霊界物語 第七巻 霊主体従 午の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第七巻』愛善世界社
1994(平成06)年02月03日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2004年11月13日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|凡例《はんれい》
|総説《そうせつ》
第一篇 |大台ケ原《おほだいがはら》
第一章 |日出山上《ひのでさんじやう》〔三〇一〕
第二章 |三神司《さんしん》|邂逅《かいこう》〔三〇二〕
第三章 |白竜《はくりう》〔三〇三〕
第四章 |石土毘古《いはつちびこ》〔三〇四〕
第五章 |日出ケ嶽《ひのでがだけ》〔三〇五〕
第六章 |空威張《からゐばり》〔三〇六〕
第七章 |山火事《やまくわじ》〔三〇七〕
第二篇 |白雪郷《はくせつきやう》
第八章 |羽衣《はごろも》の|松《まつ》〔三〇八〕
第九章 |弱腰《よわごし》|男《をとこ》〔三〇九〕
第一〇章 |附合信神《つきあひしんじん》〔三一〇〕
第一一章 |助《たす》け|船《ぶね》〔三一一〕
第一二章 |熟々尽《つくづくし》〔三一二〕
第三篇 |太平洋《たいへいやう》
第一三章 |美代《みよ》の|浜《はま》〔三一三〕
第一四章 |怒濤澎湃《どたうはうはい》〔三一四〕
第一五章 |船幽霊《ふないうれい》〔三一五〕
第一六章 |釣魚《てうぎよ》の|悲《かなしみ》〔三一六〕
第一七章 |亀《かめ》の|背《せ》〔三一七〕
第四篇 |鬼門《きもん》より|竜宮《りうぐう》へ
第一八章 |海原《うなばら》の|宮《みや》〔三一八〕
第一九章 |無心《むしん》の|船《ふね》〔三一九〕
第二〇章 |副守飛出《ふくしゆとびだし》〔三二〇〕
第二一章 |飲《の》めぬ|酒《さけ》〔三二一〕
第二二章 |竜宮《りうぐう》の|宝《たから》〔三二二〕
第二三章 |色《いろ》|良《よ》い|男《をとこ》〔三二三〕
第五篇 |亜弗利加《アフリカ》
第二四章 |筑紫《つくし》|上陸《じやうりく》〔三二四〕
第二五章 |建日別《たけひわけ》〔三二五〕
第二六章 アオウエイ〔三二六〕
第二七章 |蓄音器《ちくおんき》〔三二七〕
第二八章 |不思議《ふしぎ》の|窟《いはや》〔三二八〕
第六篇 |肥《ひ》の|国《くに》へ
第二九章 |山上《さんじやう》の|眺《ながめ》〔三二九〕
第三〇章 |天狗《てんぐ》の|親玉《おやだま》〔三三〇〕
第三一章 |虎転別《とらてんわけ》〔三三一〕
第三二章 |水晶玉《すいしやうだま》〔三三二〕
第七篇 |日出神《ひのでのかみ》
第三三章 |回顧《くわいこ》〔三三三〕
第三四章 |時《とき》の|氏神《うぢがみ》〔三三四〕
第三五章 |木像《もくざう》に|説教《せつけう》〔三三五〕
第三六章 |豊日別《とよひわけ》〔三三六〕
第三七章 |老利留油《らうりるいう》〔二三七〕
第三八章 |雲天焼《くもてんやけ》〔三三八〕
第三九章 |駱駝隊《らくだたい》〔三三九〕
第八篇 |一身四面《いつしんしめん》
第四〇章 |三人《さんにん》|奇遇《きぐう》〔三四〇〕
第四一章 |枯木《かれき》の|花《はな》〔三四一〕
第四二章 |分水嶺《ぶんすゐれい》〔三四二〕
第四三章 |神《かみ》の|国《くに》〔三四三〕
第四四章 |福辺面《ふくべづら》〔三四四〕
第四五章 |酒魂《くしみたま》〔三四五〕
第四六章 |白日別《しらひわけ》〔三四六〕
第四七章 |鯉《こひ》の|一跳《ひとはね》〔三四七〕
第九篇 |小波丸《さざなみまる》
第四八章 |悲喜《ひき》|交々《こもごも》〔三四八〕
第四九章 |乗《の》り|直《なほ》せ〔三四九〕
第五〇章 |三五○《さんごのつき》〔三五〇〕
附録 第三回高熊山参拝紀行歌
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|序文《じよぶん》
|節分祭《せつぶんさい》を|前《まへ》に|見《み》て、|余《あま》す|所《ところ》ただ|四日《よつか》、|丹波《たんば》の|名物《めいぶつ》|大江山《おほえやま》の|鬼《おに》の|戸別《こべつ》|訪問《はうもん》の|夕《ゆふべ》までに、|是非々々《ぜひぜひ》|七《なな》つの|巻《まき》を|口述《こうじゆつ》せよと、|柊《ひひらぎ》の|針《はり》のイライラと、|何《なに》か|鰯《いわし》て|呉《く》れむものと、【|外山《とやま》】の|霞《かすみ》|掻別《かきわけ》て、|鬼《おに》の|眷族《けんぞく》みた|如《や》うな、|眼《め》をむき|出《いだ》し|攻《せ》め|来《きた》る。|王仁《おに》は|是非《ぜひ》なく|竜宮館《りうぐうやかた》、|水《みづ》に|浮《うか》びし|錦水亭《きんすいてい》に、|温泉《をんせん》|帰《がへ》りの|落着《おちつ》かぬ、|五尺《ごしやく》の|糞造器《ふんざうき》を|横《よこた》へて、|破《やぶ》れたレコードの|回転《くわいてん》を、|倒《こ》け|徳利《どつくり》のドブドブと、やつと|出口《でぐち》の|出放題《ではうだい》、|頭《あたま》ならべて|愧《はぢ》を|数多《あまた》かくの|如《ごと》しと|云爾《しかいふ》。
