霊界物語 第一三巻 如意宝珠 子の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第十三巻』愛善世界社
1995(平成07)年08月08日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2004年04月01日作成
2008年06月23日修正
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●目次
モノログ
|凡例《はんれい》
|総説《そうせつ》
第一篇 |勝利《しようり》|光栄《くわうえい》
第一章 |言霊《ことたま》|開《ひらき》〔五二七〕
第二章 |波斯《フサ》の|海《うみ》〔五二八〕
第三章 |波《なみ》の|音《おと》〔五二九〕
第四章 |夢《ゆめ》の|幕《まく》〔五三〇〕
第五章 |同志打《どうしうち》〔五三一〕
第六章 |逆転《ぎやくてん》〔五三二〕
第二篇 |洗礼《せんれい》|旅行《りよかう》
第七章 |布留野原《ふるのはら》〔五三三〕
第八章 |醜《しこ》の|窟《いはや》〔五三四〕
第九章 |火《ひ》の|鼠《ねずみ》〔五三五〕
第三篇 |探険《たんけん》|奇聞《きぶん》
第一〇章 |巌窟《がんくつ》〔五三六〕
第一一章 |怪《あや》しの|女《をんな》〔五三七〕
第一二章 |陥穽《おとしあな》〔五三八〕
第一三章 |上天丸《じやうてんまる》〔五三九〕
第四篇 |奇窟怪巌《きくつくわいがん》
第一四章 |蛙船《かへるふね》〔五四〇〕
第一五章 |蓮花開《れんくわかい》〔五四一〕
第一六章 |玉遊《たまあそび》〔五四二〕
第一七章 |臥竜姫《ぐわりようひめ》〔五四三〕
第一八章 |石門開《いはとびらき》〔五四四〕
第一九章 |馳走《ちそう》の|幕《まく》〔五四五〕
第二〇章 |宣替《のりかへ》〔五四六〕
第二一章 |本霊《ほんれい》〔五四七〕
第五篇 |膝栗毛《ひざくりげ》
第二二章 |高加索詣《コーカスまゐり》〔五四八〕
第二三章 |和解《わかい》〔五四九〕
第二四章 |大活躍《だいくわつやく》〔五五〇〕
|信天翁《あはうどり》(三)
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モノログ
この|霊界《れいかい》|物語《ものがたり》は、|全巻《ぜんくわん》を|通《つう》じて|三大《さんだい》|潮流《てうりう》が|不断《ふだん》に|幹流《かんりう》し、|時々《ときどき》|大小《だいせう》の|渦巻《うづまき》が|起《おこ》つて|居《を》りますが、|何分《なにぶん》にも|大編著《だいへんちよ》でありますから、|一冊《いつさつ》や|二冊《にさつ》|位《くらゐ》|拾《ひろ》ひ|読《よ》みを|為《し》たぐらゐでは、|到底《たうてい》その|真相《しんさう》を|捕捉《ほそく》する|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|先《ま》づ|全巻《ぜんくわん》を|読了《どくれう》された|上《うへ》でなければ、|如何《いか》なる|批判《ひはん》も|加《くは》へる|事《こと》は|出来《でき》ない|様《やう》に|成《な》つて|居《を》ります。|先《ま》づ|我《わが》|身魂《みたま》を|宇宙《うちう》|外《ぐわい》に|置《お》き、|無我《むが》|無心《むしん》の|境地《きやうち》に|立《た》つて|本書《ほんしよ》に|抱含《はうがん》されたる|大精神《だいせいしん》を|見極《みきは》めて|貰《もら》ひ|度《た》いものであります。
|読者《どくしや》の|中《なか》には|霊界《れいかい》|物語《ものがたり》もマンザラ|捨《す》てたものではないが、|天地《てんち》の|剖判《ばうはん》だとか、|神示《しんじ》の|宇宙《うちう》だとか、|常世《とこよ》|会議《くわいぎ》だとか、|人間《にんげん》の|元祖論《ぐわんそろん》の|如《ごと》きは|折角《せつかく》の|神著《しんちよ》をして|無価値《むかち》たらしむるものだ、|霊界《れいかい》|物語《ものがたり》も|右様《みぎやう》の|脱線的《だつせんてき》|文章《ぶんしやう》さへ|削除《さくぢよ》すれば、|時代《じだい》|遅《おく》れの|拙劣《せつれつ》な|小説《せうせつ》として|見《み》るべきものに|成《な》るだらうと、|注意《ちゆうい》を|与《あた》へて|呉《く》れた|人《ひと》もありました。|又《また》|中《なか》には|霊界《れいかい》|物語《ものがたり》の|中《うち》の|脱線的《だつせんてき》|文章《ぶんしやう》は、|口述者《こうじゆつしや》に|頑迷《ぐわんめい》|不霊《ふれい》の|悪霊《あくれい》が|憑依《ひようい》して|喋舌《しやべ》り|立《た》てた|時《とき》の|作物《さくぶつ》だから|筆録者《ひつろくしや》に|於《おい》て|之《これ》を|取捨塩梅《しゆしやあんばい》して|発表《はつぺう》すると|宜《よ》いのだが、|何《なに》を|謂《い》つても|絶対的《ぜつたいてき》|服従《ふくじう》を|以《もつ》て|最大《さいだい》の|善事《ぜんじ》と|誤解《ごかい》して|居《ゐ》る|迷信家《めいしんか》だから、|薩張《さつぱり》|仕末《しまつ》に|了《を》へない、|小波山人《さざなみさんじん》でも|呼《よ》んで|来《き》て|訂正《ていせい》させたらおトギ|話《ばなし》|位《くらゐ》には|成《な》るだらうと、コボして|居《ゐ》る|人々《ひとびと》もあつたさうです。|口述者《こうじゆつしや》としても|合点《がてん》の|行《ゆ》き|兼《かね》る|点《てん》が|多少《たせう》ないでも|無《な》いが、|何《なん》と|言《い》つても|惟神《かむながら》に|任《まか》して|少《すこ》しも|人意《じんい》を|加《くは》へない、|神《かみ》の|言葉《ことば》その|儘《まま》を|写《うつ》し|出《だ》すのですから、この|点《てん》も|篤《とく》とお|考《かんが》へを|願《ねが》ひたいものです。|仁慈《じんじ》|無限《むげん》なる|神様《かみさま》の|方《はう》より、|天地《てんち》|間《かん》の|万物《ばんぶつ》を|御覧《ごらん》に|成《な》つた|時《とき》は、|一切《いつさい》の|神人《しんじん》|禽獣《きんじう》|虫魚《ちうぎよ》|草木《さうもく》に|至《いた》るまで、|一《いつ》として|善《ぜん》ならざるは|無《な》く|愛《あい》ならざるは|無《な》いのであります。|只《ただ》|人間《にんげん》としての|行動《かうどう》の|上《うへ》に|於《おい》て、|誤解《ごかい》より|生《しやう》ずる|諸多《しよた》の|罪悪《ざいあく》が|不知不識《しらずしらず》の|間《あひだ》に|発生《はつせい》して|其《そ》れが|邪気《じやき》となり、|天地間《てんちかん》を|汚濁《をだく》し|曇《くも》らせ、|自《みづか》ら|神《かみ》を|汚《けが》し|道《みち》を|破《やぶ》り、|自業自得《じごうじとく》|的《てき》に|災禍《さいくわ》を|招《まね》くに|至《いた》るものであります。|善悪《ぜんあく》|不二《ふじ》、|正邪《せいじや》|一如《いちによ》、|顕幽《けんいう》|一致《いつち》の|真諦《しんたい》は、この|神著《しんちよ》に|依《よ》つて|明白《めいはく》に|成《な》る|事《こと》と|確信《かくしん》する|次第《しだい》であります。この|物語《ものがたり》は|凡《すべ》て|宇宙《うちう》|精神《せいしん》の|一斑《いつぱん》を|説示《せつじ》したものであります。|大病人《たいびやうにん》などが|枕頭《ちんとう》にてこの|物語《ものがたり》を|読《よ》み|聞《き》かされ、|即座《そくざ》に|病気《びやうき》の|全快《ぜんくわい》する|位《くらゐ》は|何《なん》でも|無《な》い|事実《じじつ》であります、|之《これ》を|見《み》ても|人間《にんげん》の|頭脳《づなう》の|営養物《えいやうぶつ》たる|事《こと》が|判《わか》ります。|大本《おほもと》の|大精神《だいせいしん》は、この|書《しよ》に|依《よ》つて|感得《かんとく》さるべきものでありますから、|大本《おほもと》|信徒《しんと》に|取《と》つては|最《もつと》も|必用《ひつよう》な|羅針盤《らしんばん》なるのみならず、|洋《やう》の|東西《とうざい》を|問《と》はず、|人種《じんしゆ》の|如何《いかん》を|論《ろん》ぜず、|修身斉家《しうしんせいか》の|基本的《きほんてき》|教訓書《けうくんしよ》ともなり、|大《だい》にしては|治国平天下《ちこくへいてんか》の|軌範《きはん》たるべき|神書《しんしよ》たる|事《こと》を|信《しん》ずるのであります。|大本《おほもと》|信徒《しんと》|諸氏《しよし》よ、|変性男子《へんじやうなんし》だとか、|変性女子《へんじやうによし》だとかの|言句《げんく》に|跼蹐《きよくせき》せず、|凡《すべ》ての|心《こころ》の|障壁《しやうへき》を|撤廃《てつぱい》し、|虚心《きよしん》|坦懐《たんくわい》|以《もつ》て|本書《ほんしよ》に|包含《はうがん》する|所《ところ》の|五味《ごみ》の|真相《しんさう》を|闡開《せんかい》されむことを|希望《きばう》する|次第《しだい》であります。
|斯《か》く|誌《しる》す|時《とき》しも|万寿苑《まんじゆゑん》|瑞祥閣《ずゐしやうかく》の|上空《じやうくう》に|二羽《には》の|鴻鶴《こうのつる》ゆるやかに|飛揚《ひやう》しつつありしが、|暫《しばら》くありて|大公孫樹《おほいてふ》に|一羽《いちは》、|堀端《ほりばた》の|松樹《しようじゆ》の|上《うへ》に|一羽《いちは》|留《と》まりて|羽根《はね》を|休《やす》め、|終《つひ》には|竹林《ちくりん》の|中《なか》にその|瑞姿《ずゐし》を|隠《かく》しました。|丹波《たんば》の|国《くに》にて|鶴《つる》を|見《み》ると|云《い》ふ|事《こと》は、|数十年来《すうじふねんらい》あまり|聞《き》かぬことであつて、|大本瑞祥会《おほもとずゐしやうくわい》に|対《たい》する|何《なに》かの|神示《しんじ》|慶徴《けいちよう》なるべしと、|役員等《やくゐんら》の|口々《くちぐち》の|評定《ひやうじやう》|面白《おもしろ》く、|記念《きねん》のため|一筆《ひとふで》|茲《ここ》に|附記《ふき》しておきます。
大正十一年九月二十日 旧七月二十九日 午前十一時
王仁識
|凡例《はんれい》
一、|本巻《ほんくわん》の|口絵《くちゑ》の|一《ひと》つは、|伊豆《いづ》|湯ケ島《ゆがしま》|湯本舘《ゆもとくわん》に|於《お》ける|瑞月《ずゐげつ》|聖師《せいし》の|霊界《れいかい》|物語《ものがたり》|御口述《ごこうじゆつ》の|状況《じやうきやう》です。|瑞月《ずゐげつ》|聖師《せいし》には、|去《さ》る|八月《はちぐわつ》|三日《みつか》|綾部《あやべ》を|御出発《ごしゆつぱつ》、|伊豆《いづ》|湯ケ島《ゆがしま》へ|向《むか》はれ|其処《そこ》に|御滞在《ごたいざい》になり、|九月《くぐわつ》|一日《いちじつ》|御帰綾《ごきれう》になられました。その|間《かん》|僅《わづ》か|廿日《はつか》の|時日《じじつ》で|第《だい》|二十八《にじふはち》|巻《くわん》より|第《だい》|三十三《さんじふさん》|巻《くわん》までの|御口述《ごこうじゆつ》を|終《をは》られました。|本巻《ほんくわん》|以後《いご》|数巻《すうくわん》に|亘《わた》つて、|一枚《いちまい》づつ|伊豆《いづ》|湯ケ島《ゆがしま》に|於《お》ける|記念《きねん》|撮影《さつえい》のお|写真《しやしん》を|掲《かか》げます。
大正十一年九月
編者識
|総説《そうせつ》
|瑞祥《ずゐしやう》|東海《とうかい》の|天《てん》に|靉靆《たなび》き、|金烏《きんう》|皇国《くわうこく》の|神園《しんゑん》に|輝《かがや》く。|天孫《てんそん》|降臨《かうりん》|以来《いらい》|茲《ここ》に|幾万《いくまん》の|星霜《せいさう》を|数《かぞ》へ|大希望《だいきばう》と|大光明《だいくわうみやう》とは、|実《じつ》に|六千万《ろくせんまん》|同胞《どうはう》の|身魂《みたま》に|充満《じうまん》せり。|顧《かへり》みれば|天地《てんち》|初発《しよはつ》の|時《とき》、|大地球《だいちきう》の|未《いま》だ|凝固《ぎようこ》せざるに|当《あた》り、|天神《てんしん》まづ|我《わが》|国祖《こくそ》に|世界《せかい》|肇国《てうこく》の|大任《たいにん》を|命《めい》じて|曰《のたまは》く
『|此《この》ただよへる|地球《くに》を|修理固成《つくりかためな》せよ』
と。|我《わが》|祖先《そせん》|神勅《しんちよく》を|奉《ほう》じて|先《ま》づ|世界《せかい》の|中心《ちうしん》として、|我《わが》|神国《しんこく》を|修理固成《しうりこせい》せられたり。|茲《ここ》に|於《おい》て|乎《か》|万国《ばんこく》|成《な》る。|由来《ゆらい》|日本民族《にほんみんぞく》は|神勅《しんちよく》を|奉《ほう》じ|以《もつ》て|祖先《そせん》の|志《こころざし》を|継《つ》ぎ、|天《あめ》の|下《した》|四方《よも》の|国《くに》を|安国《やすくに》と|平《たひら》けく|治《をさ》めむと、|静《しづか》に|神洲《しんしう》の|仙園《せんゑん》に|修養《しうやう》|年《とし》を|重《かさ》ぬること|幾万歳《いくまんさい》、|漸《やうや》く|其《その》|潜勢力《せんせいりよく》を|蓄積《ちくせき》し、|曩《さき》には|東洋《とうやう》|文化《ぶんくわ》の|精《せい》を|吸収《きふしう》し|尽《つく》し、|今《いま》また|泰西《たいせい》|文明《ぶんめい》を|集《あつ》めたり。
|吾等《われら》|神洲《しんしう》の|神民《しんみん》は、|実《じつ》に|世界《せかい》|文化《ぶんくわ》の|精粋《せいすゐ》を|一身《いつしん》に|集《あつ》めて、|之《これ》を|消化《せうくわ》し|之《これ》を|精錬《せいれん》し、|徐《おもむろ》に|天祖《てんそ》の|遺訓《ゐくん》|及《およ》び|父母《ふぼ》|祖先《そせん》の|志《こころざし》を|発揮《はつき》し、|以《もつ》て|世界的《せかいてき》|文明《ぶんめい》|建設《けんせつ》の|大業《たいげふ》を|為《な》すべき|一大《いちだい》|天職《てんしよく》を|荷《にな》へり。|見《み》よ|東太平洋《ひがしたいへいやう》を|隔《へだ》てて|亜米利加《アメリカ》に|対《たい》し、|北《きた》|支露《しろ》を|通《つう》じて|欧羅巴《ヨーロッパ》の|諸《しよ》|列強《れつきやう》に|連《つら》なる。|世界《せかい》|海陸《かいりく》|交通《かうつう》の|軌道《きだう》は、|日々《にちにち》|我《わが》|神洲《しんしう》に|向《むか》つて|万邦《ばんぱう》の|之《これ》に|朝宗《てうそう》するものの|如《ごと》し。|嗚呼《ああ》|日本《にほん》|国民《こくみん》たる|者《もの》、|過去《くわこ》の|歴史《れきし》に|稽《かんが》へ、|又《また》|現在《げんざい》の|趨勢《すうせい》に|微《ちよう》しなば、|建国《けんこく》の|一大《いちだい》|精神《せいしん》が|世界《せかい》|人類《じんるゐ》のために|建設《けんせつ》せられたるを|知《し》るに|足《た》らむ。されば|現今《げんこん》の|世《よ》は、|正《まさ》に|国民《こくみん》が|祖先《そせん》の|大理想《だいりさう》を|実行《じつかう》する|第一歩《だいいつぽ》のみ。|斯《かか》る|大意義《だいいぎ》を|有《いう》する|大正《たいしやう》の|聖代《せいだい》に|当《あた》りては|予《あらかじ》め|大《おほい》に|用意《ようい》する|所《ところ》なかる|可《べ》からず、|吾人《ごじん》は|大本《おほもと》|開祖《かいそ》の|神訓《しんくん》なる
『お|照《てら》しは|一体《いつたい》、|七王《ななわう》も|八王《やわう》も|王《わう》があれば、|世界《せかい》に|苦説《くぜつ》が|絶《た》えぬから、|一《ひと》つの|王《わう》で|治《をさ》めるぞよ。|日本《にほん》は|神国《しんこく》、|神《かみ》が|出《で》て|働《はたら》くぞよ。|日本《にほん》の|人民《じんみん》|用意《ようい》をなされよ』
この|活教《くわつけう》を|遵奉《じゆんぽう》すると|共《とも》に、|天啓《てんけい》の|益々《ますます》|現代《げんだい》|民心《みんしん》に|必要《ひつえう》|欠《か》く|可《べ》からざるを|深《ふか》く|信《しん》ずる|次第《しだい》なり。
(一)|神旗《しんき》の|由来《ゆらい》
|大本《おほもと》|十曜《とえう》|神旗《しんき》の|義《ぎ》は、|専《もつぱ》ら|日本《にほん》の|国体《こくたい》を|晋《あまね》く|世《よ》に|知《し》らしめ、|日本魂《やまとだましひ》の|根本《こんぽん》を|培養《ばいやう》せむが|為《ため》に、|開祖《かいそ》|開教《かいけう》の|趣旨《しゆし》に|則《のつと》りて|考案《かうあん》せしものにして、|上古《じやうこ》|天照大御神《あまてらすおほみかみ》が|天《あま》の|岩戸《いはと》に|隠《かく》れ|給《たま》へる|際《さい》、|天之宇受売命《あめのうづめのみこと》が|歌《うた》ひ|給《たま》へる|天《あま》の|数歌《かずうた》に|則《のつと》りしものなり。|則《すなは》ち|一《いち》より|十《じふ》に|至《いた》る|十球《じつきう》より|組織《そしき》して|十曜《とえう》の|神旗《しんき》と|称《しよう》するなり。
●|第一球《だいいつきう》は|正上《せいじやう》に|位《くらゐ》し|宇宙《うちう》の|大本《おほもと》たる|渾沌《こんとん》|〓子《けいし》の|色《いろ》となし、
●|第二球《だいにきう》は|白色《はくしよく》とし、
●|第三球《だいさんきう》は|黒色《こくしよく》を|以《もつ》て、|宇宙《うちう》の|実相《じつさう》たる|真如《しんによ》を|開発《かいはつ》して、|陰陽《いんやう》|二元《にげん》となれるに|形造《かたちづく》りしものなり。|而《しか》して、|二元《にげん》|感合《かんがふ》して、|森羅万象《しんらばんしやう》を|生《しやう》ずるの|理由《りいう》より、|四《し》より|十《じふ》までを|七元色《しちげんしよく》に|分別《ぶんべつ》して|日《じつ》|月《げつ》|火《くわ》|水《すゐ》|木《もく》|金《きん》|土《ど》の|七曜《しちえう》に|配《はい》し、なほ|全球《ぜんきう》を|神統《しんとう》に|配《はい》し|奉《まつ》りて、|我《わが》|国体《こくたい》の|真相《しんさう》を|知《し》らしめむとするものなり。
|仮《か》りに|十球《じつきう》の|配別《はいべつ》を|色別《しきべつ》、|数別《すうべつ》、|神統別《しんとうべつ》にて|記《しる》せば、
|色別《しきべつ》 |数別《すうべつ》 |神統別《しんとうべつ》
卵  |霊《ひ》  |一《ひ》 天之御中主大神
白  力  |二《ふた》 高皇産霊大神、神皇産霊大神
黒  |体《み》  |三《み》 国常立尊、伊弉那岐大神、伊弉那美大神
赤  世  四 天照大御神
橙  |出《いつ》  五 素盞嗚尊
黄  萌  六 吾勝尊
緑  |生成《なな》 七 二二岐尊
青  弥  八 神武天皇
藍  凝  九 今上天皇
紫  足  十 大本皇大御神
●|色別《しきべつ》
|神旗《しんき》|十曜《とえう》の|色別《しきべつ》は、|光学上《くわうがくじやう》より|色別《しきべつ》したるものにして、|正上《せいじやう》の|第一球《だいいつきう》を|卵色《たまごいろ》と|為《な》したるは、|天地《てんち》|未剖《みぼう》の|前《まへ》に|於《お》ける|混沌《こんとん》たる|鶏子《けいし》の|色《いろ》を|採《と》り、|以《もつ》て|宇宙《うちう》|開発《かいはつ》|前《ぜん》の|一元《いちげん》|真如《しんによ》を|形造《かたちづく》りしもの|也《なり》。|恰《あたか》も|光学上《くわうがくじやう》に|於《お》ける|卵色《らんしよく》が|各色《かくしよく》の|光線《くわうせん》|一様《いちやう》に|集《あつ》まりて|物体《ぶつたい》に|吸収《きふしう》されたる|時《とき》に|生《しやう》ずる|色《いろ》にして|何色《なにいろ》とも|分明《ぶんめい》せざるは、なほ|宇宙《うちう》|真象《しんしやう》が|万有《ばんいう》の|終始《しうし》を|為《な》し、|統一《とういつ》を|保有《ほいう》せるを|以《もつ》て、|如此《かくのごとく》|定《さだ》めたるなり。また|第二球《だいにきう》を|白色《はくしよく》|第三球《だいさんきう》を|黒色《こくしよく》と|為《な》したるは、|天地《てんち》|剖判《ばうはん》の|始期《しき》、|大極《たいきよく》|動《うご》きて|陰陽《いんやう》を|生《しやう》じたるに|形造《かたちづく》りしものにして、|恰《あたか》も|光線《くわうせん》が|全《まつた》く|物体《ぶつたい》に|吸収《きふしう》せられずして|反射《はんしや》する|時《とき》は|白色《はくしよく》を|生《しやう》じ、|反対《はんたい》に|全《まつた》く|吸収《きふしう》せらるる|時《とき》は|黒色《こくしよく》を|生《しやう》じ|二元《にげん》|相交《あひまじ》はりて|下《しも》の|七元色《しちげんしよく》より|無数《むすう》の|色《いろ》を|生《しやう》ずるに|至《いた》るは、なほ|陰陽《いんやう》|其《その》|性《せい》|全《まつた》く|相反《あひはん》して|而《しか》も|親《した》しく|交《まじ》はる|時《とき》は|森羅万象《しんらばんしやう》を|生《しやう》ずるが|如《ごと》きものあるを|以《もつ》て|之《これ》を|執《と》り|斯《か》く|定《さだ》めたり。|以下《いか》の|七元色《しちげんしよく》は|順序上《じゆんじよじよう》の|説明《せつめい》に|依《よ》りたるものにして、|光線《くわうせん》の|反射《はんしや》さるる|事《こと》|多《おほ》ければ|多《おほ》きだけ|則《すなは》ち、|白《しろ》、|赤《あか》、|橙《だいだい》、|黄《き》、|緑《みどり》、|青《あを》、|藍《あゐ》、|紫《むらさき》、|黒《くろ》となり、|吸収《きふしう》さるること|多《おほ》ければ|多《おほ》きだけ|即《すなは》ち|漸次《ぜんじ》、|黒《くろ》、|紫《むらさき》、|藍《あゐ》、|青《あを》、|緑《みどり》、|黄《き》、|橙《だいだい》、|赤《あか》、|白《しろ》に|還《かへ》る、なほ|万有《ばんいう》の|生滅《しやうめつ》|変化《へんくわ》|息《やま》ざるに|同《おな》じ。|而《しか》して|万色《ばんしよく》の|本《もと》は|黒白《くろしろ》の|二色《にしよく》にして、|二色《にしよく》を|統一《とういつ》するものは|卵色《らんしよく》なり。これ|十曜《とえう》|色別《しきべつ》の|理由《りいう》とする|所《ところ》なり。
●|数別《すうべつ》
|数別《すうべつ》は|天《あま》の|数歌《かずうた》に|則《のつと》れるものなり。|天《あま》の|数歌《かずうた》は|天之宇受売命《あめのうづめのみこと》に|始《はじ》まり、|後世《こうせい》に|到《いた》りては|鎮魂祭《ちんこんさい》の|際《さい》に、|猿女《さるめ》の|君《きみ》に|擬《ぎ》したる|巫女《みこ》が|受気槽《うけぶね》を|伏《ふ》せて、|其《その》|上《うへ》に|立《た》ち|鉾《ほこ》を|槽《ふね》に|衝立《つきた》て|此《この》|歌《うた》を|謡《うた》ひ、|以《もつ》て|天皇《てんわう》の|御寿命《おんじゆめう》|長久《ちやうきう》を|祈《いの》りしものなり。|国語《こくご》にて|霊妙《れいめう》なることを『ひ』と|云《い》ひ、『と』は|敏捷《びんせう》なる|活気《くわつき》|鋭《するど》きを|云《い》ふ。|宇宙《うちう》の|本体《ほんたい》は|霊妙《れいめう》にして|活気《くわつき》の|最《さい》たるもの、|故《ゆゑ》に|之《こ》れを『ひと』と|云《い》ひ|一《ひと》と|数《かぞ》ふ。|本体《ほんたい》の|霊妙《れいめう》|活気《くわつき》を|他《た》より|之《これ》を|見《み》れば『|力《ちから》』なり。|力《ちから》に|依《よ》つて|変化《へんくわ》す『ふ』は|浮出《ふしゆつ》|沸騰《ふつとう》の|義《ぎ》『た』は|漂《ただよ》ひ|動《うご》くの|義《ぎ》あり、|則《すなは》ち『ふた』は|宇宙《うちう》の|本体《ほんたい》|霊機《れいき》の|力《ちから》に|依《よ》りて|始《はじ》めて|開発《かいはつ》す、|故《ゆゑ》に|之《これ》を|二《ふた》となす。|本体《ほんたい》|活動《くわつどう》して|霊機《れいき》の|凝固《ぎようこ》するもの|之《こ》れ|物体《ぶつたい》なり。|物体《ぶつたい》は『み』なり、また|実《み》なり、|充《みつ》るの|意《い》あり、これを|三《み》となす。この|霊力体《れいりよくたい》なる|三大《さんだい》|要素《えうそ》ありて|始《はじ》めて|爰《ここ》に|世《よ》(|四《よ》)、|出《いつ》(|五《いつ》)と|数《かぞ》ふ、|動物《どうぶつ》|植物《しよくぶつ》|蔚然《うつぜん》として|萌《もえ》るを(|六《むゆ》)と|数《かぞ》へ、|万有《ばんいう》|生成《なりなり》(|七《なな》)|弥《や》(|八《や》)|凝《こ》りて(|九《こり》)|人世《じんせい》の|事足《ことたる》(|十《たる》)と|本歌《ほんか》の|意義《いぎ》を|以《もつ》て|十曜《とえう》の|神旗《しんき》を|作成《さくせい》したるもの|也《なり》。
|我《わが》|国語《こくご》に|於《お》ける|基数《きすう》は、|天地《てんち》|開闢《かいびやく》|人世《じんせい》|肇出《てうしゆつ》の|沿革《えんかく》を|語《かた》るものなれば、|大本《おほもと》が|此《この》|十曜《とえう》を|組成《そせい》して|神旗《しんき》と|為《な》し、この|天《あま》の|数歌《かずうた》に|則《のつと》りしも|不知不識《しらずしらず》の|間《あひだ》に|宇宙《うちう》|進化《しんくわ》の|理法《りほふ》より|肇国《てうこく》の|精神《せいしん》|立教《りつけう》の|主旨《しゆし》を|晋《あまね》く|世人《せじん》に|教《をし》へむが|為《ため》なり。
●|神統別《しんとうべつ》
|神別《しんべつ》に|就《つい》て|略解《りやくかい》せむに、|先《ま》づ|宇宙《うちう》の|本体《ほんたい》|之《これ》を|人格化《じんかくくわ》して、|天之御中主神《あめのみなかぬしのかみ》と|称《しよう》し|奉《たてまつ》る。|宇宙《うちう》の|活動力《くわつどうりよく》|之《これ》を|人格化《じんかくくわ》して|高皇産霊《たかみむすび》、|神皇産霊《かむみむすび》の|神《かみ》と|称《しよう》し|奉《まつ》る。|渾沌《こんとん》たる|無始《むし》の|始《はじ》めに|於《おい》て|三神《さんしん》|造化《ざうくわ》の|首《しゆ》を|為《な》し、|二神《にしん》|夫婦《ふうふ》の|道《みち》を|開《ひら》き|給《たま》ひて、|国土《こくど》|山川《さんせん》を|生《う》み、|日月星辰《じつげつせいしん》を|生《う》み、|風雨寒暑《ふううかんしよ》を|生《う》み|草木《さうもく》、|動物《どうぶつ》、|人類《じんるゐ》を|生《う》み|給《たま》へり。かくて|我《わが》|肇国《てうこく》の|始《はじ》めに|当《あた》つて、|天神《てんしん》|長《なが》く|統《とう》を|垂《た》れ|給《たま》ひ、|連綿《れんめん》として|今日《こんにち》に|及《およ》べるなり。|然《さ》れば
|明治《めいぢ》|天皇《てんわう》の|大勅語《だいちよくご》に
『|皇祖《くわうそ》|皇宗《くわうそう》|国《くに》を|肇《はじ》むる|事《こと》|宏遠《くわうゑん》に|徳《とく》を|樹《た》つる|事《こと》|深厚《しんこう》なり』
と|宣《のたま》ひし|所以《ゆゑん》なり。|吾人《ごじん》|日本《にほん》|国民《こくみん》は|此《この》|深厚《しんこう》なる|神徳《しんとく》に|依《よ》つて、|陛下《へいか》の|民《たみ》と|生《うま》れ、|陛下《へいか》は|吾等《われら》が|宗家《そうか》の|嫡子《ちやくし》に|坐《ま》し、|今上《きんじやう》に|在《ましま》して、|下《しも》は|吾等《われら》を|治《をさ》め|給《たま》ふは、|吾等《われら》の|大祖先《だいそせん》が|無始際《むしさい》より|延長《えんちやう》して|吾等《われら》を|愛護《あいご》し|給《たま》ふものにして、|吾等《われら》が|報本反始《はうほんはんし》の|誠《まこと》を|尽《つく》すは、|一《いつ》に|忠君《ちうくん》|愛国《あいこく》に|在《あ》る|事《こと》を|信仰《しんかう》し、|以《もつ》て|天賦《てんぷ》の|職責《しよくせき》を|全《まつた》うし、|人生《じんせい》|本来《ほんらい》の|面目《めんぼく》を|達《たつ》し、|宇宙《うちう》|造化《ざうくわ》の|功《こう》に|資《し》し|奉《たてまつ》るを|得《う》るは、|実《じつ》に|無上《むじやう》|無比《むひ》の|至大《しだい》|幸福《かうふく》と|謂《い》ふべし。|吾人《ごじん》は|悠々《いういう》たる|天地《てんち》の|間《あひだ》|之《これ》を|以《もつ》て|生《い》き、|之《これ》を|以《もつ》て|死《し》し、|此《ここ》に|住《ぢゆう》して|安心立命《あんしんりつめい》し、|此《この》|境《さかひ》に|入《い》りて|天国《てんごく》|楽園《らくゑん》の|真楽《しんらく》を|稟《う》く。|大本《おほもと》が|十曜《とえう》を|組成《そせい》して|神旗《しんき》と|定《さだ》めたるは、|実《じつ》にこの|精神《せいしん》に|基《もとづ》きしものなり。|正上《せいじやう》の|第一球《だいいつきう》を一と|為《な》し|正中《せいちう》の|一大球《いちだいきう》を十と|為《な》したるも、|大本《おほもと》の|神旗《しんき》なる|故《ゆゑ》に|大本皇大神《おほもとすめおほかみ》を|正中《せいちう》に|配《はい》したる|所以《ゆゑん》なり。
(二)|霊力体《れいりよくたい》
|神徳《しんとく》の|広大無辺《くわうだいむへん》なる、|人心小智《じんしんせうち》の|能《よ》く|窺知《きち》すべき|所《ところ》にあらず。|然《しか》りと|雖《いへど》も、|吾人《ごじん》|静《しづか》に|天地《てんち》|万有《ばんいう》の|燦然《さんぜん》として、|次序《じじよ》あるを|観察《くわんさつ》し、また|活物《くわつぶつ》の|状態《じやうたい》に|付《つき》て|仔細《しさい》に|視察《しさつ》するに|於《おい》て|明《あきら》かに|宇宙《うちう》の|霊力体《れいりよくたい》の|運用《うんよう》|妙機《めうき》を|覚知《かくち》し|以《もつ》て|神《かみ》の|斯世《このよ》に|厳臨《げんりん》し|玉《たま》ふこと、|疑《うたがひ》を|容《い》るの|余地《よち》|無《な》きに|至《いた》らしむ。
|神《かみ》の|黙示《もくじ》は|則《すなは》ち|吾《わが》|俯仰《ふぎやう》|観察《くわんさつ》する|宇宙《うちう》の|霊《れい》、|力《りよく》、|体《たい》の|三大《さんだい》を|以《もつ》てす。
一、|天地《てんち》の|真象《しんしやう》を|観察《くわんさつ》して|真神《しんしん》の|体《たい》を|思考《しかう》す|可《べ》し。
一、|万有《ばんいう》の|運化《うんくわ》の|亳差《がうさ》|無《な》きを|視《み》て|真神《しんしん》の|力《ちから》を|思考《しかう》すべし。
一、|活物《くわつぶつ》の|心性《しんせい》を|覚悟《かくご》して|真神《しんしん》の|霊魂《れいこん》を|思考《しかう》すべし。
|以上《いじやう》の|活経典《くわつけいてん》あり。|真神《しんしん》の|真神《しんしん》たる|故由《こいう》を|知《し》る。|何故《なにゆゑ》|人為《じんゐ》の|書巻《しよくわん》を|学習《がくしふ》するを|用《もち》ゐむや。|唯《ただ》|不変不易《ふへんふえき》たる|真鑑実理《しんかんじつり》ある|而己《のみ》。
|天帝《てんてい》は|唯一《ゆゐいつ》|真神《しんしん》にして|天《あめ》の|御中主神《みなかぬしのかみ》と|称《しよう》す。|宇宙《うちう》の|神光《しんくわう》を|高皇産霊《たかみむすび》と|曰《い》ひ、|神温《しんをん》を|神皇産霊《かむみむすび》と|曰《い》ふ。|古事記《こじき》に|曰《いは》く
『|天地《てんち》|初発《しよはつ》|之《の》|時《とき》、|於高天原成坐《たかあまはらになりませる》|神名《かみのみなは》、|天御中主神《あめのみなかぬしのかみ》、|次《つぎに》|高皇産巣日神《たかみむすびのかみ》、|次《つぎに》|神皇産巣日神《かむみむすびのかみ》、|此《この》|三柱神者《みはしらのかみは》|並独神成坐而《すになりまして》、|隠身《すみきり》|也《なり》』
|天帝《てんてい》は|宇宙《うちう》|万有《ばんいう》の|大元霊《だいげんれい》にして|幽《いう》|之《の》|幽《いう》に|坐《ま》し、|聖眼《せいがん》|視《み》る|能《あた》はず|賢口《けんこう》|語《かた》る|能《あた》はざる|隠身《かくれみ》たり。また|神光《しんくわう》はいはゆる|天帝《てんてい》の|色《いろ》にして|神温《しんをん》は|即《すなは》ち|天帝《てんてい》の|温《をん》なり。|共《とも》に|造化《ざうくわ》|生成《せいせい》の|妙機《めうき》にして|独立《どくりつ》|不倚《ふき》の|神徳《しんとく》なり。
|神《かみ》は|宇宙《うちう》|万有《ばんいう》の|外《そと》に|有《あ》り、|万有《ばんいう》の|中《うち》に|在《あ》り、|故《ゆゑ》に|之《これ》を|宇宙《うちう》の|大精神《だいせいしん》と|謂《い》ふ。
|大精神《だいせいしん》の|体《たい》たるや|至大無外《しだいむぐわい》、|至小無内《しせうむない》、|若無所在《じやくむしよざい》、|若無不所在《じやくむふしよざい》なり。|聖眼《せいがん》|之《これ》を|視《み》る|能《あた》はず、|賢口《けんこう》|之《これ》を|語《かた》る|能《あた》はず。|故《ゆゑ》に|皇典《くわうてん》にいはゆる|隠身《すみきり》|也《なり》は|即《すなは》ち|神《かみ》の|義《ぎ》なり。|宜《むべ》なるかなその|霊々《れいれい》|妙々《めうめう》の|神機《しんき》。|天帝《てんてい》は|無始《むし》|無終《むしう》なり、|既《すで》に|無始《むし》|無終《むしう》の|力《ちから》と|無始《むし》|無終《むしう》の|体《からだ》とを|以《もつ》て|無始《むし》|無終《むしう》の|万物《ばんぶつ》を|造《つく》る。その|功《こう》また|無始《むし》|無終《むしう》なり。
|天帝《てんてい》は|勇《ゆう》、|智《ち》、|愛《あい》、|親《しん》を|以《もつ》て|魂《こん》となし、|動《どう》、|静《せい》、|解《かい》、|凝《ぎよう》、|引《いん》、|弛《ち》、|分《ぶん》、|合《がふ》を|以《もつ》て|力《ちから》となし、|剛《がう》、|柔《じう》、|流《りう》を|以《もつ》て|体《たい》を|為《な》す。
●|全霊《ぜんれい》
|全霊《ぜんれい》は|荒魂《あらみたま》、|和魂《にぎみたま》、|奇魂《くしみたま》、|幸魂《さちみたま》、の|四魂《しこん》|也《なり》。|而《しか》して|荒魂《あらみたま》は|神勇《しんゆう》、|和魂《にぎみたま》は|神親《しんしん》、|奇魂《くしみたま》は|神智《しんち》、|幸魂《さちみたま》は|神愛《しんあい》なり。|乃《すなは》ち|所謂《いはゆる》|霊魂《れいこん》にして、|直霊《なほひ》なるもの|之《これ》を|主宰《しゆさい》す。|俗学《ぞくがく》|不識《ふしき》|荒和《くわうわ》を|以《もつ》て|心《こころ》の|体《たい》となし|奇幸《きかう》を|以《もつ》て|心《こころ》の|用《よう》となし、|直霊《なほひ》の|何物《なにもの》たるを|知《し》らず、|豈《あに》|悲《かな》しまざる|可《べ》けむ|哉《や》。
●|全体《ぜんたい》
|剛《がう》、|柔《じう》、|流《りう》の|三物《さんぶつ》|是《こ》れ|上帝《じやうてい》の|全体《ぜんたい》なり。|而《しか》して|流体《りうたい》を|生魂《いくむすび》と|唱《とな》へ|葦芽彦遅《あしがひひこぢ》と|称《しよう》し、|剛体《がうたい》を|玉留魂《たまつめむすび》と|唱《とな》へ|常立《とこたち》と|称《しよう》し、|柔体《じうたい》を|足魂《たるむすび》と|唱《とな》へ、|豊雲野《とよくもぬ》と|称《しよう》す。
|剛体《がうたい》は|鉱物《くわうぶつ》の|本質《ほんしつ》なり、|柔体《じうたい》は|植物《しよくぶつ》の|本質《ほんしつ》なり、|流体《りうたい》は|動物《どうぶつ》の|本質《ほんしつ》なり。
スピノーザ|曰《いは》く、|本質《ほんしつ》とは|独立《どくりつ》して|依倚《いき》する|所《ところ》なきものの|謂《いひ》なり。|更《さら》に|之《これ》を|言《い》へば|本質《ほんしつ》とは|吾人《ごじん》|之《これ》を|理会《りかい》するに|於《おい》て|一《いつ》も|他《た》の|物《もの》と|比照《ひせう》するを|須《もち》ひざるもの|是《これ》なりと、|至言《しげん》と|謂《い》ふべし。
|全体《ぜんたい》の|図解《づかい》
┌剛…常立………鉱物本質…玉留魂
体┤柔…豊雲野……植物本質…足魂
└流…葦芽彦遅…動物本質…生魂
●|全力《ぜんりよく》
|動《どう》、|静《せい》、|解《かい》、|凝《ぎよう》、|引《いん》、|弛《ち》、|分《ぶん》、|合《ごう》|以上《いじやう》|八力《はちりき》これを|上帝《じやうてい》の|全力《ぜんりよく》と|称《しよう》す。|而《しか》して|神典《しんてん》にては|動力《どうりよく》を|大戸地《おほとのぢ》と|謂《い》ひ、|静力《せいりよく》を|大戸辺《おほとのべ》と|謂《い》ひ、|解力《かいりよく》を|宇比地根《うひぢね》と|謂《い》ひ、|凝力《ぎようりよく》を|須比地根《すひぢね》と|謂《い》ひ、|引力《いんりよく》を|活久比《いくぐひ》と|謂《い》ひ、|弛力《ちりよく》を|角久比《つぬぐひ》と|謂《い》ひ、|合力《がふりよく》を|面足《おもたる》と|謂《い》ひ、|分力《ぶんりよく》を|惶根《かしこね》と|謂《い》ふ。|皆《みな》|日本《にほん》|各祖《かくそ》の|所名《しよめい》なり。
|全力《ぜんりよく》の|図解《づかい》
┌動力…大戸乃地神
│静力…大戸乃辺神
│解力…宇比地根神
力┤凝力…須比地根神
│引力…活久比神
│弛力…角久比神
│合力…面足神
└分力…惶根神
|霊《れい》、|力《りよく》、|体《たい》|合一《がふいつ》したるを|上帝《じやうてい》と|曰《い》ふ。|真神《しんしん》と|謂《い》ふも|上帝《じやうてい》と|曰《い》ふも|皆《みな》|天之御中主大神《あめのみなかぬしのおほかみ》の|別称《べつしよう》なり、|左図《さづ》を|見《み》て|知《し》る|可《べ》し。
|全智《ぜんち》|全能《ぜんのう》|乃《の》|真神《しんしん》
[#この図表は文字列だけで再現するのは困難なので意味が解る程度に改編した]
上帝{
霊{
○直霊{(荒魂…神勇)(和魂…神親)(奇魂…神智)(幸魂…親愛)}
○省{(恥)(悔)(覚)(畏)}
○欲{(位、高)(富、大)(名、美)(寿、長)}
○義{(断)(制)(裁)(割)}
体{
{剛、柔、流}
○古称{常立、豊雲野、葦芽彦遅}
○本質{鉱物、植物、動物}
○神祇官所祭{玉留魂、足魂、生魂}
力{
{動力、静力、解力、凝力、引力、弛力、合力、分力}
○古称{大戸乃地、大戸乃辺、宇比地根、須比地根、活久比、角久比、面足、惶根}
第一篇 |勝利《しようり》|光栄《くわうえい》
第一章 |言霊《ことたま》|開《ひらき》〔五二七〕
|天《あま》の|岩戸《いはと》
|故《か》れ|須佐之男《すさのを》の|大神《おほかみ》は  |清明《せいめい》|無垢《むく》の|吾《あが》|御魂《みたま》
|現《あら》はれ|出《いで》て|手弱女《たよわめ》を  |生《う》みしは|乃《すなは》ち|吾《あれ》|勝《か》ちぬ
|勝《か》てり|勝《か》てりと|勝《か》ち|荒《さ》びに  |神御営田《かむみつくだ》の|畔《あ》を|放《はな》ち
|溝《みぞ》|埋《う》め|樋《ひ》|放《はな》ち|頻《しき》|蒔《まき》し  |大嘗殿《おほにへどの》に|屎《くそ》|散《ま》りて
|荒《すさ》びに|暴《あら》び|給《たま》ひけり  |故《か》れ|然《しか》すれど|皇神《すめかみ》は
|咎《とが》め|給《たま》はず|屎《くそ》|如《な》すは  |那勢《なせ》の|命《みこと》の|酒《さけ》の|所為《わざ》
|屎《くそ》には|非《あら》で|吐《は》ける|也《なり》  |田《た》の|畔《あ》を|放《はな》ち|溝埋《みぞうめ》は
|地所《ところ》|惜《あた》らし|思《おも》ふため  |那勢《なせ》の|命《みこと》の|罪《つみ》ならじ
|神心《みこころ》|平《たひら》に|安《やす》らかに  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|詔直《のりなほ》し
|言《こと》|解《と》き|給《たま》へど|荒《すさ》び|行《わざ》  |未《いま》だ|止《や》まずに|転《うた》てあり。
|若日女《わかひめ》|機屋《はたや》に|坐《ましま》して  |神御衣《かむみそ》|織《お》らしめ|給《たま》ふ|時《とき》
|機屋《はたや》の|棟《むね》を|取《と》り|毀《こぼ》ち  |天《あめ》の|班駒《ふちこま》|逆剥《さかはぎ》て
|墜《おと》し|入《いる》れば|神衣《みそ》|織女《おりめ》  |驚《おどろ》き|秀処《ほと》を|梭《ひ》に|突《つき》て
|終《つひ》に|敢《あへ》なく|身《み》|亡《う》せけり  ここに|皇神《すめかみ》|見《み》|畏《かしこ》み
|天《あま》の|岩屋戸《いはやど》|閉《さし》|立《た》てて  |隠《かく》りたまへば|天《あま》の|原《はら》
とよあし|原《はら》の|中津国《なかつくに》  |常夜《とこよ》となりて|皆《みな》|暗《くら》く
|黒白《あやめ》も|判《わか》ぬ|世《よ》と|成《な》りぬ  |曲津《まがつ》の|神《かみ》の|音《おと》なひは
|五月《さつき》の|蝿《はへ》の|沸《わ》く|如《ごと》く  |万《よろづ》の|妖害《わざはひ》みな|起《おこ》る。
|百千万《ももちよろづ》のかみがみは  |安《やす》の|河原《かはら》に|神集《かむつど》ひ
ここに|議会《ぎくわい》は|開《ひら》かれて  |議長《ぎちやう》に|思兼《おもひかね》の|神《かみ》
|思《おも》ひ|議《はか》りて|常夜《とこよ》なる  |長鳴鶏《ながなきどり》を|鳴《な》かしめて
|安《やす》の|河原《かはら》の|石《いし》を|採《と》り  |天《あま》の|香山《かぐやま》の|鉄《かね》を|採《と》り
|鍛冶真浦《かぬちまうら》を|求《ま》き|寄《よ》せて  |石凝姥《いしこりどめ》のみことには
|八咫《やあた》の|鏡《かがみ》を|作《つく》らしめ  |玉《たま》の|御祖《みおや》の|命《みこと》には
|八阪《やさか》の|曲玉《まがたま》|造《つく》らしめ  |天《あめ》の|児屋根《こやね》や|太玉《ふとだま》の
|命《みこと》を|呼《よ》びて|香具山《かぐやま》の  |男鹿《をじか》の|肩《かた》を|打抜《うちぬ》きて
|天《あま》の|羽々迦《はばか》を|切採《きりと》りて  |占《うら》へ|真叶《まかな》はしめ|給《たま》ひ
|天《あま》の|真榊《まさかき》|根掘《ねこぎ》して  |上枝《ほつえ》に|八阪《やさか》の|玉《たま》を|懸《か》け
|八咫《やあた》の|鏡《かがみ》を|中津枝《なかつえ》に  |下枝《しづえ》に|和帛《にぎて》を|取垂《とりしで》て
|祭祀《まつり》の|御式《みのり》|具備《そなは》りぬ  |是《こ》れ|顕斎《けんさい》の|始《はじ》めなり。
|故《かれ》|太玉《ふとだま》のみことには  |太幣帛《ふとみてくら》を|採《と》り|持《も》たし
|天《あめ》の|児屋根《こやね》の|命《みこと》には  |太祝詞《ふとのりと》ごと|詔曰《のりまを》し
|天《あめ》の|手力男《たぢからを》のかみは  |窟戸《いはと》のわきに|隠《かく》り|立《た》ち
あめの|宇受売命《うづめのみこと》には  |天《あめ》の|日蔭《ひかげ》を|手襁《たすき》とし
|天《あま》の|真拆《まさき》をかづらとし  |竹葉《ささは》を|手草《たぐさ》に|結占《ゆひしめ》て
|窟戸《いはと》の|前《まへ》に|槽伏《うけふ》せて  |踏轟《ふみとどろ》かしかしこくも
|神人《しんじん》|感合《かんがふ》の|神懸《かみがか》り  |至玄《しげん》|至妙《しめう》の|幽斎《いうさい》を
|行《おこな》ひ|給《たま》ひし|尊《たふと》さよ  |胸乳《むなぢ》|掻出《かきい》で|裳緒《もひも》をば
|番登《ほと》に|忍垂《おした》れ|笑《わら》ひ|鳧《けり》  |命《みこと》の|俳優《みわざ》に|天地《あめつち》も
|動《ゆ》りて|神等《かみたち》|勇《いさ》み|立《た》つ  |皇神《すめかみ》|怪《あや》しと|思召《おぼほ》して
|窟戸《いはと》を|細目《ほそめ》に|開《ひら》きまし  |御戸《みと》の|内《うち》より|詔賜《のたま》はく
|吾《あれ》いま|岩窟戸《いはやど》に|篭《こも》りなば  |高天原《たかあまはら》も|皆《みな》|暗《くら》く
あし|原《はら》の|国《くに》|暗《くら》けむと  |思《おも》ひ|居《ゐ》たるに|何故《なにゆゑ》に
|宇受売《うづめ》の|命《みこと》は|楽《あそ》びしぞ  |百千《ももち》よろづの|神等《かみたち》も
|歌舞《かぶ》|音楽《おんがく》に|耽《ふけ》るやと  |怪《あや》しみ|給《たま》へば|智慧《ちゑ》|深《ふか》き
|宇受売命《うづめのみこと》の|答《いひ》けらく  |皇大神《すめおほかみ》にいや|勝《まさ》り
|尊《たふと》き|神《かみ》ぞ|現《あ》れ|坐《ませ》り  |夫《そ》れゆゑ|歓《ゑら》ぎ|遊《あそ》ぶなり。
|斯《か》く|宣《の》る|間《うち》に|二柱《ふたはしら》  |八咫《やあた》の|鏡《かがみ》をさし|出《いで》て
|皇大神《すめおほかみ》に|奉《たてまつ》る  いよいよ|怪《あや》しと|思召《おぼほし》て
|御戸《みと》より|出《いで》て|臨《のぞ》み|坐《ま》す  その|時《とき》|戸《と》わきに|隠《かく》り|立《た》ち
|天《あめ》の|手力男《たぢからを》の|神《かみ》は  |御手《みて》|持《もち》|曳《ひ》き|出《だ》し|奉《たてまつ》り
|斯《か》れ|太玉《ふとだま》の|命《みこと》には  |尻久米縄《しりくめなは》を|御後《みしり》へに
|引張《ひきはり》|渡《わた》し|此処《ここ》よりは  |内《うち》に|勿《な》|還《かへ》り|入《い》りましそ
|言葉《ことば》|穏《おだ》いに|願《ねが》ひけり  |大神《おほかみ》|御心《みこころ》|平《たひら》かに
|御戸《みと》|出《い》でませば|久方《ひさかた》の  |高天原《たかあまはら》も|葦原《あしはら》の
|中津御国《なかつみくに》も|自《おのづか》ら  |隈《くま》なく|光《ひか》り|冴《さ》え|渡《わた》り
|万《よろづ》の|神々《かみがみ》いさみ|立《た》ち  |天晴《あまは》れ|地晴《くには》れ|面白《おもしろ》や
あな|尊《たふと》しや|佐夜計弘計《さやけをけ》  |目出度《めでたく》|窟戸《いはと》は|開《ひら》き|鳧《けり》
|是《こ》れ|顕斎《けんさい》の|御徳《みとく》にて  また|幽斎《いうさい》の|賜《たまもの》ぞ。
|仰《あふ》ぎ|敬《いや》まへ|神国《かみくに》に  |生《せい》を|享《う》けたる|民草《たみぐさ》よ
|天津《あまつ》|御神《みかみ》の|神勅《みこと》|以《も》て  |直霊《なほひ》の|御魂《みたま》|現《あら》はれて
|至粋《しすゐ》|至純《しじゆん》の|神《かみ》の|美智《みち》  |顕斎《けんさい》|幽斎《いうさい》|鎮魂《ちんこん》の
|尊《たふと》き|神業《みわざ》を|説明《せつめい》し  |地上億兆《せかいのうへの》|蒼生《ひとびと》に
|向《むか》ふ|所《ところ》を|覚《さと》すなり  |神《かみ》の|御恵《みめぐ》み|君《きみ》の|恩《おん》
|神国《みくに》を|思《おも》ふ|正人《まさびと》は  |固《かた》く|守《まも》れや|神《かみ》の|道《みち》。
|鎮魂《ちんこん》
|豊葦原《とよあしはら》の|千五百《ちいほ》あき  みづほの|国《くに》の|神《かみ》の|苑《その》
|栄《さか》え|久《ひさ》しき|常磐木《ときはぎ》の  |松《まつ》の|御国《みくに》に|生《うま》れたる
|七《しち》せん|余万《よまん》の|同胞《はらから》は  |日《ひ》|出《いづ》るくにの|国体《くにがら》の
|外《ほか》に|優《すぐ》れて|比類《たぐひ》|無《な》き  |奇《く》すしく|尊《たふと》き|理由《ことわり》を
|究《きは》め|覚《さと》らで|有《あ》るべきや  |万世《よろづよ》|変《かは》らぬ|一《ひと》すぢの
|天津《あまつ》|御祖《みおや》のさだめてし  |皇大君《すめおほきみ》の|知《し》ろしめす
|国《くに》は|日《ひ》の|本《もと》ばかりなり  |神代《かみよ》の|昔《むかし》|那岐《なぎ》|那美《なみ》の
|二尊《みこと》あらはれ|坐々《ましまし》て  |修理固成《しうりこせい》の|大御神勅《みことのり》
|実践《じつせん》ありて|国《くに》を|産《う》み  |青人草《あをひとぐさ》や|山川《やまかは》や
|木草《きくさ》の|神《かみ》まで|生《うみ》|給《たま》ひ  つひに|天照大御神《あまてらすおほみかみ》
また|月夜見《つきよみ》の|大神《おほかみ》や  |速須佐之男《はやすさのを》の|大御神《おほみかみ》
|現出《あれいで》|坐《まし》し|目出度《めでた》さよ  |皇神《すめかみ》|甚《いた》くよろこばし
|今迄《いままで》|御子《みこ》を|生《う》みつれど  |是《これ》に|勝《まさ》りし|児《みこ》はなし
|吁《あゝ》|尊《たふと》しや|貴《うづ》の|御子《みこ》  |生《う》み|得《え》てけりと|勇《いさ》み|立《た》ち
ただちに|天《あめ》に|参上《まゐのぼ》り  |皇産霊《むすび》の|神《かみ》の|太占《ふとうら》に
|卜《うら》ヘ|賜《たま》ひて|詔賜《のりたま》はく  あが|御児《みこ》|天照大神《あまてらすおほかみ》は
|高天原《たかあまはら》をしろしめせ  また|月夜見《つきよみ》の|大神《おほかみ》は
|夜《よ》の|食国《おすくに》を|守《まも》りませ  |速須佐之男《はやすさのを》の|大神《おほかみ》は
|大海原《おほうなばら》を|知《し》らせよと  |天津《あまつ》|御祖《みおや》の|御言《みこと》もて
|各自々々《おのもおのも》におす|国《くに》を  |持別《もちわけ》|依《よ》さし|給《たま》ひけり。
|茲《ここ》に|大神《おほかみ》おんくびに  まかせる|八阪《やさか》|曲玉《まがたま》の
|五百津《いほつ》|御魂《みたま》|美須麻琉《みすまる》の  |玉緒《たまのを》|母《も》|由良《ゆら》に|取揺《とりゆら》し
|高天原《たかあまはら》を|知《し》らさねと  |日《ひ》の|大神《おほかみ》に|賜《たま》ひけり
|故《かれ》その|御頸珠《みくびたま》の|名《な》を  |御倉棚《みくらたな》のかみとなす
これ|其《その》|魂《たま》を|取憑《とりか》けて  |日《ひ》の|神国《かみくに》の|主宰神《つかさがみ》
たらしめなむと|神定《かむさだ》め  |玉《たま》ひし|畏《かしこ》き|御術《みわざ》なり
|是《これ》|鎮魂《ちんこん》のはじめにて  |治国《ちこく》の|道《みち》の|要《かなめ》なり。
|天照《あまてら》し|坐《ま》すおほみかみ  その|神業《かむわざ》を|受《う》け|賜《たま》ひ
|二二岐《ににぎ》の|命《みこと》に|天《あめ》の|下《した》  |統治《とうぢ》の|権《けん》を|譲《ゆづ》らるる
|其《その》みしるしと|畏《かしこ》くも  |三種《みくさ》の|神器《たから》を|賜《たま》はりし
この|方《かた》|世々《よよ》の|天皇《すめらぎ》は  |大御心《おほみこころ》をこころとし
|即位《ひつぎ》の|御制《みのり》と|為《な》し|給《たま》ふ  これ|鎮魂《ちんこん》の|御徳《みとく》なり
かくも|尊《たふと》き|縁由《ゆかり》ある  |御国《みくに》に|生《お》ひし|国民《くにたみ》は
|台湾《たいわん》|千島《ちしま》の|果《は》てまでも  |尊奉《そんぼう》|崇敬《すうけい》おこたらず
あさな|夕《ゆふ》なに|奉体《ほうたい》し  |神《かみ》の|稜威《みいづ》を|仰《あふ》ぐべし。
そも|鎮魂《ちんこん》の|神《かむ》わざは  |天津《あまつ》|御祖《みおや》の|定《さだ》めてし
|顕幽《けんいう》|不二《ふじ》の|御法《みのり》にて  かみは|一天万乗《いつてんばんじやう》の
|畏《かしこ》き|日嗣《ひつぎ》の|天皇《すめらぎ》の  |祭政《さいせい》|一致《いつち》の|大道《おほぢ》より
|下《しも》|万民《ばんみん》にいたるまで  |修身斉家《しうしんせいか》の|基本《きほん》なり
|然《しか》のみならず|斯《こ》の|道《みち》は  |無形《むけい》|無声《むせい》の|霊界《れいかい》を
|闡明《せんめい》するの|基礎《きそ》ぞかし  |神《かみ》の|御国《みくに》に|住《す》む|人《ひと》は
|異《け》しき|卑《いや》しき|蟹《かに》が|行《ゆ》く  |横邪《よこさ》の|道《みち》をうち|捨《す》てて
|束《つか》のあひだも|神術《かむわざ》に  |心《こころ》を|清《きよ》め|身《み》をゆだね
|天《てん》にむかひて|一向《ひたすら》に  |幽冥《かみ》に|心《こころ》を|通《かよ》はせて
おのが|霊魂《みたま》の|活動《くわつどう》を  |伊豆《いづ》の|魂《みたま》に|神《かむ》ならひ
|身《み》も|棚知《たなし》らに|鍛《きた》へかし  この|正道《まさみち》を|踏《ふ》みしめて
|国家《こくか》|多端《たたん》のこの|際《きは》に  |神洲《しんしう》|男子《だんし》のやまと|魂《だま》
|地球《ちきう》の|上《うへ》に|輝《かがや》かし  |天《てん》にもかはる|功績《いさをし》を
|千代《ちよ》|万代《よろづよ》にたてよ|人《ひと》  |勇《いさ》み|進《すす》めやいざ|進《すす》め
|直霊《なほひ》の|魂《みたま》を|経《たて》となし  |厳《いづ》の|魂《みたま》を|緯《よこ》として
|八洲《やしま》の|国《くに》に|蟠《わだか》まる  |曲津《まがつ》の|軍《いくさ》の|亡《ほろ》ぶまで
|進《すす》めや|進《すす》めふるひ|立《た》て  |醜《しこ》の|悪魔《あくま》の|失《う》せる|迄《まで》。
|富士山《ふじさん》
|富士山《ふじさん》は|古来《こらい》|不尽山《ふじさん》または|不二山《ふじさん》と|書《か》き、|芙蓉《ふよう》の|峰《みね》、|福知ケ嶺《ふくちがみね》と|称《しよう》し、|天教山《てんけうざん》、|扶桑山《ふさうざん》とも|謂《い》ひ、|木花咲耶姫命《このはなさくやひめのみこと》の|御神体《ごしんたい》とも|云《い》ひ、|鳴沢ケ岳《なきさはがだけ》、|二十山《にじふさん》、|秀穂山《しうほざん》、|山君ケ嶽《やまきみがだけ》とも|別称《べつしよう》され、この|山《やま》の|名義《めいぎ》については、|色々《いろいろ》と|古来《こらい》の|解説《かいせつ》があれども|何《いづ》れも|皆《みな》|謬《あやま》りなり。|日本《にほん》は|古来《こらい》|言霊《ことたま》の|幸《さち》はふ|国《くに》と|云《い》ひ、|只《ただ》|一《ひと》つの|小山《こやま》にも|山《やま》の|活用《くわつよう》を|名《な》に|現《あら》はし|居《ゐ》るなり。
【フジ】の【フ】は|力《ちから》なり。|地球《ちきう》の|中心《ちうしん》より、|金剛力《こんがうりき》を|以《もつ》て、|火煙《くわえん》を|噴出《ふきだ》すを【フ】と|云《い》ふ。【ジ】は|火脈《くわみやく》の|辻《つじ》であり|浸《にじ》み|出《いづ》る|言霊《ことたま》なり。
また【フジ】の|霊返《たまかへ》しは【ヒ】なり。【ヒ】は|火《ひ》なり、|霊《ひ》なり、|日《ひ》なり。|故《ゆゑ》に|富士《ふじ》の|火山《くわざん》とも|云《い》ひ、|霊峰《れいほう》とも|称《とな》へ、|日本国《にほんこく》の|代表《だいへう》とも|成《な》り|居《ゐ》るなり。|今《いま》は|木花《このはな》|冬篭《ふゆごも》りの|状態《じやうたい》で|休火山《きうくわざん》なれども、|何時《いつ》|発動《はつどう》して|元《もと》の|活火山《くわつくわざん》に|復《ふく》するかも|知《し》れざる|神山《しんざん》なり。|猶《な》ほ|細《こま》かく|調《しら》ぶれば【フ】の|言霊《ことたま》は|天中《てんちう》の|常《かたち》|也《なり》、|世界《せかい》|一切《いつさい》の|活用《くわつよう》を|司《つかさど》る|也《なり》、|生《せい》の|常《かたち》|也《なり》、|忽《たちま》ち|往《ゆ》き|忽《たちまち》と|来《きた》り、|忽《たちま》ち|昇《のぼ》り|忽《たちま》ち|降《くだ》り、|忽《たちま》ち|出《い》で|忽《たちま》ち|入《い》り、|進退《しんたい》|兼持《かねも》ち|火熱《くわねつ》の|合結《がふけつ》となり、|機臨《きし》の|府《ふ》となる|也《なり》、|八咫《やあた》に|照《て》る|也《なり》の|大活用《だいくわつよう》あるなり。
【ジ】の|言霊《ことたま》は|強《つよ》く|守《まも》る|也《なり》、|打《う》ち|固《かた》める|也《なり》、|辻《つじ》|立《た》つ|也《なり》、|予誓《よせい》|也《なり》の|大活動《だいくわつどう》なり。
【ヒ】の|言霊《ことたま》は|明《あきら》かに|通徹《つうてつ》する|也《なり》、|日《ひ》の|結《むすび》|也《なり》、|無不所照《むふしよせう》|也《なり》、|日《ひ》|也《なり》、|昼《ひる》|也《なり》、|顕幽《けんいう》|皆《みな》|貫徹《くわんてつ》する|也《なり》、|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|極《きよく》|也《なり》、|◎《ス》の|形《かたち》を|照《て》り|顕《あら》はす|也《なり》、|悉皆《しつかい》|帰伏《きふく》|而《して》|一致《いつち》|一和《いちわ》の|意《い》|也《なり》。|尊厳《そんげん》|也《なり》、|◎《ス》の|朝《てう》|也《なり》、|◎《ス》の|寿《じゆ》|也《なり》、|三世《さんせ》|照明《せうめい》|也《なり》、|等《とう》の|活用《くわつよう》あるなり。
|以上《いじやう》の|言霊《げんれい》|活用《くわつよう》を|思考《しかう》する|時《とき》は、|大日本国《だいにほんごく》の|表徴《へうちよう》にして、|神国《しんこく》と|神民《しんみん》との|最優最秀《さいいうさいしう》なる|天職《てんしよく》を|発揮《はつき》し、|世界《せかい》|万国《ばんこく》を|教《をし》へ|救《すく》ふ|神国《しんこく》|天賦《てんぷ》の|本能《ほんのう》を|顕《あら》はせる、|神霊《しんれい》の|活用《くわつよう》する|神峯《しんぽう》と|云《い》ふ|事《こと》になるなり。|彼《か》の|有名《いうめい》なる|白扇《はくせん》|倒懸《さかしまにかかる》|東海天《とうかいのてん》の|句《く》を|始《はじ》め、|富士山《ふじさん》に|関《くわん》する|詩歌《しか》は|随分《ずゐぶん》|沢山《たくさん》ありて、|詩《し》にも|歌《うた》にも、|句《く》にも|此《この》|富士山《ふじさん》|位《くらゐ》|詠《よ》まれたものは|無《な》かるべし。|契冲《けいちゆう》の|歌《うた》にも
|富士《ふじ》がねは|山《やま》の|君《きみ》にて|高御座《たかみくら》  |空《そら》にかけたる|雪《ゆき》の|経笠《たてかさ》
|実《じつ》に|上品《じやうひん》な|歌《うた》にして、|天皇《てんわう》の|高御座《たかみくら》の|上《うへ》に|釣《つ》るす|経笠《たてかさ》の|如《ごと》くにて|然《しか》も|天空《てんくう》|高《たか》く、|白《はく》|皚々《がいがい》たる、|純白《じゆんぱく》の|雪《ゆき》を|戴《いただ》き、|群峰《ぐんぽう》の|上《うへ》に|屹《きつ》として、|一番《いちばん》|高《たか》く|峙《そび》え|立《た》ち|居《ゐ》る|富士山《ふじさん》は|実《じつ》に|山《やま》の|中《なか》の|君主《くんしゆ》なりといふ|意味《いみ》なり。
|心《こころ》あてに|見《み》し|白雪《しらゆき》はふもとにて  |思《おも》はぬかたに|霽《は》るる|富士ケ嶺《ふじがね》
あの|辺《へん》が|頂上《ちやうじやう》かしら、|雲《くも》に|包《つつ》まれて|見《み》えぬのかと、あせりあせり|見《み》る|中《うち》に、|雲《くも》が|晴《は》れると、ヤア|何《なん》だアンナエライ|高《たか》い|雲表《ひんぺう》にニヨツキリと|頂《いただき》が|現《あら》はれて|居《を》ると|云《い》つて|茫然自失《ばうぜんじしつ》、|今更《いまさら》にその|高《たか》さに|驚《おどろ》かされ、|且《か》つ|崇高《すうかう》の|感《かん》に|撃《う》たれて|居《ゐ》る|真境《しんきやう》を|写《うつ》し|出《だ》したる|歌《うた》なり。
|元朝《ぐわんてう》に|見《み》るものにせむ|富士《ふじ》の|山《やま》
これは|宗祇《そうぎ》の|作句《さくく》なり。|正月《しやうぐわつ》も|近《ちか》い|目出度《めでた》い|元旦《ぐわんたん》の|見《み》ものとして|富士《ふじ》の|山《やま》に|越《こ》したものは|無《な》く、|尊《たふと》しと|云《い》ふの|意味《いみ》なり。|万葉集《まんえうしふ》にも|随分《ずゐぶん》|富士《ふじ》を|賞《ほ》めたる|和歌《わか》が|沢山《たくさん》|載《の》せられあるが、|凡《すべ》て|此《こ》の|富士山《ふじさん》は|日本国《にほんこく》の|崇高《すうかう》なる|意義《いぎ》を|代顕《だいけん》したる|神峰《しんぽう》なり。
東洋独立玉芙蓉  万古千秋不改容
清嶽鮮山朝揖処  五〓高聳此仙峰
|以上《いじやう》の|数篇《すうへん》は|大正《たいしやう》|十年《じふねん》|一月《いちぐわつ》|号《ごう》の|神霊界《しんれいかい》に|所載《しよさい》したるものなり。|其《その》|中《うち》|神旗《しんき》の|由来《ゆらい》、|霊力体《れいりよくたい》、|天岩戸《あまのいはと》、|鎮魂《ちんこん》|等《とう》の|章《しやう》は|孰《いづ》れも|明治《めいじ》|三十三年《さんじふさんねん》の|王仁《おに》の|旧作《きうさく》なるも、|今《いま》また|都合《つがふ》に|依《よ》りここに|再録《さいろく》するものなり。
(大正一一・三・一七 旧二・一九 王仁)
第二章 |波斯《フサ》の|海《うみ》〔五二八〕
|世《よ》は|常暗《とこやみ》となり|果《は》てて  |山川《やまかは》どよみ|草木《くさき》|枯《か》れ
|叢雲《むらくも》|四方《よも》に|塞《ふさ》がりて  |黒白《あやめ》も|分《わ》かぬ|暗《やみ》の|夜《よ》を
|隈《くま》なく|照《てら》す|朝日子《あさひこ》の  |日《ひ》の|出《で》の|別《わけ》の|神《かみ》の|御子《みこ》
|天教山《てんけうざん》に|現《あ》れませる  |木花姫《このはなひめ》の|御教《みをしへ》を
|曲津《まがつ》の|猛《たけ》ぶ|小亜細亜《せうアジア》  |噂《うはさ》に|高《たか》きアーメニヤの
|醜《しこ》の|魔神《まがみ》の|巣《す》くひたる  |都《みやこ》の|空《そら》を|照《てら》さむと
|神《かみ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて  |天《あめ》に|坐《ま》す|神《かみ》|地《くに》にます
|神《かみ》の|教《をしへ》に|真名井河《まなゐがは》  |目無堅間《めなしかたま》の|船《ふね》に|乗《の》り
|西《にし》へ|西《にし》へと|印度洋《いんどやう》  |浪《なみ》を|渡《わた》りて|鶴《つる》の|島《しま》
|鶴《つる》の|港《みなと》を|後《あと》にして  |波斯《ペルシヤ》の|海《うみ》にぞ|着《つ》きにける。
|鶴《つる》の|湊《みなと》よりは、|数十人《すうじふにん》の|乗客《じやうきやく》が|加《くは》はつた。|黄泉島《よもつじま》の|沈没《ちんぼつ》に|依《よ》りて、|波斯《ペルシヤ》の|海面《かいめん》は、|俄《にはか》に|水量《みづかさ》まさり、|海辺《かいへん》の|低地《ていち》は|殆《ほとん》ど|沈没《ちんぼつ》の|厄《やく》に|会《あ》ひたりと|云《い》ふ。
|日《ひ》の|出《で》|丸《まる》より|乗替《のりか》へたる|鶴山丸《つるやままる》の|船中《せんちう》には|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》を|初《はじ》め、ウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》|数名《すうめい》これに|乗込《のりこ》んで|居《ゐ》る。|昼《ひる》とも|夜《よる》とも|区別《くべつ》の|付《つ》かぬ|薄暗《うすぐら》い|海面《かいめん》を、|船脚《ふなあし》|遅《おそ》く【なめくぢ】の|如《ごと》く|進《すす》み|行《ゆ》く。
|甲《かふ》『|吾々《われわれ》は|斯《こ》うやつて、ウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》として|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》に|渡《わた》り、|殆《ほとん》ど|三年《さんねん》になつた。|併《しか》し|乍《なが》ら|一《ひと》つ|島《じま》の|守護神《しゆごじん》なる|飯依彦《いひよりひこ》は、|中々《なかなか》|信神《しんじん》|堅固《けんご》な|宣伝使《せんでんし》であるから、|吾々《われわれ》の|折角《せつかく》の|目的《もくてき》も、|殆《ほとん》ど|黄泉島《よもつじま》のやうに|水《みづ》の|泡《あわ》と|消《き》えて|了《しま》つた。アーメニヤへ|帰《かへ》つて、どう|復命《ふくめい》したら|宜《よ》からうか、それ|計《ばか》りが|心配《しんぱい》になつて、|乾《いぬゐ》を|指《さ》して|帰《かへ》るのも、|何《なん》とはなしに|影《かげ》の|薄《うす》い|様《やう》な|気分《きぶん》がするではないか』
|乙《おつ》『|吾々《われわれ》はウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》としての|力限《ちからかぎ》りベストを|尽《つく》したのだから、この|上《うへ》|何《なん》と|言《い》つたつて|仕方《しかた》がないではないか』
|甲《かふ》『|仕方《しかた》がないと|云《い》つた|所《ところ》で、|敵国《てきこく》に|使《つかひ》して、|君命《くんめい》を|辱《はづかしめ》ると|云《い》ふ|事《こと》は、|人《ひと》としてのあまり|名誉《めいよ》でもあるまい。|况《いは》んや|特命《とくめい》を|受《う》けて、しかも|吾々《われわれ》|六人《ろくにん》、|東西《とうざい》|南北《なんぽく》より|一《ひと》つ|島《じま》を|包囲《はうゐ》|攻撃《こうげき》して、|唯《ただ》|一人《いちにん》の|飯依彦《いひよりひこ》に、|旗《はた》を|捲《ま》いて、|予定《よてい》の|退却《たいきやく》をすると|云《い》ふ|事《こと》は、あまり|立派《りつぱ》な|成功《せいこう》でもあるまい。こりや、|何《なん》とかして|一《ひと》つの|土産《みやげ》を|持《も》つて|帰《かへ》らなくては、ウラル|彦《ひこ》|様《さま》に|対《たい》して|申訳《まをしわけ》がないぢやないか』
|丙《へい》『オイ|岩彦《いはひこ》、お|前《まへ》はアーメニヤを|出立《しゆつたつ》する|時《とき》には、どうだつたい。|岩《いは》より|堅《かた》い|岩彦《いはひこ》が、|言霊《ことたま》を|以《もつ》て|黄泉島《よもつじま》を|瞬《またた》く|間《うち》に、|言向和《ことむけやは》すと、|傍若無人《ばうじやくぶじん》に|言挙《ことあげ》し、|非常《ひじやう》にメートルを|上《あ》げて|居《を》つたぢやないか、その|時《とき》に|吾輩《わがはい》が、|貴様《きさま》の|不成功《ふせいこう》は|俺《おれ》の|天眼通《てんがんつう》で|明《あきら》かにメートルと|云《い》つたのを|覚《おぼ》えてるだろう』
|岩彦《いはひこ》『ソンナ|死《し》んだ|子《こ》の|年《とし》を|算《く》る|様《やう》な|事《こと》を|言《い》つて、|愚痴《ぐち》るない。|過越《すぎこし》|苦労《くらう》は、|三五教《あななひけう》ぢやないが、|大々的《だいだいてき》|禁物《きんもつ》だ。よく|考《かんが》へて|見《み》よ、|数百日《すうひやくにち》の|間《あひだ》、|天《あま》の|戸《と》はビシヤツと|閉《しま》つて、|昼夜《ちうや》|暗黒《あんこく》と|云《い》つてもよい|位《くらゐ》だ。|日《ひ》の|出《で》、|日《ひ》の|入《いり》の|区別《くべつ》も|分《わか》らず、|吾々《われわれ》がアーメニヤを|出発《しゆつぱつ》した|時《とき》は、|朝《あさ》は|清鮮《せいせん》の|気《き》|漂《ただよ》ひ、|東天《とうてん》には|五色《ごしき》の|幔幕《まんまく》が|飾《かざ》られて、そこから|金覆輪《きんぷくりん》の|太陽《たいやう》が|現《あら》はれ、|夕方《ゆふがた》になれば、|瑪瑙《めなう》の|様《やう》な|雲《くも》の|連峯《れんぽう》が|西天《せいてん》に|輝《かがや》き、|昼夜《ちうや》の|区別《くべつ》も|実《じつ》に|判然《はんぜん》したものであつた。|然《しか》るに|一《ひと》つ|島《じま》に|上陸《じやうりく》した|頃《ころ》から、|日々《ひび》|雲《くも》とも|霧《きり》とも|靄《もや》ともたとへ|方《がた》なき|陰鬱《いんうつ》なものが、|天地《てんち》を|閉塞《へいそく》して、|時《とき》を|構《かま》はず|地《ち》は|震《ふる》ひ、|悪魔《あくま》は|出没《しゆつぼつ》し、|如何《いか》にウラル|教《けう》の|体主霊従《たいしゆれいじう》の|宣伝使《せんでんし》でも、|一歩《いつぽ》|否《いな》|百歩《ひやつぽ》を|譲《ゆづ》らねばならないと|言《い》ふ|惨酷《みぢめ》な|世《よ》の|中《なか》に、どうして|完全《くわんぜん》な|宣伝《せんでん》が|出来《でき》るものか、|如何《いか》に|智仁勇《ちじんゆう》|兼備《けんび》の|勇将《ゆうしやう》でも|時節《じせつ》の|力《ちから》には|到底《たうてい》|叶《かな》はない、ナア|梅彦《うめひこ》………』
|斯《か》く|話《はな》す|折《をり》しも、|俄《にはか》に|吹《ふ》き|来《きた》る|颶風《ぐふう》の|響《ひびき》、|虎《とら》|吟《ぎん》じ|竜《りう》|躍《をど》るが|如《ごと》く、|激浪《げきらう》|怒濤《どたう》は|白《しろ》き|鬘《たてがみ》を|揮《ふる》つて、|船体《せんたい》に|噛《か》みつき|始《はじ》めた、|船《ふね》は|上下《じやうげ》|左右《さいう》に|怪《あや》しき|物音《ものおと》を|立《た》て、|動揺《どうえう》|烈《はげ》しく、|浪《なみ》と|波《なみ》との|山岳《さんがく》の|谷間《たにま》を、|浮《うき》つ|沈《しづ》みつ、|漂《ただよ》ひながら|西北《せいほく》|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。|暗《やみ》の|帳《とばり》は|下《おろ》されて、|黒白《あやめ》も|分《わ》かぬ|真《しん》の|暗《やみ》、|忽《たちま》ち|暗中《あんちう》より|暴風《ばうふう》|怒濤《どたう》の|声《こゑ》を|圧《あつ》して、|宣伝歌《せんでんか》が|聞《きこ》え|来《き》たりぬ。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
ウラルの|彦《ひこ》やウラル|姫《ひめ》  コーカス|山《ざん》に|現《あら》はれて
この|世《よ》を|欺《あざむ》く|神《かみ》の|宮《みや》  |太敷《ふとしき》|立《た》てて|三柱《みはしら》の
|皇大神《すめおほかみ》を|斎《いつ》きしは  |昔《むかし》の|夢《ゆめ》となりはてて
|今《いま》は|僅《わづか》に|美山彦《みやまひこ》  |国照姫《くにてるひめ》の|曲神《まがかみ》を
|守護《まもり》の|神《かみ》となぞらへ  |常世《とこよ》の|国《くに》に|打渡《うちわた》り
|随従《みとも》の|神《かみ》を|海原《うなばら》の  |浪《なみ》に|漂《ただよ》ふ|一《ひと》つ|島《じま》
|宝《たから》の|島《しま》に|出立《いでた》たせ  |山《やま》の|尾上《をのへ》や|川《かは》の|瀬《せ》を
|隈《くま》なくあさりてウラル|教《けう》  |神《かみ》の|教《をしへ》を|悉《ことごと》く
|敷《し》き|弘《ひろ》めむと|村肝《むらきも》の  |心《こころ》をつくしの|甲斐《かひ》もなく
|黄泉《よもつ》の|島《しま》のその|如《ごと》く  |泡《あわ》と|消《き》えたる|憐《あは》れさよ
|高天原《たかあまはら》に|現《あ》れませる  |神伊弉諾《かむいざなぎ》の|大神《おほかみ》の
|神言《みこと》のままに|花蓮草《はなはちす》  |教《をしへ》を|開《ひら》く|天教山《てんけうざん》の
|神《かみ》の|聖地《せいち》を|後《あと》にして  |日《ひ》の|出《で》の|御船《みふね》に|身《み》を|任《まか》せ
|津軽《つがる》|海峡《かいけふ》|後《あと》にして  |天《あめ》の|真名井《まなゐ》の|波《なみ》を|分《わ》け
やうやう|茲《ここ》に|印度《つき》の|海《うみ》  |深《ふか》き|恵《めぐみ》をかかぶりつ
|名《な》さへ|芽出度《めでた》き|鶴《つる》の|島《しま》  |松《まつ》の|神代《かみよ》に|因《ちな》みたる
|鶴《つる》の|港《みなと》を|船出《ふなで》して  いよいよここに|波斯湾《ペルシヤわん》
|進《すす》み|来《きた》れる|折柄《をりから》に  |思《おも》ひもかけぬウラル|彦《ひこ》
|神《かみ》の|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》  |岩彦《いはひこ》|梅彦《うめひこ》あと|四人《よたり》
|如何《いか》なる|神《かみ》の|経綸《けいりん》か  |鶴山丸《つるやままる》の|客《きやく》となり
|一蓮托生《いちれんたくしやう》|波《なみ》の|上《うへ》  なみなみならぬ|大神《おほかみ》の
|心《こころ》の|空《そら》は|掻《か》き|曇《くも》る  あゝ|岩彦《いはひこ》よ|梅彦《うめひこ》よ
|天教山《てんけうざん》に|現《あ》れませる  |木花姫《このはなひめ》の|御教《みをしへ》を
|四方《よも》に|伝《つた》ふる|宣伝使《せんでんし》  |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|分霊《わけみたま》
|豊栄《とよさか》|昇《のぼ》る|朝日子《あさひこ》の  |日《ひ》の|出《で》の|別《わけ》の|神司《かむつかさ》
|愈《いよいよ》フサの|国《くに》|指《さ》して  |進《すす》むもしらに|退《しりぞ》くも
はや|白波《しらなみ》のこの|首途《かどで》  |天津《あまつ》|御空《みそら》を|眺《なが》むれば
|墨《すみ》を|流《なが》せる|如《ごと》くなり  |大海原《おほうなばら》を|眺《なが》むれば
|泥《どろ》を|流《なが》せる|如《ごと》くなる  この|浪《なみ》の|上《へ》にめぐり|合《あ》ふ
|厳《いづ》の|霊《みたま》の|宣伝使《せんでんし》  |岩彦《いはひこ》|梅彦《うめひこ》|初《はじ》めとし
|此処《ここ》に|会《あ》うたは|優曇華《うどんげ》の  |花《はな》|咲《さ》く|春《はる》の|引合《ひきあは》せ
|皇大神《すめおほかみ》の|神言《みこと》もて  |日《ひ》の|出《で》の|別《わけ》が|詳細《まつぶさ》に
|詔《の》る|言霊《ことたま》のその|呼吸《いき》に  |汝《なれ》が|霊《みたま》を|洗《あら》へかし
|天真名井《あめのまなゐ》に|五十鈴《いそすず》の  |言霊《ことたま》|洗《あら》ひ|都牟刈《つむがり》の
|太刀《たち》を|清《きよ》めて|曲津見《まがつみ》を  |蹶《く》え|放《はら》らかし|打《うち》きため
|神《かみ》の|心《こころ》に|復《かへ》りなば  |如何《いか》に|浪風《なみかぜ》|猛《たけ》くとも
|醜《しこ》の|猛《たけ》びの|荒《あら》くとも  |何《なに》か|恐《おそ》れむ|神《かみ》の|国《くに》
あゝ|岩彦《いはひこ》よ|梅彦《うめひこ》よ  |心《こころ》の|雲霧《くもきり》|吹払《ふきはら》ひ
