霊界物語 第九巻 霊主体従 申の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第九巻』愛善世界社
1994(平成06)年08月18日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2004年11月13日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序歌《じよか》
|凡例《はんれい》
|総説歌《そうせつか》
第一篇 |長途《ちやうと》の|旅《たび》
第一章 |都落《みやこおち》〔三九四〕
第二章 エデンの|渡《わたし》〔三九五〕
第三章 |三笠丸《みかさまる》〔三九六〕
第四章 |大足彦《おほだるひこ》〔三九七〕
第五章 |海上《かいじやう》の|神姿《しんし》〔三九八〕
第六章 |刹那《せつな》|信心《しんじん》〔三九九〕
第七章 |地獄《ぢごく》の|沙汰《さた》〔四〇〇〕
第二篇 |一陽来復《いちやうらいふく》
第八章 |再生《さいせい》の|思《おもひ》〔四〇一〕
第九章 |鴛鴦《をし》の|衾《ふすま》〔四〇二〕
第一〇章 |言葉《ことば》の|車《くるま》〔四〇三〕
第一一章 |蓬莱山《ほうらいざん》〔四〇四〕
第三篇 |天涯《てんがい》|万里《ばんり》
第一二章 |鹿島立《かしまだち》〔四〇五〕
第一三章 |訣別《けつべつ》の|歌《うた》〔四〇六〕
第一四章 |闇《やみ》の|谷底《たにぞこ》〔四〇七〕
第一五章 |団子《だんご》|理屈《りくつ》〔四〇八〕
第一六章 |蛸《たこ》|釣《つ》られ〔四〇九〕
第一七章 |甦生《かうせい》〔四一〇〕
第四篇 |千山万水《せんざんばんすゐ》
第一八章 |初陣《うひぢん》〔四一一〕
第一九章 |悔悟《くわいご》の|涙《なみだ》〔四一二〕
第二〇章 |心《こころ》の|鏡《かがみ》〔四一三〕
第二一章 |志芸山祇《しぎやまづみ》〔四一四〕
第二二章 |晩夏《ばんか》の|風《かぜ》〔四一五〕
第二三章 |高照山《たかてるやま》〔四一六〕
第二四章 |玉川《たまがは》の|滝《たき》〔四一七〕
第二五章 |窟《いはや》の|宿替《やどがへ》〔四一八〕
第二六章 |巴《ともゑ》の|舞《まひ》〔四一九〕
第五篇 |百花《ひやくくわ》|爛漫《らんまん》
第二七章 |月光《げつくわう》|照梅《せうばい》〔四二〇〕
第二八章 |窟《いはや》の|邂逅《かいこう》〔四二一〕
第二九章 |九人娘《くにんむすめ》〔四二二〕
第三〇章 |救《すくひ》の|神《かみ》〔四二三〕
第三一章 |七人《しちにん》の|女《をんな》〔四二四〕
第三二章 |一絃琴《いちげんきん》〔四二五〕
第三三章 |栗毛《くりげ》の|駒《こま》〔四二六〕
第三四章 |森林《しんりん》の|囁《ささやき》〔四二七〕
第三五章 |秋《あき》の|月《つき》〔四二八〕
第三六章 |偽神懸《にせかむがかり》〔四二九〕
第三七章 |凱歌《がいか》〔四三〇〕
附録 第三回高熊山参拝紀行歌(二)
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|序歌《じよか》
やらはれて|水《みづ》の|都《みやこ》へ|下《くだ》りけり
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|神《かみ》にならひて
|千早振《ちはやぶ》る|神《かみ》の|教《をしへ》を|伝《つた》へむと  |善《よ》しも|悪《あ》しきも|難波江《なにはえ》の
|都《みやこ》の|空《そら》をあとに|見《み》て  |心《こころ》も|清《きよ》き|月照彦《つきてるひこ》の
|神《かみ》の|命《みこと》と|諸共《もろとも》に  |花《はな》の|都《みやこ》の|鶏頭城《けいとうじやう》
|蒲団《ふとん》|着《き》て|寝《ね》たる|姿《すがた》の|東山《ひがしやま》  |三十六峰《さんじふろくぽう》|風《かぜ》も|冷《つめた》き|山颪《やまおろし》
|春《はる》とはいへど|北山《きたやま》に  |雪《ゆき》は|真白《ましろ》に|残《のこ》りゐて
|心《こころ》の|奥《おく》は|鞍馬山《くらまやま》  |一《ひと》つ|火《び》|輝《かがや》く|愛宕《あたご》の|嶺《ね》
|折《をり》から|吹《ふ》き|来《く》る|嵐山《あらしやま》  |神《かみ》の|恵《めぐみ》も|高尾山《たかをやま》
|紅葉《もみぢ》の|色《いろ》のわが|心《こころ》  |夜半《よは》の|嵐《あらし》に|大足彦《おほだるひこ》の
|神《かみ》のみたまと|諸共《もろとも》に  |塞《とりで》も|高《たか》き|底《そこ》の|国《くに》
|根《ね》もなき|荊棘《いばら》に|囲《かこ》まれて  |利鎌《とがま》の|月《つき》は|西《にし》の|空《そら》
|心《こころ》もかたく|七五三《しめ》の|中《うち》  【いつか】は|晴《は》れむ|綾錦《あやにしき》
|丹波《たには》の|空《そら》を|眺《なが》めつつ  |心《こころ》をくばりし|今日《けふ》の|宵《よひ》
|早《は》や|一年《ひととせ》もめぐりきて  |月《つき》ぬ|思《おも》ひも|幽世《かくりよ》の
|神《かみ》の|御業《みわざ》の|物語《ものがたり》  【|東尾《ひがしを》】|見《み》れば|聖護院《しやうごゐん》
|神《かみ》のま【|森《もり》】も【|良仁《よしちか》】や  |教《をしへ》の|花《はな》も【|桜井《さくらゐ》】の
|春《はる》も|近《ちか》づく|紀元節《きげんせつ》  |教《をしへ》の|道《みち》の【|加藤《かとう》】|時代《じだい》
ひかれてここに【|北村《きたむら》】の  |水《みづ》さへ|清《きよ》く|月《つき》|澄《す》める
【|池沢原《いけざははら》】の|隈《くま》もなく  |思《おも》はぬ|耻《はぢ》を【かき】の|内《うち》
|審判《さばき》の|廷《には》に|出《い》でにけり  あゝ|思《おも》ひきや|思《おも》ひきや
|御国《みくに》のために|尽《つく》す|身《み》の  |審判《さばき》の|廷《には》に|立《た》たむとは
|神《かみ》の|教《をしへ》も|白波《しらなみ》の  |醜《しこ》のつかさの|醜言《しこごと》に
|身《み》はままならぬ|籠《かご》の|鳥《とり》  |空《そら》|鳴《な》きわたる|吐血鳥《ほととぎす》
|四匹《しひき》の|亀《かめ》に|迎《むか》へられ  |心《こころ》も【|浅野《あさの》】の|文学士《ぶんがくし》
|籠《かご》を【|出口《でぐち》】の【|瑞月《ずゐげつ》】が  |高天原《たかあまはら》に|帰《かへ》りたる
|今日《けふ》の|生日《いくひ》を|思《おも》ひ|出《い》で  |教《をしへ》の|御子《みこ》の|手《て》をかりて
|名《な》さへ|目出度《めでた》き|瑞祥《ずゐしやう》の  |閣《やかた》に|記念《きねん》と|書《か》きしるす
アヽ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ。
大正十一年二月十二日
瑞祥閣に於て 王仁
|凡例《はんれい》
一、|本巻《ほんくわん》は|南米《なんべい》(|高砂島《たかさごじま》)より、|北米《ほくべい》(|常世国《とこよのくに》)に|亘《わた》る|三五教《あななひけう》|宣伝隊《せんでんたい》の|宣伝《せんでん》|状況《じやうきやう》を|口述《こうじゆつ》されましたもので、|巻中《くわんちう》テルの|国《くに》とは|智利《チリー》、ヒルの|国《くに》とは|秘露《ペルー》、ハルの|国《くに》とは|伯刺西爾《ブラジル》、カルの|国《くに》とは|哥倫比亜《コロンビヤ》、ウヅの|国《くに》とは|亜爾然丁《アルゼンチン》、|目《め》の|国《くに》とは|北米《ほくべい》の|墨西哥国《メキシコこく》、|間《はざま》の|国《くに》とは|同《おな》じく|巴奈馬国《パナマこく》を|指《さ》したものであります。
一、|口述者《こうじゆつしや》|瑞月《ずゐげつ》|大先生《だいせんせい》は、かつて|該地方《がいちはう》の|霊魂《れいこん》|旅行《りよかう》を|遂《と》げられ、|数百万年前《すうひやくまんねんぜん》の|太古《たいこ》より|数十万年後《すうじふまんねんご》の|尽未来《じんみらい》に|亘《わた》る|南北《なんぼく》|亜米利加《アメリカ》の|地形《ちけい》|地勢《ちせい》を|始《はじ》め、|山河草木《さんかさうもく》を|悉《ことごと》く|熟知《じゆくち》して|居《を》られるので、|太古《たいこ》に|於《お》けるアマゾン|河《がは》の|名称《めいしよう》は|天孫河《てんそんがは》と|命《めい》ぜられ、その|流域《りうゐき》の|両岸《りやうがん》には|大沙漠《だいさばく》があつたと|言《い》はれてゐます。
一、|実《じつ》に|本巻《ほんくわん》は|内容《ないよう》|充実《じゆうじつ》し、かつ|最《もつと》も|教訓《けうくん》に|富《と》めるもので、|筆録中《ひつろくちう》あまりに|耳《みみ》が|痛《いた》く、|頭《あたま》に|響《ひび》き、|胸腹《きようふく》また|煮《に》え|返《かへ》る|如《ごと》き|心地《ここち》がしましたので、|覚《おぼ》えず|大苦巻《だいくくわん》と|云《い》ふ|別名《べつめい》を|本書《ほんしよ》に|奉《たてまつ》り、|大《おほ》いに|苦《にが》くして|苦《くる》しかつた|記念《きねん》としたのであります。
一、|尚《なほ》|本巻《ほんくわん》より|宣伝神《せんでんしん》を|宣伝使《せんでんし》として|載《の》せることにしました。|第八巻《だいはちくわん》までの|宣伝神《せんでんしん》も(せんでんし)と|読《よ》むべきものでありますが、|活字《くわつじ》(ルビ|附《つき》)の|都合上《つがふじやう》(せんでんしん)となつて|居《を》るのですから、|一応《いちおう》|読者《どくしや》|諸賢《しよけん》に|御注意《ごちうい》を|促《うなが》して|置《お》きます。
大正十一年瑞月祥日
編者識
|総説歌《そうせつか》
|宇宙《うちう》の|外《そと》に|身《み》を|置《お》いて  |五十六億七千万歳《ごじふろくおくしちせんまんさい》
|年《とし》|遡《さかのぼ》り|霊界《れいかい》の  |奇《く》しき|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》
|赤道《せきだう》|直下《ちよくか》に|雪《ゆき》が|降《ふ》り  |太平洋《たいへいやう》の|真中《まんなか》に
|縦《たて》が|二千《にせん》と|七百浬《しちひやくり》  |横《よこ》が|三千一百浬《さんぜんいつぴやくり》
|黄泉《よもつ》の|島《しま》や|竜宮城《りうぐうじやう》  |訳《わけ》のわからぬことばかり
|羽根《はね》の|生《は》えたる|人間《にんげん》や  |角《つの》の|生《は》えたる|人《ひと》が|出《で》る
|夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|誠《まこと》か|嘘《うそ》か  |嘘《うそ》ぢやあるまい|誠《まこと》ぢやなかろ
ホンにわからぬ|物語《ものがたり》。
|天《てん》に|輝《かがや》く|月日《つきひ》の|玉《たま》を  |取《と》つてみようと|野心《やしん》を|起《おこ》し
|天教《てんけう》、|地教《ちけう》の|二《ふた》つの|山《やま》を  |足《あし》の|台《だい》にして|背伸《せのび》をしたら
|雲《くも》が|邪魔《じやま》して|一寸《ちよつと》にや|見《み》えぬ  |見《み》えぬ|筈《はず》だよ|盲《めくら》の|企《たく》み
そこでちよつくり|息《いき》して|見《み》たら  |雲《くも》が|分《わか》れて|銀河《ぎんが》となつた
|左手《ゆんで》に|太陽《たいやう》|鷲掴《わしづか》み  |右手《めて》に|月《つき》をば【ひん】|握《にぎ》り
|顔《かほ》に|当《あ》てたら|眼《め》が|出来《でき》た  |顔《かほ》に|当《あ》てたら|眼《め》が|出来《でき》た。
大正十一月二月十八日
於亀岡瑞祥閣
第一篇 |長途《ちやうと》の|旅《たび》
第一章 |都落《みやこおち》〔三九四〕
|春霞《はるがすみ》|靉靆《たなび》き|初《そ》めて|山々《やまやま》の  |花《はな》は|匂《にほ》へど|百鳥《ももどり》の
|声《こゑ》は|長閑《のどか》に|歌《うた》へども  |父《ちち》と|母《はは》とに|別《わか》れたる
その|悲《かな》しさに|掻雲《かきくも》る  |心《こころ》の|空《そら》も|烏羽玉《うばたま》の
|闇夜《やみよ》を|辿《たど》る|思《おも》ひなり  |世《よ》は|紫陽花《あぢさゐ》の|七変《ななかは》り
|昨日《きのふ》や|今日《けふ》と|飛鳥川《あすかがは》  |淵瀬《ふちせ》とかはる|人《ひと》の|身《み》の
|誰《たれ》にかよらむヨルダンの  |水《みづ》|永久《とこしへ》に|流《なが》るれど
|長《なが》き|憂《うれ》ひに|沈《しづ》みつつ  |此《この》|世《よ》の|憂《うき》をみはしらの
|姫《ひめ》の|心《こころ》ぞいぢらしき  |父《ちち》と|母《はは》との|懐《ふところ》を
|浮世《うきよ》の|風《かぜ》に|煽《あふ》られて  【いたいけ】|盛《ざか》りの|女子《をみなご》が
|淋《さび》しき|冬《ふゆ》の|心地《ここち》して  |父《ちち》に|会《あ》ふ|日《ひ》を|松代姫《まつよひめ》
|松《まつ》の|緑《みどり》のすくすくと  |栄《さか》えて|春《はる》も|呉竹《くれたけ》の
|直《す》ぐなる|心《こころ》の|竹野姫《たけのひめ》  |露《つゆ》に|綻《ほころ》ぶ|梅ケ香《うめがか》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|唇《くちびる》を  |開《ひら》いて|語《かた》る|言《こと》の|葉《は》は
|降《ふ》る|春雨《はるさめ》の|湿《しめ》り|声《ごゑ》  |恵《めぐみ》も|深《ふか》き|垂乳根《たらちね》の
|母《はは》は|此《この》|世《よ》を|後《あと》にして  |黄泉路《よみぢ》の|旅《たび》に|出《い》でましぬ
|娘心《むすめごころ》の|淋《さび》しさに  |色《いろ》も|香《か》もある|桃上彦《ももがみひこ》の
|父《ちち》の|命《みこと》の|只《ただ》|一人《ひとり》  |国《くに》の|八十国《やそくに》|八十島《やそしま》の
|何処《いづく》の|果《は》てにいますとも  |恋《こひ》しき|父《ちち》に|廻《めぐ》り|会《あ》ひ
|探《たづ》ねむものと|三柱《みはしら》の  |皇大神《すめおほかみ》を|祀《まつ》りたる
|名残《なごり》も|惜《を》しきヱルサレム  |都《みやこ》を|後《あと》に|旅衣《たびごろも》
|草鞋《わらぢ》に|足《あし》をくはれつつ  |山野《さんや》を|越《こ》えて|遥々《はるばる》と
|目《め》あてもなつの|空《そら》かけて  |進《すす》み|行《ゆ》くこそ|哀《あは》れなり
|主人《あるじ》の|君《きみ》によく|仕《つか》へ  |忠実《まめやか》なりし|下男《しもをとこ》
|心《こころ》も|清《きよ》き|照彦《てるひこ》は  |姫《ひめ》の|姿《すがた》の|何時《いつ》となく
|珍《うづ》の|館《やかた》に|消《き》えしより  |心《こころ》も|騒《さわ》ぎ|吹《ふ》く|風《かぜ》に
|桜《さくら》の|花《はな》の|散《ち》る|如《ごと》く  |右《みぎ》や|左《ひだり》や|北南《きたみなみ》
|探《たづ》ね|廻《まは》れど|音沙汰《おとさた》も  なくなく|通《かよ》ふ|松風《まつかぜ》の
|雨戸《あまど》を|叩《たた》くばかりなり  |月《つき》にも|紛《まが》ふ|顔《かんばせ》の
|常磐《ときは》の|松《まつ》に|宿《やど》りたる  |心《こころ》も|清《きよ》き|松代姫《まつよひめ》
|雪《ゆき》に|撓《たわ》みし【なよ】|竹《たけ》の  |繊弱《かよわ》き|姿《すがた》の|竹野姫《たけのひめ》
|何処《いづこ》をあてとゆきの|肌《はだ》  |出《い》でましぬるか|照彦《てるひこ》の
|心《こころ》の|空《そら》も|掻曇《かきくも》る  |浮世《うきよ》の|暗《やみ》に|芳《かん》ばしき
|只《ただ》|一輪《いちりん》の|梅ケ香姫《うめがかひめ》の  |行方《ゆくへ》を|探《さが》し|求《もと》めむと
ホーホケキヨーの|鶯《うぐひす》の  |声《こゑ》に|送《おく》られ|山河《やまかは》を
|徒歩々々《とぼとぼ》|渡《わた》る|手弱女《たをやめ》の  |杖《つゑ》や|柱《はしら》と|頼《たの》みてし
|頼《たの》みの|綱《つな》も|夢《ゆめ》の|間《ま》の  |夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|五月空《さつきぞら》
|暗《やみ》に|紛《まぎ》れてわが|父《ちち》の  |行方《ゆくへ》は|何処《どこ》か|白浪《しらなみ》の
|大海原《おほうなばら》を|乗《の》り|越《こ》えて  |常世《とこよ》の|国《くに》に|出《い》でますか
|嗚呼《ああ》いかにせむ|雛鳥《ひなどり》の  |尋《たづ》ぬる|由《よし》もなくばかり
|昔《むかし》はときめく|天使長《てんしちやう》  |高天原《たかあまはら》の|守護神《まもりがみ》
|勢《いきほひ》|並《なら》ぶものもなく  |空《そら》|行《ゆ》く|雲《くも》もはばかりし
|神《かみ》の|命《みこと》の|貴《うづ》の|子《こ》の  |蝶《てふ》よ|花《はな》よと|育《はぐ》くまれ
|隙間《すきま》の|風《かぜ》にもあてられぬ  |繊弱《かよわ》き|娘《むすめ》の|三人連《みたりづ》れ
|黄金山《わうごんざん》を|後《あと》にして  |踏《ふ》みも|慣《なら》はぬ|旅《たび》の|空《そら》
|何処《いづく》の|果《は》てか|白雲《しらくも》の  |靉靆《たなび》き|渡《わた》るウヅの|国《くに》
|父《ちち》の|命《みこと》のましますと  |夢《ゆめ》に|夢《ゆめ》みし|梅ケ香姫《うめがかひめ》
|花《はな》をたづぬる|鶯《うぐひす》の  ほう|法華経《ほけきやう》のくちびるを
|初《はじ》めて|開《ひら》く|白梅《しらうめ》の  |二八《にはち》の|春《はる》の【やさ】|姿《すがた》
|二九十八《にくじふはち》の|竹野姫《たけのひめ》  よ【はたち】|昇《のぼ》る|月影《つきかげ》の
|梢《こずゑ》に|澄《す》める|松代姫《まつよひめ》  |松《まつ》のミロクの|御代《みよ》までも
|恋《こひ》しき|父《ちち》に|淡路島《あはぢしま》  【つたひ】つたひて|三柱《みはしら》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|後《あと》を|追《お》ふ  |心《こころ》の|空《そら》ぞ|哀《あは》れなり
|心《こころ》の|色《いろ》ぞ|麗《うるは》しき。
|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|三人《さんにん》の|娘《むすめ》は、やうやうエデンの|渡場《わたしば》に|辿《たど》りつきぬ。|此処《ここ》に|五人《ごにん》の|里人《さとびと》は、|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》にも|勝《まさ》る|手弱女《たをやめ》の、|此方《こなた》に|向《むか》つて|徐々《しづしづ》と|歩《あゆ》み|来《きた》る|姿《すがた》を|眺《なが》めて|囁《ささや》き|合《あ》へり。
|甲《かふ》『オイ、|来《き》たぞ|来《き》たぞ、お|出《い》でたぞ』
|乙《おつ》『|何《なに》がお|出《い》でたのだ』
|甲《かふ》『|此《この》エデンの|河《かは》は|本当《ほんたう》に|妙《めう》な|河《かは》だよ。|昔《むかし》は|南天王様《なんてんわうさま》が、|此《この》|河上《かはかみ》から|大《おほ》きな|亀《かめ》に|乗《の》つてお|出《い》でになつたのだ。|此《この》|河《かは》をどんどん|上《のぼ》つて|行《ゆ》くと|天《あま》の|川《がは》に|連絡《れんらく》して|居《ゐ》るのだ。|南天王様《なんてんわうさま》は|其《その》|後《ご》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまとかになつて、|吾々《われわれ》|共《ども》を|捨《す》てて|鬼武彦《おにたけひこ》さまを|後《あと》に|置《お》いて|天《てん》に|帰《かへ》られたと|云《い》ふ|事《こと》は|貴様《きさま》も|聞《き》いて|居《ゐ》るだらう。その|時《とき》にも|八島姫《やしまひめ》、|春日姫《かすがひめ》と|云《い》ふ、それはそれは|綺麗《きれい》な|天女《てんによ》が|降《ふ》つて|来《き》たよ。|世界《せかい》の|洪水《こうずゐ》があつてから、この|顕恩郷《けんおんきやう》のものは|方舟《はこぶね》に|乗《の》つて、|誰《たれ》も|彼《かれ》も|地教《ちけう》の|山《やま》に|救《すく》はれた。|其《その》|時《とき》だつて|地教《ちけう》の|山《やま》には|高照姫《たかてるひめ》、|言霊姫《ことたまひめ》、|竜世姫《たつよひめ》、|真澄姫《ますみひめ》、|其《その》|他《ほか》|沢山《たくさん》の、それはそれは|美《うつく》しい|雨後《うご》の|海棠《かいだう》のやうな|艶《つや》つぽい|女神《めがみ》たちに|会《あ》うた|事《こと》がある。あれを|見《み》い、|今《いま》|其処《そこ》へお|出《い》でになる|三人《さんにん》の|姫神様《ひめがみさま》は、|地教《ちけう》の|山《やま》から、|天《あま》の|河原《かはら》に|棹《さを》さしてお|降《くだ》り|遊《あそ》ばした|天女《てんによ》だらうよ。|早《はや》く|船《ふね》の|用意《ようい》をして|顕恩郷《けんおんきやう》へ|寄《よ》つて|貰《もら》つたらどうだ』
|丙《へい》『|五人《ごにん》の|男《をとこ》に|三人《さんにん》の|姫様《ひめさま》とは、ちと|勘定《かんぢやう》が|合《あ》はぬじやないか。もう|二人《ふたり》あると|恰度《ちやうど》|都合《つがふ》がよいのだがなあ』
|乙《おつ》『また|貴様《きさま》【デレ】て|居《ゐ》よるなあ。|貴様《きさま》の|顔《かほ》は|何《なん》だ。【すつくり】|紐《ひも》が|解《と》けて|仕舞《しま》つて|居《ゐ》るよ。|嫌《いや》らしい|目遣《めつか》ひをしよつて、|貴様《きさま》のやうな|蟹面《かにづら》に、アンナ|立派《りつぱ》な|女神《めがみ》がどうして|見《み》かへつて|呉《く》れるものか。あまり|高望《たかのぞ》みをするな。【とぼけ】ない、|貴様《きさま》、|春《はる》の|日永《ひなが》に|夢《ゆめ》でも|見《み》て|居《ゐ》よるのだな』
|丙《へい》『|夢《ゆめ》ぢやなからうかい。|開闢《かいびやく》|以来《いらい》アンナ|美《うつく》しい|女神《めがみ》は|見《み》た|事《こと》がないからなあ』
|甲《かふ》『|決《きま》つた|事《こと》だ。お|前達《まへたち》には|分《わか》らぬが、あの|御方《おかた》は|棚機姫《たなばたひめ》の|神様《かみさま》だ。|一年《いちねん》に|一度《いちど》|夫《をつと》に|御面会《ごめんくわい》をなさると|云《い》ふ|事《こと》だが、|其《その》お|婿《むこ》さまの|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》が、あまりお|気《き》が|多《おほ》いので、|此《この》|頃《ごろ》また、|天《あま》の|川《がは》を|下《くだ》つて|世界中《せかいぢう》を|宣伝歌《せんでんか》とやらを|歌《うた》つて|廻《まは》られたと|云《い》ふ|噂《うはさ》だから、|大方《おほかた》この|辺《あたり》を|探《さが》したら|会《あ》へるかも|知《し》れないと|思《おも》つてお|出《い》でになつたのだよ』
|乙《おつ》『|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまも|余程《よほど》の、|目《め》カ|一《いち》|ゝ《ちよん》|ゝ《ちよん》の|十《じゆう》(|助平《すけべい》)だな。|慾《よく》の|深《ふか》い、|三人《さんにん》もあのやうな|奥《おく》さまを|持《も》つてゐらつしやるのか。|俺《おれ》だつたら|一人《ひとり》でも|辛抱《しんばう》するがなあ』
かく|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》る|折《をり》しも、|眉目清秀《びもくせいしう》なる|二十四五歳《にじふしごさい》と|覚《おぼ》しき|男《をとこ》、|浅黄《あさぎ》の|被布《ひふ》を|纏《まと》ひ、|襷《たすき》を|十字《じふじ》に|綾取《あやど》り、|息《いき》|急《せ》ききつて|此方《こなた》に|向《むか》つて「オーイ、オーイ」と|呼《よ》ばはりながら|進《すす》み|来《きた》る。
(大正一一・二・一二 旧一・一六 加藤明子録)
第二章 エデンの|渡《わたし》〔三九五〕
|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|三人《さんにん》の|美人《びじん》はエデンの|渡《わた》し|場《ば》に|漸《やうや》く|辿《たど》り|着《つ》きぬ。|松代姫《まつよひめ》は|五人《ごにん》の|男《をとこ》に|向《むか》ひ、|豊《ゆたか》な|頬《ほほ》に|紅《くれなゐ》の|潮《うしほ》を|漲《みなぎ》らし、|潤《うるほ》ひのある|涼《すず》しき|眼《まなこ》に|緑《みどり》の|黒髪《くろかみ》の|乱《みだ》れを|繕《つくろ》ひながら、
『もし、|貴方等《あなたがた》はこのお|里《さと》の|方《かた》で|御座《ござ》いますか。|何卒《なにとぞ》|妾《わらは》を|向《むか》ふ|岸《ぎし》へ|渡《わた》して|下《くだ》さいませぬか』
|甲《かふ》『ヤ、|天《あま》の|川《がは》を|下《くだ》つて|御出《おい》でなさつた|棚機姫《たなばたひめ》|様《さま》で|御座《ござ》いますか。ハイハイ|喜《よろこ》んでお|供《とも》いたしませう。|天《あま》の|川《がは》のやうに|深《ふか》い|事《こと》もありませぬ、|又《また》|高《たか》いこともありませぬから、|滅多《めつた》に|天《てん》へ|落《お》ちる|筈《はず》はありませぬ、サアサ、|天《てん》の|棚機姫《たなばたひめ》|様《さま》|御一同《ごいちどう》、|私《わたくし》の|宅《たく》へおいで|下《くだ》さいませ』
『イヤ、|妾《わらは》は|天《てん》から|来《き》たのでは|御座《ござ》いませぬ。|聖地《せいち》エルサレムから|一人《ひとり》の|父《ちち》を|探《たづ》ねて、ウヅの|国《くに》へ|参《まゐ》るもので|御座《ござ》います』
|乙《おつ》『アヽお|前《まへ》さまは|矢張《やつぱ》りさうすると|人《ひと》の|子《こ》だなア。あまり|美《うつく》しいので|天女《てんによ》の|天降《あまくだ》りか、|棚機《たなばた》さまだらうかと、|今《いま》も|今《いま》とて|五人《ごにん》の|者《もの》が|噂《うはさ》を|致《いた》して|居《を》りました。アヽ|一寸《ちよつと》|見《み》れば|年《とし》は|二八《にはち》か|二九《にく》からぬ、|十九《つづ》か|二十《はたち》の|花盛《はなざか》り、|真実《ほんと》に|惜《を》しいものだね。そして|今《いま》|貴女《あなた》は|一人《ひとり》の|父《ちち》を|探《たづ》ねると|仰有《おつしや》つたが、|其《その》お|父《とう》さまと|云《い》ふのは|何方様《どなたさま》の|事《こと》ですかい』
『ハイ、|妾《わらは》の|父《ちち》は|聖地《せいち》ヱルサレムの|元《もと》の|天使長《てんしちやう》でありました|桃上彦命《ももがみひこのみこと》で|御座《ござ》います』
|丙《へい》『ヤア|何《なん》だい、|極悪無道《ごくあくぶだう》の|桃上彦命《ももがみひこのみこと》の|娘《むすめ》かい、|何《なん》とまあ|烏《からす》が|鶴《つる》を|生《う》んだのか、|鳶《とび》が|鷹《たか》を|生《う》んだと|云《い》ふのか、|世《よ》の|中《なか》は|変《へん》なものだなア。|吾々《われわれ》の|妹《いもうと》も|桃上彦命《ももがみひこのみこと》の|家来《けらい》の|奴《やつ》に|誘拐《かどわか》されて|今《いま》に|行衛《ゆくへ》も|知《し》れず、|如何《どう》なつた|事《こと》かと、|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|妹《いもうと》の|在処《ありか》を|心《こころ》にかけて|忘《わす》れた|遑《いとま》はないのだ。|思《おも》へば|敵《かたき》の|端《はし》だ、ヤアもう|今日《けふ》は|妙《めう》な|心持《こころもち》になつて|来《き》た、|何程《なにほど》|綺麗《きれい》な|女《をんな》でも|敵《てき》の|娘《むすめ》と|聞《き》けば、エー|面黒《おもくろ》くもない』
と|黒《くろ》い|腕《うで》をヌツと|出《だ》し、|握《にぎ》り|拳《こぶし》を|三人《さんにん》の|娘《むすめ》の|前《まへ》につき|出《だ》しながら、
『ヤイ、|貴様《きさま》は|神様《かみさま》だと|思《おも》つて、チツトは|俺等《おいら》も|面喰《めんくら》つて|居《ゐ》た|処《ところ》だ。それに、そつちから|吾《われ》と|吾《わが》|手《て》に|桃上彦《ももがみひこ》の|娘《むすめ》と|名乗《なの》つた|以上《いじやう》は、ヨモヤそれに|相違《さうゐ》はあるまい。サアかうなる|以上《いじやう》は|五人《ごにん》の|荒《あら》くれ|男《をとこ》に|三人《さんにん》の|孱弱《かよわ》い|女《をんな》だ。ジタバタしたつて、もうあかぬ。|潔《いさぎよ》く|俺《おい》らの|女房《にようばう》となるか。|嫌《いや》ぢやなどと|貴様《きさま》の|白《しろ》い|首《くび》を|横《よこ》にでも|振《ふ》つて|見《み》よれ、この|鉄拳《てつけん》が|貴様《きさま》の|頭上《づじやう》にポカンと|御見舞《おみまひ》だぞ。サア|返答《へんたふ》はどうだ』
|乙《おつ》『ヤイヤイ、|見《み》れば|見《み》るほど|美《うつく》しい、|惜《を》しいものだ。いづれ|貴様《きさま》らも|一篇《いつぺん》は|夫《をつと》を|持《も》たねばなるまい、ドンナ|男《をとこ》に|添《そ》ふのも|因縁《いんねん》だ。|俺《おい》らの|女房《にようばう》になる|気《き》はないか。ヤイ|何《なに》、|嫌《いや》と|云《い》ふのか、|素直《すなほ》に|首《くび》を|縦《たて》に|振《ふ》つてアイと|云《い》はつしやい。お|姫《ひめ》さま、|之程《これほど》|恐《こは》く|見《み》えても|矢張《やつぱ》り|男《をとこ》と|女《をんな》だ。|女《をんな》にかけたら|涙《なみだ》|脆《もろ》いものだよ。|一黒《いちくろ》、|二赤《にあか》、|三白《さんしろ》といつて、|黒《くろ》い|奴《やつ》は|味《あじ》がよいものだ。どうだ、|如何《どう》だい、|返答《へんたふ》|聞《き》かう』
『オホヽヽヽ、|皆《みな》さま、こんな|不束《ふつつか》な|女《をんな》に|対《たい》してお|嬲《なぶ》りなさるのですか。|冗談《じやうだん》も|良《よ》い|加減《かげん》にして|下《くだ》さいな。|妾《わらは》の|父《ちち》は|貴方《あなた》の|仰有《おつしや》る|通《とほ》り|悪《わる》い|者《もの》で|御座《ござ》いましたか|知《し》りませぬが、|妾《わらは》には|何《なに》の|罪咎《つみとが》もない。|幸《さいは》ひ|女《をんな》の|身《み》の|姉妹《きやうだい》|三人《さんにん》、|旅《たび》は|道伴《みちづ》れ|世《よ》は|情《なさけ》、|世界《せかい》に|鬼《おに》はないと|聞《き》きました。|何卒《どうぞ》|妾《わらは》にそんな|事《こと》|仰有《おつしや》らずにこの|河《かは》を|渡《わた》して|下《くだ》さいませ』
|丙《へい》『|何卒《どうぞ》|妾《わらは》にソンナ|事《こと》|仰有《おつしや》らずに|渡《わた》して|下《くだ》さいませ、ソリヤ、|何《なに》|吐《ぬか》しよるのだ。|此《この》|渡《わた》しを|渡《わた》して|下《くだ》さいませ、なんて、|此方《こちら》が|石《いし》のやうに|硬《かた》く|出《で》れば|綿《わた》のやうに|柔《やはら》かく|出《で》よつて、イヤモウ|優《やさ》しい|面《つら》をして|酢《す》でも|菎蒻《こんにやく》でもゆく|奴《やつ》ではないワイ。オイ|皆《みな》のもの、|掛合《かけあ》ふも|面倒《めんだう》|臭《くさ》い。|此奴《こいつ》ら|三人《さんにん》の|奴《やつ》をこの|船《ふね》に|乗《の》せて、|河《かは》の|真中《まんなか》に|連《つ》れて|退引《のつぴ》きさせぬ|談判《だんぱん》をやるのだ。|兎《と》に|角《かく》、|船《ふね》に|乗《の》せた|上《うへ》は|此方《こつち》のものだ。|河《かは》の|真中《まんなか》に|船《ふね》をとめてゆつくりと|談判《だんぱん》をやるに|限《かぎ》る。|女《をんな》の|一心《いつしん》、|岩《いは》をも|徹《とほ》すと|云《い》ふが、|男《をとこ》の|一心《いつしん》は|一口《ひとくち》、|半句《はんく》も【いは】いでも|徹《とほ》すのだ。|河《かは》の|中《なか》へ|伴《つ》れて|行《ゆ》けば、|変《かは》り|易《やす》きは|女《をんな》の|心《こころ》、|乗《の》りかけた|船《ふね》だ、アヽア|仕方《しかた》がない、それなら|貴方等《あなたがた》の|仰有《おつしや》る|通《とほ》りに|致《いた》します。|此《この》エデンの|河《かは》の|様《やう》に、|深《ふか》くふかく【かは】いがつて|下《くだ》さいと|仰有《おつしや》るのは|目《ま》のあたりだ。|淵瀬《ふちせ》と|変《かは》る|人《ひと》の|行末《ゆくすゑ》、|昨日《きのふ》や|今日《けふ》の|飛鳥川《あすかがは》、|明日《あす》をも|知《し》れぬ|生命《いのち》だ、|一寸《いつすん》さきは|暗《やみ》の|世《よ》だ。たとへ|一息《ひといき》の|間《ま》でもコンナ|綺麗《きれい》な|女《をんな》と|添《そ》ふ|事《こと》が|出来《でき》たら|一生《いつしやう》の|光栄《くわうえい》だ。イヤ|三人《さんにん》のお|方《かた》、|船《ふね》に|乗《の》つて|下《くだ》さい、|乗《の》せませう。その|代《かは》りに、|吾々《われわれ》ものせて|貰《もら》はなならぬからな、|宜《よろ》しいかな。|親切《しんせつ》を|尽《つく》して|助《たす》け|助《たす》けられ、|世《よ》の|中《なか》はまはり|持《も》ちだ。|浮世《うきよ》の|船《ふね》に|棹《さを》さして|激《はげ》しき|河《かは》の|瀬《せ》を|渡《わた》るも|何《なに》かの|因縁《いんねん》だらう。|此処《ここ》は|三途《さんづ》の|川《かは》ぢやない、|花《はな》は|麗《うるは》しく|果物《くだもの》|豊《ゆた》かな|顕恩郷《けんおんきやう》だ、イヤ|貴女等《あなたがた》も|顕恩郷《けんおんきやう》の|花《はな》となつて|睦《むつま》じく|暮《くら》すのだよ。さうなれば|妹《いもうと》の|仇《あだ》も|何《なに》も|此《この》エデンの|河《かは》へサツパリ|流《なが》れ|勘定《かんぢやう》だ。|流《なが》れ|川《がは》で|尻《しり》を|洗《あら》つたやうにすつかり|打《う》ち|解《と》けて、|清《きよ》い|清《きよ》い|水《みづ》も|洩《も》らさぬ|顕恩郷《けんおんきやう》の|恵《めぐ》みを|楽《たの》しむのだな。|売言葉《うりことば》に|買《か》ひ|言葉《ことば》、|魚心《うをごころ》あれば|水心《みづごころ》あり、|斯《か》う|見《み》えても|真実《ほんと》に|優《やさ》しい|男《をとこ》だよ。|人《ひと》には|添《そ》うてみい、|馬《うま》には|跨《またが》つて|見《み》い、|船《ふね》には|乗《の》つて|見《み》いだ。さあ|早《はや》く|乗《の》つたり|乗《の》つたり』
|竹野姫《たけのひめ》はためらいながら、
『|姉《ねえ》さま、|妹《いもうと》、|如何《どう》|致《いた》しませう。|妾《わたし》|恐《おそ》ろしいワ』
『|姉《ねえ》さま、やめませうか、もう|帰《かへ》りませう、|生《うま》れてからコンナ|恐《こは》い|目《め》に|遇《あ》つた|事《こと》はありませぬ。アヽ|誰《たれ》ぞ|助《たす》けに|来《き》て|呉《く》れるものはありますまいかね』
と|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|憂《うれ》ひを|浮《うか》べて|涙《なみだ》を|袖《そで》に|拭《ぬぐ》ふ。
|甲《かふ》『さあ|早《はや》く|乗《の》らぬかい、|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》してるのだ。|乗《の》せて|呉《く》れえと|頼《たの》んだぢやないか。|吾々《われわれ》は|色々《いろいろ》と|評議《ひやうぎ》をして、|到頭《たうとう》お|前《まへ》たちを|乗《の》せてやることになつたのだ。|人《ひと》の|親切《しんせつ》を|無《む》にして|乗《の》らぬと|云《い》ふのか。この|場《ば》になつて|乗《の》るの|乗《の》らぬのと、そんな|馬鹿《ばか》なことがあつたものかい、|乗《の》らぬなら|乗《の》らぬで|宜《よ》い、|男《をとこ》の|一心《いつしん》【いは】いでも|徹《とほ》す、フン|縛《じば》つてでも|乗《の》せてやるのだ』
と|云《い》ひながら|五人《ごにん》の|男《をとこ》は、|今《いま》や|三人《さんにん》の|美人《びじん》に|向《むか》つて|乱暴《らんばう》に|及《およ》ばむとする。|此《この》|時《とき》|浅黄《あさぎ》の|被布《ひふ》に|襷《たすき》を|綾取《あやど》つた|男《をとこ》、|息《いき》せききつて|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ、
『ヤアヤア、|待《ま》つた|待《ま》つた、|待《ま》てと|申《まを》さば|待《ま》つが|宜《よ》からうぞ』
|甲《かふ》『ナヽヽ、ナヽヽ|何《なに》|邪魔《じやま》をするのだ、|唐変木《たうへんぼく》|奴《め》が。|九分九厘《くぶくりん》と|云《い》ふ|処《ところ》へやつて|来《き》よつて、|待《ま》つも|待《ま》たぬもあつたものかい、|邪魔《じやま》をひろぐと|生命《いのち》がないぞ』
|一人《ひとり》の|男《をとこ》はカラカラと|打笑《うちわら》ひ、
『|吾《われ》こそは|地教《ちけう》の|山《やま》に|鎮《しづ》まる|大天狗《だいてんぐ》だ。|愚図々々《ぐづぐづ》|吐《ぬか》すと、|腕《かひな》を【むし】り|股《また》を|引裂《ひきさ》き、エデンの|河《かは》に|投込《なげこ》んでやらうか』
|一同《いちどう》は、
『|何《なに》、その|広言《くわうげん》は|後《のち》にせよ』
と、|各自《てんで》に|拳骨《げんこつ》を|固《かた》めて|四方《しはう》より|打《う》つてかかるを、|一人《ひとり》の|男《をとこ》は|縦横無尽《じうわうむじん》に|五人《ごにん》の|間《あひだ》を|駆廻《かけまは》り、|襟髪《えりがみ》とつてドツとばかりエデンの|流《なが》れに|向《むか》つて|投《な》げつけ、また|来《く》る|奴《やつ》を|首筋《くびすぢ》|掴《つか》んで、|以前《いぜん》の|如《ごと》くドツとばかりに|投《ほ》り|込《こ》む|早業《はやわざ》。|残《のこ》る|三人《さんにん》は|捻鉢巻《ねぢはちまき》をしながら|又《また》もや|武者振《むしやぶ》りつくを、
『エイ|面倒《めんだう》』
と|足《あし》をあげてポンと|蹴《け》る|途端《とたん》に、ヨロヨロヨロと【よろめ】き|大地《だいち》に|大《だい》の|字《じ》に|倒《たふ》れ|伏《ふ》す。|残《のこ》る|二人《ふたり》は|雲《くも》を|霞《かすみ》と|韋駄天走《ゐだてんばし》り……。|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|三人《さんにん》は|地獄《ぢごく》で|仏《ほとけ》に|会《あ》うたる|心地《ここち》して、|一人《ひとり》の|男《をとこ》の|前《まへ》に|現《あら》はれ|両手《りやうて》をつき、
|松代姫《まつよひめ》『|何処《いづこ》の|方《かた》かは|知《し》りませぬが、|危《あやふ》き|処《ところ》をお|助《たす》け|下《くだ》さいまして……』
と|云《い》はむとすれば、|男《をとこ》は|大地《だいち》に|平伏《へいふく》して、
『イヤ|勿体《もつたい》ない、お|姫様《ひめさま》、|私《わたくし》は|照彦《てるひこ》で|御座《ござ》います。|一足《ひとあし》の|事《こと》で|大変《たいへん》で|御座《ござ》いました。|九分九厘《くぶくりん》で|神様《かみさま》がお|助《たす》け|下《くだ》さつたのでせう。|私《わたくし》も【|今日《けふ》に|限《かぎ》つて|思《おも》はぬ|力《ちから》が|出《で》ました】。これ|全《まつた》く|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》の|御神徳《ごしんとく》の|然《しか》らしむるところ、|此処《ここ》で|一同《いちどう》|揃《そろ》うて|神様《かみさま》に|御礼《おれい》を|致《いた》しませう』
『アヽ、|汝《なんぢ》は|照彦《てるひこ》、ようまア、いい|処《ところ》へ|来《き》て|呉《く》れました。|妾《わらは》ら|姉妹《きやうだい》はお|前《まへ》に|黙《だま》つて|来《き》て|済《す》まなかつたが、お|前《まへ》に|旅《たび》の|苦労《くらう》をさすのが|可愛《かあい》さうだと|思《おも》つて、|姉妹《しまい》|三人《さんにん》|牒《しめ》し|合《あは》せ、|此処《ここ》まで|来《く》るは|来《き》たものの、|虎《とら》、|狼《おほかみ》、|獅子《しし》、|大蛇《をろち》の|荒《あら》び|猛《たけ》ぶ|山《やま》の|尾《を》|踏《ふ》み|越《こ》え、|心《こころ》|淋《さび》しき|折柄《をりから》に、|此《この》|渡《わた》し|場《ば》にヤツト|一息《ひといき》する|間《ま》もなく、|又《また》もや|荒《あら》くれ|男《をとこ》の|無理難題《むりなんだい》、|進退《しんたい》|谷《きは》まつた|其《そ》の|刹那《せつな》、お|前《まへ》に|会《あ》うたのは|全《まつた》く|神様《かみさま》のお|引合《ひきあは》せ、|何卒《どうぞ》、|父上《ちちうへ》の|国《くに》まで|送《おく》つて|下《くだ》さらぬか』
|照彦《てるひこ》は、
『ハイ』
と|答《こた》へて|平伏《へいふく》する。|二人《ふたり》の|妹《いもうと》は|嬉《うれ》しさうに、
『アヽ、|照彦《てるひこ》、|能《よ》う|来《き》て|下《くだ》さつた。サアサ|一同《いちどう》、お|祝詞《のりと》を|奏上《あ》げませう』
|茲《ここ》に|四人《よにん》の|主従《しうじう》は|路傍《みちばた》の|芝生《しばふ》に|端坐《たんざ》し、|拍手《かしはで》をうつて|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》しぬ。
(大正一一・二・一二 旧一・一六 北村隆光録)
第三章 |三笠丸《みかさまる》〔三九六〕
|主人《あるじ》を|思《おも》ふ|真心《まごころ》の  |赤《あか》き|心《こころ》は|紅葉《もみぢば》の
|色《いろ》にも|優《まさ》る|照彦《てるひこ》が  |父《ちち》に|会《あ》ふ|日《ひ》を|松代姫《まつよひめ》
|心《こころ》の|竹野《たけの》ある|限《かぎ》り  |山《やま》と|積《つ》みてし|苦《くる》しさや
|谷《たに》の|戸《と》|開《あ》けて|鶯《うぐひす》の  |鳴《な》く|音《ね》|淋《さび》しき|梅ケ香姫《うめがかひめ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》と|諸共《もろとも》に  エデンの|河《かは》を|打渡《うちわた》り
|世《よ》は|九分九厘《くぶくりん》|足曳《あしびき》の  |山《やま》を|打越《うちこ》え|野《の》を|渉《わた》り
|心《こころ》も|勇《いさ》む|四人連《よにんづれ》  |心《こころ》つくしのアフリカの
ヨルの|港《みなと》に|着《つ》きにけり。
|今《いま》や|船《ふね》は|帆《ほ》に|風《かぜ》を|孕《はら》んで|智利《てる》の|国《くに》へ|向《むか》はむとしてゐる。|船人《ふなびと》は|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|出船《でぶね》の|時《とき》|迫《せま》れるを|叫《さけ》んでゐる。|数十《すうじふ》の|乗客《じやうきやく》は|先《さき》を|争《あらそ》うて|乗込《のりこ》んだ。|松代姫《まつよひめ》の|一行《いつかう》も|漸《やうや》くにして|船《ふね》に|乗《の》りたるか、|三笠丸《みかさまる》は|青葉《あをば》|滴《したた》る|岸《きし》を|離《はな》れて|西《にし》へ|西《にし》へと|波《なみ》の|琴《こと》を|弾《だん》じながら、|海面《かいめん》|静《しづ》かに|滑《すべ》つて|行《ゆ》く。
|日《ひ》は|漸《やうや》く|斜《ななめ》に、さしもに|広《ひろ》き|大海原《おほうなばら》は|金波《きんぱ》|銀波《ぎんぱ》の|錦《にしき》の|蓆《むしろ》、なみなみならぬ|眺《なが》めなりけり。|船頭《せんどう》は|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げ、
『|筑紫《つくし》の|国《くに》をあとに|見《み》て  ウヅの|都《みやこ》へはせて|行《ゆ》く
|道《みち》は|三千《さんぜん》|三百里《さんびやくり》  |通《かよ》ふも|遠《とほ》き|波《なみ》の|上《うへ》』
と|暢気《のんき》さうに|唄《うた》ふ。|一行《いつかう》はあと|振返《ふりかへ》り|流《なが》れ|行《ゆ》く|雲《くも》を|眺《なが》めて|望郷《ばうきやう》の|念《ねん》に|駆《か》らるる|折《をり》しも、|日《ひ》は|漸《やうや》く|水平線下《すゐへいせんか》に|姿《すがた》を|没《ぼつ》し、|夜《よる》の|帳《とばり》はおろされて、|黒白《あやめ》もわかぬ|波《なみ》の|上《うへ》、|滑《すべ》り|行《ゆ》く|海面《かいめん》は|僅《わづか》に|船《ふね》の|微《かすか》な|音《おと》の|聞《きこ》ゆるのみ。この|時《とき》|船《ふね》の|一隅《いちぐう》より、
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|筑紫《つくし》の|海《うみ》は|深《ふか》くとも  |天津御空《あまつみそら》は|高《たか》くとも
|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|如《し》かざらめ  |神《かみ》の【いき】より|生《う》まれたる
わが|垂乳根《たらちね》は|今《いま》いづこ  |母《はは》は|黄泉《よみぢ》に|出《い》でまして
|何《なん》の|便《たよ》りもなみの|上《うへ》  あとに|残《のこ》りし|桃上彦《ももがみひこ》の
|父《ちち》の|命《みこと》の|在処《ありか》をば  |探《たづ》ねむための|旅《たび》の|空《そら》
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》ける
この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |罪科《つみとが》|深《ふか》きわが|父《ちち》の
|穢《けが》れをここに|荒磯《あらいそ》の  |尊《たふと》き|夢《ゆめ》を|三笠丸《みかさまる》
ウヅの|都《みやこ》を|立出《たちい》でて  【うづ】まきわたる|和田《わだ》の|原《はら》
|親島《おやしま》|子島《こしま》のここかしこ  |数多《あまた》|浮《うか》べる|世《よ》の|中《なか》に
|一人《ひとり》の|親《おや》に|生別《いきわか》れ  |雲霧《くもきり》わけて|進《すす》む|身《み》の
みつの|身魂《みたま》ぞあはれなり  あゝ|皇神《すめかみ》よ|皇神《すめかみ》よ
|心《こころ》も|広《ひろ》く|大直日《おほなほひ》  |見直《みなほ》しまして|片時《かたとき》も
いと|速《すむや》けく|父上《ちちうへ》に  |会《あ》はせ|給《たま》へよわだつ|神《かみ》
|風《かぜ》|凪《な》ぎ|渡《わた》る|海原《うなばら》は  |波《なみ》も|静《しづ》かにをさまれど
|親《おや》を|慕《した》へる|雛鳥《ひなどり》の  |心《こころ》の|波《なみ》は|騒《さわ》ぐなり
|心《こころ》の|波《なみ》は|騒《さわ》ぐなり  ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し  |身《み》の|苦《くる》しみは|宣《の》り|直《なほ》す
|神《かみ》の|教《をしへ》と|聞《き》きつれど  |山《やま》より|高《たか》く|海《うみ》よりも
|深《ふか》き|恵《めぐ》みの|神《かみ》の|裔《すゑ》  |桃上彦《ももがみひこ》のわが|父《ちち》に
いつか|相生《あひおひ》|淡路島《あはぢしま》  |通《かよ》ふ|千鳥《ちどり》の|声《こゑ》|高《たか》く
|歌《うた》ふ|心《こころ》を|平《たひら》けく  いと|安《やす》らけく|聞《きこ》しめせ』
とやさしき|女《をんな》の|声《こゑ》|聞《きこ》え|来《きた》る。|更《ふ》け|渡《わた》る|春《はる》の|夜《よ》の|大空《おほぞら》は、|何処《どこ》ともなく【ドンヨリ】として、|星《ほし》は|疎《まば》らに、あちらに|一《ひと》つ、こちらに|三《み》つ、|五《いつ》つ、|十《とを》と、|雲《くも》の|帳《とばり》をあけて|覗《のぞ》くのみなり。
|船客《せんきやく》はそろそろ|白河夜船《しらかはよぶね》を|漕《こ》ぎ|出《だ》し|寝《しん》に|就《つ》く。|折柄《をりから》の|東風《こち》は【ぴたり】とやみて、|肥《こ》えた|帆《ほ》は|痩《や》せしぼみ|極《きは》めて|静寂《せいじやく》なり。|船客《せんきやく》の|四五人《しごにん》は|眠《ねむ》りもやらず|雑談《ざつだん》を|始《はじ》めて|居《ゐ》る。
|甲《かふ》『オイ、|今《いま》のやさしい|声《こゑ》はあら|何《なん》だ。|月《つき》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも、ナンテ|云《い》つてるやうだが、|此《この》|頃《ごろ》は|真《しん》の|暗《やみ》だ。|照《て》るも|曇《くも》るもあつたものか、|訳《わけ》のわからぬ|事《こと》を|云《い》ふ|奴《やつ》だね』
|乙《おつ》『|貴様《きさま》、わからぬ|奴《やつ》だな。ありや|宣伝歌《せんでんか》だよ。|今晩《こんばん》の|事《こと》を|云《い》つてるのではないよ。ありや|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が|歌《うた》ふ|神歌《しんか》だ。よく|聞《き》いて|見《み》よ、なかなか|味《あぢ》があるよ』
|甲《かふ》『それでも|貴様《きさま》、|海《うみ》の|上《うへ》だと|云《い》つたよ。|現在《げんざい》|今《いま》の|事《こと》を|云《い》つてゐよるのだ。|貴様《きさま》は|女宣伝使《をんなせんでんし》だと|思《おも》つて|弁護《べんご》をするのか。|本当《ほんたう》に|抜目《ぬけめ》のない|奴《やつ》だ。|船《ふね》に|乗《の》りながら|又《また》|重《かさ》ねて|船《ふね》に|乗《の》らうなんて、ソンナ|野心《やしん》を|起《おこ》したつて|九分九厘《くぶくりん》|行《い》つたところで、【クレン】と|覆《かへ》されるのだ。この|間《あひだ》の|朝日丸《あさひまる》に|乗《の》つた|時《とき》に、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が、|改心《かいしん》せぬと|何時《いつ》|船《ふね》が|覆《かへ》るやら|知《し》れぬと|云《い》つてゐたよ』
|丙《へい》『|船《ふね》の|中《なか》で【かへ】るのかへらぬのと|縁起《えんぎ》の|悪《わる》い|事《こと》を|云《い》ふない』
|甲《かふ》『ナンボ|船《ふね》だつて、|行《ゆ》き|切《き》りにはなりはしない。いづれ|一篇《いつぺん》は|帰《かへ》つて|来《く》るのだ。【かへ】らいで|堪《たま》らうかい。|今朝《けさ》も|出掛《でがけ》に|俺《おれ》の|所《ところ》の|乙姫《おとひめ》が、|用《よう》がすみたら|一時《いちじ》も|早《はや》く|帰《かへ》つて|頂戴《ちやうだい》、|三笠丸《みかさまる》に|乗《の》つて|智利《てる》の|国《くに》へ|行《い》つて、|妙《めう》な|船《ふね》に|乗《の》つて【みかさ】でもかかぬやうにして、|早《はや》く|帰《かへ》つて|下《くだ》さいねえ、ナンテ|吐《ぬ》かしよつて、こなさまの|肩《かた》をトントンと|叩《たた》きよつた。そしてな、|早《はや》く|帰《かへ》つて|妾《わたし》の|船《ふね》に、とよ』
|丙《へい》『|莫迦《ばか》にするな。|何《なん》だい|乙姫《おとひめ》ナンテ、【どてかぼちや】の【ひちおたふく】みたやうな|嬶《かか》を|大事《だいじ》さうに、|乙姫《おとひめ》が|聞《き》いて|呆《あき》れるワ。|貴様《きさま》が|智利《てる》の|国《くに》で【かさ】でも|被《かぶ》つて|戻《もど》つて|来《き》てな、|妙《めう》な|事《こと》をやつて|貴様《きさま》の|嬶《かか》の|鼻《はな》を【おと】|姫《ひめ》にするのだろ、|其処《そこ》らが|落《お》ちだよ』
|乙《おつ》『オイオイ、|三人《さんにん》も|別嬪《べつぴん》が|乗《の》つてゐるぢやないか。そんな|仕様《しやう》もない|話《はなし》をすると|愛想《あいそ》を|尽《つ》かされるよ』
|丙《へい》『|愛想《あいそ》を|尽《つ》かされたつて|構《かま》ふものか。|俺等《おいら》の|自由《じいう》になるのではなし、|貴様《きさま》、|矢張《やつぱ》り|色気《いろけ》があるね』
|乙《おつ》『あらいでかい、この|世《よ》の|中《なか》に|色気《いろけ》と|自惚《うぬぼれ》と|慾《よく》のない|奴《やつ》があるものか。|貴様《きさま》は|慾《よく》はない、【よくない】|奴《やつ》は|所謂《いはゆる》|悪人《あくにん》だよ』
『|何《なに》を|吐《ぬ》かしよる』
と|声《こゑ》を|目当《めあて》に|頭《あたま》をポカンとやつつける。
『アイタタ、こら|喧嘩《けんくわ》をするのか。|地中海《ちちうかい》の|汐風《しほかぜ》に|曝《さら》したこの|腕《うで》だぞ。サア|来《こ》い』
と|暗闇《くらやみ》|紛《まぎ》れに|拳骨《げんこつ》を|固《かた》めて、|見当《けんたう》を|定《さだ》めてブン|殴《なぐ》れば、
『キヤーア』
と|女《をんな》の|声《こゑ》。
『やあ、これは|失敬《しつけい》。|狸《たぬき》の|奴《やつ》、|替玉《かへだま》を|使《つか》ひよつたな。|声《こゑ》を|上《あ》げぬか、|卑怯《ひけふ》ぢやないか』
くらがりから、
|丙《へい》『|俺《おれ》もこんな【ひけふに】|陥《おちい》つては|頭《あたま》が|上《あが》らぬワイ。【チウ】の|声《こゑ》も|出《で》ぬ|事《こと》はない|事《こと》はない』
|丁《てい》『まるで|鼠《ねずみ》の|様《やう》な|奴《やつ》だなア』
と|囁《ささや》きゐる。|忽《たちま》ち|沖《おき》のあなたより|荒浪《あらなみ》|狂《くる》ふ|音《おと》|迫《せま》り|来《きた》り、|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜぬ|闇《やみ》の|中《なか》に、|波《なみ》は|鬣《たてがみ》を|振《ふ》つて|舷《ふなばた》に|噛《か》みつき|来《きた》りしが、|此《この》|時《とき》|又《また》もや|男《をとこ》の|声《こゑ》として、|涼《すず》しき|宣伝歌《せんでんか》は|船《ふね》の|一隅《いちぐう》より|聞《きこ》え|来《きた》りぬ。
(大正一一・二・一二 旧一・一六 池沢原次郎録)
第四章 |大足彦《おほだるひこ》〔三九七〕
さしもに|広《ひろ》き|海原《うなばら》を、|天《てん》に|憚《はばか》らず|地《ち》に|怖《お》ぢず、|我物顔《わがものがほ》に|吹《ふ》きまくつた|海風《うなかぜ》も、|瞬《またた》く|間《うち》にピタリと|止《や》みたれば、|又《また》もや|船客《せんきやく》は|囀《さへづ》り|出《だ》したり。
|甲《かふ》『ヤアヤア、|滅多矢鱈《めつたやたら》に|脅《おど》かしよつた。|広《ひろ》い|海《うみ》の|平《ひら》たい|面《つら》を、|春風《はるかぜ》|奴《め》が|吹《ふ》き|捲《まく》つて|乙姫《おとひめ》さまの|裾《すそ》まで|捲《まく》りあげて、|玉《たま》のみ|船《ふね》を|三笠丸《みかさまる》、と|云《い》ふ|体裁《ていさい》だつたワ』
|乙《おつ》『また【はしや】ぎよる。|貴様《きさま》は|風《かぜ》が|吹《ふ》くと、|船《ふね》の|底《そこ》に|噛《かぢ》り|付《つ》いて|震《ふる》うて|居《ゐ》よるが、|風《かぜ》が|止《や》むと、|蟆子《ぶと》か|蚊《か》のやうに、|直《ぢき》に|立《た》ち|上《あが》りよる、|静《しづ》かにせぬと、また|最前《さいぜん》のやうな|波《なみ》が|立《た》つぞよ』
『|立《た》たいでかい、|船《ふね》を|見《み》たら|楫《かぢ》が|立《た》つのは|当《あた》り|前《まへ》だい。|立《た》つて|立《た》つて|立《た》ちぬきよつてカンカンだ。カンカンカラツク、カーンカンぢや。カンカン|篦棒《べらぼう》、ボンボラ|坊主《ばうず》のオツトコドツコイ、|坊主頭《ばうずあたま》に|捻鉢巻《ねぢはちまき》で、クーイクーイだ』
『ソラ|何《なん》だい』
『|船《ふね》の|音《おと》だい、|船《ふね》を|漕《こ》ぐ|楫《かぢ》の|音《おと》だい。さうクイ|込《こ》んで|尋《たづ》ねて|呉《く》れな、|九分九厘《くぶくりん》でまた【へかる】と|困《こま》るからなあ』
『【へかる】つて|何《なん》だい』
『【へかる】と|言《い》へば|大概《たいがい》|分《わか》つたものだい。|縁起《えんぎ》が|悪《わる》いからな、|返《かへ》して|言《い》うたのだよ』
『|覆《かへ》すなんて、|尚《なほ》|悪《わる》いぢやないか。|蛙《かへる》の|行列《ぎやうれつ》、|向《むか》ふ|不見転《みずてん》の|土左衛門《どさゑもん》|奴《め》が』
『|土左衛門《どざゑもん》さ……この|方《はう》は○○○クイクイ|言《い》ふなと|云《い》ふが、|世《よ》の|中《なか》はクイとノミと○○だ』
|丙《へい》『アイタヽヽ、タ|誰《たれ》だい、|俺《おれ》の|鼻《はな》を|抓《つま》みよつて、ハナハナ|以《もつ》て|不都合《ふつがふ》|千万《せんばん》な』
|丁《てい》『さなきだに、|暗《くら》けき|海《うみ》の|船《ふね》の|上《うへ》、|鼻《はな》【つま】まれて、【つま】らないとは』
|丙《へい》『|何《なん》だ、|松《まつ》の|廊下《らうか》ぢやあるまいし、|馬鹿《ばか》にしよるな。|俺《おれ》も|貰《もら》ひ|捨《す》てにしてはハナハナ|以《もつ》て|詰《つま》らないから、オハナでも|祝《いは》うて|上《あ》げませうかい』
|猿臂《えんぴ》を|伸《の》ばし、|暗《くら》がりに|紛《まぎ》れて|見当《けんたう》を|定《さだ》め、|此処《ここ》らに|声《こゑ》がしたと|言《い》ひながら、いやと|言《い》ふほど|鼻柱《はなばしら》を【つま】みグイと|捩《ね》ぢる。
|丁《てい》『イイ|痛《いた》い、【はな】さぬか はなさぬか』
|丙《へい》『|放《はな》して|堪《たま》らうか、【このハナ】はな、|万劫《まんごふ》|末代《まつだい》ミロクの|代《よ》までも【はな】しやせぬ。ナアナアお【はな】、お|前《まへ》と|俺《わし》との|其《その》|仲《なか》は、|昨日《きのふ》や【けふかたびら】の|事《こと》かいな』
|甲《かふ》『エエイ、|縁起《えんぎ》の|悪《わる》い、【けふ】|帷子《かたびら》も【あす】|帷子《かたびら》もあつたものかい。|船《ふね》の|上《うへ》は|縁起《えんぎ》を|祝《いは》ふものだ、|京帷子《きやうかたびら》とは|何《なん》の|事《こと》だい』
|丙《へい》『|昨日《きのふ》や|今日《けふ》の|飛鳥川《あすかがは》、【かはい】かはいと|啼《な》く|烏《からす》、|黒《くろ》い|烏《からす》が|婿《むこ》にとる、とる|楫《かぢ》なみも|面黒《おもくろ》く、|黒白《あやめ》も|分《わ》かぬ|真《しん》の|闇《やみ》、|此奴《こいつ》の|顔《かほ》は|炭《すみ》か|炭団《たどん》か、まつ|黒《くろ》けのけ まつ|黒《くろ》けのけ まつ|黒《くろ》けのけ……。|人《ひと》の|鼻《はな》を|抓《つま》みよつて、あまり|馬鹿《ばか》にするな。|俺《おれ》の|顔《かほ》は|蓮華台上《れんげだいじやう》だ。ツウンと|高《たか》く|秀《ひい》でてこの【はな】|姫《ひめ》がお|鎮《しづ》まりだ。この【はな】さまを|何《なん》と|心得《こころえ》て|居《を》るか。|俺《おれ》はかう|見《み》えても、テヽヽ|天狗《てんぐ》さまでないよ、|天教山《てんけうざん》の|生神《いきがみ》さまだ。どんなお|方《かた》が|落《お》ちてござるか|判《わか》らぬぞよ、と|三五教《あななひけう》が|言《い》つて|居《を》らうがな』
|丁《てい》『|途中《とちう》の|鼻高《はなだか》、|鼻《はな》ばかり|高《たか》うて|目《め》の|邪魔《じやま》をして、|上《うへ》の|方《はう》は|見《み》えず、|向《むか》ふは|尚《なほ》|見《み》えず、|足許《あしもと》はまつくろけ、|深溜《ふかだま》りに|陥《はま》つて|泥《どろ》まぶれになつて、アフンと|致《いた》さな|目《め》が|醒《さ》めぬぞよ』
『そんな|事《こと》、|誰《たれ》に|聞《き》き|噛《かぢ》りよつた。|馬鹿《ばか》な|奴《やつ》だなア。それは|貴様《きさま》の|事《こと》だい。|貴様《きさま》は|耳《みみ》ばかり|極楽《ごくらく》へ|行《ゆ》きよつて、|百舌鳥《もず》のやうに|囀《さへづ》るから、キツト|貴様《きさま》が|死《し》んだら、|木耳《きくらげ》と|数《かず》の|子《こ》は|高天原《たかあまはら》へ|往《い》つて|不具者《かたわ》になり、|根《ね》の|国《くに》に|落《お》ち|行《ゆ》くのが|落《おち》だよ』
『|木耳《きくらげ》や|数《かず》の|子《こ》が|天国《てんごく》へ|行《い》つたつて、それが|何《なん》だい』
『|馬鹿《ばか》だなあ。|貴様《きさま》の|耳《みみ》はいい|事《こと》ばかり|聞《き》くらげの|耳《みみ》だ。それがカンピンタンになつて|木耳《きくらげ》になるのだ。さうして|行《おこな》ひもせずに、|舌《した》ばかり|使《つか》ふから、|舌《した》が|乾物《ひもの》になつて|数《かず》の|子《こ》になるのだ。|貴様《きさま》は|根《ね》の|国《くに》に|往《い》つてなあ、アヽ|私《わたくし》は|三五教《あななひけう》の|結構《けつこう》な|教《をしへ》ばかり【きくらげ】だつたが、|聞《き》いただけで|行《おこな》ひをせなかつたので、こんな|処《とこ》へ|来《き》たのか。アヽアヽ|取《と》り|返《かへ》しのならぬ|事《こと》を、【したあ】したあと|吐《ぬか》して、|吠《ほ》え|面《づら》かわく|代物《しろもの》だらうよ』
|何人《なんびと》とも|知《し》れず、|幽《かす》かなる|歌《うた》の|声《こゑ》|聞《きこ》え|来《きた》る。
『|怪《け》しき|憂世《うきよ》に|大足彦《おほだるひこ》の  |神《かみ》の|命《みこと》は|天使長《てんしちやう》
|千々《ちぢ》に|心《こころ》を|尽《つく》したる  |月照彦《つきてるひこ》と|諸共《もろとも》に
この|世《よ》を|造《つく》り|固《かた》めむと  |東《ひがし》や|西《にし》や|北《きた》|南《みなみ》
|天《あめ》が|下《した》をば|隈《くま》もなく  いゆき|巡《めぐ》りし|足真彦《だるまひこ》
|九山八海《はちす》の|山《やま》に|現《あ》れませる  |木《こ》の|花姫《はなひめ》の|色《いろ》も|香《か》も
めでたき|教《のり》の|言《こと》の|葉《は》を  |残《のこ》る|隈《くま》なく|足真彦《だるまひこ》
|根底《ねそこ》の|国《くに》に|落《お》ち|給《たま》ひ  |鬼《おに》や|大蛇《をろち》や|醜探女《しこさぐめ》
|百《もも》の|枉津《まがつ》を|言向《ことむ》けて  ここに|現《あら》はれ|三笠丸《みかさまる》
|松竹梅《まつたけうめ》の|名《な》を|負《お》ひし  |桃上彦《ももがみひこ》の|残《のこ》したる
うづのみ|子《こ》をば|救《すく》はむと  |月照彦《つきてるひこ》の|命《みこと》もて
|浪路《なみぢ》かすかに|守《まも》りゆく  |日《ひ》は|紅《くれなゐ》の|夜《よる》の|海《うみ》
からき|潮路《しほぢ》を|掻分《かきわ》けて  いよいよ|父《ちち》に|巡《めぐ》り|会《あ》ふ
ウヅの|都《みやこ》にうづの|父《ちち》  |神《かみ》の|水火《いき》より|生《あ》れませる
|貴三柱《うづみはしら》の|姫御子《ひめみこ》よ  |黄泉《よもつ》の|坂《さか》の|桃《もも》の|実《み》と
|世《よ》に|現《あらは》れて|現身《うつそみ》の  |此《この》|世《よ》を|救《すく》ふ|伊邪那岐《いざなぎ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|杖柱《つゑはしら》  |意富加牟豆美《おほかむづみ》となりなりて
|千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|永久《とこしへ》に  |神《かみ》の|柱《はしら》となりわたれ
この|帆柱《ほばしら》の|弥高《いやたか》く  |目無堅間《めなしかたま》の|樟船《くすぶね》の
かたきが|如《ごと》く|村肝《むらきも》の  |心《こころ》を|練《ね》れよ|松代姫《まつよひめ》
|心《こころ》すぐなる|竹野姫《たけのひめ》  |一度《いちど》に|開《ひら》く|梅ケ香姫《うめがかひめ》
|匂《にほ》ふ|常磐《ときは》の|松《まつ》の|代《よ》を  まつも|目出度《めでた》き|高砂《たかさご》の
|夜《よる》なき|秘露《ひる》の|都路《みやこぢ》へ  |渡《わた》りて|月日《つきひ》も|智利《てる》の|国《くに》
はるばる|越《こ》えて|巴留《はる》の|国《くに》  |巴留《はる》の|都《みやこ》を|三柱《みはしら》の
|救《すく》ひの|神《かみ》と|現《あ》れませよ  |心《こころ》は|清《きよ》く|照彦《てるひこ》の
|随伴《みとも》の|司《かみ》と|諸共《もろとも》に  |智利《てる》の|都《みやこ》を|秘露《ひる》の|如《ごと》
|輝《かがや》きわたせヱルサレム  |貴《うづ》の|都《みやこ》をあとにして
ウヅの|都《みやこ》に|進《すす》み|行《ゆ》く  |此《こ》の|世《よ》を|救《すく》ふ|四柱《よはしら》の
|今日《けふ》の|首途《かどで》ぞ|雄々《をを》しけれ  |今日《けふ》の|首途《かどで》ぞ|目出度《めでた》けれ』
|甲《かふ》『ヤア、あんな|事《こと》を|云《い》ふ|奴《やつ》は|誰《たれ》だい。|俺《おい》らが|鼻《はな》を【つま】み|合《あ》ひして|喧嘩《けんくわ》をして|居《ゐ》るのに、|陽気《やうき》な|声《こゑ》を|出《だ》しよつて、【はな】の|都《みやこ》も【てる】の|都《みやこ》もあつたものか。|何処《どこ》の|奴《やつ》だい。そんな|事《こと》を|言《い》ひよると、この|拳固《げんこ》で|貴様《きさま》の|頭《あたま》をポカンとハルの|国《くに》だぞ。テルの|曇《くも》るの、ヒルのヨルのと|何《なに》を|吐《ほざ》きよるのだ。|今《いま》はヨルだぞ、【よる】べ|渚《なぎさ》の|拾《ひろ》ひ|小舟《をぶね》だ』
|乙《おつ》『コラコラ、|拾《ひろ》ひ|小舟《をぶね》と|言《い》ふことがあるか』
『ヤアヤア|捨《す》てとけ、ほつとけだ。これも|俺《おれ》の|捨台詞《すてぜりふ》だ。スツテの|事《こと》であの|荒波《あらなみ》に|生命《いのち》までも|捨《す》てるとこだつた。|本当《ほんたう》にあの|風《かぜ》が|今《いま》までつづきよつたら、|貴様等《きさまら》の|生命《いのち》はさつぱりステテコテンノテンだ。テントウさまも|聞《きこ》えませぬ。ブクブクブクと|泡《あわ》を|吹《ふ》きよつて、|今頃《いまごろ》にや|根《ね》の|国《くに》、|底《そこ》の|国《くに》の|御成敗《ごせいばい》だよ』
|夜《よ》はほのぼのと|明《あ》け|渡《わた》る。さしもに|広《ひろ》き|海原《うなばら》を、あちらこちらと|鴎《かもめ》や|信天翁《あはうどり》が|飛《と》びまはりゐる。
|甲《かふ》『オーイ、|貴様《きさま》らのお|友達《ともだち》が|沢山《たくさん》においでだぞ、【あはう】どりが』
この|時《とき》|前方《ぜんぱう》より、|白帆《しらほ》をあげた|大船《おほぶね》|小船《こぶね》、|幾十隻《いくじつせき》となく|此方《こなた》に|向《むか》つて、|艫《ろ》の|音《おと》|勇《いさ》ましく|風《かぜ》を|孕《はら》み|進《すす》み|来《きた》るあり。
(大正一一・二・一二 旧一・一六 東尾吉雄録)
第五章 |海上《かいじやう》の|神姿《しんし》〔三九八〕
|数十艘《すうじつそう》の|大船《おほぶね》|小船《こぶね》は|真帆《まほ》に|風《かぜ》を|孕《はら》んで、|堂々《だうだう》と|陣容《ぢんよう》を|整《ととの》へ|進《すす》み|来《きた》る。|三笠丸《みかさまる》は|風《かぜ》に|逆《さか》らひながら、|櫂《かい》の|音《おと》|高《たか》く|進《すす》み|行《ゆ》く。|向《むか》ふの|大船《おほふね》には、|気高《けだか》き|女神《めがみ》|舷頭《げんとう》に|立《た》ちあらはれ、|涼《すず》しき|瞳《ひとみ》|滴《したた》るが|如《ごと》く、|楚々《そそ》たる|容貌《ようばう》、|窈窕《えうてう》たる|姿《すがた》、いづこともなく|威厳《ゐげん》に|満《み》ち|東天《とうてん》を|拝《はい》して|何事《なにごと》か|祈《いの》るものの|如《ごと》くなり。|傍《かたはら》に|眉《まゆ》|秀《ひい》で|鼻筋《はなすぢ》|通《とほ》り、|色《いろ》|飽《あ》くまで|白《しろ》く、|筋骨《きんこつ》たくましく、|眼光《ぐわんくわう》|炯々《けいけい》として|人《ひと》を|射《い》る|大神人《だいしんじん》|立《た》ちゐたり。|船中《せんちう》の|人々《ひとびと》は|期《き》せずして|此《こ》の|一神《いつしん》に|眼《まなこ》を|注《そそ》ぐ。
『|限《かぎ》りも|知《し》れぬ|波《なみ》の|上《うへ》  |救《すく》ひの|船《ふね》をひきつれて
|黄泉《よもつ》の|国《くに》におちいりし  |百《もも》の|身魂《みたま》を|救《すく》ひ|上《あ》げ
|仰《あふ》ぐも|高《たか》き|天教《てんけう》の  |山《やま》にまします|木《こ》の|花姫《はなひめ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|御教《みをしへ》を  あをみの|原《はら》の|底《そこ》までも
|宣《の》べ|伝《つた》へゆく|宣伝使《せんでんし》  |神伊邪那美《かむいざなみ》の|大神《おほかみ》の
|御許《みもと》に|仕《つか》へ|奉《たてまつ》る  |吾《われ》は|日《ひ》の|出神司《でのかむつかさ》
|醜《しこ》のあつまる|黄泉島《よもつじま》  |黄泉軍《よもついくさ》を|言向《ことむ》けて
|世《よ》は|太平《たいへい》の|波《なみ》の|上《うへ》  |皇大神《すめおほかみ》に|従《したが》ひて
|救《すく》ひの|神《かみ》と|顕現《けんげん》し  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る
この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》もひろき|大直日《おほなほひ》
|直日《なほひ》のみたまを|楯《たて》となし  |厳《いづ》のみたまや|瑞《みづ》みたま
|並《なら》んで|進《すす》む|荒海《あらうみ》の  |波《なみ》をも|怖《お》ぢぬ|荒魂《あらみたま》
|風《かぜ》も|鎮《しづ》まる|和魂《にぎみたま》  |世人《よびと》を|救《すく》ふ|幸魂《さちみたま》
|暗世《やみよ》を|照《てら》す|奇魂《くしみたま》  |茲《ここ》に|揃《そろ》うて|伊都能売《いづのめ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|神業《かむわざ》は  |山《やま》より|高《たか》く|八千尋《やちひろ》の
|海《うみ》より|深《ふか》き|仕組《しぐみ》なり  |海《うみ》より|深《ふか》き|仕組《しぐみ》なり』
と|歌《うた》ふ|声《こゑ》も|風《かぜ》にさへぎられて、|終《つひ》には|波《なみ》の|音《おと》のみ|聞《きこ》えけり。|照彦《てるひこ》はこの|歌《うた》に|耳《みみ》をすませ、|頭《かうべ》を|傾《かたむ》け、