|地震《ぢしん》の|前《まへ》の|静《しづ》けさ、|神界《しんかい》は|時々刻々《じじこくこく》に|急迫《きふはく》を|告《つ》げ、|思想界《しさうかい》の|鬼《おに》や|大蛇《をろち》の|跋扈跳梁《ばつこてうりやう》|激烈《げきれつ》を|極《きは》めて、|三界《さんかい》の|形勢《けいせい》|容易《ようい》ならざる|時機《じき》とはなりぬ。|然《しか》しながら、|稲《いね》|実《みの》りて|頭《あたま》を|地《ち》に|伏《ふ》すごとく、|油断《ゆだん》あらば|隙《ひま》ゆく|駒《こま》の|荒《あ》れ|狂《くる》ひ、|数万年《すうまんねん》の|神界《しんかい》の|経綸《けいりん》を|土崩《どほう》|瓦解《ぐわかい》せむとする|邪神輩《じやしんはい》のテグスネ|曳《ひ》いて|松《まつ》の|大本《おほもと》を|付《つ》け|狙《ねら》ふ。|槍《やり》の|雨《あめ》、|毒舌《どくぜつ》の|風《かぜ》、|柳《やなぎ》と|受《う》けて|今《いま》は|何事《なにごと》も|岩《いは》の|神《かみ》、|堅《かた》く|結《むす》むで|解《と》くに|説《と》かれぬ|物語《ものがたり》、|梅花《ばいくわ》の|春《はる》の|匂《にほ》ふときこそ|待《ま》たれける。|三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》、|錦《にしき》の|機《はた》のおりおりに、|心《こころ》ひそめて|神意《しんい》のあるところを|味《あぢは》ひ|玉《たま》はむことを。
|花《はな》は|散《ち》り|木《こ》の|実《み》はあとゆ|日《ひ》に|夜《よる》に
ふとり|行《ゆ》くなりそのの|白梅《しらうめ》
出口王仁識
|凡例《はんれい》
一、|本巻《ほんくわん》は|岩井《いはゐ》|温泉《をんせん》より|帰綾《きれう》|後《ご》、|節分祭《せつぶんさい》までの|四日間《よつかかん》に|完成《くわんせい》し、その|内容《ないよう》は、|伊弉諾《いざなぎ》の|大神《おほかみ》の|御子《みこ》|日《ひ》の|出神《でのかみ》が、|大台ケ原《おほだいがはら》より|濠洲《がうしう》すなはち|竜宮島《りうぐうじま》を|経《へ》て、|亜弗利加《アフリカ》|大陸《たいりく》すなはち|筑紫《つくし》の|島《しま》へ|渡《わた》り、|神《かみ》の|道《みち》を|宣伝《せんでん》し、|世人《せじん》を|救済《きうさい》するとともに|各国魂《かくくにたま》の|守護職《しゆごしよく》を|任命《にんめい》さるる|物語《ものがたり》であります。
一、|要《えう》するに|本巻《ほんくわん》の|総説《そうせつ》にもあります|通《とほ》り、この|霊界物語《れいかいものがたり》は【|人智《じんち》を|以《もつ》て|解説《かいせつ》】することは|到底《たうてい》|出来《でき》ませぬから、すべて|文字《もじ》の|儘《まま》を|拝読《はいどく》し、|身魂《みたま》|相応《さうおう》に|解釈《かいしやく》すれば|結構《けつこう》だと|思《おも》ひます。
大正十一年瑞月祥日
王仁識
|総説《そうせつ》
|神界《しんかい》の|示教《じけう》は、|到底《たうてい》|現代人《げんだいじん》のごとく、|数理的《すうりてき》|頭脳《づなう》の|活力《くわつりよく》を|以《もつ》て|窺知《きち》することは|出来《でき》ないものである。|神《かみ》は|言霊《ことたま》|即《すなは》ち|道《ことば》である。|言葉《ことば》を|主《しゆ》として|解《かい》すべきものである。|神諭《しんゆ》の|三月三日《さんぐわつみつか》|五月五日《ごぐわついつか》の|数字《すうじ》についても、|現代《げんだい》の|物質《ぶつしつ》かぶれをした|人士《じんし》は、|非常《ひじやう》な|論議《ろんぎ》の|花《はな》を|咲《さ》かして|居《を》られるさうです。|出口《でぐち》|教祖《けうそ》の|直筆《ぢきひつ》の|文句《もんく》には『|明治《めいぢ》|三十年《さんじふねん》で|世《よ》の|立替《たてかへ》|云々《うんぬん》』と、|明治《めいぢ》|三十三年《さんじふさんねん》ごろになつても、|依然《いぜん》として|記《しる》されてあるのを|見《み》ても、|神界《しんかい》の|示教《じけう》の|現代的《げんだいてき》|解釈《かいしやく》に|合致《がつち》せないことは|明瞭《めいれう》であります。
