霊界物語 第一四巻 如意宝珠 丑の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第十四巻』愛善世界社
1995(平成07)年11月05日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2004年04月01日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序歌《じよか》
|信天翁《あはうどり》四
|凡例《はんれい》
|総論歌《そうろんか》
第一篇 |五里夢中《ごりむちう》
第一章 |三途川《せうづがは》〔五五一〕
第二章 |銅木像《どうもくぞう》〔五五二〕
第三章 |鷹彦《たかひこ》|還元《くわんげん》〔五五三〕
第四章 |馬詈《ばり》〔五五四〕
第五章 |風馬牛《ふうばぎう》〔五五五〕
第二篇 |幽山霊水《いうざんれいすゐ》
第六章 |楽隠居《らくいんきよ》〔五五六〕
第七章 |難風《なんぷう》〔五五七〕
第八章 |泥《どろ》の|川《かは》〔五五八〕
第九章 |空中滑走《くうちうくわつそう》〔五五九〕
第三篇 |高加索《コーカス》|詣《まゐり》
第一〇章 |牡丹餅《ぼたもち》〔五六〇〕
第一一章 |河童《かつぱ》の|屁《へ》〔五六一〕
第一二章 |復縁談《ふくえんだん》〔五六二〕
第一三章 |山上《さんじやう》|幽斎《いうさい》〔五六三〕
第一四章 |一途川《いちづがは》〔五六四〕
第一五章 |丸木橋《まるきばし》〔五六五〕
第一六章 |返《かへ》り|咲《ざき》〔五六六〕
第四篇 |五六七号《みろくがう》
第一七章 |一寸《ちよつと》|一服《いつぷく》〔五六七〕
|跋文《ばつぶん》
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|序歌《じよか》
|五六七《みろく》の|殿《との》に|招集《おぎまつ》る |清《きよ》き|心《こころ》にかけまくも
|畏《かしこ》き|天《あめ》の|御中主《みなかぬし》 |皇大神《すめおほかみ》を|初《はじ》めとし
|高皇産霊《たかみむすび》の|大御神《おほみかみ》 |神皇産霊《かむみむすび》の|大御神《おほみかみ》
|大地《だいち》の|遠津祖神《とほつおやがみ》の |国常立《くにとこたち》の|大御神《おほみかみ》
|豊国主《とよくにぬし》の|大御神《おほみかみ》 |日《ひ》の|神国《かみくに》を|知食《しろしめ》す
|天照皇大御神《あまてらすすめおほみかみ》 |神素盞嗚《かむすさのを》の|大御神《おほみかみ》
|須世理之姫《すせりのひめ》の|大御神《おほみかみ》 |御空《みそら》を|伝《つた》ふ|月読《つきよみ》の
|皇神《すめかみ》|始《はじ》め|奉《たてまつ》り |天津神《あまつかみ》たち|八百万《やほよろづ》
|国津神《くにつかみ》たち|八百万《やほよろづ》 |神《かみ》の|稜威《みいづ》も|大八洲《おほやしま》
|嶋《しま》の|八十嶋《やそしま》|八十《やそ》の|国《くに》 |所々《ところどころ》の|大社《おほやしろ》
|小《ちい》さき|社《やしろ》に|常永《とこしへ》に |鎮《しづ》まり|玉《たま》ふ|千万《ちよろづ》の
|神《かみ》に|従《したが》ひ|仕《つか》えます |御供《みとも》の|神《かみ》や|千早振《ちはやふる》
|遠《とほ》き|神代《かみよ》の|昔《むかし》より |世《よ》に|落《お》ち|諸《もも》の|苦《くるし》みを
|受《うけ》させ|玉《たま》ひし|神々《かみがみ》の |一柱《ひとはしら》だに|漏《も》るる|無《な》く
|遺《おち》なく|殊《こと》に|幽事《かくりごと》 |知《し》らし|玉《たま》へる|八百米《やほよね》や
|杵築《きつき》の|宮《みや》に|現《あ》れませる |大国主《おほくにぬし》や|大物主《おほものぬし》
|医薬《くすし》の|術《わざ》と|禁厭《まじなひ》の |道《みち》に|幸《さち》はひ|玉《たま》ふてふ
|少名彦那《すくなひこな》の|神御魂《かむみたま》 |四《よ》ツ|尾《を》の|御山《みやま》|本宮《ほんぐう》の
|桶伏山《をけふせやま》に|鎮《しづ》まりし |世《よ》の|大本《おほもと》の|大御神《おほみかみ》
|枝葉《えだは》の|神《かみ》は|言《い》ふも|更《さら》 |天《あめ》をば|翔《かけ》り|国《くに》|駆《か》ける
カラや|大和《やまと》の|仙人《やまびと》|等《ら》 |凡《すべ》て|世《よ》にある|諸々《もろもろ》の
|正《ただ》しき|清《きよ》き|御霊《みたま》たち |只一柱《ただひとはしら》も|漏《も》れませず
|是《これ》の|霊界物語《れいかいものがたり》 |守《まも》りたまひて|人々《ひとびと》の
|正《ただ》しき|御霊《みたま》に|奇魂《くしみたま》 |清《きよ》く|憑《うつ》らせ|玉《たま》ひつつ
|身魂《みたま》を|洗《あら》ひ|水晶《すゐしやう》の |輝《かがや》き|渡《わた》るたまと|為《な》し
|広《ひろ》けく|深《ふか》く|神界《しんかい》の |仕組《しぐみ》を|悟《さと》らせ|玉《たま》へかし
|天勝国勝《あまかつくにかつ》|奇魂《くしみたま》 |千憑彦神《ちよりひこがみ》|曽富戸神《そほどがみ》
|亦《また》の|名《な》|久延毘古《くへびこ》|神御魂《かむみたま》 この|大本《おほもと》に|参《ま》ひ|集《つど》ふ
|信徒《まめひと》はじめ|世《よ》の|中《なか》の あらゆる|人《ひと》に|惟神《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましまして |各自《かくじ》の|御魂《みたま》に|優《すぐ》れたる
|御魂《みたま》かからせ|玉《たま》ひつつ |今日《けふ》が|日《ひ》までも|知《し》らずして
|神《かみ》の|依《よ》さしの|神勅《しんちよく》を いと|疎略《おろそか》に|扱《あつか》ひし
|罪《つみ》|咎《とが》|穢《けがれ》|過《あやまち》を |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|宥《ゆる》させ|玉《たま》ひて|神々《かみがみ》の |神慮《しんりよ》を|深《ふか》く|覚《さと》るべく
|神幽現《しんいうげん》の|御聖言《ごせいげん》 |守《まも》らせ|玉《たま》へ|神国《かみくに》の
|御祖《みおや》の|神《かみ》の|御前《おんまへ》に |畏《かしこ》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎ|奉《まつ》る
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はへましまして
|出口《でぐち》|教祖《けうそ》の|御教《みをしへ》を うまらにつばらに|説《と》き|明《あ》かす
|如意宝珠《によいほつしゆ》の|物語《ものがたり》 |暇《ひま》ある|毎《ごと》に|嬉《うれ》しみて
|読《よ》み|窺《うかが》ひつ|天地《あめつち》の |神《かみ》の|尊《たふと》き|勲功《いさをし》を
|知《し》らさせ|玉《たま》へと|瑞月《ずゐげつ》が |国《くに》の|御為《おんため》|世《よ》のために
|心《こころ》を|籠《こ》めて|祈《いの》りつつ |国常立《くにとこたち》の|大神《おほかみ》の
|御言《みこと》かしこみ|諾冊《なぎなみ》の |二柱神《ふたはしらがみ》|漂流《ただよ》へる
|地球《くに》をば|修理固成《つくりかため》むと |天《あま》の|沼矛《ぬほこ》をさし|下《お》ろし
|塩《しほ》コヲロコヲロに|掻《か》き|鳴《な》して |淤能碁呂嶋《おのころじま》を|生《う》み|玉《たま》ひ
|御国《みくに》の|胞衣《えな》と|定《さだ》めつつ |天《あめ》の|御柱《みはしら》|国柱《くにばしら》
|見立《みたて》たまひて|八尋殿《やひろどの》 |作《つく》りたまひて|二柱《ふたはしら》
|妹兄《いもせ》の|道《みち》を|常永《とこしへ》に |婚姻《とつぎ》たまひて|大八嶋《おほやしま》
|国々《くにぐに》|嶋々《しまじま》|数多《あまた》|生《う》み |青人草《あをひとぐさ》の|始祖等《おやたち》や
|万《よろづ》の|物《もの》を|生《う》みたまひ |普《あまね》く|諸《もろ》の|神人《かみびと》を
|地上《ちじやう》に|安住《あんぢう》させむため |太陽《たいやう》|大地《だいち》|太陰《たいいん》の
|諸々《もも》の|神《かみ》たち|生《う》み|玉《たま》ひ |各自《おのも》|々々《おのも》の|神業《しんげふ》を
|依《よ》さし|玉《たま》ひて|万《よろづ》ごと |始《はじ》め|開《ひら》かせ|絶間《たえま》|無《な》く
|勤《いそ》しみ|玉《たま》へる|有難《ありがた》さ |天照皇大御神《あまてらすすめおほみかみ》
|国《くに》の|御祖《みおや》の|大神《おほかみ》の |大御心《おほみこころ》を|心《こころ》とし
|青人草《あをひとぐさ》を|悉《ことごと》く |恵《めぐ》み|幸《さち》はひ|愛《いつ》くしみ
いや|益々《ますます》に|蕃息《うまはり》|栄《さか》えしめ |功竟《ことを》へ|玉《たま》ふを|初《はじ》めとし
|大御神業《おほみわざ》をば|受持《うけも》ちて |天津国《あまつくに》をば|知食《しろしめ》し
|五穀《ごこく》の|種《たね》を|御覧《みそなは》し これの|尊《たふと》き|種物《くさもの》は
|現《うつ》しき|青人草《あをひとぐさ》たちの |食《く》ひて|活《い》くべきものなりと
|詔《の》らせ|玉《たま》ひて|四方《よも》の|国《くに》 |隈《くま》なく|植付《うゑつ》けたまひたる
ごとく|御霊《みたま》の|幸《さち》はひて |如意《によい》の|宝珠《ほつしゆ》の|物語《ものがたり》
|世人《よびと》の|霊魂《みたま》の|糧《かて》となし |四方《よも》の|国々《くにぐに》|嶋々《しまじま》へ
|開《ひら》かせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》 |尊《たふと》とき|神《かみ》の|御守《おまも》りに
|神《かみ》の|言霊《ことたま》|幸《さち》はひて |荒《あら》ぶる|神《かみ》を|悉《ことごと》く
|払《はら》ひに|払《はら》ひ|語問《ことと》ひし |岩根木根立《いはねきねたち》|醜草《しこぐさ》の
その|片葉《かきは》をも|語止《ことや》めて |是《これ》の|教《をしへ》に|一筋《ひとすぢ》に
|靡《なび》かせ|玉《たま》へ|天地《あめつち》の |神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎ|奉《まつ》る。
|信天翁《あはうどり》四
|曲亭《きよくてい》|馬琴《ばきん》の|向《むかふ》を|張《は》り |止《と》め|度《ど》も|無《な》しにダラダラと
|長《なが》い|寝言《ねごと》の|物語《ものがたり》 その|内容《ないよう》は|大本《おほもと》の
|幹部《かんぶ》の|誰彼《たれかれ》|目標《もくへう》に |命《みこと》の|仮名《かりな》を|附会《ふくわい》して
|又《また》もや|現世《げんせ》に|有名《いうめい》な |人物《じんぶつ》|数多《あまた》|藉《か》り|来《き》たり
△△の|神《かみ》に|仕立《した》て|上《あ》げ |大本教《おほもとけう》の|過去《くわこ》|未来《みらい》
|現在《げんざい》までも|描《ゑが》き|出《だ》し |王仁《わに》の|妄想《もうさう》を|挿入《さうにふ》し
|解《わか》らぬ|様《やう》に|扮色《ふんしよく》し |江原《えはら》|小弥太《こやた》の|作《つく》りたる
|新旧約《しんきうやく》や|大乗経《だいじやうきやう》 |甘《うま》く|種《たね》をば|漁《あさ》りつつ
|幹部《かんぶ》の|外《ほか》は|誰《た》も|知《し》らぬ カラクリなりと|強誣《きやうぶ》なし
|阿呆陀羅《あほだら》|長《なが》い|物語《ものがたり》 なぞとケチをば|附《つ》けて|居《ゐ》る
イカサマ|新聞紙《しんぶんし》が|現《あら》はれた |彼《かれ》の|記述《きじゆつ》に|面白《おもしろ》い
|一丁《いつちやう》|許《ばか》り|遠《とほ》くから |見《み》え|分《わ》くる|様《やう》な|大字《だいじ》にて
|書《か》いた|原稿《げんかう》|二十二巻《にじふにくわん》 |二万六千七百枚《にまんろくせんしちひやくまい》と
|自称《じしよう》して|居《ゐ》る|云々《うんぬん》と |能《よ》くも|馬鹿気《ばかげ》た|言《こと》をいふ
ソンナ|原稿《げんかう》が|世界中《せかいぢう》 |探《さが》しても|有《あ》らう|筈《はず》が|無《な》い
|馬鹿《ばか》を|尽《つく》すも|程《ほど》がある いかに|新聞紙《しんぶんし》の|責任《せきにん》を
|知《し》らぬ|記者《きしや》だと|飯田《いひた》とて コリヤ|又《また》ゑらい|脱線《だつせん》だ
|時候《じこう》の|勢《せい》で|逆上《のぼ》せたか |無責任《むせきにん》にも|程《ほど》がある
|余《あま》りの|事《こと》で|呆《あき》れ|果《は》て |言葉《ことば》も|出《で》ない|次第《しだい》なり
それのみならず|瑞月《ずゐげつ》が |一身上《いつしんじやう》に|相関《あひくわん》し
|捏造《ねつざう》|記事《きじ》を|満載《まんさい》し |中傷《ちうしやう》|悪罵《あくば》のありたけを
|尽《つく》して|快哉《くわいさい》|叫《さけ》ぶとは |非人道《ひじんだう》にも|程《ほど》がある
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
|彼等《かれら》が|心《こころ》に|潜《ひそ》みたる |醜《しこ》の|邪神《まがみ》を|逸早《いちはや》く
|祓清《はらひきよ》めて|真心《まごころ》に |救《すく》はせ|玉《たま》へ|天地《あめつち》の
|尊《たふ》とき|神《かみ》の|御前《おんまへ》に |謹《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎ|奉《まつ》る。
大正十一年十月
王仁識
|凡例《はんれい》
一、|本巻《ほんくわん》の|物語《ものがたり》は|第一巻《だいいつくわん》より|通算《つうさん》して|第《だい》【|五《ご》】|百《ひやく》【|六《ろく》】|十《じふ》【|七《しち》】|章《しやう》といふ|吉数《きちすう》を|以《もつ》て|終《をは》つてゐます。
一、|綾部《あやべ》の|某《ぼう》|新聞《しんぶん》が|霊界物語《れいかいものがたり》に|対《たい》してテコヘンな|中傷《ちうしやう》|記事《きじ》を|掲載《けいさい》したので、|又々《またまた》|信天翁《あはうどり》が|飛《と》び|出《だ》しました。
一、|巻尾《くわんび》の|跋文《ばつぶん》は|三途《せうづ》の|川《かは》および|三途《せうづ》の|鬼婆《おにばば》、|一途《いちづ》の|川《かは》|等《とう》の|意味《いみ》について|詳述《しやうじゆつ》され、なほ|大本神諭《おほもとしんゆ》と|仏教《ぶつけう》の|用語《ようご》とについて|説明《せつめい》された|必読《ひつどく》の|文字《もじ》であります。
大正十一年十月
口述著者識
|総論歌《そうろんか》
|思《おも》へば|深《ふか》き|神《かみ》の|道《みち》 |大《ひろ》き|正《ただ》しき|十《たり》の|年《とし》
|神《かみ》の|力《ちから》の|現《あら》はれて |奇《く》しき|御教《みのり》を|奇九《きく》の|月《つき》
|中《なか》の|八日《やうか》の|正午頃《まひるごろ》 |教《をしへ》の【|中野《なかの》】|玉拾《たまひろ》ひ(中野)
かき|集《あつ》めたる|高砂《たかさご》の |松葉《まつば》の|雫《しづく》しとしとと
したたる|恵《めぐみ》に|霑《うるほ》ひつ |神《かみ》の【|出口《でぐち》】の【|王仁三郎《おにさぶらう》】(出口)
|二十四年《にじふよねん》の|光陰《くわういん》を |雲《くも》に|蔽《おほ》はれて|桶伏《をけふせ》の
|山《やま》より|高《たか》き|大稜威《おほみいづ》 |照《てら》すときはの|松《まつ》の|世《よ》と
いよいよ|現《あら》はれ|鍛《きた》へたる |十握《とつか》の|劒《つるぎ》|抜《ぬ》き|放《はな》ち
|曲津《まがつ》のたくみ|斬《き》りまくる |五六七《みろく》の|神《かみ》の|御蔭《おかげ》もて
|言葉《ことば》の|玉《たま》の|緒《を》いのち|毛《げ》の |筆《ふで》の|運《はこ》びもいと|速《はや》く
|諸《もも》の|妨《さまた》げみづのゑの |戌《いぬ》の|春橋《はるはし》かけまくも
かしこき|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》 |五六七《みろく》の|神《かみ》に|因《ちな》みたる
|五百《ごひやく》と|六十七《ろくじふしち》の|節《ふし》 |言解《ことと》き|了《をは》り|書終《かきをは》る
|堅磐常磐《かきはときは》の|大道《だいだう》を いよいよ|開《ひら》く|如月《きさらぎ》の
|下《しも》の|七日《なぬか》の|七《なな》つ|時《どき》 |神《かみ》の|集《つど》へる【|谷村《たにむら》】や(谷村)
|花咲《はなさ》く|神代《かみよ》を【|松村《まつむら》】|氏《し》 ここまで|歩《あゆ》み【|北村《きたむら》】の(松村、北村)
|目出《めで》たく|今日《けふ》の|日本晴《にほんばれ》 【|外山《とやま》】のかすみいつしかに(外山)
はれて|嬉《うれ》しき|今日《けふ》の|空《そら》 |心《こころ》も【|加藤《かとう》】|道《みち》の|子《こ》の(加藤)
|誠《まこと》つくしの|立花《たちばな》の |非時《ときじく》かはれ|三五教《あななひけう》
|殊《こと》に|十四《じふし》のこの|巻《まき》は |神界《しんかい》|現界《げんかい》|幽界《いうかい》の
|三千世界《さんぜんせかい》の|霊柱《たまばしら》 |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|日《ひ》の|出別《でのわけ》の|神司《かむつかさ》 |従《したが》ひ|奉《まつ》る|音彦《おとひこ》が
|猿山峠《さるやまたうげ》の|森林《しんりん》に |弥次彦《やじひこ》|与太彦《よたひこ》|両人《りやうにん》と
ウラルの|神《かみ》の|大目付《おほめつけ》 |数多《あまた》の|捕手《とりて》に|囲《かこ》まれて
|血路《けつろ》を|開《ひら》き|小鹿山《こしかやま》 |峠《たうげ》にかかる|折《をり》からに
|又《また》もや|敵《てき》に|前後《ぜんご》より |取《と》り|囲《かこ》まれて|止《や》むを|得《え》ず
|千尋《ちひろ》の|溪間《たにま》に|飛《と》び|降《くだ》り |気絶《きぜつ》せしまま|幽界《いうかい》の
|路《みち》を|辿《たど》りて|三途川《せうづがは》 |脱衣婆々《だついばば》アに|出会《でつくわ》し
|千言万語《せんげんばんご》を|費《つひ》やして |面白《おもしろ》|可笑《をか》しくかけ|合《あ》ひつ
どうなとなれよ|儘《まま》の|川《かは》 |裸体《らたい》の|儘《まま》に|打《う》ち|渡《わた》り
ピタリと|山《やま》に|突《つき》あたり |大法螺《おほぼら》|吹《ふ》けば|足曳《あしびき》の
|山《やま》も|呆《あき》れて|雲《くも》かすみ |逃《に》げ|行《ゆ》く|跡《あと》に|地中《ちちう》より
ヌツと|湧《わ》き|出《で》た|銅木像《どうもくざう》 |泡《あわ》|吹《ふ》く|鼻《はな》こく|小便《ばり》しぼる
|三人《みたり》を|一度《いちど》に|烟《けむ》にまき |空《そら》に|懸《かか》れる|太陽《たいやう》に
|天窓《あたま》を|打《う》つて|逃《に》げて|行《ゆ》く |音彦《おとひこ》ヤジ|彦《ひこ》ヨタ|彦《ひこ》は
アフンとしたる|時《とき》もあれ |日《ひ》の|出別《でのわけ》の|一行《いつかう》に
|呼《よ》び|醒《さ》まされて|気《き》が|附《つ》けば |小鹿峠《こしかたうげ》の|谷底《たにそこ》に
|身《み》を|横《よこ》たへて|居《ゐ》たること |十八峠《じふはちたうげ》の|坂道《さかみち》で
レコード|破《やぶ》りの|暴風《ばうふう》に |吹《ふ》かれて|天《てん》へ|舞《ま》ひ|上《のぼ》り
|亦《また》もや|三途《せうづ》の|川《かは》の|辺《へ》に |迷《まよ》ひ|進《すす》みし|弥次彦《やじひこ》や
いくら|負《ま》けても|勝彦《かつひこ》の |鼻息《はないき》あらき|物語《ものがた》り
|一途《いちづ》の|川《かは》の|二人《ふたり》|婆々《ばば》 ホシイホシイと|泣言《なきごと》の
|慾《よく》と|高慢《かうまん》|出刄庖刀《でばばうてう》 |男子《なんし》と|女子《によし》の|争論《いさかひ》の
|果《は》てしも|知《し》らぬ|長《なが》の|旅《たび》 |六公《ろくこう》お|竹《たけ》のローマンス
|詳《くは》しく|写《うつ》した|物語《ものがたり》 |比翼連理《ひよくれんり》の|蒸《む》し|返《かへ》し
|面白《おもしろ》おかしく|述《の》べたてし |夢《ゆめ》とうつつとまぼろしの
とり|留《とめ》もなく|吹《ふ》きまくり |烟《けむり》に|捲《ま》いたるこれの|巻《まき》
あなをかしこ あなをかしこ
第一篇 |五里夢中《ごりむちう》
第一章 |三途川《せうづがは》〔五五一〕
|大海原《おほうなばら》に|漂《ただよ》へる |宝《たから》の|島《しま》と|聞《きこ》えたる
|竜宮海《りうぐうかい》の|一《ひと》つ|島《じま》 |宝《たから》の|数《かず》もオセアニヤ
ウラルの|彦《ひこ》の|神勅《しんちよく》を |奉《ほう》じて|来《きた》る|六人《ろくにん》が
|信神《しんじん》|堅固《けんご》の|守護神《まもりがみ》 |元《もと》は|竜宮《りうぐう》に|仕《つか》へたる
|神《かみ》の|力《ちから》を|田依彦《たよりひこ》 |魂《たま》を|研《みが》いて|飯依彦《いひよりひこ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》と|現《あら》はれて |善言美詞《ぜんげんびし》の|言霊《ことたま》に
|言向和《ことむけやは》す|勢《いきほひ》は ウラルの|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》
|三年《みとせ》の|苦労《くらう》も|水《みづ》の|泡《あわ》 |何《なに》の|土産《みやげ》もアルパニー
|港《みなと》を|後《あと》に|千万《ちよろづ》の |浮島原《うきしまばら》を|乗越《のりこ》えて
|航路《かうろ》も|長《なが》き|鶴《つる》の|国《くに》 |鶴《つる》の|港《みなと》を|立出《たちい》でて
フサの|海《うみ》まで|帰《かへ》り|来《く》る |時《とき》しもあれや|東北《とうほく》の
|風《かぜ》に|煽《あふ》られフサの|海《うみ》 |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|日《ひ》の|出《で》の|別《わけ》に|巡《めぐ》り|合《あ》ひ タルの|港《みなと》に|上陸《じやうりく》し
|足《あし》さへダルの|河《かは》の|辺《へ》を |徐々《しづしづ》|進《すす》むシヅの|森《もり》
|神《かみ》の|光《ひかり》に|照《てら》されて |茲《ここ》に|心《こころ》を|翻《ひるがへ》し
|忽《たちま》ち|変《かは》る|三五《あななひ》の |教司《をしへつかさ》に|伴《とも》なはれ
フル|野《の》ケ|原《はら》を|打渡《うちわた》り |醜《しこ》の|岩窟《いはや》を|探険《たんけん》し
コシの|峠《たうげ》もいつしかに わたりて|茲《ここ》に|猿山《さるやま》の
|峠《たうげ》の|麓《ふもと》に|一同《いちどう》は まどろむ|折《をり》しも|音彦《おとひこ》が
|眠《ねむり》を|醒《さま》して|眺《なが》むれば |月《つき》は|木《こ》の|間《ま》に|輝《かがや》きて
|茲《ここ》に|五人《ごにん》の|宣伝使《せんでんし》 |影《かげ》も|姿《すがた》も|長《なが》の|旅《たび》
|弥次彦《やじひこ》|与太彦《よたひこ》|伴《とも》なひて |寄《よ》せ|来《く》る|敵《てき》に|追《お》はれつ
|荒野《あれの》を|渡《わた》り|河《かは》を|越《こ》え |曲《まが》の|関所《せきしよ》を|乗《の》り|越《こ》えて
|泥田《どろた》に|落《お》ちし|裸身《はだかみ》の |足《あし》も|軽《かる》げに|小鹿山《こしかやま》
|四十八坂《しじふやさか》に|来《き》かかりし |時《とき》こそあれや|前後《まへうしろ》
|数多《あまた》の|敵《てき》の|襲来《しふらい》に |衆寡《しうくわ》|敵《てき》せず|音彦《おとひこ》は
|弥次彦《やじひこ》|与太彦《よたひこ》|諸共《もろとも》に |千尋《ちひろ》の|谷間《たにま》に|飛込《とびこ》みて
|谷間《たにま》|流《なが》るる|速川《はやかは》の |水《みづ》の|藻屑《もくづ》となりひびく
|谷間《たにま》を|渡《わた》る|荒風《あらかぜ》は |実《げ》に|凄《すさま》じき|許《ばか》りなり。
|弥《や》『|世《よ》の|中《なか》は|能《よ》くしたものですな。|一方《いつぱう》には|断巌《だんがん》|屹立《きつりつ》したる|山腹《さんぷく》を|控《ひか》へ、|一方《いつぱう》には|千仭《せんじん》の|谷間《たにま》、かてて|加《くは》へて|前後《ぜんご》より|数多《あまた》の|敵《てき》に|取囲《とりかこ》まれ、|衆寡《しうくわ》|敵《てき》せず、|命《いのち》を|的《まと》に|溪川《たにがは》|目《め》がけて、ザンブと|許《ばか》り|飛込《とびこ》みた|時《とき》の|心持《こころもち》と|云《い》つたら、|何《なん》ともかとも|知《し》れぬ|苦《くる》しさであつたが、エーままよ、|神様《かみさま》に|捧《ささ》げた|生命《いのち》、|一寸先《いつすんさき》は|神《かみ》の|御手《みて》にあるのだと|覚悟《かくご》をきわめ、|飛込《とびこ》み|見《み》れば、|都合《つがふ》の|好《よ》い|青々《あをあを》とした|淵《ふち》、|素《もと》より|裸《はだか》の|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》は、|水泳《すゐえい》には|誂《あつら》へ|向《むき》だ。|宣伝使《せんでんし》はドツサリと、ベラベラした|装束《しやうぞく》を|身《み》に|纏《まと》つて|居《ゐ》られたものだから、|水中《すゐちう》へ|陥《はま》つた|時《とき》には、|大変《たいへん》なお|苦《くるし》みでしたな。|幸《さいは》ひ|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》が|真裸《まつぱだか》になつて|居《を》つたものだから、|溺死《できし》もせずに|助《たす》かつたと|云《い》ふもの、|斯《こ》うなると|親譲《おやゆづ》りの|裘《かはごろも》で|無一物《むいちぶつ》の|方《はう》が、|千騎一騎《せんきいつき》の|時《とき》には|何《なに》ほど|楽《らく》だか|知《し》れぬ。それだから|神様《かみさま》が|持物《もちもの》を|軽《かる》くせいと|仰有《おつしや》るのだ。|裸《はだか》で|物《もの》を|遺失《おと》さぬと|云《い》ふ|事《こと》がある。|裸《はだか》くらゐ|結構《けつこう》なものはない。ナア|与太公《よたこう》……』
『ウンさうだなア、|泥田《どろた》へ|落《お》ちて|赤裸《まつぱだか》になつた|時《とき》には、|裸《はだか》で|道中《だうちう》がなるものか、アー|情《なさけ》ない|事《こと》だ、せめて|褌《まわし》|丈《だけ》なつと|欲《ほ》しいものだと、|執着心《しふちやくしん》が|離《はな》れなかつたが、|斯《こ》う|言《い》ふ|時《とき》には|生《うま》れ|赤児《あかご》の|赤裸《まつぱだか》が|一番《いちばん》|都合《つがふ》が|好《い》い。これも|神様《かみさま》のお|蔭《かげ》だ。|三人《さんにん》が|三人《さんにん》|共《とも》|重《おも》い|着物《きもの》を|着《つ》けて|居《を》つたなれば、|誰《たれ》も|彼《かれ》も|助《たす》からずに、|幽界《あのよ》とやらへ|旅立《たびだち》をする|所《ところ》であつたにナア』
|音公《おとこう》は、
『ソレモさうだ、|神《かみ》の|道《みち》に|荷物《にもつ》は|不要《いら》ぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら|何《なん》とかして、|木《こ》の|葉《は》でも|編《あ》んで|着物《きもの》を|拵《こしら》へなくちや、この|先《さき》|旅《たび》する|訳《わけ》にも|行《ゆ》かぬ。|風俗《ふうぞく》|壊乱《くわいらん》でポリス|先生《せんせい》に|科料《くわれう》でも|取《と》られちや|見《み》つともない。ぢやと|云《い》つて|泥棒《どろばう》する|訳《わけ》にもゆかず、|困《こま》つたものだ。|草《くさ》でも|編《あ》みて、|一《ひと》つ|着物《きもの》でも|作《つく》つたらどうだらう、のう|弥次公《やじこう》』
『ウン|折角《せつかく》|裸《はだか》にして|貰《もら》つたのだから、これも|惟神《かむながら》だ。|逆転《ぎやくてん》は|御免《ごめん》だ。ナーニ|構《かま》うものか、|面《つら》の|皮《かは》の|慣《なら》はせとか|云《い》つて、|何《なに》ほど|寒《さむ》くつても、|面《つら》の|皮《かは》には|薄着《うすぎ》|一枚《いちまい》|着《き》せた|事《こと》はない、|慣《な》れて|了《しま》へば|真裸《まつぱだか》でも、|寒《さむ》くも|暑《あつ》くも|何《なん》ともない、|身《み》は|身《み》で|通《とほ》る|裸《はだか》ん|坊《ばう》だ、|裸《はだか》の|道中《だうちう》も|面白《おもしろ》いよ、|音彦《おとひこ》|君《くん》』
『それだと|云《い》つて、どうも|不恰好《ぶかつかう》だ。|吾輩《わがはい》の|衣類《いるゐ》を|分配《ぶんぱい》して、|一人《ひとり》は|羽織《はおり》、|一人《ひとり》は|袴《はかま》、|一人《ひとり》は|着物《きもの》と|云《い》ふ|風《ふう》にやつたらどうだらうかナア|弥次公《やじこう》』
『ヤアそいちア、|尚々《なほなほ》|恰好《かつかう》が|悪《わる》い、それこそ|化物《ばけもの》の|行列《ぎやうれつ》みたやうだ。エー|構《かま》はぬ、|行《い》きませうかい。|与太公《よたこう》ドウダイ』
『|日《ひ》が|暮《く》れたと|見《み》えて、|非常《ひじやう》に|暗《くら》くなつたぢやないか。|暗《くら》い|所《とこ》を|歩《ある》くのは、|裸《はだか》でも|何《なん》でも|構《かま》はぬ、|見《み》つとも|良《よ》いも、|見《み》つとも|悪《わる》いも|有《あ》つたものぢやない。|一《ひと》つ|大手《おほて》を|拡《ひろ》げてコンパスの|続《つづ》く|限《かぎ》り|前進《ぜんしん》せうかい』
と|三人《さんにん》は|暗《やみ》の|路《みち》を|当途《あてど》もなく|足《あし》に|任《まか》せて|進《すす》み|行《ゆ》く。|音公《おとこう》は、
『ヤア、|俄《にはか》に|明《あか》くなつて|来《き》たぞ。|一体《いつたい》|此処《ここ》は|何処《どこ》だらう、|大変《たいへん》な|大河《おほかは》が|南北《なんぽく》に|流《なが》れて|居《を》るぢやないか、|河向《かはむか》ふには|得《え》も|言《い》はれぬ|金殿玉楼《きんでんぎよくろう》が、|雲《くも》に|浮《う》いた|様《やう》に|見《み》えて|来出《きだ》した。ナンダか|気《き》がいそいそとして、|一刻《いつこく》も|早《はや》く|行《ゆ》きたい|様《やう》な|心持《こころもち》になつて|来《き》たワイ』
|弥次《やじ》、|与太《よた》|両人《りやうにん》は、
『ホンにホンに、|立派《りつぱ》な|建築物《たちもの》が|見《み》えますな、|是《これ》を|見《み》ると|勝利《しようり》の|都《みやこ》に|近付《ちかづ》いた|様《やう》な|心持《こころもち》がして|来《き》ました、………ヤア|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い、|進退《しんたい》|維《これ》|谷《きは》まつて、|九死一生《きうしいつしやう》の|谷間《たにま》に|飛込《とびこ》みの|芸当《げいたう》をやつたと|思《おも》へば、|豈《あに》|図《はか》らむや、コンナ|結構《けつこう》な|都《みやこ》に|近付《ちかづ》いた。|是《これ》だから|怖《こわ》い|所《ところ》へ|行《ゆ》かねば|熟柿《じゆくし》は|食《く》へぬと|云《い》ふのだ。|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い、それにしても、|鷹公《たかこう》、|梅公《うめこう》、|岩公《いはこう》、|駒公《こまこう》|一同《いちどう》は、どうして|御座《ござ》るであらう、|猿山峠《さるやまたうげ》の|急坂《きふはん》を、|痩馬《やせうま》の|尻《しり》を|叩《たた》いて|行軍《かうぐん》の|真最中《まつさいちう》だらうか。|是《これ》だから|先《さき》へ|行《い》つた|者《もの》が|手柄《てがら》をするとも、|後《おく》れた|者《もの》が|手柄《てがら》をするとも|分《わか》らぬものだ、|何事《なにごと》も|神《かみ》のまにまに|任《まか》すほど|安心《あんしん》な|事《こと》はないなア』
と|語《かた》りつつ、|三人《さんにん》は|漸《やうや》く|河幅《かははば》|広《ひろ》き|水底《みなそこ》|深《ふか》き|青々《あをあを》とした|流《なが》れ|岸《ぎし》に|着《つ》いた。|弥次《やじ》は|驚《おどろ》いて、
『ヤアこの|河《かは》は|立派《りつぱ》な|河《かは》だナア。|大抵《たいてい》の|河《かは》は、|通常《ふだん》は|河原《かはら》ばつかりで、|横《よこ》の|方《はう》を|帯《おび》の|様《やう》に、|青《あを》い|水《みづ》がホンの|形式的《けいしきてき》に、お|条目《でうもく》の|様《やう》に|流《なが》れて|居《ゐ》るものだが、この|河《かは》はまた|例外《れいぐわい》だよ、|河《かは》|一面《いちめん》の|流《なが》れで、しかも|青味《あをみ》|立《だ》つた|清水《せいすゐ》が|流《なが》れて|居《ゐ》る。|大抵《たいてい》の|河《かは》は、|河《かは》|一面《いちめん》に|水《みづ》の|流《なが》れる|時《とき》は|大雨《おほあめ》の|時《とき》で、|泥々《どろどろ》の|真赤《まつか》な|水《みづ》だが、コラまた|稀代《きたい》に|立派《りつぱ》な|河《かは》だワイ』
|与太彦《よたひこ》は、
『|河《かは》は|立派《りつぱ》だが、|何時《いつ》まで|褒《ほ》めちぎつて|居《ゐ》た|所《ところ》で、|橋《はし》も|無《な》ければ、|舟《ふね》も|無《な》いぢやないか、どうして|渡《わた》つたがよからうかな。これや|一《ひと》つ、|何《なん》とか|工夫《くふう》をせねばならないぞ』
『ナニ、|吾々《われわれ》は|幸《さいは》ひ|真赤裸《まつぱだか》だ。|水泳《すゐえい》の|妙《めう》を|得《え》とるのだから、|対岸《むかふぎし》へ|流《なが》れ|渡《わた》りに|渡《わた》れば|良《よ》いのだ。|斯《こ》う|言《い》ふ|時《とき》には、|裸一貫《はだかいつくわん》の|無一物《むいちぶつ》は、|大変《たいへん》に|都合《つがふ》が|好《よ》いワイ、|唯《ただ》|困《こま》るのは|音彦《おとひこ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》だけだ……………もしもし|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|一層《いつそう》の|事《こと》あなたの|御衣服《おめしもの》を|全部《ぜんぶ》この|河《かは》へ|投《ほ》り|込《こ》んで、|三人共《さんにんとも》|裸《はだか》になつたらどうですか、|牛《うし》の|子《こ》でも|附合《つきあひ》を|致《いた》しますで…………』
『それもさうだが、お|前《まへ》はまだ|普通《ふつう》の|人《ひと》だ。|吾々《われわれ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》といふ|重荷《おもに》を|持《も》つて|居《ゐ》る。この|被面布《ひめんぷ》も|大切《たいせつ》に|致《いた》さねばならず、|法服《はふふく》を|棄《す》てる|訳《わけ》には|行《い》かない。アヽこうなると、|責任《せきにん》の|地位《ちゐ》に|立《た》つ|者《もの》は|辛《つら》い|者《もの》だ、|窮屈《きうくつ》|不便利《ふべんり》|至極《しごく》だわい』
『あなたは、|宣伝使《せんでんし》の|法服《はふふく》だとか、|被面布《ひめんぷ》だとかに|執着心《しふちやくしん》があるから|可《い》けないのだ。|保護色《ほごしよく》に|包《つつ》まれて|居《ゐ》るから、|自由自在《じいうじざい》の|活動《くわつどう》が|出来《でき》ないのだ。|裸《はだか》になれば|又《また》|裸《はだか》で|立行《たちゆ》くものです。カメリオンの|様《やう》に、|青《あを》い|草《くさ》に|交《まじ》れば|青《あを》くなり、|赤《あか》い|葉《は》に|止《とま》れば|赤《あか》くなり、|白《しろ》い|木《き》にとまれば|白《しろ》くなると|云《い》ふ、|変幻《へんげん》|出没《しゆつぼつ》|自由《じいう》の|活動《かうどう》を|執《と》るのが、|宣伝使《せんでんし》の|寧《むし》ろ|執《と》るべき|手段《しゆだん》ではありますまいか。|大歳《おほとし》の|神《かみ》は、|宣伝使《せんでんし》の|服《ふく》を|脱《ぬ》いで|俄《にはか》|百姓《ひやくしやう》となり、|農夫《のうふ》の|服《ふく》を|着《き》て|農業《のうげふ》を|手伝《てつだ》ひ、|立派《りつぱ》に|宣伝使《せんでんし》の|本分《ほんぶん》を|尽《つく》されたと|云《い》ふ|事《こと》ですよ。|河《かは》を|渡《わた》るのには|裸《はだか》でなくちや|駄目《だめ》だと|弥次彦《やじひこ》は|思《おも》ふがナア』
|音《おと》『さう|云《い》へばさうだが、せめてコーカス|山《ざん》にお|参詣《まゐり》する|迄《まで》|音彦《おとひこ》は、この|服《ふく》は|離《はな》したくない』
『あなたはさうすると、|何時迄《いつまで》も|此処《ここ》に、|河端柳《かはばたやなぎ》ぢやないが、|水《みづ》の|流《なが》れをクヨクヨと|見《み》て|暮《くら》すと|云《い》ふ|方針《はうしん》ですかい』
『ヤア|進退《しんたい》|維《これ》|谷《きは》まつた。|音彦《おとひこ》もどうしたら|可《よ》からうかなア』
と|双手《もろて》を|組《く》み|思案《しあん》に|暮《く》れて|居《ゐ》る。|傍《かたはら》に|藁《わら》を|以《もつ》て|屋根《やね》を|葺《ふ》いた|小《ちい》さい|家《いへ》が|目《め》に|着《つ》いた。
|弥《や》『ヤア|此処《ここ》に、|〆《しめ》て|一戸《いつこ》、|村落《そんらく》があるワイ、あまり|小《ちい》さいので、|見落《みおと》して|居《を》つた。|先《ま》づ|先《ま》づあの|館《やかた》へでも|侵入《しんにふ》して、ユツクリと|河端《かはばた》|会議《くわいぎ》でも|開催《かいさい》しませうか』
と|先《さき》に|立《た》つて|弥次彦《やじひこ》は、|藁小屋《わらごや》の|中《なか》に|進《すす》み|入《い》る。
『ヤアこの|藁小屋《わらごや》の|中《なか》には、ナンタか|生物《いきもの》が|居《を》るぞ。コンコンと|咳払《せきばらひ》をやつて|居《を》るワイ、もしもし|宣伝使《せんでんし》さま、これは|後家婆《ごけば》アの|隠《かく》れ|家《が》と|見《み》える、マア|一服《いつぷく》さして|貰《もら》ひませうかい………』
|小屋《こや》の|中《なか》より|皺枯《しわが》れた|婆《ばば》の|声《こゑ》で、
『|誰《だれ》だ|誰《だれ》だ、この|河辺《かはべ》に|立《た》つて|何《なに》を|囁《ささや》いて|居《を》るか。|此処《ここ》はどこぢやと|思《おも》ふて|居《を》る、|三途《せうづ》の|河《かは》の|縁《ふち》だぞ』
と|聞《き》くより|弥次彦《やじひこ》は|婆々《ばば》を|睨《にら》み|乍《なが》ら、
『ナニツ、|三途《せうづ》の|河《かは》の|縁《ふち》だと? |全然《まるで》|冥途《めいど》の|旅《たび》の|様《やう》だ。ソンナラ|大方《おほかた》|着物《きもの》を|脱《ぬ》がす|婆《ばば》ぢやないか。ヤアナンダか|気分《きぶん》が|悪《わる》いワイ。モシモシ|宣伝使《せんでんし》さま、|何《なに》をグズグズして|居《ゐ》るのだい、|早《はや》く|来《き》て|鎮魂《ちんこん》をして|下《くだ》さいな、|怪《け》しからぬ|事《こと》を|云《い》ふ|老婆《ばばあ》が|居《を》りますで……』
『|弥次彦《やじひこ》お|前《まへ》は、|何《なに》を|怖《こわ》さうに|言《い》ふのだ。|乞食《こじき》|婆《ばば》アだよ、|放《ほ》つときなさい』
『|乞食《こじき》|婆《ばば》とは|何《なん》だ、|三途河《せうづがは》の|鬼婆《おにばば》だぞ。サアサア|娑婆《しやば》の|執着《しふちやく》をスツクリ|流《なが》す|為《ため》に、|真裸《まつぱだか》にしてやらうかい』
と|藁《わら》で|編《あ》みたる|押戸《おしど》を|開《あ》けて、|白髪頭《しらがあたま》をヌツと|出《だ》し、|渋紙面《しぶがみづら》を|曝《さら》して|現《あら》はれて|来《き》た。
|弥次彦《やじひこ》は、
『ヤアナント|背《せ》の|高《たか》い、|小面憎《こづらにく》い|面《つら》をした|老婆《ばばあ》だな………オイ|糞婆《くそばば》、|貴様《きさま》は|良《い》い|加減《かげん》に|改心《かいしん》をせぬかい。よい|年《とし》しよつて、|何時《いつ》までも|慾《よく》の|皮《かは》をひつぱると、|死《し》んだら|地獄《ぢごく》に|落《お》ちるぞ』
『わしはお|前《まへ》|達《たち》の|着物《きもの》を|脱《ぬ》がす|役《やく》だよ。サア|綺麗《きれい》サツパリと|脱《ぬ》いで|行《い》かつしやれ』
『|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ。|貴様《きさま》は|他人《ひと》の|着物《きもの》を|脱《ぬ》がして、|沢山《たくさん》に|箪笥《たんす》の|中《なか》へ|仕舞込《しまひこ》み|置《お》いても、|末《すゑ》の|短《みじか》い|貴様《きさま》が、|死《し》んだならば|冥土《めいど》とやらへ|行《ゆ》かねばなるまい。その|時《とき》に|三途河《せうづがは》の|鬼婆《おにばば》が、みな|脱《ぬ》がして|了《しま》ふと|云《い》ふ|事《こと》だぞ。あまり|慾《よく》をかわくない』
『その|三途川《せうづがは》の|鬼婆《おにばば》が|此方《こな》さまだ。|愚図々々《ぐづぐづ》|言《い》はずに|脱《ぬ》がぬかい』
『ヤア|此奴《こいつ》ア|盲婆《めくらばば》だな、|裸《はだか》の|俺《おれ》に|着物《きもの》を|脱《ぬ》げつて|吐《ぬか》しよる、|良《い》いケレマタ|婆《ばば》も|有《あ》れば|有《あ》るものだナ。ワツハヽヽヽ』
『お|前《まへ》は|先祖《せんぞ》|譲《ゆづ》りの|洋服《やうふく》を|着《き》とるぢやないか、|兎《うさぎ》の|皮《かは》を|剥《む》いたやうに、|頭《あたま》からクレクレと|剥《む》いてやるのだ。|弥次彦《やじひこ》|覚悟《かくご》は|良《よ》いか』
『これは|裘《かはごろも》だぞツ』
『|河《かは》の|縁《ふち》で|脱《ぬ》がすのだから、|裘《かはごろも》は|尚《なほ》|結構《けつこう》だよ』
『エー|洒落《しやれ》ない、|婆《ばば》の|癖《くせ》して………オイ|与太公《よたこう》、|宣伝使《せんでんし》さま、チツト|来《き》て|下《くだ》さらぬか、|思《おも》ひの|外《ほか》シブトい|婆《ばば》だから』
『ヤア、|弥次《やじ》さま、どうやら|此処《ここ》は|三途《せうづ》の|河《かは》らしいぞ。|小鹿峠《こしかたうげ》から|谷川《たにがは》へ|飛込《とびこ》んだ|時《とき》に、|気絶《きぜつ》した|途端《とたん》に、どうやら|幽界《いうかい》の|旅行《りよかう》と|急転《きふてん》したらしい、どうも|空気《くうき》が|変《へん》だ。ナア|与太彦《よたひこ》、お|前《まへ》はどう|思《おも》ふか』
『|宣伝使《せんでんし》のお|考《かんが》へは|違《ちが》ひますまい。|私《わたくし》も|何《なん》だか、|四辺《しへん》の|状況《じやうきやう》が|娑婆《しやば》とは|違《ちが》ふ|様《やう》な|気《き》が|致《いた》しますワ………』
『コラコラ、お|前《まへ》たち|三人《さんにん》の|奴《やつ》は、|俺《わし》を|誰《たれ》だと|思《おも》ふて|居《ゐ》る、|俺《わし》の|面《つら》を|見《み》よ』
|弥次彦《やじひこ》は|顎《あご》をシヤクリ|乍《なが》ら、
『ツラツラ|考《かんが》ふるに、|何《なん》とも|早《はや》、|形容《けいよう》の|出来《でき》ない|怪体《けつたい》な|面付《つらつき》だナア。ひよつとしたら、|宣伝使《せんでんし》のお|言葉《ことば》の|通《とほ》り、|三途川《せうづがは》の|鬼婆《おにばば》かも|知《し》れぬワイ』
『|合点《がつてん》が|行《い》つたか、|親重代《おやぢうだい》の|宝物《ほうもつ》たる|黒《くろ》い|土瓶《どびん》の|中《なか》へ|小便《しよんべん》を|垂《た》れる|様《やう》な、|汚《けが》れた|身魂《みたま》の|人足《にんそく》だから、|此処《ここ》で|赤裸《はだか》にして|霊《みたま》の|洗濯《せんたく》を|為《し》てやるのだよ』
『ヤア|合点《がてん》の|行《い》かぬ|婆《ばば》アだ。|土瓶《どびん》の|事《こと》まで|吐《ぬか》しよる、|貴様《きさま》はお|竹《たけ》の|母親《ははおや》か』
『お|竹《たけ》の|母親《ははおや》か、|父親《てておや》か、よう|考《かんが》へて|見《み》ろ。|弥次彦《やじひこ》のガラクタ|奴《め》』
『|黒《くろ》い|黒《くろ》い|手《て》で|握飯《にぎりめし》を|握《にぎ》りよつて、|手鼻汁《てばな》をかみ、|洟《みづばな》を|落《おと》した|握飯《にぎりめし》を|拵《こしら》へた|汚《きたな》い|老婆《ばばあ》に|比《くら》べると、モ|一《ひと》つ|汚穢《きたな》い|奴《やつ》だ。|俺《おれ》の|霊《みたま》が|汚《きたな》いから|洗濯《せんたく》せいと|言《い》ひよるが、マア|貴様《きさま》の|汚《きたな》い|顔《かほ》から|洗濯《せんたく》せい………|霊魂《みたま》を|洗濯《せんたく》せい、|美《うつく》しうなれと、|口《くち》ばつかり|他人《ひと》に|言《い》ひよつて、|自分《じぶん》の|汚《きたな》い|事《こと》は|知《し》らぬ|顔《かほ》の|半兵衛《はんべゑ》でけつかる。|困《こま》つた|者《もの》だなア、|自分《じぶん》の|尻糞《しりくそ》は|目《め》に|着《つ》かぬと|見《み》えるワイ。|全然《まるで》|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|様《やう》な|事《こと》を|吐《ぬか》す|奴《やつ》だ。アハヽヽヽヽヽ』
『ババはババいから|婆《ばば》と|云《い》ふのだ。ヂヂはヂヂムサイから|老爺《ぢぢ》と|云《い》ふのだよ。|糞《くそ》は|汚《きたな》い、|痰《たん》は|汚《きたな》い、|花《はな》は|美《うつく》しいと、|開闢《かいびやく》|以来《いらい》|定《きま》つとるぞ。|俺《おれ》の|様《やう》な|汚《きたな》い|所《ところ》へ|落《お》ちた|者《もの》は、|汚《きた》なうして|居《を》ればよいのだよ。|貴様《きさま》のやうに、|表《おもて》は|立派《りつぱ》な、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だとか、|信者《しんじや》とか|言《い》ひよつて|羊頭《やうとう》を|掲《かか》げて|狗肉《くにく》を|売《う》る|様《やう》な|罪悪人《ざいあくにん》は、|何処《どこ》までも|洗濯《せんたく》をせな|可《い》かない。|腹《はら》の|底《そこ》まで|洗濯《せんたく》をしてやるのだ。チツト|苦《くる》しうても|辛抱《しんばう》せい。|親譲《おやゆづ》りの|着物《きもの》を|是《これ》から|脱《ぬ》がして、この|老婆《ばばあ》が|洗濯《せんたく》をして|着替《きかへ》さしてやらうかい、コラ|弥次彦《やじひこ》のガラ|奴《め》』
『ヤア、|此処《こいつ》ア|洗濯《せんたく》|婆《ばば》アだな、|鬼《おに》の|来《こ》ぬ|間《ま》に|洗濯《せんたく》バタバタ|早《はや》く|身魂《みたま》を|洗《あら》ふて|下《くだ》されよ、|改心《かいしん》が|一等《いつとう》だぞよ、|今《いま》までの|塵芥《ごもくた》、|流《なが》れ|川《かは》ヘサツパリ|流《なが》して、|水晶《すゐしやう》の|身魂《みたま》になつて|下《くだ》されよ……といふ|筆法《ひつぱふ》だな。ソンナ|事《こと》は|三五教《あななひけう》の|教祖《けうそ》の|教《をしへ》にチヤンと|出《で》て|居《ゐ》るのだ。|事《こと》|新《あたら》しく|三途河《せうづがは》の|縁《ふち》まで|来《き》て、|言《い》つて|貰《もら》はいでも、|遠《とほ》の|昔《むかし》に|御存《ごぞん》じだ。|大学《だいがく》|卒業生《そつげふせい》だぞツ。|骨董品《こつとうひん》の|様《やう》な|古《ふる》い|頭《あたま》をしよつて、|文明《ぶんめい》|人種《じんしゆ》の|吾々《われわれ》に|意見《いけん》をするのは、|釈迦《しやか》に|経《きやう》を|説《と》く|様《やう》なものだよ』
『お|前《まへ》|達《たち》は|口《くち》ばつかり|立派《りつぱ》な|信者《しんじや》だ。|舌《した》と|耳《みみ》とは|極楽《ごくらく》へ|遣《や》つて、その|外《ほか》はみな|地獄《ぢごく》|行《ゆき》だ。|舌《した》と|耳《みみ》とを|俺《おれ》が|預《あづか》つて、|是《これ》から|高天原《たかあまはら》へ|小包《こづつみ》|郵便《ゆうびん》で|送《おく》つてやらう。マア|裘《かはごろも》を|脱《ぬ》ぐより、|第一着手《だいいちちやくしゆ》として|舌《した》を|出《だ》せ、|舌《した》と|耳《みみ》とを|切《き》つてやらうかい、|弥次《やじ》の|奴《やつ》』
『エー|何処《どこ》までも|婆《ばば》は|婆《ばば》らしい|事《こと》を|吐《ぬか》しよるワイ。|舌切雀《したきりすずめ》の|話《はなし》の|様《やう》に、|舌《した》を|切《き》つてやらうの、|桃太郎《ももたらう》の|話《はなし》の|様《やう》に、|洗濯《せんたく》をするのと、らしい|事《こと》を|言《い》ひよるワイ、アハヽヽヽ。オイ|婆《ばあ》、この|河《かは》には|随分《ずゐぶん》|桃《もも》が|流《なが》れて|来《く》るだらう。|二《ふた》つや|三《み》つは|貯《たくは》へて|居《を》るだらうから、|一《ひと》つ|俺《おれ》に|招伴《せうばん》させぬかい、|腹《はら》が|空《へ》つて|聊《いささ》か|迷惑《めいわく》の|態《てい》だ』
『お|前《まへ》の|食《く》ふのは|此処《ここ》に|預《あづか》つてある、サアサア|是《これ》なと|食《く》つて|着物《きもの》を|渡《わた》すのだよ』
と|真《ま》つ|黒《くろ》けの|握飯《にぎりめし》を|二《ふた》つ|出《だ》す。
『ヤア|此奴《こいつ》ア、お|竹《たけ》の|宅《うち》の|柴屋《しばや》で|見《み》た|握飯《にぎりめし》だ。コンナ|垢《あか》の|着《つ》いた、|鼻水《はなみづ》だらけの|握飯《にぎりめし》が|仮令《たとへ》|餓《かつ》えて|死《し》んでも|食《く》はれるものかい、|渇《かつ》しても|盗泉《たうせん》の|水《みづ》を|呑《の》まぬ|俺《おれ》だぞ』
『どうしても|食《くら》はねば、|貴様《きさま》を|此《この》|鬼婆《おにばば》が|代《かは》りに|食《く》つて|了《しま》ふがよいか………|勿体《もつたい》ない、|粒々《りうりう》|辛苦《しんく》になつた|結構《けつこう》なお|米《こめ》で|拵《こしら》へた|握飯《にぎりめし》を、|黒《くろ》いの|汚《きたな》いのとは|何《なん》の|事《こと》だ。たとへ|鼻水《はなみづ》が|入《はい》つて|居《を》らうが、|百分《ひやくぶん》の|一《いち》|位《くらゐ》なものだ、|何《なに》ほど|綺麗《きれい》な|人間《にんげん》でも、|百分《ひやくぶん》の|八九十《はちくじふ》までは|汚《きたな》い|分子《ぶんし》が|含蓄《がんちく》して|居《を》る。|貴様《きさま》の|肉体《にくたい》つたら、|九分九厘《くぶくりん》まで|真《ま》つ|黒《くろ》けの|鼻水《はなみづ》|握飯《にぎりめし》の|様《やう》なものだぞ。|俺《わし》が|辛抱《しんばう》して|食《く》てやると|言《い》ふのだから、これが|冥途《めいど》の|食納《くひをさ》め、|喜《よろこ》んで|食《く》はぬかい』
|弥次彦《やじひこ》は|首《くび》を|傾《かたむ》けて
『オイ|与太公《よたこう》、サツパリ|訳《わけ》が|分《わか》らぬぢやないか、|貴様《きさま》の|食《く》ひ|残《のこ》しだ。おれや|元《もと》から|一《ひと》つも|食《く》はないのだから、|貴様《きさま》が|食《く》つたらよからう』
『|私《わたくし》はあなた|様《さま》の|分《ぶん》まで|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しまして、スツカリ|食《た》べるのは、あまり|礼《れい》を|失《しつ》すると|思《おも》ひ、|二《ふた》つ|丈《だけ》|残《のこ》して|置《お》きました。|決《けつ》して|汚《きたな》いから|残《のこ》したのぢやありませぬ、|此《こ》れは|弥次彦《やじひこ》の|領分《りやうぶん》だと|思《おも》つて|遠慮《ゑんりよ》したのです………もしもしお|婆《ば》アさま、|私《わたくし》は|腹一杯《はらいつぱい》|頂戴《ちやうだい》したので、それ|以上《いじやう》は|食《く》へなかつたのと、|弥次彦《やじひこ》に|愛想《あいそう》に|残《のこ》してやつたのですから、|決《けつ》して|決《けつ》して、|汚《きたな》いの|何《なん》のといふ、ソンナ|冥加《みやうが》の|悪《わる》い|心《こころ》で|残《のこ》したのでは|御座《ござ》いませぬ。これは|弥次彦《やじひこ》の|食《く》ふべきもので|御座《ござ》います』
『エーエー、|与太彦《よたひこ》までが|怪《け》しからぬ|議案《ぎあん》を|出《だ》しよつた。|河端《かはばた》|会議《くわいぎ》だから|握《にぎ》り|潰《つぶ》しといふ|訳《わけ》にも|行《ゆ》くまい。|三途《せうづ》の|河《かは》へ|一瀉千里《いつしやせんり》の|勢《いきほひ》で、|否決《ひけつ》|流会《りうくわい》だ』
と|握飯《にぎりめし》を|握《にぎ》つて|河《かは》に|棄《す》てむとするを、|婆《ばば》はその|手《て》をグツと|握《にぎ》りたり。|弥次彦《やじひこ》は、
『ヤア|冷《つめ》たい|冷《つめ》たい、|氷《こほり》のやうな|手《て》をしよつて………|手《て》が|痺《しび》れて|了《しま》ふワイ』
『ヤア|不思議《ふしぎ》だワイ、お|前《まへ》の|霊《れい》は、|遠《とほ》の|昔《むかし》に|痺《しび》れて|了《しま》ふて|免疫性《めんえきせい》の|無感覚《むかんかく》だと|思《おも》つたに、|冷《つめ》たいのが|分《わか》るか、それではチート|何処《どこ》かにまだ|息《いき》があるワイ、コンナ|所《ところ》へ|来《く》るのはチト|早《はや》いのだけれど、|修業《しうげふ》の|為《ため》に、|我《が》を|折《を》る|様《やう》に、この|河《かは》を|渡《わた》れ、|裘《かはごろも》を|剥《は》ぐ|丈《だけ》は|免除《めんぢよ》してやらう。|随分《ずゐぶん》|冷《つめ》たい|河《かは》だぞ、この|河《かは》が|冷《つめ》たくなくして|渡《わた》れる|様《やう》ならモウ|駄目《だめ》だ。|冷《つめ》たければチツトはまだ|人間《にんげん》の|息《いき》が、|霊《みたま》に|通《かよ》ふて|居《を》るのだよ』
『オイ|婆《ば》アさま、お|前《まへ》も|随分《ずゐぶん》|屁理窟《へりくつ》を|言《い》ふがそれ|丈《だけ》|理窟《りくつ》が|分《わか》つて|居《を》れば、この|弥次彦《やじひこ》は|寒《さむ》うて|困《こま》つとるのを、チツトは|同情《どうじやう》するだらう。|亡者《まうじや》の|着物《きもの》を|毎日《まいにち》|追剥《おひはぎ》しよつて、|沢山《たくさん》に|蓄《た》めとるだらうが、|俺《おれ》に|似合《にあ》ふ|様《やう》な|着物《きもの》を|一枚《いちまい》|分配《ぶんぱい》して|呉《く》れぬか、どうで|老若《らうにやく》|男女《なんによ》|色々《いろいろ》と|風《ふう》も|違《ちが》ふだらうから、|俺《おれ》に|打《う》つて|附《つ》けた|様《やう》な|着物《きもの》もあるだらうにのう』
『エヽ|附上《つけあが》りのした|男《をとこ》だなア、お|前《まへ》に|着《き》せる|様《やう》な|着物《きもの》は|一枚《いちまい》もありやしないよ。みな|河《かは》へ|脱《ぬ》がしては|流《なが》し、|脱《ぬ》がしては|流《なが》し、|今《いま》ここに|五枚《ごまい》ある|丈《だけ》だ。それもみな|子供《こども》の|着物《きもの》だ。|一枚《いちまい》は|俺《おれ》が|着《き》にやならぬし、|五枚《ごまい》の|着物《きもの》を|貴様《きさま》に|一枚《いちまい》やれば、モウあとは|四枚《しまい》だよ』
『ヤアこの|婆《ばば》、なかなか|洒落《しやれ》てけつかる、|風流《ふうりう》|婆《ばば》アだなア』
『|定《きま》つた|事《こと》だ、|何事《なにごと》も|執着心《しふちやくしん》を|棄《す》てて、|風流《ふうりう》で|胸《むね》の|垢《あか》を|洗濯《せんたく》|婆《ばば》アだ。お|前《まへ》も|早《はや》う|身魂《みたま》の|洗濯《せんたく》をせないと|云《い》ふと、|腹《はら》の|中《なか》に|毛虫《けむし》がわいて、|弥次《やじ》|身中《しんちう》の|虫《むし》となつて、お|前《まへ》の|肉体《にくたい》を|亡《ほろ》ぼす|様《やう》になるぞ』
『|婆《ばあ》さま、オツト|待《ま》つた、|俺《おれ》は|亡者《まうじや》じやないか、|一旦《いつたん》|亡《ほろ》びた|者《もの》が|復《また》|亡《ほろ》びるといふ|事《こと》があるかい』
『|顕幽《けんいう》|一致《いつち》、|生死《せいし》|不二《ふじ》だよ。|今《いま》の|娑婆《しやば》に|居《を》る|奴《やつ》は、|肉体《にくたい》は|生《い》きて|居《を》るが、|霊《れい》はみな|死《し》にたり、|腐《くさ》つたり、|亡《ほろ》びて|了《しま》つて|居《を》るのだ。|併《しか》し|乍《なが》ら、|貴様《きさま》は|感心《かんしん》な|事《こと》には、|肉体《にくたい》は|亡《ほろ》びたが、まだ|霊《みたま》に|生命《せいめい》があるワイ』
『|定《きま》つた|事《こと》だい、【せいめい】|無垢《むく》の|生枠《きつすゐ》の|大和魂《やまとだましひ》だもの。|万劫末代《まんがふまつだい》|朽《く》つる|事《こと》なく|亡《ほろ》ぶ|事《こと》なき|霊主体従《れいしゆたいじゆう》の|弥次彦《やじひこ》さまの|本守護神《ほんしゆごじん》は、|永世不滅《ゑいせいふめつ》の|神《かみ》の|分霊《わけみたま》、|万劫末代《まんがふまつだい》|生通《いきどう》しだ。|肉体《にくたい》は|亡《ほろ》びても、|吾々《われわれ》の|霊《れい》は|至極健全《しごくけんぜん》だ。これから|三途《せうづ》の|河《かは》を|横渡《よこわた》りをして、|心《こころ》の|鬼《おに》も|地獄《ぢごく》の|鬼《おに》も|片《かた》ツ|端《ぱし》から|言向和《ことむけやは》し、|地獄《ぢごく》を|化《くわ》して|天国《てんごく》とする|覚悟《かくご》だ。オイ|婆《ばば》ア、|貴様《きさま》もコンナ|所《ところ》に|弱《よわ》い|者《もの》|苛《いじ》めをして、|亡者《まうじや》に|対《たい》し|剥取《はぎとり》|強盗《がうたう》をするよりも、|早《はや》く|改心《かいしん》を|致《いた》して|俺《おれ》のお|伴《とも》をせないかエーン』
|与太彦《よたひこ》は、
『オイ|弥次彦《やじひこ》、しやうもない|事《こと》を|言《い》ふない。|地獄《ぢごく》|開設《かいせつ》|以来《いらい》、|三途川《せうづがは》の|鬼婆《おにばば》と|云《い》つて、この|河《かは》に|備《そな》へ|付《つけ》の|常置品《じやうちひん》だよ。ソンナ|者《もの》でも|閻魔《えんま》の|庁《ちやう》へ|連《つ》れて|行《い》つたが|最後《さいご》、|天則《てんそく》………ドツコイ|地獄則《ぢごくそく》|違反者《ゐはんしや》だ………と|云《い》つて、|罪《つみ》に|罪《つみ》を|重《かさ》ねる|様《やう》なものだよ』
『さうだな、|出雲姫《いづもひめ》の|様《やう》な|美人《びじん》を|連《つ》れて、|閻魔《えんま》の|庁《ちやう》へ|出立《しゆつたつ》するのは|気分《きぶん》が|良《よ》いが、|斯《こ》う|苔《こけ》の|生《は》えた|枯木《かれき》の|様《やう》になつた|骨董品《こつとうひん》を|伴《つ》れて|行《ゆ》くのは、|弥次彦《やじひこ》もチツト|迷惑《めいわく》だ。……オイ|婆《ばば》ア、お|前《まへ》|何時《いつ》までも|此《この》|川辺《かはべり》に、コンナ|事《こと》をやつとるのが|面白《おもしろ》いのかい』
『|何《なに》が|面白《おもしろ》からう、これも|仕方《しかた》がないワ、|木蓮尊者《もくれんそんじや》の|母親《ははおや》ぢやないが、|罪《つみ》の|塊《かたまり》で、|因果《いんぐわ》が|廻《めぐ》り|来《き》て、コンナ|人《ひと》の|厭《いや》がる|役《やく》を、よい|年《とし》してやらされて|居《ゐ》るのだよ。|俺《わし》はモウ|駄目《だめ》だ、|終身官《しうしんくわん》だから、|辞職《じしよく》する|訳《わけ》には|行《ゆ》かぬワイ』
『それを|聞《き》けば、|何《なん》だかチツト、|哀憐《あいれん》の|心《こころ》が|起《おこ》つて|来《き》たワイ。|一層《いつそう》の|事《こと》、|一思《ひとおも》ひにこの|川《かは》へ、【バサン】と|投《な》げ|込《こ》みてやらうか。さうすれば、|地獄《ぢごく》の|苦《く》を|逃《のが》れて、お|前《まへ》も|幸福《かうふく》だらうに』
『|婆《ば》サンとやつたつて|駄目《だめ》だよ。|善《ぜん》の|道《みち》を|破産《はさん》した|俺《わし》だから、|到底《たうてい》|救《すく》はれる|予算《よさん》が|立《た》たぬワイ』
『アヽ|三途《せうづ》がないなア、【かは】いさうな|者《もの》だ。ナント|詮術《せんすべ》なきの|川水《かはみづ》、【ミヅバナ】|垂《た》らして|握飯《にぎりめし》に|固《かた》めて、ムスメのお|世話《せわ》になつた|御主人様《ごしゆじんさま》に、|有《あ》らう|事《こと》か|有《あ》るまい|事《こと》か、|食《た》べさそうと|致《いた》し、おまけに|小便茶《しよんべんちや》をも|勧《すす》めた|天罰《てんばつ》は|覿面《てきめん》に|廻《めぐ》り|来《きた》つて、|三途川《せうづがは》の|鬼婆《おにばば》とまで|成《な》り|果《は》てしか、アヽ|思《おも》へば|思《おも》へばいぢらしや、|弥次彦《やじひこ》|同情《どうじやう》の|涙《なみだ》に|暮《くれ》にけりだ』
『アハヽヽヽ、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、|弥次喜多《やじきた》|道中《だうちう》は、|冥土《めいど》へ|来《き》てもヤツパリ、|五十三次《ごじふさんつぎ》|気分《きぶん》がするワイ、|音彦《おとひこ》はまるで|大井川《おほゐがは》の|川縁《かはべり》に|着《つ》いた|様《やう》な|心持《こころもち》がするワイ』
『|大井川《おほゐがは》なら、この|婆《ばば》を|大井《おほゐ》に|川《かは》いがつてやるのですな、アハヽヽヽ』
この|時《とき》いかめしい|装束《しやうぞく》をした|一人《ひとり》の|男《をとこ》、|金剛杖《こんがうづゑ》をつき|乍《なが》ら、トボトボと|歩《あゆ》み|来《き》たりぬ。|能《よ》く|能《よ》く|見《み》れば、ウラル|教《けう》の|大目付《おほめつけ》、|源五郎《げんごらう》なりける。|弥次彦《やじひこ》は|見《み》るより、
『ヤア|貴様《きさま》はウラル|教《けう》の|源五郎《げんごらう》だナ、|俺《おれ》が|猿山峠《さるやまたうげ》の|麓《ふもと》の|森林《しんりん》で、|華胥《くわしよ》の|国《くに》に|遊楽《いうらく》する|折《をり》しも、しやうもない|夢《ゆめ》をば、|与太公《よたこう》に|見《み》せよつて、|驚《おどろ》かしよつた|腰抜野郎《こしぬけやらう》だらう。|馬《うま》からひつくり|返《かへ》つて、|四足《よつあし》に|圧搾《あつさく》されて、|背中《せなか》に|腹《はら》は|替《か》へられぬぢやない、|馬《うま》の|背中《せなか》で|腹《はら》を|抉《ゑぐ》られて、|蛙《かはず》をぶつけた|様《やう》に、|目《め》をクルクルと|剥《む》きよつて|死《くた》ばつた|代物《しろもの》だらう。サア|好《よ》い|所《ところ》へ|来《き》よつた。こちらは|三人《さんにん》|貴様《きさま》は|一人《ひとり》だ。|娑婆《しやば》に|居《を》つた|時《とき》は|此方《こちら》は|三人《さんにん》|貴様《きさま》の|味方《みかた》は|五十人《ごじふにん》、|五十人《ごじふにん》でさへも|敗北《はいぼく》した|様《やう》な|腰抜《こしぬけ》だから、|到底《たうてい》|叶《かな》ふまい。|貴様《きさま》の|着物《きもの》を|一切《いつさい》|脱《ぬ》ぎ|取《と》るのだ、サアサア|脱《ぬ》いだり|脱《ぬ》いだり』
|音彦《おとひこ》は、
『オイオイ|弥次《やじ》、|婆《ば》アサンの|職権《しよくけん》まで|蹂躙《じうりん》すると|云《い》ふ|事《こと》があるかい』
『モシモシ、お|婆《ば》アサン、|此《この》|所《ところ》ちよつと|代理権《だいりけん》を|執行《しつかう》|致《いた》しますから、|事後承諾《じごしようだく》を|願《ねが》ひます』
『ハーイハイ、|宜《よろ》しき|様《やう》に………お|前《まへ》に|一任《いちにん》|致《いた》すぞや』
|弥《や》『|音彦《おとひこ》さま、サアどうだ、|是《これ》からこの|弥次彦《やじひこ》が、お|婆《ば》アサンの|代理《だいり》だ。|脱衣婆《だついばば》アといふ|職権《しよくけん》ができた。|婆《ば》アサンの|片相手《かたあひて》は、お|弥次《やじ》サンに|定《きま》つてるよハヽヽヽ。オイ|源五郎《げんごらう》、|婆《ば》アサンのおやぢだ。|娑婆《しやば》に|居《を》つた|時《とき》は|弥次彦《やじひこ》だが、|今《いま》は|三途川《せうづがは》の|鬼《おに》おやぢだ。キリキリチヤツト|脱《ぬ》いで|了《しま》ヘツ』
|源五郎《げんごらう》は、
『ヤア、|仕方《しかた》がない、ソンナラ|脱《ぬ》ぎませう。|一枚《いちまい》でこらへて|下《くだ》さいや』
『エー|執着心《しふちやくしん》を|持《も》つな、|真裸《まつぱだか》になれ』
『それでもまだ|此《この》|先《さき》、|十万億土《じふまんおくど》も|旅《たび》をせにやならぬのだから、お|慈悲《じひ》に|一枚《いちまい》は|残《のこ》して|下《くだ》さいナ』
『エツ|一枚《いちまい》|脱《ぬ》ぐも|三枚《さんまい》|脱《ぬ》ぐも、|脱《ぬ》ぐのに|違《ちが》ふた|事《こと》があるか、|生《うま》れ|赤子《あかご》になるのだよ』
『ナント、お|前《まへ》さまはエライ|権利《けんり》を|持《も》つてますなア』
『|定《きま》つた|事《こと》だよ、|泥棒《どろばう》|権利《けんり》の|執行者《しつかうしや》だ。キリキリチヤツト、|裸《はだか》になつたり|裸《はだか》になつたり』
|源《げん》『アヽもう|斯《こ》うなつては|源五郎《げんごらう》もサツパリ|源助《げんすけ》だ、|娑婆《しやば》に|居《を》る|時《とき》には、|立《た》つ|鳥《とり》も|落《おと》す|勢《いきほひ》であつたが、|可愛《かあい》い|女房《にようばう》には|別《わか》れ、|生命《いのち》より|大事《だいじ》と|蓄《た》めた|財産《ざいさん》は|弊履《へいり》の|如《ごと》く|打棄《うちす》てて、|身軽《みがる》になつて|此処《ここ》へ|来《き》たと|思《おも》へば、この|薄《うす》い|着物《きもの》まで|剥《は》がれて|了《しま》ふのか、アヽ|仕方《しかた》がない。どうしたら|宜《よ》からうかナア』
『エー|女々《めめ》しいワイ、|郷《ごう》に|入《い》つては|郷《ごう》に|従《したが》へだ。|娑婆《しやば》の|理窟《りくつ》は|冥土《めいど》には|通用《つうよう》せぬぞ。|泥棒《どろばう》にも|三分《さんぶ》の|理窟《りくつ》があるのだ。|脱衣爺《だついぢい》の|命令《めいれい》は|全部《ぜんぶ》|服従《ふくじゆう》……|否《いな》|盲従《まうじゆう》するのだ。|亡者《まうじや》が|亡者《まうじや》に|従《したが》ふのは|所謂《いはゆる》|亡従《まうじゆう》だよ。アハヽヽヽ』
『アヽ|仕方《しかた》がありませぬ、|脱《ぬ》がして|戴《いただ》きます』
『|貴様《きさま》が|脱《ぬ》いだ|後《あと》は、|俺《おれ》も|裸《はだか》で|困《こま》つて|居《を》るのだから、|右《みぎ》から|左《ひだり》へスツと|着替《きか》へるのだ。…………オイ|与太公《よたこう》、|此奴《こいつ》ア、|大分《だいぶ》|沢山《たくさん》に|着《き》て|居《ゐ》よるから、|貴様《きさま》と|分配《ぶんぱい》して、|着々《ちやくちやく》|歩《ほ》を|進《すす》めるのだよ』
『お|前《まへ》さまも、|裸《はだか》の|辛《つら》い|事《こと》は|御存《ごぞん》じでせう。|自分《じぶん》の|苦《くる》しみにつまされて、|私《わたくし》を|不憫《ふびん》とは|思《おも》ひませぬか』
『エー|八釜《やかま》しいワイ、|暗《くら》がりの|世《よ》の|中《なか》だ。|一々《いちいち》|目《め》をあけて|居《を》つたならば、|一日《いちにち》も|生活《せいくわつ》が|出来《でき》るものかい。|何事《なにごと》も|人《ひと》の|憐《あは》れは、|見《み》ざる、|聞《き》かざる、|言《い》はざるで…………|自分《じぶん》の|一身《いつしん》|一族《いちぞく》を|保護《ほご》するのが|当世《たうせい》だよ。まだまだ|是《これ》では|済《す》まぬぞ、|貴様《きさま》の|持物《もちもの》をみな|脱《ぬ》いで|了《しま》へ』
『これ|丈《だけ》|褌《まはし》まで|脱《ぬ》いで|了《しま》つたぢやありませぬか、この|上《うへ》|何《なに》を|脱《ぬ》ぐのですかい……』
『|定《きま》つた|事《こと》だよ、|親譲《おやゆづ》りの………|貴様《きさま》はまだ|洋服《やうふく》を|着《き》て|居《を》る。|靴《くつ》も、|手袋《てぶくろ》も、|頭巾《づきん》も、|何《なに》もかも、みな|脱《ぬ》ぐのだ。|貴様《きさま》は|娑婆《しやば》に|居《を》る|時《とき》から、|彼奴《あいつ》は|鉄面皮《てつめんぴ》だと|言《い》はれて|居《を》つたぢやらう。その|鉄面皮《てつめんぴ》を|此処《ここ》で|脱《ぬ》がしてやらう。|舌《した》も|千枚舌《せんまいじた》だと|言《い》ふ|事《こと》だから、|一枚《いちまい》は|助《たす》けてやるが、|九百九十九枚《くひやくくじふくまい》まで|此処《ここ》で|抜《ぬ》き|取《と》るのだ。コレコレ|婆《ば》アサン、|釘抜《くぎぬき》を|貸《か》しテンかいナ』
『ハイハイ、おやぢ|彦《ひこ》の|言《い》ふ|事《こと》なら、|何《なん》でも|聞《き》きませう。|釘抜《くぎぬき》がチツト|錆《さ》びて|居《を》るけれど、|此奴《こいつ》の|舌《した》も|錆《さ》びてゐるから、|合《あ》ふたり、|叶《かな》ふたりだ、ワハヽヽヽ』
『ヤア|気《き》の|利《き》いた|婆《ばば》アだ、|流石《さすが》|俺《おれ》の|女房《にようばう》|丈《だけ》あるワイ、………オイ|源公《げんこう》、|千枚舌《せんまいじた》を|出《だ》せ…………|口《くち》を|開《あ》け…………』
『アーア|仕方《しかた》がない、|冥途《めいど》の|法律《はふりつ》に|従《したが》はねばならぬか。ソンナラどうぞ、ヤンワリと|抜《ぬ》いて|下《くだ》さい』
『よしよし』
と|云《い》ひつつ、|釘抜《くぎぬき》を|以《もつ》て|源公《げんこう》を|大地《だいち》に|仰向《あふむ》けに|寝《ね》させ、|右《みぎ》の|足《あし》を|頭《あたま》にグツと|乗《の》せ、
『イヨー|沢山《たくさん》な|舌《した》だワイ………|此《この》|舌《した》は|放蕩《はうたう》を|舌《した》、|一枚《いちまい》……オイオイ|与太公《よたこう》、|貴様《きさま》は|勘定役《かんぢやうやく》だ。|音彦《おとひこ》は|受取《うけと》つて|下《くだ》さい。……この|舌《した》は|違約《ゐやく》を|舌《した》……オツト|二枚《にまい》……こいつは|間女房《まにようばう》を|舌《した》……オツト|三枚《さんまい》……こいつは|讒言《ざんげん》を|舌《した》、オツト|四枚《よまい》だよ、……こいつは|失敗《しつぱい》を|舌《した》、オツト|五枚《ごまい》だ………こいつはアフンと|舌《した》、オツト|六枚《ろくまい》………こいつはインチキを|舌《した》……|道傍《みちばた》でウンコを|舌《した》……|遠慮《ゑんりよ》を|舌《した》……ドツコイ|遠慮《ゑんりよ》|会釈《ゑしやく》もなしに|乱暴《らんばう》を|舌《した》……|強慾《がうよく》を|舌《した》……ウツカリ|舌《した》……スベタに|現《うつつ》を|抜《ぬ》か|舌《した》……|姦通《かんつう》を|舌《した》……|人《ひと》を|監禁《かんきん》|舌《した》……|苦面《くめん》を|舌《した》……|喧嘩《けんくわ》を|舌《した》……|善悪《ぜんあく》を|混同《こんどう》|舌《した》……|散財《さんざい》を|舌《した》……|要《い》らぬ|心配《しんぱい》を|舌《した》……|狡猾《すこ》い|事《こと》を|舌《した》……|民衆《みんしう》|運動《うんどう》を|煽動《せんどう》|舌《した》……|探偵《たんてい》を|舌《した》……|損《そん》を|舌《した》……|畜生《ちくしやう》を|殺《ころ》|舌《した》……|掴《つか》まへ|損《そこ》なひを|舌《した》……|而《しか》も|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》を……|手癖《てくせ》の|悪《わる》いことを|舌《した》……|遁亡《とんばう》を|舌《した》……|難儀《なんぎ》を|舌《した》……|物《もの》に|窮迫《きうはく》|舌《した》……|人《ひと》を|見殺《みごろ》しに|舌《した》……|憎《にく》まれ|口《ぐち》を|叩《たた》いた|舌《した》だ……|盗《ぬす》みも|舌《した》……|猫婆《ねこばば》も|舌《した》……|無報酬《ただ》の|飲食《のみくひ》を|舌《した》……|神《かみ》に|反対《はんたい》を|舌《した》……|貧乏《びんばふ》を|舌《した》|奴《やつ》を|圧迫《あつぱく》|舌《した》……|憤慨《ふんがい》も|舌《した》……|変改《へんかい》も|舌《した》……|人《ひと》の|金《かね》で|漫遊《まんいう》を|舌《した》……|無理《むり》も|舌《した》……|斤量《ちぎ》の|目盗《めぬす》みも|舌《した》……|悶着《もんちやく》も|舌《した》……|魂《たましひ》の|宿替《やどがへ》も|舌《した》……それは|良心《りやうしん》の|転宅《てんたく》だ……|隠険《いんけん》なことも|舌《した》……|嘘《うそ》つきも|舌《した》……|縁談《えんだん》の|妨害《ばうがい》も|舌《した》……|慾《よく》な|企《たく》みも|舌《した》……|乱痴気《らんちき》|騒《さわ》ぎも|舌《した》……|悋気《りんき》も|舌《した》……|不在《るす》の|宅《うち》を|狙《ねら》つて○○を|舌《した》……|猟師《れふし》をして|沢山《たくさん》な|畜生《ちくしやう》も|捕獲《ほくわく》|舌《した》……|論《ろん》にも|杭《くひ》にもかからぬ|様《やう》な|議論《ぎろん》も|舌《した》……|忘八苦《わんぱく》も|舌《した》……|意地《いぢ》の|悪《わる》い|事《こと》も|舌《した》……エー|閻魔《えんま》さまの|眼鏡《めがね》に|叶《かな》はぬ|様《やう》な|事《こと》も|沢山《たくさん》|舌《した》……|人《ひと》をおど|舌《した》……|霊界物語《れいかいものがたり》の|邪魔《じやま》も|舌《した》……|俺《おれ》もモウウンザリ|舌《した》…|是《これ》でまだ|六十枚《ろくじふまい》だがモウ|良《よ》い|加減《かげん》に|止《や》めに|舌《した》がよからうかアツハヽヽヽ』
『|随分《ずゐぶん》|沢山《たくさん》な|舌《した》ですネー、|音彦《おとひこ》|感心《かんしん》しま|舌《した》、ワアツハヽヽヽ』
『|此奴《こいつ》は、|何時《いつ》も|数多《あまた》の|人間《にんげん》を|顎《あご》で|使《つか》ひよつて、|舌長《したなが》に|物《もの》を|吐《ぬ》かす|舌《した》たか|者《もの》だから、|舌《した》の|根《ね》も|随分《ずゐぶん》|強《つよ》くつて、この|三途川《せうづがは》の|鬼爺《おにおやぢ》も、|大変《たいへん》な|苦労《くらう》を|舌《した》、アーア|舌《した》|抜《ぬ》き|商売《しやうばい》も、|懲々《こりこり》|舌《した》わい、ワツハヽヽヽ』
『これはこれはおやぢ|彦《ひこ》、|偉《えら》い|苦労《くらう》をかけま|舌《した》、これで|一寸《ちよつと》|源五郎《げんごらう》の|制敗《せいばい》も|一部《いちぶ》|落着《らくちやく》いた|舌《した》と|云《い》ふものだ』
『アーア|辛《つら》い|目《め》に|逢《あ》ふたものだ。|三味線《さみせん》の|糸《いと》ほど|引締《ひきし》められて、|撥《ばち》を|当《あ》てられ、お|前《まへ》のお|好《す》きに|紫檀棹《したんざを》、|源五郎《げんごらう》も|是《これ》で|無罪《むざい》|放免《はうめん》にして|貰《もら》ひませうか』