『モシ|松代姫《まつよひめ》|様《さま》、|今《いま》|往《ゆ》きちがひました|船《ふね》の|舷頭《げんとう》に|立《た》てる|二人《ふたり》の|神様《かみさま》は、|恐《おそ》れ|多《おほ》くも|伊邪那美《いざなみ》の|大神様《おほかみさま》と、|天下《てんか》に|名高《なだか》き|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》でありませう。|幽《かす》かに|聞《きこ》ゆる|歌《うた》の|心《こころ》によつて、|慥《たしか》に|頷《うなづ》かれます。|伊邪那美《いざなみ》の|命様《みことさま》は、|根《ね》の|国《くに》、|底《そこ》の|国《くに》へお|出《い》で|遊《あそ》ばし、|最早《もは》や|此《こ》の|世《よ》に|御姿《みすがた》を|拝《はい》することの|出来《でき》ないものと、|私《わたくし》|共《ども》は|覚悟《かくご》|致《いた》してをりました。|然《しか》るに|思《おも》ひもかけぬ|此《こ》の|海原《うなばら》で、|伊邪那美《いざなみ》の|神様《かみさま》にお|目《め》にかかるといふは、|何《なん》とした|有難《ありがた》い|事《こと》でございませうか。あゝ|実《じつ》に、|貴女様《あなたさま》はお|父上《ちちうへ》を|探《たづ》ねてお|出《い》で|遊《あそ》ばす|船《ふね》の|上《うへ》で、あの|世《よ》へ|一旦《いつたん》|行《い》つた|神様《かみさま》が、|再《ふたた》び|此《こ》の|世《よ》へ|船《ふね》に|乗《の》つて|現《あら》はれ、|何処《どこ》かは|知《し》らぬが|東《ひがし》を|指《さ》してお|出《で》ましになつた|事《こと》を|思《おも》へば、お|父上《ちちうへ》に|御面会《ごめんくわい》|遊《あそ》ばすのは|決《けつ》して|絶望《ぜつばう》ではありませぬ。|否《いな》お|父上《ちちうへ》のみならず、|母上《ははうへ》も|御無事《ごぶじ》でゐらつしやるかも|分《わか》りませぬ。|何《なん》と|今日《けふ》は|目出度《めでた》い|事《こと》でございませう』
『あゝ、あの|気高《けだか》い|御姿《おすがた》を|妾《わらは》は|拝《をが》んだ|時《とき》、|何《なん》とも|言《い》へぬ|崇高《すうかう》な|感《かん》じがしました。|又《また》|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》とやらのお|姿《すがた》を|拝《はい》した|時《とき》は、|何《なん》となくゆかしき|感《かん》じがして、わが|父上《ちちうへ》の|所在《ありか》を|御存《ごぞん》じの|方《かた》のやうに|思《おも》はれてなりませぬ。もしや|父上《ちちうへ》は、あのお|船《ふね》にお|乗《の》り|遊《あそ》ばして|御座《ござ》るのではあるまいか。あゝ|何《なん》となく|恋《こひ》しい|船《ふね》だ』
と|少《すこ》しく|顔《かほ》の|色《いろ》を|曇《くも》らせながら|物語《ものがた》る。|竹野姫《たけのひめ》は、
『お|姉《あね》さま、お|父《とう》さまに|会《あ》はれた|上《うへ》に、|又《また》お|母《かあ》さまに|会《あ》へるやうなことが|御座《ござ》いませうかな』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|静《しづか》に、
『|妾《わらは》の【いつも】の|夢《ゆめ》に、お|父《とう》さまには|何時《いつ》も|会《あ》へますが、お|母《かあ》さまに|会《あ》つても、|何《なん》だか|妙《めう》な|霞《かすみ》に|包《つつ》まれてハツキリ|致《いた》しませぬ。|神様《かみさま》のお|蔭《かげ》で|父上《ちちうへ》にはめぐり|会《あ》ふ|事《こと》は|出来《でき》ませうが、お|母《かあ》さまに|会《あ》ふといふ|事《こと》は|覚束《おぼつか》ないでせう』
|主従《しうじう》|四人《よにん》は|斯《か》くの|如《ごと》き|話《はなし》を|船《ふね》の|片隅《かたすみ》で【ひそひそ】としてゐる。|船中《せんちう》の|無聊《むれう》に|堪《た》へかねて、|腰《こし》の|瓢《ひさご》から|酒《さけ》をついで、|互《たがひ》に|盃《さかづき》を|交《かは》す|三人《さんにん》の|若者《わかもの》あり。|追々《おひおひ》と|酔《よひ》がまはり、|遂《つひ》には|巻舌《まきじた》となり、
|甲《かふ》『タヽヽヽヽ|誰《たれ》だい。この|荒《あら》い|海《うみ》の|中《なか》で、|死《し》んだお|母《かあ》さまに|会《あ》ひたいの、|会《あ》はれるのと|言《い》ひよつて、|縁起《えんぎ》の|悪《わる》い。ここは|何処《どこ》だと|思《おも》つてるのかい、|太平洋《たいへいやう》の|真中《まんなか》だぞ。|三途《さんづ》の|川《かは》でも|血《ち》の|池《いけ》|地獄《ぢごく》でもないワ。|死《し》んだ|者《もの》に、それ|程《ほど》|会《あ》ひたきや、|血《ち》の|池《いけ》へでも|舟《ふね》に|乗《の》つて|渡《わた》らぬかい。クソ|面白《おもしろ》くもない。|折角《せつかく》|甘《うま》い|酒《さけ》がマヅくなつて|了《しま》ふワ』
|乙《おつ》『|貴様《きさま》、|酒《さけ》|飲《の》むと、ようグツグツ|管《くだ》を|巻《ま》きよる|奴《やつ》だな。|何《なん》でも|彼《か》でも|引《ひ》つかかりをつけ|人様《ひとさま》の|話《はなし》を|横取《よこどり》りしよつて、|何《なに》をグツグツ|喧嘩《けんくわ》を|買《か》ひよるのだ。あのお|方《かた》はな、|貴様《きさま》のやうな|素性《すじやう》の|卑《いや》しい|雲助《くもすけ》のやうな|奴《やつ》とは、テンからお|顔《かほ》の|段《だん》が|違《ちが》ふのだ。なんだ、|仕様《しやう》もない|雲助《くもすけ》|野郎《やらう》が、|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を|言《い》つて、|寡婦《やもめ》の|行水《ぎやうずゐ》ぢやないが、|独《ひと》り【ゆう】とるワイと|心《こころ》の|中《なか》で|笑《わら》つてゐらつしやるのかも|知《し》れぬぞ。それだから|貴様《きさま》と|一緒《いつしよ》に|旅《たび》をするのは|御免《ごめん》だといふのだ。|酒癖《さけくせ》の|悪《わる》い|奴《やつ》だな。アフリカ|峠《たうげ》を|痩馬《やせうま》を|追《お》ふ|様《やう》に、|酒《さけ》を|飲《の》まぬ|時《とき》にはハイハイハイハイと|吐《ぬ》かしよつて、|屁《へ》ばかりたれて、|本当《ほんたう》に|上《あ》げも|下《おろ》しもならぬ|腰抜《こしぬ》けのツマらぬ|人間《にんげん》だが、|酒《さけ》を|食《くら》ふと|天下《てんか》でも|取《と》つたやうな|気《き》になつて、|何《なに》を【ほざ】くのだ、|身《み》の|程《ほど》|知《し》らず|奴《め》が。|一体《いつたい》あのお|方《かた》は【どなた】と|思《おも》つてるのか。|恐《おそ》れ|多《おほ》くもヱルサレムの|宮《みや》に|天使長《てんしちやう》をお|勤《つと》め|遊《あそ》ばした|結構《けつこう》な|神様《かみさま》の|箱入娘《はこいりむすめ》さまだぞ』
『ナヽヽヽ|何《なん》だ、|箱入娘《はこいりむすめ》だ、|箱入娘《はこいりむすめ》がものを|言《い》ふかい。|馬鹿《ばか》な|事《こと》を|吐《ぬ》かすな。|箱入娘《はこいりむすめ》なら|俺《おら》の|所《ところ》には|沢山《たくさん》あるワ。|娘《むすめ》ばかりか|箱入《はこいり》|息子《むすこ》も|箱入爺《はこいりぢい》さまでも|箱入婆《はこいりばあ》さまでも|箱入牛《はこいりうし》まで、チヤーンと【とつ】といてあるのだ』
『それは|貴様《きさま》、|間違《まちが》つてケツかる、|人形箱《にんぎやうばこ》の|事《こと》だらう』
『さうだ、|人形《にんぎやう》だつたよ。|人形《にんぎやう》がものを|言《い》うて|堪《たま》るかい』
『やア、その|人形《にんぎやう》で|思《おも》ひだしたが、この|海《うみ》には|頭《あたま》が|人間《にんげん》で|体《からだ》が|魚《さかな》で、|人魚《にんぎよ》とかいふものが|居《を》るさうだぞ。そいつを|漁《と》つて|料理《れうり》して|喰《く》ふと、|千年《せんねん》|経《た》つても|万年《まんねん》|経《た》つても|年《とし》が|寄《よ》らぬといふことだ。|一《ひと》つ|欲《ほ》しいものだのう』
|丙《へい》『やかましう|言《い》ふない。|折角《せつかく》の|酔《よひ》が|醒《さ》めて|了《しま》ふぢやないか。|人《ひと》の|眼《め》の|前《まへ》に|立《た》ち|塞《ふさ》がりよつてな、エーせめて|俺《おれ》の|眼《め》の|邪魔《じやま》なとすない。|俺《おれ》は|最前《さいぜん》からな、あの|三人《さんにん》の|三日月眉毛《みかづきまゆげ》の|花《はな》のやうな|美《うつく》しいお|姿《すがた》のお|姫様《ひめさま》のお|顔《かほ》を、チヨイチヨイと|拝《をが》んで、それをソツと|肴《さかな》にして|楽《たの》しんでをるのだ。そんな|所《ところ》に|立《た》つてガヤガヤ|吐《ぬ》かすと、|眼《め》の|邪魔《じやま》になるワイ』
かく|話《はな》す|折《をり》しも、|船底《ふなぞこ》に|怪《あや》しき|物音《ものおと》|聞《きこ》え|来《きた》る。|一同《いちどう》は、
『ヤア|何《なん》だ』
と|驚《おどろ》いて|一度《いちど》に|立上《たちあが》る。|船頭《せんどう》は|力《ちから》なき|声《こゑ》にて、
『お|客《きやく》さま|達《たち》、|皆《みな》|覚悟《かくご》をおしなさい。もう|駄目《だめ》だから』
|甲《かふ》『ダヽヽヽダメだつて、ナヽヽヽ|何《なに》がダメだい。ベヽヽヽ|別嬪《べつぴん》がダヽヽヽダメと|言《い》ふのかい』
|船頭《せんどう》は|大声《おほごゑ》で、
『|船《ふね》が|岩《いは》に|打《ぶ》つかつたのだ。|裸《はだか》になつて|飛《と》び|込《こ》め、|沈没《ちんぼつ》だ|沈没《ちんぼつ》だ』
|船内《せんない》|一同《いちどう》は|一時《いちじ》に|阿鼻叫喚《あびけうくわん》の|声《こゑ》と|化《くわ》し|去《さ》りぬ。あゝ|松竹梅《まつたけうめ》の|手弱女《たをやめ》|一行《いつかう》の|運命《うんめい》は|如何《いかん》。
(大正一一・二・一二 旧一・一六 桜井重雄録)
第六章 |刹那《せつな》|信心《しんじん》〔三九九〕
|暴風《ばうふう》は|百千《ひやくせん》の|虎《とら》|狼《おほかみ》の|一度《いちど》に|嘯《うそぶ》き|呻《うな》るが|如《ごと》く、|猛《たけ》き|声《こゑ》を|響《ひび》かせ、|遠慮《ゑんりよ》|会釈《ゑしやく》もなく|吹《ふ》き|捲《まく》る。|何《なん》の|容赦《ようしや》もあら|浪《なみ》の、|立《た》ち|来《く》る|態《さま》、|実《げ》に|凄《すさま》じき|光景《くわうけい》なりけり。
|三笠丸《みかさまる》は|怪《あや》しき|物音《ものおと》、ガラガラバチバチ、|今《いま》や|海底《かいてい》に|沈《しづ》まむとす。
|数多《あまた》の|船客《せんきやく》は、|色《いろ》を|失《うしな》ひ、|起《た》ちつ|坐《すわ》りつ、|限《かぎ》りある|船中《せんちう》を|狂《くる》ひ|廻《まは》る。
|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の【あだ】|娘《むすめ》、|照彦《てるひこ》の|四人《よにん》は、|磐石《ばんじやく》の|如《ごと》く|少《すこ》しも|騒《さわ》がず、|天《てん》に|向《むか》つて|合掌《がつしやう》し、|何事《なにごと》か|頻《しき》りに|奏上《そうじやう》せり。
|窈窕《えうてう》|花《はな》の|如《ごと》く、|新月《しんげつ》の|眉《まゆ》|濃《こま》やかに|描《ゑが》かれ、|容姿《ようし》|端麗《たんれい》なる|自然《しぜん》の|天色《てんしよく》、|桃《もも》の|花《はな》の|如《ごと》き|竹野姫《たけのひめ》はスツクと|起《た》つて|吹《ふ》き|来《く》る|風《かぜ》に|打《う》ち|向《むか》ひ、|声《こゑ》も|淑《しと》やかに|歌《うた》ひ|始《はじ》むる。
『|黒白《あやめ》もわかぬ|暗《やみ》の|世《よ》の  |汚《けが》れを|払《はら》ふ|天津風《あまつかぜ》
|今《いま》や|吹《ふ》き|来《く》る|時津風《ときつかぜ》  |吹《ふ》けよ|吹《ふ》けふけ|科戸《しなど》の|風《かぜ》よ
|常世《とこよ》の|暗《やみ》を|吹《ふ》き|払《はら》ひ  |此《こ》の|世《よ》の|塵《ちり》を|清《きよ》めかし
|浪《なみ》よ|立《た》て|立《た》て|高砂《たかさご》の  |尾《を》の|上《へ》の|松《まつ》の【かくる】まで
|隠《かく》れてまします|高砂《たかさご》の  |父《ちち》の|御側《みそば》へ|連《つ》れて|行《ゆ》け
|常世《とこよ》の|浪《なみ》の【しき】|浪《なみ》の  |寄《よ》せ|来《く》る|音《おと》は|松風《まつかぜ》か
|山《やま》の|嵐《あらし》かわが|恋《こ》ふる  |恋《こひ》しき|父《ちち》の|御声《おんこゑ》か
|心《こころ》の【たけの】ありたけを  |一度《いちど》に|開《ひら》く|白梅《しらうめ》の
|花《はな》の|顔《かんばせ》|月《つき》の|眉《まゆ》  |竜《たつ》の|都《みやこ》に|鎮《しづ》まりし
|乙米姫《おとよねひめ》の|御姿《おんすがた》  |木《こ》の|花姫《はなひめ》の|顔《かんばせ》は
|天津御空《あまつみそら》を|昇《のぼ》ります  |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|如《ごと》くなり
|大空《おほぞら》|伝《つた》ふ|月《つき》の|影《かげ》  はやく|晴《は》らして|月照彦《つきてるひこ》の
|神《かみ》の|守《まも》りを|与《あた》へかし  |俄《にはか》の|暴風《しけ》に|大足彦《おほだるひこ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|足真彦《だるまひこ》  |倒《こ》けても|起《お》きよ|沈《しづ》みても
|直様《すぐさま》|浮《う》けよ|惟神《かむながら》  |神《かみ》の|救《すく》ひの|此《この》|船《ふね》は
|深《ふか》き|恵《めぐ》みを|三笠丸《みかさまる》  |空《そら》|打《う》ち|仰《あふ》ぎ|眺《なが》むれば
|春日《かすが》の|山《やま》や|三笠山《みかさやま》  |峰《みね》より|昇《のぼ》る|月影《つきかげ》の
はるる|思《おも》ひも|今《いま》しばし  |暫《しば》し|止《とど》めよ|時津風《ときつかぜ》
|風《かぜ》の|便《たよ》りにわが|父《ちち》の  ウヅの|都《みやこ》に|坐《まし》ますと
|探《たづ》ねて|来《きた》る|姫神《ひめがみ》の  |心《こころ》の|露《つゆ》を|汲《く》み|取《と》れよ
|仮令《たとへ》|御船《みふね》はくつがへり  |海《うみ》の|藻屑《もくず》となるとても
|神《かみ》より|享《う》けし|此《この》|身体《からだ》  |如何《いか》でか|死《し》なむや|科戸彦《しなどひこ》
|科戸《しなど》の|姫《ひめ》よおだやかに  |鎮《しづ》まり|給《たま》へ|逸早《いちはや》く
この|世《よ》を|渡《わた》す【のり】の|船《ふね》  |三五教《あななひけう》を|守《まも》る|身《み》の
わが|乗《の》る|船《ふね》に|穴《あな》はない  あな|有難《ありがた》や|三笠丸《みかさまる》
あな|尊《たふと》しの|三笠丸《みかさまる》  |神《かみ》の|恵《めぐみ》を|笠《かさ》に|着《き》て
|清《きよ》き|教《をしへ》を|杖《つゑ》となし  みろくの|船《ふね》に|乗《の》せられて
|高砂島《たかさごじま》に|進《すす》み|行《ゆ》く  |吾《われ》らを|守《まも》る|大足彦《おほだるひこ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|御恵《おんめぐ》み  |木《こ》の|花姫《はなひめ》や|乙米姫《おとよねひめ》の
|神《かみ》の|命《みこと》や|琴平別《ことひらわけ》の  |貴《うづ》の|命《みこと》よ|朝日子《あさひこ》の
|日《ひ》の|出神《でのかみ》よ|村肝《むらきも》の  |吾《われ》らが|心《こころ》を|照《て》らせよや
|心《こころ》の|空《そら》は【てる】の|国《くに》  |秘露《ひる》の|都《みやこ》も|近《ちか》づきて
|春《はる》は|過《す》ぐれど|巴留《はる》の|国《くに》  |進《すす》む|妾《わらは》を|救《すく》ひませ
|進《すす》む|妾《わらは》を|救《すく》ひませ  |又《また》|此《この》|船《ふね》の|諸人《もろびと》も
|千尋《ちひろ》の|海《うみ》のいや|深《ふか》く  |底《そこ》ひも|知《し》れぬ|御恵《みめぐ》みに
|救《すく》ひ|助《たす》けよ|天津神《あまつかみ》  |国津御神《くにつみかみ》や|綿津神《わだつかみ》
|今《いま》|吹《ふ》く|風《かぜ》は|世《よ》の|人《ひと》の  |心《こころ》の|塵《ちり》を|払《はら》ふ|風《かぜ》
|降《ふ》り|来《く》る|雨《あめ》は|世《よ》の|人《ひと》の  |汚《けが》れを|洗《あら》ふ|清《きよ》め|雨《あめ》
|今《いま》|立《た》つ|浪《なみ》は|世《よ》の|人《ひと》の  |怪《あや》しき|行《おこな》ひ|断《た》つの|浪《なみ》
|風《かぜ》よ|吹《ふ》けふけ|雨《あめ》も|降《ふ》れ  |浪《なみ》よ|立《た》て|立《た》て|勇《いさ》み|立《た》て
|心《こころ》の【たけの】|姫《ひめ》が|胸《むね》  |一度《いちど》に|開《ひら》く【|梅ケ香姫《うめがかひめ》】の
|妹《いも》の|命《みこと》や|神《かみ》の|世《よ》の  |来《く》るを【まつよ】の|鶴《つる》の|首《くび》
|亀《かめ》の|齢《よはひ》の|永遠《とこしへ》に  |浪《なみ》をさまれよ|四《よ》つの|海《うみ》
|天津御空《あまつみそら》は|日《ひ》の|神《かみ》の  |日《ひ》の|出神《でのかみ》と|照彦《てるひこ》の
|清《きよ》き|心《こころ》を|憐《あは》れみて  |船《ふね》|諸共《もろとも》に|救《すく》ひませ
|船《ふね》|諸共《もろとも》に|救《すく》ひませ』
と|花《はな》の|唇《くちびる》を|開《ひら》いて|歌《うた》ふ。
この|言霊《ことたま》に、|雨《あめ》も|風《かぜ》も|浪《なみ》もピタリと|止《や》んで、|再《ふたた》び|太平《たいへい》の|大海原《おほうなばら》となり、|煌々《くわうくわう》たる|夏《なつ》の|太陽《たいやう》は、|海面《かいめん》を|照《て》らして|輝《かがや》き|渡《わた》りぬ。
|暗礁《あんせう》に|乗《の》り|上《あ》げ、|殆《ほとん》ど|海中《かいちう》に|没《ぼつ》せむとせし|三笠丸《みかさまる》は、|不思議《ふしぎ》なるかな、|何《なん》の|故障《こしやう》もなく、|凪《な》ぎ|渡《わた》る|海面《かいめん》を、|静《しづ》かに|滑《な》めて|西《にし》へ|西《にし》へと|進行《しんかう》してゐる。
|船中《せんちう》には|又《また》|四五人《しごにん》の|囁《ささや》き|声《ごゑ》|一隅《いちぐう》に|聞《きこ》ゆ。
|甲《かふ》『エライ|事《こと》だつたなア。この|船《ふね》には|三人《さんにん》の|弁財天《べんざいてん》が|乗《の》つて|御座《ござ》つたお|蔭《かげ》で|生命《いのち》が|救《たす》かつたのだよ。マアマア|吾々《われわれ》もお|蔭《かげ》で|地獄《ぢごく》|行《ゆ》きを|助《たす》かつた。|一寸《いつすん》|下《した》は|水地獄《みづぢごく》だ、カウして|一枚《いちまい》|板《いた》の|上《うへ》は|安楽《あんらく》な|極楽《ごくらく》だが、|一寸《いつすん》|違《ちが》へば|地獄《ぢごく》でないか、これを|思《おも》へば|吾々《われわれ》はよく|考《かんが》へねばなるまい。|日々《にちにち》に|行《や》つて|居《を》る|事《こと》は|恰度《ちやうど》|此《この》|船《ふね》のやうなものだ。|一寸《ちよつと》|間違《まちが》うたら|地獄《ぢごく》だから、うかうかしては|此《この》|世《よ》は|渡《わた》れない、なんぼ|陸《あげ》ぢやと|言《い》つて、|沈《しづ》まぬとも|言《い》へぬ。|陸《あげ》に|居《ゐ》ても|悪《わる》い|事《こと》をすれば、|心《こころ》も|沈《しづ》み|身《み》も|沈《しづ》み、|一家《いつか》|親類中《しんるゐぢう》が|皆《みな》|沈《しづ》んで、|浮《う》かぶ|瀬《せ》がなくなつて|了《しま》ふのだ。うかうかしては|暮《くら》されぬわい』
|乙《おつ》『さうだネ、|何《なん》は|兎《と》もあれ|有難《ありがた》い|事《こと》だつたネ。あの|三人《さんにん》の|女神《めがみ》さまは、アリヤ|屹度《きつと》|吾々《われわれ》のやうな|人間《にんげん》ぢやないぜ。あまり|吾々《われわれ》は|慢心《まんしん》が|強《つよ》いからナ、|此《この》|世《よ》は|人間《にんげん》の|力《ちから》で|渡《わた》れるものなら|渡《わた》つて|見《み》よ。|力《ちから》のない|智慧《ちゑ》の|暗《くら》い、|一寸《いつすん》|先《さき》の|分《わか》らぬ|愚《おろか》な|人間《にんげん》が、|豪《えら》さうに|自然《しぜん》を|征服《せいふく》するとか、|神秘《しんぴ》の|扉《とびら》を|開《ひら》いたとか、|造化《ざうくわ》の|妙用《めうよう》を|奪《うば》ふとか、くだらぬ|屁理屈《へりくつ》を|言《い》つて|威張《いば》つて|居《を》つた|所《ところ》で、|今日《けふ》のやうな|浪《なみ》に|遭《あ》うたら、|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|船《ふね》を|操縦《あやつ》ることを|商売《しやうばい》にして|居《を》る|船頭《せんどう》さまだつて、どうする|事《こと》も|出来《でき》やしない。|人間《にんげん》は|神様《かみさま》を|離《はな》れて、|何《なに》|一《ひと》つ|此《この》|世《よ》に|出来《でき》るものはないのだ。かう|言《い》つて|吾々《われわれ》が|物《もの》を|言《い》つてるのも、|皆《みな》|神様《かみさま》の|尊《たふと》い|水火《いき》がこもつて|居《を》るからだ。ウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》のやうに、|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸《いつすん》|先《さき》は|闇《やみ》よ、|暗《やみ》のあとには|月《つき》が|出《で》るなぞと、|勝手《かつて》な|熱《ねつ》を|吹《ふ》いて、ドレだけ|威張《ゐば》つて|見《み》た|所《ところ》で、|人間《にんげん》たる|以上《いじやう》はダメだ、ドウしても、|神様《かみさま》の|広《ひろ》き|厚《あつ》き|御恵《みめぐ》みに|頼《たよ》らねばならないのだ。アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|丙《へい》『オイお|前《まへ》は|中々《なかなか》よい|心得《こころえ》だ。ソンナ|結構《けつこう》な|事《こと》、|何処《どこ》の|誰《たれ》に|聞《き》いたのだい』
『|吾《われ》は|黄金山《わうごんざん》に|現《あら》はれ|給《たま》ひし|埴安彦命《はにやすひこのみこと》さまのお|始《はじ》めになつた、|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》を|聞《き》いて、それからと|言《い》ふものは、あれ|程《ほど》|好《す》きな|酒《さけ》が|自然《しぜん》に|飲《の》めなくなつて、|此《この》|頃《ごろ》は|少《すこ》しの|御神酒《おみき》を|頂《いただ》いても、|直《じき》に|酔《よ》うて|心持《こころも》ちがよくなつたよ。|今《いま》までは|酒《さけ》を|飲《の》めば|飲《の》むほど、|梯子酒《はしござけ》で|飲《の》みたくなり、|腹《はら》は|立《た》つて|来《く》る。|一寸《ちよつと》したことにも【ムカ】ついて、|女房《にようばう》を|殴《なぐ》る、|徳利《とくり》を|投《な》げる、|盃《さかづき》は|破《わ》れる、|丼鉢《どんぶりばち》は|踊《をど》る、|近所《きんじよ》の|人達《ひとたち》に|悪酒《わるざけ》ぢや、|酒狂《しゆきやう》ぢやと|言《い》はれて|持《も》て|余《あま》された|者《もの》だが、どうしたものか、|三五教《あななひけう》の|飯依彦《いひよりひこ》と|言《い》ふ|竜宮島《りうぐうじま》の|宣伝使《せんでんし》が|熊襲《くまそ》の|国《くに》へ|出《で》て|来《き》て、|皆《みな》のものを|集《あつ》めて、|鎮魂《ちんこん》の|洗礼《せんれい》を|施《ほどこ》してくれたが|最後《さいご》、|気分《きぶん》はスツカリして|酒《さけ》は|嫌《きら》ひになり、|何《なん》とはなしに|世《よ》の|中《なか》が|面白《おもしろ》くなつて|来《き》たのだ。ホントによい|教《をしへ》だよ。お|前《まへ》も|一《ひと》つ|三五教《あななひけう》に|入信《にふしん》したらどうだい。|大《だい》にしては|治国平天下《ちこくへいてんか》の|教《をしへ》、|小《せう》にしては|修身斉家《しうしんせいか》の|基本《きほん》たるべき|結構《けつこう》な|教《をしへ》の|道《みち》だよ』
|丙《へい》|丁《てい》|戊《ぼう》『|成程《なるほど》|結構《けつこう》だなア。|吾々《われわれ》も|無事《ぶじ》|安全《あんぜん》な|時《とき》には、ナーニ|神《かみ》が|此《この》|世《よ》に|在《あ》るものか、|人間《にんげん》は|神《かみ》だ、|人《ひと》は|万物《ばんぶつ》の|長《ちやう》だ、|天地経綸《てんちけいりん》の|司宰者《しさいしや》だと|威張《ゐば》つて|居《ゐ》たが、|今日《こんにち》のやうな|目《め》に|遇《あ》うては、|吾輩《わがはい》のやうな|無神論者《むしんろんしや》でも、|何《なん》だか|腹《はら》の|中《なか》の|悪《わる》いコロコロが、|喉《のど》から|飛《と》び|出《だ》しよつて、|本当《ほんたう》に|叶《かな》はぬ|時《とき》の|神頼《かみだの》み、|手《て》を|合《あは》して|縋《すが》る|気《き》になつて|来《く》るワ。アヽ|人間《にんげん》と|言《い》ふものは|弱《よわ》いものだなア』
|諸人《もろびと》の|囁《ささや》き|声《ごゑ》を|満載《まんさい》した|神《かみ》の|守護《まもり》の|三笠丸《みかさまる》は、|万里《ばんり》の|浪《なみ》を|渡《わた》つて、|其《その》|日《ひ》の|黄昏時《たそがれどき》、|智利《てる》の|港《みなと》に|近《ちか》づきたり。
(大正一一・二・一二 旧一・一六 森良仁録)
第七章 |地獄《ぢごく》の|沙汰《さた》〔四〇〇〕
|船《ふね》は|漸《やうや》くにして|黄昏時《たそがれどき》に、|智利《てる》の|港内《こうない》に|安着《あんちやく》せり。|家々《いへいへ》の|燈火《ともしび》は|水《みづ》に|映《えい》じて|柱《はしら》の|如《ごと》く|海中《かいちう》に|垂《た》れ|下《さが》り、|恰《あたか》も|火柱《くわちう》の|杭《くひ》を|打《う》ちたる|如《ごと》く、|小波《さざなみ》に|揺《ゆ》れて|炎々《えんえん》と|揺《うご》く|状《さま》は、|火竜《くわりゆう》の|海底《かいてい》より|幾十百《いくじふひやく》ともなく|水面《すゐめん》に|向《むか》ひ|昇《のぼ》り|来《きた》るの|光景《くわうけい》なり。
|智利《てる》を|見《み》たさに|海原《うなばら》|越《こ》せば  |海《うみ》の|響《ひび》きか|浪《なみ》の|音《ね》か
と|船頭《せんどう》は|落着《おちつ》いた|声《こゑ》で|唄《うた》つてゐる。
|松代姫《まつよひめ》は|静《しづか》に|起《た》つて|花《はな》の|唇《くちびる》を|開《ひら》き、|繊手《せんしゆ》を|挙《あ》げて|智利《てる》の|港《みなと》を|嬉《うれ》し|気《げ》に|打《う》ち|眺《なが》めながら、
『|此処《ここ》は|名《な》に|負《お》ふ|高砂《たかさご》の  |月日《つきひ》も|智利《てる》の|港《みなと》かや
|御空《みそら》に|月《つき》はなけれども  |天《てん》より|高《たか》く|咲《さ》く|花《はな》の
|木《こ》の|花姫《はなひめ》の|御使《おんつかひ》  |月照彦《つきてるひこ》の|生魂《いくみたま》
|竜世《たつよ》の|姫《ひめ》の|守《まも》ります  |名《な》も|高砂《たかさご》の|智利《てる》の|国《くに》
|嬉《うれ》しや|此処《ここ》に|天伝《あまつた》ふ  |月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|三人《みたり》|連《づ》れ
|心《こころ》の|色《いろ》も|照彦《てるひこ》の  |従僕《しもべ》の|強者《きやうしや》と|諸共《もろとも》に
|恋《こひ》しき|父《ちち》の|御前《おんまへ》に  ありし|昔《むかし》の|物語《ものがたり》
|語《かた》るも|尽《つ》きぬ|故郷《ふるさと》の  |空《そら》|行《ゆ》く|雲《くも》の|定《さだ》めなき
|現世《うつしよ》|幽界《かくりよ》|物語《ものがたり》  |親子《おやこ》いよいよ|相生《あひおひ》の
|時《とき》を|松風《まつかぜ》|松代姫《まつよひめ》  |心《こころ》の|竹野《たけの》|隈《くま》もなく
|起臥《おきふ》し|毎《ごと》に|語《かた》り|合《あ》ひ  |莟《つぼみ》も|開《ひら》く|梅ケ香《うめがか》の
|郷《さと》の|土産《みやげ》の|梅《うめ》|便《だよ》り  |涼《すず》しき|月《つき》も|照彦《てるひこ》の
|花《はな》の|莟《つぼみ》の|開《ひら》く|時《とき》  |心《こころ》の|色《いろ》の|薫《かを》る|時《とき》
あゝ|頼《たの》もしや|頼《たの》もしや  |父《ちち》のまします|此《こ》の|島《しま》は
いと|懐《なつ》かしき|神《かみ》の|島《しま》  |如何《いか》に|嶮《けは》しき|山道《やまみち》も
|荒風《あらかぜ》|猛《たけ》る|砂原《すなはら》も  |何《なん》の|物《もの》かは|女子《をみなご》の
|岩《いは》をも|射貫《いぬ》く|真心《まごころ》を  |神《かみ》も|諾《うべな》ひ|給《たま》ふらむ
|血《ち》をはく|思《おも》ひの|郭公《ほととぎす》  |八千八越《はつせんやこえ》の|海原《うなばら》も
やうやう|茲《ここ》に|姉妹《おとどい》の  |心《こころ》も|晴《は》れし|五月空《さつきぞら》
|只《ただ》|一声《ひとこゑ》のおとづれを  ウヅの|都《みやこ》にましませる
|桃上彦《ももがみひこ》の|吾《わが》|父《ちち》の  |御許《みもと》に|告《つ》げよ|夏山《なつやま》の
|青葉《あをば》|滴《したた》る|貴《うづ》の|子《こ》の  |心《こころ》のたけを|伝《つた》へよや
|心《こころ》のたけを|伝《つた》へよや』
と|淑《しと》やかに|歌《うた》ふ。|黄昏《たそがれ》に|漸《やうや》う|着《つ》いた|三笠丸《みかさまる》は、|港内《こうない》に|錨《いかり》を|下《おろ》し、|其《その》|夜《よ》は|一同《いちどう》の|船客《せんきやく》と|共《とも》に|夜《よ》を|明《あ》かしたり。|船中《せんちう》には|又《また》もや|雑談《ざつだん》の|花《はな》|咲《さ》き|来《きた》り、
|甲《かふ》『オイ、|此処《ここ》は|智利《てる》の|港《みなと》だ、もう|生命《いのち》に|別条《べつでう》はない。|十分《じふぶん》に|大法螺《おほぼら》を|吹《ふ》いたとて|大丈夫《だいぢやうぶ》だよ』
|乙《おつ》『そんな|強《つよ》いことを|云《い》ふない。あの|大風《おほかぜ》が|吹《ふ》いた|時《とき》、|船《ふね》が|暗礁《あんせう》に|乗《の》り|上《あ》げてガラガラメキメキと|中央《まんなか》から|折《を》れて、|沈《しづ》まむとした|時《とき》に、|貴様《きさま》|如何《どう》だつたい。|俺《おれ》の|首《くび》を|捉《とら》まへて、ブルブル|慄《ふる》うてゐたではないか。さうさう、くつついては|俺《おれ》も|困《こま》るから、|放《はな》せと|云《い》うたら「|俺《おれ》は|水心《みづごころ》を|知《し》らぬから、|俺《おれ》が|沈《しづ》んだら|貴様《きさま》の|背中《せなか》に【くつつい】て|助《たす》けて|貰《もら》ふのだ」と|弱音《よわね》を|吹《ふ》いて、ベソを|掻《か》きよつた|時《とき》の|醜態《ざま》と|云《い》つたら、|見《み》られたものぢやなかつたよ』
『あつた|事《こと》は|言《い》うたつて|仕様《しやう》がない、|黙《だま》れ|黙《だま》れ、モー|此《この》|島《しま》へ|着《つ》けば|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|生命《いのち》に|別条《べつでう》はないからネー』
『イヤ、|生命《いのち》ばかりは|陸《あげ》だつて|海《うみ》だつて|安心《あんしん》は|出来《でき》ないよ。|此《この》|間《あひだ》も、ウヅの|国《くに》の|桃上彦《ももがみひこ》と|云《い》ふ|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》が、|恐《おそ》ろしい|大蛇《をろち》の|出《で》る|大蛇峠《をろちたうげ》や|珍山峠《うづやまたうげ》を、|大胆至極《だいたんしごく》にも|唯《ただ》|一人《ひとり》で|越《こ》して、|巴留《はる》の|都《みやこ》の|鷹取別《たかとりわけ》の|城下《じやうか》で、|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》うて|居《ゐ》たら、|数百人《すうひやくにん》の|駱駝隊《らくだたい》が|現《あら》はれて、|鋭利《えいり》な|槍《やり》で|宣伝使《せんでんし》を|小芋《こいも》を|串《くし》に|刺《さ》したやうに、|豆腐《とうふ》の|田楽《でんがく》よろしく、|突《つ》いて|突《つ》いて|突《つ》き|廻《まは》し|嬲殺《なぶりごろ》しにした|揚句《あげく》、|砂漠《さばく》の|中《なか》に|埋《うづ》めて|了《しま》うたと|言《い》ふ|話《はなし》を、|巴留《はる》の|国《くに》から|出《で》て|来《き》た|人間《にんげん》に、|俺《おれ》は|此《この》|船《ふね》に|乗《の》る|時《とき》に|慥《たしか》に|聴《き》いたのだよ。|悪《わる》い|奴《やつ》が|沢山《たくさん》|居《を》るのだから、|余程《よほど》|心得《こころえ》ぬと|険難《けんのん》だぞ』
と|話《はな》して|居《ゐ》るのを、|松代姫《まつよひめ》の|一行《いつかう》は|耳《みみ》を|傾《かたむ》け、|顔《かほ》の|色《いろ》を|変《か》へて|聴《き》き|居《ゐ》たるが、|照彦《てるひこ》は|船《ふね》の|一隅《いちぐう》より、ツト|身《み》を|起《おこ》し|此《この》|三人《さんにん》の|前《まへ》に|坐《すわ》つて、
『モシモシ、|今《いま》|承《うけたま》はれば、|珍《うづ》の|国《くに》の|桃上彦命《ももがみひこのみこと》|様《さま》が、|巴留《はる》の|国《くに》で|殺《ころ》され|遊《あそ》ばしたやうに|承《うけたま》はりましたが、それは|本当《ほんたう》でございますか。|吾々《われわれ》は|仔細《しさい》あつて|其《そ》の|桃上彦命《ももがみひこのみこと》に|御目《おめ》にかかりたく|遥々《はるばる》|参《まゐ》りました。|何卒《どうぞ》|御聞《おきき》き|及《およ》びの|模様《もやう》をなるべく|詳《くは》しく|話《はな》して|下《くだ》さるまいかな』
|丙《へい》『なんだ、|桃上彦《ももがみひこ》の|話《はなし》をせいと|云《い》ふのか。イヤ|話《はな》さぬことはない、が|其処《そこ》は、それ|何《なん》とやら、|地獄《ぢごく》の|沙汰《さた》も|何《なん》とやら、|魚心《うをごころ》あれば|水心《みづごころ》あり、|水心《みづごころ》あれば|魚心《うをごころ》でありますからな。ヘツヘツヘツ』
『|貴方《あなた》の|仰有《おつしや》ることは|一向《いつかう》|要領《えうりやう》を|得《え》ませぬ、モツト|明瞭《はつきり》と|言《い》うて|下《くだ》さい』
『ヘイ、|不得要領《ふとくえうりやう》で|以《もつ》て|要領《えうりやう》を|得《え》たいのです。それ|地獄《ぢごく》の|沙汰《さた》も|何《なん》とやら』
『あゝ|解《わか》つた、|酒代《さかて》を|与《く》れと|云《い》ふのか、アヽよしよし|上《あ》げませう。どうぞ|委《くは》しく|言《い》うて|下《くだ》さい』
『ヘイ、モヽヽ、カヽヽ、|辱《かたじけ》ない。ミヽヽ|耳《みみ》を|揃《そろ》へた|沢山《たくさん》なお|金《かね》、ヒヽヽ|拾《ひろ》つたやうなものだな、ヒツヒツ|平《ひら》に|御断《おことわ》り|申上《まをしあ》ぐるは|本意《ほんい》なれど、コヽヽこれも|何《なに》かの|廻《めぐ》り|合《あは》せ、こんなお|方《かた》にこんな|処《ところ》で、こんな|船《ふね》の|上《うへ》でお|目《め》にかかつて、こんな|沢山《たくさん》のお|金《かね》を|頂《いただ》いて、こんな|結構《けつこう》な|事《こと》は|今後《こんご》も|幾度《いくど》もあつてほしいものだ。モヽヽ、カヽヽ、ミヽヽ、ヒヽヽ、コヽヽの|話《はなし》の【おかげ】で、こんな|結構《けつこう》なお|金《かね》にありついた』
『オイオイ、そんなことは|何《ど》うでもよいから、|早《はや》く|桃上彦命《ももがみひこのみこと》の|消息《せうそく》を|話《はな》して|下《くだ》さいよ』
『【はな】せと|云《い》つたつて、|一旦《いつたん》|貰《もら》うたら|此方《こつち》のものだ。|何《ど》うして|何《ど》うして【はな】すものか、【はな】して|怺《たま》るものか、|死《し》ぬまで【はな】しやせぬぞ』
『オイ、そりやチト|話《はなし》が|違《ちが》ふぞ、|放《はな》すぢやない、|話《はな》せと|云《い》ふことぢや』
『イヤ、|何《なん》と|仰有《おつしや》つても、こんな|結構《けつこう》な|物《もの》を|放《はな》せの、|話《はな》しのと、そりや|胴慾《どうよく》ぢや。|一旦《いつたん》|握《にぎ》つたらモヽヽ、カヽヽ、ミヽヽ、|石《いし》に|噛《か》み|付《つ》いてもヒヽヽ、コヽヽ、【ひこ】ずられても|放《はな》さぬ|放《はな》さぬ、|放《はな》してならうか、|生命《いのち》より|大事《だいじ》な|此《こ》のお|金《かね》……』
『あゝ|困《こま》つた|男《をとこ》だな、|桃上彦命《ももがみひこのみこと》は|生《い》きて|居《を》られるか、|死《し》んで|居《を》られるか|何方《どちら》だ。|聞《き》かして|呉《く》れいと|言《い》ふのだ』
と|声《こゑ》に|力《ちから》を|入《い》れて|問《と》ひかける。
『それは|二《ふた》つに|一《ひと》つです。|死《し》んだものは|生《い》きて|居《を》らぬし、|生《い》きたものは|死《し》んで|居《を》らぬ。|桃上彦《ももがみひこ》は|死《し》んで|居《を》らぬ』
『|死《し》んで|居《を》らぬと|云《い》ふ|事《こと》は、|生《い》きて|居《を》ることか』
『|死《し》んで|居《を》らぬ』
『|桃上彦命《ももがみひこのみこと》は|死《し》んでは|居《を》らぬ、|生《い》きて|居《を》るのか。|死《し》んで|了《しま》つて、|此《この》|世《よ》に|居《を》らぬと|云《い》ふのか、|確然《しつかり》|返答《へんたふ》せい』
と|稍《やや》【もどかしげ】に|声《こゑ》を|尖《とが》らして|問《と》ひかける。
『それは|貴方《あなた》、【だけ】の|事《こと》を|申上《まをしあ》げます。【だけ】は【だけ】だからなア、|地獄《ぢごく》の|沙汰《さた》も、それ|何《なん》とやら』
『エヽ|五月蝿《うるさ》い|奴《やつ》だ。|金《かね》だけの|事《こと》を|云《い》うてやらう、|地獄《ぢごく》の|沙汰《さた》も|金《かね》|次第《しだい》と|云《い》つて|居《を》るのであらう。よう|金《かね》を|欲《ほ》しがる|奴《やつ》だなあ。|足許《あしもと》を|見《み》られて|居《を》るから|仕方《しかた》がないワ。サア、これだけ|貴様《きさま》に|遣《や》るから|判然《はつきり》と|云《い》へ』
|短《みじか》き|夏《なつ》の|夜《よ》は、|何時《いつ》しか|明《あ》け|放《はな》れて、|船《ふね》は|港《みなと》に|横《よこ》【づけ】となる。
『|桃上彦《ももがみひこ》は|沙漠《さばく》の|中《なか》へ|埋《うづ》められて|死《し》んで|了《しま》つたよ。|死《し》んだ|奴《やつ》のあとまで|云《い》うたところで|何《なん》にもなりはしない。|十万億土《じふまんおくど》の|遠《とほ》い|遠《とほ》い|国《くに》へ|行《い》つて|了《しま》つたのだよ』
と|云《い》ひ|棄《す》てて|尻《しり》を|捲《まく》つて|韋駄天走《ゐだてんばし》りに、|金子《かね》を|握《にぎ》つたまま|姿《すがた》を|隠《かく》しける。
アヽ|三人《さんにん》の|娘《むすめ》の|心《こころ》は? |照彦《てるひこ》の|胸《むね》の|中《うち》は|如何《いかが》ぞ。
(大正一一・二・一二 旧一・一六 有田九皐録)
第二篇 |一陽来復《いちやうらいふく》
第八章 |再生《さいせい》の|思《おもひ》〔四〇一〕
|珍《うづ》の|都《みやこ》の|桃上彦命《ももがみひこみこと》は、|巴留《はる》の|都《みやこ》に|出《い》でまして、|敵《てき》の|鋭《するど》き|槍《やり》に|突《つ》き|刺《さ》され、|沙漠《さばく》の|露《つゆ》と|消《き》え|給《たま》ひしと、|聞《き》くに|驚《おどろ》く|三柱《みはしら》の|姫《ひめ》はワツと|絶《た》え|入《い》るばかり、|船底《ふなぞこ》に|喰《く》ひついて、|声《こゑ》を|忍《しの》びに|泣《な》き|入《い》るにぞ、|照彦《てるひこ》は|当惑《たうわく》の|息《いき》を|漏《も》らしながら、
『これはしたりお|三方様《さんかたさま》、|御父上《おちちうへ》の|亡《な》くなられたといふことは、|決《けつ》して|確《たしか》なものではありませぬ。|察《さつ》する|処《ところ》、|吾々《われわれ》に|酒代《さかて》が|欲《ほ》しさに、|斯様《かやう》なことを|申《まを》して|吾《われ》らの|心《こころ》を|動《うご》かせ、|目的《もくてき》を|達《たつ》せむとした|悪者《わるもの》の|悪企《わるだく》みにかかつたのでせう。|必《かなら》ず|必《かなら》ず|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな。|行《ゆ》く|処《ところ》へ|行《い》つて|見《み》なくては|実否《じつぴ》は|判《わか》るものではありませぬ。|道聴途説《だうちやうとせつ》に|誤《あやま》られて、|肝腎《かんじん》な|時《とき》になり、|小《ちひ》さき|女《をんな》の|胸《むね》を|痛《いた》め、|若《も》しも|御身《おんみ》に【ささはり】でも|出来《でき》たならば、この|家来《けらい》の|照彦《てるひこ》は、どうして|御父上様《おんちちうへさま》に|申訳《まをしわけ》が|立《た》ちませうか。|冥途《めいど》にござる|母《はは》の|君《きみ》へも|済《す》みませぬ。どうかお|三人様《さんにんさん》、|気《き》を|確《たしか》に|持《も》つて|下《くだ》さい、|屹度《きつと》この|照彦《てるひこ》が|御主人様《ごしゆじんさま》にお|会《あ》はせ|申《まを》しませう』
|松代姫《まつよひめ》は|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ひながら、
『あゝ|照彦《てるひこ》、よく|言《い》うて|呉《く》れました。お|前《まへ》の|親切《しんせつ》は|身《み》に|沁《し》み|渡《わた》つて|嬉《うれ》しいが、|嘘《うそ》とは|思《おも》へぬ|客人《きやくじん》の|咄《はなし》、まさかの|時《とき》には|妾《わらは》は|何《ど》うしようぞ。|折角《せつかく》|長《なが》の|海山《うみやま》を|越《こ》え、|孱弱《かよわ》き|妹《いもうと》を|伴《つ》れて、やうやうここに|着《つ》きは|着《つ》いたものの、お|父上《ちちうへ》の|訃音《ふいん》を|聞《き》いて、|天《てん》にも|地《ち》にもない|一人《ひとり》の|親《おや》、|妾《わらは》はどうして|忍《しの》ばれませうぞ』
|竹野姫《たけのひめ》『|姉様《ねえさま》、どうなり|行《ゆ》くも|因縁《いんねん》づく、|万々一《まんまんいち》お|父《とう》さまがお|隠《かく》れになつたとすれば、|力《ちから》と|頼《たの》むは|姉《ねえ》さまばかり、|何卒《どうぞ》しつかりして|下《くだ》されませ。|梅ケ香姫《うめがかひめ》はやうやう|十六歳《じふろくさい》、|花《はな》の|蕾《つぼみ》の|開《ひら》かぬうちから、こんな|憂《う》き|目《め》に|出会《であ》ふとは、|何《なん》たる|因果《いんぐわ》のことでありませう』
『モシモシお|三人様《さんにんさま》、|決《けつ》して|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな、ここは|名《な》に|負《お》ふ|智利《てる》の|国《くに》、あれ|御覧《ごらん》なさいませ、|今日《けふ》の|日輪様《にちりんさま》は|殊更《ことさら》|麗《うるは》しい、|御機嫌《ごきげん》のよい|顔《かほ》をしてにこにこと|笑《わら》つてゐられます。|若《も》しもお|父《とう》さまが|此《この》|世《よ》に|御座《ござ》らぬやうな|事《こと》なれば、どうして|日天様《につてんさま》があのやうな|麗《うるは》しいお|顔《かほ》で|吾々《われわれ》を|照《てら》して|下《くだ》されませうぞ。|要《い》らざる|取越苦労《とりこしくらう》を|止《や》めて、|先《さき》を|楽《たの》しんで|参《まゐ》りませう。|一歩々々《いつぽいつぽ》|珍《うづ》の|都《みやこ》へ|近寄《ちかよ》るのですから、サアサア|上陸《じやうりく》|致《いた》しませう』
|此《この》|時《とき》|船《ふね》の|一隅《いちぐう》より、|中肉中背《ちうにくちうぜい》の|色《いろ》|浅黒《あさぐろ》き|男《をとこ》、|四人《よにん》の|前《まへ》に|現《あら》はれ|来《きた》り、
『|私《わたくし》は|恐《おそ》ろしい|名《な》のついた、|大蛇彦《をろちひこ》といふ|男《をとこ》でございます。これから|珍《うづ》の|国《くに》へ|帰《かへ》りますから|丁度《ちやうど》よい|道伴《みちづれ》、|都《みやこ》|近《ちか》くまで|御供《おとも》いたしませう、|御安心《ごあんしん》なされませ。|今《いま》|承《うけたま》はれば、|貴女様《あなたさま》は|珍《うづ》の|都《みやこ》に|其《その》|御名《おんな》も|高《たか》き|桃上彦命《ももがみひこのみこと》|様《さま》の|御娘子《おむすめご》とやら、|今《いま》は|正鹿山津見神《まさかやまづみのかみ》といふ|立派《りつぱ》な|神様《かみさま》になつて、|御無事《ごぶじ》でゐらつしやいます。|決《けつ》して|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》なく、|私《わたくし》と|共《とも》にまゐりませう』
|松代姫《まつよひめ》は|飛《と》び|立《た》つばかり|嬉《うれ》しげに、
『それはそれはよい|事《こと》を|聞《き》かして|貰《もら》ひました。|有難《ありがた》うございます』
|竹野姫《たけのひめ》、|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|俄《にはか》に|顔色《がんしよく》|麗《うるは》しく、|冴《さ》え|渡《わた》りし|声《こゑ》にて、
『お|姉《あね》さま、|嬉《うれ》しいワ』
『アヽ|嬉《うれ》しかろ|嬉《うれ》しかろ、|姉《ねえ》さまも|嬉《うれ》しい、|心《こころ》が|冴《さ》え|冴《ざ》えして|来《き》ました』
|照彦《てるひこ》『ヤア、|大蛇彦《をろちひこ》さま、あなたは|珍《うづ》の|国《くに》の|御方《おかた》、イヤモウ、よいことを|聞《き》かして|下《くだ》さりました。|吾々《われわれ》もこれで|安心《あんしん》いたします。|足《あし》も|何《なん》となく|軽《かる》いやうな|気分《きぶん》になつて|来《き》ました。どうかお|頼《たの》みですから、ひとつ|道伴《みちづ》れになつて|下《くだ》さいませ』
『ハイ、|宜《よろ》しう|御座《ござ》います。|私《わたくし》が|道案内《みちあんない》を|致《いた》しませう』
|三笠丸《みかさまる》を|乗《の》り|棄《す》て、ここに|一同《いちどう》は|智利《てる》の|港《みなと》の|町《まち》をあとに、|南《みなみ》を|指《さ》して|心《こころ》もいそいそと|進《すす》み|行《ゆ》く。
|大蛇彦《をろちひこ》は|先《さき》に|立《た》ち、
『ここは|高砂《たかさご》|智利《てる》の|国《くに》  |竜世《たつよ》の|姫《ひめ》の|鎮《しづ》まりて
|守《まも》り|給《たま》へる|神《かみ》の|島《しま》  |御空《みそら》に|高《たか》く|月照彦《つきてるひこ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》の|神魂《かむみたま》  |鏡《かがみ》の|池《いけ》に|現《あ》れまして
|日《ひ》に|夜《よ》に|詔《の》らす|言霊《ことたま》の  |恵《めぐみ》も|深《ふか》き|智利《てる》の|国《くに》
|珍《うづ》の|都《みやこ》に|現《あ》れませる  |桃上彦《ももがみひこ》の|神司《みつかさ》は
|名《な》さへ|目出度《めでた》き|宣伝使《せんでんし》  |正鹿山津見神《まさかやまづみのかみ》となり
|珍山峠《うづやまたうげ》を|乗《の》り|越《こ》えて  |巴留《はる》の|都《みやこ》を|救《すく》はむと
|出《い》でます|折《をり》しも|曲神《まがかみ》の  |鷹取別《たかとりわけ》の|僕人《しもびと》に
とり|囲《かこ》まれて|玉《たま》の|緒《を》の  |一度《いちど》は|息《いき》も|切《き》れたれど
|木《こ》の|花姫《はなひめ》に|救《すく》はれて  |再《ふたた》びここに|蘇《よみがへ》り
|珍《うづ》の|都《みやこ》に|帰《かへ》りまし  |花《はな》を|欺《あざむ》く|手弱女《たをやめ》の
|心《こころ》も|清《きよ》き|宣伝使《せんでんし》  |五月《さつき》の|姫《ひめ》を|妻《つま》となし
|淤縢山津見《おどやまづみ》や|駒山彦《こまやまひこ》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》
|珍山彦《うづやまひこ》と|諸共《もろとも》に  |千歳《ちとせ》を|契《ちぎ》る|妹《いも》と|背《せ》の
|今日《けふ》は|祝《いは》ひの|宴《うたげ》の|庭《には》  |喜《よろこ》びたまへ|三柱《みはしら》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》よ|千代《ちよ》|八千代《やちよ》  |変《かは》らぬ|松《まつ》の|色《いろ》|深《ふか》く
|心《こころ》の【たけの】すくすくと  |開《ひら》く|梅ケ香《うめがか》|芳《かん》ばしも
|月日《つきひ》は|空《そら》に|照彦《てるひこ》の  |御供《おとも》の|神《かみ》と|諸共《もろとも》に
|大蛇《をろち》の|船《ふね》に|乗《の》せられて  はやくもここに|着《つ》きにけり
はやくもここに|着《つ》きにけり』
と|歌《うた》ひ|終《をは》るよと|見《み》れば、|大蛇彦《をろちひこ》の|姿《すがた》は|煙《けむり》と|消《き》えて、|呼《よ》べど|叫《さけ》べど|何《なん》の|応《いら》へもなく、|樹々《きぎ》の|梢《こづゑ》を|渡《わた》る|松風《まつかぜ》の|音《おと》、|颯々《さつさつ》と|耳《みみ》に|響《ひび》くばかりなり。
さしもに|嶮《けは》しき|遠《とほ》き|山路《やまみち》も|瞬間《またたくひま》に|送《おく》られて、ここに|主従《しうじう》|四人《よにん》は|正鹿山津見神《まさかやまづみのかみ》の|門前《もんぜん》|近《ちか》くに|現《あら》はれける。
(大正一一・二・一二 旧一・一六 河津雄録)
第九章 |鴛鴦《をし》の|衾《ふすま》〔四〇二〕
|久方《ひさかた》の|天津御空《あまつみそら》も|地土《くにつち》も  |左右《ひだりみぎ》りと|廻《めぐ》る|世《よ》に
|邂逅《めぐりあ》うたる|親《おや》と|子《こ》の  |心《こころ》の|空《そら》の|五月暗《さつきやみ》
|晴《は》れて|嬉《うれ》しき|夏《なつ》の|日《ひ》の  |緑《みどり》|滴《したた》る|黒髪《くろかみ》を
|撫《な》でさすりつつ|入《い》り|来《きた》る  |父《ちち》の|便《たよ》りを|松代姫《まつよひめ》
|心《こころ》の|竹《たけ》のふしぶしに  |積《つも》る|思《おも》ひをいたいけの
|花《はな》の|蕾《つぼみ》の|唇《くちびる》を  |開《ひら》く|梅ケ香姫《うめがかひめ》の|御子《みこ》
|三月三日《みつきみつか》にヱルサレム  |館《やかた》を|抜《ぬ》けて|三人《みたり》|連《づ》れ
|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|照彦《てるひこ》は  |主従《しうじう》|都《みやこ》を|竜世姫《たつよひめ》
いよいよ|此処《ここ》に|月照彦《つきてるひこ》の  |神《かみ》の|御魂《みたま》の|鎮《しづ》まれる
|珍《うづ》の|都《みやこ》の|主宰神《つかさがみ》  |桃上彦《ももがみひこ》の|掌《つかさど》る
|珍《うづ》の|館《やかた》に|着《つ》きにけり  |五月《さつき》の|空《そら》の|木下闇《こしたやみ》
|五日《いつか》は|晴《は》れむ|常磐木《ときはぎ》の  |五月五日《いつつきいつか》の|今日《けふ》の|宵《よひ》
|父子《おやこ》|夫婦《ふうふ》の|廻《めぐ》り|会《あ》ひ  くるくる|廻《まは》る|盃《さかづき》の
【つき】の|顔《かんばせ》|五月姫《さつきひめ》  |松竹梅《まつたけうめ》の|千代《ちよ》|八千代《やちよ》
|栄《さかえ》の|基《もと》となり|響《ひび》く  |宴会《うたげ》の|声《こゑ》は|此処《ここ》|彼処《かしこ》
|珍《うづ》の|都《みやこ》も|国原《くにはら》も  |揺《ゆる》ぐばかりの|賑《にぎ》はしさ。
|正鹿山津見神《まさかやまづみのかみ》は|五月姫《さつきひめ》との|結婚《けつこん》の|式《しき》ををはり、|淤縢山津見《おどやまづみ》、|駒山彦《こまやまひこ》、|珍山彦《うづやまひこ》|三柱《みはしら》とともに、|宴会《うたげ》の|最中《さいちう》、|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|心《こころ》を|痛《いた》めし|故郷《ふるさと》の、|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|最愛《さいあい》の|娘子《むすめご》の|訪《たづ》ね|来《きた》りし|事《こと》を|聞《き》き、|歓喜《くわんき》の|涙《なみだ》に|咽《むせ》ぶ|折《をり》しも、|国彦《くにひこ》の|案内《あんない》につれて|一行《いつかう》は|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれぬ。|三人《さんにん》の|娘《むすめ》は|嬉《うれ》しさに|胸《むね》|逼《せま》り、|父《ちち》の|顔《かほ》を|見《み》るより|早《はや》く|三人《さんにん》|一度《いちど》に|首《かうべ》を|垂《た》れ、|傍《かたはら》に|人《ひと》なくば|飛《と》びつき|抱《いだ》きつき|互《たが》ひに|泣《な》かむものと、|思《おも》ひは|同《おな》じ|親心《おやごころ》、|桃上彦《ももがみひこ》も|暫《しば》し|喜《よろこ》びの|涙《なみだ》に|咽《むせ》びて、|唯《ただ》|一言《ひとこと》の|言葉《ことば》さへも|出《だ》し|得《え》ず|今《いま》まで|賑《にぎ》はひし|宴会《うたげ》の|席《せき》も、|何《なん》となく|五月《さつき》の|雨《あめ》の|湿《しめ》り|気味《ぎみ》とはなりぬ。|珍山彦《うづやまひこ》は、
『ヤア、これはこれは、|目出度《めでた》い|事《こと》が|重《かさ》なれば|重《かさ》なるものだ。|今日《けふ》は|五月五日《ごぐわついつか》、|菖蒲《あやめ》の|節句《せつく》だ。|黒白《あやめ》も|分《わ》かぬ|暗《やみ》の|世《よ》を、あかして|通《とほ》る|宣伝使《せんでんし》の、|天女《てんによ》にも|擬《まが》ふ|五月姫《さつきひめ》、|三月三日《さんぐわつみつか》の|桃《もも》の|花《はな》にも|比《くら》ぶべき|桃上彦《ももがみひこ》の|命《みこと》と、|偕老同穴《かいらうどうけつ》の|契《ちぎり》を|結《むす》びし|矢先《やさき》、|瑞霊《みづのみたま》の|三人連《みたりづれ》、|松《まつ》のミロクの|代《よ》を|祝《いは》ふ|御娘子《おんむすめご》の|松代姫《まつよひめ》|様《さま》、|直《すぐ》な|心《こころ》の|竹野姫《たけのひめ》|様《さま》、|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》も|六合《りくがふ》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》、|綻《ほころ》びかけし|梅ケ香姫《うめがかひめ》|様《さま》の|親子《おやこ》の|対面《たいめん》、|何《なん》と|目出度《めでた》い|事《こと》であらうか。それにまだまだ|目出度《めでた》きは|月照彦《つきてるひこ》の|神《かみ》の|名《な》を|負《お》ふ|照彦《てるひこ》さまの|御供《おとも》とは、|何《なん》とした|不思議《ふしぎ》な|配合《はいがふ》だらう。あゝこれで|鶯宿梅《あうしゆくばい》の|梅《うめ》の|喜《よろこ》び、|桃林《たうりん》の|花《はな》|曇《ぐも》り、|五月《さつき》の|暗《やみ》もさつぱり|晴《は》れて、|月日《つきひ》は|御空《みそら》に|照《て》り|渡《わた》るミロクの|神代《かみよ》が|近《ちか》づくであらう。|三五《さんご》の|月《つき》の|輝《かがや》いたその|夜《よさ》に|初《はじ》めて|会《あ》うた|五月姫《さつきひめ》、|父《ちち》の|名《な》は|闇山津見《くらやまづみ》でも、もうかうなつた|以上《いじやう》は|照山津見《てるやまづみ》だ。|皆《みな》さま、|今日《こんにち》の|此《こ》の|御慶事《ごけいじ》を|祝《いは》ふために、|親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》の|睦《むつ》びあうた|目出度《めでた》さを|歌《うた》ひませうか』
|淤縢山津見《おどやまづみ》は、
『それは|実《じつ》に|結構《けつこう》で|御座《ござ》います。どうか|発起人《ほつきにん》の|貴方《あなた》から|歌《うた》つて|下《くだ》さいませ』
と|願《ねが》ふにぞ、|珍山彦《うづやまひこ》は、
『|然《しか》らば|私《わたくし》より|露払《つゆはら》ひを|致《いた》しませうか』
と、|今《いま》までの|怪《あや》しき|疳声《かんごゑ》に|似《に》ず、|余韻《よゐん》|嫋々《でうでう》たる|麗《うるは》しき|声音《せいおん》を|張《は》り|上《あ》げて|歌《うた》ひ|始《はじ》めたり。
『|朝日《あさひ》は|照《て》る|照《て》る|月《つき》は|盈《み》つ  |天地《てんち》の|神《かみ》は|勇《いさ》み|立《た》つ
|誠《まこと》の|神《かみ》が|現《あら》はれて  |三月三日《みつきみつか》の|桃《もも》の|花《はな》
|花《はな》は|紅《くれなゐ》|葉《は》は|緑《みどり》  |緑《みどり》|滴《したた》る|松山《まつやま》の
|青葉《あをば》に|来啼《きな》く|時鳥《ほととぎす》  |八千八声《はつせんやこゑ》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》
|晴《は》れて|嬉《うれ》しき|五月空《さつきぞら》  |喜《よろこ》び|胸《むね》に|三千年《みちとせ》の
|花《はな》|咲《さ》く|春《はる》に|桃上彦《ももがみひこ》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|妹《いも》と|背《せ》の
|千代《ちよ》の|喜《よろこ》び|垂乳根《たらちね》の  |親子《おやこ》|五人《ごにん》の|廻《めぐ》り|会《あ》ひ
|五月五日《いつつきいつか》の|今日《けふ》の|宵《よひ》  |遠《とほ》き|神代《かみよ》の|昔《むかし》より
|夕暮《ゆふぐ》れ|悪《あ》しと|忌《い》みし|世《よ》も  かはりて|今《いま》は|夕暮《ゆふぐれ》れの
|天地《てんち》に|満《み》つる|喜《よろこ》びは  またと【ありな】の|滝《たき》の|上《うへ》
|鏡《かがみ》の|池《いけ》の|限《かぎ》りなく  |清水《しみづ》|湧《わ》き|出《づ》る|如《ごと》くなり
|神代《かみよ》を|祝《ことほ》ぐ|松代姫《まつよひめ》  |一度《いちど》に|開《ひら》く|梅ケ香姫《うめがかひめ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》のすくすくと  |生《お》ひ|立《た》ち|早《はや》き|竹野姫《たけのひめ》
|貴《うづ》の|都《みやこ》を|後《あと》にして  |珍《うづ》の|都《みやこ》に|月照《つきてる》の
|空《そら》|高砂《たかさご》の|珍《うづ》の|国《くに》  |珍山彦《うづやまひこ》の|木《こ》の|花《はな》は
|弥《いや》|高々《たかだか》と|高照姫《たかてるひめ》の  |神《かみ》の|命《みこと》に|通《かよ》ふなり
|大蛇《をろち》の|船《ふね》に|乗《の》せられて  ここに|四人《よにん》の|神人《しんじん》は
|主従《しうじう》|親子《おやこ》の|顔《かほ》|合《あは》せ  |心《こころ》|合《あは》せて|何時《いつ》までも
|厳霊《いづのみたま》を|経《たて》となし  |瑞霊《みづのみたま》を|緯《ぬき》となし
|三五《さんご》の|月《つき》の|御教《みをしへ》を  |天地《あめつち》|四方《よも》に|輝《かがや》かせ
|天地《あめつち》|四方《よも》に|輝《かがや》かせ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》れば、|淤縢山津見神《おどやまづみのかみ》は、またもや|口《くち》を|開《ひら》いて|祝歌《しゆくか》を|歌《うた》ふ。
『|三月三日《みつきみつか》の|桃《もも》の|花《はな》  |三千年《さんぜんねん》の|昔《むかし》より
|培《つちか》ひ|育《そだ》てし|園《その》の|桃《もも》  |君《きみ》に|捧《ささ》ぐる|桃実《もものみ》の
|心《こころ》も|春《はる》のこの|宴会《うたげ》  |五月五日《いつつきいつか》の|花菖蒲《はなあやめ》
|香《かを》り|床《ゆか》しき|五月姫《さつきひめ》  |御空《みそら》も|晴《は》れて|高砂《たかさご》の
|尾《を》の|上《へ》の|松《まつ》の|下蔭《したかげ》に  |尉《じやう》と|姥《うば》との|末長《すゑなが》く
|清《きよ》く|此《この》|世《よ》を|渡《わた》りませ  |頭《かしら》は|深雪《みゆき》の|友白髪《ともしらが》
|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|愛娘《まなむすめ》  |世《よ》は|烏羽玉《うばたま》の|暗《くら》くとも
|月日《つきひ》は|空《そら》に|照彦《てるひこ》の  |光《ひかり》|眩《まば》ゆき|佳人《かじん》と|佳人《かじん》
|鶴《つる》は|千歳《ちとせ》と|舞《ま》ひ|納《をさ》め  |亀《かめ》は|万代《よろづよ》|舞《ま》ひ|歌《うた》ふ
|秋津島根《あきつしまね》の|珍《うづ》の|国《くに》  |五男三女《ごなんさんぢよ》と|五月姫《さつきひめ》
|千代《ちよ》に|治《をさ》まる|国彦《くにひこ》の  |栄《さかえ》をまつぞ|目出度《めでた》けれ
|栄《さかえ》をまつぞ|目出度《めでた》けれ』
|珍山彦《うづやまひこ》は、
『ヤア|目出度《めでた》い|目出度《めでた》い、コレコレ|五月姫《さつきひめ》さま、|貴女《あなた》は|此家《ここ》のこれからは|立派《りつぱ》な|奥様《おくさま》、|今《いま》|三人《さんにん》の|御娘子《おむすめご》は|貴女《あなた》の|真《まこと》の|御子《おんこ》ぢや、|腹《はら》も|痛《いた》めずに、こんな|立派《りつぱ》な|月《つき》とも|雪《ゆき》とも|花《はな》とも|知《し》れぬ|天女神《てんによしん》を|子《こ》に|持《も》つて、さぞ|嬉《うれ》しからう。|縁《えん》と|云《い》ふものは|不思議《ふしぎ》なもので、|佳人《かじん》が|醜夫《しうふ》に|娶《めと》られたり、|愚人《ぐじん》が|美女《びぢよ》と|結婚《けつこん》するのは|世《よ》の|中《なか》の|配合《はいがふ》だ。|然《しか》るに|貴女《あなた》は|正鹿山津見神《まさかやまづみのかみ》|様《さま》のやうな|智仁勇《ちじんゆう》|兼備《けんび》、|何《なに》|一《ひと》つ|穴《あな》のない、あななひ|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》を|夫《をつと》に|持《も》ち、|佳人《かじん》と|美女《びぢよ》の|鴛鴦《をし》の|契《ちぎり》の|夢《ゆめ》|暖《あたた》かく、|夫婦《ふうふ》|親子《おやこ》が|花《はな》の|如《ごと》く|月《つき》の|如《ごと》く|雪《ゆき》の|如《ごと》く、|清《きよ》き|生活《せいくわつ》を|送《おく》らるると|云《い》ふ|事《こと》は、またと|世界《せかい》にこれに|越《こ》した|幸福《かうふく》はあるまい。|恋《こひ》には|正邪《せいじや》|美醜《びしう》|賢愚《けんぐ》の|隔《へだ》てがないと|云《い》ふ|事《こと》だが、|貴女《あなた》の|恋《こひ》は|完全《くわんぜん》ですよ。|桃《もも》と|菖蒲《あやめ》の|花《はな》も|実《み》もある|千代《ちよ》の|喜《よろこ》び、|幾千代《いくちよ》までもと|契《ちぎ》る|言葉《ことば》も|口籠《くちごも》る。|鴛鴦《をし》の|衾《ふすま》の|新枕《にひまくら》、|実《じつ》に|目出度《めでた》い、お|目出度《めでた》い』
|五月姫《さつきひめ》は、
『|有難《ありがた》う|御座《ござ》います』
と|唯《ただ》|一言《ひとこと》、|顔《かほ》|赭《あか》らめて|稍《やや》|俯《うつむ》いて|居《ゐ》る。|珍山彦《うづやまひこ》は、
『もしもし|五月姫《さつきひめ》さま、|貴女《あなた》は|今晩《こんばん》の|花《はな》だ。|一《ひと》つ|華《はな》やかに|歌《うた》つて|貰《もら》ひませうか』
|五月姫《さつきひめ》は|耻《はづ》かしげに|立《た》ち|上《あが》り、|長袖《ちやうしう》|淑《しと》やかに|歌《うた》ひ|舞《ま》ひ|始《はじ》めたり。
(大正一一・二・一三 旧一・一七 加藤明子録)
第一〇章 |言葉《ことば》の|車《くるま》〔四〇三〕
|五月姫《さつきひめ》は|立《た》つて|唄《うた》ふ。
『【あ】ふげば|高《たか》し|天《あま》の|原《はら》  【い】|行《ゆ》き|渡《わた》らふ|日《ひ》の|神《かみ》の
【う】づの|都《みやこ》の|守護神《まもりがみ》  【え】にしの|糸《いと》に|繋《つな》がれて
【お】しの|衾《ふすま》の|永久《とこしへ》に  【か】はらざらまし|何時《いつ》までも
【き】よく|正《ただ》しき|相生《あひおひ》の  【く】にの|護《まも》りと|現《あら》はれて
【け】しき|卑《いや》しき|曲津見《まがつみ》を  【こ】らしてここに|神《かみ》の|国《くに》
【さ】かゆる|松《まつ》も|高砂《たかさご》の  【し】ま|根《ね》に|清《きよ》く|麗《うるは》しく
【す】みきる|老《おい》の|尉《じやう》と|姥《うば》  【せ】ぜの|流《なが》れは|変《かは》るとも
【そ】ろふて|二人《ふたり》|松《まつ》の|葉《は》の  【た】がひに|心《こころ》を|合《あ》はせつつ
【ち】|代《よ》も|八千代《やちよ》も|永久《とこしへ》に  【つ】ると|亀《かめ》との|齢《よはひ》もて
【て】らす|高砂島《たかさごじま》の|森《もり》  【と】きは|堅磐《かきは》に|治《をさ》めませ
【な】み|風《かぜ》|荒《あら》き|海原《うなばら》を  【に】しや|東《ひがし》や|北《きた》|南《みなみ》
【ぬ】ひ|行《ゆ》く|船《ふね》の|徐々《しづしづ》と  【ね】|底《そこ》の|国《くに》の|果《は》てまでも
【の】どかにしらす|天津神《あまつかみ》  【は】|留《る》の|国《くに》をば|立《た》ち|出《い》でて
【ひ】|照《で》りきびしき|砂原《すなはら》を  【ふ】みわけ|進《すす》む|四人連《よにんづ》れ
【へ】り|譲《くだ》れとの|御教《みをしへ》の  【ほ】まれは|四方《よも》に|響《ひび》くなり
【ま】さ|鹿山津見神《かやまづみのかみ》|様《さま》の  【み】のいたづきを|救《すく》ひつつ
【む】すぶ|縁《えにし》の|温泉場《をんせんば》  【め】ぐり|会《あ》うたる|妹《いも》と|背《せ》の
【も】も|世《よ》の|契《ちぎり》|百歳《ももとせ》や  【や】|千代《ちよ》の|固《かた》め|睦《むつ》まじく
【い】や|永久《とこしへ》に|永久《とこしへ》に  【ゆ】みづ|湧《わ》き|出《づ》る|珍山《うづやま》の
【え】にしも|深《ふか》き|旅《たび》の|空《そら》  【よ】は|紫陽花《あぢさゐ》の|変《かは》るとも
【わ】が|身《み》に|持《も》てる|真心《まごころ》は  【ゐ】く|千代《ちよ》までも|変《かは》らまじ
【う】づ|山彦《やまひこ》の|御神《おんかみ》に  【ゑ】にしの|糸《いと》を|結《むす》ばれて
【を】さまる|今日《けふ》の|夕《ゆふべ》かな』
と、|四十五清音《しじふごせいおん》の|言霊歌《ことたまうた》を|歌《うた》ふ。
|駒山彦《こまやまひこ》『ヤア、|恐《おそ》れ|入《い》りました。|四十五清音《しじふごせいおん》の|祝《いは》ひの|御歌《おんうた》、どうか|始終御静穏《しじゆうごせいをん》でゐらつしやいますやうに』
|珍山彦《うづやまひこ》『オイ、|駒山《こまやま》さま、|大分《だいぶん》によう|転《ころ》ぶな』
『きまつた|事《こと》だ。|山《やま》の|頂辺《てつぺん》から、|駒《こま》を|転《ころ》がしたやうなものだよ。アハヽヽヽ』
『サア|駒山《こまやま》さま、|山《やま》の|頂辺《てつぺん》から|駒《こま》を|転《ころ》がすのだよ。|一《ひと》つ|言霊歌《ことたまうた》を|聴《き》かして|貰《もら》ひませうかな』
『|歌《うた》は|御免《ごめん》だ、|不調法《ぶてうはふ》だからな』
『この|目出度《めでた》い|場所《ばしよ》で、|御免《ごめん》だの、|不調法《ぶてうはふ》だのと、|是非《ぜひ》|言霊《ことたま》の|宣《の》り|直《なほ》しをやつて|貰《もら》ひたいものだ。|主人側《しゆじんがは》の|五月姫《さつきひめ》さまが|言霊《ことたま》でお|歌《うた》ひになつたのだもの、お|客側《きやくがは》の|貴公《きこう》がまた|言霊《ことたま》で|返歌《へんか》をするのは|当然《たうぜん》だ。|吾々《われわれ》は|一度《いちど》|歌《うた》つたから|最早《もはや》|満期《まんき》|免除《めんぢよ》だ。サアサア|早《はや》く|早《はや》く、|言霊《ことたま》の|駒《こま》を|山《やま》の|上《うへ》から|転《ころ》がしたり|転《ころ》がしたり、|珍山彦《うづやまひこ》の|所望《しよもう》だ』
|駒山彦《こまやまひこ》も、
『【こま】つたな、|止《や》むに|止《や》まれぬこの|場《ば》の【|仕儀《しぎ》】、オツトドツコイ|祝儀《しうぎ》だ。
【あ】ふげば|高《たか》し|山《やま》の|端《は》を  【い】づる|月日《つきひ》のきらきらと
【う】づの|都《みやこ》を|照《てら》すなり  【え】にしは|尽《つ》きぬ|五月姫《さつきひめ》
【お】しの|衾《ふすま》の|暖《あたた》かに  【か】たみに|手《て》に|手《て》をとり|交《かは》し
【き】のふも|今日《けふ》も|睦《むつ》まじく  【く】らせよ|暮《くら》せ|二人連《ふたりづ》れ
【け】はしき|山《やま》を|乗《の》り|越《こ》えて  【こ】こに|漸《やうや》く|月《つき》の|宵《よひ》
【さ】かづき|交《かは》す|目出度《めでた》さよ  【し】ま|根《ね》に|生《お》ふる|松ケ枝《まつがえ》に
【す】ずしく|澄《す》める|月影《つきかげ》は  【せ】ん|秋万歳《しうばんざい》|尉《じやう》と|姥《うば》
【そ】ろふ|夫婦《ふうふ》の|友白髪《ともしらが》  【た】かさご|島《じま》の|守護神《まもりがみ》
【ち】よに|八千代《やちよ》に|色《いろ》|深《ふか》く  【つ】るの|巣《す》|籠《ごも》る|神《かみ》の|島《しま》
【て】らす|朝日《あさひ》は|清《きよ》くして  【と】こよの|闇《やみ》を|晴《は》らすなり
【な】つの|半《なかば》の|五月空《さつきぞら》  【に】しに|出《い》で|入《い》る|月照彦《つきてるひこ》は
【ぬ】ば|玉《たま》の|世《よ》を|照《て》らしつつ  【ね】|底《そこ》の|国《くに》まで|救《すく》ひゆく
