇〕
|竜灯松《りうとうまつ》の|麓《ふもと》に|落下《らくか》し|爆発《ばくはつ》したる|大火光団《だいくわくわうだん》は|大小《だいせう》|無数《むすう》の|玉《たま》となり、|見《み》る|見《み》る|容積《ようせき》を|減《げん》じ|遂《つひ》には|小《ちひ》さき、|金《きん》、|銀《ぎん》、|水晶《すゐしやう》、|瑠璃《るり》、|瑪瑙《めなう》、|〓〓《しやこ》、|翡翠《ひすい》の|如《ごと》き|光玉《くわうぎよく》となり、|珠数繋《じゆずつな》ぎとなつて|悦子姫《よしこひめ》の|全身《ぜんしん》を|囲繞《ゐぜう》し|忽《たちま》ち|体内《たいない》に|吸収《きふしう》されし|如《ごと》く|残《のこ》らず|浸潤《しんじゆん》し|了《をは》りける。|其《その》|刹那《せつな》|悦子姫《よしこひめ》は|得《え》も|云《い》はれぬ|神格《しんかく》|加《くは》はり|優《やさ》しき|中《うち》に|冒《をか》すべからざる|威厳《ゐげん》を|備《そな》へ、|言葉《ことば》さへ|頓《とみ》に|荘重《さうちよう》の|度《ど》を|加《くは》へて、|一見《いつけん》|別人《べつじん》の|如《ごと》く|思《おも》はれ、|無限《むげん》の|霊光《れいくわう》を|全身《ぜんしん》より|発射《はつしや》するに|至《いた》りぬ。|一同《いちどう》は|驚異《きやうい》の|眼《まなこ》を|見張《みは》り|頭《あたま》を|傾《かたむ》け|口《くち》を|極《きは》めて|讃嘆《さんたん》する。|悦子姫《よしこひめ》は|儼然《げんぜん》として|立上《たちあが》り、
『ハア|一同《いちどう》の|方々《かたがた》、|妾《わらは》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|神霊《しんれい》を|身《み》に|浴《あ》びました。|之《これ》より|真名井ケ獄《まなゐがだけ》に|向《むか》つて|進《すす》みませう。|前途《ぜんと》には|大江山《おほえやま》の|魔神《まがみ》の|残党《ざんたう》、|処々《ところどころ》に|散在《さんざい》し|居《を》れば、|何《いづ》れも|十二分《じふにぶん》の|御注意《ごちうい》あれ、|妾《わらは》は|之《これ》より|一足先《ひとあしさき》に|参《まゐ》ります、|左様《さやう》なら』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|矢《や》を|射《い》る|如《ごと》く|見《み》る|見《み》る|姿《すがた》を|隠《かく》したりける。
|後《あと》|見送《みおく》つて|一同《いちどう》は、アーアーアーと|歎息《たんそく》の|息《いき》を|漏《もら》すのみなりき。
|音彦《おとひこ》『|折角《せつかく》|此処迄《ここまで》|同道《どうどう》|申《まを》して|来《き》たのに、|悦子姫《よしこひめ》さまは|無限《むげん》の|神徳《しんとく》を|身《み》に|浴《あ》び、|吾々《われわれ》を|後《あと》に|残《のこ》して|御出発《ごしゆつぱつ》になつた。|随分《ずゐぶん》|拍子抜《へうしぬけ》けのしたものだ。|万緑叢中《ばんりよくそうちう》|紅一点《こういつてん》のナイス、|花《はな》を|欺《あざむ》く|悦子姫《よしこひめ》さまに|放《ほ》つとけぼりを|喰《く》はされて|好《よ》い|面《つら》の|皮《かは》だ、|七尺《しちしやく》の|男子《だんし》|殆《ほとん》ど|顔色《がんしよく》なしで|御座《ござ》る|哩《わい》』
|岩公《いはこう》『|本当《ほんたう》にさうだなア、せめて|岩公《いはこう》だけなりともお|伴《とも》につれて|行《い》つて|下《くだ》さりさうなものだのに、|余《あま》り|水臭《みづくさ》いなア』
|音彦《おとひこ》『お|前《まへ》のやうな|純朴《じゆんぼく》な|人間《にんげん》は|間《ま》に|合《あ》はないから、|連《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さらないワ、|音彦《おとひこ》でさへも、|置去《おきざ》りに|遇《あ》うたのだもの』
|岩公《いはこう》『|生《うま》れ|赤子《あかご》のやうな、|貴方《あなた》の|仰《おほせ》の|通《とほ》り|純朴《じゆんぼく》な|吾々《われわれ》を|何故《なぜ》|連《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さらないのだらうなア』
|鬼虎《おにとら》『|岩公《いはこう》、|貴様《きさま》は|余程《よほど》お|目出度《めでた》い|奴《やつ》だ、|音彦《おとひこ》さまが|純朴《じゆんぼく》と|仰有《おつしや》つたのは、|間《ま》の|抜《ぬ》けた|人《ひと》と|云《い》ふ|事《こと》を|婉曲《ゑんきよく》に|善言美詞《ぜんげんびし》に|宣《の》り|直《なほ》されたのだよ。|約《つま》り|純朴《じゆんぼく》と|云《い》ふのは|社会《しやくわい》の|訓練《くんれん》を|経《へ》ない、|元始的《げんしてき》の|犬猫《いぬねこ》|同様《どうやう》の|人間《にんげん》と|云《い》ふ|事《こと》だよ』
|岩公《いはこう》『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな、|音彦《おとひこ》さまは|蹴爪《けづめ》の|生《は》えた|宣伝使《せんでんし》だ、|三五教《あななひけう》の|骨董品的《こつとうひんてき》|苔《こけ》の|生《は》えた、|洗錬《せんれん》に|洗錬《せんれん》を|加《くは》えた、|押《おし》も|押《おさ》れもせぬ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》ぢや。|滅多《めつた》の|事《こと》を|仰有《おつしや》るものか、オイ|鬼虎《おにとら》、それはお|前《まへ》の|僻《ひが》み|根性《こんじやう》と|云《い》ふものだよ。この|岩公《いはこう》は|斯《か》う|見《み》えても、|何事《なにごと》も|善意《ぜんい》に|解釈《かいしやく》するのだ、|物事《ものごと》を|悪意《あくい》に|取《と》れば|何《なに》も|皆《みな》|悪《あく》になつて|仕舞《しま》ふワ、|貴様《きさま》は|改心《かいしん》の|坂《さか》が|越《こ》えられぬと|見《み》えるワイ』
|鬼虎《おにとら》『それでも|岩公《いはこう》、よく|考《かんが》へてみよ、|不思議千万《ふしぎせんばん》の|事《こと》|許《ばか》りぢやないか、|火《ひ》の|玉《たま》が|幾《いく》つとも|数《かず》|限《かぎ》りなく|分離《ぶんり》して、|終《しまひ》の|果《はて》には|容貌《みめかたち》の|麗《うるは》しき|悦子姫《よしこひめ》さまに、|皆《みな》|染着《せんちやく》して|仕舞《しま》つたぢやないか、|神様《かみさま》の|御霊《みたま》でも|矢張《やはり》|吾々《われわれ》のやうな|形《かたち》の|汚《きたな》い、|魂《たま》の|美《うつく》しい|奴《やつ》よりも、|姿《すがた》の|綺麗《きれい》なナイスがお|好《すき》だと|見《み》える、あゝコンナ|事《こと》ならなぜ|女《をんな》に|生《うま》れて|来《こ》なかつたらう、エヽ|天地《てんち》の|神様《かみさま》も|聞《きこ》えませぬ|哩《わい》、|父《とと》さま、|母《かか》さま、|何故《なぜ》|私《わたくし》を|絶世《ぜつせい》のナイスに|生《う》みて|下《くだ》さらなかつたのです、お|恨《うら》めしう|御座《ござ》います、オンオンオン』
|鬼彦《おにひこ》『アハヽヽヽ、|何《なに》を|吐《ぬか》すのだい|鬼虎《おにとら》の|奴《やつ》、お|岩《いは》の|幽霊《いうれい》の|様《やう》な|面《つら》をして、|神様《かみさま》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|大江山《おほえやま》のお|化《ばけ》だつて|貴様《きさま》の|御面相《ごめんさう》を|見《み》たら、|二《に》の|足《あし》も|三《さん》の|足《あし》もふむに|極《きま》つて|居《ゐ》るワイ、ソンナ|謀反気《むほんぎ》を|出《だ》さずに、|神妙《しんめう》に、|醜面児《ひよつとこ》は|醜面児《ひよつとこ》らしくして|居《を》るのだよ』
|鬼虎《おにとら》『エヽ|一《ひと》つ|云《い》うては|一《ひと》つ【かち】|込《こ》まれ、|俺《おれ》の|身《み》になつて|見《み》て|呉《く》れてもよいぢやないか。|隣《となり》のお|多福《かめ》には|肱鉄砲《ひぢでつぱう》を|喰《くら》ひ、お|八《やつ》には|尻《しり》をふられ、|嬶《かかあ》にや|逃《に》げられ、|何《なん》とした|因果《いんぐわ》な|生《うま》れ|付《つき》だらう、|俺《おれ》が|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》になつたのもどうぞして|美《うつく》しい|男《をとこ》になり、|天下《てんか》のナイスをして、|此《この》|鬼虎《おにとら》に|視線《しせん》を|集注《しふちう》させようと|思《おも》ふばかりに|入信《にふしん》したのだ。アーアー、|神《かみ》さまも|顔《かほ》や|姿《すがた》ばかりは|何《ど》うする|事《こと》も|出来《でき》ぬのかなア、|情《なさけ》ない、コンナ|事《こと》なら|死《し》ンだが|増《まし》だワイ』
|一同《いちどう》『アハヽヽヽ』
|鬼虎《おにとら》『ヤイヤイ、お|前達《まへたち》は|何《なに》を|笑《わら》ふのだ、|俺《おれ》はこれでも|真剣《しんけん》だぞ、|一生懸命《いつしやうけんめい》になつてるのだ、|余《あんま》り|馬鹿《ばか》にして|貰《もら》ふまいかい』
|鬼彦《おにひこ》『|憂愁《いうしう》|煩悶《はんもん》の|権利《けんり》は|貴様《きさま》の|自由《じいう》だ、|俺達《おれたち》は|別《べつ》に|圧迫《あつぱく》もせなければ|干渉《かんせう》もせないよ、|力《ちから》|一《いつ》ぱい|愁歎場《しうたんば》の|幕《まく》を|開《ひら》いて|吾々《われわれ》|一同《いちどう》に、|永当々々《えいたうえいたう》|御観覧《ごくわんらん》に|供《きよう》するのがよからうよ、|観覧《くわんらん》するのもせぬのも|吾々《われわれ》の、これ|又《また》|自由《じいう》|権利《けんり》だ、アハヽヽヽ』
|音彦《おとひこ》『ヤア、からりと|夜《よ》が|明《あ》けた、サア|日輪様《にちりんさま》を|背《せ》に|負《お》うて、|又《また》【テク】の|継続《けいぞく》|事業《じげふ》をやらうかなア』
|加米彦《かめひこ》『サア、|竜灯松《りうとうまつ》を|基点《きてん》として|岩滝《いはたき》|迄《まで》、マラソン|競争《きやうそう》だ。|腹帯《はらおび》を|確《しつか》り|締《し》めて、|草鞋《わらぢ》を|確《しつか》り|結《むす》び、|中途《ちうと》に|落伍《らくご》しないやうに、|駆歩《かけあし》だ。オイチ|二《に》|三《さん》』
|一同《いちどう》は|岩滝《いはたき》|目蒐《めが》けて|膝栗毛《ひざくりげ》に|鞭打《むちう》ち、|一目散《いちもくさん》に|走《はし》り|行《ゆ》く。|岩公《いはこう》、|後方《うしろ》より、
