霊界物語 第八巻 霊主体従 未の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第八巻』愛善世界社
1994(平成06)年04月03日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2004年11月13日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|凡例《はんれい》
|総説《そうせつ》
第一篇 |智利《てる》の|都《みやこ》
第一章 |朝日丸《あさひまる》〔三五一〕
第二章 |五十韻《ごじふゐん》〔三五二〕
第三章 |身魂《みたま》|相応《さうおう》〔三五三〕
第四章 |烏《からす》の|妻《つま》〔三五四〕
第五章 |三人《さんにん》|世《よ》の|元《もと》〔三五五〕
第六章 |火《ひ》の|玉《たま》〔三五六〕
第二篇 |四十八文字《しじふはちもじ》
第七章 |蛸入道《たこにふだう》〔三五七〕
第八章 |改心《かいしん》|祈願《きぐわん》〔三五八〕
第九章 |鏡《かがみ》の|池《いけ》〔三五九〕
第一〇章 |仮名手本《かなてほん》〔三六〇〕
第三篇 |秘露《ひる》より|巴留《はる》へ
第一一章 |海《うみ》の|竜宮《りうぐう》〔三六一〕
第一二章 |身代《みがは》り〔三六二〕
第一三章 |修羅場《しゆらぢやう》〔三六三〕
第一四章 |秘露《ひる》の|邂逅《かいこう》〔三六四〕
第一五章 ブラジル|峠《たうげ》〔三六五〕
第一六章 |霊縛《れいばく》〔三六六〕
第一七章 |敵味方《てきみかた》〔三六七〕
第一八章 |巴留《はる》の|関守《せきもり》〔三六八〕
第四篇 |巴留《はる》の|国《くに》
第一九章 |刹那心《せつなしん》〔三六九〕
第二〇章 |張子《はりこ》の|虎《とら》〔三七〇〕
第二一章 |滝《たき》の|村《むら》〔三七一〕
第二二章 |五月姫《さつきひめ》〔三七二〕
第二三章 |黒頭巾《くろづきん》〔三七三〕
第二四章 |盲目《めくら》|審神《さには》〔三七四〕
第二五章 |火《ひ》の|車《くるま》〔三七五〕
第二六章 |讃嘆《ウローウロー》〔三七六〕
第二七章 |沙漠《さばく》〔三七七〕
第二八章 |玉詩異《たましい》〔三七八〕
第二九章 |原山祇《はらやまし》〔三七九〕
第五篇 |宇都《うづ》の|国《くに》
第三〇章 |珍山峠《うづやまたうげ》〔三八〇〕
第三一章 |谷間《たにま》の|温泉《をんせん》〔三八一〕
第三二章 |朝《あした》の|紅顔《こうがん》〔三八二〕
第三三章 |天上《てんじやう》|眉毛《まゆげ》〔三八三〕
第三四章 |烏天狗《からすてんぐ》〔三八四〕
第三五章 |一二三世《いちにさんせ》〔三八五〕
第三六章 |大蛇《をろち》の|背《せ》〔三八六〕
第三七章 |珍山彦《うづやまひこ》〔三八七〕
第三八章 |華燭《くわしよく》の|典《てん》〔三八八〕
第六篇 |黄泉比良坂《よもつひらさか》
第三九章 |言霊解《げんれいかい》一〔三八九〕
第四〇章 |言霊解《げんれいかい》二〔三九〇〕
第四一章 |言霊解《げんれいかい》三〔三九一〕
第四二章 |言霊解《げんれいかい》四〔三九二〕
第四三章 |言霊解《げんれいかい》五〔三九三〕
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|序文《じよぶん》
|総《そう》じてこの|霊界物語《れいかいものがたり》は、|口述《こうじゆつ》の|最初《さいしよ》に|当《あた》り|五百六十七節《ごひやくろくじふしちせつ》にて|完成《くわんせい》する|考《かんが》へを|以《もつ》て、|一冊《いつさつ》を|五十節《ごじつせつ》に|刻《きざ》み|全《ぜん》|十二冊《じふにさつ》の|予定《よてい》のところ、|到底《たうてい》|是《これ》にてはその|一部分《いちぶぶん》をも|講了《かうれう》すべからざるを|覚《さと》り、|本巻《ほんくわん》よりは|一冊《いつさつ》|五十章《ごじつしやう》|組《ぐみ》の|規定《きてい》を|破《やぶ》り、|口《くち》の|車《くるま》の|行《い》き|突《つ》きばつたりに|歩《ほ》を|進《すす》むる|事《こと》と|致《いた》しました。
|抑《そもそ》もこの|物語《ものがたり》は、|現《げん》、|神《しん》、|幽《いう》|三界《さんかい》に|渉《わた》つた|神人《しんじん》の|活動《くわつどう》の|一部《いちぶ》を、|神示《しんじ》の|儘《まま》に|述《の》べたもので、|今日《こんにち》の|人々《ひとびと》の|耳《みみ》には|入《い》り|難《がた》く、また|受取《うけと》れない|点《てん》も|沢山《たくさん》あらうと|思《おも》ひます。また|各国《かくこく》の|神話《しんわ》や、|歴史《れきし》|等《とう》に|現《あら》はれたる|事実《じじつ》は、|成《な》る|可《べ》くこの|物語《ものがたり》には|載《の》せない|心算《つもり》です。
|要《えう》するに|神話《しんわ》に|漏《も》れたる|分《ぶん》のみを、|茲《ここ》に|発表《はつぺう》する|事《こと》と|致《いた》しました。|信《しん》ずると|否《いな》とは|読者《どくしや》の|自由《じいう》ですから、|夢物語《ゆめものがたり》と|思《おも》つて|見《み》て|貰《もら》つても|結構《けつこう》です。|併《しか》し|乍《なが》ら|読《よ》めば|読《よ》む|程《ほど》|面白《おもしろ》く|精神上《せいしんじやう》に|一《ひと》つの【|光明《くわうみやう》を|認《みと》め|得《う》る】|事《こと》と|信《しん》じます。
大正十一年二月十一日 紀元節に
亀岡 瑞祥閣に於て 王仁識
|凡例《はんれい》
一、|第七巻《だいしちくわん》までは|各巻《かくくわん》|五十章《ごじつしやう》|宛《づつ》として|編輯《へんしふ》したものでありましたが、|本巻《ほんくわん》|以後《いご》は|別《べつ》にその|制限《せいげん》を|設《まう》けず|随意《ずゐい》|編輯《へんしふ》することにしました。なほ|参考《さんかう》|資料《しれう》として|瑞月《ずゐげつ》|大先生《だいせんせい》がかつて|五六七殿《みろくでん》において|講演《かうえん》されました|古事記《こじき》の|言霊解《げんれいかい》を|添附《てんぷ》して|置《お》きました。
二、|本巻《ほんくわん》は|南亜米利加《みなみアメリカ》(|高砂島《たかさごじま》)における|宣伝隊《せんでんたい》の|活動《くわつどう》|状況《じやうきやう》を|口述《こうじゆつ》されたものでありまして、|蚊々虎《かがとら》(|後《のち》に|珍山彦《うづやまひこ》)といふ|木花姫命《このはなひめのみこと》の|化身《けしん》が|面白《おもしろ》|可笑《をか》しく、|誠《まこと》の|道《みち》を|説《と》き|諭《さと》す|実況《じつきやう》が|巧《たく》みに|描《ゑが》き|出《だ》されてあります。
三、|要《えう》するに|栗原《くりはら》|古城《こじやう》|氏《し》が「|青《あを》い|鳥《とり》のをしへ」の|序文《じよぶん》に、
『|神《かみ》のやうな|霊智《れいち》と、|慈愛《じあい》との|極致《きよくち》に|達《たつ》した|真《しん》の|哲人《てつじん》が、|吾々《われわれ》|俗衆《ぞくしう》に|向《むか》つて|説法《せつぱふ》する|時《とき》には、|直接《ちよくせつ》|吾々《われわれ》に「|斯《か》くせよ」「|斯《か》くするな」と|命令《めいれい》することはありませぬ。|彼《かれ》の|為《な》すところは、|月《つき》の|照《て》るが|如《ごと》く、|花《はな》の|笑《わら》ふが|如《ごと》く、ともすれば|雷霆《らいてい》の|轟《とどろ》くが|如《ごと》く、|狂颶《きやうへう》の|叫《さけ》ぶが|如《ごと》くであります。|彼《かれ》の|言《い》ふところは、|取留《とりとめ》も|無《な》き|一場《いちぢやう》の|夢物語《ゆめものがたり》の|如《ごと》く、|或《あるひ》は|少年《せうねん》の|喜《よろこ》ぶお|伽噺《とぎばなし》の|如《ごと》く、それを|受《う》ける|人《ひと》の|心《こころ》によつては、|全《まつた》く|何《なん》の|意味《いみ》も|成《な》さぬ|架空談《かくうだん》としか|見《み》えませぬが、|敬虔《けいけん》の|心《こころ》を|持《ぢ》して|深《ふか》く|考慮《かうりよ》する|人《ひと》の|心《こころ》には、|真《しん》にこの|上《うへ》も|無《な》き|霊性《れいせい》の|糧《かて》であり、|霊感《れいかん》の|源泉《げんせん》なのであります。|彼《かれ》らは|好《この》んで|高遠《かうゑん》な|思想《しさう》を|卑近《ひきん》な|象徴《しやうちよう》に|托《たく》し、|迂路《うろ》を|辿《たど》つて|吾々《われわれ》の|心《こころ》の|眼《まなこ》を|開《ひら》かせやうとします。|或《あるひ》は|又《また》、|彼《かれ》らの|思《おも》ひ|邪《よこしま》|無《な》き|心《こころ》から|無意識《むいしき》に|湧出《ゆうしゆつ》した|言葉《ことば》が、|斯《かか》る|深甚《しんじん》|微妙《びめう》の|意味《いみ》を|備《そな》へて|現《あら》はれます。|孰《いづ》れにせよ、|吾《われ》らは|彼《かれ》らの「|考《かんが》へよ」と|言《い》つた|形式《けいしき》に|従《したが》つて|考《かんが》へねばなりませぬ。|斯《こ》うすれば|吾《われ》らの|心《こころ》の|眼《まなこ》が|漸次《ぜんじ》|開《ひら》けて|徃《い》つて、|彼《かれ》らと|自《おのづか》ら|霊犀《れいさい》|相《あひ》|通《つう》じて、|共《とも》に|手《て》を|握《にぎ》つて|楽《たのし》むところまで|行《い》けないとも|限《かぎ》りませぬ』
とあります|通《とほ》り、「|霊界《れいかい》|物語《ものがたり》」も|全《まつた》くこのやうなもので、|実《じつ》に|言語《げんご》に|絶《ぜつ》した|無限《むげん》の|意味《いみ》があるものと|信《しん》じます。すなはち|吾々《われわれ》の|工夫《くふう》と|修省《しうせい》とによつては、|凶《きよう》を|変《へん》じて|吉《きち》となし、|禍《わざはひ》を|転《てん》じて|福《ふく》とし、|地獄《ぢごく》の|焦燥苦悩《せうさうくなう》より|花《はな》|笑《わら》ひ|鳥《とり》|歌《うた》ふ|天国《てんごく》|楽土《らくど》へ|無事《ぶじ》|到着《たうちやく》することができるのであります。
大正十一年二月十一日 紀元節の夕
亀岡 瑞祥閣に於て 編者識
|総説《そうせつ》
|最《もつと》も|戦慄《せんりつ》すべく、|最《もつと》も|寒心《かんしん》すべき|猛鷲《まうしう》の、|暗雲《あんうん》の|中《なか》より|飛来《ひらい》して、|聖処《せいしよ》を|荒《あら》し|暴威《ばうゐ》を|振《ふる》はむとする|三日前《みつかまへ》の|夜半《やはん》、|松雲閣《しよううんかく》に|瑞月《ずゐげつ》が|心《こころ》|淋《さび》しく|横臥《わうぐわ》せる|枕頭《まくらもと》に、|忽然《こつぜん》として|現《あら》はれたまへる|教祖《けうそ》の|神影《しんえい》、|指示桿《しじかん》を|以《もつ》て、|三四回《さんしくわい》|畳《たたみ》を|打《う》ち|賜《たま》ふ|様《さま》、|恰《あたか》も|馬《うま》に|鞭打《むちう》つが|如《ごと》きその|御模様《おんもやう》、|瑞月《ずゐげつ》は|直《ただ》ちに|起《お》き|直《なほ》り、|頓首《とんしゆ》|合掌《がつしやう》しながら、『いよいよ|明日《みやうにち》より|神界《しんかい》の|御命《ぎよめい》の|如《ごと》く|霊界物語《れいかいものがたり》の|口述《こうじゆつ》に|着手《ちやくしゆ》|致《いた》しますから、|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』と|申上《まをしあ》げるや、|直《ただ》ちに|打《う》ちうなづき|莞爾《くわんじ》として|貴《たつと》き|麗《うるは》しき|神姿《しんし》を|隠《かく》させ|賜《たま》ひました。それよりいよいよその|翌日《よくじつ》なる|昨年《さくねん》|十月《じふぐわつ》|十八日《じふはちにち》より|着手《ちやくしゆ》することになりましたが、|教祖《けうそ》の|御加護《ごかご》|日《ひ》に|月《つき》に|加《くは》はり|御蔭《おかげ》を|以《もつ》て|病気中《びやうきちう》にもかかはらず、|漸《やうや》く|第八篇《だいはちへん》を|口述《こうじゆつ》し|了《をは》る|事《こと》を|得《え》ました。
|神代《かみよ》に|於《お》ける|神々様《かみがみさま》の|世界《せかい》|宣伝《せんでん》の|御模様《おんもやう》は、|本篇《ほんぺん》よりいよいよ|明瞭《めいれう》になつて|来《き》ます。|読者《どくしや》の|中《なか》には|霊界物語《れいかいものがたり》は|教祖《けうそ》の|御意志《ごいし》に|反《はん》したる|著述《ちよじゆつ》の|如《ごと》く、|誤解《ごかい》されて|居《を》る|方々《かたがた》もある|様《やう》に|聞《き》きますから、その|誤《あやま》りを|解《と》くために|総説《そうせつ》に|代《か》へ、|一言《いちごん》|茲《ここ》に|本書《ほんしよ》|出版《しゆつぱん》の|教祖《けうそ》の|神《かみ》の|御神慮《ごしんりよ》に|出《い》でたる|理由《りいう》を|簡単《かんたん》に|説明《せつめい》して|置《お》きます。
大正十一年二月十一日 紀元節に
王仁
第一篇 |智利《てる》の|都《みやこ》
第一章 |朝日丸《あさひまる》〔三五一〕
ひがしや|西《にし》や|北《きた》|南《みなみ》 のどかな|春《はる》の|海面《かいめん》を
|出船《でふね》|入船《いりふね》|真帆《まほ》|片帆《かたほ》 のり|行《ゆ》く|男子《をのこ》|女子《をみなご》の
かげも|静《しづ》かに|揺《ゆ》られつつ みづさへ|清《きよ》き|浪《なみ》の|上《うへ》
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|宣伝使《せんでんし》 |乗《の》せ|行《ゆ》く|船《ふね》は|朝日丸《あさひまる》
|御稜威《みいづ》も|高《たか》き|高砂《たかさご》の |智利《てる》の|都《みやこ》に|進《すす》むなり
|折《をり》から|吹《ふ》きくる|東風《こちかぜ》に、|船脚《ふなあし》|早《はや》く|海面《かいめん》に|漂《ただよ》ふ|大小《だいせう》|無数《むすう》の|島影《しまかげ》を|右《みぎ》に|避《さ》け、|左《ひだり》に|曲《まが》り、|舟人《ふなびと》の|楫取《かぢと》り|巧《たくみ》に|天下《てんか》の|絶景《ぜつけい》を|進《すす》みゆく。
|東海《とうかい》の|波《なみ》を|蹴《け》つて|踊《をど》り|出《い》でたる|太陽《たいやう》も、|漸《やうや》く|西天《せいてん》にその|姿《すがた》を|没《かく》し、|海面《かいめん》は|烏羽玉《うばたま》の|暗《やみ》と|化《くわ》したり。|大小《だいせう》|無数《むすう》の|漁火《いさりび》は、|海面《かいめん》に|明滅《めいめつ》し|漁夫《ぎよふ》の|叫《さけ》ぶ|声《こゑ》は、|猛《たけ》り|狂《くる》ふ|浪《なみ》の|音《おと》かと|疑《うたが》はるる|許《ばか》りなり。|漁火《いさりび》の|光《ひかり》は|長《なが》く|海中《かいちゆう》に|垂《た》れ、|浪《なみ》に|揺《ゆ》られて|蛟竜《かうりう》の|海底《かいてい》より|水面《すゐめん》に|昇《のぼ》るが|如《ごと》く、その|壮観《さうくわん》|譬《たと》ふるに|物《もの》なく、|海底《かいてい》の|竜宮《りうぐう》も|忽《たちま》ち|霊光《れいくわう》の|燈火《とうくわ》を|点《てん》ずるかとばかり|疑《うたが》はるるに|至《いた》りけり。
|数多《あまた》の|船客《せんきやく》は、この|光景《くわうけい》を|眺《なが》めて|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》る。
|甲《かふ》『おい、|猿世彦《さるよひこ》、スペリオル|湖《こ》を|渡《わた》つた|時《とき》と|此《こ》の|海《うみ》を|渡《わた》る|時《とき》と、|何《ど》れ|丈《だけ》|心持《こころもち》が|違《ちが》ふか』
|猿世彦《さるよひこ》『ソンナことを|誰《たれ》に|聴《き》いたか、そりや|他人《ひと》の|事《こと》だよ。|貴様《きさま》は|高白山《かうはくざん》で|如何《どう》だつたい』
|駒山彦《こまやまひこ》『|高白山《かうはくざん》は|高白山《かうはくざん》だ。|浪《なみ》の|上《うへ》を|渡《わた》る|時《とき》に|山《やま》の|話《はなし》をする|奴《やつ》があるかい。|木乃伊《みいら》の|化物《ばけもの》の|話《はなし》なつと|聴《き》かして|貰《もら》はうかい』
|丙《へい》『|互《たがひ》にソンナ|昔《むかし》の|碌《ろく》でもない|失敗談《しつぱいだん》を|繰返《くりかへ》すよりも、もつと|気《き》の|利《き》いた|話《はなし》をしたら|何《ど》うだい』
|駒山彦《こまやまひこ》『ウン、|貴様《きさま》はなんでも|三五教《あななひけう》とかの|信者《しんじや》になつたと|云《い》ふことだが、|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|偉《えら》さうに|宣伝使《せんでんし》|気取《きど》りで、そこら|中《ぢう》で|喋《しやべ》つて|居《ゐ》ると|云《い》ふことだが、|一辺《いちぺん》|俺《おれ》にも|聴《き》かして|呉《く》れないか』
|丙《へい》『|貴様《きさま》のやうなウラル|彦《ひこ》や、|美山彦《みやまひこ》の|崇敬者《すうけいしや》に|説教《せつけう》は|禁物《きんもつ》だ。|又《また》|海《うみ》の|上《うへ》でソンナ|話《はなし》を|始《はじ》めると、|木乃伊《みいら》になると|困《こま》るから|止《や》めて|置《お》かうかい。|俺《おれ》を「|貴様《きさま》は|今《いま》|信者《しんじや》だ」と|言《い》うたが、|乞食《こじき》の|子《こ》でも|三年《さんねん》すれば|三《み》つになると|云《い》ふことを|知《し》らないのか。|初《はじ》めは|信者《しんじや》でも|今《いま》は|立派《りつぱ》な|押《おし》も|押《お》されもせぬ|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》だ。「おい、|聴《き》かせろ」なんてソンナ|失礼《しつれい》なことを、|生神《いきがみ》の|宣伝使《せんでんし》に|向《むか》つて|云《い》ふ|奴《やつ》があるかい。|吾々《われわれ》は|畏《おそ》れ|多《おほ》くも、|天教山《てんけうざん》の|木《こ》の|花姫命《はなひめのみこと》の|宣伝使《せんでんし》じやぞ』
|猿世彦《さるよひこ》『さうだらう、|気違《きちが》ひの|癲狂山《てんきやうざん》だらう』
|丙《へい》『|木乃伊《みいら》の|知《し》つたことかい。|木乃伊《みいら》が|海《うみ》へ|嵌《はま》りよつて、|化《ば》けて|〓《しいら》になると|云《い》ふことがある。|彼《あ》の|日《ひ》の|光《ひかり》に|照《てら》して|見《み》よ。|海《うみ》の|底《そこ》に|沢山《たくさん》|貴様《きさま》の|友達《ともだち》が|泳《およ》いで|居《ゐ》るわい、|木乃伊《みいら》が|〓《しいら》になつて、|〓《しいら》の|頭《あたま》に|虱《しいら》が|生《わい》て|世界《せかい》の|事《こと》は、|何一《なにひと》つ|〓《しいら》の|盲目神《めくらがみ》が|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|聴《き》いたところで|分《わか》るものでない。|言《い》はぬは|言《い》ふに|弥《いや》|勝《まさ》るだよ』
|猿世彦《さるよひこ》は|面《つら》|膨《ふく》らして、|丙《へい》の|顔《かほ》を|睨《にら》みつける。|其《そ》の|膨《ふく》れ|面《づら》は、|漁火《いさりび》に|照《てら》されて|面白《おもしろ》く|明瞭《はつきり》と|見《み》えたり。
『よう、|猿世《さるよ》、|大分《だいぶ》に|膨《ふく》れて|居《ゐ》るな』
と|云《い》はれて、|猿世彦《さるよひこ》はますます|膨《ふく》れる。|暗《やみ》の|中《なか》から|二三人《にさんにん》の|女《をんな》の|声《こゑ》として、
『やあ、|貴方《あなた》は|承《うけたま》はれば|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》とか|聴《き》きましたが、|斯《か》うして|広《ひろ》い|海《うみ》を|無難《ぶなん》に|気楽《きらく》に|渡《わた》らして|頂《いただ》くのも、|皆《みんな》|神様《かみさま》の|御神徳《おかげ》だと|思《おも》ひます。|斯《か》う|云《い》ふ|結構《けつこう》な|機会《をり》はありませぬ、|何卒《どうぞ》|一《ひと》つ|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》を|聴《き》かして|下《くだ》さいませぬか。|吾々《われわれ》は|熊襲《くまそ》の|国《くに》の|者《もの》であります』
と|誠心《まごころ》から|頼《たの》み|入《い》るにぞ、|宣伝使《せんでんし》は|二人《ふたり》に|構《かま》はず、
『|何《いづ》れの|方《かた》か、|何分《なにぶん》|暗夜《やみよ》の|事《こと》とて|御顔《おかほ》も|分《わか》りませぬが、|私《わたくし》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|卵《たまご》ですよ。|最前《さいぜん》から|二人《ふたり》の|男《をとこ》が、|余《あんま》り|豪《えら》さうに|法螺《ほら》を|吹《ふ》くものですから、|俺《おれ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だと|威張《ゐば》つて|見《み》せたものの|私《わたくし》も|熊襲《くまそ》の|者《もの》で、|未《ま》だ|宣伝使《せんでんし》の|卵《たまご》で|自称《じしよう》|候補者《こうほしや》です。|何《なん》でも|日《ひ》の|出神《でのかみ》とか|云《い》ふ|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》が、|高砂《たかさご》の|島《しま》へ|行《ゆ》かれたとか、|行《ゆ》かれるとか|云《い》ふことを、|風《かぜ》の|便《たよ》りに|聞《き》いたので|高砂《たかさご》の|智利《てる》の|都《みやこ》に|行《い》つて、|其《そ》の|御方《おかた》に|会《あ》つて|見《み》たいと|思《おも》ふのです』
|暗黒《くらがり》の|中《なか》より|女《をんな》の|声《こゑ》、
『|貴方《あなた》は|其所《そこ》までの|御熱心《ごねつしん》なら、|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》は|少《すこ》しは|御存《ごぞん》じでせう。|一歩《ひとあし》でも|先《さき》に|聴《き》いた|者《もの》は|先輩《せんぱい》ですから、|貴方《あなた》の|御聴《おき》きになつた|事《こと》だけなつと|話《はな》して|下《くだ》さい』
|猿世彦《さるよひこ》『|世間《せけん》には、|物好《ものず》きもあるものだなあ。|何方《どなた》か|知《し》らぬが、コンナ|宣伝使《せんでんし》に|聴《き》いたつて|何《なに》が|分《わか》るものか。この|男《をとこ》はな、|偉《えら》さうな|面付《つらつき》して|宣伝使《せんでんし》の|卵《たまご》だと|言《い》つて、|傲然《がうぜん》と|構《かま》へて|居《ゐ》るが、|此奴《こいつ》の|素性《すじやう》を|洗《あら》つて|見《み》れば、|元《もと》は|竜宮城《りうぐうじやう》に|居《を》つて、|其処《そこ》を|追《お》ひ|出《だ》され、|鬼城山《きじやうざん》の|食客《しよくかく》をしてゐて、|鬼城山《きじやうざん》でまた|失敗《しつぱい》をやつて|縮尻《しくじ》つて、|改心《かいしん》したとか|云《い》つて|常世《とこよ》の|国《くに》を|遁《に》げ|出《だ》し、|筑紫《つくし》の|国《くに》で|馬鹿《ばか》の|限《かぎ》り、|悪《あく》の|限《かぎ》りを|尽《つく》して|再《ふたた》び|元《もと》の|古巣《ふるす》へ|帰《かへ》る|所《ところ》なのですよ。|此奴《こいつ》は|清彦《きよひこ》ナンテ|名《な》は|立派《りつぱ》だが、|実《じつ》は|濁彦《にごりひこ》の、|泥彦《どろひこ》の、|穴彦《あなひこ》といふ|男《をとこ》だ。|彼岸《ひがん》|過《す》ぎの|蛇《へび》の|様《やう》に、|穴《あな》ばつかり|狙《ねら》つて|居《ゐ》るのだ。|貴方《あなた》は|女《をんな》の|方《かた》と|見《み》えますが、コンナ|奴《やつ》に|相手《あひて》になりなさるな。|穴恐《あなおそ》ろしい|奴《やつ》ですよ。|此奴《こいつ》は【うまうま】ハマる|穴《あな》が|無《な》いので|穴無《あなな》い|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》ナンテ|吐《ぬ》かすのだ。アハヽヽヽ』
と|大口《おほぐち》を|開《あ》けて|力《ちから》|一杯《いつぱい》|嘲《あざけ》りける。
|清彦《きよひこ》『コラ|猿《さる》、|何《なに》を|吐《ぬ》かすか。|貴様《きさま》も|鬼城山《きじやうざん》で|国照姫《くにてるひめ》の|御主人面《ごしゆじんづら》をして|偉《えら》さうに|構《かま》へて|居《を》つたが、|何時《いつ》の|間《ま》にやら|棒振彦《ぼうふりひこ》にその|位地《ゐち》を|奪《と》られよつて、|馬鹿《ばか》の|美山彦《みやまひこ》の|家来《けらい》となり、どどのつまりは|大勢《おほぜい》のものに|愛想《あいさう》を|尽《つ》かされて、いよいよ|鬼城山《きじやうざん》を|泣《な》く|泣《な》く|猿世彦《さるよひこ》の|馬鹿者《ばかもの》、|他《ひと》の|穴《あな》をほぜくると|自分《じぶん》の|穴《あな》が|出《で》て|来《く》るぞ。|俺《おれ》は|縦《たて》から|見《み》ても|横《よこ》から|見《み》ても|立派《りつぱ》な|智仁勇《ちじんゆう》|兼備《けんび》の|穴《あな》の|無《な》い|男《をとこ》だ。それで|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》だ。
|穴《あな》を|出《で》て|穴《あな》に|入《い》るまで|穴《あな》の|世話《せわ》 |穴《あな》おもしろき|穴《あな》の|世《よ》の|中《なか》
|人《ひと》の|穴《あな》は、|探《さぐ》らむがよからうぞ。ナンボ|猿世彦《さるよひこ》でも、|猿《さる》の|人真似《ひとまね》ばかりしよつて|恥《はぢ》を|掻《か》くよりも、これから|改心《かいしん》して|庚申《かうしん》さまの|眷属《けんぞく》のやうに|見猿《みざる》、|聞《き》か|猿《ざる》、|言《い》は|猿《ざる》を|守《まも》るが、|貴様《きさま》の|利益《ため》だ。|愚図々々《ぐずぐず》|言《い》うと|又《また》|木乃伊《みいら》にしてやらうか』
|斯《か》くの|如《ごと》く|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》る。|春《はる》の|夜《よ》は|短《みじか》く|明《あ》けて|再《ふたた》び|東天《とうてん》に|陽《ひ》の|影《かげ》が|映《さ》し、|一同《いちどう》の|顔《かほ》にも|夜《よ》が|明《あ》けたやうに|元気《げんき》|輝《かがや》きにけり。
(大正一一・二・六 旧一・一〇 外山豊二録)
第二章 |五十韻《ごじふゐん》〔三五二〕
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|雑談《ざつだん》を|床《ゆか》しげに、|世道人心《せだうじんしん》の|傾向《けいかう》を|探《さぐ》る|羅針盤《らしんばん》として|耳《みみ》を|澄《す》まして|船《ふね》の|小隅《こすみ》に|屈《かが》み、|素知《そし》らぬ|振《ふ》りに|聞《き》き|流《なが》しゐたり。|清彦《きよひこ》の|自称《じしよう》|宣伝使《せんでんし》は|諄々《じゆんじゆん》として|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めたり。
|駒山彦《こまやまひこ》、|猿世彦《さるよひこ》はウラル|彦《ひこ》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》うて|混《ま》ぜ|返《かへ》しに|全力《ぜんりよく》を|注《そそ》ぐ。されど|船中《せんちう》の|人々《ひとびと》は|何故《なにゆゑ》か|三五教《あななひけう》の|清彦《きよひこ》に|同情《どうじやう》し、|清彦《きよひこ》の|説教《せつけう》を|頻《しき》りに|求《もと》めて|止《や》まざりける。
|清彦《きよひこ》は|得意《とくい》|満面《まんめん》に|溢《あふ》れて|矛盾《むじゆん》|脱線《だつせん》だらけの|講釈《かうしやく》を|始《はじ》め|且《か》つ|鼻高々《はなたかだか》と、
『|世《よ》の|中《なか》の|事《こと》は|一切万事《いつさいばんじ》この|方《はう》の|心《こころ》の|鏡《かがみ》に|照《て》り|渡《わた》つてゐる。|大《だい》は|宇宙《うちう》の|根本《こんぽん》より|小《せう》は|虱《しらみ》の|腹《はら》の|中《なか》までよく|透《す》き|通《とほ》つてゐる。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|清彦《きよひこ》とは|吾事《わがこと》である。|何《なに》を|問《と》はれても|知《し》らぬといふ|事《こと》はない。|三五教《あななひけう》の|一《ひと》つも|欠点《けつてん》のない、いはゆる|穴《あな》の|無《な》い|宣伝使《せんでんし》だ』
と|大法螺《おほぼら》を|吹《ふ》き|立《た》てける。
|甲《かふ》『|貴郎《あなた》は|小野《をの》の|小町《こまち》の|再来《さいらい》か、|穴《あな》が|無《な》いと|仰有《おつしや》つたが|大小便《だいせうべん》はどうなさりますか』
|清彦《きよひこ》『|夫《そ》れは|穴《あな》ではない、|筒《つつ》と|洞《ほら》とだ。|筒《つつ》と|洞《ほら》とはあつても|穴《あな》は|無《な》い』
|猿世彦《さるよひこ》『|筒《つつ》ツ|洞《ぼら》を|吹《ふ》くない。|貴様《きさま》の|耳《みみ》、|鼻《はな》、|口《くち》はそりや|何《なん》だい。|夫《そ》れでも|穴《あな》が|無《な》いのか。さうだらう、|麝香《じやかう》と|屁《へ》の|臭《にほひ》とを|一緒《いつしよ》にしたり、|酒《さけ》と|泥水《どろみづ》の|味《あぢ》を|一緒《いつしよ》にしたり、|鬼《おに》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》と|天人《てんにん》の|音楽《おんがく》とを【ごつちや】|混《ま》ぜにする|宣伝使《せんでんし》だから|穴《あな》が|塞《ふさ》がつて、|三五教《あななひけう》だらうよ。イヒヽヽヽ』
|清彦《きよひこ》『|黙《だま》つて|此《この》|方《はう》の|宣伝《せんでん》を|聴《き》け、|酒喰《さけくら》ひ|教《けう》|奴《め》が。ウラル|彦《ひこ》の|唱《とな》へだした|大中教《だいちうけう》の|奴《やつ》は、|何時《いつ》も|酒《さけ》に|酔《よ》つたやうな、|支離滅裂《しりめつれつ》な|説教《せつけう》を|吹《ふ》き|立《た》てよつて|人《ひと》を|困《こま》らす|駒山彦《こまやまひこ》、|人真似《ひとまね》の|上手《じやうづ》な|猿《さる》の|尻笑《しりわら》ひの|猿世彦《さるよひこ》だよ』
|猿《さる》、|駒《こま》|二人《ふたり》は|烈火《れつくわ》の|如《ごと》く|怒《いか》つて|清彦《きよひこ》に|飛《と》びつくを、|清彦《きよひこ》は、
『|何《なに》を|小癪《こしやく》なツ』
と|云《い》ひながら|拳骨《げんこつ》を|固《かた》めて|二人《ふたり》の|頭《あたま》を【ぽかり】とブンなぐる。|二人《ふたり》は|左右《さいう》の|手《て》を|確《しつか》と|握《にぎ》り、
『コラ、|清彦《きよひこ》、|三五教《あななひけう》は|直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ、といふ|教《をしへ》ださうな。|俺《おれ》が|貴様《きさま》を【ブン】|擲《なぐ》つても、|真《ほんま》に|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》なら|見直《みなほ》すのぢやぞよ』
と|云《い》ひながら、
『この|腰抜野郎《こしぬけやらう》』
と|又《また》もや|拳骨《げんこつ》を|固《かた》めて【ポカツ】と|打《う》つ。
|猿世彦《さるよひこ》『コラ|清彦《きよひこ》、|三五教《あななひけう》は|聞《き》き|直《なほ》すのだぞ。|馬鹿野郎《ばかやらう》と|云《い》はれても|聞《き》き|直《なほ》せ。|腰抜野郎《こしぬけやらう》、|穴《あな》|探《さが》し|野郎《やらう》』
|駒山彦《こまやまひこ》『|三五教《あななひけう》は|宣《の》り|直《なほ》すのだ。|今《いま》まで|俺等《おいら》の|欠点《あら》を|大勢《おほぜい》の|中《なか》で|吹《ふ》き|立《た》てよつて、これも|今《いま》|此処《ここ》で|宣《の》り|直《なほ》さぬか。|自分《じぶん》の|悪《わる》いことは|棚《たな》から|降《おろ》して【すつかり】ここで|白状《はくじやう》するのだ。さうして|俺等《おいら》の|悪口《わるくち》を|云《い》つたことを|残《のこ》らず|嘘言《うそ》でございましたと|船客《せんきやく》|一同《いちどう》に|嘘言《うそ》|吐《つ》きのお|詫《わび》をするのだ。|貴様《きさま》が|今《いま》ここで|大耻《おほはぢ》をかくのも|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》からいへば|惟神《かむながら》だ、|御経綸《おしぐみ》だ』
|清彦《きよひこ》『エヘン、オホン、アハン、ウフン、イヒン』
|駒山彦《こまやまひこ》『ソンナ|事《こと》を|云《い》つて|分《わか》るかい』
|清彦《きよひこ》『カンカン』
|猿世彦《さるよひこ》『カンカンぢやない、|堪忍《かんにん》して|呉《く》れと|云《い》へ』
|清彦《きよひこ》『キンキンだ』
|猿世彦《さるよひこ》『|謹慎《きんしん》すると|云《い》ふのか』
|清彦《きよひこ》『|謹聴《きんちやう》せい、この|方《はう》の|天来《てんらい》の|大福音《だいふくいん》を。ケン、ケン、|喧嘩《けんくわ》なら|何処迄《どこまで》も|行《ゆ》くぞ、コンコンさまに|抓《つま》まれよつて、クンクンと|苦《くる》しんで|吠面《ほえづら》かわいてサツサツと|鬼城山《きじやうざん》を|逃《に》げ|出《だ》し、シヽヽ|死物狂《しにものぐる》ひになつて、スヽヽ|凄《すご》い|目《め》にあつて|煤煙《すす》のやうな|黒《くろ》い|顔《かほ》をして、セヽヽ|雪隠虫《せつちんむし》|奴《め》が|糞垂《ばばた》れ|腰《ごし》になつて、ソヽヽ|其処《そこ》らあたりを、タヽヽ|立《た》ちん|坊《ばう》の|乞食《こじき》|姿《すがた》となり……』
|猿世彦《さるよひこ》『|貴様《きさま》|何《なに》を|吐《ぬ》かす。|大勢《おほぜい》の|前《まへ》で|人《ひと》に|恥《はぢ》を|掻《か》かせよつてちつとは|前後《あとさき》を|考《かんが》へぬか』
|清彦《きよひこ》『チヽヽちつとは|貴様《きさま》も|考《かんが》へて|見《み》い。|恥辱《ちじよく》と|思《おも》ふなら【もちつと】|智慧《ちゑ》を|光《ひか》らして、|人《ひと》の|欠点《あら》をなぜ|包《つつ》まぬか。|人《ひと》を|呪《のろ》へば|穴《あな》|二《ふた》つだ。|三五教《あななひけう》には|穴《あな》は|無《な》いぞ。ツヽヽ|聾《つんぼ》の|奴盲人《どめくら》の|大中教《だいちうけう》とは、|訳《わけ》が|違《ちが》ふのだ。テヽヽ|天然棒《てんねんぼう》の|星当《ほしあた》り、|手癖《てくせ》の|悪《わる》い|猿駒《さるこま》の、トヽヽ|徹底《とことん》どんづまりは|栃麺棒《とちめんぼう》の|頓珍漢《とんちんかん》の|蜻蛉返《とんぼがへ》りの……』
|猿世彦《さるよひこ》『コラ|清彦《きよひこ》、|口《くち》に|関所《せきしよ》が|無《な》いと|思《おも》つてあまり|馬鹿《ばか》にすな。|何《なに》を|吐《ぬ》かしよるのだ』
|清彦《きよひこ》『ナヽヽ|何《なに》も|彼《か》も|吐《ぬ》かしよるので|情《なさけ》なからう。|情《なさけ》なくとも|何《なに》ほど|難儀《なんぎ》でも|泣面《なきづら》かわいても、|情容赦《なさけようしや》があつて|堪《た》まらうかい、スペリオル|湖《こ》の|木乃伊《みいら》|先生《せんせい》が。ニヽヽ|憎《にく》まれ|子《ご》|世《よ》に|覇張《はば》る。|憎《にく》まれても|睨《に》らまれても、|二進《につち》も|三進《さつち》も|口《くち》の|開《あか》ぬやうにしてやるのだよ、ウフヽヽヽ』
|猿世彦《さるよひこ》『|清彦《きよひこ》、|貴様《きさま》あまりぢやないか』
とまた【ボカン】となぐる。
|猿世彦《さるよひこ》『サー|吐《ぬ》かすなら|吐《ぬ》かして|見《み》い、また|拳骨《げんこつ》のお|見舞《みまひ》だぞ』
|清彦《きよひこ》『ヌヽヽ|吐《は》かさいでかい。|糠《ぬか》に|釘《くぎ》、|豆腐《とうふ》に|鎹《かすがひ》、|盗人《ぬすびと》|猛々《たけだけ》しいとは|貴様《きさま》の|事《こと》だ。|人《ひと》の|家《いへ》へヌーと|這入《はいり》よつて、|人《ひと》の|物《もの》を|何《なに》しよつて、スーと|出《で》て|来《き》よる|手癖《てくせ》の|悪《わる》いヌースー|人《びと》|奴《め》が、ネヽヽ|捻《ねぢ》け|曲《まが》つた|奴根性《どこんじやう》、ノヽヽ|野太《のぶと》い|野良猫《のらねこ》|奴《め》が、ソコラぢうを【のさば】り|歩《ある》きよつて、ハヽヽあまりをかしうて|笑《わら》ひが|止《と》まらぬ。|恥《はぢ》を|知《し》れ、|薄情者《はくじやうもの》、|禿頭《はげあたま》、|腹《はら》が|立《た》つたら【もつと】もつと|擲《なぐ》れ、|俺《おれ》の|頭《あたま》は|鉄《てつ》で|作《つく》つてある。|終《しまひ》には|貴様《きさま》の|手《て》が|痺《しび》れるだけだ。ヒヽヽ|非道《ひど》い|目《め》に|遇《あ》ふぞ。|僻《ひが》み|根性《こんじやう》の|非常識《ひじやうしき》の【ヒンダのかす】、|蟇蛙《ひきがへる》の|放尻腰《へつぴりごし》のヒンガラ|眼《め》、フヽヽ|不思議《ふしぎ》な|猿《さる》のやうな、|面《つら》をふくらしよつて、|不足《ふそく》さうに|梟鳥《ふくろどり》の|宵企《よひだく》み、|昼目《ひるめ》の|見《み》えぬ|盲《めくら》ども、ヘヽヽ|屁《へ》なと|吸《す》はしてやらうか、|屁古垂《へこた》れ|奴《め》。|返答《へんたふ》は【どう】だ、|閉口《へいこう》したか。ホヽヽ|呆《はう》け|野郎《やらう》、【ほろ】|年寄《としよ》つて|若《わか》い|者《もの》の|尻《しり》を|追《お》ひまはして|肱鉄《ひじてつ》を|喰《くら》ひよつて、マヽヽ|真赤《まつか》な|恥《はぢ》を|柿《かき》の【へた】、|下手《へた》なことばかりして|見《み》つけられ|大地《だいち》に|屁太張《へたば》つて|屁古垂腰《へこたれごし》で、|閉口《へいこう》【さらし】た|猿世彦《さるよひこ》、マヽヽ|間男好《まをとこずき》の|駒山彦《こまやまひこ》、|困《こま》つた|腰抜《こしぬ》け|困《こま》りもの、ミヽヽ|身《み》の|上《うへ》|知《し》らずの|蚯蚓虫《みみづむし》、|腐《くさ》つた|土《つち》の|中《なか》から|這《は》ひ|出《だ》しよつて、|大地《だいち》を|我物顔《わがものがほ》に【のたくり】|廻《まは》り、|酷《きつ》い|日光《につくわう》に|照《てら》されて、|体《からだ》は|干乾《ひぼし》の【カンピンタン】、|駒山彦《こまやまひこ》の【カンピンタン】に|猿世彦《さるよひこ》の|木乃伊《みいら》とはよく|揃《そろ》つたものだワイ』
|猿《さる》、|駒《こま》、|一時《いちじ》に|拳骨《げんこつ》を|固《かた》めて、
『エヽやかましいワイ、もつと|拳骨《げんこつ》をお|見舞《みまひ》|申《まを》さうかい』
と|又《また》もや|打《う》ちかかる。
|清彦《きよひこ》『ムヽヽ【むかづく】か、|無念《むねん》なか、【むかつ】|腹《ぱら》が|立《た》つか、|俺《おれ》のいふことを|無理《むり》と|見《み》るか、|虫《むし》【けら】|同様《どうやう》の|駒猿《こまざる》|奴《め》、メヽヽ|眼《め》を|剥《む》きよつて|其《その》|態《ざま》は|何《なん》だ。|迷惑《めいわく》さうな|面《つら》を|曝《さら》しよつて|面目玉《めんぼくだま》を|全潰《まるつぶ》しにされて、【めそめそ】と|泣《な》きだしさうな|其《その》|態《ざま》、|面喰《めんくら》つたか|盲《めくら》ども、モヽもうこれで|許《ゆる》してやらうと|思《おも》つたが|盲目《めくら》|同様《どうやう》の|貴様《きさま》たちは|物《もの》が|分《わか》らぬから、【もつと】|揉《も》んでやらう。|揉《も》んでやらうといつても|按摩《あんま》ぢやないぞ』
|猿《さる》、|駒《こま》『|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にするない、|黙《だま》つて|聞《き》いてをりや|言霊《ことたま》の|練習《れんしふ》をしよつて、ヤヤヽ|喧《やかま》しいワイ、イヽヽ|何時《いつ》までもウヽヽ|迂闊者《うつけもの》の|狼狽者《うろたへもの》の|嘘言吐《うそつ》きの|言霊《ことたま》も【ウンザリ】してしまふワイ。エヽヽ|偉《えら》さうに|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》ぢやなんて、オヽヽ|大《おほ》きな|法螺《ほら》ばかり|吹《ふ》きよつてお|尻《けつ》が|呆《あき》れるわ』
|清彦《きよひこ》『コラ|貴様《きさま》らは|何時《いつ》の|間《ま》にか|俺《おれ》のお|株《かぶ》を|占領《せんりやう》しよつて。ヤイ|貴様《きさま》は|真似《まね》した|心組《つもり》だが、ヤイウエオといふことが|何処《どこ》にある。|俺《おれ》の|云《い》ふことをもう|一度《いちど》|聞《き》け、ヤヽヽやいやい|吐《ぬ》かすな|八岐大蛇《やまたをろち》の|乾児《こぶん》|奴《め》。イヽヽ|鼬《いたち》に|最後屁《さいごぺ》をひつかけられたやうな|面《つら》つきをしよつて、ユヽヽ|言《ゆ》ひ|損《そこ》なひばかりしよつて、エヽヽえい|加減《かげん》に|恥《はぢ》を|知《し》つたがよからう。ヨヽヽようソンナ|馬鹿気《ばかげ》たことが|云《い》へたものだ、ラヽヽ』
|猿《さる》、|駒《こま》『もうこれで|耐《こら》へてやるから|後《あと》は|止《や》めてくれ。|云《い》はしておけば|終《しまひ》にはドンナことを|吐《ぬか》しよるか|分《わか》つたものぢやないワイ』
|清彦《きよひこ》『ラヽヽ|埒《らち》もない、リヽヽ|理屈《りくつ》を|並《なら》べよつて、ルヽヽ|留守《るす》の|家《いへ》ばかり|狙《ねら》つて|歩《ある》きよつて、レヽヽ|連子窓《れんじまど》を|暗《やみ》の|夜《よ》に|覗《のぞ》いて|廻《まは》りよつて、|女《をんな》の|臭《くさ》い|尻《しり》をつけ|狙《ねら》ふ、ロヽヽ|碌《ろく》でなし|奴《め》が、|論《ろん》にも|杭《くひ》にもかかつた|代物《しろもの》ぢやないぞ。|許《ゆる》すの|許《ゆる》さぬのつてワヽヽ|笑《わら》はしやがる、|己《おのれ》のことを|棚《たな》に|上《あ》げて|威張《ゐば》り|散《ち》らして、ヰヽヽ|井戸《ゐど》の|底《そこ》の|蠑〓《ゐもり》|奴《め》がウヽヽ|五月蠅《うるさ》いで、もう|止《や》めてやらうか、ヱヽヽ|遠慮《ゑんりよ》しといてやらうか、ヱー|加減《かげん》に|甚《えら》う|俺《おれ》も|疲《つか》れたからな、ヲヽヽ|終《をは》りだ』
|猿《さる》、|駒《こま》『もう|貴様《きさま》そこまで|五十韻《ごじふゐん》を|並《なら》べよつたら|得心《とくしん》だらうかい、それだけ|欠点《あら》を|探《さが》したらもう|探《さ》がさうたつて|有《あ》りはせまい。【さつぱり】|穴無教《あなないけう》だ、|南無《なむ》|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、アハヽヽヽイヒヽヽヽウフヽヽヽエヘヽヽヽオホヽヽヽ』
(大正一一・二・六 旧一・一〇 加藤明子録)
第三章 |身魂《みたま》|相応《さうおう》〔三五三〕
|猿世彦《さるよひこ》、|駒山彦《こまやまひこ》|双方《さうはう》|一度《いちど》に、|清彦《きよひこ》に|掴《つか》みかかりし|手《て》を|放《はな》して、|猿世彦《さるよひこ》は、
『|清彦《きよひこ》、|貴様《きさま》は|矢張《やつぱ》り|宣伝使《せんでんし》だ。|脱線《だつせん》したことを|上手《じやうづ》にベラベラと|饒舌《しやべ》りよる。たとへ|間違《まちが》うてをつても、それだけ|弁《べん》が|廻《まは》れば|穴《あな》があつても、|塞《ふさ》がつて|了《しま》ふワ。|法螺《ほら》の|通《とほ》る|名詮《めいせん》|自称《じしやう》の|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》だよ。よう|大《おほ》きな|法螺《ほら》を|吹《ふ》いたものだ。|一《ひと》つ|退屈《たいくつ》ざましに|聞《き》かして|貰《もら》はうかい』
|清彦《きよひこ》『|宣伝使《せんでんし》にお|訊《たづ》ねするのに|聞《き》かして|貰《もら》はうかいとは|失敬《しつけい》な、|懸河《けんが》の|弁舌《べんぜつ》、|布留那《ふるな》の|雄弁者《ゆうべんしや》とは|此《この》|方《ほう》のことだよ。|身魂《みたま》も|清《きよ》き|清彦《きよひこ》の|聖《きよ》き|教《をしへ》を|耳《みみ》を|清《きよ》めてトツクリと|聴《き》け』
|猿《さる》、|駒《こま》『|偉《えら》い|権幕《けんまく》だなあ、|宇宙《うちう》|万有《ばんいう》|一切《いつさい》のことを|説《と》き|諭《さと》すといふ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》だ。なんでも|御存《ごぞん》じだらう』
|清彦《きよひこ》『|勿論《もちろん》のことだ。|三千世界《さんぜんせかい》のことなら、|何《なん》でも|問《と》うてくれ。|詳細《しやうさい》なる|解決《かいけつ》を|与《あた》へて|遣《つか》はすとは|申《まを》さぬワイ』
|猿世彦《さるよひこ》『|三千世界《さんぜんせかい》で|思《おも》ひだした。|三五教《あななひけう》には|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》、|開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》ぶとか、|時鳥《ほととぎす》|声《こゑ》は|聞《き》けども|姿《すがた》は|見《み》えぬ、とかいふ|教《をしへ》があるねー。ありや|一体《いつたい》|何《なん》といふことだい……ドツコイ…… |何《なん》といふことですか、|謹《つつし》んで|御教示《ごけうじ》を|承《うけたま》はりませう』
|駒山彦《こまやまひこ》『ソナイに|叮嚀《ていねい》に|言《い》うと|損《そん》がいくよ』
|猿世彦《さるよひこ》『|黙《だま》つてをれ、|只《ただ》で|言《い》はすのだもの』
|駒山彦《こまやまひこ》『|貴様《きさま》は|猿世彦《さるよひこ》の|他人真似《ひとまね》を、また|他処《ほか》でしやうと|思《おも》ふて|訊《き》くのだらう』
|猿世彦《さるよひこ》『モシモシ|清彦《きよひこ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|最前《さいぜん》の|三千世界《さんぜんせかい》の|話《はなし》を|聞《き》かして|下《くだ》さいナ』
|清彦《きよひこ》『エヘン、オホン、アハン』
|猿世彦《さるよひこ》『また|五十韻《ごじふゐん》か』
|清彦《きよひこ》『|俺《おれ》の|癖《くせ》だ、マアしつかり|聞《き》け。|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》といふことはナ、|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》は|米《こめ》|喰《く》ふ|虫《むし》が|沢山《たくさん》|殖《ふ》えてきて、おまけに|遊《あそ》ぶ|奴《やつ》ばかりで、|米《こめ》が|足《た》らぬ。|一方《いつぱう》には|一年中《いちねんぢう》|米《こめ》の|顔《かほ》を|見《み》たことの|無《な》い、|草《くさ》や|木《き》を|食《く》つてをる|人間《にんげん》もあるのだ。それで|神様《かみさま》は|誰《たれ》も|彼《かれ》も|苦楽《くらく》を|共《とも》にせよと|仰有《おつしや》つて、|世界中《せかいぢう》がお|粥《かゆ》を|食《く》へと|仰有《おつしや》るのだよ。それも|一《いつ》ぺんに|五膳《ごぜん》も、|八膳《はちぜん》も|食《く》うてはいかぬ。|一《いつ》ぺんに|三膳《さんぜん》より|余計《よけい》はいかぬ。そこで|三膳《さんぜん》にせー|粥《かゆ》|一度《いちど》といふのだよ』
|猿世彦《さるよひこ》『|成程《なるほど》それも|面白《おもしろ》いが、|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》といふのは|如何《どう》だい』
|清彦《きよひこ》『|大《おほ》きな|口《くち》を|開《ひら》いて、|五郎八茶碗《ごろはちぢやわん》に|粥《かゆ》を|盛《も》つて、お|前《まへ》たちのやうな|鼻高《はなだか》が|粥《かゆ》を|啜《すす》ると|鼻《はな》が|粥《かゆ》に|埋《うま》つてしまふのだ。それで|開《ひら》く|埋《う》めの|鼻《はな》だ。|開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》ぶといふことは|天井裏《てんじやううら》に|鼠《ねずみ》の|走《はし》る|姿《すがた》の|映《うつ》るやうな|薄《うす》い|粥《かゆ》でも|吸《す》うとると、【ちつと】は|米粒《こめつぶ》の|実《み》をスウのだ。それで|大《おほ》きな|口《くち》を|開《ひら》いて、ちつと|実《み》をもスウといふのだよ』
|猿世彦《さるよひこ》『|人《ひと》を|莫迦《ばか》にしよる。|清彦《きよひこ》、|真面目《まじめ》に|説教《せつけう》をせぬかい、また【ブン】なぐるぞ』
|清彦《きよひこ》『|貴様《きさま》たちにコンナ|高遠《かうゑん》|無量《むりやう》なる|神界《しんかい》の|経綸《けいりん》を|話《はな》して|聞《き》かしたつて、|耳《みみ》の|三五教《あななひけう》だもの|真正《ほんたう》の|事《こと》が|耳《みみ》に|這入《はひ》る|様《やう》になつてから|聞《き》かして|遣《や》らう。この|三五教《あななひけう》は|身魂《みたま》|相応《さうおう》に|取《と》れる|教《をしへ》だから、|初《はじ》めて|三《み》つ|子《ご》に|聖賢《せいけん》の|教《をしへ》を|説《と》いたところで、|石地蔵《いしぢざう》に|説教《せつけう》するやうなものだ。まして|〓《しいら》や、|蚯蚓《みみず》の|干乾《ひぼし》に、|真正《ほんたう》のことを|言《い》うて|堪《たま》るかい。|身魂《みたま》を|早《はや》く|研《みが》け、|研《みが》いたら|身魂《みたま》|相応《さうおう》の|説教《せつけう》をしてやるワイ』
|駒山彦《こまやまひこ》『|莫迦《ばか》にしよるなイ。しかし|長《なが》い|浪《なみ》の|上《うへ》の|旅《たび》だから、|軽口《かるくち》を|聞《き》くと|思《おも》えば、|辛抱《しんばう》ができる。モツト|聞《き》かしてくれ』
|清彦《きよひこ》『|貴様《きさま》らにわかる|範囲内《はんゐない》の|講釈《かうしやく》をしてやらうかい』
|猿世彦《さるよひこ》『|時鳥《ほととぎす》|声《こゑ》は|聞《き》けども|姿《すがた》は|見《み》えぬといふことは、|一体《いつたい》どういふことですかいナ』
|清彦《きよひこ》『そりや|貴様《きさま》の|身体《からだ》に|朝夕《あさゆふ》ついてゐるものだ。|粥《かゆ》を|食《く》ふと|糞《くそ》が|軟《やはら》かくなつて、|雪隠《せつちん》にゆくとポトポトと|音《おと》がするだらう。さうして|後《あと》から|芋粥《いもがゆ》の|妄念《もうねん》がスーと|出《で》る。それで|糞《くそ》がポトポト、|屁《へ》がスーだ。|糞《くそ》は|肥料《こえ》になつて|利《き》くから、【こゑ】は【きけ】どもだ。スーとでた|屁《へ》の|形《かたち》は|見《み》えぬだらう。それで、スーとでた|屁《へ》の|姿《すがた》は|見《み》えぬと|神様《かみさま》が|仰有《おつしや》るのだよ』
|猿世彦《さるよひこ》『|馬鹿《ばか》ツ』
と|大喝《だいかつ》する。|船客《せんきやく》|一同《いちどう》はワツと|一度《いちど》に|笑《わら》ひさざめく。
このとき|船《ふね》の|一隅《いちぐう》より|容貌《ようばう》|温順《おんじゆん》にして、|寛仁大度《くわんじんたいど》の|気《き》に|充《み》ち、|思慮《しりよ》|高遠《かうゑん》にして|智徳《ちとく》|勝《すぐ》れ、|文武両道《ぶんぶりやうだう》|兼備《けんび》せるごとき|一大《いちだい》|神人《しんじん》は|起《た》つて|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めけり。
『|波風《なみかぜ》|荒《あら》きアラビヤの |筑紫《つくし》の|島《しま》を|後《あと》に|見《み》て
|神《かみ》の|御稜威《みいづ》も|高砂《たかさご》の |智利《てる》の|都《みやこ》に|進《すす》みゆく
|恵《めぐみ》も|広《ひろ》き|和田《わだ》の|原《はら》 |御稜威《みいづ》も|深《ふか》き|海洋《かいやう》の
|底《そこ》ひも|知《し》れぬ|皇神《すめかみ》の |仕組《しぐみ》の|糸《いと》に|操《あやつ》られ
|心《こころ》も|和《な》ぎし|波《なみ》の|上《うへ》 |鬼城《きじやう》の|山《やま》を|後《あと》に|見《み》て
|慣《な》れにし|里《さと》を|猿世彦《さるよひこ》 |焦《あ》せる|心《こころ》の|駒山彦《こまやまひこ》が
|流《なが》れてここに|清彦《きよひこ》の |神《かみ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》
|右《みぎ》と|左《ひだり》に|詰寄《つめよ》つて |蠑螺《さざえ》の|拳《こぶし》を|固《かた》めつつ
|痛々《いたいた》しくも|打《うち》かかる |身魂《みたま》も|清《きよ》き|清彦《きよひこ》が
|堪《こら》へて|忍《しの》ぶ|真心《まごころ》は |皇大神《すめおほかみ》の|御心《みこころ》に
|叶《かな》ひ|奉《まつ》らむ|天津日《あまつひ》の |堅磐常磐《かきはときは》に|智利《てる》の|国《くに》
|襤褸《つづれ》の|錦《にしき》は|纏《まと》へども |心《こころ》の|空《そら》は|照妙《てるたへ》の
|綾《あや》の|錦《にしき》に|包《つつ》まれて |千尋《ちひろ》の|底《そこ》の|海《うみ》よりも
|深《ふか》き|罪科《つみとが》|贖《あがな》ひて |今《いま》は|貴《たつと》き|宣伝使《せんでんし》
|三五教《あななひけう》を|開《ひら》きゆく |吾《われ》は|暗夜《やみよ》を|照《て》らすてふ
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|宣伝使《せんでんし》 |端《はし》なく|此処《ここ》に|教《のり》の|舟《ふね》
|心《こころ》を|一《ひと》つに|托生《たくしやう》の |救《すく》ひの|舟《ふね》に|帆《ほ》を|上《あ》げて
|荒浪《あらなみ》|猛《たけ》る|海原《うなばら》や |黒雲《くろくも》つつむ|常世国《とこよくに》
|天《あま》の|岩戸《いはと》を|押開《おしあ》けて |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|神国《かみくに》と
|造《つく》り|固《かた》めむ|宣伝使《せんでんし》 |造《つく》り|固《かた》めむ|宣伝使《せんでんし》』
と|爽《さわや》かに|歌《うた》ひ|出《だ》したる|神人《しんじん》あり。|清彦《きよひこ》はこの|声《こゑ》に|驚《おどろ》き|合掌《がつしやう》しながら、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|英姿《えいし》を|伏拝《ふしをが》み、|落涙《らくるい》に|咽《む》せびける。
(大正一一・二・六 旧一・一〇 高橋常祥録)
第四章 |烏《からす》の|妻《つま》〔三五四〕
|波《なみ》は|高砂《たかさご》|日《ひ》は|照《て》り|渡《わた》る |智利《てる》の|都《みやこ》に|月《つき》は|澄《す》む
と、|船頭《せんどう》は|節《ふし》|面白《おもしろ》く|海風《うなかぜ》に|声《こゑ》をさらしながら|唄《うた》ひはじめたり。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|船中《せんちう》の|人々《ひとびと》に|対《たい》して、|天地《てんち》の|神《かみ》の|高徳《かうとく》を|諄々《じゆんじゆん》と|説《と》き|始《はじ》めたる|折《をり》しも、|俄《にはか》に|一天《いつてん》|掻《か》き|曇《くも》り、|颶風《ぐふう》|吹《ふ》き|荒《すさ》み、|波《なみ》は|山岳《さんがく》のごとく|立《た》ちはじめ、|今《いま》まで|元気張《げんきば》つてゐた|猿世彦《さるよひこ》、|駒山彦《こまやまひこ》は、|蒼白《さうはく》な|顔《かほ》になり、|片隅《かたすみ》にブルブルと|慄《ふる》へゐる。|数多《あまた》の|船客《せんきやく》は、|何《いづ》れも|船底《ふなぞこ》にかぢりつき|我《わ》が|命《いのち》は|風前《ふうぜん》の|燈火《ともしび》かと|不安《ふあん》の|念《ねん》に|駆《か》られて、|口々《くちぐち》に|何事《なにごと》をか|祈《いの》り|始《はじ》めけり。
|船中《せんちう》は|俄《にはか》に|人声《ひとごゑ》ピタリと|止《とま》り、ただ|小《ちひ》さき|祈願《きぐわん》の|声《こゑ》のするのみなりき。|波《なみ》の|音《おと》はますます|高《たか》く、|時々《ときどき》|潮《しほ》を|船《ふね》に|浴《あび》せて|猛《たけ》り|狂《くる》ふ。この|時《とき》|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて|大音声《だいおんじやう》に|呼《よ》ばはりたまふ。
『|高天原《たかあまはら》を|知《し》ろし|食《め》す |天《あめ》の|御柱大神《みはしらおほかみ》の
|神勅《みこと》|畏《かしこ》み|天《あめ》の|下《した》 |四方《よも》の|国々《くにぐに》|隈《くま》もなく
|神《かみ》の|教《をしへ》を|宣《の》べ|伝《つた》ふ |闇夜《やみよ》を|照《て》らす|宣伝使《せんでんし》
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|鹿島立《かしまだ》ち |神《かみ》の|御《おん》ため|国《くに》のため
|世人《よびと》を|救《すく》ふそのために |潮《しほ》の|八百路《やほぢ》の|八塩路《やしほぢ》の
|潮《しほ》を|分《わ》けつつ|進《すす》み|行《ゆ》く |吾《われ》は|尊《たふと》き|神《かみ》の|御子《みこ》
|瑞《みづ》の|教《をしへ》を|謹《つつし》みて |聴《き》く|諸人《もろびと》の|真心《まごころ》を
|憫《あはれ》みたまへ|天津神《あまつかみ》 |救《すく》はせたまへ|国津神《くにつかみ》
|科戸《しなど》の|神《かみ》や|水分《みくまり》の |正《ただ》しき|神《かみ》は|何事《なにごと》ぞ
|波路《なみぢ》も|高《たか》く|竜神《たつがみ》の |底《そこ》の|藻屑《もくづ》と|鳴門灘《なるとなだ》
|渦巻《うづまき》きわたる|海原《うなばら》も |御国《みくに》を|思《おも》ふ|真心《まごころ》の
|道《みち》に|通《かよ》ひし|宣伝使《せんでんし》 |吾《わ》が|言霊《ことたま》は|天地《あめつち》に
|充《み》てる|誠《まこと》の|神《かみ》の|声《こゑ》 |大海原《おほうなばら》を|知《し》ろし|食《め》す
|海原彦《うなばらひこ》や|豊玉姫《とよたまひめ》の |神《かみ》の|命《みこと》は|今《いま》いづく
|神《かみ》に|祀《まつ》れる|玉依姫《たまよりひめ》の |神《かみ》の|命《みこと》はいま|何処《いづこ》
|雨風《あめかぜ》|繁《しげ》く|波《なみ》|高《たか》く この|諸人《もろびと》を|脅《おびや》かす
|大綿津見《おほわだつみ》の|枉神《まがかみ》を |伊吹《いぶ》きに|祓《はら》へ|吹《ふ》き|祓《はら》へ
|伊吹《いぶ》き|祓《はら》ふの|力《ちから》|無《な》く |吾《わ》が|言霊《ことたま》の|聞《きこ》えずば
|吾《われ》はこれより|天地《あめつち》の |神《かみ》に|代《かは》りて|三五《あななひ》の
|言挙《ことあ》げなさむ|綿津神《わだつかみ》 |科戸《しなど》の|彦《ひこ》や|科戸姫《しなどひめ》
|疾《と》く|凪《な》ぎ|渡《わた》れ|静《しづ》まれよ とく|凪《な》ぎ|渡《わた》れ|静《しづ》まれよ』
と、|清《きよ》き|言霊《ことたま》を|風《かぜ》に|向《むか》つて|述《の》べ|立《た》てたまへば、さしも|猛烈《まうれつ》なりし|暴風《ばうふう》も、|車軸《しやぢく》を|流《なが》す|大雨《おほあめ》も、|忽然《こつぜん》として|静《しづ》まり、|天津御空《あまつみそら》は|黒雲《くろくも》の|上衣《うはぎ》を|脱《ぬ》ぎて、|紺碧《こんぺき》の|肌《はだ》を|現《あら》はし、|日《ひ》は|晃々《くわうくわう》として|中天《ちうてん》に|輝《かがや》き、|海《うみ》の|諸鳥《もろとり》は|悠々《いういう》として|翼《つばさ》をひろげ、|頭上《づじやう》に|高《たか》く|喜《よろこ》ばしき|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて、|口々《くちぐち》に|叫《さけ》びはじめけり。|紺碧《こんぺき》の|海面《かいめん》は、あたかも|鏡《かがみ》のごとく|凪《な》ぎ|渡《わた》り、|地獄《ぢごく》を|出《い》でて|天国《てんごく》の|春《はる》に|逢《あ》うたるごとき|心地《ここち》せられ、|船中《せんちう》の|諸人《もろびと》は、ほとんど|蘇生《そせい》したる|面色《おももち》にて、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|身辺《しんぺん》に|寄《よ》り|集《あつ》まり、その|神徳《しんとく》を|感謝《かんしや》し、なほも|進《すす》みて|教理《けうり》を|拝聴《はいちやう》することとなりぬ。|船中《せんちう》の|人々《ひとびと》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|神徳《しんとく》に|感《かん》じ、|心《こころ》の|底《そこ》より|信仰《しんかう》の|念《ねん》を|起《おこ》し、なほも|進《すす》みてその|教理《けうり》を|聴聞《ちやうもん》したりける。
ここに|清彦《きよひこ》は、|今《いま》までの|凡《すべ》ての|罪悪《ざいあく》を|悔《く》い|改《あらた》め、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|弟子《でし》となり、|高砂島《たかさごじま》に|宣伝《せんでん》を|試《こころ》むる|事《こと》となりぬ。|猿世彦《さるよひこ》、|駒山彦《こまやまひこ》は、|清彦《きよひこ》の|後《あと》を|追《お》ひて、|何事《なにごと》か|諜《しめ》し|合《あは》せ、|高砂島《たかさごじま》に|上陸《じやうりく》したりけり。
またもや|船中《せんちう》に|雑談《ざつだん》の|花《はな》は|咲《さ》き|出《い》でにけり。
|甲《かふ》『やれやれ|恐《おそ》ろしい|事《こと》だつたのう。【すんで】の|事《こと》で|竜宮《りうぐう》|行《ゆ》きをする|所《ところ》だつたが、|渡《わた》る|浮世《うきよ》に|鬼《おに》は|無《な》い、|天道《てんだう》は|人《ひと》を|殺《ころ》さずとはよく|言《い》つたものだ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》がこの|船《ふね》に|乗《の》つて|居《を》られなかつたら、|吾々《われわれ》は|鱶《ふか》の|餌食《ゑじき》になつて|了《しま》つたかも|知《し》れない。|若《も》しもソンナ|事《こと》があつたら、|俺《おれ》は|死《し》ぬのは|天命《てんめい》だと|思《おも》つて|諦《あきら》めるが、|国《くに》に|残《のこ》つた|妻《つま》や|子《こ》が、どうして|月日《つきひ》を|送《おく》るだらう。|女房《にようばう》が「あゝ|恋《こひ》しい|民《たみ》さまは」と|云《い》つて|泣《な》くかも|知《し》れぬ』
|乙《おつ》『コンナ|処《ところ》でのろけるない。|貴様《きさま》が|死《し》んだつて|泣《な》く|者《もの》があるか。|村中《むらぢう》の|悪者《わるもの》が|無《な》くなつたと|云《い》つて、|餅《もち》でも|搗《つ》いて|祝《いは》ふ|者《もの》もあらうし、|貴様《きさま》の|嬶《かかあ》は、|鹿公《しかこう》と|入魂《じつこん》だから、|邪魔《じやま》が|払《はら》はれた、|目《め》の|上《うへ》の|瘤《こぶ》が|取《と》れたと|云《い》うて、|餅《もち》でも|搗《つ》いて|祝《いは》ふかも|知《し》れぬよ。|泣《な》く|者《もの》と|云《い》つたら|烏《からす》か、|柿《かき》の|木《き》に|蝉《せみ》がとまつて|啼《な》く|位《くらゐ》だ。アツハツハヽヽ』
|民《たみ》『|馬鹿《ばか》にするない、|死《し》んで|喜《よろこ》ぶ|奴《やつ》が|広《ひろ》い|世界《せかい》に|有《あ》つて|堪《たま》るか。|天《てん》にも|地《ち》にも、|一人《ひとり》の|夫《をつと》|一人《ひとり》の|女房《にようばう》だ。|俺《おれ》が|国許《くにもと》を|出立《しゆつたつ》する|時《とき》、|女房《にようばう》が|俺《おれ》の|袂《たもと》に|縋《すが》りついて、ドウゾ|一日《いちにち》も|早《はや》う|帰《かへ》つて|来《き》て|頂戴《ちやうだい》ネ、あなたのお|顔《かほ》が|見《み》えねば|夜《よ》も|明《あ》けぬ、|日《ひ》も|暮《く》れぬ、|毎日《まいにち》|高砂《たかさご》の|空《そら》を|眺《なが》めて|待《ま》つて|居《ゐ》ます、エヘン、あの|優《やさ》しい|顔《かほ》で|泣《な》きよつたぞ。そこを|貴様《きさま》に|見《み》せてやりたかつたワイ』
|乙《おつ》『|馬鹿《ばか》にするない。あの|優《やさ》しい|嬶《かかあ》も|有《あ》つたものかい、|頭《あたま》の|禿《は》げた|神楽鼻《かぐらばな》の、|鰐口《わにぐち》の|団栗目《どんぐりめ》の、|天下《てんか》|一品《いつぴん》|珍無類《ちんむるゐ》の|御面相《ごめんさう》の|別嬪《べつぴん》を、|烏《からす》だつて|顧《かへり》みるものは|有《あ》りやしないよ』
|丙《へい》『|左様《さう》も|言《い》はれぬぞ。|何時《いつ》やらも|野良《のら》へ|出《で》て|働《はたら》いて|居《ゐ》る|時《とき》に、|側《そば》の|森《もり》に|烏《からす》が|来《き》よつて、カカア、カカアと|呼《よ》んで|居《ゐ》たよ』
|民《たみ》『ソンナ|話《はなし》は|止《や》めにして|神様《かみさま》を|拝《をが》まぬかい。また|波《なみ》でも|立《た》つたら、|今度《こんど》はもう|助《たす》かりつこは|無《な》いぞ』
|丁《てい》『|此《この》|間《あひだ》も、|面那芸《つらなぎ》の|宣使《かみ》さまとかが|船《ふね》に|乗《の》つて、|筑紫《つくし》の|島《しま》から|天教山《てんけうざん》へ|行《ゆ》かれる|途中《とちう》に|海《うみ》が|荒《あ》れて|船《ふね》は|暗礁《あんせう》にぶつつかり、メキメキと|壊《こは》れて|了《しま》つた。そして|客《きやく》は|残《のこ》らず|死《し》んで|了《しま》つたと|云《い》ふことだよ』
|民《たみ》『その|面那芸《つらなぎ》の|宣使《かみ》はどう|成《な》つたのだ。ソンナ|時《とき》には|此処《ここ》に|御座《ござ》る|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》の|様《やう》に、|何故《なぜ》|神徳《しんとく》をよう|現《あらは》さなかつたのだらう。|面那芸《つらなぎ》の|司《かみ》とは|噂《うはさ》に|聞《き》く|宣伝使《せんでんし》でないか』
|乙《おつ》『さう、|宣伝使《せんでんし》だ。|併《しか》し|神徳《しんとく》が|無《な》いから、|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|場合《ばあひ》に|人《ひと》を|救《すく》ふ|様《やう》な|事《こと》は、|薩張《さつぱ》りよう【センデン|使《し》】だよ。それで|自分《じぶん》も|一緒《いつしよ》にぶくぶくと|脆《もろ》くも|沈《しづ》んで|了《しま》つて、あゝあゝ|苦《くる》しい|辛《つら》い|難儀《なんぎ》な|事《こと》に|成《な》つたと|泡《あわ》を|吹《ふ》いた。そこで【つらなぎ】の|司《かみ》ぢや。|誰《たれ》も|彼《かれ》も|皆《みな》|辛《つら》い|難儀《なんぎ》な|目《め》に|逢《あ》つて、【つらなぎ】のかみに|成《な》つて|了《しま》つたのだ。|最前《さいぜん》のやうに、|清彦《きよひこ》さまの|様《やう》な|説教《せつけう》をする|宣伝使《せんでんし》もあるし、|若《も》しも|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|此《こ》の|船《ふね》に|乗《の》つて|居《を》られ|無《な》かつたら|清彦《きよひこ》の|宣伝使《せんでんし》が、また|面那芸《つらなぎ》の|司《かみ》の|様《やう》な|運命《うんめい》に|成《な》つたかも|知《し》れぬ。さうすれば|俺《おい》らも|皆《みな》|面那芸《つらなぎ》のめに|逢《あ》うとるのだ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》の|御神徳《ごしんとく》を|忘《わす》れてはならぬぞ、あゝ|有難《ありがた》い、|有難《ありがた》い』
と|口々《くちぐち》に|私語《ささやい》てゐる。|日《ひ》の|出神《でのかみ》はこの|雑談中《ざつだんちう》に、|面那芸《つらなぎ》の|司《つかさ》の|乗《の》れる|船《ふね》の|沈没《ちんぼつ》した|事《こと》を|聞《き》いて|胸《むね》を|躍《をど》らせ、その|顔《かほ》には、|颯《さつ》と|不安《ふあん》の|色《いろ》|漂《ただよ》ひにける。
(大正一一・二・六 旧一・一〇 東尾吉雄録)
第五章 |三人《さんにん》|世《よ》の|元《もと》〔三五五〕
|日《ひ》の|出神《でのかみ》はこの|雑談《ざつだん》を|聴《き》き、|黙然《もくねん》として、|稍《やや》しばし|思《おも》ひに|沈《しづ》みけるが、|忽《たちま》ち|清彦《きよひこ》に|向《むか》ひ、|言葉《ことば》|厳《おごそ》かに、
『|清彦《きよひこ》、|吾《われ》はこれより|智利《てる》の|都《みやこ》に|出張《しゆつちやう》することを|見合《みあは》せ、|面那芸《つらなぎ》の|司《かみ》を|救《すく》はむため|一先《ひとま》づ|竜宮《りうぐう》を|探険《たんけん》せむと|思《おも》ふ。|吾《わ》れは|汝《なんぢ》の|身辺《しんぺん》を|守護《しゆご》するから、|心配《しんぱい》なく|智利《チリー》の|都《みやこ》に|致《いた》つて|三五教《あななひけう》を|宣伝《せんでん》せよ。|高砂《たかさご》の|島《しま》には|竜世姫神《たつよひめのかみ》、|月照彦神《つきてるひこのかみ》|守護《しゆご》し|給《たま》へば|勇《いさ》むで|行《ゆ》け。また|猿世彦《さるよひこ》、|駒山彦《こまやまひこ》も、|今迄《いままで》の|心《こころ》を|改《あらた》め|神《かみ》の|教《をしへ》に|随《したが》へよ。|船《ふね》の|諸人《もろびと》よ。|吾《わ》れはこれよりお|別《わか》れ|申《まを》さむ』
と|云《い》ふより|早《はや》く|身《み》を|躍《をど》らして、|海中《かいちう》へ|飛《と》び|込《こ》み|玉《たま》へば、|清彦《きよひこ》を|始《はじ》め|諸人《もろびと》は、|周章狼狽《しうしやうらうばい》、
『あゝ|身投《みな》げだ|身投《みな》げだ』
と|口々《くちぐち》に|叫《さけ》ぶ。|清彦《きよひこ》は|舷頭《げんとう》に|立《た》ち、|声《こゑ》を|限《かぎ》りに、
『|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》 |日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》』
と|号泣《がうきふ》したりしが、|遥《はるか》の|海面《かいめん》に|忽然《こつぜん》として|人影《ひとかげ》|現《あら》はれたり。よくよく|見《み》れば|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、|巨大《きよだい》なる|亀《かめ》の|背《せ》に|乗《の》り、|悠々《いういう》として、|彼方《かなた》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。|清彦《きよひこ》は、|猿世彦《さるよひこ》、|駒山彦《こまやまひこ》に|向《むか》ひ、
『あの|方《かた》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》だぞ。|今《いま》のお|詞《ことば》を|聞《き》いたか。|俺《おれ》はこれから|竜宮《りうぐう》へ|往《い》つて|来《く》るからお|前《まへ》たちは|心配《しんぱい》するな、|清彦《きよひこ》|守《まも》つてやらうと|仰《おつ》しやつたであらうがナ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御魂《みたま》の|憑依《のりうつ》つた|清彦《きよひこ》は|今迄《いままで》とは|違《ちが》ふぞ。これから|俺《おれ》を|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|崇《あが》めまつれよ。ドンナ|御神徳《ごしんとく》でもお|目《め》にかけてやる』
|猿世彦《さるよひこ》『フム、|目《め》から|火《ひ》の|出《で》の|神《かみ》の、|臀《しり》から|屁《へ》の|出《で》の|神《かみ》|奴《め》が、|人《ひと》を|盲目《めくら》にしよつて、|尻《けつ》が|呆《あき》れるわい』
|駒山彦《こまやまひこ》『|尻《しり》から|屁《へ》の|出《で》の、|何《な》んにもよう|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|宣伝歌《せんでんか》とやらを|聴《き》かして|貰《もら》はうかい』
|清彦《きよひこ》『|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、|亀《かめ》に|乗《の》つて|竜宮《りうぐう》へ|往《ゆ》かれた。そこであの|広《ひろ》い|高砂《たかさご》の|都《みやこ》を、|俺《おれ》が|拓《ひら》くのだ。|貴様《きさま》もこれから|高砂《たかさご》の|島《しま》へ|行《ゆ》くのなら、|俺《おれ》の|許《ゆる》しがなくては|上陸《じやうりく》する|事《こと》はまかりならぬぞ』
|駒山彦《こまやまひこ》『|俄《にはか》に、|鉛《なまり》の|天神様《てんじんさま》|見《み》たいに、|燥《はしや》ぎよつて、ちつと|海《うみ》の|水《みづ》でもぶつかけて|湿《しめ》してやらうか』
|猿世彦《さるよひこ》『コラコラ ソンナ|暴言《ばうげん》を|吐《は》くな、|結構《けつこう》な|宣伝使《せんでんし》|様《さま》だ。|然《しか》し|俺《おい》らも|三五教《あななひけう》の、|一《ひと》つ|宣伝使《せんでんし》に|化《ば》けて、|高砂《たかさご》の|島《しま》を|宣伝《せんでん》したらどうだらう』
|駒山彦《こまやまひこ》『|面白《おもしろ》からう、オイ|日《ひ》の|出神《でのかみ》さま、ドツコイドツコイ。モシモシ|日《ひ》の|出《での》|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、わたしを|貴所《あなた》の|弟子《でし》にして|下《くだ》されいな』
|清彦《きよひこ》『|改心《かいしん》いたせば|許《ゆる》してやらう』
|猿世彦《さるよひこ》『ヘン、|偉《えら》さうに|仰《あふ》せられますワイ。|改心《かいしん》が|聞《き》いて|呆《あき》れるワ』
|清彦《きよひこ》は|得意然《とくいぜん》として|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|出《だ》したり。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |御魂《みたま》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》せ』
|駒山彦《こまやまひこ》『|結構《けつこう》な|歌《うた》だ|喃《のう》、|一《ひと》つやつて|見《み》やうかい、……|亀《かめ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて、|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|乗《の》せて|行《ゆ》く……』
|猿世彦《さるよひこ》『オイ|違《ちが》ふぞ……|亀《かめ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて、|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|乗《の》せて|行《ゆ》く、……ソンナ|馬鹿《ばか》な|事《こと》があるかい、|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれてと|言《い》ふのだよ』
|駒山彦《こまやまひこ》『|嬶《かかあ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて、|猿世《さるよ》を|棄《す》てて|鹿《しか》に|従《つ》く。ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は、|嬶《かかあ》のすべたに|身《み》を|任《まか》せ、|船《ふね》から|亀《かめ》に|乗《の》り|直《なほ》せ』
|猿世彦《さるよひこ》『|馬鹿《ばか》ツ、ソンナ|事《こと》で|宣伝使《せんでんし》になれるかい。|貴様《きさま》の|耳《みみ》は|木耳《きくらげ》か、|節穴《ふしあな》かイ』
|駒山彦《こまやまひこ》『|猿世《さるよ》の|泣《な》き|声《ごゑ》【きくらげ】の、|嬶左衛門《かかあざゑもん》|鹿《しか》が|奪《と》る、|嬶左衛門《かかあざゑもん》|鹿《しか》が|奪《と》る、|鹿《しか》がお|亀《かめ》と|乗《の》りかへて……』
|猿世彦《さるよひこ》『またソンナ|事《こと》を|言《い》うと|風《かぜ》だぞ、|浪《なみ》が|立《た》つぞ』
|駒山彦《こまやまひこ》『|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまがいらつしやるもの』
|猿世彦《さるよひこ》『コンナ|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|何《なに》になるかい、|俄《にはか》|日《ひ》の|出神《でのかみ》だ。まあまあ|前《さき》のが|日《ひ》の|出神《でのかみ》なら、こいつは、ドツコイこの|御方《おんかた》は|日暮神《ひぐれのかみ》|位《くらゐ》なものだよ。そして|貴様《きさま》は|夜半《よなか》の|神《かみ》だよ』
と|無駄口《むだぐち》を|叩《たた》いてゐる。|船《ふね》は|漸《やうや》くにして|智利《てる》の|国《くに》の|港《みなと》に|着《つ》きぬ。|三人《さんにん》は|一目散《いちもくさん》に|船《ふね》を|飛《と》び|出《だ》し、どんどんと|奥深《おくふか》く|進《すす》みゆく。
|清彦《きよひこ》『|貴様《きさま》ら|二人《ふたり》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御伴《おとも》は|叶《かな》はぬぞ。|貴様《きさま》みたやうな、|瓢箪《へうたん》や、|徳利面《とつくりづら》した|奴《やつ》を|美人《びじん》の|叢淵地《そうえんち》たる|高砂島《たかさごじま》を|伴《つ》れて|歩《ある》くと、|俺《おれ》までが|馬鹿《ばか》に|見《み》えて|仕方《しかた》がないから、ここで|三人《さんにん》は|別《わか》れて、|思《おも》ひ|思《おも》ひに|宣伝《せんでん》に|行《ゆ》かうかい』