【の】|山《やま》もかすみ|笑《わら》ふなる  【は】る(|巴留《はる》)の|栄《さか》えは|桃《もも》の|花《はな》
【ひ】らく|常磐《ときは》の|松代姫《まつよひめ》  【ふ】たりの|娘御《むすめご》|諸共《もろとも》に
【へ】ぐりの|山《やま》をあとにして  【ほ】のかに|夢《ゆめ》の|跡《あと》|尋《たづ》ね
【ま】ぎて|来《きた》りし|父《ちち》の|国《くに》  【み】たり|逢《あ》うたり|今日《けふ》の|宵《よひ》
【む】すぶ|夫婦《ふうふ》の|新枕《にひまくら》  【め】でたかりける|次第《しだい》なり
【も】も|上彦《がみひこ》は|年《とし》|長《なが》く  【や】ちよの|春《はる》の|玉椿《たまつばき》
【い】づみのみたまの|御教《みをしへ》を  【ゆ】はより|堅《かた》く|守《まも》りませ
【え】にしは|尽《つ》きじ|月照《つきてる》の  【よ】は|紫陽花《あぢさゐ》の|変《かは》るとも
【わ】かやぐ|胸《むね》を|素手《すだ》|抱《だ》きて  【ゐ】きと|水火《いき》とを|合《あは》せつつ
【う】つし|世《よ》|幽世《かくりよ》|隔《へだ》てなく  【ゑ】らぎ|楽《たの》しめ|神《かみ》の|世《よ》の
【を】さまる|五月《さつき》の|今日《けふ》|五日《いつか》』
と|歌《うた》ひ|了《をは》れば、|珍山彦《うづやまひこ》は|膝《ひざ》を|打《う》つて、
『ヤア、|転《ころ》んだ|転《ころ》んだ、|駒公《こまこう》がころんだ』
|駒山彦《こまやまひこ》『これで|駒山《こまやま》は|除隊《ぢよたい》ですかな』
|珍山彦《うづやまひこ》は、
『ヤア、【じよたい】のない|男《をとこ》だな。それよりも|五月姫《さつきひめ》さま、アヽこの|館《やかた》の|奥《おく》さまとならば、【じよたい】のう【しよたい】を|保《も》つのだよ。|心《こころ》の|底《そこ》から|水晶《すゐしやう》に|研《みが》いて|研《みが》き|上《あ》げて、|華《くわ》を|去《さ》り|実《じつ》に|就《つ》き、|曲津《まがつ》の|正体《しやうたい》を|出《だ》してしまふのだ』
|五月姫《さつきひめ》は|小《ちひ》さき|声《こゑ》にて、
『ハイハイ』
とばかりうなづく。
|珍山彦《うづやまひこ》『サア、これから|御主人公《ごしゆじんこう》の|番《ばん》だ。【まさか】|否《いや》とは|言《い》はれますまい。サアサア|祝《いは》ひ|歌《うた》を|歌《うた》つて|下《くだ》さい。|珍山彦《うづやまひこ》の|註文《ちうもん》だ』
|正鹿山津見《まさかやまづみ》『|皆《みな》さまの|立派《りつぱ》な|御歌《おうた》を|聴《き》いて、|恐《おそ》れ|入《い》りました。|私《わたし》の|言霊《ことたま》は、|充分《じゆうぶん》|研《みが》けて|居《を》りませぬから、|耳《みみ》ざはりになりませうが、|今日《けふ》は|思《おも》ひ|切《き》つて、|神様《かみさま》の|御力《おちから》を|借《か》りて|歌《うた》はして|頂《いただ》きませう。
あゝ|思《おも》へば|昔《むかし》|其《そ》の|昔《むかし》  |高天原《たかあまはら》に|生《あ》れませる
|心《こころ》もひろき|広宗彦《ひろむねひこ》の  |兄《あに》の|命《みこと》に|助《たす》けられ
|神《かみ》の|真釣《まつり》を|補《おぎな》ひの  かみと|代《かは》りし|桃上彦《ももがみひこ》の
|神《かみ》の|命《みこと》のなれの|果《はて》  |心《こころ》の|駒《こま》の|進《すす》む|間《ま》に
|八十《やそ》の|曲津《まがつ》に|使《つか》はれて  |恵《めぐみ》も|深《ふか》き|広宗彦《ひろむねひこ》の
|兄《あに》の|命《みこと》に|相《あひ》|反《そむ》き  |二人《ふたり》の|兄《あに》を|退《しりぞ》けて
【かみ】の【まつり】を|握《にぎ》りたる  |高天原《たかあまはら》の|主宰神《つかさがみ》
|常世《とこよ》の|闇《やみ》の|深《ふか》くして  |心《こころ》は|雲《くも》る|常世彦《とこよひこ》
|常世《とこよ》の|姫《ひめ》に|謀《はか》られて  |恋《こひ》しき|都《みやこ》や|三柱《みはしら》の
|愛《うつ》しき|御子《みこ》を|振《ふ》り|捨《す》てて  |行方《ゆくへ》も|知《し》らぬ|流浪《さすらひ》の
|身《み》のなり|果《は》ては|和田《わだ》の|原《はら》  |浪《なみ》に|浮《うか》べる|一《ひと》つ|島《じま》
|竜宮《りうぐう》の|島《しま》に|渡《わた》らむと  |高砂丸《たかさごまる》に|身《み》をまかせ
|常世《とこよ》の|浪《なみ》の|重浪《しきなみ》を  |渡《わた》る|折《をり》しも|吹《ふ》き|来《きた》る
|颶風《はやて》に|船《ふね》は|打《う》ち|破《わ》られ  |吾《われ》は|儚《はか》なき|露《つゆ》の|身《み》の
|朝日《あさひ》に|消《き》ゆる|悲《かな》しさを  |闇《やみ》を|照《て》らして|昇《のぼ》り|来《く》る
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御光《みひかり》や  |琴平別《ことひらわけ》の|救《すく》ひ|舟《ぶね》
|背《せな》に|跨《またが》り|遥々《はるばる》と  |千尋《ちひろ》の|海《うみ》の|底《そこ》の|宮《みや》
|乙米姫《おとよねひめ》の|知食《しろしめ》す  |竜《たつ》の|宮居《みやゐ》の|金門《かなど》|守《も》る
|賤《いや》しき|司《つかさ》と|仕《つか》へつつ  |涙《なみだ》に|沈《しづ》む|折《をり》からに
|浪《なみ》を|照《てら》して|出《い》で|来《きた》る  |日《ひ》の|出神《でのかみ》に|救《すく》はれて
|神伊邪那美《かむいざなみ》の|大神《おほかみ》や  |従属《みとも》の|神《かみ》と|諸共《もろとも》に
|音《おと》に|名高《なだか》き|竜宮《りうぐう》を  |亀《かめ》の|背中《せなか》に|乗《の》せられて
|躍《をど》り|浮《うか》びし|淤縢山祇《おどやまずみ》の  |神《かみ》の|命《みこと》や|和田《わだ》の|原《はら》
【つらなぎ】|渡《わた》る|浪《なみ》の|上《うへ》  |大海原《おほうなばら》の|真中《まんなか》に
|皇大神《すめおほかみ》と|右《みぎ》|左《ひだり》  |袂《たもと》を|別《わか》ち|高砂《たかさご》の
|朝日《あさひ》も|智利《てる》の|国《くに》を|越《こ》え  |珍《うづ》の|都《みやこ》に|辿《たど》り|着《つ》き
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|任《ま》けのまに  |名《な》さへ|目出度《めでた》き|宣伝使《せんでんし》
|巴留《はる》の|御国《みくに》を|救《すく》はむと  |山野《やまの》を|渉《わた》り【はる】ばると
|吾《われ》は|都《みやこ》に|竜世姫《たつよひめ》  |三五《さんご》の|月《つき》|照《て》る|真夜中《まよなか》に
|威勢《ゐせい》も|高《たか》き|鷹取別《たかとりわけ》の  |醜《しこ》の|軍《いくさ》の|戦士《いくさびと》が
|鋭《するど》き|槍《やり》の|錆《さび》となり  |沙漠《さばく》の|中《なか》に|埋《う》められて
やうやう|息《いき》を|吹《ふ》き|返《かへ》し  |闇《やみ》に|紛《まぎ》れて|帰《かへ》り|往《ゆ》く
|負傷《てきず》は|痛《いた》く|足《あし》|蹇《な》へて  |一足《ひとあし》さへもままならぬ
|破目《はめ》に|陥《おちい》る|谷《たに》の|底《そこ》  |流《なが》るる|水《みづ》を|掬《むす》ぶ|時《とき》
|香《かを》り|床《ゆか》しく|味《あぢ》もよき  |瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|幸《さち》はひを
|喜《よろこ》び|谷間《たにま》を|攀《よ》ぢ|登《のぼ》り  |温泉《いでゆ》の【いさ】に|浴《ゆあみ》して
|百《もも》の|負傷《てきず》は|癒《い》えたれど  |如何《いかが》はしけむ|玉《たま》の|緒《を》の
|命《いのち》の|絶《た》ゆる|折柄《をりから》に  |淤縢山津見《おどやまづみ》や|五月姫《さつきひめ》
|珍山《うづやま》、|駒山《こまやま》|現《あら》はれて  |神《かみ》の|救《すく》ひの|御手《みて》をのべ
|助《たす》け|給《たま》ひし|嬉《うれ》しさよ  |茲《ここ》に|五人《ごにん》の|神《かみ》の|子《こ》は
さしも|嶮《けは》しき|珍山《うづやま》の  |峠《たうげ》を|越《こ》えて|千引岩《ちびきいは》の
|上《うへ》に|一夜《いちや》を|明《あか》しつつ  |天雲山《あまくもやま》をも|打越《うちこ》えて
|木《こ》の|花姫《はなひめ》の|分霊《わけみたま》  |大蛇《をろち》の|船《ふね》に|助《たす》けられ
もとの|住家《すみか》に|立帰《たちかへ》り  |憩《いこ》ふ|間《ま》もなく|淤縢山祇《おどやまずみ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|御執《おとり》|成《な》し  |珍山彦《うづやまひこ》の|真心《まごころ》に
|今日《けふ》は|妹背《いもせ》の|新枕《にひまくら》  |天津御神《あまつみかみ》や|国津神《くにつかみ》
|百神等《ももがみたち》に|永久《とこしへ》の  |誓約《うけひ》をたてし|今日《けふ》の|宵《よひ》
|清《きよ》き|心《こころ》の|玉椿《たまつばき》  |八千代《やちよ》の|春《はる》の|梅《うめ》の|花《はな》
|開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》ぶ  【みろく】の|世《よ》までも|変《かは》らまじ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|高砂島《たかさごじま》の|永久《とこしへ》に  |妹背《いもせ》の|仲《なか》は|睦《むつ》まじく
|親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》は|睦《むつ》び|合《あ》ひ  |花《はな》|咲《さ》く|御代《みよ》を|楽《たの》しまむ
|花《はな》|咲《さ》く|御代《みよ》を|楽《たの》しまむ  |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》  ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し  |身《み》の|過《あやまち》は|宣《の》り|直《なほ》し
|光《ひかり》|眩《まば》ゆき|伊都能売《いづのめ》の  |神《かみ》の|御魂《みたま》と|現《あら》はれて
|天地《あめつち》|四方《よも》の|国々《くにぐに》を  |守《まも》る|諸神《もろがみ》|諸人《もろびと》と
|共《とも》に|生代《いくよ》を|楽《たの》しまむ  |共《とも》に|足代《たるよ》を|楽《たの》しまむ』
と、|声《こゑ》もすずしく|歌《うた》ひ|終《をは》る。|一同《いちどう》は|手《て》を|拍《う》つて|感嘆《かんたん》の|声《こゑ》を|漏《も》らすのみ。|珍山彦《うづやまひこ》は、
『サアサア、これで|婚礼組《こんれいぐみ》の|歌《うた》は|一通《ひととほ》り|済《す》んだ。これから|親子《おやこ》|対面《たいめん》の|御祝《おいは》ひだ。モシモシ|松代姫《まつよひめ》|様《さま》、|貴女《あなた》のお|番《ばん》です。|御遠慮《ごゑんりよ》なく|親《おや》の|前《まへ》だ、お|歌《うた》ひなさいませ』
|松代姫《まつよひめ》は、
『ハイ』
と|答《こた》へて|立《た》ち|上《あが》りぬ。
(大正一一・二・一三 旧一・一七 河津雄録)
第一一章 |蓬莱山《ほうらいざん》〔四〇四〕
|松代姫《まつよひめ》の|歌《うた》。
『|松《まつ》は|千年《ちとせ》の|色《いろ》|深《ふか》く  |厳《いづ》のみろくの|守《まも》り|神《がみ》
|瑞《みづ》の|御魂《みたま》と|現《あら》はれし  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|三葉《みつば》の|彦《ひこ》の|神魂《かむみたま》  |清《きよ》き|尊《たふと》き|玉鉾《たまぼこ》の
|広道別《ひろみちわけ》と|改《あらた》めて  |黄金山《わうごんざん》に|宮柱《みやばしら》
|太知《ふとし》り|立《た》てて|神《かみ》の|代《よ》を  |治《をさ》め|給《たま》ひし|神業《かむわざ》を
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|嬉《うれ》しみて  |天地《てんち》に|願《ねが》ひを|掛巻《かけまく》も
|畏《かしこ》き|神《かみ》の|引《ひ》き|合《あは》せ  |恋《こひ》しき|父《ちち》に|邂逅《めぐりあ》ひ
|心《こころ》の|丈《たけ》を|語《かた》りあふ  |今日《けふ》の|月日《つきひ》を|松代姫《まつよひめ》
|待《ま》つ|甲斐《かひ》ありて|今《いま》|茲《ここ》に  |松竹梅《まつたけうめ》の|姉妹《おとどい》は
|恋《こひ》しき|父《ちち》に|巡《めぐ》り|会《あ》ひ  |又《また》もや|母《はは》の|懐《ふところ》に
|抱《だ》かれて|眠《ねむ》る|雛鳥《ひなどり》の  |吾身《わがみ》の|上《うへ》ぞ|楽《たの》しけれ
|吾身《わがみ》の|上《うへ》ぞ|楽《たの》しけれ  |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  |千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|変《かは》りなき
|心《こころ》やさしき|五月姫《さつきひめ》  |母《はは》の|命《みこと》と|敬《ゐやま》ひて
|心《こころ》を|尽《つく》し|身《み》を|尽《つく》し  |力《ちから》の|限《かぎ》り|仕《つか》ふべし
あゝ|垂乳根《たらちね》の|父母《ちちはは》よ  |親《おや》と|現《あら》はれ|子《こ》となるも
|遠《とほ》き|神代《かみよ》の|昔《むかし》より  |天津御神《あまつみかみ》や|国津神《くにつかみ》
|金勝要《きんかつかね》の|大神《おほかみ》の  |結《むす》び|給《たま》ひし|神業《かむわざ》と
|聞《き》くも|嬉《うれ》しき|今日《けふ》の|宵《よひ》  |竜世《たつよ》の|姫《ひめ》や|月照彦《つきてるひこ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|守《まも》ります  |高砂島《たかさごじま》は|幾千代《いくちよ》も
|山《やま》は|繁《しげ》れよ|野《の》は|栄《さか》え  |花《はな》は|匂《にほ》へよ|百《もも》の|実《み》は
|枝《えだ》もたわわに|結《むす》べかし  |五日《いつか》の|風《かぜ》や|十《とを》の|日《ひ》の
|雨《あめ》も|秩序《ついで》をあやまたず  |稲《いね》|麦《むぎ》|豆《まめ》|粟《あは》|黍《きび》までも
|豊《ゆたか》に|稔《みの》れ|永久《とこしへ》に  |蓬莱山《ほうらいざん》も|啻《ただ》ならず
|鶴《つる》の|齢《よはひ》の|末《すゑ》|長《なが》く  |亀《かめ》の|寿《よはひ》のいつまでも
|夫婦《めをと》|親子《おやこ》の|契《ちぎり》をば  |続《つづ》かせ|給《たま》へ|国治立《くにはるたち》の
|神《かみ》の|命《みこと》よ|豊国姫《とよくにひめ》の  |神《かみ》の|命《みこと》よ|平《たひら》けく
いと|安《やす》らけく|聞《きこ》しめせ  |天教山《てんけうざん》にあれませる
|木《こ》の|花姫《はなひめ》の|御守《みまも》りは  |千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|変《かは》らざれ
|千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|変《かは》らざれ  |神《かみ》に|任《まか》せし|親《おや》と|子《こ》の
|心《こころ》は|清《きよ》し|惟神《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はへましまして
|世《よ》の|大本《おほもと》の|大御神《おほみかみ》  |開《ひら》き|給《たま》ひし|三五《あななひ》の
|言葉《ことば》の|花《はな》は|天地《あめつち》と  |共《むた》|永遠《とこしへ》に|栄《さか》えませ
いや|永遠《とこしへ》に|栄《さか》えませ』
と|述懐歌《じゆつくわいか》をうたひ、しとやかに|舞《ま》ひ|納《をさ》めたれば、|竹野姫《たけのひめ》は|又《また》もや|起《た》つて、|長袖《ちやうしう》ゆたかに|歌《うた》ひ|舞《ま》ふ。
『【あ】ゝ|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し  【い】づの|身魂《みたま》のみ|守《まも》りに
【う】づの|都《みやこ》を|立《た》ち|出《い》でて  【え】にしも|深《ふか》き|海《うみ》の|上《うへ》
【お】さまる|胸《むね》は|智利《てる》の|国《くに》  【か】がやき|渡《わた》る|天津日《あまつひ》の
【き】しに|昇《のぼ》りて|山河《やまかは》を  【く】もなく|渡《わた》る|四人連《よにんづ》れ
【け】しき|勝《すぐ》れし|珍《うづ》の|国《くに》  【こ】ころも|晴《は》るる|今日《けふ》の|空《そら》
【さ】かえに|充《み》てる|父《ちち》の|顔《かほ》  【し】ら|雪《ゆき》|紛《まが》ふ|母《はは》の|面《おも》
【す】ずしき|眼《まなこ》|月《つき》の|眉《まゆ》  【せ】みの|小川《をがは》の|水《みづ》|清《きよ》く
【そ】そぎ|清《きよ》めし|神御魂《かむみたま》  【た】なばた|姫《ひめ》の|織《お》りませる
【ち】はた|百機《ももはた》|綾錦《あやにしき》  【つ】ぼみも|開《ひら》く|梅ケ香《うめがか》に
【て】る|月《つき》さへも|清《きよ》くして  【と】こよの|暗《やみ》も|晴《は》れてゆく
【な】に|負《お》ふ|清《きよ》き|高砂《たかさご》の  【に】しきの|機《はた》を|織《お》りなして
【ぬ】なとも|母揺《もゆら》にとり|揺《ゆ》らし  【ね】がひ|叶《かな》ひし|親《おや》と|子《こ》は
【の】どかな|春《はる》に|逢《あ》ふ|心地《ここち》  【は】るる|思《おも》ひの|鏡池《かがみいけ》
【ひ】びに|教《をし》ふる|言霊《ことたま》の  【ふ】かき|恵《めぐ》みを|仰《あふ》ぎつつ
【へ】に|来《こ》し|夢《ゆめ》も|今《いま》はただ  【ほ】ーほけきよーの|鶯《うぐひす》の
【ま】|声《こゑ》とこそはなりにけれ  【み】じかき|夏《なつ》の|一夜《ひとよ》さに
【む】すぶも|果敢《はか》なき|夢《ゆめ》の|世《よ》の  【め】ぐりて|此処《ここ》に|親《おや》と|子《こ》は
【も】も|夜《よ》の|春《はる》に|逢《あ》ふ|心地《ここち》  【や】ちよの|椿《つばき》|優曇華《うどんげ》も
【い】や|永遠《とこしへ》に|薫《かを》れかし  【ゆ】くへも|知《し》らぬ|波《なみ》の|上《うへ》
【え】にしの|船《ふね》に|乗《の》せられて  【よ】を|果敢《はか》なみつ|進《すす》み|来《く》る
【わ】が|身《み》の|上《うへ》を|憐《あはれ》みて  【い】づの|御魂《みたま》や|瑞御魂《みづみたま》
【う】きに|悩《なや》める|姉妹《おとどい》の  【ゑ】がほも|清《きよ》き|今日《けふ》の|宵《よひ》
【を】さまる|夫婦《めをと》|親子《おやこ》|仲《なか》  |四十五文字《よそいつもじ》の|言霊《ことたま》の
|花《はな》も|開《ひら》いて|実《み》を|結《むす》ぶ  |結《むす》びの|神《かみ》の|引《ひ》き|合《あは》せ
|娘《むすめ》と|父《ちち》と|母神《ははがみ》の  |今日《けふ》の|団欒《つどひ》ぞ|嬉《うれ》しけれ
|今日《けふ》の|団欒《つどひ》ぞ|楽《たの》しけれ』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|又《また》もや|起《た》つて|歌《うた》ひ|舞《ま》ふ。
『【ひ】は|照《て》る|光《ひか》る|月《つき》は|冴《さ》ゆ  【ふ】かき|恵《めぐ》みの|父母《ちちはは》よ
【み】たりの|娘《むすめ》を|何時《いつ》までも  【よ】は|紫陽花《あぢさゐ》と|変《かは》るとも
【い】つくしみませ|永久《とこしへ》に  【む】すぶ|縁《えにし》の|糸柳《いとやなぎ》
【な】がながしくも|親《おや》と|子《こ》は  【や】ちよの|春《はる》の|来《きた》るまで
【こ】ころ|変《かは》らぬ|松《まつ》の|世《よ》の  【と】きは|堅磐《かきは》に|何時《いつ》までも
【も】も|上彦《がみひこ》と|現《あら》はれて  |千々《【ち】ぢ》の|民草《たみぐさ》|守《まも》りませ
【よ】ろづのものを|救《すく》ひませ  【ひ】がしに|昇《のぼ》る|朝日影《あさひかげ》
|二日《【ふ】つか》の|月《つき》は|上弦《じやうげん》の  【み】いづかくして|世《よ》を|守《まも》る
【よ】しも|悪《あ》しきも|難波江《なにはえ》の  【い】つしか|晴《は》るる|神《かみ》の|胸《むね》
【む】かしの|神代《かみよ》|廻《めぐ》り|来《き》て  【な】く|杜鵑《ほととぎす》|声《こゑ》|高《たか》く
|八千代《【や】ちよ》の|春《はる》を|祝《いは》ふらむ  【こ】ころも|清《きよ》き|梅ケ香《うめがか》の
【と】こよの|春《はる》を|迎《むか》へつつ  【も】もの|千花《ちばな》に|魁《さきが》けて
【ち】り|行《ゆ》く|後《あと》に|実《み》を|結《むす》ぶ  【よ】ろづ|代《よ》|祝《いは》ふ|神《かみ》の|国《くに》
【ひ】かり|洽《あまね》き|神《かみ》の|国《くに》  【ふ】かき|恵《めぐ》みに|包《つつ》まれて
【み】ろくの|御代《みよ》を|松代姫《まつよひめ》  【よ】し|野《の》に|開《ひら》く|花《はな》よりも
【い】つも|青々《あをあを》|松緑《まつみどり》  【む】つびに|睦《むつ》ぶ|神人《しんじん》の
【な】さへ|目出度《めでた》き|高砂《たかさご》や  【や】ま|河《かは》|田畑《たはた》|美《うる》はしく
【こ】ころも|直《なほ》き|竹野姫《たけのひめ》  【と】きは|堅磐《かきは》に|栄《さか》ゆべし
【も】も|上彦《がみひこ》の|知《し》らす|世《よ》は  |千代《【ち】よ》も|八千代《やちよ》も|限《かぎ》りなく
【よ】ろづ|代《よ》までも|栄《さか》えませ  |万代《よろづよ》までも|栄《さか》えませ
|思《おも》ひは|胸《むね》に|三千年《みちとせ》の  |一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》
|心《こころ》のたけのすくすくと  |世《よ》は|治《をさ》まりて|伏《ふ》し|拝《をが》む
み|民《たみ》の|心《こころ》ぞ|尊《たふと》けれ  み|民《たみ》の|心《こころ》ぞ|尊《たふと》けれ
|常世《とこよ》の|松代《まつよ》くれ|竹野《たけの》  |世《よ》のふしぶしに|潔《いさぎよ》く
|色《いろ》も|香《か》もある|桃《もも》の|花《はな》  |梅ケ香《うめがか》|慕《した》ふ|鶯《うぐひす》の
|声《こゑ》も|春《はる》めき|渡《わた》りつつ  |血《ち》を|吐《は》く|思《おも》ひの|杜鵑《ほととぎす》
|声《こゑ》も|静《しづ》かに|治《をさ》まりて  |松《まつ》|吹《ふ》く|風《かぜ》となりにけり
|松《まつ》|吹《ふ》く|風《かぜ》となりにけり  |緑《みどり》|滴《したた》る|夏山《なつやま》の
|霞《かすみ》をわけて|天津日《あまつひ》の  |輝《かがや》き|渡《わた》る|五月姫《さつきひめ》
|三月三日《みつきみつか》の|桃《もも》の|花《はな》  |五月五日《いつつきいつか》の|花菖蒲《はなあやめ》
|桃《もも》と|菖蒲《あやめ》の|睦《むつ》びあひ  |松竹梅《まつたけうめ》の|千代《ちよ》|八千代《やちよ》
|栄《さか》ゆる|御代《みよ》ぞ|目出度《めでた》けれ  |栄《さか》ゆる|御代《みよ》ぞ|目出度《めでた》けれ』
と|節《ふし》なだらかに、|舞《ま》ひ|終《をは》り|座《ざ》に|着《つ》きぬ。|珍山彦《うづやまひこ》は、
『ヤア、|天晴々々《あつぱれあつぱれ》、これは|秀逸《しういつ》だ。|天《あま》の|数歌《かずうた》を|三度《さんど》も|繰返《くりかへ》された|御手際《おてぎは》は、|三月三日《さんぐわつみつか》の|桃《もも》の|花《はな》よりも、|五月五日《ごぐわついつか》の|花菖蒲《はなあやめ》よりも、|美《うる》はしい、|尊《たふと》い|目出度《めでた》い|歌《うた》であつた。さあさあ、これからは|照彦《てるひこ》さまの|番《ばん》だよ』
|照彦《てるひこ》は|儼然《げんぜん》として|立上《たちあが》り、|声《こゑ》|高々《たかだか》と|自《みづか》ら|歌《うた》ひ|自《みづか》ら|舞《ま》ふ。
『|天地《あめつち》|百《もも》の|神《かみ》たちの  その|喜《よろこ》びをただ|一人《ひとり》
うけさせ|給《たま》ふ|桃上彦《ももがみひこ》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》
|地《ち》の|高天原《たかあまはら》を|出《い》でまして  |御稜威《みいづ》も|高《たか》き|高砂《たかさご》の
|島《しま》に|現《あら》はれ|正鹿山《まさかやま》  |津見《づみ》の|命《みこと》の|珍都《うづみやこ》
|音《おと》に|名高《なだか》き|淤縢山祇《おどやまづみ》の  |神《かみ》の|命《みこと》や|村肝《むらきも》の
|心《こころ》の|駒山彦司《こまやまひこつかさ》  |御稜威《みいづ》|輝《かがや》く|蚊々虎《かがとら》の
|名《な》もあらたまの|貴《うづ》の|御子《みこ》  |木《こ》の|花姫《はなひめ》の|御恵《みめぐみ》に
|珍山彦《うづやまひこ》と|宣《の》り|直《なほ》し  |心《こころ》も|晴《は》るる|五月姫《さつきひめ》
|鴛鴦《をし》の|衾《ふすま》の|幾千代《いくちよ》も  |外《ほか》へはやらぬ|悦《よろこ》びは
|御稜威《みいづ》も|高《たか》き|高砂《たかさご》の  |浜辺《はまべ》に|繁《しげ》る|松代姫《まつよひめ》
|世《よ》は|呉竹野《くれたけの》すくすくと  |梅ケ香《うめがか》|匂《にほ》ふ|神《かみ》の|島《しま》
|月日《つきひ》は|清《きよ》く|照彦《てるひこ》の  |神《かみ》の|恵《めぐみ》ぞ|尊《たふと》けれ
|波《なみ》も|静《しづ》かな|国彦《くにひこ》の  |従属《みとも》の|神《かみ》と|諸共《もろとも》に
|珍《うづ》の|御国《みくに》に|永久《とこしへ》に  |鎮《しづ》まりまして|高砂《たかさご》や
この|浦船《うらふね》に|帆《ほ》を|揚《あ》げて  |月照彦《つきてるひこ》と|諸共《もろとも》に
|出潮入潮《でしほいりしほ》|平《たひら》けく  いと|安《やす》らけく|凪《な》ぎ|渡《わた》る
|大海原《おほうなばら》に|浮《う》く|島《しま》の  |国《くに》の|栄《さか》えぞめでたけれ
|国《くに》の|栄《さか》えぞめでたけれ』
|駒山彦《こまやまひこ》は、
『|妙々《めうめう》、|天晴々々《あつぱれあつぱれ》』
と|感嘆《かんたん》の|声《こゑ》をもらすのみ。|珍山彦《うづやまひこ》も|手《て》を|拍《う》つて、
『|天晴々々《あつぱれあつぱれ》。|天《てん》|晴《は》れ|国《くに》|晴《くには》れ|皆《みな》|晴《は》れよ、|晴《は》れよ|晴《は》れ|晴《は》れ|晴《は》れの|場所《ばしよ》、|晴《は》れの|盃《さかづき》|親子《おやこ》の|縁《えにし》、ここに|目出度《めでた》く|千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も、|弥《いや》|永久《とこしへ》に|祝《いは》ひ|納《をさ》むる』
(大正一一・二・一三 旧一・一七 東尾吉雄録)
第三篇 |天涯《てんがい》|万里《ばんり》
第一二章 |鹿島立《かしまだち》〔四〇五〕
|茲《ここ》に|淤縢山津見神《おどやまづみのかみ》は、|正鹿山津見神《まさかやまづみのかみ》に|細々《こまごま》と|後事《こうじ》を|托《たく》し、
『|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|戦《たたか》ひまで、|珍《うづ》の|国《くに》を|五月姫《さつきひめ》と|共《とも》に|守《まも》らせ|給《たま》へ』
と|言《い》ひ|残《のこ》し、|珍山彦《うづやまひこ》、|駒山彦《こまやまひこ》を|伴《ともな》ひ、|数日《すうじつ》|滞在《たいざい》の|後《のち》|別《わか》れを|告《つ》げて|出《い》でむとする|時《とき》、|松代姫《まつよひめ》は|淤縢山津見神《おどやまづみのかみ》の|袖《そで》を|控《ひか》へて、
『|先《ま》づ|暫《しばら》く|御待《おま》ち|下《くだ》されませ。|妾《わらは》|三人《さんにん》の|姉妹《きやうだい》は、|神様《かみさま》の|広《ひろ》き|厚《あつ》き|御恵《おんめぐ》みに|浴《よく》し、|恋《こひ》しき|父《ちち》にも|出会《であ》ひ、|今《いま》また|慈愛《じあい》|深《ふか》き|母《はは》を|授《さづ》かり、|最早《もはや》|心残《こころのこ》りも|御座《ござ》いませねば、|何《なに》とぞ|妾《わらは》を|御供《おとも》に|御使《おつか》ひ|下《くだ》さいますまいか。|女《をんな》ながらも|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|戦《たたか》ひに|働《はたら》かして|頂《いただ》きたう|存《ぞん》じます。どうぞ|広《ひろ》き|大御心《おほみこころ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》して|是非《ぜひ》|御供《おとも》に……』
と|真心《まごころ》を|面《おもて》に|現《あら》はして|頼《たの》み|入《い》るにぞ、|淤縢山津見《おどやまづみ》は、
『それは|感心《かんしん》なことです。|併《しか》しながら|吾々《われわれ》の|自由《じいう》にならぬ。|正鹿山津見神《まさかやまづみのかみ》|様《さま》に|御許《おゆる》しを|得《え》られた|上《うへ》、|御同道《ごどうだう》|致《いた》しませう』
|竹野姫《たけのひめ》、|梅ケ香姫《うめがかひめ》の|二人《ふたり》は、|声《こゑ》を|揃《そろ》へて|両手《りやうて》をつきながら、
『|何《ど》うぞ|妾《わらは》も|御供《おとも》が|致《いた》したう|御座《ござ》いますワ』
|珍山彦《うづやまひこ》『ヤア、|今《いま》までは|男《をとこ》|四人《よにん》と|女《をんな》|一人《ひとり》、それでさへも|随分《ずゐぶん》|道中《だうちう》は|賑《にぎ》はうたものだ。|何《なん》と|云《い》つても|駒山《こまやま》さまのやうなデレのスーが|混《まじ》つて|居《ゐ》るのだからなア。|然《しか》るに|今度《こんど》は|御三人《おさんにん》の|御姫《おひめ》さまがお|越《こ》し|遊《あそ》ばすとなれば、|道中《だうちう》は|随分《ずゐぶん》|賑《にぎ》はふ|事《こと》であらう。|女《をんな》が|三人《さんにん》|寄《よ》れば|姦《かしま》しいと|云《い》ふことがある。イヤもう、さうなれば|鹿島立《かしまだち》でなくて、【かしましい】|立《だ》ちだ。|併《しか》しながら|其《そ》の|志《こころざし》は|感心々々《かんしんかんしん》、どれどれこれから|此《こ》の|珍山彦《うづやまひこ》が|御父上《おんちちうへ》に|伺《うかが》うて|来《き》て|上《あ》げませう』
と|正鹿山津見神《まさかやまづみのかみ》の|居間《ゐま》に|引返《ひきかへ》し、|三人《さんにん》の|娘《むすめ》の|願《ねが》ひを|打破《うちわ》つて|細々《こまごま》と|陳《の》べ|立《た》つるにぞ、|正鹿山津見神《まさかやまづみのかみ》は|娘《むすめ》の|勇気《ゆうき》に|感《かん》じ、
『アヽ|折角《せつかく》|可愛《かあい》い|娘《むすめ》に|会《あ》うたと|思《おも》へば、もう|別《わか》れねばならぬか。イヤこれも|神国《しんこく》のため、|御道《おみち》のためだ。|会者定離《ゑしやぢやうり》は|浮世《うきよ》の|常《つね》、どうぞ|珍山彦《うづやまひこ》さま、|娘《むすめ》たちを|宜《よろ》しく|御願《おねが》ひ|致《いた》します』
と|声《こゑ》を|曇《くも》らせながら|答《こた》ふるを、|珍山彦《うづやまひこ》は、
『|結構《けつこう》だ。その|覚悟《かくご》がなくては|神様《かみさま》の|宮仕《みやづか》へは|到底《たうてい》|勤《つと》まらない』
と|三人《さんにん》の|娘《むすめ》の|前《まへ》に|現《あら》はれて、
『|三人《さんにん》の|御姉妹《ごきやうだい》、|喜《よろこ》びなさいませ。|実《じつ》に|御父《おとう》さまの|心《こころ》は|立派《りつぱ》なものだ。|此《こ》の|親《おや》にして|此《こ》の|児《こ》あり、|此《こ》の|児《こ》にして|此《こ》の|親《おや》あり、|此《こ》の|夫《をつと》にして|此《こ》の|妻《つま》あり、|此《こ》の|妻《つま》にして|此《こ》の|夫《をつと》あり、|此《こ》の|君《きみ》にして|此《こ》の|臣《しん》あり、|此《こ》の|臣《しん》にして|此《こ》の|君《きみ》ありだ』
|駒山彦《こまやまひこ》は、
『オイ、グヅ|山《やま》、なにをグヅグヅ|言《い》つて|居《ゐ》るのだ。|同《おな》じ|事《こと》ばかり|繰《く》り|返《かへ》して、|又《また》そろそろ|地金《ぢがね》が|出《で》て|来《き》たな』
|松代姫《まつよひめ》『|然《しか》らば|妾《わらは》|姉妹《おとどい》|三人《さんにん》、|御供《おとも》に|仕《つか》へませう。|何分《なにぶん》|宜《よろ》しく|御願《おねが》ひ|致《いた》します。|御一同様《ごいちどうさま》』
と|頭《かしら》を|下《さ》げて|叮嚀《ていねい》に|挨拶《あいさつ》なすにぞ、|二人《ふたり》の|妹《いもうと》も|手《て》をついて、
『|何分《なにぶん》|宜《よろ》しく』
と|笑《ゑみ》を|浮《うか》べて|頼《たの》み|入《い》る。
|珍山彦《うづやまひこ》『サテ、これからは|長《なが》の|道中《だうちう》だ。|照山峠《てるやまたうげ》を|越《こ》えて、ハラの|港《みなと》に|出《い》で、|智利《てる》、|秘露《ひる》と|長途《ちやうと》をとぼとぼ|歩《あゆ》んでカルの|国《くに》へ|渡《わた》り、|目《め》の|国《くに》、|常世《とこよ》の|国《くに》と|進《すす》んで|行《ゆ》くのだから、|七六ケ《しちむつか》しい|挨拶《あいさつ》は|肩《かた》が|凝《こ》つて|困《こま》る。これからの|道中《だうちう》は、|師弟《してい》だとか、|老幼《らうえう》|男女《だんぢよ》の|障壁《しやうへき》をすつかり|取《と》つて、|互《たがひ》に|云《い》ひたいことも|言《い》ひ|合《あ》つて|行《ゆ》くのだから、|其《その》|心算《つもり》で|心安《こころやす》くして|下《くだ》さい』
『ハイハイ、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います』
と|三人《さんにん》は|嬉《うれ》し|涙《なみだ》にくれてゐる。
|正鹿山津見《まさかやまづみ》、|五月姫《さつきひめ》は|門口《かどぐち》に|送《おく》り|来《きた》り、|一行《いつかう》の|安全《あんぜん》を|祝《しゆく》し、|立《た》ち|別《わか》れむとするところへ|照彦《てるひこ》は|馳《は》せ|来《きた》り、
『モシモシ、|私《わたくし》はヱルサレムから|三人様《さんにんさま》の|御後《おあと》を|慕《した》つて|参《まゐ》つたもので|御座《ござ》います。|今《いま》|此処《ここ》で|御別《おわか》れ|申《まを》しては、|何《なん》となく|心許《こころもと》ない|感《かん》じが|致《いた》します。どうぞ|特別《とくべつ》の|御詮議《ごせんぎ》を|以《もつ》て、|宣伝使《せんでんし》の|御供《おとも》は|叶《かな》はずとも、|御姫様《おひめさま》の|御供《おとも》をさして|頂《いただ》きたう|御座《ござ》います』
と|怨《うら》めしさうに|涙含《なみだぐ》むにぞ、|正鹿山津見《まさかやまづみ》は、
『ヤア、|照彦《てるひこ》か。|儂《わし》も|三人《さんにん》の|娘《むすめ》を|宣伝使《せんでんし》の|一行《いつかう》に|御預《おあづ》けしたものの、|孱弱《かよわ》き|娘《むすめ》のしかも|三人《さんにん》、|嘸々《さぞさぞ》|御迷惑《ごめいわく》なさることであらう。|照彦《てるひこ》、|其方《そなた》は|娘《むすめ》たちの|後《あと》に|踵《つ》いて、いろいろと|世話《せわ》をしてやつて|下《くだ》さい』
『ヤア|御許《おゆる》し|下《くだ》さいますか、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います』
と|照彦《てるひこ》は|栄《は》えの|面色《おももち》|勇《いさ》ましく、|一行《いつかう》の|後《あと》に|踵《つ》いて、|珍《うづ》の|都《みやこ》を|一同《いちどう》の|宣伝使《せんでんし》と|共《とも》に|立《た》ち|去《さ》りにけり。
(大正一一・二・一三 旧一・一七 有田九皐録)
第一三章 |訣別《けつべつ》の|歌《うた》〔四〇六〕
|淤縢山津見《おどやまづみ》の|宣伝使《せんでんし》  |心《こころ》の|駒山《こまやま》|鞭《むち》|撻《う》ちて
|進《すす》む|珍山彦《うづやまひこ》の|神《かみ》  |朝日《あさひ》も【てる】の|神国《かみくに》に
|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|三柱《みはしら》の  |姫《ひめ》の|命《みこと》と|諸共《もろとも》に
|心《こころ》の|色《いろ》も|照彦《てるひこ》の  |従属《みとも》の|司《つかさ》を|随《したが》へつ
たださへ|暑《あつ》き|夏《なつ》の|日《ひ》を  |蓑《みの》と|笠《かさ》とに|凌《しの》ぎつつ
|草鞋脚絆《わらぢきやはん》の|扮装《いでたち》は  |甲斐々々《かひがひ》しくぞ|見《み》えにける
|平群《へぐり》の|山《やま》を|乗《の》り|越《こ》えて  |照山峠《てるやまたうげ》の|頂上《ちやうじやう》に
|一行《いつかう》|漸《やうや》く|着《つ》きにけり。
|淤縢山津見《おどやまづみ》『|大変《たいへん》|汗《あせ》をかきました。|此《こ》の|山頂《さんちやう》の|木蔭《こかげ》で|暫《しばら》く|息《いき》を|休《やす》めませうかな』
|珍山彦《うづやまひこ》『|勿《もち》ですよ、|山《やま》の|頂上《ちやうじやう》へ|登《のぼ》れば、|吾々《われわれ》は|休息《きうそく》するに|決《き》めてゐる。これは|吾々《われわれ》|宣伝使《せんでんし》の|守《まも》るべき|一個《いつこ》の|不文律《ふぶんりつ》だ。|松代姫《まつよひめ》|様《さま》その|他《ほか》の|御二方様《おふたかたさま》も、もう|此《こ》の|峠《たうげ》を|下《くだ》ると、|御父《おとう》さまの|居《を》られる|珍《うづ》の|国《くに》は|見《み》えませぬよ。|十分《じふぶん》よく|見《み》て|置《お》かれるがよろしからう。
|眸《ひとみ》を|放《はな》てば|連巒畳峰《れんらんでふほう》  |遠《とほ》きは|緑黛《りよくたい》|談《かた》るが|如《ごと》く
|近《ちか》きは|淡冶《たんや》|笑《わら》ふが|如《ごと》し  |烟霞杳靄《えんかようあい》の|裡《うち》
|伏《ふ》して|山河《さんか》を|眺望《てうぼう》すれば  |滔々《たうたう》|渓流《けいりう》|清《きよ》く|白帯《はくたい》を|晒《さら》すが|如《ごと》し
|洋々茫々《やうやうばうばう》|海《うみ》に|灌《そそ》ぐ』
|駒山彦《こまやまひこ》『ヤア、|珍山彦《うづやまひこ》、そりや|何《なん》だ。|妙《めう》な|詩歌《しいか》だな』
『|俺《おれ》の|詩《し》は【あや】|詩《し》、|可笑詩《をかし》、|面白詩《おもしろし》、さうして|苦詩《くるしい》、|暑苦詩《あつくるしい》|中《なか》に|涼詩《すずしい》と|云《い》ふ|珍詩奇詩《めづらしきし》だ、|詩歌《しいか》は|味《あぢ》はつて|見《み》て|貰《もら》はぬと|困《こま》るよ。かう|見《み》えても|大詩人《だいしじん》だからね。|南無《なむ》|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》|観世音菩薩《くわんぜおんぼさつ》だ。アハヽヽヽ』
|淤縢山津見《おどやまづみ》『|向《むか》ふに|見《み》ゆるはハラの|港《みなと》、|智利《てる》の|国《くに》には|狭依彦《さよりひこ》、|秘露《ひる》の|国《くに》には|紅葉彦《もみぢひこ》の|宣伝使《せんでんし》が|控《ひか》へて|居《ゐ》るから、|直様《すぐさま》ハラの|港《みなと》から、アタルの|都《みやこ》へ|着《つ》いて、カルの|国《くに》へツーと|行《い》つたら|如何《どう》だらうな』
|珍山彦《うづやまひこ》『|左様《さう》ですな、|吾々《われわれ》は|行《ゆ》く|処《ところ》が|多《おほ》いのに、|智利《てる》や|秘露《ひる》の|国《くに》へ|行《い》つて|宣伝《せんでん》するのは、|笠《かさ》の|上《うへ》に|笠《かさ》を|被《かぶ》つたやうなものだ。|何《いづ》れ|脱線《だつせん》だらけの|宣伝《せんでん》をやつて|居《ゐ》るだらうが、それでも|新水《あらみず》の|通《とほ》つたところは、マー|好《よ》いとして、|新《あたら》しいカルの|国《くに》へ|海上《かいじやう》を|船《ふね》でツー【とこさ】と|参《まゐ》りませうよ』
|駒山彦《こまやまひこ》『ヤア、|三人《さんにん》の|女神様《めがみさま》、|脚《あし》は|何《ど》うでしたな。よくマー、|手弱女《たをやめ》の|身《み》で|吾々《われわれ》と|一緒《いつしよ》に|来《こ》られましたな。ヤア、|感心々々《かんしんかんしん》』
|竹野姫《たけのひめ》『|妾《わらは》は|仰《あふ》せの|如《ごと》き|年若《としわか》き|手弱女《たよわめ》。|貴方《あなた》がたの|御供《おとも》は|出来《でき》るか|如何《どう》か、|途中《とちう》で|御迷惑《ごめいわく》をかけてはならないと|心配《しんぱい》して|居《を》りましたが、|神様《かみさま》の|御《お》【かげ】で、|思《おも》はず|脚《あし》が|先《さき》へ|先《さき》へと|運《はこ》びまして、ちつとも|疲《つか》れませぬでしたワ』
|梅ケ香姫《うめがかひめ》『|姉様《ねえさま》たち、これが|御父《おとう》さまの|御国《おくに》を|見離《みはな》れるところですから、|一遍《いつぺん》|何《なに》か|別《わか》れに|歌《うた》ひませうか』
|松代姫《まつよひめ》『|姉妹《きやうだい》|三人《さんにん》が|一《ひと》つ|歌《うた》つて、|珍《うづ》の|国《くに》に|別《わか》れませう』
と、|三人《さんにん》|一度《いちど》に|声《こゑ》を|揃《そろ》へて|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。
『|父《ちち》と|母《はは》との|永久《とこしへ》に  |鎮《しづ》まりいます|珍《うづ》の|国《くに》
|珍《うづ》の|都《みやこ》を|後《あと》にして  |大加牟豆美《おほかむづみ》の|神《かみ》となり
この|智利山《てるやま》の|坂《さか》の|上《へ》に  |登《のぼ》り|了《おほ》せし|三人連《みたりづれ》
|今《いま》|吹《ふ》く|風《かぜ》は|東風《こちかぜ》か  |妾《わらは》|三人《みたり》が|父母《ちちはは》を
|慕《した》ふ|心《こころ》の|思《おも》ひねを  |乗《の》せて|往《ゆ》け|往《ゆ》け|珍《うづ》の|国《くに》
|深山《みやま》の|空《そら》の|風《かぜ》|薫《かを》る  |色《いろ》も|目出度《めでた》き|桃上彦《ももがみひこ》の
|神《かみ》の|命《みこと》や|五月姫《さつきひめ》  |妾《わらは》は|常世《とこよ》へ|進《すす》む|身《み》の
|進《すす》みかねたる|珍《うづ》の|空《そら》  |空《そら》|往《ゆ》く|雲《くも》の|心《こころ》あらば
|思《おも》ひを|乗《の》せて|吾《わが》|父《ちち》の  |御許《みもと》に|送《おく》れ|青雲《あをくも》の
|棚引《たなび》くかぎり|白雲《しらくも》の  |墜居向伏《おりゐむかふ》すその|極《きは》み
|神《かみ》の|教《をしへ》を|伝《つた》へ|行《ゆ》く  |松竹梅《まつたけうめ》の|宣伝使《せんでんし》
|心《こころ》の|色《いろ》も|照彦《てるひこ》の  |清《きよ》き|従神《みとも》の|御護《みまも》りに
ハラの|港《みなと》を|船出《ふなで》して  |波風《なみかぜ》|荒《あら》き|海原《うなばら》を
アタルの|港《みなと》を|指《さ》して|行《ゆ》く  |身装《みなり》もカルの|国境《くにざかひ》
|心《こころ》の|花《はな》や|目《め》の|国《くに》の  |空《そら》を|仰《あふ》ぎつ|常世国《とこよくに》
ロッキー|山《ざん》も|踏越《ふみこ》えて  |又《また》も|海原《うなばら》|打《う》ち|渡《わた》り
|曲津《まがつ》の|猛《たけ》ぶ|黄泉島《よもつじま》  |黄泉軍《よもついくさ》を|言向《ことむ》けて
|淤縢山津見《おどやまづみ》の|神様《かみさま》や  |勇《いさ》む|心《こころ》の|駒山彦《こまやまひこ》や
|珍山彦《うづやまひこ》と|諸共《もろとも》に  |太《ふと》しき|勲《いさを》を|後《のち》の|世《よ》に
|芙蓉《はちす》の|山《やま》より|尚《なほ》|高《たか》く  |竜《たつ》の|海《うみ》より|弥《いや》|深《ふか》き
|神《かみ》の|光《ひかり》と|御恵《みめぐ》みを  いや|永久《とこしへ》に|現《あらは》さむ
|嗚呼《ああ》|父上《ちちうへ》よ|母上《ははうへ》よ  |名残《なごり》は|尽《つ》きじ|山《やま》の|上《うへ》
|山《やま》より|高《たか》き|御恵《みめぐ》みの  その|一《ひと》つだも|報《むく》い|得《え》ず
|出《い》で|行《ゆ》く|妾《わらは》を|宥《ゆる》しませ  |進《すす》む|吾《われ》らを|恕《ゆる》せかし
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》す  |三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|教《のり》
いと|平《たひ》らけく|安《やす》らけく  |妾《わらは》の|罪《つみ》を|宣《の》り|直《なほ》せ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  わが|垂乳根《たらちね》の|慈愛《いつくしみ》
|何時《いつ》の|世《よ》にかは|忘《わす》るべき  いつの|世《よ》にかは|忘《わす》るべき
|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|三人連《みたりづれ》  |心《こころ》も|智利《てる》の|山《やま》の|上《うへ》
|遥《はるか》に|拝《をが》み|奉《たてまつ》る  |遥《はるか》に|拝《をが》み|奉《たてまつ》る』
と|歌《うた》ひ|了《をは》りて|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|淑《しと》やかに|腰《こし》を|下《おろ》して|休《やす》らふ。
|珍山彦《うづやまひこ》『ヤア、|流石《さすが》は|女《をんな》だ。|女《をんな》らしい|優《やさ》しい|歌《うた》だ。それで|結構々々《けつこうけつこう》、サアサア、|一同《いちどう》|参《まゐ》りませう』
と|先《さき》に|立《た》ちて|照山峠《てるやまたうげ》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・二・一三 旧一・一七 土井靖都録)
第一四章 |闇《やみ》の|谷底《たにぞこ》〔四〇七〕
|淤縢山津見《おどやまづみ》|一行《いつかう》は、|照山峠《てるやまたうげ》を|東《ひがし》に|向《むか》つて|下《くだ》つて|行《ゆ》く。|智利《てる》の|国《くに》の|里《さと》|近《ちか》くなつた|時《とき》、|一行《いつかう》の|足《あし》は【ぴたり】と|止《と》まり、どうしても|一歩《いつぽ》も|進《すす》む|事《こと》が|出来《でき》ない。
|珍山彦《うづやまひこ》『ヤア、|足《あし》が|歩《ある》けないやうになつちまつた。どうだ、|皆《みな》さまは』
|一同《いちどう》『イヤ、|吾々《われわれ》も|同《おな》じ|事《こと》だ。|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|事《こと》もあるものだ』
|駒山彦《こまやまひこ》『|何《なん》でもこれは|向《むか》ふに|悪《わる》い|奴《やつ》が|沢山《たくさん》|居《ゐ》て、|吾々《われわれ》を|待《ま》ち|討《う》ちしようとして|居《ゐ》るのに|違《ちが》ひないワ。そこで|神様《かみさま》が|吾々《われわれ》の|足《あし》を|縛《しば》つて、|軽々《かるがる》しく|進《すす》むでない。|胸《むね》に|手《て》をあて、よく|後前《あとさき》を|考《かんが》へて|見《み》よ、との|暗示《あんじ》を|与《あた》へられたのだらう』
|一行《いつかう》|七人《しちにん》は|途上《とじやう》に|立《た》つたまま、|石地蔵《いしぢざう》のやうに|固《かた》まつて|仕舞《しま》つた。|傍《かたはら》の|老樹《らうじゆ》|鬱蒼《うつさう》たる|森林《しんりん》の|中《なか》より、
『|淤縢山津見《おどやまづみ》、|駒山彦《こまやまひこ》、|照彦《てるひこ》』
と|破鐘《われがね》のやうな|声《こゑ》が|響《ひび》いて|来《く》る。その|声《こゑ》と|共《とも》に|三人《さんにん》の|身体《からだ》は、|何物《なにもの》にか|惹《ひ》きつけらるるが|如《ごと》き|心地《ここち》して、|思《おも》はず|知《し》らず|声《こゑ》する|方《はう》に|向《むか》つて、|自然《しぜん》に|足《あし》が|進《すす》み、|遂《つひ》に|三人《さんにん》の|姿《すがた》は|見《み》えなくなりたり。
|後《あと》に|珍山彦《うづやまひこ》、|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|四人《よにん》は、|何時《いつ》の|間《ま》にか|足《あし》も|自由《じいう》になり、|路傍《ろばう》の|清《きよ》き|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|端坐《たんざ》して、
|珍山彦《うづやまひこ》『サア|皆《みな》さま、|繊弱《かよわ》き|女《をんな》の|身《み》で、まだ|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》も|知《し》らずに、|宣伝使《せんでんし》となつて、|悪魔《あくま》の|蔓《はびこ》る|此《こ》の|世《よ》の|中《なか》を|教導《けうだう》すると|云《い》ふ|事《こと》は、|一通《ひととほ》りの|苦労《くらう》では|行《ゆ》くものではない、さうして、|斯《か》う【どや】どやと|七人《しちにん》も|列《なら》んで|宣伝《せんでん》に|歩《ある》くと|云《い》ふことは、|一寸《ちよつと》|見《み》れば|華々《はなばな》しく|立派《りつぱ》に|見《み》えるが、それは|皆《みな》|仇花《あだばな》だ。|誠《まこと》の|道《みち》の|宣伝《せんでん》は|一人々々《ひとりひとり》に|限《かぎ》る。これから|姉妹《きやうだい》|三人《さんにん》は、この|珍山彦《うづやまひこ》が|及《およ》ばずながら|実地《じつち》の|教訓《けうくん》を|施《ほどこ》して|上《あ》げますから、|今《いま》の|間《うち》に|吾々《われわれ》|四人《よにん》は、|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》に|離《はな》れてハラの|港《みなと》からアタルへ|着《つ》き、それから|常世《とこよ》の|国《くに》に|廻《まは》つて、|実物《じつぶつ》|教育《けういく》を|受《う》け、|黄泉島《よもつじま》を|宣伝《せんでん》|致《いた》しませう。サアサアお|出《い》でなさいませ』
と|先《さき》に|立《た》つて|行《ゆ》く。|三人《さんにん》は|引《ひ》かるるやうに|珍山彦《うづやまひこ》の|後《あと》を|追《お》ふ。|珍山彦《うづやまひこ》は|言《ことば》しづかに、
『|皆《みな》さま、|淤縢山津見《おどやまづみ》や|駒山彦《こまやまひこ》や|照彦《てるひこ》のことは【すつかり】|忘《わす》れて|仕舞《しま》ふのだ。|人間《にんげん》は|背水《はいすゐ》の|陣《ぢん》を|張《は》つて、|九死《きうし》に|一生《いつしやう》の|困難《こんなん》に|遭《あ》はねば、|真実《ほんと》の|誠《まこと》の|道《みち》は|開《ひら》けるものではない。|苦労《くらう》の|花《はな》の|咲《さ》いたのは|盛《さか》りが|長《なが》い、これから|吾々《われわれ》と|共《とも》に|概略《あらかた》|仕事《しごと》が|出来《でき》たら、|姉妹《きやうだい》|三人《さんにん》|手分《てわけ》けして、ちりちりばらばらになつて|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》するのだ。|仮令《たとへ》|一人《ひとり》になつても|神様《かみさま》が|守《まも》つて|下《くだ》さるから、|師匠《ししやう》や|兄弟《きやうだい》を|力《ちから》にしたり、|杖《つゑ》につくやうな|事《こと》では、|到底《たうてい》|神界《しんかい》の|奉仕《ほうし》は|完全《くわんぜん》に|出来《でき》るものでない。サア|行《ゆ》きませう』
と【ハラ】を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
|淤縢山津見《おどやまづみ》ほか|二人《ふたり》は、|怪《あや》しき|声《こゑ》に|惹《ひ》きつけられ、|不知不識《しらずしらず》の|間《あひだ》に|谷川《たにがは》を|遡《さかのぼ》つて、|数里《すうり》の|山奥《やまおく》に|迷《まよ》ひ|入《い》る。
|折《をり》しも|十五夜《じふごや》の|月《つき》は|東天《とうてん》に|輝《かがや》き|渡《わた》れども、|峨々《がが》たる|高山《かうざん》と|高山《かうざん》との|深《ふか》き|谷間《たにま》は、|月影《つきかげ》もささず、|夜《よ》は|追々《おひおひ》と|更《ふ》け|行《ゆ》くばかり、|寂《さび》しさ|刻々《こくこく》に|迫《せま》り、|三人《さんにん》は|此処《ここ》に|云《い》ひ|合《あは》したる|如《ごと》く|一度《いちど》に|腰《こし》を|下《おろ》し、|谷川《たにがは》の|傍《かたはら》に|端坐《たんざ》しぬ。|三人《さんにん》の|身体《しんたい》は|又《また》もや|強直《きやうちよく》して、【びく】とも|出来《でき》なくなり、|自由《じいう》の|利《き》くは|首《くび》のみ、|鬱蒼《こんもり》とした|樫《かし》の|木《き》の|上《うへ》から|俄《にはか》に
『ウヽ』
と|大《だい》なる|唸《うな》り|声《ごゑ》|聞《きこ》え|来《きた》る。
|淤縢山津見《おどやまづみ》『ヤア|二人《ふたり》の|方《かた》、|私《わたし》は|身体《からだ》が|一寸《ちよつと》も|動《うご》かない、|貴方《あなた》は|如何《どう》ですか』
|駒山彦《こまやまひこ》『へヽヽ|変《へん》だ。こんな|変梃《へんてこ》な|事《こと》はないワ』
|照彦《てるひこ》は|雷《らい》のやうな|声《こゑ》を|出《だ》して、
『|此《この》|方《はう》は|月照彦《つきてるひこ》の|命《みこと》であるぞよ』
|駒山彦《こまやまひこ》『|何《なに》、|月照彦《つきてるひこ》だ。|馬鹿《ばか》|言《い》へ、そんな|狂言《きやうげん》をすな。|貴様《きさま》は|三人《さんにん》の|娘《むすめ》さまに【つきてる】|彦《ひこ》だが、|今《いま》は|薩張《さつぱり》【|離《はな》れてる】|彦《ひこ》ぢやないか。こんな|闇《くら》い|山奥《やまおく》へ|踏《ふ》み|迷《まよ》うて、|馬鹿《ばか》な|真似《まね》をすると、|駒山《こまやま》が|承知《しようち》をしないぞ。そんな|気楽《きらく》な|事《こと》かい』
|照彦《てるひこ》『【ア】ハヽヽヽ、|阿呆《【あ】はう》らしいワイ。|三五教《【あ】ななひけふ》の|宣伝使《せんでんし》と|豪《えら》さうに|言《い》つて、そこら|辺《【あ】たり》を|大《おほ》きな|声《こゑ》を|張《は》り【あ】げて|歩《ある》き|廻《まは》る|馬鹿《ばか》|宣伝使《せんでんし》、どうぢや、|一寸先《いつすんさき》は|真《しん》の|暗《やみ》の、|此《この》|谷底《たにぞこ》に|捨《す》てられて、【ア】フンと|致《いた》したか。|顎《【あ】ご》が|外《はづ》れたか。【あ】まり|呆《【あ】き》れてものが|言《い》はれぬ。|開《【あ】》いた|口《くち》がすぼまらぬぞよ。【ア】ハヽヽ|憐《【あ】は》れなものぢや、|身魂《みたま》の|性来《しやうらい》の|現《【あ】ら》はれに|魂《たま》を|洗《【あ】ら》へよ、|尻《しり》を|洗《【あ】ら》へよ、|足《【あ】し》を|洗《【あ】ら》へよ、|明《【あ】きら》かな|神《かみ》の|教《をしへ》は【あ】りながら、|歩《【あ】ゆ》み|方《かた》が|違《ちが》ひはせぬか』
『【ア】ヽ、|此奴《こいつ》は|悪魔《【あ】くま》の|神憑《かむがか》りになりよつた。【あ】られもない|事《こと》を|口走《くちばし》りよつて、ほんにほんに|憐《【あ】は》れな|者《もの》だな。これこれ|淤縢山《おどやま》さま、|貴方《【あ】なた》もぢつとして|居《ゐ》ずに、|此《この》|場合《ばあひ》【あ】つぱれ|審神《さには》をして|照彦《てるひこ》に|憑依《ひようい》して|居《ゐ》る|悪魔《【あ】くま》を|現《【あ】ら》はしてやつて|下《くだ》さいな』
『イヤ、|吾々《われわれ》も、|俄《にはか》に|足腰《【あ】しこし》たたぬ|不自由《ふじゆう》の|身《み》、【あ】まりのことで【あふん】と|致《いた》して、|荒膽《【あ】らぎも》をとられて|了《しま》つた。【ア】ヽ|耻《は》づかしい|事《こと》だワイ』
|照彦《てるひこ》『【イ】ヒヽヽヽ、|可愍《【い】ぢら》しいものだ。|異国《【い】こく》の|果《はて》で|威張《【ゐ】ば》つた|報《むく》いで、【い】まはの|際《きは》に【い】ろ【い】ろと|悔《くや》んだところで、|如何《【い】かん》ともする|事《こと》は|出来《でき》まい。かやうな|処《ところ》を|数多《あまた》の|国人《くにびと》に|見《み》られたならば、|宣伝使《せんでんし》の|威厳《【ゐ】げん》は|全《まつた》く|地《ち》に|墜《お》ちるぞ。|神《かみ》が|意見《【い】けん》|致《いた》さうと|思《おも》つて、【い】ろいろ|雑多《ざつた》に|苦労《くらう》を|致《【い】た》し、|湯津石村《ゆつ【い】はむら》の|此《この》|谷底《たにぞこ》に|誘《【い】ざな》ひ|来《きた》りしは|神《かみ》の|慈悲《じひ》。|宣伝使《せんでんし》は|只《ただ》|一人《ひとり》で|天下《てんか》を|布教《ふけう》|宣伝《せんでん》すべきものだ。それに|何《なん》ぞや、|物見遊山《ゆさん》のやうに、ぞろぞろと|幾人《いくにん》もつらつて|宣伝《せんでん》に|歩《ある》く|屁古垂者《へこたれもの》、|以後《【い】ご》は|必《かなら》ず|慎《つつし》しめよ。|神《かみ》の|言葉《ことば》に|違背《【ゐ】はい》するな。【い】いか、|返答《へんたふ》|如何《【い】か》に』
|駒山彦《こまやまひこ》『【い】かにも、|蛸《たこ》にも、|蟹《かに》にも、|足《あし》は|四人前《よにんまへ》、もう【い】い|加減《かげん》に|下《さが》つて|下《くだ》さい、お|鎮《しづ》まりを|願《ねが》ひます。|天狗《てんぐ》か|何《なん》だか|知《し》らないが、こんな|谷底《たにぞこ》へ|放《ほ》り|込《こ》まれて|意見《【い】けん》も|何《なに》も|聞《き》かれるものか、【こら】|照彦《てるひこ》の|副守護神《ふくしゆごじん》よ、|何時《【い】つ》までも|愚図々々《ぐづぐづ》|致《【い】た》して|居《【ゐ】》ると、|霊縛《れいばく》をかけてやらうか』
『【ウ】フヽヽヽ、【う】しろを|振《ふ》り|向《む》いてよく|考《かんが》へて|見《み》よ。【う】ろうろと|此《この》|山奥《やまおく》に|踏《ふ》み|迷《まよ》ひ|来《きた》りしは、|全《まつた》く|汝《なんぢ》の|身魂《みたま》の|暗《くら》きがため、|動《【う】ご》きの|取《と》れぬ|汝《なんぢ》の|体《からだ》、【う】かうか|致《いた》すと|足許《あしもと》から|火《ひ》が|燃《も》えて|来《く》るぞよ。|艮《【う】しとら》の|金神《こんじん》の|教《をしへ》を|何《なん》と|心得《こころえ》て|居《を》る。|牛《うし》の|糞《くそ》のやうな|身魂《みたま》を|致《いた》して、|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》とは|片腹《かたはら》|痛《いた》い、|有為転変《【う】ゐてんぺん》は|世《よ》の|習《なら》ひ、|牛《うし》の|糞《くそ》でも|天下《てんか》を|取《と》る、|煎豆《いりまめ》にも|花《はな》が|咲《さ》くと、|万一《まんいち》の|僥倖《げうかう》を|夢《ゆめ》みて|迂路《【う】ろ》つき|廻《まは》る|宣伝使《せんでんし》、|後指《【う】しろゆび》を|指《さ》されて|居《ゐ》るのも|気《き》がつかず、|得意《とくい》になつて|濁《にご》つた|言霊《ことたま》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《【う】た》ふ|狼狽《【う】ろた》へもの、|此《この》|上《【う】へ》もなき|迂濶《【う】くわつ》、|迂愚《【う】ぐ》、|迂散《【う】さん》な|奴《やつ》ども』
|駒山彦《こまやまひこ》『【う】つかりしとると、どんな|目《め》に|遭《あ》はされるか|分《わか》つたものぢやない。これこれ|淤縢山《おどやま》、|俯《【う】つむ》いてばかり|居《を》らずに、|貴方《あなた》も|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》ぢやないか、|何《なん》とかして|照彦《てるひこ》の|憑霊《ひようれい》を|縛《しば》つて|下《くだ》さいな』
『|煩《【う】るさ》くても|仕方《しかた》がない。これも|神様《かみさま》の|試《こころ》みだ。|気《き》を|落《お》ち|付《つ》けて|聞《き》いて|居《を》れば|大《おほい》に|得《【う】》るところがある。|私《わたし》は|却《かへ》つてこれが|嬉《【う】れ》しい』
|照彦《てるひこ》『【エ】ヘヽヽヽヽ』
|駒山彦《こまやまひこ》『ヤア、|又《また》【エ】ヘヽヽヽだ。|豪《【え】ら》い|事《こと》になつて|来《き》た。もう|好《【え】》い|加減《かげん》にお|鎮《しづ》まりを|願《ねが》ひませうか、|遠慮会釈《【ゑ】んりよ【ゑ】しやく》もなしに、|吾々《われわれ》の|小言《こごと》ばかり|言《い》つて、|得体《【え】たい》の|知《し》れぬ|神憑《かむがか》りぢやなあ』
|照彦《てるひこ》『【エ】ヘヽヽヽ|閻魔様《【え】んまさま》とは|此《この》|方《はう》の|事《こと》ぢやぞ、これから|些《ち》と、|豪《【え】ら》い|目《め》に|遭《あ》はしてやらう。|遠近《【ゑ】んきん》を|股《また》にかけて、|遠慮会釈《【ゑ】んりよ【ゑ】しやく》もなしに|囀《さへづ》り|居《を》る|駒山彦《こまやまひこ》の|宣伝使《せんでんし》、|一《ひと》つや|二《ふた》つの|山坂《やまさか》を|越《こ》えて、【え】らいの、|苦《くる》しいのと、|耻《はぢ》も|知《し》らずに、よくも【ほざい】たなあ、|口《くち》ばかり|偉《【え】ら》さうに|申《まを》す|宣伝使《せんでんし》』
|駒山彦《こまやまひこ》『【エ】ヘヽヽヽ【え】ぐい|事《こと》ばかり|言《い》ふ|得体《【え】たい》の|分《わか》らぬ|副守護神《ふくしゆごじん》だ。もう|結構《けつこう》です、これで|御遠慮《ご【ゑ】んりよ》|申《まを》しませう。|好《【え】え》|加減《かげん》にやめて|下《くだ》さい。|縁起《【え】んぎ》の|悪《わる》い、|此《この》|暗《やみ》の|晩《ばん》に|谷底《たにぞこ》に|坐《すわ》らせられて、|怺《た》まつたものぢやありやしない、|馬鹿々々《ばかばか》しい、|照彦《てるひこ》の|奴《やつ》、もう|好《【え】え》|加減《かげん》に|鎮《しづ》まつたらどうぢや』
|照彦《てるひこ》『オホヽヽヽ、|臆病者《【お】くびやうもの》の|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》。|淤縢山津見《【お】どやまづみ》、|何《なに》を【オ】ド【オ】ドと|恐《【お】そ》れて|居《【を】》るのか。|奥山《【お】くやま》の|谷《たに》より|深《ふか》い、|道《みち》を|分《わ》け|行《ゆ》く|三五教《あななひけふ》の|宣伝使《せんでんし》、|負《【お】》うた|子《こ》に|教《【を】し》へられ、|浅瀬《あさせ》を|渡《わた》る【お】ろか|者《もの》の、|狼心《【お】ほかみごころ》の|鬼《【お】に》と|悪魔《あくま》の|容物《いれもの》となつた【お】|化《ばけ》の|宣伝使《せんでんし》。【お】|気《き》の|毒《どく》でも、|蠅毒《はひどく》でも、|猫《ねこ》|入《い》らずでも、|汝《なんぢ》の|心《こころ》の|鬼《【お】に》は|容易《ようい》に|往生《【わ】うじやう》|致《いた》さぬぞよ。|恐《【お】そ》るべきは|人《ひと》の|心《こころ》の|持方《もちかた》|一《ひと》つ、|往生際《【わ】うじやうぎわ》の|悪《わる》い|守護神《しゆごじん》は、|神《かみ》は|綱《つな》を|切《き》つて|仕舞《しま》はうか』
|駒山彦《こまやまひこ》『モヽヽヽ【お】いて|呉《く》れ、|大《【お】ほ》きな|声《こゑ》で|俺達《【お】れたち》を|脅《【お】びや》かしよつて、そんな|事《こと》で|怖《【お】》ぢつく|俺《【お】れ》ぢやないワイ。【を】かしな|声《こゑ》を|出《だ》しよつて、|人《ひと》の|欠点《あら》ばかり【ほじくる】|奴《やつ》は、|鬼《【お】に》か|大蛇《【を】ろち》か|狼《【お】ほかみ》の|守護神《しゆごじん》だ。|俺《【お】れ》の|神力《しんりき》を|見《み》せてやらうか、【お】つ|魂消《たまげ》て|尾《【を】》を|捲《【ま】》きよるな。|俺《【お】れ》が|奥《【お】く》の|手《て》を|出《だ》して|見《み》せたら、|遉《さすが》の|鬼《【お】に》の|守護神《しゆごじん》も|尾《【を】》をまいて|落《【お】》ちるだらう』
|照彦《てるひこ》『【オ】ホヽヽヽ|面白《【お】もしろ》い|面白《【お】もしろ》い』
(大正一一・二・一四 旧一・一八 加藤明子録)
第一五章 |団子《だんご》|理屈《りくつ》〔四〇八〕
|三五《さんご》の|月《つき》は|昇《のぼ》れども、|山《やま》と|山《やま》との|谷間《たにあひ》は、|黒白《あやめ》も|分《わ》かぬ|真《しん》の|暗《やみ》、|空《そら》せまく|地《つち》|狭《せま》き|谷底《たにぞこ》に、|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》は|端坐《たんざ》し、|首《くび》ばかり|動《うご》かし|居《ゐ》る|折柄《をりから》、|何処《どこ》ともなく|虎《とら》|狼《おほかみ》の|唸《うな》るやうな|声《こゑ》、|木霊《こだま》を|響《ひび》かせ|聞《きこ》え|来《きた》る。
『ウーオー』
|駒山彦《こまやまひこ》『イヤー|虎《とら》か|狼《おほかみ》か、【どえらい】|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》た。|淤縢山津見《おどやまづみ》さま、|神言《かみごと》でも|上《あ》げませうか』
|淤縢山津見《おどやまづみ》『ヤー、|仕方《しかた》がない、|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》しませう』
|照彦《てるひこ》『【カ】ヽヽ|神《【か】み》を|松魚節《【か】つをぶし》に|致《いた》す|宣伝使《せんでんし》、【か】なはぬ|時《とき》の|神頼《【か】みだの》み、「|神言《【か】みごと》でも」とは|何《なん》だ。それでも|宣伝使《せんでんし》か、でも|宣伝使《せんでんし》。|稜威《みいづ》|輝《【か】がや》く【てる】の|国《くに》、|珍《うづ》は【てる】てる【はる】|山《やま》|曇《くも》る、オツトドツコイ|淤縢山《おどやま》くもる、|駒山彦《こまやまひこ》は|雨《あめ》|降《ふ》らす、|雨《あめ》は|雨《あめ》だが|涙《なみだ》の|雨《あめ》だ。【か】なしさうな|其《その》|面《つら》つき、|仮令《たとへ》【か】らだは|八《や》つ|裂《ざき》になつても、|神《【か】み》のためなら、チツトも【か】まはないと|言《い》ふ|覚悟《【か】くご》がなくて、|誠《まこと》の|道《みち》が|開《ひら》けるか、【カ】ラ|魂《だま》のさかしら|魂《だま》、|神《【か】み》の|心《こころ》も|推量《すゐりやう》して|呉《く》れても|宜《よ》からう。|少《すこ》しの|艱難辛苦《【か】んなんしんく》に|遭《あ》うても、|尻《しり》を|捲《まく》つて|雲《くも》を【か】すみと|逃《に》げ|行《ゆ》く|宣伝使《せんでんし》、【か】らすのやうな|黒《くろ》い|魂《たま》で|誠《まこと》の|神《【か】み》を【か】ついで、|勝手《【か】つて》な【ねつ】を|吹《ふ》き|歩《ある》く【がとう】|虫《むし》|奴《め》が。【か】てて|加《くは》へて|蟹《【か】に》が|行《ゆ》く|横《よこ》さの|道《みち》を|歩《あゆ》みながら、|吾程《われほど》|誠《まこと》の|者《もの》はない、|誠《まこと》|一《ひと》つが|世《よ》の|宝《たから》、|誠《まこと》をつくせ、|真心《まごころ》になれと、【か】たる|計《ばか》りの|宣伝使《せんでんし》。
【か】らすのやうに|喧《【か】し》ましい|蚊々虎《【か】【が】とら》さまの|素性《すじやう》も|知《し》らず、|軽《【か】る》い|男《をとこ》と|侮《あなど》つて、|汗《あせ》【か】き、|耻《はぢ》【か】き、|頭《【か】しら》【か】き、【かばち】の|高《たか》い、【カ】ラ|威張《ゐば》りの|上手《じやうづ》な|神《【か】み》の|使《つか》ひ、【カ】ラと|日本《にほん》の|戦《いくさ》があるとは、|汝《なんぢ》らが|御魂《みたま》の|立替《たて【か】》へ|立直《たてなほ》し、|今《いま》までの【カ】ラ|魂《だま》を、オツ|放《ぽ》り|出《だ》して、|水晶《すゐしやう》の|生粋《きつすゐ》の|日本魂《やまとだましひ》に|立替《たて【か】》へいと|申《まを》すことだ。|喧《【か】しま》しいばかりが|宣伝使《せんでんし》でないぞ。|改心《【か】いしん》いたせばよし、どこまでも|分《わか》らねば、|神《【か】み》はモウ|一限《ひとき》りに|致《いた》すぞよ。|何程《なにほど》|気《き》の|長《なが》い|神《【か】み》でも、|愛想《あいさう》が|尽《つ》きて、|欠伸《あくび》が|出《で》るぞよ』
|駒山彦《こまやまひこ》『【カ】ヽヽ|叶《【か】な》はぬ|叶《【か】な》はぬ、|勘忍《【か】んにん》して|下《くだ》さいな。|是《これ》から|改心《【か】いしん》|致《いた》しますから、モウ|吾々《われわれ》の|事《こと》に|構《【か】ま》ひ|立《だ》てはして|下《くだ》さるなよ。【か】いて|走《はし》るやうな|掴《つか》まへ|処《どこ》のない|意見《いけん》を|聞《き》かされて、アヽ|好《い》い|面《つら》の|皮《【か】は》だ』
