霊界物語 第一一巻 霊主体従 戌の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第十一巻』愛善世界社
1995(平成07)年02月03日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2004年12月20日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|言霊反《ことたまかへし》
|凡例《はんれい》
|信天翁《あほふどり》(二)
|総説歌《そうせつか》
第一篇 |長駆《ちやうく》|進撃《しんげき》
第一章 クス|野ケ原《のがはら》〔四六八〕
第二章 |一目《ひとつめ》お|化《ばけ》〔四六九〕
第三章 |死生観《しせいくわん》〔四七〇〕
第四章 |梅《うめ》の|花《はな》〔四七一〕
第五章 |大風呂敷《おほぶろしき》〔四七二〕
第六章 |奇《くす》の|都《みやこ》〔四七三〕
第七章 |露《つゆ》の|宿《やど》〔四七四〕
第二篇 |意気《いき》|揚々《やうやう》
第八章 |明志丸《あかしまる》〔四七五〕
第九章 |虎猫《とらねこ》〔四七六〕
第一〇章 |立聞《たちぎき》〔四七七〕
第一一章 |表教《おもてけう》〔四七八〕
第一二章 |松《まつ》と|梅《うめ》〔四七九〕
第一三章 |転腹《てんぷく》〔四八〇〕
第一四章 |鏡丸《かがみまる》〔四八一〕
第三篇 |言霊解《ことたまかい》
第一五章 |大気津姫《おほげつひめ》の|段《だん》(一)〔四八二〕
第一六章 |大気津姫《おほげつひめ》の|段《だん》(二)〔四八三〕
第一七章 |大気津姫《おほげつひめ》の|段《だん》(三)〔四八四〕
第四篇 |満目荒寥《まんもくくわうれう》
第一八章 |琵琶《びは》の|湖《うみ》〔四八五〕
第一九章 |汐干丸《しほひまる》〔四八六〕
第二〇章 |醜《しこ》の|窟《いはや》〔四八七〕
第二一章 |俄改心《にはかかいしん》〔四八八〕
第二二章 |征矢《そや》の|雨《あめ》〔四八九〕
第二三章 |保食神《うけもちのかみ》〔四九〇〕
第五篇 |乾坤清明《けんこんせいめい》
第二四章 |顕国宮《うつしくにのみや》〔四九一〕
第二五章 |巫《みかんのこ》の|舞《まひ》〔四九二〕
第二六章 |橘《たちばな》の|舞《まひ》〔四九三〕
第二七章 |太玉松《ふとたままつ》〔四九四〕
第二八章 |二夫婦《ふたふうふ》〔四九五〕
第二九章 |千秋楽《せんしうらく》〔四九六〕
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|言霊反《ことたまかへし》
王仁
|霊界物語《れいかいものがたり》|第七巻《だいしちくわん》の|総説《そうせつ》に|於《おい》て、
『|教祖《けうそ》は|明治《めいぢ》|二十五年《にじふごねん》より|大正《たいしやう》|五年《ごねん》まで、|前後《ぜんご》|二十五年間《にじふごねんかん》|未顕真実《みけんしんじつ》の|境遇《きやうぐう》にありて|神務《しんむ》に|奉仕《ほうし》し、|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|基本的《きほんてき》|神業《しんげふ》の|先駆《せんく》を|勤《つと》められたのである。|女子《によし》の|入道《にふだう》は|明治《めいぢ》|三十一年《さんじふいちねん》であるが、|未顕真実《みけんしんじつ》の|神業《しんげふ》は|同《どう》|三十三年《さんじふさんねん》まで|全《まる》|二ケ年間《にかねんかん》で、その|後《ご》は|顕真実《けんしんじつ》の|神業《しんげふ》である。|霊的《れいてき》に|云《い》ふならば、|教祖《けうそ》よりも|十八年《じふはちねん》|魁《さきが》けて|顕真実《けんしんじつ》の|境域《きやうゐき》に|進《すす》んで|居《ゐ》たのは、お|筆先《ふでさき》の|直筆《ぢきひつ》を|熟読《じゆくどく》さるれば|判《わか》りませう』
と|誌《しる》したのを|見《み》て、|大変《たいへん》に|不平《ふへい》を|並《なら》べられ、|且《か》つ|変性女子《へんじやうによし》は|教祖《けうそ》よりも|自己《じこ》の|方《はう》が|先輩《せんぱい》だ、|観察力《くわんさつりよく》がエライ、|顕真実《けんしんじつ》の|境《さかひ》に|早《はや》く|達《たつ》して|居《ゐ》ると|謂《い》つて、|教祖《けうそ》の|教《をしへ》を|根底《こんてい》より|覆《くつが》へし、|自己《じこ》|本位《ほんゐ》をたて|貫《ぬ》かうとする|野心《やしん》の|発露《はつろ》だと、|随分《ずゐぶん》|矢釜敷《やかましき》|議論《ぎろん》があるさうですが、|顕幽《けんいう》|一体《いつたい》、|経緯《けいゐ》|不二《ふじ》の|真相《しんさう》が|判《わか》らないと、そんな|約《つま》らぬ|事《こと》を|云《い》はねばならなくなるのです。|克《よ》く|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい。|教祖様《けうそさま》は|経糸《たていと》の|御役《おやく》、|女子《によし》は|緯糸《よこいと》の|御用《ごよう》と|示《しめ》されてあります。|経言《けいげん》は|一々万々《いちいちばんばん》|確固《かくこ》|不易《ふえき》の|神示《しんじ》であり、|緯糸《よこいと》は|操縦与奪《さうじゆうよだつ》、|其権有我《そのけんいうが》の|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》せなくてはなりませぬ。|教祖《けうそ》が|経糸《たていと》の|御用《おやく》でありながら、|時機《じき》の|至《いた》らざるため|止《や》むを|得《え》ず、やはり|操縦《さうじう》|与奪《よだつ》|其権有我《そのけんいうが》|的《てき》の|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》されなくてはならない|地位《ちゐ》に|立《た》ち、|是非《ぜひ》なく|未顕真実《みけんしんじつ》|的《てき》|筆先《ふでさき》を|表《あら》はして|役員《やくゐん》|信者《しんじや》を|戒《いまし》められた|意味《いみ》であつて、|教祖《けうそ》|御自身《ごじしん》に|於《おい》て|神意《しんい》を|悟《さと》り|玉《たま》はなかつたといふのではない。|第七巻《だいしちくわん》の|総説《そうせつ》を|熟読《じゆくどく》されよ。
『|十八年間《じふはちねんかん》|未顕真実《みけんしんじつ》の【|境遇《きやうぐう》】にあつて|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》し』
とある|文句《もんく》を、|境遇《きやうぐう》の|二字《にじ》に|克《よ》く|眼《まなこ》を|着《つ》けて|考《かんが》へれば|判然《はんぜん》するでせう。
また|女子《によし》は|三十三年《さんじふさんねん》から|顕真実《けんしんじつ》の|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》し、|霊的《れいてき》に|云《い》ふならば、|十八年《じふはちねん》|魁《さきが》けて|顕真実《けんしんじつ》の|境域《きやうゐき》に|進《すす》んで|居《ゐ》ると|云《い》ふ|事《こと》を|誤解《ごかい》し、|大変《たいへん》に|気《き》にして|居《ゐ》る|方々《かたがた》が|所々《ところどころ》にあるやうですが、|是《これ》も|男子《なんし》|女子《によし》|経糸《たていと》|緯糸《よこいと》の|相互的《さうごてき》|関係《くわんけい》が|明《あきら》かになつて|居《ゐ》ないからの|誤解《ごかい》である。|変性女子《へんじやうによし》としては|教祖《けうそ》の|経糸《たていと》に|従《したが》つて、|神界経綸《しんかいけいりん》の|神機《しんき》を|織上《おりあげ》ねばならぬ|御用《ごよう》である。|併《しか》し|乍《なが》ら|明治《めいぢ》|三十一年《さんじふいちねん》|初《はじ》めて|帰神《きしん》となり、|一々万々《いちいちばんばん》|確固《かくこ》|不易《ふえき》|的《てき》の|神業《しんげふ》に|参加《さんか》しつつ、|同《どう》|三十三年《さんじふさんねん》に|至《いた》るまで|我《わが》|神定《しんてい》の|本務《ほんむ》に|非《あら》ざる|経糸的《たていとてき》|神務《しんむ》に|奉仕《ほうし》して、|女子《によし》の|真実《しんじつ》なる|神業《しんげふ》を|顕《あら》はし|得《え》ざる|境遇《きやうぐう》にありし|事《こと》を、|二年間《にねんかん》|未顕真実《みけんしんじつ》の|神業《しんげふ》であつたと|謂《い》つたのであります。
いよいよ|明治《めいぢ》|三十三年《さんじふさんねん》|一月《いちぐわつ》より|出口家《でぐちけ》の|養子《やうし》となり、|教祖《けうそ》の|経糸《たていと》に|対《たい》し|私《わたくし》は|緯糸《よこいと》の|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》したと|謂《い》ふのである。|然《しか》るに|神界《しんかい》の|事《こと》は|極《きは》めて|複雑《ふくざつ》にして、|男子《なんし》|女子《によし》|相並《あひなら》びたりとて、|教祖《けうそ》として|直《ただち》に|経糸《たていと》のみの|御用《ごよう》を|遊《あそ》ばす|訳《わけ》には|行《ゆ》かない。|経緯《たてよこ》|両面《りやうめん》に|渉《わた》りて|筆先《ふでさき》の|御用《ごよう》を|遊《あそ》ばしたのは、|時《とき》の|勢《いきほひ》|止《や》むを|得《え》なかつたのであります。|女子《によし》は|元《もと》より|緯糸《よこいと》の|御用《ごよう》のみなれば、【|緯役《よこやく》として】の|顕真実《けんしんじつ》の|御用《ごよう》は|自然《しぜん》に|勤《つと》まつたのである。
|然《しか》るに|大正《たいしやう》|五年《ごねん》|九月《くぐわつ》に|至《いた》つて、|教祖《けうそ》も|従前《じうぜん》の|経緯《たてよこ》|両面《りやうめん》の|神業《しんげふ》を|奉仕《ほうし》|遊《あそ》ばす|必要《ひつえう》|無《な》きまでに|神業《しんげふ》|発展《はつてん》せられたるを|以《もつ》て、いよいよ|男子《なんし》|緯糸《たていと》の|役《やく》としての|真実《しんじつ》を|顕《あら》はし|玉《たま》ふ|事《こと》を|得《え》られたのであります。それよりは|経糸《たていと》は|経糸《たていと》、|緯糸《よこいと》は|緯糸《よこいと》と|判然《はんぜん》|区劃《くくわく》が|付《つ》くやうになつて|来《き》たのであります。|是《これ》でも|未《いま》だ|疑念《ぎねん》の|晴《は》れない|方々《かたがた》は、|第七巻《だいしちくわん》の|総説《そうせつ》を|幾回《いくくわい》も|反読《はんどく》して|下《くだ》さい。
また|神諭《しんゆ》の|文中《ぶんちう》に、
『|緯《よこ》はサトクが|落《お》ちたり、|糸《いと》が|断《き》れたり|色々《いろいろ》と|致《いた》すぞよ』
と|示《しめ》されあるを|誤解《ごかい》して|居《ゐ》る|人《ひと》が|多《おほ》いらしい。サトクが|落《お》ちると|云《い》ふのは|決《けつ》して|失敗《しつぱい》の|意味《いみ》でない。|千変万化《せんぺんばんくわ》に|身魂《みたま》を|使用《しよう》して|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》せなくては|成《な》らぬから、|俗人《ぞくじん》の|耳目《じもく》には|毫《がう》も|見当《けんたう》のとれ|難《がた》い、|神的《しんてき》|大活動《だいくわつどう》、|大苦心《だいくしん》の|意《い》を|示《しめ》されたものである。また|途中《とちう》に|糸《いと》が|断《き》れたりと|云《い》ふ|意味《いみ》は、|到底《たうてい》|三千世界《さんぜんせかい》|一貫《いつくわん》の|大神業《だいしんげふ》なれば|単調的《たんてうてき》には|行《ゆ》くものでない。また|錦《にしき》の|機《はた》は|幾度《いくど》も|色糸《いろいと》を|取替《とりか》へねば|立派《りつぱ》な|模様《もやう》は|織上《おりあが》らぬものである。|色糸《いろいと》を|取替《とりか》へるのは|即《すなは》ち|糸《いと》が|断《き》れるのである。サトクも|一本《いつぽん》や|二本《にほん》や|三本《さんぼん》では|錦《にしき》の|機《はた》は|織《お》れぬ。|甲《かふ》のサトクを|落《おと》して|乙《おつ》のサトクを|拾《ひろ》ひ|上《あ》げ、また|乙《おつ》のサトクを|落《おと》して|丙《へい》のサトク、|丙《へい》を|落《おと》して|丁《てい》|戊《ぼう》|己《き》と|交《かは》るがはるサトクと|糸《いと》を|取替《とりか》へると|云《い》ふ|深《ふか》き|神意《しんい》の|表示《へうじ》である。
|要《えう》するに|変性男子《へんじやうなんし》は|経《たて》の|御役《おやく》なれども、あまり|世界《せかい》が|曇《くも》つて|居《ゐ》たために、|大正《たいしやう》|五年《ごねん》までは|男子《なんし》としての|顕真実《けんしんじつ》の|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》し|玉《たま》ふ|時機《じき》が|来《こ》なかつたと|云《い》ふことである。|女子《によし》は|女子《によし》として|明治《めいぢ》|三十三年《さんじふさんねん》より|奉仕《ほうし》する|事《こと》を|得《う》る|地位《ちゐ》におかれて、|夫《そ》れ|相応《さうおう》の|神業《しんげふ》に|従事《じうじ》して|居《ゐ》たと|云《い》ふだけである。
|然《しか》し|乍《なが》ら、|大正《たいしやう》|五年《ごねん》|九月《くぐわつ》|以後《いご》の|教祖《けうそ》の|単純《たんじゆん》なる|経糸《たていと》の|御用《ごよう》に|連《つ》れて、|女子《によし》もまた|緯糸《よこいと》として|層一層《そういつそう》|女子《によし》の|神業《しんげふ》が|判然《はんぜん》として|来《き》たのは、いはゆる|経緯不二《けいゐふじ》の|神理《しんり》である。|未顕真実《みけんしんじつ》|顕真実《けんしんじつ》|云々《うんぬん》の|問題《もんだい》も|是《これ》で|大略《たいりやく》|判《わか》るでありませう。
|霊界物語《れいかいものがたり》も|素《もと》より|大本《おほもと》とか|神道《しんだう》とか|謂《ゐ》つたやうな、|小天地《せうてんち》に|齷齪《あくそく》して|居《を》るのではない。|真理《しんり》の|太陽《たいやう》を|心天《しんてん》|高《たか》く|輝《かがや》かせ、|宇宙《うちう》の|外《そと》に|立《た》つて、|少《すこ》しも|偏《へん》せず、|神示《しんじ》のままを|口述《こうじゆつ》するのである|以上《いじやう》は、|殿堂《でんだう》や|経文《きやうもん》などを|脱《だつ》し、|自由自在《じいうじざい》の|境地《きやうち》に|立《た》つて|如何《いか》なる|法難《はふなん》をも|甘受《かんじゆ》し、|少数《せうすう》|信徒《しんと》の|反感《はんかん》をも|意《い》に|介《かい》せず、|自己《じこ》|自身《じしん》の|体験《たいけん》と|神示《しんじ》に|由《よ》つて|忌憚《きたん》なく|述《の》べたままである。
|凡例《はんれい》
一、|本巻《ほんくわん》に|収《をさ》められた|言霊解《ことたまかい》『|大気津姫《おほげつひめ》の|段《だん》』は|大正《たいしやう》|十年《じふねん》|二月号《にぐわつがう》の『|神霊界《しんれいかい》』|誌上《しじやう》に、『|皇典《くわうてん》と|現代《げんだい》』と|題《だい》して|掲載《けいさい》されたものに|多少《たせう》|添削《てんさく》を|加《くは》へたものであります。
一、|第七巻《だいしちくわん》の|総説《そうせつ》が|発表《はつぺう》されますと、かなり|方々《はうばう》にいろいろさまざまな|批評《ひひやう》や|反対《はんたい》が|起《おこ》りましたが、それに|対《たい》して|瑞月《ずゐげつ》|大先生《だいせんせい》の|詳細《しやうさい》なる|御解釈《ごかいしやく》を|得《え》ましたから、|一日《いちにち》もすみやかに|読者《どくしや》へお|知《し》らせすべきものと|信《しん》じますので、|特《とく》に『|言霊反《ことたまかへし》』と|題《だい》して|本巻《ほんくわん》の|巻頭《くわんとう》に|掲《かか》げておきました。
一、|霊界物語《れいかいものがたり》の|編輯上《へんしふじやう》にいろいろと|不備《ふび》な|点《てん》が|少《すくな》からずありますが、せいぜい|努力《どりよく》して|読者《どくしや》の|意《い》に|副《そ》ふものにしたと|思《おも》つてゐます。|第一巻《だいいちくわん》|以来《いらい》|既刊《きかん》の|分《ぶん》の|正誤表《せいごへう》は|何《いづ》れ|或《あ》る|機会《きかい》を|見《み》て、|纏《まと》めたいと|思《おも》つています。
大正十一年八月
著者識
|信天翁《あほふどり》(二)
|天地《てんち》の|元《もと》の|大神《おほかみ》を  |斎《いつ》き|祭《まつ》りし|五六七殿《みろくでん》
|綾《あや》の|聖場《せいぢやう》と|畏《かしこ》みて  |日毎《ひごと》|夜毎《よごと》に|身《み》を|清《きよ》め
|心《こころ》を|清《きよ》め|大神《おほかみ》の  |仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|神諭《みさとし》を
|拝聴《はいちやう》せむと|来《き》て|見《み》れば  |教《をしへ》の|場《には》の|一隅《いちぐう》に
|思《おも》ひも|寄《よ》らぬ|怪《け》しからぬ  |不都合《ふつがふ》なことがやつてある
|本宮山《ほんぐうやま》の|神殿《しんでん》の  |毀《こは》れたあとの|材料《ざいれう》で
|廃物《はいぶつ》|利用《りよう》か|知《し》らねども  |仮設劇場《かせつげきぢやう》|常置《じやうち》して
|野卑《やひ》な|楽器《がくき》と|人《ひと》の|曰《い》ふ  |三筋《みすぢ》の|糸《いと》をピンピンと
|遊芸《いうげい》|気分《きぶん》で|曳《ひ》き|付《つ》ける  |曳《ひ》き|付《つ》けられてワアワアと
|腮紐《あごひも》ほどく|老若《らうにやく》の  |顔《かほ》はまだしも|古代冠《こだいくわん》
|頭《あたま》に|載《の》せていかめしく  |数多《あまた》の|人《ひと》を|見降《みくだ》して
|節《ふし》|面白《おもしろ》く|婆《ばば》|娘《むすめ》  |皺枯《しわが》れ|声《ごゑ》や|黄《き》な|声《こゑ》で
|汗《あせ》をたらたら|蚊《か》に|刺《さ》され  |上手《じやうず》だ|下手《へた》だと|口々《くちぐち》に
|社会《しやくわい》|奉仕《ほうし》のロハ|仕事《しごと》  |勤《つと》める|馬鹿《ばか》の|気《き》が|知《し》れぬ
それでも|一寸《ちよつと》|聞《き》いて|見《み》りや  マンザラ|捨《す》てたものでない
|平素《へいそ》の|夫《をつと》の|不始末《ふしまつ》や  |女房《にようばう》としての|尽《つく》す|道《みち》
|敬神《けいしん》|尊皇《そんのう》|愛国《あいこく》の  |教《をしへ》の|道《みち》が|徹底《てつてい》すと
うまい|言訳《いひわけ》|拵《こしら》へて  |一夜《ひとよ》も|欠《か》かさず|家《うち》の|嬶《かか》
|変性女子《へんじやうによし》のうさ|言《ごと》に  |魂《たま》を|抜《ぬ》かれて|肝腎《かんじん》の
|大事《だいじ》の|夫《をつと》を|軽蔑《けいべつ》し  |鼻息《はないき》|荒《あら》く|成《な》る|計《ばか》り
こんな|事《こと》をば|平素《へいそ》より  |圧迫《あつぱく》して|来《き》た|女房《にようばう》に
|聞《き》かして|呉《く》れるものだから  |女権《ぢよけん》は|日《ひ》に|日《ひ》に|拡大《くわくだい》し
|家内《かない》に|却《かへ》つて|紛乱《ふんらん》の  |五月蠅《さばへ》の|種《たね》を|蒔《ま》き|散《ち》らし
|今《いま》まで|柔順《じうじゆん》なりし|妻《つま》  この|頃《ごろ》|権幕《けんまく》|荒《あら》くなり
|一々《いちいち》|夫《をつと》を|手古摺《てこず》らせ  |二進《につち》も|三進《さつち》も|手《て》に|合《あ》はぬ
|悪《あく》の|写《うつ》つた|緯役《よこやく》が  ほざいた|霊界物語《れいかいものがたり》
|泰《しん》の|始皇《しくわう》ぢやなけれども  |成《な》る|事《こと》なれば|一冊《いつさつ》も
|残《のこ》らず|灰《はい》にして|欲《ほ》しい  |三千世界《さんぜんせかい》の|大馬鹿《おほばか》の
|寝物語《ねものがたり》に|夢《ゆめ》うつつ  |是《これ》では|夫《をつと》も|堪《たま》らない
|世間《せけん》の|女房《にようばう》に|比《くら》ぶれば  |概《がい》して|賢《かしこ》い|女房《にようばう》も
インフルエンザの|風《かぜ》のやうに  |頭《あたま》の|先《さき》から|足《あし》の|裏《うら》
さつぱり|伝染《でんせん》して|仕舞《しま》ひ  |百度《ひやくど》|以上《いじやう》の|逆上方《のぼせかた》
|水《みづ》をばさして|五六七殿《みろくでん》  |節《ふし》を|付《つ》けたり|三味線《さみせん》で
|信者《しんじや》を|酔《よ》はす|醜業《しこわざ》を  |止《と》めてやらねば|置《お》かないと
|捻鉢巻《ねぢはちまき》の|人《ひと》がある  |必《かなら》ず|心配《しんぱい》|遊《あそ》ばすな
|良妻賢母《りやうさいけんぼ》にしてあげる  |何程《なにほど》|火《ひ》になり|蛇《へび》になり
|火《か》ツ|火《か》になつて|焦慮《いら》つとも  |頭《あたま》の|上《うへ》からザブザブと
|冷《ひや》してかかる【みづ】|御魂《みたま》  どうせ|阿房《あはう》のする|仕事《しごと》
|神《かみ》の|使《つかひ》のさにはまで  |為《な》さる|賢《かしこ》いおん|方《かた》の
お|気《き》に|入《い》りそな|事《こと》はない  アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ  |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
なにほど|水《みづ》をさそうとも  |大馬鹿者《おほばかもの》と|譏《そし》るとも
|四足《よつあし》|身魂《みたま》が|騒《さわ》ぐとも  |体主霊従《たいしゆれいじう》と|曰《い》はれたる
|大化物《おほばけもの》の|瑞月《ずゐげつ》は  |金輪奈落《こんりんならく》の|底《そこ》までも
|決《けつ》して|初心《しよしん》は|変《へん》じない  |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける  |神《かみ》に|任《まか》した|瑞月《ずゐげつ》は
たとへ|霊界物語《れいかいものがたり》  【あく】と|言《い》はりよが|構《かま》やせぬ
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|身《み》は  |神《かみ》の|教《をしへ》に|任《まか》すのみ
|阿房《あほう》と|阿房《あほう》の|集《あつ》まつた  この|世《よ》の|中《なか》にエライ|人《ひと》
|一人《ひとり》も|有《あ》りそな|事《こと》はない  |至聖《しせい》|大賢《たいけん》|紳士《しんし》ぞと
|威張《ゐば》つたところで|天地《あめつち》の  |元《もと》を|造《つく》りし|大神《おほかみ》の
|厳《いづ》の|御眼《おんめ》に|見《み》たまへば  |盲《めくら》|聾《つんぼ》の|娑婆《しやば》|世界《せかい》
|愚図々々《ぐづぐづ》|言《い》はずに|皆《みな》の|方《かた》  よく|味《あぢ》はつて|聞《き》くが|好《よ》い
|軽口《かるくち》きくにも|金《かね》が|要《い》る  ロハで|尊《たふと》き|神界《しんかい》の
|先人未発《せんじんみはつ》の|物語《ものがたり》  いやなお|方《かた》はドシドシと
|去《い》んで|下《くだ》され|頼《たの》みます  |憑《つ》いた|狸《たぬき》を|去《い》なす|様《やう》に
エラソに|吐《ぬ》かすと|思《おも》はずに  この|世《よ》を|造《つく》りし|大神《おほかみ》の
|広《ひろ》き|心《こころ》に|聞《き》き|直《なほ》し  |我《わが》|言霊《ことたま》の|過《あやま》ちを
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|宣《の》り|直《なほ》せ  |楽屋《がくや》|一同《いちどう》を|代表《だいへう》して
|愚痴《ぐち》をだらだら|述《の》べておく  アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|叶《かな》はん|時《とき》の|神頼《かみだの》み  かなはぬからたまちはへませ
かなはぬならたちかへりませ
大正十一年七月十四日
出口王仁三郎
|総説歌《そうせつか》
|久方《ひさかた》の|天津御空《あまつみそら》の|八重雲《やへくも》を  |伊都《いづ》の|千別《ちわ》きに|掻別《かきわ》けて
|天降《あも》りましたる|諾冊《なぎなみ》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|二柱《ふたはしら》
|豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》  |造《つく》りなさむと|千万《ちよろづ》に
|心《こころ》つくしの|立花《たちはな》の  |天教山《おど》の|阿波岐原《あはぎはら》に|現《あ》れまして
|八尋《やひろ》の|殿《との》を|見《み》たてまし  |月日《つきひ》も|清《きよ》く|澄渡《すみわた》る
|五六七《みろく》の|御代《みよ》を|建《た》てむとて  |大海原《おほうなばら》に|漂《ただよ》へる
|国《くに》の|司《つかさ》と|豊国《とよくに》の  |姫《ひめ》の|命《みこと》の|瑞御魂《みづみたま》
|神素盞嗚《かむすさのを》の|神《かみ》を|生《う》み  |百《もも》の|神人《かみびと》|平《たひら》けく
|治《をさ》めしめむとし|給《たま》ひし  |大御心《おほみこころ》も|潮沫《しほなわ》の
こおろこおろにかき|乱《みだ》れ  |山《やま》の|尾《を》の|上《へ》や|川《かは》の|瀬《せ》に
|八十《やそ》の|曲津《まがつ》のさやりゐて  |山川《やまかは》どよみ|国土《くにつち》も
|万《よろづ》の|物《もの》も|皆《みな》|騒《さや》ぎ  |常夜《とこよ》の|暗《やみ》となり|響《ひび》く
|豊国姫《とよくにひめ》と|現《あ》れませる  |国大立《くにひろたち》の|大神《おほかみ》は
|神素盞嗚《かむすさのを》と|現《あら》はれて  |月照彦《つきてるひこ》や|大足彦《おほだるひこ》
|少名彦神《すくなひこかみ》|弘子《ひろやす》の  |彦《ひこ》の|命《みこと》を|国々《くにぐに》の
|守《まも》りの|神《かみ》と|言《こと》よさし  |天津誠《あまつまこと》のあななひの
|教《をしへ》を|開《ひら》き|給《たま》へども  |曲《まが》のみたまの|猛《たけ》くして
|天足《あだる》の|彦《ひこ》や|胞場姫《えばひめ》の  |汚《けが》れ|果《は》てたる|分霊《わけみたま》
|末《すゑ》つみたまの|鬼《おに》|大蛇《をろち》  |醜女《しこめ》|探女《さぐめ》や|曲神《まがかみ》と
なりてこの|世《よ》を|乱《みだ》しける  |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》は
|神伊弉諾《かむいざなぎ》の|大神《おほかみ》の  |依《よ》さしのままに|生魂《いくみたま》
|四方《よも》に|配《くば》らせ|給《たま》へども  |隙《ひま》|行《ゆ》く|駒《こま》の|荒《あ》れ|狂《くる》ひ
|黒白《あやめ》も|分《わ》かぬ|暗《やみ》の|世《よ》の  |黄泉《よもつ》の|島《しま》の|戦《たたか》ひは
|神《かみ》の|稜威《みいづ》に|凪《な》ぎつれど  あちらこちらに|散《ち》りはてし
|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》や|曲鬼《まがおに》や  |醜《しこ》の|狐《きつね》の|醜魂《しこたま》は
|侮《あなど》り|難《がた》き|勢《いきほひ》の  |八洲《やしま》の|国《くに》を|掻乱《かきみだ》す
|堅磐《かきは》|常盤《ときは》の|神《かみ》の|世《よ》を  |経《たて》と|緯《よこ》との|二柱《ふたはしら》
|現《あら》はれまして|野立彦《のだちひこ》  |野立《のだち》の|姫《ひめ》の|御心《みこころ》を
|配《くば》らせ|給《たま》ひて|麻柱《あななひ》の  |道《みち》を|開《ひら》かせ|天地《あめつち》に
|塞《ふさ》がる|醜《しこ》の|村雲《むらくも》を  |伊吹《いぶき》|払《はら》ひに|払《はら》はむと
|神《かみ》の|御鼻《みはな》になりませる  |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》は
|天教《てんけう》|地教《ちけう》の|神《かみ》の|山《やま》  |黄金山《わうごんざん》や|万寿山《まんじゆざん》
|霊鷲山《れいしうざん》に|集《あつ》まりし  |神《かみ》の|司《つかさ》に|言依《ことよ》さし
|大海原《おほうなばら》に|漂《ただよ》へる  |八洲《やしま》の|国《くに》を|開《ひら》かむと
|青雲別《あをくもわけ》の|宣伝使《せんでんし》  |白雲別《しらくもわけ》や|三葉彦《みつばひこ》
|東雲別《しののめわけ》や|久方《ひさかた》の  |彦《ひこ》の|命《みこと》を|遣《つか》はして
|神《かみ》の|稜威《みいづ》も|高彦《たかひこ》の  |天児屋根《あめのこやね》の|神司《かむつかさ》
|天津祝詞《あまつのりと》の|神言《かみごと》に  |醜《しこ》の|雲霧《くもきり》|払《はら》ひ|行《ゆ》く
あゝ|勇《いさ》ましき|神《かみ》の|業《わざ》  |神《かみ》の|御業《みわざ》の|物語《ものがたり》
|十余《とをま》り|一《ひと》つの|巻《まき》の|初《はじ》めに  |高天原《たかあまはら》の|神々《かみがみ》の
|奇《く》しき|貴《たふと》き|活動《はたらき》を  |三五《さんご》の|月《つき》の|面《おも》|清《きよ》く
|説《と》き|明《あか》すこそ|目出度《めでた》けれ。
第一篇 |長駆《ちやうく》|進撃《しんげき》
第一章 クス|野ケ原《のがはら》〔四六八〕
|天《あま》の|原《はら》|澄《すみ》きり|渡《わた》る|青雲《あをくも》の  |別《わけ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》
|名《な》も|高彦《たかひこ》と|改《あらた》めて  |岩戸《いはと》の|前《まへ》にいさをしを
いや|永遠《とこしへ》に|建《たて》ましし  |天児屋根《あめのこやね》の|神司《かむつかさ》
ウラルの|山《やま》やアーメニヤ  |醜《しこ》の|本拠《ほんきよ》と|立籠《たてこも》る
ウラルの|彦《ひこ》やウラル|姫《ひめ》  |八十《やそ》の|曲津《まがつ》を|言向《ことむ》けて
|豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》  |隈《くま》なく|澄《す》まし|照《てら》さむと
|黄金山《わうごんざん》を|立出《たちい》でて  |天《あま》の|真名井《まなゐ》を|打渡《うちわた》り
|波《なみ》にさらはれ|雨《あめ》に|濡《ぬ》れ  |吹《ふ》きくる|風《かぜ》に|梳《くしけづ》り
|山川《やまかは》|幾《いく》つ|打越《うちこ》えて  |神《かみ》の|稜威《みいづ》もアルタイの
|山《やま》より|落《お》つる|宇智野川《うちのがは》  |渡《わた》りてここにクス|野原《のはら》
|一望《いちばう》|千里《せんり》の|草《くさ》の|野《の》に  |月日《つきひ》を|重《かさ》ねて|進《すす》み|来《く》る。
|目《め》も|届《とど》かぬ|限《かぎ》りの|薄野《すすきの》を|分《わ》けて、ことさら|寒《さむ》き|木枯《こがらし》に|吹《ふ》かれながら、|疲《つか》れし|足《あし》を【とぼ】とぼと、|虎《とら》|狼《おほかみ》のうそぶく|声《こゑ》を|目《め》あてに、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|進《すす》み|行《ゆ》く。
|日《ひ》は|黄昏《たそがれ》に|近《ちか》づきて、|夜気《やき》|陰々《いんいん》と|身《み》に|迫《せま》る。|百鳥《ももとり》の|声《こゑ》もピタリと|止《や》んで、|猛《たけ》き|獣《けもの》の|声《こゑ》は|刻々《こくこく》に|高《たか》く|聞《きこ》え|来《き》たりぬ。
|高彦《たかひこ》の|宣伝使《せんでんし》は、|一夜《いちや》をここに|明《あ》かさむと|枯野ケ原《かれのがはら》を|衾《しとね》とし、|顔《かほ》に|笠《かさ》を|蓋《おほ》ひ|簑《みの》を|被《かぶ》つて|睡《まどろ》むうち、|何処《どこ》ともなく|胸騒《むなさわ》ぎがして|来《き》た。フト|目《め》を|開《ひら》けば、|見上《みあ》ぐるばかりの|大怪物《だいくわいぶつ》、|額《ひたひ》の|中央《ちうあう》に|鏡《かがみ》の|如《ごと》き|一《ひと》つ|目《め》を|光《ひか》らし、|鼻《はな》は|神楽獅子《かぐらじし》の|如《ごと》く、|口《くち》は|耳《みみ》まで|裂《さ》け、|青藍色《せいらんしよく》の|面《つら》をして、|高彦《たかひこ》を|睨《にら》みつけた。
|高彦《たかひこ》は|仰臥《あふぐわ》せしまま|黙然《もくねん》として|一《ひと》つ|目《め》の|怪物《くわいぶつ》を|目《め》も|放《はな》たず|見《み》つめてゐた。|怪物《くわいぶつ》は|毛《け》だらけの|真黒《まつくろ》な|手《て》を|差《さ》し|伸《の》べて、|高彦《たかひこ》の|胸《むね》を|一掴《ひとつか》みにせむと|迫《せま》り|来《く》る。
|高彦《たかひこ》は|心静《こころしづ》かに|宣伝歌《せんでんか》を|唱《とな》へた。|怪物《くわいぶつ》は|怪《あや》しき|声《こゑ》を|出《だ》して、|前後左右《ぜんごさいう》にキリキリ|舞《ま》ひを|始《はじ》めた。|高彦《たかひこ》は|益々《ますます》|宣伝歌《せんでんか》を|高唱《かうしやう》する。|怪物《くわいぶつ》は|次第々々《しだいしだい》にその|容積《ようせき》を|減《げん》じ、|終《つひ》には|白《しろ》き|煙《けむり》の|如《ごと》き|玉《たま》となつて|次第々々《しだいしだい》に|消《き》え|失《う》せた。|中空《ちうくう》を|眺《なが》むれば、|怪《あや》しき|黒影《くろかげ》|魚鱗《ぎよりん》の|淡雲《たんうん》を|分《わ》けて|昇《のぼ》り|行《ゆ》く。
|高彦《たかひこ》『あゝウラル|山《さん》の|鬼《おに》|奴《め》が、|折角《せつかく》|疲《つか》れを|休《やす》めて|好《よ》い|塩梅《あんばい》に|眠《ねむ》つてゐたのに、|安眠《あんみん》の|妨害《ばうがい》を|致《いた》しよつた。このクスの|野《の》は|油断《ゆだん》のできない|所《ところ》だと|聞《き》いてゐた。ヤア、もう|少《すこ》し|夜《よ》が|明《あ》けるのに|間《ま》もあるから、モウ|一《ひ》と|寝入《ねい》りしてから|行《ゆ》くこととしよう』
と|又《また》もやコロリと|横《よこ》たはり、|後《あと》は|白河夜船《しらかはよぶね》、|鼾声《かんせい》|雷《らい》の|如《ごと》く|四辺《あたり》を|響《ひび》かしてゐる。
この|時《とき》、|何者《なにもの》ともなく|高彦《たかひこ》の|身体《しんたい》を|目《め》がけて、|杖《つゑ》をもつて|力《ちから》|限《かぎ》りに|打《う》つものがある。|高彦《たかひこ》は|驚《おどろ》いてスツクと|立上《たちあが》り、
『|無礼者《ぶれいもの》ツ』
と|一喝《いつかつ》したるに、|一人《ひとり》の|大男《おほをとこ》は、
『バヽヽヽ|化物《ばけもの》|奴《め》が、|馬鹿《ばか》にするな。その|手《て》は|食《く》はぬぞ。|俺《おれ》を【どなた】と|思《おも》うて|居《ゐ》るか、|恐《おそ》れ|多《おほ》くも、|鉄谷村《かなたにむら》の|酋長《しうちやう》|鉄彦《かなひこ》が|門番《もんばん》、|今《いま》こそ|少《すこ》し|年《とし》はとつたれ、これでも|若《わか》い|時《とき》は|小相撲《こずまう》の|一《ひと》つもとつた|近所《きんじよ》|界隈《かいわい》に|名《な》の|通《とほ》つた|時公《ときこう》さんだぞ。|何《なん》だツ、|最前《さいぜん》も|一《ひと》つ|目《め》の|化物《ばけもの》となつて、|大《おほ》きな|無恰好《ぶかつかう》な|口《くち》を|開《ひら》きやがつて、|青《あを》い|面《つら》してこの|方《はう》さまを|喝《おど》かしよつたが、この|時《とき》さまの|宣伝歌《せんでんか》の|言霊《ことたま》によつて、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げたそのザマは|何《なん》だ。|今度《こんど》は|手品《てじな》を|変《か》へやがつて、|石凝姥《いしこりどめ》の|宣伝使《せんでんし》の|真似《まね》をさらして、こンな|所《ところ》に|横《よこ》たはつて|鼾《いびき》をかいてゐやがるんだ。もう|承知《しようち》せん。|貴様《きさま》はアルタイ|山《ざん》の|蛇掴《へびつか》みの|子分《こぶん》だらう。|親分《おやぶん》の|蛇掴《へびつか》みでさへも、|時公《ときこう》さまの|御威勢《ごゐせい》に|恐《おそ》れ、|青白《あをじろ》い|光《ひかり》となつてザマの|悪《わる》い|褌《ふんどし》を|垂《た》らしやがつて、アーメニヤとかいふ|国《くに》へ|逃《に》げ|帰《かへ》りやがつた|位《くらゐ》だ。サア、|目《め》を|剥《む》け、|舌《した》を|出《だ》せ、そんな|事《こと》でビツクリするやうな|時《とき》さまとは|違《ちが》ふぞ。あまり|見損《みぞこ》なひをすな』
|高彦《たかひこ》『ヤア、|時《とき》さまとやら、|我々《われわれ》は|化物《ばけもの》ではありませぬ』
|時公《ときこう》は|一寸《ちよつと》|舌《した》を|出《だ》し、|頤《あご》を【しやく】つて、
『ヤア、|時《とき》さまとやら、|我々《われわれ》は|化物《ばけもの》ではありませぬ。……とケツかるワイ。その|手《て》は|桑名《くはな》の|焼蛤《やきはまぐり》だ。グヅグヅぬかすと、この|杖《つゑ》がお|見舞《みま》ひ|申《まを》すぞ。|目《め》の|玉《たま》|奴《め》が』
|高彦《たかひこ》『これはこれは|化物《ばけもの》とのお|見違《みちが》ひ、|決《けつ》して|決《けつ》して|左様《さやう》の|者《もの》ではござらぬ。|我々《われわれ》も|今《いま》その|一《ひと》つ|目《め》|小僧《こぞう》に|出会《であ》つたところだ。せつかく|安眠《あんみん》してをるのに、|中途《ちうと》で|起《おこ》され、|眠《ねむ》たくて|目《め》の|工合《ぐあひ》が……』
|時公《ときこう》『オツト……|御免《ごめん》だ。|目《め》の|話《はなし》は|止《や》めた|止《や》めた。こつちも|一寸《ちよつと》【めい】わくだから……』
『|何分《なにぶん》|眠《ねむ》りが|足《た》らぬものだから、|熱《ねつ》が|出《で》て|舌《した》が【もつれ】……』
『オイオイ、その|舌《した》はもう|言《い》ふな。|俺《おれ》もあの|舌《した》にはギヨツと【した】』
『|何分《なにぶん》|長途《ちやうと》の|旅《たび》で|疲《つか》れたものだから、お|前《まへ》さんが|見《み》たら|人間《にんげん》らしくもなからうが……わしの|顔《かほ》は|蒼白《あをじろ》く|見《み》えるだらう。それでお|前《まへ》が|疑《うたが》ふのは……』
『|疑《うたが》ふも|疑《うたが》はぬもあつたものかい。|顔《かほ》の|蒼《あを》い|白《しろ》いは|言《い》ふな。|貴様《きさま》は|大方《おほかた》|蛇掴《へびつかみ》の|兄弟分《きやうだいぶん》だらう。|今《いま》は|一体《いつたい》|何《なん》といふ|名《な》だ』
『|我《われ》は|東彦《あづまひこ》と|申《まを》す|者《もの》』
|時公《ときこう》『ザマ|見《み》やがれ。|白状《はくじやう》しよつた。アクマ|彦《ひこ》|奴《め》が。|蛙《かへる》は|我《われ》と|我《わ》が|口《くち》から|白状《はくじやう》したが、もうアクマと|知《し》つた|以上《いじやう》は、|俺《おれ》は|善《ぜん》にも|強《つよ》ければ|悪《あく》にも|強《つよ》い|時《とき》さまだ。【あくま】で|打《う》ちこらしてやる。|俺《おれ》の|顔《かほ》を|冥途《めいど》の|土産《みやげ》に|穴《あな》の【あくま】で|見《み》ておけ。|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》へ|行《い》つてもこの|時《とき》さんのやうな|強《つよ》いお|方《かた》は|滅多《めつた》にありやせぬぞ』
と|言《い》ひながら、|携《たづさ》へた|鉄棒《てつぼう》をもつて|打《う》つてかかる。|東彦《あづまひこ》は|笠《かさ》をもつて、その|棒《ぼう》を|右《みぎ》に|左《ひだり》に|避《さ》け|乍《なが》ら、|時公《ときこう》の|足《あし》を【さらへ】た。|時公《ときこう》はズデンドーと|仰向《あふむ》けに|倒《たふ》れた。|東彦《あづまひこ》は、
『ウン』
と|一声《ひとこゑ》|霊縛《れいばく》をかけたるに|時公《ときこう》は、
『オイ、|目《め》の|玉《たま》、アクマ|彦《ひこ》、|何《ど》うしよるのだ。|貴様《きさま》わりとは|悪戯《ふざ》けた|事《こと》をしよる。|身体《からだ》はアルタイ|山《さん》の|鬼《おに》の|化石《くわせき》のやうになつちやつたが、|目《め》と|口《くち》と|耳《みみ》とは【しつかり】してをるぞ。|貴様《きさま》は|一《ひと》つ|目《め》だ。|俺《おれ》は|二《ふた》つ|目《め》だ。|睨《にら》み|殺《ころ》してやらうか』
|東彦《あづまひこ》『アハヽヽヽ、やあ、|時《とき》さまとやら、|私《わたくし》を|信《しん》じて|下《くだ》さい。|私《わたくし》も【つい】|最前《さいぜん》のこと、その|一《ひと》つ|目《め》|小僧《こぞう》に|出会《であ》つたのだ。が、お|前《まへ》さんも|途中《とちう》で|出会《であ》つて|来《き》たのか』
|時公《ときこう》は|俄《にはか》に|調子《てうし》をかへて、
『ハイハイ、|一目《ひとめ》|見《み》るよりビツクリ|仰天《ぎやうてん》せむとせしが、|待《ま》て|暫《しば》し、アルタイ|山《ざん》の|蛇掴《へびつか》みでさへも、この|時《とき》さまの|鼻息《はないき》で|吹《ふ》き|散《ち》らしたのだ。|何《なん》だ、|一《ひと》つ|目《め》の|化物《ばけもの》|位《くらゐ》と|思《おも》ひ|直《なほ》してここまでやつて|来《き》たが、|何《なん》だか|膝頭《ひざがしら》が【こそば】くて、|笑《わら》うたり|泣《な》いたりしやがつて、|時《とき》さんは|怒《おこ》る、|膝坊主《ひざばうず》は|泣《な》き|笑《わら》ひする。|酒《さけ》も|飲《の》まぬに、|一人《ひとり》で|三人《さんにん》|上戸《じやうご》を|勤《つと》めて|来《き》ました。|私《わたくし》の|主人《しゆじん》は|鉄彦《かなひこ》というて、それはそれは|余《あま》り|偉《えら》うない|豪傑《がうけつ》ですが、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の【あななひ】をしてな、アナ|有《あ》り|難《がた》いとか|何《なん》とか|言《い》つて|石凝姥《いしこりどめ》の|宣伝使《せんでんし》と、|何《なん》でも|名《な》は|忘《わす》れたがスイスイ、|粋《すゐ》な|名《な》のつく|別嬪《べつぴん》の|宣伝使《せんでんし》と|三人連《さんにんづ》れで、クスの|原《はら》を|向《むか》ふへ|渡《わた》ると|言《い》つて|出《で》かけました。さうしたところが|俄《にはか》に|奥《おく》さまが、|病気《びやうき》になつたものだから、オイ|時公《ときこう》、お|前《まへ》は|天下無双《てんかむさう》の|豪傑《がうけつ》だ、|一《ひと》つ|目《め》|小僧《こぞう》の|百匹《ひやつぴき》や|千匹《せんびき》はビクともようせぬ|奴《やつ》だから、|御苦労《ごくらう》だが|主人《しゆじん》を|呼《よ》んで|来《き》てくれと、|奥様《おくさま》が|手毬《てまり》のやうな|涙《なみだ》を、こぼして|頼《たの》むものだから、ヨシきた、たとへウラル|彦《ひこ》の|軍勢《ぐんぜい》、|幾万《いくまん》|来《きた》るとも、この|時《とき》さまが|腕力《わんりよく》をもつて、|縦横無尽《じうわうむじん》に|打《う》つて|打《う》つて|打《う》ちまはし、|木端微塵《こつぱみじん》に|砕《くだ》いてやるは|瞬《またた》くうちと|尻《しり》ひつからげ、クスの|荒野《あらの》を|韋駄天走《いだてんばし》り、|生《なま》かじりの|宣伝歌《せんでんか》を、|処々《ところどころ》|歌《うた》つて|足拍子《あしべうし》をとり|乍《なが》らやつて|来《き》たところ、|向《むか》ふに|怪《あや》しき|影《かげ》がある。ハーテ|訝《いぶか》しやな、この|荒野ケ原《あれのがはら》に|現《あらは》れ|出《い》づる|怪物《くわいぶつ》は|何者《なにもの》なるぞ、|尋常《じんじやう》に|名《な》を|名乗《なの》れとやつて|見《み》せたり、と|思《おも》つたが|何《なん》だか、|向《むか》ふの|舌《した》が|長《なが》うて【こつち】の|舌《した》が|捲《ま》かれたか、|負《まけ》たか|知《し》らないが、こわばつて|一寸《ちよつと》も|時《とき》さまの|言《い》ふ|事《こと》を|聞《き》きやがらぬので、|今度《こんど》は|目《め》の|御用《ごよう》だと、クルクル|鏡《かがみ》の|如《ごと》き|両眼《りやうがん》を|開《ひら》いて|見《み》せた。|流石《さすが》|一《ひと》つ|目《め》の|怪物《くわいぶつ》も、|時《とき》さんの|勇気《ゆうき》に|辟易《へきえき》し、|褌《ふんどし》|下《さ》げて|西南《せいなん》の|天《てん》を|指《さ》して|逃《に》げ|散《ち》つたり』
|東彦《あづまひこ》『アハヽヽヽ、|面白《おもしろ》い|奴《やつ》だな』
|時公《ときこう》『|面白《おもしろ》いか|知《し》らぬが、|私《わたくし》は【ねつから】|面白《おもしろ》くない。かう|横《よこ》に|立《た》つて|物語《ものがたり》をしても、【ねつからはつから】ハバがきかぬ。お|前《まへ》さまも|私《わたくし》の|傍《そば》へ|来《き》て、|横《よこ》に|立《た》てつたら|何《ど》うだ。ゆつくり|寝物語《ねものがたり》でもしようかいな』
『アハヽヽヽ、どこまでも、|徹底《てつてい》した|法螺吹《ほらふ》きだな。|負《ま》け|惜《を》しみの|強《つよ》い|奴《やつ》だ。そんなら|私《わたくし》もお|前《まへ》の|傍《そば》で、|夜《よ》が|明《あ》けるまで|添寝《そひね》をしてやらうか。これだから|悪戯《いたづら》|小僧《こぞう》を|持《も》つ|親《おや》は|困《こま》るといふのだ。やあドツコイシヨ』
と、|時公《ときこう》と|枕《まくら》を|並《なら》べて、ゴロンと|寝《ね》た。
|時公《ときこう》『やあ、アクマ|彦《ひこ》も【なか】なか|話《はな》せるワイ。しかし、お|気《き》の|毒《どく》だが、お|時《とき》さまだと|好《よ》いけれど、|時公《ときこう》さまではお|気《き》に|召《め》しますまい。それでも|何《なん》だか【トキ】トキとしますよ』
|東彦《あづまひこ》『アヽ、|私《わたくし》も|退屈《たいくつ》で|困《こま》つてゐたところだ。|霊界物語《れいかいものがたり》ぢやないが、|一《ひと》つここで【しつぽり】と|仰向《あふむ》けになつて、|寝物語《ねものがたり》りでもやらうかい』
|東雲《しののめ》の|空《そら》|別《わ》け|昇《のぼ》る|朝日子《あさひこ》の、|東彦《あづまひこ》と|名《な》のりし|東彦《あづまひこ》の|宣伝使《せんでんし》はムツクリと|起上《おきあが》り、|時公《ときこう》の|霊縛《れいばく》を|解《と》き、|二人《ふたり》は|途々《みちみち》|神話《しんわ》に|耽《ふけ》りながら、|際限《さいげん》も|無《な》き|大野原《おほのはら》を|西《にし》へ|西《にし》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・二・二八 旧二・二 桜井重雄録)
第二章 |一目《ひとつめ》お|化《ばけ》〔四六九〕
|東彦《あづまひこ》の|神《かみ》の|宣伝使《せんでんし》は|時公《ときこう》を|伴《ともな》ひ、|果《は》てしもなきクス|野ケ原《のがはら》を|進《すす》みつつ|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|行《ゆ》く。
『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |天津御神《あまつみかみ》の|神言《かみごと》に
|八十《やそ》の|曲津《まがつ》の|許々多久《ここたく》の  |醜女《しこめ》|探女《さぐめ》を|言向《ことむ》けて
|百八十神《ももやそがみ》や|八十人《やそびと》を  |神《かみ》の|誠《まこと》の|大道《おほみち》に
|救《すく》はんものと|海山《うみやま》を  |越《こ》えてやうやうクスの|原《はら》
|北光彦《きたてるひこ》の|神《かみ》ならで  |一目《ひとめ》の|曲《まが》におどかされ
|円《まど》かな|夢《ゆめ》を|破《やぶ》られて  |起《お》き|出《い》で|四方《よも》を|眺《なが》むれば
|虎《とら》|狼《おほかみ》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》  |枯野《かれの》を|渡《わた》る|風《かぜ》の|音《おと》
|寒《さむ》さに|顫《ふる》ふ|其《その》|時《とき》に  |思《おも》ひもよらぬ|時《とき》さんの
|時《とき》に|取《と》つての|御愛嬌《ごあいけう》  |大《おほ》きな|法螺《ほら》を|吹《ふ》く|風《かぜ》に
|又《また》もや|眠《ねむ》りを|醒《さ》ましつつ  |茲《ここ》に|二人《ふたり》は|転《ころ》び|寝《ね》の
|水《みづ》も|漏《も》らさぬ|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》の|友《とも》となり
|寂《さび》しき|野辺《のべ》を|賑《にぎは》しく  |進《すす》み|行《ゆ》くこそ|楽《たの》しけれ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|風《かぜ》も|荒野《あれの》の|狼《おほかみ》や  |獅子《しし》や|大蛇《をろち》の|千万《ちよろづ》の
|曲《まが》の|一度《いちど》に|迫《せま》るとも  などか|怖《おそ》れむ|敷島《しきしま》の
|神《かみ》の|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》  |神《かみ》の|御水火《みいき》に|吹《ふ》き|払《はら》ひ
|我《わ》が|言霊《ことたま》に|追《お》ひ|散《ち》らし  |誠《まこと》|明志《あかし》の|湖《みづうみ》を
|渡《わた》りて|又《また》もや|荒野原《あれのはら》  |虎《とら》|伏《ふ》す|野辺《のべ》の|膝栗毛《ひざくりげ》
|心《こころ》の|駒《こま》に|鞭《むち》うちて  |鏡《かがみ》の|如《ごと》き|琵琶《びは》の|海《うみ》
|神《かみ》の|救《すく》ひの|船《ふね》に|乗《の》り  |心《こころ》は|堅《かた》き|磐樟《いはくす》の
|船《ふね》を|力《ちから》にアーメニヤ  |曲《まが》の|都《みやこ》に|立《た》ち|向《むか》ふ
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|直日《なほひ》の|御霊《みたま》|伊都能売《いづのめ》の  |日《ひ》の|出神《でのかみ》や|木《こ》の|花《はな》の
|神《かみ》の|教《をしへ》を|杖《つゑ》として  |道奥《みちのく》までも|恙《つつが》なく
|進《すす》み|行《ゆ》くこそ|楽《たの》しけれ』
|時公《ときこう》『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》の|御蔭《おかげ》で、|人《ひと》の|通《とほ》つた|事《こと》のない|様《やう》なこの|曠原《かうげん》を、|知《し》らず|識《し》らずの|間《あひだ》に|進《すす》んで|来《き》ました。|然《しか》し|大分《だいぶ》に|膝栗毛《ひざくりげ》が|草臥《くたび》れた|様《やう》ですから|一杯《いつぱい》|水《みづ》でも|飲《の》ましてやりませうか』
|東彦《あづまひこ》『マア、|行《ゆ》かうぢやないか。|一足々々《ひとあしひとあし》アーメニヤに|近寄《ちかよ》るのだからな。|日天様《につてんさま》でも|一分間《いつぷんかん》も|御休《おやす》みにならぬのだから、|休《やす》むのは|勿体《もつたい》ない』
|時公《ときこう》『|一息々々《ひといきひといき》アーメニヤに|近《ちか》づくのは|結構《けつこう》だが、この|間《あひだ》も|石凝姥《いしこりどめ》の|宣伝使《せんでんし》の|言葉《ことば》に、|吾々《われわれ》は|斯《か》うして|天下《てんか》の|為《た》めに|活動《くわつどう》して|居《を》るのは、|一息々々《ひといきひといき》|墓場《はかば》に|近《ちか》づいて|行《ゆ》くのだと|云《い》はれました。そんなことを|聞《き》くと|人間《にんげん》も|頼《たよ》りなくて|足《あし》が|倦《だる》くて|行《ゆ》く|気《き》になりませぬわ。|長《なが》い|月日《つきひ》に|短《みじか》い|命《いのち》だ。|一寸《ちよつと》|一服《いつぷく》しませうかい』
|東彦《あづまひこ》『|人間《にんげん》は|一息々々《ひといきひといき》|墓場《はかば》へ|近《ちか》づいて、それから|墓場《はかば》の|向《むか》ふの|国《くに》へ|行《ゆ》くのだ。|吾々《われわれ》の|目的《もくてき》は|墓場《はかば》を|越《こ》えるのだよ』
|時公《ときこう》『|墓《はか》へ|近《ちか》づくなぞと、ハカない|浮世《うきよ》か、ハカある|浮世《うきよ》か、|根《ね》つから|葉《は》つから【はか】ばかしうないわ。|馬鹿々々《ばかばか》しい|様《やう》な|気《き》がします』
|東彦《あづまひこ》『|人生《じんせい》の|目的《もくてき》はそこにあるのだ。|人《ひと》は|生《い》き|変《かは》り|死《し》に|変《かは》り、|若返《わかがへ》り|若返《わかがへ》り|幽界《いうかい》|現界《げんかい》に|出入《しゆつにふ》して、|永遠無窮《ゑいゑんむきう》の|命《いのち》をつないで|行《ゆ》くものだ。|千年《せんねん》も|万年《まんねん》も|不老不死《ふらうふし》だよ。お|前《まへ》たちもこの|世《よ》へ|生《うま》れて、|時《とき》さまと|云《い》うて|威張《ゐば》り|散《ち》らして|居《ゐ》るのは|僅《わづ》かに|四十年《しじふねん》|許《ばか》りだが、お|前《まへ》の|御本体《ごほんたい》は|何万年前《なんまんねんまへ》から|生《うま》れて|居《ゐ》るのだ』
|時公《ときこう》『|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さい』
と|云《い》ひながら|道《みち》ばたの|草《くさ》の|上《うへ》にドツカと|腰《こし》を|下《おろ》し、|眉毛《まゆげ》に|唾《つば》をつけ、
|時公《ときこう》『オイオイ|化《ばけ》さま、|御交際《おつきあい》に|一服《いつぷく》せぬか。|化物《ばけもの》やアクマは|吐《ぬか》す|事《こと》が|通録《つうろく》せぬと|云《い》ふ|事《こと》だが、|矢張《やつぱ》り|貴様《きさま》は|尻尾《しつぽ》を|出《だ》しやがつた』
|東彦《あづまひこ》『お|前《まへ》また|遽《にはか》に|汚《きた》なげにものを|云《い》ひ|出《だ》したな』
|時公《ときこう》『|定《きま》つた|事《こと》だ。|化物《ばけもの》のアクマ|彦《ひこ》に|叮嚀《ていねい》なことを|云《い》つて|関係《かかりあ》つて|居《ゐ》ようものなら、どんな|目《め》に|会《あ》はしやがるか|分《わか》るものぢやない。そろそろ|日《ひ》が|暮《く》れかかつたものだから|本性《ほんしやう》を|現《あら》はしやがつた』
|東彦《あづまひこ》『アハヽヽヽヽ』
|時公《ときこう》は、
『|分《わか》らぬ|奴《やつ》だな』
と|首《くび》を|傾《かたむ》けてゐる。
『|人間《にんげん》は|一度《いちど》|死《し》んだら|二度《にど》と|死《し》なん|代《かは》りに、|一度《いちど》|生《うま》れたら|二度《にど》と|生《うま》れるものか。|生《い》きたり|死《し》んだりする|奴《やつ》は|狐《きつね》か|狸《たぬき》だ。|狐《きつね》の|七化《ななば》け|狸《たぬき》の|八化《やば》け、|化《ばけ》の|皮《かは》を|現《あら》はし|呉《く》れむ』
と|東彦《あづまひこ》の|尻《しり》を|半信半疑《はんしんはんぎ》で|一寸《ちよつと》|突《つ》いて|見《み》ながら、
『やつてやろか、|然《しか》し|本物《ほんもの》だつたら|俺《おれ》に|罰《ばち》が|当《あた》るから|困《こま》るし、なんともかとも|正体《しやうたい》の|分《わか》らぬ|奴《やつ》ぢや。|俺《おれ》は|日《ひ》の|暮《くれ》になると|朝《あさ》の|元気《げんき》に|引換《ひきか》へて|歩《ある》き|草臥《くたび》れて|足《あし》が|棒《ぼう》になつて、|如何《いか》に|我慢《がまん》な|時公《ときこう》さまでも|一服《いつぷく》したい|様《やう》になつて|来《く》るのに、|日《ひ》の|暮《くれ》になるほど|元気《げんき》|付《づ》きやがるのが|一《ひと》つの|不思議《ふしぎ》だ。|化物《ばけもの》といふ|奴《やつ》は|夜《よ》さりになつたらはしやぐ|奴《やつ》だ』
と|鉄棒《てつぼう》を|地《ち》に|突立《つきた》てながら、|東彦《あづまひこ》の|顔《かほ》をイヤらしきほど|睨《にら》みつける。
『ハヽア|十分《じふぶん》に|目《め》を|光《ひか》らして|私《わし》の|顔《かほ》を|調《しら》べて|置《お》くが|宜《よ》い。|夜分《やぶん》になつてから|誤解《ごかい》されては|困《こま》るからな』
|時公《ときこう》は|少《すこ》し|頭《あたま》を|傾《かたむ》け、
『|人間《にんげん》が|三分《さんぶ》に|化物《ばけもの》が|七分《しちぶ》か、|人三化七《にんさんばけしち》、|夜分《やぶん》になると、|人一化九《にんいちばけきう》になるのだらう。|死《し》んでは|生《うま》れ、|生《うま》れては|死《し》ぬなんて|手品師《てじなし》か|役者《やくしや》のやうな|事《こと》を|云《い》ひやがつて、|真面目《まじめ》に|白状《はくじやう》せんと|時《とき》さまの|腕《うで》には|骨《ほね》があるぞ。|斯《か》う|之《これ》を|見《み》い』
と|左《ひだり》の|手《て》をニユーと|延《の》ばし、|節《ふし》くれ|立《だ》つたり|気張《きば》つたりといふ|力瘤《ちからこぶ》だらけの|腕《うで》を|捲《まく》り、|右《みぎ》の|手《て》にて|左《ひだり》の|腕《うで》をたたいて|見《み》せる。
|東彦《あづまひこ》『アハヽヽヽ、|面白《おもしろ》いおもしろい。こんな|寂《さび》しい|処《ところ》で|結構《けつこう》な|俳優《わざおぎ》を|見《み》せて|貰《もら》つて、|旅《たび》の|疲《つか》れも|忘《わす》れて|了《しま》つた。|斯《か》う|云《い》へば|又《また》|日《ひ》の|暮《くれ》に【はしやぐ】|化物《ばけもの》といふか|知《し》らんが、|本当《ほんたう》に|生《い》き|返《かへ》つた|様《やう》な|気《き》がして|元気《げんき》ますます|旺盛《わうせい》だ』
|時公《ときこう》『|賢《かしこ》い|様《やう》でも|流石《さすが》は|曲津神《まがつかみ》だ。|到頭《たうとう》|白状《はくじやう》しやがつた。|貴様《きさま》は|鬼《おに》の|亡者《まうじや》だらう。|死《し》んで|居《ゐ》やがる|証拠《せうこ》には、|今《いま》|生《い》き|返《かへ》つた|様《やう》な|気《き》がすると|吐《ぬか》したではないか。サアどうぢや。もう|斯《か》うなる|上《うへ》は|貴様《きさま》の|方《はう》から|白状《はくじやう》したのだから|逃《に》げ|道《みち》はあるまい。|執念深《しふねんぶか》くこの|世《よ》へ|迷《まよ》うて|来《き》よつて……|一《ひと》つ|目《め》の|化物《ばけもの》|奴《め》が』
|東彦《あづまひこ》『アハヽヽヽヽ』
|時公《ときこう》『|亡者《まうじや》と|思《おも》へば|何《なん》だか|其処《そこ》らが、もじやもじやして|気分《きぶん》が|悪《わる》くなつて|来《き》た』
|東彦《あづまひこ》『お|前《まへ》の|目《め》の|帳《とばり》をサラリと|上《あ》げて、|耳《みみ》の|蓋《ふた》を|取《と》つて|私《わし》の|言《い》ふ|事《こと》を|良《よ》く|聞《き》くのだ、|見違《みちが》ひ|聞違《ききちが》ひをするな。|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》しといふ|事《こと》がある。さうしたら、|今《いま》までお|前《まへ》の【ほざ】いた|悪言暴語《あくげんばうご》も|発根《ほつこん》と|善言美詞《ぜんげんびし》に|宣《の》り|直《なほ》す|様《やう》になる』
|時公《ときこう》『ヘン、|馬鹿《ばか》にするない。|一《ひと》つ|目《め》の|化物《ばけもの》ぢやあるまいし、|二《ふた》ツ|目《め》の|兄《にい》さまだぞ。|化物《ばけもの》のやうに|眼《め》に|帳《とばり》を|下《おろ》したり、|耳《みみ》に|蓋《ふた》をして|堪《たま》るか。|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》をみん|事《ごと》|聞《き》き【はつ】りやがつて、|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せなぞと|莫迦《ばか》にするない』
この|時《とき》|得《え》も|云《い》はれぬ|芳香《はうかう》|四辺《しへん》に|満《み》ち、|錚々《そうそう》たる|音楽《おんがく》が|何処《いづこ》ともなく|聞《きこ》え|来《き》たる。
(大正一一・二・二八 旧二・二 藤津久子録)
第三章 |死生観《しせいくわん》〔四七〇〕
|冴《さ》え|渡《わた》る|音楽《おんがく》の|声《こゑ》、|馥郁《ふくいく》たる|花《はな》の|香《かを》りに|包《つつ》まれて、|忽《たちま》ち|時公《ときこう》は|精神《せいしん》|恍惚《くわうこつ》とし、|天《てん》を|仰《あふ》いで|声《こゑ》する|方《はう》を|眺《なが》めてゐる。
|梅《うめ》か|桜《さくら》か|桃《もも》の|花《はな》か、|翩翻《へんぽん》として|麗《うるは》しき|花瓣《はなびら》は|雪《ゆき》の|如《ごと》くに|降《ふ》つて|来《く》る。|香《か》はますます|馨《かんば》しく、|音楽《おんがく》はいよいよ|冴《さ》え、|神《しん》に|入《い》り|妙《めう》に|徹《てつ》する|斗《ばか》りなり。
|東彦《あづまひこ》『オー、|時《とき》さま、|目《め》の|帳《とばり》は|上《あが》つただらう、|耳《みみ》の|蓋《ふた》は|取《と》れたであらう。|鼻《はな》も|活返《いきかへ》つたであらう』
『ヤアー、|豁然《かつぜん》として|蓮《はちす》の|花《はな》の|一度《いちど》にパツと|開《ひら》いたごとき|心持《こころもち》になりました』
『|是《これ》でも|私《わし》を|化物《ばけもの》と|思《おも》ふか』
『|化物《ばけもの》は|化物《ばけもの》だが、|一寸《ちよつと》|良《よ》い|方《はう》の|化物《ばけもの》ですなア。|是《これ》|丈《だけ》では|時公《ときこう》もトント|合点《がつてん》が|行《ゆ》きませぬが、|最前《さいぜん》|貴方《あなた》のおつしやつた、|私《わたくし》の|何万年《なんまんねん》とやら|前《まへ》に|生《いき》て|居《を》つたとか|云《い》ふ、その|訳《わけ》を|聞《き》かして|下《くだ》さい』
|東彦《あづまひこ》『|今度《こんど》は|真面目《まじめ》に|聞《き》きなさい。|人間《にんげん》と|云《い》ふものは、|神様《かみさま》の|水火《いき》から|生《うま》れたものだ。|神様《かみさま》は|万劫末代《まんがふまつだい》|生通《いきとほ》しだ。その|神様《かみさま》の|分霊《わけみたま》が|人間《にんげん》となるのだ。さうして、|肉体《にくたい》は|人間《にんげん》の|容《い》れ|物《もの》だ。この|肉体《にくたい》は|神《かみ》の|宮《みや》であつて、|人間《にんげん》ではないのだ。|人間《にんげん》はこの|肉体《にくたい》を|使《つか》つて、|神《かみ》の|御子《みこ》たる|働《はたら》きをせなくてはならぬ。|肉体《にくたい》には|栄枯盛衰《えいこせいすい》があつて、|何時《いつ》|迄《まで》も|花《はな》の|盛《さか》りで|居《を》ることは|出来《でき》ぬ。されどもその|本体《ほんたい》は|生替《いきかは》り|死替《しにかは》り、つまり|肉体《にくたい》を|新《あたら》しうして、それに|這入《はい》り、|古《ふる》くなつて|用《よう》に|立《た》たなくなれば、また|出直《でなほ》して|新《あたら》しい|身体《しんたい》に|宿《やど》つて|来《く》るのだ。|人間《にんげん》が|死《し》ぬといふことは、|別《べつ》に|憂《うれ》ふべき|事《こと》でも|何《なん》でもない。ただ|墓場《はかば》を|越《こ》えて、もう|一《ひと》つ|向《むか》ふの|新《あたら》しい|肉体《にくたい》へ|入《い》れ|替《かは》ると|云《い》ふ|事《こと》だ。|元来《ぐわんらい》|神《かみ》には|生死《せいし》の|区別《くべつ》がない、その|分霊《わけみたま》を|享《う》けた|人間《にんげん》もまた|同様《どうやう》である。|死《し》すると|云《い》ふ|事《こと》を、|今《いま》の|人間《にんげん》は|非常《ひじやう》に|厭《いや》な|事《こと》のやうに|思《おも》ふが、|人間《にんげん》の|本体《ほんたい》としては|何《なん》ともない|事《こと》だ』
|時公《ときこう》『さうすれば、|私《わたくし》は|何万年前《なんまんねんぜん》から|生《いき》て|居《を》つたと|云《い》ふ|事《こと》が、|自分《じぶん》に|分《わか》りさうなものだのにチツとも|分《わか》りませぬ。|貴方《あなた》のおつしやる|通《とほ》りなら、|前《さき》の|世《よ》には|何《なん》と|云《い》ふ|者《もの》に|生《うま》れ、|何処《どこ》にどうして|居《を》つて、どういう|手続《てつづ》きで|生《うま》れて|来《き》たと|云《い》ふ|事《こと》を|覚《おぼ》えて|居《を》りさうなものです。さうしてそんな|結構《けつこう》な|事《こと》なれば、なぜ|今《いま》はの|際《きは》まで、|死《し》ぬと|云《い》ふことが|厭《いや》なやうな|気《き》がするのでせうか』
|東彦《あづまひこ》『そこが|神様《かみさま》の|有難《ありがた》いところだ。お|前《まへ》が|前《さき》の|世《よ》では、かう|云《い》う|事《こと》をして|来《き》た、|霊界《れいかい》でこンな|結構《けつこう》なことがあつたと|云《い》ふ|事《こと》を|記憶《きおく》して|居《を》らうものなら、アヽアヽ、こんな|辛《つら》い|戦《たたか》ひの|世《よ》の|中《なか》に|居《ゐ》るよりも、|元《もと》の|霊界《れいかい》へ|早《はや》く|帰《かへ》りたい、|死《し》んだがましだと|云《い》ふ|気《き》になつて、|人生《じんせい》の|本分《ほんぶん》を|尽《つく》す|事《こと》が|出来《でき》ない。|総《すべ》て|人間《にんげん》が|此《この》|世《よ》へ|肉体《にくたい》を|備《そな》へて|来《き》たのは、|神様《かみさま》の|或《ある》|使命《しめい》を|果《はた》す|為《ため》に|来《き》たのである。|死《し》ぬのが|惜《をし》いと|云《い》ふ|心《こころ》があるのは、つまり|一日《いちにち》でもこの|世《よ》に|長《なが》く|居《を》つて、|一《ひと》つでも|余計《よけい》に|神様《かみさま》の|御用《ごよう》を|勤《つと》めさせる|為《ため》に、|死《し》を|恐《おそ》れる|精神《せいしん》を|与《あた》へられて|居《を》るのだ。|実際《じつさい》の|事《こと》を|云《い》へば、|現界《げんかい》よりも|霊界《れいかい》の|方《はう》が、いくら|楽《たのし》いか|面白《おもしろ》いか|分《わか》つたものでない、いづれ|千年先《せんねんさき》になれば、お|前《まへ》も|私《わし》も|霊界《れいかい》へ|這入《はい》つて「ヤア、|東彦様《あづまひこさん》」「ヤア|時様《ときさん》か」「どうして|居《を》つた」「お|前《まへ》は|何時《いつ》|死《し》んだのか」「さうだつたかね、ホンニホンニ|何時《いつ》やら|死《し》んだやうに|思《おも》ふなア」ナント|云《い》つて|互《たがひ》に|笑《わら》ふ|事《こと》があるのだ』
|時公《ときこう》『アヽそンなものですか。そんなら|私《わたくし》の|様《やう》に、この|様《やう》に|長生《ながいき》をして|罪《つみ》を|作《つく》るより、|罪《つみ》を|作《つく》らん|中《うち》に、|早《はや》く|死《し》ンだ|方《はう》が|却《かへ》つて|幸福《かうふく》ですなア』
|東彦《あづまひこ》『サア、さう|云《い》ふ|気《き》になるから、|霊界《れいかい》の|事《こと》を|聞《き》かすことが|出来《でき》ぬのだ。この|世《よ》ほど|結構《けつこう》なとこは|無《な》い。|一日《いちにち》でも|長生《ながいき》をしたいと|思《おも》うて、その|間《あひだ》に|人間《にんげん》と|生《うま》れた|本分《ほんぶん》を|尽《つく》し、|一《ひと》つでも|善《よ》いことを|為《な》し、|神様《かみさま》の|為《ため》に|御用《ごよう》を|勤《つと》めて、もう|是《これ》でよいから|霊界《れいかい》へ|帰《かへ》れと、|天使《てんし》の|御迎《おむか》ひがある|迄《まで》は、|勝手気儘《かつてきまま》にこの|世《よ》を|去《さ》る|事《こと》は|出来《でき》ぬ。|何《なに》ほど|自分《じぶん》から|死《し》に|度《た》いと|思《おも》つても、|神《かみ》が|御許《おゆる》しなければ|死《し》ぬ|事《こと》は|出来《でき》ぬものだ』
|時公《ときこう》『|一《ひと》つ|尋《たづ》ねますが、|私《わたくし》が|子供《こども》の|時《とき》は、|西《にし》も|東《ひがし》も|知《し》らなかつた。|昔《むかし》から|生通《いきどほ》しの|神《かみ》の|霊魂《みたま》であるとすれば、|子供《こども》の|時《とき》から、もう|少《すこ》し|何《なに》も|彼《か》も|分《わか》つて|居《を》りさうなものだのに、|段々《だんだん》と|教《をし》へられて、|追々《おひおひ》に|智慧《ちゑ》がついて|来《き》たやうに|思《おも》ひます。|是《これ》は|一体《いつたい》どう|云《い》ふ|訳《わけ》ですか』
|東彦《あづまひこ》『|子供《こども》の|肉体《にくたい》は|虚弱《きよじやく》だから、それに|応《おう》ずる|程度《ていど》の|魂《たましひ》が|宿《やど》るのだ。|全部《ぜんぶ》|本人《ほんにん》の|霊魂《みたま》が|肉体《にくたい》に|移《うつ》つて|働《はたら》くのは、|一人前《いちにんまへ》の|身体《からだ》になつた|上《うへ》の|事《こと》だ。それ|迄《まで》は|少《すこ》し|宛《づつ》|生《うま》れ|替《かは》るのだ』
|時公《ときこう》『さうすると|人間《にんげん》の|本尊《ほんぞん》は|十月《とつき》も|腹《はら》に|居《を》つて、それから、あと|二十年《にじふねん》もせぬと、スツカリと|生《うま》れ|替《かは》る|事《こと》が|出来《でき》ぬのですか』
|東彦《あづまひこ》『マアそンなものだ。|併《しか》し|何《なに》ほど|霊界《れいかい》が|結構《けつこう》だと|云《い》つても、|人生《じんせい》の|使命《しめい》を|果《はた》さず、|悪《わる》い|事《こと》を|云《い》うたり、|悪《あく》ばかりを|働《はたら》いて|死《し》んだら、|決《けつ》して|元《もと》の|結構《けつこう》な|処《ところ》へは|帰《かへ》る|事《こと》は|出来《でき》ぬ。それこそ|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》の、|無限《むげん》の|責苦《せめく》を|受《うけ》るのだ。それだから|此《この》|生《しやう》の|間《あひだ》に、|一《ひと》つでも|善《よ》い|事《こと》をせなくてはならぬ』
|時公《ときこう》『|大分《だいぶ》に|分《わか》りました。|一遍《いつぺん》に|教《をし》へて|貰《もら》うと、|忘《わす》れますから、|又《また》|少《すこ》し|宛《づつ》|小出《こだ》しをして|下《くだ》さい』
|東彦《あづまひこ》『サア、|行《ゆ》かう、|夜《よる》の|旅《たび》は|却《かへ》つて|面白《おもしろ》いものだ』