|猿世彦《さるよひこ》『オイ|清彦《きよひこ》、そりやあんまりじやないか。|今《いま》まで|俺《おれ》の|居《を》つた|鬼城山《きじやうざん》に|世話《せわ》になつて|居《を》つて、ちつたあ|恩《おん》も|知《し》つとらう。なぜ|伴《つ》れて|行《ゆ》かぬか、|幸《さいは》ひ|高砂《たかさご》の|人間《にんげん》は|吾々《われわれ》の|素性《すじやう》はちつとも|知《し》らないから、|清彦《きよひこ》は|天下《てんか》に|声望《せいばう》|高《たか》き|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまとなり、この|方《はう》さまは|荒《あれ》のカミとなり、|駒山彦《こまやまひこ》は|雨《あめ》のカミとなつて、|一《ひと》つ|高砂島《たかさごじま》を|日和《ひより》にしたり、|大風《おほかぜ》にしたり|雨《あめ》にしたりして、|神力《しんりき》を|現《あら》はし、|肝玉《きもだま》を|潰《つぶ》さしてやつたら、|感心《かんしん》するかも|知《し》れぬよ。さうだ|三人《さんにん》|寄《よ》れば|文殊《もんじゆ》の|智慧《ちゑ》、|我々《われわれ》|三人《さんにん》は|三人《さんにん》|世《よ》の|元《もと》だ。|結構々々《けつこうけつこう》と|言《い》はれて、|一《ひと》つ|無鳥郷《とりなきさと》の|蝙蝠《かうもり》でも|気取《きど》つたら|何《ど》うだらうナア』
|清彦《きよひこ》『|蝙蝠《かうもり》は|御免《ごめん》だ、あいつは|日《ひ》の|暮《くれ》ばかり|出《で》る|奴《やつ》だ。|俺《おれ》は|日《ひ》の|暮《くれ》のカミぢやない。|日《ひ》の|出神《でのかみ》じやからなあ、まあ|山奥《やまおく》にでも|這入《はひ》つて、|今晩《こんばん》はゆつくり|相談《さうだん》でもしようかい』
と|言《い》ひながら|樹木《じゆもく》|鬱蒼《うつさう》たる|森林《しんりん》を|目《め》がけて、|清彦《きよひこ》は|足《あし》を|速《はや》めける。|二人《ふたり》はぶつぶつ|小言《こごと》を|言《い》ひながら、|清彦《きよひこ》の|後《あと》を|追《お》ふ。|日《ひ》は|西山《せいざん》に|没《ぼつ》し、|鼻《はな》を|抓《つま》まれても|判《わか》らぬやうな|闇《やみ》の|帳《とばり》に|鎖《とざ》されたるに、|清彦《きよひこ》は|闇《やみ》に|紛《まぎ》れて、|二人《ふたり》を|置去《おきざ》りにし、|何処《いづこ》ともなく|姿《すがた》を|隠《かく》したりけり。
(大正一一・二・六 旧一・一〇 河津雄録)
第六章 |火《ひ》の|玉《たま》〔三五六〕
|清彦《きよひこ》は|猿世彦《さるよひこ》、|駒山彦《こまやまひこ》の|二人《ふたり》を、|闇《やみ》の|谷間《たにま》に|置《お》き|去《ざ》りにして、|自分《じぶん》はコソコソと|谷《たに》を|降《くだ》り、|夜昼《よるひる》|大道《だいだう》を|濶歩《くわつぽ》しつつ、|智利《てる》の|都《みやこ》に|肩臂《かたひぢ》|怒《いか》らし|脚《あし》を|速《はや》めけるが、|日《ひ》も|黄昏《たそがれ》に|近《ちか》づき、|疲労《くたび》れ|果《は》てて、|路傍《ろばう》の|芝生《しばふ》に|腰《こし》|打《う》ち|掛《か》けて|独語《ひとりごと》。
『あゝあゝ、とうとう|厄介者《やつかいもの》を|撒《ま》いてやつた。この|広《ひろ》い|高砂島《たかさごじま》だ。|滅多《めつた》に|出会《でつくは》すこともあるまい。|彼奴《あいつ》ら|二人《ふたり》が|踵《つ》いて|居《ゐ》ると、|気《き》がひけて|仕方《しかた》がない。|日《ひ》の|出神《でのかみ》になりすまして|居《を》る|此《この》|方《はう》を、|清彦《きよひこ》と|云《い》ひよるものだから、せつかく|信仰《しんかう》をした|信者《しんじや》までが、|愛想《あいさう》をつかす|様《やう》な|事《こと》があつては、|百日《ひやくにち》の|説法《せつぱふ》|屁《へ》|一《ひと》つになつてしまふ。まあまあ、|是《これ》で|一《ひ》と|安心《あんしん》だ』
|夜《よる》の|帳《とばり》は|下《おろ》されて、|塒《ねぐら》に|帰《かへ》る|烏《からす》の|声《こゑ》さへも、|聞《きこ》えなくなりて|来《き》たりぬ。このとき|闇《やみ》を|縫《ぬ》うて|怪《あや》しき|声《こゑ》|聞《きこ》え|来《き》たる。|清彦《きよひこ》は|耳《みみ》を|澄《す》まして|聞《き》き|入《い》りぬ。
『|偽《にせ》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|宣伝使《せんでんし》。|俺《おい》ら|二人《ふたり》を|深山《みやま》の|奥《おく》へ、|連《つ》れて|行《い》きよつて、|闇《やみ》に|紛《まぎ》れて|駆出《かけだ》したる、|心《こころ》の|暗《くら》い、|身魂《みたま》の|悪《わる》い、|闇雲《やみくも》の|宣伝使《せんでんし》、もう|是《これ》からは|俺《おい》らは|声《こゑ》の|続《つづ》く|限《かぎ》り、|仮令《たとへ》|清彦《きよひこ》が|天《てん》を|翔《かけ》り、|地《ち》を|潜《くぐ》らうとも、|一人《ひとり》と|二人《ふたり》ぢや。|二人《ふたり》が|力《ちから》を|協《あは》して、|清彦《きよひこ》の|欠点《あら》を|剥《む》いてやらう。オーイ|智利《てる》の|都《みやこ》の|人《ひと》たちよ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|云《い》ふ|奴《やつ》が|現《あら》はれて|来《き》ても|相手《あひて》にするなよ。|彼奴《あいつ》は|山師《やまこ》だ。|偽物《にせもの》だ』
と|呶鳴《どな》りながら、|闇《やみ》を|破《やぶ》つて|行《ゆ》き|過《す》ぎる。|清彦《きよひこ》は|吐息《といき》を|漏《も》らし、
『あーあー、|悪《わる》い|虫《むし》が【ひつ】|着《つ》きよつたものだナア。|鳥黐桶《とりもちをけ》に|足《あし》を|突込《つつこ》んだとは、|此《この》|事《こと》だな。|今《いま》までの|清彦《きよひこ》なら、|彼奴《あいつ》の|声《こゑ》を|目標《めあて》に、|後《あと》から|往《い》つて、あの|禿頭《はげあたま》を|目《め》がけ、ポカンとやつてやるのだが、|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》は|何処《どこ》までも、|忍《しの》ばねばならぬ。|腹《はら》を|立《た》てて|神慮《しんりよ》に|背《そむ》き、|大事《だいじ》を|過《あやま》る|様《やう》な|事《こと》があつては、それこそ|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》に|申訳《まをしわけ》はない。|俺《おれ》がいま|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|云《い》つて、この|島《しま》へ|渡《わた》つたのも、|決《けつ》して|私《わたくし》の|為《ため》ではない。|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》が、|俺《おれ》の|霊魂《みたま》が|守護《しゆご》するから、|俺《おれ》の|代《かは》りになつて|往《ゆ》け、と|仰有《おつしや》つたからだ。それだから|自分《じぶん》が|日《ひ》の|出神《でのかみ》といつた|所《ところ》が|何《なに》が|悪《わる》からう。|清彦《きよひこ》といふ|名《な》は|世界中《せかいぢう》に、|悪《わる》い|奴《やつ》だと|響《ひび》いて|居《を》る。|何《な》んぼ|神《かみ》の|道《みち》は、|正直《しやうぢき》にしなくてはならなくつても、|一《ひと》つは|方便《はうべん》を|使《つか》はなくては、|鬼《おに》の|様《やう》に|云《い》はれた|鬼城山《きじやうざん》の|清彦《きよひこ》では、|相手《あひて》になつて|呉《く》れる|者《もの》もありやしない。それでは|人《ひと》を|改心《かいしん》さすことも、|神徳《しんとく》を|拡《ひろ》むることも、|絶対《ぜつたい》に|不可能《ふかのう》だ。|俺《おれ》の|名《な》を|聞《き》くと|泣《な》いた|児《こ》も、|泣《な》き|止《や》むといふ|位《くらゐ》、|世界《せかい》に|恐怖《こは》がられて|居《を》るのだから、|何処《どこ》までも|日《ひ》の|出神《でのかみ》で|行《ゆ》かねばならぬ。それにつけても|二人《ふたり》の|奴《やつ》、|吾々《われわれ》の|行《ゆ》く|先々《さきざき》を、|今《いま》の|様《やう》なこと|云《い》つて、|歩《ある》かれては|耐《たま》つたものぢやない。アヽ|思《おも》へば|昔《むかし》の|傷《きず》が|今《いま》に|報《むく》うて|来《き》たのか。エヽ|残念《ざんねん》なことだ』
と|思《おも》はず|大声《おほごゑ》に|叫《さけ》びゐる。|猿世彦《さるよひこ》は|小声《こごゑ》で、
『おい|駒山彦《こまやまひこ》、|的様《てきさん》の|声《こゑ》だぜ。|何処《どこ》か|此処《ここ》らに、|闇《やみ》に|紛《まぎ》れて|潜伏《せんぷく》しとるらしいぞ、|野郎《やらう》だいぶ|弱《よわ》りよつたと|見《み》えるな。おいもう|一《ひと》つ|大《おほ》きな|声《こゑ》で|呶鳴《どな》つてやろかい』
このとき|前方《ぜんぱう》より|闇《やみ》を|照《てら》して|唸《うなり》を|立《た》てながら、|此方《こなた》に|向《むか》つて|飛《と》び|来《きた》る|火《ひ》の|玉《たま》あり、|清彦《きよひこ》の|前《まへ》に|墜落《つゐらく》するよと|見《み》るまに、|清彦《きよひこ》は|闇中《あんちう》に|光《ひかり》を|現《あら》はして、|立派《りつぱ》なる|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|少《すこ》しも|違《ちが》はぬ|容貌《ようばう》と|化《くわ》したり。|二人《ふたり》は【あつ】と|云《い》つて|口《くち》を|開《あ》けたまま|其《その》|場《ば》に|倒《たふ》れける。
(大正一一・二・六 旧一・一〇 土井靖都録)
第二篇 |四十八文字《しじふはちもじ》
第七章 |蛸入道《たこにふだう》〔三五七〕
|忽《たちま》ち|暗《やみ》の|中《なか》に|光明《くわうみやう》|赫灼《かくしやく》たる|神姿《しんし》を|現《あらは》したる|清彦《きよひこ》は、|絶対《ぜつたい》|無限《むげん》の|神格《しんかく》|備《そな》はり、|仰《あふ》ぎ|見《み》るに|眼《め》も|眩《くら》むばかりに|全身《ぜんしん》|輝《かがや》き|渡《わた》りけり。
|猿世彦《さるよひこ》、|駒山彦《こまやまひこ》は、|此《この》|姿《すがた》に|慴伏《しうふく》して|〓《しば》し|息《いき》を|凝《こ》らしゐたるに、|清彦《きよひこ》の|姿《すがた》は、パツタリ|消《き》えうせ、|暗《やみ》の|中《なか》より|耳《みみ》を|裂《さ》く|如《ごと》き|大《だい》なる|声《こゑ》|聞《きこ》え|来《き》たる。
『|猿世彦《さるよひこ》、|駒山彦《こまやまひこ》、よく|聞《き》けよ。|吾《われ》は|汝《なんぢ》の|知《し》る|如《ごと》く、|今《いま》までは|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》の|霊魂《みたま》に|誑《たぶら》かされ、|曲事《まがごと》のあらむ|限《かぎ》りを|尽《つ》くしたることは、|汝《なんぢ》らの|熟知《じゆくち》する|通《とほ》りなり。|然《さ》れど|吾《われ》は|三五教《あななひけう》の|大慈悲《だいじひ》の|神《かみ》の|教《をしへ》を|聞《き》きてより、|今《いま》までの|吾身《わがみ》の|為《な》し|来《きた》りし|事《こと》が|恐《おそ》ろしく|且《か》つ|恥《はづか》しくなり、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|後《あと》を|追《お》ひ、|真人間《まにんげん》に|成《な》つて|今《いま》までの|悪《あく》に|引《ひき》かへ、|善一筋《ぜんひとすぢ》の|行《おこな》ひをなさむ、|悪《あく》も|改心《かいしん》すれば|此《この》|通《とほ》りといふ|模範《もはん》を、|天下《てんか》に|示《しめ》すべく|日夜《にちや》、|神《かみ》に|祈《いの》りゐたるに、|神《かみ》の|恵《めぐ》みは|目《め》の|当《あた》り、|不思議《ふしぎ》にも|名《な》さへ|目出度《めでた》き|朝日丸《あさひまる》に|乗《の》り|込《こ》み、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》に|廻《めぐ》り|会《あ》ひ、|結構《けつこう》な|教訓《けうくん》を|賜《たまは》りてより、|吾《わが》|霊魂《みたま》は、|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》され、|今《いま》は|清《きよ》き|清彦《きよひこ》が|霊魂《れいこん》になつて|世界《せかい》の|暗《やみ》を|照《てら》す|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御名代《ごみやうだい》、|汝《なんぢ》ら|二人《ふたり》は|吾《わが》|改心《かいしん》を|手本《てほん》として、|一時《いちじ》も|早《はや》く|片時《かたとき》も|速《すみや》かに|悪《あく》を|悔《く》い、|善《ぜん》に|立帰《たちかへ》り、|世界《せかい》の|鏡《かがみ》と|謳《うた》はれて、|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|神業《かむわざ》に|参加《さんか》せよ。|汝《なんぢ》の|改心《かいしん》|次第《しだい》によつて、|吾《われ》は|再会《さいくわい》することあらむ。|汝《なんぢ》らが|心《こころ》の|雲《くも》に|隔《へだ》てられ、|遺憾《ゐかん》ながら、|吾《わが》|姿《すがた》を|汝《なんぢ》らの|目《め》に|現《あら》はすことは|出来《でき》なくなりしぞ。|駒山彦《こまやまひこ》、|猿世彦《さるよひこ》、さらば』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|又《また》もや|四辺《あたり》を|照《てら》す|大火光《だいくわくわう》となりて|中空《ちうくう》に|舞上《まひあが》り、|智利《てる》の|都《みやこ》を|指《さ》して|中空《ちうくう》をかすめ|飛去《とびさ》りける。
|猿世彦《さるよひこ》『オイ|駒公《こまこう》、|本当《ほんたう》に|清彦《きよひこ》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》となりよつたな。もうこれから|清彦《きよひこ》の|悪口《わるくち》は|止《や》めにしようかい。|吾々《われわれ》を|山《やま》の|奥《おく》へ|連《つ》れて|行《ゆ》きよつて、|放《ほつ》とけ|捨《ぼり》を|喰《く》はした|腹立《はらだち》まぎれに|心《こころ》を|鬼《おに》にして、|何処《どこ》までも|邪魔《じやま》をしてやらうと|思《おも》つたが、たうてい|悪《あく》は|永続《ながつづ》きはせないよ。お|前《まへ》と|俺《おれ》とが|船《ふね》の|中《なか》で、あれだけ|拳骨《げんこつ》を|喰《くら》はしてやつても、|俺《おれ》の|体《からだ》は|鉄《てつ》じやといひよつて、|痛《いた》いのを|辛抱《しんばう》して|馬鹿口《ばかぐち》を|叩《たた》いて|笑《わら》ひに|紛《まぎ》らして|居《ゐ》たのは、|一通《ひととほ》りの|忍耐力《にんたいりよく》ではないよ。|思《おも》へば|馬鹿《ばか》な|事《こと》を|吾々《われわれ》はしたものだナ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》はあの|時《とき》に|俺《おい》らの|行《おこな》ひを|見《み》て、|何《なん》と|端《はし》たない|奴《やつ》だ、|訳《わけ》の|判《わか》らぬ|馬鹿者《ばかもの》だと|心《こころ》の|中《なか》で|思《おも》つて|御座《ござ》つたぢやらう。|俺《おれ》はソンナ|事《こと》を|思《おも》ひだすと|情《なさけ》|無《な》くなつて|消《き》えたい|様《やう》になつて|来《く》るわ』
|駒山彦《こまやまひこ》『それならこれから|何《ど》うすると|云《い》ふのだイ』
|猿世彦《さるよひこ》『まあ、|改心《かいしん》より|仕方《しかた》が|無《な》いな。|清彦《きよひこ》のやうにああ|云《い》ふ|立派《りつぱ》な|日《ひ》の|出神《でのかみ》になれなくても、せめて|曲《まが》りなりにでも|宣伝使《せんでんし》になつて、|今《いま》までの|罪《つみ》を|贖《あがな》ひ、|身魂《みたま》を|研《みが》いて、|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|神業《かむわざ》に|参加《さんか》したいものだ。どうで【トコトン】の|改心《かいしん》は|出来《でき》はしないが、せめて|悪口《わるくち》なと|云《い》はないやうにして、|世界《せかい》を|助《たす》けに|廻《まは》らうじやないか。|而《さう》して|一《ひと》つの|功《こう》が|立《たつ》たら|又《また》|清彦《きよひこ》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|会《あ》うてくれるだらう。その|時《とき》には|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》だ、|天《あめ》の|御柱《みはしら》の|神《かみ》の|片腕《かたうで》に|成《な》つて|働《はたら》かうと|儘《まま》だよ。|是《これ》から|各自《めいめい》に|一人《ひとり》|宛《づつ》|宣伝《せんでん》する|事《こと》にしようかい』
|駒山彦《こまやまひこ》『よからう よからう』
と|二人《ふたり》は|茲《ここ》に|袂《たもと》を|別《わか》ち、|何処《いづこ》とも|無《な》く|足《あし》に|任《まか》せて|宣伝歌《せんでんか》を|覚束《おぼつか》|無《な》げに|歌《うた》ひながら、|進《すす》み|行《ゆ》く。|夜《よ》は|仄々《ほのぼの》と|白《しろ》み|初《そ》めぬ。|猿世彦《さるよひこ》は|南《みなみ》へ、|駒山彦《こまやまひこ》は|北《きた》へ|北《きた》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。
|猿世彦《さるよひこ》は|光《ひか》つた|頭《あたま》から|湯気《ゆげ》を|立《た》てながら、|力《ちから》|一《いつ》ぱい|癇声《かんごゑ》を|振搾《ふりしぼ》つて|海辺《うみべ》の|村々《むらむら》を|歌《うた》つて|行《ゆ》く。ある|漁夫町《りようしまち》に|着《つ》きけるに、|四五人《しごにん》の|漁夫《りようし》は|猿世彦《さるよひこ》の|奇妙《きめう》な|姿《すがた》を|見《み》て、
|甲《かふ》『オイ、|此《この》|間《あひだ》からの|風《かぜ》の|塩梅《あんばい》で|漁《りよう》が|無《な》い|無《な》いと|云《い》つて、お|前《まへ》たちは|悔《くや》みてゐるが、|天道《てんだう》は|人《ひと》を|殺《ころ》さずだ。あれ|見《み》よ、|大《おほ》きな|章魚《たこ》が|一疋《いつぴき》|歩《ある》いて|来《く》るわ。あれでも|生捕《いけど》つて|料理《れうり》をしたら|何《ど》うだらうかナア』
|乙《おつ》『シーツ、|高《たか》うは|云《い》はれぬ、|聞《き》いて|居《ゐ》るぞ。|聞《きこ》えたら|逃《に》げるぞ|逃《に》げるぞ』
|甲《かふ》『|章魚《たこ》に|聞《きこ》えてたまるかい。なんぼ|云《い》ふても|聞《き》かぬ|奴《やつ》は、|彼奴《あいつ》は|耳《みみ》が|蛸《たこ》になつたと|云《い》ふだろ、かまはぬかまはぬ|大《おほ》きな|声《こゑ》で|話《はな》せ|話《はな》せ。オイ、そこへ|来《く》る|蛸入道《たこにふだう》、|俺《おれ》はな、|此《この》|村《むら》の|漁夫《りようし》だが、|此《この》|間《あひだ》から|漁《りよう》が|無《な》くて|困《こま》つて|居《ゐ》たのだ。|貴様《きさま》の|蛸《たこ》のやうな|頭《あたま》を|俺《おれ》に|呉《く》れないかイ』
|猿世彦《さるよひこ》『あゝあなた|方《がた》は|此処《ここ》の|漁夫《りようし》さまですか。|蛸《たこ》は|上《あ》げたいは|山々《やまやま》ですが、|一《ひと》つよりかけがへの|無《な》いこの|蛸頭《たこあたま》、|残念《ざんねん》ながら|御上《おあ》げ|申《まを》す|訳《わけ》には|行《ゆ》きませぬ』
|丙《へい》『なにをぐづぐづ|云《い》ふのだイ。|聞《き》かな|聞《き》かぬで|好《よ》い、|与《く》れな|与《く》れぬで|好《よ》い。|皆《みな》|寄《よ》つてたかつて、|蛸《たこ》を|釣《つ》つてやるぞ』
|猿世彦《さるよひこ》『それは|結構《けつこう》です。|各自《めいめい》に|御釣《おつ》りなさい。|蛸《たこ》が|釣《つ》れるやうに|祈《いの》つて|上《あ》げますから』
|甲《かふ》『お|前《まへ》さまが|祈《いの》る。これ|丈《だけ》とれぬ|蛸《たこ》が|釣《つ》れますかい』
|猿世彦《さるよひこ》『|釣《つ》れいでか、そこが|神《かみ》さまだ。|釣《つ》るのが|邪魔《じやま》|臭《くさ》ければ、お|前《まへ》さまも、わしの|云《い》ふやうに、|声《こゑ》を|合《あは》して|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひなさい。|蛸《たこ》はヌラヌラと|海《うみ》から|勝手《かつて》に|這上《はいあが》つて、お|前《まへ》さまの|持《も》つて|居《を》る|笊《ざる》の|中《なか》に|這入《はい》つて|呉《く》れる。そこを|蓋《ふた》を|閉《しめ》て|家《いへ》へ|持《も》つて|帰《かへ》るのだ』
|猿世彦《さるよひこ》は、|口《くち》から|出《で》まかせに、コンナ|事《こと》を|云《い》つてしまひける。
|乙《おつ》『おい、|蛸《たこ》の|親方《おやかた》、|本当《ほんたう》にお|前《まへ》の|云《い》ふ|通《とほ》りにすれば、|蛸《たこ》は|上《あが》つて|来《く》るかい』
|甲《かふ》『そら、きまつた|事《こと》だよ。|何分《なにぶん》|親分《おやぶん》が|云《い》はつしやるのだもの、|乾児《こぶん》が|出《で》て|来《こ》ぬ|事《こと》があるかい。|夫《そ》れだから|貴様《きさま》|達《たち》もこの|親分《おやぶん》の|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》けと|云《い》ふのだ。|俺《おれ》が|呼《よ》んでも|来《き》たり|来《こ》なかつたり、|貴様《きさま》らは|不心得《ふこころえ》な|奴《やつ》だぞ。もしもし|蛸《たこ》の|親方《おやかた》、|蛸《たこ》を|呼《よ》んで|下《くだ》さいな』
|猿世彦《さるよひこ》は|海面《かいめん》に|向《むか》ひ、|疳声《かんごゑ》を|搾《しぼ》りながら、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。|漁夫《りようし》はその|後《あと》について|合唱《がつしやう》した。|海面《かいめん》には|処々《ところどころ》に|丸《まる》い|渦《うづ》を|描《ゑが》いて、|蛸入道《たこにふだう》の|頭《あたま》がポコポコと|顕《あら》はれて|来《き》た。|猿世彦《さるよひこ》は、
『|来《きた》れ |来《きた》れ』
と|蛸《たこ》に|向《む》かつて|麾《さしまね》いた。|蛸《たこ》はその|声《こゑ》の|終《をは》ると|共《とも》に、|笊《ざる》の|中《なか》に|数限《かずかぎ》りなく|飛《と》び|込《こ》みけり。このこと|漁夫《りようし》|仲間《なかま》の|評判《ひやうばん》と|成《な》りて、|猿世彦《さるよひこ》を|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|尊敬《そんけい》する|事《こと》となりぬ。それより|此《この》|漁村《ぎよそん》は、|蛸取村《たことりむら》と|名付《なづ》けられたり。
|蛸取村《たことりむら》より|数十町《すうじつちやう》|西方《せいはう》に|当《あた》つて、アリナの|滝《たき》と|云《い》ふ|大瀑布《だいばくふ》あり。|猿世彦《さるよひこ》は|其処《そこ》に|小《ちい》さき|庵《いほり》を|結《むす》び、この|地方《ちはう》の|人々《ひとびと》に|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|宣伝《せんでん》する|事《こと》となりける。
(大正一一・二・六 旧一・一〇 有田九皐録)
第八章 |改心《かいしん》|祈願《きぐわん》〔三五八〕
|漁夫《りようし》は|猿世彦《さるよひこ》の|言霊《ことたま》に|依《よ》つて、|蛸《たこ》の|意外《いぐわい》なる|収獲《しうくわく》を|得《え》、|今迄《いままで》|軽侮《けいぶ》の|念《ねん》を|以《もつ》て|遇《ぐう》して|居《ゐ》た|猿世彦《さるよひこ》に|対《たい》し、|尊信《そんしん》|畏敬《ゐけい》の|態度《たいど》を|以《もつ》て|望《のぞ》むことになり、【アリナ】の|滝《たき》に|草庵《さうあん》を|結《むす》び|猿世彦《さるよひこ》の|住家《すみか》となし、|尊敬《そんけい》の|念《ねん》を|払《はら》ひ|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》に|悦服《えつぷく》したり。されど|俄《にはか》|宣伝使《せんでんし》の|猿世彦《さるよひこ》は|未《いま》だ|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》には|徹底《てつてい》しをらず、|只《ただ》|神《かみ》を|祈《いの》ることのみは|一生懸命《いつしやうけんめい》なりき。|夫故《それゆゑ》|平然《へいぜん》として|彼《かれ》が|説《と》く|所《ところ》の|教理《けうり》は|矛盾《むじゆん》|脱線《だつせん》に|満《み》ち|居《ゐ》たれども、|誠《まこと》の|神《かみ》は|彼《かれ》が|熱心《ねつしん》に|感《かん》じて|神徳《しんとく》を|授《さづ》けられたるなり。
この|村《むら》は|無智《むち》|朴訥《ぼくとく》なる|漁夫《りようし》のみなれば、|余《あま》り|高遠《かうゑん》なる|教理《けうり》を|説《と》くの|必要《ひつえう》も|無《な》く、また|漁夫《りようし》どもは|神《かみ》を|祈《いの》りて|豊《ゆたか》な|漁《りよう》を|与《あた》へて|貰《もら》ふ|事《こと》のみを|信仰《しんかう》の|基礎《どだい》として|居《ゐ》たり。|然《しか》し|掃溜《はきだめ》にも|金玉《きんぎよく》あり、|雀原《すずめばら》にも|鶴《つる》の|降《お》りて|遊《あそ》ぶが|如《ごと》く、|此《この》|村《むら》の|酋長《しうちやう》に|照彦《てるひこ》と|云《い》ふ|立派《りつぱ》な|男《をとこ》ありけり。|彼《かれ》は|猿世彦《さるよひこ》の|熱誠《ねつせい》なる|祈祷《きたう》の|効力《かうりよく》に|感《かん》じ、|歌《うた》を|作《つく》つて|之《これ》を|讃美《さんび》したりける。
|朝日《あさひ》|眩《まば》ゆき|智利《てる》の|国《くに》 |御空《みそら》の|月《つき》も|智利《てる》の|国《くに》
|猿世《さるよ》の|頭《あたま》も|照《てる》の|国《くに》 |昼《ひる》は|日照《ひてる》の|神《かみ》となり
|夜《よる》は|月照彦《つきてるひこ》となり |吾《われ》らを|照《て》らす|宣伝使《せんでんし》
かかる|尊《たふと》き|救《すく》ひ|宣使《がみ》 |又《また》と【アリナ】の|滝《たき》の|如《ごと》
|其《その》|名《な》は|四方《よも》に|響《ひび》くなり |其《その》|名《な》は|四方《よも》に|響《ひび》くなり。
と|村人《むらびと》に|歌《うた》はせたり。|猿世彦《さるよひこ》は|得意《とくい》|満面《まんめん》に|溢《あふ》れ、|天晴《あつぱ》れ|宣伝使《せんでんし》となりすまし、|法外《はふはづ》れの|教理《けうり》を|説《と》きゐたり。|然《さ》れど|朴訥《ぼくとく》なる|村人《むらびと》は|誠《まこと》の|神《かみ》の|尊《たふと》き|教《をしへ》と|堅《かた》く|信《しん》じ、|涙《なみだ》を|流《なが》して|悦《よろこ》び、|信仰《しんかう》を|怠《おこた》らざりける。
【アリナ】の|滝《たき》より|数町《すうちやう》|奥《おく》に|不思議《ふしぎ》なる|巌窟《がんくつ》あり。|巌窟《がんくつ》の|中《なか》には|直径《ちよくけい》|一丈《いちぢやう》ばかりの|円《まる》き|池《いけ》あり、|清鮮《せいせん》の|水《みづ》を|湛《たた》へ、|村人《むらびと》は|之《これ》を|鏡《かがみ》の|池《いけ》と|命名《なづ》け|居《ゐ》たり。|猿世彦《さるよひこ》は|村人《むらびと》をあまた|随《したが》へ、この|鏡《かがみ》の|池《いけ》に|禊《みそぎ》を|成《な》さむと|進《すす》み|行《ゆ》きぬ。まづ|酋長《しうちやう》の|照彦《てるひこ》に|鏡《かがみ》の|池《いけ》の|水《みづ》を|掬《すく》つて|洗礼《せんれい》を|施《ほどこ》し、|次々《つぎつぎ》に|之《これ》を|手《て》に|掬《すく》ひ、|老若男女《らうにやくなんによ》に|向《むか》ひ|一々《いちいち》|洗礼《せんれい》を|施《ほどこ》し、この|巌窟《がんくつ》の|鏡《かがみ》の|池《いけ》に|向《むか》つて|祈願《きぐわん》を|籠《こ》めにける。
『|嗚呼《ああ》|天地《てんち》を|御造《おつく》り|遊《あそ》ばした|国治立《くにはるたち》の|大神様《おほかみさま》、|太陽《たいやう》の|如《ごと》く|月《つき》の|如《ごと》く|鏡《かがみ》の|如《ごと》く、|円《まる》く|清《きよ》らかなる|此《この》|鏡《かがみ》の|池《いけ》の|水晶《すゐしやう》の|御水《おみづ》の|如《ごと》く、|酋長《しうちやう》を|始《はじ》めその|他《た》の|老若男女《らうにやくなんによ》の|身魂《みたま》を|清《きよ》く|研《みが》かせ|玉《たま》うて、|此《この》|水《みづ》の|千代《ちよ》に|万代《よろづよ》に|涸《かれ》ざる|如《ごと》く、|清《きよ》き|信仰《しんかう》を|何処《どこ》までも|繋《つな》がせ|玉《たま》ひて、|神様《かみさま》の|御膝下《おひざもと》に|救《すく》はれます|様《やう》に、|又《また》この|尊《たふと》き、|清《きよ》き|御水《おみづ》を|鏡《かがみ》として、|吾々《われわれ》はじめ|各自《めいめい》のものが|何時《いつ》までも|心《こころ》を|濁《にご》しませぬやうに、|御守《おまも》り|下《くだ》さいますやう|御願《おねが》ひ|致《いた》します。|私《わたくし》は|今日《けふ》まで|鬼城山《きじやうざん》に|立籠《たてこも》り、|木常姫《こつねひめ》と|共々《ともども》に|大神様《おほかみさま》の|御神業《ごしんげふ》を|力《ちから》|限《かぎ》り、|根《こん》|限《かぎ》り|妨害《ばうがい》|致《いた》しました|其《その》|罪《つみ》は、|天《てん》よりも|高《たか》く、|千尋《ちひろ》の|海《うみ》よりもまだ|深《ふか》いもので|御座《ござ》います。|然《しか》るに|貴方様《あなたさま》は|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|大御心《おほみこころ》を|以《もつ》て、|吾々《われわれ》の|如《ごと》き|大罪人《だいざいにん》に|対《たい》し|満腔《まんこう》の|涙《なみだ》を|御注《おそそ》ぎ|下《くだ》さいまして、|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|天教山《てんけうざん》の|猛火《まうくわ》の|中《なか》に|御身《おんみ》を|投《とう》じ|玉《たま》うたことを|承《うけたま》はりました。|其《その》|事《こと》を|聞《き》きましてから|私《わたくし》は、|昔《むかし》の|悪事《あくじ》を|思《おも》ひだし、|起《た》つても|坐《ゐ》ても|居《を》れぬやうな|心持《こころもち》になりました。|嗚呼《ああ》|一日《いちにち》も|早《はや》く|改心《かいしん》したいと|思《おも》ひますと、|私《わたくし》の|腹《はら》の|中《なか》から|悪魔《あくま》が「|馬鹿々々《ばかばか》、|何《なに》をソンナ|弱《よわ》い|事《こと》を|思《おも》ふか」と|叱《しか》りますので、【つい】ウロウロと|魂《たましひ》が|迷《まよ》ひ、|心《こころ》ならぬ|月日《つきひ》を|送《おく》つて|居《を》りました。|偶《たまたま》|私《わたくし》は|常世《とこよ》の|国《くに》を|逃出《にげだ》して、|筑紫《つくし》の|島《しま》を|彼方《あちら》|此方《こちら》と|彷徨《さまよ》ふ|内《うち》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|云《い》ふ|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》が、|智利《てる》の|都《みやこ》へ|御出《おい》で|遊《あそ》ばしたと|聞《き》いて、|朝日丸《あさひまる》に|乗《の》つて|此処《ここ》へ|渡《わた》ります|其《その》|船《ふね》の|中《なか》に、|有難《ありがた》くも|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》が|乗《の》つて|居《を》られ、いろいろ|結構《けつこう》な|御話《おはなし》を|聞《き》かして|下《くだ》さいました。|之《これ》も|全《まつた》く|貴方様《あなたさま》の|御引合《おひきあは》せと|有難《ありがた》く|感謝《かんしや》を|致《いた》します。|此《こ》の|清《きよ》き|鏡《かがみ》の|池《いけ》の|水《みづ》は、|円満《ゑんまん》なる|大神様《おほかみさま》の|大御心《おほみこころ》でありませう。この|滾々《こんこん》として|湧《わ》き|出《い》づる|清《きよ》き|水《みづ》は、|大神様《おほかみさま》の|吾《われ》らを|憐《あは》れみ|玉《たま》ふ|涙《なみだ》の|集《あつ》まりでありませう。|此《この》|水《みづ》の|清《きよ》きは、|大神様《おほかみさま》の|血潮《ちしほ》でありませう。|願《ねが》はくば|永遠《ゑいゑん》に|吾《われ》らの|魂《たましひ》を、|此《この》|鏡《かがみ》の|池《いけ》の|円満《ゑんまん》なるが|如《ごと》く、|清麗《せいれい》なるが|如《ごと》く|守《まも》らせ|玉《たま》はむ|事《こと》を、|村人《むらびと》と|共《とも》に|御願《おねが》ひ|致《いた》します。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|真心《まごころ》を|籠《こ》めて|祈願《きぐわん》したり。|数多《あまた》の|人々《ひとびと》も|異口同音《いくどうおん》に、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》を|唱《とな》へて|神徳《しんとく》を|讃美《さんび》したりけり。
(大正一一・二・六 旧一・一〇 森良仁録)
第九章 |鏡《かがみ》の|池《いけ》〔三五九〕
|猿世彦《さるよひこ》はアリナの|滝《たき》に|身《み》を|清《きよ》め、この|巌窟《がんくつ》の|鏡《かがみ》の|池《いけ》に|禊《みそぎ》をなし|洗礼《せんれい》を|施《ほどこ》しゐたり。|猿世彦《さるよひこ》は|名《な》を|狭依彦《さよりひこ》と|改《あらた》めける。|狭依彦《さよりひこ》の|名《な》は|遠近《ゑんきん》に|轟《とどろ》きわたり、|洗礼《せんれい》を|受《う》けに|来《く》るもの、|教理《けうり》を|尋《たづ》ねに|来《く》るもの|続々《ぞくぞく》|殖《ふ》え|来《き》たりぬ。|元来《ぐわんらい》|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》は、|船《ふね》の|中《なか》にて|聞《き》き|囓《かじ》りの|俄宣伝使《にはかせんでんし》なりければ、|深《ふか》き|事《こと》は|分《わか》らず。されど|苟《いやし》くも|宣伝使《せんでんし》たるもの、|知《し》らぬとは|云《い》はれざれば|夜昼《よるひる》|鏡《かがみ》の|池《いけ》に|祈願《きぐわん》を|籠《こ》め、|曲《まが》りなりにも|説教《せつけう》を|始《はじ》め|居《ゐ》たりける。
このとき|黒彦《くろひこ》と|云《い》ふ|色《いろ》の|浅黒《あさぐろ》き|眼《め》の【くるり】とした|鼻《はな》の|小高《こだか》く|口許《くちもと》の|締《しま》りし|中肉中背《ちうにくちうぜい》の|男《をとこ》、|大勢《おほぜい》の|信者《しんじや》の|中《なか》より|現《あら》はれて|質問《しつもん》を|始《はじ》めたりける。
|黒彦《くろひこ》『もしもし|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|貴方《あなた》は|宇宙《うちう》|一切《いつさい》の|事《こと》は|何《なん》でも|言霊《ことたま》で|解決《かいけつ》を|与《あた》へると|仰有《おつしや》つたさうですが、|一《ひと》つ|聞《き》かして|頂《いただ》きたいですが|何《なに》をお|尋《たづ》ねしても|構《かま》ひませぬか』
|狭依彦《さよりひこ》『|我《われ》は|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》、ドンナ|事《こと》でも|知《し》らない|事《こと》は|無《な》い|事《こと》は|無《な》い』
|黒彦《くろひこ》『|曖昧《あいまい》な|御言葉《おことば》ですな、|知《し》つてるのですか、|知《し》らぬのですか』
|狭依彦《さよりひこ》『ドンナ|事《こと》でも、|知《し》る|事《こと》は|知《し》る、|知《し》らぬ|事《こと》は|無《な》い|事《こと》は|無《な》い。|何《なん》なつと|聞《き》かつしやれ』
|黒彦《くろひこ》『|一寸《ちよつと》お|尋《たづ》ねしますが、あの|蕎麦《そば》は|何《なん》で|蕎麦《そば》と|云《い》ふのですか』
|狭依彦《さよりひこ》『お|前《まへ》の|内《うち》に|作《つく》つてゐませぬか。|雪隠《せつちん》の|傍《そば》や、|山《やま》の|側《そば》や、|畑《はたけ》の|側《そば》や|其辺中《そこらぢう》の|側《そば》に|生《は》えてるだらう、それで|蕎麦《そば》と|云《い》ふのだよ』
|黒彦《くろひこ》『|貴方《あなた》の|仰有《おつしや》る|事《こと》は【チツト】|違《ちが》ひはしませぬか、|此間《こないだ》も|大中教《だいちうけう》の|宣伝使《せんでんし》が|遣《や》つて|来《き》て、|蕎麦《そば》と|言《い》ふものは、|昔《むかし》の|昔《むかし》の【ズツト】|昔《むかし》の|其《その》|昔《むかし》、|天《てん》の|御三体《ごさんたい》の|大神様《おほかみさま》が|柱《はしら》の|無《な》い|屋根《やね》ばかりの|三角形《さんかくけい》の|家《いへ》を|造《つく》つて、|其処《そこ》へお|住居《すまゐ》を|遊《あそ》ばした。|其《その》|家《いへ》の|側《そば》に|出来《でき》たので|蕎麦《そば》と|云《い》ふのです。それで|屋根《やね》の|形《かたち》に|蕎麦《そば》は|三角《さんかく》になつてるだらう、お|前達《まへたち》の|雪隠《せつちん》の|側《そば》にも、|家《いへ》の|側《そば》にも|出来《でき》てるではないか。|側《そば》に|居《を》りながら|貴様《きさま》は|余《よ》つ|程《ぽど》【|饂飩《うどん》】な|奴《やつ》だと|云《い》ひましたよ』
|狭依彦《さよりひこ》『あゝお|前《まへ》さまはウラル|彦《ひこ》の|教《をしへ》を|奉《ほう》ずる|人《ひと》だな』
|黒彦《くろひこ》『|尤《もつとも》だ、|何《なん》でも|世界《せかい》の|事《こと》は|皆《みな》|知《し》つてるとか、|知《し》らぬとか、|蕎麦《そば》を|掻《か》いて|喰《く》ふ|様《やう》な|法螺《ほら》を|吹《ふ》いて、|側《そば》の|人間《にんげん》を【あつと】|云《い》はさうと|思《おも》つても、さうはいかぬぞえ。お|前達《まへたち》の|様《やう》なものが|宣伝使《せんでんし》になつて|居《を》つては、|薩張《さつぱ》り|宣伝使《せんでんし》の|相場《さうば》が|狂《くる》つて|仕舞《しま》ふワ。|馬鹿々々《ばかばか》しい』
|狭依彦《さよりひこ》『それならお|前《まへ》さま、|大中教《だいちうけう》の|宣伝《せんでん》をやつて|下《くだ》さい。|貴方《あなた》の|仰有《おつしや》る|事《こと》が|理屈《りくつ》に|合《あ》うてゐるなら|私《わたくし》は|大中教《だいちうけう》に|従《したが》ひます。それなら、|此方《こちら》からお|尋《たづ》ねするが|黍《きび》と|云《い》ふのはどう|云《い》ふ|処《ところ》から|名《な》が|附《つ》いたのですか』
|黒彦《くろひこ》『|黍《きび》の|穂《ほ》は|気味《きび》が|良《い》いほど|実《み》がなるから|黍《きび》だ。【ずる】|黍《きび》は|手《て》に|撫《な》でて|見《み》ると【ズルズル】するから、【ずる】|黍《きび》だ。|大根《だいこ》は|神《かみ》さまの|大好物《だいかうぶつ》だから|大根《だいこ》と|云《い》ふのだ。|蕪《かぶら》は|余《あんま》り|味《あぢ》が|良《よ》いから、【オイ】|一《ひと》つお|前《まへ》も【かぶら】ぬかと|云《い》うて、つき|出《だ》すから|蕪《かぶら》と|云《い》ふのだ。|米《こめ》の|炊《た》いたのは|美味《うま》いから、|子供《こども》が|食《く》つても【ウマウマ】と|云《い》ふから【ママ】と|云《い》ふのだ。さあさあ|何《なん》でも|聞《き》いたり|聞《き》いたり』
|狭依彦《さよりひこ》は|一寸《ちよつと》|感心《かんしん》したやうな|顔《かほ》して|首《くび》を|傾《かたむ》け、
|狭依彦《さよりひこ》『へえ、ソンナものですか、それは|結構《けつこう》な|事《こと》を|聞《き》きました。|私《わたくし》もコンナ|話《はなし》は|大好物《だいかうぶつ》で|気味《きび》が|宜《よろ》しい』
と|下《くだ》らぬ|理屈《りくつ》に|感心《かんしん》をしてゐる。
|鏡《かがみ》の|池《いけ》の|水《みづ》は|俄《にはか》に【ブクブク】と|泡立《あわた》ち|初《はじ》め、そして|水《みづ》の|中《なか》から|竹筒《たけづつ》を|吹《ふ》く|様《やう》な|声《こゑ》がして、
『|卑《いや》しい|奴《やつ》らだ。|喰物《くひもの》ばかりの|問答《もんだふ》をしよつて|気味《きび》が|良《よ》いから|黍《きび》だの、|大好物《だいかうぶつ》だから|大根《だいこ》だの、|召《め》し|上《あが》れの、【うまうま】のと、|何《なん》と|言《い》ふ|喰《く》ひ|違《ちが》ひの|事《こと》を|申《まを》すか。やり|直《なほ》せ、|宣《の》り|直《なほ》せ、オーン、ボロボロボロ』
|狭依彦《さよりひこ》『いや|大変《たいへん》だ。|池《いけ》の|中《なか》からものを|云《い》ひだしたぞ。|何《なん》でも|之《これ》は|教《をし》へて|呉《く》れるに|違《ちが》ひ|無《な》い。おい|黒《くろ》さま、お|前《まへ》に|用《よう》は|無《な》い。|俺《わし》は|此《この》|池《いけ》を|鑑《かがみ》として|之《これ》から|何《なん》でも|聞《き》くのだ。もしもし|鏡《かがみ》の|池《いけ》の|神《かみ》さま、|之《これ》からコンナ|奴《やつ》が|来《き》たら|直《すぐ》に|私《わたくし》に|教《をし》へて|下《くだ》されや』
|池《いけ》の|中《なか》から|竹筒《たけづつ》を|吹《ふ》く|様《やう》な|声《こゑ》で、
『|黒彦《くろひこ》に|教《をし》へて|貰《もら》へ』
|狭依彦《さよりひこ》『やあ、こいつは|堪《たま》らぬ、|偉《えら》い|事《こと》を|仰有《おつしや》る。|矢張《やつぱ》り|黒彦《くろひこ》が|偉《えら》いかしら、モシモシ|黒彦《くろひこ》さまお|尋《たづ》ね|致《いた》します。|私《わたくし》の|頭《あたま》は|如何《どう》したら|毛《け》が|生《は》えますか』
|黒彦《くろひこ》『それあ、|生《は》えるとも、|一篇《いつぺん》|芝《しば》を|冠《かぶ》つて|来《き》たら|生《は》える』
|狭依彦《さよりひこ》『ソンナ|事《こと》は、きまつてる。|此《この》|儘《まま》|生《は》えぬかと|頼《たの》むのだ』
|黒彦《くろひこ》『|瓢箪《へうたん》に|毛《け》が|生《は》えたらお|前《まへ》さまの|頭《あたま》にも|毛《け》が|生《は》えるよ。|枯木《かれき》に|花《はな》が|咲《さ》くか、|煎豆《いりまめ》に|花《はな》が|咲《さ》いたら|其《その》|時《とき》はお|前《まへ》の|頭《あたま》に|毛《け》が|生《は》えるのだよ。|三五教《あななひけう》では|煎豆《いりまめ》に|花《はな》が|咲《さ》くと|云《い》ふではないか』
|狭依彦《さよりひこ》『もう|宜《よろ》しい、|何《なん》にもお|尋《たづ》ねしませぬ。|口《くち》|計《ばか》り|矢釜《やかま》しい、|雀《すずめ》の|様《やう》に|云《い》うて|何《なん》にも|知《し》りはせぬ|癖《くせ》に|偉《えら》さうに|言《い》ふない』
|黒彦《くろひこ》『|俺《わし》を|雀《すずめ》と|云《い》うたが、|雀《すずめ》の|因縁《いんねん》|知《し》つてるか』
|狭依彦《さよりひこ》『|知《し》つとらいでか、|鈴《すず》の|様《やう》に|矢釜《やかま》しく|囀《さへづ》るから|雀《すずめ》だよ。|四十雀《しじふがら》の|様《やう》に、|始終《しじう》【ガラガラ】|吐《ぬ》かしよつてな』
|黒彦《くろひこ》『ソンナラ|鷹《たか》の|因縁《いんねん》|知《し》つてるか』
|狭依彦《さよりひこ》『|高《たか》い|処《ところ》へ|飛《と》ぶから|鷹《たか》だ。そこら|中《ぢう》を|飛《と》び|廻《まは》るから|鳶《とび》と|云《い》ふのだ』
|黒彦《くろひこ》『ソンナラ|雲雀《ひばり》は|如何《どう》だ』
|狭依彦《さよりひこ》『|高《たか》い|処《ところ》へ|上《あが》り|上《あが》つて|告天子《こくてんし》と|云《い》つて|威張《ゐば》り|散《ち》らすから|雲雀《いばり》と|云《い》ふのだ。|雲雀《うんじやく》|何《な》んぞ|大鵬《たいほう》の|志《こころざし》を|知《し》らむやと|云《い》ふのはお|前達《まへたち》の|事《こと》だよ。|解《と》く|位《くらゐ》の|事《こと》なら|何《なん》でも|講釈《かうしやく》してやる。|朝《あさ》も|早《はや》うから【ガアガア】|鳴《な》きたてる、|日《ひ》の|暮《くれ》に|又《また》ガアガア|声《こゑ》を|嗄《か》らして|鳴《な》く|奴《やつ》を|声《こゑ》を|烏《からす》と|云《い》ふのだ。|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》には|一《ひと》つも|穴《あな》が|無《な》からうがな』
としたり|顔《がほ》に|云《い》ふ。
またもや|鏡《かがみ》の|池《いけ》はブクブクと|泡《あわ》が|立《た》つて、|前《まへ》の|様《やう》な|拍子《へうし》|抜《ぬ》けのした|声《こゑ》で、
『お|前達《まへたち》は【とり】どりの|講釈《かうしやく》を|致《いた》すが、どえらい【とり】|違《ちが》ひだよ。もつと|心《こころ》を【とり】|直《なほ》したが|良《よ》からう。ブーツブーツ』
と|法螺貝《ほらがひ》の|様《やう》な|唸《うな》り|声《ごゑ》が|聞《きこ》え|来《き》たる。
|黒彦《くろひこ》『|此奴《こいつ》は|堪《たま》らぬ、|化物《ばけもの》だ。|何《なに》が|飛《と》び|出《で》るか|分《わか》りやせぬ。|皆《みな》の|者《もの》|逃《に》げろ|逃《に》げろ』
と|尻《しり》|引《ひ》つ|紮《から》げて|一目散《いちもくさん》に|逃《に》げ|出《だ》したり。|唸《うな》り|声《ごゑ》は|刻々《こくこく》と|高《たか》まり|来《き》たり、|大地震《だいぢしん》の|様《やう》にブルブルと|大地《だいち》|一面《いちめん》が|動《うご》き|出《だ》したれば、|転《こ》けつ|輾《まろ》びつ、|過半数《くわはんすう》の|人間《にんげん》は|四方《しはう》に|逃《に》げ|散《ち》りぬ。|膽玉《きもだま》の|小《ちひ》さい|腰《こし》を|抜《ぬ》かした|人間《にんげん》ばかり、|依然《いぜん》として|其《その》|場《ば》に|残《のこ》り|居《ゐ》たるなり。|狭依彦《さよりひこ》もまた|腰《こし》を|抜《ぬ》かし|其《その》|場《ば》に|依然《いぜん》として|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らしつつありき。|唸《うな》り|声《ごゑ》はますます|烈《はげ》しくなる|一方《いつぱう》なりけり。
(大正一一・二・六 旧一・一〇 北村隆光録)
第一〇章 |仮名手本《かなてほん》〔三六〇〕
|鏡《かがみ》の|池《いけ》の|唸《うな》り|声《ごゑ》は|漸《やうや》く|静《しづ》まりぬ。|此《この》|度《たび》は|荘重《さうちよう》なる|重《おも》みのある|声《こゑ》にて、|池《いけ》の|底《そこ》より|又《また》もや|大《だい》なる|言葉《ことば》、|次《つ》ぎ|次《つ》ぎに|聞《きこ》え|来《き》たる。
『|猿《さる》の|人真似《ひとまね》を|致《いた》す|俄宣伝使《にはかせんでんし》の|猿世彦《さるよひこ》、|神《かみ》の|光《ひかり》も|最《い》と|清《きよ》く、|智利《てる》の|国《くに》へと|渡《わた》り|来《き》て|性《しやう》に|合《あ》はぬ|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》とは、よくもよくも|吐《ほざ》いたなあ、|汝《なんぢ》の|祈《いの》りは、|実《じつ》に|立派《りつぱ》なものだぞ。これからは|大法螺《おほぼら》を|吹《ふ》くなよ、|知《し》らぬことを|知《し》つた|顔《かほ》を|致《いた》すと、|今《いま》のやうな|苦《くる》しき|目《め》に|遇《あ》ふて、|耻《はぢ》を|曝《さら》さねばならぬぞ、|何《なに》も|理屈《りくつ》は|云《い》ふ|事《こと》は|要《い》らぬ。ただ|私《わたくし》は|阿呆《あはう》で|御座《ござ》います、|神様《かみさま》にお|祈《いの》りをする|事《こと》より|外《ほか》には、【いろは】の【い】の|字《じ》も|存《ぞん》じませぬと|謙遜《へりくだ》つて|宣伝《せんでん》を|致《いた》すがよいぞよ。|生兵法《なまびやうはふ》は|大怪我《おほけが》の|基《もと》だ。|知《し》らぬと|云《い》うても|汝《なんぢ》はあまり|非道《ひど》いぞ、【ちつと】は|後学《こうがく》のために|此《この》|方《はう》の|申《まを》す|事《こと》を|聞《き》いて|置《お》け。いろは|四十八文字《しじふはちもじ》で|開《ひら》く|神《かみ》の|道《みち》ぢや』
|猿世彦《さるよひこ》『もしもし、|池《いけ》の|底《そこ》の|神様《かみさま》、|私《わたくし》は|腰《こし》が|立《た》ちませぬ。|腰《こし》を|立《た》たして|下《くだ》さいな』
|池《いけ》の|底《そこ》から、
『いヽヽ|祈《いの》らぬか、|祈《いの》らぬか、|祈《いの》りは|命《いのち》の|基《もと》ぢや。|万劫《まんご》|末代《まつだい》|生通《いきどう》しの|命《いのち》が|欲《ほ》しくば、いつもかも|祈《いの》れ|祈《いの》れ。
ろヽヽ|碌《ろく》でもない|間抜《まぬ》けた|理屈《りくつ》を|捏《こ》ねるより、|身《み》の|行《おこなひ》を|慎《つつし》みて|人《ひと》の|鏡《かがみ》となれ。
はヽヽ|早《はや》い|改心《かいしん》ほど|結構《けつこう》は|無《な》いぞよ。|裸《はだか》で|生《うま》れた|人間《にんげん》は、|生《うま》れ|赤子《あかご》の|心《こころ》になれよ。
にヽヽ|俄《にはか》の|信心《しんじん》は|間《ま》に|合《あは》ぬ。|信心《しんじん》は|常《つね》から|致《いた》せよと|教《をし》へてやれ。
ほヽヽ|仏《ほとけ》|作《つく》つて|眼《まなこ》の|入《い》らぬ|汝《なんぢ》の|宣伝《せんでん》、|発根《ほつこん》から|改心《かいしん》|致《いた》して、|本当《ほんたう》の|神心《かみごころ》になれよ。
へヽヽ|下手《へた》な|長談義《ながだんぎ》は|大禁物《だいきんもつ》だ。|屁理屈《へりくつ》を|云《い》ふな、|途中《とちう》で|屁太張《へたば》るな、|屁古垂《へこた》れな。
とヽヽ【トコトン】までも|誠《まこと》を|貫《つらぬ》き|通《とほ》せ。|神《かみ》の|守《まも》りは|遠《とほ》い|近《ちか》いの|隔《へだ》てはないぞ、|徳《とく》をもつて|人《ひと》を|治《をさ》めよ。
ちヽヽ|智慧《ちゑ》、|学《がく》を|頼《たよ》りに|致《いた》すな。|力《ちから》となるは|神《かみ》と|信仰《しんかう》の|力《ちから》ばかりだ。|近慾《ちかよく》に|迷《まよ》ふな、|畜生《ちくしやう》の|肉《にく》を|喰《く》ふな。
りヽヽ|理屈《りくつ》に|走《はし》るな、|利慾《りよく》に|迷《まよ》ふな。|吾身《わがみ》の|立身《りつしん》|出世《しゆつせ》ばかりに|魂《たましひ》を|抜《ぬ》かれて、|誠《まこと》の|道《みち》を|踏《ふ》み|外《はづ》すな。
ぬヽヽ|盗《ぬす》むな、ぬかるな、|抜身《ぬきみ》の|中《なか》に|立《た》つて|居《ゐ》るやうな|精神《せいしん》で|神《かみ》の|道《みち》を|歩《あゆ》めよ、|抜駆《ぬけが》けの|功名《こうみやう》を|思《おも》ふな。
るヽヽ|留守《るす》の|家《いへ》にも|神《かみ》は|居《を》るぞ。|留守《るす》と|思《おも》うて|悪《わる》い|心《こころ》を|出《だ》すな。
をヽヽ|恐《おそ》ろしいものは|汝《なんぢ》の|心《こころ》だ。|心《こころ》の|持《も》ちやう|一《ひと》つで|鬼《おに》も|大蛇《をろち》も|狼《おほかみ》も|出《で》て|来《く》るぞ。|臆病《おくびやう》になるな、お|互《たがひ》に|気《き》をつけて|此《この》|世《よ》を|渡《わた》れ。
わヽヽ|吾身《わがみ》を|後《あと》にして|人《ひと》のことを|先《さき》にせよ。|悪《わる》い|事《こと》は|塵《ちり》|程《ほど》もしてはならぬぞ。|吾儘《わがまま》を|止《や》めよ、|私《わたくし》をすな、|悪《わる》い|事《こと》をして|笑《わら》はれるな』
|猿世彦《さるよひこ》『わヽヽ|分《わか》りました。|分《わか》りました。|貴神《あなた》のお|言葉《ことば》を|聞《き》くと|何《なん》ともなしに、
かヽヽ|悲《かな》しうなりました。|堪忍《かんにん》して|下《くだ》さいませ、|叶《かな》はぬ|叶《かな》はぬ。
よヽヽよく|分《わか》りました。もう【よし】にして|下《くだ》さい、|慾《よく》な|事《こと》は|致《いた》しませぬ。|世《よ》の|中《なか》の|事《こと》ならドンナ|事《こと》でも|致《いた》します。
たヽヽ|助《たす》けて|下《くだ》さい、|頼《たの》みます。|誰人《だれ》だつてコンナに|恐《こは》い|目《め》に|遇《あ》つたら、|起《た》つても|居《ゐ》ても|坐《ゐ》た|怺《たま》つたものぢやありませぬ。
れヽヽ|連続《れんぞく》して|水《みづ》の|中《なか》から|屁《へ》を【こい】たやうな|六ケ敷《むつかし》い|説教《せつけう》を|聞《き》かされても、
そヽヽそれは|汲《く》みとれませぬ。そつと|小《ちい》さい|声《こゑ》で|耳《みみ》の|傍《はた》で|聞《き》かして|下《くだ》さいな、ソンナ|破鐘《われがね》のやうな|声《こゑ》を|出《だ》したり、|竹筒《たけづつ》を|吹《ふ》いたやうな|声《こゑ》を|出《だ》して|貰《もら》つては、|一寸《ちよつと》も|合点《がつてん》が|行《ゆ》きませぬ。
つヽヽつまらぬ、つまらぬ、|月照彦《つきてるひこ》の|神様《かみさま》か|何《なに》か|知《し》らぬが、もうそれだけ|仰言《おつしや》つたら、|仰有《おつしや》る|事《こと》は【つきてる】|筈《はず》だのに。
ねヽヽ|根《ね》つから、|葉《は》つから|合点《がつてん》が|行《ゆ》かぬ。お|姿《すがた》を|現《あら》はして|下《くだ》さいな』
|池《いけ》の|底《そこ》から、
『なヽヽ|何《なに》を|云《い》ふか、|泣《な》き|事《ごと》|言《い》ふな、|汝《なんぢ》の|如《ごと》き|弱《よわ》き|宣伝使《せんでんし》は、もちつと|苦労《くらう》を|致《いた》さねば、
らヽヽ|楽《らく》にお|道《みち》は|開《ひら》けぬぞ。
むヽヽ|無理《むり》と|思《おも》ふか、|無理《むり》な|事《こと》は|神《かみ》は|申《まを》さぬぞ。
うヽヽ|迂濶々々《うかうか》|聞《き》くな、|美《うる》はしき|神《かみ》の|心《こころ》になつて、|神《かみ》の|教《をしへ》を|開《ひら》く|宣伝使《せんでんし》になれ』
|猿世彦《さるよひこ》『ゐヽヽ|何時《いつ》までもお|説教《せつけう》は|結構《けつこう》ですが、もう|好《よ》い|加減《かげん》に|止《や》めて|下《くだ》さつたらどうですか、|余《あま》り【つらく】て|骨《ほね》にびしびしこたへ、|此《こ》の
のヽヽ|喉《のど》から|血《ち》を|吐《は》くやうな|思《おもひ》が|致《いた》します』
|池《いけ》の|底《そこ》より、
『|退引《のつぴき》ならぬ|釘鎹《くぎかすがひ》、
おヽヽ|往生《わうじやう》いたせ。よい|加減《かげん》に、
くヽヽ|苦《くる》しい|後《あと》には|楽《たの》しい|事《こと》があるぞよ。
やヽヽ|矢釜敷《やかまし》う|云《い》うて|聞《き》かすのも、|汝《なんぢ》を|可愛《かあい》いと|思《おも》ふからだ。
まヽヽ|誠《まこと》の|神《かみ》の|言葉《ことば》をよく|聞《き》け、|神《かみ》の|言葉《ことば》に|二言《にごん》は|無《な》いぞ。いま|聞《き》き|外《はづ》したら|万古末代《まんごまつだい》|聞《き》く|事《こと》は|出来《でき》ぬぞ。|人民《じんみん》の|暗《くら》い|心《こころ》で|誠《まこと》の|神《かみ》の|経綸《しぐみ》は、
けヽヽ|見当《けんたう》は|取《と》れぬぞ、|毛筋《けすぢ》も|違《ちが》はぬ|神《かみ》の|道《みち》、|汚《けが》してはならぬぞ。
ふヽヽ|深《ふか》く|考《かんが》へ、|魂《たま》を|研《みが》いて|御用《ごよう》に|立《た》てよ』
|猿世彦《さるよひこ》『こヽヽこれで、もう|結構《けつこう》で|御座《ござ》います。|今日《けふ》はまあ|何《なん》と|云《い》ふ|有難《ありがた》い、|苦《くる》しい、|結構《けつこう》なやうで|結構《けつこう》に|無《な》いやうで、|嬉《うれ》しいやうで、|嬉《うれ》しう|無《な》いやうで』
|池《いけ》の|中《なか》より、
『えヽヽまだ|分《わか》らぬか、
てヽヽ|天地《てんち》の|神《かみ》の|教《をしへ》を|伝《つた》ふる|宣伝使《せんでんし》では|無《な》いか、
あゝヽ|悪《あく》を|働《はたら》いて|来《き》た|猿世彦《さるよひこ》、これから|心《こころ》を|入《い》れ|替《か》へて、
さヽヽさつぱり|身魂《みたま》の|洗濯《せんたく》いたして【さらつ】の|生《うま》れ|赤子《あかご》になり|変《かは》り、
きヽヽ|清《きよ》き|正《ただ》しき|直《なほ》き|誠《まこと》の|心《こころ》をもつて|世人《よびと》を|助《たす》け|導《みちび》け、
ゆヽヽ|夢々《ゆめゆめ》|神《かみ》の|申《まを》す|事《こと》を|忘《わす》れなよ。いつも|心《こころ》を|引《ひ》き|締《しめ》て|気《き》は|張《は》り|弓《ゆみ》、
めヽヽ|罪障《めぐり》の|深《ふか》い|汝《なんぢ》の|身魂《みたま》、|苦労《くらう》をさして、
みヽヽ|見《み》せしめを|致《いた》して|罪《つみ》を|取《と》つてやらねば、
しヽヽ|死《し》んでも|高天原《たかあまはら》へ|行《ゆ》けぬぞよ。|信心《しんじん》は|夢《ゆめ》の|間《ま》も|忘《わす》るなよ、|知《し》らぬ|事《こと》は|知《し》らぬと|明瞭《はつきり》|云《い》へ、|尻《しり》の|掃除《さうぢ》も|清《きよ》らかにいたせ、
ゑヽヽ|偉《えら》さうに|云《い》うでないぞ、この|世《よ》の|閻魔《えんま》が|現《あら》はれ|高《たか》い|鼻《はな》をへし|折《を》るぞ、
ひヽヽ|昼《ひる》も|夜《よる》も|神《かみ》に|祈《いの》れよ、
もヽヽもうこれでよいと|神《かみ》が|申《まを》すまで|身魂《みたま》を|磨《みが》け。|神《かみ》の|目《め》に|止《と》まつた|上《うへ》はドンナ|神徳《しんとく》でも|渡《わた》してやるぞ、
せヽヽ|狭《せま》い|心《こころ》を|持《も》つな、|広《ひろ》き、|温《あたた》かき|神心《かみごころ》になつて|世人《よびと》を|導《みちび》け、
すヽヽ|澄《す》み|渡《わた》る|大空《おほぞら》の|月照彦《つきてるひこ》の|神《かみ》の|御魂《みたま》の|申《まを》す|事《こと》、|無寐《むび》にも|忘《わす》れな|猿世彦《さるよひこ》、|吾《われ》こそは|元《もと》は|竜宮城《りうぐうじやう》の|天使長《てんしちやう》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》なるぞ。|汝《なんぢ》も|随分《ずゐぶん》|威張《ゐば》つたものだが、これから【すつかり】|心《こころ》を|改《あらた》めて|此《この》|国《くに》の|司《つかさ》となり、|狭依彦司《さよりひこのかみ》となつて|世界《せかい》のために|尽《つく》せよ。この|高砂島《たかさごじま》は|金勝要大神《きんかつかねのおほかみ》の|分霊《わけみたま》|竜世姫神《たつよひめのかみ》の|御守護《ごしゆご》なるぞ、|此《この》|鏡《かがみ》の|池《いけ》は|根底《ねそこ》の|国《くに》に|通《かよ》ふ|裏門《うらもん》、|分《わか》らぬ|事《こと》があらばまた|尋《たづ》ねに|来《こ》よ』
うヽヽと|一声《ひとこゑ》|呻《うな》ると|共《とも》に、その|声《こゑ》は【パツタリ】|止《や》みけり。|狭依彦《さよりひこ》および|一同《いちどう》の|腰《こし》は|始《はじ》めて|立《た》ちぬ。|一同《いちどう》は|喜《よろこ》び|勇《いさ》みて|神言《かみごと》を|鏡《かがみ》の|池《いけ》に|向《むか》つて|奏上《そうじやう》したりける。
(大正一一・二・六 旧一・一〇 加藤明子録)
第三篇 |秘露《ひる》より|巴留《はる》へ
第一一章 |海《うみ》の|竜宮《りうぐう》〔三六一〕
|足曳《あしびき》の|山《やま》の|草木《くさき》は|枝《えだ》|繁《しげ》り |葉《は》も|春風《はるかぜ》に|霞《かす》み|行《ゆ》く
|一望《いちばう》|千里《せんり》の|波《なみ》の|上《うへ》 |浮《うか》び|出《いで》たる|八尋《やひろ》の|亀《かめ》の|其《そ》の|背《せな》に
|春日《はるひ》を|受《う》けて|跨《またが》りつ |千尋《ちひろ》の|浪路《なみぢ》を|掻《か》き|分《わ》けて
|底《そこ》へ|底《そこ》へと|沈《しづ》み|行《ゆ》く |御稜威《みいづ》|輝《かがや》く|伊弉諾《いざなぎ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|御子《みこ》と|生《うま》れし |大道別《おほみちわけ》の|命《みこと》の|後身《こうしん》
|日《ひ》の|出神《でのかみ》はやうやうに |大和田津見《おほわだつみ》の|神《かみ》の|宮《みや》
|底《そこ》ひも|知《し》らぬ|大神《おほかみ》の |経綸《しぐみ》の|奥《おく》を|探《さぐ》らむと
|進《すす》み|来《き》ますぞ|雄々《をを》しけれ
|門前《もんぜん》には|正鹿山津見神《まさかやまづみのかみ》、|淤縢山津見神《おどやまづみのかみ》の|二柱《ふたはしら》が、|仁王《にわう》のごとく|阿吽《あうん》の|息《いき》を|凝《こ》らし、|真裸体《まつぱだか》のまま、|全身《ぜんしん》|力瘤《ちからこぶ》を|現《あら》はして|傲然《ごうぜん》として|守《まも》り|居《ゐ》る。|淤縢山津見神《おどやまづみのかみ》は、|真先《まつさき》に|進《すす》み|出《い》で、
『ここは|竜宮《りうぐう》の|入口《いりぐち》なり。|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|大和田津見《おほわだつみ》の|大神《おほかみ》の|御住処《おんすみか》、|何神《なにがみ》の|許《ゆる》しを|受《う》けて|此処《ここ》に|到着《たうちやく》せしぞ。|速《すみや》かに|本津国《もとつくに》に|引返《ひきかへ》さばよし、|違背《ゐはい》に|及《およ》ばば|此《こ》の|拳骨《げんこつ》を|御見舞《おみまひ》|申《まを》さむ』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|打《う》つてかかるを、|琴平別《ことひらわけ》の|化身《けしん》なる|八尋《やひろ》の|大亀《おほがめ》は、|二神《にしん》の|間《あひだ》に|突立《つつた》ち|千引《ちびき》の|岩《いは》と|化《くわ》し|去《さ》りけり。このとき|門内《もんない》より|騒々《さうざう》しき|物音《ものおと》|聞《きこ》え|来《き》たり。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|大音声《だいおんじやう》を|張上《はりあ》げ|歌《うた》を|歌《うた》ひ|玉《たま》ふ。
『|天津御神《あまつみかみ》の|御言《みこと》|以《も》て |常世《とこよ》の|暗《やみ》を|照《てら》さむと
|心《こころ》も|軽《かる》き|蓑笠《みのかさ》の |世界《せかい》を|巡《めぐ》る|宣伝使《せんでんし》
|天津御空《あまつみそら》も|海原《うなばら》も |豊葦原《とよあしはら》の|神国《かみくに》も
|大御恵《おほみめぐみ》の|隈《くま》もなく い|行《ゆ》き|渡《わた》らふ|世《よ》の|中《なか》に
この|竜宮《りうぐう》の|城《しろ》のみは |神《かみ》の|守《まも》りの|弥《いや》|深《ふか》き
|試《ため》しに|漏《も》るる|事《こと》ぞある |天《あめ》の|御柱大神《みはしらおほかみ》の
|任《まけ》のまにまに|出《い》で|来《きた》る |朝日《あさひ》|輝《かがや》く|夕日《ゆふひ》|照《て》る
|日《ひ》の|神国《かみくに》の|宣伝使《せんでんし》 |日《ひ》の|出神《でのかみ》が|現《あら》はれて
|迷《まよ》ひ|来《きた》れる|面那芸《つらなぎ》の |神《かみ》の|命《みこと》を|救《たす》けむと
|琴平別《ことひらわけ》の|亀《かめ》に|乗《の》り ここに|現《あら》はれ|来《きた》るなり
|千尋《ちひろ》の|底《そこ》の|海《うみ》の|宮《みや》 |其《そ》の|岩屋戸《いはやど》を|押開《おしひら》き
|音《おと》に|名高《なだか》き|乙米姫《おとよねひめ》の |貴《うづ》の|命《みこと》の|神業《かむわざ》を
|探《さぐ》らむための|此《こ》の|首途《かどで》 ただ|一時《ひととき》も|速《すみや》かに
これの|金門《かなど》を|開《ひら》けよや |吾《われ》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》なるぞ
|淤縢山津見《おどやまづみ》や|正鹿山《まさかやま》 |津見《づみ》の|命《みこと》の|門守《かどまも》り
|深《ふか》き|経綸《しぐみ》も|不知火《しらぬひ》の |汝《な》が|身《み》の|心《こころ》の|愚《おろか》さよ
|汝《な》が|身《み》の|心《こころ》の|愚《おろか》さよ』
と、|声《こゑ》たかだかと|歌《うた》ひ|玉《たま》へば、|二柱《ふたはしら》の|神《かみ》はこの|歌《うた》に|驚《おどろ》き、|平身《へいしん》|低頭《ていとう》ぶるぶる|慄《ふる》ひながら、|陳謝《ちんしや》の|意《い》を|表《へう》しけり。|淤縢山津見《おどやまづみ》は、|一目散《いちもくさん》に|門内《もんない》に|駈入《かけい》り|奥殿《おくでん》に|進《すす》み、|何事《なにごと》か|奏上《そうじやう》したり。|正鹿山津見《まさかやまづみ》は、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|先《さき》に|立《た》ち、|別殿《べつでん》に|迎《むか》へ|入《い》れたり。|城内《じやうない》の|一方《いつぱう》にはますます|騒々《さうざう》しき|物音《ものおと》|聞《きこ》え|来《き》たりければ、|平凡事《ただごと》ならじと、|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、|耳《みみ》を|澄《す》まして|聴《き》き|入《い》りたまひ、|正鹿山津見《まさかやまづみ》の|顔《かほ》をふと|眺《なが》め、
『やあ、|貴下《きか》は|桃上彦《ももがみひこ》に|非《あら》ずや。かかる|所《ところ》に|金門《かなど》を|守《まも》り|給《たま》ふは|何故《なにゆゑ》ぞ。それにしても|彼《か》の|騒々《さうざう》しき|物音《ものおと》は|如何《いか》に』
と|言葉《ことば》|忙《せは》しく|問《と》い|詰《つ》めたまへば、|正鹿山津見《まさかやまづみ》は、
『|御推量《ごすゐりやう》に|違《たが》はず、われは|聖地《せいち》ヱルサレムに|於《おい》て、|暫《しば》し|天使長《てんしちやう》の|職《しよく》を|勤《つと》め|遂《つひ》には|吾《わ》が|身《み》の|失敗《しつぱい》のために、|国祖《こくそ》|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》に|累《るい》を|及《およ》ぼし、|八百万《やほよろづ》の|神人《かみ》に|神退《かむやら》ひに|退《やら》はれ、|根《ね》の|国《くに》、|底《そこ》の|国《くに》に|落《お》ち|行《ゆ》かむとする|時《とき》しも、|慈愛《じあい》|深《ふか》き|高照姫神《たかてるひめのかみ》に|救《すく》はれ、|今《いま》は|竜宮城《りうぐうじやう》の|門番《もんばん》を|勤《つと》むる|卑《いや》しき|身《み》の|上《うへ》、|貴下《きか》に|斯《かか》る|処《ところ》にて|御目《おんめ》にかかり、|実《じつ》に|慙愧《ざんき》に|堪《た》へず、|陸《あげ》の|竜宮《りうぐう》に|於《おい》て|時《とき》めき|渡《わた》りし|桃上彦《ももがみひこ》も|有為転変《うゐてんぺん》の|世《よ》の|習《なら》ひ、|世《よ》の|荒波《あらなみ》に|浚《さら》はれて|不知不識《しらずしらず》の|身《み》の|過《あやまち》、|昨日《きのふ》に|変《かは》る|和田《わだ》の|原《はら》、|千尋《ちひろ》の|水《みづ》の|底《そこ》|深《ふか》き、|海《うみ》の|竜宮《りうぐう》の|門番《もんばん》の|日夜《にちや》の|苦労《くらう》|艱難《かんなん》|御察《おさつ》しあれ』
と、|声《こゑ》も|曇《くも》りて|其《そ》の|場《ば》に|泣《な》き|伏《ふ》しにける。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|同情《どうじやう》の|念《ねん》に|堪《た》へざるが|如《ごと》く、しばらく|差俯向《さしうつむ》いて|悲歎《ひたん》の|涙《なみだ》さへ|流《なが》し|居《ゐ》けるが、|更《さら》に|言葉《ことば》を|継《つ》いで、
『|貴下《きか》の|今日《こんにち》の|境遇《きやうぐう》は|御察《おさつ》し|申《まを》す。|至急《しきふ》|訊《たづ》ねたきことあり。|彼《か》の|騒《さわ》がしき|物音《ものおと》は|何事《なにごと》ぞ、|委《くは》しく|述《の》べられよ』
『|竜宮海《りうぐうかい》の|秘密《ひみつ》、|門番《もんばん》の|分際《ぶんざい》として|申上《まをしあ》げ|難《がた》し。ただただ|貴下《きか》の|御推量《ごすゐりやう》に|任《まか》すのみ』
と|体《てい》よく|刎《は》ねつける。|阿鼻叫喚《あびけうくわん》の|声《こゑ》はますます|激《はげ》しく、あたかも|修羅場《しゆらぢやう》のごとき|感《かん》じなりける。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|突立《つつた》ち|上《あが》り、
『|桃上彦《ももがみひこ》、われを|奥殿《おくでん》に|案内《あんない》されよ』
と|云《い》ひつつ、どんどんと|進《すす》み|行《ゆ》かむとする。|桃上彦《ももがみひこ》は|周章《あはて》て、
『あゝ、もしもし|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さいませ。タヽヽヽ|大変《たいへん》です。|彼様《あのやう》な|処《ところ》へ|御出《おい》でになつては|乙米姫《おとよねひめ》より、|如何《いか》なる|厳罰《げんばつ》を|蒙《かうむ》るやも|知《し》れませぬ。|第一《だいいち》|私《わたくし》も|共《とも》にあの|恐《おそ》ろしい|声《こゑ》のする|処《ところ》へ|投《ほう》り|込《こ》まれねばなりませぬ。|先《ま》づ|先《ま》づ|御待《おま》ち|下《くだ》され、|一先《ひとま》づ|伺《うかが》つて|参《まゐ》ります』
と、|先《さき》に|立《た》ち|足早《あしばや》に|奥殿《おくでん》|目《め》がけて|姿《すがた》を|隠《かく》したり。|日《ひ》の|出神《でのかみ》はただ|一人《ひとり》|茫然《ばうぜん》として|四辺《あたり》をキヨロキヨロと|見廻《みまは》し|居《ゐ》たまひにけり。
(大正一一・二・七 旧一・一一 外山豊二録)
(序文〜第一一章 昭和一〇・二・七 於東京銀座林英春方 王仁校正)
第一二章 |身代《みがは》り〔三六二〕
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、ただ|一人《ひとり》|茫然《ばうぜん》として|怪《あや》しき|物音《ものおと》に|耳《みみ》を|澄《す》ませ|思案《しあん》に|暮《く》るる|折《を》りしも、|以前《いぜん》の|門番《もんばん》の|淤縢山津見《おどやまづみ》はこの|処《ところ》に|現《あら》はれ、
『|貴下《きか》は|大道別命《おほみちわけのみこと》に|在《ましま》さずや』
と|顔《かほ》を|見《み》つめゐる。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、
『|貴下《きか》の|御推察《ごすゐさつ》に|違《たが》はず、|吾《われ》は|大道別命《おほみちわけのみこと》、|今《いま》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|宣伝使《せんでんし》なり。|吾《われ》|竜宮《りゆうぐう》へ|来《きた》りしは、|黄金山《わうごんざん》の|宣伝使《せんでんし》、|面那芸司《つらなぎのかみ》|竜宮《りうぐう》に|来《きた》れりと|聞《き》き、|一時《いちじ》も|早《はや》く|彼《かれ》を|救《すく》はむがためなり。|速《すみや》かに|乙米姫命《おとよねひめのみこと》にこの|次第《しだい》を|奏上《そうじやう》し、|面那芸司《つらなぎのかみ》を|吾《われ》に|渡《わた》されよ』
と|言《い》ひつつ、|淤縢山津見《おどやまづみ》の|顔《かほ》を|見《み》て、
『オー、|貴下《きか》は|大自在天《だいじざいてん》|大国彦《おほくにひこ》の|宰相《さいしやう》、|醜国別《しこくにわけ》にあらざるか。|貴下《きか》は|聖地《せいち》ヱルサレムの|宮《みや》を|毀《こぼ》ち、|神罰《しんばつ》|立所《たちどころ》に|致《いた》つて|帰幽《きいう》し、|根底《ねそこ》の|国《くに》に|到《いた》れると|聞《き》く。|然《しか》るにいま|竜宮《りうぐう》に|金門《かなど》を|守《まも》るとは|如何《いか》なる|理由《りいう》ありてぞ。|詳細《しやうさい》に|物語《ものがた》られたし』
|醜国別《しこくにわけ》は、
『|御推量《ごすゐりやう》に|違《たが》はず、|吾《われ》は|畏《おそ》れおほくも|大自在天《だいじざいてん》の|命《めい》を|奉《ほう》じ、|聖地《せいち》の|宮《みや》を|毀《こぼ》ちし|大罪人《だいざいにん》なり。|天地《てんち》の|法則《はふそく》に|照《てら》され、|根底《ねそこ》の|国《くに》に|今《いま》や|墜落《つゐらく》せむとする|時《とき》、|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|国治立尊《くにはるたちのみこと》は、|侍者《じしや》に|命《めい》じ|吾《われ》を|海底《かいてい》の|竜宮《りうぐう》に|救《すく》はせ|給《たま》ひたり。|吾《われ》らは|其《その》|大恩《たいおん》に|酬《むく》ゆるため、|昼夜《ちうや》の|区別《くべつ》なく|竜宮城《りうぐうじやう》の|門番《もんばん》となり、|勤務《きんむ》する|者《もの》なり。あゝ、|神恩《しんおん》|無量《むりやう》にして|量《はか》る|可《べ》からず、|禽獣虫魚《きんじうちうぎよ》の|末《すゑ》に|至《いた》るまで、|摂取不捨《せつしゆふしや》|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|神《かみ》の|御心《みこころ》、|何時《いつ》の|世《よ》にかは|酬《むく》い|奉《たてまつ》らむ』
と|両眼《りやうがん》に|涙《なみだ》を|湛《たた》へ、さめざめと|泣《な》き|入《い》る。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、
『|汝《なんぢ》が|来歴《らいれき》は|後《あと》にてゆるゆる|承《うけたま》はらむ。|一時《いちじ》も|早《はや》く|奥殿《おくでん》に|案内《あんない》せよ』
|醜国別《しこくにわけ》は|止《や》むを|得《え》ず、|力《ちから》|無《な》き|足《あし》を|運《はこ》ばせながら|先《さき》に|立《た》ちて、|奥深《おくふか》く|進《すす》み|入《い》る。|奥殿《おくでん》には|数多《あまた》の|海神《かいじん》に|取《と》り|囲《かこ》まれて、|中央《ちうあう》の|高座《かうざ》に、|花顔柳眉《くわがんりうび》の|女神《めがみ》|端然《たんぜん》として|控《ひか》へ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|一目《ひとめ》|見《み》るより、|忽《たちま》ち|其《そ》の|座《ざ》を|下《さが》り、|満面《まんめん》|笑《ゑみ》を|湛《たた》へて、|先《ま》づ|先《ま》づこれへと|招待《せうたい》したり。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|堂々《だうだう》と、|何《なん》の|憚《はばか》る|所《ところ》も|無《な》く|高座《かうざ》に|着《つ》きける。|女神《めがみ》は|座《ざ》を|下《さが》つて|遠来《ゑんらい》の|労《らう》を|謝《しや》し、|且《か》つ|海底《かいてい》の|種々《くさぐさ》の|珍味《ちんみ》を|揃《そろ》へて|饗応《きやうおう》せり。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、これらの|珍味佳肴《ちんみかかう》に|目《め》もくれず、|女神《めがみ》に|向《むか》ひ、(|海底《かいてい》とは|遠嶋《ゑんたう》の|譬《たとへ》|也《なり》)
『|吾《われ》は|神伊弉諾《かむいざなぎ》の|大神《おほかみ》の|御子《みこ》|大道別命《おほみちわけのみこと》、|今《いま》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|宣伝使《せんでんし》、|現《げん》、|神《しん》、|幽《いう》の|三界《さんかい》に|渉《わた》り、|普《あまね》く|神人《しんじん》を|救済《きうさい》すべき|神《かみ》の|御使《おんつかひ》、|今《いま》この|海底《かいてい》に|来《きた》りしも、|海底《かいてい》|深《ふか》く|沈《しづ》める|神人万有《しんじんばんいう》を|救済《きうさい》せむがためなり。かの|騒々《さうざう》しき|物音《ものおと》は|何《なん》ぞ、|包《つつ》み|秘《かく》さず|其《そ》の|実情《じつじやう》を|我《われ》に|披見《ひけん》せしめよ』
と|儼然《げんぜん》として|述《の》べ|立《た》てたまへば、|女神《めがみ》は|涙《なみだ》を|湛《たた》へながら、
『|実《げ》に|有難《ありがた》き|御仰《おんあふ》せ、これには|深《ふか》き|仔細《しさい》あり、|高天原《たかあまはら》に|現《あら》はれ|給《たま》ひし|神伊弉冊命《かむいざなみのみこと》、|黄泉国《よもつくに》に|出《い》でましてより、|黄泉国《よもつくに》の|穢《けが》れを|此処《ここ》に|集《あつ》め|給《たま》ひ、|今《いま》まで|安楽郷《あんらくきやう》と|聞《きこ》えたる|海底《かいてい》の|竜宮《りうぐう》も、|今《いま》は|殆《ほとん》ど|根底《ねそこ》の|国《くに》と|成《な》り|果《は》てたり。|妾《わらは》は|最早《もはや》これ|以上《いじやう》|申上《まをしあ》ぐる|権限《けんげん》を|有《いう》せず、|推量《すゐりやう》あれ』
と|涙《なみだ》に|咽《むせ》びけり。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》したまへば、|忽《たちま》ち|四辺《あたり》を|照《て》らす|大火光《だいくわくわう》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|身体《しんたい》より|放射《はうしや》し、|巨大《きよだい》なる|火《ひ》の|玉《たま》となりて|竜宮《りうぐう》を|照破《せうは》せり。|見《み》れば|母神《ははがみ》の|伊弉冊命《いざなみのみこと》を、|八種《やくさ》の|雷神《いかづちがみ》|取《と》り|囲《かこ》み、その|御頭《みかしら》には|大雷《おほいかづち》、|御胸《みむね》には|火《ほ》の|雷《いかづち》|居《を》り、|御腹《みはら》には|黒雷《くろいかづち》、|陰所《みほと》には|拆雷《さくいかづち》|居《を》り、|左《ひだり》の|手《て》には|若雷《わかいかづち》|居《を》り、|右《みぎ》の|手《て》には|土雷《つちいかづち》|居《を》り、|左《ひだり》の|足《あし》には|鳴雷《なるいかづち》|居《を》り、|右《みぎ》の|足《あし》には|伏雷《ふしいかづち》|居《を》り|命《みこと》の|身辺《しんぺん》を|悩《なや》ませ|奉《たてまつ》りつつありければ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、|火《ひ》の|玉《たま》となりて|飛《と》び|廻《まは》りける。|探女《さぐめ》|醜女《しこめ》、|黄泉神《よもつかみ》の|群《むれ》は、|蛆《うじ》|簇《たか》り|轟《とどろ》きて|目《め》も|当《あ》てられぬ|惨状《さんじやう》なり。かかる|処《ところ》へ|乙米姫神《おとよねひめのかみ》|現《あら》はれ|来《きた》り、