また|教祖《けうそ》の|直筆《ぢきひつ》は|所謂《いはゆる》お|筆先《ふでさき》であり、そのお|筆先《ふでさき》を|神示《しんじ》に|随《したが》つて、|取捨按配《しゆしやあんばい》して|発表《はつぺう》したのが|大本神諭《おほもとしんゆ》である。|之《これ》を|経《たて》の|筆先《ふでさき》と|称《しよう》して、|変性女子《へんじやうによし》の|緯《よこ》の|筆先《ふでさき》と|区別《くべつ》し、|経《たて》は|信《しん》ずるが、|緯《よこ》は|信《しん》じないと|謂《い》つてゐる|人々《ひとびと》が、|処々《しよしよ》に|散見《さんけん》される|様《やう》ですが、|経緯不二《けいゐふじ》の|真相《しんさう》を|知《し》らんと|思《おも》へば、|教祖《けうそ》の|直筆《ぢきひつ》をお|読《よ》みに|成《な》つたら|判然《はんぜん》するでせう。お|筆先《ふでさき》そのままの|発表《はつぺう》は、|随分《ずゐぶん》|断片的《だんぺんてき》に|語句《ごく》が|列《なら》べられ、かつ|一見《いつけん》して|矛盾《むじゆん》|撞着《どうちやく》せし|文句《もんく》があるやうに|浅《あさ》い|信者《しんじや》は|採《と》るやうなことが|沢山《たくさん》ある。また|教祖《けうそ》が|明治《めいぢ》|二十五年《にじふごねん》より、|大正《たいしやう》|五年《ごねん》|旧《きう》|九月《くぐわつ》|八日《やうか》まで|筆先《ふでさき》を|書《か》かれたのは、|全部《ぜんぶ》|御修行《ごしうぎやう》|時代《じだい》の|産物《さんぶつ》であり、|矛盾《むじゆん》のあることは、|教祖《けうそ》|自筆《じひつ》の|同年《どうねん》|九月《くぐわつ》|九日《ここのか》の|御筆先《おふでさき》を|見《み》れば|判然《はんぜん》します。
|変性女子《へんじやうによし》のやり|方《かた》について、|今日《こんにち》まで|誤解《ごかい》して|居《ゐ》たといふ|意味《いみ》を|書《か》いて|居《を》られる。その|未成品《みせいひん》の|御筆先《おふでさき》しかも|変性女子《へんじやうによし》みづから|取捨按配《しゆしやあんばい》した|神諭《しんゆ》を|見《み》て、かれこれ|批評《ひへう》するのは、|批評《ひへう》する|人《ひと》が|根本《こんぽん》の|緯緯《いきさつ》を|知《し》らないからの|誤《あやま》りであります。|私《わたくし》はもはや|止《や》むに|止《や》まれない|場合《ばあひ》に|立到《たちいた》つたので、|露骨《ろこつ》に|事実《じじつ》を|告白《こくはく》しておきます。|要《えう》するに|教祖《けうそ》は、|明治《めいぢ》|二十五年《にじふごねん》より|大正《たいしやう》|五年《ごねん》まで|前後《ぜんご》|二十五年間《にじふごねんかん》、|未見真実《みけんしんじつ》の|境遇《きやうぐう》にありて|神務《しんむ》に|奉仕《ほうし》し、|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|基本的《きほんてき》|神業《しんげふ》の|先駆《せんく》を|勤《つと》められたのである。|女子《によし》は|入道《にふだう》は|明治《めいぢ》|三十一年《さんじふいちねん》であるが、|未見真実《みけんしんじつ》の|神業《しんげふ》は、|同《どう》|三十三年《さんじふさんねん》まで|全《ぜん》|二ケ年間《にかねんかん》で、その|後《ご》は|見真実《けんしんじつ》の|神業《しんげふ》である。|霊的《れいてき》に|言《い》ふならば|教祖《けうそ》よりも|十八年《じふはちねん》|魁《さきが》けて、|見真実《けんしんじつ》の|境域《きやうゐき》に|進《すす》ンでゐたのは、お|筆先《ふでさき》の|直筆《ぢきひつ》を|熟読《じゆくどく》さるれば|判《わか》りませう。
|三千年《さんぜんねん》と|五十一年《ごじふいちねん》、|三四月《さんしぐわつ》、|八九月《はちくぐわつ》、|正月《しやうぐわつ》|三日《みつか》、|三月三日《さんぐわつみつか》、|五月五日《ごぐわついつか》なぞの|数字《すうじ》に|囚《とら》はれてゐた、いはゆる○○|派《は》、○○|派《は》の|説明《せつめい》に|誤《あやま》られてはならぬ。|五十一年《ごじふいちねん》の|五《ご》は、|厳《いづ》の|意味《いみ》であり、|十《じふ》は【火水】[#「火水」は御校正本にルビなし]、または|神《かみ》の|意《い》、|一年《いちねん》は|始《はじ》めの|年《とし》の|意味《いみ》である。|要《えう》するに|三千年《さんぜんねん》(|無限《むげん》の|年数《ねんすう》)の|間《あひだ》の、|大神《おほかみ》の|御艱苦《ごかんく》が|出現《しゆつげん》して、|神徳《しんとく》の|発揮《はつき》さるる|最初《さいしよ》の|年《とし》が、|明治《めいぢ》|二十五年《にじふごねん》|正月《しやうぐわつ》からと|云《い》ふ|意義《いぎ》である。