『オイオイ|待《ま》つて|呉《く》れ、|俺《おれ》|一人《ひとり》|遺《おと》して|行《ゆ》くのか、|折角《せつかく》|神様《かみさま》がお|造《つく》り|遊《あそ》ばした|大切《たいせつ》な|人間様《にんげんさま》を、|粗末《そまつ》にして|道《みち》の|端《はた》に|零《こぼ》して|置《お》くと|云《い》ふ|事《こと》があるものかい、オイオイ|人間《にんげん》|一匹《いつぴき》|袂《たもと》にでも|入《い》れて|一緒《いつしよ》に|走《はし》つて|呉《く》れい、|俺《おれ》は|何《ど》うしたものか|交通機関《かうつうきくわん》の|何処《どこ》かに|損傷《そんしやう》を|来《きた》したと|見《み》えて、テクれない|哩《わい》』
『エイ|喧《やかま》しい|云《い》ふな、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》ると|決勝点《けつしようてん》を|人《ひと》に【して】やられる|哩《わい》』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|後《あと》をも|見《み》ず|雲《くも》を|霞《かすみ》と|駆《か》け|出《だ》したり。
|岩公《いはこう》『アヽ、|馬鹿《ばか》ぢやなア、|為《せ》いでも|好《よ》い|辛労《しんらう》をしよつて、|此処《ここ》から|船《ふね》に|乗《の》つて|天《あま》の|橋立《はしだて》を|越《こ》え|岩滝《いはたき》へお|先《さき》にご|安着《あんちやく》だ。|一《ひと》つ|皆《みな》の|奴《やつ》を|威嚇《おどか》して|度肝《どぎも》を|抜《ぬ》いてやらうかな』
と|云《い》ひつつ|岩公《いはこう》は|松《まつ》の|下《した》に|繋《つな》ぎある|船《ふね》の|綱《つな》を|解《ほど》き、|鱸《ろ》を|操《あやつ》りながら|岩滝《いはたき》|指《さ》して|悠々《いういう》と|辷《すべ》り|行《ゆ》く。|船《ふね》は|漸《やうや》く|岩滝《いはたき》に|着《つ》きぬ。
|岩公《いはこう》『アヽ|智慧《ちゑ》の|足《た》らぬ|奴《やつ》は|可憐《かはい》さうなものだワイ、この|岩公《いはこう》は|昔《むかし》|船頭《せんどう》をして|居《を》つたお|蔭《かげ》で|地理《ちり》に|精《くは》しい。|弓《ゆみ》と|弦《つる》|程《ほど》|違《ちが》ふ|道程《みちのり》、|何程《なにほど》|走《はし》つたつて|追《お》ひ|着《つ》きつこがあるものか、マア|悠《ゆつ》くりと|成相山《なりあひざん》にでも|登《のぼ》つて|股覗《またのぞ》きでもしてやらうかい』
|斯《か》かる|所《ところ》へ|音彦《おとひこ》|一行《いつかう》は|息《いき》せき|切《き》つて|走《はし》り|来《きた》り、
|音彦《おとひこ》『サアサア|皆《みな》さま、|一寸《ちよつと》|一服《いつぷく》|致《いた》しませう、|随分《ずゐぶん》|走《はし》りましたなア』
|鬼彦《おにひこ》『|随分《ずゐぶん》|汗《あせ》が|出《で》ましたよ、それにつけても|岩公《いはこう》の|奴《やつ》、|今頃《いまごろ》は|途中《とちう》で|屁古垂《へこた》れてオイオイ|俺《おれ》を|零《こぼ》して|行《ゆ》くのかなぞと|怨言《うらみごと》を|並《なら》べて|居《ゐ》るぢやらう。|足弱《あしよわ》を|連《つ》れて|居《ゐ》ると|却《かへ》つて|迷惑《めいわく》だ、|彼奴《あいつ》は|性来《うまれつき》|跛者《びつこ》だから、マラソン|競争《きやうそう》は|不適任《ふてきにん》だ』
|鬼彦《おにひこ》『|岩公《いはこう》の|奴《やつ》、|片方《かたつぽ》の|足《あし》が|短《みじか》いものだから、|彼奴《あいつ》を|走《はし》らすと|恰《まる》で|蛸《たこ》が|芋畑《いもばたけ》から|逃《に》げ|出《だ》すやうなスタイルだ、|随分《ずゐぶん》|奇妙奇天烈《きめうきてれつ》なものだナア、アハヽヽヽ』
|岩公《いはこう》、|木《き》の|茂《しげ》みの|中《なか》より|頭《あたま》ばかり|突《つ》き|出《だ》して、
|岩公《いはこう》『|岩公《いはこう》の|足《あし》は|片方《かたつぽ》が|短《みじか》いのじやない、|片方《かたつぽ》が|長《なが》いのじやぞ』
|鬼彦《おにひこ》『ヤ、|怪体《けたい》な、|岩公《いはこう》の|声《こゑ》じやないか、|何時《いつ》の|間《ま》に|来《き》よつたのだ、|化物《ばけもの》|見《み》たやうな|奴《やつ》じやなア』
|岩公《いはこう》『ヘン、|馬鹿《ばか》にするない、|片方《かたはう》の|足《あし》が|長《なが》いのだけ、それだけ|貴様等《きさまら》とは|行進《かうしん》が|早《はや》いのだ。おまけに|悦子姫《よしこひめ》さまがソツと|俺《おれ》の|懐中《ふところ》へ|玉《たま》を|入《い》れて|下《くだ》さつたものだから、|宙《ちう》をたつやうに|此処迄《ここまで》|無事《ぶじ》|御安着《ごあんちやく》だよ。アハヽヽヽ』
|鬼彦《おにひこ》『ヤア|岩公《いはこう》、|嘘《うそ》を|云《い》ふな、|貴様《きさま》はマラソン|競争《きやうそう》の|規則《きそく》を|破《やぶ》つて|窃《そつ》と|船《ふね》に|乗《の》つて|来《き》よつたのだらう、|竜灯松《りうとうまつ》の|下《した》に|繋《つな》いであつた|船《ふね》が|此処《ここ》に|着《つ》いて|居《ゐ》るぢやないか、|条約《でうやく》|違反《ゐはん》だ、|貴様《きさま》はこれから|三五教《あななひけう》を|除名《ぢよめい》するからさう|心得《こころえ》ろ、ナアもし|音彦《おとひこ》さま、|加米彦《かめひこ》の|宣伝使《せんでんし》さま、|吾々《われわれ》の|提案《ていあん》は|条理《でうり》|整然《せいぜん》たるものでせう』
『アハヽヽヽ、オイ|岩公司《いはこうつかさ》、アヽ|結構々々《けつこうけつこう》、|吾々《われわれ》は|智慧《ちゑ》の|文珠堂《もんじゆだう》に|休《やす》みながら、|其《その》|智慧《ちゑ》を|使《つか》ひ|忘《わす》れた、お|前《まへ》は|偉《えら》いものだ、アヽこれから、|文珠《もんじゆ》の|岩公司《いはこんす》と|名《な》を|呼《よ》ぶ|事《こと》にして|遣《や》らう』
|岩公《いはこう》|肩《かた》を|聳《そび》やかしながら、
『ハイハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います、オイ|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》|其《その》|他《た》の|端武者《はむしや》|共《ども》、あの|言葉《ことば》を|聞《き》いたか、|文珠《もんじゆ》の|智慧《ちゑ》の|文珠《もんじゆ》の|岩公司《いはこんす》だ、|之《これ》から|何《なん》でも|岩公司《いはこんす》に|智慧《ちゑ》を|借《か》るのだぞ、オホン』
|鬼彦《おにひこ》『これだから|馬鹿者《ばかもの》には|困《こま》ると|云《い》ふのだ、|一寸《ちよつと》|褒《ほ》めて|貰《もら》へば|直《すぐ》に|興奮《こうふん》して、|華氏《くわし》の|百二十度《ひやくにじふど》|以上《いじやう》に|逆上《のぼせ》よる、|一《ひと》つ|逆上《のぼせ》の|下《さが》るやうに|海水《かいすゐ》でも|呑《の》ましてやらうか、ア、ドンブリコとやつて|遣《や》らうか』
|岩公《いはこう》『|大《おほ》きに|憚《はばか》りさま、|又《また》|今度《こんど》お|世話《せわ》に|預《あづか》ります、サアサア|音彦《おとひこ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|之《これ》から|先《さき》は|勝手《かつて》|知《し》つたる|道程《みちのり》だ、|私《わたくし》が|猿田彦《さだひこ》の|御用《ごよう》を|勤《つと》めませう』
|音彦《おとひこ》『ヤアそれは|調法《てうはふ》だ。|先頭《せんとう》は|岩公司《いはこんす》にお|願《ねが》ひ|致《いた》さう』
|岩公《いはこう》『これはこれは|不束《ふつつか》な|岩公司《いはこんす》に|対《たい》し|格外《かくぐわい》の|抜擢《ばつてき》をして|下《くだ》さいました。|此《この》|上《うへ》は|恩命《おんめい》に|報《むく》ゆるため|粉骨砕身《ふんこつさいしん》と|迄《まで》は|行《ゆ》きますまいが、|可成《かなり》|道案内《みちあんない》に|対《たい》して|可及的《かきふてき》のベストを|尽《つく》します。|何《ど》うぞ|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
|鬼虎《おにとら》『|岩公司《いはこんす》の|御先頭《ごせんとう》か、ねつから|葉《は》から|安心《あんしん》なものだ。アハヽヽヽ』
|岩公《いはこう》の|案内《あんない》につれ|音彦《おとひこ》|一行《いつかう》は|黄昏前《たそがれまへ》、|比治山《ひぢやま》の|手前《てまへ》に|辿《たど》り|着《つ》きける。
|音彦《おとひこ》『|何《ど》うやら|今日《けふ》も|之《これ》でお|終《しま》ひらしい、|何処《どこ》かの|家《うち》へ|入《はい》つて|一夜《いちや》の|宿《やど》を|願《ねが》ひ、|明日《みやうにち》|早朝《そうてう》|真名井ケ原《まなゐがはら》の|豊国姫《とよくにひめ》|様《さま》の|御降臨地《ごかうりんち》を|探《さが》しませう、|悦子姫《よしこひめ》さまも|定《さだ》めしお|待《ま》ちかねでせうからねえ』
|岩公《いはこう》『|少《すこ》し|手前《てまへ》に|幽《かす》かな|火《ひ》が|見《み》えませう、|彼処《あすこ》に|行《ゆ》けば|大《おほ》きな|藁葺《わらぶ》きの|家《いへ》が|御座《ござ》います。|戸《と》を|叩《たた》いて|一夜《いちや》の|宿《やど》を|貸《か》して|貰《もら》ふ|事《こと》にしませう、サアもう|一息《ひといき》です』
と|先《さき》に|立《た》ち|潔《いさぎよ》く|駆《か》け|出《だ》し、|一同《いちどう》|漸《やうや》くとある|一《ひと》つ|家《や》の|前《まへ》に|着《つ》きたり。|岩公《いはこう》は|門口《かどぐち》に|立《た》ち、
『もしもしお|爺《ぢい》さま、お|婆《ば》アさま、|私《わたくし》は|比沼《ひぬ》の|真名井《まなゐ》や|比治山《ひぢやま》の|神様《かみさま》に|参詣《さんけい》する|者《もの》で|御座《ござ》います、|竜灯松《りうとうまつ》から|此処迄《ここまで》テクつて|来《き》ましたが、|日《ひ》はすつぽりと|暮《く》れ、|膝坊主《ひざばうず》は|吾々《われわれ》の|命令《めいれい》を|肯《がへん》ぜなくなりました。|何《ど》うぞ|庭《には》の|隅《すみ》でも|宜敷《よろし》いから|一夜《いちや》の|雨露《うろ》を|凌《しの》がせて|下《くだ》さいませ』
|爺《ぢい》『これお|楢《なら》、|何《なん》だか|門口《かどぐち》に|人声《ひとごゑ》がするやうだ、|門《もん》を|開《あ》けて|調《しら》べてお|出《い》で』
お|楢《なら》『|平《へい》サン、お|前《まへ》あれだけ|酒《さけ》を|呑《の》みてもまだ|買《か》うて|来《こ》いと|云《い》ふのかい、かう|闇《くら》くなつてから|私《わたし》だつて|堪《たま》らないぢやないか、|去年《きよねん》のやうに|大江山《おほえやま》の|鬼雲彦《おにくもひこ》の|家来《けらい》の|鬼虎《おにとら》にでも|出遇《であ》つたら、ドンナ|目《め》に|遇《あ》ふか|分《わか》つたものぢやない、|家《うち》の|娘《むすめ》もとうとう|鬼虎《おにとら》に|攫《さら》はれて|仕舞《しま》つたぢやないか、オンオンオン』