『|妾《わらは》は|神伊弉冊命《かむいざなみのみこと》の|御身代《おんみがは》りとなつて|仕《つか》へ|奉《まつ》らむ、|伊弉冊神《いざなみのかみ》は|一時《いちじ》も|早《はや》くこの|場《ば》を|逃《のが》れ|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|護《まも》られて、|常世《とこよ》の|国《くに》に|身《み》を|逃《のが》れさせ|給《たま》へ』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|八種《やくさ》の|雷《いかづち》の|神《かみ》の|群《むれ》に|飛《と》び|入《い》りぬ。|八種《やくさ》の|雷神《いかづちがみ》、|其《その》|他《た》の|醜神《しこがみ》は、|竜宮城《りうぐうじやう》の|美神《びしん》、|乙米姫命《おとよねひめのみこと》に|向《むか》つて、|前後左右《ぜんごさいう》より|武者《むしや》|振《ぶ》り|附《つ》く。|伊弉冊命《いざなみのみこと》に|附着《ふちやく》せる|枉神《まがかみ》は、|一《ひと》つ|火《び》の|光《ひかり》に|照《てら》されて|残《のこ》らず|払拭《ふつしき》されたり。|面那芸司《つらなぎのかみ》は|伊弉冊命《いざなみのみこと》を|救《すく》ふべく、|必死《ひつし》の|力《ちから》を|尽《つく》して|戦《たたか》ひつつありけれども|力《ちから》|及《およ》ばず、|連日《れんじつ》|連夜《れんや》|戦《たたか》ひ|続《つづ》け、その|声《こゑ》|門外《もんぐわい》に|溢《あふ》れ|居《ゐ》たりしなり。これにて|竜宮《りうぐう》の|怪《あや》しき|物音《ものおと》、|阿鼻叫喚《あびけうくわん》の|声《こゑ》の|出所《しゆつしよ》も、|漸《やうや》くに|氷解《ひようかい》されにける。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|神文《しんもん》を|唱《とな》へたまへば、|忽《たちま》ち|以前《いぜん》の|大亀《おほがめ》|現《あら》はれ|来《きた》り、|門外《もんぐわい》に|立《た》ち|塞《ふさ》がりぬ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、|伊弉冊命《いざなみのみこと》を|守《まも》り、|面那芸司《つらなぎのかみ》および|正鹿山津見《まさかやまづみ》、|淤縢山津見《おどやまづみ》と|共《とも》に、|八尋《やひろ》の|亀《かめ》に|跨《またが》り|海原《うなばら》の|波《なみ》を|分《わ》けて、|海面《かいめん》に|浮《う》き|出《い》で、|常世《とこよ》の|国《くに》に|渡《わた》り、ロッキー|山《ざん》に|伊弉冊命《いざなみのみこと》を|送《おく》り|奉《たてまつ》りたり。
|其《その》|後《ご》の|海底《かいてい》|竜宮城《りうぐうじやう》は、|体主霊従《たいしゆれいじゆう》、|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》の|修羅場《しゆらぢやう》と|化《くわ》し、|八種《やくさ》の|雷神《らいじん》の|荒《すさ》びは|日《ひ》に|月《つき》に|激《はげ》しくなり|来《きた》り、|遂《つひ》には|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|戦《たたか》ひを|勃発《ぼつぱつ》するの|已《や》むなきに|立到《たちいた》りける。
(大正一一・二・七 旧一・一一 東尾吉雄録)
第一三章 |修羅場《しゆらぢやう》〔三六三〕
|心《こころ》も|清《きよ》き|清彦《きよひこ》は |朝日《あさひ》|夕日《ゆふひ》のきらきらと
|智利《てる》の|都《みやこ》を|後《あと》にして |夜《よる》はあるとも|秘露《ひる》の|国《くに》
|秘露《ひる》の|都《みやこ》へ|進《すす》み|行《ゆ》く。
|清彦《きよひこ》の|仮《かり》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、|昼夜《ちうや》|間断《かんだん》なく|三五教《あななひけう》の|宣伝《せんでん》に|務《つと》め、|都《みやこ》の|中央《ちうあう》なる|高地《かうち》を|選《えら》んで|宏大《くわうだい》なる|館《やかた》を|造《つく》り、|国魂《くにたま》の|神《かみ》なる|竜世姫命《たつよひめのみこと》の|御魂《みたま》を|鎮祭《ちんさい》し、その|名声《めいせい》は|四方《よも》に|喧伝《けんでん》され、あまたの|国人《くにびと》は|蟻《あり》の|甘《あま》きに|集《つど》ふが|如《ごと》く、|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|其《その》|徳《とく》を|慕《した》うて|高遠《かうゑん》なる|教理《けうり》を|聴問《ちやうもん》に|来《く》るもの、|夜《よ》に|日《ひ》を|継《つ》ぐ|有様《ありさま》なりける。
|仮《かり》|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|大広前《おほひろまへ》に|現《あら》はれ、|数多《あまた》の|国人《くにびと》に|向《むか》つて|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|説《と》き|始《はじ》めたるに、|末席《まつせき》より|眼光《ぐわんくわう》|烱々《けいけい》として|人《ひと》を|射《い》る|黒《くろ》い|顔《かほ》、しかも|弓《ゆみ》の|様《やう》に|腰《こし》の|曲《まが》つた|男《をとこ》、|酒《さけ》に|酔《よ》つ|払《ぱら》つて|捻鉢巻《ねぢはちまき》をしながら、|渋紙《しぶかみ》の|如《ごと》き|腕《うで》を|捲《まく》りて|高座《かうざ》に|現《あら》はれ、|清彦《きよひこ》に|向《むか》ひ|大口《おほぐち》を|開《あ》けて、
『ウワハヽヽヽー、|貴様《きさま》よく|化《ばけ》よつたなあ、コラ|俺《おれ》の|面《つら》を|知《し》つて|居《ゐ》るか』
と|黒《くろ》い|顔《かほ》を|清彦《きよひこ》の|前《まへ》に【ぬつ】と|突《つ》き|出《だ》し、|妙《めう》な|腰付《こしつき》して|右《みぎ》の|手《て》を|無性《むしやう》|矢鱈《やたら》に|振《ふ》りながら、
『|皆《みな》の|者《もの》、|眉毛《まゆげ》に|唾《つばき》をつけよ。|此奴《こやつ》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|偉《えら》さうに|申《まを》して|居《を》るが、|今《いま》この|蚊々虎《かがとら》が|面《つら》の|皮《かは》を|引剥《ひきむ》いて|目《め》から|日《ひ》の|出神《でのかみ》にしてやらうぞ。ウワハヽヽヽー』
と|腹《はら》を|抱《かか》へ|腰《こし》を|叩《たた》き|頤《あご》をしやくりて|嘲弄《てうろう》し|始《はじ》めたり。|清彦《きよひこ》は|一切《いつさい》|構《かま》はず|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》を|諄々《じゆんじゆん》として|説《と》き|進《すす》めゐたり。|蚊々虎《かがとら》は|蛮声《ばんせい》を|張《は》り|上《あ》げて、
『|万場《まんぢやう》の|人々《ひとびと》よ、この|男《をとこ》は|旧《もと》は|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に|鬼雲彦《おにくもひこ》と|共《とも》に|謀反《むほん》を|企《たく》み、|常世国《とこよのくに》の|鬼城山《きじやうざん》に|姿《すがた》を|隠《かく》し、|美山彦《みやまひこ》、|国照姫《くにてるひめ》の|悪神《あくがみ》の|帷幕《ゐばく》に|参《さん》じ、|常世《とこよ》の|国《くに》の|会議《くわいぎ》に|於《おい》て|泥田《どろた》の|泥狐《どろぎつね》に|欺《だま》され、|泣《な》きの|涙《なみだ》で|又《また》もや|鬼城山《きじやうざん》に|逃《に》げ|帰《かへ》り、|悪逆無道《あくぎやくむだう》の|限《かぎ》りを|尽《つく》し、さしもの|悪《あく》に|強《つよ》き|美山彦《みやまひこ》さへ|愛想《あいさう》|尽《つ》かして|放《ほ》り|出《だ》したる、|鬼《おに》とも|蛇《じや》とも|譬《たと》へ|方《がた》|無《な》き|人非人《にんぴにん》、|数多《あまた》の|神人《しんじん》に|蚰蜒《げぢ》の|如《ごと》く|嫌《きら》はれて、|遂《つひ》には|流《なが》れ|流《なが》れて|秘露《ひる》の|都《みやこ》へ|渡《わた》り|来《き》たれる、|善《ぜん》の|仮面《かめん》を|被《かぶ》る|外面如菩薩《ぐわいめんによぼさつ》、|内心如夜叉《ないしんによやしや》、|悪鬼《あくき》|羅刹《らせつ》の|変化《へんげ》|清熊《きよくま》の|変名《へんめい》|清彦《きよひこ》と|云《い》ふ|奴《やつ》、|此奴《こやつ》が|智利《てる》の|国《くに》へ|渡《わた》つた|時《とき》、|二人《ふたり》の|伴《とも》を|連《つ》れて|居《ゐ》た。|其奴《そやつ》も|同《おな》じ|穴《あな》の|狐《きつね》、|猿世彦《さるよひこ》に|駒山彦《こまやまひこ》、その|猿世彦《さるよひこ》は|今《いま》はアリナの|滝《たき》に|庵《いほり》を|結《むす》び、|三五教《あななひけう》の|俄宣伝使《にはかせんでんし》と|化《ば》け|変《かは》り、あまたの|国人《くにびと》を|誑《たぶら》かす|悪魔《あくま》の|変化《へんげ》。|駒山彦《こまやまひこ》は|秘露《ひる》の|都《みやこ》に|現《あら》はれて、これまた|知《し》らぬが|仏《ほとけ》の|国人《くにびと》を、|縦横無尽《じうわうむじん》に|誑《たぶら》かす|悪魔《あくま》の|再来《さいらい》、その|親玉《おやだま》の|清熊《きよくま》の|成《な》れの|果《はて》。|贋《にせ》|日《ひ》の|出神《でのかみ》となつて|秘露《ひる》の|国《くに》をば|闇《やみ》にする、|悪《わる》い|企《たくみ》の|現《あら》はれ|口《ぐち》、この|蚊々虎《かがとら》が|見《み》つけた|上《うへ》は、もはや|叶《かな》はぬ|運《うん》の|尽《つ》き。さあさあ|清熊《きよくま》|白状《はくじやう》いたせ、|返答《へんたふ》は|如何《どう》ぢや、|此《この》|場《ば》に|臨《のぞ》んで|何《なに》も|云《い》はれまい。|道理《だうり》ぢや、|尤《もつと》もぢや。|俺《おれ》が|代《かは》つて|貴様《きさま》の|企《たくみ》を|素破《すつぱ》|抜《ぬ》かうか。|智利《てる》の|都《みやこ》の|町端《まちはづ》れ、|闇《やみ》の|夜《よ》に|汝《なんぢ》ら|三人《さんにん》の|囁《ささや》く|言葉《ことば》、【すつかり】|聞《き》いたこの|蚊々虎《かがとら》、|二人《ふたり》の|奴《やつ》を|闇《やみ》の|谷間《たにま》に|放《ほ》つときぼりを|喰《く》はしよつて、|一人《ひとり》|逃《に》げだし|路傍《ろばう》の|芝生《しばふ》に|腰《こし》を|下《おろ》し、|有《あ》りし|昔《むかし》の|懺悔話《ざんげばなし》を、|後《あと》から|追《お》ひつく|二人《ふたり》の|奴《やつ》に|嗅《かぎ》つけられて|甲《かぶと》を|脱《ぬ》ぎ、|茲《ここ》に|三人《さんにん》|腹《はら》を|合《あは》して|此《この》|高砂島《たかさごじま》を|攪乱《かくらん》せむとする|悪《あく》の|張本人《ちやうほんにん》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》とは|真赤《まつか》な|偽《いつは》り、|鬼城山《きじやうざん》の|棒振彦《ぼうふりひこ》の|参謀《さんぼう》|清熊《きよくま》どうぢや、|往生《わうじやう》したか、|早《はや》く|尻尾《しつぽ》を|出《だ》しよらぬか、ヤアヤア|皆《みな》の|人々《ひとびと》|一時《いちじ》も|早《はや》くこの|場《ば》を|去《さ》られよ、|今《いま》に|本当《ほんたう》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|竜宮《りうぐう》の|底《そこ》から|出《で》て|来《き》たら、アフンと|呆《あき》れて|馬鹿《ばか》を|見《み》るぞよ。この|蚊々虎《かがとら》さまは|勿体《もつたい》なくも|大国彦《おほくにひこ》の|一《いち》の|家来《けらい》の|醜国別《しこくにわけ》の|家来《けらい》の、そのまた|家来《けらい》のその|家来《けらい》、|沢山《たくさん》の|家来《けらい》を|連《つ》れて|居《を》るのは|俺《おれ》ではなうて|大国彦《おほくにひこ》|様《さま》、|何処《どこ》から|何処《どこ》まで、|山《やま》の|谷々《たにだに》、|海《うみ》の|底《そこ》まで、|谷蟆《たにぐく》のやうに|嗅《か》ぎつけ|探《さが》し|廻《まは》る|自在天《じざいてん》の|家来《けらい》の、|蚊々虎《かがとら》さまとは|俺《おれ》のことだ、ヤイ|清熊《きよくま》まだ|強太《しぶと》い|白状《はくじやう》せぬか、ヤイ|皆《みな》の|奴《やつ》まだ|目《め》が|醒《さめ》ぬか。|此処《ここ》は|名《な》に|負《お》ふ|秘露《ひる》の|国《くに》、|秘露《ひる》の|都《みやこ》の|中央《まんなか》で、|夢《ゆめ》|見《み》る|馬鹿《ばか》があるものか、|早《はや》う|目《め》を|醒《さ》ませ、|手水《てうづ》を|使《つか》へ、|腰抜野郎《こしぬけやらう》の|屁古垂《へこた》れ|野郎《やらう》|奴《め》』
と|口汚《くちぎたな》く|高座《かうざ》より|呶鳴《どな》りつけたるより、|数多《あまた》の|人々《ひとびと》は|喧々囂々《けんけんがうがう》その|去就《きよしう》に|迷《まよ》ひ、|彼方《あちら》の|隅《すみ》にも、|此方《こちら》の|隅《すみ》にも|激《はげ》しき|争論《そうろん》|始《はじ》まりきたり。|場内《ぢやうない》はあたかも|鼎《かなへ》の|湧《わ》くが|如《ごと》く、|雷鳴《らいめい》の|轟《とどろ》くが|如《ごと》く、|遂《つひ》には|鉄拳《てつけん》の|雨《あめ》|処々《しよしよ》に|降《ふ》り|濺《そそ》ぎ、|泣《な》く、|笑《わら》ふ、|怒《おこ》る、|罵《ののし》る、|叫喚《わめ》く、|忽《たちま》ち|阿鼻叫喚《あびけうくわん》の|修羅場《しゆらぢやう》と|化《くわ》し|去《さ》りぬ。|清彦《きよひこ》は|壇上《だんじやう》に|蚊々虎《かがとら》と|共《とも》に|仁王立《にわうだち》となりて|此《この》|光景《くわうけい》を|看守《みまも》り|居《ゐ》たり。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ
|身《み》の|過《あやまち》は|宣《の》り|直《なほ》せ』
といふ|涼《すず》しき|宣伝歌《せんでんか》が、|場内《ぢやうない》の|喧騒《けんさう》の|声《こゑ》を|圧《あつ》して、|手《て》に|取《と》るが|如《ごと》く|響《ひび》きわたり、それと|同時《どうじ》に、さしも|激烈《げきれつ》なりし|修羅《しゆら》の|光景《くわうけい》は【ぴたり】とやみにける。|嗚呼《ああ》この|宣伝歌《せんでんか》は|何人《なにびと》の|声《こゑ》なりしか。
(大正一一・二・七 旧一・一一 加藤明子録)
第一四章 |秘露《ひる》の|邂逅《かいこう》〔三六四〕
|折《をり》から|表玄関《おもてげんくわん》より【ツカツカ】と|上《あが》り|来《きた》る|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》ありき。|宣伝使《せんでんし》は|直《ただち》に|清彦《きよひこ》、|蚊々虎《かがとら》の|直立《ちよくりつ》せる|前《まへ》に|進《すす》み|寄《よ》り、
『オー、|清彦《きよひこ》|殿《どの》|久《ひさ》し|振《ぶ》りだなあ、オー、その|方《はう》は|蚊々虎《かがとら》か』
|清彦《きよひこ》『ハア、|思《おも》ひがけなき|処《ところ》にてお|目《め》に|懸《かか》りました。|貴下《あなた》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》、|斯《かか》る|混乱《こんらん》|紛糾《ふんきう》の|状態《じやうたい》をお|目《め》にかけ|誠《まこと》に|汗顔《かんがん》の|至《いた》りに|堪《た》へませぬ』
と|詫入《わびい》る。|蚊々虎《かがとら》は|醜国別《しこくにわけ》の|顔《かほ》を|熟視《じゆくし》し、
『やあ、あなたは|御主人様《ごしゆじんさま》、|根《ね》の|国《くに》とやらにお|出《で》ましになつたと|承《うけたま》はりしに、|今《いま》|如何《どう》して|此処《ここ》にお|出《いで》になりましたか』
と|頭《あたま》を【ピヨコピヨコ】させ|手《て》を|揉《も》み|乍《なが》ら|恐《こは》さうに|挨拶《あいさつ》する。|清彦《きよひこ》は|桃上彦《ももがみひこ》を|見《み》て|驚《おどろ》き、
『やあ、あなたは|如何《どう》して|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》と|御同行《ごどうかう》を|何《な》されましたか』
と|不思議相《ふしぎさう》に|尋《たづ》ねる。|数多《あまた》の|人々《ひとびと》はこの|光景《くわうけい》を|見《み》て|善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|区別《くべつ》に|迷《まよ》ひ、|各自《めいめい》に|耳《みみ》に|口《くち》を|寄《よ》せて|種々《いろいろ》と|囁《ささや》き|始《はじ》めたり。
|醜国別《しこくにわけ》は|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
『|満場《まんぢやう》の|人々《ひとびと》よ。|我《われ》は|大自在天《だいじざいてん》|大国彦《おほくにひこ》の|宰相《さいしやう》なりしが|重大《ぢうだい》なる|罪《つみ》を|犯《をか》し、|生命《いのち》を|奪《うば》はれ|根底《ねそこ》の|国《くに》に|陥《お》ち|行《ゆ》かむとする|時《とき》、|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|国治立尊《くにはるたちのみこと》の|御取計《おとりはから》ひによつて|竜宮城《りうぐうじやう》に|救《すく》はれ、|乙米姫命《おとよねひめのみこと》の|守護《まも》らせ|給《たま》ふ|照妙城《てるたへじやう》の|金門《かなもん》の|守護《まもり》となり、|今《いま》までの|悪心《あくしん》を|改《あらた》め|昼夜《ちうや》|勤務《きんむ》を|励《はげ》む|所《ところ》へ、ゆくりなくも|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御来場《ごらいぢやう》、|茲《ここ》に|救《すく》はれて|淤縢山津見司《おどやまづみのかみ》となり、|桃上彦《ももがみひこ》は|正鹿山津見司《まさかやまづみのかみ》となり、|伊邪那美之大神《いざなみのおほかみ》のお|供《とも》|仕《つか》へ|奉《まつ》りて、|夜《よる》|無《な》き|秘露《ひる》の|国《くに》へ|漸《やうや》く|着《つ》きたるなり。|今《いま》|清彦《きよひこ》の|身《み》の|上《うへ》につき|蚊々虎《かがとら》の|証言《しようげん》は|真実《しんじつ》なれども、|清彦《きよひこ》もまた|悪心《あくしん》を|翻《ひるがへ》し|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|代理《だいり》として|秘露《ひる》の|都《みやこ》に|現《あら》はれたるものなれば|決《けつ》して|偽者《いつはりもの》に|非《あら》ず。|汝《なんぢ》らは|清彦《きよひこ》を|親《おや》と|敬《うやま》ひ、よく|信《しん》じ|以《もつ》て|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|感得《かんとく》し、|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|大神業《だいしんげふ》に|参加《さんか》されよ』
と|宣《の》り|了《をは》り|口《くち》を|結《むす》び|玉《たま》ふ。|拍手《かしはで》の|音《おと》はさしもに|広《ひろ》き|道場《だうぢやう》も|揺《ゆる》がむ|許《ばか》りなり。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|群衆《ぐんしう》に|向《むか》ひ|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めたまへば、|壇上《だんじやう》の|四柱《よはしら》もその|声《こゑ》に|合《あは》せて|節《ふし》|面白《おもしろ》く|歌《うた》ひかつ|踊《をど》り|舞《ま》ひ|狂《くる》ひける。
『|黄金山《わうごんざん》に|現《あ》れませる |埴安彦《はにやすひこ》や|埴安姫《はにやすひめ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》の|作《つく》られし |厳《いづ》と|瑞《みづ》との|玉鉾《たまぼこ》の
|道《みち》を|広《ひろ》むる|神司《かむづかさ》 |大道別《おほみちわけ》の|又《また》の|御名《みな》
|黒雲《くろくも》|四方《よも》に|塞《ふさ》がれる |暗世《やみよ》を|照《て》らす|朝日子《あさひこ》の
|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とをそぐり|別《わ》け
|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》や|河《かは》の|瀬《せ》に |猛《たけ》り|狂《くる》へる|枉津見《まがつみ》を
|真澄《ますみ》の|鏡《かがみ》に|照《てら》しつつ |恵《めぐ》みの|剣《つるぎ》ふり|翳《かざ》し
|醜《しこ》の|身魂《みたま》を|照《てら》さむと |山《やま》の|尾《を》|渡《わた》り|和田《わだ》の|原《はら》
|海《うみ》の|底《そこ》まで|隈《くま》もなく |清《きよ》めて|廻《まは》る|宣伝使《せんでんし》
|駒山彦《こまやまひこ》や|猿世彦《さるよひこ》 |醜国別《しこくにわけ》や|桃上彦《ももがみひこ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》 |昔《むかし》は|昔《むかし》|今《いま》は|今《いま》
|時世時節《ときよじせつ》に|従《したが》ひて |白梅《しらうめ》|薫《かを》る|初春《はつはる》の
|優雅心《みやびごころ》になり|鳴《な》りて |吾《わが》|言霊《ことたま》も|清彦《きよひこ》の
|教《のり》に|服《まつろ》へ|百《もも》の|人《ひと》 |教《のり》に|従《したが》へ|諸人《もろびと》よ
|世《よ》は|紫陽花《あぢさゐ》の|七変《ななかは》り |天地日月《あめつちひつき》さかしまに
|変《かは》り|輝《かがや》く|世《よ》ありとも この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》 |天地《あめつち》|四方《よも》を【かね】の|神《かみ》
|珍《うづ》の|御言《みこと》の|麻柱《あななひ》に |世《よ》は|永久《とこしへ》に|開《ひら》け|行《ゆ》く
|世《よ》は|永遠《とこしへ》に|栄《さか》え|行《ゆ》く |誠《まこと》をつくせ|百《もも》の|人《ひと》
|神《かみ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて |身魂《みたま》を|磨《みが》け|幾千代《いくちよ》も
ミロクの|世《よ》までも|変《かは》らざれ ミロクの|世《よ》までも|移《うつ》らざれ
|世《よ》は|烏羽玉《うばたま》の|暗《くら》くとも やがて|晴《は》れ|行《ゆ》く|朝日子《あさひこ》の
|日《ひ》の|出国《でのくに》の|神国《かみくに》と なり|響《ひび》くらむ|天《あめ》と|地《つち》
|天地《あめつち》|四方《よも》の|神人《かみがみ》よ |天地《あめつち》|四方《よも》の|神人《かみがみ》よ
|海《うみ》の|内外《うちと》の|国人《くにびと》よ』
との|歌《うた》につれて|数多《あまた》の|群衆《ぐんしう》は、|各自《てんで》に|手《て》を|拍《う》ち|踊《をど》り|狂《くる》ひ、|今迄《いままで》の|騒動《さうだう》は|一場《いちぢやう》の|夢《ゆめ》と|消《き》え|失《う》せ、|館《やかた》の|外《そと》には|長閑《のどか》な|春風《はるかぜ》|吹《ふ》き|渡《わた》りゐる。|之《これ》より|清彦《きよひこ》は|紅葉彦命《もみぢひこのみこと》と|名《な》を|賜《たまは》り、|秘露《ひる》の|国《くに》の|守護職《まもりのかみ》となりにける。
(大正一一・二・七 旧一・一一 北村隆光録)
第一五章 ブラジル|峠《たうげ》〔三六五〕
|春霞《はるがすみ》|棚引《たなびき》|渡《わた》る|海原《うなばら》の |浪《なみ》|掻《か》き|分《わ》けて|立昇《たちのぼ》る
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|宣伝使《せんでんし》 |醜《しこ》の|曲津《まがつ》を|払《はら》はむと
|醜国別《しこくにわけ》の|体主霊従《からみたま》 |霊主体従《れいしゆたいじゆう》と|成《な》り|変《かは》り
|禊《みそぎ》|祓《はら》ひし|生魂《いくみたま》 |心《こころ》【つくし】の【たちばな】の
|淤縢山津見《おどやまづみ》と|改《あらた》めて |従属《みとも》の|司《かみ》も|腰骨《こしぼね》の
|蚊々虎彦《かがとらひこ》を|伴《ともな》ひつ |教《をしへ》を|巴留《はる》の|国境《くにざかひ》
ブラジル|山《やま》に|差掛《さしかか》る。
|春《はる》とはいへど|赤道《せきだう》|直下《ちよくか》の|酷熱《こくねつ》|地帯《ちたい》、|木葉《このは》を|身体《からだ》|一面《いちめん》に|纏《まと》ひ|暑熱《しよねつ》を|凌《しの》ぎ|乍《なが》ら、|腰《こし》の|屈《かが》める|蚊々虎彦《かがとらひこ》に|荷物《にもつ》を|持《も》たせ、ブラジル|峠《たうげ》を|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
『モシモシ|一寸《ちよつと》|一服《いつぷく》さして|下《くだ》さいな。|汗《あせ》は|滝《たき》の|如《ごと》く、|着物《きもの》も|何《なに》も|夕立《ゆふだち》に|逢《あ》うたやうに【びしよ】|濡《ぬ》れになつて|了《しま》つた。|何処《どこ》かに|水《みづ》でもあれば|一杯《いつぱい》|飲《の》みたいものですワ』
『|確《しつ》かりせぬか|蚊々虎《かがとら》、|何《なん》だ、|海《うみ》の|底《そこ》に|吾々《われわれ》は|長《なが》らくの|苦労《くらう》|艱難《かんなん》を|嘗《な》めて|金門《かなど》の|番《ばん》をして|来《き》たことを|思《おも》へば、|熱《あつ》いの|苦《くる》しいのと|云《い》つて|居《を》れるか。|空気《くうき》は|十分《じふぶん》に|無《な》し|彼方此方《あちらこちら》を|見《み》ても|水《みづ》ばつかりで、|碌《ろく》に|息《いき》も|出来《でき》はしない。|何《なに》ほど|嶮《けは》しい|坂《さか》だつて、|汗《あせ》が|出《で》ると|云《い》つても、|涼《すず》しい|風《かぜ》が【ちよい】ちよい|来《く》るじやないか。|十分《じふぶん》に|汗《あせ》を|搾《しぼ》り|足《あし》を|疲《つか》らして、もう|一歩《いつぽ》も|前進《ぜんしん》することが|出来《でき》ないやうになつた|所《ところ》で、|一服《いつぷく》するのだ。その|時《とき》の|楽《たのし》さと|云《い》ふものは、|本当《ほんたう》に|楽《らく》の|味《あぢ》が|判《わか》るよ。|竜宮《りうぐう》の|苦《くる》しい、|息《いき》も|碌《ろく》に|出来《でき》ない|所《ところ》から、|陸《あげ》へ|揚《あ》げて|貰《もら》つた|嬉《うれ》しさと|云《い》ふものは、たとへ|足《あし》が|棒《ぼう》になつても|万分《まんぶん》の|一《いち》の|苦労《くらう》でも|無《な》いワ。|貴様《きさま》はまだ|苦労《くらう》が|足《た》りないからさう|云《い》ふ|弱《よわ》いことを|云《い》ふのだ。|俺《おれ》に|随《つ》いて|来《こ》い』
『それはあまり|胴慾《どうよく》ぢやございませぬか。|私《わたくし》は|竜宮《りうぐう》へ|行《い》つたことが|無《な》いから、|貴下《あなた》のお|話《はなし》は|嘘《うそ》か、|本当《ほんたう》か|知《し》りませぬが、|水《みづ》の|中《なか》で|苦《くる》しいのは|分《わか》つて|居《を》ります。|併《しか》し|本当《ほんたう》の|水《みづ》の|中《なか》なら|三分《さんぷん》か、|五分《ごふん》|経《たた》ぬ|間《ま》に|息《いき》が|断《き》れて|了《しま》うぢやありませぬか。それに|長《なが》らく|竜宮《りうぐう》に|貴下《きか》は|居《を》られたのぢやから、それを|思《おも》へば|貴下《きか》の|御言葉《おことば》は|割引《わりびき》して|聞《き》かねばなりますまい。|私《わたくし》はもう|半時《はんとき》も|休《やす》まずに、この|山道《やまみち》を|歩《ある》かされようものなら、|身体《からだ》の|汁《しる》はさつぱり|汗《あせ》になつて|出《で》て|了《しま》ひ、コンナ|熱《あつ》い|山《やま》の|中《なか》で|木乃伊《みいら》になつて|了《しま》ひます。ソンナ|殺生《せつしやう》な|事《こと》を|云《い》はずと|貴下《きか》も|改心《かいしん》なさつたぢやないか、【ちつと】|位《くらゐ》の|情容赦《なさけようしや》は|有《あ》りさうなものだナア』
と|涙《なみだ》を|溢《こぼ》す。
『オイ|蚊々虎《かがとら》、|貴様《きさま》はなんだい、|男《をとこ》じやないか。この|位《くらゐ》なことで|屁古垂《へこた》れて|涙《なみだ》を|流《なが》すと|云《い》ふことがあるかい』
『|私《わたくし》は|決《けつ》して|泣《な》きませぬ』
『ソンナラ|誰《たれ》が|泣《な》くのだ』
『ハイハイ、|私《わたくし》は|立派《りつぱ》な|一人前《いちにんまへ》の|男《をとこ》です。|苟《いやし》くも|男子《だんし》たるもの|如何《いか》なる|艱難辛苦《かんなんしんく》に|逢《あ》うても【びく】とも|致《いた》しませぬ。|私《わたくし》について|居《ゐ》るお|客《きやく》さまが|泣《な》くのですよ』
『お|客《きやく》さまて|何《なん》だ、|貴様《きさま》の|副守《ふくしゆ》か、よう|泣《な》く|奴《やつ》だな。|蚊々虎《かがとら》と|云《い》ふからには、|蚊《か》の|守護神《しゆごじん》でも|憑《つ》いて|居《を》るのぢやらう。|今《いま》まで|人《ひと》の|生血《いきち》を|吸《す》ふやうな|悪《わる》い|事《こと》ばかり|行《や》つて|来《き》た|報《むく》いだ。|貴様《きさま》の|腰《こし》は|何《なん》だい、くの|字《じ》に|曲《まが》つて|了《しま》つとるぢやないか。|今《いま》までの|罪滅《つみほろぼ》しだ。|副守《ふくしゆ》に|構《かま》はず、|本守護神《ほんしゆごじん》の|勇気《ゆうき》を|出《だ》して|俺《おれ》に|随《つ》いて|来《こ》ぬかい』
『|貴下《あなた》は|今《いま》まで|醜国別《しこくにわけ》と|云《い》うて、|随分《ずゐぶん》|善《よ》くないことをなさいましたなあ。|私《わたくし》は|貴下《あなた》の|御命令《ごめいれい》で【こいつ】は|悪《わる》いな、コンナことしたらきつと|善《よ》い|報《むく》いはないと|思《おも》つたが、|頭《あたま》から【がみつける】|様《やう》に|云《い》はれるものだから、|今《いま》までは|虎《とら》の|威《ゐ》を|借《か》る|狐《きつね》のやうに、|心《こころ》にも|無《な》いことを|行《や》つてきました。|言《い》はば|貴下《あなた》が|悪《あく》の|張本人《ちやうほんにん》だ。|私《わたくし》は|唯《ただ》|機械《きかい》に|使《つか》はれた【のみ】ですワ』
『ウン、|何方《どつち》にせよ|使《つか》はれた【のみ】か、|使《つか》はれぬ【しらみ】か、|人《ひと》の|生血《いきち》を|吸《す》ふ|蚊《か》か、|虎《とら》か、|狼《おほかみ》か、|熊《くま》か、|山狗《やまいぬ》かだよ』
『モシモシそれは|余《あまり》ぢやありませぬか。|虎《とら》、|狼《おほかみ》とは|貴下《あなた》のことですよ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまに|助《たす》けて|貰《もら》うて|淤縢山津見《おどやまづみ》とやらいふ|立派《りつぱ》な|名《な》を|貰《もら》つて、|偉《えら》さうにしてござるが、|貴下《あなた》は|人《ひと》を|威《おど》す|淤縢山津見《おどやまづみ》だ。|余《あんま》りどつせ、【ちつと】|昔《むかし》のことも|考《かんが》へて|見《み》なさい。|大《おほ》きな|口《くち》もあまり|叩《たた》けますまい。|此処《ここ》には|貴下《あなた》と|私《わたくし》とただ|二人《ふたり》で|傍《はた》に|聞《き》いてをるものも|無《な》いから|遠慮《ゑんりよ》なく|申《まを》しますが、|本当《ほんたう》に|醜《しこ》の|曲津《まがつ》と|云《い》つたら|貴下《あなた》のことですよ』
『|三五教《あななひけう》は|過《す》ぎ|越《こ》し|苦労《くらう》や、|取越《とりこし》し|苦労《くらう》は|大禁物《だいきんもつ》だ。|何事《なにごと》も|神直日《かむなほひ》、|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|宣《の》り|直《なほ》す|教《けう》だから、ソンナ|死《し》んだ|児《こ》の|年《とし》を|数《かぞ》へるやうな、|下《くだ》らぬ|事《こと》は|止《よ》したがよからうよ。|過《す》ぎ|去《さ》つたことはもう|一《ひと》つも|云《い》はぬがよいワ』
『ヘーイ、うまく|仰有《おつしや》いますワイ。|竜宮《りうぐう》で|門番《もんばん》をして|苦《くるし》かつたつて、|仰有《おつしや》つたじやないか、それは|過《す》ぎ|越《こ》し|苦労《くらう》ぢやないのですか』
『よう|理屈《りくつ》をいふ|奴《やつ》ぢやな。|今《いま》までのことは【さらり】と|川《かは》へ|流《なが》すのだい。さうして|心中《しんちう》に|一点《いつてん》の|黒雲《くろくも》も|無《な》く、|清明無垢《せいめいむく》の|精神《せいしん》になつて、|神様《かみさま》の|御用《ごよう》をするのだよ』
『また|地金《ぢがね》が|出《で》やしませぬかな。|何《なに》ほど|立派《りつぱ》な|黄金《わうごん》の|玉《たま》でも、|竹熊《たけくま》の|持《も》つて|居《ゐ》るやうな|鍍金玉《めつきだま》では|直《すぐ》に|剥《は》げると|云《い》ふことがありますよ。|地金《ぢがね》が|石《いし》であれば|何《なに》ほど|金《きん》が|塗《ぬ》つてあつても|二《ふた》つ|三《み》つ|擦《こす》ると|生地《きぢ》が|現《あら》はれて|来《く》るものですからナア』
『|莫迦《ばか》いへ、|俺《おれ》の|身魂《みたま》は|中《なか》まで|水晶《すゐしやう》だ。|元《もと》は|立派《りつぱ》な|分霊《わけみたま》だ。|雉《きぢ》もなかねば|射《う》たれまいといふことがある。もう|生地《きぢ》の|話《はな》しは|止《や》めて|呉《く》れ』
『ヘーン、うまいこと|仰有《おつしや》りますワイ。|口《くち》は|重宝《ちようほう》なものですな』
『オー|最早《もはや》|山頂《さんちやう》に|達《たつ》した。オイ|蚊々虎《かがとら》、|話《はな》しをしとる|間《ま》に|何時《いつ》の|間《ま》にか、|山《やま》の|頂辺《てつぺん》に|来《き》てしまつたよ。|貴様《きさま》が|苦《くるし》い|苦《くるし》い、もう|一歩《いつぽ》も|歩《ある》けぬなどと|屁古垂《へこた》れよつて|男《をとこ》らしくもない、|副守《ふくしゆ》か|何《なに》か|知《し》らぬが、|吠面《ほえづら》かわいて|見《み》られた|態《ざま》ぢや|無《な》かつたぞ。もう|此処《ここ》まで|来《く》れば|涼《すず》しい|風《かぜ》が|当《あた》つて、|今《いま》までの|苦労《くらう》の|仕忘《しわす》れだ。お|前《まへ》の|顔《かほ》の|黒《くろ》くなつたのも、これも|苦労《くらう》の|仕忘《しわす》れになつて、|白《しろ》い|顔《かほ》になると|重宝《ちようほう》だが、これ|丈《だけ》は|矢張《やつぱ》り|生地《きぢ》が|鉄《てつ》だから、|金《きん》にはならぬよ。まあ、|顔《かほ》が|黒《くろ》いたつて|心配《しんぱい》するには|及《およ》ばない。|貴様《きさま》の|何時《いつ》も|得意《とくい》な|暗黒《くらがり》で、ちよいちよい|何々《なになに》するのには|持《も》つて|来《こ》いだ。|暗《やみ》に|烏《からす》が|飛《た》つたやうなもので、|誰《たれ》も|見付《みつ》けるものが|無《な》いからな。|本当《ほんたう》に|苦労《くらう》の|苦労甲斐《くらうがひ》があるよ』
『|暗黒《くらがり》に|出《で》るのは|矢張《やつぱ》り|蚊《か》ですもの、|貴下《あなた》の|仰有《おつしや》ることが|本当《ほんたう》かも|知《し》れませぬ。|間違《まちが》つてゐるかも|知《し》れませぬ。しかし|貴下《あなた》の|名《な》はいま|出世《しゆつせ》して|淤縢山津見《おどやまづみ》とか|仰有《おつしや》つたが|何《なん》と|黒《くろ》い|名《な》ですな。|恐《こは》さうな【おど】おどとした|暗《やみ》の|晩《ばん》に|烏《からす》の|飛《た》つたやうな|暗《やみ》【ずみ】ナンテ、あまり|人《ひと》のことは|言《い》はれますまい。|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまも|偉《えら》いワイ。それ|相当《さうたう》な|名《な》を|下《くだ》さる。|人《ひと》を|威《おどか》したり、|暗雲《やみくも》になつて|訳《わけ》も|分《わか》らぬ|明瞭《はつきり》せぬ|墨《すみ》のやうな|屁理屈《へりくつ》を|列《なら》べる|醜国別《しこくにわけ》に|淤縢山津見《おどやまづみ》とは、よくも|洒落《しやれ》たものだワイ、アハヽヽヽ』
『オイ|蚊々虎《かがとら》、|主人《しゆじん》に|向《むか》つて|何《なに》を|言《い》ふ。|無礼《ぶれい》であらうぞよ』
『ヘン、|昔《むかし》は|昔《むかし》、|今《いま》は|今《いま》と、|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|歌《うた》はれたことを|貴下《あなた》|覚《おぼ》えてゐますか。|昔《むかし》は|昔《むかし》、|今《いま》は|今《いま》|後《あと》は|何《なん》だつたか|忘《わす》れました。エヘン』
(大正一一・二・八 旧一・一二 外山豊二録)
第一六章 |霊縛《れいばく》〔三六六〕
|一行《いつかう》はブラジル|峠《たうげ》の|山頂《さんちやう》に|四辺《あたり》の|風景《ふうけい》を|眺《なが》めながら、|下《くだ》らぬ|話《はなし》に|耽《ふけ》り|居《ゐ》たり。|涼《すず》しき|風《かぜ》は|吹《ふ》き|捲《まく》り、|次第《しだい》に|烈《はげ》しく|周囲《あたり》の|樹木《じゆもく》も|倒《たふ》れむ|許《ばか》りなりけり。|蚊々虎《かがとら》は|側《そば》の|樹《き》の|根《ね》にしつかとしがみ|付《つ》き、
『モシモシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、どうしませう。|散《ち》ります|散《ち》ります』
『それだから|蚊《か》と|言《い》ふのだ。これつ|許《ばか》りの|風《かぜ》が|吹《ふ》いたと|云《い》つて、|木《き》の|根《ね》にしがみ|付《つ》いて|散《ち》ります|散《ち》りますもあつたものかい。まるで|酒《さけ》でも|注《つ》いで|貰《もら》ふ|時《とき》の|様《やう》なことを|言《い》ひよつて、|弱虫《よわむし》|奴《め》が、これから|巴留《ハル》の|国《くに》へ|行《い》つたら、これしきの|風《かぜ》は|毎日《まいにち》|吹《ふ》き|通《とほ》しだよ。|大沙漠《だいさばく》を|駱駝《らくだ》の|背《せな》に|乗《の》つて|横断《わうだん》しなくてはならぬが、|貴様《きさま》の|様《やう》な|弱《よわ》いことでは、|駱駝《らくだ》の|背《せな》から|蚊《か》のやうに|吹《ふ》き|飛《と》ばされて|了《しま》ふかも|知《し》れぬ。あーあ|旅《たび》は|一人《ひとり》に|限《かぎ》るナ。コンナ|足手《あして》|纏《まと》ひを|連《つ》れて|居《ゐ》ては、|後髪《うしろがみ》を|牽《ひ》かれて、|進《すす》むことも、|何《ど》うする|事《こと》も|出来《でき》やしない|嫌《いや》な|事《こと》だワイ』
『モシモシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|偉《えら》さうに|仰有《おつしや》るな、|後髪《うしろがみ》を|牽《ひ》かるると|云《い》つても、|髪《かみ》の|毛《け》は|一本《いつぽん》もありやしないワ。|俺《わし》の|頭《あたま》を|見《み》やつしやれ、|棕梠《しゆろ》のやうな|立派《りつぱ》な|毛《け》が|沢山《どつさり》と、エヘン、アハン』
『|貴様《きさま》のは|髪《かみ》ぢや|無《な》いよ。それは|毛《け》だ。|誠《まこと》の|人間《にんげん》には|髪《かみ》が|生《は》えるし、|獣《けだもの》には|頭《あたま》に|毛《け》が|生《は》えるのだ。|俺《おれ》の|頭《あたま》は|髪《かみ》だぞ。|髪《かみ》と|云《い》ふ|事《こと》は、|鏡《かがみ》を|縮《ちぢ》めたのだ。よう|光《ひか》つとらうがな』
『|蚊《か》が|止《と》まつても|辷《すべ》り|落《お》ちる|様《やう》な|頭《あたま》をして、|神様《かみさま》も|何《なに》もあつたものか。|蚊《か》が|止《と》まつて|噛様《かみさま》だ。アハヽヽヽヽ』
『|何《なに》を|言《い》ふ。|俺《おれ》は|勿体《もつたい》なくも|頭《あたま》|照《てら》す|大御神《おほみかみ》|様《さま》だ。|頭《あたま》|照《てら》す|大御神《おほみかみ》|様《さま》の|御神体《ごしんたい》は|八咫《やあた》の|御鏡《みかがみ》ぢやといふ|事《こと》は|知《し》つて|居《ゐ》るだらう』
『ヘン、|甘《うま》いことを|仰有《おつしや》いますな。|流石《さすが》は|宣伝使《せんでんし》|様《さま》。|大自在天《だいじざいてん》の|一《いち》の|御家来《ごけらい》、|悪《わる》い|事《こと》ばかり|遊《あそ》ばして、|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》に|追《お》ひやられて、|終《しまひ》には|国処《くにところ》を|売《う》つて、|世界中《せかいぢう》を|迂路《うろ》つき|廻《まは》つて、|負《ま》け|惜《をし》みの|強《つよ》い|体《てい》のよい|乞食《こじき》だ。|宣伝使《せんでんし》|様《さま》と|云《い》へば|立派《りつぱ》な|様《やう》だが、|乞食《こじき》の|親分《おやぶん》|見《み》た|様《やう》なものだ。|頭《あたま》|照《てら》す|大御神《おほみかみ》|様《さま》も|有《あ》つたものか。|国処立退《くにところたちのき》の|命《みこと》だ』
『|貴様《きさま》にはもう|暇《ひま》を|遣《つか》はす。これから|帰《かへ》れ。|何《なん》と|云《い》つても|連《つ》れて|行《ゆ》かぬ』
(|義太夫調《ぎだいふてう》)
『|私《わたくし》を|何《ど》うしても|連《つ》れないと|言《い》ふのですか。それはあんまり|無情《つれな》い、|胴慾《どうよく》ぢや。|思《おも》ひ|廻《まは》せば|廻《まは》すほど、|俺《わし》ほど|因果《いんぐわ》な|者《もの》が|世《よ》に|有《あ》らうか。|常世《とこよ》の|国《くに》に|顕《あ》れませる、|大自在天《だいじざいてん》の|其《そ》の|家来《けらい》、|醜国別《しこくにわけ》と|歌《うた》はれて、|空《そら》|行《ゆ》く|鳥《とり》も|撃《う》ち|落《おと》す、|勲《いさを》もしるき|神《かみ》さまの、|家来《けらい》となつた|嬉《うれ》しさに、|有《あ》らう|事《こと》かあるまい|事《こと》か、|勿体《もつたい》ない|天地《てんち》の|神《かみ》の|鎮《しづ》まり|遊《あそ》ばした、ヱルサレムの|宮《みや》を|穢《けが》し|奉《たてまつ》り、その|天罰《てんばつ》で|腰《こし》|痛《いた》み、|腰《こし》は【く】の|字《じ》に|曲《まが》り|果《は》て、|蚊々虎《かがとら》さまと|綽名《あだな》をつけられ、|今《いま》は|屈《かが》みて|居《を》るけれど、|元《もと》を|糺《ただ》せば|尊《たふと》き|神《かみ》の|御血筋《おんちすぢ》、|稚桜姫《わかざくらひめ》の|神《かみ》の|御子《みこ》の|常世姫《とこよひめ》が|内証《ないしよう》の|子《こ》と|生《うま》れた|常照彦《とこてるひこ》。|世《よ》が|世《よ》であれば、コンナ|判《わか》らぬ|淤縢山津見《おどやまづみ》のお|供《とも》となつて、|重《おも》い|荷物《にもつ》を|担《かつ》がされ、ブラジル|山《やま》をブラブラと、|汗《あせ》と|涙《なみだ》で|駆《か》け|登《のぼ》り|一息《ひといき》する|間《ま》もなく、もうよいこれで|帰《かへ》れとは、|実《じつ》につれない|情《なさけ》ない、|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る、|神《かみ》がこの|世《よ》に|坐《ゐ》ますなら、|淤縢山津見《おどやまづみ》の|醜国別《しこくにわけ》、|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|宣伝使《せんでんし》、|義理《ぎり》も|情《なさけ》も|知《し》らぬ|奴《やつ》、|矢張《やつぱ》り|悪《あく》は|悪《あく》なりき。|猫《ねこ》を|冠《かぶ》つた|虎猫《とらねこ》の|蚊々虎《かがとら》さえも|舌《した》を|捲《ま》いて、|泣《な》くにも|泣《な》かれぬ|今《いま》の|仕儀《しぎ》、どうして|恨《うらみ》を|晴《は》らさうか、|今《いま》は|淤縢山津見《おどやまづみ》と、|厳《いか》めしさうな|名《な》をつけて、|肝腎要《かんじんかなめ》の|魂《たましひ》は、|醜《しこ》の|枉津《まがつ》の|醜国別《しこくにわけ》、その|本性《ほんしやう》が|表《あら》はれて、|気《き》の|毒《どく》なりける|次第《しだい》なり。それよりまだまだ|気《き》の|毒《どく》なは、この|山奥《やまおく》で|只《ただ》|一人《ひとり》、|足《あし》の|痛《いた》みし|蚊々虎《かがとら》に、|放《ほつ》とけぼりを|喰《く》はすとは、ホンに|呆《あき》れた|悪魂《あくだま》よ。|玉《たま》の|緒《お》の|命《いのち》の|続《つづ》く|限《かぎ》り、こいつの|後《あと》に|引添《ひつそ》うて、|昔《むかし》の|欠点《あら》を【ヒン】|剥《む》いて、|邪魔《じやま》して|遣《や》らねば|置《お》くものか。ヤア、トンツンテンチンチンチンだ』
『こらこら|蚊々虎《かがとら》、|馬鹿《ばか》な|事《こと》を|云《い》ふな。|貴様《きさま》そら|本性《ほんしやう》か、|心《こころ》からさう|思《おも》つてるのか』
『|本性《ほんしやう》で|無《な》うて|何《な》んとせう』
と|手《て》を|振《ふ》り|口《くち》を|歪《ゆが》め、|身振《みぶ》り|可笑《をか》しく|踊《をど》り|出《だ》したり。
『ハヽヽ|貴様《きさま》は|気楽《きらく》な|奴《やつ》だナ。コンナ|処《ところ》で|狂言《きやうげん》したつて、|見《み》る|者《もの》も、|聞《き》く|者《もの》も|有《あ》りやせぬぞ。|誰《たれ》に|見《み》せる|積《つも》りぢや』
『お|前《まへ》は|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》、これ|丈《だけ》|沢山《たくさん》の|御守護神《ごしゆごじん》が|隙間《すきま》もなしに|聞《き》いて|居《を》るのが|分《わか》らぬか。|俺《わし》はお|前《まへ》に|聞《き》かすのぢや|無《な》い。|其処《そこ》らあたりの|守護神《しゆごじん》に、お|前《まへ》の|恥《はぢ》を|振舞《ふれま》うて|行《ゆ》く|先《さ》き|先《ざ》きで|神懸《かむがか》りさせて、お|前《まへ》の|欠点《あら》を【ヒン】|剥《む》かす|俺《わし》の|仕組《しぐみ》を|知《し》らぬのか。それそれそこにも|守護神《しゆごじん》、それそれあそこにも|守護神《しゆごじん》、|四《よ》つ|足《あし》|身魂《みたま》も|沢山《たくさん》に|面白《おもしろ》がつて|聞《き》いて|居《ゐ》る。|夫《そ》れが|見《み》えぬか|見《み》えないか。お|気《き》の|毒《どく》ぢや、|御気《おんき》の|毒《どく》では|無《な》いかいな』
このとき|幾十万《いくじふまん》とも|知《し》れぬ|叫《さけ》び|声《ごゑ》が|四辺《しへん》を|圧《あつ》して、|蚊《か》の|鳴《な》く|如《ごと》くウワーンと|響《ひび》きぬ。|稍《やや》あつて|幾十万人《すうじふまんにん》の|声《こゑ》として、ウワハヽヽヽとそこら|中《ぢう》から、|声《こゑ》のみが|聞《きこ》え|来《き》たる。|淤縢山津見《おどやまづみ》は|両手《りやうて》を|組《く》み、|顔《かほ》の|色《いろ》を|変《か》へ、|大地《だいち》に|胡坐《あぐら》をかき、|思案《しあん》に|暮《く》るるものの|如《ごと》くなりけり。
|蚊々虎《かがとら》は|俄《にはか》に|顔色《がんしよく》|火《ひ》の|如《ごと》くなり、|両手《りやうて》を|組《く》みしまま|前後左右《ぜんごさいう》に|飛《と》び|廻《まは》り、
『くヽヽくにくにくに
てヽヽてるてる
ひヽヽめヽヽ
くにてるひめ』
と|口《くち》を|切《き》りぬ。
|淤縢山津見《おどやまづみ》は、|直《ただち》に|姿勢《しせい》を|正《ただ》し|両手《りやうて》を|組《く》み|審神《さには》に|着手《ちやくしゆ》したり。
『|一《ひと》、|二《ふた》、|三《み》、|四《よ》、|五《いつ》、|六《むゆ》、|七《なな》、|八《や》、|九《ここの》、|十《たり》、|百《もも》、|千《ち》、|万《よろづ》』
と、|唱《とな》ふる|神文《しんもん》につれて|蚊々虎《かがとら》は|大地《だいち》を|踏《ふ》み|轟《とどろ》かし|踊《をど》り|出《だ》したり。
『|汝《なんぢ》|国照姫《くにてるひめ》とは|何《いづ》れの|神《かみ》なるぞ』
『キヽ|鬼城山《きじやうざん》に|立籠《たてこも》り、|美山彦《みやまひこ》と|共《とも》に|常世姫《とこよひめ》の|命《みこと》の|命令《めいれい》を|奉《ほう》じ、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》を|占領《せんりやう》せむと、|昼夜《ちうや》|苦労《くらう》を|致《いた》した|木常姫《こつねひめ》の|再来《さいらい》、|国照姫《くにてるひめ》であるぞよ。その|方《はう》は|醜国別《しこくにわけ》、|今《いま》は|尊《たふと》き|淤縢山津見司《おどやまづみのかみ》となりて、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|高弟《かうてい》、|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》、|妾《わらは》は|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い|木花姫《このはなひめ》の|神《かみ》に|見出《みいだ》され、アーメニヤの|野《の》に|神都《しんと》を|開《ひら》くウラル|彦《ひこ》と|共《とも》に、|発根《ほつこん》と|改心《かいしん》を|致《いた》して|今《いま》は|尊《たふと》き|誠《まこと》の|神《かみ》と|成《な》り、アーメニヤの|野《の》に|三五教《あななひけう》を|開《ひら》き|神政《しんせい》を|樹立《じゆりつ》し、|埴安彦命《はにやすひこのみこと》の|教《をしへ》を|天下《てんか》に|布《し》くものである。これより|巴留《はる》の|国《くに》に|宣伝《せんでん》の|為《ため》に|出《い》で|行《ゆ》かむとするが、|暫《しばら》く|見合《みあは》して|後《あと》へ|引《ひ》き|返《かへ》し、この|海《うみ》を|渡《わた》つてアーメニヤの|都《みやこ》に|立帰《たちかへ》れ。|巴留《はる》の|国《くに》は|神界《しんかい》の|仕組《しぐみ》|変《かは》つて|日《ひ》の|出神《でのかみ》|自《みづか》ら|御出張《ごしゆつちやう》、ゆめゆめ|疑《うたが》ふな。|国照姫《くにてるひめ》に|間違《まちがひ》は|無《な》いぞよ』
|淤縢山津見《おどやまづみ》は、|全身《ぜんしん》に|力《ちから》を|籠《こ》めて|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、ウンと|一声《いつせい》|蚊々虎《かがとら》の|神懸《かみがか》りに|向《むか》つて|霊光《れいくわう》を|放射《はうしや》したるに、|蚊々虎《かがとら》は|大地《だいち》に|顛倒《てんたう》し、|七転八倒《しちてんはつたう》|泡《あわ》を|吹《ふ》きだしたり。
『|其《その》|方《はう》は|邪神《じやしん》であらう。|今《いま》|吾々《われわれ》の|巴留《はる》の|国《くに》に|到《いた》る|事《こと》を|恐《おそ》れて、この|蚊々虎《かがとら》の|肉体《にくたい》を|使《つか》つて、|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》を|誑《たぶら》かさむとする|枉津《まがつ》の|張本《ちやうほん》、|容赦《ようしや》は|成《な》らぬ。|白状《はくじやう》いたせ』
『|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御使《おんつかひ》、|国照姫《くにてるひめ》に|向《むか》つて|無礼千万《ぶれいせんばん》。|容赦《ようしや》はせぬぞ』
『|容赦《ようしや》するもせぬも|有《あ》つたものか、この|方《はう》から|容赦《ようしや》いたさぬ』
と|云《い》ひながら、|又《また》もやウンと|一声《いつせい》、|右《みぎ》の|食指《ひとさしゆび》を|以《もつ》て|空中《くうちう》に|円《まる》を|画《えが》き|霊縛《れいばく》を|施《ほどこ》しければ、
『イヽ|痛《いた》い|痛《いた》い、|赦《ゆる》せ|赦《ゆる》せハヽ|白状《はくじやう》する。|妾《われ》はヤヽ|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》の|眷属《けんぞく》、|八衢彦《やちまたひこ》である。この|巴留《はる》の|国《くに》は|妾《われ》らが|隠《かく》れ|場処《ばしよ》、いま|汝《なんぢ》に|来《こ》られては|吾々《われわれ》|仲間《なかま》の|一大事《いちだいじ》だから、|国照姫《くにてるひめ》が|改心《かいしん》したと|詐《いつは》つて、|汝《なんぢ》をこの|嶋《しま》よりボツ|返《かへ》す|企《たく》みであつた。|斯《かく》の|如《ごと》く|縛《しば》られては|何《ど》うすることも|出来《でき》ぬ。サアもうこれから|吾々《われわれ》|一族《いちぞく》は、ロッキー|山《ざん》を|指《さ》して|逃《に》げ|行《ゆ》く|程《ほど》に、どうぞ|吾身《わがみ》の|霊縛《れいばく》を|解《と》いて|下《くだ》さい。タヽ|頼《たの》む|頼《たの》む』
『|巴留《はる》の|国《くに》を|立去《たちさ》つて|海《うみ》の|外《そと》に|出《で》て|行《ゆ》くならば|赦《ゆる》してやらう。ロッキー|山《ざん》へは|断《だん》じて|行《ゆ》く|事《こと》ならぬ。どうだ|承知《しようち》か』
|蚊々虎《かがとら》の|神懸《かみがか》りは、|首《くび》を|幾度《いくど》とも|無《な》く|無言《むごん》のまま|縦《たて》に|振《ふ》つてゐる。|淤縢山津見《おどやまづみ》は、ウンと|一声《いつせい》|霊縛《れいばく》を|解《と》けば、|蚊々虎《かがとら》の|身体《しんたい》は|元《もと》の|如《ごと》くケロリとなほり、|流《なが》るる|汗《あせ》を|拭《ぬぐ》ひ|乍《なが》ら、
『あゝ|偉《えら》い|事《こと》だつたワイ。|何《なん》だか|知《し》らぬが|俺《わし》の|身体《からだ》にぶら|下《さが》りよつて、ウスイ|目《め》に|逢《あ》うた。サアサア|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、もういい|加減《かげん》に|行《ゆ》きませうかい。コンナ|処《ところ》に|居《を》つては|碌《ろく》なことは|出来《でき》ませぬよ』
と|正気《しやうき》に|帰《かへ》つた|蚊々虎《かがとら》は|先《さき》に|立《た》つてブラジル|山《ざん》を|西《にし》へ|下《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・二・八 旧一・一二 東尾吉雄録)
第一七章 |敵味方《てきみかた》〔三六七〕
|山頂《さんちやう》の|木《き》を|捻倒《ねぢたふ》す|如《ごと》き|暴風《ばうふう》もピタリと|止《や》みて、|頭上《づじやう》は|酷熱《こくねつ》の|太陽《たいやう》|輝《かがや》き|始《はじ》めたり。|淤縢山津見《おどやまづみ》は、|蚊々虎《かがとら》と|共《とも》にこの|山《やま》を|西《にし》へ|西《にし》へと|下《くだ》りつつ、
『オイ|蚊々虎《かがとら》、|足《あし》はどうだイ。ちつと|軽《かる》くなつたか』
『ハイもう|大丈夫《だいぢやうぶ》です、この|調子《てうし》なれば|如何《どん》な|嶮《けは》しき|山《やま》でも|岩壁《がんぺき》でも、たとへ|千万里《せんまんり》の|道程《みちのり》でも|行《ゆ》ける|様《やう》な|心持《こころもち》になつて|来《き》ましたワ』
『お|前《まへ》はしつかりせぬと|曲津《まがつ》に|取《と》り|憑《つ》かれる|恐《おそ》れがある。|何《なん》と|云《い》つてもまだ|改心《かいしん》が|足《た》らぬから、ちつとも|臍下丹田《あまのいはと》に|魂《たましひ》が|据《す》わつて|居《ゐ》ないので、|種々《いろいろ》の|曲津《まがつ》に|憑《つ》かれるのだよ。それで|足《あし》が|重《おも》くなつたり、|苦《くるし》みたり|弱音《よわね》を|吹《ふ》いたりするのだ。|曲津《まがつ》は|我々《われわれ》のこの|山《やま》を|越《こ》えて|巴留《はる》の|国《くに》へ|行《ゆ》くのを|大変《たいへん》に|恐《おそ》れて|居《ゐ》るのだよ。それで|腹《はら》の|据《す》わらぬお|前《まへ》に|憑《かか》つて|弱音《よわね》を|吹《ふ》かすのだ。|魂《たましひ》さへしつかりすれば、たとへ|億兆《おくてう》の|邪神《じやしん》が|来《き》たとて|指一本《ゆびいつぽん》さへられるものではないよ』
『ほんたうにさうですな、イヤこれからしつかり|致《いた》しませう。|随分《ずゐぶん》|私《わたくし》も|貴下《あなた》の|悪口《わるくち》を|言《い》ひましたが、|赦《ゆる》して|下《くだ》さいますか』
『|赦《ゆる》すも|赦《ゆる》さぬもあつたものか、|皆《みんな》お|前《まへ》に|憑依《ひようい》した|副守《ふくしゆ》が|言《い》つたのだ。お|前《まへ》の|言《い》つたのぢやないワ』
『|三五教《あななひけう》は|甘《うま》い|抜道《ぬけみち》がありますな。あれ|丈《だけ》|私《わたし》が|貴下《あなた》のことを【ぼろ】|糞《くそ》に|云《い》つたつもりだのに、それでもやつぱり|副守《ふくしゆ》が|言《い》つたのですか』
『さうだ。|邪神《じやしん》か|四足《よつあし》の|言葉《ことば》だよ』
『それでも|現《げん》に|私《わたし》が|確《たしか》に|云《い》つた|事《こと》を、|記憶《きおく》して|居《ゐ》ますがなあ』
『サア|記憶《きおく》して|居《ゐ》る|奴《やつ》が|四足《よつあし》だもの、|虎《とら》の|本守護神《ほんしゆごじん》は|奥《おく》の|方《はう》にすつこみて、|副守《ふくしゆ》がアンナ|下《くだ》らぬ|事《こと》を|云《い》ふのだ。|蚊々虎《かがとら》も|副守《ふくしゆ》も、まあ|似《に》た|様《やう》なものだねー』
|蚊々虎《かがとら》『さうすると|私《わたし》が|副守《ふくしゆ》の|四足《よつあし》ですか、そりやあまり|非道《ひど》いぢやありませぬか。|一体《いつたい》|貴下《あなた》のおつしやる|事《こと》は|何《なに》が|何《なん》だか|判《わか》らなくなりましたよ』
『|人間《にんげん》の|云《い》ふことならちつとは、こつちも|怒《おこ》つても|見《み》たり、|理屈《りくつ》を|云《い》うて|見《み》るのだけれども、|何分《なにぶん》|理屈《りくつ》を|言《い》うだけの|価値《ねうち》がないからなー』
『へー|妙《めう》ですなー。テンで|合点《がつてん》の|虫《むし》が|承知《しようち》しませぬわい』
『まあ|好《い》い。|俺《おれ》の|言《い》ふ|通《とほ》りにさへすればよいのだ。その|内《うち》に|身魂《みたま》が|研《みが》けて|本守護神《ほんしゆごじん》が|発動《はつどう》するよ』
|二人《ふたり》はコンナ|話《はな》しに|旅《たび》の|疲労《つかれ》を|忘《わす》れて、ドンドンと|雑木《ざふき》の|茂《しげ》る、|山道《やまみち》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。|傍《かたはら》に|可《か》なり|大《おほ》きな|瀑布《たき》が、|飛沫《ひまつ》を|飛《と》ばして|懸《かか》つてゐる。|見《み》れば|四五人《しごにん》の|荒《あら》くれ|男《をとこ》が|瀑布《たき》の|前《まへ》に|腰打《こしうち》|掛《か》けて、|何《なに》か|面白《おもしろ》さうに|囁《ささや》いてゐた。|二人《ふたり》はその|前《まへ》を|過《よぎ》らむとする|時《とき》、その|中《なか》の|一人《ひとり》の|男《をとこ》が|大手《おほて》を|拡《ひろ》げて|谷道《たにみち》に|立塞《たちふさ》がり、
『オイ|暫《しばら》く|待《ま》つた。お|前《まへ》は|何処《どこ》のものだ。ここは|巴留《はる》の|国《くに》だぞ。|鷹取別《たかとりわけ》の|司《かみ》の|御守護《ごしゆご》|遊《あそ》ばす|御領地《ごりやうち》だ。|他国《たこく》の|者《もの》はこの|滝《たき》より|一人《ひとり》も|前《まへ》へ|進《すす》む|事《こと》を|許《ゆる》さぬのだ。|速《すみや》かに|後《あと》に|引帰《ひきかへ》せ』
と|睨《にら》み|付《つ》ける。|蚊々虎《かがとら》は|腕《うで》を|捲《まく》り|捻鉢巻《ねぢはちまき》をしながら、
『|巴留《はる》の|国《くに》が|何《なん》だ。|鷹取別《たかとりわけ》がどうしたと|言《い》ふのだ。|勿体《もつたい》なくも|三五教《あななひけう》の|大宣伝使《だいせんでんし》|淤縢山津見《おどやまづみ》のお|通《とほ》りだ。|邪魔《じやま》を|致《いた》すと|利益《ため》にならぬぞ』
|途《みち》に|立塞《たちふさ》がつた|男《をとこ》、
『|俺《おれ》は|巴留《はる》の|国《くに》の|関所《せきしよ》を|守《まも》る|荒熊《あらくま》といふ|者《もの》だ。|此《この》|方《はう》の|申《まを》す|事《こと》を|聞《き》かずに|通《とほ》るなら|通《とほ》つて|見《み》よ。|利益《ため》にならぬぞ』
『よう|吐《ぬ》かしよつたな。|俺《おれ》が|為《ため》にならぬと|云《い》へば、|猿《さる》の|人真似《ひとまね》をしよつて|為《ため》にならぬと|吐《ほざ》きよる。ウンそれも|判《わか》つて|居《ゐ》る。|人《ひと》に|物《もの》を|貰《もら》つて|返《かへ》しにお|返礼《ため》を|出《だ》す|事《こと》がある。オツトドツコイ|貰《もら》ひ|言葉《ことば》に|返《かへ》し|言葉《ことば》、しやれるない。|俺《おれ》を|一体《いつたい》|何《なん》と|心得《こころえ》てをる。|俺《おれ》は|貴様《きさま》のやうな|副守《ふくしゆ》の|容器《いれもの》になつた|四足魂《よつあしみたま》とは|訳《わけ》が|違《ちが》ふのだ。|本守護神様《ほんしゆごじんさま》の|御発動《ごはつどう》なされる|正味《しやうみ》|生粋《きつすゐ》の|蚊々虎《かがとら》の|狼《おほかみ》だぞ。|下《した》におれ|下《した》におれ。|神様《かみさま》のお|通《とほ》りに|邪魔《じやま》ひろぐと|貴様《きさま》の|為《ため》にならぬぞ。コラ|荒熊《あらくま》もうお|返礼《ため》は|要《い》らぬぞよ』
『|此奴《こいつ》は|執拗《しぶと》い|奴《やつ》ぢや。オイ|皆《みな》の|者《もの》|来《こ》ぬか|来《こ》ぬか。|五人《ごにん》|寄《よ》つてこの|黒《くろ》ん|坊《ばう》を|倒《の》ばしてしまへ』
『アハヽヽヽ、|蚊々虎《かがとら》は|流石《さすが》に|虎《とら》さまだ。|俺《おれ》|一人《ひとり》に|五人《ごにん》も|掛《かか》らねば、どうする|事《こと》も|出来《でき》ぬとは、|貴様《きさま》らが|弱《よわ》いのか、|俺《おれ》が|強《つよ》いのか、|根《ね》つから|葉《は》つから|分《わか》らぬ。ヤイ|荒熊《あらくま》の|五《いつ》つ|一《いち》|美事《みごと》|掛《かか》るなら|掛《かか》つて|見《み》よ』
と|拳《こぶし》を|握《にぎ》り、|腕《うで》をニユツと|前《まへ》に|突《つ》き|出《だ》し、|黒《くろ》い|目《め》をグルグルと|剥《む》いて|見《み》せる。
『ヤイ|貴様《きさま》あ、|何処《どこ》の|馬《うま》の|骨《ほね》か、|牛《うし》の|骨《ほね》か|知《し》らぬが、|偉《えら》う|威張《ゐば》る|奴《やつ》だナ。もうそれ|丈《だけ》か、もつと|目《め》を|剥《む》け、|鼻《はな》を|剥《む》け、|口《くち》を|開《ひら》け、お|化《ばけ》|奴《め》が』
『|言《い》はして|置《お》けば|何《なに》を|吐《ぬ》かすか|判《わか》りやしない。|愚図々々《ぐづぐづ》|吐《ぬ》かすとこの|鉄拳《てつけん》で|貴様《きさま》の|横面《よこつら》を、カンカンと|蚊々虎《かがとら》さまが|巴留《はる》の|国《くに》だぞ』
『オイオイ|掛《かか》れ|掛《かか》れ。|伸《の》ばせ|伸《の》ばせ』
と|荒熊《あらくま》が|下知《げち》するを、|蚊々虎《かがとら》は|両方《りやうはう》の|手《て》に|唾《つばき》しながら、
『サア|来《こ》い、|五《いつ》つ|一《いち》、|一匹《いつぴき》|二匹《にひき》は|面倒《めんだう》だ。|一同《いちどう》|五人《ごにん》の|奴《やつ》、|束《たば》になつて|束《たばね》て|一度《いちど》にかかれ』
『|何《なん》だ、|割木《わりき》か、|柴《しば》のやうに|束《たば》になつてかかれと、その|広言《くわうげん》は|後《あと》にせえ。|吠面《ほえづら》かわくな、|後《あと》の|後悔《こうくわい》は|間《ま》に|合《あ》はぬぞ』
と|前後左右《ぜんごさいう》より|蚊々虎《かがとら》に|武者振《むしやぶ》りつく。
『ヤー、わりとは|手対《てごた》へのある|奴《やつ》だ。もしもし、センセン|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|鎮魂《ちんこん》だ、|鎮魂《ちんこん》だ、ウンと|一《ひと》つやつて|下《くだ》さいな』
『マー|充分《じゆうぶん》|揉《もま》れたがよからうよ。あまり|貴様《きさま》は|腮《あご》が|達者《たつしや》だから、|鼻《はな》の|一《ひと》つも|捻《ね》ぢ|折《を》つて|貰《もら》へ。アハヽヽヽ』
『そりやあまり|胴慾《どうよく》ぢや、|聞《きこ》えませぬ。コンナ|時《とき》に|助《たす》けて|下《くだ》さるのが|宣伝使《せんでんし》ぢやないか、|人《ひと》を|見殺《みごろ》しになさるのか。もしもし、もうそれそれ|今《いま》|腕《うで》を|抜《ぬ》かれる。イヽヽヽイツターイ|腕《うで》が|抜《ぬ》ける。コラ|荒熊《あらくま》、|荒《あら》い|事《こと》するな。|柔《やはら》かに|喧嘩《けんくわ》せぬかい』
『|喧嘩《けんくわ》するに|固《かた》いも|柔《やはら》かいもあるか。この|鉄拳《てつけん》を|喰《くら》へ』
と|云《い》ふより|早《はや》くポカリと|打《う》つ。|四人《よにん》は|蚊々虎《かがとら》の|左右《さいう》の|手足《てあし》に|確《しつか》りと、|獅噛《しがみ》|付《つ》きゐる。
『オイ|四人《よにん》の|者共《ものども》それを|放《はな》すな。これからこの|蚊々虎《かがとら》の|身体《からだ》を|突《つ》かうと|殴《なぐ》らうと|俺《おれ》の|勝手《かつて》だ』
『オイ|突《つ》くのも|撲《な》ぐるのもよいが、あまり|酷《ひど》いことをするなよ。ちつと|負《ま》けとけ、|割引《わりびき》せい』
『|俺《おれ》は|負《ま》けと|云《い》つたつて、|喧嘩《けんくわ》に|負《ま》けるのは|嫌《きら》ひだ。|木挽《こびき》なら|何《ど》の|様《やう》にも|割挽《わりび》くが|俺《おれ》や|止《や》めた、|嫌《いや》だ。|貴様《きさま》の|生首《なまくび》をこれから|捻《ね》ぢ|切《き》つてやるのだ。アー|面白《おもしろ》いドツコイ、|貴様《きさま》の|面《つら》ぢや|面黒《おもくろ》いワイ。ワハヽヽヽ』
と|笑《わら》ふ|途端《とたん》に|崖《がけ》から|谷底《たにそこ》|目《め》がけてヅデンドウと|落込《おちこ》みける。|四人《よにん》は|驚《おどろ》いて|掴《つか》まへた|手足《てあし》を|放《はな》したれば、|蚊々虎《かがとら》は|元気《げんき》づき、
『さあ|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|貴様《きさま》らもこの|谷底《たにそこ》へみんな|葬《はうむ》つてやらう』
|四人《よにん》は|慄《ふる》ひ|戦《をのの》き、|岩《いは》に|獅噛《しがみ》|付《つ》いて|居《ゐ》る。
『アハヽヽ、|俺《おれ》の|真正面《ましやうめん》に|来《き》よつて、この|方《はう》の|霊光《れいくわう》に|打《う》たれたと|見《み》えて、|荒熊《あらくま》|奴《め》が|仰向《あふむ》けに|谷底《たにぞこ》に【ひつくり】|返《かへ》つた。オイ|荒熊《あらくま》の|乾児《こぶん》|共《ども》、|面《つら》を|上《あげ》ぬかい。|俺《おれ》の|霊光《れいくわう》に【ひつくり】|返《かへ》してやらうかい。もう|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。もしもし|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|貴方《あなた》はあまり|卑怯《ひけふ》ぢやないですか。|味方《みかた》の|味方《みかた》をせずに|敵《てき》の|味方《みかた》をするとはよつぽど|好《よ》い|唐変木《たうへんぼく》ですよ。それだから|貴方《あなた》はおーどーやーまーづーみーと|云《い》ふのだ。この|蚊々虎《かがとら》の|御神力《ごしんりき》に|恐《おそ》れ|入《い》つたらう。これからは|荷物《にもつ》|持《も》ちになれ』
と|云《い》つて|大法螺《おほぼら》を|吹《ふ》きながら|四辺《あたり》を|見《み》れば、|宣伝使《せんでんし》の|影《かげ》は|煙《けぶり》と|消《き》えて|見《み》えざりけり。
『あゝ|弱《よわ》い|宣伝使《せんでんし》だな。|此奴《こやつ》もまた|谷底《たにそこ》に|放《ほ》られたのか|知《し》らぬ、あゝ|気《き》の|毒《どく》なことだ。|袖振《そでふ》り|合《あ》ふも|多生《たしやう》の|縁《えん》、|躓《つまづ》く|石《いし》も|縁《えん》の|端《はし》、|折角《せつかく》ここまでやつて|来《き》たものの、|荒熊《あらくま》と|一緒《いつしよ》に|谷底《たにそこ》に|放《はう》られてしまうたか、エー|気《き》の|毒《どく》ぢや、アー|人間《にんげん》と|云《い》ふものは|判《わか》らぬものだナア。|今《いま》まで|偉《えら》さうに|蚊々虎《かがとら》|々々々《かがとら》だのと|昔《むかし》の【かばち】を|出《だ》しよつて、|偉《えら》さうに|言《い》つて|居《ゐ》たのが、この|悲惨《みじめ》な|態《ざま》は|何《なん》の|事《こと》かい。|昔《むかし》は|昔《むかし》、|今《いま》は|今《いま》ぢや』
と|調子《てうし》に|乗《の》つて|四人《よにん》の|男《をとこ》を|前《まへ》に|据《す》ゑ、|一人《ひとり》|御託《ごうたく》を|並《なら》べて|居《ゐ》る。そこへ|流暢《りうちやう》な|声《こゑ》で、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る
この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》』
と|云《い》ふ|宣伝歌《せんでんか》|聞《きこ》え|来《き》たりぬ。
『ヨウまた|宣伝使《せんでんし》か、|誰《たれ》だらう。|谷底《たにそこ》へ|嵌《はま》つた|幽霊《いうれい》の|声《こゑ》にしては、|何《な》んとなしに|力《ちから》がある。ハテナ、|怪体《けつたい》な|事《こと》があれば|有《あ》るものぢや』
と|独語《ひとりごと》を|云《い》つてゐると、そこへ|淤縢山津見《おどやまづみ》は|谷底《たにそこ》に|落《お》ちたる|荒熊《あらくま》を、|背《せ》に|負《お》ひ|労《いたは》り|乍《なが》ら|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひつつ|上《のぼ》り|来《き》たり。
『ヤヤ バヽ|化《ば》け|者《もの》が、よう|化《ば》けよつたナア』
『オイオイ|蚊々虎《かがとら》、|俺《おれ》だよ。|化物《ばけもの》でも|何《なん》でもない|真実者《ほんまもの》だ。|宣伝使《せんでんし》は|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る|役《やく》だ。|貴様《きさま》があまり|御託《ごうたく》を|並《なら》べるから|同情《どうじやう》は|出来《でき》ない。|却《かへ》つて|俺《おれ》は|荒熊《あらくま》に|同情《どうじやう》してこの|危難《きなん》を|助《たす》けたのだ。|神《かみ》の|道《みち》には|敵《てき》も|味方《みかた》もあるものか。|三五教《あななひけう》の|御主旨《ごしゆし》は【|味方《みかた》の|中《なか》に|敵《てき》が|居《を》り】、【|敵《てき》の|中《なか》にも|味方《みかた》が|在《あ》る】と|教《をし》へられてある。|貴様《きさま》は|俺《おれ》の|味方《みかた》でありながら|神様《かみさま》の|御心《みこころ》を|取違《とりちが》ひ|致《いた》して、|却《かへつ》て|敵《てき》になるのだ。この|荒熊《あらくま》さまは|吾々《われわれ》に|対《たい》して|無茶《むちや》なことを|云《い》ひ、|吾々《われわれ》の|通路《つうろ》を|妨《さまた》げる|敵《てき》の|様《やう》だが、|敵《てき》を|敵《てき》とせず、|敵《てき》が|却《かへつ》て|味方《みかた》となる|教《をしへ》だ。どうだ|合点《がつてん》が|行《い》つたか』
|蚊々虎《かがとら》は|怪訝《けげん》な|顔《かほ》して、
『へー』
と|味《あぢ》のない|味噌《みそ》を|喰《くら》つた|様《やう》な|顔《かほ》をして、|首《くび》を|傾《かたむ》け|指《ゆび》をくはへ、アフンとして|山道《やまみち》に|佇立《ちよりつ》しゐたり。
(大正一一・二・八 旧一・一二 谷村真友録)
第一八章 |巴留《はる》の|関守《せきもり》〔三六八〕
|激潭《げきたん》|飛沫《ひまつ》|囂々《がうがう》と|音《おと》|騒《さわ》がしき|千仭《せんじん》の|谷間《たにま》に、|身《み》を|躍《をど》らして|飛《と》び|入《い》り、|重傷《ぢうしやう》に|悩《なや》む|荒熊《あらくま》を|助《たす》け|起《おこ》して|吾《わが》|背《せ》に|負《お》ひ、|漸《やうや》く|此処《ここ》に|駆上《かけあが》つて|来《き》た|淤縢山津見《おどやまづみ》は、|荒熊《あらくま》を|大地《だいち》に|下《おろ》して|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し|鎮魂《ちんこん》を|施《ほどこ》し、|頭部《とうぶ》の|傷所《きずしよ》に|向《むか》つて|息《いき》を|吹《ふ》きかけたるに、|不思議《ふしぎ》や|荒熊《あらくま》の|負傷《ふしやう》は|拭《ぬぐ》ふが|如《ごと》く|癒《い》え、|苦痛《くつう》も|全《まつた》く|止《と》まりて|元《もと》の|身体《からだ》に|復《ふく》したり。|荒熊《あらくま》は|大地《だいち》に|両手《りやうて》をつき|高恩《かうおん》を|涙《なみだ》と|共《とも》に|感謝《かんしや》し、|且《か》つ|無礼《ぶれい》を|陳謝《ちんしや》したりける。
『オイ|荒《あら》さま、ドツコイ|黒坊《くろんぼう》の|熊《くま》さま、|三五教《あななひけう》の|御神徳《ごしんとく》とはコンナものだい。|耳《みみ》の|穴《あな》を|浚《さら》つて【とつくり】と|聞《き》かう。エヘン、|蚊々虎様《かがとらさま》の』
と|云《い》ひつつ|指《ゆび》の|先《さき》で|鼻《はな》を|押《お》さへながら、
『この|大《おほ》きな|鼻《はな》の|穴《あな》から【フン】と|伊吹《いぶき》をやつたが|最後《さいご》、|貴様《きさま》は|蠑〓《いもり》が|泥《どろ》に|酔《よ》つたやうに|大《おほ》きな|口《くち》を|開《あ》けよつて、アヽアーと|虚空《こくう》を|掴《つか》んで|仰向《あふむ》けに|顛覆《ひつくり》|返《かへ》つたが|最後《さいご》、この|深《ふか》い|深《ふか》い|谷底《たにそこ》へ【スツテンドウ】と|顛覆《ひつくり》|返《かへ》つて|頭《あたま》を|打《う》ち|割《わ》つて、「アイタツタツタ、コイタツタツタ、アーア|今日《けふ》は|如何《いか》なる|悪日《あくじつ》かと、|処《ところ》もあらうにコンナ|深《ふか》い|深《ふか》い|谷底《たにそこ》へ|取《と》つて|放《ほ》られ、|此処《ここ》で|死《し》ぬのか、|後《あと》で|女房《にようばう》は|嘸《さぞ》やさぞ、|悔《くや》むであらう。|死《し》ぬるこの|身《み》は|厭《いと》はねど、|昨日《きのふ》に|変《かは》る|今日《けふ》の|空《そら》、|定《さだ》め|無《な》き|世《よ》と|云《い》ひながら、さてもさてもあまりだわ、|不運《ふうん》が|重《かさ》なれば|重《かさ》なるものか、と|云《い》つて|女房《にようばう》が|泣《な》くであらう」などと|下《くだ》らぬ|事《こと》を、|河鹿《かじか》のやうに、|谷水《たにみづ》に|漬《つか》つて|吐《ほざ》きよつた|其処《そこ》へ、|天道《てんだう》は|人《ひと》を|殺《ころ》さず、|三五教《あななひけう》の|俺《おい》らの|先生様《せんせいさま》の|醜国別《しこくにわけ》オツトドツコイ|淤縢山津見様《おどやまづみさま》が|悠然《いうぜん》として|現《あら》はれたまひ、|摂取不捨《せつしゆふしや》、|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|大御心《おほみこころ》をもつてお|助《たす》け|遊《あそ》ばしたのだよ。|何《なん》と|有難《ありがた》いか、|勿体《もつたい》ないか、エーン|改心《かいしん》を|致《いた》せ、|慢心《まんしん》は|大怪我《おほけが》の|基《もと》だぞよ。|慢心《まんしん》するとその|通《とほ》り、|谷底《たにそこ》に|落《お》ちて|酷《ひど》い|目《め》に|遇《あ》つてアフンと|致《いた》さねばならぬぞよと、|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》は|仰有《おつしや》るのだ。その|実地正真《じつちしやうまつ》を|此《この》|方《はう》がして|見《み》せてやつたのだぞ。|改心《かいしん》ほど|結構《けつこう》なものは|無《な》いぞよ。エヘン』
『コラ、コラ|蚊々虎《かがとら》、|黙《だま》らぬか。|何《なん》といふ|法螺《ほら》を|吹《ふ》く、|神様《かみさま》の|教《をしへ》を|聞《き》きかじりよつて、|仕方《しかた》のない|奴《やつ》だ。|黙《だま》つて|俺《おれ》の|云《い》ふ|事《こと》を|聴《き》いて|居《を》れ』
『ヘン、|大勢《おほぜい》のところで|耻《はぢ》を|掻《か》かさいでも、ちつとは|俺《おれ》に|花《はな》を|持《も》たして|呉《く》れてもよささうなものだなあ』
と|小声《こごゑ》にて|呟《つぶや》く。|荒熊《あらくま》は|宣伝使《せんでんし》の|顔《かほ》をじつと|見上《みあ》げ、
『ヨウヨウ、|貴下《あなた》は|醜国別《しこくにわけ》|様《さま》では|無《な》かつたか』
『ヤヽさういふお|前《まへ》は|高彦《たかひこ》ではなかつたか。これはこれは|妙《めう》な|処《ところ》で|遇《あ》うたものだ。|一体《いつたい》お|前《まへ》はコンナ|処《ところ》へどうして|来《き》たのだ。|常世会議《とこよくわいぎ》の|時《とき》には|随分《ずゐぶん》|偉《えら》い|元気《げんき》で|弥次《やじ》りよつたが、かうなつた|訳《わけ》を|聞《き》かして|呉《く》れないか』