|時公《ときこう》『エー、|終日《しうじつ》|荒野《あれの》を|歩《ある》いて、|夜《よる》|迄《まで》も|歩《ある》くとは、チツト|勉強《べんきやう》が|過《す》ぎはしませぬか。|日輪様《にちりんさま》でも|夜《よ》さりは|黒幕《くろまく》を|下《おろ》してお|休《やす》みだのに、それは|余《あま》りです』
|東彦《あづまひこ》『|夜《よる》の|旅《たび》と|云《い》ふ|事《こと》は|寝《ね》る|事《こと》だ。サア、|憩《いこ》うと|云《い》ふ|事《こと》は|休《やす》むと|云《い》ふ|事《こと》だ、アハヽヽヽヽ。また|今晩《こんばん》も|茅《かや》の|褥《しとね》に|肱枕《ひぢまくら》、|雲《くも》の|蒲団《ふとん》でお|寝《やす》みだ。|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|露《つゆ》の|御恩《ごおん》を|感謝《かんしや》する|為《ため》に、|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて|寝《やす》む|事《こと》としよう』
|時公《ときこう》『|新《あたら》しい|宣伝歌《せんでんか》は|根《ね》つから|存《ぞん》じませぬ。|何《なん》でも|宜《よろ》しいか』
|東彦《あづまひこ》『|先《ま》づ|私《わし》から|宣伝歌《せんでんか》を|唱《とな》へるから、お|前《まへ》はお|前《まへ》の|言霊《ことたま》に|任《まか》して|歌《うた》ふのだ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|東彦《あづまひこ》は|直《ただち》に|立《たつ》て、
『|天《あめ》と|地《つち》とは|永久《とこしへ》に  |陰《いん》と|陽《やう》との|生通《いきどほ》し
|神《かみ》の|水火《いき》より|生《うま》れたる  |人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》
|生《い》くるも|死《し》ぬるも|同《おな》じ|事《こと》  |是《これ》をば|物《もの》に|譬《たと》ふれば
|神《かみ》の|世界《せかい》は|故郷《ふるさと》の  |恋《こひ》しき|親《おや》のゐます|家《いへ》
|此《この》|世《よ》に|生《う》まれた|人生《じんせい》は  |露《つゆ》の|褥《しとね》の|草枕《くさまくら》
|旅《たび》に|出《いで》たる|旅人《たびびと》の  クス|野《の》を|辿《たど》るが|如《ごと》くなり
|辿《たど》り|辿《たど》りて|黄昏《たそがれ》に  いづれの|家《いへ》か|求《もと》めつつ
|是《これ》に|宿《やど》りし|其《その》|時《とき》は  |此《この》|世《よ》を|去《さ》りし|時《とき》ぞかし
|一夜《ひとよ》の|宿《やど》を|立《た》ち|出《いで》て  |又《また》もや|旅《たび》をなす|時《とき》は
|又《また》|人間《にんげん》と|生《うま》れ|来《き》て  |神《かみ》の|働《はたら》きなす|時《とき》ぞ
|生《うま》れて|一日《いちにち》|働《はたら》いて  |死《し》んで|一夜《ひとよ》を|又《また》|休《やす》む
|死《し》ぬと|云《い》ふのは|人《ひと》の|世《よ》の  |果《はて》には|非《あら》ず|生魂《いくたま》の
|重荷《おもに》|下《おろ》して|休《やす》む|時《とき》  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|遊《あそ》ぶ|時《とき》
|栄《さか》えの|花《はな》の|開《ひら》く|時《とき》  |歓喜《よろこび》|充《み》てる|時《とき》ぞかし
|又《また》もや|神《かみ》の|命令《いひつけ》に  |神世《かみよ》の|宿《やど》を|立出《たちいで》て
|再《ふたた》び|人生《じんせい》の|旅《たび》をする  |旅《たび》は|憂《う》いもの|辛《つら》いもの
|辛《つら》い|中《なか》にも|亦《また》|一《ひと》つ  |都《みやこ》に|至《いた》る|限《かぎ》りなき
|歓喜《くわんき》の|花《はな》は|咲《さ》き|匂《にほ》ふ  |神《かみ》の|御子《みこ》たる|人《ひと》の|身《み》は
|生《うま》れて|死《し》んで|又《また》|生《うま》れ  |死《し》んで|生《うま》れて|又《また》|生《うま》れ
|死《し》んで|生《うま》れて|又《また》|生《うま》れ  どこどこ|迄《まで》も|限《かぎ》りなく
|堅磐《かきは》|常盤《ときは》に|栄《さか》え|行《ゆ》く  |常磐《ときは》の|松《まつ》の|美《うま》し|世《よ》の
|五六七《みろく》の|神《かみ》の|太柱《ふとばしら》  |玉《たま》の|礎《いしずゑ》|搗《つ》き|固《かた》め
|高天原《たかあまはら》に|千木《ちぎ》|高《たか》く  |宮居《みやゐ》を|造《つく》る|働《はたら》きは
|神《かみ》の|御子《みこ》たる|人《ひと》の|身《み》の  |勤《つと》めの|中《なか》の|勤《つと》めなり
|嗚呼《ああ》|頼《たの》もしき|人《ひと》の|旅《たび》  |嗚呼《ああ》|頼《たの》もしき|人《ひと》の|身《み》の
|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》  |神《かみ》と|人《ひと》とは|生替《いきかは》り
|死《し》に|替《かは》りして|永久《とこしへ》に  |五六七《みろく》の|世《よ》|迄《まで》|栄《さか》え|行《ゆ》く
|五六七《みろく》の|世《よ》|迄《まで》|栄《さか》え|行《ゆ》く』
|時公《ときこう》『ヤア、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い』
|東彦《あづまひこ》『|分《わか》つたか』
|時公《ときこう》『ハイ、|今度《こんど》は|根《ね》つから|葉《は》つからよう|分《わか》りました』
|東彦《あづまひこ》『|分《わか》つた|様《やう》な、|分《わか》らぬ|様《やう》な|答《こたへ》だなア』
|時公《ときこう》『|分《わか》つた|様《やう》で|分《わか》らぬ|様《やう》なのが|神《かみ》の|道《みち》、|人生《じんせい》の|行路《かうろ》です。この|先《さき》にどんな|化物《ばけもの》が|出《で》るか|貴方《あなた》|分《わか》つてますか』
|東彦《あづまひこ》『|困《こま》つた|奴《やつ》だなア』
|時公《ときこう》『|奥歯《おくば》に|物《もの》のコマツタやうな、|困《こま》らぬ|様《やう》な|事《こと》を|云《い》ふ|奴《やつ》だ。アハヽヽヽヽ』
|東彦《あづまひこ》『サア、|時公《ときこう》、|貴様《きさま》の|宣伝歌《せんでんか》を|聞《き》かう』
|時公《ときこう》『|災《わざはひ》|多《おほ》い|世《よ》の|中《なか》に  ヒヨイト|生《うま》れた|時公《ときこう》の
|胸《むね》はトキトキ|時《とき》の|間《ま》も  |死《し》ぬのは|恐《こは》い|怖《おそ》ろしい
どうしてこの|世《よ》に|何時《いつ》までも  |死《し》なず|老《おい》ずに|居《ゐ》られよかと
|朝《あさ》な|夕《ゆう》なに|案《あん》じたが  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|石凝姥《いしこりどめ》や|梅ケ香《うめがか》の  |姫《ひめ》の|命《みこと》がやつて|来《き》て
|穴無《あなな》い|教《けう》と|云《い》ふ|故《ゆゑ》に  コイツアー|死《し》なでもよいワイと
|思《おも》つて|居《ゐ》たら|東彦《あづまひこ》  |人《ひと》はこの|世《よ》に|生《うま》れ|来《き》て
|墓《はか》に|行《ゆ》くのが|目的《もくてき》と  |聞《き》いたる|時《とき》の|吃驚《びつくり》は
|矢張《やつぱ》り|墓《はか》の|穴有教《あなありけう》と  |力《ちから》も|何《なに》も|落《お》ち|果《は》てた
|一《ひと》つ|目《め》|小僧《こぞう》が|現《あらは》れて  |一《ひと》つの|穴《あな》へ|時公《ときこう》を
|連《つ》れて|行《い》かうと|云《い》うた|時《とき》  アナ|怖《おそ》ろしやアナ|恐《こは》や
|案内《あない》も|知《し》らぬ|田圃道《たんぼみち》  |草《くさ》|押《お》し|分《わ》けて|来《き》て|見《み》れば
|又《また》も|一《ひと》つの|化物《ばけもの》が  |茅《かや》の|芒《すすき》の|間《あひだ》から
ヌツと|立《た》ちたる|恐《おそ》ろしさ  コイツも|矢《や》つ|張《ぱ》り|化物《ばけもの》と
|一目《ひとめ》|見《み》るより|鉄《かね》の|杖《つゑ》  |振《ふ》つて|見《み》せたらヤイ|待《ま》てと
|掛《か》けたる|声《こゑ》は|魔《ま》か|人《ひと》か  |将《は》た|化物《ばけもの》か|何《なん》だろと
|胸《むね》もドキドキ|十木公《ときこう》が  |狽《うろた》へ|騒《さわ》ぐ|折《をり》からに
サツト|吹《ふ》き|来《く》る|木枯《こがらし》の  |風《かぜ》より|太《ふと》い|唸《うな》り|声《ごゑ》
|虎《とら》|狼《おほかみ》か|獅子《しし》|鬼《おに》か  |地獄《ぢごく》の|底《そこ》を|行《ゆ》く|様《やう》な
|厭《いや》な|気持《きもち》になつた|時《とき》  |天《てん》の|恵《めぐみ》か|地《ち》の|恩《おん》か
|耳《みみ》|爽《さわや》かな|音楽《おんがく》は  |聞《きこ》えて|花《はな》の|雨《あめ》が|降《ふ》り
|心《こころ》の|空《そら》も|一時《いつとき》に  パツと|開《ひら》いた|花《はな》|蓮《はちす》
コイツアー|誠《まこと》の|人間《にんげん》と  |覚《さと》つた|時《とき》の|嬉《うれ》しさは
|生《いき》ても|忘《わす》れぬ|死《し》んだとて  |是《これ》が|忘《わす》れてよからうか
どうぞ|一生《いつしやう》|死《し》なぬ|様《やう》と  |頼《たの》む|神《かみ》さま|仏《ほとけ》さま
|妙見《めうけん》さまもチヨロ|臭《くさ》い  ウラルの|山《やま》の|法螺吹嶽《ほらふきだけ》に
|止《とどま》り|玉《たま》ふ|天狗《てんぐ》さまに  |一《ひと》つお|願《ねが》ひ|掛巻《かけまく》も
|畏《かしこ》き|神《かみ》の|御利益《ごりやく》で  |人《ひと》の|生死《いきし》ぬ|有様《ありさま》を
|聞《き》いたる|時《とき》の|嬉《うれ》しさよ  |斯《か》うなるからは|何時《いつ》にても
|死《し》んでもかまはぬ|時《とき》さまの  ヤツト|覚《さと》つた|虎《とら》の|巻《まき》
|嬉《うれ》しい |嬉《うれ》しい |有難《ありがた》い  ドツコイ ドツコイ ドツコイシヨ』
|東彦《あづまひこ》『アハヽヽヽヽ、オイ|時公《ときこう》、ソンナ|宣伝歌《せんでんか》があるか。|宣《の》り|直《なほ》せ|宣《の》り|直《なほ》せ』
|時公《ときこう》『|宣《の》り|直《なほ》したいとは|思《おも》へども、|生憎《あいにく》|旅《たび》のこととて|肝腎要《かんじんかなめ》の|女房《にようばう》を、|連《つ》れて|来《き》て|居《を》らぬので……』
|東彦《あづまひこ》『|馬鹿《ばか》ツ』
|時公《ときこう》『|馬鹿《ばか》とはどうです。|宣《の》り|直《なほ》したり、|宣《の》り|直《なほ》したり』
|東彦《あづまひこ》『|宣《の》り|直《なほ》せとは|抜《ぬ》け|目《め》の|無《な》い|男《をとこ》だなア』
|夜《よ》は|深々《しんしん》と|更《ふ》け|渡《わた》る。|烈《はげ》しき|野分《のわき》に|二人《ふたり》は|笠《かさ》を|被《かぶ》つて|心持《こころもち》よく|寝《しん》に|就《つ》きける。
(大正一一・二・二八 旧二・二 岩田久太郎録)
第四章 |梅《うめ》の|花《はな》〔四七一〕
|東彦《あづまひこ》、|時公《ときこう》の|二人《ふたり》は|草疲《くたび》れ|果《は》てて、|前後《ぜんご》も|知《し》らず|暖《あたた》かき|夢《ゆめ》を|結《むす》ぶ|折《をり》しも、|前方《ぜんぱう》より|慌《あわただ》しき|何者《なにもの》かの|足音《あしおと》が|聞《きこ》え|来《き》た。|二人《ふたり》は|此《この》|物音《ものおと》に|目《め》を|醒《さ》まし、|折柄《をりから》|昇《のぼ》る|半円《はんゑん》の|月《つき》に|透《す》かし|見《み》れば、|巨大《きよだい》なる|獅子《しし》の|群《むれ》|幾百《いくひやく》ともなく、|二人《ふたり》の|眠《ねむ》る|横側《よこがは》を|雲《くも》を|霞《かすみ》と|走《はし》り|行《ゆ》くのであつた。|時公《ときこう》は|東彦《あづまひこ》の|耳《みみ》に|口《くち》|寄《よ》せ、
『モシモシ、|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|千疋《せんびき》|獅子《しし》が|通《とほ》りましたデ、……|知《し》つてますか』
|東彦《あづまひこ》『|千疋《せんびき》|獅子《しし》と|云《い》ふものがあるか、あれは|千疋《せんびき》|狼《おほかみ》だ。お|前《まへ》がシヤツチもない|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて|宣《の》り|直《なほ》せと|云《い》ふに、|宣《の》り|直《なほ》さないものだから、|神様《かみさま》が|怒《いか》つて、|獅子《しし》を|遣《つか》はしてお|前《まへ》を|探《さが》して|御座《ござ》るのだ。モウおつつけ|此方《こちら》へ|引返《ひきかへ》して|来《く》る|時分《じぶん》だ。|早《はや》う|宣伝歌《せんでんか》を|宣《の》り|直《なほ》せ』
|時公《ときこう》『そんな|事《こと》|云《い》つて|恐嚇《おどし》たつて、この|時《とき》さんは、|時々《ときどき》この|野《の》で|千疋《せんびき》|獅子《じし》に|会《あ》ふのだから、|獅子《しし》|喰《く》た|犬《いぬ》に|其《その》|嚇《おど》しは|利《き》きませぬで……|貴方《あなた》|宣《の》り|直《なほ》しなさい』
|東彦《あづまひこ》『イヤ、|汝《おまへ》はねぶた|目《め》で|獅子《しし》と|間違《まちが》つたのだ、あれは|巨大《きよだい》な|狼《おほかみ》だよ。|何《なん》でも|大《おほ》きな|大蛇《だいじや》が|現《あら》はれたので|逃《に》げて|来《き》たのだ。キツト|此《この》|次《つぎ》は|太《ふと》い|奴《やつ》だ。|用心《ようじん》せよ』
|時公《ときこう》『|太《ふと》い|奴《やつ》つて、|大蛇《だいじや》ですか』
|東彦《あづまひこ》『さうだ、|大蛇《をろち》といふものは|斯《か》ういふ|草原《くさはら》に|隠《かく》れてるものだ。あまりお|前《まへ》が|人間《にんげん》|臭《くさ》い|事《こと》をいふものだから、|大蛇《をろち》の|奴《やつ》|一《ひと》つ|呑《の》んでやらうと|思《おも》つて|現《あら》はれたのだよ。|併《しか》し|乍《なが》ら|此《この》|高彦《たかひこ》さまが|御座《ござ》る|間《あひだ》は|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。マア|安心《あんしん》せい』
|時公《ときこう》『あなた、|矢張《やつぱり》|化物《ばけもの》だな。|悪魔彦《あくまひこ》だとか|云《い》つて|居《を》つたと|思《おも》へば|又《また》|鷲《わし》は|鷹《たか》だとか、|鳶《とび》だとか、|鳥《とり》とめもない|事《こと》を|言《い》ふ|人《ひと》だ』
|高彦《たかひこ》『マアどうでもよい。|今《いま》に|長《なが》い|太《ふと》い|奴《やつ》がザーツと|音《おと》を|立《た》ててお|出《で》ましだ。|一《ひと》つ|宣伝歌《せんでんか》でも|聞《き》かしてやらうかい』
|時公《ときこう》『さうですなア。|宣伝万歌《せんでんばんか》(|千変万化《せんぺんばんくわ》)の|言霊《ことたま》の|妙用《めうよう》を|試《ため》すは|此《この》|時《とき》です』
|斯《か》かる|所《ところ》へ|忽然《こつぜん》として|美《うつく》しき|女《をんな》が|現《あら》はれた。
|女《をんな》『ヤア、お|前《まへ》は|時《とき》さまか。どうして|斯《こ》んな|所《ところ》へ|来《き》やしやんしたのだい』
|時公《ときこう》『ヤ、|出《で》やがつたなア。ヤイ|大蛇《をろち》、|綺麗《きれい》な|別嬪《べつぴん》に|化《ば》けやがつて、|俺《おれ》を|誤魔化《ごまくわ》さうと|思《おも》つたつて|誤魔化《ごまくわ》せないぞ。コラツ、|俺《おれ》を|何《なん》と|心得《こころえ》て|居《を》る。|蛇《へび》を|掴《つか》んで|喰《く》ふ|蛇掴《へびつか》みの|悪神《あくがみ》でさへも、|俺《おれ》のフンと|吹《ふ》いた|鼻息《はないき》で、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|散《ち》るといふ|様《やう》な、|古今無双《ここんむさう》の|豪傑《がうけつ》だ。|良《よ》い|加減《かげん》に|姿《すがた》を|隠《かく》さんと、|掴《つか》んで|喰《く》てやらうか』
|高彦《たかひこ》『アハヽヽヽ』
|時公《ときこう》『コレコレ、|高《たか》さん、|何《なに》が|可笑《をか》しい、|千騎一騎《せんきいつき》だ。|是《これ》から|時《とき》さまの|腕試《うでだめ》しだ。チツト|都合《つがふ》の|良《よ》い|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて|下《くだ》さい。|応援《おうゑん》だ|応援《おうゑん》だ』
|高彦《たかひこ》『アハヽヽヽヽ』
|女《をんな》『ホヽヽヽ』
|時公《ときこう》『フン、|何《なに》を|吐《ぬか》しやがる。|此《この》|寒《さむ》い|時分《じぶん》にホヽヽなんて、|呆《ほう》けやがつて。|鶯《うぐひす》の|真似《まね》をしたつて|誰《たれ》が|其《その》|手《て》に|乗《の》るかい。|呆助《ほうすけ》|奴《め》が、とぼけやがるな。|時《とき》さんは|時《とき》を|知《し》つて|居《ゐ》るのだ。ホヽヽと|言《い》うて|出《で》る|奴《やつ》は、|梅《うめ》の|花《はな》の|咲《さ》く|時分《じぶん》だ』
|女《をんな》『わたしは|梅ケ香姫《うめがかひめ》で|御座《ござ》います』
|時公《ときこう》『ナニツ、|梅ケ香姫《うめがかひめ》もあつたものかい。|梅ケ香姫《うめがかひめ》は、|二日前《ふつかまへ》に|鉄谷村《かなたにむら》を|三人連《さんにんづれ》で|出《で》た|筈《はず》だ。|貴様《きさま》|一人《ひとり》こんな|処《ところ》においとく|筈《はず》がない。|貴様《きさま》の|正体《しやうたい》は|時《とき》さまがチヤーンと|見届《みとど》けてあるのだ。ソレ、|太《ふと》い|奴《やつ》の|長《なが》い|奴《やつ》だらう。|俺《おれ》の|天眼通《てんがんつう》は|百発百中《ひやくぱつひやくちゆう》だ。|恐《おそ》れ|入《い》つたか、|邪神《じやしん》|奴《め》が』
|女《をんな》『ホヽヽヽ、|時《とき》さまのあの|気張《きば》り|様《やう》、わたしはお|臍《へそ》が|茶《ちや》を|沸《わ》かします。ホヽヽヽ』
|時公《ときこう》『エヽ、|厭《いや》らしい。|此《この》|野原《のはら》に|夜《よる》の|夜中《よなか》に|出《で》て|来《き》やがつて、|魔性《ましやう》の|姿《すがた》をして、|何《なに》をほざきやがるのだ。|煙草《たばこ》の|脂《づう》を|飲《の》ましてやろか』
|高彦《たかひこ》『アハヽヽヽ』
|女《をんな》『|妾《わらは》は|時《とき》さまの|天眼通力《てんがんつうりき》に|恐《おそ》れ|入《い》りました、お|察《さつ》しの|通《とほ》り、|太《ふと》い|長《なが》い|此《この》クス|野ケ原《のがはら》の|主《ぬし》で|御座《ござ》います。|妾《わらは》は|沢山《たくさん》の|獅子《しし》を|餌食《ゑじき》に|致《いた》して|居《を》ります。|一口《ひとくち》に|牛《うし》の|様《やう》な|獅子《しし》を|十疋《じつぴき》くらゐ|喰《く》はねば、|歯《は》にも|当《あた》らぬ|様《やう》な|気《き》が|致《いた》します。ホヽヽヽ』
|時公《ときこう》『ヤア、|厭《いや》らしい|奴《やつ》だ。コレコレ|高彦《たかひこ》さま、あなたも|起《おき》ぬか。なんぼ|死《し》んで|生《うま》れて、|死《し》んで|生《うま》れると|言《い》つても、こんな|奴《やつ》に|呑《の》まれて|死《し》ぬのは、チツト|残念《ざんねん》だ。サア|起《おき》て|下《くだ》さい、|早《はや》う|早《はや》う』
|高彦《たかひこ》『アハヽヽヽ、|可笑《をか》しい|奴《やつ》だナ。モシモシ|大蛇娘《をろちむすめ》さま、お|前《まへ》さま、|獅子《しし》ばつかり|喰《く》つて|居《を》つても、あんまり|珍《めづら》しくなからう。ここに|一《ひと》つ|人肉《ひとしし》の|温《あたた》かいのがあるが、|是《これ》はどうだな』
|女《をんな》『ホヽヽヽヽ、それは|何《なに》よりの|好物《かうぶつ》、|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しませう』
|時公《ときこう》『オヽ、それがよい、それがよい。|蛇《へび》の|口《くち》から、|高彦《たかひこ》が|喰《く》て|呉《く》れと|云《い》つてる。|此奴《こいつ》をグーと|一《ひと》つ|呑《の》んで、それで|帳消《ちやうけ》しだ』
|女《をんな》『イエイエ、|時《とき》さまが|美味《おいし》さうなお|顔付《かほつき》、|肉《にく》の|具合《ぐあひ》といひ、コツクリと|肌《はだ》の|黒《くろ》い|美味《うま》さうなお|姿《すがた》。ホヽヽヽヽ』
|時公《ときこう》『エイ|邪魔《じやま》|臭《くさ》い、|口《くち》|開《あ》け、|獅子《しし》の|十《とう》も|喰《くら》うて|歯《は》に|当《あた》らぬ|様《やう》な|大《おほ》きな|口《くち》なら、|俺《おれ》もトンネルだと|思《おも》つて|喰《く》はれてやらう。|其《その》|代《かは》りに|此《この》|杖《つゑ》を|振《ふ》つて|振《ふ》つて|振《ふ》り|廻《まは》し、|腹《はら》の|中《なか》に|這入《はい》つた|時《とき》に|腸《はらわた》を|突《つ》いて|突《つ》いて|突《つ》き|廻《まは》してやるから、さう|思《おも》へ。サア、|早《はや》う|正体《しやうたい》を|現《あら》はさぬか』
|女《をんな》『わたしの|口《くち》は|火《ひ》の|様《やう》な|熱《ねつ》があります。|口《くち》へ|入《い》れたが|最期《さいご》、|火《ひ》の|中《なか》へ|薄氷《うすこほり》を|投《ほ》り|込《こ》んだ|様《やう》なもの、|時《とき》さまのお|身体《からだ》も、|鉄棒《てつぼう》もみんな|熔《と》けて|了《しま》ひます』
|時公《ときこう》『コイツ|都合《つがふ》が|悪《わる》いなア。オイ|高《たか》さま、|籤引《くじびき》だ。|言《い》ひ|出《だ》し、|放《こ》き|出《だ》し、|笑《わらひ》|出《だ》しだ。|屁《へ》でもない|様《やう》な|事《こと》を|云《い》ふものだから|俺《おれ》を|喰《く》ふなんて|云《い》ひやがるんだ。サア、|一緒《いつしよ》に|附合《つきあひ》だ。|二人《ふたり》|乍《なが》ら|呑《の》ましてやらうかい』
|高彦《たかひこ》『アハヽヽヽ』
|女《をんな》『モシモシ|時《とき》さん、|嘘《うそ》ですよ。|妾《わたし》は|蛇掴《へびつか》みの|岩窟《いはや》へ|清姫《きよひめ》さまの|身代《みがは》りになつて、|貴方《あなた》に|担《かつ》いで|往《いつ》て|貰《もら》うた|梅ケ香姫《うめがかひめ》です』
|時公《ときこう》『|嘘《うそ》の|様《やう》な、|本真《ほんま》の|様《やう》な|話《はなし》だが、そんなら|何故《なぜ》|俺《おれ》ん|所《とこ》の|主人《しゆじん》の|鉄彦《かなひこ》さまと、|石凝姥《いしこりどめ》の|宣伝使《せんでんし》をどうしたのだ』
|女《をんな》『|二人《ふたり》|共《とも》|此処《ここ》に|居《を》られます。アヽモシモシお|二人様《ふたりさま》、|此処《ここ》へお|越《こ》し|下《くだ》さいませ』
|草《くさ》の|中《なか》から|二人《ふたり》の|男《をとこ》の|声《こゑ》
『アハヽヽヽ、オホヽヽヽ』
|今《いま》まで|薄雲《うすぐも》に|包《つつ》まれ、ドンヨリとして|居《ゐ》た|月光《つきかげ》は|皎々《かうかう》と|輝《かがや》き|初《はじ》めた。
|高彦《たかひこ》『ヤア、|貴方《あなた》は|石凝姥《いしこりどめ》の|神様《かみさま》、|珍《めづら》しい|処《ところ》でお|目《め》に|掛《かか》りました』
|時公《ときこう》『ナーンだ。|全然《まるで》お|紋狐《もんぎつね》に|魅《つま》まれた|様《やう》だ』
|是《これ》より|五人《ごにん》は|夜《よ》の|明《あ》くるを|待《ま》つて、クス|野ケ原《のがはら》の|大蛇《をろち》を|言向《ことむ》け|和《やは》す|事《こと》となつたのである。
(大正一一・二・二八 旧二・二 松村真澄録)
第五章 |大風呂敷《おほぶろしき》〔四七二〕
『|東雲《しののめ》の|空《そら》|別《わ》け|昇《のぼ》る|東彦《あづまひこ》  |青雲《あをくも》|別《わ》けて|中天《ちうてん》に
|光《ひかり》も|清《きよ》く|高彦《たかひこ》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》
|二八《にはち》の|春《はる》の|梅ケ香《うめがか》や  |鉄谷村《かなたにむら》の|鉄彦《かなひこ》が
|鉄門《かなど》を|守《まも》る|時公《ときこう》と  |声《こゑ》も|涼《すず》しき|宣伝歌《せんでんか》
|謡《うた》ひ|謡《うた》ひて|進《すす》み|行《ゆ》く  |荒野ケ原《あれのがはら》に|吹《ふ》く|風《かぜ》は
|八岐大蛇《やまたをろち》か|曲神《まがかみ》か  |醜女《しこめ》|探女《さぐめ》の|吹《ふ》く|息《いき》か
|息《いき》も|吐《つ》かずにすたすたと  |勢《いきほ》ひ|猛《たけ》く|進《すす》み|行《ゆ》く
あゝ|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し  |大蛇《をろち》|探女《さぐめ》や|醜神《しこがみ》の
|仮令《たとへ》|幾万《いくまん》|来《きた》るとも  |天《あめ》と|地《つち》とを|造《つく》りたる
|御祖《みおや》の|神《かみ》のたまひてし  |我《わが》|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》に
|敵《てき》するものはあらざらめ  |敵《てき》は|千里《せんり》の|外《ほか》でない
|心《こころ》の|中《なか》に|知《し》らぬ|間《ま》に  |潜《ひそ》む【やつ】こそ|我《わが》|敵《てき》ぞ
|心《こころ》の|鬼《おに》や|曲神《まがかみ》を  |伊吹《いぶき》|祓《はら》ひて|清《きよ》めたる
|神《かみ》の|御子《みこ》たる|我《わが》|身《み》には  |月日《つきひ》の|光《ひかり》|遍《あまね》くて
|玉《たま》は|真澄《ますみ》の|鏡《かがみ》なす  |鏡《かがみ》に|勝《まさ》る|日本魂《やまとだま》
|珍《うづ》の|剣《つるぎ》を|抜《ぬ》き|持《も》ちて  |我《わが》|行《ゆ》く|道《みち》に|障《さや》りたる
|曲《まが》の|大蛇《をろち》を|寸断《すんだん》し  |勝鬨《かちどき》あぐる|束《つか》の|間《ま》の
はやくも|来《きた》るクスの|原《はら》  |新玉原《あらたまはら》となりにける。
|高彦《たかひこ》『サア|皆《みな》さん、|此処《ここ》で|一寸《ちよつと》|息《いき》を|休《やす》めて、いよいよ|戦闘《せんとう》|準備《じゆんび》にかかりませう。まづ|先陣《せんぢん》は|強力無双《がうりきむさう》の|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》、|時公《ときこう》さまに|願《ねが》ふ|事《こと》にしよう。|我々《われわれ》と|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|本陣《ほんぢん》、|東彦《あづまひこ》さんと|鉄彦《かなひこ》さまは|左右《さいう》の|両翼《りやうよく》となり、|三角形《さんかくけい》に|敵《てき》の|本営《ほんえい》に|向《むか》つて|進撃《しんげき》するのですな』
|時公《ときこう》『モシモシ、|力《ちから》の|強《つよ》い|者《もの》が|先《さき》へ|行《い》つて、|万々一《まんまんいち》|大蛇《をろち》の|奴《やつ》にがぶつとゆかれては|終《しま》ひだ。|後《あと》の|控《ひかへ》がありませぬ。|総《すべ》て|戦《たたか》ひは|後《あと》の|控《ひかへ》が|肝腎《かんじん》です』
|高彦《たかひこ》『|強《つよ》さうに|云《い》つても|弱《よわ》い|男《をとこ》だ。|随分《ずゐぶん》|空威張《からゐばり》の|上手《じやうず》な|法螺吹《ほらふ》きだな。マア|兎《と》も|角《かく》、|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》して、それからゆつくり|作戦《さくせん》|計画《けいくわく》を|定《さだ》め、|陣容《ぢんよう》を|整《ととの》へて|旗鼓《きこ》|堂々《だうだう》と|敵《てき》の|牙城《がじやう》に|進《すす》む|事《こと》にしませうか』
|時公《ときこう》『ヤア、|一寸《ちよつと》|皆《みな》さん|待《ま》つて|下《くだ》さい。|私《わたくし》は|旦那様《だんなさま》に|申上《まをしあ》げねばならぬ、|肝腎《かんじん》の|御用《ごよう》を|忘《わす》れて|居《ゐ》ました。エヽ|鉄彦《かなひこ》|様《さま》、|貴方《あなた》|直《す》ぐ|帰《かへ》つて|下《くだ》さい』
|鉄彦《かなひこ》『なンだ』
|時公《ときこう》『|何《な》ンでもよろしいが、|帰《かへ》つてさへ|下《くだ》されば|分《わか》るのです』
|鉄彦《かなひこ》『コレ、|分《わか》ると|云《い》つたつて|肝腎《かんじん》の|此《この》|場合《ばあひ》、|何《なん》でもない|事《こと》に|駒《こま》の|首《かしら》を|立《た》て|直《なほ》すと|云《い》ふ|事《こと》が|出来《でき》るものか、ハツキリと|云《い》はぬかい』
|時公《ときこう》『エヽ、|実《じつ》は|申上《まをしあ》げ|悪《にく》い|事《こと》で|御座《ござ》いますが、|貴方《あなた》が|東彦《あづまひこ》の|宣伝使《せんでんし》と|三人連《さんにんづれ》で|館《やかた》をお|立《た》ち|遊《あそ》ばした|二日目《ふつかめ》の|夜半《よなか》|頃《ごろ》、|風《かぜ》がザアザア、|雨《あめ》がシヤアシヤア、|雨垂《あまだれ》の|雫《しづく》がポトンポトンと、それはそれは|淋《さび》しい|真闇《まつくら》の、|化物《ばけもの》でも|出《だ》さうな|晩《ばん》でした。|其《その》|時《とき》に|奥様《おくさま》が、オヽ|臭《くさ》いとも|何《なん》とも|云《い》はずに、|便所《はばかり》にお|出《いで》になりましたところが、|便所《はばかり》の|横《よこ》からニユーと|出《で》た|糸柳《いとやなぎ》の|雨《あめ》に|濡《ぬ》れた|冷《つめ》たい|枝《えだ》が、|風《かぜ》と|一緒《いつしよ》に|奥様《おくさま》の|顔《かほ》をザラリと|撫《な》でた|其《その》|途端《とたん》に|奥様《おくさま》はあらう|事《こと》かあるまい|事《こと》か、アツと|云《い》つたきり|荒肝《あらきも》をおつ|潰《つぶ》して、|其《そ》の|場《ば》に【バタリ】、スワ|一大事《いちだいじ》と|門番《もんばん》の|時公《ときこう》までが、|雨蛙《あまがへる》の|様《やう》に、|胸《むね》を【トキトキ】させながら|近寄《ちかよ》りて|見《み》れば、こは|抑《そも》|如何《いか》に、|呼《よ》べど|叫《さけ》べど|何《なん》の|音沙汰《おとさた》も|梨《なし》の|礫《つぶて》の|浅間《あさま》しいお|姿《すがた》、|手《て》も|足《あし》も|冷《つめ》たくなつて|居《ゐ》らつしやる。アヽどうしたらよからう、|奥様《おくさま》もう|一度《いちど》【もの】を|言《い》うて|下《くだ》さい。|旦那様《だんなさま》は|宣伝使《せんでんし》に|呆《ほう》けてお|出《で》ましになつた|留守《るす》に、|貴女《あなた》がこんな|事《こと》におなりなされては、この|時公《ときこう》はどうして|旦那様《だんなさま》に|顔《かほ》が|合《あは》されませう、と|涙《なみだ》に|掻《か》き|暮《く》れました』
|鉄彦《かなひこ》『ヤア、|鉄姫《かなひめ》は|死《し》ンだのか』
|時公《ときこう》『ハイ、サツパリ【ことき】れて|仕舞《しま》つて、|何《なん》とも|彼《か》とも|仰有《おつしや》りませぬ。もうかうなる|上《うへ》は|旦那様《だんなさま》の|御行方《おんゆくへ》を|探《さが》し、|立派《りつぱ》なお|葬《とむらひ》をして|上《あ》げたならば、せめても せめても せめても』
|鉄彦《かなひこ》『|何《なん》だ、ハツキリ|言《い》はぬか。|奥《おく》は|真実《ほんたう》に|死《し》んだのか』
|時公《ときこう》『ハイ、|御帰幽《おかくれ》になりました。そこで|奥様《おくさま》が「オイ|時公《ときこう》、|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》る|時《とき》でない。|早《はや》く|旦那様《だんなさま》を|呼《よ》んで|来《き》て|呉《く》れ」と|仰有《おつしや》いました。そこでこの|時公《ときこう》は「|奥様《おくさま》|承知《しようち》|致《いた》しました」シテコイナと、|七分《しちぶ》|三分《さんぶ》に|尻引《しりひ》つからげ、|襷《たすき》|十文字《じふもんじ》に|綾《あや》どりて、|後鉢巻《うしろはちまき》【リン】と|締《し》め、|大身《おほみ》の|槍《やり》を|提《ひつさ》げ「ヤアヤア|者《もの》|共《ども》|遠《とほ》からん|者《もの》は|音《おと》にも|聞《き》け、|近《ちか》くば|寄《よ》つて|目《め》にも|見《み》よ、|鉄谷村《かなたにむら》に|於《おい》て|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》と|聞《きこ》えたる|我《わが》|名《な》を|聞《き》きて|驚《おどろ》くな。|知《し》る|者《もの》は|知《し》る、|知《し》らぬ|者《もの》は|一寸《ちよつと》も|知《し》らぬ、|女《をんな》の|中《なか》の|男《をとこ》|一匹《いつぴき》、|時公《ときこう》さまとは|我《わが》|事《こと》なるぞ」』
|鉄彦《かなひこ》『オイオイ|時公《ときこう》、|貴様《きさま》|何《なに》|云《い》ふんだ、|真面目《まじめ》に|言《い》はぬか』
|時公《ときこう》『ハイ、あまり|嬉《うれ》しくて|一寸《ちよつと》|逆上《のぼせ》ました。|奥《おく》さまが|一旦《いつたん》|息《いき》が|切《き》れて|冷《つめ》たくなつて|仕舞《しま》つた。|何《ど》うしよう|斯《か》うしようと|上《うへ》を|下《した》へと|大騒動《おほさうどう》をやつてる|最中《さいちう》、|持《も》つべきものは|子《こ》なりけりですな。|彼《あ》の|優《やさ》しい|清姫《きよひめ》さまが、|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》つて|神琴《かみこと》とやらを|弾《だん》ぜられたが|最後《さいご》、|琴《こと》の|弦《つる》のやうにたちまち|奥様《おくさま》がピンピンと|跳《は》ねかへつて|息《いき》を|吹《ふ》き|返《かへ》し、|殊《こと》の|外《ほか》の|御機嫌《ごきげん》で「オイ|時公《ときこう》、|一時《いちじ》も|早《はや》く|御主人《ごしゆじん》さまを|呼《よ》んで|来《き》て|呉《く》れ、|女《をんな》|計《ばか》りでは|心細《こころぼそ》い、|人間《にんげん》は|老少不定《らうせうふぢやう》だ。|亦《また》もやこんな|事《こと》があつては|取返《とりかへ》しがならぬ。|貴様《きさま》は|一時《いちじ》も|早《はや》く|後追《あとお》ひかけて、|事《こと》の|次第《しだい》を|細《こま》やかに|悉《ことごと》く|申上《まをしあ》げて、|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》に、よく|理由《ことわけ》を|言《い》つて|帰《かへ》つて|来《こ》い」と、|殊更《ことさら》の|御頼《おたの》み、|断《ことわ》る|訳《わけ》にもゆかず、|一目散《いちもくさん》に|追《お》つかけて|来《き》たので|御座《ござ》います。|若《も》しやの|事《こと》でクス|野ケ原《のがはら》の|大蛇《をろち》にでも、|旦那様《だんなさま》が|呑《の》まれて|仕舞《しま》ふやうな|事《こと》があつたら、この|時公《ときこう》は、どうして|奥《おく》さまに|断《ことわ》りが|云《い》はれませうか』
|鉄彦《かなひこ》『|我々《われわれ》は|神様《かみさま》のために|決心《けつしん》して、アーメニヤの|悪魔《あくま》を|天下《てんか》のために|言向《ことむ》け|和《やは》すのだから、それが|済《す》む|迄《まで》は、|小《ちひ》さい|一家《いつか》の|事《こと》にかかはつて|居《を》られない。|特《とく》に|尊《たふと》い|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》のお|供《とも》だ。|貴様《きさま》|怖《こは》ければ|帰《かへ》つてもよいから、|俺《おれ》は|仮令《たとへ》|大蛇《をろち》に|呑《の》まれたつて|神界《しんかい》の|御用《ごよう》が|済《す》む|迄《まで》は、|決《けつ》して、|決《けつ》して|帰《かへ》らないから|奥《おく》にさう|言《い》つて|言伝《ことづけ》をして|呉《く》れ』
|時公《ときこう》『ヤア|旦那様《だんなさま》、|貴方《あなた》もよく【ことこと】と|仰有《おつしや》います。|別《べつ》に|大《たい》した|事《こと》も|無《な》いのですから、いつその|事《こと》|大蛇《をろち》を|退治《たいぢ》してから|帰《かへ》らして|貰《もら》ひませう』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『ホヽヽヽヽヽ、|又《また》しても|又《また》しても、|時《とき》さんの|大風呂敷《おほぶろしき》、|面白《おもしろ》いわ』
|時公《ときこう》『アヽさうだ。この|大風呂敷《おほぶろしき》で|大蛇《をろち》の|奴《やつ》をぐるりと|包《つつ》んで|棒《ぼう》の|先《さき》にポイと|引《ひ》つかけて、|鉄谷村《かなたにむら》に|連《つ》れて|帰《かへ》つて、サア、これが|時《とき》さまのお|土産《みやげ》だ、|皆《みな》|寄《よ》つて|集《たか》つて、|擲《なぐ》らうと|叩《たた》かうと、|煮《た》いて|喰《くら》はうと、【だいぢや】ないと|嚇《おど》かしてやらうかな』
|鉄彦《かなひこ》『もう|好《い》い|加減《かげん》に|洒落《しやれ》は|止《や》めて|呉《く》れ、|千騎一騎《せんきいつき》の|場合《ばあひ》だ』
|時公《ときこう》『|千騎《せんき》も|詮索《せんさく》もいつたものか。|一気呵成《いつきかせい》に|突撃《とつげき》を|試《こころ》むるのですなア。サア|東彦《あづまひこ》さま、|東彦《あづまひこ》さま、お|梅《うめ》さま、|私《わたくし》が|先陣《せんぢん》を|勤《つと》めませう。|千騎一騎《せんきいつき》、|千仭《せんじん》の|功《こう》を|一簣《いつき》に|欠《か》くやうな|下手《へた》な|事《こと》は|致《いた》しませぬ。|宣伝《せんでん》|万歌《ばんか》の|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》で、|縦横無尽《じうわうむじん》に|言向《ことむ》け|和《やは》すは|案《あん》の|内《うち》、|案《あん》じるより|産《う》むが|易《やす》い。サア|行《ゆ》きませう』
|一同《いちどう》は
『|面白《おもしろ》いなア』
と|座《ざ》を|立《た》つて、|時公《ときこう》の|千切《ちぎ》れ|千切《ちぎ》れの|出任《でまか》せの|宣伝歌《せんでんか》に|笑《わら》ひつ|倒《こ》けつ、|新玉原《あらたまはら》の|奥《おく》へ|奥《おく》へと|進《すす》み|入《い》る。
(大正一一・二・二八 旧二・二 加藤明子録)
第六章 |奇《くす》の|都《みやこ》〔四七三〕
|一行《いつかう》は|身《み》を|没《ぼつ》する|許《ばか》りの|冬《ふゆ》の|荒野ケ原《あれのがはら》を、|草《くさ》を|分《わ》けつつ|大蛇《をろち》の|棲処《すみか》と|覚《おぼ》しき|処《ところ》へ|進《すす》んで|行《い》つた。|此処《ここ》には|大変《たいへん》な|大《おほ》きな|長方形《ちやうはうけい》の|岩《いは》ありて、|萱《かや》の|穂《ほ》を|圧《あつ》して|高《たか》く|突出《とつしゆつ》してゐる。
|鉄彦《かなひこ》『|向《むか》ふに|見《み》えるあの|岩石《がんせき》の|下《した》には|大変《たいへん》な|大《おほ》きな|穴《あな》があつて、その|穴《あな》に|血腥《ちなまぐ》さい|膏《あぶら》の|様《やう》な|水《みづ》が|一杯《いつぱい》に|漂《ただよ》ひ、|竜宮《りうぐう》まで|通《とほ》つて|居《を》るといふ|事《こと》です。|何時《いつ》も|其《その》|穴《あな》から|太《ふと》い|奴《やつ》が|首《くび》を|突《つ》き|出《だ》して|此《この》|荒野《あらの》を|通《かよ》ふ|獅子《しし》や、|虎《とら》や、|狼《おほかみ》、|人間《にんげん》などを|呑《の》むのです。|此《この》|大蛇《をろち》の|為《た》めに|結構《けつこう》な|原野《げんや》を|耕《たがや》す|者《もの》はなく、|草《くさ》の|生《は》える|儘《まま》にしてあるのです。|此《この》|大蛇《をろち》を|言向《ことむけ》|和《やは》して|草野《くさの》を|開《ひら》き|五穀《ごこく》の|種子《たね》を|播《ま》き、|都《みやこ》をつくつたならば、|何《ど》れほど|世界《せかい》の|者《もの》が|喜《よろこ》ぶ|事《こと》か|知《し》れますまい』
|東彦《あづまひこ》『それは|面白《おもしろ》い。サア|愈《いよいよ》|此処《ここ》で|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひませう』
と|一同《いちどう》は|岩《いは》の|近《ちか》くまで|立寄《たちよ》つて|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|口《くち》を|揃《そろ》へて|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。|宣伝歌《せんでんか》の|終《をは》ると|共《とも》に、|南北《なんぽく》|百間《ひやくけん》|許《ばか》り、|東西《とうざい》|五六十間《ごろくじつけん》|許《ばか》りの|巌《いはほ》は、|強大《きやうだい》なる|音響《おんきやう》をたてて|呻《うな》り|始《はじ》めた。|此《この》|音響《おんきやう》に|天《てん》|震《ふる》い|地《ち》|割《わ》るるかと|許《ばか》り|疑《うたが》はれた。|時公《ときこう》、|肩《かた》を|怒《いか》らし|肱《ひぢ》を|張《は》り、
|時公《ときこう》『ヤア|岩公《いはこう》が|吐《ほざ》き|出《だ》したぞ。コラ|岩公《いはこう》、|貴様《きさま》は|何《なに》も【いは】|公《こう》だと|思《おも》つたら|中々《なかなか》|能《よ》う|呻《うな》りやがる。それ|丈《だ》け|呻《うな》る|言霊《ことたま》があるなら、|時《とき》さまが|許《ゆる》してやるから|何《なん》なりと|吐《ほざ》け』
|不思議《ふしぎ》や|時公《ときこう》の|言葉《ことば》|終《をは》ると|共《とも》に、さしもの|大音響《だいおんきやう》は【ピタリ】と|止《と》まつた。|時公《ときこう》、|得意《とくい》になり|鼻《はな》を【ツン】とさせながら、
|時公《ときこう》『ヤア、|皆《みな》の|方々《かたがた》、イヤ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|時《とき》さんの|言霊《ことたま》は、まあざつとした|所《ところ》で|此《この》|通《とほ》り、とつときの|力《ちから》を|出《だ》さうものなら、こんな|岩《いは》くらゐ|鼻《はな》の|先《さき》で|仮令《たとへ》|百千万《ひやくせんまん》でも|吹《ふ》き|散《ち》らすのですよ。なんと|信仰《しんかう》の|力《ちから》は|強《つよ》いものでせう』
|東彦《あづまひこ》『さうだ。|信仰《しんかう》の|力《ちから》は|山《やま》をも|動《うご》かすといふからな。|此《この》|位《くらゐ》の|事《こと》が|出来《でき》ないでは|宣伝使《せんでんし》のお|供《とも》は|叶《かな》はない』
この|時《とき》|岩穴《いはあな》より|紫《むらさき》の|烟《けむり》、|幾丈《いくぢやう》ともなく|天《てん》に|向《むか》つて【シユー】シユーと|音《おと》をたてて|昇《のぼ》り|行《ゆ》く。|岩《いは》の|周囲《しうゐ》は|紫《むらさき》の|烟《けむり》に|包《つつ》まれて|仕舞《しま》つた。|見《み》れば|岩上《がんじやう》には|三人《さんにん》の|娘《むすめ》が|立《た》つて|居《ゐ》る。|三人《さんにん》の|娘《むすめ》は|日《ひ》の|丸《まる》の|扇《あふぎ》を|両手《りやうて》に|持《も》ち、|何事《なにごと》か|小声《こごゑ》に|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|三人《さんにん》|巴《ともゑ》となつて|岩上《がんじやう》に|淑《しとや》かに|舞《ま》ひ|始《はじ》めた。|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|不思議《ふしぎ》さうに|首《くび》を|傾《かたむ》けて|三人《さんにん》の|女《をんな》の|舞《まひ》を|凝視《みつ》めて|居《ゐ》た。
|時公《ときこう》『ヤア|大蛇《をろち》の|奴《やつ》、うまい|事《こと》をやりやがる。|斯《こ》んな|優《やさ》しい|姿《すがた》で|舞《ま》ひよると、なんぼ|大蛇《をろち》でも|可愛《かは》ゆくなつて|来《く》る、サアサア、|舞《ま》うたり|舞《ま》うたり。モシモシ|皆《みな》さま、|女《をんな》は|魔《ま》と|謂《い》ひますから|御用心《ごようじん》なさい』
|東彦《あづまひこ》『イヤ、|我々《われわれ》は|大丈夫《だいぢやうぶ》だが|時《とき》さま、|確《しつか》りしないと|美《うつく》しい|女《をんな》だと|思《おも》つたら|大変《たいへん》だ。それお|前《まへ》の|足許《あしもと》に|大蛇《だいじや》の|尾《を》が|見《み》えて|居《を》る』
|時公《ときこう》は、
『エツ』
と|言《い》ひつつ|足許《あしもと》を|見《み》て|何処《どこ》に|何処《どこ》にと|探《さが》してゐる。|三人《さんにん》の|姿《すがた》はパツと|消《き》えた。|時公《ときこう》は|岩上《がんじやう》に|再《ふたた》び|目《め》を|注《そそ》ぐと|三人《さんにん》の|姿《すがた》は|影《かげ》も|形《かたち》も|無《な》い。
|時公《ときこう》『ヤア、|又《また》|化《ば》けやがつた。|今度《こんど》は|何《なん》だ。オイ|大蛇《をろち》、|所望《しよもう》だ、|一《ひと》つ|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|桃《もも》の|実《み》の|舞《まひ》をやつて|呉《く》れないか。|東西々々《とうざいとうざい》、|只今《ただいま》|岩上《がんじやう》に|現《あらは》れまする|太夫《たいふ》|大蛇姫《をろちひめ》、|之《これ》から|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|桃《もも》の|実《み》の|舞《まひ》を|御覧《ごらん》に|入《い》れます』
|東彦《あづまひこ》『アツハツハヽヽヽヽ』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『ホヽヽヽ』
|斯《か》く|笑《わら》ふ|折《をり》しも、|三人《さんにん》の|娘《むすめ》は|枯《か》れたる|萱《かや》を|分《わ》け|乍《なが》らシトシトと|五人《ごにん》の|前《まへ》に|現《あらは》れ|来《きた》り|両手《りやうて》をついて、
|三人《さんにん》『ヤア、|貴方《あなた》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、お|道《みち》の|為《た》め、|世人《よびと》の|為《た》め、|御苦労様《ごくらうさま》で|御座《ござ》います』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『ヤア、さう|言《い》ふ|貴女《あなた》は、ハザマの|国《くに》の|月《つき》、|雪《ゆき》、|花《はな》の|三人《さんにん》のお|娘御《むすめご》では|御座《ござ》いませぬか』
|三人《さんにん》|一度《いちど》に|梅ケ香姫《うめがかひめ》の|顔《かほ》を|見《み》て、
|三人《さんにん》『ヤア、|梅ケ香姫《うめがかひめ》さま、|不思議《ふしぎ》な|所《ところ》でお|目《め》にかかりました。|之《これ》も|全《まつた》く|神様《かみさま》のお|引合《ひきあは》せ、|能《よ》うマア|無事《ぶじ》で|御用《ごよう》をして|居《ゐ》て|下《くだ》さいました。お|姉様《あねさま》の|松代姫《まつよひめ》|様《さま》、|竹野姫《たけのひめ》|様《さま》は、|御壮健《おたつしや》で|御座《ござ》いますか』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『ハイ、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|姉妹《きやうだい》|三人《さんにん》|手分《てわけ》けを|致《いた》しましてお|道《みち》の|為《た》め、|宣伝使《せんでんし》になつて|廻《まは》つて|居《を》ります』
|時公《ときこう》『ヤア、|何《なん》ぢや、|薩張《さつぱ》り|見当《けんたう》がとれぬ|様《やう》になつて|来《きた》やがつた。これこれお|岩《いは》さまの|化《ば》け|物《もの》、お|梅《うめ》さま|何《なん》の|事《こと》だ。|瞞《だま》さうと|言《い》つたつて|此《この》|時《とき》さんは|瞞《だま》されないぞ』
|女《をんな》|四人《よにん》|一度《いちど》に、
『オホヽヽヽヽ』
|男《をとこ》|三人《さんにん》|一度《いちど》に、
『ワツハヽヽヽヽ』
|時公《ときこう》|面《つら》を|脹《ふく》らし|手《て》を|組《く》み|俯向《うつむ》いて|思案顔《しあんがほ》。
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『|今《いま》|此処《ここ》に|居《ゐ》られまする|御方《おかた》は、|東雲別命《しののめわけのみこと》の|宣伝使《せんでんし》|東彦《あづまひこ》の|神様《かみさま》、|青雲別《あをくもわけ》の|宣伝使《せんでんし》|高彦《たかひこ》の|神様《かみさま》で|御座《ござ》います。|又《また》|此方《こちら》に|居《ゐ》られる|方《かた》は|鉄谷村《かなたにむら》の|酋長《しうちやう》で|鉄彦《かなひこ》と|謂《い》ふ。|此処《ここ》に|居《を》られる|奴《やつこ》さまは|鉄彦《かなひこ》さまの|門番《もんばん》の|時公《ときこう》さんで|御座《ござ》います。|一寸《ちよつと》|妾《わたし》が|紹介《せうかい》|致《いた》します』
|秋月姫《あきづきひめ》『ヤアこれはこれは、|存《ぞん》ぜぬ|事《こと》とて、|失礼《しつれい》を|致《いた》しました。|貴神様《あなたさま》が|東彦《あづまひこ》|様《さま》ですか、まあ|貴神様《あなたさま》は|高彦《たかひこ》|様《さま》、|何分《なにぶん》|女《をんな》の|宣伝使《せんでんし》の|事《こと》、|宜《よろ》しく|御引立《おひきたて》を|願《ねが》ひます。これはこれは|鉄彦《かなひこ》|様《さま》、|能《よ》うまあ|来《き》て|下《くだ》さいました』
|時公《ときこう》『|何《なん》だ、|訳《わけ》が|分《わか》らぬ|様《やう》になつて|来《き》たワイ。|梅姫《うめひめ》の|奴《やつ》、あんな|別嬪《べつぴん》に|門番《もんばん》だの、|奴《やつ》さんだのと|素破《すつぱ》ぬきやがつて、|非道《ひど》い|奴《やつ》だ。チツト|位《ぐらゐ》|気《き》を|利《き》かしたつて|宜《よ》かりさうなものだなあ』
|高彦《たかひこ》『ヤア|月《つき》、|雪《ゆき》、|花《はな》の|三人様《さんにんさま》にお|尋《たづ》ね|致《いた》しまするが、|此処《ここ》は|大蛇《をろち》の|巣窟《さうくつ》ではありませぬか』
|秋月姫《あきづきひめ》『ハイ|左様《さやう》で|御座《ござ》います。|二三日《にさんにち》|以前《まへ》に|不思議《ふしぎ》にも|姉妹《きやうだい》|三人《さんにん》は|此《この》|野中《のなか》で|邂逅《めぐりあ》ひ|大蛇《をろち》の|巣窟《さうくつ》があつて|種々《いろいろ》の|災《わざはひ》をすると|言《い》ふ|事《こと》を|聞《き》きましたので、これも|言向《ことむ》け|和《やは》さねば|宣伝使《せんでんし》の|役《やく》が|済《す》まぬと|思《おも》ひましたから、|姉妹《きやうだい》|三人《さんにん》|力《ちから》を|協《あは》せ|倶《とも》に|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひ【チク】チクと|迫《せま》つた|処《ところ》|大蛇《をろち》は|大《おほ》きな|姿《すがた》を|現《あらは》し|涙《なみだ》をボロボロと|零《こぼ》し、|今後《こんご》は|地底《ちてい》に|潜《ひそ》んで|決《けつ》して|此処《ここ》へは|出《で》て|来《き》ませぬからと|誓《ちか》ひましたので、|鎮魂《ちんこん》を|以《もつ》て|再《ふたた》び|出《で》ない|様《やう》に|封《ふう》じ|込《こ》みました|処《ところ》で|御座《ござ》います。|此《この》クスの|原《はら》や|新玉原《あらたまはら》は|随分《ずゐぶん》お|土《つち》も|肥《こ》えてゐます。これから|此《この》|原野《げんや》に|火《ひ》をかけて|耕作《かうさく》を|致《いた》しましたら|沢山《たくさん》の|収穫《しうくわく》があがり、|数多《あまた》の|人間《にんげん》が|喜《よろこ》ぶ|事《こと》でせう』
|東彦《あづまひこ》『ヤア|貴女《あなた》に|功名《こうみやう》を|先《さき》んじられて|仕舞《しま》ひました。|何《なに》は|兎《と》もあれ|結構《けつこう》な|事《こと》だ。さあ|此《この》|原野《げんや》に|火《ひ》を|放《つ》けませう』
と|火打《ひうち》を|取《と》り|出《だ》し、|折《をり》から|吹《ふ》き|来《く》る|風《かぜ》に|向《むか》つて|火《ひ》を|放《はな》つた。|火《ひ》は|見《み》る|見《み》る|四方《しはう》に|燃《も》え|拡《ひろ》がり、さしもに|広《ひろ》き|荒野原《あれのはら》は|焼野ケ原《やけのがはら》となつて|仕舞《しま》つた。
これより|宣伝使《せんでんし》|一同《いちどう》は、|鉄彦《かなひこ》に|此《この》|原野《げんや》の|開墾《かいこん》を|命《めい》じ、|時公《ときこう》は|喜《よろこ》んで|鉄彦《かなひこ》の|命《めい》に|従《したが》ひ、|開墾《かいこん》に|従事《じうじ》し|家屋《かをく》を|造《つく》つてこれに|住《す》んだ。|五穀《ごこく》は|良《よ》く|実《みの》り|蔓物《つるもの》は|豊《ゆたか》に、|遂《つひ》には|大変《たいへん》に|繁華《はんくわ》な|都《みやこ》が|出来《でき》た。これをクスの|都《みやこ》と|謂《い》ふ。
|宣伝使《せんでんし》|一行《いつかう》は|凱歌《がいか》を|挙《あ》げ、|時公《ときこう》に|別《わか》れを|告《つ》げ、|又《また》もや|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|西《にし》へ|西《にし》へと|進《すす》み|行《ゆ》くのであつた。
(大正一一・二・二八 旧二・二 北村隆光録)
第七章 |露《つゆ》の|宿《やど》〔四七四〕
|東彦神《あづまひこのかみ》、|高彦神《たかひこのかみ》の|宣伝使《せんでんし》は、|梅ケ香姫《うめがかひめ》、|月《つき》、|雪《ゆき》、|花《はな》の|宣伝使《せんでんし》と|共《とも》に|一行《いつかう》|六人《ろくにん》|新玉原《あらたまはら》の|枯野《かれの》を|分《わ》けつつ|宣伝歌《せんでんか》を|口々《くちぐち》に|歌《うた》つて、|明志《あかし》の|湖《うみ》の|方面《はうめん》|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
|日《ひ》は|漸《やうや》く|西《にし》に|舂《うすづ》いて|夕暮《ゆふぐれ》|告《つ》ぐる|鐘《かね》の|音《ね》は|仄《ほの》かに|響《ひび》いて|来《き》た。
|東彦《あづまひこ》『ヤア|久《ひさ》し|振《ぶ》りで|鐘《かね》の|音《ね》を|聞《き》きました。|最早《もはや》|人里《ひとざと》|間近《まぢか》くなつたと|見《み》えます。|併《しか》し|乍《なが》ら|日《ひ》も|漸《やうや》く|暮《くれ》かかりましたから、|幸《さいは》ひ|彼方《むかう》に|見《み》える|森蔭《もりかげ》で|一夜《いちや》を|明《あか》しませうか』
|一同《いちどう》『さう|致《いた》しませう』
と|森《もり》を|目当《めあて》に|疲《つか》れた|脚《あし》を|速《はや》めて|進《すす》み|行《ゆ》く。|千年《ちとせ》の|老樹《らうじゆ》、|梢《こずゑ》の|先《さき》まで|苔《こけ》|蒸《む》して|昼《ひる》|尚《なほ》|暗《くら》き、【こんもり】とした|森蔭《もりかげ》である。
|東彦《あづまひこ》『ヤア|月影《つきかげ》も、|星影《ほしかげ》も|見《み》えぬ|天然《てんねん》の|家《いへ》の|中《うち》、|今宵《こよひ》は|久《ひさ》し|振《ぶ》りで|悠乎《ゆつくり》と|休《やす》みませう』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|例《れい》の|如《ごと》く|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひ|始《はじ》めた。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
|身《み》の|過《あやまち》は|詔《の》り|直《なほ》せ  |日《ひ》の|出神《でのかみ》や|木《こ》の|花《はな》の
|神《かみ》の|依《よ》さしの|宣伝使《せんでんし》  クス|野ケ原《のがはら》を|行《ゆ》き|過《す》ぎて
|漸《やうや》う|此処《ここ》に【きた】の|森《もり》  |神《かみ》の|稜威《みいづ》も|高彦《たかひこ》や
|梅ケ香《うめがか》|匂《にほ》ふ|神《かみ》の|道《みち》  |空《そら》に|輝《かがや》く|秋月《あきづき》の
|心《こころ》も|清《きよ》く|照《て》り|渡《わた》る  |五六七《みろく》の|御代《みよ》を|深雪姫《みゆきひめ》
|神《かみ》の|教《をしへ》を|開《ひら》かむと  |天教山《てんけうざん》の|橘《たちばな》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》や|東彦《あづまひこ》  |世《よ》は|常闇《とこやみ》となるとても
|神《かみ》の|守《まも》りは|明《あきら》けく  |空《そら》|照《て》り|渡《わた》る|東彦《あづまひこ》
|東《あづま》の|空《そら》を|彩《いろ》どりて  |豊栄《とよさか》|昇《のぼ》る|朝日子《あさひこ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》を【まつぶさ】に  |明志《あかし》の|湖《うみ》の|底《そこ》|深《ふか》く
コーカス|山《ざん》の|峰《みね》|高《たか》く  【しこ】の【かうべ】を|照《てら》しつつ
|功《いさを》は|高《たか》きアーメニヤ  |荒振《あらぶ》る|醜《しこ》のウラル|彦《ひこ》
ウラルの|姫《ひめ》の|荒魂《あらみたま》  |三五教《あななひけう》の|言霊《ことたま》に
|言向《ことむ》け|和《やは》す|和魂《にぎみたま》  |神《かみ》の|教《をしへ》も|幸魂《さちみたま》
|悟《さとり》の|道《みち》の|奇魂《くしみたま》  |曲《まが》を|直日《なほひ》の|神魂《かむみたま》
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し  |醜《しこ》の|叫《さけ》びを|宣《の》り|直《なほ》し
|空《そら》に|輝《かがや》く|月照《つきてる》の  |彦《ひこ》の|命《みこと》の|治《しら》す|世《よ》に
|大足彦《おほだるひこ》や|真澄姫《ますみひめ》  |恵《めぐみ》は|四方《よも》に|弘子《ひろやす》の
|神《かみ》の|力《ちから》の|現《あら》はれて  この|世《よ》に|曲《まが》は|少名彦《すくなひこ》
かたき|教《をしへ》も|竜世姫《たつよひめ》  |空《そら》|照《て》り|渡《わた》る|言霊《ことたま》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|御恵《みめぐみ》に  |百《もも》の|民草《たみくさ》|純世姫《すみよひめ》
|豊国姫《とよくにひめ》の|幸《さちは》ひて  |一度《いちど》に|開《ひら》く|木《こ》の|花《はな》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|奇魂《くしみたま》  |日《ひ》の|出神《でのかみ》と|現《あら》はれて
|浦安国《うらやすくに》と|治《をさ》め|行《ゆ》く  ウラルの|山《やま》の|曲神《まがかみ》の
|八十《やそ》の|曲津《まがつ》も|悉《ことごと》く  |神《かみ》の|息吹《いぶ》きに|吹祓《ふきはら》ひ
|祓《はら》ひ|清《きよ》むる|神《かみ》の|道《みち》  |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
ウラルの|彦《ひこ》の|曲業《まがわざ》を  |矯直《ためなほ》さずに|置《お》くべきや
|詔《の》り|直《なほ》させで|置《お》くべきや  |奥《おく》のわからぬ|神《かみ》の|道《みち》
|底《そこ》ひも|知《し》れぬ|神《かみ》の|恩《おん》  |底《そこ》ひも|知《し》れぬ|神《かみ》の|恩《おん》
|天地《てんち》に|響《ひび》く|琵琶《びは》の|湖《うみ》  |琵琶《びは》の|言霊《ことたま》|勇《いさ》ましく
|進《すす》む|吾《われ》こそ|尊《たふと》けれ  |神《かみ》の|柱《はしら》ぞ|尊《たふと》けれ』
と|異口同音《いくどうおん》に|歌《うた》ひ|終《をは》つて、|蓑《みの》を|敷《し》き|二男《になん》|四女《しぢよ》の|宣伝使《せんでんし》は、やすやすと|眠《ねむり》に|就《つ》きぬ。
|森蔭《もりかげ》より|現《あら》はれた|四五人《しごにん》の|男《をとこ》、|差足《さしあし》|抜足《ぬきあし》|宣伝使《せんでんし》の|前《まへ》に|近寄《ちかよ》り|来《きた》り、|寝息《ねいき》を|考《かんが》へ、
|甲《かふ》『オイ、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も、よく|草臥《くたびれ》|果《は》てて|潰《つぶ》れたやうになつてゐやがるワイ。どうぢや|今《いま》の|間《うち》にソツと|頸首《くびたま》に|綱《つな》をかけて|引張《ひつぱ》つて|酋長《しうちやう》さんの|所《ところ》へ|連《つ》れて|行《い》つたら|何《ど》うだ』
|乙《おつ》『|待《ま》て|待《ま》て、|若《も》し|慌《あわて》てウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》だつたら、ドテライ|御目玉《おめだま》を|喰《くら》はにやならぬ、それより|気《き》を|落《おち》つけて|調《しら》べた|上《うへ》の|事《こと》にしようかい』
|甲《かふ》『それでも|最前《さいぜん》|宣伝歌《せんでんか》が|聞《きこ》えて|居《を》つたが、|何《ど》うやら|節《ふし》|廻《まは》しが|三五教《あななひけう》らしかつたぞ。|月《つき》が|照《て》るとか、|曇《くも》るとか|云《い》つてゐたぢやないか』
|丙《へい》『|定《きま》つたことだ。|今夜《こんや》の|月《つき》を|見《み》い。|照《て》つたり|曇《くも》つたりしてゐるぢやないか。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》でなくても、|俺等《おれら》も|月《つき》を|見《み》たら、|照《て》るとか、|曇《くも》る|位《くらゐ》は|知《し》つとるワイ、|貴様《きさま》そんなことで|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》なぞと|思《おも》つて|下手《へた》をやつたら|詰《つま》らぬぞ』
|丁《てい》『マア、|八釜敷《やかまし》う|言《い》ふことはない。|先方《むかふ》は|六人《ろくにん》だ。|此方《こつち》は|五人《ごにん》、|一人《ひとり》|宛《づつ》|掴《つか》み|合《あ》ひしてもモー|一人《ひとり》|残《のこ》つて|居《を》る。ようマア|考《かんが》へて|見《み》よ。|衆寡《しうくわ》|敵《てき》せずと|云《い》ふことがある』
|甲《かふ》『|何《なに》を|吐《ぬか》すんだい。|此方《こちら》は|荒男《あらをとこ》|五人《ごにん》、|先方《むかふ》は|男《をとこ》が|二人《ふたり》に|女《をんな》が|四人《よにん》だ。|俺《おれ》|一人《ひとり》でも|女《をんな》だけは………』
|丁《てい》『|貴様《きさま》の|力《ちから》はそんなものだ。|併《しか》し|乍《なが》ら|貴様《きさま》の|家《うち》のお|福《ふく》のやうな|女《をんな》だと|思《おも》つたら、|的《あて》が|外《はづ》れるぞ。|男《をとこ》の|一人《ひとり》や|二人《ふたり》は|抓《つま》んで|放《ほか》すやうな|力《ちから》がなくて、どうして|天下《てんか》を|廻《まは》ることが|出来《でき》やうぞ。たとへ|一人《ひとり》|対《たい》|一人《ひとり》で|組《く》み|合《あ》うて|見《み》た|所《ところ》で、|先方《むかう》には|一人《ひとり》|空手《あきて》があるのだ。|其奴《そいつ》が|一人《ひとり》|残《のこ》りやがつて|組《く》み|合《あ》うとる|俺等《おれら》の|頭《あたま》をコンコンとやりやがつたら、それこそ|犬《いぬ》に|噛《か》まれた|様《やう》なものだ。それだから|多勢《たぜい》に|無勢《ぶぜい》、|衆寡《しうくわ》|敵《てき》せずと|云《い》ふのだ』
|甲《かふ》『アヽ|衆《しう》か』
|丁《てい》『|莫迦《ばか》にすない。|愚図々々《ぐづぐづ》|云《い》うて|居《を》ると、|目《め》をさましやがつたら|大変《たいへん》だ。|今《いま》の|間《うち》に|杢兵衛《もくべゑ》も|八公《やつこう》も|吉公《きちこう》も|源公《げんこう》も、|村中《むらぢう》の|脛腰《すねこし》の|立《た》つ|奴《やつ》は、|皆《みな》|寄《よ》つて|来《き》て|遠捲《とほまき》に|取捲《とりま》いて|無理《むり》|往生《わうじやう》に|往生《わうじやう》さしてやらう』
|一同《いちどう》『さうだ、それもよからう。オイ|八公《やつこう》、|貴様《きさま》|一人《ひとり》ここに|見張《みは》りをするのだ。|俺等《おれら》|四人《よにん》は|手分《てわけ》をして|皆《みんな》の|奴《やつ》を|非常《ひじやう》|召集《せうしふ》だ』
|丁《てい》『オイ|待《ま》て|待《ま》て、|俺《おれ》も|一緒《いつしよ》に|連《つ》れて|行《ゆ》かぬかい。|五人《ごにん》でさへも|危《あぶな》いのに、|一人《ひとり》|居《を》つて、|万一《もし》|中途《ちうと》に|目《め》でもさましやがつたら、|何《ど》うするか』
|甲《かふ》『|何《ど》うするも、|斯《こ》うするも、そんな|事《こと》は|知《し》らぬワイ。|八公《やつこう》が|八裂《やつざ》きに|会《あ》ふ|迄《まで》のことだ』
|斯《か》く|囁《ささや》く|声《こゑ》に、|梅ケ香姫《うめがかひめ》はフツト|目《め》をさまし、むくむくと|起上《おきあ》がり、
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『アヽ、|何《いづ》れの|方《かた》か|知《し》りませぬが、|水《みづ》がありましたら|一杯《いつぱい》|与《あた》えて|頂戴《ちやうだい》な』
|甲《かふ》『ナニツ、|水《みづ》くれつて。【みず】しらずの|俺《おれ》に|向《むか》つて|水《みづ》|一杯《いつぱい》|頂戴《ちやうだい》なぞと、|幽霊《いうれい》か、|餓鬼《がき》のやうに|此奴《こいつ》は|一寸《ちよつと》|可笑《をか》しいぞ。ヤイコラ、|幽々霊々《いういうれいれい》|奴《め》が』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『イーエ、|湯《ゆ》でなくても、|水《みづ》で|結構《けつこう》でございます。【れい】は|後《あと》で』
|乙《おつ》『オイオイ、|矢張《やつぱ》り|幽《いう》と|霊《れい》とぢや、|水《みづ》くれと|吐《ぬ》かす|筈《はず》ぢや。|逃《に》げろ|逃《に》げろ。キヤアー』
バラバラと|足音《あしおと》をさせ|乍《なが》ら、|転《こ》けつ|輾《まろ》びつ|逃《に》げて|行《ゆ》く。
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『モシモシ、|皆《みな》さま、|折角《せつかく》|御寝《おやす》みになつてる|所《ところ》を|御目《おめ》をさまして|済《す》みませぬが、|妙《めう》なものが|参《まゐ》りまして、|何《なん》だか|吾々《われわれ》の|首《くび》に|繩《なは》をかけて|引張《ひつぱ》るとか、|下《さげ》るとか|云《い》うてゐました。チツト|気《き》をつけねばなりませぬ』
|東彦《あづまひこ》『ナニツ、|首《くび》に|繩《なは》をかける。|莫迦《ばか》にして|居《ゐ》る。|我々《われわれ》を|徳利《とつくり》と|間違《まちが》へやがるな』
|高彦《たかひこ》『アハヽヽヽ、【とつくり】と|見《み》ないから|間違《まちが》ふのだ。そんなことは|何《ど》うでもよい。|大分《だいぶ》に|疲《つか》れた。|吾々《われわれ》も|今晩《こんばん》は、【とつくり】と|寝《ね》ようかい』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『それでも|怪《あや》しいことを|云《い》つてゐました。|何《なん》でも|酋長《しうちやう》に【いふ】とか、【れい】を|貰《もら》はうとか|云《い》うてゐましたぜ』
|東彦《あづまひこ》『そら|大変《たいへん》だ。|彼奴《あいつ》はウラル|彦《ひこ》の|目付《めつけ》かも|知《し》れぬ。|油断《ゆだん》は|大敵《たいてき》だ。サア、|月《つき》、|雪《ゆき》、|花《はな》の|三人《さんにん》さまも|起《おき》なさい|起《おき》なさい。|是《これ》から|戦闘《せんとう》|準備《じゆんび》だ』
|一同《いちどう》は|眠《ねむ》りをさまし、|身仕度《みじたく》を|為《な》し、|幽《かす》かに|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つてゐる。|前方《ぜんぱう》を|見《み》れば、ワイワイと|人声《ひとごゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》た。|数十《すうじふ》の|松明《たいまつ》は|朧夜《おぼろよ》を|照《てら》して|皎々《かうかう》と|輝《かがや》き|乍《なが》ら|此方《こちら》に|向《むか》つて|走《はし》つて|来《く》る。
|東彦《あづまひこ》『ヤア、|捕手《とりて》だ。|皆《みな》さま、|一人々々《ひとりひとり》は|面倒《めんだう》だ。|出《で》て|来《く》る|奴《やつ》を|残《のこ》らず|言向《ことむ》け|和《やは》さう。|宣伝使《せんでんし》は|一人旅《ひとりたび》と|定《きま》つてゐるのに、|妙《めう》な|拍子《ひやうし》に|六人連《ろくにんづ》れになつて、|神様《かみさま》に|御叱《おしか》りを|受《う》けねばよいがと|心配《しんぱい》して|居《ゐ》た|所《ところ》だ。これ|丈《だけ》|沢山《たくさん》やつて|来《く》れば、|六人前《ろくにんまへ》の|仕事《しごと》には|沢山《たくさん》だ。|代《かは》る|代《がは》る|言向《ことむ》け|和《やは》すことにしませうかねー。|併《しか》し|乍《なが》ら|何《なに》を|持《も》つて|居《を》るか|分《わか》らぬから、|気《き》をつけねばなりませぬ。|女《をんな》の|方《かた》の|宣伝使《せんでんし》さまは、|吾々《われわれ》の|後《うしろ》の|方《はう》に|屈《かが》んで|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひなさい。|二人《ふたり》は|力《ちから》|一杯《いつぱい》|大声《おほごゑ》で|呶鳴《どな》つてやりませう』