|九月《くぐわつ》|八日《やうか》の|九《く》はツクシであり、|月《つき》はミロクであり、|八《はち》は|開《ひら》く、|日《ひ》は|輝《かがや》くの|意味《いみ》で、|梅《うめ》で|開《ひら》いて|松《まつ》で|治《をさ》めるといふ|意義《いぎ》である。|九月《くぐわつ》とは|松《まつ》で|治《をさ》める|意義《いぎ》、|八日《やうか》とは|梅《うめ》で|開《ひら》く|意義《いぎ》である。また|正月《しやうぐわつ》|三日《みつか》の|正《しやう》は、|一《はじめ》と|止《とどめ》と|合《がつ》した|意味《いみ》であり、|月《つき》は|月光《げつくわう》、|三《みつ》は|瑞《みづ》または|栄《さか》え、|日《ひ》は|輝《かがや》くことで、|神徳《しんとく》の|完全《くわんぜん》に|発揮《はつき》されることを、|正月《しやうぐわつ》|三日《みつか》といふのである。|故《ゆゑ》に|神諭《しんゆ》の|解釈《かいしやく》は|容易《ようい》にできない。また|筆先《ふでさき》と|神諭《しんゆ》の|区別《くべつ》も|弁《わきま》へて|読《よ》ンで|貰《もら》はねばなりませぬ。
この|霊界物語《れいかいものがたり》も、|人智《じんち》を|以《もつ》て|判断《はんだん》することは|出来《でき》ませぬ。たとへ|編輯人《へんしふにん》、|筆録者《ひつろくしや》の|解説《かいせつ》といへども、|肯定《こうてい》しては|成《な》りませぬ。ただ|単《たん》に|文句《もんく》のまま、|素直《すなほ》に|読《よ》むのが、|第一《だいいち》|安全《あんぜん》でありますから、|一寸《ちよつと》|書加《かきくは》へておきます。
大正十一年瑞月祥日
於瑞祥閣 王仁識
第一篇 |大台ケ原《おほだいがはら》
第一章 |日出山上《ひのでさんじやう》〔三〇一〕
|千歳《ちとせ》の|老松《らうしよう》|杉林《すぎばやし》  |檜《ひのき》|雑木《ざふき》|苔蒸《こけむ》して
|神《かむ》さび|立《た》てる|大森林《だいしんりん》  |麓《ふもと》を|廻《めぐ》る|中国一《ちうごくいち》の|大高山《だいかうざん》
|東南西《とうなんせい》に|千波万波《せんぱまんぱ》の|押寄《おしよ》する  |大海原《おほうなばら》を|控《ひか》へたる
|雲井《くもゐ》に|高《たか》く|神徳《しんとく》も  |大台ケ原《おほだいがはら》の|中央《ちうあう》に
|雲《くも》つくばかりの|大岩窟《だいがんくつ》あり  |盤古神王《ばんこしんわう》|自在天《じざいてん》
|自由自在《じいうじざい》に|世《よ》の|中《なか》を  |思《おも》ひのままに|掻《か》き|乱《みだ》し
|万古不動《ばんこふどう》の|礎《いしずゑ》を  |建《た》てむとしたる|立岩《たちいは》の
【をぐら】き|窟《あな》の|奥深《おくふか》く  |探《さぐ》り|知《し》られぬ|其《そ》の|企《たく》み
|天津御神《あまつみかみ》の|勅《みこと》|以《も》て  |豊葦原《とよあしはら》の|中津国《なかつくに》
|淡路島《あはぢしま》なる|聖域《せいゐき》に  |天降《あも》りましたる|伊弉諾《いざなぎ》の
|神《かみ》の|光《ひかり》の|四方《よも》の|国《くに》  |暗夜《やみよ》を|開《ひら》く|大道別命《おほみちわけのみこと》の|分霊《わけみたま》
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|朝露《あさつゆ》を  |踏《ふ》み|分《わ》け|登《のぼ》る|宣伝使《せんでんし》
|漸《やうや》う|岩窟《いはや》の|前《まへ》に|辿《たど》り|着《つ》く  |彼方此方《あなたこなた》に|鳴《な》き|渡《わた》る
|百鳥千鳥《ももどりちどり》の|鳴《な》く|声《こゑ》は  |岩戸《いはと》の|前《まへ》に|百神《ももがみ》の
|囁《ささや》く|如《ごと》く|聞《きこ》ゆなり  |折《をり》から|深《ふか》き|山奥《やまおく》より
|天地《てんち》も|崩《くづ》るるばかりなる  |大音響《だいおんきやう》の|物凄《ものすご》く
|火焔《くわえん》の|舌《した》を|吐《は》きながら  |渓間《たにま》を|目《め》がけ|降《くだ》りくる
|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》を|先頭《せんとう》に  |数限《かずかぎ》りもなき|大蛇《をろち》の|群《むれ》
|巌窟《いはや》を|指《さ》して|進《すす》みくる  その|光景《くわうけい》の|凄《すさま》じさ
|心《しん》|震《ふる》ひ|魂《こん》|縮《ちぢ》まる|許《ばか》りなり  |日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》は|黙然《もくねん》と