|照彦《てるひこ》『【キ】ヽヽ|貴様《【き】さま》は|余程《よほど》しぶとい|奴《やつ》、|此《この》|方《はう》の|申《まを》すことが|気《【き】》に|入《い》らぬか。|奇怪千万《【き】つくわいせんばん》な|駄法螺《だぼら》を|吹《ふ》き|廻《まは》つて、|良《い》い|気《【き】》になつて|気楽《【き】らく》さうに、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ、|気《【き】》まぐれ|半分《はんぶん》に、|天下《てんか》を|廻《まは》る|狼狽者《うろたへもの》、|気抜《【き】ぬ》け|面《づら》して、|気《【き】》が|利《【き】》かぬも|程《ほど》がある。|鬼門《【き】もん》の|金神《こんじん》|現《あら》はれて|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る。|鬼畜《【き】ちく》のやうな、|気違《【き】ちが》ひ|魂《だま》の|宣伝使《せんでんし》は、|世《よ》の|切《【き】》り|替《かへ》に【キ】ツパリと|取払《とりはら》ひ、|根《ねつ》から|葉《はつ》から|切《【き】》つて|了《しま》ふぞよ。|貴様《【き】さま》の|気《【き】》に|入《い》らぬは|尤《もつと》もだ。ひどい|気強《【き】づよ》い|鬼神《【き】じん》のやうな|言葉《ことば》と|思《おも》ふであらうが、よく|気《【き】》を|付《つ》けて|味《あぢ》はうて|見《み》よ。【きくらげ】のやうな|耳《みみ》では|神《かみ》の|誠《まこと》の|言葉《ことば》は|聞《【き】》き|取《と》れまい。|気《【き】》が|気《【き】》でならぬ|神《かみ》の|胸《むね》、いつまでも|諾《【き】》かねば|諾《【き】》くやうに|致《いた》して|諾《【き】》かして|見《み》せうぞよ。|汚《【き】た》ない|心《こころ》をさつぱり|放《ほ》かして、|誠《まこと》の|神心《かみごころ》になり、|万事《ばんじ》に|対《たい》して|機転《【き】てん》を|利《【き】》かし、|心配《こころくば》り、|気配《【き】くば》りの|出来《でき》ぬやうな|事《こと》では、|気《【き】》の|利《【き】》いた|御用《ごよう》は|到底《たうてい》|勤《つと》まらぬぞよ。【き】な【き】な|思《おも》はず|気《【き】》に|入《い》らいでも、|歯《は》に|衣《【き】ぬ》を|着《【き】》せぬ|神《かみ》の|言葉《ことば》、|是《これ》から|気張《【き】ば》つて|気分《【き】ぶん》を|改《あらた》め、|気不性《【き】ぶしやう》な|心《こころ》を|立直《たてなほ》し、|気随気儘《【き】ずゐ【き】まま》をさらりと|放《ほ》かし、|神《かみ》と|君《【き】み》とに|誠《まこと》を|尽《つく》し、|気六《【き】む》ツかしさうな|面《おもて》をやはらげ、|心《こころ》を|決《【き】》めて|荒胆《あら【ぎ】も》を|練《ね》り、【キ】ヤ【キ】ヤ|思《おも》はず【キ】ユウ【キ】ユウ|苦《くる》しまず、|心《こころ》を|清《【き】よ》め|身《み》を|浄《【き】よ》め、|誠《まこと》の|神《かみ》に|従《したが》へば|気楽《【き】らく》に|道《みち》が|拡《ひろ》まるぞよ。【キ】チリ【キ】チリと|箱《はこ》さした|様《やう》に|行《ゆ》くぞよ。|神《かみ》を|笠《かさ》に|着《【き】》るなよ。|抜刀《ぬ【き】み》や|刃物《【き】れもの》の|中《なか》に|立《た》つて|居《ゐ》る|様《やう》な|心持《こころもち》になつて、|油断《ゆだん》を|致《いた》すな。|窮《【き】は》まりもなき|神《かみ》の|恩《おん》、|万《よろづ》の|罪咎《つみとが》も|神《かみ》の|光《ひか》りに|消《【き】》え|失《う》せて、|身魂《みたま》は|穏《おだや》かに|改《あらた》まり、さうした|上《うへ》で|始《はじ》めて|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だ。どうだ、|分《わか》つたか』
|駒山彦《こまやまひこ》『【キ】ヽヽ|気《【き】》が|付《つ》きました。|気張《【き】ば》つて|気張《【き】ば》つて|是《これ》から|早《はや》く|改心《かいしん》を|致《いた》します。|此《この》|気味《【き】み》の|悪《わる》い|谷底《たにぞこ》で、|奇妙奇天烈《【き】めう【き】てれつ》な|目《め》に|逢《あ》うて|気《【き】》を|揉《も》まされて、|何《なん》たるマア|気《【き】》の|利《【き】》かぬ|事《こと》だらう。|神《かみ》の|気勘《【き】かん》に|叶《かな》うた|積《つもり》で、|気張《【き】ば》つて|気張《【き】ば》つて|心配《こころくば》り|気配《【き】くば》りして、|此処《ここ》まで|勤《つと》めて|来《【き】》たのに、|思《おも》ひがけなき|気遣《【き】づか》ひをさされた。サア、もう【キ】リキリと|決《【き】ま》りをつけて、|来《【き】》た|道《みち》へ|帰《かへ》らうかい。|淤縢山津見《おどやまづみ》さまも|何《なん》だ、|一体《いつたい》|気《【き】》の|小《ちひ》さい、おどおどとして|顫《ふる》うて|居《ゐ》るぢやないか。ナント|膽玉《【き】もだま》の|弱《よわ》い|男《をとこ》だな。こんな|所《ところ》に|長居《ながゐ》をすると、|猿《さる》の|小便《せうべん》ぢやないが、|先《さき》のことが|気《【き】》にかかるワ』
|淤縢山津見《おどやまづみ》『【き】まりの|悪《わる》い、|不気味《ぶ【き】み》な|態《ざま》で【キ】ツウ|膏《あぶら》を|搾《しぼ》られました。|際《【き】は》どいとこまで|素破《すつぱ》|抜《ぬ》かれて、アー|俺《おれ》も|気《【き】》が|気《【き】》ぢやないワ。ドウデ|吾々《われわれ》は|神様《かみさま》の|気《【き】》に|入《い》るやうな|宣伝《せんでん》はできては|居《を》らぬからなア』
|照彦《てるひこ》『【ク】ヽヽ|苦労《【く】らう》なしの、|心《こころ》の|暗《【く】ら》い|暗雲《やみ【く】も》の|宣伝使《せんでんし》』
|駒山彦《こまやまひこ》『モシモシ、【ク】ヽ|暗《【く】ら》がりにそんな|下《【く】だ》らぬ|事《こと》を、モヽモウ|是《これ》|位《【ぐ】らゐ》で|止《や》めて|下《【く】だ》さい』
|照彦《てるひこ》『|苦《【く】る》しいか、|苦面《【く】めん》が|悪《わる》いか、|臭《【く】さ》い|物《もの》に|蓋《ふた》をしたやうに|隠《かく》し|立《だ》てしても、|何程《なにほど》【クスネ】ようと|思《おも》うても、|四十八癖《しじふはち【く】せ》のあらむ|限《かぎ》りは|改《あらた》めてやるぞ。|下《【く】だ》らぬ|理屈《りくつ》を|口《【く】ち》から|出放題《ではうだい》、【グ】ヅ【グ】ヅ【グ】デ【グ】デと【ク】ドイ|理屈《りくつ》を|捏並《こねなら》べ、|一《ひと》つ|違《ちが》へば【ク】ナ【ク】ナ|腰《ごし》になつて、|一寸《ちよつと》した|事《こと》でも|苦《【く】》にするなり、|委《【く】は》しき|事《こと》も|知《し》らずに、|喰《【く】》ひ|違《ちが》つた|御託《ごたく》を|並《なら》べ|立《た》て、|九分九厘《【く】ぶ【く】りん》で|覆《かへ》るの|覆《かへ》らぬの、|一厘《いちりん》の|仕組《しぐみ》を【く】まなく|悟《さと》つたの、|汲《【く】》み|取《と》つたのと、そりや|何《なん》の|囈語《たわごと》、|汲《【く】》めども|尽《つ》きぬ|神《かみ》の|教《をしへ》、|大空《たい【く】う》の|雲《【く】も》を|掴《つか》むやうな|掴《つか》まへ|所《どころ》のない、|駄法螺《だぼら》を|吹《ふ》いたその|酬《むく》い、|悔《【く】や》し|残念《ざんねん》をコバリコバリ、|今《いま》までの|取違《とりちが》ひを|悔《【く】》ひ|改《あらた》め、【ク】ヨ【ク】ヨ|思《おも》はずに|神《かみ》の|光《ひかり》を|顕《あら》はし、|闇黒《【く】らがり》の|世《よ》を|照《てら》し、また|来《【く】》る|春《はる》の|梅《うめ》の|花《はな》、|開《ひら》く|時《とき》を|呉々《【く】れ【ぐ】れ》も|待《ま》つがよいぞよ。【ク】レンと|返《かへ》る|神《かみ》の|仕組《しぐみ》、|苦労《【く】らう》の|花《はな》の|開《ひら》く|神《かみ》の|道《みち》、|委《【く】は》しいことが|知《し》りたくば、|悔《【く】》い|改《あらた》めて|神心《かみごころ》になれ。|噛《か》んで【く】くめるやうに|知《し》らして|置《お》くぞよ』
|駒山彦《こまやまひこ》『【ク】ヽヽ【ク】ド【ク】ドしいお|説教《せつけう》、モヽ|分《わか》りました|分《わか》りました、|結構《けつこう》で|御座《ござ》います。|決《けつ》して|決《けつ》してモウ|此《この》|上《うへ》は|取違《とりちが》ひは|致《いた》しませぬ。|何卒《どうぞ》これで|止《や》めて|下《【く】だ》さいませ、さうして|吾々《われわれ》|三人《さんにん》の|身体《からだ》を|自由《じいう》になるやうにして|下《【く】だ》さい』
|照彦《てるひこ》『【ケ】ヽヽ|結構々々《【け】つこう【け】つこう》とは|何《なに》が|結構《【け】つこう》だ。|毛筋《【け】すぢ》の|横巾《よこはば》も|違《ちが》はぬ|神《かみ》の|教《をしへ》だ。|決心《【け】つしん》が|第一《だいいち》だ。|道《みち》を|汚《【け】が》してはならぬから、|神《かみ》が|気《【け】》もない|中《うち》から|気《き》を|付《つ》けるのだ。|怪体《【け】つたい》な|心《こころ》を|取直《とりなほ》し、【ケ】チ【ケ】チ|致《いた》さず、|神心《かみごころ》になつて|居《を》らぬと、|獣《【け】だもの》の|身魂《みたま》に|欺《だま》されて、|尻《【け】つ》の|毛《【け】》まで|一本《いつぽん》もないやうにしられるぞよ。|嶮《【け】は》しき|山《やま》を|上《のぼ》り|下《くだ》りしながら、|毛《【け】》を|吹《ふ》いて|疵《きず》を|求《もと》めるやうな|其《その》|行《や》り|方《かた》、|従者《【け】らい》を|連《つ》れたり、|女《をんな》を|伴《つ》れたり、そんな|事《こと》で|神《かみ》の|教《をしへ》が|拡《ひろ》まるか、|毛虫《【け】むし》よりも|劣《おと》つた|宣伝使《せんでんし》』
|駒山彦《こまやまひこ》『【ケ】ヽヽ|怪体《【け】つたい》なことを|言《い》ふ|神《かみ》だな。|淤縢山《おどやま》さま、|如何《どう》しよう。|耳《みみ》が|痛《いた》くつて、|面白《おもしろ》くもない、コンナ|目《め》に|遇《あ》はされやうと|思《おも》うたら、|宣伝《せんでん》に|廻《まは》つて|来《く》るぢやなかつたに、アヽ|何《なん》と|宣伝使《せんでんし》は|辛《つら》いものぢやなア。|毛色《【け】いろ》の|変《かは》つた|照彦《てるひこ》のやうな|男《をとこ》が|来《く》るものだから、コンな|怪体《【け】つたい》な|谷底《たにぞこ》で、|眉毛《まゆ【げ】》を|読《よま》れ、|鼻毛《はな【げ】》を|抜《ぬ》かれ、|尻《【け】つ》の|毛《【け】》まで|抜《ぬ》かれるやうな、|怪《【け】》しからぬ|目《め》に|遇《あ》うて、|谷底《たにぞこ》へ|蹴落《【け】おと》されて、【けが】したよりも|余程《よほど》つまらぬ|目《め》に|遇《あ》ふのか。お|前《まへ》さまは|頭《あたま》が|坊主《ばうず》だから、【けが】なくてよからうが、|駒山彦《こまやまひこ》は|二進《につち》も|三進《さつち》もならぬ|目《め》に|遇《あ》うて、|困《こま》り|切《き》つてゐるワイ』
|照彦《てるひこ》『【コ】ヽヽ|駒山彦《【こ】まやまひこ》、|何《なに》を|言《い》ふか、|乞食芝居《【こ】じきしばゐ》のやうに、|男女《だんぢよ》|七人《しちにん》|連《づれ》にて【ゴ】テ【ゴ】テと、|此処《【こ】こ》|彼処《かし【こ】》【ゴ】ロツキ|廻《まは》る|宣伝使《せんでんし》、|神《かみ》は|勘忍袋《かんにんぶくろ》が|破《やぶ》れるぞよ。|此世《【こ】のよ》の|鬼《おに》を|往生《わうじやう》さして、|神《かみ》、|仏事《ぶつじ》、|人民《じんみん》を|悦《よろこ》ばす|神《かみ》の|心《【こ】ころ》、|耐《【こ】ら》へ|忍《しの》びのない|心《【こ】ころ》の|定《き》まらぬ、|破《やぶ》れ|宣伝使《せんでんし》が|何《なに》になるか。|梢《【こ】ずゑ》に|来《き》て|鳴《な》く|鶯《うぐひす》でも、|春夏秋冬《はるなつあきふゆ》はよく|知《し》つて|居《ゐ》るに、|応《【こ】た》へたか、|此方《【こ】のはう》の|云《い》ふ|事《こと》が|分《わか》つたか。【コ】ツ【コ】ツと|角張《かくば》つたもの|言《い》ひをしたり、【ゴ】テ【ゴ】テと|小理屈《【こ】りくつ》を|捏《【こ】》ねたり、|事《【こ】と》に|触《ふ》れ|物《もの》に|接《せつ》し、|下《くだ》らぬ|理屈《りくつ》を|捏《【こ】》ね|廻《まは》し、|人《ひと》の|好《【こ】の》まぬ|事《【こ】と》を|無理《むり》に|勧《すす》め、|怖《【こ】は》がられて|強《つよ》い|物《もの》には|媚《【こ】》び|諂《へつら》ひ、|後先《あとさき》|真暗《まつくら》の|神《かみ》を|困《【こ】ま》らす|駒山彦《【こ】まやまひこ》の|宣伝使《せんでんし》、|米《【こ】め》|喰《く》ふ|虫《むし》の|製糞器《せいふんき》、|菰《【こ】も》を|被《かぶ》つた|乞食《【こ】じき》のやうに、|一寸《ちよつと》の|苦労《くらう》に|弱音《よわね》を|吹《ふ》き、|泣《な》き|声《【ご】ゑ》をしぼり、モウ【こ】いつあ|叶《かな》はぬ、|宣伝《せんでん》は【コ】リ【コ】リだと|弱気《よわぎ》を|出《だ》したり、|怖《【こ】は》い|顔《かほ》して|威張《ゐば》つて|歩《ある》く|狼狽者《うろたへもの》の|得手《えて》|勝手《かつて》な【ねつ】を|吹《ふ》くお|取次《とりつぎ》ぎとは、おどましいぞよ。|鬼《おに》も|大蛇《をろち》も|狼《おほかみ》も|恐《おそ》れて、|尾《を》を|振《ふ》つて|跣足《はだし》で|逃《に》げる、イヤ|逃《に》げぬ、|心《【こ】ころ》の|小《【こ】ま》こい|腰《【こ】し》の|弱《よわ》い|困《【こ】ま》り|者《もの》の|駒山彦《【こ】まやまひこ》の|宣伝使《せんでんし》』
|駒山彦《こまやまひこ》『【サ】ヽヽ|囀《【さ】へづ》るない、【サ】ツパリ|分《わか》らぬ|事《こと》を|喋《しやべ》り|散《ち》らしよつて、|態《【ざ】ま》が|悪《わる》いワイ。|逆捻《【さ】かねぢ》に|俺《おれ》の|方《はう》からちつと|囀《【さ】へづ》つてやらうか、|余《あま》り|喋《しやべ》ると|逆《【さ】か》トンボリを|打《う》たねばならぬぞよ。|先《【さ】き》にある|事《こと》を|世界《せかい》に|知《し》らす、|三五教《あななひけう》の|悟《【さ】と》りのよい|流石《【さ】すが》は|宣伝使《せんでんし》だ』
|照彦《てるひこ》『【サ】ヽヽ|騒《【さ】わ》がしいワイ』
|駒山彦《こまやまひこ》『アヽヽ|五月蝿《うるさ》いなア、【サ】ツパリ|油《あぶら》を|搾《しぼ》つて|了《しま》ひよつた。【さ】ても【さ】ても|残念《ざんねん》なことぢや』
|照彦《てるひこ》『【サ】ア【サ】ア【サ】ア|是《これ》からだ。|賽《【さ】い》の|河原《かはら》で|石《いし》を|積《つ》む、|積《つ》んでは|崩《くづ》す|積《つ》んでは|崩《くづ》す|気《き》の|毒《どく》な|尻《しり》の|結《むす》べぬ|宣伝使《せんでんし》。|月《つき》は|御空《みそら》に|冴《【さ】》え|渡《わた》れども、|心《こころ》は|暗《くら》き|谷《たに》の|底《そこ》、|足許《あしもと》は|真暗《まつくら》がりで|谷底《たにぞこ》へ|逆《【さ】か》トンボリを|打《う》たねばならぬぞよ。|神《かみ》の|申《まを》すことを|逆様《【さ】かさま》に|取《と》るとはソリヤ|何《なん》の|事《こと》、|先《【さ】き》へ|先《【さ】き》へと|知《し》らす|神《かみ》の|教《をしへ》、|先《【さ】き》の|知《し》れぬ|宣伝使《せんでんし》が、|神《かみ》を|審神《【さ】には》するといふ|探女《【さ】ぐめ》のやうな、|御魂《みたま》の|暗《くら》い|奴《やつ》、|酒《【さ】け》と|女《をんな》に|魂《たましひ》を|腐《くさ》らし、やうやう|改心《かいしん》|致《いた》して|俄宣伝使《にはかせんでんし》になつたとて、【サ】ヽそれが|何《なに》|豪《えら》い。|差添《【さ】しぞへ》の|種《たね》ぢやと|威張《ゐば》つて|居《を》るが、|何《なに》も|彼《か》も|差出《【さ】しで》の|神《かみ》か、イヤ|狸《たぬき》だ。|流石《【さ】すが》の|其方《そなた》も|神《かみ》の|申《まを》す|今《いま》の|言葉《ことば》、|指《ゆび》|一本《いつぽん》|指《【さ】》す|事《こと》は|出来《でき》まい。|早速《【さ】つそく》|開《あ》いた|口《くち》は|閉《すぼ》まろまいぞよ、|沙汰《【さ】た》の|限《かぎ》りぢや。【サ】タン|悪魔《あくま》の|虜《とりこ》となつても、【サ】ツチもない|事《こと》を|触《ふ》れ|歩《ある》き、|偖《【さ】て》も|偖《【さ】て》も|悟《【さ】と》りの|悪《わる》い|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》、|蚕《かひこ》の【サ】ナギのやうに、|一寸《ちよつと》の|事《こと》にもプリンプリン|尾《を》を|振《ふ》り|頭《あたま》を|振《ふ》り、|盲目《めくら》|滅法《めつぱふ》の|審神《【さ】には》を|致《いた》し、|本守護神《ほんしゆごじん》だ、|正《せい》|副守護神《ふくしゆごじん》だと|騒《【さ】わ》ぎ|廻《まは》り、|日本御魂《やまとみたま》の|両刃《もろは》の|剣《つるぎ》は【サ】ツパリ|錆刀《【さ】びがたな》。|探《【さ】ぐ》り|審神者《【さ】には》の|向《むか》ふ|見《み》ず、|様々《さまざま》の|曲津《まがつ》に|欺《あざむ》かれ、えらい|目《め》にあはされながら、まだ|目《め》が|醒《【さ】》めぬか。|之《これ》でも|未《ま》だ|未《ま》だ|我《が》を|張《は》るか。|偖《【さ】て》も【さ】もしい|心《こころ》だのう。|塞《【さ】や》ります|黄泉彦神《よもつひこのかみ》の|曲《まが》の|使《つかひ》を|信《しん》じ、よくもよくも|呆《はう》けたものだ。|今《いま》から【さ】らりと|我《が》を|折《を》りて、|慢心心《まんしんごころ》を|洗《あら》ひ|去《【さ】》り、|各自《めいめい》に|吾《わが》|身《み》を|省《かへり》みて、|猿《【さ】る》の|尻《しり》|笑《わら》ひを|致《いた》すでないぞ。|耻《はぢ》を|曝《【さ】ら》されて|頭《あたま》を|掻《か》くより、|褌《まはし》でもしつかりとかけ。|騒《【さ】わ》ぐな、|囀《【さ】へづ》るな、|冴《【さ】》えた|心《こころ》の|望《もち》の|月《つき》、【サ】ア【サ】ア|淤縢山津見《おどやまづみ》、|駒山彦《こまやまひこ》、|神《かみ》の|申《まを》す|事《こと》がチツトは|腹《はら》に|入《はい》つたか』
|駒山彦《こまやまひこ》『【シ】ヽヽヽ【し】ぶいワイ。うかうか|聞《き》いてをれば|面白《おもしろ》くもない、こんな|谷底《たにぞこ》でアイウエオ、カキクケコの|言霊《ことたま》の|練習《れんしふ》をしよつて、|余《あま》り|馬鹿《ばか》にするない。|言霊《ことたま》なら|俺《おれ》も|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》ぢや、|負《ま》けはせぬぞ。|言《い》ふ|事《こと》はどんな|立派《りつぱ》な|事《こと》を|言《い》つても、|行《おこな》ひは|照彦《てるひこ》ぢやで、さう|註文《ちうもん》|通《どほ》りには|行《ゆ》くものぢやない。【ス】カ|屁《べ》を|放《ひ》つた|様《やう》な|事《こと》を|吐《ぬか》しよつて、【せ】んぐりせんぐりと、【ソ】ヽヽ【そ】ろ【そ】ろと|棚《【た】な》おろしをしやがつて、【チ】ヽ【ち】つとも|応《こた》へぬのぢや。【ツ】ヽ|詰《【つ】ま》らぬ|事《こと》を、【テ】ヽヽ|手柄《【て】がら》さうに、【ト】ヽヽ|呆《【と】ぼ》けやがつて、【ナ】ヽヽ|何《なに》を|吐《ぬか》しやがるのだ。【ニ】ヽヽ|憎《【に】く》つたらしい、【ヌ】ヽヽ|抜《【ぬ】》けたやうな|声《こゑ》で、【ネ】ヽヽ|根《【ね】》も|葉《は》もないやうな|事《こと》を、【ノ】ヽヽ|述《【の】》べ|立《た》て、【ハ】ヽヽ|腹《【は】ら》が|承知《しようち》せぬワイ。【ヒ】ヽヽ|昼《【ひ】る》ならよいがコンナ|暗《やみ》の|夜《よ》に、【フ】ヽヽ|悪戯《【ふ】ざけ》た|事《こと》を、【ヘ】ヽヽ|屁《【へ】》のやうに、【ホ】ヽヽ|吐《【ほ】ざ》きよつて、【マ】ヽヽ|曲津神《【ま】がつかみ》|奴《め》が、【ミ】ヽヽ【み】みず|奴《め》が、【ム】ヽヽ|虫《【む】し》ケラ|奴《め》が、【メ】ヽヽ|盲目《【め】くら》|奴《め》が、【モ】ヽヽ|百舌《【も】ず》の|親方《おやかた》|奴《め》が、【ヤ】ヽヽ|八ケ間《【や】かま》しい、【や】やこしい、【イ】ヽヽ|嫌《【い】や》な|事《こと》を【ユ】ヽヽ|云《【ゆ】》ひよつて、【エ】ヽヽ|得体《【え】たい》の|知《し》れぬ、【ヨ】ヽヽ|黄泉神《【よ】もつかみ》|奴《め》が、【ラ】ヽヽ|埒《【ら】ち》もない、【リ】ヽヽ|理屈《【り】くつ》を|捏《【こ】》ねよつて、【ル】ヽヽ|類《【る】ゐ》を|以《もつ》て|曲津《まがつ》を|集《あつ》めよつて、【レ】ヽヽ|連発《【れ】んぱつ》する、【ロ】ヽヽ|碌《【ろ】く》でなしの|世迷言《よまひごと》、【ワ】ヽヽ|分《【わ】か》りもせぬ、【イ】ヽヽ【い】やらしい、【イ】ケ|好《す》かない|事《こと》を、【ウ】ヽヽ|呻《【う】な》り|立《た》て、【エ】ヽヽ【エ】ー、モー|恐《【お】そ》ろしい|処《どころ》か、【を】かしいワイ。【お】|化《ばけ》の|大蛇《【を】ろち》の|神憑《かむがかり》|奴《め》が』
|照彦《てるひこ》『【シ】ヽヽ』
|駒山彦《こまやまひこ》『また【シ】ーやつてけつかる。|縛《【し】ば》つてやらうか、|虱《【し】らみ》の|守護神《【し】ゆごじん》|奴《め》が』
|照彦《てるひこ》『【シ】ヽヽ|思案《【し】あん》して|見《み》よ、|虱《【し】らみ》の|親方《おやかた》、|人《ひと》の|血《ち》を|吸《す》ふ|毛虫《けむし》の|駒山彦《こまやまひこ》、|執念《【し】ふねん》|深《ぶか》い|宣伝使《せんでんし》、|修羅《【し】ゆら》の|巷《ちまた》に|踏《ふ》み|迷《まよ》ひ、|後先《あとさき》|見《み》ずの|困《こま》つた|駒山彦《こまやまひこ》。|叱《【し】か》られる|事《こと》が|苦《くる》しいか、|叱《【し】か》る|神《かみ》も|随分《ずゐぶん》|苦《くる》しいぞ。【シ】カと|正念《しやうねん》を|据《す》ゑて【シ】ツカリ|聞《き》け。|敷島《【し】きしま》の|大和《やまと》の|国《くに》の|神《かみ》の|教《をしへ》に、【シ】ヽヽ|如《【し】》くものはないぞ。|醜《【し】こ》の|曲津《まがつ》に|誑《たぶ》らかされ、|汝《なんぢ》が|仕態《【し】ざま》は|何事《なにごと》ぞ。|獅子《【し】し》、|狼《おほかみ》の|様《やう》な|心《こころ》をもつて、|世界《せかい》の|人間《にんげん》が|助《たす》けられるか、|至粋至純《【し】すゐ【し】じゆん》の|水晶《すゐしやう》の|心《こころ》になれ。|下《【し】も》の|者《もの》を|大切《たいせつ》に|致《いた》せよ。【し】ち|難《むつ》かしい|説教《せつけう》を|致《いた》すな。【シ】ツカリと|胸《むね》に|手《て》をあて|考《かんが》へて|見《み》よ。|一度《いちど》は|死《【し】》なねばならぬ|人《ひと》の|身《み》、|死《【し】》んでも|生《い》き|通《とほ》しの|霊魂《みたま》を|研《みが》けよ。|屡々《【し】ばしば》|神《かみ》は|諭《さと》せども、あまり|分《わか》らぬから|神《かみ》も|痺《【し】びれ》をきらして|居《を》るぞよ。【し】ぶといと|言《い》うてもあんまりだ。|終《【し】ま》ひには|往生《わうじやう》|致《いた》さねばならぬぞよ。【シ】ミ【ジ】ミと|神《かみ》の|教《をしへ》を|考《かんが》へて|見《み》よ。|腹帯《はらおび》を【シ】ツカリ|締《し》めて|掛《かか》れよ。|霜《【し】も》を|踏《ふ》み|雪《ゆき》を|分《わ》けて|世人《よびと》を|救《すく》ふ|宣伝使《せんでんし》、|知《【し】》らぬ|事《こと》を|知《【し】》つた|顔《かほ》して、|白々《【し】らじら》しい|嘘言《うそ》を|吐《つ》くな。|尻《【し】り》から|剥《は》げるやうな|法螺《ほら》を|吹《ふ》くな。|知《【し】》ると|言《い》ふ|事《こと》は|神《かみ》より|外《ほか》にないぞよ。|天地《てんち》の|事《こと》は|如何《どん》な|事《こと》でも|説《と》き|明《あか》すとは、|何《なん》の【シ】レ|言《ごと》、|困《こま》つた|代物《【し】ろもの》ぢや。|嗄《しわが》れ|声《ごゑ》を|振《ふ》り|立《た》てて|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》したとて、|天地《てんち》の|神《かみ》は|感動《かんどう》|致《いた》さぬぞよ。|身魂《みたま》を|研《みが》けよ、|身魂《みたま》さへ|研《みが》けたなら、|円満清朗《ゑんまんせいろう》な|声音《せいおん》が|湧《わ》いて|来《く》るぞよ。|強《【し】》ひて|嫌《いや》なものに|勧《すす》めるな。|因縁《いんねん》なきものは|時節《【じ】せつ》が|来《こ》ねば|耳《みみ》へ|入《はい》らぬ。|修身斉家《【し】うしんせいか》、|治国平天下《ちこくへいてんか》の|大道《だいだう》だと|偉《えら》さうに|申《まを》して|居《を》れど、|吾《わが》|身《み》|一《ひと》つが|治《をさ》まらぬ、|仕様《【し】やう》もない|宣伝使《せんでんし》、|何《なに》が|苦《くる》しうて【シ】ホ【シ】ホと|憔悴《【し】を》れて|居《ゐ》るか。|荒魂《あらみたま》の|勇《いさ》みを|振《ふ》り|起《おこ》して、モツト|勇気《ゆうき》を|出《だ》さぬかい』
|駒山彦《こまやまひこ》『【シ】ヽヽ【シ】ツカリ|致《いた》します。|奥山《おくやま》に|紅葉《もみぢ》|踏《ふ》み|分《わ》け|鳴《な》く|鹿《【し】か》の、|声《こゑ》|聞《き》く|時《とき》は|哀《あは》れなりけり、だ。えらい|鹿《【し】か》に|出会《でくわ》して【しか】られたものだい』
|淤縢山津見《おどやまづみ》『ヤア、|拙者《せつしや》は|脚《あし》が|起《た》つた、|身体《【し】んたい》が|自由《じいう》になつた、|大分《だいぶ》に|魂《みたま》が|研《みが》けたと|見《み》えるワイ。いやもう|何《いづ》れの|神様《かみさま》か|存《ぞん》じませぬが、よくもまあ|結構《けつこう》な|教訓《けうくん》を|垂《た》れさせられました。|屹度《きつと》|之《これ》から|心《こころ》を|入《い》れ|替《か》へて、|御神慮《ごしんりよ》のある|処《ところ》を|謹《つつ》しんで|遵奉《じゆんぽう》|致《いた》します』
|駒山彦《こまやまひこ》『ヤア|淤縢山《おどやま》さま、|脚《あし》が|起《た》ちましたか、アヽそれは|結構《けつこう》だ。|吾々《われわれ》はまだビクとも|致《いた》しませぬ、|胴《どう》が|据《すわ》つたものですな』
『|貴方《あなた》は|最前《さいぜん》から|聞《き》いて|居《を》れば|一々《いちいち》|神様《かみさま》に|口答《くちごた》へをなさる、|貴方《あなた》は|発根《ほつこん》からまだ|改心《かいしん》は|出来《でき》て|居《ゐ》ない。|改心《かいしん》さへ|出来《でき》たならば|吾々《われわれ》の|様《やう》に、|神様《かみさま》は|脚《あし》を|起《た》たして|下《くだ》さいませう。|何卒《どうぞ》|早《はや》く|屁理屈《へりくつ》を|止《や》めて|改心《かいしん》して|下《くだ》さい』
|駒山彦《こまやまひこ》『【カ】ヽヽ|改心《【か】いしん》と|言《い》つたて、|照彦《てるひこ》の|様《やう》な|奴《やつこ》さまに|憑《【か】か》つて|来《く》る|様《やう》な|守護神《しゆごじん》の|言《い》ふ|事《こと》が、|如何《どう》して|聞《き》かれるものか、|神霊《しんれい》は|正邪《せいじや》|賢愚《けんぐ》に|応《おう》じて|憑依《ひようい》されるものだ。|大抵《たいてい》|此《この》|肉体《にくたい》を|標準《へうじゆん》としたら、|神《【か】み》の|高下《【か】うげ》は|分《わか》るでせう』
|照彦《てるひこ》『【ス】ヽヽ|直様《【す】ぐさま》、|淤縢山津見《おどやまづみ》は|脚《あし》が|起《た》つたを【きり】として、カルの|国《くに》に|進《すす》んで|行《ゆ》け。|道伴《みちづ》れは|決《けつ》してならぬ』
『|仰《あふ》せに|従《したが》ひ|改心《かいしん》の|上《うへ》、|直様《すぐさま》|参《まゐ》ります。|今《いま》まではえらい|考《かんが》へ|違《ちが》ひを|致《いた》して|居《を》りました』
|照彦《てるひこ》『|一時《ひととき》も|早《はや》く、|片時《かたとき》も|速《すみやか》に|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》れ』
|駒山彦《こまやまひこ》『アヽ|淤縢山《おどやま》さま、それはあまり|得手《えて》|勝手《かつて》だ。|自分《じぶん》は|脚《あし》が|起《た》つてよからうが、|吾々《われわれ》の|様《やう》な|脚《あし》の|起《た》たぬ|者《もの》を|見捨《みす》てて|行《い》つても、|神《かみ》の|道《みち》に|叶《かな》ひませうか。|朋友《ほういう》の|難儀《なんぎ》を|見捨《みす》てて|何処《どこ》へ|行《ゆ》くのです。|神《かみ》の|道《みち》は、|親切《しんせつ》が|一等《いつとう》だと|聞《き》きました。それでは|道《みち》が|違《ちが》ひませう』
|照彦《てるひこ》『|駒山彦《【こ】まやまひこ》の|小理屈《【こ】りくつ》は|聞《き》くに|及《およ》ばぬ、|早《はや》く|起《た》つて|行《ゆ》け。|駒山彦《【こ】まやまひこ》の|改心《かいしん》が|出来《でき》るまで、|此方《【こ】のはう》が|膏《あぶら》を|搾《しぼ》つてやらうかい』
|淤縢山津見《おどやまづみ》は|徐々《しづしづ》と|此《この》|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》らむとする|時《とき》、|三五《さんご》の|明月《めいげつ》は|山頂《さんちやう》に|昇《のぼ》り、|細《ほそ》き|谷間《たにま》を|皎々《かうかう》と|照《てら》せり。|淤縢山津見《おどやまづみ》は|此《この》|月光《げつくわう》に|力《ちから》を|得《え》、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|谷道《たにみち》を|伝《つた》ひて、もと|来《き》し|道《みち》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・二・一四 旧一・一八 森良仁録)
第一六章 |蛸《たこ》|釣《つ》られ〔四〇九〕
|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|弥《いや》|深《ふか》き、この|谷底《たにぞこ》に|残《のこ》されし、|駒山彦《こまやまひこ》は|淤縢山津見《おどやまづみ》の|帰《かへ》りゆく|姿《すがた》を|眺《なが》めて、
『オーイ、オーイ』
と|呼《よ》び|止《と》めるを、|淤縢山津見《おどやまづみ》はこの|声《こゑ》を|木耳《きくらげ》の、|耳《みみ》を|塞《ふさ》いて|悠々《いういう》と、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|下《くだ》り|行《ゆ》く。|月《つき》は|漸々《やうやう》にして、|山《やま》の|端《は》を|出《い》で、|皎々《かうかう》と|輝《かがや》き|渡《わた》り、|二人《ふたり》の|面《かほ》はここに|判然《はんぜん》せり。|見《み》れば、|照彦《てるひこ》は、|俄《にはか》に|容貌《ようばう》|変《かは》り、|珍山彦《うづやまひこ》の|姿《すがた》に|変化《へんげ》し|居《ゐ》たるなり。
|駒山彦《こまやまひこ》『ヤア、|貴様《きさま》は|照彦《てるひこ》と|思《おも》つてゐたら、|何《なん》だ、|蚊々虎《かがとら》の|珍山彦《うづやまひこ》か、あまり|馬鹿《ばか》にするな、|洒落《しやれ》るにも|程《ほど》があるぞ』
|照彦《てるひこ》『【ス】ヽヽ【ス】ツカリ|腰《こし》を|抜《ぬ》かした|駒山彦《こまやまひこ》の|宣伝使《せんでんし》。そんな|腰抜《こしぬけ》の|分際《ぶんざい》で、どうして|道《みち》が|広《ひろ》まるか。どうして|大道《だいだう》が|進《すす》めるか。|雀《【す】ずめ》や|燕《つばめ》の|親方《おやかた》のやうに|口《くち》ばかり|達者《たつしや》でも……』
|駒山彦《こまやまひこ》『スヽヽスリヤ|何《なに》を|言《い》ふのだ。|貴様《きさま》も|何時《いつ》までも、そんな|悪《わる》い|悪戯《いたづら》をせずに、|俺《おれ》に|鎮魂《ちんこん》をして、|脚《あし》を|起《た》たしてくれたら|如何《どう》だ』
『【ス】ヽヽ【ス】ワ|一大事《いちだいじ》と|言《い》ふやうにならねば、|貴様《きさま》の|腰《こし》は|起《た》たぬ。|酸《【す】》いも|甘《あま》いも|皆《みな》|知《し》りぬいた|蚊々虎《かがとら》を、その|方《はう》は|今《いま》まで|何《なん》と|心得《こころえ》て|居《ゐ》たか。|稲《いね》を|作《つく》つて、|米《こめ》を|搗《つ》いて、|飯《めし》を|炊《た》いて、サアお|食《あが》りといふ|様《やう》に、|据《【す】》ゑ|膳《ぜん》を|食《く》つた|苦労《くらう》の|足《た》らぬ|宣伝使《せんでんし》。【ス】ツカリ|曲津《まがつ》に|欺《だま》されて、|隙《【す】き》だらけの|汝《なんぢ》の|身魂《みたま》、|汝《なんぢ》のやうな、|馬鹿《ばか》な|身魂《みたま》は|尠《【す】くな》からう。|少彦名神《【す】くなひこなのかみ》の|在《おは》します|常世《とこよ》の|国《くに》へ、|直《【す】ぐ》に|行《ゆ》かうとはチト|慢心《まんしん》が|過《【す】》ぎる。この|細谷川《ほそたにがは》の|山奥《やまおく》で|難行《なんぎやう》|苦行《くぎやう》の|功《こう》を|積《つ》み、|神《かみ》の|助《たす》けを|蒙《かうむ》つて|身魂《みたま》を|洗《あら》ひ|浄《きよ》め、|少《【す】こ》しも|疵《きず》のない、|日月《じつげつ》のやうな|心《こころ》に|研《みが》き|上《あ》げ、|素盞嗚尊《【す】さのをのみこと》の|雄々《をを》しき|生《うま》れ|変《かは》り、|頭《あたま》の|上《うへ》から|身体《からだ》の|裾《【す】そ》まで、|気《き》をつけて、【ス】タ【ス】タと|山路《やまみち》を|進《【す】す》んで|行《ゆ》くのが|汝《なんぢ》の|天職《てんしよく》。|素直《【す】なほ》な|心《こころ》を|以《もつ》て、|末《【す】ゑ》|永《なが》く|神《かみ》に|仕《つか》へよ。【ス】マから|隅《【す】ま》まで、|澄《【す】》みきる|今宵《こよひ》の|月《つき》の|顔《かほ》、これを|心《こころ》の|鏡《かがみ》とし、|皇大神《【す】めおほかみ》に|仕《つか》へ|奉《たてまつ》れ。|誠《まこと》の|道《みち》を【ス】ラスラと|脚《あし》も|達者《たつしや》に|起《た》ち|上《あが》れ』
『【セ】ヽヽ【セ】ングリ【セ】ングリ、イヤモウ、おむつかしい|御意見《ごいけん》を|承《うけたま》はつて、ウンザリした。|世界《【せ】かい》は|広《ひろ》しと|雖《いへど》も、|心《こころ》は|急《【せ】》き|立《た》てども、|急《【せ】》けば|急《【せ】》くほど|足腰《あしこし》は|起《た》たず、|世間《【せ】けん》の|奴《やつ》にこんな|所《ところ》を|見《み》られたら、|愛想《あいさう》をつかされ、|捨《す》てられて、|宣伝使《【せ】んでんし》の|面目玉《めんぼくだま》は|丸潰《まるつぶ》れだ』
『【ソ】ヽヽ【さ】うだらうさうだらう、【ソ】ワ【ソ】ワしい【そ】の|態《ざま》は|何《なん》だ。【そ】こらに|人《ひと》はないと|申《まを》すが、これだけ|沢山《たくさん》の|神々《かみがみ》が|眼《め》につかぬか。【そ】れほど|外《【そ】と》の|聞《きこ》えが|気《き》にかかるなら、【そ】なたの|心《こころ》を|取《と》り|直《なほ》し、|心《こころ》の|底《【そ】こ》から【そ】の|慢心《まんしん》を|祓《はら》ひ|出《だ》せ。|空《【そ】ら》|行《ゆ》く|雲《くも》も|自由自在《じいうじざい》に|走《はし》るでないか。|其方《【そ】なた》の|脚《あし》は【そ】りや|何《なん》の|醜態《ざま》、【そ】れでもまだ|気《き》が|付《つ》かぬか。もう【そ】ろ【そ】ろと|我《が》を|折《を》つたらどうだ』
『モウ、【ソ】ロ【ソ】ロと|脚《あし》を|起《た》たして|呉《く》れてもよかり【さ】うなものだな』
『【タ】ヽヽヽ【タ】ヽさぬ|起《【た】》たさぬ。|他愛《【た】あい》もないこと、|大変《【た】いへん》に|饒舌《しやべく》る|宣伝使《せんでんし》。|息《いき》も|絶《【た】》え|絶《【だ】》えになるとこまで、イヤサ、この|場《ば》で|倒《【た】ふ》れるとこまで|戒《いまし》めて、|高《【た】か》い|鼻《はな》を|叩《【た】た》き|折《を》つて、|煮《【た】》いて|喰《く》てやらうか。|野山《のやま》の|猛《【た】け》き|獣《けだもの》の|餌食《ゑじき》になるか、|蛸《【た】こ》のやうな|骨《ほね》も|何《なん》にもない【たわけ】|者《もの》、【たたき】にしようか、それが|嫌《いや》なら|直《ただち》に|改心《かいしん》するか。|改心《かいしん》|出来《でき》たら|足《あし》は|起《【た】》つぞよ。|腹《はら》を【た】てな、|腹《はら》を|立《【た】》てると|足《あし》は|立《【た】》つまいぞよ。|譬《【た】と》へて|言《い》へば|高峰《【た】かね》の|花《はな》、|大空《おほぞら》の|月《つき》、|神《かみ》の|誠《まこと》の|奥《おく》は、よほど|改心《かいしん》を|致《いた》さねば、|掴《つか》むことは|出来《でき》ぬぞよ。|何《【な】に》ほど|言《い》うても、|訳《わけ》の|解《わか》らぬ|情《【な】さけ》ない、【な】まくら|身魂《みたま》の|鉛《【な】まり》のやうな|両刃《もろは》の|剣《つるぎ》で|何《【な】に》が|出来《でき》るか。|泣《【な】》いて|暮《くら》すも|一生《いつしやう》なら、|笑《わら》つて|暮《くら》すも|一生《いつしやう》だ。【な】い|袖《そで》は|振《ふ》れぬ、【な】い|智慧《ちゑ》はしぼれまい。ホロが|萎《【な】》えたか、|直霊《なほひ》の【みたま】に|詔《の》り|直《【な】ほ》せ。|中々《【な】かなか》|難《むつ》かしい|神《かみ》の|道《みち》、|気楽《きらく》に|思《おも》うて|居《ゐ》ると、|泣《【な】》き|面《づら》かわくやうなことが|度々《たびたび》あるぞよ。【|罪《つみ》もなく】、【|穢《けがれ》もなく】、【|心《こころ》の|玉《たま》に|曇《くも》りなければ】、【どんな|事《こと》でも|為《な》し|遂《と》げらる】。|誠《まこと》の|固《かた》まつたのは|長《【な】が》う|栄《さか》えるぞよ。|名《【な】》さへ|目出度《めでた》き|高砂《たかさご》の、この|神島《かみじま》に|渡《わた》りながら、|汝《【な】んぢ》の【な】したる|修業《しうげふ》は|蚊々虎《かがとら》の|蚊《か》の|涙《【な】みだ》にも|及《およ》ばぬ、|何《【な】に》を|致《いた》すも|耐《こら》へ|忍《しの》びが|肝腎《かんじん》だ。|鈍刀《なまくらがたな》で|悪魔《あくま》は|斬《き》れぬぞ。|心《こころ》の|波《【な】み》を|静《しづ》かにをさめ、|艱難辛苦《かんなんしんく》を|嘗《【な】》め、|奈落《【な】らく》の|底《そこ》も|恐《おそ》れぬ|魂《たましひ》にならねば、|何事《【な】にごと》も|成《【な】》り|遂《と》げぬぞよ。ものの|成《【な】》るは、|成《【な】》るの|日《ひ》に|成《【な】》るにあらずして、|成《【な】》らぬ|日《ひ》に|成《【な】》るのである。|早《はや》く|神心《かみごころ》に|成《【な】》れ|成《【な】》れ|駒山彦《こまやまひこ》。|惟神《かむながら》の|道《みち》に|倣《【な】ら》うて|此《この》|世《よ》を|渡《わた》れ。【チ】ヽヽ|知慧《【ち】ゑ》や|学《がく》を|頼《たよ》りに|致《いた》すな。|近慾《【ち】かよく》に|迷《まよ》ふな。|直取《【ぢ】きとり》をすな。【ヂ】グ【ヂ】グと|考《かんが》へて|進《すす》め。|道《みち》に|違《【ち】が》うた|事《こと》は|遣《や》り|直《なほ》せ。【|小《ちひ》さい|心《こころ》で|知識《ちしき》を|鼻《はな》にかけ】、【|天狗面《てんぐづら》して|笑《わら》はれな】。【チ】ツトは|物事《ものごと》を|考《かんが》へて|地《【ち】》に|落《お》ちた|人間《にんげん》を|助《たす》け、|千早振《【ち】はやふ》る|神《かみ》の|教《をしへ》を|世《よ》にかがやかせ。|凡《すべ》ての|事《こと》に|心《こころ》を|散《【ち】》らさず、|心《こころ》の|塵《【ち】り》を|吹《ふ》き|払《はら》ひ、|誠《まこと》の|知慧《【ち】ゑ》を|働《はたら》かせ。【ツ】ヽヽ|月《【つ】き》は|山《やま》の|端《は》に|隠《かく》れむとしてゐる。ヤア、|照彦《てるひこ》の|奴《やつこ》さまも|此《この》|場《ば》を|去《さ》らねばなるまい。|駒山彦《こまやまひこ》ツ、これからトツクリと|御修業《ごしうげふ》なさるがよからう。|左様《さやう》なら』
と|言《い》ひつつ|照彦《てるひこ》はツと|起《た》ち|上《あが》り、|悠々《いういう》としてこの|場《ば》を|去《さ》らむとする。
|駒山彦《こまやまひこ》『【マ】ヽヽ|待《【ま】》つて|下《くだ》さい。|折角《せつかく》|月《つき》が|出《で》たと|思《おも》へばこの|細《ほそ》い|谷間《たにま》、【ま】た|月《つき》が|隠《かく》れて|真闇《【ま】つくら》がりになつてしまふ。こんな|所《ところ》に|一人《ひとり》|放置《ほつと》かれては|耐《たま》つたものではない。ヤア|照彦《てるひこ》、お|前《まへ》の|神懸《かむがかり》も、どうやら|鎮《をさ》まつたと|見《み》える。|俺《わし》を|伴《つ》れて|帰《かへ》つてくれないか』
|照彦《てるひこ》『|神《かみ》の|言葉《ことば》に|二言《にごん》はない。|左様《さやう》なら』
と、またもや|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ、|闇《やみ》にまぎれて|何処《どこ》ともなく|立去《たちさ》りにける。
|駒山彦《こまやまひこ》『アヽ、【つ】まらぬ|目《め》に|遇《あ》はしよつた。まるで|狐《きつね》に|抓《【つ】ま》まれたやうな|目《め》に|遇《あ》はしよつて、|二人《ふたり》の|奴《やつ》、|俺《ひと》を|置去《おきざ》りにして|行《ゆ》くとは、アヽ|人間《にんげん》も|当《あて》にならぬものだ。まさかの|時《とき》に|自分《じぶん》の|杖《【つ】ゑ》となり|力《ちから》となり、|何処《どこ》までも|随《【つ】》いて|来《く》るものは|自分《じぶん》の|影法師《かげぼうし》ばつかりだ。その|影法師《かげぼうし》さへも、|闇《やみ》の|夜《よ》には|随《【つ】》いて|来《き》てくれぬ。|斯《か》うなつて|来《く》ると|人間《にんげん》も|詰《【つ】》まらぬものだ。|神《かみ》の|教《をしへ》の|司《【つ】かさ》と|言《い》ひながら、こんな|拙《【つ】た》ない、|辛《【つ】ら》い|事《こと》が|世《よ》にあらうか。|頼《たの》みの|綱《【つ】な》も|断《き》れ|果《は》てて、|終《【つ】ひ》に|会《あ》うた|事《こと》もない、|月《【つ】き》さへ|見《み》えぬ|谷底《たにぞこ》に|突《【つ】》き|落《おと》され、|地《【つ】ち》の|上《うへ》に|坐《すわ》らされて、|罪滅《【つ】みほろぼ》しか|何《なに》か|知《し》らぬが、|蛸《たこ》を|釣《【つ】》られて|居《ゐ》る|苦《くる》しさ。【ツ】ク【ヅ】ク|思《おも》ひ|廻《めぐ》らせば、|日《ひ》に|夜《よ》に|積《【つ】》んだ|罪《【つ】み》の|酬《むく》いか。|露《【つ】ゆ》の|命《いのち》を|存《なが》らへて、|杖《【つ】ゑ》も、|力《ちから》も、|伝手《【つ】て》も、|泣《な》く|泣《な》く|苦《くる》しみ|悶《もだ》える|浅間《あさま》しさ。|信心《しんじん》は|常《【つ】ね》にせよと、|毎日《まいにち》|日日《ひにち》、|詰《【つ】》めかけるやうに|教《をし》へられて、|漸《やうや》く|宣伝使《せんでんし》になるは|成《な》つたものの、|実《じつ》に【つ】れない|浮世《うきよ》だナア。|強《【つ】よ》いことを|言《い》つて|居《を》つても、|斯《か》う|辛《【つ】ら》うては|到底《たうてい》|忍耐《こば》れたものぢやない。アヽ、|行《ゆ》きつきばつたりに|宣伝使《せんでんし》になつたのが、|吾《わが》|身《み》の|病《や》み|月《【つ】き》で|運《うん》の|月《【つ】き》かい。【つ】く【づ】く|思案《しあん》をして|見《み》れば、|月《【つ】き》に|村雲《むらくも》|花《はな》に|風《かぜ》、|尽《【つ】》きぬ|思《おも》ひの|此《この》|谷底《たにぞこ》で、|虎《とら》|狼《おほかみ》の|餌食《ゑじき》になるのであらうか、アーアー』
と|独言《ひとりごと》を|言《い》つて【ほざ】いてゐる。
この|時《とき》|闇中《あんちう》よりまたもや|大声《おほごゑ》が|何処《どこ》ともなく|響《ひび》き|来《きた》る。
|駒山彦《こまやまひこ》は、この|谷間《たにま》に|百日百夜《ひやくにちひやくや》、|跪坐《すわ》らされ、|断食《だんじき》の|行《ぎやう》を|積《つ》み、|日夜《にちや》|神《かみ》の|教訓《けうくん》を|受《う》け、いよいよ|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》となつて、|名《な》を|羽山津見神《はやまづみのかみ》と|改《あらた》め、|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|神業《しんげふ》に|参加《さんか》したり。|而《しか》して|彼《かれ》|照彦《てるひこ》は、|或《あ》る|尊《たふと》き|神《かみ》の|分霊《ぶんれい》にして、|後《のち》には|戸山津見神《とやまづみのかみ》となりたり。
(大正一一・二・一四 旧一・一八 河津雄録)
第一七章 |甦生《かうせい》〔四一〇〕
|駒山彦《こまやまひこ》は|唯《ただ》|一人《ひとり》、|闇《やみ》の|谷間《たにま》に|残《のこ》されて|稍《やや》|決心《けつしん》の|臍《ほぞ》も|固《かた》まり|初《そ》めたり。|暗中《あんちう》に|何神《なにがみ》の|声《こゑ》とも|知《し》らず、|五十音歌《ごじふおんか》|聞《きこ》え|来《きた》る。
『【あ】たまの|上《うへ》から|足《あし》の|裏《うら》  【い】つも|心《こころ》を|配《くば》りつつ
【う】かうか|暮《くら》すな|世《よ》の|人《ひと》よ  【え】い|耀栄華《えうえいぐわ》の|夢《ゆめ》|醒《さ》まし
【お】のおの|業《わざ》を|励《はげ》めよや  【か】みの|恵《めぐ》みは|天地《あめつち》に
【き】らめき|渡《わた》り|澄《す》み|渡《わた》り  【く】まなく|光《ひか》り|照《てら》すなり
【け】しき|賤《いや》しき|曲道《まがみち》に  【こ】ころの|玉《たま》を|穢《けが》すなよ
【さ】ん|五《ご》の|月《つき》の|大神《おほかみ》が  【し】きます|島《しま》の|八十島《やそしま》は
【す】みずみ|迄《まで》も|照《て》り|渡《わた》る  【せ】|界《かい》|一度《いちど》に|開《ひら》くなる
【そ】のの|白梅《しらうめ》|薫《かを》るなり  【た】か|天原《あまはら》に|現《あら》はれて
【ち】|機《はた》|百機《ももはた》|織《お》りなせる  【つ】きの|御神《みかみ》や|棚機《たなばた》の
【て】る|衣《たへ》、|和衣《にぎたへ》、|荒衣《あらたへ》の  【と】ばりを|上《あ》げて|天津神《あまつかみ》
【な】|落《らく》の|底《そこ》まで|救《すく》ふなり  【に】しや|東《ひがし》や|北《きた》|南《みなみ》
【ぬ】ば|玉《たま》の|夜《よ》は|暗《くら》くとも  【ね】|底《そこ》の|国《くに》は|暗《くら》くとも
【の】ぞみは|深《ふか》き|神《かみ》の|道《みち》  【は】な|咲《さ》く|春《はる》の|弥生空《やよひぞら》
【ひ】かり|輝《かがや》く|皇神《すめかみ》の  【ふ】みてし|道《みち》を|漸々《やうやう》と
【へ】に|来《き》し|神《かみ》の|分霊《わけみたま》  【ほ】ろびの|道《みち》を|踏《ふ》み|変《か》へて
【ま】ことの|道《みち》に|進《すす》み|行《ゆ》く  【み】ちは|二条《ふたすぢ》|善《ぜん》と|悪《あく》
【む】かしも|今《いま》も|変《かは》りなき  【め】|出度《でた》き|神《かみ》の|太祝詞《ふとのりと》に
【も】もの|罪咎《つみとが》|消《き》えて|行《ゆ》く  【や】まと|島根《しまね》に|何時《いつ》までも
【い】や|栄《さか》え|行《ゆ》く|桃《もも》の|花《はな》  【ゆ】|津《づ》|玉《たま》|椿《つばき》の|色《いろ》|紅《あか》く
【え】だ|葉《は》も|茂《しげ》り|蔓《はびこ》りて  【よ】を|永久《とこしへ》に|守《まも》るなり
【わ】が|高砂《たかさご》の|神島《かみしま》は  【い】づの|霊《みたま》や|瑞霊《みづみたま》
【う】べなひまして|麗《うるは》しき  |神《かみ》の|依《よ》さしの|宝島《たからじま》
【ゑ】だ|葉《は》も|茂《しげ》る|老松《おいまつ》の  【を】さまる|御代《みよ》ぞ|目出度《めでた》けれ
この|神国《かみくに》に|渡《わた》りきて  |心《こころ》|卑《いや》しき|宣伝使《せんでんし》
|三五教《あななひけう》を|開《ひら》くとは  |愚《おろか》なりける|次第《しだい》ぞや
|愚《おろか》なりける|次第《しだい》ぞや』
|駒山彦《こまやまひこ》はこの|谷間《たにま》に|百日《ひやくにち》の|行《ぎやう》をなし、|心魂《しんこん》|清《きよ》まつて|茲《ここ》に|羽山津見神《はやまづみのかみ》となり、|身体《からだ》も|健《すこやか》に、|声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひつつ、カルの|都《みやこ》をさして|嶮《けは》しき|山《やま》を|越《こ》え|谷《たに》を|渉《わた》り、|暑《あつ》さと|戦《たたか》ひ、|飢《うゑ》を|凌《しの》ぎながら|進《すす》み|行《ゆ》く。
『|智利《てる》の|御国《みくに》の|奥山《おくやま》の  |深《ふか》き|谷間《たにま》につれ|行《ゆ》かれ
|百千万《ももちよろづ》の|苦《くる》しみを  |嘗《な》めさせられて|様々《さまざま》の
|神《かみ》の|戒《いまし》め|言霊《ことたま》の  |教《をしへ》を|聞《き》きて|身《み》は|光《ひか》る
|心《こころ》も|光《ひか》る|智利《てる》の|国《くに》  |身霊《みたま》にかかる|村雲《むらくも》も
|吹《ふ》き|払《はら》はれて|夏《なつ》の|夜《よ》の  |洗《あら》ふが|如《ごと》き|月影《つきかげ》に
|照《て》らされ|進《すす》む|嬉《うれ》しさよ  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |智利《てる》の|深山《みやま》の|山奥《やまおく》の
|深《ふか》き|谷間《たにま》に|洗《あら》ひたる  |吾《わが》|霊魂《たましひ》は|永久《とこしへ》に
|千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|曇《くも》らまじ  |黒雲《くろくも》|四方《よも》に|塞《ふさ》がりて
|世《よ》は|常暗《とこやみ》となるとても  |駒山彦《こまやまひこ》の|真心《まごころ》に
|常久《とは》に|澄《す》みぬる|月影《つきかげ》は  |光《ひか》り|眩《まば》ゆく|惟神《かむながら》
|道《みち》は|三千三百里《さんぜんさんびやくり》  |三五《さんご》の|月《つき》に|照《てら》されて
|心《こころ》は|光《ひか》る|真寸鏡《ますかがみ》  |摂取不捨《せつしゆふしや》の|真心《まごころ》の
|剣《つるぎ》を|右手《めて》に|執《と》り|持《も》ちて  |左手《ゆんで》に|神《かみ》の|太祝詞《ふとのりと》
|宣《の》るも|尊《たふと》き|神《かみ》の|道《みち》  |横《よこ》さの|道《みち》を|歩《あゆ》むなる
|体主霊従《から》の|身魂《みたま》を|言向《ことむ》けて  |常世《とこよ》の|闇《やみ》を|照《て》らしつつ
|心《こころ》も|足《あし》もカルの|国《くに》  |霊魂《みたま》の|光《ひか》る|目《め》の|国《くに》や
ロッキー|山《ざん》を|踏《ふ》み|越《こ》えて  |醜女《しこめ》|探女《さぐめ》の|猛《たけ》ぶなる
|黄泉《よもつ》の|島《しま》に|打《う》ち|渡《わた》り  |神伊邪那岐《かむいざなぎ》の|大神《おほかみ》の
|尊《たふと》き|御業《みわざ》に|仕《つか》ふべし  |奇《く》しき|御業《みわざ》に|仕《つか》ふべし
この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|直日《なほひ》の|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》に  |身魂《みたま》も|清《きよ》く|照《て》り|渡《わた》る
|神《かみ》の|経綸《しぐみ》ぞ|尊《たふと》けれ  |神《かみ》の|御稜威《みいづ》ぞ|尊《たふと》けれ』
と|昼夜《ちうや》の|区別《くべつ》なく、|数多《あまた》の|国人《くにびと》に|神《かみ》の|教《をしへ》を|伝《つた》へつつカルの|国《くに》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・二・一四 旧一・一八 北村隆光録)
第四篇 |千山万水《せんざんばんすゐ》
第一八章 |初陣《うひぢん》〔四一一〕
|珍山彦《うづやまひこ》は|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|三人《さんにん》と|共《とも》に、|草《くさ》の|衾《しとね》に|石枕《いはまくら》、|数《かず》を|重《かさ》ねて|漸々《やうやう》に|智利《てる》の|国《くに》の|南方《なんぱう》ハラの|港《みなと》に|着《つ》きぬ。|夜船《よぶね》は|今《いま》に|出帆《しゆつぱん》せむとする|間際《まぎは》なり。|十三夜《じふさんや》の|月《つき》は、|満天《まんてん》|黒雲《くろくも》に|包《つつ》まれて|光《ひかり》を|隠《かく》し、|一点《いつてん》の|星影《ほしかげ》もなき|真《しん》の|闇《やみ》なり。この|船《ふね》の|名《な》はアタル|丸《まる》といひ、アタルの|港《みなと》より、ハラの|港《みなと》に|数多《あまた》の|果物《くだもの》を|積《つ》み、|人《ひと》を|乗《の》せ|来《きた》り、|今《いま》や|国《くに》に|帰《かへ》らむとする|時《とき》なりき。|船頭《せんどう》は|黒暗《くらやみ》の|中《なか》より、
『いま|船《ふね》が|出《で》ます、|乗《の》る|人《ひと》は|早《はや》く|乗《の》りなさいー』
と、|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|呶鳴《どな》り|立《た》て、|竹筒《たけづつ》を|口《くち》に|当《あ》てなどして、ブーブーと|吹《ふ》き|知《し》らして|居《ゐ》る。|折《をり》からの|南風《なんぷう》に、|船《ふね》の|帆《ほ》は|風《かぜ》を|充分《じゆうぶん》に|孕《はら》んで、|船脚《ふなあし》|早《はや》く|進行《しんかう》し|始《はじ》めたり。
|珍山彦《うづやまひこ》|一行《いつかう》は|船《ふね》の|一隅《いちぐう》に|乗《の》つて|居《ゐ》た。この|時《とき》|船中《せんちう》は|誰彼《たれかれ》の|顔《かほ》さへ|碌《ろく》に|見《み》えない|程《ほど》の|暗《くら》さなり。|船頭《せんどう》は|燈台《とうだい》を|目標《めあて》に、
『|智利《てる》の|御国《みくに》を|船出《ふなで》して  |夜《よる》なき|秘露《ひる》へ|帰《かへ》りゆく
|覆《かへ》るためしも|浪《なみ》の|上《うへ》  |風《かぜ》も【あたる】の|港《みなと》まで』
と|節《ふし》|流暢《なだらか》に|歌《うた》つてゐる。|船中《せんちう》には、あちらこちらと|雑談《ざつだん》|始《はじ》まる。
|熊公《くまこう》『オイ、|虎公《とらこう》、|貴様《きさま》は|何時《いつ》やら|筑紫《つくし》の|国《くに》から|帰《かへ》つて|来《く》る|時《とき》に、|三笠丸《みかさまる》の|船客《せんきやく》から、ドツサリと|酒代《さかて》をボツタクツタでないか。|貴様《きさま》も|悪《わる》い|事《こと》にかけたら|抜目《ぬけめ》のない|奴《やつ》だなア』
|虎公《とらこう》『ここは|人中《ひとなか》だ、|人中《ひとなか》で|恥《はぢ》を|振撒《ふりま》きよるのか。コラ|熊公《くまこう》、|俺《おれ》を|何《なん》だと|心得《こころえ》て|居《を》る、|俺《おれ》はこの|高砂島《たかさごじま》に、|誰《たれ》|知《し》らぬ|者《もの》もない|鬼《おに》の|虎《とら》さまだぞ』
『|人中《ひとなか》でも|船中《せんちう》でも、|夜《よ》の|中《なか》でも|腹《はら》の|中《なか》でも|構《かま》ふものか。|貴様《きさま》は|却々《なかなか》の|悪党《あくたう》だが、しかし|其処《そこ》まで|悪党《あくたう》も|徹底《てつてい》すれば、|却《かへつ》て|偉《えら》いワ』
『|決《きま》つた|事《こと》だい。|弁天《べんてん》さまとも、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまとも、|例《たと》へ|方《がた》ない|立派《りつぱ》な|美人《びじん》が、しかも|三人《さんにん》。そこに|美《うつく》しい|強《つよ》さうな|家来《けらい》が|一人《ひとり》|随《つ》いて|居《を》つた。そこで|亀公《かめこう》の|野郎《やらう》、|業腹《ごふばら》を|煮《に》やし|自暴自棄《やけ》になり、|酒《さけ》をチビチビ|飲《の》み|出《だ》して|種々《いろいろ》な|話《はなし》の|末《すゑ》、|珍《うづ》の|国《くに》の|桃上彦命《ももがみひこのみこと》さまが、|巴留《はる》の|国《くに》で|殺《ころ》された|話《はなし》をやりよつた。さうすると、その|家来《けらい》が|一寸《ちよつと》お|尋《たづ》ね|申《まを》しますとお|出《い》でたのだ。そこでこの|方《はう》が|亀公《かめこう》の|話《はなし》を|横奪《よこど》りして「ヘイ、|何《なん》でございます」とやつた|処《ところ》が、その|男《をとこ》は|何《なん》でも|桃上彦命《ももがみひこのみこと》さまの|家来《けらい》の|端《はし》くれと|見《み》えて、|私《わたくし》は|一寸《ちよつと》|仔細《しさい》があつて、|面会《めんくわい》に|参《まゐ》る|者《もの》と|言《い》ふのだ。サア|占《し》めた、お|出《い》でたなア、と|手《て》ぐすね|引《ひ》いて|待《ま》つて|居《を》ると、|鰯網《いわしあみ》に|鯨《くじら》がかかつたやうに、|虎《とら》さまの|舌《した》の|先《さき》に|乗《の》つて、|見《み》たこともないやうな|立派《りつぱ》な|金《かね》をガチヤガチヤゾロリと|出《だ》しをつた。それで|此奴《こいつ》|却々《なかなか》|持《も》つて|居《を》るワイ、|一遍《いつぺん》に|言《い》つて|了《しま》つたら|物《もの》に|成《な》らぬ、またお|代《かは》りをと|云《い》ふ|調子《てうし》で、いい|加減《かげん》に|言《い》つて|居《を》ると、お|前《まへ》の|言《い》ふ|事《こと》は|判《わか》りにくい、もちと|確《しつ》かりハツキリと|言《い》つて|呉《く》れと|言《い》ふのだ。そこでこの|虎《とら》さまは、|地獄《ぢごく》の|沙汰《さた》も|金《かね》|次第《しだい》だとかましたところ、|何《なん》にも|知《し》らぬ|都人《みやこびと》の|青首《あをくび》が「うん、さうか、|酒代《さかて》が|欲《ほ》しいのか、うるさい|奴《やつ》だなア」と|莞爾《につこ》と|笑《わら》つて、またドスンと|重《おも》たい|程《ほど》|呉《く》れよつたのだ。あんなぼろい|事《こと》は|滅多《めつた》にありやせぬ。|誰《たれ》か、またあんな|話《はなし》をやつて|呉《く》れないかなア』
『オイ、|虎公《とらこう》、|柳《やなぎ》の|下《した》に|何遍《なんべん》も|鰌《どぜう》は|居《を》らぬよ。お|前《まへ》のやうな、|慾《よく》の|熊鷹《くまたか》には|同情《どうじやう》は|出来《でき》ない』
|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|三人《さんにん》の|娘《むすめ》は|側《かたはら》にあつて、|熊《くま》と|虎《とら》との|対話《たいわ》に|耳《みみ》を|傾《かたむ》け|聴《き》いてゐる。
|珍山彦《うづやまひこ》は|小声《こごゑ》で、
『|松代姫《まつよひめ》|様《さま》、|妙《めう》な|話《はなし》をやつてますなア。|蛙《かへる》は|口《くち》からとやら、|現在《げんざい》あなた|方《がた》の|乗《の》つて|居《ゐ》らつしやるのも|知《し》らずに、|自分《じぶん》の|悪事《あくじ》を|手柄《てがら》さうに|囀《さへづ》つて|居《ゐ》る|妙《めう》な|奴《やつ》もあるものだ。|一《ひと》つあの|男《をとこ》を|帰順《きじゆん》させたら|何《ど》うでせうか。|悪《あく》に|強《つよ》い|奴《やつ》は、また|善《ぜん》にも|強《つよ》いものですよ』
『さうでせうかなア。あんな|人《ひと》でも|改心《かいしん》するでせうか』
『あなたも|宣伝使《せんでんし》の|初陣《うひぢん》だ。あの|男《をとこ》を|改心《かいしん》さす|事《こと》が|出来《でき》ぬやうでは、|到底《たうてい》|宣伝使《せんでんし》は|勤《つと》まりませぬなア』
『アヽ、|一《ひと》つそれではやつて|見《み》ませう』
|松代姫《まつよひめ》は|立《た》つて|声《こゑ》しとやかに|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》むる。
『|神《かみ》の|造《つく》りし|神《かみ》の|国《くに》  |神《かみ》の|御魂《みたま》に|生《あ》れませる
|神《かみ》にひとしき|人《ひと》の|身《み》は  いかで|心《こころ》の|曲《まが》るべき
いかで|心《こころ》の|曇《くも》るべき  |心《こころ》の|空《そら》に|月《つき》は|照《て》る
|心《こころ》の|海《うみ》に|天津日《あまつひ》の  |輝《かがや》き|渡《わた》る|人《ひと》の|身《み》は
|善《よ》きも|悪《あ》しきも|押《お》しなべて  |神《かみ》の|恵《めぐみ》をうくるなり
|禍《わざはひ》|多《おほ》き|世《よ》の|中《なか》に  |父《ちち》には|離《はな》れ|垂乳根《たらちね》の
|母《はは》にはこの|世《よ》を|先立《さきだ》たれ  |憂《うれ》ひに|悩《なや》む|雛鳥《ひなどり》の
|心《こころ》|悲《かな》しき|波《なみ》の|上《うへ》  |恵《めぐ》みも|高《たか》き|高砂《たかさご》の
|珍《うづ》の|御国《みくに》に|現《あ》れませる  |恋《こひ》しき|父《ちち》に|会《あ》はむとて
|心《こころ》も|清《きよ》き|照彦《てるひこ》の  |従僕《しもべ》の|司《つかさ》ともろともに
|花《はな》|咲《さ》き|匂《にほ》ふ【はる】の|空《そら》  |恋《こひ》しき|都《みやこ》を|後《あと》にして
|歩《あゆ》みも|馴《な》れぬ|山坂《やまさか》を  |草《くさ》の|衾《しとね》や|石枕《いはまくら》
|恵《めぐ》みの|露《つゆ》に|潤《うるほ》ひつ  |心《こころ》【つくし】の|国《くに》を|経《へ》て
|神《かみ》の|力《ちから》に【よる】の|市《まち》  【よる】の|港《みなと》を|船出《ふなで》して
|恋《こひ》しき|父《ちち》を【みかさ】|丸《まる》  |波風《なみかぜ》|荒《あら》き|海原《うなばら》を
|渡《わた》るも|淋《さぴ》しき|手弱女《たをやめ》の  |心《こころ》の|中《なか》にたつ|雲《くも》の
|黒白《あやめ》も|判《わ》かぬ|真《しん》の|闇《やみ》  |闇《やみ》より|出《い》でて|闇《やみ》に|入《い》る
|日数《ひかず》|重《かさ》ねてやうやうに  |月日《つきひ》も【てる】の|港《みなと》まで
|来《き》たる|折《をり》しも|何人《なんびと》か  |恋《こひ》ひしき|父《ちち》の|物語《ものがたり》
|桃上彦《ももがみひこ》の|垂乳根《たらちね》は  |遠《とほ》き|御国《みくに》へ|出《い》でますと
|聞《き》きたる|時《とき》の|吾《わが》|胸《むね》の  |悲《かな》しさ|辛《つら》さ|如何《いか》ばかり
|量《はか》り|知《し》られぬ|滝津瀬《たきつせ》の  |涙《なみだ》に|咽《むせ》ぶ|折《をり》からに
この|世《よ》に|鬼《おに》はなきものか  |木《こ》の|花姫《はなひめ》の【みかへる】の
|神《かみ》と|現《あ》れます|大蛇彦《をろちひこ》  その|温《あたた》かき|言《こと》の|葉《は》に
|憂《うれ》ひの|雲《くも》も|晴《は》れ|渡《わた》り  |波《なみ》を|押分《おしわ》け|昇《のぼ》る|日《ひ》の
|光《ひか》る|心《こころ》の|嬉《うれ》しさよ  |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る  この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》  ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ  |身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》せ
|吾《わが》|身《み》の|仇《あだ》は|赦《ゆる》せかし  |人《ひと》を|恕《ゆる》すは|烏羽玉《うばたま》の
|闇《やみ》に|彷徨《さまよ》ふ|身《み》の|罪《つみ》を  |祓《はら》ひ|清《きよ》むるものぞかしと
|教《をし》へ|導《みちび》く|神《かみ》の|道《みち》  |神《かみ》と|君《きみ》とに【あななひ】の
|道《みち》を|教《をし》ふる|麻柱教《あななひけう》  |教《をしへ》の|船《ふね》に|乗《の》せられて
|暗《くら》き|闇世《やみよ》も【てる】の|国《くに》  |光《ひか》り|輝《かがや》く【ひる】の|国《くに》
|朝日《あさひ》【あたる】の|港《みなと》まで  |進《すす》み|行《ゆ》くこそ|楽《たの》しけれ
あゝ|虎公《とらこう》よ|虎公《とらこう》よ  われは|御教《みのり》の|宣伝使《せんでんし》
|奪《と》られた|金《かね》は|惜《を》しくない  ただ|惜《を》しむべきものがある
|神《かみ》に|貰《もら》うた|虎公《とらこう》の  |清《きよ》き|身魂《みたま》を|枉津見《まがつみ》の
|神《かみ》に|心《こころ》を|曇《くも》らされ  |吾《わが》|身《み》を|守《まも》る|魂《たましひ》を
|奪《と》られ|給《たま》ひし|事《こと》ぞかし  |奪《と》られた|魂《たま》は|是非《ぜひ》なしと
|思《おも》ふことなく|今《いま》よりは  |霊《たま》の|真柱《みはしら》|立《た》て|直《なほ》し
|下津磐根《したついはね》に|千木《ちぎ》|高《たか》く  |言霊柱《ことたまばしら》|建《た》てかけて
|天津御神《あまつみかみ》の|賜《たま》ひてし  |心《こころ》の|玉《たま》をとり|返《かへ》せ
|心《こころ》の|玉《たま》をとり|返《かへ》せ  |返《かへ》す|返《がへ》すも|悲《かな》しきは
|魂《たま》を|抜《ぬ》かれし|虎公《とらこう》の  おん|身《み》の|上《うへ》ぞ|行《ゆ》く|末《すゑ》ぞ
あゝ|虎公《とらこう》よ、とら|公《こう》よ  |一日《ひとひ》も|早《はや》く|片時《かたとき》も
|誠《まこと》の|道《みち》にのりなほせ  |神《かみ》の|産《う》みてし|人《ひと》の|身《み》は
|神《かみ》にひとしき|者《もの》ぞかし  |神《かみ》にひとしき|者《もの》ぞかし
|神《かみ》の|身魂《みたま》と|現《あら》はれて  |善《よ》しと|悪《あ》しとを|省《かへり》みよ
ただ|今《いま》までの|曲業《まがわざ》を  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|宣《の》り|直《なほ》せ
|直日《なほひ》の|神《かみ》の|分霊《わけみたま》  わけて|尊《たふと》き|神《かみ》の|子《こ》よ
|誉《ほ》めよ|称《たた》へよ|神《かみ》の|恩《おん》  |魂《たま》を|洗《あら》へよ|神《かみ》の|前《まへ》
|暗《やみ》を|馳《は》せ|行《ゆ》くこの|船《ふね》よ  |神《かみ》の|身魂《みたま》の|照《て》り|渡《わた》る
【てる】の|港《みなと》を|後《あと》にして  |大御恵《おほみめぐ》みも|弥《いや》|深《ふか》き
|青海原《あをうなばら》を|渡《わた》りつつ  【よる】なき【ひる】の|神《かみ》の|国《くに》
【あたる】の|港《みなと》に|進《すす》むごと  いと|速《すみや》かに|速《すみや》かに
|心《こころ》の|塵《ちり》を|払《はら》ふべし  |心《こころ》の|玉《たま》を|洗《あら》ふべし』
|船中《せんちう》の|人々《ひとびと》は、この|声《こゑ》に|耳《みみ》を|澄《す》ませ、|首《くび》を|傾《かたむ》けて|静《しづ》かに|聞《き》き|入《い》る。|暗《くら》き|船《ふね》の|中《なか》にはこの|歌《うた》を|聞《き》いて、|何《いづ》れも|感歎《かんたん》する|声《こゑ》|頻《しき》りに|起《おこ》れり。|虎公《とらこう》は|以前《いぜん》の|元気《げんき》にも|似《に》ず、|大声《おほごゑ》をあげて|泣《な》き|叫《さけ》び|伏《ふ》しぬ。アタル|丸《まる》は|燈台《とうだい》を|目標《めあて》に、|暗《やみ》を|破《やぶ》りて|荒浪《あらなみ》を|切《き》りながら、チヨクチヨクと|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・二・一四 旧一・一八 東尾吉雄録)
第一九章 |悔悟《くわいご》の|涙《なみだ》〔四一二〕
|今《いま》まで|黒雲《くろくも》に|包《つつ》まれたる|大空《おほぞら》は、|所々《ところどころ》|綻《ほころ》びを|見《み》せて|天書《てんしよ》(|星《ほし》)の|光《ひか》り|瞬《またた》き|始《はじ》め、|十三夜《じふさんや》の|月《つき》は|漸《やうや》く|東天《とうてん》に|姿《すがた》を|現《あら》はし|給《たま》ひ、|皎々《かうかう》たる|光《ひか》りに|照《てら》されてアタル|丸《まる》の|船中《せんちう》は|昼《ひる》の|如《ごと》く、|誰彼《たれかれ》の|顔《かほ》も|明瞭《めいれう》に|見《み》え|来《きた》る。|珍山彦《うづやまひこ》は|虎公《とらこう》の|話相手《はなしあひて》なる|熊公《くまこう》に|向《むか》つて|霊《れい》をかけたれば、|熊公《くまこう》は|忽《たちま》ち|身体《しんたい》|震動《しんどう》して、ここに|神懸《かむがかり》|状態《じやうたい》となり|口《くち》を|切《き》つて、
『|此《この》|方《はう》は|大蛇彦命《をろちひこのみこと》である。いま|虎公《とらこう》に|申《まをし》|渡《わた》すべき|事《こと》あれば、|耳《みみ》を|澄《す》まして|確《しか》と|聴《き》け』
と|雷《らい》の|如《ごと》くに|呶鳴《どな》りつける。|船客《せんきやく》|一同《いちどう》は|熊公《くまこう》に|向《むか》つて|視線《しせん》を|集注《しふちう》し、|如何《いかが》なり|行《ゆ》くならむと|片唾《かたづ》を|呑《の》んで|凝視《みまも》つてゐる。