|天《あま》の|岩《いは》の|戸《と》|押開《おしひら》き  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
この|世《よ》を|紊《みだ》す|曲神《まがかみ》の  |醜《しこ》の|言霊《ことたま》|詔《の》り|直《なほ》せ
この|天地《あめつち》は|国《くに》の|祖《おや》  |国治立《くにはるたち》のしろしめす
|珍《うづ》の|御国《みくに》ぞ|楽園《らくゑん》ぞ  |神《かみ》の|御国《みくに》に|住《す》む|人《ひと》の
いかで|心《こころ》を|汚《けが》さむや  |瀬織津姫《せおりつひめ》の|大神《おほかみ》に
|汚穢《けがれ》も|曲事《まが》も|能《よ》く|清《きよ》め  |塩《しほ》の|八百路《やほぢ》の|八潮路《やしほぢ》の
|秋津《あきつ》の|姫《ひめ》に|許々多久《ここたく》の  |罪《つみ》や|穢《けがれ》を|可々《かか》|呑《の》みて
|曇《くも》りを|晴《は》らせ|天地《あめつち》の  |神《かみ》の|心《こころ》に|叶《かな》へかし
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐世《ましませ》よ
|嗚呼《ああ》|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐世《ましませ》よ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》るや、さしもに|猛《たけ》き|暴風《ばうふう》|激浪《げきらう》も、|拭《ぬぐ》ふが|如《ごと》くに|静《しづ》まり、|海面《かいめん》は|畳《たたみ》の|如《ごと》く、|魚鱗《ぎよりん》の|波《なみ》を|浮《うか》ぶるに|至《いた》りけり。
|船中《せんちう》の|人々《ひとびと》は、この|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて|一言《いちごん》も|発《はつ》し|得《え》ず、|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》の|神徳《しんとく》に|驚嘆《きやうたん》の|目《め》を|眸《みは》るのみ。|岩彦《いはひこ》は|小声《こごゑ》にて、
『オイ|梅彦《うめひこ》、|音彦《おとひこ》、|亀彦《かめひこ》、|大変《たいへん》ぢやないか、エライ|奴《やつ》が|乗《の》つて|居《ゐ》て、|吾々《われわれ》に|非常《ひじやう》な|鉄槌《てつつい》を|喰《く》はしよつたぢやないか、|向《むか》ふは|一人《ひとり》、|此方《こつち》は|宣伝使《せんでんし》の|半打《はんダース》も|居《を》つて、|衆人《しうじん》|環視《くわんし》の|前《まへ》でコンナ|神力《しんりき》を|見《み》せられては、ウラル|教《けう》も|薩張《さつぱ》り|顔色《がんしよく》なしだよ。ナントか|一《ひと》つ、|復讐《ふくしう》を|行《や》らなくては、|失敗《しつぱい》の|上《うへ》の|失敗《しつぱい》ぢやないか。|日《ひ》の|出別《でわけ》とか|云《い》ふ|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が、フサの|国《くに》へでも|上《あが》つたが|最後《さいご》、あの|勢《いきほひ》でアーメニヤの|神都《しんと》へ|進撃《しんげき》されようものなら|大変《たいへん》だぞ』
|亀彦《かめひこ》『さうだなア、コラこの|儘《まま》に|放任《はうにん》して|置《お》く|訳《わけ》には|行《い》かない。お|前《まへ》は|吾々《われわれ》|一行《いつかう》の|中《うち》での、チャーチャー(|教師《けうし》|先生《せんせい》の|意《い》)だから、|何《なん》とか|良《い》い|御託宣《ごたくせん》でも|宣示《せんじ》して|呉《く》れさうなものだ』
|岩彦《いはひこ》『|訳《わけ》も|知《し》らずに、|燕《つばめ》の|親方《おやかた》のやうにチャーチャ|言《い》ふものじやないワ。マアこの|先生《せんせい》の|妙案《めうあん》|奇策《きさく》を|聴聞《ちやうもん》しろ』
|亀彦《かめひこ》『ヘン、えらさうに|仰有《おつしや》りますワイ、|目玉《めだま》を|白黒《しろくろ》さしてその|容子《ようす》は|何《なん》だ。|蟹《かに》の|様《やう》な|泡《あわ》を|吹《ふ》いて、|大苦悶《だいくもん》のていたらく、|身魂《みたま》の|基礎《どだい》がグラついて|居《ゐ》るから、どうして|妙案《めうあん》|奇策《きさく》が|出《で》るものかい。|何分《なにぶん》に|戦《たたか》ひは、|将《しやう》を|選《えら》ぶと|云《い》つて、|吾々《われわれ》|万卒《ばんそつ》が|骨《ほね》を|枯《か》らしても、|一将《いつしやう》|功《こう》|成《な》れば|未《ま》だしもだが、|貴様《きさま》の|大将《たいしやう》は|魂《たましひ》に|白蟻《しろあり》が|這入《はい》つてゐるから、|統率《とうそつ》その|宜《よろ》しきを|得《え》ず、|万卒《ばんそつ》|骨《ほね》を|枯《か》らし、|一将《いつしやう》|功《こう》ならず、|一《いつ》【しよう】の|恥《はぢ》を|曝《さら》して|帰《かへ》らねばならぬのだ。コンナ|大将《たいしやう》に|統率《とうそつ》されて、どうして|神業《しんげふ》の|完成《くわんせい》が|望《のぞ》まれよう、バベルの|塔《たふ》ぢやないが|何時《いつ》までかかりても、|成功《せいこう》する|気遣《きづか》ひはない。ピサの|塔《たふ》のやうに|斜《はすかい》になつて、|何時《いつ》ピサリと|倒《たふ》れるか|分《わか》つたものぢやない。|猫《ねこ》に|逐《お》はれた|鼠《ねずみ》のやうな|面《つら》をして、アーメニヤに|帰《かへ》つた|所《ところ》でウラル|彦《ひこ》さまに「|貴様《きさま》|何《なに》をして|居《を》つた」と、いきなり|横《よこ》つ|面《つら》をピサの|塔《たふ》とお|見舞《みまひ》|申《まを》され、これはこれは|誠《まこと》にハヤ|恐《おそ》れ|入《い》りバベルの|塔《たふ》と、【たう】|惑《わく》|顔《がほ》するのは|目《め》に|見《み》るやうだ。|引《ひ》かれ|者《もの》の|小唄《こうた》の|様《やう》な、|負惜《まけをし》みは|止《や》めて、どうだ|一層《いつそう》のこと、|日《ひ》の|出別《でわけ》の|部下《ぶか》となつて|三五教《あななひけう》に|急転直下《きふてんちよくか》、|沈没《ちんぼつ》したらどうだらう』
|岩彦《いはひこ》『チト|言霊《ことたま》を|慎《つつし》まぬか、|船《ふね》の|上《うへ》は|縁起《えんぎ》を|祝《いは》ふものだ、|沈没《ちんぼつ》なぞと、|気分《きぶん》の|悪《わる》い|事《こと》を|言《い》うな。|黄泉島《よもつじま》ぢやあるまいし………』
|梅彦《うめひこ》『さうだ、|亀彦《かめひこ》の|言《い》ふ|通《とほ》り、あまりウラル|教《けう》の|神力《しんりき》がないのか、|大将《たいしやう》の|画策《くわくさく》|宜《よろ》しきを|得《え》ないのか|知《し》らんが、コンナ|馬鹿《ばか》な|目《め》に|会《あ》つた|事《こと》はない。|二《ふた》つ|目《め》には|時世《ときよ》|時節《じせつ》ぢやと、|岩彦《いはひこ》は【いは】んすけれど、ソンナ|事《こと》はアーメニヤヘ|帰《かへ》つては|通用《つうよう》しない。どうだ、|梅彦《うめひこ》の|外交的《ぐわいかうてき》|手腕《しゆわん》を|揮《ふる》つて、|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》に、|今《いま》|此処《ここ》で|交渉《かうせふ》して|見《み》ようかい。|交渉《かうせふ》|委員長《ゐゐんちやう》になつて、どうしよう|交渉《かうせふ》と|談判《だんぱん》をやるのだナア』
|岩彦《いはひこ》『|喧《やかま》しいワイ』
|梅彦《うめひこ》『やかましからう、イヤ|耳《みみ》が|痛《いた》からう、|良《い》い|加減《かげん》に|言霊《ことたま》の|停電《ていでん》がして|欲《ほ》しからう。アハヽヽヽヽ』
|岩彦《いはひこ》『|鮨《すし》に|糞蝿《くそばい》が|集《たか》つたやうに、|本当《ほんたう》に|五月蝿《うるさ》い|奴《やつ》だ。さう|云《い》ふ|事《こと》を|喋《しやべ》くると、ウラル|教《けう》の|神様《かみさま》が|立腹《りつぷく》して、|又《また》もや|暴風雨《ばうふうう》の|御襲来《ごしふらい》だ。さういふ|事《こと》は、|神様《かみさま》の|忌憚《きたん》に|触《ふ》れる、|貴様《きさま》の|言行《げんかう》に|対《たい》しては、|飽《あ》くまで|吾々《われわれ》は|忌避的《きひてき》|行動《かうどう》を|取《と》るのだ。|何《なに》ほど|貴様《きさま》が|挑戦的《てうせんてき》|態度《たいど》を|執《と》つても、|寛仁大度《くわんじんたいど》の|権化《ごんげ》とも|言《い》ふべき|岩彦《いはひこ》は、|岩石《がん》として|応《おう》ぜないから、さう|思《おも》つて|幾許《いくら》でも|喋舌《しやべ》つたが|宜《よ》からうよ。……ナンだその|面《つら》は、|最前《さいぜん》からの|時化《しけ》で、|半泣《はんな》きになつて|居《ゐ》るぢやないか、|見《み》つともない』
|梅彦《うめひこ》『|半泣《はんな》きになつて|居《を》るとは|誰《たれ》の|事《こと》だい。|貴様《きさま》こそ|率先《そつせん》して|泣《な》いて|居《ゐ》るぢやないか。|涙《なみだ》こそ|澪《こぼ》して|居《を》らぬが、|俺《おれ》の|天眼通《てんがんつう》から|見《み》れば|唯々《ただただ》|泣《な》き|面《づら》をソツト|保留《ほりう》してる|丈《だけ》のものだよ、|貴様《きさま》に|共鳴《きようめい》する|者《もの》は、|烏《からす》か、|千鳥《ちどり》|位《くらゐ》なものだらう』
|岩彦《いはひこ》『|馬鹿《ばか》ツ、【いは】しておけば|傍若無人《ばうじやくぶじん》の|雑言《ざふごん》|無礼《ぶれい》、|了見《れうけん》せぬぞ』
|亀彦《かめひこ》『オイ|梅公《うめこう》、|行《や》つた |行《や》つた。ヲツシ ヲツシ………』
|岩彦《いはひこ》『オイ、|犬《いぬ》と|間違《まちが》つちや|困《こま》るよ』
|梅彦《うめひこ》『|犬《いぬ》ぢやないか、ウラル|教《けう》の|番犬《ばんいぬ》だ』
|岩彦《いはひこ》『【いぬ】も|帰《い》なぬもあつたものかい、|吾々《われわれ》はアーメニヤへ【いぬ】より|往《い》く|所《ところ》はないのぢや』
|亀彦《かめひこ》『|兎《と》も|角《かく》、ここで|一《ひと》つ|思案《しあん》せなくてはならぬ。|三五教《あななひけう》は|唯《ただ》|一人《いちにん》、|此方《こつち》の|宣伝使《せんでんし》は|半打《はんダース》も|居《ゐ》るのだから、|強行的《きやうかうてき》|態度《たいど》に|出《い》でて、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》を|降服《かうふく》させるか、|但《ただし》は|吾々《われわれ》が|柔《やはら》かに|出《で》て、ウラル|教《けう》を|開城《かいじやう》するか、|二《ふた》つに|一《ひと》つの|決定《けつてい》を|与《あた》へねばなるまい』
|岩彦《いはひこ》『|岩《いは》より|堅《かた》い|岩彦《いはひこ》は、|如何《いか》なる|難局《なんきよく》に|処《しよ》しても、|初心《しよしん》を|曲《ま》げない。|善悪《ぜんあく》|共《とも》に、|初心《しよしん》を|貫徹《くわんてつ》するが、|男子《だんし》の|本分《ほんぶん》だ。|貴様《きさま》、ソンナ|女々《めめ》しい|弱音《よわね》を|吹《ふ》くならば、アーメニヤへ|帰《かへ》つて、|逐一《ちくいち》|盤古神王《ばんこしんわう》に|奏聞《そうもん》するから、さう|覚悟《かくご》をせい』
|亀彦《かめひこ》『|敗軍《はいぐん》の|将《しやう》は|兵《へい》を|語《かた》らずだ、|何《なん》の|顔容《かんばせ》あつて|盤古神王《ばんこしんわう》に|大失敗《だいしつぱい》の|一伍一什《いちぶしじふ》を|奏聞《そうもん》することが|出来《でき》ようか、|貴様《きさま》は|統率者《とうそつしや》を|笠《かさ》に|着《き》て、|吾々《われわれ》|五人《ごにん》の|者《もの》を|威喝《ゐかつ》するのだな、|今《いま》になつて|何《ど》れほど|威張《ゐば》つたところで、アルコールの|脱《ぬ》けた|甘酒《あまざけ》の|腐《くさ》つたやうなものだ、|鑑定人《ききて》もなければ、|飲手《のみて》もなし、ソンナ|嚇《おど》しを|喰《く》ふ|奴《やつ》が、|何処《どこ》にあるかい、あまり|馬鹿《ばか》にするなよ。それそれ|向《むか》ふに|見《み》えるはフサの|国《くに》だ。|船《ふね》が|着《つ》くのには、モウ|間《ま》もあるまい、この|船《ふね》の|中《なか》で、|一《ひと》つ|交渉《かうせふ》を|始《はじ》めなくては、|日《ひ》の|出別《でわけ》が|上陸《じやうりく》したが|最後《さいご》、どうすることも|出来《でき》やしない。|問題《もんだい》を|一括《いつくわつ》して、|今《いま》|此処《ここ》で|秘密《ひみつ》|会議《くわいぎ》を|開《ひら》いて、|和戦《わせん》|何《いづ》れにか|決《けつ》せねばなるまいぞ』
|又《また》もや|以前《いぜん》の|如《ごと》き|暴風《ばうふう》|忽然《こつぜん》として|吹《ふ》き|来《きた》り、|鶴山丸《つるやままる》の|運命《うんめい》は|旦夕《たんせき》に|迫《せま》り|来《き》たる。|嗚呼《ああ》この|結果《けつくわ》は|如何《いかん》。
(大正一一・三・一六 旧二・一八 松村真澄録)
第三章 |波《なみ》の|音《おと》〔五二九〕
|颶風《ぐふう》は|忽《たちま》ち|西北《せいほく》に|変《へん》じ、|鶴山丸《つるやままる》は|逆流《ぎやくりう》して|再《ふたた》び|元来《もとき》し|海路《かいろ》に|漂《ただよ》ひにける。
|猛《たけ》り|狂《くる》ふ|飛沫《ひまつ》に、|寿司詰《すしづめ》になつた|船中《せんちう》の|人々《ひとびと》は|頭上《づじやう》より|塩水《しほみづ》を|浴《あ》び、|誕生《たんじやう》の|釈迦像《しやかざう》の|様《やう》になつて|了《しま》つた。ウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》、|音彦《おとひこ》は|猛《たけ》り|狂《くる》ふ|海《うみ》を|眺《なが》めて、
『それ|見《み》ろ、|岩公《いはこう》が|偉《えら》さうに|大将《たいしやう》|面《づら》を|振《ふ》り|廻《まは》し|頑張《ぐわんば》るものだから、|再《ふたた》び|天道様《てんだうさま》の|御機嫌《ごきげん》を|損《そこ》ねて|二度《にど》|驚愕《びつくり》【しやつくり】な|目《め》に|合《あ》ふのだよ。|貴様《きさま》の|改心《かいしん》が|足《た》らぬから|皆《みな》の|者《もの》が|御招伴《ごせうばん》をさされるのだ。|御馳走《ごちそう》の|御招伴《ごせうばん》なら|宜《よ》いが|命《いのち》からがら|此《この》|通《とほ》り、|何時《なんどき》|船《ふね》は|奈落《ならく》の|底《そこ》に|落《お》ち|込《こ》むか|分《わか》らない|危急《ききふ》|存亡《そんばう》のこの|場合《ばあひ》だ。はやく|改心《かいしん》して|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》にお|詫《わび》をせい。|時化《しけ》の|景物《けいぶつ》に|頭《あたま》から|塩水《しほみづ》を|浴《あ》びせられて、|辛《から》い|目《め》に|合《あ》つて|苦《くる》しむのは|貴様《きさま》|計《ばか》りぢやない、|一同《いちどう》の|迷惑《めいわく》だよ』
|岩彦《いはひこ》『|改心《かいしん》せいと|云《い》つた|処《ところ》でこの|頃《ごろ》は|手元《てもと》|不如意《ふによい》で|改心《かいしん》の|原料《げんれう》が|無《な》いのだ。|何《ど》うなるも|斯《か》うなるも|船《ふね》のまにまに|行《ゆ》く|処《ところ》まで|行《ゆ》かな|仕方《しかた》がないわ』
|音彦《おとひこ》『|音《おと》に|名高《なだか》い、|波斯《フサ》の|荒海《あらうみ》だ。|都合《つがふ》よく|何《いづ》れの|湊《みなと》かに|漂着《へうちやく》すれば|宜《よ》いが、|海底《かいてい》の|竜宮《りうぐう》へでもやられて|見《み》よ、|何《ど》うする|事《こと》も|出来《でき》やしない』
|岩彦《いはひこ》『ソンナ|取越《とりこし》|苦労《くらう》はすな。|寸善尺魔《すんぜんしやくま》、この|瞬間《しゆんかん》が|吾々《われわれ》の|自由《じいう》|意志《いし》を|発揮《はつき》する|時《とき》だ。|一尺先《いつしやくさき》の|事《こと》が|分《わか》るものか。それだからウラル|教《けう》の|宣伝歌《せんでんか》に「|一寸先《いつすんさき》は|闇《やみ》よ」と|云《い》ふのだ。
「|波《なみ》よ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》は|闇《やみ》よ、|波《なみ》の|中《なか》から|月《つき》が|出《で》る」
と|云《い》ふのだ。たとへ|船《ふね》が|沈没《ちんぼつ》して|竜宮《りうぐう》へ|行《い》つた|処《ところ》で|淤縢山津見《おどやまづみ》の|様《やう》に|暫《しば》らく|雌伏《しふく》して|居《ゐ》ると、|待《ま》てば|海路《かいろ》の|風《かぜ》が|吹《ふ》く、そこへ|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|現《あら》はれて、|吾々《われわれ》を|助《たす》けて|呉《く》れると|云《い》ふ|段取《だんどり》だ。|莫迦《ばか》らしい、|日《ひ》の|出別《でわけ》なんてソンナ|偽者《にせがみ》にこの|尊《たふと》い|頭《あたま》を|安売《やすうり》して|堪《たま》るかい』
|梅彦《うめひこ》『オイオイ|岩彦《いはひこ》、お|前《まへ》がさう|頑張《ぐわんば》る|為《ため》に|一同《いちどう》の|迷惑《めいわく》だ。|現当利益《げんたうりやく》を|現《あら》はした|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》に|兜《かぶと》を|脱《ぬ》いで、|今《いま》|一度《いちど》|助《たす》けて|貰《もら》つたら|何《ど》うだ』
|岩彦《いはひこ》『|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》ぢやないが、
「たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ」
|吾々《われわれ》はウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》となつて|誠《まこと》|一《ひと》つを|立《た》て|通《とほ》して|来《き》たものだ。たとヘウラル|教《けう》が|善《ぜん》にせよ|悪《あく》にせよ、|白鷺《しらさぎ》の|子《こ》は|白《しろ》い、|烏《からす》の|子《こ》は|黒《くろ》いと|定《き》まつて|居《ゐ》る。ウラル|教《けう》が|烏《からす》なら|烏《からす》で|宜《よ》い。|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》に|依《よ》つて、|烏《からす》に|生《うま》れた|者《もの》だから|遽《にはか》に|白鷺《しらさぎ》にならうたつて、なれさうな|事《こと》はない。|下《くだ》らぬ|心配《しんぱい》するよりも、|宣伝歌《せんでんか》でも|歌《うた》つた|方《はう》がよからう』
|音彦《おとひこ》『いくら|云《い》つてもこの|大将《たいしやう》は|駄目《だめ》だ。エヽ|仕方《しかた》がない。|一寸先《いつすんさき》は|闇《やみ》だから|心残《こころのこ》りのない|様《やう》に|持合《もちあは》せの|酒《さけ》でも|飲《の》んだらどうだい』
|亀彦《かめひこ》『|下地《したぢ》は|好《す》きなり、|御意《ぎよい》は|良《よ》し。|何《なに》も|彼《か》も|忘《わす》れる|為《た》めに|酒《さけ》でも|沢山《どつさり》|飲《の》んで|新規《しんき》|蒔直《まきなほ》しの|管《くだ》でも|巻《ま》かうかい』
|音彦《おとひこ》『アヽアヽ|五月蝿《うるさい》|奴《やつ》だナア。|之《これ》|丈《だ》けものの|解《わか》らぬ|宣伝使《せんでんし》では|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》でも|言向《ことむ》け|和《やは》せないのは|道理《だうり》だ』
|岩彦《いはひこ》『|貴様《きさま》は|落着《おちつ》きのない|奴《やつ》だ。これ|位《くらゐ》の|時化《しけ》が|恐《こは》くてどうして|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》が|勤《つと》まらうかい』
|梅彦《うめひこ》『|貴様《きさま》でも|勤《つと》まつたと|思《おも》ふか。|頻《しき》りに|作戦《さくせん》の|領分《りやうぶん》を|拡張《くわくちやう》する|計《ばか》りで、|腮《あご》の|先《さき》|計《ばか》りで|吾々《われわれ》を|指揮《しき》したつて|罰《ばち》は|目《め》の|前《まへ》、|頭《かしら》が|廻《まは》らな|尾《を》が|廻《まは》らぬと|云《い》ふ|事《こと》がある。よく|考《かんが》へて|見《み》よ。|帰《かへ》つて|盤古神王《ばんこしんわう》にお|目玉《めだま》を|頂戴《ちやうだい》するより|此処《ここ》で|直《すぐ》に、|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》に|謝罪《あやま》つて|助《たす》かる|方《はう》が|利巧《りかう》なやり|方《かた》だぞ』
とウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》|一行《いつかう》は、|大《だい》|恐怖《きようふ》|落胆《らくたん》の|御面相《ごめんさう》、ザツト|半打《はんダース》|斗《ばか》りも|陳列《ちんれつ》して|居《ゐ》る。|風《かぜ》は|益々《ますます》|激《はげ》しくなつて|来《き》た。|船頭《せんどう》は|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて、
|船頭《せんどう》『オイオイ|皆《みな》のお|客《きやく》たち、|最《も》う|駄目《だめ》だぞ。|用意《ようい》をなされ』
|岩彦《いはひこ》『オイ|船頭《せんどう》、|用意《ようい》をなされと|云《い》つたつて|何《なに》を|用意《ようい》するのだい』
|船頭《せんどう》『|叶《かな》はぬ|時《とき》の|神頼《かみだの》みだ。この|風《かぜ》に|向《むか》つて|負《ま》けず|劣《おと》らず|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》するのだよ。サアサア|俺《おれ》の|後《あと》に|付《つ》いて|力《ちから》|一杯《いつぱい》|呶鳴《どな》るのだ』
と|云《い》ひながら、|船頭《せんどう》は|櫂《かい》や|艪《ろ》の|手《て》を|止《や》めて、|臍下丹田《せいかたんでん》に|息《いき》を|詰《つ》め、
『アー、オー、ウー、エー、イー、』
と|呶鳴《どな》り|出《だ》したれば、|船客《せんきやく》|一同《いちどう》は|怖《こは》さに|震《ふる》ひながら|声《こゑ》を|揃《そろ》へてアヽオヽウヽエヽイヽと|複数的《ふくすうてき》に|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》するのであつた。|岩彦《いはひこ》は|盥伏《たらひぶ》せに|合《あ》つた|泥棒猫《どろぼうねこ》の|様《やう》な|狡猾《かうくわつ》な|面《つら》を|薄暗《うすぐら》い|闇《やみ》に|曝《さら》して|目玉《めだま》をギヨロギヨロさせ|何《なん》となく|不安《ふあん》の|面色《おももち》にて|手足《てあし》をヂタバタさせて|居《ゐ》る。
|音彦《おとひこ》『オイ|大将《たいしやう》、その|狼狽《うろた》へ|加減《かげん》は|何《なん》だ。|強《つよ》さうな|事《こと》を|云《い》つても、|矢張《やつぱり》【まさか】の|時《とき》になれば|弱《よわ》い|者《もの》だなア』
|岩彦《いはひこ》『|斯《こ》うなつては|吾々《われわれ》の|刹那《せつな》の|権利《けんり》と|云《い》ふものは|只《ただ》|煩悶《はんもん》|苦悩《くなう》の|自由《じいう》を|有《いう》するのみだ。|自分《じぶん》の|権利《けんり》を|充分《じうぶん》|自由《じいう》に|発揮《はつき》して|居《ゐ》るのに、|貴様《きさま》が|干渉《かんせふ》する|権利《けんり》があるか。オイ|貴様等《きさまら》モウ|駄目《だめ》だ、|俺《おれ》は|覚悟《かくご》がある。たとへ|海《うみ》の|藻屑《もくづ》になるとも|三五教《あななひけう》には|降伏《かうふく》せない。よく|考《かんが》へて|見《み》よ、|鶴山丸《つるやままる》が|沈没《ちんぼつ》すれば、|三五教《あななひけう》の|日《ひ》の|出別《でわけ》も|矢張《やつぱり》|共《とも》に|溺死《できし》する|丈《だ》けの|可能性《かのうせい》は|充分《じうぶん》に|具備《ぐび》して|居《ゐ》るのだよ。|放《ほ》つとけ|放《ほ》つとけ。|自分《じぶん》が|怖《こは》かつたら|神様《かみさま》に|願《ねが》つて|波風《なみかぜ》を|止《と》めるだらう。|吾々《われわれ》はその|景物《けいぶつ》をソツト|占領《せんりやう》すればよいのだ』
|梅彦《うめひこ》『さうだな。|船《ふね》が|沈没《ちんぼつ》すれば|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》も|沈没《ちんぼつ》せずには|居《を》るまい。|貴様《きさま》の|今《いま》|云《い》つた|言葉《ことば》は|真《しん》に|天来《てんらい》の|妙音《めうおん》だ』
|岩彦《いはひこ》『|何《なに》を|云《い》つた|処《ところ》で|仕方《しかた》が|無《な》い。|空《そら》を|仰《あふ》いで|見《み》よ、|真黒《まつくろ》けな|顔《かほ》をして|今《いま》にも|泣《な》き|出《だ》しさうな|暗澹《あんたん》|至極《しごく》の|御面相《ごめんさう》だ。|世《よ》の|終《をは》りと|云《い》ふものは、|天《てん》の|力《ちから》も|如何共《いかんとも》する|事《こと》が|出来《でき》ないと|見《み》える。|船頭《せんどう》の|奴《やつ》、|吾々《われわれ》にまで|言霊《ことたま》の|発射《はつしや》を|強圧的《きやうあつてき》に|勧《すす》めよつて、|発言《はつげん》|機関《きくわん》を|虐使《ぎやくし》するものだから|言霊《ことたま》の|停電《ていでん》を|来《きた》して|声《こゑ》も|何《なに》も【かすれ】て|了《しま》つた。|折角《せつかく》|胃《ゐ》の|腑《ふ》に|格納《かくなふ》して|置《お》いた|酒《さけ》|迄《まで》が|逆流《ぎやくりう》して、|八百屋店《やほやみせ》を|開店《かいてん》する。|本当《ほんたう》にこれくらゐ|雑閙《ざつたう》を|極《きは》めた|事《こと》はありやしない。|貴様等《きさまら》ソレ|船《ふね》が|沈《しづ》むとか、|死《し》ぬとか、|弱音《よわね》を|吹《ふ》きよつたが|何《ど》うだい、|時節《じせつ》と|云《い》ふものは|偉《えら》いものだらう。|風《かぜ》の|神《かみ》、|余程《よほど》|弱《よわ》つたと|見《み》えて|沈黙《ちんもく》しかけたぢやないか。モウ|心配《しんぱい》するな。さしもに|猛《たけ》き|荒《あれ》の|神《かみ》も「ヤア|長々《ながなが》お|気《き》を|揉《も》ませました、ウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、また|御縁《ごえん》があつたら|陸上《りくじやう》でお|目《め》に|掛《かか》りませう、アリヨース」と|云《い》つて、|尻《しり》に|帆《ほ》かけて、スタコラヨイヤサと、アーメニヤの|都《みやこ》をさして|予定《よてい》の|御退却《ごたいきやく》だ。|何《ど》うだ|俺《おれ》の|刹那心《せつなしん》には|閉口《へいこう》しただらう』
|亀彦《かめひこ》『さうだ、|余《あんま》りの|偉《えら》い|時化《しけ》で|咫尺暗澹《しせきあんたん》、|吾身《わがみ》の|進路《しんろ》を|誤《あやま》つて|居《ゐ》たが、|最《も》う|斯《か》うなる|上《うへ》は|何《なに》を|苦《くる》しむで|三五教《あななひけう》に|降伏《かうふく》する|必要《ひつえう》があるか。【すんで】の|事《こと》で|鶴山丸《つるやままる》が|大《おほ》タンクになる|処《ところ》だつた。サア|皆《みな》の|奴《やつ》|勇気《ゆうき》を|鼓《こ》して、こちらは|六人《ろくにん》|向《むか》ふは|一人《ひとり》だ。|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つてやらうかい。|今《いま》の|風《かぜ》ぢやないが、|吹《ふ》いて|吹《ふ》いて|吹《ふ》き|廻《まは》し、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|胆玉《きもたま》を|転宅《てんたく》させるのだよ。|風力《ふうりよく》|七十五《しちじふご》メートルの|勢《いきほ》いでナ』
|一同《いちどう》は、
『|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い』
と|喉元《のどもと》|過《す》ぐれば|熱《あつ》さ|忘《わす》れるとかや、|妙《めう》な|処《ところ》へ|刹那心《せつなしん》を|発揮《はつき》して|声調《せいてう》も|整《ととの》はぬ|複数的《ふくすうてき》のシドロモドロの|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めたり。
『|波《なみ》よ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|闇《やみ》よ  |闇《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る
|月《つき》は|月《つき》ぢやが|盃《さかづき》ぢや  |飲《の》んで|酔《よ》へ|酔《よ》へ|酔《よ》うたら|踊《をど》れ
|酔《よ》へと|云《い》つても|船《ふね》には|酔《よ》ふな  |踊《をど》れと|云《い》つても|波《なみ》の|奴《やつ》
|船《ふね》のかへる|様《やう》な|踊《をど》りをするな  アンナ|悪戯《いたづら》ちよこちよこやると
|俺等《おいら》の|胸《むね》|迄《まで》|踊《をど》り|出《だ》す  |飲《の》めよ|飲《の》め|飲《の》め|心地《ここち》よく|飲《の》めよ
|飲《の》めと|云《い》つても|船《ふね》ではないぞ  |日《ひ》の|出《で》の|別《わけ》の|宣伝使《せんでんし》を
|波《なみ》の|鬘《たてがみ》ふり|立《た》てて  グツト|一口《ひとくち》|飲《の》んで|了《しま》へ
|俺《おれ》はウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》  |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|暗《くら》くとも
|命《いのち》の|親《おや》の|酒《さけ》|飲《の》めば  |顔《かほ》の|色《いろ》まで|赤《あか》くなる
|曇《くも》つた|顔《かほ》して|天道様《てんたうさん》  |難《むづ》かし|顔《かほ》して|睨《にら》むより
|飲《の》めば|栄《さか》えるこの|酒《さけ》を  |一寸《ちよつと》|一杯《いつぱい》|食召《きこしめ》せ
|酒《さけ》と|女《をんな》は|世《よ》の|宝《たから》  |酒《さけ》でなければ|夜《よ》が|明《あ》けぬ
|酒《さけ》でなければ|夜《よ》が|明《あ》けぬ  |酒《さけ》から|日《ひ》が|出《で》る|月《つき》が|出《で》る
|酒《さけ》から|日《ひ》が|出《で》る|月《つき》が|出《で》る』
とシドロモドロの|歌《うた》を|歌《うた》ひ|宣伝歌《せんでんか》を|潰《つぶ》して|了《しま》つた。
|斯《か》くする|中《うち》、|船《ふね》は|漸《やうや》く|波斯《フサ》の|海岸《かいがん》タルの|湊《みなと》に|安着《あんちやく》したりける。
(大正一一・三・一六 旧二・一八 藤津久子録)
第四章 |夢《ゆめ》の|幕《まく》〔五三〇〕
|鶴山丸《つるやままる》は、ペルシャ|湾《わん》のタルの|港《みなと》に|寄港《きかう》した。|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》は、|此処《ここ》に|上陸《じやうりく》してフサの|国《くに》の|都《みやこ》を|指《さ》して|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|進《すす》み|行《ゆ》く。
ウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》、|岩彦《いはひこ》、|梅彦《うめひこ》、|音彦《おとひこ》、|亀彦《かめひこ》、|駒彦《こまひこ》、|鷹彦《たかひこ》の|六人《ろくにん》は|互《たがひ》に|目配《めくば》せしながらタルの|港《みなと》に|上陸《じやうりく》し、|足《あし》を|早《はや》めて|進《すす》み|行《ゆ》く。
|折《をり》から|吹《ふ》き|来《く》る|強風《きやうふう》の|景物《けいぶつ》|砂塵《さぢん》を|浴《あ》び、|灰泥餅《はいどろもち》のやうになつて、|最大《さいだい》|急行《きふかう》の|突喊《とつかん》|命令《めいれい》を|下《くだ》しつつ、シヅの|森《もり》に|向《むか》つて|電光《でんくわう》の|如《ごと》く|疾走《しつそう》する。
|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》は、|暴風《ばうふう》|強雨《きやうう》|我不関《われくわんせず》|焉《えん》といつたやうな|調子《てうし》で|悠々《いういう》として|原野《げんや》に|遊《あそ》べる|野馬《やば》を|御《ぎよ》し、チヨクチヨクと|進《すす》み|行《ゆ》く。|日《ひ》は|漸《やうや》くに|黄昏《たそが》れたと|見《み》え、|暗《くら》さは|一《ひと》しきり|暗《くら》くなつて|来《き》た。もはや|一寸《いつすん》も|進《すす》むことが|出来《でき》ない。
ここに|日《ひ》の|出別《でわけ》は|馬《うま》を|乗《の》り|捨《す》て、|親譲《おやゆづ》りの|交通《かうつう》|機関《きくわん》に|砂煙《すなけむり》を|立《た》てながら、シヅの|森《もり》|指《さ》して|進《すす》み|来《きた》り、|一夜《いちや》を|明《あか》さむと|簑《みの》を|木蔭《こかげ》に|敷《し》いて|眠《ねむり》につく。
|岩《いは》、|梅《うめ》、|音《おと》、|亀《かめ》、|駒《こま》、|鷹《たか》のウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》は、タルの|港《みなと》に|上陸《じやうりく》し|足《あし》を|早《はや》めてシヅの|森《もり》に|進《すす》み|来《き》たり。
|梅彦《うめひこ》『ヤア、|漸《やうや》く|此処《ここ》がシヅの|森《もり》だ。サア|人員《じんゐん》|点呼《てんこ》だ、|一《いち》、|二《に》、|三《さん》、|四《し》、|五《ご》、』
|梅彦《うめひこ》『|六《ろく》は|無《な》いのか、オイ|誰《たれ》だ、|途中《とちう》|落伍《らくご》した|奴《やつ》がありさうだナア』
|音彦《おとひこ》『|闇《くら》がり|道《みち》を|強行的《きやうかうてき》|行進《かうしん》を|続《つづ》けたものだから、|岩公《いはこう》の|奴《やつ》たうとう|落伍《らくご》しよつたな。|口程《くちほど》にもない|奴《やつ》だ。|空虚《くうきよ》なる|器物《きぶつ》は|強大《きやうだい》なる|音響《おんきやう》を|発《はつ》すと|云《い》うて、|実力《じつりよく》のないものだ。|言葉《ことば》|多《おほ》ければ|品《しな》|少《すくな》しだ。|吾々《われわれ》は|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》しようと|思《おも》つて|居《ゐ》たのに、|岩公《いはこう》の|奴《やつ》、|減《へ》らず|口《ぐち》を|叩《たた》きよつて、たうとう|議会《ぎくわい》の|停会《ていくわい》と|来《き》たものだから、|一《いち》も|取《と》らず|二《に》も|取《と》らず、その|間《あひだ》に|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》は、この|広《ひろ》いフサの|国《くに》に|上陸《じやうりく》して|仕舞《しま》はれた』
|亀彦《かめひこ》『|彼奴《あいつ》は|何《なに》を|云《い》つたところうでモウ|駄目《だめ》だよ。|自分《じぶん》ほど|偉《えら》い|者《もの》は|無《な》いと|定《き》めて|居《ゐ》るのだから|馬耳東風《ばじとうふう》、|余程《よほど》|酷《きつ》い|目《め》に|遇《あ》はねば、|免疫性《めんえきせい》の|無感覚者《むかんかくしや》だから|目《め》が|覚《さ》めないよ。|多分《たぶん》タルの|川《かは》の|崖道《がけみち》の|断巌絶壁《だんがんぜつぺき》から|空中滑走《くうちうくわつそう》をやつてタルの|川《かは》の|川底《かはぞこ》へでも|有事着陸《いうじちやくりく》したのだらう。|今頃《いまごろ》にはプロペラーが|折《を》れたので|谷底《たにそこ》で|進退《しんたい》|谷《きは》まつて|岩彦《いはひこ》が|岩《いは》を|抱《かか》へてアヽ【いは】ぬは|云《い》ふに|弥勝《いやまさ》る、|鶴山丸《つるやままる》の|中《なか》で、あんな【いは】いでもよい|事《こと》を【いは】なかつたらよかつたになぞと|云《い》つて【こうかい】して|居《ゐ》るだらう』
|駒彦《こまひこ》『|航海《かうかい》は|吾々《われわれ》もして|来《き》たぢやないか。|後《あと》の【|後悔《こうくわい》】|先《さき》に|立《た》たず、ぢやない|役《やく》に|立《た》たずだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|此処《ここ》はシヅの|森《もり》と|云《い》ふて、バの|字《じ》とケの|字《じ》の|出《で》る|処《ところ》と|云《い》ふ|有名《いうめい》な|妖怪窟《ようくわいくつ》だ。オイ|確《しつ》かりせぬと、トンダ|目《め》に|遇《あ》ふか|知《し》れやしないぞ。|岩彦《いはひこ》は【|云《い》は】ひこで|好《よ》いと|云《い》ふ|訳《わけ》に|行《い》かない、|吾々《われわれ》も|極力《きよくりよく》|捜索《そうさく》をやつて|彼《かれ》の|潜伏所《せんぷくしよ》を|突《つ》き|留《と》めねば|宣伝使《せんでんし》の|役《やく》が|勤《つと》まらない。アーメニヤに|帰《かへ》つて、あの|大《おほ》きな|岩公《いはこう》をまさか|紛失《ふんしつ》したとも、|途中《とちう》で|遺失《ゐしつ》したとも、また|磨滅《まめつ》して|仕舞《しま》つたとも|云《い》ふ|訳《わけ》には|行《い》かぬからなア』
|梅彦《うめひこ》『|何《なん》だ。|遺失《ゐしつ》だの|磨滅《まめつ》だのと、|恰《まる》で|手荷物《てにもつ》のやうに|云《い》つて|居《ゐ》るじやないか、|些《ち》と|言霊《ことたま》を|慎《つつし》まむかい』
|駒彦《こまひこ》『マア、マア、|今晩《こんばん》はこれで|打切《うちき》りとして、|明朝《みやうてう》|早々《さうさう》|捜索《そうさく》|兼《けん》|探険《たんけん》と|出《で》かけよう。|鼻《はな》を|摘《つま》まれても|分《わか》らぬやうな|此《この》|暗夜《やみよ》にどうして|居所《ゐどころ》が|分《わか》るものか。|木乃伊《みいら》|取《と》りが|木乃伊《みいら》になるやうな|慘虐事《ざんぎやくじ》が|継続《けいぞく》しては|堪《たま》らぬからなア』
|鷹彦《たかひこ》『|君達《きみたち》は|随分《ずゐぶん》|冷淡《れいたん》な|男《をとこ》だなア。|人情《にんじやう》|軽薄《けいはく》なる|事《こと》|紙《かみ》の|如《ごと》しだよ』
|梅彦《うめひこ》『それや|貴様《きさま》、|神様《かみさま》の|使《つかひ》だもの、【|紙《し》】|辺《へん》|暗雲《あんうん》に|包《つつ》まれ|咫尺《しせき》も|弁《べん》ぜざる|深夜《しんや》に、どう|心配《しんぱい》したつて|進退《しんたい》|谷《きは》まつた|此《この》|場《ば》の|光景《くわうけい》、|否《いな》|暗景《あんけい》だ。|如何《どう》とも|策《さく》の|施《ほどこ》す|余地《よち》が|無《な》いぢやないか』
|鷹彦《たかひこ》『|何《なに》、|暗《くら》くつても|矢張《やつぱ》り|神《かみ》の|造《つく》つた|神国《しんこく》の|地《つち》の|上《うへ》に|居《ゐ》る|吾々《われわれ》だ。|如何《いか》に|妖怪《えうくわい》が|現《あら》はれるシヅの|森《もり》だと|云《い》つても、これも|矢張《やつぱ》り|神国《しんこく》の|断片《だんぺん》だ。|誰《たれ》か|一人《ひとり》|此処《ここ》に|待《ま》つ|事《こと》にして|後《あと》|四人《しにん》は|岩公《いはこう》の|捜索《そうさく》だよ』
|音彦《おとひこ》『おとましい、この|深夜《しんや》に|縁起《えんぎ》の|悪《わる》い|四人《しにん》とはどうだ。|何故《なぜ》|四人《よにん》と|云《い》はないのだ』
|駒彦《こまひこ》『|言霊《ことたま》と|云《い》ふものは|妙《めう》なものだ。まかり|間違《まちが》へば|岩彦《いはひこ》は|死人《しにん》になつて|居《ゐ》るかも|知《し》れやしないぞ、よい|辻占《つじうら》だ。マア|如何《どう》でも|好《い》いぢやないか、|明日《あす》は|明日《あす》の|事《こと》だ』
|鷹彦《たかひこ》『【たか】が|知《し》れた|宣伝使《せんでんし》の|一羽《いちは》や|二羽《には》、|無《な》くなつたつて|構《かま》ふものかい。|彼奴《あいつ》は|余《あんま》り|自負心《じふしん》が|強《つよ》いから、|神様《かみさま》の|懲罰《ちようばつ》に|遇《あ》うて|居《ゐ》るのだ。|何時《いつ》も|豪《えら》さうに|聖人《せいじん》|振《ぶ》つて、|宇宙《うちう》|間《かん》の|無限《むげん》|絶対《ぜつたい》なる|不可解的《ふかかいてき》な|事実《じじつ》を|道破《だうは》したものは|此《この》|岩彦《いはひこ》だ……ナンテ|駄法螺《だぼら》を|吹《ふ》きよつて|吾々《われわれ》を|煙《けむ》に|巻《ま》いて|居《ゐ》たが、フサの|海《うみ》の|暴風雨《しけ》に|出遇《であ》つた|時《とき》は|随分《ずゐぶん》|六ケ敷《むつかしい》|顔《かほ》をしとつたよ。|負惜《まけをし》みで|声《こゑ》を|立《た》ててオイオイと|吠《ほ》えはせなかつたが、|力《ちから》一ぱい|気張《きば》つて|涙《なみだ》と|泣面《なきづら》の|保留《ほりう》をして|居《ゐ》たのは|確《たしか》な|事実《じじつ》だよアハヽヽヽ』
|斯《か》く|話《はな》す|時《とき》しも|鼓膜《こまく》の|運命《うんめい》を|危殆《きたい》ならしむる|如《ごと》きドラ|声《こゑ》が|暗中《あんちう》より|聞《きこ》えて|来《き》た。
|梅彦《うめひこ》『ヤア|唸《うな》るぞ、|唸《うな》るぞ、|大変《たいへん》だぞ』
|音彦《おとひこ》『ヤイ、|何者《なにもの》なればこの|深夜《しんや》に|唸《うな》るのだ。この|方《はう》はウナル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》、ウナル|彦《ひこ》|様《さま》の|御家来《ごけらい》だぞ。|何《なん》ぼなと|法螺《ほら》を|吹《ふ》け、|太鼓《たいこ》を|打《う》て、もつともつと|馬力《ばりき》を|出《だ》して|喉《のど》が|裂《さ》ける|程《ほど》|呶鳴《どな》つたがよいわ。シヅの|森《もり》は|静《しづか》な|処《ところ》だと|思《おも》へば、|反対《あべこべ》に|喧《やかま》しの|森《もり》の、|騒《さわ》がしの|森《もり》の、|呶鳴《どな》りの|森《もり》だ。|呶鳴《どな》るなら|呶鳴《どな》れ、【どうなり】ても|構《かま》はぬ、|命《いのち》|知《し》らずの|宣伝使《せんでんし》の|音《おと》さまだ。オイオイ|梅《うめ》、|亀《かめ》、|鷹《たか》、|駒《こま》、|貴様達《きさまたち》も|何《なん》とか|防戦《ばうせん》せむかい。|大《おほ》きな|言霊《げんれい》を|出《だ》しよつて、|吾々《われわれ》の|耳《みみ》の|鼓膜《こまく》を|破裂《はれつ》させようとかかつて|居《ゐ》やがるのだよ』
|暗中《あんちう》より|一層《いつそう》|大《おほ》きな|声《こゑ》で、
『オヽヽー|音公《おとこう》、|駒《こま》の|鼓膜《こまく》が|破《やぶ》れるどころか、|鷹《たか》のやうな|高声《たかごゑ》で|呶鳴《どな》つてやるから、|胆《きも》が|破裂《はれつ》せぬやうに|用心《ようじん》を|致《いた》せ』
|鷹彦《たかひこ》『|何《なん》ぢや、ケ、ケ、|怪体《けつたい》な|奴《やつ》が、|飛《と》んで|出《で》よつたものだ。オイ、【ドラ】|声《ごゑ》|先生《せんせい》、|俺《おれ》を|誰人《どなた》と|心得《こころえ》て|居《を》る』
|暗《くら》がりの|大声《おほごゑ》、
『ウラル|教《けう》の|腰抜《こしぬけ》|野郎《やらう》、よつく|聞《き》け。アーメニヤの|神都《しんと》は|殆《ほとん》ど|零敗《れいはい》に|帰《き》し。|今《いま》は|僅《わづか》に|美山彦《みやまひこ》、|国照姫《くにてるひめ》の|曲津見《まがつみ》が|弧塁《こるゐ》を|死守《ししゆ》するのみ、|実《じつ》に|惨《みぢめ》なものだ。アーメニヤの|城壁《じやうへき》は|所々《ところどころ》くたぶれ|果《は》て、|穴《あな》だらけ、|貴様達《きさまたち》はコーカス|山《ざん》に|帰《かへ》つて|往《ゆ》くつもりであらうが、コーカス|山《ざん》は、もはや|三五教《あななひけう》の|勢力《せいりよく》|範囲《はんゐ》に|帰《き》して|了《しま》つたぞ。|今《いま》の|間《うち》に|改心《かいしん》いたせばよし、|違背《ゐはい》に|及《およ》ばば|汝《なんぢ》が|生命《いのち》は|風前《ふうぜん》の|灯火《ともしび》、また|岩彦《いはひこ》のやうな|運命《うんめい》に|陥《おちい》るぞ。アハヽヽヽ、オホヽヽヽ、ウフヽヽヽ、イヒヽヽヽ、エヘヽヽヽ』
と|五韻《ごゐん》を|離《はな》れた|鶴《つる》のやうな|笑《わら》ひ|声《ごゑ》が|聞《きこ》え|来《き》たる。
|亀彦《かめひこ》『オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、これや|一《ひと》つ|作戦《さくせん》|計画《けいくわく》を|遣《や》り|直《なほ》さねばならなくなつたぞ。|新規《しんき》|蒔直《まきなほ》し、|吾々《われわれ》は|兎角《とかく》|善《ぜん》と|信《しん》じた|事《こと》は|飽迄《あくまで》も|決行《けつかう》せなくてはならないのだ。どうだ|岩公《いはこう》は|今《いま》のバーとケーサンの|言葉《ことば》によれば、どうやら|寂滅為楽《じやくめつゐらく》|疑《うたが》ひなしだ。|吾々《われわれ》も|一《ひと》つ|我《が》を|折《を》らねばなるまい、アヽ|困《こま》つた|事《こと》だワイ』
|音彦《おとひこ》『|何《なん》だ、|弱々《よわよわ》しい|亡国的《ばうこくてき》の|哀音《あいおん》を|吐《は》き、|絶望的《ぜつばうてき》|悲調《ひてう》を|帯《お》びたその|世迷言《よまひごと》は、|貴様《きさま》は|宣伝使《せんでんし》の|天職《てんしよく》を|忘《わす》れたのか』
|亀彦《かめひこ》『【|宣伝《せんでん》|万化《ばんくわ》】、|隠顕《いんけん》|出没《しゆつぼつ》|極《きは》まり|無《な》きが、|宣伝使《せんでんし》の|正《まさ》に|用《もち》ふべき|神秘《しんぴ》だよ。|貴様《きさま》のやうな|杓子定規《しやくしぢやうぎ》でこの|世《よ》の|中《なか》が|渡《わた》れるものか。|郷《がう》に|入《い》つては|郷《がう》に|従《したが》へ、|時《とき》の|力《ちから》には|抵抗《ていかう》する|事《こと》は|出来《でき》ない。この|頃《ごろ》は|桜《さくら》のシーズンだと|云《い》ふのに|如何《どう》だ。|花《はな》もなければ|葉《は》も|萎《しほ》れ、|山野《さんや》はほとんど|冬《ふゆ》のやうだ。これも|天《てん》の|時《とき》だ、|何時《いつ》までも|春《はる》は|花《はな》が|咲《さ》く、|秋《あき》は|紅葉《もみぢ》が|照《て》ると|思《おも》つて|居《ゐ》ると|訳《わけ》が|違《ちが》ふぞ』
かく|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》る|折《をり》しも、|俄《にはか》に【クワツ】と|明《あか》くなつて|来《き》た。|五人《ごにん》は|驚《おどろ》いて|空《そら》を|見上《みあ》ぐる|途端《とたん》に、アツと|一声《ひとこゑ》|大地《だいち》に|打《う》ち|倒《たふ》れたり。
|巨大《きよだい》なる|光《ひか》り|物《もの》の|中《なか》より、|得《え》も|云《い》はれぬ|恐《おそ》ろしき|朱色《しゆいろ》の|顔色《がんしよく》に、アーク|灯《とう》のやうに|光《ひか》つた|目玉《めだま》を|剥《む》いた|怪物《くわいぶつ》、|五六尺《ごろくしやく》もあるやうな|舌《した》の|先《さき》に|何《なん》だか|人《ひと》の|首《くび》のやうな|物《もの》を|乗《の》せてペロペロさして|居《ゐ》る。よくよく|見《み》れば|岩彦《いはひこ》の|首《くび》である。
|梅彦《うめひこ》『アヽ、|岩々《いはいは》、|岩公《いはこう》が【いは】された』
|音彦《おとひこ》『ヤア、モシモシ|赤《あか》い|顔《かほ》の|白《しろ》い|目玉《めだま》サン、それや|余《あんま》り|胴慾《どうよく》だ。その|首《くび》は|岩彦《いはひこ》の|首《くび》ぢやないか、あまりだよ』
|化物《ばけもの》『|余《あま》り|退屈《たいくつ》なのでア|首《くび》が|出《で》たのだよ。|人肉《じんにく》の|温《あたたか》い|奴《やつ》を|食《く》ひ|度《た》いと|思《おも》つて|居《ゐ》たら、|此処《ここ》に|四《よつ》つ|五《いつ》つ|転《ごろ》ついて|居《ゐ》るワイ、ヤア|甘《うま》い|甘《うま》い、|天道《てんだう》は|人《ひと》を|殺《ころ》さず、|化物《ばけもの》は|人《ひと》を|食《く》ふ、|美味《うま》さうな|奴《やつ》が|来《き》たものだワイ。アハヽヽ、イヒヽヽ、ウフヽヽ、エヘヽヽ、オホヽヽ』
|鷹彦《たかひこ》『コラ、バヽバケモノ、|了見《れうけん》せないぞ。|今《いま》|待《ま》つて|居《を》れ、|俺《おれ》がウラル|教《けう》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つてやるわ』
|化物《ばけもの》『ウラル|教《けう》の|宣伝歌《せんでんか》を|聞《き》かして|貰《もら》うと|気分《きぶん》が|好《よ》くなつて、|益々《ますます》|貴様等《きさまら》が|食《く》ひ|度《た》くなつて|来《く》る。|食《く》はれぬ|前《まへ》にこの|世《よ》の|歌《うた》ひ|納《をさ》め、|一《ひと》つ|歌《うた》つて|呉《く》れまいか』
|鷹彦《たかひこ》『ヨー、|此奴《こいつ》は|零敗《れいはい》の|大当違《おほあてちが》ひだ。ソンナラ|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》はう』
|化物《ばけもの》『ウン、そいつは|困《こま》る。しかし|貴様《きさま》はウラル|教《けう》だ。|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》を|知《し》らう|筈《はず》が|無《な》い。マアマア|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|歌《うた》ふなら|歌《うた》つて|見《み》よ、アハヽヽ、イヒヽヽ、ウフヽヽ』
|鷹彦《たかひこ》『|何《なに》を|吐《ぬ》かしよるのだ。|不完全《ふくわんぜん》な|奇数的《きすうてき》の|馬鹿《ばか》|笑《わら》ひをしよつて、|俺《おれ》の|宣伝歌《せんでんか》を|聞《き》いて|胆《きも》を|潰《つぶ》すな。オイ|梅公《うめこう》、|音公《おとこう》、|亀公《かめこう》、|駒公《こまこう》、|鷹《たか》サンと|一緒《いつしよ》に|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ふのだ。サア|今度《こんど》は|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》だぞ』
|亀彦《かめひこ》『|三五教《あななひけう》は|一向《いつかう》|不案内《ふあんない》だ。まして|宣伝歌《せんでんか》なぞはサツパリ|分《わか》らないよ』
|鷹彦《たかひこ》『|貴様《きさま》はウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》であつて|不心得《ふこころえ》な|奴《やつ》だ。|三五教《あななひけう》を|征服《せいふく》しようと|思《おも》へば、|敵《てき》の|総《すべ》ての|教理《けうり》を|呑《の》み|込《こ》んで|置《お》いて、ウラル|教《けう》との|優劣《いうれつ》を|判断《はんだん》し、ウラル|教《けう》が|三五教《あななひけう》と、どの|辺《へん》が|勝《まさ》つて|居《を》ると|云《い》ふ|点《てん》を|宣伝《せんでん》するのが、|宣伝使《せんでんし》の|役《やく》ぢやないか。|俺《おれ》はウラル|教《けう》だから|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》は|研究《けんきう》するのも|汚《けが》らはしいと|云《い》ふやうな|事《こと》で、どうして|敵《てき》に|向《むか》つて|勝利《しようり》を|得《う》る|事《こと》が|出来《でき》ようか、エヽ|仕方《しかた》がないデモ|宣伝使《せんでんし》ばかりだナア。サアこの|鷹《たか》サンが|俄《にはか》に|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》と|宙返《ちうがへ》り|飛行《ひかう》をやつて|御覧《ごらん》に|入《い》れる。|化物《ばけもの》の|奴《やつ》、|今《いま》くたばるか、くたばらぬか、|試《ため》して|見《み》るのだ。もし|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》で|化物《ばけもの》が|滅《ほろ》びたら|矢張《やつぱ》り|三五教《あななひけう》が|豪《えら》いのだから、そこで|貴様達《きさまたち》も|決心《けつしん》するのだぞ。サア|俺《おれ》の|宣伝歌《せんでんか》を|聴《き》いて|見《み》ろ』
と|云《い》ひながら|怪《あや》しき|化物《ばけもの》の|顔《かほ》をグツと|睨《にら》み|付《つ》け、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて お|膳《ぜん》と|箸《はし》とを|立別《たてわ》ける
この|世《よ》の|中《なか》に|化物《ばけもの》が あつて|耐《たま》るかシヅの|森《もり》
|静《しづか》になれよ|静《しづか》になれよ |三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》
|宣伝《せんでん》|万化《ばんくわ》に|曲津見《まがつみ》の |向《むか》ふを|張《は》つて|跳《は》ね|廻《まは》る
|梅彦《うめひこ》、|亀彦《かめひこ》、|駒彦《こまひこ》や おとなしうない|音彦《おとひこ》の
|頭《あたま》を|目蒐《めが》けて|食《く》ひつけよ』
音、亀『コラコラ|鷹公《たかこう》、|何《なに》を|吐《ぬ》かしよるのだ。|貴様《きさま》は|極端《きよくたん》な|個人主義《こじんしゆぎ》だなア。|一連托生《いちれんたくしやう》、|無我平等《むがびやうどう》のウラル|教《けう》、オツトどつこい|三五教《あななひけう》の|精神《せいしん》を|知《し》つて|居《ゐ》るか』
|鷹彦《たかひこ》『アハヽヽヽ、|馬鹿《ばか》な|奴《やつ》だなア、|俺《おれ》を|一体《いつたい》|誰《だれ》だと|考《かんが》へて|居《ゐ》る。|抑々《そもそも》アーメニヤを|出立《しゆつたつ》するその|時《とき》より、|吾《われ》は|三五教《あななひけう》の|鷹彦《たかひこ》と|云《い》ふサルジニヤの|一《ひと》つ|島《じま》に|居《を》つた|宣伝使《せんでんし》だ。|猫《ねこ》を|被《かぶ》つてウラル|教《けう》に|這入《はい》り、|貴様等《きさまら》|五人《ごにん》の|中《なか》に|加《くは》はりて|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》に|渡《わた》り、|飯依彦《いひよりひこ》と|以心伝心《いしんでんしん》|的《てき》|作戦《さくせん》|計画《けいくわく》をやつて|居《ゐ》るのも|気《き》がつかず、|悪《あく》の|企《たくみ》は|注意《ちうい》|周到《しうたう》にして|水《みづ》も|漏《も》らさぬやうに|見《み》えるが、|肝腎《かんじん》の|身魂《みたま》に|執着《しふちやく》があるから|足許《あしもと》が|真暗《まつくら》がり、この|鷹《たか》サンの|化物《ばけもの》に|気《き》が|付《つ》かなかつたのだよ。アハヽヽヽ、オホヽヽヽ、イヒヽヽヽ、ウフヽヽヽ、エヘヽヽヽ』
梅、駒『|何《なん》だ、|貴様《きさま》までが|俄《にはか》に|化物《ばけもの》の|後継《あとつぎ》をしよつて、|頭《あたま》の|上《うへ》からと|下《した》からと、|化物《ばけもの》の|包囲《はうゐ》|攻撃《こうげき》をやられて|耐《たま》つたものぢやないワイ』
|頭《あたま》の|化物《ばけもの》、|大《おほ》きな|舌《した》を|出《だ》して、
『アハヽヽー、イヒヽヽー』
亀、音『ヤア、|又《また》やりよつた。|上下《じやうげ》|挟撃《けふげき》、えらい|敵《てき》の|術策《じゆつさく》に|陥《おちい》つたものだワイ』
|頭《あたま》の|化物《ばけもの》、
|化物《ばけもの》『オホヽヽー』
と|笑《わら》つた|途端《とたん》に、|舌《した》の|先《さき》から【つる】つると|空中滑走《くうちうくわつそう》をしながら|五人《ごにん》の|前《まへ》に|着陸《ちやくりく》した|男《をとこ》がある。
|一同《いちどう》『ヤア|岩《いは》、|岩《いは》、|岩彦《いはひこ》か、|貴様《きさま》は|一体《いつたい》どうして|居《ゐ》たのだ。|化物《ばけもの》の|喉《のど》から|出《で》て|来《き》よつて、|恰《まる》で、|飴《あめ》の|中《なか》からお|多《た》ヤンと|金太《きんた》サンが|飛《と》んで|出《で》たやうな|曲芸《きよくげい》だ。|誰《たれ》にソンナ|手品《てじな》を|教《をし》へて|貰《もら》ひよつたのだい』
|岩彦《いはひこ》『オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、よい|加減《かげん》に|目《め》を|醒《さ》まさぬかい。|何《なに》をウンウンと|唸《うな》つて|居《ゐ》るのだ、|此処《ここ》はシヅの|森《もり》だぞ、|静《しづか》にせないと|化物《ばけもの》が|出《で》ると|云《い》ふ|事《こと》だよ』
|一同《いちどう》『ムニヤ ムニヤ、アーアー|恐《こは》かつた、エライ|夢《ゆめ》を|見《み》たワイ』
|岩彦《いはひこ》『アハヽヽヽ』
(大正一一・三・一六 旧二・一八 加藤明子録)
第五章 |同志打《どうしうち》〔五三一〕
|天《あま》の|戸《と》|押《お》し|開《ひら》いて|半円《はんゑん》の|月《つき》は|稍《やや》|西天《せいてん》にかすかに|輝《かがや》き|初《はじ》めた。|一同《いちどう》の|顔《かほ》は|誰彼《たれかれ》の|区別《くべつ》のつくまで|判明《はつきり》して|来《き》た。
|岩彦《いはひこ》『オー、|久《ひさ》し|振《ぶ》りでお|月様《つきさま》のお|顔《かほ》を|拝観《はいくわん》することが|出来《でき》た。|是《こ》れだから|時節《じせつ》は|待《ま》たねばならぬものだと|何時《いつ》も|云《い》ふのだよ』
|梅彦《うめひこ》『|今日《けふ》は|妙《めう》な|日《ひ》だ、|鶴山丸《つるやままる》で|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》に|逢《あ》ふ。|今晩《こんばん》はまた|月《つき》の|顔《かほ》を|久《ひさ》しぶりで|見《み》る。|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》に|渡《わた》つてから、|日月《ひつき》|揃《そろ》うて|見《み》たのは|珍《めづ》らしいことだ』
|岩彦《いはひこ》『オイ、|何《なん》だか|俺《おれ》は|胸騒《むなさわ》ぎがする|様《やう》だ。|皆《みな》|起《お》きて|坐《すわ》らぬかい。|一《ひと》つ|臨時《りんじ》|議会《ぎくわい》を|開会《かいくわい》するから』
|音彦《おとひこ》『ナニ、|岩彦《いはひこ》|議長《ぎちやう》の|提案《ていあん》は|一体《いつたい》|何《なん》だい。|吾々《われわれ》はあまり|長《なが》い|間《あひだ》|海《うみ》に|浮《うか》んで|居《ゐ》た|揚句《あげく》、|大陸《たいりく》を|強行的《きやうかうてき》にテクツて|来《き》たものだから、|足《あし》は|棒《ぼう》の|如《やう》になつてしまつた。|横《よこ》になつたまま|開会《かいくわい》をしてもらへないかな』
|岩彦《いはひこ》『|横《よこ》でもかまはないが、|然《しか》し|是《こ》れには|一寸《ちよつと》|曰《いは》く|因縁《いんねん》があるのだ。まさかの|時《とき》になつたら、|貴様《きさま》の|不利益《ふりえき》だらう。|只今《ただいま》より|愈《いよいよ》|月《つき》の|出《で》たのを|幸《さいは》い、マラソン|競走《きやうそう》の|選手《せんしゆ》となつて、フサの|都《みやこ》まで|速力《そくりよく》|倍加《ばいか》で|突貫《とつくわん》するのだよ』
|亀彦《かめひこ》『ソラ|何《なん》だ、|余《あま》りの|緊急《きんきふ》|動議《どうぎ》ぢやないか』
|岩彦《いはひこ》『|大《おほ》きな|声《こゑ》で|云《い》ふない、その|向《むか》ふの|木《き》の|株《かぶ》をそつと|覗《のぞ》いて|見《み》よ。|居《ゐ》るぞ|居《ゐ》るぞ。|大《おほ》きな|声《こゑ》で|咆哮《ほうこう》すると|覚醒《かくせい》|状態《じやうたい》になられては|大変《たいへん》だ。それ|今《いま》そこに|居《ゐ》る|奴《やつ》は|船《ふね》の|中《なか》で|見《み》た|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》だ。|此奴《こいつ》が|目《め》を|覚《さ》まさぬ|間《うち》に|尻《しり》に|帆《ほ》をかけて、|急速力《きふそくりよく》で|進行《しんかう》するか、|但《ただ》しは|停船《ていせん》のまま|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|包囲《はうゐ》|攻撃《こうげき》をやるか、|二《ふた》つに|一《ひと》つの|議案《ぎあん》だ。サア|即決《そくけつ》だ』
|鷹彦《たかひこ》『マア、ソンナ|事《こと》は|即時《そくじ》|否決《ひけつ》だ。【|否決《ひけつ》】の|序《ついで》に|本当《ほんたう》の|敵《てき》に|対《たい》する【|秘訣《ひけつ》】を|吾輩《わがはい》が|提出《ていしゆつ》するから、|汝等《なんぢら》|夫《そ》れ|審議《しんぎ》を|鄭重《ていちよう》にするのだ。とても|吾々《われわれ》|半《はん》ダースの|人間《にんげん》が|一斉《いつせい》|射撃《しやげき》をやつた|処《ところ》で、クルップ|砲《はう》に|火縄銃《ひなはづつ》を|以《もつ》て|対《むか》ふ|様《やう》なものだ。|勝敗《しようはい》の|数《すう》|既《すで》に|決《けつ》す、|寧《むし》ろ|白旗《はくき》を|掲《かか》げて|降伏《かうふく》と|出掛《でか》ける|方《はう》が|安全《あんぜん》で|好《よ》からう。くだらぬ|事《こと》に|貴重《きちよう》な|生命《せいめい》を|落《おと》すのは|馬鹿《ばか》の|骨頂《こつちやう》だ。|誰《たれ》も|夫《そ》れ|丈《だ》け|戦《たたか》つた|所《ところ》で|彼奴《あいつ》は|職務《しよくむ》に|忠実《ちうじつ》な|奴《やつ》|感心《かんしん》だと|云《い》うて|共鳴《きようめい》するものは、この|暗《くら》がりの|時節《じせつ》に|一人《ひとり》も|半人《はんにん》もあるものぢやない。|共鳴《きようめい》するのは|墓《はか》の|団子《だんご》でも|泥棒《どろばう》しようと|思《おも》つて|烏《からす》が|鳴《な》く|位《くらゐ》だ。それも|哀悼《あいたう》の|意味《いみ》でなくて|自分《じぶん》の|食料《しよくれう》を|得《え》た|嬉《うれ》し|鳴《な》きだから、ホントウにつまらないぢやないか』
|岩彦《いはひこ》『|不相変《あひかはらず》|弱音《よわね》を|吹《ふ》く|奴《やつ》だなア。|人間《にんげん》と|云《い》ふものは|神様《かみさま》の|模型《もけい》ぢやないか、|神様《かみさま》はソンナ|決《けつ》して|弱音《よわね》を|吹《ふ》くものぢやないよ』
|鷹彦《たかひこ》『|又《また》もや|月《つき》が|隠《かく》れたぢやないか。|遁《にげ》ようと|言《い》つたつて|此《この》|曇天《どんてん》に|足許《あしもと》の|泥溝《どぶ》もはつきりと|判《わか》らず、|丁度《ちやうど》|灰色《はいいろ》の|茅《かや》の|中《なか》を|道中《だうちう》するやうな|有様《ありさま》だから、|何時《いつ》|足《あし》をさらはれるか|分《わか》つたものぢやない。|思《おも》ひ|切《き》りの|悪《わる》い|奴《やつ》だナア。アーメニヤヘ|一体《いつたい》|帰《かへ》つた|所《ところ》で、|盤古神王《ばんこしんわう》のウラル|彦《ひこ》が|居《を》られるか|居《を》られぬか|心許《こころもと》ないではないか』
|亀彦《かめひこ》『ウン、|俺《おれ》もソンナ|夢《ゆめ》を|見《み》たよ、|心配《しんぱい》だ。|然《しか》し|岩彦《いはひこ》の|宣伝使長《せんでんしちやう》は、お|化物《ばけ》の|舌《した》の|上《うへ》に|乗《の》せられて|居《を》つて、|噛《か》んだり、|吐《は》いたり、イヤもう|目茶苦茶《めちやくちや》な|目《め》に|逢《あ》はされて|居《ゐ》よつた。|夢《ゆめ》にも|色々《いろいろ》あつて|神夢《しんむ》、|霊夢《れいむ》、|正夢《せいむ》、|凶夢《きようむ》、|雑夢《ざつむ》と|云《い》ふ|事《こと》があるから|当《あて》にはならないが、どうせ|頑固《ぐわんこ》|一片《いつぺん》の|男《をとこ》だからあの|夢《ゆめ》が|霊夢《れいむ》になるかも|知《し》れぬ。|気《き》の|毒《どく》なものだワイ』
|一同《いちどう》『ウン|俺達《おれたち》もその|夢《ゆめ》を|見《み》たのだ。|斯《か》うして|四人《よにん》が|同《おな》じ|夢《ゆめ》を|一度《いちど》に|見《み》ると|云《い》ふのは、|屹度《きつと》|霊夢《れいむ》だよ。オイオイ|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》ると|内裏《うちうら》に|敵《てき》が|侵入《しんにふ》|潜伏《せんぷく》して|居《を》るかも|知《し》れないぞ』
|岩彦《いはひこ》『|吾々《われわれ》|一行《いつかう》|六人《ろくにん》の|中《なか》に|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》が|交《まじ》つて|居《ゐ》ると|云《い》ふのか。ソンナ|馬鹿《ばか》な|事《こと》があるものかい』
|音彦《おとひこ》『ヤー|何《なん》とも|言《い》はれぬよ』
|鷹彦《たかひこ》『オツト|高《たか》い|声《こゑ》では|言《い》はれぬが、ナンデも|羽《はね》が|生《は》えて|宙《ちう》を|飛《と》ぶ|様《やう》な|名《な》の|男《をとこ》が、|三五教《あななひけう》の|間諜《まはしもの》で|俺達《おれたち》の|仲間《なかま》に|這入《はい》つて|居《ゐ》ると|云《い》ふ|事《こと》だよ。|現《げん》に|夢《ゆめ》の|中《なか》に「|俺《おれ》はかうして|貴様《きさま》と|一緒《いつしよ》にウラル|教《けう》に|入《はい》つて、その|実《じつ》は|三五教《あななひけう》だ。|一《ひと》つ|島《じま》の|宣伝《せんでん》が|不成功《ふせいこう》に|終《をは》つたのも|飯依彦《いひよりひこ》と|気脈《きみやく》を|通《つう》じて|遣《や》つたからだ」と、|夢《ゆめ》の|中《なか》に|自白《じはく》し|居《を》つた|奴《やつ》があるのだもの』
三人『|俺等《おれたち》も|夢《ゆめ》でその|通《とほ》り|聞《き》いて|居《ゐ》る。サア|行掛《ゆきがけ》の|駄賃《だちん》に|此奴《こいつ》をやつつけておいて、それからマラソン|競走《きやうそう》だ』
|音彦《おとひこ》『コラ|鷹公《たかこう》、|白々《しらじら》しい、|貴様《きさま》は|何《なん》だ。|悪《あく》の|企《たくみ》の|露顕《あらは》れ|口《くち》、のつ|引《ぴき》ならぬ|夢《ゆめ》の|告《つげ》、どうぢや|白状《はくじやう》|致《いた》して|降参《かうさん》するか、|逃《に》げようと|言《い》つたつて、もう|駄目《だめ》だぞ。|吾々《われわれ》|五人《ごにん》の|閉塞隊《へいそくたい》が|港口《こうこう》を|固《かた》く|封鎖《ふうさ》した|以上《いじやう》は、|潜水隊《せんすゐたい》だつて|無事《ぶじ》に|脱出《だつしゆつ》する|事《こと》は|出来《でき》やしないぞ。サア|白状《はくじやう》せないか』
|鷹彦《たかひこ》『アハヽヽヽ、オホヽヽヽ、エヘヽヽヽ』
|一同《いちどう》『|何《なん》だ、|夢《ゆめ》の|中《なか》の|化物《ばけもの》の|如《や》うな|声《こゑ》を|出《だ》しよつて』
|鷹彦《たかひこ》『|盲《めくら》の|宣伝使《せんでんし》、|馬鹿《ばか》と|云《い》つても|貴様等《きさまら》の|様《やう》な|奴《やつ》は|珍《めづら》しい。|天下《てんか》|一品《いつぴん》、|秀逸《しういつ》の|馬鹿《ばか》だ。|俺《おれ》は|貴様《きさま》の|云《い》ふごとく|実《じつ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だ。|瀬戸《せと》の|海《うみ》の|一《ひと》つ|島《じま》に|永《なが》らく|居《を》つたものだが、|手段《てだて》を|以《もつ》て|貴様等《きさまら》の|仲間《なかま》に|藻繰込《もぐりこ》み、|総《すべ》ての|計画《けいくわく》を|熟知《じゆくち》し|居《を》るこの|方《はう》、|俺《おれ》|位《くらゐ》のものが|看破《かんぱ》|出来《でき》ぬ|様《やう》なものではウラル|教《けう》も|駄目《だめ》だ。アハヽヽヽ、オホヽヽヽ、イヒヽヽヽ、イヽ|面《つら》の|皮《かは》だ、いぢらしいものだナア』
|岩彦《いはひこ》『|言《い》はして|置《お》けば|悪言暴語《あくげんばうご》の|乱射《らんしや》、もう|此《この》|上《うへ》は|不言実行《ふげんじつかう》だ。オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、|打《う》ちのめせ、|大将軍《たいしやうぐん》の|命令《めいれい》だ』
『ヨシ』
と|答《こた》へて|一同《いちどう》は|拳《こぶし》を|固《かた》め|鷹彦《たかひこ》の|面上《めんじやう》|目《め》がけて|力限《ちからかぎ》りに|打下《うちおろ》せば、|鷹彦《たかひこ》はヒラリと|体《たい》をかはした。
|梅彦《うめひこ》『アイタタ アイタタ、コラコラ|鷹彦《たかひこ》、おれをどうするのだ。|此奴《こいつ》|中々《なかなか》ひどい|事《こと》をしよるぞ。アイタタ アイタタ』
|暗《くら》がりまぎれに|鉄拳《てつけん》の|雨《あめ》を|降《ふ》らして|居《ゐ》る。|鷹彦《たかひこ》は|二三間《にさんげん》はなれた|所《ところ》より、
|鷹彦《たかひこ》『アハヽヽヽ、|盲《めくら》|同志《どうし》の|同志《どうし》|打《う》ち、ドシドシと|喧嘩《けんくわ》をやれ、この|方《はう》は|高処《たかみ》で|見物《けんぶつ》だ』
|梅彦《うめひこ》『オイオイ|皆《みな》の|奴《やつ》、|俺《おれ》の|頭《あたま》を|惨《ひど》い|目《め》になぐりよつて、チツト|心得《こころえ》ぬかい。|味方《みかた》を|打《う》つと|云《い》ふ|事《こと》があるものかい』
|音彦《おとひこ》『|千騎一騎《せんきいつき》の|戦場《せんぢやう》に|向《むか》つて|鎬《しのぎ》を|削《けづ》るに、|誰彼《たれかれ》の|用捨《ようしや》があらうか。|当《あた》るを|幸《さいは》ひ、なぐり、|張倒《はりたふ》し、|勝鬨《かちどき》あぐるは|瞬《またた》く|間《うち》』
|鷹彦《たかひこ》『アハヽヽヽ、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、|悪神《あくがみ》のする|事《こと》は|皆《みな》ソンナものだよ。もつとやれもつとやれ』
|音彦《おとひこ》『エーかもふない、|今《いま》に|仇《かたき》を|打《う》つてやる。オイ|皆《みな》の|者《もの》、|何《なん》でも|後《うしろ》の|方《はう》に|声《こゑ》がしたぞ。|突喊《とつかん》|々々《とつかん》』
ワーツと|鬨《とき》を|作《つく》つて|声《こゑ》する|方《はう》に|進撃《しんげき》する。|茂《しげ》みの|森《もり》の|木《き》の|幹《みき》に|前額部《ぜんがくぶ》を|衝突《しようとつ》させパチン、
『アイタタ、イヽヽイータイ、ヤー|鷹彦《たかひこ》の|奴《やつ》、|中々《なかなか》|固《かた》い|体《からだ》をしてゐよる。何だ|此奴《こいつ》は|木《き》の|幹《みき》だ、|大木《たいぼく》だ』
|鷹彦《たかひこ》は|体《からだ》をすくめながら、|暗《やみ》にすかして|五人《ごにん》の|蠢動《しゆんどう》するのを|見済《みす》まし|杖《つゑ》を|以《もつ》て|頭《あたま》と|思《おも》ふ|処《ところ》を|目《め》がけてそつと|叩《たた》く。
|音彦《おとひこ》『ヤア|居《を》る|居《を》るオイ、|此処《ここ》だ|此処《ここ》だ』
『ヤアさうか』
と|四人《よにん》は|声《こゑ》する|方《はう》を|目《め》あてに|鉄拳《てつけん》を|乱下《らんか》した。|音公《おとこう》は|四人《よにん》の|荒男《あらをとこ》に|身体《からだ》|一面《いちめん》|乱打《らんだ》されて、
『アイタタアイタタ、アヤマツタ、|待《ま》て|待《ま》て、|違《ちが》ふぞ|違《ちが》ふぞ』
|一同《いちどう》『|違《ちが》ふも|糞《くそ》もあつたものか。この|期《ご》に|及《およ》んで|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》な|逃《に》げ|口上《こうじやう》、|放《はな》すな|皆《みな》の|奴《やつ》、のばせのばせ』
|音彦《おとひこ》『|音《おと》ぢや|音《おと》ぢや』
|一同《いちどう》『|音《おと》がする|程《ほど》|叩《たた》けとぬかすのか、ヨシ|御註文《ごちゆうもん》|通《どほ》りなぐつてやらう』
|鉄拳《てつけん》の|音《おと》は|一層《いつそう》|激烈《げきれつ》となつて|来《き》た。|鷹彦《たかひこ》は|二三間《にさんげん》|傍《そば》にヌツと|立《た》つて、