|瞑目《めいもく》|静坐《せいざ》|不動《ふどう》の|態《てい》。
|忽然《こつぜん》として|現《あら》はれたる|白髪《はくはつ》|異様《いやう》の|老神《らうしん》、|右手《めて》に|赤銅《あかがね》の|太《ふと》き|杖《つゑ》をつき、|左手《ゆんで》に|玉《たま》を|捧《ささ》げながら、|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|向《むか》ひ|鏡《かがみ》の|如《ごと》き|両眼《りやうがん》を|刮《くわつ》と|見開《みひら》き|声《こゑ》をかけ、
『|何者《なにもの》なればこの|神山《しんざん》に|断《ことわ》りも|無《な》く|登《のぼ》り|来《きた》るか。|抑《そもそ》も|当山《たうざん》は、|盤古神王《ばんこしんわう》|塩長彦命《しほながひこのみこと》の|御娘神《おんむすめがみ》、|塩治姫神《しほはるひめのかみ》の|永久《とこしへ》に|鎮《しづ》まりたまふ|神界《しんかい》|所定《しよてい》の|霊山《れいざん》なり。|一刻《いつこく》も|早《はや》くこの|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》れ。|早《はや》く|早《はや》く』
と【せき】|立《た》てたり。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、【むつく】とばかり|立《た》ち|上《あが》り、
『|実《げ》に|心得《こころえ》ぬ|汝《なんぢ》が|今《いま》の|言《げん》、|盤古神王《ばんこしんわう》とは|彼《か》れ|何者《なにもの》ぞ。|兇悪無道《きようあくぶだう》の|常世彦命《とこよひこのみこと》に|擁立《ようりつ》され|諸越山《もろこしやま》に|住所《すみか》を|構《かま》へ、|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|国祖《こくそ》|国治立命《くにはるたちのみこと》をして|窮地《きうち》に|陥《おとしい》れしめたる|大逆無道《だいぎやくぶだう》の|根元神《こんげんしん》、|今《いま》は|僅《わづ》かにヱルサレムの|聖地《せいち》に|割拠《かつきよ》し、|螢火《ほたるび》のごとき|微々《びび》たる|光《ひかり》を|照《て》らし、|漸《やうや》くにしてその|神威《しんゐ》を|保続《ほぞく》し、|神政《しんせい》を|布《し》くといへども、|暴力《ばうりよく》|飽《あ》くまで|強《つよ》き|大国彦神《おほくにひこのかみ》の|神威《しんゐ》に|圧迫《あつぱく》され、|部下《ぶか》の|諸神司《しよしん》は|日《ひ》に|夜《よ》に|反覆《はんぷく》|離散《りさん》し、|神政《しんせい》の|基礎《きそ》はなはだ|危《あやふ》し。さはさりながら、いま|汝《なんぢ》の|述《の》べ|立《た》つる|盤古大神《ばんこだいじん》は、|果《はた》してヱルサレムの|城主《じやうしゆ》|塩長彦命《しほながひこのみこと》の|娘神《むすめがみ》|塩治姫命《しほはるひめのみこと》には|非《あら》ざるべし。|察《さつ》する|所《ところ》アーメニヤの|野《の》に|神都《しんと》を|開《ひら》く、|偽《にせ》|盤古神王《ばんこしんわう》ウラル|彦神《ひこのかみ》の|一味《いちみ》の|邪神《じやしん》、この|神山《しんざん》に|身《み》を|遁《のが》れ|諸神《しよしん》を|偽《いつは》り、|時《とき》を|待《ま》つて|天教山《てんけうざん》を|占領《せんりやう》し、|己《おの》れ|代《かは》つて|盤古神王《ばんこしんわう》たるに|非《あら》ざるか。ヱルサレムに|現《あら》はれ|給《たま》ふ|盤古神王《ばんこしんわう》は、|真《まこと》の|塩長彦命《しほながひこのみこと》なれども、|現在《げんざい》は|仔細《しさい》あつて|地教《ちけう》の|山《やま》に|隠《かく》れ|給《たま》ひ、ヱルサレムに|在《ゐま》す|盤古神王《ばんこしんわう》は、|勢力《せいりよく》|微々《びび》たる|国治立命《くにはるたちのみこと》の|従神《じゆうしん》|紅葉別命《もみぢわけのみこと》、|今《いま》は|盤古神王《ばんこしんわう》と|故《ゆゑ》あつて|偽《いつは》り、|天下《てんか》の|形勢《けいせい》を|観望《くわんばう》しつつあり。|汝《なんぢ》が|言《い》ふところ|事実《じじつ》に|全《まつた》く|相反《あひはん》し|信憑《しんぴよう》すべき|事実《じじつ》|毫末《がうまつ》もなし。|盤古神王《ばんこしんわう》をヱルサレムに|迎《むか》へ|奉《たてまつ》り、かつまた|地教山《ちけうざん》に|遷《うつ》し|奉《たてまつ》りしは|斯《か》く|申《まを》す|日《ひ》の|出神《でのかみ》なり。この|上《うへ》|尚《な》ほ|答弁《たふべん》あるか』