『|悪《あく》の|企《たく》みの|現《あら》はれ|時《どき》、|何時《いつ》までも|悪《あく》は|続《つづ》かぬぞよ。|動《うご》きのとれぬ|汝《なんぢ》の|自白《じはく》、|閻魔《えんま》の|調《しら》べは|目《ま》のあたり、|大蛇彦《をろちひこ》が|今《いま》|言《い》ひ|聞《き》かす、|神《かみ》の|教《をしへ》を【しつかり】|聴《き》け。|木《き》に|餅《もち》のなる|様《やう》な、うまい|事《こと》ばかり|考《かんが》へて|苦労《くらう》もせずに、|他人《たにん》の|苦労《くらう》の|宝《たから》を|奪《うば》ひ、|誇《ほこ》り|顔《がほ》に|述《の》べ|立《た》てる|怪《け》しき|卑《いや》しき|汝《なんぢ》が|魂《たましひ》、|心《こころ》の|鬼《おに》の|囁《ささや》きを|吾《われ》と|吾《わが》|手《て》に|白状《はくじやう》せしは|天《てん》の|許《ゆる》さぬ|所《ところ》、|審神者《さには》の|眼《まなこ》に|睨《にら》まれて、その|本人《ほんにん》がこの|船《ふね》に|居《ゐ》るともシヽヽヽ|知《し》らず|知《し》らずに|口挙《くちあ》げ|致《いた》した。|悪《あく》は|永《なが》うは|続《つづ》きはせぬぞ。|速《すみや》かに|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い、|澄《す》み|渡《わた》る|大空《おほぞら》の|月《つき》の|如《ごと》くに|心《こころ》を|洗《あら》へ。|世界《せかい》|広《ひろ》しと|雖《いへど》も|其方《そなた》のやうな|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|痴漢《しれもの》は|少《すく》ない。|誰《たれ》に|依《よ》らぬ、|皆《みな》|心得《こころえ》たがよい。|些《ちつと》の|悪《あく》でも|積《つ》み|重《かさ》ぬれば|根底《ねそこ》の|国《くに》に|行《い》かねばならぬ。|強《つよ》さうな|事《こと》を|言《い》つても、|人間《にんげん》の|分際《ぶんざい》として|木《こ》の|葉《は》|一枚《いちまい》|自由《じいう》にならぬ、|障子《しやうじ》|一枚《いちまい》|先《さき》の|見《み》えぬ|人間《にんげん》、|天地《てんち》の|神《かみ》を|畏《おそ》れよ。|虎公《とらこう》ばかりでないぞ、|長《なが》い|間《あひだ》に|重《かさ》ねた|罪《つみ》はわが|身《み》を|亡《ほろ》ぼす|剣《つるぎ》の|山《やま》だ。|憎《にく》まれ|子《ご》|世《よ》に|覇張《はば》る、|西《にし》も|東《ひがし》も|弁《わきま》へずに、|吾《われ》さへよけりやよいと|申《まを》して、|人《ひと》の|目《め》を【ぬすみ】、|宝《たから》を|盗《ぬす》み|取《と》り、|悪《あく》の|身魂《みたま》に|狙《ねら》はれて|根底《ねそこ》の|国《くに》に|連《つ》れ|行《ゆ》かれ、|喉《のど》から|血《ち》を|吐《は》く|憂《う》き|目《め》に|遇《あ》うて|恥《はぢ》を|曝《さら》し、|果敢《はか》なき|運命《うんめい》に|陥《おちい》るやうな|僻事《ひがごと》を|改《あらた》めよ。|日《ひ》に|夜《よ》に|行《おこな》ひを|改《あらた》めて|心《こころ》の|雲《くも》を|科戸《しなど》の|風《かぜ》に|吹《ふ》き|払《はら》へ。|悪《あく》は|一旦《いつたん》|栄《さか》えても|永《なが》うは|続《つづ》かぬ、|滅《ほろび》の|種子《たね》だ。この|世《よ》に|悪《あく》を|為《な》すほど|下手《へた》な|事《こと》はない。|生《い》きても|死《し》んでもこの|世《よ》の|中《なか》は|神《かみ》のまま、|長《なが》い|月日《つきひ》に|短《みじか》い|生命《いのち》、|太《ふと》う|短《みじか》う|暮《くら》すが|得《とく》だと|日夜《にちや》|吐《ほざ》いた|虎公《とらこう》のその|吠《ほ》え|面《づら》は|何《なん》の【ざま】、|誠《まこと》の|道《みち》を|踏《ふ》み|外《はづ》し、|身慾《みよく》に|迷《まよ》うて|無理難題《むりなんだい》を|人《ひと》に|吹《ふ》きかけ、|誠《まこと》の|人《ひと》を|誑《たぶら》かし【むしり】|取《と》つたるその|金子《かね》は、|大蛇《をろち》となつて|火焔《くわえん》を|吐《は》き、|冥途《めいど》へ|送《おく》る|火《ひ》の|車《くるま》だ。|大勢《おほぜい》の|中《なか》で|面目玉《めんぼくだま》を|潰《つぶ》されてもがき|苦《くる》しむのも|自業自得《じごうじとく》だ。|八十《やそ》の|曲津《まがつ》よ、|僻《ひが》み|根性《こんじやう》の|虎公《とらこう》よ。|夢《ゆめ》にも|知《し》らぬ|三人《さんにん》の|娘《むすめ》の|前《まへ》で、|偉《えら》さうに|吾《わが》|身《み》の|悪《あく》を【べら】べらと、ようも|喋《しやべ》り|居《を》つたな。|羅刹《らせつ》のやうな|心《こころ》を|以《もつ》て|利慾《りよく》の|山《やま》に|駆《か》け|登《のぼ》り、|人《ひと》を|悩《なや》ます|悪魔《あくま》の|容器《いれもの》、わが|身《み》の|仇《あだ》とは|知《し》らずして、|慾《よく》に|呆《とぼ》けて|何《なん》の【ざま】。いよいよ|改心《かいしん》いたせばよし、|改心《かいしん》いたして|生《うま》れ|赤子《あかご》の|心《こころ》になり、|今《いま》までの【ゑぐ】たらしい|心《こころ》を|立替《たてか》へよ。|鬼《おに》も|大蛇《をろち》も|追《お》ひ|出《だ》せよ。|虎公《とらこう》、|今《いま》が|改心《かいしん》のよい【しどき】だ。|天国《てんごく》に|救《すく》はれるか、|地獄《ぢごく》に|墜《お》ちて|無限《むげん》の|苦《くる》しみを|嘗《な》めるか、|神《かみ》になるか、|悪魔《あくま》になるか、|二《ふた》つに|一《ひと》つの|境《さかひ》の|場所《ばしよ》だ。ヤア|船中《せんちう》の|人々《ひとびと》よ。|必《かなら》ず|虎公《とらこう》のこととのみ|思《おも》はれな。【めいめい】|罪《つみ》の|大小《だいせう》|軽重《けいぢう》こそあれ、|九分《くぶ》までは|皆《みな》|悪魔《あくま》の|容器《いれもの》だ、|罪《つみ》の|塊《かたまり》だ。|大蛇彦命《をろちひこのみこと》が|一同《いちどう》に|気《き》をつけるぞよ。|今《いま》は|余《よ》が|懸《かか》つてゐる|熊公《くまこう》とても|同《おな》じことだ』
と|言葉《ことば》|終《をは》つて|神懸《かむがか》りは|元《もと》に|復《ふく》したり。
|虎公《とらこう》は|船底《ふなぞこ》に|畏縮《ゐしゆく》して|涙《なみだ》に|暮《く》れながら、この|教訓《けうくん》を|胸《むね》に|鎹《かすがひ》|打《う》たるるが|如《ごと》く、|呑剣断腸《どんけんだんちやう》の|念《おもひ》に|苦《くる》しみ、|身《み》の|置《お》き|処《どころ》もなく|煩悶《はんもん》の|結果《けつくわ》、|月《つき》|照《て》り|渡《わた》る|海原《うなばら》に|向《むか》つてザンブとばかり|身《み》を|投《な》げたり。|船客《せんきやく》|一同《いちどう》は、アレヨアレヨと|総立《そうだち》ちになり、
『|誰《たれ》か|救《たす》けてやるものはないか』
と|口々《くちぐち》に|叫《さけ》び|合《あ》ふにぞ、|熊公《くまこう》は|堪《たま》り|兼《か》ね、|忽《たちま》ち|真裸体《まつぱだか》となり、|又《また》もや|海中《かいちう》に|飛沫《ひまつ》を|立《た》ててザンブとばかり|飛《と》び|込《こ》みぬ。|船客《せんきやく》は|総立《そうだ》ちとなつて|立上《たちあが》り、|海面《かいめん》に|目《め》をさらしてゐる。|船《ふね》は|容赦《ようしや》もなく|風《かぜ》を|孕《はら》んで|北《きた》へ|北《きた》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。
アヽこの|二人《ふたり》の|運命《うんめい》は|如何《いかが》なりしぞ、|心許《こころもと》なき|次第《しだい》なり。
(大正一一・二・一五 旧一・一九 外山豊二録)
第二〇章 |心《こころ》の|鏡《かがみ》〔四一三〕
|六月《ろくぐわつ》|十三夜《じふさんや》の|皎々《かうかう》たる|月光《げつくわう》に|照《てら》されて、|三人《さんにん》の|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|娘《むすめ》、|顔《かほ》の|皮膚《ひふ》|滑《なめ》らかに|潤《うるほ》ひのある|眦《まなじり》、|柳《やなぎ》の|眉《まゆ》、|紅《くれなゐ》の|頬《ほほ》、|雪《ゆき》の|肌《はだ》、|殊更《ことさら》|目立《めだ》ちて|麗《うるは》しく、|三五《さんご》の|明月《めいげつ》か、|冬《ふゆ》の|夜《よ》の|月《つき》を|宿《やど》した|積雪《せきせつ》か、|桃《もも》か|桜《さくら》か|白梅《しらうめ》か、|丹頂《たんちやう》の|鶴《つる》の|掃溜《はきだめ》に|下《お》りて|遊《あそ》ぶが|如《ごと》き、|得《え》も|言《い》はれぬ|崇高《すうかう》な|面容《おももち》である。|三柱《みはしら》の|女神《めがみ》は|舷頭《げんとう》に|立《た》ち、|海面《かいめん》に|向《むか》つて|拍手《はくしゆ》しながら|声《こゑ》しとやかに|歌《うた》ふ。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》ける
この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》せ  この|世《よ》を|造《つく》りし|皇神《すめかみ》の
|厳《いづ》の|御息《みいき》に|生《うま》れたる  |青人草《あをひとぐさ》は|神々《かみがみ》の
|鎮《しづ》まりいます|生宮《いきみや》ぞ  |人《ひと》の|霊魂《みたま》は|初《はじ》めより
|曇《くも》り|穢《けが》れしものならず  |清《きよ》き|尊《たふと》き|天地《あめつち》の
|御息《みいき》を|受《う》けて|神《かみ》の|子《こ》と  |生《うま》れ|出《い》でにしものなれば
いとも|広《ひろ》けき|御心《みこころ》に  |万《よろづ》の|罪《つみ》を|宣《の》り|直《なほ》し
|助《たす》け|給《たま》へや|天津神《あまつかみ》  |国津御神《くにつみかみ》や|百《もも》の|神《かみ》
|琴平別《ことひらわけ》の|大神《おほかみ》よ  |海《うみ》より|深《ふか》き|罪咎《つみとが》を
|赦《ゆる》して|神《かみ》の|船《ふね》に|乗《の》せ  |花《はな》|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|高砂《たかさご》の
|島根《しまね》に|救《すく》ひ|給《たま》へかし  |心《こころ》の|浪《なみ》も|治《をさ》まりて
|罪《つみ》を|悔《く》いたる|虎公《とらこう》の  |心《こころ》の|空《そら》は|真寸鏡《ますかがみ》
|光《ひか》りも|清《きよ》き|月照彦《つきてるひこ》の  |神《かみ》の|心《こころ》に|見直《みなほ》して
|身魂《みたま》を|救《すく》へ|照彦《てるひこ》の  |清《きよ》き|身魂《みたま》に|立《た》て|直《なほ》し
|海《うみ》に|落《お》ちたる|熊《くま》、|虎《とら》の  |二人《ふたり》の|御子《みこ》を|救《すく》ひませ
|二人《ふたり》の|御子《みこ》を|救《すく》ひませ  |三五教《あななひけう》は|現世《うつしよ》の
|穢《けが》れを|清《きよ》め|人草《ひとぐさ》の  |悩《なや》みを|救《すく》ふ|神《かみ》の|道《みち》
|鳥《とり》|獣《けだもの》はまだ|愚《おろか》  |虫族《むしけら》までも|御恵《みめぐ》みの
|教《をしへ》の|露《つゆ》に|霑《うるほ》ひて  |天地《あめつち》|四方《よも》の|海原《うなばら》も
|清《きよ》めて|澄《す》ます|神心《かみごころ》  |大御心《おほみこころ》の|幸《さち》はひに
|助《たす》け|給《たま》はれ|貴《うづ》の|御子《みこ》  |憂瀬《うきせ》に|沈《しづ》む|人々《ひとびと》の
|身体《からだ》の|穢《けが》れと|村肝《むらきも》の  |心《こころ》の|塵《ちり》を|吹《ふ》き|払《はら》ひ
|朝日《あさひ》も|清《きよ》くテルの|国《くに》  |夜《よる》なきヒルの|国原《くにはら》に
|月日《つきひ》の|光《ひかり》|隅《くま》もなく  アタルの|港《みなと》へ|救《すく》ひませ
アタルの|港《みなと》へ|救《すく》ひませ』
と|歌《うた》ひ|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|再《ふたた》びもとの|座《ざ》に|帰《かへ》りぬ。|船中《せんちう》にはヒソビソと|雑談《ざつだん》がまた|始《はじ》まる。
|甲《かふ》『|今《いま》の|神懸《かむがか》りや|歌《うた》の|心《こころ》を|何《なん》と|思《おも》ふか。|実《じつ》に|恐《おそ》ろしいやうな、|有難《ありがた》いやうな、|結構《けつこう》なことだのう。|俺《おれ》はモウあの|神懸《かむがか》りの|言葉《ことば》を|聞《き》いて、|一《ひと》つ|一《ひと》つ|身《み》にこたへて、|自分《じぶん》が|叱《しか》られた|様《やう》な|気《き》がしたよ』
|乙《おつ》『さうだな、|俺《おい》らも|同《おな》じ|事《こと》だ。|虎公《とらこう》とか|言《い》ふ|悪人《あくにん》ばかりぢやない。|胸《むね》に|手《て》を|置《お》いて|考《かんが》へて|見《み》ると、|吾々《われわれ》の|腹《はら》の|中《なか》にも|悪《わる》い|奴《やつ》が|居《を》つて、|暗々裡《あんあんり》に|罪《つみ》の|方《はう》へ|罪《つみ》の|方《はう》へと|引張《ひつぱ》つて|行《ゆ》かるる|様《やう》な|気《き》がしてならぬワ』
|丙《へい》『ヤ、|誰《たれ》しも|蓋《ふた》をあけたら【チヨボ】チヨボだよ。|虎公《とらこう》のやうに|露骨《ろこつ》に|悪《あく》をやるか、やらぬかだけのものだ。|善人《ぜんにん》らしい|蚤《のみ》|一《ひと》つ|殺《ころ》さぬやうな|優《やさ》しい|顔《かほ》した|奴《やつ》の|中《なか》に|却《かへつ》て|悪《わる》い|奴《やつ》があるものだ。|人間《にんげん》から|悪人《あくにん》ぢや|悪人《あくにん》ぢやと|嫌《きら》はれる|者《もの》に|却《かへつ》て|善人《ぜんにん》があつたり、|聖人君子《せいじんくんし》を|気取《きど》つて、|世《よ》の|中《なか》の|人《ひと》に|賢人《けんじん》ぢや、|善人《ぜんにん》ぢやと|持《も》て|囃《はや》される|人間《にんげん》の|中《なか》に|却《かへつ》て|悪人《あくにん》があるものだ。|悪魔《あくま》と|言《い》ふものは|善人《ぜんにん》の|身体《からだ》を|容器《いれもの》にして|化《ば》けて|悪《わる》い|事《こと》をやるものだよ。|之《これ》だけ|悪《あく》の|九分九厘《くぶくりん》まで|栄《さか》えた|世《よ》の|中《なか》の|人間《にんげん》に|褒《ほ》めらるる|者《もの》はきつと|悪人《あくにん》だ。|彼奴《あいつ》は|悪《わる》い|奴《やつ》だと|世《よ》の|中《なか》から|攻撃《こうげき》される|人間《にんげん》に|真実《ほんたう》の|善人《ぜんにん》があるものだ。あの|虎公《とらこう》と|言《い》ふ|奴《やつ》は|随分《ずゐぶん》|名高《なだか》い|悪人《あくにん》だが、|真実《ほんたう》の|彼奴《あいつ》の|性来《しやうらい》は|善人《ぜんにん》だと|見《み》えて、|悔悟《くわいご》の|念《ねん》に|堪《た》へ|兼《か》ね、|大切《たいせつ》の|生命《いのち》を|捨《す》てたぢやないか。|人間《にんげん》は|矢張《やつぱ》り|神《かみ》の|子《こ》だ、「|鳥《とり》の|将《まさ》に|死《し》なむとするやその|声《こゑ》|悲《かな》し。|人《ひと》の|将《まさ》に|死《し》なむとするやその|言《げん》|良《よ》し」と|言《い》ふ。|吾々《われわれ》も|一時《いちじ》も|早《はや》く|心《こころ》の|雲《くも》を|取《と》り|払《はら》つて、|今夜《こんや》の|月《つき》の|様《やう》な|美《うつく》しい|心《こころ》になつて|世《よ》の|中《なか》を|渡《わた》りたいものだなア』
|丁《てい》『|然《しか》し、この|頃《ごろ》は|妙《めう》な|事《こと》があるぢやないか、アリナの|滝《たき》の|水上《みなかみ》に|大《おほ》きな|巌窟《いはや》があつて、そこには|鏡《かがみ》の|池《いけ》とやら|言《い》ふ|不思議《ふしぎ》な|池《いけ》が|出来《でき》たと|言《い》ふ|事《こと》だ。|其処《そこ》へ|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|狭依彦《さよりひこ》とか|言《い》ふ|妙《めう》な|面《つら》した|男《をとこ》がやつて|来《き》て、|数多《あまた》の|人間《にんげん》に|洗礼《せんれい》を|施《ほどこ》してゐるさうなが、そこで|洗礼《せんれい》を|受《う》けた|者《もの》は、みな|立派《りつぱ》な|人間《にんげん》になつて|悪《わる》い|事《こと》もせず、|喧嘩《けんくわ》もなし、|盗人《ぬすびと》も|這入《はい》らず、|戸締《とじま》りもせずとも|夜《よる》は|安楽《あんらく》に|眠《ねむ》れるやうになつたと|言《い》ふ|事《こと》だよ。|吾々《われわれ》も|一度《いちど》|洗礼《せんれい》を|受《う》けたいと|思《おも》つて|居《を》るのだ。さうした|処《ところ》が|今度《こんど》、またヒルの|国《くに》の|玉川《たまがは》の|滝《たき》に|偉《えら》い|宣伝使《せんでんし》が|現《あら》はれたと|言《い》ふ|事《こと》だよ。その|滝《たき》にも|滝《たき》の|傍《かたはら》に|妙《めう》な|洞穴《ほらあな》があつて、|神様《かみさま》が【もの】を|言《い》つて|何《なに》かの|事《こと》を|聞《き》かして|下《くだ》さるさうだ。|俺《わし》はそこへ|一遍《いつぺん》|参《まゐ》らうと|思《おも》つて|来《き》たのだが、お|前《まへ》らも|何《なん》なら|一緒《いつしよ》に|行《ゆ》かうではないか』
|甲《かふ》『さうか、そんな|事《こと》があるのか。|実《じつ》は|吾々《われわれ》は、その|狭依彦《さよりひこ》と|言《い》ふ|宣伝使《せんでんし》に|洗礼《せんれい》を|受《う》けたのだ。|今《いま》までは|随分《ずゐぶん》|大酒《おほざけ》も|飲《の》み|喧嘩《けんくわ》もし、|人《ひと》を|泣《な》かした|事《こと》も|沢山《たくさん》あつたが、あの|鏡《かがみ》の|池《いけ》の|中《なか》から|妙《めう》な|神《かみ》さまの|声《こゑ》が|聞《きこ》えて、|吾々《われわれ》の|今《いま》までやつて|来《き》た|事《こと》を|素破《すつぱ》|抜《ぬ》かれた|時《とき》の|恐《おそ》ろしさと|言《い》つたら、|思《おも》ひ|出《だ》しても|身《み》の|毛《け》がよだつやうだ。それから|宣伝使《せんでんし》の|洗礼《せんれい》を|受《う》けて|家内中《かないぢう》|睦《むつま》じう|暮《くら》し、|村《むら》の|人《ひと》からも|今《いま》は|重宝《ちようほう》がられる|様《やう》になつたのも、|全《まつた》く|神様《かみさま》の|御蔭《おかげ》だよ』
|乙《おつ》『それは|結構《けつこう》だが、あの|虎公《とらこう》は|如何《どう》なつたであらうか。|今《いま》|三人《さんにん》の|綺麗《きれい》な|宣伝使《せんでんし》がお|祈《いの》りになつたから、|神様《かみさま》は|至仁《しじん》|至愛《しあい》だから|助《たす》けて|下《くだ》さるではあらうが、|真実《ほんたう》に|可哀《かあい》さうだなア』
|丁《てい》『それは|心配《しんぱい》するには|及《およ》ばぬよ、|改心《かいしん》した|者《もの》はきつと|神様《かみさま》が|助《たす》けて|下《くだ》さる。まあアタルの|港《みなと》へこの|船《ふね》が|着《つ》く|時分《じぶん》には、【チヤン】と|竜神《りうじん》さまに|助《たす》けられて|波止場《はとば》に「|皆《みな》さま、お|先《さき》に|失礼《しつれい》しました」と|言《い》ふ|様《やう》な|調子《てうし》で|待《ま》つてゐるだらう』
|丙《へい》『そんなうまい|事《こと》があらうかなア。|若《も》しも|二人《ふたり》が|助《たす》かつて|居《を》る|様《やう》な|事《こと》だつたら、|吾々《われわれ》は|村中《むらぢう》あの|宣伝使《せんでんし》の|教《をしへ》に|従《したが》つて|仕舞《しま》はう』
|甲《かふ》|乙《おつ》|丙《へい》|丁《てい》はヒソビソと、|神徳《しんとく》の|話《はなし》を|語《かた》つてゐる。|珍山彦《うづやまひこ》は|無言《むごん》のまま、|四人《よにん》の|話《はなし》をニコニコとして|聞《き》いて|居《ゐ》た。
アタル|丸《まる》は|漸《やうや》うにして、|翌日《よくじつ》の|五《いつ》つ|時《どき》にアタルの|港《みなと》へ|安着《あんちやく》した。|波止場《はとば》には|虎公《とらこう》、|熊公《くまこう》が|立《た》つてこの|船《ふね》を|待《ま》ち|迎《むか》へて|居《ゐ》る。
(大正一一・二・一五 旧一・一九 北村隆光録)
第二一章 |志芸山祇《しぎやまづみ》〔四一四〕
|七日七夜《なぬかななよ》の|月日《つきひ》を|浴《あ》びて、|折《をり》からの|南風《なんぷう》は|真帆《まほ》にアタルの|港《みなと》に|着《つ》き|見《み》れば、|正《まさ》に|月照《つきてる》|十三夜《じふさんや》、|海中《かいちう》に|身《み》を|投《な》げたる|熊公《くまこう》、|虎公《とらこう》の|二人《ふたり》は|埠頭《ふとう》に|立《た》ち、|松代姫《まつよひめ》の|一行《いつかう》を|嬉《うれ》しげに|迎《むか》へて|居《ゐ》る。|船客《せんきやく》は|二人《ふたり》の|顔《かほ》を|見《み》て、
『ヤアヤア、ヨウヨウ』
と|驚《おどろ》きの|声《こゑ》を|放《はな》つにぞ、|虎公《とらこう》は|船客《せんきやく》|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
『|皆《みな》さま、|私《わたくし》は|罪《つみ》の|深《ふか》い、この|高砂島《たかさごじま》に|鬼《おに》の|虎公《とらこう》と|綽名《あだな》を|取《と》つた|悪人《あくにん》でございます。|天網恢々疎《てんまうくわいくわいそ》にして|漏《も》らさず、|三笠丸《みかさまる》の|船中《せんちう》において|今《いま》|此処《ここ》にまします|三人《さんにん》の|娘《むすめ》の|下人《げにん》を|佯《いつは》り|沢山《たくさん》の|金《かね》を|騙《かた》り|取《と》つて|逃《に》げ|去《さ》りました。この|広《ひろ》い|高砂《たかさご》の|島《しま》は|人《ひと》も|多《おほ》く、|再《ふたた》びこの|方《かた》に|会《あ》はうとは|思《おも》ひませぬでしたのに、|怖《おそ》ろしや|誑《だま》した|人《ひと》と|同《おな》じアタル|丸《まる》に|乗《の》り|合《あは》せ、|暗夜《あんや》とて|些《すこ》しも|心《こころ》づかず、|吾《わが》|顔《かほ》の|見《み》えぬを|幸《さいは》ひ、|酒《さけ》の|微酔《ほろよひ》|機嫌《きげん》で|知《し》らず|知《し》らずに|毒《どく》を|吐《は》かされました。|時《とき》しも、|麗《うるは》しき|松代姫《まつよひめ》|様《さま》の|御声《みこゑ》として|誡《いまし》めの|宣伝歌《せんでんか》を|聞《き》かされた|時《とき》は、|穴《あな》にでも|這入《はい》りたいやうな|心地《ここち》が|致《いた》しました。|十三夜《じふさんや》のお|月様《つきさま》は、|雲間《くもま》を|分《わ》けて|私《わたくし》の|顔《かほ》をお|照《てら》し|遊《あそ》ばしたその|時《とき》の|怖《おそ》ろしさ。|忽《たちま》ちわが|友《とも》の|熊公《くまこう》に|大蛇彦《をろちひこ》とやらが|神懸《かむがか》りし|給《たま》ひ、|皆様《みなさま》の|知《し》らるる|通《とほ》り、|私《わたくし》の|旧悪《きうあく》をすつかり|摘発《あば》かれ、|立《た》つても|居《ゐ》ても|居《ゐ》られなくなつて、|今《いま》まで|犯《をか》せし|罪《つみ》の|恐《おそ》ろしさに、|心《こころ》|密《ひそ》かに|月《つき》の|大神様《おほかみさま》に|向《むか》つて|懺悔《ざんげ》を|致《いた》し、|堪《たま》り|兼《か》ねて|千尋《ちひろ》の|海《うみ》の|藻屑《もくず》となり、|罪《つみ》を|贖《あがな》はむと|覚悟《かくご》を|決《き》めて|渦《うづ》まく|浪《なみ》に|飛《と》び|込《こ》みました。この|時《とき》|何処《いづく》ともなく|巨大《きよだい》な|亀《かめ》が|現《あら》はれて、|罪《つみ》|重《おも》き|私《わたくし》を|救《すく》うて|呉《く》れました。|又《また》もや【ざんぶ】と|身投《みな》げの|音《おと》、|何人《なにびと》なるかと|月《つき》の|光《ひかり》にすかして|見《み》れば、|豈《あに》|図《はか》らむや、|親《した》しき|友《とも》の|熊公《くまこう》で、|又《また》もやこの|亀《かめ》に|救《すく》はれたのです。さうして|熊公《くまこう》は|又《また》もや|神懸《かむがかり》となり、|亀《かめ》の|背《せ》にて|日《ひ》に|夜《よ》に|尊《たふと》き|教訓《けうくん》を|与《あた》えて|呉《く》れました。|吾々《われわれ》のやうな|利己主義《われよし》の|人間《にんげん》が、どうして|神《かみ》の|御心《みこころ》に|叶《かな》ひませう。|却《かへ》つてこの|世《よ》の|汚《けが》れとなるから、どうぞ|死《し》なして|下《くだ》さいと、|又《また》もや|海中《かいちう》に|身《み》を|躍《をど》らして|飛《と》び|込《こ》まむとする|時《とき》、|熊公《くまこう》は|神懸《かむがかり》のままに、|私《わたくし》の|首筋《くびすぢ》を|掴《つか》んで|亀《かめ》の|背中《せなか》に|捻伏《ねぢふ》せ「こら|虎公《とらこう》、|汝《なんぢ》はすでに|救《すく》はれた、|汝《なんぢ》の|刹那《せつな》の|祈《いの》りは|真剣《しんけん》だつた。|天地神明《てんちしんめい》に|感応《かんのう》した。|今《いま》の|汝《なんぢ》は|今《いま》までの|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|虎公《とらこう》でない、この|世《よ》を|清《きよ》むる|明礬《みやうばん》の|様《やう》なものだ。|百石《ひやくこく》の|濁《にご》り|水《みづ》も、|一握《ひとにぎ》りの|明礬《みやうばん》を|投《とう》ずれば|清水《せいすゐ》となる。|神《かみ》の|栄光《えいくわう》に|浴《よく》した|汝《なんぢ》は、これより|悪魔《あくま》の|猛《たけ》り|狂《くる》ふ|泥水《どろみづ》の|世《よ》を、|塩《しほ》となり|明礬《みやうばん》となつて|清《きよ》めよ、|澄《す》ませよ、すべての|物《もの》に|味《あぢ》を|与《あた》へよ」と|厳《きび》しく|教訓《けうくん》されました|末《すゑ》、|忝《かたじけ》なくも「|汝《なんぢ》はこれより|志芸山津見命《しぎやまづみのみこと》と|名《な》を|賜《たま》ふ。【カル】の|国《くに》に|到《いた》つて|宣伝使《せんでんし》となれ」と、|思《おも》ひがけなき|有難《ありがた》きお|言葉《ことば》を|頂《いただ》き、|夢《ゆめ》かとばかり|吾《わが》|心《こころ》で|吾《わが》|身《み》を|疑《うたが》はざるを|得《え》なかつたのです。さうして|何時《いつ》の|間《ま》にか、|亀《かめ》の|背中《せなか》に|救《すく》はれた|吾々《われわれ》|二人《ふたり》は、アタル|丸《まる》に|先立《さきだ》つて、|無事《ぶじ》にこの|港《みなと》に|到着《たうちやく》して|居《ゐ》ました。されど|身体《しんたい》は|石《いし》の|如《ごと》く、|首《くび》より|下《した》はこの|通《とほ》り|強直《きやうちよく》して、|身体《からだ》の|自由《じいう》を|失《うしな》つて|居《を》ります。どうか|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|照彦《てるひこ》|様《さま》、この|私《わたくし》の|深《ふか》き|罪《つみ》を|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ。また|船《ふね》の|諸人《もろびと》たちよ、|私《わたくし》の|改心《かいしん》を|鑑《かがみ》として|真心《まごころ》に|立《た》ち|帰《かへ》り、|心《こころ》から|神《かみ》に|祈《いの》りを|捧《ささ》げて|下《くだ》さい、|幸《さいは》ひ|宣伝使《せんでんし》がおいでなされば、|神言《かみごと》を|教《をそ》はつて、|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|神《かみ》を|讃美《さんび》し、|誠《まこと》の|心《こころ》に|立《た》ち|帰《かへ》つて|祈願《きぐわん》をなされませ』
と|諄々《じゆんじゆん》として|自分《じぶん》の|来歴《らいれき》を|述《の》べ、かつ|改心《かいしん》の|尊《たふと》き|事《こと》を|告《つ》げ|終《をは》るや|否《いな》や、|虎公《とらこう》の|身体《からだ》は|霊縛《れいばく》を|解《と》かれて|再《ふたた》び|自由《じいう》の|身《み》となりぬ。|数多《あまた》の|船客《せんきやく》はこの|話《はなし》の|終《をは》ると|共《とも》に|先《さき》を|争《あらそ》うて|上陸《じやうりく》し、|行《ゆ》くゆく|神徳話《しんとくばなし》に|耽《ふけ》り|居《ゐ》たり。
(大正一一・二・一五 旧一・一九 加藤明子録)
第二二章 |晩夏《ばんか》の|風《かぜ》〔四一五〕
|珍山彦《うづやまひこ》や|松代姫《まつよひめ》の|一行《いつかう》は|埠頭《はとば》に|立《た》ち、|群集《ぐんしふ》に|向《むか》つて|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ふ。|熊公《くまこう》、|虎公《とらこう》も|後《あと》に|整列《せいれつ》して|共《とも》に|歌《うた》ふ。|六人《ろくにん》の|歌《うた》ふ|声《こゑ》は、アタルの|港《みなと》を|科戸《しなど》の|風《かぜ》の|塵《ちり》を|払《はら》ふ|如《ごと》き|光景《くわうけい》なりき。
『|天《あめ》と|地《つち》とを|造《つく》らしし  |尊《たふと》き|神《かみ》の|貴《うづ》の|子《こ》と
|生《うま》れ|出《い》でたる|民草《たみぐさ》は  |百姓《おほみたから》と|讃《たた》へられ
|天《あめ》と|地《つち》との|神々《かみがみ》の  この|世《よ》を|開《ひら》く|神業《かむわざ》を
|喜《よろこ》び|仕《つか》へ|奉《まつ》るべき  |主宰《つかさ》と|生《うま》れ|出《い》づるなり
|嗚呼《ああ》|諸人《もろびと》よ|諸人《もろびと》よ  |天《あめ》と|地《つち》とに|漲《みなぎ》れる
|裏《うら》と|表《おもて》との|息《いき》を|吸《す》ひ  |生《い》ける|御神《みかみ》と|現《あら》はれし
その|尊《たふと》さに|顧《かへり》みて  |清《きよ》く|身魂《みたま》を|研《みが》き|上《あ》げ
|村雲四方《むらくもよも》に|塞《ふさ》がれる  |暗《くら》きこの|世《よ》を|照《て》らし|行《ゆ》く
|光《ひか》りとなれよ|和田《わだ》の|原《はら》  |潮《しほ》の|八百路《やほぢ》のいと|広《ひろ》く
|光《ひか》りも|清《きよ》き|潮《しほ》となり  |世人《よびと》を|清《きよ》め|朽《く》ち|果《は》てし
|身魂《みたま》の|腐《くさ》りを|締《し》め|固《かた》め  すべてのものの|味《あぢ》はひと
なりて|尽《つく》せよ|神《かみ》の|子《こ》よ  |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|千尋《ちひろ》の|海《うみ》を|乗《の》り|越《こ》えて  |潮《しほ》|照《て》りわたる|天津日《あまつひ》の
|光《ひかり》の|如《ごと》く|世《よ》を|照《て》らせ  この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》  |神《かみ》の|御稜威《みいづ》に|照《て》らされて
|身《み》の|罪科《つみとが》も|消《き》えて|行《ゆ》く  |人《ひと》の|命《いのち》は|朝露《あさつゆ》の
|消《き》ゆるが|如《ごと》く|哀《あは》れなる  |果敢《はか》なきものと|言騒《ことさや》ぐ
ウラルの|神《かみ》の|宣伝歌《せんでんか》  |飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|明日《あす》の|日《ひ》は
|雨《あめ》か|嵐《あらし》か|雷電《いかづち》か  |一寸先《いつすんさき》は|暗《やみ》の|夜《よ》と
|醜《しこ》の|教《をしへ》に|村肝《むらきも》の  |心《こころ》を|曇《くも》らせ|身《み》を|破《やぶ》り
|根底《ねそこ》の|国《くに》へ|落《お》ちて|行《ゆ》く  |遁《のが》れぬ|罪《つみ》の|種《たね》|播《ま》くな
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》す
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御前《おんまへ》に  |祈《いの》れよ|祈《いの》れただ|祷《いの》れ
|祈《いの》りの|道《みち》は|天津国《あまつくに》  |栄《さかえ》の|門戸《かど》を|開《ひら》くなる
|神《かみ》の|誠《まこと》の|鍵《かぎ》なるぞ  |祈《いの》れよ|祈《いの》れただ|祈《いの》れ
|五六七《みろく》の|神《かみ》は|御恵《みめぐ》みの  |御手《みて》を|伸《の》ばして|待《ま》ち|給《たま》ふ
|厳《いづ》の|御魂《みたま》の|御力《おんちから》  |瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|御名《みな》により
この|世《よ》を|造《つく》りし|国治立《くにはるたち》の  |神《かみ》の|命《みこと》に|真心《まごころ》を
|捧《ささ》げて|祈《いの》れ|夜《よ》も|昼《ひる》も  |心《こころ》|一《ひと》つに|祈《いの》れよや
|誠《まこと》の|神《かみ》の|御眼《おんまなこ》  |隠《かく》れし|処《ところ》をみそなはす
|花《はな》の|祈《いの》りは|効果《しるし》なし  |隠《かく》れて|祈《いの》れ|誠《まこと》の|身《み》
|神《かみ》と|人《ひと》とは|睦《むつ》び|合《あ》ひ  |親《した》しみ|合《あ》ひていと|清《きよ》く
|神《かみ》を|敬《うやま》ひ|敬《うやま》はれ  |天地《てんち》の|御子《みこ》と|生《うま》れたる
その|本分《つとめ》をば|尽《つく》すべし  |尽《つく》せよ|尽《つく》せ|神《かみ》の|為《た》め
|世人《よびと》の|為《た》めや|身《み》の|為《た》めに  |誠《まこと》をこめて|天地《あめつち》に
|祈《いの》れや|祈《いの》れよく|祈《いの》れ  |祈《いの》る|心《こころ》は|神心《かみごころ》
|神《かみ》に|等《ひと》しき|心《こころ》ぞや  |神《かみ》に|通《かよ》へる|心《こころ》ぞや』
|珍山彦《うづやまひこ》の【く】の|字《じ》に|曲《まが》つた|腰《こし》は、|何時《いつ》しか|純直《じゆんちよく》になつて、|容貌《ようばう》、|声音《せいおん》|共《とも》に|若々《わかわか》しく|見《み》ゆるぞ|不思議《ふしぎ》なれ。|珍山彦《うづやまひこ》の|二《ふた》つの|眼《め》は|何《なん》となく|麗《うるは》しく|輝《かがや》き|始《はじ》めたり。|一行《いつかう》はアタルの|港《みなと》を|後《あと》にして|夏木《なつき》の|茂《しげ》る|市中《まちなか》を|通《とほ》り|抜《ぬ》け、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、|緑樹《りよくじゆ》|滴《したた》る|美《うる》はしき|玉山《ぎよくざん》の|麓《ふもと》に|辿《たど》り|着《つ》き、|青芝《あをしば》の|上《うへ》に|腰《こし》|打《う》ち|掛《か》けて|息《いき》を|休《やす》めて|居《ゐ》る。|虎公《とらこう》、|熊公《くまこう》の|二人《ふたり》は|恐《おそ》る|恐《おそ》るこの|場《ば》に|現《あら》はれ、|大地《だいち》に【ひれ】|伏《ふ》し|以前《いぜん》の|罪《つみ》を|泣《な》き|詫《わ》ぶるに、|松代姫《まつよひめ》は|気《き》も|軽々《かるがる》しく、|満面《まんめん》に|溢《あふ》るるばかり|笑《ゑみ》を|湛《たた》へて、
『アヽ|虎公様《とらこうさま》とやら、ようまあ|改心《かいしん》して|下《くだ》さいました。|今日《けふ》は|妾《わらは》が|宣伝使《せんでんし》の|初陣《うひぢん》、|貴方《あなた》の|御改心《ごかいしん》が|出来《でき》なかつたならば、|妾《わらは》は|最早《もはや》|宣伝使《せんでんし》にはなれなかつたのです。|嗚呼《ああ》|有難《ありがた》や、|野立彦命《のだちひこのみこと》、|野立姫命《のだちひめのみこと》、|木《こ》の|花姫命《はなひめのみこと》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》』
と|合掌《がつしやう》し、|且《か》つ|感謝《かんしや》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し|嬉《うれ》し|泣《な》きに|泣《な》く。
|珍山彦《うづやまひこ》『オー|感心々々《かんしんかんしん》、|虎公《とらこう》さま、|貴方《あなた》は|最早《もはや》|悪人《あくにん》ではありませぬ。|悔《く》い|改《あらた》めと|祈《いの》りによつて、|勝《すぐ》れた|尊《たふと》き|神《かみ》の|御柱《みはしら》です。|貴方《あなた》も|斯《か》くして|神《かみ》の|御恵《みめぐ》みに|救《すく》はれた|以上《いじやう》は、|御神徳《ごしんとく》の|取《と》り|込《こ》みは|許《ゆる》しませぬ。これから|宣伝使《せんでんし》となつてあらゆる|艱難辛苦《かんなんしんく》と|戦《たたか》ひ、|世《よ》の|人《ひと》を|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》に|救《すく》ひ、|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|御神業《ごしんげふ》に|奉仕《ほうし》して|下《くだ》さい』
|虎公《とらこう》『|私《わたくし》は|改心《かいしん》|致《いた》してから|未《ま》だ|時日《じじつ》が|経《た》ちませぬ、さうして|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》の|蘊奥《うんあう》は|存《ぞん》じて|居《を》りませぬ。|宣伝使《せんでんし》となれとのお|言葉《ことば》は、|吾々《われわれ》の|如《ごと》きものに|取《と》つては|実《じつ》に|無上《むじやう》の|光栄《くわうえい》ですが、かやうな|事《こと》で|何《ど》うして|尊《たふと》き|三五教《あななひけう》の|宣伝《せんでん》が|出来《でき》ませうか。せめて|二月三月《ふたつきみつき》あなた|方《がた》のお|供《とも》を|許《ゆる》して|頂《いただ》き、|色々《いろいろ》の|教理《けうり》を|体得《たいとく》したその|上《うへ》にて、|宣伝使《せんでんし》にお|使《つか》ひ|下《くだ》さいますやうお|願《ねが》ひいたします』
『イヤ|神《かみ》の|道《みち》は|入《い》り|易《やす》く、|歩《あゆ》み|易《やす》く、|平地《へいち》を|歩《ある》く|様《やう》なものだ。ただ|心《こころ》から|誠《まこと》を|祈《いの》り|悔《く》い|改《あらた》めるのみだ。|今《いま》までの|罪悪《ざいあく》、|日々《にちにち》の|行為《かうゐ》を|人《ひと》の|前《まへ》に|悔《く》い|改《あらた》めて、|神《かみ》の|救《すく》ひを|蒙《かうむ》つたその|来歴《らいれき》を|教《をし》ゆれば、どんな|身魂《みたま》の|曇《くも》つた|人間《にんげん》でも、|忽《たちま》ち|神《かみ》の|尊《たふと》き|事《こと》を|覚《さと》つて|神《かみ》の|道《みち》に|従《したが》ひ、それに|引換《ひきか》へ|自分《じぶん》の|事《こと》を|棚《たな》に|上《あ》げ、|自慢話《じまんばなし》を|列《なら》べ|立《た》てたりして、|人《ひと》の|罪《つみ》を|審《さば》いたり|罵《ののし》つたりしてはなりませぬ。|神《かみ》に|仕《つか》へる|身《み》は|羊《ひつじ》の|如《ごと》くおとなしく|柔《やはら》かく、|湯《ゆ》の|如《ごと》き|温情《をんじやう》を|以《もつ》て|総《すべ》ての|人《ひと》に|臨《のぞ》むのが、|即《すなは》ち|宣伝使《せんでんし》の|第一《だいいち》の|任務《にんむ》である。|腹《はら》を|立《た》てな、|偽《いつは》るな、|飾《かざ》るな、|誠《まこと》の|心《こころ》を|以《もつ》て|日々《にちにち》の|己《おの》が|身魂《みたま》を|顧《かへり》み、|恥《は》づる、|悔《く》ゆる、|畏《おそ》る、|覚《さと》るの|御規則《おきて》を|忘《わす》れぬやうにすれば、それが|立派《りつぱ》な|神《かみ》の|道《みち》の|宣伝使《せんでんし》である。|六ケ敷《むつかし》い|小理屈《こりくつ》は|言《い》ふに|及《およ》ばぬ、ただ|祈《いの》ればよいのである。|貴方《あなた》は|是《これ》より|吾《われ》らと|袂《たもと》を|別《わか》ち、【カル】と【ヒル】との|国境《こくきやう》に|聳《そび》え|立《た》つ|高照山《たかてるやま》の|谷間《たにま》に|到《いた》つて|禊《みそぎ》をなし、その|上《うへ》【カル】の|国《くに》を|宣伝《せんでん》なされ、|吾《われ》らは|是《これ》にて|御別《おわか》れ|申《まを》す』
と|珍山彦《うづやまひこ》は|三人《さんにん》の|娘《むすめ》と|共《とも》に|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|北《きた》へ|北《きた》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。|虎公《とらこう》、|熊公《くまこう》|二人《ふたり》はその|影《かげ》の|隠《かく》るるまで|両手《りやうて》を|合《あ》はせて|伏《ふ》し|拝《をが》み、|神恩《しんおん》の|厚《あつ》きに|感《かん》じてや、わつとばかりにその|場《ば》に|泣《な》き|伏《ふ》しにけり。
|青葉《あをば》を|渡《わた》る|晩夏《ばんか》の|風《かぜ》は、|口笛《くちぶえ》を|吹《ふ》きながら|二人《ふたり》の|頭上《づじやう》を|撫《な》でつつ|通《かよ》ふ。
(大正一一・二・一五 旧一・一九 大賀亀太郎録)
第二三章 |高照山《たかてるやま》〔四一六〕
ヒルとカルとの|国境《くにざかひ》、|高照山《たかてるやま》の|山口《やまぐち》の、|芝生《しばふ》に|残《のこ》されし|熊公《くまこう》、|虎公《とらこう》の|二人《ふたり》は、|松代姫《まつよひめ》|一行《いつかう》の|姿《すがた》を|影《かげ》の|隠《かく》るるまで|見送《みおく》りながら|虎公《とらこう》は、
『あゝ|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|一行《いつかう》は、|吾々《われわれ》にお|供《とも》を|許《ゆる》されず、|温《あたた》かい|言葉《ことば》を|残《のこ》して、この|場《ば》をいそいそと|立《た》つて|行《ゆ》かれた。|何《ど》うで、|吾々《われわれ》のやうな|罪《つみ》の|重《おも》い|人間《にんげん》だから、お|供《とも》は|叶《かな》はぬのだらうが、あゝ|残念《ざんねん》な|事《こと》をした。せめて|三年前《さんねんまへ》に、|今《いま》のやうな|心《こころ》になつて|居《を》れば、|立派《りつぱ》にお|伴《とも》を|許《ゆる》して|下《くだ》さつたであらうに、|思《おも》へば|思《おも》へば、この|身《み》の|罪《つみ》が|恨《うら》めしい』
と|声《こゑ》を|放《はな》つて|泣《な》き|入《い》る。
『|虎公《とらこう》よ。|決《けつ》して|決《けつ》してさうではないよ。|俺《おれ》たちをどうぞ|立派《りつぱ》な|神《かみ》の|柱《はしら》にしてやりたいと|思《おも》つて、わざと|捨《す》ててお|出《い》で|遊《あそ》ばしたのだ。あの|獅子《しし》といふ|奴《やつ》は、|子《こ》を|生《う》んでから|三日目《みつかめ》に、|谷底《たにぞこ》へ|蹴《け》り|落《おと》して、|上《あが》つて|来《く》る|奴《やつ》をまた|蹴《け》り|落《おと》し|蹴《け》り|落《おと》し、|三遍《さんぺん》|以上《いじやう》あがつて|来《き》たものでないと、|自分《じぶん》の|子《こ》にせぬと|云《い》ふ|事《こと》だよ。|谷《たに》へ|落《おと》されて【くたばる】やうな|弱《よわ》い|事《こと》では、|到底《たうてい》|悪魔《あくま》の|世《よ》の|中《なか》に|生存《せいぞん》する|事《こと》は|出来《でき》ない。まして|悪魔《あくま》の|様《やう》な|人間《にんげん》を|教《をし》へ|導《みちび》く|宣伝使《せんでんし》だもの、お|師匠《ししやう》さまを|杖《つゑ》に|突《つ》いたり|頼《たよ》りにするやうな|事《こと》では、|完全《くわんぜん》な|御用《ごよう》は|出来《でき》ないから、|外《そと》へ|出《で》る|涙《なみだ》を|内《うち》へ|流《なが》して、|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|神心《かみごころ》から、|吾々《われわれ》を|置《お》き|去《ざ》りにして|往《ゆ》かれたのだ。|人間《にんげん》は|到底《たうてい》|深《ふか》い|深《ふか》い|神様《かみさま》の|御心《みこころ》は|判《わか》るものでない。それだから|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》にも、
「この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ」
とあるのだ。|見直《みなほ》しが|肝腎《かんじん》だ。|繊弱《かよわ》い|吾々《われわれ》のやうな|智慧《ちゑ》の|暗《くら》い|人間《にんげん》は、|無限絶対《むげんぜつたい》、|無始無終《むしむしう》の|誠《まこと》の|神様《かみさま》に|従《したが》つて、|真心《まごころ》|籠《こ》めて|祈《いの》るより|外《ほか》はない。|祈《いの》ればきつと|神様《かみさま》の|栄光《えいくわう》が|吾々《われわれ》の|頭上《づじやう》に|輝《かがや》くであらう』
と|涙《なみだ》まじりに|語《かた》る|折《をり》しも、|弓矢《ゆみや》を|持《も》つた|四五人《しごにん》の|荒《あら》くれ|男《をとこ》、|犬《いぬ》を|引《ひ》き|連《つ》れながら|坂路《さかみち》を|下《くだ》り|来《く》る。|一人《ひとり》の|男《をとこ》は、|熊公《くまこう》、|虎公《とらこう》の|顔《かほ》を|見《み》て、
『オー、|貴様《きさま》はこの|高砂島《たかさごじま》でも|音《おと》に|名高《なだか》い|熊公《くまこう》、|虎公《とらこう》ぢやないか。|貴様《きさま》の|名《な》を|聞《き》くと|泣《な》く|子《こ》も|泣《な》き|止《や》むと|云《い》ふ|野郎《やらう》だのに、|今日《けふ》はマアどうしたことか。|貴様《きさま》なんだい、ベソベソと|吠面《ほえづら》かわいて……』
|虎公《とらこう》『ヨーこれは|鹿公《しかこう》か。|俺《おれ》はな、すつかり|改心《かいしん》したのだ。|今《いま》まで|悪人《あくにん》だと|世間《せけん》の|者《もの》に|言《い》はれて|来《き》たが、これからは【すつかり】と|善心《ぜんしん》に|立返《たちかへ》つて、|自分《じぶん》の|罪《つみ》の|懺悔《ざんげ》をし、|今《いま》までの|罪亡《つみほろ》ぼしに、|神様《かみさま》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて、|教《をし》へを|説《と》き|廻《まは》り|人《ひと》を|助《たす》けるのだ。あまり|有難《ありがた》うて、|今《いま》|嬉《うれ》し|泣《な》きに|泣《な》いて|居《ゐ》たところだよ。お|前《まへ》も|好《い》い|加減《かげん》に|殺生《せつしやう》は|止《や》めて、|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》を|聞《き》いて、|善人《ぜんにん》になつて|呉《く》れ。|虎公《とらこう》が|改心《かいしん》の|門口《かどぐち》、|宣伝《せんでん》の|初陣《うひぢん》だ。|貴様《きさま》が|改心《かいしん》して|呉《く》れたならば、この|高砂島《たかさごじま》の|人間《にんげん》は|皆《みな》|改心《かいしん》するのだ』
『フフン、|何《なん》|吐《ぬ》かしよるのだ。|鬼《おに》の|念仏《ねんぶつ》|見《み》たよな|事《こと》|吐《ほざ》きよつて、|何処《どこ》を|押《おさ》へたらそんな|音《ね》が|出《で》るのだ。この|頃《ごろ》の|暑《あつ》さに、|一寸《ちよつと》|心《こころ》が|変《へん》になりよつたな。ヘン、【とろくさ】い、|世《よ》の|中《なか》は|凡《すべ》て|優勝劣敗《いうしようれつぱい》だ。|大魚《たいぎよ》は|小魚《せうぎよ》を|呑《の》み、|小魚《せうぎよ》は|虫《むし》を|食《く》つて|互《たがひ》に|生活《せいくわつ》する|世《よ》の|中《なか》だ。|犬《いぬ》が|猫《ねこ》を|捕《と》る、|猫《ねこ》が|鼠《ねずみ》をとる、|鼠《ねずみ》が|隠居《いんきよ》の|茶《ちや》の|子《こ》をとる、|茶《ちや》の|子《こ》が|隠居《いんきよ》の|機嫌《きげん》とる、|隠居《いんきよ》が|襦袢《じゆばん》の|虱《しらみ》とる、|虱《しらみ》が|頭《あたま》のフケをとる、といつて|世《よ》の|中《なか》は|廻《まは》りものだ。|海猟師《うみれふし》が|魚《うを》を|捕《と》るのも|山猟師《やまれふし》が|猪《しし》を|獲《と》るのも、|皆《みな》|社会《しやくわい》の|為《ため》だ。|猟師《れふし》がなければ|皮《かは》を|使《つか》ふ|事《こと》も|出来《でき》ず、|魚《うを》を|食《く》ふ|事《こと》も|出来《でき》やしない。|世《よ》の|中《なか》は|優勝劣敗《いうしようれつぱい》、|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》が|自然《しぜん》の|法則《はふそく》だよ。|貴様《きさま》もそんな|女々《めめ》しい|事《こと》を|言《い》はずに、|元《もと》の|通《とほ》り|鬼虎《おにとら》となつて、|売出《うりだ》したらどうだい。ここまで|売《う》り|出《だ》した|名《な》を|零《ぜろ》にするのも|惜《を》しいぢやないか』
|熊公《くまこう》『あゝ、|善《ぜん》と|悪《あく》とは|違《ちが》つたものだナア。|善《ぜん》ほど|辛《つら》いものはない、|否《いな》|結構《けつこう》なものはない。|貴様《きさま》もそんなことを|言《い》はずに、|虎公《とらこう》のやうに|改心《かいしん》して、|神様《かみさま》を|祈《いの》る|気《き》にならぬか』
『イヤ、|俺《おれ》は|神様《かみさま》を|祈《いの》つてるよ。|俺《おれ》の|祈《いの》つてる|神様《かみさま》はな、そんな|腰《こし》の|弱《よわ》い、ヘナヘナした|水《みづ》の|中《なか》で|屁《へ》を|放《こ》いた|様《やう》な、|頼《たよ》りない|教《をしへ》をする|神《かみ》さまとは|訳《わけ》が|違《ちが》ふのだ。いま|俺《おれ》はその|神様《かみさま》に|詣《まゐ》つて|来《き》たのだ』
|虎公《とらこう》『お|前《まへ》が|詣《まゐ》つて|来《き》た|神様《かみさま》といふのは、そら|何《ど》ういふ|神様《かみさま》だい』
『|貴様《きさま》、あれ|程《ほど》|名高《なだか》いのに|未《ま》だ|聞《き》かぬのか。|随分《ずゐぶん》|遅耳《おそみみ》だのう。ここをズツと|三里《さんり》ばかり|奥《おく》へ|這入《はい》ると、そこに|高照山《たかてるやま》の|深《ふか》い|谷《たに》がある。そこには|長《なが》い|滝《たき》が|落《お》ちて|居《を》つて、|滝壺《たきつぼ》の|右《みぎ》と|左《ひだり》に|大《おほ》きな|岩《いは》の|洞穴《ほらあな》があるのだ。さうして|東《ひがし》の|方《はう》の|穴《あな》からは|妙《めう》な|声《こゑ》がするのだ。その|岩《いは》に|向《むか》つて、|何事《なにごと》でも|教《をし》へて|貰《もら》ひに|行《ゆ》くのだ。|一《いつ》ぺん|貴様《きさま》も|行《い》つて|見《み》よ、|沢山《たくさん》の|人《ひと》が|詣《まゐ》つて|居《ゐ》るよ。|一寸《ちよつと》|取《と》り|違《ちが》ひ|野郎《やらう》が|行《ゆ》くと、その|岩《いは》の|穴《あな》から|大《おほ》きな|火焔《くわえん》の|舌《した》を|出《だ》して、|身体《からだ》をチヤリチヤリと|焼《や》かれるのだ。|貴様《きさま》のやうな|馬鹿《ばか》な|事《こと》|云《い》つて|居《ゐ》る|奴《やつ》が|行《い》つたら、きつと|岩《いは》の|穴《あな》から|出《で》て|来《く》る|火《ひ》の|舌《した》に|舐《な》められて、|黒焦《くろこげ》になつて|了《しま》ふだらうよ』
|熊公《くまこう》『それは|一体《いつたい》、|何《なん》と|云《い》ふ|神《かみ》だい』
『|何《なん》といふ|神《かみ》だか、エー、|忘《わす》れたが、なんでも|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》とか|聞《き》いたよ』
|熊公《くまこう》『|一体《いつたい》、|何《ど》んな|事《こと》を|云《い》ふのだい』
『|委《くは》しい|事《こと》は|忘《わす》れて|了《しま》つたが、とも|角《かく》|時代《じだい》|向《む》きのする|事《こと》を|言《い》ひ|居《を》る|神《かみ》さまだ。マアかい|摘《つま》んで|言《い》へば、|人間《にんげん》は|一日《いちにち》でも|立派《りつぱ》に|暮《くら》して、|天《てん》から|与《あた》へられた|甘《うま》い|物《もの》を|喰《く》つて、|美《うつく》しい|着物《きもの》を|着《き》て、|酒《さけ》でも|飲《の》んで|元気《げんき》をつけと|云《い》ふのだ。|智利《てる》の|国《くに》の|鏡《かがみ》の|池《いけ》のやうな、|水《みづ》の|中《なか》から|屁《へ》をこいた|様《やう》な、けち|臭《くさ》い|御託宣《ごたくせん》とはわけが|違《ちが》ふのだ。まあ|貴様《きさま》ら、メソメソ|泣《な》いて|居《を》らずに|一遍《いつぺん》|行《い》つて|来《こ》い。|目《め》が|醒《さ》めてよからうぞ』
|虎公《とらこう》『|鹿公《しかこう》、お|前《まへ》はその|教《をしへ》を|信《しん》じて|居《ゐ》るのか』
『|信《しん》ずるも|信《しん》じないもあつたものか。あんな|結構《けつこう》な|教《をしへ》が|何処《どこ》にあらうかい。さやうなら』
と|五人《ごにん》の|猟師《れふし》は|歩《あし》を|速《はや》めて|坂《さか》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。|虎《とら》、|熊《くま》の|二人《ふたり》は|足《あし》を|速《はや》めてドンドンと|谷道《たにみち》を|伝《つた》ひ、|玉川《たまがは》の|瀑布《ばくふ》に|黄昏時《たそがれどき》に|漸《やうや》く|辿《たど》り|着《つ》き|見《み》れば、|琴《こと》を|立《た》てたやうな|大瀑布《だいばくふ》が、|高《たか》く|幾百丈《いくひやくぢやう》ともなく|懸《かか》つて|微妙《びめう》の|音楽《おんがく》を|奏《かな》でてゐる。|東側《ひがしがは》の|大巌窟《だいがんくつ》の|前《まへ》には、|沢山《たくさん》の|参詣人《さんけいにん》が|合掌《がつしやう》して|何事《なにごと》か|口々《くちぐち》に|祈願《きぐわん》してゐる。|二人《ふたり》は|素知《そし》らぬ|顔《かほ》にて|諸人《もろびと》と|共《とも》に、|巌窟《がんくつ》の|前《まへ》に|端坐《たんざ》し|合掌《がつしやう》するや、|巌窟《がんくつ》は|俄《にはか》に|大音響《だいおんきやう》を|立《た》てて|唸《うな》り|始《はじ》めたり。|一同《いちどう》は|大地《だいち》に|頭《あたま》をピタリとつけ、|畏《かしこ》まつてその|音響《おんきやう》を|聴《き》いてゐる。|唸《うな》りは|漸《やうや》くにして|止《や》み、|巌窟《がんくつ》の|薄暗《うすぐら》き|奥《おく》の|方《はう》より、
『アハヽヽヽ』
といやらしい|笑《わら》ひ|声《ごゑ》が|聞《きこ》え|来《く》る。
|虎《とら》、|熊《くま》の|二人《ふたり》は、|顔《かほ》|見合《みあは》して|呆《あき》れゐる。|巌窟《がんくつ》の|中《なか》より、
『|悪《【あ】く》の|栄《さか》える|世《よ》の|中《なか》に、|善《ぜん》ぢや|悪《【あ】く》ぢやと|争《【あ】らそ》ふ|奴輩《やつばら》。【あ】くまで|阿呆《【あ】はう》の|恥《はぢ》|曝《さら》し、|悪《【あ】く》をなさねば|安楽《【あ】んらく》に|世《よ》は|渡《わた》れぬぞ。|飽《【あ】》くまで|食《くら》へ、|飽《【あ】》くまで|飲《の》め、|飽《【あ】》くまで|力《ちから》を|現《【あ】ら》はして、|悪魔《【あ】くま》と|言《い》はれようが、|力一杯《ちからいつぱい》わが|身《み》の|為《ため》に|飽《【あ】》くまで|尽《つく》せ。【イ】ヽヽヽ|生命《【い】のち》あつての|物種《ものだね》だ。|要《【い】》らざる|教《をしへ》に|従《したが》うて、|善《ぜん》の、|悪《あく》の、|末《すゑ》が|怖《おそ》ろしいのと|萎縮《【い】ぢ》け|散《ち》らして【ゐ】るよりも、|威勢《【ゐ】せい》よく|酒《さけ》でも|飲《の》んで、【い】つまでも|生々《【い】きいき》として|生命《【い】のち》を|延《の》ばせ。【ウ】ヽヽヽ|後指《【う】しろゆび》を|指《さ》されようが|後《【う】しろ》を|向《む》くな。|見《み》ぬ|顔《かほ》をいたして|甘《【う】ま》い|物《もの》を|鱈腹《たらふく》|食《く》ひ、|美《【う】ま》い|酒《さけ》は|酒《さけ》に|浮《【う】》くほど|酔《よ》うて、|甘《【う】ま》い|甘《【う】ま》いと|舌鼓《したつづみ》、|五月蝿《【う】るさ》い|五月蝿《【う】るさ》いと|肩《かた》の|凝《こ》るやうな|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》を|聴《き》くな。この|巌窟《いはや》には|穴《あな》がある。【ウ】ヽヽヽと|唸《【う】な》る|穴《あな》があるぞよ。あな|面白《おもしろ》き|穴《あな》|有《あ》り|教《けう》ぢや。|迂濶《【う】くわつ》に|聴《き》くな。【エ】ヽヽヽ|遠慮会釈《【ゑ】んりよ【ゑ】しやく》もなく|吾身《わがみ》のためには|人《ひと》は|構《かま》うてをれぬぞ。|得《とく》になることならば|何処《どこ》までも|何処《どこ》までも|行《ゆ》け。|閻魔《【え】んま》が|怖《こは》いやうな|事《こと》ではこの|世《よ》に|居《を》れぬぞ。|地獄《ぢごく》の|閻魔《【え】んま》を|味噌漬《みそづけ》にして|食《く》ふやうな|偉《【え】ら》い|心《こころ》になれ、|笑《【ゑ】ら》ぎて|暮《くら》せ|酒《さけ》|飲《の》んで。【オ】ヽヽヽ|鬼《【お】に》か|大蛇《【を】ろち》の|心《こころ》になつてこの|世《よ》に|居《を》らねば、この|世《よ》は|優勝劣敗《いうしようれつぱい》、|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》の|世《よ》の|中《なか》ぢや。【お】|互《たが》ひに|気《き》をつけて、|吾《わが》|身《み》の|得《とく》を|図《はか》れよ。|怖《【お】そ》れな、|後《【お】く》れな、|面白《【お】もしろ》くこの|世《よ》を|渡《わた》れ、|大蛇《【を】ろち》の|神《かみ》を|朝夕《あさゆふ》|祈《いの》れ。【オ】ヽヽヽヽ|面白《【お】もしろ》い|面白《【お】もしろ》い』
|虎公《とらこう》はこの|声《こゑ》を|聞《き》いて【むつく】と|立《た》ち|上《あが》り、
『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|志芸山津見《しぎやまづみ》とは|吾《わが》|事《こと》なるぞ。|悪魔《【あ】くま》の|張本《ちやうほん》、|天足《【あ】だる》の|身魂《みたま》、|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》の|再来《さいらい》、|善《ぜん》を|退《しりぞ》け|悪《【あ】く》を|勧《すす》むる|無道《むだう》の|汝《なんぢ》、|今《いま》に|正体《しやうたい》|現《【あ】ら》はして|呉《く》れむ。【ア】ハヽヽヽ、【イ】ヒヽヽヽ|異端邪説《【い】たんじやせつ》を|説《と》き|諭《さと》す、|心《こころ》の|枉《ゆが》んだ|大蛇《をろち》の|悪神《あくがみ》、ま|一度《【い】ちど》|言《【い】》ふなら|言《【い】》つて|見《み》よ、|一寸《【い】つすん》|刻《きざ》みか|五分試《ごぶだめ》し、|生命《【い】のち》を|取《と》つて|何時《【い】つ》までも、|禍《わざはひ》の|根《ね》を|断《た》つてくれむ。|違背《【ゐ】はい》あらば|返答《へんたふ》【い】たせ。【ウ】フヽヽヽ|狼狽者《【う】ろたへもの》の【うつけ】|者《もの》、|迂論《【う】ろん》な|教《をしへ》を|吐《は》き|立《た》てて|人心《じんしん》を|動《【う】ご》かす|谷穴《たにあな》の|土竜《もぐら》、|浮世《【う】きよ》を|乱《みだ》す|汝《なんぢ》が|悪計《あくけい》、|志芸山津見《しぎやまづみ》の|現《あら》はれし|上《うへ》からは|容赦《ようしや》はならぬ。|得体《えたい》の|知《し》れぬ、|奴拍手《どびやうし》|脱《ぬ》けした|声《こゑ》をしぼり、|優勝劣敗《いうしようれつぱい》、|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》の、【エ】グイ|心《こころ》を|嗾《そそ》る|奴《やつ》。【オ】ホヽヽヽ|大蛇《【を】ろち》の|悪魔《あくま》、|往生《【わ】うじやう》いたすまで|応対《【お】うたい》いたすぞ。|尾《【を】》をまいて|降参《かうさん》いたせばよし、【オ】メ【オ】メと|言訳《いひわけ》に|及《およ》ばば、|志芸山津見《しぎやまづみ》が|両刃《もろは》の|剣《つるぎ》を|以《もつ》て|征伐《せいばつ》いたす。|奥山《【お】くやま》の|谷底《たにぞこ》に|身《み》をひそめ、この|世《よ》を|乱《みだ》す|八岐《やまた》の|大蛇《【を】ろち》、|返答《へんたふ》はどうだツ』
|巌窟《がんくつ》の|中《なか》より、
『【カ】ヽヽヽ|構《【か】ま》ふな|構《かま》ふな、|蛙《【か】へる》の|行列《ぎやうれつ》、|闇《やみ》に|烏《【か】らす》の|向《むか》ふ|見《み》ず、|喧《【か】しま》しいワイ。【キ】ヽヽヽ|斬《【き】》るの|斬《【き】》らぬのと|広言《くわうげん》|吐《は》くな。|貴様《【き】さま》のやうな|腰抜《こしぬ》けに、|大蛇《をろち》が|斬《【き】》れてたまらうか。|気《き》の|利《【き】》かぬ|奴《やつ》だなア。【ク】ヽヽヽ|暗《【く】ら》がり|紛《まぎ》れに|頭《あたま》から|食《【く】》つてやらうか。【くさい】|顔《かほ》して|苦《【く】る》しさうに|俄宣伝使《にはかせんでんし》とは|片腹《かたはら》|痛《いた》い、【ケ】ヽヽヽ|怪我《【け】が》のない|間《うち》に|早《はや》くこの|場《ば》を|去《さ》つたがよからう。|見当《【け】んたう》の|取《と》れぬこの|方《はう》の|言葉《ことば》、【コ】ヽヽヽ【こ】こな|腰抜《【こ】しぬ》け|共《ども》、|殺《【こ】ろ》されぬ|間《うち》に【こ】の|場《ば》を|立去《たちさ》れ、【こ】はい|目《め》に|遇《あ》はぬ|内《うち》に|心《【こ】ころ》を|直《なほ》して、【こ】の|方《はう》の|言《い》ひ|条《でう》につくか、|執拗《しつこ》う|聞《き》かねば【こ】の|方《はう》も|耐《【こ】ら》へ|袋《【ぶ】くろ》がきれるぞよ。|米喰虫《【こ】めくひむし》の|製糞器《せいふんき》|奴《め》。ワハヽヽヽ』
|熊公《くまこう》『【カ】ヽヽ|神《【か】み》の|使《つかひ》の|宣伝使《せんでんし》に|向《むか》つて|無礼千万《ぶれいせんばん》な、|覚悟《【か】くご》を|致《いた》せ、|体《【か】らだ》も|骨《ほね》も|改心《【か】いしん》|致《いた》さねば、グダグダにして|遣《や》らうか。【キ】ヽヽ|気《【き】》を|取《と》り|直《なほ》し【キ】ツパリと|改心《かいしん》|致《いた》せばよし、【き】かぬに|於《おい》ては|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》はうか、【ク】ヽヽ|暗《【く】ら》い|穴《あな》にすつ|込《こ》んで、|訳《わけ》も|判《わか》らぬ|苦情《【く】じやう》を|並《なら》べ、|苦《【く】る》し|紛《まぎ》れの|捨《す》てぜりふ、その|手《て》は|食《【く】》はぬ、|熊公《【く】まこう》の|身魂《みたま》の|光《ひかり》を|知《し》らざるか、【ケ】ヽヽ|怪《【け】》しからぬ|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|大蛇《をろち》の|再来《さいらい》、【コ】ヽヽ【こ】こで|会《あ》うたは|優曇華《うどんげ》の、|花《はな》|咲《さ》く|春《はる》の|熊公《くまこう》が|手柄《てがら》の|現《あら》はれ|口《ぐち》、|最早《もはや》かなはぬ、|降参《【か】うさん》するか、|返答《へんたふ》は、【コ】ラ、どうぢや』
|巌窟《がんくつ》の|中《なか》より、
『【サ】ヽヽヽ|騒《【さ】わ》がしいワイ、|囀《【さ】へづ》るな、|酒《【さ】け》を|飲《の》め|飲《の》め、|飲《の》んだら|酔《よ》へよ、|酔《よ》うたら|踊《をど》れ。|逆《【さ】か》とんぶりになつて|踊《をど》つて|狂《くる》へ、|扨《【さ】て》も|扨《【さ】て》も|酒《【さ】け》ほど|甘《うま》いものはない、|酒《【さ】け》の|味《あぢ》を|知《し》らぬ|猿智慧《【さ】るぢゑ》の|熊公《くまこう》の|世迷《よまひ》ごと、|坂《【さ】か》から|車《くるま》を|下《おろ》すやうに、この|谷底《たにぞこ》へころげ|落《おと》してやらうか。【シ】ヽヽヽ|執拗《【し】つこ》い|奴《やつ》ぢや、【し】ぶとい|奴《やつ》ぢや、【しがんだ】|面《つら》して|芝生《【し】ばふ》の|上《うへ》に、ほつとけぼりを|食《く》はされて、|吠面《ほえづら》かわいた|志芸山津見《しぎやまづみ》とは|片腹《かたはら》|痛《いた》い。【ス】ヽヽヽ|速《【す】みや》かに、この|方《はう》の|申《まを》す|事《こと》を|聞《き》けばよし、【す】つた|捩《も》じつた|理屈《りくつ》をこねると、|簀巻《【す】まき》に|致《いた》して|谷底《たにぞこ》へ|投《ほ》り|込《こ》んでやらうか、【セ】ヽヽヽ|雪隠虫《【せ】んちむし》|奴《め》が。|宣伝使《【せ】んでんし》なんぞと|下《くだ》らぬ|屁理屈《へりくつ》を|言《い》つて|廻《まは》る|馬鹿《ばか》|人足《にんそく》。【ソ】ヽヽヽ【そ】れでも|貴様《きさま》は|神《かみ》の|使《つかひ》か、|底抜《【そ】こぬ》けの|馬鹿《ばか》とは【そ】の|方《はう》の|事《こと》だ。【そ】の【しやつ】|面《つら》でどうして|宣伝使《せんでんし》が|勤《つと》まらうか、【そ】こ|退《の》け、【そ】こ|退《の》け、この|方《はう》の|邪魔《じやま》になるワイ』
|虎公《とらこう》『【サ】ヽヽ|逆言《【さ】かごと》ばかり|囀《【さ】へづ》る|悪神《あくがみ》、【さ】あもう|容赦《ようしや》はならぬ。【シ】ヽヽ|志芸山津見《【し】ぎやまづみ》が|言霊《ことたま》の|威力《ゐりよく》によつて、|汝《なんぢ》が|身魂《みたま》を|縛《【し】ば》つて|呉《く》れむ。|死《【し】》ぬるか|生《い》きるか、|二《ふた》つに|一《ひと》つの|大峠《おほたうげ》、【ス】ヽヽヽ|速《【す】みや》かに|返答《へんたふ》いたせ。【セ】ヽヽ|背中《【せ】なか》に|腹《はら》は|代《か》へられよまい。|宣伝使《【せ】んでんし》の|吾々《われわれ》に|兜《かぶと》を|脱《ぬ》ぐか、|降参《かうさん》するか、【ソ】ヽヽ【そ】れでもまだ|往生《わうじやう》いたさぬか、|改心《かいしん》せぬか』
|巌窟《がんくつ》の|中《なか》より、
『【タ】ヽヽヽ|誑《【た】わ》け|者《もの》、|叩《【た】た》き|潰《つぶ》して|食《く》うて|了《しま》はうか、|鼻高神《はな【た】かがみ》の|宣伝使《せんでんし》、【チ】ヽヽヽ【ち】つとばかり|改心《かいしん》が|出来《でき》たと|申《まを》して、この|方様《はうさま》に|意見《いけん》がましい|知識《【ち】しき》の|足《た》らぬ|大馬鹿者《おほばかもの》、|一寸《【ち】よつと》は|胸《むね》に|手《て》をあてて|見《み》よ。【ツ】ヽヽヽ|捕《【つ】かま》へ|処《どころ》のない|事《こと》を|吐《ほざ》いて|歩《ある》く、|罪《【つ】み》の|深《ふか》い|両人共《りやうにんども》、|掴《【つ】か》み|潰《【つ】ぶ》してやらうかい。|強《【つ】よ》さうに|言《い》つても、|貴様《きさま》の|胸《むね》はドキドキして|居《を》らうがな、【テ】ヽヽヽ|天《【て】ん》にも|地《ち》にも|俺《おれ》|一人《ひとり》が|宣伝使《せんでんし》だと|言《い》はぬばかりのその|面《つら》つき、|多勢《おほぜい》の|中《なか》で|面《【つ】ら》を|剥《むか》れて【テ】レクサイことはないか。【てる】の|国《くに》から|遥々《はるばる》|出《で》て|来《き》て、|扨《さて》もさても|馬鹿《ばか》な|奴《やつ》だ。【ト】ヽヽヽ|虎公《【と】らこう》の【ト】ボケ|面《づら》、|熊公《くまこう》の|心《こころ》の|暗《くら》い|俄《にはか》|改心《かいしん》、|迚《【と】て》も|迚《【と】て》も|衆生済度《しうじやうさいど》は|六《む》つかしからう』
|熊公《くまこう》『【ナ】ヽヽ|何《【な】に》を|吐《ほざ》きよるのだ。【タ】ヽヽ|他愛《【た】あい》もないこと、|立板《【た】ていた》に|水《みづ》を|流《なが》すやうに、よくも|囀《さへづ》る|狸《【た】ぬき》の|親玉《おやだま》、|誰《【た】れ》にそんな|事《こと》|教《をし》へて|貰《もら》ひよつたのだ。|誑《たわ》け|者《もの》。【チ】ヽヽ|一寸《【ち】よつと》は|貴様《きさま》も|考《かんが》へて|見《み》よ。【ツ】ヽヽ|詰《【つ】ま》らぬ|理窟《りくつ》を|並《なら》べよつて、【テ】ヽヽ|手柄《【て】がら》さうに【ト】ボケきつたことを|吐《ぬか》しやがるな』
|巌窟《がんくつ》の|中《なか》より、「ウヽヽヽワーワー」と|大音響《だいおんきやう》ひびき|来《きた》る。
(大正一一・二・一五 旧一・一九 東尾吉雄録)
第二四章 |玉川《たまがは》の|滝《たき》〔四一七〕
|巌窟《がんくつ》の|唸《うな》りは|刻々《こくこく》と|烈《はげ》しくなり、|数多《あまた》の|人々《ひとびと》は|又《また》もやピツタリと|大地《だいち》に|頭《あたま》を|着《つ》け|畏縮《ゐしゆく》して|居《ゐ》る。|二人《ふたり》は|互《たがひ》に|顔《かほ》|見合《みあは》せ、|腕《うで》を|組《く》んで|思案顔《しあんがほ》。
|虎公《とらこう》『オイ、|熊公《くまこう》ツ、この|巌窟《がんくつ》の|神《かみ》は|善《ぜん》とも|悪《あく》とも|解《わか》らぬぢやないか、|此奴《こいつ》ア|一寸《ちよつと》|審神《さには》がむつかしいぞ。|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|教《をしへ》を|勧《すす》めるかと|思《おも》へば、|吾々《われわれ》に|意見《いけん》をするやうな|事《こと》を|言《い》ふなり、どうも|合点《がてん》がゆかぬぢやないか』
『そりやさうだよ。|神様《かみさま》がお|前《まへ》に|修業《しうげふ》をさせなさるのだ。|珍山彦《うづやまひこ》の|神《かみ》さまが|玉川《たまがは》の|滝《たき》の|前《まへ》で|修業《しうげふ》をして|来《こ》いと|仰有《おつしや》つただらう。|余程《よほど》|気《き》をつけぬと、|悪魔《あくま》だと|思《おも》つてゐると、どえらい|目《め》に|遇《あ》ふかも|知《し》れぬぞ。さうだと|云《い》つて、|悪魔《あくま》でないと|思《おも》つて|油断《ゆだん》する|事《こと》も|出来《でき》ぬ。ともかく|腹帯《はらおび》を|締《し》める|事《こと》だ』
『さうかなア、ひとつ、|八岐大蛇《やまたをろち》の|神《かみ》とやらに|一遍《いつぺん》|詳《くは》しう|温和《おとな》しう|出《で》て|聞《き》いて|見《み》ようか』
と|志芸山津見《しぎやまづみ》は|巌窟《がんくつ》に|向《むか》ひ、|拍手《はくしゆ》|再拝《さいはい》|敬意《けいい》を|表《へう》し、
『モシモシ、|巌窟《がんくつ》の|神様《かみさま》、どうぞ|私《わたくし》に|利益《ため》になる|事《こと》を|教《をし》へて|下《くだ》さいませぬか』
|巌窟《がんくつ》の|中《なか》の|音響《おんきやう》はピタリ|止《や》んで、またもや|声《こゑ》が|聞《きこ》え|出《だ》し、