|鷹彦《たかひこ》『アハヽヽ、オホヽヽ、イヒヽヽ、|鷹《たか》チヤンは|此処《ここ》だよ。|同志打《どうしう》ちの|先生《せんせい》、|盲《めくら》|先生《せんせい》、|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》は|丁度《ちやうど》ソンナものだよ。|互《たがひ》に|味方《みかた》|同士《どうし》、|兄弟《きやうだい》|同士《どうし》、|親類《しんるゐ》|同士《どうし》、|同士打《どうしう》ちをやつて|居《を》る。|貴様等《きさまら》もウラル|教《けう》の|精神《せいしん》を|遺憾《ゐかん》なく|発揮《はつき》して|満足《まんぞく》だらう。|昔《むかし》の|常世《とこよ》|会議《くわいぎ》で|武装《ぶさう》|制限《せいげん》が|行《おこな》はれて、|羽翼《うよく》を|取《と》られて|退化《たいくわ》した|人間《にんげん》が、アベコベに|羽翼《うよく》が|無《な》くなつて|不自由《ふじゆう》の|身体《からだ》になつて、それを|進化《しんくわ》したと|云《い》つて|喜《よろこ》ぶやうな|代物《しろもの》だから|不便《ふべん》なものだ。オイこの|鷹《たか》チヤンはその|名《な》の|如《ごと》く|羽翼《うよく》が|在《あ》つて|鷹《たか》の|通《とほ》り|空中《くうちう》は|自由自在《じいうじざい》だ。|一《ひと》つ|飛《と》んで|見《み》せて|遣《や》らうかい』
と|云《い》ひながら、|一丈《いちぢやう》もある|翼《つばさ》を|拡《ひろ》げてバタバタと|羽《は》ばたきをして|見《み》せる。
|一同《いちどう》『ヤア|此奴《こいつ》は|天狗《てんぐ》の|化物《ばけもの》だ。モシモシ|天狗様《てんぐさま》、|偉《えら》い|見損《みそこな》ひを|致《いた》しましたが、|天狗様《てんぐさま》、どうぞ|生命《いのち》|計《ばか》りはお|助《たす》け|下《くだ》さいませ』
|鷹彦《たかひこ》『|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ふか』
|一同《いちどう》『ハイハイ、|教《をし》へて|下《くだ》されば|歌《うた》ひます』
|鷹彦《たかひこ》『ウラル|教《けう》は|止《や》めるか』
|一同《いちどう》『やめますやめます』
この|時《とき》|暗中《あんちう》より|何人《なにびと》とも|知《し》れず、|涼《すず》しき|宣伝歌《せんでんか》が|暗《やみ》を|縫《ぬ》うて、|傍《かたはら》の|木《き》の|茂《しげ》みより|聞《きこ》え|来《き》たりけり。
(大正一一・三・一六 旧二・一八 谷村真友録)
第六章 |逆転《ぎやくてん》〔五三二〕
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|曲津《まがつ》の|神《かみ》は|荒《すさ》ぶとも  |黄泉《よもつ》ムの|島《しま》|沈《しづ》むとも
|誠《まこと》の|神《かみ》は|世《よ》を|救《すく》ふ  |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける  |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》  |唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ  |世《よ》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》せ
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |日《ひ》の|出《で》の|別《わけ》と|現《あら》はれて
ウラルの|山《やま》に|隠《かく》れたる  |魔神《まがみ》の|砦《とりで》を|言向《ことむ》けて
|神《かみ》の|教《をしへ》を|伝《つた》へつつ  |又《また》もや|進《すす》むアーメニヤ
|美山《みやま》の|彦《ひこ》や|国照姫《くにてるひめ》の  |醜《しこ》の|魔神《まがみ》の|曲業《まがわざ》を
|誠《まこと》|一《ひと》つの|言霊《ことたま》に  |言向和《ことむけや》はす|神司《かむづかさ》
ペルシヤの|海《うみ》を|乗《の》り|越《こ》えて  タルの|港《みなと》に|上陸《じやうりく》し
|駒《こま》に|跨《またが》り|静々《しづしづ》と  |進《すす》みて|来《きた》るシヅの|森《もり》
|森《もり》の|木蔭《こかげ》に|立寄《たちよ》りて  |疲《つか》れを|休《やす》むる|折《をり》もあれ
|俄《にはか》に|聞《きこ》ゆる|人《ひと》の|声《こゑ》  |耳《みみ》を|済《す》ませばこは|如何《いか》に
ウラルの|神《かみ》の|御教《みをしへ》を  |四方《よも》に|伝《つた》ふる|宣伝使《せんでんし》
|岩彦《いはひこ》|梅彦《うめひこ》|亀彦《かめひこ》や  |駒彦《こまひこ》|音彦《おとひこ》|鷹彦《たかひこ》の
|訳《わけ》も|分《わか》らぬ|同志打《どうしう》ち  |打《う》ち|寛《くつ》ろぎて|聞《き》き|居《を》れば
|狗《いぬ》に|腐肉《ふにく》を|見《み》せし|如《ごと》  |言騒《ことさわ》がしくさやぎつつ
|打《う》つ|蹴《け》る|擲《なぐ》る|泣《な》く【わめ】く  |名《な》に|負《お》ふシヅの|此《こ》の|森《もり》も
さやぎの|森《もり》となりにけり  ウラルの|神《かみ》の|宣伝使《せんでんし》
|汝《なれ》も|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》  |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|大神《おほかみ》は
|唯《ただ》|一柱《ひとはしら》ゐますのみ  |本津御神《もとつみかみ》を|振《ふ》り|捨《す》てて
|枝葉《えだは》の|神《かみ》を|敬《うやま》ひつ  |世《よ》を|紊《みだ》し|行《ゆ》く|曲神《まがかみ》の
|報《むく》いは|忽《たちま》ち|目《ま》のあたり  |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の
|御稜威《みいづ》の|風《かぜ》に|払《はら》はれて  ウラルの|山《やま》やアーメニヤ
|堅磐常磐《かきはときは》の|住処《すみか》ぞと  |仕《つか》へ|奉《まつ》りし|鉄条網《てつでうまう》
|木葉微塵《こつぱみぢん》となりはてて  |今《いま》は|果敢《はか》なき|夢《ゆめ》の|跡《あと》
|美山《みやま》の|彦《ひこ》や|国照姫《くにてるひめ》の  |醜《しこ》の|魔神《まがみ》の|細々《ほそぼそ》と
|苦節《くせつ》を|守《まも》る|憐《あは》れさよ  |高天原《たかあまはら》も|国土《くにつち》も
|曇《くも》り|果《は》てたる|今《いま》の|世《よ》は  ウラルの|教《をしへ》も|世《よ》の|末《すゑ》ぞ
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|片時《かたとき》も  |疾《と》く|速《すむや》けく|改《あらた》めて
|醜《しこ》の|曲言《まがごと》|宣《の》り|直《なほ》し  |栄《さか》え|目出度《めでた》き|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》に|真心《まごころ》を  |捧《ささ》げて|祈《いの》れ|六《むつ》の|人《ひと》
|世《よ》は|紫陽花《あぢさゐ》の|七変《ななかは》り  |八洲《やしま》の|国《くに》は|十重《とへ》|二十重《はたへ》
|雲霧《くもきり》|四方《よも》に|塞《ふさ》がりて  とく|由《よし》も|無《な》き|常夜国《とこよくに》
|汝《な》が|身《み》に|受《う》けし|村肝《むらきも》の  |心《こころ》の|魂《たま》を|逸早《いちはや》く
|天《あま》の|真澄《ますみ》の|御鏡《みかがみ》と  |研《みが》き|澄《す》まして|神直日《かむなほひ》
|清《きよ》き|身魂《みたま》に|立替《たてかへ》よ  われは|日《ひ》の|出《で》の|宣伝使《せんでんし》
|天津《あまつ》|御空《みそら》の|日《ひ》の|神《かみ》の  |御言《みこと》|畏《かしこ》み|葦原《あしはら》の
|瑞穂《みづほ》の|国《くに》に|降《くだ》りたる  |神《かみ》の|依《よ》さしの|厳《いづ》|身魂《みたま》
|瑞《みづ》の|身魂《みたま》の|現《あ》れませる  コーカス|山《ざん》に|進《すす》むなり
|誠《まこと》の|神《かみ》に|刄向《はむか》ひて  |栄《さか》えし|例《ため》し|昔《むかし》より
|今《いま》に|至《いた》るもあら|波《なみ》の  |闇《やみ》の|海路《うなぢ》を|渡《わた》る|如《ごと》
その|危《あやふ》さは|限《かぎ》りなし  |限《かぎ》りも|知《し》らぬ|大神《おほかみ》の
|深《ふか》き|恵《めぐ》みを|悦《よろこ》びて  |仕《つか》へ|奉《まつ》れよ|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》の|道芝《みちしば》に  |神《かみ》の|教《をしへ》の|道芝《みちしば》に』
と|歌《うた》ふ|声《こゑ》に、|一同《いちどう》は|雷《かみなり》に|打《う》たれし|如《ごと》き|心地《ここち》して、|大地《だいち》にドツと|平伏《へいふく》し、|息《いき》を|殺《ころ》して|控《ひか》へゐる。
|鷹彦《たかひこ》『アヽ|何《いづ》れの|方《かた》かと|思《おも》へば、|今日《けふ》|船中《せんちう》にてお|目《め》にかかつた|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、われは|元来《ぐわんらい》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|鷹彦《たかひこ》と|申《まを》すもの、ウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》となりすまし、|彼等《かれら》が|悪計《あくけい》の|秘密《ひみつ》を|探《さぐ》り、|此処《ここ》まで|帰《かへ》り|来《きた》りしもの、|今《いま》や|五人《ごにん》の|宣伝使《せんでんし》に|包囲《はうゐ》|攻撃《こうげき》を|受《う》け、|前後左右《ぜんごさいう》に|体《たい》を|躱《かは》し、|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|聴聞《ちやうもん》させむと|心胆《しんたん》を|砕《くだ》きし|折《をり》、|思《おも》ひがけ|無《な》き|貴使《きしん》の|宣伝歌《せんでんか》、アヽ|有《あ》り|難《がた》しありがたし。われも|是《これ》より|貴使《きしん》のお|供《とも》|仕《つかまつ》り、コーカス|山《ざん》にお|送《おく》り|申《まを》さむ。どうぞ|此《この》|儀《ぎ》お|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
と|声《こゑ》を【しるべ】に|物語《ものがた》るを、|日《ひ》の|出別《でわけ》は、
『ホーその|方《はう》は|予《かね》て|噂《うはさ》に|聞《き》きし|鷹彦《たかひこ》なりしか。よい|所《ところ》で|逢《あ》ひけるよ。それにしてもこの|五人《ごにん》の|宣伝使《せんでんし》を|言向《ことむ》け|和《やは》さねば、|吾々《われわれ》の|任務《にんむ》を|果《はた》すことが|出来《でき》ない』
|鷹彦《たかひこ》『イヤご|心配《しんぱい》はご|無用《むよう》です。|三年《さんねん》ぶり|此《こ》の|男等《をとこら》と|寝食《しんしよく》を|共《とも》にし、|彼等《かれら》が|心理《しんり》|状態《じやうたい》を|確《しつか》り|承知《しようち》|致《いた》し|居《を》れば、|余《あま》り|心配《しんぱい》せずとも|帰順《きじゆん》させることは|容易《ようい》の|業《わざ》だと|思《おも》ひます。どうか|此《こ》の|五人《ごにん》は|私《わたし》にお|任《まか》せ|下《くだ》さいませ』
|日《ひ》の|出別《でわけ》は|言外《げんぐわい》に|承知《しようち》の|旨《むね》を|面色《めんしよく》にて|示《しめ》しゐる。
|鷹彦《たかひこ》『サア、|岩彦《いはひこ》、|貴様《きさま》|一人《いちにん》は|最《もつと》も|難物《なんぶつ》だ。|貴様《きさま》さへ|改心《かいしん》をすれば|他《た》の|連中《れんぢう》は、|最早《もはや》|九分九厘《くぶくりん》まで|帰順《きじゆん》してゐるやうなものだ。|何《ど》うだ、|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》するか』
|岩彦《いはひこ》『アー|仕方《しかた》が|無《な》い。また|神《かみ》の|道《みち》の|逆転《ぎやくてん》|旅行《りよかう》だ。|時《とき》あつて|親子《おやこ》|主従《しゆじゆう》|敵《てき》となり、|味方《みかた》となるも|世《よ》の|習《なら》ひ、|是非《ぜひ》に|及《およ》ばず|降伏《かうふく》いたさうかい』
|鷹彦《たかひこ》『そりや|本当《ほんたう》か』
|岩彦《いはひこ》『|本刀《ほんたう》でなうて|何《なん》としよう、|真剣《しんけん》だ、|正宗《まさむね》の|銘刀《めいたう》だ』
|鷹彦《たかひこ》『モウ|少《すこ》し|早《はや》く|改心《かいしん》すれば|好《よ》いものを、トコトンまで|頑張《ぐわんば》りよつて、ドン|後《じり》で|往生《わうじやう》するとは|余《あま》り【みつとも】|良《よ》く|無《な》い。しかし|乍《なが》ら|改心《かいしん》せぬより|優《まし》だ。|軈《やが》てまた|夜《よ》が|明《あ》けるだらう、|改心《かいしん》の|褒美《ほうび》として、|悠々《ゆつくり》|安眠《あんみん》させてやらう。また|明日《あす》は|一生懸命《いつしやうけんめい》【てく】つかねばならぬから』
|岩彦《いはひこ》『イヤもう|寝《ね》るどころでも、|何《なに》どころでもない。|心《こころ》の|中《なか》の|天変地妖《てんぺんちえう》だ。|地震《ぢしん》、|雷《かみなり》、|火《ひ》の|雨《あめ》に|逢《あ》うたよりも、きつい|脅威《けふゐ》だ』
|鷹彦《たかひこ》『アーさうだらう。|其処《そこ》を|決心《けつしん》するのが|誠《まこと》の|道《みち》を|歩《あゆ》む|宣伝使《せんでんし》の|態度《たいど》だ』
|斯《か》く|話《はな》す|折《をり》しも|十重《とへ》|二十重《はたへ》に|包《つつ》まれし|月《つき》は、フサの|海《うみ》の|彼方《かなた》に|影《かげ》を|顕《あら》はし、|皎々《かうかう》たる|光《ひかり》を|此《こ》の|森《もり》に|斜《ななめ》に|投《な》げた。
|又《また》もや|一同《いちどう》の|顔《かほ》は、【ほのか】に|判別《はんべつ》することが|出来《でき》るやうになつて|来《き》た。これよりウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》は、|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》の|信者《しんじや》と|急転《きふてん》し、|夜明《よあ》けを|待《ま》つてフサの|都《みやこ》に|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|進《すす》み|行《ゆ》く|事《こと》となりける。
(大正一一・三・一六 旧二・一八 外山豊二録)
第二篇 |洗礼《せんれい》|旅行《りよかう》
第七章 |布留野原《ふるのはら》〔五三三〕
|誠《まこと》の|神《かみ》の|言霊《ことたま》に  |雲霧《くもきり》|開《ひら》く|日《ひ》の|出別《でわけ》
|珎《ウヅ》の|御言《みこと》の|宣伝使《せんでんし》  |天教山《てんけうざん》を|立出《たちい》でて
|遠《とほ》き|海原《うなばら》うち|渡《わた》り  いよいよここにフサの|海《うみ》
タルの|港《みなと》に|上陸《じやうりく》し  |心《こころ》も|漸《や》つとシヅの|森《もり》
|木蔭《こかげ》に|憩《いこ》ふ|折柄《をりから》に  |闇《やみ》に|聞《きこ》ゆる|人《ひと》の|声《こゑ》
|眠《ねむり》|覚《さ》ませば|岩彦《いはひこ》が  |部下《ぶか》に|仕《つか》ふる|宣伝使《せんでんし》
|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》つ|六《む》つ  むつみ|合《あ》うたる|其《その》|仲《なか》も
|時《とき》に|浪風《なみかぜ》|立騒《たちさわ》ぎ  |黒白《あやめ》も|分《わか》ぬ|暗《くら》まぎれ
|闘《たたか》ふ|間《うち》に|日《ひ》の|出別《でわけ》  |神《かみ》の|真道《まみち》を|言別《ことわ》けて
|漸《やうや》く|一同《いちどう》シヅの|森《もり》  |岩《いは》に|等《ひと》しき|岩彦《いはひこ》の
|固《かた》き|心《こころ》をなごめつつ  |一度《いちど》に|開《ひら》く|梅ケ香《うめがか》の
|神《かみ》の|教《をしへ》に|服従《まつろ》はせ  【|音《おと》】に|名高《なだか》きフル|野原《のはら》
さやる|魔神《まがみ》を|言向《ことむ》けて  【|亀《かめ》】の|齢《よはひ》の|何時《いつ》までも
|動《うご》かぬ|神代《かみよ》を|築《きづ》かむと  |心《こころ》の【|駒《こま》】に|鞭《むちう》ちて
|雀《すずめ》の|群《むれ》に|翔《か》け|下《くだ》る  【|鷹《たか》】の|勢《いきほひ》|勇《いさ》ましく
|草《くさ》|生《お》ひ|茂《しげ》る|広野原《ひろのはら》  タルの|大河《おほかは》|右《みぎ》に|見《み》て
|北《きた》へ|北《きた》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。
|一行《いつかう》|七人《しちにん》は|脚《あし》に|任《まか》せてフル|野ケ原《のがはら》を|奥深《おくふか》く|進《すす》み|入《い》る。|又《また》もや|真黒《しんこく》の|暗《やみ》の|帳《とばり》はおろされて、|四辺暗澹《しへんあんたん》たる|光景《くわうけい》となりて|来《き》たりぬ。|東北《とうほく》の|風《かぜ》はヒユーヒユーと|草野《くさの》を|撫《な》でて|吹《ふ》き|来《きた》り|小雨《こあめ》さへ|混《まじ》り|居《ゐ》る。
|鷹彦《たかひこ》『|昨夜《ゆふべ》は、シヅの|森《もり》で、|乱痴気《らんちき》|騒《さわ》ぎをおつぱじめ、|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》の|居中調停《きよちうてうてい》の|効果《かうくわ》によりて、まづ|平和《へいわ》|克復《こくふく》の|曙光《しよくわう》を|認《みと》め、|今日《けふ》は|天地《てんち》にかはる|大変動《だいへんどう》、|三五教《あななひけう》を|仇敵《きうてき》の|如《ごと》く|見做《みな》して|居《ゐ》た、ウラル|教《けう》のヘボ|宣伝使《せんでんし》は、|今日《けふ》は|同行《どうぎやう》|七人《しちにん》の|三五教《あななひけう》、|変《かは》れば|替《かは》るものだワイ。サア|今晩《こんばん》は、このフル|野ケ原《のがはら》の|草《くさ》を|衾《しとね》に、|平和《へいわ》の|夢《ゆめ》を|結《むす》ばうぢやないか。モシモシ|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|此《この》フル|野ケ原《のがはら》は、|一時《ひととき》|雨《あめ》が|降《ふ》つては、また|一時《ひととき》|晴《は》れるといふ|芸当《げいたう》を|繰返《くりかへ》すのですから|漫然《うつかり》|安眠《あんみん》も|出来《でき》ますまいが、|蓑笠《みのかさ》を|被《かぶ》つて、|一夜《いちや》を|明《あ》かす|事《こと》に|致《いた》しませうか』
『アヽそれも|宜《よ》からう。|先《ま》づ|今晩《こんばん》はゆつくりと|足《あし》を|伸《の》ばして|寝《ね》ませう』
|岩彦《いはひこ》『それは|有難《ありがた》い、|併《しか》し|乍《なが》らこのフル|野ケ原《のがはら》は、|妖怪《えうくわい》|変化《へんげ》の|隠顕《いんけん》|出没《しゆつぼつ》|常《つね》ならざる、|魔窟ケ原《まくつがはら》であるから、あまり|安眠《あんみん》も|出来《でき》ますまい。|併《しか》しコンパスを|休養《きうやう》させる|為《ため》に、|横《よこ》に|立《た》てつて、|空《そら》の|黒雲《くろくも》と|睨《にら》みつこでも|致《いた》しませうか』
|梅彦《うめひこ》『アヽモウ|草臥《くたび》れた。タルの|河《かは》の|河縁《かはべり》を|伝《つた》うて|来《き》たお|蔭《かげ》で、|草鞋《わらぢ》に|泥埃《どろぼこり》の|寄生虫《きせいちう》が|群生《ぐんせい》して、|十足《じつそく》ぶりの|重《おも》みを|感《かん》じた。アーア|疲労《くたび》れた|時《とき》に|休《やす》む|程《ほど》|楽《らく》なものはない。|可愛《かあい》い|子《こ》には|旅《たび》をさせとやら、|本当《ほんたう》に、|風《かぜ》|吹《ふ》き|荒《すさ》ぶ|埃道《ほこりみち》を、|目的場所《あてど》もなしにテクツク|位《くらゐ》|苦《くる》しい|事《こと》はない。|其《その》|苦《くる》しみを|癒《い》やす|為《ため》に、|足《あし》を|伸《の》ばして|休《やす》む|時《とき》の|楽《たの》しさ、|少々《せうせう》|小雨《こあめ》が|降《ふ》つた|位《くらゐ》はナンの|苦《く》にもなるものでないわ』
|亀彦《かめひこ》『わしも|一《ひと》つ|島《じま》から|長《なが》い|間《あひだ》、|船《ふね》に|揺《ゆ》られて、サツパリ|足《あし》の|魂《たましひ》が、どつかへ|移住《いぢゆう》したと|見《み》えて、ナンダか、|他人《ひと》の|足《あし》の|様《やう》な|心持《こころもち》がして|仕方《しかた》がない。マアゆつくりと|今夜《こんや》は|此処《ここ》で|休息《きうそく》さして|貰《もら》はう』
『サアサア|皆《みな》の|者《もの》、|休眠《やす》まうぢやないか』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|日《ひ》の|出別《でわけ》は|雑草《ざつさう》の|上《うへ》にコロリと|横《よこ》たはり、|鼾声《かんせい》|雷《らい》の|如《ごと》く、|忽《たちま》ち|華胥《くわしよ》の|国《くに》に|遊楽《いうらく》するものの|如《ごと》くなりけり。
|鷹彦《たかひこ》『アア、|何《なん》と|罪《つみ》のない|豪胆《がうたん》な|宣伝使《せんでんし》だらう。|昨日《きのふ》まで|極力《きよくりよく》|反対《はんたい》して|居《ゐ》た|吾々《われわれ》を|側《そば》に|置《お》いて、|何《なん》の|懸念《けねん》もなく、|率先《そつせん》して|他念《たあい》もなく|寝《しん》に|就《つ》く。|其《その》|度量《どりやう》の|大《おほ》きいのには、|吾々《われわれ》も|舌《した》を|巻《ま》かねばならぬ。|人間《にんげん》は|斯《こ》うなくてはならない、|猜疑心《さいぎしん》や、|嫉妬心《しつとしん》や、|疑惑《ぎわく》があると、つひ|他人《ひと》の|事《こと》が|気《き》になつて、|安心《あんしん》の|出来《でき》ぬものだ。|疑心暗鬼《ぎしんあんき》を|生《しやう》ずと|言《い》つて、|人《ひと》は|自分《じぶん》の|心《こころ》で|自分《じぶん》を|苦《くるし》めるのだ。ウラル|教《けう》は|六人《ろくにん》|連《づれ》で|旅《たび》をしても、|夜中《やちう》に|何《なに》が|襲来《しふらい》するか|知《し》れないと|云《い》つて、|交代《かうたい》で|一人《ひとり》|宛《づつ》、|其《その》|傍《そば》に|哨兵《せうへい》を|立《た》たせて|置《お》く。|之《これ》れを|思《おも》へば、|実《じつ》に|三五教《あななひけう》は|淡泊《たんぱく》なものだ。|博愛《はくあい》の|教《をしへ》だ。……オイ|貴様達《きさまたち》も|安心《あんしん》して|寝《ね》たがよからう』
|駒彦《こまひこ》『ソラさうだ、|昨日《きのふ》の|敵《てき》は|今日《けふ》の|味方《みかた》、|鬼《おに》の|囁《ささや》き、|虎《とら》の|嘯《うそぶ》きと|聞《きこ》えしは、|松《まつ》|吹《ふ》く|風《かぜ》となりにけりだ。サアサア|皆《みな》|一同《いちどう》に|心《こころ》のキルクを|抜《ぬ》いて、|今日《けふ》は|一蓮托生《いちれんたくしやう》、|枕《まくら》を|並《なら》べて|討死《うちじに》……オツトドツコイ|打揃《うちそろ》ひ|寝《しん》に|就《つ》かうぢやないか』
|岩彦《いはひこ》『サアお|前達《まへたち》は|皆《みな》|寝《やす》め、この|岩彦《いはひこ》は|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》の|保護《ほご》の|任《にん》にあたらねばならぬ。|是《これ》が|俺《おれ》の|真心《まごころ》だから……』
|鷹彦《たかひこ》『|真心《まごころ》とは|真赤《まつか》な|詐《いつは》りだらう。マ|心《こころ》のマは|悪魔《あくま》の|魔《ま》だらう。|貴様《きさま》はまだ|安心《あんしん》が|出来《でき》ないと|見《み》えて、|熟睡《じゆくすい》して|居《ゐ》る|間《ま》に、|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》に|喉笛《のどぶえ》でもかかれはせぬかといふ|猜疑心《さいぎしん》があるのだよ』
|岩彦《いはひこ》『ナニ|決《けつ》して|決《けつ》して、さうではないよ。|此《この》フル|野ケ原《のがはら》には、|沢山《たくさん》の|大蛇《をろち》が|居《を》るといふ|事《こと》だ。|人《ひと》の|匂《にほひ》がすれば|嗅《か》ぎつけて、|何時《なんどき》やつて|来《く》るか|知《し》れぬ。それだから|拙者《せつしや》が|保護《ほご》の|任《にん》に|当《あた》るのだよ』
|鷹彦《たかひこ》『ナニソンナ|心配《しんぱい》は|要《い》らぬ。|早《はや》く|寝《やす》んだがよからうぞ』
|梅彦《うめひこ》『オイオイ、|大変《たいへん》だ|大変《たいへん》だ』
|鷹彦《たかひこ》『|何《なに》が|大変《たいへん》だ』
|梅彦《うめひこ》『|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》のお|姿《すがた》が|見《み》えぬぢやないか』
|此《この》|一言《いちごん》に『アツ』と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|附近《あたり》を|見《み》れば|影《かげ》もない。
|岩彦《いはひこ》『それ|見《み》ろ、やつぱりフル|野ケ原《のがはら》は|妖怪窟《えうくわいくつ》だ。|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》を、|大蛇《をろち》の|奴《やつ》、|忍術《にんじゆつ》を|使《つか》つて、そつと|呑《の》んで|仕舞《しまひ》よつたのだらうも|知《し》れぬぞ』
|鷹彦《たかひこ》『ナーニ、ソンナ|事《こと》があるものか。あの|方《かた》は|神様《かみさま》の|化身《けしん》だから、|変幻《へんげん》|出没《しゆつぼつ》|自由自在《じいうじざい》だ。|吾々《われわれ》の|様《やう》な|罪悪《ざいあく》の|凝結《かたまり》とは|違《ちが》つて、|浄化《じやうくわ》して|御座《ござ》るのだから、|透《すきとほ》つて|見《み》えないのだらう』
|此《この》|時《とき》|何《なん》とも|知《し》れぬ|血腥《ちなまぐさ》き、|湿潤《しめり》ある、|蒸暑《むしあつ》い|風《かぜ》がサツと|吹《ふ》いて|来《き》た。
|音彦《おとひこ》『ヤア|此《この》|風《かぜ》はナンダ、|怪体《けつたい》な|調子《てうし》だぞ。どうしてもフル|野ケ原《のがはら》|式《しき》だ』
|鷹彦《たかひこ》『|恐怖心《きようふしん》に|駆《か》られて、|全身《ぜんしん》|細《こま》かく、ブルブルブル|野ケ原《のがはら》の|野宿《のじゆく》といふ|体裁《ていさい》だ。アハヽヽヽ、|臆病風《おくびやうかぜ》がソロソロ|吹《ふ》き|出《だ》したワイ』
|音彦《おとひこ》『|向《むか》うから|悪魔《あくま》の|奴《やつ》、|魔風《まかぜ》を|吹《ふ》かしよるから、|此方《こちら》も|負《ま》けぬ|気《き》になつて、|言霊《ことたま》の|一《いち》|二《に》|三《さん》|四《し》|五《ご》|六《ろく》|七《しち》|八《はち》|九《く》|十《じふ》|百《ひやく》|千《せん》|万《まん》|億病風《おくびやうかぜ》だ』
|鷹彦《たかひこ》『|何《なに》を|洒落《しやれ》るのだ、それそれ|又《また》|雨《あめ》だ』
|音彦《おとひこ》『【あめ】が|下《した》に|住居《すまゐ》する|吾々《われわれ》が、|雨《あめ》が|怖《こは》くて|此《この》|世《よ》に|居《を》れるか。|雨《あめ》より|恐《こは》いは、アーメニヤのウラル|彦《ひこ》|様《さま》だ。|吾々《われわれ》が|斯《か》うして、|飛行《ひかう》|宣伝中《せんでんちう》に|宙返《ちうがへり》をうつたと|云《い》ふことが|聞《きこ》えたら、それこそ|大変《たいへん》だ。|到底《たうてい》|旧《もと》のアーメニヤの|城内《じやうない》に、|格納《かくなふ》して|貰《もら》ふ|事《こと》は|最大《さいだい》|難事《なんじ》だよ』
|鷹彦《たかひこ》『まだ|貴様《きさま》は、アーメニヤが|恋《こひ》しいのか』
|音彦《おとひこ》『ナーニ、アーメニヤが|恋《こひ》しいのぢやない、|肝腎《かんじん》の|力《ちから》に|思《おも》うた|日《ひ》の|出別神《でわけのかみ》|様《さま》が、|雲煙《くもけむり》となつて|磨滅《まめつ》して|了《しま》つたものだから、|心細《こころぼそ》くなつて|来《き》たのだ。それで|今度《こんど》はアーメニヤの|盤古神王《ばんこしんわう》のお|咎《とがめ》が|恐《おそ》ろしくなつて|来《き》たのだ。|俺《おれ》だつて|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》にしやツついてさへ|居《を》れば、|心《こころ》が|大丈夫《だいぢやうぶ》だが、コンナ|魔窟《まくつ》に|放擲《はうてき》されて、チツトは|愚痴《ぐち》も|出《で》ようまいものでもなからうぢやないか』
|亀彦《かめひこ》『さうぢや、|同感《どうかん》|々々《どうかん》、|誰《たれ》だつて|人《ひと》の|心《こころ》は|九合八合《ぐがふはちがふ》だ。|今《いま》|此処《ここ》で|捨《す》てられたら、それこそ|一升《いつしよう》の|恨《うらみ》だ。オイオイ|一斗《いつと》の|者《もの》、|一石《いつこく》も|早《はや》く|在処《ありか》を|探《たづ》ねて|見《み》ようぢやないか。|桝々《ますます》|斗《はか》り|知《し》られぬ|宣伝使《せんでんし》の|変幻出没《へんげんしゆつぼつ》、こりやマア、どうしたら|宜《よ》からうかな』
|此《この》|時《とき》ボンヤリとした、|薄暗《うすぐら》い、|生茂《おひしげ》る|茅《かや》の|中《なか》から、ズズ|黒《ぐろ》い|大《おほ》きな|顔《かほ》がヌツと|現《あら》はれて、
|化物《ばけもの》『キエーヘヽヽヽ、キヤーハヽヽヽ、キヨーホヽヽヽ、キューヽヽヽヽ』
|音彦《おとひこ》『|音高《おとたか》し|音高《おとたか》し、|静《しづ》かにめされ|化物《ばけもの》|殿《どの》』
|化物《ばけもの》『キヤーヽヽヽヽ、キユーヽヽヽヽ』
|音彦《おとひこ》『オイオイ|皆《みな》の|奴《やつ》、|呪文《じゆもん》を|唱《とな》へるのだ。|向《むか》うがキユーキユーだから、|此方《こつち》は|窮々《きうきう》|如律令《によりつれい》だ。サア|言《い》うたり|言《い》うたり』
|一同《いちどう》|声《こゑ》を|揃《そろ》へて、
『|窮々《きうきう》|如律令《によりつれい》、|窮々《きうきう》|如律令《によりつれい》』
|化物《ばけもの》『ワハヽヽヽ、|苦《くる》しいか、|恐《おそ》ろしいか、キユーキユー|言《い》つてゐよるナア。キヤヽヽヽヽ、キヤハヽヽヽヽキヨホヽヽヽ』
|岩彦《いはひこ》『ナーンダ、|脱線《だつせん》だらけの|鵺的《ぬえてき》|言霊《ことたま》を|陳列《ちんれつ》しよつて、……ソンナものは|何時迄《いつまで》|置《お》いといても、|売約済《ばいやくずみ》の|札《ふだ》は|付《つ》かんぞ。モツト|舶来《はくらい》の|精巧《せいかう》|無比《むひ》、|天下《てんか》|一品《いつぴん》といふ|言霊《ことたま》を|陳列《ちんれつ》せぬかい』
|化物《ばけもの》『ウーン、ウンウン』
|梅彦《うめひこ》『ナアーンダ、|屈《かが》みよつたな』
|岩彦《いはひこ》『どうだ、|俺《おれ》の|言霊《ことたま》には、|化《ばけ》チヤン|往生《わうじやう》しただらう。それだから|此《この》|方《はう》が、ウラル|教《けう》の|宣伝使長《せんでんしちやう》に|選《えら》ばれたのだ。ウラル|彦《ひこ》の|眼力《がんりき》は|実《じつ》に|天晴《あつぱ》れなものだらう』
|音彦《おとひこ》『あまり|吹《ふ》くない。|何時《いつ》だつて|尻《しり》の|約《つづま》りが|合《あ》うた|事《こと》が、|一度《いちど》でもあるかい。|貴様《きさま》の|言霊《ことたま》で|化物《ばけもの》が|閉息《へいそく》したと|思《おも》へば|当《あて》が|違《ちが》うぞ。あの|声《こゑ》を|聞《き》いたか、ウンウンウンといつただらう、|萱《かや》ん|穂《ぼ》の|中《なか》で、|団尻《だんじり》を|引捲《ひきまく》つて、ウンと|瓦斯《ガス》や|残滓物《ざんさぶつ》を|放出《はうしゆつ》して、それから|第二《だいに》の|作戦《さくせん》|計画《けいくわく》にかからうと|云《い》ふ|手段《しゆだん》だよ』
|岩彦《いはひこ》『|何程《なにほど》ウンウン|言《い》つたつて、|運《うん》は|天《てん》に|在《あ》りだ、|一《ひと》つ|是《これ》から|運比《うんくら》べをやるのだ』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|岩彦《いはひこ》は|尻《しり》ひきまくり、|化物《ばけもの》の|屈《かが》んだ|方《はう》に|向《むか》つて、
|岩彦《いはひこ》『ヤア、|折悪《をりあ》しくウンの|持合《もちあは》せがない、|仕方《しかた》がないワ、|此《この》|方《はう》の|臀肉《でんにく》を|喰《くら》へ、お|尻《しり》が|呆《あき》れるワ』
と|三《み》つ|四《よ》つ|叩《たた》いて|見《み》せる。
|音《おと》、|梅《うめ》『アハヽヽヽ、こいつあ|面白《おもしろ》い、|洒落《しやれ》てけつかるワイ』
|草原《くさはら》より|再《ふたた》び|化物《ばけもの》はニユーツと|首《くび》を|出《だ》し、
『ヤア|岩彦《いはひこ》、|有難《ありがた》い、お|前《まへ》の|尻《けつ》を|是《これ》から|頂戴《ちやうだい》する。そこ|動《うご》くな』
|岩彦《いはひこ》『ヤア、バババケ|公《こう》、|嘘《うそ》だ|嘘《うそ》だ、|一寸《ちよつと》|愛想《あいそ》に|行《や》つて|見《み》たのだ。お|前《まへ》はウンウンと|言《い》つて|糞《くそ》をこいたが、|俺《おれ》は|嘘《うそ》をこいたのだ。コンナ|事《こと》を、|真面目《まじめ》に|聞《き》く|不風流《ぶふうりう》な|奴《やつ》があるかい。お|前《まへ》もよつぽど|原始的《げんしてき》な|化《ばけ》チヤンだナア』
|化物《ばけもの》『オ……オ……|俺《おれ》は|原始的《げんしてき》だから、お|前《まへ》の|様《やう》な|風流《ふうりう》の|持合《もちあは》せはないワイ。|何事《なにごと》も|神《かみ》の|道《みち》は|正直《しやうぢき》が|一番《いちばん》だ。お|前《まへ》も|苟《いやし》くも|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》、|滅多《めつた》に|戯談《じやうだん》や|嘘偽《うそ》を|云《い》ふ|筈《はず》はあるまい。|言行《げんかう》|一致《いつち》だ。サアサア|宣言《せんげん》を|履行《りかう》して|貰《もら》はうかい』
|鷹彦《たかひこ》『アハヽヽヽ、|此《この》|化州《ばけしう》、あぢな|事《こと》を|言《い》ひよる。オイオイ|化州《ばけしう》、コンナ|岩公《いはこう》の|様《やう》な|分《わか》らずやに|相手《あひて》になるな、|見逃《みのが》せ|見逃《みのが》せ』
|化物《ばけもの》『それでも|岩公《いはこう》の|奴《やつ》、|確《たしか》に|尻《しり》をまくつて、|喰《くら》へと|言《い》つたのだ。お|前《まへ》たちの|耳《みみ》にも|新《あらた》なる|所《ところ》、|斯《か》く|的確《てきかく》な|意思《いし》|表示《へうじ》をやつた|以上《いじやう》は、|何処《どこ》までも|強制《きやうせい》|執行《しつかう》をやるのだ』
|岩彦《いはひこ》『|執行《しつかう》とはナンダ、|執拗《しつこい》ぢやないか、|良《い》い|加減《かげん》に|砕《くだ》けぬかい』
|化物《ばけもの》『|砕《くだ》ける|砕《くだ》ける、お|前《まへ》の|骨《ほね》が、|木葉微塵《こつぱみぢん》に|砕《くだ》けるぞ。|当《あた》つて|砕《くだ》けと|云《い》ふことがあるぢやないか、お|前《まへ》も|立派《りつぱ》な|一人前《いちにんまへ》の|男《をとこ》だらう。|当《あた》つて|砕《くだ》けたらどうだい』
|岩彦《いはひこ》『イヤ|俺《おれ》は|一人前《いちにんまへ》ぢやない、|四人前《よにんまへ》だ』
|化物《ばけもの》『|四人前《よにんまへ》なら|猶更《なほさら》の|事《こと》だ、|余人《よにん》はいざ|知《し》らず、|汝《なんぢ》|一人《ひとり》に|限《かぎ》つて|絶対的《ぜつたいてき》に|実行《じつかう》をするのだ。そこ|動《うご》くな』
|岩彦《いはひこ》『|動《うご》けと|云《い》つたつて、|動《うご》くものかい。|岩《いは》サンは|其《その》|名《な》の|如《ごと》く、|恬《てん》として|動《うご》からざる|事《こと》、|磐石《いはじやく》の|如《ごと》しだ』
|化物《ばけもの》『さうだらう、|腰《こし》を|抜《ぬ》かしよつて、|減《へ》らず|口《ぐち》を|叩《たた》くない』
|鷹彦《たかひこ》『アーア、|此《この》|睡《ねむ》たいのに、|気楽《きらく》な|化《ばけ》|奴《め》がやつて|来《き》よつて、|種々《いろいろ》の|余興《よきよう》をやるものだから|可笑《おか》しくつて、|碌《ろく》に|眠《ねむ》る|事《こと》も|出来《でき》やしないワ』
|岩彦《いはひこ》『オイオイ|鷹彦《たかひこ》、|何《なに》が|余興《よきよう》だ。|俺《おれ》の|身《み》にも|一《ひと》つなつて|見《み》い』
|鷹彦《たかひこ》『アハヽヽヽ、|貴様《きさま》あまり|頑固《ぐわんこ》だつたから、|一寸《ちよつと》|神様《かみさま》に|釘《くぎ》を|打《う》たれて|居《ゐ》るのだ。ナアモシ、|化神《ばけがみ》さま……』
|化物《ばけもの》『さうだ、|鷹彦《たかひこ》の|仰有《おつしや》る|通《とほり》、|俺《おれ》の|聞《き》く|通《とほ》りだ。|一分一厘《いちぶいちりん》|間違《まちがひ》のない|話《はなし》だ』
|岩彦《いはひこ》『オイ|鷹彦《たかひこ》、|岩《いは》いでもよい|事《こと》を|言《い》ふな、|貴様《きさま》は|化《ばけ》の|奴《やつ》に|共鳴《きようめい》しよつて、|本当《ほんたう》に|怪《あや》しからぬ|奴《やつ》ぢや』
|鷹彦《たかひこ》『アハヽヽヽ、|貴様《きさま》|又《また》|昨夜《ゆふべ》の|様《やう》に|夢《ゆめ》でも|見《み》とるのぢやないか』
|岩彦《いはひこ》『さうかなア、|夢《ゆめ》なら|結構《けつこう》だが……ヤアどうしても|夢《ゆめ》の|様《やう》に|思《おも》はれぬぞ。|起《お》きてはテクテクと|曠野《くわうや》を|渉《わた》り、|寝《ね》てはコンナ|恐《おそ》ろしい|夢《ゆめ》を|見《み》せられては|堪《たま》つたものぢやないワ』
|化物《ばけもの》『ヤア|岩《いは》チヤン、|永々《ながなが》お|邪魔《じやま》を|致《いた》しました。|夢《ゆめ》でもない、|現《うつつ》でもない、|本当《ほんたう》のフル|野ケ原《のがはら》の|化《ばけ》チヤンだ。ユメユメ|疑《うたが》ふこと|勿《なか》れ、アリヨース』
と|云《い》つた|限《き》り、『ブスツ』と|屁《へ》の|様《やう》な|怪《あや》しき|音《おと》と|共《とも》に|消《き》えて|了《しま》つた。
|音彦《おとひこ》『ヤアヤア|怪《け》つ|体《たい》な|事《こと》があつたものだ。|今《いま》の|出《で》よつたお|化《ばけ》は、ナンデも|雪隠《せつちん》のお|化《ばけ》と|見《み》える。|糞《くそ》を|垂《た》れる|終局《しまひ》の|果《は》てには|鼬《いたち》の|最期屁《さいごぺ》ぢやないが、ブスツと|音《おと》をさせて|屁古垂《へこた》れよつた』
|岩彦《いはひこ》『ワハヽヽヽ、|妙《めう》なものだ。|俺《おれ》の|腰《こし》もモウ|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。オイどうだ、|貴様《きさま》、|俺《おれ》が|腰《こし》を|抜《ぬ》かしたと|本当《ほんたう》に|思《おも》うて|居《を》つたのだらう、ソンナ|弱《よわ》い|事《こと》で|宣伝使《せんでんし》が|勤《つと》まるかい。キヤハヽヽヽ、キユフヽヽヽ、キヨホヽヽヽ』
|鷹彦《たかひこ》『オイオイ|岩公《いはこう》、ソンナ|言霊《ことたま》を|使《つか》うと、|第二《だいに》の|妖怪《えうくわい》|変化《へんげ》のお|見舞《みまひ》だぞ』
|岩彦《いはひこ》『【ようかい】も|神界《しんかい》もあつたものかい。|吾輩《わがはい》の|勢力《せいりよく》|範囲《はんゐ》|内《ない》に|立入《たちい》つて、|何《なに》を【ようかい】(|容喙《ようかい》)するのぢや、|権利《けんり》|侵害罪《しんがいざい》で|起訴《きそ》するぞ』
|鷹彦《たかひこ》『|起訴《きそ》するとは、【|奇想《きそう》】|天外《てんぐわい》だ、|天涯万里《てんがいばんり》の|雨《あめ》がフル|野ケ原《のがはら》、どうで|碌《ろく》な|事《こと》はないからマアマア|楽《たのし》んで、ゆつくりと|夜《よ》を|日《ひ》に|継《つ》いで|旅行《りよかう》するのだなア』
|此《この》|時《とき》|何処《いづく》ともなく、|化物《ばけもの》の|声《こゑ》にて、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|化物《ばけもの》|此処《ここ》に|現《あら》はれて  |嘘《うそ》と|糞《くそ》とを|立別《たてわ》ける
|嘘《うそ》で|固《かた》めた|岩公《いはこう》の  |岩《いは》より|固《かた》い|頑固者《ぐわんこもの》
|荒肝《あらぎも》|取《と》られて|腰《こし》|打《う》つて  |骨《ほね》を|一々《いちいち》|刻《きざ》まれた
|様《やう》な|苦《くる》しい|思《おも》ひして  |涙《なみだ》をソツと|押隠《おしかく》し
|泰平楽《たいへいらく》の|減《へ》らず|口《ぐち》  |此《この》|行先《ゆくさき》の|荒屋《あばらや》に
|又《また》もや|俺《おれ》が|待受《まちう》けて  どつと|脂《あぶら》を|搾《しぼ》つてやろか
アハヽヽヽ、オホヽヽヽ、イヒヽヽヽ』
|岩彦《いはひこ》『エヽ、|五月蝿《うるさ》い、|又《また》しても|又《また》しても。|併《しか》し|今度《こんど》の|笑方《わらひかた》は|正式《せいしき》だ、|最前《さいぜん》の|様《やう》な、キューキューキューと|吐《ぬ》かしよると|気持《きもち》が|悪《わる》い……オイ|化《ばけ》チヤン、|笑《わら》ふなら、|今《いま》の|流儀《りうぎ》だよ』
|再《ふたた》び|中空《ちうくう》より、|化物《ばけもの》の|声《こゑ》、
『|岩《いは》に|松《まつ》さへ|生《は》えるぢやないか、|喰《く》つて|喰《く》はれぬ|事《こと》はない。アハヽヽヽ、ウフヽヽヽ、マハヽヽヽ、イヒヽヽヽ』
|鷹彦《たかひこ》『オイ|岩公《いはこう》、|喜《よろこ》べ、あの|笑声《わらひごゑ》は|何《なん》と|思《おも》ふ、アーウマイ、アウマイと|笑《わら》つただらう、|巧妙《うま》いこと|吐《ぬ》かしよるナア』
|岩彦《いはひこ》『アーア、ウン……ウン、マーマ、イーイ、イーワイ』
(大正一一・三・一七 旧二・一九 松村真澄録)
第八章 |醜《しこ》の|窟《いはや》〔五三四〕
|夜《よ》は|漸《やうや》く|明《あ》け|放《はな》れたと|見《み》え、|天津《あまつ》|日《ひ》の|影《かげ》は|見《み》えねども、|天地《てんち》は【ホンノリ】と|明《あか》るくなつて|来《き》た。
|鷹彦《たかひこ》『オイ|岩彦《いはひこ》、|何《ど》うだ、|貴様《きさま》もモウこれで|我《が》が|折《を》れただらうナア』
|岩彦《いはひこ》『ヤー|今度《こんど》に|限《かぎ》つて|徹底的《てつていてき》に|我《が》が|折《を》れたよ。モウ|心配《しんぱい》して|呉《く》れな。|併《しか》し|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》は|何《ど》うなつたのだらう。どうも|腑《ふ》に|落《お》ちぬ|行動《かうどう》ぢやないか』
|鷹彦《たかひこ》『|貴様《きさま》は|未《ま》だソンナ|事《こと》を|言《い》ふから|駄目《だめ》だ。|何《ど》うならうと、|斯《か》うならうと|神様《かみさま》の|御経綸《ごけいりん》が、|吾々《われわれ》の|如《ごと》き|一兵卒《いつぺいそつ》に|分《わか》つてたまるかい。|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》がフル|野ケ原《のがはら》の|魔神《まがみ》を|平《たひら》げると|仰有《おつしや》つた|以上《いじやう》は、|屹度《きつと》|先《さき》へ|行《い》つて|水《みづ》も|漏《も》らさぬ|経綸《けいりん》をしてござるに|違《ちが》ひないワ。ソンナ|事《こと》は|吾々《われわれ》の|容喙《ようかい》すべき|所《ところ》で|無《な》い。サアサア|皆《みな》|一時《いつとき》に|用意《ようい》だ|用意《ようい》だ』
|音彦《おとひこ》『ヤア|鷹《たか》サン、|待《ま》つて|下《くだ》さい。|腹《はら》の|虫《むし》が|休戦《きうせん》の|催促《さいそく》を|頻《しき》りに|志《し》てゐます』
|鷹彦《たかひこ》『オーさうだつた。|各自《めいめい》に|腹《はら》を|拵《こしら》へねばならぬ』
と|言《い》ひつつ|固《かた》きパンを|出《だ》して、|各自《めいめい》に|噛《か》じり|乍《なが》ら|旅装《りよさう》を|整《ととの》へ、|西北《せいほく》を|指《さ》して、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|歌《うた》ひ|進《すす》み|行《ゆ》く。
|鷹彦《たかひこ》『サア|是《これ》からが|戦場《せんぢやう》だ。|孰《いづ》れもしつかり|戦闘《せんとう》|準備《じゆんび》に|取《と》りかかれよ。|音《おと》に|名高《なだか》いフル|野ケ原《のがはら》の|醜《しこ》の|窟《いはや》だからのう』
|岩彦《いはひこ》『|其《そ》の|窟《いはや》には、|一体《いつたい》ドンナ|魔神《まがみ》が|居《を》るのだ』
|鷹彦《たかひこ》『|夫《そ》れは|種々雑多《しゆじゆざつた》の|悪魔《あくま》が|棲息《せいそく》しとるのだ。|夜前《やぜん》|斥候隊《せきこうたい》が|来《き》ただらう』
|岩彦《いはひこ》『ウン|彼《あ》の|化《ばけ》か。ナーニアンナ|奴《やつ》|位《くらゐ》は|屁《へ》のお|茶《ちや》だ』
|音彦《おとひこ》『|油断大敵《ゆだんたいてき》だ。|小敵《せうてき》たりとも|侮《あなど》るべからず、|大敵《たいてき》たりとも|恐《おそ》るるべからず。|機《き》に|臨《のぞ》み|変《へん》に|応《おう》じ、|変幻出没《へんげんしゆつぼつ》、|進退自由《しんたいじいう》の|大活動《だいくわつどう》を|吾々《われわれ》は|開始《かいし》するのだ』
|鷹彦《たかひこ》『アヽ|神様《かみさま》は|能《よ》く|仕組《しぐ》まれたものだ。|醜《しこ》の|窟《いはや》には|六個《ろくこ》の|入口《いりぐち》がある。|其処《そこ》へ|六人《ろくにん》と|云《い》ふのだから|恰度《ちやうど》|都合《つがふ》がよい。|各自《めいめい》に|其《そ》の|一《ひと》つ|宛《づつ》の|穴《あな》を|担当《たんたう》して|進入《しんにふ》するのだナア』
|岩彦《いはひこ》『それは|面白《おもしろ》からう、|俺《おれ》が|一番槍《いちばんやり》の|功名《こうみやう》|手柄《てがら》。|併《しか》し|乍《なが》ら|肝腎《かんじん》の|大将《たいしやう》が|見《み》てゐて|呉《く》れねば、|働《はたら》きごたへが|無《な》いやうな|気《き》がするぢやないか』
|鷹彦《たかひこ》『|貴様《きさま》はそれだから|未《ま》だいかぬのだ。|大将《たいしやう》が|見《み》て|居《を》らうが、|居《を》らうまいが、|自分《じぶん》の|職務《しよくむ》は|力一杯《ちからいつぱい》|全力《ぜんりよく》を|傾注《けいちゆう》してやればよいのだ』
|岩彦《いはひこ》『それでも|蔭《かげ》の|舞《まひ》、|縁《えん》の|下《した》の|踊《をど》りになつては|骨折《ほねを》り|甲斐《がひ》が|無《な》いやうな|気《き》がする。ナア|梅公《うめこう》、|音公《おとこう》』
|音彦《おとひこ》『イヤ|吾々《われわれ》はソンナことは|決《けつ》して|思《おも》はぬ。どうせ|碌《ろく》な|勝利《しようり》は|得《え》られないのだから。|下手《へた》なことをして|居《ゐ》る|所《ところ》を|大将《たいしやう》に|見《み》られては|却《かへ》つて|恥《はづ》かしい。|兎《と》も|角《かく》|獅子奮迅《ししふんじん》の|勢《いきほひ》を|以《もつ》て|力限《ちからかぎ》りのベストを|尽《つく》し、|能《あた》ふ|限《かぎ》りの|奮戦《ふんせん》をやるのだ』
|梅彦《うめひこ》『オイ|鷹彦《たかひこ》、|何《ど》うだ。|此《この》|辺《へん》で|一寸《ちよつと》|休息《きうそく》をして|各自《めいめい》に|策戦《さくせん》|計画《けいくわく》を|定《さだ》め、|悠乎《ゆつくり》と|行《ゆ》かうぢやないか。|化物《ばけもの》|退治《たいぢ》は|夜《よる》の|方《はう》が|却《かへ》つて|都合《つがふ》がよいかも|知《し》れぬぞ』
|岩彦《いはひこ》『さうだ。|昼《ひる》の|化物《ばけもの》は|見《み》たことが|無《な》い。|化物《ばけもの》の|留守《るす》に|行《い》つた|所《ところ》で|変哲《へんてつ》が|無《な》いから。|時機《じき》を|考《かんが》へて|六方《ろくぱう》から|突撃《とつげき》を|試《こころ》みると|云《い》ふことにしようかい』
|一行《いつかう》|六人《ろくにん》は|風《かぜ》に|吹《ふ》かれ|乍《なが》ら|勢《いきほひ》よく|進《すす》み|行《ゆ》く。|前方《ぜんぱう》を|見《み》れば|原野《げんや》の|中央《ちうあう》に|屏風《びやうぶ》の|如《ごと》く|長《なが》く|衝立《つきた》てる|岩山《いはやま》あり、その|岩山《いはやま》の|頂《いただき》に|一人《ひとり》の|人影《ひとかげ》が|立《た》ちゐる。
|鷹彦《たかひこ》『オイ|皆《みな》の|者《もの》、|彼《あ》の|醜《しこ》の|窟《いはや》の|上《うへ》に|何《なに》が|居《を》るか|一寸《ちよつと》|覗《のぞ》いて|見《み》よ。あれは|夜前《やぜん》|姿《すがた》を|隠《かく》された|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》に|間違《まちが》ひ|無《な》からう。|吾々《われわれ》の|行《ゆ》くまでにチヤンと|悪魔《あくま》を|封《ふう》じて|遁走《とんそう》せないやうな|計略《けいりやく》と|見《み》ゆる。サアもう|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|急《いそ》げ|急《いそ》げ。オイ|岩公《いはこう》、もうウラル|教《けう》は|思《おも》ひ|切《き》つただらうな』
|岩彦《いはひこ》『|思《おも》ひ|切《き》つたも|切《き》らぬもあるかい。【テンで】ウラル|教《けう》ナンか、|夢《ゆめ》にも|思《おも》つたことは|無《な》いわ』
|鷹彦《たかひこ》『アハヽヽヽ、|勝手《かつて》な|奴《やつ》だ。マア|何《ど》うでもよい。|駆歩《かけあし》だ』
|一《いち》|二《に》|三《さん》と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|醜《しこ》の|窟《いはや》を|指《さ》して|駆《か》けついた。|日《ひ》の|出別《でわけ》は|岩上《がんじやう》に|立《た》つて|声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひゐる。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|直日《なほひ》の|神《かみ》の|分霊《わけみたま》  |此《この》|世《よ》の|曇《くも》りを|吹《ふ》き|払《はら》ふ
|日《ひ》の|出《で》の|別《わけ》の|宣伝使《せんでんし》  |雨《あめ》もフル|野ケ原《のがはら》を|越《こ》え
|醜《しこ》の|窟《いはや》に|来《き》て|見《み》れば  |出口《でぐち》|入口《いりぐち》|塞《ふさ》がりて
|百草千草《ももくさちぐさ》|生茂《おひしげ》り  |何処《いづこ》をそれと|白真弓《しらまゆみ》
|射向《いむか》ふ|的《まと》も【あら】|風《かぜ》に  |吹《ふ》かれて|立《た》てる|此《こ》の|窟《いはや》
|岩《いは》より|堅《かた》き|鋭心《とごころ》の  |誠心《まことごころ》を|振《ふ》り|起《おこ》し
フサの|天地《てんち》を|曇《くも》らせし  |八岐《やまた》|大蛇《をろち》の|分霊《わけみたま》
|醜《しこ》の|曲津《まがつ》を|言霊《ことたま》の  |珍《うづ》の|気吹《いぶき》に|払《はら》はむと
|待《ま》つ|間《ま》|程《ほど》なく|鷹彦《たかひこ》や  |巌《いづ》の|身魂《みたま》の【あと】|五人《ごにん》
|漸《やうや》く|此処《ここ》に|現《あら》はれて  |曲《まが》の|砦《とりで》に|立《た》ち|向《むか》ふ
あゝ|勇《いさ》ましや|勇《いさ》ましや  |神《かみ》の|力《ちから》の|開《ひら》け|口《ぐち》
|出口《でぐち》|入口《いりぐち》わからねど  |草《くさ》をわけても|探《さが》し|出《だ》し
|言向《ことむ》け|和《やは》さで|置《お》くべきか  |言向《ことむ》け|和《やは》さで|置《お》くべきか
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |神《かみ》に|任《まか》せし|此《こ》の|身体《からだ》
|神《かみ》の|御《おん》ため|世《よ》のために  |捨《す》てて|甲斐《かひ》あるわが|生命《いのち》
|来《きた》れよ|来《きた》れいざ|来《きた》れ  |葎《むらぐも》|茂《しげ》れる|岩《いは》の|戸《と》を
|隈《くま》なく|探《さぐ》りし|其《その》|上《うへ》に  |天津《あまつ》|祝詞《のりと》の|太祝詞《ふとのりと》
|声《こゑ》も|高天《たかま》と|詔《の》りつれば  |天津《あまつ》|御神《みかみ》は|久方《ひさかた》の
|天《あま》の|岩戸《いはと》を|押開《おしひら》き  |八重雲《やへくも》|四方《よも》に|吹《ふ》きわけて
|誠《まこと》の|願《ねがひ》を|聞《きこ》し|召《め》し  |国《くに》の|御祖《みおや》の|大御神《おほみかみ》
|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》に  |随《したが》ひ|給《たま》ふ|百神《ももがみ》は
|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》や|川《かは》の|瀬《せ》の  |伊保理《いほり》をさつと|掻《か》きわけて
|吾《あ》が|祈言《ねぎごと》を|悉《ことごと》く  |聞《きこ》し|召《め》すらむ|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》の|隈《くま》も|無《な》く  |光《ひか》り|輝《かがや》くフル|野原《のはら》
|払《はら》ひ|清《きよ》めむ|曲津霊《まがつひ》の  |醜《しこ》の|曲業《まがわざ》|逸早《いちはや》く
|汝《なれ》が|心《こころ》の|真寸鏡《ますかがみ》  |照《てら》して|醜《しこ》の|正体《しやうたい》を
|現《あら》はす|時《とき》ぞ|来《きた》りけり  |現《あら》はす|時《とき》ぞ|来《きた》りけり
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
と|声《こゑ》も|涼《すず》しく|歌《うた》ひ|興《きよう》じつつありけり。|鷹彦《たかひこ》|一行《いつかう》は|漸《やうや》くにして|此《この》|場《ば》に|安着《あんちやく》したり。
|岩彦《いはひこ》『ホー|貴使《あなた》は|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|夜前《やぜん》は|大変《たいへん》にお|先《さき》へ|御無礼《ごぶれい》を|致《いた》しました』
『イヤ|御無礼《ごぶれい》はお|互《たが》ひだ。|昨夜《さくや》は|別《べつ》に|変《かは》つたことはなかつたかな』
|岩彦《いはひこ》『ヤー|別《べつ》に|大《たい》したことはありませぬ。|曲津神《まがつかみ》の|斥候隊《せきこうたい》が|一寸《ちよつと》やつて|来《き》て、|岩彦《いはひこ》の|言霊《ことたま》の|気吹《いぶき》に|吹《ふ》き|散《ち》らされ、|鼠《ねずみ》のやうに|小《ちひ》さくなつて|狐鼠々々《こそこそ》と|消《き》えて|了《しま》つたのですよ。イヤモウ|悪神《あくがみ》と|云《い》ふものは|弱《よわ》いものです』
|日《ひ》の|出別《でわけ》『それは|結構《けつこう》だつた。|併《しか》し|一寸《ちよつと》|腰《こし》を|抜《ぬ》いたでせう』
|岩彦《いはひこ》『ヤー|此奴《こいつ》は|変《へん》だ。|日《ひ》の|出別《でわけ》と|見《み》せかけて|昨夜《ゆふべ》の|化助《ばけすけ》|奴《め》が、|又《また》|此処《ここ》に|作戦《さくせん》をやつて|居《を》るのぢやなからうか。ハテナ|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|事《こと》もあればあるものだ。オイこらお|化《ばけ》、|馬鹿《ばか》にするない。|貴様《きさま》|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》に|化《ば》けて|居《ゐ》よるが、|其《そ》の|手《て》は|喰《く》はぬぞ。|化物《ばけもの》の|証拠《しようこ》には|昨夜《ゆふべ》|俺《おれ》が|腰《こし》をぬかしたことを|知《し》つて|居《を》つたぢやないか。|本当《ほんたう》の|日《ひ》の|出別《でわけ》は|吾々《われわれ》を|置去《おきざ》りにして、お|先《さき》へ|御免《ごめん》とも|何《なん》とも|言《い》はずに、ドロンと|其《その》|場《ば》から|消滅《せうめつ》して|了《しま》つたのだ。|大体《だいたい》が|日《ひ》の|出別《でわけ》からして|怪体《けつたい》な|代物《しろもの》だが、|彼奴《あいつ》は|貴様《きさま》のやうに|化《ば》けないから|安心《あんしん》だ。コラ|夜前《やぜん》の|化《ば》けの|同類《どうるゐ》、|夜前《やぜん》は|夜分《やぶん》だつたから|一寸《ちよつと》【ねむた】|目《め》に|相手《あひて》になつてやつたのだが、|今日《けふ》は|真剣《しんけん》だぞ。【じたばた】|致《いた》してもモウ|敵《かな》はぬ|百年目《ひやくねんめ》、サア|尋常《じんじやう》に|兜《かぶと》を|脱《ぬ》ぐか、|返答《へんたふ》は|如何《どう》ぢや』
|日《ひ》の|出別《でわけ》『キヤツハヽヽヽ』
|岩彦《いはひこ》はトンと|腰《こし》を|下《おろ》して、
『キヤツキヤツ、キヤツハヽヽとは、そりや|何《なに》|吐《ぬ》かす。|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|脱線《だつせん》だらけの|笑《わら》ひ|声《ごゑ》をしよつて、キヤツハヽヽヽキユツフヽヽのとは|何《なに》の|態《ざま》だ。|奴畜生《どちくしやう》の|化《ば》けた|証拠《しるし》には、|拗音《ようおん》や|鼻音《びおん》を|使用《しよう》してゐるぢやないか』
|日《ひ》の|出別《でわけ》『アハヽヽヽ、|日《ひ》の|出別《でわけ》は|何《なに》|吐《ぬ》かすと|云《い》ふが、さう|云《い》ふお|前《まへ》は|腰《こし》ヌかす』
|岩彦《いはひこ》『|吐《ぬ》かすない|吐《ぬ》かすない、|黙《だま》つて|居《を》れば|何《なに》を|吐《ぬ》かすかわかつたものぢやない。ヤイ|一同《いちどう》の|者《もの》、ぬかるな。|此奴《こいつ》も|変智奇珍《へんちきちん》だぞ』
|鷹彦《たかひこ》『アハヽヽヽ、オイこら|岩公《いはこう》、|貴様《きさま》はよつぽど|瓢六玉《へうろくだま》だ。|彼《あ》の|立派《りつぱ》な|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》|様《さま》が|化物《ばけもの》に|見《み》ゆるのか』
|岩彦《いはひこ》『|見《み》えいでかい。|定《きま》つた|巾着《きんちやく》、|揚《あ》げたお|豆腐《とうふ》。|何《なに》ほど|俺《おれ》をおどかさうと|思《おも》つたつて|豆腐《とうふ》に|鎹《かすがい》、|糠《ぬか》に|釘《くぎ》だ。|坊主《ばうず》|鉢巻《はちまき》でチツトもこたへないのだ。|俺《おれ》は|岩《いは》より|固《かた》い|岩《いは》サンだ。|化物《ばけもの》の|百匹《ひやつぴき》や|千匹《せんびき》|位《くらゐ》|群《むれ》をなして|押寄《おしよ》せ|来《きた》るとも|何《なに》のものかは。ウラル|教《けう》のオツトドツコイ|三五教《あななひけう》の|誠《まこと》の|神《かみ》の|言霊《ことたま》の|気吹《いぶき》に|依《よ》り、|気吹《いぶき》き|払《はら》ひ|給《たま》へ|清《きよ》め|給《たま》へと|申《まを》すことの|由《よし》を|天津神《あまつかみ》|国津神《くにつかみ》|八百万《やほよろづ》の|神等《かみたち》|共《とも》に|小男鹿《さをしか》の|耳振《みみふ》り|立《た》て|聞《きこ》し|召《め》せと、|畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|申《まを》す。ポンポンだ』
|日《ひ》の|出別《でわけ》『アハヽヽヽ、|相変《あひかは》らず|面白《おもしろ》い|奴《やつ》だ。オイ|岩彦《いはひこ》、|本当《ほんたう》だ、|本物《ほんもの》だ。|日《ひ》の|出別《でわけ》に|間違《まちが》ひは|無《な》いぞ。|安心《あんしん》せい』
|岩彦《いはひこ》『サーその|弁解《べんかい》が|気《き》に|喰《く》はぬ。|何《なん》でも|嘘《うそ》を|言《い》ふ|奴《やつ》はうまい|事《こと》|弁解《べんかい》をするものだ』
|音彦《おとひこ》『オイオイ、|貴様《きさま》|疑《うたが》ひが|深過《ふかす》ぎるぢやないか。さう|深《ふか》はまりしては|物《もの》がさつさと|片付《かたづ》いて|行《ゆ》かぬ。|後家《ごけ》|婆《ばあ》サンの|宿換《やどが》へのやうに|何《なん》でも|手軽《てがる》に|片付《かたづ》けるものだよ』
|梅彦《うめひこ》『ヤー|昨日《きのふ》と|云《い》ひ|今日《けふ》といひだ』
|駒彦《こまひこ》『|本当《ほんたう》に|皆目《かいもく》|一体《いつたい》|全体《ぜんたい》|訳《わけ》がわからぬやうになつて|来《き》た。|化物《ばけもの》|退治《たいぢ》にやつて|来《き》て|何《なん》だか|化物《ばけもの》に|玩弄《おもちや》になつてゐるやうな|気《き》がする、|又《また》|夢《ゆめ》ではあるまいか』
|鷹彦《たかひこ》『|夢々《ゆめゆめ》|疑《うたが》ふ|勿《なか》れ。|夢《ゆめ》ではないぞ、|現《うつつ》ではないぞ』
|岩彦《いはひこ》『イヨー|此奴《こいつ》|又《また》|怪《あや》しくなつて|来《き》たぞ。|矢張《やつぱり》フル|野ケ原《のがはら》の|醜《しこ》の|窟《いはや》|式《しき》だ』
|日《ひ》の|出別《でわけ》は|拍手《かしはで》を|打《う》ち|声《こゑ》も|涼《すず》しく|天津《あまつ》|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》する。|其《そ》の|声《こゑ》は|天地《てんち》|六合《りくがふ》に|鳴《な》り|渡《わた》るが|如《ごと》く、|忽《たちま》ち|雲《くも》の|戸《と》|破《やぶ》れて|日《ひ》の|大神《おほかみ》は|西天《せいてん》に|温顔《をんがん》を|現《あら》はし、|一行《いつかう》の|迷《まよ》ひの|雲《くも》をさらりと|解《と》き|給《たま》ひける。
ここに|岩彦《いはひこ》|以下《いか》の|宣伝使《せんでんし》は|始《はじ》めて|真正《しんせい》の|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》なることを|確認《かくにん》し、いよいよ|黄昏《たそがれ》を|期《き》してこの|岩窟《がんくつ》に|進入《しんにふ》することとなりにける。
(大正一一・三・一七 旧二・一九 外山豊二録)
第九章 |火《ひ》の|鼠《ねずみ》〔五三五〕
|日《ひ》は|西山《せいざん》に|傾《かたむ》きしと|見《み》えて、さしも|陰鬱《いんうつ》なる|天地《てんち》に|一層《いつそう》の|暗澹《あんたん》を|加《くは》へ、|荒野《あらの》を|吹捲《ふきまく》る|風《かぜ》の|音《おと》は|刻々《こくこく》に|激《はげ》しくなり|来《き》たりぬ。
|鷹彦《たかひこ》『サア、これから|愈《いよいよ》|魔窟《まくつ》の|探険《たんけん》だ。|充分《じうぶん》の|食料《しよくれう》を|用意《ようい》して|了《しま》はないと、|此《この》|岩窟《がんくつ》は|琵琶《びは》の|湖《うみ》の|底《そこ》を|通《とほ》つてコーカス|山《ざん》に|貫通《くわんつう》して|居《を》るのだから、|三日《みつか》、|五日《いつか》、|十日《とをか》|位《ぐらゐ》の|旅《たび》では|予定《よてい》の|探険《たんけん》は|出来《でき》ない。|先《ま》づドツサリと|此《この》|袋《ふくろ》にパンでも|格納《かくなふ》して、プロペラーに|勢《いきほ》ひを|付《つ》けて、|身魂《みたま》の|基礎《きそ》|工事《こうじ》をしつかり|撞固《つきかた》め、|気海丹田《きかいたんでん》を|練《ね》つて|進《すす》む|事《こと》としよう。|中途《ちうと》になつて|腹《はら》の|虫《むし》が|汽笛《きてき》を|鳴《な》らすと|困《こま》るから|準備《じゆんび》が|肝腎《かんじん》だ』
|岩彦《いはひこ》『ヨウ、エライ|決心《けつしん》だ、モウ|直《すぐ》に|行《ゆ》くのか』
|鷹彦《たかひこ》『ナニまだまだ|時機《じき》が|早《はや》い、|子《ねずみ》の|刻限《こくげん》だ。|此《この》|六《むつ》ツの|岩穴《いはあな》は|全部《ぜんぶ》|塞《ふさ》いであるから|一寸《ちよつと》やそつとには|分《わか》らぬ。まして|斯《か》う|夜中《やちう》になつて|来《き》ては|猶更《なほさら》の|事《こと》だ。|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》の|宣伝使《せんでんし》によつて|子《ね》の|刻《こく》になれば、|真赤気《まつかいけ》の|鼠《ねずみ》が|現《あら》はれて|案内《あんない》する|事《こと》となつてるから、マア|夫迄《それまで》|待《ま》つ|事《こと》にしよう』
|音彦《おとひこ》『サア、|是《こ》れからが|正念場《しやうねんば》だ。|仮令《たとへ》|百千万《ひやくせんまん》の|悪魔《あくま》、|邪神《じやしん》、|一団《いちだん》となつて|攻《せ》め|来《きた》る|共《とも》この|音《おと》チャンは|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》に|依《よ》つて、|木《こ》つ|葉《ぱ》|微塵《みじん》に|打《う》ち|伸《の》ばし、|叩《たた》き|潰《つぶ》して|仕舞《しま》ふは|訳《わけ》はない』
|鷹彦《たかひこ》『オイコラ|音公《おとこう》、|今《いま》からさう|逆上《のぼせ》るな、キニーネでもあれば|頓服《とんぷく》でもさせてやるけれど|生憎《あひにく》|持合《もちあは》せがなくて|仕方《しかた》がない』
|音彦《おとひこ》『ナーニ|悪魔《あくま》を|頓服《とんぷく》させるのだ。ヤア|此《この》|辺《へん》が|穴恐《あなおそ》ろしい|穴《あな》の|口《くち》らしいぞ。|刻限《こくげん》の|来《く》る|迄《まで》は、|稲荷《いなり》サンの|昼寝《ひるね》とやらうかい』
|亀彦《かめひこ》『|何《なん》だ、|怪《け》つ|体《たい》な|事《こと》を|言《い》ふぢやないか、|稲荷《いなり》の|昼寝《ひるね》とは|何《なん》の|事《こと》だい』
|鷹彦《たかひこ》『アハヽヽヽ、|穴《あな》のふちにころりだ。それにしても、|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》の|姿《すがた》が|又《また》もや|紛失《ふんしつ》して|仕舞《しま》つたぢやないか、|一行中《いつかうちう》の|大巨頭《だいきよとう》が|居《を》らなくなつては、|指揮《しき》|命令《めいれい》がうまく|行《ゆ》かない。|何程《なにほど》|岩公《いはこう》が|万丈《ばんぢやう》の|気焔《きえん》を|上《あ》げた|所《ところ》で|風《かぜ》の|如《や》うなものだ。|危機《きき》|一髪《いつぱつ》の、ハツハツになつて、|直《すぐ》にベソをかくのだから|頼《たよ》りないものだ』
|岩彦《いはひこ》『オイオイ、お|手際《てぎは》|拝見《はいけん》してから|後《のち》に|言《い》うて|貰《もら》はうかい、|貴様《きさま》の|気焔《きえん》とは|訳《わけ》が|違《ちが》うのだ。|朝《あさ》つぱらは|滅茶矢鱈《めつちややたら》に【はつしやい】で、|昼前《ひるまへ》になるとヤアモウ|機械《きかい》の|油《あぶら》が|切《き》れたの|一歩《いつぽ》も|行進《かうしん》が|出来《でき》ないなぞと、|弱音《よわね》を|吹《ふ》きよるからコンナ|弱《よわ》い|奴《やつ》を|途連《みちづ》れにして|居《ゐ》ると、|同行者《どうぎやうしや》も|並大抵《なみたいてい》の|事《こと》ぢやない。|忌憚《きたん》|無《な》く|駄法螺《だぼら》は|噴火口《ふんくわこう》から|天《てん》を|焦《こが》す|如《や》うに|噴出《ふんしゆつ》させるなり、|序《ついで》に|運《うん》の|悪《わる》い|先《さき》ばしりの|糞《くそ》をプンプンと|振《ふ》れ|撒《ま》きよるなり、|嗚呼《ああ》|糞慨《ふんがい》の|至《いた》り|屁口《へーこう》|千万《せんばん》だ』
|鷹彦《たかひこ》『オイオイ、ソンナ|馬鹿話《ばかばなし》を|言《い》つてる|処《ところ》ぢやないぞ。それ|見《み》ろ、|茅原《かやはら》の|中《なか》を|昨夜《ゆふべ》|出《で》た|奴《やつ》が………』
|岩彦《いはひこ》『ヤ|又《また》|出《で》よつたな。|今度《こんど》は|化《ばけ》の|奴《やつ》、|位置《ゐち》を|変更《へんかう》しよつて、|味方《みかた》の|間近《まぢか》く|攻寄《せめよ》つたりと|云《い》ふ|光景《くわうけい》だ。オイ|化《ばけ》サン、|昨日《きのふ》の|岩公《いはこう》とチツト|岩公《いはこう》が|違《ちが》うのだい。|此《この》|醜《しこ》の|巌窟《いはや》をよく|見《み》よ。|俺《おれ》の|腕《うで》は|正《まさ》に|斯《かく》の|通《とほ》りだ。|何時《いつ》でも|愚図々々《ぐづぐづ》と|洒落《しやれ》た|事《こと》をしよると|已《や》むを|得《え》ない、|直接《ちよくせつ》|行動《かうどう》を|取《と》るから|覚悟《かくご》|致《いた》せ』
|化物《ばけもの》『アハヽヽヽ、|俺《おれ》だ|俺《おれ》だ、|岩公《いはこう》の|胆試《きもだめ》しに|一寸《ちよつと》|化《ば》けて|見《み》せてやつたのだよ』
|岩彦《いはひこ》『さういふ|貴様《きさま》は|一体《いつたい》|誰《たれ》だ』
|化物《ばけもの》『|人《ひと》を【こま】らす|駒《こま》サンだ。それでも|貴様《きさま》|此《この》|暗《やみ》に|俺《おれ》の|顔《かほ》が|見《み》えるのかい』
|岩彦《いはひこ》『オツト|待《ま》つた、|見《み》えるでもなし、|見《み》えぬでもなし、何だか|亡国的《ばうこくてき》|悲調《ひてう》を|帯《お》びた|異声怪音《いせいくわいおん》が|耳《みみ》に|映《えい》ずるのだ。|俺《おれ》の|耳《みみ》は|重宝《ちようほう》なものだぞ、|耳《みみ》で|見《み》て|目《め》で|聴《き》くのだから|化物《ばけもの》よりも|上手《うはて》を|越《こ》す|宣伝使《せんでんし》さまだ。|馬鹿《ばか》な|真似《まね》をして|後《あと》でベソをかくな。|何《なん》だ|蝗《いなご》か、【ばつた】の|様《やう》に|草叢《くさむら》にもぐり|込《こ》んで、あつちやに|飛《と》び、こつちやに|飛《と》び、|飛《と》びあるきよつて、それだから|飛沫《とばしり》ものと|云《い》ふのだ。まるで|際物師《きはものし》の|如《や》うな|芸当《げいたう》をやらかして、|胆力無双《たんりよくむさう》の|岩《いは》さまを|恐喝《きようかつ》しようと|思《おも》つたつて|其《その》|手《て》は|喰《く》はぬぞ』
|駒彦《こまひこ》『アー|俺《おれ》も|此《この》|岩窟《がんくつ》へ|探険《たんけん》と|出《で》かくれば、ドンナ|奴《やつ》が|出《で》て|来《く》るか|分《わか》らないから|一寸《ちよつと》|化物《ばけもの》の|予習《よしふ》を|遣《や》つてみたのだ。どうぞ|今後《こんご》は|御贔屓《ごひいき》にお|引立《ひきたて》を|願《ねが》ひまして、|引続《ひきつづ》き|不相変《あひかはらず》|予習《よしふ》を|願《ねが》ひます』
|岩彦《いはひこ》『|洒落《しやれ》どころかい、|戦場《せんぢやう》に|向《むか》つて|何《なに》をソンナ|気楽《きらく》な|事《こと》を|言《い》つて|居《ゐ》るのだ。ソンナ|事《こと》では|屹度《きつと》|途中《とちう》に|屁子垂《へこた》れる|事《こと》は|確定的《かくていてき》|事実《じじつ》だ。|貴様《きさま》のしくじる|事《こと》は|既《すで》に|已《すで》に|閻魔《えんま》の|登記簿《とうきぼ》にチヤンと|印紙《いんし》を|貼《は》つて|登録済《とうろくずみ》になつて|居《ゐ》るのだ』
|駒彦《こまひこ》『オイオイ、|貴様《きさま》|何《なに》を|言《い》つて|居《ゐ》るのだ。|登録済《とうろくずみ》だの|登記簿《とうきぼ》だのつて、ソンナ|言葉《ことば》は|基督《キリスト》|降誕後《かうたんご》|二十世紀《にじつせいき》の|人間《にんげん》のぬかす|事《こと》だ。|今《いま》は|紀元前《きげんぜん》|五十《ごじふ》|万年《まんねん》の|昔《むかし》だぞ』
|岩彦《いはひこ》『|過去《くわこ》、|現在《げんざい》、|未来《みらい》を|超越《てうゑつ》した|霊界《れいかい》の|物語《ものがたり》だ、ソンナ|事《こと》は|当然《あたりまへ》だよ。チツポケな|時代《じだい》だとか、|言葉《ことば》だとかに|囚《とら》はれて|居《ゐ》る|様《やう》な|小人物《せうじんぶつ》で|無限《むげん》|絶対《ぜつたい》|無始無終《むしむしう》の|神界《しんかい》の|経綸《けいりん》が|分《わか》つてたまるものかい。|学《がく》、|古今《ここん》を|圧《あつ》し、|知識《ちしき》|東西《とうざい》を|貫《つらぬ》くと|云《い》ふ|三五教《あななひけう》の|新《しん》|宣伝使《せんでんし》だよ。|貴様《きさま》もちつと|文明《ぶんめい》の|空気《くうき》を|吸《す》ふたが|好《よ》からう』