『まだまだ……|此処《ここ》はこれでよい、この|河《かは》を|渡《わた》つて|向《むか》ふへ|行《い》つたら、|今度《こんど》はお|前《まへ》の|腕《かいな》を|抜《ぬ》くのだよ』
|与太彦《よたひこ》は|面白《おもしろ》さうに、
『アヽそう【かいな】、|痛《いた》い【かいな】、|苦《くる》しい【かいな】』
『コラ|与太公《よたこう》、ソンナ|陽気《やうき》な|事《こと》を|言《い》ふとる|場合《ばあひ》ぢやないぞ、|改心《かいしん》をせぬか、|緊張《きんちやう》せぬかい、お|弥次彦《やじひこ》が|舌《した》を|抜《ぬ》いてやらうか』
『オイ|弥次彦《やじひこ》、よい|加減《かげん》にコンナ|殺生《せつしやう》な|商売《しやうばい》は|辞職《じしよく》したらどうだい』
『|八釜《やかま》し|云《い》ふない、モウ|少《すこ》し|勤《つと》めさして|呉《く》れ、……|恩給《おんきふ》|年限《ねんげん》が|満《み》つるまで……』
|与《よ》『|貴様《きさま》はどこまでも、|徹底的《てつていてき》に|慾《よく》な|奴《やつ》だナ、|慾々《よくよく》の|体主霊従《たいしゆれいじう》の|性来《しやうらい》ぢやと|見《み》えるワイ。|世《よ》の|中《なか》で|他人《ひと》がよく|云《い》はぬのも|当然《たうぜん》だ』
『サアサア|弥次彦《やじひこ》サン|永々《ながなが》お|世話《せわ》だつた。|只今《ただいま》|限《かぎ》り|解職《かいしよく》する、|速《はや》くこの|河《かは》を|渡《わた》りしやれ』
『ヤア|何《なん》だ、|何時《いつ》の|間《ま》にか|河《かは》が|無《な》くなつて|了《しま》つた。【かわい】|女房《にようばう》に|生別《いきわか》れと|云《い》ふ|場面《ばめん》だナ。オイ|婆《ばば》ア、|折角《せつかく》な|綺麗《きれい》な|河《かは》を|何処《どこ》ヘスツ|込《こ》めて|了《しま》つたのだい』
『お|前《まへ》の|罪《つみ》が|薄《うす》らいだから、|河《かは》はモウ|流《なが》して|了《しま》つたのだよ』
『|河《かは》を|流《なが》すとは|妙《めう》だな、ヤツパリ|現界《げんかい》とはすべての|光景《くわうけい》が|河《かは》つて|居《ゐ》るワイ……ヤア|面白《おもしろ》い、|茫々《ばうばう》たる|原野《げんや》と|俄《にはか》に|早替《はやがは》り、|活動《くわつどう》|写真《しやしん》を|見《み》とる|様《やう》だ……|是《こ》れは|是《こ》れはお|婆《ば》アサン、|永《なが》らく|御厄介《ごやくかい》に|与《あづか》りました。|頭《あたま》の|一《ひと》つも【おなぐり】|惜《をし》いが、|私《わたくし》も|先《さき》が|急《せ》きますから、これで|垢《あか》の|別《わか》れを|致《いた》しませう。これから|爺《ぢい》は|三人《さんにん》の|亡者《まうじや》を|連《つ》れて、あの|世《よ》の|旅《たび》をする|程《ほど》に、おばば、|後《あと》の|供養《くやう》をしつかり|頼《たの》むぞや。|極楽《ごくらく》と|言《い》ふ|立派《りつぱ》な|所《ところ》へ|行《い》つて|半座《はんざ》を|分《わ》けて|待《ま》つて|居《ゐ》る、|一時《いつとき》もはやく、|第二《だいに》の|娑婆《しやば》を|振《ふ》り|棄《す》てて、おやぢの|側《そば》へやつて|来《き》て|呉《く》れ、|万劫末代《まんがふまつだい》、|一蓮托生《いちれんたくしやう》、|必《かなら》ず|忘《わす》れて|呉《く》れるなよ』
|与太彦《よたひこ》は|吹《ふ》き|出《だ》して、
『アハヽヽヽ、|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ、アンナ|老婆《ばばあ》と|一蓮托生《いちれんたくしやう》になつて|堪《たま》るかい』
『それでも|袖振合《そでふりあ》ふも|他生《たしやう》の|縁《えん》よ「ヤアおやぢサン、ばばア……」と|仮令《たとへ》|半時《はんとき》でも|縁《えん》を|結《むす》んだ|以上《いじやう》は、|夫婦《ふうふ》には|違《ちがひ》ない、|夫婦《ふうふ》の|情《じやう》は|門外漢《もんぐわいかん》の|窺知《きち》すべき|所《ところ》でない、|色気《いろけ》の|無《な》い|唐変木《たうへんぼく》の|容喙《ようかい》すべき|限《かぎ》りにあらずだ』
|音彦《おとひこ》、|与太彦《よたひこ》、|源五郎《げんごらう》も|一度《いちど》にふき|出《だ》し、
『アハヽヽヽ、ウフヽヽヽ、エヘヽヽヽ』
(大正一一・三・二三 旧二・二五 松村真澄録)
第二章 |銅木像《どうもくぞう》〔五五二〕
|音彦《おとひこ》、|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》、|源五郎《げんごらう》の|一行《いつかう》|四人《よにん》は、|三途川《せうづがは》の|脱衣婆《だついばば》に|別《わか》れを|告《つ》げて、|際限《さいげん》もなき|雑草《ざつさう》の|原野《げんや》を|西《にし》へ|西《にし》へと|進《すす》み|行《ゆ》き、ピタツと|行《ゆ》き|当《あた》つた|禿山《はげやま》、|三方《さんぱう》|山《やま》に|囲《かこ》まれ|進路《しんろ》を|失《うしな》ひ|当惑《たうわく》の|態《てい》、
|音《おと》『サア、ピタツと|行《ゆ》き|詰《つま》つた、これで|冥土《めいど》の|旅《たび》も|行《ゆ》き|詰《つま》りだ、|何《なん》とか|一《ひと》つ|考《かんが》へねばなるまい』
|弥《や》『|宣伝使《せんでんし》さま、サア|天津祝詞《あまつのりと》の|言霊《ことたま》だ、|斯《こ》う|云《い》ふ|時《とき》に|使用《しよう》するのが|言霊《ことたま》の|活用《くわつよう》ぢやありませぬか』
『アヽさうだつたナア』
と|手《て》を|拍《う》ち、|声《こゑ》|厳《おごそ》かに|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》する。|忽《たちま》ち|行当《ゆきあた》つた|禿山《はげやま》は|雲《くも》の|如《ごと》く|数十里《すうじふり》の|彼方《あなた》に|急速度《きふそくど》を|以《もつ》て|遁走《とんそう》した。
|弥《や》『アヽ|言霊《ことたま》の|威力《ゐりよく》と|云《い》ふものは|偉《えら》いものだナア。|信仰《しんかう》の|力《ちから》は|山《やま》をも|動《うご》かすと|云《い》ふことを|聞《き》いて|居《ゐ》る、|流石《さすが》は|宣伝使《せんでんし》だ、|貴方《あなた》の|信仰《しんかう》の|威力《ゐりよく》は|確《たし》かなものだ。もうかういふ|経験《けいけん》を|得《え》た|以上《いじやう》は、|焦熱《せうねつ》|地獄《ぢごく》であらうが、|八寒《はつかん》|地獄《ぢごく》であらうが、|何《なん》の|恐《おそ》るる|所《ところ》あらむやだ。|地獄《ぢごく》のドン|底《ぞこ》まで|浸入《しんにふ》して、|吾々《われわれ》|一行《いつかう》は|幽政《いうせい》の|大改革《だいかいかく》を|断行《だんかう》するのだなア』
|音《おと》『オイ|余《あま》り|油断《ゆだん》をするな、|油断《ゆだん》すると|知《し》らず|識《し》らずに|慢心《まんしん》が|出《で》て|思《おも》はぬ|失敗《しつぱい》を|演《えん》ぜないとも|限《かぎ》らぬ。|隅々《すみずみ》までも|気《き》を|付《つ》けて|進《すす》まねばならぬぞ』
|斯《か》く|云《い》ふ|中《うち》|忽然《こつぜん》として|見上《みあ》ぐる|許《ばか》りの|銅木像《どうもくぞう》が|地中《ちちう》よりヌツと|現《あら》はれて|来《き》た。
|弥《や》『イヨー|出《で》よつたなア、|矢張《やつぱ》り|幽界《いうかい》は|幽界《いうかい》だ。|一《ひと》つの|特徴《とくちよう》があるワイ。オイコラ|幽界《いうかい》の|化物《ばけもの》、|吾々《われわれ》の|通路《つうろ》を|遮《さへぎ》る|不届《ふとど》きもの、スツコメスツコメ。|現界《げんかい》の|化物《ばけもの》とは|違《ちが》つて|幽界《いうかい》の|化物《ばけもの》はよつぽど|形式《けいしき》が|違《ちが》つて|居《ゐ》るワイ。コラ|化物《ばけもの》|返答《へんたふ》せぬかい、|銅木像《どうもくざう》|奴《め》が』
『グワツハヽヽヽー、グウツフヽヽヽー、ギエツヘヽヽヽー、ギヰツヒヽヽヽー』
『ナンダ、ガヽヽ、ギヽヽと、|濁音《だくおん》のみを|使《つか》ひよつて、|吾々《われわれ》を|何《なん》と|心得《こころえ》て|居《ゐ》るのだい、|三途川《せうづがは》の|脱衣婆《だついばば》でさへも、ヘコまして|来《き》た|弥次彦《やじひこ》さまだぞ』
『|俺《おれ》は|銅《どう》と|木《き》とで|造《つく》つた|機械《きつかい》な|化物《ばけもの》だ。|愚図々々《ぐづぐづ》|吐《ぬか》すと|頭《どたま》から|呑《の》みてやらうか』
|弥《や》『アハヽヽヽ、|貴様《きさま》は|大蛇《をろち》の|化物《ばけもの》だな、|呑《の》ましてやりたいが、|生憎《あひにく》|何《なん》にもないワイ、|田子《たご》の|宿《やど》のお|竹《たけ》の|家《うち》で|飲《の》まされた|小便茶《しよんべんちや》なと|呑《の》まして|遣《や》らうか』
|銅《どう》『イヤ|俺《おれ》は|茶《ちや》は|呑《の》みたくない。|裸《はだか》の|奴《やつ》が|呑《の》みたいのだ』
|弥《や》『ウンさうか、よしよし|御註文《ごちうもん》|通《どほ》り|此処《ここ》にウラル|教《けう》の|源五郎《げんごらう》といふ|奴《やつ》が、|真裸《まつぱだか》になつて|来《き》て|居《ゐ》るワイ、これが|呑《の》みたいのだらう』
|銅《どう》『ガーバー』
|弥《や》『ホンに、|御機嫌《ごきげん》の|好《よ》いお|顔《かほ》だことわいのう。サア|源《げん》チヤン、|御苦労《ごくらう》ながら|一《ひと》つ|呑《の》みて|貰《もら》ひ|給《たま》へ』
『|裸《はだか》はお|前《まへ》の|事《こと》だよ、その|着物《きもの》は|皆《みんな》|俺《わし》の|着物《きもの》だ。モシモシ|銅木像《どうもくぞう》さま、|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》は|小鹿峠《こしかたうげ》の|手前《てまへ》で、|真裸《まつぱだか》になりました。|裸《はだか》の|道中《だうちう》を|続《つづ》けて|来《き》た|経験《けいけん》のある|奴《やつ》です。|俺《わし》は|三途《せうづ》の|川《かは》の|渡場《わたしば》で|此奴等《こいつら》|二人《ふたり》に|泥棒《どろばう》されたのですから、|之等《これら》|二人《ふたり》をとつくりと|呑《の》みて|遣《や》つて|下《くだ》さいませ』
|銅《どう》『ギヰツヒヽヽヽ、オーさうだらう、|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》が|味《あぢ》が|好《よ》ささうだのう』
|弥《や》『コラ|源公《げんこう》、|貴様《きさま》は|真正《ほんと》の|真裸《まつぱだか》だ、|俺《おれ》は|脱衣婆《だついばば》の|承認《しようにん》を|得《え》て|着物《きもの》を|着《き》て|居《ゐ》るのだよ。モシモシ|銅木像《どうもくぞう》さま、それはお|考《かんが》へ|違《ちが》ひぢやありませぬか』
『|俺《おれ》は|機械《きかい》だ、モウこれ|切《き》りで|物《もの》は|言《い》はぬ。お|前《まへ》たち|勝手《かつて》に|俺《おれ》の|腹《はら》へ|這入《はい》つて|機械《きかい》を|使《つか》ふたが|好《よ》からう。|腹《はら》へ|這入《はい》れば|色々《いろいろ》の|機械《きかい》の|装置《さうち》が|完備《くわんび》して|居《ゐ》るから、|一々《いちいち》|使用法《しようはふ》が|記《しる》してある。その|綱《つな》をひくと|此《この》|銅木像《どうもくざう》が|大活動《だいくわつどう》を|演《えん》ずるのだ、ガハヽヽヽヽ』
|弥《や》『ヤア|此奴《こいつ》|面白《おもしろ》いぞ、|吾々《われわれ》が|十万億土《じふまんおくど》の|旅《たび》をすると|思《おも》つて、|閻魔《えんま》の|奴《やつ》|退屈《たいくつ》ざましにコンナ|副産物《ふくさんぶつ》を|拵《こしら》へて|置《お》いたのだらう。ヤアもう|文明《ぶんめい》の|空気《くうき》と|云《い》ふものは|何処《どこ》までも|行《ゆ》き|渡《わた》つたものだワイ、|一《ひと》つ|俺《おれ》が|這入《はい》つてこの|機械《きかい》を|使《つか》つて|見《み》やうかなア』
|源《げん》『お|前等《まへら》は|俺《おれ》の|着物《きもの》を|追剥《おひはぎ》をしたのだから、|罪《つみ》が|加重《かちよう》して|居《ゐ》る、|到底《たうてい》この|機械《きかい》を|使用《しよう》する|権利《けんり》はなからう。|俺《おれ》は|裸《はだか》だから|着物《きもの》の|代《かは》りにこの|銅木像《どうもくぞう》の|中《なか》へ|潜入《せんにふ》して、|一《ひと》つ|使《つか》つて|見《み》るから、お|前等《まへら》は|力一杯《ちからいつぱい》|相手《あひて》になつて|見《み》たらどうだ。ウラル|教《けう》の|大目付役《おほめつけやく》と、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》や|信者《しんじや》との|問答《もんだふ》も|面白《おもしろ》いかも|知《し》れないぞ』
|与《よ》『オイ|弥次彦《やじひこ》、|源五郎《げんごらう》の|云《い》ふ|通《とほ》りにさして|見《み》たらどうだ。ナア|音彦《おとひこ》さま、それが|好《い》いぢやありませぬか』
|音《おと》『|好《よ》からう、ソンナラ|源《げん》チヤン、あなた|這入《はい》つて|下《くだ》さいナ』
|源《げん》『コレは|有難《ありがた》い、|一《ひと》つ|操《あや》つり|人形《にんぎやう》の|様《やう》に|自由自在《じいうじざい》に|動《うご》かして|見《み》ませうかい。ヤア|入口《いりぐち》は|何処《どこ》だ、アハア|大《おほ》きな|鼻《はな》の|孔《あな》を|開《あ》けて|居《ゐ》よる、|此処《ここ》から|一《ひと》つガサガサと|這入《はい》つてやらうか』
と|言《い》つて|銅木像《どうもくぞう》の|身体《からだ》を|杣人《そまびと》が|山《やま》にでも|登《のぼ》るやうに|杖《つゑ》をつきながら|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
|弥《や》『イヨー|面白《おもしろ》いな。まるで|牛《うし》に|蝿《はへ》がたかつたやうに|小《ちい》さく|見《み》える。よつぽど|大《おほ》きな|銅木像《どうもくざう》だワイ』
|源五郎《げんごらう》はとうとう|鼻《はな》の|孔《あな》から|這入《はい》つて|了《しま》つた。
|与《よ》『ヤア、とうとう|這入《はい》つて|了《しま》ひよつた、これから|面白《おもしろ》いのだ、オイ|早《はや》く|芸当《げいたう》を|始《はじ》めぬかい』
|銅《どう》『ウヽヽヽヽ、ウラル|教《けう》の|大目付役《おほめつけやく》|鷲掴《わしづかみ》の|源五郎《げんごらう》とは|俺《おれ》の|事《こと》だ。サアサア|三五教《あななひけう》の|豆《まめ》|宣伝使《せんでんし》、モウかうなる|以上《いじやう》は|大丈夫《だいぢやうぶ》だ、|銅木像《どうもくざう》の|合羽《かつぱ》を|被《かぶ》つた|源五郎《げんごらう》だ。ウーフヽヽヽ』
|弥《や》『ヤア|怪体《けつたい》な|銅木像《どうもくざう》だ、|源五郎《げんごらう》|気取《きど》りになりよつて|怪《け》しからぬ。ヤイ|銅木像《どうもくざう》、|洒落《しやれ》た|事《こと》をするない』
|銅《どう》『|洒落《しやれ》たも|洒落《しやれ》ぬもあつたものかい』
とグルグルグルと|蛇《じや》の|目《め》|傘《がさ》の|如《ごと》き|目玉《めだま》を|急速度《きふそくど》を|以《もつ》て|廻転《くわいてん》させる。
|弥《や》『ヤア|乙《おつ》な|事《こと》をやりよるワ。|多寡《たくわ》が|機械《きかい》だ、|輪転機《りんてんき》でも|使《つか》ひよつて|目玉《めだま》を|廻転《くわいてん》させて|居《ゐ》るのだらう。コラ|余《あんま》り|目玉《めだま》を|剥《む》くと|目《め》がモーターになつてへコ|垂《た》れるぞ』
|銅《どう》『この|目《【め】》が|恐《こは》いか、|冥途《【め】いど》の|旅《たび》ぢや、お|前《【め】へ》たちの|目《【め】》を|醒《さ》まして|遣《や》る|為《た》めに|先《ま》づ|俺《おれ》から|目《【め】》を|剥《む》いて|見《み》せたのだ、|序《ついで》に|鼻《はな》を|剥《む》いて|遣《や》らうか』
|弥《や》『|剥《む》いて|見《み》よ、|俺《おれ》は|此処《ここ》で|緩《ゆつく》りと|春風《はるかぜ》に|吹《ふ》かれて|花見《はなみ》|見物《けんぶつ》をやつて|遣《や》らう。ヨウ|小山《こやま》のやうな|鼻《はな》をピコツカせよるぞ、|無恰好《ぶかつかう》な|鼻《はな》だなア。ヤア|剥《む》いた|剥《む》いた、|何《なん》だベンチレーターのやうな|鼻《はな》をしよつて、|天井《てんじやう》を|嗅《か》ぐやうな|調子《てうし》で|鼻《はな》の|孔《あな》を|上《うへ》|向《む》けて|居《ゐ》やがる。|天井《てんじやう》が|燻香《くんかう》したと|思《おも》ひ|違《ちが》へよつたなア、オイ|化像《ばけざう》、チツト|勘考《かんかう》して|見《み》い』
|銅《どう》『|俺《おれ》の|鼻息《はないき》で|吹《ふ》き|散《ち》らしてやろうか、このベンチレーターは|猛烈《まうれつ》に|噴煙《ふんえん》を|吐《は》くから|用意《ようい》を|致《いた》せ』
|与《よ》『アハヽヽヽ、|変《かは》れば|変《かは》るものだ、|機械《きかい》が|物《もの》|云《い》ふ|時節《じせつ》だから、これも|形式《けいしき》の|変《かは》つた|蓄音器《ちくおんき》だなア。オイ|蓄音器《ちくおんき》|先生《せんせい》、レコードが|破《やぶ》れぬ|様《やう》に|静《しづ》かに|廻《まは》して|見《み》よ、|余《あんま》り|虐使《ぎやくし》すると|使用《しよう》|期間《きかん》を|短縮《たんしゆく》するぞ』
|化像《ばけざう》は|右《みぎ》の|手《て》をガタガタガタガタと|動《うご》かし、|機械的《きかいてき》に|指《ゆび》を|以《もつ》て|一方《いつぱう》の|小鼻《こばな》を|押《おさ》へ、|左《ひだり》の|直径《ちよくけい》|一丈《いちぢやう》|位《ぐらゐ》の|大鼻孔《だいびこう》より|黒煙《こくえん》を|頻《しき》りに|噴出《ふんしゆつ》し、|四辺《あたり》は|真暗闇《まつくらやみ》になつて|了《しま》つた。
|弥《や》『コラコラ|化像《ばけざう》、|程度《ていど》を|知《し》らぬかい、|治安《ちあん》|妨害《ばうがい》だぞ。モ|少《すこ》しソツと|吹《ふ》かぬか』
|銅《どう》『|吹《ふ》かいでかい|吹《ふ》かいでかい、|吹《ふ》いて|吹《ふ》いて|吹《ふ》き|捲《まく》つてやるのだ』
|弥《や》『|此奴《こいつ》は|思《おも》ひ|違《ちが》ひだ、|意想外《いさうぐわい》だ。モシモシ|宣伝使《せんでんし》さま、|言霊《ことたま》だ|言霊《ことたま》だ』
|音《おと》『|弥次彦《やじひこ》さま、|緩《ゆつく》りなさいませ、|吹《ふ》く|丈《だ》け|吹《ふ》いたら|原料《げんれう》が|無《な》くなるから|大丈夫《だいぢやうぶ》だ、|何《なに》ほど|大《おほ》きいと|云《い》つたつて、さう|無尽蔵《むじんざう》に|続《つづ》くものぢやないからナア』
|化像《ばけざう》は|又《また》もや|左《ひだり》の|腕《うで》をガタガタガタガタと|音《おと》をさせ、|機械的《きかいてき》に|左《ひだり》の|小鼻《こばな》を|押《おさ》へ、|右《みぎ》の|手《て》を|元《もと》の|位置《ゐち》にチント|直《なほ》し、|招《まね》き|猫《ねこ》のやうな|恰好《かつかう》にし、|今度《こんど》は|右《みぎ》の|孔《あな》から|吹《ふ》くわ|吹《ふ》くわ|滅茶《めつちや》やたらに、|二百十日《にひやくとをか》の|暴雨《あらし》のやうにブウブウ|粘《ねば》つた【ミヅバナ】を|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|吹散《ふきち》らす。
|弥《や》『アーア、コリヤたまらぬ、|涕《はな》だらけだ、|何処《どこ》もかもニチヤニチヤになつてしまつた。まるで|紙雛《かんびな》を|噛《か》みて|吐《は》き|出《だ》したやうな|御面相《ごめんさう》になつたワイ、オイ|化像《ばけざう》、もう|好《よ》い|加減《かげん》に|中止《ちうし》せぬかい、しぶとい|奴《やつ》ぢやなア』
|銅《どう》『|俺《おれ》はしぶとい、|貴様《きさま》の|様《やう》な|淡泊《たんぱく》な|人間《にんげん》とは|違《ちが》ふ、|粘着性《ねんちやくせい》を|持《も》つて|居《ゐ》るのだ、まだまだまだまだ|粘《ねば》つく|奴《やつ》を|噴出《ふんしゆつ》するぞ。|宿《やど》が|無《な》くてお|竹《たけ》の|家《うち》に|泊《と》めて|貰《もら》つて、|結構《けつこう》な|握飯《にぎりめし》を|頂戴《ちやうだい》して|婆《ばば》の|鼻汁《はな》が|混《まじ》つたの、|混《まじ》らぬのと|小言《こごと》をほざきよつたその|報《むく》い、|身体中《からだぢう》を|鼻啖《はなたん》でこね|廻《まは》して|遣《や》るのだぞ』
|弥《や》『コレコレ|音彦《おとひこ》|様《さま》、イヤ|宣伝使《せんでんし》さま、コンナ|時《とき》こそ、それ|科戸《しなど》の|風《かぜ》の|天《あめ》の|八重雲《やへくも》を|吹放《ふきはな》つ|事《こと》の|如《ごと》く、|大津辺《おほつべ》に|居《を》る|大船《おほふね》を|屁《へ》こき|放《はな》ち|糞《くそ》こき|放《はな》ちて、|大和田《おほわだ》の|原《はら》に|鼻《はな》|垂《た》れる|事《こと》の|如《ごと》く、|払《はら》ひ|給《たま》へ|清《きよ》め|給《たま》へをやつて|下《くだ》さいな、かう|汚《よご》れてはどうにも、こうにも|仕方《しかた》がない』
|音《おと》『マヽじつくりとするのだよ。|芸者《げいしや》でさへも|花《はな》が|欲《ほ》しいと|云《い》ふて|眠《ね》ぶた|目《め》をこすりながら、ボンボラ|三味線《さみせん》を|弾《ひ》きよる。|何《なに》もせないで|此《これ》|丈《だ》け|沢山《たくさん》の【はな】を|頂戴《ちやうだい》すれば|結構《けつこう》だ。お|化《ばけ》さま|又《また》|来《き》て|頂戴《ちやうだい》、【はな】の|切《き》れ|目《め》が|縁《えん》の|切《き》れ|目《め》、お【はな】を|沢山《たくさん》|持《も》つて|又《また》|来《き》て|下《くだ》さい………ナンテ|云《い》つて|背中《せなか》をポンと|叩《たた》いた。さうすると|弥次彦《やじひこ》が|蒟蒻《こんにやく》の|様《やう》になつてグニヤグニヤとなるまでには|大分《だいぶ》|資本《もと》が|要《い》る、コンナに|沢山《たくさん》【はな】を|頂戴《ちやうだい》して、|不足《ふそく》を|言《い》ふ|所《どころ》か』
|弥《や》『モシモシ|宣伝使《せんでんし》さま、|貴方《あなた》はどうかして|居《ゐ》ますなア、|芸者《げいしや》の|花代《はなだい》と|混線《こんせん》して|居《ゐ》やしませぬか』
|音《おと》『|天混線《てんこんせん》を|空《むなし》うする|勿《なか》れ、|時《とき》に|鼻汁《はなじる》の|泣面《なきづら》に|当《あた》るを、アハヽヽヽヽ』
|弥《や》『ドウモ、|尾籠《びろう》な|事《こと》だワイ、|鼻振《びしん》、|紙也《かみなり》、|屁《へ》の|雨《あめ》だ、ヤアもう|結構《けつこう》|々々《けつこう》、|花見《はなみ》だと|思《おも》つて|居《を》つたに|落花狼籍《らくくわらうぜき》、|開闢《かいびやく》|以来《いらい》の|粘《ね》ンばりとした|花見《はなみ》|遊山《ゆさん》だ。オイ|源公《げんこう》、イヽ|加減《かげん》に|悪戯《いたづら》を|止《や》めたらどうだい』
|銅《どう》『|今度《こんど》は|小便《せよんべん》の|竜吐水《りうとすゐ》だ、|田子《たご》の|宿《しゆく》に|於《おい》て|土瓶《どびん》の|中《なか》に|小便《せよんべん》を|垂《た》れたを|覚《おぼ》えて|居《ゐ》るだらう。|折《をり》|悪《あし》く|土瓶《どびん》の|持《も》ち|合《あは》せがないから|貴様《きさま》の|薬鑵頭《やくわんあたま》を、|土瓶《どびん》|代用《だいよう》として|注入《ちうにふ》してやらう、チツト|熱《あつ》い|小便茶《せよんべんちや》だぞ』
|与《よ》『|是《こ》れはこれはめつそうな、|沢山《たくさん》お|花《はな》を|頂戴《ちやうだい》いたしまして|其《その》|上《うへ》に、|結構《けつこう》なお|茶《ちや》を|頂戴《ちやうだい》しましては、|却《かへつ》てお|気《き》の|毒《どく》さまで|御座《ござ》います、|私《わたくし》も|迷惑《めいわく》いたします、どうぞお|茶《ちや》|丈《だけ》はまた|外《ほか》のお|客《きやく》に|振《ふ》れ|舞《ま》つて|下《くだ》さい。|生憎《あひにく》|裸《はだか》に|一旦《いつたん》されたものだからお|茶代《ちやだい》も|御座《ござ》いませぬからお|茶《ちや》の|出《だ》し|損《ぞん》、それでは|商売《しやうばい》の|資本《もと》が|続《つづ》きますまい。|閻魔《えんま》の|庁《ちやう》から|執達吏《しつたつり》がやつて|来《き》て、|破産《はさん》|申請《しんせい》をやられては|却《かへつ》てお|家《いへ》の|迷惑《めいわく》、|後《あと》はさつぱり|家計《かけい》|紊乱《びんらん》|共《とも》に|苦辛《くしん》の|為体《ていたらく》、マアマアお|茶《ちや》|丈《だけ》はお|引《ひ》き|下《くだ》さつたが|好《よ》ろしからう』
|銅《どう》『この|芸者《げいしや》は|茶《ちや》を|引《ひ》く|事《こと》は|大々々々《だいだいだいだい》の|嫌《きら》ひで|御座《ござ》んす。お|茶《ちや》|位《くらゐ》はエヽ|遠慮《ゑんりよ》なしにあがつて|下《くだ》さい。|本当《ほんたう》の|番茶《ばんちや》なら|宜《い》いが|小便茶《せよんべんちや》で、あまり|原料《もと》も|要《い》りませぬ。|茶《ちや》つとおあがりなさい。サ|薬鑵《やかん》の|蓋《ふた》を|開《あ》けて|下《くだ》さい』
|与《よ》『イヤもう|沢山《たくさん》、|此方《こつち》の|薬鑵《やくわん》も|茶《ちや》を|沸《わか》して|居《を》りますから、この|上《うへ》|頂《いただ》いた|所《ところ》で|塔《たふ》の|上《うへ》に|塔《たふ》を|積《つ》むやうなもの、|倹約《けんやく》|流行《りうかう》の|世《よ》の|中《なか》、|無駄《むだ》な|費用《ひよう》を|省《はぶ》いて、それを|社会《しやくわい》|事業《じげふ》にでも|投資《とうし》した|方《はう》が|何《なに》ほど|娑婆《しやば》の|人間《にんげん》が|喜《よろこ》ぶ|事《こと》か|分《わか》りませぬぞ』
|銅《どう》『ヤアそれでも、もうすでに|準備《じゆんび》が|出来《でき》て|居《ゐ》ます』
と|大竜吐水《だいりうとすゐ》の|如《ごと》く|小便茶《せうべんちや》を|虹《にじ》のやうに|吐《は》き|出《だ》した。
|与《よ》『コリヤ、|熱《あつ》い|熱《あつ》い、|何程《なんぼ》|厚《あつ》い|志《こころざし》と|言《い》つても、コー|茶《ちや》にされては|有難《ありがた》くもないワ、|然《しか》し|一利《いちり》あれば|一害《いちがい》あり、|鼻《はな》だらけの|身体《からだ》の|洗濯《せんたく》には|持《も》つて|来《こ》いぢや、|腹《はら》も|立《た》つが|茶腹《ちやばら》も|立《た》つ、|然《しか》し|小便《せよんべん》|丈《だけ》は|閉口《へいこう》だ』
|銅《どう》『それは|見本《みほん》だ、|本物《ほんもの》は|之《こ》れから|幾何《いくら》でも|大洪水《だいこうずゐ》が|出《で》たほど|御馳走《ごちそう》して|上《あ》げませう』
|弥《や》『お|香水《かうすゐ》なら|結構《けつこう》だが、この|見本《みほん》ではねつから|気《き》に|入《い》らぬ、|破約《はやく》だ。もう|此方《こちら》からこの|代物《しろもの》は|小便《せよんべん》しますワ』
|銅《どう》『アハヽヽヽヽ』
|弥《や》『オイオイ|源五郎《げんごらう》のサツク|奴《め》が、|好《い》い|加減《かげん》に|悪戯《いたづら》を|止《や》めたらどうだい』
|銅《どう》『|貴様《きさま》は|脱衣婆《だついばば》の|上前《うはまへ》をハネよつて、|源五郎《げんごらう》の|着物《きもの》を|無理《むり》に|掠奪《りやくだつ》した|怪《け》しからぬ|奴《やつ》だ、|今《いま》|此処《ここ》で|裸《はだか》になれ。その|着物《きもの》をすつかりと|源五郎《げんごらう》さまに|返上《へんじやう》するのだ』
|弥《や》『エヽ|穢苦《むさくる》しい、|鼻汁《はなみづ》だらけの|小便茶《せよんべんちや》の|浸《しゆ》みたコンナ|着物《きもの》は、|誰《たれ》が|着《き》たいものかい。サア|何時《いつ》でも|返《かへ》してやるワ』
|銅《どう》『|洗濯《せんたく》をして|元《もと》の|通《とほ》りに|綺麗《きれい》に|乾《かわ》かして|返《かへ》すのだぞ』
|弥《や》、|与《よ》『|洗濯《せんたく》せえと|言《い》つたつて|河《かは》もなし|婆《ばば》ぢやあるまいし、ソンナ|無理《むり》な|註文《ちうもん》はするものぢやないワ、|返《かへ》してやつたら|結構《けつこう》だ』
とムクムクと|裸《はだか》になり、
|二人《ふたり》『サアこれでスイとした|生《うま》れ|赤子《あかご》だ』
|銅《どう》『ウワハヽヽヽヽ、|見事《みごと》|裸《はだか》になりよつたなア、これから|俺《おれ》の|口《くち》から|万本針《まんぼんばり》を|吐《は》いて|遣《や》らう、|貴様《きさま》の|身体《からだ》に|皆《みな》ささつて|毛《け》がはへた|様《やう》にしてやるワ、キツヒヽヽヽ』
|弥《や》『エヽ|仕様《しやう》もない|針合《はりあひ》のない|事《こと》だ、|愚図々々《ぐづぐづ》|抜《ぬ》かすとハリ|倒《たふ》すぞ。モシモシ|宣伝使《せんでんし》さま|何《なに》して|御座《ござ》る、|吾々《われわれ》|二人《ふたり》が|之《こ》れほど|苦《くる》しみて|居《ゐ》るのに、|貴方《あなた》は|傍観《ばうくわん》して|居《を》つて、それで|人《ひと》を|助《たす》ける|宣伝使《せんでんし》と|言《い》へますか』
|音《おと》『ヨー|結構《けつこう》な|花見《はなみ》だ。|桜花爛漫《あうくわらんまん》として|雲《くも》の|如《ごと》く、そこへ|日光《につくわう》|七色《なないろ》の|映《えい》じた|虹《にじ》の|麗《うるは》しさ、|後《あと》から|針《はり》の|様《やう》な|霧雨《きりあめ》ビシヨビシヨと|降《ふ》つて|来《く》るこの|風情《ふぜい》と|言《い》つたら、|何《なん》とも|譬《たと》へ|様《やう》のない|気候《きこう》、|与太彦《よたひこ》、|弥次彦《やじひこ》の|二人《ふたり》は|花見踊《はなみをどり》をして|見《み》せるし、|操《あやつ》り|人形《にんぎやう》は|色々《いろいろ》の|曲芸《きよくげい》を|演《えん》じて|観覧《くわんらん》に|供《きよう》すると|云《い》ふ|体裁《ていさい》だから|面白《おもしろ》くて|堪《たま》らぬワイ。|霊界物語《れいかいものがたり》の|第一巻《だいいつくわん》にあつた|通《とほ》り、|苦中《くちう》|楽《らく》あり、|楽中《らくちう》|苦《く》ありだ。|天国《てんごく》と|云《い》つても|苦《くる》しみあり、|地獄《ぢごく》と|云《い》つても|楽《たのし》みがあると|云《い》ふは|能《よ》く|言《い》つたものだ、|心《こころ》の|持《も》ちやう|一《ひと》つで|地獄《ぢごく》となり、|極楽《ごくらく》となる。|嗚呼《ああ》|有難《ありがた》いものだ』
|弥《や》『アヽ|薩張《さつぱ》り|駄目《だめ》だ。|力《ちから》に|思《おも》ふ|宣伝使《せんでんし》はこの|通《とほ》り|知覚《ちかく》|神経《しんけい》が|麻痺《まひ》しちまつて、コンナ|苦《くる》しい|場面《ばめん》が|極楽浄土《ごくらくじやうど》に|見《み》えるとは|何《なん》とした|事《こと》だらう』
|銅《どう》『サア|是《これ》からだ、|右《みぎ》の|足《あし》で|俺《おれ》が|一《ひと》つ|四股《しこ》を|踏《ふ》みたら|小鹿峠《こしかたうげ》がガタガタガタガタ、|左《ひだり》の|足《あし》をウンと|踏《ふ》みたら|貴様等《きさまら》は|天上《てんじやう》|目《め》がけてプリンプリン、|泥田《どろた》の|中《なか》へ|真逆様《まつさかさま》にヅドン キューの|一言《ひとこゑ》|冥土《めいど》の|旅路《たびぢ》、アハヽヽヽ』
|弥《や》『|何《なん》だ、|小鹿峠《こしかたうげ》の|事《こと》まで|並《なら》べよつて、オイ|源五郎《げんごらう》、|好《い》い|加減《かげん》に|出《で》て|来《こ》ぬかい、|今度《こんど》ア|俺《おれ》の|番《ばん》だ』
|銅木像《どうもくざう》はムクムクと|立《た》ち|上《あが》り|四股《しこ》をドンドンと|踏《ふ》みながら、さしも|高《たか》い|禿山《はげやま》を|一足《ひとあし》に|跨《また》げ、のそりのそりと|歩《あゆ》み|出《だ》し、
『ヤアヤア|太陽《たいやう》が|余《あんま》り|低《ひく》いものだから、|頭《あたま》に|行《ゆ》き|当《あた》りよつて|仕方《しかた》がないワ、あすこにも|月《つき》がぶら|下《さが》つて|居《ゐ》る、|腰《こし》でも【しやがめ】て|通《とほ》つてやらうかい』
と|雷《かみなり》のやうに|咆《ほ》え|呶鳴《どな》りつつ|西《にし》の|方《はう》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。
|弥《や》『ヤアヤア|化像《ばけざう》の|奴《やつ》、|源五郎《げんごらう》も|一緒《いつしよ》に|腹《はら》の|中《なか》に|入《い》れて|何処《どこ》へか|往《い》つてしまひよつた、アヽ|仕方《しかた》がない、|真裸《まつぱだか》だ、|誰《たれ》か|来《こ》ぬかいな、|着物《きもの》の|用意《ようい》をせなくちや|閻魔《えんま》の|庁《ちやう》へ|行《ゆ》く|迄《まで》に、ポリスに|出会《であ》つたらまた|監禁《かんきん》だ』
|与《よ》『オイオイ|向《むか》ふを|見《み》よ、|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》が|先《さき》に|立《た》ち|鷹彦《たかひこ》、|岩彦《いはひこ》、|梅彦《うめひこ》、|亀彦《かめひこ》の|面々《めんめん》が|遣《や》つて|来《く》るぢやないか、|祝詞《のりと》の|声《こゑ》が|聞《きこ》え|出《だ》したぞ』
|弥《や》『ヤア|来《き》た|来《き》た、|彼《あ》の|宣伝使《せんでんし》も|何処《どこ》へ|往《い》つたかと|思《おも》へば、|矢張《やつぱ》り|大蛇《おろち》に|飲《の》まれて|冥土《めいど》の|旅《たび》をやつてゐるのだなア、|然《しか》しまア|道連《みちづれ》が|出来《でき》て|賑《にぎ》やかで|好《い》いワイ』
|日《ひ》の|出別《でわけ》の|一行《いつかう》は|馬《うま》の|蹄《ひづめ》の|音《おと》カツカツと|此方《こちら》に|向《むか》つて|進《すす》み|来《く》る。
|弥《や》『モシモシ、|私《わたくし》の|頭《あたま》は|小便《せよんべん》だらけだ、|水《みづ》でも|吹《ふ》いて|清《きよ》めて|下《くだ》さいませぬか』
|日《ひ》『ヤア|鷹彦《たかひこ》サン、|岩彦《いはひこ》サン、|貴方《あなた》がた|一同《いちどう》は|谷川《たにがは》の|水《みづ》でも、|汲《く》みてかけてやつて|下《くだ》さい』
|鷹《たか》、|岩《いは》『|畏《かしこ》まりました』
と|谷《たに》に|下《くだ》りて|口《くち》に|水《みづ》を|含《ふく》み|三人《さんにん》の|顔《かほ》に|向《むか》つて|伊吹《いぶき》をした。ウヽーンと|唸《うな》ると|共《とも》にハツと|気《き》が|付《つ》けば、|小鹿峠《こしかたうげ》の|麓《ふもと》の|河辺《かはべり》に|三人《さんにん》は|気絶《きぜつ》して|居《ゐ》たるなり。
|日《ひ》『ヤー|結構《けつこう》|々々《けつこう》、|吾々《われわれ》の|来《く》るのが|少《すこ》し|遅《おそ》かつたら、とうとう|冥土《めいど》の|旅《たび》をする|所《ところ》だつたなア、マア|命《いのち》があつて|何《なに》より|結構《けつこう》、サア|是《こ》れからフサの|都《みやこ》へ|着《つ》いて、それからコーカス|山《ざん》に|進《すす》む|事《こと》にしよう』
(大正一一・三・二三 旧二・二五 谷村真友録)
第三章 |鷹彦《たかひこ》|還元《くわんげん》〔五五三〕
|鷹彦《たかひこ》、|梅彦《うめひこ》、|亀彦《かめひこ》は|心《こころ》の|堅《かた》き|岩彦《いはひこ》の|改心《かいしん》を|喜《よろこ》びて、|駒彦《こまひこ》|諸共《もろとも》、|駒《こま》に|鞭《むち》|打《う》ち|堂々《だうだう》と|小鹿峠《こしかたうげ》を|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|爪先《つまさき》|上《あが》りの|山道《さんだう》を|神《かみ》の|教《をしへ》に|夜《よる》の|道《みち》、|早《はや》|頂上《ちやうじやう》に|登《のぼ》り|着《つ》いた。
|鷹《たか》『|御蔭《おかげ》で、|小鹿峠《こしかたうげ》を|見極《みきは》めました。ご|一同《いちどう》ここで|馬《うま》を|休息《きうそく》させて|参《まゐ》りませうか』
と|一同《いちどう》は|鷹彦《たかひこ》の|提議《ていぎ》に|満場《まんぢやう》|一致《いつち》|賛意《さんい》を|表《あら》はし|馬《うま》よりヒラリと|飛《と》び|下《お》りた。
|岩《いは》『|何《いづ》れも|方《がた》、|余《あま》りの|急坂《きふはん》でお|疲《つか》れでしたらう。|然《しか》し、|音彦《おとひこ》の|宣伝使《せんでんし》は|居《ゐ》ませんなア』
|梅《うめ》『アヽさうですな、どうしたのでせう。|途中《とちう》に|馬《うま》でもへたつたのではありますまいか、|真逆《まさか》あれほど|大《おほ》きな|声《こゑ》で|呼《よ》んだのだから|聞《きこ》えぬ|筈《はず》もなからうし、|目《め》の|醒《さ》めない|道理《だうり》も|無《な》い。|之《これ》は|的切《てつき》り|落馬《らくば》されたのではありますまいか。|弥次《やじ》、|与太《よた》の|二人《ふたり》も|居《ゐ》ませぬなア』
|岩《いは》『ナニ|大丈夫《だいぢやうぶ》ですよ。|一人《ひとり》なれば|心配《しんぱい》もして|見《み》なくてはならぬが、|三人連《さんにんづれ》だから|滅多《めつた》に|紛失《ふんしつ》する|心配《しんぱい》もありませぬワ、アハヽヽヽ』
|亀《かめ》『|何《なん》だか|私《わたくし》は|気懸《きがか》りでなりませぬワ、|途中《とちう》でウラル|教《けう》の|目付役《めつけやく》に|打《ぶ》つかつて|苦戦《くせん》して|居《を》られるのではありますまいか。|音彦《おとひこ》の|宣伝使《せんでんし》は|温順《おんじゆん》で|胆力《たんりよく》があるから、|如何《いか》なる|難関《なんくわん》も|容易《ようい》に|切《き》り|抜《ぬ》けられませうが、|新参者《しんざんもの》の|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》が|要《い》らぬ|空元気《からげんき》を|出《だ》して|一悶着《ひともんちやく》やつて|居《を》るのではあるまいかと|気《き》が|気《き》でなりませぬ』
|駒《こま》『|亀《かめ》サン|貴方《あなた》もさう|思《おも》ふか、|私《わたくし》も|同感《どうかん》だ、|何《なん》だか|気懸《きがか》りでなりませぬワ。なんでもこの|辺《へん》はウラル|教《けう》の|根拠地《こんきよち》だと|云《い》ふ|事《こと》です。ウラル|山《さん》アーメニヤの|驍将《げうしやう》|共《ども》は|大分《だいぶん》フサの|国《くに》に|集《あつ》まつてゐると|云《い》ふ|事《こと》ですから|油断《ゆだん》は|出来《でき》ませぬよ。|鷹彦《たかひこ》サン、|御苦労《ごくらう》だが|貴方《あなた》の|特能《とくのう》を|現《あら》はして、|一寸《ちよつと》|鷹《たか》に|還元《くわんげん》して、|偵察《ていさつ》をして|下《くだ》さるまいか。|大丈夫《だいぢやうぶ》と|云《い》つても|充分《じゆうぶん》の|安心《あんしん》は|出来《でき》ませぬからナア』
|鷹《たか》『|承知《しようち》|致《いた》しました。|暫《しばら》く|待《ま》つて|下《くだ》さい』
と|忽《たちま》ち|霊鷹《れいよう》と|変《へん》じ|中天《ちうてん》|高《たか》く|姿《すがた》を|隠《かく》した。
|後《あと》に|四人《よにん》は|此処《ここ》に|神言《かみごと》を|奏上《さうじやう》し、|過来《すぎこ》し|方《かた》の|物語《ものがた》りに|時《とき》の|移《うつ》るのも|知《し》らなかつた。|東《あづま》の|空《そら》は|茜《あかね》|晒《さ》して、|日《ひ》の|大神《おほかみ》の|影《かげ》、タカオ|山脈《さんみやく》の|頂《いただき》より|登《のぼ》りたまふ。
|岩《いは》『アヽもう|夜《よ》が|明《あ》けた。|鷹彦《たかひこ》さまはどうだらう。|木乃伊《みいら》|取《と》りが|木乃伊《みいら》になつたのではあるまいかなア』
|梅《うめ》『|真逆《まさか》ソンナ|事《こと》はあるまい。|音《おと》サンの|事《こと》だから|今《いま》に|何《なん》とか|音《おと》づれがありませう』
|駒《こま》『|本当《ほんたう》に|音《おと》サンの|連《つれ》がないのは|音《おと》づれないのと|同《おな》じ|事《こと》、|道中《だうちう》が|淋《さび》しい|様《やう》な|気《き》がする』
|斯《かか》る|処《ところ》へ、|四人《よにん》の|男《をとこ》|覆面《ふくめん》のまま|峠《たうげ》を|西方《せいはう》より|登《のぼ》り|来《き》たり、
|甲《かふ》『ヤア|居《を》るぞ|居《を》るぞ、|而《しか》も|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が|四人《よにん》だ。オイ|八公《はちこう》、|貴様《きさま》は|早《はや》く|源五郎《げんごらう》の|大将《たいしやう》に|報告《はうこく》して|沢山《たくさん》の|捕手《とりて》を|差《さ》し|向《む》ける|様《やう》にして|呉《く》れ。|吾々《われわれ》はそれ|迄《まで》|此処《ここ》に|彼奴等《あいつら》の|遁《に》げない|様《やう》に|監視《かんし》をして|居《ゐ》るから』
と|小声《こごゑ》に|囁《ささや》いて|居《ゐ》る。
|岩《いは》『オイ|其処《そこ》へ|来《く》るのはウラル|教《けう》の|捕手《とりて》ぢやないか、|皆《みな》サンお|早《はや》うから|御苦労様《ごくらうさん》だなア、|緩《ゆつく》り|一服《いつぷく》なとしなさい。|海山《うみやま》の|話《はな》しを|致《いた》しませうよ』
|梅《うめ》『|斯《こ》う|峠《たうげ》の|頂《いただ》きから|四方《しはう》を|見晴《みは》らしもつて、|世間話《せけんばなし》をするのも|余《あんま》り|悪《わる》くはありませぬよ。さう|恟々《びくびく》として|落着《おちつ》かない|態度《たいど》をせずに、|吾々《われわれ》と|一所《いつしよ》に【どつか】と|腰《こし》を|下《おろ》して|御一服《ごいつぷく》なさいませ』
|甲《かふ》『ヤアその|方《はう》|等《ら》は|紛《まが》ふ|方《かた》なき|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だなア。|吾々《われわれ》は|汝等《なんぢら》の|察《さつ》する|如《ごと》く、ウラル|教《けう》の|捕手《とりて》の|役人《やくにん》だ。|最《も》う|斯《か》うなる|以上《いじやう》は|百年目《ひやくねんめ》だ、たとへ|神変《しんぺん》|不可思議《ふかしぎ》の|術《じゆつ》を|使《つか》つて|天《てん》を|翔《かけ》り|地《ち》を|潜《くぐ》る|共《とも》、|此方《こつち》にはまた|此方《こつち》の|不可思議力《ふかしぎりよく》がある、サア|神妙《しんめう》に|手《て》を|廻《まは》せ』
|岩《いは》『アハヽヽヽヽ、|仰有《おつしや》ります|哩《わい》。|鉛《なまり》で|拵《こしら》へた|仁王《にわう》サンのやうに|四角《しかく》|四面《しめん》な|顔《かほ》をして、さう|頑張《ぐわんば》るものぢあない。|同《おな》じ|天《てん》の|神様《かみさま》の|氏子《うぢこ》だ、|持《も》ちつ|持《も》たれつ、|互《たがひ》に|助《たす》け|助《たす》けられ、この|世《よ》に|生《い》きて|栄《さか》えて、|誠《まこと》の|神《かみ》の|御用《ごよう》を|致《いた》す|尊《たふと》い|人間《にんげん》|同志《どうし》だ、マア|緩《ゆつく》りと|一服《いつぷく》なさるがよかろう』
|乙《おつ》『この|期《ご》に|及《およ》んで|要《い》らざる|繰言《くりごと》、|聞《き》く|耳《みみ》|持《も》たぬぞ。|貴様《きさま》は|三五教《あななひけう》といふ|邪教《じやけう》を|天下《てんか》に|宣伝《せんでん》する|曲津神《まがつかみ》だ、それ|丈《だけ》の|悟《さと》りがあるなら|何故《なぜ》そのやうな|教《をしへ》を|信《しん》ずるのだ。|巧言令色《かうげんれいしよく》|致《いた》らざるなく、|乞食《こじき》の|虱《しらみ》ぢやないが|口《くち》で|殺《ころ》さうと|思《おも》つたつて、ソンナ|事《こと》に|迂濶々々《うかうか》|乗《の》る|六《ろく》サンぢやないぞ。エヽグヅグヅ|吐《ぬか》さずと|従順《すなを》に|手《て》を|廻《まは》せ、ウラル|山《さん》の|砦《とりで》に|拘引《こういん》してやらうか』
|駒《こま》『アハハヽヽヽ、マアマア、マアこの|日《ひ》の|長《なが》いのに|朝《あさ》つぱらから、さう|発動《はつどう》をなさると|草臥《くたぶ》れますよ。マア|鎮《おさ》まつて|一服《いつぷく》しなさい。|吾々《われわれ》が|丁寧《ていねい》に|鎮魂《ちんこん》でもして|上《あ》げませう』
|六《ろく》『ナヽ|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ、その|鎮魂《ちんこん》が|気《き》に|食《く》はぬのだ。グヅグヅ|吐《ぬか》すと|貴様《きさま》の|命《いのち》は|瞬《またた》く|間《うち》に|沈没《ちんぼつ》だぞ』
|亀《かめ》『|何《なん》とウラル|教《けう》といふ|教《をしへ》は|荒《あら》い|言葉《ことば》を|使《つか》ふ|教理《けうり》だな、|恰《まる》で|雲助《くもすけ》サンと|間違《まちが》へられますよ。|言霊《ことたま》の|幸《さち》はふ|世《よ》の|中《なか》、|尠《ちつ》とは|丁寧《ていねい》な|言葉《ことば》をお|使《つか》ひなさつたら|如何《どう》ですか』
|六《ろく》『|喧《やかま》しい|哩《わい》。|貴様《きさま》の|様《やう》に|表《うはべ》は|蚤《のみ》も|殺《ころ》さぬ|様《やう》な|態度《たいど》を|装《よそほ》ふて、|鬼《おに》か|大蛇《おろち》か|狼《おほかみ》か|獅子《しし》か|山犬《やまいぬ》かといふ|様《やう》な|表裏《へうり》|反対《はんたい》の|教《をしへ》とは|雲泥《うんでい》の|相違《さうゐ》があるのだ。|温和《おとなし》い|顔《かほ》をして|悪念《あくねん》を|包蔵《はうざう》する|奴《やつ》|程《ほど》、この|世《よ》の|中《なか》に|危険《きけん》な|者《もの》はない。|外面《げめん》|如《によ》|菩薩《ぼさつ》、|内心《ないしん》|如《によ》|夜叉《やしや》、|悪鬼《あくき》|羅刹《らせつ》の|化《ばけ》の|皮《かは》|今《いま》にヒン|剥《む》いてやるから|覚悟《かくご》を|致《いた》せ。|吾々《われわれ》ウラル|教《けう》の|御方《おんかた》は|上《うへ》から|見《み》れば|荒削《あらけづ》りの|仁王《にわう》サンの|様《やう》だが、|心《こころ》の|綺麗《きれい》な|事《こと》は|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》サンか|天教山《てんけうざん》の|木《こ》の|花姫《はなひめ》が|素足《はだし》で|逃《に》げ|出《だ》す|様《やう》な|綺麗《きれい》な|御霊《みたま》の|持主《もちぬし》|計《ばか》りだぞ。|余《あま》り|見違《みちが》ひをして|貰《もら》ふまいかい』
|岩《いは》『それはそれは|結構《けつこう》な|教《をしへ》ですな、しかしながら|霊肉一致《れいにくいつち》といつて|心《こころ》の|色《いろ》が|外《そと》に|表《あら》はれるものだ。|心《こころ》が|和《やはら》ぎ|美《うつく》しければ|其《その》|人《ひと》の|言行《げんかう》はやつぱり|柔《やはら》かく|美《うつく》しくなくてはならぬ。|黄金《こがね》の|玉《たま》を|襤褸《ぼろ》で|包《つつ》むと|云《い》ふ|道理《だうり》は|無《な》い|筈《はず》だ』
|六《ろく》『エヽ|好《よ》うツベコベ|団子《だんご》|理窟《りくつ》を|捏《こ》ねる|奴《やつ》だナ。|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》の|奴《やつ》は、|口《くち》|許《ばか》り|発達《はつたつ》しやがつて、|男《をとこ》までが|女《をんな》のやうな|言葉《ことば》を|使《つか》ひ、|髪《かみ》に|油《あぶら》をつけ|洒落《しやれ》る|時節《じせつ》だ。|俺《おい》らの|様《やう》な、|天真爛漫《てんしんらんまん》|素地《きじ》その|儘《まま》の|人間《にんげん》が|鉦《かね》や|太鼓《たいこ》で|探《さが》し|廻《まは》つた|処《ところ》でさう|沢山《たくさん》はありはせぬぞ、|悪魔《あくま》は|善《ぜん》の|仮面《かめん》を|被《かぶ》つて|好《よ》う|誑《たぶ》らかすものだ。|貴様等《きさまら》もその|伝《でん》だらう、|言《い》ふべくして|行《おこな》ふべからざるものは|教《をしへ》の|道《みち》だ。グヅグヅ|云《い》はずに、もう|斯《こ》うなつちや|仕方《しかた》が|無《な》い、|因縁《いんねん》づくぢやと|諦《あきら》めてこの|方《はう》の|仰《あふ》せに|服従《ふくじゆう》|致《いた》せ』
|岩《いは》『アハヽヽヽヽ、ウラル|教《けう》は|随分《ずゐぶん》|理窟《りくつ》は|極《きは》めて|巧妙《こうめう》に|仰有《おつしや》りますな、|否《いな》、|聞《き》いて|見《み》なくては|分《わ》からぬものだ、|誰《たれ》も|世《よ》の|中《なか》の|人間《にんげん》は|食《く》はず|嫌《ぎら》ひが|多《おほ》くて|困《こま》る。お|前《まへ》の|云《い》ふのが|本当《ほんたう》なら|吾々《われわれ》もウラル|教《けう》を|信《しん》ずるのだ。|然《しか》し|乍《なが》らウラル|教《けう》は|言行《げんかう》|相反《あひはん》する|邪教《じやけう》だ。|実《じつ》の|事《こと》を|云《い》へば|吾々《われわれ》は|元《もと》はウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》だ、|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》に|渡《わた》つて|宣伝《せんでん》をし|乍《なが》らつい|一月前《ひとつきまへ》までウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》を|勤《つと》めて|居《ゐ》たのだ。|然《しか》し|乍《なが》ら|吾々《われわれ》は|三五教《あななひけう》を|聞《き》いてウラル|教《けう》と|比較《ひかく》して|見《み》れば|実《じつ》に|天地《てんち》|霄壤《せうじやう》の|差《さ》ある|事《こと》を|心《こころ》の|底《そこ》より|悟《さと》つたのだ。|要《えう》するに|何程《なにほど》|教《をしへ》が|立派《りつぱ》でも|行《おこな》ひが|出来《でき》なくては|却《かへつ》て|社会《しやくわい》に|害毒《がいどく》を|流《なが》す|様《やう》になる。|三五教《あななひけう》は|不言実行《ふげんじつかう》の|教《をしへ》だよ。|何《なに》ほど|立派《りつぱ》な|教《をしへ》でも|宣伝使《せんでんし》にその|人《ひと》を|得《え》ざれば、|折角《せつかく》の|金玉《きんぎよく》を|泥濘《でいねい》に|埋没《まいぼつ》した|様《やう》なものだ。お|前《まへ》たちもどうだ、|今《いま》から|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》して|了《しま》つたが|後生《ごしやう》の|為《ため》だらう|否《いな》この|身《み》このまま|無限《むげん》の|安心《あんしん》と|光栄《くわうえい》に|浴《よく》する|事《こと》が|出来《でき》るであらう。|三五教《あななひけう》は|現当利益《げんたうりやく》の|教理《けうり》だよ』
|六《ろく》『ヤイヤイ|皆《みな》の|奴《やつ》、どう|仕様《しやう》かな。この|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》は|元《もと》はウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》だと|云《い》ふ|事《こと》だ。|吾々《われわれ》も|茲《ここ》に|到《いた》つて|沈思黙考《ちんしもくかう》の|余地《よち》は|充分《じゆうぶん》に|存《そん》するではないか』
|甲《かふ》『|今更《いまさら》らしい|事《こと》を|云《い》つたつて|仕方《しかた》がないぢやないか。|今《いま》に|八公《はちこう》の|報告《はうこく》に|依《よ》つて、|源五郎《げんごらう》の|大将《たいしやう》が|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|引連《ひきつ》れ|押《お》し|寄《よ》せて|来《く》るといふ|手筈《てはず》になつて|居《ゐ》るのだ。コンナ|処《ところ》で、|三五教《あななひけう》になろうものなら、それこそ|大変《たいへん》だぞ。|何《なに》、|構《かま》ふものか、|弱音《よわね》を|吹《ふ》くな、たとヘウラル|教《けう》が|悪《あく》の|教《をしへ》であらうと、|毒《どく》|食《く》はば|皿《さら》まで|嘗《ね》ぶれといふ|事《こと》がある、|行《ゆ》く|処《ところ》まで|行《ゆ》くのだよ』
|六《ろく》『アヽ|此処《ここ》はサル|山《やま》|峠《たうげ》の|頂上《ちやうじやう》だ、|此処《ここ》へ|降《ふ》る|雨《あめ》は|紙《かみ》|一枚《いちまい》の|違《ちが》ひで、|一方《いつぱう》は|東《ひがし》へ|流《なが》れ|落《お》ちる、|一方《いつぱう》は|西《にし》へ|流《なが》れ|落《お》ちる、|善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|分水嶺《ぶんすゐれい》だ。|吾々《われわれ》も|一《ひと》つ|此処《ここ》で|向背《かうはい》を|決《けつ》せねばなるまい』
この|時《とき》、|天空《てんくう》より|舞《ま》ひ|下《さが》つた|一羽《いちは》の|霊鷹《れいよう》は|見《み》る|見《み》る|身体《しんたい》|膨張《ばうちよう》し、|一丈《いちぢやう》|許《ばか》りの|羽《はね》を|拡《ひろ》げてバタバタ|羽《は》ばたきした。
|岩《いは》『アヽ|鷹様《たかさん》か、|音彦《おとひこ》の|様子《やうす》は|如何《いか》に』
|鷹彦《たかひこ》は|羽《はね》を|納《をさ》め|元《もと》の|姿《すがた》となり|汗《あせ》を|拭《ふ》き|乍《なが》ら、
『|御連中《ごれんちう》、|大変《たいへん》ですよ。|音彦《おとひこ》の|宣伝使《せんでんし》はウラル|教《けう》の|大目付《おほめつけ》、|鷲掴《わしづかみ》の|源五郎《げんごらう》の|為《ため》に|包囲《はうゐ》|攻撃《こうげき》をされ、|命《いのち》からがら|小鹿峠《こしかたうげ》の|方面《はうめん》に|遁《のが》れ|去《さ》つたといふ|事《こと》です。|而《さ》うして|源五郎《げんごらう》は|自分《じぶん》の|馬《うま》の|下敷《したじき》となつて|腹《はら》を|破《やぶ》り|悶死《もんし》したさうです。|八《はち》といふ|男《をとこ》が|一隊《いつたい》を|引《ひ》き|連《つ》れて|音彦《おとひこ》|様《さん》の|後《あと》を|追跡《つゐせき》したと|云《い》ふ|事《こと》です』
|六《ろく》『そりや|大変《たいへん》だ、|八《はち》といふ|名《な》は|沢山《たくさん》にあるが|源五郎《げんごらう》といふ|大将《たいしやう》の|名《な》は|一人《ひとり》だ、そうすれば|吾々《われわれ》の|大将《たいしやう》は|討死《うちじに》したのか、エヽ|残念《ざんねん》ぢやない|哩《わい》、|残念《ざんねん》なのは|源五郎《げんごらう》|御自身《ごじしん》だ。|常平生《つねへいぜい》からウラル|彦《ひこ》の|大将《たいしやう》を|笠《かさ》に|着《き》よつて、|虎《とら》の|威《ゐ》を|藉《か》る|古狐《ふるぎつね》に|罰《ばち》は|覿面《てきめん》、|死様《しにやう》にも|種々《いろいろ》あるに、|自分《じぶん》の|乗《の》つた|馬《うま》の|背中《せなか》に|押《おさ》へられ|死《し》ぬとはよくよく|因果《いんぐわ》な|者《もの》だナア。ヤア|最《も》う|安心《あんしん》だ、|何時《いつ》もいつも|吾々《われわれ》を|圧迫《あつぱく》しよつた|報《むく》いだ。モシモシウラル|教《けう》の|元《もと》の|宣伝使《せんでんし》、|三五教《あななひけう》の|新米《しんまい》のヌクヌクの|宣伝使《せんでんし》の|御歴々《ごれきれき》さま、|私《わたくし》も|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》いたしますワ』
|岩《いは》『|要《い》らぬ|事《こと》を|沢山《たくさん》|云《い》ふものぢやない。|旧《きう》だの|新《しん》だのホヤホヤだのと、それだからウラル|教《けう》は|口《くち》が|悪《わる》いと|云《い》ふのだ。|帰順《きじゆん》するならするで、ベンベンダラリと|前口上《まへこうじやう》を|並《なら》べなくても|好《い》いぢやないか。モシモシ|鷹彦《たかひこ》さま、この|男《をとこ》は|今《いま》お|聞《き》きの|通《とほ》り|帰順《きじゆん》すると|言《い》ひました。|貴方《あなた》のお|留守中《るすちう》にコンナ|勝利品《しようりひん》を|得《え》ました、ホンの|一服《いつぷく》|休《やす》みに|一人《ひとり》の|帰順者《きじゆんしや》を|得《え》たのですから|随分《ずゐぶん》|豪勢《がうせい》なものでせう』
|鷹《たか》『|相変《あひかは》らず、|喇叭《らつぱ》|吹《ふ》きがお|上手《じやうづ》ですなア』
|六《ろく》『オイオイ|皆《みな》の|奴《やつ》、|小頭《こがしら》の|六《ろく》サンが|帰順《きじゆん》したのだから、|貴様《きさま》たちも|俺《おれ》に|殉死《じゆんし》だぞ。|異議《いぎ》はあるまいな』
|一同《いちどう》『あーりーがー|度《た》く|存《ぞん》じませぬワイ』
|六《ろく》『なんだ、|曖昧《あいまい》ぢやないか、しつかり|云《い》はぬかい』
|辰《たつ》『お|前《まへ》の|云《い》ふ|通《とほ》り、|善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|分水嶺《ぶんすゐれい》だ、|一雨《ひとあめ》|降《ふ》るまで|待《ま》つて|呉《く》れ。|決着《けつちやく》が|着《つ》かぬ|哩《わい》』
|六《ろく》『|執着心《しふちやくしん》の|深《ふか》い|奴《やつ》だナア、|置《お》け|置《お》け。|人間《にんげん》は|淡白《あつさり》とするものだ。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|音彦《おとひこ》や|二人《ふたり》の|伴《とも》のやうに、|吾々《われわれ》に|両方《りやうはう》から|包囲《はうゐ》|攻撃《こうげき》されて|深《ふか》い|谷間《たにま》に|身《み》を|躍《をど》らして|飛《と》び|込《こ》み|冥土《めいど》の|旅《たび》をした|事《こと》を|思《おも》へば|屁《へ》でもない|事《こと》だ。|牛《うし》を|馬《うま》に|乗《の》り|換《か》へる|丈《だけ》の|事《こと》だ。とかく|人間《にんげん》は|諦《あきら》めが|肝腎《かんじん》だよ。|断《だん》の|一字《いちじ》は|男子《だんし》たるものの|必要《ひつえう》|欠《か》くべからざる|宝《たから》だからのう』
|岩《いは》『モシ|六《ろく》サンとやら、|音彦《おとひこ》が谷へ|飛《と》び|込《こ》んで死んだと|云《い》ふのは、そりや|本当《ほんたう》かい』
|六《ろく》『|私《わたくし》も|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》した|以上《いじやう》は、|何《なに》、|嘘《うそ》を|申《まを》しませうか、|誠《まこと》も|誠《まこと》、|現《げん》に|私《わたくし》が|実地《じつち》を|目撃《もくげき》したのですもの』
|駒《こま》『そりや|大変《たいへん》だ、こりや|斯《こ》うして|居《を》られぬ|哩《わい》』
|六《ろく》『モシモシ|三五教《あななひけう》は|刹那心《せつなしん》ですよ。|過《す》ぎ|越《こ》し|苦労《くらう》はお|止《よ》しなさい。もう|今頃《いまごろ》は|三途《せうづ》の|川《かは》の|婆《ばば》アに|着物《きもの》を|強請《ねだ》られて|渡《わた》す|着物《きもの》は|無《な》し|当惑《たうわく》して|居《ゐ》る|最中《さいちう》ですだらう。|何《なに》ほど|泣《な》いても|悔《くや》んでも、|一旦《いつたん》|死《し》んだ|人《ひと》は|呼《よ》べど|叫《さけ》べど|何《なん》の|答《こた》へも【ない】ぢやくり、|泣《な》いて|明石《あかし》の|浜千鳥《はまちどり》』
|岩《いは》『オイオイ|六《ろく》、【ろく】でも|無《な》いことを|云《い》ふな、|冗談《じやうだん》|処《どころ》ではないワ』
|六《ろく》『|六道《ろくだう》の|辻《つじ》で|六《ろく》サンが………と|云《い》ふ|所《ところ》ですワイ』
|岩《いは》『エヽソンナ|冗談《じやうだん》|処《どころ》かい、|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》してせめては|音彦《おとひこ》|一同《いちどう》の|冥福《めいふく》を|祈《いの》り、|幽界《いうかい》|宣伝《せんでん》の|加勢《かせい》をして|上《あ》げねばなるまい。……|頓生《とんしやう》|菩提《ぼだい》|音彦《おとひこ》、|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》の|御魂《みたま》、|神《かみ》の|御国《みくに》に|幸《さち》あれよ。アーメン、ソーメン、ドツコイ|南無《なむ》|妙《めう》|法蓮《はふれん》、|陀仏《だぶつ》、|遠《とほ》|神《かめ》|笑《ゑ》みため、|惟神《かむながら》|祓《はらひ》|給《たま》へ|助《たす》け|給《たま》へ、|妙々《めうめう》』
|鷹《たか》『アハヽヽヽヽ、|岩彦《いはひこ》サン、ソンナ|混雑《こんざつ》した|祝詞《のりと》がありますか』
|岩《いは》『イヤもう|親密《しんみつ》なる|友人《いうじん》の|訃《ふ》を|聞《き》いて|心《こころ》も|心《こころ》ならず、|何《いづ》れの|神様《かみさま》を|祈《いの》つたら|音彦《おとひこ》の|御魂《みたま》サンを|守《まも》つて|下《くだ》さらうかと|一寸《ちよつと》|麻胡《まご》つきました。|然《しか》し|乍《なが》ら|之《これ》が|人間《にんげん》の|真心《まごころ》ですワ』
|亀《かめ》『|岩彦《いはひこ》サンは|好《よ》う|麻胡《まご》つく|方《かた》だなア、シヅの|窟《いはや》で|私《わたくし》たちの|骨《ほね》なと|肉《にく》なと|拾《ひろ》ふてやろうと|仰有《おつしや》つた|時《とき》のお|麻胡《まご》つき|方《かた》そつくりだワ』
|岩《いは》『アハヽヽヽヽ、|一寸《ちよつと》|余興《よきよう》に|洒落《しやれ》て|見《み》ました』
|駒《こま》『これは|怪《け》しからぬ、|友人《いうじん》の|訃《ふ》を|聞《き》いてそれ|程《ほど》|可笑《をか》しいですか』
|岩《いは》『アハヽヽヽ、|可笑《をか》しい|可笑《をか》しい、|苟《いやし》くも|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》たるもの、|尊《たふと》き|神《かみ》の|御守《おまも》りある|以上《いじやう》|敵《てき》に|包囲《はうゐ》|攻撃《こうげき》されたと|云《い》つて、|自《みづか》ら|谷《たに》へ|飛《と》び|込《こ》んで|自殺《じさつ》を|遂《と》げると|云《い》ふ|事《こと》がどうしてありませう。|屹度《きつと》|助《たす》かつて|居《を》ると、|吾々《われわれ》の|何《なん》だか|琴線《きんせん》に|触《ふ》れる|様《やう》な|心持《こころも》ちがして|来《き》ましたアハヽヽヽ』
|遽《にはか》に|聞《きこ》ゆる|人馬《じんば》の|物音《ものおと》、|五人《ごにん》の|宣伝使《せんでんし》は|一斉《いつせい》に|立《た》ち|上《あが》り|音《おと》する|方《かた》を|眺《なが》むれば、|数百人《すうひやくにん》のウラル|教《けう》の|捕手《とりて》の|役人《やくにん》、|各自《てんで》に|柄物《えもの》を|携《たづさ》へて|此方《こなた》に|向《むか》つて|登《のぼ》り|来《く》る。
|岩《いは》『ヨー、お|出《いで》たお|出《いで》た』
『サア|面白《おもしろ》い、|一行《いつかう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|此処《ここ》で|六公《ろくこう》が|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》しました|心底《しんてい》を|現《あら》はして|見《み》せませう』
と|捻鉢巻《ねぢはちまき》をしながら、|六公《ろくこう》は|峠《たうげ》の|真《ま》ん|中《なか》に|大手《おほで》を|拡《ひろ》げ|大音声《だいおんじやう》、
『その|方《はう》は|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|鷲掴《わしづかみ》の|源五郎《げんごらう》か、|自分《じぶん》の|馬《うま》に|押《お》し|潰《つぶ》されて|死《し》んだ|奴《やつ》めが。|未《ま》だ|娑婆《しやば》が|恋《こひ》しいと|見《み》えて|数多《あまた》の|亡者《まうじや》を|引《ひ》き|連《つ》れて、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》を|召《め》し|捕《とら》むとは|片腹《かたはら》|痛《いた》い。サアこれから|六《ろく》サンが|三五教《あななひけう》に|寝返《ねがへ》り|打《う》つた|初陣《うひじん》の|活動《くわつどう》、|吾《わ》が|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》に|往生《わうじやう》いたせ。アーオーウーエーイー』
この|声《こゑ》|終《をは》ると|共《とも》に、|大将《たいしやう》|源五郎《げんごらう》の|騎馬《きば》の|姿《すがた》も、|数多《あまた》の|軍卒《ぐんそつ》の|影《かげ》も|忽《たちま》ち|煙《けむり》の|如《ごと》く|消《き》え|失《う》せて、|後《あと》には、|尾《を》の|上《へ》を|渡《わた》る|松風《まつかぜ》の|音《おと》が|聞《きこ》ゆるのみ。
|六《ろく》『アハヽヽヽヽ、|何《なん》と|源五郎《げんごらう》の|奴《やつ》、|執念深《しふねんぶか》い|奴《やつ》だ。|亡者《まうじや》になつても|未《ま》だやつて|来《き》よる。しかし|乍《なが》ら、|三五教《あななひけう》のお|蔭《かげ》で|亡者隊《まうじやたい》は、モジヤモジヤと|煙《けむり》となつて|消《き》え|失《う》せたり。ヤア|宣伝使《せんでんし》|御一同様《ごいちどうさま》、|何卒《どうぞ》これを|証拠《しようこ》に|貴方《あなた》のお|弟子《でし》にして|下《くだ》さいませ。お|荷物《にもつ》でも|持《も》たして|頂《いただ》きませう』
|岩《いは》『|自分《じぶん》の|荷物《にもつ》は|自分《じぶん》が|持《も》つべき|物《もの》だ。|吾々《われわれ》は|人《ひと》の|力《ちから》を|借《か》りるといふ|事《こと》は|絶対《ぜつたい》に|出来《でき》ない。|六《ろく》サンは|六《ろく》サンの|荷物《にもつ》を|持《も》つて|随《つ》いて|来《き》なさい』
|六《ろく》『|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り、|私《わたくし》の|荷物《にもつ》は|此《こ》の|槍《やり》|一《ひと》つで|御座《ござ》ります。もう|斯《こ》うなる|以上《いじやう》は|槍《やり》の|必要《ひつえう》もござりませぬ。コンナ|物《もの》は|谷底《たにそこ》へ【やり】|放《ほか》しにして、|是《こ》れから|大《おほ》いに、|神様《かみさま》の|宣伝《せんでん》をやりませう。【やり】|繰《くり》|上手《じやうづ》の|六《ろく》サンは|一《ひと》つ|足《た》らぬ|許《ばか》りで|何時《いつ》も|七《なな》つやの|御厄介《ごやくかい》、|是《これ》からは、|三五教《あななひけう》の|御厄介《ごやくかい》になりませう』
|岩《いは》『アハヽヽヽヽ、|滑稽《こつけい》|諧謔《かいぎやく》|口《くち》を|突《つ》いて|出《いづ》ると|云《い》ふ|風流人《ふうりうじん》だナ、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い。お|前《まへ》の|荷物《にもつ》と|云《い》ふのは|外《ほか》でもない、まだ|一匹《いつぴき》|残《のこ》つてゐる、|四足《よつあし》の|副守護神《ふくしゆごじん》だよ』
|六《ろく》『エエソンナ|物《もの》が|居《を》りますか』
|岩《いは》『|居《を》るとも|居《を》るとも、その|副《ふく》サンが|滑稽《こつけい》|諧謔《かいぎやく》の|主《ぬし》だ。|然《しか》し|乍《なが》らお|正月《しやうぐわつ》|言葉《ことば》|許《ばか》り|使《つか》つて|居《ゐ》る|宣伝使《せんでんし》|中《ちう》には、|時《とき》に|取《と》つては|副《ふく》サンも|必要《ひつえう》だ。|或《あ》る|時機《じき》までは|大切《たいせつ》に|背負《せお》つて|行《ゆ》きなさい』
|六《ろく》『|六《ろく》の|身体《からだ》から|一《ひと》つ|取《と》つたら|五《いつ》つになります。|五《い》ツの|御霊《みたま》の|宣伝使《せんでんし》にして|下《くだ》さいな』
|岩《いは》『|宜《よろ》しい|宜《よろ》しい、もう|暫《しば》らく|副《ふく》サンを|保留《ほりう》して|置《お》くんだよ』
|遽《にはか》に|一陣《いちぢん》の|強風《きやうふう》|吹《ふ》き|来《きた》ると|見《み》る|間《ま》に、|馬《うま》の|蹄《ひづめ》の|音《おと》、|何処《どこ》ともなく|響《ひび》いて、|木《こ》の|間《ま》に|現《あら》はれた|眉目清秀《びもくせいしう》の|宣伝使《せんでんし》あり。
|鷹《たか》『|貴方《あなた》は、|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|能《よ》う|来《き》て|下《くだ》さいました。|一同《いちどう》の|者《もの》がどれ|丈《だ》け、|憧憬《あこが》れて|居《を》つた|事《こと》ぢやか|知《し》れませぬワ』
|日《ひ》『ホー|皆《みな》サンご|苦労《くらう》でした。しかし|音彦《おとひこ》、|外《ほか》|二人《ふたり》は、コシカ|峠《たうげ》においてウラル|教《けう》の|捕手《とりて》の|為《た》めに|包囲《はうゐ》|攻撃《こうげき》されて、|進退《しんたい》|維《これ》|谷《きは》まり、|千仭《せんじん》の|谷間《たにま》に|身《み》を|投《とう》じて|気絶《きぜつ》をしてゐます。|時《とき》|遅《おく》れては|一大事《いちだいじ》、サアサア|皆《みな》サン|早《はや》くお|支度《したく》をなされ、|一鞭《ひとむち》|当《あ》ててコシカ|峠《たうげ》の|溪間《けいかん》に、|宣伝使《せんでんし》を|救《すく》ひに|参《まゐ》りませう』
|一同《いちどう》『ヨーそれは|大変《たいへん》』
と|云《い》ふより|早《はや》くヒラリと|馬《うま》に|跨《またが》り、|九十九折《つづらをり》のサル|山峠《やまたうげ》の|坂道《さかみち》さして『ヤア|六《ろく》サン|来《きた》れ』と|一目散《いちもくさん》に|日《ひ》の|出別《でわけ》の|神《かみ》に|従《したが》ひ|走《はし》り|行《ゆ》く。
(大正一一・三・二三 旧二・二五 藤津久子録)
第四章 |馬詈《ばり》〔五五四〕
|日《ひ》の|出別神《でわけのかみ》は、サル|山峠《やまたうげ》の|頂上《ちやうじやう》に|憩《いこ》へる|五人《ごにん》の|宣伝使《せんでんし》と|六公《ろくこう》の|一行《いつかう》を|率《ひき》つれ、コシカ|峠《たうげ》の|谷底《たにそこ》に|蹄《ひづめ》の|音《おと》も|勇《いさ》ましく、|轡《くつわ》を|連《つ》らねて|現《あら》はれたり。
|茲《ここ》に|音彦《おとひこ》、|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》の|三人《さんにん》は、|谷底《たにそこ》の|真砂《まさご》の|上《うへ》に|枕《まくら》を|並《なら》べて|気絶《きぜつ》して|居《ゐ》る。|一同《いちどう》の|宣伝使《せんでんし》は|交《かは》る|交《がは》る|河水《かはみづ》を|掬《すく》ひ|口《くち》にふくんで|三人《さんにん》の|面部《めんぶ》に|濺《そそ》ぎかけた。|音彦《おとひこ》はウンと|一声《ひとこゑ》|起《お》き|上《あ》がり、
|音《おと》『オイ|此処《ここ》は|何処《どこ》だつたかなア、|三途《せうづ》の|川《かは》を|渡《わた》つて|天《あめ》の|八衢《やちまた》に|進《すす》んだ|積《つも》りだに、この|川《かは》は|何時《いつ》|出来《でき》たのか、また|三途《せうづ》の|川《かは》が|此処《ここ》へ|転宅《てんたく》をしたのではあるまいか』
|岩《いは》『これこれ|音彦《おとひこ》サン、あなた|気絶《きぜつ》して|居《ゐ》たのですよ。ここはコシカ|峠《たうげ》の|谷底《たにそこ》です、チト|確《しつか》りして|下《くだ》さい』
|音《おと》『ウンさうだつたかなア、すつての|事《こと》で|幽界《いうかい》|旅行《りよかう》|地獄《ぢごく》|探険《たんけん》をやるところでした。ようまア|助《たす》けに|来《き》て|下《くだ》さいました。|未《ま》だ|未《ま》だ|現界《げんかい》にご|用《よう》があると|見《み》えますなア』
|岩《いは》『あるともあるとも、|今《いま》|斯様《こん》なところに|国替《くにがへ》して|耐《たま》るものか、|確《しつか》りして|下《くだ》さい。|之《これ》から|遥々《はるばる》フサの|都《みやこ》に|到着《たうちやく》してコーカス|山《ざん》に|進《すす》まねばならぬ。|途中《とちう》に|斃《へたば》られては|吾々《われわれ》は|幸先《さいさき》が|悪《わる》いですからなア』
|音彦《おとひこ》は|目《め》を|擦《こす》りながら、
|音《おと》『ハア|日《ひ》の|出別《でわけ》の|神様《かみさま》その|他《た》|御一同《ごいちどう》、|妙《めう》な|処《ところ》でお|目《め》に|掛《かか》りました。イヤお|助《たす》けに|預《あづか》りました』
|岩《いは》『|音彦《おとひこ》サンは、やつとの|事《こと》で|蘇生《そせい》をして|下《くだ》さつたが、|二人《ふたり》の|方《かた》はまだ|魂《たま》がへしが|出来《でき》て|居《ゐ》ない。|皆《みな》さま|一斉《いつせい》に|魂呼《たまよ》びを|致《いた》しませう』
|一同《いちどう》は|声《こゑ》を|揃《そろ》へて|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》を|四五回《しごくわい》|繰返《くりかへ》せば、|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》はムクムクと|動《うご》き|出《だ》したり。
|音《おと》『ヨー|弥次彦《やじひこ》サン、|気《き》を|付《つ》けたり。|与太彦《よたひこ》サン|目《め》を|開《あ》けたり』
|弥《や》『|銅木像《どうもくざう》|奴《め》が、また|手《て》を|換《か》へ|品《しな》を|換《か》へ|瞞《だま》さうと|云《い》つたつて、その|手《て》に|乗《の》るものかい。これ|源五郎《げんごらう》の【サツク】|奴《め》、|三途川《せうづがは》の|鬼婆《おにばば》の|代理《だいり》を|勤《つと》めたこの|弥次《やじ》サンだぞ。|好《よ》い|加減《かげん》に|改心《かいしん》せぬかい』
|岩《いは》『これこれ|弥次《やじ》サン、|確《しつか》りせぬか』
『これこれ|与太《よた》サン、|確《しつか》りせぬか』
|与《よ》『|何《なに》|吐《ぬか》しよるのだ。|源五郎《げんごらう》のお|化《ばけ》|奴《め》が』
|音《おと》『オイオイ、|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》の|両人《りやうにん》、|此処《ここ》は|冥土《めいど》ぢやないぞ、コシカ|峠《たうげ》の|谷底《たにそこ》だよ』