『【ナ】ヽヽヽ【な】る|程《ほど》と|気《き》が|付《つ》いたならば、|何《【な】ん》なりと|教《をし》へて|遣《や》らう。【な】か【な】かその|方《はう》は|改心《かいしん》したと|申《まを》せども、まだまだ|埃《ほこり》がとれては|居《を》らぬ。その|様《やう》な|鈍《【な】ま》くら|刀《がたな》で、|世界《せかい》の|悪魔《あくま》が|言向《ことむ》けられやうか。|生知者《【な】ましりもの》の|生兵法《【な】まびやうはふ》は|大怪我《おほけが》の|基《もと》。|難儀《【な】んぎ》|苦労《くらう》が|足《た》らぬ|故《ゆゑ》、その|心《こころ》で|宣伝《せんでん》をいたしたら、|泣《【な】》き|面《づら》【かわい】て、|情《【な】さけ》ない|恥《はぢ》をさらさねば【な】らぬぞよ。まだ|理屈《りくつ》を|列《【な】ら》べよつて、|何《【な】ん》にも|知《し》らぬ|夏《【な】つ》の|虫《むし》が、|冬《ふゆ》の|雪《ゆき》を|嘲《わら》ふやうに|神《かみ》を|舐《【な】》めてかかるふとどき|者《もの》。【ニ】ヽヽヽ|二進《【に】つち》も|三進《さつち》もならぬ|様《やう》にこの|方《はう》に|取《と》つ|締《ち》められて、|遁《【に】》げ|腰《ごし》になつたその|醜態《ざま》、|苦《【に】が》い|言葉《ことば》が|苦《くる》しいか。|偽宣伝使《【に】せせんでんし》のその|方《はう》の|慢心《まんしん》、|日夜《【に】ちや》に|心《こころ》を|改《あらた》めて、この|方《はう》の|申《まを》す|通《とほ》りに|致《いた》して|世界《せかい》を|救《すく》ひ、|烏羽玉《【ぬ】ばたま》の|黒《くろ》い|心《こころ》を|月日《つきひ》の|光《ひかり》に|照《てら》し|見《み》て、|吾《わが》|身《み》を|省《かへり》み、|恥《は》ぢ|畏《おそ》れ、|悔《く》い|改《あらた》め、|世界《せかい》の|人民《じんみん》を|懇《ねんごろ》に|取扱《とりあつか》ひ、|咽《のど》から|血《ち》を|吐《は》くやうな|修業《しうげふ》を|致《いた》して、|腹《はら》の|塵芥《ごもくた》を|皆《みな》|吐《【は】》き|出《だ》し、|気《き》を|張詰《【は】りつめ》て|油断《ゆだん》をするな。|高慢《かうまん》ぶらず、|驕《おご》らず、|身《み》を|低《【ひ】く》うして|謙譲《へりくだ》れ。どんな|辛《つら》いことがあつても、|不服《【ふ】ふく》を|云《い》ふな、|不足《【ふ】そく》に|思《おも》ふな、|拙劣《【へ】た》な|長談義《ながだんぎ》をするな、【|誉《ほ》められたさに|法螺《ほら》を|吹《ふ》くな】。|小賢《こざか》しい|理屈《りくつ》を|列《なら》べな。|誠《まこと》|一《ひと》つの|正道《まさみち》を|踏《ふ》み|締《し》めて|身《み》を|慎《つつし》み、|猥《みだ》りに|騒《さわ》がず|焦《あせ》らず、|無理《むり》をせず、|無闇《むやみ》に|人《ひと》を|審《さば》かず、|侮《あなど》らず、|目上《めうへ》|目下《めした》の|区別《くべつ》なく、|諸々《もろもろ》の|人々《ひとびと》に|向《むか》つて|能《よ》く|交《まじ》はれ、|八岐大蛇《やまたのをろち》とこの|方《はう》の|申《まを》したのは|偽《いつは》りだ。まことは|木《こ》の|花姫《はなひめ》の|御心《みこころ》を|以《もつ》て、|汝《なんぢ》を|済度《さいど》せむために、この|巌窟《がんくつ》に|待《ま》ち|受《う》けゐたる|大蛇彦命《をろちひこのみこと》ぢや。|三笠丸《みかさまる》の|船中《せんちう》のことを|覚《おぼ》えて|居《を》るか。イヤ|何時《いつ》までも|不憫《かはい》さうだから、これは、これ|位《ぐらゐ》にして|止《や》めて|置《お》かう。|悠然《ゆつたり》とした|心《こころ》を|以《もつ》て|数多《あまた》の|人《ひと》に|向《むか》へよ。|依怙贔屓《えこひいき》を|致《いた》すでないぞ。よく|人《ひと》の|正邪《せいじや》|賢愚《けんぐ》を|推知《すゐち》して、その|人《ひと》の|身魂《みたま》|相応《さうおう》の|教《をしへ》をいたせ。|楽《らく》な|道《みち》へ|行《ゆ》かうとするな。|理窟《りくつ》は|一切《いつさい》|言《い》ふな、|吾《わが》|身《み》の|心《こころ》に|照《て》らし|見《み》て、|人《ひと》の|難儀《なんぎ》を|思《おも》ひ|遣《や》れよ。|威張《ゐば》り|散《ち》らして、|鼻《はな》を|高《たか》くして、|谷底《たにぞこ》へ|落《おと》されな。ウカウカ|致《いた》すな。よい|気《き》になるな。|何事《なにごと》にも|心《こころ》を|落付《おちつ》けて、|神《かみ》の|神徳《しんとく》を|現《あら》はせよ。|我《が》を|去《さ》れよ、|義理《ぎり》を|知《し》れよ、|愚図々々《ぐづぐづ》いたすな。|元気《げんき》を|出《だ》して、|撓《たゆ》まず|屈《くつ》せず|教《をしへ》の|神徳《しんとく》を|現《あら》はせ。まだまだ|教《をし》へたき|事《こと》あれど、|今日《けふ》はこれ|位《くらゐ》にして|置《お》かう。ウーオー』
と、またもや|巌窟《がんくつ》は|虎《とら》|狼《おほかみ》の|唸《うな》るが|如《ごと》く|大音響《だいおんきやう》を|発《はつ》して|鎮《しづ》まりかへり、|志芸山津見《しぎやまづみ》の|神《かみ》はこれよりますます|心《こころ》を|改《あらた》め、カルの|国《くに》|一円《いちゑん》を|宣伝《せんでん》して、|熊公《くまこう》と|共《とも》に|功《こう》を|現《あら》はし、|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|神軍《しんぐん》に|参加《さんか》し|勇名《ゆうめい》を|轟《とどろ》かしたり。
(大正一一・二・一五 旧一・一九 河津雄録)
第二五章 |窟《いはや》の|宿替《やどがへ》〔四一八〕
|神《かみ》の|御稜威《みいづ》も|高照《たかてる》の  |山《やま》より|落《お》つる|琴滝《ことだき》の
|響《ひびき》に|飛《と》び|散《ち》る|玉川《たまがは》や  |水音《みなおと》|清《きよ》き|渓流《けいりう》の
|右《みぎ》と|左《ひだり》に|千引岩《ちびきいは》  |堅磐常磐《かきはときは》の|巌窟《いはあな》に
|千代《ちよ》の|言霊《ことたま》|宣《の》り|伝《つた》ふ  |神《かみ》の|恵《めぐみ》も|大蛇彦《をろちひこ》
|教《をしへ》は|深《ふか》き|穴《あな》の|奥《おく》  |浅《あさ》き|賤《いや》しき|人《ひと》の|身《み》の
|如何《いか》でか|知《し》らむ|志芸山祇《しぎやまづみ》の  |神《かみ》の|命《みこと》や|肝《きも》|向《むか》ふ
|心《こころ》も|迷《まよ》ふ|熊公《くまこう》が  |問《と》ひつ|答《こた》へつ|烏羽玉《うばたま》の
|暗夜《やみよ》をここに|明《あか》しける  |暗夜《やみよ》をここに|明《あか》しける
|七十五声《しちじふごせい》の|音調《おんてう》に|天地神人《てんちしんじん》を|清《きよ》むる|言霊《ことたま》の|滝《たき》は、|水晶《すゐしやう》の|飛沫《ひまつ》の|玉《たま》を|遺憾《ゐかん》なく|飛散《ひさん》し、|水煙《すゐえん》|濛々《もうもう》と|立《た》ち|昇《のぼ》つて|深《ふか》き|谷間《たにま》を|包《つつ》んでゐる。
|志芸山津見《しぎやまづみ》、|熊公《くまこう》の|二人《ふたり》は、この|巌窟《いはあな》の|前《まへ》に|端坐《たんざ》し、|言霊《ことたま》の|問答《もんだふ》に|胸《むね》の|帳《とばり》は|開《ひら》かれて、|天津日《あまつひ》の|影《かげ》、|空《そら》を|茜《あかね》に|染《そ》めなしつ、|豊栄《とよさか》|昇《のぼ》りに|輝《かがや》き|初《そ》めり。|志芸山津見《しぎやまづみ》は|何《なに》か|口《くち》の|中《なか》にて|巌窟《いはや》の|神《かみ》に|向《むか》ひ|問答《もんだふ》を|始《はじ》めてゐる。その|声《こゑ》|極《きは》めて|微《かすか》にして、|傍《かたはら》にある|熊公《くまこう》の|耳《みみ》にさへも|入《はい》らぬ|程度《ていど》である。
|志芸山津見《しぎやまづみ》は【つと】|巌窟《いはあな》の|前《まへ》に|立《た》つて、|立《た》ち|昇《のぼ》る|狭霧《さぎり》の|中《なか》に|姿《すがた》をかくし、ひそかに|谷川《たにがは》を|渡《わた》りて|西《にし》の|巌窟《いはあな》の|奥《おく》ふかく|姿《すがた》を|隠《かく》し、|滝壺《たきつぼ》の|傍《かたはら》にある|鉢《はち》と|竹筒《たけづつ》を|左右《さいう》の|手《て》に|提《さ》げ、|水鉢《みづばち》に|水《みづ》を|盛《も》つて|巌窟《いはあな》の|奥深《おくふか》く|身《み》を|潜《ひそ》めたるを|見《み》て、|熊公《くまこう》は、
『オイ、|志芸山津見《しぎやまづみ》、|何処《どこ》へ|行《ゆ》くのだ。|先《ま》づ|待《ま》て、|俺《おれ》も|一緒《いつしよ》に|行《ゆ》かう』
この|時《とき》|巌窟《いはあな》は|又《また》もや、
『ウー、オー』
と|山《やま》も|崩《くづ》るるばかりの|大音響《だいおんきやう》を|発《はつ》したるが、|暫時《しばらく》にしてその|音響《おんきやう》|止《と》まると|共《とも》に|巌窟《いはや》の|中《なか》より、
『|熊公《くまこう》|々々《くまこう》、その|方《はう》は|暫《しばら》くこの|場《ば》を|動《うご》く|事《こと》はならぬ。|志芸山津見《しぎやまづみ》を|杖《つゑ》につき|力《ちから》と|頼《たの》むやうな|事《こと》で、どうして|宣伝《せんでん》が|出来《でき》やうか。|汝《なんぢ》の|身体《からだ》には、|志芸山津見《しぎやまづみ》に|百千倍《ひやくせんばい》の|神力《しんりき》を|持《も》つた|神《かみ》が|守護《しゆご》をいたして|居《を》るぞ』
『ソソそれは、|誠《まこと》に|結構《けつこう》ですが、|一体《いつたい》|彼《かれ》は|何処《どこ》へ|参《まゐ》つたのでせうか』
|巌窟《いはや》の|中《なか》より|大蛇彦《をろちひこ》は、
『それを|訊《たづ》ねて|何《なん》とする。|汝《なんぢ》が|心《こころ》の|神《かみ》に|訊《たづ》ねるがよい』
かかる|所《ところ》へ、|昨日《きのふ》|山口《やまぐち》の|芝生《しばふ》で|会《あ》つた|鹿公《しかこう》は、|数多《あまた》の|村人《むらびと》と|共《とも》にこの|巌窟《いはあな》の|前《まへ》に|現《あら》はれ|来《きた》り、|叩頭《こうとう》|拍手《はくしゆ》し|熊公《くまこう》の|姿《すがた》を|見《み》て、
『オヤ、お|前《まへ》は|昨日《きのふ》|会《あ》つた|熊公《くまこう》ぢやないか、どうだつた。|随分《ずゐぶん》|叱《しか》られただらう。さうして|虎公《とらこう》はどうしたのだ』
『オー、|鹿公《しかこう》か、|虎《とら》の|奴《やつ》、|友達《ともだち》|甲斐《かひ》もない、|俺《おれ》をこんなとこへ|置《お》き|去《ざ》りにして|何処《どこ》か|勝手《かつて》に|行《い》つて|仕舞《しま》つたのだ。|俺《おれ》も|後《あと》を|追《お》つて|行《ゆ》かうかと|思《おも》つたが、|何《なん》だか|知《し》らぬが、|俄《にはか》に|胴《どう》が|据《すわ》つて|動《うご》けぬのだ』
『そりや|貴様《きさま》、|腰《こし》を|抜《ぬ》かしよつたのだらう、|弱《よわ》い|奴《やつ》だなア。モシモシ、|巌窟《いはあな》の|中《なか》の|神様《かみさま》、|今日《けふ》は|沢山《たくさん》の|村人《むらびと》を|連《つ》れて|参《まゐ》りました。どうぞ|村《むら》の|者《もの》に|結構《けつこう》な|教《をしへ》を|聞《き》かしてやつて|下《くだ》さいませ』
|大蛇彦《をろちひこ》『ヤア|鹿公《しかこう》か、よくも|出《で》て|来《き》た。この|巌窟《いはあな》は|昨日《きのふ》|虎公《とらこう》がやつて|来《き》て|汚《けが》しよつたによつて、|唯今《ただいま》より|西《にし》の|巌窟《いはあな》に|宿替《やどがへ》を|致《いた》す。|熊公《くまこう》は|霊縛《れいばく》を|許《ゆる》したれば、|足腰《あしこし》は|自由《じいう》に|立《た》つであらう。サア|熊公《くまこう》に|随《つ》いて、|鹿《しか》その|他《た》の|者共《ものども》はこの|谷川《たにがは》を|越《こ》えて、|西《にし》の|巌窟《いはあな》の|前《まへ》に|行《ゆ》け。|誠《まこと》の|事《こと》を|聞《き》かしてやらう。ウー、オー』
と|又《また》もや|大音響《だいおんきやう》を|発《はつ》し、|巌窟《いはあな》も|破裂《はれつ》せむかと|思《おも》ふばかりなり。
|熊公《くまこう》を|先頭《せんとう》に|一同《いちどう》は|滝《たき》の|下《した》の|谷川《たにがは》を|飛《と》び|越《こ》えて、|西《にし》の|巌窟《いはあな》の|前《まへ》に|辿《たど》り|着《つ》き|頭《かしら》を|下《さ》げて、
|熊公《くまこう》『ヨー|今日《けふ》は|大蛇彦《をろちひこ》|様《さま》の|新《あたら》しき|御殿《ごてん》、ではない|暗《くら》い|巌窟《いはあな》のお|座敷《ざしき》に|御転宅《ごてんたく》|遊《あそ》ばされまして、|誠《まこと》にお|目出度《めでた》う|存《ぞん》じます。お|取込《とりこみ》の|際《さい》とて、|嘸《さぞ》お|忙《いそが》しい|事《こと》でございませう。|私《わたくし》でお|間《ま》に|合《あ》ふ|事《こと》ならば、どうぞ|手伝《てつだ》はせて|下《くだ》さいませ』
|巌窟《いはあな》の|中《なか》より、
『ブー、ブー、ブル、ブル、ブル、ブル』
|熊公《くまこう》『|大蛇彦《をろちひこ》の|神《かみ》さまとやら、|私《わたくし》がこれ|程《ほど》|叮嚀《ていねい》に|頭《あたま》を|下《さ》げて|御挨拶《ごあいさつ》を|申上《まをしあ》げて|居《ゐ》るのに、|只《ただ》|一言《ひとこと》のお|答《こたへ》もなく、ブー、ブー、ブル、ブル、ブル、ブルとは、|何程《なんぼ》|神様《かみさま》でも|些《ちつ》と|失敬《しつけい》ぢやありませぬか。|水桶《みづをけ》に|尻《しり》を|捲《まく》つて、|揚《あ》げたり|浸《つ》けたりしながら、|屁《へ》を|放《ひ》つてお|尻《しり》で|返事《へんじ》をなさるとは、それは|本気《ほんき》でなさるのか、|吾々《われわれ》を|侮辱《ぶじよく》するのか』
|鹿公《しかこう》『オイオイ、|熊公《くまこう》、|本気《ほんき》も|何《なに》もあつたものかい、|神様《かみさま》は|平気《【へ】いき》なものだよ。|貴様《きさま》のやうな|奴《やつ》はこれで|結構《けつこう》だ。|水《みづ》の|中《なか》で|屁《【へ】》をこいたやうな|三五教《あななひけう》とやらに|恍《とぼ》けて|居《を》るから、|神様《かみさま》が|阿呆《あはう》らしいと|云《い》つて、|屁《【へ】》を|御《お》かまし|遊《あそ》ばしたのだ』
この|時《とき》|巌窟《いはあな》の|中《なか》より、|竹筒《たけづつ》を|吹《ふ》くやうな|声《こゑ》が|聞《きこ》え|来《きた》る。
『ブウー、ブウー、ブル、ブル、ブル、ブル、ブル』
|熊公《くまこう》『なんだ、|阿呆《あほ》くさい、また|屁《【へ】》だ、|屁《【へ】》の|神様《かみさま》だ』
|巌窟《いはあな》の|中《なか》から、
『【ア】ヽヽヽ|悪《【あ】く》に|強《つよ》い|鹿公《しかこう》の|奴《やつ》、|朝《【あ】さ》から|晩《ばん》まで、|神《かみ》の|使《つか》はしめの|当山《たうざん》の|猪《しし》を|狩立《かりた》て、|兎《うさぎ》を|獲《と》り、|威張《ゐば》り|散《ち》らして、|玉山《ぎよくざん》の|麓《ふもと》の|玉芝《たましば》の|上《うへ》で、|虎《とら》、|熊《くま》の|二人《ふたり》に|向《むか》つて【ほざい】た|事《こと》|覚《おぼ》えて|居《ゐ》るか。【イ】ヽヽヽ|否応《【い】やおう》なしに|改心《かいしん》【い】たせばよし、|違背《【ゐ】はい》に|及《およ》べば、|今《【い】ま》この|場《ば》において|白羽《しらは》の|矢《や》を|持《も》つて|射殺《【い】ころ》して|仕舞《しま》はうか』
|鹿公《しかこう》『モヽヽもし、|神様《かみさま》、それは、【あ】まりぢや【あ】りませぬか。|貴神様《【あ】なたさま》は、|悪《【あ】く》に|強《つよ》い|者《もの》は|善《ぜん》にも|強《つよ》い、|悪《【あ】く》をようせぬやうな|者《もの》は、|人間《にんげん》ぢやない、この|神《かみ》の|氏子《うぢこ》ぢやない、|力《ちから》|一杯《いつぱい》|山河《やまかは》を|駆《か》けまはつて、【イ】ヽヽ|生物《【い】きもの》の|命《【い】のち》を|取《と》つて、|人《ひと》の|生血《【い】きち》をしぼつて|威勢《【ゐ】せい》よく|暮《くら》せ、と|仰有《おつしや》つたぢやないか。それに|今日《けふ》は|全然《まるで》|掌《てのひら》をかへしたやうに|妙《めう》な|事《こと》を|仰有《おつしや》います。|大方《おほかた》|貴神《【あ】なた》は|悪魔《【あ】くま》でせう。|東《ひがし》の|穴《【あ】な》の|神《かみ》さまとは|違《ちが》ふのだらう』
|熊公《くまこう》『オイ|鹿公《しかこう》、それでも|貴様《きさま》、これから|西《にし》の|巌窟《いはあな》へ|宿替《やどが》へすると|仰有《おつしや》つたぢやないか』
『ウン、それも、さうぢやつたなあ』
『|貴様《きさま》は、|今日《けふ》は|叱《しか》られる|番《ばん》だ、|確《しか》と|耳《みみ》を|掃除《さうぢ》して|聞《き》くがよからう。|神《かみ》に|叱《しか》られ|気《き》は|紅葉《もみぢ》、|踏《ふ》み|迷《まよ》ひ|鳴《な》く|鹿《しか》の、|声《こゑ》|聞《き》く|時《とき》は|気《き》の|毒《どく》なりける|次第《しだい》なりけりだ』
『|馬鹿《ばか》にするない』
|巌窟《いはあな》の|中《なか》から、
『【ウ】ー、【ウ】ー|疑《【う】たが》ふか、|鹿《しか》の|奴《やつ》、|疑《【う】たが》へばその|方《はう》の|素性《すじやう》を|大勢《おほぜい》の|前《まへ》で|素破《すつぱ》|抜《ぬ》かうか。|朝《あさ》から|晩《ばん》まで、|猪《しし》や|兎《【う】さぎ》の|尻《しり》を|追《お》ひまくるのはまだしも、|東《ひがし》の|後家《ごけ》や|西《にし》の|後家《ごけ》、|五十《ごじふ》の|尻《しり》を|作《つく》つて、|若《わか》い|娘《むすめ》の|後《あと》を|追《お》ひ|廻《まは》し、|肘弓《ひぢゆみ》に|弾《はじ》かれて、|腹立《はらだち》|紛《まぎ》れに|酒《さけ》を|喰《くら》ひ、|家《【う】ち》へ|帰《かへ》つて|女房《にようばう》に|面当《つらあて》、その|態《ざま》は|何《なん》の|事《こと》だ』
『【ア】ヽもしもし、|岩《いは》の|神様《かみさま》、それは【あ】まりです。どうぞ、そればかしは|言《い》はぬやうにして|下《くだ》さい。【あ】まり|気《き》のよいものでは|御座《ござ》いませぬ』
|巌窟《いはあな》の|中《なか》より、
『【エ】ヘヽヽ【え】らう|困《こま》つたさうなその|顔《かほ》は、|人《ひと》を|酷《【え】ら》い|目《め》に|遇《あ》はした|報《むく》いで、|今日《けふ》は【え】らい|恥《はぢ》を|曝《さら》されるのも|身《み》から|出《で》た|錆《さび》、まだ、まだ、まだ、まだあるぞ』
|熊公《くまこう》『【エ】ヽヽ|好《【え】》い|加減《かげん》に|往生《わうじやう》せぬか、|鹿《しか》の|野郎《やらう》』
『|何《なに》を|貴様《きさま》まで、【エ】ヽヽなんて|真似《まね》をしよつて、|何《なに》を【ほざき】よるのだ』
|巌窟《いはあな》の|中《なか》より、
『【オ】ヽヽ|大蛇彦《【を】ろちひこ》の|眼《まなこ》は、|隅《すみ》から|隅《すみ》まで|透《す》き|通《とほ》る、|鬼《【お】に》の|眼《め》に|見落《みおと》しはなし。|大盗賊《【お】ほどろぼう》の|張本人《ちやうほんにん》、|大悪魔《【お】ほあくま》の|容器《いれもの》、|大馬鹿者《【お】ほばかもの》の|鹿《しか》の|奴《やつ》、この|大穴《【お】ほあな》の|前《まへ》で、|大恥《【お】ほはじ》かいて|大味噌《【お】ほみそ》つけて、|怖《【お】》ぢ|怖《【お】》ぢと|尾《【を】》を|捲《ま》く|可笑《【を】か》しさ、アハヽヽ』
『ヤア|此奴《こいつ》、|些《ちつ》と【をかしい】ぞ。|東《ひがし》の|巌窟《いはあな》の|声《こゑ》とは|余程《よほど》|変《へん》だ。|竹筒《たけづつ》を|吹《ふ》いて、|物《もの》を|言《い》ふやうな|事《こと》を|言《い》ひよる。|大方《【お】ほかた》|虎公《とらこう》の|奴《やつ》、|俺《【お】れ》を|一杯《いつぱい》かけやうと|思《【お】も》つて、|熊公《くまこう》と|申合《まをしあは》せて|芝居《しばゐ》を|仕組《しぐ》みよつたのだらう。よし、よし、よし、これから、この|鹿公《しかこう》が、|虎穴《こけつ》に|入《い》らずむば|虎児《こじ》を|得《え》ずだ。|一《ひと》つ|命《いのち》を|的《まと》に|穴《あな》の|中《なか》に|探険《たんけん》と|出《で》かけやうカイ』
と|云《い》ひながら、むつくと|立《た》ち|上《あが》り、|鹿公《しかこう》が|今《いま》や|巌窟《いはあな》に|立《た》ち|入《い》らむとする|時《とき》、|天地《てんち》も|破《やぶ》るるばかりの|大音響《だいおんきやう》、
『ウー、オー』
|鹿公《しかこう》は、
『イヨー|此奴《こいつ》は|矢張《やは》り|本物《ほんもの》だ。どうぞお|赦《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
と|拍子《ひやうし》|抜《ぬ》けしたやうな|声《こゑ》で、|又《また》もや|巌窟《いはあな》の|前《まへ》に|平伏《へいふく》する。
|折《をり》から|吹《ふ》き|来《く》る|烈風《れつぷう》の|梢《こずゑ》を|渡《わた》る|音《おと》、|滝《たき》の|響《ひび》きと|相和《あひわ》して|心《しん》|砕《くだ》け、|魂《こん》|消《き》ゆる|如《ごと》き|騒然《さうぜん》たる|光景《くわうけい》を|現出《げんしゆつ》したり。
(大正一一・二・一六 旧一・二〇 加藤明子録)
第二六章 |巴《ともゑ》の|舞《まひ》〔四一九〕
|折《をり》から|高照山《たかてるやま》より|吹《ふ》き|下《おろ》す|嵐《あらし》の|音《おと》も、|岩戸《いはと》の|大音響《だいおんきやう》も、|次第々々《しだいしだい》に|鎮《しづ》まりて、|後《あと》には|千丈《せんぢやう》の|琴滝《ことだき》の|落《お》つる|音《おと》、|淙々《そうそう》と|聞《きこ》ゆるのみ。|巌窟《いはや》の|中《なか》より|又《また》もや|竹筒《たけづつ》を|吹《ふ》いた|様《やう》な|声《こゑ》がして、
『|鹿公《しかこう》よ、この|大蛇彦《をろちひこ》の|申《まを》す|事《こと》を|確《しつか》り|聴《き》けよ。|俄《にはか》の|改心《かいしん》は|間《ま》に|合《あ》はぬ。|盗人《ぬすびと》|捕《つかま》へて|繩《なは》を|綯《な》ふやうな|事《こと》では【まさか】の|時《とき》の|間《ま》に|合《あ》はぬぞ。この|神《かみ》の|申《まを》すこと【とつくり】と|腹《はら》に|容《い》れて、|誠《まこと》の|人間《にんげん》に|生《うま》れ|変《かは》り、|神《かみ》の|教《をしへ》をよく|聴《き》いて、|世《よ》の|中《なか》の|為《ため》に|力《ちから》をつくせ。|悪《あく》の|企《たく》みは|仇花《あだばな》だ。|何時《いつ》までも|色《いろ》は|保《たも》たぬ。|花《はな》は|栄《さか》えぬ、|実《み》は|結《むす》ばぬぞ。【|短《みじか》い|此《この》|世《よ》に|生《うま》れ|来《き》て】、【|永《なが》い|霊魂《みたま》の|命《いのち》を|失《うしな》ふな】。|枝葉《えだは》も|茂《しげ》る|常磐木《ときはぎ》の、|何時《いつ》も|青々《あをあを》|松心《まつごころ》、|賢《さか》しき|心《こころ》を|取直《とりなほ》し、|穏《おだや》かな|心《こころ》になつて|神《かみ》に|親《した》しみ、|人《ひと》に|交《まじ》はれ。|神《かみ》の|教《をしへ》に|仇花《あだばな》はない。|耳《みみ》を|傾《かたむ》けて|心《こころ》を|落付《おちつ》け、|聴《き》けば|聴《き》くほど|神徳《とく》がつく。|世界《せかい》の|為《ため》に|誠《まこと》の|為《ため》に、|苦労《くらう》を|致《いた》すは|結構《けつこう》だ。|決《けつ》して|決《けつ》して|今《いま》までのやうな|体主霊従《われよし》の|心《こころ》を|出《だ》すな。|心《こころ》の|底《そこ》から|掃除《さうぢ》して、|神直日《かむなほひ》、|大直日《おほなほひ》の|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|助《たす》けられ、|栄《さか》え|久《ひさ》しき|松《まつ》の|世《よ》の|鑑《かがみ》となれよ。|死《し》んでも|生《い》きても|神《かみ》の|懐《ふところ》に|抱《だ》かれた|人間《にんげん》の|身《み》、|只《ただ》|神《かみ》に|任《まか》せよ。|誠心《まごころ》を|籠《こ》めて|祈《いの》れよ。|素直《すなほ》に|改心《かいしん》いたして|涼《すず》やかな|行《おこな》ひを|致《いた》せ。|世間《せけん》の|人《ひと》に、|鬼《おに》よ|悪魔《あくま》よといはれたるその|悪名《あくめい》を|雪《そそ》げよ、|祓《はら》へよ。|神《かみ》の|教《をしへ》の|誠《まこと》の|風《かぜ》に、|高照山《たかてるやま》の|谷《たに》の|底《そこ》で、|力《ちから》|一杯《いつぱい》|膏《あぶら》を|抜《ぬ》かれ、|腸《はらわた》を|洗《あら》はれ、|胆《きも》を|練《ね》られて、|始《はじ》めてこの|世《よ》の|中《なか》の|悪魔《あくま》を|滅《ほろ》ぼす|強《つよ》い|人間《にんげん》となれ。|天地《てんち》の|神《かみ》の|深《ふか》き|御心《みこころ》を|悟《さと》り、|遠《とほ》き|近《ちか》きの|隔《へだ》てなく、|暗《くら》き|明《あか》きの|分《わか》ちなく、|世界《せかい》|一目《ひとめ》に|見渡《みわた》す|神《かみ》の|眼《め》に|止《と》まる|様《やう》の、|清《きよ》き|正《ただ》しき|行《おこな》ひをして|呉《く》れ。|何事《なにごと》によらず、|神《かみ》の|心《こころ》を|心《こころ》として、|世界《せかい》の|為《ため》に|誠心《まごころ》をつくし、|弱《よわ》き|者《もの》を|助《たす》け、|神《かみ》の|威勢《ゐせい》を|世《よ》に|出《だ》して、この|琴滝《ことだき》のやうに|清《きよ》き|名《な》を|四方《よも》に|轟《とどろ》かせ』
|鹿公《しかこう》『いやもう、|何《なに》から|何《なに》まで|抜目《ぬけめ》のない、|御念《ごねん》の|入《い》つた|有難《ありがた》き|仰《あふ》せ、|骨身《ほねみ》にこたへました。|果《はて》しなき|慾心《よくしん》に|迷《まよ》ひ、|日々《にちにち》に|心《こころ》を|曇《くも》らせ、|不埒《ふらち》な|不都合《ふつがふ》な|事《こと》ばかり|致《いた》して|来《き》ました。どうぞ|神様《かみさま》の|広《ひろ》き|厚《あつ》き|御心《みこころ》に|宣《の》り|直《なほ》し|聞《き》き|直《なほ》して、|吾々《われわれ》の|深《ふか》い|罪《つみ》をお|宥《ゆる》し|下《くだ》さいませ。アヽもう|是《これ》でお|暇《いとま》を|頂戴《ちやうだい》いたします』
|巌窟《いはあな》の|中《なか》より、
『【マ】ダマダ、マダマダ、|帰《かへ》つてはならぬ』
|熊公《くまこう》『オイ、|鹿公《しかこう》、【もちつと】|辛抱《しんばう》せ』
|鹿公《しかこう》『マアマアマア、|未《ま》だまだ、アヽ|未《ま》だまだと|仰有《おつしや》るのだ。マアどうどうしたら|可《よ》からう。イイ|加減《かげん》に|幕《まく》を|切《き》り|上《あ》げて|下《くだ》さつたら|可《よ》かりさうなものだがなあ。|神様《かみさま》の|退引《のつぴき》ならぬ|言葉《ことば》に、|尾《を》を|巻《ま》き、|舌《した》を|巻《ま》き、【ヘコ】を|巻《ま》いた|熊公《くまこう》のやうな|男《をとこ》が|居《ゐ》るものだから、この|鹿公《しかこう》までが|巻添《まきぞへ》にあはされたのだ。サアこれから|捻鉢巻《ねぢはちまき》でもして、|世界《せかい》のために|尽《つく》さねばならぬワイ』
『|鹿《しか》の|巻添《【ま】きぞへ》ではなうて、|鹿《しか》の|捩鉢巻《ねじはち【ま】き》に|巻舌《【ま】きじた》では|余《あま》り|尊《たふと》くもなからうかい』
|巌窟《いはあな》の|中《なか》より、
『【ミ】ヽヽ|身《【み】》の|程《ほど》を|考《かんが》へて、|身分相応《【み】ぶんさうおう》の|行《おこな》ひを|致《いた》し、|人《ひと》に|未熟《【み】じゆく》といはれな。|醜悪《【み】つとも》ないことをして|見下《【み】さ》げられな、|蔑視《【み】くび》られな。【ム】ヽヽ|六ケ敷《【む】つかし》い|事《こと》をいふな。|今《いま》までの|様《やう》に|世間《せけん》の|人《ひと》に|無理難題《【む】りなんだい》を|吹《ふ》きかけて、|無闇《【む】やみ》に|金《かね》を|奪《と》るな。|悪《あく》の|報《【む】く》いは|恐《おそ》ろしいぞ。|罪障《めぐり》を|積《つ》むな。|盲目《めくら》|滅法《めつぱふ》に、|前後《あとさき》|構《かま》はずに、|無駄《【む】だ》の|事《こと》をしてはならぬぞ。|大和魂《やまとだましひ》に|立《た》ち|帰《かへ》り|何時《いつ》も|動《うご》かぬ|松心《まつごころ》で、|雪《ゆき》より|清《きよ》く、|花《はな》より|麗《うるは》しく、|世《よ》の|中《なか》の|光《ひかり》となれ、|塩《しほ》となれ。|乱暴狼藉《らんばうろうぜき》|致《いた》らざるなき、|今《いま》までの|汝《なんぢ》の|所業《しわざ》や|利己主義《りこしゆぎ》を|捨《す》て、|陋劣《ろうれつ》な|手段《しゆだん》を|止《や》めて|吾身《わがみ》を|省《かへり》み、|何時《いつ》までも|変《かは》らぬ|美《うつく》しい|梅《うめ》の|花《はな》の|様《やう》な|心《こころ》を|以《もつ》て|神《かみ》の|道《みち》を|能《よ》く|守《まも》れ。|麗《うるは》しい|三五《あななひ》の|教《をしへ》を|夢寐《【む】び》にも|忘《わす》れず、|日夜《にちや》|怠《おこた》らず|清《きよ》き|祈《いの》りを|捧《ささ》げよ。|大蛇彦《をろちひこ》の|神《かみ》が|気《き》を|付《つ》けて|置《お》くぞよ。オーオー』
と|又《また》もや|巌窟《いはあな》の|中《うち》より、|大音響《だいおんきやう》が|聞《きこ》え|来《きた》る。
|熊公《くまこう》、|鹿公《しかこう》は|巌窟《いはあな》の|前《まへ》に|立《た》つて|歌《うた》ふ。
『|神《かみ》の|御稜威《みいづ》も|高照《たかてる》の  |山《やま》より|落《お》つる|言霊《ことたま》の
|滝《たき》の|響《ひびき》は|淙々《そうそう》と  |遠《とほ》く|近《ちか》くに|鳴《な》り|渡《わた》る
|堅磐常磐《かきはときは》の|巌窟《いはあな》に  |神《かみ》の|使《つかひ》の|大蛇彦《をろちひこ》
|木《こ》の|花姫《はなひめ》の|分霊《わけみたま》  |此処《ここ》に|現《あら》はれましまして
|日《ひ》に|夜《よ》につきぬ|御教《みをしへ》を  |天地《あめつち》|四方《よも》の|神人《しんじん》に
|具《つぶ》さに|宣《の》らせ|給《たま》ひつつ  |流《なが》れも|清《きよ》き|言霊《ことたま》の
|滝《たき》に|心《こころ》を|洗《あら》ひ|去《さ》り  |瑞《みづ》の|御霊《みたま》と|現《あ》れまして
|草《くさ》の|片葉《かきは》にいたるまで  |世《よ》は|平《たひら》けく|安《やす》らけく
|言問《ことと》ひやめて|神《かみ》の|世《よ》を  |堅磐常磐《かきはときは》に|治《をさ》めむと
|心《こころ》を|千々《ちぢ》に|砕《くだ》かせつ  |滝津涙《たきつなみだ》を|注《そそ》ぎまし
|吾《われ》らを|救《すく》ひ|給《たま》ふなり  |嗚呼《ああ》|皇神《すめかみ》よ|皇神《すめかみ》よ
|人《ひと》は|尊《たふと》き|神《かみ》の|御子《みこ》  |尊《たふと》き|神《かみ》の|生宮《いきみや》ぞ
|世《よ》は|烏羽玉《うばたま》の|暗《くら》くして  |塵《ちり》や|芥《あくた》に|穢《けが》れたる
|霊魂《みたま》をこれの|琴滝《ことだき》に  |禊《みそ》ぎ|祓《はら》ひてすくすくと
|直日《なほひ》の|神《かみ》の|玉《たま》となり  |暗《くら》き|谷間《たにま》を|伊都能売《いづのめ》の
|神《かみ》の|功《いさを》や|高照《たかてる》の  |山《やま》より|高《たか》く|照《て》らすべし
|東《ひがし》と|西《にし》の|巌窟《いはあな》に  |現《あら》はれ|給《たま》ふ|皇神《すめかみ》の
|心《こころ》は|清《きよ》き|琴滝《ことだき》の  みづの|霊魂《みたま》の|姿《すがた》かな
あゝ|願《ねが》はくばこの|水《みづ》の  |清《きよ》きが|如《ごと》く|世《よ》の|人《ひと》の
|霊魂《みたま》を|洗《あら》ひ|清《きよ》めませ  |吾《われ》らは|人《ひと》の|子《こ》|神《かみ》の|御子《みこ》
|神《かみ》と|人《ひと》とは|睦《むつ》び|合《あ》ひ  |天《あめ》と|地《つち》とは|秩序《ちつじよ》よく
|千代万代《ちよよろづよ》に|変《かは》りなく  |動《うご》かぬ|御代《みよ》や|松《まつ》|茂《しげ》る
|神世《かみよ》も|清《きよ》き|高砂《たかさご》の  |松《まつ》の|栄《さか》えの|久《ひさ》しかれ
|松《まつ》の|栄《さか》えの|久《ひさ》しかれ』
と|節《ふし》|面白《おもしろ》く|調子《てうし》を|合《あは》せて|歌《うた》ふ。この|歌《うた》の|面白《おもしろ》さに、|志芸山津見《しぎやまづみ》は|釣《つ》り|出《だ》されて、|巌窟《がんくつ》の|中《なか》より、|手《て》をふり|足《あし》を|躍《をど》らせ、|竹筒《たけづつ》を|吹《ふ》きながら|巌窟《いはや》の|前《まへ》に|現《あら》はれ|来《きた》り、|吾《われ》を|忘《わす》れて|三人《さんにん》|三《み》つ|巴《どもゑ》となりて|踊《をど》りくるふ。
ここに|志芸山津見《しぎやまづみ》、|熊公《くまこう》、|鹿公《しかこう》の|三人《さんにん》は|琴滝《ことだき》の|水《みづ》に|日夜《にちや》|禊《みそぎ》を|修《しう》し、|各《おのおの》|手分《てわけ》をなして、|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》を|四方《よも》に|伝《つた》ふることとなりぬ。|熊公《くまこう》は|石柝《いはさく》の|神《かみ》の|活動《くわつどう》をなし、|鹿公《しかこう》は|根柝《ねさく》の|神《かみ》の|活動《くわつどう》をなして、|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|神業《しんげふ》に|参加《さんか》し|大功《たいこう》を|立《た》てたるなり。
(大正一一・二・一六 旧一・二〇 土井靖都録)
第五篇 |百花《ひやくくわ》|爛漫《らんまん》
第二七章 |月光《げつくわう》|照梅《せうばい》〔四二〇〕
|夜《よ》を|日《ひ》についで【ひる】の|国《くに》  |虎《とら》|伏《ふ》す|野辺《のべ》や|獅子《しし》|大蛇《をろち》
|曲津《まがつ》の|声《こゑ》に|送《おく》られて  |大川《おほかは》|小川《をがは》を|打渡《うちわた》り
やつれ|果《は》てたる|蓑笠《みのかさ》の  |身装《みなり》も|軽《かる》きカルの|国《くに》
|花《はな》の|蕾《つぼみ》の|梅ケ香姫《うめがかひめ》の  |君《きみ》の|命《みこと》はただ|一人《ひとり》
|女心《をんなごころ》の|淋《さび》し|気《げ》に  |神《かみ》を|力《ちから》に|誠《まこと》を|杖《つゑ》に
|草鞋脚絆《わらぢきやはん》のいでたちは  |実《げ》に|勇《いさ》ましの|限《かぎ》りなり
|梅ケ香《うめがか》|薫《かを》る|春《はる》の|日《ひ》も  |何時《いつ》しか|過《す》ぎて|新緑《しんりよく》の
|滴《したた》る|山野《やまの》は|冬《ふゆ》の|空《そら》  |嵐《あらし》の|風《かぜ》に|吹《ふ》かれつつ
|秋《あき》の|紅葉《もみぢ》も|散《ち》りはてて  【ふみ】も|習《なら》はぬ|常世国《とこよくに》を
|行《ゆ》き|疲《つか》れたる|雪《ゆき》の|道《みち》  |太平洋《たいへいやう》の|波《なみ》|高《たか》く
|大西洋《たいせいやう》に|包《つつ》まれし  |高砂島《たかさごじま》と|常世国《とこよくに》
|陸地《りくち》と|陸地《りくち》、|海《うみ》と|海《うみ》  つなぐ【はざま】の|地峡国《ちけふこく》
|梅ケ香姫《うめがかひめ》はやうやうに  【はざま】の|森《もり》に|着《つ》きにけり。
|木枯《こがらし》の|風《かぜ》は|雪《ゆき》さへ|交《まじ》へて、|獅子《しし》の|吼《たけ》るやうに|唸《うな》り|立《た》つてゐる。|太平洋《たいへいやう》の|波《なみ》を|照《て》らして、|十六夜《のちのよ》の|月《つき》は|海面《かいめん》に|姿《すがた》を|現《あら》はしたり。|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|只《ただ》|一人《ひとり》、|浪《なみ》を|分《わ》けて|昇《のぼ》る|月影《つきかげ》に|向《むか》つて、
『あゝ|今日《けふ》は|十六夜《じふろくや》のお|月《つき》さま、|何時《いつ》|見《み》ても|美《うる》はしい|御顔《おんかんばせ》。|妾《わらは》も|同《おな》じ|十六歳《じふろくさい》の|女《をんな》の|一人旅《ひとりたび》、|変《かは》れば|変《かは》る|世《よ》の|中《なか》ぢやなア。|想《おも》ひ|廻《まは》せば、|時《とき》は|弥生《やよひ》の|三月三日《さんぐわつみつか》、|花《はな》の|都《みやこ》と|聞《きこ》えたる|聖地《せいち》ヱルサレムを|主従《しうじう》|四人《よにん》|立出《たちい》でて、|踏《ふ》みも|習《なら》はぬ|旅枕《たびまくら》、|千万《ちよろづ》の|艱《なや》みを|凌《しの》ぎしのぎて|遠《とほ》き|海原《うなばら》を|渡《わた》り、|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|有難《ありがた》くも|恋《こひ》しき|父《ちち》に|廻《めぐ》り|会《あ》ひ、|親子《おやこ》の|対面《たいめん》、やれやれと|喜《よろこ》ぶ|間《ま》もなく|妾《わらは》|姉妹《きやうだい》は、|神様《かみさま》のため、|世人《よびと》のために|尊《たふと》き|宣伝使《せんでんし》となつて、|又《また》もや|山坂《やまさか》を|越《こ》え|荒海《あらうみ》を|渡《わた》り、あらゆる|艱難《かんなん》と|戦《たたか》ひ、ここに|力《ちから》と|頼《たの》む|主従《しうじう》|四人《よにん》は、|珍山彦《うづやまひこ》の|神《かみ》の|誡《いまし》めに|依《よ》つて|東西南北《とうざいなんぼく》に|袂《たもと》を|別《わか》ち、|四鳥《してう》の|悲《かな》しみ、|釣魚《てうぎよ》の|涙《なみだ》、|乾《かわ》く|間《ま》もなき|五月《さつき》の|空《そら》、|珍《うづ》の|都《みやこ》を|後《あと》にして、|便《たよ》りも|夏《なつ》の|荒野《あらの》を|渉《わた》り、|秋《あき》も|何時《いつ》しか|暮果《くれは》てて、はやくも|冬《ふゆ》の|初《はじ》めとなつたるか。|神《かみ》のため、|世《よ》のためとは|言《い》ひながら、さてもさても|淋《さび》しいこと、|神様《かみさま》を|力《ちから》に|誠《まこと》を|杖《つゑ》に、やうやう|此処《ここ》まで|来《く》るは|来《き》たものの、もう|一歩《ひとあし》も|進《すす》まれぬ。|疲労《くたび》れ|果《は》てたるこの|身体《からだ》、あゝ|何《なん》とせむ』
と|袖《そで》に|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ふ|折《をり》しも、|前方《ぜんぱう》より|二三《にさん》の|老若《らうにやく》この|場《ば》に|現《あら》はれ、
|甲《かふ》『オイオイあの【はざま】の|森蔭《もりかげ》を|見《み》よ、|出《で》たぞ|出《で》たぞ』
|乙《おつ》『|何《なに》が|出《で》たのだ』
|甲《かふ》『|出《で》たの|出《で》んのつて、それ|霊《れい》ぢや|霊《れい》ぢや』
|乙《おつ》『|霊《れい》とはなんだい』
|甲《かふ》『|今夜《こんや》のやうな|風《かぜ》の|吹《ふ》く|晩《ばん》には、|得《え》てして|出《で》る|奴《やつ》ぢや。|蒼白《あをじろ》い|痩《や》せた|面《つら》をして|眼《め》をギロツと|剥《む》いて、|髪《かみ》を【さんばら】に|垂《た》らしてお|出《いで》る|御方《おかた》だ。|霊《れい》は|霊《れい》ぢやが、|霊《れい》の|上《うへ》に|幽《いう》がつくのだよ。それ|見《み》い、|木枯《こがらし》がヒユウヒユウと|呻《うな》つてゐる。オツツケ|其処《そこ》らからドロドロだ』
|丙《へい》『|何《なに》を|威嚇《おどか》しよるのだ。|幽霊《いうれい》も|何《なに》もあつたものか。|何《なん》ぢや|貴様達《きさまたち》は、ビリビリ|慄《ふる》ひよつて、|声《こゑ》まで|怪《あや》しいぢやないか』
|甲《かふ》『|慄《ふる》ふとるのぢやないワイ。|何《なん》だか|身体《からだ》が|細《こま》かく|動《うご》いとるのぢや』
|丙《へい》『|何《なに》は|兎《と》もあれ、|何《なん》だか|独語《ひとりごと》を|言《い》つてゐるやうだ。そつと|行《い》つて|偵察《ていさつ》をして|見《み》やうかい』
|甲《かふ》『|貴様《きさま》、|先《さき》へ|行《ゆ》け』
|丙《へい》『ハハア|恐《こは》いのだな。|気《き》の|弱《よわ》い|奴《やつ》ぢや、そんな|事《こと》で|吾々《われわれ》の|探偵《たんてい》が|勤《つと》まるか。|鷹取別《たかとりわけ》の|神《かみ》さまより、|三五教《あななひけう》の|女宣伝使《をんなせんでんし》が【はざま】の|国《くに》を|渡《わた》つて|常世《とこよ》の|国《くに》へ|行《ゆ》くと|云《い》ふことだから、|女宣伝使《をんなせんでんし》を|見《み》つけたら【ふん】|縛《じば》つて|連《つ》れて|来《こ》いと|云《い》つて、|吾々《われわれ》は|結構《けつこう》なお|手当《てあて》を|頂《いただ》いて|夜昼《よるひる》かうして|廻《まは》つて|居《を》るのぢやないか。|若《もし》も|彼《あ》んな|奴《やつ》が、その|中《うち》の|一人《ひとり》ででもあつて|見《み》よ、|吾々《われわれ》は|結構《けつこう》な|御褒美《ごほうび》をドツサリ|頂戴《ちやうだい》して、|親子《おやこ》が|一生《いつしやう》|遊《あそ》んで|暮《くら》さるるのだ。|恐《こは》い|処《ところ》へ|行《ゆ》かねば|熟柿《じゆくし》は|食《く》へぬぞ、|虎穴《こけつ》に|入《い》らずむば|虎児《こじ》を|獲《え》ずだ。|一《ひと》つ|肝玉《きもだま》を|出《だ》して、|貴様《きさま》から|先《さき》へ|偵察《ていさつ》をして|来《こ》い』
|甲《かふ》『アヽそれもさうだが、|何《なん》だか|気味《きみ》が|悪《わる》いな。ヤーそれなら|三人《さんにん》|手《て》を|繋《つな》いで、|一緒《いつしよ》に|行《ゆ》かうかい。|宣伝使《せんでんし》と|云《い》ふ|事《こと》が|判《わか》れば、|別《べつ》に|恐《こは》い|事《こと》も|何《なん》ともありやしないワ。|一人《ひとり》の|女《をんな》に|三人《さんにん》の|男《をとこ》だ。|磐石《ばんじやく》を|以《もつ》て|卵《たまご》を|破《やぶ》るよりも|易《やす》い|仕事《しごと》だ。|併《しか》しながら|幽《いう》の|字《じ》と|霊《れい》の|字《じ》であつたら|貴様《きさま》はどうするか』
|乙《おつ》『|幽霊《いうれい》でも|何《なん》でも|三人《さんにん》|居《を》れば|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。しつかり|手《て》を|繋《つな》いで|行《い》つて|見《み》ようかい』
と|甲《かふ》|乙《おつ》|丙《へい》は、|梅ケ香姫《うめがかひめ》の|休息《きうそく》する|森蔭《もりかげ》に|現《あら》はれ|来《きた》り、
|甲《かふ》『ヤイ、その|方《はう》は|何者《なにもの》ぢや。|生《せい》あるものか、|生《せい》なきものか、ユヽヽヽ|幽霊《いうれい》か、バヽヽ|化物《ばけもの》か』
|乙《おつ》『セヽヽヽ|宣伝使《せんでんし》か、|宣伝使《せんでんし》なれば|鷹取別《たかとりわけ》の|神様《かみさま》に……』
|丙《へい》『シツ、|何《なに》を|云《い》ふのだ。|馬鹿《ばか》な|奴《やつ》だな。モシモシお|女中《ぢよちゆう》、|一寸《ちよつと》|物《もの》をお|訊《たづ》ね|致《いた》します。|貴女《あなた》は|吾々《われわれ》の|信《しん》ずる|尊《たふと》き|有難《ありがた》き|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》で|御座《ござ》いませう。|何卒《どうぞ》ハツキリと|御名告《おなの》り|下《くだ》さいませ』
|木枯《こがらし》の|風《かぜ》はヒユウヒユウと|吹《ふ》き|捲《まく》つてゐる。|浪《なみ》の|音《おと》はドンドンと|響《ひび》いて|来《き》た。|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|雪《ゆき》のやうな|白《しろ》き、|細《ほそ》き|手《て》を【ぬつと】|前《まへ》に|出《だ》し、
『あゝ|怨《うら》めしやな、|妾《わらは》は|嶮《けは》しき|山坂《やまさか》を|越《こ》え……』
|甲《かふ》|乙《おつ》|丙《へい》『ヤア、|這奴《こいつ》はたまらぬ。|矢張《やつぱ》り|霊《れい》ぢや|霊《れい》ぢや、|霊《れい》の|上《うへ》に|幽《いう》の|附《つ》く|代物《しろもの》だよ。|遁《に》げろい|遁《に》げろい』
と|尻《しり》を【ひつからげ】|雲《くも》を|霞《かすみ》と|遁《に》げ|去《さ》つたり。|梅ケ香姫《うめがかひめ》は、|悄然《せうぜん》として|独言《ひとりごと》。
『|水《みづ》も|洩《も》らさぬ|悪神《あくがみ》の|仕組《しぐみ》、|鷹取別《たかとりわけ》は|妾《わらは》|姉妹《きやうだい》の|行方《ゆくへ》を|探《たづ》ね|苦《くる》しめむと|企《くはだ》つると|聞《き》く。|繊弱《かよわ》き|女《をんな》の|一人旅《ひとりたび》、アヽせめて|照彦《てるひこ》でも|居《ゐ》て|呉《く》れたならば、こんな|時《とき》には|力《ちから》になつて|呉《く》れるであらうに、アー、イヤイヤ|師匠《ししやう》を|杖《つゑ》につくな、|人《ひと》を|力《ちから》にするな。|神《かみ》は|汝《なんぢ》と|倶《とも》にありとの|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》、アヽ|迷《まよ》ひぬるか、|女心《をんなごころ》のあさましさよ。たとへ|如何《いか》なる|強《つよ》き|敵《てき》の|現《あら》はれ|来《きた》るとも、|誠《まこと》|一《ひと》つの|言霊《ことたま》の|力《ちから》に、|百千万《ひやくせんまん》の|曲津見《まがつみ》を|言向《ことむ》け|和《やは》さねばならぬ|神《かみ》の|使《つかひ》だ。アヽ|神様《かみさま》|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ』
と|大地《だいち》に|平伏《ひれふ》し、|木《こ》の|間《ま》|洩《も》る|月《つき》に|向《むか》つて、|声低《こゑびく》に|感謝《かんしや》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》する|折《をり》しも、|最前《さいぜん》|現《あら》はれし|三人《さんにん》の|中《なか》の|一人《ひとり》、|丙《へい》は|突然《とつぜん》としてこの|場《ば》に|現《あら》はれ、
『ヤア|貴女《あなた》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|昔《むかし》はヱルサレムの|天使長《てんしちやう》|桃上彦命《ももがみひこのみこと》の|御娘《おんむすめ》と|承《うけたま》はつて|居《を》りました。ここは|鷹取別《たかとりわけ》の|神《かみ》の|警戒《けいかい》|激《はげ》しく、|貴女様《あなたさま》|三人《さんにん》の|御姉妹《ごきやうだい》を|召捕《めしと》るべく|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|探女《さぐめ》を|遣《つか》はし、|蜘蛛《くも》の|巣《す》の|如《ごと》き|警戒網《けいかいまう》を|張《は》つて|居《を》ります。|私《わたくし》も|実《じつ》はその|役人《やくにん》の|一人《ひとり》、|今《いま》|三人連《さんにんづ》れで|様子《やうす》を|窺《うかが》へば、まさしく|宣伝使《せんでんし》の|一人《ひとり》と|悟《さと》つた|故《ゆゑ》、|二人《ふたり》の|同役《どうやく》を|威喝《おどか》して、【まき】|散《ち》らして|私《わたくし》は|忍《しの》んで|参《まゐ》りました。|私《わたくし》の|家《うち》は|実《じつ》に【むさ】|苦《くる》しい|荒屋《あばらや》で|御座《ござ》いまするが、|暫《しば》らく|警戒《けいかい》の|弛《ゆる》むまで、わが|家《や》にお|忍《しの》び|下《くだ》さいますれば|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。この|国《くに》はウラル|彦《ひこ》の|教《をしへ》の|盛《さか》んな|所《ところ》で、|三五教《あななひけう》のアの|字《じ》を|言《い》つても、|酷《ひど》い|成敗《せいばい》に|遇《あ》はねばならぬ|危《あぶな》い|所《ところ》でございます。|私《わたくし》も|元《もと》はウラル|教《けう》を|信《しん》じて|居《を》りましたが、|貴女様《あなたさま》|一行《いつかう》が【てる】の|国《くに》からアタルの|港《みなと》へお|渡《わた》りになるその|船《ふね》の|中《なか》に|於《おい》て、|三五教《あななひけう》の|尊《たふと》き|教理《けうり》を|知《し》り、|心《こころ》|私《ひそ》かに|信仰《しんかう》|致《いた》して|居《を》りますもの、|私《わたくし》の|妻《つま》も|熱心《ねつしん》なる|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》でございます。かういふ|処《ところ》に|長居《ながゐ》は|恐《おそ》れ、|又《また》もや|探偵《たんてい》の|眼《め》にとまれば|一大事《いちだいじ》、どうぞ|一時《いちじ》も|早《はや》く、|私《わたくし》の|家《うち》へ|御越《おこ》し|下《くだ》さいませぬか』
『アヽ|世界《せかい》に|鬼《おに》はない、|御親切《ごしんせつ》は|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|併《しか》しながら|何事《なにごと》も|惟神《かむながら》に|任《まか》したこの|身《み》、たとへ|鷹取別《たかとりわけ》の|前《まへ》に|曳《ひ》き|出《だ》され、|嬲殺《なぶりごろ》しに|遇《あ》はうとも、|苟《いやし》くも|宣伝使《せんでんし》たる|身《み》を|以《もつ》て、|人《ひと》の|情《なさけ》に【ほださ】れて、たとへ|三日《みつか》でも|五日《いつか》でも|空《むな》しく|月日《つきひ》が|過《すご》されませうか。|神《かみ》を|力《ちから》に|誠《まこと》を|杖《つゑ》に、|飽《あ》くまでも|宣伝歌《せんでんか》を|唱《とな》へて|行《ゆ》く|処《ところ》まで|参《まゐ》ります。また|貴方様《あなたさま》に|捕《とら》へられて、|鷹取別《たかとりわけ》の|面前《めんぜん》に|曳出《ひきだ》さるるとも、これも|何《なに》かの|神様《かみさま》のお|仕組《しぐみ》、|御親切《ごしんせつ》は|有難《ありがた》うございますが、|貴方《あなた》の|家《うち》へ|忍《しの》び|隠《かく》るることだけは|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ』
『イヤ|如何《いか》にも|感《かん》じ|入《い》りたるお|言葉《ことば》、|理義《りぎ》|明白《めいはく》なる|仰《あふ》せには、|返《かへ》す|言葉《ことば》もございませぬ。|併《しか》しながら、|袖振《そでふ》り|合《あ》ふも|多生《たしやう》の|縁《えん》、これも|何《なに》かの|神様《かみさま》のお|引合《ひきあは》せでございませう。アヽ|然《しか》らば|私《わたくし》の|家《うち》へ|隠《かく》れ|忍《しの》ぶと|云《い》ふ|事《こと》はなさらずに、|何卒《どうぞ》|一晩《ひとばん》|私《わたくし》の|家《うち》へ|御出《おい》で|下《くだ》さいまして、|女房《にようばう》に|尊《たふと》き|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》を|聴《き》かしてやつて|下《くだ》さいますれば|有難《ありがた》うございます』
『アヽ|然《しか》らば|不束《ふつつか》ながら|神様《かみさま》の|教《をしへ》を|伝《つた》へさして|頂《いただ》きませう』
『|早速《さつそく》の|御承知《ごしようち》、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います』
と|先《さき》に|立《た》つて|行《ゆ》く。|又《また》もや|後《うしろ》の|方《はう》に|当《あた》つて、|騒《さわ》がしき|人声《ひとごゑ》|聞《きこ》え|来《きた》る。
|見《み》れば、|鷹取別《たかとりわけ》の|紋《しるし》の|入《い》つた|提燈《ちやうちん》の|光《ひかり》が|木蔭《こかげ》に|揺《ゆ》らぎつつ、|足早《あしばや》に|此方《こなた》に|向《むか》ひ|来《き》たる|模様《もやう》なり。
(大正一一・二・一六 旧一・二〇 外山豊二録)
第二八章 |窟《いはや》の|邂逅《かいこう》〔四二一〕
|冷《ひ》えたる|月《つき》は|天空《てんくう》に|光《ひかり》|輝《かがや》き、|木枯《こがらし》の|風《かぜ》は|肌《はだへ》に|沁《し》み|渡《わた》り、|骨《ほね》も|徹《とほ》さむばかりなる|寒《さむ》けき|夜《よ》の|細道《ほそみち》を|一人《ひとり》の|男《をとこ》に|伴《ともな》はれ、|年《とし》は|二八《にはち》か|二九《にく》からぬ、|花《はな》の|蕾《つぼみ》の|梅ケ香姫《うめがかひめ》は、|疲《つか》れし|足《あし》もたよたよと、とある|山蔭《やまかげ》の|瀟洒《せうしや》たる|一《ひと》つ|家《や》に|伴《ともな》はれ|行《ゆ》く。|一人《ひとり》の|男《をとこ》は、
『|私《わたくし》は|今《いま》まで|途中《とちう》の|事《こと》と|言《い》ひ、|名前《なまへ》も|申上《まをしあ》げませんでしたが、|春山彦《はるやまひこ》と|申《まを》す|者《もの》で|御座《ござ》います。|実《じつ》に|見窄《みすぼら》しき|荒屋《あばらや》なれど、どうかゆるゆる|御休息《ごきうそく》の|上《うへ》、|尊《たふと》きお|話《はなし》を|聴《き》かせて|下《くだ》さいませ』
と|挨拶《あいさつ》しながら、|密《ひそ》かに|門《もん》の|戸《と》を|開《ひら》いて|梅ケ香姫《うめがかひめ》を|迎《むか》へ|入《い》れたり。|春《はる》|山彦《やまひこ》は|手軽《てがる》なる|夕餉《ゆふげ》を|出《だ》し、|梅ケ香姫《うめがかひめ》と|諸共《もろとも》に|食膳《しよくぜん》の|箸《はし》を|採《と》り、|茶漬《ちやづけ》さらさらと|茲《ここ》に|夕餉《ゆふげ》を|済《す》ませたり。|春山彦《はるやまひこ》の|娘《むすめ》と|見《み》えて、|花《はな》を|欺《あざむ》く|三人《さんにん》の|娘《むすめ》は、|叮嚀《ていねい》に|会釈《ゑしやく》しながら|膳部《ぜんぶ》を|片《かた》づける。|春山彦《はるやまひこ》の|妻《つま》|夏姫《なつひめ》はこの|場《ば》に|現《あら》はれ、|叮嚀《ていねい》に|挨拶《あいさつ》をしながら、
『モシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、お|年《とし》にも|似合《にあ》はぬ、お|道《みち》のために|世界《せかい》をお|廻《まは》り|遊《あそ》ばすとは、|真《まこと》に|感心《かんしん》いたします。|妾《わらは》も|御覧《ごらん》の|通《とほ》り|三人《さんにん》の|娘《むすめ》を|持《も》つて|居《を》りますが、|何《ど》れも|此《こ》れも|嬢《ぢやう》さま|育《そだ》ちで、|門《もん》へ|一《ひと》つ|出《で》るのにも、|風《かぜ》が|当《あた》るの、|風《かぜ》をひくの、|恥《はづ》かしいのと|申《まを》して、|親《おや》の|懐《ふところ》ばかりに|甘《あま》えて|居《を》りますにも|拘《かかは》らず、|貴女様《あなたさま》の|雄々《をを》しき|御志《おんこころざし》、|真《まこと》に|感《かん》じ|入《い》りました。|私《わたくし》も|今年《ことし》の|夏《なつ》の|初《はじ》め|頃《ごろ》より、|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》となり、|神様《かみさま》を|祀《まつ》つて|信仰《しんかう》を|致《いた》して|居《を》りますが、|何分《なにぶん》にも|此処《ここ》は|高砂《たかさご》の|島《しま》から|常世《とこよ》の|国《くに》へ|渡《わた》る|喉首《のどくび》、|常世神王《とこよしんわう》の|宰相司《さいしやうがみ》|鷹取別《たかとりわけ》の|権力《けんりよく》|強《つよ》く、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》がここを|通《とほ》つたならば、|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|縛《しば》り|上《あ》げて、|常世城《とこよじやう》へ|連《つ》れ|参《まゐ》れとの|厳《きび》しき|布令《ふれ》が|廻《まは》りまして、|誰《たれ》も|彼《かれ》もこの|国人《くにびと》は|慾《よく》に|迷《まよ》ひ|褒美《ほうび》に|与《あづか》らうとして、|昼《ひる》も|夜《よ》も|宣伝使《せんでんし》の|通行《つうかう》を|探《さが》して|居《ゐ》るやうな|次第《しだい》でございます。|夫《をつと》|春山彦《はるやまひこ》は|信仰《しんかう》の|強《つよ》い|者《もの》でありまして、|夏《なつ》の|初《はじ》め|智利《てる》の|国《くに》から|此方《こちら》へ|帰《かへ》つて|来《く》る|際《さい》、アタル|丸《まる》の|船中《せんちう》において|美《うつく》しい|姉妹《おとどい》|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》の|歌《うた》を|聞《き》いて、|今《いま》まで|奉《ほう》じてゐたウラル|教《けう》をスツカリ|止《や》め、|三五教《あななひけう》に|転《てん》じましたのでございます。|然《しか》るに|表向《おもてむ》き|三五教《あななひけう》を|信《しん》ずれば、|常世神王様《とこよしんわうさま》の|御気勘《ごきかん》に|叶《かな》はぬので、|何《ど》んな|責苦《せめく》に|遇《あ》はされやうも|知《し》れませぬ|故《ゆゑ》、|密《ひそ》かに|後《うしろ》の|山《やま》に|岩屋戸《いはやど》を|築《きづ》き、|石室《いしむろ》の|中《なか》に|祀《まつ》つて|居《を》ります。|可《か》なり|広《ひろ》い|座敷《ざしき》でございますれば、|何卒《どうぞ》|一度《いちど》、|神様《かみさま》に|宣伝歌《せんでんか》と|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》して|下《くだ》さいませぬか』
『|有難《ありがた》うございます。|危《あやふ》ふき|処《ところ》を|助《たす》けられ|御恩《ごおん》の|返《かへ》しやうも|御座《ござ》いませぬ。|左様《さやう》ならば|神様《かみさま》に|神言《かみごと》を|奏上《あげ》さして|戴《いただ》きませう』
|夏姫《なつひめ》は、
『|妾《わらは》が|案内《あんない》いたしませう』
と|先《さき》に|立《た》つて|裏庭《うらには》を|越《こ》え、|広《ひろ》き|巌窟《がんくつ》の|傍《かたはら》に|伴《ともな》ひ|行《ゆ》く。
|石室《いしむろ》の|中《なか》には、|淑《しと》やかなる|女《をんな》の|声《こゑ》にて|宣伝歌《せんでんか》が|聞《きこ》えて|居《を》る。|夏姫《なつひめ》は|梅ケ香姫《うめがかひめ》に|向《むか》ひ、
『サア、どうぞ|此《この》|戸《と》を|向《むか》ふへ|押《お》して|下《くだ》さいますれば、|可《か》なり|広《ひろ》い|間《ま》がございまして、|大神様《おほかみさま》が|祀《まつ》つてございます。どうぞ|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》して|下《くだ》さいまして、|悠《ゆる》りと|御休息《ごきうそく》なさいませ。|表《おもて》に|少《すこ》しく|用《よう》がございますから、|妾《わらは》は|是《これ》にて|失礼《しつれい》いたします』
と|本宅《ほんたく》の|方《はう》へ|姿《すがた》を|隠《かく》したり。
|梅ケ香姫《うめがかひめ》は|戸口《とぐち》に|立《た》つて、|室内《しつない》の|宣伝歌《せんでんか》を|床《ゆか》しげに|聞《き》いてゐる。
『|天地《てんち》の|神《かみ》の|守《まも》ります  |美《うま》しの|御国《みくに》に|生《うま》れたる
|青人草《あをひとぐさ》のここかしこ  |茂《しげ》り|栄《さか》ゆるその|中《なか》に
この|世《よ》の|花《はな》と|謳《うた》はれし  |高天原《たかあまはら》の|貴《うづ》の|宮《みや》
|神《かみ》の|長《をさ》なる|桃上彦《ももがみひこ》の  |父《ちち》の|命《みこと》の|御跡辺《みあとべ》を
|日《ひ》に|夜《よ》に|恋《こ》ひつ|慕《した》ひつつ  |雨《あめ》の|夕《ゆふべ》や|風《かぜ》の|朝《あさ》
|心《こころ》をいため|暮《くら》したる  |松竹梅《まつたけうめ》の|姉妹《おとどい》が
|心《こころ》の|暗《やみ》を|晴《は》らさむと  |花《はな》|咲《さ》く|春《はる》の|上三日《かみみつか》
|花《はな》の|都《みやこ》を|立《た》ち|出《い》でて  |山川《やまかは》|渡《わた》り|海原《うなばら》の
|浪《なみ》おし|分《わ》けてやうやうに  |智利《てる》の|港《みなと》に|着《つ》きにけり
|朝日《あさひ》も【てる】の|港《みなと》より  |大蛇《をろち》の|船《ふね》に|乗《の》せられて
|空《そら》|鳴《な》き|渡《わた》る|杜鵑《ほととぎす》  |悲《かな》しき|三人《みたり》の|姉妹《おとどい》が
|心《こころ》も|清《きよ》き|照彦《てるひこ》の  |御供《みとも》の|神《かみ》と|諸共《もろとも》に
|菖蒲《あやめ》も|匂《にほ》ふ|五月空《さつきぞら》  |五日《いつか》の|宵《よひ》に|嬉《うれ》しくも
|珍《うづ》の|館《やかた》のわが|父《ちち》に  |父子《ふし》の|縁《えにし》の|浅《あさ》からず
|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|助《たす》けられ  |会《あ》うて|嬉《うれ》しき|相生《あひおひ》の
|祝《いは》ひの|宴席《むしろ》とこしへに  |喜《よろこ》ぶ|間《ま》もなく|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|教《をしへ》を|開《ひら》かむと  |四男三女《よなんさんによ》の|宣伝使《せんでんし》
|父《ちち》の|館《やかた》を|後《あと》にして  |智利山峠《てるやまたうげ》の|頂《いただ》きに
|立《た》ちて|都《みやこ》を|振返《ふりかへ》り  |父母《ふぼ》に|名残《なごり》を|惜《を》しみつつ
ハルの|港《みなと》を|船出《ふなで》して  |秘露《ひる》とカルとの|国境《くにざかひ》
アタルの|港《みなと》を|後《あと》になし  |神《かみ》の|御稜威《みいづ》も|高照《たかてる》の
|御山《みやま》を|越《こ》えて|進《すす》み|来《く》る  |歩《あゆ》みも|軽《かる》きカルの|国《くに》
ここに|三人《みたり》の|姉妹《おとどい》は  |袂《たもと》を|分《わか》ちめいめいに
|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》  |歌《うた》ひて|進《すす》む|折柄《をりから》に
|間《はざま》の|国《くに》に|差掛《さしかか》る  |頃《ころ》しも|秋《あき》の|末《すゑ》つ|方《かた》
|冬《ふゆ》の|境《さかひ》の|木枯《こがらし》に  |吹《ふ》かれて|艱《なや》む|旅《たび》の|空《そら》
|鷹取別《たかとりわけ》の|目付《めつけ》らに  |虐《しひた》げられて|玉《たま》の|緒《を》の
|息《いき》も|絶《た》えなむその|時《とき》に  |花《はな》も|実《み》もある|春山彦《はるやまひこ》の
|神《かみ》の|命《みこと》に|助《たす》けられ  この|世《よ》を|忍《しの》ぶ|松代姫《まつよひめ》
|竹野《たけの》の|姫《ひめ》は|今《いま》ここに  |美《うつ》しき|顔《かほ》を|見合《みあ》はせて
|神《かみ》の|御言《みこと》を|宣《の》りつれど  |心《こころ》にかかるは|梅ケ香姫《うめがかひめ》
わが|妹《いもうと》の|一人旅《ひとりたび》  いづくの|果《はて》に|漂浪《さすらひ》の
|旅《たび》に|足《あし》をや|痛《いた》むらむ  あゝ|懐《なつ》かしき|妹《いもうと》よ
あゝうつくしき|梅ケ香《うめがか》の  |姫《ひめ》の|命《みこと》よ|松竹《まつたけ》の
|姉《あね》の|心《こころ》も|白浪《しらなみ》の  |大海原《おほうなばら》に|漂《ただよ》ふか
|荒野《あらの》の|果《はて》にさまよふか  |心《こころ》|慢《おご》れる|鷹取別《たかとりわけ》の
|曲《まが》の|手下《てした》の|曲神《まがかみ》に  |虐《しひた》げられて|千万《ちよろづ》の
|責苦《せめく》に|遇《あ》うて|苦《くる》しむか  |聞《き》かまほしきは|妹《いもうと》の
|便《たよ》りなりけりいたはしや  |会《あ》ひたさ|見《み》たさ|懐《なつか》しと
|思《おも》へば|心《こころ》もかき|曇《くも》る  この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》  |唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し  |三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》を
|思《おも》ひ|廻《まは》せば|廻《まは》す|程《ほど》  |妹《いもと》の|行方《ゆくへ》|偲《しの》ばれて
|涙《なみだ》のかわく|暇《ひま》もなし  あゝわが|涙《なみだ》この|涙《なみだ》
|天《てん》に|昇《のぼ》りて|雨《あめ》となり  |雪《ゆき》ともなりて|世《よ》の|人《ひと》の
|心《こころ》の|玉《たま》を|洗《あら》へかし  |力《ちから》に|思《おも》ふ|照彦《てるひこ》の
|下僕《しもべ》の|神《かみ》は|今《いま》|何処《いづこ》  |曲神《まがみ》の|猛《たけ》ぶ|黄泉島《よもつじま》
|黄泉《よもつ》の|国《くに》に|渡《わた》れるか  |常世《とこよ》の|国《くに》にさまよふか
せめては|空《そら》|行《ゆ》く|雁《かりがね》の  |便《たよ》りもがもと|思《おも》へども
この|世《よ》を|忍《しの》ぶ|今《いま》の|身《み》の  |何《なん》と|詮方《せんかた》なくばかり
|誠《まこと》の|神《かみ》よ|皇神《すめかみ》よ  わが|妹《いもうと》や|照彦《てるひこ》に
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|会《あ》はしませ  |一日《ひとひ》も|早《はや》く|会《あ》はせまし
あゝ|梅ケ香《うめがか》よ|妹《いもうと》よ  あゝ|妹《いもうと》よ|照彦《てるひこ》よ』
と|歌《うた》つてゐる。|梅ケ香姫《うめがかひめ》はこの|声《こゑ》を|聞《き》いて、かつ|驚《おどろ》きかつ|悦《よろこ》び、|静《しづ》かに|戸《と》を|開《あ》けて|一室《ひとま》の|内《うち》にまろび|込《こ》み、
『あゝ|恋《こひ》しき|姉上様《あねうへさま》』
と|言《い》つたきり、|嬉《うれ》しさに|言葉《ことば》|詰《つま》つて|泣《な》くばかりなり。
|松代姫《まつよひめ》、|竹野姫《たけのひめ》は|思《おも》はぬ|姉妹《きやうだい》の|対面《たいめん》に、|狂喜《きやうき》の|涙《なみだ》|堰《せ》きあへず、|三人《さんにん》は|無言《むごん》のまま|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|咽《むせ》ぶのみなり。
|折《をり》しも|表《おもて》に|当《あた》つて|騒々《さうざう》しき|物音《ものおと》|聞《きこ》え|来《きた》る。アヽこの|三人《さんにん》の|娘《むすめ》の|運命《うんめい》は|如何《いか》になるべきか、|心許《こころもと》なき|次第《しだい》なり。
(大正一一・二・一六 旧一・二〇 森良仁録)
第二九章 |九人娘《くにんむすめ》〔四二二〕
|十六夜《のちのよ》の|初冬《しよとう》の|月《つき》は、|御空《みそら》に|皎々《かうかう》と|輝《かがや》いてゐる。
|春山彦《はるやまひこ》の|門前《もんぜん》には、|照山彦《てるやまひこ》、|竹山彦《たけやまひこ》の|二人《ふたり》が|数多《あまた》の|家来《けらい》を|引《ひ》き|連《つ》れ、|突棒《つくぼう》、|刺股《さすまた》、|十手《じつて》、|弓矢《ゆみや》を|携《たづさ》へながら、|門戸《もんこ》を|押《お》し|破《やぶ》り|進《すす》み|来《き》たり、|大音声《だいおんじやう》。
『|春山彦《はるやまひこ》は|在宅《ざいたく》か』
と|呼《よ》ばはるにぞ、|春山彦《はるやまひこ》は|静《しづ》かに|門《もん》の|戸《と》を|押開《おしひら》き、
『これはこれは、|何方《どなた》かと|思《おも》へば|照山彦《てるやまひこ》、|竹山彦《たけやまひこ》の|御両所様《ごりやうしよさま》、|数多《あまた》の|供人《ともびと》を|引《ひ》き|連《つ》れ、この|真夜中《まよなか》に、よくもよくも|御入来《ごじゆらい》|下《くだ》さいました』
『オー、|今日《こんにち》はよく|来《き》たのではない。|照山彦《てるやまひこ》は|汝《なんぢ》の|為《ため》には|悪《わる》く|来《き》たのだ。|気《き》の|毒《どく》ながら|今日《こんにち》の|役目《やくめ》、|申《まを》し|渡《わた》す|仔細《しさい》がある、|奥《おく》へ|案内《あんない》を|致《いた》せ』
|春山彦《はるやまひこ》は|二人《ふたり》を|導《みちび》き|一間《ひとま》に|入《い》る。|竹山彦《たけやまひこ》は|数多《あまた》の|部下《ぶか》に|向《むか》ひ、
『その|方《はう》|共《ども》はこの|館《やかた》を|取《と》り|巻《ま》けよ。|必《かなら》ずともに|油断《ゆだん》を|致《いた》すな』
と|言《い》ひ|置《お》いて|正座《しやうざ》になほるを|春山彦《はるやまひこ》は、
『|貴方《あなた》は|鷹取別《たかとりわけ》の|神《かみ》の|御家来《ごけらい》、この|真夜中《まよなか》に|何御用《なにごよう》あつてお|越《こ》しになりました。|御用《ごよう》の|次第《しだい》を|仰《あふ》せ|聞《き》けられ|下《くだ》さいますれば|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます』
|照山彦《てるやまひこ》は|威儀《ゐぎ》を|正《ただ》し、|春山彦《はるやまひこ》をグツと|睨《ね》めつけ、
『|吾々《われわれ》が|今日《こんにち》|参《まゐ》つたのは|余《よ》の|儀《ぎ》ではない。その|方《はう》はこの【はざま】の|国《くに》の|目付役《めつけやく》を|致《いた》しながら|君命《くんめい》に|背《そむ》き、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|三人《さんにん》を|密《ひそ》かに|隠匿《かくま》ひ|置《お》くと|聞《き》く。この|里人《さとびと》の|密告《みつこく》によつて、|確《たし》かな|証拠《せうこ》が|握《にぎ》つてある|以上《いじやう》は、|否応《いやおう》は|言《い》はれまい。ジタバタしてももう|敵《かな》はぬ。|百千万言《ひやくせんまんげん》の|言《い》ひ|訳《わけ》も、|空《そら》|吹《ふ》く|風《かぜ》と|聞《き》き|流《なが》すこの|照山彦《てるやまひこ》だ』
|竹山彦《たけやまひこ》は|威儀《ゐぎ》|儼然《げんぜん》として、
『かうなつた|以上《いじやう》は|百年目《ひやくねんめ》だ、|一時《いちじ》も|早《はや》く|三人《さんにん》の|女《をんな》をこの|場《ば》へ|引摺《ひきず》り|出《だ》して|渡《わた》さばよし、|何《なん》の|彼《かん》のと|躊躇《ちうちよ》に|及《およ》ばば、|汝《なんぢ》も|諸共《もろとも》|引《ひ》き|縛《しば》つて|常世《とこよ》の|国《くに》に|連《つ》れ|帰《かへ》り、|拷問《がうもん》を|致《いた》してでも|白状《はくじやう》させる。サア|春山彦《はるやまひこ》、|返答《へんたふ》は|何《ど》うだ』