|群衆《ぐんしう》はチクチクと|怖《こは》さうに|松明《たいまつ》を|振《ふ》り|翳《かざ》して、|森《もり》を|目蒐《めが》けて|進《すす》んで|来《き》た。|群衆《ぐんしう》の|中《なか》より|一人《ひとり》の|男《をとこ》、|片肌《かたはだ》を|脱《ぬ》ぎ、|稍《やや》|酒気《しゆき》を|帯《お》び|乍《なが》ら|彼方《あちら》へヒヨロヒヨロ、|此方《こちら》へヒヨロヒヨロ、|千鳥足《ちどりあし》|危《あやふ》く|杖《つゑ》をつき|乍《なが》ら、つかつかと|宣伝使《せんでんし》の|前《まへ》に|現《あら》はれた。
|男《をとこ》『ヤイ|貴様《きさま》は|何処《どこ》の|奴《やつ》だい。セヽヽ|宣伝使《せんでんし》だろ。ここはウラル|彦《ひこ》の|神様《かみさま》の|御領分《ごりやうぶん》だぞ。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》とか|云《い》ひやがつて、|生命《いのち》|知《し》らず|奴《め》が』
|東彦《あづまひこ》『ヤア|貴方《あなた》は|此《この》|里《さと》の|御方《おかた》と|見《み》えますが、|我々《われわれ》は|御推量《ごすゐりやう》の|通《とほ》り|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》です』
|男《をとこ》『コラ、|俺《おれ》は|斯《こ》う|見《み》えても|年寄《としよ》りぢやないぞ。|貴様《きさま》のやうな|強《つよ》さうな|面《つら》をしよつても、いつかないつかな|驚《おどろ》くやうな|爺《ぢい》さまドツコイ|兄《にい》さまだないわ。サア、【れい】か、|幽《いう》か、|正体《しやうまつ》か|白状《はくじやう》せい』
|東彦《あづまひこ》『|吾々《われわれ》は|現界《げんかい》、|神界《しんかい》、|幽界《いうかい》の|霊《れい》に|対《たい》して』
|男《をとこ》『ナニツ、|幽界《いうかい》の、|霊《れい》のつて|矢張《やつぱ》り|怪体《けたい》な|奴《やつ》だ。オイオイ|皆《みな》の|奴《やつ》、|幽界《いうかい》だ|霊界《れいかい》だ。|何《なに》を|怖《こは》さうにしてやがるのだい。|早《はや》う|松明《たいまつ》を|持《も》つて|来《こ》んかい。|化物《ばけもの》は|火《ひ》を【つき】|出《だ》したら|消《き》えると|云《い》ふことだ』
|群衆《ぐんしう》の|中《なか》より|二三人《にさんにん》の|男《をとこ》、|松明《たいまつ》を|持《も》つた|儘《まま》、バタバタと|男《をとこ》の|前《まへ》に|現《あら》はれ|来《きた》り、
『オイ、|鴨《かも》、|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》|云《い》つてゐやがるのだ。|幽霊《いうれい》でも|何《なん》でもないわ。|擬《まが》ふ|方《かた》なき|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だ。|貴様《きさま》|日頃《ひごろ》の|業託《ごふたく》に|似《に》ず、|其《そ》の|腰付《こしつき》は|何《なん》だ。|逃《に》げ|腰《ごし》になりやがつて|尻《しり》を|一町《いつちやう》|程《ほど》も、|後方《こうはう》へ|突出《つきだ》しやがつて、|其《そ》のざまつたら、ないぢやないか。ヤアヤア|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|何人《なんにん》|居《を》るか|知《し》らねども、どうせ|六人《ろくにん》な|奴《やつ》ぢやあるまい。|尋常《じんじやう》に|手《て》を|廻《まは》せ』
|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》|一度《いちど》に、
『ホヽヽ、|可笑《をか》しいわ』
|鴨公《かもこう》『ヤアツ、ソヽヽそれ|見《み》い。ホヽヽほうぢや。オイオイ|貴様等《きさまら》ばかり|逃《に》げて|年寄《としより》を|一人《ひとり》【ほつとく】のか』
|三人《さんにん》の|男《をとこ》『エイ|八釜敷《やかまし》いワイ。|貴様《きさま》の|事《こと》どころか、|捨《す》てとけ、|放《ほつ》とけだ』
|鴨公《かもこう》『ヤイ、|待《ま》たぬか|待《ま》たぬか』
|六人《ろくにん》の|宣伝使《せんでんし》は|悠々《いういう》として|鴨公《かもこう》の|前《まへ》に|現《あら》はれた。
|鴨公《かもこう》『コヽヽこら|幽霊《いうれい》のバヽ|化物《ばけもの》|奴《め》が、|俺《おれ》を【かもう】と|思《おも》つても、さうは|行《ゆ》かぬぞ。|俺《おれ》の|名《な》は|鴨《かも》さまだ。かもうてくれるな。ソヽヽそれより|噛《か》みたければ、|彼方《あつち》に|甘《うま》い|奴《やつ》が、|何程《なんぼ》でも|居《を》るワイ』
|高彦《たかひこ》『ヤア|鴨《かも》さまとやら、|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さるな。|我々《われわれ》は|化物《ばけもの》でも、|何《なん》でもない。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だ。|皆《みな》の|方《かた》を|此処《ここ》へ|呼《よ》んで|来《き》て|下《くだ》さい。|我々《われわれ》たちが|結構《けつこう》な|話《はなし》を|聴《き》かして|上《あ》げよう、|盲《めくら》は|目《め》が|開《あ》き、|聾《つんぼ》は|耳《みみ》が|聞《きこ》え、|腰《こし》の|抜《ぬ》けた|者《もの》は|腰《こし》が|立《た》ち、|躄《ゐざり》は|歩《ある》く、それはそれは|結構《けつこう》な|教《をしへ》だ』
|鴨公《かもこう》『ヤイヤイ|皆《みな》の|奴《やつ》、|此奴《こいつ》はヤヽヽ|矢張《やつぱ》り|化物《ばけもの》だ。|盲《めくら》が|目《め》が|開《あ》くといひ、|躄《ゐざり》が|立《た》つと|云《い》ひくさる。|躄《ゐざり》が|立《た》つても|俺《おれ》の|腰《こし》は|立《た》たぬ。ヤイヤイ|噛《か》まれぬうちに|助《たす》けぬかい|助《たす》けぬかい』
|宣伝使《せんでんし》|一同《いちどう》『アハヽヽヽ、オホヽヽヽ』
|又《また》もや|群衆《ぐんしう》の|中《なか》より|頑丈《ぐわんぢやう》な|一人《ひとり》の|男《をとこ》、|鉄棒《かなぼう》を|携《たづさ》へ|現《あら》はれ|来《き》たり、
|男《をとこ》『|何《なん》だ、|宣伝使《せんでんし》とやら、アヽヽホヽヽと|笑《わら》ひやがつて|貴様《きさま》こそ|余程《よつぽど》|好《い》い|阿呆《あほう》だ。|飛《と》んで|火《ひ》に|入《い》る|夏《なつ》の|虫《むし》、これ|程《ほど》ウラル|彦《ひこ》の|目付《めつけ》が|沢山《たくさん》|居《を》る|所《ところ》へ、ウカウカと|出《で》て|来《き》やがつて、|何《なに》を|偉《えら》さうに|云《い》ふのだ。これでも|喰《くら》へ』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|高彦《たかひこ》の|肩先《かたさき》|目《め》がけてウンと|打《う》つた。|高彦《たかひこ》はひらりと|体《たい》を|躱《かは》した。|又《また》もや|鉄棒《かなぼう》を|前後左右《ぜんごさいう》に|水車《みづぐるま》の|如《ごと》く|振《ふ》り|廻《まは》してやつて|来《く》る。
|東彦《あづまひこ》、|高彦《たかひこ》は|右《みぎ》に|左《ひだり》に|鉄棒《かなぼう》を|避《よ》け|乍《なが》ら、ウンと|一声《いつせい》|霊《れい》をかけた。|忽《たちま》ち|鉄棒《かなぼう》は|葱《ねぎ》の|如《ごと》くになつた。|其《そ》の|男《をとこ》は|無我夢中《むがむちう》になつて、|和《やはら》かになつた|鉄棒《かなぼう》を|振《ふ》り|廻《まは》してゐる。|高彦《たかひこ》は|地上《ちじやう》に|安坐《あんざ》した。|男《をとこ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》|頭上《づじやう》より|打《う》ち|下《おろ》す。
|男《をとこ》『ヤア、|俺《おれ》はこの|界隈《かいわい》に|名《な》の|響《ひび》いた|勝《かつ》さまだ。|何時《いつ》でも|負《まけ》たことの|無《な》い、|勝《か》つ|計《ばか》りだから|勝《かつ》さまと|云《い》はれてゐるのだ。それに|此奴《こいつ》はこの|鉄棒《かなぼう》をこれだけ|喰《くら》はしても|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をしてゐやがる。|矢張《やつぱ》り【バ】の|字《じ》に【ケ】の|字《じ》だ。|何《なん》ぢや|鉄棒《かなぼう》が|葱《ねぎ》のやうになりやがつた』
と|云《い》ひながら|一目散《いちもくさん》に|駆《か》け|出《だ》さうとする。|東彦《あづまひこ》はウンと|霊縛《れいばく》を|施《ほどこ》した。|勝公《かつこう》は|足《あし》を|踏張《ふんば》つた|限《ぎ》り|化石《くわせき》のやうになつて|了《しま》つた。
|東彦《あづまひこ》『オイ|勝《かつ》さまとやら、マア|一時《ひととき》ほど|懲《こら》して|縛《しば》つて|置《お》かう、|御苦労《ごくらう》だが|此処《ここ》にさうして|居《を》つて|下《くだ》さい。|我々《われわれ》はこんな|八釜敷《やかまし》い|所《ところ》に|安眠《あんみん》は|出来《でき》ないから、|宿換《やどがへ》をする。お|前《まへ》が|来《く》ると|面倒《めんだう》だから|硬《かた》めて|置《お》く。マア|御《ご》ゆるりと、|左様《さやう》なら』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|一行《いつかう》|六人《ろくにん》は|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひつつ|又《また》もや|西《にし》へ|西《にし》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。|数多《あまた》の|村人《むらびと》は|勝公《かつこう》の|霊縛《れいばく》されしに|驚《おどろ》いて、|各自《てんで》に|逃《に》げ|失《う》せ|固《かた》く|戸《と》を|鎖《とざ》し|家々《いへいへ》の|火《ひ》を|消《け》し|小《ちひ》さくなつて|慄《ふる》ひゐたり。
『|北《きた》の|森《もり》にと|馳《か》けついて  |一行《いつかう》ここに|眠《ねむ》る|時《とき》
ひそびそ|聞《きこ》ゆる|人声《ひとごゑ》に  |梅ケ香姫《うめがかひめ》は|目《め》をさまし
|水《みづ》をくれよと【おとなへ】ば  |怖《おぢ》けきつたる|里人《さとびと》は
|幽《いう》ぢや|霊《れい》ぢやと|口々《くちぐち》に  |走《はし》つて|何処《どこ》へか|身《み》を|匿《かく》す
|暫《しばら》くありて|人《ひと》の|声《こゑ》  |眼《まなこ》をあげて|眺《なが》むれば
|提燈松明《ちやうちんたいまつ》ここ|彼処《かしこ》  |腰《こし》の|曲《まが》つた|老爺《おやぢ》さま
|酒《さけ》の|機嫌《きげん》で|我《わが》|前《まへ》に  |現《あら》はれ|来《きた》り|泡《あわ》を|吹《ふ》く
|又《また》もや|一人《ひとり》の|荒男《あらをとこ》  |負《ま》けぬ|嫌《きら》ひの|勝《かつ》さまが
|鉄棒《かなぼう》|打振《うちふ》り|迫《せま》り|来《く》る  |鎮魂《みたましづめ》の|神術《かむわざ》を
|行《おこな》ひ|見《み》れば|鉄棒《かなぼう》は  |葱《ねぎ》の|如《ごと》くに|柔《やはら》かく
|打《う》てど|打《う》てども|応《こた》へぬに  |肝《きも》を|潰《つぶ》して|吾々《われわれ》を
|魔性《ましやう》の|者《もの》と|見誤《みあやま》り  |恐《おそ》れて|逃《に》げむとする|時《とき》に
|一寸《ちよつと》|霊《れい》をばかけてやる  |忽《たちま》ち|化石《くわせき》のやうになり
|脚《あし》を【またげた】その|儘《まま》に  |立《た》つて|二《ふた》つの|目《め》の|玉《たま》を
きよろきよろ|見廻《みまは》す|面白《おもしろ》さ  あゝ|勝《かつ》さまよ|勝《かつ》さまよ
|月日《つきひ》の|如《ごと》き|明《あきら》かな  |神《かみ》の|教《をしへ》に|目《め》をさませ
|固《かた》き|心《こころ》を|打解《うちと》けて  |心《こころ》を|和《やはら》げ|気《き》を|和《なご》め
|世人《よびと》に|清《きよ》く|交《まじ》はれよ  |汝《なんぢ》の|心《こころ》|柔《やはら》がば
|体《からだ》も|共《とも》に|元《もと》の|如《ごと》  |自由自在《じいうじざい》に【かへ】るらむ
あゝ|勝《かつ》さまよ|勝《かつ》さまよ  |三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|道《みち》
|夢《ゆめ》にも|忘《わす》れ|給《たま》ふまじ  |吾《われ》は|是《これ》より|海山《うみやま》を
|越《こ》えて|闇夜《やみよ》を|明志湖《あかしうみ》  |明《あか》し|暗《くら》しを|立別《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》』
と|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|悠々《いういう》として|此《この》|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》りにける。
(大正一一・二・二八 旧二・二 外山豊二録)
第二篇 |意気《いき》|揚々《やうやう》
第八章 |明志丸《あかしまる》〔四七五〕
|山川《やまかは》どよみ|国土《くぬち》|揺《ゆ》り  |曲神《まがかみ》|猛《たけ》ぶ|常暗《とこやみ》の
|雲《くも》を|晴《はら》して|美《うるは》しき  |神代《かみよ》を|建《た》てて|黄金《わうごん》の
|世界《せかい》を|造《つく》り|固《かた》めむと  |黄金山《わうごんざん》に|現《あ》れませる
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |東雲別《しののめわけ》や|青雲《あをくも》の
|別《わけ》の|命《みこと》はやうやうに  |百《もも》の|悩《なや》みを|忍《しの》びつつ
|神《かみ》の|仕組《しぐみ》もクス|野原《のはら》  |男女《だんぢよ》|六人《むたり》の|神司《かむづかさ》
|荒野ケ原《あれのがはら》にめぐり|会《あ》ひ  |西《にし》へ|西《にし》へと|北《きた》の|森《もり》
|一夜《ひとよ》の|露《つゆ》を|凌《しの》ぎつつ  |神《かみ》の|教《をしへ》を|畏《かしこ》みて
|道《みち》も|明志《あかし》の|湖《みづうみ》の  こなたの|郷《さと》に|各自《めいめい》に
|袖《そで》を|別《わか》ちて|進《すす》み|行《ゆ》く  |錦《にしき》の|木《こ》の|葉《は》|散《ち》り|果《は》てて
|北風《きたかぜ》|寒《さむ》き|冬《ふゆ》の|空《そら》  |地《ち》は|一面《いちめん》の|銀世界《ぎんせかい》
|行《ゆ》きつ|倒《たふ》れつ|雪《ゆき》の|路《みち》  |春《はる》をも|待《ま》たぬ|梅ケ香《うめがか》の
|薫《かをり》ゆかしき|宣伝使《せんでんし》  |明志《あかし》の|湖《うみ》の|岸《きし》の|辺《べ》に
|独《ひと》りとぼとぼ|着《つ》きにける。
|明志丸《あかしまる》は|数十《すうじふ》の|船客《せんきやく》を|乗《の》せ、|今《いま》や|出帆《しゆつぱん》せむとする|時《とき》であつた。|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|急《いそ》ぎ|船中《せんちう》の|客《きやく》となつた。|骨《ほね》を|裂《さ》く|様《やう》な|寒風《かんぷう》はヒユーヒユーと|笛《ふえ》を|吹《ふ》きて|海面《かいめん》を|掃《は》き|立《た》てる。|浪《なみ》に|揉《も》まれて|船《ふね》の|動揺《どうえう》は|刻々《こくこく》に|激《はげ》しくなつて|来《き》た。|大抵《たいてい》の|船客《せんきやく》は|寒《さむ》さと|怖《こは》さに|慄《ふる》ひあがつて、|船底《ふなぞこ》に|小《ちひ》さくなりてかぢりつく|様《やう》にして|居《ゐ》る。|中《なか》に|四五人《しごにん》の|男《をとこ》は|腰《こし》の|飄《ひさご》の|栓《つめ》を|抜《ぬ》いてソロソロ|酒《さけ》を|飲《の》み|始《はじ》めたり。
|甲《かふ》『|空《そら》は|何《な》ンだか、ドンヨリとして|日天様《につてんさま》も|碌《ろく》に|見《み》えず、|白《しろ》い|雲《くも》が|一面《いちめん》に|天井《てんぜう》を|張《は》つて|居《ゐ》る。|地《ち》は|見渡《みわた》す|限《かぎ》り|真白《まつしろ》けだ、|青《あを》いものといつたら、|此《この》|明志《あかし》の|湖《うみ》と|貴様《きさま》の|顔《かほ》|丈《だけ》だ。|一《ひと》つ|一杯《いつぱい》グツとやつて|元気《げんき》をつけたらどうだい』
|乙《おつ》『イヤ|俺《おれ》は|下戸《げこ》で………|貴様《きさま》|一人《ひとり》|飲《の》ンだら|宜《よ》からう』
|甲《かふ》『オイ|八公《やつこう》、|貴様《きさま》は|飲《い》ける|口《くち》だから、お|相手《あひて》にして|遣《や》らう』
と|杓《しやく》を|突出《つきだ》す。|八公《やつこう》は|杓《しやく》を|受取《うけと》りて、|瓢《ひさご》より|注《つ》いでは|飲《の》み|注《つ》いでは|呑《の》む。だんだんと|酔《ゑひ》が|廻《まは》り、
|八公《やつこう》『オイ|勝公《かつこう》、|貴様《きさま》は|何時《いつ》にない|悄気《しよげ》た|顔《かほ》しやがつて、チツト|元気《げんき》を|出《だ》さぬかい。|北《きた》の|森《もり》で|宣伝使《せんでんし》に|縛《しば》られやがつて、それからと|云《い》ふものは|大変《たいへん》に|顔色《かほいろ》が|悪《わる》いぞ』
|勝公《かつこう》『|喧《やかま》しい|云《い》ふない。|今《いま》|作戦《さくせん》|計画《けいくわく》をやつて|居《ゐ》る|所《ところ》だ。アーメニヤのウラル|彦《ひこ》の|神《かみ》さまから、|北《きた》の|森《もり》へ|宣伝使《せんでんし》がやつて|来《く》るに|違《ちがひ》ないから、|彼奴《あいつ》を|縛《しば》つて|連《つ》れて|来《こ》いと|云《い》ふ|命令《めいれい》を|受《う》けて|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|夜昼《よるひる》なしに|張《は》つて|居《を》つた|処《ところ》、|大袈裟《おほげさ》にも|一度《いちど》に|六人《ろくにん》もやつて|来《き》やがつたものだから、|如何《いか》に|強力《がうりき》な|俺《おれ》も、|一寸《ちよつと》|面喰《めんくら》つたのだ。|村《むら》の|奴《やつ》は|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|腰抜《こしぬけ》|計《ばか》りでビクビクと|震《ふる》ひあがつて、みんな|逃《に》げて|了《しま》ふなり、|俺《おれ》|一人《ひとり》が|何程《なんぼ》|固《かた》くなつて|気張《きば》つたところで、どうにも|斯《か》うにも|仕方《しかた》がない、|是《これ》からお|断《ことわ》り|旁《かたがた》|村《むら》の|奴《やつ》の|腑甲斐《ふがひ》ない|事《こと》を、ウラルの|神《かみ》に|注進《ちゆうしん》に|行《ゆ》くのだ。オイ|貴様等《きさまら》も|弱虫《よわむし》の|中《うち》だ』
|八公《やつこう》『えらさうに|言《い》ふな、|霊縛《れいばく》とかいふものをかけられやがつて、|寒空《さむぞら》に|一日《いちにち》|一夜《ひとよさ》も|化石《くわせき》の|様《やう》になつて、|目《め》ばつかりギヨロつかせて、|見《み》つともない|涙《なみだ》をボロボロ|垂《たら》して|居《ゐ》たぢやないか、|村《むら》の|奴《やつ》が|居《を》らぬと|思《おも》つて|偉《えら》さうに|云《い》つても、|此処《ここ》に|証拠人《せうこにん》が|居《を》るぞ、|貴様《きさま》が|村《むら》の|者《もの》の|悪《わる》い|事《こと》をウラル|彦《ひこ》に|言《い》ふのなら|勝手《かつて》に|言《い》へ、|俺《おれ》は|村中《むらぢう》の|総代《そうだい》で、|斯《こ》うやつて|四人《よにん》が|行《ゆ》くのだ。|貴様《きさま》の|欠点《あら》を|全部《すつかり》|申上《まをしあ》げるのだから、|無事《ぶじ》に|帰《かへ》れると|思《おも》ふな』
|勝公《かつこう》『|馬鹿《ばか》を|云《い》ふな、なにほど|強力無双《がうりきむさう》の|勝《かつ》ちやまでも、|雑兵《ざふひやう》がガチガチ|慄《ぶるひ》して|居《ゐ》るやうな|事《こと》でどうして|戦闘《せんとう》が|出来《でき》るか。オイ|鴨公《かもこう》、|貴様《きさま》|何《なん》だ、|慌《あはて》て|一番《いちばん》|先《さき》に|宣伝使《せんでんし》の|前《まへ》へ|行《ゆ》きやがつて|逃腰《にげごし》をした|時《とき》の|態《ざま》つたら、|本当《ほんたう》に|絵《ゑ》にもない|様《やう》な|姿《すがた》だ。マア|喧《やか》ましう|言《い》はずと|厭《いや》でも|応《おう》でも|酒《さけ》でも|喰《くら》つて|元気《げんき》を|附《つ》けて、ここで|一《ひと》つ|和合《わがふ》をしたらどうだ。|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し|詔直《のりなほ》しだ』
|八公《やつこう》『コラ|勝公《かつこう》、|貴様《きさま》そンな|事《こと》|云《い》ふとやられるぞ。|知《し》らぬ|間《ま》に|三五教《あななひけう》に|魂《たましひ》を|取《と》られやがつて、|宣伝歌《せんでんか》の|様《やう》な|事《こと》を|吐《ほざ》くぢやないか。|三五教《あななひけう》と|云《い》ふ|奴《やつ》は、|月《つき》が|照《て》るとか|走《はし》るとか、|雪《ゆき》が|積《つ》むとか|積《つ》まぬとか、|海《うみ》が|覆《かへ》るとか|潮《しほ》もない|事《こと》をほざく|教《をしへ》だ。|伝染《うつ》り|易《やす》い|奴《やつ》だな、|全然《まるで》|虱《しらみ》の|子孫《まご》みた|様《やう》な|奴《やつ》だ』
|勝公《かつこう》『ナニ|虱《しらみ》の|子孫《まご》だ、|馬鹿《ばか》にするな、|虱《しらみ》の|本家《ほんけ》|本元《ほんもと》は|勝《かつ》ちやまだ。|一寸《ちよつと》|見《み》い|俺《おれ》の|頭《あたま》を、|一寸《ちよつと》|掴《つか》んでも|一合《いちがふ》|位《くらゐ》は|養《やしな》うてあるぞ。|虱《しらみ》と|云《い》ふ|奴《やつ》は|生《うま》れ|故郷《こきやう》がないと|云《い》うて|悔《くや》むと|云《い》ふ|事《こと》だが、|其《その》|生《うま》れ|故郷《こきやう》と|云《い》ふのは|勝《かつ》ちやんの|頭《あたま》だ。|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|虱《しらみ》をわかしやがつて、|俺《おれ》の|頭《あたま》にわいたと|吐《ぬ》かさずに、うつつたうつつたと|吐《ぬ》かすものだから、|虱《しらみ》の|奴《やつ》|生《うま》れ|故郷《こきやう》がないと|云《い》つて|泣《な》きやがるのだ。|虚偽《きよぎ》の|世《よ》の|中《なか》と|云《い》ふのは|是《これ》でも|能《よ》く|分《わか》る』
|鴨《かも》、|小《ちひ》さい|声《こゑ》で、
|鴨公《かもこう》『オイ、|今《いま》あの|隅《すみ》くらに|蓑笠《みのかさ》を|着《き》て|乗《の》つて|居《ゐ》る|奴《やつ》、どうやら|宣伝使《れこ》らしいぞ』
|八公《やつこう》『さうだ|水《みづ》を|呉《く》れと|吐《ぬ》かす|奴《やつ》だ』
|鴨公《かもこう》『|水《みづ》を|呉《く》れと|云《い》つたつて、こんな|塩水《しほみづ》は|飲《の》まれたものぢやない。|米《こめ》の|水《みづ》でも|一杯《いつぱい》|飲《の》ましてやつて、どうだ|退屈《たいくつ》ざましに|踊《をど》らしたら|面白《おもしろ》からう』
|勝公《かつこう》は『ヨー』と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|酔眼《すゐがん》|朦朧《まうろう》と|女《をんな》の|方《はう》を|見詰《みつ》め、
|勝公《かつこう》『ヤア|占《し》めた、ハア|是《これ》で|北《きた》の|森《もり》の|失敗《しつぱい》も|償《つぐな》へると|云《い》ふものだ。|船《ふね》の|中《なか》だ、|彼奴《あいつ》が|上陸《あが》る|時《とき》に|我々《われわれ》が|前後左右《ぜんごさいう》から、|手《て》を|執《と》り|足《あし》を|取《と》り、|後手《うしろで》にふん|縛《じば》つて、アーメニヤへ|連《つ》れて|行《ゆ》く|事《こと》にしようか。|兎《と》も|角《かく》|酒《さけ》を|呑《の》まして|酔《よ》はすが|一等《いつとう》だ』
|鴨公《かもこう》『そいつは|駄目《だめ》だぞ。|三五教《あななひけう》といふ|奴《やつ》は、|酒《さけ》は|飲《の》むな|喰《くら》ふなと|吐《ぬか》す|奴《やつ》だ』
|八公《やつこう》『ソリヤ|表面《おもて》|丈《だけ》だ、|酒《さけ》|喰《くら》はん|奴《やつ》が|何処《どこ》にあろかい、|御神酒《おみき》あがらぬ|神《かみ》はないと|云《い》つて|神《かみ》さまでさへも|酒《さけ》を|飲《の》まれるんだ。|其《その》|神《かみ》のお|使《つかひ》が|酒《さけ》を|嫌《きら》ひなんてぬかすのは、そりや|偽善《ぎぜん》だ。|彼奴《あいつ》の|前《まへ》で|美味《うま》さうな|香《にほひ》をさして、|飲《の》んで|飲《の》んで|呑《の》みさがしてやらう。さうすると、|宣伝使《せんでんし》が|舌《した》をチヨイチヨイ|出《だ》しよつて|唇《くちびる》を|甜《ねぶ》り|出《だ》す、そこで、オイ|姐《ねい》さま|一杯《いつぱい》と|突出《つきだ》すんだ』
|鴨公《かもこう》『|俺《おれ》は|下戸《げこ》だから|酒《さけ》の|様子《やうす》は|知《し》らぬが、そんなものかいなア』
|女宣伝使《をんなせんでんし》はムツクと|立《た》つて、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |常夜《とこよ》の|暗《やみ》を|明志丸《あかしまる》
|救《すく》ひの|船《ふね》に|乗《の》せられて  |憂瀬《うきせ》に|沈《しづ》む|民草《たみぐさ》を
|救《すく》はむ|為《ため》の|此《この》|首途《かどで》  |千尋《ちひろ》の|海《うみ》の|底《そこ》よりも
|深《ふか》き|恵《めぐみ》の|神《かみ》の|恩《おん》  |教《をし》へ|導《みちび》き|北《きた》の|森《もり》
|堅《かた》き|巌《いはほ》に|腰《こし》かけて  |茲《ここ》に|六人《むたり》の|宣伝使《せんでんし》
|息《いき》を|休《やす》らふ|折柄《をりから》に  ウラルの|神《かみ》の|間者《まはしもの》
|二《ふた》つの|眼《まなこ》を|光《ひか》らせて  |窺《うかが》ひ|来《きた》る|可笑《をか》しさよ
|何《いづ》れの|方《かた》と|眺《なが》むれば  |心《こころ》|許《ばか》りの|勝《かつ》さまや
|蛸《たこ》の|様《やう》なる|八《やつ》さまの  |足《あし》もヒヨロヒヨロ|鴨々《かもかも》と
おどして|見《み》たら|腰《こし》|抜《ぬ》かし  【かも】て|呉《く》れなと|減《へ》らず|口《ぐち》
|高彦《たかひこ》さんの|鎮魂《ちんこん》に  |化石《くわせき》の|様《やう》に|固《かた》まつて
|一夜一日《ひとよひとひ》を|立暮《たちくら》し  |妾《わらは》|一同《いちどう》の|後《あと》|追《お》うて
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |取逃《とりに》がしたる|事由《ことわけ》を
|明志《あかし》の|湖《うみ》の|荒浪《あらなみ》に  |揉《も》まれて|進《すす》む|気《き》の|毒《どく》さ
|酒《さけ》の|機嫌《きげん》にまぎらして  |互《たがひ》に|泡《あわ》を|吹《ふ》く|風《かぜ》に』
|勝公《かつこう》『コラコラ|何《なに》を|吐《ぬか》しやがるのだ。|女《をんな》の|癖《くせ》に|勝《かつ》さまだの、|蛸《たこ》だの、|鴨《かも》だのと、|猪口才《ちよこざい》な|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》は|善言美詞《ぜんげんびし》と|吐《ぬか》して|居《ゐ》るぢやないか、|風《かぜ》|引《ひ》くも|引《ひ》かぬも|抛《ほ》つときやがれ、|弱味《よわみ》に|附込《つけこ》む|風《かぜ》の|神《かみ》さまと|云《い》つたら|俺《おれ》の|事《こと》だぞ。|此間《こなひだ》は|六人《ろくにん》も|居《ゐ》やがつたので、|見逃《みのが》しておいたのだ。|今日《けふ》は|幸《さいは》ひ|貴様《きさま》|一人《ひとり》だ、|焚《た》いて|喰《く》はうと、|煮《に》て|喰《く》はうと、|引裂《ひきさ》かうと|俺《おれ》の|勝手《かつて》だ。サア、モ|一《ひと》つ【ほざ】いて|見《み》い、ほざいたが|最後《さいご》|貴様《きさま》の|笠《かさ》の|台《だい》は|鱶《ふか》の|餌食《ゑじき》だ』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『ホヽヽヽヽ、|勝《かつ》さんとやら、|末《すゑ》まで|聞《き》いて|下《くだ》さいな』
|勝公《かつこう》『エツ、|聞《き》かぬ。|此《この》|大勢《おほぜい》の|中《なか》で、|勝《かつ》さまが|勝《か》つたの|負《ま》けたのと、|恥《はぢ》を|振舞《ふれま》ひやがつて|男前《をとこまへ》が|下《さ》がるワイ。|斯《こ》うなれば|意地《いぢ》だ、|貴様《きさま》に|勝《か》つたか|負《ま》けたか、|此処《ここ》で|一《ひと》つ、|此《この》|湖《うみ》ぢやないが|明志《あかし》をして、|俺《おれ》のあかりを|立《た》てねばならぬのだ。どちらが|善《ぜん》か|悪《あく》か、|明志《あかし》|暗《くら》しは|今《いま》に|分《わか》るのだ』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|鉄拳《てつけん》を|振上《ふりあ》げて、|梅ケ香姫《うめがかひめ》に|打《う》つて|掛《かか》らうとする。|此《この》|時《とき》|襟髪《えりがみ》をグツト|握《にぎ》つて|二三尺《にさんじやく》ばかり|猫《ねこ》をつまむだ|様《やう》に|提《ひつさ》げた|男《をとこ》がある。
|男《をとこ》『アハヽヽヽ、サア|勝《かつ》か|負《まけ》か|明志《あかし》の|湖《うみ》だ。|此《この》|手《て》を|離《はな》したが|最後《さいご》、|勝《かつ》は|鰹《かつを》の|餌食《ゑじき》だ』
|勝公《かつこう》『マアマア、|待《ま》て|待《ま》て、|待《ま》てと|言《い》つたら、|待《ま》つたが|宜《よ》からうぞ。|一《ひと》つよりない|生命《いのち》だ|大切《だいじ》にせぬかい。|俺《おれ》でも|神様《かみさま》の|分霊《わけみたま》だぞ。|俺《おれ》は|貴様《きさま》に|殺《ころ》されたつてビクともせぬ|男《をとこ》だが、|貴様《きさま》が|神《かみ》のお|宮《みや》の|此《この》|方《はう》を|損《そこな》つたら、|貴様《きさま》に|罰《ばち》が|当《あた》るから、|殺《ころ》すなら|殺《ころ》せ、|地獄《ぢごく》で|仇討《かたきうち》をしてやるから………』
|男《をとこ》『|減《へ》らず|口《ぐち》を|叩《たた》くない、|一《ひと》つ、|貴様《きさま》は|酒《さけ》を|喰《くら》ひ|酔《よ》つて|大分《だいぶ》に|逆上《のぼせ》て|居《ゐ》るから、|調和《てうわ》の|取《と》れる|様《やう》に、|水《みづ》の|中《なか》へ|一遍《いつぺん》ドブ|漬《づけ》|茄子《なすび》とやつてやらうかい』
|勝公《かつこう》『マアマア|待《ま》つて|下《くだ》さい、|同《おな》じ|天《あめ》の|下《した》のおほみたからだ。|四海同胞《しかいどうはう》だ』
|男《をとこ》『ここは|魔海《まかい》|死海《しかい》と|言《い》うて、ここは|人《ひと》の|死《し》ぬ|海《うみ》だ。|此《この》|死海《しかい》へ|御註文《ごちゆうもん》|通《どほ》り|死海《しかい》ドボンとやつてやらう』
|勝公《かつこう》『オイ|八《やつ》、|鴨《かも》、|何故《なぜ》|愚図々々《ぐづぐづ》としてやがるのだ、|此奴《こいつ》の|足《あし》を|攫《さら》へぬかい。|此奴《こいつ》を|死海《しかい》ドボンだ』
|鴨公《かもこう》『|態《ざま》ア|見《み》やがれ、|強《つよ》い|方《はう》へ|附《つ》くのが|当世《たうせい》だ、|貴様《きさま》が|強《つよ》いと|思《おも》うて、|俺等《おれら》は|何時《いつ》も、|表向《おもてむき》はヘイヘイハイハイ|言《い》うて|居《ゐ》るものの、|後向《うしろむき》に|舌《した》を|出《だ》してゐるのも|知《し》りやがらずに、よい|気《き》になつて|村中《むらぢう》で|暴《あば》れ|廻《まは》した|其《その》|報《むく》いだ。|天道《てんだう》さまは|正直《しやうぢき》だ、|貴様《きさま》がドブンとやられたら、|北《きた》の|村《むら》は|餅《もち》|搗《つ》いて|祝《いは》ふぞい』
|勝公《かつこう》『|人《ひと》の|難儀《なんぎ》を|見《み》て、|見殺《みごろ》しにするのか』
|八公《やつこう》『|見殺《みごろ》しも|糞《くそ》もあつたものかい、………もしもし、|何処《どこ》の|何方《どなた》か|知《し》りませぬが、さう|何時《いつ》までも|提《さ》げては、お|手《て》が|倦《だる》いでせうから、|今《いま》の|死海《しかい》ドボンとやらをやつて|下《くだ》さい』
|勝公《かつこう》『コラ|貴様《きさま》までが|相槌《あひづち》|打《う》ちやがつて、|友達《ともだち》|甲斐《かひ》のない|奴《やつ》だ』
|男《をとこ》『アハヽヽヽ、|弱《よわ》い|奴《やつ》だ、そんなら|一寸《ちよつと》また|後《あと》の|慰《なぐさ》みに|見合《みあは》しておかうかい』
|勝公《かつこう》『あとは|後《あと》、|今《いま》は|今《いま》、|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》の|夜《よ》、|暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る』
|八公《やつこう》『|月《つき》は|月《つき》だが|運《うん》の【つき】だ、|俺《おれ》も|貴様《きさま》に|愛想《あいそ》が【つき】た』
|一人《ひとり》の|男《をとこ》は|勝公《かつこう》をソロリと|船《ふね》の|中《なか》に|下《おろ》してやつた。
|勝公《かつこう》『ヤ、|有難《ありがた》う|御座《ござ》いました、お|蔭《かげ》で|生命《いのち》が|助《たす》かりました』
|男《をとこ》『ヤア、|暫《しばら》くお|預《あづ》けだ』
|八公《やつこう》『まるで|狆《ちん》みたいに|言《い》はれてけつかる』
|男《をとこ》『ヤア、これはこれは|梅ケ香姫《うめがかひめ》|様《さま》、|不思議《ふしぎ》な|所《ところ》でお|目《め》にかかりました。|皆《みな》の|方《かた》はどうなさいました』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『ヤ、あなたは|時《とき》さまであつたか』
(大正一一・三・一 旧二・三 松村真澄録)
第九章 |虎猫《とらねこ》〔四七六〕
|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|乱暴者《らんばうもの》に|三方《さんぱう》より|攻《せ》めかけられ|稍《やや》|困《こま》りゐる、|其処《そこ》へ|時公《ときこう》が|現《あら》はれて|勝公《かつこう》を|懲《こら》して|呉《く》れたのでヤツト|胸《むね》を|撫《な》で|下《おろ》し、
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『ヤア|時《とき》さま、よい|処《ところ》へ|来《き》て|下《くだ》さつた、|五月蝿《うるさ》いお|方《かた》で|宣伝《せんでん》したつて|聞《き》く|耳《みみ》のない|蛸《たこ》の|様《やう》な|方《かた》ですからな』
|時公《ときこう》『あゝ|左様《さやう》で|御座《ござ》いませう。|北《きた》の|森《もり》の|人間《にんげん》はこの|界隈《かいわい》でも|一番《いちばん》|没分暁漢《わからずや》の|居《を》る|処《ところ》ですから』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『|貴方《あなた》、【クス】|野ケ原《のがはら》の|開墾《かいこん》は|何《ど》うなさつたの』
|時公《ときこう》『ヤア、|開墾《かいこん》も|開墾《かいこん》ですが、|御主人《ごしゆじん》が……|何《ど》うも|梅ケ香姫《うめがかひめ》|様《さま》のお|身《み》の|上《うへ》が|案《あん》じられてならない、|可愛《かあ》い|娘《むすめ》の|生命《いのち》を|助《たす》けて|下《くだ》さつた|方《かた》ですから、|村中《むらぢう》の|者《もの》を|喚《よ》んでそれに|開墾《かいこん》させる、お|前《まへ》は|跡《あと》を|慕《した》つて|目的《もくてき》を|達《たつ》せられるまでお|伴《とも》をせよ……と|仰有《おつしや》つたので、|渡《わた》りに|船《ふね》だ、|何時《いつ》までも|百姓《ひやくしやう》をして|居《ゐ》るより|貴方《あなた》のお|跡《あと》を|慕《した》つて、|知《し》らぬ|国《くに》を|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つてぶらつくのも、|時《とき》に|取《と》つての|楽《たのし》みと|喜《よろこ》び|勇《いさ》んでやつて|来《き》ました|処《ところ》が、|皆《みな》さまの|行衛《ゆくゑ》を|見失《みうしな》ひもう|此《この》|湖《うみ》を|渡《わた》つてあちらへお|出《い》でになつた|事《こと》と|思《おも》つて、|船《ふね》の|中《なか》に|乗込《のりこ》みグツスリと|寝入《ねい》つて|居《ゐ》ました。|処《ところ》が|何《なん》だかワイワイと|喧嘩《けんくわ》の|様《やう》な|声《こゑ》に|目《め》を|覚《さ》まし|見《み》れば|貴方《あなた》のお|歌《うた》、|嬉《うれ》しや|神様《かみさま》のお|引合《ひきあは》せと|思《おも》つて|居《ゐ》る|矢先《やさき》に、|勝公《かつこう》とやらが|暴《あば》れかけたものだから|一寸《ちよつと》|悪戯《いたづら》をして|見《み》ました』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『あゝ|左様《さやう》だつたのですか、これからこの|勝《かつ》さまを|何《ど》うなさるの』
|時公《ときこう》『まだ|腹案《ふくあん》がありませぬ、|何《ど》うなとする|積《つもり》です』
|勝公《かつこう》『モシモシ|時《とき》さま、|負《ま》けて|勝《か》つのが|勝《かつ》さまの|筆法《ひつぱふ》だ、|勝《か》つて|兜《かぶと》の|緒《を》を|締《し》めるといふ|事《こと》があるが、|貴方《あなた》も|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|強力《がうりき》と|見《み》えるが、|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|身《み》は|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し、|身《み》の|過《あやま》ちはのり|直《なほ》せといふ|宣伝歌《せんでんか》を|御承知《ごしようち》か』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『ホヽヽヽ、まあ|勝《かつ》さまの|頓智《とんち》の|好《よ》い|事《こと》』
|時公《ときこう》『エイ|仕様《しやう》がない、|反対《あべこべ》に|逆襲《ぎやくしふ》しやがつて【よう】|神様《かみさま》を|笠《かさ》に|被《き》る|奴《やつ》だ』
|勝公《かつこう》『それが|神様《かみさま》の|教《をしへ》です、|矢張《やつぱ》り|神様《かみさま》は|豪《えら》いものですなア。お|神酒《みき》あがらぬ|神《かみ》はないとやら、|酸《す》いも|甘《あま》いもよく|知《し》つて|居《を》られる、|貴方《あなた》は|宣伝使《せんでんし》だから|酒《さけ》は|飲《の》んだら|悪《わる》いか|知《し》らぬが、お|神酒《みき》はいくらあがつても|差支《さしつかへ》ありますまい』
|時公《ときこう》『オイオイ|勝《かつ》さま、|何《ど》うやらお|前《まへ》が|宣伝使《せんでんし》の|様《やう》だ、|丸《まる》きり|俺《おれ》がお|説教《せつけう》を|聞《き》いて|居《を》る|様《やう》だな』
|勝公《かつこう》『それはさうですとも、|三五教《あななひけう》は|天地《てんち》が|覆《かへ》ると|云《い》つたのぢやから、|天《てん》が|地《ち》となり|地《ち》が|天《てん》となり|天地顛倒《てんちてんたふ》だ。|貴方《あなた》は|人《ひと》の|苦《くる》しむのを|見《み》て|天《てん》として【カヘリ】|見《み》ぬといふ|調子《てうし》だが|地《ち》と|神《かみ》の|慈悲《じひ》といふ|事《こと》を|知《し》つて|居《ゐ》ますか』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『ホヽヽヽ、たうとう|勝《かつ》さんも|三五教《あななひけう》に|負《ま》けましたな。これから「|負《まけ》さま」と|名《な》を|改《あらた》めなさい』
|勝公《かつこう》『ハイ、|大神《おほかみ》の【まけ】のまにまに』
|時公《ときこう》『|洒落《しやれ》ない、この|寒《さむ》いのに|洒落《しやれ》どころか』
|勝公《かつこう》『|洒落《しやれ》どころか、|酒《さけ》|所《どころ》だ。マア|一寸《ちよつと》|酒《さけ》が|悪《わる》けりやお|神酒《みき》でもあがつてから、その|六《むづ》かしい|顔《かほ》を|直《なほ》して|梅ケ香《うめがか》さまのお|酌《しやく》を|願《ねが》つて|一杯《いつぱい》やつたら|如何《どう》だ。さうすればお|前《まへ》さまの|七六《しちむつ》かしい|顔《かほ》も|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》だ。オイ|八《やつ》、|鴨《かも》、|何《なに》をクスクス|笑《わら》ひやがる、|此処《ここ》は【クス】|野ケ原《のがはら》とは|違《ちが》ふぞ』
|八公《やつこう》『オイ|勝公《かつこう》、|上《うへ》には|上《うへ》があるものだな。|貴様《きさま》が|強《つよ》い|奴《やつ》だと|思《おも》つたが|今日《けふ》の|態《ざま》は|何《なん》だ』
|勝公《かつこう》『なに|俺《おれ》は|強《つよ》いのだ、|向方《むかふ》はも|一《ひつ》ツ|強《つよ》いだけの|事《こと》だ』
|鴨公《かもこう》『|強《つよ》い|事《こと》は|強《つよ》いが|負惜《まけをし》みばかり|強《つよ》い|男《をとこ》だから|可笑《をか》しいワイ』
|時公《ときこう》『オイ|勝公《かつこう》どつこい|勝《かつ》さま、お|前《まへ》さまは|今《いま》までウラル|教《けう》の|手先《てさき》をやつてゐたと|云《い》ふ|事《こと》だが|船《ふね》の|中《なか》では|猫《ねこ》を|被《かぶ》つて|居《ゐ》て|上陸《じやうりく》したが|最後《さいご》、また|目《め》を|剥《む》き|爪《つめ》を|立《た》てて|虎猫《とらねこ》の|真似《まね》をするのぢやないか』
|勝公《かつこう》『【トラ】、|猫《ねこ》から|分《わか》りませんな。|併《しか》しながら|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》、|神《かみ》の|宮《みや》だ、|勝《かつ》さまの|身魂《みたま》の|中《なか》へ|木花咲耶姫《このはなさくやひめ》さまがお|鎮《しづ》まりになつて|仰有《おつしや》るのだ。|勝《かつ》さまは|矢張《やつぱ》り|勝《かつ》さま、|懸《うつ》つた|神《かみ》さまは|神《かみ》さまだ。|私《わたくし》の|肉体《にくたい》を|拝《をが》むと|思《おも》うたら|当《あて》が|違《ちが》ふが、|神《かみ》さまを|拝《をが》むと|思《おも》つてサアサア|梅ケ香《うめがか》さま、|時《とき》さま、|拝《をが》んだ|拝《をが》んだ。|有難《ありがた》いぞ、|勿体《もつたい》ないぞ、|何《なん》でもよう|聞《き》かはるぞ、お|神酒《みき》を|供《そな》へぬか』
|時公《ときこう》『|馬鹿《ばか》にするない、|此《この》|花《はな》も|彼《あ》の|花《はな》もあつたものかい。|獅子舞《ししまひ》の|様《やう》な【はな】をしやがつて【ハナ】ハナもつて|不都合《ふつがふ》|千万《せんばん》だ』
|勝公《かつこう》『|余《あま》り|寒《さむ》いので|冷酒《ひやざけ》も|気《き》が|利《き》かぬから|一寸《ちよつと》|火《ひ》を|入《い》れて|神懸《かむがか》りになつたのだ』
|一同《いちどう》『アハヽヽヽヽ』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『オホヽヽヽ』
|勝公《かつこう》『アヽヽヽヽとか、ホヽヽヽヽとか|余《あま》り【アホアホ】と|云《い》つて|呉《く》れない。|皆《みな》|寄《よ》つて|集《たか》つてアホアホ|云《い》ふ|声《こゑ》がゴツチヤになつて|仕舞《しま》つて|面白《おもしろ》くもない。|此《この》|間《あひだ》も|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|北光《きたてる》の|神《かみ》とかが|北《きた》の|森《もり》で|小六《こむつ》かしい|説教《せつけう》をして|居《ゐ》た|其《その》|時《とき》に、|世《よ》の|終《をは》りが|来《き》て、|世間《せけん》の|人間《にんげん》が|今《いま》|叶《かな》はぬと|云《い》ふ|最後《さいご》の|五分間《ごふんかん》になると、|色々《いろいろ》の|宗教《しうけう》を|信仰《しんかう》して|居《ゐ》る|者《もの》も|信仰《しんかう》せぬ|奴《やつ》も|叶《かな》はぬ|時《とき》の|神頼《かみだの》みと|云《い》つて、|夫々《それぞれ》の|宗教《しうけう》を|拝《をが》む|声《こゑ》が|一《ひと》ツになつて、|南無《なむ》アーメン|法蓮《ほふれん》|陀仏《だぶつ》、とほかみゑみため、|助《たす》け|給《たま》へ、かんながら|妙々《めうめう》と|聞《きこ》えるので|神《かみ》さまも|何《ど》れが|何《ど》うだか|聞《き》くのに|困《こま》るから、|世間《せけん》の|奴《やつ》が|助《たす》かりたい|助《たす》かりたいと|一《ひと》ツになつて、「かむながらたまちはへませ」と|云《い》ふ|声《こゑ》の|聞《きこ》える|奴《やつ》だけ|助《たす》けてやると|云《い》うて|居《ゐ》た、それと|同《おな》じ|伝《でん》だ。|一時《いちじ》に|声《こゑ》を|揃《そろ》へてアホアホと|俺《おれ》を|云《い》うたところで、|足並《あしなみ》がドツコイ|舌並《したなみ》が|揃《そろ》はぬものだから、|間《ま》の|抜《ぬ》けた|顔《かほ》をして|笑《わら》ふのだろ。ホントにあほらしい』
|八公《やつこう》『オイオイ|勝公《かつこう》、そない|怒《おこ》るな。あの|海上《かいじやう》を|見《み》い、|貴様《きさま》の|友達《ともだち》の【アホ】|鳥《どり》が|羽《はね》を|拡《ひろ》げて|空中《くうちう》を|自由自在《じいうじざい》に|翔廻《かけまは》つて|居《ゐ》るぢやないか。あいつはアホ|鳥《どり》と|云《い》ふけれど|字《じ》で|書《か》くと|信天翁《しんてんをう》だ』
|勝公《かつこう》『ヤアよく【のり】|直《なほ》して|呉《く》れた、|天教山《てんけうざん》の|神《かみ》の|教《をしへ》を|信《しん》ずる|翁《をう》だ、|白《しろ》い|髭《ひげ》は|生《は》えて|居《を》らぬけれど、やがて【オキナ】|手柄《てがら》をして|帰《かへ》つて|来《く》る|瑞祥《ずゐしやう》だ。オイ|八公《やつこう》、|鴨公《かもこう》、|貴様《きさま》も|信天翁《しんてんをう》になつて|今《いま》までのウラル|教《けう》を|掌《てのひら》を|覆《かへ》した|様《やう》に|打遣《うちや》つて、|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》となつて、いよいよコーカス|山《ざん》に|悪魔《あくま》|退治《たいぢ》と|出掛《でか》けたら|如何《どう》だ』
|八公《やつこう》『|貴様《きさま》が|改心《かいしん》する|程《ほど》だから|屹度《きつと》|良《よ》い|教《をしへ》だらう。|貴様《きさま》から|宣伝使《せんでんし》さまに|願《ねが》つて|呉《く》れないか』
|勝公《かつこう》『|願《ねが》ふも|頼《たの》むもあつたものか。|宣伝使《せんでんし》|様《さま》は|神《かみ》のお|使《つかひ》だから、|直接《ちよくせつ》に|貴様《きさま》が|神《かみ》さまに|願《ねが》つたら|可《い》いのだよ、ナア|梅ケ香姫《うめがかひめ》|様《さま》、|勝公《かつこう》の|申《まを》す|事《こと》は|間違《まちが》つて|居《ゐ》ますか』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『それでよろしい、マアマアようそんな|気《き》になつて|下《くだ》さいました。|神様《かみさま》は|有難《ありがた》いお|方《かた》です』
|時公《ときこう》『|三五教《あななひけう》、|万歳《ばんざい》…………』
かく|話《はな》す|折《をり》しも、|船《ふね》は|西岸《せいがん》の【タカオ】の|港《みなと》に|安着《あんちやく》したりけり。
(大正一一・三・一 旧二・三 池沢原次郎録)
第一〇章 |立聞《たちぎき》〔四七七〕
|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|時公《ときこう》に|送《おく》られて、|寒風《かんぷう》|荒《すさ》ぶ|荒野ケ原《あれのがはら》を|勇《いさ》んで|進《すす》み|行《ゆ》く。|勝公《かつこう》|以下《いか》|四五《しご》の|連中《れんちう》もゴロゴロと|後《あと》を|追《お》うて|来《く》る。|傍《かたはら》の|猪小屋《ししごや》を|見《み》つけ|一同《いちどう》は|此処《ここ》に|休息《きうそく》する|事《こと》とはなりぬ。
|勝公《かつこう》『|酒《さけ》の|気《け》もなくて|何《なん》となくさむしくなつて|来《き》た。|見渡《みわた》す|限《かぎ》り|青《あを》い|物《もの》と|云《い》つたら|一《ひと》つもなし、|天《てん》も|地《ち》も|綿《わた》を|敷《し》きつめた|様《やう》な|真白《まつしろ》な|世《よ》の|中《なか》だ、|斯《か》うして|見《み》ると|天地《てんち》の|間《あひだ》に|黒《くろ》い|物《もの》と|云《い》つたら、|八公《やつこう》と|鴨公《かもこう》の|顔《かほ》だけ|位《ぐらゐ》のものだ』
|八公《やつこう》『お|前《まへ》の|顔《かほ》は|白《しろ》いからなア』
|勝公《かつこう》『|定《きま》つた|事《こと》だい、まだ|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》は|素人《しろうと》だもの|白《しろ》いのは|当然《あたりまへ》だ』
|鴨公《かもこう》『|知《し》らぬ|者《もの》の|半分《はんぶん》も|知《し》らずに|俄《にはか》に|白《しら》を|切《き》りやがつて、|白々《しらじら》しい|白鷺《しらさぎ》が|孔雀《くじやく》の|真似《まね》したつて|遽《にはか》に|玉《たま》は|出来《でき》はせぬぞ』
|勝公《かつこう》『ヤア|其《その》|孔雀《くじやく》で|思《おも》ひ|出《だ》したが、これから|少《すこ》し|向《むか》ふに|行《ゆ》くと、|黒野ケ原《くろのがはら》といふ|処《ところ》がある。|今《いま》は|雪《ゆき》で|何《なに》も|彼《か》も|白野ケ原《しろのがはら》ぢやが、|其処《そこ》には|孔雀姫《くじやくひめ》といふド|偉《えら》い|化物《ばけもの》が|居《を》つて、|其処《そこ》を|通《とほ》ると|誰《たれ》も|彼《かれ》も|皆《みな》|吸《す》ひ|込《こ》まれて|了《しま》ふと|云《い》ふ|評判《ひやうばん》だ。ウラル|教《けう》の|奴《やつ》でも|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》でも|孔雀姫《くじやくひめ》に|一寸《ちよつと》|睨《にら》まれたが|最後《さいご》、|皆《みんな》|誑《ばか》されて|一人《ひとり》も|帰《かへ》つて|来《く》る|者《もの》がないと|云《い》ふ|事《こと》だ』
|時公《ときこう》『ヤアそれは|本当《ほんたう》か、|孔雀姫《くじやくひめ》といふからには、|随分《ずゐぶん》|綺麗《きれい》な|女《をんな》だらう。|一体《いつたい》|何《なに》を|食《くら》ふのだ』
|勝公《かつこう》『それや|定《きま》つた|事《こと》よ。|人間《にんげん》を|喰《くら》ふのだ。|俺《おれ》の|様《やう》な|黒《くろ》い|人間《にんげん》でも|孔雀姫《くじやくひめ》にかかつたら|皆《みんな》|喰《く》はれると|云《い》ふ|事《こと》だ』
|時公《ときこう》『そいつは|面白《おもしろ》い、|綺麗《きれい》な|顔《かほ》をしやがつて|人間《にんげん》を|喰《く》ふなぞと|鬼娘《おにむすめ》かも|知《し》れないよ。「|其《その》|声《こゑ》で|蜥蜴《とかげ》|食《く》ふかや|時鳥《ほととぎす》」だ。|世《よ》の|中《なか》が|斯《こ》う|物騒《ぶつそう》になつて|来《く》ると、|彼方《あつち》にも|此方《こつち》にも|金毛九尾《きんまうきうび》の|狐《きつね》や|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》がはばりやがつて、|何処《どこ》にも|此処《ここ》にもさういう|鬼《おに》が|現《あら》はれて|来《く》るもんだ。|俺《おれ》の|様《やう》に、|人《ひと》でも|取《と》つて|喰《く》ひさうな|怖《こは》い|顔《かほ》した|奴《やつ》には|本当《ほんたう》の|悪《あく》はないもんだ。|美《うつく》しい|顔《かほ》した|奴《やつ》に|人殺《ひとごろ》しをしたり|人《ひと》を|欺《あざむ》いたりする|奴《やつ》が|却《かへつ》て|多《おほ》い、|約《つま》り|悪魔《あくま》は|善《ぜん》の|仮面《かめん》をかぶつて|世《よ》の|中《なか》を|乱《みだ》すものだからな』
|勝公《かつこう》『|時《とき》さま、|一《ひと》ツ|肝玉《きもたま》をおつ|放《ぽり》|出《だ》して、|孔雀姫《くじやくひめ》の|正体《しやうたい》を|調《しら》べて|見《み》やうか。|何《なに》が|化《ば》けて|居《を》るのか|知《し》れやせぬぜ』
|時公《ときこう》『お|前《まへ》は|雪隠《せんち》の|端《はた》の|猿《さる》|食《く》はずと|云《い》ふ|柿《かき》の|様《やう》な|男《をとこ》だから、|滅多《めつた》に|孔雀姫《くじやくひめ》だつて|味《あぢ》が|悪《わる》いから|食《く》ふ|気遣《きづか》ひはないわ。|猿《さる》|食《く》はずといふ|柿《かき》は|渋《しぶ》くて|汚《きたな》くて|細《こま》かくて|食《く》へぬ|奴《やつ》だからな』
|勝公《かつこう》『コレコレ|時《とき》さま、|宣《の》り|直《なほ》しなさい』
|時公《ときこう》『また|琵琶《びは》の|湖《うみ》へ|行《い》つて、|綺麗《きれい》な|船《ふね》に|乗《の》り|直《なほ》さうかい、|俺《おれ》の|様《やう》な|味《あぢ》のある|男《をとこ》は、|一寸《ちよつと》|険難《けんのん》だ。ナア|梅ケ香姫《うめがかひめ》さま、あなたクス|野ケ原《のがはら》で|高彦《たかひこ》さまを|食《く》つて|下《くだ》さいと|云《い》つたら、イヤイヤ|時《とき》さんの|方《はう》が|男《をとこ》らしくて|色《いろ》がコツクリ|黒《くろ》くて|肉《にく》がボテボテして|甘《うま》さうだから、|時《とき》さんを|食《た》べさして|頂戴《ちやうだい》なんて|仰有《おつしや》つた、|本当《ほんたう》に|梅ケ香《うめがか》さんに|食《く》つて|欲《ほ》しいわ』
|勝公《かつこう》『こんな|所《ところ》で|惚《のろ》けない。|余《あま》り|惚《のろ》けるとソレ|又《また》|大蛇《をろち》の|先生《せんせい》がノコノコとやつて|来《く》るぞ』
|時公《ときこう》『|大蛇姫《をろちひめ》でも|明志丸《あかしまる》でも|何《なん》でも|構《かま》はん、ノロリノロリと|考《かんが》へてゐる|抜《ぬ》け|目《め》のない|兄《あに》さまだ。|貴様《きさま》の|様《やう》な|野呂間《のろま》とは、ちつとは|違《ちが》ふぞ』
|勝公《かつこう》『|野呂間《のろま》とは|何《なん》だ、|宣《の》り|直《なほ》せ。|人《ひと》をノロはば|穴《あな》|二《ふた》つだ』
|時公《ときこう》『|二《ふた》つも|一《ひと》つも|穴《あな》があつて|堪《たま》らうか、あな|有難《ありがた》き|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だ』
|一同《いちどう》『アハヽヽヽヽ』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『|皆《みな》さまは|気楽《きらく》な|方《かた》ですねえ。|貴方方《あなたがた》と|一緒《いつしよ》に|歩《ある》いて|居《ゐ》ると、マルデ|天国《てんごく》の|旅行《りよかう》|見《み》たいだわ』
|鴨公《かもこう》『さうでせう。|私《わたくし》の|様《やう》な|抜《ぬ》け|目《め》のない、|程《ほど》の|宜《よ》い、|痒《かゆ》い|処《ところ》に|手《て》の|届《とど》く|男《をとこ》が|加《くは》はつて|居《ゐ》るのですから|満雪途上《まんせつとじやう》|黒一点《こくいつてん》だからねえ』
|時公《ときこう》『アハヽヽヽ|笑《わら》はしやがる。|万緑叢中《まんりよくそうちゆう》|紅一点《こういつてん》の|梅ケ香《うめがか》|様《さま》がござると|思《おも》つて、|此奴《こいつ》|顔《かほ》の|皺《しわ》を|伸《の》ばしやがつて、はしやいで|居《を》るな』
|勝公《かつこう》『そんな|雑談《ざつだん》は|一切《ひとき》りにして|行《ゆ》かうかい。これから|梅ケ香《うめがか》さまに|幾層倍《いくそうばい》とも|知《し》れぬ|美《うつく》しい|孔雀姫《くじやくひめ》のお|顔《かほ》|拝見《はいけん》だ。こんなくだらぬ|話《はなし》をしやべつて|居《を》ると、|又《また》ノロノロがやつて|来《く》るぞ。|此《この》|世《よ》でさへも|限換《きりかへ》るとか、|立替《たてかへ》とかがあるさうだのに|限《き》りのない|話《はなし》を|止《や》めて|愈《いよいよ》|膝栗毛《ひざくりげ》の|立替《たてかへ》|立直《たてなほ》しだ。サア|進《すす》め|進《すす》め。|何処《どこ》も|彼処《かしこ》も|大雪《おほゆき》で、ゆきつまりだ、|詰《つま》りて|詰《つま》らんのは|俺《おれ》の|所《ところ》|計《ばか》りではない。|節季《せつき》になると|俺《おれ》の|処《ところ》の|様《やう》なつまらぬ|家《いへ》に|詰《つま》つてるのは、|掛取《かけと》り|計《ばか》りだ。サアサア、|駈《か》け|足《あし》|駆《か》け|足《あし》。|節季《せつき》になつても|払《はら》ふものがないから|雪《ゆき》でも|払《はら》つて|行《ゆ》かうかい』
|勝公《かつこう》は|先《さき》に|立《た》つて|道《みち》あけをする。|梅ケ香姫《うめがかひめ》の|一行《いつかう》は|雪道《ゆきみち》を|踏《ふ》みしめながら、|転《こ》けつ|輾《まろ》びつ|孔雀姫《くじやくひめ》の|隠家《かくれが》の|前《まへ》に|近寄《ちかよ》つた。
|時公《ときこう》『オイ|勝公《かつこう》、サアサアこれからが|戦場《せんぢやう》だ。|貴様《きさま》|先陣《せんぢん》を|承《うけたま》はつて|先《ま》ず|第一《だいいち》に|孔雀姫《くじやくひめ》に|食《く》はれるのだ』
|勝公《かつこう》『ヤア|俺《おれ》は|雪隠《せつちん》の|端《はた》の|猿《さる》|食《く》はず、|俺《おれ》の|様《やう》な|者《もの》が|行《い》つたつて|孔雀姫《くじやくひめ》は|肘鉄砲《ひぢてつぱう》だ。|太鼓《たいこ》の|様《やう》な|印《しるし》を|捺《お》した|様《やう》なものだ。それよりも|時《とき》さま、|梅ケ香《うめがか》さまなら|食《く》つて|欲《ほ》しいと|云《い》つたでないか。|孔雀姫《くじやくひめ》に|食《く》はれるのも|光栄《くわうえい》だぜ』
|時公《ときこう》『|何《なに》が|光栄《くわうえい》だ。|貴様《きさま》の|方《はう》が|良《よ》く|肥《こ》えてるわ、|斯《こ》ういふ|時《とき》には|製糞器《せいふんき》が|調法《てうはふ》だ。|此《この》|頃《ごろ》は|雪《ゆき》が|降《ふ》るので|人通《ひとどほ》りが|尠《すくな》いから|孔雀姫《くじやくひめ》も|飢《かつ》ゑて【かつ】かつとして|待《ま》つて|居《ゐ》る、|誂《あつら》へ|向《むき》だ。|其処《そこ》へ|勝公《かつこう》がやつて|行《ゆ》けば、カツしては|盗泉《たうせん》の|水《みづ》を|飲《の》むのだ。イヤ|茲《ここ》で|一《ひと》つ|梅ケ香《うめがか》さまは|除外例《ぢよがいれい》として|四人《よにん》が|其《その》|犠牲者《ぎせいしや》の|選挙《せんきよ》をやらうかい。|当選《たうせん》した|奴《やつ》が|犠牲《ぎせい》になるのだ』
|鴨公《かもこう》『|一騎当千《いつきたうせん》の|勝《かつ》さんに、|行《い》つて|貰《もら》はう。|人《ひと》の|選挙《せんきよ》を|頭痛《づつう》に|病《や》んでも|仕方《しかた》がないからなあ』
かく|無駄口《むだぐち》を|言《い》ひながら、|孔雀姫《くじやくひめ》の|館《やかた》の|前《まへ》にピタリと|行《ゆ》き|着《つ》いた。|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|手真似《てまね》で|一同《いちどう》を|制《せい》し、|門《もん》の|戸《と》に|耳《みみ》を|当《あ》てて|中《なか》より|洩《も》れ|来《きた》る|微《かすか》な|声《こゑ》を|聞《き》き|不審《ふしん》さうに|首《くび》を|傾《かたむ》けて|居《ゐ》る。
|勝公《かつこう》『モシモシ|宣伝使《せんでんし》さま、|何《なに》を|思案《しあん》して|御座《ござ》る。|何《なん》ぞ|人《ひと》の|骨《ほね》でも|囓《かじ》る|音《おと》がいたしますかな』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『サア|一寸《ちよつと》|合点《がつてん》がゆきませぬ、|聞《き》いた|事《こと》のある|様《やう》な|声《こゑ》でウラル|教《けう》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて|居《を》る|様《やう》です』
|勝公《かつこう》『ヤア|夫《そ》れは|妙《めう》だ。|矢張《やつぱ》りウラル|彦《ひこ》の|手下《てした》の|曲神《まがかみ》だな、ドレドレ|勝《かつ》さまが|聞《き》いて|見《み》ませう。|梅ケ香《うめがか》さま|一寸《ちよつと》|退《の》いて|下《くだ》さい』
と|云《い》いながら|門《もん》の|節穴《ふしあな》に|耳《みみ》を|当《あ》てて、
|勝公《かつこう》『アヽ|聞《きこ》えた|聞《きこ》えた、オイ、|八公《やつこう》、|鴨公《かもこう》、|偉《えら》い|事《こと》を|云《い》つて|居《を》るぞ。|曲神《まがかみ》といふ|奴《やつ》はエライものだ。|何《なん》でも|彼《か》でも【ちやん】と|知《し》つて|居《ゐ》やがる』
|鴨公《かもこう》『どんなことを|云《い》つて|居《を》るのだ。|一寸《ちよつと》|聞《き》かして|呉《く》れ』
|勝公《かつこう》『|聞《き》かすも|聞《き》かさぬもあつたものかい。|孔雀姫《くじやくひめ》の|奴《やつ》が|尖《とが》つた|嘴《くちばし》をしやがつて、|羽《はね》をパアと|拡《ひろ》げて、カカカモヽヽ、カモコカモコ、イヤイヤ ヤツヤツ|八公《やつこう》カモカ、|八《や》ツ|下《さが》つて|腰《こし》が|空《から》だ。カモト|八《やつ》とを|一緒《いつしよ》に|食《く》はうかククヽヽヽなんて、ほざいて|居《ゐ》やがるのだ。タツタ|今《いま》|門《もん》がギーと|開《あ》いたが|最後《さいご》、|貴様《きさま》|二人《ふたり》は|苦寂滅為楽《くじやくめつゐらく》、|頓生菩提《とんしやうぼだい》|気《き》の|毒《どく》なりける|次第《しだい》なり』
|鴨《かも》、|八《はち》『アンアンアンアン、オンオンオンオン』
|勝公《かつこう》『|男《をとこ》らしくない、|何《なに》を|吠《ほえ》るのだ。|見《み》つともないぞ』
|鴨公《かもこう》『|天《てん》にも|地《ち》にもたつた|一《ひと》つの|御命《おいのち》、|定《さだ》めなき|世《よ》と|云《い》ひながら|今《いま》|此処《ここ》で|命《いのち》を|取《と》られると|思《おも》へば|之《これ》が|泣《な》かずに|居《を》られようか、|泣《な》いて|明志《あかし》の|捨小舟《すてをぶね》|取《と》りつく|島《しま》がないワイヤイ。アンアンアンアンアン』
|八公《やつこう》『オーンオーンオーンオーンオーン』
|勝公《かつこう》『アハヽヽヽヽ|嘘《うそ》だ|嘘《うそ》だ、|鰹節《かつをぶし》が|食《く》ひたいと|云《い》つて|居《ゐ》るのだ。|鰹節《かつをぶし》は、|即《すなは》ち|所謂《いはゆる》、|取《と》りもなほさず、ヘン|此《この》|勝《かつ》さんだ。|淡雪《あはゆき》の|様《やう》な|肌《はだ》でお|月様《つきさま》の|様《やう》な|眉《まゆ》で|緑《みどり》の|滴《したた》る|様《やう》な|目《め》でオチヨボ|口《ぐち》で|此《この》|勝《かつ》さまを|食《く》ひたいと|仰有《おつしや》るんだい、イヤもう|時節《じせつ》は|待《ま》たねばならぬものだ。|烏《からす》の|嫁《よめ》に|孔雀姫《くじやくひめ》だ、アハヽヽヽ』
|鴨公《かもこう》『|勝公《かつこう》の|奴《やつ》、|人《ひと》の|胆玉《きもたま》をデングリ|廻《まは》しやがつた。よう|悪戯《いたづら》をする|奴《やつ》だ』
|勝公《かつこう》『|俺《おれ》の|言霊《ことたま》は|偉《えら》いものだらう、|悉《ことごと》く|玉《たま》の|宿換《やどが》へをさす|天下《てんか》|無比《むひ》の|言霊《ことたま》だよ』
|時公《ときこう》『ドレ|俺《おれ》が|一《ひと》ツ|聞《き》いてやらう』
と|又《また》もや|門口《かどぐち》の|節穴《ふしあな》に|耳《みみ》を|当《あ》てた。
|時公《ときこう》『ヤアこいつは|素的《すてき》だ。|鶯《うぐひす》の|様《やう》な【ハンナリ】とした|涼《すず》しさうな、|乱《みだ》れ|髪《がみ》ではないが、|云《い》ふに|云《い》はれぬ、とくに|解《と》かれぬ|門内《もんない》の|光景《くわうけい》、|成《な》る|程《ほど》これでは|此《この》|門前《もんぜん》を|通《とほ》つた|奴《やつ》は、|知《し》らず|識《し》らずに|酔《よ》はされて|吸《す》ひ|付《つ》けられるのは|当然《あたりまへ》だ』
(大正一一・三・一 旧二・三 藤津久子録)
第一一章 |表教《おもてけう》〔四七八〕
|門《もん》の|戸《と》、|細目《ほそめ》に|開《ひら》いて|一寸《ちよつと》|覗《のぞ》いた|美人《びじん》は、|満面《まんめん》|笑《ゑみ》を|湛《たた》へ|白《しろ》き|優《やさ》しき|手《て》を|伸《の》べて、|一同《いちどう》に|向《むか》ひ|手招《てまね》きをし|乍《なが》ら|早《はや》くも|門内《もんない》に|姿《すがた》を|隠《かく》したりける。
|時公《ときこう》『ヤア|孔雀姫《くじやくひめ》とか|聞《き》くからには、|別嬪《べつぴん》だらうとは|思《おも》つて|居《ゐ》たが、|思《おも》つたよりも|幾層倍《いくそうばい》の|別嬪《べつぴん》だ。|一瞥《いちべつ》|克《よ》く|天地《てんち》を|覆《くつが》へすと|言《い》ふ|絶世《ぜつせい》の|美人《びじん》だ。|大抵《たいてい》の|者《もの》はあの|目《め》で|一寸《ちよつと》|視《み》られたが|最後《さいご》、|腰《こし》も|何《なに》も【フニヤ】フニヤになつて|仕舞《しま》ふだらう。|俺《おれ》も|如何《どう》やら|腰《こし》の|具合《ぐあひ》が|変《へん》になつて|来《き》たぞ』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|何《なに》か|確信《かくしん》あるものの|如《ごと》く|泰然《たいぜん》としてニコニコと|笑《わら》ふ。
|勝公《かつこう》『ヤア|梅ケ香姫《うめがかひめ》の|宣伝使《せんでんし》も|綺麗《きれい》と|思《おも》つたが、|貴方《あなた》のニコニコより|弥《いや》|勝《まさ》るニコニコだ。|一寸《ちよつと》こちらを|向《む》いてニタニタと|笑《わら》つた|時《とき》は、こちらもシタシタと|思《おも》つたよ。|舌々《したした》|八《やつ》タ|舌々《したした》|八《やつ》タだ』
|鴨公《かもこう》『コレ|時《とき》さま、お|前《まへ》も|腰《こし》が|変《へん》になつたか、|俺《わし》も|変《へん》だ』
|時公《ときこう》『|貴様《きさま》の|腰《こし》は|抜《ぬ》けたのだ、|生憎《あひにく》|鯡《にしん》も|無《な》し、|困《こま》つた|事《こと》だ』
|八公《やつこう》『|丸《まる》で|人《ひと》を|猫《ねこ》みた|様《やう》に|云《い》ひやがる、|二進《につち》も|三進《さつち》も、|斯《こ》う|腰《こし》が|抜《ぬ》けては|動《うご》けたものぢやない』
|時公《ときこう》『|俺《おれ》たちは|悠然《ゆつくり》と|孔雀姫《くじやくひめ》に|御対面《ごたいめん》|遊《あそ》ばして|結構《けつこう》な|御待遇《おもてなし》に|会《あ》うて|来《く》るから、まあ|悠然《ゆつくり》|腰《こし》でも|下《おろ》し、ドツコイ|抜《ぬ》かして|其処《そこら》|中《ぢう》の|雪《ゆき》を|孔雀姫《くじやくひめ》の|白《しろ》き|顔《かほ》と|思《おも》つて|見《み》てゐるが|良《よ》いワイ。サアサ、|梅ケ香姫《うめがかひめ》さま、お|這入《はい》りなさいませ、お|見掛《みかけ》|通《どほ》りの|茅屋《あばらや》で|御座《ござ》いまするが、これが|妾《わらは》の|住家《すみか》、お|心《こころ》おき|無《な》う、ゆるゆる|御逗留《ごとうりう》なして|下《くだ》さいませ』
|勝公《かつこう》『オイ|時《とき》さま、|何《なに》を|言《い》ふのだ、|見《み》つともない、|腰《こし》をペコペコさして|大《おほ》きな|口《くち》を【オチヨボ】|口《ぐち》にしたつて|振《ふる》ひ|付《つ》きはせぬぞ』
|時公《ときこう》『マア|八釜《やかま》しう|言《い》ふない。|孔雀姫《くじやくひめ》さまの|代《かは》りを|勤《つと》めてるのだ』
|此《この》|時《とき》、|館《やかた》の|中《なか》より、
|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ  |闇《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る
と|言《い》ふ|女《をんな》の|清《すず》しい|声《こゑ》が|響《ひび》いて|来《き》た。
|勝公《かつこう》『ヤア、|此奴《こいつ》は|豪気《がうき》だ、|矢張《やつぱ》りウラル|教《けう》だ、|斯《か》うなつて|来《く》ると|三五教《あななひけう》も|余《あんま》り|幅《はば》が|利《き》かぬ。オイオイ|八公《やつこう》、|鴨公《かもこう》、|安心《あんしん》せい、|此処《ここ》はウラル|教《けう》だぞ、|貴様《きさま》たちの|幅《はば》が|利《き》く|処《ところ》だ。ハイ|梅ケ香《うめがか》さま、お|生憎《あひにく》|様《さま》、|三五教《あななひけう》でなくて、|怨《うら》めしいウラル|教《けう》、ヘン、|済《す》みませぬな、|貴方《あなた》は|門《もん》の|外《そと》に|立《た》つて|居《ゐ》なさい。サアサ、|八《やつ》、|鴨《かも》、|心配《しんぱい》いらぬ、|出《で》て|来《こ》い|出《で》て|来《こ》い』
|八《やつ》、|鴨《かも》は|此《この》|声《こゑ》に|力《ちから》を|得《え》て|抜《ぬ》かした|腰《こし》を|立《た》て|直《なほ》し、
|八《やつ》、|鴨《かも》『|何《なに》、ウラル|教《けう》か、そいつは|面白《おもしろ》い』
と|肩臂《かたひぢ》を|怒《いか》らして|門内《もんない》に|進《すす》み|入《い》る。