|平助《へいすけ》『アヽ、|年《とし》が|寄《よ》つて|耳《みみ》の|聞《きこ》えぬ|奴《やつ》も|困《こま》つたものだ。アヽ|仕方《しかた》がない、|私《わし》が|行《い》つて|開《あ》けてやらうかな、ドツコイシヨ、アイタヽヽ、|腰《こし》の|骨《ほね》が|強《こは》ばつていやもう|庭《には》を|歩《ある》くのも|大抵《たいてい》の|事《こと》ぢやないワイ』
と|傍《かたはら》の|杖《つゑ》を|取《と》りエチエチと|表《おもて》に|出《で》て|戸《と》をガラリと|開《あ》け、
『この|闇《くら》いのにお|前《まへ》さま|達《たち》は|何用《なによう》あつて|御座《ござ》つた』
|音彦《おとひこ》『ハイ、|吾々《われわれ》は|比治山《ひぢやま》の|神様《かみさま》に|参詣《さんけい》を|致《いた》すもので|御座《ござ》います、|御覧《ごらん》の|通《とほ》り|日《ひ》も|暮《く》れました、|何《ど》うぞ|庭《には》の|隅《すみ》つこでも|宜敷《よろし》いから|一夜《いちや》だけおとめ|下《くだ》さい、お|弁当《べんたう》も|持参《ぢさん》|致《いた》して|居《を》ります、|唯《ただ》とめてさへ|貰《もら》へばそれで|宜敷《よろし》い』
|平助《へいすけ》『|見《み》れば|随分《ずゐぶん》|沢山《たくさん》の|同勢《どうぜい》だが|野中《のなか》の|一《ひと》つ|家《や》だと|思《おも》つて|当《あ》て|込《こ》みて|来《き》たのだな、とめる|事《こと》は|金輪際《こんりんざい》|出来《でき》ませぬ|哩《わい》、サアサア【とつと】と|帰《かへ》つて|下《くだ》さい、|爺《おやぢ》と|婆《ばば》と|二人《ふたり》|暮《ぐら》しの|家《いへ》ぢや、|不都合《ふつがふ》だらけ|平《ひら》にお|断《ことわ》り|申《まをし》ます』
|音彦《おとひこ》『|左様《さやう》で|御座《ござ》いませうが、|折入《をりい》つてお|頼《たの》み|申《まを》す、|吾々《われわれ》は|決《けつ》して|怪《あや》しいものでは|御座《ござ》いませぬ』
|平助《へいすけ》『|去年《きよねん》の|此《この》|頃《ごろ》だつた、お|前《まへ》のやうな|日《ひ》が|暮《く》れてから|家《うち》の|門口《かどぐち》に|立《た》ち、|庭《には》の|隅《すみ》でもよいからとめてくれと|云《い》うて|二人《ふたり》の|旅人《たびびと》が|出《で》てきよつた、|其奴《そいつ》が|又《また》どえらい|悪魔《あくま》で|大江山《おほえやま》の|鬼雲彦《おにくもひこ》の|家来《けらい》とやらで|何《なん》でも|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》と|云《い》ふそれはそれは|悪《わる》い|奴《やつ》ぢや、|其奴《そいつ》めが|爺《ぢい》と|婆《ばば》とが|爪《つめ》に|火《ひ》を|点《とも》して|蓄《た》めた|沢山《たくさん》のお|金《かね》を|掠奪《ふんだく》り、|天《てん》にも|地《ち》にも|掛《か》け|替《が》へのない|一人《ひとり》の|娘《むすめ》を|掻攫《かつさら》うて、|今《いま》に|行方《ゆくへ》が|分《わか》らぬのだ、お|前《まへ》さまも|大方《おほかた》ソンナ|連中《れんちう》だらう、|皺《しわ》の|寄《よ》つた|爺《おやぢ》と|婆《ばば》とが|細《ほそ》い|煙《けぶり》を|立《た》て|暮《くら》して|居《ゐ》るのだが、|婆《ばば》は|爺《ぢい》が|頼《たよ》り|爺《ぢい》は|婆《ばば》が|頼《たよ》りだ、|婆《ばば》とは|云《い》ひながら|矢張《やつぱり》|女《をんな》だ、|昔《むかし》の|別嬪《べつぴん》だ。もし|婆《ばば》でも|夜《よさ》の|間《ま》に|掻攫《かつさら》へられて|仕舞《しま》ふものなら、この|爺《おやぢ》は|蟹《かに》の|手足《てあし》を【もが】れたやうなものだ、エヽ|気分《きぶん》の|悪《わる》い、|帰《かへ》りて|下《くだ》され』
とピシヤツと|戸《と》を|締《し》める。
|音彦《おとひこ》『アヽ|困《こま》つたなア、|何《ど》うしたら|宜《よ》からうか、|今晩《こんばん》は|野宿《のじゆく》でもして|一夜《いちや》を|明《あ》かさねば|仕方《しかた》があるまい』
|岩公《いはこう》『もしもし|音彦《おとひこ》さま、|千本桜《せんぼんざくら》の|鮓屋《すしや》の|段《だん》ぢやないが、|愛想《あいさう》のないが|愛想《あいさう》となると|云《い》ふ|事《こと》がありますが、|此処《ここ》の|爺《おやぢ》さまは|一旦《いつたん》|此《この》|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》に|偉《えら》い|目《め》に|遇《あ》つたものだから、|人《ひと》さへ|見《み》れば|怖《こわ》い|怖《こわ》いと|思《おも》うて|居《ゐ》るのですよ、|日《ひ》の|暮《くれ》に|宿《やど》を|頼《たの》む|奴《やつ》は|人奪《ひとと》りだと|云《い》ふ|先入《せんにふ》|思想《しさう》に|左右《さいう》されて|居《ゐ》るものぢやから、アンナ|事《こと》を|云《い》ふのでせう、|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふと|云《い》ふから、も|一《ひと》つ|頼《たの》みて|見《み》ませう』
と|又《また》もや|戸《と》を|叩《たた》き、
|岩公《いはこう》『もしもし、お|爺《ぢい》さま、|吾々《われわれ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》のお|伴《とも》して|来《き》た|誠《まこと》|一《ひと》つの|人間《にんげん》で|御座《ござ》います。|何卒《どうぞ》|一晩《ひとばん》だけとめて|下《くだ》さいな』
|平助《へいすけ》『ナニツ、|三五教《あななひけう》だと、ソンナ|教《をしへ》は|未《ま》だ|聞《き》いた|事《こと》もないワ、|穴《あな》が|無《な》うて|彼岸過《ひがんすぎ》の|蛇《へび》のやうに|探《さが》して|歩《ある》いとるのか、ソンナ|人《ひと》には|尚更《なほさら》|宿《やど》つて|貰《もら》ふ|事《こと》はお|断《ことわ》りぢや、|一人《ひとり》よりないお|楢《なら》を|掻攫《かつさら》つて|去《い》なれては|耐《たま》らぬからなア、ゴテゴテ|云《い》はずにお|帰《かへ》りなさい』
|岩公《いはこう》『アヽ、|仕方《しかた》がない、これ|程《ほど》|事《こと》をわけてお|頼《たの》みするのに|聞《き》いて|下《くだ》さらぬ、|世界《せかい》に|鬼《おに》はある。|鬼《おに》と|悪魔《あくま》の|世《よ》の|中《なか》だ、|慈悲《じひ》も|情《なさけ》も|知《し》らぬ|奴《やつ》|許《ばか》りだ。オイ|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》の|両人《りやうにん》、|偉《えら》う|沈黙《ちんもく》して|居《ゐ》よるな、|貴様《きさま》の|古疵《ふるきず》が|物《もの》を|云《い》うて|今晩《こんばん》の|難儀《なんぎ》だ、|貴様《きさま》|一《ひと》つ|謝罪《あやま》らぬかい』
|鬼彦《おにひこ》『もしもし|音彦《おとひこ》|様《さま》、|一晩《ひとばん》|位《くらゐ》|寝《ね》なかつたつて|好《い》いぢやありませぬか、これも|修業《しうげふ》だと|思《おも》つて|野宿《のじゆく》を|致《いた》しませうかい』
|鬼虎《おにとら》『アヽさうだ、|一晩《ひとばん》や|二晩《ふたばん》|野宿《のじゆく》して|斃《くた》ばるやうな|事《こと》では|三五教《あななひけう》の|信仰《しんかう》は|出来《でき》ない、ねえ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|如何《どう》で|御座《ござ》いませう』
|音彦《おとひこ》『ソンナラマアさうするかなア』
|岩公《いはこう》『ヘン|旨《うま》い|事《こと》を|云《い》つて|居《ゐ》やがらア、|爺婆《ぢいばば》に|会《あ》はす|顔《かほ》があるまい、|旧悪《きうあく》|露見《ろけん》の|恐《おそ》れがあるから、|貴様《きさま》としては|無理《むり》もないが、|綺麗《きれい》|薩張《さつぱり》と|爺様《ぢいさん》|婆様《ばさん》にお|断《ことわ》りを|申《まをし》たら|何《ど》うだ、|何時迄《いつまで》も|悪《あく》を|包《つつ》みて|居《ゐ》ると|罪《つみ》は|取《と》れぬぞ、|罪《つみ》と|云《い》ふ|事《こと》は|包《つつ》みと|云《い》ふ|事《こと》だ、|何卒《どうぞ》|改心《かいしん》の|証拠《しようこ》に|爺《ぢい》さまに|一《ひと》つお|詫《わび》をして|思《おも》ふざま|十能《じふのう》で|頭《あたま》を|打《たた》いて|貰《もら》つたら、ちつとは|罪《つみ》が|亡《ほろ》びるだらうよ』
|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》、|両手《りやうて》を|組《く》み|首《くび》を|傾《かたむ》け、|大《おほ》きな|息《いき》を|漏《も》らし|居《ゐ》る。|此《この》|時《とき》|前方《ぜんぱう》より|二人《ふたり》の|女《をんな》|走《はし》り|来《く》るあり。|一同《いちどう》は|目《め》を|円《まる》くし、よくよく|見《み》れば、|悦子姫《よしこひめ》と|一人《ひとり》の|娘《むすめ》なりけり。
|娘《むすめ》『これはこれはお|姫様《ひめさま》、いかいお|世話《せわ》になりました、これが|妾《わたし》のお|祖父《ぢい》さま、お|祖母《ばあ》さまの|家《うち》で|御座《ござ》います、サア|何卒《どうぞ》お|入《はい》り|下《くだ》さいませ、|嘸《さぞ》や|祖父《そふ》や|祖母《そぼ》が|喜《よろこ》ぶ|事《こと》で|御座《ござ》いませう』
|悦子姫《よしこひめ》『ヤア|妾《わたし》は|此処迄《ここまで》|送《おく》り|届《とど》けたならばこれで|安心《あんしん》してお|暇《いとま》|致《いた》しませう』
|娘《むすめ》『|何卒《どうぞ》さう|仰有《おつしや》らぬと|見苦《みぐる》しい|破家《あばらや》なれど、|渋茶《しぶちや》なりと|上《あ》げたう|御座《ござ》います、|一寸《ちよつと》でも|宜敷《よろし》いからお|入《はい》り|下《くだ》さいませいナ』
|闇《やみ》の|中《なか》より、
『ヤア|貴女《あなた》は|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》では|御座《ござ》いませぬか』
|悦子姫《よしこひめ》『さう|云《い》ふお|声《こゑ》は|音彦《おとひこ》さま。この|闇《くら》がりに|何《なに》をして|居《ゐ》らつしやるの』
|音彦《おとひこ》『|余《あま》り|暗《くら》くなりましたので|一夜《いちや》の|宿《やど》をお|強請《ねだ》りして|居《を》るのですが、お|爺《ぢい》さま|仲々《なかなか》|許《ゆる》して|呉《く》れないのですよ』
|悦子姫《よしこひめ》『ヤア、|委細《ゐさい》の|様子《やうす》は|此《この》|娘《むすめ》さまから|聞《き》|来《き》ました、|済《す》みた|事《こと》を|云《い》ふぢやないが、|随分《ずゐぶん》|鬼彦《おにひこ》さまも|鬼虎《おにとら》さまも|罪《つみ》な|事《こと》をなさつたものぢやナア、お|爺《ぢい》さまが|泊《と》めて|呉《く》れないのも|無理《むり》はありませぬ、|妾《わたし》がこれからお|爺《ぢい》さまに|此《この》|娘《むすめ》を|渡《わた》し、|願《ねが》つて|見《み》ませう』