『これはこれは、|寝耳《ねみみ》に|水《みづ》の|鷹取別《たかとりわけ》の|御仰《おんあふ》せ、モウかうなる|上《うへ》は|是非《ぜひ》に|及《およ》ばぬ。|可愛《かあい》らしい|天《てん》にも|地《ち》にもかけ|替《か》へのない|吾《わが》|三人《さんにん》の|娘《むすめ》……イヤ|娘《むすめ》のやうに|可愛《かあい》がつて|居《ゐ》る|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》をこれへお|渡《わた》し|申《まを》す。それについても|種々《いろいろ》の|仕度《したく》もござれば、|半刻《はんとき》ばかりの|御猶予《ごいうよ》をお|願《ねが》ひ|致《いた》します』
|照山彦《てるやまひこ》『イヤ、その|手《て》は|喰《く》はぬ。ゴテゴテと|暇取《ひまど》らせ、|風《かぜ》を|喰《くら》つてこの|家《や》を|逃《に》げ|失《う》せる|汝《なんぢ》の|企《たく》み、|屋敷《やしき》の|廻《まは》りには|数百人《すうひやくにん》の|配下《はいか》をつけて|置《お》いたれば、|蚤《のみ》の|飛《と》び|出《で》る|隙《すき》もない。キリキリチヤツと|渡《わた》したが|為《ため》であらうぞよ』
『イヤ、|照山彦《てるやまひこ》|殿《どの》、|仰《あふ》せの|如《ごと》くもはや|遁走《とんそう》の|憂《うれ》ひもなければ、|半刻《はんとき》ばかりの|猶予《いうよ》を|与《あた》へ、|吾々《われわれ》はここに|休息《きうそく》して|待《ま》つことに|致《いた》さう、|竹山彦《たけやまひこ》がお|請合《うけあひ》|申《まを》す』
『しからば|半刻《はんとき》の|猶予《いうよ》を|与《あた》ふる。その|間《ま》に|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》をこれへズラリと|引《ひ》き|出《だ》せよ』
|春山彦《はるやまひこ》は|胸《むね》に|鎹《かすがひ》|打《う》たるる|心地《ここち》。
『|承知《しようち》いたしました』
と|落《お》つる|涙《なみだ》をかくしつつ、この|場《ば》を|悠然《いうぜん》として|立去《たちさ》り、|別殿《べつでん》に|進《すす》み|入《い》る。|妻《つま》の|夏姫《なつひめ》は|様子《やうす》|如何《いか》にと|案《あん》じ|煩《わづら》ふ|折《を》りしも、|春山彦《はるやまひこ》の|常《つね》ならぬ|顔《かほ》を|見《み》て、
『|思《おも》ひがけなき|夜中《やちう》のお|使者《ししや》、|様子《やうす》は|如何《いかが》でございますか』
|春山彦《はるやまひこ》は|吐息《といき》をつきながら、
『|女房《にようばう》、|汝《そなた》に|一生《いつしやう》の|願《ねが》ひがある。|聞《き》いては|呉《く》れようまいかなア』
『これは|又《また》、あらたまつたお|言葉《ことば》、|夫《をつと》の|言葉《ことば》を|女房《にようばう》として、どうして|背《そむ》きませう。|何《なん》なりと|叶《かな》ふ|事《こと》ならば|仰《あふ》せ|付《つ》け|下《くだ》さいませ』
『オー|夏姫《なつひめ》、よく|言《い》うて|呉《く》れた。|夫婦《ふうふ》の|者《もの》が|長《なが》の|年月《としつき》、|蝶《てふ》よ|花《はな》よと|育《そだ》て|上《あ》げた|秋月姫《あきづきひめ》、|深雪姫《みゆきひめ》、|橘姫《たちばなひめ》の|三人《さんにん》の|生命《いのち》を|与《く》れよ』
『エヽ』
『|返事《へんじ》がないは、|否《いや》と|申《まを》すのか。|野山《のやま》の|猛《たけ》き|獣《けもの》さへも、|子《こ》を|思《おも》はざるものがあらうか。|焼野《やけの》の|雉子《きぎす》、|夜《よる》の|鶴《つる》、|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに、|蝶《てふ》よ|花《はな》よと|育《そだ》て|上《あ》げ、|莟《つぼみ》の|花《はな》の|開《ひら》きかけたる、|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|三人《みたり》の|娘《むすめ》をば、|宣伝使《せんでんし》の|身代《みがは》りに|立《た》てたいばかりの|夫《をつと》が|頼《たの》み、どうぞ|得心《とくしん》して|呉《く》れ。わが|三人《さんにん》の|娘《むすめ》は|世界《せかい》の|為《ため》には|働《はたら》きの|出来《でき》ぬお|嬢《ぢやう》|育《そだ》ちに|引《ひ》き|代《か》へて、|珍《うづ》の|都《みやこ》にまします|正鹿山津見《まさかやまづみ》の|神《かみ》の|御娘子《おんむすめご》は|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》となつて|衆生済度《しうじやうさいど》を|遊《あそ》ばす、その|清《きよ》き|御志《おんこころざし》、|思《おも》へば|思《おも》へば、これがどうして|鷹取別《たかとりわけ》に|渡《わた》されようか。|今《いま》まで|尽《つく》した|親切《しんせつ》が|却《かへ》つて|仇《あだ》となつたるか。あゝどうしたらこの|場《ば》の|苦《くる》しみを|免《のが》れる|事《こと》が|出来《でき》ようぞ。サア|夏姫《なつひめ》|返答《へんたふ》を|聞《き》かして|呉《く》れよ』
|夏姫《なつひめ》はさし|伏向《うつむ》いて|何《なん》の|応答《いらへ》もなく|涙《なみだ》を|袖《そで》に|拭《ぬぐ》ふのみ。
この|時《とき》|一間《ひとま》を|開《あ》けて|現《あら》はれ|出《い》でたる|三人《さんにん》の|娘《むすめ》は、|知《し》らぬ|間《ま》に|宣伝使《せんでんし》の|服《ふく》を|着《つ》け、
『お|父《とう》さま、お|母《かあ》さま、|吾々《われわれ》|姉妹《きやうだい》|三人《さんにん》は|宣伝使《せんでんし》の|御用《ごよう》に|立《た》つて、|常世《とこよ》の|国《くに》に|引《ひ》かれて|参《まゐ》ります。|老少不定《らうせうふぢやう》は|世《よ》の|習《なら》ひ、|随分《ずゐぶん》【まめ】で|暮《くら》して|下《くだ》さいませ』
と|袖《そで》に|涙《なみだ》をかくして、|畳《たたみ》に|手《て》をつき|頼《たの》み|入《い》る。
|春山彦《はるやまひこ》|夫婦《ふうふ》は|一目《ひとめ》|見《み》るより|吾子《わがこ》|三人《さんにん》の|決心《けつしん》に|感《かん》じ|入《い》り、|一度《いちど》にワツと|泣《な》かむとせしが、|待《ま》て|暫《しば》し、|聞《きこ》えては|一大事《いちだいじ》と、|涙《なみだ》をかくす|苦《くる》しさ。
かかる|処《ところ》へ|松竹梅《まつたけうめ》の|宣伝使《せんでんし》|現《あら》はれ|来《きた》り、
『|委細《ゐさい》の|様子《やうす》は|残《のこ》らず|聞《き》きました。|海山《うみやま》の|御恩《ごおん》を|蒙《かうむ》りて、まだその|上《うへ》に|勿体《もつたい》なや、|天《てん》にも|地《ち》にもかけ|替《が》へのない|可愛《かあい》い|三人《さんにん》の|娘子《むすめご》を|身代《みがは》りに|立《た》てて、|妾《わらは》|達《たち》を|助《たす》けて|遣《や》らうとの|思召《おぼしめし》は、|何時《いつ》の|世《よ》にか|忘《わす》れませう。あゝそのお|心《こころ》は|千倍《せんばい》にも|万倍《まんばい》にも|受《う》けまする。|三人《さんにん》の|娘子様《むすめごさま》、よくもそこまで|思《おも》うて|下《くだ》さいました。|併《しか》しながら|吾々《われわれ》は、|人《ひと》を|助《たす》ける|宣伝使《せんでんし》の|役《やく》、|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》にも|敵《かたき》を|詐《いつは》つて|替《か》へ|玉《だま》を|使《つか》ひ、|三人《さんにん》の|娘子《むすめご》を|敵《てき》に|渡《わた》すといふ|事《こと》が、どうして|忍《しの》ばれませうか。その|御親切《ごしんせつ》は|有難《ありがた》うございますが、かへつて|吾々《われわれ》の|心《こころ》を|痛《いた》めます。|大事《だいじ》の|娘子《むすめご》を|身代《みがは》りに|立《た》てさして、|吾々《われわれ》|三人《さんにん》はどうしておめおめとこの|世《よ》に|生《い》きて|居《を》られませうか。どうぞこればかりは|思《おも》ひ|止《と》まつて|下《くだ》さいませ。わらは|達《たち》は|天晴《あつぱ》れと|名乗《なの》つて|参《まゐ》ります』
と|先《さき》に|立《た》つて|松《まつ》|竹《たけ》|梅《うめ》の|三人《さんにん》は、|照山彦《てるやまひこ》の|居間《ゐま》に|行《ゆ》かむとするを、|親子《おやこ》|五人《ごにん》は|宣伝使《せんでんし》に|縋《すが》りつき、|春山彦《はるやまひこ》はあわてて、
『マア|待《ま》つて|下《くだ》さいませ。|折角《せつかく》の|娘《むすめ》が|志《こころざし》、あなたは|神様《かみさま》の|為《ため》にこの|世《よ》を|救《すく》はねばならぬお|役《やく》。その|身代《みがは》りに|立《た》つた|娘《むすめ》は、まことに|光栄《くわうえい》の|至《いた》り、|喜《よろこ》んで|身代《みがは》りに|立《た》たしていただきます。どうか|娘《むすめ》の|志《こころざし》を|叶《かな》へさして|下《くだ》さいませ』
と|頼《たの》み|入《い》る。
|照山彦《てるやまひこ》は|大音声《だいおんじやう》、
『アイヤ|春山彦《はるやまひこ》、|時《とき》が|迫《せま》つた。|早《はや》く|宣伝使《せんでんし》をこの|場《ば》へ|連《つ》れ|出《いだ》せ。|何《なに》をぐづぐづ|致《いた》して|居《を》るか』
と|呶鳴《どな》り|声《ごゑ》。
『ハイハイ、|暫《しばら》くお|待《ま》ち|下《くだ》さいませ。|今《いま》|直《すぐ》に|参《まゐ》ります』
|竹山彦《たけやまひこ》『|何《なに》をぐづぐづ|埒《らち》の|明《あ》かぬこと。|早《はや》く|三人《さんにん》をこれへ|出《だ》せ』
|春山彦《はるやまひこ》は|是非《ぜひ》もなく、|二人《ふたり》の|前《まへ》に|立現《たちあら》はれ、
『|只今《ただいま》これへ|連《つ》れ|参《まゐ》ります。よく|御実検《ごじつけん》|下《くだ》さいませ』
|竹山彦《たけやまひこ》『オー、|早《はや》く|出《だ》せ。ここの|家《うち》には|秋月姫《あきづきひめ》、|深雪姫《みゆきひめ》、|橘姫《たちばなひめ》の|三人《さんにん》の|娘《むすめ》があると|云《い》ふ|事《こと》は|聞《き》いてゐる。その|娘《むすめ》の|顔《かほ》をよく|見知《みし》つたる|竹山彦《たけやまひこ》、|身代《みがは》りを|出《だ》さうなどと|量見《りやうけん》|違《ちが》ひいたして、あとで|吠面《ほえづら》をかわくな』
|春山彦《はるやまひこ》は|進退《しんたん》これ|谷《きは》まり、|如何《いかが》はせむと|心《こころ》の|中《うち》に、
『|野立彦命《のだちひこのみこと》、|野立姫命《のだちひめのみこと》、|木花姫命《このはなひめのみこと》|守《まも》らせ|給《たま》へ』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|念《ねん》じ|入《い》る。|松《まつ》|竹《たけ》|梅《うめ》の|宣伝使《せんでんし》はこの|前《まへ》に|現《あら》はれ、
『オー|照山彦《てるやまひこ》、|竹山彦《たけやまひこ》の|御使《おつかひ》とやら、|妾《わらは》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|昔《むかし》はヱルサレムに|於《おい》て|時《とき》めき|渡《わた》る|天使長《てんしちやう》|桃上彦命《ももがみひこのみこと》の|娘《むすめ》と|生《うま》れた、|松代姫《まつよひめ》、|竹野姫《たけのひめ》、|梅ケ香姫《うめがかひめ》の、|今《いま》は|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》、わが|顔《かほ》をよく|検《あらた》めて|一時《いちじ》も|早《はや》く|連《つ》れ|帰《かへ》り、|常世神王《とこよしんわう》の|前《まへ》に|手柄《てがら》をいたされよ。ヤー、|春山彦《はるやまひこ》、|汝《なんぢ》の|志《こころざし》、|何時《いつ》の|世《よ》にかは|忘《わす》れむ。|妾《わらは》|三人《さんにん》は|今《いま》|捕《とら》はれて|常世《とこよ》の|国《くに》に|到《いた》ると|雖《いへど》も、|尊《たふと》き|神《かみ》の|御恵《みめぐ》みにて、|再《ふたた》び|御目《おんめ》にかかることもあらむ。|親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》むつまじく|達者《たつしや》に|暮《くら》して|下《くだ》されませ』
|春山彦《はるやまひこ》は|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ひながら、
『これはこれは|勿体《もつたい》なき|宣伝使《せんでんし》のお|言葉《ことば》、どうぞ|御無事《ごぶじ》で|帰《かへ》つて|下《くだ》さいませ』
|照山彦《てるやまひこ》『エー、グヅグヅと、|何《なに》をベソベソ、|早《はや》くこの|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》らぬか。|竹山彦《たけやまひこ》|殿《どの》、よく|調《しら》べられよ』
|竹山彦《たけやまひこ》は|三人《さんにん》の|顔《かほ》をトツクと|眺《なが》め、
『オー、これは|秋月姫《あきづきひめ》でもない、|深雪姫《みゆきひめ》でもない、また|橘姫《たちばなひめ》でもない。|擬《まが》ふ|方《かた》なき|松《まつ》|竹《たけ》|梅《うめ》の|宣伝使《せんでんし》にきまつた。アイヤ、|春山彦《はるやまひこ》、|今日《こんにち》までこの|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》を|隠匿《かくま》うた|罪《つみ》は|赦《ゆる》して|遣《つか》はす。|今後《こんご》は|気《き》をつけて|再《ふたた》びかやうな|不都合《ふつがふ》な|事《こと》はいたすでないぞよ』
と、|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》を|無理矢理《むりやり》に|駕籠《かご》に|乗《の》せ、|大勢《おほぜい》の|家来《けらい》に|兒《かつ》がせながら、|凱歌《がいか》を|奏《そう》して|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|春山彦《はるやまひこ》、|夏姫《なつひめ》は、ワツとばかりに|声《こゑ》を|張《は》りあげ|泣《な》き|伏《ふ》す。この|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて、|月《つき》、|雪《ゆき》、|花《はな》の|三人《さんにん》の|娘《むすめ》と、|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|宣伝使《せんでんし》は、この|場《ば》にあわただしく|走《は》せ|来《きた》り、
『オー、|父上《ちちうへ》、|母上《ははうへ》』
『|春山彦《はるやまひこ》どの、|夏姫《なつひめ》|様《さま》』
と|声《こゑ》かけられて|夫婦《ふうふ》は|頭《かしら》を|上《あ》げ、ハツとばかりに|二度《にど》|吃驚《びつくり》、|夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|幻《まぼろし》か、|合点《がてん》ゆかぬと|夫婦《ふうふ》は|顔《かほ》を|見合《みあは》せ、|思案《しあん》に|暮《く》れゐたる。
あゝ|今《いま》|引《ひ》かれて|行《い》つた|松《まつ》|竹《たけ》|梅《うめ》の|宣伝使《せんでんし》は、|何神《なにがみ》の|化身《けしん》なるか、いぶかしき。
(大正一一・二・一六 旧一・二〇 東尾吉雄録)
第三〇章 |救《すくひ》の|神《かみ》〔四二三〕
|春山彦《はるやまひこ》、|夏姫《なつひめ》を|始《はじ》め、|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|宣伝使《せんでんし》、|並《ならび》に|月《つき》、|雪《ゆき》、|花《はな》の|姉妹《おとどい》はこの|場《ば》の|不思議《ふしぎ》に|合点《がてん》ゆかず、|夢《ゆめ》かとばかり|驚喜《きやうき》の|念《ねん》に|駆《か》られゐる。|夏姫《なつひめ》は|漸《やうや》くに|口《くち》を|開《ひら》き、
『|実《げ》に|尊《たふと》き|有難《ありがた》き|神様《かみさま》の|御恵《おんめぐみ》、|誠《まこと》と|誠《まこと》が|天地《てんち》に|通《つう》じて、|神様《かみさま》の|尊《たふと》きお|救《すく》ひに|預《あづ》かつたので|御座《ござ》いませう。|日頃《ひごろ》|信《しん》ずる|野立彦《のだちひこ》、|野立姫《のだちひめ》、|木花姫《このはなひめ》の|御身代《おんみがは》り、|思《おも》へば|思《おも》へば|有難《ありがた》し、|勿体《もつたい》なし|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》』
『オー、|女房《にようばう》、|解《わか》つたか。|娘《むすめ》でさへも、|父《ちち》の|心《こころ》を|酌《く》み|取《と》つて、|宣伝使《せんでんし》|様《さま》のお|身代《みがは》りに|立《た》たうと|言《い》ふ|健気《けなげ》な|心《こころ》を|有《も》つて|居《を》るに、|汝《なんぢ》はまた|何《なん》とした|未練《みれん》な|心《こころ》であつたか。|夫《をつと》が|女房《にようばう》に|手《て》を|合《あ》はして、どうぞ|娘《むすめ》を|身代《みがは》りに|立《た》てて|呉《く》れと|頼《たの》んだ|時《とき》、|其方《そち》は|一言《いちごん》の|返辞《へんじ》もせなかつたであらう。|腹《はら》を|痛《いた》めて|藁《わら》の|上《うへ》から|育《そだ》て|上《あ》げた、|天《てん》にも|地《ち》にも|懸《かけ》がへのない|三人《さんにん》の|娘《むすめ》を、|身代《みがは》りに|立《た》てるのであるから、そなたが|一遍《いつぺん》に、ウンと|言《い》はぬのも|強《あなが》ち|無理《むり》ではない。お|前《まへ》は|信仰《しんかう》が|徹底《てつてい》してゐないのだ。|信仰《しんかう》の|力《ちから》は|山《やま》をも|動《うご》かすとかや。|斯《か》くのごとき|結構《けつこう》な|霊験《れいけん》の|現《あら》はれたるも、まつたく|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》の|御神徳《ごしんとく》と|御盛運《ごせいうん》の|強《つよ》いのは|申《まを》すに|及《およ》ばず、|吾々《われわれ》|親子《おやこ》の|天地《てんち》に|通《つう》じた|真心《まごころ》を|皇大神《すめおほかみ》は|憐《あはれ》み|給《たま》ひ、|救《すく》うて|下《くだ》さつたのであらう。アヽ、|有難《ありがた》や|忝《かたじ》けなや』
と|又《また》もや|嬉《うれ》し|涙《なみだ》をしぼる。
|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|宣伝使《せんでんし》、|月《つき》、|雪《ゆき》、|花《はな》の|三人《さんにん》の|娘《むすめ》は、|夫婦《ふうふ》|二人《ふたり》を|労《いた》はりながら、|改《あらた》めて|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》する|折《をり》しも、|門戸《もんこ》を|叩《たた》く|者《もの》あり。|春山彦《はるやまひこ》は|僕《しもべ》にも|言付《いひつ》けず、|自《みづか》ら|起《た》つて|表門《おもてもん》に|駆《か》け|行《ゆ》き、|戸《と》を|開《ひら》くや|否《いな》や、ヌツと|入《い》り|来《く》る|一人《ひとり》の|男《をとこ》、|見《み》れば|今《いま》|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》を|伴《つ》れ|帰《かへ》つた|竹山彦《たけやまひこ》なるにぞ、|春山彦《はるやまひこ》はハツと|驚《おどろ》き、|一《ひと》つ|免《まぬが》れてまた|一《ひと》つ、|折角《せつかく》|助《たす》かつて、ヤレ|嬉《うれ》しやと|思《おも》ふ|間《ま》もなく、|竹山彦《たけやまひこ》のあとへ|引返《ひきかへ》して、これに|来《きた》りしは、|途中《とちう》に|於《おい》て|身代《みがは》りを|悟《さと》り、|再《ふたた》び|来《きた》りしならむ。|吾《わが》|家《や》に|入《い》れては|一大事《いちだいじ》と、|物《もの》をも|言《い》はず|猿臂《えんぴ》を|延《のば》して|首筋《くびすぢ》をグツと|掴《つか》み、|大地《だいち》へ|撃《う》ち|倒《たふ》し、|一刀《いつたう》の|柄《つか》に|手《て》をかけて、|頭上《づじやう》より|真《ま》ツ|二《ぷた》つにせむと、|真向《まつかう》に|振《ふ》り|翳《かざ》すを、|竹山彦《たけやまひこ》は|大地《だいち》に|倒《たふ》れながら|悠々《いういう》|迫《せま》らず、
『|春山彦《はるやまひこ》、|心《こころ》を|落着《おちつ》けられよ。これには|深《ふか》い|仔細《しさい》がある。|吾《われ》が|申《まを》す|事《こと》を|一通《ひととほ》り|聞《き》いて|疑《うたが》ひを|晴《はら》されよ』
と|起《お》き|直《なほ》つて、|門口《かどぐち》の|閾《しきゐ》を|跨《また》げようとする。|跨《また》げさしては|大変《たいへん》と、|春山彦《はるやまひこ》は、
『|主人《しゆじん》の|許《ゆる》しなくして、たとへ|荒屋《あばらや》なりとも、|勝手気儘《かつてきまま》に|吾《わが》|家《や》の|閾《しきゐ》を|跨《また》ぐるとは|無礼千万《ぶれいせんばん》、|思《おも》ひ|知《し》れよ』
とまたもや|斬《き》つてかかるを、|竹山彦《たけやまひこ》はヒラリと|体《たい》を|躱《かは》したまま、ツカツカと|座敷《ざしき》へ|進《すす》み|入《い》る。|夏姫《なつひめ》を|始《はじ》め|六人《ろくにん》の|娘《むすめ》は、|竹山彦《たけやまひこ》の|再《ふたた》び|現《あら》はれしに|驚《おどろ》き、|夢《ゆめ》に|夢《ゆめ》|見《み》る|心地《ここち》し、|呆然《ばうぜん》として|顔《かほ》を|凝視《みつめ》ゐる。|春山彦《はるやまひこ》は、|両刃《もろは》の|剣《つるぎ》を|抜《ぬ》き|翳《かざ》し、|座敷《ざしき》に|上《あが》り、
『ヤア、|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|鷹取別《たかとりわけ》に|組《くみ》する|悪魔《あくま》の|張本《ちやうほん》|竹山彦《たけやまひこ》、この|春山彦《はるやまひこ》が|正義《せいぎ》の|刃《やいば》|喰《く》つて|見《み》よ』
と、|又《また》もや|斬《き》り|付《つ》くるを、|竹山彦《たけやまひこ》は|利腕《ききうで》を|確乎《しつか》と|握《にぎ》り、
『アハヽヽヽ、|春山彦《はるやまひこ》、|心《こころ》を|落着《おちつ》けられよ。|吾《われ》こそは、|大江山《たいかうざん》に|現《あら》はれたる|鬼武彦《おにたけひこ》の|化身《けしん》にして、|竹山彦《たけやまひこ》とは|仮《かり》の|名《な》、|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》を|救《すく》はむがために、|竹山彦命《たけやまひこのみこと》と|偽《いつは》つて、|悪神《あくがみ》|鷹取別《たかとりわけ》の|部下《ぶか》となり、|今日《こんにち》あるを|前知《ぜんち》して、|吾《わが》|部下《ぶか》の|白狐《びやくこ》、|高倉《たかくら》、|旭《あさひ》、|月日《つきひ》の|眷属神《けんぞくがみ》を|使《つか》ひ、|身代《みがは》りを|立《た》てたは|狐《きつね》の|七化《ななばけ》、もうかうなる|上《うへ》は|大磐石《だいばんじやく》、|何方《いづれ》も|御安心《ごあんしん》なされよ』
と|一部《いちぶ》|始終《しじう》を|物語《ものがた》れば、|春山彦《はるやまひこ》|夫婦《ふうふ》を|始《はじ》め|六人《ろくにん》の|娘《むすめ》は、|一度《いちど》に|思《おも》はず|手《て》を|拍《う》つて|神徳《しんとく》を|讃美《さんび》し、|鬼武彦《おにたけひこ》に|向《むか》ひて|感謝《かんしや》の|意《い》を|表《へう》しける。
これより、|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|三人《さんにん》は、|鬼武彦《おにたけひこ》に|護《まも》られて|目《め》の|国《くに》に|渡《わた》り、|追々《おひおひ》|進《すす》んでロッキー|山《ざん》に|登《のぼ》り、|再《ふたた》び|船《ふね》に|乗《の》り|黄泉島《よもつじま》に|無事《ぶじ》|安着《あんちやく》し、|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|神業《しんげふ》に|参加《さんか》しぬ。
(大正一一・二・一六 旧一・二〇 河津雄録)
第三一章 |七人《しちにん》の|女《をんな》〔四二四〕
|海《うみ》の|内外《うちと》の|分《わか》ちなく  |神《かみ》の|御稜威《みいづ》は|照《て》り|渡《わた》る
|常世《とこよ》の|浪《なみ》を|隔《へだ》てたる  |北《きた》と|南《みなみ》の|大陸《たいりく》の
|荒《あら》ぶる|浪《なみ》も|高砂《たかさご》や  |間《はざま》の|国《くに》の|神《かみ》の|森《もり》
|花《はな》|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|春山《はるやま》の  |郷《さと》の|司《つかさ》の|春山彦《はるやまひこ》
|心《こころ》の|花《はな》も|麗《うるは》しく  |梅《うめ》か|桜《さくら》か|桃《もも》の|花《はな》
|野山《のやま》も|笑《わら》ふ|春姫《はるひめ》の  あやどる|野辺《のべ》の|若緑《わかみどり》
|栄《さか》えさかえて|五月空《さつきぞら》  |暗《やみ》も|晴《は》れ|行《ゆ》く|夏姫《なつひめ》の
|心《こころ》の|空《そら》に|照《て》る|月《つき》は  |光《ひかり》|眩《まばゆ》く|澄《す》み|渡《わた》り
【|秋月姫《あきづきひめ》】の|真心《まごころ》は  |紅葉《もみぢ》の|錦《にしき》|織《お》る|如《ごと》く
|東《ひがし》の|海《うみ》を|分《わ》け|昇《のぼ》る  |月《つき》の|姿《すがた》も|西《にし》の|空《そら》
|空《そら》つく|山《やま》の|頂《いただき》に  |光《ひかり》も【|深雪《みゆき》】のきらきらと
|輝《かがや》きわたる【|深雪姫《みゆきひめ》】  |冷酷《れいこく》|無惨《むざん》の|世《よ》の|中《なか》に
|春《はる》の|花《はな》|咲《さ》き【|夏山《なつやま》】の  |緑《みどり》|滴《したた》る|夫婦《ふうふ》が|情《なさけ》
|神《かみ》の|教《をしへ》も【たちばな】や  |非時《ときじく》|薫《かを》る【|橘姫《たちばなひめ》】
|親子《おやこ》|五人《ごにん》の|真心《まごころ》は  【いづ】の|身魂《みたま》の|世《よ》を|救《すく》ふ
|神《かみ》の|心《こころ》と|知《し》られけり  ミロクの|御代《みよ》を【|松代姫《まつよひめ》】
|常世《とこよ》の|空《そら》を|晴《は》らさむと  |春夏秋《はるなつあき》の|露霜《つゆしも》を
|凌《しの》ぐ|心《こころ》の【|竹笹《たけざさ》】や  |風《かぜ》に|揉《も》まるる【なよ】|草《ぐさ》の
|撓《たわ》むばかりの【|竹野姫《たけのひめ》】  |霜《しも》の|剣《つるぎ》や|雪《ゆき》の|衣《きぬ》
|冷《つめ》たき|風《かぜ》に|揉《も》まれつつ  |心《こころ》の|色《いろ》の|永久《とこしへ》に
|万《よろづ》の|花《はな》に|魁《さきが》けて  |咲《さき》も|匂《にほ》へる【|梅ケ香姫《うめがかひめ》】の
|真心《まごころ》こそは|香《かん》ばしき  |花《はな》の|蕾《つぼみ》ぞ|麗《うるは》しき
|神《かみ》の|守《まも》りの|顕著《いちじる》く  |大江山《たいかうざん》に|現《あら》はれし
|鬼武彦《おにたけひこ》の|御従神《みともがみ》  |神《かみ》の|御稜威《みいづ》も【|高倉《たかくら》】や
|空《そら》|照《て》り|渡《わた》る|白狐《びやくこ》の【|旭《あさひ》】  【|月日《つきひ》】も|共《とも》に|変身《みかへる》の
その|働《はたら》きぞ|健気《けなげ》なれ。
|鬼武彦《おにたけひこ》は|立《た》ち|上《あが》り、|座敷《ざしき》の|中央《まんなか》にどつかと|坐《ざ》し、
『さしもに|清《きよ》き|癸《みづのと》の、|亥《ゐ》の|月《つき》|今日《けふ》の|十六夜《のちのよ》の|月《つき》は|早《はや》|西山《せいざん》に|傾《かたむ》きたれば、|四更《しかう》を|告《つ》ぐる|鶏鳴《けいめい》に、|東《ひがし》の|空《そら》は|陽気《やうき》|立《だ》ち、|光《ひかり》もつよき【|旭狐《あさひこ》】の|空《そら》【|高倉《たかくら》】と|昇《のぼ》るらむ。【|月日《つきひ》】の【|駒《こま》】の|関《せき》もなく、|大江山《たいかうざん》を|出《い》でしより、|東《ひがし》や|西《にし》や|北南《きたみなみ》、|世界《せかい》|隈《くま》なく|世《よ》を|照《て》らす、【|日出神《ひのでのかみ》】の|御指揮《おんさしづ》、|常世《とこよ》の|国《くに》に|渡《わた》り|来《き》て、|千変万化《せんぺんばんくわ》に|身《み》を|窶《やつ》し、|神《かみ》の|経綸《しぐみ》に|仕《つか》へたる、|吾《われ》は|卑《いや》しき|白狐神《びやくこがみ》、|数多《あまた》の|眷属《けんぞく》|引《ひ》き|連《つ》れて、|神《かみ》の|大道《おほぢ》を|守《まも》る|折《をり》、|心《こころ》|驕《おご》れる|鷹取別《たかとりわけ》の、|曲《まが》の|企《たく》みを|覆《くつが》へさむと、|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|心《こころ》を|砕《くだ》き、【|旭《あさひ》】、【|高倉《たかくら》】、【|月日《つきひ》】と|共《とも》に、|三五教《あななひけう》を|守護《しゆご》せし、|鬼《おに》をも|摧《ひし》ぐ【|鬼武彦《おにたけひこ》】が、|心《こころ》を|察《さつ》したまはれかし。|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》に|呪《のろ》はれし、|大国彦《おほくにひこ》の|曲業《まがわざ》は、|比類《たぐひ》まれなる|悪逆無道《あくぎやくぶだう》、|鷹取別《たかとりわけ》や|遠山別《とほやまわけ》、|中依別《なかよりわけ》の|三柱神《みはしらがみ》は、|姫《ひめ》の|命《みこと》を|捕《とら》へむと、|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|眼《まなこ》を|配《くば》り、|醜女《しこめ》|探女《さぐめ》を|数限《かずかぎ》りもなく|配《くば》り|備《そな》ふるその|危《あやふ》さ、|手段《しゆだん》をもつて|鷹取別《たかとりわけ》が|臣下《しんか》となり、【|竹山彦《たけやまひこ》】と|佯《いつ》はつて|甘《うま》く|執《と》り|入《い》り、|常世神王《とこよしんわう》の|覚《おぼえ》も|目出度《めでた》く、|今日《けふ》の|務《つとめ》を|仰《あふ》せつけられしは、|天《てん》の|恵《めぐみ》の|普《あまね》き|兆《しるし》、|善《ぜん》を|助《たす》け|悪《あく》を|亡《ほろぼ》す、|誠《まこと》の|神《かみ》の|経綸《しぐみ》、ハヽア|嬉《うれ》しやうれしや|勿体《もつたい》なや。さはさりながら|御一同《ごいちどう》の|方々《かたがた》、|必《かなら》ず|共《とも》に|御油断《ごゆだん》あるな、|一《ひと》つ|叶《かな》へばまた|一《ひと》つ、|慾《よく》に|限《き》りなき、|体主霊従《われよし》の|邪神《じやしん》の|魂胆《こんたん》、|隙行《ひまゆ》く|駒《こま》のいつかまた、|隙《すき》を|狙《ねら》つて、|三人《さんにん》の|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|御娘御《おんむすめご》を、|奪《うば》ひ|帰《かへ》るもはかられず、|只《ただ》|何事《なにごと》も|神直日《かむなほひ》、|大直日《おほなほひ》の|神《かみ》の|御恵《みめぐ》みによつて、|降《ふ》り|来《きた》る|大難《だいなん》を、|尊《たふと》き|神《かみ》の|神言《かみごと》にはらひ|退《の》け、|朝《あさ》な|夕《ゆふ》な|神《かみ》に|心《こころ》を|任《まか》せたまへ、|暁《あかつき》|告《つ》ぐる|鶏《とり》の|声《こゑ》、|時《とき》|後《おく》れては|一大事《いちだいじ》、|吾《われ》はこれよりこの|場《ば》を|立去《たちさ》り、|鷹取別《たかとりわけ》の|館《やかた》に|参《まゐ》らむ。いづれもさらば』
と|云《い》ふかと|見《み》れば|姿《すがた》は|消《き》えて、|何処《いづこ》へ|行《ゆ》きしか|白煙《しらけむり》、|夢幻《ゆめまぼろし》となりにけり。
|合点《がつてん》の|行《ゆ》かぬこの|場《ば》の|有様《ありさま》、|春山彦《はるやまひこ》を|始《はじ》めとし、|花《はな》にも|擬《まが》ふ|七人《しちにん》は、|茫然《ばうぜん》として|暫《しば》し|言葉《ことば》もなかりしが、|春山彦《はるやまひこ》は|立《た》ち|上《あが》り、|天《てん》を|拝《はい》し|地《ち》を|拝《はい》し、
『あゝ|有難《ありがた》や|尊《たふと》やな、|親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》が|真心《まごころ》を、|神《かみ》も|照覧《せうらん》ましませしか』
と、|涙《なみだ》と|共《とも》に|宣伝歌《せんでんか》、いと|淑《しと》やかに|歌《うた》ひ|始《はじ》むる。|七人《しちにん》の|女《をんな》も|口《くち》を|揃《そろ》へて、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る
この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ
|世《よ》の|曲事《まがこと》は|宣《の》り|直《なほ》せ  |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|誠《まこと》の|神《かみ》は|世《よ》を|救《すく》ふ  |誠《まこと》の|神《かみ》は|世《よ》を|救《すく》ふ』
と|歌《うた》ひながら|拍手《はくしゆ》する|声《こゑ》は|天地《てんち》も|揺《ゆら》ぐばかりなり。|松代姫《まつよひめ》は|立《た》ち|上《あが》り、
『|天《あめ》と|地《つち》とは|睦《むつ》び|合《あ》ひ  |四方《よも》の|民草《たみぐさ》|神風《かみかぜ》に
|靡《なび》き|伏《ふ》す|世《よ》を【|松代姫《まつよひめ》】  ミロクの|神《かみ》の|現《あら》はれて
|親子《おやこ》|五人《ごにん》の【いつ】|御魂《みたま》  |松竹梅《まつたけうめ》の【みつ】|御魂《みたま》
【|三五《さんご》】の【|月《つき》】も|空《そら》|高《たか》く  |輝《かがや》き|渡《わた》る【|麻柱《あななひ》】の
|神《かみ》の|教《をしへ》を|伝《つた》へむと  |高砂島《たかさごじま》を|後《あと》に|見《み》て
|常世《とこよ》の|国《くに》の|空《そら》|寒《さむ》く  カルの|都《みやこ》に|差《さ》しかかる
|神《かみ》の|使《つかひ》の|宣伝使《せんでんし》  |冷《つめ》たき|風《かぜ》に|曝《さら》されて
|間《はざま》の|国《くに》にさしかかる  |雨《あめ》か|涙《なみだ》か|松《まつ》の|露《つゆ》
|露《つゆ》のこの|身《み》を|神国《かみくに》に  |捧《ささ》げて|間《はざま》の|国境《くにざかひ》
|来《きた》る|折《をり》しも|鷹取別《たかとりわけ》の  |猛《たけ》き|力《ちから》に|小雀《こすずめ》の
かよわき|女《をんな》の|一人旅《ひとりたび》  |尾羽《をば》|打《うち》|枯《か》らす|手弱女《たをやめ》を
|捕《とら》へ|行《ゆ》かむとする|時《とき》に  |空《そら》を|焦《こが》して|降《くだ》り|来《く》る
|唐《から》|紅《くれなゐ》の|火柱《ひばしら》に  |打《う》たれて|逃《に》ぐる|曲津見《まがつみ》の
|消《き》え|行《ゆ》く|後《あと》に|唯《ただ》|一人《ひとり》  |疲《つか》れしこの|身《み》を|横《よこ》たへて
|心《こころ》|私《ひそ》かに|宣伝歌《せんでんか》  |歌《うた》ふ|折《をり》しも|春山彦《はるやまひこ》の
|神《かみ》の|命《みこと》に|救《すく》はれて  |堅磐常磐《かきはときは》の|巌窟《いはあな》に
|来《きた》りて|見《み》れば|懐《なつ》かしき  【|竹野《たけの》】の【|姫《ひめ》】のすくすくと
|笑顔《ゑがほ》に|迎《むか》へし|嬉《うれ》しさよ  |世人《よびと》の|心《こころ》|冷《ひ》え|渡《わた》る
|中《なか》にも|目出度《めでた》き【|夏姫《なつひめ》】の  |日《ひ》に|夜《よ》に|厚《あつ》き|御仁慈《おんなさけ》
|神《かみ》の|恵《めぐみ》のいや|深《ふか》く  |神《かみ》の|御稜威《みいづ》はいや|高《たか》く
|輝《かがや》く【|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》】の|御子《みこ》  【|春山彦《はるやまひこ》】や【|夏姫《なつひめ》】の
|御恩《ごおん》は【いつか】|忘《わす》るべき  |心《こころ》は【いつか】|忘《わす》るべき
|嗚呼《ああ》|有難《ありがた》や【|麻柱《あななひ》】の  |教《をしへ》を|立《た》てし|皇神《すめかみ》の
|御稜威《みいづ》は|千代《ちよ》に|栄《さか》ゆべし  |功《いさを》は|四方《よも》に|開《ひら》くべし』
と|感謝《かんしや》の|歌《うた》を|詠《よ》みて、|元《もと》の|座《ざ》に|復《ふく》しける。
|屋外《をくぐわい》には、|天空《てんくう》を|轟《とどろ》き|渡《わた》る|天《あま》の|磐船《いはふね》、|鳥船《とりふね》の|音《おと》、|天地《てんち》を|圧《あつ》し、|木枯《こがらし》の|風《かぜ》は|唸《うな》りを|立《た》てて|雨戸《あまど》を|叩《たた》くぞ|淋《さび》しけれ。
(大正一一・二・一七 旧一・二一 加藤明子録)
第三二章 |一絃琴《いちげんきん》〔四二五〕
|空《そら》に|轟《とどろ》く|磐船《いはふね》の  |響《ひび》きは|何時《いつ》か|消《き》え|失《う》せて
|冬樹《ふゆき》を|渡《わた》る|木枯《こがらし》の  |声《こゑ》も|寂《さび》しく|聞《きこ》ゆなる
|冬《ふゆ》の|初《はじ》めとなりぬれど  |春《はる》めき|渡《わた》る|春山彦《はるやまひこ》の
|神《かみ》の|屋敷《やしき》に|神寿《かみほぎ》の  |言霊《ことたま》|清《きよ》き|一絃琴《いちげんきん》
|天地《てんち》に|通《つう》ずる|一条《ひとすぢ》の  その|声《こゑ》|清《きよ》き|琴糸《こといと》の
|捌《さばき》の|音色《ねいろ》もサヤサヤに  |五臓六腑《ござうろつぷ》を|洗《あら》ふなり
|折《を》りから|門前《もんぜん》に|佇《たたず》む|男《をとこ》  |片手《かたて》を|耳《みみ》にあてながら
|木枯《こがらし》|荒《すさ》ぶ|初冬《はつふゆ》の  |峰《みね》の|嵐《あらし》か|松風《まつかぜ》か
|訪《たづ》ぬる|人《ひと》の|琴《こと》の|音《ね》か  |心《こころ》の|駒山彦《こまやまひこ》の|神《かみ》
とどめて|聴《き》くも|縁《えん》の|端《はし》  |心《こころ》に|通《かよ》ふ|琴《こと》の|音《ね》は
|常磐《ときは》の|松《まつ》の【|松代姫《まつよひめ》】  |思《おも》ひの【|竹野《たけの》】|著《いちじる》く
|戸外《こぐわい》に|響《ひび》く|床《ゆか》しさよ  |一度《いちど》に|開《ひら》く【|梅ケ香姫《うめがかひめ》】の
|貴《うづ》の|命《みこと》の|御《おん》すさび  |何処《どこ》とはなしに|潤《うるほ》ひの
|声《こゑ》をしるべに|独言《ひとりごと》。
|駒山彦《こまやまひこ》『|合点《がつてん》のゆかぬこの|館《やかた》の|様子《やうす》、|梅ケ香姫《うめがかひめ》の|日頃《ひごろ》|奏《かな》でさせ|給《たま》ふ|一絃琴《いちげんきん》のその|音色《ねいろ》、|様子《やうす》ありげな|春山彦《はるやまひこ》のこの|館《やかた》、|進《すす》み|入《い》つて|事《こと》の|実否《じつぴ》を|探《さぐ》らむと、|心《こころ》の|駒《こま》は|逸《はや》れども、|人目《ひとめ》の|垣《かき》に|隔《へだ》てられ、|何《なん》とせむ|方《かた》|冬《ふゆ》の|日《ひ》の、|心《こころ》|短《みじか》き|門番《もんばん》に|怒鳴《どな》りつけられ、|追《お》つ|払《ぱら》はれなば|如何《いか》にせむ。|虫《むし》が|知《し》らすか|何《なん》となく、|立《た》ち|去《さ》り|兼《か》ねしこの|門口《かどぐち》、|神《かみ》の|誠《まこと》の|教《のり》を|以《も》て|叩《たた》かば|開《ひら》く|胸《むね》の|裡《うち》、|叩《たた》いて|見《み》むか|待《ま》て|暫《しば》し、ここは|春山《はるやま》の|郷《さと》の|司《つかさ》、ウラル|彦《ひこ》の|教《をしへ》を|奉《ほう》ずる|曲神《まがかみ》の|住所《すみか》、|言向《ことむ》け|和《やは》すは|易《やす》けれど、|大事《だいじ》の|前《まへ》の|一《いち》|小事《せうじ》、くだらぬ|事《こと》に|暇《ひま》をとり|大切《たいせつ》なる|吾《わ》が|使命《しめい》を|仕損《しそん》じなば、|天地《てんち》の|神《かみ》に|対《たい》し|奉《たてまつ》り、|何《なん》と|言訳《いひわけ》あるべきぞ。|嗚呼《ああ》|恨《うら》めしやウラル|彦《ひこ》、|開《あ》けて|入《はい》らうか、|開《あ》けずに|居《を》らうか、|開《あ》けて|口惜《くや》しき|玉手箱《たまてばこ》』
|魂《たま》の|御柱《みはしら》|搗《つ》き|固《かた》め、|心《こころ》の|駒《こま》に|鞭《むち》うちて、|思《おも》ひきつたる|大音声《だいおんじやう》。
『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|駒山彦《こまやまひこ》とは|吾事《わがこと》なり。|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|鷹取別《たかとりわけ》が|魔神《まがみ》に|組《くみ》する|春山彦《はるやまひこ》、この|門《もん》|開《ひら》け』
と|右手《みぎて》に|拳《こぶし》を|固《かた》めつつ、|割《わ》れむ|許《ばか》りに|門《もん》の|扉《とびら》を|打叩《うちたた》く。|声《こゑ》に|驚《おどろ》き|松代姫《まつよひめ》は、|何《なん》となく|聞《き》き|覚《おぼ》えある|門《かど》の|声《こゑ》、
『|竹野姫《たけのひめ》、|梅ケ香姫《うめがかひめ》、そなたは|御苦労《ごくらう》ながら|門口《かどぐち》に|出《い》で、いかなる|人《ひと》か、|調《しら》べて|給《た》も』
『ハイ』
と|答《こた》へて|両人《りやうにん》は|徐々《しづしづ》と|起《た》つて|門《かど》の|口《くち》。
『|何方《いづかた》なれば|門戸《もんこ》を|叩《たた》きたまふぞ。|何《なん》となく|床《ゆか》しき、|聞《き》き|覚《おぼ》えのある|御声《おんこゑ》、|名告《なの》らせたまへ』
と|声《こゑ》かくれば、|駒山彦《こまやまひこ》は|門外《もんぐわい》より、
『ヤアさう|聞《き》く|声《こゑ》は|竹野姫《たけのひめ》|殿《どの》、|梅ケ香姫《うめがかひめ》|殿《どの》、|吾《われ》こそは|智利《てる》の|国《くに》にて|別《わか》れたる|駒山彦《こまやまひこ》の|宣伝使《せんでんし》にて|候《さふらふ》。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》たる|身《み》を|以《もつ》て、|而《しか》も|御二方様《おんふたがたさま》、|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|鷹取別《たかとりわけ》が|幕下《ばくか》の|春山彦《はるやまひこ》、ウラル|教《けう》を|奉《ほう》ずる|曲神《まがかみ》の|館《やかた》に|忍《しの》ばせ|給《たま》ふは|何故《なにゆゑ》ぞ。これには|深《ふか》き|様子《やうす》もあらむ、|委細《ゐさい》|包《つつ》まず|述《の》べられたし』
『これには|深《ふか》き|仔細《しさい》のござれば、|先《ま》づまづお|這入《はい》り|下《くだ》さいませ』
と|門《もん》の|閂《かんぬき》をとり|外《はづ》し、|左右《さいう》に|開《ひら》いて|現《あら》はれ|出《い》で、|駒山彦《こまやまひこ》の|手《て》をとつて|奥《おく》へ|奥《おく》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。|二人《ふたり》の|娘《むすめ》は|手《て》を|支《つか》へ、
『アヽこれはこれは|駒山彦《こまやまひこ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|魔神《まがみ》の|猛《たけ》る|荒野原《あらのはら》、さぞお|困《こま》りでございませう。|先《ま》づまづお|這入《はい》り|下《くだ》さいませ』
と|門《もん》の|戸《と》ガラリと|押《お》し|開《ひら》く。|駒山彦《こまやまひこ》は、
『|然《しか》らば|御免《ごめん》』
と|言《い》ひつつズツと|座敷《ざしき》に|通《とほ》れば、|思《おも》ひがけなき|松代姫《まつよひめ》、|春山彦《はるやまひこ》が|家内《かない》の|各々《めいめい》、|皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に|山野海河《やまぬうみかは》の|供物《くもつ》を|献《けん》じ、|神《かみ》を|慰《いさ》むる|真最中《まつさいちう》、|駒山彦《こまやまひこ》は|不審《ふしん》の|面色《おももち》にて、
『|思《おも》ひ|掛《がけ》なき|松代姫《まつよひめ》|殿《どの》、この|家《や》の|御主人《あるじ》|春山彦《はるやまひこ》|殿《どの》、|貴下《あなた》はウラル|教《けう》を|奉《ほう》じ|鷹取別《たかとりわけ》に|媚《こ》び|諛《へつら》ふ|春山《はるやま》の、|郷《さと》の|司《つかさ》と|聞《き》きしに|拘《かか》はらず、|神前《しんぜん》|恭《うやうや》しく|三五教《あななひけう》の|奉《ほう》ずる|皇大神《すめおほかみ》を|祀《まつ》り、|神慮《しんりよ》を|慰《なぐさ》め|居《ゐ》|給《たま》ふこの|場《ば》の|光景《くわうけい》、|合点《がつてん》ゆかず、|包《つつ》み|隠《かく》さず|委細《ゐさい》|物語《ものがた》られたし』
と|迫《せま》るにぞ、|松代姫《まつよひめ》は、
『|貴神《きしん》は|駒山彦《こまやまひこ》|殿《どの》、|一別《いちべつ》|以来《いらい》|何《なん》の|消息《たより》もなく、|雨《あめ》、|風《かぜ》、|霜《しも》の|憂《う》き|節《ふし》に、|心《こころ》にかかる|汝《なれ》が|身《み》の|上《うへ》、ようマア|無事《ぶじ》に|居《ゐ》て|下《くだ》さいました。|妾《わらは》|姉妹《おとどい》|三人《さんにん》は、|実《じつ》に|愧《はづ》かしき|事《こと》ながら、|鷹取別《たかとりわけ》の|計略《けいりやく》にかかり、|一命《いちめい》すでに|危《あやふ》き|処《ところ》、|情《なさけ》も|深《ふか》き|春山彦《はるやまひこ》の|夫婦《ふうふ》の|神《かみ》に|助《たす》けられ、|今《いま》やこの|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》らむとするきはどい|処《ところ》、|貴神《きしん》にお|目《め》に|懸《かか》つたのも|測《はか》り|知《し》られぬ|神様《かみさま》の|御思召《おぼしめし》、どうぞ|御夫婦《ごふうふ》に、|妾《わらは》に|代《かは》つて|厚《あつ》く|御礼《おんれい》|申《まを》して|下《くだ》さい』
『|久振《ひさしぶ》りの|対面《たいめん》と|云《い》ひ、|春山彦《はるやまひこ》の|帰順《きじゆん》と|云《い》ひ、|案《あん》に|相違《さうゐ》の|神様《かみさま》の|御引《おんひ》き|合《あ》はせ。アヽこれは|御夫婦様《ごふうふさま》、よくもよくも|御親切《ごしんせつ》に|御世話《おせわ》|下《くだ》さいました、|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます』
と、|遉《さすが》|剛毅《がうき》の|駒山彦《こまやまひこ》も|嬉《うれ》し|涙《なみだ》の|袖《そで》をしぼる。
|春山彦《はるやまひこ》は|初《はじ》めて|口《くち》を|開《ひら》き、
『|神《かみ》の|造《つく》りしこの|国《くに》は、|恵《めぐ》みの|花《はな》のパラダイス、|何処《いづこ》の|空《そら》にも|神柱《かむばしら》、|太敷《ふとし》く|立《た》てて|守《まも》ります、その|御柱《みはしら》と|選《えら》ばれし、|春山彦《はるやまひこ》が|親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》の|嬉《うれ》しさ。|御礼《おれい》は|却《かへ》つて|恐《おそ》れ|入《い》る、|幾久《いくひさ》しくも|変《かは》りなく、|吾《われ》らの|心《こころ》を|護《まも》らせ|給《たま》へ、|四柱《よはしら》の|宣伝使《せんでんし》|殿《どの》』
|妻《つま》|夏姫《なつひめ》を|始《はじ》めとし|月《つき》、|雪《ゆき》、|花《はな》の|三人《さんにん》は|紅葉《もみぢ》の|如《ごと》き|手《て》を|合《あ》はせ、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》にかきくれて|駒山彦《こまやまひこ》の|英姿《えいし》をば|伏拝《ふしをが》むこそ|殊勝《しゆしよう》なれ。|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|掻曇《かきくも》る、|心《こころ》の|空《そら》を|霽《はら》さむと、|駒山彦《こまやまひこ》は|衝立《つつた》ち|上《あが》り、
『|雪《ゆき》に|輝《かがや》く|高白《かうはく》の  |山《やま》に|攻《せ》め|来《く》る|御軍《みいくさ》の
|言霊別《ことたまわけ》の|司《つかさ》をば  |撃《う》つて|捨《す》てむと|常世彦《とこよひこ》
|常世《とこよ》の|姫《ひめ》の|仰《あふ》せにて  |数多《あまた》の|神軍《しんぐん》|引率《いんそつ》し
|攻《せ》むる|折《をり》しも|大空《おほぞら》を  |轟《とどろ》き|来《きた》る|磐船《いはふね》や
|鳥船《とりふね》よりは|投《な》げ|下《おろ》す  |激《はげ》しき|弾《たま》に|砕《くぢ》かれて
|何《なに》かは|堪《たま》らむ|玉《たま》の|緒《を》の  |生命《いのち》|消《き》えなむ|折柄《をりから》に
この|世《よ》を|救《すく》ふ|皇神《すめかみ》の  |情《なさけ》の|網《あみ》に|掬《すく》はれて
|惜《をし》き|生命《いのち》をながらへつ  |三笠《みかさ》の|丸《まる》の|船中《せんちう》に
|光《ひか》り|輝《かがや》く|朝日子《あさひこ》の  |日《ひ》の|出神《でのかみ》に|助《たす》けられ
この|世《よ》を|救《すく》ふ|宣伝使《せんでんし》  |羽山津見《はやまづみ》の|神《かみ》となり
|深山《みやま》の|奥《おく》に|捨《す》てられて  |心《こころ》も|闇《くら》き|谷底《たにぞこ》の
|百日百夜《ももひももよ》の|苦《くる》しみを  |凌《しの》ぎて|此処《ここ》に|村肝《むらきも》の
|心《こころ》も|智利《てる》の|国《くに》を|越《こ》え  |足《あし》に|任《まか》せて|秘露《ひる》の|国《くに》
|夜《よる》の|旅路《たびぢ》を|重《かさ》ねつつ  |千座《ちくら》の|罪《つみ》もカルの|空《そら》
|北《きた》へ|北《きた》へと|進《すす》み|来《く》る  ハザマの|森《もり》を|乗《の》り|越《こ》えて
|松竹梅《まつたけうめ》の|宣伝使《せんでんし》  |如何《いかが》ならむと|煩《わづら》ひつ
|縁《えにし》の|糸《いと》に|操《あやつ》られ  |冬《ふゆ》とは|言《い》へど|春山《はるやま》の
|館《やかた》に|立《た》ちて|門内《もんない》の  |様子《やうす》|窺《うかが》ふ|折柄《をりから》に
|耳《みみ》に|馴染《なじみ》の|一絃琴《いちげんきん》  その|言霊《ことたま》も|澄《す》み|渡《わた》り
|琴《こと》の|音色《ねいろ》も|清々《すがすが》と  |縋《すが》る|思《おも》ひの|門《もん》の|口《くち》
|佇《たたず》む|折柄《をりから》|竹野姫《たけのひめ》  |梅ケ香姫《うめがかひめ》の|御姿《おんすがた》
|思《おも》ひもかけぬ|今日《けふ》の|日《ひ》の  |神《かみ》の|許《ゆる》しのこの|対面《たいめん》
|春山彦《はるやまひこ》よ|夏姫《なつひめ》よ  |月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|三娘《みむすめ》よ
|栄《さか》え|久《ひさ》しき|松《まつ》の|代《よ》を  |松竹梅《まつたけうめ》の|永久《とこしへ》に
|教《をしへ》も|開《ひら》く|神《かみ》の|前《まへ》  |嬉《うれ》しし|嬉《うれ》し|喜《よろこ》ばし
|御恵《みめぐ》み|深《ふか》き|野立彦《のだちひこ》  |野立《のだち》の|姫《ひめ》や|木《こ》の|花姫《はなひめ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|御高恩《ごかうおん》  |遥《はるか》に|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る』
と|始《はじ》め|終《をは》りの|物語《ものがたり》、|勇《いさ》みに|勇《いさ》む|駒山彦《こまやまひこ》のその|顔《かんばせ》、|他所《よそ》の|見《み》る|目《め》も|勇《いさ》ましき。
(大正一一・二・一七 旧一・二一 北村隆光録)
第三三章 |栗毛《くりげ》の|駒《こま》〔四二六〕
|夫《をつと》、|娘《むすめ》や|諸人《もろびと》の、|信仰《しんかう》|強《つよ》き|真心《まごころ》に、|恥《は》ぢ|入《い》り|言葉《ことば》も|夏姫《なつひめ》は、あからむ|顔《かほ》に|紅《くれなゐ》の、|袖《そで》に|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ひつつ、
『あゝあさましの|吾《わが》|心《こころ》  |神《かみ》の|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》  |教《をしへ》の|道《みち》に|真心《まごころ》を
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|籠《こ》め|給《たま》ふ  |春山彦《はるやまひこ》の|夫神《つまがみ》や
|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|可憐《いと》し|子《ご》の  |神《かみ》の|大道《おほぢ》に|身《み》を|委《ゆだ》ね
|心《こころ》を|尽《つ》くし|麻柱《あななひ》の  |誠《まこと》|捧《ささ》ぐる|心根《こころね》の
その|健気《けなげ》さに|引換《ひきか》へて  |母《はは》と|生《うま》れし|夏姫《なつひめ》の
|心《こころ》の|空《そら》は|紫陽花《あぢさゐ》の  |色《いろ》も|褪《あ》せたる|恥《はづ》かしさ
|日《ひ》に|夜《よ》に|祈《いの》る|神言《かみごと》の  |清《きよ》き|尊《たふと》き|御教《みをしへ》を
|臨終《いまは》の|際《きは》に|忘《わす》れ|果《は》て  |女心《をんなごころ》のはしたなく
|思《おも》ひ|切《き》られぬ|愛惜心《あいじやくしん》  |絆《きづな》の|糸《いと》に|繋《つな》がれて
|解《と》くに|解《と》かれぬ|心《こころ》の|迷《まよ》ひ  |言《い》ふに|言《い》はれぬ|縺《もつ》れ|髪《がみ》
|奇《く》しき|御稜威《みいづ》の|隈《くま》もなく  |照《て》らさせ|給《たま》ふ|神《かみ》の|前《まへ》
あゝ|恥《はづ》かしや|面目《めんぼく》なや  |神《かみ》の|御為《おんた》め|国《くに》の|為《た》め
|世人《よびと》のためになるならば  たとへ|夫婦《ふうふ》は|生別《いきわか》れ
|可憐《いと》しき|娘《むすめ》の|玉《たま》の|緒《を》の  |絶《た》えなむ|憂《う》きを|見《み》るとても
|千引《ちびき》の|岩《いは》の|永久《とこしへ》に  |揺《ゆる》がぬ|身魂《みたま》となさしめ|給《たま》へ
|弱《よわ》き|女《をんな》の|心根《こころね》を  |笑《わら》はせ|給《たま》はず|諸人《もろびと》よ
|春山彦《はるやまひこ》よ|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|吾《わが》|娘《むすめ》  |拙《つたな》き|母《はは》と|笑《わら》うては|下《くだ》さるな
|焼野《やけの》の|雉子《きぎす》|夜《よる》の|鶴《つる》  |子《こ》の|可愛《かあい》さに|絆《ほだ》されて
|歩《あゆ》み|迷《まよ》ひし|心《こころ》の|闇《やみ》  あゝ|恥《はづ》かしや|恥《はづ》かしや
|松竹梅《まつたけうめ》の|宣伝使《せんでんし》  |見下《みさ》げ|果《は》てたる|夏姫《なつひめ》と
|笑《わら》はせ|給《たま》はず|幾千代《いくちよ》も  |吾《わが》|身《み》の|魂《たま》を|照《てら》させ|給《たま》へ』
と、|慚愧《ざんき》の|涙《なみだ》|一時《いつとき》に、|滝津瀬《たきつせ》のごと|降《ふ》る|雨《あめ》の、|袖《そで》ふり|当《あ》てて|泣《な》き|沈《しづ》む。
この|場《ば》の|憂《うさ》を|晴《は》らさむと、|御稜威《みいづ》も|開《ひら》く|梅ケ香《うめがか》の、|姫《ひめ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》、|声《こゑ》|淑《しとや》かに、
『あゝ|勿体《もつたい》なや|夏姫《なつひめ》|様《さま》  |生《う》みの|母《はは》にも|弥《いや》|勝《まさ》る
|厚《あつ》き|尊《たふと》き|御志《おこころざし》  |何時《いつ》の|世《よ》にかは|忘《わす》れませうぞ
|春《はる》|待《ま》ち|兼《か》ねて|咲《さ》き|匂《にほ》ふ  |花《はな》の|蕾《つぼみ》の|梅ケ香姫《うめがかひめ》
げにあたたかき|春山彦《はるやまひこ》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|御情《おんなさけ》
|木枯《こがらし》そよぐ|冬《ふゆ》の|宵《よひ》  |妾《わらは》を|助《たす》け|労《いたは》りて
|心《こころ》も|堅《かた》き|岩屋戸《いはやど》に  |姉妹《おとどい》|三人《みたり》|助《たす》けられ
|何《なん》の|不足《ふそく》も|夏姫《なつひめ》の  |命《みこと》の|厚《あつ》き|御待遇《おもてな》し
|神《かみ》の|恵《めぐ》みも|高砂《たかさご》の  |尾《を》の|上《へ》の|松《まつ》に|木枯《こがらし》の
|当《あた》りて|冷《つめ》たき|人《ひと》の|世《よ》に  |五六七《みろく》の|神《かみ》の|松心《まつごころ》
|堅磐常磐《かきはときは》に|松代姫《まつよひめ》  |心《こころ》も|清《きよ》き|秋月《あきづき》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|志《こころざし》  |繊弱《かよわ》き|竹野《たけの》|姉君《あねぎみ》を
|助《たす》けむ|為《た》めに|雪《ゆき》より|清《きよ》き|神心《かみごころ》  |愛《あい》の|女神《めがみ》の|深雪姫《みゆきひめ》
|親子《おやこ》|団居《まどゐ》の|睦《むつ》まじき  |六《む》つの|花《はな》|散《ち》る|初冬《はつふゆ》の
|空《そら》に|彷徨《さまよ》ひ|道《みち》の|辺《べ》に  |橘姫《たちばなひめ》のそれならで
|旅《たび》に|労《つか》れし|梅ケ香姫《うめがかひめ》  |天教山《てんけうざん》にあれませる
|木《こ》の|花姫《はなひめ》の|御恵《おんめぐ》み  |黄金山《わうごんざん》に|現《あら》はれし
|埴安彦《はにやすひこ》や|埴安姫《はにやすひめ》の  |命《みこと》の|生魂《いくみたま》かからせ|給《たま》ふ
|春山彦《はるやまひこ》の|御情《おんなさけ》  |五十六億七千万年《ごじふろくおくしちせんまんねん》
|五六七《みろく》の|御代《みよ》の|果《は》てしなく  |御夫婦《ごふうふ》|親子《おやこ》の|御情《おんなさけ》
どうしてどうして|忘《わす》れませう  |真心《まごころ》|深《ふか》き|夏姫《なつひめ》|様《さま》
|何卒《なにとぞ》|妾《わらは》に|心《こころ》を|配《くば》らせ|給《たま》はず  |三五教《あななひけう》を|守《まも》ります
|神《かみ》の|御教《みのり》に|従《したが》ひて  |玉《たま》の|緒《を》の|御命《おんいのち》を
|堅磐常磐《かきはときは》に|保《たも》たせ|給《たま》ひ  |親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》は|睦《むつ》まじく
|日《ひ》に|夜《よ》に|感謝《かんしや》の|暮《くら》しを|続《つづ》かせ|給《たま》へ  |妾《わらは》は|繊弱《かよわ》き|宣伝使《せんでんし》なれど
|山海《さんかい》の|御恩《ごおん》を|報《はう》ずるため  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|御無事《ごぶじ》を|祈《いの》り|奉《たてまつ》らむ
|心《こころ》も|安《やす》くましませや』
と|声《こゑ》も|優《やさ》しく|述《の》べ|立《た》つる。|斯《か》かる|処《ところ》へ、|門前《もんぜん》|騒《さわ》がしく|村人《むらびと》の|声《こゑ》、
『|申《まを》し|上《あ》げます、|只今《ただいま》|間《はざま》の|森《もり》に|強力無双《がうりきむさう》の|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|現《あら》はれ、|盛《さか》んに|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めました。|吾々《われわれ》|村人《むらびと》は|前後左右《ぜんごさいう》より|十重二十重《とへはたへ》に|取《と》り|巻《ま》いて|生捕《いけど》り|呉《く》れむと|思《おも》へども、|眼光《ぐわんくわう》|鋭《するど》く|何《なん》となく、|威勢《ゐせい》に|打《う》たれて|進《すす》み|寄《よ》ることが|出来《でき》ませぬ。|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|春山彦《はるやまひこ》の|命様《みことさま》、|御出馬《ごしゆつば》あつて|彼《あ》の|宣伝使《せんでんし》を|召《め》し|捕《と》り|給《たま》へ』
と|門口《もんぐち》より|呼《よ》ばはるにぞ、|春山彦《はるやまひこ》を|始《はじ》め|一同《いちどう》は|思《おも》はず|顔《かほ》を|見合《みあは》せ、|暫時《しばし》|思案《しあん》に|暮《く》れけるが、|春山彦《はるやまひこ》は|立《た》ち|上《あが》り、|表《おもて》に|聞《きこ》ゆる|大音声《だいおんじやう》にて、
『|常世神王《とこよしんわう》の|御家来《ごけらい》、|鷹取別《たかとりわけ》の|治《しろ》し|召《め》す、|間《はざま》の|国《くに》に|参来《まゐきた》り、|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》うたふとは|心憎《こころにく》き|宣伝使《せんでんし》、|今《いま》|打《う》ち|取《と》らむ。|者共《ものども》|先《さき》へ|帰《かへ》つて|弓矢《ゆみや》の|用意《ようい》いたせ、ヤア|家来共《けらいども》、|駒《こま》の|用意《ようい》』
と|呼《よ》ばはりたり。|数多《あまた》の|村人《むらびと》はこの|声《こゑ》にやつと|胸《むね》|撫《な》で|下《おろ》し、|間《はざま》の|森《もり》に|一目散《いちもくさん》に|走《はし》り|行《ゆ》く。|春山彦《はるやまひこ》は|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
『|何事《なにごと》も、|吾々《われわれ》が|胸中《きようちう》に|御座《ござ》いますれば、|何《いづ》れも|様《さま》は|御安心《ごあんしん》の|上《うへ》、ゆつくり|休息《きうそく》|遊《あそ》ばされよ』
と|言《い》ひ|捨《す》て、|栗毛《くりげ》の|駒《こま》に|跨《またが》り、|手綱《たづな》かいくり、しとしとしとと|表《おもて》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・二・一七 旧一・二一 大賀亀太郎録)
第三四章 |森林《しんりん》の|囁《ささやき》〔四二七〕
|宵闇《よひやみ》の|月《つき》は|御空《みそら》に|照彦《てるひこ》の、すたすた|来《きた》る|宣伝使《せんでんし》、|折柄《をりから》|降《ふ》り|来《く》る|村時雨《むらしぐれ》、|息《いき》を|休《やす》めむと|間《はざま》の|森《もり》に|立寄《たちよ》つて|雨宿《あまやど》りしながら、
『|月《つき》は|照《て》る|照《て》る|常世《とこよ》は|曇《くも》る  |間《はざま》の|森《もり》に|雨《あめ》が|降《ふ》る』
と|歌《うた》つてゐる。|木蔭《こかげ》に|潜《ひそ》む|四五《しご》の|若者《わかもの》、
『ヤアまた|出《で》たぞ、|宣伝使《せんでんし》だ。|夜前《やぜん》|出《で》て|来《き》た|奴《やつ》は|幽《いう》の|字《じ》に|霊《れい》の|字《じ》だつたが、|今夜《こんや》の|奴《やつ》は|力《ちから》のある|声《こゑ》で|歌《うた》つてゐるワ。|到底《たうてい》|此奴《こいつ》は|吾々《われわれ》の|手《て》に|合《あ》はぬ。|村中《むらぢう》が|総出《そうで》して|此処《ここ》を|通《とほ》さぬやうにせぬことには、|鷹取別神《たかとりわけのかみ》さまに、|貴様達《きさまたち》は|咽首《のどくび》に|居《を》つて、|何故《なぜ》ウカウカと|宣伝使《せんでんし》を|常世《とこよ》の|国《くに》に|入《い》れたかと|言《い》つて、|村中《むらぢう》のお|目玉《めだま》、また|春山彦《はるやまひこ》の|司《つかさ》に|何《ど》のやうに|叱《しか》らるるかも|知《し》れぬ。それぢやと|云《い》つて|吾々《われわれ》|五六人《ごろくにん》では、|到底《たうてい》|捕捉《とつつか》まへることが|出来《でき》ぬ。|早《はや》く|貴様《きさま》ら|各自《めいめい》|手配《てわけ》して|村中《むらぢう》の|者《もの》を|招《よ》んで|来《こ》い。|俺《おれ》は|此処《ここ》に|見張《みは》りをしてゐる。』
『よし|来《き》た』
と、|五六人《ごろくにん》の|若者《わかもの》は|東西南北《とうざいなんぼく》に|袂《たもと》を|別《わか》ち、|月《つき》の|光《ひかり》に|照《てら》され|家々《いへいへ》を|叩《たた》き|廻《まは》る。|照彦《てるひこ》の|宣伝使《せんでんし》は、|悠々《いういう》として|木株《きかぶ》に|腰《こし》|打下《うちおろ》し、
『アヽア、|何時《いつ》|見《み》ても|月《つき》の|光《ひかり》は|心持《こころも》ちの|好《よ》いものだ。|况《ま》して|森《もり》の|木《こ》の|間《ま》を|洩《も》れる|月《つき》の|影《かげ》は|一層《いつそう》|気味《きみ》の|好《よ》いものだな。|併《しか》しながら、この|間《はざま》の|国《くに》は|常世《とこよ》へ|渡《わた》る|咽首《のどくび》だ。|今《いま》までのやうにウカウカとしては|居《を》られぬ。|前後左右《ぜんごさいう》に|心《こころ》を|配《くば》り、|敵《てき》の|奸計《かんけい》に|陥《おちい》らぬやう、|神様《かみさま》にお|願《ねが》ひをいたさうかな。オーさうぢや』
と|独語《ひとりご》ちつつ|拍手《かしはで》の|音《おと》を|木霊《こだま》に|響《ひび》かせ、|音吐《おんと》|朗々《らうらう》として|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》する|処《ところ》へ、さしもに|広《ひろ》き|森林《しんりん》を|縫《ぬ》うて|幾百《いくひやく》とも|知《し》れぬ|提燈《ちやうちん》の|光《ひかり》|瞬《またた》き|来《きた》る。|見《み》る|間《ま》に|照彦《てるひこ》の|周囲《まはり》は|黒山《くろやま》の|如《ごと》く、|提燈《ちやうちん》の|火《ひ》は|夏《なつ》の|螢《ほたる》の|如《ごと》く、|遠巻《とほまき》きに|巻《ま》きゐる。されど|彼《かれ》らは|宣伝使《せんでんし》の|威勢《ゐせい》に|恐《おそ》れてか、|一人《ひとり》として|近寄《ちかよ》り|来《きた》るもの|無《な》く、|一方《いつぱう》の|木蔭《こかげ》に|押《お》し|寄《よ》せたる|男《をとこ》、
|甲《かふ》『オイ|今度《こんど》の|奴《やつ》は|中々《なかなか》|手硬《てごわ》いぞ。|何《ど》うしても|春山彦《はるやまひこ》の|司《つかさ》がお|出《い》でにならなくちや、マア|六ケ《むつか》しいなあ』
|乙《おつ》『ソウ|心配《しんぱい》するな、|今《いま》に|栗毛《くりげ》の|駒《こま》に|乗《の》つてお|出《い》で|遊《あそ》ばすのだ、チヤンと|報告《はうこく》がしてあるからのう』
|甲《かふ》『さうか、それなら|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|早《はや》く|来《き》て|下《くだ》さるとよいがなあ』
|丙《へい》『|春山彦《はるやまひこ》の|神《かみ》さまは|智慧《ちゑ》もあり|力《ちから》もあり、|情深《なさけぶか》いお|方《かた》だが、|昨夜《ゆふべ》も|昨夜《ゆふべ》とて、それはそれは|美《うつく》しい|松竹梅《まつたけうめ》とかいふ|三人《さんにん》の|娘《むすめ》を、|甘《うま》いこと|自分《じぶん》の|家《うち》へ|引張《ひつぱ》り|込《こ》んで、|御利益《おため》ごかしに|鷹取別《たかとりわけ》にお|渡《わた》しになつたと|云《い》ふことだ。|俺《おれ》は【つひ】よう|行《い》かなかつたが、|隣《となり》の|八公《はちこう》がさう|言《い》うてゐたよ』
|甲《かふ》『そんなことは、|俺《おれ》も|昨夜《ゆふべ》|三人《さんにん》の|娘《むすめ》が|送《おく》られて|行《ゆ》く|時《とき》に|見《み》てをつたのだ。|別嬪《べつぴん》だといつても|大《たい》したものではないよ。まあ|俺《おれ》の|女房《にようばう》に|比《くら》べたらチヽヽちーと|位《くらゐ》なものだ』
|乙《おつ》『|何《なに》を|吐《ぬ》かしよるのだい。あのやうな|立派《りつぱ》な|天人娘《てんにんむすめ》と、|貴様《きさま》の|嬶《かかあ》と|比《くら》べものになつて|堪《たま》るかい。|大神楽鼻《おほかぐらばな》の、|鰐口《わにぐち》の、|出歯《でば》の、|兎耳《うさぎみみ》の、|団栗眼《どんぐりまなこ》みたやうな、|碾臼《ひきうす》に|菰巻《こもま》いたやうな|醜態《ぶざま》な|嬶《かかあ》を|持《も》ちよつて、ちーと|好《よ》いの、|悪《わる》いのつて、よう|呆《とぼ》けたものだな。|云《い》うと|済《す》まぬが、|河豚《ふぐ》の|横跳《よこと》びのやうな|嬶《かかあ》でも、|貴様《きさま》の|目《め》には|柳《やなぎ》のやうに|見《み》えるのだらう。|俺達《おれたち》の|手《て》では|一抱《ひとかか》へに|抱《かか》へられぬやうな|胴腹《どてつぱら》をして、やがて|臨月《りんげつ》だとか|云《い》うて、|昨日《きのふ》も|俺《おれ》ん|所《とこ》へ|貴様《きさま》の|嬶《かか》が|出《で》て|来《き》をつて、【すつぽん】に|蓼《たで》を|噛《か》ましたやうに|鼻《はな》をペコつかせ、フースーフースーと|苦《くる》しさうな|息《いき》づかひをして|居《を》つたが、|俺《おら》あ、その|時《とき》に|鍛冶屋《かぢや》の|鞴《ふいご》にでもしたら|調法《てうはふ》だと|思《おも》つた|位《くらゐ》だ』