|時公《ときこう》『アハヽヽヽヽ|現金《げんきん》な|奴《やつ》だ。これだから|貴様《きさま》の|改心《かいしん》も|当《あた》にならぬと|言《い》ふのだ』
|勝公《かつこう》『|叶《かな》はん|時《とき》の|神頼《かみだの》みだ』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら|勢《いきほひ》よく|表戸《おもてど》を|開《あ》けて、
|勝公《かつこう》『ヘイ、|御免《ごめん》なせい、|私《わたくし》は|北野《きたの》の|村《むら》の|勝公《かつこう》と|言《い》ふウラル|教《けう》の|目付役《めつけやく》でげす。|今《いま》|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》を|生捕《いけど》つて|来《き》ました、ちよつくら|一寸《ちよつと》、|手剛《てごは》い|奴《やつ》だから|応援《おうゑん》をお|頼《たの》みします。|折角《せつかく》の|玉《たま》を|取《と》り|外《はづ》したら、お【たまり】|零《こぼ》しがありませぬから』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『ホヽヽヽヽ|勝《かつ》さま、|心配《しんぱい》して|下《くだ》さるな。|逃《に》げも|隠《かく》れも|致《いた》しませぬ。|妾《わたし》の|言霊《ことたま》で|美事《みごと》|帰順《きじゆん》させて|見《み》せませう』
|勝公《かつこう》『ヘン、|仰有《おつしや》るワイ』
と|言《い》ひ|乍《なが》らドシドシと|我《わが》|家《いへ》へ|帰《かへ》つた|様《やう》な|心持《こころもち》で|奥《おく》に|進《すす》み|行《ゆ》く。
|一同《いちどう》は|勝公《かつこう》の|後《あと》に|跟《つ》いて|行《ゆ》く。|余《あま》り|広《ひろ》き|家《いへ》ではないが、|小《こ》【ザツパリ】とした|座敷《ざしき》がある。|其処《そこ》に|当《たう》の|主人公《しゆじんこう》たる|孔雀姫《くじやくひめ》は|一絃琴《いちげんきん》を|前《まへ》に|置《お》いて|坐《すわ》つて|居《ゐ》る。|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|一目《ひとめ》|見《み》るなり、
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『ヤア、|貴方《あなた》は、ま………』
と|言《い》ひかけて|俄《にはか》に|口《くち》を|袖《そで》に|包《つつ》んだ。
|勝公《かつこう》『これこれ、|梅ケ香《うめがか》さま、ウラル|教《けう》の|孔雀姫《くじやくひめ》さまに「|貴女《あなた》はまア」だとは|何《なん》と|言《い》ふ|失礼《しつれい》な|事《こと》を|仰《おつ》しやる。|魔《ま》でも|何《なん》でもない、|結構《けつこう》な|神《かみ》さまだ』
|時公《ときこう》『ヤア、|一寸《ちよつと》|孔雀姫《くじやくひめ》さまとやらにお|尋《たづ》ねしますが、|路傍《ろばう》|伝《つた》ふる|所《ところ》に|依《よ》れば、|貴女《あなた》は|此処《ここ》を|往来《わうらい》する|人間《にんげん》を|誰《たれ》も|彼《かれ》も|皆《みな》、|喰《く》つて|仕舞《しま》うと|言《い》ふ|事《こと》だが|真実《ほんたう》に|喰《く》ふのですか』
|孔雀姫《くじやくひめ》『ハイ|妾《わらは》は|往来《ゆきき》の|人《ひと》を|老若男女《らうにやくなんによ》の|区別《くべつ》なく|噛《か》んで|呑《の》む|様《やう》に【|言《い》ふ】て|上《あ》げて………』
|八公《やつこう》『エ、|何《なん》と、|噛《か》んで|呑《の》む、|湯《ゆ》であげて|丸《まる》で|章魚《たこ》を|茹《ゆ》でる|様《やう》にするのですな。|熱《あつ》い|湯《ゆ》の|中《なか》に|入《い》れて|茹《ゆ》でられて、|丸《まる》で【コロモ】|揚《あ》げにしられて、|噛《か》んで|呑《の》む|様《やう》にするのだなぞと、|丸《まる》でウラル|彦《ひこ》の|守護神《しゆごじん》|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》の|御化身《ごけしん》ですか』
|孔雀姫《くじやくひめ》『ホヽヽヽヽ』
|勝公《かつこう》『|貴女《あなた》はウラル|教《けう》でせう。|私《わたくし》はウラル|教《けう》の|目付役《めつけやく》、|斯《か》う|云《い》ふ【ケチ】な|野郎《やらう》でげすが、お|見知《みし》り|置《お》き|下《くだ》さつて|何卒《どうぞ》、|可愛《かあい》がつて|使《つか》つてやつて|下《くだ》さいませ』
|孔雀姫《くじやくひめ》『|妾《わらは》はウラル|教《けう》では|御座《ござ》いませぬ』
|勝公《かつこう》『エ、|何《なん》と、ウラル|教《けう》でないと、そんなら|何教《なにけう》で|御座《ござ》いますか』
|孔雀姫《くじやくひめ》『オモテ|教《けう》です』
|勝公《かつこう》『ハアハ、|畳《たたみ》の|様《やう》な|名《な》ですな、|畳《たたみ》が|破《やぶ》れて|仕替《しか》へ|度《た》いと|始終《しじう》オモテゐる、|私《わたくし》も|魂《たましひ》が|何《なん》だか|変《へん》になつたから|仕替《しか》へて|貰《もら》ひ|度《た》いとオモテゐる、さうするとウラル|教《けう》とは|如何《どん》な|関係《くわんけい》があるのですか』
|孔雀姫《くじやくひめ》『ウラ、オモテです、|畢竟《つまり》|反対《はんたい》の|教《をしへ》です。ウラル|教《けう》のお|方《かた》が|見《み》えたら|片《かた》つ|端《ぱし》から|噛《か》んで|哺《くく》めて……』
|勝公《かつこう》『もしもし|私《わたくし》もオモテ|教《けう》になりまする、|今《いま》までウラル|教《けう》は、|面白《おもしろ》く|無《な》いと|思《おも》つて|居《ゐ》た|処《ところ》』
|時公《ときこう》『ハヽヽヽヽ|現金《げんきん》な|奴《やつ》だな』
|勝公《かつこう》『|心機一転《しんきいつてん》だ、|刹那心《せつなしん》だ、こんな|切《せつ》ない|思《おも》ひをした|事《こと》はないわ。|案《あん》に|相違《さうゐ》の|裏《うら》、|表《おもて》、|根《ね》つから|葉《は》つから|訳《わけ》が|分《わか》らぬ|様《やう》になつて|仕舞《しま》つた』
|時公《ときこう》『モシモシ|梅ケ香《うめがか》さま、|貴女《あなた》は|何処《どこ》ともなしに|此処《ここ》の|御主人《ごしゆじん》に|能《よ》く|似《に》てゐらつしやる|様《やう》だ。|貴女《あなた》もクス|野ケ原《のがはら》で|一寸《ちよつと》|化《ば》け|損《そこ》なつた|様《やう》だが、あの|魔《ま》とは|違《ちが》ひますかな』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『マアマア|宜《よろ》しい』
|時公《ときこう》『「マアマア|宜《よろ》しい」なんて|魔《ま》は|悪《わる》いにきまつたもんだ、アタ|魔《ま》の|悪《わる》い、|斯《こ》んな|処《ところ》にマゴマゴとして|居《を》つたら|如何《どん》な|目《め》に|遭《あ》ふやら|知《し》れやしない』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『|世界《せかい》に|鬼《おに》はありませぬ。|先《ま》づ|先《ま》づ|気《き》を|落《お》ちつけなさい』
|時公《ときこう》『|梅ケ香《うめがか》さまは|何《なん》だか|妙《めう》な|目遣《めづか》ひをして、|此処《ここ》の|魔神《ましん》さまと|以心伝心《いしんでんしん》とか|言《い》ふ|様《やう》な|事《こと》をやつて|居《ゐ》ましたな』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『ホヽヽヽヽ』
|勝公《かつこう》『こいつは|変《へん》だ、オイ|八公《やつこう》、|鴨公《かもこう》、|此奴《こいつ》は|三五教《あななひけう》の【やつかも】|知《し》れんぞ』
|八《やつ》、|鴨《かも》『|八《やつ》も|鴨《かも》も|三五教《あななひけう》と|違《ちが》ふワイ、オモテ|教《けう》だ』
|時公《ときこう》『|貴様《きさま》、|俄《にはか》に|掌《てのひら》を|覆《かへ》してオモテ|教《けう》だなんて|寝返《ねがへ》りを|打《う》つた|処《ところ》で【|大持《おほも》て】に【もてる】|気《き》づかひは|無《な》いぞ』
|八公《やつこう》『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》ると|言《い》ふ|事《こと》があるぢやないか、これは【ヒヨツト】したら|三五教《あななひけう》の|一派《いつぱ》かも|知《し》れぬぞ』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》は【スツク】と|立《た》つて|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。
(大正一一・三・一 旧二・三 北村隆光録)
第一二章 |松《まつ》と|梅《うめ》〔四七九〕
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『|黄泉《よもつ》の|嶋《しま》の|戦《たたか》ひに  |桃《もも》の|木実《このみ》と|現《あら》はれし
|松竹梅《まつたけうめ》の|宣伝使《せんでんし》  |天教山《てんけうざん》に|駆《かけ》あがり
|神《かみ》の|御言《みこと》をかしこみて  |四方《よも》の|雲霧《くもきり》|吹《ふ》き|払《はら》ひ
|日《ひ》の|出《で》の|御代《みよ》に|照《てら》さむと  |一度《いちど》に|開《ひら》く|木《こ》の|花《はな》の
|霜《しも》を|凌《しの》んで|咲《さ》き|匂《にほ》ふ  |名《な》さへ|目出《めで》たき|梅ケ香《うめがか》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》  |駱駝《らくだ》の|背《せな》に|跨《またが》りて
アシの|沙漠《さばく》を|打渡《うちわた》り  クス|野ケ原《のがはら》の|枉神《まがかみ》も
|天津《あまつ》|祝詞《のりと》の|神言《かみごと》に  |服《まつろ》はさむと|進《すす》み|来《く》る
|神《かみ》の|稜威《みいづ》も|高彦《たかひこ》の  |三五教《あななひけう》の|神《かむ》づかさ
|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|三柱《みはしら》に  |新玉原《あらたまはら》に|巡《めぐ》り|逢《あ》ひ
ここに|逢《あ》ふ|瀬《せ》を|喜《よろこ》びつ  |東雲別《しののめわけ》の|東彦《あづまひこ》
|鉄谷村《かなたにむら》の|時《とき》さまと  |三人《みたり》|逢《あ》うたり|六柱《むはしら》の
|心《こころ》も|清《きよ》き|一行《いつかう》は  |西《にし》へ|西《にし》へと|北《きた》の|森《もり》
|雪《ゆき》|踏《ふ》みわけて|進《すす》み|来《く》る  |雪《ゆき》より|清《きよ》き|神《かみ》の|子《こ》は
コーカス|山《ざん》の|枉神《まがかみ》を  |打《う》ち|払《はら》はむとめいめいに
|右《みぎ》や|左《ひだり》に|手分《てわけ》して  |明志《あかし》の|湖《うみ》に|只《ただ》|一人《ひとり》
|進《すす》み|来《きた》れる|折柄《をりから》に  |跡《あと》|追《お》ひ|来《きた》る|時《とき》さまの
|従神《みとも》の|神《かみ》に|助《たす》けられ  |孔雀《くじやく》の|姫《ひめ》の|枉神《まがかみ》を
|只《ただ》|一言《ひとこと》の|言《こと》の|葉《は》に  |神《かみ》の|大道《おほぢ》に|導《みちび》きて
|助《たす》けやらむと|来《き》て|見《み》れば  |思《おも》ひもかけぬ|孔雀姫《くじやくひめ》
|神《かみ》の|教《をしへ》のかがやきて  みろくの|御世《みよ》を|松代姫《まつよひめ》
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|住処《すみか》ぞと  さとりし|時《とき》の|嬉《うれ》しさよ
さはさりながら|竹野姫《たけのひめ》  |姉《あね》の|命《みこと》は|今《いま》いづこ
|雪《ゆき》|積《づ》む|野辺《のべ》を|彼方此方《あちこち》と  さすらひ|給《たま》ふか|痛《いた》はしや
|嗚呼《ああ》|姉上《あねうへ》よ|姉上《あねうへ》よ  |天《あま》の|岩戸《いはと》の|開《ひら》くごと
|心《こころ》も|晴《は》れし|今日《けふ》の|空《そら》  |八十《やそ》の|曲霊《まがひ》を|言向《ことむ》けて
|功績《いさを》も|高《たか》きアーメニヤ  |神《かみ》の|都《みやこ》を|立直《たてなほ》し
|天教《てんけう》|地教《ちけう》の|山《やま》に|在《ま》す  |野立《のだち》の|彦《ひこ》や|野立姫《のだちひめ》
|高照姫《たかてるひめ》のおん|前《まへ》に  |勲功《いさを》をたつる|常磐木《ときはぎ》の
|色《いろ》も|妙《たへ》なる|松代姫《まつよひめ》  |神《かみ》の|世《よ》|松《まつ》の|世《よ》みろくの|世《よ》
|松《まつ》の|神世《かみよ》に|因《ちなみ》たる  |姉《あね》の|命《みこと》のいさをしを
|喜《よろこ》び|祝《いは》ひ|奉《たてまつ》る』
と|歌《うた》つて|座《ざ》に|着《つ》いた。
|八《やつ》は|小声《こごゑ》で、
『おいおい、|勝公《かつこう》、|鴨公《かもこう》、どうやら、こりや|風《かぜ》が|変《かは》つて|来《き》た|様《やう》だぞ。|貴様《きさま》は|明志丸《あかしまる》の|中《なか》で|弱味《よわみ》につけこむ|風《かぜ》の|神《かみ》だとか、|風《かぜ》を|引《ひ》いたとか|引《ひ》かぬとか、|吐《ほざ》いて|居《ゐ》やがつたが、こいつは|又《また》けつたいな、|風《かぜ》の|神《かみ》かも|知《し》れぬぞ』
|勝公《かつこう》『【かつかつ】ながら、どうも|怪《あや》しいものだな、|美《うつく》しい|宣伝使《せんでんし》だと|思《おも》つて|居《ゐ》たら、|孔雀姫《くじやくひめ》の|妹《いもうと》だつて。きよろきよろして|居《ゐ》ると|最前《さいぜん》の|様《やう》に|茹《ゆ》であげて、|噛《か》むで|食《く》ふと|吐《ぬ》かしたが、|本当《ほんたう》かも|知《し》れぬぞ』
|時公《ときこう》『サア|勝公《かつこう》、どうだ。|貴様《きさま》の|刹那心《せつなしん》を|聞《き》かうかい、|心機一転《しんきいつてん》はどうだ』
『|心機一転《しんきいつてん》どころか、|神経《しんけい》|興奮《こうふん》だ。オイオイ|時《とき》さま、|道連《みちづれ》の|誼《よしみ》で|一《ひと》つ|御断《おことわ》りを|申上《まをしあ》げてくれぬか』
|時公《ときこう》『|断《ことわ》りは|断《ことわ》りだが、そんな|事《こと》は|時《とき》さまの|方《はう》から|平《ひら》にお|断《ことわ》りだ。どうで|貴様《きさま》は|北《きた》の|森《もり》で|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》を|苦《くる》しめた|奴《やつ》だから、|其《その》お|礼《れい》|返《がへ》しだ。マア|覚悟《かくご》をしたがよからう。|人間《にんげん》は|刹那心《せつなしん》が|大事《だいじ》だ。なンぼ|切《せつ》なくても|観念《くわんねん》せい』
|勝公《かつこう》『|第一着《だいいちちやく》に|苛《いぢ》めた|奴《やつ》は|鴨公《かもこう》だ、その|次《つぎ》が|八公《やつこう》で、|第三番目《だいさんばんめ》が|此《この》|勝《かつ》さまではないワイ。モシモシ|松代姫《まつよひめ》さまの|孔雀姫《くじやくひめ》さま、|私《わたし》は|一寸《ちよつと》も|知《し》りませぬ、|茹《ゆ》でて|喰《く》ふのなら|八《や》ツ|足《あし》の|蛸《たこ》か|鴨《かも》が|味《あぢ》がよろしい。|私《わたし》の|様《やう》なものをおあがりになつても、【かつ】かつして、|岩《いは》を|噛《か》む|様《やう》であんまり|美味《うまく》はありませぬぜ』
|時公《ときこう》『ハヽヽヽアハヽヽヽ』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『オホヽヽヽ』
|松代姫《まつよひめ》『ヤア|皆《みな》さん、よう|来《き》て|下《くだ》さいました。うまい|都合《つがふ》です。|鰹《かつを》だとか、|鴨《かも》だとか、|蛸《たこ》だとか、|本当《ほんたう》においしさうな|御名《おな》の|方《かた》ですな』
|時公《ときこう》『|噛《か》んで|食《く》ふ|様《やう》に|云《い》うてあげて|下《くだ》さりませ。さうせぬとなかなか|此奴《こいつ》は|頑固《ぐわんこ》な|男《をとこ》で|腹《はら》へは|這入《はい》りませぬ』
|勝公《かつこう》『コレコレ|時《とき》さま、|要《い》らぬ|事《こと》を|云《い》うて|智慧《ちゑ》を|付《つ》けてくれない、|化物《ばけもの》の|腹《はら》の|中《なか》へ|這入《はい》つてたまるものか。お|前《まへ》が|居《を》ると|危《あぶ》なくて、【はら】はらするワイ、|腹《はら》の|立《た》つ|奴《やつ》だ。アーアー、|夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|鬼《おに》か|蛇《じや》か、|我《わが》|身《み》に|来《きた》る|災難《さいなん》を|祓《はら》ひ|給《たま》へ|清《きよ》め|給《たま》へ』
|時公《ときこう》『ウハハヽヽヽ、モシモシ|孔雀姫《くじやくひめ》|様《さま》、|貴方《あなた》と|梅ケ香姫《うめがかひめ》さまと|三人《さんにん》よつて、|一《ひと》つ|宛《づつ》|頂戴《ちやうだい》しませうかい。|孔雀《くじやく》が|鴨《かも》を|食《く》ふのは|鳥《とり》|同志《どうし》で|共喰《ともぐひ》になつて|面白《おもしろ》くないから、|時《とき》さまが|鴨《かも》をいただくなり、お|梅《うめ》さまはちよつと|酸《す》い|名《な》だから、|八足《やつあし》の|八公《やつこう》を|三杯酢《さんばいず》につけて|食《く》ふなり、|松代姫《まつよひめ》|様《さま》は|勝公《かつこう》をおあがりなさい、|松《まつ》の|魚《うを》は|鰹《かつを》だ。|丁度《ちやうど》|誂《あつら》へ|向《む》きの|献立《こんだて》だ。アハヽヽヽ』
|勝公《かつこう》『おい|時《とき》さま、|一体《いつたい》どうだ、|本当《ほんたう》にお|前《まへ》|食《く》ふつもりか。|何《なん》だか|変《へん》な|奴《やつ》だと|思《おも》つて|居《ゐ》たら|貴様《きさま》ら|二人《ふたり》は|俺達《おれたち》を|計略《けいりやく》にかけて、|斯《こ》んな|魔窟《まくつ》へ|連《つ》れて|来《き》やがつたのだな。もう|斯《か》うなる|上《うへ》は|死物狂《しにものぐる》ひだ。サア|時公《ときこう》、|時《とき》の|間《ま》も|猶予《いうよ》はならぬぞ。|此奴《こいつ》はアルタイ|山《ざん》に|住《す》んで|居《ゐ》る|悪《わる》い|奴《やつ》かも|知《し》れぬぞ。|此《この》|勝《かつ》さんが|貴様《きさま》の【どたま】を【かつん】とやつてやろか、もう|仕方《しかた》がない|破《やぶ》れかぶれだ。|八《やつ》は|此奴《こやつ》を|八裂《やつざき》にするなり、|此方《こちら》から|反対《あべこべ》に【かも】うかい。のー|鴨公《かもこう》』
|時公《ときこう》『|馬鹿《ばか》だなあ、みんな|嘘《うそ》だよ。なんでも|最前《さいぜん》の|宣伝使《せんでんし》の|歌《うた》を|聞《き》けば、|姉《ねえ》さまらしい、よく|御顔《おかほ》を|視《み》くらべて|見《み》よ。|少《すこ》しおからだが|大《おほ》きい|様《やう》だが、|眼《め》から|鼻《はな》から|口《くち》の|工合《ぐあひ》からまるで|瓜二《うりふた》つだ、マア|安心《あんしん》せ、|滅多《めつた》に|食《く》はれる|気遣《きづか》ひはない』
|勝公《かつこう》『|腹《はら》の|悪《わる》い|男《をとこ》だ、|人《ひと》の|肝玉《きもだま》をひつくり|覆《かへ》しやがつた。オイオイ|八公《やつこう》、|鴨公《かもこう》、もう|大丈夫《だいぢやうぶ》だ』
|時公《ときこう》『|肝玉《きもだま》がひつくり|覆《おほ》つたのぢや|無《な》かろう、|貴様《きさま》の|刹那心《せつなしん》で|正念玉《しやうねんだま》がひつくり|覆《かへ》つたのだ。オイ、ま|一遍《いつぺん》ひつくり|覆《かへ》して、|万劫末代《まんがふまつだい》もう|覆《かへ》らぬ|様《やう》に|三五教《あななひけう》に|帰依《きえ》するか』
|勝公《かつこう》『するとも するとも、|味噌《みそ》もすれば|臼《うす》もする。もう|是《これ》から、|此処《ここ》の|味噌摺奴《みそすりやつこ》になつて|使《つか》うてもらはうかい』
|松代姫《まつよひめ》は【にこ】にこしながら|立《た》ちあがり、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。
|松代姫《まつよひめ》『|常磐堅磐《ときはかきは》に|動《うご》きなき  みろくの|御世《みよ》を|建《た》てむとて
|日《ひ》の|出神《でのかみ》や|木《こ》の|花《はな》の  |神《かみ》の|教《をしへ》をあななひて
|荒野ケ原《あれのがはら》をひらき|行《ゆ》く  |松竹梅《まつたけうめ》の|宣伝使《せんでんし》
ウラルの|彦《ひこ》の|枉神《まがかみ》の  |醜《しこ》の|荒《すさ》びを|治《をさ》めむと
|竹野《たけの》の|姫《ひめ》はコーカスの  |深山《みやま》を|指《さ》して|出《い》で|行《ゆ》きぬ
|妾《わらは》は|暫《しば》し|孔雀野《くじやくの》の  |雪《ゆき》かきわけて|世《よ》の|人《ひと》の
|心《こころ》の|暗《やみ》を|照《てら》さむと  |往来《ゆきき》の|人《ひと》を|松代姫《まつよひめ》
|光《ひかり》|眩《まば》ゆき|玉鉾《たまぼこ》の  |道《みち》|踏《ふ》み|分《わ》けて|今《いま》ここに
|孔雀《くじやく》の|姫《ひめ》と|身《み》をやつし  |青人草《あをひとぐさ》をことごとに
|神《かみ》の|御国《みくに》に|救《すく》ひつつ  |常夜《とこよ》の|暗《やみ》の|岩屋戸《いはやど》を
|開《ひら》く|常磐《ときは》の|松代姫《まつよひめ》  |待《ま》つ|甲斐《かひ》ありて|我《わ》が|慕《した》ふ
|梅ケ香姫《うめがかひめ》に|今《いま》ここで  まめな|姿《すがた》を|三《み》つの|桃《もも》
|大《おほ》かむづみの|神業《かむわざ》を  |照《てら》す|時《とき》こそ|来《きた》りけり
|常磐堅磐《ときはかきは》の|時《とき》さまよ  |曲《まが》のみたまの|盛《さか》り|居《ゐ》て
|天《てん》に|勝《か》つてふ|勝《かつ》さまよ  |天《てん》|定《さだ》まれば|人《ひと》に|勝《か》つ
|八《やつ》の|嶋根《しまね》の|八《や》しま|国《くに》  |八《やつ》さま|鴨《かも》さま|諸共《もろとも》に
|三五《さんご》の|月《つき》の|御教《みをしへ》に  |心《こころ》を|照《てら》せやひら|手《で》を
|拍《う》ちて|御神《みかみ》を|讃《たた》へかし  あゝ|梅ケ香《うめがか》よ|梅ケ香《うめがか》よ
|神《かみ》の|稜威《みいづ》も|一時《いちどき》に  |開《ひら》く|常磐《ときは》の|松代姫《まつよひめ》
|時《とき》を|移《うつ》さず|時《とき》さまと  コーカス|山《ざん》に|駆《か》けのぼり
|猛《たけ》き|曲津《まがつ》に|悩《なや》み|居《ゐ》る  |竹野《たけの》の|姫《ひめ》の|神業《かむわざ》を
|翼《たす》けあななひ|奉《まつ》るべし  |天《あめ》と|地《つち》とは|祭《まつ》りあひ
|相《あひ》み|互《たがひ》に|神《かみ》の|道《みち》  |誠《まこと》を|一《ひと》つの|松代姫《まつよひめ》
ここに|五人《ごにん》のいづみたま  |雪《ゆき》より|清《きよ》き|真心《まごころ》の
いきを|合《あ》はして|進《すす》むべし  いきを|合《あ》はして|進《すす》むべし』
|時公《ときこう》『ヤア|是《これ》で|何《なに》も|彼《か》も、|春《はる》の|雪《ゆき》と|疑問《ぎもん》がとけて|了《しま》つた。とけて|嬉《うれ》しい|相生《あひおひ》の、|松《まつ》にまつたる|神世《かみよ》の|初《はじ》まり、|開《ひら》くは|梅《うめ》の|花《はな》ばかりではない、|俺達《おれたち》の|心《こころ》も【さらり】と|開《ひら》いた。サアサア|皆《みな》さん|皆《みな》さん、|早《はや》くこの|場《ば》を|開《ひら》いた|開《ひら》いた』
|松代姫《まつよひめ》は|梅ケ香姫《うめがかひめ》と|共《とも》にコーカス|山《ざん》に|向《むか》ふ|事《こと》となつた。さうして|勝公《かつこう》は|此《この》|館《やかた》に|留《とど》まつて、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて|枉神《まがかみ》を|言向和《ことむけやは》す|事《こと》となつた。
|時公《ときこう》、|八公《やつこう》、|鴨公《かもこう》は|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》に|随従《ずゐじゆう》して、|威勢《ゐせい》よくコーカス|山《ざん》に|向《むか》ふ|事《こと》となつた。
(大正一一・三・一 旧二・三 井上留五郎録)
第一三章 |転腹《てんぷく》〔四八〇〕
|松代姫《まつよひめ》が、|妹《いもうと》の|梅ケ香姫《うめがかひめ》に|面会《めんくわい》したる|嬉《うれ》しさに|歌《うた》を|歌《うた》つて|居《ゐ》る|真最中《まつさいちう》、|表門《おもてもん》に|現《あら》はれたる|黒頭巾《くろずきん》を|被《かぶ》つて|手《て》に|十手《じつて》を|持《も》つた|男《をとこ》、|門内《もんない》の|様子《やうす》を|窺《うかが》ひながら、
|甲《かふ》『オイ|俺達《おれたち》もアーメニヤのウラル|彦《ひこ》の|盤古神王《ばんこしんわう》から|命令《めいれい》を|受《う》けて|此処《ここ》に|捕手《とりて》に|向《むか》つたのだが、どうも|内《うち》の|様子《やうす》が|怪《あや》しいぞ。ぐじやぐじや|一人《ひとり》ぢやないらしい、|何《なん》でも|五六人《ごろくにん》の|声《こゑ》がして|居《ゐ》る。|一人《ひとり》の【ぐじや】ぐじや|姫《ひめ》でさへも、こんな|荒男《あらをとこ》が|五人《ごにん》も|出《で》て|来《こ》な|手《て》に|合《あ》はぬのに、|五六人《ごろくにん》も|居《ゐ》るとすれば|一寸《ちよつと》|容易《ようい》に|手出《てだ》しは|出来《でき》ない、なんぼ【ぐじや】ぐじや|姫《ひめ》でも|一寸《ちよつと》ぐじやりとは|仕居《しを》らぬかも|知《し》れぬ』
|乙《おつ》『|貴様《きさま》|何《なに》を|吐《ぬか》すのぢや、ぐじやぐじや|姫《ひめ》ぢやと|云《い》ふ|事《こと》があるか、くしやくしや|姫《ひめ》だ』
|丙《へい》『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな、【|九尺姫《くしやくひめ》】と|云《い》ふのだ、|貴様《きさま》のとこの|嬶《かか》も|九尺《くしやく》|二間《にけん》の|破《やぶ》れ|家《や》に、|棟《むね》つづき|小屋《ごや》に|暮《くら》して、|九尺々々《くしやくくしやく》|吐《ぬ》かして|居《を》るが、マアあンなものだらうかい』
|丁《てい》『さあ、くしやくしやと|悪口《わるくち》を|云《い》うと、|今頃《いまごろ》にや、|貴様《きさま》のところのお|鍋《なべ》が、くしやんくしやんと、くしやみ|姫《ひめ》になつて|居《を》るかも|知《し》れないぞ』
|戌《ぼ》『|分《わか》らぬ|奴《やつ》だなあ、|杓姫《しやくひめ》と|云《い》ふのだ、|杓子《しやくし》のやうな|顔《かほ》をして|居《を》るから|杓姫《しやくひめ》だよ、さてもさても|汲《く》み|取《と》りの|悪《わる》い|奴《やつ》だ。|貴様《きさま》の|様《やう》な|奴《やつ》に|相手《あひて》になつて|居《ゐ》ると|癪《しやく》に|触《さは》つて|仕様《しやう》がない、いづれ|何処《どこ》かの|飯盛女《めしもりをんな》でもやとつて|来《き》て|嬶《かか》にしやがつたのか、|誰《たれ》やらの|作《つく》つた|川柳《せんりう》にも「|飯盛《めしもり》りをしてるお|鍋《なべ》の|杓子顔《しやくしがほ》」と|云《い》ふ|事《こと》がある、マアそんな|代物《しろもの》だらう』
|甲《かふ》『|馬鹿《ばか》|言《い》へ、【ぐじや】ぐじや|姫《ひめ》は|天下《てんか》の|美人《びじん》だと|云《い》ふ|事《こと》だ。|其奴《そいつ》に|睨《にら》まれたが|最後《さいご》、どんな|奴《やつ》でも、【ぐじや】ぐじやになつて|仕舞《しま》ふ。それで、【ぐじや】ぐじや|姫《ひめ》と|云《い》ふのだ。オイオイ|一寸《ちよつと》|聞《き》いて|見《み》ろ、|三杯酢《さんばいず》にするとか、|茹《ゆ》でて|喰《く》ふとか、|美味《うま》からうとか、|言《い》つて|居《ゐ》やがるぞ。|貴様《きさま》|愚図々々《ぐづぐづ》しとると、【ぐじや】ぐじや|姫《ひめ》の|化女《ばけをんな》に|喰《く》はれて|仕舞《しま》ふか|分《わか》らぬぞ』
|丙《へい》『オイ、|臆病風《おくびやうかぜ》に|誘《さそ》はれて、|大事《だいじ》の|使命《しめい》を|果《はた》せない|様《やう》な|事《こと》が|出来《でき》たら、それこそ|帰《かへ》つて|上役《うはやく》に|何《なん》と|言《い》つて|噛《か》みつかれるか|分《わか》りやせぬ』
|丁《てい》『|此方《こちら》で|噛《か》みつかれるか、|帰《い》んで|噛《か》みつかれるか、どちらにしても|助《たす》かりつこはない、|前門《ぜんもん》の|狼《おほかみ》、|後門《こうもん》の|虎《とら》だ。|一《ひと》つ|肝玉《きもだま》を|出《だ》して|乱入《らんにふ》に|及《およ》ぶとしようかい』
|戌《ぼ》『オイ、|乱入《らんにふ》は|結構《けつこう》だが、|彼奴《あいつ》【ぐにや】ぐにや|姫《ひめ》だから、ニユーだぞ』
|甲《かふ》『|何《なに》がニユーだい』
|戌《ぼ》『それでもニユーはニユーだ。|古狸《ふるたぬき》の|化入道《ばけにふだう》だ。|八畳敷《はちでふじき》の|睾丸《きんたま》を|投網《とあみ》をうつたやうにパーツと|被《き》せやがつたら、それこそ【たま】つたものぢやない。|直《すぐ》|喰《く》はれて|仕舞《しま》つて|白骨《はくこつ》になつて|曝《さら》されるのだ。それだからよく|言《い》ふ|事《こと》だ。|晨《あした》の【|睾丸《かうがん》】|夕《ゆふべ》の|白骨《はくこつ》だ』
|乙《おつ》『|厚顔《こうがん》は|貴様《きさま》の|事《こと》だ。|本当《ほんたう》に|鉄面皮《てつめんぴ》な|奴《やつ》だから、かういふ|時《とき》にや|貴様《きさま》|先導《せんだう》にや|都合《つがふ》がよい。|愚図々々《ぐづぐづ》せぬと、サアサア|貴様《きさま》から|這入《はい》つたり|這入《はい》つたり。オイ|松公《まつこう》、|梅公《うめこう》、|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》しやがるのだ。オヂオヂして|居《を》ると|今度《こんど》は|竹《たけ》さまが|拳骨《げんこつ》をお|見舞《みまひ》|申《まを》すぞ』
|門内《もんない》にて|時公《ときこう》は|此《この》|声《こゑ》を|聞《き》き、
|時公《ときこう》『|何《なん》だ、|失敬《しつけい》な|奴《やつ》だ。|松代姫《まつよひめ》さまを|松公《まつこう》だの、|梅ケ香姫《うめがかひめ》さまを|梅公《うめこう》だの、|竹公《たけこう》だのと|馬鹿《ばか》にして|居《ゐ》やがる。|愚図々々《ぐづぐづ》|吐《ぬ》かすと|摘《つま》み|潰《つぶ》してやるぞ』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『コレコレ|時《とき》さま、お|前《まへ》さまはそれだから|困《こま》る。|二言目《ふたことめ》には|摘《つま》み|出《だ》すなぞと、そんな|乱暴《らんばう》はやめて|下《くだ》さい。|人《ひと》が|鼻《はな》|摘《つま》みして|厭《いや》がります』
|時公《ときこう》『|鼻《はな》|摘《つま》みしたつてあんな|事《こと》|言《い》はして|置《お》いて|男甲斐《をとこがひ》もない、|黙《だま》つて|居《を》るのが|詮《つま》らぬぢやありませぬか。つまり、|要《えう》するに、|即《すなは》ち、|狐《きつね》に|魅《つま》まれたやうなものですな。|兎《と》も|角《かく》|一寸《ちよつと》|門口《かどぐち》を|覗《のぞ》いて|来《き》てやりませうか』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『|覗《のぞ》いて|来《く》るのも|宜敷《よろし》いが、|温順《おとな》しくして|相手《あひて》にならぬやうにしなさいや。|神様《かみさま》のやうに|誠《まこと》の|道《みち》の|方《はう》へ|摘《つま》み|上《あ》げてやるのは|宜敷《よろし》いが、|鷲《わし》が|雀《すずめ》を|抓《つま》んだやうな|乱暴《らんばう》な|事《こと》をしてはいけませぬぜ』
|時公《ときこう》『ハイハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました。|摘《つま》み|上《あ》げてやります、【かみさま】の|方《はう》へ』
と|云《い》ひながら|肩《かた》を|揺《ゆす》つて|門口《かどぐち》に|向《むか》つた。
|時公《ときこう》『サア、|梅ケ香《うめがか》|様《さま》のお|許《ゆる》しだ。|摘《つま》み|上《あ》げるなら、【かみ】の|方《はう》へだと|云《い》ふ|事《こと》だ。|俺《おれ》の|髪《かみ》の|上《うへ》まで|掴《つか》み|上《あ》げてやらうかい。|最前《さいぜん》から|腕《うで》が|鳴《な》つて【りう】りういつてた|所《ところ》だ。マアこれで|溜飲《りういん》が|下《さ》がると|言《い》ふものだ』
と|独語《ひとりごち》ながら|門《もん》をガラリと|開《あ》けた。|五人《ごにん》の|捕手《とりて》は|十手《じつて》を|握《にぎ》つた|儘《まま》、|不意《ふい》の|開門《かいもん》に|鳩《はと》が|豆鉄砲《まめでつぱう》をくつたやうな|面構《つらがま》へして、|時公《ときこう》の|巨大《きよだい》な|姿《すがた》を|凝視《みつ》めて|居《ゐ》る。
|時公《ときこう》『ヤイヤイ、|古今独歩《ここんどくぽ》、|天下《てんか》|無類《むるゐ》、|絶世《ぜつせい》の|美人《びじん》|孔雀姫《くじやくひめ》|様《さま》が|御門前《ごもんぜん》に|立《た》つて、|愚図々々《ぐづぐづ》|吐《ぬ》かすは|何奴《なにやつ》なるぞ。その|方《はう》はウラル|教《けう》の|捕手《とりて》と|見《み》える。|其《その》|十手《じつて》は|何《なん》だツ。|此処《ここ》へ|持《も》つて|来《こ》い。そんな|苧殻《をがら》のやうな|細《ほそ》い|奴《やつ》を|持《も》ちやがつて、|百本《ひやくぽん》でも|千本《せんぼん》でも|一緒《いつしよ》にかためてぽきぽきと|折《を》つて|仕舞《しま》つて|遣《や》らうか。オイコラ、|蛇掴《へびつか》みのやうに|貴様《きさま》も|掴《つか》み|上《あ》げてやらうか』
|松公《まつこう》『ヤア、この|方《はう》は|貴様《きさま》の|云《い》ふ|通《とほ》り、ウラル|教《けう》の|捕手《とりて》の|役人《やくにん》だ。|尋常《じんじやう》に|手《て》を|廻《まは》せ』
|時公《ときこう》『この|方《はう》は、アルタイ|山《ざん》の|蛇掴《へびつか》みの|親分《おやぶん》、|大蛇掴《をろちつか》みだ。サア|尋常《じんじやう》に|目《め》をまはせ。ヤア、|言《い》はんさきに|目《め》を|眩《まは》しやがつて、|倒《たふ》れて|居《ゐ》やがる。|腰《こし》の|弱《よわ》い|奴《やつ》、いや|目《め》の|弱《よわ》い|奴《やつ》だ。|改心《かいしん》|致《いた》さぬと【まさか】の|時《とき》にキリキリ|舞《まひ》を|致《いた》して|眩暈《めまひ》が|来《く》るぞよ』
かかる|所《ところ》へまたもや|勝公《かつこう》がやつて|来《き》た。
|勝公《かつこう》『オヤ、|此奴《こいつ》ア|面白《おもしろ》い、|黒《くろ》ン|坊《ばう》、|屁古垂《へこた》れ、|猪口才《ちよこざい》な、|貴様《きさま》は|捕手《とりて》の|役人《やくにん》らしいが、|早《はや》く|捕《つかま》へて|帰《かへ》らぬかい。|愚図々々《ぐづぐづ》|致《いた》すと|神《かみ》の|道《みち》へ|掴《つか》み|上《あ》げるぞ。こんな|弱《よわ》い|奴《やつ》には、|俺《おれ》のやうな|豪傑《がうけつ》は|喰《くら》ひ|足《た》らぬ。|八公《やつこう》と|鴨公《かもこう》に|茹《ゆ》で|上《あ》げさせて|噛《か》んで|喰《く》はしてやろかい。|大分《だいぶん》|豪《えら》い|寒《かん》じでさむがつて|居《を》るのだから、|茹《ゆ》でて、|天麩羅《てんぷら》にして|喰《く》つたら、ちつとは|暖《あたた》まるかも|知《し》れぬなア。|時《とき》さま、|序《ついで》に|一人《ひとり》づつ|摘《つま》み|上《あ》げて、|孔雀姫《くじやくひめ》|様《さま》にお|目《め》にかけたらどうだらう』
|時公《ときこう》『それや|面白《おもしろ》い。|俺《おれ》は|四人《よにん》の|奴《やつ》を|両《りやう》の|手《て》で|掴《つか》んで、【かみ】の|方《はう》へ|掴《つか》み|上《あ》げるから、|貴様《きさま》|一人《ひとり》だけ|摘《つま》み|上《あ》げて|来《こ》い』
と|言《い》ひながら、|強力無双《がうりきむさう》の|時公《ときこう》は|四人《よにん》を|一時《いちじ》に|両手《りやうて》に|握《にぎ》り、|頭上《づじやう》|高《たか》く|捧《ささ》げながら、
|時公《ときこう》『ヤア、|門《もん》が|邪魔《じやま》になる。|困《こま》つた【もん】だ、|小《ちひ》さい|門《【もん】》だ、|低《ひく》い|門《【もん】》だ、おまけに|此奴《こいつ》は|弱《よわ》い【もん】だなア』
と|言《い》ひながら、【ピシヤリ】と|門《もん》を|閉《し》めた。|閉《し》めた|拍子《へうし》にガタリと|枢《くるる》はおりた。|勝公《かつこう》は|外《そと》から、
|勝公《かつこう》『オイオイ、|開《あ》けぬか|開《あ》けぬか。|此奴《こいつ》は|中々《なかなか》|手強《てごは》い|奴《やつ》だ。オイオイ、|助《たす》け|船《ぶね》だ』
|時公《ときこう》『オイオイ、|八《やつ》、|鴨《かも》、|勝公《かつこう》が|外《そと》で|泡《あわ》を|吹《ふ》いて|居《ゐ》る。お|前《まへ》も|加勢《かせい》に|往《い》つて|来《こ》い』
|八《やつ》、|鴨《かも》『よし|来《き》た』
と|二人《ふたり》は|枢《くるる》を|開《あ》けて|表門《おもてもん》に|駆《か》け|出《だ》した。やつとの|事《こと》で|一人《ひとり》の|捕手《とりて》を|担《かつ》いで|這入《はい》つて|来《き》た。
|時公《ときこう》『サアサア、|捕手《とりて》のお|方《かた》、|躓《つまづ》く|石《いし》も|縁《えん》の|端《はし》だ。マア|一杯《いつぱい》|御神酒《おみき》を|頂戴《ちやうだい》なさい。|決《けつ》して|毒《どく》は|入《はい》つて|居《ゐ》はしない、|私《わたくし》が|毒味《どくみ》をして|見《み》せる』
と|言《い》ひながら、|神前《しんぜん》の|神酒《みき》をおろし、
|時公《ときこう》『お|先《さき》に|失礼《しつれい》』
と|云《い》ひながら、|自分《じぶん》が|一杯《いつぱい》【ぐつ】とやり、
|時公《ときこう》『サア、この|通《とほ》りだ。|頂《いただ》いた|頂《いただ》いた』
|松公《まつこう》『これはこれは|思《おも》ひがけない。|殺《ころ》されるかと|思《おも》つたら、|御神酒《おみき》を|頂《いただ》くのか。|何《なに》より|好物《かうぶつ》だ』
|竹公《たけこう》『|夢《ゆめ》に|牡丹餅《ぼたもち》だ』
|梅公《うめこう》『|地獄《ぢごく》で|酒《さけ》だ。サア|春公《はるこう》、|秋公《あきこう》、|貴様《きさま》も|一杯《いつぱい》|頂戴《ちやうだい》せい』
|松公《まつこう》『ヤア、これはこれは|酌姫《しやくひめ》|様《さま》』
|鴨公《かもこう》『お|生憎《あいにく》|此処《ここ》には|酌姫《しやくひめ》は|居《ゐ》ない、この|鴨《かも》さまがついで|上《あ》げませうかい。|鴨《かも》の|肴《さかな》で|一杯《いつぱい》|飲《あが》つて、|後《あと》は|宣伝歌《せんでんか》の|珍《めづら》しい|歌《うた》を|聞《き》かして|貰《もら》ふのだ』
|竹公《たけこう》『|思《おも》ひがけない|御馳走《ごちそう》に|預《あづ》かり、|命《いのち》を|助《たす》けて|貰《もら》つて|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。ヤア、もう|捕手《とりて》の|役人《やくにん》では|気《き》が|利《き》かない、|今日《けふ》から【すつかり】|廃業《はいげふ》しませう』
|時公《ときこう》『|捕手《とりて》の|役人《やくにん》はお|前《まへ》の|天職《てんしよく》だ。それをやめたら|何《なに》をする|積《つも》りだ』
|竹公《たけこう》『|私《わたくし》は|元来《ぐわんらい》の|芸《げい》|無《な》し、これと|云《い》ふ|仕事《しごと》もありませぬ』
|時公《ときこう》『さうだらう、|此《この》|世《よ》の|中《なか》に|何《なに》もせず|暮《くら》す|奴《やつ》は|穀《ごく》|潰《つぶ》しだ、|娑婆《しやば》|塞《ふさ》ぎだ。|捕手《とりて》の|役人《やくにん》はお|前《まへ》の|天職《てんしよく》だからやめてはいかぬ。|俺《おれ》をアーメニヤ|迄《まで》|連《つ》れて|帰《かへ》つて、お|前《まへ》の|手柄《てがら》にせい』
|松公《まつこう》『メヽ|滅相《めつさう》な。|貴方《あなた》のやうなお|方《かた》を|連《つ》れて|帰《かへ》らうものなら、それこそ|大騒動《おほさうどう》が|起《おこ》ります』
|時公《ときこう》『ハヽヽヽヽ、|何《なん》と|弱《よわ》い|捕手《とりて》だなア』
|梅公《うめこう》『アヽ、|何《なん》と|仰有《おつしや》つても|捕手《とりて》の|役《やく》は|嫌《いや》になつた。|何時《いつ》|命《いのち》が|無《な》くなるか|分《わか》つたものぢやない。|仕事《しごと》の|多《おほ》いのに|人《ひと》の|厭《いや》がる|捕手《とりて》の|役人《やくにん》になるとは、|何《なん》たる|因果《いんぐわ》の|生《うま》れつきだ』
とそろそろ|酒《さけ》が|廻《まは》つて|泣《な》き|出《だ》す。
|勝公《かつこう》『ウハヽヽ、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い。|泣《な》き|上戸《じやうご》が|現《あら》はれた』
|時公《ときこう》『|今《いま》お|前《まへ》は|命《いのち》が|危《あぶな》いから、|捕手《とりて》の|役《やく》を|止《や》めると|云《い》つたが、さう|無茶苦茶《むちやくちや》に|死《し》ぬものではない。|生《い》くるも|死《し》ぬるも|皆《みな》|神様《かみさま》の|思召《おぼしめし》だ。なんぼ|死《し》なうと|思《おも》つても|神様《かみさま》のお|許《ゆる》しが|無《な》ければ|死《し》ぬ|事《こと》は|出来《でき》ぬ。|死《し》ぬまい|死《し》ぬまいと|思《おも》つても|神様《かみさま》が|幽界《いうかい》へ|連《つ》れて|行《ゆ》くと|仰有《おつしや》つたら|酒《さけ》を|呑《の》みながらでも|死《し》なねばならぬぞ。|飯《めし》|食《く》ふ|間《ま》もどうなるか|分《わか》らぬ|人《ひと》の|命《いのち》だ。|何事《なにごと》も|神様《かみさま》にお|任《まか》せして|其《その》|日《ひ》の|勤《つと》めを|神妙《しんめう》に|勤《つと》めるがよからう』
|茲《ここ》に|五人《ごにん》の|捕手《とりて》は|意外《いぐわい》の|饗応《きやうおう》に|感《かん》じ、いづれも|三五教《あななひけう》の|熱心《ねつしん》なる|信者《しんじや》となつた。
|松代姫《まつよひめ》の|一行《いつかう》は|寒風《かんぷう》に|梳《くしけづ》られながら、|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|雪《ゆき》の|道《みち》を、ザクザクと|進《すす》み|行《ゆ》くのであつた。
(大正一一・三・一 旧二・三 加藤明子録)
第一四章 |鏡丸《かがみまる》〔四八一〕
|松代姫《まつよひめ》、|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|時公《ときこう》|等《ら》を|引伴《ひきつ》れ、|一望《いちばう》|千里《せんり》の|雪野原《ゆきのはら》を、|日数《ひかず》を|重《かさ》ねて|遂《つい》に|琵琶《びは》の|湖《うみ》の|岸辺《ほとり》に|着《つ》いた。|湖上《こじやう》|風波《ふうは》|烈《はげ》しきため|已《やむ》を|得《え》ず、|二三日《にさんにち》|此《こ》の|岸辺《ほとり》に|空《むな》しく|日《ひ》を|過《すご》し、|漸《やうや》く|船中《せんちう》の|人《ひと》となつた。|此《こ》の|船《ふね》の|名《な》を|鏡丸《かがみまる》と|云《い》ふ。|数十人《すうじふにん》の|乗客《じやうきやく》は|先《さき》を|争《あらそ》うて|鏡丸《かがみまる》に|乗《の》り|移《うつ》り、|一行《いつかう》|五人《ごにん》もやつと|安心《あんしん》したものの|如《ごと》く|船中《せんちう》の|客《きやく》となりける。
|松代姫《まつよひめ》『ヤア、|随分《ずゐぶん》|偉《えら》い|雪《ゆき》でしたな。|此《こ》の|塩梅《あんばい》ではコーカス|山《ざん》は、|随分《ずゐぶん》|積《つ》んで|居《を》りませう』
|時公《ときこう》『イヤ、|御心配《ごしんぱい》には|及《およ》びませぬ。|貴方《あなた》のやうな|色《いろ》の|白《しろ》い|宣伝使《せんでんし》がお|出《い》でになれば、|雪《ゆき》の|方《はう》から|遠慮《ゑんりよ》して|消《き》えて|了《しま》いますよ。アハヽヽ、|此処《ここ》にも|勝公《かつこう》の|様《やう》な|奴《やつ》が|乗《の》つて|居《ゐ》ると|宣伝《せんでん》に|都合《つがふ》が|好《よ》いのだが、ネエ|梅ケ香姫《うめがかひめ》さま、|船《ふね》に|乗《の》ると|思《おも》ひ|出《だ》しますわ』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『ホヽヽヽ、|歌《うた》でも|歌《うた》つたら、|又《また》ウラル|教《けう》の|方《かた》が|乗《の》つてゐて|一芝居《ひとしばゐ》|始《はじ》まるかも|知《し》れませぬな』
|此《こ》の|湖《うみ》は|明志《あかし》の|湖《うみ》に|比《くら》べて|余程《よほど》|広《ひろ》く|随《したが》つて|波《なみ》も|高《たか》く、|航路《かうろ》も|日数《につすう》がかかるのである。|船客《せんきやく》は|退屈《たいくつ》|紛《まぎ》れに|口々《くちぐち》に|彼方《あちら》|此方《こちら》に|一団《いちだん》となつて、|世間話《せけんばなし》に|耽《ふけ》つてゐる。
|甲《かふ》『|世《よ》の|中《なか》には|妙《めう》な|事《こと》があるものだな。アルタイ|山《ざん》には|蛇掴《へびつか》みと|云《い》ふ|目玉《めだま》の|四《よつ》つある|悪神《わるがみ》が|居《を》つて、|大蛇《をろち》を|喰《く》つたり、|人《ひと》を|喰《く》うさうだし、クス|野ケ原《のがはら》には|一《ひと》つ|目《め》の|化物《ばけもの》が|出《で》たり、|大蛇《をろち》が|人《ひと》を|呑《の》んだり、|随分《ずゐぶん》|物騒《ぶつそう》な|世《よ》の|中《なか》だ』
|乙《おつ》『そんな|事《こと》、|知《し》らぬものがあるかい、|彼程《あれほど》|名高《なだか》い|話《はなし》を、|夫《そ》れよりもモツトモツト|珍《めづら》しい|話《はなし》がある。お|前達《まへたち》の|後《おく》れ|耳《みみ》には|未《ま》だ|這入《はい》つて|居《を》るまい』
|甲《かふ》『|莫迦《ばか》|云《い》へ、|俺《おれ》は|八《や》つ|耳《みみ》だ。|世間《せけん》の|噂《うはさ》は|一番《いちばん》に|此《この》|耳《みみ》に|這入《はい》るのだ。さうして|目《め》もよく|利《き》く、|鼻《はな》もよく|利《き》く、|口《くち》もよく|利《き》く、|俺《おれ》の|舌《した》は|酒《さけ》の|善悪《よしあし》もよく|利《き》くなり、|手《て》も|足《あし》も|利《き》くなり、|腕《うで》も|利《き》けば、|威喝《をどし》も|利《き》く、|夫《そ》れでも|俺《おれ》の|精神《せいしん》は、きかん|気者《きもの》だぞ。|愚図々々《ぐづぐづ》|吐《ぬか》すと|承知《しようち》をしないぞ』
|乙《おつ》『アハヽヽヽ、|蟷螂《かまきり》のやうな|三角《さんかく》な|面《つら》しやがつて、|目《め》ばつかりギヨロギヨロ|剥《む》いて|偉《えら》さうに|云《い》ふない』
|甲《かふ》『そんなら|何《なん》だい。|聞《き》いてやらうかい』
|乙《おつ》『それ|見《み》たか、|確《しつか》り|聞《き》け。このごろ|黒野ケ原《くろのがはら》に|雪婆《ゆきんばば》のやうな|玲瓏《れいろう》|玉《たま》の|如《ごと》き|孔雀姫《くじやくひめ》と|云《い》ふ、それはそれは|頗《すこぶ》る|別嬪《べつぴん》の|魔神《まがみ》が|現《あら》はれて、|其処《そこ》を|通《とほ》つた|奴《やつ》は、|誰《たれ》も|彼《かれ》も|皆《みんな》|喰《く》はれて|了《しま》ふと|云《い》うことだ』
|甲《かふ》『ウンさうか、それは|初耳《はつみみ》だ。|天《てん》に|口《くち》あり、|壁《かべ》に|耳《みみ》ありと|云《い》ふ|事《こと》だが、|俺《おれ》の|所《とこ》の|家《うち》は|俺《おれ》の|体《からだ》と|同《おな》じやうに|壁《かべ》の|肉《にく》が|皆《みな》|落《お》ちて、|骨《ほね》ばつかりだから、|壁《かべ》からも|聞《き》かして|呉《く》れなんだのだ。マアお|前《まへ》の|御壁《おかべ》で|珍《めづら》しい|話《はなし》を|骨《ほね》|折《を》つて|聞《き》かうかい』
|珍公《ちんこう》『オイオイ、お|前達《まへたち》そんな|古《ふる》い|話《はなし》を|今頃《いまごろ》に|何《なん》|云《い》つてるのだい。モツトモツト|新《あた》らしい|珍無類《ちんむるゐ》の|珍談《ちんだん》があるのだ。|此《この》|珍《ちん》さまは|耳《みみ》が|敏《さと》いからな』
|甲《かふ》『オイ|珍公《ちんこう》、|口上《こうじやう》ばつかり|列《なら》べやがつて|後《あと》を|言《い》はぬかい』
|珍公《ちんこう》『|今《いま》|云《い》うて|聞《き》かすから|小男鹿《さをしか》の|耳振《みみふ》り|立《た》てて、|畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|聞《きこ》し|召《め》せ』
|甲《かふ》『|早《はや》く|云《い》はぬかい』
|珍公《ちんこう》『|八釜敷《やかましう》|云《い》ふない。さう|安売《やすう》りしては|値打《ねうち》が|無《な》いわ。|貴様《きさま》ん|所《とこ》の|嬶《かか》の|尻《しり》のやうな|名《な》の|付《つ》いた|神《かみ》さまが|現《あら》はれたといのう』
|甲《かふ》『|俺《おれ》ん|所《とこ》の|嬶《かか》の|尻《しり》みたいなとは|何《なん》だ。|臼《うす》の|化物《ばけもの》でも|出《で》たのか』
|珍公《ちんこう》『|臼《うす》ぢやないわ、|貴様《きさま》もよつぽど|薄野呂《うすのろ》だ。|何《なん》でも|大《おほ》きな|団尻姫《だんじりひめ》とか|云《い》ふ|神《かみ》さまが|現《あら》はれたのだ』
|乙《おつ》『アハヽヽヽ、フン|何《なに》を|吐《ぬか》しやがるのだ。|偉《えら》さうに|聞《き》きはつりやがつて、|知《し》りもせぬ|癖《くせ》に|知《し》り|顔《がほ》しやがつて、|尻《けつ》が|呆《あき》れるワイ』
|珍公《ちんこう》『オー、|尻《しり》で|思《おも》ひ|出《だ》した。|大気津姫《おほげつひめ》だ』
|甲《かふ》『その|大気津姫《おほげつひめ》が|何《ど》うしたと|云《い》ふのだ』
|珍公《ちんこう》『マア|黙《だま》つて|聞《き》け。|何《なん》でも|其奴《そいつ》はな、|美味《うまい》ものが|好《す》きで、|美《うつく》しい|着物《きもの》が|着《き》たうて、|綺麗《きれい》な、|立派《りつぱ》な|家《いへ》を|建《た》てて、|沢山《たくさん》の|男衆《をとこしう》や、|女子衆《をなごしう》を|使《つか》つて、|栄耀栄華《えいようえいぐわ》に|暮《くら》す|奴《やつ》だと|云《い》ふことだ』
|甲《かふ》『|誰《たれ》だつて、|美味物《うまいもの》は|好《す》きに|定《きま》つて|居《ゐ》る。|身体《からだ》に|掻《か》き|破《やぶ》りの|出来《でき》るような|着物《きもの》を|着《き》るより、お|蚕《かひこ》の|柔《やはら》かな|着物《きもの》を|好《この》むのは、|別《べつ》に|大気津姫《おほげつひめ》ぢやなくつても、|俺《おれ》の|所《とこ》の|大尻姫《おほげつひめ》でも|同《おな》じ|事《こと》だ。|世界中《せかいぢう》に|美味物《うまいもの》|嫌《きら》ひな|奴《やつ》があるか。|人間《にんげん》は|着《き》たり、|喰《く》うたりするのが|楽《たの》しみだ、|珍《めづら》しさうに|何《なに》|吐《ぬか》しやがるのだ』
|珍公《ちんこう》『わかりきつた、|定《きま》つたこと|云《い》ふのが、|珍《めづ》らしいのだ。|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》は|分《わか》らぬことの、|定《きま》りの|無《な》い|事《こと》を|云《い》ふ|奴《やつ》が、|皆《みな》|彼奴《あいつ》は|賢《かしこ》いとか、|学者《がくしや》だとか、|悧巧《りかう》だとか|言《い》はれる|世《よ》の|中《なか》だ。|本当《ほんたう》の|真直《まつすぐ》な|事《こと》を|云《い》ふ|奴《やつ》は、|皆《みな》|莫迦《ばか》にする|世《よ》の|中《なか》だ。これが|逆様《さかさま》の|世《よ》の|中《なか》と|云《い》ふのだよ』
|甲《かふ》『|考《かんが》へて|見《み》れば、そンなものだなア。|夫《それ》でも|世《よ》の|中《なか》は|裏表《うらおもて》があるものだ。マア|一寸《ちよつと》この|湖《うみ》を|覗《のぞ》いて|見《み》い。|斯《こ》うして|船《ふね》に|乗《の》つて|頭《あたま》を|上《うへ》にして、|吾々《われわれ》は|乗《の》つて|居《ゐ》る|積《つも》りだが、|鏡《かがみ》の|池《いけ》の|水鏡《みづかがみ》を|覗《のぞ》いて|見《み》ると、|船《ふね》は|下向《したむ》きになりやがつて、|貴様等《きさまら》の|頭《あたま》が|下向《したむき》になつてゐるわ、これが|世《よ》の|中《なか》の|事《こと》が|鏡《かがみ》に|映《うつ》つて|居《ゐ》るのだ』
|時公《ときこう》はこの|話《はなし》を|耳《みみ》を|澄《すま》して|興味《おもしろ》がつて|聴《き》いてゐた。|忽《たちま》ち|身《み》を|起《おこ》し、|三人《さんにん》の|前《まへ》にバタリと|胡床《あぐら》をかき、
|時公《ときこう》『ヤア、|最前《さいぜん》から|御話《おはなし》を|承《うけたま》はれば、|珍《めづら》しさうな|珍《めづら》しくないやうな、|妙《めう》な|御話《おはなし》を|聴《き》きました。|一体《いつたい》その|大気津姫《おほげつひめ》とやらは、|何処《どこ》に|居《を》るのですか』
|甲《かふ》『お|前《まへ》さまは|何処《どこ》の|人《ひと》か|知《し》らぬが、|人《ひと》に|物《もの》を|尋《たづ》ねるのに|名乗《なの》りを|上《あ》げずに|何《なん》のことだ、|名《な》を|名乗《なの》りなさい。|行儀《ぎやうぎ》を|知《し》らぬ|人《ひと》だな』
|時公《ときこう》『アー、これは|失礼《しつれい》しました、|私《わたくし》の|名《な》は|時々《ときどき》|脱線《だつせん》すると|云《い》ふ|時公《ときこう》と|申《まを》します』
|乙《おつ》『あまり|大《おほ》きな|男《をとこ》がやつて|来《く》るので、|胸《むね》が【どき】どきした。|大気津姫《おほげつひめ》の|話《はなし》なら|私《わたくし》が|本家《ほんけ》|本元《ほんもと》だ。|聴《き》いて|貰《もら》ひませう』
|時公《ときこう》『アヽ、それは|有難《ありがた》う』
|乙《おつ》『その|大気津姫《おほげつひめ》はコーカス|山《ざん》の|山奥《やまおく》に、|立派《りつぱ》な|宮殿《きうでん》を|造《つく》り、|沢山《たくさん》の|家来《けらい》を|従《つ》れて、|何《なん》でも|人民《じんみん》の|膏《あぶら》を|搾《しぼ》つて、|自分等《じぶんら》の|眷属《けんぞく》ばかりが|栄耀栄華《えいようえいぐわ》に|暮《くら》して|居《ゐ》るさうです。|此《この》|間《あひだ》も|素盞嗚命《すさのをのみこと》さまの|御使《おつかひ》とやらが、|大気津姫《おほげつひめ》を|一《ひと》つ|帰順《きじゆん》さすとか、|何《なん》とか|言《い》つて|行《い》つた|限《ぎ》り|帰《かへ》つて|来《き》ませぬと|云《い》ふ|専《もつぱ》らの|評判《ひやうばん》です』
|時公《ときこう》『それは|何《なん》といふ|方《かた》です』
|乙《おつ》『サア、|何《なん》といふ|方《かた》か|名《な》は|忘《わす》れたが、|何《なん》でも|長《なが》いやうな|名《な》であつた』
|甲《かふ》『その|女《をんな》は|大蛇姫《をろちひめ》と|違《ちが》ふか。|大蛇《をろち》と|云《い》ふ|奴《やつ》は|随分《ずゐぶん》|長《なが》いものだ。さうして|女《をんな》だてらにそンな|処《ところ》へ|一人《ひとり》で|行《ゆ》くなんて、よほど|太《ふと》い|奴《やつ》だぜ。|大方《おほかた》クス|野ケ原《のがはら》の|大蛇《をろち》の|化物《ばけもの》かも|知《し》れぬ。|大蛇姫《をろちひめ》と|大気津姫《おほげつひめ》との|戦《たたか》ひは|随分《ずゐぶん》|見物《みもの》だらう』
|珍公《ちんこう》『でも|竹《たけ》のやうな|名《な》だつたぞ』
|時公《ときこう》『|竹野姫《たけのひめ》と|云《い》ふ|御方《おかた》と|違《ちが》ふか』
|珍公《ちんこう》『アー、その|竹野姫《たけのひめ》だ。その|女《をんな》が|雪《ゆき》の|降《ふ》るのに|只《ただ》|一人《ひとり》、|月《つき》は|照《て》るとも|虧《かく》るとも、|雪《ゆき》は|積《つ》むとも|解《とけ》るとも、|大直日《おほなほひ》だとか、|大気津姫《おほげつひめ》だとか、|見直《みなほ》すとか、|斬《き》り|直《なほ》すとか、|偉《えら》さうに|云《い》つて|山《やま》へ|登《のぼ》つた|限《ぎ》り、|雪《ゆき》に|鎖《とざ》されたのか、|大気津姫《おほげつひめ》にしてやられたのか|一向《いつかう》その|後《ご》の|消息《せうそく》がわからぬといふことだ。|女《をんな》だてらに|豪胆《がうたん》にも、|彼《あ》んな|猛獣《まうじう》や|大蛇《だいじや》ばかりの|山《やま》へ|往《ゆ》くから、そんな|目《め》に|遭《あ》うのですな』
|時公《ときこう》『はてな』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『モシモシ|姉《ねえ》さま、|今《いま》の|話《はなし》は|中《なか》の|姉《ねえ》さまのことぢやありますまいか。|若《も》しさうだつたら|私《わたくし》|何《ど》うしませう』
|松代姫《まつよひめ》『イヤ、|心配《しんぱい》なさるな。|何処《どこ》へ|行《い》つても|神様《かみさま》と|二人連《ふたりづ》れだ。この|地《つち》の|上《うへ》は|皆《みな》|国治立命《くにはるたちのみこと》|様《さま》と|金勝要神《きんかつかねのかみ》|様《さま》と、|素盞嗚命《すさのをのみこと》|様《さま》とが|御守護《ごしゆご》|遊《あそ》ばす|御地面《ごぢめん》だから、|屹度《きつと》|神様《かみさま》の|御用《ごよう》をして|居《ゐ》る|竹野姫《たけのひめ》、|滅多《めつた》なことはありませぬよ』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『|姉《ねえ》さま、さうでしたねエ。|余《あま》り|心配《しんぱい》してつひ|迷《まよ》ひました。|一日《いちにち》も|早《はや》くコーカス|山《ざん》とやらへ|行《い》つて、|姉《ねえ》さまに|力《ちから》をつけて|上《あ》げませうか』
|松代姫《まつよひめ》『まだ|貴女《あなた》は|心配《しんぱい》をなさる。そんな|取越苦労《とりこしくらう》は|要《い》りませぬ』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『ホヽヽヽ』
|時公《ときこう》『モシモシ|御姉妹様《ごきやうだいさま》、|何《ど》うやらこれは|竹野姫《たけのひめ》さまのことらしい|様《やう》に|思《おも》はれます。|一《ひと》つコーカス|山《ざん》へ|駆《か》け|上《あが》つて、|時公《ときこう》が|一働《ひとはたら》き|致《いた》します。マー|見《み》てゐて|下《くだ》さい』
|松代姫《まつよひめ》『|何《ど》うなさるの』
|時公《ときこう》『その|大気津姫《おほげつひめ》と|云《い》ふ|奴《やつ》|改心《かいしん》すればよし、|改心《かいしん》せぬとあれば|素盞嗚命《すさのをのみこと》|様《さま》の|御威勢《ごゐせい》を|借《か》つて、|斬《き》つて|斬《き》つて|斬《き》り|廻《まは》し、|乾児《こぶん》の|奴《やつ》らを|残《のこ》らず|血祭《ちまつ》りにしてやりませうかい』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『|又《また》しても|時《とき》さま、そんな|乱暴《らんばう》なことを|云《い》ひますか。|詔《の》り|直《なほ》しなさい』
|時公《ときこう》『|明志丸《あかしまる》から|今《いま》|鏡丸《かがみまる》に|乗《の》り|直《なほ》したとこです』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『マアマアよろしい。|悠然《ゆつくり》と|気《き》を|落《おち》つけて|手荒《てあら》いことをせぬやうに、|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》で|言向《ことむけ》|和《やは》しませう』
|時公《ときこう》『|三五教《あななひけう》は|表教《おもてけう》と|云《い》ふのですか。|誰《たれ》も|彼《かれ》も|此《この》|歌《うた》を|聞《き》くものは|賛成《さんせい》せぬものはありませぬ、|大持《おほも》てに|好《よ》う|持《も》てる|大持《おほも》て|教《けう》ですな。|其処《そこ》で|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれると|云《い》ふのでせう。これからコーカス|山《ざん》へ|駆《か》け|上《あが》つて、|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》ませうかい』
|五日五夜《いつかいつよ》の|航海《かうかい》も|無事《ぶじ》に、|漸《やうや》く|船《ふね》は|西岸《せいがん》に|着《つ》いた。|乗客《じやうきやく》は|先《さき》を|争《あらそ》つて|上陸《じやうりく》する。|五人《ごにん》は|悠々《いういう》として|歌《うた》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|又《また》もや|西北《せいほく》|指《さ》してコーカス|山《ざん》|目《め》【あて】に|進《すす》み|行《ゆ》くのであつた。
(大正一一・三・一 旧二・三 外山豊二録)
第三篇 |言霊解《ことたまかい》
第一五章 |大気津姫《おほげつひめ》の|段《だん》(一)〔四八二〕
『|於是《ここに》、|八百万《やほよろづ》の|神共《かみども》に|議《はか》りて、|速須佐之男命《はやすさのをのみこと》に|千位《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》はせ、|亦《また》|鬚《ひげ》を|切《き》り、|手足《てあし》の|爪《つめ》をも|抜《ぬ》かしめて、|神《かむ》|追《やら》ひに|追《やら》ひき』
|爰《ここ》に|天照大神《あまてらすおほかみ》と|速須佐之男命《はやすさのをのみこと》の|天《あめ》の|真奈井《まなゐ》の|誓約《せいやく》によりて、|清明無垢《せいめいむく》の|素尊《すそん》の|御魂《みたま》、|三女神《さんぢよしん》が|現《あら》はれ|玉《たま》ひしより、|素尊《すそん》|部下《ぶか》の|諸神等《しよしんら》の|不平《ふへい》|勃発《ぼつぱつ》し、|終《つひ》に|天《あま》の|岩戸《いはと》の|大事変《だいじへん》を|湧起《ゆうき》せしめ、|一時《いちじ》は|天津神国《あまつかみくに》も、|葦原《あしはら》の|中津国《なかつくに》も|常暗《とこやみ》の|世《よ》となり、|次《つい》で|八百万《やほよろづ》の|神《かみ》|等《たち》が|天《あめ》の|安河原《やすかはら》の|神《かむ》|集《つど》ひに|集《つど》ひて、|神議《かむはか》りに|議《はか》り|玉《たま》ひ、|結局《けつきよく》|大海原《おほうなばら》の|主神《しゆしん》たりし|速須佐之男命《はやすさのをのみこと》に|千位《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》はせ、|亦《また》|鬚《ひげ》を|切《き》り、|手足《てあし》の|爪《つめ》をも|抜《ぬ》かしめて、|天上《てんじやう》より|神《かむ》|追《やら》ひに|追《やら》ひ|玉《たま》ふの|止《や》むを|得《え》ざるに|立到《たちいた》つたのであります。
『|千位《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》はせて』と|云《い》ふ|意義《いぎ》は、|一天万乗《いつてんばんじやう》の|位《くらゐ》で、|群臣《ぐんしん》、|百僚《ひやくれう》、|百官《ひやくくわん》の|上《うへ》に|立《た》つ|高御座《たかみくら》を|負《お》はせ|即《すなは》ち|放棄《はうき》させてと|云《い》ふ|事《こと》であります。|父《ちち》|伊邪那岐大神《いざなぎのおほかみ》より、|大海原《おほうなばら》なる|大地球《だいちきう》の|統治権《とうぢけん》を|附与《ふよ》されて、|天下《てんか》に|君臨《くんりん》し|玉《たま》ふべき|素尊《すそん》でありますけれ|共《ども》、|高天原《たかあまはら》に|於《お》ける|天《あま》の|岩戸《いはと》の|変《へん》の|大責任《だいせきにん》を|負《お》ひて、|衆議《しうぎ》の|結果《けつか》|千万《ちよろづ》の|神《かみ》の|上《うへ》に|立《た》つ|千位《ちくら》の|置戸《おきど》を|捨《す》て|玉《たま》ふに|致《いた》つたのであります。|凡《すべ》て|万神《ばんしん》|万有《ばんいう》の|一切《いつさい》の|罪科《ざいくわ》を|一身《いつしん》に|負担《ふたん》して、|自《みづか》ら|罪人《ざいにん》となつて、|天地《てんち》の|神明《しんめい》へ|潔白《けつぱく》なる|心性《しんせい》を|表示《へうじ》されたのであります。|斯《こ》の|温順《をんじゆん》|善美《ぜんび》なる|命《みこと》の|御精霊《ごせいれい》を|称《しよう》して|瑞《みづ》の|御魂《みたま》と|謂《い》ふのである。|基督《キリスト》が|十字架《じふじか》に|釘付《くぎづ》けられて|万民《ばんみん》の|罪《つみ》を|贖《あがな》ふと|云《い》ふのも、|要《えう》するに|千位《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》うたと|同《おな》じ|意味《いみ》であります。|世界《せかい》|一切《いつさい》の|万類《ばんるゐ》を|救《すく》う|為《ため》に|身《み》を|犠牲《ぎせい》に|供《きよう》する|事《こと》は、|即《すなは》ち|千位《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》ふのである。|現今《げんこん》の|如《ごと》く|罪穢《つみけがれ》に|充《み》ち、|腐敗《ふはい》の|極《きよく》に|達《たつ》せる|地上《ちじやう》も|亦《また》、|至仁《しじん》|至愛《しあい》なる|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|神《かみ》の|贖罪《とくざい》ある|為《ため》に、|大難《だいなん》も|小難《せうなん》と|成《な》り、|小難《せうなん》も|消失《せうしつ》するのである。アヽ|一日《いちにち》も|早《はや》く、|片時《へんじ》も|速《すみや》かに、|天下《てんか》|国家《こくか》の|為《ため》に|犠牲《ぎせい》となる|可《べ》き、|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|守護《しゆご》ある|真人《しんじん》の|各所《かくしよ》に|出現《しゆつげん》して、|既《すで》に|倒壊《たうくわい》せむとする|世界《せかい》の|現状《げんじやう》を|救済《きうさい》せむことを|希望《きばう》して|止《や》まぬ|次第《しだい》である。
『|亦《また》|鬚《ひげ》を|切《き》り』と|云《い》ふ|意義《いぎ》は、
【ヒ】は、|霊《れい》であり、|日《ひ》の|御子《みこ》の|朝《てう》に|仕《つか》へて|政治《せいぢ》を|照《てら》す|言霊《ことたま》であり、
【ゲ】は|実名《じつめい》|職掌《しよくしやう》である。
|即《すなは》ち|自分《じぶん》が|官吏《くわんり》ならば|官職《くわんしよく》を|辞《じ》し、|会社《くわいしや》の|重役《ぢゆうやく》を|辞《じ》すと|云《い》ふ|事《こと》を、【ヒ】【ゲ】を|抜《ぬ》くと|云《い》ふのである。|俗《ぞく》に|何《なに》も|知《し》らずに|高《たか》い|処《ところ》へ|止《と》まつてエラサウに|吐《ぬか》すと、|鬚《ひげ》を|抜《ぬ》いてやらうかなぞと|言《い》ふのも、|不信任《ふしんにん》を|表白《へうはく》した|言葉《ことば》である。|高位《かうゐ》|高官《かうくわん》の|人《ひと》や、|大会社《だいくわいしや》の|重役《ぢゆうやく》や、|大教育家《だいけういくか》なぞが|大本《おほもと》の|教義《けうぎ》でなくては|天下《てんか》|国家《こくか》を|救《すく》ふ|事《こと》が|出来《でき》ない|事《こと》を|心底《しんてい》より|承認《しようにん》し|乍《なが》ら、|未《ま》だ|充分《じうぶん》の|決心《けつしん》がつかずして|現在《げんざい》の|地位《ちゐ》に|恋々《れんれん》として、|自己《じこ》の|名利《めいり》|栄達《えいたつ》にのみ|腐心《ふしん》して、|大本《おほもと》の|教《をしへ》を|人眼《ひとめ》を|忍《しの》んで|遠《とほ》くより|研究《けんきう》し、|世人《せじん》に|知《し》られる|事《こと》を|憚《はばか》つて|居《を》る|如《よ》うな|立派《りつぱ》な|人士《じんし》が|沢山《たくさん》に|在《あ》るが、|斯《かく》の|如《ごと》き|人《ひと》は|至忠《しちう》|思君《しくん》|思国《しこく》の|日本魂《やまとだましひ》を|振起《しんき》して、|公然《こうぜん》|大本《おほもと》の|信者《しんじや》と|名乗《なの》り、|現代《げんだい》の|高《たか》い|位地《ゐち》なり、|名望《めいばう》を|眼中《がんちう》に|置《お》かず、|止《や》むを|得《え》ざれば|現《げん》|位地《ゐち》を|擲《なげう》つて、|天下《てんか》|国家《こくか》の|為《ため》に、|大本《おほもと》の|主義《しゆぎ》を|天下《てんか》に|実行《じつかう》する|様《やう》になつた|時《とき》が、|所謂《いはゆる》|鬚《ひげ》を|切《き》つて、|真個《しんこ》|神明《しんめい》と|大君《おほぎみ》と|社会《しやくわい》とに|奉仕《ほうし》の|出来《でき》る|時《とき》であります。
『|手足《てあし》の|爪《つめ》まで|抜《ぬ》かしめて、|神《かむ》|追《やら》ひに|追《やら》ひ|玉《たま》ひき』と|云《い》ふ|意義《いぎ》は、
|手足《てあし》の|爪《つめ》とは|私有《しいう》|財産《ざいさん》の|事《こと》である。|手《て》の|爪《つめ》は|現代《げんだい》の|所謂《いはゆる》|動産物《どうさんぶつ》で|足《あし》の|爪《つめ》は|不動産物《ふどうさんぶつ》である。|要《えう》するに|一切《いつさい》の|地位《ちゐ》を|擲《なげう》ち、|一切《いつさい》の|財産《ざいさん》を|顧《かへり》みず、|物質的《ぶつしつてき》|慾望《よくばう》を|捨《す》てて|神明《しんめい》の|道《みち》を|天下《てんか》に|宣伝《せんでん》する|事《こと》が、|神《かむ》|追《やら》ひに|追《やら》ひきと|云《い》ふ|事《こと》になるのである。|従来《じうらい》の|俗界《そくかい》を|離《はな》れて、|至聖《しせい》、|至美《しび》、|至直《しちよく》なる|大神《おほかみ》の|道《みち》に|仕《つか》へ|奉《まつ》る|事《こと》を|神《かむ》やらひと|謂《い》ふのである。