|娘《むすめ》『お|祖父《ぢい》さま、お|祖母《ばあ》さま、|節《せつ》で|御座《ござ》います、|神様《かみさま》に|助《たす》けられ|無事《ぶじ》に|帰《かへ》つて|来《き》ました。|何卒《どうぞ》|開《あ》けて|下《くだ》さいませ』
|平助《へいすけ》|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》き、
『ヤア|何《なに》、|節《せつ》が|帰《かへ》つた。オイオイお|楢《なら》、|節《せつ》が|帰《かへ》つたといなア』
お|楢《なら》『|爺《おやぢ》さま|耳《みみ》が|確《しつか》り|聞《きこ》えぬが、|節《せつ》が|帰《かへ》つたと|云《い》うたのか、ハテ|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|事《こと》だ、|大方《おほかた》|大江山《おほえやま》の|悪神《あくがみ》の|眷族《けんぞく》|奴《め》が|節《せつ》の|作《つく》り|声《ごゑ》をして|此《この》|家《や》に|入《い》り|込《こ》み、|一《ひと》つ|家《や》を|幸《さいは》ひに|吾等《われら》|夫婦《ふうふ》の|者《もの》を|引《ひ》つ|張《ぱ》つて|去《い》ぬ|計略《けいりやく》かも|知《し》れぬ、|迂闊《うつか》り|開《あ》けなさるなや』
|門口《かどぐち》より、お|節《せつ》は|優《や》さしひ|声《ごゑ》で、
『お|祖父《ぢい》さま、お|祖母《ばあ》さま、|何卒《どうぞ》|開《あ》けて|下《くだ》さい、|節《せつ》で|御座《ござ》います』
|平助《へいすけ》『|何《なに》|吐《ぬか》しよるのだ、|其《その》|手《て》は|食《く》はぬぞ、|作《つく》り|声《ごゑ》をしよつて、お|祖父《ぢい》さま、お|祖母《ばあ》さま、|節《せつ》で|御座《ござ》います……ナアーンテ|大江山《おほえやま》に|捕《とら》へられて|鬼《おに》の|餌食《ゑじき》になつた|娘《むすめ》が|戻《もど》つて|来《き》て|耐《たま》るかい、これやこれや|門口《かどぐち》の|奴《やつ》|共《ども》、ソンナ|計略《けいりやく》に|乗《の》る|平助《へいすけ》ぢやないぞ、|入《はい》れるなら|入《はい》つて|見《み》よ、|陥穽《おとしあな》が|拵《こしら》へて|釘《くぎ》が|一面《いちめん》に|植《う》ゑてあるから、|命《いのち》が|惜《をし》く|無《な》ければ|無理《むり》に|入《はい》つて|来《こ》い』
|娘《むすめ》は|無理《むり》に|戸《と》を|押《お》し|破《やぶ》り|飛《と》び|込《こ》みたるを、|爺《ぢい》は、これを|見《み》て、
『ヤア|紛《まが》ふ|方《かた》なき|娘《むすめ》のお|節《せつ》、|好《よ》うまア|帰《かへ》つて|呉《く》れた。オイ、ぢつとしてぢつとして、|動《うご》くと|危《あぶ》ないぞ、|一《ひと》つ|踏《ふ》み|外《はづ》せば|陥穽《おとしあな》に|陥《はま》る、|大江山《おほえやま》の|鬼《おに》の|来《き》た|時《とき》の|用意《ようい》に|陥穽《おとしあな》が|拵《こしら》へてあるのぢや、|今《いま》お|祖父《ぢい》が|指揮《さしづ》をしてやるから、|其《その》|外《ほか》は|歩《ある》く|事《こと》はならぬぞや』
と|云《い》ひながら|杖《つゑ》をもつて|庭《には》に|線《すぢ》を|引張《ひつぱ》つた。お|節《せつ》は|線《すぢ》の|上《うへ》を|歩《ある》いて、|爺《ぢい》の|居間《ゐま》に|進《すす》み|入《い》る。
お|楢《なら》『ヤア、お|前《まへ》はお|節《せつ》、|好《よ》う|帰《かへ》つて|下《くだ》さつたナア』
と|嬉《うれ》し|泣《な》きに|泣《な》き|伏《ふ》しぬ。|平助《へいすけ》もお|節《せつ》の|体《からだ》に|獅噛《しが》みつき、
『ヤア|戻《もど》つたか、どうして|居《を》つた』
お|節《せつ》『お|祖父《ぢい》さま、お|祖母《ばあ》さま、|会《あ》ひたかつた|哩《わい》な』
と|三人《さんにん》|一度《いちど》に|声《こゑ》を|放《はな》つて|泣《な》き|崩《くづ》れける。
(大正一一・四・一六 旧三・二〇 加藤明子録)
第二一章 |御礼参詣《おれいまゐり》〔六一一〕
|天《てん》にも|地《ち》にもかけ|替《がへ》なき|一人《ひとり》の|娘《むすめ》を|拐《かどはか》され、|爺《ぢい》と|婆《ばば》との|二人《ふたり》|暮《ぐら》し|此《この》|世《よ》を|果敢《はか》なみ|詛《のろ》ひつつ、|不平《ふへい》たらだら|世《よ》を|送《おく》る|渋面造《しぶづらつく》りの|平助《へいすけ》は、|思《おも》いもよらぬ|孫娘《まごむすめ》のお|節《せつ》がゆくりなく|帰《かへ》り|来《きた》りしに|歓《よろこ》び|驚《おどろ》き、|手《て》の|舞《ま》ひ|足《あし》の|踏《ふ》む|処《ところ》を|知《し》らず、|音沙汰《おとさた》|無《な》かりし|娘《むすめ》の|便《たよ》り、|姿《すがた》は|見《み》せぬ|臭《くさ》い|婆《ば》アさまのお|楢《なら》と|共《とも》に|屈《かが》める|腰《こし》をヘコヘコと|揺《ゆす》りて|飛立《とびた》つ|可笑《をか》しさよ。
|平助《へいすけ》『これこれ、お|節《せつ》、お|前《まへ》は|今《いま》まで|何処《どこ》に|如何《どう》して|居《を》つたのだ、|明《あ》けても|暮《く》れても|婆《ばば》と|二人《ふたり》、お|前《まへ》の|事《こと》ばつかり、|噂《うはさ》をして|泣《な》いて|居《を》りました。|能《よ》う、まア|戻《もど》つて|下《くだ》さつた、もう|之《これ》で|此《この》|平助《へいすけ》も、|何時《いつ》|国替《くにがへ》しても|心《こころ》の|残《のこ》る|事《こと》はない、さアさ、|一寸《ちよつと》|様子《やうす》を|聞《き》かして|呉《く》れ』
お|節《せつ》『ハイハイ』
と|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|声《こゑ》も|得立《えた》てず、|僅《わづか》に、
『|妾《わたし》は|比治山《ひぢやま》の|奥《おく》の|岩窟《いはや》に|押《お》し|込《こ》められて|居《を》りました。|其処《そこ》へ|神《かみ》さまの|様《やう》なお|方《かた》が|現《あら》はれて|妾《わらは》を|救《すく》つて|下《くだ》さいました、|今《いま》|門口《かどぐち》まで|親切《しんせつ》に|送《おく》り|届《とど》けて|下《くだ》さりました。|何卒《どうぞ》、お|爺《ぢい》さま、お|婆《ば》アさま|宜《よろ》しう|御礼《おれい》を|申《まを》して|下《くだ》さい』
|平助《へいすけ》『ナヽヽ|何《なん》と|言《い》ふ、お|前《まへ》を|助《たす》けたお|方《かた》が|門《かど》に|御座《ござ》るのか、これや|斯《か》うしては|居《を》られぬ、|一言《ひとこと》お|礼《れい》を|申《まを》さねば|済《す》むまい、これこれ|婆《ばば》、お|前《まへ》もお|礼《れい》を|申《まを》さぬか』
|婆《ば》アは|莞爾々々《にこにこ》し|乍《なが》ら|耳《みみ》が|聞《きこ》えぬので、
お|楢《なら》『|爺《ぢい》さま、|結構《けつこう》ぢやな、|早《はや》う|神《かみ》さまに|御礼《おれい》を|申《まを》しませう』
|平助《へいすけ》『|神《かみ》さまも|神《かみ》さまだが|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》ると、|助《たす》けて|下《くだ》さつたお|方《かた》が|帰《かへ》られるかも|知《し》れぬ』
とカンテラを|点《つ》け|門口《かどぐち》に|立出《たちい》で、
『|誰方《どなた》か|知《し》りませぬが、|娘《むすめ》を|助《たす》けて|下《くだ》さつて|有難《ありがた》う|御座《ござ》います、|御覧《ごらん》の|通《とほ》り|矮《いぶせ》き|荒屋《あばらや》で|御座《ござ》いますがお|這入《はい》り|下《くだ》さいませ、|外《そと》は|此《この》|通《とほ》り|雪《ゆき》が|溜《たま》つて|居《ゐ》ます、|嘸《さぞ》お|寒《さむ》い|事《こと》でせう、|庭《には》で|火《ひ》でも|焚《た》きますから』
|悦子姫《よしこひめ》『ア、|貴方《あなた》がお|節《せつ》|殿《どの》のお|爺《やぢ》さまでござりますか』
|平助《へいすけ》『へいへい、|平助《へいすけ》と|言《い》ふ|爺《おやぢ》で|御座《ござ》います、|若夫婦《わかふうふ》には|先立《さきだ》たれ、たつた|一人《ひとり》の|孫《まご》を|娘《むすめ》として|育《そだ》て|上《あ》げ、|引《ひ》き|伸《の》ばす|様《やう》に|思《おも》うて|居《を》りましたのに|去年《きよねん》の|冬《ふゆ》、|大江山《おほえやま》の|鬼雲彦《おにくもひこ》の|手下《てした》の|悪者《わるもの》、|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》と|言《い》ふそれはそれは|意地癖《いぢくせ》の|悪《わる》い|悪人《あくにん》に|大切《たいせつ》の|娘《むすめ》を|攫《さら》はれ、|寝《ね》ても|起《お》きてもそればつかりを|苦《く》に|病《や》みて|泣《な》いて|暮《くら》して|居《を》りました。|婆《ばば》も|私《わたくし》もそれが|為《た》めに|二十年《にじふねん》|程《ほど》も|生命《いのち》が|縮《ちぢ》みました、お|蔭《かげ》さまでその|孫娘《まごむすめ》に|会《あ》はれまするのも|全《まつた》く|貴方様《あなたさま》のお|蔭《かげ》、|何卒《どうぞ》|這入《はい》つて|悠《ゆる》りとお|休《やす》み|下《くだ》さいませ、|婆《ばば》も|御礼《おれい》を|申《まを》し|上《あ》げ|度《た》いと|申《まを》して|居《ゐ》ますから』
|悦子姫《よしこひめ》『アヽ|御親切《ごしんせつ》は|有難《ありがた》う|御座《ござ》いまするが、|妾《わらは》は|少《すこ》しく|神界《しんかい》の|御用《ごよう》が|差《さ》し|迫《せま》つて|居《を》りますれば|之《これ》にて|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》ります、|就《つい》ては|妾《わらは》より|貴方《あなた》に|強《た》つての|御願《おねが》ひが|御座《ござ》います。|聞《き》いて|下《くだ》さいますまいか』
|平助《へいすけ》『|生命《いのち》の|親《おや》の|貴方様《あなたさま》、|何《なん》なつと|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいませ、|爺《おやぢ》の|身《み》に|叶《かな》ふ|事《こと》なら|生命《いのち》でも|差《さ》し|上《あ》げます』
|悦子姫《よしこひめ》『|早速《さつそく》の|御承知《ごしようち》、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います、|此処《ここ》に|居《を》ります|者《もの》は|妾《わらは》の|道連《みちづ》れ、|四五人《しごにん》の|者《もの》を|何卒《どうぞ》|今晩《こんばん》|丈《だ》け|庭《には》の|隅《すみ》でも|宜《よ》いから|泊《と》めてやつて|下《くだ》さいませぬか』
|平助《へいすけ》『へいへい|承知《しようち》|致《いた》しました、|百人《ひやくにん》でも|千人《せんにん》でも|泊《とま》つて|下《くだ》さい』