|甲《かふ》『|馬鹿《ばか》にすな。
|一抱《ひとかか》へあれど|柳《やなぎ》は|柳《やなぎ》かな
だ。|貴様《きさま》のやうな|部屋住《へやずみ》が|女《をんな》の|味《あぢ》を|知《し》つてたまるかい。なに|程《ほど》|綺麗《きれい》な|御姫《おひめ》さまでも|自分《じぶん》の|自由《じいう》にならねば、|別嬪《べつぴん》でも|何《な》んでもないワイ。|自分《じぶん》の|専有物《せんいうぶつ》にしてこそ|立派《りつぱ》な|女《をんな》だよ』
|丙《へい》『よう、|偉《えら》い|権幕《けんまく》だなア、もうよう|言《い》はぬワ、フヽヽヽヽ』
|斯《か》く|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》る|折《を》りしも、|駒《こま》の|蹄《ひづめ》の|音《おと》かつかつと|馳《は》せ|来《きた》る|一人《ひとり》の|男《をとこ》あり。
|村人《むらびと》『ヤア、|春山彦《はるやまひこ》の|司《つかさ》だ。アヽこれでもう|吾々《われわれ》も|安心《あんしん》だ。ヤー|進《すす》め|進《すす》め』
と|虎《とら》の|威《ゐ》を|借《か》る|狐《きつね》の|勢《いきほ》ひ、|俄《にはか》に|肩臂《かたひぢ》をいからしながら、|宣伝使《せんでんし》の|方《はう》に|向《むか》つてチクチクと|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|近《ちか》づき|迫《せま》つて|来《く》る。|照彦《てるひこ》は|声《こゑ》を|張揚《はりあ》げて、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|曲津《まがつ》の|神《かみ》は|世《よ》に|亡《ほろ》ぶ  |月《つき》は|照《て》るてる|常世《とこよ》は|曇《くも》る
|間《はざま》の|森《もり》の|雨《あめ》|晴《は》るる』
と|歌《うた》ひ|出《だ》せば、|馬上《ばじやう》の|一人《ひとり》は|宣伝使《せんでんし》に|向《むか》ひ、
『ヤアヤア、|汝《なんぢ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|此処《ここ》を|何《なん》と|心得《こころえ》てをらるる。|勿体《もつたい》なくも|常世神王《とこよしんわう》の|御領分《ごりやうぶん》、|鷹取別《たかとりわけ》が|管掌《くわんしやう》の|下《もと》に、ウラル|教《けう》を|以《もつ》て|教《をしへ》を|樹《た》つる|間《はざま》の|国《くに》。|御上意《ごじやうい》だツ。|神妙《しんめう》に|手《て》を|廻《まは》されよ』
|照彦《てるひこ》はカラカラと|打笑《うちわら》ひ、
『われこそは|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|戸山津見《とやまづみ》の|神《かみ》なるぞ。|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|鷹取別《たかとりわけ》に|諂《こ》び|諛《へつら》ひ、この|世《よ》を|曇《くも》らす|悪魔《あくま》の|部下《てした》、|耳《みみ》をさらへてわが|宣伝歌《せんでんか》を|聴《き》け』
『ヤアヤア|村人達《むらびとたち》、この|宣伝使《せんでんし》は|不思議《ふしぎ》の|魔力《まりよく》を|以《もつ》て、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ、|汝等《なんぢら》が|身体《しんたい》を|鉄縛《かなしば》りにいたす|魔神《まがみ》であるぞ。われこそはウラル|山《さん》の|大神《おほかみ》の|神力《しんりき》を|得《え》て、|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|術《じゆつ》を|得《え》たれば|少《すこ》しも|怖《おそ》るることなし。|汝《なんぢ》らは|力《ちから》の|弱《よわ》き|臆病者《おくびやうもの》なれば、|生命《いのち》の|惜《を》しき|奴《やつ》は|早《はや》くこの|場《ば》を|立去《たちさ》れ。|汝《なんぢ》らが|遁《に》げ|去《さ》りし|後《あと》は|華々《はなばな》しき|竜虎《りゆうこ》の|争《あらそ》ひ、|春山彦《はるやまひこ》が|生命《いのち》を|取《と》らるるか、|宣伝使《せんでんし》を|生擒《いけど》りにして|馬《うま》に|乗《の》せ、|縛《しば》つてわが|家《や》へ|連《つ》れ|帰《かへ》るか、|二《ふた》つに|一《ひと》つのこの|場《ば》の|境《さかひ》、|足手《あして》|纏《まと》ひにならぬうち|早《はや》く|立去《たちさ》れ』
と|大音声《だいおんじやう》に|呼《よば》はれば、|群衆《ぐんしう》は|各々《めいめい》|提燈《ちやうちん》の|火《ひ》を|吹《ふ》き|消《け》し、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|遁《に》げて|行《ゆ》く。この|言葉《ことば》に|驚《おどろ》いて|肝《きも》を|潰《つぶ》し、|腰《こし》をぬかした|弱虫《よわむし》|共《ども》は、|彼方《あつち》に|三人《さんにん》|此方《こつち》に|五人《ごにん》と|戦《をのの》いてゐる。|春山彦《はるやまひこ》は|又《また》もや、
『ヤア|村《むら》の|者《もの》ども、|残《のこ》らず|遁《に》げ|去《さ》つたか。グヅグヅいたせば|険難《けんのん》だぞ』
|彼方《あちら》|此方《こちら》の|森蔭《もりかげ》より、
『モーシモーシ|腰《こし》が|抜《ぬ》けました、ニヽヽヽヽヽ|遁《に》げられませぬ。どういたしませう』
|春山彦《はるやまひこ》は|小声《こごゑ》で、
『ヤア|困《こま》つた|奴《やつ》だな。|腰《こし》は|抜《ぬ》けても、|耳《みみ》は|利《き》いてゐる。コリヤ、|迂闊《うつかり》したことは|言《い》はれない』
と|呟《つぶや》きながら、
『ヤア|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、この|春山彦《はるやまひこ》が|現《あら》はれし|上《うへ》は、|千変万化《せんぺんばんくわ》の|秘術《ひじゆつ》あるとも|到底《たうてい》|叶《かな》ふまじ。|速《すみや》かにわが|馬《うま》に|乗《の》つてわが|館《やかた》に|来《きた》れ、|取調《とりしら》ぶる|仔細《しさい》あり。
|久方《ひさかた》の|天津月日《あまつつきひ》の|照《て》る|中《なか》に
|情《なさ》けを|知《し》らぬ|人《ひと》のあるべき』
と|歌《うた》ひかけた。|腰《こし》の|抜《ぬ》けた|弱虫《よわむし》|連中《れんちう》はこの|歌《うた》を|聞《き》いて、
|甲《かふ》『オイ、|何《なん》だ、|春山彦《はるやまひこ》の|司《つかさ》は……|久振《ひさしぶ》りに、つきもののついた|化物《ばけもの》|奴《め》、|人《ひと》は|知《し》らぬと|思《おも》ふか|情《なさけ》けない、と|仰有《おつしや》つたぞ』
|乙《おつ》『|偉《えら》いな、|流石《さすが》は|春山彦《はるやまひこ》の|司《つかさ》だ』
|照彦《てるひこ》はこの|歌《うた》を|聞《き》いて、|暫《しば》し|頭《かうべ》を|傾《かたむ》け|考《かんが》へゐたりしが、
『|昇《のぼ》る|日《ひ》に|消《き》えしと|見《み》えし|星影《ほしかげ》は
|消《き》えしにあらずかくれたるなり』
と|答《こた》へけるに、|春山彦《はるやまひこ》は|宣伝使《せんでんし》のわが|意《い》を|悟《さと》りし|事《こと》を|悦《よろこ》び、
『|汝《なんぢ》|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|今《いま》の|言葉《ことば》に|依《よ》れば|往生《わうじやう》せしと|見《み》えたり。サア、|早《はや》くこの|駒《こま》に|乗《の》つてわが|館《やかた》に|来《きた》れ』
と|呼《よ》ばはる。|宣伝使《せんでんし》は、
『われは|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》、|汝《なんぢ》が|如《ごと》き|悪魔《あくま》の|家《いへ》に|伴《ともな》はれ|行《ゆ》くは|汚《けが》らはしけれど、|衆生済度《しうじやうさいど》のために|汝《なんぢ》が|馬《うま》に|乗《の》つて|遣《つか》はすべし』
と|云《い》ふより|早《はや》くヒラリと|跨《またが》り、|春山彦《はるやまひこ》と|轡《くつわ》を|列《なら》べて、|蹄《ひづめ》の|音《おと》|高《たか》らかに|館《やかた》を|指《さ》して|走《はし》り|行《ゆ》く。
(大正一一・二・一七 旧一・二一 高橋常祥録)
第三五章 |秋《あき》の|月《つき》〔四二八〕
|緑紅《みどりくれなゐ》こきまぜて  |錦《にしき》の|機《はた》を|織《お》りなせる
|秋《あき》の|野山《のやま》の|小夜姫《さよひめ》の  |心《こころ》も|赤《あか》き|紅葉《もみぢば》を
|冷《つめ》たき|冬《ふゆ》の|木枯《こがらし》に  |朽《くち》も|果《は》てよとたたかるる
|淋《さび》しきこの|場《ば》の|光景《くわうけい》に  |花《はな》を|添《そ》へむと|立上《たちあが》り
|紅葉《もみぢ》の|如《ごと》き|手《て》を|拍《う》つて  |歌《うた》ふも|床《ゆか》し|竹野姫《たけのひめ》
|心《こころ》の|奥《おく》ぞ|憫《あは》れなる。
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |雨《あめ》は|降《ふ》るとも|晴《は》るるとも
|雪《ゆき》は|積《つ》むとも|消《き》ゆるとも  |誠《まこと》の|神《かみ》の|護《まも》ります
|教《をしへ》にならふ|人《ひと》の|身《み》は  |地震《ぢしん》|雷《かみなり》|火《ひ》の|車《くるま》
|百《もも》の|災害《わざはひ》|千万《ちよろづ》の  |曲津《まがつ》の|猛《たけ》び|襲《おそ》ふとも
|如何《いか》で|怖《おそ》れむ|神《かみ》の|道《みち》  |鷹取別《たかとりわけ》は|何者《なにもの》ぞ
|常世神王《とこよしんわう》|何者《なにもの》ぞ  |彼《かれ》は|人《ひと》の|子《こ》|罪《つみ》の|御子《みこ》
われは|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|御子《みこ》  |神《かみ》に|随《したが》ふ|神《かみ》の|子《こ》の
|如何《いか》で|怖《おそ》るることあらむ  |春山彦《はるやまひこ》や|夏姫《なつひめ》の
|厚《あつ》き|心《こころ》は|千早《ちはや》|振《ふ》る  |尊《たふと》き|神《かみ》の|御心《みこころ》に
|叶《かな》ひまつりて|遠近《をちこち》の  |尾《を》の|上《へ》に|猛《たけ》る|曲津神《まがつかみ》
|醜女《しこめ》|探女《さぐめ》も|言向《ことむ》けて  |神《かみ》の|御前《みまへ》に【かへり】|言《ごと》
|申《まを》し|給《たま》ふは|目《ま》のあたり  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|間《はざま》の|森《もり》に|現《あら》はれて  |声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣伝歌《せんでんか》
|歌《うた》ひ|来《きた》るは|何人《なにびと》ぞ  |嬉《うれ》しき|便《たよ》りを|松竹《まつたけ》や
|梅ケ香姫《うめがかひめ》の|香《かん》ばしく  |開《ひら》かせ|給《たま》へ|神《かみ》の【いづ】
|生血《いきち》をしぼる|鬼神《おにがみ》の  |醜《しこ》の|叫《さけ》びも|何《なん》のその
|信仰《しんかう》|強《つよ》きわれわれに  |刃向《はむか》ふ|刃《やいば》はあらざらめ
|鬼《おに》をもひしぐ|鬼武彦《おにたけひこ》  |旭《あさひ》、|高倉《たかくら》|今《いま》|何処《いづこ》
|月日《つきひ》の|白狐《びやくこ》|現《あら》はれて  |今《いま》の|悩《なや》みを|救《すく》へかし
|春山彦《はるやまひこ》にふりかかる  その|災厄《わざはひ》を|払《はら》へかし
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |松竹梅《まつたけうめ》と|三《み》つ|栗《ぐり》の
|中《なか》の|娘《むすめ》と|生《うま》れたる  |竹野《たけの》の|姫《ひめ》が|祈事《ねぎごと》を
|御空《みそら》も|高《たか》く|聞《きこ》し|召《め》せ  |千尋《ちひろ》の|海《うみ》の|底《そこ》にます
|乙米姫《おとよねひめ》も|聞《きこ》すらむ  アタルの|港《みなと》を|船出《ふなで》して
|荒浪《あらなみ》たける|海原《うなばら》を  |漂《ただよ》ひ|来《きた》りし|竹野姫《たけのひめ》
|妾《わらは》を|救《すく》ひしその|如《ごと》く  |今《いま》|現《あ》れませる|麻柱《あななひ》の
|道《みち》の|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》  |救《すく》はせ|給《たま》へ|平《たひら》けく
いと|安《やす》らけく|聞《きこ》し|召《め》せ  |神《かみ》は|妾《わらは》と|倶《とも》にます
われは|尊《たふと》き|宣伝使《せんでんし》  |神《かみ》の|身魂《みたま》ぞ|守《まも》ります
|守《まも》り|給《たま》へや|天津神《あまつかみ》  |恵《めぐ》み|給《たま》へや|国津神《くにつかみ》
|救《すく》はせ|給《たま》へ|黄泉神《よもつかみ》  |常世《とこよ》の|国《くに》に|塞《ふさ》がれる
|雲《くも》を|払《はら》へよ|科戸彦《しなどひこ》  |心《こころ》|澄《す》みきる|秋月姫《あきづきひめ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》や|深雪姫《みゆきひめ》  |太《ふと》き|功《いさを》も|橘姫《たちばなひめ》の
|妹《いも》の|命《みこと》や|駒山彦《こまやまひこ》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》
|祈《いの》れよ|祈《いの》れ|神《かみ》の|前《まへ》  |祈《いの》れよ|祈《いの》れ|神《かみ》の|前《まへ》』
と|歌《うた》ひ|舞《ま》ふしをらしさ。
|滴《したた》る|眦《まなじり》|月《つき》の|眉《まゆ》  |膚《はだへ》も|白《しろ》く|軟《やは》らかく
|身《み》の【たけ】さへも|長月《ながつき》の  |三五《さんご》の|月《つき》に|擬《まが》ふなる
|秋月姫《あきづきひめ》は|立《た》ち|上《あが》り  |涼《すず》しき|声《こゑ》は|秋《あき》の|野《の》の
|草野《くさの》にすだく|鈴虫《すずむし》か  |父《ちち》の|帰《かへ》りを|松虫《まつむし》の
|声《こゑ》も|目出度《めでた》く|歌《うた》ひ|舞《ま》ふ。
『|恵《めぐ》みも|深《ふか》き|垂乳根《たらちね》の  |父《ちち》と|母《はは》とに|育《はぐ》くまれ
|春《はる》|待《ま》ちかねし|鶯《うぐひす》の  ホーホケキヨーの|片言《かたこと》も
|漸《やうや》くなれて|姉妹《おとどい》は  |恵《めぐ》みも|厚《あつ》き|夏姫《なつひめ》の
いと|懐《なつ》かしき|母《はは》のそば  |父《ちち》の|命《みこと》の|御恵《みめぐ》みは
|山《やま》より|高《たか》く|澄《す》み|渡《わた》る  |御空《みそら》を|照《て》らす|秋月《あきづき》の
わが|身《み》を|守《まも》るありがたさ  |月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》と|謳《うた》はれて
|間《はざま》の|国《くに》に|名《な》も|高《たか》く  |誉《ほま》れ|輝《かがや》く|春山彦《はるやまひこ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|治《しら》す|世《よ》は  |常世《とこよ》の|春《はる》の|永久《とこしへ》に
|尾《を》の|上《へ》の|松《まつ》の|末長《すゑなが》く  |枝《えだ》も|栄《さか》ゆる|葉《は》も|茂《しげ》る
|茂《しげ》れる|松《まつ》に|丹頂《たんちやう》の  |鶴《つる》も|巣《す》ぐへよ|聖《ひじり》の|世《よ》
|四方《よも》の|民草《たみぐさ》|睦《むつ》び|合《あ》ふ  |時《とき》こそあれや|荒《すさ》び|来《く》る
|八十《やそ》の|曲津《まがつ》に|誘《さそ》はれて  |神《かみ》の|教《をしへ》を|破《やぶ》らむと
|鷹取別《たかとりわけ》の|醜神《しこがみ》は  あな|恨《うら》めしきウラル|教《けう》
|曲《まが》の|教《をしへ》を|楯《たて》として  |世人《よびと》の|心《こころ》|曇《くも》らせつ
|天《あま》の|鳥船《とりふね》|舞《ま》ひ|狂《くる》ひ  |地《つち》に|曲津見《まがつみ》|吼《ほ》え|猛《たけ》り
|百千万《ももちよろづ》の|禍《わざはひ》も  |一度《いちど》に|起《おこ》る|黄泉国《よもつくに》
|醜《しこ》の|軍《いくさ》を|言向《ことむ》けて  |聖《きよ》き|神世《かみよ》に|立直《たてなほ》し
|百《もも》の|民草《たみくさ》|救《たす》けむと  |木《こ》の|花姫《はなひめ》の|現《あ》れまして
|人《ひと》の|言葉《ことば》を|刈菰《かりごも》の  |乱《みだ》れたる|世《よ》を|固《かた》めむと
|心《こころ》|配《くば》らせ|給《たま》ひつつ  |四方《よも》に|間配《まくば》る|神使《かむつか》ひ
|遠《とほ》き|近《ちか》きの|八洲国《やしまぐに》  【こし】の|国《くに》まで|出《い》でまして
|松竹梅《まつたけうめ》の|賢女《さかしめ》や  |月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の【くはし】|女《め》を
|引《ひ》き|寄《よ》せ|給《たま》ひ|神国《かみくに》の  |礎《いしずゑ》|固《かた》く|搗《つ》き|給《たま》ふ
その|功績《いさをし》ぞ|尊《たふと》けれ  その|功績《こうせき》ぞ|畏《かしこ》けれ』
と|秋月姫《あきづきひめ》は|声《こゑ》も|涼《すず》しく|神明《しんめい》の|高徳《かうとく》を|陳《の》べ、|宣伝使《せんでんし》の|労苦《らうく》を|謝《しや》したり。
|忽《たちま》ち|門前《もんぜん》に|聞《きこ》ゆる|馬《うま》の|嘶《いなな》き、|蹄《ひづめ》の|音《おと》、|数多《あまた》の|人声《ひとごゑ》。|夏姫《なつひめ》は|立《た》ち|上《あが》り|門《もん》を|開《ひら》く|折《をり》しも、|春山彦《はるやまひこ》は、|一人《ひとり》の|宣伝使《せんでんし》と|共《とも》に|馬《うま》に|跨《またが》り、|悠々《いういう》と|入《い》り|来《き》たる。|春山彦《はるやまひこ》は|馬上《ばじやう》より、
『|村人《むらびと》|共《ども》、|御苦労《ごくらう》|千万《せんばん》、|最早《もはや》かくなる|上《うへ》は|大丈夫《だいぢやうぶ》、|一時《いちじ》も|早《はや》く|中依別《なかよりわけ》の|関所《せきしよ》に|報《し》らせ、|駕籠《かご》を|持《も》ち|来《きた》れ。われはこの|宣伝使《せんでんし》に|就《つい》て、|少《すこ》しく|取調《とりしら》ぶる|仔細《しさい》あれば、|明日《あす》の|夕方《ゆふがた》|復《ふたた》び|迎《むか》ひに|来《きた》れ』
と|大音声《だいおんじやう》に|呼《よば》はれば、|数多《あまた》の|村人《むらびと》は、
『オー』
と|答《こた》へて、|潮《うしほ》の|退《ひ》く|如《ごと》く|門前《もんぜん》を|立去《たちさ》りにける。|春山彦《はるやまひこ》はヒラリと|飛《と》び|下《お》り|声低《こゑびく》に、
『|照彦《てるひこ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|見苦《みぐる》しき|荒屋《あばらや》、ゆるゆる|御休息《ごきうそく》|下《くだ》さいませ。|貴方《あなた》にお|目《め》にかけたきものが|沢山《たくさん》ござれば』
と|聞《き》く|間《ま》もあらず|照彦《てるひこ》はヒラリと|飛《と》び|下《お》り、|夫婦《ふうふ》の|案内《あんない》につれて|一同《いちどう》の|前《まへ》に、|悠々《いういう》として|現《あら》はれにける。
(大正一一・二・一七 旧一・二一 外山豊二録)
第三六章 |偽神懸《にせかむがかり》〔四二九〕
|馬《うま》を|乗《の》り|捨《す》て、|春山彦《はるやまひこ》と|共《とも》に|悠々《いういう》とこの|場《ば》に|現《あらは》れたる|戸山津見神《とやまづみのかみ》の|照彦《てるひこ》は、|一同《いちどう》の|顔《かほ》を|見《み》て|大《おほい》に|驚《おどろ》き、
『オーこれはしたり、|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|御姉妹《ごきやうだい》、|思《おも》はぬ|処《ところ》でお|目《め》に|懸《かか》りました。|御姉妹《ごきやうだい》|否《いな》|御主人様《ごしゆじんさま》、|日《ひ》に|夜《よ》に|心《こころ》にかかる|旅《たび》の|空《そら》、|何処《いづく》の|空《そら》に|坐《ま》しますやと、|明《あ》け|暮《く》れ|空《そら》を|仰《あふ》いで|雲《くも》の|行方《ゆくへ》を|眺《なが》め、|心《こころ》を|煩《わづら》はして|居《を》りました』
と|落《お》つる|涙《なみだ》を|袖《そで》に|拭《ぬぐ》ふ。
|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|三人《さんにん》は、
『そなたは|照彦《てるひこ》……いやいや|戸山津見神《とやまづみのかみ》|殿《どの》、ようまあ|御無事《ごぶじ》でゐて|下《くだ》さいました。これといふのも|吾《われ》らを|守《まも》り|給《たま》ふ|三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|御恵《みめぐ》み』
と|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|暮《く》れ|居《ゐ》たる。
『イヤア|照彦《てるひこ》、アヽではない|戸山津見神《とやまづみのかみ》|殿《どの》、この|夏《なつ》は|智利《てる》の|山奥《やまおく》にて、いかいお|世話《せわ》になりました。イヤもうその|時《とき》の|苦《くる》しさ、|友達《ともだち》|甲斐《かひ》もない|男《をとこ》だと、|駒山彦《こまやまひこ》も|一度《いちど》は|恨《うら》んで|見《み》たが、|思《おも》ひかへせば|何事《なにごと》も|神様《かみさま》の|御引《おひ》き|合《あは》せ、|併《しか》しながら、もう|何卒《どうぞ》|神懸《かむがか》りにならないやうに|気《き》をつけて|下《くだ》さい』
|照彦《てるひこ》はワザと|神懸《かむがか》りの|真似《まね》をして、
『アヽヽ』
『イヤー、また|始《はじ》まつた。この|美《うつく》しい|七人《しちにん》の|女神様《めがみさま》の|前《まへ》で、|吾々《われわれ》の|恥《はぢ》を|素破《すつぱ》|抜《ぬ》かれては|堪《た》まつたものでない。あゝどうか|今日《けふ》は|皆《みな》さまに|免《めん》じてお|鎮《しづ》まりを|願《ねが》ひます』
『【ア】ヽヽ|三五教《【あ】ななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|荒野《【あ】らの》に|彷徨《さまよ》ひ|唯《ただ》|一人《ひとり》、|涙《なみだ》に|咽《むせ》ぶ|腑甲斐《ふがひ》なさ。【イ】ヽヽ【い】ぢけた【イ】モリの【ベタ】ベタと、|井戸《【ゐ】ど》の|底《そこ》を|潜《くぐ》るやうに、|枉津《まがつ》に|懼《おそ》れて|生命《【い】のち》からがら|此処《ここ》まで|出《で》て|来《き》た|誰《たれ》やらの|宣伝使《せんでんし》。【ウ】ヽヽ|珍山彦《【う】づやまひこ》に|棄《ほか》されて、|動《【う】ご》きの|取《と》れぬ|谷《たに》の|底《そこ》、|憂《【う】》しや|悲《かな》しや、|蹇《あしな》への、|身《み》はままならぬ|百日百夜《ひやくにちひやくや》、|泣《な》いて|暮《くら》すか|杜鵑《ほととぎす》。【エ】ヽヽ【え】らい|元気《げんき》ではしやいで、|後先《あとさき》|見《み》ずに|進《すす》み|行《ゆ》く、|向《むか》ふの|見《み》えぬ|誰《たれ》やらの|宣伝使《せんでんし》。【オ】ヽヽ|可笑《【を】か》しかつたぞ、|面白《【お】もしろ》かつたぞ。|恐《【お】そ》ろしさうな|顔《かほ》をして、|暗《くら》い|谷間《たにま》に|残《のこ》された、|愚者《【お】ろかもの》の|何処《どこ》やらの|宣伝使《せんでんし》』
『また|言霊《ことたま》か、|言霊《ことたま》の|妙《めう》を|得《え》たるこの|駒山彦《こまやまひこ》には|敵《かな》ふまい。よし|此方《こつち》にも|覚悟《かくご》がある。【ア】フンと|致《いた》して|泡《【あ】わ》を|吹《ふ》いたる、|阿呆面《【あ】はうづら》のどこやらの|宣伝使《せんでんし》。|三人《さんにん》の|姫《ひめ》を|見失《みうしな》ひ、|開《【あ】》いた|口《くち》が|閉《すぼ》まらなんだ、|顎《【あ】ご》の|達者《たつしや》な|何処《どこ》やらの|宣伝使《せんでんし》、|哀《【あ】は》れなりける|次第《しだい》なりだ。【イ】ヽヽ【い】らざる|理屈《りくつ》を|拗《こ》ね|廻《まは》し、そこら|中《ぢう》の|人間《にんげん》に、|茨《【い】ばら》のやうに|忌《【い】》み|嫌《きら》はれる|意地悪《【い】ぢわる》の【い】かさま|宣伝使《せんでんし》。【ウ】ヽヽ|狼狽《【う】ろた》へ|廻《まは》り、|姫《ひめ》の|跡《あと》を|血眼《ちまなこ》になつて|騒《さわ》ぎ|廻《まは》り、|夢《ゆめ》にさへも|囈言《【う】はごと》を|喋《しやべ》くり、|嘘《【う】そ》は|言《い》うたか|言《い》はぬか|知《し》らぬが、|霜《しも》に【う】たれ|頭《あたま》を|打《【う】》ち、|夢《ゆめ》か|現《【う】つつ》か|三太郎《さんたらう》か、|馬《うま》に|乗《の》せられ|生命《いのち》からがらここまで|出《で》て|来《き》た|何処《どこ》やらの|宣伝使《せんでんし》。【エ】ヽヽヽ【エ】グイ|責苦《せめく》にあはされて、|腰《こし》を|抜《ぬ》かし、|人《ひと》の|前《まへ》では|豪《【え】ら》さうに|法螺《ほら》を|吹《ふ》く、【オ】ヽヽ|大馬鹿者《【お】ほばかもの》の|臆病者《【お】くびようもの》、【オ】ケ【オ】ケ、もうそんな|馬鹿《ばか》な|神懸《かむがか》りは、|誰《たれ》も|聴手《ききて》がないやうになるぞよ』
|照彦《てるひこ》は、
『カヽヽ』
と|始《はじ》め|出《だ》す。
『イヤー、また|神懸《かむがか》りが|始《はじ》まつたのか。こいつが|神懸《かむがか》りになりよると、|執拗《しつこ》いの|執拗《しつこ》うないのつて、|腐《くさ》り|鰯《いわし》が|網《あみ》に【ひつ】|着《つ》いたやうに、|容易《ようい》に|放《はな》れて|呉《く》れぬので|困《こま》つて|了《しま》ふ』
『【カ】ヽヽ|烏《【か】らす》を|鷺《さぎ》と|言《い》ひくるめ、|恥《はぢ》かき|歩《ある》く|何処《どこ》やらの|宣伝使《せんでんし》。|一《ひと》つ|言《い》うては|頭《あたま》|掻《か》き、|遣《や》り|込《こ》められては|恥《はぢ》を【か】く。【か】け|替《が》へのない|一《ひと》つの|頭《あたま》を|粗末《そまつ》に|使《つか》ふ|粕宣伝使《【か】すせんでんし》。|頑固《【か】たくな》|一方《いつぱう》の、|神鰹節《【か】みかつぶし》の【ガ】ツト|虫《むし》。【キ】ヽヽ|北《【き】た》へ|北《【き】た》へと|進《すす》んで|来《【き】》たが、【き】つい|嵐《あらし》に|吹《ふ》き|捲《まく》られ、|際《きは》どい|処《ところ》で|生命《いのち》を|助《たす》けられ、|消《【き】》ゆるばかりの|思《おも》ひをいたし、【き】つい|戒《いまし》め|食《く》うた|何処《どこ》やらの|宣伝使《せんでんし》。【ク】ヽヽ|黒《【く】ろ》い|顔《かほ》して|燻《【く】すぶ》つて、|四十八癖《しじふや【く】せ》を|列《なら》べられ、|谷底《たにぞこ》で【くたば】つた|心《こころ》の|弱《よわ》い、【ケ】ヽヽ|毛色《【け】いろ》の|変《かは》つた、|怪態《【け】たい》な、|吝《【け】ち》な、【コ】ヽヽ|菎蒻腰《【こ】んにやくごし》。【コ】ソ【コ】ソと|二人《ふたり》の|男《をとこ》に|逃《に》げられて、|困《【こ】ま》り|入《い》つたる|駒山彦《【こ】まやまひこ》の|宣伝使《せんでんし》』
『|照彦《てるひこ》の|奴《やつ》、どこまでも|俺《おれ》を|馬鹿《ばか》にするのか。これほどの|多勢《おほぜい》の|前《まへ》で|悪言暴語《あくげんばうご》を|列《なら》べるか、|善言美詞《ぜんげんびし》の|神《かみ》の|教《をしへ》、|守《まも》らぬ|奴《やつ》は|枉津《まがつ》の|容《い》れ|物《もの》。【カ】ヽヽ|勘弁《【か】んべん》ならぬぞ、|覚悟《【か】くご》はよいか。|売《う》り|言葉《ことば》に|買《【か】》ひ|言葉《ことば》だ。まだこの|上《うへ》に|勝手《【か】つて》な|熱《ねつ》を|吹《ふ》きよるなら、|俺《おれ》も|沢山《たくさん》|言分《いひぶん》があるぞ。【キ】ヽヽ【キ】リ【キ】リチヤツトこの|方《はう》の|申《まを》すことを|諾《【き】》かばよし、|聞《【き】》き|入《い》れなくば|聞《【き】》くやうにして|聞《【き】》かしてやる。|貴様《【き】さま》のやうな|奇態《【き】たい》な|面《つら》をして、|気違《【き】ちが》ひのやうな|事《こと》を|言《い》つて、|人《ひと》に|傷《【き】ず》をつけ、|奇的滅法界《【き】てきめつばふかい》な|枉津《まがつ》の|神懸《かむがか》りを|致《いた》し、|人《ひと》の|気《【き】》に|入《い》らぬ|事《こと》ばかり|囀《さへづ》り、それで|気分《【き】ぶん》がよいと|思《おも》ふか。|気味《【き】み》の|悪《わる》い|手《て》つきをさらしよつて、|智利山《てるやま》の|谷底《たにぞこ》で|何《なに》を|吐《ほざ》いた。【ク】ヽヽ|苦労《【く】らう》が|足《た》らぬから、もつと|苦労《【く】らう》を|致《いた》せと|言《い》うたぢやないか。|二本《にほん》の|足《あし》を|持《も》ちながら、|苦労《【く】らう》が|辛《つら》さに|馬《うま》に|乗《の》るとは|何《なん》のこと。【ケ】ヽヽ|家来《【け】らい》の|身《み》を|持《も》ちながら、|主人《しゆじん》を|見放《みはな》し、【コ】ヽヽ|小賢《【こ】ざか》しく【コ】セ【コ】セ|小理屈《【こ】りくつ》を|申《まを》す|何処《どこ》やらの|宣伝使《せんでんし》。|言《い》ふなら|言《い》へ、なんぼ|言《い》つても【こ】たへぬ|此《この》|方《はう》、|今《いま》までの|駒山彦《【こ】まやまひこ》とはわけが|違《ちが》ふぞよ』
『【サ】ヽヽ|騒《【さ】わ》ぐな|囀《【さ】へづ》るな、|酒《【さ】け》を|食《くら》うて|酔《よ》うたよな、|逆理屈《【さ】かりくつ》は|聞《き》く|耳《みみ》|持《も》たぬ、【さ】ても【さ】ても|騒《【さ】わ》がしい|奴《やつ》だ。【シ】ヽヽ|醜女探女《【し】こめさぐめ》に|追《お》ひかけられて、【ス】ヽヽ【ス】ウ【ス】ウ|息《いき》をはづませながら、【ス】タ【ス】タ|逃《に》げゆく【そこら】の|宣伝使《【せ】んでんし》。|雪隠《【せ】んち》で|饅頭《まんぢう》|食《く》つたよに、【ソ】ヽヽ|素知《【そ】し》らぬ|顔《かほ》した|臭《くさ》い|臭《くさ》い|宣伝使《せんでんし》』
『オイ、|照彦《てるひこ》、|言霊《ことたま》の|練習《れんしふ》をやるのか、|言霊《ことたま》ならまた|後《あと》でゆつくりと|聞《き》かう。もういい|加減《かげん》に【サ】ヽヽ【さ】らりと|止《や》めたらどうだ。|余《あんま》り【さ】し|出《で》ると【シ】ヽヽ|尻尾《【し】つぽ》を|出《だ》して|遣《や》らうか、【し】ぶとい|奴《やつ》だ。【ス】ヽヽ|酸《【す】》いも|甘《あま》いも|弁《わきま》へ|知《し》つた|駒山彦《こまやまひこ》を、【セ】ヽヽ|攻《【せ】》めやうと|思《おも》つても、【ソ】ヽヽ【そ】うはゆかぬぞ。【そ】の|手《て》は|食《く》はぬ|秋鼠《あきねずみ》だ』
『【タ】ヽヽ|叩《【た】た》くな|叩《【た】た》くな、|顎《あご》を|叩《【た】た》くな。|高《【た】か》い|鼻《はな》を|捻折《ねぢを》つて|改心《かいしん》さして|遣《や》らうか。【チ】ヽヽ|力《【ち】から》も|神徳《しんとく》もない|癖《くせ》に、【ツ】ヽヽ|次《【つ】ぎ》へ|次《【つ】ぎ》へと|理屈《りくつ》を|申《まを》す【つ】まらぬ|奴《やつ》、|月夜《【つ】きよ》に|釜《かま》をぬかれたやうな|詰《【つ】ま》らぬ|顔《かほ》して、【テ】ヽヽ|天地《【て】んち》の|間《あひだ》を|股《また》にかけ、|途中《とちゆう》に|踏《ふ》ん|迷《まよ》うて|栃麺棒《【と】ちめんぼう》をふる、【ト】ヽヽ|呆《【と】ぼ》け|面《づら》の|何処《どこ》やらの|宣伝使《せんでんし》。【ト】コ【ト】ンまで|剥《む》いてやらうか』
『【タ】カの|知《し》れた|宣伝使《せんでんし》の|言葉《ことば》。【チ】ヽヽ|一寸《【ち】よつと》も|取《と》り|柄《え》のない、【ツ】ヽヽ|詰《【つ】ま》らぬ|事《こと》を、【テ】ヽヽ|手柄顔《【て】がらがほ》に|喋《しやべ》くり|散《ち》らして、|仕舞《しまひ》の|果《はて》にや、【ト】ヽヽ【ト】ンブリ|返《かへ》りを|打《う》ちよるな、【ト】ツクリと|自分《じぶん》の|心《こころ》に|相談《さうだん》して|見《み》よ』
|照彦《てるひこ》『【ナ】ヽヽ|怠惰《【な】まくら》な|事《こと》を|言《い》ふな、|其辺中《そこらぢう》をウラル|彦《ひこ》の|手下《てした》に|追《お》はれて【ニ】ヽヽ|逃《【に】》げ|廻《まは》し、【ヌ】ヽヽ|脱《【ぬ】か》つた|面《つら》して、【ネ】ヽヽ|猫《【ね】こ》を|冠《かぶ》つて|野良鼠《【の】らねずみ》のやうに、【の】さばり|歩《ある》く|宣伝使《せんでんし》』
『|駒山彦《こまやまひこ》だぞ、ソリヤ、ナヽ|何《なに》|吐《ぬ》かす』
と|顔色《かほいろ》を|変《か》へ|立上《たちあ》がらむとする。|不思議《ふしぎ》や|何時《いつ》の|間《ま》にか|身体《しんたい》|強直《きやうちよく》して、|首《くび》から|下《した》は|又《また》もやビクともせなくなつてゐる。
『オイ|駒山彦《こまやまひこ》の|宣伝使《せんでんし》、イヤ|羽山津見《はねやまづみ》、|一《ひと》つ|立《た》つて【はね】|廻《まは》つたらどうだ』
『オイ、また|霊縛《れいばく》をかけよつたなア。|此奴《こいつ》は|降参《かうさん》|々々《かうさん》、どうしてもお|前《まへ》には、この|宣伝使《せんでんし》も|兜《かぶと》を|脱《ぬ》がねばならぬワイ。|改《あらた》めて|戸山津見神《とやまづみのかみ》どの、|今《いま》までの|御無礼《ごぶれい》、|平《ひら》に|御宥《おゆる》し|下《くだ》さいませ。アヽヽ|怪体《けたい》の|悪《わる》いことだ。|無理《むり》|往生《わうじやう》をさせられて|堪《たま》つたものぢやないワ』
|照彦《てるひこ》はウンと|一声《ひとこゑ》。|羽山津見《はねやまづみ》は|立《た》ち|上《あが》り、
『アヽこれで|鬼《おに》に|鉄棒《かなぼう》、おまけに|羽《はね》の|生《は》えたやうなものだ。サアこれから|常世《とこよ》の|国《くに》へ|行《い》つて、|鷹取別《たかとりわけ》の|羽《はね》をむしつて、|跳《は》ねてはねて|跳《は》ね|廻《まは》つて、|羽山津見《はねやまづみ》にならうかい』
|一同《いちどう》は|声《こゑ》を|上《あ》げて|思《おも》はず、
『ワハヽヽヽ、オホヽヽヽ』
と|笑《わら》ひ|伏《ふ》す。
|春山彦《はるやまひこ》『なんと|神懸《かむがか》りと|云《い》ふものは|妙《めう》なものですな、|戸山津見《とやまづみ》の|神《かみ》さま、|神懸《かむがか》りの|時《とき》にはどんな|御気分《ごきぶん》になつて|居《を》られますか』
|駒山彦《こまやまひこ》『イヤ、|春山彦《はるやまひこ》さま、|嘘《うそ》ですよ。この|男《をとこ》はいつもよく|喋舌《しやべ》る|癖《くせ》があるのですからなア。あんな|事《こと》が|神懸《かむがか》りであつて|堪《たま》りますか、アハヽヽヽ』
『それでも|貴方《あなた》、|霊縛《れいばく》とやらかけられて、|身動《みうご》きも|出来《でき》なかつたぢやありませぬか』
『いや、|一寸《ちよつと》|足《あし》が|痺《しび》れたので|立《た》てなかつたのです。この|場《ば》の|興《きよう》を|添《そ》へるため、|滑稽《こつけい》を|演《えん》じてお|目《め》にかけたのですよ』
|照彦《てるひこ》『アハヽヽ、そらさうだ。お|前《まへ》もよく|霊縛《れいばく》にかかつた|様《やう》な|真似《まね》を|上手《じやうづ》にしたねー。アハヽヽヽ』
|夏姫《なつひめ》『なんと|貴方《あなた》がたは|気楽《きらく》なお|方《かた》ですこと、|今宵《こよひ》|貴方《あなた》を|常世《とこよ》の|国《くに》に|連《つ》れ|帰《かへ》ると、|鷹取別《たかとりわけ》の|家来《けらい》の|中依別《なかよりわけ》が|駕籠《かご》を|持《も》つて|来《く》るのですから、それまでに|何《なん》とか|用意《ようい》をしなくてはなりませぬが……』
|照彦《てるひこ》『イヤ、|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな。|吾々《われわれ》には、|神様《かみさま》のお|護《まも》りがあります。|確信《かくしん》が|御座《ござ》いますから』
と|話《はな》す|折《を》りしも、|又《また》もや|門外《もんぐわい》|騒《さわ》がしく、|人馬《じんば》の|足音《あしおと》|近寄《ちかよ》り|来《きた》る。|春山彦《はるやまひこ》は、
『どうやら|捕手《とりて》が|来《き》た|様子《やうす》、どうぞ|御一同《ごいちどう》、|奥《おく》の|岩窟《いはや》にお|這入《はい》りを|願《ねが》ひます』
|駒山彦《こまやまひこ》『|吾々《われわれ》は|敵《てき》を|見《み》て|旗《はた》を|捲《ま》くは|本意《ほんい》でござらぬ。|捕手《とりて》の|来《く》るを|幸《さいは》ひ、|常世《とこよ》の|国《くに》に|連《つ》れ|行《ゆ》かれ、|跳《は》ねてはねて|跳《は》ね|廻《まは》り、|一泡《ひとあわ》|吹《ふ》かせてやりませうかい』
『|左様《さう》でもございませうが、|吾々《われわれ》の|願《ねが》ひごと、どうぞ|素直《すなほ》にお|聞《き》き|下《くだ》さいますやうに』
『イヤー|主人《しゆじん》の|頼《たの》みとあれば|仕方《しかた》がない。サア、|松竹梅《まつたけうめ》の|三人《さんにん》さま、|暫《しばら》く|奥《おく》で|休息《きうそく》いたしませうかい。ヤー|戸山津見神《とやまづみのかみ》|殿《どの》、|常世《とこよ》の|国《くに》へ|潔《いさぎよ》く|行《い》つて|来《こ》い。|吾々《われわれ》は|後《あと》からお|手伝《てつだ》ひに|行《ゆ》くからな』
と|言《い》ひ|残《のこ》し、|裏口《うらぐち》さして|悠々《いういう》と|出《い》でて|行《ゆ》く。
|早《はや》くも|中依別《なかよりわけ》の|配下《はいか》は|門口《かどぐち》の|閾《しきゐ》をまたげ、
『ただ|今《いま》|中依別《なかよりわけ》の|神《かみ》、|宣伝使《せんでんし》を|召捕《めしと》りに|参《まゐ》りました。どうぞお|渡《わた》し|下《くだ》さいませ』
|春山彦《はるやまひこ》『|大切《たいせつ》の|罪人《とがにん》、よく|検《あらた》めて|受取《うけと》られよ』
|中依別《なかよりわけ》は|静《しづか》に、
『ヤア、|宣伝使《せんでんし》|殿《どの》、|気《き》の|毒《どく》ながらこの|駕籠《かご》にお|召《め》し|下《くだ》さい』
|照彦《てるひこ》は|悠然《いうぜん》として|表《おもて》に|現《あら》はれ、
『オー、|汝《なんぢ》は|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|鷹取別《たかとりわけ》の|家来《けらい》、|中依別《なかよりわけ》と|申《まを》す|者《もの》か、イヤー|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い。|吾《われ》こそは|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|常世《とこよ》の|国《くに》に|打渡《うちわた》り、|汝《なんぢ》の|如《ごと》き|悪神《あくがみ》を|片端《かたつぱし》から|言向《ことむ》け|和《やは》し、|誠《まこと》の|神《かみ》の|御教《みをし》へに|救《すく》ひやらむと|此処《ここ》まで|来《き》たのだ。ヤー|出迎《でむか》へ|大儀《たいぎ》だ。|早《はや》くこれへ|駕籠《かご》を|持《も》て。|大切《たいせつ》に|舁《かつ》げよ。|途中《とちう》に|落《おと》しなど|致《いた》すに|於《おい》ては|神罰《しんばつ》|立処《たちどころ》だ。|気《き》を|注《つ》けて|大切《たいせつ》に|送《おく》り|申《まを》せ』
『|汝《なんぢ》|罪人《とがにん》の|身《み》を|以《もつ》て、|中依別《なかよりわけ》に|対《たい》し|大胆不敵《だいたんふてき》な|広言《くわうげん》、|吠面《ほえづら》かわくな』
|戸山津見《とやまづみ》は、|莞爾《にこにこ》としながら、|駕籠《かご》の|中《なか》に|姿《すがた》を|隠《かく》したり。
『ヤー|春山彦《はるやまひこ》、|天晴《あつぱ》れあつぱれ|褒美《ほうび》にはこれを|遣《つか》はす』
と|懐《ふところ》より|数多《あまた》の|宝《たから》を|取《と》り|出《だ》し、|玄関《げんくわん》に|投《な》げつけ、|葦毛《あしげ》の|駒《こま》にヒラリと|跨《またが》り、|数多《あまた》の|人《ひと》を|指揮《しき》しながら、|中依別《なかよりわけ》は|悠々《いういう》としてこの|家《や》を|後《あと》に|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|照彦《てるひこ》『アハヽヽヽ、|狐《きつね》にまた|抓《つま》まれよつたな』
(大正一一・二・一七 旧一・二一 東尾吉雄録)
第三七章 |凱歌《がいか》〔四三〇〕
|朝日《あさひ》は|空《そら》に|照彦《てるひこ》の、|神《かみ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》、|戸山津見《とやまづみ》と|改《あらた》めて、|情《なさけ》も|深《ふか》き|春山彦《はるやまひこ》の、|館《やかた》に|着《つ》くや、|一息《ひといき》つく|間《ま》もあらず、|中依別《なかよりわけ》の|捕手《とりて》の|駕籠《かご》に|乗《の》せられて、|怯《お》めず|臆《おく》せず、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、|数多《あまた》の|人《ひと》に|送《おく》られつ、|駕籠《かご》にぶらぶら|揺《ゆす》られ|行《ゆ》く。|後《あと》に|照彦《てるひこ》は、|窓《まど》の|戸《と》|押《お》し|開《ひら》き、|大口《おほぐち》|開《ひら》いて|高笑《たかわら》ひ。
『ワアハヽヽヽヽヽ、よくも|化《ばか》されよつたなア。それにつけても|雄々《をを》しきは、|鬼武彦《おにたけひこ》が|白狐《びやくこ》の|働《はたら》き、アヽ|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し。ヤアヤア|駒山彦《こまやまひこ》、|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》の|宣伝使《せんでんし》|殿《どの》、|春山彦《はるやまひこ》|御一家《ごいつか》の|方々《かたがた》、これへお|越《こ》し|遊《あそ》ばされよ』
と|声《こゑ》|高々《たかだか》と|呼《よ》ばはれば、|心《こころ》|轟《とどろ》く|駒山彦《こまやまひこ》、|千騎一騎《せんきいつき》の|胸《むね》も|春山彦《はるやまひこ》|夫婦《ふうふ》、|親子《おやこ》は|一時《いちじ》にこの|場《ば》に|現《あら》はれ、|松代姫《まつよひめ》は|言葉《ことば》しとやかに、
『ヤア、そなたは|照彦《てるひこ》|殿《どの》、|何《ど》うしてマア|無事《ぶじ》に|免《のが》れましたか。|斯《か》う|云《い》ふ|間《うち》にも|心《こころ》が|急《せ》く。またもや|鷹取別《たかとりわけ》の|手下《てした》の|者《もの》|共《ども》、そなたの|所在《ありか》を|探《たづ》ね、|引返《ひきかへ》し|来《きた》るも|計《はか》り|難《がた》し。|早《はや》くこの|場《ば》を|落《お》ち|行《ゆ》けよ』
『ワアハヽヽヽヽヽ、|何《なに》さ|何《なに》さ、たとへ|鷹取別《たかとりわけ》、|鬼神《きじん》を|挫《くじ》く|勇《ゆう》ありとも、|吾《われ》また|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|神術《かむわざ》を|以《もつ》て、|幾百万《いくひやくまん》の|曲津見《まがつみ》を、|千変万化《せんぺんばんくわ》に|駆《か》け|悩《なや》まし、|言向和《ことむけやは》し|麻柱《あななひ》の、|神《かみ》の|教《をしへ》に|帰順《きじゆん》せしめむは|案《あん》の|内《うち》、|必《かなら》ず|心配《しんぱい》あらせられな。|吾《われ》は|今《いま》まで|照彦《てるひこ》となつて、ヱルサレムの|桃上彦命《ももがみひこのみこと》が|僕《しもべ》となり、|日《ひ》に|夜《よ》に|汝《なんぢ》ら|三人《さんにん》を|守護《まも》り|居《ゐ》たるは、|天教山《てんけうざん》に|現《あ》れませる|木《こ》の|花姫《はなひめ》の|御心《みこころ》にて|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|先駆《さきがけ》をなし、|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|戦闘《たたかひ》を|治《をさ》め、|常世国《とこよのくに》に|塞《ふさ》がれる|八重棚雲《やへたなぐも》を|吹《ふ》き|払《はら》ひ、|隈《くま》なく|照《て》らす|月照彦《つきてるひこ》の|神《かみ》の|再来《さいらい》、|照彦《てるひこ》とは|仮《かり》の|名《な》、|今《いま》は|尊《たふと》き|天《あま》の|数歌《かずうた》、|一《ひと》、|二《ふた》、|三《み》、|四《よ》、|五《いつ》、|六《むゆ》、|七《なな》、|八《や》、|九《ここの》、|十《たり》。|十《たり》の|名《な》に|負《お》ふ|戸山津見《とやまづみ》の|神《かみ》、|如何《いか》なる|曲霊《まがひ》の|来《きた》るとも、|吾《わが》|身《み》のこの|世《よ》に|在《あ》らむ|限《かぎ》りは、|案《あん》じ|煩《わづら》ひ|給《たま》ふ|事《こと》|勿《なか》れ』
と|初《はじ》めて|明《あ》かす|身《み》の|素性《すじやう》。|春山彦《はるやまひこ》を|始《はじ》めとし、|松竹梅《しようちくばい》や|雪月花《せつげつくわ》、|駒山彦《こまやまひこ》や|夏姫《なつひめ》も、|思《おも》はず|顔《かほ》を|看守《みまも》つて、|何《なん》の|辞《ことば》もなかりける。またも|聞《きこ》ゆる|人馬《じんば》の|物音《ものおと》、はて|訝《いぶ》かしやと、|窓《まど》|押《お》し|開《あ》けて|眺《なが》むれば、|黄昏《たそがれ》の|暗《やみ》を|照《てら》して、こなたに|向《む》かつて|進《すす》み|来《きた》る|高張提燈《たかはりちやうちん》|旗差物《はたさしもの》、|遠山別《とほやまわけ》が|紋所《もんどころ》、|白地《しろぢ》に|葵《あふひ》の|著《いちじる》く、|風《かぜ》に|揺《ゆ》られて|瞬《またた》きゐる。
『あの|旗印《はたじるし》は|擬《まが》ふ|方《かた》なき|遠山別《とほやまわけ》、この|場《ば》の|秘密《ひみつ》を|窺《うかが》ひ|知《し》つて、|又《また》もや|捕手《とりて》を|向《む》けたるならむ。ヤア、|方々《かたがた》、|片時《へんじ》も|早《はや》く|裏庭《うらには》を|越《こ》え、|巌室《いはむろ》に|忍《しの》ばせ|給《たま》へ。|春山彦《はるやまひこ》の|神力《しんりき》に|依《よつ》て、|如何《いか》なる|敵《てき》をも|引受《ひきう》け|申《まを》さむ。|早《はや》く|早《はや》く』
と|急《せ》き|立《た》つれば、
『アイ』
と|答《こた》へて|七人《しちにん》の|女《をんな》|達《たち》、|裏庭《うらには》|指《さ》して|出《い》でて|行《ゆ》く。
|照彦《てるひこ》、|駒山彦《こまやまひこ》は|突《つ》つ|立《た》ち|上《あが》り、
|照彦《てるひこ》『ヤア、|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し、|曲津《まがつ》の|張本《ちやうほん》|遠山別《とほやまわけ》、たとへ|幾百万《いくひやくまん》の|軍勢《ぐんぜい》を|引連《ひきつ》れ|攻《せ》め|来《きた》るとも、この|照彦《てるひこ》が|言霊《ことたま》の、|伊吹《いぶき》の|狭霧《さぎり》に|吹《ふ》き|散《ち》らし、|言向和《ことむけやは》すは|目《ま》のあたり。|春山彦《はるやまひこ》|殿《どの》、|必《かなら》ず|懸念《きづか》ひなされますな』
『|実《げ》に|有難《ありがた》き|戸山津見《とやまづみ》の|御仰《おんあふ》せ。さりながら、|吾《われ》らも|間《はざま》の|郷《さと》の|司神《つかさがみ》、|女々《めめ》しくも、|助太刀《すけだち》を|受《う》け、|敵《てき》を|悩《なや》まし、|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》と|笑《わら》はれむより、|吾《われ》は|心《こころ》を|神《かみ》に|任《まか》せ|奉《たてまつ》り、|生命《いのち》の|続《つづ》く|限《かぎ》り、|吾《わが》|言霊《ことたま》の|有《あ》らむ|限《かぎ》り|言向和《ことむけやは》し、それも|叶《かな》はぬその|時《とき》は、この|細腕《ほそうで》の|動《うご》く|限《かぎ》り、|剣《つるぎ》の|目釘《めくぎ》の|続《つづ》くだけ、|縦横無尽《じうわうむじん》に|斬《き》り|捲《まく》り、|潔《いさぎよ》く|討死《うちじに》|仕《つかまつ》らむ。|貴神《きしん》は|暫《しばら》く|控《ひか》へさせ|給《たま》へ』
『ヤア、|勇《いさ》ましし|勇《いさ》ましし、|照彦《てるひこ》は|奥庭《おくには》に|身《み》をしのび、|貴神《きしん》が|働《はたら》き|見物《けんぶつ》|仕《つかまつ》らむ。|羽山津見《はやまづみ》|来《きた》れ』
と|徐々《しづしづ》と|裏口《うらぐち》|開《あ》けて|出《い》でて|行《ゆ》く。|門《もん》の|戸《と》|打破《うちやぶ》り、|乱《みだ》れ|入《い》り|来《きた》る|遠山別《とほやまわけ》、|家来《けらい》の|面々《めんめん》|引連《ひきつ》れて、|遠慮《ゑんりよ》|会釈《ゑしやく》もなく|座敷《ざしき》に|駆《か》け|上《あが》り、
『ヤア、|春山彦《はるやまひこ》、|松《まつ》|竹《たけ》|梅《うめ》の|宣伝使《せんでんし》を|鷹取別《たかとりわけ》に|送《おく》られしは|天晴《あつぱ》あつぱれ、さりながら、|汝《なんぢ》には、|月《つき》、|雪《ゆき》、|花《はな》の|三人《さんにん》の|娘《むすめ》ありと|聞《き》く。|万々一《まんまんいち》|替玉《かへだま》にあらずやとの|鷹取別《たかとりわけ》の|御疑《おんうたが》ひ、|照山彦《てるやまひこ》、|竹山彦《たけやまひこ》の|証言《しようげん》もあれど、|念《ねん》のため、|汝《なんぢ》が|娘《むすめ》|三人《さんにん》を|一度《いちど》|常世《とこよ》へ|伴《つ》れ|帰《かへ》り、|真偽《しんぎ》を|糺《ただ》せよとの|思召《おぼしめし》、|君命《くんめい》|拒《こば》むに|由《よし》なく、|遠山別《とほやまわけ》、|使者《ししや》として|罷《まか》り|越《こ》したり、|速《すみや》かに|三人《さんにん》の|娘《むすめ》を|渡《わた》されよ』
と|言葉《ことば》|鋭《するど》く|居丈高《ゐたけだか》、|肩臂《かたひぢ》|怒《いか》らし|睨《にら》み|入《い》る。|春山彦《はるやまひこ》は、ハツと|胸《むね》を|衝《つ》きながら、|決心《けつしん》の|色《いろ》を|浮《うか》べ、
『|天《てん》にも|地《ち》にも|掛替《かけがへ》なき|三人《さんにん》の|娘《むすめ》なれど、|誰《たれ》あらう|鷹取別《たかとりわけ》の|御仰《おんあふ》せ、|否《いな》むに|由《よし》なし、|謹《つつ》しんで|御旨《みむね》を|奉戴《ほうたい》し、|娘《むすめ》をお|渡《わた》し|申《まを》さむ。|暫《しばら》く|待《ま》たれよ』
と|語《かた》る|折《をり》しも、|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|三人《さんにん》は、|美々《びび》しき【みなり】の|扮装《いでたち》にてこの|場《ば》に|現《あら》はれ、|三人《さんにん》|一度《いちど》に|両手《りやうて》をつき、
『これはこれは|遠山別《とほやまわけ》|様《さま》、この|見苦《みぐる》しき|荒屋《あばらや》へ、よくこそ|入来《いら》せられました。|妾《わらは》は|仰《あふ》せに|従《したが》ひ、|唯今《ただいま》より|参《まゐ》りますれば、|何分《なにぶん》|宜敷《よろし》く|御願《おねが》ひ|申《まを》します。アヽ、|父母様《ちちははさま》、|妾《わらは》は|往《い》つて|参《まゐ》ります。|人間《にんげん》は|老少不定《らうせうふぢやう》、これが|長《なが》のお|別《わか》れにならうも|知《し》れませぬ、|随分《ずゐぶん》|無事《ぶじ》で、|夫婦《ふうふ》|仲《なか》よく|暮《くら》して|下《くだ》されませ』
と、|三人《さんにん》|一度《いちど》に|声《こゑ》を|曇《くも》らせ|泣《な》き|沈《しづ》む。
『ヤア、|天晴々々《あつぱれあつぱれ》、さても|美《うつく》しいものだ。|春山彦《はるやまひこ》|殿《どの》、|遠山別《とほやまわけ》が|良《よ》きに|計《はか》らはむ。そなたは|好《よ》い|子《こ》を|有《も》たれたものだ。この|娘《むすめ》を|常世神王《とこよしんわう》の|小間使《こまづかひ》に|奉《たてまつ》らば、|汝《なんぢ》|夫婦《ふうふ》が|身《み》の|出世《しゆつせ》、お|祝《いは》ひ|申《まを》す。アハヽヽヽ、ヤア、|家来《けらい》の|者《もの》ども、この|三人《さんにん》の|娘《むすめ》を|一時《いちじ》も|早《はや》く|駕籠《かご》にお|乗《の》せ|申《まを》せ』
『ホーイ』
と|答《こた》へて|家来《けらい》の|大勢《おほぜい》、|三挺《さんちやう》の|駕籠《かご》を|担《かつ》ぎ|来《きた》り、|三人《さんにん》の|娘《むすめ》を|乗《の》せて|後白浪《あとしらなみ》と|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|春山彦《はるやまひこ》は|娘《むすめ》の|駕籠《かご》を、|月《つき》に|透《す》かして|打眺《うちなが》め|打《うち》ながめ、|青息吐息《あをいきといき》つく|折《をり》しも、|照彦《てるひこ》を|先頭《せんとう》に|妻《つま》の|夏姫《なつひめ》、|松竹梅《まつたけうめ》の|宣伝使《せんでんし》、|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》のわが|娘《むすめ》、|駒山彦《こまやまひこ》も|諸共《もろとも》に、|一度《いちど》にこの|場《ば》に|現《あら》はれ|来《きた》るぞ|不思議《ふしぎ》なる。
『ヤア、そなたは|秋月姫《あきづきひめ》、|深雪姫《みゆきひめ》、|橘姫《たちばなひめ》か、どうして|此処《ここ》へ|帰《かへ》り|来《きた》りしぞ。|警護《けいご》|厳《きび》しき|駕籠《かご》の|中《なか》、ハテ|合点《がてん》がいかぬ』
と|両手《りやうて》を|組《く》み、|頭《かしら》を|垂《た》れて|思案顔《しあんがほ》。
『ヤア、|春山彦《はるやまひこ》|殿《どの》、|千変万化《せんぺんばんくわ》の|白狐《びやくこ》が|働《はたら》き、|最早《もはや》この|上《うへ》は|大丈夫《だいぢやうぶ》、|心《こころ》を|落付《おちつ》けられよ』
と、|言《い》はれて|驚《おどろ》く|春山彦《はるやまひこ》。
『アヽ、|有難《ありがた》や、|又《また》もや|鬼武彦《おにたけひこ》の|御身代《おんみがは》り』
と、|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|神前《しんぜん》に|向《むか》つて|手《て》を|拍《う》ち|声《こゑ》も|静《しづ》かに|神言《かみごと》を|宣《の》る。|神《かみ》の|仕組《しぐみ》の|引合《ひきあは》せ、|三男七女《さんなんしちぢよ》の|水晶《すゐしやう》の|御魂《みたま》も|揃《そろ》ふ|十曜《とえう》の|神紋《しんもん》、|一《ひと》、|二《ふた》、|三《み》、|四《よ》、|五《いつ》、|六《むゆ》、|七《なな》、|八《や》、|九《ここの》、|十《たり》と、|天《あま》の|数歌《かずうた》うたひながら、|男女《だんぢよ》|五人《ごにん》の|宣伝使《せんでんし》、|親子《おやこ》|五人《ごにん》は|一斉《いつせい》に、|心《こころ》いそいそ|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ふ。
『|厳《いづ》の|御魂《みたま》や|瑞御魂《みづみたま》  |十曜《とえう》の|紋《もん》の|現《あら》はれて
|常世《とこよ》の|国《くに》はまだおろか  |高砂島《たかさごじま》や|筑紫島《つくしじま》
|豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》  |島《しま》の|八十島《やそしま》|八十国《やそくに》に
|三五《さんご》の|月《つき》の|御教《みをしへ》を  |残《のこ》る|隈《くま》なく|宣《の》べ|伝《つた》へ
|天地《てんち》の|神《かみ》の|神業《かむわざ》に  |仕《つか》へ|奉《まつ》らむ|吾《われ》らの|天職《つとめ》
あゝ|面白《おもしろ》し|潔《いさぎよ》し  |間《はざま》の|国《くに》を|立出《たちい》でて
|青葉《あをば》も|茂《しげ》る|目《め》の|国《くに》や  |常世《とこよ》の|国《くに》の|常世城《とこよじやう》
ロッキー|山《ざん》に|蟠《わだか》まる  |八岐大蛇《やまたをろち》や|醜神《しこがみ》を
|言向和《ことむけやは》し|千早振《ちはやぶ》る  |神《かみ》の|御国《みくに》に|復《かへ》し|見《み》む
かへす|常磐《ときは》の|松《まつ》の|世《よ》を  |五六七《みろく》の|神《かみ》の|現《あら》はれて
|千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|万代《よろづよ》も  |天津日嗣《あまつひつぎ》の|動《ゆる》ぎなく
|月日《つきひ》の|如《ごと》く|明《あきら》けく  |輝《かがや》き|渡《わた》る|神《かみ》の|国《くに》
|輝《かがや》き|渡《わた》る|神《かみ》の|稜威《いづ》  |厳《いづ》の|御魂《みたま》の|大御神《おほみかみ》
|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|大御神《おほみかみ》  |月日《つきひ》を|添《そ》へて|十柱《とはしら》の
|十曜《とえう》の|神旗《しんき》|勇《いさ》ましく  |天津御風《あまつみかぜ》に|靡《なび》かせつ
|曲《まが》の|砦《とりで》に|攻《せ》め|寄《よ》せむ  この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し
|七十五声《しちじふごせい》の|言霊《ことたま》に  |天地《あめつち》|四方《よも》の|民草《たみぐさ》を
|靡《なび》かせ|救《すく》ふ|勇《いさ》ましさ  |日《ひ》は|照《て》る|光《ひか》る|月《つき》は|盈《み》つ
|三五《さんご》の|月《つき》は|中空《ちうくう》に  |輝《かがや》き|渡《わた》り|天地《あめつち》を
|支《ささ》へ|保《たも》てるその|如《ごと》く  |太《ふと》き|功《いさを》を|三《み》ツ|星《ぼし》や
|北極星《ほくきよくせい》を|基《もと》として  |数多《あまた》の|星《ほし》の|廻転《めぐ》るごと
|百《もも》の|御魂《みたま》を|言向《ことむ》け|照《てら》し  オリオン|星座《せいざ》に|現《あら》はれし
|救《すく》ひの|神《かみ》に|復命《かへりごと》  |申《まを》さむためのこの|首途《かどで》
|曲津《まがつ》の|猛《たけ》ぶ|黄泉島《よもつじま》  |黄泉軍《よもついくさ》を|足曳《あしびき》の
|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》に|蹴《け》り|散《ち》らし  |河《かは》の|瀬《せ》|毎《ごと》に|吹《ふ》き|払《はら》ひ
|払《はら》ひ|清《きよ》むる|神《かみ》の|国《くに》  |千秋《せんしう》|万歳《ばんざい》|万々歳《ばんばんざい》
|堅磐常磐《かきはときは》の|松《まつ》の|世《よ》の  |神《かみ》の|功《いさを》ぞ|尊《たふと》けれ』
|斯《か》く|歌《うた》ひ|終《をは》り、|宣伝使《せんでんし》は|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|三人《さんにん》を|伴《ともな》ひ、|春山彦《はるやまひこ》|夫婦《ふうふ》に|別《わか》れを|告《つ》げて、|声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、メキシコ|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・二・一七 旧一・二一 河津雄録)
(昭和一〇・三・三〇 王仁校正)
附録 第三回高熊山参拝紀行歌(二)
王仁作
高熊山参拝者名簿(二)
(大正十一年四月十三日 旧三月十七日)
(三)
頃は弥生の三の月  十七【日】の未明より(日笠吟三)
神の恵を【笠】に着て  各自に神歌を【吟】じつつ(志摩泰司)
【三志摩】ひ調へ【泰】然と  神の教の【司】人(佐藤くめ)
道を【佐藤】りし信徒等  【くめ】ども尽きぬ清【新】の(新井真子)
御【井】に湧き出す瑞【真】魂  皇大神の教【子】が(亀田親光)
【亀】岡さして【田】どり行く  御【親】の神の御【光】に(大場徳次郎)
皆照らされて【大】道【場】  神【徳】殊に著【次郎】く(氏家力雄)
永井の【氏】は【家】内中  誠の道に信仰の(同しげ)
【力雄】合せ茅【しげ】る  深山の霊地に【武勇】の士(同武勇)
植芝柔術六段に  負はれて【ふみこ】む大本の(同ふみこ)
出口瑞月始めとし  一行勇み登り行く
【湯浅仁斎】先導に  エチエチ【上】る胸突の(湯浅仁斎)
目まで【窪】んだ老人や  【純雄】塗った様な黒い面(上窪純雄)
白い化粧の淑女たち  極【上】品な御【園】白粉(上園あい)
実に【あい】らしき美人まで  【高】天原【野はる】るごと(高野はる)
よろこび雨に【瓜生】身も  いとはず高く【秀太郎】(瓜生秀太郎)
神山さして【大木】の  ふも【戸】掻き別けぐさぐ【さと】(大木戸さと)
|四辺《あたり》【美馬】はし【邦】の祖  元つ御神【二】まかせつつ(美馬邦二)
上りて谷底ながむれば  【瓜】や茄子は【生】えねども(瓜生さち)
溢るる斗りの神の【さち】  魔神は【藤井】の【善太郎】氏(藤井善太郎)
遠き国より【北村】の  花咲く山の【八重】桜(北村八重)
【山本惣】勢元気【吉】く  【小】松林や杉【林】(山本惣吉)
神の【祐】けに百千【太郎】  |家庭《やには》【赤】山小幡【川】(小林祐太郎)
うし【とらよ】りの穴太まで  やうやう現はれ【北】の【村】(赤川とらよ)
イラ力も【光】る【祥】たさよ  【高山】低山立並ぶ(北村光祥)
景色四方【八】方【朗】らかに  眼に入るぞ床しけれ(高山八朗)
(四)
【竹】の林に包まれた  【田】舎の村に細々と(竹田たつえ)
静かな煙【たつえ】並  【土】を力に【井】そしみて(土井三郎)
太郎次郎や【三郎】が  【安】く楽しくいと【達】者(安達儀一郎)
礼【儀】は【一】つも知らねども  家庭を【衛】る【藤】とさよ(衛藤寛治)
心は【|寛《ゆた》】かに【治】まりて  【岩城】の如き田人等が(岩城由雄)
【由】りて仕ふる【雄】々しさよ  【田中】に聞ゆる【雅楽】の声(田中雅楽治)
【治】まる御代の尊とさに  【東】の空に朝日子の(東良俊)
光も別けて【良俊】や  月も【同】じく照り渡る(同佐多之)
世は日【佐】加【多之】末長く  日々に【新】に進みゆく(新島船良)
【島】漕ぎ渡る大【船】も  【良】とあしとの難波潟(同のし子)
八重【のし】ほ路を乗り【子】えて  【加】良国迄も開きゆく(加まち)
【まち】に待ったる【関森】の  神と仕へし【茂】頴が(関森茂)
梅花も薫る【宮】垣【地】  生れついての馬【鹿太郎】(宮地鹿太郎)
腕白小僧と世に【高】く  名をたたへ【岸】太【平】の(高岸平八)
御代の恵みは【八】方に  潤ひ都も【稲村】も(稲村寿美)
【寿美】きり晴れて|【永】遠《とこしへ》【野】  千代【万】代を幸【吉】と(永野万吉)
祝ひ暮らすも神界に  尽せし【ため】の報いかな(同ため)
雲霧四方に【達麿】や  枉津の猛ぶ暗の世を(同達麿)
|明【圭】《あけ》て【介】くる神の道  永【いね】がひもやうやくに(同圭介・同いね)
叶ひて今日は高熊の  神の御山へ【れい】参り(同れい)
心も【加藤明】らかに  【前】むも嬉し【沢】々に(加藤明子)
信徒伴なひ【治郎右衛門】  大き【小】さき【山】こえて(前沢治郎右衛門)
神の【貞】め【之】神霊地  ながめ【吉野】の桜木も(小山貞之)
殊更めでたく【光】る【俊】  穴太【西】条の【村】外れ(吉野光俊)
心の色も【新】らしく  【三】葉ツツジの謎の山(西村新三郎)
雲【井】の【上】に【亮】かに  秀でて高き神の【前】(井上亮)
【沢】田の姫の現はれし  元の由縁を【菊子】連れ(前沢菊子)
【村】々々と多人数  亀【岡】道場あとにして(村岡卯市)
【卯市】々々と進み来る  人も【幸村文治郎】(幸村文治郎)
深き神慮は【白石】の  善男善女は野辺の道(白石みちき)
あれを先にと【みちき】たる  浦【安】国の太【元】の(安元務)
誠の道の【務】ぞと  【東】西南北遠近【尾】(東尾吉雄)
通じて三百五十人  【吉】き事のみ【雄】求めつつ
【青野】ケ原を【邦】もせず  【秀】た神山の【森】さして(青野邦秀)
【良】き【仁】ばかり詣で行く(森良仁)
(五)
世界の浄【土】と聞えたる  天の真奈【井】の神の園(土井靖都)
浦【靖都】の中心地  世の【大】本と【|賀《ほ》】ざまつる(大賀亀太郎)
【亀】の齢の浦島【太郎】  再びこの世に現はれて
【清】けき【水】の魂となり  誠心のあり【竹】を(清水竹次郎)
世にいち【次郎】くそそぎ行く  【池沢】沼も草原も(池沢原治郎)
|【原】始《もと》の神世に克く【治】め  日【本】御魂の【荘】園を(本荘宰甫)
神のまにまに【宰】しつつ  教の道を【甫】めたる
皇大神は押並べて  【近】き【藤】きの隔なく(近藤桃三)
【桃】花もかをる【三】月三日  万の苦難も【伊藤】ひなく(伊藤孫四郎)
【孫】心尽して【四郎】しめす  黄【金】世界の和知の【川】(金川善作)
【善】の御魂を【作】らむと  四方の【村】霧吹【岡】し(村岡つね)
教へ【つね】がひつ【鈴木】野を  開いて【輝】す【吉】祥日(鈴木輝吉)
川入れ|火《ほ》【弥吉】万の  罪を払ひて美はしき(同弥吉)
生命のつなを【延】ばしつつ  体主霊従の行動を(同延吉)
互に戒め【吉田中】  心の【丈雄】打明けて(田中丈雄)
【山成】す思ひ【円次郎】  【大】本【塚】んだ御【利】益は(山成円次郎)
【惣次】て世人の夢にだも  知らぬ尊とき限りなり(大塚利惣次)
(六)
敏【鎌】の月は中空に  【田】真をかざして日光に(鎌田喜惣治)
光を【喜惣】ひ【治山】の  高【根】に上る神人の(山根菊太郎)
珍の声をば【菊太郎】  【四方】の【国】まで三五の(四方国達)
教を広く【達】せむと  |【西】洋《から》の【村】雲かきわけて(西村隆男)
【隆】々輝く桂【男】の  露にうるほふ【村野】人(村野滝洲)
落つる【滝】水【洲】々と  岩【石】起伏の草【原】や(石原繁)
木立【繁】れる山【中】の  【森】の下蔭つたひつつ(中森篤正)
信仰【篤】き【正】人の  咽さへ【樋】々【川】かせつ(樋川徳太郎)
神【徳太】かき神の前  清【郎】至浄の春風も
涼しく吹いて【北村】の  【隆】熊山の花も【光】る(北村隆光)
伊豆のま【森】の【|義一《よしかず》】が  誠一つの御教を(森義一)
馬鹿【西田】とて神【直】日  心も広く直詔し(西田直太郎)
聞直し【太郎】神の道  腹も【竜田】の|紅葉《もみぢば》の(竜田富太郎)
都は如何に【富太郎】かも  【大山】小山すみ【寿美】の(大山寿美雄)
花【雄】かざして神の世に  【成田】る春は【常】永に(成田常衛)
清きま【衛】の【さく】くしろ  五十鈴の滝の稜威たかく(同さく)
鳴り渡り【岸】神の国  八島の【彦】の【三】ツ御魂(岸彦三郎)
【小】松【林】の現はれて  世を安【静】に治めむと(小林静子)
道も【勝】れし神人は  【又】もや進む神の【いき】(勝又いき子)
【山】の尾ノ上に【崎】匂ふ  花の一【りん】手折らむと(山崎りん)
勇気を【古】い汗の【川】  流して【こと】こと登り行く(古川こと)
【市間】人形の産心  克く【謙】り【二】心なく(市間謙二郎)
神と道とに誓【田中】  【清】き人々【次】々に(田中清次郎)
固き【石井】の胸の内  【藤吉】加喜の隔てなく(石井藤吉)
心の合うた信徒が  神の御徳を【御田村】の(御田村たく)
目出【たく】爰に山路を  【伊藤】ことなく|【正】直《まつすぐ》に(伊藤正男)
【男】々しく彼岸に【渡辺】の  【しづ】かに【同】じ【道子】行く(渡辺しづ)
神は此世に【真島】して  我等を守らせ給ふなり(同道子)
【良弥】神なき世なりとも  心の【奥】の【村】雲を(真島良弥)
【宮】比【古】とばに詔り直し  御国も人も押なべて(奥村宮古・同よしの)
運気【よしの】の神の国  【一】つ心に【城】かため(一城溪三)
【溪】波の国に現はれし  【三】ツの御魂のとう【藤井】教へ(藤井ちよの)
【ちよの】礎つき固め  一【同勇】み合ふ【田中】(同勇)
恵の露も【沢】々【二】  頂く我等は日の本の(田中沢二・同すゑの)
神の御【すゑ】の珍の御子  【高】天原の大【橋】を(高橋守)
【守】る誠の神柱  峻し【木山】も【健】かに(木山健三郎)
【三】の御魂に誘はれて  菅の【小笠】はなけれども(小笠原のぶ)
青野ケ【原】にし【のぶ】身の  つまつ【田所】は神の【さと】(田所さと)
輔【佐】する人も【沢】々に  集まり来り末【広】く(佐沢広臣)
君と【臣】との大道を  【ちか】ら限りに【神】の【子】が(同ちか)
こころいそいそ|石《いそ》の上  【古】事記を【川】水の(同神子)
流るる【こと】く説き諭す  【三】ツ葉ツツジの肉の【宅】(古川こと・三宅たけ)
国【たけ】彦の大神の  伊都の御楯【藤村】肝の(藤村伊之吉)
【伊之】知限りに【吉】々と  【|生《いく》井の内】の【浅吉】まで(井の内浅吉)
汲みて呑み込む【原】の中  【田寿】けの道をたどりゆく(原田寿道)
【同】じ心の【ともき】きて  尊き神の御教を(同ともき)
雲【井】の【上】まで【まき】上げて  天地の真理を【はつ】揚し(井上まき・同はつ)
【谷】の【川】水【常】永に  【清】く流るる【土井】の川(谷川常清)
世界を洗ひ限りなき  神の御【幸雄】四方の国(土井幸雄)
【鈴木】の原や【鹿】ぞ住む  【三】山の奥の奥までも(鈴木鹿三郎)
世界改造の神界の  経綸の【由夫】開きゆく(同由夫)
(以下次巻)
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霊界物語 第九巻 霊主体従 申の巻
終り