【ヤ】【ラ】【ヒ】の|言霊《ことたま》を|調《しら》べる|時《とき》は、
【ヤ】は|天地《てんち》|自然《しぜん》の|大道《だいだう》に|帰《かへ》り、|世界《せかい》の|親《おや》たる|覚悟《かくご》を|以《もつ》て|万民《ばんみん》を|教《をし》へ|導《みちび》き、|八方《はつぱう》の|事物《じぶつ》を|明《あきら》かに|指示《しじ》する|事《こと》である。
【ラ】は、|俗《ぞく》より|真《しん》に|反《かへ》りて、|従来《じうらい》の|体主霊従的《たいしゆれいじうてき》|行動《かうどう》を|翻然《ほんぜん》として|改《あらた》め、|無量寿《むりやうじゆ》にして|生死《せいし》の|外《ほか》に|超然《てうぜん》として|産霊《むすび》の|大道《だいだう》を|実行《じつかう》し、|霊系《れいけい》|高皇産霊神《たかみむすびのかみ》の|神業《しんげふ》を|翼賛《よくさん》し、|極乎《きよくこ》として|間断《かんだん》なく|惟神《かむながら》の|大道《だいだう》を|天下《てんか》に|宣伝《せんでん》し、|実行《じつかう》して、|寸暇《すんか》|無《な》き|神業《しんげふ》|奉仕者《ほうししや》となる|事《こと》である。
【ヒ】は、|天理《てんり》|人道《じんだう》を|明《あきら》かにし、|神妙《しんめう》|不可測《ふかそく》の|神機《しんき》に|透徹《とうてつ》し、|過去《くわこ》、|現在《げんざい》、|未来《みらい》を|明《あきら》かに|了知《れうち》し、|達観《たつくわん》し、|天地経綸《てんちけいりん》の|大司宰者《だいしさいしや》たる|人《ひと》の|本能《ほんのう》|霊徳《れいとく》を|顕《あら》はし、|以《もつ》て|◎《す》の|根底《こんてい》を|結《むす》び|護《まも》り、|無上《むじやう》の|尊厳《そんげん》を|保《たも》つ|事《こと》である。
|故《ゆゑ》に|神《かむ》|追《やら》ひは、|神様《かみさま》を|追放《つゐはう》したり、|退去《たいきよ》させたりすると|云《い》ふ|意義《いぎ》では|無《な》い。【追】の|漢字《かんじ》と【退】の|漢字《かんじ》の|区別《くべつ》ある|事《こと》を|能《よ》く|反省《はんせい》すべきである。この|点《てん》は|古事記《こじき》|撰録者《せんろくしや》の|最《もつと》も|意《い》を|用《もち》ゐたる|点《てん》にして、|実《じつ》に|其《そ》の|親切《しんせつ》と|周到《しうたう》なる|注意《ちうい》とは|感謝《かんしや》すべき|事《こと》であります。
『|神《かむ》|追《やら》ひ』と|云《い》ふ|事《こと》を|大本《おほもと》に|写《うつ》して|見《み》る|時《とき》は、|第一《だいいち》に|各《かく》|役員《やくゐん》の|如《ごと》きは、|総《すべ》て|鬚《ひげ》を|切《き》り|手足《てあし》の|爪《つめ》まで|抜《ぬ》きて|大本《おほもと》へ|神追《かむやら》ひに|追《やら》はれ|玉《たま》うた|人々《ひとびと》であります。|併《しか》し|乍《なが》ら|現今《げんこん》の|社会《しやくわい》の|総《すべ》てが|右《みぎ》|諸子《しよし》の|如《ごと》くに|神追《かむやら》ひに|追《やら》はれ、|且《かつ》|又《また》|鬚《ひげ》を|切《き》り|手足《てあし》の|爪《つめ》まで|抜《ぬ》かしめられては|却《かへ》つて|天下《てんか》の|政治《せいぢ》を|乱《みだ》し、|産業《さんげふ》の|発達《はつたつ》を|阻止《そし》し、|国力《こくりよく》を|弱《よわ》める|事《こと》になりますから、|神様《かみさま》は|神業《しんげふ》に|直接《ちよくせつ》|奉仕《ほうし》すべき|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》ある|真人《しんじん》のみに|綱《つな》を|掛《か》けて、|大本《おほもと》に|御引寄《おひきよ》せに|成《な》つたのであります。|故《ゆゑ》に|身魂《みたま》に|因縁《いんねん》の|無《な》い|人々《ひとびと》は、|最初《さいしよ》から|何程《なにほど》|熱心《ねつしん》に|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》せむとしても、|神様《かみさま》から|御使《おつか》ひに|成《な》らぬから、|何等《なんら》かの|機会《きくわい》に|不平《ふへい》を|起《おこ》して|脱退《だつたい》せなくてはならぬ|様《やう》な|破目《はめ》に|陥《おちい》り、|終《つひ》には|某々《ぼうぼう》|氏《し》|等《ら》の|如《ごと》く|犬糞的《けんぷんてき》に|悪胴《わるどう》を|据《す》ゑて、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|大本《おほもと》の|攻撃《こうげき》を|始《はじ》める|様《やう》に|成《な》るのであります。|亦《また》|深《ふか》い|因縁《いんねん》の|有《あ》る|人士《じんし》で、|鬚《ひげ》を|切《き》り|兼《か》ね、|手足《てあし》の|爪《つめ》を|抜《ぬ》き|兼《か》ねて、|遠《とほ》くから|奉仕《ほうし》されて|居《ゐ》る|人々《ひとびと》もまだまだ|沢山《たくさん》にあります。|大本《おほもと》の|神業《しんげふ》に|直接《ちよくせつ》|奉仕《ほうし》する|真人《しんじん》と、|又《また》|間接《かんせつ》に|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》されて|居《ゐ》る|人士《じんし》とがあります。|是《これ》は|鬚《ひげ》を|切《き》ると|切《き》らないとの|差異《さい》でありますが、|因縁《いんねん》ある|人士《じんし》は|勇猛《ゆうまう》|果断《くわだん》|一日《いちじつ》も|早《はや》く、|神業《しんげふ》に|直接《ちよくせつ》|参加《さんか》せられたいものであります。さうで|無《な》ければ|天下《てんか》に|跳梁跋扈《てうりやうばつこ》せる|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》を|亡《ほろ》ぼし、|天《あめ》の|下《した》を|至治泰平《しぢたいへい》ならしむる|神業《しんげふ》を|完全《くわんぜん》に|遂行《すゐかう》する|事《こと》が|出来《でき》ないのであります。|世《よ》の|中《なか》には|小官《せうくわん》|小吏《せうり》が|鬚《ひげ》|計《ばか》り|蓄《たくは》へて|尊大《そんだい》|振《ぶ》り|真意《しんい》も|了解《れうかい》|出来《でき》ぬ|癖《くせ》に、|鰌《どぜう》や|鯰《なまづ》の|如《よ》うな|貧乏鬚《びんばふひげ》を|揉《も》みながら、|大本《おほもと》は|淫祠《いんし》だの|邪教《じやけう》だのと、|大《おほ》きな|口《くち》を|開《あ》けて|泥《どろ》を|吹《ふ》き、|田螺《たにし》や|蛙《かへる》を|脅《をど》かして、|大本《おほもと》へ|入信《にふしん》せむとする|可憐《かれん》な|純良《じゆんりやう》な|同胞《どうはう》の|精神《せいしん》を|濁《にご》さむとして|居《ゐ》るのが|沢山《たくさん》ある。|亦《また》|世《よ》の|中《なか》には、|手足《てあし》の|爪《つめ》を|抜《ぬ》くどころか、|爪《つめ》の|先《さき》に|火《ひ》を|点《とも》して|利己主義《りこしゆぎ》|一遍《いつぺん》の|人物《じんぶつ》があつて|日《ひ》に|夜《よ》に|爪《つめ》を|研《と》ぎすまし、|鷹《たか》が|雀《すずめ》を|狙《ねら》ふ|様《やう》に、|我《わ》れよしに|浮身《うきみ》をやつして|居《ゐ》る|厄介《やくかい》な|現代《げんだい》である。|亦《また》|現代《げんだい》の|如《ごと》き|詰込《つめこ》み|主義《しゆぎ》の|教育法《けういくはふ》は|常《つね》に|精神《せいしん》の|自由《じいう》を|束縛《そくばく》し、|自然《しぜん》の|良智《りやうち》|良能《りやうのう》の|発達《はつたつ》を|妨害《ばうがい》して|居《ゐ》るのであるから、|床《とこ》の|間《ま》の|飾物《かざりもの》に|成《な》る|鉢植《はちうゑ》の|面白《おもしろ》い|珍木《ちんぼく》は|出来《でき》るが、|家《いへ》の|柱《はしら》となる|良材《りやうざい》は|到底《たうてい》|出来《でき》るものでない。|天才《てんさい》|教育《けういく》を|閑却《かんきやく》し|無理《むり》|無態《むたい》に|枝《えだ》を|伐《き》つたり|曲《ま》げたり、|細《ほそ》い|銅線《どうせん》で|縛《しば》り|付《つ》けたり、|突介棒《つつかいぼう》をかうたり、|葉《は》を|断《た》つたり、|捻《ひね》つたり、|四方《しはう》|八方《はつぱう》へ|曲《ま》げまはして、|小《ちひ》さい|樹《き》を|拵《こしら》へて、|高価《かうか》に|売《う》り|付《つ》ける|植木商《うゑきしやう》と|同《おな》じ|教育《けういく》の|行《や》り|方《かた》であるから、|到底《たうてい》|碌《ろく》な|人材《じんざい》は|産《うま》れ|出《い》づるものでない。|一日《いちにち》も|早《はや》くこの|爪《つめ》を|抜《ぬ》き|除《と》つて|了《しま》はねば、|帝国《ていこく》の|前途《ぜんと》は|実《じつ》に|風前《ふうぜん》の|灯火《ともしび》であります。|現代《げんだい》は|個人《こじん》|有《あ》つて|国家《こくか》あるを|忘《わす》れ、|自党《じたう》ありて|他党《たたう》あるを|忘《わす》れて|居《ゐ》る。|他党《たたう》と|雖《いへど》も|亦《また》|国家《こくか》|社会《しやくわい》の|一部《いちぶ》で、|同《おな》じく|是《こ》れ|人間《にんげん》の|儔侶《ちうりよ》たるものであるが、|全《まつた》く|之《これ》を|知《し》らざるが|如《ごと》き|状況《じやうきやう》である。|故《ゆゑ》に|朋党《ほうたう》|内《うち》に|相《あひ》|鬩《せめ》ぎ、|外《そと》|環境《くわんきやう》の|虎視《こし》|耽々《たんたん》として|間隙《かんげき》に|乗《じやう》ぜむとするの|危《あやふ》きに|備《そな》ふるの|道《みち》を|知《し》らず、|実《じつ》に|国家《こくか》の|前途《ぜんと》を|憂《うれ》へざらむとするも|能《あた》はざる|次第《しだい》である。アヽ|今《いま》の|時《とき》に|於《おい》て|大偉人《だいゐじん》の|出現《しゆつげん》し、|以《もつ》て|国家《こくか》|国民《こくみん》の|惨状《さんじやう》を|救《すく》ふもの|無《な》くんば|帝国《ていこく》の|前途《ぜんと》は|実《じつ》に|暗澹《あんたん》たりと|謂《い》ふべきである。|世《よ》には|絶対《ぜつたい》の|平等《べうどう》も|無《な》ければ、|亦《また》|絶対《ぜつたい》の|差別《さべつ》も|無《な》い、|平等《べうどう》の|中《うち》に|差別《さべつ》あり、|差別《さべつ》の|中《うち》に|平等《べうどう》があるのである。|蒼々《さうさう》として|高《たか》きは|天《てん》である。|茫々《ばうばう》として|広《ひろ》きは|地《ち》である。|斯《かく》の|如《ごと》くにして|既《すで》に|上下《じやうげ》あり、|何人《なんびと》か|炭《すみ》を|白《しろ》しと|言《い》ひ|雪《ゆき》を|黒《くろ》しと|言《い》ふものがあらう|乎《か》。|政治家《せいぢか》も、|宗教家《しうけうか》も、|教育家《けういくか》も|此《この》|時《とき》|此《この》|際《さい》、|差別的《さべつてき》|平等《べうどう》なる|天理《てんり》|天則《てんそく》を|覚知《かくち》し、|以《もつ》て|天下万民《てんかばんみん》の|為《ため》に、|汝《なんぢ》の|蓄《たくは》ふる|高慢《かうまん》なる|城壁《じやうへき》を|除《のぞ》き、|以《もつ》て|其《その》|大切《たいせつ》に|思《おも》ふ|処《ところ》の|鬚《ひげ》を|切《き》れ。|其《そ》の|暴力《ばうりよく》に|用《もち》ゆる|手足《てあし》の|爪《つめ》を|抜《ぬ》き|去《さ》り、|以《もつ》て|不惜身命《ふしやくしんめい》、|天下《てんか》の|為《ため》に|意義《いぎ》ある|真《しん》の|生活《せいくわつ》に|入《い》れ。|斯《かく》の|如《ごと》くにして|始《はじ》めて|天壤《てんぜう》|無窮《むきう》の|皇運《くわううん》を|扶翼《ほよく》したてまつり、|御国《みくに》を|永遠《ゑいゑん》に|保全《ほぜん》し、|祖先《そせん》の|遺風《ゐふう》を|顕彰《けんしやう》し、|以《もつ》て|神国《しんこく》|神民《しんみん》の|天職《てんしよく》を|全《まつた》うする|事《こと》が|出来《でき》るのである。
『|又《また》|食物《おしもの》を|大気津比売《おほげつひめ》の|神《かみ》に|乞《こ》ひたまひき』
|食物《おしもの》の|言霊返《ことたまかへ》しは、【イ】である。【イ】は|命《いのち》であり、|出《い》づる|息《いき》である。|即《すなは》ち|生命《せいめい》の|元《もと》となるのが|食物《しよくもつ》である。また【クイ】|物《もの》の【クイ】は【キ】と|約《つま》る。|衣服《いふく》も|亦《また》、キモノと|云《い》ふのである。【キ】は|生《き》なり、|草《くさ》|也《なり》、|気《き》なりの|活用《くわつよう》あり。|故《ゆゑ》に|衣《い》と|食《しよく》とは、|生命《せいめい》を|保持《ほぢ》する|上《うへ》に|最《もつと》も|必要《ひつえう》なものである。|故《ゆゑ》に|人《ひと》は【オシ】|物《もの》の【イ】と【クイ】|物《もの》の【キ】とに|因《よ》つて、【イキ】て|居《を》るのである。|又《また》|人《ひと》の|住居《すまゐ》を【イヘ】と|云《い》ふ。【イヘ】の|霊返《たまかへ》しは、【エ】となる。【エ】は|即《すなは》ち|餌《ゑ》であり、|胞《えな》である。|要《えう》するに、|衣食住《いしよくぢゆう》の|三種《さんしゆ》を|総称《そうしよう》して、|食物《おしもの》と|云《い》ひ、【エ】と|云《い》ひ【ケ】と|言《い》ふのであります。
|大気津姫《おほげつひめ》といふ|言霊《ことたま》は、|要《えう》するに、|物質文明《ぶつしつぶんめい》の|極点《きよくてん》に|達《たつ》したる|為《ため》、|天下《てんか》|挙《こぞ》つて|美衣《びい》|美食《びしよく》し|大廈《たいか》|高楼《かうろう》に|安臥《あんぐわ》して|所在《あらゆる》|贅沢《ぜいたく》を|尽《つく》し、|体主霊従《たいしゆれいじう》の|頂上《ちやうじやう》に|達《たつ》したる|事《こと》を、|大気津姫《おほげつひめ》と|云《い》ふのであります。|糧食《りやうしよく》(【かて】)の|霊返《たまかへ》しは、【ケ】となり、|被衣《かぶと》の|霊返《たまかへ》しは【ケ】と|成《な》り、|家居《かくれ》の|霊返《たまかへ》しは|亦《また》【ケ】となる。|故《ゆゑ》に|衣食住《いしよくぢゆう》の|大《おほい》に|発達《はつたつ》し、|且《か》つ|非常《ひじやう》なる|驕奢《けうしや》に、|世界中《せかいぢう》が|揃《そろ》うてなつて|来《き》たことを|大気津姫《おほげつひめ》と|云《い》ふのであります。
『|乞《こ》ひ|玉《たま》ひき』と|云《い》ふのは、【コ】は|細《こま》やかの|言霊《ことたま》、【ヒ】は|明《あきら》かの|言霊《ことたま》である。|要《えう》するに、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》は|八百万《やほよろづ》の|神《かみ》に|対《たい》して、|正衣《せいい》|正食《せいしよく》し、|清居《せいきよ》すべき|道《みち》を、お|諭《さと》しになつたのを『|乞《こ》ひ|玉《たま》ひき』と、|言霊学上《げんれいがくじやう》|謂《い》ふのであつて、|決《けつ》して|乞食《こじき》|非人《ひにん》が|食物《しよくもつ》を|哀求《あいきう》する|様《やう》な|意味《いみ》では|無《な》いのであります。
『|爾《ここ》に|大気津比売《おほげつひめ》、|鼻《はな》、|口《くち》|及《および》|尻《しり》より、|種々《くさぐさ》の|味物《ためつもの》を|取出《とりい》で、|種々《くさぐさ》|作《つく》り|具《そな》へて|進《たてまつ》る』
|鼻《はな》と|云《い》ふ|事《こと》は、|華《はな》やかなるの|意義《いぎ》であつて、|立派《りつぱ》な|高価《かうか》な|衣服《いふく》のことである。|口《くち》と|云《い》ふ|事《こと》は|食餌《しよくじ》を|意味《いみ》する。|尻《しり》と|云《い》ふ|事《こと》は、|尻《しり》を|落着《おちつ》けて|起臥《きぐわ》する、|家居《かきよ》を|意味《いみ》するのである。『|種々《くさぐさ》の|味物《ためつもの》』とは、|色々《いろいろ》な|臭気《しうき》|紛々《ふんぷん》たる|獣肉《じうにく》や|虫類《むしるゐ》の|事《こと》である。|亦《また》『|種々《くさぐさ》|作《つく》り|具《そな》へて|進《たてまつ》る』と|云《い》ふ|事《こと》は、|獣類《じうるゐ》の|毛皮《けがは》を|被《き》たり、|骨《ほね》を|櫛《くし》や|笄《かふがい》や、|其《その》|他《た》の|道具《だうぐ》に|愛用《あいよう》したり、|鳥《とり》や|虫《むし》の|毛《け》や|皮《かは》で、|日用品《にちようひん》を|造《つく》つたり、|人間《にんげん》の|住居《すまゐ》する|家《いへ》の|中《なか》に|便所《べんじよ》を|造《つく》つたり、|天則《てんそく》を|破《やぶ》つて|人《ひと》の|住居《すまゐ》を|作《つく》るに|檜材《ひのきざい》を|用《もち》ゐたり、|屋根《やね》を|葺《ふ》くにも|檜皮《ひのきがは》で、|恰《あたか》も|神社《じんじや》の|如《よ》うに、|分《ぶん》に|過《す》ぎた|事《こと》を|為《な》したりする|事《こと》を、|種々《くさぐさ》|作《つく》り|具《そな》へて|進《たてまつ》ると|云《い》ふのである。|奉《たてまつ》ると|云《い》ふのは、|下《した》から|上位《じやうゐ》の|方《はう》へ|上《たてまつ》ることであるが、|此《こ》の|御本文《ごほんもん》の|進《たてまつ》ると|云《い》ふ|意味《いみ》は、|進歩《しんぽ》すると|云《い》ふことである。|要《えう》するに|物質文明《ぶつしつぶんめい》の|発達《はつたつ》|進歩《しんぽ》せる|結果《けつくわ》、|国風《こくふう》に|合致《がつち》せざる、|衣食住《いしよくぢう》の|進歩《しんぽ》せる|悪風潮《あくふうてう》を|指《さ》して、クサグサ|進《たてまつ》ると|云《い》ふのであります。
(大正九・一・一六 講演筆録 谷村真友)
第一六章 |大気津姫《おほげつひめ》の|段《だん》(二)〔四八三〕
『|時《とき》に|速須佐之男命《はやすさのをのみこと》、|其《そ》の|態《さま》を|立伺《たちうかが》ひて、|穢汚《きたなき》もの|奉《たてまつ》るとおもほして、|乃《すなは》ち|其《そ》の|大気津比売神《おほげつひめのかみ》を|殺《ころ》したまひき』
|鼻《はな》、|口《くち》、|尻《しり》なる|衣食住《いしよくぢゆう》の|非理非道的《ひりひだうてき》に|進歩《しんぽ》|発達《はつたつ》したる|為《ため》に、|生存競争《せいぞんきやうそう》の|悪風《あくふう》、|天下《てんか》に|吹《ふ》き|荒《すさ》み、その|結果《けつくわ》は、|遂《つい》に|近来《きんらい》に|徴《ちよう》すれば、|欧洲《おうしう》|大戦争《だいせんそう》の|如《ごと》き|惨状《さんじやう》を|招来《せうらい》し|万民《ばんみん》|皆《みな》|塗炭《とたん》に|苦《くる》しむの|現状《げんじやう》は、|所謂《いはゆる》『|穢汚《きたなき》もの|奉進《たてまつ》る』の|実例《じつれい》である。|試《こころ》みに|考《かんが》へて|見《み》よ。|天地《てんち》も|崩《くづ》るる|許《ばか》りの|大騒動《だいさうどう》、|大戦乱《だいせんらん》の|砲声《はうせい》|殷々《ゐんゐん》たる|惨状《さんじやう》が|漸《やうや》く|鎮静《ちんせい》したかと|思《おも》へば、|忽《たちま》ち|世界《せかい》を|挙《あ》げて|囂々《がうがう》たる|社会《しやくわい》|改造《かいざう》の|声《こゑ》と|化《くわ》し、|一瀉万里《いつしやばんり》、|何《なん》の|国境《こくきやう》もなく、|雷電《らいでん》の|轟《とどろ》き|閃《ひらめ》くが|如《ごと》く、|今《いま》や|我《わが》|皇国《くわうこく》にも|轟《とどろ》き|渡《わた》つて|来《き》たのである。|最近《さいきん》|起《おこ》りつつある|生活《せいくわつ》|問題《もんだい》も、|労働《らうどう》|問題《もんだい》も、|思想《しさう》|問題《もんだい》も、|要《えう》するに|生活難《せいくわつなん》の|響《ひび》きに|起因《きいん》するのである。|只《ただ》|単《たん》なる|世界《せかい》の|思潮《してう》に|刺戟《しげき》せられた|一時的《いちじてき》の|現象《げんしやう》であるかと|云《い》ふに、|決《けつ》してさうでない。|如何《いか》に|世界的《せかいてき》|思想《しさう》であらうが、|如何《いか》に|好事者《かうずしや》の|巧妙《かうめう》なる|煽動《せんどう》、|乃至《ないし》|教唆《けうさ》であらうが、|国民《こくみん》の|要求《えうきう》に|於《おい》て|痛切《つうせつ》に|感《かん》ずる|所《ところ》が|無《な》ければ、|決《けつ》して|共鳴《きようめい》するものではないのである。|故《ゆゑ》に|是《これ》を|一時的《いちじてき》の|現象《げんしやう》|位《くらゐ》に|思《おも》つて、|冷然《れいぜん》として|袖手《しうしゆ》|傍観《ばうくわん》し、|為政者《ゐせいしや》や|学者《がくしや》たるものが、|何等《なんら》の|反省《はんせい》もせず|且《かつ》|又《また》|其《そ》の|起《おこ》るべき|根本《こんぽん》の|原因《げんいん》を|究《きは》めずして、|狼狽《らうばい》の|余《あま》り、|急速《きふそく》に|之《これ》を|防止《ばうし》しようとして|徒《いたづら》に|圧迫《あつぱく》を|加《くは》へたりすると、ますます|紛糾《ふんきう》して、|終《つひ》には|救《すく》ふ|可《べ》からざる|一大《いちだい》|禍乱《くわらん》を|激発《げきはつ》せないとも|限《かぎ》らない。これ|実《じつ》に|指導《しだう》の|任《にん》に|当《あた》れる|政治家《せいぢか》、|宗教家《しうけうか》、|教育家《けういくか》、および|有志家《いうしか》の|考慮《かうりよ》し、|奮起《ふんき》し、|以《もつ》てその|大原因《だいげんいん》たる|大気津姫《おほげつひめ》から|根絶《こんぜつ》|改良《かいりやう》せねばならぬのである。|大気津姫《おほげつひめ》を|殺《ころ》さむとする、|現代《げんだい》のいはゆる|改造《かいざう》の|叫《さけ》びは、|何《なに》が|大原因《だいげんいん》となつて、|天下《てんか》の|人民《じんみん》の|多数者《たすうしや》が、|斯《かく》の|如《ごと》く|猛烈《まうれつ》に|共鳴《きようめい》|心随《しんずゐ》するかと|謂《い》へば、|一《ひと》つに|鼻《はな》、|口《くち》および|尻《しり》なる|衣食住《いしよくぢゆう》の|生活《せいくわつ》|問題《もんだい》に|帰《き》するのである。|人間《にんげん》の|苦《くる》しみの|最大《さいだい》なりとするものは|貧窮《ひんきう》である。|即《すなは》ち|衣食住《いしよくぢゆう》の|三類《さんるゐ》の|大欠乏《だいけつぼう》である。|日々《にちにち》の|新聞《しんぶん》を|見《み》ると、|貧苦《ひんく》の|為《ため》に|身《み》を|淵川《ふちかは》に|投《な》げたり、|首《くび》を|吊《つ》つたり、|鉄道《てつだう》|往生《わうじやう》や|毒薬《どくやく》|自殺《じさつ》をしたり、|発狂《はつきやう》したり|等《など》の|悲惨事《ひさんじ》は|日《ひ》に|月《つき》に|増加《ぞうか》して|居《ゐ》るのである。|之《これ》を|見《み》ても、|貧苦《ひんく》と|云《い》ふものは、|死《し》するよりも|辛《つら》い|苦《くる》しいといふことが|明《あきら》かである。|死《し》ぬよりつらい|処《ところ》の|貧苦《ひんく》を|免《まぬが》れんが|為《ため》に、ここに|激烈《げきれつ》なる|生存競争《せいぞんきやうそう》が|起《おこ》つて|来《く》る。|其《そ》の|結果《けつくわ》は|優勝劣敗《いうしようれつぱい》|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》と|云《い》ふ、|人生《じんせい》に|於《お》ける|惨澹《さんたん》たる|餓鬼道《がきだう》の|巷《ちまた》となつて|来《き》たのである。|体主霊従《たいしゆれいじう》、|利己主義《りこしゆぎ》の|結果《けつくわ》は、|徳義《とくぎ》もなければ、|信仰《しんかう》も|無《な》く、|節操《せつさう》も|無《な》く、|勝者《しようしや》たる|大気津姫神《おほげつひめのかみ》は|常《つね》に|意気《いき》|傲然《がうぜん》として、|入《い》つては|大廈高楼《たいかかうろう》に|起伏《きふく》し、|出《いで》ては|即《すなは》ち|酒池肉林《しゆちにくりん》、|千金《せんきん》を|春宵《しゆんせう》に|散《さん》じて、|遊惰《いうだ》、|安逸《あんいつ》、|放縦《はうじう》を|之《こ》れ|事《こと》として、|天下《てんか》に|憚《はばか》らない。|一方《いつぱう》には|劣者《れつしや》たる|貧者《ひんじや》は、|営々《えいえい》として|喘《あへ》ぎ、|尚《な》ほ|且《か》つ|粗雑《そざつ》なる|食《しよく》に|甘《あま》んじ、|以《もつ》て|漸《やうや》くその|飢《う》ゑたる|口腹《こうふく》を|満《み》たすに|足《た》らず、|疲憊困倒《ひはいこんたう》して|九尺《くしやく》|二間《にけん》の|陋屋《ろうをく》に|廃残《はいざん》の|体躯《たいく》を|横《よこた》へ、|空《むな》しく|愛妻《あいさい》|愛児《あいじ》の|饑餓《きが》に|泣《な》くを|聞《き》いて|居《ゐ》る。その|心情《しんじやう》は|富者《ふうしや》|勝者《しようしや》の|到底《たうてい》|夢裡《むり》にだも|窺知《きち》すべからざるの|惨状《さんじやう》である。|古諺《こげん》に|曰《いは》く、『|小人《せうじん》|窮《きう》して|乱《らん》を|為《な》す』と、|終《つひ》に|或《あるひ》は|非常識《ひじやうしき》となり、|軌道《きだう》を|逸《いつ》し、|身投《みな》げ、|首《くび》|吊《つ》り、または|監獄《かんごく》|行《ゆ》きを|希望《きばう》するに|至《いた》るのである。|又《また》これが|群衆的《ぐんしうてき》の|行動《かうどう》となる|時《とき》は、|大正《たいしやう》|七年《しちねん》の|米騒動《こめさうだう》や、|進《すす》むでは|焼打《やきうち》|暴動《ばうどう》ともなり、|同盟罷工《どうめいひこう》や、|怠業的《たいげふてき》|行動《かうどう》ともなり、|日比谷《ひびや》|運動《うんどう》や、|革新的《かくしんてき》|気分《きぶん》ともなるのである。|故《ゆゑ》に|恐《おそ》るべきは、この|結果《けつくわ》を|醸成《じやうせい》する|所《ところ》の|生活《せいくわつ》|問題《もんだい》である。|之《これ》を|閑却《かんきやく》して、|思想《しさう》の|悪化《あくくわ》や|労資《らうし》の|衝突《しようとつ》を|防止《ばうし》せむとして、|如何《いか》に|政治家《せいぢか》や、|教育家《けういくか》や、|宗教家《しうけうか》が|力説《りきせつ》|怒号《どがう》して|見《み》た|所《ところ》で|生命《せいめい》の|無《な》い|政治家《せいぢか》や、|宗教家《しうけうか》、|教育家《けういくか》の|力《ちから》では、|容易《ようい》にその|効果《かうくわ》の|現《あら》はるるものではない。|故《ゆゑ》に|大本《おほもと》は、|神示《しんじ》に|依《よ》りて|明治《めいぢ》|二十五年《にじふごねん》|以来《いらい》、|是《これ》が|救済《きうさい》の|神法《しんぱふ》を、|天下《てんか》に|向《むか》つて|指導《しだう》しつつあるのである。|古来《こらい》|名君《めいくん》と|仰《あふ》がれ、|賢相《けんしやう》と|謳《うた》はれた|人々《ひとびと》は|国民《こくみん》|生活《せいくわつ》の|安定《あんてい》を|以《もつ》て、|先決《せんけつ》|問題《もんだい》としたのである。|而《しか》して|一方《いつぱう》に|於《おい》ては、|宗教《しうけう》と|教育《けういく》の|権威《けんゐ》を|発揮《はつき》して|以《もつ》てその|無限《むげん》の|慾《よく》を|塞《ふさ》ぎ、その|奢侈《しやし》を|矯《た》め、|公共心《こうきようしん》の|涵養《かんやう》に|務《つと》め、|貧富《ひんぷ》の|平均《へいきん》を|保《たも》つて|来《き》たのである。|既《すで》に|生活《せいくわつ》の|安定《あんてい》さへ|得《え》れば、|民《たみ》の|之《これ》に|従《したが》ふや|易《やす》しで、|喜《よろこ》びて|善《よき》に|向《むか》ふものである。|要《えう》するに、|現代《げんだい》の|生活《せいくわつ》|問題《もんだい》を、|根本的《こんぽんてき》に|改善《かいぜん》せむとするには、どうしても、|大気津姫《おほげつひめ》の|改心《かいしん》に|待《ま》たなければならぬのであります。
『|種々《くさぐさ》』と|云《い》ふ|事《こと》は、|臭々《くさぐさ》の|意味《いみ》であつて、|現代《げんだい》の|如《ごと》く、|一《いち》も|二《に》も|無《な》く、|上下《しやうか》|一般《いつぱん》に|四足動物《よつあしどうぶつ》を|屠殺《とさつ》しては|舌鼓《したつづみ》を|打《う》ち、|肉食《にくしよく》の|汚穢《をゑ》を|忌《い》み、|正食《せいしよく》のみを|摂《と》つて、|心身《しんしん》の|清浄《せいじやう》を|保《たも》つてゐる|我々《われわれ》|大本人《おほもとじん》を|野蛮《やばん》|人民《じんみん》と|嘲笑《てうせう》するに|立到《たちいた》つたのは、|心身上《しんしんじやう》に|及《およ》ぼす|影響《えいきやう》の|実《じつ》に|恐《おそ》るべきものがあるのである。|肉食《にくしよく》のみを|滋養物《じやうぶつ》として、|神国《しんこく》|固有《こいう》の|穀菜《こくさい》を|度外《どぐわい》する|人間《にんげん》の|性情《せいじやう》は、|日《ひ》に|月《つき》に|惨酷性《ざんこくせい》を|帯《お》び|来《きた》り、|終《つひ》には|生物《せいぶつ》|一般《いつぱん》に|対《たい》する|愛情《あいじやう》を|失《うしな》ひ、|利己主義《りこしゆぎ》となり、かつ|獣慾《じうよく》|益々《ますます》|旺盛《わうせい》となり、|不倫《ふりん》|不道徳《ふだうとく》の|人非人《にんぴにん》となつて|了《しま》ふのである。|虎《とら》や|狼《おほかみ》や、|獅子《しし》なぞの|獰猛《だうまう》なるは|常《つね》に|動物《どうぶつ》を|常食《じやうしよく》とするからである。|牛馬《ぎうば》や|象《ざう》の|如《ごと》くに、|体躯《たいく》は|巨大《きよだい》なりと|雖《いへど》も、|極《きは》めて|温順《をんじゆん》なるは、|生物《いきもの》を|食《く》はず、|草食《さうしよく》または|穀食《こくしよく》の|影響《えいきやう》である。|故《ゆゑ》に|肉食《にくしよく》する|人間《にんげん》の|心情《しんじやう》は、|無慈悲《むじひ》にして、|世人《せじん》は|死《し》なうが、|倒《たふ》れやうが、|凍《こごえ》て|居《を》らうが、そんな|事《こと》には|毫末《がうまつ》も|介意《かいい》せない。|只々《ただただ》|自分《じぶん》のみの|都合《つがふ》をはかり、|食色《しよくしき》の|慾《よく》の|外《ほか》|天理《てんり》も、|人道《じんだう》も、|忠孝《ちうかう》の|大義《たいぎ》も|弁知《べんち》せない|様《やう》に|成《な》つて|了《しま》ふのである。|斯《こ》う|云《い》ふ|人間《にんげん》が、|日《ひ》に|月《つき》に|殖《ふ》ゑれば|殖《ふ》ゑる|程《ほど》、|世界《せかい》は|一方《いつぱう》に、|不平《ふへい》|不満《ふまん》を|抱《いだ》くものが|出来《でき》て、|終《つひ》には|種々《しゆじゆ》の|喧《やかま》しき|問題《もんだい》が|一度《いちど》に|湧《わ》いて|来《く》るのである。|為政者《ゐせいしや》たるものは、|宜《よろ》しく|下情《かじやう》に|通《つう》ずるを|以《もつ》て、|急務《きふむ》とし、|百般《ひやくぱん》の|施設《しせつ》は、|之《これ》を|骨子《こつし》として|具体化《ぐたいくわ》して|進《すす》まねばならぬのである。|素盞嗚尊《すさのをのみこと》は|止《や》むを|得《え》ずして、|天下《てんか》の|為《ため》に|大気津姫命《おほげつひめのみこと》を|殺《ころ》し|玉《たま》ひ、|食制《しよくせい》の|改良《かいりやう》を|以《もつ》て|第一義《だいいちぎ》と|為《な》し|玉《たま》うたのである。|西郷《さいがう》|南洲《なんしう》|翁《をう》は、|政《まつりごと》とは、|情《じやう》の|一字《いちじ》に|帰《き》すると|断《だん》じ|又《また》|孟子《まうし》は、|人《ひと》に|忍《しの》びざる|心《こころ》あれば|茲《ここ》に|人《ひと》の|忍《しの》びざる|政《まつりごと》ありと|云《い》つて|居《ゐ》る。|然《しか》るに|為政者《ゐせいしや》は、|果《はた》してこの|心《こころ》を|以《もつ》て、|之《これ》に|立脚《りつきやく》して|社会《しやくわい》|改良《かいりやう》を|企画《きくわく》しつつあるであらう|乎《か》。|政治家《せいぢか》なるものを|見《み》れば、|徹頭徹尾《てつとうてつび》、|党閥《たうばつ》|本位《ほんゐ》であり、|権力《けんりよく》の|闘争《とうさう》であり、|利権《りけん》の|争奪《そうだつ》である。|斯《かく》の|如《ごと》き|勢利《せいり》のみに|没頭《ぼつとう》せる|人間《にんげん》に|依《よ》つて|組織《そしき》され、|運用《うんよう》される|政治《せいぢ》なるものは、|因《もと》より|国利民福《こくりみんぷく》と|没交渉《ぼつかうせふ》なるべきは、|寧《むし》ろ|当然《たうぜん》であらうと|思《おも》ふ。|斯《かく》の|如《ごと》き|世界《せかい》の|政治《せいぢ》に|支配《しはい》されつつある|国民《こくみん》が、|不安《ふあん》の|終極《しうきよく》は、|改造《かいざう》の|叫《さけ》びと|成《な》つて|来《く》るのは|之《これ》も|当然《たうぜん》かも|知《し》れぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら|斯《かく》の|如《ごと》き|肉食《にくしよく》|尊重《そんちよう》、|利己主義《りこしゆぎ》|一遍《いつぺん》の|政治家《せいぢか》を|推選《すゐせん》したる|国民《こくみん》は|全《まつた》く|自業自得《じごうじとく》にして、|神界《しんかい》の|戒《いまし》めである。|自《みづか》ら|火《ひ》を|採《と》つてその|手《て》を|焼《や》いた|様《やう》なものである。アヽ|一日《いちにち》も|早《はや》く|皇祖《くわうそ》の|御遺訓《ごゐくん》と|御事跡《ごじせき》に|鑑《かんが》み、|上下《しやうか》|挙《こぞ》つて|日本《にほん》|固有《こいう》の|美風良俗《びふうりやうぞく》に|還《かへ》らねば、|到底《たうてい》|現代《げんだい》の|不安《ふあん》、|暗黒《あんこく》の|社会《しやくわい》を|改良《かいりやう》し、|以《もつ》て|神国《しんこく》の|一大使命《いちだいしめい》を|遂行《すゐかう》する|事《こと》は|出来《でき》ないのである。|先《ま》づ|何《なに》よりも、|大本神諭《おほもとしんゆ》に|示《しめ》させ|玉《たま》へるが|如《ごと》く、|第一《だいいち》に|肉食《にくしよく》を|廃《はい》し|身魂《みたま》を|清《きよ》めて、|神《かみ》に|接《せつ》するの|道《みち》を|開《ひら》くを|以《もつ》て、|社会《しやくわい》|改良《かいりやう》の|第一義《だいいちぎ》とせねばならぬのであります。
(大正九・一・一六 講演筆録 松村仙造)
第一七章 |大気津姫《おほげつひめ》の|段《だん》(三)〔四八四〕
『|故《かれ》|殺《ころ》さえたまへる|神《かみ》の|身《み》に|生《な》れる|物《もの》は、|頭《かしら》に|蚕《かひこ》|生《な》り、|二《ふた》つの|目《め》に|稲種《いなだね》|生《な》り、|二《ふた》つの|耳《みみ》に|粟《あは》|生《な》り、|鼻《はな》に|小豆《あづき》|生《な》り、|陰《ほと》に|麦《むぎ》|生《な》り、|尻《しり》に|大豆《まめ》|生《な》りき。|故是《かれここ》に、|神産巣日御祖命《かむみむすびのみおやのみこと》|茲《これ》を|取《と》らしめて、|種《たね》と|成《な》し|賜《たま》ひき』
『|殺《ころ》さえたまへる』と|云《い》ふ|事《こと》は、|大神《おほかみ》の|御法則《ごほふそく》に|違反《ゐはん》せる、|汚穢《をゑ》なる|衣食住《いしよくぢう》の|方法《はうはふ》を|根本的《こんぽんてき》に|撤廃《てつぱい》せられたと|云《い》ふ|意義《いぎ》であります。
『|神《かみ》の|身《み》に|生《な》れる|物《もの》は|頭《かしら》に|蚕《かひこ》|生《な》り』と|云《い》ふ|事《こと》は、|頭《かしら》は|総《すべ》て|国民《こくみん》の|上《うへ》に|立《た》つ|治者《ちしや》の|謂《いひ》である。|蚕《かひこ》は|言霊学上《ことたまがくじやう》、
【カ】は、|蒙《かぶ》せ、|覆《お》ふ|活用《くわつよう》であつて|衣服《いふく》を|意味《いみ》する、また|光《ひかり》|輝《かがや》き、|晴《は》れ|明《あきら》けく、|気体《きたい》|透明《とうめい》の|言義《げんぎ》である。
【イ】は|身《み》に|従《したが》ひ|成《な》る|也《なり》、|身《み》の|足《そく》して|動《うご》かす|也《なり》。これも|衣服《いふく》の|活用《くわつよう》である。
【コ】は|天津誠《あまつまこと》の|脳髄《なうずゐ》であり、|子《こ》の|活用《くわつよう》である。|故《ゆゑ》に|万民《ばんみん》の|上《うへ》に|立《た》つべき|役員《やくゐん》は、|第一《だいいち》に|蚕《かひこ》の|如《ごと》く|其《その》|身《み》を|空《むな》しうし、|犠牲《ぎせい》となつて|国家《こくか》の|為《た》めに|尽《つく》さねばならぬ。
|天理《てんり》|人道《じんだう》を|明《あきら》かにし、|神智《しんち》|神識《しんしき》を|感受《かんじゆ》し、|以《もつ》て|上《かみ》は|一天万乗《いつてんばんじやう》の|大君《おほきみ》に|純忠《じゆんちう》の|至誠《しせい》を|捧《ささ》げ、|下《しも》は|人民《じんみん》を|愛撫《あいぶ》し、|以《もつ》て|天津誠《あまつまこと》の|実行者《じつかうしや》たるの|覚悟《かくご》を|持《も》ち、|政治《せいぢ》は|完全無欠《くわんぜんむけつ》、|錦繍綾羅《きんしうれうら》の|神機《しんき》を|織出《おりだ》すてふ、|天下《てんか》|経綸《けいりん》の|大道《だいだう》に|奉仕《ほうし》するに|至《いた》る|瑞祥《ずゐしやう》の|世態《せたい》を|称《しよう》して、『|頭《かしら》に|蚕《かひこ》|生《な》り』と|謂《い》ふのであります。
『|二《ふた》つの|目《め》に|稲種《いなだね》|生《な》り』と|云《い》ふ|事《こと》は、|目《め》は|正中《せいちゆう》を|司《つかさ》どるものである。|世界《せかい》の|一切《いつさい》を|見極《みきは》め、|善悪《ぜんあく》|美醜《びしう》を|判明《はんめい》する|神機《しんき》である。|二《ふた》つの|目《め》とは|左右《さいう》|両眼《りやうがん》の|意義《いぎ》で、|左《ひだり》は|上《かみ》を|代表《だいへう》し、|右《みぎ》は|下《しも》を|代表《だいへう》する|目《め》である。|万有《ばんいう》|一切《いつさい》|皆《みな》この|目《め》の|無《な》いものはない。|然《しか》るに|上流《じやうりう》|社会《しやくわい》は|上流《じやうりう》のみの|事《こと》を|知《し》り、|下流《かりう》|社会《しやくわい》は|下流《かりう》のみの|事《こと》より|見《み》ないとすれば、いはゆる|片目《かため》である。|現代《げんだい》は|大抵《たいてい》|皆《みな》|片目《かため》の|政治家《せいぢか》や|教育家《けういくか》|計《ばか》りであつて、|二《ふた》つの|目《め》の|活用《くわつよう》が|足《た》りないので、|天下《てんか》は|益々《ますます》|無明《むみやう》、|暗黒《あんこく》、|常暗《とこやみ》となつて|来《く》るのである。また|顕幽《けんいう》|両界《りやうかい》を|達観《たつくわん》し|得《う》る|人《ひと》は、いはゆる|二《ふた》つの|目《め》が|照《て》るのであります。
|稲種《いなだね》の
【イ】は|成就《なりな》る|言霊《ことたま》で、|大金剛力《だいこんがうりき》であり、|基《もとゐ》である。
【ナ】は|万物《ばんぶつ》を|兼《か》ね|統《すぶ》る|言霊《ことたま》にして、|能《よ》く|行届《ゆきとど》く|事《こと》である。
【イナ】はまた【イネ】と|云《い》ひ、|五穀《ごこく》の|主《しゆ》であり、|眼《め》である。イネの|霊返《たまかへ》しは|餌《ゑ》となる、また|米《こめ》の|返《かへ》しは【ケ】となる。|大気津姫《おほげつひめ》の|気《け》である。また【よね】とも|云《い》ふ。【よね】の|返《かへ》しもまた|餌《ゑ》であり、|糧《かて》の|返《かへ》しは【ケ】となる。|人《ひと》の|眼《め》は|夜分《やぶん》に|寝《ね》るを|以《もつ》て|夜寝《よね》(|米《よね》)と|云《い》ひ、|寝《いね》るを|以《もつ》て、|寝《いね》(|稲《いね》)ると|云《い》ふ。|人《ひと》の|眼《め》に|似《に》て|形《かたち》|小《せう》なるが|故《ゆゑ》に、|小目《こめ》(|米《こめ》)と|云《い》ふのも、|言霊学上《げんれいがくじやう》|面白《おもしろ》き|解釈《かいしやく》である。
|凡《すべ》て|穀食《こくしよく》を|為《な》す|時《とき》は、|心血《しんけつ》|自然《しぜん》に|清《きよ》まりて、|明《あきら》けく、|敏《さと》く、|顕幽《けんいう》を|達観《たつくわん》し、|上下《しやうか》を|洞察《どうさつ》し、|以《もつ》て|天下《てんか》の|趨勢《すうせい》を|知悉《ちしつ》し|得《う》るのである。|故《ゆゑ》に|万民《ばんみん》の|頭《かしら》に|立《た》つべき|治者《ちしや》は、|心血《しんけつ》を|清《きよ》め、|神智《しんち》を|備《そな》へて、|天下《てんか》に|臨《のぞ》まねばならぬのである。|是《こ》の|原理《げんり》|天則《てんそく》が、|頭《かしら》に|立《た》つ|人々《ひとびと》に|判《わか》つて|来《き》て、|汚穢《をゑ》の|食《しよく》を|廃《はい》し|皇国《くわうこく》|固有《こいう》の|正食《せいしよく》に|改《あらた》め、|以《もつ》て|善政良治《ぜんせいりやうぢ》を|布《し》くに|致《いた》る|事《こと》を、『|二《ふた》つの|目《め》に|稲種《いなだね》|生《な》り』と|謂《い》ふのであります。
また|宗教家《しうけうか》なれば、|第一《だいいち》に|顕幽一本《けんいういつぽん》の|真理《しんり》を|達観《たつくわん》して、|生死《せいし》|往来《わうらい》の|神機《しんき》を|知悉《ちしつ》し、|万民《ばんみん》を|教化《けうくわ》するに|致《いた》りたるを『|二《ふた》つの|目《め》に|稲種《いなだね》|生《な》り』と|謂《い》ふのであります。|顕幽一致《けんいういつち》、|上下《しやうか》|合一《がふいつ》、|陰陽《いんやう》|和合《わがふ》、|君民《くんみん》|和平《わへい》、|内外《ないぐわい》|親睦《しんぼく》、|神人《しんじん》|合一《がふいつ》の|境地《きやうち》に|入《い》れる|真相《しんさう》を|称《しよう》して、また『|二《ふた》つの|目《め》に|稲種《いなだね》|生《な》り』と|謂《い》ふ|事《こと》が|出来《でき》るのであります。
『|二《ふた》つの|耳《みみ》に|粟《あは》|生《な》り』と|云《い》ふ|事《こと》は、|二《ふた》つは|前《まへ》に|述《の》べた|通《とほ》り、|左右《さいう》の|意義《いぎ》であり、|左《ひだり》は|上流《じやうりう》、|右《みぎ》は|下流《かりう》|社会《しやくわい》なる|事《こと》は|勿論《もちろん》である。|耳《みみ》の|言霊《ことたま》の|約《つま》りは【ミ】である。【ミ】は|農工商《のうこうしやう》の|三種《さんしゆ》であり、|実業《じつげふ》であり、|形体《けいたい》|具足《ぐそく》の|言義《げんぎ》であり、|身体《しんたい》である。|要《えう》するに、|一切《いつさい》の|生産《せいさん》|機関《きくわん》を|総称《そうしよう》して|耳《みみ》と|云《い》ふのである。|故《ゆゑ》に|左《ひだり》は|資本家《しほんか》や、|大地主《おほぢぬし》を|意味《いみ》し、|右《みぎ》の|耳《みみ》は|労働者《らうどうしや》や、|小作人《こさくにん》を|意味《いみ》するのである。また|耳《みみ》は|一方《いつぱう》よりその|活用《くわつよう》を|調《しら》ぶる|時《とき》は【キク】と|曰《い》ふ|事《こと》が|主眼《しゆがん》である。|手《て》が|利《き》く、|耳《みみ》が|利《き》く、|目《め》が|利《き》く、|鼻《はな》が|利《き》く、|口《くち》を|利《き》く、|腹《はら》が|利《き》く、|舌《した》で|酒《さけ》を|利《き》く、|腰《こし》が|利《き》く、これを|八《や》ツ|耳《みみ》と|曰《い》ふのである。また|霊的《れいてき》|方面《はうめん》に|於《おい》ても|同一《どういつ》に、|神眼《しんがん》、|神耳《しんじ》、|天言《てんげん》|等《とう》やはり|八ツ耳《やつみみ》である。|斯《かく》の|如《ごと》く|霊体《れいたい》|共《とも》に|完全無欠《くわんぜんむけつ》なる、|幽顕《いうけん》|十六耳《じふろくみみ》の|意義《いぎ》を|取《と》りて|十六菊《じふろくきく》の|御紋章《ごもんしやう》を|制定《せいてい》されたのは|最《もつと》も|深遠《しんゑん》なる|御慮《みこころ》の|御在《おは》します|所《ところ》である。|神八井耳命《かみやゐみみのみこと》、|彦八井耳命《ひこやゐみみのみこと》、|忍穂耳命《おしほみみのみこと》、または|聖徳太子《しやうとくたいし》を|八《や》ツ|耳命《みみのみこと》と|申《まを》すなぞは、みな|前述《ぜんじゆつ》の|意義《いぎ》から、|名付《なづ》けられたものであります。
『|粟《あは》|生《な》り』の
【ア】の|言霊《ことたま》は|大物主《おほものぬし》であります、|地《ち》であり、|顕体《けんたい》であり、|大本《たいほん》である。
【ハ】の|言霊《ことたま》は、|延《の》び|開《ひら》く|也《なり》、|花実《くわじつ》|也《なり》、|数多《かずおほ》き|也《なり》の|活用《くわつよう》である。
|要《えう》するに『|粟《あは》|生《な》りき』と|云《い》ふ|意義《いぎ》は、|物質《ぶつしつ》、|霊界《れいかい》|共《とも》に|円満《ゑんまん》に|発達《はつたつ》し、|国利民福《こくりみんぷく》を|招来《せうらい》し、|鼓腹撃壤《こふくげきじやう》の|聖代《せいだい》の、|出現《しゆつげん》せし|事《こと》であります。|御神諭《ごしんゆ》に、
『|今《いま》の|人民《じんみん》は|盲《めくら》と|聾《つんぼ》|計《ばか》りであるから、|何程《なにほど》|結構《けつこう》な|誠《まこと》を|為《し》て、|眼《め》の|前《まへ》に|突出《つきだ》してやりても|一《ひと》つも|見《み》えず、|一寸先《いつすんさき》は|真《しん》の|暗《やみ》であるぞよ。|神《かみ》は|世界《せかい》を|良《よ》く|致《いた》して、|上下《かみしも》|揃《そろ》へて|人民《じんみん》を|歓《よろこ》ばして|安楽《らく》な|神世《かみよ》に|致《いた》して、|花《はな》を|咲《さ》かし、|実《み》を|結《むす》ばして、|松《まつ》の|世《よ》、|五六七《みろく》の|神世《かみよ》に|立直《たてなほ》して|与《や》らうと|思《おも》うて、|明治《めいぢ》|二十五年《にじふごねん》から、|色々《いろいろ》と|申《まを》して、|呼《よ》ばはりて|聞《き》かしても、|耳《みみ》が|蛸《たこ》に|成《な》りてをるから、|狂婆《きちがひばば》が|何《なに》を|吐《ぬか》すと|申《まを》して、|我《わが》|身《み》の|足下《あしもと》に、|火《ひ》が|燃《も》えて|来《き》て|居《を》りても、|少《ち》つとも|耳《みみ》に|入《い》れぬが、|見《み》て|居《を》じやれよ、|今《いま》に|盲《めくら》が|目《め》が|明《あ》き、|聾《つんぼ》が|耳《みみ》が|聞《きこ》える|様《やう》に|成《な》りて|来《く》るが、さうなりてから、|俄《にはか》に|周章《あわて》て|神《かみ》の|申《まを》す|事《こと》を|聞《き》く|気《き》に|成《な》りても、モウ|間《ま》に|合《あは》ぬぞよ。|聞《き》くなら|今《いま》の|中《うち》に|聞《き》いて|置《お》かぬと、|後《あと》の|後悔《こうくわい》|間《ま》に|合《あ》はぬぞよ、|眼《め》も|鼻《はな》も|開《あ》かぬ|如《よ》うな、|惨《むご》い|事《こと》が|今《いま》に|出《で》て|来《く》るが、|神《かみ》の|申《まを》す|誠《まこと》の|警告《しらせ》を|聴《き》く|人民《じんみん》は、|世界《せかい》にないぞよ、|困《こま》つたものであるなれど、|是《これ》を|説《と》いて|聞《き》かして、|耳《みみ》へ|入《い》れさして|置《お》かねば、|神《かみ》の|役《やく》が|済《す》まぬから、|嫌《いや》になる|所《ところ》まで、クドウ|気《き》を|付《つ》けるから|耳《みみ》の|穴《あな》を|能《よ》く|掃除《さうぢ》|致《いた》しておくが|良《よ》いぞよ』|云々《うんぬん》
とあるのは、|耳《みみ》に|粟《あは》を|生《な》り|出《い》でしめむとの、|神様《かみさま》の|深《ふか》き|思召《おぼしめ》しであります。
『|鼻《はな》に|小豆《あづき》|生《な》り』と|云《い》ふ|事《こと》は|華美《くわび》なる|衣服《いふく》を|改《あらた》め、|実務《じつむ》に|適《てき》する|制服《せいふく》を|改定《かいてい》されると|云《い》ふ|事《こと》である。|大臣《だいじん》は|大臣《だいじん》の|服装《ふくさう》、|小臣《せうしん》は|小臣《せうしん》、|神職《しんしよく》は|神職《しんしよく》、|僧侶《そうりよ》は|僧侶《そうりよ》、|軍人《ぐんじん》は|軍人《ぐんじん》、|農工商《のうこうしやう》は|農工商《のうこうしやう》の|制服《せいふく》を|定《さだ》め、|主人《しゆじん》は|主人《しゆじん》、|僕婢《ぼくひ》は|僕婢《ぼくひ》の|制服《せいふく》を|一定《いつてい》し、|一見《いつけん》してその|官吏《くわんり》たり、|宗教家《しうけうか》たり、|農夫《のうふ》たり、|主人《しゆじん》たり|僕婢《ぼくひ》たり、|労働者《らうどうしや》たる|事《こと》の、|弁別《べんべつ》し|易《やす》き|服装《ふくさう》を|制定《せいてい》さるる|事《こと》を『|鼻《はな》に|小豆《あづき》|生《な》り』と|曰《い》ふのであります。|現代《げんだい》の|如《ごと》く|服制《ふくせい》に|厳格《げんかく》なる|定規《ていき》なく、|神職《しんしよく》や|僧侶《そうりよ》なぞが|洋服《やうふく》を|着用《ちやくよう》したり、|僕婢《ぼくひ》が|紋附《もんつき》|羽織《はおり》を|着流《きなが》し、|絹《きぬ》の|足袋《たび》を|穿《うが》ち|大道《だいだう》を|憚《はばか》らず|濶歩《くわつぽ》するが|如《ごと》きは、|実《じつ》に|不真面目《ふまじめ》の|至《いた》りにして、|亡国《ばうこく》の|因《いん》となるのである。【アヅキ】の【ア】は|光《ひか》り|輝《かがや》く|事《こと》で、|照妙《てるたえ》、|和妙《にぎたえ》なぞの、|高貴《かうき》なる|織物《おりもの》であります。【ア】は|顕誉《けんよ》の|地位《ちゐ》に|在《あ》る|真人《しんじん》である。|故《ゆゑ》に|大臣《だいじん》とか、|神官《しんくわん》|神職《しんしよく》とかの、|着用《ちやくよう》すべき|衣服《いふく》である、その|他《た》の|臣民《しんみん》の|着用《ちやくよう》すべきものでないのだ。|絹物《きぬもの》は|着《き》ぬもの|也《なり》との|滑稽語《こつけいご》は、|実際《じつさい》の|戒《いまし》めとして|服膺《ふくよう》すべき|言葉《ことば》である。【アヅキ】の【ヅキ】は|着《つ》キと|云《い》ふ|事《こと》であつて、|治者《ちしや》たる|大臣《だいじん》|高官《かうくわん》および|神官《しんくわん》|神職《しんしよく》に|限《かぎ》りて|着用《ちやくよう》すべきものであると|云《い》ふ|事《こと》を、|決定《けつてい》されたのを『|鼻《はな》に|小豆《あづき》|生《な》り』と|曰《い》ふのであります。|鼻《はな》は|人体《じんたい》に|取《と》つては|呼吸《いき》の|関門《くわんもん》であつて、|人民《じんみん》|生息《せいそく》の|主要点《しゆえうてん》である。|故《ゆゑ》に|一国《いつこく》の|安危《あんき》を|背負《せお》つて|立《た》てる|国家《こくか》の|重臣《ぢゆうしん》を|鼻《はな》と|云《い》ふのである。|神諭《しんゆ》にも、
『|此《こ》の|事《こと》|成就《じやうじゆ》|致《いた》したら、|艮《うしとら》の|金神《こんじん》の|鼻《はな》は、カラ|天竺《てんじく》は|愚《おろか》、|天《てん》まで|鼻《はな》が|届《とど》くぞよ』
と|予告《よこく》されてあるのも、|世人《せじん》が|尊重《そんちよう》|畏服《ゐふく》するとの|神意《しんい》である。|世俗《せぞく》が|一《ひと》つの|功名《こうみやう》|手柄《てがら》を|顕《あら》はしたる|時《とき》に|於《おい》て、|鼻《はな》が|高《たか》うなると|謂《い》ふのも|人《ひと》の|上《うへ》に|卓絶《たくぜつ》したる|意義《いぎ》である。|今日《こんにち》のやうに|国家《こくか》の|重臣《ぢゆうしん》や、|清浄《せいじやう》なる|神明《しんめい》に|奉仕《ほうし》する|神官《しんくわん》|等《ら》が、|小豆《あづき》を|着用《ちやくよう》せずして、|獣畜《じうちく》の|毛皮《けがは》を|以《もつ》て|作《つく》れる、|衣服《いふく》を|着用《ちやくよう》するなぞは、|実《じつ》に|天則違反《てんそくゐはん》の|行為《かうゐ》であります。
『|陰《ほと》に|麦《むぎ》|生《な》り』と|云《い》ふ|事《こと》は、|西洋人《せいやうじん》は|麦《むぎ》を|常食《じやうしよく》とすると|云《い》ふ|意義《いぎ》であります。|日本《にほん》およびその|他《た》の|東洋《とうやう》|諸国《しよこく》は|陽《やう》の|位置《ゐち》にある|国土《こくど》であるから、|陽性《やうせい》の|食物《しよくもつ》たる|米《こめ》を|常食《じやうしよく》とするのが、|国土《こくど》|自然《しぜん》の|道理《だうり》である。|西洋《せいやう》は|陰《いん》の|位置《ゐち》にある|国土《こくど》であるから|陰性《いんせい》の|食物《しよくもつ》たる|麦《むぎ》を|常食《じやうしよく》とするのが|国土《こくど》|自然《しぜん》の|道理《だうり》である。|故《ゆゑ》に|西洋人《せいやうじん》は|麦《むぎ》で|作《つく》つたパンを|食《く》ひ、|東洋人《とうやうじん》|殊《こと》に|日本人《にほんじん》は|米食《べいしよく》をするのが|天賦《てんぷ》の|本性《ほんせい》である。|然《しか》るに、|今日《こんにち》の|日本人《にほんじん》は|上流《じやうりう》に|成《な》るほど|西洋《せいやう》|崇拝者《すうはいしや》が|多《おほ》く|現《あら》はれ、|文明人《ぶんめいじん》らしき|顔付《かほつき》をして、|自慢《じまん》でパンに|牛酪《ぎうらく》なぞを|附《つ》けて|無味《まづい》ものを|美味《うま》さうに、|平気《へいき》で|喰《く》つて|居《ゐ》るが、|麦《むぎ》は|日本《にほん》では、|牛馬《うしうま》の|喰《く》ふべき|物《もの》と|決定《きま》つて|居《ゐ》るのである。|故《ゆゑ》に|日本人《にほんじん》は|米《こめ》を|喰《く》ひ、|陰所《いんしよ》たる|西洋《せいやう》に|生《うま》れた|人種《じんしゆ》は、|麦《むぎ》を|喰《く》ふことに|成《な》るのが『|陰所《ほと》に|麦《むぎ》|生《な》り』と|云《い》ふのであります。
『|尻《しり》に|大豆《まめ》|生《な》りき』と|云《い》ふ|事《こと》は、|同《おな》じ|日本国《にほんこく》でも|北海道《ほくかいだう》などは、|日本国《にほんこく》の|尻《しり》である。|大豆《まめ》は|脂肪《しばう》に|富《と》んだ|植物《しよくぶつ》であるから、|寒《さむ》い|国《くに》の|人間《にんげん》は、|如何《どう》しても|大豆類《まめるゐ》を|食《しよく》する|必要《ひつえう》がある。|大豆《まめ》を|喰《く》つて|居《を》れば、|寒《さむ》い|国《くに》でも|健康《けんかう》を|害《がい》すると|曰《い》ふ|如《よ》うな|事《こと》はない。|併《しか》し|是《これ》は|大豆《まめ》|計《ばか》り|喰《く》ふと|曰《い》ふ|意味《いみ》では|無《な》い。|米《こめ》と|混《こん》じたり|或《あるひ》は|炙《あぶ》つたり、|粉末《ふんまつ》にして|喰《く》へば|良《よ》いのである。|北海道《ほくかいだう》に|後志《しりべし》と|云《い》ふ|国名《こくめい》のあるのも|尻《しり》の|意味《いみ》であります。|筑後《ちくご》の|国《くに》を【ミチノシリ】と|訓《よ》むのも、|国《くに》の|端《はし》と|云《い》ふ|意味《いみ》である。|要《えう》するに、この|段《だん》の|古事記《こじき》|御本文《ごほんもん》は、|第一《だいいち》に|各自《かくじ》の|国土《こくど》に|応《おう》じたる|食制《しよくせい》を、|神界《しんかい》より|定《さだ》め|玉《たま》うたのであります。
『|故《かれ》、|是《ここ》に|神産巣日御祖命《かむみむすびのみおやのみこと》、|茲《ここ》を|取《と》らしめて、|種《たね》と|成《な》し|賜《たま》ひき』|高御産巣日御祖神《たかみむすびのみおやのかみ》は|霊系《れいけい》の|祖神《おやがみ》であり、|神産巣日御祖神《かむみむすびのみおやのかみ》は、|物質界《ぶつしつかい》|体系《たいけい》の|祖神《おやがみ》である。『|茲《ここ》を|取《と》らして』と|云《い》ふ|事《こと》は、|前記《ぜんき》の|御本文《ごほんもん》の|御食制《ごしよくせい》を、|採用《さいよう》されてと|云《い》ふ|事《こと》で、|素盞嗚尊《すさのをのみこと》の|食物《しよくもつ》に|関《くわん》する|御定案《ごていあん》を、|直《ただち》に|御採用《ごさいよう》|遊《あそ》ばした|事《こと》であります。『|種《たね》と|成《な》し|玉《たま》ひき』と|云《い》ふ|事《こと》は、この|食制《しよくせい》を|基《もとゐ》として、|天地《てんち》|改良《かいりやう》の|神策《しんさく》を|樹立《じゆりつ》し|玉《たま》うたと|云《い》ふ|事《こと》であります。|故《ゆゑ》に|人間《にんげん》はこの|天則《てんそく》に|違反《ゐはん》して、|暴食《ばうしよく》する|時《とき》は|大切《たいせつ》なる|神《かみ》の|宮居《みやゐ》たる|身体《しんたい》を|毀損《きそん》するやうな|事《こと》になつて、|天寿《てんじゆ》を|全《まつた》うする|事《こと》が|出来《でき》ぬやうに|成《な》るのであるから、|人間《にんげん》は|日々《にちにち》の|食物《しよくもつ》には、|充分《じうぶん》に|注意《ちうい》を|払《はら》ふ|可《べ》きものであります。
(大正九・一・一七 講演筆録 谷村真友)
第四篇 |満目荒寥《まんもくくわうれう》
第一八章 |琵琶《びは》の|湖《うみ》〔四八五〕
さしもに|寒《さむ》き|冬《ふゆ》の|日《ひ》も  |何時《いつ》しか|暮《く》れて|春霞《はるがすみ》
|靉《たなび》く|時《とき》を|松代姫《まつよひめ》  |神徳《しんとく》|薫《かを》る|梅ケ香《うめがか》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》  |三人《みたり》の|随伴《とも》を|引連《ひきつ》れて
|魔神《まがみ》の|猛《たけ》ぶコーカスの  |山《やま》の|神《かみ》|達《たち》|悉《ことごと》く
|神《かみ》の|御水火《みいき》に|言向《ことむ》けて  |三五教《あななひけう》を|開《ひら》かむと
|夜《よ》を|日《ひ》に|継《つ》いで|雪《ゆき》の|路《みち》  ゆき|疲《つか》れたる|膝栗毛《ひざくりげ》
|心《こころ》の|駒《こま》もはやりつつ  |早《はや》くも|琵琶《びは》の|湖《うみ》の|辺《へ》に
|月《つき》|照《て》る|夜半《よは》に|着《つ》きにけり  |明《あ》くれば|広《ひろ》き|琵琶《びは》の|湖《うみ》
|浪《なみ》に|漂《ただよ》ふ|汐干丸《しほひまる》  |朝日《あさひ》を|受《う》けてコーカスの
|御山《みやま》を|指《さ》して|走《はし》り|行《ゆ》く  コーカス|山《ざん》の|山颪《やまおろし》
|降《ふ》る|雪《ゆき》さへも|交《まじ》はりて  |歯《は》の|根《ね》も|合《あ》はぬ|寒空《さむぞら》に
|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|暖《あたた》かき  |救《すく》ひの|船《ふね》と|喜《よろこ》びつ
|言霊《ことたま》|清《きよ》く|琵琶《びは》の|湖《うみ》  |浪音《なみおと》|立《た》てて|進《すす》み|行《ゆ》く。
|琵琶《びは》の|湖《うみ》には|松島《まつしま》、|竹島《たけしま》、|梅島《うめしま》といふかなり|大《おほ》きな|島《しま》がある。|松島《まつしま》は|全島《ぜんたう》|一面《いちめん》に|鬱蒼《うつさう》たる|松樹《しようじゆ》|繁茂《はんも》し、|竹島《たけじま》は|斑竹《はんちく》|一面《いちめん》に|発生《はつせい》してゐる。さうして|梅島《うめしま》には|草木《くさき》らしきものは|一《ひと》つもなく、|殆《ほとん》ど|岩石《がんせき》のみ|屹立《きつりつ》した|島《しま》である。
|船《ふね》は|漸《やうや》くにして|梅島《うめしま》の|麓《ふもと》に|着《つ》いた。|断岸《だんがん》|絶壁《ぜつぺき》、|紺碧《こんぺき》の|湖中《こちう》に|突出《とつしゆつ》し、|見《み》る|者《もの》をして|壮烈《さうれつ》|快絶《くわいぜつ》を|叫《さけ》ばしむる|絶景《ぜつけい》である。この|島《しま》には|天然《てんねん》の|港《みなと》がある。|折《をり》しも|風波《ふうは》|激《はげ》しければ、|岩窟《がんくつ》の|港《みなと》に|船《ふね》を|横《よこ》たへて、|暫《しばら》く|此処《ここ》に|天候《てんこう》の|静穏《せいをん》になる|日《ひ》を|待《ま》つ|事《こと》とした。
|是《これ》より|三日三夜《みつかみよさ》|颶風《ぐふう》|荐《しき》りに|至《いた》り、|波《なみ》|高《たか》く、|已《や》むを|得《え》ず|三日三夜《みつかみよさ》を|岩窟《がんくつ》の|港《みなと》に|過《すご》す|事《こと》となつた。|船客《せんきやく》は|百人《ひやくにん》|許《ばか》りも|乗《の》つて|居《ゐ》る。|船《ふね》の|無聊《ぶれう》を|慰《なぐさ》むる|為《ため》に、|彼方《あちら》にも|此方《こちら》にも|歌《うた》を|歌《うた》ふ|者《もの》、|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》る|者《もの》が|現《あら》はれた。|船中《せんちう》の|客《きやく》は|七八分《しちはちぶ》まで|鑿《のみ》や|鉋《かんな》や|槌《つち》などの|大工《だいく》|道具《だうぐ》を|持《も》つて|居《を》る。|時公《ときこう》は|四五人《しごにん》の|男《をとこ》の|車座《くるまざ》となつて、|何事《なにごと》か|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》る|前《まへ》に|胡床《あぐら》をかき、
|時公《ときこう》『|一寸《ちよつと》お|尋《たづ》ね|致《いた》します。この|船《ふね》のお|客《きやく》さんは|大抵《たいてい》|皆《みな》|大工《だいく》さまと|見《み》えますが、これ|程《ほど》|多数《たくさん》の|大工《だいく》が|何処《どこ》へ|行《ゆ》かれるのですか』
|甲《かふ》『|俺《おれ》は|黒野ケ原《くろのがはら》から|来《き》た|大工《だいく》だが、これからコーカス|山《ざん》に|引越《ひつこ》すのだ』
|時公《ときこう》『コーカス|山《ざん》には、それ|程《ほど》|沢山《たくさん》の|大工《だいく》が|行《い》つて|何《なに》をするのですか』
|乙《おつ》『お|前《まへ》さんは、あれ|程《ほど》|名高《なだか》いコーカス|山《ざん》の|御普請《ごふしん》を|知《し》らぬのか。ソレハソレハ|立派《りつぱ》な|御殿《ごてん》が、|彼方《あちら》にも|此方《こちら》にも|建《た》つて|居《を》る。さうして|今度《こんど》|新《あたら》しい|宮《みや》さまが|建《た》つのだ。それでコーカス|山《ざん》の|大気津姫《おほげつひめ》とかいふ|神様《かみさま》が|家来《けらい》をそこら|中《ぢう》に|配置《まくば》つて、|遠近《をちこち》の|大工《だいく》を|御引寄《おひきよ》せになるのだ。ヤツコスやヒツコスやクスの|神《かみ》が|毎日《まいにち》|日日《ひにち》、コーカス|山《ざん》に|集《あつ》まつて|大《おほ》きな|都《みやこ》が|開《ひら》けて|居《を》るのだよ』
|時公《ときこう》『ヤツコス、ヒツコス、クスの|神《かみ》とはソラ|何《な》ンだ。|妙《めう》な|者《もの》だナ』
|乙《おつ》『お|前《まへ》|何《なん》にも|分《わか》らぬ|男《をとこ》だな、|大《おほ》きな|図体《づうたい》をしやがつて、それだから|独活《うど》の|大木《たいぼく》、|柄見倒《がらみたふ》しといふのだ、|大男《おほおとこ》|総身《そうみ》に|智慧《ちゑ》が|廻《まは》り|兼《か》ねだ。マアわしの|言《い》ふ|事《こと》を|聞《き》いたが|宜《よ》かろう。|山椒《さんせう》は|小粒《こつぶ》でもヒリリと|辛《から》いといふ|事《こと》がある、|俺《おれ》はお|前《まへ》に|比《くら》ぶれば|根付《ねつけ》の|様《やう》な|小《ちひ》さい|男《をとこ》だが、|世界《せかい》から、あの|牛公《うしこう》は|牛《うし》の|尻《けつ》だ|牛《うし》の|尻《しり》だと|言《い》はれて|居《を》るお|方《かた》だぞ。どんな|事《こと》でも|知《し》らぬ|事《こと》はやつぱり|知《し》らぬ、|知《し》る|事《こと》は|皆《みんな》|知《し》つとる。|聴《き》かして|欲《ほ》しければ|胡床《あぐら》をかいて|傲然《がうぜん》と|構《かま》へて|居《を》らずに、チンと|坐《すわ》つて、|御叮嚀《ごていねい》にお|辞儀《じぎ》せぬかい』
|時公《ときこう》『アヽ|仕様《しやう》ないなア。マア|辛抱《しんばう》して|聞《き》いてやらうかい』
|牛公《うしこう》『|開《あ》いた|口《くち》が|塞《ふさ》がらぬ、|牛《うし》の|糞《くそ》が|天下《てんか》を|取《と》ると|云《い》ふ|譬《たとへ》を|知《し》つとるか。|何《なん》でも、|三五教《あななひけう》の|小便《せうべん》しいとか|大便使《だいべんしい》とかいふ|奴《やつ》が、こないだ、そんな|事《こと》|云《い》つてコーカス|山《ざん》へ|行《ゆ》きやがつて、|頭《あたま》から|糞《ばば》かけられて、|今《いま》ではアババのバアぢや。アツハヽヽヽ』
|時公《ときこう》『|随分《ずゐぶん》|前《まへ》|置《お》きが|長《なが》いなア』
|甲《かふ》『モシモシ|貴方《あなた》、そんな|奴《やつ》に|物《もの》を|聞《き》いたつて|何《なに》が|分《わか》りますか。|此奴《こいつ》は|何時《いつ》も|猿《さる》の|人真似《ひとまね》で、|偉《えら》さうに|威張《ゐば》るのが|芸《げい》だ、モウあれ|丈《だけ》|云《い》つたら|後《あと》はないのです。|私《わたし》が|何《なん》でも|知《し》つてますから、|分《わか》らぬ|事《こと》があれば|問《と》うて|下《くだ》さい。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》ぢやないが、|大《だい》は|宇宙《うちう》の|真相《しんさう》から|小《せう》は|虱《しらみ》の|腸《はらわた》まで|能《よ》く|御存《ごぞん》じの|馬《うま》さまだ。あなたも|牛《うし》を|馬《うま》に|乗替《のりか》へて、|牛《もう》の|尻《しり》の|物《もの》|知《し》らずの|牛糞《うしくそ》の|言《い》ふ|事《こと》は、テンから|取上《とりあ》げぬが|宜《よろ》しい。|馬《うま》さまが【ウマ】く|説明《せつめい》して|上《あ》げます』
|牛公《うしこう》『コラコラ、モウ|止《や》めぬか、|馬鹿《ばか》な|奴《やつ》、コレコレ|大《おほ》きなお|方《かた》、|彼奴《あいつ》の【ウマ】い|話《はなし》に|漫然《うつかり》|乗《の》らうものなら、|牛々《ぎうぎう》いふ|様《やう》な|目《め》に|遭《あ》はされて|馬鹿《ばか》を|見《み》ますで……』
|馬公《うまこう》『コラ|牛公《うしこう》、|何《なに》を|吐《ぬ》かしやがるのだ。|他人《ひと》の|事《こと》に|横槍《よこやり》を|入《い》れやがつて……』
|丙《へい》『オイオイ、|貴様《きさま》|達《たち》は|牛飲馬食《ぎういんばしよく》と|云《い》つて、|酒《さけ》|計《ばか》り|喰《くら》つて|飯《めし》は|五人前《ごにんまへ》も|十人前《じふにんまへ》も|平気《へいき》で|平《たひら》げやがつて、|腮《あご》ばつかり|達者《たつしや》な|法螺吹《ほらふ》きだ。この|鹿《しか》さまはその|名《な》の|如《ごと》くシツカリとして|御座《ござ》る|鹿《しか》さまだ』
|牛公《うしこう》『|鹿公《しかこう》、|貴様《きさま》は|鼻《はな》ばつかり|高《たか》くしやがつて、|下《くだ》らん|事《こと》を|能《よ》う|囀《さへづ》るから、|彼奴《あいつ》は【ハナシカ】だと|云《い》うて|居《を》るぞ、|大工《だいく》のやうな|事《こと》は|職過《しよくす》ぎとる。モシモシ|大《おほ》きな|男《をとこ》のお|方《かた》、|此奴《こいつ》の|言《い》ふ|事《こと》は|皆《みんな》|落話《おとしばなし》で、|聞落《ききおと》し、|言《い》ひ|落《おと》し、|見落《みおと》し、|人《ひと》|嚇《おど》し、|烏《からす》|嚇《おど》しの|様《やう》なものです。|聞《き》かぬが|宜《よろ》しいで』
|鹿公《しかこう》『|愚図々々《ぐづぐづ》|吐《ぬ》かすと【シカ】られるぞ』
|牛公《うしこう》『|牛《うし》と|見《み》し|世《よ》ぞ|今《いま》は|悲《かな》しき、といふ|様《やう》な|目《め》に|会《あ》はしたろか。|鹿《しか》が【シカ】みついてやつた。ナンダ|蟹《かに》の|様《やう》な【シカ】|見面《みづら》をしやがつて、|牛《うし》の|尻《けつ》もあつたものかい』
|時公《ときこう》『ヤ、モウモウ|牛《うし》さまの|話《はなし》で|馬鹿《ばか》を|見《み》ましたワイ。|本当《ほんたう》に|旅《たび》をすると、|馬鹿々々《ばかばか》しい|目《め》に|会《あ》うものだ。この|島《しま》ぢやないが、【ウメ】イ|話《はなし》はないかい』
|丁《てい》『ありますともありますとも。コーカス|山《ざん》にマア|一寸《ちよつと》|登《のぼ》つて|見《み》なさい、|美味《うま》い|酒《さけ》は|泉《いづみ》の|如《ごと》くに|湛《たた》へられてある。|肉《にく》は|沢山《たくさん》に|吊下《つりさ》げてある。それはそれは|酒池肉林《しゆちにくりん》だ』
|馬公《うまこう》『コラ|虎公《とらこう》、なんぼウメイ|物《もの》があつても、|話《はなし》|丈《だけ》では|根《ね》つから|気《き》が|行《い》かぬぢやないか、|其奴《そいつ》は|皆《みんな》|八王《やつこす》や|奇《くす》の|神《かみ》が|食《く》ふのだ。|貴様《きさま》|達《たち》は|指《ゆび》を|銜《くは》へて、|朝《あさ》から|晩《ばん》までカンカンコンコンとカチワリ|大工《だいく》をやつて、|汗《あせ》をかいて|汗《あせ》の|脂《あぶら》を|舐《ねぶ》つとる|位《くらゐ》が|関《せき》の|山《やま》だ。ヒツコスはヒツコスで|引込《ひきこ》んどれ』
|時公《ときこう》『ヤ、|其《その》ヤツコスとかヒツコスとか|云《い》ふのが|聞《き》きたいのだ』
|虎公《とらこう》『|八王《やつこす》といふのは、|世界中《せかいぢう》の|贅沢《ぜいたく》な|奴《やつ》が|沢山《たくさん》な|金《かね》を|持《も》ちやがつて、ウラル|姫《ひめ》とか|常世姫《とこよひめ》とか|云《い》ふ|偉《えら》い|贅沢《ぜいたく》な|神《かみ》が、|大《おほ》けな|尻《けつ》を|振《ふ》りやがつて|大尻姫《おほげつひめ》などと|言《い》つてる。その|家来《けらい》が|皆《みんな》|家《いへ》を|持《も》つて|家《いへ》を|建《た》てて|方々《はうばう》から|移転《こ》して|来《く》るのだ、それをヤツコスと|云《い》ふのだ。|昔《むかし》は|十二《じふに》も|八王《やつわう》とか、|八王《やつこす》とか|云《い》つた|偉《えら》い|神《かみ》さんが、|天山《てんざん》にも、|青雲山《せいうんざん》にも、|鬼城山《きじやうざん》にも、|蛸間山《たこまやま》にも、その|外《ほか》にも|沢山《たくさん》あつたさうぢやが、|今度《こんど》の|八王《やつこす》はそんな|気《き》の|利《き》いた|八王《やつこす》ぢやない、|利己主義《われよし》の、|人《ひと》|泣《な》かせの、|財産家《ものもち》|連中《れんちう》の|楽隠居《らくいんきよ》をするのを、|是《こ》れを|称《しよう》して|即《すなは》ち|八王《やつこす》といふ。ヘン』