|悦子姫《よしこひめ》『|百人《ひやくにん》も|泊《とま》る|処《ところ》はありますまい、|只《ただ》|五六人《ごろくにん》|泊《と》めて|貰《もら》へば|宜《よろ》しいのです』
|平助《へいすけ》『|之《これ》は|失礼《しつれい》|致《いた》しまして、あまり|嬉《うれ》しうて|爺《おやぢ》も|脱線《だつせん》を|致《いた》しました、サアサ|皆《みな》さま|御遠慮《ごゑんりよ》なくお|這入《はい》り|下《くだ》さい、|然《しか》し|乍《なが》ら|無茶苦茶《むちやくちや》に|這入《はい》つて|貰《もら》うと、|大江山《おほえやま》の|鬼除《おによ》けの|陥穽《おとしあな》が|御座《ござ》いますから|私《わたくし》の|後《あと》に|跟《つ》いてお|通《とほ》り|下《くだ》さい』
と|先《さき》に|立《た》つ。
|悦子姫《よしこひめ》『|左様《さやう》なら、お|節《せつ》|殿《どの》に|宜《よろ》しく|言《い》つて|下《くだ》さい、|御縁《ごえん》があれば|又《また》お|目《め》にかかります。|音彦《おとひこ》さま、|加米公《かめこう》さま、|貴方《あなた》は|今晩《こんばん》お|疲労《くたびれ》で|御座《ござ》いませうが|妾《わらは》に|跟《つ》いて|来《き》て|下《くだ》さい。|少《すこ》しく|御相談《ごさうだん》し|度《た》い|事《こと》が|御座《ござ》いますから』
『|委細承知《ゐさいしようち》|仕《つかまつ》りました、|仰《あふ》せに|従《したが》ひお|伴《とも》|致《いた》します』
|悦子姫《よしこひめ》は|二人《ふたり》を|伴《ともな》ひ|急《いそ》いで|此《この》|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》りぬ。|岩公《いはこう》、|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》、|勘《かん》、|櫟《いち》の|五人《ごにん》は|這入《はい》りも|得《え》せず|門口《かどぐち》に|立《た》つて【うろうろ】して|居《ゐ》る。
|平助《へいすけ》『サアサア|皆《みな》さま、|此処《ここ》を|通《とほ》つてズツとお|這入《はい》|下《くだ》さい』
|岩公《いはこう》、|勘《かん》、|櫟《いち》の|三人《さんにん》は|平助《へいすけ》に|跟《つ》いて|奥《おく》に|入《い》る。
お|楢《なら》『これはこれは|皆《みな》さま、|寒《さむ》いのに|能《よ》うまア|娘《むすめ》を|送《おく》つて|来《き》て|下《くだ》さつた、|何卒《どうぞ》|今晩《こんばん》は|悠《ゆつく》り|泊《とま》つて|下《くだ》さい』
|岩公《いはこう》『へい、|如何《どう》|致《いた》しまして、お|節《せつ》さまの|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り|私《わたくし》は|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》の|家来《けらい》で|御座《ござ》います、お|礼《れい》を|言《い》つて|貰《もら》うと|却《かへつ》て|困《こま》ります、|何卒《どうぞ》|今晩《こんばん》|丈《だ》け|泊《と》めて|下《くだ》さらば|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。ヤア|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》の|奴《やつ》、|這入《はい》つて|来《こ》ぬかい、|何《なに》|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》るのだ』
|平助《へいすけ》『ヤアお|前《まへ》は|大江山《おほえやま》の|鬼雲彦《おにくもひこ》の|同類《どうるゐ》ぢやな、|鬼彦《おにひこ》や|鬼虎《おにとら》が|這入《はい》つて|来《き》て|堪《たま》るものかい、|折角《せつかく》だが|帰《かへ》りて|呉《く》れ|帰《かへ》りて|呉《く》れ』
|岩公《いはこう》『モシモシお|爺《ぢい》さま、|其《その》|鬼彦《おにひこ》と|鬼虎《おにとら》と|云《い》ふ|奴《やつ》は、お|節《せつ》さまを|助《たす》けた|悦子姫《よしこひめ》さまの|家来《けらい》だよ、|二人《ふたり》の|奴《やつ》、|到頭《たうとう》|悪《あく》を|後悔《こうくわい》しよつて|悦子姫《よしこひめ》さまの|家来《けらい》となり、お|節《せつ》さまの|所在《ありか》を|知《し》らせたものだから|娘《むすめ》が|助《たす》かつたのだよ。|今迄《いままで》の|怨恨《うらみ》は|水《みづ》に|流《なが》し|悦子姫《よしこひめ》さまに|免《めん》じて|泊《と》めてやつて|下《くだ》さいナ』
|平助《へいすけ》『|何《なん》と|言《い》つてもお|前《まへ》さま|達《たち》|三人《さんにん》は|泊《と》めるが|二人《ふたり》の|餓鬼《がき》は|泊《と》められませぬ、|這入《はい》り|度《た》ければ|勝手《かつて》に|這入《はい》つて|来《き》たが|宜《よ》い、|勝手《かつて》を|知《し》らずに|陥穽《おとしあな》にはまるだらう』
|岩公《いはこう》『これはしたり、お|爺《ぢい》さま、|年《とし》が|老《よ》つても|敵愾心《てきがいしん》の|強《つよ》い|人《ひと》だな、|今迄《いままで》の|事《こと》は|水《みづ》に|流《なが》すのだよ』
|平助《へいすけ》『|水《みづ》に|流《なが》せと|言《い》つたつて、|此《この》|怨恨《うらみ》が|流《なが》されやうか、|俺《わし》の|身《み》にも、チツトは|成《な》つて|呉《く》れたが|宜《よ》い|哩《わい》』
|勘公《かんこう》『それやさうぢや、|尤《もつと》もぢや。お|爺《ぢい》さまの|仰有《おつしや》る|通《とほ》り、|拙者《せつしや》の|聞《き》く|通《とほ》りぢや、ナア|櫟公《いちこう》』
|櫟公《いちこう》『オヽ、さうともさうとも、|誰《たれ》だつて|可愛《かはい》い|娘《むすめ》を|仮令《たとへ》|一年《いちねん》でも|苦《くる》しめられた|親《おや》の|身《み》として|誰《たれ》だつて|黙《だま》つて|居《を》れようかい、|爺《ぢい》さまの|仰有《おつしや》るのは|至極《しごく》|尤《もつと》もだ。|鬼彦《おにひこ》、|鬼虎《おにとら》の|奴《やつ》、|因縁《いんねん》が|報《むく》うて|来《き》たのだから|仕方《しかた》が|無《な》い、|今晩《こんばん》は|外《そと》で|立番《たちばん》でもするのが|却《かへつ》て|今迄《いままで》の|罪亡《つみほろ》ぼしになつて|良《よ》いかも|知《し》れぬ』
|平助《へいすけ》『アヽお|前《まへ》さま|等《ら》|三人《さんにん》のお|方《かた》、|能《よ》う|言《い》つて|下《くだ》さつた、|此《この》|爺《ぢい》も|大変《たいへん》|気《き》に|入《い》つた、サアサ|泊《とま》つて|下《くだ》さい、|誰《たれ》が|何《なん》と|言《い》つても|二人《ふたり》の|餓鬼《がき》は|泊《と》める|事《こと》は|出来《でき》ませぬ|哩《わい》』
|家《いへ》の|外《そと》にて、
|鬼彦《おにひこ》『おい|兄弟《きやうだい》|何程《なにほど》|泊《と》めてやると|言《い》つても、|如何《どう》も【てれ】|臭《くさ》くて|這入《はい》れぬぢやないか』
|鬼虎《おにとら》『さうだ、|昔《むかし》の|因果《いんぐわ》が|廻《めぐ》つて|来《き》て|心《こころ》の|鬼《おに》に|身《み》を|責《せ》められ、|暢気《のんき》に|泊《と》めて|貰《もら》ふ|訳《わけ》にも|往《ゆ》かず、|大《おほ》きな|顔《かほ》をして|爺《ぢい》さまや|婆《ば》アさまに|会《あ》ふ|訳《わけ》にも|往《ゆ》かず、エー|仕方《しかた》がない、|音彦《おとひこ》さま|加米公《かめこう》さまでさへも|此《この》|雪道《ゆきみち》を|歩《ある》いて|行《ゆ》かれた|位《くらゐ》だもの、|無理《むり》に|行《い》つたら|行《ゆ》けぬ|事《こと》はない、|此処《ここ》ばかりが|家《いへ》ぢやない|哩《わい》、|三人《さんにん》の|奴《やつ》は|此処《ここ》で|悠《ゆつく》り|泊《と》めて|貰《もら》ふ|事《こと》にし、|俺達《おれたち》|二人《ふたり》はも|少《すこ》し【てく】る|事《こと》に|仕様《しやう》かい』
|鬼彦《おにひこ》『アヽ、それが|上分別《じやうふんべつ》だ、オイ|岩公《いはこう》、|勘公《かんこう》、|櫟公《いちこう》、|俺《おれ》は|一足先《ひとあしさき》へ|行《い》つて|比治山《ひぢやま》の|麓《ふもと》で|待《ま》つて|居《を》るから、|夜《よ》が|明《あ》けたら|貴様等《きさまら》|三人《さんにん》は|出《で》て|来《こ》い、|左様《さやう》なら、お|先《さき》へ|御免《ごめん》だ、|貴様等《きさまら》はお|節《せつ》さまの|顔《かほ》でも|見《み》て|涎《よだれ》でもくるが|宜《よ》い|哩《わい》』
と|捨台詞《すてぜりふ》を|残《のこ》し、すたすたと|此《この》|場《ば》を|後《あと》に|比治山《ひぢやま》の|方面《はうめん》|指《さ》して|走《はし》り|行《ゆ》く。
|平助《へいすけ》『サア|三人《さんにん》さま、|奥《おく》に|炬燵《こたつ》がしてある、|寒《さむ》からうからお|這入《はい》なさい、|俺《わし》は|今晩《こんばん》はあまり|嬉《うれ》しうて|寝《ね》られぬから、|娘《むすめ》と|久《ひさ》し|振《ぶ》りに|三人《さんにん》が|話《はなし》をするから、|茶漬《ちやづけ》なつと|食《く》つて|早《はや》くお|寝《やす》み|下《くだ》さい、|又《また》|明日《あす》は|祝《いは》ひに|御馳走《ごちそう》をして|上《あ》げます』
|岩公《いはこう》『これはこれはお|爺《ぢい》さま、お|婆《ば》アさま、|奇麗《きれい》な|娘《むすめ》さま|有難《ありがた》う|御座《ござ》います、ソンナラお|先《さき》へ|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》ります、お|弁当《べんたう》は|沢山《たくさん》|持《も》つて|居《ゐ》ますから|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな、|今《いま》|道々《みちみち》|握《にぎ》り|飯《めし》を|頬張《ほほば》つて|来《き》ましたので|余《あんま》り|腹《はら》は|減《へ》つて|居《を》りませぬ、|寝《やす》まして|貰《もら》へば|結構《けつこう》です』
お|節《せつ》『サアサ|皆《みな》さま、お|寝《やす》み|下《くだ》さいませ、|妾《わたくし》が|御案内《ごあんない》|致《いた》しませう』
と|次《つぎ》の|室《ま》へ|案内《あんない》する。
|岩公《いはこう》『アヽ|有難《ありがた》い、|勘公《かんこう》、|櫟公《いちこう》、|世界《せかい》に|鬼《おに》は|無《な》いなア、マヤ|悠《ゆつく》り|寝《やす》まして|貰《もら》はうかい』
|勘公《かんこう》『|何《なん》だか|目《め》がパチパチして|寝《ね》られないワ』
|岩公《いはこう》『|寝《ね》られなくても、|此《この》|暖《あたた》かい|炬燵《こたつ》へ|這入《はい》つて、|明日《あす》の|朝《あさ》|迄《まで》ゆつくり|休息《きうそく》すれば|宜《よ》いのだ』
|次《つぎ》の|室《ま》には|三人《さんにん》の|家内《かない》ひそびそと|何《なに》か|話《はな》して|居《ゐ》る。