|弥《や》『ヘン、|馬鹿《ばか》にするない、コシカ|峠《たうげ》は|疾《とう》の|昔《むかし》に|空中滑走《くうちうくわつそう》をやつて|首尾《しゆび》よく|帰幽《きいう》したのだ。それから|三途《せうづ》の|川《かは》を|渡《わた》つて|天《あめ》の|八衢《やちまた》の|銅木像《どうもくぞう》を|今《いま》|遁走《とんそう》させた|処《ところ》だ。|如何《いか》に|亡者《まうじや》になつたとて、|娑婆《しやば》へ|舞《ま》ひ|戻《もど》る|奴《やつ》があるかい、|俺《おれ》は|刹那心《せつなしん》だ。|一足《ひとあし》も|後戻《あともど》りは、|嫌《きら》ひだよ』
|音《おと》『アヽ|困《こま》つたものだなア、やつぱり|亡者《まうじや》|気分《きぶん》で|居《ゐ》ると|見《み》える。コレコレ|弥次《やじ》サン、|与太《よた》サン|死《し》んで|居《ゐ》るのぢやないよ、|生《いき》て|帰《かへ》つたのだよ』
|弥《や》『|馬鹿《ばか》を|云《い》ふな、|死《し》んだ|者《もの》が|二度《にど》|死《し》ぬ|前例《ためし》があるかい。|生《い》き|返《かへ》るも|跳《は》ねかへるもあるものかい、お|前《まへ》の|修羅《しゆら》の|妄執《まうしふ》をサラリと|捨《す》てて、|十万億土《じふまんおくど》の|旅《たび》をするのだ。|顕幽《けんいう》|境《さかひ》を|異《こと》にしたこの|幽界《いうかい》で|幾何《いくら》|娑婆《しやば》が|恋《こひ》しうても|一旦《いつたん》|往《ゆ》くところ|迄《まで》|往《ゆ》かねばならぬのだ。|今《いま》は|中有《ちうう》だ。やがて|生有《せいう》が|来《く》るであらう、それまでは|幽界《いうかい》の|規則《きそく》を|遵奉《じゆんぽう》して|神妙《しんめう》に|旅行《りよかう》するのだ、ノウ|与太公《よたこう》』
|与《よ》『エヽ|弥次《やじ》サン、|些《ちつ》と|変《へん》ぢやないか、|何《なん》だか|娑婆《しやば》|臭《くさ》くなつて|来《き》たやうだよ。|日《ひ》の|出別《でわけ》の|神様《かみさま》もお|見《み》えになつて|居《を》る。|沢山《たくさん》の|宣伝使《せんでんし》も|御列席《ごれつせき》だ。|好《よ》い|加減《かげん》に|目《め》を|醒《さ》まさぬかい』
|弥《や》『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな、|日《ひ》の|出別《でわけ》の|一行《いつかう》は|俺等《おれら》よりも|先《さき》に|幽界《いうかい》|旅行《りよかう》だ。|銅木像《どうもくぞう》の|化《ばけ》の|奴《やつ》が|日天様《につてんさま》に|頭《あたま》を|打《う》ちよつて|遁走《とんそう》した|後《あと》へ|現《あら》はれて|来《こ》られたぢやないか』
|岩《いは》『|彼奴《あいつ》は|一《ひと》つ|水《みづ》の|吹《ふ》きやうが|足《た》らぬ、いつその|事《こと》、|身体《からだ》ぐち|此《この》|川《かは》へドブヅケ|茄子《なす》とやつたらどうだらう』
|与太彦《よたひこ》は|泣《な》き|声《ごゑ》を|出《だ》して、
|与《よ》『モシモシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|折角《せつかく》|助《たす》かつたものを、ソンナ|事《こと》をして|貰《もら》つたら|土左衛門《どざゑもん》になります。それだけは|何卒《どうぞ》|許《ゆる》してやつて|下《くだ》さいませ。アーア|弥次彦《やじひこ》はなぜコンナに|分《わか》らぬのだらうか、|可愛《かあい》さ|余《あま》つて|憎《にく》らしうなつて|来《き》たワイ』
と|与太彦《よたひこ》は|力限《ちからかぎ》り|鼻《はな》を|捻上《ねぢあ》げる。
|弥《や》『アイタヽヽ、|冥土《めいど》へ|来《き》ても|未《ま》だ|改心《かいしん》をせずに|俺《おれ》の|鼻《はな》を|捻《ね》ぢよつて、|貴様《きさま》きつと|地獄《ぢごく》の|鼻責《はなぜめ》に|遇《あ》はされるぞよ』
|一同《いちどう》『アハヽヽヽ』
|弥《や》『|何《なん》だ、|人《ひと》が|鼻《はな》を|摘《つま》まれて|苦《くる》しんで|居《を》るのに、|敬神《けいしん》の|道《みち》を|伝《つた》ふる|宣伝使《せんでんし》たるものが、|可笑《をか》しさうに|笑《わら》ふと|云《い》ふ|事《こと》があるものか。|冥土《めいど》の|道連《みちづれ》に|貴様《きさま》の|命《いのち》も|奪《と》つてやるのだけれど|既《すで》に|死《し》んだ|奴《やつ》だから|奪《と》る|命《いのち》もなく、エヽ|残念《ざんねん》な|事《こと》だ。|鬼《おに》にでも|遇《あ》つたら|全部《ぜんぶ》|告発《こくはつ》してやるからさう|思《おも》へ』
|与《よ》『エヽ|仕方《しかた》の|無《な》い|奴《やつ》だナア。|此奴《こいつ》|甦《よみがへ》りそこねよつて、|身魂《みたま》の|転宅《てんたく》をやらかし|発狂《はつきやう》しよつたな』
と|拳骨《げんこつ》を|固《かた》めて|横面《よこづら》をポカンと|撲《は》る。その|勢《いきほひ》に|弥次彦《やじひこ》はヒヨロヒヨロとひよろつき、|石《いし》に|躓《つまづ》き【ばたり】と|倒《こ》けた。
|弥《や》『アイタヽヽ、やつぱり|痛《いた》い|事《こと》が|分《わか》る|哩《わい》、さうすると|未《ま》だ|娑婆《しやば》に|居《を》つたのかいなア。ヤア|日《ひ》の|出別《でわけ》さま、|鷹《たか》サン、|岩《いは》サン、|梅《うめ》サン、|駒《こま》サンに|音《おと》サン、|与太彦《よたひこ》に、もう|一匹《いつぴき》のお|方《かた》』
|音《おと》『アーア、お|前《まへ》はそれだから|困《こま》るのだ。|性念《しやうねん》がつくと|直《すぐ》|他《よそ》のお|方《かた》を|捉《つかま》へて|一匹《いつぴき》だなんて|口《くち》の|悪《わる》い|男《をとこ》だナア』
|弥《や》『ヤア|矢張《やつぱり》|本当《ほんたう》だ。コシカ|峠《たうげ》の|谷底《たにそこ》だつたワイ』
|一同《いちどう》『|気《き》が|付《つ》いた、|気《き》が|付《つ》いた。サア|祝《いはひ》に|祝詞《のりと》の|奏上《そうじやう》だ』
と|一同《いちどう》は|真裸《まつぱだか》となつて|川《かは》に|飛《と》び|込《こ》み、|御禊《みそぎ》を|修《しう》し|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》する。
|日《ひ》『オー|思《おも》はぬ|時間《じかん》を|費《つひ》やした。コーカス|山《ざん》の|神務《しんむ》が|忙《いそが》しい。|吾々《われわれ》はお|先《さき》に|失敬《しつけい》する、|皆様《みなさま》|悠《ゆつく》り|後《あと》から|来《き》て|下《くだ》さい』
と|云《い》ひながら|馬《うま》の|手綱《たづな》を|掻《か》い|繰《く》り|空中《くうちう》|目蒐《めが》けて|鈴《すず》の|音《おと》、|轡《くつわ》の|音《おと》|勇《いさ》ましく、シヤンコシヤンコと|空中《くうちう》|指《さ》して|昇《のぼ》り|行《ゆ》く。
|岩《いは》『ヨー|遉《さすが》は|日《ひ》の|出別《でわけ》の|神《かみ》さま、|天馬《てんば》|空《くう》を|行《ゆ》くと|云《い》ふ|離《はな》れ|業《わざ》は、|吾々《われわれ》の|如《ごと》き|力《ちから》の|無《な》い|宣伝使《せんでんし》では|到底《たうてい》|望《のぞ》まれない。|皆《みな》サンこれからフサの|都《みやこ》に|急《いそ》ぎませう。|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》、モ|一人《ひとり》のお|方《かた》、|悠《ゆつく》り|後《あと》から|来《き》て|下《くだ》さい』
|六人《ろくにん》の|宣伝使《せんでんし》は|轡《くつわ》を|並《なら》べて|駆《か》け|出《だ》さむとする。|弥次彦《やじひこ》は|馬《うま》の|轡《くつわ》を【ぐつ】と|握《にぎ》り、
|弥《や》『マア|待《ま》つた|待《ま》つた、|二人《ふたり》の|裸人《はだか》はどうして|下《くだ》さるのだ』
|岩《いは》『みな|一枚《いちまい》づつ|脱《ぬ》いで|借《か》して|上《あ》げませうか』
|一同《いちどう》『|宜敷《よろし》からう』
と|上着《うはぎ》を|一枚《いちまい》づつ|脱《ぬ》ぎ、
|一同《いちどう》『|三人様《さんにんさん》、|後《あと》から|悠《ゆつく》り|来《き》て|下《くだ》さい。|貴方《あなた》は|二本足《にほんあし》、|吾々《われわれ》は|四本足《しほんあし》に|乗《の》つて|居《ゐ》るのだから、|到底《たうてい》|追《おつ》つけない。フサの|都《みやこ》で|待《ま》つて|居《ゐ》ます』
と|駿馬《しゆんめ》に|鞭《むちう》ち|雲《くも》を|霞《かすみ》とかけ|去《さ》りにける。
|弥《や》『アア|世《よ》の|中《なか》は|妙《めう》なものだワイ、|三途川《せうづがは》の|鬼婆《おにばば》が、|裸体《らたい》の|吾々《われわれ》を|捉《つかま》へて|衣服《いふく》が|無《な》ければ|親譲《おやゆづ》りの|皮衣《かはごろも》を|出《だ》しよらぬかと|吐《ぬか》しよつたに、|遉《さすが》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|立派《りつぱ》な|着物《きもの》を|脱《ぬ》ぎ|捨《す》てて|惜《を》し|気《げ》もなく|二人《ふたり》に|与《あた》へて|往《い》つてしまつた。オイ|与太《よた》、|羽織《はおり》ばかり|貰《もら》つたところで、|仕方《しかた》が|無《な》いぢやないか、|帯《おび》もなし、|袴《はかま》もなし、|生憎《あひにく》|針《はり》も|糸《いと》も|持《も》つて|居《ゐ》ないから、|仕立《したて》|直《なほ》すわけにも|行《ゆ》かず、アヽこれだから|独身《どくしん》|生活《せいくわつ》は|困《こま》ると|云《い》ふのだ。|青瓢箪《あをべうたん》のやうな|嬶《かかあ》はあつても、|高取村《たかとりむら》まで|帰《かへ》らねばお|目《め》に|懸《かか》る|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|電話《でんわ》でもあつたら|掛《か》けて|呼《よ》び|寄《よ》せるのだけれど、|仕方《しかた》がないなア』
|与《よ》『|良《い》い|事《こと》がある、|羽織《はおり》を|倒《さかさ》まにして|袖《そで》に|両足《りやうあし》を|突込《つつこ》めば|立派《りつぱ》な|袴《はかま》が|出来《でき》る。さうして|上《うへ》に|羽織《はおり》を|着《き》るのだ、もう|一枚《いちまい》の|羽織《はおり》を|前後《まへうしろ》にして|着《き》さへすれば|好《よ》い、|何《なん》と|妙案《めうあん》だらう』
|弥《や》『|妙案《めうあん》|々々《めうあん》、しかし|帯《おび》は|如何《どう》するのだい』
|与《よ》『|帯《おび》は|其辺《そこら》の|蔓《かづら》を【むし】つて|臨時《りんじ》|代用《だいよう》だ。これを|着《き》て|久《ひさ》し|振《ぶ》り|女房《にようばう》の|家《いへ》へ|帰《かへ》り、|門口《かどぐち》に|立《た》つて、|女房《にようばう》|喜《よろこ》べ、|背中《せなか》がお|腹《はら》になつたぞよ、と【かま】すのだ。そこで|女房《にようばう》の|奴《やつ》、|一《ひと》つ|逃《のが》れて|又《また》|一《ひと》つ』
|弥《や》『オイオイソンナ|滑稽《こつけい》を|云《い》つて|居《ゐ》る|場合《ばあひ》ぢやないぞ、ソンナ|事《こと》は|五十万年後《ごじふまんねんご》|未来《みらい》の|十九世紀《じふくせいき》とか|云《い》ふ|時《とき》の、ガラクタ|人間《にんげん》の|近松《ちかまつ》とか|出雲《いづも》とか|何《なん》とか|云《い》ふ|坊主《ばうず》|上《あが》りが|作《つく》る|文句《もんく》だ。|今《いま》は|天孫降臨《てんそんかうりん》|前《ぜん》の|原始《げんし》|時代《じだい》だ。|未来《みらい》の|夢《ゆめ》を|見《み》る|奴《やつ》があるかい』
|与《よ》、|六《ろく》『ウフヽヽヽ』
|弥《や》『お|前《まへ》は|何処《どこ》から|降《ふ》つて|来《き》たのだ、|何《なん》といふ|男《をとこ》だい』
|六《ろく》『ハイ、|私《わたくし》は|六《ろく》といふ|男《をとこ》でございます』
|弥《や》『|何《ど》うせ【ろく】でも|無《な》い|奴《やつ》だと|思《おも》つて|居《を》つた。【ろく】ろくに|挨拶《あいさつ》もしよらぬと|何《なん》だい、その|六ケ《むつか》しい|顔《かほ》は』
|六《ろく》『どうぞ|以後《いご》お|見知《みし》り|置《お》かれまして、お|六《む》つまじう|末長《すゑなが》く|御交際《ごかうさい》を|願《ねが》ひます』
|与《よ》『アハヽ|此奴《こいつ》は|面白《おもしろ》い、|三人《さんにん》|世《よ》の|元《もと》だ、いよいよ|之《これ》からコシカ|峠《たうげ》の|四十八坂《しじふやさか》を|跋渉《ばつせふ》し、ウラル|教《けう》の|奴輩《やつばら》を|片端《かたつぱし》から|言向《ことむ》け|和《やは》し、フサの|都《みやこ》に|凱旋《がいせん》をするのだ。|何時迄《いつまで》もコンナ|谷底《たにそこ》に|呆《とぼ》け|顔《がほ》してウヨウヨして|居《を》るのも|気《き》が|利《き》かない。さあさあ|馬丁《べつとう》、|馬《うま》の|用意《ようい》だ』
|六《ろく》『|馬《うま》ア|何処《どこ》に|居《を》りますか』
|弥《や》『|何《なに》、|膝栗毛《ひざくりげ》だ。|心《こころ》の|駒《こま》に|鞭打《むちう》つて|敵《てき》の|牙城《がじやう》に|突撃《とつげき》を|試《こころ》むるのだ。|一《いち》|二《に》|三《さん》|四《し》、|全隊《ぜんたい》|進《すす》めツ』
|与《よ》『オイオイ|弥次公《やじこう》、|四《し》とは|何《なん》だ、|三人《さんにん》より|居《ゐ》ないぢやないか』
|弥《や》『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな、|守護神《しゆごじん》がついとるぞ、サア|詔直《のりなほ》して|今度《こんど》は|一人《ひとり》|二人《ふたり》で|勘定《かんぢやう》だ。|俺《おれ》が|一《ひと》つ|標本《へうほん》を|出《だ》してやらう、|俺《おれ》が、|一人《いちにん》|二人《ににん》|三人《さんにん》|四人《よにん》 |五匹《ごひき》|六匹《ろつぴき》 |七人《しちにん》 |八匹《はつぴき》|九匹《くひき》 |十人《じふにん》 |十一匹《じふいつぴき》|十二匹《じふにひき》、と|斯《か》う|云《い》ふのだよ』
|与《よ》『|怪体《けたい》な|勘定《かんぢやう》だな、|何故《なぜ》ソンナ|人《ひと》と|匹《ひき》とを|混合《こんがふ》するのだい』
|弥《や》『|極《きま》つたことよ、|人間《にんげん》が|三人《さんにん》に|守護神《しゆごじん》が|三人《さんにん》、|四《よ》つ|足《あし》が|六匹《ろつぴき》だ、|貴様等《きさまら》の|守護神《しゆごじん》は|一匹《いつぴき》|二匹《にひき》で|沢山《たくさん》だよ』
|与《よ》『|馬鹿《ばか》にしよる、エヽ|仕方《しかた》がない、|一匹《いつぴき》でも|連《つれ》が|多《おほ》い|方《はう》が|道中《だうちう》は|賑《にぎ》やかだ、オイ|六人《ろくにん》|六匹《ろつぴき》|突喊《とつかん》|々々《とつかん》』
と|馬鹿口《ばかぐち》を|叩《たた》きながら|絶壁《ぜつぺき》を、|木《き》の|株《かぶ》を|力《ちから》に|坂道《さかみち》まで|漸《やうや》く|辿《たど》り|着《つ》いた。
|弥《や》『アヽ|此処《ここ》だ|此処《ここ》だ、ウラル|教《けう》の|奴《やつ》、|数百人《すうひやくにん》をもつて|吾々《われわれ》を|囲《かこ》みよつた|所《ところ》だ。|弥次《やじ》サン|与太《よた》サンの|古戦場《こせんじやう》だ。|亡魂《ばうこん》が|此辺《ここら》に|迷《まよ》ふて|居《を》るかも|知《し》れぬ。|記念碑《きねんひ》でも|建《た》ててやらうかい』
|与《よ》『アハヽヽ、|好《よ》く|洒落《しやれ》る|奴《やつ》だナア』
|六《ろく》『|之《これ》から|先《さき》には|四十八坂《しじふやさか》と|云《い》ふ|大変《たいへん》な|峻《きつ》い|坂《さか》がありますぜ、まア|悠《ゆつく》りと|此処《ここ》で|休息《きうそく》して|行《ゆ》きませう、|大分《だいぶん》に|長途《ちやうと》の|旅《たび》で|疲《つか》れましたからなア』
|弥《や》『|馬鹿《ばか》にするない、|長途《ちやうと》の|旅《たび》か|一寸《ちよつと》の|旅《たび》か|知《し》らないが、|今《いま》|此処《ここ》の|谷川《たにがは》から|漸《やうや》く|此処《ここ》まで|登《のぼ》つて|来《き》たばかりぢやないか』
|六《ろく》『|私《わたくし》は|宣伝使《せんでんし》のお|伴《とも》をしてサル|山峠《やまたうげ》の|頂上《ちやうじやう》から|七八里《しちはちり》の|道《みち》をテクツて|来《き》ました、|足《あし》が|草臥《くたび》れて|居《ゐ》ます、|一寸《ちよつと》|一服《いつぷく》さして|下《くだ》さいな』
|弥《や》『|何《なん》だ、|八里《はちり》や|十里《じふり》|歩《ある》いたつてそれ|程《ほど》|苦《くる》しいか、|俺《おれ》たちは|今《いま》|十万億土《じふまんおくど》の|旅《たび》をして|来《き》たところだ。それでも|俺《おれ》のコンパスはコンナものだい。アハヽヽヽ』
かく|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》る|折《をり》しも、|数千頭《すうせんとう》の|野馬《やば》|群《むれ》をなして|此方《こなた》に|向《むか》つて|駆《か》け|来《きた》る。
|六《ろく》『ヤア|有難《ありがた》いものだ。|天《てん》の|与《あた》へた|野馬《やば》に|乗《の》つて|往《ゆ》く|事《こと》にせう、|鞍《くら》もなし|裸馬《はだかうま》に|乗《の》るのは|野馬《やば》なものだが、|仕方《しかた》がないワ、もしも|野馬《やば》と|一緒《いつしよ》にこの|渓谷《けいこく》に|辷《すべ》り|落《お》ちて|又《また》もや|弥次《やじ》サンや、|与太《よた》サンのやうに|冥土《めいど》の|旅《たび》をするやうになつたら|後世《こうせい》の|人間《にんげん》が|此処《ここ》は|六道《ろくだう》の|辻《つじ》の|六公《ろくこう》の|終焉地《しうえんち》だ。|野馬《やば》の|落《お》ちた|処《ところ》や、|野馬渓《やばけい》だと|記念碑《きねんひ》でも|建《た》てて|名所《めいしよ》にするかも|知《し》れぬぞ。オイ、|野馬公《やばこう》の|奴《やつ》、|六《ろく》サンの|仰《あふ》せだ、|馬匹《ばひつ》|点検《てんけん》だ、|全隊《ぜんたい》|止《と》まれ。ヤアこの|野良馬《のらうま》|奴《め》、|吾輩《わがはい》の|言霊《ことたま》を|馬耳東風《ばじとうふう》と|聞《き》き|流《なが》しよるナ、|余《あま》り|馬鹿《ばか》にするない』
|馬《うま》『モシモシ|三人《さんにん》の|足弱《あしよわ》サン、|私《わたくし》に|御用《ごよう》ですか、|賃金《ちんぎん》は|幾何《いくら》|出《だ》します』
|六《ろく》『ヨー|此奴《こいつ》、|勘定《かんぢやう》の|高《たか》い|奴《やつ》だナ、ウラル|教《けう》だな。|世《よ》が|曇《くも》つて|来《く》ると|馬《うま》までが|化《ば》けよつて|人語《じんご》を|使《つか》ふやうになつて|来《く》る|哩《わい》、もう|世《よ》の|終《をは》りだ』
|馬《うま》『|馬《うま》でも|物《もの》を|言《い》ひますとも、|狐《きつね》でも|狸《たぬき》でも|物《もの》を|云《い》つてるぢやないか』
|弥《や》『|何処《どこ》に|狐《きつね》や|狸《たぬき》が|物《もの》を|云《い》つてるかい』
|馬《うま》『お|前《まへ》サンの|腹《はら》の|中《なか》から|副守護神《ふくしゆごじん》とか|云《い》つて|喋《しやべ》つて|居《ゐ》るよ。|狐《きつね》が|物《もの》|言《い》ふのに|馬《うま》が|物《もの》|云《い》はれぬと|云《い》ふ|規則《きそく》があるか、お|前《まへ》も|聞《き》いて|居《ゐ》るだらう「|馬《うま》が|物《もの》|云《い》ふた|鈴鹿《すずか》の|坂《さか》で、お|三女郎《さんぢよらう》なら|乗《の》せうと|云《ゆ》た」この|馬《うま》サンも|女《をんな》なら|乗《の》せたいのだけれど、ソンナ|欠杭《かつくひ》の|化《ば》け|物《もの》|見《み》たやうな|唐変木《たうへんぼく》を|乗《の》せるのは|些《ちつ》と|背《せ》が|痛《いた》い。しかしお|三《さん》の|変《かは》りに|狐《きつね》|三匹《さんびき》|乗《の》せてやらうか、お|前《まへ》のやうな|奴《やつ》は、|世間《せけん》から「|狐《きつね》を|馬《うま》に|乗《の》せたやうな|奴《やつ》」だと|云《い》はれて|居《を》るから|名実《めいじつ》|相伴《あひともな》ふ、|言行一致《げんかういつち》|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》の|実現《じつげん》だ。どうだ、この|馬《うま》サンのヒンヒン、ヒントは|外《はづ》れはせまい』
|六《ろく》『|馬《うま》いこと|吐《ぬか》しよる、|馬鹿《ばか》|々々《ばか》しいが、|今日《けふ》は|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》サンの|御命日《ごめいにち》オツトどつこい|再生日《さいせいび》だから、お|慈悲《じひ》で|乗《の》つてやらうかい、|貴様《きさま》もこれで|後《さき》の|世《よ》には|人間《にんげん》に|生《うま》れて|来《こ》られるワ、|宣伝使《せんでんし》を|乗《の》せた|御利益《ごりやく》と|云《い》ふものは|偉《えら》いものだぞ』
|馬《うま》『|人間《にんげん》を|乗《の》せるのなら|有難《ありがた》いけれど、|狐《きつね》や|狸《たぬき》の|容器《いれもの》を|乗《の》せるかと|思《おも》へば|情《なさけ》なくなつて|来《き》た。ヒンヒンヒン、|貧《ひん》ほど|辛《つら》いものがあらうか、|四百四病《しひやくしびやう》の|病《やまひ》より、|辛《つら》いのは|狐狸《こり》に|使《つか》はれる|事《こと》だ。アヽ|慈善的《じぜんてき》に|四十八坂《しじふやさか》を|渡《わた》つて|野馬渓《やばけい》の|実現《じつげん》でもやつて、|末代《まつだい》|名《な》を|残《のこ》さうかな』
|弥《や》『こりや|怪《け》しからぬ、|迂濶《うつかり》|乗《の》れたものぢやないぞ』
|馬《うま》『|人《ひと》には|添《そ》ふて|見《み》い、|馬《うま》には|乗《の》つて|見《み》いだ、サア|早《はや》く|乗《の》らぬかい、|貴様《きさま》は|毎時《いつも》|真《ま》つ|暗《くら》な|処《ところ》へ|嬶《かか》アの|目《め》を【ちよろまか】して、|金《かね》を|盗《ぬす》んで、|行灯部屋《あんどんべや》に|放《ほ》り|込《こ》まれ、|終《しまひ》には|馬《うま》をつれて|帰《かへ》る|代物《しろもの》だよ。|馬《うま》に|送《おく》つて|貰《もら》ふのは、|一寸《ちよつと》|願《ねが》つたり|叶《かな》つたりだ、ヒンヒンヒン』
|三人《さんにん》『エヽ|八釜《やかま》しい|哩《わい》、それほど|頼《たの》めば|乗《の》つてやらう』
と、|数十《すうじふ》の|馬《うま》を|目蒐《めが》けて|飛《と》びついた。
|弥《や》『ヤア|此奴《こいつ》は|宛《あて》が|違《ちが》つた、|睾丸《きんたま》のある|奴《やつ》だ。|同《おな》じ|乗《の》るのなら|牝《ひん》の|方《はう》に|乗《の》り|換《か》へてやらうか、|身《み》の|過失《あやまち》は【のり】|直《なほ》せだ』
|馬《うま》『ドツコイ、さうは|行《ゆ》かぬぞ、|乗《の》りかけた|船《ふね》ぢやない|馬《うま》だ。もうかうなつては|此方《こちら》の|者《もの》だ、|鷲掴《わしづかみ》の|源五郎《げんごらう》のやうに、|急阪《きふはん》になつたら|前足《まへあし》を|上《あ》げて【デングリ】|返《かへ》つて|背《せ》で|腹《はら》を|潰《つぶ》してやるのだ。ヤア|面白《おもしろ》い おもしろい』
|与《よ》『|俺《おれ》のは|牝《ひん》だ、|此奴《こいつ》は|些《ちつ》と|温順《おとな》しいらしいぞ』
|六《ろく》『|俺《おれ》のも|牝《ひん》ぢや』
|弥《や》『ヤイ|八釜敷《やかまし》いわい、|馬《うま》がヒンヒン|吐《ぬか》してビン|棒籤《ぼうくじ》を|抽《ひ》いて|困《こま》つて|居《を》るのに、|貴様《きさま》|迄《まで》が|同《おな》じにヒンヒンと|吐《ぬか》すな、ヒンの|悪《わる》い』
|数多《あまた》の|馬《うま》|声《こゑ》を|揃《そろ》へて、
『ヒンヒンヒン、ヒンヒンヒン』
(大正一一・三・二三 旧二・二五 加藤明子録)
第五章 |風馬牛《ふうばぎう》〔五五五〕
|三人《さんにん》は|駻馬《かんば》に|跨《またが》り|放屁《はうひ》の|砲撃《はうげき》を|受《う》けながら|小鹿峠《こしかたうげ》の|急阪《きふはん》を|一目散《いちもくさん》に|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
|弥《や》『|長鞭《ちやうべん》|馬腹《ばふく》に|及《およ》ばずだ、エー|邪魔《じやま》|臭《くさ》い、|鞭《むち》は|無用《むよう》だ』
と|馬上《ばじやう》より|惜《を》し|気《げ》もなく|鞭《むち》を|投《な》げ|捨《す》てた。
|馬《うま》『|無智《むち》な|奴《やつ》の、|人三化七《にんさんばけしち》に|鞭《むち》の|必要《ひつえう》があるものかい、|牛飲馬食《ぎういんばしよく》の|大将《たいしやう》|奴《め》、もう|此処《ここ》らで|一《ひと》つ|直立《ちよくりつ》してやらうかい』
|弥《や》『|馬公《うまこう》の|奴《やつ》、|減《へ》らず|口《ぐち》をたたくな。|古今無双《ここんむさう》の|乗馬《じやうば》の|達人《たつじん》、|弥次彦《やじひこ》サンを|知《し》らないか、|愚図々々《ぐづぐづ》|吐《ぬか》すと|胴腹《どんばら》を|締《し》めて|息《いき》を|止《と》めてやらうか』
|馬《うま》『ヒヽヽヽヽヒンヒン、|可笑《をか》しい|哩《わい》、|蚊《か》の|一匹《いつぴき》も|留《とま》つたやうな|感覚《かんかく》も|起《おこ》らぬワ、|狐《きつね》の|容器《いれもの》|奴《め》が』
|弥《や》『オイ、|畜生《ちくしやう》、|口《くち》が|過《す》ぎるぞ。|主人《しゆじん》に|向《むか》つて|無礼《ぶれい》であらうぞ』
|馬《うま》『ヒヽヽヽヽヒン、|美《み》ん|事《ごと》|仰有《おつしや》る|哩《わい》、|轡《くつわ》も|嵌《は》めずに|馬《うま》に|乗《の》る|奴《やつ》があるかい、|余程《よつぽど》いい|頓馬《とんま》だな』
|弥《や》『|頓馬《とんま》とは|貴様《きさま》の|事《こと》だよ』
|馬《うま》『|弥次彦《やじひこ》の|馬鹿者《ばかもの》|奴《め》、お|竹《たけ》の|宿《やど》で|小便《せうべん》を|飲《の》まされよつて、|此奴《こいつ》は|馬《うま》の|小便《せうべん》ぢや|無《な》からうかと|馬首《ばしゆ》を|傾《かたむ》けて|思案《しあん》した|時《とき》の|可笑《をか》しさ、|屁馬《へま》ばつかりやる|奴《やつ》だな。それだから|馬抜《まぬけ》|野郎《やらう》と|言《い》ふのだ』
|弥《や》『エー、|能《よ》く|囀《さへづ》る|頓馬《とんま》|野郎《やらう》だ、|轡《くつわ》は|無《な》し|一寸《ちよつと》|困《こま》つたな』
|馬《うま》『|轡《くつわ》が|無《な》けりや|乗《の》るない、|貴様《きさま》は|木馬《きうま》で|結構《けつこう》だ。|何《なん》でも|今《いま》の|奴《やつ》は|金《かね》の|轡《くつわ》さへ|嵌《は》めさへすれば|温柔《おとな》しくなるのだよ、|如何《どう》だ、|金《かね》を|持《も》つとるかい』
|弥《や》『|俺《おれ》も|貴様《きさま》のやうな|頓馬《とんま》だから|此《この》|頃《ごろ》は|手許《てもと》|不如意《ふによい》でヒンヒン(|貧々《ひんひん》)だ。オイ|与太彦《よたひこ》、|貴様《きさま》の|馬《うま》は|如何《どう》だ』
|与《よ》『|乗心地《のりごこち》が|良《よ》いワ。|女偏《をんなへん》に|馬《うま》の|字《じ》に|跨《またが》つた|様《やう》な|気分《きぶん》だよ』
|弥《や》『エー|仕方《しかた》が|無《な》いワ、コンナジヤジヤ|馬《うま》に|乗《の》り|合《あは》したのが|災難《さいなん》だ。オイ|六《ろく》サン、お|前《まへ》は|如何《どう》だい』
|六《ろく》『|俺《おれ》もチヨボチヨボだ、|乗心地《のりごこち》が|良《よ》いよ、|何《なに》とも|言《い》へぬ|良《よ》い|気持《きもち》だ。|丁度《ちやうど》|金竜《きんりう》、|銀竜《ぎんりう》に|乗《の》つとる|様《やう》な|股倉《またぐら》|加減《かげん》だよ』
|弥《や》『エー、|異馬々々《いまいま》しい、|貧乏籤《びんばふくじ》を|抽《ひ》いたものだワイ』
|馬《うま》『オイ|弥次《やじ》サン、お|前《まへ》は|弥次馬《やじうま》だから|仕方《しかた》が|無《な》いよ。マア|馬《うま》の|俺《おれ》の|背中《せなか》から|空中滑走《くうちうくわつそう》をやつて|着陸《ちやくりく》して|頭《あたま》をポカンと|割《わ》つて、ま|一遍《いつぺん》|十万億土《じふまんおくど》へ|行《い》つて|来《こ》い、さうすれば|立派《りつぱ》な|馬《うま》に|乗《の》れまいものでも|無《な》いワ』
|弥《や》『エー、|能《よ》う|口答《くちごたへ》をする|馬鹿《ばか》|野郎《やらう》だナア』
|馬《うま》、|鬘《たてがみ》を|振《ふ》り|立《た》て|目《め》を|瞋《いか》らし|口《くち》を|開《あ》けてガブツと|腕《うで》を|噛《か》みかけやうとする。
|弥《や》『コラ、|何《なに》をしやがるのだい、ジヤジヤ|馬《うま》|奴《め》が、|貴様等《きさまら》に|噛《か》まれて|堪《たま》るかい』
|馬《うま》『|直立《ちよくりつ》しやうか、|貴様《きさま》は|四足《よつあし》の|容器《いれもの》だから|一遍《いつぺん》ぐらゐ|人間《にんげん》らしう|直立《ちよくりつ》した|馬《うま》に|乗《の》つて|見《み》るも|良《よ》からう』
|弥《や》『コラ、|馬《うま》は|馬《うま》らしうせぬかい、|四足《よつあし》が|立《た》つて|歩《ある》くといふことは|天則《てんそく》|違反《ゐはん》だぞ』
|馬《うま》『ヒンヒンヒン、それは|貴様《きさま》の|事《こと》だ。|四足《よつあし》|身魂《みたま》が|偉相《えらさう》に、|立《た》つて|歩《ある》くのが|何《なに》が|不思議《ふしぎ》だい、ヒンヒンヒン』
|弥《や》『エー|仕様《しやう》の|無《な》い|奴《やつ》だ、もう|暇《ひま》を|遣《つか》はす、これから|親《おや》ゆづりの|膝栗毛《ひざくりげ》に|乗《の》つて|歩《ある》かうかい、|胴柄《どうがら》ばかり|大《おほ》きくて、|屁《へ》ばつかり|達者《たつしや》な|頓馬《とんま》|野郎《やらう》|奴《め》、|止《と》まれ|止《と》まれ、|下《お》りてやらう』
|馬《うま》『|下《おろ》さぬぞ|下《おろ》さぬぞ、|下《おろ》す|所《ところ》が|違《ちが》ふワ。も|少《すこ》し|待《ま》つて|居《を》れ、この|先《さき》に|大変《たいへん》な|断巌絶壁《だんがんぜつぺき》があつて、|谷底《たにぞこ》には|猿捉茨《さるとりいばら》が|一面《いちめん》|生《は》えてゐる、そこまで|行《い》つて|下《おろ》してやらぬと|根《ね》つから|興味《きようみ》が|薄《うす》い|哩《わい》』
|弥《や》『|此奴《こいつ》は|聊《いささ》か|迷惑千万馬《めいわくせんばんば》の、|閉口《へいこう》|頓首《とんしゆ》ぢや』
|馬《うま》『|今《いま》に|閉口《へいこう》|頓死《とんし》だよ』
|弥《や》『|何《なに》を|吐《ぬか》しやがるのだ、|落《おと》すなら|落《おと》して|見《み》よ。|貴様《きさま》の|鬘《たてがみ》に|喰《く》ひついて|居《ゐ》るから|貴様《きさま》も|一所《いつしよ》に|猿捉茨《さるとりいばら》の|中《なか》に|埋没《まいぼつ》だ。|死《し》んだ|馬《うま》につけたら|能《よ》う|動《うご》かぬほど、|其処《そこ》になつたらドツサリと|賃銀《ちんぎん》をはりこんで|与《や》る|哩《わい》』
|馬《うま》『サア|之《これ》からだ、|一《ひ》ン|二《ふ》ン|三《み》ンツ』
|弥《や》『コラ、|暴《あば》れるな、|静《しづか》にせないかい、|俺《おれ》は|貴様《きさま》が|暴《あば》れると|喰《く》ひついて|血《ち》を|吸《す》ふてやるぞ、それでも|可《い》いかエーン』
|馬《うま》『|何《なん》だか、チツポイ|人間《にんげん》だと|思《おも》つたら|貴様《きさま》は|蚤《のみ》の|如《よ》うな|奴《やつ》だ。|馬偏《うまへん》に|蚤《のみ》といふ|奴《やつ》は|騒《さわ》ぐに|定《きま》つてる。ヨシ|之《これ》から|一騒《ひとさわ》ぎだ、|覚悟《かくご》せい』
|弥《や》『もう|仕方《しかた》が|無《な》い、|馬上《ばじやう》|悠《ゆた》かに|此《この》|世《よ》の|名残《なご》りに|飲食《のみくひ》でもやらうかい。|馬《うま》よ|騒《さわ》げよ、|一寸先《いつすんさき》や|闇《やみ》だ、|蚤《のみ》が|食《く》ひついて|飲食《のみくひ》だ、これが|牛飲《ぎういん》|馬食《ばしよく》だ、チツト|噛《かじ》つて|遣《や》らうかい』
|馬《うま》『ヒンヒンヒン、|貧相《ひんさう》な|奴《やつ》だな、|品格《ひんかく》の|悪《わる》い』
|弥《や》『|何《なん》だ、|宣伝使《せんでんし》の|人格《じんかく》を|品等《ひんとう》すると|言《い》ふ|事《こと》が|畜生《ちくしやう》の|分際《ぶんざい》としてあるものかい』
|馬《うま》『ヤア、もう|斯《こ》うなつたら|破《やぶ》れかぶれだ、ジヤジヤ|馬《うま》だ』
と|言《い》ふより|早《はや》く|鬘《たてがみ》を|震《ふる》つて|直立《ちよくりつ》し、|前後左右《ぜんごさいう》に|二三間《にさんげん》ばかり|空中《くうちう》に|跳《と》び|上《あが》り|狂《くる》ひ|廻《まは》るにぞ、
|弥《や》『コラコラ|静《しづか》にせないか、|目《め》が|廻《まは》るわい、|目《め》どころか、|山《やま》も|道《みち》もみんな|廻《まは》り|出《だ》したワイ、ジヤイロコンパスの|様《やう》に、そこらが|廻転《くわいてん》し|出《だ》した|哩《わい》、いい|加減《かげん》に|静《しづ》まらないか』
|馬《うま》『|何《なに》、|貴様《きさま》が|落《お》ちる|所《ところ》まで|暴《あば》れるのだ。|今《いま》に|冥土《めいど》に|送《おく》つてやるのだ』
|弥《や》『|鳴動《めいどう》も|爆発《ばくはつ》もあつたものかい、これだけクルクル|廻《まは》る|地球上《ちきうじやう》は|俺《おれ》も|嫌《いや》になつた|哩《わい》、|何《なん》でも|世《よ》の|立替《たてかへ》が|急速度《きふそくど》を|以《もつ》て|開展《かいてん》して|行《ゆ》くと|見《み》えるわい。アーア、|能《よ》く|廻《まは》る|世《よ》の|中《なか》だ』
|馬《うま》『|輪廻《りんね》に|迷《まよ》ふ|浅間《あさま》しさ、|回天動地《くわいてんどうち》の|神業《しんげふ》に|参加《さんか》すると|貴様《きさま》は|毎時《いつ》も|吐《ほざ》いてゐるが|如何《どう》だい、|回天動地《くわいてんどうち》の|大事業《だいじげふ》は|馬《うま》サンの|活動《くわつどう》に|勝《まさ》るものはあるまい、|一分間《いつぷんかん》に|八千回《はつせんくわい》、|回転《くわいてん》するジヤイロコンパスよりも|早《はや》い|俺《おれ》の|放《はな》れ|業《わざ》には|感心《かんしん》したか』
|弥《や》『|恐《おそ》れ|入《い》つた、もう|耐《こら》へて|呉《く》れえ』
|馬《うま》『|醜態《ざま》|見《み》やがれ、|一体《いつたい》|俺《おれ》を|誰《たれ》だと|思《おも》つてるのだ』
|弥《や》『|畜生《ちくしやう》の|馬公《うまこう》ぢやないか』
|馬《うま》『|馬鹿《ばか》だな、|俺《おれ》は|木花姫《このはなひめ》の|分霊《わけみたま》だ、|罵倒《ばたふ》|観音《くわんのん》だ。すなはち|馬頭《ばとう》|観音《くわんのん》|様《さま》だよ』
|弥《や》『これはこれは、|失礼《しつれい》いたしました、|何卒《どうぞ》|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ』
|馬《うま》ブウブウブスと|音《おと》を|立《た》てて|屁《へ》のやうに|消《き》えて|仕舞《しま》つた。
|弥《や》『アヽア、|大変《たいへん》だつた、|恐《こわ》い|目《め》に|遭《あ》はされた。オー|与太公《よたこう》、|六公《ろくこう》、|貴様《きさま》、|馬《うま》は|如何《どう》したのだ』
|与《よ》、|六《ろく》『|馬《うま》を|如何《どう》したつて、|誰《たれ》が|馬《うま》に|乗《の》つたのだい』
|弥《や》『|貴様《きさま》、|今《いま》いい|気《き》でヒン|馬《ば》に|跨《またが》つて|此処《ここ》まで|来《き》たのぢやないか』
|二人《ふたり》『|馬鹿《ばか》|言《い》ふない、|俺《おれ》たちは|親譲《おやゆづ》りの|交通《かうつう》|機関《きくわん》で【てく】つて|来《き》たのだ、|貴様《きさま》も|矢張《やつぱ》り|何《なん》だか|妙《めう》な|面《つら》をしよつて|目《め》を|塞《ふさ》いだまま|歩《ある》いて|居《を》つたぢやないか、|歩《ある》きもつて|夢《ゆめ》を|見《み》よつたのだな、|気楽《きらく》な|奴《やつ》だ、アヽコンナ|奴《やつ》と|道連《みちづ》れになるのも|頼《たよ》りない|事《こと》だナア』
|弥《や》『ハテ、|面妖《めんえう》な、|合点《がてん》の|往《ゆ》かぬこの|場《ば》の|光景《くわうけい》、|何物《なにもの》の|仕業《しわざ》なるぞ』
|与《よ》『アハヽヽヽ、|何《なん》だ、|大《おほ》きな|目《め》を|剥《む》きよつてコンナ|処《ところ》で|芝居《しばゐ》をやつたとて|誰《たれ》も|観客《くわんきやく》は|出《で》て|来《き》はせないぞ。【ど】|拍子《びやうし》の|抜《ぬ》けた|銅羅声《どらごゑ》を|出《だ》しよつて、|団栗眼《どんぐりまなこ》を|廻転《くわいてん》させて|大根役者《だいこんやくしや》|奴《め》が、|何《なん》の|真似《まね》だい、チツト|春《はる》さきで|逆上《のぼ》せよつたな、アハヽヽヽヽ』
|弥《や》『そうすると|矢張《やつぱ》り|夢《ゆめ》だつたかいな』
|与《よ》『|一遍《いつぺん》|手洗《てうづ》を|使《つか》はむかい、|恍《とぼ》け|人足《にんそく》|奴《め》、|貴様《きさま》は|図体《づうたい》ばかり|仁王《にわう》の|荒削《あらけづ》り|見《み》たいな|奴《やつ》だが、|大男《おほをとこ》|総身《そうみ》に|智慧《ちゑ》が|廻《まは》りかねか、|独活《うど》の|大木《たいぼく》、|胴柄《どうがら》|倒《たふ》し、|困《こま》つた|奴《やつ》だナア。この|与太《よた》サンは|身体《からだ》は|小《ちい》さくても|山椒《さんせう》|小粒《こつぶ》でもヒリリツと|辛《から》いと|言《い》ふ|哥兄《にい》サンだぞ』
|弥《や》『チヤチヤ|吐《ぬか》すない、|鶏《にはとり》は|跣足《はだし》だ』
|与《よ》『|馬《うま》は|大《おほ》きうてもふりまらだ、チツト|褌《ふんどし》でも|締《し》めて、しつかりせむかい、アハヽヽヽ』
|弥《や》『この|小鹿峠《こしかたうげ》はやつぱり|噂《うはさ》の|通《とほ》り|化物《ばけもの》|峠《たうげ》だ、しつかりせむとお|三狐《さんぎつね》に【ちよろ】まかされるぞ』
|与《よ》『アハヽヽヽ、|吐《ぬか》したりな|吐《ぬか》したりな、|自分《じぶん》が【ちよろ】まかされよつて|憚《はばか》りさまだ、この|与太《よた》サンはチツト|身魂《みたま》の|製造法《せいざうはふ》が|違《ちが》ふのだ。|貴様《きさま》のやうな|粗製《そせい》|濫造《らんざう》とは|聊《いささ》か|選《せん》を|異《こと》にしてゐるのだぞ、|喃《の》う|六公《ろくこう》』
|六《ろく》『|恰《まる》で|弥次《やじ》サンは|六道《ろくだう》の|辻《つじ》に|亡者《まうじや》が|迷《まよ》ふた|様《やう》な|人《ひと》ですな』
|与《よ》『オイオイ、|亡者《まうじや》の|序《ついで》に|向《むか》ふを|見《み》よ、|沢山《たくさん》の|亡者《まうじや》が|来《く》るぢやないか』
|弥《や》『|貴様《きさま》こそ|恍《とぼ》けて|居《ゐ》よる、|彼奴《あいつ》は|牛《うし》じやないか』
|与《よ》『|牛《うし》だから【もうじや】』
|弥《や》『|何《なに》を|吐《ぬか》しやがる、コンナ|処《ところ》で|口合《くちあ》ひを|出《だ》しやがつて』
|六《ろく》『【くちあい】ものには|蝿《はへ》が|集《たか》るか、アハヽヽヽヽ』
|弥《や》『|真実《ほんと》に|沢山《たくさん》な【もう】|公《こう》ぢや、オイ|如何《どう》だ|与太公《よたこう》、|馬《うま》を|牛《うし》に|乗《の》り|換《か》へたら』
|与《よ》『|乗《の》り|換《か》へるも|乗《の》り|換《か》へぬもあつたものかい、|馬《うま》に|乗《の》つた|覚《おぼ》えがないぢやないか』
|牛《うし》の|群《むれ》ドシドシと|三人《さんにん》の|前《まへ》に|突進《とつしん》し|来《き》たる。
|与《よ》『|牛公《うしこう》の|奴《やつ》、|貴様《きさま》の|喧嘩《けんくわ》ぢやないが|天地間《てんちかん》は、もちつ、もたれつぢや。|如何《どう》だ、|附合《つきあひ》に|俺《おれ》を|一《ひと》つ|乗《の》せて|行《ゆ》かないか、|附合《つきあひ》ぢやと|言《い》つても|俺《おれ》を|突《つ》いては|困《こま》るよ』
|牛《うし》『【もう】|止《や》めておこかい、【もう】|昧《まい》|頑固《ぐわんこ》な【もう】|碌《ろく》を|乗《の》せたつて【もう】からぬからな』
|与《よ》『|此奴《こいつ》、|洒落《しやれ》た|事《こと》を|言《い》ひよる、|一寸《ちよつと》|談《はな》せる|哩《わい》、|乗《の》つてやらうか』
|牛《うし》『|乗《の》るなら|乗《の》れ、その|代《かは》りに|牛々《ぎうぎう》|言《い》ふ|目《め》に|遇《あ》はされるぞ』
|与《よ》『|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ、ソンナ|不心得《ふこころえ》の|事《こと》をしよつたが|最後《さいご》、|貴様《きさま》の【どたま】をトン|骨《こつ》とやつて|肉《にく》は|喰《くら》ひ|皮《かは》は|太鼓《たいこ》に|張《は》つてやるのだ』
|牛《うし》『マア|兎《と》も|角《かく》、|乗《の》つたが|良《よ》からう』
与『ヨー|有難《ありがた》い、|牛《うし》に|引《ひ》かれて|善光寺《ぜんくわうじ》|詣《まゐ》りと|言《い》ふ|事《こと》は|聞《き》いて|居《を》るが、|牛《うし》に|乗《の》つてコーカス|詣《まゐ》りか。|合《あ》ふたり、|適《かな》ふたり、|開《あ》いた|口《くち》に|牡丹餅《ぼたもち》、|三口《みつくち》に【しんこ】、|四《よ》つ|口《くち》に|羊羹《やうかん》、○○に|踵《きびす》、【ピツタリコ】だ。|水《みづ》も|漏《も》らさぬ|仲《なか》となつてコーカス|詣《まう》でだ』
|牛《うし》『オイ|与太公《よたこう》、|俺《おれ》の|朋輩《ともがら》は|百人《ひやくにん》、|貴様《きさま》の|連《つ》れは|三匹《さんびき》だ、この|中《うち》から|選挙《せんきよ》して|何《ど》れなつと|乗《の》るが|宜《よ》からう』
|弥《や》『サアサア|選挙権《せんきよけん》の|所有者《しよいうしや》は|三人《さんにん》だ、|被選挙権者《ひせんきよけんしや》も|三匹《さんびき》だ、|如何《どう》だ、|普通《ふつう》|選挙《せんきよ》でやらうかな』
|牛《うし》『|如何《どう》でも|宜《よ》いワ、|早《はや》くやらないか』
|与《よ》『|一人《いちにん》|一票《いつぺう》だ、|俺《おれ》は|赤《あか》の|牝《めん》だ』
|牛《うし》『|貴様《きさま》、|矢張《やつぱ》り|牝《めん》が|好《す》きだな、|余程《よつぽど》あかだと|見《み》える|哩《わい》』
|六《ろく》『|俺《おれ》は|白《しろ》の|牝《めん》だ』
|牛《うし》『|白《しろ》い|牛《うし》に|烏《からす》のやうな|男《をとこ》が|乗《の》ると|似合《にあ》はないぞ、|一層《いつそ》|黒《くろ》にして|乗《の》つてやれ』
|六《ろく》『|俺《おれ》は|牛《うし》に|乗《の》るのは【しろ】|人《うと》だから|白《しろ》にするのだ。|黒《くろ》に|乗《の》つて、|苦労《くらう》するのは|困《こま》るからのう』
|弥《や》『|俺《おれ》は|選挙権《せんきよけん》の|棄却《ききやく》だ』
|牛《うし》『|神聖《しんせい》な|一票《いつぺう》の|選挙権《せんきよけん》を|放棄《はうき》すると|言《い》ふ|事《こと》があるものか、|立憲《りつけん》|政治《せいぢ》を|何《なん》と|心得《こころえ》てゐる』
|弥《や》『|俺《おれ》は|馬《うま》に|乗《の》つた|夢《ゆめ》を|見《み》て、|懲《こ》り|懲《こ》りした、もうもう|乗《の》り|物《もの》は|廃止《はいし》だ。これからボツボツと【てくる】|事《こと》にしやう、|乗《の》つた|所《ところ》で|牛《うし》の|奴《やつ》、|足《あし》が|遅《おそ》いから|却《かへつ》てテクが|良《い》い|訳《わけ》だ』
|与《よ》『ソンナラ|俺《おれ》は|乗《の》せて|貰《もら》はう。オイ|六公《ろくこう》、|貴様《きさま》も|乗《の》つたり』
|六《ろく》『|乗《の》らいでか、ロハで|乗《の》せてやらうと|言《い》ふのだもの、コンナ|安価《やす》い|乗《の》り|物《もの》があるかい、サア|白《しろ》サン、|赤《あか》サン、|歩《ある》いたり|歩《ある》いたり』
|赤《あか》、|白《しろ》『ヤア|当選《たうせん》の|光栄《くわうえい》を|得《え》まして|有難《ありがた》うございます』
|与《よ》『|極《きま》つた|事《こと》だ、|一騎当千《いつきたうせん》の|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》が|乗《の》つて|居《ゐ》るのだもの、|当選《たうせん》するのは|当然《たうぜん》だ、サア|進《すす》んだり|進《すす》んだり』
|赤《あか》『オイ、|与太《よた》サン、この|先《さき》へ|行《ゆ》くと|峻《きつ》い|阪《さか》がある、その|阪《さか》まで|行《い》つたら|直立《ちよくりつ》するから|覚悟《かくご》してお|呉《く》れや』
|与《よ》『よしよし|直立《ちよくりつ》せい、|俺《おれ》は|貴様《きさま》の|角《つの》に|喰《くら》ひ|付《つ》いて|居《を》るから|大丈夫《だいぢやうぶ》だよ』
|白《しろ》『これこれ|六《ろく》サン、|俺《おれ》もチヨボチヨボだ、この|先《さき》へ|行《ゆ》くと|羊腸《やうちやう》の|小径《こみち》がある、そこを|通《とほ》る|時《とき》は|如何《どう》しても|直立《ちよくりつ》せねばならぬから、しつかりなさいよ、|千人《せんにん》の|者《もの》が|九百九十九人《くひやくくじふくにん》まで|落《お》ちて|死《し》ぬ|処《ところ》だから……』
|六《ろく》『ヤアソンナ|処《ところ》があるのかい、ソンナラもう|此処《ここ》で|破約《はやく》だ、|小便《せうべん》だ、|下《おろ》して|呉《く》れ』
|白《しろ》『|下《おろ》して|堪《たま》るか、|喃《のう》、|赤公《あかこう》』
|赤《あか》『|極《きま》つた|事《こと》だ、|下《おろ》すのはまだ|早《はや》い、|断巌絶壁《だんがんぜつぺき》で|振《ふ》り|落《おと》してやらうかい』
|与《よ》『ヤア|此奴《こいつ》|洒落《しやれ》た|事《こと》を|吐《ほざ》いてゐよる、エー、|仕方《しかた》が|無《な》い、|思《おも》ひ|切《き》つて|空中滑走《くうちうくわつそう》だ。|一《ひい》、|二《ふう》、|三《みつ》つ、ドスン、アイタヽヽヽ』
|弥《や》『オイオイ|貴様《きさま》、|何《なん》だ、|二人《ふたり》とも|道《みち》を|歩《ある》きもつて|跳《と》び|上《あが》りよつて|地《ち》【べた】に【へた】つて、アイタタもあつたものかい、しつかりせぬか』
|与《よ》『オレは、【もう】もう、|牛々《ぎうぎう》|云《い》ふ|目《め》に|遭《あ》はされちやつた』
|弥《や》『|如何《どう》したと|言《い》ふのだ、|夢《ゆめ》を|見《み》たのぢや|無《な》いか、|歩《ある》きもつて|夢《ゆめ》を|見《み》る|奴《やつ》が|何処《どこ》にあるかい』
|与《よ》『|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ、|歩《ある》きもつて|夢《ゆめ》|見《み》るのは|貴様《きさま》が|教祖《けうそ》ぢやないか、|俺《おれ》も【|競争《きやうさう》】して|夢《ゆめ》を|見《み》てやつたのだ、ナア|六公《ろくこう》、|貴様《きさま》も|碌《ろく》でもない|夢《ゆめ》を|見《み》たのだらう』
|弥《や》『アハヽヽヽヽ、|神様《かみさま》は|偉《えら》いものだ、|俺《おれ》が|夢《ゆめ》を|見《み》たと|言《い》つて|襤褸糞《ぼろくそ》に|笑《わら》ひよるものだから|罰《ばつ》は|覿面《てきめん》、|貴様《きさま》も|同《おな》じ|様《やう》に|歩《ある》きもつて|夢《ゆめ》を|見《み》せられよつたな。これだからアルコールの|脱《ぬ》けた|甘酒《あまざけ》のやうな|低脳児《ていなうじ》と|同行《どうかう》するのは|困《こま》ると|言《い》ふのだ』
この|時《とき》|山岳《さんがく》も|崩《くづ》るる|許《ばか》りの|怪音《くわいおん》が|聞《きこ》えて|来《き》た。|三人《さんにん》は|驚《おどろ》いて|目《め》を|醒《さま》せば|豈《あに》|図《はか》らむや|小鹿峠《こしかたうげ》の|道端《みちばた》にコクリコクリと|居睡《ゐねむ》つて|居《ゐ》た。
|三人《さんにん》『アーア|偉《えら》い|夢《ゆめ》を|見《み》た|喃《のう》、|夢《ゆめ》の|中《なか》に|夢《ゆめ》を|見《み》たり、|何《なに》が|何《なん》だか|有名無実《いうめいむじつ》、|曖昧朦朧《あいまいまうろう》、アア|小鹿峠《こしかたうげ》だ、【こしつか】りと|腹帯《はらおび》でも|締《し》めて|行《い》かうかい』
(大正一一・三・二三 旧二・二五 北村隆光録)
第二篇 |幽山霊水《いうざんれいすゐ》
第六章 |楽隠居《らくいんきよ》〔五五六〕
|弥次《やじ》、|与太《よた》、|六公《ろくこう》の|三人《さんにん》は、|怪訝《けげん》な|顔《かほ》して|小鹿峠《こしかたうげ》を|登《のぼ》つて|行《ゆ》く。|十七八丁《じふしちはつちやう》も|来《き》たと|思《おも》ふ|頃《ころ》、|路傍《ろばう》に|可《か》なり|大《おほ》きな|巌窟《がんくつ》のあるのに|目《め》がついた。
|六《ろく》『|弥次《やじ》サン、|与太《よた》サン、|非常《ひじやう》な|狭《せま》い|途《みち》になつたものだナア、|一方《いつぱう》は|断巌絶壁《だんがんぜつぺき》、|眼下《がんか》の|谷川《たにがは》は|激流《げきりう》|飛沫《ひまつ》を|飛《と》ばし|実《じつ》に|物凄《ものすご》き|光景《くわうけい》、|一瞥《いちべつ》するも|肌《はだ》に|粟《あは》を|生《しやう》ずるやうだ。そのまた|狭《せま》い|途《みち》に|大変《たいへん》な|巌窟《がんくつ》が|衝《つ》き|立《た》つてゐるぢやないか。|彼奴《あいつ》はナンデも|可笑《をか》しい|奴《やつ》だ。ウラル|教《けう》の|奴《やつ》がこの|難所《なんしよ》に、|吾々《われわれ》を|待《ま》ち|受《う》けして|居《ゐ》るのぢやあるまいか』
|弥《や》『ヤーホントに|馬《うま》の|背中《せなか》のやうな|細《ほそ》い|途《みち》に、|巌窟《がんくつ》がヌツト|突《つ》き|出《で》てゐよるワイ。|此奴《こいつ》は|些《ち》とをかしいぞ。|一《ひと》つ【ここら】から|石《いし》でも|抛《ほ》つて|瀬踏《せぶみ》して|見《み》やうかい』
|与《よ》『よかろう、|一《ひと》つ|測量《そくりやう》だ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|手頃《てごろ》の|石《いし》を|掴《つか》んで|三人《さんにん》|一度《いちど》に|速射砲的《そくしやはうてき》に、|巌窟《がんくつ》|目蒐《めが》けてパチパチパチと|打《う》ちつける。|巌窟《がんくつ》の|中《なか》より、
『ヤーイ|危《あぶ》ないわい。|何《なん》を【テンゴ】するのだい』
|弥《や》『これほど|岩《いは》を|以《もつ》て|固《かた》めた|洞穴《ほらあな》に|石《いし》が|当《あた》つたつて|応《こた》へるものか。|一寸《ちよつと》|眠《ねむ》りを|醒《さま》してやつたのだよ。|一体《いつたい》そこに|居《を》る|奴《やつ》は|何者《なにもの》だ』
|巌窟《がんくつ》の|中《なか》より『|俺《おれ》だ|俺《おれ》だ。|貴様《きさま》は|誰《たれ》だい』
|弥《や》『|俺《おれ》も|俺《おれ》だ。|矢《や》つ|張《ぱ》り|人間《にんげん》だ』
|巌窟《がんくつ》の|中《なか》より『|貴様《きさま》はウラル|教《けう》か、|三五教《あななひけう》か』
|弥《や》『|三五教《あななひけう》のお|方《かた》だよ』
|巌窟《がんくつ》の|中《なか》より『オーさうか。|間違《まちが》ひはないか。|俺《おれ》も|三五教《あななひけう》だ、ウラル|教《けう》の|奴《やつ》に|捉《つかま》へられて、コンナ|処《ところ》へ|閉《と》ぢ|込《こ》められたのだ。|助《たす》けて|呉《く》れないか』
|与《よ》『オイオイ|弥次公《やじこう》、|気《き》を|付《つ》けないといかないぞ。|悪神《あくがみ》の|奴《やつ》、ドンナ|計略《けいりやく》をやつてゐよるか|分《わか》つたものぢやないワ。オイ|巌窟《がんくつ》の|中《なか》の|代物《しろもの》、|貴様《きさま》は|本当《ほんたう》に|三五教《あななひけう》ならば|何《なん》といふ|名《な》だ、|言挙《ことあ》げせぬかい』
|巌窟《がんくつ》の|中《なか》より『|貴様《きさま》から|名《な》を|聞《き》かして|呉《く》れ。|若《もし》もウラル|教《けう》だと|駄目《だめ》だからのう』
|与《よ》『ハー|矢《や》つ|張《ぱ》り|此奴《こいつ》は|三五教《あななひけう》らしいぞ。|中々《なかなか》|語気《ごき》が|確《しつ》かりしてゐる|哩《わい》。コンナ|穴《あな》へ|閉《と》ぢ|込《こ》められて|彼《あ》れだけの|元気《げんき》のある|奴《やつ》は|三五教《あななひけう》|式《しき》だ。ウラル|教《けう》の|奴《やつ》ならきつと|泣声《なきごゑ》を|出《だ》しよつて、「モーシモーシ、|上《のぼ》り|下《くだ》りのお|客《きやく》サン、|何卒《どうぞ》|憐《あは》れと|思召《おぼしめ》し、|難儀《なんぎ》な|難儀《なんぎ》な|私《わたくし》の|境遇《きやうぐう》を|憐《あは》れみ|下《くだ》さいませ。モーシモーシ、|通《とほ》り|掛《がか》りのお|旦那《だんな》|様《さま》、|難儀《なんぎ》な|盲目《めくら》でございます」と|機械的《きかいてき》に|乞食《こじき》【もどき】に|吐《ぬ》かすのだけれど、|何処《どこ》となく|言霊《ことたま》に|強味《つよみ》があるやうだ。|不自由《ふじゆう》な|巌窟《がんくつ》の|中《なか》に|閉《と》ぢ|込《こ》められて|居《を》つてさへ、あれ|丈《だ》けの|元気《げんき》だから、|仮令《たとへ》ウラル|教《けう》にしても|少《すこ》しは|気骨《きこつ》のある|奴《やつ》だ。|一《ひと》つ|外《そと》から|揶揄《からかつ》て|見《み》やうかい』
|弥《や》『それも|面白《おもしろ》からう。オイオイ|巌窟《いはや》の|中《なか》のご|隠居《いんきよ》サン、|嘸《さぞ》や|御退屈《ごたいくつ》でございませうナ』
|巌窟《がんくつ》の|中《なか》より『エー|滅相《めつさう》な、|小《ちい》さい|穴《あな》が|前《まへ》の|方《はう》に|開《あ》いて|居《を》りますから、|時々《ときどき》|外部《そと》を|覗《のぞ》きますと、|小鹿川《こしかがは》の|緑《みどり》|紅《くれなゐ》こき|混《ま》ぜて、|春色《しゆんしよく》|豊《ゆたか》に|飛沫《ひまつ》を|飛《と》ばす|川《かは》の|流《なが》れ、|実《じつ》に|天下《てんか》の|絶景《ぜつけい》ですよ。お|前《まへ》サンも|年《とし》が|寄《よ》つて|隠居《いんきよ》をするのならコンナ|所《ところ》を|選《えら》んで、|常磐堅磐《ときはかきは》に|鎮座《ちんざ》するのだな』
|弥《や》『|此奴《こいつ》は|面白《おもしろ》い|奴《やつ》だ。オイオイご|隠居《いんきよ》サン、お|前《まへ》の|年齢《とし》は|幾《いく》つだ』
|巌窟《がんくつ》の|男《をとこ》『|俺《わし》かい、どうやら|斯《こ》うやら|数《かぞ》へ|年《どし》の|三十《さんじふ》だよ』
|弥《や》『それはあまり|若隠居《わかいんきよ》ぢやないか。|人間《にんげん》も|三十《さんじふ》といへば|元気《げんき》|盛《ざか》りだ。これから|五十万年《ごじふまんねん》の|未来《みらい》に|於《おい》て、|支那《しな》に|丘《きう》とか|孟《まう》とか|云《い》ふ|奴《やつ》が|現《あら》はれて、|三十《さんじふ》にして|立《た》つとか|吐《ほざ》くぢやないか。|今《いま》から|隠居《いんきよ》するのはチト|勿体《もつたい》ないぞ。|一体《いつたい》お|前《まへ》は|何《なん》と|云《い》ふ|男《をとこ》だい』
|巌窟《がんくつ》の|中《なか》より『|俺《おれ》は|元《もと》はウラル|教《けう》の|信者《しんじや》であつたが|石凝姥《いしこりどめ》の|宣伝使《せんでんし》がコーカス|山《ざん》へ|往《ゆ》く|時《とき》に、|孔雀姫《くじやくひめ》の|館《やかた》に|巡《めぐ》り|会《あ》ふて、それから|改心《かいしん》を|致《いた》し|三五教《あななひけう》になつたのだが、|神様《かみさま》に|対《たい》して|一《ひと》つの|功《こう》もよう|立《た》てないので、ナントカ|御用《ごよう》に|立《た》たねばならぬと、また|元《もと》のウラル|教《けう》へ|表面《へうめん》|復帰《ふくき》して|捕手《とりて》の|役《やく》に|加《くは》はつて|居《を》つたのだ。さうした|所《ところ》が|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が|二人《ふたり》の|供《とも》を|伴《つ》れて|関所《せきしよ》に|迷《まよ》ひ|込《こ》んで|来《き》た。|俺《おれ》たちの|同僚《どうれう》は|血《ち》のついた|出刃《でば》を|以《もつ》て|猪《しし》を|料理《れうり》して|居《を》つた|所《ところ》、|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》が|来《き》たので、いつそのこと|荒料理《あられうり》をしてやらうかと、|側《はた》の|奴《やつ》が|吐《ぬか》すので|俺《おれ》も|堪《たま》らぬやうになり、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》に|一寸《ちよつと》|目配《めくば》せしたら、|押戸《おしど》を|開《あ》けて|一目散《いちもくさん》に|遁《に》げて|了《しま》つた。サア、さうすると|同僚《どうれう》の|奴《やつ》、|貴様《きさま》は|変《へん》な|奴《やつ》だ。やつぱり|三五教《あななひけう》の|臭味《しうみ》が|脱《ぬ》けぬと|見《み》えて、|何《なん》だか|妙《めう》な|合図《あひづ》をしよつた。|懲戒《こらしめ》のために|無期限《むきげん》に|此処《ここ》に|蟄居《ちつきよ》せよと|吐《ぬか》しよつて、|昨日《きのふ》から|押《お》し|込《こ》められたのだ。|俺《おれ》は|三五教《あななひけう》の|勝公《かつこう》といふ|男《をとこ》だよ。|早《はや》く|天《あま》の|岩戸《いはと》を|開《あ》けて|俺《おれ》を|救《すく》ひ|出《だ》して|呉《く》れないか』
|弥《や》『|待《ま》て|待《ま》て、|今《いま》|天《あま》の|岩戸《いはと》|開《びら》きをやつてやらう。オイ|与太彦《よたひこ》、|貴様《きさま》は|大麻《おほぬさ》を|以《もつ》て|祓《はら》ふ|役《やく》だ。|俺《おれ》は|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》する、|六公《ろくこう》は|何《なに》も|供物《くもつ》が|無《な》いから|木《こ》の|葉《は》でも【むし】つて|御供物《おそなへもの》にするのだよ』
|勝《かつ》『エー|洒落《しやれ》どころちやないワ。|早《はや》く|開《あ》けて|呉《く》れないか』
|弥《や》『|定《きま》つたことよ。【あけ】たら【くれ】るのは|毎日《まいにち》|定《きま》つてゐる。【あけ】ては【くれ】あけてはくれ、その|日《ひ》その|日《ひ》が|暮《く》れるのだ。アハヽヽヽ』
|勝《かつ》『エー|辛気《しんき》くさい。|可《い》い|加減《かげん》に【じら】して|置《お》け』
|弥《や》『【じら】すとも、|貴様《きさま》はコンナ|所《ところ》に|窮窟《きうくつ》な|目《め》をして、|可憐《いじ》らしい|奴《やつ》だから|此方《こちら》も|意地《いぢ》で【じら】してやるのだ。アハヽヽヽ』
|与《よ》『オイオイ|弥次彦《やじひこ》、ソンナ|与太《よた》を|云《い》ふな。|早《はや》く|開《あ》けてやらぬかい』
|弥《や》『|開《あ》けて|悔《くや》しい|玉手箱《たまてばこ》、|後《あと》でコンナことだと|知《し》つたなら|開《あ》けぬが|優《まし》であつたものを、|会《あ》ひたい|見《み》たいと|明暮《あけくれ》に、ナンテ|芝居《しばゐ》もどきに、|愁歎場《しうたんば》を|見《み》せつけられては|困《こま》るからなア』
|六《ろく》『エー|碌《ろく》でもないことを|云《い》ふ|人《ひと》だナア。|綺麗《きれい》さつぱりと|開放《かいはう》して|上《あ》げなさい』
|弥《や》『アヽさうださうだ、|開《あ》けて|上《あ》げませう。ヤー|偉《えら》い|錠《ぢやう》を|下《おろ》してゐやがる|哩《わい》。|折悪《をりあし》く|合鍵《あひかぎ》の|持合《もちあは》せがないから、オイ|勝《かつ》サンとやら、|仕方《しかた》がないワ。まあ|悠《ゆつ》くりと|時節《じせつ》が|来《く》るまで|御逗留《ごとうりう》|遊《あそ》ばせ』
|勝《かつ》『【そこら】に|在《あ》る|手頃《てごろ》の|石《いし》を|以《もつ》て|錠前《ぢやうまへ》を|砕《くだ》いて|出《だ》して|呉《く》れ』
|弥《や》『コンナ|立派《りつぱ》な|錠前《ぢやうまへ》を【むざ】むざと|潰《つぶ》すのは|勿体《もつたい》ないぢやないか』
|勝《かつ》『|勿体《もつたい》ないも|糞《くそ》もあつたものか。ウラル|教《けう》の|錠前《ぢやうまへ》だ、|木葉微塵《こつぱみぢん》に|砕《くだ》いて|出《だ》して|呉《く》れ』
|弥《や》『|待《ま》て|待《ま》て、|折角《せつかく》|出来《でき》たものを|破壊《はくわい》するといふことは、|一寸《ちよつと》|考《かんが》へ|物《もの》だ。|過激《くわげき》|主義《しゆぎ》のやうになつては、|天道様《てんだうさま》へ|申訳《まをしわけ》がない。|何《なん》とか|完全《くわんぜん》に|原形《げんけい》を|存《そん》して、|開《あ》ける|工夫《くふう》があるまいかな』
|六《ろく》『もし|此処《ここ》にコンナものがある。これは|屹度《きつと》|何《なに》かの|合図《あひづ》でせうで』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら|小指《こゆび》のやうな|形《かたち》をした|巌壁《がんぺき》の|細長《ほそなが》き|巌片《がんぺん》をグツと|押《お》した|途端《とたん》に、|岩《いは》の|戸《と》は|苦《く》もなくパツと|開《ひら》いた。
|弥《や》、|与《よ》『アハヽヽヽ、ナアンダ、|鼻糞《はなくそ》で|的《まと》を|貼《は》つたやうなことしよつて、|何処《どこ》までもウラル|教《けう》|式《しき》だワイ。オイ|勝《かつ》サン、|早《はや》く|出《で》ないか』
|勝《かつ》『この|日《ひ》の|長《なが》いのに、さう|狼狽《あはて》るものぢやない。まア、|悠《ゆつ》くりと|皆《みな》サンも|此処《ここ》へ|這入《はい》りなさい。|持寄《もちよ》り|話《ばなし》でもして|春《はる》の|日長《ひなが》を|暮《くら》しませうかい』
|弥《や》『ヨー|此奴《こやつ》はまた|法《はふ》|外《はづ》れの|呑気者《のんきもの》だ。|類《るゐ》を|以《もつ》て|集《あつ》まるとは、よく|云《い》つたものだナア。|馬《うま》は|馬《うま》|連《づ》れ、|牛《うし》は|牛《うし》|連《づ》れだ。いよいよ|此処《ここ》に|四魂《しこん》|揃《そろ》つたりだ。オー|勝《かつ》サン、どうぞ|御昵懇《ごじつこん》に|願《ねが》ひますよ。|私《わたくし》は|弥次彦《やじひこ》と|云《い》ふ|剽軽《へうきん》な|生《うま》れ|付《つ》き、|此奴《こいつ》は|天下《てんか》|一品《いつぴん》の|与太《よた》だから|与太彦《よたひこ》と|云《い》ふ|名《な》がついてゐます。モー|一匹《いつぴき》の|奴《やつ》は【あまり】|碌《ろく》な|奴《やつ》ぢやないから|六《ろく》と|云《い》ひますよ。アハヽヽヽ』
|勝《かつ》『アヽよい|所《ところ》へ|来《き》て|下《くだ》さつた。|御《お》かげで|密室《みつしつ》|監禁《かんきん》の|憂目《うきめ》を|免《のが》れました。お|前《まへ》サンは|何処《どこ》かで|見《み》たことのあるやうな|顔《かほ》だな』
|弥《や》、|与《よ》『|有《あ》るとも|有《あ》るとも、|彼《あ》の|出刃《でば》の|災難《さいなん》に|遭《あ》はうとした|時《とき》、|目《め》で|知《し》らして|呉《く》れたのはお|前《まへ》だつたよ。|敵《てき》の|中《なか》にも|味方《みかた》があると|云《い》つて|非常《ひじやう》に|感謝《かんしや》して|居《を》つたのだ。その|時《とき》の|恩人《おんじん》はお|前《まへ》だつたか、|妙《めう》なものだな。お|前《まへ》に|助《たす》けられて|又《また》|此処《ここ》で|助《たす》けられた|俺達《わしたち》が、お|前《まへ》を|助《たす》けるとは|不思議《ふしぎ》なことだ。これだから|人間《にんげん》は|善《よ》いことをして|人《ひと》を|助《たす》けねばならない。|神様《かみさま》の|実地《じつち》|教育《けういく》を|受《う》けたのだ。あゝ|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い、|四人《よにん》|一同《いちどう》|揃《そろ》つて|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》しませうか』
と|巌窟前《がんくつぜん》の|細道《ほそみち》を|向方《むかふ》へ|渡《わた》りやや|広《ひろ》き|道《みち》に|出《い》で、|四人《よにん》はコーカス|山《ざん》の|方《はう》に|向《むか》つて、|恭《うやうや》しく|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》した。
|弥《や》『|此処《ここ》はウラル|教《けう》の|奴等《やつら》の|勢力《せいりよく》|範囲《はんゐ》ともいふべき|区域《くゐき》だから、|一《ひと》つ|元気《げんき》を|出《だ》し|宣伝歌《せんでんか》でも|謳《うた》つて|行《ゆ》きませうかい。|音頭《おんど》|取《と》りは|私《わたくし》が|致《いた》しませう』
|一同《いちどう》『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
|身《み》の|過《あやま》ちは|詔《の》り|直《なほ》せ |三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|道《みち》
|音《おと》に|名高《なだか》き|音彦《おとひこ》の |神《かみ》の|司《つかさ》と|諸共《もろとも》に
|猿山峠《さるやまたうげ》を|右《みぎ》に|見《み》て |荒野ケ原《あれのがはら》を|駆《かけ》めぐり
|見《み》ても|危《あやふ》き|丸木橋《まるきばし》 やつと|渡《わた》つて|川岸《かはぎし》に
|憩《やす》む|折《をり》しも|傍《かたはら》の |草《くさ》の【しげみ】を|掻《か》き|分《わ》けて
|現《あら》はれ|出《い》でし|黒頭巾《くろづきん》 |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
その|他《た》の|奴輩《やつばら》|一々《いちいち》に |何《なん》の|容赦《ようしや》も|荒縄《あらなは》の
|縛《しば》つてくれむと|雄健《をたけ》びの その|見幕《けんまく》に|怖《おぢ》け|立《た》ち
|力限《ちからかぎ》りに|遁《に》げ|出《だ》せば |豈《あに》|図《はか》らむや|突《つ》き|当《あた》る
|途《みち》の|真中《まなか》に|醜《しこ》が|住《す》む |関所《せきしよ》の|中《なか》に|迷《まよ》ひ|込《こ》み
|如何《いかが》はせむと|思《おも》ふ|折《をり》 |花《はな》も|実《み》も|有《あ》る|勝彦《かつひこ》が
|深《ふか》き|情《なさけ》に|救《すく》はれて |虎口《ここう》をのがれ|息急《いきせ》きと
|駆出《かけだ》す|途端《とたん》に|道《みち》の|辺《べ》の |泥田《どろた》の|中《なか》に|辷《すべ》り|込《こ》み
|二人《ふたり》|諸共《もろとも》|泥《どろ》まぶれ |後《あと》より|敵《てき》は|襲《おそ》ひ|来《く》る
|何《なん》の|容赦《ようしや》も|荒肝《あらぎも》を |取《と》られて|泥田《どろた》を|這《は》ひ|上《あが》り
|一行《いつかう》|三人《さんにん》|一筋《ひとすぢ》の |田圃《たんぼ》の|道《みち》を|遁《に》げ|出《だ》せば
|怪《あや》しき|奴《やつ》が|唯一人《ただひとり》 |目《め》をば【ぎよろ】ぎよろ|睨《にら》み|居《ゐ》る
|此奴《こいつ》|的切《てつき》りウラル|教《けう》 |目付《めつけ》の|奴《やつ》と|全身《ぜんしん》の
|力《ちから》をこめて|傍《かたはら》の |泥田《どろた》の|中《なか》へ|突《つ》き|落《おと》し
|後《あと》をも|見《み》ずにトントンと |小鹿峠《こしかたうげ》に|来《き》て|見《み》れば
|思《おも》ひもかけぬ|三人《さんにん》の |鬼《おに》をも|欺《あざむ》く|荒男《あらをとこ》
|前《まへ》と|後《うしろ》に|数百《すうひやく》の ウラルの|彦《ひこ》の|捕手《とりて》|共《ども》
|雲霞《うんか》の|如《ごと》く|攻《せ》め|来《きた》る |進退《しんたい》|茲《ここ》に|谷《きは》まりて
|忽《たちま》ち|谷間《たにま》へ|三人《さんにん》は |空中滑走《くうちうくわつそう》の|曲芸《きよくげい》を
|演《えん》じて|河中《かちう》に|着陸《ちやくりく》し ウンと|一声《いつせい》|気絶《きぜつ》して
|十万億土《じふまんおくど》の|幽界《いうかい》の |三途《せうづ》の|川《かは》の|渡場《わたしば》で
|怪体《けたい》な|婆《ばば》アに|出会《でくは》して |何《なん》ぢや|彼《かん》ぢやと【かけ】|合《あ》ひの
|其《そ》の|最中《さいちう》に|珍《めづ》らしや ウラルの|彦《ひこ》の|目付役《めつけやく》
|源五郎《げんごらう》|奴《め》がやつて|来《き》て |要《い》らざる|繰言《くりごと》|吐《ほざ》きつつ
ここにいよいよ|真裸《まつぱだか》 |川《かは》と|見《み》えたる|荒野原《あれのはら》
トントントンと|進《すす》み|行《ゆ》く |行《ゆ》けば|程《ほど》なく|禿山《はげやま》の
|麓《ふもと》に【ぴたり】と|行《ゆ》き|当《あた》り |行手《ゆくて》を|塞《ふさ》がれ|是非《ぜひ》も|無《な》く
|天津祝詞《あまつのりと》を|声《こゑ》|清《きよ》く |奏上《そうじやう》するや|忽《たちま》ちに
|地《ち》から|湧《わ》き|出《で》た|銅木像《どうもくざう》 からくり|人形《にんぎやう》の|曲芸《きよくげい》を
|一寸《ちよつと》|演《えん》じたご|愛嬌《あいけう》 |煤《すす》を|吐《は》くやらミヅバナを
|頻《しき》りに|浴《あ》びせかけるやら |茶色《ちやいろ》のやうな|小便《せうべん》の
|虹《にじ》の|雨《あめ》やら|針《はり》の|雨《あめ》 こりや|堪《たま》らぬと|思《おも》ふ|折《をり》
|日《ひ》の|出《で》の|別《わけ》の|宣伝使《せんでんし》 |数多《あまた》の|弟子《でし》をば|引連《ひきつ》れて
やつて|来《き》たかと|思《おも》ひきや |冥土《めいど》の|旅《たび》は|嘘《うそ》の|皮《かは》
|流《なが》れも|清《きよ》き|小鹿川《こしかがは》 |川《かは》の|真砂《まさご》に|横臥《わうぐわ》して
|夢《ゆめ》の|中《なか》にも|夢《ゆめ》を|見《み》る |怪体《けたい》な|幕《まく》を|切《き》り|上《あ》げて
|木株《こかぶ》を|力《ちから》に|元《もと》の|道《みち》 |登《のぼ》つて|見《み》れば|数百《すうひやく》の
|馬《うま》が|出《で》て|来《く》る|牛《うし》が|来《く》る |馬《うま》と|牛《うし》との|夢《ゆめ》を|見《み》る
やつと|此処《ここ》まで|来《き》て|見《み》れば |思《おも》ひも|寄《よ》らぬ|巌窟《がんくつ》に
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |負《まけ》ても|名《な》だけは|勝《かつ》サンが
|三十男《さんじふをとこ》の|楽隠居《らくいんきよ》 |神《かみ》の|恵《めぐ》みに|巡《めぐ》り|合《あ》ひ
|互《たがひ》に|見合《みあ》はす|顔《かほ》と|顔《かほ》 |善《ぜん》と|善《ぜん》との|引合《ひきあは》せ
コンナ|嬉《うれ》しいことあろか |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|神《かみ》の|教《をしへ》のわれわれは |前途《ぜんと》|益々《ますます》|有望《いうばう》だ
|進《すす》めよ|進《すす》めいざ|進《すす》め |四魂《しこん》|揃《そろ》つて|堂々《だうだう》と
|曲《まが》の|砦《とりで》に|立向《たちむか》ひ ウラルの|彦《ひこ》の|目付《めつけ》|等《ら》を
|片《かた》つ|端《ぱし》から|打《う》ちのめし |勝鬨《かちどき》|挙《あ》げて|高架索山《コーカサスざん》の
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|復《かへ》り|言《ごと》 |申《まを》すも|左《さ》まで|遠《とほ》からじ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |三五教《あななひけう》には|離《はな》れなよ
ウラルの|教《をしへ》に|迷《まよ》ふなよ |進《すす》めよ|進《すす》めいざ|進《すす》め
|悪魔《あくま》の|軍勢《ぐんぜい》の|滅《ほろ》ぶまで |曲津《まがつ》の|神《かみ》の|失《う》するまで』
と|倒《こ》け|徳利《どつくり》の|様《やう》に|口《くち》から|出放題《ではうだい》の|宣伝歌《せんでんか》を|謳《うた》ひ|乍《なが》ら、|小鹿峠《こしかたうげ》を|勢《いきほ》ひよく|脚《あし》|踏《ふ》み|鳴《な》らして|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・三・二三 旧二・二五 外山豊二録)
第七章 |難風《なんぷう》〔五五七〕
|小鹿峠《こしかたうげ》の|急阪《きふはん》を、|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》、|勝彦《かつひこ》、|六公《ろくこう》の|一行《いつかう》は、|岩根《いはね》に|躓《つまづ》き、|木《き》の|根《ね》に|足《あし》を|掻《か》き、|右《みぎ》に|倒《たふ》れ|左《ひだり》に|転《こ》け【どつくり】の|口《くち》から|出任《でまか》せ、|野趣《やしゆ》|満々《まんまん》たる|俄作《にはかづく》りの|宣伝歌《せんでんか》を|謳《うた》ひ|乍《なが》ら、|爪先《つまさき》|上《あが》りの|雨《あめ》に|曝《さら》され|掘《ほ》れたる|路《みち》を、|千鳥《ちどり》の|足《あし》の|覚束《おぼつか》なくも、|喘《あへ》ぎに|喘《あへ》ぎ|上《のぼ》り|行《ゆ》く。|塵《ちり》も|積《つも》れば|山《やま》となる、|一尺《いつしやく》|一尺《いつしやく》|跨《また》げた|足《あし》も、|始終《しじう》|休《やす》まぬ|四十八坂《しじふやさか》を、|心《こころ》ばかりの|勝彦《かつひこ》が、|自慢《じまん》お|箱《はこ》の|十八番《じふはちばん》の|阪《さか》の|上《うへ》に、やつと|上《のぼ》つて、|鼈《すつぽん》に|蓼《たで》を|噛《か》ました|様《やう》な|荒息《あらいき》を|継《つ》ぎ|乍《なが》ら|親《おや》も|居《を》らぬに【ハア】(|母《はは》)ハアと|息《いき》をはづませ|辿《たど》り|行《ゆ》く。
|勝《かつ》『|皆《みな》サン、|此《この》|見晴《みは》らしの|佳《よ》い|所《ところ》で、|暫《しばら》くコンパスの|停車《ていしや》をして、|浩然《こうぜん》の|気《き》を|養《やしな》つたらどうですか』