|駒彦《こまひこ》『|何《なん》だ、|不《ふ》【|分《ぶん》】|明《めい》の|事《こと》をよう|囀《さへづ》る|奴《やつ》だ。|今日《こんにち》の|原始《げんし》|時代《じだい》に、|文明《ぶんめい》の|糞《くそ》のつて|尻《けつ》があきれるワイ』
|岩彦《いはひこ》『|文明《ぶんめい》の|逆転《ぎやくてん》|旅行《りよかう》と|云《い》ふ|事《こと》を|知《し》らぬのか。|是《こ》れでも、マア|見《み》て|居《を》れ、|地上《ちじやう》の|人間《にんげん》が|豆《まめ》の|様《やう》な|胆玉《きもだま》になつた|二十世紀《にじつせいき》と|云《い》ふ|非文明《ひぶんめい》の|世《よ》の|中《なか》が|出《で》て|来《く》ると、|何処《どこ》かに|妙《めう》な|奴《やつ》が|現《あら》はれて|屹度《きつと》|吾々《われわれ》が|今《いま》|採《と》りつつある|行動《かうどう》を、|寝物語《ねものがたり》にほざく|奴《やつ》が|出来《でき》て|来《く》るかも|知《し》れぬのだ。その|時《とき》にまた|歴史《れきし》は|繰返《くりかへ》すと|云《い》うてその|時代《じだい》の|人間《にんげん》が、これは|非文明《ひぶんめい》とか、|非真理《ひしんり》とか、|屁理窟《へりくつ》に|合《あ》うとか|合《あ》はぬとかほざく|様《やう》なものだ。マアマア|黙《だま》つて|時《とき》の|移《うつ》るを|待《ま》つたが|好《よ》からうぞい』
またもや|一天《いつてん》|俄《にはか》に|暗《くら》く|逆巻《さかま》く|雲《くも》の|渦《うづ》、|暴風《ばうふう》しばく|雨《あめ》の|槍衾《やりふすま》に|包《つつ》まれにけり。
|音彦《おとひこ》『ヤヽヽヽ、|又《また》どつさりと【あめ】|利加《りか》が【フラン】|西《す》とけつかるワイ。|鼠《ねずみ》の|奴《やつ》|早《はや》く|遣《や》つて|来《き》て|岩窟《がんくつ》を|吾々《われわれ》に|明示《めいじ》して|呉《く》れないと、こつちの|方《はう》が|先《さき》に|濡《ぬ》れ|鼠《ねずみ》になつちまふわ』
|駒彦《こまひこ》『|其《その》|態《ざま》はなんだ、|猫《ねこ》に|追《お》はれた|鼠《ねずみ》のやうな|腰付《こしつき》をしよつて、ニヤンチウ|不格好《ぶかくかう》な|情《なさけ》ない【ていたらく】だい』
|鷹彦《たかひこ》『オイオイ|言霊《ことたま》の|奏上《そうじやう》だ。|貴様等《きさまら》は|暇《ひま》だと|直《すぐ》にはしやぎよつて|騒《さわ》がしくて|仕様《しやう》がない。|篏口令《かんこうれい》の|代《かは》りに|間断《かんだん》なく|祝詞《のりと》|奏上《そうじやう》|宣伝歌《せんでんか》の|合唱《がつしやう》を|厳命《げんめい》する』
|岩彦《いはひこ》『|言《い》はしておけば|際限《さいげん》もなき|其《その》|暴言《ばうげん》、|貴様《きさま》の|言《い》ふ|事《こと》を|聞《き》くものは、この|広《ひろ》い|天地《てんち》の|間《あひだ》に|鼠《ねずみ》|一匹《いつぴき》あるものかい。あまりメートルを|上《あ》げ|過《す》ぎると|汽缶《きくわん》が|破裂《はれつ》するぞ』
|此《この》|時《とき》|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》は|又《また》もや|忽然《こつぜん》として|岩上《がんじやう》に|現《あら》はれける。
|一同《いちどう》『|弥陀《みだ》の|来向《らいかう》だ、|生神《いきがみ》の|顕現《けんげん》だ、|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い』
|岩彦《いはひこ》『モシモシ|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》|様《さま》、ドウゾ|早《はや》く|火鼠《ひねずみ》の|御出現《ごしゆつげん》|遊《あそ》ばすやうに|斡旋《あつせん》の|労《らう》を|執《と》つて|下《くだ》さいナ』
『ヨシヨシ、|今《いま》だ』
と|云《い》ひながら、|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》は|岩上《がんじやう》に|密生《みつせい》せる|灌木《くわんぼく》を|幹《もと》|打《う》ち|切《き》り|末《すゑ》|打断《うちた》ちて、|腰《こし》の|細紐《ほそひも》を|解《と》きこれを|縛《しば》つて|弓《ゆみ》を|拵《こしら》へ、|茅《かや》の|茎《ぢく》を|切《き》つて|矢《や》を|作《つく》り、|東西《とうざい》に|延長《えんちやう》せる|岩山《いはやま》に|向《むか》つて、|発矢《はつし》と|射放《いはな》ちける。
『サアよほど|天《てん》も|紅《あか》くなつて|来《き》た。いま|私《わし》の|射放《いはな》つた|矢《や》を|拾《ひろ》つて|来《こ》い。さうすれば|入口《いりぐち》がはつきりと|判《わか》るのだ』
|鷹彦《たかひこ》『これから|十万年《じふまんねん》|未来《みらい》に|於《おい》て、|大国主神《おほくにぬしのかみ》が|矢《や》を|拾《ひろ》ひに|原野《げんや》に|往《い》つた|様《やう》な|古事《こじ》ではない|未来《みらい》の|事実《じじつ》だ。|拾《ひろ》ひには|行《ゆ》きませうが、|其《その》|時《とき》のやうに|原野《げんや》に|火《ひ》をかけて|焼《や》かれては|困《こま》りますぜ』
|日《ひ》の|出別《でわけ》『マア|吾々《われわれ》の|命《めい》のまにまに|探《さが》して|来《く》るのだよ』
|岩彦《いはひこ》『サアサ、|是《こ》れから|流《なが》れ|矢《や》の|探索隊《たんさくたい》|編成《へんせい》だ。|何《いづ》れ|日《ひ》の|出別《でわけ》と|云《い》ふから、|火《ひ》を|出《だ》して|焼《や》くには|違《ちが》ひない、さうすると、|内《うち》は【ホラ】ホラ|外《と》は【スブ】スブと|鼠《ねずみ》の|先生《せんせい》が|遣《や》つて|来《く》ると|云《い》ふ|段取《だんどり》だナ。|全隊《ぜんたい》|進《すす》め、オ|一《いち》|二《に》|三《さん》』
と|暗雲《やみくも》に|駆《か》け|出《だ》したり。
|日《ひ》の|出別《でわけ》は|直《ただ》ちに|燧石《ひうち》を|取《と》り|出《だ》し|折柄《をりから》|吹《ふ》き|来《く》る|暴風《ばうふう》に|向《むか》つて|火《ひ》を|放《はな》てば、|忽《たちま》ち|轟々《がうがう》たる|音《おと》を|立《た》て|火《ひ》は|四方《よも》に|燃《も》え|拡《ひろ》がりぬ。|嗚呼《ああ》|鷹彦《たかひこ》|以下《いか》の|運命《うんめい》は|如何《いか》に|成《な》り|行《ゆ》くならむか。
(大正一一・三・一七 旧二・一九 谷村真友録)
第三篇 |探険《たんけん》|奇聞《きぶん》
第一〇章 |巌窟《がんくつ》〔五三六〕
|日《ひ》の|出別《でわけ》の|射放《いはな》ちたる|矢《や》を|拾《ひろ》ふべく、|鷹彦《たかひこ》、|岩彦《いはひこ》|一行《いつかう》は、|先《さき》を|争《あらそ》うて|我一《われいち》に|功名《こうみやう》せむと、|萱野《かやの》を|分《わ》けて|進《すす》み|行《ゆ》く。
|岩彦《いはひこ》『この|萱野原《かやのはら》へ|萱製《かやせい》の|矢《や》をたつた|一本《いつぽん》|位《ぐらゐ》|射放《いはな》つて、それを|拾《ひろ》つて|来《こ》いと|云《い》うたつて、|天然坊《てんねんばう》の|星《ほし》あたり、|何《どれ》だけ|探《さが》しても|無《な》ければもう|駄目《だめ》だ。|失望落胆《しつばうらくたん》の|淵《ふち》に|沈《しづ》むとは、コンナことを|云《い》ふのだらうかい』
|亀彦《かめひこ》『|際限《さいげん》もなきこの|萱野原《かやのはら》を、|僅《わづか》に|一本《いつぽん》の|萱製《かやせい》の|矢《や》を|探《さが》すと|云《い》つたつて、|到底《たうてい》|不可能的《ふかのうてき》|大事業《だいじげふ》だ、|竿竹《さをだけ》をもつて|空《そら》の|星《ほし》をがらつよりも|頼《たよ》りない|話《はなし》ぢやないか』
|鷹彦《たかひこ》『また|弱音《よわね》を|吹《ふ》きよる。これが|身魂《みたま》の|審《あらた》めだ。|何《なん》でも|構《かま》はない、|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》のおつしやる|通《とほ》り、|唯々諾々《ゐゐだくだく》として|遵奉《じゆんぽう》するのだよ』
|駒彦《こまひこ》『あまり|無理《むり》ぢやないか』
|鷹彦《たかひこ》『|親《おや》と|主人《しゆじん》と|師匠《ししやう》は|無理《むり》を|云《い》ふものだと|思《おも》うて|居《を》れば|好《よ》いのだ。|滅多《めつた》に|吾々《われわれ》を|親《おや》や|師匠《ししやう》が|窮地《きうち》に|陥没《かんぼつ》さして、|痛快《つうくわい》を|叫《さけ》ぶと|云《い》ふやうな|事《こと》はなさる|気遣《きづか》ひがない。|何処《どこ》までも|徹頭徹尾《てつとうてつび》|命《めい》のまにまに|矢探《やさが》しをするのだよ』
|駒彦《こまひこ》『ヤヤコシイ、|矢探《やさが》しだナ。【|矢《や》|矢《や》】|暫《しばら》く|思案《しあん》に|暮《く》れにけりの|為体《ていたらく》だ。オイオイ|大変《たいへん》だ、|火《ひ》が|燃《も》えて|来《く》るぞ。これだけ|生《は》へ|茂《しげ》つた|野原《のはら》に|火《ひ》をつけられ、|吾々《われわれ》は|耐《たま》つたものぢやないワ、|本当《ほんたう》に|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》は|無茶《むちや》ぢやないか、|矢張《やつぱ》り|彼奴《あいつ》は|怪《あや》しいと|思《おも》つて|居《ゐ》たよ』
|鷹彦《たかひこ》『|吾々《われわれ》を|奈落《ならく》の|底《そこ》に|陥穽《かんせい》すると|云《い》ふ|悪神《あくがみ》の|企《たく》みに|乗《の》つたのだ。エヽもう|自棄糞《やけくそ》だ、|焼《や》け|死《じに》する|処《ところ》まで|荒《あ》れて、|荒《あ》れて、|暴《あば》れ|廻《まは》してやらうかい』
|斯《か》くいふ|折《をり》しも、|火《ひ》は|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|燃《も》え|猛《たけ》り、|黒煙《こくえん》|濛々《もうもう》として|一同《いちどう》を|包《つつ》んで|了《しま》つた。|梅公《うめこう》、|音公《おとこう》|両人《りやうにん》は、
『|暑《あつ》いワイ、|煙《けむ》たいワイ、|苦《くる》しい。|如何《どう》しよう』
|鷹彦《たかひこ》『また|弱音《よわね》を|吹《ふ》くな、|心頭《しんとう》を|滅《めつ》すれば|火《ひ》もまた|涼《すず》しと|云《い》ふ|事《こと》があるわ。|斯《か》ういふ|時《とき》に、|火《ひ》に|対《たい》する|水《みづ》だ。|乾《かわ》く|事《こと》なく|尽《つく》る|事《こと》なき|神《かみ》の|尊《たふと》き|水《みづ》をもつて、|猛火《まうくわ》を|消《け》すのだ。これが|吾々《われわれ》の|身魂《みたま》の|試錬《しれん》だよ』
かく|言《い》ふ|折《をり》しも|火《ひ》は|足許《あしもと》へ|燃《も》えて|来《き》た。|進退《しんたい》|谷《きは》まつた|一同《いちどう》は|一処《ひとところ》に|集《あつ》まり|互《たがひ》に|抱《だ》きついて|地団駄《ぢだんだ》|踏《ふ》んで|居《ゐ》る。|忽《たちま》ち|地《ち》は【バサリ】と|陥落《かんらく》し、|土中《どちう》に|一行《いつかう》は|陥《おちい》つた。|火《ひ》はその|上《うへ》を|何《なに》の|容赦《ようしや》もなく|咆哮《ほうこう》しながら|燃《も》え|過《す》ぎにけり。
|岩彦《いはひこ》『アヽこれで|分《わか》つた。|九分九厘《くぶくりん》|叶《かな》はぬと|云《い》ふ|処《ところ》で|神様《かみさま》が|助《たす》けてやると|仰有《おつしや》るのは|茲《ここ》の|事《こと》だ。|火鼠《ひねずみ》を|現《あら》はして|教《をし》へてやるなぞと、|本当《ほんたう》の|赤《あか》い|鼠《ねずみ》が|出《で》るのかと|思《おも》つて|居《ゐ》たれば|途方途徹《とはうとてつ》もない|大《おほ》きな|火鼠《ひねずみ》だつた。|火《ひ》の|通《とほ》つた|跡《あと》は|焼《や》け|殻《がら》が|皆《みな》|黒《くろ》くなつて、|炭《すみ》になりよる。それで|火鼠《ひねずみ》と|仰有《おつしや》つたのだな』
|鷹彦《たかひこ》『ホー|中々《なかなか》|貴様《きさま》は|悟《さと》りがよいワイ。|何《なん》だ|未《ま》だブクブクするぢやないか。|地獄《ぢごく》の|底《そこ》まで|陥没《かんぼつ》しても|困《こま》る、|好加減《いいかげん》に|止《や》めて|貰《もら》はぬと、|過《す》ぎたるは|猶《なほ》|及《およ》ばざるが|如《ごと》しだ』
|何処《いづく》ともなく、『ククヽヽヽ』
|一同《いちどう》『ヤア、あれは|鼠《ねずみ》の|鳴《な》き|声《ごゑ》ぢやないか。|彼方《あつち》の|方《はう》に|往《い》つて|見《み》ようぢやないか』
と|声《こゑ》を|尋《たづ》ねて|一同《いちどう》は|進《すす》んで|行《ゆ》く。|果《はた》して|毛《け》の|緋色《ひいろ》を|帯《お》びた|古鼠《ふるねずみ》が|萱《かや》の|矢《や》を|喰《く》はへてこの|処《ところ》に|現《あら》はれ、
『|内《うち》はホラホラ、|外《と》はスブスブ』
と|鳴《な》いたきり|姿《すがた》を|消《け》して|了《しま》つた。|一同《いちどう》は【ドン】と|足踏《あしふみ》する|途端《とたん》、ズドンと|音《おと》がして|深《ふか》い|穴《あな》に|落《お》ち|込《こ》んだ。|見《み》れば|其処《そこ》には|六個《ろくこ》の|巌窟《がんくつ》が|開《あ》いて|居《ゐ》る。
|鷹彦《たかひこ》『ヤア|此処《ここ》だ|此処《ここ》だ、|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》もなかなか|偉《えら》いワイ、|矢《や》の|落《お》ちた|処《ところ》が|矢張《やつぱり》この|巌窟《いはや》の|入《い》り|口《ぐち》だつた。|悪魔《あくま》と|云《い》ふものは、|本当《ほんたう》に|注意《ちうい》|周到《しうたう》なものだ、コンナ|処《ところ》に|入口《いりぐち》を|拵《こしら》へておけば|誰《たれ》も|気《き》の|付《つ》く|筈《はず》はない、|至《いた》れり|尽《つく》せりだ。サアこれから|約束《やくそく》の|通《とほ》り|各自《めいめい》|分担《ぶんたん》して|探険《たんけん》に|出《で》かけるのだ』
|六人《ろくにん》は|各《おのおの》|一個《いつこ》の|穴《あな》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。|比較的《ひかくてき》|高《たか》く|横巾《よこはば》の|広《ひろ》い|巌穴《いはあな》である。どうしたものかこの|巌窟《がんくつ》の|中《なか》は|地中《ちちう》にも|拘《かか》はらず|非常《ひじやう》に|明《あかる》い。|六人《ろくにん》は|各《おのおの》|一《ひと》つの|穴《あな》を|目蒐《めが》けて|進《すす》み|行《ゆ》く。
|日《ひ》の|出別《でわけ》の|火鼠《ひねずみ》|荒野《あらの》に|現《あら》はれて  |迷《まよ》へる|人《ひと》の|心《こころ》を|照《てら》せり
|時々《ときどき》|穴《あな》と|穴《あな》との|巌壁《がんぺき》に|風通《かざとほ》しが|開《あ》けてある。|六人《ろくにん》は|六個《ろくこ》の|穴《あな》を|二三町《にさんちやう》|進《すす》むと|其処《そこ》に|非常《ひじやう》に|広《ひろ》い|場所《ばしよ》がある。|之《これ》より|先《さき》は|堅固《けんご》なる|巌《いは》の|戸《と》が|鎖《とざ》されて|進《すす》む|事《こと》が|出来《でき》ない。|六人《ろくにん》は|期《き》せずして|一処《ひとところ》に|集《あつ》まり、
|鷹彦《たかひこ》『ヤア|皆《みな》の|連中《れんちう》、|如何《どう》だつた。|別《べつ》に|変《かは》つた|事《こと》は|無《な》かつたか』
|亀彦《かめひこ》『あつた、あつた、|大《おほい》にあつた』
|鷹彦《たかひこ》『|何《なに》があつたのだ』
|亀彦《かめひこ》『|巌壁《がんぺき》の|両方《りやうはう》に|覗《のぞ》き|穴《あな》が|沢山《たくさん》あつたのだ』
|鷹彦《たかひこ》『|何《なに》を|云《い》ふのだ、|大層《たいそう》らしい。どの|窟《あな》にも|共通的《きようつうてき》に|空気穴《くうきあな》が|開《あ》いて|居《ゐ》るのだよ』
|岩彦《いはひこ》『|之《これ》では|約《つま》らぬぢやないか、|相手《あひて》なしの|戦《たたか》ひは|出来《でき》やしない。|何《なん》だ、|醜《しこ》の|厳窟《いはや》に|化物《ばけもの》が|居《を》るナンテ|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にして|居《ゐ》る。それだから|世間《せけん》の|噂《うはさ》は|当《あて》にならぬといふのだ』
|鷹彦《たかひこ》『イヤ、これからが|正念場《しやうねんば》だよ。ここはホンの|序幕《じよまく》だ。|何十里《なんじふり》とも|知《し》れぬ|程《ほど》あると|云《い》ふぢやないか、どこぞこの|岩壁《がんぺき》を|力一杯《ちからいつぱい》|押《お》して|見《み》ようか。|何《なん》でも|沢山《たくさん》の|戸《と》があると|云《い》ふ|事《こと》だから、アヽさうだ、|一《ひと》つ|押《お》してやらう。オイ|皆《みな》|一度《いちど》に|総攻撃《そうこうげき》だ』
と。|力一杯《ちからいつぱい》【ウン】と|押《お》した。|亀公《かめこう》の|押《お》した|岩《いは》は、|暖簾《のれん》を|押《お》すやうに|手《て》もなく|開《あ》いて、|亀《かめ》の|勢《いきほひ》あまつて|巌穴《いはあな》の|中《なか》へ|飛《と》び|込《こ》んだ|途端《とたん》に|幾丈《いくぢやう》とも|知《し》れぬ|陥穽《おとしあな》にザブンと|音《おと》を|立《た》てて|落《お》ち|込《こ》んだ。
|亀彦《かめひこ》『ヤヤ|大変《たいへん》だ。|皆《みな》の|奴《やつ》|俺《おれ》を|助《たす》けて|呉《く》れぬかい』
|五人《ごにん》は|穴《あな》の|傍《かたはら》を|一足《ひとあし》、|一足《ひとあし》、|指《ゆび》に|力《ちから》を|入《い》れながらソツと|向《むか》ふに|渡《わた》り、
『アヽ、|思《おも》はぬ|不覚《ふかく》を|取《と》つた。これだから|気許《きゆる》しは|一寸《ちよつと》も|出来《でき》ないと|云《い》ふのだ』
|鷹彦《たかひこ》『|何《なん》とかして|亀《かめ》サンを|救《すく》うて|上《あ》げて|遣《や》らねばなるまい』
|亀《かめ》、|井戸《ゐど》の|底《そこ》より、
『オイ、オイ、|何《なん》とかして|呉《く》れないか』
|音彦《おとひこ》『お|前《まへ》は|名《な》から|亀《かめ》サン、|水《みづ》の|中《なか》は|得意《とくい》だらう、マア|悠乎《ゆつくり》と|水《みづ》でも|呑《の》んで|寛《くつろ》ぎたまへ。|突差《とつさ》の|場合《ばあひ》よい|智慧《ちゑ》も|出《で》ないから|此《この》|井戸《ゐど》の|傍《はた》で|山《やま》の|神《かみ》ぢやないが、|井戸端《ゐどばた》|会議《くわいぎ》を|開会《かいくわい》してお|前《まへ》を|助《たす》けるか、|助《たす》けないかといふ|決議《けつぎ》をやるのだ。マアマア、|閉会《へいくわい》になる|迄《まで》|辛抱《しんばう》して|呉《く》れ』
|亀彦《かめひこ》『ソンナ|気楽《きらく》な|事《こと》を|云《い》うて|居《を》れるかい、|一時《いちじ》も|早《はや》く|救《すく》ひ|上《あ》げて|呉《く》れ』
|岩彦《いはひこ》『エヽ、|矢釜敷《やかまし》い|云《い》うな、|手《て》の|付《つ》けやうが|無《な》いちやないか』
|亀彦《かめひこ》『|手《て》の【つけ】やうどころか、|足《あし》も|頭《あたま》も|体中《からだぢう》、【|浸《つ》け】て|居《ゐ》るぢやないか』
|鷹彦《たかひこ》『サアサア、|臨時《りんじ》|議会《ぎくわい》の|開会《かいくわい》だ、これから|議長《ぎちやう》の|選挙《せんきよ》だ。|院内《いんない》|総務《そうむ》は|誰《たれ》にしようかな』
|亀彦《かめひこ》『アヽ|辛気《しんき》|臭《くさ》い、|洒落《しやれ》どころぢやないわ、|冷《つめ》たくなつて|仕方《しかた》がない、|体《からだ》も|何《なに》も|氷結《ひようけつ》して|了《しま》ふわ』
|岩彦《いはひこ》『|氷結《ひようけつ》したつて|仕方《しかた》がない、|此方《こちら》は|多数決《たすうけつ》だ。|五人《ごにん》を|両派《りやうは》に|分《わ》けて、|三人《さんにん》と|二人《ふたり》だ。|鷹《たか》サンは|議長《ぎちやう》といふ|格《かく》だ』
|鷹彦《たかひこ》『エヽ|諸君《しよくん》、|遠路《ゑんろ》の|処《ところ》よく|出席《しゆつせき》|下《くだ》さいました。|今回《こんくわい》|臨時《りんじ》|議会《ぎくわい》を|開会《かいくわい》いたしましたに|就《つい》ては、|最《もつと》も|急《きふ》を|要《えう》する|事件《じけん》で|御座《ござ》いまして、|国家《こくか》|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|場合《ばあひ》、|何卒《なにとぞ》|諸君《しよくん》の|慎重《しんちよう》なる|御審議《ごしんぎ》を|願《ねが》ひ|度《た》いのです。|抑々《そもそも》|今回《こんくわい》の|議案《ぎあん》|提出《ていしゆつ》の|要件《えうけん》は、|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り、|元《もと》ウラル|教《けう》のヘボ|宣伝使《せんでんし》、|亀公《かめこう》と|云《い》ふ|男《をとこ》、|醜《しこ》の|巌窟《いはや》の|探険《たんけん》に|出《で》かけ、|実《じつ》に|短見《たんけん》|浅慮《せんりよ》にも|思《おも》はぬ|不覚《ふかく》を|取《と》り、|深《ふか》く|井中《ゐちう》に|陥没《かんぼつ》|致《いた》し、|生命《いのち》|旦夕《たんせき》に|迫《せま》る、と|云《い》ふ|場合《ばあひ》でございます。|何卒《どうぞ》|諸君《しよくん》の|箱入《はこいり》の|知識《ちしき》を|絞《しぼ》り|出《だ》されて、|彼《かれ》が|救済《きうさい》の|策《さく》を|講《かう》じ|最善《さいぜん》の|努力《どりよく》を|尽《つく》されむ|事《こと》を|希望《きばう》いたします』
『ヤア|賛成《さんせい》|々々《さんせい》』
と、|四人《よにん》は|一度《いちど》に|拍手《はくしゆ》をもつて|迎《むか》へる。|亀公《かめこう》は|井戸《ゐど》の|底《そこ》より、
|亀彦《かめひこ》『ヤーイ、|早《はや》く|助《たす》けぬかい。|死《し》んでからなら|助《たす》けても|役《やく》に|立《た》たぬぞ』
|鷹彦《たかひこ》『|何《なん》だ。|井戸《ゐど》の|底《そこ》から|矢釜敷《やかましう》|云《い》ふな、|議会《ぎくわい》の|神聖《しんせい》を|汚《けが》すでないか。|如何《どう》でせう、|諸君《しよくん》、|先決《せんけつ》|問題《もんだい》として|亀公《かめこう》を|救済《きうさい》すべきものなりや、|将又《はたまた》このままに|見殺《みごろし》にすべきものなりや、|起立《きりつ》をもつてお|示《しめ》し|下《くだ》さい』
|音彦《おとひこ》『|皆《みな》すでに|起立《きりつ》して|居《ゐ》るぢやありませぬか』
|鷹彦《たかひこ》『ヤア、これは|間違《まちが》つた。|議員《ぎゐん》|一同《いちどう》そこにお|坐《すわ》り|下《くだ》さい。|賛成者《さんせいしや》は|起立《きりつ》を|願《ねが》ひます。|亀彦《かめひこ》を|助《たす》けると|云《い》ふお|心《こころ》の|方《かた》は|起立《きりつ》して|下《くだ》さい、|救《すく》はないと|云《い》ふ|御意見《ごいけん》の|方《かた》はそのまま|坐《すわ》つて|居《ゐ》てもらひませう。|一《いち》|二《に》|三《さん》』
|鷹彦《たかひこ》『ヤア|起立《きりつ》される|方《かた》は|駒《こま》サン|一人《ひとり》ですか、これは|怪《け》しからぬ。|然《しか》らば|議長《ぎちやう》が|起立《きりつ》いたしませう』
|岩彦《いはひこ》『|議長《ぎちやう》|横暴《わうばう》だ。|多数決《たすうけつ》|多数決《たすうけつ》。|可《か》とする|者《もの》|二人《ふたり》、|否《ひ》とする|者《もの》|三人《さんにん》』
|鷹彦《たかひこ》『|多数党《たすうたう》|横暴《わうばう》|極《きは》まる。|議会《ぎくわい》の|解散《かいさん》を|命《めい》じませうか』
|亀《かめ》、|井戸《ゐど》の|底《そこ》より|泣《な》き|声《ごゑ》を|出《だ》して、
『ヤイ、|馬鹿《ばか》にするない、|洒落《しやれ》どころかい。|早《はや》く|助《たす》けて|呉《く》れないか』
|岩彦《いはひこ》『この|井戸《ゐど》の|周囲《まはり》は|皆《みな》この|岩《いは》サンで|固《かた》めてあるのだ。|岩《いは》に|手《て》をかけ|足《あし》をかけ|登《のぼ》つて|来《く》ればよいのだよ』
|亀彦《かめひこ》『|登《のぼ》れと|云《い》つたつて、|手《て》も|足《あし》も|引《ひ》つかかる|処《ところ》がないのだよ』
|岩彦《いはひこ》『さうだらう、|手足《てあし》が|短《みじか》くて|背《せ》の|甲羅《かふら》がつかへて|登《のぼ》れぬのだらう。モシモシ|亀《かめ》よ|亀《かめ》サンよ、|世界《せかい》の|中《うち》にお|前《まへ》ほど、|体《からだ》の|不自由《ふじゆう》なものは|無《な》い、アハヽヽ』
|亀彦《かめひこ》『|何《なん》とおつしやる|兎《うさぎ》サン』
|鷹彦《たかひこ》『|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|場合《ばあひ》、|命《いのち》の|瀬戸際《せとぎは》になつて、|洒落《しやれ》るだけの|余裕《よゆう》があるものなら、サツサと|登《のぼ》つて|来《こ》い』
|亀彦《かめひこ》『|皆《みな》サン|大《おほ》きに|憚《はばか》りさま。|上《うへ》から|暗《くら》くて|見《み》よまいが、|立派《りつぱ》な|段梯子《だんばしご》が|刻《きざ》んであるわ、アハヽヽヽ』
と|笑《わら》ひながら|悠々《いういう》として|井戸《ゐど》から|登《のぼ》つて|来《き》た。
|岩彦《いはひこ》『こいつ|一杯《いつぱい》|喰《くは》された。イヤ|此方《こちら》が|臨時《りんじ》|議会《ぎくわい》まで|開《ひら》いて|大騒動《おほさうどう》をやつて、|沢山《たくさん》の|機密費《きみつひ》を|使《つか》つたのは、|吾々《われわれ》の|方《はう》が|陥穽《おとしあな》に|放《ほ》り|込《こ》まれたやうなものだ。|有《あり》もせぬ|脳味噌《なうみそ》から|機密費《きみつひ》を|絞《しぼ》り|出《だ》して|馬鹿《ばか》らしい。この|度《たび》の|議会《ぎくわい》は|歳費《さいひ》|五割増《ごわりまし》だ。アハヽヽヽ』
|斯《か》く|笑《わら》ひ【さざめく】|折《をり》しも、|前方《ぜんぱう》に|当《あた》つて|何《なん》とも|形容《けいよう》の|出来《でき》ないやうな|異声《いせい》|怪音《くわいおん》|頻《しき》りに|一同《いちどう》の|耳朶《じだ》を|打《う》つ。
|不思議《ふしぎ》や|一行《いつかう》の|身体《からだ》はその|響《ひびき》と|共《とも》に、|電気《でんき》にでも|感《かん》じたやうに、|身体《からだ》の|各部《かくぶ》に|震動《しんどう》を|感《かん》じ、やや|痳痺《まひ》|気味《ぎみ》になつて|来《き》た。
|鷹彦《たかひこ》『ヤア、|此奴《こいつ》は|大変《たいへん》だぞ、オイオイ|皆《みな》の|者《もの》、|緊褌一番《きんこんいちばん》、|大《おほい》に|活動《くわつどう》すべき|時期《じき》が|切迫《せつぱく》した。|何《なに》はともあれ、|神言《かみごと》だ|神言《かみごと》だ』
|一同《いちどう》は|声《こゑ》をそろへて、|天津《あまつ》|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》する。
(大正一一・三・一七 旧二・一九 加藤明子録)
第一一章 |怪《あや》しの|女《をんな》〔五三七〕
|一同《いちどう》は|天津《あまつ》|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し|終《をは》つて、|怪《あや》しき|声《こゑ》する|方《はう》に|向《むか》つて|強行的《きやうかうてき》|前進《ぜんしん》を|続《つづ》けた。|道《みち》はおひおひ|狭《せま》くなつて|来《き》た。
|岩彦《いはひこ》『ヤア|狭《せま》いぞ、まるで【|羊腸《やうちやう》】の|小径《こみち》だ、|気《き》をつけよ』
|梅彦《うめひこ》『【|窈窕《ようてう》】|嬋研《せんけん》たる|美人《びじん》の|嬌音《けうおん》が|聞《きこ》えて|居《ゐ》るぢやないか、|中々《なかなか》もつて|前途《ぜんと》|有望《いうばう》だ』
|音彦《おとひこ》『|何《なん》だ、|気楽《きらく》さうに|魔窟《まくつ》の|探険《たんけん》に|来《き》てゐながら|窈窕《ようてう》の|美人《びじん》もあつたものかい。|何処《どこ》までも|貴様《きさま》はウラル|式《しき》を|発揮《はつき》する|男《をとこ》だな』
|梅彦《うめひこ》『|三歳児《みつご》の|魂《たましひ》|百《ひやく》まで|通《とほ》せだ、|雀《すずめ》|百《ひやく》まで|踊《をど》りを|忘《わす》れぬ。|况《いは》んや|青春《せいしゆん》の|血《ち》に|燃《も》ゆる|梅彦《うめひこ》に|於《おい》てをやだ』
|岩彦《いはひこ》『アハヽヽヽ、それにしても|最前《さいぜん》の|怪《あや》しき|声《こゑ》は|何《なん》だつたらう。|僕《ぼく》|甚《はなは》だ|以《もつ》て|諒解《りやうかい》に|苦《くる》しまざるを|得《え》ないわ』
|亀彦《かめひこ》『あれは|魔神《まがみ》の|囁《ささや》きだよ。|天津《あまつ》|祝詞《のりと》の|言霊《ことたま》に|旗《はた》を|捲《ま》き|矛《ほこ》を|〓《をさ》めて|予定《よてい》の|退却《たいきやく》と|出掛《でかけ》たのだよ。オイオイ|段々《だんだん》|狭《せま》くなつて|頭《あたま》がつかへるぢやないか』
|鷹彦《たかひこ》『フルの|ケ原《がはら》の|真《ま》ん|中《なか》に  |聳《そそ》り|立《た》ちたる|巌《いは》の|山《やま》
|醜《しこ》の|巌窟《いはや》の|六《む》つの|穴《あな》  |探険《たんけん》せむと|来《き》て|見《み》れば
|六道《ろくだう》の|辻《つじ》か|知《し》らねども  |此処《ここ》に|一行《いつかう》|廻《めぐ》り|会《あ》ひ
|力限《ちからかぎ》りに|岩壁《がんぺき》を  |押《お》した|途端《とたん》に|亀彦《かめひこ》が
|思《おも》ひ|掛《がけ》|無《な》き|陥穽《おとしあな》  |呻《うな》りをたてて|直線《ちよくせん》に
ザンブと|許《ばか》り|墜落《つゐらく》し  |泣《な》かぬ|許《ばか》りに|声《こゑ》たてて
|慈悲《じひ》ぢや|情《なさけ》ぢや|宣伝使《せんでんし》  |何卒《どうぞ》|生命《いのち》をお|助《たす》けと
|吠面《ほえづら》かわく|可笑《をか》しさに  |吾等《われら》|五人《ごにん》は|逸早《いちはや》く
|井戸端《ゐどばた》|会議《くわいぎ》を|開会《かいくわい》し  |多数決《たすうけつ》にて|亀彦《かめひこ》を
|救《すく》ふは|全然《ぜんぜん》|不可能《ふかのう》と  |決定《けつてい》したる|時《とき》も|時《とき》
なまくら|海鼠《なまこ》の|亀彦《かめひこ》が  |吠《ほ》えて|居《ゐ》るかと|思《おも》ひきや
|素知《そし》らぬ|顔《かほ》にてムクムクと  |階段《かいだん》|上《のぼ》り|吾前《わがまへ》に
|現《あら》はれ|来《きた》る|可笑《をか》しさよ  シヅの|巌窟《いはや》の|魔窟原《まくつはら》
|醜《しこ》の|魔神《まがみ》を|言向《ことむ》けて  |世人《よびと》の|害《がい》を|除《のぞ》かむと
|語《かた》らふ|折《をり》しも|何処《どこ》となく  |呂律《ろれつ》も|合《あ》はぬ|言霊《ことたま》の
ど|拍子《へうし》ぬけたる|呻《うな》り|声《ごゑ》  これは【てつきり】|曲神《まがかみ》の
|悪戯事《いたづらごと》と|推断《すゐだん》し  |天津《あまつ》|祝詞《のりと》を|唱《とな》ふれば
|流石《さすが》に|猛《たけ》き|曲津見《まがつみ》も  |煙《けむり》の|如《ごと》く|消《き》え|失《う》せて
|跡《あと》しら|雪《ゆき》と|解《と》けて|行《ゆ》く  |此処《ここ》に|一行《いつかう》|六人《ろくにん》は
|足《あし》を|早《はや》めて|前進《ぜんしん》し  ヤツト|極《きま》つた|羊腸《やうちやう》の
|小径《こみち》の|岩穴《がんけつ》|辿《たど》りつつ  |行《ゆ》けども|行《ゆ》けども|限《かぎ》りなく
|逸《はや》る|心《こころ》の|細道《ほそみち》を  |長蛇《ちやうだ》の|陣《ぢん》を|布《し》きつつも
いよいよ|此処《ここ》に|喇叭口《ラツパぐち》  |開《ひら》いて|嬉《うれ》し|広庭《ひろには》に
|来《きた》りて|見《み》ればあら|不思議《ふしぎ》  |春《はる》の|弥生《やよい》の|鶯《うぐひす》か
|秋野《あきの》にすだく|鈴虫《すずむし》か  それより|清《きよ》き|宣伝歌《せんでんか》
|何処《いづく》ともなく|聞《きこ》え|来《く》る  アヽ|訝《いぶか》しや|訝《いぶか》しや
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|巌窟《がんくつ》の
|魔神《まがみ》の|征服《せいふく》|面白《おもしろ》し  アヽ|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し
|進《すす》めよ|進《すす》めいざ|進《すす》め  |如何《いか》なる|悪魔《あくま》の|来《きた》るとも
|大和心《やまとごころ》を|振《ふ》り|起《おこ》し  |厳《いづ》の|雄健《をたけ》び|踏《ふ》み|健《たけ》び
|厳《いづ》の|嘖譲《ころび》を|起《おこ》しつつ  |一歩《いつぽ》も|退《しりぞ》くこと|勿《なか》れ
|進《すす》めや|進《すす》め|巌《いは》の|道《みち》』
と|歌《うた》ふ|折《をり》しも|傍《かたはら》の|岩壁《がんぺき》より|雪《ゆき》を|欺《あざむ》く|婉麗《ゑんれい》なる|美人《びじん》の|顔《かほ》、チラリと|此方《こなた》を|覗《のぞ》き|居《ゐ》る。
|梅彦《うめひこ》は|敏《さと》くも|此《この》|顔《かほ》を|見《み》て、
『ヤア|大変《たいへん》だ、|出《で》たぞ|出《で》たぞ。ドツコイシヨ』
と|言《い》ひながら|尻餅《しりもち》を|搗《つ》く。
『ヤアヤア、|待《ま》つた|待《ま》つた。|出《で》た|出《で》た』
|鷹彦《たかひこ》『|出《で》たとは|何《なん》だ。|別《べつ》に|何《なん》にも|居《ゐ》ないぢやないか』
|梅彦《うめひこ》『|居《ゐ》ないの、|居《ゐ》るのつて、|意外《いぐわい》の|奴《やつ》が|居《ゐ》るのだもの』
|鷹彦《たかひこ》『|何《なに》が|居《ゐ》るのだい』
|梅彦《うめひこ》は|傍《かたはら》の|岩穴《いはあな》を|指《ゆび》さし、
『マアマア、あれを|見《み》い』
|鷹彦《たかひこ》『なんだ|梅公《うめこう》、コンナ|処《ところ》に|腰《こし》を|下《おろ》して、|早《はや》く|立《た》たぬかい』
|梅彦《うめひこ》『イヤあまり|日《ひ》は|永《なが》し、|綺麓《きれい》な|花盛《はなざか》りだから|一寸《ちよつと》ここで|腰《こし》|打《う》ち|掛《か》けて|花《はな》の|見物《けんぶつ》だ。|貴様等《きさまら》が|仕様《しやう》も|無《な》い|窈窕嬋研《ようてうせんけん》たる|美人《びじん》だなぞと|言《い》ふものだから、お|化《ば》けの|奴《やつ》、|御註文《ごちゆうもん》|通《どほ》り|別嬪《べつぴん》になつて|化《ば》けて|出《で》よつたのだよ』
|岩彦《いはひこ》『アハヽヽヽ、|此奴《こいつ》チツト|逆上《ぎやくじやう》して|居《ゐ》るな。|何《な》にも|居《ゐ》はせないぢやないか。|歩《ある》きもつて|夢《ゆめ》を|見《み》る|奴《やつ》が|何処《どこ》にあるかい』
|梅彦《うめひこ》『|夢《ゆめ》ぢや|無《な》いぞ、|現《うつつ》ぢや|無《な》いぞ、|幻《まぼろし》ぢや|無《な》いぞ。ゆめゆめ|疑《うたが》ふな』
|音彦《おとひこ》『ヤア|此奴《こいつ》|変《へん》だぞ。オイ|梅公《うめこう》、|貴様《きさま》はバのケぢやないか。フルの|ケ原《がはら》の|妖怪《えうくわい》そつくりのロジックを|使《つか》ひよつて』
|梅彦《うめひこ》『ヤア|決《けつ》して|決《けつ》して、|妖怪《えうくわい》どころか、マアその|岩《いは》の|穴《あな》を|覗《のぞ》いて|見《み》よ。あの|美《うつく》しい|声《こゑ》の|出所《でどころ》はその|穴《あな》の|中《なか》だよ』
|駒公《こまこう》は|岩《いは》に|掻《か》きつき|背伸《せの》びをし|乍《なが》ら、|梅彦《うめひこ》の|指《ゆび》さした|岩壁《がんぺき》の|穴《あな》を|一寸《ちよつと》|覗《のぞ》き『ヤア』と|言《い》つたきりズルズルドスン、
『アイタヽ、イヤもう|如何《どう》にも|斯《か》うにも|奇《き》つ|怪《くわい》|奇《き》つ|怪《くわい》、|奇妙《きめう》【きてれつ】、|古今独歩《ここんどつぽ》、|珍無類《ちんむるゐ》|金覆輪《きんぷくりん》の|覆輪《ぷくりん》|々々《ぷくりん》だ』
|岩彦《いはひこ》『|何《なん》だ、|二人《ふたり》|共《とも》あの|穴《あな》を|覗《のぞ》いては|怪《け》つ|体《たい》な|事《こと》を|言《い》ひよる。どら|俺《おれ》が|一《ひと》つ|厳重《げんぢゆう》に|臨検《りんけん》してやらう』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら|又《また》もや|岩壁《がんぺき》に|駆《か》け|上《のぼ》り、|一寸《ちよつと》|中《なか》を|覗《のぞ》いて|見《み》て、
『ヤア|居《ゐ》る|居《ゐ》る、|素敵《すてき》|滅法界《めつぽふかい》な|魔性《ましやう》の|女《をんな》だ』
|鷹彦《たかひこ》『ドレドレ、|俺《おれ》が|一《ひと》つ|魔性《ましやう》の|女《をんな》の|首実検《くびじつけん》と|出掛《でかけ》てやらう』
|岩彦《いはひこ》『ヤア、|待《ま》つた|待《ま》つた、|梅公《うめこう》に|駒公《こまこう》の|奴《やつ》、|腰《こし》を|抜《ぬ》かしよつた|様《やう》な|美人《びじん》だ。|成功《せいこう》したのはこの|岩《いは》サン|計《ばか》りだ。|先取権《せんしゆけん》は|俺《おれ》にある。|見《み》るなら|見《み》せてやらぬ|事《こと》は|無《な》いが、|何程《いくら》コンミツシヨンを|出《だ》すか』
|鷹彦《たかひこ》『アハヽヽヽ、|貴様《きさま》たちは|化物《ばけもの》であらうが|何《なん》であらうが、|女《をんな》でさへあれば|良《よ》いのだな』
|岩彦《いはひこ》『|天地《てんち》|開闢《かいびやく》の|初《はじ》めより|女《をんな》ならでは|夜《よ》の|明《あ》けぬ|国《くに》だ。これや|又《また》|何《なん》とした|有難《ありがた》い|事《こと》だらう、これだから|旅《たび》は|良《よ》いもの|辛《つら》いものと|言《い》ふのだい』
|鷹彦《たかひこ》『ともかく|見《み》る|丈《だ》け|位《ぐらゐ》は|無料《むれう》でもよからう。|別《べつ》に|俺《おれ》の|慧眼《けいがん》で|一瞥《いちべつ》したと|言《い》つたとて、それがために|痩《やせ》るものでもあるまい。また|春《はる》の|氷《こほり》の|様《やう》に|溶《と》けもせまいから』
|音彦《おとひこ》『|鷹彦《たかひこ》サン、|亀公《かめこう》と|三角《さんかく》|同盟《どうめい》を|結《むす》んで|此奴等《こいつら》の|堅塁《けんるゐ》を|粉砕《ふんさい》し、|一《ひと》つ|其《その》|美人《びじん》を|占領《せんりやう》したら|如何《どう》ですか』
|岩彦《いはひこ》『|占領《せんりやう》しようと|言《い》つたつて|岩《いは》の|中《なか》に|居《ゐ》る|岩姫《いはひめ》だ。|如何《どう》する|事《こと》も|出来《でき》やしない』
この|時《とき》|又《また》もや|美人《びじん》は|巌《いは》の|口《くち》に|麗《うるは》しき|面貌《めんばう》を|現《あら》はし、ニタリと|笑《わら》ひ|乍《なが》ら、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》ける
この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|宣《の》り|直《なほ》せ』
|岩彦《いはひこ》『ヤアこの|化物《ばけもの》、|洒落《しやれ》てやがる。|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つてるぢやないか。チツト|合点《がてん》がゆかぬぢやないか』
|鷹彦《たかひこ》|諸手《もろて》を|組《く》んで|稍《やや》そり|返《かへ》り|乍《なが》ら、
|鷹彦《たかひこ》『ウーン、ウン、オイ|一同《いちどう》の|宣伝使《せんでんし》、これや|何《なん》でも|三五教《あななひけう》の|女《をんな》|宣伝使《せんでんし》に|相違《さうゐ》ないぞ』
|岩彦《いはひこ》『|入口《いりぐち》も|無《な》いのに、コンナ|細《ほそ》い|穴《あな》から|化物《ばけもの》ぢや|無《な》ければ、|出入《しゆつにふ》する|事《こと》が|出来《でき》ぬぢやないか。これやこれや【てつきり】バの|字《じ》にケの|字《じ》ぢや』
|鷹彦《たかひこ》|首《くび》を|振《ふ》りながら、
|鷹彦《たかひこ》『イヤイヤ、|待《ま》て|待《ま》て。|沈思《ちんし》|黙考《もくかう》する|丈《だ》けの|余地《よち》は|十分《じふぶん》にある。|何《なん》でも|豪胆《がうたん》な|宣伝使《せんでんし》が|吾々《われわれ》の|如《ごと》く|探険《たんけん》にやつて|来《き》て|魔神《まがみ》の|計略《けいりやく》にかかり、|岩《いは》の|中《なか》に|閉《と》ぢ|込《こ》められて|居《ゐ》るのかも|知《し》れない。|一《ひと》つ|力限《ちからかぎ》りこの|洞《ほら》の|岩壁《がんぺき》を|押《お》して|見《み》ようか、|何処《どこ》かに|隠《かく》し|戸《ど》があるに|違《ちが》ひないぞ』
|音彦《おとひこ》『あまり|力《ちから》|入《い》れて|押《お》すと、また|亀公《かめこう》の|様《やう》に|空中滑走《くうちうくわつそう》をやつて|井戸《ゐど》の|底《そこ》に|着水《ちやくすゐ》するかも|知《し》れない。【やあわり】と|押《お》したがよからう』
|岩彦《いはひこ》『|何《なに》、|躊躇《ちうちよ》|逡巡《しゆんじゆん》する|必要《ひつえう》があるか』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、あたりの|岩壁《がんぺき》を|金剛力《こんがうりき》を|出《だ》してウンウンと|押《お》して|見《み》て、
『アヽ、|如何《どう》しても|入口《いりぐち》がハツキリせぬわ、これや|何《なん》でも|仕掛《しかけ》があるに|違《ちが》ひない。ヤア|此処《ここ》に|妙《めう》な|石《いし》が|落《お》ちて|居《ゐ》る、|之《これ》が|仕掛《しかけ》かも|知《し》れぬぞ』
と|言《い》ひつつその|石《いし》を|片手《かたて》を|伸《の》ばしてグイと|取《と》り|除《の》けた。|忽《たちま》ち|両手《りやうて》の|這入《はい》る|様《やう》な|恰好《かつかう》な|穴《あな》があいた。|岩公《いはこう》は|両手《りやうて》を|引《ひ》つかけた|儘《まま》ウンと|背伸《せの》びをする|途端《とたん》に、|厚《あつ》さ|四五寸《しごすん》|許《ばか》りの|石《いし》の|一枚戸《いちまいど》が|剥《め》くれて|来《き》た。
『ヨー、コンナ|事《こと》をやつてゐよる。|何《なん》でも|入口《いりぐち》はこの|辺《へん》にあるに|違《ちが》ひないぞ。オイ|皆《みな》の|者《もの》、サア|来《き》た|来《き》た』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら|穴《あな》を|潜《くぐ》つて|一間《いつけん》|許《ばか》り|前進《ぜんしん》すると|又《また》もや|岩《いは》の|戸《と》にピタリと|止《と》まつた。|岩彦《いはひこ》は|力限《ちからかぎ》り|岩《いは》の|戸《と》を|向《むか》ふへ|押《お》した。|途端《とたん》に|岩戸《いはと》は|思《おも》ひの|外《ほか》|軽《かる》く|開《ひら》いた。|一同《いちどう》は|先《さき》を|争《あらそ》うて|岩戸《いはと》の|中《なか》へ|進《すす》み|入《い》るのであつた。|岩壁《がんぺき》には|足掛《あしかけ》が|刻《きざ》まれてある。それを|一歩《ひとあし》|々々《ひとあし》|登《のぼ》つて|行《ゆ》くと|二坪《ふたつぼ》ばかりの|平面《へいめん》な|処《ところ》がある。その|中央《ちうあう》に|容色《ようしよく》|婉麗《ゑんれい》なる|以前《いぜん》の|美人《びじん》がやや|俯向《うつむ》き、|羞《はづか》しげに|坐《すわ》つてゐた。|岩彦《いはひこ》は|見《み》るより『ヤア』と|驚《おどろ》いて|倒《たふ》れむとしたが、『ドツコイ』と|気《き》を|執《と》り|直《なほ》し|全身《ぜんしん》に|力《ちから》を|籠《こ》め|乍《なが》ら、|声《こゑ》まで|震《ふる》はせ、
|岩彦《いはひこ》『ヤイヤイ、ヤイ、|一体《いつたい》|全体《ぜんたい》|貴様《きさま》は|何物《なにもの》のお|化《ば》けだ。|大蛇《をろち》か、|鬼《おに》か、|狼《おほかみ》か、|古狐《ふるぎつね》か、|古狸《ふるたぬき》か、もう|斯《か》うなつては|仏《ほとけ》の|椀《わん》ぢや、かなはぬぞ。|有《あ》り|態《てい》に|白状《はくじやう》|致《いた》せ。|吾々《われわれ》|六人《ろくにん》の|勇士《ゆうし》に|包囲《はうゐ》されては、もはや|遁走《とんそう》する|事《こと》も|出来《でき》まい。サア|尋常《じんじやう》に|白旗《はくき》を|掲《かか》ぐるか、|開城《かいじやう》するか』
|女《をんな》『ホヽヽ、|之《これ》はしたり|俄《にはか》|宣伝使《せんでんし》の|岩彦《いはひこ》サンとやら、|大変《たいへん》なお|元気《げんき》で|御座《ござ》いますこと』
|岩彦《いはひこ》『|益々《ますます》|合点《がてん》のゆかぬ|大怪物《だいくわいぶつ》、コラ、|貴様《きさま》|何程《なにほど》うまく|化《ば》けてもこの|方《はう》の|天眼通《てんがんつう》で、チヤンと|調《しら》べてあるのだ。お|気《き》の|毒《どく》|乍《なが》ら|貴様《きさま》の|尻《しり》を|見《み》い。|大《おほ》きな|尻《し》つ|尾《ぽ》が|見《み》えてるぢや|無《な》いか』
|女《をんな》『ホヽヽヽヽ、|何《なん》の|尻《し》つ|尾《ぽ》が|見《み》えて|居《を》りますか。|大蛇《をろち》ですか、|狼《おほかみ》ですか、|狐《きつね》か、|獅子《しし》か、|狸《たぬき》か、|猫《ねこ》か、|鼬《いたち》か、|鼠《ねずみ》か、あてて|御覧《ごらん》』
|岩彦《いはひこ》『ナヽヽ|何《なに》を|吐《ほざ》きよるのだ。|図太《づぶと》い|化物《ばけもの》|奴《め》が。|一体《いつたい》|俺《おれ》を|誰方《どなた》と|思《おも》つてけつかる』
|女《をんな》『ホヽヽヽヽ、|誰方《どなた》でもありませぬ、|此方《こなた》サンぢやと|思《おも》ひます。オヽヽヽ|可笑《をか》し、【お】|元気《げんき》な【お】|身体《からだ》、【お】|達者《たつしや》|相《さう》な【お】|姿《すがた》』
|岩彦《いはひこ》『コラ、|俺《おれ》が|尾《を》が|見《み》えると|言《い》つたらよい|気《き》になつて、【お】|元気《げんき》だの、【お】|達者《たつしや》だのと|人《ひと》の|言葉《ことば》の|尾《を》につけて|横道者《【わ】うだうもの》|奴《め》が。|鬼《【お】に》、|大蛇《【を】ろち》|狼《【お】ほかみ》の|何奴《どいつ》かの【お】|化《ば》け|奴《め》が』
|女《をんな》『ホー|之《これ》は|鷹彦《たかひこ》サン、|梅彦《うめひこ》サン、|音彦《おとひこ》サン、|亀《かめ》サン、|駒《こま》サン、|昨日《きのふ》から|此処《ここ》にお|待《ま》ち|受《う》けして|居《ゐ》ましたよ』
|鷹彦《たかひこ》『ヤア、さう|言《い》ふ|貴女《あなた》は|何《いづ》れの|方《かた》でござるか、|拙者《せつしや》|一向《いつかう》|一面識《いちめんしき》もござらぬ』
|女《をんな》『オホヽヽヽ、|貴方《あなた》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|妾《わらは》の|姿《すがた》をお|覚《おぼ》えぢやありませぬか』
|鷹彦《たかひこ》『ホー|一向《いつかう》|合点《がてん》の|虫《むし》が|承諾《しようだく》しませぬワイ。|一体《いつたい》|全体《ぜんたい》|貴女様《あなたさま》は、|何《いづ》れの|神様《かみさま》でございますか』
|女《をんな》『|鷹《たか》サン、マアマア|気《き》を|落《お》ちつけて|妾《わらは》の|素性《すじやう》を|洗《あら》つて|御覧《ごらん》、それが|分《わか》らない|様《やう》な|事《こと》では|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》も|駄目《だめ》ですよ。|醜《しこ》の|巌窟《いはや》の|征服《せいふく》もさつぱり|零《ゼロ》ですよ』
|岩彦《いはひこ》『オイオイ|梅公《うめこう》、|音《おと》、|亀《かめ》、|駒《こま》、|貴様《きさま》|何《なん》だ。|何時《いつ》もベラベラ|口車《くちぐるま》を|廻転《くわいてん》させる|癖《くせ》に|今日《けふ》に|限《かぎ》つてその|沈黙《ちんもく》は|何《なん》だい。【まさか】|汽缶《きくわん》の|油《あぶら》がきれたでもあるまいに、|俺《おれ》|計《ばか》りに|談判《だんぱん》させよつてチツト|交渉《かうせふ》したら|如何《どう》だい』
|女《をんな》『オホヽヽヽ、あの|岩《いは》サンの|気張《きば》り|様《やう》、|妾《わらは》はあまり|可笑《をか》しくて|横腹《よこはら》が|痛《いた》みます』
|岩彦《いはひこ》『|痛《いた》まうと|痛《いた》むまいと|俺《おれ》の|知《し》つた|事《こと》かい。コンナ|魔窟《まくつ》の|中《なか》に|巣剿《すく》ひよつて|吾等《われら》を|誑《たぶ》らかさうと|思《おも》つても、ソンナ|者《もの》に|瞞著《まんちやく》されるものと|選《せん》を|異《こと》にするのだ、あまり|巫山戯《ふざけ》るない。|良々加減《いいかげん》に|正体《しやうたい》を|現《あら》はさぬと|此《この》|岩《いは》サンの|鉄拳《てつけん》がお|見舞《みま》ひ|申《まを》すぞ』
|女《をんな》『オホヽヽヽ、|貴方《あなた》がたは|能《よ》く|能《よ》く|分《わか》らぬ|人《ひと》ですね。|二《ふた》つのお|目《め》は|銀紙《ぎんがみ》ですか、|節穴《ふしあな》ですか、|不思議《ふしぎ》な|先《さき》の|見《み》えぬお|目《め》だこと。オホヽヽヽヽヽ』
|岩彦《いはひこ》『エーイ、|怪《け》つ|体《たい》の|悪《わる》いこのお|化《ば》け|奴《め》、|優《やさ》しい|顔《かほ》をしよつて|失敬《しつけい》|千万《せんばん》な|事《こと》を|言《い》ひよる|太《ふと》い|奴《やつ》だ。もう|此《この》|上《うへ》は|勘忍袋《かんにんぶくろ》の|緒《を》が|切《き》れた。サア|覚悟《かくご》|致《いた》せ』
|女《をんな》『オホヽヽヽ』
|鷹彦《たかひこ》『ハテナ、|此奴《こいつ》は|只《ただ》の|狸《たぬき》ぢやあるまいな』
|女《をんな》『ホヽヽヽ』
|岩彦《いはひこ》『|狸《たぬき》どころか、|大化物《おほばけもの》の|親玉《おやだま》だ。|狸《たぬき》なら|八畳敷《はちでふじき》に|居《ゐ》る|筈《はず》だ。|僅《わづ》かに|四畳敷《しでふじき》|位《ぐらゐ》な|巌窟《いはや》に|棲《す》んでる|化物《ばけもの》だから|大方《おほかた》|土蜘蛛《つちぐも》の|精《せい》だらう、ヤイ|土蜘蛛《つちぐも》、|俺《おれ》を|何時《いつ》までも|甘《あま》いと|思《おも》つて|居《ゐ》るか、|甘《あま》けら|砂糖《さたう》だと|思《おも》ひよるのか。|何《なん》だ、|甘《あま》つたるい|声《こゑ》を|出《だ》しよつて、|弥生《やよひ》の|鶯《うぐひす》の|真似《まね》をして、オホヽヽヽと、それや|一体《いつたい》なんの|芸当《げいたう》だい。|真実《ほんと》に|荒男《あらをとこ》の|六人《ろくにん》も|向《むか》ふに|廻《まは》して|悠々自適《いういうじてき》、|国家《こくか》の|興亡《こうばう》|吾不関《われくわんせず》|焉《えん》と|云《い》ふ|様《やう》な|落着《おちつ》き|払《はら》つたその|腰《こし》つき、|小癪《こしやく》に|触《さわ》る|代物《しろもの》だナア』
|女《をんな》『ホヽヽヽヽ』
この|時《とき》|又《また》もや|宣伝歌《せんでんか》が|聞《きこ》えて|来《き》た。|宣伝歌《せんでんか》の|主《ぬし》は|外《そと》より|岩穴《いはあな》を|一寸《ちよつと》|覗《のぞ》いて|見《み》て、
『ヤア|鷹《たか》サン、|岩《いは》サン、|此処《ここ》に|居《を》つたのか』
|岩彦《いはひこ》『ヤア|貴神《あなた》は|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》|様《さま》、ようマア|来《き》て|下《くだ》さいました。|之《これ》だから|神様《かみさま》は|九分九厘《くぶくりん》まで|行《い》つたら|助《たす》けてやらうと|仰《おつ》しやるのだ。サアもう|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。サアお|化《ば》け、|何《なに》なつと|吐《ほざ》け、もう|叶《かな》はぬぞ』
と|俄《にはか》に|肩《かた》を|聳《そび》やかす|其《その》|可笑《をか》しさ。
|女《をんな》『ホヽヽヽヽ』
(大正一一・三・一七 旧二・一九 北村隆光録)
第一二章 |陥穽《おとしあな》〔五三八〕
|日《ひ》の|出別神《でわけのかみ》の|出現《しゆつげん》に、|形勢《けいせい》もつとも|危《あやふ》かりし|岩公《いはこう》は、|俄《にはか》に|元気《げんき》づき、
|岩彦《いはひこ》『サア|妖怪《えうくわい》|変化《へんげ》の|魔性《ましやう》の|女《をんな》、|何《なん》と|言《い》つても、モウ|駄目《だめ》だ。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|大将《たいしやう》が|現《あら》はれた|以上《いじやう》は、|最早《もはや》|運《うん》の|尽《つ》きだ。どうだ、|神様《かみさま》の|経綸《けいりん》と|云《い》ふものは、|用意《ようい》|周到《しうたう》なものだぞ』
|女《をんな》『|妾《わたし》は、あなたの|様《やう》な|強《つよ》いお|方《かた》には|尾《を》を|巻《ま》きます。モウ|是《これ》で|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》ります』
|岩彦《いはひこ》『|態《ざま》ア|見《み》やがれ、|大蛇《をろち》の|化者《ばけもの》|奴《め》が。|尾《を》を|巻《ま》くと|自白《じはく》したぢやないか』
|女《をんな》『ヤア|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》|様《さま》、|能《よ》う|迎《むか》へに|来《き》て|下《くだ》さいました。|岩《いは》サンのやうな|分《わか》らずやは、|今後《こんご》は|決《けつ》して、|係《かか》り|合《あ》はない|様《やう》にして|下《くだ》さい。|此《この》|方《かた》は|優勝劣敗《いうしようれつぱい》、|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》、|身勝手《みがつて》|千万《せんばん》な、|非人道的《ひじんだうてき》、デモ|宣伝使《せんでんし》ですから………』
|岩彦《いはひこ》『ヤイヤイ、|馬鹿《ばか》にするない、|能《よ》いかと|思《おも》つて…………、|女《をんな》に|似合《にあ》はぬ|暴言《ばうげん》を|吐《は》く|奴《やつ》だ』
|女《をんな》『さようなら、ゆつくりと|御休息《ごきうそく》なさいませ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|岩壁《がんぺき》の|細《ほそ》い|穴《あな》から、スツと|烟《けむり》の|様《やう》に|脱《ぬ》けて|了《しま》つた。
|岩彦《いはひこ》『ヤア|案《あん》に|違《たが》はぬ|妖怪《えうくわい》|変化《へんげ》の|正体《しやうたい》を|顕《あら》はしよつて、アンナ|首《くび》も|這入《はい》らぬやうな|穴《あな》から|出《で》て|仕舞《しまひ》よつた。オイ|鷹公《たかこう》、|音公《おとこう》、|梅公《うめこう》、|亀《かめ》、|駒《こま》どうだ、|俺《おれ》の|天眼通《てんがんつう》は|偉《えら》いものだらう。|鷹公《たかこう》の|奴《やつ》め、|瞞《だま》されよつて、|丁寧《ていねい》な|言葉《ことば》を|使《つか》つて|居《ゐ》たが|斯《か》うなる|以上《いじやう》は|貴様《きさま》の|眼力《がんりき》も|底《そこ》が|見《み》えた』
|鷹彦《たかひこ》『アハヽヽヽ、|弥之助《やのすけ》|人形《にんぎやう》の|空威張《からいば》りはやめてくれ』
|斯《か》く|云《い》ふ|中《うち》、ガクリと|異様《いやう》な|音《おと》がした。
|岩彦《いはひこ》『ヤア|変《へん》な|音《おと》がしたぞ、|一体《いつたい》コラどうだ』
|女《をんな》は|外《そと》より|白《しろ》い|顔《かほ》を、|岩壁《がんぺき》の|穴《あな》から、ニヨツと|突出《つきだ》し、
|女《をんな》『|岩《いは》サン、マアマア|十日《とをか》も|二十日《はつか》も|百日《ひやくにち》も、|緩《ゆつく》りこの|岩窟《いはや》に|御逗留《ごとうりう》|遊《あそ》ばして|下《くだ》さいませ|入口《いりくち》はポンと|戸《と》を|閉《し》めてありますから、|外《そと》から|悪者《わるもの》の|這入《はい》る|気《き》づかひもなければあなた|方《がた》が|脱《ぬ》けて|出《で》る|気遣《きづか》ひも|有《あ》りませぬよ。ナンにも|献《あ》げるものはありませぬから|岩《いは》の|油《あぶら》なつと|舐《ねぶ》つて、…………ネー……|温順《おとな》しく|御修行《ごしうぎやう》をなさいませ。|妾《わたし》は|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》サンと、|手《て》に|手《て》を|把《と》つて…………オホヽヽヽヽ、ア|嬉《うれ》し、マアゆつくりお|寛《くつろ》ぎ|遊《あそ》ばせ。アバヨ』
|岩彦《いはひこ》『ヤア|大変《たいへん》だ、|最前《さいぜん》の|音《おと》は、|入口《いりくち》の|戸《と》を|閉《し》めよつたのだな。こりや|斯《か》うしては|居《を》られぬワイ』
|女《をんな》『|居《を》られなくつても、|斯《か》うして|居《を》らねば|仕方《しかた》がありませぬよ。イヤ|出方《でかた》がありませぬワ。お|前《まへ》サン|等《ら》の|出方《でかた》に|依《よ》りては、|此方《こちら》にも|亦《また》、|何《なん》とか|仕方《しかた》が|有《あ》りませう』
|岩彦《いはひこ》『イヤア、|強圧的《きやうあつてき》|強談《がうだん》だ、|人《ひと》は|見《み》かけに|依《よ》らぬ|者《もの》、|優《やさ》しい|顔《かほ》をして、|蚤《のみ》|一匹《いつぴき》|殺《ころ》さぬやうな|容子《ようす》で、|心《こころ》の|中《うち》は|夜叉《やしや》の|様《やう》だ。オイ|一統《いつとう》の|者《もの》、|入口《いりくち》があつたら、キツト|出口《でぐち》が|有《あ》るに|違《ちが》ひないぞ。この|穴《あな》から|一《ひと》つ、|手《て》を|掛《かけ》て、|引《ひ》くなと、|押《お》すなとやつて|見《み》ようかい。|六尺《ろくしやく》の|男子《だんし》が、|繊弱《かよわ》き|女《をんな》の|一人《ひとり》に|監禁《かんきん》されて、どうぞ|許《ゆる》して|下《くだ》さいなぞと、|言《い》はれた|義理《ぎり》ぢやない。…………モシモシ|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》さま、|貴神《あなた》どうかして|下《くだ》さらないか』
『ヤア、|岩《いは》サンマアゆつくり|御休息《ごきうそく》なさいませ、……ヤア|女《をんな》のお|方《かた》、|是《これ》から|天国《てんごく》へでも|旅行《りよかう》|致《いた》しませうか』
|女《をんな》『|有難《ありがた》うございます、|妾《わたし》|貴方《あなた》と、たとへ|半時《はんとき》でも、|一緒《いつしよ》に|連《つら》つて|歩《ある》かして|貰《もら》へば、|死《し》んでも|遺《のこ》る|事《こと》は|有《あ》りませぬワ、ホヽヽヽ』
|岩彦《いはひこ》『ヤアまた|吐《ぬ》かしたりな|吐《ぬ》かしたりな、「|妾《わたし》アンタと|半時《はんとき》でも|一緒《いつしよ》に|歩《ある》く|事《こと》が|出来《でき》れば、|死《し》んでも|得心《とくしん》だ」とかナンとか|吐《ぬ》かしよつて、|仕様《しやう》もないローマンスを|人《ひと》の|前《まへ》に|展開《てんかい》させよつて、|馬鹿《ばか》にしてけつかる。オヽもう|何処《どこ》やら|往《い》つて|仕舞《しまひ》よつた。エー|怪体《けつたい》の|悪《わる》い』
|鷹彦《たかひこ》『ヤア|折角《せつかく》|俺《おれ》の|所有《しよいう》にしようと|思《おも》つて|居《を》つたのに、|外部《はた》から|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》がやつて|来《き》て、サツパリ|横領《わうりやう》して|了《しま》つた。エー|自棄《やけ》だ………と|云《い》つて、どうも|仕方《しかた》がないワ、|俺《おれ》も|一《ひと》つ、あの|女《をんな》ぢやないが、この|穴《あな》から|脱《ぬ》けてやらうかい』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|鷹彦《たかひこ》は、|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|術《じゆつ》を|以《もつ》て、|身体《しんたい》を|縮小《しゆくせう》し、|小《ちひ》さい|鷹《たか》となつてスツと|脱《ぬ》け|出《だ》した。
|岩彦《いはひこ》『ヤアまた|出《で》よつた、オイ|鷹公《たかこう》、アヽ|貴様《きさま》は|偉《えら》い|奴《やつ》だ。|最前《さいぜん》の|石蓋《いしぶた》を|揚《あ》げて、|吾々《われわれ》を|旧《もと》の|所《ところ》へ|歓迎《くわんげい》するのだぞ』
|鷹彦《たかひこ》『コレコレ|岩《いは》サン|御一統様《ごいつとうさま》へ、|妾《わらは》は|是《これ》より|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》と、|手《て》に|手《て》を|執《と》つて|天国《てんごく》の|旅行《りよかう》を|致《いた》します。コンナローマンスをお|目《め》にかけて|済《す》まないが、|是《これ》も|因縁《いんねん》づくぢやと|諦《あきら》めて|下《くだ》しやンせ、オホヽヽヽヽ、アバヨ』
|岩彦《いはひこ》『ヤイヤイ|鷹《たか》の|奴《やつ》、ナンだ、|化女《ばけをんな》の|真似《まね》をしよつて、ソンナ|能《よ》い|気《き》な|事《こと》かい。|俺達《おれたち》の|身《み》にもなつて|見《み》よ』
|鷹彦《たかひこ》『(|義太夫《ぎだいふ》|口調《くてう》)「お|前《まへ》はお|前《まへ》、|妾《わらは》は|妾《わらは》、マアマアゆつくりと、|十日《とをか》も|二十日《はつか》も|百日《ひやくにち》も、|千年《せんねん》も|万年《まんねん》も|化石《くわせき》になる|迄《まで》ゆつくり|御逗留《ごとうりう》|遊《あそ》ばせや。|千松《せんまつ》ぢやないが、|一年《いちねん》|待《ま》つてもまだ|見《み》えぬ、|二年《にねん》|待《ま》つてもまだ|見《み》えぬ、|千年《せんねん》|万年《まんねん》|待《ま》つたとて、|何《なん》の|便《たよ》りがあろかいな、と|郷里《くに》に|残《のこ》つた、|貴様《きさま》たちの|女房《にようばう》が|嘸《さぞ》や|嘆《なげ》くであらう。|思《おも》へば|思《おも》へば|気《き》の|毒《どく》やな、|神《かみ》や|仏《ほとけ》もなきものか、|力《ちから》に|思《おも》ふ|岩《いは》サンは、|何処《どこ》にどうして|御座《ござ》るやら、|会《あ》ひたい|見《み》たいと|明《あ》け|暮《くれ》に、こがれ|慕《した》ふて|居《ゐ》るものを、|何《なん》の|便《たよ》りも|梨《なし》の|礫《つぶて》、|礫《つぶて》の|様《やう》な|涙《なみだ》こぼして、|三千世界《さんぜんせかい》の|世《よ》の|中《なか》に|妾《わし》ほど|因果《いんぐわ》は|世《よ》にあらうか、アーどうしようぞいなどうしようぞいなア……」と|悲劇《ひげき》の|幕《まく》が|下《お》りる、その|種蒔《たねまき》だ。マア|精出《せいだ》して、|種《たね》でも|蒔《ま》いて|置《お》くが|能《よ》からう、|千年《せんねん》ほど|先《さき》へ|行《い》つた|時《とき》に、この|岩窟《いはや》の|中《なか》に|岩公《いはこう》といふ|岩固男《がんこをとこ》が|化石《くわせき》して…………と|云《い》つて、|涎掛《よだれかけ》でも|持《も》つて|参拝《さんぱい》する|奴《やつ》があるかも|知《し》れやしないぞ。|人《ひと》は|一代《いちだい》|名《な》は|末代《まつだい》だ、|是《これ》も|良《い》い|話《はなし》の|種《たね》だ。|種《たね》|蒔《ま》いて|苗《なへ》が|立《た》ちたら|出《で》て|行《ゆ》くぞよ、|刈込《かりこ》みになりたら|手柄《てがら》をさして、|元《もと》へ|戻《もど》らすぞよ………と|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》にある|通《とほ》りだ。|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》さまでさへ、|永《なが》らく|押込《おしこ》められて|御座《ござ》つた|位《くらゐ》だから、|先《ま》づ|神様《かみさま》にあやかつて、|三千年《さんぜんねん》の|修行《しうぎやう》をなさるが、|宣伝使《せんでんし》|各位《かくゐ》の|光栄《くわうえい》だらう。アハヽヽヽ、オホヽヽヽ』
|岩彦《いはひこ》『ナアンダ、|一人《ひとり》|居《を》つて|男《をとこ》と|女《をんな》の|笑《わら》ひ|様《やう》をしよつて、|化物《ばけもの》みたよな|奴《やつ》だナ』
|鷹彦《たかひこ》『|定《きま》つた|事《こと》だ、|肉体《にくたい》は|男《をとこ》で|霊《れい》は|女《をんな》だ、|変性女子《へんじやうによし》の|守護神《しゆごじん》だ』
|岩彦《いはひこ》『エー、|変性女子《へんじやうによし》も|男子《だんし》もあつたものかい。|遍照金剛《へんぜうこんがう》|吐《ぬか》さずに、|早《はや》く|開岩《かいがん》せぬか…………オイ|門番《もんばん》|奴《め》が、|愚図々々《ぐづぐづ》いたして|居《ゐ》ると、|免職《めんしよく》をさそか』
|鷹彦《たかひこ》『ホヽヽヽヽ、|岩《いは》さま、|免職《めんしよく》さすとはソラ|誰《たれ》に、………あなたは|岩戸《いはと》に|押込《おしこ》められて|既《すで》に|既《すで》に|面色《めんしよく》なしだ、|終身官《しうしんくわん》だな、|終身《しうしん》|此処《ここ》に、|晏如《あんじよ》として、|就職《しうしよく》なさるが|宜《よろ》しからう』
|岩彦《いはひこ》『|複雑《ふくざつ》なる|問題《もんだい》は、|一切《いつさい》|総括《そうくわつ》して、|兎《と》も|角《かく》この|岩窟《がんくつ》を|開《ひら》いて|呉《く》れたがよからうぞ』
|鷹彦《たかひこ》『イヤー、|先《さき》が|急《せ》く、モウ|是丈《これだけ》イチヤつかして|遺《や》れば|充分《じうぶん》だ、エー|仕方《しかた》がない、|開《あ》けてやらうかい』
|岩彦《いはひこ》『|何時《いつ》までもこの|方《はう》を|岩戸《いはと》に|押込《おしこ》めておくと、|咫尺暗澹《しせきあんたん》|昼夜《ちうや》を|弁《べん》ぜずだ。|化《ばけ》の|女《をんな》を|呼《よ》んで|来《き》て|鈿女命《うづめのみこと》の|俳優技《わざおぎ》を|見《み》せて|呉《く》れぬか。さうでないと、|容易《ようい》にお|出《で》ましにならぬぞ』
|鷹彦《たかひこ》『|減《へ》らず|口《ぐち》を|叩《たた》くない。サア|手力男《たぢからを》の|神《かみ》さまが、|岩戸《いはと》を|開《ひら》くから、サツサと|出《で》て|来《こ》い。|天照大神《あまてらすおほかみ》|様《さま》のやうな|奇麗《きれい》な「あな|面白《おもしろ》や、あなさやけおけ」と|言《い》つた|様《やう》な、|愛《あい》の|女神《めがみ》なれば、|開《ひら》きごたへがあるが、この|岩戸開《いはとびら》きは、|五百羅漢《ごひやくらかん》の|陳列会《ちんれつくわい》を|見《み》るよなシヤツ|面《つら》の|渋紙《しぶかみ》さま|計《ばか》りだから、|開《ひら》きごたへがないワ。|併《しか》し|乍《なが》ら、|旅《たび》は|道《みち》づれ|世《よ》は|情《なさけ》だ。|情《なさけ》を|以《もつ》て|開扉《かいひ》してやらう』
|岩彦《いはひこ》『オツト|待《ま》つた、|海河山野《うみかはやまぬ》、|種々《いろいろ》の|美味物《うましもの》を|八足《やたり》の|机代《つくゑしろ》に|置足《おきた》らはして、|献《たてま》つる|事《こと》を|忘《わす》れなよ…………|出《で》いと|云《い》つたつて、|鏡《かがみ》もなければ|劔《つるぎ》もなし、|五百津美須麻琉《いほつみすまる》の|珠《たま》も|無《な》くして、さう|易々《やすやす》とお|出《で》ましになると|思《おも》ふか。|香具《かぐ》の|果物《このみ》でも、|木机《きづくゑ》にピラミツドの|様《やう》に|横山《よこやま》の|如《ごと》く|置足《おきた》らはし、|御供物《おくもつ》の|建築法《けんちくはふ》を|能《よ》く|心得《こころえ》て、|粗相《そさう》のない|様《やう》に、|天津《あまつ》|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し、|太玉串《ふとたまぐし》を|奉《たてまつ》れ』
|鷹彦《たかひこ》『|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ。|千手観音《せんじゆくわんおん》の|様《やう》に、|俺《おれ》|一人《ひとり》でソンナ|八人芸《はちにんげい》が|出来《でき》るかい。|愚図々々《ぐづぐづ》いふと、|千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|永久《とこしへ》に、|岩戸《いはと》の|中《なか》の|閉門《へいもん》だぞ』
|岩彦《いはひこ》『ヤア、もうお|供物《くもつ》は|免除《めんぢよ》してやらう。|兎《と》も|角《かく》、|開《ひら》けば|良《よ》いのだ。|貴様《きさま》もコンナ|魔窟《まくつ》に|単身《ひとり》|置《お》かれては、|大《おほい》に|寂寥《せきれう》を|感《かん》ずるだらう』
|鷹彦《たかひこ》『エー|仕方《しかた》がない』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|力《ちから》を|籠《こ》めて、|岩壁《がんぺき》をウンと|押《お》した。|思《おも》つたよりも|岩《いは》の|戸《と》は|軽《かる》く、|勢《いきほひ》|余《あま》つて|鷹彦《たかひこ》は、|岩戸《いはと》の|中《なか》へ|又《また》もや|飛込《とびこ》み、|膝頭《ひざがしら》を|打《う》つて『アイタヽ』と|撫《な》で|擦《さす》つて|居《ゐ》る。その|間《ま》に|五人《ごにん》は、|逸早《いちはや》く|表《おもて》に|脱《ぬ》け|出《だ》し、|外《そと》より|石門《せきもん》をピシヤツと|閉《と》ぢた。
|岩彦《いはひこ》『サア|入《い》れ|替《か》はりだ、|今度《こんど》は、|太玉命《ふとたまのみこと》も、|児屋根命《こやねのみこと》も、|何《なに》もかも、|五伴男《いつとものを》|揃《そろ》うたのだ。オイ|鷹津神《たかつかみ》さま、どうだ』
|鷹彦《たかひこ》『|代《かは》れば|変《かは》る|世《よ》の|中《なか》だ。サア|貴様《きさま》、|岩戸《いはと》の|前《まへ》に|天津《あまつ》|祝詞《のりと》を|畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|奏上《そうじやう》するのだぞ、アハヽヽヽ』
|音彦《おとひこ》『オイ|岩公《いはこう》、コンナ|洒落《しやれ》ばつかりに、|貴重《きちよう》な|光陰《くわういん》を|濫費《らんぴ》しては|詰《つ》まらぬぢやないか。|一時《いちじ》も|早《はや》く|前進《ぜんしん》だ』
|亀彦《かめひこ》『オイオイ|音公《おとこう》|待《ま》つた、この|岩窟《いはや》の|中《なか》の|鷹彦《たかひこ》は、どうするのだ』
|音彦《おとひこ》『ナニ|構《かま》ふものか、|人間《にんげん》|一人《ひとり》|位《くらゐ》、どうなつたつて|放《ほ》つとけ』
|岩彦《いはひこ》『アハ、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|以前《いぜん》の|岩穴《いはあな》から、|黒《くろ》い|顔《かほ》をちよつと|出《だ》し、
|岩彦《いはひこ》『ホヽヽヽヽ、モシモシ|鷹《たか》サンとやら、|妾《わらは》は|是《これ》より|五人連《ごにんづれ》この|岩窟《いはや》を|探険《たんけん》し、お|前《まへ》さまの|様《やう》な|瓢箪面《へうたんづら》の|曲津神《まがつかみ》を、|片《かた》つ|端《ぱし》から|言向和《ことむけやは》し、|勝利光栄《しようりくわうえい》の|神《かみ》となつて|帰《かへ》つて|来《く》る|迄《まで》、|千年《せんねん》でも|万年《まんねん》でも|此処《ここ》に|晏如《あんじよ》として、|堅磐常磐《かきはときは》に|鎮座《ちんざ》ましませや、ホヽヽヽ』
|鷹彦《たかひこ》『アハヽヽ、|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ。|鷹《たか》さまは、|貴様《きさま》も|最前《さいぜん》|見《み》て|居《ゐ》ただらう、|針《はり》の|穴《あな》からでもお|出《で》ましになる、|不思議《ふしぎ》な|神様《かみさま》だよ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|再《ふたた》び|鷹《たか》となつて|穴《あな》より|飛出《とびだ》し、|見《み》る|見《み》る|身体《しんたい》|膨張《ばうちよう》し、|一丈《いちぢやう》|余《あま》りの|羽《はね》を|拡《ひろ》げて、バタバタと|羽《は》ばたきした。