|馬公《うまこう》『コラ|虎公《とらこう》、|何《なに》をヘンなんて|空嘯《うそぶ》きやがつて、|馬鹿《ばか》にするない。ヒツコス|奴《め》が』
|虎公《とらこう》『|貴様《きさま》もヒツコスぢやないか、|甲斐性《かひしやう》なし|奴《め》が。カチワリ|大工《だいく》の|其処《そこ》ら|中《ぢう》で|恥《はぢ》を|柿《かき》のヘタ|大工《だいく》|奴《め》が|使用主《つかいて》がないものだから、|刃《は》の|欠《か》けた|鑿《のみ》を|一本《いつぽん》|持《も》ちよつて、|荒《あら》|削《けづ》りの|下役《したやく》に|行《ゆ》くんぢやないか、アラシコ|大工《だいく》|奴《め》が。|斯《こ》う|見《み》えても|此《この》|方《はう》さまは|上《じやう》シコだ。せめて|中《ちう》シコ|位《くらゐ》にならねば|巾《はば》は|利《き》かぬぞ。|大工《だいく》も|上《じやう》シコ|鉋《かんな》を|使《つか》ふ|様《やう》になれば、|占《し》めたものだ』
|馬公《うまこう》『|貴様《きさま》はシコはシコだが|醜神《しこがみ》だ。|悪《わる》い|事《こと》には|一番《いちばん》に|四股《しこ》を|入《い》れやがつて、|他人《ひと》の|膏《あぶら》をシコタマ|搾《しぼ》りやがる|醜女《しこめ》だ。チツト|是《これ》から|俺《おれ》が|天地《てんち》の|道理《だうり》を|説《と》いて、|貴様《きさま》を|仕込《しこ》んでやらうか。|仕込杖《しこみづゑ》も|一本《いつぽん》や|二本《にほん》|持《も》つて|居《ゐ》るから、|愚図々々《ぐづぐづ》|吐《ぬ》かすと、|貴様《きさま》のドテツ|腹《ぱら》へ|仕込《しこ》むでやるぞ』
|時公《ときこう》『オイオイ|大工《だいく》|同志《どうし》、|喧嘩《けんくわ》ははづまんぢやないか、|酒《さけ》を|鑿《のみ》ぢやとか、カンナぢやとか、|冷酒《ひやざけ》だとか|言《い》はずに、マアマア|心《こころ》を|落付《おちつ》けて、カンナガラ|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》を|唱《とな》へたらどうぢや』
|馬公《うまこう》『ナントあんたは|馬《うま》い|事《こと》を|云《い》ひますね。そら|燗《かん》した|酒《さけ》の|味《あぢ》は|耐《たま》りませぬ、チツトち|割《わ》つて|呉《く》れと|仰有《おつしや》るのか。|現代《いま》の|奴《やつ》は|利己主義《われよし》だから|中々《なかなか》チワルのチハイマスのと|云《い》ふ|様《やう》なお|人善《ひとよし》はありませぬデ。|酒《さけ》も|酒《さけ》も|曇《くも》つた|世《よ》の|中《なか》だ。……|酒《さけ》に|就《つい》て|思《おも》ひ|出《だ》したが、ナンでも|酒《さけ》の|姫《ひめ》とか|云《い》ふ|小便使《せうべんしい》がコーカス|山《ざん》へ|大尻姫《おほげつひめ》と|穴競《あなくら》べとか、|尻比《けつくら》べとかに|行《い》きよつたさうだ。そした|所《ところ》がその|小便使《せうべんしい》は|穴無《あなな》い|教《けう》だとかで、|薩張《さつぱ》り|大気津《おほげつ》の|神《かみ》に|取《と》つ|詰《つめ》られて、|岩窟《いはや》の|中《なか》へ|投込《ほりこ》まれたと|云《い》ふ|話《はなし》だ。|三五教《あななひけう》だから|穴《あな》の|中《なか》へ|入《い》れて|貰《もら》ひよつたのだらう』
|時公《ときこう》『|酒《さけ》の|姫《ひめ》、そりやあなたの|御聞違《おききちがひ》ぢやありませぬか。|竹野姫《たけのひめ》と|云《い》ふ|女《をんな》の|方《かた》ぢやあるまいかなア』
|馬公《うまこう》『ナンデも、|青《あを》い|様《やう》な|長《なが》い|様《やう》な|名《な》だつた。ウンさうさう、この|湖《うみ》には|竹島《たけしま》という|島《しま》があるワイ。|琵琶《びは》の|湖《うみ》の|島《しま》に|能《よ》く|似《に》たまた|二人《ふたり》の|姉妹《きやうだい》があると|云《い》ふ|事《こと》だ。|梅《うめ》とか、|松《まつ》とか|云《い》ふ|小便使《せうべんしい》が、コーカス|山《ざん》へ|小便《せうべん》|垂《た》れに|来《く》ると|云《い》ふ|事《こと》だから、|其奴《そいつ》を|捉《つかま》へたら、それこそ|大《たい》したものだ』
|時公《ときこう》『それは|誰《たれ》がそんな|事《こと》を|言《い》つて|居《ゐ》たのだ』
|馬公《うまこう》『イヤ|誰《たれ》でもない、その|竹野姫《たけのひめ》が|岩室《いはむろ》へ|打込《ぶちこ》まれる|時《とき》に、アヽ|松島《まつしま》、|梅島《うめしま》|助《たす》けて|下《くだ》さいとほざけやがつたのだ。それでまだ|二人《ふたり》の|小便使《せうべんしい》があると|云《い》ふので、それを|大気津姫《おほげつひめ》が|手《て》を|配《くば》つて|探《さが》しに|廻《まは》らして|居《を》るのだ。そいつを|捕《つかま》へたら|最後《さいご》、|我々《われわれ》も|御褒美《ごほうび》を|頂戴《ちやうだい》して、かち|割《わり》|大工《だいく》を|廃《や》め、|引越《ひつこ》すから|直《すぐ》に|八王《やつこす》になるのだ』
|時公《ときこう》『コーカス|山《ざん》には|大概《およそ》|八王《やつこす》が|幾許《いくら》|程《ほど》|居《を》るのだ』
|馬公《うまこう》『サア、|大概《およそ》|八百八十八《はつぴやくはちじふはち》|位《くらゐ》あるだらうなア』
|牛公《うしこう》『うそ|八百《はつぴやく》|云《い》うな、|貴様《きさま》は|嘘馬《うそうま》と|云《い》うて|村中《むらぢう》の|評判《ひやうばん》だ』
|馬公《うまこう》『|耄碌《もうろく》|大工《だいく》|牛《もう》の|尻《けつ》|黙《だま》れツ、|愚図々々《ぐづぐづ》|云《い》うと、|化《ばけ》が|露《あら》はれて|糞《くそ》が|出《で》るぞ。|牛糞《うしくそ》が|天下《てんか》を|取《と》り|損《そこ》ねるぞ』
|松代姫《まつよひめ》、|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|被面布《ひめんぷ》を|除《と》り、|牛公《うしこう》、|馬公《うまこう》の|前《まへ》に|現《あら》はれ、
『|妾《わらは》がお|話《はなし》の|松代姫《まつよひめ》、|梅ケ香姫《うめがかひめ》で|御座《ござ》います。|竹野姫《たけのひめ》の|姉《あね》と|妹《いもうと》、|何卒《どうぞ》|妾《わらは》を|連《つ》れて|大気津姫《おほげつひめ》とやらの|側《そば》へ|案内《あんない》して|下《くだ》さらぬか。あなた|方《がた》のお|手柄《てがら》になりますから……』
|時公《ときこう》『これはしたり|御両人様《ごりやうにんさま》、|大胆不敵《だいたんふてき》な|其《その》お|言葉《ことば》………オイオイ|牛《うし》、|馬《うま》、|鹿《しか》、|虎《とら》、|嘘《うそ》だぞ|嘘《うそ》だぞ。この|方《かた》は|小便使《せうべんしい》でも|何《なん》でもない。|松《まつ》でも、|梅《うめ》でもないのだ。お|前達《まへたち》があまり【ウメ】イ|事《こと》を|言《い》うて、|牛糞《うしくそ》が|天下《てんか》を|取《と》る|世《よ》を|待《ま》つもんだから、|滑稽《こつけい》|交《まじ》りに|妾《わらは》が|松《まつ》だとか、|梅《うめ》だとか、【ウメ】イ|事《こと》を|仰有《おつしや》るのだ。|全《まつた》く|戯談《じやうだん》だ。|斯《こ》んな|女《をんな》を|引張《ひつぱ》つて|行《ゆ》かうものならそれこそ|大騒動《おほさうどう》が|起《おこ》つて|仕末《しまつ》におえぬぞ』
|松代姫《まつよひめ》『オホヽヽヽ、|時《とき》さま、|嘘《うそ》|言《い》つてはいけませぬ、|宣《の》り|直《なほ》しなさい』
|時公《ときこう》『こんな|所《ところ》で|宣《の》り|直《なほ》して|堪《た》まりますか、この|船《ふね》の|客《きやく》は|残《のこ》らずヒツコスばつかりだ。ウツカリした|事《こと》おつしやると|大変《たいへん》ですデ』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『ホヽヽ、|時《とき》さんの|弱《よわ》いこと、|愚図々々《ぐづぐづ》|云《い》つたら、ヒツコスの|首《くび》を|残《のこ》らずヒツコ|抜《ぬ》く|迄《まで》のことですよ』
|時公《ときこう》『これはこれは、あなたこそ|宣《の》り|直《なほ》しなさい』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『イエイエ、|皆《みな》さま|達《たち》の|体主霊従魂《からみたま》が|黄泉《よもつ》の|国《くに》に|引越《ひつこ》して、|神《かみ》の|国《くに》の|身魂《みたま》が|皆《みな》さまの|腹《はら》の|中《なか》へ|引越《ひつこ》すといふ|事《こと》です』
|時公《ときこう》『アハヽヽヽ、|梅ケ香《うめがか》さま、【ウメ】イ|事《こと》を|仰有《おつしや》る』
|松代姫《まつよひめ》『ホヽヽヽ』
|斯《か》くする|間《うち》、|三日三夜《みつかみよさ》の|颶風《ぐふう》はピタリと|歇《や》ンだ。|船《ふね》は|再《ふたた》び|真帆《まほ》に|風《かぜ》を|孕《はら》んで、|西北《せいほく》|指《さ》して|畳《たたみ》の|様《やう》な、|凪《な》ぎ|渡《わた》つたる|浪《なみ》の|上《うへ》をスルスルと|辷《すべ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・三・三 旧二・五 松村真澄録)
第一九章 |汐干丸《しほひまる》〔四八六〕
|松代姫《まつよひめ》は|矗然《すつく》と|立《た》つて、
|松代姫《まつよひめ》『|心《こころ》も|広《ひろ》き|琵琶《びは》の|湖《うみ》  |恵《めぐみ》も|深《ふか》き|琵琶《びは》の|湖《うみ》
|浪《なみ》に|浮《うか》べる|松《まつ》の|島《しま》  |千歳《ちとせ》の|松《まつ》の|青々《あをあを》と
|繁《しげ》り|栄《さか》ゆる|神心《かみごころ》  |一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|島《しま》
|処狭《ところせ》き|迄《まで》なよ|竹《たけ》の  |風《かぜ》に|揉《も》まるる|竹《たけ》の|島《しま》
|荒風《あらかぜ》|強《つよ》く|渡《わた》るとも  |仮令《たとへ》|深雪《みゆき》にたわむとも
|千代《ちよ》に|八千代《やちよ》にさき|竹《たけ》の  |悩《なや》みも|知《し》らぬ|勇《いさ》ましさ
|妾《わらは》は|神世《かみよ》を|松代姫《まつよひめ》  この|世《よ》を|乱《みだ》す|大気津《おほげつ》の
|姫《ひめ》の|奢侈《おご》りを|戒《いまし》めて  |心《こころ》の|仇花《あだばな》|咲《さ》き|散《ち》らし
|天津御神《あまつみかみ》の|賜《たま》ひたる  |我《わ》が|言霊《ことたま》に|逸早《いちはや》く
|開《ひら》く|梅ケ香姫《うめがかひめ》の|神《かみ》  |竹野《たけの》の|姫《ひめ》の|窟戸《いはやど》に
|立《た》て|籠《こ》められて|千万《ちよろづ》の  |憂《うき》に|逢瀬《あふせ》を|助《たす》けむと
|進《すす》む|時《とき》こそ|来《きた》りけり  |憂《う》しや|辛《つら》しの|世《よ》の|中《なか》に
|我《わが》|身《み》|一人《ひとり》はうまうまと  |鹿《しか》の|妻恋《つまこ》ふ|奥山《おくやま》に
みづの|御《み》あらか|立《た》て|構《かま》へ  |虎《とら》|狼《おほかみ》に|勝《まさ》りたる
|醜《しこ》の|曲津《まがつ》の|曲業《まがわざ》を  |祓《はら》ひ|清《きよ》めむ|松代姫《まつよひめ》
|梅ケ香姫《うめがかひめ》と|諸共《もろとも》に  |待《ま》ちに|待《ま》ちたる|時津風《ときつかぜ》
|吹《ふ》く|春《はる》こそは|楽《たの》しけれ  |竹野《たけの》の|姫《ひめ》の|消息《せうそく》を
はしなく|聞《き》きし|船《ふね》の|上《うへ》  |飢《うゑ》な、まかるな、なよ|竹《たけ》の
|女《をんな》ながらも|神国《かみくに》に  |尽《つく》す|誠《まこと》の|竹野姫《たけのひめ》
|救《すく》ひの|神《かみ》と|現《あら》はれて  |茲《ここ》に|三人《みたり》の|姉妹《おとどひ》の
|語《かた》り|合《あ》ふ|夜《よ》も|束《つか》の|間《ま》の  |堪《こら》へ|忍《しの》びの|荒魂《あらみたま》
|勇《いさ》みて|待《ま》てよ|妹《いもうと》よ  |汝《な》が|身《み》を|思《おも》ふ|松梅《まつうめ》の
|魂《たま》は|通《かよ》へよ|千引岩《ちびきいは》  |窟《いはや》の|中《なか》の|妹《いも》が|辺《へ》に
|窟《いはや》の|中《なか》の|妹《いも》が|辺《へ》に』
と|歌《うた》つて|元《もと》の|座《ざ》に|就《つ》きける。
|牛公《うしこう》『オイ|兄弟分《きやうだいぶん》(|少《すこ》し|小声《こごゑ》になつて)|今《いま》の【のた】が|聞《きこ》えたか』
|馬公《うまこう》『【のた】と|云《い》ふ|事《こと》があるかい。|何《なん》でも|長《なが》たらしい、のたのたと|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を【のた】つとつたではないか』
|鹿公《しかこう》『オイ|違《ちが》ふよ。ありや|歌《うた》と|云《い》ふものだ』
|牛公《うしこう》『アヽさうか、|何《なん》でも、【うた】がはしい|事《こと》をウタウタと|囀《さへづ》つて|居《を》つた。|彼奴《あいつ》は|歌《うた》よみの|乞食《こじき》かも|知《し》れぬぞ。「|歌々《うたうた》と|歌《うた》を|囀《さへづ》る|歌《うた》|作《つく》り【うた】うた|出来《でき》ぬ|身《み》こそ【うた】てき」』
|馬公《うまこう》『|何《なに》を|吐《ぬか》しやがるのだ。【うた】つ|目《め》には【うた】うた|囀《さへづ》りやがつて、そんな|処《どころ》かい。|彼奴《あいつ》が|例《れい》の|代物《しろもの》だ、|彼奴《あいつ》を、|俺等《おいら》が|力《ちから》を|合《あは》してふん|縛《じば》つて|了《しま》へばもう|占《し》めたものだ。|松《まつ》だとか|梅《うめ》だとか|白状《はくじやう》し|居《を》つたではないか』
|鹿公《しかこう》『しかし|乍《なが》ら|一寸《ちよつと》|見《み》た|処《ところ》、なかなか|豪胆《がうたん》な|女《をんな》らしい。|二人《ふたり》や|三人《さんにん》の|梃《てこ》に|合《あ》ふ|様《やう》な|奴《やつ》ぢやあるまい。それに|貴様《きさま》あんな|大《おほ》きな|男《をとこ》がひつついて|居《ゐ》るのだから、|到底《たうてい》そんな|野心《やしん》を|起《おこ》しても|駄目《だめ》かも|知《し》れぬぞ』
|虎公《とらこう》『しかりしかり、|而《しか》うして|聊《いささ》か|以《もつ》て|手強《てごわ》い|奴《やつ》だ。|下手《へた》にマゴ|付《つ》くと、スツトコドツコイのオタンチン、チンチクリンのチンチクリン』
|馬公《うまこう》『そりや|何《なに》|吐《ぬか》す』
|鹿公《しかこう》『まことに【はや】、しだいがらだ』
|牛公《うしこう》『|時《とき》に|取《と》つての|儲《まう》け|物《もの》だ。うまいうまい、【しか】と|虎《とら》まへるのだな』
|馬公《うまこう》『|俺等《おいら》の|名《な》を|並《なら》べやがつて、【うま】い|事《こと》|吐《ほざ》きやがる』
|牛公《うしこう》『【もう】|斯《こ》うなつては、|廐《うまや》の|隅《すみ》にも|置《お》いとけぬワイ』
|鹿公《しかこう》『【しか】りしかり 【しか】も|座敷《ざしき》の|真中《まんなか》か、コーカス|山《ざん》の|中《なか》のお|宮《みや》の|御住《おんすま》ひ』
|虎公《とらこう》『【とら】マア|結構《けつこう》な|事《こと》だなア』
|牛公《うしこう》『|洒落《しやれ》やがるない。|人《ひと》の|真似《まね》|計《ばか》りしやがつてモウそんな|話《はなし》は|止《や》めようかい』
|馬公《うまこう》『【ば】かばかしいからな。【うま】い|話《はなし》と|化物《ばけもの》とは|滅多《めつた》に|会《あ》はれるものぢやない』
|鹿公《しかこう》『【しか】し|乍《なが》らコーカス|山《ざん》には|沢山《たくさん》な|化物《ばけもの》が|集《あつ》まつて|居《ゐ》ると|云《い》ふ|事《こと》だ。【うま】い|話《はなし》も|沢山《たくさん》あるぢやないか』
|虎公《とらこう》『|虎《とら》でも、|獅子《しし》でも、|狼《おほかみ》でも、|熊《くま》でも、|狐《きつね》でも、|狸《たぬき》でも、|犬《いぬ》でも、|猫《ねこ》でも、|杓子《しやくし》でも、|瓢箪《へうたん》でも、|酒《さけ》の|粕《かす》でも、コーカスでも、|狡猾《かうくわつ》な|奴《やつ》|計《ばか》りが|集《あつ》まつて|利己主義《われよし》をやつて|居《ゐ》るのだと|云《い》ふ|事《こと》よ。これから|虎《とら》さんもちつと|狡猾《かうくわつ》になつて|猫《ねこ》でも|被《かぶ》つて|虎猫《とらねこ》になつて|見《み》よう、ニヤーンと|妙案《めうあん》だらう』
|時公《ときこう》『オイオイ|牛《うし》、|馬《うま》、|鹿《しか》、|虎《とら》、|俺《おれ》が|最前《さいぜん》から|狸《たぬき》の|空寝入《そらねい》りをして|貴様等《きさまら》の|囁《ささや》きを|聞《き》いて|居《を》れば、|太《ふと》い|奴《やつ》だ。|牛公《うしこう》の|儲《まう》け|話《ばなし》、|馬公《うまこう》の|甘《うま》い|算段《さんだん》、|鹿公《しかこう》の|狡猾目的《ずるいしがく》、|虎公《とらこう》の|猫《ねこ》|被《かぶ》り、トラ|猫《ねこ》のコーカス|野郎《やらう》、|大気津姫《おほげつひめ》が|呆《あき》れるワイ。サア、ま|一度《いちど》|時《とき》さまの|前《まへ》で|云《い》つて|見《み》よ』
|八公《やつこう》『こら|四人《よにん》の|獣《けもの》、|四足《よつあし》、|俺《おれ》は|八《やつ》さまだぞ。|知《し》つてるか|四《よ》ツの|倍《ばい》が|八《やつ》だ。ぐづぐづ|吐《ぬか》すと|八裂《やつざき》だぞ』
|鴨公《かもこう》『ヤイ、|貴様《きさま》|等《たち》、|松《まつ》がどうだの、|梅《うめ》がどうだのと|何《なに》をかまふのだ。【かも】て|呉《く》れるな。|此《この》|方《はう》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だ。|何《なに》も【か】も|御承知《ごしようち》だから【かも】さまと|云《い》ふのだ。|貴様《きさま》の|悪《わる》い|企《たくみ》はちやんと|看破《かんぱ》して|居《ゐ》るのだ。どうだ|何《なに》も【かも】|白状《はくじやう》するか』
|牛公《うしこう》『【もう】もうもう|何《なに》も|彼《か》も|白状《はくじやう》|致《いた》します』
|馬公《うまこう》『【うま】うま|待《ま》つて|下《くだ》さい』
|鹿公《しかこう》『|鹿《しか》つめらしい|顔《かほ》して【しか】つて|下《くだ》さるな』
|虎公《とらこう》『お|前《まへ》さま|等《ら》に【とら】まへられぬ|先《さき》に|尾《を》を|捲《ま》きます』
|鴨公《かもこう》『|宜《よろ》しい。これから|何《なに》も【か】も|気《き》を|付《つ》けるが|宜《よ》からうぞ』
|時公《ときこう》『アハヽヽヽヽ』
|時公《ときこう》はすつくと|立《た》つて、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。
『|浪音《なみおと》|高《たか》き|琵琶《びは》の|湖《うみ》  |鳴《な》る|言霊《ことたま》の|此処《ここ》|彼処《かしこ》
また|来《く》る|春《はる》を|松島《まつしま》や  |浪風《なみかぜ》|高《たか》き|竹《たけ》の|島《しま》
|見《み》ても|強《つよ》そな|梅《うめ》の|島《しま》  |浮《うか》ぶ|景色《けしき》も|面白《おもしろ》く
|一寸《ちよつと》|三島《みしま》の|沖《おき》|越《こ》えて  |真帆《まほ》に|風《かぜ》をば|孕《はら》ませつ
|此処《ここ》まで|来《き》たる|時《とき》も|時《とき》  【ぎう】と|詰《つ》まつた|船《ふね》の|客《きやく》
【うし】や|苦《くる》しと|泡《あわ》を|吹《ふ》く  |角《つの》の|立《た》つたる|牛公《うしこう》や
|尻《しり》の|始末《しまつ》に|馬《うま》さまが  |豆屁《まめべ》の|様《やう》な|法螺《ほら》を|吹《ふ》き
|欲《よく》と|酒《さけ》とにからまれて  |心《こころ》は|紅葉《もみぢ》|鹿《しか》の|鳴《な》く
【しか】め|面《づら》した|鹿《しか》さまや  |荒肝《あらぎも》【とら】れた|虎《とら》さまの
コーカス|山《ざん》の|物語《ものがたり》  |大気津姫《おほげつひめ》が|呆《あき》れたと
|屁《へ》を|放《ひ》る|様《やう》な|小理屈《こりくつ》を  やつとかました|八公《やつこう》の
|骨《ほね》も|身《み》もないかけ|合《あ》ひだ  |墨《すみ》を|吹《ふ》いたる|蛸《たこ》の|様《よ》な
|禿《はげ》ちやま|頭《あたま》の|鴨公《かもこう》が  かもかかもかと|威張《ゐば》り|出《だ》す
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
コーカス|山《ざん》の|曲神《まがかみ》を  この|時《とき》さまが|現《あら》はれて
|時《とき》をうつさず|言霊《ことたま》の  |誠《まこと》の|道《みち》を|説《と》き|分《わ》けて
|慾《よく》に|迷《まよ》うた|曲神《まがかみ》の  |心《こころ》のもつれ|解《と》いてやる
|牛《うし》の|糞《くそ》でも|天下《てんか》|取《と》る  【うま】い|話《はなし》にのせられた
|船《ふね》の|上《うへ》にてうつかりと  ほざいた|鼻鹿《はなしか》|物語《ものがたり》
|叱《しか》り|散《ち》らすは|易《やす》けれど  【とら】まへ|処《どこ》のない|虎公《とらこう》
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し  |宣《の》り|直《なほ》し|行《ゆ》く|船《ふね》の|上《うへ》
|牛馬鹿虎《うしうましかとら》のみならず  この|船中《せんちう》の|人々《ひとびと》よ
|鑿《のみ》や|鉋《かんな》や|鋸《のこぎり》の  |働《はたら》く|如《ごと》く|今《いま》よりは
|心《こころ》の|曲《まが》をきり|払《はら》ひ  |垢《あか》を|削《けづ》れよ|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》にまつらうて  |栄耀栄華《えいようえいぐわ》に|暮《くら》し|居《を》る
|大気津姫《おほげつひめ》の|真似《まね》をすな  |従順《すなを》に|心《こころ》|改《あらた》めて
|早《はや》く|乗《の》り|換《か》へ|神《かみ》の|船《ふね》  この|世《よ》を|救《すく》ふ|神《かみ》の|船《ふね》
|目無堅間《めなしかたま》の|救《すく》ひ|船《ぶね》  |浪風《なみかぜ》|荒《あら》き|世《よ》の|中《なか》も
|溺《おぼ》れる|案《あん》じあら|波《なみ》の  |浪《なみ》に|漂《ただよ》ふ|松代姫《まつよひめ》
|神《かみ》の|教《をしへ》の|一時《いつとき》に  |開《ひら》く|梅ケ香姫《うめがかひめ》の|神《かみ》
|此《この》|二方《ふたかた》の|宣伝歌《せんでんか》  |確《しつか》り|聞《き》いて|改《あらた》めよ
この|世《よ》ばかりか|先《さき》の|世《よ》の  |力《ちから》となるは|神《かみ》の|教《のり》
|教《のり》の|友船《ともぶね》|幾千代《いくちよ》も  |老《おい》ず|死《まか》らず|天津日《あまつひ》の
|神《かみ》の|御国《みくに》へ|救《すく》ひ|行《ゆ》く  |神《かみ》の|救《すく》ひの|御船《おんふね》に
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|乗《の》り|直《なほ》せ  |乗《の》れよ|乗《の》れ|乗《の》れ|神《かみ》の|船《ふね》
|醜《しこ》の|言霊《ことたま》|詔《の》り|直《なほ》せ  |神《かみ》は|汝《なんぢ》と|倶《とも》にあり
|嗚呼《ああ》|有難《ありがた》き|神《かみ》の|恩《おん》  |嗚呼《ああ》|有難《ありがた》き|神《かみ》の|徳《とく》
とつくり|思案《しあん》した|上《うへ》で  |神《かみ》に|貰《もら》うた|生粋《きつすゐ》の
|心《こころ》の|色《いろ》を|現《あら》はせよ  コーカス|山《ざん》は|高《たか》く|共《とも》
|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|比《くら》ぶれば  |足元《あしもと》さへも|寄《よ》り|付《つ》けぬ
|琵琶《びわ》の|荒湖《あらうみ》|深《ふか》くとも  |深《ふか》き|恵《めぐ》みに|比《くら》ぶれば
たとへにならぬものぞかし  |畏《かしこ》き|神《かみ》の|御教《みをしへ》に
まつろひまつれ|諸人《もろびと》よ  |禍《わざはひ》|多《おほ》き|人《ひと》の|世《よ》は
|神《かみ》を|離《はな》れて|易々《やすやす》と  くれ|行《ゆ》く|事《こと》は|難《むづ》かしい
ほめよたたへよ|神《かみ》の|徳《とく》  |祈《いの》れよ|祈《いの》れ|神《かみ》の|前《まへ》
|前《まへ》や|後《うしろ》や|右《みぎ》|左《ひだり》  |神《かみ》の|御水火《みいき》に|包《つつ》まれて
|生《い》きて|行《ゆ》くなる|人《ひと》の|身《み》は  |神《かみ》に|離《はな》れな|捨《す》てられな
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さちは》ひましまして
|世《よ》の|諸人《もろびと》の|身魂《みたま》をば  |研《みが》かせ|給《たま》へ|研《みが》きませ
|心《こころ》の|岩戸《いはと》|押《お》しあけて  |清《きよ》き|月日《つきひ》を|照《て》らせかし
|清《きよ》き|月日《つきひ》を|照《て》らせかし』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つて|元《もと》の|座《ざ》に|就《つ》きけり。
(大正一一・三・三 旧二・五 藤津久子録)
第二〇章 |醜《しこ》の|窟《いはや》〔四八七〕
|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|立上《たちあが》り、
『|四方《よも》の|山野《さんや》を|見渡《みわた》せば  |雪《ゆき》の|衣《ころも》に|包《つつ》まれて
|見《み》るも|清《きよ》けき|銀世界《ぎんせかい》  |世界《せかい》の|曲《まが》や|塵《ちり》|芥《あくた》
|蔽《おほ》ひかくしてしらじらと  |表面《うはべ》の|光《ひか》る|今《いま》の|世《よ》は
|何処《どこ》も|彼処《かしこ》も【ゆき】|詰《つま》る  |青《あを》きは|海《うみ》の|浪《なみ》ばかり
|青木ケ原《あをきがはら》に|現《あ》れませる  |神伊邪諾《かむいざなぎ》の|大神《おほかみ》や
|木花姫《このはなひめ》の|御教《みをしへ》を  |照《てら》し|行《ゆ》くなる|宣伝使《せんでんし》
|乗《の》りの|友船《ともぶね》|人《ひと》|多《おほ》く  |皆《みな》|口々《くちぐち》に|囁《ささや》きの
|言《こと》の|葉《は》|風《かぜ》に|煽《あふ》られて  |心《こころ》も|曇《くも》る|胸《むね》の|闇《やみ》
|闇夜《やみよ》を|照《てら》す|朝日子《あさひこ》の  |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|命《みこと》もて
|曲津《まがつ》の|猛《たけ》ぶコーカスの  |大気津姫《おほげつひめ》のあれませる
|雪《ゆき》|積《つ》む|山《やま》に|向《むか》ひたる  |竹野《たけの》の|姫《ひめ》は|如何《いか》にして
|岩窟《いはや》の|中《なか》に|捕《とら》はれし  |嗚呼《ああ》|我々《われわれ》は|千早振《ちはやふる》
|神《かみ》の|光《ひかり》を|身《み》に|受《う》けて  |黒白《あやめ》も|分《わか》ぬ|岩窟《がんくつ》の
|憂《うれひ》に|曇《くも》る|姉《あね》の|君《きみ》  |救《すく》ひまつらで|置《お》くべきか
コーカス|山《ざん》の|山颪《やまおろし》  |何《なに》かあらむや|神《かみ》の|道《みち》
|踏《ふ》み|分《わ》け|進《すす》む|我《わが》|一行《いつかう》  |時《とき》は|来《きた》れり|時《とき》は|今《いま》
|天《あま》の|窟戸《いはやど》|押《お》し|分《わ》けて  コーカス|山《ざん》に|集《あつ》まれる
|百《もも》の|魔神《まがみ》を|言向《ことむ》けむ  |言向《ことむけ》|和《やは》す|皇神《すめかみ》の
|広《ひろ》き|心《こころ》の|神直日《かむなほひ》  |恵《めぐみ》の|露《つゆ》も|大直日《おほなほひ》
|曲《まが》の|身魂《みたま》をスクスクに  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|宣《の》り|直《なほ》させん|宣伝使《せんでんし》  |千変万化《せんぺんばんくわ》の|神界《しんかい》の
|神《かみ》の|御業《みわざ》を|畏《かしこ》みて  |言霊《ことたま》|清《きよ》き|琵琶《びは》の|湖《うみ》
|渡《わた》りて|進《すす》む|五人連《ごにんづれ》  |心《こころ》|竹野《たけの》の|姫《ひめ》の|神《かみ》
|神《かみ》を|力《ちから》に|神嘉言《かむよごと》  |讃美《たた》へて|待《ま》てよ|今《いま》|暫《しば》し
|暫《しば》し|隠《かく》るる|星影《ほしかげ》も  |雲《くも》たち|退《の》けば|花《はな》の|空《そら》
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  |虧《か》けてはならぬ|姉妹《おとどひ》の
|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|桃《もも》の|実《み》は  |意富加牟豆美《おほかむづみ》と|顕《あら》はれて
|黄泉戦《よもついくさ》に|勲《いさをし》を  |建《た》てたる|如《ごと》く|今一度《いまいちど》
|天照神《あまてるかみ》の|御前《おんまへ》に  |岩戸開《いはとびら》きの|神業《かむわざ》を
つかへまつらむそれ|迄《まで》は  |虎《とら》|狼《おほかみ》や|獅子《しし》|熊《くま》の
|醜《しこ》の|刃《やいば》をかい|潜《くぐ》り  |清《きよ》き|命《いのち》を|保《たも》つべく
|守《まも》らせ|玉《たま》へ|金《かね》の|神《かみ》  |神須佐之男大御神《かむすさのをのおほみかみ》
|国治立《くにはるたち》の|大御神《おほみかみ》  |三五教《あななひけう》を|守《まも》ります
|百《もも》の|神《かみ》|達《たち》|八十《やそ》の|神《かみ》  |松竹梅《まつたけうめ》の|行末《ゆくすゑ》を
|厚《あつ》く|守《まも》れよ|克《よ》く|守《まも》れ  |下《しも》|国民《くにたみ》の|血《ち》を|絞《しぼ》り
|膏《あぶら》を|抜《ぬ》きて|唯《ただ》|一人《ひとり》  |奢《おご》りを|尽《つく》す|大気津姫《おほげつひめ》の
|神《かみ》の|命《みこと》と|現《あら》はれし  ウラルの|姫《ひめ》に|附《つ》き|纏《まと》ふ
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜狐《しこぎつね》  |醜《しこ》の|鬼神《おにがみ》|八十曲津《やそまがつ》
|神《かみ》の|御息《みいき》に|悉《ことごと》く  |服《まつ》ろへまつる|今《いま》や|時《とき》
アヽ|時《とき》さまよ|八《やつ》さまよ  |牛《うし》|馬《うま》|鹿《しか》|虎《とら》|鴨《かも》さまよ
|勇《いさ》み|進《すす》んでコーカスの  |山《やま》|吹《ふ》きまくる|醜《しこ》の|風《かぜ》
|皆《みな》|一息《ひといき》に|吹《ふ》き|払《はら》ひ  |祓《はら》ひ|清《きよ》むる|神《かみ》の|国《くに》
|神《かみ》と|国《くに》との|御為《おんため》に  |力《ちから》を|合《あは》せ|身《み》を|尽《つく》し
|鑿《のみ》や|鉋《かんな》をふり|捨《す》てて  |神《かみ》の|道《みち》のみ|歩《あゆ》みつつ
|神《かみ》の|御魂《みたま》の|惟神《かむながら》  |霊《たま》の|幸《ちはひ》を|受《う》けよかし
|進《すす》めよ|進《すす》めいざ|進《すす》め  |進《すす》めよ|進《すす》めいざ|進《すす》め』
と|歌《うた》ひ|了《をは》りぬ。
|時公《ときこう》『|八《やつ》さま|鴨《かも》さまどうだ。|最前《さいぜん》から|随分《ずゐぶん》|噪《はしや》いで|居《ゐ》た|大工《だいく》さまの|牛《うし》、|馬《うま》、|鹿《しか》、|虎《とら》の|四《よ》つ|足《あし》、オツトドツコイ|四人《よにん》さまは、どうやら|時《とき》さまの|宣伝歌《せんでんか》で|帰順《きじゆん》したらしいぞ。これも|時《とき》の|力《ちから》と|云《い》ふものだ。|貴様《きさま》はいつも|俺《おれ》を、|時々《ときどき》|脱線《だつせん》する|男《をとこ》だから|時《とき》さまだナンテ、|冷《ひや》かしよつたがどうだ、|時々《ときどき》|功名《こうみやう》を|現《あら》はすたふ【とき】|尊《たつ》【とき】|時《とき》さまだぞ』
|八公《やつこう》『|何《なに》を|偉《えら》さうに|時《とき》めきやがる。たふ【とき】も|尊《たつ》【とき】も|同《おんな》じ|事《こつ》ちやないか。|貴様《きさま》クス|野ケ原《のがはら》で|梅ケ香姫《うめがかひめ》のお|洒落《しやれ》にかかつた|時《とき》と、|一《ひと》つ|目《め》|小僧《こぞう》に|出逢《であ》つた|時《とき》の|状態《ざま》は|何《なん》だい。|知《し》らぬかと|思《おも》つて|法螺《ほら》を|吹《ふ》いても、チヤンと|此《この》|八《やつ》さんは|天眼通力《てんがんつうりき》で|調《しら》べてあるのだ。|八耳《やつみみ》の|八《やつ》さまと|云《い》へば|俺《おれ》の|事《こと》だ。この|八《やつ》さまにはどんな|奴《やつ》でも|尾《を》を|捲《ま》くのだぞ』
|時公《ときこう》『|八《やつ》は【やつ】だが、|負惜《まけをし》みの|強《つよ》い|奴《やつ》、|悪《わる》い|奴《やつ》、|法螺《ほら》を|吹《ふ》く|奴《やつ》、|困《こま》つた|奴《やつ》』
|八公《やつこう》『コラコラ|時《とき》さま、そらまだ|八《やつ》だない|四《よ》つだ、|奴《やつ》が|四《よ》ツより|無《な》いぢやないか』
|時公《ときこう》『|奴《やつ》が|四《よ》つと|貴様《きさま》の|身魂《みたま》が|四《よ》つ|足《あし》だからそれで|合《あは》して|八《やつ》ツになるのだ。|分《わか》らぬ|奴《やつ》だなア』
|鴨公《かもこう》『アハヽヽヽ、コイツ|気味《きみ》が|良《よ》い。|胸《むね》がスツとした。|何《なん》でもかでも、|八《やつ》かましうする|奴《やつ》だから、|村《むら》の|者《もの》が|愛想《あいさう》を|尽《つ》かして、|厄介者《やつかいもの》|扱《あつか》ひにしとる|位《くらゐ》だから、コイツ|余程《よつぽど》|酷《ひど》い|奴《やつ》だ』
|牛公《うしこう》『オイ、|八《やつ》さま、ギユウ|牛《ぎう》|云《い》はされて|居《を》るな』
|馬公《うまこう》『|馬鹿野郎《ばかやらう》、|状態《ざま》|見《み》やがれ』
|鹿公《しかこう》『【シカ】られ|通《とほ》しにして|居《ゐ》やがる』
|虎公《とらこう》『【トラ】れてばつかり|居《ゐ》やがる、|揚《あ》げ|足《あし》と|油《あぶら》を』
|時公《ときこう》『|時《とき》にとつての|御愛嬌《ごあいけう》だ』
かく|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》る|折《をり》しも|船《ふね》は|岸《きし》に|着《つ》いた。|船客《せんきやく》|一同《いちどう》は|船《ふね》を|見捨《みす》てて|思《おも》ひ|思《おも》ひに|雪《ゆき》の|道《みち》を|進《すす》み|行《ゆ》く。|松代姫《まつよひめ》の|一行《いつかう》|五人《ごにん》に|牛《うし》、|馬《うま》、|鹿《しか》、|虎《とら》を|加《くは》へて|九人《くにん》|連《づ》れ、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》らコーカス|山《ざん》|目蒐《めが》け、|人《ひと》の|往来《ゆきき》の|足跡《あしあと》をたよりに、|谷間《たにま》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》くのであつた。
|満山《まんざん》|一面《いちめん》の|大雪《おほゆき》にて、|彼方《あちら》の|谷《たに》にも|此方《こちら》の|谷《たに》にも|雪《ゆき》の|重《おも》さにポンポンと|樹木《じゆもく》の|折《を》れる|音《おと》|頻々《ひんぴん》と|聞《きこ》えて|居《ゐ》る。
|鴨公《かもこう》『ヤア、モーそろそろ|日《ひ》が|暮《くれ》る|時分《じぶん》だ。そこら|一面《いちめん》|雪《ゆき》で|明《あか》くなりやがつて、|昼《ひる》だと|思《おも》つて|居《ゐ》る|間《うち》に、|夜《よる》になつて|仕舞《しま》ふのは|雪《ゆき》の|道《みち》だ。|何処《どこ》ぞこの|辺《へん》に|猪小屋《ししごや》でもあつたら|一服《いつぷく》して、|都合《つがふ》がよければ|一泊《いつぱく》やらうかい』
|八公《やつこう》『さうだ、|俺《おれ》も|最前《さいぜん》から|宿屋《やどや》を|探《さが》して|居《を》るのだが、|是《これ》から|一里《いちり》|許《ばか》り|奥《おく》へ|行《ゆ》けば、|何百軒《なんびやくけん》とも|知《し》れぬ、|立派《りつぱ》な|家《いへ》が|建《た》つて|居《ゐ》るのだから、そこ|迄《まで》|無理《むり》に|行《ゆ》く|事《こと》にしよう』
|時公《ときこう》『ヤア、|待《ま》て|待《ま》て、|其処《そこ》まで|行《い》つたら|最早《もはや》|敵《てき》の|繩張《なはば》りだ。それ|迄《まで》に|一夜《いちや》を|明《あか》し、|草臥《くたびれ》を|休《やす》めて、|明日《あす》の|元気《げんき》を|養《やしな》ふのだ』
|牛公《うしこう》『|私《わたし》は|何時《いつ》もこの|辺《へん》を|往来《わうらい》する|者《もの》です。|山《やま》の|勝手《かつて》は|能《よ》く|知《し》つて|居《ゐ》ますが、|此《この》|谷《たに》は|少《すこ》しく|右《みぎ》へ|下《お》りると|岩窟《いはあな》がある。|其処《そこ》で|一夜《いちや》を|明《あか》す|事《こと》にしませうか』
|時公《ときこう》『どうです|松代姫《まつよひめ》さま』
|松代姫《まつよひめ》『ハイ、|宜敷《よろし》からう、|今晩《こんばん》は|久《ひさ》し|振《ぶり》で|岩窟《いはあな》に|逗留《とうりう》さして|貰《もら》ひませうか』
と|衆議《しうぎ》|一決《いつけつ》して、|牛公《うしこう》の|案内《あんない》につれ、|小《ちひ》さい|谷《たに》を|目《め》あてに|進《すす》み|行《ゆ》く。|牛公《うしこう》の|云《い》つた|通《とほ》り|二三十人《にさんじふにん》は|気楽《きらく》に|寝《ね》られる、|立派《りつぱ》な|岩窟《がんくつ》があつた。ここに|一行《いつかう》は|蓑《みの》を|敷《し》き、|携《たづさ》へ|持《も》てる|無花果《いちじゆく》を|食《く》つて、|逗留《とうりう》する|事《こと》になつた。
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『アヽ|都合《つがふ》のよい|岩窟《いはや》ですなア。|此《この》|岩窟《いはや》を|見《み》るにつけ、|想《おも》ひ|出《だ》すのは|姉様《ねえさん》の|事《こと》、|姉様《ねえさん》が|押《お》し|込《こ》められて|居《を》る|岩窟《いはや》と|云《い》つたら、こンなものでせうか』
|牛公《うしこう》『|滅相《めつさう》もない。コンナ|結構《けつこう》な|処《とこ》ですか、この|山奥《やまおく》には|七穴《しちあな》と|云《い》つて、|七《なな》ツの|岩穴《いはあな》がある。さうしてその|穴《あな》の|中《なか》は、こンな|平坦《へいたん》な|座敷《ざしき》の|様《やう》な|処《とこ》ぢやない。|私《わし》も|一《いつ》ぺん|這入《はい》つて|見《み》た|事《こと》があるが、|穴《あな》の|中《なか》は|真暗《まつくら》がりで、|底《そこ》が|深《ふか》くて、なんでも|竜宮《りうぐう》|迄《まで》|続《つづ》いて|居《ゐ》ると|云《い》ふ|事《こと》で、あんな|処《とこ》へ|入《い》れられようものなら、ゆつくり|腰《こし》を|掛《かけ》る|事《こと》も|出来《でき》やしない。|両方《りやうはう》が|岩壁《いはかべ》になつて|居《ゐ》る。そこへ|岩《いは》の|尖《とんがり》に|足《あし》を|掛《か》けて、|細《ほそ》い|穴《あな》を|股《また》を|拡《ひろ》げて|踏《ふ》ン|張《ば》るのだ。|一寸《ちよつと》|居眠《ゐねむ》りでもしたが|最後《さいご》、|底《そこ》なき|穴《あな》へ|落込《おちこ》んで|仕舞《しま》ふのだ』
|時公《ときこう》『そんな|穴《あな》が|七《なな》つもあるのか』
|牛公《うしこう》『さうです。|此《この》|間《あひだ》も|何《な》ンでも|淤縢山津見《おどやまづみ》とか|云《い》ふ|強《つよ》い|奴《やつ》が|出《で》て|来《き》て、|大気津姫《おほげつひめ》を|帰順《きじゆん》さすとか|云《い》つて|登《のぼ》つて|来《き》たところ、|大勢《おほぜい》の|者《もの》が|寄《よ》つてたかつて|攻《せ》めかけたら、|奴《やつこ》さま|其《その》|穴《あな》の|中《なか》へ|隠《かく》れよつた。そこで|大勢《おほぜい》の|者《もの》が|寄《よ》つてたかつて|岩蓋《いはぶた》をピシヤーンとしめて、|外《そと》から|鍵《かぎ》を|掛《か》けた。それつきり|百日《ひやくにち》|許《ばか》りになるのに|何《なん》の|音沙汰《おとさた》も|無《な》い。|大方《おほかた》|穴《あな》の|底《そこ》へ|落《お》つこつて|死《し》んで|仕舞《しま》つたやらうとの|噂《うはさ》だ。それから|暫《しばら》くすると、|背《せ》のスラリと|高《たか》い|竹野姫《たけのひめ》とか|云《い》ふ|小《せう》ン|便使《べんしい》が、|小《せう》ン|便歌《べんか》を|歌《うた》つてやつて|来《き》た。そいつは|日《ひ》が|暮《くれ》て|泊《とま》るところがないものだから、|自分《じぶん》から|穴《あな》の|中《なか》へコソコソとはいつて|行《ゆ》きよつた。|馬鹿《ばか》な|奴《やつ》もありや|有《あ》るもんだなア』
|馬公《うまこう》『オイオイ、さう|口穢《くちぎたな》く|云《い》ふな。|御姉妹《ごきやうだい》が|居《を》られるぞ』
|牛公《うしこう》『アヽさうだつたなア。その|竹野姫《たけのひめ》と|云《い》ふ|小《せう》ン|便使様《べんしさま》が、|雪《ゆき》が|降《ふ》つてお|困《こま》りと|見《み》えて、|穴《あな》の|中《なか》へコツソリとお|這入《はいり》|遊《あそ》ばした。さうすると|大気津姫《おほげつひめ》|様《さま》の|手下《てした》の|悪神様《あくがみさま》が、「サア|御出《おいで》なさつた」と|待《ま》ち|構《かま》へて|居《ゐ》らつしやつて、|外《そと》からピシヤリと|戸《と》を|御《お》しめ|遊《あそ》ばした。|竹野姫《たけのひめ》さまは|中《なか》から|金切声《かなきりごゑ》を|立《た》ててキヤーキヤー|御《お》ぬかし|遊《あそ》ばした。|外《そと》からは|悪神様《わるがみさま》が「サア|斯《か》うなつたら|百年目《ひやくねんめ》だ、|底《そこ》|無《な》き|穴《あな》へ|落《お》つこちて、クタバリ|遊《あそ》ばすか、|飢《かつ》ゑて|御死《おし》に|遊《あそ》ばすか、|二《ふた》つに|一《ひと》つだ。|是《これ》で|吾々《われわれ》の|御心配《ごしんぱい》もとれて、マアマア|御安心《ごあんしん》だ」と|仰有《おつしや》つて………』
|馬公《うまこう》『コラコラ、|叮嚀《ていねい》に|云《い》ふもよいが、|余《あんま》り|叮嚀《ていねい》|過《す》ぎるぢやないか。|竹野姫《たけのひめ》|様《さま》の|事《こと》を|御叮嚀《ごていねい》に|御話《おはな》してもよいが、|悪神《あくがみ》の|方《はう》は|好《い》い|加減《かげん》に|区別《くべつ》せぬかい』
|牛公《うしこう》『そンな|融通《ゆうづう》の|利《き》く|位《くらゐ》ならカチ|割《わ》り|大工《だいく》をやつたり、ウラル|教《けう》の|目付役《めつけやく》をしとるものかい』
|時公《ときこう》『|牛《うし》さん|随分《ずゐぶん》|現金《げんきん》な|男《をとこ》だなア』
|牛公《うしこう》『|長《なが》い|物《もの》には|捲《ま》かれ、|強《つよ》いものには|従《したが》ひ、|甘《あま》い|汁《しる》は|吸《す》へ、|苦《にが》い|汁《しる》は|擲《ほ》かせと|云《い》ふ|世《よ》の|中《なか》、|人間《にんげん》は|時世時節《ときよじせつ》に|従《したが》ふのが|徳《とく》だからなア』
|時公《ときこう》『お|前等《まへら》は|今《いま》|初《はじ》めて|聞《き》いたが、ウラル|教《けう》の|目付役《めつけやく》だと|云《い》つたね』
|牛公《うしこう》『イーエ、ソラ|違《ちが》ひます。ホンの|一寸《ちよつと》|口《くち》が|滑《すべ》つたのでモー|牛上《うしあげ》ました』
|時公《ときこう》『イヤ、さうだなからう』
|牛公《うしこう》『|左様々々《さやうさやう》、さうだなからう』
|松代姫《まつよひめ》『|皆《みな》さま、モウ|寝《ね》ませうか、サア、|是《これ》から|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》して、|宣伝歌《せんでんか》を|一同《いちどう》|揃《そろ》つて|上《あ》げませう』
|時公《ときこう》『それは|宜敷《よろし》からう。|併《しか》し|今日《けふ》は|私《わたし》に|考《かんが》へがありますから、|籤引《くじびき》をして|一《いち》に|当《あた》つた|者《もの》から、|発声《はつせい》する|事《こと》にさして|下《くだ》さい』
|松代姫《まつよひめ》『|時《とき》さまの|御随意《ごずゐい》に……』
|時公《ときこう》『サアサア、これから|籤引《くじびき》だ。|御婦人方《ごふじんがた》は|免除《めんぢよ》だ。|男《をとこ》|七人《しちにん》が|籤引《くじびき》だ。|一番《いちばん》|長《なが》い|奴《やつ》を|引《ひ》いた|者《もの》が|発声《はつせい》するのだ』
と|云《い》ひながら|草蓑《くさみの》の|端《はし》を|千切《ちぎ》つて|長短《ちやうたん》をこしらへ、
|時公《ときこう》『サア、|引《ひ》いたり|引《ひ》いたり』
と|六人《ろくにん》の|前《まへ》へ|突《つ》き|出《だ》した。|六人《ろくにん》は|争《あらそ》つて|是《これ》を|引《ひ》いた。
|時公《ときこう》『ヤア、|牛公《うしこう》が|一番《いちばん》|長《なが》いのを|引《ひ》いたぞ。サア|牛公《うしこう》、お|前《まへ》から|宣伝歌《せんでんか》の|発声《はつせい》だ。アレ|丈《だ》け|船《ふね》の|中《なか》でも|教《をし》へてあるなり、|途々《みちみち》|聞《き》かしてあるから|云《い》へるだらう』
|牛公《うしこう》『ハイハイ、|確《たしか》に|云《い》へます。|一遍《いつぺん》|聞《き》いたら|忘《わす》れぬと|云《い》ふ|地獄耳《ぢごくみみ》だから、|何《なん》でもかでも|皆《みな》|覚《おぼ》えて|居《を》る。ソンナラ|皆様《みなさま》|今日《けふ》は|私《わたくし》が|導師《だうし》だ。|後《あと》から|附《つ》いて|来《く》るのだよ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|牛公《うしこう》は|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。
|牛公《うしこう》『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |膳《ぜん》と|茶碗《ちやわん》を|立《た》て|別《わ》ける
この|世《よ》で|甘《うま》いは|燗酒《かんざけ》ぢや  |心持《こころもち》よき|大御酒《おほみき》ぢや
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |酒《さけ》と|女《をんな》が|一《イ》ツちよい
|呑《の》めよ|騒《さわ》げや|一寸先《いつすんさき》や|闇《やみ》よ  |闇《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る』
|一同《いちどう》『アハヽヽヽヽ』
|鴨公《かもこう》『コラ|牛公《うしこう》、|貴様《きさま》は|矢張《やつぱり》ウラル|教《けう》だ。|一寸先《いつすんさき》や|闇《やみ》だなんて|吐《ほざ》きやがつて、|宣《の》り|直《なほ》せ。|膳《ぜん》と|椀《わん》とを|立《た》て|分《わ》けるとは|何《なん》だ。|法螺事《ほらごと》ばつかり|云《い》ひやがつて』
|牛公《うしこう》『|定《きま》つた|事《こと》よ、|大気津姫《おほげつひめ》の|家来《けらい》だもの、|食《く》ふ|事《こと》と、|呑《の》む|事《こと》と、|着《き》る|事《こと》より|外《ほか》には|何《なに》もないのだ。その|癖《くせ》|食《く》つたり|呑《の》んだりする|口《くち》から|出《で》るのだもの、|食《く》ふ|事《こと》や|飲《の》む|事《こと》を|云《い》ふのは|当《あた》り|前《まへ》だ。サア、|鴨《かも》とやら、もう|一口《ひとくち》|云《い》ふなら|云《い》つて|見《み》い。|徳利《とくり》の|口《くち》ぢや、|一口《ひとくち》にやられるぞ。|土瓶《どびん》の|口《くち》ぢや、|二口《ふたくち》と|云《い》ふなら|云《い》つて|見《み》い』
|時公《ときこう》『エー、|仕様《しやう》のない|奴《やつ》だ。こんな|処《ところ》で|洒落《しやれ》どころか、|仕様《しやう》がない、|発起人《ほつきにん》の|俺《おれ》が|導師《だうし》になつて、|宣伝歌《せんでんか》を|唱《とな》へるから、お|前達《まへたち》や|随《つ》いて|来《く》るのだ』
と|云《い》ひつつ|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。|一同《いちどう》は|其《その》あとに|随《つ》いて|歌《うた》つて|居《ゐ》る。この|時《とき》|幾百人《いくひやくにん》とも|知《し》れぬ|足音《あしおと》が|岩窟《いはや》の|外《そと》に|聞《きこ》えて|来《き》た。|牛公《うしこう》は|岩戸《いはと》の|隙間《すきま》より|一寸《ちよつと》|覗《のぞ》いて、
|牛公《うしこう》『ヤア、|御出《おいで》た、|御出《おいで》た、|是《こ》れ|丈《だけ》|味方《みかた》があれば|何程《なにほど》|時公《ときこう》が|強《つよ》うても|大丈夫《だいぢやうぶ》だ』
と|口走《くちばし》つた。|時公《ときこう》は、
|時公《ときこう》『これは|大変《たいへん》』
と|牛公《うしこう》に|当《あ》て|身《み》を|喰《くら》はした。|牛《うし》はウンとその|場《ば》で|倒《たふ》れた。|足音《あしおと》は|次第々々《しだいしだい》に|遠《とほ》ざかり|行《ゆ》くのであつた。
(大正一一・三・三 旧二・五 岩田久太郎録)
第二一章 |俄改心《にはかかいしん》〔四八八〕
|岩窟《がんくつ》の|外《そと》には|大勢《おほぜい》の|跫音《あしおと》、|雪《ゆき》をクウクウと|踏《ふ》み|鳴《な》らし|乍《なが》ら|風《かぜ》の|如《ごと》くに|通《とほ》り|越《こ》した。|油断《ゆだん》ならじと|時公《ときこう》は|中《なか》より|岩戸《いはと》をシツカと|閉《し》め、|牛公《うしこう》の|息《いき》を|吹《ふ》き|返《かへ》させ|四人《よにん》を|前《まへ》に|据《す》ゑて、
|時公《ときこう》『|愈《いよいよ》|貴様《きさま》|達《たち》は|怪《あや》しい|奴《やつ》だ。|真実《ほんとう》に|猫《ねこ》を|被《かぶ》つて|居《を》るな。|我々《われわれ》を|計略《けいりやく》を|以《もつ》てコーカス|山《ざん》に|誘《いざな》ひ|岩窟《いはや》の|中《なか》へでも|投《な》げ|込《こ》む|積《つも》りだらうが、さうは|往《ゆ》かぬぞ。|古手《ふるて》な|事《こと》を|致《いた》して|後悔《こうくわい》するな。サア|有態《ありてい》に|白状《はくじやう》せよ。|貴様《きさま》は|牛公《うしこう》とは|詐《いつは》り、|牛雲別《うしくもわけ》と|謂《い》ふ|曲神《まがかみ》であらうがな。その|他《た》の|三人《さんにん》の|者《もの》|共《ども》、|何《いづ》れも|皆《みな》その|方《はう》の|手下《てした》の|者《もの》|共《ども》だ。|汐干丸《しほひまる》の|船中《せんちう》に|於《おい》てワケも|無《な》い|喧嘩《けんくわ》を|致《いた》して|我等《われら》を|欺《あざむ》き、この|岩窟《がんくつ》に|誘《いざな》ふ|工夫《たくみ》であらうがな。そんな|事《こと》の|分《わか》らずして|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》が|出来《でき》ると|思《おも》ふか。サア|斯《こ》うなる|上《うへ》はもう|量見《りやうけん》はならぬ。|有態《ありてい》に|包《つつ》まず|隠《かく》さず|白状《はくじやう》せよ。その|外《ほか》|三人《さんにん》の|者《もの》|共《ども》、|一々《いちいち》|実状《じつじやう》を|述《の》べ|立《た》てよ』
|牛公《うしこう》『アヽア、|仕方《しかた》がありませぬ。|生命《いのち》を|助《たす》けて|下《くだ》さるならば|申《まを》し|上《あ》げませう。|当山《たうざん》の|大気津姫《おほげつひめ》と|言《い》ふのはその|実《じつ》はウラル|姫命《ひめのみこと》、|昔《むかし》は|常世姫命《とこよひめのみこと》と|謂《い》つた|神《かみ》であります。|夫《をつと》のウラル|彦《ひこ》は|今《いま》はアーメニヤに|居《を》りますが、|夫婦《ふうふ》|手分《てわ》けをして|万々一《まんまんいち》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》とやらがやつて|来《き》てアーメニヤが|保《たも》てなくなつた|時《とき》は、このコーカス|山《ざん》の|隠処《かくれが》へ|逃《のが》れる|積《つも》りで|数多《あまた》の|家来衆《けらいしう》を|引寄《ひきよ》せ、|各自《めいめい》に|立派《りつぱ》な|屋敷《やしき》を|造《つく》り、|第二《だいに》のアーメニヤの|都《みやこ》を|開《ひら》かして|居《を》るのです。それ|故《ゆゑ》この|山《やま》は|大秘密郷《だいひみつきやう》であつてウラル|姫命《ひめのみこと》の|系統《けいとう》の|者《もの》でなければ、|一人《ひとり》も|登《のぼ》られないと|厳《きび》しく|見張《みは》つて|居《ゐ》る|山《やま》です』
|時公《ときこう》『さうだらう、さうすると|貴様《きさま》は|大工《だいく》に|化《ば》けて、|我々《われわれ》の|所在《ありか》を|探《さが》して|居《ゐ》たのだな』
|牛公《うしこう》『マア、そんなものです。|然《しか》し|貴方等《あなたがた》を|夫《そ》れと|知《し》つたら、【ウツカリ】|船《ふね》の|中《なか》で|喋《しやべ》るのではなかつた。|何分《なにぶん》にも|酩酊《めいてい》して|居《ゐ》たものだから、ツイ|喋《しやべ》り|過《す》ぎて|看破《かんぱ》されて|仕舞《しま》つたのです。この|間《あひだ》も|淤縢山津見《おどやまづみ》と|言《い》ふ|強《つよ》|相《さう》な|神《かみ》がやつて|来《き》て、|大気津姫《おほげつひめ》を|三五《あななひ》の|道《みち》に|帰順《きじゆん》させると|云《い》つて|居《ゐ》ましたが、その|時《とき》|此処《ここ》に|居《を》る|馬公《うまこう》、|鹿公《しかこう》、|虎公《とらこう》が|今日《けふ》の|様《やう》に|巧《うま》く|計略《けいりやく》を|以《もつ》て|岩屋《いはや》へ|引《ひ》つ|張《ぱり》|込《こ》み、|逸早《いちはや》く|三人《さんにん》は|抜《ぬ》け|出《だ》して|外《そと》から|岩戸《いはと》をピシヤリと|閉《し》め、|鉄《てつ》の|錠《ぢやう》を|卸《おろ》して|置《お》きました。その|隣《となり》の|穴《あな》には|竹野姫《たけのひめ》さんがお|這入《はい》りになつて|居《ゐ》らつしやいます。ヘイ』
|馬公《うまこう》『コレコレ|牛公《うしこう》、|自分《じぶん》の|事《こと》を|棚《たな》へ|上《あ》げて、|何《なん》だ、|馬鹿々々《ばかばか》しい。それや|貴様《きさま》がしたのぢやないか』
|牛公《うしこう》『ウン、|貴様《きさま》だつたかいの』
|馬公《うまこう》『|定《きま》つた|事《こと》だ、|貴様《きさま》だ。|貴様《きさま》は|真実《ほんとう》に|仕方《しかた》の|無《な》い|奴《やつ》だ』
|時公《ときこう》『その|淤縢山津見《おどやまづみ》は|其《その》|後《ご》|如何《どう》なつたのだ。サア|牛公《うしこう》、|白状《はくじやう》せい』
|牛公《うしこう》『|如何《どう》なつたか、|斯《か》うなつたか、|岩《いは》の|戸《と》を|閉《し》めたぎり、|覗《のぞ》いた|事《こと》は|無《な》いものだから、|開《あ》けて|見《み》な|分《わか》つたものぢやない。|然《しか》し|外《そと》を|通《とほ》る|度《たび》に|岩《いは》に|耳《みみ》あてて|聞《き》いてみると|中《なか》でコツンコツンと|音《おと》がして|居《ゐ》る』
|時公《ときこう》『もう、|穴《あな》へ|放《ほ》り|込《こ》まれたと|言《い》ふのは|二人《ふたり》|丈《だ》けか、まだ|外《ほか》にあるだらう』
|馬公《うまこう》『ありますとも、ツイこの|間《あひだ》、|独眼《めかんち》の|北光《きたてる》とか、|曇《くも》りとか|言《い》ふ|宣伝使《せんでんし》が|其《その》|次《つぎ》の|穴《あな》に、あな|恐《おそ》ろしや、|放《ほ》り|込《こ》まれよつた』
|時公《ときこう》『それは|誰《たれ》が|押《お》し|込《こ》むだのだ』
|馬公《うまこう》『ヘイ、それは、マアマアマア、ヘイ……|何《なん》でも|夫《そ》れは………』
|時公《ときこう》『|何《なん》だ、|頭《あたま》|計《ばか》り|掻《か》きやがつて、|貴様《きさま》が|計略《けいりやく》で|押《お》し|込《こ》んだのだらう』
|虎公《とらこう》『お|察《さつ》しの|通《とほ》り|馬公《うまこう》の|仕事《しごと》です』
|時公《ときこう》『|貴様等《きさまら》|四人《よにん》は|同《おな》じ|穴《あな》の|狐《きつね》だ。サア|之《これ》から|俺《おれ》が|行《い》つて|岩戸《いはと》を|叩《たた》き|割《わ》つて、|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》を|救《すく》ひ|出《だ》し、その|後釜《あとがま》に|貴様等《きさまら》|四人《よにん》を|一《ひと》つ|穴《あな》に|一《ひと》つ|宛《づつ》、|祭《まつ》り|込《こ》んでやらう。マア、|楽《たの》しんで|夜《よ》を|明《あ》かすが|宜《よ》からう』
|牛公《うしこう》『|今日《けふ》は|何《なん》とした|運《うん》の|悪《わる》い|日《ひ》だらう。オイオイ|皆《みな》の|奴《やつ》、|改心《かいしん》すると|言《い》はんかい。モシモシ|時《とき》さん、|私《わたくし》は|第一番《だいいちばん》に|只今《ただいま》|限《かぎ》り、|実《じつ》に、|誠《まこと》に、|真《しん》から|改心《かいしん》を|致《いた》します。|何卒《どうぞ》|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》して|助《たす》けて|下《くだ》さい』
|時公《ときこう》『|赦《ゆる》し|難《がた》い|奴《やつ》なれど、|今迄《いままで》の|悪《あく》を|改《あらた》めて|真実《ほんとう》に|善《ぜん》に|復帰《たちかへ》るならば|赦《ゆる》してやらう。その|代《かは》りにお|前等《まへら》の|仲間《なかま》で|岩窟《いはや》の|外《そと》まで|案内《あんない》するのだ』
|馬公《うまこう》『|案内《あんない》は|致《いた》しますが、|其《その》お|代《かは》りは|困《こま》ります』
|八公《やつこう》『ハヽヽヽ、|到頭《たうとう》|尻尾《しつぽ》を|出《だ》しよつたな。|只《ただ》の|狸《たぬき》ぢやないと|思《おも》つて|居《を》つた。|田納喜助《【たのき】すけ》、|乃木常介《【のぎつね】すけ》などの|矢張《やつぱ》り|連中《れんぢう》だ』
|鴨公《かもこう》『それだから|悪《あく》は|出来《でけ》ぬと|言《い》ふのだ。オイオイ|四人《よにん》の|連中《れんちう》、|三五教《あななひけう》はウラル|教《けう》の|様《やう》に|惨酷《ざんこく》な|事《こと》はせぬ|教《をしへ》だ。みんな|言向《ことむけ》|和《やは》すのだから、|改心《かいしん》すればその|時《とき》から|善《ぜん》と|認《みと》めて|待遇《あしら》ふのだから、|安心《あんしん》して|休《やす》むが|良《よ》からう』
|時公《ときこう》『ヤア、マア、これで|一《ひ》と|切《き》りにして|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて|休《やす》まして|貰《もら》はう。サア|松代姫《まつよひめ》|様《さま》、|梅ケ香姫《うめがかひめ》|様《さま》、|貴女《あなた》から|導師《だうし》をやつて|下《くだ》さい』
|松代姫《まつよひめ》、|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|岩窟《がんくつ》の|中央《ちうあう》に|端坐《たんざ》して|神言《かみごと》を|宣《の》り|始《はじ》めた。|折《をり》しも|岩窟《がんくつ》の|外《そと》に|雪《ゆき》をザクザクと|踏《ふ》み|分《わ》け|来《きた》る|跫音《あしおと》がして|岩窟《がんくつ》の|前《まへ》にピタリと|止《と》まりける。
(大正一一・三・三 旧二・五 北村隆光録)
第二二章 |征矢《そや》の|雨《あめ》〔四八九〕
|岩窟《がんくつ》の|中《なか》には|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》を|始《はじ》め、|時公《ときこう》|外《ほか》|六人《ろくにん》は、|足音《あしおと》が|岩戸《いはと》の|前《まへ》にピタリと|止《とま》りしより、|頭《あたま》を|傾《かたむ》け|思案《しあん》に|暮《く》れ|居《ゐ》たり。|暫《しばら》くありて|時公《ときこう》は、
『|今《いま》|外《そと》に|立《た》ち|止《とま》つて|中《なか》の|様子《やうす》を|窺《うかが》つて|居《を》る|奴《やつ》は、ウラル|教《けう》の|間者《まはしもの》か。よもや|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》ではあるまい。|松代姫《まつよひめ》|様《さま》どうでせう、いつその|事《こと》、|戸《と》をガラリと|開《ひら》いて、ウラル|教《けう》であれば|言向《ことむ》け|和《やは》してはどンなものでせうなア』
|松代姫《まつよひめ》『|心配《しんぱい》は|入《い》りませぬ、|開《あ》けて|下《くだ》さいませ』
|時公《ときこう》『|承知《しようち》|致《いた》しました』
と、ガラリと|岩室《いはむろ》の|戸《と》を|引張《ひつぱ》り|開《あ》けた。|戸《と》に|凭《もた》れて|居《ゐ》た|男《をとこ》は|戸《と》を|引《ひ》くと|共《とも》に|岩窟《がんくつ》の|中《なか》にゴロリと|転《ころ》げ|込《こ》んだ。|見《み》れば|石凝姥《いしこりどめ》の|宣伝使《せんでんし》である。
|時公《ときこう》『ヤア、|貴方《あなた》は|東彦《あづまひこ》|様《さま》、エライ|失礼《しつれい》をしました。これは|又《また》|不思議《ふしぎ》な|処《ところ》でお|目《め》にかかつたものです』
|石凝姥《いしこりどめ》は|起《お》き|上《あが》り、|塵《ちり》を|払《はら》ひながら、
|東彦《あづまひこ》『ヤア、|貴方《あなた》は|時《とき》さま、ヨウ|梅ケ香《うめがか》さま、これはこれは|不思議《ふしぎ》の|御対面《ごたいめん》と|申《まを》すもの、も|一人《ひとり》の|女《をんな》の|方《かた》は|誰人《どなた》で|御座《ござ》いますか』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『ヤア|東彦《あづまひこ》さま、よう|来《き》て|下《くだ》さいました。|妾《わらは》の|姉《あね》の|松代姫《まつよひめ》の|宣伝使《せんでんし》でございます。|姉《ねえ》さまの|竹野姫《たけのひめ》がコーカス|山《ざん》の|岩窟《がんくつ》に、|悪魔《あくま》のために|閉《と》ぢ|込《こ》められて|居《ゐ》ると|聞《き》きまして|今《いま》|救《すく》ひ|出《だ》しに|行《ゆ》かうとする|途中《とちう》です』
|東彦《あづまひこ》『それは|誠《まこと》に|都合《つがふ》のよい|事《こと》、|我々《われわれ》もこの|山《やま》にはウラル|彦《ひこ》の|一派《いつぱ》が|立籠《たてこも》ると|聞《き》き、その|魔神《まがみ》を|言向《ことむ》け|和《やは》さむと、|雪《ゆき》|掻《か》き|分《わ》けて|唯《ただ》|一人《ひとり》やつて|来《き》ましたところです。|斯様《かやう》な|所《ところ》にお|目《め》にかかるも|神《かみ》のお|引合《ひきあは》せ、|明日《あす》は|花々《はなばな》しく|働《はたら》きませう。|我々《われわれ》もこの|岩戸《いはと》の|前《まへ》|迄《まで》|二人《ふたり》の|男《をとこ》に|案内《あんない》さして|出《で》て|来《き》ましたが、|外《そと》に|立《た》つて|漏《も》れ|来《く》る|声《こゑ》を|耳《みみ》を|澄《す》ませて|聞《き》けば、|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》、これは|不思議《ふしぎ》だと|戸《と》に|凭《もた》れて|窺《うかが》つて|居《ゐ》ますと、|二人《ふたり》の|奴《やつ》は、ウラル|教《けう》の|間者《まはしもの》と|見《み》えて|雲《くも》を|霞《かすみ》と|引返《ひきかへ》して|仕舞《しま》ひました。いづれ|彼等《かれら》は|我々《われわれ》の|此処《ここ》に|居《ゐ》る|事《こと》を|大気津姫《おほげつひめ》に|報告《はうこく》にいつたのでせう。|油断《ゆだん》は|大敵《たいてき》、サア、これから|皆《みな》さま|御一緒《ごいつしよ》に|前進《ぜんしん》する|事《こと》と|致《いた》しませう。|先《さき》んずれば|人《ひと》を|制《せい》すと|云《い》ふ|事《こと》がある』
|松代姫《まつよひめ》『|初《はじ》めてお|目《め》にかかりました。|貴方《あなた》は|名高《なだか》い|石凝姥《いしこりどめ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》ですか。|梅ケ香姫《うめがかひめ》がお|心安《こころやす》う|願《ねが》つたさうです。どうぞ|私《わたくし》もお|心安《こころやす》う|願《ねが》ひます』
|八公《やつこう》、|鴨公《かもこう》『ヤア、|石凝姥様《いしこりどめさま》とやら、|私《わたくし》は|八《やつ》、|鴨《かも》と|云《い》ふ|俄《にはか》|信者《しんじや》で|御座《ござ》います、|何卒《どうぞ》お|心安《こころやす》く|願《ねが》ひます』
|牛公《うしこう》『|私《わたくし》は|三五教《あななひけう》の|古《ふる》い|古《ふる》い|信者《しんじや》で|御座《ござ》います、|何卒《どうぞ》お|心安《こころやす》う』
|八公《やつこう》『ハヽヽ、|古《ふる》いは|古《ふる》いだが|今《いま》の|前《さき》まで|悪事《あくじ》が|現《あら》はれて、|菎蒻《こんにやく》のやうにピリピリとフルイ|震《ふる》い|信者《しんじや》さまです。こンなお|方《かた》の|仰有《おつしや》る|事《こと》は|根《ね》つから|当《あて》になりませぬ』
|時公《ときこう》『ヤア、|喧《やかま》しい|奴《やつ》だな。|小供《こども》は|小供《こども》らしう|寝《ね》るのだよ』
|鴨公《かもこう》『これがどうして|寝《ね》られませうか。|竹野姫《たけのひめ》さまを|救《すく》ひ|出《だ》すまで』
|時公《ときこう》『それもさうだ。|併《しか》し|心配《しんぱい》して|心《こころ》を|痛《いた》めて|体《からだ》を|弱《よわ》らすより、|刹那心《せつなしん》だ。|寝《ね》る|時《とき》は|悠《ゆつく》りと|寝《ね》て、|働《はたら》く|時《とき》にや|働《はたら》けばよいのだ』
かく|云《い》ふうち、|岩窟《がんくつ》の|外《そと》には、ワイワイと|数多《あまた》の|人声《ひとごゑ》|聞《きこ》えて|来《き》た。
|時公《ときこう》『ヤア、|来《き》た|来《き》た。ヤア、|一緒《いつしよ》にこんな|岩窟《がんくつ》へ|閉《と》ぢ|込《こ》まれては|働《はたら》く|事《こと》は|出来《でき》はしない。|皆《みな》さま|出《で》て|下《くだ》さい。オイ|牛《うし》、|馬《うま》、|鹿《しか》、|虎《とら》、|貴様等《きさまら》は|出《で》る|事《こと》ならぬ、|何時《いつ》|裏返《うらがへ》るか|知《し》れぬ』
と|云《い》ひながら|時公《ときこう》は|飛《と》び|出《だ》した。
|白壁《しらかべ》に|沢山《たくさん》の|蠅《はへ》が|止《と》まつたやうな|黒《くろ》い|影《かげ》、ワイワイと|刻々《こくこく》に|岩窟《がんくつ》|目蒐《めが》けて|押寄《おしよ》せて|来《く》る。
|松代姫《まつよひめ》『ヤア|皆《みな》さま、たとへ|幾万《いくまん》の|敵《てき》が|来《き》ても、|我々《われわれ》には|誠《まこと》の|神様《かみさま》がついてゐらつしやいますから|驚《おどろ》くに|及《およ》びませぬ。|皆《みな》さん|此処《ここ》で|悠《ゆつ》くり|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》しませうか』
|東彦《あづまひこ》『ヤア、|松代姫《まつよひめ》さま、|梅ケ香姫《うめがかひめ》さま、|貴女《あなた》|方《がた》は|此処《ここ》に|悠《ゆつく》りと|神言《かみごと》をもつて|応援《おうゑん》して|下《くだ》さい。|私《わたくし》は|時公《ときこう》さまと|二人《ふたり》で|活動《くわつどう》いたします』
と|言《い》ひながら、|東彦《あづまひこ》は|岩戸《いはと》を|開《あ》けて|外《そと》に|現《あら》はれ、|泰然自若《たいぜんじじやく》として|寄《よ》せ|来《く》る|群衆《ぐんしう》を|眺《なが》めて|居《ゐ》る。
|矢《や》は|雨《あめ》の|如《ごと》く|東彦《あづまひこ》、|時公《ときこう》に|向《むか》つて、ヒウヒウと|集《あつ》まつて|来《く》る。|時公《ときこう》は|来《く》る|矢《や》を|両手《りやうて》に|掴《つか》んでは|落《おと》しながら|大音声《だいおんぜう》、
|時公《ときこう》『ヤアヤア、|此《この》|方《はう》は|古今無双《ここんむさう》の|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》|天地《てんち》の|間《あひだ》に|名《な》の|轟《とどろ》いた|時雷《ときいかづち》の|大神《おほかみ》だ。|三人《さんにん》|五人《ごにん》は|面倒《めんだう》だ。|百人《ひやくにん》|千人《せんにん》|億万人《おくまんにん》、|束《たば》に|結《ゆ》うて|一度《いちど》にかかれツ、|虱《しらみ》|潰《つぶ》しにしてやるぞ』
|群衆《ぐんしう》の|中《なか》より|一人《ひとり》の|大男《おほをとこ》、ヌツと|前《まへ》に|現《あら》はれ|来《きた》り、|右《みぎ》の|肩《かた》を|無理《むり》に|聳《そびや》かし、|左《ひだり》の|肩《かた》をトタンと|落《おと》し、|体《からだ》を|斜《しや》に|構《かま》へ、|眼《め》を【くしや】くしやさせながら、