『ハイ、ハイ、|委細《ゐさい》|包《つつ》まず|申上《まをしあ》げますが、|併《しか》しながら、|貴下《あなた》は|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》の|宰相《さいしやう》|醜国別《しこくにわけ》|様《さま》、|一旦《いつたん》|幽界《あのよ》とやら|遠《とほ》い|国《くに》へお|出《いで》になつたと|云《い》ふ|事《こと》だのに、どうしてまあ|此処《ここ》へお|越《こ》しになつたのか、ユヽ|幽霊《いうれい》ぢや|無《な》からうかナア』
『|幽霊《いうれい》でも|何《なん》でもない』
|実《じつ》は|斯様々々《かやうかやう》でと、|有《あり》し|来歴《らいれき》を|詳細《しやうさい》に|物語《ものがた》り、|高彦《たかひこ》の|経歴談《けいれきだん》を|熱心《ねつしん》に|聴《き》き|入《い》りぬ。|高彦《たかひこ》は|両眼《りやうがん》に|涙《なみだ》を|湛《たた》へながら、
『|私《わたくし》は|貴下《あなた》が|宰相《さいしやう》として|大自在天《だいじざいてん》にお|仕《つか》へ|遊《あそ》ばした|頃《ころ》は、|貴下《あなた》のお|加護《かげ》で|相当《さうたう》な|立派《りつぱ》な|役《やく》を|与《あた》へられ、|肩《かた》で|風《かぜ》を|切《き》つて|歩《ある》いたものでございますが、|貴下《あなた》の|御帰幽後《ごきいうご》は|鷹取別《たかとりわけ》の|天下《てんか》となり、|悪者《わるもの》のために|讒言《ざんげん》されて|常世神王様《とこよしんわうさま》の|勘気《かんき》を|蒙《かうむ》り、|常世国《とこよのくに》を|叩《たた》き|払《はら》ひにされて|妻子《さいし》|眷属《けんぞく》は|離散《りさん》し、|私《わたくし》は|何処《どこ》へ|取《とり》つく|島《しま》もなく、|寄《よ》る|辺《べ》|渚《なぎさ》の|捨小舟《すてをぶね》、|漸《やうや》く|巴留《はる》の|国《くに》に|押《お》し|流《なが》され、|夜《よる》に|紛《まぎ》れてこの|国《くに》に|上《あが》り、|労働者《らうどうしや》となつて|働人《はたらきにん》の|仲間《なかま》に|紛《まぎ》れ|込《こ》み、|些《すこ》し|力《ちから》のあるを|幸《さいはひ》に|今《いま》は|僅《わづか》に|五人頭《ごにんがしら》となつて、この|巴留《はる》の|国《くに》の|関守《せきもり》となり、|面白《おもしろ》からぬ|月日《つきひ》を|送《おく》つて|居《を》ります。この|巴留《はる》の|国《くに》には|常世神王《とこよしんわう》の|勢力《せいりよく》|侮《あなど》り|難《がた》く|今《いま》また|伊弉冊命《いざなみのみこと》|様《さま》が|何処《どこ》からかお|出《いで》になつて、ロッキー|山《ざん》にお|鎮《しづ》まりなされ、|常世神王《とこよしんわう》の|勢力《せいりよく》ますます|旺盛《わうせい》となり、この|巴留《はる》の|国《くに》は|鷹取別《たかとりわけ》の|御領地《ごりやうぶん》で、それはそれは|大変《たいへん》|厳《きび》しい|制度《せいど》を|布《し》かれ、|他国《たこく》の|者《もの》は|一人《ひとり》もこの|国《くに》へ|這入《はい》れない|事《こと》になつて|居《ゐ》ます。|万一《まんいち》これから|先《さき》へ|貴下《あなた》がお|越《こ》しなさるやうな|事《こと》があれば、|私《わたくし》は|関守《せきもり》としての|役《やく》が|勤《つと》まらず、|鷹取別《たかとりわけ》の|面前《めんぜん》に|引《ひ》き|出《だ》され、|裁《さば》きを|受《う》けねばなりませぬ。その|時《とき》|私《わたくし》の|顔《かほ》を|見知《みし》つてゐる|鷹取別《たかとりわけ》はヤア|貴様《きさま》は|高彦《たかひこ》ではないか、と|睨《にら》まれやうものなら、|又《また》もやこの|国《くに》を|叩《たた》き|払《ばら》ひにされて|辛《えら》い|目《め》に|遇《あ》はねばならぬ。|折角《せつかく》|命《いのち》を|助《たす》けて|貰《もら》つて、その|御恩《ごおん》も|返《かへ》さず、これから|元《もと》へ|帰《かへ》つて|下《くだ》さいと|申上《まをしあ》げるは|恩《おん》を|仇《あだ》にかへす|道理《だうり》、ぢやと|申《まを》して|行《い》つて|貰《もら》へば|今《いま》|申《まを》す|通《とほ》りの|破目《はめ》に|遇《あ》はねばならず、|貴下《あなた》がお|出《いで》になるならば、この|関守《せきもり》の|荒熊《あらくま》の|首《くび》を|刎《は》ねて|行《い》つて|下《くだ》さい』
と|滝《たき》の|如《ごと》き|涙《なみだ》を|垂《た》らして|大地《だいち》に|泣《な》き|伏《ふ》しける。|蚊々虎《かがとら》は|笑《わら》ひ|出《だ》し、
『ウワハヽ|弱《よわ》い|奴《やつ》ぢや。|何《なん》だい、|高《たか》の|知《し》れた|鷹取別《たかとりわけ》、|彼奴《あいつ》がそれほど|恐《おそ》ろしいのか。|俺《おれ》の|鼻息《はないき》で|貴様《きさま》を|吹《ふ》き|飛《と》ばしたやうに、|鷹取別《たかとりわけ》もまた|吹《ふ》き|飛《と》ばしてやるワイ。エヽ|心配《しんぱい》するな、|蚊々虎《かがとら》に|従《つ》いて|来《こ》い、|俺《おれ》が|貴様《きさま》を|巴留《はる》の|国《くに》の|王様《わうさま》に|為《し》てやるのだ。|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い』
『オイ|蚊々虎《かがとら》、|貴様《きさま》は|口《くち》が|過《す》ぎる。この|国《くに》の|守護神《しゆごじん》が、|其辺《そこら》|一面《いちめん》に|聞《き》いてをるぞ』
|折《をり》から|吹《ふ》き|来《く》る|夏《なつ》の|風《かぜ》、この|場《ば》の|囁《ささや》きを|乗《の》せて|巴留《はる》の|都《みやこ》へ|送《おく》り|行《ゆ》く。
(大正一一・二・八 旧一・一二 加藤明子録)
第四篇 |巴留《はる》の|国《くに》
第一九章 |刹那心《せつなしん》〔三六九〕
|淤縢山津見《おどやまづみ》の|宣伝使《せんでんし》は|大地《だいち》に|伏《ふ》したる|荒熊《あらくま》に|向《むか》ひ、
『|高彦《たかひこ》|殿《どの》、|貴下《あなた》は|今《いま》まで|大胆不敵《だいたんふてき》の|強者《つはもの》なりしに|今《いま》|斯《か》く|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》の|精神《せいしん》になられたのは、|察《さつ》するに|貴下《あなた》の|身体《しんたい》には、|邪神《じやしん》|悪鬼《あくき》が|憑依《ひようい》して、|天授《てんじゆ》の|身魂《みたま》を|弱《よわ》らせ|臆病者《おくびやうもの》と|堕落《だらく》せしめたるならむ。|凡《すべ》て|人《ひと》は|心《こころ》に|悪《あく》ある|時《とき》は|物《もの》を|恐《おそ》れ、【|心《こころ》に|誠《まこと》ある|時《とき》は|物《もの》を|恐《おそ》れず】、|吾《われ》は|是《これ》より|貴下《あなた》の|魂《みたま》を|入《い》れ|替《か》へせむ。|暫《しばら》くここに|瞑目《めいもく》|静坐《せいざ》されよ』
と|厳命《げんめい》したるに、|荒熊《あらくま》は|唯々諾々《ゐゐだくだく》として、|命《めい》のまにまに|両手《りやうて》を|組《く》み、|路上《ろじやう》に|瞑目《めいもく》|静坐《せいざ》したり。
|宣伝使《せんでんし》は|双手《もろて》を|組《く》み、|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》の|神嘉言《かむよごと》を|奏上《そうじやう》し|終《をは》つて、|左右《さいう》の|手《て》を|組《く》みたるまま|食指《ひとさしゆび》の|指頭《しとう》より|霊光《れいくわう》を|発《はつ》しつつ、|荒熊《あらくま》の|全身《ぜんしん》を|照《てら》したり。|荒熊《あらくま》は|忽《たちま》ち|身体《しんたい》|動揺《どうえう》し|始《はじ》め|前後左右《ぜんごさいう》に|荒《あ》れ|狂《くる》ひ、【キヤツ】と|一声《いつせい》|大地《だいち》に|倒《たふ》れたるその|刹那《せつな》、|今《いま》まで|憑依《ひようい》せる|悪霊《あくれい》は、|拭《ぬぐ》ふが|如《ごと》く|彼《かれ》が|身体《しんたい》より|脱出《だつしゆつ》したり。|宣伝使《せんでんし》は『|赦《ゆる》す』と|一声《いつせい》|呼《よ》ばはると|共《とも》に|荒熊《あらくま》は|元《もと》の|身体《からだ》に|復《ふく》し、|心中《しんちう》|英気《えいき》に|満《み》ち|顔《かほ》の|色《いろ》さへ|俄《にはか》に|華《はな》やかに|成《な》り|来《き》たりぬ。
|荒熊《あらくま》は|突立《つつたち》|上《あが》り|大地《だいち》を|踏《ふ》み|轟《とどろ》かし、
『|吾《われ》こそは|元《もと》を|糺《ただ》せば、|大自在天《だいじざいてん》の|宰相《さいしやう》|醜国別《しこくにわけ》の|御片腕《おんかたうで》、|一時《いちじ》の|失敗《しつぱい》より|心魂阻喪《しんこんそさう》し、|千思《せんし》|万慮《ばんりよ》の|結果《けつくわ》|度《ど》を|失《うしな》ひて、|八岐大蛇《やまたのをろち》に|憑依《ひようい》され、|風《かぜ》の|音《おと》、|雨《あめ》の|響《ひび》きにも|心《こころ》を|痛《いた》め|茅《かや》の|穂《ほ》にも|戦《をのの》き|恐《おそ》れ、|折角《せつかく》|神《かみ》より|受《う》けたる|吾《わ》が|御魂《みたま》も、|殆《ほとん》ど|潰《つい》え|果《は》て、|弱《よわ》り|切《き》りたるその|所《ところ》へ、|如何《いか》なる|神《かみ》の|引《ひ》き|合《あは》せか、|昔《むかし》|仕《つか》へし|醜国別《しこくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》に、|人跡《じんせき》|稀《まれ》なるこの|山奥《やまおく》に|廻《めぐ》り|合《あ》ひ、|危難《きなん》を|救《すく》はれ、|日頃《ひごろ》|吾身《わがみ》を|冒《をか》しゐたる|悪鬼《あくき》|邪神《じやしん》を|取払《とりはら》はれ、|心《こころ》は|晴《は》れて|大空《おほぞら》の|月《つき》の|如《ごと》く|輝《かがや》き|渡《わた》り、|澄《す》みきりたり。|最早《もはや》かくなる|上《うへ》は|幾百万《いくひやくまん》の|敵軍《てきぐん》も、|億兆《おくてう》|無数《むすう》の|曲神《まがかみ》も、|真澄《ますみ》の|鏡《かがみ》|振《ふ》りはへて、|誠《まこと》の|剣《つるぎ》|抜《ぬ》き|持《も》たし、|縦横無尽《じうわうむじん》に|切《き》りまくり|天地《てんち》に|轟《とどろ》く|言霊《ことたま》の|力《ちから》に、|巴留《はる》の|都《みやこ》に|蟠《わだか》まる、|鷹取別《たかとりわけ》を|言向《ことむ》けて|功績《いさを》を|立《た》てむ。|嗚呼《ああ》|嬉《うれ》しし|嬉《うれ》しし|悦《よろこ》ばし』
と|腕《うで》を|叩《たた》いて|雄叫《をたけ》びしたり。
|宣伝使《せんでんし》は|満面《まんめん》に|笑《ゑみ》を|湛《たた》へ、
『あゝ|勇《いさ》ましし|勇《いさ》ましし。|高彦《たかひこ》|殿《どの》これより|巴留《はる》の|都《みやこ》に|向《むか》はむ、|案内《あんない》されよ』
と、|先《さき》に|立《た》ちて|行《ゆ》かむとするを、|高彦《たかひこ》は|袖《そで》を|扣《ひか》へて、
『|暫《しばら》くお|待《ま》ち|下《くだ》さいませ。この|先《さき》には|数万《すうまん》の|群衆《ぐんしう》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|当国《たうごく》に|押《お》し|寄《よ》せ|来《きた》ると|聞《き》き|軍勢《ぐんぜい》を|整《ととの》へ、|伏兵《ふくへい》を|設《まう》けて|待《ま》ち|居《を》れば、|如何《いか》に|神徳《しんとく》|高《たか》くとも|軽々《かるがる》しく|進《すす》むべからず、|一《ひ》と|先《ま》づ|我《われ》は|様子《やうす》を|窺《うかが》ひ|報告《はうこく》|仕《つかまつ》らむ。|暫《しばら》く|此所《ここ》に|待《ま》たせ|給《たま》へ』
と、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|駆《か》け|出《だ》したり。
|蚊々虎《かがとら》は|肘《ひぢ》を|張《は》り、|右《みぎ》の|手《て》の|拳《こぶし》を|固《かた》めて|左《ひだり》の|利《き》き|腕《うで》を|打《う》ち|敲《たた》きながら、
『たとへ|悪魔《あくま》の|軍勢《ぐんぜい》|幾百万《いくひやくまん》|押《お》し|寄《よ》せ|来《きた》る|共《とも》、この|蚊々虎《かがとら》が|腕《うで》に|任《まか》せ、|寄《よ》せ|来《く》る|敵《てき》を|縦横無尽《じうわうむじん》に|打《う》ち|伏《ふ》せ|張《は》り|倒《たふ》し、|一泡《ひとあわ》|吹《ふ》かせて|呉《く》れむ。ヤー|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し、|吾《わが》|一生《いつしやう》の|腕試《うでだめ》し、|腕《うで》が|折《を》れるか|千切《ちぎ》れるか、|蚊々虎《かがとら》の|隠《かく》し|力《ちから》の|現《あらは》れ|時《どき》、サアサア|出《で》て|来《こ》い、やつて|来《こ》い。|役《やく》にも|立《た》たぬ|蠅虫《はへむし》|奴《め》ら、この|蚊々虎《かがとら》の|鼻息《はないき》に|百《ひやく》や|二百《にひやく》の|木端武者《こつぱむしや》、|吹《ふ》いて|吹《ふ》いて|吹捲《ふきまく》り……』
『その|広言《くわうげん》は|後《あと》の|事《こと》だ、さう|今《いま》から|力《りき》むとまさかの|時《とき》に|力《ちから》が|抜《ぬ》けて|了《しま》ふぞ、|蚊々虎《かがとら》』
『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、オー|此処《ここ》な|四人《よにん》の|守護神《しゆごじん》、|人間様《にんげんさま》、|心配《しんぱい》するなよ。|俺《おれ》の|力《ちから》をお|前達《まへたち》は|知《し》らぬから|取越苦労《とりこしくらう》をするが、|神《かみ》の|道《みち》に|取越苦労《とりこしくらう》は|大禁物《だいきんもつ》ぢや。|今《いま》と|云《い》ふこの|刹那《せつな》が|勝敗《しようはい》の|分《わか》るる|所《ところ》、|最初《さいしよ》から|敵《てき》を|恐《おそ》れてどうならうか、|戦《たたか》はぬ|内《うち》から|蚊々虎《かがとら》は|敵《てき》を|呑《の》んで|居《ゐ》るのだ。|臆病風《おくびやうかぜ》に|誘《さそ》はれては|成《な》らないぞ。この|蚊々虎《かがとら》さまがブラジル|峠《たうげ》を|登《のぼ》つて|来《く》る|時《とき》に、|道《みち》の|両方《りやうはう》に|雲霞《うんか》の|如《ごと》き、|数限《かずかぎ》りも|知《し》れぬ|沢山《たくさん》の|敵《てき》が、|俺等《おれたち》を|待《ま》ち|伏《ふ》せて|居《ゐ》た。その|時《とき》この|宣伝使《せんでんし》を|傍《かたはら》の|木《き》の|蔭《かげ》に|忍《しの》ばせ|置《お》き、|数万《すうまん》の|敵《てき》に|向《むか》つて|大音声《だいおんじやう》。ヤーイ|皆《みな》の|奴《やつ》|木端武者《こつぱむしや》|共《ども》、|俺《おれ》を|何《なん》と|心得《こころえ》てゐる。この|方《はう》は|広《ひろ》い|世界《せかい》に|二人《ふたり》とない|智勇《ちゆう》|兼備《けんび》の|天下《てんか》の|豪傑《がうけつ》|蚊々虎《かがとら》さまとは|吾事《わがこと》なるぞ。|相手《あひて》になつて|後悔《こうくわい》するな。サー|来《こ》い|勝負《しようぶ》と|大手《おほて》を|拡《ひろ》げた。|数多《あまた》の|敵《てき》は|言《い》はして|置《お》けば|要《い》らざる|広言《くわうげん》、|目《め》に|物《もの》|見《み》せてくれむと、|四方《しはう》|八方《はつぱう》より、タツタ|一人《ひとり》の|蚊々虎《かがとら》さまを|目蒐《めが》けて|攻《せ》め|寄《よ》せたり。|強力無双《がうりきむさう》の|蚊々虎《かがとら》さまは、|寄《よ》せ|来《く》る|敵《てき》を|箸《はし》で|蚕《かひこ》を|撮《つま》む|如《や》うに、|右《みぎ》から|来《く》る|奴《やつ》を|左《ひだり》へポイトコセ、|左《ひだり》から|来《く》る|奴《やつ》を|右《みぎ》へポイトコセ、|終《しまひ》にはエヽ|面倒《めんだう》と、|首筋《くびすぢ》を|一寸《ちよつと》|撮《つま》んで|空《そら》を|目《め》がけてプリンプリンプリン、また|来《く》る|奴《やつ》を|一寸《ちよつと》|撮《つま》んでプリンプリンプリン、|上《うへ》から|降《お》りて|来《く》る|奴《やつ》、|下《した》から|上《うへ》へ|放《ほ》られる|奴《やつ》、|空中《くうちう》で|頭《あたま》の|鉢合《はちあは》せをして、アイタヽヽヽピカピカと|目《め》から|火《ひ》を|出《だ》し、|放《ほ》り|上《あ》げられた|奴《やつ》と、|宙《ちう》から|落《お》ちて|来《く》る|奴《やつ》と、|途中《とちう》で|貴方《あなた》お|上《のぼ》りですか、|私《わたくし》は|降《くだ》りです、|下《した》へ|降《お》りなしたら|蚊々虎《かがとら》さまに|宜敷《よろしく》……』
『コラコラ|法螺《ほら》を|吹《ふ》くにも|程《ほど》がある。|黙《だま》らぬかい。|言《い》はして|置《お》けば|調子《てうし》に|乗《の》つて……ここを|何《なん》と|心得《こころえ》をる。|数万《すうまん》の|強敵《きやうてき》を|前《まへ》に|扣《ひか》へて|置《お》いて、ソンナ|気楽《きらく》なことを|言《い》うて|居《を》る|所《ところ》で|無《な》いぞ』
『ヤー、ヤツパリ|淤縢山津見《おどやまづみ》ぢやなあ、|数万《すうまん》の|敵《てき》にオドオドして、|向《むか》ふは|真暗《まつくら》がり、|暗墨《やみすみ》の|如《や》うに、|一寸先《いつすんさき》は|真黒黒助《まつくろくろすけ》だ。エヘン|豪《えら》さうに|口《くち》ばつかり、|取越苦労《とりこしくらう》はするな|過越苦労《すぎこしくらう》は|禁物《きんもつ》ぢやのと、|口先《くちさき》で|立派《りつぱ》なことを|仰有《おつしや》るが、この|蚊々虎《かがとら》さまはかう|見《み》えても|刹那心《せつなしん》、たとへ|半時先《はんときさき》に|嬲殺《なぶりごろ》しに|逢《あ》はされやうが、ソンナ|事《こと》は|神様《かみさま》の|御心《みこころ》に|任《まか》して|居《を》るのだ。モシ|宣伝使《せんでんし》さま、さうぢや|有《あ》りますまいかな。|釈迦《しやか》に|説法《せつぱふ》か、|負《お》うた|子《こ》に|教《をし》へられて|浅瀬《あさせ》を|渡《わた》ると|言《い》ふのか、いやもうトンとこの|辺《へん》が|合点《がつてん》の|虫《むし》が、|承知《しようち》しませぬワイ。まさかの|時《とき》になつて|来《く》ると、|宣伝使《せんでんし》さまの|覚悟《かくご》も|誠《まこと》に|怪《あや》しい|頼《たよ》り|無《な》いものだワイ』
と、|目《め》を|剥《む》き|舌《した》を|少《すこ》し|出《だ》して、|宣伝使《せんでんし》の|顔《かほ》をチヨツと|見上《みあ》げる。
|宣伝使《せんでんし》は|顔《かほ》を|少《すこ》しくそむけながら、
『さうだなア。さう|言《い》へば、マアソンナものかい』
『ソンナものかいも|有《あ》つたものかい。|甲斐性《かひしやう》|無《な》し|奴《め》が、ちと|改心《かいしん》したか、エーン』
『|蚊々虎《かがとら》、|無礼《ぶれい》で|有《あ》らうぞよ』
|斯《か》かる|所《ところ》へ|以前《いぜん》の|荒熊《あらくま》は、|呼吸《いき》を|喘《はづ》ませながら、|坂道《さかみち》を|上《のぼ》り|来《き》たりぬ。
|蚊々虎《かがとら》は|頓狂《とんきやう》な|声《こゑ》で、
『ヤー|帰《かへ》つたか|様子《やうす》は|何《な》んと、|仔細《しさい》は|如何《いか》に、|細《つぶさ》に、|言上《ごんじやう》|仕《つかまつ》れ』
『また|貴様《きさま》|出《だ》しやばるな』
『|出《だ》しや|張《ば》るツて、|刹那心《せつなしん》ですよ。|気《き》が|何《なん》だか|急《せ》くから|急《いそ》いで|問《と》うたのですよ。|決《けつ》して|取越苦労《とりこしくらう》ではありませぬよ』
|荒熊《あらくま》が、
『|申《まを》し|上《あ》げます、|不思議《ふしぎ》なことには|何時《いつ》の|間《ま》にか|人影《ひとかげ》も|無《な》くなつて|居《を》ります。|之《これ》には|何《なに》か|深《ふか》い|計略《けいりやく》の|有《あ》る|事《こと》と|思《おも》ひますが、|軽々《かるがる》しく|進《すす》む|訳《わけ》には|行《ゆ》きますまい。|一《ひと》つこれは|考《かんが》へものですな』
『ナーニ|刹那心《せつなしん》だ。|行《ゆ》く|所《ところ》まで|行《ゆ》かな|分《わか》るものかい。|進《すす》め|進《すす》め』
と|蚊々虎《かがとら》は、|先《さき》に|立《た》つて|進《すす》み|行《ゆ》く。
|後《あと》に|六人《ろくにん》は|路傍《みちばた》の|岩《いは》に|腰《こし》|打《う》ち|掛《か》け、|何《なん》かヒソヒソと|頭《あたま》を|鳩《あつ》めて|囁《ささや》きゐたり。
|蚊々虎《かがとら》は|只《ただ》|一人《ひとり》、ドンドン|腕《うで》を|振《ふ》りながら|一目散《いちもくさん》に|坂道《さかみち》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・二・八 旧一・一二 森良仁録)
第二〇章 |張子《はりこ》の|虎《とら》〔三七〇〕
|淤縢山津見《おどやまづみ》は|荒熊《あらくま》の|高彦《たかひこ》その|他《た》の|四人《よにん》と|倶《とも》に|静々《しづしづ》と、ブラジルの|山《やま》を|西《にし》へ|西《にし》へと|降《くだ》り|行《ゆ》く。|遥《はる》か|前方《ぜんぱう》に|展開《てんかい》されたる|原野《げんや》あり、|彼方此方《あちらこちら》に|黄昏《たそがれ》の|暗《やみ》を|縫《ぬ》うて|燈火《あかり》が|瞬《またた》きゐる。|前方《ぜんぱう》|遥《はる》かに|見渡《みわた》せば|松明《たいまつ》の|光《ひかり》、|皎々《かうかう》と|輝《かがや》き|大勢《おほぜい》の|喚《わめ》き|声《ごゑ》|聞《きこ》えけり。|一行《いつかう》は、その|声《こゑ》の|方《はう》に|向《むか》つて|急《いそ》ぎけり。
|見《み》れば|蚊々虎《かがとら》を|真中《まんなか》に、|数百人《すうひやくにん》の|群衆《ぐんしう》は|遠巻《とほまき》に|取《と》り|巻《ま》きて|何事《なにごと》か|呶鳴《どな》りつけ|居《を》る。|蚊々虎《かがとら》は|中央《ちうあう》の|高座《かうざ》に|上《あが》り、
『|朝日《あさひ》は|照《てる》とも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》ける
ヤイ、|巴留《はる》の|国《くに》の|奴《やつ》|共《ども》、|善《ぜん》と|悪《あく》との|立別《たてわけ》の|戦争《せんそう》は、|今《いま》におつ|始《ぱじ》まるぞ。|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|戦《たたか》ひが|目前《もくぜん》に|差《さ》し|迫《せま》つて|居《ゐ》るのだ。|何《なに》をキヨロキヨロして|居《ゐ》るのだい。お|前達《まへたち》は|朝《あさ》から|晩《ばん》まで「|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》は|暗夜《やみよ》、|暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る」などと、|真黒《まつくろ》けの|一寸先《いつすんさき》の|判《わか》らぬウラル|彦《ひこ》の|宣伝歌《せんでんか》に|呆《とぼ》けて、|酒《さけ》ばかり|喰《くら》つて|腸《はらわた》まで|腐《くさ》らして|居《ゐ》る|連中《れんぢう》だらう。|勿体《もつたい》なくも|黄金山《わうごんざん》から|御出張《ごしゆつちやう》|遊《あそ》ばした|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》、|常照彦《とこてるひこ》とは|我輩《わがはい》の|事《こと》だ。|確《しつ》かり|聞《き》け、|諾《き》かな|諾《き》く|様《やう》にして|改心《かいしん》さして|遣《や》るぞ。おーい。|盲目《めくら》|共《ども》、|聾《つんぼ》|共《ども》、どうだ|改心《かいしん》するか、するならすると|男《をとこ》らしく【キツパリ】|此処《ここ》で|神様《かみさま》に|申《まを》し|上《あ》げろ』
|群衆《ぐんしう》の|中《なか》から、
|甲《かふ》『オイオイ|何《なん》だ|彼奴《あいつ》は、|偉《えら》さうに|吐《ぬ》かしよつて、よつぽど|酒《さけ》が|飲《の》み|度《た》いと|見《み》えるぞ。|貴様《きさま》らウラル|彦《ひこ》の|宣伝歌《せんでんか》を|聞《き》いて|酒《さけ》ばかり|飲《の》んで|俺《おれ》には|少《すこ》しも|飲《の》まして|呉《く》れぬと|呶鳴《どな》つて|居《を》るではないか』
|乙《おつ》『|貴様《きさま》、|聞《き》き|違《ちが》ひだ。|彼奴《あいつ》はなあ、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》で|俺《おい》らに|酒《さけ》を|飲《の》むな、|酒《さけ》を|飲《の》むと|腸《はらわた》が|腐《くさ》つて|死《し》んで|終《しま》うと|云《い》うて|呶鳴《どな》つて|居《を》るのだ。|彼奴《あいつ》の|言草《いひぐさ》はチツとは|気《き》に|喰《く》はぬが|然《しか》し|吾々《われわれ》を|助《たす》けてやらうと|思《おも》つて、|大勢《おほぜい》の|中《なか》に|単身《ひとりみ》で|飛《と》び|込《こ》んで、|生命《いのち》を|的《まと》に|彼様《あん》な|強《きつ》い|事《こと》を|云《い》うてるのだ。|何《なに》ほど|度胸《どきよう》があつても、|吾身《わがみ》を|捨《す》てて|懸《かか》らな、アンナ|大胆《だいたん》なことは|云《い》はれるものぢやないよ』
|丙《へい》『|何《なに》、|彼《あ》りや|狂人《きちがひ》だよ。|当《あた》り|前《まへ》の|精神《せいしん》でソンナ|馬鹿《ばか》な|事《こと》が|云《い》へるか。これほど|皆《みんな》が|一《いち》に|酒《さけ》、|二《に》に|女《をんな》、|三《さん》に|博打《ばくち》と|云《い》うて|居《を》るその|一番《いちばん》の|楽《たのし》みを|放《ほ》かせと|云《い》ふのだもの、どうせ|吾々《われわれ》のお|気《き》に|入《い》らぬことを|喋《しや》べくるのだから、|生命《いのち》を|的《まと》にかけて、ああやつて|歩《ある》いてゐるのだ。チツとは|聞《き》いてやらぬと|冥加《みやうが》が|悪《わる》いて』
|甲《かふ》『|何《なん》だか|知《し》らぬが、この|間《あひだ》ウラル|彦《ひこ》の|宣伝使《せんでんし》が|来《き》た|時《とき》には、|沢山《たくさん》の|瓢箪《ふくべ》を|腰《こし》につけて|自分《じぶん》|一人《ひとり》|酒《さけ》をグツと|飲《の》んでは、|酒《さけ》|飲《の》め|飲《の》めと|勧《すす》めて|居《を》つたが、|何程《いくら》|飲《の》めと|云《い》つたとて、|俺《おい》らは|酒《さけ》をもつて|居《ゐ》ないのに|飲《の》む|事《こと》も|出来《でき》ないし、|宣伝使《せんでんし》|奴《め》が|甘《うま》さうに|飲《の》んで|管《くだ》を|巻《ま》きよるのを、|唇《くちびる》を|嘗《な》めて|青《あを》い|顔《かほ》して、|羨《けな》り|相《さう》に|聞《き》いて|居《ゐ》るのも|余《あんま》り|気《き》が|利《き》かぬぜ。それよりも|彼奴《あいつ》のやうに|自分《じぶん》が|飲《の》まずにおいて、|皆《みんな》に|飲《の》むな|飲《の》むなと|言《い》ふ|方《はう》が、まだましだよ。|根性《こんじやう》なりと|僻《ひが》まいで|宜《よ》いからなあ』
|大勢《おほぜい》の|中《なか》より|酒《さけ》に【へべれけ】に|酔《よ》うた|男《をとこ》、|片肌《かたはだ》をグツと|脱《ぬ》ぎ、|黒《くろ》ん|坊《ばう》が|黄疸《わうだん》を|病《や》んだ|様《やう》な|膚《はだへ》を|現《あら》はし|乍《なが》ら、|宣伝使《せんでんし》の|前《まへ》に|歩々蹣跚《ほほまんさん》として|進《すす》み|寄《よ》り、
|男《をとこ》『やい、やーい、|貴様《きさま》あ、ささ|酒《さけ》を|飲《の》むなと|吐《ぬか》すぢやないかエーン、|酒《さけ》は|飲《の》んだら|悪《わる》いかい、|馬鹿《ばか》な|奴《やつ》だなあ、これほど|甘《うま》いものを|喰《くら》うなと|吐《ぬ》かしよる|奴《やつ》は|一体《いつたい》|全体《ぜんたい》、|何処《どこ》の|唐変木《たうへんぼく》だい。エーン、|酒《さけ》が|無《な》うてこの|世《よ》が|渡《わた》られると|思《おも》うとるのか、|馬鹿《ばか》、|何《なん》でもかでも|酒《さけ》が|無《な》ければ、|夜《よ》も|明《あ》けぬ、|日《ひ》も|暮《く》れぬ|世《よ》の|中《なか》だ。そして|貴様《きさま》、【さけ】もさけも、|世《よ》の|中《なか》に、|酒《さけ》ほど|甘《うま》いものがあらうか、|四百種病《しひやくしゆびやう》の|病《やまひ》より|酒《さけ》を|止《や》めるほど|辛《つら》い|事《こと》は|無《な》いと|云《い》ふ|事《こと》を|知《し》つとるか、|貴様《きさま》のやうな|唐変木《たうへんぼく》には|話《はなし》が|出来《でき》ぬワイ。トツトと|帰《かへ》れ。|俺《おれ》の|処《ところ》のお|多福《たふく》|奴《め》が、|毎日《まいにち》|日《ひ》にち|酒《さけ》を|飲《の》むな|飲《の》むなと|吐《ぬ》かしよつて、【むか】|付《つ》くの【むか】|付《つ》かぬのつて、|腹《はら》が|立《た》つて|腸《はらわた》が|沸《に》えくり|返《かへ》る。それで|俺《おら》あ、|意地《いぢ》になつて|嫌《いや》でもない|酒《さけ》を|無理《むり》に|飲《の》んでやるのだ。それに|貴様《きさま》は|何処《どこ》の|奴《やつ》か|知《し》らぬが、|自家《うち》の|嬶《かかあ》と|同《おな》じやうに|酒《さけ》を|飲《の》むな、|喰《くら》ふなとは|何《なん》の|事《こと》だい。|真実《ほんと》に|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にしやがらあ、コンナ|事《こと》でも|自家《うち》の|嬶《かかあ》が|聞《き》きよつたら、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》が|酒《さけ》を|飲《の》んだら|腸《はらわた》が|腐《くさ》るとおつしやつたと、|白《しろ》い|歯《は》をむき|出《だ》し、|団栗眼《どんぐりめ》を|釣《つ》りよつて【イチヤイチヤ】|云《い》ふにきまつてらあ。|糞面白《くそおもしろ》くもない。|俺《おれ》の|処《ところ》の|嬶《かかあ》の|出《で》て|来《こ》ぬ|中《うち》に|早《はや》う|去《い》なぬか、|待《ま》ち|遠《ど》い|奴《やつ》だ。|何《なに》を【ほざ】いて|居《ゐ》やがるか』
|蚊々虎《かがとら》は|泥酔者《よひどれ》の|言葉《ことば》を|耳《みみ》にもかけず|疳声《かんごゑ》を|張《は》り|上《あ》げて、
『|世《よ》の|中《なか》に|酒《さけ》ほど|悪《わる》い|奴《やつ》は|無《な》い |家《いへ》を|破《やぶ》るも|酒《さけ》の|為《た》め
|離縁《りえん》になるのも|酒《さけ》の|為《た》め |喧嘩《けんくわ》をするのも|酒《さけ》の|為《た》め
|生命《いのち》を|捨《す》てるも|酒《さけ》の|為《た》め |小言《こごと》の|起《おこ》るも|酒《さけ》の|為《た》め
【ケンケン】|云《い》ふのも|酒《さけ》の|為《た》め |酒《さけ》ほど|悪《わる》い|奴《やつ》は|無《な》い
|腸《はらわた》|腐《くさ》らす|悪酒《わるざけ》に |酔《ゑ》うて|管巻《くだま》く|悪者《わるもの》は
|扨《さて》もさても|気《き》の|毒《どく》な |酒《さけ》を|飲《の》むなら|水《みづ》を|飲《の》め』
と|歌《うた》ひ|出《だ》すを、|泥酔者《よひどれ》はますます|怒《おこ》つて、|蚊々虎《かがとら》の|横面《よこづら》|目蒐《めが》けてポカンと|殴《なぐ》りつける。|蚊々虎《かがとら》は|又《また》もや|疳声《かんごゑ》を|張上《はりあ》げて、
『|人《ひと》を|殴《なぐ》るも|酒《さけ》の|為《た》め |夫婦《めをと》|喧嘩《げんくわ》も|酒《さけ》の|為《た》め』
|男《をとこ》『まだ|吐《ぬ》かしよるか、【しぶとい】|奴《やつ》だ。もつと|殴《なぐ》つてやらうか』
|蚊々虎《かがとら》は|目《め》を|塞《ふさ》ぎ、|泥酔者《よひどれ》に|向《むか》つて【ウーン】と|一声《ひとこゑ》|呶鳴《どな》りつけたるに、|泥酔者《よひどれもの》はヒヨロヒヨロと【よろめき】ながら、|傍《かたはら》の|石原《いしはら》に|顛倒《てんたう》し|額《ひたい》を|打《う》ちて、|滝《たき》の|如《ごと》く|血《ち》を|流《なが》しゐる。|大勢《おほぜい》の|中《なか》より、
|甲《かふ》『おいおい、|泥酔者《よひどれ》が|転《こ》けよつた。あらあ|何《なん》だ、|血《ち》が|出《で》て|居《ゐ》るぢやないか、|救《たす》けてやらぬかい』
|乙《おつ》『|救《たす》けてやれと|云《い》うたつて、コンナ|者《もの》に|相手《あひて》になる|者《もの》は、この|広《ひろ》い|巴留《はる》の|国《くに》には|一人《ひとり》もありはせないよ。|彼奴《あいつ》は【グデン】|虎《とら》の【グニヤ】|虎《とら》の|喧嘩虎《けんくわとら》と|云《い》うて|大変《たいへん》に|酒《さけ》の|悪《わる》い|奴《やつ》だ。|指一本《ゆびいつぽん》でも|触《さ》へ|様《やう》ものなら、|因縁《いんねん》をつけよつて【ヘタバリ】|込《こ》んで、|十日《とをか》でも|二十日《はつか》でも|愚図々々《ぐづぐづ》|云《い》うて|只《ただ》の|酒《さけ》を|飲《の》む|奴《やつ》だ。アンナ|者《もの》に|相手《あひて》になつたらそれこそ|家《いへ》も|倉《くら》も|山《やま》も|田《た》も|飲《の》まれて|了《しま》ふぞ。|相手《あひて》になるな、|放《ほ》つとけ|放《ほ》つとけ。|彼奴《あいつ》が|死《し》によると|皆《みな》の|厄介《やくかい》|除《よ》けだ。|国中《くにぢう》の|者《もの》が|餅《もち》でも|搗《つ》いて|祝《いは》ふかも|知《し》れないよ』
|乙《おつ》『|彼奴《あいつ》が|噂《うはさ》に|高《たか》い|酒《さけ》|喰《くら》ひの|喧嘩虎《けんくわとら》か。やあ|煩《うる》さい|煩《うる》さい、よう|云《い》うて|呉《く》れた』
|虎《とら》『だ、だ、|誰《たれ》だい、|俺《おれ》を【グデン】|虎《とら》の【グヅ】|虎《とら》の|喧嘩虎《けんくわとら》だと、|何処《どこ》に|俺《おれ》がグヅを|巻《ま》いたか、|喧嘩《けんくわ》をしたか。さあ|承知《しようち》せぬ、|俺《おれ》を|誰様《どなた》と|心得《こころえ》て|居《を》る。|俺《おれ》は|広《ひろ》い|巴留《はる》の|国《くに》でも|二人《ふたり》とない|虎《とら》さまだ。|虎《とら》さまが|酒《さけ》を|飲《の》むのが|何《なに》が|不思議《ふしぎ》だい。|酒《さけ》|飲《の》みは|皆《みんな》|酔《ゑ》うと|首《くび》を|振《ふ》りよつて、|誰《たれ》も|彼《かれ》も|張子《はりこ》の|虎《とら》になるのだ。|虎《とら》が|酒《さけ》|飲《の》んだのが、な、な、|何《なに》が|悪《わる》い。さあ|承知《しようち》せぬ、|貴様《きさま》の|家《うち》は|知《し》つとるから|之《これ》から|行《い》つても|家《いへ》も、|倉《くら》も、|山《やま》も、|田《た》も、|御註文《ごちゆうもん》|通《どほ》り|飲《の》んで|遣《や》らうかい。|二人《ふたり》の|奴《やつ》、|酒《さけ》の|燗《かん》をして|置《お》きよらぬかい』
と|団栗目《どんぐりめ》をむいて|睨《にら》みつける。
|甲《かふ》 |乙《おつ》『モシモシ、|虎《とら》さまとやら、お|気《き》に|障《さは》りまして|誠《まこと》に|済《す》みませぬ。|私《わたくし》は|決《けつ》して|貴方《あなた》の|事《こと》を|申《まを》したのではありませぬ。|他《よそ》の|国《くに》にソンナ|人《ひと》があるげなと|云《い》うたのです。|取違《とりちがひ》して|貰《もら》つては|困《こま》ります』
『いかぬいかぬ、|誤魔化《ごまくわ》すか。|何《なん》でも|宜《よ》い、|飲《の》んだら|良《よ》いのだ、コラ、|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》の|子《こ》とは|俺《おれ》の|事《こと》だぞ。|何《なに》も|彼《か》も|飲《の》むのが|商売《しやうばい》だ』
|二人《ふたり》は|顔《かほ》を|顰《しか》め|当惑《たうわく》して|居《を》る。|蚊々虎《かがとら》はこの|場《ば》に|現《あらは》れて、
『おい|虎公《とらこう》、|酒《さけ》|喰《くら》ひ、|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》|云《い》ふか、|俺《おれ》の|腕《うで》を|見《み》い、|誰《たれ》だと|思《おも》つてる、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だ。|貴様《きさま》が|喧嘩虎《けんくわとら》なら|此方《こな》さんは|蚊々虎《かがとら》ぢや、|虎《とら》と|虎《とら》との、|一《ひと》つ|勝負《しようぶ》を|始《はじ》めようかい』
『な、|何《なん》だ、|喧嘩《けんくわ》か、|喧嘩《けんくわ》は|酒《さけ》の|次《つぎ》に|好《す》きだ。こいつ、|酒《さけ》の|肴《さかな》に|喧嘩《けんくわ》でもやらうかい、|面白《おもしろ》からう』
と|虎《とら》は|立上《たちあが》つて、|蚊々虎《かがとら》|目蒐《めが》けて|飛《と》び|掛《かか》る。|蚊々虎《かがとら》は|泰然自若《たいぜんじじやく》として|彼《かれ》が|打擲《ちやうちやく》するままに|身《み》を|任《まか》せ|居《ゐ》る。|斯《かか》る|処《ところ》へ|暗《やみ》を|破《やぶ》つて、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あらは》れて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る』
と|声《こゑ》|爽《さはや》かな|宣伝歌《せんでんか》は|聞《きこ》え|来《き》たりける。
(大正一一・二・八 旧一・一二 北村隆光録)
第二一章 |滝《たき》の|村《むら》〔三七一〕
|蚊々虎《かがとら》は|喧嘩虎《けんくわとら》に、|蠑螺《さざえ》の|如《ごと》き|拳《こぶし》を|以《もつ》て、|頭《あたま》といはず|顔《かほ》と|云《い》はず、|身体《からだ》|一面《いちめん》、|嫌《いや》といふ|程《ほど》|打擲《ちやうちやく》せられ、|平気《へいき》の|平左《へいざ》で|宣伝歌《せんでんか》を|謠《うた》つて|居《ゐ》る。|群衆《ぐんしう》の|中《なか》より|又《また》もや|一人《ひとり》の|泥酔者《よひどれ》|現《あら》はれきたり、
『おい|虎公《とらこう》、そんな|手緩《てぬる》い|事《こと》で【あく】かい。|俺《おれ》が|手伝《てつだ》うてやらう』
と|云《い》ひながら、|脚《あし》もひよろひよろと|進《すす》み|来《きた》り、|棒千切《ぼうちぎれ》を|以《もつ》て、
『こうやるのだ』
と|云《い》ひつつ、ポンと|喰《くら》はしたり。|酒《さけ》に|酔《ゑ》ひ|潰《つぶ》れて|眼《め》も|碌《ろく》に|見《み》えない|泥酔者《よひどれ》は、|蚊々虎《かがとら》と|間違《まちが》へて、|喧嘩虎《けんくわとら》の|頭《あたま》を|嫌《いや》といふ|程《ほど》|打《う》ちのめす。|喧嘩虎《けんくわとら》は、
『コラ、|何《なに》をしよるのだ、|喧嘩芳《けんくわよし》。|貴様《きさま》は|蚊々虎《かがとら》の|贔屓《ひいき》をしよつて、|何《なん》だ。こんな|酒《さけ》を|飲《の》むなと|云《い》ふやうな|馬鹿《ばか》な|奴《やつ》に、|味方《みかた》をすると|云《い》ふことがあるかい。|喧嘩《けんくわ》なら|負《ま》けはせぬぞ』
と|云《い》ふより|早《はや》く|鉄拳《てつけん》を|振《ふ》り|上《あ》げて、|芳公《よしこう》の|頭《あたま》を|打擲《ぶんなぐ》る。|芳公《よしこう》は|矢庭《やには》に|棒千切《ぼうちぎ》を|以《もつ》て、|虎《とら》の|頭《あたま》を|打《ぶ》つ。|虎公《とらこう》はますます|怒《おこ》つて、|芳公《よしこう》の|髪《かみ》を|掴《つか》んで|引摺《ひきず》り|廻《まは》す。|芳公《よしこう》は|悲鳴《ひめい》を|挙《あ》げて|泣《な》き|叫《さけ》ぶ。|群衆《ぐんしう》の|中《なか》より|口々《くちぐち》に、
『オイオイ、|誰《たれ》か|這入《はい》らぬか|這入《はい》らぬか』
『|這入《はい》れと|言《い》つたつて|彼様《あんな》|酒癖《さけくせ》の|悪《わる》い|奴《やつ》の|中《なか》に、|誰《たれ》が|仲裁《ちゆうさい》に|這入《はい》る|奴《やつ》があるものか、|放《ほ》つとけ|放《ほ》つとけ』
|二人《ふたり》は|組《く》んづ|組《く》まれつ、|血塗《ちみどろ》になつて、|死物狂《しにものぐるひ》に|闘《たたか》ひ|出《だ》したるを、|蚊々虎《かがとら》は|二人《ふたり》の|中《なか》に|分《わ》け|入《い》り、
『マアマア|待《ま》つた|待《ま》つた。|喧嘩《けんくわ》は|止《や》めた|止《や》めた。オイ|虎公《とらこう》、|芳公《よしこう》、|貴様《きさま》らが|喧嘩《けんくわ》してるのではない。|酒《さけ》が|喧嘩《けんくわ》をしてるのだ。それだから|俺《おれ》が|酒《さけ》を|止《や》めろと|云《い》ふのだ。どうだ|止《や》めるか』
『ヤア|何《なん》だい。|貴様《きさま》だと|思《おも》つて|喧嘩《けんくわ》して|居《を》つたのに、|俺《おれ》の|友達《ともだち》の|虎公《とらこう》だつたのかい、|此奴《こやつ》あ、|的《あて》が|外《はづ》れた。|虎公《とらこう》|勘忍《かんにん》せ。|是《これ》からこの|宣伝使《せんでんし》に|掛《かか》るのだ』
|芳公《よしこう》と|虎公《とらこう》は|両方《りやうはう》より、|蚊々虎《かがとら》に|向《むか》つて、|頭《あたま》にポカポカと|鉄拳《てつけん》を|加《くは》へる。|蚊々虎《かがとら》は|泰然自若《たいぜんじじやく》として|打《う》たれて|居《ゐ》る。|群衆《ぐんしう》は|口々《くちぐち》に、
『|何《なん》と|豪《えら》いものだな。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》は|本当《ほんたう》に|忍耐力《にんたいりよく》が|強《つよ》い。|吾々《われわれ》も|彼《あ》の|宣伝使《せんでんし》に|見倣《みなら》つて、|何事《なにごと》も|辛抱《しんばう》するのだ。さうすれば|喧嘩《けんくわ》も|何《なに》もいりはしない。|立派《りつぱ》な|教《をしへ》だ。ウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》の|様《やう》に|口《くち》ばつかりと|違《ちが》ふ。|本当《ほんたう》に|立派《りつぱ》な|行《おこな》ひだ。|我々《われわれ》も|三五教《あななひけう》が|俄《にはか》に|好《す》きになつたよ』
この|時《とき》|又《また》もや|暗中《あんちう》より、
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ』
と|云《い》ふ|宣伝歌《せんでんか》が|聞《きこ》えて|来《き》た。|群衆《ぐんしう》は|耳《みみ》を|澄《す》まして、|声《こゑ》する|方《はう》に|向《む》き|直《なほ》る。
|松明《たいまつ》の|火《ひ》はドンドン|燃《も》え|立《た》つて、|周囲《あたり》は|昼《ひる》の|如《ごと》く|明《あきら》かである。そこへ|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|淤縢山津見《おどやまづみ》は、|荒熊《あらくま》の|高彦《たかひこ》を|従《したが》へて、|悠々《いういう》と|出《い》で|来《き》たる。
『ヤア|蚊々虎《かがとら》か。お|前《まへ》その|頭《あたま》はどうした。ひどく|血《ち》が|流《なが》れて|居《ゐ》るではないか』
『|血《ち》ぐらゐ|流《なが》れたつて、|血《ち》つとも|応《こた》へぬ。|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ。|血《ち》を|以《もつ》て|世界《せかい》を|洗《あら》ふのです。|血《ち》つとも|心配《しんぱい》はいりませぬ。|力《ちから》とするは|神《かみ》ばかりです』
とニコニコ|笑《わら》つて|居《ゐ》る。
|荒熊《あらくま》は|大音声《だいおんじやう》を|張《は》り|上《あ》げて、
『|我《われ》こそはブラジル|山《やま》の|関所《せきしよ》を|守《まも》る|荒熊《あらくま》である。|今迄《いままで》の|悪《あく》を|改《あらた》め、|善《ぜん》に|立《た》ち|帰《かへ》り、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》に|従《したが》つて、|此処《ここ》まで|来《き》たのだ。|今《いま》|此処《ここ》に|居《を》る|蚊々虎《かがとら》は、|宣伝使《せんでんし》のお|供《とも》だ。|供《とも》でさへも、これほどの|忍耐力《にんたいりよく》を|持《も》つて|居《ゐ》る。|人間《にんげん》は|忍耐力《にんたいりよく》がなくては、|何事《なにごと》も|成就《じやうじゆ》せないぞ。|七転八起《ななころびやおき》は|世《よ》の|習《なら》ひとはいふものの、|転《ころ》ぶは|易《やす》い、|亡《ほろ》ぶのは|容易《ようい》だ。されど|起《お》き|上《あが》るのは|却々《なかなか》|六ケ敷《むつかし》い、|是《これ》には|堪《こら》へ|忍《しのび》が|肝腎《かんじん》だ。|皆《みな》の|人《ひと》たちよ、|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》を|聞《き》いて|心《こころ》のドン|底《ぞこ》から|霊魂《みたま》の|洗《あら》ひ|替《かへ》をなさるがよからう。この|世《よ》はウラル|教《けう》の|宣伝歌《せんでんか》ぢやないが、|一寸先《いつすんさき》は|闇《やみ》の|世《よ》だ。|弱《よわ》い|人間《にんげん》の|力《ちから》で、この|世《よ》が|渡《わた》れさうな|事《こと》はない。|俺《わし》も|今《いま》までの|我慢《がまん》や|悪《あく》を|止《や》めて、|三五教《あななひけう》に|入信《にふしん》したのだ。|皆《みな》の|人々《ひとびと》よ。|俺《わし》が|鏡《かがみ》だ。|皆《みな》|揃《そろ》うて|改心《かいしん》して|下《くだ》さい』
と|呶鳴《どな》り|立《た》てる。|群衆《ぐんしう》は|各《おのおの》|小声《こごゑ》になつて|荒熊《あらくま》の|話《はなし》を|聞《き》き、
『アヽ、|人間《にんげん》も|変《かは》れば|変《かは》るものだ。|彼奴《あいつ》の|口《くち》から、どうして、あんな|言葉《ことば》が|出《で》るのだらう。きつと|好《い》い|教《をしへ》に|違《ちが》ひない』
と|口々《くちぐち》に|誉《ほ》め|称《たた》へて|居《を》る。
|淤縢山津見《おどやまづみ》は|中央《ちうあう》の|高座《かうざ》に|登《のぼ》り、|諄々《じゆんじゆん》として|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|説《と》き|初《はじ》めたり。|是《これ》よりこの|群衆《ぐんしう》の|七八分《しちはちぶ》は|一度《いちど》に|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》となり、|沢山《たくさん》の|駱駝《らくだ》を|宣伝使《せんでんし》に|贈《おく》つて、|巴留《はる》の|都《みやこ》|行《ゆ》きを|助《たす》けたり。この|村《むら》は|滝《たき》の|村《むら》と|云《い》ふなり。
(大正一一・二・八 旧一・一二 土井靖都録)
第二二章 |五月姫《さつきひめ》〔三七二〕
この|日《ひ》は|巴留《はる》の|国《くに》の|国魂《くにたま》を|祭《まつ》る|可《べ》く、|数多《あまた》の|群衆《ぐんしう》は|広《ひろ》き|芝生《しばふ》に|出《い》で、|神籬《ひもろぎ》を|立《た》て|種々《くさぐさ》の|物《もの》を|献《けん》じ、|直会《なほらひ》の|酒《さけ》に|酔《ゑ》ひ|潰《つぶ》れ、|夜《よ》に|入《い》つて|松明《たいまつ》を|点《とぼ》して、|今《いま》や|直会《なほらひ》も|済《す》み|退散《たいさん》せむとせる|折柄《をりから》に、|蚊々虎《かがとら》は|一目散《いちもくさん》に|走《はし》り|来《きた》つて|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》め|居《ゐ》たり。|蚊々虎《かがとら》は|喧嘩虎《けんくわとら》や|喧嘩芳《けんくわよし》に|打擲《ちやうちやく》され、|勘忍袋《かんにんぶくろ》を|押《おさ》へて|我慢《がまん》してゐた|矢先《やさき》、|淤縢山津見《おどやまづみ》、|高彦《たかひこ》の|二人《ふたり》|現《あら》はれたのでホツト|一息《ひといき》し、|又《また》もや|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ、|代《かは》つて|高彦《たかひこ》の|改心《かいしん》|演説《えんぜつ》があつて、|次《つぎ》に|淤縢山津見《おどやまづみ》が、|声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣伝歌《せんでんか》を|調子《てうし》よく|歌《うた》ひゐたり。
|群衆《ぐんしう》の|中《なか》より|天女《てんによ》の|如《ごと》き|美人《びじん》が|現《あら》はれ、|宣伝使《せんでんし》の|前《まへ》に|頭《あたま》を|下《さ》げ、
『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|誠《まこと》に|有難《ありがた》う|御座《ござ》いました。|妾《わらは》はこの|地方《ちはう》の|酋長《しうちやう》|闇山津見《くらやまづみ》の|娘《むすめ》、|五月姫《さつきひめ》と|申《まを》すもの、なにとぞ|妾《わらは》を|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|大御心《おほみこころ》を|以《もつ》て|御供《おとも》に|御使《おつか》ひ|下《くだ》さいますれば|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます』
と|恥《はづか》し|気《げ》に|頼《たの》み|入《い》る。|群衆《ぐんしう》は|酋長《しうちやう》の|娘《むすめ》|五月姫《さつきひめ》がこの|場《ば》に|現《あら》はれ、|宣伝使《せんでんし》に|叮嚀《ていねい》に|挨拶《あいさつ》せる|体《てい》を|見《み》て|大《おほ》いに|驚《おどろ》き、|口々《くちぐち》に、
|甲《かふ》『なんと|宣伝使《せんでんし》と|云《い》ふものは|偉《えら》いものだな。|巴留《はる》の|国《くに》の|東《ひがし》|半分《はんぶん》を|御構《おかま》ひ|遊《あそ》ばす|闇山津見《くらやまづみ》の|御娘《おんむすめ》の|五月姫《さつきひめ》|様《さま》が、あの|通《とほ》り|乞食《こじき》のやうな|宣伝使《せんでんし》に|頭《あたま》を|下《さ》げて「|何卒《なにとぞ》|御供《おとも》に|伴《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さい」と|仰有《おつしや》るのだもの、|何《なん》と|俺《おれ》も|一《ひと》つ|宣伝使《せんでんし》になつて、アンナ|別嬪《べつぴん》に|頭《あたま》を|下《さ》げさしたり「|妾《わらは》を|何処《どこ》までも|伴《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さい」ナンテ、|花《はな》の|唇《くちびる》をパツト|開《ひら》いて|頼《たの》ましたいものだ』
|乙《おつ》『この|助平野郎《すけべいやらう》』
と|矢庭《やには》に|甲《かふ》の|横面《よこづら》をピシヤリと|擲《なぐ》りつける。
|甲《かふ》『|妬《や》くない、|妬《や》いたつて|馨《かんば》しいことはありやしないぞ。|貴様《きさま》のやうな|蟇鞋面《ひきがへるづら》に|誰《たれ》が|宣伝使《せんでんし》になつたとて|随《つ》いて|行《ゆ》きたいナンテ|云《い》ふものがあるかい。|突《つ》いて|行《ゆ》きます|竹槍《たけやり》で、|欠杭《かつくひ》の|先《さき》に|糞《くそ》でも|附《つけ》て|突《つ》いて|行《ゆ》きます|位《くらゐ》のものだよ、アハヽヽヽ』
|蚊々虎《かがとら》は|五月姫《さつきひめ》に|向《むか》ひ、
『エヘン、|世《よ》の|中《なか》に|何《なに》が|尊《たふと》いと|云《い》つた|所《ところ》で、|天下《てんか》の|万民《ばんみん》を|救《すく》うて|肝腎《かんじん》の|霊魂《みたま》を|水晶《すゐしやう》に|研《みが》き|上《あ》げる|聖《きよ》い|役《やく》をする|位《くらゐ》、|尊《たふと》いものはありませぬ。さあさ、|随《つ》いて|御座《ござ》れ、|蚊々虎《かがとら》が|許《ゆる》す。モシモシ|御主人《ごしゆじん》、でない、|醜《しこ》、ドツコイ|淤縢山津見《おどやまづみ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|拙者《せつしや》の|腕前《うでまへ》はこの|通《とほ》り。お|浦山吹《うらやまぶき》の|花《はな》が|咲《さ》き|盛《ざか》りですよ』
|五月姫《さつきひめ》『イエイエ、|妾《わらは》は|貴方《あなた》のやうな|御方《おかた》に|連《つ》れて|行《い》つて|貰《もら》ひたくはありませぬ。|何《なに》ほど|尊《たふと》い|宣伝使《せんでんし》|様《さま》でも、ソンナ|黒《くろ》い|御顔《おかほ》では|見《み》つともなくて|外《そと》が|歩《ある》けませぬワ、ホヽヽヽヽ』
『|顔《かほ》の|色《いろ》は|黒《くろ》くつても、|心《こころ》の|色《いろ》は|赤《あか》いぞ。|赤《あか》き|心《こころ》は|神心《かみごころ》だ。|神《かみ》の|心《こころ》になれなれ|人々《ひとびと》よ、|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》、お|前《まへ》は|人《ひと》の|子《こ》、|神《かみ》の|代《かは》りを|致《いた》す|宣伝使《せんでんし》の|蚊々虎《かがとら》に|随《つ》いて|来《く》れば|大丈夫《だいぢやうぶ》だよ。|結構《けつこう》な|花《はな》が|咲《さ》きますよ』
『|貴方《あなた》の|鼻《はな》は|誠《まこと》に|立派《りつぱ》な|牡丹《ぼたん》のやうな【はな】でございます。|奥様《おくさま》が|嘸《さぞ》|御悦《およろこ》びでせう。|縁《えん》は|妙《めう》なもので|合縁《あひえん》|奇縁《きえん》と|云《い》ひまして、|妾《わらは》は|如何《どう》したものか、|貴方《あなた》のお|顔《かほ》は|虫《むし》が|好《す》きませぬ。|何卒《なにとぞ》【そちら】の|方《かた》の|御供《おとも》をさして|頂《いただ》きたう|御座《ござ》います』
|高彦《たかひこ》は|右《みぎ》の|食指《ひとさしゆび》にて|鼻《はな》を|押《おさ》へて、|顔《かほ》をぬつと|突《つ》き|出《だ》し、|俺《おれ》かと|云《い》はぬばかりに|頤《あご》を【しやくつ】て|見《み》せる。
『オイ、|関守《せきもり》の、|谷転《たにころ》びの、|死損《しにぞこな》ひの、|荒熊《あらくま》、|自惚《うぬぼ》れない。この|世界一《せかいいち》の|男前《をとこまへ》、|蚊々虎《かがとら》でも|肱鉄《ひぢてつ》を|御喰《おかま》し|遊《あそ》ばす|女神《めがみ》さまだ。|貴様《きさま》の【しやつ】|面《つら》に|誰《たれ》が|随《つ》いて|来《く》るものがあるものかい』
|高彦《たかひこ》『モシモシ|五月姫《さつきひめ》|様《さま》、|夫《そ》れは|一体《いつたい》|誰《たれ》の|事《こと》ですか。|耻《はづか》し|相《さう》に|俯向《うつむ》いてばかり|居《を》らずに|明瞭《はつきり》と|言《い》つて|下《くだ》さい。|高彦《たかひこ》の|私《わたくし》でせう』
|五月姫《さつきひめ》は|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》り、
『いーえ、|違《ちが》ひます、|違《ちが》ひます』
『ソンナら|誰《たれ》だい』
『もう|一人《ひとり》の|御方《おかた》』
『|莫迦《ばか》にしよる。オイ、|醜《しこ》、オド、|幽霊《いうれい》、|宮毀《みやつぶ》し、|竜宮《りうぐう》の|門番《もんばん》、|世《よ》の|中《なか》に|物好《ものず》きな|奴《やつ》があればあるものだ。コンナ|渋紙面《しぶがみづら》がよいといの。オイ|醜《しこ》の|宣伝使《せんでんし》さま|奢《おご》れ|奢《おご》れ。|本当《ほんたう》に|大勢《おほぜい》の|中《なか》で|恥《はぢ》を|掻《か》かしよつて、|蚊々虎《かがとら》はもうお|前達《まへたち》と|一緒《いつしよ》に|宣伝《せんでん》は|止《や》めだ。コンナ|美人《びじん》を|俺《おれ》が|折角《せつかく》|宣伝《せんでん》して|置《お》いたのに、|後《あと》の|方《はう》からチヨツクリ|出《で》て|来《き》て、|仕様《しやう》も|無《な》い|声《こゑ》で|歌《うた》を|歌《うた》ふものだから、さつぱり|御株《おかぶ》を|奪《と》られて|了《しま》つた。オイ|高彦《たかひこ》、お|前《まへ》と|二人《ふたり》この|場《ば》を【とつと】つと|立《た》ち|去《さ》らうぢやないか』
『|蚊々虎《かがとら》、さうは|行《ゆ》かぬよ。この|宣伝使《せんでんし》の|御供《おとも》を|吾々《われわれ》は|何処《どこ》までもするのだから』
『ヤア|分《わか》つた。|宣伝使《せんでんし》の|後《あと》にこの|別嬪《べつぴん》が|随《つ》いて|行《ゆ》くものだから、|貴様《きさま》は|体《てい》のよいことを|云《い》ひよつて|五月姫《さつきひめ》の|御供《おとも》をするつもりだらう。そして|間《あひだ》には|臭《くさ》い|屁《へ》の|一《ひと》つも|頂《いただ》かして|貰《もら》はうと|思《おも》ひよつて、|本当《ほんたう》に|嫌《いや》らしい|奴《やつ》だナ。|貴様《きさま》は|女《をんな》にかけたら|目《め》を|細《ほそ》くしよつて、その|態《ざま》たら|無《な》い|一体《いつたい》|何《なん》だい』
『|貴様《きさま》の|面《つら》は|何《なん》だい。オイ|涎《よだれ》を|拭《ふ》かぬか。|見《みつ》ともないぞ』
|淤縢山津見《おどやまづみ》は、|黙然《もくねん》として|両手《りやうて》を|組《く》み|吐息《といき》を|漏《も》らしてをる。|五月姫《さつきひめ》は|思《おも》ひ|切《き》つたやうに、
『もうし|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|妾《わらは》の|住処《すみか》は|実《じつ》に|小《ちい》さき|荒屋《あばらや》で|御座《ござ》りまするが、|貴方等《あなたがた》が|御泊《おとま》り|下《くだ》さいまするには、|事《こと》|欠《か》ぎませぬ。|妾《わらは》が|父《ちち》の|闇山津見《くらやまづみ》も、|三五教《あななひけう》の|宣伝《せんでん》を|非常《ひじやう》に|有難《ありがた》がつて|居《を》ります。|何卒《なにとぞ》|妾《わらは》に|随《つ》いて|御越《おこ》し|下《くだ》さいませ』
と|先《さき》に|立《た》ちて|歩《あゆ》み|出《だ》す。
|淤縢山津見《おどやまづみ》は|始《はじ》めて|口《くち》を|開《ひら》き、
『|何《なに》は|兎《と》もあれ、|闇山津見《くらやまづみ》に|御目《おめ》にかかつて、|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|聴《き》いて|貰《もら》はう。|然《しか》らば|今晩《こんばん》は|御世話《おせわ》になりませう』
『あゝ|早速《さつそく》の|御承諾《ごしようだく》、|妾《わらは》が|両親《りやうしん》も|嘸《さぞ》や|悦《よろこ》ぶことで|御座《ござ》りませう。コレコレ|供《とも》の|者《もの》、|駕籠《かご》を|此処《ここ》へ|持《も》つてお|出《い》で』
『アーイ』
と|答《こた》へて|暗黒《くらがり》より|一挺《いつちやう》の|駕籠《かご》を|明《あか》りの|前《まへ》に|担《かつ》ぎ|出《だ》す。
『なにとぞ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、これに|御召《おめ》し|下《くだ》さいませ』
『|吾々《われわれ》は|天下《てんか》を|宣伝《せんでん》するもの、|苦労《くらう》|艱難《かんなん》は|吾々《われわれ》の|天職《てんしよく》、|勿体《もつたい》ない、|駕籠《かご》に|乗《の》ることは|到底《たうてい》|出来《でき》ませぬ。|駕籠《かご》に|乗《の》らねばならなければ|平《ひら》に|御断《おことわ》りを|申《まを》します』
『やあ、|乗《の》り|手《て》が|無《な》ければ、|蚊々虎《かがとら》でも|幸抱《しんぼう》いたしますよ』
|五月姫《さつきひめ》は、
『|貴方《あなた》の|駕籠《かご》ぢやありませぬ』
|蚊々虎《かがとら》は|舌《した》を|一寸《ちよつと》|出《だ》して、
『あなたの|駕籠《かご》ぢやありませぬと|仰《おほ》せられるワイ』
と|肱鉄砲《ひぢてつぽう》の|真似《まね》をしながら、|淤縢山津見《おどやまづみ》の|後《あと》から|蚊々虎《かがとら》は|不承無精《ふしようぶしよう》に|随《つ》いて|行《ゆ》く。
|駕籠《かご》は|空《から》のまま|何処《どこ》とも|無《な》しに|影《かげ》を|隠《かく》しける。|五月姫《さつきひめ》は|先《さき》に|立《た》ち|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》を|伴《ともな》ひ、|闇山津見《くらやまづみ》の|館《やかた》に|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・二・八 旧一・一二 外山豊二録)
第二三章 |黒頭巾《くろづきん》〔三七三〕
|五月姫《さつきひめ》の|従者《じゆうしや》は|松明《たいまつ》を|点《とも》し|乍《なが》ら、|先《さき》に|立《た》つて|道案内《みちあんない》をなす、|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》は|後《あと》に|随《つ》いて|行《ゆ》く。|蚊々虎《かがとら》、|高彦《たかひこ》の|二人《ふたり》は|途々《みちみち》|話《はな》しを|始《はじ》める。
(小さい声で)『おい、|縁《えん》は|異《い》なもの|乙《おつ》なものじやないか。|吾輩《わがはい》のやうな|目許《めもと》の|涼《すず》しい|鼻筋《はなすぢ》の|通《とほ》つた、|口許《くちもと》の|締《しま》つた|男《をとこ》らしい、そしてお|負《まけ》に|立派《りつぱ》な|毛《け》の|生《は》えた|男《をとこ》を|嫌《きら》つて、あの|禿茶瓶《はげちやびん》の|醜国別《しこくにわけ》が|好《す》きだとは、|何処《どこ》で|勘定《かんぢやう》が|合《あ》ふのだらう。|彼奴《あいつ》が|頭巾《づきん》を|着《き》てよるから、|夜《よる》の|事《こと》なり|間違《まちが》へよつたのだぜ。|頭巾《づきん》を|脱《ぬ》いだら|五月姫《さつきひめ》は|吃驚《びつくり》しよつて「|矢張《やつぱ》り|人違《ひとちが》ひで|御座《ござ》りました。こちらのお|方《かた》」ナンテ|言《い》ひよつて、|俺《おれ》の|方《はう》へ|秋波《しうは》を|送《おく》るに|決《きま》つてるわ。アンナ|男《をとこ》を|可愛《かあい》がつたところで、|何処《どこ》が|尻《けつ》やら|頭《どたま》やら|判《わか》つたものぢやない。|物好《ものずき》もあればあるものだね』
|高彦《たかひこ》『|俺《わし》が|女《をんな》だつたら……』
『さうだつたら、|俺《おれ》に|惚《ほ》れるだらう』
『|自惚《うぬぼ》れない。|貴様《きさま》の|腰《こし》は【く】の|字《じ》に|曲《まが》つて|居《を》るなり、|皺嗄声《しはがれごゑ》の|疳声《かんごゑ》を|出《だ》して、|石原《いしはら》を|薬罐《やくわん》でも|引摺《ひきず》る|様《やう》な|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》はれたら、|愛想《あいさう》が|尽《つ》きて|了《しま》ふわ。マア|何《なに》かい、|宣伝使《せんでんし》の|禿頭《はげあたま》の|化《ばけ》が|露《あら》はれて、|五月姫《さつきひめ》が|尻《しり》を|振《ふ》つたら、|第二《だいに》の|候補者《こうほしや》はマア|高《たか》さまかい』
『|高《たか》が|知《し》れたる|高彦《たかひこ》が、|何《なん》だい。|山道《やまみち》の|関守《せきもり》|奴《め》が、|余《あんま》り|自惚《うぬぼ》れな』
『【へつぴり】|腰《ごし》の|薬罐声《やくわんごゑ》の|貴様《きさま》に、|五月姫《さつきひめ》も|有《あ》つたものかい』
『|何《なん》、|馬鹿《ばか》にしよるない』
と|蚊々虎《かがとら》は、|高彦《たかひこ》の|横面《よこづら》を|拳骨《げんこつ》を|固《かた》めてポカンとやらうとするを、|高彦《たかひこ》は、
『おい、|三五教《あななひけう》だよ、|堪《こら》へ|忍《しの》びだ』
『ヤアー、|宣伝使《せんでんし》も|辛《つら》いものだナ。|俺《おれ》が|今迄《いままで》の|蚊々虎《かがとら》だつたら、|貴様《きさま》の|頭《あたま》を|思《おも》ふ|存分《ぞんぶん》やつてやるのだけれど、あゝ|神様《かみさま》も|胴慾《どうよく》だワイ』
|五月姫《さつきひめ》は|二人《ふたり》の|争《あらそ》ひを|聞《き》いて、|思《おも》はず|知《し》らず、
『ホヽヽヽ』
と|笑《わら》ひ|出《だ》したり。
『おい|高公《たかこう》、ホヽヽホケキヨーぢやと。まるで|鶯《うぐひす》の|様《やう》な|声《こゑ》だね』
『そらア|貴様《きさま》の|薬罐声《やくわんごゑ》とは、テンデ|物《もの》が|違《ちが》ふよ。|金《きん》と|鉛《なまり》か、お|月《つき》さまと|鼈《すつぽん》か、|雲《くも》と|泥《どろ》か、まあソンナものだなあ』
『|何《なに》つ! キリキリキリキリ』
『こら、|歯軋《はぎし》りを|噛《か》んで|握《にぎ》り|拳《こぶし》を|固《かた》めよつて、そら|三五教《あななひけう》だよ。|見直《みなほ》し、|聞直《ききなほ》しだ』
『|直《ぢき》に|人《ひと》に|轡《くつわ》を|篏《は》めよつて、コンナ|奴《やつ》に|生半熟《なまはんじゆく》|教理《けうり》を|教《をし》へると|都合《つがふ》が|悪《わる》いわ』
『|皆《みな》さま|暗夜《やみよ》に|御苦労《ごくらう》に|預《あづか》りました。これが|妾《わらは》の|両親《りやうしん》の|住《す》まつて|居《を》ります|破屋《あばらや》でござります。さあさあお|上《あが》り|下《くだ》さいませ』
|淤縢山津見《おどやまづみ》は、
『|然《しか》らば|御免《ごめん》』
と、|五月姫《さつきひめ》に|導《みちび》かれ、|先《さき》に|立《た》つて|進《すす》んで|行《ゆ》く。|蚊々虎《かがとら》はその|口真似《くちまね》をして、
『|暗夜《あんや》の|処《ところ》、ご|苦労《くらう》で|御座《ござ》いました。これが|妾《わらは》の|両親《りやうしん》の|住《す》まつて|居《を》ります|荒屋《あばらや》でござります。さあさあお|上《あが》り|下《くだ》さいませ。……|然《しか》らば|御免《ごめん》』
『|貴様《きさま》|独言《ひとりごと》いうて、|一人《ひとり》|返事《へんじ》をしてるのか。|馬鹿《ばか》だなあ』
『おい|高彦《たかひこ》、|馬鹿《ばか》と|言《い》ふ|事《こと》があるか、|宣《の》り|直《なほ》せ』
『|馬鹿々々《ばかばか》しい|目《め》に|逢《あ》つたワイ。おい|蚊々虎《かがとら》、|愚図々々《ぐづぐづ》しとると|門《もん》から|突出《つきだ》されやしまひかな』
『|何《なに》、|突《つ》き|出《だ》しよつたら|突《つ》き|出《で》たら|可《い》いのだ。【つき】|出《いで》て、|月出《つきで》る|彦《ひこ》の|神《かみ》さまに|成《な》るのだ。あゝ、|月《つき》が|上《あが》つた、あれ|見《み》い、|三五《さんご》の|明月《めいげつ》だ』
|四辺《しへん》は|月光《げつくわう》に|照《てら》されて、|昼《ひる》の|如《ごと》くに|明《あか》るくなりぬ。
|二人《ふたり》は|今《いま》や|東天《とうてん》を【かす】めて|差昇《さしのぼ》る|満月《まんげつ》の|光《ひかり》を|眺《なが》めて、|色々《いろいろ》と|無駄話《むだばなし》に|耽《ふけ》る|内《うち》、|中門《なかもん》はガラガラ ピシヤツと|閉《し》められ、|五月姫《さつきひめ》、|淤縢山津見《おどやまづみ》は、|深《ふか》く|門内《もんない》に|姿《すがた》を|隠《かく》したりける。
『おい|高公《たかこう》、ガラガラ ピシヤンぢや』
『オイ|蚊々虎《かがとら》、ガラガラ ピシヤンて|何《なん》だい』
『|何《なん》だつてガラガラ ピシヤンぢや|無《な》いか』
『ガラガラ ピシヤンが|何《なん》だい。|閉《しめ》る|時《とき》はピシヤンと|云《い》ふし|開《あ》ける|時《とき》はガラガラと|云《い》ふのだ。|何処《どこ》の|門口《もんぐち》だつて、ガラガラ ピシヤンはするよ。|何《なに》が|珍《めづら》しいのだ』
『|貴様《きさま》も|血《ち》の|環《めぐ》りの|悪《わる》い|奴《やつ》だな。それでは|宣伝使《せんでんし》も|落第《らくだい》だよ。|天《あま》の|岩戸《いはと》はピツシヤリと|閉《しま》つて、|俺《おい》ら|二人《ふたり》は【|放《ほ》つとけぼり】だ。|人《ひと》を|雲天井《くもてんじやう》に|寝《ね》さしよつて、|自分《じぶん》らは|綾錦《あやにしき》に|包《つつ》まれて|淤縢山津見《おどやまづみ》の|奴《やつ》、|今晩《こんばん》は|神楽《かぐら》をあげて|面白《おもしろ》さうに|岩戸開《いはとびら》きをやりよるのだよ。|馬鹿々々《ばかばか》しいぢやないか。|一《ひと》つ|今晩《こんばん》|門《もん》の|戸《と》でも|叩《たた》いて|囃《はや》してやらうかい、【むかつく】からなあ』
『|三五教《あななひけう》だ。|堪《こら》へ|忍《しの》びだ。|怒《おこ》つちやいかぬよ』
『|馬鹿《ばか》にしやがるなアー、|辛抱《しんばう》せうかい』
この|時《とき》|又《また》もやガラガラと|音《おと》がして、|三人《さんにん》の|若《わか》い|女《をんな》、|徐々《しづしづ》と|二人《ふたり》の|前《まへ》に|現《あら》はれ、
『これはこれはお|二方様《ふたかたさま》、|夜《よる》の|事《こと》と|言《い》ひ、|取《と》り|込《こ》んで|居《を》りますで、つい|忘《わす》れました。お|姫様《ひめさま》がお|二人《ふたり》の|方《かた》は|何処《どこ》へゐらつしやつたと、|大変《たいへん》にお|尋《たづ》ねで|御座《ござ》います。どうぞ|早《はや》く|此方《こちら》へお|這入《はい》り|下《くだ》さいませ』
『おい、これだから|堪《こら》へ|忍《しの》びが|第一《だいいち》だと|言《い》ふのだナ。|俯伏《うつぶ》いた|拍子《へうし》に|頭巾《づきん》を|辷《すべ》り|落《おと》して|光《ひか》つた|頭《あたま》を|五月姫《さつきひめ》に|見《み》られて、|落第《らくだい》しよつたのだぜ。|斯《か》う|成《な》ると|矢張《やつぱ》り|蚊々虎《かがとら》さまだよ』
『|糠喜《ぬかよろこ》びをするない、お|前《まへ》のやうな|腰付《こしつ》きでは|誰《たれ》だつて|惚《ほれ》やしないよ。それは|目《め》の【まん】|丸《まる》い|鼻《はな》の|大《おほ》きい|口《くち》の|大《おほ》きい|締《しま》りのある、|一寸《ちよつと》|見《み》ても|強《つよ》さうな|高彦《たかひこ》さまに、|白羽《しらは》の|矢《や》が|立《た》つのだよ。まあまあ|明日《あす》の|朝《あさ》に|勝敗《しようはい》が|分《わか》るわ』
『もしもしお|客様《きやくさま》お|話《はなし》は|後《あと》でゆつくりして|下《くだ》さいませ。お|姫様《ひめさま》が|大変《たいへん》お|待《ま》ちで|御座《ござ》います』
|蚊々虎《かがとら》『|吐《ぬか》したりな|吐《はか》したりな、お|姫様《ひめさま》がお|待遠《まちどほ》だとい。エヘン』
と|蚊々虎《かがとら》は|肩《かた》|怒《いか》らして|先《さき》に|立《た》ち|門内《もんない》に|姿《すがた》を|隠《かく》したりけり。
(大正一一・二・八 旧一・一二 東尾吉雄録)
第二四章 |盲目《めくら》|審神《さには》〔三七四〕
|闇山津見《くらやまづみ》の|奥殿《おくでん》の|広《ひろ》き|一間《ひとま》は、|夕食《ゆふしよく》の|用意《ようい》|調《ととの》へられ、|一応《いちおう》|主客《しゆきやく》の|慇懃《いんぎん》なる|挨拶《あいさつ》も|終《をは》りて|各自《かくじ》|晩餐《ばんさん》の|席《せき》に|着《つ》きぬ。
|夕食《ゆふしよく》も|茲《ここ》に|相済《あひす》み、|淤縢山津見《おどやまづみ》は|二人《ふたり》と|共《とも》に|神床《かむどこ》に|向《むか》つて|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》する。
|闇山津見《くらやまづみ》は|一行《いつかう》に|向《むか》ひ|慇懃《いんぎん》にその|労《らう》を|謝《しや》し、|且《か》つ、
『|折《を》り|入《い》つて|宣伝使《せんでんし》にお|訊《たづ》ね|申《まを》し|度《た》き|事《こと》があります。|何卒《どうぞ》|御教示《ごけうじ》を|願《ねが》ひます』
と|云《い》ふ。
『|何事《なにごと》か|知《し》りませぬが、|神様《かみさま》に|伺《うかが》つて|見《み》ませう』
『|宇宙《うちう》|万有《ばんいう》|一切《いつさい》の|事《こと》を|説《と》き|明《あか》す|宣伝使《せんでんし》、|大《だい》は|宇宙《うちう》より|小《せう》は|虱《しらみ》の|腹《はら》の|中《なか》まで』
『コラコラ|蚊々虎《かがとら》、お|黙《だま》りなさい』
『|私《わたくし》は|高天原《たかあまはら》に|坐《まし》ましたる|伊弉冊命《いざなみのみこと》が、|黄泉《よもつ》の|国《くに》へお|出《いで》ましになつたと|云《い》ふ|事《こと》を|承《うけたま》はつて|居《ゐ》ました。|然《しか》るに|此《この》ごろ|常世《とこよ》のロッキー|山《ざん》に|伊弉冊命《いざなみのみこと》が|現《あら》はれ|給《たま》うたと|云《い》ふ|事《こと》を|巴留国《はるのくに》の|棟梁《とうりやう》|鷹取別《たかとりわけ》より|承《うけたま》はりました。|二人《ふたり》の|伊弉冊命《いざなみのみこと》がおありなさるとすれば、【どちら】が|真実《ほんたう》で|御座《ござ》いませうか。|吾々《われわれ》はその|去就《きよしう》に|迷《まよ》ひ、どうとかしてその|真偽《しんぎ》を|究《きは》め|度《た》きたものと、|日夜《にちや》|祈願《きぐわん》をして|居《を》りました。|然《しか》るに|昨夜《さくや》の|夢《ゆめ》に「|明日《みやうにち》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》がこの|国《くに》へ|来《く》るから、|五月姫《さつきひめ》を|迎《むか》ひに|遣《つか》はせ」とのお|告《つ》げでありました。それ|故《ゆゑ》|今日《こんにち》は|吾《わが》|娘《むすめ》を|町端《まちはづ》れの|国魂《くにたま》の|森《もり》に|群衆《ぐんしう》に|紛《まぎ》れて|入《い》り|込《こ》ませ、|宣伝使《せんでんし》のお|出《いで》を|待《ま》たせて|居《を》りましたところ、|夢《ゆめ》のお|告《つ》げの|通《とほ》り、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》に、お|目《め》に|懸《かか》つたのも、|全《まつた》く|御神示《ごしんじ》の|動《うご》かぬところと|深《ふか》く|信《しん》じます。この|事《こと》について|何卒《どうか》|御教示《ごけうじ》を|願《ねが》ひます』
『サア|確《たし》かに|吾々《われわれ》は|竜宮城《りうぐうじやう》より|伊弉冊命《いざなみのみこと》|様《さま》のお|供《とも》を|致《いた》して|参《まゐ》りましたが、|途中《とちう》で|別《わか》れました。|伊弉冊命《いざなみのみこと》|様《さま》には|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|云《い》ふ|立派《りつぱ》な|生神《いきがみ》と、|面那芸司《つらなぎのかみ》がお|伴《とも》|致《いた》して|居《を》る|筈《はず》であります。ロッキー|山《ざん》に、これから|行《ゆ》くと|仰《あふ》せになりましたから、それが|真実《まこと》の|伊弉冊命《いざなみのみこと》|様《さま》でありませう』
|蚊々虎《かがとら》の|身体《しんたい》は|俄《にはか》に|振動《しんどう》を|始《はじ》め、|遂《つひ》には|口《くち》を|切《き》り、
『オヽヽ|淤縢山津見《おどやまづみ》、|汝《なんぢ》の|申《まを》す|事《こと》は|違《ちが》ふぞ|違《ちが》ふぞ。|伊弉冊命《いざなみのみこと》|様《さま》は、テヽヽ|矢張《やつぱ》り|云《い》はれぬ、|云《い》はれぬ。ロッキー|山《ざん》に|現《あら》はれたのは、|常世神王《とこよしんわう》の|妻《つま》|大国姫《おほくにひめ》の|化《ば》け|神《がみ》だぞよ』
『|汝《なんぢ》は|何《いづ》れの|曲津神《まがつかみ》ぞ、|現《げん》に|吾々《われわれ》は|伊弉冊大神《いざなみのおほかみ》のお|伴《とも》をして|海上《かいじやう》に|別《わか》れたのだ。その|時《とき》のお|言葉《ことば》に、これよりロッキー|山《ざん》に|立籠《たてこも》ると|仰《あふ》せになつた。|其《その》|方《はう》は|吾《われ》を|偽《いつは》る|邪神《じやしん》であらう』
|蚊々虎《かがとら》は|手《て》を|振《ふ》り|揚《あ》げながら|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》り、
『|違《ちが》ふ|違《ちが》ふ、サツパリ|違《ちが》ふ。ロッキー|山《ざん》の|伊弉冊命《いざなみのみこと》は、|大国姫《おほくにひめ》だ。もつと|確《しつ》かり|審神《さには》を|致《いた》せ。|此《この》|方《はう》を|何《いづ》れの|神《かみ》と|思《おも》うて|居《を》るか。|盲人《めくら》の|審神者《さには》、モーちつと|霊眼《れいがん》を|開《ひら》いて、|我《わ》が|正体《しやうたい》を|見届《みとど》けよ』
『|如何《いか》に|巧《たくみ》に|述《の》べ|立《た》つるとも、この|審神者《さには》の|眼《め》を|暗《くら》ます|事《こと》は|出来《でき》まい。|外《ほか》の|事《こと》ならいざ|知《し》らず、|伊弉冊大神《いざなみのおほかみ》の|御事《おんこと》に|就《つ》いては|此《この》|方《はう》|確《たしか》に|見届《みとど》けてある。|偽《いつは》りを|云《い》ふな、|退《さが》れ|退《さが》れ』
『|断《だん》じて|退《さが》らぬ。|汝《なんぢ》の|霊眼《れいがん》の|開《ひら》くるまで』
|淤縢山津見《おどやまづみ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|両手《りやうて》を|組《く》み、|霊縛《れいばく》を|加《くは》へむとす。|蚊々虎《かがとら》は|大口《おほぐち》|開《あ》けて、
『ウワハヽヽー|小癪《こしやく》な、やり|居《を》るワイ。ウワハヽヽー|余《あま》り|可笑《をかし》うて|腹《はら》の|皮《かは》が|捻《よ》れるワイ。ウワハヽヽー』
『|闇山津見《くらやまづみ》|様《さま》、この|神懸《かむがか》りは|当《あて》にはなりませぬ。|大変《たいへん》な|大曲津《おほまがつ》が|憑《くつ》ついて|居《ゐ》ます。あの|通《とほ》り|笑《わら》ひ|転《こ》けて、|吾々《われわれ》を|嘲弄《てうろう》いたす|強太《しぶと》い|悪神《あくがみ》。コンナ|奴《やつ》の|云《い》ふ|事《こと》は|信《しん》じなくても|宜《よろ》しい。|吾々《われわれ》は|生《いき》た|証拠人《しようこにん》、|伊弉冊大神《いざなみのおほかみ》は、この|常世《とこよ》の|国《くに》のロッキー|山《ざん》に|確《たしか》に|居《を》られます』
|蚊々虎《かがとら》は|又《また》もや|大口《おほぐち》|開《あ》けて、