|平助《へいすけ》『マア|何《なん》とした|嬉《うれ》しい|事《こと》だらう、ナアお|楢《なら》、|之《これ》でもう|俺《おれ》は|死《し》ンでも|得心《とくしん》だよ』
お|楢《なら》『|親爺《おやぢ》どの、それや|何《なに》を|言《い》はつしやるのだい、|二《ふた》つ|目《め》には|死《し》ぬ|死《し》ぬつて、ソンナ|縁起《えんぎ》の|悪《わる》い|事《こと》を|言《い》ふものぢやない、|娘《むすめ》が|戻《もど》つた|嬉《うれ》しさに|元気《げんき》を|出《だ》して、|之《これ》から|気《き》を|若《わか》う|持《も》ち|千年《せんねん》も|万年《まんねん》も|生延《いきの》びると|言《い》ふ|気《き》になりなさらぬかいな』
|平助《へいすけ》『オーお|楢《なら》、お|前《まへ》は|耳《みみ》がよう|聞《きこ》える|様《やう》になつたぢやないか、|此奴《こいつ》は|不思議《ふしぎ》だ、|如何《どう》したものだ、|殺《ころ》されたと|思《おも》ふ|娘《むすめ》は|帰《かへ》るし、|一生《いつしやう》|聾耳《かなつん》ぢやと|諦《あきら》めて|居《ゐ》た|婆《ばば》の|耳《みみ》は|聞《きこ》え|出《だ》す、アヽコンナ|有難《ありがた》い|事《こと》があらうか、|之《これ》と|言《い》ふも|全《まつた》く|真名井ケ原《まなゐがはら》に|今度《こんど》|現《あら》はれ|給《たま》うた|豊国姫《とよくにひめ》の|神様《かみさま》の|御利益《ごりやく》だ、ちつと|雪《ゆき》が|溶《と》けたら|親子《おやこ》|三人《さんにん》お|礼詣《れいまゐ》りに|行《ゆ》かうかい』
お|楢《なら》『|行《ゆ》かうとも|行《ゆ》かうとも、|道《みち》が【あか】いでも|今晩《こんばん》でも|直《すぐ》に|行《ゆ》きたいのだが、|三人《さんにん》のお|客《きやく》さまが|居《ゐ》らつしやるのだから、|今晩《こんばん》|夜《よ》が|明《あ》けたら|三人《さんにん》のお|客《きやく》さまと|一緒《いつしよ》に|非《ひ》が|邪《じや》でも|詣《まゐ》りませう、ナアお|節《せつ》、さう|仕様《しやう》ぢやないか』
お|節《せつ》『はいはい|妾《わたし》が|案内《あんない》|致《いた》しますから|御礼《おれい》|参詣《まゐり》をして|下《くだ》さい、|然《しか》し|明日《あす》のお|客《きやく》さまの|御馳走《ごちそう》を|考《かんが》へて|置《お》かねばなりますまい、ナアお|爺《ぢい》さま』
|平助《へいすけ》『オヽ、さうだつたな、|何《なん》の|御馳走《ごちそう》をして|上《あ》げようか、|砂混《すなま》ぜの|御飯《ごはん》をして|上《あ》げようか、|栗石《くりいし》の|混《ま》ぜ|御飯《ごはん》にして|上《あ》げようか、どちらが|宜《よ》からうか、ナアお|楢《なら》』
お|楢《なら》『|娘《むすめ》が|無事《ぶじ》に|帰《かへ》つて|呉《く》れたのだから|祝《いは》ひがてら|御馳走《ごちそう》を|半殺《はんごろ》しにしませうか、|一層《いつそう》の|事《こと》|皆殺《みなごろ》しにして|上《あ》げようかナア』
お|節《せつ》『|皆殺《みなごろ》しにするのは|大層《たいそう》だから|一層《いつそう》の|事《こと》お|爺《ぢい》さま、|半殺《はんごろ》しが|宜《よろ》しからうぜ』
|平助《へいすけ》『アヽ、さうじや、|半殺《はんごろ》しが|手間《てま》が|要《い》らぬで|宜《よ》いワ、それでは|半殺《はんごろ》しに|定《き》めようか、サア|之《これ》からそろそろ|婆《ば》アさま、|用意《ようい》に|掛《かか》らうかな』
|隣《となり》の|室《ま》に|寝《ね》て|居《ゐ》る|岩公《いはこう》は|真青《まつさを》の|顔《かほ》をして|小声《こごゑ》になり、
『オイ、|勘公《かんこう》、|櫟公《いちこう》、あれ|聞《き》いたか』
『オ、|聞《き》いた、|何《なん》と|恐《おそ》ろしい|家《うち》ぢやないか、|砂《すな》を|混《ま》ぜて|御飯《ごはん》に|食《く》はさうとか、|栗石《くりいし》を|入《い》れて|御馳走《ごちそう》にしようとか、|偉《えら》い|事《こと》を|言《い》ひよつたぢやないか、|一体《いつたい》|如何《どう》なるのだらう』
|岩公《いはこう》『ソンナ【へどろい】|事《こと》かい、|今《いま》|三人《さんにん》がひそびそ|話《はなし》をしてるのを|聞《き》いて|見《み》れば|半殺《はんごろ》しにしようか、|皆殺《みなごろ》しにしようかと|言《い》うて|居《を》つたぢやないか、コンナ|処《ところ》に|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》ると|生命《いのち》がないぞ、|何《なん》とかして|逃《に》げ|出《だ》す|工夫《くふう》はあるまいか、|門口《かどぐち》には|陥穽《おとしあな》を|掘《ほ》つて|居《ゐ》よるし|裏《うら》は|絶壁《ぜつぺき》だし|進退《しんたい》|維《これ》|谷《きはま》るとは|此処《ここ》の|事《こと》だ、エ、|仕方《しかた》が|無《な》い、|逃出《にげだ》そかい、|爺《ぢい》の|歩《ある》きよつた|処《ところ》を|覚《おぼ》えて|居《ゐ》るから|其処《そこ》へ|添《そ》つて|通《とほ》れば|宜《よ》い、|皆《みな》の|奴《やつ》、|用意《ようい》をせい、|勘《かん》、|櫟《いち》、|皆《みな》|来《き》た、|三十六計《さんじふろくけい》の|奥《おく》の|手《て》だ』
と|起《お》き|上《あが》りそろりそろりとカンテラの|火影《ほかげ》を|忍《しの》びて|庭《には》の|面《おもて》を|這《は》ひ|出《だ》したり。|平助《へいすけ》はフツと|庭《には》を|見《み》る|途端《とたん》に|黒《くろ》い|者《もの》が【のさ】のさ|這《は》うて|居《を》る。
|平助《へいすけ》『ヤイ、|何者《なにもの》ぢや、|盗人《ぬすびと》か』
|岩公《いはこう》『ハイ、|盗人《ぬすびと》でも|何《なん》でも|御座《ござ》いませぬ、|夜前《やぜん》の|三人《さんにん》の|客《きやく》で|御座《ござ》います』
|平助《へいすけ》『お|前《まへ》さまは|寝惚《ねとぼ》けたのかい、そこは|庭《には》ぢやぜ、さあさ|早《はや》くお|炬燵《こた》へ|這入《はい》つて|寝《やす》みなさい』
|岩公《いはこう》『こら、やいやい、|鬼爺《おにぢぢ》、|鬼婆《おにばば》、|鬼娘《おにむすめ》、|貴様《きさま》の|計略《けいりやく》はチヤンと|知《し》つて|居《を》るのだ、|貴様《きさま》の|様《やう》な|鬼《おに》は|飯《めし》に|砂《すな》を|入《い》れたり、|栗石《くりいし》を|入《い》れて|喰《く》ふか|知《し》らぬが、|人間様《にんげんさま》は|砂《すな》や|栗石《くりいし》は|食《あが》らないぞ、お|前《まへ》、|半殺《はんごろ》しにしようとか、|皆殺《みなごろ》しにしようとか、それや|何事《なにごと》だ、|老耄爺《おいぼれぢい》|奴《め》が』
|平助《へいすけ》『ハヽヽヽ、ア、お|前《まへ》さまは|聞《き》き|違《ちが》ひしたのか、|砂《すな》|混《ま》ぜの|御飯《ごはん》と|言《い》ふのはお|米《こめ》と|栗《くり》との|御飯《ごはん》ぢや、|栗石《くりいし》を|混《ま》ぜると|言《い》ふのはお|米《こめ》と|麦《むぎ》との|混《ま》ぜ|御飯《ごはん》ぢやわいナ』
|岩公《いはこう》『それでも|貴様《きさま》、|半殺《はんごろ》しにするの、|皆殺《みなごろ》しにするのと|言《い》つたぢやないか』
|平助《へいすけ》『ハヽヽヽ、|半殺《はんごろ》しと|言《い》つたら|牡丹餅《ぼたもち》の|事《こと》ぢや、|皆殺《みなごろ》しと|言《い》つたら|搗《つ》いて|搗《つ》いて|搗《つ》ききつた|餅《もち》の|事《こと》だ、|心配《しんぱい》しなさるな』
|岩公《いはこう》『|何《なん》だ、ソンナ|事《こと》だつたかい、いや、これやお|爺《ぢい》さまの|折角《せつかく》の|思召《おぼしめし》、|半殺《はんごろ》しでも|皆殺《みなごろ》しでも|結構《けつこう》です、どしどし|拵《こしら》へて|下《くだ》さい。おい、|櫟《いち》、|勘《かん》、|心配《しんぱい》するな、|牡丹餅《ぼたもち》に|餡転餅《あんころもち》の|御馳走《ごちそう》の|事《こと》だつたよ、アハヽヽヽ』
|櫟《いち》、|勘《かん》『ア、それで|安心《あんしん》した、|何《ど》れ|丈《だ》け|胆《きも》を|潰《つぶ》したか|知《し》れたものぢやない、|団子《だんご》も|餅《もち》も|食《よば》れぬ|先《さき》に|胸元《むねもと》に|三《み》つ|四《よ》つ|餡転餅《あんころもち》の|固《かた》まりが|出来《でき》よつたワ、アハヽヽヽ』
お|楢《なら》『サアサ|皆様《みなさま》、|御心配《ごしんぱい》なしに|御寝《おやす》み|下《くだ》さい、|妾《わたし》は|之《これ》から|皆殺《みなごろ》しを|拵《こしら》へます』
|岩彦《いはひこ》『|何分《なにぶん》|宜《よろ》しう|御頼《おたの》み|申《まを》します、|同《おな》じ|事《こと》なら|半殺《はんごろ》しと、|皆殺《みなごろ》しと|両方《りやうはう》|頂《いただ》き|度《た》いものですな』
お|節《せつ》『ホヽヽヽ』
|三人《さんにん》はやつと|安心《あんしん》の|上《うへ》、|他愛《たあい》もなく|寝《しん》に|就《つ》きける。ふと|目《め》を|覚《さま》せば|小鶏《ちやぼ》の|声《こゑ》。
|岩公《いはこう》『ヤア、グツと|寝《ね》た|間《ま》にもう|夜明《よあ》けだ。おい|皆《みな》の|奴《やつ》、|早《はや》う|起《お》きて|御馳走《ごちそう》を|頂戴《ちやうだい》しようかい』
お|節《せつ》|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ、
お|節《せつ》『サアサ|皆《みな》さま、|御手洗《おてうず》をお|使《つか》ひ|遊《あそ》ばせ、|半殺《はんごろ》しと|皆殺《みなごろ》しとが|出来《でき》ましたから、どつさりお|食《あが》り|下《くだ》さいませ。|今日《けふ》は|真名井ケ原《まなゐがはら》の|豊国姫《とよくにひめ》の|神《かみ》さまの|出現場《しゆつげんば》にお|礼《れい》に|詣《まゐ》りますから|何卒《どうぞ》|一緒《いつしよ》にお|願《ねがひ》|申《まを》します』
|岩彦《いはひこ》|外《ほか》|二人《ふたり》は『ハイ』と|答《こた》へて|跳起《はねお》き、|手洗《ちようづ》をつかひ|牡丹餅《ぼたもち》と|餡転餅《あんころもち》を【ウン】と|胃《ゐ》の|腑《ふ》に|格納《かくなふ》し、|六人《ろくにん》|打連《うちつ》れ|立《だ》つて|真名井ケ原《まなゐがはら》に|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひ|乍《なが》ら|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・四・一六 旧三・二〇 北村隆光録)
|跋《ばつ》
|小幡神社《をばたじんしや》の|産《うぶ》の|児《こ》と |生《うま》れ|出《い》でたる|瑞月《ずゐげつ》が
|二十五年《にじふごねん》の|時津風《ときつかぜ》 いよいよ|吹《ふ》いて|北条《きたでう》の
|産声《うぶごゑ》|揚《あ》げし|宮垣内《みやがいち》 |清《きよ》く|湧《わ》き|出《づ》る|玉《たま》の|井《ゐ》の
|瑞《みづ》の|御魂《みたま》のコンコンと |果《は》てしも|知《し》らぬ|神《かみ》の|恩《おん》