|弥《や》『サア|誰《たれ》に|遠慮《ゑんりよ》|会釈《ゑしやく》もありませぬワ、|公然《こうぜん》と|休養《きうやう》|致《いた》しませう、|天《てん》|洪然《こうぜん》を|空《むな》しうする|勿《なか》れだ。しかし|休養《きうやう》|序《ついで》に|一《ひと》つ|石炭《せきたん》の|積込《つみこみ》をやりませうかい、|斯《こ》う|云《い》ふ|適当《てきたう》な|港口《かうこう》は、この|先《さき》には|滅多《めつた》に|有《あ》りますまい、どうやら|機関《きくわん》の|油《あぶら》が|涸《か》れさうになつて|来《き》ました』
|勝《かつ》『|何分《なにぶん》アンナ|堅《かた》い|所《ところ》へ|格納《かくなふ》されて|居《ゐ》たものだから、サツパリ|倉庫《さうこ》は|空虚《くうきよ》になつて|了《しま》つた、|何《なに》をパクついて|可《い》いか、|肝腎《かんじん》の|原料《げんれう》はないのだから|仕方《しかた》がありませぬワ、|腹《はら》の|虫《むし》が|咽喉部《いんこうぶ》まで|突喊《とつかん》して|来《き》て、|切《しき》りに|汽笛《きてき》を|吹《ふ》きます、せめて|給水《きふすゐ》なりとやつて、|芥《ごみ》を|濁《にご》したいが、|生憎《あひにく》|谷《たに》は|深《ふか》し、|起臥《きぐわ》|進退《しんたい》|維《これ》|谷《きは》まると|云《い》ふ|腹具合《はらぐあひ》ですワイ、|何《なん》とか|良《い》い|腹案《ふくあん》はありますまいかな』
|弥《や》『オー|此処《ここ》にお|粗末《そまつ》な、|火《ひ》にも|掛《か》けぬのに|焦《こ》げた|様《やう》な|色《いろ》のした|握飯《むすび》が、|〆《しめ》て|二個《にこ》ありますワイ、|三途川《せうづがは》の|鬼婆《おにばば》アサンから|記念《きねん》の|為《ため》に|貰《もら》つて|来《き》た、|形而上《けいじじやう》の|弁当《べんたう》だ、|噛《か》む|世話《せわ》も|要《い》らねば、|五臓六腑《ござうろつぷ》にお|世話《せわ》になる|面倒《めんだう》も|無《な》い。これなつと|食《く》つて、|唾液《つばき》でも|呑《の》み|込《こ》んで、|食《く》つた|気分《きぶん》になりませうかい』
|与《よ》『オイオイ|弥次彦《やじひこ》、あた|汚《きたな》い、|貴様《きさま》はまだ|娑婆《しやば》の|妄執《まうしふ》………オツトドツコイ|幽界《いうかい》の|妄執《まうしふ》が|除《と》れぬと|見《み》えて、|婆《ばば》アだの、【ハナ】|飯《めし》だのと、|不潔《ばば》い|事《こと》を|囀《さへづ》る|奴《やつ》だ、|可《い》い|加減《かげん》に|思《おも》ひ|切《き》つたらどうだい』
|弥《や》『|山《やま》に|伐《き》る|木《き》は|沢山《たくさん》あれど、|思《おも》ひ|切《き》る【き】は|更《さら》にない………あの|婆《ば》アサンの、|厭《いや》らしい|顔《かほ》をして、|歯糞《はくそ》だらけの【くすぼ】つた|歯《は》を、ニユーツと|突出《つきだ》し「|親譲《おやゆづ》りの|着物《きもの》をこつちやへ|渡《わた》せ」と|吐《ぬか》しよつた|時《とき》の|面付《つらつき》を、どうして|思《おも》ひ|切《き》る|事《こと》が|出来《でき》るか、|飯《めし》|食《く》ふたびに|握《にぎ》り|飯《めし》のことを|思《おも》ひ|出《だ》して、ムカムカして|来《く》るワイ』
|与《よ》『どこまでも|弥次《やじ》|式《しき》だな、|夫《そ》れほど|恐《おそ》ろしい|婆《ばば》アに、なぜ|貴様《きさま》は|一蓮托生《いちれんたくしやう》だとか、|半座《はんざ》を|分《わ》けて|待《ま》つて|居《を》るとか、ハンナリとせぬ、|変則的《へんそくてき》なローマンスをやりよつたのだ、|得体《えたい》の|知《し》れぬ|唐変木《たうへんぼく》だなア』
|弥《や》『そこは、|外交的《ぐわいかうてき》|手腕《しゆわん》を|揮《ふる》つたのだよ。|燕雀《えんじやく》|何《なん》ぞ|大鵬《たいほう》の|志《こころざし》を|知《し》らむやだ、|至聖《しせい》|大賢《たいけん》の|心事《しんじ》が、|朦昧《もうまい》|無智《むち》の|人獣《にんじう》に|分《わか》つてたまるものかい』
|与《よ》『|人獣《にんじう》とは|何《なん》だ、|俺《おれ》が|人獣《にんじう》なら|貴様《きさま》は|人鬼《にんき》だ』
|弥《や》『|定《きま》つた|事《こと》だよ、|天下《てんか》|一品《いつぴん》の|人気男《にんきをとこ》だもの、それだから、|閻魔《えんま》サンでさへも|跣足《はだし》で|逃《に》げる|様《やう》な、あの|鬼婆《おにばば》アが、|俺《おれ》にかけたら、|蛸《たこ》か、|豆腐《とうふ》のやうに|骨《ほね》|無《な》しになつて|仕舞《しま》ひよつて|目《め》まで|細《ほそ》くして、【ミヅバナ】の|混《まじ》つた|涎《よだれ》を|垂《た》れよつた|位《くらゐ》だもの………|貴様《きさま》は|俺《おれ》の|人気男《にんきをとこ》を|実地《じつち》|目撃《もくげき》した|正確《せいかく》な|保証人《ほしようにん》だ、|勝彦《かつひこ》や、|六公《ろくこう》にも|吹聴《ふいちやう》せぬかい、|俺《おれ》の|戦功《せんこう》を|報告《はうこく》するのは|貴様《きさま》の|使命《しめい》だ、|縁《えん》の|下《した》の|舞《まひ》と|埋没《まいぼつ》されては、|吾々《われわれ》が|苦心《くしん》|惨憺《さんたん》の|神妙《しんめう》|鬼策《きさく》も|何時《いつ》の|日《ひ》か|天下《てんか》に|現《あら》はれむやだ』
|与《よ》『アハヽヽヽ、|貴様《きさま》どこまでも|弥次《やじ》|式《しき》だな』
|弥《や》『|定《きま》つた|事《こと》だ、シキだよ、|天下《てんか》|一品《いつぴん》の|色魔《しきま》だよ。|老若《らうにやく》|男女《なんによ》、|貴賎《きせん》|貧富《ひんぷ》の|区別《くべつ》なく、|猫《ねこ》も|杓子《しやくし》も、|鼬《いたち》も|鼈《すつぽん》も、|蝸牛《でんでんむし》も【なめくぢり】も、|牛《うし》も|馬《うま》も、この|弥次《やじ》サンに|向《むか》つては|皆《みんな》|駄目《だめ》だ。アヽ|人気男《にんきをとこ》と|言《い》ふものは|随分《ずゐぶん》|気《き》の|揉《も》めるものだ。|冥土《めいど》へ|行《い》けば|行《い》くで、|優《やさ》しうもない|脱衣婆《だついばば》アまでが、|強烈《きやうれつ》なる|電波《でんぱ》を|向《む》けるのだから、|人気男《にんきをとこ》の|色男《いろをとこ》といふ|者《もの》は|変《かは》つたものだよ、|古今《ここん》にその|類例《るゐれい》を|絶《た》つと|云《い》ふチーチヤーだ、チーチヤー|貴様《きさま》もこの|弥次彦《やじひこ》にあやかつたらどうだ』
|勝《かつ》『アハヽヽヽ、ナント|面白《おもしろ》い|人足《にんそく》………オツトドツコイ|人気男《にんきをとこ》に|出会《でつくは》したものだナア』
|弥《や》『ヤア|勝《かつ》サン、お|前《まへ》は|私《わたし》の|知己《ちき》だ、|英雄《えいゆう》の|心事《しんじ》を|知《し》る|者《もの》は、|君《きみ》たつた|一人《ひとり》だよ。|人気《にんき》|応変《おうへん》、|活殺《くわつさつ》|自在《じざい》、|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の、|赤門《あかもん》|出《で》のチヤキチヤキのチーチヤアだからネ』
|与《よ》『アハヽヽヽ、|開《あ》いた|口《くち》が|塞《ふさ》がらぬワイ』
|弥《や》『|開《あ》いた|口《くち》が|塞《ふさ》がるまい、|牛糞《うしぐそ》が|天下《てんか》を|取《と》るぞよ、コンナお|粗末《そまつ》な|弥次《やじ》の|弥次馬《やじうま》でも、|馬糞《うまくそ》の|天下《てんか》を|取《と》る|時節《じせつ》が|来《く》るのだから、あまり|軽蔑《けいべつ》して|貰《もら》ふまいかい、アンナものがコンナものになつたと|云《い》ふ|仕組《しぐみ》であるぞよ』
|与《よ》『イヤー|吹《ふ》いたりな|吹《ふ》いたりな、|三百十日《さんびやくとをか》の|大風《おほかぜ》のやうだのう』
|弥《や》『|三百十日《さんびやくとをか》と|云《い》ふ|事《こと》があるかい、|二百十日《にひやくとをか》だらう』
|与《よ》『|馬鹿《ばか》|言《い》へ、|貴様《きさま》は|三百代言《さんびやくだいげん》をやつておつた|男《をとこ》だ、|十人十日口《じふにんとをかぐち》だと|吐《ぬか》して、その|日《ひ》|暮《ぐら》しの|貧苦《ひんく》の|生活《せいくわつ》に|苦《くる》しみ、|三《みつ》つ|違《ちがひ》の|兄《にい》サン………と|云《い》ふて|暮《くら》して|居《ゐ》るうちに』
|弥《や》『|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ、そりや|貴様《きさま》の|事《こと》だよ、|俺《おれ》ん|所《ところ》は|人《ひと》も|知《し》る|如《ごと》く、|高取村《たかとりむら》の|豪農《がうのう》だ、|下女《げぢよ》の|一人《ひとり》も|使《つか》ひ、|僕《しもべ》の|半人《はんにん》も|使《つか》つた|門閥家《もんばつか》だぞ』
|与《よ》『アハヽヽヽ、|半人《はんにん》の|僕《しもべ》とは、そらナンダイ』
|弥《や》『きまつたことよ、|允請《ゐんせい》ポリスを|置《お》いた|事《こと》だよ』
|与《よ》『ポリスでも|判任官《はんにんくわん》か……|判任官《はんにんくわん》の|目下《めした》ぢやないか』
|弥《や》『その|点《てん》はしつかりと|判任《はんにん》せぬワイ、マアどうでも|好《よ》いワ、|貴様《きさま》も|一人前《いちにんまへ》の|人間《にんげん》になるのだ。|一人《ひとり》|一党《いつたう》|主義《しゆぎ》で、|快活《くわいくわつ》に|誰《たれ》|憚《はばか》る|所《ところ》もなく、|無限《むげん》の|天地《てんち》に|活躍《くわつやく》するのが|人間《にんげん》の|本分《ほんぶん》だ』
|与《よ》『エーソンナ|雑談《ざつだん》は|中止《ちうし》|解散《かいさん》を|命《めい》じます』
|弥《や》『|聴衆《ちやうしう》|一時《いちじ》に|立《た》ち、|喧々囂々《けんけんがうがう》|収拾《しうしう》す|可《べか》らずと|云《い》ふ|幕《まく》だな、アハヽヽヽ』
|勝《かつ》『|何《なん》と|云《い》つても、|吾々《われわれ》は|米《こめ》|喰《く》ふ|虫《むし》だ、|腹《はら》が|滅《へ》つては|戦《いくさ》が|出来《でき》ない、|何《なん》とか|兵糧《ひやうろう》を|工面《くめん》せなくてはなりますまい』
|六《ろく》『|御心配《ごしんぱい》なされますな、|今日《こんにち》の|兵站部《へいたんぶ》は|私《わたくし》が|担任《たんにん》|致《いた》しませう、お|粗末《そまつ》な|物《もの》であなた|方《がた》|等《ら》のお|口《くち》には|合《あ》ひますまいが、|大事《だいじ》なければ、|召《めし》あがつて|下《くだ》さいませ』
と|背中《せなか》の|風呂敷《ふろしき》から|固《かた》パンを|出《だ》した。
|勝《かつ》『アー|有難《ありがた》い、|腹《はら》がカツカツして|殆《ほとん》ど|渇命《かつめい》にも|及《およ》ばむとする|所《ところ》だつたよ』
|弥《や》『コラコラ|六《ろく》でもない|事《こと》を|言《い》ふない、|六公《ろくこう》、|人様《ひとさま》に|物《もの》を|上《あ》げるのに、|粗末《そまつ》だとか、お|口《くち》に|合《あ》ひますまいとか、そら|何《な》んだ、チツト|言霊《ことたま》を|慎《つつし》まないか。これは|美味《おい》しいから|献《あ》げませう、うまいから|食《く》つて|見《み》て|下《くだ》さいと|言《い》ふのが|礼儀《れいぎ》ぢやないか……、ナンダ|失敬《しつけい》な、|食《く》はれぬ|様《やう》な|物《もの》や、|粗末《そまつ》なものを|人《ひと》に|進上《しんじやう》するといふ|事《こと》があるかい。|神様《かみさま》に|物《もの》を|献《あ》げるのにも、|蜜柑《みかん》の|五《いつ》つ|位《くらゐ》のピラミツドを|拵《こしら》へて、|蕪《かぶら》や|大根《だいこん》|人参《にんじん》|位《ぐらゐ》をあしらひ、|千切《せんぎり》や|昆布《こんぶ》、|和布《わかめ》、|果実《このみ》、|小鮎《こあゆ》、ジヤコ|位《ぐらゐ》をチヨンビリ|奉《たてまつ》つて、|海河《うみかは》|山野《やまぬの》|種々《くさぐさ》の|美味物《うましもの》を、|八足《やたり》の|机代《つくゑしろ》に|横山《よこやま》の|如《ごと》く|置足《おきた》らはして|奉《たてまつ》る|状《さま》を、|平《たひら》けく|安《やす》らけく|聞《きこ》し|召《め》せ、ポンポン………とやるぢやないか』
|六《ろく》『ハイハイ、あなたの|御趣意《ごしゆい》は|徹底《てつてい》しました。|併《しか》し|乍《なが》ら|私《わたくし》の|本心《ほんしん》は、この|麺包《パン》は|美味《おい》しい|結構《けつこう》なものだと|思《おも》つて|居《を》るのだが、|一寸《ちよつと》|遠慮《ゑんりよ》をして、お|粗末《そまつ》だとか、お|口《くち》に|合《あ》ふまいと|言《い》つたのですワ』
|弥《や》『|口《くち》と|心《こころ》の|違《ちが》ふ|横道者《わうだうもの》だナア、|虚偽《きよぎ》|虚飾《きよしよく》パノラマ|式《しき》の|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けて、|得々然《とくとくぜん》として|居《を》るとは、|何《なん》と|云《い》ふ|心得《こころえ》ちがひだ。ソンナ|事《こと》を|言《い》ふ|奴《やつ》は、|五十万年《ごじふまんねん》|未来《みらい》の|十九世紀《じふきうせいき》から|二十世紀《にじつせいき》の|初期《しよき》にかけて|生《うま》れた、|人三化七《にんさんばけしち》の|吐《ほざ》く|巧妙《こうめう》な|辞令《じれい》だ、チツト|確乎《しつかり》せぬかい』
|六《ろく》『|益々《ますます》|以《もつ》て|不可解《ふかかい》|千万《せんばん》、|合点《がてん》の|虫《むし》がどうしても|検定《けんてい》|済《ず》みにして|呉《く》れませぬワイ』
|弥《や》『まだ|貴様《きさま》は|分《わか》らないのか』
|六《ろく》『|日本《にほん》や|支那《しな》の|道徳《だうとく》を|混乱《こんらん》して|言《い》つたつて|和漢乱《わかんらん》は|当然《たうぜん》ぢやないか、|神様《かみさま》は|正直《しやうぢき》と|誠実《まこと》の|行《おこな》ひをお|喜《よろこ》びなさるのに、ナンダ、お|粗末《そまつ》の|物《もの》を、ホンの|後家《ごけ》|婆《ばば》アの|世帯《しよたい》ほど|八百万《やほよろづ》の|神様《かみさま》に|奉《たてまつ》つて、|相嘗《あひな》めに|聞《きこ》し|召《め》せとか、|海河《うみかは》|山野《やまぬ》の|種々《くさぐさ》の|美味物《うましもの》だとか、|横山《よこやま》の|如《ごと》く|置足《おきた》らはしてとか、|現幽《げんいう》|一致《いつち》に|御透見《ごとうけん》|遊《あそ》ばす|神様《かみさま》の|前《まへ》に、|虚偽《きよぎ》を|垂《た》れて、|商売《しやうばい》|繁昌《はんぜう》、|家運《かうん》|長久《ちやうきう》、|子孫《しそん》|繁栄《はんゑい》、|無病《むびやう》|息災《そくさい》、|願望《ぐわんばう》|成就《じやうじゆ》、|天下《てんか》|泰平《たいへい》、|国土《こくど》|成就《じやうじゆ》、|五穀《ごこく》|豊穣《ほうじやう》なぞと、|斎官《はふり》|共《ども》が|吐《ぬか》すぢやないか、|一体《いつたい》|全体《ぜんたい》この|点《てん》が|腑《ふ》に|落《お》ちないのだよ』
|弥《や》『|分《わか》らぬ|奴《やつ》だなア、この|天地《てんち》は|言霊《ことたま》の|幸《さち》はふ|国《くに》だ、|悪《わる》い|物《もの》でも|善《よ》く|詔直《のりなほ》すのだ。|少《すくな》い|物《もの》でも|沢山《たくさん》なやうに|宣《の》り|直《なほ》すのだ、|貴様《きさま》の|様《やう》に、|善《よ》い|物《もの》を|悪《わる》いと|言《い》ひ、|美味《うま》い|物《もの》をまづいと|云《い》ふのは、|言霊《ことたま》の|法則《はふそく》を|破壊《はくわい》すると|云《い》ふものだ。|世《よ》は|禁厭《まじなひ》と|言《い》つて、|勇《いさ》んで|暮《くら》せば|勇《いさ》む|事《こと》が、とつかけ|引《ひ》つかけ|現《あら》はれて|来《く》る、|悔《くや》めば|悔《くや》むほど|悔《くや》み|事《ごと》が|続発《ぞくはつ》するものだ、それだから|人間《にんげん》は、|言霊《ことたま》を|清《きよ》くせなくてはならないのだよ』
|六《ろく》『モシモシ|弥次彦《やじひこ》サン、チツトの|物《もの》を|沢山《たくさん》だと|言《い》ひ、|味《あぢ》|無《な》い|物《もの》を|美味《うま》い|物《もの》と|云《い》ふのは、いはゆる|羊頭《やうとう》を|掲《かか》げて|狗肉《くにく》を|売《う》るといふものぢやないか。ソンナ|事《こと》をすると、|現行《げんかう》|刑法《けいはふ》|第何条《だいなんでう》に|依《よ》つて|詐欺《さぎ》|取財《しゆざい》の|告発《こくはつ》を|為《し》られますよ。|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|盲《めくら》ばつかりの|人間《にんげん》が|集《よ》つてたかつて|拵《こしら》へた|法律《はふりつ》でさへも、|是丈《これだけ》に|条理《でうり》|整然《せいぜん》として|居《ゐ》るのだ、|况《ま》して|尊厳《そんげん》|無比《むひ》なる|神様《かみさま》の|御前《おんまへ》に、|詐欺《さぎ》をやつて|良《い》い|気《き》で|済《す》まして|居《を》れると|思《おも》ふのか、|無感覚《むかんかく》にも|程《ほど》が|有《あ》るぢやないか』
|弥《や》『|定《きま》つた|事《こと》だい、|人間《にんげん》は|神様《かみさま》の|水火《いき》から|生《うま》れた|神《かみ》の|子《こ》だ、|少《すこ》しでも|間隔《かんかく》があつて|堪《たま》らうかい、|無《む》【かんかく】が|当然《たうぜん》だよ』
|六《ろく》『ヤア|妙《めう》な|所《ところ》へ|脱線《だつせん》しよつたな、|本当《ほんたう》に|脱線《だつせん》もない………』
|弥《や》『|脱線《だつせん》は|流行《はやり》ものだい、|工事《こうじ》|請負人《うけおひにん》と○○と|結托《けつたく》して○○をやるものだから、|広軌《くわうき》|鉄道《てつだう》であらうが、|電鉄《でんてつ》だらうが、|直《すぐ》に|脱線《だつせん》|転覆《てんぷく》する|世《よ》の|中《なか》だ、|善人《ぜんにん》は|悪人《あくにん》と|見做《みな》され、|悪人《あくにん》は|脱線《だつせん》して|善人《ぜんにん》になると|云《い》ふ|暗《くら》がりの|世《よ》の|中《なか》だ、|吁《あゝ》|脱線《だつせん》なる|哉《かな》|脱線《だつせん》なる|哉《かな》だ、アハヽヽ』
|勝《かつ》『|広軌《くわうき》|鉄道《てつだう》とか|電鉄《でんてつ》とか|云《い》ふものは、それや|何処《どこ》に|敷設《ふせつ》されてるものですか』
|弥《や》『ヤア|此《こ》れから|数十万年後《すうじふまんねんご》の、|餓鬼道《がきだう》の|世《よ》の|中《なか》の、|文明《ぶんめい》の|利器《りき》と|云《い》ふ|名《な》の|付《つ》く|化物《ばけもの》のことだよ。アハヽヽヽ』
|六《ろく》『|随分《ずゐぶん》あなたの|滑車《くわつしや》は|能《よ》く|運転《うんてん》しますな、|万丈《ばんぢやう》の|気焔《きえん》を|吐《は》いて、|我々《われわれ》を|煙《けむり》に|巻《ま》き、|雲煙《うんえん》|糢糊《もこ》として|四辺《しへん》を|包《つつ》む|態《てい》の|鼻息《はないき》、イヤモウ|恐縮《きようしゆく》|軍縮《ぐんしゆく》の|至《いた》りですよ』
|与《よ》『|随分《ずゐぶん》|巨大《きよだい》なクルツプ|砲《はう》が|装置《さうち》されて|有《あ》ると|見《み》えますワイ、ホー|砲《はう》、|砲《はう》、|砲《はう》、ホー』
|弥《や》『|定《きま》つた|事《こと》だよ、|与太公《よたこう》や|六公《ろくこう》の|様《やう》な、|与太六《よたろく》とはチツト|原料《げんれう》が|違《ちが》ふのだ、|特別《とくべつ》|大《だい》|極《ごく》|上等《じやうとう》の、|豊富《ほうふ》なる|原料《げんれう》を|以《もつ》て、|鍛錬《たんれん》に|鍛錬《たんれん》を|加《くは》へ、|製造《せいざう》したる|至貴《しき》|至重《しちよう》なる|身魂《みたま》の|持主《もちぬし》だ、|古今《ここん》に|類例《るゐれい》を|絶《た》つと|云《い》ふ|逸物《いつぶつ》だから、|何《なん》と|言《い》つたつて、|弥次彦《やじひこ》の|足型《あしがた》をも|踏《ふ》めさうな|事《こと》はないのだ』
|勝《かつ》『モシモシ|弥次彦《やじひこ》サン、あなたは|余程《よほど》|自尊心《じそんしん》の|旺盛《わうせい》|強烈《きやうれつ》なる|御人格者《ごじんかくしや》ですネー、|自分《じぶん》を|称《しよう》して|弥次彦《やじひこ》サンと|敬語《けいご》を|使《つか》ひ、|友人《いうじん》に|対《たい》しては、|与太公《よたこう》だの、|六公《ろくこう》だのと、|恰《あたか》も|君王《くんわう》が|僕《しもべ》に|対《たい》する|様《やう》な|傲慢《ごうまん》|不遜《ふそん》の|御態度《ごたいど》、|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》にも|似合《にあ》はぬお|振舞《ふるまひ》、どこで|勘定《かんぢやう》が|違《ちが》つたのでせう。これもやつぱり|脱線《だつせん》の|世《よ》の|中《なか》の|感化《かんくわ》をお|受《う》けになつたのぢやありますまいかな』
|弥《や》『ソンナラ|是《これ》から|与太彦《よたひこ》サン、|六公《ろくこう》サンと|詔《の》り|直《なほ》しますが、しかしよく|考《かんが》へて|見《み》なさい、|神《かみ》を|敬《けい》する|如《ごと》く|人《ひと》を|敬《けい》し、|我身《わがみ》を|敬《けい》すべしと|云《い》ふ|信条《しんでう》が|三五教《あななひけう》の|何処《どつか》に|有《あ》つたやうに|思《おも》ひます。|我々《われわれ》は|無限《むげん》|絶対力《ぜつたいりよく》の|至貴《しき》|至尊《しそん》の|大神様《おほかみさま》の|水火《いき》を|以《もつ》て|生《うま》れ|出《い》で、|天地《てんち》|経綸《けいりん》の|司宰者《しさいしや》たる|特権《とくけん》を|賦与《ふよ》されて|居《を》る|者《もの》ではありませぬか、|人《ひと》は|神《かみ》なり、|神《かみ》は|人《ひと》なり、|神人《しんじん》|合一《がふいつ》して|茲《ここ》に|無限《むげん》の|権力《けんりよく》を|発揮《はつき》するのでせう。|吾々《われわれ》の|霊肉《れいにく》|共《とも》に|決《けつ》して|私有物《しいうぶつ》ではありませぬ、みな|神様《かみさま》の|預《あづか》り|物《もの》です、さうだから、|弥次彦《やじひこ》サンと|云《い》つたつて|別《べつ》に|少《すこ》しの|矛盾《むじゆん》も|撞着《どうちやく》もないぢやありませぬか。|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》|様《さま》は、|大蛇《おろち》を|退治《たいぢ》て、|串稲田姫《くしなだひめ》と|芽出度《めでた》く|偕老同穴《かいらうどうけつ》の|契《ちぎり》を|結《むす》び|給《たま》ふた|時《とき》に、|自分《じぶん》の|胸《むね》を|抑《おさ》へて「あが|御心《みこころ》すがすがし」と、|自分《じぶん》が|自分《じぶん》の|心《こころ》を|敬《うやま》はせ|給《たま》ひ、|天照大神《あまてらすおほかみ》|様《さま》は「われは|天照大神《あまてらすおほかみ》なり」と|自《みづか》ら|敬語《けいご》をお|使《つか》ひになつた。|昔《むかし》の|帝《みかど》|様《さま》は|葛城山《かつらぎざん》に|狩猟《かり》をなされた|時《とき》にも、その|御腕《みうで》に|虻《あぶ》が|食《く》ひ|付《つ》いた、その|時《とき》に「あが|御腕《みたたむき》|虻《あぶ》かきつき」と|詔《の》らせ|給《たま》ふたぢやありませぬか、これを|見《み》ても|敬語《けいご》と|云《い》ふものは、どこまでも|使用《しよう》せなくてはなりませぬよ、|決《けつ》して|等閑《とうかん》に|附《ふ》すべき|問題《もんだい》ではなからうと|拝察《はいさつ》するのです。|今《いま》の|奴《やつ》は、|君主《くんしゆ》でもない|友人《いうじん》に|対《たい》して、|君《きみ》とか、|賢兄《けんけい》とか|言《い》ひ、|僕《しもべ》でもないのに|僕《ぼく》だとか|拙者《せつしや》だとか|云《い》つて、|虚偽《きよぎ》の|生活《せいくわつ》を|送《おく》り|得意《とくい》がつて|居《を》る|逆様《さかさま》の|世《よ》の|中《なか》だ、|自分《じぶん》の|父《ちち》ほど|賢《かしこ》い|者《もの》は|無《な》い、|母《はは》ほど|偉《えら》い|者《もの》は|無《な》いと|心《こころ》の|中《なか》で|褒《ほ》めて|居乍《ゐなが》ら、|愚父《ぐふ》だとか、|愚母《ぐぼ》だとか|言《い》ひ、|自分《じぶん》の|息子《むすこ》は|悧巧《りこう》だ、|他家《よそ》の|息子《むすこ》は|馬鹿《ばか》だ、|天保銭《てんぽうせん》だと|心《こころ》に|思《おも》ひ|乍《なが》ら、|自分《じぶん》の|子《こ》を|称《しよう》して、|愚息《ぐそく》だとか、|拙息《せつそく》だとか|豚児《とんじ》だとか|吐《ほざ》き、|他人《たにん》の|馬鹿《ばか》|息子《むすこ》や、|鼻垂《はなたれ》|小僧《こぞう》を|御賢息《ごけんそく》だとか、|御令息《ごれいそく》だとか|言《い》つて、|嘘《うそ》で|固《かた》めてゐる|世《よ》の|中《なか》だ。|本当《ほんたう》に|冠履《くわんり》|転倒《てんたう》とはこの|事《こと》だ。|女郎《じよらう》の|言《い》ひ|分《ぶん》ぢやないが、「|口《くち》で|悪《わる》う|言《い》ふて|心《こころ》で|褒《ほ》めて、|蔭《かげ》の【のろけ】が|聞《き》かしたい」と|云《い》ふ|様《やう》な、|娼婦的《しやうふてき》|奴根性《どこんじやう》の|人間《にんげん》|許《ばか》りだから、|世《よ》の|中《なか》は|逆様《さかさま》ばつかり|出来《でき》るのだ。|一日《いちじつ》も|早《はや》く|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|天下《てんか》に|宣明《せんめい》して、|第一《だいいち》|着手《ちやくしゆ》として、この|言霊《ことたま》の|詔直《のりなほ》しを|始《はじ》めなくては、|何時《いつ》までも|五六七《みろく》の|神政《しんせい》は|樹立《じゆりつ》さるるものではありませぬワイ』
|勝《かつ》『イヤア|是《これ》は|是《これ》は|結構《けつこう》な|御託宣《ごたくせん》を|承《うけたま》はりました、|斯《こ》う|云《い》ふお|話《はなし》は|度々《たびたび》|教《をし》へて|下《くだ》さいませ。|私《わたくし》も|宣伝使《せんでんし》となつて、この|通《とほ》り|変幻《へんげん》|出没《しゆつぼつ》、|自由自在《じいうじざい》の|活動《くわつどう》を|続《つづ》けて|来《き》ましたが|未《ま》だその|点《てん》に|気《き》が|付《つ》いて|居《ゐ》なかつたのです…………|吁《あゝ》、|何処《どこ》にドンナ|人《ひと》が|隠《かく》れて|居《ゐ》るやら、|何時《いつ》|神様《かみさま》が|口《くち》を|藉《か》つて、|戒《いまし》めて|下《くだ》さるやら、|分《わか》つたものぢやない。アヽ|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|与《よ》『コレコレ|弥次彦《やじひこ》サン、お|前《まへ》は|又《また》、|日頃《ひごろ》の|言行《げんかう》にも|似《に》ず、|今日《けふ》に|限《かぎ》つて|何故《なぜ》ソンナ|深遠《しんゑん》な|教理《けうり》を|説《と》いたのだい』
|弥《や》『ナニ、ナンダカ|口《くち》が|辷《すべ》つて、|中《なか》から|何者《なにもの》かが|言《い》ひよつたのだい、|弥次彦《やじひこ》の|知《し》つた|事《こと》かい、アハヽヽヽ』
|勝《かつ》『ヤア|六《ろく》サン、|結構《けつこう》なお|弁当《べんたう》を|沢山《たくさん》|頂戴《ちやうだい》いたしました、これで|元気《げんき》も|快復《くわいふく》しました。サア|徐々《そろそろ》|御一同様《ごいちどうさま》、テクル|事《こと》に|致《いた》しませうかな』
|弥《や》『コレコレ|勝彦《かつひこ》サン、|表《おもて》は|表《おもて》、|裏《うら》は|裏《うら》だ、この|道中《だうちう》にソンナ|几帳面《きちやうめん》な|挨拶《あいさつ》は|免除《めんぢよ》して|下《くだ》さいな、|互《たがひ》に|無駄口《むだぐち》の|叩《たた》き|合《あひ》で、われ、|俺《おれ》で|行《ゆ》きませうかい、|何《なん》だか|肩《かた》が|凝《こ》つて|疲労《ひらう》の|度《ど》を|増《ま》す|様《やう》だから…………のう|勝公《かつこう》、|与太六《よたろく》』
|与《よ》『|与太六《よたろく》とはあまり|酷《ひど》いちやないか』
|弥《や》『|面倒《めんだう》|臭《くさ》いから、|与太公《よたこう》と|六公《ろくこう》とを|併合《へいがふ》したのだ、|会社《くわいしや》でもチツト|左前《ひだりまへ》になると|併合《へいがふ》するものだよ』
|与《よ》『|今《いま》|俺《おれ》はパンを|鱈腹《たらふく》|食《く》つたのだ、|空腹前《ひだるまへ》|所《どころ》か、これ|見《み》い、この|通《とほ》りの|太《ふと》つ|腹《ぱら》だ』
|弥《や》『ホンにホンに、|全然《まるで》|鰒《ふぐ》の|横飛《よことび》|見《み》たやうな|土手《どて》つ|腹《ぱら》だな、|蟇《ふくがへる》の|行列《ぎやうれつ》か、|鰒《ふぐ》の|陳列会《ちんれつくわい》か、イヤモウ|何《な》んともかとも|形容《けいよう》の|出来《でき》ないお|姿《すがた》だ、コンナ|所《とこ》を|三面《さんめん》|記者《きしや》にでも|見《み》つけられた|位《くらゐ》なら、|直《すぐ》に|新聞《しんぶん》の|材料《ざいれう》だよ。アハヽヽヽ』
|折《をり》から|小鹿山《こしかやま》の|山颪《やまおろし》、|木《き》も|倒《たふ》れ|岩《いは》も|飛《と》べよと|許《ばか》りに|吹《ふ》き|来《きた》る。
|弥《や》『ヨー|風《かぜ》の|神《かみ》、|一寸《ちよつと》|洒落《しやれ》てゐよるなア。|吹《ふ》くなら|吹《ふ》け、|大砲《たいはう》の|弥次彦《やじひこ》がご|通行《つうかう》だ、|反対《あべこべ》に|吹飛《ふきと》ばしてやらうか』
|与《よ》『アハヽヽヽ、|偉《えら》い|元気《げんき》だのう、しかし|何《なに》ほど|弥次《やじ》サンが|黄糞《かにここ》をこいて、|金《きん》の|目《め》を|剥《む》いて|気張《きば》つた|所《ところ》で、|的《てき》サンは|洒々落々《しやしやらくらく》、|風《ふう》|馬牛《ばぎう》といふ|御態度《ごたいど》だから、|如何《いかん》ともする|事《こと》は|出来《でき》まいかい』
|弥《や》『ヨーヨーこれや|意外《いぐわい》の|強風《きやうふう》だぞ、|二人《ふたり》づつ|肩《かた》と|肩《かた》とを【から】|組《く》んで|進《すす》まうかい…………|与太六《よたろく》、|貴様《きさま》は|一組《ひとくみ》だ、|弥次彦《やじひこ》は|勝公《かつこう》と|手《て》を|組《く》んで、|単梯陣《たんていぢん》を|張《は》つて、|驀地《まつしぐら》に|進軍《しんぐん》だ。|小舟《こぶね》に|乗《の》つて|大海《たいかい》を|渡《わた》る|時《とき》にも、|暴風《ばうふう》|怒濤《どたう》に|出会《であ》つた|時《とき》には、|舟《ふね》と|舟《ふね》と|二艘《にそう》|一所《いつしよ》に|合《あ》はして|連結《からく》んで|置《お》くと、|容易《ようい》に|顛覆《てんぷく》せないものだ。|舟《ふね》じやないけれど、|吾々《われわれ》は|風《かぜ》に|対《たい》する|風船玉《ふうせんだま》の|難《なん》を|避《さ》ける|為《ため》に、|連結《からく》んで|風《かぜ》の|波《なみ》を|漕《こ》ぎ|渡《わた》る|事《こと》とせうかい。グヅグヅして|居《を》ると|小鹿峠《こしかたうげ》の|渓谷《けいこく》へ|顛覆《てんぷく》|沈没《ちんぼつ》の|厄《やく》に|遭《あ》ふかも|知《し》れない。サアサア|早《はや》く|早《はや》く、|連結《からく》んだ|連結《からく》んだ』
|四人《よにん》は|二人《ふたり》づつ|肩《かた》と|肩《かた》とを|組《く》み|合《あは》せ、|風《かぜ》に|向《むか》つて|強圧的《きやうあつてき》に、|前方《ぜんぱう》|三十五度《さんじふごど》の|傾斜体《けいしやたい》で|坂路《さかみち》を|跋渉《ばつせふ》する。
|与《よ》『イヨー|此奴《こいつ》ア|猛烈《まうれつ》だ、|今日《けふ》に|限《かぎ》つて|風《かぜ》の|神《かみ》の|奴《やつ》、どう|予算《よさん》を|狂《くる》はせよつたのか、|勿体《もつたい》なくも、|天地《てんち》|経綸《けいりん》の|司宰者《しさいしや》たる|人間《にんげん》|様《さま》が|御通行《ごつうかう》|遊《あそ》ばすのに、|恐《おそ》れ|気《げ》もなく|前途《ぜんと》を|抗塞《かうそく》するとは、|不都合《ふつがふ》|千万《せんばん》だ。ヤア|六公《ろくこう》、しつかりせぬかい、|吹《ふ》き|飛《と》ばされるぞ』
|六《ろく》『これ|位《くらゐ》な|風《かぜ》に|吹飛《ふきと》ばされる|気遣《きづかひ》はないが、|弥次彦《やじひこ》サンの|気焔《きえん》には|随分《ずゐぶん》|吹飛《ふきと》ばされさうだ。アハヽヽヽ』
|弥《や》『コラコラ、|貴様《きさま》|何《なに》をグヅグヅ|言《い》つて|居《ゐ》よるのだい、この|烈風《れつぷう》に|確乎《しつかり》|勇気《ゆうき》を|出《だ》して|進《すす》まないと、|内閣《ないかく》の|乗取《のつとり》は|不可能《ふかのう》だぞ、グヅグヅしてると、|九分九厘《くぶくりん》|行《い》つた|所《ところ》で|流産《りうざん》|内閣《ないかく》になつて|了《しま》ふかも|知《し》れないぞ』
|与《よ》『エー|八釜《やかま》しう|言《い》ふない、|如何《いか》に|神出鬼没《しんしゆつきぼつ》の|勇将《ゆうしやう》でも、ハヤこの|風《かぜ》に|向《むか》つて、どうして|突喊《とつかん》が|出来《でき》るものかい、|千引《ちびき》の|岩《いは》でさへも|中空《ちうくう》に|巻《ま》きあげると|云《い》ふ|様《やう》な|風《かぜ》の|神《かみ》の|鼻息《はないき》だ、チツト|風《かぜ》の|神《かみ》も、|聞直《ききなほ》して|呉《く》れさうなものだな、この|谷間《たにま》へでも|落《お》ちて|見《み》よれ、|又《また》|候《ぞろ》|幽界《いうかい》の|旅行《りよかう》をやらねばならぬぞ』
|弥《や》『そら|何《なに》を|幽界《いうかい》、|悲観《ひくわん》するな、モツト【|愉快《ゆくわい》】になつて、|風《かぜ》を|突《つ》いて|突進《とつしん》するのだ』
|与《よ》『|何《なん》と|云《い》つても|貴様《きさま》のやうな|無茶《むちや》な|事《こと》は、|俺《おれ》には|到底《たうてい》|不可能《ふかのう》だ。|如何《いか》に|人間《にんげん》が|賢《かしこ》いと|云《い》つてもコンナ|記録《きろく》|破《やぶ》りの|暴風《ばうふう》に|出会《でくわ》しては、|人間《にんげん》としては|到底《たうてい》|不可抗力《ふかかうりよく》だ、………オイ|一寸《ちよつと》そこらで|一服《いつぷく》したらどうだい』
|弥《や》『|三五教《あななひけう》に|退却《たいきやく》の|二字《にじ》はないぞ、どこ|迄《まで》も|唯《ただ》|進《すす》むの|一事《いちじ》あるのみだ。|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》、|何時《いつ》までも|風《かぜ》の|神《かみ》だつて、さう|資本《しほん》が|続《つづ》くものぢやない。グヅグヅ|吐《ぬ》かすと|足手纏《あしてまと》ひになるから、|貴様《きさま》と|俺《おれ》とは|最早《もはや》|国交《こくかう》|断絶《だんぜつ》だ、|旅券《りよけん》を|交附《かうふ》してやるから、サツサと|本国《ほんごく》へ|引返《ひきかへ》したが|宜《よ》からうぞ』
|与《よ》『アーア|仕方《しかた》のない|頓馬助《とんますけ》だナア……オイ|六公《ろくこう》、マア|見《み》とれ、|向意気《むこいき》ばつかり|強《つよ》いが、タツタ|今《いま》|風《かぜ》に|煽《あふ》られて、|再《ふたたび》|幽冥界《いうめいかい》の|探険《たんけん》と|出《で》かけるのが|落《おち》だぞ』
この|時《とき》|山岳《さんがく》も|崩《くづ》れ、|蒼天《さうてん》|墜落《つゐらく》するかと|思《おも》はるる|許《ばか》りの|音響《おんきやう》と|共《とも》に、|最大《さいだい》|強烈《きやうれつ》なる|暴風《ばうふう》|吹《ふ》き|来《く》るよと|見《み》る|間《ま》に、|弥次彦《やじひこ》の|羽織《はおり》|袴《はかま》の|袂《たもと》に|風《かぜ》を|含《ふく》んで、|勝彦《かつひこ》と|手《て》を|組《く》んだまま、|中空《ちうくう》に|吹《ふ》あげられ、|空中《くうちう》|飛行《ひかう》の|曲芸《きよくげい》を|演《えん》じつつ、|風《かぜ》に|追《お》はれて|谷間《たにま》の|彼方《あなた》に、|悠々《いういう》として|姿《すがた》を|隠《かく》した。|不思議《ふしぎ》や|烈風《れつぷう》は、|嘘《うそ》をついた|様《やう》にケロリと|歇《や》んだ。
|与《よ》『ヤア|大変《たいへん》だ、|意地《いぢ》の|悪《わる》い|風《かぜ》だないか、|弥次彦《やじひこ》を|吹飛《ふきと》ばして|置《お》きよつて、それを|合図《あひづ》にピタリと|休戦《きうせん》の|喇叭《らつぱ》をふきよつた|様《やう》なものだ』
|六《ろく》『あまり|弥次公《やじこう》は|大法螺《おほぼら》をふくものだから、|風《かぜ》の|神《かみ》の|奴《やつ》、|一《ひと》つ|懲《こら》しめてやらうと|思《おも》つて、|何《なん》でも|早《はや》うから|作戦《さくせん》|計画《けいくわく》をやつて|居《を》つたのに|違《ちがひ》ないぞ、|何《なん》だか|夜前《やぜん》から|雲行《くもゆき》が|悪《わる》いと|思《おも》つて|居《を》つた。ヤア|夫《そ》れにしても|吾々《われわれ》はこの|儘《まま》に|放任《はうにん》して|置《お》く|訳《わけ》には|行《い》かず、|滅多《めつた》に|天上《てんじやう》した|気遣《きづかひ》はなからうから、|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》は|此処《ここ》で|一《ひと》つ|捜索《そうさく》をせなければなるまいぞ』
|与《よ》『ナアニ、|彼奴《あいつ》ア|風《かぜ》に|乗《の》つて、コーカス|山《ざん》へお|先《さき》へ|失礼《しつれい》とも|何《なん》とも|言《い》はずに、|参詣《さんけい》しよつたのだらうよ。アハヽヽヽ』
|六《ろく》『ソンナ|気楽《きらく》な|事《こと》を|言《い》ふて|居《を》る|場合《ばあひ》じやあるまい、|是《これ》から|両人《りやうにん》|協心《けふしん》|戮力《りくりよく》して、|両人《りやうにん》が|在処《ありか》を|探《さが》さうじやないか』
|与《よ》『|探《さが》すもよいが、|拙劣《へた》に|間誤《まご》つくと、|冥土《めいど》の|道伴《みちづれ》にならねばならないかも|知《し》れないぞ、|俺《おれ》はモウ|冥土《めいど》の|旅《たび》は|一度《いちど》|経験《けいけん》を|積《つ》んだのだから、|余《あま》り|苦《くる》しいとも|思《おも》はぬが、|貴様《きさま》は|初旅《はつたび》だから|勝手《かつて》も|分《わか》らず、|随分《ずゐぶん》|困《こま》るだらうよ』
|六《ろく》『エー【ろく】でもない|事《こと》を|言《い》ふものじやないワ、|言霊《ことたま》の|幸《さち》はふ|世《よ》の|中《なか》だのに』
|与《よ》『|風玉《かざだま》の|災《わざはひ》する|世《よ》の|中《なか》だ、アハヽヽヽ』
|二人《ふたり》は|弥次彦《やじひこ》、|勝彦《かつひこ》の|散《ち》りて|行《い》つた|方面《はうめん》を|指《さ》して、|顔《かほ》の|色《いろ》を|変《か》へ|乍《なが》ら、|急《いそ》いで|元《もと》|来《き》し|道《みち》に|引返《ひきかへ》し、|二人《ふたり》の|所在《ありか》を|捜索《そうさく》することとなつた。|吁《あゝ》、|二人《ふたり》の|行衛《ゆくゑ》はどうなつたであらう。
(大正一一・三・二四 旧二・二六 松村真澄録)
第八章 |泥《どろ》の|川《かは》〔五五八〕
|果《はて》しも|知《し》れぬ|枯野原《かれのはら》、|神《かみ》の|恵《めぐみ》も|嵐《あらし》|吹《ふ》く、|濁《にご》り|切《き》りたる|川《かは》の|辺《べ》に、|二人《ふたり》は|漸《やうや》く|着《つ》きにける。
|弥《や》『ヤ、|何《なん》だい、|又《また》もや|幽界《いうかい》へ|逆転《ぎやくてん》|旅行《りよかう》だな、オウ|此処《ここ》は|三途《せうづ》の|川《かは》だ。|勝公《かつこう》、ナンデもこの|辺《へん》に|俺《おれ》の【なじみ】の|頗《すこぶ》る|別嬪《べつぴん》が、|楽隠居《らくいんきよ》をやつて|居《ゐ》る|筈《はず》だがナア』
|勝《かつ》『|弥次彦《やじひこ》サン、|此処《ここ》はどうやら|娑婆気《しやばけ》の|離《はな》れた|処《ところ》のやうですなア、|小鹿峠《こしかたうげ》を|暴風《ばうふう》に|梳《くしけ》づり、|突貫《とつくわん》の|最中《さいちう》|何《なん》だか|気《き》が|変《へん》になつたと|思《おも》つたが|最後《さいご》、|局面《きよくめん》|忽《たちま》ち|一変《いつぺん》して|草《くさ》|茫々《ばうばう》たる|枯野原《かれのはら》になつて|居《ゐ》る、|別《べつ》に|飛行機《ひかうき》に|乗《の》つた|覚《おぼ》えもないのに、|何時《いつ》の|間《ま》にコンナ|処《ところ》に|来《き》ただらう、|哲学者《てつがくしや》たら|云《い》ふ|奴《やつ》の|好《よ》く|云《い》ふ|夢中《むちう》|遊行《いうかう》でも|遣《や》つたのぢやあるまいか。|誰《たれ》か|催眠術《さいみんじゆつ》の|上手《じやうず》な|奴《やつ》を|連《つ》れて|来《き》て、|早《はや》く|覚醒《かくせい》でもさして|呉《く》れないと、まかり|間違《まちが》へば|幽界《いうかい》|旅行《りよかう》となるかも|知《し》れないなア』
|弥《や》『|知《し》れないも|何《なに》もあつたものか、|正《まさ》に|幽界《いうかい》|旅行《りよかう》だ、|此処《ここ》は|三途《せうづ》の|川《かは》の|渡場《わたしば》だよ』
|勝《かつ》『それにしては、|婆《ばば》アが|居《を》らぬじやないか』
|弥《や》『この|頃《ごろ》は|物価《ぶつか》|騰貴《とうき》で|収支《しうし》|償《つぐな》はぬと|見《み》えて、|廃業《はいげふ》しよつたのだらうよ、それよりもマア|俺《おれ》の|昔《むかし》【なじみ】の|別嬪《べつぴん》が|囲《かこ》つて|在《あ》るのだ、それに|面会《めんくわい》さして|遣《や》らうかい』
|勝《かつ》『|貴様《きさま》は|何処《どこ》までも|弥次式《やじしき》だな、|処《ところ》もあらうに|怪態《けたい》の|悪《わる》い、|三途《せうづ》の|川《かは》の|傍《ほとり》に|妾宅《せふたく》を|構《かま》へると|云《い》ふ|事《こと》があるものかい』
|弥《や》『それでも|向《むか》ふが|妾宅《せふたく》したのだから|仕方《しかた》がないさ。|新月《しんげつ》の|眉《まゆ》|濃《こま》やかに、|緑《みどり》したたる|眼《め》の|光《ひか》り、|鼻《はな》の|恰好《かつかう》から|口《くち》の|恰好《かつかう》、ホンノリとした|桃色《ももいろ》の|頬《ほつぺた》、それはそれは|何《なに》ともかとも|云《い》へぬ|逸品《いつぴん》だよ』
|勝《かつ》『ヨウ、ソンナ|逸品《いつぴん》があるのか、|俺《おれ》にも【いつぴん】|見《み》せて|呉《く》れぬかい』
|弥《や》『|洒落《しやれ》ない、これから|千騎一騎《せんきいつき》だよ、|青《あを》、|黒《くろ》、|赤《あか》、|白《しろ》、|橄欖《かんらん》、|種々雑多《しゆじゆざつた》の|百鬼《ひやくき》|千鬼《せんき》|万鬼《ばんき》と|格闘《かくとう》をせなければならないのだ。アハヽヽヽヽ』
|勝《かつ》『|何者《なにもの》が|現《あら》はれ|来《きた》るとも、|神変《しんぺん》|不可思議《ふかしぎ》の|言霊《ことたま》の|武器《ぶき》を|使用《しよう》すれば|大丈夫《だいぢやうぶ》だ、|夫《それ》よりも|早《はや》くその|逸品《いつぴん》とやらを、|御高覧《ごかうらん》に|供《そな》へ|奉《まつ》らぬかい』
|弥《や》『よしよし|驚《おどろ》くな、|随分《ずゐぶん》|別嬪《べつぴん》だぞ、|一度《いちど》お|顔《かほ》を|拝《をが》んだが|最後《さいご》、|万劫末代《まんごまつだい》|五六七《みろく》の|代《よ》までも|忘《わす》れることの|出来《でき》ないやうな、すごい|様《やう》な|恐《おそ》ろしい|別嬪《べつぴん》だ。|一寸《ちよつと》|俺《おれ》に|随《つ》いて|来《こ》い、それ|其処《そこ》に|見越《みこ》しの|松《まつ》といふ|小《こ》【ちん】まりとした、|妾宅《せふたく》があると|思《おも》つたのは|夢《ゆめ》だ、|茅葺《かやぶき》の|雪隠《せんち》|小屋《ごや》のやうな|中《なか》に、|今頃《いまごろ》はビイビイチヨンだ』
|勝《かつ》『|怪体《けたい》な|言《こと》を|云《い》ふぢやないか、|何《なに》がビイビイチヨンだい』
|弥次彦《やじひこ》は|藁小屋《わらごや》の|戸《と》の|隙《すき》より|一寸《ちよつと》|覗《のぞ》いて、
|弥《や》『ヤー|御機嫌《ごきげん》だなア、また|遣《や》つて|来《き》ました、オツトドツコイ|女房《にようばう》の|脱衣場《だついば》のお|婆《ば》アサン、|二世《にせ》の|夫《つま》|天下《てんか》|一品《いつぴん》の|色黒《いろくろ》い|男《をとこ》、|弥次彦《やじひこ》サンだ、|早《はや》う|戸《と》を|開《あ》けぬかい』
|藁小屋《わらごや》の|中《なか》より、
『エーエーまた|来《き》たのか、よう|踏《ふ》み|迷《まよ》ふて|来《く》る|餓鬼《がき》だな、この|川《かは》は|一遍《いつぺん》|渡《わた》つたら|渡《わた》る|事《こと》の|出来《でき》ぬ|三途《せうづ》の|川《かは》だのに、|何《なに》しに|娑婆《しやば》から|冥土《めいど》に|踏《ふ》み|迷《まよ》ふて|来《く》るのだい、|娑婆《しやば》の|幽霊《いうれい》|奴《め》が』
|弥《や》『コラコラ|夫婦《ふうふ》と|云《い》ふものは、ソンナ|水臭《みづくさ》いものぢやないぞ、|三途《せうづ》の|川《かは》と|云《い》ふからは|三度《さんど》までは、|渡《わた》るのは|当《あた》り|前《まへ》だ。|飯《めし》でも|一日《いちにち》に|三度《さんど》は|食《く》はねばその|日《ひ》が|暮《く》れぬのだ、|娑婆《しやば》の|幽霊《いうれい》とはそれや|何《なに》をぬかしよるのだい』
|婆《ばば》『お|前《まへ》は|娑婆《しやば》の|幽霊《いうれい》だよ、|幽霊《いうれい》|会社《くわいしや》に|首《くび》を|突《つ》き|出《だ》したり、|幽霊株《いうれいかぶ》を|振《ふ》り|廻《まは》したり、これやちつと|有利得《いうりえ》の|株《かぶ》だと|云《い》へば、|慾《よく》の|皮《かは》を|突《つ》つ|張《ぱ》つて、|身魂《みたま》を|汚《けが》し、|女房《にようばう》|子供《こども》に|苦労《くらう》をさせ、|世間《せけん》の|奴《やつ》に|迷惑《めいわく》をかけ、どうして|娑婆《しやば》に|立《た》つて|行《ゆ》けやうかなぞと、|腰《こし》から|足《あし》の|無《な》い|奴《やつ》の|様《やう》に、|藻掻《もが》きよつて|宙《ちう》ぶらりの|影《かげ》の|薄《うす》い|代物《しろもの》だ。|娑婆《しやば》の|幽霊《いうれい》と|云《い》ふたのが|何《なに》が|不思議《ふしぎ》だい。|幽冥界《いうめいかい》には|貴様《きさま》のやうな|亡者《まうじや》は|一人《ひとり》も|居《を》らないぞ、|学亡者《がくまうじや》の|親方《おやかた》|奴《め》が』
|弥《や》『コリヤ|婆《ばば》ア、それや|何《なに》ぬかしよるのだ、|女房《にようばう》が|老爺《おやぢ》を【ぼろ】|糞《くそ》に|言《い》ふと|云《い》ふ|事《こと》があるものか、|貞操《ていさう》と|云《い》ふ|事《こと》を|知《し》つて|居《ゐ》るか、|不貞腐《ふてくさ》れ|婆《ばば》|奴《め》が』
|婆《ばば》『|不貞腐《ふてくされ》とは|何《なん》だ、|女《をんな》ばかりが|不貞腐《ふてくさ》れぢやない、|男《をとこ》の|奴《やつ》にも|沢山《たくさん》|不貞腐《ふてくさ》れがあるぢやないか。|貴様《きさま》は|何《なん》だ、|娑婆《しやば》に|居《を》つて|彼方《あちら》へ|小便《せうべん》ひつかけ、|此方《こちら》へ|糞《くそ》をひつかけ、|隣《となり》の|嬶《かか》をチョロマカシ、|近所《きんじよ》の|娘《むすめ》を|誑《たぶら》かし、|嬶《かか》アが|古《ふる》くなつたと|云《い》つては、|博労《ばくらう》が|馬《うま》か|牛《うし》を|入《い》れ|替《かへ》する|様《やう》に、|人間《にんげん》を|畜生《ちくしやう》か|機械《きかい》の|様《やう》な|扱《あつかひ》をしよつて、|不貞腐《ふてくさ》れの|張本《ちやうほん》|奴《め》が。この|婆《ばば》は|斯《こ》う|見《み》えても|地獄《ぢごく》|開設《かいせつ》|以来《いらい》、この|川端《かはばた》で|規則《きそく》を|守《まも》つて|職務《しよくむ》|忠実《ちうじつ》に|勤《つと》めて|居《ゐ》るのぢや、|貴様《きさま》のやうに|月給《げつきふ》が|高《たか》いの|安《やす》いの、|此処《ここ》は|辛度《しんど》いの|楽《らく》だのと、|猫《ねこ》の|目《め》のやうにクレクレと|変《かは》りよつて|落着《おちつ》きのない|我楽多《がらくた》|人間《にんげん》とは、チート|訳《わけ》が|違《ちが》ふのだよ。|又《また》しても|又《また》しても、この|婆《ばば》に|厄介《やくかい》をかけよつて、モウ|好《よ》い|加減《かげん》に|退却《たいきやく》せい、|貴様《きさま》の|来《く》るのはモチツト|早《はや》いワ。|此処《ここ》へ|来《く》るのは、|娑婆《しやば》の|罪《つみ》を|亡《ほろ》ぼした|奴《やつ》の|来《く》る|所《ところ》だ。|貴様《きさま》は|罪悪《ざいあく》の|借金《しやくきん》を|沢山《たくさん》|積《つ》んで|居《を》るから、モツトモツト|苦《くる》しい|目《め》をしてから|出《で》て|来《く》るのだ。|罪悪《ざいあく》の|借金《しやくきん》を|娑婆《しやば》へ|残《のこ》して、コンナ|処《ところ》へ|逃《に》げて|来《く》るとは、|余《あんま》り|狡《ずる》いぢやないか、|薄志弱行《はくしじやくかう》にも|程《ほど》があるワ、この|三途《せうづ》の|川《かは》はドンナ|所《ところ》だと|思《おも》つて|居《を》るか、|貴様《きさま》の|身魂《みたま》を|洗濯《せんたく》する|所《どころ》かい、|天《てん》で|言《い》へば|天《あめ》の|安河《やすかは》も|同様《どうやう》な|処《ところ》ぢやぞ』
|弥《や》『エー|八釜敷《やかまし》い、|口《くち》の|好《よ》い|嬶《かか》だ、|女《をんな》|賢《さか》しうて|牛《うし》|売《う》りそこなふと|云《い》ふ|事《こと》がある、|折角《せつかく》|夫婦《ふうふ》になつてやつたが、|今日《けふ》|限《かぎ》り|三《み》くだり|半《はん》をやるから|覚悟《かくご》せい、|夫婦《ふうふ》|喧嘩《げんくわ》は|犬《いぬ》でも|喰《く》はぬと|云《い》ふが、この|弥次彦《やじひこ》サンはソンナ|執着心《しふちやくしん》のある|男《をとこ》ぢやないぞ』
|婆《ばば》『|誰《たれ》が|弥次彦《やじひこ》の|女房《にようばう》になると|云《い》つたか、|貴様《きさま》が|勝手《かつて》に|此《この》|前《まへ》に|踏《ふ》み|迷《まよ》ふて|来《き》た|時《とき》に、わしの|名《な》は|弥次彦《やじひこ》だから、お|前《まへ》の|老爺彦《おやぢひこ》だと|言《い》ひよつて、|自分《じぶん》|一人《ひとり》できめたのでないか、|正式《せいしき》|結婚《けつこん》でもなけりや、|自由《じいう》|結婚《けつこん》でもない、|貴様《きさま》の|方《はう》は|何《なに》ほど|縁談《えんだん》を|申込《まをしこ》んでも、|此方《こちら》の|方《はう》から|真平《まつぴら》|御免《ごめん》だ、|肱鉄《ひぢてつ》だ。この|広《ひろ》い|幽冥《いうめい》|世界《せかい》に|貴様《きさま》の|女房《にようばう》になる|奴《やつ》は、|半人《はんにん》でも|四半人《しはんにん》でも|在《あ》ると|思《おも》ふか、|余《あんま》り|自惚《うぬぼれ》するない、|罪悪《ざいあく》に|満《み》ちた|娑婆《しやば》でさへも、|愛想《あいさう》をつかされた|結果《けつくわ》、コンナ|結構《けつこう》な|地獄《ぢごく》に|出《で》て|来《き》よつて、|女房《にようばう》ぢやの、ヘツたくれぢやのと、|何《なに》を|劫託《がふたく》|云《い》ふのぢや、|此処《ここ》に|釘《くぎ》|抜《ぬ》きがあるから、|舌《した》でも|抜《ぬ》いてやらうかい』
|弥《や》『コラ|古婆《ふるばば》、それや|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ、|貴様《きさま》は|世間《せけん》|見《み》ずだから、ソンナ|馬鹿《ばか》な|事《こと》を|言《い》ふのだ。|廿四世紀《にじふしせいき》の|今日《こんにち》に、|原始《げんし》|時代《じだい》のやうな、|古《ふる》い|頭《あたま》を|持《も》つてゐるから|判《わか》らぬのだ、|今日《こんにち》の|娑婆《しやば》を|何《なん》と|考《かんが》へて|居《ゐ》る、|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|完成《くわんせい》|時代《じだい》だ。|中空《ちうくう》を|翔《か》ける|飛行機《ひかうき》|飛行船《ひかうせん》はすでに|廃物《はいぶつ》となり、|天《あま》の|羽衣《はごろも》と|云《い》ふ|精巧《せいかう》|無比《むひ》の|機械《きかい》が|発明《はつめい》され、|汽車《きしや》は|宙《ちう》を|走《はし》つて|一時間《いちじかん》に|五百《ごひやく》|哩《マイル》といふ|速力《そくりよく》だ、|蓮華《れんげ》の|花《はな》は|所《ところ》|狭《せま》きまで|咲《さ》き|乱《みだ》れ、|何《なん》ともかとも|知《し》れない|黄金《わうごん》|世界《せかい》が|現出《げんしゆつ》して|居《を》るのだ。それに|貴様《きさま》は|開闢《かいびやく》の|昔《むかし》から|涎掛《よだれかけ》を|沢山《たくさん》|首《くび》にかけて|道端《みちばた》にチヨコナンと、|番卒《ばんそつ》の|役《やく》を|勤《つと》めて|居《を》る|奴《やつ》の|様《やう》に、コンナ【ちつぽけ】な|雪隠《せんち》|小屋《ごや》に|焦附《こげつ》きよつて、|娑婆《しやば》が|何《ど》うだの|斯《こ》うだのと|云《い》ふ|資格《しかく》があるか、|廿四世紀《にじふしせいき》の|兄《にい》サンだぞ』
|婆《ばば》『さうかいやい、それほど|娑婆《しやば》が|結構《けつこう》なら、なぜ|娑婆《しやば》に|居《を》つて|苦業《くげふ》をせぬのかい、ナンボ|開《ひら》けたと|言《い》つても、|日輪様《にちりんさま》が|二《ふた》つも|三《みつ》つも|出《で》てをる|筈《はず》もなからう、|何時《いつ》も|何時《いつ》も|満月《まんげつ》|許《ばか》りと|云《い》ふ|訳《わけ》にも|行《ゆ》くまい、|五十六億《ごじふろくおく》|七千万年《しちせんまんねん》の|昔《むかし》から|変《かは》らぬものは|誠《まこと》|許《ばか》りだ。どうだ|貴様《きさま》は|物質的《ぶつしつてき》の|慾望《よくばう》とか、|文明《ぶんめい》とか|云《い》ふ|奴《やつ》に|眩惑《げんわく》されよつて、|視力《しりよく》を|失《うしな》つたのだらう、|資力《しりよく》がなくては|娑婆《しやば》に|居《を》つたとて、|会社《くわいしや》の|一《ひと》つも|立《た》ちはせぬぞ、|株券《かぶけん》|買《か》ふと|云《い》つたつて、|株《かぶ》の|一枚《いちまい》も|買《か》へはしまい、|貴様《きさま》は|二十四世紀《にじふしせいき》だと|云《い》ふて|威張《ゐば》つて|居《を》るが、|十五万年《じふごまんねん》ほど|昔《むかし》の|過去《くわこ》となつて|居《を》るのが|分《わか》らないか、|今《いま》は|一万《いちまん》|八千世紀《はつせんせいき》だぞ、|古《ふる》い|奴《やつ》だなア』
|弥《や》『オイ|婆《ば》アサン、|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|呉《く》れ、|俺《おれ》は|紀元前《きげんぜん》|五十万年《ごじふまんねん》の|昔《むかし》に、|娑婆《しやば》に|現《あら》はれて|大活動《だいくわつどう》を|続《つづ》け、【つい】たつた|今《いま》、|小鹿峠《こしかたうげ》を|宣伝歌《せんでんか》を|謳《うた》つて|通《とほ》つた|様《やう》に|思《おも》ふが、|何《なん》だ、それから|十万年《じふまんねん》も|暮《く》れたとは、|一寸《ちよつと》|合点《がつてん》が|行《ゆ》かぬワイ』
|婆《ばば》『|光陰《くわういん》は|矢《や》の|如《ごと》しだと、|十八世紀《じふはつせいき》の|豆人間《まめにんげん》が|吐《ほざ》き|居《を》つたが、|光陰《くわういん》の|立《た》つのはソンナ|遅《おそ》いものぢやない、ヂヤイロコンパスが|一分間《いつぷんかん》に|八千《はつせん》|回転《くわいてん》を|廻《まは》る|様《やう》に、|世《よ》の|中《なか》は|貴様《きさま》の|様《やう》な|分《わか》らぬ|奴《やつ》には|頓着《とんちやく》なしに、ドシドシと|進行《しんかう》して|行《ゆ》くのだ。|貴様《きさま》も|罪《つみ》の|決算期《けつさんき》が|来《く》るまで、まア|一度《いちど》|娑婆《しやば》へ|帰《かへ》つて、|苦労《くらう》をして|来《く》るが|可《よ》からうぞ。|一時《いつとき》でも|早《はや》く|帰《かへ》つて|民衆《みんしう》|運動《うんどう》でもやつて、ポリスの|御厄介《ごやくかい》にでもなつて|来《こ》い、さうせないと|貴様《きさま》の|罪《つみ》は|重《おも》いから、この|三途《せうづ》の|川《かは》を|渡《わた》るが|最後《さいご》|石仏《いしぼとけ》を|放《はう》り|込《こ》んだ|様《やう》にブルブルとも|何《なん》とも|言《い》はずに|寂滅為楽《じやくめつゐらく》だよ』
|弥《や》『オツト|待《ま》つた、|一旦《いつたん》|亡者《まうじや》になつたものが、また|川《かは》へはまつて、|寂滅為楽《じやくめつゐらく》と|云《い》ふ|事《こと》があつてたまるかい、|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|婆《ばば》だなア』
|婆《ばば》『|貴様《きさま》は|分《わか》らぬ|訳《わけ》だ、|娑婆《しやば》の|奴《やつ》は|二重《にぢう》|転売《てんばい》と|吐《ぬ》かして、|一遍《いつぺん》|売《う》りよつて|二度《にど》|売《う》つたり|仕様《しやう》もない|六〇六《ろくぴやくろく》|号《がう》の|御厄介《ごやくかい》にならねばならぬ|様《やう》な|腐《くさ》れ|女《をんな》に、|涎《よだれ》を|垂《た》らしながら|揚句《あげく》の|果《は》てには|二次会《にじくわい》とか|三次会《さんじくわい》とか|吐《ぬ》かして|騒《さわ》ぐぢやないか。それさへあるに|一夫一婦《いつぷいつぷ》の|天則《てんそく》を|破《やぶ》り、|第一《だいいち》|夫人《ふじん》|第二《だいに》|夫人《ふじん》だの、|第一《だいいち》|妾宅《せふたく》だの|第二《だいに》|第三《だいさん》、|何々《なになに》|妾宅《せふたく》だのと|洒落《しやれ》よつて、|体主霊従《たいしゆれいじう》のありつ|丈《た》けを|尽《つく》して|居《ゐ》る|虫《むし》けらの|如《や》うな|人間《にんげん》|許《ばか》りだらう。|現界《げんかい》の|事《こと》は|直《ただち》に|幽界《いうかい》に|写《うつ》るのだ、|一遍《いつぺん》|死《し》んだ|位《くらゐ》ぢや|死太《しぶと》い|身魂《みたま》が、|仲々《なかなか》|改心《かいしん》いたさぬから|今《いま》|一遍《いつぺん》|出直《でなほ》し、それでも|改心《かいしん》せずば|三遍《さんぺん》|四遍《しへん》と|何遍《なんべん》でも|焼《や》き|滅《ほろぼ》すのだ。|貴様《きさま》は|娑婆《しやば》で|廿世紀《にじつせいき》|頃《ごろ》に|始《はじ》まつた|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》を|聞《き》いてゐるだらう、|改心《かいしん》をいたさねば|何遍《なんべん》でも、|身魂《みたま》を|焼《や》いて|遣《や》るぞよと|云《い》ふことがあるだらう、|今《いま》の|娑婆《しやば》の|奴《やつ》は|一度《いちど》|死《し》んだら、|二度《にど》は|死《し》なないと、|多寡《たくわ》をくくつて|居《ゐ》やがるが、|一度《いちど》あつた|事《こと》は、|二度《にど》も|三度《さんど》もあるものだぞ、|何遍《なんべん》でも|死《し》なねばならないぞ』
|弥《や》『ヤア、|文明《ぶんめい》の|風《かぜ》がコンナ|所《ところ》まで|吹《ふ》いて|来《き》よつて、|婆《ばば》の|奴《やつ》この|前《まへ》に|旅行《りよかう》した|時《とき》とは、よほど|娑婆気《しやばけ》のある|事《こと》を|吐《ぬ》かしよる、かうして|見《み》ると|時代《じだい》の|力《ちから》は|偉《えら》いものだ、|幽界《いうかい》までも|支配《しはい》すると|見《み》えるワイ』
|婆《ばば》『それや|何《なに》を|幽界《いうかい》、|貴様《きさま》は|小鹿峠《こしかたうげ》を|通《とほ》る|時《とき》に、|一方《いつぱう》の|男《をとこ》の|間抜面《まぬけづら》を|見込《みこ》んで、|肩《かた》を|組《く》み|合《あは》せ、|屁《へ》の|如《や》うな|風《かぜ》に|吹《ふ》き|散《ち》らされよつて、|冥土《めいど》の|道連《みちづ》れに|勝公《かつこう》を|幽界《いうかい》に|誘拐《いうかい》して|来《き》よつた|奴《やつ》だ、|愚図々々《ぐづぐづ》ぬかさずと、もう|一遍《いつぺん》|甦生《よみがへ》りて|一苦労《ひとくらう》して|来《こ》い。まだまだ|地獄《ぢごく》に|出《で》て|来《く》る|丈《だ》け|資格《しかく》が|具備《ぐび》して|居《ゐ》ないワ、|孰《いづ》れ|一度《いちど》や|二度《にど》はこの|川《かは》を|渡《わた》る|丈《だ》けの|権利《けんり》は、|登記簿《とうきぼ》にチヤンと|附《つ》けて、|確《たしか》に|保留《ほりう》して|置《お》いてやるワ、どうだ|嬉《うれ》しいか』
|弥《や》『エヽ、ツベコベと|能《よ》う|吐《ぬ》かす|婆《ばば》ぢやないか、|碌《ろく》な|事《こと》は|一寸《ちよつと》も|言《い》ひよらぬワイ。|道理《だうり》ぢや、|老婆心《らうばしん》で|吐《ぬ》かすことだから、これもあまり|誅究《ちうきう》するのは|可愛想《かあいさう》だ。オイオイ|勝公《かつこう》、|貴様《きさま》は|何故《なぜ》|沈黙《ちんもく》を|守《まも》つて|居《ゐ》るのだ、チツト|位《くらゐ》|砲門《はうもん》を|開《ひら》いて|砲撃《はうげき》をやつたらどうだい、|敵《てき》は|間近《まぢか》く|押寄《おしよ》せたりだ、なにほど|堅牢《けんらう》な|船《ふね》だと|云《い》つたつて|艦齢《かんれい》の|過《す》ぎた|老朽艦《らうきうかん》のしかもたつた|一隻《いつせき》だよ』
|勝《かつ》『オイ|弥次公《やじこう》、|場所柄《ばしよがら》を|弁《わきま》へぬかい、|何《なん》と|云《い》ふたつて|此処《ここ》へ|来《き》たらお|婆《ばあ》サンの|勢力《せいりよく》|範囲《はんゐ》だ、|従順《じゆうじゆん》に|服従《ふくじゆう》するより|仕方《しかた》がないじやないか、|魚心《うをごころ》あれば|水心《みづごころ》だ、なアお|婆《ば》アサン、なんぼ|悪道《あくだう》なお|役《やく》だと|言《い》つても|矢張《やつぱり》|血《ち》もあり|涙《なみだ》もあるだらう、この|弥次公《やじこう》は|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り|生《うま》れつきの|弥次的《やじてき》|一片《いつぺん》の|男《をとこ》ですから、お|気《き》にさえられず|神直日《かむなほひ》、|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》して、|許《ゆる》してやつて|下《くだ》さいませ』
|婆《ばば》『|何《なん》と|云《い》つてもこの|男《をとこ》はこれだから………|今度《こんど》から、|先《さき》の|地獄《ぢごく》にやりたいのだけれども、|閻魔《えんま》サマから、|何《なん》の|為《た》めに|貴様《きさま》は、|川番《かはばん》をして|居《を》つたのぢや、コンナ【ヤンチヤ】を|通過《つうくわ》さすと|云《い》ふ|事《こと》があるものか、|何《なん》で|娑婆《しやば》へ|追返《おひかへ》さないのかと、|免職《めんしよく》を|喰《くら》ふか|分《わか》らない。サヽ|一時《いちじ》も|早《はや》く|尻《しり》|引《ひ》つからげて|足許《あしもと》の|明《あか》るい|内《うち》にいんだりいんだり』
|弥《や》『アハヽヽヽ、とうとう|婆《ばば》の|奴《やつ》、|本音《ほんね》を|吹《ふ》きよつたな、ヤア|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、エーこの|三途《せうづ》の|川《かは》を【ばサン】ばサンと|向《むか》ふに|渡《わた》つて、|青《あを》|黒《くろ》|白《しろ》|赤《あか》と|種々雑多《しゆじゆざつた》の|鬼《おに》|共《ども》を、|片《かた》つ|端《ぱし》から|鷲掴《わしづかみ》、|香物桶《かうものをけ》の|中《なか》にブチ|込《こ》んで、|上《うへ》からグツと|千引岩《ちびきいは》の【おもし】をかけ|味噌漬《みそづけ》にして、|朝夕《あさゆふ》の|副食物《ふくしよくぶつ》にしてやるのだ、|娑婆《しやば》に|居《ゐ》たつて|堅《かた》パンを|一《ひと》つか|三《みつ》つばかりパクついて、|甘《うま》いの|味《あぢ》ないのと|言《い》ふて|居《を》るよりも、|温《ぬ》く|温《ぬ》くの|鬼味噌漬《おにみそづけ》だ、|稀代《きたい》の|珍味《ちんみ》|佳肴《かかう》だ、|吾々《われわれ》の|前途《ぜんと》は|有望《いうばう》だ、オツトドツコイ|幽霊《いうれい》だ、サアババサン|緩《ゆる》りと、|水《みづ》の|流《なが》れを|見《み》て|暮《くら》シヤンセ、|人間《にんげん》は|老少《らうせう》|不定《ふぢやう》だ、|必《かなら》ず|達者《たつしや》にして|暮《くら》せよ、アハヽヽヽヽ』
|婆《ばば》『エーエ|八釜敷《やかまし》いワイ、|渡《わた》ろと|云《い》ふたつて|渡《わた》しては|遣《や》らないぞ』
|弥《や》『|何《なに》、|渡《わた》さむと|仰有《おつしや》つても|渡《わた》しは|渡《わた》しの|考《かんが》へで|此《この》|渡《わた》しを|渡《わた》つて|見《み》せますワイ、|渡《わた》しの|御神徳《ごしんとく》を|川《かは》の|端《はた》から|指《ゆび》を|食《くわ》へて|見《み》て|居《ゐ》て|下《くだ》さいや、お|婆《ば》アサン|左様《さやう》なら』
|婆《ばば》『オツト|待《ま》つた|待《ま》つた、|待《ま》てと|申《まを》せば|待《ま》つたが|好《よ》からうぞ』
|弥《や》『|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだい、|春先《はるさき》になるとそろそろ|逆上《ぎやくじやう》しよつて、|三途《せうづ》の|川《かは》の|婆《ばば》|奴《め》、|三途《せうづ》のない|奴《やつ》だ、|然《しか》しながら|此《この》|川《かは》は|大変《たいへん》|濁《にご》つて|居《を》るぢやないか、この|前《まへ》に|旅行《りよかう》した|時《とき》とは|天地《てんち》の|相違《さうゐ》だ』
|婆《ばば》『|定《きま》つた|事《こと》よ、|娑婆《しやば》の|奴《やつ》が|毎日《まいにち》、|日《ひ》にち|汚《きたな》い|事《こと》ばつかりしやがつて、|結構《けつこう》な|水神《すゐじん》の|御守護《ごしゆご》|遊《あそ》ばす|溝川《みぞがは》へ、|糞滓《くそかす》、|小便《せうべん》を|垂流《たれなが》して、|一等《いつとう》|旅館《りよくわん》だの、|特等《とくとう》|旅館《りよくわん》だとか|吐《ほざ》いて、そこら|中《ぢう》を|糞《くそ》まぶれに|汚《よご》すなり、サツカリンの|這入《はい》つた|腐《くさ》つた|酒《さけ》を、ガブガブ|飲《の》みよつて|肺臓《はいざう》を|痛《いた》め、そこら|中《ぢう》に|血《ち》を|吐《は》き|散《ち》らすものだから、|雨《あめ》が|降《ふ》る|度《たび》に|皆《みな》この|三途《せうづ》の|川《かは》に|流《なが》れ|込《こ》むのだ、それだからこの|通《とほ》り|川《かは》が|濁《にご》つてしもうのだ、この|川《かは》の|中《なか》には|貴様《きさま》の|糞《くそ》も|小便《せうべん》も|交《まじ》つて|居《ゐ》るワイ、|一杯《いつぱい》|喉《のど》が|乾《かわ》いたら|飲《の》んだらどうだい』
|弥《や》『|何《なに》を|吐《ぬ》かしよるのだ、コンナ|物《もの》が|飲《の》めるかいやい、ソンナ|事《こと》を|聞《き》くとこの|川《かは》を|渡《わた》るのが|嫌《いや》になつて|来《き》た、|婆《ばば》の|云《い》ふ|通《とほり》イヤだけど、|再《ふたた》び|娑婆《しやば》へ|引返《ひきかへ》さうかな』
|婆《ばば》『お|前達《まへたち》は|糞《くそ》や|小便《せうべん》や|血《ち》や|啖《たん》のこの|川《かは》が|汚《きたな》いのか、お|前《まへ》の|身体《からだ》は|何《なに》だ、|糞《くそ》よりも|小便《せうべん》よりも、|鼻啖《はなたん》よりも、もつと|穢苦《むさくる》しいぞ、|糞《くそ》の|身体《からだ》が|糞水《くそみづ》に|浸《つか》つて|糞水《くそみづ》を|飲《の》むのが、それが、|何《なに》が|汚《きたな》いのぢや、|共飲《ともの》みぢや|遠慮《ゑんりよ》はいらぬ、|貴様《きさま》の|物《もの》を、|貴様《きさま》が|飲《の》むのぢやないかい』
|弥《や》『これは|怪《け》しからぬ、|共食《ともぐひ》|共飲《ともの》みとは|天地《てんち》の|神様《かみさま》に|大違反《だいゐはん》の|罪悪《ざいあく》だ、|人《ひと》が|人《ひと》を|喰《く》ひ、|猫《ねこ》が|猫《ねこ》を|食《く》ふと|云《い》ふ|事《こと》があつて|耐《たま》らうかい』
|婆《ばば》『|吐《ぬ》かすな|吐《ぬ》かすな、|貴様《きさま》は|親《おや》の|脛《すね》を|噛《か》ぢつて|食《く》い|足《た》らないで、|山《やま》を|飲《の》み|家《いへ》を|飲《の》み、まだ|喰《く》ひ|足《た》らずに|蔵《くら》を|喰《く》ひよつて、|揚句《あげく》の|果《はて》には|可愛《かあい》い|子《こ》まで|鬼《おに》の|様《やう》に|売《う》つて|喰《く》ふて、それでもまだ|足《た》らいで|友達《ともだち》を|食《く》ひ、|世間《せけん》のおとなしい|人間《にんげん》の|汗《あせ》や|脂《あぶら》を|搾《しぼ》つて|舐《ね》ぶり、|餓鬼《がき》のやうな|奴《やつ》ぢや、|余《あんま》り|大《おほ》きい|顔《かほ》して|頬《ほほ》げたを|叩《たた》くものぢやないぞ』
|弥《や》『ヤアこの|婆《ばば》|仲々《なかなか》ヒラけてゐよるワイ、|一寸《ちよつと》|談《はな》せる|奴《やつ》だ』
|勝《かつ》『|定《きま》つた|事《こと》よ、|毎日《まいにち》|日《ひ》にち|世界中《せかいぢう》のいはゆる|文明《ぶんめい》|亡者《まうじや》が、|此処《ここ》を|通過《つうくわ》するのだから、|門前《もんぜん》の|雀《すずめ》|経《きやう》を|読《よ》むとか|云《い》ふてな、|聞《き》き|覚《おぼ》え|見覚《みおぼ》えて|居《ゐ》るのだ、|貴様《きさま》は|小学校《せうがくかう》|出《で》、|俺《おれ》は|赤門《あかもん》|出《で》のチヤーチヤー|大先生《だいせんせい》だと|吹《ふ》きよつたが、このお|婆《ば》アサンは|赤門《あかもん》どころか、よつぽど|黒門《くろもん》だ。|早稲田《わせだ》|大学《だいがく》|出身《しゆつしん》の|大《だい》|博士《はかせ》だ、|洋行《やうかう》|婆《ば》アサンだぞ、うつかりして|居《ゐ》ると|赤門《あかもん》|先生《せんせい》|赤恥《あかはぢ》を|掻《か》いてアフンと|致《いた》さねばならぬぞよ』
|弥《や》『コラ、カカ|勝公《かつこう》、|横槍《よこやり》を|入《い》れない、|尋常《じんじやう》|学校《がくかう》の|落第生《らくだいせい》|奴《め》が』
|勝《かつ》『|今《いま》の|学校《がくかう》を|卒業《そつげふ》したつて|何《なに》になるのだ、|碌《ろく》でもない|事《こと》ばつかり|教《をし》へられよつて、|尋常《じんじやう》の|間《あひだ》が|本当《ほんたう》の|教育《けういく》だ、それ|以上《いじやう》になると|薩張《さつぱ》り|四足《よつあし》|身魂《みたま》の|教育《けういく》だ、|余《あんま》り|学者《がくしや》|振《ぶ》るな、|学者《がくしや》の|覇《は》の|利《き》いた|時代《じだい》は|廿世紀《にじつせいき》の|初頭《しよとう》だ、|二十四世紀《にじふしせいき》になつて|居《ゐ》るのに|学《がく》のナンノと、|学《がく》が|聞《き》いてあきれるワ』
|弥《や》『それでも|矢張《やは》り|形式《けいしき》を|踏《ふ》まねば、ナンボ|二十四世紀《にじふしせいき》だとてあまり|買手《かひて》がないぞ、|赤門《あかもん》|出《で》と|云《い》へば【アカンモン】でも|威張《ゐば》つて|直《すぐ》に|買手《かひて》が|付《つ》くし、|卒業《そつげふ》|早々《さうさう》|立派《りつぱ》な|会社《くわいしや》の|予約《よやく》|済《ず》みに|成《な》れるのだ』
勝『まるで|人間《にんげん》を|貨物《くわもつ》と|間違《まちが》へてゐる|世《よ》の|中《なか》だから|仕方《しかた》がないワイ、|時世《ときよ》|時節《じせつ》の|力《ちから》には|神《かみ》もかなはぬと|仰有《おつしや》るのだから、|俺《おれ》も|時勢《じせい》に|逆行《ぎやくかう》する|様《やう》な、|馬鹿《ばか》でないからまア|一寸《ちよつと》|此処《ここ》らで|切上《きりあ》げて|置《お》かうかい。なア|赤門《あかもん》|先生《せんせい》』
|弥《や》『|何《なん》と|云《い》つたつて|赤門《あかもん》|出《で》は|貨物《くわもつ》だらうが、|物品《ぶつぴん》だらうが、|価《あたひ》が|好《よ》いから、|仕様《しやう》がないワ、この|婆《ば》アサンのやうに|何程《なんぼ》|大学《だいがく》を|卒業《そつげふ》したつて、|黒門《くろもん》(|苦労者《くらうもん》)|出《で》で|何《なん》ぼ|立派《りつぱ》でも|使《つか》ひ|手《て》がないのだ、それだから【カンカ】|不遇《ふぐう》で|何時《いつ》も|川端柳《かはばたやなぎ》を|見《み》てクヨクヨと、|脱衣婆《だついばば》の|境遇《きやうぐう》に|甘《あま》んぜねばならないのだよ。アヽ|私《わし》はどうして|赤門《あかもん》に|這入《はい》らなかつたらう、|鈍《どん》な【アカンモン】でも|赤門《あかもん》|出《で》なれば【ドント】|出世《しゆつせ》は|出来《でき》るが、|私《わし》は|又《また》どうして|黒門《くろもん》(|苦労者《くらうもん》)になつただらうといくら|悔《くや》んでも|後《あと》の|祭《まつ》りだ、|何時《いつ》の|世《よ》にも|蔓《つる》と|云《い》ふものをたぐらねば|出世《しゆつせ》は|出来《でき》はしないぞ。あの|芋《いも》を|見《み》よ、|蔓《つる》にぶら|下《さが》つてなつて|居《ゐ》るのぢや、それだから|游泳術《いうえいじゆつ》の|上手《じやうず》な|奴《やつ》をみんな|芋蔓《いもづる》と|云《い》ふのだよ』
|勝《かつ》『エヽ|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を|云《い》ふな、まるで|薩摩《さつま》の|芋屁《いもぺ》でも|放《ひ》つた|様《やう》な|臭《くさ》い|臭《くさ》い|理窟《りくつ》を|伸《の》べよつて|鼻《はな》|持《も》ちがならぬワイ。ヤアお|婆《ば》アサン、|長《なが》らく|御面倒《ごめんだう》いたしました、|末長《すゑなが》う|宜《よろ》しうお|頼《たの》み|申《まを》します、オツトドツコイ|三途《せうづ》の|川《かは》のお|婆《ば》アサンにお|頼《たの》みするやうでは、|六《ろく》な|事《こと》ぢやない、|末長《すゑなが》うお|頼《たの》み|申《まを》しませぬワ、アハヽヽヽ』
|婆《ばば》『ア、さうださうだ、|私《わし》の|厄介《やくかい》になるやうな|奴《やつ》は、どうで|碌《ろく》な|奴《やつ》ぢやないワ、それよりもお|前《まへ》の|連《つれ》の|与太《よた》や|六《ろく》が|心配《しんぱい》をして|目《め》を|爛《ただ》らして|探《さが》して|居《ゐ》る。|早《はや》く|帰《かへ》つてやりなさいよ』