『アハヽヽ、あかぬ、あかぬ、|淤縢山津見《おどやまづみ》の|盲《めくら》の|審神者《さには》イヽヽ|如何《いか》に|霊縛《れいばく》を|加《くは》へても、ウヽヽ|動《うご》かぬ|動《うご》かぬ。|煩《うるさ》いか|倦厭《うんざり》したか。エエヽ|偉《えら》さうに|審神者面《さにはづら》を|提《さ》げて|何《なん》の|態《ざま》、|俺《おれ》の|正体《しやうたい》が|分《わか》らぬか。|可笑《をか》しいぞ|可笑《をか》しいぞ、ウワハヽヽ。カヽヽ|可哀《かはい》さうなものだ。キヽヽ|気張《きば》つて|気張《きば》つて|汗泥《あせみどろ》になつて、|両手《もろて》を|組《く》んで、ウンウンと|霊縛《れいばく》は|何《なん》の|態《ざま》だ。クヽヽ|苦労《くらう》が|足《た》らぬぞ。コンナ|審神者《さには》が|苦《くる》しいやうな|事《こと》で、どうして|宣伝使《せんでんし》がつとまるか。ケヽヽ|怪《け》しからぬ|奴《やつ》だ、|見当《けんたう》は|取《と》れまい、|権幕《けんまく》ばかりが|強《つよ》うても|神《かみ》には|叶《かな》ふまいがな。コヽヽこれでもまだ|我《が》を|張《は》るか、|困《こま》りはせぬか。サヽヽ|審神者《さには》のなんのと、|好《よ》くもほざいたものだ、サツパリ|霊眼《れいがん》の|利《き》かぬ【|探《さぐ》り|審神者《さには》だ】、シヽヽ|知《し》らぬ|事《こと》は|知《し》らぬと|云《い》へ、|強太《しぶと》い|奴《やつ》だ。|神《かみ》の|申《まを》す|事《こと》を|敵対《てきた》うて、この|神《かみ》は|邪神《じやしん》だの、|当《あて》にならぬのとは、それや|何《なに》の|囈言《たはごと》だ。スヽヽ|隅《すみ》から|隅《すみ》まで|気《き》のつく|審神者《さには》でないと、|霊界《れいかい》の|事《こと》は|澄《す》み|切《き》るやうには|分《わか》らぬぞ。セヽヽ|宣伝使面《せんでんしづら》を|提《さ》げて、|盲審神者《めくらさには》が|俺《おれ》を|審神《さには》するなぞとは|片腹痛《かたはらいた》い。ソヽヽそんな|事《こと》で|世界《せかい》の|人間《にんげん》が|導《みちび》かれるか』
『タヽヽ|頼《たの》みます、もう|分《わか》りました。|怺《こら》へて|下《くだ》さい、|併《しか》し|貴神《あなた》はお|考《かんが》へ|違《ちが》ひではありませぬか。|現《げん》に|私《わたくし》は|伊弉冊大神《いざなみのおほかみ》|様《さま》のお|伴《とも》して|御口《おんくち》づからロッキー|山《ざん》に|行《ゆ》くと|云《い》ふ|事《こと》を|承《うけたま》はつたものですから、この|事《こと》|計《ばか》りはどうしても|真実《ほんたう》に|出来《でき》ませぬ』
『|何《なに》ほど|云《い》うても|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|宣伝使《せんでんし》、|神《かみ》はこれからタヽヽ|立《た》ち|去《さ》るぞよ』
|言葉《ことば》|終《をは》ると|共《とも》に|蚊々虎《かがとら》の|肉体《にくたい》は、|座敷《ざしき》に|仰向様《あふむけざま》に|打倒《うちたふ》れたり。|淤縢山津見《おどやまづみ》は|再《ふたた》び|鎮魂《ちんこん》を|施《ほどこ》し、|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|而《そう》して|淤縢山津見《おどやまづみ》は、ロッキー|山《ざん》に|伊弉冊神《いざなみのかみ》の|隠《かく》れ|居《ゐ》ます|事《こと》を|確《たしか》に|信《しん》じ|闇山津見《くらやまづみ》に|固《かた》く、|相違《さうゐ》ない|事《こと》を|告《つ》げけり。|闇山津見《くらやまづみ》は|厚《あつ》く|感謝《かんしや》してその|夜《よ》は|三五教《あななひけう》の|話《はなし》に|夜《よ》を|明《あか》したり。
|附言《ふげん》
|伊弉冊命《いざなみのみこと》の|火《ひ》の|神《かみ》を|生《う》みまして、|黄泉国《よもつのくに》に|至《いた》りましたるその|御神慮《ごしんりよ》は、|黄泉国《よもつのくに》より|葦原《あしはら》の|瑞穂《みづほ》の|国《くに》に|向《むか》つて、|荒《すさ》び|疎《うと》び|来《く》る|曲津神達《まがつかみたち》を|黄泉国《よもつのくに》に|封《ふう》じて、|地上《ちじやう》に|現《あら》はれ|来《きた》らざるやう|牽制的《けんせいてき》の|御神策《ごしんさく》に|出《い》でさせられたるなり。それより|黄泉神《よもつのかみ》は|海《うみ》の|竜宮《りうぐう》に|居所《きよしよ》を|変《へん》じ、|再《ふたた》び|葦原《あしはら》の|瑞穂《みづほ》の|国《くに》を|攪乱《かくらん》せむとする|形勢《けいせい》|見《み》えしより、|又《また》もや|海《うみ》の|竜宮《りうぐう》に|伊弉冊大神《いざなみのおほかみ》は|到《いた》らせたまひ、|茲《ここ》に|牽制的《けんせいてき》|経綸《けいりん》を|行《おこな》はせ|給《たま》ひつつありける。|乙米姫命《おとよねひめのみこと》を|身代《みがは》りとなして|黄泉神《よもつのかみ》を|竜宮《りうぐう》に|封《ふう》じ|置《お》き、|自《みづか》らは|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|迎《むか》へられて、ロッキー|山《ざん》に|立籠《たてこも》るべく|言挙《ことあ》げしたまひ、|窃《ひそか》に|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|面那芸司《つらなぎのかみ》とともに|伊弉諾《いざなぎ》の|大神《おほかみ》の|在《まし》ます|天教山《てんけうざん》に|帰《かへ》りたまひぬ。されど|世《よ》の|神々《かみがみ》も|人々《ひとびと》も、この|水《みづ》も|漏《も》らさぬ|御経綸《ごけいりん》を|夢《ゆめ》にも|知《し》るものは|無《な》かりける。ロッキー|山《ざん》に|現《あら》はれたる|伊弉冊命《いざなみのみこと》はその|実《じつ》|常世神王《とこよしんわう》の|妻《つま》|大国姫《おほくにひめ》に|金狐《きんこ》の|悪霊《あくれい》|憑依《ひようい》して、|神名《しんめい》を|騙《かた》り、|常世神王《とこよしんのう》|大国彦《おほくにひこ》には|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》の|悪霊《あくれい》|憑依《ひようい》し、|表面《へうめん》は、|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|偽称《ぎしよう》しつつ、|種々《しゆじゆ》の|作戦《さくせん》|計画《けいくわく》を|進《すす》め、|遂《つひ》に|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|戦《たたか》ひを|起《おこ》したるなり。|故《ゆゑ》に|黄泉比良坂《よもつひらさか》に|於《おい》て|伊弉冊命《いざなみのみこと》の|向《むか》ひ|立《た》たして|事戸《ことど》を|渡《わた》したまうたる|故事《こじ》は、|真《しん》の|月界《げつかい》の|守《まも》り|神《がみ》なる|伊弉冊大神《いざなみのおほかみ》にあらず|大国姫《おほくにひめ》の|化身《けしん》なりしなり。
(大正一一・二・八 旧一・一二 加藤明子録)
第二五章 |火《ひ》の|車《くるま》〔三七五〕
|闇山津見《くらやまづみ》の|館《やかた》における|淤縢山津見《おどやまづみ》|一行《いつかう》の|三五教《あななひけう》の|説示《せつじ》は、|益々《ますます》|微《び》に|入《い》り|細《さい》に|渉《わた》り、|遂《つひ》に|鶏鳴《けいめい》に|達《たつ》したり。
|闇山津見《くらやまづみ》は|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
『|思《おも》はず|尊《たふと》き|御話《おはなし》に|実《み》が|入《い》りまして、|最早《もはや》|五更《ごかう》となりました。|皆《みな》さま|御疲労《おくたびれ》でせう、|暫《しば》らく|御休《おやす》み|下《くだ》さいませ』
と|別室《べつしつ》に|寝所《しんしよ》を|作《つく》り、|奥《おく》の|一室《ひとま》に|姿《すがた》を|隠《かく》したり。
『|大変《たいへん》に|草臥《くたびれ》ました。|何《ど》うです、|一《ひと》つ|休《やす》まして|貰《もら》ひませうか。|実際《じつさい》ブラジル|峠《たうげ》を|越《こ》えて|来《き》て、|蚊々虎《かがとら》の|脚《あし》は|棒《ぼう》のやうになつて|了《しま》ひましたよ』
『それだから|広言《くわうげん》は|後《あと》にせよと|云《い》ふのだ。|千里《せんり》|万里《まんり》も|応《こた》へぬとか、たとへ|数万《すうまん》の|敵《てき》が|押寄《おしよ》せ|来《きた》るとも|張《は》り|倒《たふ》すとか|偉《えら》い|元気《げんき》だつたが、|随分《ずゐぶん》|弱音《よわね》を|吹《ふ》くなあ。お|前《まへ》の|刹那心《せつなしん》も|調法《てうはふ》なものだよ』
『ナア|高彦《たかひこ》、|些《ちつ》とは|休養《きうやう》といふことをせなくては、|身体《からだ》のためにならぬ。|眠《ね》る|時《とき》には|眠《ね》る。|遊《あそ》ぶ|時《とき》には|遊《あそ》ぶ。|活動《くわつどう》する|時《とき》には、|獅子奮迅《ししふんじん》の|勢《いきほひ》で|活動《くわつどう》すれば|好《い》いぢやないか』
『|大変《たいへん》|雲行《くもゆき》きが|変《かは》つて|来《き》ましたな。|何《ど》うやら|明日《あす》は|雨《あめ》が|降《ふ》りさうだ。|雨《あめ》が|降《ふ》つたら、また|悠々《ゆつくり》|休《やす》まして|貰《もら》はうかい。|昨日《きのふ》は|宣伝使《せんでんし》|様《さま》に|随《つ》いて|大活動《だいくわつどう》だつた。|大沙漠《だいさばく》を|横断《わうだん》するのも|勇壮《ゆうさう》なものだ。|時《とき》に|昨夜《ゆふべ》の|神懸《かむがか》りは|何《ど》うだつた。|随分《ずゐぶん》|詮《つま》らぬものだなあ、|蚊々虎《かがとら》さま』
『ナーニ、|神様《かみさま》は|俄審神者《にはかさには》に|分《わか》つてたまらうかい。これから|此《この》|方《はう》が|神懸《かむがか》り|兼《けん》|審神者《さには》だ。モシモシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|今日《けふ》から|私《わたし》が|審神者《さには》の|役《やく》だ。そこへ|一遍《いつぺん》|御坐《おすわ》りなさい。|眠《ね》るのが|厭《いや》なら|審神者《さには》でもして、|守護神《しゆごじん》を|現《あら》はして|上《あ》げようかい。ブラジル|峠《たうげ》でこの|神主《かむぬし》に|悪霊《あくれい》が|憑《つ》いたからと|云《い》つて、|何時《いつ》までも|悪霊《あくれい》ばかりが|憑《つ》いてたまるものか。|淤縢山津見《おどやまづみ》の|審神者《さには》は|先入主《せんにふしゆ》をよう|除《と》らぬから、|薩張《さつぱ》り|平凡審神《へぼさには》をするのだ。|矢張《やつぱ》り|過去《くわこ》の|事《こと》を|思《おも》つて|居《ゐ》るから、|本当《ほんたう》の|事《こと》が|判《わか》らぬのだよ』
『ソンナラ|改《あらた》めて|審神《さには》をしてやらうか』
『|人民《じんみん》の|癖《くせ》に|神《かみ》を|審神《さには》すると|云《い》ふことがあるか』
『さうだらう、|化《ば》けを|現《あら》はされては|面目《めんぼく》ないからな』
『|五月姫《さつきひめ》の|前《まへ》で|邪神《じやしん》だの、【あて】にならぬのと|面目玉《めんぼくだま》を|潰《つぶ》されては、|審神《さには》して|貰《もら》ふ|気《き》にもならぬのう』
この|時《とき》|門外《もんぐわい》に|宣伝歌《せんでんか》が|聞《きこ》えきたる。|三人《さんにん》は|耳《みみ》を|澄《す》まして|聴《き》きゐる。|宣伝歌《せんでんか》は|追々《おひおひ》と|近寄《ちかよ》り|来《き》たる。|二人《ふたり》の|女《をんな》に|導《みちび》かれて、この|場《ば》に|現《あら》はれたる|宣伝使《せんでんし》あり。|彼《かれ》は|被面布《ひめんぷ》を|捲《まく》り|上《あ》げ、|一行《いつかう》に|挨拶《あいさつ》する。
『|私《わたくし》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》です。|承《うけたま》はれば|巴留《はる》の|国《くに》に|同《おな》じ|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が|見《み》えたといふことで、|取《と》るものも|取敢《とりあへ》へず|参《まゐ》りました。|私《わたくし》は|智利《てる》の|国《くに》に|宣伝《せんでん》を|行《や》つてゐるものです』
|蚊々虎《かがとら》は|熟々《つらつら》|宣伝使《せんでんし》の|顔《かほ》を|見《み》て、
『ヤア、お|前《まへ》はコヽヽ|駒山彦《こまやまひこ》じやないか。|俺等《おいら》と|一緒《いつしよ》に|高白山《かうはくざん》を|攻《せ》めた|時《とき》、|爆弾《ばくだん》に|命中《あた》つて|脆《もろ》くも|死《し》んだ|筈《はず》のお|前《まへ》が、|何《ど》うして|此処《ここ》へやつて|来《き》たのだ。ハヽア|夜前《やぜん》|俺《おい》らが|神懸《かむがか》りをやつたので、|貴様《きさま》|救《たす》けて|貰《もら》はうと|思《おも》つて|幽冥界《いうめいかい》から|来《き》たのだな。|道理《だうり》で|顔《かほ》の|色《いろ》が|蒼黒《あをぐろ》いワイ。コラ|駒山彦《こまやまひこ》の|幽霊《いうれい》、|俺《おれ》が|今《いま》|審神《さには》をしてやらう』
『オーお|前《まへ》は|蚊々虎《かがとら》か。ようまあ|無事《ぶじ》で|居《を》つたね。お|前《まへ》の|事《こと》が|忘《わす》れられぬので|幽冥界《いうめいかい》から|迎《むか》へに|来《き》たのだよ。さあさ|一緒《いつしよ》に|行《ゆ》かう。|閻魔様《えんまさん》が|待《ま》つてゐるぞ。|貴様《きさま》はあんまり|悪《わる》い|事《こと》ばかりやつたので、|閻魔《えんま》の|庁《ちやう》から|御迎《おむか》へに|来《き》たのだ。|門口《かどぐち》には|赤鬼《あかおに》や、|青鬼《あをおに》が|沢山《たくさん》に|来《き》て|待《ま》つて|居《を》る。|俺《おれ》は|貴様《きさま》の|顔《かほ》を|知《し》つて|居《を》るので|検視《けんし》の|役《やく》に|来《き》たのだ。サーサ|早《はや》く|早《はや》く』
『|駒山彦《こまやまひこ》、|待《ま》つて|下《くだ》さい。モシモシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》|淤縢山津見《おどやまづみ》さま、|此奴《こいつ》は|曲津《まがつ》でせう。|審神《さには》して|下《くだ》さいな。|困《こま》つたものがやつて|来《き》ました』
『|審神《さには》するに|及《およ》ばぬ。この|霊眼《れいがん》で|一目《ひとめ》|見《み》たらチヤンと|分《わか》つてゐるのだ。|成程《なるほど》|貴様《きさま》は|悪《わる》い|奴《やつ》だ。|是《これ》から|閻魔《えんま》さまにお|目玉《めだま》でも|頂戴《ちやうだい》して、|修行《しうぎやう》した|上《うへ》で|幽冥界《いうめいかい》の|宣伝《せんでん》でも|行《や》つたらよからう。|現界《げんかい》も|幽界《いうかい》も|同《おな》じことだ。|唯《ただ》|生命《いのち》がなくなる|丈《だ》けの|違《ちが》ひだ、とつとと|行《い》つたらよからう。アーア|悪《わる》い|事《こと》は|出来《でき》ぬものだな』
『モシモシ、|駒山彦《こまやまひこ》の|地獄《ぢごく》の|御使《おつかひ》さま、|貴方《あなた》も|知《し》つての|通《とほ》り、|俺《わし》よりもモツト|悪《わる》い|張本人《ちやうほんにん》が|此所《ここ》に|居《を》ります。|此奴《こいつ》はなあ、|今《いま》は|偉《えら》さうに|淤縢山津見《おどやまづみ》ナンテ|云《い》うてゐよるが、|元《もと》は|醜国別《しこくにわけ》と|云《い》つて、|有《あ》らうことか|有《あ》るまいことか、|御三体《ごさんたい》の|大神様《おほかみさま》の|御宮《おみや》|毀《こぼ》ちの|張本人《ちやうほんにん》だ。|私《わたし》はこの|男《をとこ》に|頤《あご》の|先《さき》で|使《つか》はれた|丈《だけ》だ。|閻魔《えんま》さまも|一寸《ちよつと》|聞《きこ》えませぬ。|罪《つみ》の|大小《だいせう》|軽重《けいぢう》をよく|審判《しんぱん》して|下《くだ》さい。コンナ|悪《わる》い|奴《やつ》を|此《この》|世《よ》に|放《ほつ》といて、|蚊々虎《かがとら》さまのやうな|正直《しやうぢき》な|者《もの》を|幽世《あのよ》へ|連《つ》れて|行《ゆ》くとは、|余《あんま》り|胴慾《どうよく》ぢや』
|高彦《たかひこ》『エー|蚊々虎《かがとら》さま、|刹那心《せつなしん》だよ。|先《さき》の|事《こと》は|何《ど》うならうと|心配《しんぱい》せいでもよい。|年貢《ねんぐ》の|納《をさ》め|時《どき》だ。|男《をとこ》らしくとつとと|行《い》つたがよからう。|序《つい》でに、|淤縢山津見《おどやまづみ》さまも……|後《あと》に|残《のこ》る|宣伝使《せんでんし》はエヘン、この|高彦《たかひこ》さま|一人《ひとり》だ。|五月姫《さつきひめ》と|是《これ》から|二人《ふたり》、|宣伝《せんでん》に|歩《ある》くのだよ』
『|莫迦《ばか》にするない。|俺《おれ》は【そいつ】が|修羅《しゆら》の|妄想《まうさう》だ。モシモシ、|駒山彦《こまやまひこ》のお|使《つかひ》さま、この|高彦《たかひこ》といふ|奴《やつ》はな、|今《いま》まで|此《こ》の|巴留《はる》の|国《くに》に|荒熊《あらくま》と|云《い》うて|悪《わる》い|事《こと》ばつかりしてゐた|奴《やつ》だ。|貴方《あんた》も|知《し》つてるだらう。|昔《むかし》は|俺《わし》らと|一緒《いつしよ》に|随分《ずゐぶん》|悪《わる》い|事《こと》をした|奴《やつ》だ。【いつそ】のこと|三人《さんにん》とも|連《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さいな』
『イヤ、さうは|行《ゆ》きませぬ。|今度《こんど》は|一人《ひとり》だけ|御迎《おむか》へして|帰《かへ》ります。|御車《おくるま》が|一台《いちだい》より|来《き》て|居《を》りませぬから』
『ヤア、|洒落《しやれ》てるね。|地獄《ぢごく》へ|行《ゆ》くのに|車《くるま》が|迎《むか》へに|来《き》たのか。ドンナ|立派《りつぱ》な|車《くるま》だい』
『それはそれは|立派《りつぱ》な|火《ひ》の|車《くるま》ですよ』
『エー|火《ひ》の|車《くるま》、【そいつ】は|御免《ごめん》だ。ソンナラ|籤引《くじびき》をしようかい』
『アハヽヽヽヽ|馬鹿《ばか》だね。|嘘《うそ》だよ。|蚊々虎《かがとら》、|幽霊《いうれい》でも|何《なん》でもありはしないが、|貴様《きさま》は|今《いま》まで|偉《えら》さうに|審神者《さには》になつてやるの、|立派《りつぱ》な|神懸《かむがか》りになるのと|法螺《ほら》を|吹《ふ》いたが、|駒山彦《こまやまひこ》の|彼《あ》の|霊衣《れいい》が|判《わか》らぬか。|幽界《いうかい》から|来《き》たものなら|三角《さんかく》になつて|居《を》る|筈《はず》だ。|彼《あ》の|円満《ゑんまん》な|五色《ごしき》の|光彩《くわうさい》を|放《はな》つてゐる|霊衣《れいい》が|判《わか》らぬか』
『ほんにほんに、|余《あんま》り|周章《あわ》てて|霊衣《れいい》に|気《き》がつかなかつた』
『|貴様《きさま》は|本当《ほんたう》に|霊衣《れいい》が|見《み》えるのか。|貴様《きさま》の|霊衣《れいい》は|三角《さんかく》になりかけて|居《を》るぞ。|三角《さんかく》になる|奴《やつ》は|冥土《めいど》|行《ゆ》きの|近《ちか》づいた|証拠《しるし》だ。アハヽヽヽヽ』
|蚊々虎《かがとら》は|自分《じぶん》の|頭《あたま》へ|手《て》をやり、|身体中《からだぢう》を|探《さぐ》つて|霊衣《れいい》が|手《て》に|触《さは》らぬかと|捜《さが》してゐる。|駒山彦《こまやまひこ》は|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
『|私《わたくし》は|不思議《ふしぎ》な|縁《えん》にて|筑紫《つくし》の|国《くに》より、|智利《てる》の|国《くに》へ|渡《わた》る|船中《せんちう》に|於《おい》て、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》に|邂《めぐ》り|逅《あ》ひ、|結構《けつこう》な|教《をしへ》を|承《うけたま》はり、|夫《そ》れより|悪心《あくしん》を|翻《ひるがへ》し、|旧友《きういう》と|共《とも》に|此《こ》の|高砂島《たかさごじま》に|渡《わた》り|智利《てる》の|国《くに》を|猿世彦《さるよひこ》と|南北《なんぽく》に|別《わか》れ、|宣伝《せんでん》を|致《いた》して|居《を》りました。|然《しか》るに|風《かぜ》の|便《たよ》りに|承《うけたま》はれば、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が、ブラジル|峠《たうげ》を|越《こ》えられたと|云《い》ふこと、|巴留《はる》の|都《みやこ》には|鷹取別《たかとりわけ》といふ|悪神《あくがみ》が|居《を》つて、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》を|全滅《ぜんめつ》させようと、いろいろ|計画《けいくわく》をして|居《を》ると|云《い》ふことですから、|吾々《われわれ》も|一《ひと》つ|御手伝《おてつだ》ひがしたいと|思《おも》うて|参《まゐ》つたのです。|何卒《なにとぞ》|御供《おとも》に|御加《おくは》へ|下《くだ》さらば|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます』
『|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、|蚊々虎《かがとら》が|御供《おとも》を|許《ゆる》す』
『|私《わたくし》は|蚊々虎《かがとら》さまに|御願《おねが》ひしたのぢやありませぬ。|淤縢山津見《おどやまづみ》さまに|願《ねが》うたのですよ』
『|俺《おれ》が|許《ゆる》したら|同《おんな》じことだ。ねエ、|淤縢山津見《おどやまづみ》さま』
このとき|門外《もんぐわい》に、|幾百人《いくひやくにん》とも|知《し》れぬ|人声《ひとごゑ》|聞《きこ》え|来《き》たりぬ。
(大正一一・二・九 旧一・一三 外山豊二録)
(第一二章〜第二五章 昭和一〇・三・二 於神聖会総本部 王仁校正)
第二六章 |讃嘆《ウローウロー》〔三七六〕
|門内《もんない》には|駱駝《らくだ》の|嘶《いなな》く|声《こゑ》、|群衆《ぐんしう》の|話《はな》し|声《ごゑ》、|刻々《こくこく》に|高《たか》まり|来《き》たる。|蚊々虎《かがとら》はムツクと|身《み》を|起《おこ》し、|玄関《げんくわん》に|立《た》ち|現《あら》はれ、
『ヤアヤアその|物音《ものおと》は|敵《てき》か|味方《みかた》か、|実否《じつぴ》は|如何《いか》に』
と、|呶鳴《どな》り|立《た》ててゐる。
|高彦《たかひこ》は|吹《ふ》き|出《だ》し、
『オイオイ、|周章《あわ》てるな、なぜ|刹那心《せつなしん》を|発揮《はつき》せぬか』
『|刹那心《せつなしん》ぢやと|云《い》つたつて、|斯《か》う|成《な》つて|来《き》てはどうもかうも|有《あ》つたものかい。|刹那心《せつなしん》も|切《せつ》|無《な》いワイ、この|蚊々《かが》さまは』
『アハヽヽヽ、|弱《よわ》い|奴《やつ》だな、|法螺《ほら》|計《ばか》り|吹《ふ》きよつて。|昨日《きのふ》のやうな|勇気《ゆうき》はよう|出《だ》さぬのか』
『|出《だ》さいでか、まあ|見《み》ておれ。これから|蚊々虎《かがとら》は|寄《よ》せ|来《く》る|敵《てき》に|向《むか》つて、この|鉄拳《てつけん》を|縦横無尽《じうわうむじん》に|打《う》ち|振《ふ》り|打《う》ち|振《ふ》り、|打《ぶ》つて|打《ぶ》つて|打《ぶ》ち|倒《たふ》し、|勝鬨《かちどき》|挙《あ》ぐるは|瞬《またた》く|間《うち》さ。|細工《さいく》は|流々《りうりう》|仕上《しあ》げを|見《み》てから|何《なん》なと|言《い》へ』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|韋駄天《ゐだてん》|走《ばし》りに|門外《もんぐわい》に|飛《と》び|出《だ》しける。|高彦《たかひこ》は|後《あと》|見送《みおく》り|乍《なが》ら、
『オーイ、|待《ま》て|待《ま》て、アー|往《い》つて|了《しま》ひよつた。|周章者《あわてもの》だなあ、|飛《と》んで|火《ひ》に|入《い》る|夏《なつ》の|虫《むし》かい、モシモシ|淤縢山津見様《おどやまづみさま》、|如何《いかが》|取《と》り|計《はか》らひませう』
『まあ|急《せ》くに|及《およ》ばぬ。|悠《ゆつ》くりお|茶《ちや》など|飲《の》んで|心《こころ》を|落着《おちつ》けたら|良《よ》からう』
『|察《さつ》するところ、|鷹取別《たかとりわけ》の|配下《てした》の|軍勢《ぐんぜい》が、|吾々《われわれ》|一同《いちどう》を|亡《ほろ》ぼすべく、|押《お》し|寄《よ》せたのでは|有《あ》りますまいかナア|淤縢山《おどやま》さま』
『サア|淤縢山津見《おどやまづみ》には|何《なん》とも|判《わか》らぬなあ』
この|時《とき》|韋駄天走《ゐだてんばし》りに|玄関《げんくわん》より|上《あが》つて|来《き》た|蚊々虎《かがとら》は、
『オーイ、|淤縢山津見《おどやまづみ》、|一同《いちどう》の|者《もの》、|確《しつか》り|致《いた》せ、|敵《てき》は|間近《まぢか》く|攻《せ》め|寄《よ》せたりだ。|駒山彦《こまやまひこ》を|始《はじ》めとし、|憖《なまじ》いに|身《み》を|逃《のが》れむとして|敵《てき》の|捕虜《とりこ》となり、|死恥《しにはぢ》を|見《み》せむよりは、|潔《いさぎよ》くこの|場《ば》で|割腹《かつぷく》|々々《かつぷく》。サアサア|腹《はら》を|切《き》つたり|切《き》つたり』
『アハヽヽヽ、オイ、|狂言《きやうげん》をするない。あの|声《こゑ》を|聞《き》いたか。ウローウローと|言《い》つてるではないか。|吾々《われわれ》|一行《いつかう》を、この|辺《へん》の|人民《じんみん》が|神様《かみさま》のやうに|思《おも》つて、お|祝《いはひ》に|来《き》てるのだぞ。|駱駝《らくだ》の|声《こゑ》と|言《い》ひ、|喜《よろこ》びの|声《こゑ》と|云《い》ひ、あの|言霊《ことたま》にどうして|敵意《てきい》を|含《ふく》んで|居《を》るか。|貴様《きさま》もいい|周章者《あわてもの》だ。それだから|臍下丹田《さいかたんでん》、|天《あま》の|岩戸《いはと》に|魂《たましひ》を|据《す》ゑて|居《を》らぬと、【まさか】の|時《とき》には|狼狽《うろた》へて、キリキリ|舞《ま》ひを|致《いた》さな|成《な》らぬと|仰有《おつしや》るのだよ。|何《なん》だ、この|態《ざま》は、キリキリ|舞《まひ》を|仕《し》よつて、|恥《はぢ》でも|知《し》れ。|五月姫《さつきひめ》さまが、|襖《ふすま》を|細目《ほそめ》に|開《あ》けて、|笑《わら》つて|居《ゐ》らつしやるぞ』
『ソンナことは|遠《とほ》の|昔《むかし》に|百《ひやく》も|承知《しようち》だ|千《せん》も|合点《がつてん》だ。|駒山彦《こまやまひこ》の|奴《やつ》、|俺《おれ》を|地獄《ぢごく》から|迎《むか》ひに|来《き》たなんて|脅《おど》かしよつたから、|俺《おれ》も|一《ひと》つ|返報《へんぱう》【がへし】をして|見《み》たのだ。|貴様《きさま》は|要《い》らぬ|事《こと》を|云《い》ひよつて、|俺《おれ》の|妙計《めうけい》の|裏《うら》を|掻《か》くと|云《い》ふ|事《こと》があるかい。|実《じつ》の|事《こと》を|云《い》へば、|五月姫《さつきひめ》|様《さま》でさへも、その|父《とう》さまの|闇山津見《くらやまづみ》さまでさへも、|丁重《ていちよう》に|待遇《もてな》して、|教《をしへ》を|受《う》けられるやうな|立派《りつぱ》な|蚊々虎《かがとら》の|宣伝使《せんでんし》を、お|祝《いは》ひ|申《まを》せ、お|礼《れい》に|行《い》かねば|成《な》らぬと、|皆《みな》の|者《もの》が|言合《いひあは》して、|色々《いろいろ》の|珍《めづら》しい|物《もの》を|沢山《どつさり》|持《も》つて、|駱駝《らくだ》に|積《つ》んでな、|蚊々虎《かがとら》に|進上《しんじやう》したいと|云《い》つていよるのだよ。ヘン、|豪勢《がうせい》なものだらう』
『アハヽヽヽ、|笑《わら》はせやがらあ。ヘー|貴様《きさま》の|様《やう》な|宣伝使《せんでんし》に、|誰《たれ》が|木《こ》の|葉《は》|一枚《いちまい》|呉《く》れる|者《もの》があつて|堪《たま》るか。みな|淤縢山津見《おどやまづみ》の|宣伝使《せんでんし》と、|高彦《たかひこ》さまの|改心《かいしん》|演説《えんぜつ》に|感心《かんしん》してお|祝《いはひ》に|来《き》たのだよ。|余《あんま》り|自惚《うぬぼ》れて|貰《もら》ふまいかい。|貴様《きさま》は|自惚《うぬぼ》れるのも|一番《いちばん》だが、|恐《こは》がるのも、|威張《ゐば》るのも|一番《いちばん》だ。それだから|馬鹿《ばか》の|一番《いちばん》と|云《い》ふのだよ、ウフヽヽヽ』
『|何《なん》なと|勝手《かつて》に|吐《ほざ》けい。|百千万《ひやくせんまん》の|敵《てき》にも、ビクとも|致《いた》さぬ|事《こと》は|無《な》いことは|無《な》い|蚊々虎《かがとら》だ。|木端武者《こつぱむしや》は|控《ひか》へて|居《を》らう』
『オイ、また|狂言《きやうげん》するのか。|五月姫《さつきひめ》が|窺《のぞ》いてるよ』
|玄関《げんくわん》に|二三人《にさんにん》の|声《こゑ》として、
『|頼《たの》みます、|頼《たの》みます。|闇山津見《くらやまづみ》さまに|会《あ》はして|下《くだ》さい』
|玄関番《げんくわんばん》は、
『ハイ』
と|答《こた》へて、|直《ただ》ちに|奥《おく》の|間《ま》に|走《はし》り|入《い》り、この|旨《むね》を|伝《つた》へたるに、|闇山津見《くらやまづみ》は、|五月姫《さつきひめ》と|共《とも》に|宣伝使《せんでんし》|一同《いちどう》の|前《まへ》に|現《あら》はれて、
『|昨夜《さくや》は|失礼《しつれい》|致《いた》しました。|今日《こんにち》はどうか|御悠《ごゆる》りと|御休息《ごきうそく》を|願《ねが》ひます。|就《つき》ましては|巴留《はる》の|国《くに》の|人民《じんみん》|共《ども》が、|宣伝使《せんでんし》の|労《らう》を|犒《ねぎら》ひたいと|申《まを》して|種々《いろいろ》の|御土産物《おみやげもの》を|持参《ぢさん》|致《いた》しました。|今《いま》|三人《さんにん》の|代表者《だいへうしや》がこれへ|参《まゐ》りますから、|何《ど》うか|話《はなし》をしてやつて|下《くだ》さいませ』
『|重《かさ》ね|重《がさ》ねの|御親切《ごしんせつ》、|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます。|何時《いつ》でもお|目《め》に|掛《かか》りませう』
|斯《か》く|挨拶《あいさつ》を|交《かは》す|折《をり》しも、|三人《さんにん》の|男《をとこ》、|代表者《だいへうしや》としてこの|場《ば》に|現《あら》はれ、|一同《いちどう》に|向《むか》ひ|叮嚀《ていねい》に|辞儀《じぎ》をしながら、
『|宣伝使《せんでんし》|御一同様《ごいちどうさま》に|申上《まをしあ》げます。この|地方《ちはう》は、|鷹取別《たかとりわけ》の|軍勢《ぐんぜい》が|沢山《たくさん》に|入《い》り|込《こ》み、|強盗《がうたう》をする、|婦女子《ふぢよし》を|嬲《なぶ》り|者《もの》にする、|乱暴狼藉《らんばうろうぜき》|致《いた》らざる|無《な》く、|昨日《きのふ》|迄《まで》は|何事《なにごと》が|勃発《ぼつぱつ》するかも|知《し》れないと|云《い》つて、この|国人《くにびと》は|戦々兢々《せんせんきようきよう》として|仕事《しごと》も|手《て》につかず、|心配《しんぱい》を|致《いた》しまして、|国魂《くにたま》の|神《かみ》のお|祭《まつり》を|始《はじ》めて|居《ゐ》ました|処《ところ》が、|思《おも》はずも|宣伝使《せんでんし》|様《さま》の|宣伝歌《せんでんか》が|聞《きこ》えると|共《とも》に、|鷹取別《たかとりわけ》の|軍勢《ぐんぜい》も、|悪神《あくがみ》の|私語《ささやき》も、ピタリと|影《かげ》を|隠《かく》し、|声《こゑ》を|潜《ひそ》めて|了《しま》ひました。|大方《おほかた》この|大沙漠《だいさばく》を|横断《わうだん》して、|西《にし》の|国《くに》へ|逃《に》げ|帰《かへ》つたのでせう。|吾々《われわれ》|人民《じんみん》が|塗炭《とたん》の|苦《くるし》みをお|救《すく》ひ|下《くだ》さいました|其《そ》の|御高恩《ごかうおん》の|万分《まんぶん》の|一《いち》に|酬《むく》ゆる|為《た》めに、|吾々《われわれ》は|人民《じんみん》を|代表《だいへう》して、|茲《ここ》に|数十頭《すうじつとう》の|駱駝《らくだ》を|献上《けんじやう》|致《いた》したいと|思《おも》うて|参《まゐ》りました。|御受納《ごじゆなふ》|下《くだ》さらば|有難《ありがた》き|仕合《しあはせ》に|存《ぞん》じます』
と、|云《い》ふを|聴《き》きて、
『ああさうか、それは|良《よ》く|改心《かいしん》が|出来《でき》た。|結構《けつこう》だ。|神様《かみさま》は|何《なに》よりも|改心《かいしん》が|一等《いつとう》だと、|宣《のたま》はせられる。|高砂島《たかさごじま》の|国魂《くにたま》、|竜世姫神《たつよひめのかみ》は|実《じつ》に|偉《えら》い|神《かみ》さまだ。さうしてそれよりま|一《ひと》つ|偉《えら》いのは、この|蚊々虎《かがとら》の|宣伝使《せんでんし》だ』
『はい、|左様《さやう》で|御座《ござ》いますか。その|偉《えら》いお|方《かた》は|何処《どこ》に|居《を》られますか。|一度《いちど》|拝顔《はいがん》を|願《ねが》ひたいものです』
『|居《を》られますとも、|確《たしか》にこの|場《ば》に|鎮座《ちんざ》まします。|篤《とつくり》と|拝《をが》んで|帰《かへ》るがよからう』
|高彦《たかひこ》クスクスと|笑《わら》ひ|出《だ》す。
『|不謹慎《ふきんしん》な|奴《やつ》だ。|何《なに》が|可笑《をか》しいか。|黙《だま》れ|黙《だま》れ』
|蚊々虎《かがとら》は|代表《だいへう》に|向《むか》ひ、
『|蚊々虎《かがとら》といふ|生神《いきがみ》の、|立派《りつぱ》な|広《ひろ》い|世界《せかい》に|唯《ただ》|一人《ひとり》より|無《な》い|宣伝使《せんでんし》は、この|御方《おんかた》だ』
と|右《みぎ》の|手《て》を|左手《ゆんで》にて|握《にぎ》り、|食指《ひとさしゆび》を|突《つ》き|出《だ》し|乍《なが》ら、|空中《くうちう》を|東《ひがし》から|西《にし》へと|指《ゆび》ざし、その|指《ゆび》の|先《さき》を|自分《じぶん》の|鼻《はな》の|上《うへ》に、テンと|乗《の》せて|見《み》せる。|高彦《たかひこ》は、
『オイ、|三五教《あななひけう》は|耐《こら》へ|忍《しの》びだ』
と|云《い》ひつつ、|横面《よこづら》をピシヤリとやる。
|蚊々虎《かがとら》『|何《なに》をツ、チヨ、チヨコザイナ。|蚊々虎《かがとら》を|知《し》らぬか』
『オイ、|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し、|耐《こら》へ|忍《しの》びだよ。それが|生神《いきがみ》の|宣伝使《せんでんし》だよ』
|五月姫《さつきひめ》は|思《おも》はず、
『オホヽヽヽ』
と|倒《こけ》て|笑《わら》ふ。
『|貴方《あなた》がその|結構《けつこう》な|宣伝使《せんでんし》で|御座《ござ》いましたか。それにしても|余《あま》りお|軽《かる》う|御座《ござ》いますな』
『|軽《かる》いぞ|軽《かる》いぞ、お|前達《まへたち》の|様《やう》に|罪《つみ》の|重《おも》い|者《もの》では|宣伝使《せんでんし》は|出来《でき》ぬからのう』
『|蚊々虎《かがとら》さま、|偉《えら》い|勢《いきほひ》ですな、|駒山彦《こまやまひこ》も|感心《かんしん》|致《いた》しました』
『ウン、それでよい。|長《なが》く|饒舌《しやべ》ると|屑《くづ》が|出《で》る。|言《い》はぬは|言《い》ふに|弥勝《いやまさ》るだ。オイ、|代表者《だいへうしや》|共《ども》、|生神《いきがみ》の|宣伝使《せんでんし》は、|人民《じんみん》の|厚《あつ》き|志《こころざし》、|確《たし》かに|受納《じゆなふ》|致《いた》したと|申《まを》し|伝《つた》へよ』
『ハイ、|畏《かしこ》まりました』
|代表《だいへう》|甲《かふ》『オイ、|一寸《ちよつと》|此奴《こいつ》は|可笑《をか》しいぜ』
|代表《だいへう》|乙《おつ》『|神《かみ》さまなんて、アンナものだよ』
|代表《だいへう》|丙《へい》『|妙《めう》な|神《かみ》さまも|有《あ》つたものだな』
|蚊々虎《かがとら》ニヤリニヤリ、
『|其《その》|方《はう》|共《ども》は|何《なに》を|私語《ささや》くか。|生神《いきがみ》の|前《まへ》だぞ』
『イヤ、|三人《さんにん》の|御方《おかた》、|私《わたくし》が|淤縢山津見《おどやまづみ》で|御座《ござ》ります。|何《ど》うか|皆《みな》さまに|宜《よろ》しう|御礼《おれい》を|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さい。|今《いま》|偉《えら》さうに|申上《まをしあ》げました|彼《かれ》は、|蚊々虎《かがとら》と|云《い》ふ|私《わたくし》|共《ども》の|荷物《にもつ》を|持《も》つ|従僕《しもべ》で|御座《ござ》いますから、|何《ど》うかお|心《こころ》に|障《さ》へられぬやうに。|宣伝使《せんでんし》はアンナ|者《もの》かと|思《おも》はれちや、|教《をしへ》の|疵《きず》になりますから、|私《わたくし》は|改《あらた》めて|宣《の》り|直《なほ》します』
|蚊々虎《かがとら》は|面《つら》を|膨《ふく》らし、|淤縢山津見《おどやまづみ》の|宣伝使《せんでんし》を|睨《にら》み|詰《つ》めて|居《ゐ》たりける。
|高彦《たかひこ》は|堪《た》へかねて
『ウワハヽヽヽヽ』
|闇山津見《くらやまづみ》も|同《おな》じく
『フツフツヽヽヽヽヽ』
|駒山彦《こまやまひこ》もまた
『クワツ クワツ クワツ クワツ』
|五月姫《さつきひめ》も
『オホヽヽヽヽ』
|代表者《だいへうしや》は|妙《めう》な|顔《かほ》して
『エヘヽヽヽヽ』。
(大正一一・二・九 旧一・一三 東尾吉雄録)
第二七章 |沙漠《さばく》〔三七七〕
|蒼空一天《さうくういつてん》の|雲翳《うんえい》も|無《な》く、|天津日《あまつひ》は|中天《ちうてん》に|輝《かがや》き|玉《たま》ふ|真昼時《まひるどき》。
|茲《ここ》に|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》は、|数十頭《すうじつとう》の|駱駝《らくだ》に|数多《あまた》の|食物《しよくもつ》を|積《つ》み、|駱駝《らくだ》の|背《せ》にヒラリと|跨《またが》つて|闇山津見《くらやまづみ》|夫婦《ふうふ》に|名残《なごり》を|惜《を》しみ、|大沙漠《だいさばく》を|横断《わうだん》して、|巴留《はる》の|都《みやこ》に|進《すす》まむとする|時《とき》、|五月姫《さつきひめ》は|名残《なごり》|惜《を》しげに|門口《かどぐち》に|送《おく》り|出《い》で、
『|堅磐常磐《かきはときは》に|変《かは》り|無《な》き |世《よ》や|久方《ひさかた》の|大空《おほぞら》の
|天《あま》の|河原《かはら》に|棹《さを》さして エデンの|河《かは》に|天降《あも》りまし
|恵《めぐみ》も|深《ふか》き|顕恩《けんおん》の |郷《さと》に|鎮《しづ》まる|南天王《なんてんわう》
|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|現《あら》はれて |四方《よも》の|国々《くにぐに》|隈《くま》もなく
|神《かみ》の|御教《みのり》を|輝《かがや》かし |千尋《ちひろ》の|海《うみ》の|底《そこ》の|宮《みや》
|竜《たつ》の|都《みやこ》に|出《い》でまして |憂瀬《うきせ》に|悩《なや》む|神人《かみびと》を
|救《すく》ひ|玉《たま》ひし|生神《いきがみ》の |教《をしへ》の|御子《みこ》の|宣伝使《せんでんし》
|淤縢山津見司様《おどやまづみのつかささま》 その|外《ほか》|三人《みたり》の|宣伝使《せんでんし》
|名残《なごり》は|惜《を》しき|夏《なつ》の|空《そら》 |五月《さつき》の|暗《やみ》に|掻《か》き|曇《くも》る
|心《こころ》|悲《かな》しき|五月姫《さつきひめ》 |血《ち》を|吐《は》く|思《おも》ひの|杜鵑《ほととぎす》
|思《おも》ひは|同《おな》じ|世《よ》を|救《すく》ふ |神《かみ》の|身魂《みたま》を|禀《う》け|継《つ》ぎし
|妾《わらは》は|女《をんな》の|身《み》なれども |神《かみ》の|御言《みこと》を|宣《の》べ|伝《つた》ふ
|清《きよ》き|司《つかさ》と|成《な》らざらめ |常世《とこよ》の|闇《やみ》を|晴《は》らさむと
|思《おも》ふ|心《こころ》の|仇曇《あだぐも》り |晴《は》らさせ|給《たま》へ|淤縢山津見《おどやまづみ》
|教《のり》の|司《つかさ》の|宣伝使《せんでんし》 |汝《なれ》は|都《みやこ》へ|妾《あ》は|後《あと》に
|残《のこ》りて|何《なに》を|楽《たのし》まむ |明日《あす》をも|知《し》れぬ|人《ひと》の|身《み》の
|空《むな》しき|月日《つきひ》を|送《おく》るべき |荒野《あらの》の|露《つゆ》と|消《き》ゆるとも
|沙漠《さばく》の|塵《ちり》に|埋《うづ》むとも |世人《よびと》を|思《おも》ふ|村肝《むらきも》の
|心《こころ》は|曇《くも》る|五月闇《さつきやみ》 |疾《と》く|晴《は》らさせよ|宣伝使《せんでんし》』
と|声《こゑ》しとやかに|歌《うた》ひて、|名残《なごり》を|惜《をし》む。|闇山津見《くらやまづみ》はこの|歌《うた》を|聞《き》いて|五月姫《さつきひめ》の|心中《しんちう》を|察《さつ》し、|新《あらた》に|駱駝《らくだ》を|曳出《ひきだ》し|来《きた》り、|五月姫《さつきひめ》に|与《あた》へ、|淤縢山津見《おどやまづみ》|一行《いつかう》と|共《とも》に、|宣伝使《せんでんし》として|天下《てんか》を|教化《けうくわ》することを|許《ゆる》したり。|五月姫《さつきひめ》は|天《てん》へも|昇《のぼ》る|心地《ここち》し、|茲《ここ》に|男女《なんによ》|五人《ごにん》の|宣伝使《せんでんし》は|轡《くつわ》を|並《なら》べて、さしもに|広《ひろ》き|巴留《はる》の|大沙漠《だいさばく》を|横断《わうだん》することと|成《な》りにけり。
|茲《ここ》に|五人《ごにん》の|宣伝使《せんでんし》は、|闇山津見《くらやまづみ》をはじめ|数多《あまた》の|国人《くにびと》に『ウロー ウロー』の|声《こゑ》に|送《おく》られ、|意気《いき》|揚々《やうやう》として、|闇山津見《くらやまづみ》の|館《やかた》を|後《あと》に、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|進《すす》み|行《ゆ》く。いよいよ|大沙漠《だいさばく》に|差懸《さしかか》りたれば、|前方《ぜんぱう》よりは|烈《はげ》しき|風《かぜ》|吹《ふ》き|荒《すさ》み|砂煙《すなけぶり》を|立《た》て、|面《おもて》を|向《む》くべきやうも|無《な》かりけり。
|蚊々虎《かがとら》は|大音声《だいおんじやう》を|張《は》り|上《あ》げて、
『|風《かぜ》よ|吹《ふ》け|吹《ふ》け|旋風《まひかぜ》|吹《ふ》けよ |砂《すな》よ|飛《た》て|飛《た》て|天《てん》まで|飛《た》てよ
|雨《あめ》も|降《ふ》れ|降《ふ》れイクラデモ|降《ふ》れよ たとへ|沙漠《さばく》は|海《うみ》と|成《な》り
|天《てん》は|下《くだ》りて|地《つち》と|成《な》り |地《つち》は|上《のぼ》りて|天《てん》と|成《な》る
|如何《いか》なる|大難《だいなん》|来《きた》るとも |神《かみ》に|貰《もら》うた|蚊々虎《かがとら》の
この|言霊《ことたま》に|吹《ふ》き|散《ち》らし |薙《な》いで|払《はら》うて|巴留《はる》の|国《くに》
|靡《なび》き|伏《ふ》せなむ|神《かみ》の|徳《とく》 |蚊々虎《かがとら》さまの|神力《しんりき》に
|何《いづ》れの|神《かみ》も|諸人《もろびと》も |虎《とら》|狼《おほかみ》や|獅子《しし》|熊《くま》も
|青菜《あをな》に|塩《しほ》のその|如《ごと》く |縮《ちぢ》んで|萎《しほ》れてペコペコと
|謝《あやま》り|入《い》るは|目《ま》の|当《あた》り |風《かぜ》も|吹《ふ》け|吹《ふ》け|何《なん》ぼなと|吹《ふ》けよ
|砂《すな》も|飛《た》て|飛《た》て|何《なん》ぼなと|飛《た》てよ ソンナ|事《こと》には|応《こた》へぬ|神《かみ》だ
|応《こた》へぬ|筈《はず》だよ|誠《まこと》の|神《かみ》の |教《をしへ》を|伝《つた》へる|宣伝使《せんでんし》
|淤縢山津見《おどやまづみ》の|司様《つかささま》 |勇《いさ》む|心《こころ》も|駒山彦《こまやまひこ》や
|天狗《てんぐ》の|鼻《はな》の|高彦《たかひこ》や |天女《てんによ》に|擬《まが》ふ|五月姫《さつきひめ》
ちつとも|恐《おそ》れぬ|金剛力《こんがうりき》の |蚊々虎《かがとら》さまがござるぞよ
|進《すす》めや|進《すす》めいざ|進《すす》め』
と|口《くち》から|出任《でまか》せに、|大法螺《おほぼら》を|吹《ふ》きながら|駱駝《らくだ》の|背《せ》に|跨《またが》り、|勢《いきほひ》よく|風《かぜ》を|冒《をか》して|進《すす》んで|行《ゆ》く。|漸《やうや》くにして|風《かぜ》はピタリと|止《や》んだ。|夏《なつ》の|太陽《たいやう》は|又《また》もや|煌々《くわうくわう》と|輝《かがや》き|始《はじ》めたり。
|駒山彦《こまやまひこ》『オイオイ|蚊々虎《かがとら》の|宣伝使《せんでんし》、|豪勢《がうせい》なものだな。お|前《まへ》のその|大法螺《おほぼら》には、|風《かぜ》の|神《かみ》だつて|何《なん》だつて|萎縮《ゐしゆく》して|了《しま》ふわ。よくも|吹《ふ》いたものだなー』
|蚊々虎《かがとら》『|向《むか》ふが|吹《ふ》きよるから|吹《ふ》いたのだ。|滅多矢鱈《めつたやたら》に|吹《ふ》いて、|俺《おい》らを|砂煙《すなけぶり》に|巻《まき》よつたから、|俺《おれ》も|亦《また》|一《ひと》つ|風《かぜ》の|神《かみ》に|向《むか》つて、|大法螺《おほぼら》を|吹《ふ》いて|吹《ふ》いて、|風《かぜ》の|神《かみ》もお|前達《まへたち》も|一緒《いつしよ》に|煙《けぶり》に|巻《ま》いたのだよ』
|高彦《たかひこ》『ハヽヽヽ|相変《あひかは》らず、|空威張《からいばり》の|上手《じやうづ》な|男《をとこ》だネー』
『|矢釜敷《やかまし》う|言《い》ふない、|先《さき》を|見《み》て|貰《もら》はうかい。|先《さき》になつて|驚《おどろ》くな、|何《ど》んな|働《はたら》きをなさるか|知《し》つて|居《ゐ》るかい』
『オホン|刹那心《せつなしん》だ。|先《さき》の|事《こと》を|云《い》つたつて|判《わか》るものか。|今《いま》の|内《うち》に|精《せい》|出《だ》して|法螺《ほら》でも|吹《ふ》いて|置《お》くが|宜《よ》からう。|万緑《ばんりよく》|叢中《そうちゆう》|紅一点《こういつてん》の|五月姫《さつきひめ》の|女宣伝使《をんなせんでんし》が|居《ゐ》ると|思《おも》つて、|俄《にはか》に|元気《げんき》づきよつて、|声《こゑ》|自慢《じまん》で|法螺歌《ほらうた》を|歌《うた》つたつて、|風《かぜ》の|神《かみ》なら|往生《わうじやう》するならむも、|五月姫《さつきひめ》さまはソンナ|事《こと》では|一寸《ちよつと》お|出《い》でぬぞ』
『|馬鹿《ばか》|言《い》ふな。オイオイ、|際限《さいげん》も|無《な》いこの|沙漠《さばく》だ。|一体《いつたい》|何日《なんにち》|程《ほど》|走《はし》つたら、|巴留《はる》の|都《みやこ》へ|行《ゆ》くか|知《し》つて|居《を》るかい』
『ソンナ|事《こと》は|知《し》らぬワイ。お|前《まへ》は|神懸《かむがかり》さまぢやないか、|宇宙《うちう》|一切《いつさい》の|事《こと》が|判明《わか》るなら、その|位《くらゐ》な|事《こと》が|鏡《かがみ》に|懸《か》けた|如《ごと》く|知《し》れさうなものでないか』
|一行《いつかう》は|互《たがひ》に|駱駝《らくだ》に|跨《またが》り、|或《あるひ》は|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ、|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》りながら、|漸《やうや》くにして|巴留《はる》の|都《みやこ》に|着《つ》きにける。
(大正一一・二・九 旧一・一三 森良仁録)
第二八章 |玉詩異《たましい》〔三七八〕
|一行《いつかう》は|巴留《はる》の|都《みやこ》の|入口《いりぐち》の、|老木《らうぼく》|茂《しげ》れる|森林《しんりん》に|駱駝《らくだ》を|繋《つな》ぎ|休息《きうそく》したりぬ。|淤縢山津見《おどやまづみ》は|一同《いちどう》と|車座《くるまざ》になり、|作戦《さくせん》|計画《けいくわく》を|相談《さうだん》しゐたり。
『|此処《ここ》は|大自在天《だいじざいてん》、|今《いま》は|常世神王《とこよしんわう》の|領分《りやうぶん》、|鷹取別《たかとりわけ》が|管掌《くわんしやう》するところだから、よほど|注意《ちうい》をせなくてはならぬ。|大自在天《だいじざいてん》の|一派《いつぱ》は、|精鋭《せいえい》なる|武器《ぶき》もあれば、|権力《けんりよく》も|持《も》つて|居《を》り|知識《ちしき》もある。|加《くは》ふるに|天《あま》の|磐船《いはふね》、|鳥船《とりふね》など|無数《むすう》に|準備《じゆんび》して、|併呑《へいどん》のみを|唯一《ゆゐいつ》の|主義《しゆぎ》として|居《を》る|体主霊従《たいしゆれいじゆう》、|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》の|政治《せいぢ》だ。|吾々《われわれ》はこの|悪逆無道《あくぎやくむだう》を|懲《こら》さねばならぬのだ。さうして|吾々《われわれ》の|武器《ぶき》といつたら、|唯《ただ》|一《ひと》つの|玉《たま》を|持《も》つて|居《を》るのみだ。その|玉《たま》をもつて、|言向和《ことむけやは》すのだから、|大変《たいへん》に|骨《ほね》が|折《を》れる。|先《ま》づこの|戦《たたかひ》に|勝《かつ》のは|忍耐《にんたい》の|外《ほか》には|無《な》い。|御一同《ごいちどう》の|宣伝使《せんでんし》、この|重大《ぢうだい》なる|使命《しめい》が|勤《つと》まりますか』
|蚊々虎《かがとら》は、
『|勿論《もちろん》の|事《こと》、|武器《ぶき》もなければ|爆弾《ばくだん》もない、|唯《ただ》|天《てん》から|貰《もら》つたこの|玉《たま》|一《ひと》つだ』
と|握拳《にぎりこぶし》を|固《かた》め|一同《いちどう》の|前《まへ》に|突出《つきだ》し、|肩《かた》を|怒《いか》らしながら、
『|吾《われ》は|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》、|腰《こし》に|三尺《さんじやく》の|秋水《しうすゐ》は|無《な》けれども、|鉄《てつ》より|固《かた》いこの|拳骨《げんこつ》、|寄《よ》せ|来《く》る|敵《てき》を|片端《かたつぱし》から、|打《ぶ》つて|打《ぶ》つて|打《ぶ》ちのめし、|一泡《ひとあわ》|吹《ふ》かして|呉《く》れむ』
『コラコラ、ソンナ|乱暴《らんばう》な|事《こと》をやつてよいものか。ミロクの|教《をしへ》を|致《いた》す|吾々《われわれ》は、|一切《いつさい》の|武器《ぶき》を|持《も》つ|事《こと》は|出来《でき》ない。|唯《ただ》|玉《たま》のみだ』
『その|玉《たま》はこれだ』
と|握拳《にぎりこぶし》を|丸《まる》くして、【ニユツ】と|突出《つきだ》して|見《み》せる。
|高彦《たかひこ》『|馬鹿《ばか》だなあ、そりや|握《にぎ》り|玉《たま》だ。|玉《たま》が|違《ちが》ふよ』
|蚊々虎《かがとら》『ソンナラ|俺《おれ》は|玉《たま》を|二《ふた》つ|持《も》つてゐる|蚊々虎《かがとら》だ。|何方《どちら》を|使《つか》はうかな。|貴様《きさま》らの|持《も》つて|居《を》るのとは|余程《よほど》|大《おほ》きい|立派《りつぱ》なものだよ。|駱駝《らくだ》に|乗《の》つて|走《はし》る|時《とき》には|邪魔《じやま》になる。|歩《ある》く|時《とき》にも|大変《たいへん》な|邪魔物《じやまもの》だ、|一《ひと》つ|貴様《きさま》に|貸《か》してやらうか。それはそれは|立派《りつぱ》な|睾《きん》の|玉《たま》だぞ』
『|洒落《しやれ》どころかい、|千騎一騎《せんきいつき》の|正念場《しやうねんば》だ。|貴様《きさま》の|魂《たましひ》を|以《もつ》て|敵《てき》に|当《あた》れと|云《い》ふ|事《こと》だよ』
『|宣伝使《せんでんし》がそれ|位《くらゐ》の|事《こと》を|知《し》らぬで|勤《つと》まるかい、|一寸《ちよつと》|嬲《なぶ》つてやつたのだよ。|敵地《てきち》に|臨《のぞ》んでも、|綽々《しやくしやく》として|余裕《よゆう》のある、|蚊々虎《かがとら》さまの|度胸《どきよう》を|見《み》せてやつたのだよ。|高彦《たかひこ》、これ|見《み》よ、【だらり】と|垂下《さが》つて|居《ゐ》る。|度胸《どきよう》の|無《な》い|奴《やつ》は|強敵《きやうてき》の|前《まへ》に|来《く》ると|縮《ちぢ》み|上《あが》ると|云《い》ふことだが、|貴様《きさま》の|玉《たま》は|二《ふた》つとも|臍下丹田《さいかたんでん》|天《あま》の|岩戸《いはと》の|辺《あたり》に|鎮《しづ》まつて|居《を》るのだらう。|否《いな》|舞《ま》ひ|上《あが》つて|居《を》るのだらう』
|五月姫《さつきひめ》は、
『ホヽヽ|蚊々虎《かがとら》さまのお|元気《げんき》な|事《こと》、|妾《わらは》は|腸《はらわた》が|撚《よ》れます』
と|腹《はら》を|抱《かか》へて|忍《しの》び|笑《わら》ひに|笑《わら》ふ。
『コレコレ、|姫御前《ひめごぜん》のあられもない|事《こと》、|宣伝使《せんでんし》の|仰有《おつしや》る|事《こと》を、|若《わか》い|女《をんな》の|分際《ぶんざい》として|笑《わら》ふと|云《い》ふ|事《こと》があつたものか。|女《をんな》らしうもない、ちと【らしう】しなさい』
『|淤縢山津見様《おどやまづみさま》、|蚊々《かが》さまや、|高《たか》さまのお|話《はなし》では|一向《いつかう》|要領《えうりやう》を|得《え》ませぬ。|一《ひと》つ|大方針《だいはうしん》を|駒山彦《こまやまひこ》に|示《しめ》して|下《くだ》さいな』
|淤縢山津見《おどやまづみ》は|立《た》つて|歌《うた》を|歌《うた》ふ。
『|宣伝《せんでん》|将軍《しやうぐん》|雷声有《らいせいあり》 |進神兵《しんぺいをすすむ》|万里沙程《ばんりのさてい》
|争知《いづくんぞしらん》|臨敵城下地《てきじやうかちにのぞむ》 |大道勝驕《たいだうすぐれておごれば》|却虚名《かへつてなをむなしうせん》』
『|何《なん》と|六ケ敷《むつかし》い|歌《うた》だのう。|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|一遍《いつぺん》|審神《さには》をして|上《あ》げませうか、|蚊々虎《かがとら》が。|妙《めう》な|事《こと》を|云《い》ひますなあ、|猿《さる》の|寝言《ねごと》のやうにさつぱり|訳《わけ》が|分《わか》らぬじやないか』
『イヤ、|駒山彦《こまやまひこ》は|分《わか》つてゐますよ』
『|分《わか》つてゐるなら|云《い》うて|呉《く》れ、ヘボ|審神者《さには》の|誤託宣《ごたくせん》だ。どうで|碌《ろく》な|事《こと》はあるまい。|蚊々虎《かがとら》さまを|大将《たいしやう》とすれば、|総《すべ》ての|計画《けいくわく》は【キタリキタリ】と|箱指《はこさし》たやうに|行《ゆ》くのだが、|淤縢山津見《おどやまづみ》は|我《が》があるから、サツパリ|行《ゆ》かぬのだ。|駒山彦《こまやまひこ》よ、|貴様《きさま》も|犬《いぬ》や|猿《さる》の|寝言《ねごと》みたやうな|事《こと》を、|知《し》つとるの、|知《し》らぬのと|云《い》うて、|貴様達《きさまたち》が|知《し》つて|怺《たま》るか。もう|教《をし》へて|貰《もら》はぬわ。|脱線《だつせん》だらけの|事《こと》を|聞《き》いたつて|仕方《しかた》がないからなあ』
|斯《か》く|談合《はなしあ》ふ|所《ところ》へ、|長剣《ちやうけん》を|提《さ》げ|甲冑《かつちう》を|身《み》に|纒《まと》うた|荒武者《あらむしや》|数十名《すうじふめい》の|駱駝隊《らくだたい》|現《あら》はれ|来《きた》り、
『ヤア、その|森林《しんりん》に|駱駝《らくだ》を|繋《つな》ぎ、|休息《きうそく》せる|一行《いつかう》のものは、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》には|非《あら》ざるか、|潔《いさぎよ》く|名乗《なのり》を|上《あ》げて|吾《われ》らが|槍《やり》の|錆《さび》となれよ』
と|呼《よ》ばはりたり。
『ヤアお|出《いで》たなあ、|日頃《ひごろ》の|力自慢《ちからじまん》の|腕《うで》を|試《ため》すは|今《いま》この|時《とき》だ。ヤア|五月姫《さつきひめ》|殿《どの》、この|蚊々虎《かがとら》が|武勇《ぶゆう》を|御覧《ごらん》あれ。オイオイ|三人《さんにん》の|弱虫《よわむし》|共《ども》、この|方《はう》の|武者振《むしやぶり》を|見《み》て|膽《きも》を|潰《つぶ》すな』
|高彦《たかひこ》は|蚊々虎《かがとら》に|向《むか》ひ、
『|貴様《きさま》|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|忘《わす》れたか』
『|危急《ききふ》|存亡《そんばう》のこの|場《ば》に|当《あた》つて、|三五教《あななひけう》もあつたものか。|機《はた》に|臨《のぞ》み、|変《へん》に|応《おう》ずるはこれ|即《すなは》ち|神謀鬼策《しんぼうきさく》。|汝《なんぢ》らの|如《ごと》き|愚者《ぐしや》|小人《せうにん》の|知《し》るところで|無《な》い。|邪魔《じやま》ひろぐな』
と|赭黒《あかぐろ》い|腕《うで》を|捲《まく》つて|数十人《すうじふにん》の|群《むれ》に|飛《と》び|入《い》り|仁王立《にわうだち》となつて|大音声《だいおんじやう》、
『|吾《われ》こそは、|元《もと》を|糺《ただ》せば|盤古神王《ばんこしんわう》の|遺児《わすれがたみ》、|常照彦《とこてるひこ》なり。|今《いま》は|蚊々虎《かがとら》と|名《な》を|偽《いつは》つて、|巴留《はる》の|都《みやこ》に|天降《あまくだ》り|来《きた》りし、|古今無双《ここんむさう》の|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》だぞ。この|鉄拳《てつけん》を|一《ひと》つ|揮《ふる》へば|百千万《ひやくせんまん》の|敵《てき》は|一度《いちど》に|雪崩《なだれ》を|打《う》つて、ガラガラガラ。|足《あし》を|一《ひと》つ|踏《ふ》み|轟《とどろ》かせば、|巴留《はる》の|都《みやこ》は|一度《いちど》にガラガラガラ|滅茶《めちや》|々々《めちや》|々々《めちや》。|鬼門《きもん》の|金神《こんじん》|国治立尊《くにはるたちのみこと》の|再来《さいらい》、|蓮華台上《れんげだいじやう》に|四股踏《しこふみ》|鳴《な》らせば、|巴留《はる》の|国《くに》の|三《み》つや|四《よ》つ、|百《ひやく》や|二百《にひやく》は|忽《たちま》ち|海中《かいちう》にぶるぶるぶる、|見事《みごと》|対手《あひて》になるなら、なつて|見《み》よー』
と|眼《め》を|剥《む》いて|呶鳴《どな》りつけたり。
この|権幕《けんまく》に|恐《おそ》れてか、|数十騎《すうじつき》の|駱駝隊《らくだたい》は、|駱駝《らくだ》の|頭《かしら》を|立《た》て|直《なほ》すや|否《いな》や、|一目散《いちもくさん》に【もと】|来《き》た|道《みち》へ|走《はし》り|去《さ》りぬ。|蚊々虎《かがとら》は|大手《おほて》を|振《ふ》り|一同《いちどう》の|前《まへ》に|鼻《はな》【ぴこ】つかせながら|帰《かへ》り|来《きた》り、
『オイ、どうだい、|俺《おれ》の|言霊《ことたま》は|偉《えら》いものだらう。|言霊《ことたま》の|伊吹《いぶき》によつて|雲霞《うんか》の|如《ごと》き|大軍《たいぐん》も|瞬《またた》く|間《うち》に|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃散《にげち》つたり』
|一同《いちどう》『ハヽヽヽヽ』
『イヤもうどうも|駒山彦《こまやまひこ》は|恐《おそ》れ|入《い》つた。|随分《ずゐぶん》|吹《ふ》いたものだね』
『|吹《ふ》かいでか、|二百十日《にひやくとをか》だ。|吹《ふ》いて|吹《ふ》いて|吹《ふ》き|捲《まく》つて|巴留《はる》の|都《みやこ》を、|冬《ふゆ》の|都《みやこ》にして|仕舞《しま》ふのだ』
|高彦《たかひこ》『|油断《ゆだん》は|大敵《たいてき》だぜ、|逃《にげ》たのは|深《ふか》い|計略《けいりやく》があるのだよ。|蚊々虎《かがとら》が|勝《かち》に|乗《じやう》じて|追《お》ひかけて|行《ゆ》くと、それこそ【どえらい】|陥穽《おとしあな》でもあつて|豪《えら》い|目《め》に|遇《あ》はす|積《つも》りだよ。それに|違《ちが》ひない、さすがは|淤縢山津見様《おどやまづみさま》だ。|最前《さいぜん》も|吟《うた》はつしやつたらう、
|争知《いづくんぞしらん》|臨敵城下地《てきじやうかちにのぞむ》 |大道勝驕《たいだうすぐれておごれば》|却虚名《かへつてなをむなしうせん》
だ。オイ|敵《てき》の|散乱《さんらん》した|間《うち》に|何《なん》とか|工夫《くふう》をしようではないか』
『|女《をんな》の|俄宣伝使《にはかせんでんし》の|差出口《さしでぐち》、|誠《まこと》に|畏《おそ》れ|多《おほ》い|事《こと》では|御座《ござ》いますが、|此処《ここ》で|有《あ》り|難《がた》い|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》して|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つたらどうでせう。|蚊々虎《かがとら》さまの|言霊《ことたま》よりも|御神徳《ごしんとく》が|現《あら》はれませう』
|淤縢山津見《おどやまづみ》はやや|感心《かんしん》の|体《てい》にて、
『ヤア、これは|好《よ》いところへ|気《き》がついた。ヤア|一同《いちどう》の|方々《かたがた》、|神言《かみごと》を|力《ちから》|一《いつ》ぱい|奏上《そうじやう》いたしませう』
|一同《いちどう》『|御尤《ごもつと》も|御尤《ごもつと》も』
と|異口同音《いくどうおん》に|答《こた》へながら、|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|端坐《たんざ》して|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|終《をは》つて|五人《ごにん》の|宣伝使《せんでんし》は|蚊々虎《かがとら》を|真先《まつさき》に|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、|城下《じやうか》に|向《むか》つて|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・二・九 旧一・一三 加藤明子録)
第二九章 |原山祇《はらやまし》〔三七九〕
|五人《ごにん》の|宣伝使《せんでんし》は、|巴留《はる》の|城下《じやうか》を|指《さ》して|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、ドンドンと|進《すす》んで|行《ゆ》く。|蚊々虎《かがとら》は|先頭《せんとう》に|立《た》ち|眼《め》を|白黒《しろくろ》し|乍《なが》ら、|前後左右《ぜんごさいう》に|眼《め》を|配《くば》り、|何時《いつ》|敵《てき》の|襲来《しふらい》せむも|図《はか》り|難《がた》し、|寄《よ》らば|鉄拳《てつけん》を|加《くは》へむと|拳《こぶし》を|握《にぎ》り、|肩《かた》を|怒《いか》らし、|異様《いやう》の|足《あし》つきにて|進《すす》み|行《ゆ》く。|城下《じやうか》には|彼方《あちら》にも|此方《こちら》にも|三人《さんにん》、|五人《ごにん》、|十人《じふにん》と|集《たか》つてこの|宣伝使《せんでんし》の|扮装《いでたち》を|見《み》て、|種々《とりどり》の|噂《うはさ》をやつて|居《を》る。
|甲《かふ》『オイこの|間《あひだ》|来《き》た|宣伝使《せんでんし》は、|鷹取別《たかとりわけ》さまに|惨酷《ひど》い|目《め》に|遭《あ》つて、|沙漠《さばく》の|中《なか》に|埋《うづ》められて|仕舞《しま》ひよつたと|云《い》ふ|事《こと》だが、|今《いま》|来《き》た|奴《やつ》はよつぽど|強《つよ》さうな|奴《やつ》ぢや|無《な》いか。きつと|仕《つか》|返《かへ》しに|来《き》よつたのだらう。また|一《ひと》つ|面白《おもしろ》い|騒動《さうだう》がオツ|始《ぱじ》まるぜ。あの【ギロギロ】した|眼《め》の|玉《たま》を|見《み》い。あんな|眼《め》で|一《ひと》つ|睨《にら》まれたら、なんぼ|御威勢《ごゐせい》の|高《たか》き|鷹取別《たかとりわけ》さまでも、|縮《ちぢ》み|上《あが》つて|了《しま》ふぜ』
|乙《おつ》『|何《なに》、あの|腰《こし》を|見《み》よ、【く】の|字《じ》に|曲《まが》つて|仕舞《しま》つてるぢやないか。|偉《えら》さうに|大道《だいだう》を|大手《おほで》を|振《ふ》つて、|八王神《やつこすがみ》の|様《やう》に|六方《ろつぱう》を|踏《ふ》んで|歩《ある》いてるが、コンナ|奴《やつ》は|腰《こし》の【く】の|字《じ》のやうに|苦《く》もなく|撮《つま》み|出《だ》されてしまふよ』
|甲《かふ》『【ヨウ】、あれは|何《なん》だ。|素適《すてき》な|別嬪《べつぴん》が|居《を》るぞ。|気楽《きらく》な|宣伝使《せんでんし》だなあ。|嬶《かかあ》を|伴《つ》れよつて、コンナ|敵《てき》|城下《じやうか》へ、|歌《うた》を|歌《うた》つて|来《く》るなんて、よほど|度胸《どきよう》が|無《な》くては、やれた|芸《げい》では|無《な》いぜ』
|甲《かふ》『たつた|今《いま》、|御城内《ごじやうない》の|駱駝隊《らくだたい》が|豪《えら》い|勢《いきほひ》で|行《ゆ》きよつたが、|帰《かへ》る|時《とき》は|蒼白《まつさを》な|顔《かほ》して|火《ひ》の|玉《たま》が|出《で》たとか|云《い》つて|逃《に》げて|帰《かへ》つたでないか。|彼奴《あいつ》は|余程《よつぽど》|偉《えら》い|奴《やつ》だぜ』
|蚊々虎《かがとら》はこの|声《こゑ》を|耳《みみ》に|挿《はさ》んで|得意顔《とくいがほ》、
『オーイ、|其処《そこ》に|居《を》る|人間《にんげん》|共《ども》、|今《いま》|何《なん》と|云《い》つた、|火《ひ》の|玉《たま》が|出《で》たと|云《い》つたらう』
|一同《いちどう》『ハイハイ|申《まを》しました』
『その|火《ひ》の|玉《たま》は|何処《どこ》から|出《で》たのか|分《わか》つてるか。|勿体《もつたい》なくも|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》の|之《これ》が|光《ひか》つたのだよ』
と|指《ゆび》で|自分《じぶん》の|眼《め》を|指《さ》して|見《み》せる。
|高彦《たかひこ》『コラコラ|道草《みちくさ》を|喰《く》はずに【ズツ】と|行《ゆ》かぬか』
『|何《なん》だい、|人《ひと》を|牛《うし》か|馬《うま》かのやうに|吐《ぬ》かしよつて、|何《なん》でも|宜《い》いワイ。|蚊々虎《かがとら》さまに|踵《つ》いて|来《こ》い。|恐相《こはさう》に|五人《ごにん》の|真中《まんなか》に|這込《はい》りよつて、|高彦《たかひこ》、その|態《ざま》ア|何《な》んだ。|矢面《やおもて》に|立《た》つのは|矢張《やつぱ》り|蚊々虎《かがとら》さまだ。|歌《うた》へ|歌《うた》へ』
|一同《いちどう》は|声《こゑ》を|揃《そろ》へて、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る
|傲《おご》り|高振《たかぶ》り|世《よ》の|人《ひと》を |目下《めした》に|見下《みおろ》す|鬼瓦《おにがはら》
|寒《さむ》い|暑《あつ》いも|知《し》らず|顔《がほ》 |天狗《てんぐ》の|鼻《はな》の|鷹取別《たかとりわけ》が
|巴留《はる》の|都《みやこ》に|現《あら》はれて |生血《なまち》を|搾《しぼ》り|民草《たみぐさ》の
|汗《あせ》や|膏《あぶら》を|吸《す》うて|飲《の》む |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》て |誠《まこと》のものは|久方《ひさかた》の
|天津御国《あまつみくに》へ|救《たす》け|往《ゆ》く |地獄《ぢごく》のやうな|巴留《はる》の|国《くに》
|春《はる》は|来《く》れども|花《はな》|咲《さ》かず |秋《あき》は|来《く》れども|実《み》は|実《の》らず
|冬《ふゆ》の|寒《さむ》さにブルブルと |慄《ふる》ひ|戦《をのの》く|民草《たみぐさ》を
|救《たす》けむ|為《た》めの|宣伝使《せんでんし》 |巴留《はる》の|都《みやこ》の|人々《ひとびと》よ
|神《かみ》の|教《をしへ》に|目《め》を|醒《さま》せ |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|誠《まこと》の|神《かみ》の|守《まも》ります |三五教《あななひけう》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|音《おと》に|名高《なだか》き|淤縢山津見《おどやまづみ》の |貴《うづ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》
|光《ひか》り|輝《かがや》く|蚊々虎《かがとら》の |二《ふた》つの|眼《まなこ》に|照《てら》されて
|常世《とこよ》の|枉津見《まがつみ》|逃《に》げて|行《ゆ》く |黒白《あやめ》も|分《わか》ぬ|五月空《さつきぞら》
|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|現《あら》はれて |世界《せかい》を|照《てら》す|五月姫《さつきひめ》
|四方《よも》に|塞《ふさ》がる|村肝《むらきも》の |心《こころ》の|駒山彦《こまやまひこ》の|司《かみ》
さしもに|広《ひろ》き|大沙漠《だいさばく》 |駱駝《らくだ》の|背《せな》に|跨《またが》りて
|神徳《しんとく》|高《たか》き|高彦《たかひこ》の |道《みち》を|教《をし》ふる|宣伝使《せんでんし》
|巴留《はる》の|都《みやこ》の|人々《ひとびと》よ |眼《まなこ》を|洗《あら》へ|目《め》を|覚《さ》ませ
|眼《め》を|洗《あら》つて|目《め》を|覚《さ》ませ |唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》す |誠《まこと》の|神《かみ》の|宣伝使《せんでんし》
|怯《お》めず|怖《おそ》れずドンドンと |吾《われ》らが|前《まへ》に|現《あら》はれて
|救《すく》ひの|道《みち》を|早《はや》く|聞《き》け |救《すく》ひの|船《ふね》に|早《はや》く|乗《の》れ
|乗《の》り|後《おく》れなよ|神《かみ》の|船《ふね》』
と|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|何《なん》の|恐《おそ》れ|気《げ》もなく、|鷹取別《たかとりわけ》の|城門《じやうもん》に|向《むか》ふ。このとき|天空《てんくう》を|轟《とどろ》かして|幾千《いくせん》とも|数《かぞ》へきれぬ|天磐船《あまのいはふね》、|鳥船《とりふね》が|北方《ほつぱう》の|天《てん》|高《たか》く|姿《すがた》を|隠《かく》しける。
|淤縢山津見《おどやまづみ》は|平然《へいぜん》として、
『アハヽヽヽさすがの|鷹取別《たかとりわけ》も|言霊《ことたま》の|偉力《ゐりよく》に|恐《おそ》れ|宣伝歌《せんでんか》に|縮《ちぢ》み|上《あが》つて|逃《に》げよつたな。|刃《やいば》に|衂《ちぬ》らずして|勝《かつ》とはこの|事《こと》だ。|然《しか》し|油断《ゆだん》は|大敵《たいてき》、|一同《いちどう》の|者《もの》|気《き》を|注《つ》けられよ』
『|何《なん》と|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|蚊々虎《かがとら》の|言霊《ことたま》に|限《かぎ》りますなあ。|最前《さいぜん》も|最前《さいぜん》と|云《い》ひ|雲霞《うんか》の|如《ごと》き|大軍《たいぐん》が|吾々《われわれ》の|鼻息《はないき》に|吹《ふ》き|散《ち》つたかと|思《おも》へば、|又《また》もや|吾々《われわれ》の|宣伝歌《せんでんか》に|縮《ちぢ》み|上《あ》がつて|逃《に》げてしまつた。|真実《ほんたう》に|何《なん》で|是程《これほど》、この|蚊々虎《かがとら》は|神力《しんりき》が|多《おほ》いのか|知《し》らぬ。|吾《われ》ながら|驚嘆《きやうたん》するの|外《ほか》は|無《な》いぢやないですか』
『コラコラ|貴様《きさま》ばつかり|功名《こうみやう》を|横取《よこどり》り|仕様《しやう》と|思《おも》つても、さうはさせぬぞ。|皆《みな》|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》の|御守護《ごしゆご》だ。|貴様《きさま》は|俺《おれ》の|目《め》が|光《ひか》つたのだなんて|法螺《ほら》を|吹《ふ》きよつたが、あれを|見《み》よ。|城《しろ》の|櫓《やぐら》の|上《うへ》に|大《おほ》きな|火《ひ》の|玉《たま》が|現《あら》はれて|居《ゐ》るぢやないか』
|一同《いちどう》は|櫓《やぐら》に|眼《まなこ》を|注《そそ》げば、|高彦《たかひこ》の|言《げん》のごとく|皎々赫々《かうかうくわくくわく》たる|巨大《きよだい》なる|火《ひ》の|玉《たま》は、|五色《ごしき》の|輝《かがや》きを|見《み》せて|空中《くうちう》に|揺《ゆ》らいで|居《を》る。|一同《いちどう》は|思《おも》はずアツと|云《い》ひ|乍《なが》ら|大地《だいち》に|平伏《へいふく》し、|拍手《はくしゆ》して|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》したり。|茲《ここ》に|淤縢山津見《おどやまづみ》は|高彦《たかひこ》をこの|国《くに》の|守護神《まもりがみ》として|原山津見《はらやまづみ》と|命名《めいめい》し、|急使《きふし》を|馳《は》せて|天教山《てんけうざん》の|木花姫《このはなひめ》の|御許《みもと》に|認許《にんきよ》を|奏上《そうじやう》したりける。
(大正一一・二・九 旧一・一三 北村隆光録)
第五篇 |宇都《うづ》の|国《くに》
第三〇章 |珍山峠《うづやまたうげ》〔三八〇〕
|高彦《たかひこ》は|巴留《はる》の|国《くに》の|西部《せいぶ》の|守護職《しゆごしよく》となり、|国魂《くにたま》|竜世姫神《たつよひめのかみ》の|神霊《しんれい》を|奉斎《ほうさい》し、|鷹取別《たかとりわけ》の|後《あと》を|襲《おそ》ふことになりぬ。|一行《いつかう》は|数日間《すうじつかん》ここに|滞在《たいざい》し|国人《くにびと》に|宣伝歌《せんでんか》を|教《をし》へ、|名残《なごり》を|惜《を》しみつつ|又《また》もや|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて、|珍《うづ》の|国《くに》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。|夜《よ》を|日《ひ》に|踵《つ》いで|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》は、|漸《やうや》くにして|巴留《はる》と|珍《うづ》との|国境《くにざかひ》、|珍《うづ》の|峠《たうげ》の|山麓《さんろく》に|着《つ》いた。|四人《よにん》は|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|腰打《こしうち》|掛《か》け|折柄《をりから》|吹《ふ》きくる|涼風《りやうふう》に|汗《あせ》を|払《はら》ひつつ、|四方山《よもやま》の|話《はなし》に|耽《ふけ》りぬ。
|四辺《あたり》の|木々《きぎ》の|梢《こずゑ》には|油蝉《あぶらぜみ》が、ミーンミーンと|睡《ねむ》たさうな|声《こゑ》で|囀《さへづ》つて|居《ゐ》る。|駒山彦《こまやまひこ》は|細谷川《ほそたにがは》の|清《きよ》き|水《みづ》を|手《て》に|掬《すく》つて|飲《の》みながら、
『アヽ|水《みづ》ほど|甘《うま》いものは|無《な》い。|酔醒《よひざめ》の|水《みづ》の|甘《うま》さは|下戸《げこ》|知《し》らずだワイ』
|蚊々虎《かがとら》『オイ|駒《こま》、|酒《さけ》も|呑《の》まずに|酔醒《よひざめ》もあつたものかい。|余《あんま》り|日《ひ》が|長《なが》いので|草臥《くたび》れて|夢《ゆめ》でも|見《み》|居《を》つたな。|夢《ゆめ》の|浮世《うきよ》と|云《い》ひながら、さてもさても|困《こま》つた|駒山彦《こまやまひこ》だ。アハヽヽヽ』
『オイ|蝉《せみ》の|親方《おやかた》、|乾児《こぶん》が|沢山《たくさん》ゐると|思《おも》つて|威張《ゐば》つてるな』
『|蝉《せみ》の|親方《おやかた》つて|誰《たれ》のことだい。よもや|俺《おれ》のことぢやあるまいな』
『|誰《たれ》のことだか|知《し》らぬが、|蝉《せみ》といふ|奴《やつ》は|人《ひと》が|来《く》ると|啼《な》き|止《や》んで、パーイと|隣《となり》の|木《き》へ|遁《にげ》て|行《ゆ》く|奴《やつ》ぢや、その|機《はづみ》に|屹度《きつと》|小便《せうべん》をかけて|行《ゆ》くよ。|貴様《きさま》はこれまで|何《なん》でも|物《もの》を|買《か》ひよつて、|好《よ》い|程《ほど》|使《つか》ひよつてモー|嫌《いや》になつたと|云《い》ひよつて、|価《あたひ》も|払《はら》はずに|小便《せうべん》をかける|奴《やつ》ぢやらう。|矢釜敷《やかましく》|吐《ほざ》く|奴《やつ》は|蝉《せみ》だよ。しかしモーコンナことは|免除《めんぢよ》して|置《お》かうかい、この|山坂《やまさか》になつてまた|悄気《しよげ》て|平太《へた》りよると|一行《いつかう》の|迷惑《めいわく》だからな』
『|殊更《ことさら》|暑《あつ》き|夏《なつ》の|日《ひ》に、|巴留《はる》の|都《みやこ》を|立出《たちい》でて、|岩《いは》の|根《ね》|木《き》の|根《ね》|踏《ふみ》【さく】み、|心《こころ》の|駒《こま》に|鞭打《むちう》ちてここまで|来《く》るは|来《き》たものの、こないな|奴《やつ》と|道伴《みちづ》れに、なるのは|俺《おれ》も|秋《あき》がきた。|大神《おほかみ》さまも|胴慾《どうよく》だ。|困《こま》つた|駒山彦《こまやまひこ》の|奴《やつ》、|珍山峠《うづやまたうげ》の|頂辺《てつぺん》から、|駒《こま》の|如《ごと》くに|転《ころ》げ|落《お》ちて……』
『コラコラ|蚊々虎《かがとら》、|縁起《えんぎ》の|悪《わる》いことを|云《い》ふな。|淤縢山津見《おどやまづみ》さまが|居《ゐ》らつしやるのを|知《し》らぬか』
『【おど】|山《やま》も|何《なに》もあつたものかい。|俺《おれ》の|困《こま》るのは|珍山峠《うづやまたうげ》だ。|一《ひと》つ|水《みづ》でも|飲《の》んで|元気《げんき》を|出《だ》して|越《こ》えてやらう』
と|云《い》ひながら、|谷水《たにみづ》を|掬《すく》うて|一口《ひとくち》|飲《の》み、
『ヨー、|此奴《こいつ》は|妙《めう》な|味《あぢ》がするぞ。さうして|湯《ゆ》のやうに|熱《あつ》いじやないか。ナンデも|此《こ》の|水上《みなかみ》に|温泉《をんせん》が|湧《わ》いて|居《を》るに|違《ちが》ひ|無《な》いわ。|余《あんま》り|急《せ》く|旅《たび》でも|無《な》し、|一《ひと》つ|此《こ》の|谷川《たにがは》を|伝《つた》うて|湯《ゆ》の|湧《わ》いて|居《ゐ》る|所《ところ》まで|探検《たんけん》しようぢやないか』
|淤縢山津見《おどやまづみ》は|不思議《ふしぎ》さうに、
『さうか、|温《ぬく》いか、|妙《めう》だナア』