|万《まん》が|一《いち》にも|報《むく》いむと |竜宮館《りうぐうやかた》を|立出《たちい》でて
|恵《めぐみ》の|雨《あめ》のふる|里《さと》に |教《をしへ》の|御子《みこ》を|伴《ともな》ひつ
|壬戌《みづのえいぬ》の|弥生空《やよひぞら》 |月《つき》|照《て》り|渡《わた》る|川《かは》|流《なが》れ
|心《こころ》を|清《きよ》め|身《み》をすすぎ |一行《いつかう》|三百五十人《さんびやくごじふにん》
|祝詞《のりと》の|声《こゑ》も|高熊《たかくま》の |岩窟《がんくつ》さして|進《すす》み|行《ゆ》く
|折《をり》から|降《ふ》り|来《く》る|法《のり》の|雨《あめ》 |西国《さいごく》|二十一番《にじふいちばん》の
|観音《くわんのん》|霊場《れいぢやう》と|聞《きこ》えたる |名《な》さへ|床《ゆか》しき|穴太寺《あなをでら》
|三十三相《さんじふさんさう》に|身《み》を|変《へん》じ |衆生《しゆじやう》|済度《さいど》を|誓《ちか》ひたる
|尊《たふと》き|最勝妙如来《さいしようめうによらい》 |仏《ぶつ》の|御堂《みだう》の|修繕《しうぜん》も
|全《まつた》く|終《を》へて|御開帳《ごかいちやう》 |春《はる》の|日永《ひなが》のぶらぶらと
|遠《とほ》き|近《ちか》きの|信徒等《しんとら》が |種々《しゆじゆ》の|余興《よきよう》や|舞踊《まひをど》り
|旗《はた》に|幟《のぼり》に|吹《ふ》き|散《ち》らし |景気《けいき》を|添《そ》ふる|揚花火《あげはなび》
|三十三所《さんじふさんしよ》の|円頭《まるあたま》 |練込《ねりこ》むほほづき|数珠《じゆず》つなぎ
|稚児《ちご》の|行列《ぎやうれつ》|愛《あい》らしく |見《み》とれていつしか|知《し》らぬ|間《ま》に
|天台《てんだい》|宗派《しうは》の|菩提山《ぼだいさん》 |奥《おく》の|一間《ひとま》に|進《すす》み|入《い》り
|弁当《べんたう》|茶菓《さくわ》のもてなしに |院主《ゐんじゆ》や|執事《しつじ》の|親切《しんせつ》を
|感謝《かんしや》に|感謝《かんしや》|重《かさ》ねつつ |本堂《ほんだう》|庫裏《くり》に|誘《いざな》はれ
みづの|聖像《せいざう》|伏拝《ふしをが》み |雨《あめ》を|待《ま》つ|間《ま》の|酒《さけ》の|席《せき》
|抹茶《まつちや》|煎茶《せんちや》に|浮《う》かされて ぶらりぶらりと|生《うま》れ|家《が》の
いぶせき|小屋《こや》に|立帰《たちかへ》り |三日三夜《みつかみよさ》を|棒《ぼう》にふり
|誠《まこと》の|杖《つゑ》を|突《つ》きながら |瑞祥閣《ずゐしやうかく》の|人《ひと》となり
|又《また》もや|寝言《ねごと》を|福《ふく》の|神《かみ》 |倒《こ》け|徳利《どつくり》の|一《ひと》つ|口《ぐち》
|身《み》を|横《よこ》たへて|惟神《かむながら》 |出《い》づるがままに|述《の》べて|行《ゆ》く。
大正十一年弥生月
於瑞祥閣 王仁
|霊《たま》の|礎《いしずゑ》(一)
|霊界《れいかい》には|神界《しんかい》、|中界《ちうかい》、|幽界《いうかい》の|三大境域《さんだいきやうゐき》がある。
|神界《しんかい》は|神道家《しんだうか》の|唱《とな》ふる|高天原《たかあまはら》であり、|仏者《ぶつしや》の|謂《ゐ》ふ|極楽浄土《ごくらくじやうど》であり、|又《また》|耶蘇《やそ》のいふ|天国《てんごく》である。
○
|中界《ちうかい》は|神道家《しんだうか》の|唱《とな》ふる|天《あめ》の|八衢《やちまた》であり、|仏者《ぶつしや》の|謂《ゐ》ふ|六道《ろくだう》の|辻《つじ》であり、キリストのいふ|精霊界《せいれいかい》である。
○
|幽界《いうかい》は|神道家《しんだうか》の|唱《とな》ふる|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》であり、|仏者《ぶつしや》の|謂《ゐ》ふ|八万地獄《はちまんぢごく》であり、|又《また》キリストのいふ|地獄《ぢごく》である。
○
|故《ゆゑ》に|天《あめ》の|八衢《やちまた》は|高天原《たかあまはら》にもあらず、また|根底《ねそこ》の|国《くに》にもあらず、|両界《りやうかい》の|中間《ちうかん》に|介在《かいざい》する|中《なか》|程《ほど》の|位地《ゐち》にして|即《すなは》ち|情態《じやうたい》である。|人《ひと》の|死後《しご》|直《ただち》に|到《いた》るべき|境域《きやうゐき》にして|所謂《いはゆる》|中有《ちうう》である。|中有《ちゆうう》に|在《あ》ること|稍《やや》|久《ひさ》しき|後《のち》|現界《げんかい》にありし|時《とき》の|行為《かうゐ》の|正邪《せいじや》により|或《あるひ》は|高天原《たかあまはら》に|昇《のぼ》り、|或《あるひ》は|根底《ねそこ》の|国《くに》へ|落《お》ち|行《ゆ》くものである。
○
|人霊《じんれい》|中有《ちゆうう》の|情態《じやうたい》(|天《あめ》の|八衢《やちまた》)に|居《を》る|時《とき》は|天界《てんかい》にもあらず|又《また》|地獄《ぢごく》にもあらず。|仏者《ぶつしや》の|所謂《いはゆる》|六道《ろくだう》の|辻《つじ》または|三途《せうづ》の|川辺《かはべ》に|立《た》ちて|居《ゐ》るものである。
○
|人間《にんげん》に|於《お》ける|高天原《たかあまはら》の|情態《じやうたい》とは|真《しん》と|善《ぜん》と|美《び》の|相和合《あひわがふ》せし|時《とき》であり、|根底《ねそこ》の|国《くに》の|情態《じやうたい》とは|邪悪《じやあく》と|虚偽《きよぎ》とが|人間《にんげん》にありて|合致《がつち》せる|時《とき》を|云《い》ふのである。
○
|人《ひと》の|霊魂中《れいこんちう》に|在《あ》る|所《ところ》の|真《しん》と|善《ぜん》と|美《び》と|和合《わがふ》する|時《とき》はその|人《ひと》は|直《ただち》に|天国《てんごく》に|昇《のぼ》り、|人《ひと》の|霊魂中《れいこんちう》に|在《あ》る|邪悪《じやあく》と|虚偽《きよぎ》と|合致《がつち》したる|時《とき》は、その|人《ひと》は|忽《たちま》ち|地獄《ぢごく》に|墜《お》つるものである。|此《かく》の|如《ごと》きは|天《あめ》の|八衢《やちまた》に|在《あ》る|時《とき》に|於《おい》て|行《おこな》はるるものである。
○
|天《あめ》の|八衢《やちまた》(|中有界《ちううかい》)に|在《あ》る|人霊《じんれい》は|頗《すこぶ》る|多数《たすう》である。|八衢《やちまた》は|一切《いつさい》のものの|初《はじ》めての|会合所《くわいがふしよ》であつて、|此処《ここ》にて|先《ま》づ|霊魂《れいこん》を|試験《しけん》され|準備《じゆんび》さるるのである。|人霊《じんれい》の|八衢《やちまた》に|彷徨《はうくわう》し|居住《きよぢう》する|期間《きかん》は|必《かなら》ずしも|一定《いつてい》しない、|直《ただち》に|高天原《たかあまはら》へ|上《のぼ》るのもあり、|直《ただち》に|地獄《ぢごく》に|落《お》ちるのもある。|極善《ごくぜん》|極真《ごくしん》は|直《ただち》に|高天原《たかあまはら》に|上《のぼ》り、|極邪《ごくじや》|極悪《ごくあく》は|直《ただち》に|根底《ねそこ》の|国《くに》へ|墜落《つゐらく》して|了《しま》ふのである。|或《あるひ》は|八衢《やちまた》に|数日《すうじつ》|又《また》は|数週日《すうしうじつ》|数年間《すうねんかん》|居《を》るものである。されど|此処《ここ》に|三十年《さんじふねん》|以上《いじやう》|居《を》るものは|無《な》い。|此《かく》の|如《ごと》く|時限《じげん》に|於《おい》て|相違《さうゐ》があるのは、|人間《にんげん》の|内外分《ないぐわいぶん》の|間《あひだ》に|相応《さうおう》あると、あらざるとに|由《よ》るからである。
○
|人間《にんげん》の|死《し》するや、|神《かみ》は|直《ただち》にその|霊魂《れいこん》の|正邪《せいじや》を|審判《しんぱん》し|給《たま》ふ、|故《ゆゑ》に|悪《あし》きものの|地獄界《ぢごくかい》に|於《お》ける|醜団体《しうだんたい》に|赴《おもむ》くはその|人間《にんげん》の|世《よ》にある|時《とき》その|主《しゆ》とする|所《ところ》の|愛《あい》なるものが|地獄界《ぢごくかい》に|所属《しよぞく》して|居《ゐ》たからである。|又《また》|善《よ》き|人《ひと》の|高天原《たかあまはら》に|於《お》ける|善美《ぜんび》の|団体《だんたい》に|赴《おもむ》くのもその|人《ひと》の|世《よ》に|在《あ》りし|時《とき》の|其《その》|愛《あい》、|其《その》|善《ぜん》、|其《その》|真《しん》は|正《まさ》に|天国《てんごく》の|団体《だんたい》に|既《すで》に|加入《かにふ》して|居《ゐ》たからである。
○
|天界《てんかい》|地獄《ぢごく》の|区劃《くくわく》は|此《かく》の|如《ごと》く|判然《はんぜん》たりと|雖《いへど》も、|肉体《にくたい》の|生涯《しやうがい》に|在《あ》りし|時《とき》に|於《おい》て|朋友《ほういう》となり|知己《ちき》となりしものや、|特《とく》に|夫婦《ふうふ》、|兄弟《きやうだい》、|姉妹《きやうだい》となりしものは、|神《かみ》の|許可《きよか》を|得《え》て|天《あめ》の|八衢《やちまた》に|於《おい》て|会談《くわいだん》することが|出来《でき》るものである。
○
|生前《せいぜん》の|朋友《ほういう》、|知己《ちき》、|夫婦《ふうふ》、|兄弟《きやうだい》、|姉妹《しまい》と|雖《いへど》も、|一旦《いつたん》この|八衢《やちまた》に|於《おい》て|別《わか》れたる|時《とき》は、|高天原《たかあまはら》に|於《おい》ても|根底《ねそこ》の|国《くに》に|於《おい》ても|再《ふたた》び|相見《あひみ》る|事《こと》は|出来《でき》ない。|又《また》|相識《あひし》る|事《こと》も|無《な》い。|但《ただし》|同一《どういつ》の|信仰《しんかう》、|同一《どういつ》の|愛《あい》、|同一《どういつ》の|性情《せいじやう》に|居《を》つたものは|天国《てんごく》に|於《おい》て|再《ふたた》び|相見《あひみ》、|相識《あひし》ることが|出来《でき》るのである。
○
|人間《にんげん》の|死後《しご》、|高天原《たかあまはら》や|根底《ねそこ》の|国《くに》へ|行《ゆ》くに|先《さき》だつて|何人《なにびと》も|経過《けいくわ》すべき|状態《じやうたい》が|三途《さんと》ある。そして|第一《だいいち》は|外分《ぐわいぶん》の|状態《じやうたい》、|第二《だいに》は|内分《ないぶん》の|状態《じやうたい》、|第三《だいさん》は|準備《じゆんび》の|状態《じやうたい》である。この|状態《じやうたい》を|経過《けいくわ》する|境域《きやうゐき》は|天《あめ》の|八衢《やちまた》(|中有界《ちううかい》)である。|然《しか》るに|此《こ》の|順序《じゆんじよ》を|待《ま》たず|直《ただち》に|高天原《たかあまはら》に|上《のぼ》り、|根底《ねそこ》の|国《くに》へ|落《お》つるものもあるのは|前《まへ》に|述《の》べた|通《とほ》りである。|直《ただち》に|高天原《たかあまはら》に|上《のぼ》り|又《また》は|導《みちび》かるるものは、その|人間《にんげん》が|現界《げんかい》に|在《あ》る|時《とき》|神《かみ》を|知《し》り、|神《かみ》を|信《しん》じ|善道《ぜんだう》を|履《ふ》み|行《おこな》ひ、その|霊魂《れいこん》は|神《かみ》に|復活《ふくくわつ》して|高天原《たかあまはら》へ|上《のぼ》る|準備《じゆんび》が|早《はや》くも|出来《でき》て|居《ゐ》たからである。