と|刀《かたな》の|柄《つか》に|手《て》をかけ、|返答《へんたふ》|次第《しだい》によつては|容赦《ようしや》はならぬと|詰《つ》め|寄《よ》れば、|白髪《はくはつ》|異様《いやう》の|老神《らうしん》は、|大口《おほぐち》|開《あ》けてカラカラと|打笑《うちわら》ひ、
『われは|大事忍男神《おほことおしをのかみ》なり。|盤古大神《ばんこだいじん》が|娘《むすめ》|塩治姫命《しほはるひめのみこと》の|御隠《おかく》れ|家《が》と|言挙《ことあ》げしたるは|真赤《まつか》な|偽《いつは》り。もはや|是非《ぜひ》なし。|汝《なんぢ》に|看破《かんぱ》されしこの|上《うへ》は、|破《やぶ》れかぶれの|我《わ》が|活動《くわつどう》、いまに|吠面《ほえづら》【かわく】な。|汝《なんぢ》いかに|武勇絶倫《ぶゆうぜつりん》にして、たとへ|獅子王《ししわう》の|勢《いきほひ》あるとも、この|嶮《けは》しき|神山《しんざん》にただ|一人《ひとり》|分《わ》け|入《い》り、いかに|千変万化《せんぺんばんくわ》の|智勇《ちゆう》を|揮《ふる》ふも、|汝《なんぢ》|一人《ひとり》の|力《ちから》におよばむや。すみやかに|兜《かぶと》を|脱《ぬ》いで|我《わ》が|前《まへ》に|降参《かうさん》するか、ただしは|汝《なんぢ》が|携《たづさ》へもてる|錆刀《さびがたな》を|以《もつ》て、|潔《いさぎよ》く|割腹《かつぷく》するか、|返答《へんたふ》|如何《いか》に』
と|百雷《ひやくらい》の|一時《いちじ》に|轟《とどろ》くごとき|怒《いか》りの|声《こゑ》、|天地《てんち》も|割《わ》るるばかりであつた。|山中《さんちゆう》|俄《にはか》に|騒《さわ》がしく、|峰《みね》の|頂《いただき》|谷《たに》の|底《そこ》|一度《いちど》に|高《たか》き|鬨《とき》の|声《こゑ》、|大蛇《だいじや》や|悪鬼《あくき》を|始《はじ》めとし、|異様《いやう》の|怪物《くわいぶつ》|雲霞《うんか》のごとく|一度《いちど》に|押寄《おしよ》せ、|咆哮《はうかう》|怒号《どがう》するさま|身《み》の|毛《け》も|竦立《よだ》つ|許《ばか》りなりけり。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、|少《すこ》しも|屈《くつ》せず|立岩《たちいは》を|脊《せ》に、|刀《かたな》の|柄《つか》に|手《て》を|掛《か》けて、
『たとへ|幾億万《いくおくまん》の|強敵《きやうてき》きたるとも、|斬《き》つて|斬《き》つて|斬《き》り|捲《まく》り、やむを|得《え》ざれば|屍《しかばね》の|山《やま》に、|血潮《ちしほ》の|河《かは》、|全山《ぜんざん》ことごとく|唐紅《からくれなゐ》に|染《そ》めなさむ、いざ|来《こ》い|勝負《しようぶ》』
と|身構《みがま》へたり。
|大事忍男神《おほことおしをのかみ》と|自称《じしよう》する|白髪《はくはつ》|異様《いやう》の|妖神《えうしん》は、この|勢《いきほひ》に|辟易《へきえき》し|巌窟《がんくつ》めがけて|一目散《いちもくさん》に|逃《に》げ|入《い》り、|押寄《おしよ》せきたる|悪鬼《あくき》|邪神《じやしん》の|姿《すがた》は|煙《けぶり》のごとく|消《き》え|失《う》せて、|後《あと》には|渓間《たにま》を|流《なが》るる|水《みづ》の|音《おと》、|松《まつ》|吹《ふ》く|風《かぜ》の|響《ひびき》、|面《おもて》を|撫《な》でる|春《はる》の|陽気《やうき》も|美《うる》はしかりける。
|渓間《たにま》に|囀《さへづ》る|百鳥《ももどり》の|声《こゑ》は、たちまち|天《あま》の|原《はら》|雲路《くもぢ》を|分《わ》けて|降《くだ》りくる。|天女《てんによ》の|奏《かな》づる|音楽《おんがく》かと|疑《うたが》はるる|許《ばか》りなりける。
(大正一一・一・三〇 旧一・三 外山豊二録)
第二章 |三神司《さんしん》|邂逅《かいこう》〔三〇二〕
|山《やま》の|頂《いただき》より|涼《すず》しき|声《こゑ》|聞《きこ》えて、
『|世《よ》は|常闇《とこやみ》となり|果《は》てて  |黄泉国《よもつのくに》に|出《い》でましし
|国《くに》の|御柱大神《みはしらおほかみ》の  |見立《みたて》て|給《たま》ひし|八尋殿《やひろどの》
|真木《まき》の|柱《はしら》の|朽果《くちは》てて  |倒《たふ》れかかりし|神《かみ》の|世《よ》を
|起《おこ》し|助《たす》くる|康代彦《やすよひこ》  |心《こころ》も|堅《かた》き|真鉄彦《まがねひこ》
|天津御国《あまつみくに》に|現《あら》はれて  |瑞《みづ》の|御魂《みたま》と|諸共《もろとも》に
この|世《よ》の|元《もと》を|固《かた》めむと  |天津誠《あまつまこと》の|御教《みをしへ》を
|天《てん》と|地《ち》とに|隈《くま》もなく  |行《ゆ》き|足《た》らはして|神《かみ》の|世《よ》を