『|大変《たいへん》に|暖《あたた》かくつて|好《よ》い|味《あぢ》のする|水《みづ》ですよ。|旅《たび》の|疲《つか》れを|癒《いや》すには|持《も》つて|来《こ》いだ。|一《ひと》つ|行《い》つて|見《み》ませうか』
『よからう』
と|一同《いちどう》は、|谷川《たにがは》を|右《みぎ》へ|飛《と》び|越《こ》え、|左《ひだり》へ|渡《わた》り|上《のぼ》ること|数十町《すうじつちやう》、|漸《やうや》くにして|谷幅《たにはば》の|広《ひろ》い|処《ところ》に|出《で》て|来《き》た。はるか|向《むか》ふに|谷間《たにま》を|響《ひび》かす|宣伝歌《せんでんか》|聞《きこ》え|来《き》たる。
|蚊々虎《かがとら》『やあ|宣伝歌《せんでんか》だ。コンナ|所《ところ》に|誰《たれ》が|来《き》て|居《ゐ》るのだらう』
|駒山彦《こまやまひこ》『|莫迦《ばか》|云《い》へ、|誰《たれ》がコンナ|所《ところ》に|来《き》て|気楽《きらく》さうに|人《ひと》もをらぬのに|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ふ|奴《やつ》があるものか。きつと|天狗《てんぐ》だよ』
『|何《なに》ツ! |天狗《てんぐ》だ。そいつは|面白《おもしろ》い。|一《ひと》つ|蚊々虎《かがとら》と|天狗《てんぐ》と|力競《ちからくら》べでもしてやらうか』
『オイオイ、|貴様《きさま》は|何《なん》でも|彼《か》でも|向《むか》ふ【いき】の|強《つよ》い|奴《やつ》だナ。ドンナ|危《あぶ》ない|処《ところ》でも|一番《いちばん》に|飛《と》び|出《だ》しよつて、しまひには|失策《しくじ》るぞ』
『|俺《おれ》が|失策《しくじ》つたことが|一度《いちど》だつてあるかい。|強敵《きやうてき》を|前《まへ》に|控《ひか》へて|矛《ほこ》を|納《をさ》め、|旗《はた》を|巻《まい》て|予定《よてい》の|退却《たいきやく》をするのは|大丈夫《ますらを》の|本懐《ほんくわい》では|無《な》いぞ』
『また|法螺《ほら》を|吹《ふ》きよる。まあまあ|油断大敵《ゆだんたいてき》だ。そーつと|様子《やうす》を|考《かんが》へて|行《い》つて、|其《そ》の|上《うへ》のことにせい』
『|貴様《きさま》は|何時《いつ》もそれだから|困《こま》る。|畏縮退嬰《ゐしゆくたいえい》|主義《しゆぎ》だ。|出《で》る|杭《くひ》は|打《う》たれる。|触《さは》らぬ|蜂《はち》は|刺《さ》さぬ、|事勿《ことなか》れ|主義《しゆぎ》の|腰弱《こしよわ》|宣伝使《せんでんし》。|俺《おれ》は|偵察《ていさつ》ナンテ、ソンナ|気《き》の|長《なが》い|事《こと》はして|居《を》れない。これから|一歩先《ひとあしさき》へ|行《い》つて|偵察《ていさつ》|兼《けん》|格闘《かくとう》だ。|俺《おれ》が|勝《かつ》たら|呼《よ》ぶから|出《で》て|来《こ》い。|俺《おれ》が|負《ま》けたら|黙《だま》つて|居《を》るわ。お|前《まへ》の|様《やう》な|弱虫《よわむし》が|随《つ》いて|来《く》ると|足手《あして》|纏《まと》ひになつて、|碌《ろく》に|喧嘩《けんくわ》も|出来《でき》はしない』
と|云《い》ひながら|一目散《いちもくさん》に|歩足《あし》を|速《はや》めて、|猿《ましら》の|如《ごと》く|谷川《たにがは》の|岩《いは》をポンポンと|飛《と》び|越《こ》えて、|姿《すがた》を|隠《かく》したり。
|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》は、その|後《あと》を|追《お》うて|悠々《いういう》と|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|忽《たちま》ち|前方《ぜんぱう》に|当《あた》つて、
『オーイ、オーイ』
と|呼《よ》ぶ|蚊々虎《かがとら》の|疳高《かんだか》い|声《こゑ》が、|木霊《こだま》に|響《ひび》き|来《き》たる。
|駒山彦《こまやまひこ》『ヤア、あれは|蚊々虎《かがとら》の|声《こゑ》ですな。また|何《なに》か|一人《ひとり》で|威張《ゐば》つてるのでせう。|面白《おもしろ》い|奴《やつ》もあればあるものですな』
|淤縢山津見《おどやまづみ》『|彼奴《あいつ》は|剽軽《へうきん》な|奴《やつ》で、|比較的《ひかくてき》|豪胆者《がうたんもの》だから|伴《つ》れて|歩《ある》いて|居《を》るのだが、|旅《たび》の|憂《う》さ|晴《は》らしには|打《う》つて【すげ】たやうな|男《をとこ》だ。アハヽヽヽヽ』
|五月姫《さつきひめ》『|本当《ほんたう》に|面白《おもしろ》い|方《かた》ですね。|彼《あ》の|方《かた》と|一緒《いつしよ》に|宣伝《せんでん》に|廻《まは》つてをれば、|何時《いつ》も|笑《わら》ひ|通《どほ》しで|春《はる》のやうな|心持《こころもち》がしますわ。ホヽヽヽヽ』
|駒山彦《こまやまひこ》『|大変《たいへん》な|御執心《ごしふしん》ですな。お|浦山吹《うらやまぶき》さま、|駒《こま》も|堪《たま》りませぬワ』
|五月姫《さつきひめ》は、
『ホヽヽヽ』
と|笑《わら》ひながら|袖口《そでぐち》に|顔《かほ》を|隠《かく》す。|又《また》もや、
『オーイ、オーイ』
と|云《い》ふ|声《こゑ》が|響《ひび》き|来《き》たりぬ。|一行《いつかう》は|思《おも》はず|足《あし》を|速《はや》めて|声《こゑ》する|方《はう》に|急《いそ》ぎける。
(大正一一・二・九 旧一・一三 外山豊二録)
第三一章 |谷間《たにま》の|温泉《をんせん》〔三八一〕
|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》は、|声《こゑ》を|知辺《しるべ》に|崎嶇《きく》たる|谷道《たにみち》を、|流《なが》れに|沿《そ》うて|登《のぼ》り|来《き》たり、|見《み》れば|湯煙《ゆけぶり》|濛々《もうもう》と|立《た》ち|昇《のぼ》り、|天然《てんねん》の|温泉《をんせん》が|湧《わ》き|居《ゐ》る。|蚊々虎《かがとら》は|一人《ひとり》|真裸《まつぱだか》になつて、|倒《たふ》れてゐる|男《をとこ》の|前《まへ》に|双手《もろて》を|組《く》み、|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|鎮魂《ちんこん》を|施《ほどこ》しゐたり。
|駒山彦《こまやまひこ》は|之《これ》を|見《み》て、
『ヤア、|蚊々虎《かがとら》さま、そら|何《なん》だ』
|蚊々虎《かがとら》は|鎮魂《ちんこん》を|了《をは》り、
『ヤア、|何《なん》でもない。|此処《ここ》に|一人《ひとり》の|人間《にんげん》が|倒《たふ》れて|居《ゐ》るのだ。|身体《からだ》を|探《さぐ》つて|見《み》れば、まだ|血《ち》の|循《めぐ》つて|居《ゐ》る【せい】か、この|湯《ゆ》の【せい】か|知《し》らぬがそこら|中《ぢう》|温《ぬく》い。どうぞして|助《たす》けたいものだと、|一生懸命《いつしやうけんめい》|鎮魂《ちんこん》してるのだが、|俺《おい》らの|力《ちから》では|此奴《こいつ》ばかりはいかぬ。|淤縢山津見《おどやまづみ》の|宣伝使《せんでんし》に、|一《ひと》つ|鎮魂《ちんこん》をやつて|貰《もら》ひたいと|思《おも》つて|呼《よ》んだのだよ。モシモシ|先生《せんせい》、|一《ひと》つこの|男《をとこ》に|鎮魂《ちんこん》を|施《ほどこ》してくださいな』
|淤縢山津見《おどやまづみ》は、
『やつて|見《み》ませうかな』
と|云《い》ひながら、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|歌《うた》ひ|了《をは》つて|双手《もろて》を|組《く》み、ウンと|一声《いつせい》、|鎮魂《ちんこん》の|息《いき》を|掛《かけ》た。|裸体《はだか》になつて|倒《たふ》れて|居《ゐ》た|男《をとこ》は、ムクムクと|起上《おきあが》り、|目《め》を|擦《こす》りながら、|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》が|前《まへ》に|在《あ》るに|気《き》がつき、
『ヤア、|何《いづ》れの|方《かた》か|存《ぞん》じませぬが、|一命《いちめい》をお|救《すく》ひ|下《くだ》さいまして|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます』
と|顔《かほ》を|上《あ》ぐる|途端《とたん》に、|蚊々虎《かがとら》は、
『ヨー、|貴方《あなた》は|秘露《ひる》の|都《みやこ》で|御目《おめ》に|懸《かか》つた、|正鹿山津見《まさかやまづみ》の|宣伝使《せんでんし》では|御座《ござ》らぬか』
『アア|貴方《あなた》は|蚊々虎《かがとら》|殿《どの》か。ヨーヨー、|淤縢山津見《おどやまづみ》|殿《どの》、|思《おも》はぬ|処《ところ》で|御目《おめ》に|懸《かか》りました。|是《これ》も|全《まつた》く|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》の|御引合《おんひきあは》せ、|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます』
|淤縢山津見《おどやまづみ》『|貴方《あなた》はどうして、|斯《かか》る|山奥《やまおく》に|御越《おこ》しになつたのですか、|是《これ》には|何《なに》か|深《ふか》き|仔細《しさい》がありませう』
『ハイ、|私《わたくし》は|秘露《ひる》の|都《みやこ》で、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》や|貴方《あなた》らと|袂《たもと》を|分《わか》ち、それより|巴留《はる》の|国《くに》を|宣伝《せんでん》せむと、この|珍山峠《うづやまたうげ》を|越《こ》え、|鷹取別《たかとりわけ》の|城下《じやうか》に|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて|参《まゐ》りました。|所《ところ》が|俄《にはか》に|数百《すうひやく》の|駱駝隊《らくだたい》が|現《あら》はれて、|前後左右《ぜんごさいう》より|取囲《とりかこ》み、|槍《やり》の|切尖《きつさき》にて|所《ところ》|構《かま》はず|突刺《つきさ》され、|失神《しつしん》したと|思《おも》へば、|沙漠《さばく》の|中《なか》に|葬《はうむ》られて|居《ゐ》た。|私《わたくし》は|砂《すな》を|掻《か》き|分《わ》けて|這《は》ひ|上《あが》り、|夜陰《やいん》に|紛《まぎ》れて|巴留《はる》の|都《みやこ》を|逃《に》げ|出《だ》し、この|峠《たうげ》に|差《さ》しかかる|折《を》りしも、|傷所《きずしよ》はますます|痛《いた》み、|最早《もはや》|一歩《いつぽ》も|進《すす》むことが|出来《でき》なくなり、|喉《のど》の|渇《かは》きを|谷水《たにみづ》に|医《いや》さむと、|細谷川《ほそたにがは》の|清水《しみづ》を|汲《く》んで|見《み》れば、|何《なん》とも|知《し》れぬ|芳《かんばし》き|香《にほひ》と|味《あぢ》がある。さうして|此《この》|水《みづ》は|谷水《たにみづ》に|似《に》ず|実《じつ》に|温《あたた》かい。|是《これ》は|薬《くすり》の|水《みづ》ではあるまいかと、|手《て》に|掬《すく》つて|傷所《きずしよ》に|塗《ぬ》つて|見《み》た|所《ところ》が、|忽《たちま》ち|其《その》|傷《きず》は|癒《い》えました。されど|身体《からだ》の|疲労《つかれ》はどことなく|苦《くる》しく、それに|堪《た》へかね、この|谷川《たにがは》を|遡《さかのぼ》れば|屹度《きつと》|良《よ》い|温泉《いでゆ》があらう、|其処《そこ》へ|行《い》つて|身《み》の|養生《やうじやう》を|致《いた》さむと、|漸《やうや》く|此《この》|温泉《をんせん》を|尋《たづ》ね|当《あて》ました。それより|日夜《にちや》この|温泉《をんせん》に|身《み》を|浸《ひた》し、|数多《あまた》の|槍傷《やりきず》はすつかり|癒《い》えましたが、あまり|浴湯《よくゆ》が|過《す》ぎたと|見《み》えて|逆上《ぎやくじやう》し、|知覚《ちかく》|精神《せいしん》を|喪失《さうしつ》してこの|場《ば》に|倒《たふ》れて|居《ゐ》た|処《ところ》、|尊《たふと》き|神《かみ》の|御引《おひき》|合《あは》せ、|貴方方《あなたがた》に|巡《めぐ》り|合《あ》ひ、|命《いのち》を|助《たす》けて|貰《もら》ひました。コンナ|有難《ありがた》い|事《こと》はありませぬ』
と|両眼《りやうがん》に|涙《なみだ》を|湛《たた》へながら、|両手《りやうて》を|合《あは》せて|感謝《かんしや》の|意《い》を|表《へう》したり。
|淤縢山津見《おどやまづみ》は、
『|何事《なにごと》も|神様《かみさま》の|御引《おひ》き|合《あは》せ、|吾々《われわれ》は|神様《かみさま》の|綱《つな》に|操《あやつ》られて、|貴方《あなた》を|救《すく》ふべく|遣《つか》はされたものでありませう。|吾々《われわれ》は|感謝《かんしや》の|言葉《ことば》を|受《う》けては、|実《じつ》に|勿体《もつたい》ない|気《き》がする。|天地《てんち》の|大神《おほかみ》に|早《はや》く|感謝《かんしや》をして|下《くだ》さい。|吾々《われわれ》も|共《とも》に|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》いたしませう』
と|淤縢山津見《おどやまづみ》の|言葉《ことば》に|従《したが》ひ、|一同《いちどう》はこの|温泉《をんせん》の|周囲《しうゐ》に|端坐《たんざ》して|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》したりける。
(大正一一・二・九 旧一・一三 土井靖都録)
(第二六章〜第三一章 昭和一〇・三・三 於天恩郷透明殿 王仁校正)
第三二章 |朝《あした》の|紅顔《こうがん》〔三八二〕
|珍山峠《うづやまたうげ》の|谷間《たにま》には、|神《かみ》の|仕組《しぐみ》か、|偶然《ぐうぜん》か、|此処《ここ》に|不意《ゆくりな》くも|温泉《いでゆ》の|側《そば》に|邂《めぐ》り|合《あ》ひ、|滾々《こんこん》として|尽《つ》きざる|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|温《あたた》かき|温泉《をんせん》に、|日七日《ひなぬか》|夜七夜《よななよ》、|心身《しんしん》を|浄《きよ》め、|又《また》もや|一行《いつかう》|五人《ごにん》は|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、|徐々《しづしづ》とこの|峠《たうげ》を|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|漸《やうや》く|一行《いつかう》は|珍山《うづやま》の|山頂《さんちやう》に|到達《たうたつ》したり。
|蚊々虎《かがとら》は、
『アヽアヽ、|苦中《くちう》|楽《らく》あり、|楽中《らくちう》|苦《く》あり、|苦楽《くらく》|不二《ふじ》、|善悪一如《ぜんあくいちによ》とは|能《よ》く|言《い》うたものだ。|汗《あせ》をタラタラ|流《なが》して|苦《くる》しみてをれば、|結構《けつこう》な|温泉《をんせん》がチヤンと|吾々《われわれ》に|湯《ゆ》を|湧《わ》かして「サア|皆《みな》さま、|永々《ながなが》|御苦労《ごくらう》であつた。|嘸々《さぞさぞ》お|疲労《くたびれ》でせう」とも|何《なん》とも|言《い》はずに、|不言実行《ふげんじつかう》の|手本《てほん》を|見《み》せて|居《を》る。|又復《またまた》この|坂《さか》を|汗《あせ》みどろになつて|登《のぼ》つてくれば、コンナ|結構《けつこう》な|平坦《へいたん》な|土地《とち》があつて、|涼《すず》しい|風《かぜ》が|吹《ふ》いて|来《く》るワイ。|極楽《ごくらく》の|余《あま》り|風《かぜ》だ。|本当《ほんたう》に|苦《くる》しまぬと、|楽《らく》の|味《あぢ》は|判《わか》らぬワイ』
|駒山彦《こまやまひこ》も、
『|本当《ほんたう》に|結構《けつこう》だつた。|睾丸《きんたま》の|皺《しわ》|伸《の》ばしだつたよ。|貴様《きさま》の|面《つら》も|余程《よほど》|皺《しわ》が|取《と》れたよ』
|蚊々虎《かがとら》は、
『|馬鹿《ばか》を|言《い》ふない、|俺《おれ》は|素《もと》から|皺《しわ》ナンテ|有《あ》りやしないよ。|貴様《きさま》は|何時《いつ》も|弱虫《よわむし》だから、|一寸《ちよつと》した|事《こと》にでも|顔《かほ》を|顰《しか》めよるから、|自然《しぜん》に|皺《しわ》だらけだ。オイ|勘定《かんぢやう》をして|見《み》よ、|沢山《たくさん》な|皺《しわ》だぞ。|四八三十二《しはさんじふに》も|寄《よ》つてるわ』
『よく|饒舌《しやべ》る|奴《やつ》だなあ、|口《くち》が|千年《せんねん》ほど|先《さき》に|生《うま》れたのだらう』
『|山《やま》に|千年《せんねん》、|海《うみ》に|千年《せんねん》、|口《くち》に|千年《せんねん》といふ|劫《ごふ》を|経《へ》た|兄《にい》さまだよ』
『|蟒《うはばみ》みたいな|奴《やつ》だな。|三千年《さんぜんねん》|経《た》つて、|初《はじ》めて|人間《にんげん》に|生《うま》れると|言《い》ふのだが、|貴様《きさま》は|何時《いつ》|人間《にんげん》に|成《な》るのだい』
『|人間《にんげん》どころか、|俺《おれ》は|神《かみ》さまだよ』
『さうだらう。|蚊《か》だとか|蚤《のみ》だとか、|虎《とら》だとか、|虫《むし》のやうな、|四《よ》つ|足《あし》のやうな|名《な》をつけよつて、それで|神様《かみさま》か。|人《ひと》の|頭《あたま》に|止《と》まつて、|頭《あたま》を【カミ】|様《さま》。|人間《にんげん》を|引《ひ》き|裂《さ》いて|喰《く》ふ|神様《かみさま》だらう』
『ヤイ、|駒《こま》、|貴様《きさま》|劫々《なかなか》|口《くち》が|達者《たつしや》に|成《な》りよつたな。|何時《いつ》の|間《ま》にか|俺《おれ》のお|株《かぶ》を|奪《と》りよつて』
『|決《きま》つた|事《こと》だ、|名《な》からして|駒《こま》さまだ。|駒《こま》の|如《ごと》くに|言霊《ことたま》がよく|転《ころ》ぶのだよ』
|正鹿山津見《まさかやまづみ》は、|立《た》つて|東南方《とうなんぱう》を|指《ゆび》さし、
『|淤縢山津見様《おどやまづみさま》、ズツと|向《むか》ふに|青々《あをあを》とした|高山《かうざん》が|見《み》えませう、|彼《あ》の|国《くに》が|珍《うづ》の|国《くに》ですよ。|私《わたくし》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》に、「|珍《うづ》の|国《くに》を|守《まも》れよ」との|厳命《げんめい》を|受《う》けました。|然《しか》しながら、まだ|外《ほか》に|尊《たふと》い|国《くに》がある|様《やう》に|思《おも》へて、|何《ど》うしても|気《き》が|落《お》ちつかず、この|峠《たうげ》をドンドンと|登《のぼ》つて、|夜《よ》を|日《ひ》に|次《つ》いで|巴留《はる》の|都《みやこ》へ|宣伝《せんでん》に|行《い》つたのです。さうした|処《ところ》が、|今度《こんど》は|神様《かみさま》の|戒《いまし》めだと|見《み》えて、|散々《さんざん》な|目《め》に|逢《あ》ひ、お|蔭《かげ》で|生命《いのち》だけは|助《たす》かりました。これを|思《おも》へば、|吾々《われわれ》は|我《が》を|出《だ》すことは|出来《でき》ませぬ。ただ|長上《ちやうじやう》の|命令《めいれい》に|従《したが》つて、|神妙《しんめう》にお|勤《つと》めするに|限《かぎ》ると、ほとほと|改心《かいしん》いたしました』
|蚊々虎《かがとら》『アンナ|細長《ほそなが》い|珍《うづ》の|国《くに》に、ウヅウヅして|居《ゐ》るのも|気《き》が|利《き》かないと|思《おも》つたのでせう。まだ|外《ほか》に|結構《けつこう》な|国《くに》が|亜拉然丁《【ある】ぜんちん》と|思《おも》つて、|慾《よく》の|熊鷹《くまたか》、|股《また》が|裂《さ》けたと|云《い》ふ|様《やう》なものですな、|正鹿山津見《まさかやまづみ》さま』
|淤縢山津見《おどやまづみ》は、
『コラコラ|蚊々虎《かがとら》、|貴様《きさま》は|直《ぢき》にそれだから|困《こま》る。|何故《なぜ》それほど|言霊《ことたま》が|汚《きたな》いのか』
『これは|怪《け》しからぬ。|貴方《あなた》は|私《わたくし》の|発言権《はつげんけん》を|妨害《ばうがい》するのですか』
『いや、さうではない。あまりお|喋《しやべ》りが|過《す》ぎると|声《こゑ》が|草臥《くたび》れて、【まさか】の|時《とき》に|言霊《ことたま》の|力《ちから》が|弱《よわ》ると|困《こま》るから|気《き》をつけたのだよ。それよりも|峠《たうげ》に|上《あが》つた|祝《いはひ》に、|気楽《きらく》な|世間話《せけんばなし》でもして、|悠《ゆつ》くりと|休《やす》まうかい』
『ドンナ|話《はなし》でも|宜《よろ》しいか、|貴方《あなた》は|発言権《はつげんけん》を|決《けつ》して|止《と》めませぬな』
『|宜《よろ》しい|宜《よろ》しい、|何《なん》なと|仰有《おつしや》れ。|貴方《あなた》の|好《す》きな|話《はなし》を、|静《しづか》に|面白《おもしろ》く|願《ねが》ひます』
『|静《しづか》に|面白《おもしろ》く|話《はなし》が|出来《でき》ますか。|貴方《あなた》は|無理《むり》を|言《い》ひますね。|丁度《ちやうど》、|黙《だま》つてもの|言《い》へ、|寝《ね》て|走《はし》れ、|睾玉《きんたま》|喰《く》はへて|背伸《せの》びせよ、と|云《い》ふやうな|御註文《ごちうもん》ですな。|如何《いか》に|雄弁家《ゆうべんか》の|蚊々虎《かがとら》でも、それ|計《ばか》りは|御免《ごめん》だ』
|淤縢山津見《おどやまづみ》は、
『さう|気《き》を|廻《まは》して|怒《おこ》つては|困《こま》る。|何《なん》でもいい、|一寸《ちよつと》|位《くらゐ》|大《おほ》きな|声《こゑ》でも|構《かま》はぬ』
|蚊々虎《かがとら》は、|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|大胡座《おほあぐら》をかき、
『エヽ、|人間《にんげん》もいい|加減《かげん》に|片付《かたづ》く|時《とき》には|片付《かたづ》くものだ。ある|処《ところ》に|祝姫《はふりひめ》と|云《い》ふ|古今独歩《ここんどくぽ》、|珍無類《ちんむるゐ》、|奇妙奇天烈《きめうきてれつ》、|何《なん》とも|彼《かん》とも|言《い》うに|言《い》はれぬ、|素適滅法界《すてきめつぽうかい》の|美人《びじん》があつた。そのお|姫《ひめ》さまを、|彼方《あちら》からも|此方《こちら》からも、|女房《にようばう》にくれ、|夫《をつと》にならうと|矢《や》の|催促《さいそく》であつたが、|祝姫《はふりひめ》は、|自分《じぶん》の|容色《きりよう》に|自惚《うぬぼ》れて、|私《わたくし》は|天下《てんか》|絶世《ぜつせい》の|美人《びじん》だ、アンナ|人《ひと》の|嫁《よめ》になるのは|嫌《いや》だ、アンナ|男《をとこ》を|婿《むこ》に|取《と》るのは、|提燈《ちやうちん》に|釣鐘《つりがね》だ、|孔雀《くじやく》の|嫁《よめ》に|烏《からす》の|婿《むこ》だ、あまりこの|美人《びじん》を|見損《みそこな》ひするな。|私《わたくし》もこれから、|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》になつて|一《ひと》つ|功《こう》を|建《たて》て、|偉《えら》い|者《もの》になつた|暁《あかつき》は、|世界中《せかいぢう》の|立派《りつぱ》な|男《をとこ》の、|権威《けんゐ》のある|婿《むこ》を|選《よ》り|取《ど》りすると|言《い》つて、どれもこれも、こぐちから|肱鉄砲《ひぢてつぱう》を|乱射《らんしや》して|居《ゐ》た。さうする|間《あひだ》に、|桜《さくら》の|花《はな》は|何時《いつ》までも|梢《こずゑ》に|止《とど》まらず、
|花《はな》の|色《いろ》はうつりにけりな|徒《いたづ》らにわがみ|世《よ》にふるながめせしまに
と|何処《どこ》やらの|三五教《あななひけう》とか、|穴《あな》ない|姫《ひめ》とかが|言《い》つた|様《やう》に、|段々《だんだん》と|顔《かほ》に|小皺《こじわ》が|寄《よ》つて|昔《むかし》の|色香《いろか》は、|日《ひ》に|月《つき》に|褪《あ》せて|了《しま》つた。それでも、|何処《どこ》やらに|残《のこ》る|姥桜《うばざくら》の|其《その》|色《いろ》は、|実《じつ》に|素適滅法界《すてきめつぽふかい》のものだつた。|祝姫《はふりひめ》は、|何《なに》これでも|偉者《えらもの》となりさへすれば、|世《よ》の|中《なか》は|一《いち》ホド、|二《に》キリヨウ、|三《さん》カネだと|言《い》つて、|高《たか》く|止《と》まつて|居《を》つたが、たうとう|天罰《てんばつ》が|当《あた》つて、|私《わたくし》によう|似《に》た|名《な》の|付《つ》いた、|蚊取別《かとりわけ》といふ|天下《てんか》|一品《いつぴん》の|禿《はげ》ちやまの|瓢箪面《へうたんづら》のヘツピリ|腰《ごし》の|禿《はげ》だらけの|男《をとこ》と|夫婦《めをと》になつて、|宣伝使《せんでんし》になつた|実際《じつさい》の|話《はなし》があるよ。|五月姫《さつきひめ》さまも、いい|加減《かげん》に|覚悟《かくご》をせぬと、|朝《あした》の|紅顔《こうがん》、|夕《ゆふ》べの|白骨《はくこつ》で、|見返《みかへ》る|者《もの》は|無《な》いやうに|成《な》つて、|清少納言《せいせうなごん》の|様《やう》に|門《かど》に|立《た》つて、|妾《わらは》の|老骨《らうこつ》を|買《か》はぬかと|言《い》つたつて、|買手《かひて》が|無《な》くなつて|了《しま》ひますよ』
|駒山彦《こまやまひこ》は|吹《ふ》き|出《だ》し、
『アハヽヽヽ、うまいのう、イヤ|感心《かんしん》だ。|然《しか》し|蚊々虎《かがとら》、|心配《しんぱい》するな。|此《この》|間《あひだ》も|貴様《きさま》が|天狗《てんぐ》と|喧嘩《けんくわ》すると|云《い》つて|駆出《かけだ》した|後《あと》で、|五月姫《さつきひめ》さまが、「|蚊々虎《かがとら》さまは|本当《ほんたう》に|色《いろ》こそ|黒《くろ》いが、|快活《くわいくわつ》な|人《ひと》ですね。|妾《わたし》あの|人《ひと》と|一緒《いつしよ》に|宣伝《せんでん》に|行《ゆ》くのなら、|一寸《ちよつと》も|苦《くるし》い|事《こと》はありませぬわ。|面白《おもしろ》くて|旅《たび》の|疲労《つかれ》も|忘《わす》れて|了《しま》ふ」と|言《い》つていらつしやつたよ、ねえ|五月姫《さつきひめ》さま、さうでしたね』
と|顔《かほ》を|覗《のぞ》き|込《こ》む。
|五月姫《さつきひめ》は、|顔《かほ》に|袖《そで》をあてて|愧《はづ》かしげに|伏向《うつむ》く。
|蚊々虎《かがとら》『ヘン、|天下《てんか》の|色男《いろをとこ》、|俺《おれ》の|吸引力《きふいんりよく》は|豪《えら》いものだらう』
|正鹿山津見《まさかやまづみ》『あゝ|蚊々虎《かがとら》さまの|弁舌《べんぜつ》といひ、|勇気《ゆうき》と|云《い》ひ、さう|無《な》くては|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》には|成《な》れませぬ。|吾々《われわれ》のやうに、|巴留《はる》の|都《みやこ》へ|行《い》つて、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて|居《を》ると、|後《うしろ》に|目《め》が|無《な》いから、|駱駝隊《らくだたい》にグサリと|突《つ》かれて、|芋刺《いもざし》と|成《な》り、|沙漠《さばく》の|中《なか》へ|放《ほ》り|込《こ》まれる|様《やう》なことでは、|宣伝使《せんでんし》も|何《なに》もあつたものではない。これから|一《ひと》つ、|蚊々虎《かがとら》さまに|傚《なら》つて、|胆玉《きもだま》でも|練《ね》りませうかい』
|駒山彦《こまやまひこ》は、
『おい|蚊々公《かがこう》、お|目出度《めでた》う』
|蚊々虎《かがとら》『エー|妬《や》くない』
『|妬《や》くないと|云《い》つたつて、|天道様《てんだうさま》も|焦《こげ》つくほど|俺《おい》らの|頭《あたま》を|焼《や》くではないか。|焼《や》くのは|此《この》|頃《ごろ》の|陽気《やうき》だよ。あまり|暑《あつ》いので、|貴様《きさま》は|一寸《ちよつと》|逆上《のぼ》せ|上《あが》つたな。|水《みづ》でもあれば|頭《あたま》からブツかけてやるのだが、|生憎《あいにく》|山《やま》の|頂辺《てつぺん》で|水《みづ》も|無《な》し、|幸福《しあはせ》な|奴《やつ》だワイ』
『サアサア|皆《みな》さま|汗《あせ》も|大分《だいぶん》|乾《かわ》きました。これからぼつぼつ|峠《たうげ》を|下《くだ》りませう』
と|言《い》ひつつ|先《さき》に|立《た》つて、|淤縢山津見《おどやまづみ》は|歩《ある》き|出《だ》した。
『あゝあゝ、|肝腎《かんじん》の|正念場《しやうねんば》に|気《き》の|利《き》かぬことだワイ』
と|蚊々虎《かがとら》は|小声《こごゑ》に|呟《つぶや》き、|振返《ふりかへ》り|振返《ふりかへ》り、|五月姫《さつきひめ》の|顔《かほ》を|窃《ぬす》み|目《め》に|眺《なが》めつつ|坂《さか》を|下《くだ》る。
(大正一一・二・九 旧一・一三 東尾吉雄録)
第三三章 |天上《てんじやう》|眉毛《まゆげ》〔三八三〕
|炎熱《えんねつ》|焼《や》くが|如《ごと》き|夏《なつ》の|空《そら》 |花《はな》の|都《みやこ》と|謳《うた》はれし
|巴留《はる》の|都《みやこ》を|後《あと》にして |淤縢山津見《おどやまづみ》の|一行《いつかう》は
|漸《やうや》うここに|辿《たど》り|着《つ》き |桃上彦《ももがみひこ》を|相添《あひそ》へて
|天津御神《あまつみかみ》の|珍《うづ》の|御子《みこ》 |世《よ》の|民草《たみぐさ》を|救《すく》はむと
|声《こゑ》も|涼《すず》しき|宣伝歌《せんでんか》 |足《あし》を|揃《そろ》へて|珍山《うづやま》の
|峠《たうげ》を|下《くだ》る|雄々《をを》しさよ。
|日《ひ》は|漸《やうや》く|西《にし》に|傾《かたむ》き、|山《やま》と|山《やま》との|谷道《たにみち》には|大《だい》なる|影《かげ》|映《さ》し|来《き》たる。
|駒山彦《こまやまひこ》は、
『ヤア、|大分《だいぶ》に|涼《すず》しくなつて|来《き》たねー。|無《な》ければならず、|有《あ》つては|困《こま》るものは|太陽《たいやう》の|光熱《くわうねつ》だ。|斯《か》うして|山蔭《やまかげ》に|日《ひ》が|隠《かく》れると、|夜《よる》のやうに|涼《すず》しくなつて|来《き》た。|斯《か》う|云《い》ふ|涼味《すずしさ》は|旅行《たび》をして|見《み》ねば|味《あぢ》はふことは|出来《でき》ぬものだナア』
|蚊々虎《かがとら》は|口《くち》を|尖《とが》らせ、
『|貴様《きさま》|何《なに》を|言《い》ふか、|罰当《ばちあた》り|奴《め》が。|無《な》ければならぬものの、|有《あ》つては|困《こま》るとは、そら|何《なん》だ、|宣《の》り|直《なほ》せ|宣《の》り|直《なほ》せ。|無《な》ければならぬもので、|無《な》くては|困《こま》る|日天様《につてんさま》、|暑《あつ》い|光熱《くわうねつ》を|頭《あたま》の|上《うへ》から|照《てら》して|下《くだ》さつたのは、|神様《かみさま》の|厚《あつ》い|御恵《みめぐみ》だ。さうして|涼《すず》しき|蔭《かげ》を|吾《われ》らに|投《な》げ|与《あた》へ、|澄《す》み|切《き》つた|風《かぜ》を|吹《ふ》かして|下《くだ》さるのは、|神様《かみさま》の|吾々《われわれ》を|保護《ほご》したまふ|清《きよ》き|涼《すず》しき|御恵《みめぐみ》の|御《お》かげだと|宣《の》り|直《なほ》さぬか』
『やあ、|此奴《こいつ》は|一《ひと》つ|失策《しくじ》つた。|御天道様《おてんだうさま》、いま|蚊々虎《かがとら》の|云《い》つた|通《とほ》りに|駒山彦《こまやまひこ》は|宣《の》り|直《なほ》します』
『ソラ|見《み》たか』
『|空《そら》|見《み》たつて|日天様《につてんさま》は、|山《やま》に|御隠《おかく》れになつてゐるじやないか』
『|空呆《そらとぼ》けるない』
|淤縢山津見《おどやまづみ》は、
『ヤアヤア、また|始《はじ》まつたか。|面白《おもしろ》いねー』
|五月姫《さつきひめ》は|俯《うつ》むいて、
『ホヽヽヽヽ』
と|微《かす》かに|笑《わら》ふ。
|蚊々虎《かがとら》は、
『|五月《さつき》の|空《そら》の|五月姫《さつきひめ》、|床《ゆか》しい|声《こゑ》で|花《はな》の|唇《くちびる》を|開《ひら》いて、ホヽヽヽヽ|杜鵑《ほととぎす》、|声《こゑ》も|聞《きこ》えりや|姿《すがた》も|見《み》える。|見《み》れば|見《み》るほど|気高《けだか》い|姿《すがた》の|花菖蒲《はなあやめ》、|黒白《あやめ》も|分《わ》かぬ|暗《やみ》の|夜《よ》に、|綾《あや》に|尊《たふと》き|五月姫《さつきひめ》の|御道伴《おんみちづ》れ。|世《よ》の|中《なか》は|何《ど》うしても|女《をんな》に|限《かぎ》るねー。|男《をとこ》ばつかり|歩《ある》いて|居《を》ると、|何時《いつ》となしにゴツゴツとして|角張《かくば》つて、どうもうまく|車《くるま》の|運転《うんてん》がつかぬやうだ』
|駒山彦《こまやまひこ》『|蚊々虎《かがとら》、|貴様《きさま》は【く】の|字形《じなり》の|腰付《こしつ》きで、|女《をんな》が|無《な》ければ|角《かど》が|立《た》つの、ゴツゴツするのとようも|言《い》へたものぢや。|貴様《きさま》らに、|何《なん》ぼ|五月姫《さつきひめ》だつて|暑苦《あつくる》しい、|誰《たれ》が|秋波《しうは》を|送《おく》るものかい。|好《よ》い|気《き》になりよつて、|煽《おだ》て|揚《あ》げられて、|天下《てんか》の|色男《いろをとこ》は|俺《おれ》だいと|云《い》ふやうな、その|鼻息《はないき》は|何《なん》だい』
『|大分《だいぶ》|駒《こま》の|息《いき》も|荒《あら》くなつたが、|弱《よわ》い|奴《やつ》だな。|苦《くる》しいのか、|夫《そ》れ|程《ほど》|苦《くる》しければ|恰度《ちやうど》|其処《そこ》に|都合《つがふ》の|好《よ》い|岩《いは》がある。|其処《そこ》で|一服《いつぷく》やつたら|何《ど》うだ。|足《あし》の|弱《よわ》い、|腰《こし》の|弱《よわ》い|宣伝使《せんでんし》を|伴《つ》れて|歩《ある》くと、|足手《あして》|纏《まと》ひになつて|困《こま》る。まあ|貴様《きさま》|一服《いつぷく》でもするが|好《よ》いわ。モシモシ|淤縢山《おどやま》さま、|正鹿山《まさかやま》さま|貴方達《あなたたち》も|何《なん》なら|一服《いつぷく》なさつたら|如何《どう》ですか。|五月姫《さつきひめ》さま|貴方《あなた》は|女《をんな》にも|似合《にあ》はぬ|御脚《おあし》は|達者《たつしや》だ。|脚《あし》の|達者《たつしや》なもの|同士《どうし》|一足《ひとあし》|御先《おさき》へ|失敬《しつけい》しませうか』
『ヤア、うまい|事《こと》を|云《い》ひよる。|貴様《きさま》の|腹《はら》は|読《よ》めたぞ。|五月《さつき》さま、|貴方《あなた》も|休《やす》みなさい。|蚊々虎《かがとら》|一人《ひとり》|先《さき》に|行《い》つて、|道《みち》を|踏《ふ》ん|迷《まよ》つて|谷底《たにそこ》へ|落《お》ちて|寂滅為楽《じやくめつゐらく》だ。|先《さき》へ|行《ゆ》け、|骨《ほね》くらゐは|駒山彦《こまやまひこ》が|道伴《みちづ》れの|好意《よしみ》で|拾《ひろ》つてやるワイ』
『ヤア、|邪魔《じやま》|臭《くさ》い|縁起《えんぎ》でも|無《な》いこと|云《い》ひよるから、|俺《おれ》も|一《ひと》つ|達者《たつしや》な|足《あし》を|辛抱《しんばう》して|休《やす》ましてやろかい』
『|倒頭《たうとう》|本音《ほんね》を|吹《ふ》きよつた。アハヽヽヽ』
|一行《いつかう》は、|平面《へいめん》な|岩《いは》の|上《うへ》に|足《あし》を|伸《の》ばして|暫時《しばらく》|休息《きうそく》する。|太陽《たいやう》は|全《まつた》く|地平線下《ちへいせんか》に|没《ぼつ》せしと|見《み》えて、|四辺《あたり》は|追々《おひおひ》と|暗《くら》くなり|来《き》たる。
|正鹿山津見《まさかやまづみ》は|不安《ふあん》な|顔《かほ》で、
『まだ|是《これ》から|珍《うづ》の|都《みやこ》へは|余程《よほど》の|道程《みちのり》があります。この|先《さき》にモー|一《ひと》つ|大《おほ》きな|山《やま》を|越《こ》さねばなりませぬが、|何分《なにぶん》|荊棘《けいきよく》の|茂《しげ》つた|猪《しし》より|通《かよ》つたことの|無《な》い、|而《そ》して|嶮《けは》しい|山道《やまみち》ですから、|悠《ゆつ》くりと|此処《ここ》で|夜《よ》を|明《あ》かしませうか。この|先《さき》の|山《やま》は|天雲山《てんうんざん》と|云《い》つて|此《この》|珍山峠《うづやまたうげ》よりも|余程《よほど》|高《たか》いですよ。|而《そ》して|此《この》|頃《ごろ》は|大変《たいへん》な|大蛇《をろち》や|毒蛇《どくじや》が|道《みち》に|横《よこ》たはつて|居《ゐ》ますから、|夜《よる》の|旅《たび》は|危険《きけん》ですからな。|此《こ》の|峠《たうげ》を|大蛇峠《をろちたうげ》と|云《い》ふ|位《くらゐ》ですから』
『|何《なに》ツ!、|大蛇峠《をろちたうげ》ですか、|大蛇《をろち》が|出《で》ると、|其奴《そいつ》は|面白《おもしろ》い。|日頃《ひごろ》の|腕試《うでだめ》し|度胸《どきよう》|試《だめ》しだ。|夫《そ》れを|聞《き》けば|蚊々虎《かがとら》の|腕《うで》は【りゆう】りゆうと|鳴《な》つて|来《く》る。ヤア、|面白《おもしろ》い、|矢《や》も|楯《たて》も|堪《たま》らぬやうになつて|来《き》たワ。オイ、|一同《いちどう》の|宣伝使《せんでんし》、|一《ひと》つ|大蛇《だいじや》に|向《むか》つて|宣伝歌《せんでんか》でも|聞《き》かしてやらうじやないか。|宣伝歌《せんでんか》の|徳《とく》に|依《よ》つて|大蛇《だいじや》は|神格化《しんかくくわ》して|大変《たいへん》な|美人《びじん》になるよ』
|駒山彦《こまやまひこ》は|呆《あき》れて、
『また|美人《びじん》のことを|云《い》ひよる。|貴様《きさま》|一人《ひとり》|行《ゆ》くが|好《よ》いワ』
『|驚《おどろ》いたか、|肝《きも》を|潰《つぶ》したか、おつ|魂消《たまげ》たか、|何《なん》だい|其《そ》の|顔色《かほいろ》は。|青大将《あをだいしやう》のやうに|真蒼《まつさを》になりよつて、|阿呆大将《あはうだいしやう》|奴《め》が』
『コラコラ、|蚊々虎《かがとら》、|阿呆大将《あはうだいしやう》と|云《い》ふことがあるか、|駒山《こまやま》の|前《まへ》で|宣《の》り|直《なほ》せ』
『|宣《の》り|直《なほ》すとも、|今《いま》まで|駱駝《らくだ》に|乗《の》つてゐたが、|今度《こんど》は|大蛇《だいじや》の|背《せなか》に|乗《の》り|直《なほ》しだ』
『|偉《えら》い|法螺《ほら》を|吹《ふ》くね。|実物《じつぶつ》を|拝見《はいけん》したら|反対《あべこべ》に|蚊々虎《かがとら》の|方《はう》から、|尾《を》を|巻《ま》いて|遁《に》げるだらう』
|正鹿山津見《まさかやまづみ》は|静《しづ》かに、
『|闇夜《やみよ》の|事《こと》と|云《い》ひ、|峻山《しゆんざん》|絶壁《ぜつぺき》といひ、|夜道《よみち》に|日《ひ》は|暮《くれ》ませぬ。まあ、|悠《ゆつ》くりと|致《いた》しませう』
|淤縢山津見《おどやまづみ》は、その|尾《を》について、
『また|新《あたら》しい|日輪様《にちりんさま》を|拝《をが》むまで、|此処《ここ》で|祝詞《のりと》を|奏上《あげ》て|御日待《おひま》ちを|致《いた》しませうか』
|一同《いちどう》『よろしからう』
と|巌上《がんじやう》に|端坐《たんざ》し、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|宣伝歌《せんでんか》を|一通《ひととほ》り|歌《うた》つて、|岩《いは》の|褥《しとね》に|腕枕《うでまくら》、|星《ほし》の|紋《もん》のついた|青《あを》い|蒲団《ふとん》を|被《かぶ》つて、|華胥《くわしよ》の|国《くに》に|遊楽《いうらく》の|身《み》となりぬ。|半円《はんゑん》の|月《つき》は|東天《とうてん》をかすめて|昇《のぼ》り|来《き》たる。|五人《ごにん》の|姿《すがた》は|手《て》に|取《と》る|如《ごと》く|明《あきら》かに|見《み》え|出《だ》し|来《き》たりぬ。
|蚊々虎《かがとら》は|目《め》を|醒《さま》し、
『ヤア、|何《ど》れも|此《こ》れも、よく|臥《ふ》せり|居《を》つたものだナア。|人間《にんげん》も|罪《つみ》の|無《な》いものだワイ。|何奴《どいつ》の|顔《かほ》が|一番《いちばん》|罪《つみ》のない|顔《かほ》をしてゐるか、|一々《いちいち》|点検《てんけん》をしてやらうかい。まづ|第一《だいいち》に|淤縢山津見《おどやまづみ》の|首実検《くびじつけん》に|及《およ》ぶとしようか。ヤア、|此奴《こいつ》は|昔《むかし》から|悪《わる》い|奴《やつ》だと|思《おも》つたが、ホンニ|一寸《ちよつと》|悪《わる》さうな|顔《かほ》をしてをるワイ。この|口許《くちもと》が|一寸《ちよつと》|憎《にく》らしい。|大《おほ》きな|口《くち》を|開《あ》けよつて、|涎《よだれ》を|出《だ》して|居《を》る|所《ところ》の|態《ざま》と|云《い》つたら、|見《み》られたものぢや|無《な》いワイ。|幸《さいは》ひ|峠《たうげ》を|下《くだ》る|時《とき》に【むし】つてきた|桑《くは》の|実《み》がある。|此奴《こいつ》で|一《ひと》つ|顔《かほ》を|彩《ゑど》つてやらうかナア』
と|独語《ひとりごと》を|云《い》ひながら、|口《くち》の|辺《あた》り|目《め》の|周囲《まはり》に|紫《むらさき》の|汁《しる》を|塗《ぬり》つけた。|月影《つきかげ》に【すかし】て|見《み》て、
『ヤア、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、|明日《あす》の|朝《あさ》になつたら|随分《ずゐぶん》|吃驚《びつくり》することだらう。|此奴《こいつ》は「|地獄《ぢごく》|行《ゆ》き」と|書《か》いて|置《お》いてやれ』
と|頬辺《ほほべた》に|印《しるし》を|入《い》れる。
『ヤア、|正鹿山津見《まさかやまづみ》の|顔《かほ》か。|此奴《こいつ》は|割《わり》とは|悪人《あくにん》に|似合《にあ》はぬ|好《よ》い|顔《かほ》だな。|彩《ゑど》ると|却《かへ》つて|似合《にあ》はぬかも|知《し》れないが、|片怨《かたうら》みがあるといかぬから、|何《なん》なと|書《か》いてやらうか』
と|鼻《はな》を|紫《むらさき》に|塗《ぬ》つて|了《しま》つた。
『サア、これから|矢釜敷家《やかましや》の|駒公《こまこう》だ。|此奴《こいつ》の|額《ひたい》に|何《なん》と|書《か》いてやらうかナ。|分《わか》つた「|五月姫《さつきひめ》|欲《ほ》しさに、よう|妬《や》く|男《をとこ》」と、ハヽヽヽヽ|是《これ》で|好《い》い。サアこれから|五月姫《さつきひめ》の|番《ばん》だ、|花《はな》の|顔《かんばせ》|月《つき》の|眉《まゆ》、|何処《どこ》にも|欠点《けつてん》がないワイ。それでも|御附合《おつきあひ》に|何《なん》とかせなくてはなるまい。オーさうだ、|角隠《つのかく》しの|天上眉毛《てんじやうまゆげ》だ』
と、チヨボチヨボと|額《ひたい》に|円《まる》を|描《ゑが》いた。
『やあ、|此奴《こいつ》は|素的《すてき》だ。ますます|別嬪《べつぴん》になつた。|何処《どこ》とも|無《な》しに|愛嬌《あいけう》が|弥増《いやまし》て|威厳《ゐげん》が|加《くは》はつた。ヤア、これで|済《す》みか。|俺《おれ》だけ|無疵《むきず》で|居《を》つては|面白《おもしろ》くないから、|俺《おれ》も|一《ひと》つやつてやらうかな、ウンさうだ。「|世界一《せかいいち》の|色男《いろをとこ》」と|書《か》いて|置《お》いてやろかい。ハヽヽヽヽ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、ドツコイ|面黒《おもくろ》い|面黒《おもくろ》い、|五百羅漢《ごひやくらかん》の|陳列場《ちんれつぢやう》|見《み》たやうになつて|了《しま》つた。ワハヽヽヽ』
|駒山彦《こまやまひこ》は|目《め》を|醒《さ》まして、
『|誰《たれ》だ、|安眠《あんみん》の|妨害《ばうがい》する|奴《やつ》は。|人間《にんげん》はな、|刹那心《せつなしん》だよ。|寝《ね》る|時《とき》にはグツと|寝《ね》て、|働《はたら》く|時《とき》には|働《はたら》くのだぞ。|気違《きちが》ひの|様《やう》に|五月姫《さつきひめ》と|婚礼《こんれい》でもしてゐるやうな|夢《ゆめ》でも|見《み》|居《を》つたのか。|何《なん》だい、|夜中《よなか》に|笑《わら》ひよつて|早《はや》く|寝《ね》ぬか』
『ハイハイ、|寝《ね》ます|寝《ね》ます、お|前等《まへたち》も|頭《あたま》を|上《あ》げぬと|寝《ね》るがよいワイ。ヤア、|早《はや》く|寝《ね》て|了《しま》つたな。|全《まる》で|鱶《ふか》の|化物《ばけもの》を|見《み》たやうな|奴《やつ》だ。ワハヽヽヽ、|誰《たれ》も|彼《かれ》も|罪《つみ》の|無《な》いやうな|有《あ》るやうな|顔《かほ》してよく|寝《ね》てるワイ。この|蚊々虎《かがとら》も|附《つ》き|合《あ》ひだ。|狸《たぬき》の|空寝入《そらねい》りでもやらかさうかナア』
とゴロツと|肘《ひぢ》を|枕《まくら》に|横《よこ》たわりける。
|真心《まごころ》や|巌面《いはおも》|寝暖《ゐぬく》|桑《くは》の|夢《ゆめ》(弓)
(大正一一・二・一〇 旧一・一四 外山豊二録)
第三四章 |烏天狗《からすてんぐ》〔三八四〕
|月《つき》は|中空《ちうくう》に|輝《かがや》き、|星《ほし》|稀《まれ》なる|大御空《おほみそら》、|雲《くも》を|散《ち》らして|吹《ふ》く|松風《まつかぜ》の|音《おと》に、|五月姫《さつきひめ》は|目《め》を|醒《さ》まし|淤縢山津見《おどやまづみ》の|顔《かほ》に|目《め》を|注《そそ》ぎ、
『これはこれは|淤縢山津見《おどやまづみ》さまも、ああして|歩《ある》いて|居《を》れば、|立派《りつぱ》な|男《をとこ》らしい|神《かみ》さまのやうな|御顔《おかほ》だが、|一切万事《いつさいばんじ》を|忘《わす》れ、|御寝《おやすみ》になつた|時《とき》の|御顔《おかほ》は|悪相《あくさう》に|見《み》える。|是《これ》も|矢張《やつぱ》り|心《こころ》の|色《いろ》かいなー。|正鹿山津見様《まさかやまづみさま》の|此《こ》の|御鼻《みはな》は|何《なん》として|是《これ》ほど|赤《あか》いのだらう。|鼻筋《はなすぢ》の|通《とほ》つた、|綺麗《きれい》な|男前《をとこまへ》だと|思《おも》うたに、|此《こ》のまた|鼻《はな》は|何事《なにごと》ぞ、|甚《はなは》だ|醜《みに》くい|御顔立《おかほだち》。ヤアヤア|蚊々虎《かがとら》さまの|御顔《おかほ》にも|妙《めう》な|色《いろ》が|顕《あら》はれて|居《を》る、|蚊々虎《かがとら》さま、「|世界第一《せかいだいいち》の|色男《いろをとこ》」と|書《か》いてある。ホヽヽヽヽ、|罪《つみ》の|無《な》ささうな|御顔《おかほ》。|本当《ほんたう》に|此《こ》の|御顔《おかほ》は|神様《かみさま》のやうだわ。ヤー|嫌《いや》な|事《こと》、「|五月姫《さつきひめ》に|惚《ほ》れて、よう|妬《や》く|男《をとこ》」アヽ|嫌《いや》な|事《こと》、|駒山《こまやま》さまたら|何《なん》と|妙《めう》な|御顔《おかほ》に|成《な》られたでせう。ホヽヽヽヽ』
|蚊々虎《かがとら》は|五月姫《さつきひめ》の|声《こゑ》を|聞《き》きながら、|可笑《をか》しさを|耐《こら》へて|歯《は》を|喰締《くひしば》り、クークーと|口《くち》の|中《なか》で|笑《わら》うて|居《を》る。
|駒山彦《こまやまひこ》は|五月姫《さつきひめ》の|声《こゑ》にムツクと|起《お》き|上《あが》り、|五月姫《さつきひめ》の|襟髪《えりがみ》をグツと|握《にぎ》つて、
『コラ|素平太《すべた》、|何《なに》を|吐《ぬ》かしよるのだい。|淤縢山津見《おどやまづみ》の|顔《かほ》は|悪相《あくさう》だの、|正鹿山津見《まさかやまづみ》の|顔《かほ》が|赤《あか》いの、|好《す》きだの|嫌《きら》ひのと|吐《ほ》ざきよつて、|剰《おま》けに「|世界一《せかいいち》の|色男《いろをとこ》だ」なんて、|俺《おれ》が|知《し》らずと|寝《ね》て|居《を》るに|余《あんま》りだ。|駒山彦《こまやまひこ》は「|五月姫《さつきひめ》に|惚《ほ》れて、よう|妬《や》く|男《をとこ》」なんて|馬鹿《ばか》にするな、|女旱《をんなひでり》のない|世《よ》の|中《なか》だ。|世界《せかい》に|男《をとこ》の|数《かず》が|四分《しぶ》、|女《をんな》の|数《かず》が|六分《ろくぶ》、|何《なん》だ|其《その》シヤツ|面《つら》は。|貴様《きさま》のやうな|女《をんな》は、|此《こ》の|高砂島《たかさごじま》には、|笊《ざる》で|量《はか》る|程《ほど》【ごろついて】|居《を》るのだ。ヘン|天上眉毛《てんじようまゆげ》を|附《つ》けよつて、|馬鹿《ばか》にするない。|人《ひと》が|知《し》らぬと|寝《ね》て|居《ゐ》るかと|思《おも》うて、|蚊々虎《かがとら》の|顔《かほ》を|穴《あな》の|明《あ》くほど|覗《のぞ》きよつて、|世界一《せかいいち》の|色男《いろをとこ》だと、|何《なに》を|吐《ほ》ざきよるのだ。|惚《ほ》れた|貴様《きさま》の|目《め》からは|菊石《あばた》も|靨《ゑくぼ》、|鼻《はな》の|取《と》れたのも、|腰《こし》の|曲《まが》つたのも、|優《しほ》らしう|見《み》えるだらう。|月《つき》は|皎々《かうかう》として|天空《てんくう》|高《たか》く|輝《かがや》き|渡《わた》れども、お|前《まへ》の|胸《むね》は|恋《こひ》の|暗《やみ》だ。|味噌《みそ》も|糞《くそ》も|一所雑多《いつしよくた》にしよつて、|誰《たれ》がお|前《まへ》のやうな|端女《はしため》に|惚《ほ》れるの|妬《や》くのと|余《あんま》り|馬鹿《ばか》にするない』
|蚊々虎《かがとら》『クヽヽヽヽヽ、ウハヽヽヽヽ、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い。おつとどつこい、クヽヽ|桑《くは》の|実《み》で|顔《かほ》を|彩《ゑど》られ、|面赤《おもあか》いワイ。ウハヽヽヽ』
|此《この》|笑《わら》ひ|声《ごゑ》に、|淤縢山津見《おどやまづみ》、|正鹿山津見《まさかやまづみ》の|二人《ふたり》は、ムツクと|起《お》き|上《あが》り、
『あゝよく|寝入《ねい》つて|居《ゐ》たのにあた|喧《やかま》しい、|折角《せつかく》の|面白《おもしろ》い|夢《ゆめ》を|破《やぶ》られて|了《しま》うた。|貴様《きさま》らは|困《こま》つた|奴《やつ》ぢやなー。|夜明《よあ》けに|間《ま》もあるまい。モー|一《ひ》と|寝入《ねい》りせなくちやならないから、お|前達《まへたち》も|黙《だま》つて|寝《ね》たら|宜《よ》からう』
|駒山彦《こまやまひこ》『ヤー|淤縢山津見《おどやまづみ》さま、|貴方《あなた》の|顔《かほ》はソラ|何《な》んだ。|正鹿山津見《まさかやまづみ》さま、|其《その》|鼻《はな》は|何《ど》うした。チト|変《へん》だぜ』
|淤縢山津見《おどやまづみ》『|変《へん》でも|何《なん》でも|宜《よ》い。やつぱり|顔《かほ》は|顔《かほ》ぢや』
|正鹿山津見《まさかやまづみ》『|鼻《はな》は|鼻《はな》だよ。アヽ|喧《やかま》しい|奴《やつ》だ』
|蚊々虎《かがとら》『ウハヽヽヽ』
|五月姫《さつきひめ》『ホヽヽヽヽ』
|駒山彦《こまやまひこ》『|馬鹿々々《ばかばか》しい、|笑《わら》ひ|所《どころ》か、|人《ひと》の|顔《かほ》の|棚下《たなおろ》しをしよつて、|素平太《すべた》の|癖《くせ》になア』
|淤縢山津見《おどやまづみ》『コレコレ|駒山彦《こまやまひこ》、|三五教《あななひけう》だ。|宣《の》り|直《なほ》さぬかい』
|駒山彦《こまやまひこ》『ハイハイ』
さう|斯《こ》うする|間《ま》に|月《つき》の|色《いろ》は|漸《やうや》く|褪《あ》せて、|其処《そこ》ら|一面《いちめん》ホンノリと|明《あか》くなり|来《き》たりぬ。|諸鳥《ももとり》は|言《い》ひ|合《あは》したるやうに、|木々《きぎ》の|梢《こずゑ》に|囀《さへづ》り|始《はじ》めた。|数十羽《すうじつぱ》の|烏《からす》は、|五人《ごにん》が|安臥《あんぐわ》せる|上空《じやうくう》をアホウアホウと|鳴《な》きわたる。
|蚊々虎《かがとら》『オイ、|阿呆《あはう》|共《ども》、|起《お》きぬかい。|烏《からす》までアホウアホウと|言《い》うてるよ。お|天道《てんと》さまに、【いい】|面曝《つらさら》しだ。お|前《まへ》たちの|顔《かほ》は|何《な》んだい』
|一同《いちどう》はムツクと|起上《おきあが》り|互《たが》ひに|顔《かほ》を|見合《みあは》せ、
|一同《いちどう》『ヤーヤー、ヨーヨー、|誰《たれ》だい、コンナ|悪戯《いたづら》をしよつたのは』
|駒山彦《こまやまひこ》『|蚊々虎《かがとら》だ、|決《き》まつてるわ』
『お|前《まへ》たちの|面《つら》を|熟々《つらつら》|考《かんが》ふるに、|之《これ》は|矢張《やつぱ》り|烏《からす》の|仕業《しわざ》だなア。|烏《からす》が|最前《さいぜん》も|大《おほ》きな|声《こゑ》でカアカアカアカア|蚊々虎《かがとら》かも|知《し》れぬと|鳴《な》いて|居《ゐ》たよ。|察《さつ》する|所《ところ》、|要《えう》するに|即《すなは》ち、|天狗《てんぐ》の|悪戯《てんご》だよ。|天狗《てんぐ》といふ|奴《やつ》はなア、|黒《くろ》い|顔《かほ》しよつて|腰《こし》の|曲《まが》つてる|癖《くせ》に、|悪戯《いたづら》をする|奴《やつ》だ』
|駒山彦《こまやまひこ》は|吹《ふ》き|出《だ》し、
『たうとう|白状《はくじやう》しやがつたなア。ヤー|貴様《きさま》の|顔《かほ》には「|世界第一《せかいだいいち》の|色男《いろをとこ》」だて、|馬鹿《ばか》にしよるわ。|俺《おれ》も|何《なん》だか|顔《かほ》が|鬱陶敷《うつたうしい》、|顔《かほ》の|皮《かは》が、|引《ひ》つ|張《は》るやうだ。|正鹿山津見《まさかやまづみ》さま、|一寸《ちよつと》|私《わたし》の|顔《かほ》を|見《み》て|下《くだ》さいナ』
と【ニウ】と|突《つ》き|出《だ》す。
『ヨー|書《か》いたりな|書《か》いたりな、しかも|赤字《あかじ》で、|五月姫《さつきひめ》に|惚《ほ》れて|能《よ》う|妬《や》く|男《をとこ》ハヽヽヽヽ』
『ヤー|夫《そ》れで|読《よ》めた。|五月姫《さつきひめ》さま、|済《す》まなかつた、|宣《の》り|直《なほ》しますよ。|貴方《あなた》|私《わたし》の|顔《かほ》の|字《じ》を|見《み》たのだなア。|私《わたし》はまたお|前《まへ》さまが|私《わたし》の|悪口《あくこう》を|云《い》うたのだと|思《おも》うて|一寸《ちよつと》|愛想《あいさう》に|怒《おこ》つてみた。|心《こころ》の|底《そこ》から|決《けつ》して|決《けつ》して|怒《おこ》つては|居《ゐ》ないよ。|量見《りやうけん》して|下《くだ》さい』
|蚊々虎《かがとら》『|涙《なみだ》|弱《よわ》い|奴《やつ》ぢやなア、|直《ぢき》に|女《をんな》とみたら|目《め》を|細《ほそ》くしよつて、|結構《けつこう》な|男《をとこ》の|頭《あたま》をピヨコピヨコ|下《さげ》る|腰抜男《こしぬけをとこ》|奴《め》、ハヽヽヽヽ』
|五月姫《さつきひめ》『|皆《みな》さまのお|顔《かほ》に|何《なん》だか|赤《あか》いものが|附《つ》いて|居《ゐ》ますよ。|妾《わたくし》の|顔《かほ》にも|何《なに》か|附《つ》いて|居《ゐ》やしませぬか』
|一同《いちどう》は|手《て》を|打《う》ちて、
『ヨー|秀逸《しういつ》だ、|天上眉毛《てんじやうまゆげ》だ。それで|幾層倍《いくそうばい》|神格《しんかく》が|上《あが》つたかも|知《し》れやしないワ』
|五月姫《さつきひめ》は、
『ホヽヽヽヽ』
と|笑《わら》ひながら|袖《そで》にて|顔《かほ》を|隠《かく》す。|淤縢山津見《おどやまづみ》は|襟《えり》を|正《ただ》し、|容《かたち》を|改《あらた》め|儼然《げんぜん》として、
『コラコラ|蚊々虎《かがとら》、|悪戯《いたづら》をするにも|程《ほど》があるぞよ。|何《なん》だ、|吾々《われわれ》|一同《いちどう》の|顔《かほ》を|知《し》らぬ|間《ま》に|彩《ゑど》りよつて、|吾々《われわれ》の|顔《かほ》は|草紙《さうし》でないぞ、ノートブツクとは|違《ちが》ふぞ』
|蚊々虎《かがとら》『|私《わたし》もチヨボチヨボだ。|誰《たれ》か|腰《こし》の|曲《まが》つた|烏天狗《からすてんぐ》でもやつて|来《き》て、|悪戯《いたづら》をしたのでせう。
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おおなほひ》
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》せ』
|駒山彦《こまやまひこ》『|勝手《かつて》な|奴《やつ》ぢやなア、|都合《つがふ》が|悪《わる》いと|直《ぢき》に|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひよる。ホントに|困《こま》つた|男《をとこ》だ』
『|実際《じつさい》の|悪戯者《いたづらもの》はよう|判明《わか》つて|居《ゐ》る。いま|此方《こな》さまが|指《ゆび》の|先《さき》で|此《この》|人《ひと》だとハツキリ|指《ゆびさ》してやるから、|此方《こな》さまの|指《ゆび》の|先《さき》の|落《お》ちて|行《ゆ》く|先《さき》を|見《み》て|居《を》るがよいワイ。|今《いま》の|今《いま》の|悪戯小僧《いたづらこぞう》は|何処《どこ》から|来《き》たか、|東《ひがし》から|来《き》たか、|西《にし》から|来《き》たか、|南《みなみ》から|来《き》たか、【きた】かきたか|矢張《やつぱ》り|北《きた》ぢや、|乾《いぬゐ》の|隅《すみ》の|腰《こし》の|屈《かが》んだ|烏天狗《からすてんぐ》のやうな、|世界《せかい》で|一《いち》の|色男《いろをとこ》、|蚊々虎《かがとら》さまが|皆《みな》|書《か》いた、この|鼻《はな》さまぢや』
と、|自分《じぶん》の|鼻《はな》を|押《おさ》へて|見《み》せる。|駒山彦《こまやまひこ》も、
『|俺《おれ》も|一《ひと》つ|書《か》いてやろ、|蚊々虎《かがとら》そこに|寝《ね》ぬか』
『|後《あと》は|明晩《みやうばん》に|悠然《ゆつくり》と|伺《うかが》ひませう』
『|何故《なぜ》そんな|悪戯《いたづら》をするのか』
|蚊々虎《かがとら》は|腕《うで》を|捲《まく》り|肩《かた》を|怒《いか》らしながら、
『|是《これ》には|深《ふか》い|仔細《しさい》がある。|是《これ》から|先《さき》の|大蛇峠《をろちたうげ》を|越《こ》える|時《とき》に、|胴《どう》の|周囲《まはり》が|嘘《うそ》|八百八十八《はつぴやくはちじふはち》|丈《ぢやう》、|身体《からだ》の|長《たけ》は|八百八十八《はつぴやくはちじふはち》|万里《まんり》、|尨大《でか》い|大蛇《をろち》に|出会《でつくわ》すのだ。|夫《それ》で|淤縢山津見《おどやまづみ》は|怖《こは》い|顔《かほ》して|見《み》せる、|正鹿山津見《まさかやまづみ》は|赤《あか》い|鼻《はな》をニユーと|突《つ》き|出《だ》して|大蛇《をろち》を|笑《わら》はせ|転《ころ》ばすためだ。|蚊々虎《かがとら》は|天下一《てんかいち》の|色男《いろをとこ》は【コンナ】ものぢやと|大蛇《をろち》の|奴《やつ》に|見惚《みと》れさすのぢや。|駒山彦《こまやまひこ》は【デレ|助《すけ》】と|云《い》ふものはアンナ【シヤ】ツ|面《つら》かと、|大蛇《をろち》に|穴《あな》の|明《あ》くほど|見詰《みつ》めさすのだ。さうして|天女《てんによ》のやうな|五月姫《さつきひめ》を、|何《なん》とまあ|別嬪《べつぴん》も|有《あ》るものぢやと|見詰《みつ》めさすのぢや。つまり|魅《み》を|入《い》れさすのぢや。|大蛇《をろち》に|魅《み》を|入《い》れられたら|五月姫《さつきひめ》さまは|助《たす》かりつこは|無《な》いワ』
|駒山彦《こまやまひこ》『アヽ|顔《かほ》を|洗《あら》うと|云《い》うたつて、|水《みづ》も|何《なに》も|有《あ》りやしない。|御一同《ごいちどう》このまま|水《みづ》のある|所《ところ》まで|行《ゆ》きませうか』
|一同《いちどう》『|仕方《しかた》が|無《な》いなア、サア|参《まゐ》りませう』
と|草鞋脚絆《わらぢきやはん》に|身《み》を|固《かた》め、さしもに|嶮《けは》しき|大蛇峠《をろちたうげ》に|向《むか》つて|足《あし》を|運《はこ》びける。
(大正一一・二・一〇 旧一・一四 森良仁録)
第三五章 |一二三世《いちにさんせ》〔三八五〕
|樹々《きぎ》に|囀《さへづ》る|百鳥《ももとり》の|声《こゑ》、|眠気《ねむたげ》なる|油蝉《あぶらぜみ》の|声《こゑ》に|送《おく》られて、|夏《なつ》の|炎天《えんてん》を|喘《あへ》ぎ|喘《あへ》ぎ|嶮《けは》しき|坂《さか》を|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|汗《あせ》は|滝《たき》の|如《ごと》く|流《なが》れ、|彩《ゑど》られた|顔《かほ》はメチヤメチヤになつて|赤《あか》い|汗《あせ》さへ|流《なが》るる|無状《ぶざま》さ。|一行《いつかう》は|汗《あせ》を|拭《ぬぐ》ひ|拭《ぬぐ》ひ、|漸《やうや》くに|山頂《さんちやう》に|達《たつ》したり。|山頂《さんちやう》には|格好《かくかう》の|岩《いは》が|程《ほど》よく|散布《さんぷ》されてありぬ。|宣伝使《せんでんし》|一行《いつかう》は、|各自《かくじ》に|岩《いは》に|腰打《こしうち》かけ|息《いき》を|休《やす》めたり。
|蚊々虎《かがとら》『ままになるなら|此《この》|涼風《すずかぜ》を、|母《はは》の|土産《みやげ》にして|見《み》たい』
|駒山彦《こまやまひこ》『オイ、|蚊々虎《かがとら》、|殊勝《しゆしよう》らしい|事《こと》を|云《い》ふね。「ままになるなら|此《この》|涼風《すずかぜ》を|母《はは》の|土産《みやげ》にして|見《み》たい」|随分《ずゐぶん》|孝行者《かうかうもの》だなア。|夫《そ》れほど|親孝行《おやかうかう》の|貴様《きさま》が|放蕩《はうたう》ばかりやりよつて、|両親《りやうしん》に|心配《しんぱい》をかけ、|子《こ》が|無《な》うて|泣《な》く|親《おや》は|無《な》いが、|子《こ》のために|泣《な》く|親《おや》は|沢山《たくさん》あるとか|云《い》つてな、ソンナ|優《やさ》しい|心《こころ》があるのなら|何故《なぜ》|親《おや》を|放《ほ》つたらかして|其辺中《そこらじう》を|迂路《うろ》つき|廻《まは》るのだ。|口《くち》と|心《こころ》と|行《おこな》ひと|一致《いつち》せぬのは、|神様《かみさま》に|対《たい》してお|気障《きざは》りだぞ』
『|人間《にんげん》の|性《せい》は|善《ぜん》だ。|誰《たれ》だつて|親《おや》を|思《おも》はぬ|子《こ》があらうか。|浮世《うきよ》の|波《なみ》に|漂《ただよ》はされて|止《や》むを|得《え》ず、|親子《おやこ》は|四方《しはう》に|泣《な》き|別《わか》れと|云《い》ふ|悲惨《ひさん》の|幕《まく》が|下《お》りたのだよ。|親子《おやこ》は|一世《いつせ》、|夫婦《ふうふ》は|二世《にせ》、|主従《しゆじゆう》は|三世《さんせ》と|云《い》ふ|相《さう》なからのう』
|駒山彦《こまやまひこ》は、
『ヘン、うまい|事《こと》を|云《い》ひやがらア。|親《おや》は|如何《どう》でも|良《よ》いのか、|夫婦《ふうふ》は|二世《にせ》なんて、|死《し》んでまで|添《そ》うと|思《おも》ひよつて|二世《にせ》も|三世《さんせ》も|夫婦《めをと》だと|思《おも》つて|居《を》るから|情《なさけ》ない。|如何《いか》に|五月姫《さつきひめ》ぢやとてお|前《まへ》の|様《やう》な|腰屈《こしまが》りに、|誰《たれ》が|心中立《しんぢうだて》をするものかい』
|蚊々虎《かがとら》は
『|故郷《ふるさと》の|空《そら》|打眺《うちなが》め|思《おも》ふかな、|国《くに》に|残《のこ》せし|親《おや》は|如何《いか》にと』
|駒山彦《こまやまひこ》は
『オヤオヤ|又《また》|出《で》たぞ。|何《なん》だ|貴様《きさま》、|今日《けふ》に|限《かぎ》つて|殊勝《しゆしよう》らしい|事《こと》を|並《なら》べ|立《たて》よつて、|一角《ひとかど》|詩人《しじん》|気取《きど》りになつて「アヽ、|蚊々虎《かがとら》さまはああ|見《み》えても|心《こころ》の|底《そこ》は|優《やさ》しいお|方《かた》だ。たとへ|腰《こし》は|曲《まが》つてもお|顔《かほ》は|黒《くろ》うても、|男前《をとこまへ》はヒヨツトコでも、チツとくらゐ|周章者《あわてもの》でも、|心《こころ》の|底《そこ》のドン|底《ぞこ》には|両親《りやうしん》を|思《おも》ふ|優《やさ》しい|美《うつく》しい|心《こころ》の|玉《たま》が|光《ひか》つて|居《ゐ》る。アンナ|人《ひと》と|夫婦《ふうふ》になつたら|嘸《さぞ》や|嘸《さぞ》、|円満《ゑんまん》なホームが|作《つく》れるであらう。おなじ|夫《をつと》を|持《も》つなら、あの|様《やう》な|優《やさ》しい|男《をとこ》と|夫婦《ふうふ》になつて|見《み》たい」などと|五月姫《さつきひめ》さまに|思《おも》はさうと|思《おも》ひよつて、|貴様《きさま》よツぽど|抜目《ぬけめ》のない|奴《やつ》だワイ。アハヽヽヽ』
|淤縢山津見《おどやまづみ》は、
『ヤア|感心《かんしん》だ、|人間《にんげん》はさう|無《な》くてはならぬ、|山《やま》よりも|高《たか》く、|海《うみ》よりも|深《ふか》い|父母《ふぼ》の|恩《おん》を|忘《わす》れる|奴《やつ》は|人間《にんげん》でない。お|前《まへ》もまだまだ|腐《くさ》つては|居《を》らぬ、|頼《たの》もしい|男《をとこ》だよ』
|駒山彦《こまやまひこ》は、
『オイ|鼻《はな》を|高《たか》うすな、|貴様《きさま》は|直《ぢき》に|調子《てうし》にのる|男《をとこ》だから|余《あま》り|乗《の》せられるとヒツクリ|返《かへ》されるぞ。|天教《てんけう》の|山《やま》ほど|登《のぼ》らせておいてスツトコトントン、スツトコトンと|落《おと》される|口《くち》だぞ。|貴様《きさま》、|親《おや》よりも|女房《にようばう》が|大切《たいせつ》だらう。|親子《おやこ》は|一世《いつせ》、|夫婦《ふうふ》は|二世《にせ》なぞと|云《い》ひよつて、|之《これ》ほど|大切《だいじ》な|親《おや》よりも「|五月姫《さつきひめ》|殿《どの》、お|前《まへ》が|女房《にようばう》になつたらモツトモツト|大切《たいせつ》にするぞ」と|遠《とほ》|廻《まは》しにかけよつて、うまい|謎《なぞ》をかけよるのだ。|本当《ほんたう》に|巧妙《かうめう》なものだね』
|蚊々虎《かがとら》はしたり|顔《がほ》にて、
『オイ、|駒《こま》、|貴様《きさま》わけのわからぬ|奴《やつ》だナ。|俺《おれ》がいま|宣伝《せんでん》してやるから|尊《たふと》い|御説教《ごせつけう》を|謹聴《きんちやう》しろよ。|親子《おやこ》|一世《いつせ》と|云《い》ふ|事《こと》は、|何《なに》ほど|貴様《きさま》の|様《やう》な|極道《ごくだう》|息子《むすこ》の|親《おや》|泣《な》かせでも、|親《おや》が|愛想《あいさう》をつかしてモウ|之《これ》つきり|親《おや》の|門口《かどぐち》は|跨《また》げる|事《こと》はならぬ。|七生《しちしやう》までの|勘当《かんどう》だと|云《い》つた|処《ところ》で、|矢張《やつぱ》り|親子《おやこ》は|親子《おやこ》だ。お|前《まへ》が|俺《わし》に|勘当《かんどう》するなら|勘当《かんどう》するでよい、|又《また》|外《ほか》に|親《おや》を|持《も》ちますと|云《い》つた|処《ところ》で|生《う》んで|呉《く》れた|親《おや》は|矢張《やつぱ》り|一《ひと》つだ。|親子《おやこ》は|一世《いつせ》と|云《い》ふ|事《こと》は、|泣《な》いても|笑《わら》つても|立《た》つても|転《ころ》んでも|一度《いちど》より|無《な》いのだ。それだから|親子《おやこ》は|一世《いつせ》と|云《い》ふのだ。|断《き》つても|断《き》れぬ|親子《おやこ》の|縁《えん》だよ。|貴様《きさま》の|考《かんが》へは|大方《おほかた》|生《いき》てる|間《あひだ》は|親子《おやこ》だが、|死《し》んで|仕舞《しま》へば|親《おや》でも|無《な》い|子《こ》でもない、|赤《あか》の|他人《たにん》だと|云《い》ふ|論法《ろんぱふ》だらう。ソンナ|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》で|宣伝使《せんでんし》が|勤《つと》まるか』
|駒山彦《こまやまひこ》『|能《よ》う|何《なん》でも|理屈《りくつ》を|捏《こね》る|奴《やつ》だな、|夫婦《ふうふ》は|二世《にせ》とは|何《なん》のことだい。|親《おや》よりも|結構《けつこう》だ、|死《し》んでからでも|又《また》|互《たがひ》に|手《て》に|手《て》をとつて|三途《さんづ》の|川《かは》を|渡《わた》り、|蓮《はす》の|台《うてな》に|一蓮托生《いちれんたくしやう》、|百味飲食《ひやくみおんじき》と|夫婦《ふうふ》|睦《むつま》じう|暮《くら》さうと|云《い》ふ|虫《むし》の|良《い》い|考《かんが》へだらう。さう|甘《うま》くは|問屋《とひや》が|卸《おろ》すまい。|貴様《きさま》|極楽《ごくらく》に|行《い》つて、|蓮《はす》の|台《うてな》に|小《ちひ》さくなつて|夫婦《ふうふ》|抱合《だきあ》つて、チヨコナンと|泥池《どろいけ》の|中《なか》で|坐《すわ》つて|見《み》い。どうせ|碌《ろく》な|事《こと》はして|居《を》らぬ|奴《やつ》だから、「|貴様《きさま》が|金城鉄壁《きんじやうてつぺき》だ、お|前《まへ》と|俺《わし》との|其《その》|仲《なか》は|千年《せんねん》|万年《まんねん》はまだ|愚《おろか》|五十六億七千万年《ごじふろくおくしちせんまんねん》の|後《のち》のミロクの|世《よ》までも、お|前《まへ》と|俺《わし》と|斯《こ》うして|居《を》れば|之《これ》が|真実《しんじつ》の|極楽《ごくらく》だ、ナア|五月姫《さつきひめ》さま、|現界《げんかい》に|居《を》つた|時《とき》は|駒山彦《こまやまひこ》の|意地悪《いぢわる》に|随分《ずゐぶん》|冷《ひや》かされたものだが、|斯《か》うなつちやア、もう|占《しめ》たものだ」なぞと|得意《とくい》になつてゐると、|娑婆《しやば》に|残《のこ》つて|居《ゐ》る|貴様《きさま》の|旧悪《きうあく》を|知《し》つた|奴《やつ》が|噂《うはさ》の|一《ひと》つもせぬものでも|無《な》い。|噂《うはさ》をする|度《たび》に|嚔《くしやみ》が|出《で》てその|途端《とたん》に、|蓮《はす》の|細《ほそ》い|茎《くき》がぐらついて|二人《ふたり》は|共《とも》に|泥池《どろいけ》の|中《なか》へバツサリ、ブルブルブル|土左衛門《どざゑもん》になつて|仕舞《しま》ふのだよ。|一旦《いつたん》|死《し》んだ|奴《やつ》の、もう|一遍《いつぺん》|死《し》んだ|奴《やつ》の|行《ゆ》く|処《ところ》は|何処《どこ》にもありはせない。さうすると|又《また》|娑婆《しやば》へ|生《うま》れよつて、ヒユー、ドロドロ|怨《うら》めしやーと|両手《りやうて》を|腰《こし》の|辺《あた》りに|下《した》|向《む》けにさげて|出《で》て|来《く》るのが|先《ま》づ|落《おち》だな。|夫婦《ふうふ》は|二世《にせ》だなぞとソンナ|的《あて》の|無《な》い|事《こと》は、まあ|云《い》はぬが|宜《よ》からう』
|蚊々虎《かがとら》『エーイ、|喧《やかま》しい、|俺《おれ》のお|株《かぶ》を|取《と》つて|仕舞《しま》ひよつて、|能《よ》うベラベラと|燕《つばめ》の|親方《おやかた》の|様《やう》に|喋《しやべ》る|奴《やつ》だナ。この|蚊々虎《かがとら》さまの|説教《せつけう》を|謹《つつし》んで|聴聞《ちやうもん》いたせ。|夫婦《ふうふ》は|二世《にせ》と|云《い》ふ|事《こと》は、|貴様《きさま》の|考《かんが》へてる|様《やう》な|意味《いみ》で|無《な》い。|夫婦《ふうふ》と|云《い》ふものは|陰《いん》と|陽《やう》だ。「|鳴《な》り|鳴《な》りてなり|余《あま》れる|処《ところ》|一処《ひとところ》あり、|鳴《な》り|鳴《な》りてなり|合《あ》はざる|処《ところ》|一処《ひとところ》あり、|汝《な》が|身《み》の|成《な》り|余《あま》れる|処《ところ》を|我身《わがみ》の|成《な》り|合《あ》はざる|処《ところ》に、さしふたぎて|御子《みこ》|生《うま》んは|如何《いか》に」と|宣《の》り|給《たま》へば「しかよけむ」と|応答《まを》し|給《たま》ひきと|云《い》ふ|事《こと》を|知《し》つてるかい。|夫婦《ふうふ》と|云《い》ふものは|世《よ》の|初《はじ》めだ。|誰《たれ》の|家庭《かてい》にも|夫婦《ふうふ》が|無《な》ければ、|円満《ゑんまん》なホームは|作《つく》れないのだ。さうして|子《こ》を|生《う》むのだよ。|其《その》|子《こ》がまた|親《おや》を|生《う》むのだ』
『オツト|待《ま》て|待《ま》て、|脱線《だつせん》するな。|親《おや》から|子《こ》が|生《うま》れると|云《い》ふ|事《こと》はあるが、|子《こ》が|親《おや》を|生《う》むと|云《い》ふ|事《こと》が|何処《どこ》にあるかい』
『|貴様《きさま》、|分《わか》らぬ|奴《やつ》だな。|男《をとこ》と|女《をんな》と|家庭《かてい》を|作《つく》つたのは|夫《それ》は|夫婦《ふうふ》だ。そこへ|夫婦《ふうふ》の|息《いき》が|合《あ》つて「オギヤ」と|生《うま》れたのだ。|生《うま》れたのが|即《すなは》ち|子《こ》だ。|子《こ》が|出来《でき》たから|親《おや》と|云《い》ふ|名《な》がついたのだ。|子《こ》の|無《な》い|夫婦《ふうふ》は|親《おや》でも、|何《なん》でもありやしない。|此《この》|位《くらゐ》の|道理《だうり》が|分《わか》らないで|宣伝使《せんでんし》になれるかい。さうして|不幸《ふかう》にして|夫《をつと》が|死《し》ぬとか、|女房《にようばう》が|夭折《えうせつ》するとかやつて|見《み》よ。|子《こ》が|出来《でき》てからならまだしもだが、|子《こ》が|無《な》い|間《うち》に|女房《にようばう》に|先《さき》だたれて|仕舞《しま》へば、|天地創造《てんちさうざう》の|神業《かんわざ》の|御子生《みこう》みが|出来《でき》ぬでは|無《な》いか。|人間《にんげん》は|男女《だんぢよ》の|息《いき》を|合《あは》して、|天《てん》の|星《ほし》の|数《かず》ほど|此《この》|地《ち》の|上《うへ》に|人《ひと》を|生《う》み|足《たら》はして、|神様《かみさま》の|御用《ごよう》を|助《たす》けるのだ。そこで|寡夫《やもを》となつたり|寡婦《やもめ》となつたり、|其《その》|神業《しんげふ》が|勤《つと》まらぬから、|第二世《だいにせ》の|夫《をつと》なり|妻《つま》を|娶《めと》るのだ。|之《これ》を|二世《にせ》の|妻《つま》と|云《い》ふのだい。|貴様《きさま》の|様《やう》に|此《この》|世《よ》で|十分《じふぶん》イチヤついて、|又《また》|幽世《あのよ》に|行《い》つてからもイチヤつかうと|云《い》ふ|様《やう》な|狡猾《ずる》い|考《かんが》へとはチト|違《ちが》ふぞ。さうして|二世《にせ》の|妻《つま》が、|又《また》もや|不幸《ふかう》にして|中途《ちうと》で|子《こ》が|出来《でき》ずに|先《さき》に|死《し》んで|仕舞《しま》つたら、|夫《をつと》はもう|天命《てんめい》だと|諦《あきら》めるのだ。|三回《さんくわい》も|妻《つま》を|持《も》つと|云《い》ふ|事《こと》は、|神界《しんかい》の|天則《てんそく》に|違反《ゐはん》するものだ。それで【|已《やむ》を|得《え》ざれば】、【|二人目《ふたりめ》の|妻《つま》までは|是非《ぜひ》なし】、と|云《い》つて|神様《かみさま》が|御許《おゆる》し|下《くだ》さるのだ。|其《それ》を|夫婦《ふうふ》は|二世《にせ》と|云《い》ふのだよ。あゝあ|一人《ひとり》の|宣伝使《せんでんし》を|拵《こしら》へ|様《やう》と|思《おも》へば|骨《ほね》の|折《を》れる|事《こと》だ、|肩《かた》も|腕《かいな》もメキメキするワイ』
|淤縢山津見《おどやまづみ》は|感《かん》じ|入《い》り、
『ヤア、|蚊々虎《かがとら》は|偉《えら》い|事《こと》を|云《い》ふね。|吾々《われわれ》も|今《いま》まで|取違《とりちがひ》をしてゐた。さう|聞《き》けばさうだ。|正鹿山津見《まさかやまづみ》さま、|如何《いか》にもさうですね。|何《なん》でも|無《な》い|事《こと》で|気《き》のつかない|事《こと》が、|世《よ》の|中《なか》には|沢山《たくさん》ありますなあ。|三人《さんにん》|寄《よ》れば|文殊《もんじゆ》の|智慧《ちゑ》とやら、イヤもう|良《よ》い|事《こと》を|聞《き》かして|貰《もら》ひました。|南無蚊々虎大明神《なむかがとらだいみやうじん》』
|駒山彦《こまやまひこ》は、
『|親子《おやこ》は|一世《いつせ》、|夫婦《ふうふ》は|二世《にせ》、そいつは|貴様《きさま》の、オイ|蚊々虎《かがとら》|先生《せんせい》の|懇篤《こんとく》なる、|綿密《めんみつ》なる、|明細《めいさい》なる、|詳細《しやうさい》なる、|正直《しやうぢき》なる……』
|蚊々虎《かがとら》『|馬鹿《ばか》、|人《ひと》をヒヨツトくるか、|蚊々虎《かがとら》|大明神《だいみやうじん》だぞ』
『ヒヨツトコ ヒヨツトコ|来《く》る|奴《やつ》もあれば、|走《はし》つて|来《く》る|奴《やつ》もあるワイ』
『|困《こま》つた|奴《やつ》だなア、|主従《しゆじゆう》|三世《さんせ》だ。|今日《けふ》から|貴様《きさま》は|蚊々虎《かがとら》の|家来《けらい》で|無《な》いぞ』
『|家来《けらい》で|無《な》いもあつたものかい、|誰《たれ》が|貴様《きさま》の|家来《けらい》になつたのだ。ソンナ|法螺《ほら》を|吹《ふ》かずに|主従《しゆじゆう》は|三世《さんせ》の|因縁《いんねん》を|聞《き》かして|下《くだ》さらぬかイ』
|蚊々虎《かがとら》『|下《くだ》さらぬかなら、|云《い》うてやらう。|人《ひと》に|物《もの》を|教《をし》へて|貰《もら》ふ|時《とき》には|矢張《やつぱ》り|謙遜《へりくだ》るものだ。【からだ】に|徳《とく》をつけて|貰《もら》ふのだからな。オホン、|主従《しゆじゆう》|三世《さんせ》と|云《い》ふ|事《こと》は、|例《たと》へて|云《い》へば|此《この》|蚊々虎《かがとら》さまは、もとは|此処《ここ》にござる|淤縢山津見様《おどやまづみさま》が|醜国別《しこくにわけ》と|云《い》うて|悪《わる》い|事《こと》|計《ばか》りやつて|居《を》る|時《とき》に|俺《おれ》が|家来《けらい》であつた。|然《しか》しコンナ|主人《しゆじん》に|仕《つか》へて|居《を》つては|行末《ゆくすゑ》|恐《おそ》ろしいと|思《おも》つたものだから、|如何《どう》かして|暇《ひま》を|呉《く》れて|与《や》らうと|思《おも》うたのだ。さうした|処《ところ》がネツカラ|良《よ》い|主人《しゆじん》が|見《み》つからぬのだ。|探《さが》してゐる|矢先《やさき》に|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|云《い》ふ|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》が|現《あら》はれたのだ。それで|此方《こな》さまは、|第二世《だいにせ》の|御主人《ごしゆじん》|日《ひ》の|出神《でのかみ》にお|仕《つか》へ|申《まを》して|居《を》るのだ。さうして|淤縢山《おどやま》さまは、|蚊々虎《かがとら》|々々々《かがとら》と|云《い》つて|家来《けらい》|扱《あつか》ひをされても、|俺《おれ》の|心《こころ》は|五文《ごもん》と|五文《ごもん》だ。その|代《かは》り|一旦《いつたん》|主人《しゆじん》ときめた|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|前《まへ》に|行《い》つた|位《くらゐ》なら、ドンナ|者《もの》だい。|臣《しん》|節《せつ》を|良《よ》く|守《まも》り、|万一《まんいち》|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》が|俺《おれ》の|見当《けんたう》|違《ちが》ひで|悪神《あくがみ》であつたと|気《き》がついた|時《とき》は、|其《その》|時《とき》こそ|弊履《へいり》を|捨《す》つるが|如《ごと》くに|主人《しゆじん》に|暇《ひま》を|与《や》るのだ。さうして|又《また》|適当《てきたう》な|主人《しゆじん》を|探《さが》して、それに|仕《つか》へるのだ。それを|三世《さんせ》の|主従《しゆじゆう》と|云《い》ふのだよ。|三代目《さんだいめ》の|主人《しゆじん》は|醜国別《しこくにわけ》よりも、もつともつと|悪《わる》い|奴《やつ》でも、もう|代《か》へる|事《こと》は|出来《でき》ない。そこになつたら、アヽ|惟神《かむながら》だ、|因縁《いんねん》だと|度胸《どきよう》を|据《す》ゑて、|一代《いちだい》|主人《しゆじん》と|仰《あふ》ぐのだ。|三回《さんくわい》まで|主人《しゆじん》を|代《か》へ、|師匠《ししやう》を|代《か》へるのは、|止《や》むを|得《え》ない|場合《ばあひ》は|神様《かみさま》は|許《ゆる》して|下《くだ》さるが、|其《それ》|以上《いじやう》は|所謂《いはゆる》|天則違反《てんそくゐはん》だ。|主従《しゆじゆう》|四世《よんせ》と|云《い》ふ|事《こと》はならぬから「|主従《しゆじゆう》は|三度《さんど》まで|代《か》へても|止《や》むを|得《え》ず」と|云《い》ふ|神様《かみさま》が|限度《げんど》をお|定《き》めになつて|居《を》るのだよ。どうだ、|駒《こま》、|俺《おれ》が|噛《か》んでくくめるやうな|御説教《ごせつけう》が、|腸《はらわた》にしみこみたか、シユジユと|音《おと》がして|浸《し》み|込《こ》むだらう。|賛成《さんせい》したか、それで|主従《しゆじゆう》|三世《さんせ》だよ』