|岩彦《いはひこ》『ヤア|偉《えら》い|元気《げんき》だナア。オイオイ|斯《か》うなれば、|鷹《たか》さまも|話《はな》せるワイ。|今《いま》の|美人《びじん》の|後《あと》を|一《ひと》つ、|空中滑走《くうちうくわつそう》を|行《や》つて、|捕獲《ほくわく》して|来《き》て|呉《く》れないか。|所有権《しよいうけん》は|岩《いは》さまにあるのだから、|都合《つがふ》によれば、|賃貸借《ちんたいしやく》ぐらゐは|許可《きよか》してやるワ』
|鷹彦《たかひこ》『|貴様《きさま》は|仕様《しやう》もない|事《こと》を|云《い》ひ、|永《なが》らく|洒落《しやれ》るものだから、|肝腎《かんじん》の|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》さまに|放《ほ》つとけぼりを|喰《くら》つたのだ。サーサ|是《これ》から|全速力《ぜんそくりよく》を|出《だ》して、|岩窟内《がんくつない》の|駆歩《かけあし》だ、|落伍《らくご》せない|様《やう》に…………|気《き》を|付《つ》けツ、|右《みぎ》へ|廻《まは》れオイ、|一《いち》|二《に》|三《さん》……』
と|鷹公《たかこう》は|駆出《かけだ》した。|五人《ごにん》は|是非《ぜひ》なく|追跡《ついせき》する、ピタツと|行当《ゆきあた》つた|第二《だいに》の|岩壁《がんぺき》、
|鷹彦《たかひこ》『ヨー、コラ|大変《たいへん》だ。|如何《いか》に|行詰《ゆきつま》りの|世《よ》の|中《なか》だと|云《い》つても、|斯《こ》う|岩《がん》と|行詰《ゆきつま》つては|仕方《しかた》がない。ナンとか|一《ひと》つ|善後策《ぜんごさく》を|講究《かうきう》せなくてはなるまい』
|岩彦《いはひこ》『サア|臨時《りんじ》|議会《ぎくわい》の|開会《かいくわい》だツ』
|亀彦《かめひこ》『|議会《ぎくわい》|無用論《むようろん》の|持上《もちあが》つた|今日《こんにち》は、チツト|遅臭《おそくさ》いぞ。ソンナ【|珍聞漢《ちんぷんかん》】な|発議《はつぎ》をする|奴《やつ》が、|何処《どこ》にあるかい。|五十万年《ごじふまんねん》の|将来《さき》の|二十世紀《にじつせいき》とやらの|人間《にんげん》の|吐《ほざ》く|様《やう》な|事《こと》を|云《い》ふものぢやないワ』
|駒彦《こまひこ》『ヤア|窮《きう》すれば|達《たつ》すと|云《い》ふ|事《こと》がある。オイオイ|貴様《きさま》、|一寸《ちよつと》|横《よこ》の|方《はう》を|見《み》い。|坦々《たんたん》たる|大道《だいだう》が|開鑿《かいさく》されて|有《あ》るぢやないか』
|一同《いちどう》『ヨー|有《あ》る|有《あ》る、サア|是《これ》からこの|階段《かいだん》を|上《あが》らうかい』
|亀彦《かめひこ》『マア|待《ま》て|待《ま》て、あまり|高《たか》い|所《ところ》へ|上《あが》ると、|又《また》|落《お》ちるぞ』
|鷹彦《たかひこ》『|落《お》ちたつて|良《い》いぢやないか、|滅多《めつた》に|天《てん》に|墜落《つゐらく》する|虞《おそれ》はないワ、|貴様《きさま》の|様《やう》に、|井戸《ゐど》に|着水《ちやくすゐ》するのとは|天地《てんち》の|相違《さうゐ》だ。ヨー|此処《ここ》にも|道《みち》がある、|何方《どちら》の|道《みち》を|行《い》つたら|宜《よ》からうかナア』
|岩彦《いはひこ》『【いは】いでも|定《きま》つて|居《を》る。|一目瞭然《いちもくれうぜん》、|広《ひろ》い|道《みち》の|明《あか》るい|道《みち》へ|行《ゆ》けば|良《い》いぢやないか』
|亀彦《かめひこ》『|新道《しんだう》と|旧道《きうだう》と|二路《ふたみち》|拵《こしら》へてあるぞよ。|新道《しんだう》へ|行《ゆ》けば、|初《はじ》めは|楽《らく》な|様《やう》なが、|往《い》き|行《い》つた|所《ところ》で|道《みち》が|無《な》くなりて|又《また》|元《もと》の|所《ところ》へ|後戻《あともど》りを|致《いた》さねばならぬぞよ』
|音彦《おとひこ》『|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ。ソンナ|道《みち》の|事《こと》ぢやないワ。|神様《かみさま》は|教《をしへ》の|道《みち》の|事《こと》を|仰有《おつしや》るのだぞ。|頭脳《あたま》の|悪《わる》い|奴《やつ》だナ』
|亀彦《かめひこ》『|俺《おれ》は|少《すこ》し|暗《くら》くつても、|細路《ほそみち》の|下道《したみち》を|進《すす》んで|行《ゆ》かうと|思《おも》ふ』
|岩彦《いはひこ》『|勝手《かつて》にせい。|心《こころ》の|暗《くら》い|奴《やつ》は、|暗《くら》い|所《ところ》に|行《ゆ》きたがるものだ………オイ|皆《みな》の|連中《れんちう》、どちらにするか』
|音《おと》、|駒《こま》、|鷹《たか》、|梅《うめ》|一度《いちど》に、
『|広《ひろ》い|道《みち》|広《ひろ》い|道《みち》』
と|五人《ごにん》は、|岩路《いはみち》の|階段《かいだん》を|上《のぼ》つて|行《ゆ》く、|亀公《かめこう》は|唯一人《ただひとり》、やや|暗《くら》き、|低《ひく》き|路《みち》を|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|四五丁《しごちやう》|許《ばか》り|進《すす》み|行《ゆ》くと、|忽《たちま》ち|頭上《づじやう》より、|黒《くろ》い|影《かげ》|四《よ》つ|五《いつ》つ|落下《らくか》し|来《きた》り、|暗黒《あんこく》なる|陥穽《おとしあな》にゾボゾボゾボと|音《おと》を|立《た》てて|落込《おちこ》んだ。
|亀彦《かめひこ》『ヤア|何《なん》だ、|上《うへ》から|獅子《しし》でも|落《お》ちて|来《き》よつたのかナ、コンナ|岩窟《がんくつ》のトンネルの|中《なか》に|又《また》しても|又《また》しても、|陥穽《おとしあな》を|拵《こしら》へよつて………|鷹公《たかこう》、|岩公《いはこう》が|此処《ここ》に|居《を》つたら、また「|議会《ぎくわい》の|開会《かいくわい》だ」などと|洒落《しやれ》よるのだけれど、|俺《おれ》|一人《ひとり》では、|議会《ぎくわい》を|開《ひら》く|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|困《こま》つた|事《こと》だ。|彼奴《あいつ》、|何処《どこ》へ|行《ゆ》きよつたのか|知《し》らぬ。|何《なに》は|兎《と》も|有《あ》れ、|何者《なにもの》だか|一《ひと》つトツクリと|正体《しやうたい》を|見届《みとど》けてやらう』
と|首《くび》を|伸《の》ばして、|足許《あしもと》に|気《き》を|付《つ》け|乍《なが》ら、|怖《こは》さうに|覗《のぞ》き|込《こ》んだ。|井戸《ゐど》の|中《なか》より、
|岩彦《いはひこ》『ヤア|貴様《きさま》は|亀公《かめこう》ぢやないか、|俺《おれ》を|助《たす》けて|呉《く》れぬかい』
|亀彦《かめひこ》『さういふ|声《こゑ》は|岩公《いはこう》だナ』
|岩彦《いはひこ》『オーさうだ、|岩《いは》サンに|鷹《たか》サン、|音《おと》サン|梅《うめ》サン、|駒《こま》サンだ』
|亀彦《かめひこ》『|助《たす》けて|呉《くれ》と|言《い》つたつて、どうにも|斯《か》うにも、|手《て》の|着《つ》け|様《やう》が|無《な》いぢやないか。マアさう|喧《やかま》し|云《い》はずに|待《ま》つて|居《を》れ。|今《いま》|臨時《りんじ》|議会《ぎくわい》を|開《ひら》いて|見《み》るから、|開会《かいくわい》の|上《うへ》で|助《たす》けるか|助《たす》けぬかが|決定《きま》るのだ。アハヽヽヽ』
|岩彦《いはひこ》『|馬鹿《ばか》にしよるナ、|最前《さいぜん》の|敵討《かたきう》ちをしようと|思《おも》つてけつかるナ』
|亀彦《かめひこ》『さうだから、あまり|高上《たかあが》りすると、|逆様《さかさま》に|地獄《ぢごく》の|底《そこ》へ|落《おと》されるのだよ。どうだ、|是《これ》で|慢神心《まんしんごころ》をスツパリと|取《と》り|去《さ》つて|改心《かいしん》を|致《いた》すか』
|岩彦《いはひこ》『|改心《かいしん》|致《いた》すも|致《いた》さぬも|有《あ》つたものかい。|改心《かいしん》のし|切《き》つた|者《もの》に|改心《かいしん》が|有《あ》つてたまるかい。|改心《かいしん》と|云《い》ふ|事《こと》は、|貴様《きさま》のやうな|不完全《ふくわんぜん》な|人間《にんげん》に|必要《ひつえう》な|言葉《ことば》だ。|吾等《われら》に|対《たい》しては、|辞典《じてん》から|改心《かいしん》の|二字《にじ》を|除去《ぢよきよ》すべきものだ………|大《おほ》きに|憚《はばか》りさま、エライご|心配《しんぱい》を|掛《か》けました。|此処《ここ》にもどうやら、|立派《りつぱ》な|段梯子《だんばしご》が|懸《かか》つて|居《を》ります。アハ……』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|五人《ごにん》はゲラゲラ|笑《わら》ひ|笑《わら》ひ|上《あが》つて|来《き》た。
|亀彦《かめひこ》『ナンダ、|一寸《ちよつと》も|濡《ぬ》れて|居《を》らぬぢやないか』
|鷹彦《たかひこ》『きまつた|事《こと》だい、|井戸《ゐど》の|底《そこ》へ|転落《てんらく》した|時《とき》に、この|鷹《たか》サンが、|両翼《りやうよく》をパツと|開《ひら》いて、|井戸《ゐど》|一面《いちめん》を|閉塞《へいそく》したのだ。そこへ|四匹《しひき》の|小雀《こすずめ》が|下《お》りて|来《き》て、ポンと|止《と》まつたものだから|濡《ぬ》れさうな|筈《はず》があるかい』
|岩彦《いはひこ》『|小雀《こすずめ》とは、チト|残酷《ざんこく》ぢやないか。ナア|梅《うめ》、|音《おと》、|駒《こま》の|御連中《ごれんちう》………』
|鷹彦《たかひこ》『それでも|生命《いのち》の|親《おや》だ。ナント|云《い》はれたつて、チツト|位《くらゐ》は|隠忍《いんにん》するのだ。|忍耐《にんたい》は|成功《せいこう》の|基礎《もと》だから、アハヽヽ』
|岩彦《いはひこ》『|第二《だいに》の………これは|陥穽《おとしあな》だ。|是《これ》から|前途《さき》に、ドンナ|事《こと》を|悪神《わるがみ》の|奴《やつ》、|企《たく》んで|居《を》るか|分《わか》つたものぢやない。うつかりと|歩《ある》けたものぢやないワ。|幸《さいは》ひ|此処《ここ》に、|鷹《たか》サンを|飛行船《ひかうせん》にして、|吾々《われわれ》|五人《ごにん》が|操縦《さうじう》する|事《こと》にしたら、|都合《つがふ》が|良《い》いぢやないか』
|鷹彦《たかひこ》『この|飛行船《ひかうせん》は、|日《ひ》の|出別《でわけ》|様《さま》とあの|女神《めがみ》|様《さま》との|御用《ごよう》だ。お|気《き》の|毒《どく》さま、お|生憎《あいにく》さまだ、アハヽヽヽ』
この|時《とき》|前方《ぜんぱう》の|薄暗《うすぐら》き|隧道《すゐだう》の|中《なか》より、|怪《あや》しき|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》|聞《きこ》え|来《き》たる。
|一同《いちどう》『ヤア、|聞《き》き|覚《おぼ》えのある|宣伝歌《せんでんか》だ、ハテナ』
(大正一一・三・一八 旧二・二〇 松村真澄録)
第一三章 |上天丸《じやうてんまる》〔五三九〕
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|醜《しこ》の|窟《いはや》に|入《い》り|来《きた》る  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|鼻息《はないき》|荒《あら》き|鷹彦《たかひこ》や  |固《かた》そに|見《み》えて|和《やは》らかき
|岩彦《いはひこ》|亀彦《かめひこ》|駒彦《こまひこ》が  |音《おと》に|名高《なだか》き|布留野原《ふるのはら》
これの|窟《いはや》に|迷《まよ》ひ|来《き》て  |千尋《ちひろ》の|深《ふか》き|陥穽《おとしあな》に
|二度《にど》|吃驚《びつくり》の|為体《ていたらく》  あゝ|痛《いた》ましや|痛《いた》ましや
|是《これ》から|先《さき》は|真暗黒《まくらがり》  |幾百千《いくひやくせん》とも|限《かぎ》りなき
|醜《しこ》の|曲津《まがつ》の|群《むらが》りて  |汝《なれ》が|生命《いのち》は|嵐《あらし》|吹《ふ》く
|颶風《はやて》に|向《むか》ふ|灯火《ともしび》の  |消《き》え|入《い》るばかり|身魂《みたま》をば
いろいろさまざま|嘖《さいな》まれ  |二度《にど》と|帰《かへ》らぬ|根《ね》の|国《くに》の
|旅路《たびぢ》をなすが|気《き》の|毒《どく》ぢや  われは|窟《いはや》を|守《まも》る|神《かみ》
|汝等《なんぢら》|一行《いつかう》|憐《あは》れみて  |生命《いのち》|救《たす》けむその|為《ため》に
|此処《ここ》に|現《あら》はれ|気《き》をつける  |気《き》をつけられるその|時《とき》に
きかねば|後《あと》は|何《ど》うなろと  われは|構《かま》はぬ|憐《あはれ》みの
|心《こころ》を|以《もつ》て|告《つ》げてやる  あゝ|叶《かな》はぬぞ|叶《かな》はぬぞと
|魂消《たまげ》て|腰《こし》をぬかすより  |一時《いちじ》も|早《はや》く|元《もと》の|道《みち》ヘ
|踵《きびす》を|返《かへ》して|退《しりぞ》けよ。  ウヽヽ、ルヽヽ、サヽヽ、イヽヽ』
と|云《い》つた|限《き》り|異声怪音《いせいくわいおん》はピタリと|止《と》まりける。
|梅彦《うめひこ》『オイ|皆《みな》の|連中《れんちう》、|一寸《ちよつと》ここで|相談《さうだん》をして|見《み》ようか。|勢《いきほひ》に|任《まか》して|軽々《かるがる》しく|進《すす》むは|智者《ちしや》の|為《な》す|可《べ》き|所《ところ》では|無《な》いぞ』
|岩彦《いはひこ》『エーナアンだ。|弱音《よわね》を|吹《ふ》きよつて|一体《いつたい》|貴様《きさま》は|何《なに》を|目標《めあて》に、ソンナ|卑怯《ひけふ》な|事《こと》を|云《い》ふのだ。|声《こゑ》が|怖《おそ》ろしいのか、|声《こゑ》が|恐《こは》くつて|雷《かみなり》の|鳴《な》る|世《よ》の|中《なか》に|生《い》きて|居《を》れるか』
|梅彦《うめひこ》『|声《こゑ》が|恐《こは》いのぢやないが、その|声《こゑ》の|主《ぬし》をよく|探究《たんきう》して、その|上《うへ》に|策戦《さくせん》|計画《けいくわく》をやらうかと|云《い》ふのだ』
|鷹彦《たかひこ》『|何《なに》【かまふ】ものか。|何《いづ》れ|悪魔《あくま》の|巣窟《そうくつ》だ。これ|位《くらゐ》の|余興《よきよう》がなくては|進撃《しんげき》するのも|張合《はりあひ》がないワ』
|梅彦《うめひこ》『|進撃《しんげき》すると|云《い》つたつて|此《こ》の|隧道《トンネル》は|馬鹿《ばか》に|闇《くら》いぢやないか』
|岩彦《いはひこ》『|闇《くら》くても|構《かま》ふものか。いはゆる|暗中飛躍《あんちうひやく》だ。【|百鬼《ひやくき》】|暗行《あんかう》の|岩窟《がんくつ》だもの、|此方《こちら》も【|厄鬼《やくき》】となつて|対抗《たいかう》|運動《うんどう》をやれば、|夫《そ》れで|好《い》いのだ』
|幽《かす》か|向方《むかう》に|稍《やや》|光《ひかり》の|有《あ》る|円《まる》き|穴《あな》が|見《み》え|初《はじ》めた。
|岩彦《いはひこ》『オイオイ、モウ|先《さき》が|見《み》えた。|兎《と》も|角《かく》あの|明《あか》い|穴《あな》を|目標《めあて》に|進《すす》むことにしよう』
|頭上《づじやう》の|岩石《がんせき》は|猛烈《まうれつ》なる|音響《おんきやう》を|立《た》ててウヽヽヽと|唸《うな》り|始《はじ》めた。|鼓膜《こまく》が|破裂《はれつ》しさうな|巨音《きよおん》である。|一同《いちどう》は|耳《みみ》に|指《ゆび》を|当《あ》て|乍《なが》ら|一目散《いちもくさん》に|円《まる》き|光《ひかり》を|目標《めあて》に|進《すす》み|行《ゆ》く。|漸《やうや》う|此処《ここ》に|着《つ》いて|見《み》れば、|眼《め》の|届《とど》かぬばかりの|広場《ひろば》がある。さうして|上面《うはつら》は|雲《くも》が|見《み》えてゐる。|四辺《あたり》は|幾千丈《いくせんぢやう》とも|知《し》れぬ|岩壁《いはかべ》を|以《もつ》て|囲《かこ》まれありて、|坦々《たんたん》たる|大道《だいだう》は|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|通《つう》じゐたり。
|鷹彦《たかひこ》『ホー、|此処《ここ》は|天《あめ》の|八衢《やちまた》のやうな|所《ところ》だ。お|前達《まへたち》は、マア|悠乎《ゆつくり》と|相談《さうだん》をして|是《これ》から|本当《ほんたう》の|妖怪窟《えうくわいくつ》へ|進撃《しんげき》して|呉《く》れ。|俺《おれ》は|暫《しば》らく|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》る』
と|言《い》ふより|早《はや》く|背《せな》の|両翼《りやうよく》を|左右《さいう》にひろげ、|羽《は》【ばたき】し|乍《なが》ら|中空《ちうくう》に|舞《ま》ひ|上《あが》り、この|窟《いはや》を|脱出《だつしゆつ》して|了《しま》つた。
|岩彦《いはひこ》『アヽ|日《ひ》の|出別《でわけ》には|捨《す》てられ、|魔性《ましやう》の|女《をんな》には|遁《に》げられ、|鷹彦《たかひこ》は|帰《かへ》つて|了《しま》ひ、|是《これ》から|前途《ぜんと》|遼遠《れうゑん》|暗澹《あんたん》と|云《い》ふ|所《ところ》になつて、|吾々《われわれ》|五人《ごにん》が|振《ふ》り|残《のこ》されたのだから、この|先《さき》はよほど|注意《ちうい》をせなくてはいかぬぞ。|少《すこ》し|気《き》の|利《き》いた|奴《やつ》が|居《を》ればよいのに、ガラクタばつかり|残《のこ》つて|居《ゐ》るものぢやから、|如何《どう》にも|斯《か》うにも|策《さく》の|施《ほどこ》しようがないワイ』
|音彦《おとひこ》『コラ|岩公《いはこう》、|失敬《しつけい》なことを|云《い》ふな。|粕《かす》ばつかりとは|何《なん》だ。|残《のこ》りものに|福《ふく》があるぞ。もう|斯《か》うなれば|力《ちから》にするのは|神《かみ》ばつかりだ。サーサ|天津《あまつ》|祝詞《のりと》だ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|音彦《おとひこ》は|墜道《いはみち》に|端坐《たんざ》して|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》する。|四人《よにん》も|続《つづ》いて|一生懸命《いつしやうけんめい》になつて|合唱《がつしやう》して|居《ゐ》る。|何処《どこ》ともなく|天空《てんくう》を|轟《とどろ》かし|来《きた》る|天《あま》の|鳥船《とりふね》は、|五人《ごにん》の|端坐《たんざ》する|前《まへ》に|爆音《ばくおん》すさまじく|降下《かうか》した。|中《なか》より|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》、|鷹彦《たかひこ》、|以前《いぜん》の|女《をんな》の|三人《さんにん》|現《あら》はれ|来《きた》り、
|日《ひ》の|出別《でわけ》『ヤア|皆《みな》さま、ご|苦労《くらう》であつた。|巌窟《がんくつ》の|探険《たんけん》はこれで|終結《しうけつ》だ。|此《こ》の|岩壁《がんぺき》を|到底《たうてい》|人間《にんげん》として|攀《よ》ぢ|登《のぼ》る|訳《わけ》にも|行《い》かないから、|迎《むか》ひに|来《き》たのだ、サア|早《はや》く|乗《の》つたがよからう』
|岩彦《いはひこ》『これはこれは、|何《なに》から|何《なに》までお|気《き》つけられまして|有難《ありがた》うございます。|流石《さすが》は|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》さまだ。|人《ひと》に|将《しやう》たるものは|斯《か》うなくてはならぬ|道理《だうり》だ』
|鷹彦《たかひこ》『オイ|岩公《いはこう》、うまいな、|巧妙《かうめう》な|辞令《じれい》だ。この|八衢《やちまた》は|斯《か》う|見《み》えても、これが|少《すこ》し|行《ゆ》けば|皆《みな》|行《ゆ》き|詰《つま》つてゐるのだから、|未練《みれん》を|残《のこ》さず|早《はや》くこの|船《ふね》に|乗《の》つたらよからう』
|岩彦《いはひこ》『|誰《たれ》がコンナ|怪体《けつたい》な|巌窟《がんくつ》に|未練《みれん》があつて|堪《たま》るか。|天女《てんによ》のやうな|女神《めがみ》さまと|一緒《いつしよ》に|天《あま》の|鳥船《とりふね》に|乗《の》つて、|天国《てんごく》へ|遊行《いうぎやう》するかと|思《おも》へば|実《じつ》に|有難《ありがた》い。サア|皆《みな》の|者《もの》|早《はや》く|乗《の》らうかい』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|五人《ごにん》はヒラリと|飛《と》び|乗《の》つた。
|又《また》もや|鳥船《とりふね》は|巨大《きよだい》なる|爆音《ばくおん》の|響《ひびき》と|共《とも》に、|何処《いづく》とも|無《な》く|天空《てんくう》に|姿《すがた》を|隠《かく》しける。
(大正一一・三・一八 旧二・二〇 外山豊二録)
第四篇 |奇窟怪巌《きくつくわいがん》
第一四章 |蛙船《かへるふね》〔五四〇〕
|神《かみ》の|御稜威《みいづ》も|高照姫《たかてるひめ》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|常永《とことは》に
|鎮《しづ》まりまして|木《こ》の|花《はな》の  |姫《ひめ》の|命《みこと》の|御教《みをしへ》を
|三十三相《さんじふさんさう》に|身《み》を|変《へん》じ  |醜《しこ》の|窟《いはや》のそれよりも
|玉《たま》の|礎《いしづゑ》|弥堅《いやかた》く  |築《きづ》き|固《かた》めて|暗《やみ》の|世《よ》の
|神《かみ》の|経綸《しぐみ》の|宝庫《はうこ》を  |拓《ひら》かむとする|時《とき》もあれ
|八十《やそ》の|猛《たけ》びの|強《つよ》くして  |道《みち》にさやりて|神言《かみごと》を
|一言《ひとこと》さへも|磐船《いはふね》の  |雲《くも》に|隠《かく》れて|今《いま》は|唯《ただ》
|布留野ケ原《ふるのがはら》の|深霧《ふかぎり》に  |包《つつ》まれけるぞ|是非《ぜひ》なけれ
|天空《てんくう》|轟《とどろ》く|雷《いかづち》に  |胸《むね》を|打《う》たれて|起上《おきあが》り
|四辺《あたり》を|見《み》ればこは|如何《いか》に  |荒野《あれの》をわたる|俄雨《にはかあめ》
|身《み》はびしよ|濡《ぬ》れの|釈迦《しやか》の|像《ざう》。
|音彦《おとひこ》『オイ|亀公《かめこう》、|駒公《こまこう》、|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》に|迎《むか》へられ、|九天《きうてん》の|上《うへ》まで|上《のぼ》りつめて|居《を》つた|筈《はず》だのに、|何時《いつ》の|間《ま》にか|又《また》もや|此《こ》の|茫々《ばうばう》たる|草原《さうげん》に|雨風《あめかぜ》に|曝《さら》され|眠《ねむ》つてゐたとは、|何《ど》う|考《かんが》へても|腑《ふ》に|落《おち》ぬぢやないか。それにしても|鷹彦《たかひこ》、|岩彦《いはひこ》、|梅彦《うめひこ》は|如何《どう》なつただらう』
|亀彦《かめひこ》『|自分《じぶん》の|事《こと》が|自分《じぶん》に|判《わか》らない|吾々《われわれ》、|他人《ひと》の|事《こと》を|考《かんが》へる|余裕《よゆう》があるものか。これや|何《ど》うしても|腹帯《はらおび》を|締《しめ》ねばなるまい』
|駒彦《こまひこ》『|吾々《われわれ》|三人《さんにん》は|天《あま》の|鳥船《とりふね》から、|知《し》らぬ|間《ま》に|振《ふ》り|落《おと》されたのだ。それにしても|余《あんま》り|日《ひ》の|出別神《でわけのかみ》も|莫迦《ばか》にして|居《ゐ》るぢやないか。|此処《ここ》はタカオ|山脈《さんみやく》の|手前《てまへ》だ。|此《こ》の|下《した》|辺《あた》りを|醜《しこ》の|巌窟《がんくつ》が|貫通《くわんつう》して|居《ゐ》るのぢやが、|斯《か》う|外《そと》へ|抛《ほ》り|出《だ》されて|了《しま》つては、|最早《もはや》|探険《たんけん》も|何《なに》もあつたものぢやない。エー|仕方《しかた》がない、|西北《せいほく》|指《さ》して|星《ほし》の|光《ひかり》を|目標《めあて》に|進《すす》んで|行《ゆ》けば、|終《つひ》にはフサの|都《みやこ》に|着《つ》くであらう。|吾々《われわれ》も|此《こ》の|辺《あた》りは|幼少《ちいさ》い|時《とき》に|一度《いちど》|通《とほ》つたことがあるのだから、|運《うん》を|天《てん》に|任《まか》して|徒歩《てく》ることにしようかい』
|音彦《おとひこ》『タカオ|山脈《さんみやく》の|近《ちか》くになると|大変《たいへん》|大《おほ》きな|蟇蛙《ひきがへる》が|居《ゐ》ると|云《い》ふことだ。|何《なん》だか|足《あし》も|草臥《くたび》れたし、|蛙《かへる》が|出居《でを》つたら|飛行機《ひかうき》の|代《かは》りに、それにでも|乗《の》つてアーメニヤ|方面《はうめん》|指《さ》して、【かへる】と|云《い》ふことにしようかな』
|亀彦《かめひこ》『ヤー|大変《たいへん》だ。|音公《おとこう》、|駒公《こまこう》、|向方《むかう》を|見《み》よ、|夜目《よめ》に|確乎《しつかり》とはわからぬが、|何《なん》でも|沼《ぬま》か、|池《いけ》のやうなものがあつて|吾々《われわれ》の|進路《しんろ》を|拘塞《こうそく》してゐるやうに|見《み》ゆるぢやないか』
|駒彦《こまひこ》『マア|行《ゆ》く|所《ところ》まで|行進《かうしん》を|続《つづ》けるのだナア』
|一行《いつかう》は|仄暗《ほのぐら》き|原野《げんや》を|足《あし》に|任《まか》せて、|西北《せいほく》|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
|音彦《おとひこ》『ヤー|妙《めう》な|泣《な》き|声《ごゑ》がするぞ。|大方《おほかた》|例《れい》の|先生《せんせい》が|出《で》たのだらう』
と|云《い》つて|居《ゐ》る|処《ところ》へ|牛《うし》のやうな|蟇蛙《ひきがへる》、ノサリノサリと|這《は》ひ|出《い》で|一行《いつかう》の|前《まへ》に|塞《ふさ》がり、|斗箕《とみの》のやうな|口《くち》を|開《あ》けてパクついて|居《ゐ》る。
|音彦《おとひこ》『ヨー|天道《てんだう》は|人《ひと》を|殺《ころ》さずぢや。|好《よ》い|乗物《のりもの》が|出来《でき》た。|鳥船《とりふね》から|蛙船《かへるぶね》に|乗《の》り|替《かへ》ると|云《い》ふ|洒落《しやれ》だ。|此《この》|船《ふね》はモー【かへる】|心配《しんぱい》は|要《い》らない。|初《はじめ》から【かへる】だから』
|亀彦《かめひこ》『この|魔《ま》の|原野《げんや》には|何《なに》が|化《ばけ》て|居《ゐ》るか|分《わか》つたものぢやない、|先《ま》づ|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》して|正体《しやうたい》を|現《あら》はし、|果《はた》して|真《しん》の|蛙《かへる》|先生《せんせい》なれば|乗《の》つてもよからうが、|又《また》しても|蛙然《あぜん》とするやうなことが|無《な》いやうに|注意《ちうい》せねばいかないぞ』
|音彦《おとひこ》『ナニ|構《かま》ふものか。|馬《うま》には|乗《の》つて|見《み》よ、|蛙《かへる》には|跨《またが》つて|見《み》いだ』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|音公《おとこう》は|蛙《かへる》の|背《せな》にヒラリと|飛《と》び|乗《の》り、
|音彦《おとひこ》『ヤア|大変《たいへん》|乗心地《のりごこち》がよい。|亀《かめ》、|駒《こま》、|貴様等《きさまら》も|乗《の》つたら|何《ど》うだい』
『|吾々《われわれ》は|経験《けいけん》が|無《な》いから、マア|暫《しば》らく|執行《しつかう》|猶予《いうよ》をして|貰《もら》はうかい』
|音彦《おとひこ》『|気《き》の|弱《よわ》い|奴《やつ》だな。それでは|音《おと》サンが|御先《おさき》へ|失敬《しつけい》を|致《いた》しませう。オイ|蛙《かはず》|先生《せんせい》。|音彦《おとひこ》だというても、【おと】しちやいかぬよ。【おと】さぬやうにして|大切《たいせつ》に【のたくる】のだ。|蛙《かはず》の|行列《ぎやうれつ》|向《むか》ふ|見《み》ずと|云《い》ふことがあるから、|充分《じうぶん》|注意《ちうい》して|行《い》つて|呉《く》れ|給《たま》へ。|賃銭《ちんせん》は|又《また》|追加《つゐか》をするから』
|大蛙《おほがへる》『ハイハイ|承知《しようち》|致《いた》しました。|吾々《われわれ》の|背中《せなか》に|乗《の》つて|居《を》れば、|坐《ゐ》ながらにして|故郷《ふるさと》へ【かへる】だ。【のんこ】の|洒蛙《しやあー》つく|洒蛙《しやあー》|々々《しやあー》|然《ぜん》と|鼻唄《はなうた》でも|歌《うた》つて|此《この》|行《かう》を|賑《にぎは》して|下《くだ》さい。|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》には|捨《す》てられても、|亦《また》|此《この》|通《とほ》り|救《たす》ける|神《かみ》が|現《あら》はれるものだ。|捨《す》てる|神《かみ》もあれば|拾《ひろ》ふ|蛙《かへる》もあるアハヽヽヽ』
と|蛙《かへる》は|口《くち》から|欠伸《あくび》と|共《とも》に、ノサリノサリと|進《すす》み|行《ゆ》く。
|亀彦《かめひこ》『ヤア、|音公《おとこう》の|奴《やつ》、うまいことをしよつた。オイオイ|蛙《かはず》サン。|一寸《ちよつと》|待《ま》つた|一寸《ちよつと》|待《ま》つた。|音公《おとこう》ばつかり|先《さき》へ|往《い》つたところで、|吾々《われわれ》|二人《ふたり》が|随《つ》いて|往《ゆ》かねば、ナンニもなりはしない。|乗《の》せるのが|嫌《いや》ならモツト|徐々《そろそろ》|歩《ある》いて|呉《く》れないか』
|大蛙《おほがへる》『この|先《さき》には|大変《たいへん》な|広《ひろ》い|古池《ふるいけ》がございます。|其処《そこ》を|渡《わた》つてから、【あなた】|方《がた》を|乗《の》せて|上《あ》げませうかい』
|駒彦《こまひこ》『ヤーその|池《いけ》を|渡《わた》るために|蛙《かへる》の|行列《ぎやうれつ》|向《むか》ふ|見《み》ずだから、【みづ】の|上《うへ》を|船《ふね》の|代《かは》りになつて|貰《もら》ひ|度《た》いのだ』
|音彦《おとひこ》『|亀《かめ》は|池《いけ》の|中《なか》が|得意《とくい》だらう。|駒公《こまこう》も|水馬《すゐば》と|云《い》つて|水《みづ》の|中《なか》は|上手《じやうず》に|違《ちが》ひ|無《な》い。|水《みづ》の|中《なか》に|困《こま》るのは|音《おと》サンばかりだ。|古池《ふるいけ》や|蛙《かはず》|飛《と》び|込《こ》む|水《みづ》の|音《おと》サンといふことを、|知《し》つてゐるかい』
|亀彦《かめひこ》『アハヽヽヽ、うまいことを|云《い》ひよる、ナア|駒公《こまこう》、|屹度《きつと》|彼奴《あいつ》は|失策《しくじ》つて|巌窟《がんくつ》の|中《なか》の|亀《かめ》サンのやうな|目《め》に|会《あ》はねばよいがな』
|蛙《かはず》は|一生懸命《いつしやうけんめい》【そく】を|出《だ》して|一足飛《いつそくと》びにホイホイと|跳《と》び|始《はじ》めた。|忽《たちま》ちドブンと|水煙《みづけむり》が|立《た》つた。
|亀彦《かめひこ》『ヤア|蟇蛙《ひきがへる》の|奴《やつ》、|到頭《たうとう》|闇《くらやみ》の|池《いけ》に|飛《と》び|込《こ》んで|了《しま》ひよつた。|思《おも》つたよりは|深《ふか》い|池《いけ》だ。|此《この》|池《いけ》の|周囲《まはり》は|草《くさ》ばつかりかと|思《おも》へば、|断巌絶壁《だんがんぜつぺき》で|囲《かこ》まれてゐる。|音公《おとこう》の|奴《やつ》|蛙《かはず》と|共《とも》に|沈没《ちんぼつ》し|居《を》つたな』
|駒彦《こまひこ》『オーイオーイ、|音公《おとこう》ヤーイ』
|亀彦《かめひこ》『オイ|音公《おとこう》、|未《ま》だ|池《いけ》の|底《そこ》に|沈澱《ちんでん》するのは|早《はや》いぞ』
|蛙《かはず》は|音公《おとこう》を|乗《の》せたまま|水面《すゐめん》にポカリと|浮《う》き|上《あが》つた。
|亀彦《かめひこ》『ヤー|音公《おとこう》、|醜態《ざま》を|見《み》やがれ。それだから|蛙《かはず》の|行列《ぎやうれつ》|向《むか》ふ|見《み》ずと|云《い》ふのだ。モー|斯《か》うなつては|高処《たかみ》から|見物《けんぶつ》だ』
|音彦《おとひこ》『|危急《ききふ》|存亡《そんばう》|一命《いちめい》にもかかはる|此《この》|場合《ばあひ》に、|何《なに》を|安閑《あんかん》として|居《を》るのか、|早《はや》くデレツクでも|用意《ようい》して|音《おと》サン|蛙《かへる》サンを|釣《つ》り|上《あ》げぬかい』
|駒彦《こまひこ》『デレツクとは|何《なん》だい。グレンのことだらう。|此処《ここ》は|陸上《りくじやう》だぞ。|陸上《りくじやう》で|釣《つ》れるのはグレンだ。グレンと|音《おと》|立《た》てて【ひつくりかへる】の|此《こ》の|憐《あは》れさ。|眼《め》なつとグレングレンと|剥《む》いて|居《を》れ。さうすれば|何時《いつ》の|間《ま》にか、よい|風《かぜ》が|吹《ふ》くだらう』
|音彦《おとひこ》『ソンナ|議論《ぎろん》は|如何《どう》でも|好《よ》い。デレツクであらうが、グレンであらうが|問《と》ふ|所《ところ》に|非《あら》ずだ。|貴様《きさま》もよつぽど|融通《ゆうづう》の|利《き》かぬ|奴《やつ》だ』
|亀彦《かめひこ》『|所《ところ》|変《かは》れば|品《しな》|代《かは》る、|御家《おいへ》|変《かは》れば|風《ふう》|代《かは》る、|嬶《かか》ア|代《かは》れば|顔《かほ》|変《かは》る。|浪速《なには》の|葦《あし》も|伊勢《いせ》の|浜荻《はまをぎ》、|貴様《きさま》のやうに|八釜敷《やかましう》|囀《さへづ》る|百千鳥《ももちどり》も|都《みやこ》へ|行《ゆ》けば|粋《すゐ》に|代《かは》つて|都鳥《みやこどり》。マア|悠々《ゆつくり》と|蛙《かはず》の|背《せ》で|遊山《ゆさん》でもしたらよからう。|吾々《われわれ》もこれからお|前《まへ》の|沈澱《ちんでん》するまで、|悠々《いういう》と|休息《きうそく》でもして、それから|起重機《きぢゆうき》を|措置《そち》して|救《たす》けてやると|好《い》いけれど、|生憎《あひにく》|便利《べんり》が|悪《わる》くつて|仕方《しかた》が|無《な》い。マアマア|蛙《かへる》と|共《とも》にグレンとやるのぢやな』
|大蛙《おほがへる》『モシモシ|亀《かめ》よ、|亀《かめ》サンよ。|駒《こま》よ、|駒《こま》サンよ。くだらぬ|喧嘩《けんくわ》を|買《か》はずと|大人《おとな》しく、|友達《ともだち》|甲斐《がひ》に|救《たす》けて|上《あ》げて|下《くだ》さいや』
|亀彦《かめひこ》『サテモ|気楽《きらく》な|奴《やつ》だナア。|奈落《ならく》の|底《そこ》へ|落《お》ち|込《こ》んで|踊《をど》つて|居《ゐ》る|奴《やつ》があるものかい。|音公《おとこう》|貴様《きさま》も|今迄《いままで》の|罪悪《ざいあく》の|決算期《けつさんき》が|来《き》たのだ。|何事《なにごと》も|因縁《いんねん》づくぢやと|諦《あきら》めたがよからう。|此《こ》の|辛《つら》い|時節《じせつ》に【やすい】|賃銀《ちんぎん》で|誰《たれ》が|就業《しうげふ》するものがあるか。|先《ま》づ|労働《らうどう》|争議《さうぎ》の|解決《かいけつ》がつく|迄《まで》、ゆつくりと|待《ま》つてゐるがよからう』
|音彦《おとひこ》『オイオイ|蛙公《かはずこう》、モーアンナ|奴《やつ》に|相手《あひて》になつたところが、|解決《かいけつ》のつく|筈《はず》はない。|上《うへ》に|立《た》つて|居《を》る|奴《やつ》と|池《いけ》の|底《そこ》へ|落《おち》て|苦《くる》しんで|居《を》る|人間《にんげん》とだから、|到底《たうてい》|上《うへ》の|奴《やつ》は|彼《あ》の|通《とほ》り|乱暴《らんばう》だから、|百姓《ひやくしやう》の|蛙切《かはずき》りぢやないが、|蛙《かはず》と|音《おと》サンとが|悠然《ゆつくり》|協議《けふぎ》を|開《ひら》いて、|労働《らうどう》|同盟《どうめい》でもやつて|自《みづか》ら|活路《くわつろ》を|求《もと》めるより|仕方《しかた》が|無《な》いわ、|亀《かめ》、|駒《こま》、|大《おほ》きに|憚《はばか》りさまだ。モー|貴様等《きさまら》の|御厄介《ごやくかい》にはならぬ。|自由《じいう》|行動《かうどう》を|執《と》るから、さう|思《おも》へ』
|亀《かめ》、|駒《こま》『アハヽヽヽ、|強《つよ》い|者《もの》|勝《がち》の|世《よ》の|中《なか》だ、|上《うへ》から|下《した》へ|落《お》ちるのは|一足跳《いつそくと》びに|容易《ようい》だが|下《した》から|上《うへ》に|上《あが》るのは|大変《たいへん》だぞ。|上《あが》れるなら|自由《じいう》に|上《あが》つて|見《み》よ』
|大蛙《おほがへる》『|美事《みごと》|上《あが》つて|見《み》せう。アフンとするな』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら|広《ひろ》き|水面《すゐめん》を|浮游《ふいう》し、ある|上陸《じやうりく》|地点《ちてん》を|求《もと》めてガサガサと|無事《ぶじ》に|這《は》ひ|上《あが》つた。
|亀彦《かめひこ》『ヤー|音《おと》の|奴《やつ》、|到頭《たうとう》|無事《ぶじ》|着陸《ちやくりく》しよつた。オイ|駒《こま》サン、|吾々《われわれ》は|何《ど》うして|此《この》|古池《ふるいけ》を|渡《わた》つたらよからうな』
|駒彦《こまひこ》『アーさうだつたな。|渡《わた》るには|恐《こは》し、|渡《わた》らねば|女房《にようばう》の|国《くに》へは|帰《かへ》れないといふ|場面《ばめん》だ。オイ|音《おと》サン、|迎《むか》ひに|来《きた》り|迎《むか》ひに|来《きた》り』
|音《おと》は|目《め》を|剥《む》き、|舌《した》を|出《だ》し|乍《なが》ら、
『アカと|云《い》へ、アカと|云《い》つたら|迎《むか》ひに|往《い》つてやる』
|亀彦《かめひこ》『エー|仕方《しかた》が|無《な》い。|莫迦《ばか》にしよる。これだからアカの|他人《たにん》は|水臭《みづくさ》いと|云《い》ふのだ。|仕方《しかた》が|無《な》い。|背《せ》に|腹《はら》は|換《か》へられぬ。|言《い》はうかい』
|駒彦《こまひこ》『アカ』
|亀彦《かめひこ》『アカ』
|音彦《おとひこ》(|両手《りやうて》の|指《ゆび》で|臉《まぶた》を|押《おさ》へ|乍《なが》ら)『ベー』
|駒彦《こまひこ》『|大方《おほかた》コンナことだと|思《おも》つて|居《を》つた。アカの|言《い》ひ|損《ぞん》をしたワイ。これがアカの|別《わか》れと|云《い》ふのだ。モー|仕方《しかた》がない、|予定《よてい》の|退却《たいきやく》だ』
|音彦《おとひこ》『オイオイ|貴様《きさま》|早《はや》く|来《こ》んかい。ソンナ|処《ところ》に|何時《いつ》まで|愚図々々《ぐづぐづ》してゐるのだ』
|駒彦《こまひこ》『ヤーナアンだ。|坦々《たんたん》たる|大道《だいだう》が|通《つう》じてゐるぢやないか』
|亀彦《かめひこ》『ヤー|布留野ケ原《ふるのがはら》のコンコンさまだな。アハヽヽヽ』
(大正一一・三・二〇 旧二・二二 外山豊二録)
(昭和一〇・三・二八 於吉野丸船室 王仁校正)
第一五章 |蓮花開《れんくわかい》〔五四一〕
|音《おと》、|亀《かめ》、|駒《こま》の|三人《さんにん》は、|荒野ケ原《あれのがはら》を|西北《せいほく》|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。|傍《かたはら》の|丈《たけ》なす|草原《くさはら》の|中《なか》より|現《あら》はれ|出《い》でたる|五六人《ごろくにん》の|怪《あや》しの|男《をとこ》、|大手《おほて》を|拡《ひろ》げて|四方《しはう》を|取囲《とりかこ》み、
『ヤイ、|何処《いづく》の|奴《やつ》か|知《し》らぬが、|此処《ここ》を|何《なん》と|思《おも》つて|踏《ふ》ん|迷《まよ》うて|来《き》たか、サア|所有物《もちもの》|一切《いつさい》を|悉皆《すつかり》|此処《ここ》へ、おつ|放《ぽ》り|出《だ》して|赤裸《まつぱだか》になれ。さうすれば|生命《いのち》|丈《だけ》は|助《たす》けてやらう』
|音彦《おとひこ》『|何《なに》|吐《ぬか》しよるのだ、|泥棒《どろぼう》|奴《め》が、|情《なさけ》ない|奴《やつ》だナア。|大《おほ》きな|図体《づうたい》をしよつて、|人《ひと》の|物《もの》を|盗《と》らねば|生活《せいくわつ》が|出来《でき》ないとは、|何《なん》といふ|因果《いんぐわ》の|生《うま》れ|付《つき》だ。|一体《いつたい》|貴様《きさま》は|何《なん》と|云《い》ふ|奴《やつ》だい』
|男《をとこ》『|俺《おれ》は|蟒《うはばみ》の|野呂公《のろこう》さまだい』
|音彦《おとひこ》『|道理《だうり》で、【のろ】のろしてけつかるワイ、この|辛《から》い|時節《じせつ》に|労働《らうどう》もせずに、|遊《あそ》んで|食《く》ふと|云《い》ふ|様《やう》な|悪《わる》い|了見《れうけん》を|出《だ》すな』
|野呂公《のろこう》『|何《なに》を|古《ふる》い|事《こと》を|言《い》ふのだ。|是《これ》でも|当世向《たうせいむき》の|新《あたら》しい|男《をとこ》だぞ。|今《いま》の|人間《にんげん》に|泥棒《どろばう》|根性《こんじやう》の|無《な》い|奴《やつ》が、|一匹《いつぴき》でも|半匹《はんびき》でもあるかい、|鬼《おに》と|賊《ぞく》との|世《よ》の|中《なか》だ。ナンダ|貴様《きさま》は、|宣伝使《せんでんし》|面《づら》をしよつて、|偽善者《きぜんしや》の|骨頂《こつちやう》|奴《め》が。|馬《うま》の|顔《かほ》にハンモックを|附《つ》けた|様《やう》な|長《なが》いシヤツ|面《づら》をしよつて………|貴様《きさま》もやつぱり|顔《かほ》ばつかりぢやない、|手《て》も|足《あし》も|長《なが》い、|手長彦《てながひこ》や|長髄彦《ながすねひこ》の|眷属《けんぞく》だらう』
|音彦《おとひこ》『|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ、マア|俺《おれ》の|宣伝歌《せんでんか》を、|落着《おちつ》いて|聴聞《ちやうもん》しろ』
|野呂公《のろこう》『|貴様《きさま》は、|神《かみ》だとか、|道《みち》だとか、|善《ぜん》だとか、|悪《あく》だとかほざきよつて、|世界《せかい》の|人間《にんげん》を|圧制《あつせい》に|廻《まは》る|宣伝使《せんでんし》だらう。チツト|頭脳《あたま》が|古《ふる》いぞ、|是程《これほど》|民衆《みんしう》|運動《うんどう》の|盛《さか》んな|世《よ》の|中《なか》に、|守旧的《しゆきうてき》な|事《こと》を|言《い》つても、|通用《つうよう》せないぞ。|吾々《われわれ》は、|貴様《きさま》のやうな|奴《やつ》を、ケープスタンぢやないが、|片《かた》つ|端《ぱし》から|一所《ひととこ》へ|巻《ま》き|寄《よ》せて、ガタガタと|片付《かたづ》ける|積《つも》りだ。|通常《あたりまへ》の|泥棒《どろばう》だと|思《おも》ふな。|斯《か》う|見《み》えても|選《せん》を|異《こと》にして|居《ゐ》るのだぞ』
|音彦《おとひこ》『ア、ナント|危《あぶ》ない|原野《げんや》だ。|全然《まるで》|浮流水雷《ふりうすゐらい》の|濫設《らんせつ》した|中《なか》を、|超努級艦《てうどきふかん》が|航海《かうかい》してる|様《やう》なものだ。………ヤイ|浮流水雷《ふりうすゐらい》!、こちらも|探海船《たんかいせん》があるぞ。|爆発《ばくはつ》さしてやらうか』
|野呂公《のろこう》『ヘン|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだい。ベンチレータの|様《やう》な|鼻《はな》をしよつて、|鼻々《はなはな》|以《もつ》て|不恰好《ぶかつかう》|千万《せんばん》な、|鼻息《はないき》ばつかり|荒《あら》くても、|石油《せきゆ》の|空缶《あきくわん》ぢやないが、|風《かぜ》が|吹《ふ》いても|散《ち》る|様《やう》なビクビク|腰《ごし》で……ナアンだ、|蟇《ひきがへる》に|池《いけ》の|底《そこ》へ|放《ほ》り|込《こ》まれよつて…………』
|音彦《おとひこ》『ナニ、|蟇《ひきがへる》に|抛《ほ》り|込《こ》まれた?、|貴様《きさま》どうして|知《し》つてるのだ』
|野呂公《のろこう》『アハヽヽヽヽ、それだから|貴様《きさま》の|宣伝使《せんでんし》は|零点《ゼロ》と|云《い》ふのだ』
|音彦《おとひこ》『ソンナら|貴様《きさま》は|一体《いつたい》|何者《なにもの》だ』
|野呂公《のろこう》『|蟇《ひきがへる》の|現実化《げんじつくわ》したのが、|蟒《うはばみ》の|野呂《のろ》さまだよ』
|音彦《おとひこ》『オーさうか、|貴様《きさま》|蛙《かへる》なら、|裸体《はだか》で|暮《くら》して|居《を》ればよいのだ。|何故《なぜ》に|此《この》|方《はう》の|御衣服《おめしもの》が|必要《ひつえう》なのだ、………オイ|亀公《かめこう》、|駒公《こまこう》、しつかりしよらぬかい。|俺《おれ》ばつかりに|交渉《かうせふ》させよつて、|貴様《きさま》はそれでいいのか、|冷淡《れいたん》|至極《しごく》な|奴《やつ》だなア』
|亀《かめ》、|駒《こま》『オイ|音《おと》サン、お|前《まへ》は|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》で、|難局《なんきよく》に|当《あた》らなならぬ|役《やく》に|生《うま》れて|来《き》て|居《ゐ》るのだよ。|吾輩《わがはい》は、|後《あと》の|烏《からす》が|先《さき》になる、|先《さき》を|見《み》て|居《ゐ》て|下《くだ》されよだ。|最後《さいご》の|神業《しんげふ》に|参加《さんか》して、|抜群《ばつぐん》の|功名《こうみやう》|手柄《てがら》を|現《あら》はすのだよ』
|音彦《おとひこ》『|二十世紀《にじつせいき》の|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|様《やう》な|事《こと》を|言《い》うて|居《ゐ》やがる、なまくらな|奴《やつ》だナ。|何時《いつ》まで|待《ま》つても、|棚《たな》から|牡丹餅《ぼたもち》は|落《お》ちては|来《こ》ないぞ、|天地《てんち》|間《かん》の|真相《しんさう》を|能《よ》く|考《かんが》へて|見《み》よ。|霜雪《さうせつ》を|凌《しの》いで|苦労《くらう》をすればこそ、|春《はる》になつて|梅《うめ》の|花《はな》が|咲《さ》くのだ。|花《はな》が|咲《さ》くから|実《み》を|結《むす》ぶのだ。|苦労《くらう》なしに|誠《まこと》の|花《はな》が|咲《さ》くと|思《おも》ふか』
|野呂公《のろこう》『オイオイ、|喧嘩《けんくわ》の|宿替《やどがへ》は|困《こま》るよ。|俺《おれ》をどうするのだ、|俺《おれ》の|方《はう》から|解決《かいけつ》をつけぬかい』
|音彦《おとひこ》『|八釜敷《やかまし》い|言《い》ふない。|暫《しばら》く|中立《ちうりつ》を|厳守《げんしゆ》して|居《を》れ』
|野呂公《のろこう》『|俺等《おれら》の|一部隊《いちぶたい》は|六人《ろくにん》だ、|貴様《きさま》の|一行《いつかう》は|僅《わづか》に|三人《さんにん》、|三人《さんにん》を|裸《はだか》にした|所《ところ》で、|帯《おび》に|短《みじか》し|襷《たすき》に|長《なが》し、エー|仕方《しかた》がない、|今回《こんくわい》に|限《かぎ》りて、|見逃《みのが》してやらう。|以後《いご》はキツト|心得《こころえ》て、|改心《かいしん》を|致《いた》すがよからう。アハヽヽヽヽ』
|音彦《おとひこ》『アハヽヽヽ、|洒落《しやれ》やがるない。こちらが|言《い》ふ|事《こと》を、|泥棒《どろばう》の|方《はう》から|云《い》つてゐよるワ』
|野呂公《のろこう》『|先《さき》んずれば|人《ひと》を|制《せい》す、|貴様《きさま》の|守護神《しゆごじん》が|俺《おれ》に|憑《うつ》つて|言《い》つたのだよ』
|音彦《おとひこ》『|合点《がてん》のいかぬ|代者《しろもの》だ。|一体《いつたい》|全体《ぜんたい》|貴様《きさま》は|何者《なにもの》だ』
|野呂公《のろこう》『ハテ|執拗《しつこい》い|奴《やつ》だナ。【のろ】は【のろ】ぢや、|貴様《きさま》のやうな|気楽《きらく》な|奴《やつ》、|世界《せかい》を|吾物《わがもの》の|様《やう》に|思《おも》つて|居《ゐ》る|体主霊従《たいしゆれいじう》|的《てき》|人間《にんげん》をノロウ【のろ】さんだよ』
|音彦《おとひこ》『|何《なん》だかサツパリ|訳《わけ》が|分《わか》らぬ|様《やう》になつて|来《き》た。|兎《と》も|角《かく》、|仮《か》りに|俺《おれ》を|資本家《しほんか》として、お|前《まへ》|達《たち》を|労働者《らうどうしや》とし、|労資《らうし》|協調《けふてう》|会議《くわいぎ》でも、この|原野《げんや》の|中央《まんなか》で|開《ひら》いたらどうだ。|原野《げんや》の|案《あん》だからキツト|原案《げんあん》|通過《つうくわ》は|請合《うけあひ》だ、………アーア|世《よ》の|中《なか》は|能《よ》うしたものだ、|日《ひ》の|出別《でわけ》さまや、|鷹公《たかこう》、|梅公《うめこう》、|岩公《いはこう》に|棄《す》てられたと|思《おも》へば、また|新《あたら》しい|六人《ろくにん》の|耄碌《まうろく》|連《れん》が|殖《ふ》えて|来《き》た』
|野呂公《のろこう》『アハヽヽヽ、|盲《めくら》ばかりの|宣伝使《せんでんし》だな、|俺《おれ》の|正体《しやうたい》が|分《わか》らぬ|様《よ》な|事《こと》では、|所詮《しよせん》|駄目《だめ》だ。|醜《しこ》の|岩窟《いはや》の|中《なか》での|探険《たんけん》は、|到底《たうてい》|不可能《ふかのう》ぢやワイ』
|音彦《おとひこ》『コラ|野呂公《のろこう》、|何《いづ》れ|貴様《きさま》は|普通《ひととほり》の|奴《やつ》ぢやない、|何《なん》でも|変《かは》つた|化物《ばけもの》だらうが、|不幸《ふかう》にして|岩窟《いはや》の|探険《たんけん》を|中止《ちうし》するの|已《や》むを|得《え》ざる、|不可抗力《ふかかうりよく》が|加《くは》はつたものだから、|中途《ちうと》に|計画《けいくわく》をガラリと|転覆《てんぷく》させて|了《しま》つたのだ。|帰《かへ》つて|土産《みやげ》がないから、|貴様《きさま》|化者《ばけもの》なら|詳《くは》しいだらう。どうだ、|俺《おれ》に|限《かぎ》つて|話《はな》して|呉《く》れないか』
|野呂公《のろこう》『|話《はな》すとも|話《はな》すとも、|一体《いつたい》|此処《ここ》は|何処《どこ》だと|思《おも》つてるのだい』
|音彦《おとひこ》『|定《きま》つた|事《こと》だい、|布留野ケ原《ふるのがはら》のタカオ|山脈《さんみやく》の|手前《てまへ》ぢやないか』
|野呂公《のろこう》『サア、それだから|馬鹿《ばか》だよ、|此処《ここ》はやつぱり、|醜《しこ》の|岩窟《いはや》の|中心点《ちうしんてん》だぞ』
|音公《おとこう》は|眼《め》を|擦《こす》り、|能《よ》く|能《よ》く|四辺《あたり》を|見《み》れば、|岩窟《がんくつ》が|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|開展《かいてん》して|居《ゐ》る。
|音彦《おとひこ》『オイ|亀公《かめこう》、|駒公《こまこう》、|貴様《きさま》どう|見《み》える』
|亀彦《かめひこ》『さうだなア、|何《なん》だか、|岩窟《いはや》の|中《なか》のやうな|気《き》もするワイ』
|駒彦《こまひこ》『ホンに、|睡《ね》とぼけて|居《ゐ》たらしい、|夢《ゆめ》ではなからうかナア』
|野呂公《のろこう》『|左様《さやう》なら……』
と|云《い》ふかと|見《み》れば、|野呂公《のろこう》|外《ほか》|五人《ごにん》の|姿《すがた》は|消《き》えて|巌窟《がんくつ》は|白煙《はくえん》に|全然《すつかり》|包《つつ》まれて|了《しま》つた。|忽《たちま》ちボーとした|円《まる》い|光《ひかり》が|現《あら》はれた。
|駒彦《こまひこ》『ヨー|変《へん》なものが|顕現《けんげん》したぞ、|用心《ようじん》せよ。|是《これ》から|先《さき》に、ドンナ|不思議《ふしぎ》な|事《こと》が|続出《ぞくしゆつ》するか|測定《そくてい》し|難《がた》い、|先《ま》づ|身魂《みたま》の|土台《どだい》をぐらつかせぬ|様《やう》に、|天《あめ》の|御柱《みはしら》を|確乎《しつかり》|立《た》てて|進《すす》む|事《こと》にしようかい』
|音彦《おとひこ》『|貴様《きさま》は|神経《しんけい》|過敏《くわびん》だから、|直《ぢき》にさう|云《い》ふ|深案《ふかあん》じをするのだ、|何事《なにごと》も|惟神《かむながら》だ、|刹那心《せつなしん》だ。|行《ゆ》く|所《ところ》まで|行《ゆ》かねば|分《わか》るものぢやない。|取越《とりこし》|苦労《ぐらう》は|禁物《きんもつ》だ』
|駒彦《こまひこ》『ヤアヤアあれを|見《み》よ、|何《なん》だか|彼《あ》の|玉《たま》の|中《なか》には、|綺麗《きれい》な|顔《かほ》が|見《み》えるぢやないか、|全然《まるで》|木花姫《このはなひめ》の|様《やう》な|御面相《ごめんさう》だぞ』
|音彦《おとひこ》『ヨー、|本当《ほんたう》に、|容色端麗《ようしよくたんれい》、|桜花爛漫《あうくわらんまん》たるが|如《ごと》しだ。|最前《さいぜん》|出現《しゆつげん》した|野呂公《のろこう》に|比《くら》ぶれば|何《なん》となく|気持《きもち》が|良《い》いワ』
|美女《びぢよ》の|影《かげ》は|瞬《またた》く|間《うち》に、|全身《ぜんしん》を|露《あら》はし、|手招《てまね》きし|乍《なが》ら、|三人《さんにん》を|一瞥《いちべつ》して、|足早《あしばや》に|何処《いづく》ともなく|走《はし》り|行《ゆ》く。
|音彦《おとひこ》『ヤア、|此奴《こいつ》は|素的《すてき》だ。|白煙《はくえん》に|包《つつ》まれて、たうとう|姿《すがた》を|見失《みうしな》つたが、|吾々《われわれ》はどうでも|其《その》|踪跡《そうせき》を|探索《たんさく》し、モ|一度《いちど》|面会《めんくわい》して、|事《こと》の|実否《じつぴ》を|糺《ただ》したいものだ』
|亀彦《かめひこ》『|美人《びじん》だと|思《おも》つて|居《ゐ》ると、|当《あて》が|違《ちが》つて、|四《よ》つ|目《め》|小僧《こぞう》のお|化《ばけ》かも|知《し》れぬぞ。そこになつてから……ヤアやつぱり|是《これ》は|別嬪《べつぴん》ではナイスなんて|云《い》つた|所《ところ》で、ガブリとやられてからはどうも|仕方《しかた》がない。|慎重《しんちよう》の|態度《たいど》を|以《もつ》て|漸進的《ぜんしんてき》に|進《すす》む|事《こと》だ。サアサア|足許《あしもと》に|注意《ちうい》し、この|処《ところ》|徐行《じよかう》|区域《くゐき》だ』
|音彦《おとひこ》『それでも|吾輩《わがはい》に|向《むか》つて|手招《てまね》きをし、あの|美《うつく》しい|柳《やなぎ》の|眉《まゆ》の|涼《すず》しき|電波《でんぱ》を|送《おく》つた|時《とき》は、|何《なん》とも|云《い》へぬ|電気《でんき》に|打《う》たれた|様《やう》な|恍惚《くわうこつ》たる|次第《しだい》なりけりだ。|阿片《あへん》|煙草《たばこ》に|熟酔《じゆくすゐ》した|時《とき》の|様《やう》な|気分《きぶん》に|襲《おそ》はれたよ』
|亀彦《かめひこ》『|電波《でんぱ》といふ|事《こと》があるかい、|秋波《しうは》の|間違《まちがひ》だらう』
|音彦《おとひこ》『|秋波《しうは》と|云《い》ふのは、それは|古《ふる》い|奴《やつ》の|言《い》ふ|事《こと》だ。|二十一世紀《にじふいつせいき》の|人間《にんげん》は|気《き》が|早《はや》いから、|電波《でんぱ》は|一秒《いちべう》|時間《じかん》に|地球《ちきう》を|七回《しちくわい》|半《はん》すると|云《い》ふ|速力《そくりよく》で、|以心電心《いしんでんしん》「ネー|音《おと》サン」とも|何《なん》とも|云《い》はずに|往《い》つた|時《とき》の|容子《ようす》と|云《い》つたら、|有《あ》つたものぢやない。あの|涼《すず》しい|眼《め》をジヤイロコンパスの|様《やう》にクルクルと|廻《まは》して、|目《め》は|口程《くちほど》に|物《もの》を|言《い》ひ……とか|云《い》つて、|二十世紀《にじつせいき》の|人間《にんげん》の|様《やう》に、|口《くち》で|物言《ものい》ふ|様《やう》な|古《ふる》めかしい|事《こと》はやらない、|流石《さすが》は|文明的《ぶんめいてき》だ。|一分間《いつぷんかん》に|八千《はつせん》|回転《くわいてん》といふ|恋《こひ》の|速力《そくりよく》だから、|最《もつと》も|破天荒《はてんくわう》のレコード|破《やぶ》り……アーア|色男《いろをとこ》になると|煩《うる》さいものだワイ』
|駒彦《こまひこ》『アハヽヽヽ、|何《なに》|寝言《ねごと》を|言《い》つて|居《ゐ》るのだ、|頭《あたま》から|冷水《ひやみづ》でも|被《かぶ》せてやらうか、チト|春先《はるさき》でボヤボヤするものだから、|逆上《ぎやくじやう》して|居《ゐ》よるのだナ』
|音彦《おとひこ》『それでも、|事実《じじつ》は|事実《じじつ》だから、|如何《いかん》ともする|事《こと》が|出来《でき》ぬぢやないか。|恋《こひ》に|苦労《くらう》した|事《こと》のない|貴様《きさま》は、|門外漢《もんぐわいかん》だ、マア|黙《だま》つて|居《ゐ》るがよからう。|近代《きんだい》|思潮《してう》に|触《ふ》れない、|旧《きう》|思想《しさう》|人間《にんげん》に、|恋《こひ》が|語《かた》れるものかい。|恋《こひ》には|上下《じやうげ》|貧富《ひんぷ》|美醜《びしう》|善悪《ぜんあく》の|区別《くべつ》がないものだ、エツヘン』
|亀彦《かめひこ》『アハヽヽヽ、コンナ|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|魔窟《まくつ》へ|入《はい》つて|来《き》て、ソンナ|能《よ》い|気《き》な|事《こと》を|言《い》つてる|所《ところ》ぢやあるまいぞ。|寸善尺魔《すんぜんしやくま》だ、|何《なに》が|出《で》て|来《く》るか|知《し》れやしない。チツトたしなんだが|宜《よ》からう』
|音彦《おとひこ》『アー、|何《なん》だか|没分暁漢《わからずや》ばかりと|旅行《りよかう》して|居《ゐ》ると、|気分《きぶん》が|悪《わる》くなつて、|頭《あたま》に|脚気《かつけ》が|起《おこ》り、|足《あし》に|血《ち》の|道《みち》が|起《おこ》つて|来《き》て、|足《あし》は|頭痛《づつう》がする、|頭《あたま》は|腹痛《ふくつう》がする、|実《じつ》に|不快《ふくわい》|千万《せんばん》だ。マアマア|世《よ》の|中《なか》は|酒《さけ》と|女《をんな》だ、|女《をんな》の|事《こと》を|言《い》つてる|間《ま》にでも、コンパスが|進《すす》むのだ。|長《なが》い|道中《だうちう》に、|堅苦《かたぐる》しい|事《こと》ばかり|言《い》つて|居《を》つて、|御用《ごよう》が|勤《つと》まるかい』
|亀彦《かめひこ》『|苟《いやし》くも|宣伝使《せんでんし》たる|者《もの》は、|女《をんな》だの、|酒《さけ》だのと|言《い》ふ|事《こと》は、|仮《か》りにも|口《くち》にすべきものでない、|穢《けが》らはしいワイ。モチツト|真面目《まじめ》にならないか、|世間《せけん》の|奴《やつ》に|誤解《ごかい》される|虞《おそれ》があるぞ』
|音彦《おとひこ》『それは|杞憂《きいう》だ。|寛厳《くわんげん》|宜《よろ》しきを|得《え》、|伸縮《しんしゆく》|自在《じざい》、|変幻出没《へんげんしゆつぼつ》|極《きは》まりなくして、|始《はじ》めて|神業《しんげふ》が|完成《くわんせい》するのだ。|路端《みちばた》に|涎掛《よだれかけ》を|何十枚《なんじふまい》も|首《くび》に|掛《かけ》て|居《ゐ》る|様《やう》な、|無情無血漢《むじやうむけつかん》では、|混濁《こんだく》せる|社会《しやくわい》の|人心《じんしん》を|救済《きうさい》する|事《こと》は、|到底《たうてい》|不可能《ふかのう》だ。|操縦《さうじう》|与奪《よだつ》|其《その》|権《けん》|我《われ》に|有《あ》りと|云《い》ふ|態度《たいど》を|以《もつ》て、|衆生《しゆじやう》を|済度《さいど》するのが、|三五教《あななひけう》の|御主意《ごしゆい》だ。|枯木寒巌《こぼくかんがん》に|凭《よ》る、|三冬暖気《さんとうだんき》|無《な》しと|言《い》ふ|様《やう》な、|偽善的《ぎぜんてき》|頑迷不霊《ぐわんめいふれい》の|有苗輩《いうべうはい》では、どうして|完全《くわんぜん》に|神業《しんげふ》が|勤《つと》まると|思《おも》ふか。|貴様《きさま》の|堅《かた》い|亀《かめ》の|甲《かふ》をもぎ|取《と》つて、|少《すこ》しく|軟化《なんくわ》せなくつては、|勤《つと》まりつこはないぞ。|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》の|宣伝《せんでん》の|様《やう》な|失敗《しつぱい》だらけに|終《をは》らねばなるまい』
この|時《とき》|白煙《はくえん》は|俄《にはか》に|消散《せうさん》し、|広《ひろ》き|隧道《すゐだう》|内《ない》は、|又《また》もや|明《あか》るくなつて|来《き》た。
|音彦《おとひこ》『ヤア、|女《をんな》ならでは|夜《よ》の|明《あ》けぬ|国《くに》、|天《あま》の|岩戸《いはと》も、|音《おと》サンの|言霊《ことたま》で、サラリと|開《ひら》いた、|開《ひら》いた|開《ひら》いた|菜《な》の|花《はな》が|開《ひら》いた、|蓮草《はす》の|花《はな》も|開《ひら》いた、|天明《てんめい》|開天《かいてん》だ、アハヽヽヽ』
(大正一一・三・二〇 旧二・二二 松村真澄録)
第一六章 |玉遊《たまあそび》〔五四二〕
|明《あか》るくなつた|道《みち》を|三人《さんにん》は|足《あし》を|早《はや》めて|進《すす》み|行《ゆ》く。|前方《ぜんぱう》に|当《あた》つて|赤白《あかしろ》の|護謨毬《ごむまり》の|様《やう》なもの|上下《じやうげ》|左右《さいう》に|浮動《ふどう》|廻転《くわいてん》してゐる。|音彦《おとひこ》は|目敏《めざと》く|之《これ》を|眺《なが》め、
|音彦《おとひこ》『ヤア|駒彦《こまひこ》、|又《また》|面白《おもしろ》いぞ。|先《さき》を|見《み》よ、|魔窟《まくつ》の|魔神《まがみ》が|玉突《たまつき》をやつてるわ』
|亀彦《かめひこ》『オー、あれや|野球戦《やきうせん》だ、|流石《さすが》は|魔窟《まくつ》だな、|味《あぢ》な|事《こと》をやりよるわ。|此《この》|次《つぎ》には|又《また》ダンスの|余興《よきよう》が|見《み》られるかも|知《し》れないぞ。|文明《ぶんめい》の|空気《くうき》は|山《やま》の|谷々《たにだに》はおろか、|斯様《かやう》な|地底《ちてい》の|巌窟《がんくつ》|内《ない》|迄《まで》もゆき|亘《わた》つてゐるのだね』
|音彦《おとひこ》『マア|一寸《ちよつと》ここらで|腰《こし》を|下《おろ》して|見物《けんぶつ》し|乍《なが》ら|臨時《りんじ》|将校《しやうかう》|会議《くわいぎ》を|開《ひら》いて、その|結果《けつくわ》|吾々《われわれ》も|魔神《まがみ》の|打球会《だきうくわい》に|参加《さんか》するかせないかを|決定《けつてい》したら|如何《どう》だ』
|亀彦《かめひこ》『|三人《さんにん》では|将校《しやうかう》|会議《くわいぎ》も|良《い》い|加滅《かげん》なものだな。|何《なに》は|兎《と》もあれ、ゆつくりと|見物《けんぶつ》する|事《こと》に|仕様《しやう》かい。ヤアヤア|殖《ふ》えるわ|殖《ふ》えるわ、|沢山《たくさん》な|毬《まり》が|現《あら》はれた、|十《じふ》が|二十《にじふ》になり、|二十《にじふ》が|四十《しじふ》になり、|四十《しじふ》が|八十《はちじふ》になり、|八十《はちじふ》が|百六十《ひやくろくじふ》になり、|百六十《ひやくろくじふ》が|三百二十《さんびやくにじふ》になり……』
|音彦《おとひこ》『コラコラ、|貴様《きさま》はコンナ|処《ところ》で|算術《さんじゆつ》の|稽古《けいこ》でもするのか』
|亀彦《かめひこ》『ヤア|会計《くわいけい》|検査院《けんさゐん》へ|決算《けつさん》|報告《はうこく》をする|必要《ひつえう》があるから、|遺漏《ゐろう》ない|様《やう》に|十分《じふぶん》のベストを|尽《つく》して|居《ゐ》るのだ。|会計《くわいけい》|検査官《けんさくわん》も|骨《ほね》の|折《を》れたものだ』
|音彦《おとひこ》『それは|数十万年《すふじふまんねん》|後《ご》の|豆人間《まめにんげん》のする|事《こと》だ。|吾々《われわれ》は|神代《じんだい》の|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》だ。ソンナ|取越苦労《とりこしぐらう》はやめて|現実的《げんじつてき》|活動《くわつどう》をやらなくてはならぬでは|無《な》いか』
|亀彦《かめひこ》『|智識《ちしき》の|宝庫《はうこ》とも|言《い》ふべき|亀《かめ》サンは、|万年《まんねん》の|先《さき》まで|前途《ぜんと》を|達観《たつくわん》してるから、|天眼通《てんがんつう》に|映《えい》じて|仕方《しかた》がない。コンナ|神秘的《しんぴてき》な|事《こと》は|貴公等《きこうら》には|諒解《りやうかい》|出来《でき》まいが、|然《しか》し|原始的《げんしてき》で|頭脳《づなう》の|発達《はつたつ》せない|宣伝使《せんでんし》には|無理《むり》もないワイ』
|駒彦《こまひこ》『|貴様《きさま》は|如何《どう》してもウラル|教《けう》の|垢《あか》が|脱《ぬ》けないから|直《すぐ》に|物質的《ぶつしつてき》の|智識《ちしき》を|出《だ》したがるのだ。|神代《じんだい》には|計算《けいさん》|等《など》は|必要《ひつえう》が|無《な》い。|神《かみ》は|無形《むけい》に|見《み》、|無声《むせい》に|聞《き》き、|無算《むさん》に|数《かぞ》へ|給《たま》ふものだ。ソンナ|時代《じだい》に|適合《あ》はぬ|前後《あとさき》の【そろばん】|様《やう》な、|迂遠《うゑん》な|事《こと》は|没《ぼつ》にした|方《はう》が|面倒《めんだう》|臭《くさ》くなくて|良《よ》からう』
|亀彦《かめひこ》『フト|不成立《ふせいりつ》の|問題《もんだい》を|提出《ていしゆつ》して|非難《ひなん》の|焦点《せうてん》となつて|仕舞《しま》つた。ヤア|仕方《しかた》が|無《な》い。|本案《ほんあん》は|撤回《てつくわい》します』
|音彦《おとひこ》『|撤回《てつくわい》も|何《なに》もあるものか、|吾々《われわれ》は|白紙《はくし》|主義《しゆぎ》だ。ソンナ|愚案《ぐあん》は|忽《たちま》ち|握《にぎ》り|潰《つぶ》しだ』
|亀彦《かめひこ》『それでも|上院《じやうゐん》は|如何《どう》する|積《つも》りだ。ヒヒヽヽヽ』
|三人《さんにん》は|又《また》もや|立《た》つて|幾百《いくひやく》とも|数《かぞ》へ|尽《つ》くせぬ|玉《たま》の|前後左右《ぜんごさいう》に|浮動《ふどう》|廻転《くわいてん》する|中心《ちうしん》|目《め》がけて|驀《まつしぐら》に|進撃《しんげき》せむと|一決《いつけつ》し、|音彦《おとひこ》は|先頭《せんとう》に|立《た》つて、
|音彦《おとひこ》『ヤイ、|選手《せんしゆ》も|居《を》らぬのに|玉《たま》ばかり|何《なん》だ。コンナ|処《ところ》で|民衆《みんしう》|運動《うんどう》を|開始《かいし》しよつて|良《よ》い|加減《かげん》に|廃《や》めないか、|不穏当《ふをんたう》だぞ』
|亀彦《かめひこ》『ヤア|此奴《こいつ》、|中々《なかなか》|野球《やきう》にしては|大《おほ》きいなり、|重《おも》たい|玉《たま》だ。|此奴《こいつ》は|石玉《いしだま》だ。うつかり|衝突《しようとつ》でも|仕様《しやう》ものなら|大変《たいへん》だ。ヤイ|数多《かずおほ》い|化《ば》け|玉《だま》、この|亀《かめ》サンの|言霊《ことたま》と|競争《きやうさう》だ。|如何《どう》だ、|屏息《へいそく》するか』
|玉《たま》の|中《うち》の|最《さい》|巨大《きよだい》なるもの|忽《たちま》ち|目《め》、|鼻《はな》、|口《くち》、|現《あら》はれて、
『アハヽヽヽヽ、|玉《たま》げたか、|玉《たま》らぬか』
|亀彦《かめひこ》『ヨウ、|矢張《やつぱり》|醜《しこ》の|巌窟《いはや》|式《しき》だ。|貴様《きさま》|一箇《いつこ》|丈《だ》けでは|興《きよう》が|尠《すくな》い。|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|一斉《いつせい》に|目《め》、|鼻《はな》、|口《くち》を|現《あら》はせ』
『|御註文《ごちゆうもん》とあれば|幾百万《いくひやくまん》でも|現《あら》はれて|見《み》せてやるぞ』
|亀彦《かめひこ》『|貴様《きさま》は|螢《ほたる》の|燐《りん》の|様《やう》な|奴《やつ》だ。|何程《いくら》にでも|砕《くだ》けよるのだな。|一体《いつたい》|全体《ぜんたい》|何物《なにもの》だ。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の【たま】たまの|御探険《ごたんけん》だ。|玉《たま》を|飾《かざ》つて|歓迎《くわんげい》するのか、それとも|俺達《おれたち》の|御威勢《ごゐせい》に|恐《おそ》れて、こいつは【たま】らんと|言《い》ふので|騒《さわ》ぐのか。|眼《め》の|玉《たま》の|飛《と》び|出《で》る|様《やう》な|目《め》に|会《あ》はねばならぬぞ。|胆玉《きもたま》が【デングリ】|返《かへ》るぞ、オイ|玉公《たまこう》、|返答《へんたふ》は|如何《どう》だ』
|巨大《きよだい》の|玉《たま》は『ウフヽヽヽヽヽイヒヽヽヽ』を|連続《れんぞく》してゐる。
|亀彦《かめひこ》『ヤア|怪体《けつたい》な|奴《やつ》だ。|旅《たび》をして|居《を》れば|偶《たま》にはコンナ|事《こと》も|慰《なぐさ》みになつて|良《い》いが、|斯《こ》う|沢山《たくさん》にやつて|来《き》よると|五月蝿《うるさ》くて|堪《たま》らぬワイ。|一体《いつたい》|貴様等《きさまら》の|目的《もくてき》は|那辺《なへん》に|在《あ》るのだ。|神《かみ》に|代《かは》つて|世界《せかい》を|救済《きうさい》する|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》だ。|何《なん》でも|不平《ふへい》な|事《こと》があれば、|俺《おれ》に|遠慮《ゑんりよ》は|要《い》らぬ、|逐一《ちくいつ》|開陳《かいちん》したが|良《よ》からうぞ』
『|吾輩《わがはい》は|何《なん》にも|欲《ほ》しくない、|普通《ふつう》|選挙《せんきよ》の|玉《たま》が|欲《ほ》しさに、|斯《か》う|皆《みな》の|霊魂《みたま》が|一団《いちだん》となつて|活動《くわつどう》してゐるのだ』
|音彦《おとひこ》『|貴様《きさま》は|共産《きやうさん》|主義《しゆぎ》だな。|仰山《ぎやうさん》らしい|隊《たい》を|組《く》んで|其《その》|態《ざま》は|何《なん》だ。|何故《なぜ》|代表者《だいへうしや》を|選定《せんてい》して|交渉《かうせふ》せないのか』
|巨大《きよだい》の|玉《たま》『|盲目《めくら》、|聾《つんぼ》|計《ばか》りだから|三人《さんにん》や|五人《ごにん》の|代表者《だいへうしや》が|言《い》つたつて|貴様等《きさまら》の|目《め》には|着《つ》きはせない。それだから|已《や》むを|得《え》ず|多数《たすう》の|団体《だんたい》を|組《く》んで|目《め》に|留《と》まる|様《やう》に、|聞《きこ》える|様《やう》に|甲声《かんごゑ》をあげて|団体《だんたい》|運動《うんどう》を|開始《かいし》してるのだ。|之《これ》だけ|大勢《おほぜい》の|玉《たま》が|叫《さけ》んで|居《を》るのに|貴様《きさま》の|耳《みみ》には|這入《はい》りはしまい』
|亀彦《かめひこ》『|何《なん》だ、|蚊《か》の|泣《な》く|様《やう》なチツポケな|声《こゑ》を|何万《なんまん》|集《あつ》めたつて、|吾々《われわれ》の|耳《みみ》に|進入《しんにふ》するものか。|第一《だいいち》|俺等《おれら》は|鼓膜《こまく》がすつかり|麻痺《まひ》して|居《ゐ》るから、もつと|大《おほ》きな|声《こゑ》で|大声《たいせい》|叱呼《しつこ》せないか』
|巨大《きよだい》の|玉《たま》『|大声《たいせい》|俚耳《りじ》に|入《い》らずと|言《い》ふ|事《こと》がある。|天《てん》の|声《こゑ》が|貴様《きさま》の|耳《みみ》には|入《い》らぬか』
|亀彦《かめひこ》『|貂《てん》の|声《こゑ》か|鼬《いたち》の|声《こゑ》か|知《し》らぬが、ソンナ|事《こと》|騒《さわ》ぐよりも|鼬《いたち》の|最後屁《さいごべ》を【|放《へ》】らぬ|様《やう》に|気《き》をつけたが|良《よ》からうぞ。|糞蝿《くそばい》の|様《やう》に|臭《くさ》いものを|嗅《か》ぎ|出《だ》しよつてブンブンと|跳《は》ね|廻《まは》つても、|元《もと》が|蝿《はい》だから|敗北《はいぼく》するのは|当然《たうぜん》だ。どうせ|優勝劣敗《いうしようれつぱい》、|強《つよ》い|者《もの》の|強《つよ》い、|弱《よわ》い|者《もの》の|弱《よわ》い|現代《げんだい》だからジタバタしても|駄目《だめ》だよ。|正当《せいたう》な|事《こと》を|言《い》ふ|奴《やつ》は|排斥《はいせき》されるものだ。|貴様《きさま》は|時代《じだい》に|不忠実《ふちうじつ》な|奴《やつ》だ。|処世法《しよせいほふ》を|解《かい》せない|馬鹿者《ばかもの》だ。アハヽヽヽヽ』
|巨大《きよだい》な|玉《たま》は、|目《め》を|怒《いか》らし|眉毛《まゆげ》を|逆立《さかだ》て、|鼻息《はないき》|荒《あら》く|手足《てあし》を【ニユウ】と|出《だ》し|拳骨《げんこつ》を|固《かた》め、
『|皆《みな》の|奴《やつ》、コラコラ|皆《みな》これから|直接《ちよくせつ》|行動《かうどう》だ』
と|亀彦《かめひこ》に|向《むか》つて|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|打《う》つてかかる。|亀彦《かめひこ》は|蠑螺《さざえ》の|如《ごと》き|拳骨《げんこつ》に|頭蓋骨《づがいこつ》をしたたかに|打《う》たれて【アツ】と|言《い》うた|途端《とたん》に|夢《ゆめ》は|覚《さ》めた。