いと|平《たひら》けく|安《やす》らけく  |親《おや》の|位《くらゐ》を|保《たも》ちつつ
|漂《ただよ》ふ|国《くに》を|弥堅《いやかた》に  |締《し》め|固《かた》めたる|大事《おほこと》の
|忍男神《おしをのかみ》の|現《あ》れまして  |神政成就《しんせいじやうじゆ》|成《な》し|遂《と》ぐる
|吾《われ》らは|神《かみ》の|御使《みつかひ》ぞ  |千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|日《ひ》の|本《もと》の
|礎《いしずゑ》|堅《かた》く|搗固《つきかた》め  |神世《かみよ》の|長《をさ》と|成《な》り|出《い》でて
|教《をしへ》を|四方《よも》に|敷島《しきしま》の  |吾《われ》は|康代《やすよ》の|司《かみ》なるぞ
|吾《われ》は|真鉄《まがね》の|司《かみ》なるぞ  いま|汝《な》が|前《まへ》に|現《あら》はれて
|大事忍男神《おほことおしをのかみ》と|云《う》は  ウラルの|山《やま》に|蟠《わだかま》る
|八岐大蛇《やまたをろち》の|化身《けしん》にて  |今《いま》より|十年《ととせ》のその|昔《むかし》
この|神山《しんざん》に|立籠《たてこも》り  |瑞穂《みづほ》の|国《くに》の|中国《なかくに》の
|神《かみ》の|胞衣《えな》をば|打破《うちやぶ》り  この|世《よ》を|乱《みだ》す|深企《ふかだく》み
これの|深山《みやま》に|隠《かく》ろひて  |数多《あまた》の|邪神《じやしん》を|狩集《かりあつ》め
|再挙《さいきよ》を|図《はか》る|浅間《あさま》しさ  |天《あめ》の|御柱大神《みはしらおほかみ》は
|魔神《まがみ》の|企《たく》みを|悉《ことごと》く  |覚《さと》らせ|玉《たま》ひて|現世《うつしよ》を
|千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|康代彦《やすよひこ》  |堅磐常磐《かきはときは》に|真鉄彦《まがねひこ》
|造《つく》り|固《かた》めて|浦安《うらやす》の  |日《ひ》|出《い》づる|国《くに》の|礎《いしずゑ》を
|照《て》らす|日《ひ》の|出《で》の|大神《おほかみ》ぞ  |仕組《しぐみ》も|深《ふか》きこの|山《やま》に
|導《みちび》き|玉《たま》ふ|雄々《をを》しさよ  |東南西《とうなんせい》に|海原《うなばら》を
|控《ひか》へて|聳《た》てるこの|山《やま》は  |難攻不落《なんこうふらく》の|鉄壁《てつぺき》ぞ
|汝《なれ》が|命《みこと》はこの|山《やま》に  |堅磐常磐《かきはときは》に|鎮《しづ》まりて
|天津日嗣《あまつひつぎ》の|皇神《すめかみ》の  |御位《みくら》を|守《まも》り|奉《たてまつ》れ
|吾《われ》は|左守《さもり》の|司《かみ》となり  |大和嶋根《やまとしまね》の|神国《かみぐに》を
|真鉄《まがね》の|彦《ひこ》の|弥堅《いやかた》に  |弥常久《いやとことは》に|揺《ゆる》ぎなく
|治《をさ》めてここに|立岩《たちいは》の  |深《ふか》き|企《たく》みを|打破《うちやぶ》り
|曲神《まが》の|悉《ことごと》|平《たひら》げむ  |康代《やすよ》は|右守《うもり》の|神《かみ》となり
|荒浪《あらなみ》|猛《た》ける|浮嶋《うきしま》を  |神《かみ》の|稜威《みいづ》に|搗固《つきかた》め
|康代《やすよ》の|彦《ひこ》の|神《かみ》となり  |浦安国《うらやすくに》の|心安《うらやす》く
|千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|守《まも》るべし  |朝日《あさひ》の|直刺《たださ》す|神《かみ》の|山《やま》
|夕日《ゆふひ》の|直刺《たださ》す|神《かみ》の|峰《みね》  |百山《ももやま》|千谷《ちだに》のその|中《なか》に
|聳《そそ》り|立《た》ちたる|大台《おほだい》が  |原《はら》の|御山《みやま》と|永久《とこしへ》に
|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|現《あら》はれて  |天教《てんけう》|地教《ちけう》の|神々《かみがみ》の
|教《をしへ》を|守《まも》る|朝日子《あさひこ》の  |日《ひ》の|出神《でのかみ》と|成《な》りませよ』
と|歌《うた》ひながら、|巌窟《がんくつ》の|前《まへ》に|立《た》てる|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|傍《そば》|近《ちか》く|進《すす》み|来《きた》る。
(大正一一・一・三〇 旧一・三 高木鉄男録)
第三章 |白竜《はくりう》〔三〇三〕