|一同《いちどう》は|声《こゑ》を|揃《そろ》へて、
『アハヽヽヽ、オホヽヽヽ』
(大正一一・二・一〇 旧一・一四 北村隆光録)
第三六章 |大蛇《をろち》の|背《せ》〔三八六〕
|一同《いちどう》の|宣伝使《せんでんし》は、|蚊々虎《かがとら》の|面白《おもしろ》き|講釈《かうしやく》に|或《あるひ》は|感《かん》じ|或《あるひ》は|笑《わら》ひ、|其《その》|雄弁《ゆうべん》を|口々《くちぐち》に|褒《ほ》めちぎり|居《ゐ》たる。|折《をり》しも|何処《どこ》ともなく|青臭《あをくさ》い|風《かぜ》がゾーゾーと|音《おと》を|立《た》てて|吹《ふ》き|来《き》たりけり。
|駒山彦《こまやまひこ》は|驚《おどろ》きながら、
『ヤア|出《で》よつたぞ。あの|声《こゑ》は|大蛇《をろち》の|音《おと》だらう。|吾々《われわれ》は|一《ひと》つ|覚悟《かくご》をせなくてはならぬ。|腹帯《はらおび》でも|締《し》めて|行《ゆ》かうかい』
|蚊々虎《かがとら》は、
『|正鹿山津見《まさかやまづみ》さまが|此《この》|山《やま》には|大変《たいへん》な|大蛇《をろち》が|居《を》るなぞと、|吾々《われわれ》の|胆《きも》を|試《ため》して|見《み》やうと|思《おも》つて、|嘘言《うそ》ばかり|云《い》つたのだな。|長《なが》いものと|云《い》つたら|此処《ここ》まで|来《く》るのに、|蚯蚓《みみづ》|一匹《いつぴき》|居《ゐ》やせなかつたぢやないか。マア、|一《ひと》つ|此《この》|涼《すず》しい|風《かぜ》を|十二分《じふにぶん》に|受《う》けて、|大蛇《をろち》の|来《く》るやうに|歌《うた》でも|歌《うた》つて|踊《をど》らうかい。|大蛇山《をろちやま》には|蛇《じや》が|居《を》るぢやげな、|大《おほ》きな、|大《おほ》きな|蛇《じや》ぢやげな、|嘘言《うそ》ぢやげな』
|正鹿山津見《まさかやまづみ》『|蚊々虎《かがとら》さま、|吾々《われわれ》は|苟《いやし》くも|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》、|決《けつ》して|嘘言《うそ》は|申《まを》しませぬ。|大蛇《をろち》はかういふ|木《き》の|茂《しげ》つた|処《ところ》には|居《を》りませぬ。この|峠《たうげ》を|少《すこ》しく|下《くだ》ると、|山《やま》|一面《いちめん》に|茫々《ばうばう》たる|草《くさ》ばかりです。その|草《くさ》の|生《は》えた|所《ところ》へかかると、|大《おほ》きな|奴《やつ》が|彼方《あちら》にも|此方《こちら》にも、|沢山《たくさん》に|前後左右《ぜんごさいう》に|往来《わうらい》して|居《ゐ》ます。|大蛇《をろち》の|王《わう》にでも|出会《でつくは》さうものなら|大変《たいへん》ですよ。マア|道中《だうちう》|安全《あんぜん》のために|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》しませう』
『それ【じや】|蚊々虎《かがとら》の【じや】|推《すゐ》でしたか』
|駒山彦《こまやまひこ》は、
『コラまた|洒落《しやれ》てゐるナ、|大蛇《をろち》の|峠《たうげ》を|通行《つうかう》しながら、ソンナ|気楽《きらく》な|事《こと》を|云《い》つて|居《を》るものがあるか。|如何《いか》に|口《くち》の|達者《たつしや》な|蚊々虎《かがとら》さまでも、|実物《じつぶつ》に|出交《でつくわ》したら、|旗《はた》を|捲《ま》いて|退却《たいきやく》するに|決《きま》つて|居《を》るワ』
|蚊々虎《かがとら》は|態《わざ》と|悄気《しよげ》たやうな|顔《かほ》をして、
『さうかなア、|此《この》|方《はう》さまは|如何《どん》な|敵《てき》でも|恐《おそ》れぬが、|大蛇《をろち》だけはまだ|経験《けいけん》が|無《な》いから、|些《ちつ》と【おろちい】やうな|気《き》がする。|駒公《こまこう》、|貴様《きさま》|今度《こんど》は|先《さき》に|行《ゆ》け、|此《この》|方《はう》は|五人《ごにん》の|中央《まんなか》だ』
|駒山彦《こまやまひこ》『|態《ざま》|見《み》やがれ、|弱虫《よわむし》|奴《め》が』
と|争《あらそ》ひつつ|大蛇峠《をろちたうげ》をどんどん|東《ひがし》に|向《むか》つて|下《くだ》る。|駒山彦《こまやまひこ》はどこともなくびくびく|胸《むね》を|躍《をど》らせながら、|態《わざ》と|空元気《からげんき》を|出《だ》し、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて、|大蛇峠《をろちたうげ》を|下《くだ》つて|行《ゆ》く。その|声《こゑ》はどこともなく|慄《ふる》うて|居《を》る。|蚊々虎《かがとら》は、
『オイ、お|先達《せんだつ》、その|声《こゑ》はどうだい、|慄《ふる》つてるぢやないか。|半泣声《はんなきごゑ》を|出《だ》しよつて、ソンナ|声《こゑ》を|聞《き》くと、|大蛇《をろち》|先生《せんせい》、|女《をんな》だと|思《おも》つて|飛《と》びつくぞよ』
|駒山彦《こまやまひこ》は|首《くび》をスクメながら、
『ヤア、|出《で》た|出《で》た、ド|豪《えら》い|奴《やつ》だ。アンナ|奴《やつ》がこの|山道《やまみち》に|横《よこ》たはつて|居《ゐ》ては、|通《とほ》る|事《こと》は|出来《でき》はしない』
と、どすんと|道《みち》の|傍《はた》に|腰《こし》を|据《す》ゑる。|蚊々虎《かがとら》は、
『どれどれ、|俺《おれ》が|見《み》てやらう』
と|右《みぎ》の|手《て》を|額《ひたい》にあて、
『ヤア、おい|出《で》たおい|出《で》た。|素適滅法界《すてきめつぽうかい》に|太《ふと》い|奴《やつ》だ。|向《むか》ふの|山《やま》から|此方《こつち》の|山《やま》まで、|橋《はし》を|懸《か》けた|様《やう》になつて|居《ゐ》よるなあ。こいつは|面白《おもしろ》い。ドツコイ|尾《を》も|頭《あたま》も|黒《くろ》い|大蛇峠《をろちたうげ》。オイ|駒《こま》さま、|今日《けふ》は|一番槍《いちばんやり》の|功名《こうみやう》だ。|毎度《いつも》|此《この》|方《はう》さまが|先陣《せんぢん》を|勤《つと》めるのだが、あまり|厚顔《あつかま》しうすると|冥加《みやうが》が|悪《わる》い。|今日《けふ》は|先陣《せんぢん》をお|前《まへ》に|譲《ゆづ》つてやらう。サア|立《た》たぬか、ハヽヽ|腰《こし》を|抜《ぬ》かして、|胴《どう》の|据《す》わつとる|駒山彦《こまやまひこ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》か』
|駒山彦《こまやまひこ》は、
『ナヽ|何《なん》だか|足《あし》が|重《おも》たくなつて|歩《ある》けませぬわ。|蚊々君《かがくん》、|頼《たの》みだ。お|前《まへ》|先《さき》へ|行《い》つて|呉《く》れ』
『ドツコイさうはいかぬ、|君子《くんし》は|危《あやふ》きに|近《ちか》づかずだ。|飛《と》んで|火《ひ》に|入《い》る|夏《なつ》の|虫《むし》だ、アンナ|長《なが》い|奴《やつ》にピンと|跳《は》ねられて|見《み》よ。それこそ|吾々《われわれ》のやうな|人間《にんげん》は、|天《てん》に|向《むか》つてプリンプリンプリンぢや。|此《この》|方《はう》はプリンプリンプリンとやられた|機《はづ》みに|天教山《てんけうざん》までポイトコセーと|無事《ぶじ》の|御安着《ごあんちやく》だ。|貴様達《きさまたち》はお|上《のぼ》りどすか、お|下《くだ》りだすかの|口《くち》だよ』
|淤縢山津見《おどやまづみ》『|刹那心《せつなしん》だ、|蚊々虎《かがとら》も|屁古垂《へこた》れたな。どれ|私《わたくし》が|責任《せきにん》を|帯《お》びて|先陣《せんぢん》を|勤《つと》めませう』
と|怯《ひる》まず|怖《おそ》れず、どしどしやつて|行《ゆ》く。|大蛇《をろち》の|横《よこ》たはる|数十歩《すうじつぽ》|前《まへ》まで|淤縢山津見《おどやまづみ》は|進《すす》んだが、
『ヤア、あれ|丈《だけ》|太《ふと》い|奴《やつ》が|居《を》つては|跨《またが》る|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|飛《と》び|越《こ》える|事《こと》も|出来《でき》ず、これや|一《ひと》つ|考《かんが》へねばならぬなあ。|蚊々虎《かがとら》|妙案《めうあん》は|無《な》いか』
『|有《あ》るの|無《な》いのつて、|越《こ》えられるの|越《こ》えられぬの、|怖《こは》いの|怖《こは》くないの』
|駒山彦《こまやまひこ》『|何方《どつち》が|真実《ほんたう》だい。|越《こ》えるの|越《こ》えられぬのと、どつちが|真実《ほんたう》だい』
『まあ|蚊々虎《かがとら》さまの|離《はな》れ|業《わざ》を|見《み》て|居《ゐ》なさい』
と|云《い》ひながら、|大蛇《をろち》の|前《まへ》に【つか】つかと|進《すす》み、|拳《こぶし》を|固《かた》めて、|大蛇《をろち》の|腹《はら》をポンポンと|叩《たた》きながら、
『オイ、オイ|大蛇《をろち》の|先生《せんせい》、|同《おな》じ|天地《てんち》の|間《あひだ》に|生《せい》を|稟《う》けながら、なぜ|此様《こん》な|見苦《みぐるし》い|蛇体《じやたい》になつて|生《うま》れて|来《き》たのだ。|俺《おれ》は|神様《かみさま》の|救《すく》ひを|宣《の》べ|伝《つた》ふる|貴《たつと》き|聖《きよ》き|宣伝使《せんでんし》だ。|貴様《きさま》も|何時《いつ》までも|此様《こん》な|浅間《あさま》しい|姿《すがた》をして|深山《みやま》の|奥《おく》に|住居《すまゐ》をしてゐるのは|苦《くるし》からう。|日《ひ》に|三寒三熱《さんかんさんねつ》の|苦《くるし》みを|受《う》けて、|人《ひと》には|嫌《きら》はれ、|怖《こは》がられ、ホントに|因果《いんぐわ》なものだナ。|俺《おれ》は|同情《どうじやう》するよ。|是《これ》から|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》してやるから、|立派《りつぱ》な|人間《にんげん》に|一日《いちにち》も|早《はや》く|生《うま》れて|来《こ》い。|其《その》|代《かは》りに|俺《おれ》たち|五人《ごにん》を|背《せなか》に|乗《の》せて、|珍《うづ》の|国《くに》の|都《みやこ》の|見《み》える|所《ところ》まで|送《おく》るのだよ。よいか』
|大蛇《をろち》は|鎌首《かまくび》を|立《た》て、|両眼《りやうがん》より|涙《なみだ》をぼろぼろと|落《おと》し、|幾度《いくど》となく|頭《あたま》を|下《さ》げてゐる。
『よし、|分《わか》つた。|偉《えら》い|奴《やつ》だ。|此処《ここ》に|居《を》る|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》は|盲目《めくら》だから|俺《おれ》の|素性《すじやう》を|些《ちつ》とも|知《し》らないが、|貴様《きさま》は|俺《おれ》の|正体《しやうたい》が|分《わか》つたと|見《み》える。よしよし|助《たす》けてやらう』
|大蛇《をろち》は|又《また》もや|両眼《りやうがん》より|涙《なみだ》を|垂《た》れ、|俯伏《うつぶ》せになつて、|早《はや》く|乗《の》れよと|云《い》ふものの|如《ごと》く、|長《なが》き|胴体《どうたい》を|三角《さんかく》なりにして|待《ま》つて|居《ゐ》る。
|蚊々虎《かがとら》は|手招《てまね》きしながら、
『オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、ドツコイ|皆《みな》の|先生方《せんせいがた》、|早《はや》く|乗《の》つたり|乗《の》つたり。|随分《ずゐぶん》|足《あし》も|疲労《くたびれ》たらう。|大蛇《をろち》|先生《せんせい》、|吾々《われわれ》|一行《いつかう》を|珍《うづ》の|国《くに》の|都《みやこ》|近《ちか》くまで、|送《おく》らして|下《くだ》さいと|頼《たの》みよつたぞ。サア|早《はや》く|早《はや》く|乗《の》りなさい。|乗《の》り|後《おく》れるとつまらぬぞ』
|一同《いちどう》は|舌《した》を|巻《ま》いて、|何《なん》とも|彼《か》とも|云《い》はず、|呆然《ばうぜん》として|佇立《たたず》み|居《を》る。|五月姫《さつきひめ》は、
『|御一同様《ごいちどうさま》、どうでせう、|乗《の》せて|頂《いただ》きませうか』
|駒山彦《こまやまひこ》は|呆《あき》れて、
『これはこれは|大胆《だいたん》な|女《をんな》だなあ。アンナものに|乗《の》せられて|耐《たま》るものか』
|蚊々虎《かがとら》は、【ひらり】と|大蛇《をろち》の|背《せ》に|飛《と》び|上《あが》り、|手《て》を|振《ふ》り|足《あし》を|踊《をど》らせて、|平気《へいき》の|平左《へいざ》で|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|出《だ》す。|五月姫《さつきひめ》は【つか】つかと|走《はし》り|寄《よ》つて|大蛇《をろち》の|背《せ》に【ひらり】と|飛《と》び|上《あが》りける。
|駒山彦《こまやまひこ》『ヤア|女《をんな》でさへもあの|膽玉《きもつたま》だ。エイどうならうと|構《かま》ふものか。|皆《みな》さま|如何《どう》でせう、|乗《の》つてやりませうか』
|淤縢山津見《おどやまづみ》『よからう、|正鹿山《まさかやま》さま、|如何《どう》でせう』
|正鹿山津見《まさかやまづみ》『イヤ|私《わたくし》も|乗《の》りませう』
と|茲《ここ》に|五人《ごにん》の|宣伝使《せんでんし》は、|大蛇《をろち》の|背《せ》に|飛《と》び|乗《の》りたり。
|蚊々虎《かがとら》は、
『サア|大蛇《をろち》|大急行《だいきふかう》だ。|走《はし》つたり|走《はし》つたり。
|大蛇《だいじや》の|背《せな》に|乗《の》せられて 【じや】|推《すゐ》の|深《ふか》い【じや】|神《しん》らが
|如何《どう》【じや】|斯《か》う【じや】と|案《あん》じつつ |珍《うづ》の|都《みやこ》へ|走《はし》り|行《ゆ》く
|大蛇《だいじや》に|乗《の》つた|蟇蛙《ひきがへる》 |軈《やが》ては|珍《うづ》の|都《みやこ》まで
|引《ひ》かれて|帰《かへ》る|蟇蛙《ひきがへる》 ホントに|愉快《ゆくわい》【じや】ないかいな』
|蚊々虎《かがとら》は|出放題《ではうだい》に|歌《うた》ひゐる。|大蛇《をろち》は|蜒々《えんえん》と、|前後左右《ぜんごさいう》に|長大《ちやうだい》なる|身体《しんたい》を|振動《ふりうご》かしながら、|勢《いきほひ》よく|山《やま》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・二・一〇 旧一・一四 加藤明子録)
(第三二章〜第三六章 昭和一〇・三・四 於綾部穹天閣 王仁校正)
第三七章 |珍山彦《うづやまひこ》〔三八七〕
|大蛇《をろち》の|背《せ》に|乗《の》りたる|宣伝使《せんでんし》|一行《いつかう》は、|一瀉千里《いつしやせんり》の|勢《いきほひ》で|山麓《さんろく》に|下《くだ》り|行《ゆ》きたり。
|駒山彦《こまやまひこ》は|得意顔《とくいがほ》にて、
『ヤア、|馬《うま》には|乗《の》つて|見《み》い、|人《ひと》には|添《そ》うて|見《み》い、|大蛇《だいじや》には|跨《またが》つて|見《み》いだな。|杏《あんず》よりも|桃《もも》が|易《やす》い。|割《わ》りとは|楽《らく》に|来《き》たよ。コンナ|事《こと》なら、これから|大蛇《をろち》に|遇《あ》うても|一寸《ちよつと》も|怖《こは》くは|無《な》い。この|行《ゆ》く|先々《さきざき》に、|山《やま》へかかれば|的《てき》さんがやつて|来《き》て|呉《く》れると、|本当《ほんたう》に|重宝《ちようほう》だね』
|蚊々虎《かがとら》は、
『|大蛇《をろち》どの、もうよろし、ここでオロチて|下《くだ》さい』
|見《み》れば|五人《ごにん》の|宣伝使《せんでんし》は、|広《ひろ》き|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|下《おろ》され|居《ゐ》たり。そして|大蛇《をろち》は|影《かげ》も|形《かたち》も|見《み》えなく|成《な》り|居《ゐ》たりける。
|駒山彦《こまやまひこ》『なんだ、|夢《ゆめ》だつたらうかな。|現《げん》に|今《いま》、|大蛇《をろち》に|乗《の》つた|積《つも》りだつたのに、|此《こ》の|様《やう》な|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|坐《すわ》つて|居《を》るとは、|一体《いつたい》|全体《ぜんたい》|駒山《こまやま》には|訳《わけ》が|分《わか》らぬわい』
『|神変不可思議《しんぺんふかしぎ》の|神業《かむわざ》だ。|三五《あななひ》の|教《をしへ》には、ドンナ|結構《けつこう》なお|方《かた》が|落魄《おちぶ》れて|御座《ござ》るかも|知《し》れぬから、|必《かなら》ず|侮《あなど》ることは|成《な》らぬとあるだらう。この|蚊々虎《かがとら》さまは|此《この》|様《やう》に|粗末《そまつ》に|見《み》えても|立派《りつぱ》な|神様《かみさま》だぞ。|化《ば》けて|御座《ござ》るのだよ。それだから|大蛇《をろち》で|有《あ》らうが、|何《なん》であらうが、|宇宙《うちう》|一切《いつさい》のものは、この|蚊々虎《かがとら》さまの|一言《ひとこと》で|自由自在《じいうじざい》になるのだ。|風雨雷霆《ふううらいてい》を|叱咤《しつた》し、|天地《てんち》を|震動《しんどう》させるのも、|吾々《われわれ》が|鼻息《はないき》|一《ひと》つで|自由自在《じいうじざい》だぞ』
|駒山彦《こまやまひこ》『また|始《はじ》まつた。オイ、もう|吹《ふ》くのは|止《や》めて|呉《く》れぬか。お|前《まへ》の|二百十日《ににやくとをか》には|駒山彦《こまやまひこ》だよ』
|淤縢山津見《おどやまづみ》はアフンとして、
『|合点《がつてん》の|往《ゆ》かぬは|蚊々虎《かがとら》の|神力《しんりき》だ。ヒヨツとしたら、|此奴《こいつ》はお|化《ば》けかも|判《わか》らないぞ』
|正鹿山津見《まさかやまづみ》『お|化《ば》けでも|何《なん》でも|宜《い》いぢやありませぬか。あの|様《やう》な|大《おほ》きな|大蛇《をろち》を|自由自在《じいうじざい》に|使《つか》ふなんて|吾々《われわれ》は|到底《たうてい》、|目《め》から|火《ひ》を|出《だ》して|気張《きば》つた|処《ところ》で、|石亀《いしがめ》の|地団太《ぢだんだ》だ。|物《もの》には|成《な》らない、|偉《えら》い|方《かた》ですね。|正鹿《まさか》も|感心《かんしん》しましたよ』
|五月姫《さつきひめ》も、
『ほんたうに|感服《かんぷく》しましたわ』
|駒山彦《こまやまひこ》はシヤシヤリ|出《い》で、
『「|妾《わたし》、ほんたうに|感服《かんぷく》しましたわ」と、|仰有《おつしや》りますワイ。|蚊々虎《かがとら》さま、お|目出度《めでた》う』
|淤縢山津見《おどやまづみ》も、
『|今日《けふ》まで|蚊々虎《かがとら》|々々々《かがとら》と|言《い》つて|居《ゐ》たが、こりや|何《ど》うしても|宣《の》り|直《なほ》さなくちやいけない。|何《なん》とか|名《な》をあげませうかな』
|正鹿山津見《まさかやまづみ》も|呆《あき》れて、
『さうだなあ、|大蛇《をろち》を|使《つか》つた|神力《しんりき》に|依《よ》つて|大蛇彦《をろちひこ》と|命名《なづけ》たら|何《ど》うだらう』
『|大蛇彦《をろちひこ》は|御免《ごめん》だ。|珍山彦《うづやまひこ》だ。|珍山彦《うづやまひこ》と|言《い》つて|貰《もら》ひたいね』
|淤縢山津見《おどやまづみ》も、
『ヤア、それは|本当《ほんたう》にいい|名《な》だ。それなら|是《こ》れから、|珍山彦《うづやまひこ》|様《さま》と|申上《まをしあ》げるのだねー』
|蚊々虎《かがとら》『|尤《もつと》も、|尤《もつと》も。|蚊々虎《かがとら》を|改名《かいめい》しますよ』
|五月姫《さつきひめ》『ホヽヽヽヽ、なんと【はんなり】としたいいお|名《な》ですこと、|妾《わたし》、|蚊々虎《かがとら》さまより、|珍山彦《うづやまひこ》|様《さま》の|方《はう》が|気持《きもち》ちが|宜《よろ》しいわ』
|駒山彦《こまやまひこ》は|口《くち》を|尖《とが》らして、
『ホヽヽヽヽ、「なんといい|名《な》だこと、|妾《わらは》、|蚊々虎《かがとら》さまより、|駒山彦《こまやまひこ》が|好《す》きだわ」とおいでたな、とは|言《い》はぬ「|珍山彦《うづやまひこ》|様《さま》の|方《はう》が|好《す》きだわ」ヘン、|馬鹿《ばか》にしてらあ』
|正鹿山津見《まさかやまづみ》は、
『|御一同様《ごいちどうさま》、|話《はなし》は|途々《みちみち》|伺《うかが》ひませう。はるか|東方《とうはう》に|当《あた》つて|小高《こだか》き|森《もり》がありませう。そこに|田螺《たにし》をぶちあけた|様《やう》に|小《ちひ》さき|家《いへ》が|沢山《たくさん》に|並《なら》んで|居《ゐ》ませうがな。|彼《あ》の|辺《へん》が|珍《うづ》の|都《みやこ》です。サアもう|一息《ひといき》だ。|私《わたくし》の|宅《うち》まで|御足労《ごそくらう》になつて、|悠々《ゆるゆる》と|休息《きうそく》いたしませうかい。|都《みやこ》|近《ちか》くなつた|祝《いは》ひに、|此処《ここ》で|一《ひと》つ|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|参《まゐ》りませう』
と|一同《いちどう》は|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|端坐《たんざ》し|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し|終《をは》つて、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひつつ|都《みやこ》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
|正鹿山津見《まさかやまづみ》は|唄《うた》ふ。
『|巴留《はる》の|都《みやこ》を|後《あと》にして |汗水《あせみづ》|垂《た》らす|夏《なつ》の|山《やま》
|涼《すず》しき|風《かぜ》に|煽《あふ》られて |心《こころ》は|秋《あき》の|如《ごと》くなり
|樹々《きぎ》の|梢《こずゑ》の|紅葉《もみぢば》の |色《いろ》にも|勝《まさ》る|村肝《むらきも》の
|身魂《みたま》も|清《きよ》き|宣伝使《せんでんし》 |珍山峠《うづやまたうげ》を|乗《の》り|越《こ》えて
|千引《ちびき》の|岩《いは》に|夜《よ》を|明《あか》し |仰《あふ》ぐも|高《たか》き|天雲山《てんうんざん》の
|峠《たうげ》を|越《こ》えて|五柱《いつはしら》 |大蛇《をろち》の|船《ふね》に|乗《の》せられて
|漸《やうや》うここに|月《つき》の|空《そら》 |月照彦《つきてるひこ》の|鎮《しづ》まりし
この|高砂《たかさご》の|神島《かみしま》は |神《かみ》の|選《えら》みしうづの|国《くに》
|花《はな》の|都《みやこ》も|近《ちか》づきて |心《こころ》の|駒《こま》は|勇《いさ》むなり
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る
この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|大野ケ原《おほのがはら》を|右左《みぎひだり》 |眺《なが》めて|通《とほ》る|心地《ここち》よさ
|向《むか》ふに|見《み》ゆる|白壁《しらかべ》は |珍《うづ》の|都《みやこ》のわが|住家《すみか》
ただ|何《なに》ごとも|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ
|蚊々虎《かがとら》さまの|名前《なまへ》さへ |珍山彦《うづやまひこ》と|宣《の》り|直《なほ》し
|天津御神《あまつみかみ》の|貴《うづ》の|御子《みこ》 |大御宝《おほみたから》と|現《あら》はれて
|世界《せかい》を|開《ひら》く|宣伝使《せんでんし》 |淤縢山津見《おどやまづみ》や|五月姫《さつきひめ》
|勇《いさ》む|心《こころ》の|駒山彦《こまやまひこ》や |夏《なつ》の|真盛《まさか》り|正鹿山《まさかやま》
|津見《づみ》の|命《みこと》の|五人連《ごにんづ》れ |誠《まこと》の|神《かみ》に|救《すく》はれて
|漸《やうや》う|都《みやこ》へ|着《つ》きにけり やうやう|都《みやこ》へ|着《つ》きにけり
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |誠《まこと》の|神《かみ》の|教《をし》へたる
|三五教《あななひけう》は|世《よ》を|救《すく》ふ |救《すく》ひの|神《かみ》と|現《あら》はれし
|厳《いづ》の|御魂《みたま》の|五柱《いつはしら》 |瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|月《つき》の|影《かげ》
|尽《つ》きぬは|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》ぞ |尽《つ》きぬは|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》ぞ』
と|節《ふし》|面白《おもしろ》く|歌《うた》ひながら、|漸《やうや》く|一行《いつかう》の|宣伝使《せんでんし》は|正鹿山津見《まさかやまづみ》の|館《やかた》に|着《つ》きにける。
|駒山彦《こまやまひこ》は、
『ヤア、|宣伝使《せんでんし》の|住居《ぢうきよ》にしては|贅沢《ぜいたく》な|構《かま》へだね』
|珍山彦《うづやまひこ》『|決《きま》つたことだよ。|珍《うづ》|一国《いつこく》の|守護職《しゆごしよく》だもの、|当然《あたりまへ》だ』
|門内《もんない》よりは、|数多《あまた》の|下僕《しもべ》|蒼惶《あわただ》しく|走《はし》り|来《きた》り、
『これはこれは|御主人様《ごしゆじんさま》、ようこそお|帰《かへ》り|下《くだ》さいました。|皆《みな》の|者《もの》が、もう|今日《けふ》はお|帰《かへ》りか|明日《あす》はお|帰《かへ》りかと、|首《くび》を|伸《の》ばしてお|待《ま》ち|申《まを》して|居《を》りました。サアサアお|疲労《くたび》れでせう、|早《はや》くお|休《やす》み|下《くだ》さいませ。ヤア、これはこれは、|何《いづ》れの|方《かた》か|知《し》りませぬが、よく|送《おく》つて|来《き》て|下《くだ》さいました。|何卒《どうぞ》|悠《ゆつ》くりと|湯《ゆ》でも|飲《あが》つて、|寛《くつろ》いで|下《くだ》さいますやうに』
|正鹿山津見《まさかやまづみ》は、
『オー、|国彦《くにひこ》か、よくまあ|留守《るす》を|仕《し》て|呉《く》れた。|御苦労《ごくらう》であつたな。イヤ、|御一同様《ごいちどうさま》、|見苦《みぐる》しき|荒屋《あばらや》で|御座《ござ》いますが、どうぞ|御遠慮《ごゑんりよ》なくお|上《あが》り|下《くだ》さいませ』
|淤縢山津見《おどやまづみ》も、
『|仰《あふ》せに|従《したが》ひ|遠慮《ゑんりよ》なく|休《やす》まして|貰《もら》ひませう』
と、|正鹿山津見《まさかやまづみ》の|後《あと》に|随《つ》いて、|奥《おく》の|間《ま》にドツカと|安坐《あんざ》したり。
|国彦《くにひこ》は|恭《うやうや》しく|湯《ゆ》を|沸《わ》かして|持《も》ち|来《きた》り、
『ヤー、|御一同様《ごいちどうさま》、|山道《やまみち》と|云《い》ひ、この|頃《ごろ》の|暑《あつ》さと|云《い》ひ、|嘸《さぞ》お|疲労《つかれ》でせう。|承《うけたま》はれば、|主人《しゆじん》も|偉《えら》いお|世話《せわ》になられたさうで|御座《ござ》います。よくまあ|生命《いのち》を|助《たす》けてあげて|下《くだ》さいました。|今《いま》お|湯《ゆ》がすぐに|沸《わ》きますから、どうぞ|悠《ゆつ》くりと|湯浴《ゆあみ》でもして、お|寛《くつろ》ぎ|下《くだ》さいませ』
と、|挨拶《あいさつ》を|終《をは》つて、|部屋《へや》の|方《はう》へ|姿《すがた》を|消《け》す。
|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》は|打《う》ち|解《と》けて、|岩上《がんじやう》に|一夜《いちや》を|明《あ》かし、|悪戯《いたづら》をされた|事《こと》やら、|大蛇《をろち》に|出会《でつくは》した|時《とき》の|感想《かんさう》を|語《かた》り、|面白《おもしろ》|可笑《をか》しく【さざめ】き|居《ゐ》たり。
|襖《ふすま》を|開《あ》けて、|正鹿山津見《まさかやまづみ》は、
『どうやらお|湯《ゆ》が|沸《わ》きました|様《やう》です。|皆《みな》さま|何《ど》うでせう。|一緒《いつしよ》に|這入《はい》りませうか』
|珍山彦《うづやまひこ》『そら|面白《おもしろ》からう、|一緒《いつしよ》に|願《ねが》はうかい』
『どうかこちらへ』
と、|先《さき》に|立《た》つて|行《ゆ》く。|一同《いちどう》は|浴槽《ゆぶね》の|側《そば》に|衣服《いふく》を|脱《ぬ》ぎ|捨《す》て、バサバサと|一度《いちど》に|飛《と》び|込《こ》みぬ。
|珍山彦《うづやまひこ》は、
『ヤアヤア、|湯《ゆ》に|入《い》つた|気分《きぶん》はまた|格別《かくべつ》だね。|湯々自適《ゆうゆうじてき》とはこのことだ。【ゆ】はぬは【ゆ】ふにいや|勝《まさ》る。【ゆ】うて|見《み》ようか【ゆ】はずにおこか。【ゆ】はな|矢張《やつぱ》り|虫《むし》が【ゆ】ふ』
|駒山彦《こまやまひこ》『そら|貴様《きさま》|何《なに》を【ゆ】ふのだ。|湯快《【ゆ】くわい》さうに|自分《じぶん》|一人《ひとり》【はしやい】で』
『それでも|湯快《【ゆ】くわい》だよ。|湯《ゆ》ぐらゐ|結構《けつこう》なものは|無《な》いぢやないか。お|前《まへ》は|何《なん》と【ゆ】ふことを【ゆ】ふのだ』
と|珍山彦《うづやまひこ》、|駒山彦《こまやまひこ》の|二人《ふたり》は|湯《ゆ》の|中《なか》で|揶揄《からか》ひながら、やや|暫《しば》し|汗《あせ》を|流《なが》して、|一同《いちどう》と|共《とも》に|湯《ゆ》を|上《あが》り、|元《もと》の|間《ま》に|引《ひ》き|返《かへ》し|見《み》れば、|山野河海《さんやかかい》の|珍味佳肴《ちんみかかう》が|並《なら》べられてゐたり。|一同《いちどう》はその|厚意《こうい》を|感謝《かんしや》しながら、|漸《やうや》く|夕餉《ゆふげ》を|済《す》ませける。
|正鹿山津見《まさかやまづみ》を|中心《ちうしん》に、|国魂《くにたま》の|神《かみ》を|祀《まつ》れる|神前《しんぜん》に|向《むか》つて、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|了《をは》つて|楽《たの》しみ|話《ばなし》に|耽《ふけ》り、その|夜《よ》は|疲労《くたび》れはて、|何《いづ》れもよく|熟睡《じゆくすゐ》し、|明《あく》る|日《ひ》の|八《や》つ|時《どき》に|各自《かくじ》|目《め》を|醒《さ》まし、|又《また》もや|四方山《よもやま》の|話《はなし》に|耽《ふけ》り|居《ゐ》たり。
(大正一一・二・一〇 旧一・一四 東尾吉雄録)
第三八章 |華燭《くわしよく》の|典《てん》〔三八八〕
|一同《いちどう》は|国魂《くにたま》の|神前《しんぜん》に|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|讃美歌《さんびか》を|唱《とな》へ|終《をは》つて|休息《きうそく》してゐた。|正鹿山津見《まさかやまづみ》は|襖《ふすま》を|押開《おしあ》け|入《い》り|来《きた》り、
『|御飯《ごはん》が|出来《でき》ました。どうぞ|御上《おあが》り|下《くだ》さいませ。|何分《なにぶん》|長《なが》らく|留守《るす》に|致《いた》して|置《お》きましたのと、|家内《かない》がないので|不行届《ふゆきとど》き、|不都合《ふつがふ》だらけですけれど』
と|挨拶《あいさつ》を|述《の》べ、この|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》りぬ。
|珍山彦《うづやまひこ》『|皆《みな》の|方々《かたがた》、|今《いま》|承《うけたま》はれば|正鹿山津見様《まさかやまづみさま》は|女房《にようばう》が|無《な》いと|云《い》ふ|事《こと》だ。|一国《いつこく》の|守護職《しゆごしよく》として|宣伝使《せんでんし》を|兼《か》ねられた|急《いそ》がしい|身体《からだ》、|肝腎《かんじん》の|女房《にようばう》が|無《な》いとは|気《き》の|毒《どく》でないか。|一《ひと》つ|珍山彦《うづやまひこ》が|奥様《おくさま》を|御世話《おせわ》しようと|思《おも》ふが|如何《どう》でせうな』
|駒山彦《こまやまひこ》は|膝《ひざ》をのり|出《だ》し、
『それは|結構《けつこう》だな。|適当《てきたう》の|候補者《こうほしや》の|見込《みこ》みがあるのかい』
『あらいでか、|確《たしか》にあるのだ。|吾々《われわれ》の|御世話《おせわ》したいのは、|女宣伝使《をんなせんでんし》の|五月姫《さつきひめ》だよ。ナア|五月《さつき》さま、|貴方《あなた》は|珍山峠《うづやまたうげ》の|麓《ふもと》の|岩《いは》の|上《うへ》で、|正鹿山津見《まさかやまづみ》さまは|誠《まこと》に|男《をとこ》らしい、|立派《りつぱ》な|御顔付《おかほつ》きの|方《かた》だと|云《い》うて|居《ゐ》ましたね、|御異存《ごいぞん》はありますまい』
|五月姫《さつきひめ》は|黙《だま》つて|袖《そで》に|顔《かほ》を|隠《かく》す。|駒山彦《こまやまひこ》は|言葉《ことば》せはしく、
『そらいかぬ。お|人《ひと》が|違《ちが》ふではないかな。|貴様《きさま》はあれ|丈《だ》け|惚《ほ》れてゐたではないか。|俺《おれ》は|貴様《きさま》の|奥《おく》さまに|世話《せわ》したいと|思《おも》つてゐたのだ。ソンナ|遠慮《ゑんりよ》は|要《い》らぬ。|遠《とほ》い|所《ところ》から【くす】ぐるやうに|謎《なぞ》かけをせずに、「|五月姫《さつきひめ》|殿《どの》、|珍山彦《うづやまひこ》の|女房《にようばう》になつて|下《くだ》さい」と、|男《をとこ》らしくキツパリと|切《き》り|出《だ》したら|如何《どう》だい。|奥歯《おくば》に|物《もの》の|詰《つま》つたやうな|事《こと》を|言《い》ひよつて、|何処《どこ》までも|図々《づうづう》しう|白《しら》ばくれる|男《をとこ》だな』
『【このはな】さまは|故《ゆゑ》あつて|女房《にようばう》は|持《もた》ぬのだ。それ|丈《だけ》は|怺《こら》へて|呉《く》れ。|余《あんま》り|俺《おれ》が|洒落《しやれ》るものだから、|本当《ほんたう》にし|居《を》つて|痛《いた》うない|腹《はら》を|探《さぐ》られて|迷惑《めいわく》だよ。さうぢやと|云《い》つて、|此《こ》の|可愛《かあい》らしい|五月姫《さつきひめ》が|嫌《きら》ひだと|云《い》ふのでは|無《な》い。|好《す》きの|好《す》きの|大好《だいす》きだが、|女房《にようばう》を|持《もた》れぬ|因縁《いんねん》があるのだよ』
『オイ|蚊々虎《かがとら》、ドツコイ|珍山彦《うづやまひこ》、その|因縁《いんねん》を|聞《き》かうかい』
『お|前《まへ》に|聞《き》かせるやうな、|因縁《いんねん》なら|何《な》に|隠《かく》さう。こればかりは|怺《こら》へて|呉《く》れ。|俺《おれ》は|未《ま》だ|未《ま》だ|重大《ぢうだい》なる|任務《にんむ》があるのだから』
|淤縢山津見《おどやまづみ》は、
『ヤア|珍山《うづやま》さま、|貴方《あなた》の|事《こと》は|何《ど》うしても|吾々《われわれ》は|合点《がつてん》が|往《ゆ》かない。|丸切《まるき》り|天空《てんくう》を|翔《かけ》る|蛟竜《かうりう》の|如《ごと》く、|千変万化《せんぺんばんくわ》|捕捉《ほそく》すべからずだ。もう|何事《なにごと》も|言《い》ひませぬ。|貴方《あなた》の|御意見《ごいけん》に|任《まか》して|五月姫《さつきひめ》さまを、|此家《ここ》の|主人《しゆじん》の|奥様《おくさま》に|推薦《すゐせん》したいものですな』
|珍山彦《うづやまひこ》は、
『どうか|貴方《あなた》も|御同意《ごどうい》ならば、|正鹿山津見《まさかやまづみ》さまに|一《ひと》つ|掛合《かけあ》つて|見《み》て|下《くだ》さいな』
|淤縢山津見《おどやまづみ》は『よろしい』といつて|其《そ》の|場《ば》を|立《た》ち|一室《ひとま》に|行《い》つた。
|五月姫《さつきひめ》は|顔《かほ》を|赤《あか》らめて|俯向《うつむ》いてゐる。|駒山彦《こまやまひこ》は、
『これこれ|五月《さつき》さま、|女《をんな》にとつて|一生《いつしやう》の|一大事《いちだいじ》、|俯向《うつむ》いてばかり|居《を》つては|事《こと》が|分《わか》らぬ、|珍山《うづやま》さまにするか、|正鹿山津見《まさかやまづみ》さまにするか、|右《みぎ》か|左《ひだり》か|返答《へんたふ》しなさい。|御意見《ごいけん》あらば|吾々《われわれ》に、|隔《へだ》ても|何《なに》もない|仲《なか》だ、キツパリ|云《い》つて|下《くだ》さい。|万々一《まんまんいち》|両人《ふたり》の|御方《おかた》が|気《き》に|入《い》らねば、|外《ほか》に|候補者《こうほしや》も|無《な》いことはありませぬよ。コーと|云《い》ふ|頭字《かしらじ》のついた|人《ひと》を|御世話《おせわ》|致《いた》しませうか』
|珍山彦《うづやまひこ》は|駒山彦《こまやまひこ》の|顔《かほ》を|眺《なが》めて、
『ウフヽヽヽ』
|五月姫《さつきひめ》は|漸《やうや》くに|面《おもて》を|上《あ》げて、
『ハイハイ、|正鹿山津見《まさかやまづみ》さまさへ|御異存《ごいぞん》|無《な》くば』
|珍山彦《うづやまひこ》は|手《て》を|拍《う》つて、
『お|出《い》でたお|出《い》でた、|願望《ぐわんもう》|成就《じやうじゆ》、|時《とき》|到《いた》れりだ。ヤア、さすがは|五月姫《さつきひめ》|殿《どの》、|天晴《あつぱ》れ|天晴《あつぱ》れ、よう|目《め》が|利《き》いた。|夫《そ》れでこそ|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》だ。|思《おも》ひ|立《た》つたを|吉日《きちにち》に、|今日《けふ》|婚礼《こんれい》の|式《しき》を|挙《あ》げませう』
|駒山彦《こまやまひこ》は、
『コラコラ、|珍山彦《うづやまひこ》、|一方《いつぱう》が|承知《しようち》したつて、|一方《いつぱう》が|何《ど》う|云《い》ふか|判《わか》りはしない、|鮑《あはび》の|片想《かたおも》ひかも|知《し》れないのに、よく|周章《あわ》てる|奴《やつ》だな』
|珍山彦《うづやまひこ》『なに|大丈夫《だいぢやうぶ》だよ。|猫《ねこ》に|鰹節《かつをぶし》だ、|狐《きつね》に|鼠《ねずみ》の|油揚《あぶらあげ》だ、|二《ふた》つ|返事《へんじ》で|喰《く》ひつき|遊《あそ》ばす|事《こと》は、|請合《うけあ》ひの|西瓜《すゐくわ》だ、|中《なか》まで|真赤《まつか》だ。コレコレ|五月姫《さつきひめ》さま、|貴方《あなた》も|今《いま》までは|押《お》しも|押《お》されもせぬ|一人前《いちにんまへ》の|女《をんな》だ、|男《をとこ》も|女《をんな》も|同《おな》じ|権利《けんり》だつた、|言《い》はば|男女《だんぢよ》|同権《どうけん》。しかし|今日《けふ》から|結婚《けつこん》したが|最後《さいご》、|夫《をつと》に|随《したが》はねばならぬ。|夫唱婦従《ふしやうふじゆう》の|天則《てんそく》を|守《まも》り、|主人《しゆじん》によう|仕《つか》へ、|家《いへ》の|中《なか》を|治《をさ》めて|行《ゆ》くのが|貴女《あなた》の|役《やく》だよ。|男女《だんぢよ》|同権《どうけん》でも、|夫婦《ふうふ》|同権《どうけん》でないから、それを|忘《わす》れぬやうに|賢妻良母《けんさいりやうぼ》の|鑑《かがみ》を|出《だ》して、|三五教《あななひけう》の|光《ひかり》を|天下《てんか》に|現《あら》はすのだ。|広《ひろ》い|世《よ》の|中《なか》に|夫《をつと》となり|妻《つま》となるのも|深《ふか》い|深《ふか》い|因縁《いんねん》だ、|神様《かみさま》の|御引合《おひきあは》せだから、|決《けつ》して|気儘《きまま》を|出《だ》してはいけませぬぞ。|私《わたし》が|珍山峠《うづやまたうげ》で|御話《おはな》ししたやうに、どうぞ【この|花《はな》】|婿《むこ》を|大切《たいせつ》にして|蓮《はす》の|台《うてな》に|末永《すゑなが》う、|必《かなら》ず|祝姫《はふりひめ》の|二《に》の|舞《まひ》を|踏《ふ》まぬやうにして|下《くだ》さい。|頼《たの》みます』
|五月姫《さつきひめ》は|涙《なみだ》をボロボロと|零《こぼ》しながら、
『ハイ、|何《なに》から|何《なに》まで、|貴方《あなた》の|御親切《ごしんせつ》は|孫子《まごこ》の|時代《じだい》は|愚《おろ》か、|五六七《みろく》の|世《よ》まで|決《けつ》して|忘《わす》れは|致《いた》しませぬ。|貴方《あなた》の|御教訓《ごけうくん》は|必《かなら》ず|固《かた》く|守《まも》ります。|御安心《ごあんしん》して|下《くだ》さいませ』
『ナント|珍山《うづやま》、|貴様《きさま》は|変《へん》な|男《をとこ》だねー。ホンニ|合点《がつてん》のゆかぬ|男《をとこ》だ。コンナ|別嬪《べつぴん》を|人《ひと》にやるなどと、ナントした|変人《へんじん》だらう。が|併《しか》し|感心《かんしん》だ。この|駒山《こまやま》だつたら|迚《とて》も|其処《そこ》まで|身魂《みたま》が|研《みが》けて|居《を》らぬからなー』
|斯《か》く|話《はな》す|折《をり》しも、|淤縢山津見《おどやまづみ》は|正鹿山津見《まさかやまづみ》を|伴《ともな》ひ、この|場《ば》に|現《あら》はれ|叮嚀《ていねい》に|辞儀《じぎ》をしながら、
『|御一同様《ごいちどうさま》、いろいろと|御世話《おせわ》になつた|上《うへ》、|今度《こんど》は|結構《けつこう》な|御世話《おせわ》を|下《くだ》さいまして|有難《ありがた》う。|御恩《ごおん》の|返《かへ》し|様《やう》は、もう|御座《ござ》りませぬ』
と|感謝《かんしや》の|意《い》を|漏《もら》した。
|珍山彦《うづやまひこ》は、
『あゝ|結構々々《けつこうけつこう》、それで|安心《あんしん》して|吾々《われわれ》も|宣伝《せんでん》に|参《まゐ》ります。どうぞ|幾久《いくひさ》しく|夫婦《ふうふ》|仲好《なかよ》くして|此《こ》の|神国《かみくに》を|永遠《ゑいゑん》に|治《をさ》めて|下《くだ》さい。|一朝《いつてう》|事《こと》ある|時《とき》は、|夫婦《ふうふ》|諸共《もろとも》|神界《しんかい》の|御用《ごよう》に|立《た》つて|下《くだ》さい』
と|日《ひ》ごろ|快活《くわいくわつ》な|男《をとこ》に|似《に》ず、|声《こゑ》を|曇《くも》らして|嬉《うれ》し|涙《なみだ》を|零《こぼ》し|居《ゐ》たり。
|淤縢山津見《おどやまづみ》は、
『ヤア、|斯《か》く|話《はなし》が|纏《まと》まつた|上《うへ》は、|善事《ぜん》は|急《いそ》げだ。|早《はや》く|神前《しんぜん》|結婚《けつこん》の|用意《ようい》にかかりませうか』
|茲《ここ》に|一同《いちどう》は|家《いへ》の|子《こ》|郎党《らうたう》と|共《とも》に、|盛大《せいだい》なる|結婚《けつこん》の|式《しき》を|挙《あ》げける。|一同《いちどう》は|直会《なほらい》の|宴《えん》にうつり、|各《おのおの》|手《て》を|拍《う》ち|歌《うた》を|歌《うた》ひ、|感興《かんきよう》|湧《わ》くが|如《ごと》き|折《をり》しも、|番頭《ばんとう》の|国彦《くにひこ》は|襖《ふすま》を|開《ひら》いて、
『|御主人様《ごしゆじんさま》に|申上《まをしあ》げます。|只今《ただいま》ヱルサレムの|聖地《せいち》から|松代姫《まつよひめ》、|竹野姫《たけのひめ》、|梅香姫《うめがかひめ》の|三人《さんにん》の|御嬢様《おぢやうさま》が、「|御父様《おとうさま》の|住家《すみか》は|此処《ここ》か」と|云《い》つて、|一人《ひとり》の|供《とも》を|伴《つ》れて|御出《おい》でになりました。|如何《いか》が|取計《とりはか》らひませうか』
|正鹿山津見《まさかやまづみ》は|驚《おどろ》きながら、
『あゝ|嬉《うれ》しいことが|重《かさ》なるものだな』
|一同《いちどう》|手《て》を|拍《う》つて、ウローウロー。
|附言《ふげん》
|正鹿山津見《まさかやまづみ》は、|聖地《せいち》ヱルサレムの|天使長《てんしちやう》であつた|桃上彦命《ももがみひこのみこと》である。|兄《あに》|広宗彦命《ひろむねひこのみこと》、|行成彦命《ゆきなりひこのみこと》の|神政《しんせい》を|奪《うば》ひ、|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|限《かぎ》りを|尽《つく》し、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》は|為《ため》に|混乱《こんらん》|紛糾《ふんきう》の|極《きよく》に|陥《おちい》り、その|妻《つま》は|病死《びやうし》し、|自分《じぶん》は|常世彦《とこよひこ》、|常世姫《とこよひめ》のために、|或《ある》|一時《いちじ》の|失敗《しつぱい》より|追放《つゐはう》され、|三人《さんにん》の|娘《むすめ》を|後《あと》に|残《のこ》して|住《す》み|慣《な》れし|都《みやこ》を|後《あと》に、|一《ひと》つ|島《じま》に|進《すす》む|折《をり》しも、|暴風《ばうふう》に|逢《あ》ひ|船《ふね》は|忽《たちま》ち|顛覆《てんぷく》し、|琴平別《ことひらわけ》の|亀《かめ》に|救《すく》はれ|竜宮城《りうぐうじやう》にいたり、|門番《もんばん》となり|果《は》てし|折《をり》しも、|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|救《すく》はれ、この|珍《うづ》の|都《みやこ》の|守護職《しゆごしよく》となれるなり。
この|事《こと》を|三人《さんにん》の|娘《むすめ》は、|神夢《しんむ》に|感《かん》じて|遥々《はるばる》|此処《ここ》に|尋《たづ》ね|来《き》たり。|黄泉比良坂《よもつひらさか》の|坂《さか》の|上《うへ》に|於《おい》て、|黄泉軍《よもついくさ》を|待《ま》ち|討《う》ち|給《たま》ひし|伊弉諾命《いざなぎのみこと》の|三個《さんこ》の|桃《もも》の|実《み》は、|即《すなは》ち|桃上彦命《ももがみひこのみこと》の|三人《さんにん》の|娘《むすめ》の|活動《くわつどう》を|示《しめ》されたるなり。
(大正一一・二・一〇 旧一・一四 外山豊二録)
第六篇 |黄泉比良坂《よもつひらさか》
第三九章 |言霊解《げんれいかい》一〔三八九〕
『|故《かれ》ここに|伊弉諾命《いざなぎのみこと》|詔《の》り|給《たま》はく「|愛《うつ》くしき|我《あ》が|那邇妹命《なにものみこと》や、|子《こ》の|一《ひと》つ|木《け》に|易《か》へつるかも」と|宣《の》り|給《たま》ひて、|御枕《みまくら》べに|匍匐《はらば》ひ|御足《みあと》べにはらばひて、|泣《な》き|給《たま》ふ|時《とき》に、|御涙《みなみだ》に|成《な》りませる|神《かみ》は、|香山《かぐやま》の|畝尾《うねを》の|木《こ》の|下《もと》にます、|御名《みな》は|泣沢女《なきさはめ》の|神《かみ》、|故《かれ》|其《そ》の|神《かむ》|去《さ》りましし|伊弉冊神《いざなみのかみ》は、|出雲《いづも》の|国《くに》と|伯伎《ははき》の|国《くに》との|堺《さかひ》、|比婆《ひば》の|山《やま》に|葬《かく》しまつりき』
|伊弉諾命《いざなぎのみこと》は|即《すなは》ち|天系《てんけい》|霊系《れいけい》に|属《ぞく》する|神《かみ》でありまして、|総《すべ》ての|万物《ばんぶつ》を|安育《あんいく》するために|地球《ちきう》を|修理固成《しうりこせい》されました、|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|御後身《ごこうしん》たる|御子《みこ》の|神様《かみさま》でありますが、|古事記《こじき》にある|如《ごと》く、|迦具土神《かぐつちのかみ》が|生《あ》れまして、|即《すなは》ち|今日《こんにち》は、|交通機関《かうつうきくわん》でも、|戦争《せんそう》でも、|生産《せいさん》|機関《きくわん》でも|火力《くわりよく》ばかりの|世《よ》で、|火《ひ》の|神様《かみさま》の|荒《あら》ぶる|世《よ》となつたのであります。この|火《ひ》の|神《かみ》を|生《う》んで|地球《ちきう》の|表現神《へうげんしん》たる|伊弉冊命《いざなみのみこと》が|神去《かむさ》りましたのであります。この|世《よ》の|中《なか》は|殆《ほとん》ど|生命《せいめい》がないのと|同《おな》じく、|神去《かむさ》りましたやうな|状態《じやうたい》であります。
そこで|伊弉諾命《いざなぎのみこと》は|我《わ》が|愛《あい》する|地球《ちきう》が|滅亡《めつぼう》せむとして|居《を》るのは、|迦具土神《かぐつちのかみ》が|生《うま》れたからであるが、|火力《くわりよく》を|以《もつ》てする|文明《ぶんめい》は|何程《なにほど》|文明《ぶんめい》が|進《すす》んでも、|世《よ》の|中《なか》がこれでは|何《なん》にもならぬ。|地球《ちきう》には|換《かへ》られぬと|宣《の》らせ|給《たま》はつたのであります。これが『|子《こ》の|一《ひと》つ|木《け》に|易《か》へつるかも』といふ|事《こと》であります。
|次《つぎ》に『|御枕《みまくら》べに|匍匐《はらば》ひ|御足《みあと》べにはらばひて』といふことは、|病人《びやうにん》にたとへると|病人《びやうにん》が|腹這《はらば》ひになつて|死《し》んだのを|悔《くや》む|如《ごと》く、|病人《びやうにん》と|同《おな》じく|横《よこ》になつて|寝息《ねいき》を|考《かんが》へたり、|手《て》で|撫《な》でて|見《み》たり、|又《また》|手《て》の|脈《みやく》をとつて|見《み》たり、|足《あし》の|脈《みやく》をとつて|見《み》たり、|何処《どこ》か|上《うへ》の|方《はう》に|生《いき》た|分子《ぶんし》がないか、|頭《あたま》に|当《あた》る|所《ところ》に|生気《せいき》はないか、|日本魂《やまとだましひ》が|未《ま》だ|残《のこ》つては|居《ゐ》ないかと|調《しら》べ|見給《みたま》ひし|所《ところ》|殆《ほとん》ど|死人《しにん》|同様《どうやう》で|上流《じやうりう》|社会《しやくわい》にも、|下等《かとう》|社会《しやくわい》にも|脈《みやく》はなくて、|何処《どこ》にも|生命《せいめい》はなくなつて|居《ゐ》る。|全《まつた》く|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》はそれの|如《ごと》くに|暖《あたた》かみはなく|冷酷《れいこく》なもので、|然《しか》も|道義心《だうぎしん》|公徳心《こうとくしん》が|滅亡《めつぼう》して|了《しま》つて|居《を》るのであります。それで|泣《な》き|悲《かな》しみ|給《たま》ふ|時《とき》に、その|涙《なみだ》の|中《なか》に|生《な》りませる|神《かみ》の|名《な》を|泣沢女神《なきさはめのかみ》というて、これは|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|大神様《おほかみさま》が、|地上《ちじやう》|一切《いつさい》の|生物《せいぶつ》を|憐《あはれ》み|玉《たま》ふ|所《ところ》の|同情《どうじやう》の|涙《なみだ》と|云《い》ふことであります。|今日《こんにち》でも|支那《しな》の|或《ある》|地方《ちはう》には|泣女《なきをんな》といふのがあつて、|人《ひと》の|死《し》んだ|時《とき》に|雇《やと》はれて|泣《な》きに|行《ゆ》く|儀式《ぎしき》|習慣《しふくわん》が|残《のこ》つて|居《を》るのも、これに|起源《きげん》して|居《ゐ》るのであります。
|神去《かむさ》りました|伊弉冊命《いざなみのみこと》は、|之《これ》を|死人《しにん》にたとへて|出雲《いづも》の|国《くに》と|伯耆《はうき》の|国《くに》の|境《さかひ》に|葬《はう》むられたと|書《か》いてありますが、|出雲《いづも》といふのは|何処《いづく》もといふことで|亦《また》|雲出《くもいづ》る|国《くに》といふことである。
|今日《こんにち》の|如《ごと》く|乱《みだ》れ|切《き》つて、|上《うへ》も|下《した》も|四方《しはう》|八方《はつぱう》、|怪《あや》しい|雲《くも》が|包《つつ》んで|居《ゐ》るといふ|事《こと》であります。|伯耆《はうき》の|国《くに》といふのは、|掃《はは》きといふことで|雲霧《うんむ》を|掃《は》き|払《はら》うと|云《い》ふことである。|科戸《しなど》の|風《かぜ》で|吹払《ふきはら》うと|云《い》ふのもさうであります。|即《すなは》ち|国《くに》を|浄《きよ》める|精神《せいしん》と、|曇《くも》らす|精神《せいしん》との|堺《さかひ》に|立《た》たれたのであります。|所謂《いはゆる》|善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|分水嶺《ぶんすゐれい》に|立《た》つたものであります。|実《じつ》に|今《いま》の|世界《せかい》は|光輝《くわうき》ある|神世《かみよ》の|美《うる》はしき、|楽《たの》しき|黄金世界《わうごんせかい》になるか、|絶滅《ぜつめつ》するか、|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》、|地獄《ぢごく》の|世《よ》を|現出《げんしゆつ》するかの|堺《さかひ》に|立《た》つて|居《ゐ》るのであります。
『|比婆《ひば》の|山《やま》に|葬《かく》し』といふ|事《こと》は【ヒ】は|霊系《れいけい》に|属《ぞく》し、|赤《あか》い|方《はう》で、|太陽《たいやう》の|光線《くわうせん》といふ|意義《いぎ》で【バ】と|云《い》ふのは、【ハ】と【ハ】を|重《かさ》ねたもので、これは|悪《わる》いことを|指《さ》したものであります。|即《すなわ》ち|霊主体従《れいしゆたいじゆう》と|体主霊従《たいしゆれいじゆう》との|中間《ちうかん》に|立《たち》て、|神《かみ》が|時機《じき》を|待《ま》たせられたと|云《い》ふことであります。|斯《か》くして|伊弉冊命《いざなみのみこと》|即《すなは》ち|地球《ちきう》の|国魂《くにたま》は、|半死半生《はんしはんしやう》の|状態《じやうたい》であるが、|併《しか》し|天系《てんけい》に|属《ぞく》する|伊弉諾命《いざなぎのみこと》は|純愛《じゆんあい》の|御精神《ごせいしん》から、|此《この》|地球《ちきう》の|惨状《さんじやう》を|見《み》るに|忍《しの》びずして、|迦具土神《かぐつちのかみ》|即《すなわ》ち|火《ひ》の|文明《ぶんめい》が|進《すす》んだため、|斯《か》うなつたといふので、|十拳剣《とつかのつるぎ》を|以《もつ》て|迦具土神《かぐつちのかみ》の|頸《くび》を|斬《き》り|給《たま》うたのであります。|十拳《とつか》の|剣《つるぎ》を|抜《ぬ》くと|云《い》ふ|事《こと》は、|戦争《せんそう》を|以《もつ》て|物質文明《ぶつしつぶんめい》の|悪潮流《あくてうりう》を|一掃《いつさう》さるる|事《こと》で、|所謂《いはゆる》|首《くび》を|切《き》り|玉《たま》うたのであります。
この|首《くび》といふことは、|近代《きんだい》でいへば|独逸《どいつ》のカイゼルとか、|某国《ぼうこく》の|大統領《だいとうりやう》とか|云《い》ふ|総《すべ》ての|首領《しゆりやう》を|指《さ》したのである。|即《すなは》ち|軍国《ぐんこく》|主義《しゆぎ》の|親玉《おやだま》の|異図《いと》を|破滅《はめつ》せしむる|為《ため》に、|大戦争《だいせんそう》を|以《もつ》て|戦争《せんそう》の|惨害《さんがい》を|悟《さと》らしむる|神策《しんさく》であります。
『|是《ここ》に|伊邪那岐命《いざなぎのみこと》、|御佩《みはか》せる|十拳剣《とつかのつるぎ》を|抜《ぬ》きて、|其《その》|御子《みこ》|迦具土神《かぐつちのかみ》の|御頸《みくび》を|斬《き》り|給《たま》ふ。|爾《ここ》に|其《その》|御刀《みはかし》のさきにつける|血《ち》、|湯津石村《ゆついはむら》にたばしりつきて、|成《な》りませる|神《かみ》の|御名《みな》は、|石拆神《いはさくのかみ》、|次《つぎ》に|根拆神《ねさくのかみ》、|次《つぎ》に|石筒之男神《いはつつのをのかみ》、|次《つぎ》に|御刀《みはかし》の|本《もと》につける|血《ち》も、|湯津石村《ゆついはむら》にたばしりつきて|成《な》りませる|神《かみ》の|御名《みな》は、|甕速日神《みかはやびのかみ》、|次《つぎ》に|樋速日神《ひはやびのかみ》、|次《つぎ》に|建御雷之男神《たけみかづちのをのかみ》、|亦《また》の|御名《みな》は|建布都神《たけふつのかみ》|亦《また》の|御名《みな》は|豊布都神《とよふつのかみ》、|次《つぎ》に|御刀《みはかし》の|手上《たがみ》にあつまる|血《ち》、|手俣《たまた》より|漏《も》れ|出《い》で|成《な》りませる|神《かみ》の|御名《みな》は|闇於加美神《くらおかみのかみ》、|次《つぎ》に|闇御津羽神《くらみつはのかみ》』
|十拳剣《とつかのつるぎ》|即《すなわ》ち|神界《しんかい》よりの|懲戒的《ちようかいてき》|戦争《せんそう》なる|神剣《しんけん》の|発動《はつどう》を|以《もつ》て、|自然《しぜん》に|軍国《ぐんこく》|主義《しゆぎ》の|露国《ろこく》や|独乙《どいつ》を|倒《たふ》し、カイゼルを|失脚《しつきやく》させ、そのとばしりが|湯津石村《ゆついはむら》にたばしりついたのであります。この|湯津石村《ゆついはむら》につくといふことは、【ユ】とは|夜《よる》がつづまつたもので、【ツ】は|続《つづ》くのつづまつたもので、|要《えう》するに|夜《よ》ル|続《つづ》くといふことになります。|彼方《あちら》からも|此方《こちら》からも、|草《くさ》の|片葉《かきは》が|言問《ことと》ひを|致《いた》しまして、|彼方《あちら》にも|此方《こちら》にも、|種々《しゆじゆ》の|暗《くら》い|思想《しさう》が|勃発《ぼつぱつ》して、|各自《かくじ》に|勝手《かつて》な|主義《しゆぎ》なり|意見《いけん》なりを|吐《は》き|散《ち》らしまして|過激《くわげき》|主義《しゆぎ》だとか、|共産《きやうさん》|主義《しゆぎ》だとか、|自然《しぜん》|主義《しゆぎ》、|社会《しやくわい》|主義《しゆぎ》がよいとか、|専制《せんせい》|主義《しゆぎ》がよいとか、いろいろなことを|言《い》ふ|意味《いみ》になります。|又《また》【イハ】といふことは、|堅《かた》い|動《うご》かぬ|位《くらゐ》といふことで、【ムラ】は|群《むら》がるといふ|意義《いぎ》で、|岩《いは》とは|尊貴《そんき》の|意《い》、|村《むら》とは|即《すなは》ち|下《した》の|方《はう》の|人間《にんげん》の|群《むれ》といふことであります。|所謂《いはゆる》【タバシリツク】といふのは、|鳴《な》り|続《つづ》いて|上《うへ》にも|下《した》にも|種々雑多《しゆじゆざつた》の|思想《しさう》や|主義《しゆぎ》が|喧伝《けんでん》されて|居《ゐ》ることであります。|即《すなは》ちたばしりついて|生《な》りませる|神《かみ》といふのは、|生《うま》れ|出《いづ》ることではなくして、|鳴《な》り|鳴《な》りて|喧《やか》ましいといふ|事《こと》であります。その|神《かみ》の|御名《みな》を|甕速日神《みかはやひのかみ》といふ。
【ミ】は|体《たい》、【カ】は|輝《かがや》くといふことで、|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|神《かみ》であります。|樋速日神《ひはやひのかみ》は|霊主体従《れいしゆたいじゆう》の|神《かみ》であつて、|両者《りやうしや》より|種々《しゆじゆ》なる|思想《しさう》の|戦《たたか》ひが|起《おこ》るといふ|事《こと》であります。|即《すなわ》ち|主義《しゆぎ》の|戦《たたか》ひであります。|次《つぎ》に|建御雷之男神《たけみかづちのをのかみ》は、|直接《ちよくせつ》|行動《かうどう》と|云《い》ふことで、|霊主体従国《れいしゆたいじゆうこく》は|言向平和神国《ことむけやはすかみくに》であるから、|滅多《めつた》にありませぬが、|体主霊従国《たいしゆれいじゆうこく》などは|皆々《みなみな》|建御雷之神《たけみかづちのかみ》であります。|即《すなわ》ち|露国《ろこく》のやうに、|支那《しな》のやうに|皇帝《くわうてい》を|退位《たいゐ》せしめたり、すべて|乱暴《らんばう》をするとか、|焼討《やきうち》をするとか、|暴動《ばうどう》を|起《おこ》すとか、|罷業《ひげふ》、|怠業《たいげふ》するとかいふ|如《や》うな|事《こと》であります。
|建御雷神《たけみかづちのかみ》は|天神《てんしん》の|御使《おつかひ》でありますが、|本文《ほんぶん》の|言霊上《ことたまじやう》から|考《かんが》ふれば、|爰《ここ》はその|意味《いみ》にはとれぬ、|争乱《そうらん》の|意味《いみ》になるのであります。|亦《また》の|名《な》は|建布都神《たけふつのかみ》、|又《また》は|豊布都神《とよふつのかみ》といふのは|善《ぜん》と|悪《あく》の|方面《はうめん》を|指《さ》したもので、|凡《すべ》て|善悪美醜《ぜんあくびしう》|相交《あひまじ》はるといふことになります。|即《すなは》ちよき|時《とき》には|苦《くる》しみが|芽出《めだ》し、|苦《くる》しみの|時《とき》には|楽《たのし》みが|芽出《めで》して|居《ゐ》るといふやうなものであります。
|世《よ》の|中《なか》が|混乱《こんらん》すればする|程《ほど》、|一方《いつぱう》に|之《これ》を|立直《たてなほ》さむとする|善《ぜん》の|身魂《みたま》が|湧《わ》いて|来《く》るといふ|意味《いみ》であります。
|十拳剣《とつかのつるぎ》を|握《にぎ》つて|居《を》らるる|鍔元《つばもと》に|集《あつ》まる|血《ち》といふのは、|各自《かくじ》に|過激《くわげき》な|思想《しさう》を|抱《いだ》いて|居《ゐ》るといふ|事《こと》で、|血《ち》を|湧《わ》かす|事《こと》であります。|即《すなは》ち|手《て》の【また】から|漏《も》れ|出《いづ》ることになります。この|手《て》の【また】から|漏《も》れ|出《いづ》ると|云《い》ふ|事《こと》は、|厳重《げんぢう》な|警戒《けいかい》を|破《やぶ》つて|現《あら》はるる|事《こと》であります。|闇於加美神《くらおかみのかみ》といふことは、|世界中《せかいぢう》の|上《うへ》の|方《はう》にも|非常《ひじやう》な|過激《くわげき》な|思想《しさう》が|現《あら》はれるといふことであります。
|次《つぎ》に|闇御津羽神《くらみつはのかみ》の【みつ】といふのは、|水《みづ》でありまして、|下《した》の|方《はう》|即《すなわ》ち|民《たみ》のことで、これも|無茶苦茶《むちやくちや》な|悪思想《あくしさう》になつて、|世《よ》の|中《なか》が|益々《ますます》|闇雲《やみくも》になるといふことであります。
この|昔《むかし》の|事《こと》を|今日《こんにち》にたとへて|見《み》ますと|独逸《どいつ》のカイゼルが|失脚《しつきやく》したのも、|露国《ろこく》のザーが|亡《ほろ》んだのも、|支那《しな》の|皇帝《くわうてい》がああなつたのも、|皆《みな》|天《てん》の|大神《おほかみ》が|十拳剣《とつかのつるぎ》を|以《もつ》て|斬《き》られたのであります。|斯《かく》の|如《ごと》く|神《かみ》は|無形《むけい》の|神剣《しんけん》を|以《もつ》て|斬《き》られるのであります。それで|人間《にんげん》が|戦《たたか》ふことになるのであります。この|殺《ころ》された|迦具土神《かぐつちのかみ》のことを|現代《げんだい》にたとへますれば、|爆弾《ばくだん》とか|大砲《たいはう》とか、|火器《くわき》ばかりで|戦《たたか》ふのでありまして、|弓《ゆみ》とか|矢《や》で|戦《たたか》ふのではありませぬ。|軍艦《ぐんかん》を|動《うご》かすのも|火《ひ》の|力《ちから》であります。それで|大神《おほかみ》に|依《より》て|火《ひ》の|神《かみ》が|殺《ころ》されたといふことは、|惨虐《ざんぎやく》なる|戦争《せんそう》が|止《や》んだといふことになるのであります。|今回《こんくわい》の|五年《ごねん》に|亘《わた》る|世界《せかい》|戦争《せんそう》の|結果《けつくわ》は、|迦具土神《かぐつちのかみ》の|滅亡《めつぼう》を|意味《いみ》してゐるのであります。
(大正九・一一・一 於五六七殿講演 外山豊二録)
(大正一一・二・一〇 旧一・一四 谷村真友再録)
第四〇章 |言霊解《げんれいかい》二〔三九〇〕
『|殺《ころ》さえましし|迦具土神《かぐつちのかみ》の|御頭《みかしら》に、|成《な》りませる|神《かみ》の|御名《みな》は、|正鹿山津見神《まさかやまづみのかみ》、|次《つぎ》に|御胸《みむね》に|成《な》りませる|神《かみ》の|御名《みな》は|淤縢山津見神《おどやまづみのかみ》、|次《つぎ》に|御腹《みはら》に|成《な》りませる|神《かみ》の|御名《みな》は|奥山津見神《おくやまづみのかみ》、|次《つぎ》に|御陰《みほと》に|成《な》りませる|神《かみ》の|御名《みな》は、|闇山津見神《くらやまづみのかみ》、|次《つぎ》に|左《ひだり》の|御手《みて》に|成《な》りませる|神《かみ》の|御名《みな》は|志芸山津見神《しぎやまづみのかみ》、|次《つぎ》に|右《みぎり》の|御手《みて》に|成《な》りませる|神《かみ》の|御名《みな》は、|羽山津見神《はやまづみのかみ》、|次《つぎ》に|左《ひだり》の|御足《みあし》に|成《な》りませる|神《かみ》の|御名《みな》は、|原山津見神《はらやまづみのかみ》、|右《みぎり》の|御足《みあし》に|成《な》りませる|神《かみ》の|御名《みな》は|戸山津見神《とやまづみのかみ》』
|殺《ころ》された|火《ひ》の|神《かみ》の|頭《あたま》に|成《な》りませる|神《かみ》はよい|神《かみ》ではない。|即《すなは》ち|正鹿山津見神《まさかやまづみのかみ》は|強《つよ》く|尊《たふと》い|位置《ゐち》にある|悪《わる》い|神《かみ》といふ|意味《いみ》であります。【ヤ】といふ|事《こと》は、|言霊上《げんれいじやう》、ア|行《しま》は|天《てん》の|声《こゑ》、ヤ|行《しま》は|人《ひと》の|声《こゑ》、ワ|行《しま》は|地《ち》の|声《こゑ》、|即《すなは》ち【ヤ】は|人《ひと》の|声《こゑ》、|世界《せかい》|一般《いつぱん》|人種《じんしゆ》の|衆口愚論《しうこうぐろん》で【マツミ】は|魔積《まつ》みでありますから、【ヤマツミ】といふことは|言論界《げんろんかい》に|悪魔《あくま》が|住《す》むといふ|意味《いみ》で、これが|正鹿山津見神《まさかやまづみかみ》の|起《おこ》ることになります。|頭《あたま》に|成《な》りませるとは、|即《すなは》ち|上《うへ》の|方《はう》はいらぬと|云《い》うて、|今日《こんにち》のデモクラシーの|如《ごと》く、|人類《じんるゐ》は|平等《べうどう》に|天《てん》の|恵《めぐみ》を|享《う》くるといふ|説《せつ》で、|階級《かいきふ》|撤廃《てつぱい》なぞといふ|思想《しさう》が|起《おこ》るといふ|事《こと》であります。
|次《つぎ》に『|御胸《みむね》に|成《な》りませる|神《かみ》の|御名《みな》、|淤縢山津見神《おどやまづみのかみ》』の|胸《むね》といふのは、|人間《にんげん》の|身体《しんたい》にたとふれば、|心臓《しんざう》や|肺臓《はいざう》や|乳《ちち》の|辺《あたり》で、|政治家《せいぢか》でいへば、|大臣《だいじん》とか、|親任官《しんにんくわん》とか、|勅任官《ちよくにんくわん》などが|胸《むね》であります。|即《すなは》ち|是等《これら》の|人々《ひとびと》の|思想《しさう》が|書《か》いてあるのであります。|下《した》から|種々《しゆじゆ》な|思想上《しさうじやう》の|戦争《せんそう》が|起《おこ》つて、それに|胸《むね》を|痛《いた》めて、おどおどして|居《ゐ》るから|軍隊《ぐんたい》や、|警察《けいさつ》の|力《ちから》で|圧迫《あつぱく》|脅威《けふゐ》するといふ|意味《いみ》になります。
|次《つぎ》に『|御腹《みはら》に|成《な》りませる|神《かみ》の|名《な》、|奥山津見神《おくやまづみのかみ》』といふのは、|国民《こくみん》の|中堅《ちうけん》|即《すなは》ち|中流《ちうりう》|社会《しやくわい》といふことで、|人体《じんたい》にたとふれば|臍《へそ》に|当《あた》るのであります。
【オ】は|心《こころ》、【ク】は|組《く》むとか、|苦《くる》しむとかいふ|事《こと》で、|中流《ちうりう》|階級《かいきふ》は|中央《ちうあう》に|立《た》つて、|何《ど》うしたらよからうかと|云《い》うて、|苦《くるし》んで|居《を》るのであります。|即《すなは》ち|保守《ほしゆ》|主義《しゆぎ》でも|行《ゆ》かず、|新《あたら》しい|主義《しゆぎ》でも|行《ゆ》かず、その|中《なか》を|採《と》つて、うまくやりたいといふ|言霊上《げんれいじやう》の|意味《いみ》になるのであります。
|次《つぎ》に『|御陰《みほと》に|成《な》りませる|神《かみ》の|名《な》、|闇山津見神《くらやまづみのかみ》』といふのは、【ほと】は|農業《のうげふ》に|従事《じうじ》する|民《たみ》で、|人体《じんたい》にたとふれば|陰部《いんぶ》に|当《あた》りまして、|子《こ》を|産《う》み|出《だ》す|所《ところ》であります。|即《すなは》ち|農家《のうか》といふことになります。この|百姓《ひやくしやう》は|現在《げんざい》|如何《いか》なる|思想《しさう》があつて、その|意味《いみ》が|何《なん》であるかわからず、|指導者《しだうしや》に|依《よ》つて|如何《どう》でもなることを|意味《いみ》して|居《を》るのであります。|全《まつた》く|時《とき》の|勢《いきほひ》に|依《よ》つて|何方《どつち》にもつく|無定見《むていけん》な|思想《しさう》が|闇山津見《くらやまづみ》|神《かみ》といふことになります。
|次《つぎ》に『|左《ひだり》の|御手《みて》に|成《な》りませる|神《かみ》の|名《な》、|志芸山津見神《しぎやまづみのかみ》』の、この|左《ひだり》の|手《て》といふことは|上《うへ》の|方《はう》の|手《て》といふことで、|即《すなは》ち|政治家《せいぢか》で、|右《みぎ》の|手《て》は|実業《じつげふ》のことになります。|総《すべ》て|政治家《せいぢか》は|神《かみ》の|左手《ひだりて》の|役《やく》、|実業家《じつげふか》は|右《みぎ》の|手《て》の|役《やく》で、|右《みぎ》の|手《て》で|仕事《しごと》をして、|左《ひだり》の|手《て》で|治《をさ》めることになるのであります。|志芸山津見神《しぎやまづみのかみ》の【シ】は|水《みづ》で、【ギ】は|神《かみ》と|国《くに》と|重《かさ》なりたる|意味《いみ》であります。さうすると|政治家《せいぢか》は|精神文明《せいしんぶんめい》に|気《き》がつかずに、|精神《せいしん》|教育《けういく》よりも、|物質《ぶつしつ》の|方《はう》に|重《おも》きを|置《お》くといふ|意味《いみ》になります。|今日《こんにち》は|到《いた》る|所《ところ》に|排日《はいにち》|思想《しさう》が|起《おこ》つて|居《を》りますが、この|思想《しさう》の|問題《もんだい》は|思想《しさう》で|抑《おさ》へつけなければならぬのに、|貿易《ぼうえき》の|上《うへ》にも|圧迫《あつぱく》を|受《う》け、|軍備《ぐんび》も|彼方《むかう》はよく|整《ととの》へて|居《を》るとなりますと、|此《この》|方《はう》にも|日本《にほん》なれば|八々艦隊《はちはちかんたい》を|造《つく》つたり、|陸軍《りくぐん》を|増《まし》たりして、|国《くに》を|護《まも》らうとして|居《ゐ》る|考《かんが》への|盛《さか》んな|時《とき》のことを|志芸山津見神《しぎやまづみのかみ》といふのであります。
|次《つぎ》に『|右《みぎ》の|御手《みて》に|成《な》りませる|神《かみ》の|御名《みな》、|羽山津見神《はやまづみのかみ》』といふのは、|下々《しもじも》の|百姓《ひやくしやう》や|労働者《らうどうしや》、|実業家《じつげふか》を|指《さ》したものであります。|即《すなは》ち|戦争《せんそう》が|起《おこ》れば|人気《にんき》が|悪《わる》くなるかも|知《し》れぬが|米《こめ》が|高《たか》くなつたり、|物価《ぶつか》が|騰《あが》つたりするから、|米《こめ》を|貯《たくは》へて|置《お》いて|儲《まう》けてやらうとか、|又《また》|沢山《たくさん》|品物《しなもの》を|仕入《しい》れて|置《お》いて|一儲《ひとまう》けしようとか、|如何《どう》したら|金《かね》が|儲《まう》かるかと|云《い》ふことばかりを|考《かんが》へて|居《を》る。|実《じつ》に|下《した》の|人民《じんみん》の|真心《まごころ》が、|乱《みだ》れた|利己主義《われよし》といふことになります。
【ハ】は|開《ひら》くといふことでありますが【ハヤマツミ】と|続《つづ》きますと、|何《なに》か|変動《へんどう》が|起《おこ》れば|儲《まう》けたいと|云《い》つて|考《かんが》へこむ|意味《いみ》で、|即《すなは》ち|大火事《おほくわじ》があれば|材木《ざいもく》が|騰《あが》るから、|今《いま》の|中《うち》に|之《これ》を|仕入《しい》れてやらうとか、|饑饉《ききん》が|来《き》て|百穀《ひやくこく》|実《みの》らず、|不作《ふさく》であつたら|今《いま》の|間《うち》に|米《こめ》を|沢山《たくさん》|買込《かひこ》んでおいて|一儲《ひとまう》けしようとか、|実《じつ》に|不都合《ふつがふ》な|利己主義《われよし》にかぶれて、|何事《なにごと》か|変動《へんどう》を|待《ま》つて|居《ゐ》る|魂《たましひ》を、|羽山津見神《はやまづみのかみ》といふのであります。
|次《つぎ》に『|左《ひだり》の|御足《みあし》に|成《な》りませる|神《かみ》の|名《な》、|原山津見神《はらやまづみのかみ》、|右《みぎ》の|御足《みあし》に|成《な》りませる|神《かみ》の|名《な》、|戸山津見神《とやまづみのかみ》』といふのは、この|足《あし》は|海外《かいぐわい》へ|発展《はつてん》する|考《かんが》へを|持《も》つ|人《ひと》の|事《こと》で、|海外《かいぐわい》へ|行《ゆ》くなら|外国《ぐわいこく》の|思想《しさう》を|研究《けんきう》して|来《き》てやらう、|外国《ぐわいこく》は|真《しん》の|文明国《ぶんめいこく》だ、わが|国《くに》は|未開国《みかいこく》だ。|向方《むかう》の|国《くに》と|親善《しんぜん》をして|談笑《だんせう》の|裡《うち》に、|国際間《こくさいかん》の|紛擾《ふんぜう》を|都合《つがふ》よく|解決《かいけつ》をつけたいといふ、|即《すなは》ち|西洋《せいやう》|文明《ぶんめい》に|憧憬《あこがれ》て|居《ゐ》る、|総《すべ》ての|学者《がくしや》の|説《せつ》が、|左《ひだり》の|足《あし》の|原山津見神《はらやまづみのかみ》であります。
【トヤ】といふのは|外《そと》に|開《ひら》くといふことで、この|戸山津見神《とやまづみのかみ》は、|移民《いみん》とか、|出稼《でかせぎ》とかいふ|事《こと》で、|外国《ぐわいこく》に|移民《いみん》を|送《おく》るとか、|外国《ぐわいこく》は|外国《ぐわいこく》で|移民《いみん》|排斥《はいせき》とか、|種々《しゆじゆ》の|大問題《だいもんだい》が|勃発《ぼつぱつ》する|事《こと》で、|丁度《ちやうど》|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》によく|似《に》て|居《ゐ》るのであります。この|移民《いみん》といふことは、|神代《かみよ》では|何《ど》ういふ|事《こと》を|示《しめ》されたものか|判《わか》りませぬが、|斯《こ》ういふ|風《ふう》に|言霊的《げんれいてき》|予言《よげん》が|示《しめ》されて|居《を》るのであります。|即《すなは》ち|吾《わ》が|同胞《どうはう》が|遠国《ゑんごく》の|空《そら》で、|排日《はいにち》のために|悔《くや》し|残念《ざんねん》を|耐《こら》へて、|言《い》ふに|言《い》はれぬ|苦労《くらう》をして|居《ゐ》るのに|国民《こくみん》が|冷淡《れいたん》であるとか、|政府《せいふ》は|何《なに》をして|居《ゐ》るかというて、|反対《はんたい》やら、|不平《ふへい》やらを|持出《もちだ》す、|其《そ》の|状態《じやうたい》を|戸山津見神《とやまづみのかみ》といふのであります。
『|是《ここ》に|其《その》|妹《いも》|伊弉冊命《いざなみのみこと》を|相見《あひみ》まく|欲《おもほ》して、|黄泉国《よもつのくに》に|追往《おひい》でましき。|爾《すなは》ち|殿騰戸《とののあげと》より|出向《いでむか》へます|時《とき》に、|伊弉諾命《いざなぎのみこと》|語詔《かたら》ひたまはく、|愛《うつ》くしき|我那邇妹命《わがなにものみこと》、|吾汝《あれいまし》と|作《つく》れりし|国《くに》|未《いま》だ|作《つく》り|竟《を》へずあれば、|還《かへ》りまさねとのりたまひき、|爾《ここ》に|伊弉冊命《いざなみのみこと》の|答《こたへ》|曰《まを》したまはく、|悔《くや》しきかも、|速《と》く|来《き》まさずて|吾《あ》は|黄泉戸喫《よもつへぐひ》しつ。|然《しか》れども|愛《うつ》くしき、|我那勢命《あがなせのみこと》|入来《いりき》ませる|事《こと》|恐《かしこ》ければ|還《かへ》りなむを。|且《しばら》く|黄泉神《よもつがみ》と|相論《あげつら》はむ。|我《あ》をな|視《み》たまひそ。|如此《かく》|白《まを》して|其《その》|殿内《とぬち》に|還《かへ》り|入《い》りませる|間《ほど》|甚久《いとひさ》しくて|待《ま》ちかねたまひき。|故《かれ》、|左《ひだり》の|御美髪《みみづら》に|刺《さ》させる|湯津津間櫛《ゆづつまぐし》の|男柱《をばしら》|一箇《ひとつ》|取闕《とりか》きて、|一火《ひとひ》|燭《とも》して|入見《いりみ》ます|時《とき》に、|蛆《うじ》|集《たか》り|蘯《とどろ》きて、|御頭《みかしら》には|大雷《おほいかづち》|居《を》り、|御胸《みむね》には|火雷《ほのいかづち》|居《を》り、|御腹《みはら》には|黒雷《くろいかづち》|居《を》り、|御陰《みほと》には|拆雷《さくいかづち》|居《を》り、|左《ひだり》の|御手《みて》には|若雷《わかいかづち》|居《を》り、|右《みぎり》の|御手《みて》には|土雷《つちいかづち》|居《を》り、|左《ひだり》の|御足《みあし》には|鳴雷《なるいかづち》|居《を》り、|右《みぎり》の|御足《みあし》には|伏雷《ふしいかづち》|居《を》り|併《あは》せて|八《やくさ》の|雷神《いかづちがみ》|成《な》り|居《を》りき』
この|御言葉《みことば》は|地球上《ちきうじやう》の|霊魂《れいこん》なる|大国魂《おほくにたま》の|守護《しゆご》が|悪《わる》いから、|斯《こ》うなつたのであり、|火《ひ》の|文明《ぶんめい》|即《すなは》ち|物質文明《ぶつしつぶんめい》の|惨毒《さんどく》の|為《ため》に|斯《かく》の|如《ごと》く|世界《せかい》が|殆《ほとん》ど|滅亡《めつぼう》に|瀕《ひん》したのであります。