|男《をとこ》『ヤアヤア、|此《この》|方《はう》はヒツコス|神《がみ》の|棟梁《とうりやう》のビツコの|熊《くま》さまだ。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|奴《やつ》、|三人《さんにん》までは|此《この》|方《はう》の|指揮《しき》によつて|生擒《いけどり》にいたした|豪《がう》の|者《もの》、|時雷《ときいかづち》の|痩《や》せ|浪人《らうにん》、|今《いま》に|一泡《ひとあわ》|吹《ふ》かせて|呉《く》れん。|覚悟《かくご》を|致《いた》せよ』
|東彦《あづまひこ》は|歌《うた》ふ。
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|雪《ゆき》は|積《つ》むとも|解《と》けるとも  コーカス|山《ざん》に|立籠《たてこも》る
|大気津比売《おほげつひめ》の|曲業《まがわざ》を  |言向《ことむ》け|和《やは》しておくづきの
|敵《てき》は|幾万《いくまん》|来《きた》るとも  |神《かみ》の|御霊《みたま》の|増鏡《ますかがみ》
|照《て》らして|雲霧《くもきり》|吹《ふ》き|払《はら》へ  ビツコの|熊《くま》も|諸共《もろとも》に
|高《たか》い|鼻《はな》をば|打《う》ち|砕《くだ》き  |噛《か》んで|砕《くだ》いて|神《かみ》の|道《みち》
|腹《はら》に|詰《つ》め|込《こ》み|洗《あら》てやる  |八王神《やつこすがみ》やヒツコスや
クスの|神《かみ》まで|打《う》ち|揃《そろ》ひ  |天《あま》の|岩戸《いはと》を|速《すみや》かに
|開《ひら》く|時《とき》こそ|来《きた》りけり  |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》てわける  |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し
|曲《まが》の|言霊《ことたま》|宣《の》り|直《なほ》せ  コーカス|山《ざん》の|峰《みね》の|雲《くも》
|伊吹《いぶ》き|払《はら》ふは|神《かみ》の|息《いき》  |勢《いきほひ》|猛《たけ》き|曲津見《まがつみ》の
|曲《まが》の|砦《とりで》を|言霊《ことたま》の  |玉《たま》の|功《いさを》に|打《う》ち|砕《くだ》き
|心《こころ》を|砕《くだ》く|宣伝使《せんでんし》  |大気津比売《おほげつひめ》の|改心《かいしん》を
|神《かみ》に|祈《いの》りて|松代姫《まつよひめ》  |心《こころ》も|固《かた》き|石凝《いしこり》の
|姥《どめ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》  |春《はる》|待《ま》ち|兼《か》ねし|梅ケ香《うめがか》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|姉《あね》の|君《きみ》  |竹野《たけの》の|姫《ひめ》を|今《いま》|此処《ここ》に
|送《おく》り|来《きた》りて|天地《あめつち》の  |神《かみ》に|罪《つみ》をば|贖《あがな》へよ
|北光彦《きたてるひこ》や|淤縢山《おどやま》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》
|三《み》つの|御霊《みたま》を|揃《そろ》へたて  |早《はや》く|返《かへ》せよ|返《かへ》さねば
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  コーカス|山《ざん》を|立替《たてか》へる
|善《ぜん》と|悪《あく》との|真釣合《まつりあ》ふ  |松《まつ》の|神代《かみよ》の|宣伝使《せんでんし》
|心《こころ》|直《す》ぐなる|竹野姫《たけのひめ》  |朝日《あさひ》は|昇《のぼ》る|東彦《あづまひこ》
|光《ひかり》に|笑《ゑ》める|梅ケ香《うめがか》の  |恵《めぐみ》の|露《つゆ》のかかる|時《とき》
かかる|例《ためし》も|烏羽玉《うばたま》の  |闇世《やみよ》を|開《ひら》く|時《とき》さまの
|神《かみ》の|化身《けしん》の|宣伝使《せんでんし》  |三十三相《さんじふさんそう》の|其《その》|一《ひと》つ
|光《ひかり》|現《あら》はれ|北光《きたてる》の  |彦《ひこ》の|命《みこと》と|諸共《もろとも》に
コーカス|山《ざん》を|照《て》らすなり  |日《ひ》は|照《て》る|光《ひか》る|月《つき》は|盈《み》つ
|三五《さんご》の|月《つき》の|御教《みをしへ》に  |心《こころ》の|雲《くも》を|掻《か》き|分《わ》けて
|神《かみ》の|御霊《みたま》に|立《た》ち|帰《かへ》れ  |本津御霊《もとつみたま》に|立直《たてなほ》せ
|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》  |一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》
|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つた。|雨《あめ》と|降《ふ》り|来《く》る|矢《や》の|音《おと》は、この|言霊《ことたま》と|共《とも》にピタリとやみて、|数多《あまた》の|捕手《とりて》はいづれも|雪《ゆき》の|谷道《たにみち》に|蹲《うづく》まり、|中《なか》には|感涙《かんるい》に|咽《むせ》び、|声《こゑ》を|放《はな》ちて|泣《な》くものさへもありけり。
|松代姫《まつよひめ》、|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ、|一同《いちどう》に|向《むか》つて|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|懇《ねんごろ》に|説《と》き|諭《さと》しけり。|数多《あまた》の|捕手《とりて》は|神《かみ》の|清《きよ》き|言霊《ことたま》に|打《う》たれて、いづれも|心《こころ》を|改《あらた》め、|遂《つい》には|大気津姫《おほげつひめ》の|部下《ぶか》の|八王神《やつこすがみ》の|帰順《きじゆん》に|全力《ぜんりよく》を|尽《つく》す|事《こと》となりぬ。
|神《かみ》の|誠《まこと》の|心《こころ》を|知《し》り、|言霊《ことたま》を|清《きよ》め、|身《み》も|魂《たましひ》も|神《かみ》に|等《ひと》しく、|勇《ゆう》|智《ち》|愛《あい》|親《しん》|四魂《しこん》の|活用《くわつよう》|全《まつた》く|成《な》りし|神人《しんじん》の|宣伝《せんでん》は、|如何《いか》なる|悪鬼《あくき》|邪神《じやしん》と|雖《いへど》も、|其《その》|言霊《ことたま》に|帰順《きじゆん》せざるものは|無《な》いのである。|故《ゆゑ》に|宣伝使《せんでんし》たるものは|己《おのれ》|先《ま》づ|身魂《みたま》を|研《みが》き、|総《すべ》ての|神人《しんじん》に|対《たい》し、|我《わが》|身《み》に|対《たい》すると|同様《どうやう》の|心懸《こころがけ》を|持《も》たねばならぬ。|此《この》|心懸《こころがけ》なき|宣伝使《せんでんし》は、|如何《いか》に|智《ち》を|振《ふる》ひ|弁《べん》を|尽《つく》すとも、|神《かみ》の|御国《みくに》に|救《すく》ふ|事《こと》は|出来《でき》ないものたるを|知《し》るべきなり。
(大正一一・三・三 旧二・五 加藤明子録)
第二三章 |保食神《うけもちのかみ》〔四九〇〕
|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|戦《たたかひ》に、|常世《とこよ》の|国《くに》の|総大将《そうだいしやう》|大国彦命《おほくにひこのみこと》、|大国姫命《おほくにひめのみこと》その|他《た》の|神々《かみがみ》は|残《のこ》らず|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|神言《みこと》に|言向《ことむけ》|和《やは》され、|悔《く》い|改《あらた》めて|神《かみ》の|御業《みわざ》に|仕《つか》へ|奉《まつ》ることとなつた。|其《その》|為《た》め|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》や、|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪狐《あくこ》、|邪鬼《じやき》、|醜女《しこめ》、|探女《さぐめ》の|曲神《まがかみ》は|暴威《ばうゐ》を|逞《たくま》しうする|根拠地《こんきよち》なるウラル|山《さん》に|駆《か》け|集《あつ》まり、ウラル|彦《ひこ》、ウラル|姫《ひめ》を|始《はじ》め、|部下《ぶか》に|憑依《ひようい》して|其《その》|心魂《しんこん》を|益々《ますます》|悪化《あくくわ》|混濁《こんだく》せしめ|体主霊従《たいしゆれいじう》、|我利《がり》|一遍《いつぺん》の|行動《かうどう》を|益々《ますます》|盛《さか》んに|行《おこな》はしめつつあつたのである。|悪蛇《あくだ》、|悪鬼《あくき》、|悪狐《あくこ》|等《とう》の|曲津神《まがつかみ》はウラル|山《さん》、コーカス|山《ざん》、アーメニヤの|三ケ所《さんかしよ》に|本城《ほんじやう》を|構《かま》へ、|殊《こと》にコーカス|山《ざん》には|荘厳《さうごん》|美麗《びれい》なる|金殿玉楼《きんでんぎよくろう》を|数多《あまた》|建《た》て|列《なら》べ、ウラル|彦《ひこ》の|幕下《ばくか》の|神々《かみがみ》は、|茲《ここ》に|各《おのおの》|根拠《こんきよ》を|造《つく》り、|酒池肉林《しゆちにくりん》の|快楽《くわいらく》に|耽《ふけ》り、|贅沢《ぜいたく》の|限《かぎ》りを|尽《つく》し、|天下《てんか》を|我物顔《わがものがほ》に|振舞《ふるま》ふ|我利々々亡者《がりがりまうぢや》の|隠処《かくれが》となつてしまつた。かかる|衣食住《いしよくぢう》に|贅《ぜい》を|尽《つく》す|体主霊従《たいしゆれいじう》|人種《じんしゆ》を|称《しよう》して、|大気津姫命《おほげつひめのみこと》と|云《い》ふなり。
|大気津姫《おほげつひめ》の|一隊《いつたい》は、|山中《さんちゆう》の|最《もつと》も|風景《ふうけい》|佳《よ》き|地点《ちてん》を|選《えら》み、|荘厳《さうごん》なる|宮殿《きうでん》を|建設《けんせつ》する|為《た》め、|数多《あまた》の|大工《だいく》を|集《あつ》め、|昼夜《ちうや》|全力《ぜんりよく》を|尽《つく》して、|宮殿《きうでん》の|造営《ざうえい》に|掛《かか》り、|漸《やうや》く|立派《りつぱ》なる|神殿《しんでん》を|落成《らくせい》し、|愈《いよいよ》|神霊《しんれい》を|鎮祭《ちんさい》する|事《こと》となりぬ。|流石《さすが》のウラル|彦《ひこ》|夫婦《ふうふ》も、|天地《てんち》の|神明《しんめい》を|恐《おそ》れてや|先《ま》づ|第一《だいいち》に|国魂《くにたま》の|神《かみ》として、|大地《だいち》の|霊魂《れいこん》なる|金勝要大神《きんかつかねのおほかみ》を|始《はじ》め、|大地《だいち》の|霊力《れいりよく》なる|国治立命《くにはるたちのみこと》|及《およ》び|大地《だいち》の|霊体《れいたい》なる|素盞嗚命《すさのをのみこと》の|神霊《しんれい》を|鎮祭《ちんさい》する|事《こと》となつたのである。|数多《あまた》の|八王神《やつこすがみ》は|競《きそ》うて|稲《いね》、|麦《むぎ》、|豆《まめ》、|粟《あは》、|黍《きび》を|始《はじ》め|非時《ときじく》の|木《こ》の|実《み》、|其《その》|他《た》の|果物《くだもの》、|毛《け》の|粗《あら》きもの、|柔《にご》きもの、|鰭広物《はたのひろもの》、|鰭狭物《はたのさもの》、|沖津藻菜《おきつもは》、|辺津藻菜《へつもは》、|甘菜《あまな》、|辛菜《からな》に|至《いた》るまで、|人《ひと》を|派《は》して|求《もと》めしめ、|各自《てんで》に|大宮《おほみや》の|前《まへ》に|供《そな》へ|奉《たてまつ》る|事《こと》とした。|此《この》|宮《みや》を|顕国《うつしくに》の|宮《みや》と|云《い》ふ。|此《この》|祭典《さいてん》は|三日三夜《みつかみよさ》に|渉《わた》り|力行《りきかう》された。|数多《あまた》の|八王神《やつこすがみ》、ヒツコス、クスの|神《かみ》|達《たち》は、|祝意《しゆくい》を|表《へう》する|為《た》め、|酒《さけ》に|溺《おぼ》れ、|或《あるひ》は|歌《うた》ひ、|或《あるひ》は|踊《をど》り|舞《ま》ひ|狂《くる》ふ|様《さま》、|恰《あたか》も|狂人《きやうじん》の|集《あつ》まりの|如《ごと》き|状態《じやうたい》なりき。
|顕国《うつしくに》の|宮《みや》は|祭典《さいてん》|始《はじ》まると|共《とも》に、|得《え》も|言《い》はれぬ|恐《おそ》ろしき|音響《おんきやう》を|立《た》てて|唸《うな》り|始《はじ》めたり。ウラル|姫《ひめ》は|全《まつた》く|神《かみ》の|御喜《およろこ》びとして|勇《いさ》み、|酒宴《しゆえん》に|耽《ふけ》りつつあつた。|八百有余《はつぴやくいうよ》の|八王神《やつこすがみ》を|始《はじ》め、|幾千万《いくせんまん》のヒツコス、クスの|神《かみ》は、
『サアサアヨイヂヤナイカヨイヂヤナイカ  |酔《よ》うてもヨイヂヤナイカ
|泣《な》いてもヨイヂヤナイカ  |笑《わら》つてもヨイヂヤナイカ
|怒《おこ》つてもヨイヂヤナイカ  |死《し》んでもヨイヂヤナイカ
|倒《こ》けてもヨイヂヤナイカ  お|宮《みや》が|唸《うな》つてもヨイヂヤナイカ
|天地《てんち》が|覆《かへ》つてもヨイヂヤナイカヨイヂヤナイカ  |山《やま》が|割《わ》れてもヨイヂヤナイカヨイヂヤナイカ
|三五教《あななひけう》でもヨイヂヤナイカヨイヂヤナイカ  ウラル|教《けう》でもヨイヂヤナイカヨイヂヤナイカ
|勝《かつ》てもヨイヂヤナイカ  |負《ま》けてもヨイヂヤナイカ
|何《なん》でもヨイヂヤナイカ  |三日《みつか》のお|祭《まつ》り|四日《よつか》でも、|五日《いつか》でも
|十日《とをか》でもヨイヂヤナイカ  |人《ひと》はどうでもヨイヂヤナイカヨイヂヤナイカ
|自分《じぶん》|丈《だ》けよければヨイヂヤナイカヨイヂヤナイカ  ウラルの|教《をしへ》が|三千世界《さんぜんせかい》で
|一番《いちばん》ヨイヂヤナイカヨイヂヤナイカヨイヂヤナイカ  ヨイヤサのヨイトサツサ
|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ  |暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る
|月《つき》はつきぢやが|運《うん》の|尽《つ》き  |尽《つ》きてもヨイヂヤナイカ
|亡《ほろ》んでもヨイヂヤナイカ  |倒《たふ》せばヨイヂヤナイカ
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》』
と|無我夢中《むがむちう》になつて、|昼夜《ちうや》の|別《べつ》なく|数多《あまた》の|八王神《やつこすがみ》、ヒツコスやクスの|神《かみ》|等《ら》に、|数多《あまた》の|邪神《じやしん》が|憑《うつ》つて|叫《さけ》び|廻《まは》る。|八王神《やつこすがみ》の|綺麗《きれい》な|館《やかた》も、|数多《あまた》のヒツコスに|土足《どそく》の|儘《まま》|踏《ふ》みにじられて|踊《をど》り|狂《くる》はれ、|襖《ふすま》は|倒《たふ》れ、|障子《しやうじ》は|破《やぶ》れ、|戸《と》は|壊《こは》れ、|床《ゆか》は|落《おと》され、|敷物《しきもの》は|泥《どろ》まぶれ、|着物《きもの》は|勝手《かつて》|気儘《きまま》に|取出《とりだ》され、|着《き》|潰《つぶ》され、|雪解《ゆきとけ》の|泥中《どろなか》に|着《き》た|儘《まま》|酔《よ》つて|転《ころ》げられ、|食《く》ひ|物《もの》は|食《く》ひ|荒《あら》され、|宝《たから》は|踏《ふ》みにじられ、|大乱痴気《だいらんちき》|騒《さわ》ぎが|始《はじ》まつた、されどもウラル|姫《ひめ》を|始《はじ》め|数多《あまた》の|八王神《やつこすがみ》は、|何《いづ》れも|悪魔《あくま》に|精神《せいしん》を|左右《さいう》せられて|居《を》るから、|皆《みんな》|好《よ》い|気《き》になつてヒツコス、クスの|神《かみ》と|共《とも》に|手《て》をつなぎ|踊《をど》り|狂《くる》ふ。|顔《かほ》も|着物《きもの》も|泥《どろ》まぶれになつて|居《ゐ》る。|顕国《うつしくに》の|宮《みや》は|刻々《こくこく》に|鳴動《めいどう》が|激《はげ》しくなつて|来《き》た。ウラル|姫《ひめ》は|泥《どろ》まぶれの|体躯《からだ》に|気《き》が|付《つ》かず、|忽《たちま》ち|顕国《うつしくに》の|宮《みや》の|前《まへ》に|進《すす》み、
ウラル|姫《ひめ》『コーカス|山《ざん》に|千木《ちぎ》|高《たか》く  |大宮柱《おほみやばしら》|太《ふと》しりて
|仕《つか》へ|奉《まつ》れる|神《かみ》の|宮《みや》  |顕《うつ》しき|国《くに》の|御霊《みたま》たる
|速須佐之男《はやすさのを》の|大御神《おほみかみ》  |国治立《くにはるたち》の|大御神《おほみかみ》
|金勝要《きんかつかね》の|大神《おほかみ》の  |三魂《みたま》の|永遠《とは》に|鎮《しづ》まりて
|神《かみ》の|稜威《みいづ》のアーメニヤ  コーカス|山《ざん》やウラル|山《さん》
ウラルの|彦《ひこ》の|御教《みをしへ》を  |天地《あめつち》|四方《よも》に|輝《かがや》かし
|我《わが》|世《よ》を|守《まも》れ|何時迄《いつまで》も  |此《この》|世《よ》を|守《まも》れ|何時迄《いつまで》も
|顕《うつ》しの|宮《みや》の|唸《うな》り|声《ごゑ》  |定《さだ》めし|神《かみ》の|御心《みこころ》に
|叶《かな》ひ|給《たま》ひし|御《み》しるしか  |日々《ひび》に|弥《いや》|増《ま》す|唸《うな》り|声《ごゑ》
ウラルの|姫《ひめ》の|功績《いさをし》の  |天地《てんち》に|輝《かがや》く|祥兆《しやうてう》や
|嗚呼《ああ》|有難《ありがた》や|有難《ありがた》や  |天教山《てんけうざん》や|地教山《ちけうざん》
|黄金山《わうごんざん》や|万寿山《まんじゆざん》  |是《こ》れに|集《つど》へる|曲神《まがかみ》の
|曲《まが》の|身魂《みたま》を|平《たひら》げて  ウラルの|神《かみ》の|御教《みをしへ》に
|心《こころ》の|底《そこ》よりまつろはせ  |天《あま》の|下《した》をば|穏《おだや》かに
|守《まも》らせ|給《たま》へ|三柱《みはしら》の  |吾《あが》|大神《おほかみ》よ|皇神《すめかみ》よ
|神《かみ》の|稜威《みいづ》の|幸《さち》はひて  |遠《とほ》き|神世《かみよ》の|昔《むかし》より
|例《ためし》もあらぬコーカスの  |山《やま》に|輝《かがや》く|珍《うづ》の|宮《みや》
|神酒《みき》は|甕《みかのへ》|高《たか》しりて  |甕《みか》の|腹《はら》をば|満《み》て|並《なら》べ
|荒稲《あらしね》|和稲《にぎしね》|麦《むぎ》に|豆《まめ》  |稗《ひえ》|黍《きび》|蕎麦《そば》や|種々《くさぐさ》の
|甘菜《あまな》|辛菜《からな》や|無花果《いちじゆく》の  |木《こ》の|実《み》や|百《もも》の|果物《くだもの》や
|猪《しし》や|羊《ひつじ》や|山《やま》の|鳥《とり》  |雉《きじ》や|鵯《ひよどり》|鳩《はと》|雀《すずめ》
|沖津《おきつ》|百《もも》の|菜《は》|辺津藻菜《へつもは》や  |種々《くさぐさ》|供《そな》へし|供《そな》へ|物《もの》
|心《こころ》|平《たひ》らに|安《やす》らかに  |赤丹《あかに》の|穂《ほ》にと|聞《きこ》し|召《め》せ
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  ウラルの|神《かみ》の|御教《みをしへ》を
|堅磐《かきは》|常盤《ときは》に|守《まも》れかし  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》て
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|国《くに》の|祖《おや》  |国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》の
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|四方《よも》の|国《くに》  |百《もも》の|民草《たみぐさ》|悉《ことごと》く
コーカス|山《ざん》に|参《ま》ゐ|詣《もう》で  ウラルの|神《かみ》の|御教《みをしへ》に
|潮《うしほ》の|如《ごと》く|集《つど》ひ|来《き》て  |我《わが》|世《よ》の|幸《さち》を|守《まも》れかし
アヽ|三柱《みはしら》の|大神《おほかみ》よ  アヽ|三柱《みはしら》の|皇神《すめかみ》よ
|心《こころ》|許《ばか》りの|御幣帛《みてぐら》を  |捧《ささ》げて|祭《まつ》るウラル|彦《ひこ》
ウラルの|姫《ひめ》の|真心《まごころ》を  |良《よ》きに|受《う》けさせ|賜《たま》へかし
|良《よ》きに|受《う》けさせ|賜《たま》へかし』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》|神前《しんぜん》に|拝跪《はいき》して|祈《いの》つて|居《ゐ》る。|此《この》|時《とき》|数多《あまた》の|八王神《やつこすがみ》、ヒツコス、クスの|神《かみ》は|神殿《しんでん》に|潮《うしほ》の|如《ごと》く|集《あつ》まり|来《きた》り、|又《また》もや、
『ヨイヂヤナイカヨイヂヤナイカヨイヂヤナイカ  お|宮《みや》はどうでもヨイヂヤナイカ
|酒《さけ》さへ|飲《の》んだらヨイヂヤナイカ  |飲《の》めよ|飲《の》め|飲《の》め|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ
|後《あと》はどうでもヨイヂヤナイカ  |暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る
|運《うん》の|尽《つき》でもヨイヂヤナイカ  この|世《よ》の|尽《つき》でもヨイヂヤナイカ
ウラルの|姫《ひめ》の|泥《どろ》まぶれ  |笑《わら》うて|見《み》るのもヨイヂヤナイカ
|上《うへ》でも|下《した》でもヨイヂヤナイカ  |八王《やつこす》でもビツコスでもヨイヂヤナイカ
|三五教《あななひけう》でもヨイヂヤナイカ  ウラル|教《けう》|捨《す》ててもヨイヂヤナイカ
お|宮《みや》が|唸《うな》つてもヨイヂヤナイカ  |潰《つぶ》れた|所《ところ》でヨイヂヤナイカ
お|酒《さけ》が|一番《いちばん》ヨイヂヤナイカ  ヨイヂヤナイカヨイヂヤナイカヨイヂヤナイカ』
と|数千《すうせん》の|群衆《ぐんしう》は|口々《くちぐち》に|酔《ゑ》ひ|潰《つぶ》れ、|泥《どろ》にまぶれ、|上下《じやうげ》の|区別《くべつ》なく|飛廻《とびまは》り|跳狂《はねくる》ひ|踊《をど》り|騒《さわ》いで|居《ゐ》る。かかる|所《ところ》に|神殿《しんでん》さして|悠然《いうぜん》と|現《あら》はれ|出《い》でたる|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|松《まつ》|竹《たけ》|梅《うめ》を|始《はじ》めとし、|石凝姥神《いしこりどめのかみ》、|天之目一箇神《あめのまひとつのかみ》、|淤縢山津見神《おどやまづみのかみ》、|時置師神《ときおかしのかみ》、|八彦神《やつひこのかみ》、|鴨彦神《かもひこのかみ》は|口《くち》を|揃《そろ》へて、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》せ
コーカス|山《ざん》に|集《あつ》まりし  ウラルの|姫《ひめ》を|始《はじ》めとし
|百《もも》の|八王神《やつこす》、ヒツコスや  クスの|神《かみ》まで|皇神《すめかみ》の
|御水火《みいき》に|早《はや》く|甦《よみがへ》り  |醜《しこ》の|身魂《みたま》を|立替《たてか》へて
|大気津姫《おほげつひめ》の|曲業《まがわざ》を  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|宣《の》り|直《なほ》せ
|神《かみ》は|我等《われら》と|倶《とも》に|在《あ》り  |醜《しこ》の|曲津《まがつ》の|亡《ほろ》ぶ|時《とき》
|八十《やそ》の|醜女《しこめ》の|亡《ほろ》ぶ|時《とき》  |八岐大蛇《やまたをろち》や|曲鬼《まがおに》や
|醜《しこ》の|狐《きつね》や|千万《ちよろづ》の  |曲《まが》の|身魂《みたま》を|皇神《すめかみ》の
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|追《お》ひ|出《いだ》し  |眼《まなこ》を|醒《さま》せ|目《め》を|開《ひら》け
|顕《うつ》しの|国《くに》の|大宮《おほみや》に  |鎮《しづ》まり|給《たま》ふ|三柱《みはしら》の
|神《かみ》の|怒《いか》りは|目《ま》の|当《あた》り  |天地《てんち》に|響《ひび》く|唸《うな》り|声《ごゑ》
|酔《ゑひ》を|醒《さま》せや|目《め》を|覚《さ》ませ  |胸《むね》の|帳《とばり》を|押開《おしあ》けて
|空《そら》に|輝《かがや》く|朝日子《あさひこ》の  |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|真心《まごころ》に
|復《かへ》れよ|帰《かへ》れ|諸人《もろびと》よ  ウラルの|彦《ひこ》よウラル|姫《ひめ》
|神《かみ》は|汝《なんぢ》を|救《すく》はむと  |千々《ちぢ》に|心《こころ》を|砕《くだ》かせつ
|我等《われら》を|遣《つか》はし|給《たま》ふなり  |我等《われら》は|神《かみ》の|御使《おんつかひ》
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |宣伝《せんでん》|万歌《ばんか》の|言霊《ことたま》に
|霊《たま》の|真柱《まはしら》|立直《たてなほ》し  |一時《いちじ》も|早《はや》く|立替《たてか》へよ
|身魂《みたま》の|立替《たてか》へ|立直《たてなほ》し  |体主霊従《たいしゆれいじう》の|立直《たてなほ》し
|大気津姫《おほげつひめ》の|行《おこな》ひを  |今日《けふ》を|限《かぎ》りに|立直《たてなほ》せ
|天《てん》は|震《ふる》ひ|地《ち》は|揺《ゆる》ぐ  |山《やま》は|火《ひ》を|噴《ふ》き|割《わ》るるとも
|誠《まこと》の|神《かみ》は|誠《まこと》ある  |汝《なれ》が|身魂《みたま》を|救《すく》ふらむ
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|改《あらた》めよ  |一日《ひとひ》も|早《はや》く|詔《の》り|直《なほ》せ』
と|言葉《ことば》|爽《さはや》かに|歌《うた》ひ|終《をは》つた。|神殿《しんでん》の|鳴動《めいどう》は|此《この》|宣伝歌《せんでんか》と|共《とも》にピタリと|止《や》んだ。ウラル|姫《ひめ》の|神《かみ》は|忽《たちま》ち|鬼女《きぢよ》と|変《へん》じ、|雲《くも》を|呼《よ》び、|風《かぜ》を|起《おこ》し、|雨《あめ》を|降《ふ》らし|四辺《しへん》を|暗《やみ》に|包《つつ》み、|八王神《やつこす》、ヒツコス|引連《ひきつ》れて、|天《あめ》の|磐船《いはふね》、|鳥船《とりふね》に|其《その》|身《み》を|任《まか》せ、アーメニヤ、ウラルの|山《やま》を|指《さ》して|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|散《ち》りたり。|松《まつ》|竹《たけ》|梅《うめ》を|始《はじ》め|宣伝使《せんでんし》|一同《いちどう》は、|改《あらた》めて|神殿《しんでん》に|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し、|神徳《しんとく》を|感謝《かんしや》する|折《をり》しも|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれた|五柱《いつはしら》の|神《かみ》がある。|見《み》れば|鬼武彦《おにたけひこ》、|勝彦《かつひこ》、|秋月姫《あきづきひめ》、|深雪姫《みゆきひめ》、|橘姫《たちばなひめ》であつた。|何《いづ》れも|皆《みな》|鬼武彦《おにたけひこ》が|率《ひき》ゐる|白狐《びやくこ》の|化身《けしん》である。|流石《さすが》|奸智《かんち》に|長《た》けたる|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪狐《あくこ》も、|白狐《びやくこ》の|鬼武彦《おにたけひこ》、|旭《あさひ》、|高倉《たかくら》、|月日《つきひ》の|神力《しんりき》には|敵《かな》はず、ウラル|姫《ひめ》と|共《とも》に|此《この》|場《ば》を|捨《す》てて|逃《に》げ|去《さ》つてしまつたのである。
|茲《ここ》に|石凝姥神《いしこりどめのかみ》、|天之目一箇神《あめのまひとつのかみ》、|天之児屋根神《あめのこやねのかみ》は、|高倉《たかくら》|以下《いか》の|白狐《びやくこ》に|向《むか》ひ|顕国《うつしくに》の|宮《みや》に|捧《ささ》げ|奉《まつ》れる|稲《いね》、|麦《むぎ》、|豆《まめ》、|黍《きび》、|粟《あは》の|穂《ほ》を|銜《くは》へしめ、|世界《せかい》の|各地《かくち》に|播種《はんしゆ》せしめたり。
|国治立命《くにはるたちのみこと》、|神素盞嗚命《かむすさのをのみこと》、|金勝要《きんかつかね》の|三柱《みはしら》を|祭《まつ》り、|顕国《うつしくに》の|宮《みや》を|改《あらた》めて|飯成《いひなり》の|宮《みや》と|称《とな》へたり。|宮《みや》の|鳴動《めいどう》したる|理由《りいう》は、|何《いづ》れも|体主霊従《たいしゆれいじう》の|穢《けが》れたる|八王神《やつこす》の|供物《くもつ》なれば、|神《かみ》は|怒《いか》りて|之《これ》を|受《う》けさせ|給《たま》はざりし|為《た》めなり。
|白狐《びやくこ》は|五穀《ごこく》の|穂《ほ》を|四方《しはう》に|配《くば》り、|世界《せかい》に|五穀《ごこく》の|種子《しゆし》を|播布《はんぷ》したり。これより|以前《いぜん》にも|五穀《ごこく》は|各地《かくち》に|稔《みの》れども、|今《いま》|此処《ここ》に|供《そな》へられたる|五穀《ごこく》の|種子《しゆし》は|勝《すぐ》れて|良《よ》き|物《もの》なりし|故《ゆゑ》なり。
|今《いま》の|世《よ》に|至《いた》るまで|白狐《びやくこ》を|稲荷《いなり》の|神《かみ》と|云《い》ふは|此《この》|理《り》に|基《もとづ》くものと|知《し》るべし。
(大正一一・三・三 旧二・五 谷村真友録)
第五篇 |乾坤清明《けんこんせいめい》
第二四章 |顕国宮《うつしくにのみや》〔四九一〕
|春霞《はるがすみ》|棚引《たなび》き|初《そ》めてコーカスの、|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》や|百《もも》の|谷《たに》、|大峡小峡《おほがひをがひ》の|樹々《きぎ》の|枝《えだ》、|黄紅白紫《くわうこうはくし》|色々《いろいろ》と、|咲《さ》き|乱《みだ》れたる|顕国《うつしくに》、|霊《たま》の|御舎《みあらか》|雲表《うんぺう》に、|千木高知《ちぎたかし》りて|聳《そび》え|立《た》ち、|黄金《こがね》の|甍《いらか》|三《み》つ|巴《どもゑ》、|輝《かがや》く|旭日《あさひ》に|反射《はんしや》して、|遠《とほ》き|近《ちか》きに|照《て》り|渡《わた》る、|神須佐之男《かむすさのを》の|大神《おほかみ》は、|宮《みや》の|主《あるじ》と|現《あ》れまして、|堅磐《かきは》|常盤《ときは》に|鎮《しづ》まりて、|大海原《おほうなばら》に|漂《ただよ》へる、|秋津島根《あきつしまね》を|心安《うらやす》の、|美《うつ》しき|神世《かみよ》に|開《ひら》かむと、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|三葉彦《みつばひこ》、|神《かみ》の|教《をしへ》を|広道別《ひろみちわけ》の、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|太玉《ふとたま》の|命《みこと》と|名《な》を|変《か》へて、|栄《さか》え|芽出度《めでた》き|松代姫《まつよひめ》、|妹背《いもせ》の|道《みち》を|結《むす》ばせつ、|天津御神《あまつみかみ》や|国津神《くにつかみ》、|八百万《やほよろづ》|在《ま》す|神《かみ》|等《たち》に、|太玉串《ふとたまぐし》を|奉《たてまつ》る、|卜部《うらべ》の|神《かみ》と|任《ま》け|給《たま》ひ、|顕国玉《うつしくにたま》の|宮《みや》の|司《つかさ》となし|給《たま》ふ。|青雲別《あをくもわけ》の|其《その》|御稜威《みいづ》、|高彦神《たかひこがみ》の|宣伝使《せんでんし》、|天《あめ》の|児屋根《こやね》と|改《あらた》めて、|天津祝詞《あまつのりと》の|神嘉言《かむよごと》、|詔《の》る|言霊《ことたま》の|守護神《まもりがみ》、|顕国玉《うつしくにたま》|大宮《おほみや》の、|祝《はふり》の|神《かみ》と|任《ま》け|給《たま》ひ、|梅ケ香姫《うめがかひめ》と|妹《いも》と|背《せ》の、|契《ちぎり》を|結《むす》ばせ|給《たま》ひけり。|白雲別《しらくもわけ》の|宣伝使《せんでんし》、|教《をしへ》を|開《ひら》き|北光《きたてる》の、|神《かみ》の|司《つかさ》の|又《また》の|御名《みな》、|天《あめ》の|目一《まひと》つ|神司《かむつかさ》、|竹野《たけの》の|姫《ひめ》を|娶《めあ》はして、アルプス|山《さん》に|遣《つか》はしつ、|石凝姥《いしこりどめ》と|諸共《もろとも》に、|鏡《かがみ》、|剣《つるぎ》を|鍛《きた》はしめ、|国《くに》の|御柱《みはしら》|樹《た》て|給《たま》ふ、|神縁《しんえん》|微妙《びめう》の|神業《かむわざ》を、|四方《よも》の|神《かみ》|達《たち》|人草《ひとぐさ》の、|夢《ゆめ》にも|知《し》らぬ|久方《ひさかた》の|彦《ひこ》の|命《みこと》の|雲道別《くもぢわけ》、|名《な》も|大歳《おほとし》の|神司《かむづかさ》、|五穀《ごこく》の|食《たね》を|葦原《あしはら》の、|四方《よも》の|国々《くにぐに》|植《う》ゑ|拡《ひろ》め、|神《かみ》の|恵《めぐ》みも|高倉《たかくら》や、|月日《つきひ》も|清《きよ》く|朝日子《あさひこ》の、|白狐《びやくこ》の|神《かみ》の|此処《ここ》|彼処《かしこ》、|生命《いのち》の|苗《なへ》を|配《まくば》りて、|青人草《あをひとぐさ》の|日《ひ》に|夜《よる》に、|食《く》ひて|生《うま》くべき|水田種子《たなつもの》、|守《まも》り|給《たま》ふぞ|尊《たふと》けれ。
コーカス|山《ざん》の|山上《さんじやう》にウラル|彦《ひこ》、ウラル|姫《ひめ》の|贅《ぜい》を|尽《つく》し|美《び》を|竭《つく》して|建造《けんざう》したる|顕国《うつしくに》の|宮殿《きうでん》には|大地《だいち》の|神霊《しんれい》たる|金勝要神《きんかつかねのかみ》、|大地《だいち》の|霊力《れいりよく》たる|国治立命《くにはるたちのみこと》|及《およ》び|大地《だいち》の|霊体《れいたい》の|守護神《しゆごじん》|神須佐之男大神《かむすさのをのおほかみ》を|鎮《しづ》め|奉《まつ》り、|荘厳《さうごん》なる|祭典《さいてん》を|行《おこな》ひ|三柱《みはしら》の|神《かみ》の|神力《しんりき》に|依《よ》つて、|天ケ下《あめがした》を|統御《とうぎよ》せむと|体主霊従《たいしゆれいじう》の|根本神《こんぽんしん》たる|天足彦《あだるひこ》、|胞場姫《えばひめ》の|再来《さいらい》、|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》や|悪狐《あくこ》、|其《その》|他《た》の|邪鬼《じやき》|妖魅《えうみ》に|天授《てんじゆ》の|精魂《せいこん》を|誑惑《けうわく》されて、ウラル|彦《ひこ》、ウラル|姫《ひめ》|以下《いか》の|曲神《まがかみ》は、|最後《さいご》の|経綸場《けいりんぢやう》としてコーカス|山《ざん》を|選《えら》み、|宮殿《きうでん》を|造《つく》り|八王神《やつこすがみ》を|数多《あまた》|集《つど》へて、アーメニヤにも|劣《おと》らざる|神都《しんと》を|開《ひら》きつつありける。
|斯《か》かる|処《ところ》へ|石凝姥命《いしこりどめのみこと》、|天之目一箇神《あめのまひとつのかみ》、|天之児屋根命《あめのこやねのみこと》、|正鹿山津見神《まさかやまづみのかみ》の|娘《むすめ》|大神津見《おほかむづみ》と|現《あら》はれたる|松代姫《まつよひめ》、|竹野姫《たけのひめ》、|梅ケ香姫《うめがかひめ》、|時置師神《ときおかしのかみ》、|八彦《やつひこ》、|鴨彦《かもひこ》|等《など》の|神《かみ》|現《あら》はれて、|天津誠《あまつまこと》の|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し|宣伝歌《せんでんか》を|唱《とな》へたれば、|流石《さすが》のウラル|姫《ひめ》も|以下《いか》の|神々《かみがみ》も|天津誠《あまつまこと》の|言霊《ことたま》に|胆《きも》をうたれ、|胸《むね》を|挫《ひし》がれ、|全力《ぜんりよく》を|集注《しふちう》して|経営《けいえい》したる|可惜《あたら》コーカス|山《ざん》を|見捨《みす》てて、|生命《いのち》からがらウラル|山《さん》、アーメニヤの|根拠地《こんきよち》に|向《むか》つて|遁走《とんそう》し、コーカス|山《ざん》は|今《いま》は|全《まつた》く|三五教《あななひけう》の|管掌《くわんしやう》する|処《ところ》となりにける。
|茲《ここ》に|神須佐之男命《かむすさのをのみこと》は|地教《ちけう》の|山《やま》を|後《あと》にして|顕国《うつしくに》の|宮《みや》に|入《い》らせ|給《たま》ひ、|天之目一箇神《あめのまひとつのかみ》をして|十握《とつか》の|剣《つるぎ》を|鍛《きた》へしめ|顕国《うつしくに》の|宮《みや》の|神実《かむざね》となし、|天下《てんか》の|曲神《まがかみ》を|掃蕩《さうたう》すべく|天之児屋根命《あめのこやねのみこと》、|太玉命《ふとたまのみこと》をして|昼夜《ちうや》|祭祀《さいし》の|道《みち》に|鞅掌《あうしやう》せしめ|給《たま》ひぬ。|神須佐之男大神《かむすさのをのおほかみ》は|十握《とつか》の|剣《つるぎ》を|数多《あまた》|作《つく》り|供《そな》へて、|曲神《まがかみ》の|襲来《しふらい》に|備《そな》へむため|天之目一箇神《あめのまひとつのかみ》をアルプス|山《さん》に|遣《つか》はし、|鋼鉄《まがね》を|掘《ほ》らしめ|数多《あまた》の|武器《ぶき》を|作《つく》る|事《こと》を|命《めい》じ|給《たま》へり。アルプス|山《さん》はウラル|彦《ひこ》、ウラル|姫《ひめ》の|一派《いつぱ》の|武器《ぶき》|製造《せいざう》の|原料《げんれう》を|需《もと》めつつありし|重要《ぢゆうえう》の|鉱山《くわうざん》なりき。これより|天之目一箇神《あめのまひとつのかみ》は|竹野姫《たけのひめ》と|共《とも》にアルプス|山《さん》に|向《むか》ふ|事《こと》となり、|淤縢山津見神《おどやまづみのかみ》、|正鹿山津見神《まさかやまづみのかみ》、|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|宣伝使《せんでんし》はアーメニヤの|神都《しんと》に|向《むか》つて|魔神《まがみ》を|征服《せいふく》すべく、|神須佐之男大神《かむすさのをのおほかみ》の|命《めい》を|奉《ほう》じてアーメニヤに|向《むか》ひける。|又《また》アルプス|山《さん》には|石凝姥神《いしこりどめのかみ》を|添《そ》へて、|天之目一箇神《あめのまひとつのかみ》、|竹野姫《たけのひめ》と|共《とも》に|銅鉄《どうてつ》を|需《もと》めしむべく|出発《しゆつぱつ》せしめ|給《たま》ひける。
|此《この》|事《こと》|忽《たちま》ち|天上《てんじやう》に|在《ま》す|天照皇大神《あまてらすおほかみ》の|御疑《おうたが》ひを|懐《いだ》かせ|給《たま》ふ|種《たね》となり、|遂《つい》に|須佐之男命《すさのをのみこと》は、|姉神《あねがみ》に|嫌疑《けんぎ》を|受《う》け|神追《かむやら》ひに|追《やら》はれ|給《たま》ふ|悲境《ひきやう》に|陥《おちい》り|給《たま》ひたるなり。
(大正一一・三・四 旧二・六 北村隆光録)
第二五章 |巫《みかんのこ》の|舞《まひ》〔四九二〕
コーカス|山《ざん》の|曲津神《まがつかみ》|共《ども》を、|天津誠《あまつまこと》の|言霊《ことたま》の|伊吹《いぶき》に|伊吹《いぶ》き|払《はら》ひ、|今《いま》は|邪気《じやき》|全《まつた》く|払拭《ふつしき》され、|風塵《ふうぢん》を|留《とど》めざるに|至《いた》りぬ。
|茲《ここ》に|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》は、|両刃《もろは》の|剣《つるぎ》を|神実《かむざね》として|神殿《しんでん》に|華々《はなばな》しく|鎮祭《ちんさい》し、|大地《だいち》の|霊魂《れいこん》なる|金勝要大神《きんかつかねのおほかみ》、|霊力《れいりよく》なる|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》の|二柱《ふたはしら》を|祭《まつ》り、|荘厳《さうごん》なる|祭典《さいてん》を|行《おこな》ひ|給《たま》ひ、|祭官《さいくわん》としては、|天之児屋根命《あめのこやねのみこと》|天津《あまつ》|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し、|太玉命《ふとたまのみこと》|太玉串《ふとたまぐし》を|奉《たてまつ》り、|天之目一箇命《あめのまひとつのみこと》はアルプス|山《さん》の|鋼鉄《まがね》を|以《もつ》て|両刃《もろは》の|剣《つるぎ》を|造《つく》り、|之《これ》を|神実《かむざね》として|奉安《ほうあん》し、|石凝姥命《いしこりどめのみこと》は|神饌長《しんせんちやう》となり、|時置師神《ときおかしのかみ》、|八彦《やつひこ》、|鴨彦《かもひこ》は|神饌《しんせん》を|運《はこ》び、|大歳神《おほとしのかみ》は|祓戸《はらひど》を|修《しう》し、|松《まつ》|竹《たけ》|梅《うめ》の|桃《もも》の|実《み》は|御巫《みかんのこ》の|聖職《せいしよく》を|仕《つか》へまつり、|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|三柱《みはしら》は|茲《ここ》に|忽然《こつぜん》として|現《あら》はれ、|歌《うた》を|歌《うた》ひ|舞《まひ》を|舞《ま》ひ、この|祭典《さいてん》を|賑《にぎは》したまひける。|其《その》|時《とき》の|秋月姫《あきづきひめ》の|歌《うた》、
『|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|元津祖《もとつおや》  |国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》が
|根底《ねそこ》の|国《くに》に|現《あら》はれて  |百《もも》の|悩《なや》みを|受《う》けたまひ
|闇《やみ》に|隠《かく》れて|世《よ》を|守《まも》る  |其《その》|功勲《いさをし》を|助《たす》けむと
|天津御神《あまつみかみ》の|御言《みこと》もて  |天教山《てんけうざん》に|現《あら》はれし
|神伊弉諾《かむいざなぎ》の|大御神《おほみかみ》  |其《その》|妻神《つまがみ》と|現《あ》れませる
|神伊弉冊《かむいざなみ》の|大神《おほかみ》の  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の  |身体《からたま》なり|出《い》でましましぬ
|神伊弉諾《かむいざなぎ》の|大神《おほかみ》の  |貴《うづ》の|御鼻《みはな》に|生《あ》れませる
|其《その》|神霊《かむみたま》|幸《さちは》ひて  |命《みこと》の|御霊《みたま》にかかりまし
|大海原《おほうなばら》に|漂《ただよ》へる  |豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》
|治《をさ》め|給《たま》へと|言依《ことよ》さし  |給《たま》ひし|貴《うづ》の|神言《かみごと》を
|諾《うづな》ひまして|朝夕《あさゆふ》に  |心《こころ》|配《くば》らせ|給《たま》へども
|天足《あだる》の|彦《ひこ》や|胞場姫《えばひめ》の  |醜《しこ》の|霊魂《みたま》になり|出《い》でし
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜狐《しこぎつね》  |悪《あし》き|曲鬼《まがおに》|八十曲津《やそまがつ》
|疎《うと》び|猛《たけ》びて|天《あま》の|原《はら》  |大海原《おほうなばら》を|掻《か》き|乱《みだ》し
|怪《あや》しき|雲《くも》は|天地《あめつち》に  |非時《ときじく》さやる|暗《やみ》の|夜《よ》を
|晴《は》らして|神《かみ》の|御心《みこころ》に  こたへまさむと|千万《ちよろづ》に
|心《こころ》|砕《くだ》かせ|給《たま》ひしが  |黒白《あやめ》もわかぬコーカスの
|山《やま》の|岩戸《いはと》も|今日《けふ》あけて  |心《こころ》|楽《たの》しき|神祭《かむまつ》り
|祭《まつ》り|納《をさ》むる|珍《うづ》の|宮《みや》  |天津《あまつ》|祝詞《のりと》の|声《こゑ》|清《きよ》く
|珍玉串《うづたまぐし》のいや|高《たか》く  |神酒《みき》は|甕《みかのへ》|高知《たかし》りて
|海河山野《うみかはやまぬ》|種々《くさぐさ》の  |珍《うづ》の|御幣帛《みてくら》|奉《たてまつ》り
|天《あめ》と|地《つち》とは|一時《ひととき》に  |光《ひかり》|輝《かがや》く|美詞《みやびごと》
|堅磐《かきは》|常盤《ときは》の|松代姫《まつよひめ》  |春夏秋冬《はるなつあきふゆ》|整《ととの》ひて
|節《ふし》|過《あや》またぬ|竹野姫《たけのひめ》  |神《かみ》の|勲《いさを》も|一時《ひととき》に
|開《ひら》く|梅ケ香姫《うめがかひめ》の|司《つかさ》  |淤縢山津見《おどやまづみ》や|正鹿山《まさかやま》
|津見《づみ》の|命《みこと》の|真心《まごころ》を  |空《そら》|澄《す》み|渡《わた》る|秋月《あきづき》の
|光《ひかり》を|此処《ここ》に|深雪姫《みゆきひめ》  |誠《まこと》の|道《みち》も|橘姫《たちばなひめ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》  |鋼鉄《まがね》|銅《あかがね》アルプスの
|山《やま》の|尾上《をのへ》のいと|高《たか》く  |恵《めぐみ》も|深《ふか》き|琵琶《びわ》の|湖《うみ》
|山野海川《やまぬうみかは》おしなべて  |仕《つか》へまつらむ|珍《うづ》の|宮《みや》
|神《かみ》の|誠《まこと》の|言《こと》の|葉《は》の  みやびの|花《はな》ぞ|尊《たふと》けれ
みやびの|息《いき》ぞ|畏《かしこ》けれ』
|深雪姫《みゆきひめ》は|再《ふたた》び|立《た》つて|祝歌《しゆくか》を|奏上《そうじやう》したり。|其《その》|歌《うた》、
『|青木《あをき》が|原《はら》に|比《くら》ぶべき  コーカス|山《ざん》に|降《ふ》り|積《つも》る
|深雪《みゆき》も|晴《は》れて|今日《けふ》の|春《はる》  |御稜威《みいづ》も|高《たか》く|照《て》り|渡《わた》る
|高天原《たかあまはら》に|現《あ》れませる  |神《かみ》の|御舎《みあらか》|千木《ちぎ》|高《たか》く
|大宮柱《おほみやばしら》|太知《ふとし》りて  |仕《つか》へまつれるウラル|彦《ひこ》
ウラルの|姫《ひめ》が|真心《まごころ》を  |天地《あめつち》かけて|尽《つく》したる
これの|顕《うつ》しき|国《くに》の|宮《みや》  |金勝要《きんかつかね》の|大御神《おほみかみ》
|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》の  |霊《たま》と|力《ちから》の|御守《みまも》りに
|大海原《おほうなばら》の|主宰神《つかさがみ》  |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》と
|現《あら》はれまして|永久《とこしへ》に  |珍《うづ》の|宮居《みやゐ》に|鎮《しづ》まりて
|天津神人《あまつかみびと》|国津神《くにつかみ》  |百《もも》の|草木《くさき》に|至《いた》るまで
|恵《めぐみ》の|露《つゆ》の|掛巻《かけまく》も  |畏《かしこ》き|神《かみ》の|詔勅《みことのり》
|詔《の》り|直《なほ》すてふ|麻柱《あななひ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》
|山川《やまかは》|渡《わた》り|荒野《あれの》わけ  |雪《ゆき》を|踏《ふ》みわけ|霜《しも》を|浴《あ》び
|寒《さむ》けき|風《かぜ》に|梳《くしけづ》り  |非時《ときじく》|雨《あめ》にゆれながら
|治《をさ》まる|御代《みよ》を|深雪姫《みゆきひめ》  |神《かみ》の【みゆき】の|今《いま》|此処《ここ》に
|現《あら》はれ|給《たま》ふぞ|嬉《うれ》しけれ  コーカス|山《ざん》の|峰《みね》|高《たか》く
|天《あめ》にます|神《かみ》|国津神《くにつかみ》  |神《かみ》の|光《ひかり》を|現《あら》はして
|大海原《おほうなばら》に|漂《ただよ》へる  |瑞穂《みづほ》の|国《くに》を|永久《とこしへ》に
いと|平《たひら》けく|安《やす》らけく  |治《をさ》めたまへや|素盞嗚《すさのを》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|司神《つかさがみ》  |黒雲《くろくも》|四方《よも》に|塞《ふさ》がりて
|世《よ》は|常闇《とこやみ》となるとても  |月日《つきひ》の|水火《いき》より|生《あ》れませる
|我《わ》が|皇神《すめかみ》の|神霊《かむみたま》  |玉《たま》の|剣《つるぎ》を|振《ふ》り|翳《かざ》し
|醜《しこ》の|村雲《むらくも》|切《き》り|払《はら》ひ  |払《はら》ひ|清《きよ》めて|天津日《あまつひ》の
|御国《みくに》に|在《いま》す|天照《あまてらす》  |皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に
|太《いみ》じき|勲《いさを》を|経緯《たてよこ》の  |錦《にしき》の|旗《はた》を|織《お》りなして
|御国《みくに》を|治《をさ》めたまへかし  |千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|万代《よろづよ》も
|君《きみ》の|勲《いさを》のいや|高《たか》く  |君《きみ》の|齢《よはひ》のいや|長《なが》く
|幸《さち》|多《おほ》かれと|祝《ほ》ぎまつる』
と|歌《うた》ひ|終《をは》り|淑《しと》やかに|元《もと》の|座《ざ》につきにけり。
(大正一一・三・四 旧二・六 加藤明子録)
(昭和一〇・二・一九 於長浜住茂登旅館 王仁校正)
第二六章 |橘《たちばな》の|舞《まひ》〔四九三〕
|橘姫《たちばなひめ》は|立《た》ち|上《あが》り、|遷宮式《せんぐうしき》の|祝歌《しゆくか》を|奏上《そうじやう》したり。|其《そ》の|歌《うた》、
『|皇大神《すめおほかみ》の|千万《ちよろづ》に  |此《この》|世《よ》を|治《をさ》め|給《たま》はむと
|心《こころ》|筑紫《つくし》の|橘《たちばな》の  |小戸《をど》の|青木ケ原《あをきがはら》にます
|神伊邪那岐《かむいざなぎ》の|大神《おほかみ》の  |依《よ》さしのままに|海原《うなばら》を
|知《し》ろし|召《め》さむと|天《あま》の|原《はら》  |雲霧《くもきり》|分《わ》けて|葦原《あしはら》の
|瑞穂《みづほ》の|国《くに》に|天降《あも》りまし  |神《かみ》の|教《をしへ》の|永久《とこしへ》に
|橘姫《たちばなひめ》の|美《うる》はしく  |勲《いさを》を|祝《いは》ひ|奉《たてまつ》る
|世《よ》は|平《たひら》かに|安《やす》らかに  |山川草木《やまかはくさき》おしなべて
|君《きみ》の|御稜威《みいづ》を|慕《した》ひつつ  |仕《つか》へ|奉《まつ》らむ|現《うつ》し|御代《みよ》
|生代足代《いくよたるよ》の|礎《いしづゑ》を  |茲《ここ》に|顕《うつし》の|国《くに》の|宮《みや》
|救《すく》ひの|神《かみ》が|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る
|別《わ》けて|尊《たふと》き|伊邪那岐《いざなぎ》の  |神《かみ》の|御水火《みいき》に|現《あ》れませる
|神《かみ》の|御言《みこと》の|御《み》あらかを  |仕《つか》へ|奉《まつ》りしアーメニヤ
ウラルの|山《やま》のウラル|彦《ひこ》  ウラルの|姫《ひめ》の|曲神《まがかみ》も
|誠《まこと》の|神《かみ》の|分霊魂《わけみたま》  |恵《めぐみ》も|深《ふか》き|皇神《すめかみ》の
|大御心《おほみこころ》に|隔《へだ》てなく  |善《よし》も|悪《あし》きもおしなべて
|守《まも》らせ|給《たま》ふ|神心《かみごころ》  |曲《まが》のみたまに|迷《まよ》はされ
|神《かみ》に|背《そむ》きし|二柱《ふたはしら》  いたく|憎《にく》ませ|給《たま》ふなく
|恵《めぐみ》の|露《つゆ》の|山川《やまかは》や  |荒野《あれの》の|草《くさ》に|致《いた》るまで
|注《そそ》がせ|給《たま》ふ|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し  |宣《の》り|直《なほ》しつつ|曲神《まがかみ》の
|海《うみ》より|深《ふか》き|罪咎《つみとが》を  |拭《ぬぐ》ひて|助《たす》け|給《たま》へかし
|一視同仁《いつしどうじん》|天地《あめつち》の  |神《かみ》の|恵《めぐみ》は|天津日《あまつひ》の
|総《すべ》ての|物《もの》に|照《て》る|如《ごと》く  |三五《さんご》の|月《つき》の|隈《くま》もなく
|恵《めぐ》みの|露《つゆ》を|与《あた》ふ|如《ごと》  |御心《みこころ》|平《たひら》に|安《やす》らかに
|恵《めぐ》みも|深《ふか》き|言霊《ことたま》に  |言向《ことむ》け|和《やは》し|天《あめ》が|下《した》
|四方《よも》の|国々《くにぐに》|落《お》ちもなく  |漏《も》れなく|救《すく》ひ|給《たま》へかし
|顕《うつし》の|国《くに》の|宮《みや》の|前《まへ》  |畏《かしこ》み|仕《つか》へ|奉《まつ》る|身《み》の
|吾《あ》が|祈言《ねぎごと》を|橘《たちばな》の  |姫《ひめ》の|命《みこと》と|現《あら》はれて
|常世《とこよ》の|暗《やみ》を|吹《ふ》き|祓《はら》ひ  |天《あま》の|岩戸《いはと》をおし|分《わ》けて
ミロクの|神《かみ》の|神業《かむわざ》に  |仕《つか》へ|奉《まつ》らむ|今日《けふ》の|日《ひ》に
|仕《つか》へ|奉《まつ》るぞ|尊《たふと》けれ  |仕《つか》へ|奉《まつ》るぞ|尊《たふと》けれ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つて|元《もと》の|座《ざ》に|着《つ》きける。
|天之児屋根命《あめのこやねのみこと》は|立《た》ち|上《あが》り、
『|天津御空《あまつみそら》に|千万《ちよろづ》の  |星《ほし》の|輝《かがや》き|渡《わた》る|如《ごと》
|大海原《おほうなばら》に|現《あ》れませる  |天《あめ》の|益人《ますひと》|民草《たみぐさ》の
|限《かぎ》りも|知《し》らぬ|安《やす》の|河《かは》  |真砂《まさご》の|如《ごと》く|生《う》みなして
|神世《かみよ》を|開《ひら》かせ|給《たま》ふなり  |大御百姓《おほみたから》となり|出《い》でし
|百人《ももびと》、|千人《ちびと》、|万人《よろづびと》  |草《くさ》の|片葉《かきは》も|漏《も》らすなく
|天《あめ》と|地《つち》との|水火《いき》を|汲《く》み  |筑紫《つくし》の|日向《ひむか》の|橘《たちばな》の
|小戸《をど》の|青木ケ原《あをきがはら》と|鳴《な》る  |生言霊《いくことたま》のアオウエイ
|五大父音《ごだいふおん》の|神《かみ》の|声《こゑ》  |母音《ぼいん》はカサタナハマヤラワ
|父《ちち》と|母《はは》との|息《いき》|合《あは》せ  |火《ひ》の|神《かみ》キシチニヒミイリヰ
|水《みづ》と|現《あ》れます|言霊《ことたま》の  |息《いき》はケセテネヘメエレヱ
|地《つち》の|御神《みかみ》と|現《あ》れませる  |息《いき》はコソトノホモヨロヲ
|息《いき》は|結《むす》びの|神《かみ》の|声《こゑ》  |成《な》るはクスツヌフムユルウ
|五十《いそ》の|言霊《ことたま》|鳴《な》り|出《い》でて  |二十五声《にじふごせい》を|生《う》み|出《いだ》し
|天地《あめつち》|四方《よも》の|神人《かみびと》や  |万《よろづ》の|物《もの》を|生《う》みませる
|其《その》|言霊《ことたま》の|清《きよ》くして  |比《たぐ》ひ|稀《まれ》なる|神嘉言《かむよごと》
|天《あま》の【かず】|歌《うた》|数《かぞ》へつつ  |空《そら》|明《あきら》けく|地《つち》|豊《ゆた》に
|治《をさ》まる|天津太祝詞《あまつふとのりと》  |祝詞《のりと》の|声《こゑ》は|天地《あめつち》に
|轟《とどろ》き|渡《わた》り|曲津見《まがつみ》の  |神《かみ》も|隠《かく》ろひ|鎮《しづ》まりて
|常夜《とこよ》の|暗《やみ》も|晴《は》れ|渡《わた》り  |塵《ちり》も|留《とど》めぬ|顕国《うつしくに》
|玉《たま》の|宮居《みやゐ》の|神祭《かむまつ》り  |上《かみ》と|下《しも》とは|睦《むつ》び|合《あ》ひ
|天《あめ》と|地《つち》とは|明《あきら》けく  |鏡《かがみ》の|面《おも》を|合《あ》はせつつ
|玉《たま》の|御柱《みはしら》|搗《つ》きかため  |身魂《みたま》も|清《きよ》き|剣《つるぎ》|太刀《たち》
|斯《か》くも|目出度《めでた》き|今日《けふ》の|空《そら》  |空《そら》|行《ゆ》く|雲《くも》も|憚《はばか》りて
|晴《は》れ|渡《わた》りたるコーカスの  |山《やま》の|祭《まつ》りぞ|尊《たふと》けれ
|日《ひ》は|照《て》る|光《ひか》る|月《つき》は|満《み》つ  |三《み》ツの|御霊《みたま》の|神柱《かむばしら》
|大神津見《おほかむづみ》の|三《み》ツの|桃《もも》  |月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》と|現《あら》はれし
|三五教《あななひけう》の|三柱《みはしら》の  |神《かみ》の|宰《つかさ》の|宣伝使《せんでんし》
|錦《にしき》の|袖《そで》を|振《ふ》り|栄《は》えて  |今日《けふ》の|御祭《みまつ》り|祝《ほ》ぎまつる
|松《まつ》は|千歳《ちとせ》の|色《いろ》|深《ふか》く  |千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|永久《とこしへ》に
|栄《さか》えミロクの|御代《みよ》までも  |幸《さち》|多《おほ》かれと|祈《いの》るなり
|幸《さち》|多《おほ》かれと|祈《いの》るなり  |此《この》|世《よ》を|照《て》らす|惟神《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして  |大地《だいち》の|主《ぬし》とあれませる
|皇大神《すめおほかみ》の【まつりごと】  |守《まも》らせ|給《たま》へ|天津神《あまつかみ》
|国津神《くにつかみ》たち|八百万《やほよろづ》  |五伴緒《いつとものを》や|八十伴男《やそともを》
|草《くさ》の|片葉《かきは》にいたるまで  |今日《けふ》の|生日《いくひ》の|良《よ》き|日《ひ》をば
|祝《いは》ひ|奉《まつ》るぞ|尊《たふと》けれ』
|太玉命《ふとたまのみこと》は、|太玉串《ふとたまぐし》を|手《て》にしながら|立《た》ち|上《あが》り、|簡単《かんたん》なる|祝歌《しゆくか》を|奏上《そうじやう》したり。
『|天《あめ》と|地《つち》との|神々《かみがみ》の  |水火《いき》より|成《な》りし|神嘉言《かむよごと》
|四方《よも》に|轟《とどろ》き|高光《たかてる》の  |天《あめ》の|児屋根《こやね》の|神宰《かむづかさ》
|宣《の》る|言霊《ことたま》の|清《きよ》くして  |太《ふと》き|勲《いさを》を|太玉《ふとたま》の
|太玉串《ふとたまぐし》となびきつつ  |太敷《ふとしき》|立《た》てし|宮柱《みやばしら》
|仮令《たとへ》|雨風《あめかぜ》|地震《ないふる》の  |叫《たけ》び|荒《すさ》ぶる|世《よ》ありとも
|天地《てんち》|清《きよ》むる|言霊《ことたま》の  |水火《いき》に|固《かた》めし|神《かみ》の|宮《みや》
|千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|動《うご》かまじ  アヽ|尊《たふと》しや|有難《ありがた》や
|今日《けふ》の|祭《まつ》りの|此《こ》の|庭《には》に  |三《み》つ|葉《ば》の|彦《ひこ》の|宣伝使《せんでんし》
|神《かみ》の|御稜威《みいづ》も|広道《ひろみち》の  |別《わけ》の|命《みこと》と|現《あら》はれて
|心《こころ》|平《たひら》に|安《やす》らかに  |太玉串《ふとたまぐし》を|奉《たてまつ》る
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
|秋津島根《あきつしまね》を|永久《とこしへ》に  |守《まも》らせ|給《たま》へ|幾千代《いくちよ》も
|顕《うつし》の|国《くに》の|宮《みや》の|元《もと》  |塵《ちり》も|留《とど》めじ|清《きよ》らかに
|神世《かみよ》を|永久《とは》に|立《た》てませよ  |神世《かみよ》は|永久《とは》に|栄《さか》えませ
|栄《さか》ゆる|御代《みよ》を|松竹《まつたけ》や  |梅《うめ》の|花《はな》|咲《さ》く|春《はる》の|日《ひ》の
|心《こころ》も|長閑《のどか》に|受《う》けませよ  |心《こころ》を|平《たひら》に|受《う》けませよ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つて|元《もと》の|座《ざ》に|着《つ》きにける。
|此《この》|外《ほか》、|神人等《かみがみら》は|各自《めいめい》に|祝歌《しゆくか》を|奏上《そうじやう》し、|目出度《めでたく》|遷宮式《せんぐうしき》は|終了《しうれう》を|告《つ》げたりける。
(大正一一・三・四 旧二・六 藤津久子録)
第二七章 |太玉松《ふとたままつ》〔四九四〕
|仰《あふ》げば|高《たか》しコーカスの、|山《やま》に|輝《かがや》く|瑞《みづ》の|宮《みや》、|甍《いらか》の|紋《もん》は|三《み》つ|巴《どもゑ》、|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》や、|金勝要《きんかつかね》の|大御神《おほみかみ》、|速須佐之男《はやすさのを》の|三柱《みはしら》の、|神《かみ》の|鎮《しづ》まる|顕国《うつしくに》、|瑞《みづ》の|宮居《みやゐ》の|御標《みしるし》か、|天地人《あめつちひと》の|三才《さんさい》を、|清《きよ》めて|照《てら》す|表徴《へうちよう》か、|三葉躑躅《みつばつつじ》と|現《あらは》れて、|久方彦《ひさかたひこ》の|雲路別《くもぢわけ》、|大歳神《おほとしがみ》と|現《あらは》れて、|瑞穂《みづほ》の|稲《いね》を|葦原《あしはら》の、|中津御国《なかつみくに》に|植《うゑ》|了《をは》せ、|太玉彦《ふとたまひこ》や|松代姫《まつよひめ》、|天《あめ》の|児屋根《こやね》や|梅ケ香姫《うめがかひめ》の|貴《うづ》の|命《みこと》や|北光《きたてる》の、|天《あめ》の|目一箇神司《まひとつかむづかさ》、|竹野《たけの》の|姫《ひめ》と|鴛鴦《ゑんあう》の、|契《ちぎり》を|結《むす》ぶ|三《み》つ|布団《ぶとん》、|三《み》つの|祝《いは》ひを|一時《いつとき》に、|三五《さんご》の|月《つき》の|御教《みをしへ》の、|神《かみ》を|祭《まつ》りし|宮《みや》の|前《まへ》、|三々九度《さんさんくど》の|杯《さかづき》も、|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|三柱《みはしら》の、|心《こころ》|尽《つく》しの|立廻《たちまは》り、いと|賑《にぎや》かに|杯《さかづき》のクルクル|廻《まは》る|神《かみ》の|前《まへ》、|目出度《めでた》かりける|次第《しだい》なり。
|太玉神《ふとたまのかみ》は|松代姫《まつよひめ》を|娶《めと》り、|天児屋根命《あめのこやねのみこと》は|梅ケ香姫《うめがかひめ》を|娶《めと》り、|天之目一箇神《あめのまひとつのかみ》は|竹野姫《たけのひめ》を|娶《めと》り、ここに|三組《みくみ》の|神前《しんぜん》|結婚式《けつこんしき》は|厳粛《げんしゆく》に|行《おこな》はれたり。|石凝姥神《いしこりどめのかみ》は|自《みづか》ら|神主《かむぬし》となつて、|天津《あまつ》|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し、|大歳神《おほとしのかみ》は|太玉串《ふとたまぐし》を|奉《たてまつ》り、|時置師神《ときおかしのかみ》は|神饌《しんせん》を|献《けん》じ、|八彦《やつひこ》は|祓戸《はらひど》を|修《しう》し、|鴨彦《かもひこ》は|後取《しどり》の|役《やく》を|勤《つと》めた。|三五《あななひ》の|教《をしへ》に|帰順《きじゆん》したる|当山《たうざん》の|家越《やつこす》、ヒツコス、|酒《クス》の|神《かみ》|達《たち》は|集《あつ》まり|来《きた》りて|此《この》|慶事《けいじ》を|祝《しゆく》したり。|石凝姥命《いしこりどめのみこと》は|神前《しんぜん》に|恭《うやうや》しく|言霊歌《ことたまうた》を|奏上《そうじやう》したり。
『|豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》  |守《まも》りの|神《かみ》と|生《あ》れませる
|金勝要《きんかつかね》の|大御神《おほみかみ》  |国治立《くにはるたち》の|大御神《おほみかみ》
|顕《うつ》し|世《よ》の|事《こと》|洩《も》れもなく  |知《し》ろし|召《め》します|須佐之男《すさのを》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|大前《おほまへ》に  |石凝姥《いしこりどめ》の|神司《かむづかさ》
|謹《つつし》み|敬《いやま》ひ|畏《かしこ》みて  |御食《みけ》|御酒《みき》|御水《みもひ》|奉《たてまつ》り
|海河山野《うみかはやまぬ》くさぐさの  |美味物《うましもの》をば|大前《おほまへ》の
|御机代《みつくゑしろ》に|足《た》らはして  |横山《よこやま》の|如《ごと》|奉《たてまつ》る
|此《この》|有様《ありさま》を|平《たひら》けく  いと|安《やす》らけく|聞《きこ》し|召《め》し
|神《かみ》の|勲《いさを》も|太玉《ふとたま》の  |命《みこと》に|娶《めあは》す|松代姫《まつよひめ》
|天之児屋根《あめのこやね》の|神司《かむづかさ》  |薫《かを》り|床《ゆか》しき|梅ケ香姫《うめがかひめ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》を|娶《めあ》はしぬ  |天《あめ》の|目一箇神司《まひとつかむづかさ》
|竹野《たけの》の|姫《ひめ》を|娶《めあ》はして  |名《な》さへ|目出度《めでた》き|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》を|四方《よも》の|国《くに》  |宣《の》べ|伝《つた》へ|行《ゆ》く|神司《かむづかさ》
|夫婦《めをと》の|契《ちぎり》|永久《とこしへ》に  |鴛鴦《をし》の|衾《ふすま》の|暖《あたた》かく
|世人《よびと》の|為《ため》に|真心《まごころ》を  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|筑紫潟《つくしがた》
|海《うみ》の|底《そこ》ひも|不知火《しらぬひ》の  |尊《たふと》き|神《かみ》の|御恵《みめぐ》みに
|千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|変《かは》りなく  |睦《むつ》び|親《した》しみ|永久《とこしへ》に
|五六七《みろく》の|世《よ》|迄《まで》も|霊幸《たまちは》ふ  |神《かみ》の|恵《めぐ》みに|玉《たま》の|緒《を》の
|命《いのち》|続《つづ》かせ|給《たま》ひつつ  |禍《わざはひ》|多《おほ》き|現《うつ》し|世《よ》を
|清《きよ》め|浄《きよ》むる|水火《しほ》となり  |此《この》|世《よ》を|開《ひら》く|花《はな》となり
|光《ひかり》となりて|村肝《むらきも》の  |世人《よびと》の|心《こころ》|照《てら》すべく
|天《あま》の|岩戸《いはと》は|永久《とこしへ》に  |開《ひら》きてあれや|香《かん》ばしく
|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》  |桃《もも》の|花《はな》にも|魁《さきがけ》て
|盛《さか》り|短《みじか》き|桜花《さくらばな》  |嵐《あらし》に|吹《ふ》かれて|散《ち》る|如《ごと》く
|果《は》かなき|夢《ゆめ》を|見《み》ざらまし  |堅磐《かきは》|常盤《ときは》の|松《まつ》|翠《みどり》
|翠《みどり》|滴《したた》る|珍《うづ》の|子《こ》を  |浜《はま》の|真砂《まさご》の|其《その》|如《ごと》く
|数《かず》|限《かぎ》りなく|地《ち》の|上《うへ》に  |産《う》みなさしめて|葦原《あしはら》の
|瑞穂《みづほ》の|国《くに》を|安国《やすくに》と  |開《ひら》かせ|玉《たま》へ|三《み》つ|巴《どもゑ》
|三《み》つ|葉《ば》|躑躅《つつじ》の|神《かみ》の|裔《すえ》  |天《あま》の|太玉《ふとたま》|玉《たま》の|緒《を》の
|命《いのち》は|永久《とは》に|長《とこ》しへに  |幾久《いくひさ》しかれ|久《ひさ》しかれ
|久方《ひさかた》の|天《そら》にます|神《かみ》|国津神《くにつかみ》  |守《まも》り|玉《たま》ふはさらなれど
|此《この》|御殿《みあらか》に|鎮《しづ》まりし  |畏《かしこ》き|三柱《みはしら》|大御神《おほみかみ》
ここに|目出度《めでた》き|三夫婦《みめをと》の  |契《ちぎり》は|尽《つ》きず|望月《もちづき》の
|家内《やぬち》は|丸《まる》く|治《をさ》まりて  |波《なみ》も|静《しづか》に|高砂《たかさご》の
|尾《を》の|上《へ》の|松《まつ》の|下蔭《したかげ》に  |尉《じやう》と|姥《うば》との|居《ゐ》ます|如《ごと》
|守《まも》らせ|玉《たま》へ|石凝姥《いしこりどめ》の  |貴《うづ》の|命《みこと》の|神司《かむづかさ》
|鵜自物《うじもの》|頸根《うなね》|突《つ》きぬきて  |称《たた》への|言葉《ことば》|了《を》へまつる』
|扨《さ》て|神前《しんぜん》に|天津神籬《あまつひもろぎ》を|立《た》て、|是《これ》を|撞《つき》の|御柱《みはしら》に|擬《なぞら》へ、|太玉命《ふとたまのみこと》は|左《ひだり》より|此《この》|御柱《みはしら》を|廻《まは》り、|松代姫《まつよひめ》は|右《みぎ》より|廻《まは》りあひて、|娶《めあひ》の|儀式《のり》を|取行《とりおこな》ひけり。|太玉命《ふとたまのみこと》は、
『|天《あめ》と|地《つち》との|神々《かみがみ》の  |教《をしへ》を|四方《よも》に|開《ひら》かむと
|霊鷲山《りやうしうざん》に|身《み》を|忍《しの》び  |黄金山《わうごんざん》や|万寿山《まんじゆざん》
|三《み》つの|神都《みやこ》に|往来《ゆきき》して  |珍《うづ》の|教《をしへ》を|開《ひら》きたる
|三葉《みつば》の|彦《ひこ》の|宣伝使《せんでんし》  |天《あめ》の|下《した》をば|遠近《をちこち》と