|弥《や》『オーさうだつた、ウツカリ|婆《ば》アサンとの|外交《ぐわいかう》|談判《だんぱん》に|貴重《きちよう》な|光陰《くわういん》を|夢中《むちう》になつて|消費《せうひ》して|居《を》つたものだから、|二人《ふたり》の|奴《やつ》、|俺《おれ》の|記憶《きおく》から|消滅《せうめつ》して|仕舞《しま》つて|居《を》つた、|消滅《せうめつ》|地獄《ぢごく》に|落《お》ちたやうだ。|今頃《いまごろ》はさぞ|心身《しんみ》を|焦《こ》がして|居《ゐ》るであらう|程《ほど》に、もうしもうし|勝五郎《かつごろう》サンエ、|勝《かつ》チヤンえ、|此処《ここ》らあたりは|山家《やまが》|故《ゆゑ》、オツトドツコイ|川《かは》べり|故《ゆゑ》、|嘸《さぞ》|寒《さむ》かつたで|御座《ござ》んしようなア』
|勝《かつ》『オイしつかりせぬかい、|此処《ここ》は|箱根山《はこねやま》ぢやないぞ、|俺《おれ》を|躄《いざり》と|間違《まちが》へて|貰《もら》つては|迷惑《めいわく》|千万《せんばん》だ』
|婆《ばば》『ヤレこの|障子《しやうじ》|開《あ》けまいぞ|開《あ》けまいぞ、そも|三浦《みうら》が|帰《かへ》りしとは|坂本《さかもと》の|城《しろ》に|帰《かへ》りしか、よも|此処《ここ》へのめのめと|迷《まよ》ふて|出《で》て|来《く》る|弥次彦《やじひこ》ぢやあるまい、そりや|人違《ひとちが》ひ、|若《も》し|又《また》それが|諚《ぢやう》なれば、コーカス|山《ざん》、アーメニヤ|分《わ》け|目《め》の|大事《だいじ》の|戦《たたか》ひに|参加《さんか》もせずに|戻《もど》つて|来《く》る|不届者《ふとどきもの》この|茅屋根《あばらやね》の|家《うち》は|婆《ばば》が|城廓《じやうくわく》、その|臆《おく》れた|魂《たましひ》でこの|藁戸《わらと》|一重《ひとへ》|破《やぶ》らるるならサヽヽ|破《やぶ》つて|見《み》よと』
|弥《や》『|百筋千筋《ももすぢちすぢ》の|理《り》を|分《わ》けて、|引《ひ》つかづいたる【あばらや】の|内《うち》、チヤンチヤンぢや』
|勝《かつ》『ハハアそのお|言葉《ことば》を|忘《わす》れねばこそ、|故郷《こきやう》を|出《いで》て|今日《けふ》まで|一度《いちど》の|便《たよ》りも|致《いた》さねど、お|命《いのち》も|危《あやふ》しと|聞《き》くより|風《かぜ》に|吹《ふ》き|飛《と》ばされ、|玉《たま》は|碎《くだ》け|胸《むね》は|痛《いた》み、|眼《まなこ》|眩《くら》んで|三五《あななひ》の|道《みち》を|忘《わす》れし|不調法《ぶてうはふ》、|真平《まつぴら》|御免《ごめん》|下《くだ》されかし、いで|戦場《せんぢやう》へ|駆向《かけむか》ひ、|華々《はなばな》しき|功名《こうみやう》して、コーカス|山《ざん》におつつけ|凱陣《がいぢん》|仕《つかまつ》らむ』
|弥《や》『アハヽヽヽヽヽ』
|婆《ばば》『オホヽヽヽヽ、もう|御《お》【しばい】だよ』
(大正一一・三・二四 旧二・二六 谷村真友録)
第九章 |空中滑走《くうちうくわつそう》〔五五九〕
さしも|烈《はげ》しき|山颪《やまおろし》 |嵐《あらし》の|後《あと》の|静《しづ》けさと
|天地《てんち》は|茲《ここ》に|治《をさ》まれど まだ|治《をさ》まらぬ|胸《むね》の|中《うち》
|与太彦《よたひこ》、|六公《ろくこう》の|両人《りやうにん》は |小鹿峠《こしかたうげ》の|谷々《たにだに》を
|木《こ》の|葉《は》を|分《わ》けて|探《さが》せども |梢《こづゑ》は|暗《くら》く|下柴《したしば》の
|茂《しげ》り|茂《しげ》りて|道《みち》もなく |遂《つひ》にその|日《ひ》も|暮《く》れにけり
|時《とき》しもあれや|東天《とうてん》に |雲《くも》|押《お》し|分《わ》けて|昇《のぼ》り|来《く》る
|月《つき》の|光《ひかり》に|照《て》らされて |四辺《あたり》|明《あか》るくなりければ
|二人《ふたり》は|声《こゑ》を|限《かぎ》りに
『オーイ、オーイ、|弥次公《やじこう》ヤーイ、|勝公《かつこう》ヤーイ』
と|叫《さけ》ぶ|声《こゑ》も|遂《つひ》に|嗄《か》れ|果《は》てて、|今《いま》は|心《こころ》も|皺《しわ》がれの、|声《こゑ》も|無《な》ければ|音《おと》もなき、
|二人《ふたり》の|友《とも》が|消息《せうそく》を |右往左往《うわうさわう》に|踏《ふ》み|迷《まよ》ひ
|尋《たづ》ね|行《ゆ》くこそ|哀《あは》れなれ。
|与太公《よたこう》、|六公《ろくこう》の|二人《ふたり》は|老樹《らうじゆ》|鬱蒼《うつさう》として|昼《ひる》なほ|暗《くら》き|谷間《たにま》に|辿《たど》り|着《つ》いた。
|与《よ》『オイ|六公《ろくこう》、|是《これ》|丈《だ》け|尋《たづ》ねても|見当《みあた》らないのだから、もう|断念《だんねん》するより|仕方《しかた》があるまいなア』
|六《ろく》『|是《これ》ほど|広《ひろ》い|山《やま》の|中《なか》を、|人間《にんげん》の|一人《ひとり》や|二人《ふたり》が|一日《いちにち》|二日《ふつか》|探《さが》して|見《み》た|処《ところ》が|駄目《だめ》だなア。|然《しか》し|乍《なが》らみすみす|友《とも》の|災難《さいなん》を|見捨《みす》てて|帰《かへ》る|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|吾々《われわれ》は|息《いき》の|続《つづ》く|限《かぎ》り、|所在《ありか》をつき|留《と》めて、せめては|死骸《しがい》なりと|厚《あつ》く|葬《ほうむ》つてやり|度《た》いものだ』
|与《よ》『これ|丈《だ》け|尋《たづ》ねて、|生《い》きて|居《を》つて|呉《く》れれば|結構《けつこう》だが、|不幸《ふかう》にして、|弥次《やじ》、|勝《かつ》の|両人《りやうにん》、|敢《あへ》なき|最後《さいご》の|幕《まく》を|降《おろ》し、|死骸《しがい》となつて|横《よこた》はつて|居《ゐ》るとすれば、|本当《ほんたう》にそれこそ|世話《せわ》の【しがひ】が|無《な》いワ』
|六《ろく》『|与太《よた》サン、ソンナ|与太《よた》を|云《い》つてる|処《どころ》か、|本真剣《ほんしんけん》になつて|下《くだ》さいな』
|与《よ》『|真剣《しんけん》とも|真剣《しんけん》とも|本真剣《ほんしんけん》だが、|余《あま》り|疲《つか》れたので|足《あし》がヨタヨタ、|与太《よた》サンだよ』
|六《ろく》『あれ|丈《だ》け|呼《よ》んでも、ウンともスンとも|答《こたへ》が|無《な》いのだから|困《こま》つたものだ。|余《あま》り|偉《えら》い|風《かぜ》に|吹《ふ》き|付《つ》けられて、|弥次《やじ》、|勝《かつ》の|両人《りやうにん》は、|鼓膜《こまく》を|破《やぶ》られて、|吾々《われわれ》のこの|友情《いうじやう》の|籠《こも》つた|悲哀的《ひあいてき》|声調《せいてう》が|耳《みみ》に|徹《てつ》しないのだらうか』
|与《よ》『|何《なに》、あれ|位《くらゐ》の|風《かぜ》に、|耳《みみ》の|鼓膜《こまく》が|破《やぶ》れるものか、|繹《こと》の|糸《いと》が|切《き》れたのだよ。【|綽《こと》】|切《き》れたに|間違《まちが》ひない、|困《こま》つた【|事《こと》】だワイ。【こと】に|草深《くさぶか》い|山中《さんちう》の【|事《こと》】といひ、|捜索《そうさく》するのも、【|殊《こと》】の|外《ほか》、|骨《ほね》の|折《を》れる【|事《こと》】だ。|是《これ》ほど|呼《よ》んでも|叫《さけ》んでも、【コト】ツとも|云《い》はぬのは、どうしたものだイ。この|谷《たに》のあらむ|限《かぎ》り|悉《【こと】ごと》く、【|言《こと》】|霊《たま》の|発射《はつしや》をやつて|見《み》やうと|思《おも》へど、どうした【|事《こと》】か、|声《こゑ》は|嗄《か》れ、|貴重《きちよう》な【|言《こと》】|霊《たま》は|忽《たちま》ち|停電《ていでん》と|来《き》たものだから、|仕様《しやう》【|事《こと》】はない、|道中《だうちう》で|二人《ふたり》の|友達《ともだち》を|紛失《ふんしつ》|致《いた》しましたと|云《い》つて、|日《ひ》の|出別《でわけ》の|神様《かみさま》にどう|断《【こと】わ》りが|立《た》つものか。アヽ|困《こま》つた【|事《こと》】だ、コンナ【|事《こと》】と|知《し》つたなら|随《つ》いて|来《く》るのぢや|無《な》かつたにと|云《い》つて、|慰藉《ゐしや》|晴《ば》らし|愚痴《ぐち》の|繰《くり》【|言《ごと》】|繰《く》り|返《かへ》し、|呼《よ》べど|叫《さけ》べど|死《し》んだ|人《ひと》は、|開闢《かいびやく》|以来《いらい》|帰《かへ》つたと|云《い》ふ【|事《こと》】はまだ|一度《いちど》も|聞《き》いた【|事《こと》】がないワイ』
|六《ろく》『|与太公《よたこう》、アヽお|前《まへ》はよう【こと】ことと|云《い》ふ|男《をとこ》だナア、|生死《せいし》|不明《ふめい》の|両人《りやうにん》を|捉《つかま》へて、お|前《まへ》は|最早《もはや》|死《し》んだ|者《もの》と|覚悟《かくご》を|決《き》めて|居《ゐ》るのか』
|与《よ》『|耳《みみ》も|聞《きこ》えず、|物《もの》も|言《い》へない|奴《やつ》は|死《し》んだ|者《もの》だ。アヽ|六日《むゆか》の|菖蒲《あやめ》、|十日《とをか》の|菊《きく》だ、|悔《くや》んで|返《かへ》らぬ【|事《こと》】|乍《なが》ら、|恋《こひ》しい|弥次《やじ》サン|勝《かつ》サンは、|何処《どこ》にどうして|御座《ござ》るやら、お|前《まへ》は|情《つれ》ない|情《なさけ》ない、|都合《つがふ》|四人《よにん》の|道連《みちづ》れが、|半死半生《はんしはんしやう》の|目《め》に|合《あ》ふて、どうして|之《これ》が|泣《な》かずに|居《を》られうか。アヽ|私《わたし》も|一所《いつしよ》に|殺《ころ》して|下《くだ》さんせ、|死《し》に|度《た》いわいなと|許《ばか》りにて、|命《いのち》|惜《をし》まぬ|武家《ぶけ》|育《そだ》ち、シヤンシヤンシヤンか』
|六《ろく》『エヽ|与太公《よたこう》、ヨタを|云《い》ふにも|程《ほど》がある|哩《わい》、もつと|真面目《まじめ》にならないか』
|与《よ》『|真面目《まじめ》になつても、ならいでも|同《おな》じ|事《こと》だよ、|死《し》んだ|者《もの》は、どうしたつて|帰《かへ》つて|来《く》る|例《ためし》は|無《な》い、|俺《おれ》も|余《あんま》り|心《こころ》|淋《さび》しく|悲《かな》しくなつて|来《き》たので、|気《き》まぐれに、|莫迦口《ばかぐち》を|叩《たた》いて|居《ゐ》るのだ。|何処《どこ》に|友達《ともだち》の|災難《さいなん》を|見《み》て|喜《よろこ》ぶ|者《もの》があらうかい。|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》には、|取越《とりこし》|苦労《ぐらう》と|過越《すぎこし》|苦労《ぐらう》はいたすなよ、|勇《いさ》んで|暮《くら》せ、|刹那心《せつなしん》が|大切《たいせつ》だ、|刹那《せつな》のその|刹那《せつな》こそ|吾々《われわれ》の|意志《いし》のまま、|自由《じいう》|行動《かうどう》の|勢力《せいりよく》|範囲《はんゐ》だ。|一分間《いつぷんかん》|前《まへ》は|最早《もはや》|過去《くわこ》の|夢《ゆめ》となつて、どうしても|逆転《ぎやくてん》させる|訳《わけ》には|行《い》かず、|一分間《いつぷんかん》|後《あと》の|事《こと》は|人間《にんげん》の|自由《じいう》になるものではない、|何事《なにごと》も|神様《かみさま》の|自由《じいう》|意志《いし》の|儘《まま》だ。|斯《こ》う|云《い》つて|居《ゐ》る|間《ま》も、|無情《むじやう》の|風《かぜ》とやらの|悪魔《あくま》は|吾々《われわれ》の|身辺《しんぺん》を|絶《た》えず|附《つ》け|狙《ねら》ふて|居《ゐ》るのだ。|弥次《やじ》、|勝《かつ》の|二人《ふたり》の|友達《ともだち》は|実《じつ》に|無情《むじやう》|至極《しごく》の|烈風《れつぷう》に|誘《さそ》はれて|之《これ》も|生死《せいし》の|程《ほど》は|明《あきら》かならず、|吾々《われわれ》はこうして|両人《りやうにん》に|邂《めぐ》り|逅《あ》ひ、ヤア|居《を》つたか|居《を》つたか、|結構《けつこう》|々々《けつこう》、|豆《まめ》で|御無事《ごぶじ》でお|達者《たつしや》で、|美《うる》はしき|御尊顔《ごそんがん》を|拝《はい》し|吾々《われわれ》|身《み》に|取《と》つて、|恐悦《きようえつ》|至極《しごく》に|存《ぞん》じ|奉《たてまつ》ります。やア|之《これ》は|之《これ》は|与太公《よたこう》か|六公《ろくこう》か、|余《よ》が|所在《ありか》を|尋《たづ》ね、よくも|難路《なんろ》を|踏《ふ》み|越《こ》え、|探《さが》しに|来《き》て|呉《く》れた、|大儀《たいぎ》|々々《たいぎ》、|余《よ》は|満足《まんぞく》に|思《おも》ふぞよ。|褒美《ほうび》には、これを|遣《つか》はすと|云《い》つて、|鼻糞《はなくそ》の|万金丹《まんきんたん》でも、ヱンリンの【アンカン】|丹《たん》でも|御下賜《ごかし》あるに|定《きま》つて|居《ゐ》ると|予算《よさん》を|立《た》てて|行《い》つて|見《み》た|処《ところ》が、|算用《さんよう》|合《あ》ふて|銭《ぜに》|足《た》らず、|予算外《よさんぐわい》の|支出《ししゆつ》|超過《てうくわ》で、さつぱり|二人《ふたり》の|友達《ともだち》は|破産《はさん》|申請《しんせい》、|身代《しんだい》|限《かぎ》りの|処分《しよぶん》を|受《う》けて、|可愛《かあい》い|妻子《つまこ》をふり|捨《す》て、|十万億土《じふまんおくど》の|冥途《めいど》とやらいふ|国《くに》へ|移住《いぢう》でもして|居《を》つたら、その|時《とき》こそ、|折角《せつかく》|張《は》り|詰《つ》めし|心《こころ》の|綱《つな》も、|頼《たの》みの|糸《いと》も|切《き》れ|果《は》てて、|泣《な》いても|悔《くや》んでも|返《かへ》らぬ|悲惨《ひさん》な|幕《まく》に|打付《ぶつつ》かるかも|知《し》れやしない。その|時《とき》なにほど|失望《しつばう》|落胆《らくたん》したつて|駄目《だめ》だよ。アヽコンナことを|思《おも》ふよりも、|日頃《ひごろ》の|信仰《しんかう》の|力《ちから》によつて|強圧的《きやうあつてき》に|刹那心《せつなしん》を|発揮《はつき》し、われと|吾心《わがこころ》の|駒《こま》に|慰藉《ゐしや》を|与《あた》へて|居《ゐ》るのだよ。|陽気《やうき》|浮気《うはき》で|無駄口《むだぐち》が|云《い》へるかい。|啼《な》く|蝉《せみ》よりも|啼《な》かぬ|螢《ほたる》が|身《み》を|焦《こが》す。|嗚呼《ああ》それにしても、あの|元気《げんき》な|弥次彦《やじひこ》の|顔《かほ》がもう|一度《いちど》|拝《をが》みたい。|勝公《かつこう》も|勝公《かつこう》ぢや、|折角《せつかく》、|窟《いはや》の|中《なか》から|助《たす》けられ、|僅《わづ》か|半日《はんにち》|経《たた》ぬ|内《うち》に、|無情《むじやう》の|風《かぜ》に|誘《さそ》はれて、|木《こ》の|葉《は》の|如《ごと》く|吹《ふ》き|散《ち》らされ、|煙《けむり》となつて|消《き》ゆるとは、|何《なん》たる|因果《いんぐわ》な|生《うま》れ|附《つき》だらう。|想《おも》へば|想《おも》へば|矢張《やつぱり》|悲《かな》しいワイ。|刹那心《せつなしん》の|奴《やつ》、どうやら|屁古垂《へこた》れさうになつて|来《き》たワイ。アーンアーンアーンアーンアーン、ウーンウンウンウン』
|六《ろく》『|日天様《につてんさま》はニコニコと|御機嫌《ごきげん》|好《よ》く、|山《やま》の|端《は》をお|昇《のぼ》りなさつて|吾々《われわれ》の|頭《かしら》を|照《て》らして|下《くだ》さるが、|心《こころ》の|中《うち》は|雲《くも》に|包《つつ》まれ、|涙《なみだ》の|雨《あめ》は|夕立《ゆふだち》と|降《ふ》りしきり、|何共《なんとも》|云《い》へぬ|淋《さび》しい|事《こと》だ。|人間《にんげん》といふ|者《もの》は、あかぬものだな。|昨日《きのふ》まで、|鬼《おに》でも|挫《ひし》ぐ|様《やう》な|元気《げんき》で、|機嫌《きげん》|良《よ》う【はしやい】で|居《を》つた|二人《ふたり》の|友達《ともだち》は、|今《いま》は|生死《せいし》も|分《わか》らず|九分九厘《くぶくりん》までは|彼《あ》の|世《よ》へ|行《い》つたものと|諦《あきら》めねばならぬ|破目《はめ》になつて|来《き》た、|俺《わし》も|昨日《きのふ》まで、ウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》であつたが、|漸《やうや》く|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》したと|思《おも》へば、|弥次彦《やじひこ》、|勝公《かつこう》に|別《わか》れて|了《しま》ふし、|何《なん》だか|知《し》らぬが|昨日《きのふ》から|交際《つきあ》ふた|人《ひと》とは|何《ど》うしても|思《おも》はれない、|十年《じふねん》も|二十年《にじふねん》も|昔《むかし》から|交際《つきあ》ふた|様《やう》な|気《き》がする。|知《し》り|合《あ》ひになつてから、|三日《みつか》も|経《た》たぬ|俺《おれ》でさへも|之丈《これだ》け|悲《かな》しいのだもの、|与太公《よたこう》は、|長《なが》い|間《あひだ》の|馴染《なじみ》、お|前《まへ》の|心《こころ》も|察《さつ》するよ』
|与《よ》『アヽ|仕方《しかた》がない。|此処《ここ》で|屁古垂《へこた》れずに、もう|一遍《いつぺん》、|大捜索《だいさうさく》をやつて|見《み》やうか、|因縁《いんねん》があれば、|神様《かみさま》が|両人《りやうにん》に|逢《あ》はして|下《くだ》さるだらう、たとへ|死骸《しがい》なり|共《とも》、もう|一目《ひとめ》|逢《あ》ふて、|二人《ふたり》の|先途《せんど》を|見届《みとど》けて|置《お》かねばならない。エヽ|怪体《けたい》の|悪《わる》い|烏《からす》の|鳴《な》き|声《ごゑ》だ、|益々《ますます》|気《き》に|懸《かか》るワイ』
|六《ろく》『オーほんにほんに|向《むか》ふの|谷間《たにま》の|大木《たいぼく》の|枝《えだ》に|沢山《たくさん》の|烏《からす》が|止《と》まつて|鳴《な》いてゐるなア。ハテ、こいつは|怪《あや》しいぞ、|何《なん》だか|人間《にんげん》の|着物《きもの》らしい|物《もの》が、|梢《こづゑ》に|見《み》えるぢやないか、|見《み》てみよ』
|与太公《よたこう》は|両手《りやうて》の|親指《おやゆび》と|人差指《ひとさしゆび》にて|輪《わ》を|拵《こしら》へ|乍《なが》ら|眼鏡《めがね》の|如《ごと》くに、|左右《さいう》の|目《め》にピタリと|当《あて》がひ、|烏《からす》の|群《むら》がり|居《を》る|樹木《じゆもく》の|枝《えだ》に|目《め》を|注《そそ》いだ。
|与《よ》『ヤアあれは|的切《てつきり》、|弥次公《やじこう》、|勝公《かつこう》の|着物《きもの》だぞ。|天狗《てんぐ》の|奴《やつ》、|股《また》から|引裂《ひきさ》きよつて、|着物《きもの》を|木《き》に|掛《か》けて|置《お》きよつたな、エヽ|忌々《いまいま》しい、しかしながら|着物《きもの》でも|構《かま》はぬ、|友達《ともだち》の|形見《かたみ》だと|思《おも》へば|宜《よ》い、|一《ひと》つ|彼《あ》の|木《き》の|根元《ねもと》へ|行《い》つて|調《しら》べて|見《み》やう、あの|下《した》|辺《あた》りに、|死骸《しがい》となつて|横《よこた》はつて|居《ゐ》まいものでもないワ、|彼《あ》れが|第一《だいいち》、|生《い》きて|居《ゐ》るのだつたら、|烏《からす》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えるだらうから、|俺達《おれたち》の|言霊《ことたま》も|聞《きこ》える|道理《だうり》だ。|一《ひと》つ|力《ちから》|限《かぎ》り|叫《さけ》んで|見《み》やうか』
|六《ろく》『|叫《さけ》ばうと|云《い》つたつて|声《こゑ》の|原料《げんれう》が|根絶《こんぜつ》したのだから|仕方《しかた》がない。|向《むか》ふが|烏《からす》よりもこちらが|声《こゑ》を【からす】だ、|二人《ふたり》で|此様《こん》な|処《ところ》で、【とり】|留《と》めもない、【とり】どりの|噂《うはさ》をして|居《ゐ》るよりも、【とり】|敢《あへ》ず、|手取早《てつとりばや》く、|彼《あ》の|木《き》の|元《もと》に【とり】|付《つ》いて|調《しら》べて|見《み》やうかい。|万一《まんいち》あの|木《き》の|元《もと》に、|死骸《しがい》が|一人《ひとり》でも|二人《ふたり》でもあつたならば、|俺《おれ》は|彼《あ》の|女房《にようばう》の|代《かは》り|役者《やくしや》となつて、これこれ|弥次《やじ》サン|勝《かつ》サンヘ、|逢《あ》ひたかつた、|見《み》たかつた、と|顔《かほ》や|手足《てあし》に|取付《とりつ》いて、|前後《ぜんご》|不覚《ふかく》に|嘆《なげ》きつつ、|取乱《とりみだ》したるその|哀《あは》れさ、ヂヤンヂヤンヂヤンヂヤン』
|与《よ》『|俺《おれ》の|真似《まね》|許《ばか》りするない。ソンナ|処《どころ》かい、さア|駆足《かけあし》だ』
|樹木《じゆもく》|茂《しげ》れる|中《なか》を、|茨《いばら》に|引掛《ひつかか》り、|蜘蛛《くも》の|巣《す》にまとはれ|乍《なが》ら、|漸《やうや》くにして|谷川《たにがは》の|縁《ふち》に|着《つ》いた。
|与《よ》『ヤア、|折悪《をりあ》しく、|川《かは》|向《むか》ふの|松《まつ》の|大木《たいぼく》だ、この|急潭《きふたん》をどうして|渡《わた》らうかな、アヽ|昨日《きのふ》や|今日《けふ》の|飛鳥川《あすかがは》、|変《かは》る|浮世《うきよ》といひ|乍《なが》ら、|有為転変《うゐてんぺん》も、ここまで|往《い》つたら、|徹底《てつてい》して|居《ゐ》る|哩《わい》、この|川《かは》の|淵瀬《ふちせ》がどうして|渡《わた》られやうぞ。オイ|六公《ろくこう》、|何《なん》とか|好《い》い|考《かんが》へは|出《で》ないかいのう』
|六《ろく》『|俺《おれ》の|考《かんが》へは|只《ただ》|刹那心《せつなしん》あるのみだ。この|谷川《たにがは》へ|飛《と》び|込《こ》んで、|土左衛門《どざゑもん》になつたら、その|時《とき》はもう|仕方《しかた》が|無《な》い。|弥次公《やじこう》、|勝公《かつこう》の|後《あと》を|追《お》ふて|一所《いつしよ》に|仲宜《なかよ》く、|死出《しで》|三途《さんづ》|同行《どうぎやう》|四人《しにん》だ』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|六公《ろくこう》は|着物《きもの》を|着《き》た|儘《まま》、ザンブと|許《ばか》り|谷川《たにがは》へ|飛《と》び|込《こ》んだ。
|与《よ》『アツ|六公《ろくこう》め、|気《き》の|早《はや》い|奴《やつ》だ、エヽ|俺《おれ》も|破《やぶ》れかぶれだ』
と|又《また》もや、ザンブと|身《み》を|躍《をど》らして、|青淵《あをふち》|目蒐《めが》けて|飛《と》び|込《こ》んだ。|折《をり》よく|流《なが》れ|渡《わた》りに|向岸《むかふがは》に|無事《ぶじ》に|這《は》ひ|上《あが》る|事《こと》を|得《え》た。
|六《ろく》『アヽお|蔭《かげ》で|川《かは》|渡《わた》りは|成功《せいこう》した。|与太公《よたこう》もやつたのか、|偉《えら》いなア』
|与《よ》『|偉《えら》いの|偉《えら》くないのつて、|鼻《はな》から|口《くち》から、|水《みづ》を|充満《いつぱい》|飲《の》んだものだから、|息《いき》が|止《と》まりさうにあつたよ、|然《しかし》ながら、|斯《こ》うぬれねずみでは、|着物《きもの》が|足《あし》に|巻《まく》り|付《つ》いて|歩《ある》く|事《こと》も|出来《でき》はしない、|一《ひと》つ|大圧搾《だいあつさく》をやつて、|荒水《あらみづ》を|取《と》つて|着替《きか》へて|行《ゆ》かうか。ヤア|六公《ろくこう》の|奴《やつ》、|早《はや》|何処《どこ》かへ|行《ゆ》きよつたナ』
|六公《ろくこう》は|一丁《いつちやう》|許《ばか》り|向《むか》ふの|樹《き》の|茂《しげ》みから、
|六《ろく》『オーイ、|与太公《よたこう》、|此処《ここ》だ|此処《ここ》だ、オーイ、|弥次公《やじこう》、|勝公《かつこう》、|俺《おれ》は|此処《ここ》だヨウ』
|与《よ》『|何《なん》だ|幽霊《いうれい》の|名《な》まで|呼《よ》んでゐよる。|冥土《めいど》へ|行《い》つた|弥次《やじ》、|勝《かつ》と|交《ま》ぜて|俺《おれ》の|名《な》を|呼《よ》ばれて|堪《たま》るものかい。|顕幽《けんいう》|混交《こんかう》だ、|縁起《えんぎ》の|悪《わる》い。|併《しか》しながら、|俺《おれ》は|三途《せうづ》の|川《かは》へ|飛《と》び|込《こ》んで、|最早《もはや》や|娑婆《しやば》の|人《ひと》ではないのかな。|何《なに》は|兎《と》もあれ、|六公《ろくこう》は|頻《しき》りに|呼《よ》び|居《を》るから、ともかく|行《い》つて|見《み》やう』
と|独《ひと》り|言《ご》ちつつ|声《こゑ》を|目当《めあ》てに|上《のぼ》つて|来《く》る。
|与《よ》『ヤア|六公《ろくこう》、どうだ、|目的《もくてき》の|主《ぬし》は|御健全《ごけんぜん》かな』
|六《ろく》『どうやら、|姿《すがた》だけは|残《のこ》つてゐるらしいぞ。|何《なん》ぼ|呼《よ》んでも、|返事《へんじ》はせないから、|生死《せいし》の|程《ほど》は|確《たし》かにそれとは|計《はか》り|兼《か》ねる。|上《あが》つて|見《み》やうと|思《おも》つた|処《ところ》で、コンナ|大木《たいぼく》で、どうする|事《こと》も、|斯《こ》うする|事《こと》も|出来《でき》やしない、|末期《まつご》の|水《みづ》もよう|汲《く》んで|貰《もら》はずに|死《し》んだかと|思《おも》へば|今更《いまさら》の|様《やう》に|思《おも》はれて、|俺《おれ》はもう|悲《かな》しいわいやい、アーンアーンアーンアーン』
|与《よ》『|何《なに》メソメソ|吠面《ほえづら》かわくのだい、|末期《まつご》の|水《みづ》はなく|共《とも》、|松ケ枝《まつがえ》で|死《し》んだのだもの|松《まつ》の|露《つゆ》|位《くらゐ》は|飲《の》んで|死《し》んだらう、|死《し》んで|了《しま》つてから|何《なに》を|云《い》つたつて|仕方《しかた》がない。これからは、|二人《ふたり》で|弥次《やじ》、|勝《かつ》の|弔《とむら》ひ|合戦《がつせん》をやるのだ、|二人《ふたり》|寄《よ》つて|四人前《よにんまへ》の|働《はたら》きをすれば、|二人《ふたり》の|亡者《まうじや》も、|冥《めい》するであらう。もう|斯《こ》うなれば、|追善《つゐぜん》の|為《た》めに、|各自《めいめい》が|二人前《ににんまへ》の|働《はたら》きをするより、|二人《ふたり》の|霊《れい》を|慰《なぐさ》めてやる|方法《はうはふ》は|無《な》いワ』
|松《まつ》の|上《うへ》より|幽《かす》かな|声《こゑ》で、
|弥《や》『オーイ|与太公《よたこう》か、|六公《ろくこう》か、|与太六《よたろく》』
|与《よ》『ヤア、お|前《まへ》は|弥次彦《やじひこ》か、|勝公《かつこう》か、|死《し》んだらもう|仕方《しかた》がない、|後《あと》は|俺《おれ》が|引受《ひきう》けて|女房《にようばう》までも|都合《つがふ》|宜《よ》う|世話《せわ》してやるワ。|迷《まよ》ふな|迷《まよ》ふな。|娑婆《しやば》の|執着心《しふちやくしん》をサラリと|去《さ》つて|極楽《ごくらく》|参《まゐ》りをしてくれ』
|弥《や》『(|小声《こごゑ》で)オイ|勝公《かつこう》、お|蔭《かげ》でこの|松《まつ》の|大木《たいぼく》に|助《たす》けられて|気《き》が|付《つ》いたと|思《おも》へば、|与太《よた》、|六《ろく》の|奴《やつ》、|俺《おれ》たちを|亡者《まうじや》と|間違《まちが》へよつて、アンナ|事《こと》を|云《い》つて|居《ゐ》よる。|一《ひと》つ|此処《ここ》まで、|軽業《かるわざ》の|芸当《げいたう》をやつたのだから、このまま|下《お》りるのも|何《なん》だか、|変哲《へんてつ》がない、|一《ひと》つ|亡者《まうじや》の|真似《まね》でもして、|一芝居《ひとしばい》やつて|見《み》やうかな』
|勝《かつ》『お|前《まへ》、よつぽど|腹《はら》の|悪《わる》い|奴《やつ》だナ、|可愛想《かあいさう》に|二人《ふたり》の|友達《ともだち》が、|泣声《なきごゑ》を|出《だ》して|探《さが》しに|来《き》て|居《ゐ》るのに|罪《つみ》な|事《こと》をするものちやないワ』
|弥《や》『それでも|勝公《かつこう》、|既《すんで》に|既《すんで》に、|俺《おれ》たちを|亡者《まうじや》|扱《あつか》ひにして|居《ゐ》るのだもの、このまま|済《すま》しちや、|折角《せつかく》の|芝居《しばゐ》のハネ|口《ぐち》が|悪《わる》いぢやないか。ハネ|太鼓《だいこ》が|鳴《な》るまで|一寸《ちよつと》|演劇《えんげき》|気分《きぶん》になつたらどうだ、オイ|勝公《かつこう》、お|前《まへ》|芝居《しばゐ》が|下手《へた》なら|口上《こうじやう》|言《い》ひにならぬか、|拍子木《へうしぎ》の|代《かは》りに、|両手《りやうて》を|叩《たた》いて、お|客様《きやくさま》に|口上《こうじやう》を|申上《まをしあ》げるのだ』
|勝《かつ》『さうだ、|一寸《ちよつと》|口上《こうじやう》を|云《い》つて|見様《みやう》かな。|東西々々《とうざいとうざい》、|今晩《こんばん》|御覧《ごらん》に|入《い》れまする|狂言《きやうげん》|芸題《げいだい》の|儀《ぎ》は、|小鹿峠《こしかたうげ》|大風《おほかぜ》の|段《だん》より|三途《せうづ》の|川《かは》、|死出《しで》の|山《やま》、|脱衣婆《だついばば》に|弥次彦《やじひこ》が|談判《だんぱん》を|試《こころ》みる|一条《いちでう》より|後《あと》に|残《のこ》つた、|与太《よた》、|六《ろく》といふ|二人《ふたり》の|腰抜《こしぬ》け|野郎《やらう》が、|泣面《なきづら》かはいてその|後《あと》を|尋《たづ》ね、|三途《せうづ》の|川《かは》の|向岸《むかう》で|松《まつ》の|大木《たいぼく》の|根元《ねもと》において|嘆《なげ》き|狂《くる》ふ|愁歎場《しうたんば》を、|大切《おほぎり》と|致《いた》しまして|御高覧《ごかうらん》に|供《きよう》しまする。|何分《なにぶん》|遽《にはか》|芝居《しばゐ》の|事《こと》にございますれば、|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し、あれは|彼《あ》れ|位《くらゐ》の|者《もの》、|之《これ》は|之《こ》れ|位《くらゐ》の|者《もの》とお|許《ゆる》し|下《くだ》さいまして、お|爺《ぢい》サンもお|媼《ばあ》サンもお|子供《こども》|衆《しう》も、|近所《きんじよ》|隣《となり》|誘《さそ》ひ|合《あは》せ|賑々《にぎにぎ》しく、|御来場《ごらいぢやう》|御観覧《ごくわんらん》|下《くだ》さらむ|事《こと》を、|偏《ひとへ》に|希《こひねが》ひ|上《あ》げ|奉《たてまつ》ります、チヤンチヤン』
|与《よ》『オイ|六公《ろくこう》、|世《よ》の|中《なか》が|変《かは》れば|変《かは》るものだな、|芝居《しばゐ》といふものは|娑婆《しやば》|丈《だ》けのことかと|思《おも》へば、|幽界《いうかい》に|来《き》ても、やつぱり|芝居《しばゐ》があると|見《み》える|哩《わい》、なにほど|幽界《いうかい》は|淋《さび》しいと|云《い》つても、|芝居《しばゐ》さへ|見《み》せて|呉《く》れれば、ちつとは|気保養《きほやう》も|出来《でき》るといふものだ、|変性男子《へんじやうなんし》の|閻魔《えんま》サンが|御代《おかは》りになつてからと|云《い》ふものは、|地獄《ぢごく》の|中《なか》も、|余程《よつぽど》|寛大《くわんだい》になつたといふ|事《こと》を、|神憑《かむがかり》の|口《くち》を|通《つう》じて|聞《き》いて|居《ゐ》たが、|如何《いか》にも|変《かは》つたものだ、|民権《みんけん》|発達《はつたつ》といふものは、|地獄《ぢごく》の|底《そこ》まで|影響《えいきやう》を|及《およ》ぼし、|今度《こんど》の|閻魔《えんま》サンは、|民主《みんしゆ》|主義《しゆぎ》になられたと|見《み》えるな』
|六《ろく》『|与太公《よたこう》、|何《なに》を|云《い》ふてゐるのだい、ここは|三途《せうづ》の|川《かは》じやないぞ、|小鹿峠《こしかたうげ》の|谷間《たにあひ》ぢやないかい、|勝《かつ》の|奴《やつ》、|好《い》い|気《き》になつて、アンナ|亡者《まうじや》|芝居《しばゐ》の|真似《まね》をさらしよるのだよ。|莫迦《ばか》|莫迦《ばか》しい|哩《わい》』
|与《よ》『|否々《いやいや》そう|早合点《はやがつてん》をするものぢやない、|俺《おれ》も|一旦《いつたん》、|谷底《たにそこ》へ|飛《と》び|込《こ》んだ|時《とき》に|沢山《たくさん》な|水《みづ》を|飲《の》んで、|気《き》が|遠《とほ》くなり、|大《おほ》きな|川《かは》を|泳《およ》いだ|様《やう》な|気《き》がする、|婆《ばば》の|姿《すがた》は|見《み》えなかつたが|何《なん》でも|深《ふか》い|大《おほ》きな|川《かは》だつたよ』
|六《ろく》『|惚《とぼ》けない、|今《いま》この|川《かは》を|渡《わた》つたとこぢやないか、|俺《おれ》は|決《けつ》して|亡者《まうじや》ではないぞ。|貴様《きさま》も|俺《おれ》と|一所《いつしよ》に|渡《わた》つたのだから、|矢張《やつぱ》り|娑婆《しやば》の|人間《にんげん》だ。オイ、|松葉《まつば》|天狗《てんぐ》の|弥次公《やじこう》、|勝公《かつこう》、|早《はや》く|下《お》りて|来《こ》ないかい、ソンナ|処《とこ》で|目《め》を|剥《む》き、|鼻《はな》を|剥《む》き、|芝居《しばゐ》をやつて|居《ゐ》ると、|真逆様《まつさかさま》に|顛倒《てんたふ》して、それこそ|今度《こんど》は、|真正《ほんとう》の|亡者《まうじや》にならねばならぬぞ。|好《よ》い|加減《かげん》に|下《お》りて|来《こ》ないかい。|貴様《きさま》が|仕様《しやう》もない|事《こと》を|吐《ぬか》すものだから、|与太公《よたこう》の|奴《やつ》、|亡者《まうじや》|気分《きぶん》になりよつて|困《こま》つて|了《しま》ふワ』
|弥《や》『(|作《つく》り|声《ごゑ》して)ウラメシヤー、|無情《むじやう》の|風《かぜ》に|誘《さそ》はれて、|小鹿峠《こしかたうげ》の|十八坂《じふはちさか》の|上《うへ》まで|来《き》た|処《ところ》が、|無惨《むざん》やナー、|花《はな》は|半開《はんかい》にして|散《ち》り、|月《つき》は|半円《はんゑん》にして|雲《くも》に|包《つつ》まる、|有為転変《うゐてんぺん》の|世《よ》の|中《なか》とは|謂《ゐ》ひ|乍《なが》ら、|思《おも》ひもよらぬ|冥土《めいど》の|旅《たび》、ま|一度《いちど》|女房《にようばう》の|顔《かほ》が|見《み》たい|哩《わい》のー。それに|就《つ》いても|恨《うら》めしいのは、なぜ|与太公《よたこう》や|六公《ろくこう》を|冥土《めいど》の|旅《たび》に|連《つ》れて|来《こ》なかつただらう。|三途川《せうづがは》の|鬼婆《おにばば》|奴《め》の|吐《ぬか》す|事《こと》には、|貴様《きさま》は|友達《ともだち》|甲斐《がひ》のない|奴《やつ》ぢや、なぜ|与太公《よたこう》、|六公《ろくこう》を|見捨《みす》てて|来《き》たか、|水臭《みづくさ》い|奴《やつ》ぢや、も|一度《いちど》|帰《かへ》つて|誘《さそ》ふて|来《こ》いと|吐《ぬか》しよつた。アヽ|仕方《しかた》がない………|後《あと》に|残《のこ》つた|与太公《よたこう》や|六公《ろくこう》の|奴《やつ》、|弥次彦《やじひこ》|勝彦《かつひこ》は|情《つれ》ない|奴《やつ》ぢや、|何故《なぜ》に|俺達《おれたち》を|残《のこ》して|冥途《めいど》の|旅《たび》をしたのかー、この|恨《うら》みは|死《し》んでも|忘《わす》れは|致《いた》さぬと、|小鹿山《こしかやま》の|森林《しんりん》で|娑婆《しやば》の|亡者《まうじや》となつて|迷《まよ》ふてゐるぞよ。|早《はや》く|貴様《きさま》は|娑婆《しやば》の|入口《いりぐち》まで|引返《ひきかへ》し、|松《まつ》の|木《き》の|枝《えだ》から、|招《まね》いて|来《こ》いと|云《い》ひ|居《を》つた。アンナ|頑固《ぐわんこ》な|腰抜《こしぬ》け|野郎《やらう》と、|冥土《めいど》の|旅《たび》をしたなれば、|嘸《さぞ》や|嘸《さぞ》|厄介《やくかい》のかかる|事《こと》であらう|程《ほど》に、エヽ|三途《せうづ》の|川《かは》の|鬼婆《おにばば》も|聞《きこ》えぬわいのー、ホーイ ホーイ』
|六《ろく》『コラ|弥次公《やじこう》、|何《なに》を|誣戯《ふざ》けた|真似《まね》をしよるのだい、|死《し》に|損《ぞこな》ひ|奴《め》が、|早《はや》く|下《お》りぬかい』
|与《よ》『オーイ|弥次公《やじこう》、|三途《せうづ》の|川《かは》の|婆《ばば》が|何《なん》と|云《い》ふたのか|知《し》らないけれど、|与太公《よたこう》は|娑婆《しやば》で|大病《たいびやう》に|罹《かか》つて|足《あし》が|立《た》たぬから|暫《しば》らく|猶予《いうよ》をしてやつて|下《くだ》さいと|頼《たの》んで|呉《く》れえやい。|俺《おれ》はその|代《かは》りに、|貴様《きさま》の|冥福《めいふく》を|祈《いの》つて、|朝晩《あさばん》に|鄭重《ていちよう》な|弔《とむら》ひをしてやる|程《ほど》に、|何卒《どうぞ》お|婆《ば》アサンにその|処《ところ》は|宜《よろ》しう|取做《とりな》しを|願《ねが》ふぞやー、ホーイ ホイホイ』
|六《ろく》『ヤア|此奴《こいつ》また|怪《あや》しうなつて|来《き》たぞ、|与太公《よたこう》は|丸《まる》で|六道《ろくだう》の|辻《つじ》|見《み》た|様《やう》なものだ、エヽ|糞《くそ》ツ、|面白《おもしろ》くもない、|娑婆《しやば》の|幽霊《いうれい》の|奴《やつ》が。オイ|弥次公《やじこう》、|勝公《かつこう》よい|加減《かげん》に|下《お》りぬかい』
|勝《かつ》『ポンポン、|東西々々《とうざいとうざい》ただ|今《いま》|御高覧《ごかうらん》に|入《い》れましたる|一条《いちでう》は、|冥土《めいど》より|娑婆《しやば》の|亡者《まうじや》|迎《むか》への|段《だん》、|首尾《しゆび》よくお|目《め》に|止《と》まりますれば、|次《つぎ》なる|一幕《ひとまく》を|御覧《ごらん》に|入《い》れ|奉《たてまつ》りまーす』
|六《ろく》『エヽ、|陰気《いんき》|臭《くさ》い。|下《お》りな|下《お》りいで|宜《よ》いワ、|此処《ここ》に|都合《つがふ》の|好《よ》い|竹竿《たけざを》がある、|之《これ》で|貴様《きさま》の|尻《しり》をグサと|芋《いも》ざしに|刺《さ》してやるから|左様《さう》|思《おも》へ。オイ|与太公《よたこう》、|貴様《きさま》も|手伝《てつだ》はぬかい、たとへ|亡者《まうじや》にした|処《ところ》で|余《あま》りな|事《こと》を|吐《ぬか》す|奴《やつ》だ、|突《つ》いてやるのだ、|恰度《ちやうど》|竿《さを》も|二本《にほん》ある、|誂《あつら》へ|向《むき》に|二本《にほん》|置《お》いてあるワ、オイあの|尻《けつ》を|目蒐《めが》けてグサツと|突《つ》くのだぞ』
|弥《や》『【アナ】オソロシヤナー、【アナ】オカシヤナー、|突《つ》かれたら【アナ】|痛《いた》やナー、【あな】|畏《かしこ》【あな】かしこ。ヒユードロドロドロドロドロ』
|手《て》を|腰《こし》の|辺《あた》りにブラリと|下《さ》げ、|調子《てうし》に|乗《の》つて|松《まつ》の|小枝《こえだ》をスルスルと|歩《ある》いた|途端《とたん》に|踏《ふ》み|外《はづ》してズル ズル ズル ズル ズル ドターン。
|弥《や》『イヽヽイツターイ』
|六《ろく》『|流石《さすが》は|弥次彦《やじひこ》だ、|空中滑走《くうちうくわつそう》をやつて、|御無事《ごぶじ》|御着陸《ごちやくりく》、|今度《こんど》はお|次《つぎ》の|番《ばん》だよ。|勝公《かつこう》も|滑走《くわつそう》だ|滑走《くわつそう》だ』
|勝《かつ》『|東西々々《とうざいとうざい》、|只今《ただいま》は|弥次彦《やじひこ》が|幽霊《いうれい》となつて|中空《ちうくう》を|浮遊《ふいう》し|松《まつ》の|根元《ねもと》に|着陸《ちやくりく》いたしました。|滑走《くわつそう》の|芸当《げいたう》、お|目《め》に|止《と》まりましたなれば、|皆《みな》サンお|手《て》を|拍《う》つて|御喝采《ごかつさい》を|願《ねが》ひまーす』
|六《ろく》『コラ|勝公《かつこう》、|弥次彦《やじひこ》が|腰《こし》を|抜《ぬ》いて|冥土《めいど》|旅行《りよかう》をしかけて|居《ゐ》るのに|何《なに》をグズグズやつて|居《ゐ》るのだ。|好《よ》い|加減《かげん》に|下《お》りて|来《こ》ぬかい』
|勝《かつ》『|東西々々《とうざいとうざい》、これから|第三段目《だいさんだんめ》も|御覧《ごらん》に|入《い》れまーす。|飛行機《ひかうき》に|乗《の》つて|勝彦《かつひこ》の|無事《ぶじ》|着陸《ちやくりく》、お|目《め》に|止《と》まりますれば|今晩《こんばん》は|之《こ》れにて、|千秋楽《せんしうらく》と|致《いた》しまする』
と|云《い》ふより|早《はや》く、コンモリとした|松《まつ》の|小枝《こえだ》より|傍《かたはら》の|竹《たけ》の|心《しん》を|目蒐《めが》けて|飛《と》び|付《つ》いた。|竹《たけ》は|満月《まんげつ》の|如《ごと》く|弓《ゆみ》となつてフウワリと|大地《だいち》に|勝公《かつこう》を|下《お》ろした。
|勝《かつ》『お|蔭《かげ》で|命《いのち》だけは、どうやら、|此方《こつち》の|者《もの》になつたらしいと|思《おも》ひます。|藪竹《やぶたけ》サン、|左様《さやう》なら』
と|掴《つか》んだ|竹《たけ》を|離《はな》せば、|竹《たけ》は|唸《うな》りを|立《た》てて|立《た》ち|直《なほ》る。
|弥《や》『オイ|与太公《よたこう》、|貴様《きさま》こそ|本真物《ほんまもの》か』
|与《よ》『|何《なん》だか|生死《せいし》|不明《ふめい》の|境涯《きやうがい》だ』
|六《ろく》『エヽ|困《こま》つた|奴《やつ》と|道連《みちづ》れをしたものだワイ』
|弥《や》『アヽどうやら|腰《こし》が|抜《ぬ》けたのでは|無《な》かつたさうだ、アハヽヽヽヽヽ』
|勝《かつ》『|吾々《われわれ》は|不都合《ふつがふ》な|芸当《げいたう》を|御覧《ごらん》に|入《い》れましたにも|抱《かか》はらず、|神妙《しんめう》に|御覧《ごらん》|下《くだ》さいまして、|勧進元《くわんじんもと》は|申《まを》すに|及《およ》ばず|役者《やくしや》|一同《いちどう》|有難《ありがた》く|御礼《おんれい》|申上《まをしあ》げます、また|御暇《おひま》がございましたら、|来年《らいねん》の|春《はる》、また|一座《いちざ》を|引《ひ》きつれて|皆《みな》サンにお|目《め》に|掛《かか》らうやも|知《し》れませぬから、|永当々々《えいたうえいたう》、|倍旧《ばいきう》の|御贔屓《ごひいき》を|偏《ひとへ》に|二重《ふたへ》に|七重《ななへ》の|膝《ひざ》を|八重《やへ》に|折《を》り、かしこみかしこみ|願《ねが》ひ|上《あ》げ|奉《たてまつ》ると|申《まを》す、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|一同《いちどう》『アハヽヽヽヽ、お|目出度《めでた》いお|目出度《めでた》い、|甦《よみがへ》つた|甦《よみがへ》つた、|千秋《せんしう》|万歳《ばんざい》 |万々歳《ばんばんざい》』
(大正一一・三・二四 旧二・二六 藤津久子録)
第三篇 |高加索《コーカス》|詣《まゐり》
第一〇章 |牡丹餅《ぼたもち》〔五六〇〕
|弥次彦《やじひこ》、|勝彦《かつひこ》、|与太彦《よたひこ》、|六公《ろくこう》の|四人《よにん》は|谷間《たにま》を|這《は》ひ|上《あが》り、|漸《やうや》くにして|小鹿山峠《こしかやまたうげ》の|坂道《さかみち》に|着《つ》いた。
|弥《や》『ヤア|此処《ここ》が|芝居《しばゐ》の|序幕《じよまく》を|演《えん》じたところだ。|随分《ずゐぶん》|風《かぜ》の|神《かみ》の|奴《やつ》、|豪《えら》い|目《め》に|遇《あ》はしよつたものだ』
|六《ろく》『|貴方達《あなたがた》は|羽織《はおり》を|三枚《さんまい》|着《き》て、|而《しか》も|上《うへ》に|着《き》るものを|下《した》に|穿《は》いたりするものだから、アンナ|目《め》に|遇《あ》ふたのですよ』
|弥《や》『|夫《それ》でも|上下《うへした》|揃《そろ》ふて|世《よ》を|治《をさ》めるぞよと|神様《かみさま》が|仰有《おつしや》るのだ。|而《しか》も|六人《ろくにん》の|宣伝使《せんでんし》から|頂戴《ちやうだい》した|結構《けつこう》なお|召物《めしもの》を|着《き》て|居《ゐ》るのに、|神様《かみさま》が|罰《ばち》を|当《あ》てると|云《い》ふ|筈《はず》もあるまい』
|六《ろく》『それでも|羽織《はおり》を|袴《はかま》に|穿《は》くと|云《い》ふ|事《こと》は、|些《ち》と|考《かんが》へものですなア』
|弥《や》『さうだと|云《い》つて、|裸体《らたい》で|道中《だうちう》もなるまいし、|仕方《しかた》がない|哩《わい》』
|六《ろく》『|此《この》|峠《たうげ》は、|時々《ときどき》レコード|破《やぶ》りの|風《かぜ》が|吹《ふ》きますから、|随分《ずゐぶん》|気《き》をつけて|往《ゆ》かずばなりますまい。この|坂《さか》を|下《くだ》ると|次《つぎ》は|十九番目《じふくばんめ》の|大峠《おほたうげ》です、その|峠《たうげ》までに|二三里《にさんり》も|展開《てんかい》した|曠野《くわうや》があつて、|其処《そこ》には|沢山《たくさん》の|人家《じんか》も|立《た》ち|並《なら》んで|居《ゐ》ます。そこまで|往《い》つて|一服《いつぷく》しませうか』
|弥《や》『さうしませうよ、|併《しか》しながらコンナ|風《ふう》をして、|沢山《たくさん》な|人《ひと》の|居《ゐ》る|処《ところ》を|通《とほ》るのも|変《へん》なものだ。|何《なん》とか|工夫《くふう》はあるまいか』
|六《ろく》『ヤア|私《わたくし》はお|伴《とも》、|貴方《あなた》は|宣伝使《せんでんし》|様《さま》だ、|何《ど》うでせう、|私《わたくし》の|着物《きもの》と|取《と》つ|換《か》へつこをして|村落《そんらく》を|通《とほ》る|事《こと》にしましたら』
|弥《や》『さう|願《ねが》へれば|結構《けつこう》だ。アヽ|六公《ろくこう》、|早《はや》|裸体《らたい》となつたのかい、|何《なん》と|気《き》の|早《はや》い|男《をとこ》だなア』
|六《ろく》『|鶴《つる》の|一声《ひとこゑ》|言行《げんかう》|一度《いちど》に|一致《いつち》と|云《い》ふやり|方《かた》です、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》て|水《みづ》を|注《さ》されると|約《つま》りませぬからなア、アハヽヽヽ』
|茲《ここ》に|弥次彦《やじひこ》は|六公《ろくこう》の|衣服《いふく》と|着換《きか》へ、|六公《ろくこう》は|羽織《はおり》|三枚《さんまい》を|袴《はかま》|並《なみ》に|前後《まへうしろ》に|着《き》ながら、|蔓《つる》の|帯《おび》を|堅《かた》く|瓢箪《へうたん》のやうに|腰《こし》に|縛《くく》り、
|六《ろく》『サアこれで|千両《せんりやう》|役者《やくしや》の|早替《はやが》はりだ、しかし|役者《やくしや》だと|云《い》ふても、もう|芝居《しばゐ》はやめですよ、サア|往《ゆ》きませうかい』
と、ドンドンと|下《くだ》り|坂《ざか》を|走《はし》つて|往《ゆ》く。|漸《やうや》くにして|麓《ふもと》の|村落《そんらく》に|着《つ》いた。
|勝《かつ》『|大分《だいぶ》に|腹《はら》の|虫《むし》が|空虚《くうきよ》を|訴《うつた》へて|来《き》だした、|何処《どこ》ぞ|此辺《ここら》に|飲食店《いんしよくてん》でもあれば|這入《はい》つて|腹《はら》を|拵《こしら》へたいものだなア』
|弥《や》、|与《よ》『サアさうお|誂《あつら》へ|向《むき》に|出来《でき》て|居《を》れば、|結構《けつこう》だが』
|六《ろく》『イヤ、|御心配《ごしんぱい》|御無用《ごむよう》、|些《すこ》し|先《さき》に|往《ゆ》きますと、|松屋《まつや》と|云《い》つて、|一寸《ちよつと》した|飲食店《いんしよくてん》があります、|其処《そこ》には|別嬪《べつぴん》も|居《を》りますぜ』
|与《よ》『|夫《それ》は|豪気《がうき》だ、ともかく|其処迄《そこまで》もう|一息《ひといき》だ。|何《なん》だか|俄《にはか》に|元気《げんき》が|付《つ》いた』
と|云《い》ひつつ|四人《よにん》は|速度《そくど》を|速《はや》めて|駆出《かけだ》した。
|弥《や》『ヤア|此処《ここ》が|松屋《まつや》だ。いよいよ|目的《もくてき》|地点《ちてん》に|無事《ぶじ》|御到着《ごたうちやく》か、アハヽヽヽ、|久《ひさ》し|振《ぶり》で|弁才天《べんざいてん》の|拝観《はいくわん》も|出来《でき》ると|云《い》ふものだ』
|弥《や》『|弁才天《べんざいてん》はどうでも|好《よ》い、|早《はや》く|御飯《おまんま》に|有《あ》りつきたい|哩《わい》、もう|斯《こ》うなれば|色気《いろけ》より|食気《くひけ》だ』
|松屋《まつや》の|門口《かどぐち》に|一人《ひとり》の|下女《げぢよ》|立《た》ち|現《あら》はれ、
|下女《げぢよ》『モシモシ、お|客《きやく》サン、コーカス|詣《まゐ》りですか、|随分《ずゐぶん》|強《きつ》い|坂《さか》でお|草臥《くたび》れでせう、|何卒《どうぞ》|一《ひと》つお|茶《ちや》でも|飲《の》んで|一服《いつぷく》してお|出《いで》なされませ』
|与《よ》『|云《い》ふにや|及《およ》ぶ、|吾々《われわれ》|一行《いつかう》|四人《よにん》は|松屋《まつや》をさして|休息《きうそく》の|予定《よてい》でお|越《こ》し|遊《あそ》ばしたのだ。|一服《いつぷく》してやらう、ナンゾ、|小美味《こうまい》ものは|無《な》いか』
|下女《げぢよ》お|竹《たけ》『ハイハイ、|何《なん》でも|御座《ござ》います。お|望《のぞ》み|次第《しだい》お|金《かね》|次第《しだい》です』
|与《よ》『チエツ、|直《すぐ》に|之《これ》だから|嫌《いや》になつて|仕舞《しま》ふ、お|銭《かね》お|銭《かね》と|何《なん》だ。|矢張《やつぱり》ウラル|教《けう》の|空気《くうき》が|漂《ただよ》ふてゐるな、|仕方《しかた》が|無《な》い|哩《わい》、|腹《はら》が|減《へ》つては|戦《いくさ》が|出来《でき》ないから』
と|云《い》つて|与太彦《よたひこ》は|先《さき》にたち|飛《と》び|込《こ》む。
|下女《げぢよ》『マア、マア、お|二人《ふたり》のお|方《かた》、ホヽヽヽヽ、|妙《めう》な|風《ふう》をなさいまして』
|与《よ》『|妙《めう》な|風《ふう》でも|何《なん》でもお|前《まへ》に|惚《ほ》れて|呉《く》れと|云《い》いやしないし、|着物《きもの》を|貸《か》して|呉《く》れとも|云《い》やしないから、いらぬ|口《くち》を|叩《たた》くな、|早《はや》く|小美味《こうまい》ものを|出《だ》さぬかい』
|奥《おく》の|方《はう》から|中年増《ちうどしま》の|婆《ば》アサンが、ヒヨコヒヨコとやつて|来《き》て、
|婆《ばば》『アヽこれはこれはお|客様《きやくさま》、よう|一服《いつぷく》して|下《くだ》さいました。|何《なん》なと|御註文《ごちゆうもん》|次第《しだい》、|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいませ』
|六《ろく》『|牡丹餅《ぼたもち》は|無《な》いかなア』
|婆《ばば》『ヘエヘエ、|御座《ござ》います、お|彼岸《ひがん》の|牡丹餅《ぼたもち》を|今《いま》|拵《こしら》へた|処《ところ》。ヌクヌクのホコホコの、|手《て》から|漏《も》るやうなのが、|沢山《たくさん》に|握《にぎ》つてあります』
|弥《や》『|初《はじめ》に|握《にぎ》つた|奴《やつ》は|真黒《まつくろ》けと|違《ちが》ふかね』
|婆《ばば》『|滅相《めつさう》な、|清《きよ》めた|上《うへ》にも|清《きよ》めた、|清潔《きれい》な|牡丹餅《ぼたもち》です。|牡丹餅《ぼたもち》の|嫌《きら》ひなお|方《かた》は|此処《ここ》に|握《にぎ》り|飯《まま》がございます。|貴方達《あなたがた》は|遠方《ゑんぱう》の|方《かた》と|見《み》えますが、|随分《ずゐぶん》お|足《あし》の|達者《たつしや》なお|方《かた》らしい、|恰《まる》で|牡丹餅《ぼたもち》のやうな|健脚家《けんきやくか》だ。|毎日《まいにち》コーカス|詣《まゐ》りの|道者《だうしや》が|通《とほ》られますが、|牡丹餅《ぼたもち》のお|客《きやく》は|少《すくな》い、|握飯《にぎりめし》が|随分《ずゐぶん》|多《おほ》いやうですワ。オホヽヽヽ』
|弥《や》『|婆《ば》アサン、|牡丹餅《ぼたもち》のお|客《きやく》だとか、|握飯《にぎりめし》のお|客《きやく》だとか、それや|一体《いつたい》|何《なん》の|事《こと》だい。|俺《おれ》の|顔《かほ》が|牡丹餅《ぼたもち》のやうな|不恰好《ぶかつかう》だと|云《い》ふて|嘲弄《てうろう》するのだな』
|婆《ばば》『オホヽヽヽ、|夫《それ》は|譬《たとへ》で|御座《ござ》います。|握飯《にぎりめし》は|丸《まる》い、|牡丹餅《ぼたもち》は|一寸《ちよつと》|角《かど》が|立《た》つて|居《ゐ》る。|或時《あるとき》に|握飯《にぎりめし》と|牡丹餅《ぼたもち》とがマラソン|競争《きやうさう》をやりました。さうしたところが、|丸《まる》い|方《はう》の|握飯《にぎりめし》が|勝《か》たねばならぬ|筈《はず》だのに、|中途《ちうと》で|平太張《へたば》つて|仕舞《しま》つて、|牡丹餅《ぼたもち》はとうとう|決勝点《けつしようてん》まで|安着《あんちやく》されて|名誉《めいよ》の|優勝旗《いうしようき》が|手《て》に|入《はい》りました。そこで|饅頭《まんじう》がやつて|来《き》て、|牡丹餅《ぼたもち》よ、お|前《まへ》は|一寸《ちよつと》|見《み》てもぼたぼたして|足《あし》が|遅《おそ》いと|思《おも》つたに、|勝利《しようり》を|得《え》たのは|何《ど》うした|訳《わけ》かと|尋《たづ》ねよりたら、|牡丹餅《ぼたもち》が|云《い》ふには、|私《わたくし》は【あづき】つけとるから|道中《だうちう》は|安心《あんしん》だと、オホヽヽヽ』
|弥《や》『ナアーンダイ、この|腹《はら》の|空《す》いとるのに|落《おと》し|話《ばなし》をしよつて、|気楽《きらく》な|婆《ば》アサンだなア』
|婆《ばば》『コンナ|話《はな》しでもして、お|客《きやく》サンを|誑《たら》かし|暇《ひま》を|入《い》れて|腹《はら》を|空《す》かし、その|間《あひだ》に|牡丹餅《ぼたもち》を|炊《た》いて|進《しん》ぜると|云《い》ふ|此方《こなた》の|考《かんが》へ、もう|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さい、|今《いま》|飯《めし》が|噴《ふ》いて|居《を》ります、|直《すぐ》に|小豆《あづき》の|衣《ころも》を|着《き》せて、どつさり|食《く》つて|貰《もら》ひます』
|与《よ》『ヤアヤア|牡丹餅《ぼたもち》と|聞《き》けば、|俄《にはか》に|咽喉《のど》の|虫《むし》がグウグウと|催促《さいそく》をし|出《だ》した。|何《なん》でもよいから|手早《てばや》くやつて|下《くだ》さい』
|弥《や》『オイ|与太公《よたこう》、|此処《ここ》には|素敵《すてき》な|別嬪《べつぴん》の|娘《むすめ》があるぢやないか、|貴様《きさま》は|何《ど》うだ。|思召《おぼしめし》は|無《な》いか』
|与《よ》『どうだ、|女子《ぢよし》を|国有《こくいう》にして|居《を》る|国《くに》さへもあるのだから、|吾々《われわれ》|四人《よにん》が|何《なん》とかして|四国《しこく》|協調《けふてう》の|結果《けつくわ》|彼奴《あいつ》を|国有《こくいう》にしたらどうだ。|毎晩《まいばん》|交代《かうたい》にあの|尤物《いうぶつ》をエンプレスして|楽《たのし》まうぢやないか』
|勝《かつ》『ソンナ エンプレスと|云《い》ふやうな|事《こと》をやると|此処《ここ》の|人気娘《にんきむすめ》を、|此《この》|村《むら》の|誇《ほこ》りとして|居《ゐ》るのだから、|貴様《きさま》は|村民《そんみん》の|怨府《えんぷ》となるかも|知《し》れないぞ。とは|云《い》ふものの|縦《たて》から|見《み》ても|横《よこ》から|見《み》ても、|三十三相《さんじふさんさう》|具備《ぐび》したあななし|姫《ひめ》だ。|男《をとこ》と|生《うま》れた|甲斐《かひ》には|切《せ》めて|一遍《いつぺん》|位《くらゐ》はエンプレスをやつて|見《み》たいやうな|気《き》もせぬでは|無《な》いが、|何《なに》を|云《い》ふても|厳《いか》めしい|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だから、どうする|事《こと》も|出来《でき》やしない、|宝《たから》の|山《やま》に|入《はい》つて|裸体《らたい》で|帰《かへ》るやうな|心持《こころもち》がする|哩《わい》』
|婆《ばば》『サアサア|皆《みな》サン、|牡丹餅《ぼたもち》が|出来《でき》た、お|上《あが》りなさいませ』
|与《よ》『これはこれは|有難《ありがた》う|御座《ござ》います、マア|悠《ゆつ》くりと|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しませう』
|婆《ばば》『サア|私《わたくし》がついで|上《あ》げませう』
|与《よ》『ヘイ、ヘイ、ヘイ、アヽ、それは|結構《けつこう》ですが、|同《おな》じ|事《こと》ならあのそれ、お|梅《うめ》サンによそつて|貰《もら》へば|一入《ひとしほ》、|美味《おいし》いやうな|気《き》が|致《いた》します|哩《わい》』
|婆《ばば》『ホヽヽヽヽ、|貴方《あなた》もよほど|苦労人《くらうにん》と|見《み》える|哩《わい》、|渋皮《しぶかは》のやうなお|手《て》で、|牡丹餅《ぼたもち》を|盛《も》つて|上《あ》げても、お|気《き》に|召《め》しますまい、|私《わたくし》が|盛《も》るのがお|気《き》に|入《い》らねば、もう|牡丹餅《ぼたもち》は|食《た》べて|貰《もら》ふ|事《こと》は|真平《まつぴら》|御免《ごめん》|蒙《かうむ》ります』
|弥《や》『マア、マア、マア|待《ま》つて|下《くだ》さい、これは|冗談《じやうだん》ですよ、さう|真《ま》に|受《う》けて|貰《もら》つては|困《こま》ります』
|婆《ばば》『|冗談《じやうだん》から|暇《ひま》が|出《で》る。|瓢箪《へうたん》から|駒《こま》が|出《で》る。|青瓢箪《あをべうたん》の|黒焦《くろこげ》のやうな|顔《かほ》をして|年寄《としより》が|気《き》に|入《い》らないの、スツポンのと、それやお|前《まへ》|何《なに》を|云《い》ふのだ。さう|老人《としより》を|見下《みさ》げたものぢやない、|人間《にんげん》は|年《とし》をとつて|苔《こけ》がついて|来《く》る|程《ほど》|値《ねうち》が|出来《でき》るのだよ』
|勝《かつ》『|左様《さやう》|左様《さやう》、|御尤《ごもつと》もだ』
|婆《ばば》『ソンナら|勝手《かつて》に|取《と》つて|食《く》ひなさい』
と|婆《ば》アサンはむつとした|顔《かほ》をして|奥《おく》に|入《い》る。|四人《よにん》は|熊手《くまで》のやうな|手《て》を|出《だ》して、|餓虎《がこ》のやうに、グイグイと|呑《の》み|込《こ》み、
|四人《よにん》『ヨー|美味《うま》い、コンナ|美味《おいし》い|牡丹餅《ぼたもち》は、|臍《へそ》の|緒《を》|切《き》つてから|食《く》つた|事《こと》がないワイ。コンナ|奴《やつ》なら、|一遍《いつぺん》に|腹《はら》が|弾《はぢ》けても|構《かま》はぬ、|百《ひやく》でも|二百《にひやく》でも|咽喉《のど》の|虫《むし》が|御苦労《ごくらう》|御苦労《ごくらう》と|云《い》ふて|辷《すべ》り|込《こ》んで|仕舞《しま》ふやうだ』
と|堆高《うづたか》く|積《つ》んであつた|沢山《たくさん》の|牡丹餅《ぼたもち》を|一息《ひといき》に|平《たひら》げてしまつた。
|下女《げぢよ》のお|竹《たけ》『お|客《きやく》サン、よういけましたなア、お|米《こめ》の|相場《さうば》が|狂《くる》ひますぜ、お|代《かは》りはどうです』
|与《よ》『|餅屋《もちや》の|喧嘩《けんくわ》で、【|餅論《もちろん》】だ。|早《はや》く|出《だ》したり|出《だ》したり』
お|竹《たけ》『マアマアお|客《きやく》サン、|貴方達《あなたがた》は|閂《かんぬき》の|向《むか》ふに|居《を》る、|角《つの》の|生《は》えたお|方《かた》のやうな|方《かた》ですなア、モウ モウ モウ|呆《あき》れましたよ』
|弥《や》『|何《ど》うでもよい、|早《はや》く|出《だ》して|貰《もら》はうかい、|腹《はら》の|虫《むし》は|得心《とくしん》したやうだが、|未《ま》だ|舌《した》と|眼《め》とが|羨望《せんばう》の|念《ねん》に|駆《か》られて|居《ゐ》るやうだ。|同《おな》じ|一《ひと》つの|体《からだ》だ、|腹《はら》ばかり|可愛《かあい》がつて、|眼《め》と|舌《した》とを|埒外《らちぐわい》に|放《ほ》り|出《だ》すと|云《い》ふのも、|吾々《われわれ》|宣伝使《せんでんし》として|情《なさけ》を|弁《わきま》へぬと|云《い》ふものだ。アハヽヽヽ』
お|竹《たけ》『サアサア、お|代《かは》りが|出来《でき》ました。|悠《ゆつ》くりお|食《あが》りなさいませ』
|四人《よにん》は|又《また》もや|一斉《いつせい》に|二膳片箸《にぜんかたはし》の|同盟軍《どうめいぐん》を|作《つく》つて、|複縦陣《ふくじうぢん》の|備《そな》へを|取《と》り、|爆弾《ばくだん》のやうな|牡丹餅《ぼたもち》を|又《また》もやパクつき|始《はじ》めた。
|与《よ》『オイお|竹《たけ》サン、|馬鹿《ばか》にするない、|見本《みほん》は|美味《うま》い|奴《やつ》を|出《だ》しよつて、これは|大変《たいへん》|味《あぢ》が|悪《わる》いぢやないか、|一番《いちばん》|先《さき》に|出《だ》したやうな|奴《やつ》を|出《だ》して|呉《く》れないかい、|上皮《うはかは》の|方《はう》には|甘《うま》い|奴《やつ》を|並《なら》べよつて、|下《した》になる|程《ほど》|不味《まづ》い|牡丹餅《ぼたもち》を|並《なら》べといたつて、|俺《おれ》の|舌《した》がよく|御存《ごぞん》じだぞ』
お|竹《たけ》『それや|何《なに》を|云《い》ふのぢや、|美味《うま》いも|不味《まづい》もあつたものか、|皆《みな》|同《おな》じ|味《あぢ》に|造《つく》つてあるのですよ、お|前《まへ》サン|腹《はら》の|空《へ》つた|時《とき》に|食《く》つたから|美味《うま》かつたのだ。|腹《はら》が|膨《ふく》れてから|何《なに》を|食《く》つたからつて|美味《うま》い|事《こと》はありやしない。ソンナ|小言《こごと》を|云《い》ふのなら、|食《く》ふだけの|権利《けんり》がない、|食物《しよくもつ》の|味《あぢ》に|対《たい》しては|気《き》の|毒《どく》ながら|神経《しんけい》|麻痺《まひ》だ。サアサア|好《よ》い|加減《かげん》|食《く》つたらお|銭《あし》をお|払《はら》ひなさい』
|六《ろく》(|懐中《くわいちう》より)『それ、お|剰金《つり》は|要《い》らないぞ、|後《あと》はお|前《まへ》の|小遣《こづか》ひだ』
お|竹《たけ》『|大《おほ》きに|有難《ありがた》う|御座《ござ》いました』
と|顔《かほ》を|見上《みあ》ぐる|途端《とたん》に、
『ヤアお|前《まへ》は|六《ろく》サンだつたかい』
と|転《ころ》げるやうにして|裏口《うらぐち》をさして|姿《すがた》を|隠《かく》して|仕舞《しま》つた。
|与《よ》『オイ|六《ろく》、|貴様《きさま》は|罪《つみ》の|深《ふか》い|奴《やつ》だ。|何《なに》か|之《これ》には|秘密《ひみつ》が|籠《こも》つて|居《ゐ》るだらう、それだから|松屋《まつや》に|寄《よ》らう|寄《よ》らうと|云《い》ひよつたのだなア、|酢《す》でも|蒟蒻《こんにやく》でも|行《ゆ》かぬ|奴《やつ》だ。お|目出度《めでた》い|処《ところ》を|見《み》せつけよつて、|余《あま》り|馬鹿《ばか》にするない』
『ヤア、|何《なん》でもよい、|退却《たいきやく》|々々《たいきやく》』
と|羽織《はおり》の|袴《はかま》をバサバサと|穿《うが》ちながら、|一散《いつさん》に|駆《か》け|出《だ》した。|三人《さんにん》は|止《や》むを|得《え》ず、
『オイ|六公《ろくこう》|待《ま》つた』
|六公《ろくこう》は|後《あと》|振《ふ》り|向《む》き|乍《なが》ら、
『マツたも|松屋《まつや》もあつたものかい、マア、|一所《いつしよ》に|出《で》てこないかい』
と|息《いき》せき|切《き》つて|走《はし》り|出《だ》す。|三人《さんにん》は、
『あゝ|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|突発《とつぱつ》|事件《じけん》だ。|仕方《しかた》がない、ソンナラそろそろ|行《い》かうかい』
と|又《また》もや|牡丹餅腹《ぼたもちばら》を|揺《ゆす》りながら、|六公《ろくこう》の|後《あと》を|追跡《つゐせき》する。
(大正一一・三・二四 旧二・二六 加藤明子録)
(昭和一〇・三・一五 於高雄港口官舎 王仁校正)
第一一章 |河童《かつぱ》の|屁《へ》〔五六一〕
|勝公《かつこう》の|宣伝使《せんでんし》を|始《はじ》め|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》は|六公《ろくこう》の|後《あと》を|追跡《つゐせき》して|漸《やうや》く|二十峠《はたちたうげ》の|麓《ふもと》に|着《つ》いた。
|与《よ》『サア|又《また》|之《これ》からが|危険《きけん》|区域《くゐき》だ、|敵《てき》の|防禦網《ばうぎよまう》を|突破《とつぱ》して|善戦《ぜんせん》|善闘《ぜんとう》、|秘術《ひじゆつ》を|尽《つく》し|神軍《しんぐん》の|威力《ゐりよく》を|示《しめ》すべき|時《とき》は|迫《せま》つた』
|勝《かつ》『アヽさうだ、|各自《めいめい》に|腹帯《はらおび》をしつかりと|締《し》めて、|四辺《あたり》に|気《き》をつけ|登阪《とはん》する|事《こと》としよう。それにしても|六公《ろくこう》は|何処《どこ》へ|磨滅《まめつ》して|仕舞《しま》つたのだらうか、|三人《さんにん》では|如何《どう》も|話《はな》し|相手《あひて》のバランスがとれない、|仲々《なかなか》の|慌《あは》て|者《もの》だからなア』
|弥《や》『|何《なん》でも|彼奴《あいつ》、お|竹《たけ》の|顔《かほ》を|見《み》るより|猫《ねこ》のつるんだ|後《あと》の|様《やう》に|両方《りやうはう》へパツと|逃《に》げ|散《ち》つた。その|時《とき》の|可笑《をか》しさ、|之《これ》は|何《なに》か|込《こ》み|入《い》つたローマンスが|伏在《ふくざい》して|居《ゐ》るのかも|知《し》れないぞ』
|与《よ》『|何《なに》、ローマンスなんて、アンナ|男《をとこ》にあつて|堪《たま》るものかい』
|弥《や》『さう|見絞《みくび》つたものじや|無《な》い、|縁《えん》は|異《い》なもの|乙《おつ》なものだ。|今《いま》に|六公《ろくこう》がお|竹《たけ》を|連《つ》れて「ヤア|六《ろく》サンか、お|前《まへ》は|如何《どう》して|居《を》つたのだ、その|袴《はかま》は|何事《なにごと》ぞ、|此《この》お|召物《めしもの》は」と|取《と》り|付《つ》いて|涙《なみだ》|片手《かたて》に|掻《か》き|口説《くど》く、そこで|六公《ろくこう》の|奴《やつ》「ヤアお|竹《たけ》、|如何《どう》|成《な》り|行《ゆ》くも|因縁《いんねん》づくぢやと|諦《あきら》めて|呉《く》れよ、|昨日《きのふ》に|変《かは》る|今日《けふ》の|空《そら》、|定《さだ》めなき|世《よ》の|習《なら》ひに|洩《も》れぬ|二人《ふたり》が|切《せつ》ない|恋路《こひぢ》、アーア、|天道様《てんだうさま》も|聞《きこ》えませぬ」|等《など》と|何処《どこ》か|途中《とちう》で|悲劇《ひげき》の|幕《まく》を|演《えん》じ、ヤツト|機嫌《きげん》をとり|直《なほ》し|手《て》に|手《て》を|把《と》つて|二十峠《はたちたうげ》を|目蒐《めが》けて|現《あら》はれ|来《きた》り「|天下《てんか》の|色男《いろをとこ》はマアこの|通《とほ》り、|比翼連理《ひよくれんり》を|契《ちぎ》つた|仲《なか》、|切《き》つても|切《き》れぬ|二人《ふたり》が|恋路《こひぢ》」なんて|惚《のろ》けよつて|首《くび》を|其《その》|場《ば》へヌツと|現《あら》はすかも|知《し》れないぞ、アハヽヽヽ』
|与《よ》『ウツフヽヽヽ、アーア、|馬鹿《ばか》な|事《こと》を|言《い》ふて|呉《く》れない、|臍《へそ》が|弛《だる》くなつて、|足《あし》がガブリガブリするワ』
|弥《や》『|勝彦《かつひこ》サン、コンナ|足《あし》が|笑《わら》ふ|様《やう》な|奴《やつ》に|構《かま》はずに|二人《ふたり》|仲良《なかよ》く|進《すす》みませうかい。|三人《さんにん》の|道中《だうちう》と|言《い》ふものは|何《なん》だか|一人《ひとり》|空手《あきて》が|出来《でき》て、|話《はな》しもつて|歩《ある》くのに|如何《どう》も|都合《つがふ》が|悪《わる》い』
|与《よ》『ヘン|俺《おれ》を|放《ほ》つといて|二人《ふたり》|先《さき》に|行《い》つたら|面白《おもしろ》からう、|丁度《ちやうど》|四足《よつあし》の|旅行《りよかう》だから|早《はや》く|先《さき》へ|行《い》つて|路瑞《みちばた》の|草《くさ》でも|噬《しや》ぶるか、|石地蔵《いしぢざう》に|小便《せうべん》でもかけたが|良《よ》い|哩《わい》』
|弥《や》『コラ、|馬鹿《ばか》にするない、|牛馬《ぎうば》か|犬《いぬ》の|様《やう》に|草《くさ》を|喰《く》への、|小便《せうべん》をひつかけろのと|余《あま》り|馬鹿《ばか》にするない』
|与《よ》『ヤア|割《わり》とは|気《き》の|小《ちい》さい|奴《やつ》だナ、コンナ|事《こと》に|腹《はら》の|立《た》つ|様《やう》な|事《こと》で|宣伝使《せんでんし》のお|伴《とも》が|出来《でき》るかい、|娑婆《しやば》|幽霊《いうれい》|奴《め》い、ツベコベ|囀《さへづ》ると|又《また》、|松《まつ》の|梢《こずゑ》から|踏《ふ》み|外《はづ》して|腰《こし》を|抜《ぬ》かさなならないぞ。|此処《ここ》は|小鹿峠《こしかたうげ》だが|後《さき》になれば|弥次彦《やじひこ》の【こしぬかし】|峠《たうげ》と|名《な》がつくだらう。オイ|腰抜《こしぬ》け|先生《せんせい》、|御勝手《ごかつて》にお|越《こ》しなさい、もう|貴様《きさま》とは|只今《ただいま》|限《かぎ》り|国交《こくかう》|断絶《だんぜつ》だ、|旅券《りよけん》を|交付《かうふ》して|与《や》るから|蒸汽《じようき》に|乗《の》つて|早《はや》く|帰国《きこく》|致《いた》せ』
|弥《や》『アハヽヽヽ、|与太《よた》の|奴《やつ》、|真面目《まじめ》になりよつて|其《その》|面《つら》ア|何《なん》だ、まるで|夜鷹《よたか》の|様《やう》な|団栗眼《どんぐりまなこ》を|剥《む》きよつて|嘴《くちばし》を|鋭《とが》らして、あまり|見《み》つとも|良《よ》くないぞ。|之《これ》から|与太《よた》を|改名《かいめい》して|夜鷹《よたか》と|言《い》つたが|宜《よ》からう、|夜鷹《よたか》と|言《い》ふ|奴《やつ》は【ござ】をひつかけて|暗《くら》い|辻《つじ》に|立《た》てつて|居《ゐ》よる|奴《やつ》だ』
|与《よ》『アヽそうか(|惣嫁《そうか》)とけつかる|哩《わい》』
|弥《や》『お|前《まへ》と|俺《おれ》との|仲《なか》は|何《ど》うやら|形勢《けいせい》|不穏《ふおん》になつて|来《き》かけた、サア|勝公《かつこう》の|宣伝使《せんでんし》の|御目《おんめ》の|前《まへ》で|平和《へいわ》|克復《こくふく》の|条約《でうやく》を|結《むす》ばうかい』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|尻《しり》を|捲《まく》つて、
|弥《や》『サアサ|屁《へ》いはこく|吹《ふ》くだ』
|与《よ》『アハヽヽヽ、|屁《へ》と|言《い》ふ|奴《やつ》は|笑顔《ゑがほ》の|好《よ》い|奴《やつ》だな、|然《しか》し|乍《なが》ら|貴様《きさま》の|屁《へ》は、あまり|牡丹餅《ぼたもち》を|沢山《たくさん》|格納《かくなふ》したので|瓦斯《ガス》が|猛烈《まうれつ》に|発生《はつせい》して、|異様《いやう》の|臭気《しうき》|紛々《ふんぷん》として|鼻《はな》を|向《む》くべからずと|言《い》ふ|臭《しう》の|臭《しう》の|醜《しう》たるものだ、アハヽヽヽ、|臭《くさ》い|臭《くさ》い、|貴様《きさま》の|尻《しり》から|行《ゆ》くと|年《ねん》が|年中《ねんぢう》|雪隠《せんち》の|中《なか》で|年期《ねんき》|奉公《ぼうこう》をしてる|様《やう》なものだよ、|真実《ほんと》に|吾輩《わがはい》も|不平《ふへい》|満々《まんまん》だ』
|弥《や》『|俺《おれ》の|屁《へ》は|臭《しう》の|臭《しう》の|秀逸《しういつ》だらう、|臭気《しうき》|紛々《ふんぷん》として|恰《あたか》も|麝香《じやかう》の|如《ごと》しだ。|臭《くさ》いのが|屁《へ》の|生命《せいめい》だ、|臭《くさ》うない|屁《へ》は|既《すで》に|已《すで》に|屁《へ》たるの|資格《しかく》を|失《うしな》つたものだ。|河童《かつぱ》の|屁《へ》の|様《やう》に|匂《にほ》ひのせぬ|奴《やつ》は|屁《へ》の|腐《くさ》つたのだよ。|屁《へ》をこくなら|生《い》きた|屁《へ》をこけ、|死屁《しべ》は|縁起《えんぎ》が|悪《わる》いぞ』
|与《よ》『|貴様《きさま》の|屁《へ》は|伊勢《いせ》|参宮《さんぐう》の|道中屁《だうちうべ》だ、|堅《かた》い|堅《かた》い|屁《へ》を|放《ひ》るから|石部《いしべ》だ、|音《おと》は【|大《おほ》】|津《つ》で|後《あと》は【|草《くさ》】|津《つ》だ、|真実《ほんと》に|威勢《【ゐせ】い》(|伊勢《いせ》)の|良《よ》い|事《こと》だ、アハヽヽヽ』
弥『|軍学《ぐんがく》の|名人《めいじん》、【|兵《へい》】|法《はふ》の|達人《たつじん》とは|弥次彦《やじひこ》の|事《こと》だよ。|今《いま》に|砲兵《はうへい》|工廠《こうしやう》でも|建設《けんせつ》して|大砲《たいはう》を|製造《せいざう》し|盛《さかん》に|砲列《はうれつ》を|敷《し》いて|戦闘《せんとう》|準備《じゆんび》に|着手《ちやくしゆ》する|考《かんが》へだよ、アハヽヽヽヽ』
|与《よ》『オイ|弥次屁衛《やじべゑ》、|貴様《きさま》はこれから【|兵《へい》】|助《すけ》、【|文《ぶん》】|助《すけ》、【|久《きう》】|助《すけ》と、|尊名《そんめい》を|奉《たてまつ》らう。|有難《ありがた》く|頂載《ちやうだい》せい』
|弥《や》『ヘイヘイ|有難《ありがた》う、|確《たしか》に|頂戴《ちやうだい》|仕《つかまつ》りませう、マア|斯《こ》うなれば|二人《ふたり》の|仲《なか》も【へ】な|戸《ど》の|風《かぜ》に【へ】|解《と》き|放《はな》ち|艫《とも》|解《と》き|放《はな》ちて|大海《おほわだ》の|原《はら》に、|大津《おほつ》【べ】に|居《を》る|大船《おほふね》を|押《お》し|放《はな》つ|事《こと》の|如《ごと》く【へ】い|和《わ》の|風《かぜ》はソヨソヨと|春《はる》の|海面《かいめん》を|撫《な》でて|天下《てんか》|泰《たい》【へ】い|最後《さいご》|屁和《へいわ》【こく】|土《ど》|成就《じやうじゆ》だ。|愈《いよいよ》【へ】い|和《わ》|克復《こくふく》の|曙光《しよくわう》を|認《みと》めた、【へこく】(|四国《しこく》)【へち|十《じふ》へつか|所《しよ》】(|八十八ケ所《はちじふはちかしよ》)|何《な》んぼ(|南無《なむ》)|放《こ》いても|大師《だいし》|遍照《へんぜう》|金剛《こんがう》だ、アハヽヽヽ』
|与《よ》『モシモシ|勝彦《かつひこ》サン、|貴方《あなた》はよつぽど|真面目《まじめ》な|人《ひと》ですな、コンナ|可笑《をか》しい|事《こと》が|貴方《あなた》は|何《なん》ともありませぬか』
|勝《かつ》『お|前達《まへたち》は|屁《へ》でもない|様《やう》な|事《こと》が|可笑《をか》しいのか、|水中《すゐちう》に|放屁《はうひ》した|様《やう》な|下《くだ》らぬ|喧嘩《けんくわ》をオツ|始《ぱじ》めて|平和《へいわ》|克復《こくふく》もあつたものか、|人《ひと》を|屁煙《へけむり》に|捲《ま》いて、|吾等《われら》は|聊《いささ》か|閉口《へいこう》|頓首《とんしゆ》の|至《いた》りだ』