|亀彦《かめひこ》『ヤアコンナ|処《ところ》にコクリコクリと|舟《ふね》を|漕《こ》いで|居《ゐ》たワイ。オイ|音《おと》サン、|駒《こま》サン|尻《しり》に|白根《しろね》が|下《お》りた|様《やう》だ。|良《い》い|加減《かげん》に|立《た》つて|強行的《きやうかうてき》|前進《ぜんしん》を|続《つづ》けようかな』
(大正一一・三・二〇 旧二・二二 北村隆光録)
第一七章 |臥竜姫《ぐわりようひめ》〔五四三〕
|三人《さんにん》は|又《また》もや|進《すす》み|行《ゆ》く。|何所《どこ》ともなく|微妙《びめう》な|琵琶《びは》の|音《ね》が|聞《きこ》えて|来《き》た。
|音彦《おとひこ》『ヤア|妖怪窟《えうくわいくつ》の|探険《たんけん》|丈《だ》けあつて|種々雑多《しゆじゆざつた》の|余興《よきよう》を|見聞《けんぶん》させられるワイ。|之《これ》が|吾々《われわれ》の|役徳《やくとく》と|云《い》ふ|物《もの》だ。|何《なん》とも|知《し》れぬ|微妙《びめう》な|音楽《おんがく》ぢやないか。|要《えう》するに、|察《さつ》するに、つらつら|鑑《かんがみ》るに………』
|駒彦《こまひこ》『|何《なん》だ、|同《おな》じ|様《やう》な|論法《ロジツク》を|陳列《ちんれつ》しよつて、|此処《ここ》は|博覧会《はくらんくわい》とは|違《ちが》ふぞ』
|音彦《おとひこ》『|枕《まくら》|言葉《ことば》なしに|開陳《かいちん》する|事《こと》は、|少《すこ》しく|勿体《もつたい》ない|気分《きぶん》が|漂《ただよ》ふのだ。こいつは|的切《てつきり》|白煙《はくえん》の|中《なか》から、|玉《たま》となつて|現《あら》はれたやや|神経質《しんけいしつ》な、ナイスが|弾《だん》ずるのに|相違《さうゐ》は|無《な》いわ。|小督《こごう》の|局《つぼね》の|所在《ありか》は|何処《どこ》ぢやと、|行衛《ゆくゑ》を|尋《たづ》ねた|罪《つみ》な|男《をとこ》ぢやないが、|峰《みね》の|嵐《あらし》か|松風《まつかぜ》か、|恋《こひ》しき|人《ひと》の|琴《こと》の|音《ね》か、|駒《こま》と|亀《かめ》とが|腰《こし》を|下《おろ》して|聞《き》くからに、|爪音《つまおと》しるき|想夫憐《さうふれん》と|云《い》ふ|調子《てうし》だ。|此《この》|音《おと》サンの|眉目清秀《びもくせいしう》なる|好男子《かうだんし》を、チラと|一瞥《いちべつ》して、ニタリと|微笑《びせう》を|浮《うか》べ、|新月《しんげつ》の|眉《まゆ》の|下《した》から|緑《みどり》|滴《したた》る|涼《すず》しき|眼《め》を、ジヤイロコンパスの|様《やう》に|急速力《きふそくりよく》を|以《もつ》て|廻転《くわいてん》し|電波《でんぱ》を|発射《はつしや》し、この|音《おと》サンをチャームした|天女《てんによ》に|間違《まちがひ》ないぞ、この|琵琶《びは》の|音《ね》は、|音《おと》が|違《ちが》うのだ、|音《ね》と|云《い》ふ|字《じ》は|音《おと》サンの|音《おと》だ、|一言《ひとこと》も|聞《き》き【おと】さぬ|様《やう》に|聴聞《ちやうもん》したがよからうぞ』
|駒彦《こまひこ》『|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ、|己惚《うぬぼれ》の|強《つよ》いにも|程《ほど》がある。|長茄子《ながなすび》にハンモツクを|着《き》せた|様《やう》な|面《つら》をしよつて、|美人《びじん》も|糞《くそ》もあつたものかい、|宣伝使《せんでんし》は|宣伝使《せんでんし》の|務《つと》めさへすれば|宜《よ》いのだ』
|亀彦《かめひこ》『アハヽヽヽヽ、|自称《じしよう》|好男子《かうだんし》、|色々《いろいろ》の|下馬評《げばひやう》を|否《いな》|熱望的《ねつばうてき》|気焔《きえん》を|上《あ》げて|見《み》た|処《ところ》で|磯《いそ》の|鮑《あはび》の|片思《かたおも》ひだ、|長持《ながもち》の|蓋《ふた》だ、こちらはあいても、|向《むか》ふはあかぬとけつかるワイ』
|音彦《おとひこ》『|貴様《きさま》は|黙《だま》つて|伏艇《ふくてい》して|居《を》れば|宜《よ》いのだよ。ウカウカと|水面《すゐめん》に|浮上《ふじやう》すると、|浮流水雷《ふりうすゐらい》に|掛《かか》つて|爆発《ばくはつ》するぞ』
|亀彦《かめひこ》『ハヽア、たうとう|桜島《さくらじま》ぢやないが、|疳癪玉《かんしやくだま》を|破裂《はれつ》させよつた。|憤怨《ふんゑん》|万丈《ばんぢやう》|近付《ちかづ》く|可《べ》からずと|云《い》ふ|音公《おとこう》サンの|物凄《ものすご》い|権幕《けんまく》、|女《をんな》の|話《はなし》をしても|直《ただち》に|真赤《まつか》になつて、|鼻息《はないき》|荒《あら》く、|御機嫌《ごきげん》|斜《ななめ》なりだから|困《こま》つたものだ。アハヽヽ』
|琵琶《びは》の|音《ね》は|益々《ますます》|冴《さ》えて|来《く》る。|三人《さんにん》は|無駄口《むだぐち》を|言《い》ひ|乍《なが》ら、|三叉路《さんさろ》に|停立《ていりつ》して、|息《いき》を|休《やす》め|旁《かたがた》|興味《きようみ》がつて|聞《き》いて|居《を》る。|突然《いきなり》|曲《まが》り|角《かど》よりやつて|来《き》て、ドンと|行《ゆ》き|当《あた》つた|荒男《あらをとこ》、|勢《いきほひ》|余《あま》つてどつと|尻餅《しりもち》をつき、
『ヤア|何処《どこ》の|何奴《どいつ》か|知《し》らね|共《ども》、|此《この》|醜《しこ》の|窟《いはや》に|無断《むだん》に|侵入《しんにふ》して|来《き》よつて、|道路神《だうろじん》の|様《やう》に|立《た》つて|居《ゐ》て|俺《おれ》を|刎飛《はねと》ばしよつた。オイ、|奴盲目《どめくら》|奴《め》が、|尠《ちつ》と|注意《ちうい》を|払《はら》はぬかい』
|音彦《おとひこ》『ヤア|何処《どこ》の|奴《やつ》か|知《し》らないが、|吾輩《わがはい》の|胸板《むないた》に|衝突《しようとつ》しよつて|無礼《ぶれい》|千万《せんばん》な、|何故《なぜ》|早速《さつそく》に|謝罪《しやざい》を|致《いた》さぬか』
『|何《なん》だい、|人《ひと》を|突《つ》き|飛《と》ばして|置《お》き|乍《なが》ら|謝罪《しやざい》も|糞《くそ》もあつたものかい。|俺《おれ》を|何誰《どなた》と|心得《こころえ》て|居《を》るか、|醜《しこ》の|窟《いはや》の|御守護神《ごしゆごじん》、|弥次彦《やじひこ》サンとは|俺《おれ》の|事《こと》だ。オイ|与太彦《よたひこ》、|貴様《きさま》|何《なに》をして|居《ゐ》る、|此奴《こいつ》を|一《ひと》つ|打撲《ぶんなぐ》つて|呉《く》れ。|如何《いか》に|世《よ》が|変《かは》るとはいへ、|被害者《ひがいしや》が|加害者《かがいしや》に|御詑《おわび》をすると|云《い》ふ|現行《げんかう》|法律《はふりつ》が|何処《どこ》にあるものか』
|音彦《おとひこ》『アハヽヽヽ、|此奴《こいつ》なかなか|威張《ゐば》りよる。|一寸《ちよつと》|容易《ようい》には、|我《が》の|強《つよ》い|奴《やつ》だから、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》に|対《たい》しても|閉口頓死《へいこうとんし》をやり|腐《くさ》らぬワイ』
|弥次彦《やじひこ》『エヽ|縁起《えんぎ》の|悪《わる》い、|閉口頓死《へいこうとんし》と|云《い》ふ|事《こと》があるものか、トンチキ|野郎《やらう》|奴《め》』
|与太彦《よたひこ》『|何《なん》だか|善悪《ぜんあく》の|標準《へうじゆん》がトント|分《わか》らぬ|様《やう》になつて|来《き》たワイ、|突《つ》き|飛《とば》し|得《どく》の、|突《つ》き|飛《とば》され|損《ぞん》ぢや。ヤア|弥次《やじ》、これが|時代《じだい》|思潮《してう》だ。|神《かみ》も|時節《じせつ》には|叶《かな》はぬから、マア|泣《な》き|寝入《ねい》りにする|方《はう》が|無難《ぶなん》で|宜《よ》からう、|時勢《じせい》に|逆行《ぎやくかう》すると|第一《だいいち》〇〇|主義《しゆぎ》だと|云《い》はれるからな』
|弥次彦《やじひこ》『|宣伝使《せんでんし》といふ|立派《りつぱ》な|保護色《ほごしよく》に|包《つつ》まれた|御方《おかた》を|相手《あひて》にしたつて|仕方《しかた》がない。それよりも、なんとか|云《い》つて|暴利《ぼ》る|事《こと》を|考《かんが》へ|様《やう》ぢやないか。|突《つ》き|飛《とば》されても|自分《じぶん》で|転《こけ》たと|思《おも》へば|総《すべ》ての|問題《もんだい》は|自然《しぜん》|消滅《せうめつ》だ。モシモシ|宣伝使《せんでんし》さま、いま|迄《まで》の|事《こと》は|互《たがひ》に|川《かは》へ|流《なが》しませう。|然《しか》し|面白《おもしろ》い|事《こと》が|有《あ》りますぜ』
|音彦《おとひこ》『ヤア|早速《さつそく》の|解決《かいけつ》、|流石《さすが》は|醜《しこ》の|窟《いはや》の|守護神《しゆごじん》|丈《だけ》あつて|良《よ》く|捌《さば》けたものだ。ドンナ|事《こと》があるのだ、|云《い》つて|貰《もら》へまいか』
|弥次彦《やじひこ》『それは|大変《たいへん》に【ぼろい】|事《こと》ですよ、|木《き》に|餅《もち》が|実《な》ると|云《い》はうか、|瓜《うり》の|蔓《つる》に|小判《こばん》がガチヤガチヤ、|処《ところ》|狭《せま》き|迄《まで》|実《な》つて|居《ゐ》るのを、ずらりと|占領《せんりやう》した|様《やう》な【ぼろい】|事《こと》です。|結構《けつこう》な|宝《たから》を、|地《ち》に|委《ゐ》して、|放《ほか》して|居《を》るのも|余《あま》り|気《き》が|利《き》かない。|吾々《われわれ》も|尠《ちつ》と|其《その》|分配《ぶんぱい》を|受《う》けたいものだが|其《その》|宝《たから》を|拾《ひろ》ふ|人間《にんげん》が|無《な》いので|待《ま》つて|居《ゐ》るのだ。お|前《まへ》さまの|様《やう》な|立派《りつぱ》な|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》なら|屹度《きつと》【ばつ】があふだらう。|何分《なにぶん》|吾々《われわれ》は|天来《てんらい》の|醜男《ぶをとこ》だから、こちらから|何程《なにほど》|速射砲的《そくしやはうてき》|電波《でんぱ》を|直射《ちよくしや》しても、|先方《せんぱう》の|受電機《じゆでんき》が|悪《わる》いのか、こちらの|機械《きかい》が|不完全《ふくわんぜん》なのか、|一向《いつかう》|要領《えうりやう》を|得《え》ない。お|前《まへ》サンならば|第一《だいいち》|押《お》し|尻《けつ》も|強《つよ》いし、|一寸《ちよつと》|人間《にんげん》らしい|面付《つらつ》きもしてゐるから、|天下《てんか》|一品《いつぴん》の|臥竜姫《ぐわりようひめ》も、|猫《ねこ》に|鰹節《かつをぶし》を|見《み》せた|様《やう》に、|咽《のど》を|鳴《なら》して|飛《と》び|付《つ》く|事《こと》は、|請合《うけあひ》ではない|事《こと》はないワイ』
|音彦《おとひこ》『その|臥竜姫《ぐわりようひめ》と|云《い》ふのは|一体《いつたい》|何者《なにもの》だ』
|弥次彦《やじひこ》『その|正体《しやうたい》が|分《わか》る|位《くらゐ》なら|吾々《われわれ》も|今迄《いままで》|苦労《くらう》はしないのだ。|然《しか》し|何《なん》でも、エルサレムとかの|立派《りつぱ》な|神様《かみさま》の|娘御《むすめご》だと|云《い》ふ|事《こと》だ』
|音彦《おとひこ》『さうして|其《その》|姫《ひめ》の|所在《ありか》は|何処《どこ》だ』
|弥次彦《やじひこ》『それを|云《い》つては|吾々《われわれ》の|暴利《ぼ》る|種《たね》が|無《な》くなる、|先《ま》づ|第一《だいいち》|要領《えうりやう》を|得《え》さして|貰《もら》はうかい。|要領《えうりやう》を|得《え》ない|内《うち》は、|私《わたくし》だつて|要領《えうりやう》を|得《え》させる|訳《わけ》にはいかないのだ』
|亀彦《かめひこ》『オイオイ|男《をとこ》、|貴様《きさま》の|面《つら》は|何《なん》だ。|目《め》|迄《まで》|細《ほそ》くしよつて、コンナ|奴《やつ》に|関係《かかりあ》つて|居《ゐ》る|時機《じき》ぢやあるまい、ナア|駒公《こまこう》』
|駒彦《こまひこ》『オーさうぢやさうぢや、|音公《おとこう》では|到底《たうてい》|不合格《ふがふかく》だ。|宜《よ》い|加減《かげん》に|前進《ぜんしん》する|事《こと》にしよう。|兎《と》も|角《かく》、あの|琵琶《びは》の|音《ね》を|合図《あひづ》に|行《ゆ》けば|好《い》いのだ。|吾々《われわれ》が|行《い》つたら|屹度《きつと》、|臥竜姫《ぐわりようひめ》は|秋波《しうは》を|送《おく》るよ。|何《なん》となしに|吾輩《わがはい》の|魂《たましひ》に|電流《でんりう》が|通《つう》じて|来《き》た|様《やう》だ』
|弥次彦《やじひこ》『モシモシ、お|前《まへ》サンの|様《やう》な、|不完全《ふくわんぜん》な|御粗末《おそまつ》な、|糸瓜《へちま》の|様《やう》な|長《なが》たらしいお|顔《かほ》では、|鰻《うなぎ》でも|愛想《あいさう》を|尽《つ》かして、ヌラヌラと|滑《すべ》つて|逃《に》げるのは|当然《あたりまへ》ですよ。アハヽヽヽ』
|駒彦《こまひこ》『|構《かま》ふない|先陣《せんぢん》の|功名《こうみやう》は|俺《おれ》が|一番槍《いちばんやり》だ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|大手《おほて》を|振《ふ》つて|元気《げんき》|好《よ》く、|音《ね》を|的《あて》に、|四股《しこ》|踏《ふ》み|乍《なが》ら|進《すす》み|行《ゆ》く。
|弥次彦《やじひこ》『ヤア|御一統《ごいつとう》サン、|此処《ここ》が|即《すなは》ち、|所謂《いはゆる》、|取《と》りも|直《なほ》さず、|臥竜姫《ぐわりようひめ》の|隠家《かくれが》で|御座《ござ》います。それはそれは|奇妙奇天烈《きめうきてれつ》、|不思議千万《ふしぎせんばん》な|妖怪窟《えうくわいくつ》ですから、|其《その》お|積《つも》りで|不覚《ふかく》を|取《と》らぬ|様《やう》になさるが|宜《よ》からう』
|音彦《おとひこ》『ヨー、この|窟《いはや》に|似合《にあ》はぬ|立派《りつぱ》な|構《かま》へだ。エルサレムの|何誰様《どなたさま》の|娘《むすめ》か|知《し》らぬが|一《ひと》つ|探険《たんけん》して|見《み》ようかい』
(大正一一・三・二〇 旧二・二二 藤津久子録)
第一八章 |石門開《いはとびらき》〔五四四〕
|巌窟内《がんくつない》に、|有《あ》り|得《う》べからざるやうな|立派《りつぱ》な|石壁《いしかべ》をもつて|囲《かこ》まれたる|邸宅《ていたく》の|前《まへ》に、|一行《いつかう》|五人《ごにん》は|到着《たうちやく》した。
|音彦《おとひこ》『ヨー、|立派《りつぱ》な|構《かま》へだ、|而《しか》も|堅牢《けんらう》な|石《いし》をもつて|城壁《じやうへき》を|繞《めぐ》らし、|門扉《もんぴ》|迄《まで》が|石造《いしづくり》と|来《き》て|居《ゐ》るワイ。これは|容易《ようい》に|侵入《しんにふ》する|事《こと》は|出来《でき》なからう、|琵琶《びは》の|音《ね》の|主《ぬし》は【てつきり】|此処《ここ》だ。|恋女《こひをんな》の|隠棲《いんせい》せる|処《ところ》と|思《おも》へば|心臓《しんざう》の|鼓動《こどう》が|激《はげ》しくなつたやうだ』
|亀彦《かめひこ》『|何《なに》を|吐《ほざ》くのだ。|未通《おぼこ》|息子《むすこ》か|未通《おぼこ》|娘《むすめ》のやうに、|好《い》い|年《とし》をして|心臓《しんざう》の|鼓動《こどう》が|激《はげ》しくなつたもあつたものかい、|摺枯《すれつから》しの|阿婆摺男《あばずれをとこ》めが』
|音彦《おとひこ》『オイオイ、|亀《かめ》サン、ちつと|場所柄《ばしよがら》を|考《かんが》へて|呉《く》れぬと|困《こま》るぢやないか、|想思《さうし》の|女《をんな》の|館《やかた》の|前《まへ》に|来《き》てさう|色男《いろをとこ》をボロクソに|云《い》ふものぢやないよ』
|駒彦《こまひこ》『アハヽヽ、|困《こま》つたやつだ。|又《また》|持病《ぢびやう》が|再発《さいはつ》したと|見《み》えるワイ、|気《き》が|付《つ》くやうに|拳骨《げんこつ》の|頓服剤《とんぷくざい》でも|盛《も》つてやらうか』
|音彦《おとひこ》『ヤアヤア、|石門《いしもん》をもつて|四辺《しへん》を|築固《つきかた》めたるこれの|棲《す》み|家《か》、【てつき】り|曲津《まがつ》の|巣窟《そうくつ》と|覚《おぼ》えたり。|吾等《われら》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|敬神《けいしん》|愛民《あいみん》の|大道《だいだう》を|天下《てんか》に|宣布《せんぷ》し、|善《ぜん》を|勧《すす》め|悪《あく》を|懲《こら》す|神司《かむつかさ》なるぞ。|尋《たづ》ね|問《と》ふべき|仔細《しさい》あり、|一時《いちじ》も|早《はや》く|此《この》|門《もん》|開《ひら》けよ』
と|大音声《だいおんぜう》に|呼《よば》はつた。|門内《もんない》には|何《なん》の|応答《いらへ》もなく|森閑《しんかん》と|静《しづ》まり|返《かへ》つて|居《ゐ》る。|只《ただ》|幽《かすか》に|琵琶《びは》の|音《ね》の|漏《も》れ|来《きた》るのみである。
|弥次彦《やじひこ》『モシモシ、|宣伝使《せんでんし》さま、この|館《やかた》の|人間《にんげん》は、|何《ど》れも|之《これ》も|皆《みな》|聾神《つんぼがみ》さまばかりですから|呼《よ》んだつてあきませぬよ。【そこ】は|此《この》|弥次《やじ》サンでなくては、この|神秘《しんぴ》の|門扉《もんぴ》を|開《ひら》く|事《こと》は|不可能《ふかのう》だ』
|音彦《おとひこ》『|如何《どう》して|開《ひら》くのだ、|云《い》つて|呉《く》れないか』
|弥次彦《やじひこ》『|最前《さいぜん》も|云《い》つた|通《とほ》り、|要領《えうりやう》を|得《え》なくては|要領《えうりやう》を|得《え》させないのですから』
|音彦《おとひこ》『|何《なん》だか|不得要領《ふとくえうりやう》な|事《こと》を|云《い》ふ|男《をとこ》だ。|金《かね》でも|呉《く》れと|云《い》ふのか』
|弥次彦《やじひこ》『マアソンナものかい、お|前《まへ》さまは|狡《ずる》い|人《ひと》だから。|要領《えうりやう》を|得度《えた》いと|云《い》へば|大抵《たいてい》|極《きま》つたものだ。|聾《つんぼ》の|真似《まね》をして|居《ゐ》るから、それがホントの|金聾《かなつんぼ》と|云《い》ふのだ』
|音彦《おとひこ》『あまり|馬鹿《ばか》らしいから|止《や》めとかうかい、|如何《どう》なつと|工夫《くふう》をすれば|開《あ》くであらう。|聾《つんぼ》の|神《かみ》と|云《い》よつたからには、|大方《おほかた》|竜神《りうじん》だらう、|聾《つんぼ》と|云《い》ふ|字《じ》は|龍《りう》の|耳《みみ》と|書《か》くから、これや【てつきり】|長《なが》さまに|相違《さうゐ》はない、ヨシヨシ、かう|分《わか》つた|以上《いじやう》は|弥次《やじ》サンのお|世話《せわ》にはなりますまい』
この|時《とき》|門内《もんない》より|大声《おほごゑ》に、
『|吾《わが》|門前《もんぜん》に|来《きた》つてブツブツ|囁《ささや》く|奴《やつ》は|何者《なにもの》だ』
|音彦《おとひこ》『ヤアその|方《はう》は、|聾神《つんぼがみ》の|竜神《りうじん》か、|耳《みみ》が|聞《きこ》えねば|目《め》で|聞《き》け、|某《それがし》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|音彦《おとひこ》、|亀彦《かめひこ》、|駒彦《こまひこ》の|一行《いつかう》だ。|直《ただち》に|門戸《もんこ》を|開《ひら》いて|吾々《われわれ》を|歓迎《くわんげい》|致《いた》せ』
|門内《もんない》より、
『アハヽヽヽ、ウラル|教《けう》のヘボ|宣伝使《せんでんし》、|竜宮《りうぐう》の|一《ひと》つ|島《じま》に|三年《さんねん》の|間《あひだ》|宣伝《せんでん》を|試《こころ》み、|櫛風沐雨《しつぷうもくう》の|苦心惨憺《くしんさんたん》|的《てき》|活動《くわつどう》も|残《のこ》らず|水泡《すゐはう》に|帰《き》し、アーメニヤに|向《むか》つて|心細《こころぼそ》くも|帰《かへ》らむとする|途中《とちう》|颶風《ぐふう》に|遇《あ》ひ、|又《また》もや|森林《しんりん》の|中《なか》に|一夜《いちや》を|明《あ》かし、|肝玉《きもたま》を|押潰《おしつぶ》され、しよう|事《こと》なしに、|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》した、|垢《あか》の|抜《ぬ》けぬ|宣伝使《せんでんし》の|音《おと》、|亀《かめ》、|駒《こま》の|三人《さんにん》か。よくも、ノメノメと|出《で》て|来《き》たなア、|盲目《めくら》|蛇《へび》に|怖《おぢ》ずとは|汝《なんぢ》の|事《こと》だ。アハヽヽヽ』
|音彦《おとひこ》『エイ、|矢釜敷《やかまし》いワイ。|一時《いちじ》も|早《はや》く|此《この》|門《もん》を|開《ひら》かぬか、|此《この》|方《はう》にも|考《かんが》へがあるぞ』
|門内《もんない》より、
『アハヽヽヽ、|分《わか》らぬ|奴《やつ》だ。|神秘《しんぴ》の|門《もん》は|汝《なんぢ》|自《みづか》ら|汝《なんぢ》の|力《ちから》をもつて|開《ひら》くべきものだ。|少《すこ》しの|労《らう》を|惜《をし》み、|他人《たにん》に|開門《かいもん》させむとは|狡猾《かうくわつ》|至極《しごく》の|汝《なんぢ》の|挙動《ふるまひ》、|神秘《しんぴ》の|鍵《かぎ》を|持《も》ち|忘《わす》れたか』
|音彦《おとひこ》『ヤア、|此奴《こいつ》|中々《なかなか》|洒落《しやれ》た|事《こと》を|云《い》ふワイ、オヽさうだ。これ|位《くらゐ》の|石門《せきもん》が|開《ひら》けないやうな|事《こと》で、どうして|天《あま》の|岩戸開《いはとびら》きの|神業《しんげふ》が|勤《つと》まらうか、さうだ、さうだ。|余《あま》り|開門《かいもん》ばかりに|精神《せいしん》を|傾注《けいちゆう》して|肝腎《かんじん》の|神言《かみごと》を|忘《わす》れて|居《ゐ》た。ヤア|尤《もつと》も|千万《せんばん》なお|言葉《ことば》だ。サア|亀公《かめこう》、|駒公《こまこう》、|神言《かみごと》だ』
と|云《い》ひながら|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》する。|祝詞《のりと》が|終《をは》ると|共《とも》に、さしも|堅牢《けんらう》なる|石門《せきもん》は|音《おと》もなく|易々《やすやす》と|左右《さいう》に|開《ひら》いた。
|音彦《おとひこ》『アヽ|祝詞《のりと》の|通《とほ》りだ。|如此《かく》|宣《の》らば、|天津神《あまつかみ》は|天《あま》の|磐戸《いはと》を|推披《おしひら》きて、|天《あめ》の|八重雲《やへくも》を|伊頭《いづ》の|千別《ちわき》に|千別《ちわき》て|所聞召《きこしめ》さむ、|国津神《くにつかみ》は|高山《たかやま》の|末《すゑ》|短山《ひきやま》の|末《すゑ》に|上《のぼ》り|坐《まし》て、|高山《たかやま》の|伊保理《いほり》|短山《ひきやま》の|伊保理《いほり》を|掻分《かきわけ》て|所聞召《きこしめ》さむと|云《い》ふ|神言《かみごと》の|実現《じつげん》だ。サアこれで|一切《いつさい》の|秘訣《ひけつ》を|悟《さと》つた。|一《いち》にも|祝詞《のりと》、|二《に》にも|祝詞《のりと》だ。なア|亀《かめ》サン、|駒《こま》サン』
|亀《かめ》、|駒《こま》|無言《むごん》の|儘《まま》|俯向《うつむ》く。|音彦《おとひこ》は|門内《もんない》に|佇《たたず》む|大男《おほをとこ》の|姿《すがた》を|見《み》て、
|音彦《おとひこ》『ヤアお|前《まへ》は|夢《ゆめ》にみた|蠎《うはばみ》の|野呂公《のろこう》ぢやないか、どうして|此処《ここ》に|居《ゐ》たのだ』
|野呂公《のろこう》『|夢《ゆめ》と|云《い》へば|夢《ゆめ》、|現《うつつ》と|云《い》へば|現《うつつ》、どうせ|今《いま》の|人間《にんげん》は|誰《たれ》も|彼《かれ》も|夢《ゆめ》の|浮世《うきよ》に|夢《ゆめ》を|見《み》て|居《ゐ》るのだ。|確《しつか》りした|奴《やつ》は|目薬《めぐすり》にする|程《ほど》もあるものぢやない。それでも|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だと|思《おも》へば|仏壇《ぶつだん》の|底《そこ》ぬけぢやないが、|悲《かな》しうて|目《め》から|阿弥陀《あみだ》が|落《お》ちるワイ、アハヽヽヽ』
|音彦《おとひこ》『|何《なに》は|兎《と》もあれ、|臥竜姫《ぐわりようひめ》に|先刻《せんこく》お|目《め》にかかつた|色男《いろをとこ》の|音彦《おとひこ》サンが|御来臨《ごらいりん》ぢやと、|報告《はうこく》して|呉《く》れ』
|野呂公《のろこう》『エヽ|仕方《しかた》がない、|今《いま》|直《すぐ》に|申上《まをしあげ》て|来《く》るから、|御返事《ごへんじ》のある|迄《まで》は|此処《ここ》に|神妙《しんめう》に|立《た》つて|居《ゐ》るのだ。|一寸《ちよつと》でも|許《ゆる》しの|無《な》いに|此方《こつち》に|這入《はい》つてはいかないぞ』
と|云《い》ひながら|野呂公《のろこう》は|姿《すがた》を|隠《かく》した。
|亀彦《かめひこ》『|野呂公《のろこう》の|奴《やつ》いつ|迄《まで》かかつて|居《ゐ》るのだらう。|何《なに》ほど|奥《おく》が|深《ふか》いと|云《い》つても|知《し》れたものだが、|随分《ずゐぶん》【じらし】よるぢやないか。ヤア|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》|大《おほい》に|憚《はばか》りさまだつた。お|蔭《かげ》で|門《もん》はお|手《て》のもので|開《ひら》きました』
|弥次彦《やじひこ》『|門《もん》は|開《ひら》いても、|開《ひら》かぬのはお|前《まへ》の|心《こころ》だ。|可憐《かわい》さうなものだよ』
|亀彦《かめひこ》『|無形的《むけいてき》|精神《せいしん》の|門戸《もんこ》が|開《ひら》けたか、|開《ひら》けぬか、ソンナ|事《こと》がどうして|観測《くわんそく》|出来《でき》るか、|精神上《せいしんじやう》の|事《こと》が、|体主霊従的《たいしゆれいじうてき》|人物《じんぶつ》に|分《わか》つて|耐《たま》らうかい。|二言目《ふたことめ》には|要領《えうりやう》だとか、|何《なん》とか|云《い》つて|手《て》を|出《だ》し、|物質慾《ぶつしつよく》に|憂身《うきみ》を|窶《やつ》す|代物《しろもの》に|吾々《われわれ》の|思想上《しさうじやう》の|明暗《めいあん》が|分《わか》らう|筈《はず》がない。|余計《よけい》な|無駄口《むだぐち》を|叩《たた》くな』
|弥次彦《やじひこ》『アハヽヽヽ、さつぱり|分《わか》らぬ|宣伝使《せんでんし》だ。|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》の|御両人《ごりやうにん》さまは|如何《いか》なるお|方《かた》と|心得《こころえ》て|居《ゐ》るか。|後《あと》で|吃驚《びつくり》して|泡《あわ》を|吹《ふ》くなよ』
と|云《い》ひながら、|忽《たちま》ち|赤白《あかしろ》の|二《ふた》つの|玉《たま》となつてブーンと|唸《うな》りをたてて|何処《どこ》ともなくかけ|去《さ》つた。
|音彦《おとひこ》『ヤア|何《なん》だ。|彼奴《あいつ》は|唯《ただ》の|代物《しろもの》では|無《な》かつたやうだ。それにしても|野呂公《のろこう》の|奴《やつ》、|何時迄《いつまで》【のろ】のろと|埒《らち》の|明《あ》かぬ|事《こと》だらう、アーア|何事《なにごと》も|自分《じぶん》がやらねば|人頼《ひとだよ》りにしては|埒《らち》が|明《あ》かぬものだ。オイ|亀公《かめこう》、|駒公《こまこう》、|何《なに》も|躊躇《ちうちよ》|逡巡《しゆんじゆん》するに|及《およ》ばない。|此方《こちら》から|出《で》かけて|行《い》かうぢやないか。|如何《いか》なる|秘密《ひみつ》が|包蔵《はうざう》されてあるか|知《し》れないから、|十分《じふぶん》|気《き》をつけて|進《すす》む|事《こと》にしよう。この|臥竜姫《ぐわりようひめ》の|正体《しやうたい》を|見届《みとど》けた|者《もの》が、|金鵄勲章《きんしくんしやう》|功一級《こういつきふ》、|勲一等《くんいつとう》だ。サアサア|構《かま》ふ|事《こと》はない、|前進《ぜんしん》|々々《ぜんしん》、|突喊《とつかん》|々々《とつかん》』
と、|足《あし》を|揃《そろ》へて|玄関《げんくわん》|目蒐《めが》けて|掛登《かけのぼ》つた。|目《め》も|届《とど》かぬばかりの|長《なが》い|廊下《らうか》を|九十九折《つづらをれ》に|曲《まが》りながら、|足音《あしおと》|荒《あら》くドンドンと|進《すす》み|行《ゆ》く。
|音彦《おとひこ》『ヤア|何《なん》だ、|誰《たれ》も|居《ゐ》ないぢやないか、ピタツと|岩《いは》に|行《ゆ》き|詰《つま》つて|了《しま》つた。マアマア|此処《ここ》に|寛《ゆつ》くり|気《き》を|落《おち》つけて|第二《だいに》の|策戦《さくせん》|計画《けいくわく》に|移《うつ》らうぢやないか』
|音《おと》(|空《そら》を|仰《あふ》いで)
『ヤア|巌窟《がんくつ》に|似合《にあは》ぬ|非常《ひじやう》に|高《たか》い|天井《てんじやう》だ。ヤアヤア|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》が|天《あま》の|鳥船《とりふね》に|乗《の》つて|推進機《すゐしんき》の|音《おと》|高《たか》く、|航空《かうくう》して|居《ゐ》るぢやないか』
この|時《とき》|前方《ぜんぱう》より|柔《やさ》しき|女《をんな》の|宣伝歌《せんでんか》が|聞《きこ》え|来《き》たる。
|亀彦《かめひこ》『ヤア|駒公《こまこう》、これや|大変《たいへん》だ、|野天《のてん》ぢやないか』
|駒彦《こまひこ》『ホンニホンニ、|路傍《ろばう》の|岩《いは》の|上《うへ》だ。|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|事《こと》だなア』
|女《をんな》|宣伝使《せんでんし》は、チヨクチヨクと|三人《さんにん》の|前《まへ》に|進《すす》み|来《きた》り、
|女《をんな》『ヤア|貴方《あなた》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》で|御座《ござ》いますか、|只今《ただいま》|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》が|三人《さんにん》の|男女《なんによ》の|宣伝使《せんでんし》と|共《とも》に、コシの|峠《たうげ》の|麓《ふもと》に|馬《うま》の|用意《ようい》をしてお|待《ま》ち|受《う》けです』
|音彦《おとひこ》『ヤアこれは|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ、テツキリ|巌窟《がんくつ》の|中《なか》だと|思《おも》つて|居《ゐ》たのに、|果《はて》しもなき|荒野原《あれのはら》。さう|云《い》ふ|貴女《あなた》は|何《いづ》れの|神様《かみさま》か』
|女《をんな》『ハイ、|私《わたくし》は|聖地《せいち》エルサレムの|者《もの》で、|黄金山《わうごんざん》の|埴安彦《はにやすひこ》の|神様《かみさま》の|教《をしへ》を|伝《つた》ふる|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|出雲姫《いづもひめ》と|申《まを》すもの、|長途《ちやうと》の|宣伝《せんでん》ご|苦労《くらう》で|御座《ござ》いました。サアどうぞ|妾《わらは》に|随《つい》て|此方《こちら》へお|越《こ》し|下《くだ》さいまし、|寛《ゆつ》くり|休息《きうそく》の|上《うへ》|海山《うみやま》のお|話《はなし》を|交換《かうくわん》いたしませう。|左様《さやう》ならばお|先《さき》に|失礼《しつれい》』
と|云《い》ひながら|先《さき》に|立《た》つて|草《くさ》|生茂《おひしげ》る|野路《のぢ》をトボトボと|歩《あゆ》み|行《ゆ》く。|三人《さんにん》はその|後《あと》について|怪訝《くわいが》の|念《ねん》に|駆《か》られつつ|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・三・二〇 旧二・二二 加藤明子録)
第一九章 |馳走《ちそう》の|幕《まく》〔五四五〕
|音彦《おとひこ》、|亀彦《かめひこ》、|駒彦《こまひこ》の|三人《さんにん》は、|出雲姫《いづもひめ》に|誘《さそ》はれ、|足《あし》を|早《はや》めて|漸《やうや》くタカオ|山脈《さんみやく》のコシの|峠《たうげ》の|麓《ふもと》に|着《つ》いた。|此処《ここ》には|巨大《きよだい》にして|平面《へいめん》なる|数個《すうこ》の|岩石《がんせき》があり、|峠《たうげ》の|両側《りやうがは》に|竝立《へいりつ》して|居《ゐ》る。|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》を|初《はじ》め、|鷹彦《たかひこ》、|岩彦《いはひこ》、|梅彦《うめひこ》はその|中《なか》の|最《もつと》も|巨大《きよだい》なる|岩《いは》の|上《うへ》に、|足《あし》を|延《の》ばして|寝転《ねころ》び|休《やす》らい|居《ゐ》る。
|出雲姫《いづもひめ》『|音彦《おとひこ》|様《さま》、その|他《た》の|方々《かたがた》、サゾお|疲労《くたびれ》でせう。これがコシの|峠《たうげ》の|登《のぼ》り|口《くち》で|御座《ござ》います。|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》|一行《いつかう》は、|今《いま》お|睡眠中《やすみちう》ですから、お|目《め》の|覚《さ》める|迄《まで》、|静《しづ》かに|此処《ここ》で、あなた|方《がた》も|足《あし》を|延《の》ばして|御休息《ごきうそく》|下《くだ》さいませ。|妾《わたし》は|少《すこ》しく|神界《しんかい》の|御用《ごよう》の|都合《つがふ》に|依《よ》りて、|一足《ひとあし》お|先《さき》へ|参《まゐ》ります。また|後《のち》ほどフサの|都《みやこ》でお|目《め》にかかる|事《こと》に|致《いた》しませう』
と|言《い》ひ|遺《のこ》し、|足早《あしばや》に|峠《たうげ》を|登《のぼ》り|行《ゆ》くその|早《はや》さ、
|音彦《おとひこ》『ヤアナンダ、|折角《せつかく》|美人《びじん》の|道連《みちづれ》が|出来《でき》たと|思《おも》へば、コンナ|処《ところ》でアリヨウスを|喰《く》はされて、|奴拍子《どべうし》の|抜《ぬ》けた|事《こと》だ。|天《あま》の|磐船《いはふね》から|何時《いつ》の|間《ま》にか、|吾々《われわれ》|三人《さんにん》を|墜落《つゐらく》させよつた|腹癒《はらい》せに、|日《ひ》の|出別《でわけ》を|初《はじ》め|一行《いつかう》の|連中《れんちう》に|対《たい》し、|報復《はうふく》|手段《しゆだん》を、|講究《かうきう》せなくてはならうまい』
|亀彦《かめひこ》『ヤア|幸《さいは》ひ|羽《はね》の|無《な》い|磐船《いはふね》の|上《うへ》に、|四人《よにん》がゴロリとやつて|居《ゐ》るのだから、ナントか|一《ひと》つ|嚇《おど》かしてやらうかなア』
|駒彦《こまひこ》『コラ|措《お》け|措《お》け、|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》は、|神変《しんぺん》|不可思議《ふかしぎ》の|神徳《しんとく》を|所持《しよぢ》して|居《ゐ》るから、|反対《あべこべ》に|吾々《われわれ》がやられるかも|知《し》れやしない。|先《ま》づおとなしくして|下《した》から|出《で》て、マ|一度《いちど》ご|保護《ほご》を|受《う》ける|方《はう》が、|賢明《けんめい》な|行方《やりかた》だよ』
|音彦《おとひこ》『それでもあまり|吾々《われわれ》を|馬鹿《ばか》にしよつたから、|何《なん》とかして、|吃驚《びつくり》をさしてやらねば|虫《むし》が|得心《とくしん》せぬぢやないか』
|亀彦《かめひこ》『|貴様《きさま》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》ぢやないか。|宣伝使《せんでんし》が|未《ま》だソンナ|卑劣《けち》な|根性《こんじやう》を|保留《ほりう》して|居《を》るのか』
|音彦《おとひこ》『アハヽヽヽ、|亀公《かめこう》、|貴様《きさま》は|馬鹿正直《ばかしやうぢき》な|奴《やつ》だ。|誰《たれ》がソンナ|心《こころ》を|持《も》つて|居《を》るものか、あまり|嬉《うれ》しいから、|一寸《ちよつと》|貴様《きさま》がどう|云《い》ふか|心《こころ》を|曳《ひ》いて|見《み》たのだ。|神《かみ》はトコトンまで|気《き》を|引《ひ》くぞよ、|改心《かいしん》|致《いた》されよ、|改心《かいしん》ほど|結構《けつこう》な|事《こと》はないぞよ』
|亀彦《かめひこ》『アハヽヽヽ、|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ』
|音彦《おとひこ》『|岩《いは》に|松《まつ》の|堅《かた》い|神代《かみよ》が|造《つく》られて、|日《ひ》の|出《で》の|守護《しゆご》と|致《いた》すぞよ』
|駒彦《こまひこ》『|岩《いは》の|上《うへ》に、|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》が|寝《ね》て|居《を》るぢやないか、もはや|松《まつ》の|世《よ》は|建設《けんせつ》されたやうなものだよ』
|音彦《おとひこ》『|巌《いは》に|松《まつ》が|生《は》えて、|日《ひ》の|出《で》の|守護《しゆご》になるといふ|瑞祥《ずゐしやう》だ。どうぞ|日《ひ》の|出別神《でわけのかみ》|様《さま》は、これなりに|眼《め》を|覚《さま》さず、|蒲鉾板《かまぼこいた》の|様《やう》に|岩《いは》を|背中《せなか》に|負《お》うて、|何時《いつ》までも|竪磐常磐《かきはときは》に|御守護《ごしゆご》して|下《くだ》さらば、|世界《せかい》の|人民《じんみん》が|勇《いさ》んで|暮《くら》す|五六七《みろく》の|世《よ》になるけれどなア。ワツハヽヽヽ』
|駒彦《こまひこ》『|岩《いは》の|上《うへ》に|岩公《いはこう》が、フンゾリ|返《かへ》り、|鷹公《たかこう》が|高鼾《たかいびき》をかき、|梅公《うめこう》がウメイ|塩梅《あんばい》で、スウスウとスウさうな|鼻息《はないき》をして|睡眠《やす》んで|居《を》ると|云《い》ふのも、|神代《かみよ》の|出現《しゆつげん》する|瑞祥《ずゐしやう》だアハヽヽヽ』
|音彦《おとひこ》『そこへお|出《いで》になつたのが|音《おと》サンだ。コンナ|結構《けつこう》な|神徳《しんとく》は、|亀《かめ》の|齢《よはひ》の|亀《かめ》サンぢやないが、|千年《せんねん》も|万年《まんねん》も|御神徳《ごしんとく》を|音《おと》サン|様《やう》にして、|身魂《みたま》を|研《みが》くと|云《い》ふ|前兆《ぜんてう》だ。|困《こま》つたのは|駒公《こまこう》だ………イヤ|困《こま》るのは|駒《こま》サン|計《ばか》りでない、ウラル|教《けう》の|守護神《しゆごじん》、|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》と、|金毛九尾《きんまうきうび》のコンコンサンだ………』
|駒彦《こまひこ》『|馬鹿《ばか》にするない、|俺《おれ》|計《ばか》り|継児《ままこ》|扱《あつか》ひにしよつて………コシの|峠《たうげ》を|越《こ》すのは、|駒《こま》サンの|御用《ごよう》だ、|何程《なにほど》|足《あし》が|痛《いた》いと|云《い》つても、|駒《こま》サンがヒーンヒンヒンと、|一《ひと》つ|鼻息《はないき》を|荒《あら》くし|足掻《あがき》を|行《や》つたら、スツテントーと、|大地《だいち》へ|空中滑走《くうちうくわつそう》の|曲芸《きよくげい》を|演《えん》じ、この|深《ふか》い|谷底《たにぞこ》へ|着陸《ちやくりく》し、プロペラを|粉砕《ふんさい》して、|吠面《ほえづら》をかわかねばならぬのは、|今《いま》に|一目瞭然《いちもくれうぜん》だよ』
|音彦《おとひこ》『|峠《たうげ》に|掛《かか》つたから、|駒《こま》サンが|敵愾心《てきがいしん》を|起《おこ》し、|奮闘《ふんとう》する|様《やう》に、|一寸《ちよつと》|駒《こま》に|鞭《むちう》つて|見《み》たのだ。|決《けつ》して|悪《わる》い|気《き》で|云《い》つたのぢやない。|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|凡《すべ》ての|事《こと》を|善意《ぜんい》に|解釈《かいしやく》するのだ。|痩馬《やせうま》の|様《やう》に、|営養不良《えいやうふりやう》|神経過敏《しんけいくわびん》な|面《つら》をして|居《を》るから、|一《ひと》つ|春駒《はるこま》の|勇《いさ》むやうにヒントを|与《あた》へたのだよ』
|駒彦《こまひこ》『|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだい。|貴様等《きさまら》の|盲目漢《まうもくかん》が、|吾々《われわれ》の|人格《じんかく》をヒントする|資格《しかく》が|有《あ》るかい。|屁《へ》なつと|喰《くら》うとけ………|駒《こま》サンの|尻《しり》からヘイヘイ ハイハイと|云《い》つて、ドウドウ(|同道《どうだう》)すれば|良《い》いのだ。アハヽヽヽ』
|音彦《おとひこ》『|音高《おとたか》し|音高《おとたか》し。|折角《せつかく》|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》が、|積日《せきじつ》の|疲労《ひらう》を|休養《きうやう》して|御座《ござ》るのに、お|眼《め》を|覚《さま》しては|済《す》まないぞ。チット|音《おと》なしくせぬかい。|貴様《きさま》は|人情《にんじやう》を|解《かい》せない|奴《やつ》だよ』
|駒彦《こまひこ》『どうぞ|音《おと》なしく、この|場《ば》の|結末《けつまつ》は【|音《おん》】|便《びん》に|願《ねが》ひます。それにしても|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》|様《さま》は、|特別《とくべつ》|待遇《たいぐう》として、|岩公《いはこう》の|奴《やつ》、ナントか|一《ひと》つ|悪戯《いたづら》をやらないと|景物《けいぶつ》がないぢやないか』
|岩彦《いはひこ》『|古池《ふるいけ》に|飛込《とびこ》んで、|脂《あぶら》を|取《と》られた|音公《おとこう》、|化玉《ばけたま》に|出会《であ》つて、|魂《たま》をひしがれた|駒公《こまこう》、|亀公《かめこう》|未《ま》だ|改心《かいしん》が|貴様《きさま》は|出来《でき》ぬか』
|音《おと》、|亀《かめ》、|駒《こま》|一時《いつとき》に、
『ヤー|此奴《こいつ》あ|狸寝《たぬきね》をやつて|居《ゐ》よつたな、|油断《ゆだん》のならぬ|奴《やつ》だ。これだから|現代《げんだい》の|人間《にんげん》は|油断《ゆだん》が|出来《でき》ぬと|云《い》ふのだ。|岩公《いはこう》の|寝《いね》の|悪《わる》さ、|見《み》られた|態《ざま》ぢやないワ。|一方《いつぱう》の|目《め》を|塞《ふさ》ぎよつて、|一方《いつぱう》の|眼《め》を|猟師《れふし》が|兎《うさぎ》でも|狙《ねら》ふ|様《やう》に、クルリと|開《あ》けて|眠《ね》てる|奴《やつ》は、どうせ|碌《ろく》な|奴《やつ》ではない。|此奴《こいつ》は|横死《わうし》の|相《さう》がある、|可哀相《かあいさう》なものだ。|寝《ね》る|時《とき》にはグツタリと|寝《ね》、|起《お》きる|時《とき》には|潔《いさぎよ》く|起《お》きて|活動《くわつどう》するのが|人間《にんげん》の|本分《ほんぶん》だ。こいちや|因果者《いんぐわもの》だから、|半分《はんぶん》|寝《ね》て|半分《はんぶん》の|目《め》は|起《お》きて|居《ゐ》やがる』
|駒彦《こまひこ》『|定《きま》つた|事《こと》よ、|右《みぎ》の|眼《め》はウラル|教《けう》、|左《ひだり》の|眼《め》は|三五教《あななひけう》だ。まだ|守護神《しゆごじん》が|改心《かいしん》せぬと|見《み》えてウラめし|相《さう》に、|片一方《かたいつぱう》の|目《め》は|団栗《どんぐり》の|様《やう》な|恰好《かつかう》して|睨《にら》んでけつかるのだ。………オイ|岩公《いはこう》、|良《い》い|加減《かげん》に|起《お》きぬかい』
|岩彦《いはひこ》『グウグウ…………』
|音彦《おとひこ》『ヤアナンだ。|寝言《ねごと》ぬかしてけつかつたのだナア。それにしても、|目《め》を|開《あ》けて|寝《ね》る|奴《やつ》は|厭《いや》らしいぢやないか』
|亀彦《かめひこ》『さうだ、|本当《ほんたう》に|厭《いや》らしい。どうぢや、|片一方《かたいつぱう》の|目《め》を|剔出《てきしゆつ》してやつたら|本当《ほんたう》に|改心《かいしん》するかも|知《し》れないぞ。|三五教《あななひけう》の|北光神《きたてるのかみ》の|様《やう》に「あゝ|有難《ありがた》い|神様《かみさま》、|私《わたくし》はまだ|一《ひと》つの|目《め》を|与《あた》へて|貰《もら》ひました」ナンて|言《い》ひよれば、|本当《ほんたう》に|改心《かいしん》をしてるのだが………|一《ひと》つ|改心《かいしん》の|有無《うむ》を|試験《しけん》してやらうか』
|駒彦《こまひこ》『ソンナ|事《こと》をしたら、|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》|様《さま》にお|目玉《めだま》を|頂戴《ちやうだい》するぞ』
|音彦《おとひこ》『お|目玉《めだま》を|一《ひと》つ|頂戴《ちやうだい》すれば|返《かへ》してやれば|良《い》いのぢやないか。|三人《さんにん》が|一《ひと》つ|宛《づつ》|貰《もら》つたら、まだ|二《ふた》つ|余《あま》るといふ|勘定《かんぢやう》だ。アハヽヽヽ、………オイどこぞ|其処《そこ》らに|竹片《たけぎれ》でもないか、|一寸《ちよつと》|探《さが》して|来《こ》い』
|駒彦《こまひこ》『|岩公《いはこう》の|目《め》は|岩目《がんもく》と|書《か》く。|眼目《がんもく》を|無《な》くしては|宣伝使《せんでんし》が|勤《つと》まろまい』
|音彦《おとひこ》『ナニ|所存《しよぞん》の|片目《かため》ぢや。|岩《いは》の|信仰《しんかう》を|岩《いは》の|如《ごと》く|片目《かため》と|云《い》ふ|洒落《しやれ》だ』
|亀彦《かめひこ》『|目惑《めいわく》|千万《せんばん》な|事《こと》だ。どれ、|其処《そこ》らにないか|探《さが》して|来《き》てやらうか。|併《しか》し|夫《そ》れ|迄《まで》に|緊急《きんきふ》|動議《どうぎ》がある』
|駒彦《こまひこ》『|緊急《きんきふ》|動議《どうぎ》とは|何《なん》だ』
|亀彦《かめひこ》『|北光神《きたてるのかみ》は、|覚醒《かくせい》|状態《じやうたい》で|目《め》を|突《つ》かれたのだ。|岩《いは》の|上《うへ》に|端座《たんざ》して、|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|説《と》いて|居《を》る|時《とき》に|突《つ》かねば、|騙討《だましうち》は|卑怯《ひけふ》だぞ。|寝鳥《ねどり》を|締《し》める|様《やう》な|悪逆《あくぎやく》|無道《ぶだう》は、|宣伝使《せんでんし》の|為《な》すべき|事《こと》ではあるまいぞ』
|音彦《おとひこ》『そらさうだ、|一《ひと》つ|起《おこ》してやらうかい』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|岩公《いはこう》の|足《あし》をグイグイと|引《ひ》つ|張《ぱ》る。
|岩彦《いはひこ》『ダダ|誰《だれ》だ、|俺《おれ》の|足《あし》をひつぱる|奴《やつ》は、|大方《おほかた》|音公《おとこう》だらう。|北光神《きたてるのかみ》の|様《やう》に|片目《かため》にしてやらうかい、ナア|音公《おとこう》、グウグウ ムニヤムニヤ』
|音彦《おとひこ》『ヤア|怪体《けつたい》な|奴《やつ》ぢや、やつぱり|此奴《こいつ》は|半眠半醍《はんみんはんせい》|状態《じやうたい》だ。|自己催眠術《じこさいみんじゆつ》にかかりよつて|幻覚《げんかく》でも|起《おこ》して|居《ゐ》ると|見《み》えるワイ』
|鷹彦《たかひこ》『アハヽヽヽヽ』
|梅彦《うめひこ》『ウフヽヽヽヽ』
|亀彦《かめひこ》『ヤア|一時《いつとき》に|覚醒《かくせい》|状態《じやうたい》になりよつたなア』
|鷹彦《たかひこ》『オイ|貴様等《きさまら》|三人《さんにん》は、|何処《どこ》を|間誤《まご》ついて|居《を》つたのだ。|貴様等《きさまら》の|顔《かほ》はなんだ、|蜘蛛《くも》の|巣《す》だらけぢやないか。いつ|手水《てうづ》を|使《つか》うたか|分《わか》らぬ|様《やう》な|面付《つらつき》しよつて、その|態《ざま》は|一体《いつたい》どうしたのだ』
|音彦《おとひこ》『|曖昧濛糊《あいまいもうこ》として|訳《わけ》が|分《わか》らぬやうになつて|来《き》たワイ』
|鷹彦《たかひこ》『|狸穴《たぬきあな》にひつぱり|込《こ》まれよつて、ナニ|今頃《いまごろ》に|寝言《ねごと》を|云《い》つてるのだ。|此処《ここ》はどこだと|思《おも》つてるツ』
|音彦《おとひこ》『どこだつて、|此処《ここ》ぢやと|思《おも》つてるのだ』
|鷹彦《たかひこ》『|此処《ここ》は|定《きま》つてる、|地名《ちめい》は|何《なん》だ』
|音彦《おとひこ》『|知名《ちめい》の|士《し》は、|鷹公《たかこう》、|梅公《うめこう》、|岩公《いはこう》、|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》だ』
|鷹彦《たかひこ》『|馬鹿《ばか》、|所《ところ》の|名《な》は|何処《どこ》だと|云《い》うのだ』
|音彦《おとひこ》『|所《ところ》の|名《な》は、やつぱり|所《ところ》だ』
|鷹彦《たかひこ》『|今《いま》は|何時《なんどき》ぢやと|思《おも》つとる』
|音彦《おとひこ》『|定《きま》つた|事《こと》だ、|昨日《きのふ》の|今頃《いまごろ》とは、|言《い》ふ|間《ま》|丈《だけ》|遅《おそ》いのだ』
|鷹彦《たかひこ》『オイ|岩公《いはこう》、|起《おき》ぬか|起《おき》ぬか、|三人《さんにん》の|奴《やつ》、ド|狸《たぬき》に|魅《つま》まれて|来《き》よつて、|蜘蛛《くも》の|巣《す》だらけになつて、|催眠術《さいみんじゆつ》にかかつた|様《やう》な|事《こと》をほざきよるのだ。|一寸《ちよつと》やそつとに、|覚醒《かくせい》する|予算《よさん》がつかぬ、|強度《きやうど》の|催眠《さいみん》|状態《じやうたい》だから。|一《ひと》つ|貴様《きさま》と|協力《けふりよく》して|片一方《かたいつぱう》の|目《め》を|剔《ゑぐ》つてやつたら、チツとは|気《き》が|付《つ》くだらう』
|岩彦《いはひこ》『そら|面白《おもしろ》からう。|吾輩《わがはい》の|目《め》の|玉《たま》を|抜《ぬ》いてやるなんて、|明盲《あきめくら》|奴《め》が|最前《さいぜん》から|岩上《がんじやう》|会議《くわいぎ》をやつて|居《ゐ》よつたのだ。オイ|音公《おとこう》、|亀公《かめこう》、|駒公《こまこう》、|目《め》を|出《だ》せツ』
|音彦《おとひこ》『この|頃《ごろ》は|春先《はるさき》で、|何処《どこ》の|草木《くさき》も|沢山《たくさん》に|芽《め》を|出《だ》して|居《ゐ》るワイ。ナンダか|頭《あたま》がポカポカして|来《き》だした。アハヽヽ』
|鷹公《たかこう》は|三人《さんにん》の|前《まへ》にスツと|立《た》ち、プウプウプウと|霧水《きりみづ》を、|面上《めんじやう》|目《め》がけて|吹《ふ》きかけた。|三人《さんにん》は|初《はじ》めて|吃驚《びつくり》し、
|三人《さんにん》『ヤア|此処《ここ》はどこだ。|岩窟《がんくつ》の|中《なか》ぢやないか』
とキヨロキヨロ|見廻《みまは》す。|琵琶《びは》の|声《こゑ》は|幽《かす》かに|聞《きこ》えて、|奥《おく》の|方《はう》より|玉《たま》の|中《なか》から|現《あら》はれた|美人《びじん》の|顔《かほ》に|酷似《そつくり》の|主《ぬし》が|琵琶《びは》を|抱《かか》へ|乍《なが》ら、ニコニコとして|現《あら》はれて|来《き》た。|三人《さんにん》は|附近《あたり》をキヨロキヨロ|見廻《みまは》せば、|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》の|姿《すがた》も、その|他《た》|三人《さんにん》の|影《かげ》も、|巌《いは》も|何《なに》も|無《な》い。|以前《いぜん》の|石畳《いしだたみ》をもつて|繞《めぐ》らしたる|岩窟内《がんくつない》の|女神《めがみ》の|屋敷《やしき》であつた。
|音彦《おとひこ》『ヤア|夢《ゆめ》とも|現《うつつ》とも|何《なん》とも|訳《わけ》が|分《わか》らぬぢやないか。やつぱり|醜《しこ》の|岩窟《いはや》だけの|特色《とくしよく》が|有《あ》るワイ』
|三人《さんにん》は|目《め》を|見張《みは》り、|首《かうべ》を|傾《かたむ》けて|怪訝《けげん》の|念《ねん》に|打《う》たれ、|両手《りやうて》を|組《く》み、|青息吐息《あをいきといき》の|態《てい》にて、|一言《いちごん》も|発《はつ》せず、|沈黙《ちんもく》を|続《つづ》けて|居《ゐ》る。|琵琶《びは》を|抱《かか》へた|美人《びじん》は、しとやかに|襠姿《うちかけすがた》の|儘《まま》、|三人《さんにん》の|前《まへ》に|静《しづ》かに|座《ざ》を|占《し》め、
『コレハコレハ|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|能《よ》くも|妾《わらは》が|茅屋《あばらや》を|御訪問《ごはうもん》|下《くだ》さいました、|嘸々《さぞさぞ》お|腹《なか》が|空《す》いたで|御座《ござ》いませう。|蜥蜴《とかげ》の|吸物《すひもの》に|百足《むかで》のおひたし、|蛙《かはず》の|膾《なます》に|蛇《へび》の|蒲焼《かばやき》、お|口《くち》に|合《あ》ひますまいが、ゆるりとお|食《あが》り|下《くだ》さいませ。コレコレ|松《まつ》や、|春《はる》や、お|客様《きやくさま》に|御膳《おぜん》を|持《も》つて|来《く》るのだよ』
|音彦《おとひこ》『イヤしモシモシ|滅相《めつさう》な。|蜥蜴《とかげ》や|百足《むかで》、|蛙《かへる》、|蛇《へび》、ソンナ|御馳走《ごちそう》を|頂戴《ちやうだい》いたしましては、|冥加《みやうが》に|尽《つ》きまする。どうぞ|御構《おかま》ひ|下《くだ》さいますな』
|美人《びじん》『オホヽヽヽヽ、お|嫌《きら》ひとあれば|仕方《しかた》が|御座《ござ》いませぬ。|然《しか》らば【なめくぢ】のつくり|身《み》に、|蚯蚓《みみず》の|饂飩《うどん》でも|如何《いかが》で|御座《ござ》いませう』
|音彦《おとひこ》『イヤ、コレハコレハ|一向《いつかう》|不調法《ぶてうはふ》で|御座《ござ》います。どうぞ|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな。このお|宅《たく》は|何時《いつ》もさういふ|物《もの》を|召《め》しあがるのですかなア』
|美人《びじん》『ホヽヽヽヽ、|妾《わらは》は|蛙《かはず》が|大好物《だいかうぶつ》ですよ』
|音彦《おとひこ》『オイオイ|亀公《かめこう》、|駒公《こまこう》、どうやら|此奴《こいつ》ア|怪《あや》しいぞ。ノロノロと|違《ちが》うか』
|美人《びじん》『ホヽヽヽヽ、|妾《わらは》の|夫《をつと》は|蟒《うはばみ》の|野呂公《のろこう》と|申《まを》します』
|音彦《おとひこ》『ヤア|失敗《しま》つた、|野呂公《のろこう》の|奴《やつ》、|到頭《たうと》|計略《けいりやく》にかけよつて、コンナ|岩窟《いはや》の|中《なか》へ|引《ひ》つ|張《ぱ》り|込《こ》みよつたのだらう、|油断《ゆだん》の|出来《でき》ぬ|奴《やつ》だ。|斯《か》う|立派《りつぱ》な|邸宅《ていたく》と|見《み》えて|居《ゐ》るが、どうやら、フル|野ケ原《のがはら》の|草《くさ》|茫々《ばうばう》と|生《は》えたシクシク|原《はら》ではあるまいかな。オイ|亀公《かめこう》、|駒公《こまこう》、|一寸《ちよつと》そこらを|撫《な》でて|見《み》よ、|立派《りつぱ》な|座敷《ざしき》の|様《やう》なが、ヒヨツとしたら|芝《しば》ツ|原《ぱら》かも|知《し》れぬぞ』
|美人《びじん》『イヤお|三人《さんにん》のお|方《かた》、|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな。………あなた|方《がた》は|醜《しこ》の|岩窟《いはや》の|探検《たんけん》はどうなさいました』
|音彦《おとひこ》『|醜《しこ》の|岩窟《いはや》の、いま|探険《たんけん》|最中《さいちう》だ。|岩窟《いはや》の|中《なか》かと|思《おも》へば、|野《の》ツ|原《ぱら》のやうでもあり、|野原《のはら》かと|思《おも》へば、|岩窟《いはや》の|中《なか》でもあり、|何《なに》が|何《なん》だか、|一向《いつかう》|合点《がてん》が|承知《しようち》|仕《つかまつ》らぬワイ。ナンでも|貴様《きさま》は|大化物《おほばけもの》に|相違《さうゐ》ない。もう|斯《か》うなつた|以上《いじやう》は、ウラル|教《けう》の|地金《ぢがね》を|現《あら》はし、|双刃《もろは》の|劔《つるぎ》の|刄《は》の|続《つづ》く|限《かぎ》り、|斬《き》つて|斬《き》つて|切《き》りまくり、|荒《あ》れて|荒《あ》れて|暴《あ》れ|廻《まは》り、|汝等《なんぢら》が|化物《ばけもの》の|正体《しやうたい》を、|天日《てんじつ》に|曝《さら》して、|天下《てんか》の|禍《わざはひ》を|断《た》つてやるから、|覚悟《かくご》を|致《いた》せ』
|美人《びじん》『ホヽヽヽヽ、あのマア|音《おと》サンの|気張《きば》り|様《やう》、|苧殻《をがら》に|固糊《かたのり》をつけたやうな|腕《うで》を|振《ふ》りまはして|力味《りきみ》シヤンス|事《こと》ワイナ。|肝腎《かんじん》の|身魂《みたま》も|研《みが》けずに、|腹《はら》の|中《なか》に………イヤイヤ|腹《はら》の|岩窟《いはや》に、|沢山《たくさん》の|曲津《まがつ》を|棲息《せいそく》させて、|足許《あしもと》の|掃除《さうぢ》もせずに、おほけなくも、|醜《しこ》の|岩窟《いはや》の|悪魔《あくま》|退治《たいぢ》とお|出掛《でかけ》なさつた、|心根《こころね》がいじらしう|御座《ござ》ンす。ホヽヽヽヽ』
|亀彦《かめひこ》『エー|言《い》はして|置《お》けば、ベラベラ|能《よ》う|囀《さへづ》る|野呂蛇《のろへび》|奴《め》が、|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にするな。|一寸《いつすん》の|虫《むし》にも|五分《ごぶ》の|魂《たましひ》だ。|一寸刻《いつすんきざみ》の|五分試《ごぶだめ》し、|思《おも》ひ|知《し》れよ』
と|双刃《もろは》の|劔《つるぎ》に|手《て》をかけて|立上《たちあが》らむとし、
|亀彦《かめひこ》『アイタヽヽヽ、ナンダ、|床板《ゆかいた》が|足《あし》に|固着《こちやく》して|了《しま》つた』
|美人《びじん》『|亀《かめ》サン、それはお|気《き》の|毒《どく》さま、|床板《ゆかいた》に|足《あし》が|固着《こちやく》しましたか。コチヤ|苦《く》にならぬ、コチヤ|構《かま》やせぬ。ホヽヽヽヽ』
|亀彦《かめひこ》『エーもう|斯《か》うなる|上《うへ》は、|破《やぶ》れかぶれだ。|覚悟《かくご》を|致《いた》せ。オイ|駒公《こまこう》、しつかりせぬかい。この|阿魔女《あまつちよ》を、|俺《おれ》に|代《かは》つてブスリとやるのだ』
|駒彦《こまひこ》『|八釜《やかま》しう|云《い》ふない、|俺《おれ》の|身体《からだ》は、|信神《しんじん》|堅固《けんご》なものだ。|首《くび》から|下《した》は|斯《か》ういふ|場合《ばあひ》に|天然的《てんねんてき》にビクとも|動《うご》かぬ|一大《いちだい》|特性《とくせい》を、|完全《くわんぜん》に|具備《ぐび》して|御座《ござ》るのだよ』
|亀彦《かめひこ》『|何《なに》|減《へ》らず|口《ぐち》を|吐《ぬか》しよるのだ。|貴様《きさま》は|身体《しんたい》|強直《きやうちよく》したな』
|駒彦《こまひこ》『|吾輩《わがはい》の|身心《しんしん》は|鞏固不抜《きようこふばつ》なものだ、ビクとも|致《いた》さぬ|某《それがし》だ』
|亀彦《かめひこ》『ヤイ|音公《おとこう》、|貴様《きさま》なにマゴマゴしてるのだ。|二人《ふたり》の|敵《かたき》を|討《う》たぬかい』
|音彦《おとひこ》『|敵《かたき》を|討《う》てと|云《い》つたつて、|堅木《かたき》|所《どころ》か、|松《まつ》の|木《き》も、|杉《すぎ》の|木《き》も|生《は》えて|居《ゐ》ないぢやないか。|難《かた》きを|避《さ》けて|易《やす》きに|就《つ》くが|処世《しよせい》の|要点《えうてん》だよ』
|美人《びじん》『ホヽヽヽヽ、モシモシお|三人《さんにん》|様《さま》、あなた|様《さま》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|丈《だけ》あつて、|随分《ずゐぶん》お|堅《かた》いお|方《かた》、あなたの|肝腎《かんじん》の|霊《みたま》も、|霊肉《れいにく》|一致《いつち》して|堅《かた》くなつて|下《くだ》さらむ|事《こと》を|希望《きばう》いたします』
|亀彦《かめひこ》『エー|放《ほ》つときやがれ。オーさうだ、|良《い》い|事《こと》を|思《おも》ひ|出《だ》した、|神言《かみごと》だ。|悪魔《あくま》|調伏《てうふく》の|唯一《ゆゐいつ》の|武器《ぶき》を|所持《しよぢ》して|居《を》るこの|方《はう》を、ナント|心得《こころえ》とる。サアこれから|言霊《ことたま》の|乱射《らんしや》だぞ。|生命《いのち》の|惜《をし》い|奴《やつ》は、|一時《ひととき》も|早《はや》く|逃《に》げたがよからうぞ』
|美人《びじん》『ホヽヽヽヽ、あなたの|言霊《ことたま》は、|三味線玉《さみせんだま》ですよ。ソンナボンボン|三味線《さみせん》でも、|神力《しんりき》が|現《あら》はれますかな』
|亀彦《かめひこ》『エー|八釜《やかま》しいワー、|最前《さいぜん》も|貴様《きさま》の|宅《うち》の|石門《せきもん》を|開《ひら》いた、|現実的《げんじつてき》|経験《けいけん》があるのだ。|吾輩《わがはい》の|言霊《ことたま》を|敬虔《けいけん》の|態度《たいど》を|以《もつ》て、|経験《けいけん》の|為《ため》に|聴聞《ちやうもん》を|致《いた》せ』
|美人《びじん》『オホヽヽヽ、どうぞ|聴聞《ちやうもん》さして|下《くだ》さいませ。|妾《わらは》が|為《ため》に|頂門《ちやうもん》の|一針《いつしん》、あなたの|為《ため》にも|前門《ぜんもん》の|狼《おほかみ》|後門《こうもん》の|虎《とら》、|随分《ずゐぶん》|御用心《ごようじん》なされませや』
|亀彦《かめひこ》『エー|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にして|居《ゐ》よる、………オイ|音《おと》サン、|駒《こま》サン、|言霊《ことたま》の|一斉《いつせい》|射撃《しやげき》だ。|鶴翼《かくよく》の|陣《ぢん》を|張《は》つて、|一声《いつせい》|天地《てんち》を|震憾《しんかん》し、|一音《いちおん》|風雨雷霆《ふううらいてい》を|叱咤《しつた》する、|無限絶対力《むげんぜつたいりよく》の|天津祝詞《あまつのりと》の|太祝詞《ふとのりと》、|善言美詞《ぜんげんびし》の|言霊《ことたま》の|発射《はつしや》だよ』
|音彦《おとひこ》『タ、タ、カ、カ、タカ、ヒ、ヒ、ヒ、コ、ニ、ホ、ホカサレ、ヒ、ヒノデノ、ワケニ、ス、ステラレ…………』
|亀彦《かめひこ》『オイ|音公《おとこう》、|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ、「|高天原《たかあまはら》」を|言《い》ふのだぞ』
|音彦《おとひこ》『ナンだか|知《し》らないが、|自然的《しぜんてき》に|脱線《だつせん》するのだ』
|美人《びじん》『ホヽヽヽヽ、モシモシ|音《おと》サン、|亀《かめ》サン、|駒《こま》サン、あなた|方《がた》は|何《なに》がお|商売《しやうばい》で|御座《ござ》いますか』
|音彦《おとひこ》『いまさら|尋《たづ》ねるに|及《およ》ばぬ、|勿体《もつたい》なくも、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|御一行《ごいつかう》だ。この|方《はう》の|被面布《ひめんぷ》が|目《め》に|着《つ》かぬか、|盲女《めくらをんな》|奴《め》』
|美人《びじん》『|被面布《ひめんぷ》は、どこに|御所持《ごしよぢ》で|御座《ござ》います、お|頭《つむ》にも|懸《かか》つて|居《を》らぬ|様《やう》ですが』
|音公《おとこう》は|頭《あたま》へ|手《て》をあげて|見《み》て、
|音彦《おとひこ》『ヤア|何時《いつ》の|間《ま》にか|消滅《せうめつ》して|了《しま》ひよつた。………オイ|亀公《かめこう》、|駒公《こまこう》、|貴様等《きさまら》の|被面布《ひめんぷ》はどうした』
|亀《かめ》、|駒《こま》『ヤア|吾々《われわれ》も|何時《いつ》の|間《ま》にか、|過激《くわげき》な|労働《らうどう》をしたので、|磨滅《まめつ》して|了《しま》つたらしいワイ』
|美人《びじん》『ホヽヽヽそれでは、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》も|被免《ひめん》になりませう。お|気《き》の|毒《どく》さま』
|音彦《おとひこ》『エーけつたいの|悪《わる》い、|一体《いつたい》|此処《ここ》はどこだ。モウ|吾輩《わがはい》も|兜《かぶと》を|脱《ぬ》ぐから、|魔性《ましやう》の|女《をんな》、|斯《か》う|五里霧中《ごりむちゆう》に|彷徨《さまよ》つては|仕方《しかた》がない。|頭《あたま》からカブリなと|呑《の》みなと、|勝手《かつて》にせい。|俺《おれ》の|身体《からだ》は|全部《ぜんぶ》|貴様《きさま》に|任《まか》した、エー|棄鉢《すてばち》だツ』
|美人《びじん》『ヤア|三人《さんにん》のお|方《かた》、そこまで|行《い》つたら、あなたの|臍下丹田《さいかたんでん》も、|岩戸《いはと》が|開《ひら》けました、|能《よ》う|改心《かいしん》して|下《くだ》さいました。|此処《ここ》はフル|野ケ原《のがはら》の|醜《しこ》の|岩窟《いはや》の|中心点《ちうしんてん》、|木花咲耶姫命《このはなさくやひめのみこと》が|経綸《けいりん》の|聖場《せいぢやう》、|高照姫神《たかてるひめのかみ》の|堅磐常磐《かきはときは》に|鎮《しづ》まり|給《たま》ふ|岩窟《いはや》|第一《だいいち》の|珍《うづ》の|御舎《みあらか》で|御座《ござ》います。サアサアこれから|妾《わたし》が|先達《せんだつ》となつて、この|岩窟《いはや》の|探険《たんけん》を|首尾《しゆび》|能《よ》く|終了《しうれう》させませう。|決《けつ》して|執着心《しふちやくしん》を、|又《また》もや|持《も》たぬ|様《やう》に、|今《いま》の|心《こころ》になつて|神業《しんげふ》に|参加《さんか》して|下《くだ》さい。この|先《さき》|種々《いろいろ》の|怪物《くわいぶつ》が|現《あら》はれても、|必《かなら》ず|御心配《ごしんぱい》なされますな。|生命《いのち》を|棄《す》てると|云《い》ふ|御考《おかんが》へならば、ドンナ|難関《なんくわん》でも、|無事《ぶじ》に|通過《つうくわ》が|出来《でき》ますから………サア|斯《か》う|定《きま》つた|以上《いじやう》は、|一時《いつとき》も|早《はや》く|当館《たうやかた》を|御出立《ごしゆつたつ》|遊《あそ》ばして、|醜《しこ》の|岩窟《いはや》の|修業場《しうげふば》を|巡回《じゆんくわい》して|下《くだ》さい。|何《いづ》れ|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》にも、その|他《た》の|方々《かたがた》にも、この|岩窟内《がんくつない》で|御対面《ごたいめん》が|出来《でき》ませう、|左様《さやう》なら』
と|徐々《しづしづ》と|襖《ふすま》を|開《ひら》いて|奥《おく》の|間《ま》に|姿《すがた》を|隠《かく》したりける。
|音彦《おとひこ》『アヽ|随分《ずゐぶん》|吾々《われわれ》の|身魂《みたま》は、|種々《いろいろ》の|残滓物《ざんさぶつ》が|蓄積《ちくせき》してると|見《み》えて、|散々《さんざん》な|目《め》に|会《あ》はされたが、|何《なん》だか|生《うま》れ|変《かは》つた|様《やう》な|心持《こころもち》になつた。|気分《きぶん》も|晴々《せいせい》として|来《き》た、サア|是《これ》から|醜《しこ》の|岩窟《いはや》の|探険《たんけん》だ。あまり|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》を|依頼《たより》にするものだから、|妙《めう》な|幻覚《げんかく》を|起《おこ》したり、|迷《まよ》うたのだ。|改《あらた》めて|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|岩窟《いはや》の|探険《たんけん》と|出掛《でかけ》ることとしようかい』
|亀《かめ》、|駒《こま》『|左様《さやう》で|御座《ござ》います。|結構《けつこう》さまで|御座《ござ》います。|謹《つつし》んでお|伴《とも》を|致《いた》しませう』
|音彦《おとひこ》『アヽあなた|方《がた》も、|是《これ》で|善言美詞《ぜんげんびし》の|言霊《ことたま》が|使《つか》へる|様《やう》になつて|来《き》ました、|私《わたくし》もどうぞあなた|方《がた》のお|力《ちから》を|借《か》つて、|共《とも》に|岩窟《いはや》の|修業《しうげふ》をさして|頂《いただ》きませう。サア|皆《みな》さま|参《まゐ》りませう』
と|今《いま》までの|野卑《やひ》な|言葉《ことば》を|改《あらた》め、|心《こころ》より|清々《せいせい》として、|三人《さんにん》は|岩窟《いはや》の|探険《たんけん》に|出《で》かける|事《こと》となりける。
(大正一一・三・二一 旧二・二三 松村真澄録)
第二〇章 |宣替《のりかへ》〔五四六〕
|音彦《おとひこ》、|亀彦《かめひこ》、|駒彦《こまひこ》の|三人《さんにん》は、|臥竜姫《ぐわりようひめ》の|館《やかた》を|後《あと》に|見《み》て、|又《また》もや|巌窟内《がんくつない》の|探険《たんけん》に|出《で》かけた。|九十九折《つくもをれ》の|或《あるひ》は|広《ひろ》く、|或《あるひ》は|狭《せま》く、|或《あるひ》は|天井《てんじやう》|高《たか》く、|或《あるひ》は|低《ひく》き|石径《いしみち》を|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|勇《いさ》ましく|進《すす》み|行《ゆ》く。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
|身《み》の|過《あやま》ちは|詔《の》り|直《なほ》せ  |醜《しこ》の|窟《いはや》の|曲神《まがかみ》を
|吾等《われら》|三人《みたり》の|宣伝使《せんでんし》  |言向和《ことむけやは》し|神《かみ》の|世《よ》を
|堅磐常磐《かきはときは》に|立《た》てむとて  |進《すす》み|来《きた》りし|其《そ》の|間《うち》に
|何時《いつ》か|誇《ほこ》りの|雲《くも》|覆《おほ》ひ  |心《こころ》は|暗《くら》き|闇《やみ》の|道《みち》
|誠《まこと》の|道《みち》を|踏《ふ》み|迷《まよ》ひ  |夢《ゆめ》に|夢見《ゆめみ》る|心地《ここち》して
|心《こころ》たかぶる|其《そ》の|儘《まま》に  |磐樟船《いはくすぶね》に|乗《の》せられて
|九天《きうてん》|高《たか》く|昇《のぼ》りつめ  やつと|安心《あんしん》する|間《ま》なく
|喜《よろこ》び|消《き》えて|夢《ゆめ》の|間《ま》の  |荒野ケ原《あれのがはら》に|踏《ふ》み|迷《まよ》ひ
|得体《えたい》の|知《し》れぬ|野呂《のろ》サンに  |寂《さび》しき|野辺《のべ》に|廻《めぐ》り|合《あ》ひ
|荒《あら》き|言葉《ことば》のその|中《なか》に  |神《かみ》の|恵《めぐ》みの|玉《たま》の|声《こゑ》
|含《ふく》みあるとは|知《し》らずして  |肩臂《かたひぢ》|怒《いか》らし|進《すす》み|行《ゆ》く
わが|身《み》の|程《ほど》も|恥《はづか》しき  |夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|幻《まぼろし》か
|心《こころ》の|暗《くら》きわれわれは  |黒白《あやめ》もわかぬ|闇黒《くらがり》の
|再《ふたた》び|窟《いはや》の|人《ひと》となり  |醜《しこ》の|身魂《みたま》の|数多《かずおほ》く
|前後左右《ぜんごさいう》に|飛《と》び|廻《まは》る  |中《なか》を|切《き》り|抜《ぬ》けやうやうに
|光《ひかり》を|三叉《みまた》の|道《みち》の|角《かど》  |思《おも》ひがけなく|衝当《つきあた》る
|痛《いた》さは|痛《いた》し|胸《むね》の|闇《やみ》  |得体《えたい》の|知《し》れぬ|弥次彦《やじひこ》や
|酒《さけ》も|飲《の》まぬに|与太彦《よたひこ》の  |二人《ふたり》の|男《をとこ》に|出会《でくわ》して
|開《ひら》き|兼《かね》たる|石《いし》の|門《もん》  |天津祝詞《あまつのりと》の|言霊《ことたま》に
さつと|開《ひら》いて|眺《なが》むれば  |果《はて》しも|知《し》らぬ|長廊下《ながらうか》
|一目散《いちもくさん》に|進《すす》み|行《ゆ》く  |行《ゆ》けども|行《ゆ》けど|果《はて》しなく
|心《こころ》の|駒《こま》の|逸《はや》る|間《ま》に  |行《ゆ》き|詰《つま》りたる|岩壁《いはかべ》に
はつと|気《き》がつき|眺《なが》むれば  こは|抑《そ》も|如何《いか》に|大空《おほぞら》に
きらめく|星《ほし》の|数多《かずおほ》く  |怪《あや》しみゐたる|折柄《をりから》に
|玉《たま》をあざむく|優姿《やさすがた》  いづくの|方《かた》か|出雲姫《いづもひめ》
フサの|都《みやこ》に|進《すす》まむと  |先《さき》に|立《た》ちてぞ|出《いで》て|行《ゆ》く
|吾等《われら》|三人《みたり》の|宣伝使《せんでんし》  コシの|峠《たうげ》の|麓《ふもと》まで