また|善《ぜん》を|表《おもて》に|標榜《へうぼう》して|内心《ないしん》|悪《あく》を|包蔵《はうざう》するもの|即《すなは》ち、|自己《じこ》の|凶悪《きようあく》を|装《よそほ》ひ|人《ひと》を|欺《あざむ》くために|善《ぜん》を|利用《りよう》した|偽善者《きぜんしや》や、|不信仰《ふしんかう》にして|神《かみ》の|存在《そんざい》を|認《みと》めなかつたものは、|直《ただち》に|地獄《ぢごく》に|墜落《つゐらく》し|無限《むげん》の|永苦《えいく》を|受《う》くる|事《こと》になるのである。
○
|死後《しご》|高天原《たかあまはら》に|安住《あんぢう》せむとして|霊的《れいてき》|生涯《しやうがい》を|送《おく》ると|云《い》ふことは、|非常《ひじやう》に|難事《なんじ》と|信《しん》ずるものがある。|世《よ》を|捨《す》てその|身肉《しんにく》に|属《ぞく》せる|所謂《いはゆる》|情慾《じやうよく》なるものを|一切《いつさい》|脱離《だつり》せなくては|成《な》らないからだと|言《い》ふ|人《ひと》がある。|此《かく》の|如《ごと》き|考《かんが》への|人《ひと》は|主《しゆ》として|冨貴《ふうき》より|成《な》れる|世間的《せけんてき》|事物《じぶつ》を|斥《しりぞ》け、|神《かみ》、|仏《ほとけ》、|救《すく》ひ、|永遠《ゑいゑん》の|生命《せいめい》と|云《い》ふことに|関《くわん》して、|絶《た》えず|敬虔《けいけん》な|想念《さうねん》を|凝《こ》らし|祈願《きぐわん》を|励《はげ》み|教典《けうてん》を|読誦《どくじゆ》して|功徳《くどく》を|積《つ》み|世《よ》を|捨《す》て|肉《にく》を|離《はな》れて|霊《れい》に|住《す》めるものと|思《おも》つて|居《を》るのである。|然《しか》るに|天国《てんごく》は|此《かく》の|如《ごと》くにして|上《のぼ》り|得《う》るものでは|無《な》い。|世《よ》を|捨《す》て|霊《れい》に|住《す》み|肉《にく》を|離《はな》れようと|努《つと》むるものは|却《かへつ》て|一種《いつしゆ》|悲哀《ひあい》の|生涯《しやうがい》を|修得《しうとく》し|高天原《たかあまはら》の|歓楽《くわんらく》を|摂受《せつじゆ》する|事《こと》は|到底《たうてい》|出来《でき》るものではない。|何《な》ンとなれば|人《ひと》は|各自《かくじ》の|生涯《しやうがい》が|死後《しご》にも|猶《なほ》|留存《りうぞん》するものなるが|故《ゆゑ》である。|高天原《たかあまはら》に|上《のぼ》りて|歓楽《くわんらく》の|生涯《しやうがい》を|永遠《ゑいゑん》に|受《うけ》むと|思《おも》はば|現世《げんせ》に|於《おい》て|世間的《せけんてき》の|業務《げふむ》を|採《と》りその|職掌《しよくしやう》を|尽《つく》し|道徳的《だうとくてき》|民文的《みんぶんてき》|生涯《しやうがい》を|送《おく》り、かくして|後《のち》|始《はじ》めて|霊的《れいてき》|生涯《しやうがい》を|受《う》けねばならぬのである。これを|外《ほか》にしては|霊的《れいてき》|生涯《しやうがい》を|為《な》し、その|心霊《しんれい》をして|高天原《たかあまはら》に|上《のぼ》るの|準備《じゆんび》を|完《まつた》ふし|得《う》べき|途《みち》は|無《な》いのである。|内的《ないてき》|生涯《しやうがい》を|清《きよ》く|送《おく》ると|同時《どうじ》に|外的《ぐわいてき》|生涯《しやうがい》を|営《いとな》まないものは|砂上《さじやう》の|楼閣《ろうかく》の|如《ごと》きものである。|或《あるひ》は|次第《しだい》に|陥没《かんぼつ》し|或《あるひ》は|壁《かべ》|落《お》ち|床《ゆか》|破《やぶ》れ|崩壊《ほうくわい》し|顛覆《てんぷく》する|如《ごと》きものである。アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
|霊《たま》の|礎《いしずゑ》(二)
|幼児《えうじ》|嬰児《えいじ》の|死後《しご》
|嬰児《えいじ》や|幼児《えうじ》の|不幸《ふかう》にして |現世界《このよ》を|去《さ》りしその|後《あと》の
|状況《じやうきやう》|具《つぶ》さに|演《の》べておく。
○
|人《ひと》と|現《あら》はれ|出《いで》し|身《み》は |必《かなら》ず|復活《ふくくわつ》するものぞ
そは|神言《かみごと》と|言霊《ことたま》の |力《ちから》に|頼《たよ》り|得《う》ればなり
|言霊《げんれい》|神語《しんご》に|神真《まこと》あり |神真《まこと》に|由《よ》りて|復活《ふくくわつ》し
|神《かみ》をば|覚《さと》り|得《う》るものぞ。
○
|嬰児《えいじ》はその|父《ちち》また|母《はは》の |善悪正邪《ぜんあくせいじや》に|拘《かか》はらず
|信《しん》と|不信《ふしん》の|区別《くべつ》|無《な》く その|死《し》に|当《あた》りて|救世神《ぐせしん》の
|摂受《せつじゆ》し|給《たま》ふものなれば |神界《しんかい》にても|慇懃《いんぎん》に
|一大《いちだい》|薫陶《くんたう》を|受《う》くるなり。
○
|嬰児《えいじ》は|順序《じゆんじよ》に|従《したが》ひて |教育《けういく》せられ|善《ぜん》と|美《び》に
|対《たい》する|情動《じやうだう》に|浸染《しんせん》し |真智《しんち》を|培《つちか》ひ|識《しき》を|得《え》つ
その|後《のち》|知識《ちしき》と|証覚《しようかく》と |相《あひ》|伴《ともな》ひて|円満《ゑんまん》の
|域《ゐき》に|進《すす》むに|従《したが》ひて |遂《つひ》に|天界《たかま》へ|導《みちび》かれ
|天人《てんにん》|神子《しんし》となるものぞ。
○
|事物《じぶつ》の|道理《だうり》に|通暁《つうげう》せる |世人《せじん》は|決《けつ》して|一人《ひとり》でも
|地獄《ぢごく》|根底《ねそこ》へ|行《ゆ》く|為《ため》に |生《うま》れ|出《いで》たる|者《もの》は|無《な》し
|只《ただ》|神霊界《しんれいかい》の|経綸《けいりん》に |仕《つか》ふるために|生《あ》れし|者《もの》ぞ
|根底《ねそこ》の|国《くに》や|地獄《ぢごく》へと |落《お》ち|行《ゆ》くものは|自《みづか》らの
|現世《げんせ》に|犯《をか》せし|罪過《ざいくわ》にて |身《み》を|苦《くる》しむる|者《もの》ぞかし
|嬰児《えいじ》|幼児《えうじ》は|世《よ》の|中《なか》に |罪過《ざいくわ》を|犯《をか》せし|事《こと》もなく
|清浄《せいじやう》の|身魂《みたま》の|故《ゆゑ》ぞかし。
○
|嬰児《えいじ》|幼児《えうじ》の|現界《げんかい》を |去《さ》りて|他界《たかい》に|到《いた》る|時《とき》は
|依然《いぜん》と|元《もと》の|嬰児《えいじ》なり |無識《むしき》と|無智《むち》の|其《その》うちに
|清浄《せいじやう》|無垢《むく》の|所《ところ》あり |万事《ばんじ》に|対《たい》して|可愛《かはい》こと
その|生前《せいぜん》と|異《ことな》らず |彼《かれ》は|神界《しんかい》の|天人《てんにん》と
なるべき|資格《しかく》|能力《のうりよく》の |萠芽《はうが》を|自然《しぜん》に|保有《ほいう》せり
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|仁慈《じんじ》の|尊《たふと》さよ。
○
|凡《すべ》ての|人《ひと》の|現《うつ》し|世《よ》を |捨《す》てて|他界《たかい》に|入《い》る|時《とき》も
また|生前《せいぜん》と|同一《どういつ》の |状態《じやうたい》なるぞ|不思議《ふしぎ》なれ。
○
|嬰児《えいじ》は|嬰児《えいじ》の|状態《じやうたい》に |幼児《えうじ》は|幼児《えうじ》の|状態《じやうたい》に
|青年《せいねん》|成人《せいじん》|老人《らうじん》も |現界《げんかい》|同様《どうやう》の|状態《じやうたい》で
|中有世界《ちううせかい》に|逍遥《せうえう》す |各自《かくじ》の|人《ひと》の|状態《じやうたい》が
|転変《てんぺん》するは|其《その》|後《のち》ぞ。
○
|嬰児《えいじ》|幼児《えうじ》の|状態《じやうたい》の |他《た》よりも|優《まさ》りしものあるは
|清浄《せいじやう》|無垢《むく》にて|悪念《あくねん》の |起《お》こりしこと|無《な》く|実際《じつさい》の
その|生涯《しやうがい》に|悪業《あくごふ》の |根底《ねそこ》を|下《おろ》さぬ|為《ため》ぞかし
|清明無垢《せいめいむく》の|嬰幼児《えいえうじ》は |神霊《しんれい》|世界《せかい》|一切《いつさい》の
|事物《じぶつ》は|心《こころ》に|植込《うゑこ》まれ |信《まこと》の|真《しん》と|愛《あい》の|善《ぜん》
|受《う》くべき|器《うつは》なればなり。
○
|他界《たかい》に|於《お》ける|嬰児《みどりご》の その|状態《じやうたい》は|現界《げんかい》の
|小児《せうに》に|凡《すべ》て|超越《てうゑつ》す |物質的《ぶつしつてき》の|形態《けいたい》を
|有《いう》するものは|自身《じしん》にて |頑鈍《ぐわんどん》なればその|始《はじ》め
|受《う》くる|所《ところ》の|感覚《かんかく》と |情緒《じやうちよ》は|霊界《れいかい》よりで|無《な》く
|外界《ぐわいかい》|起元《きげん》を|辿《たど》り|行《ゆ》く。
○
|故《ゆゑ》に|世上《せじやう》の|嬰児等《えいじら》は |如何《いか》に|地上《ちじやう》を|歩《あゆ》まむか
|如何《いか》に|動作《どうさ》を|統制《とうせい》し |言語《げんご》を|発《はつ》する|事《こと》までも
|学《まな》ばにやならぬ|不便《ふべん》あり |其《その》|感覚《かんかく》に|至《いた》りても
|眼《まなこ》や|耳《みみ》や|口《くち》の|如《ごと》き そを|開《ひら》かむと|焦慮《せうりよ》して
|漸《やうや》く|目的《もくてき》|達成《たつせい》す。
○
されど|他界《たかい》の|小児等《せうにら》は |之《これ》と|全《まつた》く|相反《あひはん》し
|精霊界《せいれいかい》に|在《あ》る|故《ゆゑ》に |動作《どうさ》|悉《ことごと》|内分《ないぶん》より
|来《く》れば|実習《じつしふ》を|待《ま》たずして |或《あるひ》は|歩《あゆ》み|且《か》つ|語《かた》る
|神霊界《しんれいかい》の|天人《てんにん》の |言語《げんご》は|概《がい》して|想中《そうちう》の
|諸概念《しよがいねん》にて|調停《てうてい》され その|情動《じやうだう》より|流《なが》れ|出《い》づ
これ|現界《げんかい》と|霊界《れいかい》の |人《ひと》の|相違《さうゐ》の|有《あ》る|点《てん》ぞ。
大正十一年十二月
○
|小雨《こさめ》ふる|透明殿《とうめいでん》の|洋室《やうしつ》に
|初夏《しよか》を|籠《こも》らひ|校正《かうせい》ペン|採《と》る
(昭和一〇・五・二八 於透明殿 王仁校正)
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霊界物語 第一六巻 如意宝珠 卯の巻
終り