|弥《や》『この|与太公《よたこう》は|屁放《へつぴ》り|腰《ごし》の|屁古垂《へこたれ》|男《をとこ》だから、もちつと|向《むか》ふへ|行《い》つたら|屹度《きつと》|屁古垂《へこた》れますぜ、アハヽヽヽ』
|与《よ》『お|前《まへ》は|膝栗毛《ひざくりげ》の|弥次郎兵衛《やじらうべゑ》と|云《い》ふ|屁《へ》こき|爺《おやぢ》だ。あまり|調子《てうし》に|乗《の》ると|社会《しやくわい》の【|弊《へい》】|害《がい》になるから|良《い》い|加減《かげん》に|筒口《つつぐち》を【|閉《へい》】|門《もん》した|方《はう》が|宜《よ》からうぞ、アハヽヽヽ』
|勝《かつ》『まるで|鼬《いたち》や|馬《うま》や|屁《へ》こぎぶんぶと|道連《みちづ》れの|様《やう》だワイ、オツホヽヽヽ』
|弥《や》『ヨーヨー|何時《いつ》の|間《ま》にか|話《はなし》につられて|頂上《ちやうじやう》へやつて|来《き》ました。|矢《や》つ|張《ぱ》り|此処《ここ》にも【|平《へい》】|坦《たん》な|道《みち》が|開平《かいへい》されてあるですな。|遠《とほ》く|彼方《あなた》を|見渡《みわた》せば|目《め》も|届《とど》かぬ|許《ばか》りの|之《これ》も|大《だい》【|平《へい》】|原《げん》、|矢《や》つ|張《ぱ》り|天下《てんか》|太《たい》【|平《へい》】の|世《よ》の|中《なか》だワイ、アハヽヽヽ』
|勝《かつ》、|与《よ》『ウツホヽヽヽ』
|弥《や》『|何《なん》だか、チツと|腹《はら》が|変《へん》になつて|来《き》ました、|一寸《ちよつと》そこ|迄《まで》|失礼《しつれい》いたします、ここらに|屁太張《へたば》つて|待《ま》つてゐて|下《くだ》さいませ、【ヘイ】|御免《ごめん》なさいませよ』
とチヨコチヨコ|走《はし》り、|樹《き》の|繁《しげ》みに|姿《すがた》を|隠《かく》した。
|与《よ》『ハツハヽヽヽ、|何処《どこ》かに|芋《いも》を|植《う》ゑに|行《ゆ》きよつたな、|太《ふと》い|奴《やつ》を、アハヽヽヽ。アーア|胸《むね》が|悪《わる》くなつた、|折角《せつかく》|喰《く》つた|牡丹餅《ぼたもち》もどうやら|嘔吐《あが》り|相《さう》になつて|来《き》た|哩《わい》』
|一方《いつぱう》の|森林《しんりん》の|中《なか》よりウンウンと|言《い》ふ|呻《うな》り|声《ごゑ》、|弥次彦《やじひこ》の|隠《かく》れた|方《はう》にも|亦《また》もやウンウンといふ|呻《うな》り|声《ごゑ》が|聞《きこ》えて|居《ゐ》る。
|与《よ》『ヤア|此奴《こいつ》は|堪《た》まらぬ、|右《みぎ》と|左《ひだり》より、|敵《てき》に|挟撃《けふげき》されてる|様《やう》なものだ、オイオイ、ウンウン|吐《ぬ》かす|奴《やつ》は|何処《どこ》の|糞奴《くそやつこ》だい』
|忽《たちま》ちガサガサと|現《あら》はれて|来《き》た|一人《ひとり》の|男《をとこ》がある、|見《み》れば|何《なん》だか|見覚《みおぼ》えのある|顔《かほ》だ。
|与《よ》『ヤア|六公《ろくこう》の|奴《やつ》、|何《なに》をしてゐたのだい』
|六《ろく》『|何《なに》…………、|一寸《ちよつと》…………ホンノ…………|僅《わづ》かなものだよ…………、|俄《にはか》に|陣痛《しきり》が|来《き》たので|産婆《さんば》は|居《を》らぬけれど|一人《ひとり》でトツクリお|産《さん》をやつてゐたのだ』
|与《よ》『【フン】さうかい、|彼方《あなた》にも|此方《こちら》にも|子《こ》を|生《う》みよつて|吾々《われわれ》は|糞《くそ》|攻《ぜ》めに|遭《あ》ふて、|実《じつ》に|糞慨《ふんがい》の|至《いた》りだ。オイ|弥次兵衛《やじべゑ》、よい|加減《かげん》に|出《で》て|来《こ》ないか、|汽笛《きてき》が|鳴《な》つたぞ、|発車《はつしや》|時間《じかん》に|乗《の》り|遅《おく》れても|知《し》らぬぞよ』
|弥《や》『|八釜《やかま》しう|言《い》ふな、|今《いま》|発射《はつしや》の|最中《さいちう》だ。|貴様《きさま》も|其処《そこ》でお|山《やま》の|大将《たいしやう》|俺《おれ》|一人《ひとり》と|言《い》ふ|調子《てうし》でハシヤイで|居《を》れ、|糞《くそ》|八釜《やかま》しい』
|与《よ》『オイ|六公《ろくこう》、|貴様《きさま》ア|一体《いつたい》、お|竹《たけ》の|顔《かほ》を|見《み》て、|血相《けつさう》を|変《か》へて|逃《に》げ|出《だ》したのは、あらア|何《なん》だ』
|六《ろく》『ヤア|何卒《どうぞ》それ|丈《だ》けは|聞《き》いて|呉《く》れな、|後生《ごしやう》だから』
|与《よ》『【ご】|生《しやう》でも|六升《ろくしやう》でも|構《かま》はぬ、|吾等《われら》|一同《いちどう》(|一斗《いつと》)の|者《もの》に|一石《いつこく》(|一刻《いつこく》)も|早《はや》く|事情《じじやう》|逐一《ちくいち》|申《まを》し|上《あ》げぬかい』
|六《ろく》『ヤアお|竹《たけ》の|事《こと》|思《おも》へば|一石《いつこく》どころか|万斛《ばんこく》の|涙《なみだ》が|零《こぼ》れる|哩《わい》、それはそれは|歯《は》の|浮《う》く|様《やう》なローマンスがあるのだ、アーア』
|与《よ》『アーアとは|何《なん》だい』
|六《ろく》『アーアは|矢《や》つ|張《ぱ》りアーアだ』
|弥次彦《やじひこ》はガサリガサリと|笹原《ささはら》を|踏《ふ》み|分《わ》けて|現《あら》はれ|来《きた》り、
|弥《や》『|御一同様《ごいちどうさま》、お|待《ま》たせ|申《まを》しました。ヨウ|六公《ろくこう》、|其処《そこ》に|居《を》るのか、|能《よ》うマア|鼠《ねずみ》にも|引《ひ》かれずに|無事《ぶじ》で|此処《ここ》まで|来《き》て|呉《く》れた、|偉《えら》い|偉《えら》い、ヤレヤレ|二十峠《はたちたうげ》の|頂上《ちやうじやう》で|愈《いよいよ》|四魂《しこん》が|揃《そろ》ふた、サア|之《これ》からは|原《はら》(|腹《はら》)の|下《くだ》り|阪《ざか》ぢや、|鵯《ひよどり》の|谷渡《たにわた》りぢや、ピーピーだ、|全隊《ぜんたい》|進《すす》め、オ|一《いち》、|二《に》、|三《さん》、|四《し》』
|四人《よにん》は|急阪《きふはん》を|飛《と》ぶが|如《ごと》くに|自然的《しぜんてき》に|足《あし》に|任《まか》せて|速度《そくど》を|加《くは》へ|雪崩《なだれ》の|如《ごと》く|下《くだ》つて|行《ゆ》き、|漸《やうや》く|麓《ふもと》に|着《つ》いた。
|弥《や》『サア、|上《のぼ》る|身魂《みたま》と|下《くだ》る|身魂《みたま》で|世界《せかい》は|一旦《いつたん》|騒《さわ》がしくなるぞよ、|後《あと》は|結構《けつこう》な|神世《かみよ》となるぞよ、|松《まつ》のミロ|九《く》の|世《よ》が|参《まゐ》るぞよ、|改心《かいしん》|致《いた》して|下《くだ》されよ、|改心《かいしん》ほど|結構《けつこう》は|無《な》いぞよ、|改心《かいしん》すればその|日《ひ》から|屁《へ》をこいた|様《やう》に|腹《はら》の|中《なか》までスツと|致《いた》して|気楽《きらく》に|暮《く》らされる|様《やう》になるぞよ、この|世《よ》の|鬼《おに》を|往生《わうじやう》さして|世界《せかい》の|人民《じんみん》に|安心《あんしん》をさせるぞよ』
|与《よ》『そら、|何《なに》を|言《い》ふのだい、|勿体《もつたい》|無《な》いぞ』
|弥《や》『|三五教《あななひけう》のお|筆先《ふでさき》だ、|貴様等《きさまら》のホヤホヤ|信者《しんじや》に|分《わか》つて|堪《た》まらうかい』
|与《よ》『|屁《へ》をこいた|様《やう》に|腹《はら》が|空《す》いて|楽《らく》になるぞよなぞと、ソンナ|事《こと》を|神様《かみさま》が|仰有《おつしや》るものかい、|大方《おほかた》|貴様《きさま》の|入《い》れ|事《ごと》だらう』
|勝《かつ》、|六《ろく》『アハヽヽヽヽヽ』
|傍《かたはら》の|丈《たけ》なす|雑草《ざつさう》の|中《なか》より|覆面《ふくめん》の|男《をとこ》|十七八人《じふしちはちにん》、ムクムクと|現《あら》はれ|手槍《てやり》を|扱《しご》き|乍《なが》ら、
|男《をとこ》『ヨー|其《その》|方《はう》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|一行《いつかう》、|吾《われ》こそはウラル|教《けう》の|大目付役《おほめつけやく》、|鷲掴《わしづかみ》|源五郎《げんごらう》の|身内《みうち》に|於《おい》て|三羽烏《さんばがらす》と|聞《きこ》えたる|烏《からす》|勘三郎《かんざぶらう》だ。サア|斯《こ》うなる|上《うへ》はジタバタ|藻《も》がいてもモウ|駄目《だめ》だ、|神妙《しんめう》に|手《て》を|廻《まは》せ』
|弥《や》『ハヽヽヽ、|吐《ほざ》くな|吐《ほざ》くな、|抑《そもそ》も|天教山《てんけうざん》に|現《あら》はれ|給《たま》ふ|野立彦《のだちひこ》の|大神《おほかみ》、|木花姫命《このはなひめのみこと》、まつた|黄金山《わうごんざん》に|現《あら》はれ|給《たま》ふ|埴安彦《はにやすひこ》、|埴安姫《はにやすひめ》、コーカス|山《ざん》に|時《とき》めき|給《たま》ふ|須佐之男命《すさのをのみこと》の|御名代《ごみやうだい》|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》の|御家来《ごけらい》の|弥次彦《やじひこ》とは|俺《おれ》の|事《こと》だ、|吾名《わがな》を|聞《き》いて|胆《きも》を|潰《つぶ》すなウフヽヽヽ』
|勘《かん》『ワツハツハヽヽヽ、この|場《ば》に|及《およ》んで|切端《せつぱ》つまり、コケ|嚇《おど》しの|豪傑《がうけつ》|笑《わら》ひ、|今《いま》に|吼《ほ》え|面《づら》かわかして|見《み》せう、ヤア|者共《ものども》、|彼奴等《きやつら》|四人《よにん》に|一度《いちど》にかかれ』
|勝《かつ》『ワツハヽヽヽ、|洒落《しやれ》な|洒落《しやれ》な、|今《いま》に|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が、|目《め》に|物《もの》|見《み》せて|呉《く》れむ』
と|言《い》ふより|早《はや》く|両手《りやうて》を|組《く》み|食指《ひとさしゆび》の|先《さき》より|五色《ごしき》の|霊光《れいくわう》を|発射《はつしや》し、|勘三郎《かんざぶらう》|初《はじ》め|一同《いちどう》の|捕手《とりて》に|対《むか》つて|速射砲的《そくしやはうてき》に|霊弾《れいだん》をさし|向《む》けたれば、|勘三郎《かんざぶらう》|始《はじ》め|一同《いちどう》は|俄《にはか》に|頭《かしら》|痛《いた》み、|胸《むね》|裂《さ》くる|許《ばか》りクンウンと|苦悶《くもん》を|始《はじ》め|柄物《えもの》を|大地《だいち》に|投《な》げ|捨《す》て|七転八倒《しちてんばつたう》、|息《いき》も|絶《た》えむ|許《ばか》りの|光景《くわうけい》となりぬ。
|勝《かつ》『アハヽヽヽ、|脆《もろ》いものだワイ、|一《ひと》つ|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて|一同《いちどう》の|奴等《やつら》を|帰順《きじゆん》させ、コーカス|山《ざん》に|伴《ともな》ひ|行《ゆ》きて|吾《わが》|手柄《てがら》を|表《あら》はし|呉《く》れむ。ヤアヤア、|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》、|六公《ろくこう》、|宣伝歌《せんでんか》を|吾《われ》と|共《とも》に|声《こゑ》|高々《たかだか》と|歌《うた》ふのだぞ』
|勝彦《かつひこ》|外《ほか》|一同《いちどう》|声《こゑ》を|揃《そろ》へて
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ
|身《み》の|過《あやま》ちは|詔《の》り|直《なほ》せ |身《み》の|過《あやま》ちは|詔《の》り|直《なほ》せ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つた。|勘三郎《かんざぶらう》|始《はじ》め|一同《いちどう》はこの|言霊《ことたま》の|神徳《しんとく》に|救《すく》はれて、さしも|厳《きび》しき|霊縛《れいばく》は|解《と》かれ|涙声《なみだごゑ》を|絞《しぼ》り|乍《なが》ら|茲《ここ》に|一同《いちどう》|帰順《きじゆん》の|意《い》を|表《へう》し|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》するに|至《いた》りたり。
(大正一一・三・二四 旧二・二六 北村隆光録)
第一二章 |復縁談《ふくえんだん》〔五六二〕
|勝彦《かつひこ》の|宣伝使《せんでんし》を|始《はじ》め、|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》、|六公《ろくこう》の|一行《いつかう》は、|烏《からす》|勘三郎《かんざぶらう》の|一軍《いちぐん》を|言向和《ことむけやは》し、|意気《いき》|揚々《やうやう》として|峠《たうげ》の|幾《いく》つかを|越《こ》えて、|又《また》もや|一《ひと》つの|部落《ぶらく》に|着《つ》いた。
|此処《ここ》は|二三十軒《にさんじつけん》|斗《ばか》り|彼方《あちら》|此方《こちら》に|家《いへ》の|散在《さんざい》せる|小部落《せうぶらく》で|小山村《こやまむら》と|云《い》ふ。
|弥《や》『ヤーまた|此処《ここ》にも|一《いち》|小天地《せうてんち》が|形造《かたちづく》られてあるワイ。どこにか|都合《つがふ》の|好《よ》い|家《いへ》を|探《さが》して|休息《きうそく》をさして|貰《もら》はうかい』
と|先《さき》に|立《た》つてキヨロキヨロと|適当《てきたう》の|家《いへ》を|探《さが》してゐる。|小《ちい》さき|草葺《くさぶき》の|家《いへ》の|門口《かどぐち》に|一人《ひとり》の|婆《ば》アが|立《た》つてゐる。
|弥《や》『モシモシお|婆《ば》アサン、どうぞ|一服《いつぷく》さして|下《くだ》さるまいか』
|婆《ばば》『わしは|盲目《めくら》だから、どなただかお|顔《かほ》が|分《わか》らない。お|前《まへ》サンは|一体《いつたい》|何処《どこ》へ|行《ゆ》く|旅人《たびびと》だい、|伴《つれ》の|衆《しう》は|有《あ》るのかい』
|弥《や》『ハイハイ、|伴《つれ》の|者《もの》は|一行《いつかう》|四人《よにん》、|山坂《やまさか》をいくつも|跋《わた》つて|来《き》たのだから、|脚《あし》が|棒《ぼう》のやうになつて|知覚《ちかく》|精神《せいしん》は|何処《どこ》やらへ|転宅《てんたく》したと|見《み》え、チツトも|吾々《われわれ》の|命令《めいれい》に|足《あし》の|奴《やつ》|服従《ふくじゆう》せないやうになつて|来《き》ました。どうぞ|此《この》|縁側《えんがは》を|一寸《ちよつと》|貸《か》して|下《くだ》さらぬか。|儂《わし》はこれからコーカス|山《ざん》へ|参拝《さんぱい》するものですから』
|婆《ばば》『アーさうかな。それは|能《よ》う|御信心《ごしんじん》が|出来《でき》ます。|私《わたくし》もコーカス|山《ざん》の|神様《かみさま》を|信心《しんじん》して|居《ゐ》る|信者《しんじや》の|一人《ひとり》だ。ウラル|教《けう》なら|平《ひら》に|御断《おことわ》りだが、コーカス|参《まゐ》りをする|方《かた》なら、きつと|三五教《あななひけう》だらう。マア|悠《ゆつ》くりと|休《やす》んでゐて|下《くだ》さい』
|弥《や》『|三五教《あななひけう》も|三五教《あななひけう》、チヤキチヤキだ』
|勝《かつ》『モシモシお|婆《ば》アサン、|私《わたし》は|三五教《あななひけう》の|勝彦《かつひこ》と|云《い》ふ|宣伝使《せんでんし》でございます』
|与《よ》『|私《わたし》は|与太彦《よたひこ》と|云《い》ふ|信者《しんじや》でごぎいます。どうぞ|宜《よろ》しう|御願《おねが》ひ|致《いた》します』
|婆《ばば》『|今《いま》お|前《まへ》サン|等《ら》|四人《よにん》と|云《い》はつしやつたが、お|声《こゑ》は|三人《さんにん》ぢやないか。モウ|一人《ひとり》の|方《かた》は|何処《どこ》へ|行《ゆ》かれたのだい』
|六《ろく》は|作《つく》り|声《ごゑ》して、
|六《ろく》『わたくしはロークと|申《まを》す|吝《けち》な|野郎《やらう》でごんす|程《ほど》に、どうぞよろしう|御見知《おみし》り|置《お》かれまするやうに』
|婆《ばば》『|見知《みし》り|置《お》けと|云《い》つても|私《わたし》は|盲目《めくら》だ。お|声《こゑ》を|聞知《ききし》り|置《お》くより|仕方《しかた》がないワ。アハヽヽヽヽ』
|弥《や》『|比較的《ひかくてき》|広《ひろ》い|家《うち》にお|婆《ば》アサン、たつた|一人《ひとり》かい』
|婆《ばば》『ナニ|老爺《おやぢ》ドンは|中風《ちうぶう》に|罹《かか》つて、|裏《うら》の|離棟《はなれ》で|今年《ことし》で|三年《さんねん》|振《ぶ》り、|床《とこ》に|就《つ》いたきり|困《こま》つて|居《を》ります』
|弥《や》『お|婆《ば》アサン、お|子《こ》サンは|無《な》いのかい』
|婆《ばば》『|子《こ》は|二人《ふたり》あるが、|兄《あに》は|此《この》|間《あひだ》から|女房《にようばう》を|伴《つ》れて|私《わたし》の|眼《め》が|癒《なほ》るやうにと、コーカス|詣《まゐ》りをしたのだ。モウ|二三日《にさんにち》したら|帰《かへ》つて|来《き》ませう。それに|一人《ひとり》の|妹《いもうと》があるのだが|彼奴《あいつ》は|運《うん》が|悪《わる》うて、|一旦《いつたん》|嫁《かたづ》いた|亭主《おやぢ》が|俄《にはか》にウラル|教《けう》の|捕手《とりて》の|役人《やくにん》になり、|洒《さけ》を|喰《くら》ふ|賭博《ばくち》を|打《う》つ、|女《をんな》には【づぼ】る、どうにも|斯《こ》うにも|仕方《しかた》が|無《な》い|男《をとこ》だ。そこで|私《わたくし》の|娘《むすめ》のお|竹《たけ》と|云《い》ふのを|嫁《よめ》にやつてあつたけれども、お|竹《たけ》は|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》なり、|何時《いつ》も|家内《かない》がゴテゴテして|到頭《たうとう》|夜中《やちう》に|逃出《にげだ》して|帰《かへ》つて|来《き》よつたのだ。|何程《なにほど》|勤《つと》めてもアンナ|極道《ごくだう》|亭主《おやぢ》の|所《ところ》へは|仮令《たとへ》|死《し》んでも|帰《かへ》らぬと|云《い》ふて|頑張《ぐわんば》るものだから、|仕方《しかた》|無《な》しに|十九番坂《じふくばんざか》の|麓《ふもと》の|山田村《やまだむら》の|松屋《まつや》といふ|家《うち》へ|奉公《ほうこう》にやつたのだ。|年《とし》が|寄《よ》つてから|彼奴《あいつ》の|為《ため》に|偉《えら》い|苦労《くらう》をしとるのだ。お|前《まへ》サンも|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》サンなら、|一《ひと》つ|神様《かみさま》に|祈《いの》つて|下《くだ》さらぬか』
|弥《や》『ハイハイ|承知《しようち》|致《いた》しました。|御祈念《ごきねん》さして|貰《もら》ひませう。さうしてその|娘《むすめ》は|年《ねん》でも|切《き》つたのか、ホンの|当座《たうざ》|奉公《ぼうこう》か、|何方《どちら》だい』
|婆《ばば》『|縁談《えんだん》があれば|何処《どこ》か|嫁《かたづ》けねばならぬから、|年《ねん》は|切《き》つては|居《を》らぬのだ。お|前《まへ》サンもさうして|世界《せかい》を|歩《ある》きなさるのなら|適当《てきたう》な|所《ところ》があつたら|世話《せわ》してやつて|下《くだ》さい。|親《おや》の|口《くち》から|褒《ほ》めるぢやないが、お|竹《たけ》と|云《い》ふ|奴《やつ》は、|夫《それ》は|信心《しんじん》の|強《つよ》い|正直《しやうぢき》な|気《き》の|優《やさ》しい|女《をんな》だ。|私《わたくし》もお|竹《たけ》の|婿《むこ》がきまる|迄《まで》は|爺《ぢい》サンも|共《とも》に|死《し》んでも|死《し》なれぬと|云《い》ふて|居《を》るのだ。どうぞ|良《よ》い|縁《えん》の|有《あ》るやうに|神様《かみさま》に、とつくりと|祈念《きねん》して|下《くだ》さい』
|与《よ》『お|竹《たけ》サンの|今迄《いままで》の|婿《むこ》サンと|云《い》ふのは、|何《なん》と|云《い》ふ|人《ひと》だな』
|婆《ばば》『それはそれは|意地《いぢ》の|悪《わる》さうな|顔《かほ》をした|根性《こんじやう》の|曲《まが》つた|六《ろく》と|云《い》ふ|男《をとこ》だ。|碌《ろく》でも|無《な》い|奴《やつ》だと|見《み》える。どうした|因縁《いんねん》か、アンナ|心《こころ》の|良《よ》いお|竹《たけ》が、【げぢげぢ】のやうに|嫌《きら》はれて|居《ゐ》る|碌《ろく》でなしの|六助《ろくすけ》に|縁付《えんづ》くとは、|神《かみ》サンもチト|胴慾《どうよく》ぢやと、|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|爺《ぢい》と|婆《ばば》とが|悔《くや》んで|居《ゐ》るのだ。アーア|今頃《いまごろ》はお|竹《たけ》はどうして|居《ゐ》るか|知《し》らぬが、|可愛想《かあいさう》に、アーンアーン、アンアン』
|弥次彦《やじひこ》は|六《ろく》の|顔《かほ》を|一寸《ちよつと》|見《み》て、|顋《あご》をしやくり、
|弥《や》『オイ、ロークサン、どうだい。チツトお|前《まへ》も|御祈念《ごきねん》して|上《あ》げぬかい』
|六《ろく》『ハーイ、ゴーキネンシテ、アゲマシヨカイ』
|弥《や》『アハヽヽヽ、|妙《めう》な|声《こゑ》だ』
|婆《ばば》『お|竹《たけ》の|奴《やつ》は|亭主《おやぢ》【マン】が|悪《わる》うて、|其《そ》の|六公《ろくこう》の|前《まへ》にも|一度《いちど》|嫁《とつ》いだのぢやが、|其奴《そいつ》がまた|酒《さけ》|喰《くら》ひで、しかも|大泥坊《おほどうばう》で|村《むら》【ばね】に|会《あ》ふたものだから、|泣《な》きの|涙《なみだ》で|帰《かへ》つて|来《き》て|悲《かな》しい|月日《つきひ》を|送《おく》つて|居《を》つた。|其処《そこ》へ|仲人《なかうど》が|出《で》て|来《き》て、|盲目《めくら》の|私《わたし》にツベコベと、|木《き》に|餅《もち》がなるやうなことを|云《い》つて|六公《ろくこう》の|家《うち》へ|嫁《よめ》にやつたのだが、その|六公《ろくこう》が|最前《さいぜん》も|言《い》つた|通《とほ》り、|棒《ぼう》にも|箸《はし》にもかからぬ|仕方《しかた》の|無《な》い|奴《やつ》だから、|娘《むすめ》も|可愛想《かあいさう》なものだ。|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》には|二度《にど》|迄《まで》は|縁付《えんづ》きは|止《や》むを|得《え》ぬから|神《かみ》は|大目《おほめ》に|見《み》るが、|三度《さんど》になれば|天《てん》の|御規則《ごきそく》に|戻《もど》るとかと|云《い》つて、それは|八釜敷《やかまし》い|教《をしへ》だから|可愛想《かあいさう》に|娘《むすめ》も|若後家《わかごけ》を|立《た》てると|云《い》ふて|決心《けつしん》はして|居《ゐ》るものの、|親《おや》の|心《こころ》として|仮令《たとへ》|天《てん》の|御規則《ごきそく》は|破《やぶ》れても、モー|一遍《いつぺん》|私《わたし》の|生命《いのち》を|捨《す》ててでも|好《よ》い|夫《をつと》を|持《も》たしてやり|度《た》いと|思《おも》ふのが|一心《いつしん》ぢや。お|前《まへ》サンも|三五教《あななひけう》のお|方《かた》ぢやさうながどうだらうなア。|一遍《いつぺん》|神様《かみさま》に|伺《うかが》つて|下《くだ》さいますまいか』
|弥《や》『ヤアこれは|難題《なんだい》だ。|吾々《われわれ》には|到底《たうてい》|解決《かいけつ》が|付《つ》かない。モシモシ|勝彦《かつひこ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|何《なん》とか|解決《かいけつ》を|与《あた》へて|下《くだ》さいな』
|勝《かつ》『|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》に|親子《おやこ》は|一世《いつせ》、|夫婦《ふうふ》は|二世《にせ》と|教《をし》へてある。|此《この》|事《こと》に|就《つい》て|随分《ずゐぶん》|信者《しんじや》の|中《なか》にも|迷《まよ》ふ|人《ひと》があるが、|之《これ》を|明瞭《はつきり》と|解釈《かいしやく》すれば、|夫婦《ふうふ》といふものは、|夫《をつと》でも|女房《にようばう》でも|二度《にど》より|替《か》へられないのが|不文律《ふぶんりつ》だ』
|婆《ばば》『さうすると|先《せん》の|夫《をつと》なり、|女房《にようばう》なりの|片一方《かたいつぱう》が|死《し》ぬ。|止《や》むを|得《え》ないから|又《また》|後《のち》の|夫《をつと》なり、|女房《にようばう》を|迎《むか》へる。さうなると|死《し》んでからは|夫《をつと》が|二人《ふたり》あつたり、|女房《にようばう》が|二人《ふたり》あつたりするやうなことが|出来《でき》るぢやないか。それでは|何《ど》うも|神界《しんかい》へ|行《い》つて|何方《どちら》の|女房《にようばう》と|一所《いつしよ》に|暮《くら》したら|本当《ほんたう》だか|判《わか》らぬと|云《い》ふて、|皆《みな》のものがいろいろと|評議《へうぎ》をして|居《ゐ》るのだが、お|前《まへ》サンは|如何《どう》|思《おも》ひますか』
|勝《かつ》『|夫婦《ふうふ》と|云《い》ふものは|無論《むろん》|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》で|結《むす》ばれるものではあるが、|身魂《みたま》と|云《い》ふものは、【いくら】にも|分《わか》れて|此《この》|世《よ》へ|生《うま》れて|来《き》て|居《を》るものだ。|併《しか》し|余程《よほど》|神力《しんりき》の|有《あ》る|神《かみ》の|身魂《みたま》なれば|四魂《しこん》と|云《い》つて|四《よ》つにも|分《わか》れて|此《この》|世《よ》に|生《うま》れて|来《く》るものだが、|一通《ひととほ》りの|人間《にんげん》は|先《ま》づ|荒魂《あらみたま》とか|和魂《にぎみたま》とか|二魂《にこん》が|現《あら》はれて|来《く》るのが|普通《ふつう》だ。それだから|二度迄《にどまで》は|同《おな》じ|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》の|夫婦《ふうふ》が|神《かみ》の|引合《ひきあ》はせで、|不知不識《しらずしらず》に|縁《えん》を|結《むす》ぶ|事《こと》となる。それだから|三人目《さんにんめ》の|夫《をつと》や、|女房《にようばう》は|身魂《みたま》が|合《あ》はぬから、どうしても|御神業《ごしんげふ》が|勤《つと》まらないのみならず、|神界《しんかい》の|秩序《ちつじよ》を|紊《みだ》し|身魂《みたま》の|混乱《こんらん》を|来《きた》す|事《こと》になるから|厳禁《げんきん》されて|居《ゐ》るのだ。また|霊界《れいかい》に|行《い》つた|夫婦《ふうふ》は|肉体慾《にくたいよく》がチツトも|無《な》い、|心《こころ》と|心《こころ》の|夫婦《ふうふ》だから|幽体《いうたい》はあつても|此《この》|世《よ》の|人間《にんげん》のやうな|行《おこな》ひは、チツトもする|必要《ひつえう》も|無《な》く、|慾望《よくばう》も|起《おこ》らぬから|綺麗《きれい》なものだ。|中《なか》には|執着心《しふちやくしん》の|強《つよ》い|身魂《みたま》は|此《この》|世《よ》に|息《いき》ある|動物《どうぶつ》を|使《つか》ふて、ナントか、かとか|云《い》ふて【わざ】をする|奴《やつ》がある。けれどもコンナのは|例外《れいぐわい》だ。|恰度《ちやうど》|幽界《いうかい》へ|行《い》つてからの|夫婦《ふうふ》と|云《い》ふものは、|仲《なか》の|好《よ》い|兄弟《きやうだい》のやうなものだ。|肉体《にくたい》の|夫婦《ふうふ》は|肉体《にくたい》の|系統《けいとう》を|繋《つな》ぐための|御用《ごよう》なり、|神界《しんかい》の|身魂《みたま》の|夫婦《ふうふ》は|神界《しんかい》に|於《お》ける|経《たて》と|緯《よこ》との|御用《ごよう》をするのが|夫婦《ふうふ》の|身魂《みたま》の|神業《しんげふ》だ』
|婆《ばば》『コレハコレハ|御親切《ごしんせつ》によく|教《をし》へて|下《くだ》さいました。アヽさうすればあのお|竹《たけ》は|最早《もはや》|縁付《えんづ》くことは|出来《でき》ませぬか。アヽ|可愛想《かあいさう》に|可愛想《かあいさう》に、オンオンオン』
|勝《かつ》『ヤアお|婆《ば》アサン、|御心配《ごしんぱい》なされますな。その|六《ろく》とやらの|精神《せいしん》を、|全然《すつかり》|燒《や》き|直《なほ》して、|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》にさせ、|酒《さけ》も、|賭博《ばくち》も、|道楽《だうらく》も|全然《すつかり》|止《や》めさして|元《もと》の|通《とほ》りの|夫婦《ふうふ》に|請合《うけあ》つてして|上《あ》げやうか。|改心《かいしん》すればお|前《まへ》サンも|娘《むすめ》の|婿《むこ》にするのは|不服《ふふく》ではあるまいな』
|婆《ばば》『アンナ|真極道《しんごくだう》は|芝《しば》を|被《かぶ》らな|到底《たうてい》|治《なを》りつこはないと、お|竹《たけ》が|云《い》ふて|居《を》りました。それでも|神様《かみさま》の|御諭《おさと》しで|立派《りつぱ》な|人間《にんげん》になりませうか。|煎豆《いりまめ》に|花《はな》|咲《さ》く|時節《じせつ》も|来《く》ると|云《い》ふことだから、|何《なん》とも|知《し》れぬけれど|迚《とて》も|迚《とて》もあきますまい』
|勝《かつ》『|悪《あく》に|強《つよ》いものは|善《ぜん》にも|強《つよ》いものだ。|生《うま》れ|赤子《あかご》の|真人間《まにんげん》に、|其《そ》の|六公《ろくこう》サンがなつたらお|前《まへ》どうする|考《かんが》へぢや』
|婆《ばば》『ソンナ|結構《けつこう》なことがあれば、|爺《ぢい》も|婆《ばば》も|兄《あに》も|喜《よろこ》んで|大賛成《だいさんせい》を|致《いた》します』
|勝《かつ》『お|婆《ば》アサン、その|六公《ろくこう》サンは|此《この》|頃《ごろ》は|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》となつて、それはそれは|立派《りつぱ》な|人間《にんげん》になつて|居《ゐ》ますよ。どうです、|私《わたくし》に|仲人《なかうど》をさして|元《もと》の|鞘《さや》に|収《をさ》めさして|下《くだ》さらぬか。さうすれば|三世《さんせ》の|夫《をつと》に|嫁《とつ》いで|天則《てんそく》を|破《やぶ》る|必要《ひつえう》も|無《な》いのだから』
|婆《ばば》『エーそれは|本当《ほんたう》ですか』
|勝《かつ》『|苟《いやし》くも|神《かみ》の|教《をしへ》を|伝《つた》ふる|宣伝使《せんでんし》、なにしに|嘘《うそ》|偽《いつは》りを|曰《い》ひませうか』
|婆《ばば》『どうぞさうして|下《くだ》さい、|頼《たの》みます』
|勝《かつ》『|実《じつ》はその|六《ろく》サンを|改心《かいしん》させて、|此処《ここ》へ|伴《つ》れて|来《き》たのだ』
|婆《ばば》『ヤーナンダか|聞《き》き|覚《おぼ》えのある|声《こゑ》だと|思《おも》ふたが、|六《ろく》、お|前《まへ》|来《き》て|居《ゐ》るのか。ソンナら|夫《そ》れで|何故《なぜ》|早《はや》く|名乗《なの》つて|呉《く》れないのだ』
|六《ろく》『お|母《つか》サン、|誠《まこと》に|心配《しんぱい》をかけて|済《す》みませぬ。|今《いま》は|全然《すつかり》|改心《かいしん》を|致《いた》しまして|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》のお|伴《とも》を|致《いた》し、コーカス|詣《まゐ》りの|途中《とちう》でございます。|山田村《やまだむら》の|松屋《まつや》で|一寸《ちよつと》|一服《いつぷく》した|時《とき》に、お|竹《たけ》に|思《おも》はず|一寸《ちよつと》|出会《であ》ひましたが、お|竹《たけ》は|私《わたし》の|面《かほ》を|見《み》るなり、|裏口《うらぐち》ヘ|遁《に》げ|出《だ》しました』
|婆《ばば》『アヽさうであつたか、|併《しか》し|六《ろく》、|心配《しんぱい》して|呉《く》れな。お|竹《たけ》もお|前《まへ》の|改心《かいしん》したことが|分《わか》つたら、どれ|位《くらゐ》|喜《よろこ》ぶことか|知《し》れたものぢやない。|善《ぜん》は|急《いそ》げだ、|早《はや》く|誰《たれ》か|使《つかい》を|立《た》てお|竹《たけ》を|呼《よ》んで|来《き》て、まア|一度《いちど》|改《あらた》めて|祝言《しうげん》の|杯《さかづき》をさし|度《た》いものだ』
|六《ろく》『|有《あ》り|難《がた》うございます。|誠《まこと》に|合《あは》す|顔《かほ》もございませぬ。|偉《えら》い|悪魔《あくま》にとつつかれて|居《を》りました。モウ|此《この》|後《ご》はチツトモ|御心配《ごしんぱい》はかけませぬから|安心《あんしん》して|下《くだ》さい』
|婆《ばば》『アヽ|六《ろく》、よう|言《い》ふて|呉《く》れた。その|一言《いちごん》を|聞《き》いたら|私《わたし》はモウ|何時《いつ》|国替《くにが》へしても、この|世《よ》に|残《のこ》ることは|無《な》い、|安心《あんしん》して|高天原《たかあまはら》へ|行《ゆ》きます』
|勝《かつ》『|早速《さつそく》の|和談《わだん》まとまつて|重畳々々《ちようでうちようでう》、|併《しか》し|乍《なが》ら|此処《ここ》の|息子《むすこ》サンもコーカス|詣《まゐ》りの|留守中《るすちう》なり、お|竹《たけ》サンも|奉公《ほうこう》の|身《み》の|上《うへ》、|吾々《われわれ》も|六《ろく》サンもコーカス|詣《まゐ》りの|道中《だうちう》、|一度《いちど》|参拝《さんぱい》を|終《をは》つてから|悠《ゆつ》くりと|婚礼《こんれい》をしたらどうでせうか』
|婆《ばば》『ハイハイ|有《あ》り|難《がた》う。|一日《いちにち》や|二日《ふつか》に|何《ど》うといふことは|有《あ》りませぬ。|六《ろく》サンの|精神《せいしん》さへきまれば、それでモウ|何《なに》も|彼《か》も|落着《らくちやく》だ。どうぞ|早《はや》く|機嫌《きげん》よく|参詣《さんけい》を|了《しま》つて|一日《いちにち》も|早《はや》く|帰《かへ》つて|下《くだ》さい』
|一同《いちどう》『めでたいめでたい、ウローウロー』
(大正一一・三・二四 旧二・二六 外山豊二録)
(昭和一〇・三・一六 於台南高雄港口官舎 王仁校正)
第一三章 |山上《さんじやう》|幽斎《いうさい》〔五六三〕
|醜《しこ》の|魔風《まかぜ》や|様々《さまざま》の、|世《よ》の|誘惑《いうわく》に|勝彦《かつひこ》の、|神《かみ》の|使《つかひ》の|宣伝使《せんでんし》は、|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》、|六公《ろくこう》の|三人《さんにん》を|伴《とも》なひ、|小山《こやま》の|郷《さと》を|打過《うちす》ぎて、|二十《はたち》の|坂《さか》を|三《み》つ|越《こ》えし、|峠《たうげ》の|頂《いただ》きに|漸《やうや》く|登《のぼ》り|着《つ》いた。
この|峠《たうげ》の|頂《いただ》きは|今迄《いままで》|過来《すぎき》し|各峠《かくたうげ》の|頂上《ちやうじやう》に|引換《ひきか》へて|大変《たいへん》に|広《ひろ》い|高原《かうげん》になつて|居《ゐ》る。|小鹿川《こしかがは》の|流《なが》れは|眼下《がんか》の|山麓《さんろく》を、|白布《しろぬの》を|晒《さら》した|如《ごと》く、|岩《いは》と|岩《いは》とにせかれて|飛沫《ひまつ》を|飛《と》ばして|居《ゐ》る。|山腹《さんぷく》は|殆《ほと》んど|岩《いは》を|以《もつ》て|蔽《おほ》はれ、|灌木《くわんぼく》の|其処彼処《そこかしこ》に|青々《あをあを》として、|岩《いは》と|岩《いは》の|配合《はいがふ》を、|優美《いうび》に|高尚《かうしやう》に|色彩《いろど》つて|居《ゐ》る。
|弥《や》『|小鹿峠《こしかたうげ》も|漸《やうや》く|二十三坂《にじふさんさか》を|跋渉《ばつせふ》したが、この|頂上《ちやうじやう》くらゐ|広《ひろ》い|所《ところ》は|無《な》かつた。|東西南北《とうざいなんぽく》の|遠近《ゑんきん》の|山《やま》、|茫漠《ばうばく》たる|原野《げんや》は|一望《いちばう》の|下《もと》に|横《よこ》たはり、|風《かぜ》は|清《きよ》く、|何《なん》となく|春《はる》の|気分《きぶん》が|漂《ただよ》ふて|来《き》た。|此処《ここ》で|吾々《われわれ》はゆつくりと|休養《きうやう》して|参《まゐ》る|事《こと》に|致《いた》しませうか』
|勝《かつ》『アヽそれは|宜《よ》からう、この|頂上《ちやうじやう》より|四方《よも》を|眺《なが》めた|時《とき》の|気分《きぶん》は、|実《じつ》に|雄渾《ゆうこん》|快濶《くわいくわつ》にして、|宇宙《うちう》を|我手《わがて》に|握《にぎ》つたやうな|按配式《あんばいしき》だ。ゆるゆると|神界《しんかい》の|話《はなし》でもさして|頂《いただ》かうか、|斯《こ》う|云《い》ふ|清《きよ》い|所《ところ》では、|何程《なにほど》|神界《しんかい》の|秘密《ひみつ》を|話《はな》した|所《ところ》で、|滅多《めつた》に|曲津神《まがつかみ》の|襲来《しふらい》する|虞《おそれ》もなからう』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|青芝《あをしば》の|上《うへ》に|腰《こし》を|下《おろ》した。|三人《さんにん》も|同《おな》じく、|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|横《よこ》たはつた。
|与《よ》『アヽ|良《い》い|気分《きぶん》だ。|何時《いつ》|見《み》ても、|頂上《ちやうじやう》を|極《きは》めた|時《とき》の|心持《こころもち》はまた|格別《かくべつ》だが、|今日《けふ》は|殊更《ことさら》に|気分《きぶん》が|良《よ》い。|斯《こ》う|云《い》ふ|時《とき》に|一《ひと》つ|幽斎《いうさい》の|修業《しうげふ》を|始《はじ》めたら、キツト|善《よ》い|神様《かみさま》が|感合《かんがふ》して|下《くだ》さるでせう、………もし|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|一同《いちどう》|此処《ここ》で|三五教《あななひけう》の|鎮魂《ちんこん》|帰神《きしん》の|神法《しんぱふ》を|施《ほどこ》して|下《くだ》さいませぬか』
|勝《かつ》『それは|結構《けつこう》だが、|生憎《あひにく》|高地《かうち》の|事《こと》とて、|水《みづ》も|無《な》し、|手《て》を|洗《あら》ひ|口《くち》をすすぎ、|水《みづ》を|被《かぶ》ると|云《い》ふ|事《こと》が|出来《でき》ないから……|第一《だいいち》|此《こ》れには|閉口《へいこう》だ』
|弥《や》『|神様《かみさま》の|教《をしへ》にも、「|身《み》の|垢《あか》は|風呂《ふろ》の|湯槽《ゆぶね》に|洗《あら》へ|共《ども》、|洗《あら》ひ|切《き》れぬは|魂《たま》の|垢《あか》なり」と|示《しめ》されてある、たとへ|水《みづ》が|無《な》くとも、|神様《かみさま》に|一《ひと》つ|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》つて、|身魂《みたま》の|洗濯《せんたく》をして|貰《もら》ふ|訳《わけ》にはゆきますまいか。|水《みづ》は|肉体《にくたい》の|垢《あか》を|洗《あら》ひ|落《おと》す|丈《だけ》のもの、|鎮魂《ちんこん》は|精神《せいしん》の|垢《あか》を|落《おと》すものですから、|今日《けふ》は|肉体《にくたい》は|已《やむ》を|得《え》ずとして、|霊《みたま》|丈《だけ》の|洗濯《せんたく》をして|貰《もら》ひませうか……ナア|与太彦《よたひこ》、|六公《ろくこう》』
|与《よ》『それも|一《ひと》つの|真理《しんり》だ……もしもし|勝彦《かつひこ》の|宣伝使《せんでんし》、あなたは|古参者《こさんしや》だ、|吾々《われわれ》は|新参者《しんざんもの》、どうぞ|一《ひと》つ|鎮魂《ちんこん》を|願《ねが》つて|下《くだ》さいな』
|勝《かつ》『|霊肉一致《れいにくいつち》、|現幽一本《げんいういつぽん》だから、|理屈《りくつ》を|云《い》へば、|別《べつ》に|水行《すゐぎやう》をせなくつても、|霊《れい》さへ|洗《あら》へば|良《い》いと|云《い》ふ|様《やう》なものだが、|矢張《やつぱり》|汚《きたな》い|肉体《にくたい》には|美《うつく》しい|霊《みたま》の|神《かみ》が|憑《うつ》る|事《こと》は、|到底《たうてい》|不可能《ふかのう》だらう。コンナ|所《ところ》で|漫然《うつかり》と|幽斎《いうさい》でもやらうものなら、ウラル|教《けう》の|守護《しゆご》を|致《いた》して|居《を》る|悪神《あくがみ》が、|何時《なんどき》|憑依《ひようい》するかも|知《し》れたものでない。|此《この》|頃《ごろ》は|霊界《れいかい》に|於《おい》て、|往昔《むかし》|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》、その|他《た》の|神々《かみがみ》に|対《たい》し、|極力《きよくりよく》|反抗《はんかう》を|試《こころ》み、|遂《つひ》には|大神《おほかみ》をして|退隠《たいいん》の|已《や》むなきに|至《いた》らしめたと|云《い》ふ|大逆《だいぎやく》|無道《ぶだう》の|常世姫《とこよひめ》や|木常姫《こつねひめ》、|口子姫《くちこひめ》、|八十枉彦《やそまがひこ》の|邪霊《じやれい》|連中《れんちう》が、|少《すこ》しでも|名望《めいばう》のある|肉体《にくたい》に|憑依《ひようい》し、|再《ふたた》び|神界《しんかい》|混乱《こんらん》の|陰謀《いんぼう》を|企《くわだ》てて|居《ゐ》るのだから、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》ると、|何時《いつ》|憑依《ひようい》されるか|分《わか》つたものでない。|宇宙《うちう》|一切《いつさい》は|大国治立尊《おほくにはるたちのみこと》の|御支配《ごしはい》だから、|到《いた》る|所《ところ》として|正《ただ》しき|神《かみ》の|神霊《しんれい》は、|充満《じゆうまん》し|給《たま》ふとは|云《い》ふものの、また|盤古《ばんこ》|系統《けいとう》、|自在天《じざいてん》|系統《けいとう》の|邪神《じやしん》も|天地《てんち》に|充満《じゆうまん》して|居《を》るから、|此方《こちら》の|霊《れい》をよほど|清浄《せいじやう》|潔白《けつぱく》にして|掛《かか》らねば、|神聖《しんせい》の|神《かみ》の|降臨《かうりん》を|受《う》けるといふ|事《こと》は、|到底《たうてい》|不可能《ふかのう》なが|原則《げんそく》だ。|水《みづ》が|一滴《いつてき》もないのだから、|肉体《にくたい》を|清《きよ》める|訳《わけ》にも|行《ゆ》かないから、また|滝壷《たきつぼ》の|在《あ》る|所《ところ》か、|清《きよ》き|流《なが》れの|水《みづ》に|禊《みそぎ》をするとかして、その|上《うへ》で|幽斎《いうさい》の|修業《しうげふ》にかかつたが|宜《よろ》しからう』
|弥《や》『アヽ|融通《ゆうづう》の|利《き》かぬものだな、|全智《ぜんち》|全能《ぜんのう》の|根本《こんぽん》の|神様《かみさま》でも、ソンナ|窮屈《きうくつ》な|意見《いけん》を|以《もつ》て|居《ゐ》られるのだらうか。|善悪《ぜんあく》|相《あひ》|混《こん》じ、|美醜《びしう》|互《たがひ》に|交《まじ》はつて、|天地《てんち》|一切《いつさい》の|万物《ばんぶつ》は、|茲《ここ》に|初《はじ》めて|力《ちから》を|生《しやう》じ、|各自《かくじ》の|活動《くわつどう》を|開始《かいし》するのでは|有《あ》りませぬか。|世《よ》の|中《なか》には|絶対《ぜつたい》の|善《ぜん》もなければ、また|絶対《ぜつたい》の|悪《あく》もない。|如何《いか》に|水晶《すゐしやう》の|身魂《みたま》だと|云《い》つても、|大半《たいはん》|腐敗《ふはい》せる|臭気《しうき》に|包《つつ》まれた|人間《にんげん》の|体《からだ》に|宿《やど》らねばならぬのだから、|何程《なにほど》|表面《うはべ》を|水《みづ》|位《くらゐ》で|洗《あら》つた|所《ところ》で、|五臓六腑《ござうろつぷ》まで|洗濯《せんたく》しきれるものでない、|物《もの》を|深《ふか》く|考《かんが》へれば、|手《て》も|足《あし》も|出《だ》せなくなつて|了《しま》ふ。|何事《なにごと》も|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し|詔直《のりなほ》して、ここで|一《ひと》つ|神聖《しんせい》なる|幽斎《いうさい》の|修業《しうげふ》を、|是非々々《ぜひぜひ》|開始《かいし》して|下《くだ》さい。ナンダカ|神経《しんけい》が|興奮《こうふん》して、|神懸《かむがかり》の|修業《しうげふ》がしたくつて、|仕方《しかた》がなくなつて|来《き》た』
|勝《かつ》『|幽斎《いうさい》の|修業《しうげふ》は|心身《しんしん》を|清浄《せいじやう》にする|為《ため》、|第一《だいいち》の|要件《えうけん》として、|清潔《せいけつ》なる|衣服《いふく》を|纏《まと》ひ、|身体《しんたい》を|湯水《ゆみづ》に|清《きよ》めて|掛《かか》らねばならぬのだが、さう|言《い》へば|仕方《しかた》がない、|神様《かみさま》に|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》つて|幽斎《いうさい》の|修業《しうげふ》をさして|頂《いただ》く|事《こと》にしやうかなア』
|弥《や》『イヤー|有難《ありがた》いありがたい……ナア|与太彦《よたひこ》、|六公《ろくこう》、|貴様《きさま》は|今迄《いままで》まだ|神懸《かむがかり》の|経験《けいけん》がないのだから、この|弥次彦《やじひこ》サンの|神懸《かむがかり》を、|能《よ》つく|拝《をが》め、|心《こころ》を|清《きよ》め、|肝《きも》を|錬《ね》れ、……サア|勝彦《かつひこ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|早《はや》く|審神《さには》をして|下《くだ》さい。ナンダカ|気《き》がイソイソとして|堪《た》まらなくなつて|来《き》ました、……ウンウンウンウン、ウーウー』
と|忽《たちま》ち|惟神的《かむながらてき》に|両手《りやうて》は|組《く》まれ、|身体《しんたい》|忽《たちま》ち|前後《ぜんご》|左右《さいう》に|動揺《どうえう》し|始《はじ》めた。
|与《よ》『ヨー|弥次彦《やじひこ》の|奴《やつ》、|独《ひと》り|芝居《しばゐ》を|始《はじ》め|出《だ》したナ、ナンダ、|妙《めう》な|恰好《かつかう》だな、|目《め》を|塞《ふさ》ぎよつて|両手《りやうて》を|組《く》み、|坐《すわ》つたなりに|飛上《とびあ》がり、|宙《ちう》にまいまいの|芸当《げいたう》を|始《はじ》め|出《だ》した。|大方《おほかた》|松《まつ》の|大木《たいぼく》から|滑走《くわつそう》しよつた|時《とき》の|亡霊《ばうれい》が、まだ|体《からだ》のどつかに|残留《ざんりう》して|居《を》つたと|見《み》える……オイ|六公《ろくこう》、|面白《おもしろ》いぢやないか、……コレコレ|勝彦《かつひこ》サン、|今日《けふ》はモウ|口上《こうじやう》|丈《だけ》はやめて|下《くだ》さい、|頼《たの》みますぜ』
|勝《かつ》『アハヽヽヽ』
|弥次彦《やじひこ》は|夢中《むちう》になつて、|汗《あせ》をブルブル|垂《た》らし|乍《なが》ら、|蚋《ぶと》が|空中《くうちう》に|餅搗《もちつき》した|様《やう》に、|地上《ちじやう》|一尺《いつしやく》|以上《いじやう》を|離《はな》れ、|五六尺《ごろくしやく》の|間《あひだ》を|昇降《しやうかう》|運動《うんどう》を|開始《かいし》して|居《ゐ》る。|神懸《かむがかり》に|関《くわん》しては|素人《しろうと》の|与太彦《よたひこ》、|六公《ろくこう》の|二人《ふたり》は、|口《くち》アングリとして|大地《だいち》に|倒《たふ》れた|儘《まま》、
|与《や》、|六《ろく》『アーアー、ヤルヤル、|妙《めう》だ|妙《めう》だ、オイ|弥次彦《やじひこ》、|貴様《きさま》はそれ|丈《だけ》の|隠《かく》し|芸《げい》を|持《も》つて|居《を》つたのか、|重宝《ちようほう》な|奴《やつ》だ、|宙吊《ちうづ》りの|芸当《げいたう》は|珍《めづ》らしい。ワハヽヽヽ、モシモシ|宣伝使《せんでんし》さま、どうとかして、|御神力《ごしんりき》で|弥次彦《やじひこ》の|体《からだ》を、|猿廻《さるまは》しの|様《やう》に|使《つか》つて|見《み》せて|下《くだ》さいな』
|勝彦《かつひこ》は|両手《りやうて》を|組《く》み、|天津祝詞《あまつのりと》を|声《こゑ》も|緩《ゆる》やかに|奏上《そうじやう》し|終《をは》り、|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》と、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|歌《うた》ひ|終《をは》り、|右《みぎ》の|食指《ひとさしゆび》の|指頭《しとう》より|五色《ごしき》の|霊光《れいくわう》を|発射《はつしや》し、|弥次彦《やじひこ》の|身体《からだ》に|向《むか》つて、|空中《くうちう》に|円《ゑん》を|描《ゑが》いた。|弥次彦《やじひこ》の|身体《からだ》は|勝彦《かつひこ》の|指《ゆび》の|廻転《くわいてん》に|伴《つ》れて、|空中《くうちう》に|円《ゑん》を|描《ゑが》き、|指《ゆび》の|向《むか》ふ|方向《はうかう》に、|彼《かれ》が|身体《からだ》は|回転《くわいてん》する。|勝彦《かつひこ》は、|今度《こんど》は|思《おも》ひ|切《き》つて|腕《うで》を|延《の》べ、|中天《ちうてん》に|向《むか》つて【ブンマワシ】の|如《ごと》くに|円《ゑん》を|描《ゑが》き、|弥次彦《やじひこ》の|体《からだ》は|勝彦《かつひこ》の|指《ゆび》さす|中空《ちうくう》に|向《むか》つて|舞上《まひあが》り|舞《ま》ひ|下《くだ》り、また|舞《ま》ひ|上《あが》り|舞下《まひくだ》り、|空中《くうちう》|遊行《いうかう》の|大活劇《だいくわつげき》を|演《えん》ずる|面白《おもしろ》さ。
|与《よ》『オイ|六公《ろくこう》、あれを|見《み》い、|弥次彦《やじひこ》の|奴《やつ》、|漸々《だんだん》|熱練《じゆくれん》しよつて、|体《からだ》が|小《ちい》さくなつて、|見《み》えぬやうな|高《たか》い|所《とこ》まで、|空中《くうちう》を|滑走《くわつそう》し、|上《あが》つたり|下《お》りたり、|上《うへ》になつたり|下《した》になつたり、|大変《たいへん》な|大技能《だいぎのう》を|発揮《はつき》しよるぢやないか、……モシモシ|宣伝使《せんでんし》さま、あなたの|指《ゆび》の|動《うご》く|通《とほ》りに、|弥次彦《やじひこ》の|奴《やつ》、|動《うご》きますなア。あれなら|軽業師《かるわざし》になつても|大丈夫《だいぢやうぶ》|食《く》へますナ』
|勝《かつ》『アハヽヽヽ、あれは|霊線《れいせん》の|力《ちから》に|操《あやつ》られて、|体《からだ》を|自由《じいう》に|使《つか》はれて|居《ゐ》るのだ。|俺《わし》の|指《ゆび》の|通《とほ》りになるであらうがな』
|与《よ》『ハハア、さうすると|弥次彦《やじひこ》が|偉《えら》いのじやなくて、あなたの|指《ゆび》が|偉《えら》い|神力《しんりき》を|具備《ぐび》して|居《を》るのだなア……あなたはヤツパリ|魔法使《まはふつかひ》だ、|恐《おそ》ろしい|油断《ゆだん》のならぬ|宣伝使《せんでんし》ぢや、|私《わたくし》|丈《だけ》はアンナ|曲芸《きよくげい》は、どうぞ|遣《や》らさぬ|様《やう》に|願《ねが》ひますで、|喃《のう》|六公《ろくこう》、アンナ|事《こと》をやられたら、|息《いき》も|何《なに》も|切《き》れて|了《しま》うワ』
|六《ろく》『アヽ|恐《おそ》ろしい|事《こと》だのう』
|斯《か》く|云《い》ふ|中《うち》、|弥次彦《やじひこ》の|身《み》はスーと|空気《くうき》を|分《わ》ける|音《おと》と|共《とも》に、|三人《さんにん》の|前《まへ》に|下《くだ》つて|来《き》た。|勝彦《かつひこ》は|又《また》もや|両手《りやうて》を|組《く》んで、『|許《ゆる》す』と|一声《いつせい》、|弥次彦《やじひこ》は|常態《じやうたい》に|復《ふく》し、|目《め》をギロつかせ|乍《なが》ら、
|弥《や》『アヽやつぱり|二十三峠《にじふさんたうげ》の|頂上《ちやうじやう》だつた、ヤア|怖《こわ》い|夢《ゆめ》を|見《み》たよ、|天《てん》へ|上《あ》がるかと|思《おも》へば|地《ち》へ|下《くだ》つて、|地《ち》へ|下《くだ》つたと|思《おも》へば|又《また》|天《てん》へ|引上《ひきあ》げられる、|目《め》はまわる、|何《なん》ともかとも|知《し》れぬほど|苦《くる》しかつた、アヽやつぱり|夢《ゆめ》だ|夢《ゆめ》だ』
|与《や》、|六《ろく》『エ、なアに、|夢《ゆめ》|所《どころ》か|実地《じつち》|誠《まこと》の|正味《しやうみ》|正真《しやうまつ》だ。|現《げん》に|俺達《おれたち》は|今《いま》ここで|貴様《きさま》の|大発明《だいはつめい》の|軽業《かるわざ》を、|無料《むれう》|観覧《くわんらん》した|所《ところ》だ。|貴様《きさま》もよつぽど|妙《めう》な|病気《びやうき》があると|見《み》える、|親《おや》のある|間《うち》に|治療《ちれう》をして|置《お》かないと、|親《おや》が|無《な》くなつたら、|到底《たうてい》|一生《いつしやう》|病《やまひ》だ。|不治《ふぢ》の|難症《なんしやう》と|筍《たけのこ》|医者《いしや》に|宣告《せんこく》されるが|最後《さいご》、|芝《しば》を|被《かぶ》つて|来《こ》ない|限《かぎ》り、|迚《とて》も|此《この》|世《よ》では|駄目《だめ》だぞ、……モシモシ|勝彦《かつひこ》さま、コラ|一体《いつたい》|何《なん》の|業《わざ》ですか』
|勝《かつ》『|弥次彦《やじひこ》には、|悪逆《あくぎやく》|無道《ぶだう》の|木常姫《こつねひめ》と|云《い》ふ|奴《やつ》が、タツタ|今《いま》|油断《ゆだん》を|見《み》すまして、くつつきよつたのだ。そこで|私《わし》が|鎮魂《ちんこん》の|力《ちから》を|以《もつ》て|木常姫《こつねひめ》の|悪霊《あくれい》を|縛《しば》つたのだ。|悪霊《あくれい》は|私《わし》の|指《ゆび》の|指揮《しき》に|従《したが》つて、あの|通《とほ》り|容器《いれもの》と|一所《いつしよ》に、|宙《ちう》を|舞《ま》ひ|狂《くる》うたのだよ、モウ|今《いま》の|所《ところ》では、|木常姫《こつねひめ》の|邪霊《じやれい》も|往生《わうじやう》|致《いた》して|逃《に》げよつたから、|弥次彦《やじひこ》も|旧《もと》の|通《とほ》り、|常態《じやうたい》になつたのだ、ウツカリして|居《を》ると、|貴様等《きさまら》も|亦《また》|何時《なんどき》|邪霊《じやれい》の|一派《いつぱ》に|襲《おそ》はれるか|知《し》れやしないぞ。|夫《そ》れだから、|至貴《しき》|至重《しちよう》|至厳《しげん》なる|幽斎《いうさい》の|修業《しうげふ》は、|肉体《にくたい》を|浄《きよ》めもせず、|汗《あせ》だらけの、|垢《あか》の|付《つ》いた|衣服《いふく》を|纏《まと》ふて|奉仕《ほうし》する|事《こと》は|出来《でき》ないと、|私《わし》が|説諭《せつゆ》したのだ。それにも|拘《かか》はらず、|私《わし》の|言葉《ことば》を|無《む》にして|聞《き》かないものだから、|修業《しうげふ》も|始《はじ》めない|中《うち》から、|邪霊《じやれい》に|誑惑《けうわく》され、|忽《たちま》ち|木常姫《こつねひめ》の|容器《いれもの》となりよつたのだ、……オイ|弥次彦《やじひこ》、しつかりせないと、|又《また》もや|邪神《じやしん》が|襲来《しふらい》するぞ』
|弥《や》『|智覚《ちかく》|精神《せいしん》を|殆《ほと》んど|忘却《ばうきやく》して|居《ゐ》ましたから、|何《なに》が|何《なん》だか|私《わたし》としては、|明瞭《めいれう》を|欠《か》きますが、|仮令《たとへ》|邪神《じやしん》にもせよ、|宙《ちう》を|駆《か》けるナンテ、|偉《えら》い|力《ちから》のあるものですなア』
|勝《かつ》『|馬鹿《ばか》を|言《い》ふな、|胴体《どうたい》なしの|凧《いかのぼり》といふ|事《こと》がある。|悪魔《あくま》と|云《い》ふ|者《もの》は、|大体《だいたい》が|表面《うはべ》ばかりで、|実地《じつち》の|身《み》がないから、|恰度《ちやうど》、|言《い》へば|風《かぜ》の|様《やう》なものだ。その|邪霊《じやれい》が|人間《にんげん》の|肉体《にくたい》へ|這入《はい》つたが|最後《さいご》、|人間《にんげん》の|体《からだ》は|風船玉《ふうせんだま》が|人間《にんげん》を|宙《ちう》にひつぱり|上《あ》げる|様《やう》な|具合《ぐあひ》になつて、|体《からだ》が|飛《と》び|上《あ》がるのだ。|人間《にんげん》は|大地《だいち》を|歩《あゆ》む|者《もの》、|鳥《とり》かなんぞの|様《やう》に、|宙《ちう》を|翔《た》つ|奴《やつ》は、|最早《もはや》|人間《にんげん》としての|資格《しかく》はゼロだ、|貴様《きさま》たちも|中空《ちうくう》が|翔《かけ》つて|見《み》たいのか』
|与《や》、|六《ろく》『ヘイヘイ|邪神《じやしん》だらうが、|何《なん》だらうが、|人間《にんげん》として|天空《てんくう》を|翔《かけ》ると|云《い》ふ|様《やう》な|事《こと》が|出来《でき》るのなら、|私《わたくし》は|一寸《ちよつと》|一遍《いつぺん》、ソンナ|目《め》に|会《あ》ふて|見《み》たいですな。|世界《せかい》の|人間《にんげん》は|驚《おどろ》いて……「ヤア|与太彦《よたひこ》、|六公《ろくこう》の|奴《やつ》、|偉《えら》い|神力《しんりき》を|貰《もら》ひよつた、|生神《いきがみ》さまになりよつた」と|云《い》つて、|尊敬《そんけい》して|呉《く》れるでせう。そうなると、「ヤア|彼奴《あいつ》は|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》だ、|三五教《あななひけう》は|神力《しんりき》の|強《つよ》い|神《かみ》だ、|俺《おれ》も|三五教《あななひけう》に|帰依《きえ》する」と|云《い》ふて、|世界中《せかいぢう》の|人間《にんげん》が|一遍《いつぺん》に|改心《かいしん》するのは|請合《うけあひ》です。|神様《かみさま》も|吾々《われわれ》にアンナ|神力《しんりき》を|与《あた》へて、|世界《せかい》の|奴《やつ》をアツと|言《い》はして|下《くだ》さつたら|一遍《いつぺん》にお|道《みち》が|開《ひら》けて、|世界《せかい》の|有象無象《うざうむざう》が|改心《かいしん》するのだけれどなア』
|勝《かつ》『|正法《しやうはふ》に|不思議《ふしぎ》なし、|奇蹟《きせき》を|以《もつ》て|人《ひと》を|導《みちび》かむとする|者《もの》は、いはゆる|悪魔《あくま》の|好《この》んで|執《と》る|所《ところ》の|手段《しゆだん》だ。|吾々《われわれ》は|神様《かみさま》の|貴重《きちよう》な|生宮《いきみや》だ、|充分《じゆうぶん》に|自重《じちよう》して、|肉《にく》の|宮《みや》に|重《おも》みを|付《つ》け、|少々《せうせう》の|風《かぜ》にまで|飛《とび》あがり、|宙《ちう》をかける|様《やう》な|事《こと》になつては、|最早《もはや》|天地《てんち》|経綸《けいりん》の|司宰者《しさいしや》たる|資格《しかく》はゼロになつたのだ。|何処《どこ》までも|吾々《われわれ》はお|土《つち》の|上《うへ》に|足《あし》をピツタリと|付《つ》け|居《を》るのが|法則《はふそく》だ』
|与《よ》『それでも、|鷹彦《たかひこ》の|宣伝使《せんでんし》は|宙《ちう》を|翔《た》つぢやありませぬか』
|勝《かつ》『|鷹彦《たかひこ》は|半鳥半人《はんてうはんじん》の|境遇《きやうぐう》に|居《ゐ》るエンゼルだ。|彼《かれ》は|時《とき》あつて|空中《くうちう》を|飛行《ひかう》し、|神業《しんげふ》に|参加《さんか》すべき|使命《しめい》を|持《も》つて|居《ゐ》るのだから、|羽翼《うよく》が|与《あた》へられてあるのだよ。|羽翼《うよく》は|空中《くうちう》を|飛翔《ひしよう》するための|道具《だうぐ》だ。|羽《はね》もない|人間《にんげん》が、|今《いま》|弥次彦《やじひこ》の|様《やう》な|事《こと》を|行《や》るのは|変則《へんそく》だ、|悪魔《あくま》の|翫弄物《おもちや》にせられて|居《を》るのだよ』
|六《ろく》『さうすると、|悪魔《あくま》の|方《はう》がよつぽど|偉《えら》い|様《やう》ですな。|誠《まこと》の|神様《かみさま》は|土《つち》に|親《した》しみ、|悪魔《あくま》は|天空《てんくう》を|翔《かけ》るとは、|実《じつ》に|天地《てんち》|転倒《てんたう》の|世《よ》の|中《なか》とは|言《い》ひ|乍《なが》ら、コラ|又《また》あまり|矛盾《むじゆん》ぢやありませぬか。|仮令《たとへ》|邪神《じやしん》でも|何《なん》でも|構《かま》はぬ、|一遍《いつぺん》アンナ|離《はな》れ|業《わざ》を|演《えん》じて|見《み》たいワ』
|勝《かつ》『コラコラ|六公《ろくこう》、|言霊《ことたま》の|幸《さち》はふ|国《くに》だ、ソンナ|事《こと》を|言《い》ふと、|貴様《きさま》には、|竜宮城《りうぐうじやう》から|鬼城山《きじやうざん》に|使《つか》ひした、|一旦《いつたん》|大神《おほかみ》に|叛《そむ》いた|口子姫《くちこひめ》の|霊《れい》が、|貴様《きさま》の|身辺《しんぺん》を|狙《ねら》つて|居《ゐ》るぞ、シツカリ|致《いた》せ』
|六《ろく》『ヤアそいつは|一寸《ちよつと》|乙《おつ》でげすな、|何時《いつ》も|憑《うつ》り|通《どほ》しにされては|困《こま》るが、|一遍《いつぺん》|位《くらゐ》は|憑《うつ》つて|呉《く》れても|御愛嬌《ごあいけう》だ、……ヤイ|口子姫《くちこひめ》とやら、|俺《おれ》の|肉体《にくたい》を|貸《か》して|与《や》るから、|一遍《いつぺん》アツサリと|憑《うつ》つて|呉《く》れぬかい』
|弥次彦《やじひこ》|口《くち》をきつて
『クヽヽヽチヽヽヽコヽヽヽヒヽヽヽメヽヽヽ|口子《くちこ》…|口子《くちこ》…ヒヒメメメメ|口子姫命《くちこひめのみこと》|只今《ただいま》より|六公《ろくこう》の|肉体《にくたい》を|守護《しゆご》|致《いた》すぞよ』
|六《ろく》『|有難《ありがた》う|御座《ござ》います』
と|云《い》ふや|否《いな》や、|身体《からだ》を|上下《じやうげ》|左右《さいう》に|動揺《どうえう》し|始《はじ》めた。|地上《ちじやう》より|四五尺《しごしやく》|許《ばか》りの|所《ところ》を、|上《のぼ》りつ|下《くだ》りつ、|石搗《いしつき》の|曲芸《きよくげい》を|演《えん》じ|始《はじ》めた。|遂《つひ》には|足《あし》は|地上《ちじやう》を|離《はな》れ、|最低《さいてい》|地上《ちじやう》を|距《さ》ること|一尺《いつしやく》|余《よ》、|最高《さいかう》|二三丈《にさんぢやう》の|空中《くうちう》を|上下《じやうげ》し、|廻転《くわいてん》し|始《はじ》めた。
|弥《や》『ヤア|六公《ろくこう》の|奴《やつ》、|偉《えら》い|神力《しんりき》を|貰《もら》ひよつたぞ、|羨《けな》りい|事《こと》だ、|俺《おれ》も|一遍《いつぺん》アンナ|事《こと》が|有《あ》つて|見《み》たい。|俺《おれ》にアヽ|言《い》ふ|実地《じつち》が|現《あら》はれたら、それこそ|一《いち》も|二《に》もなく|神《かみ》の|存在《そんざい》を、|心底《しんてい》から|承認《しようにん》するのだが、どうしても|俺《おれ》には、|霊《れい》が|曇《くも》つて|居《を》ると|見《み》えて、|神《かみ》が|憑《うつ》つて|呉《く》れぬワイ』
|与《よ》『オイ|弥次公《やじこう》、|貴様《きさま》ア、アンナ|事《こと》|所《どころ》かい、|殆《ほとん》ど|日天様《につてんさま》の|所《ところ》へ|行《ゆ》きよつたかと|思《おも》ふほど|高《たか》う、|空中《くうちう》をクルクルクルと|廻転《くわいてん》しよつて、まるで|鳥《とり》|位《くらゐ》|小《ちい》さく|見《み》える|所《とこ》まで……|貴様《きさま》は|現《げん》に|大曲芸《だいきよくげい》を|演《えん》じよつたのだよ、それを|貴様《きさま》は|記憶《きおく》して|居《を》らぬか』
|弥《や》『アヽさうか、ナンダかソンナ|夢《ゆめ》を|見《み》たやうな|記憶《きおく》が|朧《おぼろ》げに|残《のこ》つて|居《ゐ》る|様《やう》だ。ヤアヤア|六公《ろくこう》の|奴《やつ》、|追々《おひおひ》と|熟練《じゆくれん》しよつて、ハア|上《あが》るワ|上《あが》るワ……|殆《ほとん》ど|体《からだ》が|小《ちい》さく|見《み》える|所《ところ》まで|上《あが》りよつたナ、……モシモシ|勝彦《かつひこ》さま、アラ|一体《いつたい》|全体《ぜんたい》どうなるのですか』
|勝《かつ》『あまり|慢心《まんしん》をすると、|体《からだ》の|重量《おもみ》がスツカリ|無《な》くなつて、|邪神《じやしん》の|容器《ようき》となり、|風船玉《ふうせんだま》のやうに|吹《ふ》き|散《ち》らされるのだ、|幸《さいはひ》に|今《いま》は|無風《むふう》だから|好《よ》いが、|一昨日《おととひ》の|様《やう》な|風《かぜ》でも|吹《ふ》いた|位《くらゐ》なら、|夫《そ》れこそ、どこへ|散《ち》つて|仕舞《しま》ふか|分《わか》りやしないぞ。それだから|俺《おれ》が|此処《ここ》では|幽斎《いうさい》の|修業《しうげふ》は|行《や》られぬと|云《い》ふたのだ、……|吁《あゝ》、|困《こま》つた|病人《びやうにん》が|二人《ふたり》も|出来《でき》よつた、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》ると、|与太公《よたこう》、|貴様《きさま》にも|伝染《でんせん》の|兆候《てうこう》が|見《み》えて|居《ゐ》る、|病菌《びやうきん》の|潜伏期《せんぷくき》だ。|何《なん》とかして、|免疫法《めんえきはふ》を|講《かう》じたいものだが、|此《この》|附近《ふきん》には|避病院《ひびやういん》もなし、|消毒薬《せうどくやく》も|無《な》し、|困《こま》つた|事《こと》だワイ』
|与《よ》『|消毒薬《せうどくやく》とは|何《なん》ですか』
|勝《かつ》『|生粋《きつすゐ》の|清浄《せいじやう》なお|水《みづ》だ、お|水《みづ》で|体《からだ》を|清《きよ》めて、|神様《かみさま》の|霊光《れいくわう》の|火《ひ》で、|黴菌《ばいきん》を|焼《や》き|亡《ほろ》ぼすのだ。|吁《あゝ》、|困《こま》つた|事《こと》だ、……オイ|与太公《よたこう》、しつかりせぬか、|貴様《きさま》には|八十枉彦《やそまがひこ》が|附《つ》け|狙《ねら》ふて|居《を》るぞ、……|何《なん》だ|其《その》|態度《たいど》は……またガタガタと|震《ふる》ひ|出《だ》したぢやないか』
|与《よ》『|強度《きやうど》の|帰神《きしん》|状態《じやうたい》で、……イヤもう|神人《しんじん》|感合《かんがふ》の|妙境《めうきやう》に|達《たつ》するのも、|余《あま》り|遠《とほ》くはありますまい、……|南無《なむ》|八十枉彦《やそまがひこ》|大明神《だいみやうじん》、|何卒々々《なにとぞなにとぞ》この|与太彦《よたひこ》が|肉体《にくたい》にどこどこまでもお|見捨《みす》てなく、|神懸《かむがか》り|下《くだ》さいませ、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|勝《かつ》『また|伝染《でんせん》しよつた、|病毒《びやうどく》の|伝播《でんぱ》と|云《い》ふものは、|実《じつ》に|迅速《じんそく》なものだ、アヽ|仕方《しかた》がない、|此奴等《こいつら》は|皆《みな》|奇蹟《きせき》を|好《この》んで|神《かみ》を|認《みと》めやうとする|偽信者《にせしんじや》だから、|谷底《たにそこ》へ|落《お》ちて|目《め》を|覚《さ》ますまで|打遣《うつちや》つて|置《お》かうかなア。|大火事《おほくわじ》の|中《なか》へ、|一本《いつぽん》や|二本《にほん》のポンプを|向《む》けた|所《ところ》で|仕方《しかた》がないワ。エ、ままよ、これ|丈《だけ》|熱《あつ》くなつて|燃《も》え|来《きた》つた|火柱《ひばしら》の|様《やう》な、|周章魂《うろたへだましひ》は、|最早《もはや》|救《すく》ふの|余地《よち》はない、……|吁《あゝ》、|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》|様《さま》、|木花姫《このはなひめ》の|神《かみ》|様《さま》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》、モウ|此《この》|上《うへ》は|貴神《あなた》の|御心《みこころ》の|儘《まま》になさつて|下《くだ》さいませ、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|勝彦《かつひこ》の|祈《いの》り|終《をは》るや、|六公《ろくこう》は|上下動《じやうげどう》を|休止《きうし》し、|芝生《しばふ》の|上《うへ》にキチンと|双手《もろて》を|組《く》んだ|儘《まま》|端坐《たんざ》し、|真赤《まつか》な|顔《かほ》をし|乍《なが》ら、|汗《あせ》をタラタラと|垂《た》らして|居《ゐ》る。|与太公《よたこう》は|又《また》もや|唸《うな》り|出《だ》した。|法《はふ》|外《はづ》れの|大声《おほごゑ》で、
『ヤヤヤヤヤア、ヤソ、ヤソ ヤソ ヤソ、ママママ、ガヽヽヽ、マガ マガ マガ、ヒヒ、ココ、ヒコ ヒコ、|八十枉彦《やそまがひこ》だア……|腐《くさ》り|切《き》つたる|魂《たましひ》で、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》とは|能《よ》くも|言《い》ふたり、|勝彦《かつひこ》の|奴《やつ》、……|俺《おれ》の|審神《さには》が|出来《でき》るなら、サア、サア サア サア、|美事《みごと》|行《や》つて|見《み》よ……』
|勝《かつ》『ナニツ、|此《この》|世《よ》を|乱《みだ》す|悪神《あくがみ》、|退却《たいきやく》|致《いた》せ』
と|双手《もろて》を|組《く》んで|霊線《れいせん》を|発射《はつしや》した。
|八《や》『アハヽヽヽヽ、ワツハヽヽヽヽ、|可笑《をか》しいワイ、イヤ|面白《おもしろ》いワイ、|小鹿峠《こしかたうげ》の|二十三坂《にじふさんさか》の|上《うへ》に|於《おい》て、|審神者《さには》|面《づら》を|致《いた》した|其《その》|酬《むく》い、|数多《あまた》の|魔神《まがみ》を|引《ひ》きつれて、|貴様《きさま》の|肉体《にくたい》を|八裂《やつざき》に|致《いた》してやらう、|覚悟《かくご》を|致《いた》せ、……ヤツ…ヤツ…』
と|矢声《やごゑ》を|出《だ》し|乍《なが》ら、|勝彦《かつひこ》が|端坐《たんざ》せる|頭上《づじやう》を、|前後《ぜんご》|左右《さいう》に|飛《と》びまわり|出《だ》した。|勝彦《かつひこ》は|全身《ぜんしん》の|力《ちから》と|霊《れい》を|籠《こ》めて、|右《みぎ》の|食指《ひとさしゆび》より|霊光《れいくわう》を、|八十枉彦《やそまがひこ》の|憑《かか》れる|与太彦《よたひこ》の|前額部《ぜんがくぶ》|目掛《めが》けて|発射《はつしや》した。
|八《や》『ワツハヽヽヽ、オツホヽヽヽ、|猪口才《ちよこざい》な|腰抜《こしぬけ》|審神者《さには》、|吾々《われわれ》を|審判《さには》するとは|片腹《かたはら》|痛《いた》い。サアこれよりは|其《その》|方《はう》の|素《そ》つ|首《くび》を|引《ひ》き|抜《ぬ》いてやらう、|覚悟《かくご》を|致《いた》せ』
と|猿臂《えんぴ》を|延《の》ばして|掴《つか》みかかる。|勝彦《かつひこ》は『ウン』と|一声《いつせい》|言霊《ことたま》の|発射《はつしや》に、|与太彦《よたひこ》の|身体《からだ》は|翻筋斗《もんどり》うつてクルクルと|七八《しちはち》|廻転《くわいてん》し|乍《なが》ら、|傍《かたはら》の|木《き》の|茂《しげ》みに|転《ころ》げ|込《こ》んだ。|又《また》もや|弥次彦《やじひこ》は|容色《ようしよく》|変《へん》じ、|目《め》を|怒《いか》らせ、|歯《は》をキリキリと|轢《きし》る|音《おと》、……|暫《しばら》くあつて|大口《おほぐち》を|開《ひら》き、
『コヽヽヽツヽヽヽネヽヽヽヒヽヽヽヒメ、コツコツコツ、ネヽヽヽヒヒヒ、メメメメ、コツコツ、コツネヒメのミコト、……|其《その》|方《はう》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》と|申《まを》し、|変性男子《へんじやうなんし》|埴安彦《はにやすひこ》の|神《かみ》、|変性女子《へんじやうによし》|埴安姫《はにやすひめ》の|神《かみ》の|神政《しんせい》を|楯《たて》に|取《と》り、|吾々《われわれ》の|天下《てんか》を|騒《さわ》がす|腰抜《こしぬけ》|野郎《やらう》、この|二十三峠《にじふさんたうげ》は、|吾々《われわれ》が|屈強《くつきやう》の|関所《せきしよ》だ。|二十三坂《にじふさんさか》、|二十四坂《にじふしさか》の|間《あひだ》は、ウラル|彦《ひこ》の|神《かみ》に|守護《しゆご》いたす、|八岐《やまた》の|大蛇《おろち》や、|金狐《きんこ》、|悪鬼《あくき》の|縄張《なはばり》|地点《ちてん》、|此処《ここ》へ|来《き》たは|汝《なんぢ》が|運《うん》の|尽《つ》き、これから|其《その》|方《はう》の|霊肉《れいにく》|共《とも》に|木葉微塵《こつぱみぢん》にうち|亡《ほろ》ぼし|呉《く》れむ、カカ|覚悟《かくご》をせよ』
と|弥次彦《やじひこ》の|肉体《にくたい》は、|拳骨《げんこつ》を|固《かた》めて、|勝彦《かつひこ》|目《め》がけて|迫《せま》つて|来《く》る。|勝彦《かつひこ》は|又《また》もや『ウン』と|一声《ひとこゑ》|言霊《ことたま》の|水火《いき》を|発射《はつしや》した。|弥次彦《やじひこ》の|肉体《にくたい》は|二三間《にさんげん》|後《うしろ》に|飛《と》び|下《さ》がり、|大口《おほぐち》を|開《あ》けて、
『オホヽヽヽヽ、|汝《なんぢ》|盲《めくら》|宣伝使《せんでんし》の|分際《ぶんざい》と|致《いた》して、この|木常姫《こつねひめ》を|言向和《ことむけやは》さむとは|片腹《かたはら》|痛《いた》し、|思《おも》ひ|知《し》れよ。|汝《なんぢ》が|身魂《みたま》の|生命《いのち》は、|最早《もはや》|風前《ふうぜん》の|灯火《ともしび》だ。この|谷底《たにそこ》に|蹶《け》り|落《おと》し、|絶命《ぜつめい》させてやらうか、ホヽヽホウ、|愉快《ゆくわい》|千万《せんばん》な|事《こと》が|出来《でき》たワイ。|貴様《きさま》を|首途《かどで》の|血祭《ちまつ》りに、|祭《まつ》りあげ、|夫《そ》れよりは|尚《なほ》も|進《すす》んでコーカス|山《ざん》を|蹂躙《じうりん》し、ウラルの|神《かみ》に|刄向《はむか》ふ|変性女子《へんじやうによし》の|身魂《みたま》を|片《かた》つ|端《ぱし》から|喰《く》ひ|殺《ころ》し、|平《たひら》げ|呉《く》れむは|瞬《またた》く|間《うち》、オツホヽヽホウ、|嬉《うれ》し|嬉《うれ》し|喜《よろこ》ばし、|大願《たいぐわん》|成就《じやうじゆ》の|時節《じせつ》|到来《たうらい》だ、………ヤアヤア|部下《ぶか》の|者共《ものども》、|一時《いちじ》も|早《はや》く|勝彦《かつひこ》が|身辺《しんぺん》に|群《むら》がり|来《きた》つて、|息《いき》の|根《ね》を|止《と》めよ、ホーイ ホーイ ホーイ』