|神《かみ》の|教《をしへ》を|宣《の》べ|伝《つた》ふ  |広道別《ひろみちわけ》の|神司《かむづかさ》
|天《あめ》の|太玉神《ふとたまかみ》となり  |三柱神《みはしらがみ》の|御恵《みめぐ》みに
|嫁《とつ》ぎの|道《みち》に|仕《つか》へつつ  |月《つき》の|御柱《みはしら》|廻《めぐ》り|合《あ》ひ
|治《をさま》る|御代《みよ》を|松代姫《まつよひめ》  |心《こころ》の|色《いろ》は|緑《みどり》なす
|堅磐《かきは》|常盤《ときは》の|神御霊《かむみたま》  |美哉好少女《あなにやしえーをとめ》
あな|麗《うるは》しき|好少女《えーをとめ》  |神《かみ》の|依《よ》さしを|畏《かしこ》みて
|天津日《あまつひ》の|影《かげ》|西山《せいざん》に  |隠《かく》れ|玉《たま》へば|汝《な》と|我《われ》と
|美斗能麻具波比《みとのまぐはい》|長《とこ》しへに  |鴛鴦《をし》の|契《ちぎり》の|睦《むつ》びあひ
|嗚呼《ああ》|麗《うるは》しき|好少女《えーをとめ》  |嗚呼《ああ》|麗《うるは》しき|好少女《えーをとめ》』
と|歌《うた》ひつつ|神籬《ひもろぎ》を|左《ひだり》より|廻《まは》る。|松代姫《まつよひめ》は|右《みぎ》より|神籬《ひもろぎ》を|廻《まは》りながら、
『|珍《うづ》の|都《みやこ》に|生《あ》れまして  |国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》の
|御前《みまへ》に|仕《つか》へまつりたる  |桃上彦《ももがみひこ》の|珍《うづ》の|御子《みこ》
|松竹梅《まつたけうめ》の|三柱《みはしら》の  |姫《ひめ》の|命《みこと》の|我《われ》は|姉《あね》
|神《かみ》の|御為《おんため》|国《くに》の|為《ため》  |世人《よびと》の|為《ため》に|天《あめ》が|下《した》
|四方《よも》の|国々《くにぐに》|経《へ》|廻《めぐ》りて  |名《な》さへ|目出度《めでた》き|宣伝使《せんでんし》
|高砂島《たかさごじま》や|常世国《とこよくに》  |黄泉《よもつ》の|嶋《しま》に|現《あらは》れて
|桃上彦《ももがみひこ》の|瑞《みづ》の|御子《みこ》  |大神津見《おほかむづみ》と|現《あらは》れて
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|木《こ》の|花《はな》の  |珍《うづ》の|柱《はしら》と|仕《つか》へつつ
|黄金山《わうごんざん》に|参登《まゐのぼ》り  |神《かみ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて
|心《こころ》も|軽《かる》き|蓑笠《みのかさ》の  アシの|沙漠《さばく》を|横断《わうだん》し
|駱駝《らくだ》の|背《せな》に|跨《またが》りて  |歩《あゆ》みも|早《はや》きアルタイの
|山《やま》の|颪《おろし》に|吹《ふ》かれつつ  クス|野ケ原《のがはら》を|乗《の》り|越《こ》えて
|誠《まこと》を|明志《あかし》の|湖《うみ》を|越《こ》え  |黒野ケ原《くろのがはら》に|立籠《たてこも》り
|白雪《はくせつ》|積《つ》める|山《やま》の|辺《へ》に  |小《ちひ》さき|屋形《やかた》を|構《かま》へつつ
|孔雀《くじやく》の|姫《ひめ》と|改《あらた》めて  |往来《ゆきき》の|人《ひと》を|悉《ことごと》く
|出《い》づ|言霊《ことたま》に|和《なご》めつつ  |又《また》もや|此処《ここ》を|立出《たちいで》て
|松嶋《まつしま》|竹嶋《たけしま》|梅《うめ》の|嶋《しま》  |波《なみ》に|浮《うか》べる|琵琶《びは》の|湖《うみ》
|梅ケ香姫《うめがかひめ》と|諸共《もろとも》に  コーカス|山《ざん》に|立籠《たてこも》る
ウラルの|姫《ひめ》を|言向《ことむ》けて  |神《かみ》の|御国《みくに》を|開《ひら》かむと
|進《すす》み|来《きた》りし|折柄《をりから》に  |広道別《ひろみちわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|天《あめ》の|太玉神司《ふとたまかむづかさ》  |瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|御教《みをしへ》に
|服従《まつろ》へまつり|今《いま》|此処《ここ》に  |撞《つき》の|御柱《みはしら》|廻《めぐ》りあひ
|鴛鴦《をし》の|契《ちぎり》の|睦《むつ》まじく  |清《きよ》き|美《うつ》しき|顔色《かんばせ》は
あな|美《うつく》しき|好男子《えーをとこ》  あな|美《うつく》しき|好男子《えーをとこ》
|男《をのこ》の|中《なか》の|男子神《をのこがみ》  |女《をんな》の|中《なか》の|女神《をんながみ》
|夫婦《めをと》の|契《ちぎり》いや|深《ふか》く  |松《まつ》の|緑《みどり》のスクスクと
|栄《さか》え|久《ひさ》しき|神《かみ》の|代《よ》の  |大御祭《おほみまつり》に|仕《つか》へつつ
|天《あま》の|岩戸《いはと》は|長《とこ》しへに  |塞《ふさ》がであれや|何時迄《いつまで》も
|嗚呼《ああ》|好男子《えーをとこ》|好男子《えーをとこ》  |神《かみ》の|恵《めぐ》みの|露《つゆ》に|濡《ぬ》れ
|濡《ぬ》れて|楽《たの》しき|新枕《にひまくら》  |目出度《めでた》かりける|次第《しだい》なり
|嗚呼《ああ》|頼母敷《たのもし》き|我《わが》|宿世《すぐせ》  |嗚呼《ああ》|麗《うるは》しき|汝《なれ》が|顔《かほ》
|花《はな》の|蕾《つぼみ》の|何時迄《いつまで》も  |散《ち》らであれかし|常永《とことは》に
|開《ひら》き|開《ひら》いて|散《ち》るとても  |堅磐《かきは》|常盤《ときは》の|実《み》を|結《むす》べ
|天津御空《あまつみそら》の|星《ほし》の|如《ごと》  |互《たがひ》に|水火《いき》を|合《あは》せつつ
|珍《うづ》の|御子《みこ》をば|産《う》みなさむ  |珍《うづ》の|御子《みこ》をば|産《う》みなさむ
|天津神《あまつかみ》|達《たち》|国津神《くにつかみ》  |珍《うづ》の|宮居《みやゐ》に|現《あ》れませる
|吾《あが》|三柱《みはしら》の|大御神《おほみかみ》  |夫婦《めをと》の|契《ちぎり》|何時迄《いつまで》も
|厚《あつ》く|守《まも》らせ|玉《たま》へかし  |深《ふか》く|恵《めぐ》ませ|玉《たま》へかし』
と|歌《うた》つて|結婚《けつこん》の|式《しき》は|無事《ぶじ》に|終《をは》りける。
(大正一一・三・四 旧二・六 岩田久太郎録)
第二八章 |二夫婦《ふたふうふ》〔四九五〕
|天之児屋根命《あめのこやねのみこと》は|神籬《ひもろぎ》を|左《ひだり》より|廻《めぐ》り|合《あ》ひ、|結婚式《けつこんしき》の|歌《うた》を|歌《うた》ひ|始《はじ》むる。
『|仰《あふ》げば|高《たか》し|久方《ひさかた》の  |青雲《あをくも》|別《わ》けて|三《み》つ|星《ぼし》の
|御魂《みたま》|幸《さちは》ふ|霊鷲《りやうしう》の  |山《やま》に|現《あら》はれ|大稜威《おほみいづ》
|高彦神《たかひこがみ》と|現《あら》はれて  |黄金山《わうごんざん》に|現《あ》れませる
|埴安彦《はにやすひこ》の|開《ひら》かれし  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|四方《よも》の|国民《くにたみ》|救《すく》はむと  |駱駝《らくだ》の|背《せな》に|跨《またが》りて
アシの|沙漠《さばく》を|打渡《うちわた》り  |広《ひろ》き|河瀬《かはせ》を|横《よこ》ぎりて
|雪《ゆき》|踏《ふ》みさくみ|霜《しも》を|浴《あ》び  |雨《あめ》に|風《かぜ》にと|曝《さら》されて
|噂《うはさ》に|高《たか》きアーメニヤ  |曲《まが》の|猛《たけ》びを|鎮《しづ》めむと
|心《こころ》の|駒《こま》に|鞭撻《むちう》ちて  |道《みち》もいそいそ|膝栗毛《ひざくりげ》
|雪《ゆき》は|真白《ましろ》に|積《つも》り|居《ゐ》て  |表《おもて》は|清《きよ》き|銀世界《ぎんせかい》
|中《なか》に|包《つつ》まる|曲津見《まがつみ》の  ウラルの|彦《ひこ》やウラル|姫《ひめ》
コーカス|山《ざん》に|立籠《たてこも》り  |心《こころ》も|猛《たけ》く|荒鉄《あらがね》の
|地《つち》を|護《まも》れる|三柱《みはしら》の  |神《かみ》の|宮居《みやゐ》を|太知《ふとし》りて
|此《この》|世《よ》を|詐《いつは》る|曲業《まがわざ》を  |厳《いづ》と|瑞《みづ》との|言霊《ことたま》に
|向《むけ》|和《やは》さむと|来《きた》るうち  ウラルの|彦《ひこ》の|目付役《めつけやく》
|雲霞《うんか》の|如《ごと》く|出《い》で|来《きた》り  |有無《うむ》を|言《い》はせず|山腹《さんぷく》の
|七《なな》つの|岩窟《いはや》に|投《な》げ|込《こ》まれ  |心《こころ》を|千々《ちぢ》に|砕《くだ》きつつ
|案《あん》じ|煩《わづら》ふ|折柄《をりから》に  |眠《ねむり》の|神《かみ》に|襲《おそ》はれて
|暗《くら》き|千尋《ちひろ》の|底《そこ》|深《ふか》く  |水《みづ》を|湛《たた》へし|岩底《いはそこ》に
|落《お》ちて|凍《こご》ゆる|折柄《をりから》に  かすかに|響《ひび》く|言霊《ことたま》の
|光《ひか》りに|漸《やうや》う|力《ちから》|附《づ》き  |眼《まなこ》を|開《ひら》き|眺《なが》むれば
|我《わが》|目《め》の|上《うへ》に【なよ】|竹《だけ》の  |雪《ゆき》にたはみし|如《ごと》くなる
|手弱女《たをやめ》|姿《すがた》の|竹野姫《たけのひめ》  |詔《の》る|言霊《ことたま》に|勇《いさ》み|立《た》ち
|力《ちから》の|限《かぎ》り|岩壁《がんぺき》を  |伝《つた》ひて|漸《やうや》く|姫《ひめ》の|前《まへ》
|来《きた》る|折《を》りしも|傍《かたはら》の  |岩壁《がんぺき》|砕《くだ》く|物音《ものおと》に
|驚《おどろ》き|見詰《みつ》むる|間《ま》もあらず  |天《あま》の|頭槌《くぶつち》|打振《うちふる》ひ
|岩《いは》の|戸割《とわ》りて|出《い》で|来《きた》る  |天《あめ》の|目一箇神司《まひとつかむづかさ》
|此処《ここ》に|三人《みたり》は|巡《めぐ》り|会《あ》ひ  |宿世《すぐせ》を|語《かた》る|折柄《をりから》に
|表《おもて》に|聞《きこ》ゆる|足音《あしおと》は  |救《すく》ひの|神《かみ》か|曲神《まがかみ》か
|様子《やうす》|如何《いか》にと|聞《き》き|居《を》れば  |忽《たちま》ち|開《ひら》く|岩戸口《いはとぐち》
|立出《たちい》で|見《み》ればこは|如何《いか》に  |開《ひら》く|時世《ときよ》を|松代姫《まつよひめ》
|薫《かを》りゆかしき|梅ケ香姫《うめがかひめ》の  |貴命《うづのみこと》の|宣伝使《せんでんし》
|石凝姥《いしこりどめ》や|時置師《ときおかし》  |八彦《やつひこ》|鴨彦《かもひこ》|諸共《もろとも》に
|廻《めぐ》り|会《あ》うたる|優曇華《うどんげ》の  |花《はな》|咲《さ》く|春《はる》の|嬉《うれ》しさよ
|心《こころ》も|勇《いさ》み|身《み》も|勇《いさ》み  |珍《うづ》の|宮居《みやゐ》に|来《き》て|見《み》れば
ウラルの|姫《ひめ》やヤツコスの  |神《かみ》に|従《したが》ふビツコスや
|数多《あまた》のクスの|神《かみ》|迄《まで》が  |宴会《うたげ》の|莚《むしろ》|賑《にぎは》しく
|列《れつ》を|乱《みだ》して|舞《ま》ひ|狂《くる》ふ  |時《とき》しもあれや|松代姫《まつよひめ》
|二人《ふたり》の|姉妹《おとどひ》|始《はじ》めとし  |天《あま》の|数歌《かずうた》|歌《うた》ひつつ
|声《こゑ》も|涼《すず》しき|宣伝歌《せんでんか》  |詔《の》らせ|給《たま》へば|曲神《まがかみ》は
|霊《たま》に|打《う》たれて|雲《くも》|霞《かすみ》  |逃《に》げ|行《ゆ》く|後《あと》は|春《はる》の|日《ひ》の
|花《はな》|咲《さ》く|如《ごと》き|心地《ここち》して  |茲《ここ》に|三柱《みはしら》|大御神《おほみかみ》
|祝《ことほ》ぎ|奉《まつ》れる|折柄《をりから》に  |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の
|大御言《おほみこと》もて|高彦《たかひこ》は  |梅ケ香姫《うめがかひめ》と|末《すゑ》|永《なが》く
|縁《えん》を|結《むす》びの|神《かみ》の|前《まへ》  |左《ひだ》り|右《みぎ》りの|順序《ついで》をば
|正《ただ》しく|巡《めぐ》り|来《き》て|見《み》れば  |互《たがひ》に|合《あは》す|顔《かほ》と|顔《かほ》
|神《かみ》か|人《ひと》かは|白梅《しらうめ》の  |薫《かを》り|目出度《めでた》き|姫《ひめ》の|前《まへ》
|嗚呼《ああ》|美《うつく》しきエー|少女《をとめ》  |嗚呼《ああ》|美《うる》はしきエー|少女《をとめ》
|男《を》と|女《め》の|仲《なか》は|千代《ちよ》|八千代《やちよ》  |天《あめ》と|地《つち》との|睦《むつび》|合《あ》ひ
|表《おもて》と|裏《うら》との|水火《いき》|合《あは》せ  |神《かみ》の|鎮《しづ》まる|肉《にく》の|宮《みや》
|貴《うづ》の|御子《みこ》をばさわさわに  |湯津玉《ゆつたま》|椿《つばき》|繁《しげ》る|如《ごと》
|生《う》み|足《たら》はして|天地《あめつち》の  |大百姓《おほみたから》を|生《う》みなさむ
|嗚呼《ああ》エー|少女《をとめ》エー|少女《をとめ》  |嗚呼《ああ》|美《うつく》しき|汝《なれ》が|顔《かほ》
|嗚呼《ああ》|美《うつく》しき|汝《なれ》が|胸《むね》  |若《わか》やぐ|胸《むね》を|素手《すだ》|抱《だ》きて
|手抱《ただき》|拱《まながり》|真玉手《またまで》の  |玉手《たまで》|差纒《さしま》き|股長《ももなが》に
|抱《いだ》きて|寝《い》ねん|豊《とよ》の|御酒《みき》  うまらに|委曲《つばら》に|聞《きこ》し|召《め》せ
|嗚呼《ああ》|美《うる》はしき|神《かみ》の|道《みち》  |嗚呼《ああ》|美《うる》はしき|神《かみ》の|御子《みこ》
|阿那爾夜志愛少女《あなにやしえーをとめ》』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|又《また》もや|右《みぎ》より、|撞《つき》の|御柱《みはしら》に|傚《なぞら》へたる|神籬《ひもろぎ》を|廻《まは》り|始《はじ》め、|歌《うた》ひ|出《だ》したり。
『|仰《あふ》げば|高《たか》し|久方《ひさかた》の  |高天原《たかあまはら》の|天使長《てんしちやう》
|桃上彦《ももがみひこ》の|神司《かむづかさ》  |末《すゑ》の|娘《むすめ》と|生《あ》れましし
|妾《わらは》は|梅ケ香姫《うめがかひめ》の|神《かみ》  |過《すぎ》つる|春《はる》の|上三日《かみみつか》
|年《とし》は|二八《にはち》の|月《つき》の|顔《かほ》  |花《はな》の|姿《すがた》を|雨風《あめかぜ》に
|曝《さら》しつ|出《いだ》し|姉妹《おとどひ》の  |松竹梅《まつたけうめ》の|旅衣《たびごろも》
|聖地《せいち》を|後《あと》に|立《た》ち|出《い》でて  エデンの|河《かは》を|渡《わた》らむと
する|時《とき》|醜《しこ》の|里人《さとびと》に  |悩《なや》まされつつある|折《をり》に
|月照彦《つきてるひこ》の|神霊魂《かむみたま》  |名《な》も|照彦《てるひこ》と|現《あら》はれて
|松竹梅《まつたけうめ》の|姉妹《おとどひ》を  |父《ちち》のまします|珍《うづ》の|国《くに》
|珍《うづ》の|都《みやこ》へ|送《おく》りまし  |親子《おやこ》|夫婦《めをと》は|優曇華《うどんげ》の
|花《はな》|咲《さ》く|春《はる》の|喜《よろこ》びに  |七日七夜《なぬかななよ》を|暮《くら》しつつ
|又《また》もや|親子《おやこ》の|生別《いきわか》れ  |高砂島《たかさごじま》を|遠近《をちこち》と
|教《をし》へ|伝《つた》ふる|折柄《をりから》に  ハザマの|森《もり》に|差《さし》かかり
|途方《とはう》に|暮《く》るる|折柄《をりから》に  |心《こころ》|目出《めで》たき|春山《はるやま》の
|彦《ひこ》の|命《みこと》に|助《たす》けられ  |茲《ここ》に|姉妹《おとどひ》|三人《さんにん》は
|端《はし》なく|巡《めぐ》り|相生《あひおひ》の  |松代《まつよ》の|姫《ひめ》や|竹野姫《たけのひめ》
|鬼武彦《おにたけひこ》に|救《すく》はれて  |茲《ここ》に|目出度《めでた》く|目《め》の|国《くに》を
|越《こ》えて|黄泉《よもつ》の|島《しま》に|着《つ》き  |黄泉戦《よもついくさ》の|戦《たたか》ひに
|大神津見《おほかむづみ》と|現《あら》はれし  |桃《もも》の|三人《みたり》の|末《すゑ》の|子《こ》の
|吾《あ》れは|梅ケ香姫《うめがかひめ》の|神《かみ》  |金勝要《きんかつかね》の|大神《おほかみ》の
|依《よ》さしの|儘《まま》に|今日《けふ》の|日《ひ》に  |撞《つき》の|御柱《みはしら》|巡《めぐ》りつつ
|喜《よろこ》び|勇《いさ》み|来《き》て|見《み》れば  |誉《ほまれ》も|高《たか》き|高彦《たかひこ》の
|天《あめ》の|児屋根《こやね》の|神司《かむづかさ》  |天津《あまつ》|祝詞《のりと》の|太祝詞《ふとのりと》
|詔《の》らせ|玉《たま》へる|言《こと》の|葉《は》は  |天津国土《あまつくにつち》|揺《ゆる》ぐごと
|轟《とどろ》き|渡《わた》る|大稜威《おほみいづ》  |雄々《をを》しき|聖《きよ》き|神《かみ》の|御子《みこ》
|嗚呼《ああ》エー|男《をとこ》エー|男《をとこ》  |嗚呼《ああ》|美《うる》はしき|珍《うづ》の|御子《みこ》
|神《かみ》の|命《みこと》を|畏《かしこ》みて  |幾《いく》|久《ひさ》しくも|限《かぎ》りなく
|真玉手《またまで》|玉手《たまで》|取交《とりかは》し  |夫婦《めをと》のちぎり|心安《うらやす》の
|心安国《うらやすくに》と|鳴《な》り|響《ひび》く  |汝《な》が|言霊《ことたま》に|百草《ももぐさ》も
|靡《なび》き|伏《ふ》すらむ|鴛鴦衾《おしふすま》  |男《を》と|女《め》の|水火《いき》の|末《すゑ》|永《なが》く
|変《かは》らせ|給《たま》ふ|事《こと》なかれ  |神《かみ》を|力《ちから》に|真心《まごころ》を
|杖《つゑ》や|柱《はしら》と|頼《たの》みつつ  |神《かみ》|生《う》み|島《しま》|生《う》み|人《ひと》|生《う》みの
|大神業《おほかむわざ》に|仕《つか》ふべし  |貴《うづ》の|御業《みわざ》に|仕《つか》ふべし
|嗚呼《ああ》|美《うる》はしき|愛男子《えーをのこ》  |嗚呼《ああ》|美《うる》はしき|愛女《えーをみな》
|花《はな》と|月《つき》との|夫婦連《めをとづれ》  |花《はな》は|散《ち》らざれ|幾千代《いくちよ》も
|月《つき》は|円《まる》かれ|何時迄《いつまで》も  |花月《はなつき》(|鼻《はな》|突《つ》き)|飯《めし》の|面白《おもしろ》く
|神《かみ》の|随意々々《まにまに》|栄《さか》えかし  |神《かみ》のまにまに|栄《さか》えかし』
と|繰返《くりかへ》し|繰返《くりかへ》し|歌《うた》ひ|終《をは》つて、|首尾《しゆび》|好《よ》く|結婚《けつこん》の|式《しき》を|終了《しうれう》しける。
|天之目一箇神《あめのまひとつのかみ》は|撞《つき》の|三柱《みはしら》を|中《なか》に|置《お》き、|竹野姫《たけのひめ》と|結婚《けつこん》の|式《しき》を|挙《あ》ぐ|可《べ》く、|二人《ふたり》は|左右《さいう》より|廻《めぐ》り|会《あ》ひぬ。|天之目一箇神《あめのまひとつのかみ》の|歌《うた》、
『|霊鷲山《りやうしうざん》に|生《あ》れませる  |神《かみ》の|教《をしへ》を|白雲《しらくも》の
|降居向伏《をりゐむかふ》す|其《その》きはみ  |白雲別《しらくもわけ》と|現《あら》はれて
|三大教《さんだいけう》を|開《ひら》かむと  |神《かみ》の|造《つく》りし|宣伝歌《せんでんか》
|歌《うた》ひて|来《きた》る|折柄《をりから》に  エデンの|川《かは》の|岸《きし》の|辺《べ》に
|五大教《ごだいけう》なる|宣伝使《せんでんし》  |石凝神《いしこりがみ》に|巡《めぐ》り|会《あ》ひ
|経《たて》と|緯《よこ》との|御教《みをしへ》を  |錦《にしき》の|機《はた》に|織《お》り|成《な》して
|水《みづ》も|漏《も》らさぬ|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》と|改《あらた》めつ
|言霊《ことたま》|詔《の》れる|折柄《をりから》に  |群《むら》がる|人《ひと》の|中《なか》よりも
|猛《たけ》しき|神《かみ》の|現《あら》はれて  |竹切《たけぎ》れ|持《も》ちて|我《わが》|眼《まなこ》
|骨《ほね》も|徹《とほ》れと|突《つ》きにける  |一《ひと》つの|眼《まなこ》を|失《うしな》ひし
|我《わが》|身《み》の|幸《さち》を|嬉《うれ》しみて  |天《あめ》と|地《つち》とに|仰《あふ》ぎ|伏《ふ》し
|恵《めぐ》みを|称《たた》ふ|折柄《をりから》に  またもや|来《きた》る|次《つぎ》の|矢《や》を
|待《ま》つ|間《ま》|程《ほど》なく|東彦《あづまひこ》  |神《かみ》の|命《みこと》に|救《すく》はれて
|後《あと》に|残《のこ》りし|一《ひと》つ|目《め》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の  |依《よ》さしの|儘《まま》にアルプスの
|珍《うづ》の|鋼鉄《くろがね》|掘出《ほりだ》して  |両刃《もろは》の|剣《つるぎ》|打《う》ち|鍛《きた》へ
|国《くに》の|護《まも》りの|神実《かむざね》と  |仕《つか》へ|奉《まつ》りし|今日《けふ》の|春《はる》
|漸《やうや》く|心《こころ》|落着《おちつ》きて  |又《また》もや|神《かみ》の|御仰《おんあふ》せ
|銅《あかがね》|鋼鉄《まがね》アルプスの  |山《やま》に|出《い》でむとする|時《とき》に
|金勝要《きんかつかね》の|大神《おほかみ》の  |縁《えにし》の|糸《いと》に|結《むす》ばれて
|思《おも》ひも|掛《か》けぬ|妹《いも》と|背《せ》の  |契《ちぎり》|嬉《うれ》しき|神籬《ひもろぎ》を
|左《ひだ》り|右《みぎ》りを|過《あやま》たず  |巡《めぐ》り|来《きた》りて|今《いま》|此処《ここ》に
|人《ひと》に|勝《すぐ》れて|矗々《すくすく》と  |背長《せたけ》|延《の》びたる|竹野姫《たけのひめ》
|醜《しこ》の|魔風《まかぜ》をサラサラと  さばくに|敏《さと》き|宣伝使《せんでんし》
|露《つゆ》の|滴《したた》る|眥《まなじり》や  |花《はな》の|唇《くちびる》|月《つき》の|眉《まゆ》
|嗚呼《ああ》エー|女《をみな》エー|女《をみな》  かかる|女《をみな》と|末《すゑ》|永《なが》く
|契《ちぎ》る|八千代《やちよ》の|玉椿《たまつばき》  |貴《うづ》の|剣《つるぎ》を|鍛《きた》ふごと
|身魂《みたま》を|鍛《きた》へ|磨《みが》き|上《あ》げ  |百世《ももよ》も|千代《ちよ》も|限《かぎ》りなく
|水火《いき》と|水火《いき》とを|合《あは》せつつ  |天津御神《あまつみかみ》や|国津神《くにつかみ》
|神《かみ》の|依《よ》さしの|神業《かむわざ》に  |仕《つか》ふる|身《み》こそ|楽《たの》しけれ
|仕《つか》ふる|身《み》こそ|楽《たの》しけれ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》り、|竹野姫《たけのひめ》は|神籬《ひもろぎ》を|右《みぎ》より|廻《まは》りながら、
『|桃上彦《ももがみひこ》の|珍《うづ》の|御子《みこ》  |松竹梅《まつたけうめ》の|三《み》つ|栗《ぐり》の
|中《なか》に|生《うま》れし|竹野姫《たけのひめ》  |父《ちち》の|行衛《ゆくゑ》を|尋《たづ》ねつつ
|松《まつ》と|梅《うめ》とに|誘《いざな》はれ  ヨルの|湊《みなと》を|船出《ふなで》して
|朝日《あさひ》も|智利《てる》の|国《くに》を|越《こ》え  |大蛇《をろち》の|船《ふね》に|乗《の》せられて
|珍《うづ》の|都《みやこ》の|父《ちち》の|前《まへ》  |思《おも》ひ|掛《が》けなき|母神《ははがみ》の
|五月《さつき》の|姫《ひめ》に|巡《めぐ》り|会《あ》ひ  |親子《おやこ》|五人《ごにん》は|相見《あひみ》ての
|言葉《ことば》も|籠《こも》る|鴛鴦《をしどり》の  |妹背《いもせ》の|契《ちぎり》|親《おや》と|子《こ》の
|逢《あ》ふ|瀬《せ》を|茲《ここ》に|楽《たの》しみつ  |又《また》もや|此《この》|家《や》を|伊都能売《いづのめ》の
|御祖《みおや》を|後《あと》に|三柱《みはしら》は  |館《やかた》を|出《い》でて|遥々《はるばる》と
|歩《あゆ》みも|軽《かる》きカルの|原《はら》  ハザマの|国《くに》や|目《め》の|国《くに》を
|越《こ》えて|荒浪《あらなみ》|打渡《うちわた》り  |日《ひ》の|出神《でのかみ》や|木《こ》の|花姫《はなひめ》の
|依《よ》さしの|儘《まま》に|黄泉島《よもつじま》  |桃《もも》の|実魂《みたま》と|現《あら》はれて
|大神津見《おほかむづみ》と|称《たた》へられ  |黄金山《わうごんざん》を|後《あと》に|見《み》て
|又《また》もや|進《すす》む|宣伝使《せんでんし》  |鬼《おに》や|大蛇《をろち》や|曲津見《まがつみ》の
|出《いづ》るを|幸《さいは》ひ|言向《ことむ》けつ  |心《こころ》の|色《いろ》は|紅葉《もみぢば》の
|明志《あかし》の|湖《うみ》を|打渡《うちわた》り  |雪《ゆき》は|積《つ》めども|黒野原《くろのはら》
|言霊《ことたま》|響《ひび》く|琵琶《びは》の|湖《うみ》  |松竹梅《まつたけうめ》の|三《み》つの|島《しま》
|我《わが》|姉妹《おとどひ》と|振返《ふりかへ》り  |見返《みかへ》りながら|寒風《さむかぜ》に
|吹《ふ》かれて|漸《やうや》うコーカスの  |雪《ゆき》の|山路《やまぢ》にかかる|時《とき》
|顔色《かほいろ》|黒《くろ》き|牛雲《うしくも》の  |捕手《とりて》の|群《むれ》に|取巻《とりま》かれ
|岩窟《いはや》の|中《なか》に|入《い》れられて  |出《で》るに|出《で》られぬ|籠《かご》の|鳥《とり》
|時世時節《ときよじせつ》を|待《ま》つ|間《うち》に  |思《おも》ひも|掛《か》けぬ|姉妹《おとどひ》や
|石凝姥《いしこりどめ》の|宣伝使《せんでんし》  |力《ちから》の|強《つよ》い|時《とき》さまを
|連《つ》れて|此《この》|場《ば》に|進《すす》み|来《く》る  |天《あま》の|岩戸《いはと》に|潜《ひそ》みたる
|竹野《たけの》の|姫《ひめ》は|忽《たちま》ちに  |此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|北光《きたてる》の
|眼《まなこ》|一《ひと》つの|神様《かみさま》と  |今《いま》|一柱《ひとはしら》|三柱《みはしら》の
|皇大神《すめおほかみ》を|祭《まつ》りたる  コーカス|山《ざん》の|山《やま》の|尾《を》の
|顕《うつ》しき|国《くに》の|宮《みや》の|前《まへ》  ウラルの|姫《ひめ》の|曲事《まがごと》を
|伊吹《いぶき》|払《はら》ひて|言霊《ことたま》の  |息吹《いぶ》き|放《はな》てば|雲霧《くもきり》と
なりて|逃《に》げ|行《ゆ》く|可笑《をかし》さよ  |胸《むね》の|思《おも》ひも|晴《は》れ|渡《わた》り
|此処《ここ》に|三柱大神《みはしらおほかみ》の  |御霊《みたま》を|仕《つか》へ|奉《まつ》る|時《とき》
|珍《うづ》の|神実《かむざね》|造《つく》りたる  |両刃《もろは》の|剣《つるぎ》|夜昼《よるひる》に
|鍛《きた》へに|鍛《きた》へし|北光《きたてる》の  |目一箇神《まひとつがみ》の|功績《いさをし》に
|心《こころ》の|空《そら》は|何《なん》となく  |三千年《さんぜんねん》の|桃《もも》の|花《はな》
|一度《いちど》に|開《ひら》きし|思《おも》ひして  かかる|目出《めで》たき|彦神《ひこがみ》を
|一目《ひとめ》|見《み》たやと|思《おも》ふ|内《うち》  |一目《ひとめ》の|神《かみ》は|現《あら》はれぬ
|是《こ》れぞ|名《な》に|負《お》ふ|北光《きたてる》の  |神《かみ》の|命《みこと》と|聞《き》きし|時《とき》
|一目《ひとめ》|見《み》るより|村肝《むらきも》の  かかる|男神《をがみ》と|末《すゑ》|永《なが》く
|契《ちぎり》を|結《むす》ぶ|身《み》とならば  たとへ|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》
|魔神《まがみ》の|猛《たけ》ぶ|唐野尾《からのを》も  |何《なに》の|物《もの》かはクス|野原《のはら》
|現《あら》はれ|出《い》でし|一《ひと》つ|目《め》の  |大化物《おほばけもの》の|姿《すがた》より
|千重《ちへ》も|八千重《やちへ》も|勝《まさ》りたる  |姿《すがた》|優《すぐ》れし|男振《をことぶ》り
|仮令《たとへ》|眼《まなこ》は|一《ひと》つでも  |人目《ひとめ》に|触《ふ》れぬ|霊《たま》の|目《め》の
|数多《あまた》|保《たも》たせ|給《たま》ふなる  |鍛《きた》へに|鍛《きた》へし|北光《きたてる》の
|剣《つるぎ》の|御魂《みたま》や|都牟刈《つむがり》の  |四方《よも》の|醜草《しこくさ》|薙《な》ぎ|払《はら》ふ
|神《かみ》の|姿《すがた》ぞ|雄々《をを》しけれ  |嗚呼《ああ》エー|男子《をのこ》エー|男《をのこ》
|眺《なが》めも|尽《つ》きじ|醜人《しこびと》は  |竹野《たけの》の|姫《ひめ》の|竹《たけ》の|先《さき》
グサリと|突《つ》いた|目《め》の|光《ひか》り  |光《ひか》り|輝《かがや》き|北光彦《きたてるひこ》の
|竹野《たけの》の|姫《ひめ》が|附添《つきそ》うて  |汝《なれ》が|命《みこと》の|神業《かむわざ》を
|側目《わきめ》も|振《ふ》らず|助《たす》くべし  |目出《めで》た|目出《めで》たの|一《ひと》つ|目《め》の
|北光彦《きたてるひこ》の|神司《かむづかさ》  |天《あめ》の|目一箇神《まひとつかみ》|様《さま》に
|竹野《たけの》の|姫《ひめ》の|起臥《おきふ》しに  |汝《な》が|身《み》の|妻《つま》と|成《な》り|鳴《な》りて
|心《こころ》の|竹《たけ》の|有丈《ありだけ》を  |君《きみ》の|御前《みまへ》に|捧《ささ》ぐべし
|嗚呼《ああ》エー|男子《をのこ》エー|男子《をのこ》  |嗚呼《ああ》エー|女《をみな》エー|女《をみな》
|男女《をのこをみな》の|睦《むつ》び|合《あ》ひ  |竹野林《たけのはやし》の|何時迄《いつまで》も
|栄《さか》え|目出度《めでた》き|松《まつ》の|御代《みよ》  |五六七《みろく》の|代《よ》|迄《まで》も|変《かは》らざれ
|五六七《みろく》の|代《よ》|迄《まで》も|変《かは》らざれ』
と|歌《うた》ひ|納《をさ》め、|三組《みくみ》の|結婚式《けつこんしき》は|目出度《めでた》く|終結《しうけつ》を|告《つ》げける。|後《あと》は|酒宴《しゆえん》に|移《うつ》り、|陪席《ばいせき》の|神々《かみがみ》は|面白《おもしろ》き|歌《うた》を|詠《よ》み、|此《この》|結婚《けつこん》を|賑《にぎは》しにける。
(大正一一・三・四 旧二・六 谷村真友録)
第二九章 |千秋楽《せんしうらく》〔四九六〕
|顕国玉《うつしくにたま》の|宮《みや》の|祭典《さいてん》は、|恙《つつが》なく|神霊《しんれい》|鎮座《ちんざ》せられ、|次《つい》で|男女《だんぢよ》|三組《みくみ》の|結婚式《けつこんしき》は|行《おこな》はれた。|石凝姥神《いしこりどめのかみ》は|此《この》|祭典《さいてん》|慶事《けいじ》を|祝《しゆく》すべく|立《た》つて|歌《うた》ひ|始《はじ》めたり。
|石凝姥神《いしこりどめのかみ》『|東雲《しののめ》の|空《そら》|別《わけ》|昇《のぼ》る|朝日子《あさひこ》の  |光《ひかり》|眩《まば》ゆき|神《かみ》の|道《みち》
|西《にし》|北《きた》|南《みなみ》|東彦《あづまひこ》  |石凝姥《いしこりどめ》の|宣伝使《せんでんし》
|黄金山《わうごんざん》を|立出《たちい》でて  |栗毛《くりげ》の|駒《こま》にウチの|河《かは》
|鞭《むちう》ち|渡《わた》る|膝栗毛《ひざくりげ》  クス|野ケ原《のがはら》や|明志湖《あかしうみ》
|雪《ゆき》|積《つ》む|野辺《のべ》を|踏《ふ》みさくみ  |言霊《ことたま》|清《きよ》き|琵琶《びは》の|湖《うみ》
|渡《わた》りて|此処《ここ》に|梅ケ香《うめがか》の  |姫《ひめ》の|命《みこと》や|説明可笑《ときをかし》
|神《かみ》の|命《みこと》と|諸共《もろとも》に  |雲《くも》に|抜《ぬ》き|出《で》たコーカスの
|山《やま》の|砦《とりで》に|来《き》て|見《み》れば  |大気津姫《おほげつひめ》と|現《あ》れませる
|喰物《をしもの》|着物《きもの》|住《す》む|家《いへ》に  |奢《おご》り|極《きは》めし|此《この》|深山《みやま》
ウラルの|姫《ひめ》に|服従《まつろ》ひし  |百《もも》の|八王《やつこす》ヒツコスや
|酒《くす》の|神《かみ》まで|寄《よ》り|集《つど》ひ  |顕《うつし》の|国《くに》の|宮《みや》の|前《まへ》
|三柱神《みはしらがみ》を|斎《いは》ひつつ  |饗宴《うたげ》の|酒《さけ》に|酔痴《ゑひし》れて
|節《ふし》も|乱《みだ》れし|酒歌《さかうた》を  |唄《うた》ひ|狂《くる》へる|折柄《をりから》に
|松竹梅《まつたけうめ》の|宣伝使《せんでんし》  |天之児屋根《あめのこやね》や|太玉《ふとたま》の
|神《かみ》の|命《みこと》を|始《はじ》めとし  |月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》や|目一箇《まひとつ》の
|神《かみ》|諸共《もろとも》に|宮《みや》の|前《まへ》  |来《きた》りて|詔《の》れる|言霊《ことたま》に
ウラルの|姫《ひめ》は|雲《くも》|霞《かすみ》  |後《あと》を|暗《くら》ましアーメニヤ
|大空《おほぞら》|高《たか》く|逃《に》げて|行《ゆ》く  |此処《ここ》に|再《ふたた》び|大宮《おほみや》の
|庭《には》を|清《きよ》めて|厳《おごそ》かに  |三柱神《みはしらがみ》の|祭典《まつりごと》
|仕《つか》へ|奉《まつ》りて|太祝詞《ふとのりと》  |称《たた》へ|奉《まつ》りて|頼母《たのも》しく
|直会《なほらひ》|神酒《みき》に|村肝《むらきも》の  |心《こころ》を|洗《あら》ひ|清《きよ》めつつ
|歓《よろこ》び|尽《つく》す|折柄《をりから》に  |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の
|許《ゆる》しの|儘《まま》に|松竹《まつたけ》の  |姫《ひめ》の|命《みこと》の|御慶事《おんけいじ》
|天之児屋根《あめのこやね》や|太玉《ふとたま》や  |天之目一箇神司《あめのまひとつかむづかさ》
|永遠《とは》に|結《むす》びし|妹《いも》と|背《せ》の  |珍《うづ》の|御儀式《みのり》ぞ|畏《かしこ》けれ
アヽ|三夫婦《みめをと》の|神《かみ》|達《たち》よ  |神《かみ》の|恵《めぐ》みをコーカスの
|山《やま》より|高《たか》く|琵琶《びは》|明志《あかし》  |湖《うみ》の|底《そこ》より|猶《なほ》|深《ふか》く
|授《さづ》かりまして|幾千代《いくちよ》も  |色《いろ》は|褪《あ》せざれ|万代《よろづよ》も
|色《いろ》はさめざれ|押並《おしな》べて  |五六七《みろく》の|御代《みよ》の|楽《たの》しさを
|三夫婦《みめをと》|共《とも》に|松代姫《まつよひめ》  |心《こころ》も|開《ひら》く|梅ケ香《うめがか》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》や|世《よ》に|猛《たけ》き  |曲《まが》|言向《ことむ》けし|竹野姫《たけのひめ》
|北光神《きたてるかみ》や|高彦《たかひこ》の  |神《かみ》の|御稜威《みいづ》を|天《あめ》が|下《した》
|四方《よも》に|広道別《ひろみちわけ》の|神《かみ》  |此《この》|世《よ》を|包《つつ》む|烏羽玉《うばたま》の
|雲霧《くもきり》|四方《よも》に|掻分《かきわ》けて  |神《かみ》の|教《をしへ》を|中津国《なかつくに》
|海《うみ》の|内外《うちと》に|弘《ひろ》めかし  |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|須弥仙山《しゆみせんざん》に|腰《こし》を|掛《か》け  |此《この》|世《よ》を|守《まも》り|給《たま》ふごと
|心《こころ》の|駒《こま》の|手綱《たづな》|執《と》り  |神《かみ》の|御教《みのり》を|過《あやま》たず
|安《やす》の|河原《かはら》の|永久《とこしへ》に  |流《なが》れて|清《きよ》き|玉《たま》の|湖《うみ》
|海《うみ》より|深《ふか》き|父母《たらちね》の  |恵《めぐ》みに|勝《まさ》る|神《かみ》の|恩《おん》
|山《やま》より|高《たか》き|神《かみ》の|稜威《いづ》  コーカス|山《ざん》はまだ|愚《おろか》
|天教《てんけう》|地教《ちけう》の|山《やま》よりも  |功績《いさを》を|高《たか》く|現《あら》はして
|神《かみ》の|御国《みくに》の|太柱《ふとばしら》  |千木高知《ちぎたかし》りて|仕《つか》へませ
|日《ひ》は|照《て》る|光《ひか》る|月《つき》は|盈《み》つ  みづの|身魂《みたま》の|三巴《みつどもゑ》
|甍《いらか》も|清《きよ》く|照《て》る|如《ごと》く  |遠《とほ》き|近《ちか》きの|国原《くにばら》を
|救《すく》うて|通《とほ》れ|汝《な》が|命《みこと》  |我《わ》れは|石凝姥《いしこりどめ》の|神《かみ》
|堅磐《かきは》|常盤《ときは》に|村肝《むらきも》の  |心《こころ》|固《かた》めて|皇神《すめかみ》の
|御稜威《みいづ》を|広《ひろ》く|増鏡《ますかがみ》  |鏡《かがみ》の|面《おも》を|見《み》はるかし
|三人夫婦《みたりめをと》の|行末《ゆくすゑ》を  |守《まも》らせ|給《たま》へ|百《もも》の|神《かみ》
|心《こころ》|尽《つく》しの|有丈《ありたけ》を  |傾《かたむ》け|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る
|百代《ももよ》も|千代《ちよ》も|万代《よろづよ》も  |松《まつ》の|操《みさを》の|色《いろ》|褪《あ》せず
|枯《か》れて|松葉《まつば》の|二人連《ふたりづれ》  |力《ちから》をあはせ|村肝《むらきも》の
|心《こころ》を|神《かみ》に|任《まか》せつつ  |仮令《たとへ》|山川《やまかは》どよむとも
|天津《あまつ》|国土《くにつち》|揺《ゆら》ぐとも  |青山《あをやま》|萎《しを》れ|海河《うみかは》は
|涸《か》れ|干《ほ》す|事《こと》のあるとても  |永遠《とは》に|変《かは》るな|妹《いも》と|脊《せ》の
|産霊《むすび》の|道《みち》の|何時《いつ》までも  |鴛鴦《をし》の|契《ちぎり》の|何処《どこ》までも
|百年《ももとせ》|千年《ちとせ》|万歳《よろづとせ》  |万《よろづ》の|花《はな》に|魁《さきが》けて
|薫《かを》る|梅ケ香姫《うめがかひめ》の|如《ごと》  |色香《いろか》ゆかしく|語《かた》りませ
|色香《いろか》ゆかしく|渡《わた》りませ  |恋《こひ》しき|妻《つま》に|手《て》を|引《ひ》かれ
|黄金《こがね》の|橋《はし》を|渡会《わたらひ》の  |松竹梅《まつたけうめ》の|姉妹《おとどひ》が
|揃《そろ》ひも|揃《そろ》ふ|今日《けふ》の|宵《よひ》  |宵《よひ》に|結《むすび》し|喜悦《よろこび》は
|神《かみ》の|守護《まもり》の|弥《いや》|深《ふか》き  |千尋《ちひろ》の|海《うみ》の|底《そこ》までも
|届《とど》かざらめや|何処《どこ》|迄《まで》も  |神《かみ》の|恵《めぐ》みの|尊《たふと》けれ
|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|尊《たふと》けれ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つて|元《もと》の|座《ざ》に|就《つ》きぬ。
|時置師神《ときおかしのかみ》と|現《あらは》れたる|鉄谷村《かなたにむら》の|時公《ときこう》は、|又《また》もや|立《た》つて|祝《いは》ひの|歌《うた》を|詠《よ》み|始《はじ》めたり。その|歌《うた》、
『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |松竹梅《まつたけうめ》の|三柱《みはしら》は
|花《はな》の|春《はる》をば|仇《あだ》に|越《こ》え  |夏《なつ》の|真中《まなか》となりし|身《み》の
|花《はな》は|散《ち》れども|遅桜《おそざくら》  |山《やま》は|青々《あをあを》|葉桜《はざくら》の
いよいよ|開《ひら》く|返《かへ》り|咲《ざき》  |三五教《あななひけう》と|聞《き》いた|時《とき》
|縁《えん》の|遅《おそ》いは|当然《あたりまへ》  |嫁《とつ》ぎの|道《みち》は|何時迄《いつまで》も
なさらぬ|方《かた》と|思《おも》て|居《ゐ》た  |人《ひと》は|見《み》かけに|依《よ》らぬもの
|色《いろ》よき|夫《をつと》を|松代姫《まつよひめ》  |永《なが》き|月日《つきひ》の|浮節《うきふし》に
|待《ま》ちに|待《ま》つたる|縁《えん》の|糸《いと》  |今日《けふ》は|愈《いよいよ》|結《むす》び|昆布《こぶ》
|摘《つま》み|肴《さかな》の|切《きり》|鯣《するめ》  |名《な》さへ|粋《すゐ》なる|梅ケ香《うめがか》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|肝玉《きもだま》は  |此処《ここ》に|現《あら》はれ|高彦《たかひこ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|妻《つま》となり  いよいよ|三人《みたり》の|姉妹《おとどひ》は
|神《かみ》に|貰《もら》うた|雨《あめ》に|濡《ぬ》れ  |水《みづ》も|漏《もら》さぬ|蒸衾《むしぶすま》
|小夜具《さよぐ》が|下《した》にたくづぬの  |白《しろ》きただむき|玉《たま》の|手《て》を
|互《たがひ》に|抱《いだ》きさし|巻《ま》きて  いをしましませ|腿長《ももなが》に
|豊《とよ》の|神酒《みき》をばきこし|召《め》し  いよいよ|今日《けふ》から|二柱《ふたはしら》
|神《かみ》の|祝《いはひ》の|餅《もち》|搗《つ》いて  |子餅《こもち》もたんと|拵《こしら》へて
|天《あま》つ|国土《くにつち》|轟《とどろ》かし  |天《てん》に|輝《かがや》く|星《ほし》の|如《ごと》
|浜《はま》の|真砂《まさご》の|数《かず》|多《おほ》く  |青人草《あをひとぐさ》の|種《たね》をまけ
|三夫婦《みめをと》|揃《そろ》うた|世《よ》の|中《なか》に  |東雲別《しののめわけ》の|東彦《あづまひこ》
|石凝姥《いしこりどめ》の|宣伝使《せんでんし》  |時公《ときこう》さまや|八彦《やつひこ》や
|鴨彦《かもひこ》さまの|顔《かほ》の|色《いろ》  |峠《たうげ》の|下《した》の|小僧《こぞう》の|様《よ》に
|上《のぼ》り|下《くだ》りの|客人《きやくびと》の  |姿《すがた》|眺《なが》めて|指《ゆび》|噛《か》むで
|蜥蜴《とかげ》の|様《やう》な|面《つら》をして  |恨《うら》めし|相《さう》に|眺《なが》めいる
ホンに|芽出《めで》たいお|目出度《めでた》い  |心《こころ》をかがみの|時《とき》さまは
|鏡餅《かがみもち》ではなけれども  |滅多《めつた》に|妬《や》きはせぬ|程《ほど》に
|必《かなら》ず|案《あん》じて|下《くだ》さるな  |牛《うし》は|牛《うし》|連《づ》れ|馬《うま》は|馬《うま》
|八公《やつこう》は|八公《やつこう》|鴨《かも》は|鴨《かも》  |八《や》つの|足《あし》をばさし|巻《ま》いて
キウと|吸《す》いつく|蛸坊主《たこばうず》  チンチン|鴨《かも》の|神楽舞《かぐらまひ》
|上《うへ》を|下《した》へと|戦《いくさ》して  |神《かみ》に|仕《つか》ふる|時《とき》も|来《く》る
アヽ|三柱《みはしら》の|夫婦神《めをとがみ》  |石凝姥《いしこりどめ》の|石《いし》の|如《ごと》
|堅《かた》く|誓《ちか》ひて|離《はな》れざれ  |時公《ときこう》|八公《やつこう》|鴨公《かもこう》の
|真心《まごころ》|籠《こ》めて|神《かみ》の|前《まへ》  |偏《ひとへ》に|祈《いの》り|奉《たてまつ》る
|偏《ひとへ》に|祈《いの》り|奉《たてまつ》る』
と|歌《うた》ひ|終《をは》り、|大口《おほぐち》を|開《あ》けて
『アツハヽヽヽヽ』
と|笑《わら》ひ|転《こ》ける。|一同《いちどう》は|時置師神《ときおかしのかみ》の|手《て》つき|身振《みぶり》の|可笑《をか》しさに、|天地《てんち》も|揺《ゆる》ぐ|許《ばか》り|笑《わら》ひ|崩《くづ》れけり。|秋月姫《あきづきひめ》はスツクと|立《た》つて、|長袖《ちやうしう》しとやかに|祝歌《しゆくか》を|歌《うた》ひ|舞《ま》ふ。
『|天《あめ》と|地《つち》とに|三五《あななひ》の  |道《みち》を|教《をし》ふる|宣伝使《せんでんし》
|三五《さんご》の|月《つき》の|澄《す》み|渡《わた》る  |秋月姫《あきづきひめ》の|空《そら》|清《きよ》く
|今日《けふ》の|喜《よろこ》び|幾千代《いくちよ》も  |松竹梅《まつたけうめ》の|何時《いつ》までも
|心《こころ》に|掛《か》けて|忘《わす》れまじ  |松《まつ》は|千歳《ちとせ》の|色《いろ》|深《ふか》く
|竹《たけ》の|姿《すがた》の|末《すゑ》|永《なが》く  |梅《うめ》の|莟《つぼみ》の|香《かんば》しく
|一度《いちど》に|開《ひら》く|神《かみ》の|舞《まひ》  |鶴《つる》は|千歳《ちとせ》と|舞納《まひをさ》め
|亀《かめ》は|万代《よろづよ》|歌《うた》ふなり  |千歳《ちとせ》の|鶴《つる》や|万代《よろづよ》の
|亀《かめ》の|齢《よはひ》を|保《たも》ちつつ  |天地《てんち》と|共《とも》に|永久《とこしへ》に
|月日《つきひ》と|共《とも》に|限《かぎ》りなく  |此《この》|世《よ》の|続《つづ》く|其《その》|限《かぎ》り
|夫婦《めをと》の|中《なか》は|睦《むつま》じく  |心《こころ》を|協《あは》せ|神国《かみくに》に
|尽《つく》させ|給《たま》へや|三柱《みはしら》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|夫婦連《めをとづれ》
|秋月姫《あきづきひめ》のいと|円《まる》く  |家《いへ》も|治《をさ》まり|身《み》も|魂《たま》も
|治《をさ》まり|清《きよ》く|照《て》り|渡《わた》り  |神《かみ》の|御水火《みいき》を|受継《うけつ》ぎて
|御子《みこ》|沢々《さはさは》に|生《う》みなして  |神《かみ》の|柱《はしら》を|経緯《たてよこ》の
|錦《にしき》の|機《はた》の|神《かみ》の|教《のり》  |宣《の》るも|涼《すず》しき|神嘉言《かむよごと》
|三柱神《みはしらかみ》の|大前《おほまへ》に  |君《きみ》が|千歳《ちとせ》を|寿《ほ》ぎまつる
|君《きみ》が|千《ち》とせを|寿《ほ》ぎまつる』
と|歌《うた》つて|元《もと》の|座《ざ》に|就《つ》きぬ。|深雪姫《みゆきひめ》は|又《また》もや|立上《たちあが》り|長袖《ちやうしう》しとやかに|歌《うた》ひ|舞《ま》ふ。
『|三柱神《みはしらがみ》の|三《み》つ|身魂《みたま》  |棟《むね》に|輝《かがや》く|三《み》つ|巴《どもゑ》
|三夫婦《みめをと》|揃《そろ》ふ|今日《けふ》の|宵《よひ》  |見《み》ても|見飽《みあ》かぬ|妖艶姿《あだすがた》
|三葉《みつば》の|彦《ひこ》の|又《また》の|御名《みな》  |天《あめ》の|太玉神司《ふとたまかむづかさ》
|青雲別《あをくもわけ》の|高彦《たかひこ》が  |天之児屋根《あめのこやね》と|現《あら》はれて
|白雲《しらくも》|別《わ》けて|北光《きたてる》の  |天《あめ》の|目一箇神司《まひとつかむづかさ》
|鴛鴦《をし》の|契《ちぎり》を|今《いま》|此処《ここ》に  |結《むすび》の|莚《むしろ》|深雪姫《みゆきひめ》
|夫婦《めをと》の|仲《なか》も|睦《むつま》じく  |互《たがひ》に|心《こころ》を|相生《あひおひ》の
|松《まつ》も|深雪《みゆき》の|友白髪《ともしらが》  |尉《じやう》と|姥《うば》との|末《すゑ》|永《なが》く
|高砂島《たかさごじま》にあらねども  |御稜威《みいづ》も|高《たか》きコーカスの
|山《やま》に|鎮《しづ》まる|三柱《みはしら》の  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|妹《いも》と|背《せ》の
|契《ちぎり》を|結《むす》ぶ|金《かね》の|神《かみ》  |神《かみ》の|恵《めぐ》みの|幸《さち》はひて
|撞《つき》の|御柱《みはしら》|右《みぎ》|左《ひだり》  |巡《めぐ》り|会《あ》ひつつ|愛男《えーをのこ》
|愛女《えーをみな》よと|宣《の》らせつつ  |鶺鴒《ほとり》の|教《をしへ》|畏《かしこ》みて
|学《まな》ばせ|給《たま》ふゆかしさよ  |芽出度《めでたく》|儀式《のり》を|深雪姫《みゆきひめ》
|黄金世界《わうごんせかい》|銀世界《ぎんせかい》  |月日《つきひ》は|清《きよ》く|照《て》り|亘《わた》る
|神《かみ》の|光《ひかり》を|身《み》に|浴《あ》びて  |千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|栄《さか》えませ
|幾千代《いくちよ》までも|松竹《まつたけ》の  |色香《いろか》も|褪《あ》せず|咲匂《さきにほ》ふ
|梅ケ香姫《うめがかひめ》のあだ|姿《すがた》  |月《つき》の|鏡《かがみ》に|美《うる》はしく
|尊《たふと》き|御子《みこ》を|望月《もちづき》の  |百千万《ももちよろづ》に|生《う》みなして
|神《かみ》の|御水火《みいき》の|神業《かむわざ》に  |仕《つか》へましませ|三柱《みはしら》の
|妹背《いもせ》の|仲《なか》は|吉野川《よしのがは》  |流《なが》れも|清《きよ》きみづ|身魂《みたま》
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の  |恵《めぐ》みの|露《つゆ》にうるほひて
|色《いろ》も|褪《あ》せざれ|変《かは》らざれ  たとへ|天地《てんち》は|変《かは》るとも
|夫婦《めをと》の|仲《なか》は|何時迄《いつまで》も  |弥《いや》|次々《つぎつぎ》に|栂《つが》の|木《き》の
|孫子《まごこ》の|世《よ》|迄《まで》|栄《さか》えませ  |孫子《まごこ》の|世《よ》|迄《まで》|栄《さか》えませ
|深雪《みゆき》の|姫《ひめ》が|真心《まごころ》を  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|捧《ささ》げつつ
|三柱神《みはしらがみ》の|行末《ゆくすゑ》を  |畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|寿《ほ》ぎまつる
|畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|祝《ほ》ぎまつる』
と|歌《うた》ひ|終《をは》り|元《もと》の|座《ざ》に|就《つ》く。|橘姫《たちばなひめ》は|又《また》もや|立上《たちあが》り、|声《こゑ》も|涼《すず》しく|祝歌《しゆくか》を|歌《うた》ふ。|其《そ》の|歌《うた》、
『|秋月姫《あきづきひめ》の|空《そら》|晴《は》れて  |深雪《みゆき》も|積《つも》る|銀世界《ぎんせかい》
|春山彦《はるやまひこ》の|珍《うづ》の|子《こ》と  |生《うま》れ|出《い》でたる|姉妹《おとどひ》は
|恋《こひ》しき|父《ちち》の|館《やかた》をば  |橘姫《たちばなひめ》の|姉妹《おとどひ》が
|三五教《あななひけう》を|開《ひら》かむと  |神《かみ》のまにまに|進《すす》み|来《く》る
|雪《ゆき》|積《つ》む|野辺《のべ》を|右左《みぎひだり》  |寒《さむ》けき|風《かぜ》に|梳《くしけづ》り
|山河《やまかは》|越《こ》えてコーカスの  |三柱神《みはしらがみ》の|御前《おんまへ》に
|橘姫《たちばなひめ》の|喜《よろこ》びは  |色《いろ》も|目出度《めでた》き|松代姫《まつよひめ》
|薫《かをり》ゆかしき|梅ケ香姫《うめがかひめ》の  |貴《うづ》の|命《みこと》や|竹野姫《たけのひめ》
|神《かみ》の|詔勅《みこと》を|畏《かしこ》みて  |人目《ひとめ》の|関《せき》の|隔《へだ》てなく
|妹背《いもせ》の|契《ちぎり》|結《むす》びます  |芽出度《めでた》き|今日《けふ》の|新莚《にひむしろ》
|神酒《みき》は|甕《みか》の|瓶《へ》|高《たか》しりて  |饗宴《うたげ》の|蓆《むしろ》|賑《にぎは》しく
|夜《よ》は|更《ふ》けわたる|戌《いぬ》の|刻《こく》  |亥《ゐ》の|刻《こく》|過《すぎ》て|腿長《ももなが》に
|各《おの》も|各《おの》もの|子《ね》の|刻《こく》や  |丑寅神《うしとらがみ》の|御守護《おんまもり》
|嬉《うれ》し|嬉《うれ》しの|花《はな》も|咲《さ》く  |心《こころ》の|卯《う》さも|辰《たつ》の|刻《こく》
|巳《み》ぢかき|春《はる》の|夢《ゆめ》|醒《さ》めて  |午《うま》く|納《をさ》まる|此《この》|縁《えにし》
|瑞《みづ》の|身魂《みたま》の|未申《ひつじさる》  |互《たがひ》に|盃《さかづき》|取《と》り|交《か》はし
|悪魔《あくま》もいぬや|亥《ゐ》の|時刻《じこく》  |夜半《よは》の|嵐《あらし》も|収《をさ》まりて
|宿世《すぐせ》|行末《ゆくすゑ》|物語《ものがた》り  |睦《むつ》ばせ|給《たま》ふ|間《ま》もあらず
|青垣山《あをがきやま》に|鳴《な》く|烏《からす》  |雉子《きぎす》は|動《ど》よむ|鶏《かけ》は|鳴《な》く
|雉子《きぎす》どよむな|鶏《かけ》|鳴《な》くな  |今朝《けさ》は|烏《からす》も|唖《をし》となれ
|鴛鴦《をし》の|衾《しとね》の|楽《たの》し|夜《よ》を  |遮《さへぎ》る|勿《なか》れ|今日《けふ》の|朝《あさ》
|東《ひがし》の|山《やま》に|日《ひ》は|昇《のぼ》り  |昼《ひる》より|明《あ》かくなるとても
|今日《けふ》|一日《いちにち》は|烏羽玉《うばたま》の  |闇《やみ》にてあれや|暗《やみ》となれ
|暗《やみ》の|岩戸《いはと》を|押開《おしひら》き  |互《たがひ》に|含笑《ほほゑ》む|顔《かほ》と|顔《かほ》
|岩戸《いはと》の|前《まへ》に|橘《たちばな》の  |姫《ひめ》の|命《みこと》の|太祝詞《ふとのりと》
|聞《きこ》ゆる|迄《まで》は|三柱《みはしら》の  |神《かみ》も|眠《ねむり》を|覚《さ》まさまじ
|明《あ》けて|悔《くや》しき|今日《けふ》の|日《ひ》は  |竜《たつ》の|宮居《みやゐ》の|姫神《ひめがみ》の
|御手《みて》より|受《うけ》し|玉手箱《たまてばこ》  アヽ|恨《うら》めしや|浦島《うらしま》の
|年《とし》も|取《と》らずに|何時《いつ》までも  |若《わか》やぐ|胸《むね》をすだ|抱《だ》きて
|夫婦《めをと》の|中《なか》は|睦《むつ》び|合《あ》ひ  |真玉手《またまで》|玉手《たまで》|携《たづさ》へて
|神《かみ》の|御業《みわざ》を|務《つと》めよや  |結《むす》びの|神《かみ》と|聞《きこ》えたる
|金勝要《きんかつかね》の|大御神《おほみかみ》  |山河《やまかは》|動《ど》よみ|国土《くぬち》|揺《ゆ》り
|海《うみ》は|涸《か》れ|干《ほ》す|世《よ》ありとも  |夫婦《めをと》の|中《なか》は|何時《いつ》までも
|月日《つきひ》と|共《とも》に|変《かは》らざれ  |月日《つきひ》と|共《とも》に|永久《とこしへ》に
|栄《さか》えましませ|何時迄《いつまで》も  |橘姫《たちばなひめ》が|真心《まごころ》を
こめて|御前《みまへ》に|鰭伏《ひれふ》しつ  |畏《おそ》れ|慎《つつし》み|願《ね》ぎまつる
|畏《おそ》れかしこみ|寿《ほ》ぎまつる』
と|歌《うた》つて|元《もと》の|座《ざ》に|就《つ》きぬ。
|時公《ときこう》『サアサア、|芽出度《めでた》く|婚姻《こんいん》の|式《しき》も|済《す》み、|三夫婦《みふうふ》の|濃艶《のうえん》なる|宣詞《のりごと》も|聞《き》かして|貰《もら》つた。|加《くは》ふるに|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|三柱神《みはしらがみ》の|祝《いは》ひの|詞《ことば》、|時《とき》さまも|一寸《ちよつと》|仲間《なかま》|入《い》りをさして|貰《もら》つた。|石凝姥神《いしこりどめのかみ》|様《さま》の|御祝歌《おいはひうた》は|一寸《ちよつと》|感心《かんしん》した。サアサア|八《やつ》さま、|鴨《かも》さま、|神酒《おみき》ばつかり|頂《いただ》いて|居《ゐ》ても、|芸《げい》|無《な》し|猿《さる》では|巾《はば》が|利《き》かない。|何《なん》でも|構《かま》はぬ、|芽出《めで》たい|事《こと》を|歌《うた》つたり|歌《うた》つたり』
|八公《やつこう》『|時《とき》さま、|何《なん》でもええか』
|時公《ときこう》『|芽出度《めでた》い|事《こと》を|歌《うた》つたがよかろう』
|八公《やつこう》『|笑《わら》うて|呉《く》れな、わしの|歌《うた》は|拙劣《へた》だから』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、ヌツと|立《た》つて|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。
|八公《やつこう》『|今日《けふ》は|如何《いか》なる|吉日《きちじつ》か  |大気津姫《おほげつひめ》は|逃《に》げて|行《ゆ》く
コーカス|山《ざん》の|貴《うづ》の|宮《みや》  |三柱神《みはしらがみ》のお|祭《まつり》に
みんな|揃《そろ》うて|酒《さけ》に|酔《ゑ》ひ  ヨイヨイヨイと|舞狂《まひくる》ふ
|松竹梅《まつたけうめ》の|宣伝使《せんでんし》  |月雪花《つきゆきはな》の|乙女《をとめ》|達《たち》
|北光神《きたてるかみ》や|高彦《たかひこ》や  |心《こころ》の|太《ふと》い|太玉《ふとたま》の
|神《かみ》の|命《みこと》がヒヨイと|来《き》て  |夢《ゆめ》に|牡丹餅《ぼたもち》|食《く》た|様《やう》に
|松竹梅《まつたけうめ》の|宣伝使《せんでんし》  |女房《にようばう》に|持《も》つて|嬉《うれ》しかろ
この|八《やつ》さまも|嬉《うれ》しいぞ  ヤツトコドツコイ、ドツコイナ
それに|引替《ひきか》へ|気《き》の|毒《どく》な  |石凝姥《いしこりどめ》の|宣伝使《せんでんし》
|身体《からだ》の|大《おほ》きい|時《とき》さまは  ほつとけぼりを|喰《く》はされて
|見《み》るも|憐《あは》れな|鰥鳥《やもめどり》  とりつく|島《しま》もないじやくり
|時《とき》さま|許《ばか》りか|八《やつ》さまも  |鴨《かも》さままでが|指《ゆび》|銜《くは》へ
|青《あを》い|顔《かほ》して|淋《さび》しそに  こんな|馬鹿気《ばかげ》た|事《こと》はない
|大勢《おほぜい》の|前《まへ》でてらされて  |茹蛸《ゆでだこ》|見《み》たよな|顔《かほ》をして
|妬《や》きはせないが|日《ひ》に|焦《や》けた  |黒《くろ》い|顔《かほ》してくすぶつて
|勘定《かんぢやう》に|合《あ》はぬ|此《この》|仕末《しまつ》  |俺《おれ》も|男《をとこ》ぢや|何時《いつ》か|又《また》
|綺麗《きれい》な|女房《にようばう》を|持《も》つてやる  |其《その》ときや|皆《みな》さま|見《み》てお|呉《く》れ
|小野《をの》の|小町《こまち》か|照手《てるて》の|姫《ひめ》か  |天津乙女《あまつおとめ》か|乙姫《をとひめ》さまが
|跣《はだし》で|逃《に》げ|出《だ》す|素的《すてき》な|奴《やつ》を  |貰《もら》ふか|貰《もら》はぬかそら|知《し》らぬ
|知《し》らぬが|仏《ほとけ》|神心《かみごころ》  |何時《いつ》かはカミの|厄介《やくかい》に
なつて|喜《よろこ》ぶ|時《とき》も|来《く》る  オイ|時公《ときこう》よ|鴨公《かもこう》よ
|俺《おれ》の|胸先《むねさき》トキトキと  |何《なん》ぢや|知《し》らぬが|轟《とどろ》いた
|足《あし》は|知《し》らぬに|鴨々《かもかも》と  |震《ふる》ひあがつて|気《き》に|喰《く》はぬ
|淡白《あつさり》|焼《や》いた|蛤《はまぐり》の  |美味《うま》い|汁《しる》|吸《す》ふ|時《とき》は|何時《いつ》
|何時《いつ》か|何時《いつ》かと|松代姫《まつよひめ》  |松《まつ》かひあつて|太玉《ふとたま》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|妻《つま》となり  |角《つの》を|隠《かく》した|綿帽子《わたばうし》
|姿《すがた》かくして|鳴《な》く|鳥《とり》は  |山時鳥《やまほととぎす》|丈《だけ》ぢやない
|此処《ここ》にも|一人《ひとり》や|三人《さんにん》は  |泣《な》いて|居《ゐ》るかも|知《し》れはせぬ
|千秋万歳《せんしうばんざい》|末《すゑ》|永《なが》う  |松竹梅《まつたけうめ》のお|姫《ひめ》さま
|夫婦《ふうふ》|仲《なか》|良《よ》く|暮《くら》しやんせ  |心《こころ》の|堅《かた》き|宣伝使《せんでんし》
|夫《をつと》を|持《も》つて|忽《たちま》ちに  |心《こころ》|緩《ゆる》みて|神《かみ》の|道《みち》
|必《かなら》ず|粗末《そまつ》にせぬがよい  それ|丈《だけ》わたしが|頼《たの》み|置《お》く
アヽ|三柱《みはしら》の|神《かみ》さまへ  |此《この》|三人《さんにん》の|夫婦仲《ふうふなか》
|水《みづ》も|漏《も》らさず|末《すえ》|永《なが》う  |添《そ》はしてやつて|下《くだ》さンせ
これが|八公《やつこう》の|願《ねがひ》なり  これが|八公《やつこう》の|願《ねがひ》なり』
|時公《ときこう》は|大口《おほぐち》を|開《あ》けて、
『アハヽヽヽヽ』と、|又《また》もや|笑《わら》ひ|転《こ》けて|腹《はら》を|抱《かか》へる。
|八公《やつこう》『オイ|時公《ときこう》、|何《なん》で|笑《わら》ふか、|人《ひと》をあまり|馬鹿《ばか》にしよまいぞ。お|前《まへ》は|拙劣《へた》でもよいと|云《い》つただらう、|拙《へた》な|歌《うた》が|却《かへ》つて|面白《おもしろ》いのだ。|併《しか》し|乍《なが》らお|前《まへ》の|歌《うた》もあまり|立派《りつぱ》な|作《さく》ではなかつた。|担《にな》うたら|棒《ぼう》が|折《を》れる|様《やう》なものだ』
|時公《ときこう》『コラコラ、|棒《ぼう》が|折《を》れるとは|何《なん》だ。|宣《の》り|直《なほ》さぬか』
|八公《やつこう》『それでも、|是丈《これだけ》|歌《うた》ふのには|棒《ぼう》|所《どころ》か、|随分《ずゐぶん》|骨《ほね》が|折《を》れたのだよ。アハヽヽヽ』
|時公《ときこう》『サア|鴨公《かもこう》の|番《ばん》だ。どうせ|碌《ろく》な|事《こと》は|云《い》やせまいが、|貴様《きさま》の|偽《いつは》らぬ|心《こころ》を|歌《うた》つて|見《み》よ』
|鴨公《かもこう》『ヨシヨシ、|俺《おれ》も|男《をとこ》だ。|気張《きば》つてフーフーと|息《いき》|継《つ》ぎ|乍《なが》らやつて|見《み》る。|良《よ》かつたら、メヨト|喝采《かつさい》するのだぞ』
|時公《ときこう》『ヨシヨシ、【よし】と|云《い》つても|養子婿《やうしむこ》ぢやないぞ』
|鴨公《かもこう》の|歌《うた》、
『|明志《あかし》の|湖《うみ》から|従《つ》いて|来《き》て  |雪《ゆき》の|路《みち》をばザクザクと
|黒野ケ原《くろのがはら》に|行《や》つて|来《き》た  |孔雀《くじやく》の|姫《ひめ》が|人《ひと》|喰《く》うと
|聞《き》いてビツクリ|会《あ》うて|見《み》りや  |十五《じふご》の|月《つき》の|様《やう》な|顔《かほ》
|案《あん》に|相違《さうゐ》の|松代姫《まつよひめ》  ウラルの|教《をしへ》を|振棄《ふりす》てて
|三五教《あななひけう》に|寝返《ねがへ》りを  |打《う》つて|又《また》もや|琵琶《びは》の|湖《うみ》
|烈《はげ》しき|風《かぜ》に|曝《さら》されて  |汐干《しほひ》の|丸《まる》の|潮《しほ》を|浴《あ》び
|牛馬鹿虎《うしうましかとら》|四人《よつたり》の  |目附《めつけ》の|神《かみ》に|送《おく》られて
コーカス|山《ざん》に|来《き》て|見《み》れば  |思《おも》ひがけなき|神祭《かむまつり》
|八王《やつこす》ヒツコス|酒《くす》の|神《かみ》  |祝《いはひ》の|酒《さけ》に|酔潰《ゑひつぶ》れ
|何処《どこ》も|彼処《かしこ》も|泥《どろ》まぶれ  ウラルの|姫《ひめ》も|泥《どろ》の|衣《きぬ》
|心《こころ》の|泥《どろ》を|吐《は》き|出《だ》して  うまい|事《こと》づくめに|神《かみ》の|前《まへ》
ツベコベほざく|其《その》|時《とき》に  |松竹梅《まつたけうめ》を|始《はじ》めとし
|鴨彦《かもひこ》さまも|共々《ともども》に  |三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》
|歌《うた》つて|見《み》ればアラ|不思議《ふしぎ》  |忽《たちま》ち|鬼女《きじよ》となり|変《かは》り
|黒雲《くろくも》|起《おこ》して|逃《に》げ|去《さ》つた  |後《あと》に|尊《たふと》き|神祭《かむまつり》
|祝《いはひ》の|酒《さけ》をグツと|呑《の》み  |酔《ゑひ》がまはつた|最中《さいちう》に
|皇大神《すめおほかみ》の|神勅《みことのり》  |松竹梅《まつたけうめ》の|三柱《みはしら》に
|婿《むこ》を|貰《もら》へと|仰《あふ》せられ  |開《あ》いたる|口《くち》に|牡丹餅《ぼたもち》を
|詰《つ》めたる|様《やう》に|一口《ひとくち》に  ウンと|呑《の》み|込《こ》む|男方《をとこがた》
|三人《さんにん》|揃《そろ》うて|妹《いも》と|背《せ》の  |芽出度《めでた》い|盃《さかづき》|三々九度《さんさんくど》
|何方《どなた》も|此方《こなた》も|歌《うた》を|詠《よ》み  |品姿《しな》|能《よ》く|踊《をど》り|舞《ま》ひ|狂《くる》ふ
|我《わ》れは|素《もと》より|芸無《げな》し|猿《ざる》  |何《な》んにも|知《し》らぬヨウせぬと
|断《ことわ》る|訳《わけ》には|行《ゆ》かないで  |猿《さる》の|人真似《ひとまね》やつて|見《み》よう
|猿《さる》が|三疋《さんびき》|飛《と》ンで|来《き》て  |婚礼《こんれい》したのはサル|昔《むかし》
|昔々《むかしむかし》の|大昔《おほむかし》  その|又《また》|昔《むかし》の|昔《むかし》から
|神《かみ》の|結《むす》ンだ|因縁《いんねん》で  |夫婦《ふうふ》になつたに|違《ちがひ》ない
|夫婦《ふうふ》は|天地《てんち》にたとへられ  |山《やま》と|海《うみ》とに|比《くら》べられ
|神《かみ》|生《う》み|国《くに》|生《う》み|島《しま》|生《う》みの  |道《みち》を|開《ひら》きし|伊弉諾《いざなぎ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|初《はじ》めてし  |美斗能麻具波比《みとのまぐはひ》|妹背《いもとせ》の
|今日《けふ》の|芽出度《めでた》い|此《この》|祝《いは》ひ  |此《この》|喜《よろこ》びはここよりは
|外《ほか》へはやらじ やらざれと  |祈《いの》る|真心《まごころ》|神《かみ》の|前《まへ》
|金勝要《きんかつかね》の|大御神《おほみかみ》  |国治立《くにはるたち》の|大御神《おほみかみ》
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大御神《おほみかみ》  |三夫婦《みめをと》|揃《そろ》うて|縁《えん》|結《むす》ぶ
こんな|芽出度《めでた》い|事《こと》はない  どうぞわたしも|一日《いちにち》も
|早《はや》く|結《むす》ンで|下《くだ》さンせ  |家《いへ》をば|治《をさ》め|国《くに》|治《をさ》め
|心《こころ》|治《をさ》まる|夫婦中《ふうふなか》  |落《お》ちて|離《はな》れぬ|枯松葉《かれまつば》
|二人《ふたり》の|水火《いき》は|相生《あひおひ》の  |待《ま》ちに|待《ま》つたる|嫁《よめ》|貰《もら》ひ
|貰《もら》ひ|喜《よろこ》び|貰《もら》ひ|泣《な》き  ないて|明志《あかし》や|琵琶《びは》の|湖《うみ》
|深《ふか》き|契《ちぎり》を|何時《いつ》までも  |続《つづ》かせられよ|三柱《みはしら》の
|聞《き》くも|芽出度《めでた》い|夫婦仲《ふうふなか》  |仲《なか》|善《よ》く|暮《くら》せ|何時迄《いつまで》も
|天《てん》に|輝《かがや》く|星《ほし》の|如《ごと》  |浜《はま》の|真砂《まさご》の|数《かず》|多《おほ》く
|御子《みこ》を|生《う》め|生《う》め|地《ち》の|上《うへ》に  |所《ところ》|狭《せ》き|迄《まで》|生《う》みおとせ
|落《お》ちて|松葉《まつば》の|二人《ふたり》|連《づ》れ  |三人《みたり》|四人《よつたり》|夫婦仲《めをとなか》
|三人《みたり》|四人《よつたり》|鰥仲《やもめなか》  |盈《み》つれば|虧《か》くる|世《よ》の|慣《なら》ひ
|御空《みそら》の|月《つき》の|影《かげ》を|見《み》よ  |何時《いつ》も|満月《まんげつ》キラキラと
|明《あか》るく|暮《くら》せ|夫婦《めおと》|連《づ》れ  |連添《つれそ》ふ|妻《つま》を|振棄《ふりす》てな
|妻《つま》も|夫《をつと》に|尻《しり》ふるな  |神《かみ》の|恵《めぐ》みの|雨《あめ》に|濡《ぬ》れ
|何時《いつ》も|青々《あをあを》|稚翠《わかみどり》  |若《わか》やぐ|姿《すがた》|永久《とこしへ》に
|年《とし》は|取《と》るなよ|皺《しわ》よせな  |寄《よ》せては|返《かへ》す|荒浪《あらなみ》の
|濤《なみ》も|凪《な》げ|凪《な》げ|春《はる》の|海《うみ》  |生《う》み|落《おと》したる|子宝《こだから》は
|養《はぐく》み|育《そだ》て|天地《あめつち》の  |神《かみ》の|御用《ごよう》に|立《た》てて|呉《く》れ
くれぐれ|頼《たの》む|鴨公《かもこう》の  |是《これ》が|一生《いつしやう》の|願《ねがひ》ぞやと
|願掛巻《ねがひかけまく》|神《かみ》の|前《まへ》  |神《かみ》の|恵《めぐ》みの|幸《さち》はひて
|夫婦《めをと》の|仲《なか》は|睦《むつま》じく  |八千代《やちよ》の|春《はる》の|玉椿《たまつばき》
|栄《さか》えに|栄《さか》えよ|松代姫《まつよひめ》  |梅ケ香姫《うめがかひめ》よ|竹野姫《たけのひめ》
|天之目一箇《あめのまひとつ》|太玉《ふとたま》や  |天之児屋根《あめのこやね》の|神司《かむづかさ》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|太祝詞《ふとのりと》  |称《たた》へ|奉《まつ》るぞ|尊《たふと》けれ
|称《たた》へ|奉《まつ》るぞ|畏《かしこ》けれ  |畏《かしこ》き|神《かみ》の|御教《みをしへ》を
|夫婦《めをと》|力《ちから》を|協《あは》せ|合《あ》ひ  |海《うみ》の|内外《うちと》に|隈《くま》もなく
|輝《かがや》き|渡《わた》せ|神《かみ》の|道《みち》  |輝《かがや》き|渡《わた》せ|神《かみ》の|教《のり》』
と|歌《うた》ひ|終《をは》り|座《ざ》に|着《つ》きぬ。コーカス|山《ざん》の|神祭《かむまつり》、|瑞《みづ》の|身魂《みたま》に|因縁《ゆかり》ある|三柱神《みはしらがみ》の|婚姻《こんいん》は|茲《ここ》に|芽出度《めでた》く|千秋楽《せんしうらく》を|告《つ》げにける。
(大正一一・三・四 旧二・六 松村真澄録)
(昭和一〇・二・一九 王仁校正)
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霊界物語 第一一巻 霊主体従 戌の巻
終り