|到《いた》りて|見《み》ればこは|如何《いか》に  |日《ひ》の|出《で》の|別《わけ》の|宣伝使《せんでんし》
|鷹彦《たかひこ》|岩彦《いはひこ》|梅彦《うめひこ》の  |四人《よにん》|千引《ちびき》の|岩《いは》の|上《へ》に
|白河《しらかは》|夜船《よぶね》の|夢《ゆめ》|結《むす》ぶ  あゝ|嬉《うれ》しやと|思《おも》ふ|間《ま》も
【あらし】の|音《おと》に|目《め》を|醒《さま》し  よくよく|見《み》ればこは|如何《いか》に
|臥竜《ぐわりよう》の|姫《ひめ》の|住《すま》ひたる  |奥《おく》の|一間《ひとま》に|端坐《たんざ》して
|蜥蜴《とかげ》|蚯蚓《みみず》や|蛇《へび》|蛙《かはず》  |見《み》るも|穢《きたな》き【なめくぢり】
|蚯蚓《みみず》の|馳走《ちそう》を|与《あた》へむと  |貴《うづ》の|女神《めがみ》にすすめられ
|遠慮《ゑんりよ》|会釈《ゑしやく》の|折柄《をりから》に  |三人《みたり》の|身体《からだ》は|鉄縛《かなしば》り
|手足《てあし》も|自由《じいう》にならぬ|身《み》の  いよいよ|生命《いのち》を|捨鉢《すてばち》の
|決心《けつしん》したる|折柄《をりから》に  |臥竜《ぐわりよう》の|姫《ひめ》は|忽《たちま》ちに
|優《やさ》しき|笑顔《ゑがほ》を|現《あら》はしつ  |水《みづ》も|漏《もら》さぬ|善言美詞《みやびごと》
|宣《の》り|聞《きか》されし|嬉《うれ》しさに  |衿《ほこら》の|夢《ゆめ》も|何処《どこ》へやら
|直日《なほひ》の|身魂《みたま》|輝《かがや》きて  ここに|館《やかた》を【いづのめ】の
|神《かみ》の|身魂《みたま》となりそめし  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
【そしり】|言《こと》の|葉《は》|吹《ふ》き|払《はら》ひ  【みやび】|言葉《ことば》の|神嘉言《かむよごと》
|詔《の》り|直《なほ》し|行《ゆ》く|勇《いさ》ましさ  |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|窟《いはや》の|曲津《まがつ》|多《おほ》くとも  |神《かみ》の|賜《たま》ひし|言霊《ことたま》に
|言向和《ことむけやは》し|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》を|縦横《たてよこ》の
|錦《にしき》の|機《はた》の|此《こ》の|仕組《しぐみ》  |仕《つか》へまつらむ|宣伝使《せんでんし》
あゝ|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し  |心《こころ》は|勇《いさ》む|岩《いは》の|道《みち》
|岩《いは》より|堅《かた》き|鋭心《とごころ》の  |大和心《やまとごころ》を|振《ふ》り|起《おこ》し
|伊都《いづ》の|雄健《をたけ》び|踏健《ふみたけ》び  |進《すす》みて|行《ゆ》かむ|神《かみ》の|道《みち》
|進《すす》みて|行《ゆ》かむ|神《かみ》の|道《みち》』
と|歌《うた》ひながら、|岩窟内《がんくつない》の|十字路《じふじろ》に|着《つ》いた。この|時《とき》|前方《ぜんぱう》より|現《あら》はれたる|三人《さんにん》の|男《をとこ》、
|岩彦《いはひこ》『オー|貴様《きさま》は|音公《おとこう》に|亀公《かめこう》、|駒公《こまこう》、|何処《どこ》に【まご】ついて|居《ゐ》よつたのだい。|馬鹿野郎《ばかやらう》だな。|俺《おれ》たち|三人《さんにん》は|貴様《きさま》の|行方《ゆくへ》を|探《さが》して、|幾度《いくたび》この|八衢《やちまた》の|隧道《すゐだう》を|廻《まは》つたことか|知《し》れやしない。|一体《いつたい》|何《なに》をぐづついとつたのだい』
|音彦《おとひこ》『ハイ、コレハコレハ|岩彦《いはひこ》サンでございますか。|誠《まこと》に|誠《まこと》に|御心配《ごしんぱい》をかけまして|済《す》みませぬ。|私《わたくし》は|日《ひ》の|出別命《でわけのみこと》|様《さま》の|磐船《いはふね》に、【あなた】|方《がた》と|一同《いちどう》に|乗《の》せられて|雲《くも》の|上《うへ》に|上《あ》げられ、ヤレ|嬉《うれ》しやと|思《おも》つて|居《を》りましたが、|豈《あに》|図《はか》らむや|何時《いつ》の|間《ま》にか|草《くさ》|茫々《ばうばう》と|生《は》え|茂《しげ》る|荒野ケ原《あれのがはら》に、|吾々《われわれ》|三人《さんにん》は|振《ふ》り|落《おと》されてゐました。【あなた】|様《さま》|三人《さんにん》は|何《ど》うして|居《を》られますかと、|今《いま》の|今《いま》まで|心配《しんぱい》をして|居《を》りましたが、マアマア|御無事《ごぶじ》な|御一行《ごいつかう》の|御顔《おかほ》を|拝《はい》しまして、これ|位《ぐらゐ》|嬉《うれ》しいことはございませぬ。これも|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》の|全《まつた》くの|御引合《おひきあは》せ|有《あ》り|難《がた》うございます』
|岩彦《いはひこ》『ナアンダ。|俄《にはか》に|御丁寧《ごていねい》な|言葉《ことば》を|使《つか》ひよつて|馬鹿《ばか》にするない。|礼《れい》に|過《す》ぐれば|却《かへ》て|無礼《ぶれい》だといふことを|知《し》らぬか。|打《う》つて|変《かは》つた|貴様《きさま》の|態度《たいど》、|気《き》が|狂《くる》つたのか、|但《ただし》は|化物《ばけもの》か、|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|奴《やつ》だ。ナア|梅公《うめこう》、|此奴《こいつ》はチト|変痴奇珍《へんちきちん》だぞ』
|梅彦《うめひこ》『アーさうだ。|三人《さんにん》の|奴《やつ》の|面《つら》を|見《み》い。|営養不良《えいやうふりやう》、|色《いろ》|蒼白《あをざ》め、|身体《しんたい》|骨立《こつりつ》|餓鬼《がき》の|如《ごと》しだ。|巌窟内《いはやない》の|瓦斯《ガス》に|酔《よ》はされよつて|精神《せいしん》に|異状《いじやう》を|来《きた》したのだらう』
|音彦《おとひこ》『コレハコレハ|岩《いは》サン、|梅《うめ》サン、|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな。|精神《せいしん》に|異状《いじやう》を|来《きた》したでも、|何《なん》でもございませぬ。|私《わたくし》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》でございますから、ナー|亀《かめ》サン、|駒《こま》サン、|些《ちつと》も|気《き》が|狂《くる》つてはゐませぬなア』
|亀彦《かめひこ》『|左様《さやう》|々々《さやう》、|岩《いは》サン|梅《うめ》サンは|大変《たいへん》|心配《しんぱい》をして|下《くだ》さるさうですが、|決《けつ》して|異状《いじやう》はありませぬ、|御安心《ごあんしん》して|下《くだ》さいませ』
|岩彦《いはひこ》『オイ|梅公《うめこう》、|鷹公《たかこう》、ますます|変《へん》だ。|女郎《めらう》の|腐《くさ》つたやうに|俄《にはか》に|糞丁寧《くそていねい》になりよつたぢやないか。オイ|音公《おとこう》、|亀公《かめこう》、|駒公《こまこう》、|貴様等《きさまら》は|人《ひと》を|嘲弄《てうろう》するのか。あまり|馬鹿《ばか》にするない』
|亀彦《かめひこ》『イエイエ|滅相《めつさう》なこと|仰有《おつしや》いませ。|決《けつ》して|勿体《もつたい》ない|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》を|嘲弄《てうろう》ナンカしてどうして|神様《かみさま》に|申訳《まをしわけ》が|立《た》ちませう。|私《わたくし》たちは|三五教《あななひけう》を|天下《てんか》に|宣伝《せんでん》する|神《かみ》の|僕《しもべ》でございます』
|岩彦《いはひこ》『ますます|可笑《をか》しい|奴《やつ》だ。なぜ|貴様《きさま》は【さう】|俄《にはか》に|女性的《ぢよせいてき》になつたのだ。モ|少《すこ》し|勇壮《ゆうさう》|活溌《くわつぱつ》な|男性的《だんせいてき》の|精神《せいしん》を|発揮《はつき》して、ベランメー|口調《くてう》でも|使《つか》つて|勇《いさ》ましく|噪《はしや》がぬかい。|勇気《ゆうき》がなくては|大事《だいじ》は|遂行《すゐかう》することは|出来《でき》ないぞ。お|正月《しやうぐわつ》|言葉《ことば》を|使《つか》ひよつて、ナンダ。|俄《にはか》に|気分《きぶん》が|悪《わる》いやうな|御丁寧《ごていねい》な|言霊《ことたま》を|使《つか》ひよるのか』
|音彦《おとひこ》『ハイ、|吾々《われわれ》|三人《さんにん》は|仔細《しさい》あつて|改心《かいしん》を|致《いた》しました』
|岩彦《いはひこ》『|改心《かいしん》をすれば、さう|女々《めめ》しくなるものぢやない。|何事《なにごと》も|神様《かみさま》の|御保護《ごほご》の|下《もと》に、|活機臨々《くわつきりんりん》として|天下《てんか》に|雄飛《ゆうひ》|活躍《くわつやく》せなくてはならないのだ。|貴様《きさま》は|惟神《かむながら》|中毒《ちうどく》をしよつて、|雨《あめ》が|降《ふ》つたというては|胸《むね》を|躍《をど》らせ、|風《かぜ》が|吹《ふ》くというては|胆《きも》を|潰《つぶ》し、|灯心《とうしん》の|幽霊《いうれい》のやうな|細《ほそ》い|細《ほそ》い|精神《せいしん》になりよつて、ナンダ、その|女々《めめ》しい|言霊《ことたま》は。ちつと|確《しつか》りせぬか。|元気《げんき》がつくやうに|二《ふた》つ|三《み》つ|拳骨《げんこつ》をお|見舞《みま》ひしてやらうか。これも|貴様等《きさまら》を|鞭撻《べんたつ》するための|情《なさけ》の|鞭《むち》だ』
と|云《い》ひながら、|蠑螺《さざえ》の|如《ごと》き|拳骨《げんこつ》を|固《かた》め|三人《さんにん》の|頭《あたま》をボカボカと|急速度《きふそくど》をもつて|擲《なぐ》りつけた。
|音彦《おとひこ》『ご|親切《しんせつ》によう|思《おも》つて|下《くだ》さいました。|何卒《どうぞ》これからは、|幾度《いくど》もご|注意《ちうい》をして|下《くだ》さいませ』
|岩彦《いはひこ》『アハーやつぱり|此奴《こいつ》どうかして|居《ゐ》よる。オイ|音公《おとこう》、|確《しつか》りせぬかい。|貴様《きさま》は|魔《ま》に|犯《をか》されたのだらう。ナンダその|態度《たいど》は』
|亀彦《かめひこ》『|岩《いは》サンのご|意見《いけん》は|御尤《ごもつと》もでございます。|決《けつ》して|無理《むり》とは|申《まを》しませぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら|私等《わたくしら》|三人《さんにん》は|以前《いぜん》に|数十倍《すうじふばい》の|力《ちから》と|強味《つよみ》が|出来《でき》ました。|如何《いか》なる|難事《なんじ》に|際会《さいくわい》しても、|少《すこ》しも|驚《おどろ》かぬやうになりました。|如何《いか》なる|敵《てき》に|向《むか》つても|怯《お》めず|臆《おく》せず、|善戦善闘《ぜんせんぜんとう》するだけの|神力《しんりき》を|与《あた》へられました』
|岩彦《いはひこ》『オイ|鷹公《たかこう》、|梅公《うめこう》、|一体《いつたい》|合点《がてん》が|行《ゆ》かぬぢやないか。|此奴《こいつ》の|態度《たいど》と|云《い》つたら|丸《まる》で|処女《しよぢよ》の|如《ごと》しだ。|辛気臭《しんきくさ》くて、|長《なが》い|長《なが》い|口上《こうじやう》を|列《なら》べ|立《た》てよつて、|干瓢《かんぴよう》でも【たぐる】やうに、【あた】|辛気臭《しんきくさ》い。|骨無《ほねな》しの|力《ちから》も|無《な》い、|女々《めめ》しい|言霊《ことたま》、エー【ゲン】|糞《くそ》の|悪《わる》い』
|鷹彦《たかひこ》『ヤア|感心《かんしん》です。|音《おと》サン、|亀《かめ》サン、|駒《こま》サン、よう|其処《そこ》まで|魂《たま》を|研《みが》き、|強《つよ》うなつて|下《くだ》さいました。|今《いま》までの|三人《さんにん》サンとは|違《ちが》つて|勇気《ゆうき》も|百倍《ひやくばい》いたしました。|嗚呼《ああ》それでこそ|如何《いか》なる|敵《てき》にも|打克《うちか》つことが|出来《でき》ませう。よい|修業《しうげふ》をなさいましたなア』
|音彦《おとひこ》『ご|親切《しんせつ》に|能《よ》く|言《い》つて|下《くだ》さいました。|貴方《あなた》こそ|本当《ほんたう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》でございます。|以後《いご》は|何卒《なにとぞ》お|見捨《みすて》なくお|世話《せわ》|下《くだ》さいますやう|御願《おねが》ひ|致《いた》します』
|鷹彦《たかひこ》『|何《ど》う|致《いた》しまして、お|三人《さんにん》|様《さま》お|芽出度《めでた》うございます。お|互様《たがひさま》に|宜《よろ》しく|手《て》を|曳《ひ》き|合《あ》うて|神《かみ》の|道《みち》に|参《まゐ》りませう。|貴方《あなた》の|方《はう》からもお|見捨《みす》てなく』
|岩彦《いはひこ》『ナンダ。|鷹公《たかこう》|洒落《しやれ》ない。|人《ひと》が|一生懸命《いつしやうけんめい》に|力《ちから》を|付《つ》けてやらうと|思《おも》つて|居《ゐ》るのに、|貴様《きさま》は|横車《よこぐるま》を|押《お》しよつて|人《ひと》を|嘲弄《てうろう》するのか。|愈《いよいよ》もつて|怪《け》しからぬ|醜《しこ》の|巌窟《いはや》|式《しき》だ。ナア|梅公《うめこう》、|一体《いつたい》|合点《がてん》が|行《ゆ》かぬぢやないか』
|梅彦《うめひこ》『|岩《いは》サン、それは|貴方《あなた》のお|考《かんが》へ|違《ちが》ひでございませう』
|岩彦《いはひこ》『オツト|待《ま》つた|待《ま》つた。|梅《うめ》の|奴《やつ》、|貴様《きさま》までが|逆上《ぎやくじやう》して|何《ど》うするのだ。これだから|精神《せいしん》の|弱《よわ》い|奴《やつ》は|間《ま》に|合《あ》はぬのだ。|醜《しこ》の|窟《いはや》の|半分《はんぶん》くらゐ|探険《たんけん》してこれだから、|全部《ぜんぶ》|探検《たんけん》する|迄《まで》には【すつかり】|軟化《なんくわ》して|章魚《たこ》のやうに、|骨《ほね》も|何《なに》も|無《な》くなつて|了《しま》ふかも|知《し》れやせぬぞ。オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、しつかりせぬか。|腰抜《こしぬ》け|野郎《やらう》|奴《め》が。あゝコンナ|腰抜《こしぬ》け|野郎《やらう》を|五疋《ごひき》も|伴《つ》れて、この|岩《いは》サン|一人《ひとり》が|奮戦《ふんせん》|苦闘《くとう》|強敵《きやうてき》に|当《あた》らねばならぬかと|思《おも》へば、|心細《こころぼそ》くなつて|来《く》るワイ。エー|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|好《い》い|腰抜《こしぬ》けの|揃《そろ》つたものだな』
|鷹彦《たかひこ》『|岩《いは》サン、|貴方《あなた》モー|少《すこ》し|強《つよ》くなつて|下《くだ》されや。|外《そと》ばつかり|強《つよ》く|見《み》えても、|肝腎《かんじん》の|魂《たましひ》が|落《おち》ついて|居《を》らねば、【まさか】の|時《とき》の|御間《おま》には|合《あ》ひませぬからナア』
|岩彦《いはひこ》『エー|腰抜《こしぬ》け|奴《め》が、|自分《じぶん》の|目《め》にある|柱《はしら》は|見《み》えぬでも|人《ひと》の|目《め》の|埃《ほこり》はよう|分《わか》るとは、|貴様等《きさまら》のことだ。|弱味噌《よわみそ》|奴《め》が。|何《なに》を|吐《ぬ》かしよるのだい。|天《てん》が|地《ち》となり|地《ち》が|天《てん》となる。|変《かは》れば|変《かは》つたものだ。|弱《よわ》い|者《もの》を|称《しよう》して|強者《きやうしや》といひ、|強《つよ》い|者《もの》を|称《しよう》して|弱者《じやくしや》といふ。|如何《いか》に|逆様《さかさま》の|世《よ》の|中《なか》だと|云《い》つても、|見直《みなほ》し、|聞《き》き|直《なほ》し、|詔《の》り|直《なほ》しを|宣伝《せんでん》する|神《かみ》の|使《つかひ》が、さう|道理《だうり》を|逆転《ぎやくてん》させては|何《ど》うして|此《こ》のお|道《みち》がひらけると|思《おも》ふか。しつかりせぬかい。|何《なに》を|呆《とぼ》けてゐるのだ。アヽ|情無《なさけな》いわ。エライ|厄介《やくかい》ものを|背負《せお》はされたものだワイ』
|音彦《おとひこ》『アヽ|私《わたくし》も|岩《いは》サンのやうに|空威張《からいば》りの|上手《じやうづ》な|心《こころ》の|弱《よわ》い|御方《おかた》を、|神様《かみさま》もナント|思召《おぼしめ》してか|知《し》りませぬが、|背負《せお》はして|下《くだ》さつたものだ。これも|吾々《われわれ》の|身魂《みたま》|研《みが》きの|為《ため》に、|弱《よわ》い|方《かた》の|標本《へうほん》をお|示《しめ》し|下《くだ》さつたのだらうか』
|岩彦《いはひこ》『|骨無《ほねな》しの|腰抜《こしぬ》け、|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ。|女郎《めらう》の|腐《くさ》つたやうな|弱音《よわね》を|吹《ふ》きよつて|情《なさけ》なくなつて|来《き》たワイ。オイ|鷹公《たかこう》、|梅公《うめこう》、|貴様《きさま》も|一《ひと》つ、ポカンと|目醒《めざま》しをくれてやらうか』
|鷹《たか》、|梅《うめ》『ハイハイ|何卒《どうぞ》よろしうお|願《ねが》ひ|申《まを》します。どつさりと|気《き》のつくまで|叩《たた》いて|下《くだ》さいませ』
|岩彦《いはひこ》『ハテ|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|五人《ごにん》の|男《をとこ》、|此奴《こいつ》ア|狐《きつね》にいかれよつたな。コンナ|弱虫《よわむし》を|引率《いんそつ》して|悪魔《あくま》との|戦闘《せんとう》は、たうてい|継続《けいぞく》されるものぢやない。ヤーヤー|困《こま》つた|事《こと》になつて|来《き》た。|俺《おれ》も|一《ひと》つ|思案《しあん》をせなくちやなるまい。オーさうだ。|解《わか》つた。|今《いま》まで|俺《おれ》は|強《つよ》い|強《つよ》いと|思《おも》つてゐたが、|人《ひと》を|杖《つゑ》について|助太刀《すけだち》を|頼《たの》むと|云《い》ふ|心《こころ》が|悪《わる》かつたのだ。その|点《てん》が|俺《おれ》の|欠点《けつてん》であつた。これは|神様《かみさま》が|貴様《きさま》|一人《ひとり》で|活動《くわつどう》せエ。|大勢《おほぜい》の|奴《やつ》を|力《ちから》にしても|駄目《だめ》だ。【まさか】の|時《とき》になつたら|此《こ》の|通《とほ》りだ。|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|腰抜《こしぬ》け|野郎《やらう》だ。|力《ちから》と|頼《たの》むは|自分《じぶん》の|守護神《しゆごじん》ばつかりだ。イヤイヤ|吾身《わがみ》を|守護《しゆご》し|給《たま》ふ|元《もと》の|大神様《おほかみさま》ばかりだ。|人《ひと》に|頼《たよ》るな、|師匠《ししやう》を|杖《つゑ》につくなといふ|教《をしへ》があつたワイ。サア|俺《おれ》はモ|一《ひと》つ|強《つよ》うなつて|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せなくてはなるまい。それにつけても|今《いま》まで|寝食《しんしよく》を|共《とも》にして|来《き》た|五人《ごにん》|連《づ》れ、|俺《おれ》でさへも|神様《かみさま》から|弱《よわ》いと|云《い》つて|戒《いまし》められて|居《を》るのだから、コンナ|弱味噌《よわみそ》を|吾々《われわれ》として|見棄《みす》てて|置《お》く|訳《わけ》にも|行《ゆ》かない。アヽどうかして|強《つよ》くしてやりたいものだ。コンナ|腰抜《こしぬけ》|人足《にんそく》を|世《よ》の|中《なか》へ|出《だ》したならば、これほど|悪魔《あくま》の|蔓《はびこ》る|荒野ケ原《あれのがはら》であるから、|自分《じぶん》|一身《いつしん》を|保護《ほご》することも|出来《でき》やしない。アヽ|情無《なさけな》いことだ。|大国治立《おほくにはるたち》の|大神様《おほかみさま》、どうぞ|此《こ》の|五人《ごにん》のものを|憐《あは》れみ|下《くだ》さいまして、|貴方《あなた》のお|力《ちから》を|分配《ぶんぱい》してやつて|下《くだ》さいませ。|九分九厘《くぶくりん》といふ|所《ところ》で、|十中《じつちう》の|八九《はつく》まで|大抵《たいてい》の|宣伝使《せんでんし》は|腰《こし》を|抜《ぬ》かして、|屁古垂《へこた》れるものだが、|今《いま》ここに|陳列《ちんれつ》してある|五人《ごにん》の|蛸《たこ》|宣伝使《せんでんし》は、|目的《もくてき》の|半途《はんと》にも|達《たつ》せずして|殆《ほとん》ど|崩壊《ほうくわい》して|了《しま》ひさうだ。せめて|九分九厘《くぶくりん》といふ|所《ところ》までなりと、|活動《くわつどう》さしてやつて|下《くだ》さいませ。|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》|憐《あは》れみ|玉《たま》へ、|助《たす》け|玉《たま》へ。|臆病神《おくびやうがみ》を|払《はら》はせ|玉《たま》へ、|清《きよ》め|玉《たま》へ、|岩彦《いはひこ》が|真心《まごころ》を|籠《こ》めての|一生《いつしやう》の|願《ねが》ひでございます。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|音彦《おとひこ》『アヽ|岩《いは》サンのご|親切《しんせつ》、|何時《いつ》の|世《よ》にかは|忘《わす》れませう。|流石《さすが》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、よくも|吾々《われわれ》をそこまで|思《おも》つて|下《くだ》さいます』
|亀彦《かめひこ》『ご|親切《しんせつ》に|有《あ》り|難《がた》う。|骨身《ほねみ》に|応《こた》へます、|嬉《うれ》しうございます』
|駒彦《こまひこ》『|性《せい》は|善《ぜん》なり、|人《ひと》には|添《そ》うて|見《み》よ、|馬《うま》には|乗《の》つて|見《み》よとは、よく|云《い》つたことだ。|岩《いは》サンの|真心《まごころ》が|現《あら》はれて|大神様《おほかみさま》の|直接《ちよくせつ》の|慈言《じげん》のやうに、|嬉《うれ》しう|辱《かたじけ》なう|存《ぞん》じます』
|岩彦《いはひこ》『アヽさつぱり|駄目《だめ》だ。モウ|何《なに》ほど|祈《いの》つたつて|零点《ゼロ》だ。アヽ|止《や》みぬる|哉《かな》|止《や》みぬる|哉《かな》。アヽ|何《なん》とせむ|方《かた》|泣《な》く|涙《なみだ》、|余《あま》りのことで|涙《なみだ》さへ|出《で》ぬワイヤイ』
|鷹彦《たかひこ》『|岩《いは》サンのお|心遺《こころづか》ひ、われわれ|一統《いつとう》|満足《まんぞく》を|致《いた》しました』
|梅彦《うめひこ》『|本当《ほんたう》に|心《こころ》の|色《いろ》が|現《あら》はれて、コンナ|嬉《うれ》しいことは|無《な》い。やつぱり|神様《かみさま》に|選《えら》ばれた|宣伝使《せんでんし》|様《さま》だけあつて、ご|親切《しんせつ》に|報《むく》ゆるために|吾々《われわれ》も、|彼《あ》の|弱《よわ》い|岩《いは》サンをモ|一《ひと》つ|強《つよ》くして|上《あ》げねばなりませぬ』
|岩彦《いはひこ》『コラ|梅公《うめこう》、|貴様《きさま》そら|何《なに》を|云《い》ふのだ。|貴様《きさま》より|弱《よわ》くなつて|堪《たま》らうかい。|今《いま》では|俺《おれ》が|一番《いちばん》|気《き》が|確《たしか》だ。ここは|醜《しこ》の|窟《いはや》だ。|気《き》を|張《は》りつめて|元気《げんき》を|出《だ》さぬか。|何《なに》がやつて|来《く》るか|知《し》れやしないぞ。せめて|自分《じぶん》だけの|保護《ほご》だけ|位《くらゐ》はやつて|呉《く》れぬと、|俺《おれ》も|十分《じふぶん》に|奮闘《ふんとう》が|出来《でき》はしないワイ』
|斯《かか》る|所《ところ》へ|何処《いづこ》ともなく|百雷《ひやくらい》の|一時《いちじ》に|落下《らくか》する|如《ごと》き|大音響《だいおんきやう》と|共《とも》に、|巨大《きよだい》なる|大火光《だいくわくわう》は|一同《いちどう》の|前《まへ》に|落下《らくか》した|途端《とたん》、|爆発《ばくはつ》して|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|火矢《ひや》を|飛《と》ばした。
|岩公《いはこう》はアツと|言《い》うて、その|場《ば》に|昏倒《こんたふ》した。|五人《ごにん》は|依然《いぜん》として|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》しつつありける。
(大正一一・三・二一 旧二・二三 外山豊二録)
(第一五章〜第二〇章 昭和一〇・三・二九 於吉野丸船室 王仁校正)
第二一章 |本霊《ほんれい》〔五四七〕
|巨大《きよだい》なる|火弾《くわだん》|爆発《ばくはつ》すると|見《み》る|中《うち》に、|忽然《こつぜん》として|以前《いぜん》の|女神《めがみ》の|姿《すがた》が|現《あら》はれた。|五人《ごにん》は|思《おも》はず|平地《へいち》に|蹲《しやが》んで|最敬礼《さいけいれい》を|表《へう》した。|女神《めがみ》は|声《こゑ》も|淑《しとや》かに、
『|道《みち》の|勲《いさを》も|鷹彦《たかひこ》や、|一度《いちど》に|開《ひら》く|白梅《しらうめ》の、|薫《かを》り|床《ゆか》しき|梅彦《うめひこ》や、|心《こころ》の|駒《こま》の|勇《いさ》み|立《た》ち、|誠《まこと》の|道《みち》に|矗々《すくすく》と、|進《すす》む|駒彦《こまひこ》|万代《よろづよ》の、|神《かみ》の|教《をしへ》の|亀彦《かめひこ》や、|言霊《ことたま》|清《きよ》き|音彦《おとひこ》よ、|汝等《なんぢら》|今《いま》より|麻柱《あななひ》の、|神《かみ》の|教《をしへ》を|宣《の》べ|伝《つた》ふ、【いつ】の|御魂《みたま》の|宣伝使《せんでんし》、あゝ|勇《いさ》ましし|勇《いさ》ましし、もはや|汝《なんぢ》が|身魂《みたま》の|曇《くも》り、|晴《は》れ|渡《わた》りたり|真如《しんによ》の|日月《じつげつ》、|心《こころ》の|海《うみ》に|隈《くま》なく|照《て》り|渡《わた》り、|胸《むね》の|仇浪《あだなみ》|静《しづ》まりたれば、|一日《ひとひ》も|早《はや》く|片時《かたとき》も、|疾《と》く|速《すむ》やけく、フサの|都《みやこ》に|出立《しゆつたつ》せよ、それにしても|岩彦《いはひこ》が、|固《かた》き|心《こころ》は|嘉《よみ》すれど、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》として、|今《いま》|少《すこ》し|足《た》らはぬ|処《ところ》あれば、|汝等《なんぢら》|五《いつ》の|御魂《みたま》は|岩彦《いはひこ》が、|心《こころ》を【なごめ】、|誠《まこと》に|強《つよ》き|益良雄《ますらを》として、|立《た》ち|働《はたら》かしめよ。|斯《か》く|申《まを》す|妾《わらは》は|天教山《てんけうざん》の|木花姫《このはなひめ》が|和魂《にぎみたま》なるぞ、|夢々《ゆめゆめ》|疑《うたが》ふ|事《こと》なかれ』
と|宣《せん》し|終《をは》ると|共《とも》に、|女神《めがみ》の|姿《すがた》は|火煙《くわえん》と|消《き》えにけり。|五人《ごにん》は|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|咽《むせ》びつつ、|嗚呼《ああ》|有難《ありがた》し|忝《かたじけ》なし、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》せむと|一同《いちどう》|宣《の》る|言霊《ことたま》も|円満《ゑんまん》|清朗《せいらう》、その|声《こゑ》はさしもに|広《ひろ》き|遠《とほ》き|巌窟《がんくつ》の|内《うち》を|隈《くま》なく|響《ひび》き|渡《わた》りける。この|言霊《ことたま》の|声《こゑ》に|岩公《いはこう》はムクムク|起《お》き|上《あが》り、
『アヽ|大変《たいへん》だ。エライ|目《め》に|出会《でくわ》した。|俺《おれ》のやうな|肝玉《きもたま》の|太《ふと》い|宣伝使《せんでんし》でも|吃驚《びつくり》して|一時《いちじ》|性念《しやうねん》を|失《うしな》つた|位《くらゐ》であるから、|鷹公《たかこう》、|亀公《かめこう》、|駒公《こまこう》、|音《おと》、|梅《うめ》の|連中《れんぢう》は|定《さだ》めて|肝《きも》を|潰《つぶ》したらう。アヽ|胆《きも》を|潰《つぶ》すは|俺《おれ》|位《くらゐ》の|程度《ていど》の|者《もの》だ。それ|以下《いか》の|程度《ていど》の|五人《ごにん》の|奴《やつ》は、|大方《おほかた》|木葉微塵《こつぱみぢん》となつたかも|知《し》れやしない。|彼奴等《あいつら》にしても|可愛《かあい》い|女房《にようばう》や|子《こ》が|国許《くにもと》に|待《ま》つて|居《ゐ》るのだから、エヽ|道連《みちづれ》になつた|好誼《よしみ》に|骨《ほね》なと|拾《ひろ》つて|女房《にようばう》や|子供《こども》に|届《とど》けてやらねばなるまい。これがせめてものこの|岩《いは》サンの|親切《しんせつ》だ。アヽ|五人《ごにん》のもの|情《なさけ》ない|事《こと》になつて|呉《く》れたなア。|何《なん》だか|真闇《まつくら》がりで|目《め》も|碌々《ろくろく》|見《み》えやしないわ。エヽ|仕方《しかた》がない、|鷹公《たかこう》の|骨《ほね》だか|音公《おとこう》の|肉《にく》だか|区別《くべつ》はつくまいが、|何《なん》でも|女房《にようばう》や|子《こ》の|気休《きやす》めの|為《ため》に、これが|鷹公《たかこう》の|骨《ほね》だ、これや|髪《かみ》だと|云《い》つて|慰《なぐさ》めてやるより|仕方《しかた》がないワイ。|暗《くら》いと|云《い》つても、これくらゐ|暗《くら》い|事《こと》は|開闢《かいびやく》|以来《いらい》だ』
と|云《い》ひながら|四《よ》つ|這《ばひ》になり、
|岩彦《いはひこ》『オイ|鷹公《たかこう》の|骨《ほね》ヤーイ、|音公《おとこう》の|腕《かいな》ヤーイ、|俺《おれ》は|岩公《いはこう》ぢや、|死《し》んでも|魂魄《こんぱく》この|世《よ》に|留《とど》まつて|居《を》るだらう、|骨《ほね》の|所在地《ありか》ぐらゐは|俺《おれ》に|知《し》らせやい。アヽコツクリ、コツクリと|何処《どこ》かへ|散《ち》つて|了《しま》つたと|見《み》える。あまり|無残《むざん》だ、|焼《や》けても|灰《はい》なと|残《のこ》るのだが、|髪《かみ》の|毛《け》|一本《いつぽん》|落《お》ちて|居《を》らぬとは|此奴《こいつ》はあんまり|残酷《ざんこく》だ。|大方《おほかた》|巌窟《いはや》の|化物《ばけもの》が|来《き》よつて、|余《あま》り|弱音《よわね》を|吹《ふ》くものだから、|蟒《うはばみ》の|奴《やつ》|弱味《よわみ》につけ|込《こ》んで|一呑《ひとの》みに|呑《の》みよつたに|違《ちが》ひないワ。|待《ま》て|待《ま》て、|一行《いつかう》|六人《ろくにん》の|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|五人《ごにん》まで|大蛇《をろち》に|呑《の》まれて|俺《おれ》|一人《ひとり》が|何《ど》うして【オメ】オメと|生《いき》て|還《かへ》られようか。|待《ま》て|待《ま》てこれから|胆玉《きもたま》の|太《ふと》いこの|岩《いは》サンが、|大蛇《をろち》を|見付《みつ》けたが|最後《さいご》、|足《あし》でもグツと|出《だ》して、オイ|蟒《うはばみ》の|奴《やつ》、|尻《しり》から|俺《おれ》を|呑《の》めと|言挙《ことあ》げしてやらう。さうすれば|大蛇《をろち》の|奴《やつ》、あの|岩公《いはこう》は|手強奴《てごはいやつ》だ、|彼奴《あいつ》だけは|迚《とて》も|呑《の》む|事《こと》は|出来《でき》ぬと|因果腰《いんぐわごし》を|極《き》めて|居《を》つたのに、|先方《むかう》の|方《はう》から|呑《の》めと|云《い》ひよる、|五人《ごにん》|呑《の》むも|六人《ろくにん》|呑《の》むも|一《いつ》しよだ。ヤア|美味《うまい》|々々《うまい》と|蛇《へび》が|蛙《かへる》を|呑《の》んだやうに、|呑《の》みにかかるだらう。さうしたら|此方《こつち》の|勝利《しようり》だ。|神妙《しんめう》に|呑《の》まれてやつて、|這入《はいり》がけに、|頤《あご》の|片一方《かたいつぱう》に、この|十握《とつか》の|劔《つるぎ》をグツと|引《ひ》つかけて|両手《りやうて》で|力《ちから》|一《いつ》ぱい|柄《つか》を|握《にぎ》り、|大蛇《をろち》の|奴《やつ》がグツと|呑《の》めばグツと|切《き》れる。グウグツと|呑《の》めばグウグツと|切《き》れる。|自業自得《じごうじとく》、|大蛇《をろち》は|竹《たけ》を|割《わ》つたやうに|二《ふた》つにポカンと|割《わ》れたが|最後《さいご》、|呑《の》まれてからまだ|間《ま》もない|五人《ごにん》の|宣伝使《せんでんし》、|虫《むし》の|息《いき》でウヨウヨとやつて|居《ゐ》るだらうから、|其処《そこ》へこの|岩《いは》サンが|恭《うやうや》しく|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|声《こゑ》も|涼《すず》しく|言霊《ことたま》の|水火《いき》をもつてウンとやつたが|最後《さいご》|息《いき》|吹《ふ》き|返《かへ》し、アヽ|誰《たれ》かと|思《おも》へば|岩公《いはこう》サンか、イヤ|岩《いは》サンか、|誠《まこと》にもつて|有難《ありがた》い、|貴方《あなた》のお|蔭《かげ》でこの|弱《よわ》い|吾々《われわれ》も|命《いのち》が|助《たす》かりましたと|半泣《はんな》きに|泣《な》きよつて、|手《て》の|舞《ま》ひ|足《あし》の|踏《ふ》む|処《ところ》を|知《し》らずと|云《い》ふ|歓喜《くわんき》の|幕《まく》が|下《お》りるのだ。|可愛《かあい》い|子《こ》には|旅《たび》をさせと|云《い》ふ|事《こと》がある。|神様《かみさま》も|随分《ずゐぶん》|皮肉《ひにく》だな、|大蛇《をろち》の|喉坂峠《のどさかたうげ》を|旅行《りよかう》して|痛《いた》い|味《あぢ》を|知《し》り、|危険《きけん》な|関所《せきしよ》を|越《こ》えて|初《はじ》めて|勇壮《ゆうさう》|活溌《くわつぱつ》なる|大丈夫《だいぢやうぶ》の|宣伝使《せんでんし》とならせる|経綸《しぐみ》だらう。あまり|弱音《よわね》を|吹《ふ》くものだから|屹度《きつと》|神様《かみさま》の|試錬《しれん》に|遇《あ》うたのだらう、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》れば|息《いき》が|止《と》まるか|知《し》れない。ヤアヤア|巌窟《いはや》に|棲《す》む|大蛇《をろち》の|奴《やつ》、|五人《ごにん》|喰《く》ふも|六人《ろくにん》|喰《く》ふも|同《おな》じ|事《こと》だ。|五人《ごにん》の|奴《やつ》は|麦飯《むぎめし》だ。この|岩《いは》サンは|名《な》は|固《かた》いが|歯当《はあた》りのよい|味《あぢ》のよい|鮨米《すしまい》のやうな|肉着《にくつ》きだよ。サア|早《はや》く|尻《しり》の|方《はう》から|呑《の》んだり|呑《の》んだり』
|暗《くら》がりより『アハヽヽヽ、ウフヽヽヽ』
|岩彦《いはひこ》『ヤイ|大蛇《をろち》の|奴《やつ》、|嬉《うれ》しいか、|嬉《うれ》しさうな|笑《わら》ひ|声《ごゑ》をしよつて、サア|早《はや》く|呑《の》まぬかい』
|音彦《おとひこ》『モシモシ|岩《いは》サン、お|気《き》が|付《つ》きましたか、それは|誠《まこと》に|結構《けつこう》でございます』
|岩彦《いはひこ》『モシモシ|岩《いは》サン、お|気《き》が|付《つ》きましたか、|結構《けつこう》だつて、ソンナ|辞令《じれい》は|後《あと》にして|遠慮《ゑんりよ》は|入《い》らぬ。|結構《けつこう》だらう。|早《はや》く|呑《の》んだり|呑《の》んだり』
|鷹彦《たかひこ》『|岩《いは》サン、|結構《けつこう》は|結構《けつこう》ですが、|貴方《あなた》はお|考《かんが》へ|違《ちが》ひでせう。|吾々《われわれ》はお|案《あん》じ|下《くだ》さいますな、|助《たす》かつて|居《を》りますよ』
|岩彦《いはひこ》『|何《なん》だ、|尻《けつ》も|甲《かふ》もあつたものかい、|足《あし》から|喰《く》へ、|食料《しよくれう》に|欠乏《けつぼう》して|餓死《がし》に|迫《せま》つて|居《を》つた|処《ところ》、|半《はん》ダースも|人肉《じんにく》の|温《あたた》かいのが|来《き》たものだから、|結構《けつこう》でございますの、|吾々《われわれ》はお|蔭《かげ》で|助《たす》かりましたのと、|何《なに》を|吐《ぬか》すのだい。|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》ると|侶伴《つれ》の|奴《やつ》の|息《いき》が|切《き》れるワイ、|遠慮《ゑんりよ》は|要《い》らぬ|早《はや》く|呑《の》まぬかい』
|亀彦《かめひこ》『モシモシ|岩《いは》サン、|私《わたくし》は|亀《かめ》でございます、|何卒《どうぞ》ご|安心《あんしん》して|下《くだ》さいませ。|種々《いろいろ》のお|心《こころ》づくし、|骨身《ほねみ》にこたへて|嬉《うれ》しうございます』
|岩彦《いはひこ》『ヤア|貴様《きさま》は|亀《かめ》と|云《い》つたな、|狼《おほかみ》か、|骨身《ほねみ》にこたへるなンて|何《なん》だい、グツと|一口《ひとくち》に|呑《の》まぬかい。バリバリと|骨《ほね》も|身《み》も|一緒《いつしよ》にパクつかれては|此方《こちら》もちつと|都合《つがふ》が|悪《わる》いワイ』
この|時《とき》|闇《くら》がりに、|六個《ろくこ》の|光玉《くわうぎよく》いづくともなく|現《あら》はれ|来《きた》り、たちまち|五柱《いつはしら》の|女神《めがみ》と、|一柱《ひとはしら》の|鬼《おに》のやうな|顔《かほ》した|男《をとこ》とが|現《あら》はれた。|岩公《いはこう》は|驚《おどろ》いてこの|姿《すがた》を|見守《みまも》りゐる。
|五人《ごにん》の|女神《めがみ》には|一々《いちいち》|名札《なふだ》がついて|居《ゐ》る。|見《み》れば|鷹彦《たかひこ》の|本守護神《ほんしゆごじん》、|梅彦《うめひこ》、|音彦《おとひこ》、|亀彦《かめひこ》、|駒彦《こまひこ》の|本守護神《ほんしゆごじん》の|名札《なふだ》をぶら|下《さ》げて|居《ゐ》る。|一方《いつぱう》の|鬼《おに》の|名《な》はと|見《み》れば、こは|抑《そも》|如何《いか》に、|一層《いつそう》|広《ひろ》く|長《なが》き|名札《なふだ》にグシヤグシヤと|文字《もじ》が|現《あら》はれて|居《ゐ》る。よくよく|見《み》れば、
『この|鬼《おに》は|岩彦《いはひこ》の|副守護神《ふくしゆごじん》なり、|本守護神《ほんしゆごじん》は|岩彦《いはひこ》の|驕慢《けうまん》|不遜《ふそん》にして|慢心《まんしん》|強《つよ》き|為《ため》に、|未《いま》だ|顕現《けんげん》する|事《こと》|能《あた》はず。|一時《いちじ》も|早《はや》く|改心《かいしん》の|上《うへ》、かかる|醜《みにく》き|副守護神《ふくしゆごじん》に|退却《たいきやく》を|命《めい》ずべし。|野立彦命《のだちひこのみこと》の|命《めい》に|依《よ》り、|木花姫《このはなひめ》これを|記《しる》す』
と|現《あら》はれて|居《ゐ》る。
|岩彦《いはひこ》『ヤア|大変《たいへん》だ。|五人《ごにん》の|宣伝使《せんでんし》は|何《なん》だ。|俄《にはか》に|女《をんな》|見《み》たやうな|優《やさ》しい|事《こと》を|云《い》ひよると|思《おも》つたら、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》もアンナ|綺麗《きれい》な|本守護神《ほんしゆごじん》が|現《あら》はれたからだな。しかしながら|岩《いは》サンはどこまでも|岩《いは》サンだ。アンナ|女々《めめ》しい|本守護神《ほんしゆごじん》よりも、|仁王様《にわうさん》の|様《やう》な|鬼面《おにづら》をした|副守護神《ふくしゆごじん》に|守護《しゆご》して|貰《もら》ふ|方《はう》が|悪魔《あくま》|征伐《せいばつ》にはもつて|来《こ》いだ。|未《ま》だ|未《ま》だ|武装《ぶさう》|撤回《てつくわい》は|出来《でき》ない。ヤア|副守護神《ふくしゆごじん》、|明日《あす》から|九分九厘《くぶくりん》までお|前《まへ》が|俺《おれ》の|肉体《にくたい》を|守護《しゆご》するのだよ、|一厘《いちりん》と|云《い》ふところになつてから|本守護神《ほんしゆごじん》の|女神《めがみ》になればよいのだ。|何《なん》だ|五人《ごにん》の|宣伝使《せんでんし》|奴《め》、|目的《もくてき》の|半途《はんと》にして|最早《もはや》|一角《ひとかど》の|神業《しんげふ》|奉仕《ほうし》をしたやうに、|泰然《たいぜん》と|澄《す》まし|切《き》つて|居《ゐ》よる。これからが|肝腎《かんじん》|要《かなめ》の|正念場《しやうねんば》だぞ。エヽ|仕方《しかた》がない、|副守護神《ふくしゆごじん》|確《しつか》り|頼《たの》む』
|鬼《おに》『|俺《おれ》は、お|前《まへ》の|買《か》ひ|被《かぶ》つて|居《ゐ》るやうな|鬼《おに》ぢやない。|鬼《おに》みそだよ。|一《ひと》つの|火《ひ》の|玉《たま》にも|雷《かみなり》にも|胆《きも》を|潰《つぶ》す|柔《やさ》しい|鬼《おに》だ。|姿《すがた》はかう|強《つよ》さうに|怖《こは》さうに|見《み》えても、|肝腎《かんじん》の|魂《たましひ》は|味噌《みそ》のやうなものだよ。アンアンアン、オイオイオイ、ウンウンウン、エンエンエン、インインイン』
|岩彦《いはひこ》『|何《なん》だ、|不整頓《ふせいとん》な|言霊《ことたま》の|泣《な》き|声《ごゑ》を|出《だ》しよつて、|俺《おれ》はソンナ|弱《よわ》い|守護神《しゆごじん》と|違《ちが》ふぞ。|貴様《きさま》|大方《おほかた》|偽神《にせがみ》だらう』
|鬼《おに》『それでも、お|前《まへ》の|模型《もけい》だから|仕方《しかた》がないわ。|空威張《からいば》りの|上手《じやうづ》な、|胆玉《きもだま》の|据《す》わらぬ、|見《み》かけ|倒《たふ》しの【ガラクタ】|鬼《おに》だよ』
|岩彦《いはひこ》『さう|云《い》へば、|何処《どこ》かの|端《はし》が|些《ちつ》と|似《に》とるやうな、|矢張《やつぱり》さうかいなア。ヤア|本当《ほんたう》にこれから|強《つよ》くなる。|貴様《きさま》|今日《けふ》|限《かぎ》り|暇《ひま》を|遣《つか》はす|程《ほど》に、|必《かなら》ず|必《かなら》ず|岩《いは》サンの|肉体《にくたい》に|踏《ふ》み|迷《まよ》つて|戻《もど》つて|来《く》るな。|門火《かどび》を|焚《た》いて|送《おく》つてやるのが|本当《ほんたう》なれど、|生憎《あひにく》|焚物《たきもの》もなし、|不本意《ふほんい》だが|今日《けふ》|限《かぎ》り|帰《かへ》つて|仕舞《しま》へ』
|鬼《おに》『ハイハイ、|何《なに》しにマゴマゴとして|居《を》りませう。|疾《と》うの|昔《むかし》から|帰《かへ》り|度《た》くて|帰《かへ》り|度《た》くて|仕方《しかた》が|無《な》けれども、お|前《まへ》の|執着心《しふちやくしん》が|私《わし》を|今《いま》まで|鉄《かね》の|鎖《くさり》で|縛《しば》つて|何《ど》うしても|斯《か》うしても|解放《かいはう》してくれないのだ。|左様《さやう》ならこれでお|暇《ひま》を|致《いた》しませう、アリヨウス』
|岩彦《いはひこ》『アーア、これでこの|岩公《いはこう》も|何《なん》だか|其辺《そこら》が|明《あ》かるくなつたやうな|心持《こころもち》が|致《いた》しました。モシモシ|五人《ごにん》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、ご|苦労《くらう》でございました。サアサアこれから|貴方方《あなたがた》のお|伴《とも》して、タカオ|山脈《さんみやく》のコシの|峠《たうげ》の|麓《ふもと》を|指《さ》して|参《まゐ》りませう。イヤもう|私《わたくし》の|鬼《おに》を|逐出《おひだ》す|為《ため》にいかいご|苦労《くらう》をかけました』
|一同《いちどう》『アハヽヽヽ|岩《いは》サンお|目出度《めでた》う、あれをご|覧《らん》なさいませ、|鬼《おに》の|帰《かへ》りた|後《あと》に、あのやうな|立派《りつぱ》な|守護神《しゆごじん》が|顕現《けんげん》されました』
|岩彦《いはひこ》『ヤア、|本当《ほんたう》にこれはこれは、マア|何《なん》と|云《い》ふ|立派《りつぱ》な、お|岩彦《いはひこ》の|御《おん》|御守護神《ごしゆごじん》|様《さま》だこと、マアマア、よくもよくも|御《おん》|御守護《ごしゆご》|下《くだ》さいました。お|有難《ありがた》うございます』
|守護神《しゆごじん》『|岩《いは》サン|分《わか》りましたか、ようマア|鬼《おに》を|去《いな》して|下《くだ》さいました。|私《わたくし》も|天《あま》の|岩戸《いはと》が|開《ひら》けたやうな|心持《こころもち》が|致《いた》します。サアサアこれから|貴方《あなた》と|私《わたくし》と|霊肉《れいにく》|一致《いつち》して|膠《にかは》の|如《ごと》く|漆《うるし》の|如《ごと》く|密着《みつちやく》|不離《ふり》の|身魂《みたま》となつて、|岩戸開《いはとびら》きの|神業《しんげふ》に|参加《さんか》さして|頂《いただ》きませう』
|岩彦《いはひこ》『これはこれは|畏《おそ》れ|入《い》つたるご|挨拶《あいさつ》、|本守護神《ほんしゆごじん》|様《さま》のご|迷惑《めいわく》になる|事《こと》ばかり、|我《が》を|張《は》り|詰《つめ》て|致《いた》して|来《き》ました。どうぞこれからは|比翼《ひよく》|連理《れんり》|偕老《かいらう》|同穴《どうけつ》の|夫婦《ふうふ》のやうになつて、|二世《にせ》も|三世《さんせ》も、|後《さき》の|世《よ》かけてご|提携《ていけい》を|願《ねが》ひます』
ここに|六人《ろくにん》の|本守護神《ほんしゆごじん》と、|六人《ろくにん》の|宣伝使《せんでんし》は|巌窟《がんくつ》の|広場《ひろば》を|指《さ》し、|手《て》を|拍《う》ち|宣伝歌《せんでんか》を|高唱《かうしやう》し、|春《はる》の|野《の》の|花《はな》に|蝶《てふ》の|狂《くる》ふが|如《ごと》く、|大地《だいち》を|踏《ふ》み|轟《とどろ》かし、
『|開《ひら》いた|開《ひら》いた|菜《な》の|花《はな》が|開《ひら》いた  |蓮《はす》の|花《はな》が|開《ひら》いた
|心《こころ》の|花《はな》も|開《ひら》いた  |身魂《みたま》のもつれも|開《ひら》いた
|開《ひら》いた|開《ひら》いた  |常夜《とこよ》の|闇《やみ》となり|果《は》てし
|天《あま》の|岩戸《いはと》もサラリと|開《ひら》いた』
|各自《かくじ》の|本守護神《ほんしゆごじん》はやがて、|得《え》も|云《い》はれぬ|五色《ごしき》の|玉《たま》となつて|各自《かくじ》の|頭上《づじやう》に|留《と》まつた。|玉《たま》は|頭脳《づなう》に|吸収《きふしう》さるる|如《ごと》く、|追々《おひおひ》その|容積《ようせき》を|減《げん》じ、|遂《つひ》には|宣伝使《せんでんし》の|体内《たいない》に|残《のこ》らず|浸《し》み|込《こ》んで|仕舞《しま》つた。
これより|一行《いつかう》はこの|巌窟《がんくつ》を|立《た》ち|出《いで》て、|原野《げんや》を|渡《わた》り、コシの|峠《たうげ》を|指《さ》して|勇《いさ》ましく|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・三・二一 旧二・二三 加藤明子録)
第五篇 |膝栗毛《ひざくりげ》
第二二章 |高加索詣《コーカスまゐり》〔五四八〕
|四方《よも》の|山辺《やまべ》は|青々《あをあを》と、|若芽《わかめ》の|緑《みどり》|春姫《はるひめ》の、|袖《そで》|振《ふ》り|栄《は》えて|紅《くれなゐ》の、|花《はな》|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|春《はる》の|空《そら》、コーカス|山《ざん》に|現《あらは》れし、|日《ひ》の|出別《でのわけ》の|活神《いきがみ》を、|慕《した》うて|絡繹《らくえき》と|詣《まう》づる|男女《だんぢよ》の|真中《まんなか》に、|秀《ひいで》て|黒《くろ》き|二人《ふたり》の|大男《おほをとこ》は、|宣伝歌《せんでんか》の|此処《ここ》|彼処《かしこ》、|千切《ちぎ》れ|千切《ちぎ》れに|歌《うた》ひながら|進《すす》み|来《きた》り、|路傍《ろばう》の|草《くさ》の|上《うへ》に|腰《こし》|打《う》ち|掛《か》けて、|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》るあり。
『オイ|与太彦《よたひこ》、どうだ、|長《なが》らくの|間《あひだ》、|日月《じつげつ》の|光《ひかり》もなく、|草木《くさき》の|色《いろ》は|枯葉《かれは》の|様《やう》になつて|春《はる》の|気分《きぶん》もトント|無《な》かつたが、|日《ひ》の|出別《でわけ》の|活神《いきがみ》さまが、コーカス|山《ざん》に|現《あら》はれてより、|金覆輪《きんぷくりん》の|日輪様《にちりんさま》は|晃々《くわうくわう》と|輝《かがや》き|玉《たま》ひ、|草木《さうもく》は|若芽《わかめ》を|吹《ふ》き、|花《はな》は|咲《さ》き|小鳥《ことり》は|歌《うた》ひ、|陽気《やうき》は|良《よ》く、|本当《ほんたう》に|地獄《ぢごく》から|極楽《ごくらく》へ|早替《はやがは》りをしたやうだなア』
『|本当《ほんたう》にさうだ、|一時《いちじ》も|早《はや》くコーカス|山《ざん》の|御宮《おみや》に|参拝《さんぱい》したいものだ。しかし|是《これ》だけ|大勢《おほぜい》の|老若《らうにやく》|男女《なんによ》が、|珠数《じゆず》|繋《つな》ぎになつて|参拝《さんぱい》するのだから、|緩《ゆ》つくりと|足《あし》を|伸《の》ばして|休《やす》むことも|出来《でき》やしない。マゴマゴして|居《を》れば|踏《ふ》み|潰《つぶ》されて|仕舞《しま》ふわ。ノー|弥次公《やじこう》、|今晩《こんばん》は|何処《どこ》で|宿《やど》を|取《と》つたらよからうかなア』
『サア|春《はる》と|云《い》つてもまだ|夜分《やぶん》はよほど|寒《さむ》いから、まさか|野宿《のじゆく》する|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|是《これ》から|二里《にり》ばかり|行《ゆ》くと、|田子《たご》と|云《い》ふ|小《ちひ》さい|町《まち》があつて、そこには|俺《おれ》のとこに|長《なが》らく|奉公《ほうこう》をして|居《を》つた、お|竹《たけ》と|云《い》ふ|下女《げぢよ》の|家《うち》がある|筈《はず》だから、|今晩《こんばん》は|其処《そこ》までコンパスを|延《の》ばして、|泊《と》めて|貰《もら》つたらどうだらう』
『ウーン、あのお|竹《たけ》ドンの|家《うち》か、それは|良《よ》からう。しかし|泊《と》めて|呉《くれ》るだらうか、これだけ|大勢《おほぜい》の|人《ひと》だから、お|竹《たけ》ドンの|家《うち》も|沢山《たくさん》の|知《し》り|合《あひ》の|人《ひと》があるだらうから、|俺等《おいら》が|行《ゆ》く|迄《まで》に|満員《まんゐん》になつて|居《ゐ》るやうな|事《こと》はあるまいかな』
『そこが|主人《しゆじん》と|家来《けらい》だ、いかに|無情《むじやう》なお|竹《たけ》だつて、|十年《じふねん》も|飼《か》うてやつた|主人《しゆじん》が|頼《たの》む|事《こと》を【まさか】|厭《いや》とは|云《い》はれよまい。マアともかくもお|竹《たけ》の|家《うち》を|目当《めあて》に|行《ゆ》かうかい。ヤア|沢山《たくさん》な|参詣者《さんけいしや》だナア』
と|云《い》ひながら、|両人《りやうにん》は|草臥《くたび》れた|足《あし》をチガチガと|運《はこ》びはじめた。|日《ひ》は|山《やま》の|端《は》に|没《ぼつ》せむとする|頃《ころ》、やうやう|田子《たご》の|町《まち》に|着《つ》いた。
『|何《なん》でもこの|町《まち》だ。|酷《ひど》う|大《おほ》きな|家《うち》ぢやないさうなから、|貴様《きさま》は|右側《みぎがは》を|調《しら》べて|見《み》ろ、|俺《おれ》は|左側《ひだりがは》を|調《しら》べて|行《ゆ》く』
|与太彦《よたひこ》『|何《なに》か|屋号《やがう》でもあるのか』
|弥次彦《やじひこ》『お|前《まへ》お|竹《たけ》の|顔《かほ》|知《し》つとるだらう、|彼奴《あいつ》の|顔《かほ》を|見当《けんたう》に|行《ゆ》くのだよ』
|与太彦《よたひこ》『お|竹《たけ》だつて、さう|日当《ひあた》りに|看板《かんばん》の|様《やう》に、|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|立《た》ち|続《つづ》けにして|居《を》る|筈《はず》は|無《な》いから、ソンナ|頼《たよ》り|無《な》い|標的《へうてき》を|的《まと》に|探《さが》しても|不可《いかん》ぢやないか。それよりもいつその|事《こと》、|軒毎《のきごと》にお|竹《たけ》ドンの|家《うち》はここかここかと、|両側《りやうがは》の|家《いへ》を|尋《たづ》ねて|廻《まは》つたら|一番《いちばん》|的確《てきかく》だよ』
|弥次彦《やじひこ》『ウン、それがよからう。サア|此処《ここ》が|田子《たご》の|町《まち》だ。お|前《まへ》は|右側《みぎがは》だ、|俺《おれ》は|左側《ひだりがは》だ……モシモシ、お|竹《たけ》ドンのお|宅《たく》はこなたぢや|御座《ござ》いませぬか』
|屋内《をくない》より
『|違《ちが》ひます』
|弥次彦《やじひこ》『こなたはお|竹《たけ》ドンの|館《やかた》では|御座《ござ》いますまいか』
|屋内《をくない》より
『お|竹《たけ》の|家《うち》ですが、お|竹《たけ》は|十五年前《じふごねんぜん》に|死《し》にましたよ』
『ナニ、|十年前《じふねんぜん》に|俺《おれ》のとこに|奉公《ほうこう》して|居《ゐ》たのだ、|十五年前《じふごねんぜん》に|死《し》んだとはお|前《まへ》サンチツト|勘定《かんぢやう》|違《ちが》ひぢやないかなア。|高取村《たかとりむら》の|弥次彦《やじひこ》の|家《うち》に|奉公《ほうこう》して|居《を》つたお|竹《たけ》の|事《こと》だよ』
|屋内《をくない》より、
『|私処《わしとこ》の|娘《むすめ》は|奉公《ほうこう》にやつた|事《こと》は|無《な》い』
『ぢやお|竹《たけ》|違《ちが》ひだ、これはおタゲーに|迷惑《めいわく》だ。エー|仕方《しかた》がない、|初《はじ》めからドンを|突《つ》かれだ。これだけ|小《ちひ》さい|町《まち》だと|云《い》つても、|随分《ずゐぶん》の|家数《いへかず》だ、|軒毎《のきごと》に|尋《たづ》ねて|居《を》ると|乞食《こじき》と|間違《まちが》へられて|気《き》が|利《き》かぬ。|天秤棒《てんびんぼう》の|星当《ほしあた》りだ。|二軒《にけん》か|三軒《さんげん》づつ|間《あひ》をあけて|尋《たづ》ねて|見《み》ようかい』
|二人《ふたり》は|町《まち》の|両側《りやうがは》をあちらこちらとお|竹《たけ》の|有《あ》り|家《か》を|尋《たづ》ねて|進《すす》み|行《ゆ》く。
|小《ちひ》さき|屑屋葺《くづやぶき》の|軒下《のきした》から、
『モシモシ、|貴方《あなた》は|高取村《たかとりむら》の|旦那様《だんなさま》ぢや|御座《ござ》いませぬか』
『イヤーお|前《まへ》はお|竹《たけ》か。ナンとマア|偉《えら》い|婆《ばば》アになつたなア。|俺《おれ》のとこに|居《を》つた|時《とき》は、ちよつと|渋皮《しぶかは》のむけた|別嬪《べつぴん》だつたが、|十年《じふねん》|経《た》てば|一昔《ひとむかし》、|寄《よ》つたりな|寄《よ》つたりな|皺《しわ》|三十二《さんじふに》になつたらう。|皺《しわ》|三十二《さんじふに》|歳《さい》のお|前《まへ》の|姿《すがた》、これを|思《おも》へば|年《とし》は|取《と》りたくないものだ。しかしながら|取《と》りたいものが|一《ひと》つある』
『オホヽヽヽヽ、|旦那様《だんなさま》、|取《と》りたいと|仰《おつ》しやるのは|何《なん》でございます』
『|今晩《こんばん》|宿《やど》が|取《と》りたいのだ。|貴様《きさま》の|家《うち》に|泊《と》めて|呉《くれ》ないか』
『|滅相《めつさう》な、|旦那様《だんなさま》のお|泊《とま》りなさるやうな|家《うち》ぢやございませぬ。ホントウに|穢苦《むさくる》しうて、お|恥《はづ》かしう|御座《ござ》いますから、どうぞそれ|許《ばか》りは|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ』
『ソンナラ|何処《どこ》か|宿屋《やどや》へ|案内《あんない》をして|呉《く》れないか』
『これだけ|沢山《たくさん》なコーカス|詣《まゐ》りに、|何処《どこ》の|家《うち》も|彼処《かしこ》の|家《うち》も、ギツシリ|鮓詰《すしづ》めと|云《い》ふ|有様《ありさま》でございます。|私《わたし》とこの|様《やう》な|小《ちひ》さい|家《うち》でも、|何処《どこ》の|方《かた》か|知《し》りませぬが、|軒下《のきした》でもよいから|泊《と》めて|呉《く》れいと|仰《おつ》しやつて、|身動《みうご》きも|出来《でき》ぬ|程《ほど》のお|人《ひと》でございます』
『|何処《どこ》でもいいが|空《あ》いた|処《とこ》は|無《な》いか。ハンモツクでもあれば、|天井裏《てんじやううら》でも|構《かま》はぬ。|雨露《あめつゆ》さへ|凌《しの》げばいいのだから』
『ソンナ|気《き》の|利《き》いたものが|私《わたし》とこの|様《やう》な|貧乏《びんぼう》な|家《うち》に|有《あ》りますものか。|明《あ》いた|処《とこ》と|云《い》へば|煤《すす》だらけの|柴屋《しばや》がある|丈《だけ》です』
『イヤーその|柴屋《しばや》で|結構《けつこう》だ。しかし|随分《ずゐぶん》|燻《くす》ぼるだらうなア』
『|下《した》で|御飯《ごぜん》を|焚《た》いたりお|茶《ちや》を|沸《わか》したり|致《いた》しますから、|随分《ずゐぶん》|天井《てんじやう》は|燻《くす》ぼりませう。|旦那様《だんなさま》、ソンナ|処《ところ》でお|泊《とま》りやしたら|狸《たぬき》と|間違《まちが》へられますぜ。オホヽヽヽヽヽ』
『イヤー|狸《たぬき》でも|狐《きつね》でも|構《かま》はぬ、|一夜《いちや》|明《あ》かせば|良《よ》いのだ。ヤア|今晩《こんばん》の|宿舎《しゆくしや》は|是《これ》で|解決《かいけつ》がついた。オイ|与太彦《よたひこ》、|此処《ここ》だ|此処《ここ》だ、|宿屋《やどや》が|極《きま》つた。ヤアー|何処《どこ》へ|行《ゆ》きよつた、|狼狽者《あわてもの》だなア。|与太公《よたこう》の|奴《やつ》|大勢《おほぜい》の|人《ひと》に|紛《まぎ》れて|俺《おれ》の|談判《だんぱん》が|分《わか》らなかつたと|見《み》えるワイ。オイお|竹《たけ》、|俺《おれ》の|連《つれ》の|与太彦《よたひこ》を|呼《よ》んで|来《き》て|呉《くれ》ないか』
『この|町《まち》は|小《ちひ》さい|町《まち》でございますから、いづれ|向《むか》ふまで|行《い》つて|家《いへ》が|無《な》くなつたら、|又《また》こちら|側《がは》を|尋《たづ》ねて|帰《かへ》つて|来《こ》られませうから、マア|渋茶《しぶちや》でも|飲《の》んでゆつくり|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さいナ』
『ヤア|与太公《よたこう》どうだつた。これがお|竹《たけ》|様《さま》のお|館《やかた》だ。|今晩《こんばん》はここで|御宿泊《ごしゆくはく》だ』
|与太彦《よたひこ》『ヨー、ナントお|粗末《そまつ》……ぢやない|結構《けつこう》なお|家《うち》だ。ヤアお|竹《たけ》サン、|私《わたし》の|顔《かほ》を|知《し》つてますか。|十年《じふねん》の|昔《むかし》|牛部屋《うしべや》から|忍《しの》び|込《こ》んだ|時《とき》、コーンと|臂鉄《ひじてつ》を|食《く》はせましたなア、|覚《おぼ》えてますか』
『オホヽヽヽヽ、|人《ひと》が|聞《き》いてますよ、ソンナ|見《み》つともない|事《こと》を|仰《おつ》しやいますな。マア|裏《うら》で|緩《ゆつ》くりと|一服《いつぷく》して|居《を》つて|下《くだ》さい。|柴屋《しばや》を|片付《かたづ》けましてお|休《やす》み|場所《ばしよ》を|拵《こしら》へますまで』
『アーお|前《まへ》の|云《い》ふ|通《とほ》り|小《ちひ》さい|家《うち》に|似合《にあは》ぬ|沢山《たくさん》なお|客様《きやくさま》だなア。アーこれがお|前《まへ》の|母親《ははおや》か、|頭《あたま》の|光《ひか》つたお|爺様《ぢいさん》がござるな。ヤア|結構《けつこう》|々々《けつこう》、|年《とし》がよつて|達者《たつしや》なのは|何《なに》よりだ』
『|旦那様《だんなさま》、どうぞ|此方《こなた》と|裏《うら》に|休《やす》んで|居《ゐ》て|下《くだ》さいませ』
『ヨシヨシ。オイ|与太彦《よたひこ》、|表《おもて》は|随分《ずゐぶん》|穢苦《むさくる》しい|穢《きたな》い|家《うち》だが、|裏《うら》へ|廻《まは》ると|立派《りつぱ》な|家《うち》があるぢやないか。マア、ここで|緩《ゆつ》くりと|一服《いつぷく》しようかい。ウーン|床《とこ》の|間《ま》の|飾《かざ》りと|云《い》ひ、|欄間《らんま》と|云《い》ひ、|書院《しよゐん》の|工合《ぐあひ》やら|何《なに》から|何《なに》まで、|到底《たうてい》|俺《おれ》の|処《とこ》の|座敷《ざしき》に|比《くら》べて、|幾層倍《いくそうばい》|上等《じやうとう》かも|知《し》れない。お|竹《たけ》の|奴《やつ》|随分《ずゐぶん》|持《も》つてけつかるのだらう。|表《おもて》を|立派《りつぱ》にすると|税金《ぜいきん》がかかるものだから、コンナ|陋《きたな》い|見《み》すぼらしい|家《いへ》を|建《た》てよつて、|裏《うら》には|立派《りつぱ》な|亭座敷《ちんざしき》を|建《た》てて|居《ゐ》よる、|抜《ぬ》かりの|無《な》い|奴《やつ》だ。|今《いま》の|人間《にんげん》は|表《おもて》を|飾《かざ》つて|裏《うら》へ|這入《はい》れば|皆《みな》|我楽多《がらくた》|計《ばか》りだが、お|竹《たけ》の|奴《やつ》|長《なが》らく|俺《おれ》の|処《とこ》で|修行《しうぎやう》をしたお|蔭《かげ》で、|表《おもて》は|陋《きたな》く|内心《ないしん》はこの|通《とほ》り|立派《りつぱ》にやつてけつかるのだらう、|感心《かんしん》だ|感心《かんしん》だ。コンナ|結構《けつこう》な|座敷《ざしき》になぜ|給仕人《きふじにん》を|置《お》いて|置《お》かぬのだらう。オイ|手《て》を|叩《たた》いて|御茶《おちや》でも|持《も》て|来《こ》いと|命《めい》ずるかなア、|与太彦《よたひこ》』
『ホントウに|感心《かんしん》だ、これだから|人《ひと》の|出世《しゆつせ》は|分《わか》らぬと|云《い》ふのだよ。|余《あま》り|人《ひと》は|零落《おちぶれ》たと|云《い》ふて|侮《あなど》るものぢやないぞ』
|弥次彦《やじひこ》はやたらに|手《て》を|叩《たた》き、
『オーイ、お|茶《ちや》だお|茶《ちや》だ』
|白髪《はくはつ》の|老人《らうじん》|一人《ひとり》|若《わか》い|男《をとこ》を|伴《ともな》ひ|来《きた》り、ギロギロとした|目《め》を|剥《む》きながら、
『お|前《まへ》たちは|何処《どこ》の|方《かた》だい、|俺《わし》の|処《とこ》の|離《はな》れ|座敷《ざしき》に|断《ことわ》りもなく|侵入《しんにふ》して|何《なに》をして|居《ゐ》るのだ。|家宅《かたく》|侵入罪《しんにふざい》で|訴《うつた》へようか』
『ヤアお|爺様《ぢいさん》、|能《よ》く|洒落《しやれ》るなア。|俺《おれ》はお|前《まへ》ん|処《とこ》の|娘《むすめ》のお|竹《たけ》の|主人《しゆじん》だよ』
『|私処《わしとこ》にお|竹《たけ》と|云《い》ふ|者《もの》は|居《を》らぬ。お|竹《たけ》の|家《うち》はその|前《まへ》の|小《ちつ》ぽけな|家《うち》だぞ』
『ヤアー、さうすると|此処《ここ》の|家《うち》はお|竹《たけ》の|家《うち》ぢやないのか、それなら|何故《なぜ》|垣《かき》をして|置《お》かないのか、お|竹《たけ》が|裏《うら》で|休《やす》めと|云《い》ふから、|気《き》の|利《き》いた|座敷《ざしき》だと|思《おも》つて|一寸《ちよつと》|一服《いつぷく》して|居《を》つたのだ』
『ハハーお|前《まへ》たちは|間違《まちが》へて|這入《はい》つたのだなア、|仕方《しかた》がない|早《はや》う|出《で》て|下《くだ》さい。オイ|長松《ちやうまつ》、|塩《しほ》を|持《も》つて|来《こ》い。|大切《たいせつ》な|座敷《ざしき》へ|裏《うら》からノコノコと|這入《はい》つて|来《き》よつて、ここは|神様《かみさま》のお|座敷《ざしき》だ。|俺《わし》さへ|此処《ここ》へ|来《く》るのには、|水《みづ》をかぶらな|這入《はい》らぬ|座敷《ざしき》をば、|泥塗《どろまぶ》れの|足《あし》で|上《あが》りよつて|怪《け》しからぬ|奴《やつ》だ』
『ヤアお|爺様《ぢいさん》これは|失敬《しつけい》、オイ|与太公《よたこう》、|長居《ながゐ》は|恐《おそ》れだ。|退却《たいきやく》|々々《たいきやく》』
お|竹《たけ》は、
『モシモシ|旦那《だんな》さま、|何処《どこ》へ|行《い》つてゐらつしやいました、|最前《さいぜん》から|心配《しんぱい》をして、そこらを|尋《たづ》ねて|居《を》りました。|仕度《したく》が|出来《でき》ましたから、どうぞ|柴屋《しばや》へ|上《あが》つて|下《くだ》さいませ』
『ヤア、それは|有難《ありがた》い、|案内《あんない》して|呉《く》れ』
『サア、ここに|梯子《はしご》が|掛《か》けてございます、ここからトントンとお|上《あが》り|下《くだ》さいませ。|沢山《たくさん》|柴《しば》が|詰《つ》めてありますが、お|二人《ふたり》|様《さま》|位《くらゐ》はどうなつと|休《やす》めませう』
『アヽ、|仕方《しかた》が|無《な》い。ヤア|有《あ》り|難《がた》う。|与太公《よたこう》|二階《にかい》へ|上《あが》つて|休息《きうそく》しようかなア』
とビヨビヨした|危《あぶな》い|虫食《むしく》ひだらけの|梯子《はしご》を|恐々《こわごわ》|上《のぼ》つて|行《ゆ》く。
『サア、マー|是《これ》で|一安心《ひとあんしん》だ、|煤《すす》だらけだな。しかしマア|外《そと》で|寝《ね》て|居《ゐ》るより|優《まし》かい。|能《よ》く|燻《くす》ばる|家《うち》だなア。クシャンクシャン。アー|目《め》が|痛《いた》い』
『ともかく|今晩《こんばん》の|宿《やど》が|定《さだ》まりまして|弥次彦《やじひこ》さまにもお|目痛《めいた》うございます、ウフヽヽヽ』
『|洒落《しやれ》どころか、アタけぶたいのに』
|与太彦《よたひこ》は|柴《しば》を|枕《まくら》にコロリと|横《よこ》になる。|弥次彦《やじひこ》は|下《した》を|眺《なが》めて、|大勢《おほぜい》の|者《もの》の|飯《めし》を|焚《た》き|茶《ちや》を|沸《わ》かし、|右往左往《うわうさわう》する|様《さま》をヂツと|見下《みおろ》して|居《ゐ》た。お|竹《たけ》の|母親《ははおや》と|見《み》えて、|渋紙《しぶかみ》のやうな|顔《かほ》した|頭《あたま》の|禿《は》げた|婆々《ばばあ》は、|真《ま》つ|黒《くろ》けの|垢《あか》だらけの|手《て》を|出《だ》し、|黒《くろ》い|杓子《しやくし》で|鍋《なべ》から|飯《めし》を|左《ひだり》の|手《て》のひらに|載《の》せ、|杓子《しやくし》を|下《した》におろし、|右《みぎ》の|手《て》で|洟《みづばな》をツンとかみ、|手《て》の|甲《かふ》にて|洟《はな》をこすり、|飯《めし》をクネクネと|握《にぎ》つて|居《ゐ》る。|一《ひと》つ|握《にぎ》つては|笊《ざる》の|中《なか》へ|放《ほ》り|込《こ》み、|一《ひと》つ|握《にぎ》つては|笊《ざる》の|中《なか》に|投《ほ》り|込《こ》み、|見《み》る|間《ま》に|二十《にじふ》|許《ばか》り|三角形《さんかくがた》の|握《にぎ》り|飯《めし》を|固《かた》めて|了《しま》ひ、
『モシモシ|二階《にかい》のお|客《きやく》さま、そこに|黒《くろ》い|綱《つな》があるだらう、|綱《つな》の|先《さき》に|柴《しば》を|吊《つ》り|上《あげ》る|鈎《かぎ》が|付《つ》いて|居《ゐ》るから、それをスルスルと|下《おろ》して|下《くだ》さい、|握《にぎ》りマンマをあげます』
『お|婆様《ばあさん》、|是《これ》かなア』
と|云《い》ひながら|鈎《かぎ》の|付《つ》いた|黒《くろ》い|綱《つな》をツルツルとおろした。|婆々《ばばあ》は|笊《ざる》を|十文字《じふもんじ》に|縛《しば》り、その|中央《まんなか》に|鈎《かぎ》を|引《ひつ》かけ、
『サアサアこれを|上《うへ》へ|釣《つ》り|上《あ》げて|腹《はら》|一《いつ》ぱい|上《あが》つて|下《くだ》さい。お|茶《ちや》は|沸《わ》いたらまた|知《し》らすから|鈎《かぎ》をおろして|下《くだ》され、|土瓶《どびん》を|引《ひつ》かけてあげるから、|又《また》ツルツルと|上《うへ》へ|上《あ》げるのだよ』
『オイ|与太彦《よたひこ》、|握《にぎ》り|飯《めし》だ。|腹《はら》が|滅《へ》つただらう、シコタマ|頂戴《ちやうだい》せぬか』
『|有難《ありがた》いなア、|天道《てんだう》は|人《ひと》を|殺《ころ》さず、|弁当《べんたう》は|人《ひと》を|助《たす》ける。|今晩《こんばん》は|宿屋《やどや》がなくて|飯《めし》も|頂《いただ》けまいと|思《おも》うて|居《ゐ》たのに、これはマー|結構《けつこう》な|事《こと》だ。オー|沢山《たくさん》な|握《にぎ》り|飯《めし》だなア、|偉《えら》う|黒《くろ》いのと|白《しろ》いのと|有《あ》るぢやないか』
『ソラ|極《きま》つた|事《こと》だよ、|初《はじめ》に|握《にぎ》つた|奴《やつ》は|黒《くろ》いに|極《きま》つて|居《を》るわ、|白《しろ》い|奴《やつ》から|食《く》うたらよからう』
|与太彦《よたひこ》、|一《ひと》つカブツて、
『ヤア|弥次彦《やじひこ》、|塩《しほ》|加減《かげん》が|良《よ》いぜ、お|前《まへ》も|一《ひと》つ|食《く》つたらどうだ』
『イヤ|今日《けふ》は|余《あま》り|草臥《くたびれ》て|胸脹《むなぶく》れがして|飯《めし》は|厭《いや》だ。|与太公《よたこう》ヨバレテ|仕舞《しま》へ』
『ホントウにお|前《まへ》いいのか、それなら|済《す》まぬがお|前《まへ》の|代理《だいり》に|二人前《ににんまへ》|失敬《しつけい》しようかい。ヤア|色《いろ》は|黒《くろ》いが|塩《しほ》|加減《かげん》が|良《よ》いわ、ネンバリとして|何《なん》とも|云《い》へぬ|味《あぢ》だよ。この|辺《へん》の|米《こめ》はよつぽど|性《たち》がよいと|見《み》えるナア』
と|云《い》ひながら|黒《くろ》いのを|二《ふた》つ|残《のこ》し|全部《ぜんぶ》|平《たひら》げて|仕舞《しま》つた。
『アハヽヽヽ、|味《うま》かつたか、|塩《しほ》|加減《かげん》が|良《よ》かつただらう。その|筈《はず》だ、|俺《おれ》がかうして|下《した》を|覗《のぞ》いて|居《を》ると、|渋紙《しぶかみ》の|様《やう》な、|頭《あたま》の|禿《は》げた、|穢《きたな》い|婆々《ばばあ》が|真《ま》つ|黒《くろ》な|手《て》を|出《だ》して、|鍋《なべ》の|中《なか》ヘグサツと|手《て》を|突《つ》き|込《こ》んではグツと|握《にぎ》り、|洟《みづばな》を|垂《た》らしては|手洟《てばな》をかみ、|握《にぎ》り|固《かた》めたのだもの、|塩《しほ》|加減《かげん》のよいのは|婆々《ばばあ》の|洟汁《はなしる》が|混《まぢ》つて|居《ゐ》るからだよ。アハヽヽヽ』
『ペツペツ、エー|気分《きぶん》の|悪《わる》い、|何《なん》だかムカツイテ|来《き》た。オイ|弥次彦《やじひこ》、|茶《ちや》でも|請求《せいきう》して|呉《く》れないか、|一《いつ》ペん|腹《はら》の|洗濯《せんたく》でもせないと、|喉《のど》がニチヤクチヤして|気分《きぶん》が|悪《わる》い』
『オーさうだらう。モシモシお|婆《ばあ》サン、|鈎《かぎ》を|下《お》ろすからお|茶《ちや》を|下《くだ》さいなア』
『その|綱《つな》を|確《し》つかりと|持《も》つて|居《ゐ》なされや、|途中《とちう》で|放《はな》して|貰《もら》うと、|下《した》に|居《ゐ》る|婆々《ばばあ》が|煮《に》え|茶《ちや》を|被《かぶ》るから』
|土瓶《どびん》に|真《ま》つ|黒《くろ》の|茶《ちや》を|一《いつ》ぱいもつて|鈎《かぎ》にかけた。|弥次彦《やじひこ》はツルツルと|引上《ひきあ》げた。
『サア|与太彦《よたひこ》、ナンボなと|飲《の》んだり|飲《の》んだり』
『|飲《の》まいでかい、|腹《はら》の|洗濯《せんたく》だもの』
と|云《い》ひながら|土瓶《どびん》に|一《いつ》ぱいの|茶《ちや》をコロリと|空《あ》けて|仕舞《しま》つた。
『オイオイ、お|前《まへ》ばかり|飲《の》んで|居《を》つて|俺《おれ》にも|一杯《いつぱい》|飲《の》まさぬかい』
『もう|仕舞《しまひ》だ、マア|一杯《いつぱい》|請求《せいきう》して|呉《く》れないか』
『|能《よ》う|茶《ちや》を|食《く》らふ|親仁《おやぢ》だなア。モシモシお|婆《ばあ》サン、もう|一杯《いつぱい》お|茶《ちや》を|下《くだ》さらぬか』
|下《した》には|禿頭《はげあたま》の|爺《おやぢ》と|婆《ばば》、その|他《た》お|竹《たけ》の|兄弟《きやうだい》|五六人《ごろくにん》、|沢山《たくさん》のお|客様《きやくさま》に|握《にぎ》り|飯《めし》を|一生懸命《いつしやうけんめい》に|拵《こしら》へて|居《ゐ》る。
|弥次彦《やじひこ》は|鈎《かぎ》に|土瓶《どびん》を|引《ひ》つかけ、ツルツルと|下《おろ》した|途端《とたん》に、|禿頭《はげあたま》の|爺《おやぢ》の|額口《ひたひぐち》にコツンと|当《あた》つた。|弥次彦《やじひこ》は|吃驚《びつくり》して|土瓶《どびん》の|綱《つな》を|俄《にはか》に|手繰《たぐ》り|上《あ》げる。
『ヤア|怪体《けたい》な|事《こと》が|有《あ》るものぢや、|土瓶《どびん》の|奴《やつ》|俺《おれ》の|頭《あたま》を|蹴《け》りよつて|逸早《いちはや》く|天上《てんじやう》して|仕舞《しま》つた。|化物《ばけもの》だらうかなア』