と|云《い》ふかと|見《み》れば、ゾツと|身《み》に|沁《し》む|怪《あや》しの|風《かぜ》、|縦横無尽《じうわうむじん》に|吹《ふ》き|来《きた》り、|四辺陰鬱《しへんいんうつ》の|気《き》に|閉《とざ》され、|数十万《すうじふまん》の|厭《いや》らしき|泣《な》き|声《ごゑ》、|笑《わら》ひ|声《ごゑ》、|叫《さけ》び|声《ごゑ》、|得《え》も|言《い》はれぬ|惨澹《さんたん》たる|光景《くわうけい》となつて|来《き》た。|勝彦《かつひこ》は|最早《もはや》これ|迄《まで》と、|一生懸命《いつしやうけんめい》、|両眼《りやうがん》を|閉《と》ぢ、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。|与太彦《よたひこ》の|身体《からだ》は|前後《ぜんご》|左右《さいう》に|脱兎《だつと》の|如《ごと》く、|駆《か》け|廻《めぐ》り|始《はじ》めた。|続《つづ》いて|弥次彦《やじひこ》の|身体《からだ》は|四《よ》つ|這《ばひ》となつて|猛虎《まうこ》の|荒《あ》れ|狂《くる》ふが|如《ごと》く、|口《くち》より|猛火《まうくわ》を|吐《は》きつつ、|勝彦《かつひこ》の|居所《ゐどころ》を|中心《ちうしん》に|猛《たけ》り|狂《くる》ひ|飛廻《とびまは》る。|六公《ろくこう》は|忽《たちま》ち|頭上《づじやう》の|中空《ちうくう》に|跳上《はねあ》がり、|勝彦《かつひこ》が|頭上《づじやう》を|前後《ぜんご》|左右《さいう》に|駆《か》けめぐり、|何《なん》とも|譬《たとへ》|難《がた》き|悪臭《あくしう》を|放《はな》ち|始《はじ》めた。|四辺《あたり》は|刻々《こくこく》に|暗黒《あんこく》の|度《ど》を|増《ま》した。|最早《もはや》|勝彦《かつひこ》の|身辺《しんぺん》は|烏羽玉《うばたま》の|闇《やみ》に|包《つつ》まれて|了《しま》つた。
『|八十枉彦《やそまがひこ》、|木常姫《こつねひめ》、|口子姫《くちこひめ》の|神《かみ》の|神力《しんりき》には|恐《おそ》れ|入《い》つたか、イヤ|恐《おそ》れ|入《い》らずに|居《を》られうまい、ワツハヽヽヽ、オツホヽヽヽ、ホツホヽヽヽ』
と|暗《くら》がりより、|怪体《けたい》な|声《こゑ》|切《しき》りに|響《ひび》き|渡《わた》る。|虎《とら》|嘯《うそぶ》くか、|獅子《しし》|吼《ほ》ゆるか、|竜《りう》|吟《ぎん》ずるか、|但《ただ》しは|暴風《ばうふう》|怒濤《どたう》の|声《こゑ》か、|響《ひびき》か、|四辺暗澹《しへんあんたん》、|荒涼《くわうりやう》、|魔神《まがみ》の|諸声《もろこゑ》は|五月蝿《さばへ》の|如《ごと》く|響《ひび》き|渡《わた》る。|怪《くわい》また|怪《くわい》に|包《つつ》まれたる|勝彦《かつひこ》は、|一生懸命《いつしやうけんめい》、|滝《たき》の|如《ごと》き|汗《あせ》を|絞《しぼ》り|乍《なが》ら、|神言《かみごと》を|生命《いのち》の|綱《つな》に、|声《こゑ》の|続《つづ》く|限《かぎ》り|奏上《そうじやう》しかけた。この|時《とき》|闇《やみ》を|照《てら》して、|中空《ちうくう》より、|馬《うま》に|跨《またが》り|下《くだ》り|来《きた》る|四五《しご》の|生神《いきがみ》があつた。|見《み》る|見《み》る|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ、|金幣《きんぺい》を|打振《うちふ》り|打振《うちふ》り、|前後《ぜんご》|左右《さいう》に|馬《うま》を|躍《をど》らせ、|駆《か》け|巡《めぐ》れば、|流石《さすが》の|邪神《じやしん》も|度《ど》を|失《うしな》ひ、|先《さき》を|争《あらそ》ふて|二十四坂《にじふしさか》の|方面《はうめん》|指《さ》して、ドツと|許《ばか》り|動揺《どよ》めき|渡《わた》り、|怪《あや》しき|声《こゑ》と|共《とも》に|煙《けぶり》の|如《ごと》く|逃《に》げ|散《ち》つた。|与太彦《よたひこ》、|弥次彦《やじひこ》、|六公《ろくこう》は|忽《たちま》ち|元《もと》の|覚醒《かくせい》|状態《じやうたい》に|復帰《ふくき》した。
|勝《かつ》『アヽ|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し、|悪魔《あくま》の|襲来《しふらい》を|払《はら》ひ|清《きよ》め|給《たま》ひし、|大神《おほかみ》の|御神徳《ごしんとく》|有難《ありがた》く|感謝《かんしや》|仕《つかまつ》ります』
と|大地《だいち》に|頭《かしら》をすりつけて、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|咽《むせ》ぶ。|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》、|六公《ろくこう》の|三人《さんにん》も、|同《おな》じく|芝生《しばふ》に|頭《あたま》を|着《つ》け、|何《なん》となく|驚異《きやうい》の|念《ねん》に|駆《か》られ、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》して|居《ゐ》る。|四人《よにん》の|身体《からだ》は|虹《にじ》の|如《ごと》き|鮮麗《せんれい》なる|霊衣《れいい》に|包《つつ》まれた。|芳香馥郁《はうかうふくいく》として|四辺《しへん》に|薫《かほ》り、|嚠喨《りうりやう》たる|音楽《おんがく》の|響《ひびき》は、|四人《よにん》の|身魂《みたま》に|沁《し》み|込《こ》むが|如《ごと》く|聞《きこ》ゆるのであつた。|四人《よにん》は|漸《やうや》く|首《かうべ》を|挙《あ》げて|眺《なが》むれば、こはそも|如何《いか》に、|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》は、|鷹彦《たかひこ》、|岩彦《いはひこ》、|梅彦《うめひこ》、|亀彦《かめひこ》、|駒彦《こまひこ》、|音彦《おとひこ》と|共《とも》に、|馬上《ばじやう》|豊《ゆたか》に|此《この》|場《ば》に|立《た》つて|居《ゐ》る。
|勝《かつ》『ヤア|是《こ》れは|是《こ》れは|日《ひ》の|出別《でわけ》の|神様《かみさま》、|能《よ》くも|御加勢《おかせい》|下《くだ》さいました。|思《おも》はぬ|不調法《ぶてうはふ》を|致《いた》しまして、|重々《ぢうぢう》の|罪《つみ》|御宥《おゆる》し|下《くだ》さいませ。|此《この》|上《うへ》は|決《けつ》して|決《けつ》して、|斯《か》かる|不規律《ふきりつ》なる|幽斎《いうさい》の|修業《しうげふ》は|断《だん》じて|行《おこな》ひませぬ。|何事《なにごと》も、|我々《われわれ》が|不覚《ふかく》|無智《むち》の|致《いた》す|所《ところ》、|知《し》らず|識《し》らずに|慢心《まんしん》|仕《つかまつ》り、お|詫《わび》の|申様《まをしやう》も|御座《ござ》いませぬ』
|日《ひ》の|出別《でわけ》の|神《かみ》は|一言《いちごん》も|発《はつ》せず、|首《くび》を|二三回《にさんくわい》|肯《うなづ》かせ|乍《なが》ら、|一行《いつかう》の|宣伝使《せんでんし》を|引連《ひきつ》れ、|再《ふたた》び|天馬《てんば》|空《くう》を|駆《かけ》つて、|雲上《うんじやう》|高《たか》く|姿《すがた》を|隠《かく》した。|無数《むすう》の|光輝《くわうき》に|冴《さ》えたる|霊線《れいせん》は、|虹《にじ》の|如《ごと》く|彗星《すゐせい》の|如《ごと》く、|一行《いつかう》の|後《あと》に|稍《やや》|暫《しばら》く|姿《すがた》を|存《そん》しける。
|峰《みね》の|尾《を》の|上《へ》を|吹《ふ》き|亘《わた》る|春風《はるかぜ》の|声《こゑ》は、|淑《しと》やかに|聞《きこ》えて|来《き》た。|百鳥《ひやくてう》の|春《はる》を|唄《うた》ふ|声《こゑ》は|長閑《のどか》に|四人《よにん》が|耳《みみ》に|音楽《おんがく》の|如《ごと》く|聞《きこ》え|始《はじ》めた。
|弥《や》『モシ|勝彦《かつひこ》の|宣伝使《せんでんし》さま、|大変《たいへん》な|大騒動《だいさうどう》がおつぱじまつて、|天《あま》の|岩戸《いはと》|隠《がく》れの|幕《まく》が|下《お》りましたな、あの|時《とき》の|私《わたし》の|苦《くる》しさと|云《い》つたら、|沢山《たくさん》な|青面《あをづら》、|赤面《あかづら》、|黒面《くろづら》の|兎《うさぎ》や、|虎《とら》や、|狼《おほかみ》、|大蛇《だいじや》が|一時《いちじ》に|遣《や》つて|来《き》て、|足《あし》にかぶり|付《つ》く、|髪《かみ》の|毛《け》を|引《ひ》つぱる、|耳《みみ》を|引《ひ》く、|腕《かいな》をひく、|擲《なぐ》る、それはそれは|随分《ずゐぶん》|苦《くる》しい|目《め》に|逢《あ》はされました。イヤもう|神懸《かむがかり》は|懲《こ》り|懲《こ》りでした。|咫尺暗澹《しせきあんたん》として|昼夜《ちうや》を|弁《べん》ぜず、|苦《くる》しいと|云《い》つても|譬様《たとへやう》のない、えぐい、|痛《いた》い、|辛《つら》い、|臭《くさ》いイヤもう|惨々《さんざん》な【きつい】|目《め》に|会《あ》ひました。その|時《とき》に…アヽ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》がウンと|一《ひと》つ|行《や》つて|下《くだ》さると|好《い》いのだけれど、あなたは|霊眼《れいがん》が|疎《うと》いと|見《み》えて、|敵《てき》の|居《ゐ》ない|方《はう》ばつかり、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|鎮魂《ちんこん》をやるものだから、|鼻糞《はなくそ》で|的《まと》|貼《は》つた|程《ほど》も|効能《かうのう》は|無《な》く、|聾《つんぼ》ほども|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》は|利《き》かず、イヤモウ|迷惑《めいわく》|千万《せんばん》な|事《こと》でしたよ』
|勝《かつ》『アヽさうだつたか、そらさうだらう、|何分《なにぶん》|曇《くも》り|切《き》つた|肉体《にくたい》で、|俄《にはか》|審神者《さには》を|強《し》ひられて|無理《むり》に|行《や》つたものだから、|審神者《さには》の|肉体《にくたい》に|神様《かみさま》が|完全《くわんぜん》に|宿《やど》つて|下《くだ》さらぬものだから|失敗《しつぱい》をやつたのだ。|然《しか》しチツトは|鎮魂《ちんこん》も|効能《かうのう》が|現《あら》はれただらう』
|弥《や》『|千遍《せんべん》に|一度《いちど》|位《くらゐ》まぐれ|当《あた》りに、|私《わたくし》を|責《せ》めて|居《ゐ》る|悪霊《あくれい》の|方《はう》に|霊光《れいくわう》が|発射《はつしや》したのは|確《たし》かです。イヤモウ|脱線《だつせん》だらけで、|必要《ひつえう》な|所《ところ》へはチツトも|霊《れい》の|光線《くわうせん》が|発射《はつしや》せないものだから、|悪魔《あくま》の|奴《やつ》|益々《ますます》|付《つ》け|込《こ》んで、|武者振《むしやぶ》りつき、えらい|苦《くるし》みをしました。アーア|斯《こ》うなると|立派《りつぱ》な|大将《たいしやう》が|欲《ほ》しくなつて|来《き》たワイ』
|勝《かつ》『|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|与《よ》『|私《わたし》もえらい|目《め》に|遭《あ》はされた、|人《ひと》の|首《くび》を|真黒《まつくろ》けの|縄《なは》で、|悪魔《あくま》の|奴《やつ》、|幾筋《いくすぢ》ともなく|縛《しば》りよつて、|古池《ふるいけ》の|水《みづ》を|両方《りやうはう》から、|釣瓶《つるべ》の|綱《つな》をつけて|替揚《かへあ》げる|様《やう》に、|空中《くうちう》を|自由自在《じいうじざい》に|振《ふ》り|廻《まは》しよつた|時《とき》の|苦《くるし》さと|言《い》つたら、|何遍《なんべん》|息《いき》が|絶《た》えたと|思《おも》つたか|分《わか》りませぬ、アヽコンナ|苦《くるし》い|責苦《せめく》に|会《あ》ふのなら、|一層《いつそう》の|事《こと》、|一思《ひとおも》ひに|殺《ころ》して|欲《ほ》しいと|思《おも》ひましたよ。|熱《あつ》いと|思《おも》へば|又《また》|冷《つめ》たい|谷底《たにそこ》へ|体《からだ》を|吊《つ》り|下《お》ろされ、|今度《こんど》は|又《また》|焦《こげ》つく|様《やう》な|熱《あつ》い|所《ところ》へ|吊《つ》り|上《あ》げられ、|夏《なつ》と|冬《ふゆ》とが|瞬間《しゆんかん》に|交代《かうたい》をするのだから、|体《からだ》の|健康《けんかう》は|台《だい》なしになるなり、|手足《てあし》は|散《ち》り|散《ち》りバラバラになつて|了《しま》つた|様《やう》な|苦《くるし》みを|感《かん》じた。その|時《とき》に|審神者《さには》の|勝彦《かつひこ》サンは、どうして|御座《ござ》るか、ここらでこそ|助《たす》けて|呉《く》れさうなものだと|思《おも》つて、あなたの|方《はう》を|眺《なが》めて|見《み》れば、あなたの|背後《うしろ》には、|常世姫《とこよひめ》の|悪霊《あくれい》が、|貧乏《びんばふ》|団扇《うちは》をふつて、|悪霊《あくれい》の|指揮《しき》|命令《めいれい》をやつて|居《ゐ》る、お|前《まへ》さまは、その|常世姫《とこよひめ》の|手《て》の|動《うご》く|通《とほ》りに、|操《あやつ》り|人形《にんぎやう》の|様《やう》に|活動《くわつどう》し………|否《いな》|蠢動《しゆんどう》して|居《を》るものだから、|却《かへつ》てそれが|此方《こちら》の|助《たす》け|所《どころ》か、|邪魔《じやま》になつて、|益々《ますます》|苦《くる》しさを|加《くは》へ、イヤモウ|言語《げんご》に|絶《ぜつ》する|煩悶《はんもん》|苦悩《くなう》、|目《め》の|球《たま》が|一丁《いつちやう》ほど|先《さき》へ|飛出《とびだ》すやうな|悲惨《ひさん》な|目《め》に|遇《あ》はされました』
|勝《かつ》『それだから、コンナ|所《ところ》で|幽斎《いうさい》の|修業《しうげふ》は|廃《よ》せと|言《い》ふのに、|貴様《きさま》が|勝手《かつて》に|悪魔《あくま》の|方《はう》へ|行《ゆ》きよつたのだ。|仮令《たとへ》|邪神《じやしん》でも、あの|弥次彦《やじひこ》の|様《やう》に、|空中滑走《くうちうくわつそう》がしたいの|曲芸《きよくげい》が|演《えん》じたいのと、|熱望的《ねつばうてき》|気焔《きえん》を|吐《は》くものだから、|魔神《まがみ》の|奴《やつ》|得《え》たり|賢《かしこ》し、|御註文《ごちゆうもん》|通《とほ》り|何《なん》でも|御用《ごよう》を|承《うけたま》はります、|私《わたし》の|好物《かうぶつ》、|手具脛《てぐすね》|引《ひ》いて|待《ま》つて|居《ゐ》ました、|何《なん》のこれしきの|芸当《げいたう》に|手間《てま》もへツチヤクレも|要《い》るものか、|遠慮《ゑんりよ》|会釈《ゑしやく》にや|及《およ》ばぬ、|悪神《あくがみ》の|容器《いれもの》には|持《も》つて|来《こ》いして|来《こ》いぢや、ヤツトコドツコイして|来《こ》いナ、|権兵衛《ごんべゑ》も|来《きた》れ、|太郎兵衝《たらうべゑ》も|来《きた》れ、|黒《くろ》も|来《こ》い、|赤《あか》も|来《こ》い、|大蛇《だいじや》も|来《こ》い、|序《ついで》に|狐《きつね》も、|狸《たぬき》も、|野天狗《のてんぐ》も、|幽霊《いうれい》も、あらゆる|四《よ》つ|足《あし》|霊《みたま》もやつて|来《こ》いと、|八十枉彦《やそまがひこ》の|号令《がうれい》の|下《もと》に|集《あつ》まり|来《きた》つた|数万《すうまん》の|魔軍《まぐん》、|千変万化《せんぺんばんくわ》の|魔術《まじゆつ》を|尽《つく》して|攻《せ》め|来《く》る|仰々《ぎやうぎやう》しさ、|目《め》ざましかりける|次第《しだい》なりけりだ。アツハヽヽヽ』
|与《よ》『モシモシ|勝彦《かつひこ》の|宣伝使《せんでんし》さま、あまり|法螺《ほら》を|吹《ふ》いて|貰《もら》ひますまいか、………イヤ|法螺《ほら》ぢやない|業託《ごうたく》を|並《なら》べて|嘲弄《てうろう》して|貰《もら》ひますまいかい。この|天地《てんち》は|言霊《ことたま》の|幸《さち》はふ|国《くに》ぢやありませぬか、ソンナ|事《こと》を|言《い》つて|居《を》ると、|又《また》もや|私《わたくし》の|様《やう》に、|軽業《かるわざ》の|標本《へうほん》に、|魔神《まがみ》の|奴《やつ》から|使役《しえき》されますぜ。|労銀《らうぎん》|値上《ねあげ》の|八釜《やかま》しい|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》に、|破天荒《はてんくわう》の………|否《いな》|廻転《くわいてん》|動天《どうてん》の|軽業《かるわざ》を|生命《いのち》からがら、|無報酬《むはうしう》で|強制《きやうせい》され、|汗《あせ》や|脂《あぶら》を|搾《しぼ》られて、|墓原《はかはら》の|骨左衛門《ほねざゑもん》か|骨皮《ほねかは》の|痩右衝門《やせうゑもん》の|様《やう》な、|我利々々《がりがり》|亡者《まうじや》の|痩餓鬼《やせがき》にならねばなりますまい、チツト|改心《かいしん》なされ』
|勝《かつ》『|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》 |惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|六《ろく》『コレコレ|立派《りつぱ》な|審神者《さには》の|勝彦《かつひこ》さま、あなたの|御神力《ごしんりき》には|往生《わうじやう》|致《いた》しましたよ、イヒヽヽヽ』
|勝《かつ》『みなが|寄《よ》つて、さう|俺《おれ》を|包囲《はうゐ》|攻撃《こうげき》しても|困《こま》るぢやないか。|俺《おれ》だつて|誠心誠意《せいしんせいい》、|有《あ》らむ|限《かぎ》りのベストを|尽《つく》したのだ。これ|以上《いじやう》|吾々《われわれ》に|望《のぞ》むのは、|予算《よさん》|超過《てうくわ》と|云《い》ふものだ。|国庫《こくこ》|支弁《しべん》の|方法《はうはふ》に|差支《さしつか》へて|了《しま》ふ。|又復《またまた》|増税《ぞうぜい》なんて、|人《ひと》の|嫌《いや》がる|事《こと》を|言《い》はねばならぬ。お|前等《まへら》はさう|言《い》つて、|吾々《われわれ》|当局《たうきよく》の|審神者《さには》を|攻撃《こうげき》するが、|当局者《たうきよくしや》の|身《み》にもチツトはなりて|見《み》るが|宜《よ》い。|国家《こくか》|多事多難《たじたなん》のこの|際《さい》ぢや、|金《かね》の|要《い》るのは|底《そこ》|知《し》れず、|増税《ぞうぜい》、|徴募《ちようぼ》あらゆる|手段《しゆだん》を|尽《つく》して|膏血《かうけつ》を|絞《しぼ》り、|有《あ》らむ|限《かぎ》りの|智慧《ちゑ》|味噌《みそ》の|臨時《りんじ》|支出《ししゆつ》までして、ヤツトこの|場《ば》を|切抜《きりぬ》けたのだ。さう|八釜《やかま》しく|責《せ》め|立《たて》ると、|勝彦《かつひこ》|内閣《ないかく》も|瓦解《がかい》の|已《や》むを|得《え》ざる|悲運《ひうん》に|立到《たちいた》らねばならなくなる。さうなれば、|貴様等《きさまら》も|一蓮托生《いちれんたくしやう》、|連袂《れんぺい》|辞職《じしよく》と|出《で》かけねばなるまい。|今度《こんど》の|責任《せきにん》を|俺《おれ》|一人《ひとり》に|負担《ふたん》させやうと|云《い》ふのは、あまり|虫《むし》が|好過《よす》ぎるワイ。|共通的《きようつうてき》の|責任《せきにん》を|持《も》つのが、いはゆる|一蓮托生《いちれんたくしやう》|主義《しゆぎ》だよ、アハヽヽヽ』
|弥《や》『イヤ|仰《おつしや》る|通《とほ》りだ、|御尤《ごもつと》もだ、モチだ。スツテの|事《こと》で|勝彦《かつひこ》|内閣《ないかく》も|崩解《ほうかい》するとこだつた。|併《しか》し|乍《なが》ら、|人間《にんげん》は|老少不定《らうせうふぢやう》、|何時《なんどき》|冥土《めいど》の|鬼《おに》に|迎《むか》へられて、|欠員《けつゐん》が|出来《でき》るか|知《し》れたものぢやない、その|時《とき》には、|弥次彦《やじひこ》が|後釜《あとがま》に|坐《すわ》つて、この|弥次喜多《やじきた》|内閣《ないかく》でも|組織《そしき》し、お|前《まへ》サンの|政綱《せいかう》を|維持《ゐぢ》して|行《ゆ》く、つまり|連鎖《れんさ》|内閣《ないかく》でも|成立《せいりつ》させて、|居《ゐ》すわる|積《つも》りだから、|後《あと》に|心《こころ》を|残《のこ》さず、|白紙《はくし》の|三角帽《さんかくぼう》を|頭《あたま》に|戴《いただ》いて、|未練《みれん》|残《のこ》さず|旅立《たびだち》なされ。|何《いづ》れ|新顔《しんがほ》の|一人《ひとり》や|二人《ふたり》は|入《い》れても|構《かま》はぬ、|居坐《ゐすわ》り|内閣《ないかく》をやつて|居《を》る|方《はう》が、|党勢《たうせい》|維持上《ゐぢじやう》|都合《つがふ》が|好《い》いから、アハヽヽヽ。|併《しか》しコンナ|所《ところ》に|長居《ながゐ》は|恐《おそ》れだ、グズグズしとると、|冥土《めいど》から|角《つの》の|生《は》えた|鬼族院《きぞくゐん》がやつて|来《こ》られちや、|一寸《ちよつと》|閉口《へいこう》だ。これや|一《ひと》つ、|研究会《けんきうくわい》でも|開《ひら》いて、|熟議《じゆくぎ》をこらすが|道《みち》だけれど、|余《あま》り|同《おな》じ|処《ところ》にくつついて|居《を》るのも|気《き》が|利《き》かない。|二十四番峠《にじふしばんたうげ》も|踏破《たふは》し、|二十五番《にじふごばん》の|峠《たうげ》の|上《うへ》で、|善後策《ぜんごさく》をゆつくり|講究《かうきう》|致《いた》しませうか、アハヽヽヽ』
|一同《いちどう》『ワハヽヽヽ』
|勝《かつ》『まだ|笑《わら》ふ|所《ところ》へは|行《ゆ》かないぞ、|何時《いつ》|瓦解《がかい》の|虞《おそれ》があるかも|知《し》れやしない。|常世姫命《とこよひめのみこと》が、|遠《とほ》く|海《うみ》の|彼方《あなた》に|逃《に》げ|去《さ》つて、|盛《さかん》に|空中《くうちう》|無線《むせん》|電信《でんしん》で|合図《あひづ》をして|居《ゐ》るから、|一寸《いつすん》の|隙《すき》も|有《あ》つたものぢやない、|気《き》を|付《つ》けツ、|進《すす》めツおいち|二《に》|三《さん》|四《し》ツ』
と|道《みち》なき|路《みち》をアルコールに|酔《よ》ふた|猩々《しやうじやう》の|如《ごと》く、|無闇矢鱈《むやみやたら》に|二十五番峠《にじふごばんたうげ》の|上《うへ》まで、|漸《やうや》く|辿《たど》り|着《つ》いた。
|勝《かつ》『アーア、ヤレヤレ|危《あぶ》ない|事《こと》だつた、|中空《ちうくう》に|高《たか》き|一本《いつぽん》の|丸木橋《まるきばし》を|渡《わた》つて|来《く》るやうな|心持《こころもち》だつた』
|弥《や》『|地獄《ぢごく》の|釜《かま》の|一足飛《いつそくとび》といふ|曲芸《きよくげい》も、|首尾《しゆび》|能《よ》く|成功《せいこう》|致《いた》しました。|皆様《みなさま》、お|気《き》に|入《い》りましたら、|一同《いちどう》|揃《そろ》ふて|拍手《はくしゆ》|喝采《かつさい》を|希望《きばう》いたします』
|勝《かつ》『ヤア|賛成者《さんせいしや》は|少《すくな》いなア、……、ヤア|一《ひと》つも|拍手《はくしゆ》する|奴《やつ》がない、|全然《ぜんぜん》|反対《はんたい》だと|見《み》えるワイ』
|与《よ》『それでも|勝彦《かつひこ》さま、あなたの|身《み》の|内《うち》に|簇生《ぞくせい》して|居《を》る|寄生虫《きせいちう》は、ソツと|拍手《はくしゆ》して|居《ゐ》ましたよ。その|声《こゑ》が……ブン……と|云《い》つて、|裏門《うらもん》から|放出《はうしゆつ》しました。イヤもう|鼻持《はなもち》のならぬ|臭《くさ》い|事《こと》だつた、ワハヽヽヽ』
この|時《とき》|忽然《こつぜん》として、|東北《とうほく》の|天《てん》より|黒雲《こくうん》|起《おこ》り、|暴風《ばうふう》|忽《たちま》ち|吹《ふ》き|来《きた》つて、|峠《たうげ》の|上《うへ》に|立《た》てる|四人《よにん》の|体《からだ》は|中空《ちうくう》に|舞《ま》ひ|上《あが》り、|底《そこ》ひも|知《し》れぬ|谷間《たにま》|目《め》がけて|天上《てんじやう》より、|岩《いは》をぶつつけた|如《ごと》く、|一瀉千里《いつしやせんり》の|勢《いきほひ》を|以《もつ》て、|青《あを》み|立《た》つたる|淵《ふち》に|向《むか》つて、|真逆様《まつさかさま》にザンブと|落込《おちこ》んだ。
その|途端《とたん》に|夢《ゆめ》は|破《やぶ》られ|附近《あたり》を|見《み》れば|瑞月《ずゐげつ》が|近隣《きんりん》の|三四人《さんよにん》の|男《をとこ》、|藪医者《やぶいしや》を|招《まね》いて|脈《みやく》を|執《と》らせて|居《ゐ》る。
|藪医者《やぶいしや》は、|一寸《ちよつと》|首《くび》を|捻《ひね》つて、
『アー|此奴《こいつ》ア、|強度《きやうど》の|催眠《さいみん》|状態《じやうたい》に|陥《おちい》つて|居《を》る、|自然《しぜん》に|覚醒《かくせい》|状態《じやうたい》になるまで、|放任《はうにん》して|置《お》くより|途《みち》はなからう……|非常《ひじやう》な|麻痺《まひ》だ、|痙攣《けいれん》だ……』
と|宣告《せんこく》を|下《くだ》し|居《ゐ》たりける。
(大正一一・三・二五 旧二・二七 松村真澄録)
第一四章 |一途川《いちづがは》〔五六四〕
|小鹿峠《こしかたうげ》の|四十八坂《しじふやさか》をば、|一行《いつかう》|四人《よにん》はやつと|打越《うちこ》え、|見渡《みわた》す|限《かぎ》り|茫々《ばうばう》たる|雑草《ざつさう》|茂《しげ》る|広野原《ひろのはら》、|足《あし》にまかせて|進《すす》み|行《ゆ》く。ピタリと|行当《ゆきあた》つた、|水勢《すゐせい》|轟々《ぐわうぐわう》として|飛沫《ひまつ》を|飛《と》ばし、|渦《うづ》まき|流《なが》るる|谷川《たにがは》の|傍《かたはら》に|辿《たど》り|着《つ》いた。
|弥《や》『アヽ|吾々《われわれ》はやうやうにして、|小鹿峠《こしかたうげ》の|四十八坂《しじふやさか》を|越《こ》え、|此処《ここ》の|広野原《ひろのはら》を|一行《いつかう》|四人《よにん》|連《づ》れ、てくついて|来《き》たが、|此処《ここ》にピタリと|行詰《ゆきつ》まつた、|偉《えら》い|川《かは》が|横《よこた》はつて|居《ゐ》るワイ。これからフサの|都《みやこ》へ|渡《わた》り、コーカス|山《ざん》に|行《ゆ》く|迄《まで》は、|随分《ずゐぶん》|長《なが》い|道程《みちのり》だが、それまでには|沢山《たくさん》の|難所《なんしよ》が|在《あ》るだらう。それにしても|絡繹《らくえき》として|続《つづ》く|日々《ひび》の|老若男女《らうにやくなんによ》の|参詣者《さんけいしや》は、|一体《いつたい》|何処《どこ》を|通《とほ》つて|行《ゆ》くのだらう。この|頃《ごろ》|街道《かいだう》は|雑沓《ざつたふ》だと|云《い》ふ|事《こと》だのに、|吾々《われわれ》の|通過《つうくわ》する|処《ところ》は|人《ひと》の|子《こ》|一匹《いつぴき》|居《を》らぬぢやないか。ナンデも|之《こ》れは|小鹿峠《こしかたうげ》の|下《くだ》り|終《しま》ひから|行手《ゆくて》に|踏《ふ》み|迷《まよ》ひ、|反対《はんたい》の|方向《はうかう》に|進《すす》んで|来《き》たのではあるまいかなア』
|与《よ》『|何《なん》だか、ご|気分《きぶん》の|冴《さ》えぬ|天候《てんこう》と|云《い》ひ|四辺《あたり》の|状況《じやうきやう》と|云《い》ひ、まるで|幽界《いうかい》|旅行《りよかう》の|様《やう》だ。いつやら|谷底《たにそこ》に|落《お》ちて|魂《たましひ》が|宙《ちう》に|迷《まよ》ひ、とうとう|六道《ろくだう》の|辻《つじ》まで|行《い》つて|銅木像《どうもくざう》に|逢《あ》つた|時《とき》の|様《やう》な|按配式《あんばいしき》だぞ。どうやら|此《この》|川《かは》も|三途《せうづ》の|川《かは》の|兄弟分《きやうだいぶん》ぢやあるまいか、|何《なん》だか|変《へん》な|風《かぜ》が|吹《ふ》いて|来《く》るぞ。アヽ|此奴《こいつ》は|不思議《ふしぎ》だ、|今《いま》の|今《いま》まで|泰然自若《たいぜんじじやく》|乙《おつ》に|構《かま》へこみて|居《ゐ》た|山岳《さんがく》の|奴《やつ》、|知《し》らぬ|間《ま》に|何処《どこ》かへ|消《き》えて|仕舞《しま》ひよつた、まるで|三途《せうづ》の|川《かは》のやうな|按配式《あんばいしき》だ、ナア|弥次彦《やじひこ》、|貴様《きさま》はどう|思《おも》ふか』
|弥《や》『|吾々《われわれ》の|言霊《ことたま》の|御神力《ごしんりき》に|恐縮《きようしゆく》しよつて、|山《やま》の|奴《やつ》|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|散《ち》りよつたなア。|随分《ずゐぶん》|三五教《あななひけう》の|吾々《われわれ》は|豪勢《がうせい》なものだワイ』
|勝《かつ》『オイ|此処《ここ》は|冥土《めいど》を|流《なが》るる|三途《せうづ》の|川《かは》ぢやなからうかな。|何《なん》だか|娑婆《しやば》の|川《かは》に|比《くら》べて|調子《てうし》が|違《ちが》ふやうだ』
|弥《や》『|調子《てうし》が|違《ちが》つたつて|御心配《ごしんぱい》なさいますな、この|弥次《やじ》サンはドンドンながらポンポンながら、カンカンながら、|前後《ぜんご》|〆《し》めて|弐回《にくわい》までも、|幽界《いうかい》|探険《たんけん》の|実地《じつち》|経験《けいけん》を|持《も》つて|居《ゐ》るお|兄《にい》サン。|最初《さいしよ》|与太公《よたこう》と|遣《や》つて|来《き》た|時《とき》には、|三途《せうづ》の|川《かは》は|実《じつ》に|綺麗《きれい》な|水《みづ》だつた、それが|第二回目《だいにくわいめ》に|来《き》た|時《とき》には|何《なん》とも|知《し》れぬ、|臭気《しうき》|紛々《ふんぷん》たる|川風《かはかぜ》が|鼻《はな》を|突《つ》くやう、|小便《せうべん》|大便《だいべん》|黒血《くろち》|鼻啖《はなたん》の|混合《こんがふ》したやうな、|汚《むさ》くるしい|物《もの》が|流水《りうすゐ》|代用《だいよう》の|芸当《げいたう》を|静《しづ》かにやつて|居《ゐ》た。その|時《とき》|三途《せうづ》の|川《かは》の|渡守《わたしもり》|兼《けん》|脱衣婆《だついばば》|奴《め》が、|世《よ》の|中《なか》の|奴《やつ》が|汚《けが》れた|事《こと》をしをるから、この|清《きよ》い|川《かは》がコンナに|汚《きたな》くなつたと|云《い》ひよつた。どうせコンナ|汚《きたな》い|娑婆《しやば》が、さう|俄《にはか》に|清潔《せいけつ》になるものぢやないから|矢張《やつぱり》|冥土《めいど》にある|三途《せうづ》の|川《かは》なら、|依然《いぜん》として|汚濁《をだく》の|水《みづ》が|永久《とこしへ》に|満《み》ち|流《なが》れて|居《ゐ》る|筈《はず》だ。|之《これ》はまた|素敵《すてき》|滅法界《めつぽふかい》な|清流《せいりう》だ、これを|思《おも》へば|三途《せうづ》の|川《かは》とは、どうしても|受取《うけと》れないワ』
|六《ろく》『モシモシ|皆《みな》サン、|彼処《あすこ》の|枝振《えだぶり》の|洒落《しやれ》た|松《まつ》の|根許《ねもと》に|小《ちい》さい|家《いへ》が|現《あら》はれて|居《ゐ》るぢやありませぬか、あれやきつと|三途《せうづ》の|川《かは》の|鬼婆《おにばば》の|本宅《ほんたく》かも|知《し》れませぬぜ』
|弥《や》『ナーニ、あれや|瓦葺《かはらぶき》だ。|婆《ばば》の|御館《おやかた》と|云《い》ふものは、それはそれは|立派《りつぱ》なものだ。どうしても|比較《ひかく》にはならない|黄金蔵《わうごんぐら》の|様《やう》だよ』
|与《よ》『|黄金蔵《わうごんぐら》つて|何《なん》だい、この|前《まへ》に|貴様《きさま》と|旅行《りよかう》した|時《とき》には|見《み》すぼらしい|雪隠《せんち》|小屋《ごや》の|様《やう》な|庵《いほり》じやなかつたかい』
|弥《や》『アハヽヽヽ、|頭《あたま》の|悪《わる》い|奴《やつ》だナ、|雪隠《せんち》|小屋《ごや》の|様《やう》だから、|当世流《たうせいりう》に|黄金蔵《わうごんぐら》と|言霊《ことたま》を|詔《の》り|直《なほ》したのだよ』
|与《よ》『|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ、|然《しか》しどうも|臭《くさ》いぞ。|一《ひと》つドンナ|奴《やつ》が|居《を》るか|訪《おとな》ふて|見《み》やうかい』
|弥《や》『マア|待《ま》て|一《ひと》つ|考《かんが》へものだ。|熟思黙考《じゆくしもくかう》の|余地《よち》は|十二分《じふにぶん》に|存《そん》する』
|与《よ》『ヤア|構《かま》はぬ|当《あた》つて|砕《くだ》けだ。|一《ひと》つ|善《ぜん》か|悪《あく》か|虚《きよ》か|実《じつ》か|爺《ぢぢ》か|媼《ばば》か、|絶世《ぜつせい》の|美人《びじん》かおかめか、|検非違使《けびゐし》の|別当《べつたう》|与太衛門尉《よたゑもんのじやう》|無手勝公《むてかつこう》が|首実検《くびじつけん》に|及《およ》ばうかい』
|弥《や》『アハヽヽ、|又《また》そろそろはつしやぎ|出《だ》したなア、それほどはつしやぐと、|日輪様《にちりんさま》が|御出《おで》ましになつたら、|貴様《きさま》の|細腕《ほそうで》が|燻《くす》ぼつてしもうぞ』
|与《よ》『|何《なに》を|言《い》ふのだ、|燻《くすぼ》つて|来《き》たら、この|川《かは》にザンブと|浸《つけ》れば|好《よ》いのだ。|採長補短《さいちやうほたん》、|水欠水補《すゐけつすゐほ》だ、ソンナ|事《こと》に|心配《しんぱい》するな。|自由自在《じいうじざい》の|天地《てんち》を|跋渉《ばつせふ》する、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|候補者《こうほしや》だ』
と|云《い》ひながら|小屋《こや》の|傍《かたはら》にツツと|立寄《たちよ》り|妙《めう》な|腰付《こしつ》きをして、|両手《りやうて》を|蟷螂《かまきり》の|様《やう》に|構《かま》へたまま|膝《ひざ》をくの|字《じ》に|曲《ま》げ、|尻《しり》を|振《ふ》りながら、|一軒屋《いつけんや》の|無双窓《むさうまど》を|覗《のぞ》き、
『モウシモウシお|媼《ばあ》サン |一夜《いちや》の|宿《やど》を|願《ねが》ひます
それはお|易《やす》い|事《こと》ながら これなる|部屋《へや》を|開《あ》けまいぞ
それは|誠《まこと》に|有難《ありがた》う |今宵《こよひ》は|此処《ここ》にゆつくりと
|足《あし》を|伸《の》ばして|寝《ね》るであらう お|婆《ばば》は|口《くち》を|尖《とが》らして
これなる|居間《ゐま》を|開《あ》けまいぞ |言《い》ひつつお|婆《ばば》は|谷川《たにがは》に
|手桶《てをけ》をさげて|水《みづ》|汲《く》みに |後《あと》に|与太彦《よたひこ》|只《ただ》|一人《ひとり》
|今《いま》なるお|婆《ばば》の|云《い》ふたには これなる|部屋《へや》を|開《あ》けなとは
てつきりおむすの|添伏《そへぶ》しか |何《なに》は|兎《と》もあれ|開《あ》けて|見《み》よ
|左手《ゆんで》に|襖《ふすま》カラリ|開《あ》け つらつら|見《み》ればこは|如何《いか》に
あちらの|隅《すみ》には|手《てて》がある こちらの|隅《すみ》には|足《あし》がある
|今宵《こよひ》この|家《や》にとまりなば |手足《てあし》も|骨《ほね》もグダグダに
|出刄《でば》で|料理《れう》つて|塩《しほ》つけて おほかたお|婆《ばば》が|喰《く》ふであろ
これやたまらぬと|泡《あわ》を|吹《ふ》き |裏口《うらぐち》|指《さ》して|尻《しり》からげ
スタコラヨイサノ、ドツコイシヨ ドツコイサノエツサツサノ、エンサノサ
エツササノエササ、エササノサツサイ
アハヽヽヽ』
|弥《や》『コラこの|大馬鹿《おほばか》、|何《なに》を|洒落《しやれ》るのだ、|此処《ここ》はどうやら|三途《せうづ》の|川《かは》だぞ。まごまごして|居《ゐ》ると|本当《ほんたう》に|三途《せうづ》の|川《かは》の|鬼婆《おにばば》が、|又《また》|着物《きもの》をすつくり|取《と》り|上《あ》げて、|親譲《おやゆづ》りの|洋服《やうふく》まで|渡《わた》せと|吐《ぬか》しよるぞ、|君子《くんし》|危《あやふ》きに|近《ちか》づかずだ、|早《はや》くこちらへ|逃《に》げてこぬかい』
|与《よ》『エヽ|今回《こんくわい》も|前回《ぜんくわい》もあつたものかい、カイツクカイのカイカイカイだ。オーイ|三途《せうづ》の|川《かは》の|鬼婆《おにばば》、|先達《せんだつて》|来《き》た|与太公《よたこう》が|又《また》|来《き》たぞ。モウ|何時《なんどき》ぢやと|思《おも》ふて|居《ゐ》るのだ、|好《よ》い|加減《かげん》に|起《お》きぬかい』
|家《いへ》の|中《なか》より、|中婆《ちうばば》の|声《こゑ》として、
|婆《ばば》『|誰《た》れぢや|誰《た》れぢや、|折角《せつかく》|夜中《よなか》の|夢《ゆめ》を|見《み》て|居《ゐ》るのに、|門口《かどぐち》であた|八釜《やかま》しい|吐《ぬか》す|奴《やつ》は|何奴《どいつ》ぢやい』
|与《よ》『|誰《たれ》でもないワイ、|俺様《おれさま》ぢや』
|婆《ばば》『|俺様《おれさま》と|言《い》つたつて|名《な》を|言《い》はな|分《わか》るかい、|貴様《きさま》も|智慧《ちゑ》の|足《た》らぬ|奴《やつ》ぢやなア、|目《め》に|見《み》えぬ|肝腎《かんじん》なものを|落《お》として|来《き》よつたと|見《み》えるワイ』
|与《よ》『コラコラ|三途《せうづ》の|川《かは》の|鬼婆《おにばば》|奴《め》、|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》と|言《い》つて|居《ゐ》るのだい。|早《はや》く|手水《てうづ》をつかつて|与太《よた》サンの|一行《いつかう》に、|渋茶《しぶちや》でも|汲《く》まないかい』
|婆《ばば》『|八釜《やかま》しい|言《い》ふな、|病人《びやうにん》があるのに|病気《びやうき》に|障《さは》るワイ、【ゲン】の|悪《わる》いことを|言《い》ふて|呉《く》れな、|冥土《めいど》か|何《なん》ぞの|様《やう》に|三途《せうづ》の|川《かは》ぢやのと、|此処《ここ》は|一途《いちづ》の|川《かは》ぢやぞ』
|与《よ》『ヤア|時節柄《じせつがら》|物価《ぶつか》|下落《げらく》の|影響《えいきやう》を|受《う》けて、ドツと|踏張《ふんば》りよつて|二途《にづ》を|引《ひ》き|下《さ》げたな、サヽ|投《な》げ|売《う》り|投《な》げ|売《う》り、|只《ただ》より|安《やす》い|買《か》ふたり|買《か》ふたり。このカリカリ|糖《たう》は|食《た》べれやおいしい、|食《く》や|美味《うま》い、ボロリボロリと|歯《は》|脆《もろ》うて|歯《は》につかぬ、|湿《しめ》る|例《ため》しもなし、|雨《あめ》が|降《ふ》つてもカーリカリだ、アハヽヽヽ』
|婆《ばば》『エヽー、アタ|八釜《やかま》しい、お|前《まへ》は|何処《どこ》の|奴乞食《どこじき》じや。ソンナ|芸《げい》|位《くら》いしたつて|一文《いちもん》もやらせぬぞよ』
|与《よ》『|一門《いちもん》|残《のこ》らず|討死《うちじに》と、|聞《き》く|悲《かな》しさは|嵯峨《さが》の|奥《おく》、|泣《な》いてばつかり|暮《くら》せしに、|一途《いちづ》の|川《かは》の|乞食《こじき》|小屋《ごや》とやらに、|鬼婆《おにばば》がお|坐《は》しますと、|一行《いつかう》|四人《よにん》は|手《て》に|手《て》を|取《と》つて、|此処《ここ》まで|来《き》たのが【おみ】の|仇《あだ》、|思《おも》へば|思《おも》へばこの|与太《よた》は、|去年《きよねん》の|秋《あき》の|病気《わづらひ》に、|一層《いつそ》|死《し》んでしもうたら、|斯《こ》うした|歎《なげ》きは|在《あ》るまいもの、|娑婆《しやば》|塞《ふさ》ぎになるとは|知《し》りながら、|半時《はんとき》なりと|生《い》き|長《なが》らへたいと|思《おも》ふて|来《き》たのが|吾身《わがみ》の|仇《あだ》、|今《いま》の|思《おも》ひに|較《くら》ぶれば、なぜに|三年《さんねん》も|先《さき》にこの|川《かは》へ、エーマ|身《み》を|投《な》げて|死《し》ななんだであらう、アヽヽヽチヤチヤ チヤン チヤン チヤン チヤン チヤぢや』
|弥《や》『また|演劇《えんげき》|気分《きぶん》になつて|居《ゐ》よるナ、|門附《かどつけ》|芸者《げいしや》の|様《やう》な、|見《み》つともない。|洒落《しやれ》は|止《や》めたがよからうぞ』
|婆《ばば》『|何処《どこ》の|奴乞食《どこじき》か|知《し》らぬが、|表《おもて》の|戸《と》をプリンと|押《お》して|這入《はい》つて|来《き》なさい。|田子《たご》の|宿《やど》で|飲《の》んだ|様《やう》な|小便茶《せうべんちや》なと|汲《く》んで|上《あ》げやうかい』
|与《よ》『オイオイ|弥次公《やじこう》、|何《なに》を|怕々《おぢおぢ》して|居《ゐ》るのだ、|婆《ば》アサンが|結構《けつこう》な|茶《ちや》をヨンデやらうと|云《い》ふて|居《ゐ》るぞ。|早《はや》う|来《き》て|一杯《いつぱい》グツと|頂戴《ちやうだい》せぬかい』
|弥《や》『モシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、どうしませうかな』
|勝《かつ》『|兎《と》も|角《かく》|這入《はい》つて|見《み》ませうか』
|三人《さんにん》は|与太彦《よたひこ》の|後《あと》に|随《つ》いて|門口《かどぐち》を|跨《また》げた。|這入《はい》つて|見《み》れば|外《そと》から|見《み》たよりは、|比較的《ひかくてき》|広《ひろ》き|二間《ふたま》|造《づく》りの|座敷《ざしき》に、この|家《や》の|主人《あるじ》と|見《み》え|中年増《ちうどしま》の|婆《ばば》が|横《よこた》はつて|居《ゐ》る。その|傍《かたはら》に|少《すこ》し|若《わか》さうな|一人《ひとり》の|婆《ばば》が、|何《なに》かと|病人《びやうにん》の|世話《せわ》をして|居《ゐ》る。
|勝《かつ》『ヤア|見《み》れば|当家《たうけ》には|御病人《ごびやうにん》が、おありなさると|見《み》える。|是《こ》れは|是《こ》れは|御取込《おとりこ》みの|中《なか》に|大勢《おほぜい》のものが|御邪魔《おじやま》を|致《いた》しました』
|婆《ばば》『ハイハイ、ようマア|立寄《たちよ》つて|下《くだ》さつた。|此処《ここ》は|一途《いちづ》の|川《かは》と|云《い》つて、お|前《まへ》サン|等《ら》の|身魂《みたま》の|洗濯《せんたく》をする|処《ところ》だ。|二人《ふたり》の|婆《ばば》が【かたみ】|代《がは》りに、|往来《ゆきき》の|人《ひと》の|身魂《みたま》の|皮《かは》を|脱《ぬ》がして|洗濯《せんたく》をする|処《ところ》だ。サア|此処《ここ》へ|来《き》たが|幸《さいは》ひ、|真裸《まつぱだか》にして|親譲《おやゆづ》りの|皮《かは》を|脱《ぬ》がして|上《あ》げやう。お|前《まへ》の|顔《かほ》は|蕪《かぶら》の|千枚漬《せんまいづけ》ぢやないか、|随分《ずゐぶん》|厚《あつ》い|皮《かは》だ。サア|一枚々々《いちまいいちまい》|隙《ひま》がいつても|仕様《しやう》がない、|年寄《としより》に|苦労《くらう》を|掛《か》けて|困《こま》つた|人《ひと》だな、これもウラル|彦《ひこ》の|神様《かみさま》の|御命令《ごめいれい》ぢやから|仕方《しかた》がないワ。お|前等《まへら》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》や|信者《しんじや》であらう、アヽ|三五教《あななひけう》と|云《い》ふやつは、|男子《なんし》ぢやとか|女子《によし》ぢやとか|吐《ぬか》して、|俺達《おれたち》の|世《よ》の|中《なか》を|奪《とら》うとする|奴《やつ》ぢや。お|前《まへ》もその|乾児《こぶん》だからエーイ|出刄《でば》でも|持《も》つて|来《き》て、その|厚《あつ》い|皮《かは》を|剥《む》いて|遣《や》らうかい。|男子《なんし》の|方《はう》はまだしもだが|女子《によし》と|云《い》ふ|奴《やつ》は|瑞《みづ》の|御魂《みたま》で、カメリオンの|様《やう》な|代物《しろもの》だ。アンナ|奴《やつ》の|立《た》てた|教《をしへ》に|呆《はう》けて、まだそこら|中《ぢう》に|開《ひら》きに|往《ゆ》くとは|不都合《ふつがふ》|千万《せんばん》、エーイ|腰《こし》の|痛《いた》い|事《こと》だワイ』
と|右手《みぎて》に|出刄《でば》を|持《も》ち|左手《ひだりて》を|握《にぎ》り、|腰《こし》の|辺《あたり》を|三《み》つ|四《よ》つポンポン|打《う》ちながら、
|婆《ばば》『アーエーイ、|腰《こし》の|痛《いた》いこつちや』
|弥《や》『オイ|貴様《きさま》はウラル|教《けう》の|悪神《あくがみ》の|乾児《こぶん》だな。|道理《だうり》で|星《ほし》の|紋《もん》の|付《つ》いた|布団《ふとん》を|着《き》たり、|羽織《はおり》まで|星《ほし》の|紋《もん》を|着《つ》けてゐよるワイ、コラ|婆《ば》アサン|貴様《きさま》こそ|改心《かいしん》したらどうだい』
|婆《ばば》『エーイ|八釜《やかま》しいワイ、|常世姫命《とこよひめのみこと》|様《さま》のお|台《だい》サンが|病気《びやうき》で|寝《ね》て|御座《ござ》るのに、|何《なに》をガアガアと|騒《さわ》ぐのだ。|神妙《しんめう》にせぬと|十万億土《じふまんおくど》と|云《い》ふ|処《ところ》へ、|送《おく》り|届《とど》けて|万劫末代《まんがふまつだい》この|世《よ》へ|上《あ》がれぬ|様《やう》にして|遣《や》らうか』
|与《よ》『|何《なん》だ|出刄《でば》を|提《さ》げよつて、|強圧的《きやうあつてき》に|矢張《やつぱ》りウラル|教《けう》はウラル|式《しき》だ、|奥州《あうしう》|安達ケ原《あだちがはら》の|鬼婆《おにばば》|見《み》た|様《やう》な|奴《やつ》だなア。|貴様《きさま》はかうして|此《この》|川辺《かはべり》に|巣《す》を|構《かま》へよつて、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》や|信者《しんじや》の|身魂《みたま》を|引抜《ひきぬ》く|奴《やつ》ぢやな。コレヤ、その|手《て》は|喰《く》はぬぞ、|貴様《きさま》の|身魂《みたま》を【こな】サンが|引抜《ひきぬ》いてやらうか』
|婆《ばば》『|何《なに》ほど|八釜《やかま》しく、【じたばた】しても|恟《びく》とも|動《うご》くものかい。|俺《おれ》は|善《ぜん》の|仮面《かめん》を|被《かぶ》つてヱルサレムの|宮《みや》に、|出入《しゆつにふ》をして|居《を》つた|常世姫命《とこよひめのみこと》の|一《いち》の|家来《けらい》の、|木常姫《こつねひめ》の|生《うま》れ|替《がは》りだぞ、|酢《す》でも|蒟蒻《こんにやく》でも|往《ゆ》く|婆《ばば》でないぞ』
|弥《や》『|貴様《きさま》は|木常姫《こつねひめ》の|生《うま》れ|替《がは》りだな、|木常姫《こつねひめ》と|云《い》ふ|奴《やつ》は|仕方《しかた》のない|奴《やつ》だ』
|婆《ばば》『|仕方《しかた》がなからう、|小鹿峠《こしかたうげ》の|二十三峠《にじふさんたうげ》の|上《うへ》で、この|婆《ばば》が|貴様《きさま》を|苦《くる》しめた|事《こと》を|覚《おぼ》えて|居《を》るだらう、|恐《こわ》かつたか|恐《おそ》れ|入《い》つたか』
|弥《や》『エー|何《なん》だか|俺《おれ》の|背《せ》に|虻《あぶ》がとまつたかと|思《おも》つたら、|貴様《きさま》だつたなア。|何《なに》をへらず|口《ぐち》|叩《たた》きよるのだ、|愚図々々《ぐづぐづ》|吐《ぬか》すと|言霊《ことたま》の|発射《はつしや》だぞ』
|木《こ》『オホヽヽ、|仰有《おつしや》るワイ|仰有《おつしや》るワイ、あの|時《とき》に|日《ひ》の|出別《でわけ》と|云《い》ふ|我楽多神《がらくたがみ》が|出《で》て|来《き》よつて、いらぬチヨツカイを|出《だ》しよるものだから、|戦《たたか》ひ|利《り》あらず、|時《とき》|非《ひ》なりと|断念《だんねん》して、|茲《ここ》に|第二《だいに》の|作戦《さくせん》|計画《けいくわく》を|立《た》て、|手具脛《てぐすね》|引《ひ》いて|待《ま》つて|居《ゐ》たのだ。モウ|斯《こ》うなつては|此方《こつち》のものだ、|袋《ふくろ》の|鼠《ねずみ》も|同様《どうやう》、これや|此《この》|出歯《でば》の|言霊《ことたま》で|霊《たま》なしにしてやらうか』
|弥《や》『アハヽヽヽヽ、|婆《ばば》の|癖《くせ》に|剛情《がうじやう》な|奴《やつ》だなア。|貴様《きさま》のやうな|奴《やつ》は|屹度《きつと》|死《し》んだら、|三途《せうづ》の|川《かは》の|脱衣婆《だついばば》の|後任者《こうにんしや》となつて、|終身官《しうしんくわん》に|任《にん》ぜられる|代物《しろもの》だナ』
|婆《ばば》『オホヽヽヽ、|脱衣婆《だついばば》の|役《やく》は|俺《わし》の|姉《あね》さまの|役《やく》だよ、わしは|其《その》|妹《いもうと》だ、|酢《す》でも|蒟蒻《こんにやく》でも|梃《てこ》でも|棒《ぼう》でも、いつかないつかな|恟《びく》ともせぬ、|我《が》の|強《つよ》い|岩《いは》より|堅《かた》いカンカンの|鬼婆《おにばば》だ。|如何《いか》に|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》でも|此《この》|婆《ばば》には|敵《かな》ふまい。|一遍《いつぺん》に|行《ゆ》かねば、|二度《にど》でも|三度《さんど》でも、|仮令《たとへ》|十年《じふねん》|百年《ひやくねん》|千年《せんねん》かかつても、|貴様《きさま》の|身魂《みたま》を|抜《ぬ》き|取《と》らな|置《お》くものかい』
|弥《や》『|何《なん》と|執念《しふねん》|深《ぶか》い|婆《ばば》ぢやないか、|早《はや》く|修羅《しゆら》の|妄執《まうしふ》を|晴《は》らしよらぬかい。|天国《てんごく》に|往《ゆ》くのが|好《よ》いか、|地獄《ぢごく》に|行《ゆ》くのが|好《よ》いか、|此処《ここ》は|一《ひと》つ|思案《しあん》の|仕処《しどこ》ちやぞ』
|婆《ばば》『|俺《おれ》は|天国《てんごく》は|大嫌《だいきら》ひぢや。|天国《てんごく》へ|往《ゆ》かうとする|奴《やつ》を|片《かた》つ|端《ぱし》から、|霊《たま》を|抜《ぬ》いて|地《ち》の|底《そこ》へ|送《おく》るのが、|俺《おれ》の|役《やく》だ。|偽《にせ》の|変性男子《へんじやうなんし》だぞ。|此処《ここ》に|寝《ね》て|居《ゐ》る|常世姫《とこよひめ》の|懸《かか》る|肉体《にくたい》は、|偽《にせ》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》ぢや、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》もタンマには|憑《うつ》つて|来《く》るぞ。|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》は、|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|地《ぢ》に|致《いた》して|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|殿《どの》のお|活動《はたらき》で、この|世《よ》を|水晶《すゐしやう》に|致《いた》すとぬかしよつて|威張《ゐば》つてをるが、この|世《よ》が|水晶《すゐしやう》になつて|耐《たま》るかい。|日《ひ》の|出《で》の|世《よ》になつたら、|俺達《おれたち》の|居《を》る|処《ところ》は|無《な》くなつてしまうワ、それだから|貴様等《きさまら》のやうな|馬鹿《ばか》|正直《しやうぢき》な|頓痴気《とんちき》|野郎《やらう》や、|腰抜《こしぬ》け|女《をんな》を|鼠《ねずみ》が|餅《もち》を|引《ひ》くやうに、チヨビリチヨビリと|引張《ひつぱ》り|込《こ》んで、|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》は|此処《ここ》ぢや、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》も|此処《ここ》に|現《あら》はれて|居《ゐ》ると、|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》を|誑《たぶら》かして、|女子《によし》の|霊魂《みたま》を|困《こま》らしてやるのだ。アハヽヽヽ、|気分《きぶん》の|好《よ》い|事《こと》ぢや、|心地《ここち》が|好《よ》いワイ、イヒヽヽヽ』
|勝《かつ》『ヨウ|貴様等《きさまら》は|不届《ふとどき》|至極《しごく》な|婆達《ばばたち》ぢや、|最早《もはや》|貴様《きさま》の|口《くち》から|自白《じはく》|致《いた》した|以上《いじやう》は、|弁解《べんかい》の|辞《ことば》はあるまい。|曲津《まがつ》と|云《い》ふ|奴《やつ》は|賢《かしこ》い|様《やう》でも|馬鹿《ばか》だなア、|蛙《かへる》は|口《くち》から|吾《われ》と|吾手《わがて》に|白状《はくじやう》|致《いた》し|居《を》つた。アハヽヽヽ』
|婆《ばば》『ドウセ|貴様《きさま》は|只《ただ》で|帰《かへ》す|奴《やつ》ぢやないから、|俺達《おれたち》の|企《たく》みを|隠《かく》す|必要《ひつえう》もなし、|因果腰《いんぐわごし》を|定《き》めて、|貴様《きさま》の|霊《れい》を|一々《いちいち》|手渡《てわた》しせい。|愚図々々《ぐづぐづ》|吐《ぬか》すと|俺《おれ》が|手《て》づから、|貴様《きさま》の|土手腹《どてつぱら》へ|此奴《こいつ》をグサリと|突《つ》つ|込《こ》み、|一抉《ひとえぐ》りに|抉《えぐ》つて|取《と》つてやるぞ』
|弥《や》『|何《なに》を|吐《ぬか》すのだ。|顋太《あごた》|許《ばか》り|叩《たた》きよつて、|脅《おど》したりすかしたり|貴様《きさま》の|奥《おく》の|手《て》は|好《よ》く|分《わか》つて|居《ゐ》るぞ』
|婆《ばば》『|貴様達《きさまたち》は|三五《さんご》の|月《つき》の|御教《みをしへ》だと|吐《ぬか》して|居《ゐ》るが、その|月《つき》は|運《うん》の|尽《つき》ぢや、|片割月《かたわれづき》ぢや、ソンナ|月《つき》が|間《ま》に|合《あ》ふか。
|十五夜《じふごや》に|片割月《かたわれづき》はなきものを
|雲《くも》に|隠《かく》れて|此処《ここ》に|半分《はんぶん》
と|云《い》ふ|事《こと》を|貴様《きさま》は|知《し》つて|居《ゐ》るか、|本当《ほんたう》の|真如《しんによ》の|月《つき》は、|此処《ここ》に|半分《はんぶん》どころか、|丸《まる》で|隠《かく》れて|居《ゐ》るのだ、|切《き》れてばらばら|扇《あふぎ》の|要《かなめ》だ。|三五教《あななひけう》は|自在天《じざいてん》と|盤古大神《ばんこだいじん》の|系統《けいとう》の|神《かみ》に、ばらばらに|骨《ほね》を|抜《ぬ》かれよつたぢやないか、|肝腎《かんじん》の|要《かなめ》は|此処《ここ》に|握《にぎ》つて|居《ゐ》るのぢや。|神《かみ》の|奥《おく》には|奥《おく》があり、その|又《また》|奥《おく》には|奥《おく》がある、その|又《また》|奥《おく》に|奥《おく》がある、|昔々《むかしむかし》|去《さ》る|昔《むかし》、ま|一《ひと》つ|昔《むかし》の|其《その》|昔《むかし》、その|又《また》|昔《むかし》の|大昔《おほむかし》から、この|世《よ》を|自由《じいう》に|致《いた》さうと|思《おも》うて、|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大神《おほかみ》|様《さま》や、|金毛九毛《きんまうきうび》のお|稲荷《いなり》|様《さま》、|酒呑童子《しゆてんどうじ》のお|身魂《みたま》|様《さま》が、この|一途《いちづ》の|川《かは》の|片傍《かたほとり》に、|仕組《しぐみ》を|致《いた》して|居《を》るのを|知《し》らぬか。|好《い》い|加減《かげん》に|目《め》を|醒《さ》まして、|魂《たましひ》をこちらへ|潔《いさぎよ》く|渡《わた》して、|生《うま》れ|赤子《あかご》になつて|悪神《あくがみ》の|眷族《けんぞく》にならぬかい』
|弥《や》『アハヽヽ、コラ|二人《ふたり》の|婆《ばば》、|何《なに》を|劫託《がふたく》ほざきよるのだ。|勿体《もつたい》なくも|五六七大神《みろくおほかみ》|様《さま》が|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に|顕現《けんげん》なされた|以上《いじやう》は、|何程《なんぼ》|貴様等《きさまら》が|火《ひ》になり|蛇《じや》になり|猿《さる》になり|狼《おほかみ》になり|狸《たぬき》になり、|或《あるひ》は|大蛇《おろち》、|狐《きつね》、|鬼《おに》になつて、|黄糞《かにここ》をこいて|藻掻《もが》いたつて|駄目《だめ》だぞ。|一日《いちにち》も|早《はや》く|改心《かいしん》を|致《いた》したがよからう』
|婆《ばば》『イヤイヤ、|誰《たれ》が|何《なん》と|言《い》うても、|仮令《たとへ》|百遍《ひやつぺん》や|二百遍《にひやつぺん》、|生命《いのち》がなくなつても、|誠《まこと》の|道《みち》は|嫌《きら》ひだ。|誠《まこと》の|道《みち》と|見《み》せ|掛《か》けて|悪《あく》を|働《はたら》くのが|俺達《おれたち》の|身魂《みたま》の|性来《しやうらい》だ。|金《きん》は|何処《どこ》までも|金《きん》ぢや、|瓦《かはら》は|何処迄《どこまで》も|瓦《かはら》ぢや。|俺達《おれたち》は|善《ぜん》の|仮面《かめん》を|被《かぶ》つて、|高《たか》い|処《とこ》へとまつて、|熱《あつ》さ|寒《さむ》さも|知《し》らず|顔《がほ》に、|世界《せかい》の|奴《やつ》を|睨《にら》み|下《お》ろして|居《ゐ》る|鬼瓦《おにがはら》ぢやぞ』
|与《や》『こりや|鬼婆《おにばば》、イヤ|鬼瓦《おにがはら》、|道理《だうり》で|冷酷《れいこく》な|奴《やつ》ぢやと|思《おも》うて|居《を》つた』
|婆《ばば》『|定《きま》つた|事《こと》だ、|俺達《おれたち》の|眷属《けんぞく》や|系統《ひつぽう》のものが|世界《せかい》の|奴《やつ》の|霊《みたま》をスツクリ|引抜《ひきぬ》いて、|鬼瓦《おにがはら》の|霊《みたま》と|入替《いれか》へをして|置《お》いたから、|世《よ》の|中《なか》の|奴《やつ》は|皆《みな》|冷酷《れいこく》|無残《むざん》な|動物霊《どうぶつれい》になつて、|餓鬼《がき》|修羅《しゆら》|畜生《ちくしやう》の|境遇《きやうぐう》になり、|優勝劣敗《いうしようれつぱい》、|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》の|体主霊従的《たいしゆれいじうてき》|非行《ひかう》を|盛《さか》んに|続《つづ》けて|居《ゐ》るのだ。|最早《もはや》|三千世界《さんぜんせかい》は|九分九厘《くぶくりん》まで、|俺《おれ》の|心《こころ》の|儘《まま》に|曇《くも》つて|来居《きを》つたが、|困《こま》るのはモウ|一輪《いちりん》の|所《ところ》だ。|変性男子《へんじやうなんし》の|身魂《みたま》はどうなつとして、チヨロマカして|来《き》たが、|歯切《はぎ》れのせぬのは|金勝要《きんかつかね》の|神魂《かむみたま》だ。そこへ|我《が》の|強《つよ》い|変性女子《へんじやうによし》の|御魂《みたま》や、|木《こ》の|花咲耶姫《はなさくやひめ》の|御魂《みたま》が|出《で》しやばりよつて、|俺達《おれたち》の|仕組《しぐみ》の|邪魔《じやま》をさらすものだから、|多勢《おほぜい》の|者《もの》の|難儀《なんぎ》と|云《い》ふたら、|口《くち》で|言《い》ふやうなものでないワイ。|貴様等《きさまら》も|変性女子《へんじやうによし》やら|木《こ》の|花姫《はなひめ》の、|霊主体従《れいしゆたいじゆう》の|教《をしへ》を|開《ひら》きに|廻《まは》つて、|俺等《おれたち》の|邪魔《じやま》をする|奴《やつ》ぢや。|何《なん》と|云《い》つても|貴様《きさま》の|霊《みたま》を|引抜《ひきぬ》かねば、|常世姫命《とこよひめのみこと》に|対《たい》して|申訳《まをしわけ》が|立《た》たず、|第一《だいいち》|盤古大神《ばんこだいじん》や|自在天《じざいてん》|様《さま》に|申訳《まをしわけ》がないワイ。|婆《ば》アの|一心《いつしん》|岩《いは》をも|突貫《つきぬ》く、いい|加減《かげん》に|因果腰《いんぐわごし》を|据《す》ゑたが|好《よ》からうぞ。イヒヽヽヽヽ』
|勝《かつ》『ヤアこの|婆《ばば》、|貴様《きさま》はよつぽど|因縁《いんねん》の|悪《わる》い|奴《やつ》だ。|本当《ほんたう》にこの|世界《せかい》が【ほしい】か、|執着心《しふちやくしん》のきつい|奴《やつ》だ』
|婆《ばば》『ほしいワほしいワ、|欲《ほ》しい|印《しるし》に|星《ほし》の|紋《もん》が|附《つ》けてあるのも|知《し》らぬかい。|星《ほし》の|紋《もん》は|米《べい》の|紋《もん》ぢやぞ。それが|欲《ほ》しいばつかりに|夜昼《よるひる》なしに【やきやき】して|居《ゐ》るのぢや、オーン オーン アーン アーン、|何《なん》でもかでも|欲《ほ》しいワイ|欲《ほ》しいワイ。|三五教《あななひけう》はどうしてもやめてほしい、|此方《こつち》の|方《はう》へ|魂《みたま》を|渡《わた》して|欲《ほ》しい、|是丈《これだ》け|梅干婆《うめぼしばば》にほしいほしいが|重《かさ》なつて、|目《め》にまで|星《ほし》が|這入《はい》つたワイ。|蛙《かへる》の|干乾《ひぼし》の|様《やう》な|痩《やせ》た|身体《からだ》になつても、それでもまだ|欲《ほ》しいワイ。|慾《よく》に|呆《ほう》けた|為《ため》に|俺《おれ》の|着物《きもの》も|梅雨《つゆ》が|来《き》て、アチラコチラに|星《ほし》が|入《い》つて|来《き》た、|早《はや》う|土用《どよう》が|来《き》てほしいワイ、|土用干《どようぼし》でもせな|星《ほし》がとれぬワイ』
|弥《や》『コラ|婆《ば》アサン、その|星《ほし》を|取《と》つたが|好《よ》いのか、とらぬが|好《よ》いか、どつちやか|返答《へんたふ》が|一寸《ちよつと》きかしてほしいワイ』
|婆《ばば》『|着物《きもの》の|星《ほし》は|取《と》つてほしいが、|俺《おれ》のほしいは|取《と》つてはならぬワイ』
|与《よ》『イヤア|此《この》|婆《ばば》、|五右衛門風呂《ごゑもんぶろ》の|蓋《ふた》のやうな|事《こと》を|吐《ほざ》きよるな、|入《い》るときに|要《い》らぬ、|入《い》らぬときに|要《い》る|風呂《ふろ》の|蓋《ふた》だ。オイ|風呂蓋婆《ふろふたばば》、|梅干婆《うめぼしばば》、|貴様《きさま》も|棺桶《くわんをけ》に|片足《かたあし》|突込《つつこ》んで|居《を》つて、|好《い》い|加減《かげん》に|我《が》を|折《を》つたらどうだい。ほしい、おしい、|可愛《かあい》い、|憎《にく》い、|慾《よく》に|高慢《かうまん》、|恨《うら》めしい、|苦《くる》しい|八《やつ》つの|埃《ほこり》と|吐《ぬ》かす|十九世紀《じふくせいき》の|転理数《てんりけう》のやうな|奴《やつ》だな』
|婆《ばば》『エーエー|言《い》はして|置《お》けば|止《と》め|度《ど》なく、|痢病《りびやう》|患者《くわんじや》のやうにビリビリとよう|垂《た》れる|奴《やつ》ぢや。くだらぬ|理屈《りくつ》を|管々《くだくだ》しく|垂《た》れ|流《なが》してエヽ|汚苦《むさくる》しいワイ。|何《なに》も|彼《か》も|綺麗《きれい》さつぱり|御塵《おちり》|払《はら》ひをして、この|婆《ばば》に|根《ね》こそげ|奉納《ほうなふ》しよらぬかい。|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》ると、|俺《おれ》の|方《はう》から|行動《かうどう》を|開始《かいし》するぞ。コレコレ|常世姫《とこよひめ》の|神《かみ》、もう|起《お》きてもよかろう、サア|早《はや》く|起《お》きて|下《くだ》さい、|二人《ふたり》|寄《よ》つて|此奴等《こいつら》|四人《よにん》を|真裸《まつぱだか》にして、ソツと|猫糞《ねこばば》をキメやうかいな』
|伏婆《ふしばば》むくむくと|起《お》き|上《あが》り、
『ヤア|最前《さいぜん》から|病人《びやうにん》と|詐《いつ》はり、|様子《やうす》を|考《かんが》へて|居《を》れば、ようマア|理屈《りくつ》を|垂《た》れる|娑婆《しやば》|亡者《まうじや》、|此処《ここ》は|三五教《あななひけう》の|女子《によし》の|系統《ひつぽう》の|魂《みたま》がほしさに、|寝《ね》ても|起《お》きても|一途《いちづ》の|川《かは》の|脱衣婆《だついばば》アサンぢや、|車《くるま》の|両輪《りやうりん》、|飯《めし》|食《く》ふ|箸《はし》、|人間《にんげん》の|二本《にほん》のコンパス、|両方《りやうはう》から【ばば】と【ばば】が|狹《はさ》み|打《う》ちをしてやる、サアどうぢや』
|四人《よにん》|一度《いちど》に|身構《みがま》へをなし、
『ヤア|何《なん》と|吐《ほざ》いた、サア|来《こ》い|勝負《しようぶ》』
と|手《て》に|唾《つばき》し、グツと|睨《にら》み|付《つ》けた。|婆《ばば》は|手《て》に|手《て》に|出刄《でば》をひらめかし、|突《つ》いて|掛《かか》るを|四人《よにん》は|汗《あせ》みどろになつて、|前後《ぜんご》|左右《さいう》に|身《み》を|躱《かは》し、|奮戦《ふんせん》|格闘《かくとう》すること|殆《ほとん》ど|半時《はんとき》ばかり、|勝彦《かつひこ》は|常世姫《とこよひめ》の|出刄《でば》に、|腰骨《こしぼね》をグサリと|突《つ》かれた|途端《とたん》に|目《め》を|覚《さ》ませば、|豈《あに》|図《はか》らむや|一行《いつかう》|四人《よにん》は|二十五峠《にじふごたうげ》の|麓《ふもと》の|谷底《たにそこ》に|風《かぜ》に|吹《ふ》かれて|落《お》ちこみ|居《ゐ》たりける。
(大正一一・三・二五 旧二・二七 谷村真友録)
第一五章 |丸木橋《まるきばし》〔五六五〕
|二十五番峠《にじふごばんたうげ》の|頂上《ちやうじやう》より|強烈《きやうれつ》なる|烈風《れつぷう》に|吹《ふ》き|払《はら》はれ、|谷間《たにま》に|陥《おちい》りし|勝公《かつこう》|一行《いつかう》は、|息《いき》|吹《ふ》き|返《かへ》し|起《お》き|上《あが》り、|互《たがひ》に|顔《かほ》を|見合《みあは》せて、
|勝《かつ》『ヤア、|此処《ここ》はコシカ|峠《たうげ》の|谷底《たにそこ》だ。|一途《いちづ》の|川《かは》とやら|云《い》ふ|並木《なみき》の|松《まつ》の|茂《しげ》つた|一《ひと》つ|家《や》に|於《おい》て、|常世姫《とこよひめ》や|木常姫《こつねひめ》の|悪霊《あくれい》と|格闘《かくとう》をやつて|居《ゐ》た|積《つも》りだに、これは|矢張《やつぱ》り|夢《ゆめ》だつたかいなア』
|弥《や》『アヽ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|貴方《あなた》もソンナ|夢《ゆめ》を|見《み》たのですか、|私《わたくし》も|見《み》ましたよ、エグイ|顔《かほ》をした|婆《ばば》アだつたねー。|目《め》の|周囲《まはり》から|鼻《はな》の|辺《あた》りと|云《い》ふものは|紫色《むらさきいろ》に|腫上《はれあが》つて、|随分《ずゐぶん》|見《み》つともよくない|常世姫《とこよひめ》の|寝姿《ねすがた》、|一目《ひとめ》|見《み》るよりゾツとした。それに|又《また》、|星《ほし》の|紋《もん》のついた|水色《みづいろ》の|羽織《はおり》を|着《き》た|中婆《ちうばば》の|嫌《いや》らしい|顔《かほ》つたら、|今《いま》|思《おも》つても|身体中《からだぢう》がゾクゾクするやうですワ。それに|与太公《よたこう》の|奴《やつ》、|一《ひと》つ|家《や》の|窓《まど》を|覗《のぞ》いて、|芝居《しばゐ》がかりに|手踊《てをどり》をやるをかしさ、|可笑《をか》しいやら、|恐《おそ》ろしいやら、|気分《きぶん》が|悪《わる》いやら、|腹《はら》が|立《た》つやら、|疳《かん》が|立《た》つやら、イヤもう|三五教《あななひけう》の|精神《せいしん》も|何処《どこ》かへ|行《い》つて|仕舞《しま》うて、|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し、|宣《の》り|直《なほ》しと|云《い》ふ|余裕《よゆう》がなかつた。オイ|与太公《よたこう》、|六公《ろくこう》、|貴様《きさま》は|如何《どう》だつた。|夢《ゆめ》の|中《なか》の|一人《ひとり》だつたぞ』
|与《よ》『|俺《おれ》もチヨボチヨボだ、|一途《いちづ》の|川《かは》だとか、|欲《ほ》しい|一図《いちづ》だとか、|婆《ばば》が|吐《ほざ》いて|居《ゐ》たよ。|余程《よほど》よい|血迷《ちまよ》ひ|婆《ばば》アだワイ』
|六《ろく》『|鬼婆《おにばば》が|出刄《でば》をもつて、|突《つ》つかかつて|来《き》よつた|時《とき》にや、この|方《はう》は|無手《むて》だ、|先方《むかう》は|獲物《えもの》を|持《も》つて|居《を》るのだから|一寸《ちよつと》ハラハラした|途端《とたん》、|目《め》が|醒《さ》めたのだ。アヽ|嫌《いや》らしい|夢《ゆめ》を|見《み》たものだ。|夢《ゆめ》の|浮世《うきよ》と|云《い》ふからには、|何処《どこ》かにかう|云《い》ふ|事実《じじつ》があるかも|知《し》れないよ』
|弥《や》『|夢《ゆめ》と|云《い》ふものは|神聖《しんせい》なものだ。|吾々《われわれ》が|社会的《しやくわいてき》の|総《すべ》ての|羈絆《きはん》を|脱《だつ》して、|他愛《たあい》もなく|本守護神《ほんしゆごじん》の|発動《はつどう》に|一任《いちにん》した|時《とき》だから、|夢《ゆめ》の|中《なか》の|事実《じじつ》はきつと|過去《くわこ》か、|現在《げんざい》か、|未来《みらい》のうちには|実現《じつげん》するものだよ』
|六《ろく》『さうだらうかなア、|過去《くわこ》の|事《こと》だらうか、|未来《みらい》の|事《こと》だらうかな』
|勝《かつ》『それは、この|夢《ゆめ》の|実現《じつげん》は|数十万年《すふじふまんねん》|未来《みらい》の|事《こと》だ。|二十世紀《にじつせいき》と|云《い》ふ|悪魔《あくま》|横行《わうかう》の|時代《じだい》が|来《き》た|時《とき》、|八尾八頭《やつをやつがしら》や|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪霊《あくれい》が|再《ふたた》び|発動《はつどう》しよつて、|常世姫《とこよひめ》や|木常姫《こつねひめ》の|霊魂《みたま》の|憑《うつ》り|易《やす》い|肉体《にくたい》を|使《つか》つて、|行《や》りよる|事《こと》だよ。|天眼通力《てんがんつうりき》によつて|調《しら》べて|見《み》ると、|何《なん》でもこれから|艮《うしとら》の|方《はう》に|当《あた》つて、|神《かみ》さまの|公園地《こうゑんち》に、|夢《ゆめ》の|中《なか》の|男子《なんし》とか|女子《によし》とかが|現《あら》はれて、ミロクの|世《よ》の|活動《くわつどう》を|開始《かいし》されるのを、|何《なん》でも|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《ひつぽう》の|肉体《にくたい》に|懸《かか》り、|善《ぜん》の|仮面《かめん》を|被《かぶ》つて|教《をし》への|子《こ》を|食《く》ひ|殺《ころ》し、|玉取《たまと》りをやる|事《こと》の|知《し》らせであらう。アヽ|二十世紀《にじつせいき》と|云《い》ふ|世《よ》の|中《なか》の|人間《にんげん》は|実《じつ》に|可憐《かあい》さうだ。それにつけても、|厳霊《いづのみたま》、|瑞霊《みづのみたま》や|金勝要《きんかつかね》の|神《かみ》、|木花姫《このはなひめ》の|呑剣断腸《どんけんだんちやう》の|御苦《おくる》しみが|思《おも》ひやられる|哩《わい》。|嗚呼《ああ》|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|与《よ》『|吾々《われわれ》は|過去《くわこ》|現在《げんざい》|未来《みらい》の|衆生済度《しうじやうさいど》のため、この|清《きよ》らかな|川辺《かはべ》に|落《お》ち|込《こ》んだのを|幸《さいは》ひに、|御禊《みそぎ》を|修《しう》し、|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》してミロク|神政《しんせい》の|建設《けんせつ》の|太柱《ふとばしら》、|男子《なんし》|女子《によし》をはじめ、|金勝要《きんかつかね》の|神《かみ》、|木花姫《このはなひめ》の|霊《みたま》の|鎮《しづ》まりたまふ|肉《にく》の|宮《みや》の|為《ため》に、|祈《いの》りませうか。この|世《よ》の|中《なか》が|万劫末代《まんがふまつだい》|維持《ゐぢ》していけるやうに、|善《ぜん》ばかりの|花《はな》の|咲《さ》くやうに』
|勝《かつ》『|大賛成《だいさんせい》です、|皆《みな》サン|与太彦《よたひこ》サンの|提案《ていあん》に|従《したが》つて|即時《そくじ》|決行《けつかう》|致《いた》しませう』
|弥《や》、|六《ろく》『|吾々《われわれ》も|賛成《さんせい》です』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|着衣《ちやくい》を|川辺《かはべ》に|脱《ぬ》ぎ|捨《す》て、|谷川《たにがは》にザンブとばかり|飛込《とびこ》んだ。|四人《よにん》は|一度《いちど》に|水《みづ》に|浸《ひた》り|身体《からだ》を|清《きよ》めて|居《を》る|際《さい》、ブルブルブルと|音《おと》を|立《た》てて、|六公《ろくこう》は|水底《すゐてい》に|姿《すがた》を|隠《かく》して|仕舞《しま》つた。|勝公《かつこう》を|初《はじ》め|三人《さんにん》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|両手《りやうて》を|合《あは》せ|川上《かはかみ》に|向《むか》つて|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|終《をは》つてフト|傍《かたはら》を|見《み》れば|六公《ろくこう》の|姿《すがた》が|見《み》えぬ。
|勝《かつ》『ヤア|六《ろく》サンは|何処《どこ》へ|行《い》つた。オーイ|六《ろく》サン|何処《どこ》だ』
と|呼《よ》べど|叫《さけ》べど|何《なん》の|応《いら》へもなく、|激潭飛沫《げきたんひまつ》の|音《おと》|轟々《ぐわうぐわう》と|聞《きこ》ゆるのみ。|弥次彦《やじひこ》は、『ヤア|大変《たいへん》だ、|六公《ろくこう》が|何処《どこ》かへ|沈没《ちんぼつ》しよつたな、これや|斯《こ》うしては|居《を》られぬ|哩《わい》、|何《なん》とかして|捜索《そうさく》をせなくてはならぬ、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》ると|沢山《たくさん》の|水《みづ》を|呑《の》んで|縡《ことぎ》れては|取返《とりかへ》しがつかぬ。オイ|与太公《よたこう》どうせうかなア』
|与《よ》『どうせうたつて|仕方《しかた》がないサ、|大方《おほかた》|六公《ろくこう》の|奴《やつ》、|潜水艇《せんすゐてい》|気取《きど》りで|何処《どこ》かの|水底《すゐてい》に|暫時《ざんじ》|伏艇《ふくてい》して|居《を》るのだらう。|彼奴《あいつ》は|水練《すゐれん》に|妙《めう》を|得《え》た|奴《やつ》だから、|決《けつ》して|溺《おぼ》れるやうな|気遣《きづか》ひはないよ。|貴様《きさま》が|松《まつ》の|枝《えだ》に|引《ひ》つ|懸《かか》つて|居《ゐ》た|時《とき》も、あの|着物《きもの》のまま|谷川《たにがは》を|泳《およ》ぎ|渡《わた》つて|平気《へいき》で|居《を》る|奴《やつ》だから|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|吾々《われわれ》を|一寸《ちよつと》|驚《おどろ》かしてやらうと|思《おも》うて|洒落《しやれ》て|居《を》るのだよ』
|弥《や》『なにほど|水泳《すゐえい》の|達人《たつじん》だと|云《い》つても|油断《ゆだん》は|出来《でき》ない、さう|楽観《らくくわん》する|訳《わけ》にもいかない、|諺《ことわざ》にも、|好《よ》く|泳《およ》ぐものは|好《よ》く|溺《おぼ》る、と|云《い》ふ|事《こと》がある。|此奴《こいつ》はどうしても|俺《おれ》の|考《かんが》へでは|名替《ながへ》をしよつたに|相違《さうゐ》ない』
|与《よ》『|名替《ながへ》つて|何《なん》だい、|流《なが》れの|間違《まちが》ひだらう』
|弥《や》『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな、|川底《かはぞこ》|土左衛門《どざゑもん》と|改名《かいめい》したらうと|云《い》ふのだ』