|伊弉諾命《いざなぎのみこと》は|霊《れい》で、|伊弉冊命《いざなみのみこと》は|体《たい》であります。この|世《よ》の|中《なか》は|霊《れい》ばかりでもいけない、|即《すなは》ち|霊肉一致《れいにくいつち》でなければならぬのであります。|我《わが》|日本《にほん》は|霊主体従《れいしゆたいじゆう》の|教《をしへ》を|以《もつ》て、|世界《せかい》の|国魂《くにたま》を|生《い》かし、|世界《せかい》|万民《ばんみん》を|安育《あんいく》させて|行《ゆ》かねばならぬ|国《くに》であります。|世界《せかい》を|道義的《だうぎてき》に|精神文明《せいしんぶんめい》の|徳沢《とくたく》を|以《もつ》て、|全地球《ぜんちきう》|一切《いつさい》を|愛撫《あいぶ》すると|曰《い》ふ|至仁至愛《みろく》の|大御心《おほみこころ》から、|日《ひ》の|大神《おほかみ》が|地球《ちきう》を|完成《くわんせい》し|玉《たま》ふ|為《ため》に、|伊弉冊命《いざなみのみこと》に|会見《くわいけん》を|申込《まをしこ》み、|遥々《はるばる》と|御降《おくだ》りになつた|事《こと》であります。
『|其《そ》の|妹《いも》|伊弉冊命《いざなみのみこと》を|相見《あひみ》まく|欲《おもほ》して|黄泉国《よもつのくに》に|追往《おひい》でましき』といふ、この|黄泉国《よもつのくに》は|死後《しご》のことをいうたのでなくして、|今日《こんにち》の|全世界《ぜんせかい》の|状態《じやうたい》が|黄泉国《よもつのくに》であります。そこで|天《てん》から、|本当《ほんたう》の|神様《かみさま》が|下《くだ》つて|来《き》て|岩戸《いはと》の|騰戸《あげど》をば|少《すこ》し|開《ひら》いて|見《み》られたのであります。さうすると|世界《せかい》|各国《かくこく》、|戸《と》が|閉《しま》つてゐる。この|戸《と》といふことは|閥《ばつ》の|事《こと》でありまして、|門閥《もんばつ》だとか、|政党閥《せいたうばつ》だとか、|資本閥《しほんばつ》だとか、|学閥《がくばつ》だとか、|宗教閥《しうけうばつ》などいふものが|戸《と》であります。
その|戸《と》を|開《あ》けて、|伊弉諾命《いざなぎのみこと》が|曰《いは》れますには、『|我《あ》が|愛《うつ》くしき』と|云《い》ふ|事《こと》は、|要《えう》するに|地球《ちきう》の|国魂《くにたま》も|世界《せかい》|一般《いつぱん》の|人民《じんみん》も、|森羅万象《しんらばんしやう》|一切《いつさい》のものを|皆《みな》|愛《あい》し|玉《たま》ひての|御言葉《おことば》であります。すなはち|霊系《れいけい》と|体系《たいけい》と|相俟《あひま》つて、|美《うる》はしい|世界《せかい》を|作《つく》らむとしたが、|火《ひ》の|神《かみ》いはゆる|火力《くわりよく》|文明《ぶんめい》のために、|世界《せかい》は|黄泉国《よもつくに》と|化《な》つたのである。それで|今《いま》|一度《いちど》|元《もと》に|還《かへ》れと|曰《い》はれたのであります。この|太元《もと》に|還《かへ》れといふことは、|神《かみ》の|教《をしへ》に|従《したが》つて|神《かみ》が|改心《かいしん》し、|国魂《くにたま》が|改心《かいしん》し、|人民《じんみん》が|改心《かいしん》して、|上下一致《しやうかいつち》し|以《もつ》て|完全《くわんぜん》なる|国《くに》を|作《つく》らむとの|意味《いみ》であります。|即《すなは》ち|地球上《ちきうじやう》の|悪《あく》の|守護神《しゆごじん》に、|改心《かいしん》してくれといふことになります。
そこで|伊弉冊命《いざなみのみこと》は|答《こたへ》て|曰《いは》るるには、『|悔《くや》しきかも|速《と》く|来《き》まさずして、|吾《あ》は|黄泉戸喫《よもつへぐひ》しつ』とあります。これは|残念《ざんねん》なことを|致《いた》しました。|吾《われ》は|黄泉戸喫《よもつへぐひ》した。モウ|少《すこ》し|早《はや》く|御注意《ごちうい》|下《くだ》さらば、|茲《ここ》まで|地球上《ちきうじやう》の|一切《いつさい》は|腐敗《ふはい》せなかつたで|在《あ》らうに、|今日《こんにち》となつては|実《じつ》に|曇《くも》り|切《き》り、|濁《にご》り|切《き》り、|腐《くさ》り|切《き》りた|世《よ》の|中《なか》で|手《て》のつけやうもない。|往《ゆ》きも|戻《もど》りも、|上《あ》げも|下《おろ》しも、|二進《につち》も|三進《さつち》も|行《ゆ》かぬ|状態《じやうたい》であるといふ|意味《いみ》であります。
|即《すなは》ち|神《かみ》も、|吾《われ》も、|人《ひと》も、|共《とも》に|皆《みな》|汚《けが》されて|居《ゐ》ることでありますから、|天《てん》から|誠《まこと》の|神《かみ》が|御出《おいで》|下《くだ》さいまして、|地球《ちきう》が|破滅《はめつ》せむとするのを|直《なほ》してやらう、|完全《くわんぜん》なる|天国《てんごく》を|建設《けんせつ》してやらう、と|曰《いは》れますのは、|誠《まこと》に|恐《おそ》れ|多《おほ》い、|尊《たふと》い、|忝《かたじけ》ない|神《かみ》の|御言葉《おことば》でありますから、|私《わたくし》は|国魂《くにたま》|即《すなは》ち|世界《せかい》|一般《いつぱん》の|神人《しんじん》が|改心《かいしん》すれば、と|曰《い》ふ|事《こと》を『|還《かへ》りなむ』と|申《まを》すのである。しかし|一寸《ちよつと》|黄泉神《よもつがみ》と|相談《さうだん》して|見《み》ますから、それまで|御待《おま》ちを|願《ねが》ひますと|答《こた》へられたのであります。この|黄泉神《よもつがみ》といふのは、|現代《げんだい》の|暗黒《あんこく》|世界《せかい》を|支配《しはい》して|居《ゐ》る|各《かく》|体主霊従国《たいしゆれいじゆうこく》の|主権者《しゆけんしや》や|大統領《だいとうりやう》といふことでありまして、|相論《あげつら》うといふことは、|一応《いちおう》この|事《こと》を|相談《さうだん》して|見《み》ませう、|多勢《おほぜい》に|理《り》を|説《と》いて|聞《き》かせて、その|意見《いけん》を|聴《き》いて|見《み》ませうといふ|事《こと》であります。
|次《つぎ》に『|甚久《いとひさ》しく|待《ま》ちかねたまひき』といふのは、この|議論《ぎろん》が|一寸《ちよつと》や、そつとの|間《あひだ》に|纏《まと》まらずに、やれ|物質《ぶつしつ》|主義《しゆぎ》がよいとか、|金銀《きんぎん》|為本《ゐほん》がよいとか、|天産《てんさん》|自給《じきふ》だとか、いろいろの|議論《ぎろん》があつて、|二年《にねん》や|三年《さんねん》で|尽《つ》き|果《は》てぬのであります。|神様《かみさま》は|今《いま》ぢや|早《はや》ぢやというて|早《はや》く|改心《かいしん》せよと、|明治《めいぢ》|二十五年《にじふごねん》から|言《い》ひ|続《つづ》けに|言《い》はれて|御急《おいそ》ぎになつて|居《ゐ》るが、|黄泉神《よもつがみ》の|議論《ぎろん》は|中々《なかなか》|纏《まと》まらぬといふ|如《や》うな|意味《いみ》であります。
(大正九・一一・一 於五六七殿講演 外山豊二録)
(大正一一・二・一〇 旧一・一四 谷村真友再録)
第四一章 |言霊解《げんれいかい》三〔三九一〕
|次《つぎ》に『|左《ひだり》の|御美豆良《みみづら》に|刺《さ》させる|湯津津間櫛《ゆづつまぐし》の|男柱《をはしら》|一《ひと》つ|取《と》り|闕《か》きて|一《ひと》つ|火《び》ともして|入《い》り|見《み》ます|時《とき》に』といふ、この|左《ひだり》は|上《うへ》で、|右《みぎ》は|下《した》であつて、|左《ひだり》の|方《はう》といふのは|霊《れい》のかがみといふ|事《こと》であります。
|湯津津間櫛《ゆづつまぐし》といふのは、|総《すべ》ての|乱《みだ》れを|解《と》きわけるといふ|意味《いみ》で、|奇魂《くしみたま》の【くし】といふ|事《こと》にもなるのであります。この|櫛《くし》の|歯《は》の|一本《ひともと》を|闕《かき》て、その|上《うへ》に|火《ひ》を|点《とも》して|見《み》られたものであります。|即《すなは》ち|暗黒《あんこく》|世界《せかい》に|一寸《ちよつと》|霊《れい》の|火《ひ》をつけて|見《み》られた。|一《ひと》つ|火《び》は|一《ひと》つの|目《め》で、|日本《にほん》の|日《ひ》の|丸《まる》の|国旗《こくき》といふことになります。この|火《ひ》といふものは、|皆《みな》のものが|明光《めいくわう》を|尋《たづ》ねて|慕《した》ひ|寄《よ》つて|来《く》るといふ|意味《いみ》になるのであります。|即《すなは》ち|夏《なつ》の|虫《むし》が|火《ひ》を|見《み》て|寄《よ》つて|来《く》るとか|又《また》|航海者《かうかいしや》が|一《ひと》つの|燈台《とうだい》を|見《み》て|常《つね》に|港《みなと》へ|寄《よ》つて|来《く》るといふやうなもので、|誠《まこと》の|神《かみ》の|霊智《れいち》|霊光《れいくわう》の|発動《はつどう》であります。
【くし】は|明智《めいち》を|以《もつ》て|照《てら》すといふ|事《こと》で、|日《ひ》の|神《かみ》の|御光《みひかり》といふ|意味《いみ》になります。|即《すなは》ち|日《ひ》は|天《てん》に|一《ひと》つしかない|如《や》うに|天津日嗣《あまつひつぎ》も、|世界《せかい》に|一人《ひとり》しか|居《を》られないのであります。いはゆる|日《ひ》の|大御神《おほみかみ》の|御聖徳《ごせいとく》を|輝《かがや》かし|奉《たてまつ》るといふことが|一《ひと》つ|火《び》といふ|意味《いみ》になるのでありまして、この|日《ひ》の|大御神《おほみかみ》の|大御心《おほみこころ》を|以《もつ》て、|世界中《せかいぢう》を|調《しら》べて|見《み》る|即《すなは》ち|日本《にほん》の|国《くに》の|八咫《やあた》の|鏡《かがみ》で|照《てら》して|見《み》ると、|蛆《うじ》がたかつてとどろいて|居《を》つたのであります。|人間《にんげん》の|形《かたち》をして|居《を》つても、その|心《こころ》は|蛆《うじ》と|同《おな》じであるといふ|事《こと》で、|勝手気儘《かつてきまま》なことをしたり、|又《また》|言《い》つたりして|居《を》るといふことであります。
|次《つぎ》に『|御頭《みかしら》には|大雷《おほいかづち》|居《を》り』といふ|事《こと》は、|頭《あたま》すなはち|体主霊従国《たいしゆれいじゆうこく》の|主権者《しゆけんしや》とか、|大統領《だいとうりやう》とかのことで|大《おほ》きな|雷《いかづち》とは、|悪魔《あくま》とか、また|強《つよ》い|不可抗力《ふかかうりよく》とかいふことであります。よく|人《ひと》が|叱《しか》られた|時《とき》には、|雷《かみなり》が|落《お》ちたと|申《まを》しますが、|多人数《たにんずう》の|中《なか》に|天《てん》から|雷《かみなり》が|落《お》ちたといふ|意味《いみ》であります。
それから『|御胸《みむね》には|火雷《ほのいかづち》|居《を》り』といふことは、|言霊上《ことたまじやう》、|頭《あたま》は|天《てん》で、|胸《むね》は|大臣《だいじん》で、|火《ほ》の|雷《いかづち》とは|悪《わる》い|事《こと》を|考《かんが》へて|居《を》るものが|沢山《たくさん》に|潜《ひそ》んで|居《ゐ》る|事《こと》であります。これを|火《ほ》の|雷《いかづち》といふのであります。
|次《つぎ》に『|腹《はら》には|黒雷《くろいかづち》|居《を》り』と|云《い》ふことは、よく|人《ひと》の|悪《わる》いものを|指《さ》して|腹黒《はらぐろ》いといふやうに、|国民《こくみん》の|中堅《ちうけん》が|悪《あく》に|化《な》つて|居《を》るといふ|事《こと》であります。
|次《つぎ》に『|御陰《みほと》には|拆雷《さくいかづち》|居《を》り』といふのは、|国民《こくみん》にたとふれば、|百姓《ひやくしやう》とか|労働者《らうどうしや》といふ|事《こと》で、|拆《さ》くといふのは|引裂《ひきさ》くといふ|意味《いみ》であります。
|次《つぎ》に
『|左《ひだり》の|御手《みて》には|若雷《わかいかづち》|居《を》り、|右《みぎり》の|手《て》には|土雷《つちいかづち》|居《を》り』といふ|事《こと》は、|即《すなは》ち|左《ひだり》の|手《て》は|神《かみ》であれば|天津神《あまつかみ》であり、|人民《じんみん》であれば|上流《じやうりう》|社会《しやくわい》といふことで、|又《また》|右《みぎ》の|手《て》といふのは|神《かみ》であれば|地津神《くにつかみ》であり、|人民《じんみん》にたとふれば|下等《かとう》|社会《しやくわい》といふ|事《こと》になります。また|若雷《わかいかづち》の|若《わか》といふのは|本当《ほんたう》に|未《いま》だ|熟《じゆく》せない、|思想《しさう》が|固《かた》まらぬといふことで、|富豪《ふがう》|階級《かいきふ》の|青年《せいねん》とか、|大学生《だいがくせい》とか、|華族《くわぞく》の|令息《むすこ》とかいふ|意味《いみ》で、いはゆる|上流《じやうりう》|社会《しやくわい》の|若者《わかもの》の|精神《せいしん》|行為《かうゐ》が|荒《あ》れすさんで|居《を》るといふ|事《こと》であります。|次《つぎ》に|土雷《つちいかづち》の|土《つち》は|百姓《ひやくしやう》といふ|意味《いみ》で、|地主《ぢぬし》と|小作人《こさくにん》との|軋轢《あつれき》が|絶間《たえま》なくあるといふやうなことであります。
『|左《ひだり》の|足《あし》に|鳴雷《なるいかづち》、|右《みぎり》の|足《あし》に|伏雷《ふしいかづち》|居《を》り』と|云《い》ふ、この|鳴雷《なるいかづち》といふのは、|日本《につぽん》でも|外国《ぐわいこく》でも、|軍隊《ぐんたい》の|中《なか》に|鳴《な》り|渡《わた》る|悪《わる》い|思想《しさう》が、|空《そら》から|下《くだ》る|大雷《おほいかづち》|悪神《あくがみ》の|如《ごと》く、|伝《つた》はつて|居《を》るといふ|意味《いみ》であります。|右《みぎり》の|足《あし》に|伏雷《ふしいかづち》といふのは、|伏《ふ》せてある|悪魔《あくま》といふことで、|雷《いかづち》の|中《なか》でも|最《もつと》も|恐《おそ》ろしいものであります。|即《すなは》ち|人民《じんみん》にたとへると|悪化《あくくわ》せる|労働者《らうどうしや》とか|社会《しやくわい》|主義者《しゆぎしや》などといふことで、|悪思想《あくしさう》の|労働者《らうどうしや》がダイナマイトや|其《その》|他《た》を|以《もつ》て、|破壊的《はくわいてき》|陰謀《いんぼう》を|企《くはだ》てて、|隠《かく》れて|時期《じき》を|待《ま》つて|居《ゐ》るといふやうな|意味《いみ》であります。|実《じつ》に|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》はこの|通《とほ》りになつて|居《を》るのでありまして、|何千年《なんぜんねん》|前《ぜん》に|書《か》かれたものが|今日《こんにち》によく|適合《てきがふ》して|居《ゐ》るのであります。
|実《じつ》にこの|古事記《こじき》は|何時《いつ》|読《よ》んでも|適合《てきがふ》するものでありまして、|徳川《とくがは》|時代《じだい》にも|適合《てきがふ》すれば、|現代《げんだい》にも|適合《てきがふ》し、|将来《しやうらい》のことにも|当《あた》はまるもので、|古今《ここん》を|通《つう》じて|謬《あやま》らざる|所《ところ》の|実《じつ》に|尊《たふと》き|神文《しんもん》なる|所以《ゆゑん》であります。
|今日《こんにち》|吾人《ごじん》が|天下《てんか》|国家《こくか》の|為《ため》に、|神《かみ》の|大御心《おほみこころ》を|奉戴《ほうたい》して、|我《わ》が|同胞《どうはう》を|初《はじ》め|世界《せかい》を|覚醒《かくせい》し、|以《もつ》て|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|安楽国《あんらくこく》を|建設《けんせつ》せむとする、|真如《しんによ》の|大活動《だいくわつどう》を|天下《てんか》|挙《こぞ》つて|阻止《そし》|妨害《ばうがい》せむとするは、|恰《あたか》もこの|八種《やくさ》の|雷神《いかづちがみ》に|攻撃《こうげき》されて|居《を》るので|在《あ》ります。|大本《おほもと》は|一《ひと》つ|火《び》、すなはち|霊主体従《ひのもと》の|神教《しんけう》を|天下《てんか》に|宣伝《せんでん》するや、|頭《あたま》に|生《な》れる|大雷《おほいかづち》なる|大圧迫《だいあつぱく》が|大本《おほもと》の|頭上《づじやう》に|落下《らくか》して、|天下無二《てんかむに》なる|純忠《じゆんちう》|純義《じゆんぎ》の|神諭《しんゆ》の|発行《はつかう》を|禁止《きんし》し、|今日《こんにち》|到《いた》る|処《ところ》に、|大本《おほもと》|信仰者《しんかうしや》に|妨害《ばうがい》を|与《あた》へ、|神霊界《しんれいかい》を|購読《こうどく》せぬが|汝《なんぢ》の|為《ため》だとか、|大正日日《たいしやうにちにち》|新聞《しんぶん》を|読《よ》まないが|良《よ》いとか、|百方《ひやつぱう》|手《て》を|尽《つく》して|吾人《ごじん》|至誠《しせい》の|行動《かうどう》を|極力《きよくりよく》|妨害《ばうがい》しつつあるのは、|頭《あたま》に|大雷《おほいかづち》|鳴《な》り|居《を》ると|同様《どうやう》の|意義《いぎ》であります。
|次《つぎ》に『|御胸《みむね》には|火《ほ》の|雷《いかづち》|居《を》り』と|云《い》ふ|事《こと》は、|今日《こんにち》|学者《がくしや》|階級《かいきふ》とか、|知識《ちしき》|階級《かいきふ》とか、|大宗教家《だいしうけうか》とか|云《い》ふ|所《ところ》の|偽聖者《ぎせいしや》が、|挙《こぞ》つて|大本《おほもと》の|出現《しゆつげん》を|忌《い》み|嫌《きら》ひ、|百方《ひやつぱう》|火《ひ》の|如《ごと》き|激烈《げきれつ》なる|反対《はんたい》|演説《えんぜつ》や、|反対論《はんたいろん》を|新聞《しんぶん》や|雑誌《ざつし》|書籍《しよせき》|等《とう》に|掲載《けいさい》し、|以《もつ》て|天下《てんか》の|思想界《しさうかい》を|攪乱《かくらん》せむとする|石屋《いしや》の|手先《てさき》が|口《くち》の|続《つづ》くかぎり|筆《ふで》の|続《つづ》く|極《きは》み、|大々的《だいだいてき》|妨害《ばうがい》しつつあるは、|即《すなは》ち|胸《むね》に|居《を》る|火《ほ》の|雷《いかづち》であります。|大本《おほもと》の|機関《きくわん》|新聞《しんぶん》|雑誌《ざつし》を|教育家《けういくか》は|読《よ》むなとか、|軍隊内《ぐんたいない》には|入《い》れては|成《な》らぬとか、|吾人《ごじん》の|正義《せいぎ》|公道《こうどう》の|宣布《せんぷ》を|遮断《しやだん》せむとするは、いはゆる|火《ほ》の|雷《いかづち》|居《を》りと|云《い》ふ|事《こと》であります。
|次《つぎ》に『|御腹《みはら》には|黒雷《くろいかづち》|居《を》り』と|云《い》ふ|事《こと》は、|大本《おほもと》の|内部《ないぶ》へ、ある|種《しゆ》の|野心家《やしんか》が|或《あ》る|目的《もくてき》の|為《ため》に、|表面《へうめん》|信者《しんじや》と|見《み》せ|掛《か》け、|所在《あらゆる》|利己的《りこてき》|行動《かうどう》を|企画《きくわく》して、|神界《しんかい》より|看破《かんぱ》され、|除名《ぢよめい》の|処分《しよぶん》を|受《う》けたものが、|百方《ひやつぱう》|有《あ》りもせぬ|事《こと》を、|犬糞的《けんぷんてき》に|喧伝《けんでん》する|悪人輩《あくにんばら》の|沢山《たくさん》|潜伏《せんぷく》して|居《を》る|事《こと》であります。|現在《げんざい》の|大本《おほもと》の|内部《ないぶ》にも、|表面《へうめん》は|熱心《ねつしん》な|信者《しんじや》らしく|見《み》せ|掛《か》け、|神様《かみさま》を|道具《だうぐ》に|使《つか》つて|役員《やくゐん》となり、|各地《かくち》の|教信徒《けうしんと》を|籠絡《ろうらく》しつつ|在《あ》るのも、いはゆる|大本《おほもと》に|於《お》ける『|御腹《みはら》には|黒雷《くろいかづち》|居《を》り』の|意味《いみ》であります。
|大本《おほもと》|内部《ないぶ》へ|深《ふか》く|浸入《しんにふ》し|神様《かみさま》を|担《かつ》ぎ|出《だ》して|自己《じこ》|利益《りえき》のために|蠢動《しゆんどう》する|偽信者《にせしんじや》や、|偽役員《にせやくゐん》が|蛆虫然《うじむしぜん》として、|平気《へいき》な|顔《かほ》をして|活動《くわつどう》して|居《を》り、|幹部《かんぶ》の|役員《やくゐん》を、|目《め》の|敵《かたき》の|如《や》うに|言《い》ひ|罵《ののし》る|不正者《ふせいしや》の|現出《げんしゆつ》し、|又《また》は|潜在《せんざい》しつつあるのは|即《すなは》ち|黒雷《くろいかづち》が|居《を》ると|云《い》ふ|事《こと》であります。|国家《こくか》にしても、|又《また》これと|同様《どうやう》である|事《こと》を|忘《わす》れてはならぬのであります。
|次《つぎ》に『|御陰《みほと》には|拆雷《さくいかづち》|居《を》り』といふ|意味《いみ》は、|之《これ》を|大本《おほもと》にたとへると、|青年《せいねん》の|中《なか》に|潜《ひそ》んでゐる|不正《ふせい》|分子《ぶんし》が|種々《しゆじゆ》の|良《よ》からぬ|言行《げんかう》を|敢《あへ》てし、|折角《せつかく》|研《みが》きかけた|善良《ぜんりやう》|分子《ぶんし》までも|悪化《あくくわ》せしむる|如《ごと》き|行動《かうどう》を|採《と》り、|信者《しんじや》の|信念力《しんねんりよく》を|一角《いつかく》から、|破壊《はくわい》せむとする|様《やう》な|下級《かきふ》の|連中《れんぢう》である。|大本《おほもと》の|基礎《きそ》となり、|将来《しやうらい》の|柱石《ちうせき》となる|連中《れんちう》の、|悪化的《あくくわてき》|行動《かうどう》がいはゆる|拆雷《さくいかづち》|居《を》りといふ|事《こと》である。|之《これ》を|現代《げんだい》の|国家《こくか》に|譬《たとへ》ますと、|下級《かきふ》|農民《のうみん》や|労働者《らうどうしや》|階級《かいきふ》の|不良《ふりやう》|分子《ぶんし》の|悪化的《あくくわてき》|行動《かうどう》であります。
|次《つぎ》に『|左《ひだり》の|御手《みて》に|若雷《わかいかづち》|居《を》り』といふ|事《こと》を|大本《おほもと》に|於《おい》て|対照《たいせう》して|見《み》ると、|幹部《かんぶ》の|位置《ゐち》にある|若手《わかて》|連中《れんちう》の|誤解的《ごかいてき》|行動《かうどう》である。あまり|考《かんが》へ|過《す》ぎ|気《き》を|利《き》かし|過《す》ぎて、|間《ま》の|抜《ぬ》けた|言行《げんかう》を|敢《あへ》てするのが、|左《ひだり》の|手《て》の|若雷《わかいかづち》であります。|之《これ》を|世界《せかい》に|対照《たいせう》すると、|若年《じやくねん》の|士官《しくわん》や、|法官《はふくわん》や、|大学生《だいがくせい》の、|天地《てんち》|惟神《かむながら》の|大道《だいだう》を|無視《むし》する|連中《れんちう》のことである。|広《ひろ》い|天下《てんか》には|三人《さんにん》や|五人《ごにん》は|無《な》いとも|限《かぎ》らない。|大本《おほもと》にも、|一人《ひとり》や|二人《ふたり》は、|無《な》いとも|言《い》はれぬのであります。
|次《つぎ》に『|右《みぎり》の|御手《みて》には|土雷《つちいかづち》|居《を》り』と|云《い》ふ|事《こと》は、|之《これ》を|大本内《おほもとない》で|譬《たとへ》ると、|地方《ちはう》の|若《わか》い|信者《しんじや》や、|青年《せいねん》の|中《なか》の|不良《ふりやう》|分子《ぶんし》であつて、その|言行《げんかう》は|常《つね》に|大本《おほもと》の|経綸《けいりん》を、|大々的《だいだいてき》|妨害《ばうがい》する|連中《れんちう》の|事《こと》であります。|之《これ》を|世界《せかい》に|譬《たとへ》ると、|各地方《かくちはう》に|散在《さんざい》する|労働者《らうどうしや》とか、|工夫《こうふ》とか、|小作人《こさくにん》とかの|不健全《ふけんぜん》な|分子《ぶんし》の、|不良《ふりやう》な|計画《けいくわく》を|企《くはだ》ててをる|連中《れんちう》の|悪行《あくかう》|悪言《あくげん》であります。
|次《つぎ》に『|左《ひだり》の|御足《みあし》には|鳴雷《なるいかづち》|居《を》り』と|云《い》ふ|事《こと》は、|大本《おほもと》で|言《い》へば、|悪社会《あくしやくわい》と|戦闘《せんとう》する|所《ところ》の|言論《げんろん》|機関《きくわん》を|云《い》ふので、|布教者《ふけうしや》や|新聞《しんぶん》|社員《しやゐん》|等《とう》に|当《あた》るので、その|中《なか》に|不良《ふりやう》|分子《ぶんし》が|混入《こんにふ》して、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|尽力《じんりよく》してゐながら|却《かへ》つて|神界《しんかい》の|御経綸《ごけいりん》の|妨害《ばうがい》して|居《を》るものの|潜《ひそ》み|居《ゐ》ると|云《い》ふ|事《こと》であります。|之《これ》を|世界《せかい》に|対照《たいせう》する|時《とき》は、|陸海軍《りくかいぐん》の|中《なか》にも|種々《しゆじゆ》の|危険《きけん》なる|思想《しさう》や|主義《しゆぎ》が|潜入《せんにふ》して|居《を》ると|言《い》ふ|事《こと》であります。
|次《つぎ》に『|右《みぎり》の|足《あし》には|伏雷《ふしいかづち》|居《を》り』と|云《い》ふ|事《こと》は|之《これ》を|大本《おほもと》で|譬《たとへ》ると、『|禍《わざはひ》は|下《した》から』と|云《い》ふ|譬《たとへ》の|通《とほ》り、|神《かみ》の|道《みち》も、|人《ひと》の|道《みち》も、|何《なに》も|分《わか》らぬ|不良《ふりやう》なる|偽信者《にせしんじや》が|幹部《かんぶ》から|何《なに》か|一度《いちど》|親切《しんせつ》|上《じやう》から|忠告《ちゆうこく》を|受《う》けると、その|親切《しんせつ》を|逆《ぎやく》に|感受《かんじゆ》し、|非常《ひじやう》に|立腹《りつぷく》して|何《なに》か|幹部《かんぶ》の|連中《れんちう》に|欠点《けつてん》でも|在《あ》つたら、|之《これ》を|発表《あばい》てやらうと|自分《じぶん》の|過失《かしつ》を|棚《たな》へ|上《あ》げて|置《お》いて、|上《うへ》の|役員《やくゐん》ばかりを|恨《うら》んで|居《を》る|連中《れんちう》の|如《や》うなものであります。|之《これ》を|世界《せかい》に|対照《たいせう》する|時《とき》は、|政府《せいふ》|顛覆《てんぷく》の|陰謀《いんぼう》を|企《くはだ》てて|居《を》るとか、|爆弾《ばくだん》を|密造《みつざう》して、|機《き》を|見《み》て|暴動《ばうどう》を|開始《かいし》せむとか、|常《つね》に|考《かんが》へてをる|不良《ふりやう》|分子《ぶんし》が|世界《せかい》には|潜《ひそ》んで|居《を》る、といふ|意義《いぎ》を|指《さ》して、『|右《みぎり》の|足《あし》には|伏雷《ふしいかづち》|居《を》り』と|言《い》ふのであります。
『|是《ここ》に|伊弉諾命《いざなぎのみこと》、|見畏《みかしこ》みて|逃返《にげかへ》ります|時《とき》に、|其《その》|妹《いも》|伊弉冊命《いざなみのみこと》、|吾《われ》に|辱《はぢ》|見《み》せたまひつ、と|言《まを》したまひて、|即《すなは》ち|黄泉醜女《よもつしこめ》を|遣《つか》はしめて|追《お》はしめき』
|教組《けうそ》の|御神諭《ごしんゆ》に『|神《かみ》は|世界《せかい》の|人民《じんみん》を|助《たす》けて、|松《まつ》の|世《よ》|神《かみ》の|世《よ》と|立替《たてか》へて、|立派《りつぱ》な|水晶《すゐしやう》の|世界《せかい》に|致《いた》してやり|度《た》いと|思《おも》うて、|三千年《さんぜんねん》も|世《よ》に|隠《かく》れて|居《を》りたが、モウ|斯《か》うして|置《お》いては|世《よ》が|立《た》たぬやうに|成《な》りたから、|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて|三千世界《さんぜんせかい》を|善一筋《ぜんひとすぢ》の|五六七《みろく》の|神政《しんせい》に|致《いた》して、|神《かみ》も、|仏事《ぶつじ》も、|人民《じんみん》も|勇《いさ》んで|暮《くら》す、|結構《けつこう》な|神国《しんこく》の|世《よ》に|致《いた》して|喜《よろこ》ばしたいと|思《おも》うて|苦労《くらう》を|致《いた》して|居《を》るが、|神《かみ》が|思《おも》うたよりも|非道《ひど》い|余《あま》りの|曇《くも》り|様《やう》で、そこら|辺《あた》りが|汚《きたな》うて|片足《かたあし》|踏《ふ》み|込《こ》む|処《ところ》も、|指一本《ゆびいつぽん》|突《つ》く|場所《とこ》も|無《な》いとこまで|腐《くさ》りて|居《を》るから、|神《かみ》も|手《て》の|付《つ》けやうが|無《な》いなれど、|神《かみ》は|世界《せかい》を|助《たす》けたいのが、|一心《いつしん》の|願《ねが》ひであるから、|泥《どろ》にまみれて|人民《じんみん》を|助《たす》けたさに|世《よ》に|落《お》ちて|苦労《くらう》|艱難《かんなん》を|致《いた》して|居《ゐ》るぞよ』との|御言葉《おことば》は|古事記《こじき》|御本文《ごほんぶん》の『|見畏《みかしこ》みて』と|云《い》ふ|事《こと》である。『|逃《に》げて|返《かへ》ります|時《とき》に』と|云《い》ふ|事《こと》は、|余《あま》りの|矛盾《むじゆん》|撞着《どうちやく》に|呆《あき》れられた|事《こと》である。|例《たと》へば|至誠《しせい》|至忠《しちう》|思国《しこく》の|為《ため》に、|日夜《にちや》|辛酸《しんさん》を|嘗《な》めてをる|吾々《われわれ》に|対《たい》して、|却《かへつ》て|危険《きけん》|人物《じんぶつ》|扱《あつか》ひをなし|布教先《ふけうさき》まで、|監視《かんし》を|附《ふ》せられるが|如《ごと》きは|実《じつ》に|当局《たうきよく》の|本心《ほんしん》なるかを|疑《うたが》はねばならぬ|様《やう》になるのである。
|斯様《かやう》なる|社会《しやくわい》の|矛盾《むじゆん》に、|神様《かみさま》も|驚《おどろ》いて|跣足《はだし》で|御逃《おに》げになると|云《い》ふ|事《こと》が『|見畏《みかしこ》みて|逃返《にげかへ》ります』と|云《い》ふ|事《こと》になるのであります。
(大正九・一一・一 於五六七殿講演 外山豊二録)
(大正一一・二・一一 旧一・一五 谷村真友再録)
第四二章 |言霊解《げんれいかい》四〔三九二〕
『|其《その》|妹《いも》|伊弉冊命《いざなみのみこと》|吾《われ》に|辱《はぢ》|見《み》せたまひつと|言《まを》したまひて、|即《すなは》ち|黄泉醜女《よもつしこめ》を|遣《つか》はして|追《お》はしめき』と|云《い》ふ|事《こと》は、|以上《いじやう》の|如《ごと》くに|乱《みだ》れ|果《は》てたる|醜状《しうじやう》を、|神《かみ》の|光《ひかり》なる|一《ひと》つ|火《び》に|照《て》らされ、|面《つら》の|皮《かは》を|曳剥《ひきめく》られて|侮辱《ぶじよく》されたと|言《い》つて、|大本《おほもと》であれば|心《こころ》に|当《あた》る|醜悪《しうあく》なる|教信徒《けうしんと》が|一生懸命《いつしやうけんめい》に|大本《おほもと》や|教主《けうしゆ》に|反抗《はんかう》すると|云《い》ふことであり、|世界《せかい》で|言《い》へば、|益々《ますます》|立腹《りつぷく》して|大本《おほもと》を|圧迫《あつぱく》し、|窮地《きうち》に|陥《おとしい》れむとする|人物《じんぶつ》の|出現《しゆつげん》すると|云《い》ふ|事《こと》で|在《あ》るから、|誠《まこと》の|教《をしへ》を|開《ひら》くと|云《い》ふ|事《こと》は、|随分《ずゐぶん》|六ケ敷《むつかしき》|事業《じげふ》であります。|今日《こんにち》のやうな|無明《むみやう》|闇黒《あんこく》の|社会《しやくわい》に|容《い》れられる|様《やう》な|教《をしへ》なら|別《べつ》に|苦労《くらう》|艱難《かんなん》は|要《い》らぬ、|四方《しはう》|八方《はつぱう》から|持《も》て|囃《はや》されるで|在《あ》らうが、その|様《やう》な|教《をしへ》なら|現代《げんだい》を|覚醒《かくせい》し、|人心《じんしん》を|改造《かいざう》する|事《こと》は|出来《でき》ない。|国家《こくか》を|泰山《たいざん》の|安《やす》きに|置《お》き|奉《たてまつ》らむとするの|志士《しし》|仁人《じんじん》は|凡《すべ》ての|迫害《はくがい》と|戦《たたか》ひ、|総《すべ》ての|悪魔《あくま》に|打《う》ち|克《か》ち、|身《み》を|以《もつ》て|天下《てんか》に|当《あた》るの|勇猛心《ゆうまうしん》を|要《えう》するのであります。|黄泉醜女《よもつしこめ》は|決《けつ》して|悪《わる》い|魔女《まぢよ》の|事《こと》では|無《な》い。|今日《こんにち》の|人間《にんげん》は|上下《しやうか》|共《とも》に|男《をとこ》も|女《をんな》も、|八九分《はちくぶ》|通《どほ》りまで|醜女《しこめ》であります。|何処《どこ》にも|一点《いつてん》の|男子《だんし》らしき、|勇壮《ゆうさう》なる|果断《くわだん》なる|意気《いき》を|認《みと》むる|事《こと》は|出来《でき》ぬ。|斯《こ》ういふやうな|黄泉醜女《よもつしこめ》らが、|大本《おほもと》の|一《ひと》つ|火《び》の|明光《めいくわう》に|照《てら》されて、|夏《なつ》の|虫《むし》の|如《ごと》くに|消《け》しに|来《き》ては|却《かへ》つて|自分《じぶん》が|大怪我《おほけが》をするのであります。|今日《こんにち》の|大本《おほもと》は|四方《しはう》|八方《はつぱう》から|攻《せ》め|立《た》てられ、|人民《じんみん》を|保護《ほご》す|可《べ》き|職《しよく》に|在《あ》る|人々《ひとびと》までが、|時《とき》には|逆様《さかさま》に|攻撃《こうげき》|妨害《ばうがい》を|加《くは》へむとして|居《ゐ》るのであります。|是《これ》が|大本《おほもと》を|四方突醜目《よもつしこめ》で|見《み》てをると|云《い》ふのであります。
|然《しか》し|至誠《しせい》|思国《しこく》の|吾々《われわれ》|大本人《おほもとびと》は、|所在《あらゆる》|総《すべ》ての|圧迫《あつぱく》と、|妨害《ばうがい》に|打《う》ち|克《か》つ|為《ため》に、|一《ひと》つの|力《ちから》を|貯《たくは》へねば|成《な》らぬ|如《ごと》く、|世界《せかい》に|対《たい》しても|我国《わがくに》は、|充分《じゆうぶん》の|準備《じゆんび》を|整《ととの》へねばならぬ。|即《すなは》ち|神典《しんてん》に|所謂《いはゆる》|黒御鬘《くろみかづら》を|投《な》げ|打《う》つて|掛《かか》らねば|成《な》らぬのであります。
『|爾《かれ》|伊弉諾命《いざなぎのみこと》|黒御鬘《くろみかづら》を|取《と》りて|投《な》げ|棄《す》て|玉《たま》ひしかば、|乃《すなは》ち|蒲子《ゑびかづらのみ》|生《な》りき』
|之《これ》を|今日《こんにち》の|大本《おほもと》に|譬《たと》へると、|幽玄《くろき》|美《うる》はしき|神《かみ》の|御教《みをしへ》を、|天下《てんか》に|宣伝《せんでん》する|事《こと》を『|投《な》げ|棄《す》て|玉《たま》ひき』といふのであります。『|蒲子《ゑびかづらのみ》|生《な》りき』と|云《い》ふ|事《こと》は、|美《うる》はしき|誠《まこと》の|新信者《しんしんじや》が|出来《でき》たと|云《い》ふ|事《こと》であります。|黄泉神《よもつかみ》|醜女《しこめ》は、また|之《これ》に|向《むか》つて|一人々々《ひとりひとり》に|種々《しゆじゆ》の|圧迫《あつぱく》|妨害《ばうがい》を|加《くは》へると|云《い》ふ|事《こと》が、『|是《これ》を|拾《ひろ》ひ|食《は》む』と|云《い》ふのであります。|何《いづ》れの|教子《をしへご》にも|悉《ことごと》く|四方突軍《よもついくさ》が|御蔭《おかげ》を|堕《おと》さしに|廻《まは》つて|居《を》る。その|間《あひだ》に|又《また》|一《ひと》つの|戦闘《せんとう》|準備《じゆんび》に|着手《ちやくしゆ》する|事《こと》を『|逃《に》げ|出《い》でますを』と|云《い》ふのであります。
『|猶《なほ》|追《お》ひしかば、|亦《また》|其《そ》の|右《みぎり》の|御角髪《みみづら》に|刺《さ》せる、|湯津津間櫛《ゆづつまぐし》を|引闕《ひきかぎ》て、|投《な》げ|棄《す》てたまひしかば|乃《すなは》ち|笋《たかむら》|生《な》りき』
|蒲子《ゑびかづらのみ》とも|言《い》ふべき|信仰《しんかう》の|若《わか》い|信者《しんじや》を、|片端《かたつぱし》から|追詰《おひつ》め|引落《ひきおと》しにかけ|乍《なが》ら、なほもそれに|飽《あ》き|足《た》らずして、|大々的《だいだいてき》|妨害《ばうがい》を|加《くは》へむとの|乱暴《らんばう》には、|神《かみ》も|終《つひ》に|堪忍袋《かんにんぶくろ》の|緒《を》が|断《き》れたので、|右《みぎ》の|御角髪《みみづら》にまかせる|湯津津間櫛《ゆづつまぐし》を|引闕《ひきかぎ》て、|乃《すなは》ち|神界《しんかい》の|一輪《いちりん》|咲《さ》いた|梅《うめ》の|花《はな》の|経綸《しぐみ》を|表顕《あらは》して、|所在《あらゆる》|四方突醜女《よもつしこめ》に|向《むか》つて|宣伝《せんでん》した|所《ところ》が、|終《つひ》に|箏《たかむら》と|云《い》ふ、|上流《じやうりう》|貴紳《きしん》の|了解《れうかい》を|得《え》、|至誠《しせい》|天《てん》に|通《つう》じて、いよいよ|大本《おほもと》の|使命《しめい》の|純忠《じゆんちう》|純良《じゆんりやう》なる|事《こと》を、|天下《てんか》に|知《し》らるるやうに|成《な》るのを|箏《たかむら》|生《な》りきと|云《い》ふのであります。|是《これ》は|全地球上《ぜんちきうじやう》の|出来事《できごと》に|対《たい》する|御神書《ごしんしよ》であれども、|総《すべ》ての|信徒《しんと》に|了解《れうかい》の|出来《でき》|易《やす》いやうに、|現今《げんこん》の|大本《おほもと》と|将来《しやうらい》の|大本《おほもと》の|使命《しめい》を|引用《いんよう》して、|説明《せつめい》を|下《くだ》したのであります。
『|是《これ》を|抜《ぬ》き|食《は》む|間《あひだ》に|逃行《にげい》でましき』
またまた|邪神《じやしん》の|頭株《あたまかぶ》が、|大本《おほもと》の|折角《せつかく》の|経綸《しぐみ》を|破壊《はくわい》せむと、|百方《ひやつぱう》|苦心《くしん》しつつ|在《あ》る|内《うち》に、いよいよ|神国《しんこく》の|危急《ききふ》を|救《すく》ふ|可《べ》き、|諸々《もろもろ》の|準備《じゆんび》を|整《ととの》へ、|何時《なんどき》にても|身命《しんめい》を|国家《こくか》に|捧《ささ》げ|奉《たてまつ》つて、|君国《くんこく》を|守《まも》るべき|用意《ようい》を|整《ととの》へて|行《ゆ》くと|云《い》ふ|事《こと》が、『|是《これ》を|抜《ぬ》き|食《は》む|間《あひだ》に|逃行《にげい》でましき』と|云《い》ふ|意義《いぎ》であります。
『|旦《また》|後《あと》には|其《そ》の|八種《やくさ》の|雷神《いかづちがみ》に|千五百《ちいほ》の|黄泉軍《よもついくさ》を|副《そ》へて|追《お》はしめき』
|之《これ》を|大本《おほもと》に|譬《たと》へて|見《み》ると、|八種《やくさ》の|雷《いかづち》(|前《まへ》に|詳述《しやうじゆつ》)に|加《くは》ふるに|社会《しやくわい》|主義者《しゆぎしや》または|仏教家《ぶつけうか》、|基督《キリスト》|教徒《けうと》などの、|数限《かずかぎ》りなき|露骨《ろこつ》なる|運動《うんどう》を|起《おこ》して、|力《ちから》|限《かぎ》り|攻撃《こうげき》の|矢《や》を|向《む》け|来《きた》る|事《こと》であります。|之《これ》を|世界《せかい》に|対照《たいせう》する|時《とき》は、|前述《ぜんじゆつ》の|八種《やくさ》の|悪魔《あくま》の|潜在《せんざい》する|上《うへ》に、|千五百軍《ちいほいくさ》|即《すなは》ち|或《あ》る|国《くに》から、|日本《にほん》の|霊主体従《れいしゆたいじゆう》なる|神国《しんこく》を|攻《せ》めて|来《く》ると|云《い》ふ|事《こと》になるのであります。|黄泉軍《よもついくさ》と|云《い》ふことは、|占領《せんりやう》とか、|侵略《しんりやく》とか、|利権《りけん》|獲得《くわくとく》とか、|良《よ》からぬ|目的《もくてき》の|為《ため》に|戦《たたか》ひを|開《ひら》く|国《くに》の|賊軍隊《ぞくぐんたい》の|謂《ゐ》ひであります。
『|爾《かれ》|御佩《みはか》せる|十拳剣《とつかのつるぎ》を|抜《ぬ》きて、|後手《しりへで》に|揮《ふ》きつつ|逃《に》げ|来《き》ませるを』
|霊主体従《れいしゆたいじゆう》の|神軍《しんぐん》は|戦備《せんび》を|整《ととの》へながら|即《すなは》ち|十拳剣《とつかのつるぎ》を|抜《ぬ》きながら、|充分《じゆうぶん》に|隠忍《いんにん》し|敢《あへ》て|戦《たたか》はず、なるべく|世界《せかい》|人類《じんるゐ》|平和《へいわ》の|為《た》め、|治国安民《ちこくあんみん》の|為《ため》に|言向平和《ことむけやは》さむとする|意味《いみ》を|指《さ》して『|後手《しりへで》に|揮《ふ》きつつ|逃《に》げ|来《き》ませる』と|云《い》ふのであります。
『|其《そ》の|坂本《さかもと》なる|桃《もも》の|子《み》を|三個《さんこ》|取《と》りて|待撃《まちう》ちたまひしかば|悉《ことごと》く|逃《に》げ|帰《かへ》りき』
【ヒラサカ】の【ヒ】の|言霊《ことたま》は|明徹《めいてつ》|也《なり》、|尊厳《そんげん》|也《なり》、|顕幽《けんいう》|皆《みな》|貫徹《くわんてつ》する|也《なり》、|照智《せうち》|也《なり》、|光明遍照《くわうみやうへんぜう》|十方世界《じつぱうせかい》|也《なり》、|日《ひ》の|朝《あさ》|也《なり》、|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》|五六七《みろく》の|神徳《しんとく》|也《なり》。【ラ】の|言霊《ことたま》は、|高皇産霊神《たかみむすびのかみ》|也《なり》、|霊系《れいけい》の|大本《おほもと》|也《なり》、|無量寿《むりやうじゆ》の|大基《だいき》|也《なり》、|本末一貫《ほんまついつくわん》|也《なり》。
【サ】の|言霊《ことたま》は|◎《す》に|事《こと》ある|也《なり》、|栄《さか》ゆ|也《なり》、|水《みづ》の|音《おと》|也《なり》、|水《みづ》の|精《せい》|也《なり》。
【カ】の|言霊《ことたま》は、|蒙《かぶ》せ|覆《おほ》ふ|也《なり》、|光《ひか》り|輝《かがや》く|也《なり》、|懸《か》け|出《だ》し|助《たす》くる|也《なり》。
|以上《いじやう》【ヒラサカ】|四言霊《しげんれい》の|活用《くわつよう》を|約《つづ》むる|時《とき》は、|尊厳《そんげん》|無比《むひ》にして|六合《りくがふ》を|照《てら》し、|世界《せかい》を|統一《とういつ》し|以《もつ》て|仁慈《じんじ》を|施《ほどこ》し、|霊系《れいけい》の|大本神《だいほんしん》たる|日《ひ》の|大神《おほかみ》の|本末一貫《ほんまついつくわん》の|徳《とく》と、|万世一系《ばんせいいつけい》の|皇徳《くわうとく》を|備《そな》へ、|◎《す》に|変《へん》ある|時《とき》は、|水《みづ》の|精《せい》なる|月光《げつくわう》|世《よ》に|出《い》で、|皇国《くわうこく》の|栄《さか》えを|守《まも》り、|隠忍《いんにん》したる|公憤《こうふん》を|発《はつ》して、|駆《か》け|出《だ》し|向《むか》ひ|戦《たたか》ひ、|神威《しんゐ》|皇徳《こうとく》を|世界《せかい》に|輝《かがや》かすてふ、|神軍《しんぐん》の|謂《ゐ》ひであります。
また|坂本《さかもと》は|神国《しんこく》の|栄《さか》え|行《ゆ》く|大元《おほもと》といふ|事《こと》であります。|大本《おほもと》といふも|坂本《さかもと》の|意義《いぎ》である。|桃《もも》は|百《もも》の|意義《いぎ》で、|諸々《もろもろ》の|武士《ぶし》といふ|事《こと》であります。|霊主体従《れいしゆたいじゆう》|日本魂《やまとだましひ》の|種子《たね》が|乃《すなは》ち|桃《もも》の|実《み》であります。『|三箇《さんこ》|取《と》りて|待《ま》ち|討《う》ちたまひし』とは|日本《につぽん》|男子《だんし》の|桃太郎《ももたらう》が、|智仁勇《ちじんゆう》に|譬《たと》へたる、|猿《さる》|犬《いぬ》|雉《きじ》を|以《もつ》て、|戦《たたか》ふと|云《い》ふ|事《こと》であります。|猿《さる》は|智《ち》に|配《はい》し、|雉《きじ》は|仁《じん》に|配《はい》し、|犬《いぬ》は|勇《ゆう》に|配《はい》するのであります。また|三《み》ツと|云《い》ふ|事《こと》は、|変性女子《へんじやうによし》なる|三女神《さんぢよしん》の|瑞霊《みづ》の|御魂《みたま》であります。そこで|三《み》ツの|御魂《みたま》|即《すなは》ち|十拳剣《とつかのつるぎ》の|精《せい》なる|神《かみ》の|教《をしへ》に|依《よつ》て|悠然《いうぜん》として、|待《ま》ち|討《う》ちたまうた|時《とき》に、|黄泉軍《よもついくさ》は|悉《ことごと》く|敗軍《はいぐん》|遁走《とんそう》して|了《しま》つたと|云《い》ふ|意義《いぎ》であります。
『|爾《ここ》に|伊弉諾命《いざなぎのみこと》|桃子《もものみ》に|告《の》り|曰《たま》はく。|汝《なれ》|吾《あ》を|助《たす》けし|如《ごと》、|葦原《あしはら》の|中《なか》つ|国《くに》に、|有《あ》らゆる|現在《うつしき》|人民《あをひとぐさ》の|苦瀬《うきせ》に|落《お》ちて|苦患《くるしま》む|時《とき》に、|助《たす》けてよと|告《の》りたまひて、|意富加牟豆美命《おほかむづみのみこと》といふ|名《な》を|賜《たま》ひき』
|茲《ここ》に|於《おい》て|日《ひ》の|大神様《おほかみさま》から、|聖《せい》なる|至誠《しせい》の|団体《だんたい》や、|三《み》つの|御魂《みたま》に|向《むか》つて、|能《よ》く|忠誠《ちうせい》を|尽《つく》し、|国難《こくなん》を|救《すく》うて|呉《く》れたと、|御賞《おほ》めになり、なほ|重《かさ》ねて|世界《せかい》|人民《じんみん》が|戦争《せんそう》の|為《ため》に、|塗炭《とたん》の|苦《くるし》みを|受《う》けるやうな|事《こと》が、|今後《こんご》において|万一《まんいち》にも|出来《しゆたい》したら、|今度《こんど》のやうに|至誠《しせい》|報国《はうこく》の|大活躍《だいくわつやく》をして、|天下《てんか》の|万民《ばんみん》を|救《すく》うて|遣《や》つて|呉《く》れよ。|汝《いまし》にはその|代《かは》りに|意富加牟豆美命《おほかむづみのみこと》と|名《な》を|賜《たま》うと|仰《あふ》せになつたのであります。この【オホカムツミ】の|言霊《ことたま》を|奉釈《ほうしやく》すると|次《つぎ》の|如《ごと》くであります。
【オ】の|言霊《ことたま》は、|霊治《れいぢ》|大道《だいだう》の|意《い》である。
【ホ】の|言霊《ことたま》は、|透逸《とういつ》|卓出《たくしゆつ》の|意《い》である。
【カ】の|言霊《ことたま》は、|神霊《しんれい》|活気《くわつき》|凛々《りんりん》の|意《い》である。
【ム】の|言霊《ことたま》は、|組織《そしき》|親睦《しんぼく》|国家《こくか》の|意《い》である。
【ツ】の|言霊《ことたま》は、|永遠無窮《えいゑんむきゆう》に|連続《れんぞく》の|意《い》である。
【ミ】の|言霊《ことたま》は、|瑞《みづ》の|身魂《みたま》|善美《ぜんび》の|意《い》である。
|之《これ》を|一言《いちげん》に|約《つづ》むる|時《とき》は、|霊徳発揚神威活躍平和統一高照祥光瑞霊神剣発動《おほかむづみ》の|神《かみ》といふことであります。|即《すなは》ち|惟神《かむながら》の|大道《たいだう》を|天下《てんか》に|宣伝《せんでん》する|至誠《しせい》|至忠《しちう》の|聖団《せいだん》にして、|忠良《ちうりやう》なる|柱石神《ちうせきしん》なりとの|御賞詞《ごしやうし》であります。アヽ|現代《げんだい》の|世態《せたい》に|対《たい》し、|神《かみ》の|大命《たいめい》を|奉《ほう》じて|日本《にほん》|神国《しんこく》のために|身心《しんしん》を|捧《ささ》げ、|麻柱《あななひ》の|大道《たいだう》を|実行《じつかう》する|大神津見命《おほかむづみのみこと》は、|今《いま》|何処《いづこ》に|活躍《くわつやく》するぞ。|天下《てんか》の|濁流《だくりう》を|清《きよ》め|妖雲《えううん》を|一掃《いつさう》し、|災禍《さいくわ》を|滅《ほろぼ》し、|世界《せかい》|万有《ばんいう》を|安息《あんそく》せしむる|神人《しんじん》は、|今《いま》や|何処《いづこ》に|出現《しゆつげん》せむとする|乎《か》。|実《じつ》に|現代《げんだい》は|黄泉比良坂《よもつひらさか》の、|善悪正邪《ぜんあくせいじや》|治乱興廃《ちらんこうはい》の|別《わか》るる|大峠《おほたうげ》の|上《あが》り|口《ぐち》であります。
(大正九・一一・一 於五六七殿 外山豊二録)
(大正一一・二・一一 旧一・一五 谷村真友再録)
第四三章 |言霊解《げんれいかい》五〔三九三〕
『|最後《いやはて》に|其《その》|妹《いも》|伊弉冊命《いざなみのみこと》、|身《み》|自《みづか》ら|追来《おひき》ましき』
|今《いま》までは、|千五百《ちいほ》の|黄泉軍《よもつぐん》を|以《もつ》て|攻撃《こうげき》に|向《むか》つて|来《き》たのが、|最後《さいご》には|世界《せかい》|全体《ぜんたい》が|一致《いつち》して|日《ひ》の|神《かみ》の|御国《みくに》へ|攻《せ》め|寄《よ》せて|来《き》たと|云《い》ふ|事《こと》は、|伊弉冊命《いざなみのみこと》|身自《みみづか》ら|追《お》ひ|来《き》ましきといふ|意義《いぎ》であります。|是《これ》が|最后《さいご》の|世界《せかい》の|大峠《おほたうげ》であります。すなはち|神軍《しんぐん》と|魔軍《まぐん》との|勝敗《しようはい》を|決《けつ》する、|天下《てんか》|興亡《こうばう》の|一大《いちだい》|分水嶺《ぶんすゐれい》であります。
『|爾《すなは》ち|千引岩《ちびきいは》を、|其《そ》の|黄泉比良坂《よもつひらさか》に|引塞《ひきさ》へて、|一日《ひとひ》に|千頭《ちがしら》|絞《くび》り|殺《ころ》さむと|申《まを》したまひき』
|千引岩《ちびきいは》とは、|非常《ひじやう》に|重量《ぢうりやう》の|在《あ》る|千万人《せんまんにん》の|力《ちから》を|以《もつ》てせざれば、|微躯《びく》とも|動《うご》かぬ|岩《いは》といふ|意義《いぎ》であります。|千引岩《ちびきいは》は|血日国金剛数多《ちびきいは》といふ|意義《いぎ》で、|君国《くんこく》を|思《おも》ふ|赤誠《せきせい》の|血《ち》の|流《なが》れたる|大金剛力《だいこんがうりき》の|勇士《ゆうし》の|群隊《ぐんたい》と|云《い》ふことであつて、|国家《こくか》の|干城《かんじやう》たる|忠勇無比《ちうゆうむひ》の|軍人《ぐんじん》のことであります。また|国家《こくか》|鎮護《ちんご》の|神霊《しんれい》の|御威徳《ごゐとく》も、|国防軍《こくばうぐん》も|皆《みな》|千引岩《ちびきいは》であつて、|侵入《しんにふ》し|来《きた》る|魔軍《まぐん》を|撃退《げきたい》し|又《また》は|防止《ばうし》する|兵力《へいりよく》の|意義《いぎ》であります。
『|中《なか》に|置《お》き|事戸《ことど》を|渡《わた》す』と|云《い》ふ|事《こと》は、|霊主体従《れいしゆたいじゆう》の|国家《こくか》|国民《こくみん》と、|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|国家《こくか》|国民《こくみん》とは、|到底《たうてい》|融合《ゆうがふ》|親睦《しんぼく》の|望《のぞ》みは|立《た》たぬ。|堂《だう》しても|天賦的《てんぷてき》に、|国魂《くにたま》が|異《ことな》つて|居《を》るから、|神国《しんこく》の|行《や》り|方《かた》、|異国《いこく》(|黄泉国《よもつのくに》)はその|国魂《くにたま》|相応《さうおう》の|行《や》り|方《かた》で、|霊主体従国《れいしゆたいじゆうこく》と|体主霊従国《たいしゆれいじゆうこく》とを|立別《たてわけ》ると|云《い》ふ|神勅《しんちよく》が|事戸《ことど》を|渡《わた》すと|云《い》ふ|事《こと》であります。
|善一筋《ぜんひとすぢ》の|政治《せいぢ》や|神軍《しんぐん》の|兵法《へいはふ》は、|体主霊従国《たいしゆれいじゆうこく》の|軍法《ぐんぱふ》とは|根本的《こんぽんてき》に|相違《さうゐ》して|居《を》るから、|一切《いつさい》を|茲《ここ》に|立別《たてわけ》て、|霊主体従国《れいしゆたいじゆうこく》は|霊主体従国《れいしゆたいじゆうこく》の|世《よ》の|持方《もちかた》、|体主霊従《たいしゆれいじゆう》は|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|世《よ》の|治《をさ》め|方《かた》と、|区別《くべつ》を|付《つ》けられた|事《こと》であります。|要《えう》するに|神国《しんこく》の|土地《とち》へは、|黄泉軍《よもつぐん》の|不良《ふりやう》|分子《ぶんし》は|立入《たちい》るべからずとの|御神勅《ごしんちよく》であります。|人皇《じんくわう》|第十代《だいじふだい》|崇神天皇《すじんてんわう》|様《さま》が、|皇運《くわううん》|発展《はつてん》の|時機《じき》を|待《ま》たせ|玉《たま》ふ|御神慮《ごしんりよ》より、|光《ひかり》を|和《やはら》げ|塵《ちり》に|同《まじ》はりて、|海外《かいぐわい》の|文物《ぶんぶつ》を|我国《わがくに》に|輸入《ゆにふ》せしめ|玉《たま》ひし|如《ごと》く、|何時《いつ》までも|和光同塵《わくわうどうぢん》の|制度《せいど》を、|墨守《ぼくしゆ》する|事《こと》が|出来《でき》ないので、|断然《だんぜん》として、|事戸《ことど》を|渡《わた》さねば|成《な》らぬ|現代《げんだい》に|立到《たちいた》つた|如《ごと》き|有様《ありさま》であります。【|事《こと》】は|言辞《げんじ》|論説《ろんせつ》の|意味《いみ》で、【|戸《と》】は|閉塞《へいそく》するの|用《よう》であります。|要《えう》するに|日本《につぽん》は|皇祖《くわうそ》|大神《おほかみ》の|御聖訓《ごせいくん》を|以《もつ》て、|治国安民《ちこくあんみん》の|要道《えうだう》と|決定《けつてい》され、|一切《いつさい》|体主霊従国《たいしゆれいじゆうこく》の|不相応《ふさうおう》なる|言論《げんろん》を|輸入《ゆにふ》されないと|云《い》ふ|意義《いぎ》が、|乃《すなは》ち|事戸《ことど》を|渡《わた》し|給《たま》うと|云《い》ふ|事《こと》であり、|之《これ》を|夫婦《ふうふ》の|間《あひだ》に|譬《たと》へますと|離縁状《りえんじやう》を|渡《わた》して、|一切《いつさい》の|関係《くわんけい》を|断《た》つと|云《い》ふ|事《こと》であります。|何時《いつ》までも|和光同塵的《わくわうどうじんてき》|方針《はうしん》を|採《と》るのは|我々《われわれ》の|今日《こんにち》の|処世上《しよせいじやう》に|於《おい》ても|一考《いつかう》せなくては|成《な》らぬ。|悪思想《あくしさう》や|貧乏神《びんばふがみ》には、|一日《いちにち》も|早《はや》く|絶縁《ぜつえん》するが、|家《いへ》の|為《た》めにも|一身上《いつしんじやう》の|為《ため》にも|得策《とくさく》であります。|今日《こんにち》の|我《わが》|国家《こくか》も、|一日《いちにち》も|早《はや》く|目覚《めざ》めて|我《わが》|国土《こくど》に|不相応《ふさうおう》なる|思想《しさう》や、|論説《ろんせつ》や|哲学《てつがく》|宗教《しうけう》なぞと|絶縁《ぜつえん》して、|所謂《いはゆる》|事戸《ことど》を|立《た》て|渡《わた》し|度《た》いもので|在《あ》ります。
『|伊弉冊命《いざなみのみこと》|宣《の》りたまはく|愛《うつ》くしき|我那勢命《あがなせのみこと》|如此為《かくなし》たまはば|汝《いまし》の|国《くに》の|人草《ひとくさ》、|一日《ひとひ》に|千頭《ちかしら》|絞《くび》り|殺《ころ》さむとまをしたまひき』
|黄泉大神《よもつおほかみ》の|宣言《せんげん》には、|我々《われわれ》の|愛慕《あいぼ》して|止《や》まない、|神国兄《なせ》の|国《くに》の|神宣示《みこと》を|以《もつ》て、|斯《かく》の|如《ごと》く|黄泉国《よもつのくに》の|宗教《しうけう》|学説《がくせつ》を|排斥《はいせき》さるるならば、|此方《こちら》にも|一《ひと》つ|考《かんが》へがある。|汝《なんぢ》の|国《くに》の|人民《じんみん》の、|上《うへ》に|立《た》つて|居《を》る|所《ところ》の|頭《かしら》|役人《やくにん》どもを|黄泉軍《よもついくさ》の|術策《じゆつさく》を|以《もつ》て、|一日《いちにち》に|千人《せんにん》|即《すなは》ち|只《ただ》|一挙《いつきよ》にして、|上《かみ》の|方《はう》の|役人《やくにん》どもを|馘《くびき》つて|了《しま》つてやる、|即《すなは》ち|免職《めんしよく》をさせて|見《み》せようと|云《い》ふ|事《こと》である。
|惟神《かむながら》の|大道《だいだう》|即《すなは》ち|皇祖《くわうそ》の|御遺訓《ごゐくん》に|依《よ》つて|思想界《しさうかい》を|統一《とういつ》せむとする|守護神《しゆごじん》があれば、|直《ただち》に|時代《じだい》に|遅《おく》れた|骨董品格《こつとうひんかく》にして、|役人《やくにん》の|頭《かしら》に|採用《さいよう》せないのみならず、|直《ただち》に|首《くび》を|馘《き》られて|了《しま》ふから、|伊弉諾命《いざなぎのみこと》|即《すなは》ち|日本《につぽん》|固有《こいう》の|大道《だいだう》を、|宣伝《せんでん》|実行《じつかう》する|事《こと》を、|避《さ》けむとする|利己主義《りこしゆぎ》のみが|発達《はつたつ》するのであります。
|是《これ》|皆《みな》|黄泉軍《よもつぐん》、|体主霊従魂《たいしゆれいじゆうだま》の|頤使《いし》に|甘《あま》んずる|腐腸漢《ふちやうかん》|計《ばか》りに|成《な》つて|居《を》る|現代《げんだい》であります。|我々《われわれ》は|伊弉諾命《いざなぎのみこと》の|神教《しんけう》、|即《すなは》ち|天神《てんしん》|天祖《てんそ》の|聖訓《せいくん》を|天下《てんか》に|宣伝《せんでん》し|実行《じつかう》せむとするに|当《あた》つて、|黄泉《よもつ》の|軍《いくさ》の|体主霊従国魂《とつくにだま》の|守護神《しゆごじん》から|圧迫《あつぱく》され、|日々《にちにち》|千人《せんにん》|即《すなは》ち|赤誠《せきせい》の|信者《しんじや》を、|大本《おほもと》より|離《はな》れさせむとして、|黄泉神《よもつがみ》の|手先《てさき》が、|百方《ひやつぱう》|邪魔《じやま》をひろぐのも|同《おな》じ|意味《いみ》であります。
たとへ|日本《にほん》の|神《かみ》の|教《をしへ》が|結構《けつこう》と|知《し》り、|又《また》|大本《おほもと》の|出現《しゆつげん》が、|現代《げんだい》を|救《すく》ふには|大必要《だいひつえう》である|事《こと》を、|充分《じゆうぶん》|了解《れうかい》し|乍《なが》ら|世間《せけん》を|憚《はばか》り|且《か》つ|又《また》、|旧思想家《きうしさうか》と|云《い》はれ、|終《つひ》には|現今《げんこん》の|位置《ゐち》より|馘《くびき》られ、|社会的《しやくわいてき》に|殺《ころ》され|葬《はうむ》られて|了《しま》ふ|事《こと》を|恐《おそ》れて|世間並《せけんなみ》に|至誠《しせい》|貫天《くわんてん》|的《てき》の、|社会《しやくわい》|奉仕《ほうし》の|大本《おほもと》を|悪評《あくへう》し、かつ|圧迫《あつぱく》するを|以《もつ》て、|安全《あんぜん》の|策《さく》と|心得《こころえ》て|居《を》る|守護神《しゆごじん》|許《ばか》りで|表面上《へうめんじやう》|大本《おほもと》の|信者《しんじや》たる|事《こと》を|標榜《へうぼう》するが|最後《さいご》、|直《ただち》に|其《そ》の|赤誠人《せきせいじん》は|軍人《ぐんじん》と|言《い》はず、|教育家《けういくか》と|言《い》はず|会社員《くわいしやゐん》と|言《い》はず、|馘《くびき》られ|職《しよく》を|免《めん》ぜられると|云《い》ふ|事《こと》が『|一日《いちにち》に|千人《せんにん》|絞《くびき》り|殺《ころ》さむとまをしたまひき』と|云《い》ふ|事《こと》になるので|在《あ》ります。
『|爾《ここ》に|伊弉諾命《いざなぎのみこと》|詔《の》り|玉《たま》はく、|愛《うつ》くしき|我那邇妹命《あがなにものみこと》、|汝《いまし》|然為《しかし》たまはば|吾《あれ》はや、|一日《いちにち》に|千五百《ちいほ》|産屋《うぶや》|立《た》ててむと|詔《の》りたまひき。|是《これ》を|以《もつ》て|一日《いちにち》に|必《かなら》ず|千人《せんにん》|死《し》に|一日《いちにち》に|必《かなら》ず|千五百人《ちいほにん》なも|生《うま》るる』
|茲《ここ》に|伊弉諾命《いざなぎのみこと》は、|我《あが》|愛《あい》する|那邇妹命《なにものみこと》よ、|思想《しさう》|問題《もんだい》を|以《もつ》て|日《ひ》の|御国《みくに》を|混乱《こんらん》せしめ|猶《な》ほ|亦《また》、|今《いま》|一致《いつち》して|武力《ぶりよく》を|以《もつ》て、|我国《わがくに》を|攻《せ》め|給《たま》ふならば、|我《われ》にも|亦《また》|大決心《だいけつしん》がある。|吾《あ》は|惟神《かむながら》の|大道《だいだう》を|発揮《はつき》して、|以《もつ》て|一日《いちにち》に|千五百《ちいほ》の|産屋《うぶや》を|立《た》てて|見《み》ませうと|仰《あふ》せられた。|御神諭《ごしんゆ》にある|産《うぶ》の|精神《せいしん》の|人民《じんみん》、|生《うま》れ|赤子《あかご》の|心《こころ》の|人民《じんみん》を|養成《やうせい》する|霊地《れいち》を、|産屋《うぶや》と|云《い》ふのであります。
【チ】は|血《ち》なり|赤誠《せきせい》|也《なり》、|霊主体従《れいしゆたいじゆう》の|意《い》|也《なり》、|父《ちち》の|徳《とく》|也《なり》、|乳《ちち》|也《なり》、|塩《しほ》|也《なり》。
【イ】は|結《むす》び|溜《たま》る|也《なり》、|身《み》を|定《さだ》めて|不動《ふどう》|也《なり》。
【ホ】は、|上《うへ》に|顕《あら》はる|也《なり》、|太陽《たいやう》の|明分《めいぶん》|也《なり》、|照込《てりこみ》|也《なり》、|天《てん》の|心《こころ》|也《なり》。
【ウ】は|結《むす》び|合《あ》ふ|也《なり》、|真実金剛力《しんじつこんがうりき》|也《なり》、|親《おや》の|働《はたら》き|也《なり》。
【ブ】は|茂《しげ》り|栄《さか》ふ|也《なり》、|世《よ》の|結《むす》び|所《どころ》|也《なり》、|父母《ふぼ》を|思《おも》ひ|合《あ》ふ|也《なり》。
【ヤ】は|固有《こいう》の|大父《たいふ》|也《なり》、|天《てん》に|帰《かへ》る|也《なり》、|経綸《けいりん》の|形《かた》|也《なり》。
|以上《いじやう》の【チイホウブヤ】の|六言霊《ろくげんれい》を|納《をさ》むる|時《とき》は、|神《かみ》の|血筋《ちすぢ》|因縁《いんねん》の|身魂《みたま》が|集《よ》り|合《あ》ひて、|赤誠《せきせい》の|実行《じつかう》を|修《おさ》め、|霊主体従《れいしゆたいじゆう》の|本領《ほんりやう》を|発揮《はつき》し、|天《てん》の|父《ちち》たり、|地《ち》の|母《はは》たるの|位《くらゐ》を|保《たも》ちて、|仁恵《めぐみ》の|乳《ちち》を|万民《ばんみん》に|含《ふく》ませ、|大海《たいかい》の|塩《しほ》の|如《ごと》く、|総《すべ》ての|汚《けが》れを|浄《きよ》め、|総《すべ》ての|物《もの》に|美《うる》はしき|味《あぢ》を|与《あた》へ|腐敗《ふはい》を|防《ふせ》ぎ、|有為《いうゐ》の|人材《じんざい》|一団《いちだん》と|成《な》りて、|我身《わがみ》の|方向《はうかう》|進路《しんろ》を|安定《あんてい》し、|以《もつ》て|邪説《じやせつ》|貪慾《どんよく》に|心《こころ》を|動《うご》かさず、|俗界《そくかい》の|上《うへ》に|超然《てうぜん》として|顕《あら》はれ、|大神《おほかみ》の|大御心《おほみこころ》を|宇内《うだい》に|照《て》り|込《こ》ませ、|太陽《たいやう》の|明分《めいぶん》|即《すなは》ち|日《ひ》の|神国《しんこく》の|天職《てんしよく》を|明《あきら》かに|教《をし》へ|覚《さと》し、|至真《ししん》|至実《しじつ》の|大金剛力《だいこんがうりき》を|蓄《たくは》へ、|世界《せかい》の|親《おや》たるの|活動《くわつどう》を|為《な》し、|上下《しやうか》の|階級《かいきふ》|一《ひと》つの|真道《まみち》に|由《よ》りて|結合《けつがふ》し、|日々《にちにち》に|結《むす》びの|力《ちから》を|加《くは》へ、|終《つひ》には|世界《せかい》を|統一《とういつ》|結合《けつがふ》し、|父母《ふぼ》として|万民《ばんみん》|慕《した》ひ|集《あつ》まり|固有《こいう》の|大父《たいふ》なる|国祖《こくそ》|大国常立神《おほくにとこたちのかみ》の|御稜威《みいづ》を|仰《あふ》ぎ、|天賦《てんぷ》の|霊性《れいせい》に|帰《かへ》りて|世界《せかい》を|経綸《けいりん》し|以《もつ》て、|三千世界《さんぜんせかい》を|開発《かいはつ》し、|救済《きうさい》する|聖場《せいぢやう》の|意義《いぎ》であります。|要《えう》するに、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》なる|綾部《あやべ》の|大本《おほもと》の、|神示《しんじ》の|経綸《けいりん》は、|乃《すなは》ち|千五百《ちいほ》|産屋《うぶや》に|相当《さうたう》するのであります。|大本《おほもと》の|御神諭《ごしんゆ》には『|綾部《あやべ》は|三千世界《さんぜんせかい》の|世《よ》の|立替《たてかへ》|立直《たてなほ》しの|地場《ぢば》であるから、|日《ひ》の|大神様《おほかみさま》の|御命令《ごめいれい》によりて、|世界《せかい》の|人民《じんみん》を|天《てん》の|大神《おほかみ》の|誠《まこと》|一《ひ》とつで|此《こ》の|世《よ》を|治《をさ》める|結構《けつこう》な|地《ち》の|高天原《たかあまはら》であるぞよ』と|示《しめ》されてあるも、|所謂《いはゆる》|千五百《ちいほ》|産屋《うぶや》の|意義《いぎ》にして、|生《うま》れ|赤子《あかご》の|純良《じゆんりやう》なる|身魂《みたま》を|産《う》み|育《そだ》て|玉《たま》ふ|神界《しんかい》の|大経綸《だいけいりん》の|中府《ちうふ》であります。|故《ゆゑ》に|何程《なにほど》|黄泉大神《よもつおほかみ》の|精神《せいしん》より|出《い》でたる、|過激的《くわげきてき》|思想《しさう》も|侵略的《しんりやくてき》の|体主霊従国《たいしゆれいじゆうこく》|軍《ぐん》も、|綾部《あやべ》に|千五百《ちいほ》|産屋《うぶや》の|儼存《げんぞん》する|限《かぎ》りは、|如何《いかん》ともする|事《こと》が|出来《でき》ないのであります。|亦《また》|之《これ》を|文章《ぶんしやう》の|侭《まま》に|解《かい》する|時《とき》は、|一日《いちにち》に|千人《せんにん》|死《し》して|千五百人《せんごひやくにん》|生《うま》れ|出《い》づる|時《とき》は、|結局《けつきよく》|人口《じんこう》は|年《とし》を|追《お》うて|増進《ぞうしん》する|故《ゆゑ》に、|之《これ》を|天《あめ》の|益人《ますひと》と|謂《ゐ》ふのであります。|天《あめ》の|益人《ますひと》は|天下《てんか》|国家《こくか》の|為《ため》に|利益《りえき》を|計《はか》る、|至誠《しせい》の|人《ひと》の|意味《いみ》にも|成《な》るのであります。|我《わが》|大本《おほもと》の|誠《まこと》の|信徒《しんと》は、|皆《みな》|一同《いちどう》に|天《あめ》の|益人《ますひと》とならねば|成《な》らぬ。|亦《また》|日本《にほん》|全体《ぜんたい》を|通《つう》じて|天《あめ》の|益人《ますひと》たるの|行動《かうどう》をとつて、|国家《こくか》を|開発《かいはつ》|進展《しんてん》せしめ、|黄泉国《よもつのくに》なる|国々《くにぐに》に|其《そ》の|範《はん》を|垂《た》れ|示《しめ》さねば、|神国《しんこく》の|神民《しんみん》たる|天職《てんしよく》を|尽《つく》す|事《こと》は|出来《でき》ぬのであります。|今日《こんにち》|社会《しやくわい》|主義《しゆぎ》や|過激派《くわげきは》にかぶれた、|不良《ふりやう》|国民《こくみん》が|黄泉軍《よもついくさ》の|眷属《けんぞく》となり、|大官《だいくわん》|連中《れんちう》に|不穏《ふおん》なる|脅迫状《けうはくじやう》を|送《おく》つたり、|大本《おほもと》の|幹部《かんぶ》|連中《れんちう》に|向《むか》つて、|同様《どうやう》の|脅迫状《けうはくじやう》が|舞《ま》ひ|込《こ》んで|来《く》るのも、|千人《せんにん》を|殺《ころ》さむと|白《まを》したまひきの|意味《いみ》であります。|米国《べいこく》|加州《かしう》の|排日案《はいにちあん》が|通過《つうくわ》したのも、|西伯利亜《しべりや》|満洲《まんしう》|支那《しな》|朝鮮《てうせん》の|排日《はいにち》|行動《かうどう》も、|排貨《はいくわ》|運動《うんどう》の|実現《じつげん》も、|各地《かくち》の|小吏《せうり》が|大本《おほもと》に|極力《きよくりよく》|反対《はんたい》し、|且《か》つ|我《わが》|行動《かうどう》を|妨害《ばうがい》しつつあるのも、|皆《みな》|黄泉軍《よもつぐん》の|一日《いちにち》に|千人《せんにん》くびらむ、と|白《まを》し|玉《たま》ひきの|実現《じつげん》であります。
|太陽面《たいやうめん》に、|地球《ちきう》の|七八倍《しちはちばい》もある|円形《ゑんけい》にして|巨大《きよだい》なる|黒点《こくてん》が|出現《しゆつげん》し、|約《やく》|七万《しちまん》|哩《マイル》の|直径《ちよくけい》を|有《いう》し、|吾人《ごじん》の|肉眼《にくがん》を|以《もつ》て|明視《めいし》し|得《う》る|如《ごと》くに|成《な》つて|居《を》るのも、|日《ひ》の|若宮《わかみや》に|坐《ま》す|伊弉諾命《いざなぎのみこと》を、|黄泉軍《よもつぐん》の|犯《をか》しつつある|表徴《へうちよう》であります。|亦《また》この|黒点《こくてん》が|現《あら》はれると、|其《そ》の|年《とし》|及《およ》び|前後《ぜんご》|数年間《すうねんかん》は、|従来《じうらい》の|記録《きろく》に|依《よ》つて|調《しら》べて|見《み》ると、|第一《だいいち》|気候《きこう》が|不順《ふじゆん》で、|悪病《あくびやう》|天下《てんか》に|蔓延《まんえん》し、|饑饉《ききん》|旱魃《かんばつ》|等《とう》は|大抵《たいてい》その|時《とき》に|現《あら》はれ、|人心《じんしん》の|騒擾《さうぜう》|極点《きよくてん》に|達《たつ》する|時《とき》であります。|天明《てんめい》の|大饑饉《だいききん》も、|太陽《たいやう》の|黒点《こくてん》と|時《とき》を|同《おな》じうして|現《あら》はれて|居《ゐ》る。|今日《けふ》|此《この》|頃《ごろ》の|天候《てんこう》の|不順《ふじゆん》も|亦《また》この|黒点《こくてん》の|影響《えいきやう》である。|況《いは》んや|今度《こんど》の|如《ごと》き、|開闢《かいびやく》|以来《いらい》|未曾有《みぞう》の|大黒点《だいこくてん》に|於《おい》ておやであります。アヽ|一天一日《いつてんいちじつ》の|太陽《たいやう》の|黒点《こくてん》、|果《はた》して|何《なに》を|意味《いみ》するものぞ。|伊弉諾命《いざなぎのみこと》の|持《も》たせ|玉《たま》へる|一《ひと》ツ|火《び》の|光《ひかり》も、|半《なか》ば|消滅《せうめつ》せむとするには|非《あら》ざるか、|我等《われら》は|一日《いちにち》も|早《はや》く|千五百《ちいほ》|産屋《うぶや》は|愚《おろか》、|八千五百産屋《やちいほうぶや》|万産屋《よろづうぶや》を|建《た》て、|以《もつ》て|君国《くんこく》の|為《た》めに|大活動《だいくわつどう》を|開始《かいし》せざるべからざるを|切《せつ》に|感《かん》ぜざるを|得《え》ないのであります。
『|故《かれ》|其《その》|伊弉冊命《いざなみのみこと》を、|黄泉津大神《よもつおほかみ》と|謂《まを》す。|亦《また》|其《そ》の|追及《おひき》しに|由《よ》りて、|道敷大神《ちしきのおほかみ》と|称《まを》すとも|云《い》へり』
【チシキ】の|大神《おほかみ》の|言霊《ことたま》を|解《かい》すれば、
【チ】は|血《ち》|也《なり》、|数《かず》の|児《こ》を|保《たも》つ|也《なり》、|外《ほか》に|乱《みだ》れ|散《ち》る|也《なり》。
【シ】は|却《かへつ》て|弛《ゆる》み|撒《さばえ》る|也《なり》、|世《よ》の|現在《げんざい》|也《なり》。
【キ】は|打返《うちかへ》す|也《なり》、|打《う》ち|砕《くだ》く|也《なり》。
|之《これ》を|一言《いちげん》に|約《やく》する|時《とき》は、|数多《あまた》の|児《こ》|即《すなは》ち|千五百軍《ちいほいくさ》を|部下《ぶか》に|有《いう》し、|血脈《けつみやく》を|保《たも》ち|外《そと》に|向《むか》つて|乱《らん》を|興《おこ》し|終《つひ》に|自《みづか》ら|散乱《さんらん》し|現在《げんざい》の|世《よ》の|一切《いつさい》を|弛廃《しはい》せしめ、|以《もつ》て|正道《せいだう》を|打返《うちかへ》して、|邪道《じやだう》に|化《くわ》し、|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|惟神《かむながら》の、|生成化育《せいせいくわいく》の|道《みち》を|打砕《うちくだ》く、|大神《おほかみ》と|云《い》ふ|事《こと》であります。|現代《げんだい》は|国《くに》の|内外《ないぐわい》を|問《と》はず、|洋《やう》の|東西《とうざい》を|論《ろん》ぜず|道敷《ちしき》の|大神《おほかみ》の|最《もつと》も|活動《くわつどう》を|続行《ぞくかう》し|玉《たま》ふ|時《とき》であります。
『|亦《また》|其《そ》の|黄泉《よもつ》の|坂《さか》に|塞《さや》れりし|石《いし》は|道反大神《ちがへしのおほかみ》とも|号《まを》し|塞坐黄泉戸大神《さやりますよみどのおほかみ》とも|謂《まを》す』
【チカヘシ】の|大神《おほかみ》は【ウチカヘシ】の|大神《おほかみ》と|云《い》ふ|事《こと》で|在《あ》り、|又《また》|邪道《じやだう》を|塞《ふさ》ぎて|邪道《じやだう》を|通過《つうくわ》せしめずと|云《い》ふ|意義《いぎ》であります。|古来《こらい》|町《まち》の|入口《いりぐち》や|出口《でぐち》には、|塞《さえ》の|神《かみ》と|謂《ゐ》うて|巨大《きよだい》なる|石《いし》が|祭《まつ》つて|在《あ》つたもので|在《あ》ります。|是《これ》も|邪悪《じやあく》を|町村内《ちやうそんない》に|侵入《しんにふ》させぬ|為《ため》の|目的《もくてき》であります。|吾人《ごじん》の|家屋《かをく》を|建《た》つるにしても、|礎石《そせき》を|用《もち》ゐ、|又《また》その|周囲《しうゐ》に|石《いし》を|積《つ》み、|又《また》は|延《の》べ|石《いし》を|廻《めぐ》らすも、|皆《みな》|悪鬼《あくき》|邪神《じやしん》の|侵入《しんにふ》を|防止《ばうし》するの|意義《いぎ》より、|起元《きげん》したもので|在《あ》ります。|今日《こんにち》の|思想界《しさうかい》にも|此《こ》の|大石《おほいし》が|沢山《たくさん》に|欲《ほ》しいものであります。
『|故《かれ》|其《そ》の|所謂《いはゆる》|黄泉津比良坂《よもつひらさか》は、|今《いま》|出雲国《いづものくに》の|伊賦夜坂《いふやざか》とも|謂《ゐ》ふ』
|伊賦夜坂《いふやざか》の|言霊《ことたま》を|解《かい》すれば、
【イ】は|強《つよ》く|思《おも》ひ|合《あ》ふ|也《なり》、|同《おな》じく|平等《べうどう》|也《なり》、|乱《みだ》れ|動《うご》く|也《なり》、|破《やぶ》れ|動《うご》く|也《なり》。
【フ】は|進《すす》み|行《ゆ》く|也《なり》、|至極《しごく》|鋭敏《えいびん》|也《なり》、|忽《たちま》ち|昇《のぼ》り|忽《たちま》ち|降《くだ》る|也《なり》、|吹《ふ》き|出《だ》す|也《なり》。
【ヤ】は|外《そと》を|覆《おほ》ふ|也《なり》、|固有《こいう》の|大父《たいふ》|也《なり》、|焼《や》く|也《なり》、|失《しつ》|也《なり》、|裏面《りめん》の|天地《てんち》|也《なり》。
【ザ】は|騒《さわ》ぎ|乱《みだ》る|也《なり》、|◎《す》に|事《こと》|在《あ》る|也《なり》、|降《くだ》り|極《きま》る|也《なり》、|破壊《はくわい》|也《なり》。
【カ】は|一切《いつさい》の|発生《はつせい》|也《なり》、|光《ひかり》|輝《かがや》く|也《なり》、|懸《か》け|出《だ》し|助《たす》くる|也《なり》、|鍵《けん》|也《なり》。
【イフヤザカ】の|五《ご》|言霊《ことたま》を|約言《やくげん》する|時《とき》は|善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|分水嶺《ぶんすゐれい》であります。|男神《をがみ》の|伊弉諾命《いざなぎのみこと》と|女神《めがみ》の|伊弉冊命《いざなみのみこと》と、|互《たが》ひに|自分《じぶん》の|住《ぢう》し、かつ|占有《せんいう》する|国土《こくど》を|発展《はつてん》せしめむと、|強《つよ》く|思《おも》ひ|合《あ》ひて|争《あらそ》ひ|賜《たま》ふ|所《ところ》は|同《おな》じく|平等《べうどう》にして|何《なん》の|差別《さべつ》もなく、|只々《ただただ》|施政《しせい》の|方針《はうしん》に|大《だい》なる|正反対《せいはんたい》の|意見《いけん》あるのみ。|然《さ》れど|女神《めがみ》|黄泉神《よもついくさ》の|御経綸《ごけいりん》は|惟神《かむながら》の|大道《だいだう》に|背反《はいはん》せるが|故《ゆゑ》に、|終《つひ》に|海外《かいぐわい》の|某々《ぼうぼう》の|如《ごと》く|悉《ことごと》く|大動乱《だいどうらん》|大破裂《だいはれつ》の|惨状《さんじやう》を|露出《ろしゆつ》したのは、|近来《きんらい》|事実《じじつ》の|確証《かくしよう》する|所《ところ》であります。
|男神《をがみ》の|神国《しんこく》は、|日進月歩《につしんげつぽ》|至極《しごく》|鋭敏《えいびん》にして、|終《つひ》に|世界《せかい》の|大強国《だいきやうこく》の|仲間入《なかまい》りを|為《な》したり。されど|忽《たちま》ち|昇《のぼ》り|忽《たちま》ち|降《くだ》るの|虞《おそ》れあり。|黄泉国《よもつくに》の|二《に》の|舞《まひ》を|演《えん》ぜざる|様《やう》、|注意《ちうい》を|要《えう》する|次第《しだい》であります。【ヤ】は|日本《にほん》にして、|何処《どこ》までも|徳《とく》を|積《つ》み|輝《かがや》きを|重《かさ》ねつつ、|外面《ぐわいめん》を|覆《おほ》ひ、|以《もつ》て|克《よ》く|隠忍《いんにん》し、|天下《てんか》の|大徳《だいとく》を|保《たも》ちて|天下《てんか》に|臨《のぞ》むと|雖《いへど》も|黄泉国《よもつくに》の|八雷神《やくさのいかづちがみ》や、|千五百《ちいほ》の|妖軍《ようぐん》は|何《なん》の|容赦《ようしや》も|荒々《あらあら》しく、|焼《せう》|也《なり》、|天《てん》|也《なり》、の|活動《くわつどう》を|成《な》し、|裏面《りめん》の|天地《てんち》を|生《う》み|成《な》しつつあり。|故《ゆゑ》に|世界《せかい》|各国《かくこく》は|殆《ほとん》ど|騒乱《さうらん》の|極《きは》みに|達《たつ》し|正義《せいぎ》|仁道《じんだう》は|地《ち》を|払《はら》ひ、|◎《す》に|事《こと》の|在《あ》りし|暴国《ぼうこく》なり。|茲《ここ》に|仁義《じんぎ》の|神《かみ》の|国《くに》の|一切《いつさい》の|善事《ぜんじ》|瑞祥《ずいしやう》|発生《はつせい》して、|仁慈大神《みろくおほかみ》の|神世《しんせい》に|復《ふく》し|治《をさ》め、|暗黒界《あんこくかい》を|光《ひか》り|輝《かがや》かせ、|妖軍《ようぐん》に|悩《なや》まされ|滅亡《めつぼう》せむとする、|国土《こくど》|人民《じんみん》に|対《たい》しては|身命《しんめい》を|投《な》げだして|救助《きうじよ》し|治国平天下《ちこくへいてんか》の|神鍵《しんけん》を|握《にぎ》る|可《べ》き、|治乱興亡《ちらんこうばう》の|大境界線《だいきやうかいせん》を|画《くわく》せる、|現代《げんだい》も|亦《また》これ|出雲《いづも》の|国《くに》の|伊賦夜坂《いふやざか》と|謂《い》ふべきものであります。(完)
(大正九・一一・一 午前 五六七殿講演 外山豊二録)
(大正一一・二・一一 旧一・一五 谷村真友再録)
(第三七章〜第四三章 昭和一〇・三・四 於綾部穹天閣 王仁校正)
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霊界物語 第八巻 霊主体従 未の巻
終り