『|爺《ぢい》さまの|薬鑵頭《やくわんあたま》を|土瓶《どびん》が|蹴《け》るのは|当《あた》り|前《まへ》だよ。たとへ|土瓶《どびん》が|天上《てんじやう》|位《くらゐ》したつて|何《なに》も|不思議《ふしぎ》ぢやない。|今朝《けさ》も|婆々《ばばあ》が|見《み》て|居《を》れば|門前《かど》を|葱《ねぶか》の|浄瑠璃《じやうるり》|語《かた》りや、|大根《だいこん》の|役者《やくしや》が|通《とほ》つた。|土瓶《どびん》の|天上《てんじやう》|位《くらゐ》は|別《べつ》に|不思議《ふしぎ》な|事《こと》は|無《な》いわいなア』
|又《また》もや|土瓶《どびん》は|柴屋《しばや》からツルツルと|下《お》りて|来《き》た。
お|竹《たけ》『ヤア|旦那様《だんなさま》が|大変《たいへん》|喉《のど》を|乾《かわ》かして|御座《ござ》ると|見《み》える、|充分《じうぶん》|入《い》れて|上《あ》げて|下《くだ》されな』
|婆《ばば》は、
『ヨシヨシ』
と|云《い》ひながら|飯《めし》のついた|手《て》で|杓《しやく》を|握《にぎ》り、|土瓶《どびん》に|酌《く》み|再《ふたた》び|鈎《かぎ》に|掛《か》けた。|土瓶《どびん》は|忽《たちま》ち|天井《てんじやう》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。
(大正一一・三・二一 旧二・二三 岩田久太郎録)
第二三章 |和解《わかい》〔五四九〕
|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》の|二人《ふたり》は、また|大土瓶《おほどびん》の|茶《ちや》をガブガブと|残《のこ》らず|飲《の》んでしまつた。
『エー|気分《きぶん》の|悪《わる》い、|沢山《たくさん》の|茶《ちや》を|飲《の》んで|洗濯《せんたく》をした|積《つも》りだが、|何《なん》だかまだ|口《くち》が|粘《ねば》つくやうだ。|洗濯《せんたく》をしても|矢張《やつぱり》|腹《はら》の|中《なか》に|洟《みづばな》もあれば|鼻汁《はなじる》も|雑居《ざつきよ》して|居《ゐ》るのだから、|気持《きも》ちがあまり|冴《さ》えぬワイ。お|前《まへ》も|殺生《せつしやう》な|奴《やつ》だ、|洟《みづばな》が|斯《か》う|斯《か》うだと|前《さき》に|言《い》うて|呉《く》れればよいものを、|腹《はら》が|悪《わる》いなア』
『|俺《おれ》は|腹《はら》がへつて|悪《わる》いが、|貴様《きさま》は|鱈腹《たらふく》|喰《く》つて、もつたいない|理窟《りくつ》を|言《い》ふとは、よほど|腹《はら》の|悪《わる》い|奴《やつ》だ。アヽ|余《あま》り|沢山《たくさん》|飲《の》んだので|小便《せうべん》が|仕度《した》くなつた。|梯子《はしご》も|何《なに》も|取《と》つて|仕舞《しま》つて|降《おり》る|事《こと》が|出来《でき》やしない。|此処《ここ》でやれば|下《した》へ|漏《も》るし、|張《は》り|切《き》れる|様《やう》になつて|来《き》たワ、どう|為《し》ようか|知《し》らぬて』
|与太彦《よたひこ》『|都合《つがふ》の|好《よ》いものがある、この|土瓶《どびん》の|中《なか》にやつたらどうだ、|下《した》に|漏《も》る|気遣《きづか》ひはないぞ』
と|云《い》ひながら、かはるがはる|泡《あわ》|立《だつ》た|茶色《ちやいろ》の|小便《せうべん》を|夜《よ》の|明《あ》けるまでに|半分《はんぶん》ばかり|溜《た》めた。|二人《ふたり》は|旅《たび》の|疲《つか》れでグツスリと|寝込《ねこ》んでしまつた。ソロソロ|聞《きこ》ゆる|鶏《にはとり》の|声《こゑ》、|小鳥《ことり》の|声《こゑ》、
|弥次彦《やじひこ》『ヤー|春《はる》の|夜《よ》は|短《みじか》いものだ、|此処《ここ》へこけたと|思《おも》へば|早鶏《はやとり》の|声《こゑ》だ、|折角《せつかく》|煙《けむり》が|無《な》くなつたと|思《おも》へば|又《また》そろそろ|焚《た》き|出《だ》しよつて|燻《くすぶ》るワイ。アヽ|煙《けむ》たい|煙《けむ》たい』
|婆々《ばばあ》は|下《した》より、
『|二階《にかい》のお|客《きやく》さま、|土瓶《どびん》を|降《お》ろして|下《くだ》さらぬか』
『ヨシヨシ』
と|弥次彦《やじひこ》は|土瓶《どびん》を|鈎《かぎ》に|引《ひ》つ|掛《か》けツルツルと|釣《つ》り|降《お》ろした。|暫《しばら》くすると、|婆々《ばばあ》が、
『お|客《きやく》さま|握《にぎ》り|飯《めし》だ、|鈎《かぎ》を|降《おろ》したり』
|弥次彦《やじひこ》はツルツルと|鈎《かぎ》を|降《おろ》す。|婆々《ばばあ》はまたもや|十文字《じふもんじ》に|縛《しば》つた|笊《ざる》に|握《にぎ》り|飯《めし》を|盛《も》つて|引《ひつ》かける。
『オイ|与太公《よたこう》、|今日《けふ》は|大丈夫《だいぢやうぶ》だ、どつさりと|頂《いただ》いて|見《み》ようかい』
『イヤモウ|閉口《へいこう》だ、|夜《よ》の|短《みじか》いのに|二人前《ふたりまへ》も|頂《いただ》いて、おまけに|土瓶《どびん》の|茶《ちや》を|沢山《たくさん》|飲《の》んだものだから、|臨月《りんげつ》の|嬶《かか》アの|腹《はら》のやうに|筋張《すぢば》つてポンポンだ。お|前《まへ》、|遠慮《ゑんりよ》せずに|頂《いただ》いて|終《しま》へ』
『|俺《おれ》も|何《なん》となく|腹《はら》がすかぬ、マア|止《や》めて|置《お》かうかい』
『お|腹《なか》がすいても|空腹《ひもじ》うないと|云《い》ふが、|空腹《ひもじ》いときのまずいものなし、ひだるいときの|汚《きたな》いものなしぢや、|一《ひと》つ|奮発《ふんぱつ》して|五《いつ》つ|六《むつ》つ|平《たひら》げたらどうだい|弥次彦《やじひこ》』
『ヤアどう|思《おも》つても|胸膨《むなぶく》れがして|食《く》ふ|気《き》にならぬワイ。それよりも|茶《ちや》なと|貰《もら》つて|腹《はら》を|膨《ふく》らさうぢやないか。モシモシ|婆《ばあ》サン、どつさりお|茶《ちや》を|下《くだ》さらぬか』
|婆々《ばばあ》は|下《した》から、
『|高取村《たかとりむら》の|旦那《だんな》さま、お|茶《ちや》が|都合《つがふ》よく|沸《わ》きました、あまり|熱《あつ》くもなし、ぬるくもなし、|飲《の》み|頃《ごろ》ですぜ。サア|鈎《かぎ》を|降《おろ》して|下《くだ》さい』
『|鈎《かぎ》は|最前《さいぜん》から|降《おろ》して|待《ま》つて|居《ゐ》るのだ』
『アヽ、ホンニ|降《お》りてをつたなア、|年《とし》が|寄《よ》ると|目脂《めやに》、|鼻汁《はなじる》、いやもう【じじむさい】ものだ』
と|言《い》ひながら、|手鼻《てばな》をかんでその|手《て》で|土瓶《どびん》の|蔓《つる》を|持《も》ち|鈎《かぎ》に|引掛《ひつか》けた。|弥次彦《やじひこ》は|手早《てばや》く|手繰上《たくりあ》げて、
『また|婆々《ばばあ》の|手鼻《てばな》をかんだ|手《て》で|茶《ちや》を|汲《く》んで|呉《く》れたが、|茶《ちや》の|中《なか》には【まさか】|鼻汁《はなじる》は|這入《はい》つてゐまい。マア|緩《ゆつ》くりと|茶腹《ちやばら》でも|膨《ふく》らかさうかい』
と|言《い》ひながら|互《たが》ひに|引《ひ》つたくり、|争《あらそ》ひつつ|七八分《しちはちぶ》まで|飲《の》んで|仕舞《しま》つたが、|何《なん》となく|妙《めう》な|臭《にほひ》が|鼻《はな》にプンプンとする。
『オイこの|茶《ちや》は|怪体《けつたい》な|臭《にほひ》がするぢやないか、|何《なん》だか|塩辛《しほから》い|味《あぢ》の、よい|塩《しほ》|加減《かげん》の|茶《ちや》だと|思《おも》うて|飲《の》んだが、この|臭《にほひ》が|何《なん》だか|気《き》に|喰《く》はぬぢやないか、のう|与太彦《よたひこ》』
と|云《い》ひながら|下《した》を|覗《のぞ》いて、
『コレコレお|婆《ばあ》さま、この|茶《ちや》は|腐《くさ》つとらせぬかいなア。|妙《めう》な|臭《にほひ》がするぞ』
『なに|腐《くさ》つて|居《を》るものかい、|昨夜《ゆうべ》|沸《わか》した|所《ところ》だ、|現《げん》にお|前《まへ》さまが|昨夜《よんべ》|飲《の》んだ|残《のこ》りの|上《うへ》に|茶《ちや》を|補《た》して|沸《わ》かして|上《あ》げたのだ。|腐《くさ》つて|居《を》る|気遣《きづか》ひは|無《な》いわいなア』
『ヤー|此奴《こいつ》は|堪《たま》らぬ、どうしようか、オイ|与太公《よたこう》』
『|仕方《しかた》がないなア。|己《おのれ》に|出《い》づるものは|己《おのれ》に|帰《かへ》るぢや。|他人《ひと》の|小便《せうべん》ぢやあるまいし、|自分《じぶん》の|小便《せうべん》を|自分《じぶん》が|飲《の》んだのだ、|疝気《せんき》の|薬《くすり》ぢやと|思《おも》へば、マア|辛抱《しんばう》するのだなア。あんまり|常平生《つねへいぜい》から、バリバリバリ|付《つ》くものだから、|因劫《いんがふ》が|報《むく》い|来《きた》つて|自業自得《じごうじとく》で、|狼《おほかみ》の|様《やう》にバリを|飲《の》まされたのだ。ペツペツペツペツ』
ガア、ガラガラガラと|咽《のど》に|指《ゆび》を|突《つ》き|込《こ》んで|吐《は》き|出《だ》す、|柴屋《しばや》の|簀子《すのこ》を|洩《も》れて|反吐水《へどみづ》は|下《した》を|通《とほ》り|爺《おやぢ》の|禿頭《はげあたま》にダラダラと|流《なが》れ|落《お》ちた。
『チエツ、|鼠《ねずみ》の|奴《やつ》、|頭《あたま》から|小便《せうべん》をかけよつて、ヤー|小便《せうべん》|計《ばか》りぢやないぞ、|飯粒《めしつぶ》が|交《まじ》つて|居《ゐ》る。ヤアこれは|大方《おほかた》|二階《にかい》のお|客《きやく》だらう、|怪《け》しからぬ|奴《やつ》ぢや。|娘《むすめ》の|世話《せわ》になつた|旦那《だんな》、|主人《しゆじん》だと|思《おも》ふから|二階《にかい》に|泊《と》めてやれば|頭《あたま》から|反吐《へど》を|引《ひつ》かけるなんて|不人情《ふにんじやう》きはまる。ヨシ|先方《せんぱう》がさうなら|此方《こつち》も|了見《れうけん》がある。コレお|竹《たけ》、|梯子《はしご》を|差《さ》す|事《こと》はならぬぞ、|何時《いつ》までも|天井《てんじやう》へ|祭《まつ》り|込《こ》んで|焚物《たきもん》になるとこまで|燻《くす》べてやるのだ。|本当《ほんたう》に|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にして|居《ゐ》る。コラ|二階《にかい》の|兵六玉《ひやうろくだま》、どうするのだ』
『モシモシ|爺《おやぢ》さま、|私《わし》ぢやない、あれは|鼠《ねずみ》ぢや。|鼠《ねずみ》の|悪戯《いたづら》|迄《まで》|吾々《われわれ》に|転嫁《てんか》させられては|弥次彦《やじひこ》も|困《こま》るよ』
『|馬鹿《ばか》|言《い》ふない、|鼠《ねずみ》が|反吐《へど》をつくかい、|田舎者《ゐなかもん》だと|思《おも》つて|余《あま》り|馬鹿《ばか》にするな』
|弥次彦《やじひこ》『コラコラお|竹《たけ》、|梯子《はしご》を|差《さ》さぬかい』
『ハイいま|差《さ》します、チヨット|待《ま》つて|下《くだ》さい。|小用《こよう》して|来《く》るから』
|与太彦《よたひこ》『|用事《ようじ》を|済《す》ましてから|差《さ》して|上《あ》げますとは、|洒落《しやれ》てけつかるワイ』
|爺《おやぢ》『コラお|竹《たけ》、|親《おや》の|許《ゆる》しもなしに|梯子《はしご》をかけると|云《い》ふ|事《こと》があるか』
『それでも、|可愛《かあい》がつて|下《くだ》さつた|旦那《だんな》さまぢやもの、|親《おや》が|何《なん》と|云《い》つても|私《わたくし》は|差《さ》して|上《あ》げます。サアサア|早《はや》くこれに|乗《の》つて|降《お》りて|来《き》て|下《くだ》さい』
『|乗《の》れと|言《い》つたつて、コンナヒヨロヒヨロの|梯《はし》の|子《こ》にどうして|乗《の》れるのだ。|危《あぶ》なくつて|仕方《しかた》がない』
『|乗《の》るのがいやなら、|両方《りやうはう》の|親柱《おやばしら》をグツと|抱《だ》いて|大股《おほまた》に|跨《また》げて|降《お》りて|下《くだ》さい。|二人《ふたり》|一緒《いつしよ》に|跨《また》げると|梯子《はしご》が|折《を》れます。マア、|旦那《だんな》さまから|先《さき》い』
『|旦那《だんな》さまから|先《さき》いなんて|馬鹿《ばか》にしてやがる。エー|仕方《しかた》がない。|鎌《かま》の|柄《え》を|向《むか》ふに|握《にぎ》られて、|切《き》れる|方《はう》を|此方《こちら》が|持《も》つて|居《ゐ》るやうなものだから、この|柴屋《しばや》から|無事《ぶじ》に|着陸《ちやくりく》する|迄《まで》は、|猫《ねこ》を|被《かぶ》つて|大人《おとな》しうして|居《を》ろかい、この|与太《よた》ヤンも』
|二人《ふたり》は|漸《やうや》う|降《お》りて|来《き》た。|弥次彦《やじひこ》は|面《つら》を|脹《ふく》らして、
『コラ|婆々《ばばあ》、|人《ひと》に|小便《せうべん》を|飲《の》ましよつて|馬鹿《ばか》にするない』
『この|人《ひと》は|何《なに》を|言《い》ふのだい、|誰《たれ》が|小便《せうべん》を|飲《の》ましました。お|前《まへ》さまが|勝手《かつて》にこいて|飲《の》んだのぢやないか。あんまり|勿体無《もつたいな》い|事《こと》をなさるから、|懲《こら》しめの|為《ため》に|小便《せうべん》だとは|知《し》つて|居《を》つたけれど、|態《わざ》とに|其《その》|儘《まま》にして|置《お》いたのだよ。ソンナ|道楽《だうらく》な|心《こころ》で、コーカス|詣《まゐ》りをしたつて|神様《かみさま》は、|彼方《あつちや》|向《む》いて|御座《ござ》るわ。|本当《ほんたう》に|自堕落《じだらく》な|兵六玉《ひやうろくだま》だナア。|奉公人《ほうこうにん》の|一人《ひとり》も|使《つか》ふ|人《ひと》だから、チツトは|行儀《ぎやうぎ》ぐらゐ|知《し》つた|方《かた》だと|思《おも》うて|居《ゐ》たのに、あまりの|仕打《しうち》で|愛想《あいさう》が|尽《つ》きた。|私《わし》は|斯《か》う|貧乏《びんぼう》して|居《を》つても、|綺麗《きれい》な|物《もの》と|汚《きたな》い|物《もの》ぐらゐは|弁《わきま》へて|居《を》る。アタ|勿体《もつたい》ない、|先祖《せんぞ》|譲《ゆづ》りの|履歴《りれき》のついた、|大事《だいじ》なお|土瓶《どびん》に|小便《せうべん》をこかれて、どうしてこれが|使《つか》へるものか。サア|旧《もと》の|通《とほ》りにして|下《くだ》され、|婆々《ばばあ》が|承知《しようち》しませぬぞや』
『|土瓶《どびん》の|一《ひと》つくらゐ|何《なん》だ、それほど|惜《を》しけりや|買《か》うて|返《かへ》してやるわ。|何《なん》だ|大層《たいそう》らしい。|三銭《さんせん》や|五銭《ごせん》の|土瓶《どびん》を』
『この|土瓶《どびん》は|三銭《さんせん》や|五銭《ごせん》ぢや|買《か》へませぬ、|百両《ひやくりやう》から|致《いた》しますよ』
『|金《きん》の|土瓶《どびん》でも|百両《ひやくりやう》|出《だ》せばあるのに、|何《なん》ぢやコンナ|真《ま》つ|黒気《くろけ》な|蛸土瓶《たこどびん》をあまり|懸《か》け|値《ね》を|言《い》ふな。|足許《あしもと》を|付《つ》け|込《こ》みよつて|年寄《としより》の|癖《くせ》に|慾《よく》の|皮《かは》の|深《ふか》い|奴《やつ》だ。|棺桶《くわんをけ》に|片足《かたあし》|突込《つきこ》んで|居《を》つて|慾張《よくば》つて|何《なん》になる、お|熊《くま》|婆《ばば》|奴《め》が』
『この|土瓶《どびん》は|成《な》るほど|買《か》うた|時《とき》は|三銭《さんせん》だつたさうだが、|曽祖父《ひいぢいさん》の|代《だい》から|家宝《かほう》となつて|今《いま》まで|持《も》つて|来《き》た|物《もの》だ。|三銭《さんせん》の|金《かね》に|利《り》に|利《り》を|盛《も》つて|百五十年《ひやくごじふねん》の|間《あひだ》|勘定《かんぢやう》して|見《み》なさい、|百両《ひやくりやう》なら|安《やす》いものだよ』
『|何《なん》と|勘定《かんぢやう》の|高《たか》い|婆《ばば》アだなア、こいつア、ウラル|教《けう》だよ|与太公《よたこう》』
『ウラルもウランもあるものか、|百両《ひやくりやう》だつて|千両《せんりやう》だつて、|家《いへ》の|宝《たから》を|売《う》つて|堪《たま》るものか』
|弥次彦《やじひこ》『|蛸《たこ》なら|足《あし》もつくだらうが、|此奴《こいつ》は|足《あし》の|無《な》い|胴瓶《どうびん》ばかりだから、|素《もと》より|利足《りそく》の|付《つ》く|筈《はず》がないわ』
|与太彦《よたひこ》『|形《かたち》あるものは|必《かなら》ず|滅《ほろ》び、|逢《あ》ふものは|離《はな》れると|云《い》ふのは|世《よ》の|中《なか》の|習《なら》ひだ。|諦《あきら》めて|置《お》くが|好《よ》からう、|後生《ごしやう》の|為《ため》だよ』
|爺《おやぢ》『|何《な》んだ、|聞《き》いて|居《を》れば|親重代《おやぢゆうだい》の|土瓶《どびん》を|穢《けがら》はしい|小便《せうべん》を|垂《た》れよつたのか、モウ|了見《れうけん》ならぬ、|俺《おれ》のとこの|宝《たから》を|台《だい》なしにしよつたナ』
|弥次彦《やじひこ》『エー|小《ちひ》さい|事《こと》を|吐《ぬ》かすない、|土瓶《どびん》に|小便《せうべん》を|入《い》れたのがそれほど|腹《はら》が|立《た》つのなら、|吾々《われわれ》の|胴腹《どうばら》に|小便《せうべん》を|入《い》れよつた|貴様《きさま》こそ|了見《れうけん》ならぬ|奴《やつ》だ。|胴瓶《どうびん》の|土瓶《どびん》いぢりの|薬鑵《やくわん》|老爺《おやぢ》、|土瓶《どびん》も|薬鑵《やくわん》も|一緒《いつしよ》にポカンと|遺《や》つてやらうか』
|爺《おやぢ》『|人《ひと》の|家《いへ》に|厄介《やくかい》になつて|置《お》きながら、|何《なん》と|云《い》ふ|劫託《ごふたく》をこきよるのだ。コラ、|年《とし》は|寄《よ》つてもこれでも【ヤンチヤ】の|虎《とら》サンと|綽名《あだな》を|取《と》つた|此《この》|方《はう》だぞ』
と|云《い》ひながら|握《にぎ》り|拳《こぶし》を|固《かた》めてポカンとやつた。
|与太彦《よたひこ》は、
『この|耄碌《まうろく》|老爺《おやぢ》、|何《なに》をしやがる』
と|又《また》もや|鉄拳《てつけん》を|固《かた》めて|薬鑵頭《やくわんあたま》をポカンとやる。|老爺《おやぢ》は|甲声《かんごゑ》を|出《だ》して|怒《おこ》る、お|竹《たけ》は|泣《な》く、|婆《ばば》はわめく、|弥次《やじ》はカンカンになつて|暴《あ》れ|廻《まは》る。|表《おもて》を|通《とほ》る|数多《あまた》の|参詣者《さんけいしや》は『ヤア|喧嘩《けんくわ》だ|喧嘩《けんくわ》だ』と|面白《おもしろ》がり|黒山《くろやま》の|如《ごと》く|集《あつ》まつて|来《く》る。
|甲《かふ》『コラ|一体《いつたい》|何《なん》の|喧嘩《けんくわ》だ』
|乙《おつ》『|土瓶《どびん》と|薬鑵《やくわん》の|喧嘩《けんくわ》ださうな』
ワイワイと|野次馬連《やじうまれん》が|騒《さわ》いで|居《を》る、|斯《か》かる|所《ところ》へ|烏帽子《ゑぼうし》、|狩衣《かりぎぬ》、|厳《いか》めしく|馬上《ばじやう》ゆたかに|進《すす》み|来《く》る|宣伝使《せんでんし》の|一行《いつかう》ありき。|宣伝使《せんでんし》は|馬《うま》を|止《と》め、ツカツカと|群集《ぐんしふ》を|別《わ》けてこの|家《いへ》に|飛《と》び|込《こ》み、
『アヽ、お|前《まへ》サンは|弥次彦《やじひこ》サン|与太彦《よたひこ》サンぢやないか』
『ホー、|貴様《あなた》は|醜《しこ》の|巌窟《いはや》でお|目《め》に|懸《かか》つた|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、エライ|所《ところ》でお|目《め》にかかりました』
|宣伝使《せんでんし》|六人《ろくにん》は|声《こゑ》を|揃《そろ》へて|手《て》を|拍《う》ちながら、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
|身《み》の|過《あやま》ちは|詔直《のりなほ》せ』
と|歌《うた》ひ|初《はじ》めたる。この|声《こゑ》に|連《つ》れて|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》を|初《はじ》め、|老爺《おやぢ》も|婆々《ばばあ》もお|竹《たけ》も、|今《いま》までの|争《あらそ》ひをケロリと|忘《わす》れ、|共《とも》に|手《て》を|拍《う》ち|踊《をど》り|狂《くる》ふ。
|音彦《おとひこ》『アヽ|世直《よなほ》し|世直《よなほ》し、サーサ|皆《みな》さまコーカス|山《ざん》へ|参《まゐ》りませう』
|一同《いちどう》『|有難《ありがた》う』
(大正一一・三・二一 旧二・二三 谷村真友録)
第二四章 |大活躍《だいくわつやく》〔五五〇〕
|茲《ここ》に|六人《ろくにん》の|宣伝使《せんでんし》は、|田子《たご》の|町《まち》に|於《お》けるお|竹《たけ》の|宿《やど》の|騒動《さうだう》を|鎮定《ちんてい》し、|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》は|宣伝使《せんでんし》に|扈従《こじゆう》して、コーカス|山《ざん》に|向《むか》ふ|事《こと》となつた。|六人《ろくにん》は|馬上《ばじやう》に|跨《またが》り、|二人《ふたり》は|徒歩《とほ》のままテクテクとフサの|都《みやこ》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。タカオ|山脈《さんみやく》に|連続《れんぞく》せる|猿山峠《さるやまたうげ》の|麓《ふもと》に|着《つ》いた。
|永《なが》き|春日《はるひ》も|早《はや》|暮《く》れ|果《は》てて、|四辺《あたり》は|靄《もや》に|包《つつ》まれた。|一行《いつかう》|八人《はちにん》はとある|林《はやし》の|中《なか》に|蓑《みの》を|敷《し》き|寝《しん》に|就《つ》いた。|何《いづ》れも|長途《ちやうと》の|旅《たび》に|疲《つか》れ|果《は》て、|前後《ぜんご》も|知《し》らず|寝入《ねい》るのであつた。|夜中《やちう》に|弥次彦《やじひこ》は|目《め》を|覚《さ》まし、あたりを|見《み》れば、|朧《おぼろ》の|月《つき》は|頭上《づじやう》に|木《こ》の|間《ま》を|透《とほ》して|輝《かがや》いて|居《ゐ》る。|六人《ろくにん》の|宣伝使《せんでんし》のうち|五人《ごにん》の|姿《すがた》は、|何時《いつ》の|間《ま》にか|消《き》え|失《う》せて、|附近《あたり》に|人《ひと》の|気配《けはい》もない。
|弥次彦《やじひこ》『モシモシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|起《お》きて|下《くだ》さい、|人《ひと》が|紛失《ふんしつ》いたしました』
|音彦《おとひこ》『ナニ、|人間《にんげん》が|紛失《ふんしつ》した?、ソンナ|事《こと》があるものか、お|前《まへ》|夢《ゆめ》でも|見《み》たのだらう』
|弥次彦《やじひこ》『イヤ|決《けつ》して|決《けつ》して|夢《ゆめ》ではありませぬ、マア|目《め》を|開《あ》けてご|覧《らん》なさい、|馬《うま》も|居《を》りませず、|宣伝使《せんでんし》のお|姿《すがた》も|何処《どこ》かへ、|蒙塵《もうぢん》されたやうな|塩梅《あんばい》ですワ』
|音彦《おとひこ》は|目《め》を|擦《こす》りながら、|附近《あたり》を|見《み》まはし、
|音彦《おとひこ》『ヤアこれは|殺生《せつしやう》だ、|到頭《たうと》|棄《す》てられて|了《しま》つた。エー|仕方《しかた》がない、|何事《なにごと》も|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》しだ。|吾々《われわれ》を|鞭撻《べんたつ》しようと|思《おも》つて、|鷹彦《たかひこ》の|宣伝使《せんでんし》が、|熟睡《じゆくすゐ》の|隙《すき》を|狙《ねら》つて|発足《はつそく》されたのだらう。|夫《そ》れにしてもご|苦労《くらう》な|事《こと》だ、|自分《じぶん》は|斯《か》うして|夜中《やちう》の|夢《ゆめ》を|見《み》て|居《ゐ》るのに、|五人《ごにん》の|宣伝使《せんでんし》は、|夜露《よつゆ》を|冒《をか》して|夜中《やちう》|行軍《かうぐん》、|大抵《たいてい》の|事《こと》であるまい。|音彦《おとひこ》は|大変《たいへん》|草臥《くたび》れて|居《を》るから、マアゆつくりと|休《やす》ましてやらうと|言《い》つて、|一足先《ひとあしさき》へお|出《い》でになつたのだらう。|何《いづ》れフサの|都《みやこ》の|手前《てまへ》で|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さるであらう』
|弥次彦《やじひこ》『モシモシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、ソンナ|気楽《きらく》な|事《こと》を|言《い》つてる|所《ところ》ぢやありませぬで、あなたの|馬《うま》も|居《ゐ》ないぢやありませぬか、この|辺《へん》には|大変《たいへん》な|大《おほ》きい|大蛇《をろち》が、|夜分《やぶん》に|横行《わうかう》しますから、|宣伝使《せんでんし》も|馬《うま》も|一緒《いつしよ》に|呑《の》んで|了《しま》つて|腹《はら》を|膨《ふく》らし、|呑《の》み|満足《たんのう》をしよつて、|吾々《われわれ》を|呑残《のみのこ》しにしたのかも|分《わか》りませんよ』
|音彦《おとひこ》『マア|心配《しんぱい》なさるな、|神《かみ》の|道《みち》を|伝《つた》ふる|宣伝使《せんでんし》、|神様《かみさま》がご|守護《しゆご》|遊《あそ》ばすから、|大蛇《だいじや》がどうして|呑《の》む|事《こと》が|出来《でき》よう。キット|先《さき》へ|行《い》つて、|吾々《われわれ》の|来《く》るのを|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さるだらうから』
|弥次彦《やじひこ》『オイ|与太《よた》、|起《お》きぬか、ナンダ、|大変事《だいへんじ》が|勃発《ぼつぱつ》して|居《ゐ》るのに、グウグウと|寝《ね》て|居《ゐ》る|所《どころ》か、サアサアこれから|手配《てくば》りをして、|宣伝使《せんでんし》の|在処《ありか》を|探《さが》さねばならないぞ』
|与太彦《よたひこ》『ムニヤムニヤムニヤ、アーねむた、|折角《せつかく》|良《い》い|夢《ゆめ》を|見《み》て|居《を》つたのに、|起《おこ》されて|惜《を》しい|事《こと》をした、|掌中《しやうちう》の|玉《たま》を|奪《うば》はれたやうな|気《き》がするワイ』
|弥次彦《やじひこ》『|惜《を》しい|夢《ゆめ》つて、ドンナ|夢《ゆめ》だい、|金《かね》でも|拾《ひろ》つた|夢《ゆめ》を|見《み》たのだろう』
|与太彦《よたひこ》『どうしてどうして、ソンナ|夢《ゆめ》ぢやない、|三日間《みつかかん》は|人《ひと》に|言《い》ふなと|云《い》ふ|事《こと》だ、|夢《ゆめ》を|取《と》られると|困《こま》るから、ここ|三日間《みつかかん》は|夢《ゆめ》に|対《たい》して|無言《むごん》の|行《ぎやう》だ』
|弥次彦《やじひこ》『|大体《だいたい》が|夢《ゆめ》ぢやないか、たとへ|実現《じつげん》するにした|所《ところ》で、お|前《まへ》と|俺《おれ》との|仲《なか》だ、|一《ひと》つの|物《もの》を|二《ふた》つに|割《わ》つて|食《く》ひ|合《あ》ふやうな、|昵懇《ぢつこん》な|仲《なか》で、|夢《ゆめ》を|惜《をし》んで|話《はな》さないと|云《い》ふ|事《こと》があるか。お|前《まへ》の|物《もの》は|俺《おれ》の|物《もの》、|俺《おれ》の|物《もの》はやつぱり|俺《おれ》の|物《もの》だ』
|与太彦《よたひこ》『アハヽヽヽ、それだから|言《い》はれぬのだ、|取込《とりこみ》|思案《しあん》ばかりしよつて、|抜目《ぬけめ》のない|男《をとこ》だから』
|弥次彦《やじひこ》『|貴様《きさま》はよつぽど|水臭《みづくさ》い|男《をとこ》だよ、|綺麗《きれい》さつぱりと|白状《はくじやう》して|了《しま》へ。|大方《おほかた》|隣《となり》の|嬶《かかあ》を|何々《なになに》する|所《ところ》で|揺《ゆ》すり|起《おこ》されたのだらう、それだから|俺《おれ》に|言《い》はれないのだらう。|百尺《ひやくしやく》|竿頭《かんとう》|一歩《いつぽ》を|進《すす》めて|露骨《ろこつ》に|云《い》へば、|俺《おれ》の|嬶《かかあ》に○○しようと|思《おも》つた|所《ところ》を|起《おこ》されたのだらう』
|与太彦《よたひこ》『|何《なに》を|言《い》ふのだ、あまり|馬鹿《ばか》にするない、|腹《はら》が|立《た》つわ。これほど|昵懇《ぢつこん》にして|居《ゐ》るのに、|俺《おれ》の|日頃《ひごろ》の|精神《せいしん》が、|貴様《きさま》は|分《わか》らぬのか。エー|残念《ざんねん》な、|腹立《はらだ》たしや、ソンナ|事《こと》を|言《い》うと|俺《おれ》が|死《し》んだら|化《ば》けて|出《で》てやるぞ』
|弥次彦《やじひこ》『|腹《はら》が|立《た》つなら|言《い》はぬかい。|俺《おれ》と|貴様《きさま》の|間柄《あひだがら》ぢや、|二人《ふたり》の|仲《なか》に|隔《へだ》てや|秘密《ひみつ》があつては|親友《しんいう》と|云《い》ふ|事《こと》が|出来《でき》ぬぢやないか、ナアもし|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、さうでせう、|朋友《ほういう》といふものは|互《たがひ》に|相信《あひしん》じ、|相助《あひたす》けるのが|朋友《ほういう》の|道《みち》でせう』
|音彦《おとひこ》『さやうぢや、|互《たがひ》に|打解《うちと》けた|間柄《あひだがら》と|云《い》ふ|者《もの》は|気分《きぶん》の|良《よ》いものですなア。|与太《よた》サン、|元来《ぐわんらい》が|夢《ゆめ》だ、さう|弥次《やじ》サンの|気《き》を|揉《も》まさずに|言《い》つて|上《あ》げなさい』
|与太彦《よたひこ》『アー|仕方《しかた》がない、|宣伝使《せんでんし》|様《さま》のお|言葉《ことば》、|首《くび》が|千切《ちぎ》れても、|三日間《みつかかん》は|女房《にようばう》にだつて|言《い》はないのが|夢《ゆめ》の|規則《きそく》だけれど、|天則《てんそく》を|破《やぶ》つて|一伍一什《いちぶしじふ》を|展開《てんかい》いたしませう。……|抑《そもそ》も|夢《ゆめ》の|顛末《てんまつ》といへば、|古今《ここん》に|比類《ひるゐ》を|絶《ぜつ》したる|大《だい》|大吉《だいきち》|祥瑞《しやうずゐ》の|大霊夢《だいれいむ》だ。|一富士《いちふじ》|二鷹《にたか》|三茄子《さんなすび》つて|夢《ゆめ》の|中《なか》でも|王《わう》さまだ。|与太公《よたこう》が、|何処《どこ》だつたか、|処《ところ》は|忘《わす》れたが、|道《みち》を|歩《ある》いて|居《を》ると|立派《りつぱ》な|葬礼《さうれん》が|通《とほ》りました。|葬礼《さうれん》の|夢《ゆめ》は|何《なに》も|彼《か》も|落着《らくちやく》すると|言《い》つて、|事《こと》が|墓行《はかゆき》に|運《はこ》ぶと|云《い》ふ|事《こと》、それから|芽出度《めでた》い|鷹《たか》の|夢《ゆめ》だ、ヤア|立派《りつぱ》な|葬礼《さうれん》だなと|見《み》て|居《ゐ》ると|云《い》うと、そこへパツパツパツと、|飛行機《ひかうき》の|様《やう》にやつて|来《き》た|結構《けつこう》なお|方《かた》があるのだ。それは|鷹《たか》が|三匹《さんびき》|与太公《よたこう》の|前《まへ》に|下《お》りて、|与太公《よたこう》の|顔《かほ》を|見《み》ては|一寸《ちよつと》|俯《うつぶ》き、また|上《あ》げては|俯《うつぶ》き、|一生懸命《いつしやうけんめい》にアヽ|与太《よた》さまは|立派《りつぱ》な|男《をとこ》だナアと|言《い》はぬ|許《ばか》りの|顔《かほ》をして|見惚《みと》れて|居《ゐ》ました。|私《わたくし》も|何《なん》だか|気分《きぶん》が|良《よ》いので、ジツとして|鷹《たか》と|睨《にら》みつくらをして|居《ゐ》ると、どこからともなく|一本《いつぽん》の|穂《ほ》に|五六升《ごろくしよう》も|実《み》がなつた|様《やう》な|黍《きび》がそこヘバサと|落《お》ちて|来《き》た、|一粒万倍《ひとつぶまんばい》と|云《い》つて|数《かず》の|殖《ふ》える|黍《きび》の|夢《ゆめ》だから、あの|通《とほ》り|宝《たから》が|殖《ふ》えるのであらう。|本当《ほんたう》に|気分《きぶん》の|良《よ》い|夢《ゆめ》だらう、ナア|弥次彦《やじひこ》、コンナ|夢《ゆめ》は|聖人君子《せいじんくんし》でなければ、|到底《たうてい》|見《み》る|事《こと》は|出来《でき》ないよ』
|弥次彦《やじひこ》『そら|大変《たいへん》だ、|貴様《きさま》|気《き》を|付《つ》けないといかぬぞ』
|与太彦《よたひこ》『|大変《たいへん》だらう、|本当《ほんたう》に|気《き》を|付《つ》けぬと、|結構《けつこう》な|夢《ゆめ》の|実現《じつげん》を、|他人《たにん》に|横領《わうりやう》されては、|糠喜《ぬかよろこ》びになるからナ』
|弥次彦《やじひこ》『まだソンナ|事《こと》を|言《い》つて|居《ゐ》よる、|葬礼《さうれん》に|鷹《たか》|三匹《さんびき》、|黍《きび》といふぢやないか、その|夢《ゆめ》は|大凶兆《だいきようてう》だ、|災難《さいなん》の|前提《ぜんてい》だ、|獏《ばく》に|喰《く》はせ|獏《ばく》に|喰《く》はせ』
|与太彦《よたひこ》『コンナ|結構《けつこう》な|夢《ゆめ》を|獏《ばく》に|喰《く》はしてたまらうか、|俺《おれ》が|食《く》うのだ』
|弥次彦《やじひこ》『|本当《ほんたう》に|大悪夢《だいあくむ》だよ、そうれ、|三鷹《みたか》、よい|黍《きび》だ、アハヽヽ』
|与太彦《よたひこ》『エー|言霊《ことたま》の|悪《わる》い、|詔《の》り|直《なほ》せ|詔《の》り|直《なほ》せ』
|音彦《おとひこ》『ヤア、|良《よ》いと|言《い》へば|良《よ》い|夢《ゆめ》だ、|悪《わる》いと|言《い》へば|悪《わる》い|夢《ゆめ》だ。|良《よ》い|夢《ゆめ》を|見《み》たと|言《い》つて、|油断《ゆだん》をすれば、|吉《きち》|変《へん》じて|凶《きよう》となり、|悪《わる》い|夢《ゆめ》を|見《み》ても、|心得《こころえ》やうに|依《よ》つては、|凶《きよう》|変《へん》じて|吉《きち》となるものだ。マアマア|油断《ゆだん》|大敵《たいてき》、|得意《とくい》の|時《とき》には|得《え》てして|禍《わざはひ》の|種《たね》を|蒔《ま》くものだ。|災厄《わざはひ》に|悩《なや》む|時《とき》こそ|却《かへつ》て|喜悦《よろこび》の|種《たね》を|蒔《ま》く|時《とき》だ。|善悪《ぜんあく》|不二《ふじ》、|吉凶《きつきよう》|同根《どうこん》だ、ヤア|各自《めんめ》に|気《き》を|付《つ》けねばなりませぬワイ』
|斯《か》かる|所《ところ》へ|人馬《じんば》の|物音《ものおと》ザワザワと、|数十人《すうじふにん》の|黒《くろ》い|影《かげ》、|三人《さんにん》の|前《まへ》に|迫《せま》り|来《き》たる。
『ヤアそこに|臥《ふ》せり|居《を》る|三人《さんにん》の|者《もの》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|一行《いつかう》であらう、|我《われ》こそはウラル|教《けう》の|大目付役《おほめつけやく》、|鷹掴《たかつかみ》の|源五郎《げんごらう》だ。|此処《ここ》へ|来《う》せたは|汝《なんぢ》が|運《うん》の|尽《つき》、サア|尋常《じんじやう》に|手《て》を|廻《まは》せ』
|弥次彦《やじひこ》『それ|見《み》たか|与太彦《よたひこ》、|貴様《きさま》の|精神《せいしん》が|悪《わる》いから、|碌《ろく》でもない|夢《ゆめ》を|見《み》よつて、|瞬《またた》く|間《うち》に|実現《じつげん》して|来《き》たぢやないか、コンナ|夢《ゆめ》ならモウ|分配《ぶんぱい》して|不用《いら》ぬワイ』
|与太彦《よたひこ》『エー|夢《ゆめ》どころの|話《はなし》かい、|大変《たいへん》だ。モシモシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、コラ|一体《いつたい》|全体《ぜんたい》どうなるのでせう』
|音彦《おとひこ》『アハヽヽヽ、|夢《ゆめ》の|浮世《うきよ》だ、ウラル|教《けう》の|大目付役《おほめつけやく》もやつぱり|人間《にんげん》だ、|一《ひと》つ|善言美詞《ぜんげんびし》の|言霊《ことたま》を|以《もつ》て|言向和《ことむけやは》しませう、………|高天原《たかあまはら》に|神《かみ》|留《つま》ります………』
|源五郎《げんごらう》『ヤアまがふ|方《かた》なき|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、ヤアヤア|家来《けらい》の|者共《ものども》、|抜《ぬ》かるな、|一度《いちど》に|飛《と》びかかつて、|取《と》つ|締《ち》めて|了《しま》へ』
|弥次彦《やじひこ》『エー|仕方《しかた》がない、|血路《けつろ》を|開《ひら》いて|一目散《いちもくさん》に|韋駄天《ゐだてん》|走《ばし》りだ、|与太公《よたこう》|続《つづ》けツ』
と|言《い》ひながら、|群《むら》がる|群集《ぐんしふ》の|中《なか》に|向《むか》つて、|鉄拳《てつけん》を|打振《うちふ》りながら、|一目散《いちもくさん》に|駆出《かけだ》した。|猛虎《まうこ》の|如《ごと》き|凄《すさま》じき|勢《いきほひ》に、ウラル|教《けう》の|捕手《とりて》は、パツと|左右《さいう》に|分《わか》れた。|二人《ふたり》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|駆《か》け|出《だ》す。|音彦《おとひこ》はその|後《あと》に|悠々《いういう》として、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|進《すす》み|行《ゆ》く。
|源五郎《げんごらう》『ヤアヤア|部下《ぶか》の|奴共《やつども》、|何《なん》と|云《い》ふ|腰抜《こしぬけ》だ、|向《むか》うは|僅《わづか》に|三人《さんにん》、|五十人《ごじふにん》も|居《ゐ》ながら、|取《と》り|逃《にが》すとは|不届《ふとど》きな|奴《やつ》だ、どうしてウラル|彦《ひこ》の|神様《かみさま》に|申訳《まをしわけ》をするのだ、|愚図々々《ぐづぐづ》いたさず、|俺《おれ》に|続《つづ》いてやつて|来《こ》い、|今度《こんど》は|生命《いのち》を|的《まと》に|進撃《しんげき》するのだ』
『ヤア|御大将《おんたいしやう》、|責任《せきにん》はあなたにありますで、あなたの|策戦《さくせん》|計画《けいくわく》が|宜《よろ》しきを|得《え》ないから、|折角《せつかく》の|敵《てき》を|取逃《とりに》がしたのだ。|吾々《われわれ》はその|日《ひ》|限《かぎ》りの|傭人足《やとひにんそく》だけの|事《こと》より|出来《でき》ませぬワイ。お|前《まへ》さまは、|沢山《たくさん》な|手当《てあて》を|貰《もら》つて|御座《ござ》るのだ、|吾々《われわれ》の|五十人《ごじふにん》|振《ぶり》もお|手当《てあて》を|貰《もら》つて|居《を》りながら、あた|強慾《がうよく》な、みなの|頭《あたま》を|張《は》つて、|栄耀栄華《えいようえいぐわ》に|暮《くら》して|居《を》るものだから、たーれも|真剣《しんけん》に、|阿呆《あほう》らしくて|生命《いのち》がけの|仕事《しごと》が|出来《でき》るものか、|丈《だけ》は|丈《だけ》、|丈《だけ》の|働《はたら》きだ。お|前《まへ》さまも|丈《だけ》の|働《はたら》きをしなさい。………オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、|馬鹿気《ばかげ》とるぢやないか、アンナ|奴《やつ》を|追《お》ひかけてでも|行《い》かうものなら、それこそ|俺《おれ》ばつかりの|難儀《なんぎ》ぢやない、|一家《いつか》|親類《しんるゐ》|兄弟《きやうだい》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|女房《にようばう》|子供《こども》までが、どれだけ|嘆《なげ》く|事《こと》だらう。|阿呆《あほう》らしい、|目腐《めくさ》れ|金《がね》を|貰《もら》つて、この|日《ひ》の|永《なが》いのに、|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|酷使《こきつか》はれて、おまけに|夜業《やげふ》まで|強制《きやうせい》されて|堪《たま》るものか。ノー|皆《みな》の|奴《やつ》……』
|乙《おつ》『オーさうださうだ、なにほど|大将《たいしやう》が|威張《ゐば》つた|所《ところ》で、|石亀《いしがめ》の|地団駄《ぢだんだ》だ、おつつかないワ、………モシモシ|源五郎《げんごらう》の|親方《おやかた》、|是《これ》から|往《い》けなら|往《い》きますが、ヤツパリ|丈《だけ》は|丈《だけ》ぢや、|丈《だけ》|出《だ》して|下《くだ》さらぬか』
|源五郎《げんごらう》『|現金《げんきん》な|奴《やつ》だナア、|早《はや》く|往《い》つて|手柄《てがら》を|致《いた》せ、|滅多《めつた》に|使《つか》ひボカシは|致《いた》さぬぞ。ソンナ|勘定《かんぢやう》は|後《あと》にして、|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|場合《ばあひ》だ、|早《はや》く|進《すす》まぬかし
|丙《へい》『ヤア|前賃《さきちん》を|貰《もら》はなくちや、|働《はたら》く|勢《せい》がないワイ、モシモシ|大将《たいしやう》、|幾許《いくら》|出《だ》しますか』
|源五郎《げんごらう》『エー|煩雑《うるさ》い|奴《やつ》だな、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《を》ると、|遠《とほ》く|逃去《にげさ》つて|了《しま》うワイ』
|丙《へい》『|走《はし》るのが|幾《いく》ら、|掴《つか》まへるのが|幾《いく》らですか、|少々《せうせう》|高《たか》くつても、つかまへるのはお|断《ことわ》りしたいものですな』
|源五郎《げんごらう》『|走《はし》つたつて、ナニ|役《やく》に|立《た》つか、|捕《つか》まへるのが|目的《もくてき》だ』
|丙《へい》『|私《わたくし》も|捕《つか》まへるのが|目的《もくてき》だ、|早《はや》く|捕《つか》まへさしなさい。ドツサリと………|何時《いつ》も|大将《たいしやう》は、また|後《あと》から|後《あと》からと|月並式《つきなみしき》に|仰有《おつしや》るけれど、|後《あと》はケロリと|瘧《おこり》が|落《お》ちた|様《やう》な|顔《かほ》して|何度《なんべん》|催促《さいそく》しても|歯切《はぎ》れのせぬ|御返辞《ごへんじ》、ヌラリクラリと|鰻《うなぎ》でも|掴《つか》むやうに、|掴《つか》まへ|所《どころ》のないお|方《かた》ぢや、|私《わたくし》も|確乎《しつかり》と|掴《つか》まへた|上《うへ》でなければ、|捕《つか》まへる|事《こと》はマア|措《お》きませうかい。この|睡《ねむ》たいのに、|生命懸《いのちがけ》の|仕事《しごと》をしたつて、お|前《まへ》さまが|沢山《たくさん》な|褒美《ほうび》を|貰《もら》つて、|吾々《われわれ》は|骨折損《ほねをりぞん》の|草疲儲《くたびれまう》け、|罷《まか》り|違《ちが》へば|一《ひと》つよりない|生命《いのち》を|棒《ぼう》に|振《ふ》らねばならぬのだからナア』
|源五郎《げんごらう》『エー|分《わか》らぬ|奴《やつ》ぢや、|急場《きふば》の|間《ま》に|合《あ》はないぞ、|早《はや》く|進《すす》まぬか、|宣伝使《せんでんし》が|逃《に》げてから、|何《なに》ほど|走《はし》つたつて|仕方《しかた》がないぞ』
|甲《かふ》『こちらが|一足《ひとあし》|走《はし》れば|向《むか》うも|一足《ひとあし》|走《はし》る、どこまで|往《い》つたつてお|月《つき》さまを|追《おひ》かけて|行《ゆ》くやうなものだ。マアそれほど|大将《たいしやう》、|急《いそ》ぐには|及《およ》びませぬワイ、「|急《いそ》がずば|濡《ぬ》れざらましを|旅人《たびびと》の、あとより|霽《は》るる|野路《のぢ》の|夕立《ゆふだち》」……やがて|雨《あめ》も|霽《は》れませう、あまり|慌《あわ》てるものぢやない、|急《せ》いては|事《こと》を|仕損《しそん》ずる、|急《せ》かねば|事《こと》が|間《ま》に|合《あ》はぬ、アーア|彼方《あちら》|立《た》てれば|此方《こちら》が|立《た》たぬ、|此方《こちら》|立《た》てれば|彼方《あちら》が|立《た》たぬ、|両方《りやうはう》|立《た》てれば|身《み》が|立《た》たぬ、|何《なん》だか|知《し》らぬが、|気乗《きの》りがせぬので、|一向《いつかう》|心《こころ》が|引立《ひきた》たぬ』
|乙《おつ》『モウ|今頃《いまごろ》には、|大分《だいぶ》に|敵《てき》は|遠《とほ》く|往《い》つたであらう』
|丙《へい》『ナーニ、さう|遠《とほ》くは|行《い》つては|居《ゐ》まい、「|君《きみ》はまだ|遠《とほ》くは|行《ゆ》かじ|吾袖《わがそで》の、|袂《たもと》の|涙《なみだ》かわき|果《は》てねば」まだ|走《はし》つて|来《き》た|汗《あせ》も|碌《ろく》に|乾《かわ》く|暇《ひま》が|無《な》いのだから、さう|五里《ごり》も|十里《じふり》も|行《い》つて|居《を》る|気遣《きづかひ》はないワ、|併《しか》しこれ|丈《だけ》|距離《きより》があれば、|何《なに》ほど|走《はし》つても|追付《おひつ》く|気遣《きづかひ》がないから|大丈夫《だいぢやうぶ》だよ』
|源五郎《げんごらう》『エー|頭《かしら》が|廻《まは》らな|尾《を》がまはらぬ………コラ|馬《うま》の|奴《やつ》、|頭《あたま》をこちらへ|向《む》けぬかい、|尾《を》も|一緒《いつしよ》に|廻《まは》すのだぞ……ハイハイ……「カツカツ」……ヤア|皆《みな》の|奴《やつ》、|源五《げんご》に|続《つづ》け』
|甲《かふ》『ヘン|偉相《えらさう》に|大将面《たいしやうづら》をしよつて、|源五《げんご》に|続《つづ》けツ……|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだ、|表向《おもてむき》こそ|貴様《きさま》の|乗《の》つて|居《ゐ》る|痩馬《やせうま》の|馬士《まご》ぢやないが、へーへー、ハイハイ|言《い》つて|居《を》れば、よい|気《き》になりよつて、|源五《げんご》の|野郎《やらう》、|言語《げんご》に|絶《ぜつ》する|様《やう》な|横柄《わうへい》な|言葉《ことば》を|使《つか》つて|居《ゐ》やがらア。|吾々《われわれ》は|素《もと》より|三代相恩《さんだいさうおん》の|主《しゆ》でもなければ、|身内《みうち》でもない、|露骨《ろこつ》に|言《い》へばアカの|他人《たにん》だ。エー|仕方《しかた》がない、|伴《つ》いて|行《い》つたろか、|是《これ》もやつぱり|銭儲《ぜにまう》けだから………』
|乙《おつ》『|馬《うま》から|落《お》ちて|腰《こし》でも|折《を》りよると|良《い》いのだけれどナ、|彼奴《あいつ》が|免職《めんしよく》したら、その|後釜《あとがま》は|此方《こな》さまだ、とも|角《かく》|頭《あたま》がつかへて、|吾々《われわれ》の|栄達《えいたつ》の|路《みち》を|封鎖《ふうさ》して|居《を》るものだから、|良《い》い|加減《かげん》に|交迭《かうてつ》しても|宜《よ》かり|相《さう》なものだ……オイオイ|皆《みな》の|奴《やつ》、|仕方《しかた》がない|進《すす》め|進《すす》め』
|源五郎《げんごらう》は|馬上《ばじやう》より、|後《あと》|振《ふ》り|返《かへ》り、
『ヤア|皆《みな》の|奴《やつ》、|何《なに》をグヅグヅして|居《を》るのか、|足《あし》の|弱《よわ》い|奴《やつ》だな|早《はや》く|続《つづ》かぬか』
|丙《へい》『お|前《まへ》は|四《よ》つ|足《あし》、こちらは|二本足《にほんあし》だ、どう|勘定《かんぢやう》しても|半分《はんぶん》より|歩《ある》けないのは|道理《だうり》だ、こちらは|一足《いつそく》そちらは|二足《にそく》だ、|二足三文《にそくさんもん》の|腰抜《こしぬけ》|大将《たいしやう》、|良《よ》い|加減《かげん》にスツテンコロリと|引《ひ》つくりかへつて|落《お》ちて|了《しま》はぬかいナア』
|源五郎《げんごらう》は|烈火《れつくわ》の|如《ごと》く|憤《いきどほ》り、|馬《うま》の|頭《かしら》を|立直《たてなほ》し|大勢《おほぜい》の|中《なか》に|引《ひ》つ|返《かへ》し|来《きた》り|大音声《だいおんぜう》、
『ヤア|貴様達《きさまたち》は、|今日《けふ》に|限《かぎ》つて|主人《しゆじん》の|吾々《われわれ》に|対《たい》して|無礼《ぶれい》|千万《せんばん》な|暴言《ばうげん》を|吐《は》く|奴《やつ》、|今日《こんにち》ただ|今《いま》より|暇《ひま》を|遣《つか》はすから、さう|心得《こころえ》よ』
『ヤアご|立腹《りつぷく》|御尤《ごもつと》も、|何時《いつ》もコンナ|事《こと》は、|言《い》つた|事《こと》も|思《おも》つた|事《こと》もございませぬが|今日《けふ》に|限《かぎ》つて|何《なん》だか、|腹《はら》の|中《なか》から|勝手《かつて》にアンナ|事《こと》を|喋舌《しやべ》りよるのです。|決《けつ》して|決《けつ》して|八《はち》や、|六《ろく》や、|七《しち》の|言《い》うた|事《こと》ぢやございませぬ、|腹《はら》の|中《なか》の|副守護神《ふくしゆごじん》の|囁《ささや》きですから、|悪《あし》からず、|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|馬《うま》から|落《お》ちたら、また|痩馬《やせうま》になつと|乗《の》り|直《なほ》し|下《くだ》さいませ……』
『ハテ|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|事《こと》だ、|貴様《きさま》は|三五教《あななひけう》のやうな|事《こと》を|云《い》ふ|奴《やつ》だナ』
|甲《かふ》『|三五教《あななひけう》の|眷属《けんぞく》が、|吾々《われわれ》の|口《くち》を|藉《か》つてご|託宣《たくせん》|遊《あそ》ばすのだ……コリヤコリヤ|源五郎《げんごらう》、その|方《はう》は|今日《けふ》より|免職《めんしよく》を|言《い》ひ|渡《わた》す、その|馬《うま》に|八《はつ》チヤンを|乗《の》せて、その|方《はう》は|馬《うま》の|口取《くちとり》を|致《いた》せ』
『ハテ、けつたいな|事《こと》になつて|来《き》たワイ、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も、|両手《りやうて》を|組《く》んで|身体《からだ》を|揺《ゆす》つて|居《ゐ》よる……ハハア|此奴《こいつ》あ、|神懸《かむがか》りになりよつたな。こりや|堪《たま》らぬ、|如何《どん》な|珍事《ちんじ》が|突発《とつぱつ》するやも|計《はか》り|難《がた》し、|君子《くんし》は|危《あやふ》きに|近寄《ちかよ》らず、|敵《てき》の|中《なか》にも|味方《みかた》あり、|味方《みかた》の|中《なか》に|大敵《たいてき》ありだ』
と|無性《むしやう》|矢鱈《やたら》に|馬《うま》に|鞭《むちう》ち、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|駆出《かけだ》した。|馬《うま》は|何《なに》に|驚《おどろ》いたか、|俄《にはか》に|前足《まへあし》を|浮《う》かして|直立《ちよくりつ》し、|勢《いきほひ》あまつて|仰向《あふむけ》にドサンと|転倒《てんたう》した。|源五郎《げんごらう》は|馬《うま》の|背《せ》に|押《おさ》へられ、|蛙《かはず》をぶつつけた|様《やう》に|手足《てあし》をビリビリと|震《ふる》はし、|二声《ふたこゑ》|三声《みこゑ》ウンウンと|言《い》つたぎり|縡切《ことき》れにけり。
|八公《はちこう》『ヤアまるで|蛙《かへる》|見《み》たいなものだ、フン|延《の》びて|居《ゐ》るワ、|再《ふたた》び|生蛙《いきかへる》と|云《い》ふ|気遣《きづか》ひはないワ、アーア|人間《にんげん》も|斯《か》うなると|脆《もろ》いものだナ、|万物《ばんぶつ》の|霊長《れいちやう》だナンテ|威張《ゐばり》|散《ち》らして|居《を》つても、|四《よ》つ|足《あし》の|背中《せなか》に|押《おさ》へられて、ウンと|一声《ひとこゑ》この|世《よ》の|別《わか》れ、|厭《いや》な|冥途《めいど》へ|死出《しで》の|旅《たび》、|憐《あは》れなりける|次第《しだい》なりだ。………ヤア|馬《うま》が|空《あ》いた、サア|是《これ》から|俺《おれ》が|大将《たいしやう》だ、|皆《みな》の|奴《やつ》、この|八《はち》|大将《たいしやう》に|続《つづ》いて|来《きた》れ』
|六公《ろくこう》『|続《つづ》いて|行《ゆ》かぬ|事《こと》もないがやつぱり|丈《だけ》は|丈《だけ》ぢや』
|八公《はちこう》『また|神懸《かみがか》りになりよつたな、エー|仕方《しかた》がない、|人《ひと》を|使《つか》へば|苦《く》を|使《つか》ふ、|自分《じぶん》|一人《ひとり》これから|走《はし》つて、あの|宣伝使《せんでんし》を|捕《つか》まへねばなるまい』
と|馬《うま》を|乗《の》り|棄《すて》て、|裸足《はだし》の|儘《まま》、|尻《しり》ひつからげて、|峠《たうげ》を|目《め》がけて|駆出《かけだ》したり。
|話《はなし》|変《かは》つて|音彦《おとひこ》は|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》と|共《とも》に、|爪先《つまさき》|上《あが》りの|坂路《さかみち》を|避《さ》けて、|右手《みぎて》に|取《と》り、|原野《げんや》の|正中《まんなか》を|韋駄天《ゐだてん》|走《ばし》りにトントンと、マラソン|競争《きやうさう》をやつて|居《ゐ》た。ピタリと|大河《おほかは》に|行詰《ゆきつ》まつた。|両岸《りやうがん》は|断巌絶壁《だんがんぜつぺき》に|囲《かこ》まれ、|河幅《かははば》の|割《わり》には|非常《ひじやう》に|深《ふか》く、|且《かつ》|急流《きふりう》にして、|水音《みなおと》が|囂々《がうがう》と|轟《とどろ》いて|居《ゐ》る。
|音彦《おとひこ》『アヽ|此奴《こいつ》は|大変《たいへん》だ、どこぞ|橋《はし》がありさうなものだナア』
とキヨロキヨロと|河《かは》の|上流《じやうりう》|下流《かりう》を|眺《なが》めて|見《み》た。|二三丁《にさんちやう》|下手《しもて》に|当《あた》つて|丸木橋《まるきばし》が|見《み》える。
|音彦《おとひこ》『ヨー|彼処《あこ》に|橋《はし》が|架《かか》つて|居《ゐ》るぞ』
と|又《また》もや|三人《さんにん》はトントントンと|走《はし》り|出《だ》した。|橋詰《はしづめ》に|来《き》て|見《み》れば、|一抱《ひとかか》へもあらうと|思《おも》ふ|丸木橋《まるきばし》が|架々《かか》つて|居《ゐ》る。|三人《さんにん》は|勢《いきほ》ひを|立《た》てて|一散走《いつさんばし》りに|無難《ぶなん》に|向《むか》ふ|岸《ぎし》に|渡《わた》り、|敵《てき》の|追跡《つゐせき》を|遮断《しやだん》するため、|丸木橋《まるきばし》を|落《おと》して|了《しま》つた。さうする|間《うち》に、
『オーイオーイ』
と|八公《はちこう》の|一隊《いつたい》は|遥《はるか》の|後方《こうはう》より|呼《よ》んで|居《ゐ》る。
|弥次彦《やじひこ》『アハヽヽ、モウ|大丈夫《だいぢやうぶ》だ、この|橋《はし》さへ|落《おと》しておけば、|追《お》つ|付《つ》く|気遣《きづか》ひはない。マアゆつくりと、|宣伝使《せんでんし》|様《さま》|一服《いつぷく》|致《いた》しませうか』
|音彦《おとひこ》『|宜《よ》からう、お|前《まへ》たちも|足《あし》が|草臥《くたび》れただらう、|三人《さんにん》|此処《ここ》でゆつくりと|休息《きうそく》して、|敵《てき》の|襲来《しふらい》するのを|見物《けんぶつ》しようかい』
『コリヤ|面白《おもしろ》い』
と|三人《さんにん》は|腰《こし》を|芝草《しばくさ》の|上《うへ》に、ドカリと|下《お》ろし、|大船《おほふね》に|乗《の》つた|様《やう》な|心持《こころもち》になつて、|身《み》を|横《よこ》たへて|居《ゐ》る。|傍《かたはら》の|雑草《ざつさう》の|茂《しげ》みより、|覆面《ふくめん》した|四五人《しごにん》の|男《をとこ》ヌツト|現《あら》はれ、
『サア|貴様《きさま》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|吾等《われら》が|計略《けいりやく》の|罠《わな》にかかつたのは、|汝等《なんぢら》が|運《うん》の|尽《つ》き、サア|尋常《じんじやう》に|手《て》を|廻《まは》せ』
|弥次彦《やじひこ》『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|神言《かみごと》を|言《い》つて|下《くだ》さいナ』
|音彦《おとひこ》『コンナ|四足《よつあし》|人間《にんげん》に|神言《かみごと》を|言《い》つた|所《ところ》で、|盲《めくら》|蛇《へび》に|怖《お》ぢずだ、|勿体《もつたい》ないことを|知《し》らぬ|奴《やつ》に|何《なに》を|言《い》つたつて|駄目《だめ》だ、|三十六計《さんじふろくけい》の|奥《おく》の|手《て》だ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|又《また》もやトントントンと|駆出《かけだ》した。|黒頭巾《くろづきん》の|大男《おほをとこ》は、|一丁《いつちやう》|許《ばか》り|遅《おく》れて|追跡《つゐせき》して|来《く》る。ピタツと|行当《ゆきあた》つた|一棟《ひとむね》の|可《か》なり|大《おほ》きな|館《やかた》がある、|三人《さんにん》は|矢庭《やには》に|門《もん》を|潜《くぐ》つて、|中《なか》よりピシヤリと|戸《と》を|閉《し》め|錠《ぢやう》をおろし、|奥《おく》へ|進《すす》んで|行《ゆ》く。|見《み》れば、かなり|大《おほ》きな|土間《どま》があつて、|七八人《しちはちにん》の|荒男《あらをとこ》|手《て》に|手《て》に|血《ち》の|滴《したた》る|出刄《でば》を|携《たづさ》へ、|何《なん》だか|料理《れうり》をして|居《ゐ》る。
|男《をとこ》『ヤアいい|所《ところ》へ|椋鳥《むくどり》が|飛《と》んで|来《き》よつた、サア|三人《さんにん》|足《た》らぬと|思《おも》つて|居《ゐ》た|所《ところ》、|有難《ありがた》いものだ、|都合《つがふ》の|宜《い》い|時《とき》はコンナもの、ドーレ|早速《さつそく》|料理《れうり》をやらうかい』
その|中《うち》の|一人《ひとり》の|男《をとこ》、|一方《いつぱう》の|板戸《いたど》に|目《め》を|注《そそ》ぎ、|三人《さんにん》に|向《むか》つて|目配《めくば》せした。|音彦《おとひこ》は|合点《がてん》だと|板戸《いたど》を|押《お》せば、|苦《く》もなくプリンと|開《あ》いた。|三人《さんにん》は|矢庭《やには》に|戸《と》の|内《うち》に|駆込《かけこ》んだ。さうして|中《なか》より|鍵《かぎ》をかけて|追跡《つゐせき》を|防《ふせ》ぎつつ、|四辺《あたり》を|見《み》れば、|広《ひろ》き|大道《だいだう》が|通《つう》じて|居《ゐ》る。
|音彦《おとひこ》『ヤア|有難《ありがた》い、|敵《てき》の|中《なか》にも|味方《みかた》があるとはこの|事《こと》だ、|弥次《やじ》サン、|与太《よた》サン、|私《わたし》に|続《つづ》いてお|出《いで》』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|駆出《かけだ》し、|四五丁《しごちやう》|進《すす》めば、|道《みち》の|両側《りやうがは》には、|泥深《どろふか》き|沼田《ぬまた》が|並《なら》んで|居《ゐ》る。
『ヤア|此奴《こいつ》は|一筋道《ひとすぢみち》だ、|進《すす》め|進《すす》め』
と|七八丁《しちはつちやう》も|先《さき》に|進《すす》んだ。|弥次彦《やじひこ》、|与太彦《よたひこ》はどうした|機《はづみ》か|沼田《ぬまた》の|中《なか》に|落《お》ち|込《こ》み、|着物《きもの》も|何《なん》にも|泥《どろ》まぶれになり、|重《おも》たくて|身動《みうご》きが|出来《でき》ぬ、|已《や》むを|得《え》ず|二人《ふたり》は|真裸《まつぱだか》となる。|向《むか》ふの|方《はう》より|色《いろ》の|黒《くろ》い|背《せ》の|高《たか》い、|顔《かほ》の|尖《とが》つた|男《をとこ》|一人《ひとり》|現《あら》はれ|来《きた》り、|三人《さんにん》の|姿《すがた》をジロジロと|見《み》まはして|居《ゐ》る。
|音彦《おとひこ》『ヤアお|前《まへ》はウラル|教《けう》の|目付《めつけ》だらう、|邪魔《じやま》ひろぐと|為《ため》にはならぬぞ』
|男《をとこ》は|厭《いや》らしき|笑顔《ゑがほ》し|乍《なが》ら、
『モウ|斯《か》うなつては|駄目《だめ》だよ、|観念《かんねん》したがよからう』
|後《あと》を|振返《ふりかへ》り|見《み》れば|数十人《すうじふにん》の|捕手《とりて》、|突棒《つくぼう》、|叉股《さすまた》、|手鎗《てやり》を|提《ひつさ》げ、|一筋道《ひとすぢみち》を|追《お》ひかけ|来《きた》る。この|間《あひだ》の|距離《きより》わづかに|四五丁《しごちやう》|許《ばか》りである。|音彦《おとひこ》は|二人《ふたり》の|裸《はだか》と|共《とも》に、|目付《めつけ》の|男《をとこ》を|沼田《どろた》の|中《なか》に|押込《おしこ》みながら、|爪先《つまさき》|上《あが》りの|一間巾《いつけんはば》|位《くらゐ》の|道《みち》をトントントンと|駆出《かけだ》した。|俄《にはか》に|嶮《けは》しい|坂路《さかみち》になつて|来《き》た。|一丁《いつちやう》|許《ばか》り|進《すす》んで|息《いき》も|切《き》れむとする|時《とき》、|又《また》もや|三人《さんにん》の|男《をとこ》|現《あら》はれ|来《き》たり、
『ヤア|待《ま》つて|居《ゐ》た|良《い》い|所《ところ》へ|来《き》た、|俺《おれ》はウラル|教《けう》の|目付役《めつけやく》だぞ』
|音彦《おとひこ》『ナンダ、ウラル|教《けう》の|目付役《めつけやく》とな、ゴテゴテ|吐《ぬか》すと|為《ため》にならぬぞ、スツコメ スツコメ』
|目付《めつけ》『|此処《ここ》はどこだと|考《かんが》へて|居《ゐ》る、|小鹿峠《こしかたうげ》の|四十八坂《しじふはちさか》の|一《ひと》つだ。これから|先《さき》へ|行《ゆ》けば|行《ゆ》く|程《ほど》、|路《みち》は|峻《さか》しくなつて|来《く》る、ウラル|教《けう》の|目付《めつけ》は|数百人《すうひやくにん》、|手具脛《てぐすね》ひいて|貴様《きさま》を|待《ま》つて|居《ゐ》るのだ、あれ|見《み》よ、|後《あと》からは|沢山《たくさん》の|捕手《とりて》があの|通《とほ》りやつて|来《く》る、|先《さき》には|沢山《たくさん》|待構《まちかま》へて|居《ゐ》る、グヅグヅ|致《いた》すより、|態《てい》よく|俺《おれ》に|降参《かうさん》|致《いた》して、|吾等《われら》の|手柄《てがら》にさして|呉《く》れ、|冥途《めいど》の|土産《みやげ》だ、キツト|極楽《ごくらく》へ|陥落《かんらく》するだらう』
|音彦《おとひこ》『エー|面倒《めんだう》だ、モウ|斯《か》うなつては|善言美詞《ぜんげんびし》もあつたものぢやない、|一《ひと》つ|大法螺《おほぼら》を|吹《ふ》いて|驚《おどろ》かしてやらう………この|方《はう》こそは|閻魔《えんま》の|庁《ちやう》より|現《あら》はれ|出《い》でたる|艮彦《うしとらひこ》の|大神《おほかみ》だぞ、|失敬《しつけい》|千万《せんばん》な、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》とは、|何《なん》と|云《い》ふ|見当違《けんたうちがひ》な|事《こと》を|申《まを》す、この|方《はう》が|一《ひと》つ|四股《しこ》を|踏《ふ》めば、|小鹿峠《こしかたうげ》は|瞬《またた》く|間《ま》にガラガラガラ、|左《ひだり》の|足《あし》をドンと|踏《ふ》み|鳴《な》らせば、|貴様《きさま》の|様《やう》な|端下《はした》|人足《にんそく》は|千人《せんにん》|万人《まんにん》|一度《いちど》に|風《かぜ》に|木《こ》の|葉《は》の|散《ち》る|如《ごと》く、|中天《ちうてん》に|舞上《まひあが》り、バラバラバラ、|泥田《どろた》の|中《なか》にズツテンドウと|真《ま》つ|逆様《さかさま》だ』
|弥次彦《やじひこ》『|天《てん》から|降《くだ》つた|神《かみ》の|弥次彦《やじひこ》さまだ、|裸百貫《はだかひやくかん》と|地上《ちじやう》の|奴《やつ》は|吐《ぬか》せども、|俺《おれ》の|力《ちから》は|百万貫《ひやくまんくわん》だ、|二人《ふたり》|合《あは》して|二百万貫《にひやくまんくわん》、サアどうぢや、|右《みぎ》の|足《あし》で|四股《しこ》を|踏《ふ》まうか、|左《ひだり》の|足《あし》で|踏《ふ》まうか|踏《ふ》んだが|最後《さいご》、|小鹿峠《こしかたうげ》は|岩《いは》で|卵《たまご》を|砕《くだ》くやうにガラガラとも、メチヤメチヤとも|言《い》はず、ピシヤリと|葱《ねぎ》のやうに|平茶張《へちやば》つて|了《しま》うぞ、それでも|貴様《きさま》は|合点《がつてん》か』
|目付《めつけ》『ヤアヤア|大変《たいへん》な|豪傑《がうけつ》が|来《き》よつたものだ、オイオイじつとしたじつとした、|足《あし》を|動《うご》かすな、|歩《ある》くのなら、さし|足《あし》だ、ぬき|足《あし》だ』
|弥次彦《やじひこ》『|一《ひと》つ|四股《しこ》を|踏《ふン》だらうか』
|音彦《おとひこ》『ヤア|待《ま》つた|待《ま》つた、|危《あぶ》ないぞ|危《あぶ》ないぞ、|後《あと》がないぞ|後《あと》がないぞ、ハツケヨイヤ、ハー』
|弥次彦《やじひこ》『アハヽヽヽ、|日《ひ》の|下《した》|開山《かいざん》|蛇塚《へびづか》|蛇五左衛門《じやござゑもん》、|横綱《よこづな》|張《は》つた|摩利支天《まりしてん》の|再来《さいらい》だ、ア|仕方《しかた》がない、|貴様《きさま》を|助《たす》けるためにソーツと|歩《ある》いて|行《い》つてやらう、|有難《ありがた》く|思《おも》へ……』
と|三人《さんにん》は|態《わざ》と、ノソリノソリと|登《のぼ》つて|行《ゆ》く。|前方《ぜんぱう》よりは|数百《すうひやく》の|人数《にんず》、|手《て》に|手《て》に|柄物《えもの》を|携《たづさ》へ|下《くだ》つて|来《く》る。|後方《こうはう》よりは|又《また》もや|数十人《すうじふにん》の|捕手《とりて》|刻々《こくこく》に|近付《ちかづ》いて|来《く》る。|一方《いつぱう》は|屏風《びやうぶ》を|立《た》てた|様《やう》な|岩壁《がんぺき》、|一方《いつぱう》は|千仭《せんじん》の|谷間《たにま》、|進退《しんたい》|維《こ》れ|谷《きは》まり、|逃《に》げるにも|逃《に》げられず、
『エー|仕方《しかた》がない、モウ|斯《か》うなる|上《うへ》は、|破《やぶ》れ|被《かぶ》れだ。サア|来《こ》い|勝負《しようぶ》』
と|三人《さんにん》|一度《いちど》に|拳骨《げんこつ》を|固《かた》め、|捕手《とりて》の|中《なか》に|暴《あば》れ|込《こ》んで|当《あた》るを|幸《さいは》ひ|擲《なぐ》り|立《た》てる。|数多《あまた》の|捕手《とりて》は|群《むらが》り|来《きた》つて、|今《いま》や|三人《さんにん》を|捕《とら》へむとする|時《とき》、|三人《さんにん》|逃路《にげみち》を|失《うしな》ひ、|一《ひ》|二《ふ》|三《み》つの|声《こゑ》|諸共《もろとも》、|決死《けつし》の|覚悟《かくご》で|谷間《たにま》を|目《め》がけて|飛込《とびこ》みたり…その|途端《とたん》に|驚《おどろ》いて|目《め》を|開《あ》けば、|瑞月《ずゐげつ》は|高熊山《たかくまやま》の|巌窟《がんくつ》に|横《よこ》たはり|居《ゐ》たり。|二月《にぐわつ》|十五日《じふごにち》の|太陽《たいやう》は|煌々《くわうくわう》として|中天《ちうてん》に|輝《かがや》き|渡《わた》りける。
(大正一一・三・二一 旧二・二三 松村真澄録)
|信天翁《あはうどり》(三)
|神《かみ》がおもてに|現《あら》はれて  |善神《ぜんしん》|邪神《じやしん》を|立別《たてわ》ける
この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ
|世《よ》の|過失《あやまち》は|詔《の》り|直《なほ》す  |吾《わが》|神国《かみくに》の|御教《みをしへ》は
|顕幽神《けんいうしん》の|三界《さんかい》の  |過去《くわこ》と|未来《みらい》と|現在《げんざい》に
|一貫《いつくわん》したる|真象《しんしやう》を  うまらに|具《つば》らに|説《と》き|明《あ》かす
|三五教《あななひけう》の|御《お》ン|教《をしへ》  |神《かみ》の|御言《みこと》をかしこみて
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|述《の》べて|行《ゆ》く  |清《きよ》き|霊界《れいかい》|物語《ものがたり》
|種々《いろいろ》|雑多《ざつた》と|批難《ひなん》して  |智者《ちしや》や|学者《がくしや》と|自認《じにん》せる
|或種《あるしゆ》の|人《ひと》は|口々《くちぐち》に  |山子《やまこ》|上手《じやうず》の|瑞月《ずゐげつ》が
|百科全書《ひやつくわぜんしよ》を|読破《どくは》して  それを|種《たね》とし|神言《かみごと》と
|偽《いつは》り|作《つく》りしものなりと  |中傷《ちうしやう》するこそ|賤《いや》らしき
|心《こころ》ねぢけし|人々《ひとびと》の  |如何《いか》でか|尊《たふと》き|大神《おほかみ》の
|神慮《しんりよ》を|悟《さと》り|得《え》らるべき  |慢神《まんしん》するも|程《ほど》がある
|百科全書《ひやつくわぜんしよ》を|抜《ぬ》いたとは  どこを|押《お》したらソンナこと
|言《い》はれるだろか|世《よ》の|人《ひと》を  |盲者《めくら》にしたる|曲《まが》つ|神《かみ》
|呆《あき》れて|物《もの》が|言《い》はれない  たとへ|霊界《れいかい》|物語《ものがたり》
|神《かみ》の|作《つく》りしもので|無《な》く  この|瑞月《ずゐげつ》が|頭《あたま》から
ひねり|出《だ》したり|百科全書《ひやつくわぜんしよ》  |暗記《あんき》して|居《ゐ》て|諄々《じゆんじゆん》と
|述《の》べたとすれば|神《かみ》よりも  この|瑞月《ずゐげつ》は|偉《えら》いだろ
|釈迦《しやか》も|孔子《こうし》も|基督《キリスト》も  そのほか|諸々《もも》の|宗祖《しうそ》|等《ら》が
|成《な》し|遂《と》げ|得《え》ざりし|大著述《だいちよじゆつ》  |一千二百五十頁《いちせんにひやくごじつページ》
|僅《わづか》|三日《みつか》に|述《の》べ|終《をは》る  この|速力《そくりよく》が|如何《いか》にして
|古今《ここん》の|著者《ちよしや》に|出来《でき》ようか  |解《わか》らないにも|程《ほど》がある
|変性女子《へんじやうによし》の|調《しら》べたる  |大本《おほもと》|神諭《しんゆ》は|大開祖《だいかいそ》
|書《か》かせたまへる|綾錦《あやにしき》  |光《ひかり》も|強《つよ》き|絹糸《きぬいと》に
|紡績糸《ばうせきいと》も|混入《こんにふ》し  |劣等糸《れつとういと》とせしものぞ
|元《もと》の|筆先《ふでさき》|調《しら》べむと  |鼻《はな》たかだかとうごめかし
それの|実地《じつち》に|突当《つきあた》り  |錦《にしき》の|糸《いと》の|原料《げんれう》は
|桑葉《くはは》なりしに|胆潰《きもつぶ》し  アフンとしたる|其《その》|上《うへ》に
|変性男子《へんじやうなんし》の|筆先《ふでさき》も  |女子《によし》の|作《つく》つた|神諭《しんゆ》も
|薩張《さつぱり》あてに|成《な》らないで  |信用《しんよう》せないが|良《よ》からうと
|自己《じこ》の|不明《ふめい》を|触《ふ》れあるく  |珍《めづ》らし|人《ひと》の|言葉《ことば》だろ
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さちは》ひましまして
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|片時《かたとき》も  |疾《と》く|速《すむ》やけく|迷雲《めいうん》を
|晴《は》らして|真如《しんによ》の|日月《じつげつ》を  |迷《まよ》へる|人《ひと》の|心天《しんてん》に
|照《てら》させ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎ|奉《まつ》る
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ
|今《いま》|大本《おほもと》にあらはれた  |変性女子《へんじやうによし》は|似而非《にせ》ものだ
|誠《まこと》の|女子《によし》が|現《あら》はれて  やがて|尻尾《しつぽ》が|見《み》えるだろ
|女子《によし》の|身魂《みたま》を|立直《たてなほ》し  |根本《こんぽん》|改造《かいざう》せなくては
|誠《まこと》の|道《みち》はいつ|迄《まで》も  |開《ひら》く|由《よし》なしさればとて
それに|優《まさ》りし|候補者《こうほしや》を  |物色《ぶつしよく》しても|見当《みあた》らぬ
|時節《じせつ》を|待《ま》つて|居《ゐ》たならば  いづれ|現《あら》はれ|来《く》るだろ
みのか|尾張《をはり》の|国《くに》の|中《なか》  |変性女子《へんじやうによし》が|分《わか》りたら
モウ|大本《おほもと》も|駄目《だめ》だらう  |前途《ぜんと》を|見《み》こして|尻《しり》からげ
|一足《ひとあし》お|先《さき》に|参《まゐ》りませう  |皆《みな》さまあとから|緩《ゆつ》くりと
|目《め》がさめたなら|出《で》て|来《き》なよ  |盲目《めくら》|千人《せんにん》のその|中《なか》の
|一人《ひとり》の|目明《めあ》きが|気《き》を|付《つ》ける  なぞと|慢神《まんしん》してござる
|王仁《おに》はこの|言《こと》|聴《き》くにつけ  お|気《き》の|毒《どく》にてたまらない
こんな|判《わか》らぬ|奴《やつ》ばかり  |盲目《めくら》|斗《ばか》りがささやけり
この|歌《うた》を|各自《かくじ》の|事《こと》に|誤解《ごかい》して
|罪《つみ》を|重《かさ》ぬる|曲人《まがびと》もあり
(昭和一〇・三・三〇 王仁校正)
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霊界物語 第一三巻 如意宝珠 子の巻
終り