|与《よ》『|土左衛門《どざゑもん》とは|怪《け》しからぬ、|真《しん》に|大変《たいへん》だ。それだから|道中《だうちう》に|四人連《しにんづれ》はいかないと|云《い》ふのだ。オイ|六公《ろくこう》、|生《い》きて|居《を》るのか|死《し》んで|居《を》るか、ハツキリ|返事《へんじ》をせぬかい』
|弥《や》『|死《し》んで|居《を》るものが|返事《へんじ》をするかい、|気《き》を|落着《おちつ》けないか』
|与《よ》『|一息《ひといき》を|爭《あらそ》ふ|水《みづ》の|中《なか》だ、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》る|間《ま》に|息《いき》が|切《き》れたらどうするのだ。コンナ|時《とき》に|落着《おちつ》き|払《はら》つて|居《ゐ》る|奴《やつ》は|非人道的《ひじんだうてき》の|骨頂《こつちやう》だ。これがどうして|周章狼狼《しうしやうらうばい》せずに|居《を》られうかい。オーイ オーイ、|六公《ろくこう》、|六道《ろくだう》の|辻《つじ》を|通《とほ》るのは|未《ま》だ|早《はや》いぞ、コーカス|参《まゐ》りの|途中《とちう》ぢやないか、|早《はや》く|浮《う》かばぬか|浮《う》かばぬか、|何処《どこ》に|踏《ふ》み|迷《まよ》ふとるのだ。オーイ オーイ』
|勝《かつ》『エヽ|仕方《しかた》がない、|滅多《めつた》にこの|激流《げきりう》を|潜《くぐ》つて|上《のぼ》る|筈《はず》もなし、|大方《おほかた》|渦《うづ》に|巻込《まきこ》まれて|流《なが》れたのかも|知《し》れませぬよ、|谷川《たにがは》|伝《づた》ひに|此処《ここ》を|下《くだ》つて|探《さが》して|見《み》ませうか』
|弥《や》『|探《さが》さうと|云《い》つたつて、アレあの|通《とほ》り|碧潭《へきたん》|激流《げきりう》、|何《ど》うする|事《こと》も|出来《でき》ぬぢやありませぬか。コンナ|時《とき》に|鷹彦《たかひこ》サンが|居《ゐ》て|呉《く》れば|捜索隊《さうさくたい》になつて|貰《もら》ふのに|大変《たいへん》|都合《つがふ》が|好《よ》いけれどなア、|追々《おひおひ》|日《ひ》も|暮《く》れて|来《く》る、|困《こま》つた|事《こと》だ。|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》ると|吾々《われわれ》|迄《まで》がドンナ|災難《さいなん》に|遇《あ》ふかも|知《し》れぬ、マア|六公《ろくこう》は|六公《ろくこう》で|仕方《しかた》がないとして、|吾々《われわれ》|三人《さんにん》は|神様《かみさま》の|大事《だいじ》なお|使《つか》ひ|道具《だうぐ》だ。あまり|足許《あしもと》の|暗《くら》くならない|間《うち》に|頂上《ちやうじやう》まで、|駆《か》けつけませう』
と|先《さき》に|立《た》つて|谷辺《たにべり》を|駆《か》け|登《のぼ》る。|二人《ふたり》も|後《あと》に|従《したが》ひ|辛《から》うじて|黄昏頃《たそがれごろ》、|二十五番峠《にじふごばんたうげ》の|頂上《ちやうじやう》の|山道《やまみち》に|辿《たど》り|着《つ》いた。
|弥《や》『サア|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|漸《やうや》く|吾々《われわれ》|三人《さんにん》は|無事《ぶじ》に|元《もと》の|地点《ちてん》に|凱旋《がいせん》しましたが、|六公《ろくこう》の|奴《やつ》|困《こま》つたものですなア。|小山村《こやまむら》のお|婆《ば》アサンが|聞《き》いたら、|嘸《さぞ》|歎《なげ》く|事《こと》でせう、|老爺《ぢい》サンも|中風《ちうぶう》なり、あれ|程《ほど》|喜《よろこ》んで|居《ゐ》たものを、アヽ|世《よ》の|中《なか》と|云《い》ふものは|残酷《ざんこく》なものだ。|本当《ほんたう》に|煩悶《はんもん》|苦悩《くなう》の|娑婆《しやば》|世界《せかい》だ。|何《なん》とかして|万有一切《ばんいういつさい》どこ|迄《まで》も|不老不死《ふらうふし》で|悪魔《あくま》の|襲来《しふらい》や|不時《ふじ》の|過《あやま》ちの|無《な》い|完全《くわんぜん》なる|世界《せかい》を|作《つく》りたいものですなア』
|与《や》『アヽ|人間《にんげん》を|老少不定《らうせうふぢやう》とはよく|云《い》つたものだ。|無常迅速《むじやうじんそく》の|感《かん》|益々《ますます》|深《ふか》しだワイ』
|勝《かつ》『|泣《な》いても|悔《くや》んでもモウ|仕方《しかた》がない、|暮《く》れる|時《とき》が|来《く》れば|日《ひ》は|暮《く》れる、|人間《にんげん》も|死《し》ぬ|時節《じせつ》が|来《き》たら|死《し》なねばならない、|桜《さくら》の|花《はな》は|永久《とこしへ》に|梢《こづゑ》に|止《とど》まらず、|頭《あたま》の|髪《かみ》は|何時迄《いつまで》も|黒《くろ》い|艶《つや》を|保《たも》つ|事《こと》が|出来《でき》ないのは|世《よ》の|中《なか》の|習《なら》はせだ。アーアもう|過《す》ぎ|越《こ》し|苦労《くらう》はサラリと|谷川《たにがは》へ|流《なが》して|刹那心《せつなしん》を|楽《たの》しまうかい』
|与《よ》『|実《じつ》に|切《せつ》ない|刹那心《せつなしん》だナア。|過越《すぎこ》し|苦労《くらう》をせまいと|思《おも》つても、|今《いま》の|今迄《いままで》ピンピンと|噪《はしや》いで|居《を》つた|六公《ろくこう》の|事《こと》がどうして|忘《わす》れる|事《こと》が|出来《でき》やうぞ。|一昨日《おととひ》も|六公《ろくこう》と、お|前《まへ》サン|等《ら》|二人《ふたり》の|行方《ゆくへ》を|捜《さが》した|時《とき》には|六公《ろくこう》の|美《うるは》しい|心《こころ》が|現《あら》はれて|居《ゐ》た。|見《み》かけによらぬ|親切《しんせつ》な|男《をとこ》だつた。それはそれは|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|貴方達《あなたがた》のお|姿《すがた》が|見《み》えなかつた|時《とき》には、あの|男《をとこ》はどれだけ|心配《しんぱい》をしよつたか|知《し》れませぬぜ。|二人《ふたり》の|友達《ともだち》がもし|国替《くにがへ》をして|居《を》るのなら、|私《わたくし》も|一緒《いつしよ》に|川《かは》へ|身《み》を|投《な》げてお|伴《とも》をしたいと|迄《まで》|云《い》つた|位《くらゐ》だ。アヽ|可憐《かあい》さうな|事《こと》をした。|僅《わづか》|一日《いちにち》|道連《みちづれ》になつても|十年《じふねん》の|知己《ちき》のやうに|親切《しんせつ》を|尽《つく》す|六公《ろくこう》の|心《こころ》の|麗《うるは》しさ、これを|思《おも》へば|吾々《われわれ》も|六公《ろくこう》の|道連《みちづれ》になつてやりたいやうだ。アヽもう|此《この》|世《よ》では|彼奴《あいつ》の|顔《かほ》を|見《み》る|事《こと》が|出来《でき》ぬのか、|情《なさけ》ない|可憐《かあい》さうだ』
と|涙含《なみだぐ》み、|身《み》の|置処《おきどころ》なきさまに|大地《だいち》に|身《み》を|投《な》げた。
|弥《や》『コラコラ|与太公《よたこう》、しつかりせぬか、|失望《しつばう》|落胆《らくたん》するのは|貴様《きさま》ばかりぢやない、|俺《おれ》だつて|同《おな》じ|事《こと》だよ』
と、|又《また》もや|涙《なみだ》をハラハラと|澪《こぼ》し|顔《かほ》に|袖《そで》をあて、|道《みち》の|上《うへ》にべたりと|倒《たふ》れ、|身《み》を|揺《ゆす》つて|遂《つひ》には|両人《りやうにん》|声《こゑ》をあげて|泣《な》き|叫《さけ》ぶ。|勝公《かつこう》も|涙《なみだ》の|目《め》を|瞬《しば》たたきながら、
|勝《かつ》『コレコレ|弥次彦《やじひこ》サン、|与太彦《よたひこ》サン、さう|気投《きな》げをするものぢやない、チト|確《しつか》りせぬか。|男《をとこ》と|云《い》ふものは|仮《か》りにも|涙《なみだ》を|澪《こぼ》すものぢやない、あまり|女々《めめ》しいぢやないか』
と|自分《じぶん》も|亦《また》|落《お》つる|涙《なみだ》を|袖《そで》にて|拭《ぬぐ》ふ。
|愁歎《しうたん》の|幕《まく》は|漸《やうや》く|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し|幽《かす》かに|巻上《まきあ》げられた。|短《みじか》き|夜《よ》は|既《すで》に|明《あ》け|離《はな》れ|足許《あしもと》は|仄《ほんのり》と|明《あ》かくなつて|来《き》た。|一同《いちどう》は|六公《ろくこう》の|身《み》の|上《うへ》が|矢張《やは》り|気《き》に|懸《かか》ると|見《み》え|東天《とうてん》に|向《むか》つて|合掌《がつしやう》し、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|次《つい》で|六公《ろくこう》の|無事《ぶじ》|生存《せいぞん》せむ|事《こと》を|祈《いの》り、|終《をは》つて|又《また》もや|急坂《きふはん》を|西北《せいほく》さして|下《くだ》り|往《ゆ》く。
|足並《あしなみ》|早《はや》き|下《くだ》り|坂《ざか》にもいつしか|暇《ひま》を|告《つ》げて、|又《また》もや|茫々《ばうばう》たる|原野《げんや》を|走《はし》り|行《ゆ》くこと|数百丁《すうひやくちやう》、|丸木橋《まるきばし》のかけられた|辺《ほとり》に|辿《たど》りついた。
|弥《や》『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》。|大分《だいぶん》|足《あし》も|草臥《くたび》れました。|此処《ここ》に|腰《こし》をおろして|一休《ひとやす》み|致《いた》しませうか』
|勝《かつ》『オヽこの|川《かは》だつた、|六公《ろくこう》はこの|水上《みなかみ》で|見失《みうしな》ひ、|残念《ざんねん》な|事《こと》をしたが、|今頃《いまごろ》はどうなつて|居《ゐ》るだらう』
|与太彦《よたひこ》は|忽《たちま》ちウンウンと|唸《うな》り|出《だ》し、|両手《りやうて》を|組《く》んで|身体《からだ》を|動揺《どうえう》し|始《はじ》めた。
|弥《や》『ヤア|又《また》しても|神憑《かむがか》りになりよつた。モウ|悪魔《あくま》の|襲来《しふらい》は|懲《こ》り|懲《こ》りだ。オイ|与太公《よたこう》の|体《からだ》に|憑依《のりうつ》つて|居《ゐ》る|悪霊《あくれい》|共《ども》、|速《すみやか》に|退散《たいさん》|致《いた》さぬか』
|与《よ》『ロヽヽヽヽクヽヽヽヽ|六《ろく》ぢや|六《ろく》ぢや』
|弥《や》『エヽ|碌《ろく》でもない|六《ろく》の|奴《やつ》、|貴様《きさま》|土左衛門《どざゑもん》になりよつて|幽世《あのよ》の|人間《にんげん》となりながら|未《ま》だ|娑婆《しやば》が|恋《こひ》しうて|迷《まよ》うて|来《き》たか。|好《よ》い|加減《かげん》に|執着心《しふちやくしん》を|去《さ》つて、|一時《いちじ》も|早《はや》く|霊神《みたまのかみ》になれ。|貴様《きさま》はお|竹《たけ》を|残《のこ》して|死《し》んだのだから|残《のこ》り|惜《をし》からう。|残念《ざんねん》なのは|尤《もつと》もだが、モウ|斯《か》うなつては|仕方《しかた》がない、|早《はや》く|神界《しんかい》へ【とつと】と|往《い》つてお|竹《たけ》の|場所《ばしよ》を|拵《こしら》へて|待《ま》つて|居《を》るがよからう。|俺《おれ》だとて|三百年《さんびやくねん》か|千年《せんねん》の|後《さき》かは|知《し》らぬが、|何《いづ》れ|一度《いちど》は|行《ゆ》くのだから、|景色《けしき》のよい|場所《ばしよ》を|取《と》つて|置《お》いて|呉《く》れ。|閻魔《えんま》さまと|相談《さうだん》して|俺《おれ》の|場所《ばしよ》だけには、|契約済《けいやくずみ》の|札《ふだ》を|立《た》てて|置《お》くのだぞ。その|代《かは》り|俺《おれ》は|娑婆《しやば》に|居《ゐ》て、|朝晩《あさばん》|貴様《きさま》のため|冥福《めいふく》を|祈《いの》つてやる。|三途《せうづ》の|川《かは》の|鬼婆《おにばば》に|出遇《であ》つたら、|俺《おれ》の|云《い》ふ|事《こと》は|何《なん》でも|聞《き》くのだから、|何《なん》なら|紹介状《せうかいじやう》を|書《か》いてやらうか』
|与《よ》『オヽヽヽレヽヽヽワヽヽシヽヽ、|死《し》んで|居《を》らぬ』
|弥《や》『|定《きま》つた|事《こと》よ、|死《し》んだものは|娑婆《しやば》に|居《を》らぬのは|当然《あたりまへ》だ。|居《を》らぬ|筈《はず》の|貴様《きさま》が|何故《なぜ》コンナ|処《ところ》へ|踏《ふ》み|迷《まよ》ふて|来《く》るのだ』
|与《よ》『オヽレヽヽワヽヽマヽダヽイヽ|生《いき》て|居《を》る、|決《けつ》して|決《けつ》して|死《し》んで|居《を》らぬぞ、|今《いま》に|肉体《にくたい》を|引《ひ》つ|張《ぱ》つて|来《き》て|見《み》せてやらう』
|弥《や》『ハア|死《し》んで|居《を》らぬと|云《い》つたのか、よく|分《わか》つた、さうすると|六《ろく》の|生霊《いきりやう》だな、|今《いま》|何処《どこ》に|魔胡《まご》ついとるのか』
|与《よ》『イヽ|今《いま》に|判《わか》る、|此処《ここ》で|半時《はんとき》ばかり|三人《さんにん》とも|待《ま》つて|居《ゐ》て|呉《く》れ。|烏《からす》|勘三郎《かんざぶらう》に|助《たす》けられて|命《いのち》は|完全《くわんぜん》に|助《たす》かつた。|安心《あんしん》してくれ』
|弥《や》『ヤアそれや|本当《ほんたう》か、|本当《ほんたう》なら|俺《おれ》も|嬉《うれ》しい|哩《わい》。これこれ|宣伝使《せんでんし》さま、|余《あんま》り|甘《うま》い|話《はなし》だが、|此奴《こいつ》は|邪神《じやしん》が|誑《たぶら》かして|居《ゐ》るのではあるまいか、|貴方《あなた》|一《ひと》つ|審神《さには》をして|見《み》て|下《くだ》さいな』
|勝《かつ》『|神《かみ》に|間違《まちが》ひはありますまい、|軈《やが》て|六《ろく》サンの|肉体《にくたい》に|遇《あ》はれませう。|暫《しばら》く|此処《ここ》に|坐《すわ》つて|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|神様《かみさま》にお|礼《れい》を|申《まを》しませう。モシモシ、|六《ろく》サンとやら、モウ|判《わか》りました、お|引《ひ》き|取《と》りを|願《ねが》ひます。|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|六公《ろくこう》の|生霊《いきりやう》は|忽《たちま》ち|肉体《にくたい》を|離《はな》れた。|与太彦《よたひこ》は|元《もと》の|如《ごと》くケロリとしながら、
|与《よ》『アヽ、|矢張《やは》り|六公《ろくこう》は|生《いき》て|居《ゐ》ますなア、とうとう|憑依《のりうつ》つて|来《き》よつて、アンナ|事《こと》を|云《い》ひよつた。|余《あま》り|六公《ろくこう》|々々《ろくこう》と|思《おも》ひ|詰《つ》めて|居《ゐ》たものだから、|此方《こちら》の|一心《いつしん》が|届《とど》いて|六《ろく》の|生霊《いきりやう》に|感応《かんのう》したと|見《み》える、|私《わたし》の|口《くち》を|借《か》つて|云《い》つた|事《こと》が|本当《ほんたう》なら|嬉《うれ》しいがなア』
|三人《さんにん》が|橋《はし》の|袂《たもと》に|端坐《たんざ》して|稍《やや》|沈黙《ちんもく》に|耽《ふけ》る|折《をり》しも|一人《ひとり》の|男《をとこ》を|背負《せお》うて|川《かは》から|上《うへ》り、ノソリノソリと|上《のぼ》つて|来《く》る|大男《おほをとこ》がある。|後《あと》よりガヤガヤと|囁《ささや》きながら|十数人《じふすうにん》の|荒《あら》くれ|男《をとこ》がついて|来《く》る。|三人《さんにん》は|怪訝《けげん》な|顔《かほ》をして|此《この》|男《をとこ》を|凝視《みつめ》て|居《ゐ》る。
|男《をとこ》『ヤア|貴方《あなた》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》』
|三人《さんにん》『ヤアお|前《まへ》は|烏《からす》|勘三郎《かんざぶらう》だないか』
『ハイ|左様《さやう》で|御座《ござ》います、|六《ろく》サンを|連《つ》れて|参《まゐ》りました』
|弥《や》『|夫《それ》は|夫《それ》は|有難《ありがた》い、|御苦労《ごくらう》だつた。|六《ろく》サンは|物《もの》|言《い》ひますかな、イヤ|未《ま》だ|生《いき》て|居《を》りますか』
|烏《からす》『|物《もの》も|言《い》はず|動《うご》きもしませぬが、|身体《からだ》の|一部《いちぶ》に|温味《ぬくみ》がありますので、|火《ひ》でも|焚《た》いてあたらしたら、|此方《こつち》のものにならうも|知《し》れぬと|考《かんが》へて、ブカブカと|流《なが》れて|来《く》るのを|吾々《われわれ》|一同《いちどう》が|命《いのち》を|的《まと》に|川《かは》へ|飛《と》び|込《こ》み|拾《ひろ》つて|来《き》ました』
|勝《かつ》『それは|有難《ありがた》い、|唯今《ただいま》の|先《さき》、|六公《ろくこう》が|此処《ここ》にやつて|来《き》てタツタ|今《いま》、お|目《め》に|懸《かか》ると|云《い》つて|居《ゐ》ました』
|烏《からす》『|妙《めう》ですなア、|先程《さきほど》|此処《ここ》へ|来《き》たとは|合点《がてん》が|往《ゆ》かぬ。さうすると|此奴《こいつ》は|六《ろく》サンぢやないのかなア、|大方《おほかた》|化物《ばけもの》だらう。エヽ|偉《えら》い|苦労《くらう》をさせよつて、|呶狸《どたぬき》|奴《め》が、|打《う》ちつけて|蹂躙《ふみにじ》つてやらうか』
|弥《や》『マアマア|待《ま》つた|待《ま》つた、ソンナ|手荒《てあら》い|事《こと》をしてどうなるものか、|夫《それ》こそ|本当《ほんたう》に|死《し》んで|仕舞《しま》はア。そつと|其辺《そこら》におろして|呉《く》れ、これから|霊《たま》よびの|神業《かむわざ》だ』
|烏《からす》『アヽ|何《なん》だかテント、|訳《わけ》が|分《わか》らぬやうになつて|来《き》たワイ。マア|仕方《しかた》がない、|下《おろ》さうかい』
と|芝生《しばふ》の|上《うへ》にそつと|下《おろ》した。
|弥《や》『オヽ|六公《ろくこう》、|貴様《きさま》は|仕合《しあは》せものだ、|待《ま》て|待《ま》て|今《いま》に|魂返《たまがへ》しをやつてやらう。サア|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|始《はじ》めませうか』
|勝彦《かつひこ》は|無言《だま》つて、|首肯《うなづ》きながら|拍手《かしはで》を|打《う》ち|声《こゑ》も|細《ほそ》く|静《しづか》に|落着《おちつ》き|払《はら》つて、|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》と|二回《にくわい》|繰《くり》かへした。|六公《ろくこう》の|体《からだ》はムクムクと|動《うご》き|出《だ》し、|直《ただち》に|起上《おきあが》り|三人《さんにん》の|顔《かほ》をキヨロキヨロと|眺《なが》め、
|六《ろく》『アヽお|前《まへ》は|弥次公《やじこう》、|与太公《よたこう》か、ヤア|宣伝使《せんでんし》|様《さま》|妙《めう》な|処《ところ》で|遇《あ》ひました。|三途《せうづ》の|川《かは》を|渡《わた》り|損《そこ》ねてスツテの|事《こと》で|二度目《にどめ》の|国替《くにがへ》をするところだつたが、|烏《からす》|勘三郎《かんざぶらう》と|云《い》ふ|男《をとこ》、|十数人《じふすうにん》の|弟子《でし》と|共《とも》に|身《み》を|躍《をど》らして|川《かは》に|飛《と》び|込《こ》み|私《わたし》を|救《すく》ひ|上《あ》げ、|背《せ》に|負《お》ふて|何処《どこ》ともなしにトントン|走《はし》り|出《だ》したと|思《おも》つたら|丸木橋《まるきばし》の|袂《たもと》、お|前《まへ》サンはやはり|幽界《いうかい》の|旅《たび》をして|居《ゐ》なさるのか、|今度《こんど》は|自分《じぶん》|一人《ひとり》だと|思《おも》つて|居《ゐ》たのに|何処《どこ》までも|交際《つきあひ》のよい|御親切《ごしんせつ》なお|方《かた》だ。|持《も》つべきものは|朋友《ほういう》なりけりだ。アヽ、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|弥次彦《やじひこ》は|六公《ろくこう》の|背《せ》を|平手《ひらて》で|三《み》つ|四《よ》つ、|力《ちから》を|籠《こ》めて|擲《なぐ》りつけた。
|六《ろく》『アイタヽヽヽ|貴様《きさま》は|何《なに》をするのだい。|驚《おどろ》いたな、|娑婆《しやば》に|居《ゐ》る|時《とき》から|乱暴《らんばう》な|奴《やつ》だと|思《おも》うて|居《ゐ》たが、|貴様《きさま》|未《ま》だ|冥途《めいど》に|来《き》ても|改心《かいしん》|出来《でき》ぬか』
|弥《や》『|此処《ここ》は|冥途《めいど》ぢやないぞ、|二十五番峠《にじふごばんたうげ》を|下《くだ》つて|数百丁《すうひやくちやう》|来《き》たところだ。お|前《まへ》は|谷川《たにがは》に|溺《おぼ》れて|一旦《いつたん》|縡《ことぎ》れて|居《を》つたのだ。それを|神様《かみさま》のお|引《ひ》き|合《あは》せで|勘三郎《かんざぶらう》サンの|親内《みうち》の|者《もの》に|助《たす》けられ、|此処《ここ》に|来《き》たのだ。|確《しつか》りして|呉《く》れ』
|六公《ろくこう》は|目《め》を|擦《こす》りながら|今更《いまさら》のやうな|顔《かほ》をして|四辺《あたり》を|念入《ねんい》りに|見廻《みまは》し、
『ヤア、|矢張《やはり》どうやら|娑婆《しやば》らしい、ヤ、|皆《みな》サン、|偉《えら》い|御心配《ごしんぱい》をかけました、|有難《ありがた》う。これはこれは|烏《からす》|勘三郎《かんざぶらう》サン、その|他《た》|親内《みうち》の|御一同《ごいちどう》、よう|助《たす》けて|下《くだ》さいました。|命《いのち》の|親《おや》だと|思《おも》ふてこの|御恩《ごおん》は|生涯《しやうがい》|忘《わす》れませぬ』
|烏《からす》『ヤア|気《き》がついて|何《なに》より|結構《けつこう》でした。|神様《かみさま》にお|礼《れい》を|申《まを》しませう』
|茲《ここ》に|一同《いちどう》は|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ、|又《また》もや|四人《よにん》の|一行《いつかう》は|勘三郎《かんざぶらう》その|他《た》に|厚《あつ》く|礼《れい》を|述《の》べ、|丸木橋《まるきばし》を|渡《わた》つて|二十六番峠《にじふろくばんたうげ》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・三・二五 旧二・二七 加藤明子録)
(昭和一〇・三・一六 於嘉義市嘉義ホテル 王仁校正)
第一六章 |返《かへ》り|咲《ざき》〔五六六〕
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |凡《すべ》ての|枉《まが》に|勝彦《かつひこ》は
|三枚《さんまい》|羽織《ばおり》に|身《み》をかため |異様《いやう》の|姿《すがた》トボトボと
|十八坂《じふはちさか》を|乗《の》り|越《こ》えて |十九《つづ》や|二十《はたち》の|山坂《やまさか》を
|気《き》も|若々《わかわか》と|登《のぼ》り|行《ゆ》く |弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》|両人《りやうにん》は
|掴《つか》まへ|所《どころ》の|無《な》い|様《やう》な |屁理屈《へりくつ》|放《へ》りつつ|痩馬《やせうま》の
|足《あし》もワナワナ ブウブウブウ |屁放《へつぴ》り|腰《ごし》の|怪《あや》しくも
|口《くち》に|法螺《ほら》|吹《ふ》き|尻《しり》からは |太《ふと》き|喇叭《らつぱ》の|吹《ふ》きつづけ
|雷《かみなり》サンも|驚《おどろ》いて |跣足《はだし》で|逃《に》げる|二十山《はたちやま》
|峠《たうげ》に|登《のぼ》つて|一休息《ひとやすみ》 |又《また》も、のり|出《だ》す|膝栗毛《ひざくりげ》
|声《こゑ》も|烏《からす》の|勘三郎《かんざぶらう》 |数多《あまた》の|手下《てした》|引《ひ》き|連《つ》れて
|三五教《あななひけう》の|勝公《かつこう》が |四人連《よつたりづ》れの|行《ゆ》く|先《さき》に
|怪《あや》しき|姿《すがた》の|大声《おほごゑ》に ドツコイやらじと|手《て》を|拡《ひろ》げ
|得物《えもの》を|執《と》つて|立《た》ち|対《むか》ふ こちらは|蛙《かはづ》の|向《むか》ふ|見《み》ず
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|幸《さち》はひに |稜威《いづ》の|言霊《ことたま》さやさやと
|天地《てんち》に|向《むか》つて|詔《の》りつれば |流石《さすが》に|猛《たけ》き|荒《すさ》び|男《を》も
|胆《きも》を|潰《つぶ》して|降参《かうさん》し これや|堪《たま》らぬと|大道《だいだう》に
|犬《いぬ》つく|這《ば》ひの|可笑《をか》しさよ |負《ま》けても|名《な》だけは|勝彦《かつひこ》の
|負《ま》けて|堪《たま》ろか|勝《かち》つづけ |一同《いちどう》|続《つづ》けと|先《さき》に|立《た》ち
|峠《たうげ》の|数《かず》も|五《いつ》つ|越《こ》え しこけき|小家《こや》に|立寄《たちよ》つて
|盲目《めくら》の|婆《ば》アサンに|邂逅《めぐりあ》ひ |椽《のき》に|腰《こし》かけ|一休息《ひとやすみ》
|爺《ぢ》サン|婆《ば》サンの|悲劇《ひげき》の|幕《まく》を |聞《き》いて|悟《さと》りし|六公《ろくこう》の
|昔《むかし》に|負《お》ふた|古傷《ふるきず》を |曝《さら》け|出《だ》されて|六《ろく》サンは
|碌々《ろくろく》|答辞《いらへ》も|泣《な》く|涙《なみだ》 |焼《や》け|木杭《ぼつくひ》に|又《また》しても
|火《ひ》が|付《つ》く|様《やう》な|縁談《えんだん》に |爺《ぢい》サン|婆《ばば》サンは|扨《さて》|措《を》いて
|六公《ろくこう》サンの|喜《よろこ》びは |天《あま》の|岩戸《いはと》の|開《ひら》けたる
|思《おも》ひに|一同《いちどう》|勇《いさ》み|立《た》ち コーカス|山《ざん》の|参拝《さんぱい》を
|終《をは》つて|再《ふたた》び|元《もと》の|鞘《さや》 をさまる|縁《えにし》の|目出度《めでた》やと
ここに|暇《いとま》を|告《つ》げ|乍《なが》ら |登《のぼ》つて|来《き》たのが|名《な》にし|負《お》ふ
|眺望絶佳《てうばうぜつか》の|二十三番峠《にじふさんばんたうげ》の|上《うへ》 |吹《ふ》き|来《く》る|風《かぜ》に|煽《あふ》られて
|息《いき》もせきせき|進《すす》みゆく |二五番峠《にごばんたうげ》の|頂《いただき》に
|佇《たたず》む|折《をり》しも|忽《たちま》ちに ヘボ|鎮魂《ちんこん》の|神憑《かむがか》り
|乱痴気《らんちき》|騒《さわ》ぎの|幕《まく》を|開《あ》け |谷間《たにま》に|陥《おちい》り|四人《よつたり》は
|暫時《しばし》|気絶《きぜつ》し|幽界《かくりよ》の |一途《いちづ》の|川《かは》の|渡《わたし》まで
|急《いそ》いで|来《き》て|見《み》れやこは|如何《いか》に |松《まつ》の|並樹《なみき》の|蒼々《あをあを》と
|茂《しげ》る|根下《ねもと》の|一軒家《ひとつや》の |怪《あや》しき|窓《まど》を|覗《のぞ》き|込《こ》み
|生《うま》れついたる|与太助《よたすけ》の |与太公《よたこう》と|婆《ばば》の|押問答《おしもんだふ》
ブリンと|押《お》して|中《なか》に|入《い》り すつたモンダの|諍《いさかひ》に
|大口《おほぐち》あけて|出刄《でば》(|出歯《でば》)を|見《み》せ |三五教《あななひけう》の|身魂《みたま》をば
|抜《ぬ》いてやらうと|力《りき》み|立《た》つ |可笑《をか》しい|面《つら》の|二人《ふたり》|婆《ばば》
|三途川原《せうづかはら》の|鬼婆《おにばば》の |俺《おれ》は|妹《いもうと》の|木常姫《こつねひめ》
サア|来《こ》い|勝負《しようぶ》と|常世姫《とこよひめ》 |此奴《こいつ》も|出刄《でば》を|振《ふ》り|上《あ》げて
|四人《よにん》に|対《むか》つて|切《き》りかかる |茲《ここ》に|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》
|飛鳥《ひてう》の|如《ごと》く|翔《か》け|廻《まは》り |丁々発止《ちやうちやうはつし》、|丁発止《ちやうはつし》
|蝶《てふ》の|春野《はるの》に|狂《くる》ふ|如《ごと》 |汗《あせ》を|流《なが》して|戦《たたか》へば
|流石《さすが》の|婆《ばば》も|立《た》ち|遅《おく》れ アフンとしたと|思《おも》ひきや
|夢《ゆめ》か、|現《うつつ》か、|幻《まぼろし》か サツと|聞《きこ》ゆる|水音《みなおと》に
|眼《まなこ》を|覚《さま》せば|川《かは》の|底《そこ》 |底《そこ》の|分《わか》らぬ|此《この》|不思議《ふしぎ》
|泳《およ》ぎ|自慢《じまん》の|六公《ろくこう》が |如何《いかが》はしけむブルブルと
|溺《おぼ》れて|忽《たちま》ち|土左衛門《どざゑもん》 |後《あと》に|残《のこ》つた|三人《さんにん》は
|兎《と》やせむ|斯《か》くや|線香《せんかう》の |煙《けむり》|手向《たむ》ける|術《すべ》もなく
|夜《よる》の|帳《とばり》は|下《お》ろされて |黒白《あやめ》も|分《わ》かぬ|真《しん》の|闇《やみ》
|是非《ぜひ》なく|此処《ここ》に|夜《よ》を|明《あ》かし |涙《なみだ》を|押《おさ》へシホシホと
|大野ケ原《おほのがはら》を|打渡《うちわた》り |水音《みなおと》|高《たか》き|川《かは》の|辺《べ》に
|辿《たど》り|着《つ》くなり|与太彦《よたひこ》が |鼻息《はないき》|荒《あら》く|身慄《みぶる》ひし
ロヽヽクヽヽと|口《くち》をきり |六《ろく》の|生霊《いきりやう》が|出《で》て|来《き》たと
|吐《ほざ》いて|一同《いちどう》の|胆《きも》をとり |寝言《ねごと》を|吐《ほざ》く|折柄《をりから》に
|現《あら》はれ|出《い》でたる|大男《おほをとこ》 |能《よ》く|能《よ》く|見《み》ればこは|如何《いか》に
|声《こゑ》も|烏《からす》の|勘三郎《かんざぶらう》 |六《ろく》の|死骸《しがい》を|背《せ》に|負《お》うて
|送《おく》つて|来《き》たのは|不思議《ふしぎ》なる |縁《えにし》の|糸《いと》の|次々《つぎつぎ》に
|切《き》れぬ|証《しるし》か|言霊《ことたま》の |力《ちから》に|忽《たちま》ち|息《いき》を|吹《ふ》き
|四辺《あたり》キヨロキヨロ|見渡《みわた》して |勝彦《かつひこ》サンか|与太《よた》サンか
お|前《まへ》は|弥次彦《やじひこ》|屁放《へこ》き|虫《むし》 |此処《ここ》は|冥土《めいど》か|現界《うつしよ》か
|合点《がてん》が|往《ゆ》かぬと|思案顔《しあんがほ》 |初《はじ》めて|気《き》がつきまだ|俺《おれ》は
|生《い》きて|居《ゐ》たかと|勇《いさ》み|立《た》ち |勝彦《かつひこ》サンに|従《したが》うて
|茲《ここ》に|四人《よにん》は|急坂《きふはん》を |辿《たど》り|辿《たど》りてフサの|国《くに》
|都《みやこ》を|無事《ぶじ》に|打《う》ち|過《す》ぎて |名《な》さへ|目出度《めでた》きコーカスの
|神《かみ》のお|宮《みや》に|参拝《さんぱい》し |喜《よろこ》び|勇《いさ》み|小山村《こやまむら》
お|竹《たけ》の|家《うち》に|引《ひ》き|返《かへ》し |勝彦《かつひこ》サンの|媒酌《なかうど》で
|比翼連理《ひよくれんり》の|蒸《む》し|返《かへ》し |老爺《おやぢ》も|婆《ばば》も|六《ろく》サンも
|兄《あに》の|松公《まつこう》|夫婦《ふうふ》の|者《もの》も お|竹《たけ》と|共《とも》に|勇《いさ》み|立《た》ち
ここに|愈《いよいよ》|合衾《がふきん》の |式《しき》を|行《おこな》ふ|物語《ものがたり》
|聞《き》くも|目出度《めでた》き|次第《しだい》なり。
|小山村《こやまむら》のお|竹《たけ》の|生家《せいか》は|春《はる》の|屋《や》と|謂《ゐ》ふ。|爺《おやぢ》サンの|名《な》は|鶴助《つるすけ》、|婆《ばば》サンはお|亀《かめ》、|息子《むすこ》の|名《な》は|松公《まつこう》、|女房《にようばう》はお|梅《うめ》と|謂《ゐ》ふ。|鶴《つる》|亀《かめ》|松《まつ》|竹《たけ》|梅《うめ》の|一家族《いちかぞく》に|婿《むこ》を|加《くは》へて|六人《ろくにん》|暮《ぐら》し、|名《な》も|六《ろく》サンの|婿入《むこい》り|祝《いは》ひ、|媒酌《なかうど》の|役《やく》は|勝彦《かつひこ》の|宣伝使《せんでんし》。|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》|二人《ふたり》は|六《ろく》サンの|友人《いうじん》としてこの|目出度《めでた》き|結婚《けつこん》の|席《せき》に|加《くは》はつた。|三五教《あななひけう》の|誠《まこと》|一《ひと》つの|教《をしへ》を|加《くは》へて|此処《ここ》に|十曜《とえう》の|珍《うづ》の|身魂《みたま》、|目出度《めでた》き|酒宴《さかもり》|一度《いちど》に|開《ひら》く|白梅《しらうめ》の、|薫《かほ》り|床《ゆか》しきお|竹《たけ》の|姿《すがた》、|常磐《ときは》の|松《まつ》の|何処《どこ》やらに、|気品《きひん》も|高《たか》き|松《まつ》サン|夫婦《ふうふ》、|鶴《つる》の|千歳《ちとせ》の|末永《すえなが》く、|亀《かめ》の|齢《よはひ》の|万代《よろづよ》も、|五六七《みろく》の|世《よ》までも|変《かは》らじと、|結《むす》びの|神《かみ》の|御前《おんまへ》に、|天津祝詞《あまつのりと》の|太祝詞《ふとのりと》、|言挙《ことあ》げ|終《をは》つて|酒杯《さかづき》の、|数《かず》も|芽出度《めでた》き|三々九度《さんさんくど》、|此処《ここ》に|九人《くにん》は|勇《いさ》み|立《た》ち、|千代《ちよ》を|寿《ことほ》ぐ|酒宴《さかもり》の、|真最中《まつさいちう》に|勝彦《かつひこ》は、|千代《ちよ》を|祝《しゆく》する|結婚《けつこん》の、|歌《うた》を|涼《すず》しく|歌《うた》ひける。
『|世《よ》は|久方《ひさかた》の|末長《すゑなが》く |常磐《ときは》の|松《まつ》の|千代《ちよ》|八千代《やちよ》
|治《をさ》まる|御代《みよ》を|鶴《つる》の|首《くび》 まつの|神代《かみよ》の|廻《めぐ》り|来《き》て
|名《な》さへ|目出度《めでた》きお|亀《かめ》サン |九十九《つくも》の|坂《さか》を|幾度《いくたび》も
|上《のぼ》りつ|下《くだ》りつ|安々《やすやす》と |今《いま》より|越《こ》えむ|老《おい》の|坂《さか》
|春《はる》の|野《の》の|如《ごと》|若《わか》やいで |二組《ふたくみ》|揃《そろ》ふた|若夫婦《わかめうと》
|常磐《ときは》の|松《まつ》の|色《いろ》|深《ふか》く いつも|変《かは》らぬ|松《まつ》サンや
|花咲《はなさ》き|匂《にほ》ふお|梅《うめ》サン |園《その》のなよ|竹《だけ》|末長《すゑなが》く
|睦《むつ》みて|暮《くら》せ|六《ろく》の|名《な》の ついた|男《をとこ》の|六《ろく》サンを
【|一《ひ》】、【|二《ふ》】、【|三《み》】【|四《よ》】の【|五《いつ》】|迄《まで》も 【|六《むつ》】び|親《した》しみ【|七《なな》】|草《くさ》の
|千代《ちよ》に【|八《や》】|千代《ちよ》に【|九《ここの》】|重《へ》の |御空《みそら》の|色《いろ》に|擬《まが》ふ|如《ごと》
|清《きよ》く|涼《すず》しく|青々《あをあを》と 【|十《と》】つぎの|道《みち》を|何時迄《いつまで》も
【|百《もも》】|歳《とせ》、【|千《ち》】|歳《とせ》、【|万《よろづ》】|歳《とせ》 |幾《いく》【|億《おく》】|万年《まんねん》の|末《すゑ》までも
|互《たがひ》に|変《かは》るな|変《かは》らじと |親《した》しみ|暮《くら》せ|神《かみ》の|道《みち》
|直《なほ》く|正《ただ》しくふみしめて |天津御空《あまつみそら》の|星《ほし》の|如《ごと》
|浜《はま》の|真砂《まさご》の|数《かず》の|如《ごと》 |御子《みこ》を|生《う》め|生《う》め【|餅《もち》】を|搗《つ》け
|子《こ》【|餅《もち》】をタント|搗《つ》き|並《なら》べ |夫婦《ふうふ》|仲良《なかよ》く|世帯《しよたい》【もち】
|清《きよ》きその|名《な》も|大名《おほな》【|持《もち》】 |疳癪《かんしやく》【|持《も》ち】は|止《や》めにして
|婿《むこ》【|持《も》ち】|嫁《よめ》【|持《も》ち】|金《かね》を【|持《も》ち】 |宝《たから》を【|持《も》ち】て【|望《もち》】の|夜《よ》の
|月《つき》の|鏡《かがみ》の|照《て》ら|照《て》らと |輝《かがや》き|渡《わた》れ|若夫婦《わかふうふ》
|千年《せんねん》|万年《まんねん》|暮《く》れるとも |今《いま》の|姿《すがた》で|若々《わかわか》と
|神《かみ》の|恵《めぐみ》を|味《あぢは》へよ |恵《めぐみ》の|露《つゆ》に|潤《うるほ》へよ
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐《ま》しませよ
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐《ま》しませよ』
と|歌《うた》つて|酒杯《さかづき》を|六公《ろくこう》にさした。|六公《ろくこう》は|恭《うやうや》しく|押《お》し|頂《いただ》いてお|竹《たけ》に|渡《わた》した。|茲《ここ》に|親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》の|杯《さかづき》は|無事《ぶじ》に|済《す》みける。
|弥《や》『ヤアお|目出度《めでた》いお|目出度《めでた》い、サア|之《これ》から|六《ろく》サンの|番《ばん》だ、|一《ひと》つ|歌《うた》つて|下《くだ》さい』
|六公《ろくこう》『|思《おも》ひ|廻《まは》せば|三年《みとせ》の|昔《むかし》 |恋《こひ》に|焦《こが》れたお|竹《たけ》サン
|天《あめ》と|地《つち》とのその|中《なか》に コンナ|綺麗《きれい》な|娘子《むすめご》は
|又《また》とあるまいあるまいと |慕《した》うて|通《かよ》ふ|坂道《さかみち》の
|数《かず》|重《かさ》なりて|漸《やうや》うに ヤツと|願《ねがひ》を|掛巻《かけま》くも
|畏《かしこ》き|神《かみ》の|引合《ひきあは》せ |比翼連理《ひよくれんり》の|楽《たのし》みを
|寝物語《ねものがたり》に|喜《よろこ》びし |日数《ひかず》もあらしの|風《かぜ》|強《つよ》く
|心《こころ》の|駒《こま》の|狂《くる》ひ|出《だ》し |魂《たま》は|荒《すさ》びてウラル|彦《ひこ》
|神《かみ》の|教《をしへ》の|道《みち》に|入《い》り |飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》は
|闇《やみ》の|世界《せかい》ぢやクヨクヨするな |太《ふと》う|短《みじか》う|暮《くら》してやろと
|悪胴《わるどう》|据《す》ゑて|夜昼《よるひる》の |区別《くべつ》も|知《し》らず|深酒《ふかざけ》に
|酔《よ》うて|可愛《かあ》いい|女房《にようばう》を |打《う》つやら|蹴《け》るやら|殴《なぐ》るやら
|夜昼《よるひる》|喧嘩《けんくわ》の|絶《た》え|間《ま》なく お|竹《たけ》の|顔《かほ》は|生疵《まなきず》の
|絶《た》えた|間《ま》もなき|憐《あは》れさを |屁《へ》とも|思《おも》はず|暮《くら》して|来《き》たが
お|竹《たけ》は|怒《おこ》つて|知《し》らぬ|間《ま》に |吾家《わがや》を|出《い》でて|親里《おやざと》に
|逃《に》げて|帰《かへ》つて|知《し》らぬ|顔《かほ》 ここに|私《わたし》も|目《め》が|醒《さ》めて
ま|一度《いちど》お|竹《たけ》に|添《そ》ひ|度《た》いと |心《こころ》|焦《あせ》れど|手《て》も|口《くち》も
かかる|由《よし》なく|冷《ひや》やかな |肱鉄砲《ひぢでつぱう》の|続《つづ》け|打《う》ち
|男《をとこ》と|生《うま》れた|六公《ろくこう》も |女房《にようばう》の|方《はう》から|見捨《みす》てられ
|何《なん》の|顔《かんばせ》あら|男《をとこ》 |仕様事《しやうこと》なさにウラル|教《けう》
|捕手《とりて》の|群《むれ》に|加《くは》はつて |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|信者《しんじや》と|見《み》れば|容赦《ようしや》なく |片《かた》つ|端《ぱし》から|引捉《ひつとら》へ
ウラルの|神《かみ》の|立《た》て|籠《こも》る ウラルの|山《やま》へ|連《つ》れ|行《ゆ》きて
|褒美《ほうび》の|金《かね》に|腸《はらわた》も |腐《くさ》る|許《ばか》りに|酒《さけ》を|飲《の》み
|調子《てうし》にのつて|此処彼処《ここかしこ》 |尋《たづ》ねて|廻《まは》る|目付役《めつけやく》
|小鹿峠《こしかたうげ》に|来《き》て|見《み》れば |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|夢《ゆめ》に|牡丹餅《ぼたもち》|食《く》た|様《やう》に |心《こころ》の|裡《うち》に|雀躍《こおどり》し
|当《あた》つて|見《み》ればこは|如何《いか》に |神徳《しんとく》|強《つよ》き|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》の|言霊《ことたま》に ガラリと|心《こころ》を|立直《たてなほ》し
|前非《ぜんぴ》を|悔《く》いて|神《かみ》の|道《みち》 |教司《をしへつかさ》に|伴《ともな》はれ
|此処《ここ》に|誠《まこと》の|教《のり》を|知《し》り |二十峠《はたちたうげ》を|乗《の》り|越《こ》えて
|山田《やまだ》の|村《むら》の|松《まつ》の|屋《や》に |牡丹餅《ぼたもち》|食《く》はうと|立寄《たちよ》れば
|思《おも》ひ|掛《が》けなきお|竹《たけ》|奴《め》に パツと|出会《でつく》はす|顔《かほ》と|顔《かほ》
お|前《まへ》はお|竹《たけ》と|一言葉《ひとことば》 |聞《き》くより|早《はや》く|驚《おどろ》いて
お|竹《たけ》は|忽《たちま》ち|雲霞《くもかすみ》 |裏口《うらぐち》さして|逃《に》げて|行《ゆ》く
アヽ|残念《ざんねん》や|残念《ざんねん》や |又《また》もお|竹《たけ》に|嫌《きら》はれて
|如何《どう》して|男《をとこ》の|顔《かほ》が|立《た》つ |勝彦《かつひこ》サンや|弥次《やじ》|与太《よた》の
|二人《ふたり》の|手前《てまへ》も|恥《はづか》しく |一目散《いちもくさん》にトントンと
|峠《たうげ》を|指《さ》して|立《た》ち|向《むか》ひ |林《はやし》の|中《なか》に|身《み》を|潜《ひそ》め
|息《いき》をこらして|待《ま》つ|程《ほど》に |放《ほ》つ|屁《ぴ》|問答《もんだふ》の|臭《くさ》い|仲《なか》
また|三人《さんにん》に|廻《めぐ》り|会《あ》ひ |鎮魂《ちんこん》|帰神《きしん》の|神術《かむわざ》に
|魂《たま》の|洗濯《せんたく》サラサラと |地獄《ぢごく》の|川《かは》まで|進《すす》み|出《い》で
|九死一生《きうしいつしやう》の|目《め》に|会《あ》うて |人《ひと》の|情《なさけ》に|助《たす》けられ
フサの|都《みやこ》を|乗《の》り|越《こ》えて コーカス|山《ざん》の|参詣《まゐまう》で
|両手《りやうて》を|合《あは》せて|神前《しんぜん》に |額《ぬかづ》き|祝詞《のりと》の|奏上《そうじやう》し
|何卒《どうぞ》お|竹《たけ》と|末永《すえなが》う |親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》は|睦《むつま》じう
|暮《くら》させ|給《たま》へと|願《ぐわん》をかけ |目出度《めでたく》|此処《ここ》に|立帰《たちかへ》り
|千代《ちよ》の|契《ちぎり》を|結《むす》び|昆布《こぶ》 |苦労《くらう》するめや|酒杯《さかづき》の
|数《かず》を|重《かさ》ねて|勇《いさ》み|立《た》ち |尉《じやう》と|姥《うば》との|契《ちぎり》をば
|結《むす》ぶ|今宵《こよひ》ぞ|楽《たの》しけれ アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》のこの|契《ちぎり》 |千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|変《かは》らざれ
この|世《よ》を|救《すく》ふ|三五《あななひ》の |神《かみ》の|教《をしへ》を|畏《かしこ》みて
|家門《かもん》|長久《ちやうきう》|子孫《しそん》の|繁栄《はんゑい》 |魂《たま》の|生命《いのち》の|末永《すえなが》く
|鶴《つる》と|亀《かめ》との|勇《いさ》ましく |松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|何処迄《どこまで》も
|栄《さか》えに|栄《さか》えよ|神《かみ》の|国《くに》 |千秋《せんしう》|万歳《ばんざい》|万々歳《ばんばんざい》
|千秋《せんしう》|万歳《ばんざい》|万々歳《ばんばんざい》』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つて|酒杯《さかづき》をとり|勝彦《かつひこ》に|恭《うやうや》しく|献《さ》した。お|竹《たけ》は|起《た》つて|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。
『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |醜《しこ》の|魔神《まがみ》を|言向《ことむ》けて
|誠《まこと》の|道《みち》も|勝彦《かつひこ》の |神《かみ》の|恵《めぐみ》も|三《み》つ|栗《ぐり》の
|仲《なか》とり|役《やく》に|救《すく》はれて |今日《けふ》は|芽出度《めでた》き|望月《もちづき》の
|虧《か》けては|盈《み》つる|吾《わが》|思《おも》ひ |思《おも》ひきつたる|夫婦仲《めうとなか》
|枯木《かれき》に|花《はな》の|咲《さ》き|出《い》でて |又《また》もや|交《かは》す|夢枕《ゆめまくら》
|夢《ゆめ》ではないか|現《うつつ》では あるまいかなと|思《おも》ふ|程《ほど》
|喜《よろこ》び|胸《むね》に|迫《せま》り|来《き》て |常世《とこよ》の|闇《やみ》も|晴《は》れ|渡《わた》り
|天《あま》の|岩戸《いはと》の|忽《たちま》ちに |開《ひら》けし|如《ごと》き|今日《けふ》の|首尾《しゆび》
アヽ|嬉《うれ》しやな|嬉《うれ》しやな |世《よ》は|垂乳根《たらちね》の|父母《ちちはは》の
|名《な》さへ|目出度《めでた》き|鶴《つる》と|亀《かめ》 |松《まつ》と|梅《うめ》との|兄《あに》|夫婦《ふうふ》
|千代《ちよ》の|睦《むつ》びの|六《ろく》サンと |心《こころ》の|丈《た》けを|語《かた》りつつ
|強《つよ》き|悪魔《あくま》に|勝彦《かつひこ》の |神《かみ》の|恵《めぐみ》に|助《たす》けられ
|会《あ》うて|嬉《うれ》しき|相生《あひおひ》の |松《まつ》の|木蔭《こかげ》の|尉《じやう》と|姥《うば》
|幾久《いくひさ》しくも|末長《すゑなが》く |愛《いと》しき|妻《つま》よ|夫《をつと》よと
|勇《いさ》む|心《こころ》の|玉椿《たまつばき》 |八千代《やちよ》の|春《はる》に|会《あ》ふ|心地《ここち》
|花《はな》と|匂《にほ》へよ|永久《とこしへ》に |色《いろ》は|褪《あ》せざれ|何時迄《いつまで》も
|心《こころ》の|色《いろ》も|紅《くれなゐ》の |露《つゆ》の|唇《くちびる》、|月《つき》の|眉《まゆ》
|花《はな》|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|花《はな》の|山《やま》 |月日《つきひ》に|擬《まが》ふ|二《ふた》つの|目《め》
|手足《てあし》もまめに|健《すこや》かに |日々《ひび》の|生業《なりはひ》|励《いそ》しみて
|家《いへ》|富《と》み|栄《さか》え|三五《あななひ》の |神《かみ》の|教《をしへ》を|四方《よも》の|国《くに》
|海《うみ》の|内外《うちと》に|輝《かがや》かし |天《あま》の|岩戸《いはと》の|神業《しんげふ》に
|仕《つか》へまつらむ|夫婦《ふうふ》|連《づ》れ |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あ》れまして
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》 |只《ただ》|何事《なにごと》も|今迄《いままで》の
|悪戯事《いたづらごと》は|宣《の》り|直《なほ》し |善《よ》きに|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|神《かみ》の|教《をしへ》に|服従《まつろ》ひて |幾千代《いくちよ》までも|真心《まごころ》を
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|捧《ささ》ぐべし |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|千代《ちよ》に|動《うご》かぬ|夫婦仲《ふうふなか》 |何時《いつ》も|変《かは》らぬ|常磐木《ときはぎ》の
|松《まつ》の|操《みさを》の|青々《あをあを》と |五六七《みろく》の|御代《みよ》の|来《きた》る|迄《まで》
|父《ちち》と|母《はは》との|御生命《おんいのち》 |男子《をのこ》|女子《をみな》の|睦《むつ》み|合《あ》ひ
|守《まも》らせ|給《たま》へ|三五《あななひ》の |教《をしへ》を|立《た》つる|大御神《おほみかみ》
|百千万《ももちよろづ》の|神々《かみがみ》の |御前《みまへ》に|頸根《うなね》|突抜《つきぬ》きて
|拝《をろが》み|仕《つか》へ|奉《たてまつ》る アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐《ま》しませよ アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐《ま》しませよ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つた。ここに|鶴亀《つるかめ》の|両親《りやうしん》を|始《はじ》め、|松《まつ》、|梅《うめ》の|兄《あに》|夫婦《ふうふ》および|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》の|祝《いはひ》の|歌《うた》|節《ふし》|面白《おもしろ》く|歌《うた》ひ|終《をは》つて|目出度《めでた》く|合衾《がふきん》の|式《しき》も|相済《あひす》み、|千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|変《かは》らじと|神《かみ》の|御前《みまへ》にことほぎまつりぬ。
(大正一一・三・二五 旧二・二七 北村隆光録)
(昭和一〇・三・一七 於嘉義ホテル 王仁校正)
第四篇 |五六七号《みろくがう》
第一七章 |一寸《ちよつと》|一服《いつぷく》〔五六七〕
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|奇《く》しき|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》 |去《さ》りぬる|辛酉《かのととり》の|年《とし》
|聖《きよ》き|教《をしへ》を|菊月《きくづき》の |神《かみ》の|恵《めぐみ》は|世《よ》の|人《ひと》を
|救《たす》け|給《たま》ひて|二九《にく》からぬ |十八日《じふはちにち》の|真昼《まひる》|頃《ごろ》
|松《まつ》の|神代《かみよ》に|因《ちな》みたる 【|松雲閣《しよううんかく》】の|離《はな》れの|間《ま》
|流《なが》れも|清《きよ》き|小雲川《こくもがは》 |緑《みどり》|滴《したた》る|並木《なみき》の|松《まつ》を
|吹《ふ》く|凩《こがらし》に|送《おく》られて |轟《とどろ》き|渡《わた》る|言霊《ことたま》の
|功《いさを》も|広《ひろ》く|大橋《おほはし》や |綾《あや》の|都《みやこ》も|大神《おほかみ》の
|深《ふか》き|恵《めぐ》みにヨルダンの |川《かは》の|流《なが》れの|其《そ》の|如《ごと》く
|清《きよ》く|響《ひび》きし|物語《ものがたり》 |善《ぜん》と|悪《あく》との|神界《しんかい》の
|身魂《みたま》の|素性《すじやう》を|説《と》き|明《あか》し |前人《ぜんにん》|未聞《みもん》の|三界《さんかい》の
|経緯《けいゐ》を|探《さぐ》る|道《みち》の|奥《おく》 |青垣山《あをがきやま》を|繞《めぐ》らせる
|高天原《たかあまはら》や|竜宮《りうぐう》の |館《やかた》に|仕《つか》ふる|教《をし》へ|子《ご》の
【|外山《とやま》|豊二《とよつぐ》】、【|桜井《さくらゐ》|重雄《しげを》】 |出口《でぐち》の|入口《いりくち》【|谷《たに》】の【|口《くち》】
|名《な》も【|清治《きよはる》】の|三人《みたり》の|男《を》 |朝日《あさひ》の【|加《か》】げのい【|藤《と》】|長《なが》き
|筆《ふで》の【すさび】の【|新《あたら》】しく |五百《ごひやく》と|六十七節《ろくじふななふし》の
|五六七《みろく》の|神《かみ》に|因《ちな》みたる この|物語《ものがたり》|詳細《まつぶさ》に
|説《と》き|明《あか》さむと|村肝《むらきも》の |心《こころ》に【|加藤《かとう》】|誓《ちか》ひたる
【|明《あか》】き|教《をしへ》の|大本《おほもと》を |述《の》べ|伝《つた》へむと|久方《ひさかた》の
|空《そら》に|輝《かがや》く【|瑞月《ずゐげつ》】が |経《たて》と|緯《よこ》との|神《かみ》の|教《のり》
|千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|樹《た》てむとて |褥《しとね》の|上《うへ》に|横《よこ》たはり
|転《ころ》ばし|初《そ》めし|口車《くちぐるま》 |通《かよ》ふ|大道《おほぢ》も|恙《つつが》なく
|歩《あゆ》みつめたる|今日《けふ》の|宵《よひ》 |梅《うめ》|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|如月《きさらぎ》の
|二十《はたち》|五六七日《みろく》に|恙《つつが》なく |五六七《みろく》の|巻《まき》の|物語《ものがたり》
【|松雲閣《しよううんかく》】の|奥《おく》の|間《ま》に |明《あか》りの|下《もと》に|説《と》き|明《あか》す
|筆《ふで》|執《と》る|人《ひと》は【|外山《とやま》】|氏《うぢ》 |五六七《みろく》の|御代《みよ》を【|松村《まつむら》】や
|深山《みやま》の|奥《おく》の【|谷村《たにむら》】|氏《し》 |経綸《しぐみ》もここに|恙《つつが》なく
|語《かた》り|了《おほ》せて【|北村《きたむら》】|氏《し》 【|加藤《かとう》】|結《むす》びし|神界《しんかい》の
|扉《とびら》を|開《ひら》く【|王仁《おに》】の|口《くち》 |世人《よびと》の|為《ため》に【|明《あき》】らけく
|治《をさ》まる|御代《みよ》の|御恵《みめぐ》みを |千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|言《こと》【|祝《ほ》】ぎて
ここに|芽出度《めでた》く|霊界《れいかい》の |夢物語《ゆめものがたり》|拾《とを》|余《あま》り
|四《よつ》の|大巻《おほまき》【|作《な》】り|了《を》へぬ |五六七《みろく》|神政《しんせい》|万々歳《ばんばんざい》
|五六七《みろく》|神政《しんせい》|万々歳《ばんばんざい》。
(|附言《ふげん》)|本巻《ほんくわん》は|大正《たいしやう》|十一年《じふいちねん》|旧《きう》|如月《きさらぎ》|二十《にじふ》【|五《ご》】|日《にち》、|二十《にじふ》【|六《ろく》】|日《にち》、|二十《にじふ》【|七《しち》】|日《にち》の|三日間《みつかかん》にて|完成《くわんせい》したり。
(大正一一・三・二五 旧二・二七 外山豊二録)
|跋文《ばつぶん》
|神《かみ》の|御諭《みこと》を|蒙《かうむ》りて |述《の》べ|始《はじ》めたる|霊界《れいかい》の
|奇《く》しき|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》 |神代《かみよ》|許《ばか》りか|幽界《いうかい》も
また|現界《げんかい》も|押並《おしな》べて |神《かみ》の|随《ま》に|随《ま》に|口車《くちぐるま》
|現幽神《げんいうしん》の|三界《さんかい》の |峠《たうげ》に|立《た》ちて|三《み》ツ|瀬川《せがは》
|三《み》ツ|尾《を》|峠《たうげ》や|四《よ》ツ|尾《を》の |峰《みね》の|麓《ふもと》にそそり|立《た》つ
|黄金閣《わうごんかく》の|蔭《かげ》|清《きよ》き |教主館《けうしゆやかた》に|横臥《わうぐわ》して
|三途《せうづ》の|流《ながれ》|滔々《たうたう》と |瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|走《はし》り|書《が》き
|十四《じふし》の|巻《まき》のいや|終《はて》に その|真相《しんさう》を|示《しめ》すべし
|三途《せうづ》の|河《かは》は|神界《しんかい》と |現界《げんかい》|又《また》は|幽界《いうかい》へ
|諸人等《もろびとたち》の|霊魂《れいこん》の |行衛《ゆくゑ》の|定《さだ》まる|裁断所《さばきどこ》
|八洲《やす》の|河原《かはら》とヨルダンの |河《かは》とも|唱《とな》ふ|神聖場《しんせいぢやう》
|悪《あく》の|霊魂《みたま》が|行《ゆ》く|時《とき》は その|川守《かはもり》は|鬼婆《おにばば》と
|忽《たちま》ち|変《へん》じ|着衣《ちやくい》|剥《は》ぎ |裸体《らたい》となりて|根《ね》の|国《くに》や
|底《そこ》つ|幽世《かくりよ》へ|落《おと》し|捨《す》て |善《ぜん》の|御魂《みたま》の|来《く》る|時《とき》は
|川守《かはもり》|忽《たちま》ち|美女《びぢよ》となり |優《やさ》しき|言葉《ことば》を|使《つか》ひつつ
|旧《ふる》き|衣服《いふく》を|脱却《だつきやく》し |錦《にしき》の|衣服《いふく》と|着替《きか》へさせ
|高天原《たかあまはら》の|楽園《らくゑん》へ |行《ゆ》くべき|印綬《いんじゆ》を|渡《わた》す|也《なり》
|善悪《ぜんあく》|未定《みてい》の|霊魂《れいこん》が |来《き》たれば|川守《かはもり》また|婆《ばば》と
|忽《たちま》ち|変《かは》り|竹箒《たけばうき》 |振《ふ》り|上《あ》げ|娑婆《しやば》へ|追返《おひかへ》し
|朝《あさ》と|夕《ゆふべ》の|区別《くべつ》なく |川《かは》の|流《なが》れの|変《かは》る|如《ごと》
|千変万化《せんぺんばんくわ》の|活動《くわつどう》を いや|永遠《とこしへ》に|開《ひら》き|行《ゆ》く
|善悪正邪《ぜんあくせいじや》を|立別《たてわ》ける |是《これ》ぞ|霊魂《みたま》の|分水河《ぶんすゐか》
|千代《ちよ》に|流《なが》れて|果《はて》もなし |抑《そもそ》もこれの|川水《かはみづ》は
|清《きよ》く|流《なが》るることもあり |濁《にご》り|汚《けが》るることもあり
|清濁《せいだく》|不定《ふてい》の|有様《ありさま》は |集《あつ》まり|来《き》たる|人々《ひとびと》の
|霊魂々々《みたまみたま》に|映《うつ》り|行《ゆ》く |奇《く》しき|尊《たふ》とき|珍《めづ》らしき
|宇宙《うちう》|唯一《ゆいつ》の|流《なが》れなり |激《はげ》しき|上《うは》つ|瀬《せ》|渉《わた》るのは
|現実界《げんじつかい》へ|生《うま》れ|行《ゆ》く |霊魂《みたま》や|蘇生《そせい》する|人《ひと》|許《ばか》り
|弱《よわ》き|下津瀬《しもつせ》|渉《わた》り|行《ゆ》く |霊魂《みたま》は|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》
|暗黒《あんこく》|無明《むみやう》の|世界《せかい》へと |落《お》ち|行《ゆ》く|悲《かな》しき|魂《たま》のみぞ
|緩《ゆる》けく|強《つよ》く|清《きよ》らけく |且《か》つ|温《あたた》かく|美《うる》はしき
|中津瀬《なかつせ》|渉《わた》り|行《ゆ》くものは |至喜《しき》と|至楽《しらく》の|花《はな》|開《ひら》く
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|登《のぼ》る|魂《たま》 それぞれ|霊魂《みたま》の|因縁《いんねん》の
|綱《つな》に|曳《ひ》かれて|進《すす》み|行《ゆ》く |神《かみ》の|律法《みのり》ぞ|尊《たふ》とけれ
|三途《せうづ》の|川《かは》の|物語《ものがたり》 |外《ほか》に|一途《いちづ》の|川《かは》もあり
|抑《そもそ》も|一途《いちづ》の|因縁《いんねん》は |現世《げんせ》に|一旦《いつたん》|生《うま》れ|来《き》て
|至善《しぜん》|至真《ししん》の|神仏《しんぶつ》の |教《をしへ》を|守《まも》り|道《みち》を|行《ゆ》き
|神《かみ》の|御子《みこ》たる|天職《てんしよく》を |尽《つく》し|了《を》はせし|神魂《かむみたま》
|大聖美人《たいせいびにん》の|天国《てんごく》へ |進《すす》みて|登《のぼ》る|八洲《やす》の|川《かは》
|清《きよ》めし|御魂《みたま》も|今《いま》|一度《いちど》 |浄《きよ》めて|進《すす》み|渉《わた》り|行《ゆ》く
|善《ぜん》|一途《ひとみち》の|生命川《いのちがは》 |渡《わた》る|人《ひと》こそ|稀《めづ》らしき
|一旦《いつたん》|現世《げんせ》へ|生《うま》れ|来《き》て |体主霊従《たいしゆれいじう》の|悪業《あくげふ》を
|山《やま》と|積《つ》みたる|邪霊《まがたま》の |裁断《さばき》も|受《う》けず|一筋《ひとすぢ》に
|渉《わた》りて|根底《ねそこ》の|暗界《あんかい》へ |堕《お》ち|行《ゆ》く|亡者《まうじや》の|濁水《だくすゐ》に
|溺《おぼ》れ|苦《くる》しみ|渡《わた》り|行《ゆ》く |善《ぜん》と|悪《あく》との|一途川《いちづがは》
|実《げ》にも|忌々《ゆゆ》しき|流《なが》れ|也《なり》 アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さちは》へましまして |三途《せうづ》の|川《かは》や|一途川《いちづがは》
|滑稽《こつけい》|交《まじ》りに|述《の》べ|立《た》てし この|物語《ものがたり》|意《い》を|留《と》めて
|読《よ》み|行《ゆ》く|人《ひと》の|霊魂《たましひ》に |反省《はんせい》|改悟《かいご》の|信念《しんねん》を
|発《おこ》させ|給《たま》ひて|人生《じんせい》の |行路《かうろ》を|清《きよ》く|楽《たの》もしく
|歩《あゆ》ませ|玉《たま》へと|天地《あめつち》の |神《かみ》の|御前《みまへ》に|澄《す》み|渡《わた》る
|大空《おほぞら》|輝《かがや》く|瑞月《ずゐげつ》が |天照《あまてら》し|坐《ま》す|大神《おほかみ》の
|遍《あま》ねく|照《てら》す|光明《くわうみやう》に |照《てら》され|乍《なが》ら|人々《ひとびと》の
|身魂《みたま》の|行衛《ゆくゑ》を|明《あきら》かに |説《と》き|示《しめ》し|行《ゆ》く|嬉《うれ》しさよ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》る|共《とも》 |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》む|共《とも》 |誠《まこと》の|神《かみ》の|御諭《みさと》しは
|万劫末代《まんごまつだい》いつ|迄《まで》も |天地《てんち》の|続《つづ》くその|限《かぎ》り
|変《かは》りて|朽《く》ちて|亡《ほろ》び|行《ゆ》く ためしは|永遠《とは》にあらざらめ
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御魂《みたま》|幸《さち》はへましませよ。
○
|神諭《しんゆ》に『|松《まつ》の|代《よ》|弥勒《みろく》の|代《よ》|神世《かみよ》に|致《いた》すぞよ|云々《うんぬん》』とあり、|弥勒《みろく》は|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|意《い》にして、|宇宙《うちう》|万有《ばんいう》|一切《いつさい》の|親《おや》|也《なり》|師《し》|也《なり》|主《しゆ》|也《なり》と|説《と》きたまへり。|読者《どくしや》の|中《なか》には、|仏教《ぶつけう》の|教典《けうてん》に|由《よ》りて|釈迦《しやか》の|説《せつ》と|引《ひ》き|合《あは》せ、ミロクは|七仏《しちぶつ》|出生説《しゆつしやうせつ》の|中《なか》にある|一仏《いちぶつ》にして、|大本《おほもと》の|神諭《しんゆ》にある|如《ごと》き|尊《たふと》き|位置《ゐち》にある|仏《ぶつ》|又《また》は|神《かみ》にあらずと|云《い》ふ|人《ひと》あり。|仏書《ぶつしよ》のみを|読《よ》みたる|人《ひと》の|意見《いけん》としては、|最《もつと》も|至極《しごく》なる|見解《けんかい》と|謂《い》ふべしである。|王仁《おに》は、|序《ついで》を|以《もつ》て|本巻《ほんくわん》の|末尾《まつび》に|於《おい》て|仏典《ぶつてん》に|現《あら》はれたる|弥勒《みろく》の|位置《ゐち》を|茲《ここ》に|掲載《けいさい》して、|読者《どくしや》の|参考《さんかう》に|供《きよう》して|見《み》ようと|思《おも》ふ。
|法華経《ほけきやう》の|序品《じよほん》|第一《だいいち》に
|前略《ぜんりやく》
|菩薩《ぼさつ》|摩訶薩《まかさつ》|八万人《はちまんにん》あり。|皆《みな》|阿耨多羅《あのくだら》|三藐《さんみやく》|三菩提《さんぼだい》に|於《おい》て|退転《たいてん》せず、|皆《みな》|陀羅尼《だらに》を|得《え》、|楽説《げうせつ》|弁才《べんさい》あつて|不退転《ふたいてん》の|法輪《ほふりん》を|転《てん》じ、|無量《むりやう》|百千《ひやくせん》の|諸仏《しよぶつ》を|供養《くやう》し、|諸仏《しよぶつ》の|所《ところ》に|於《おい》て|衆《もろもろ》の|徳本《とくほん》を|植《う》ゑ、|常《つね》に|諸仏《しよぶつ》に|称嘆《しようたん》せらるることを|為《え》、|慈《じ》を|以《もつ》て|身《み》を|修《をさ》め、|善《よ》く|仏慧《ぶつゑ》に|入《い》り、|大智《だいち》に|通達《つうたつ》し、|彼岸《ひがん》に|到《いた》り|名称《みようしよう》|普《あまね》く|無量《むりやう》の|世界《せかい》に|聞《きこ》えて、|能《よ》く|無数百千《むすうひやくせん》の|衆生《しゆじやう》を|度《ど》す。その|名《な》を、
一 |文珠師利《もんじゆしり》|菩薩《ぼさつ》
二 |観世音《くわんぜおん》|菩薩《ぼさつ》
三 |得大勢《とくだいぜい》|菩薩《ぼさつ》
四 |常精進《じやうしやうじん》|菩薩《ぼさつ》
五 |不休息《ふぐそく》|菩薩《ぼさつ》
六 |宝掌《ほうしやう》|菩薩《ぼさつ》
七 |薬王《やくわう》|菩薩《ぼさつ》
八 |勇施《ゆうせ》|菩薩《ぼさつ》
九 |宝月《ほうげつ》|菩薩《ぼさつ》
十 |月光《げつくわう》|菩薩《ぼさつ》
十一 |満月《まんげつ》|菩薩《ぼさつ》
十二 |大力《たいりき》|菩薩《ぼさつ》
十三 |無量力《むりやうりき》|菩薩《ぼさつ》
十四 |越三界《おつさんかい》|菩薩《ぼさつ》
十五 |跋陀婆羅《ばつだばら》|菩薩《ぼさつ》
十六 |弥勒《みろく》|菩薩《ぼさつ》
十七 |宝積《ほうしやく》|菩薩《ぼさつ》
十八 |導師《だうし》|菩薩《ぼさつ》
|右《みぎ》の|如《ごと》き|菩薩《ぼさつ》|摩訶薩《まかさつ》|八万人《はちまんにん》と|倶《とも》|也《なり》
と|記《しる》してある。この|菩薩《ぼさつ》も|霊界物語《れいかいものがたり》を|全部《ぜんぶ》|通読《つうどく》されなば、|何《なに》|菩薩《ぼさつ》は|何神《なにがみ》|何命《なにみこと》に|当《あ》たるやといふことは|自《おのづか》ら|判明《はんめい》することと|思《おも》ひます。
|釈提桓因《しやくだいくわんいん》その|眷属《けんぞく》|二万《にまん》の|天子《てんし》と|与《とも》に|倶《とも》なり。|復《また》
一 |名月天子《みやうげつてんし》
二 |普香天子《ふかうてんし》
三 |宝光天子《ほうくわうてんし》 |四大《しだい》|天王《てんわう》あり、|其《その》|眷属《けんぞく》|万《よろづ》の|天子《てんし》と|与《とも》に|倶《とも》なり。
四 |自在天子《じざいてんし》
五 |大自在天子《だいじざいてんし》
その|眷属《けんぞく》|三万《さんまん》の|天子《てんし》と|与《とも》に|倶《とも》なり。
|娑婆《しやば》|世界《せかい》の|主《しゆ》
六 |梵天王《ぼんてんわう》
七 |尸棄大梵《しきだいぼん》
八 |光明大梵《くわうみやうだいぼん》
|等《とう》その|眷属《けんぞく》|万二千《まんにせん》の|天子《てんし》と|与《とも》に|倶《とも》なり。
|八《やつ》の|竜王《りうわう》あり、
一 |難陀《なんだ》|竜王《りうわう》
二 |跋難陀《ばつなんだ》|竜王《りうわう》
三 |娑伽羅《しやがら》|竜王《りうわう》
四 |和修吉《わしうきつ》|竜王《りうわう》
五 |徳叉迦《とくしやか》|竜王《りうわう》
六 |阿那婆達多《あなばだつた》|竜王《りうわう》
七 |摩那斯《まなし》|竜王《りうわう》
八 |優鉢羅《うばつら》|竜王《りうわう》なり。
|各《かく》|若干《じやくかん》|百千《ひやくせん》の|眷属《けんぞく》と|与《とも》に|倶《とも》なり。
|四《よつ》の|緊那羅王《きんならわう》あり
一 |法《はふ》|緊那羅王《きんならわう》
二 |妙法《めうはふ》|緊那羅王《きんならわう》
三 |大法《だいはふ》|緊那羅王《きんならわう》
四 |持法《ぢはふ》|緊那羅王《きんならわう》 なり。
|各《かく》|若干《じやくかん》|百千《ひやくせん》の|眷属《けんぞく》と|与《とも》に|倶《とも》なり。
|四《よつ》の|乾闥婆王《けんだつばわう》あり。
一 |楽《がく》|乾闥婆王《けんだつばわう》
二 |楽音《がくおん》|乾闥婆王《けんだつばわう》
三 |美《み》|乾闥婆王《けんだつばわう》
四 |美音《みおん》|乾闥婆王《けんだつばわう》 なり。
|各《かく》|若干《じやくかん》|百千《ひやくせん》の|眷属《けんぞく》と|与《とも》に|倶《とも》なり。
|四《よつ》の|阿修羅王《あしゆらわう》あり
一 |婆稚《ばち》|阿修羅王《あしゆらわう》
二 |〓羅騫駄《からけんだ》|阿修羅王《あしゆらわう》
三 |毘摩質多羅《びましつたら》|阿修羅王《あしゆらわう》
四 |羅〓《らご》|阿修羅王《あしゆらわう》なり。
|各《かく》|若干《じやくかん》|百千《ひやくせん》の|眷属《けんぞく》と|与《とも》に|倶《とも》なり。
|四《よつ》の|迦楼羅王《かるらわう》あり、
一 |大威徳《だいゐとく》|迦楼羅王《かるらわう》
二 |大身《だいしん》|迦楼羅王《かるらわう》
三 |大満《たいまん》|迦楼羅王《かるらわう》
四 |如意《によい》|迦楼羅王《かるらわう》 なり。
|各《かく》|若干《じやくかん》|百千《ひやくせん》の|眷属《けんぞく》と|与《とも》に|倶《とも》なり。
|韋提希《ゐだいけ》の|子《こ》|阿闍世王《あじやせわう》|若干《じやくかん》|百千《ひやくせん》の|眷属《けんぞく》と|与《とも》に|倶《とも》なり|云々《うんぬん》。
と、|示《しめ》されてある。|之《これ》を|以《もつ》て|之《これ》を|見《み》る|時《とき》は、|大本《おほもと》|教祖《けうそ》の|筆先《ふでさき》なるものは|神《かみ》の|道《みち》とは|云《い》ひながら、|最初《さいしよ》より|仏神《ぶつしん》|一体《いつたい》の|神理《しんり》により、|現代人《げんだいじん》の|耳《みみ》に|入《い》り|易《やす》きやうに|仏教《ぶつけう》の|用語《ようご》をも|用《もち》ゐられてあることを|覚《さと》り|得《え》らるるのである。|明治《めいぢ》|二十五年《にじふごねん》|正月《しやうぐわつ》|元日《ぐわんじつ》に|初《はじ》めて|艮《うしとら》の|金神《こんじん》|様《さま》が|出口《でぐち》|教祖《けうそ》に|神懸《かむがかり》された|時《とき》の|大獅子吼《だいししく》は、
|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》|艮《うしとら》の|金神《こんじん》の|世《よ》になりたぞよ。|須弥仙山《しゆみせんざん》に|腰《こし》を|懸《か》け|艮《うしとら》の|金神《こんじん》|世界《せかい》を|守《まも》るぞよ|云々《うんぬん》。
|三千世界《さんぜんせかい》も|仏教中《ぶつけうちう》の|用語《ようご》であり、|艮《うしとら》の|金神《こんじん》も|神道《しんだう》の|語《ご》ではない。|須弥仙山《しゆみせんざん》は|仏教家《ぶつけうか》の|最《もつと》も|大切《たいせつ》にして|居《ゐ》る|霊山《れいざん》である。またミロク|菩薩《ぼさつ》とか|竜宮《りうぐう》とか|竜神《りうじん》とか、|天子《てんし》とか、|王《わう》とか|現《あら》はれて|居《を》るのは、|悉《ことごと》く|仏教《ぶつけう》の|語《ご》を|籍《か》りて|説《と》かれたものであります。|故《ゆゑ》に|筆先《ふでさき》にある|王《わう》とは、|八大竜王《はちだいりうわう》|及《および》|諸仏王《しよぶつわう》の|略称《りやくしよう》であり、|天子《てんし》と|云《い》へば|明月《めいげつ》|天子《てんし》、|普香《ふかう》|天子《てんし》、|宝光《ほうくわう》|天子《てんし》、|四大《しだい》|天王《てんわう》その|他《た》|諸《しよ》|天子《てんし》、|諸《しよ》|天王《てんわう》の|略称《りやくしよう》であることは|勿論《もちろん》であります。|自在天子《じざいてんし》、|大自在天子《だいじざいてんし》、|梵天王《ぼんてんわう》、その|他《た》|王《わう》の|名《な》の|付《つ》いた|仏《ぶつ》は|沢山《たくさん》にあり、|仏《ぶつ》も|神《かみ》も|同一体《どういつたい》、|元《もと》は|一株《ひとかぶ》と|説《と》いてある。また|大自在天子《だいじざいてんし》のその|眷属《けんぞく》|三万《さんまん》の|天子《てんし》と|与《とも》に|倶《とも》なりとあるを|見《み》れば|天子《てんし》とは|即《すなは》ち|神道《しんだう》にて|云《い》ふ|神子《みこ》|又《また》は|神使《しんし》であります。|要《えう》するに、|神《かみ》の|道《みち》、|仏《ぶつ》の|道《みち》に|優《すぐ》れたる|信者《しんじや》の|意味《いみ》になるのであります。|天子《てんし》は、また|天使《てんし》エンゼルとキリスト|教《けう》では|謂《い》つて|居《ゐ》ます。|大本《おほもと》の|筆先《ふでさき》は|教祖《けうそ》|入道《にふだう》の|最初《さいしよ》より|仏教《ぶつけう》の|用語《ようご》で|現《あら》はせられたのであるから|凡《すべ》て|仏教《ぶつけう》の|縁《えん》に|由《よ》つて|説明《せつめい》せなくては、|大変《たいへん》な|間違《まちが》ひの|起《おこ》るものであります。|王仁《おに》は|弥勒《みろく》|菩薩《ぼさつ》に|因《ちな》める|五百六十七節《ごひやくろくじふしちせつ》を|口述《こうじゆつ》し|了《をは》るに|際《さい》し、|仏教《ぶつけう》に|現《あら》はれたるミロク|菩薩《ぼさつ》の|位置《ゐち》を|示《しめ》すと|同時《どうじ》に|筆先《ふでさき》は|一切《いつさい》|仏《ぶつ》の|用語《ようご》が|主《しゆ》となりて|現《あら》はれて|居《を》ることを|茲《ここ》に|説明《せつめい》しておきました。
アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》ませ。
大正十一年十一月四日
(昭和一〇・三・一七 於嘉義公会堂 王仁校正)
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霊界物語 第一四巻 如意宝珠 丑の巻
終り