|水《みづ》より|清《きよ》く|風《かぜ》よりもいと|爽《さわや》かに、|月《つき》にも|擬《まが》ふ|明《あきら》かさ、その|顔容《かんばせ》は|花《はな》よりも|婉麗《あでやか》なりし|姫神《ひめがみ》は、|忽焉《こつえん》として|巌窟《いはや》の|前《まへ》に|現《あら》はれた。|姫神《ひめがみ》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|始《はじ》め|二柱《ふたはしら》の|神《かみ》の|前《まへ》に|両手《りやうて》を【つかへ】、いと|慇懃《いんぎん》に|会釈《ゑしやく》しながら|物《もの》をも|言《い》はず、|小暗《をぐら》き|巌窟《いはや》の|穴《あな》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》りける。|油断《ゆだん》ならじと|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|双手《もろて》を|組《く》みて、|頭《かしら》を|傾《かたむ》け|思案《しあん》に|暮《く》れて|暫《しば》し|言葉《ことば》もなかりしが、|康代彦命《やすよひこのみこと》は、|襟《えり》を|正《ただ》し|容《かたち》を|更《あらた》め、|双手《もろて》を|拍《う》ちて|天地《てんち》に|祈願《きぐわん》を|始《はじ》めた。|拍手《かしはで》の|声《こゑ》は|大峡小峡《おほがひをがひ》に|響《ひび》き|渡《わた》り、|時《とき》ならぬ|山彦《やまひこ》の、|彼方此方《あちらこちら》に|手《て》を|拍《う》つ|有様《ありさま》、|百千人《ひやくせんにん》の|一時《いちどき》に|手《て》を|拍《う》つ|如《ごと》くなりけり。
|三柱《みはしら》の|神《かみ》は、|虎穴《こけつ》に|入《い》らざれば|虎児《こじ》を|獲《え》ず、|怪《あや》しき|底《そこ》ひも|知《し》れぬこの|巌窟《がんくつ》を|探険《たんけん》し、|果《はた》して|善神《ぜんしん》の|住処《すみか》か、|悪魔《あくま》の|巣窟《さうくつ》か、|探険《たんけん》せむと|先《さき》を|争《あらそ》ひ|進《すす》み|入《い》る。|行《ゆ》けども|行《ゆ》けども|際限《はてし》なく、|右《みぎ》に|折《を》れ|左《ひだり》に|曲《まが》り、|或《あるひ》は|上《のぼ》り|或《あるひ》は|下《くだ》り、|漸《やうや》うにして|天井《てんじやう》|高《たか》く|横巾《よこはば》|広《ひろ》き|巌窟《いはや》の|中《なか》に|到達《たうたつ》したり。
|訝《いぶ》かしや、|目《め》の|届《とど》かぬ|許《ばか》りのこの|巌窟《がんくつ》は、|次第《しだい》に|展開《てんかい》して、|処々《しよしよ》より|朦朧《もうろう》たる|光《ひかり》を|現《あら》はし、|殆《ほとん》ど|朧月夜《おぼろづきよ》のごとき|光景《くわうけい》なり。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|立止《たちとど》まり、|二神《にしん》にむかひ、
『|二柱神《ふたはしらかみ》、|彼方《かなた》の|一方《いつぱう》を|熟視《じゆくし》されよ』
と|示《しめ》し|給《たま》へば、|二神《にしん》は|眼《め》を|凝《こ》らし、|指《ゆび》さす|方《かた》を|見《み》、|目《め》を|転《てん》ずれば、|荘厳《さうごん》|譬《たと》ふるに|物《もの》なき|宮殿《きうでん》|現《あら》はれ|居《ゐ》たり。|二神《にしん》は|思《おも》はず、
『ヤア』
と|驚愕《おどろき》の|声《こゑ》を|張上《はりあげ》ながら、|前後左右《ぜんごさいう》に|心《こころ》を|配《くば》り、|宮殿《きうでん》|目《め》がけて|進《すす》みゆく。
|天《あま》の|岩戸《いはと》か|仙境《せんきやう》か  |右《みぎ》も|左《ひだり》も|前《まへ》うしろ
|岩戸《いはと》を|岩《いは》にて|固《かた》めたる  |堅磐常磐《かきはときは》の|巖窟《がんくつ》は
|石土毘古《いはつちびこ》の|穿《うが》ちたる  |神《かみ》の|造《つく》りし|神仙境《しんせんきやう》
|天人《てんにん》|天女《てんによ》の|時《とき》ならぬ  |来《きた》りて|百《もも》の|音楽《おんがく》を
|奏《かな》づる|許《ばか》り|思《おも》はれて  |心《こころ》も|勇《いさ》み|足《あし》|進《すす》む
|進《すす》む|三柱《みたり》の|神人《かみびと》は  |漸《やうや》うここに|着《つ》きにける。
|近《ちか》よりて|見《み》れば、またもや|堅固《けんご》なる|石門《いしもん》|築《きづ》かれあり。|而《さう》して|石門《いしもん》の|頂《いただき》に|聳《そび》え|立《た》つたる|朱塗《しゆぬり》の|宮殿《きうでん》は、|巍然《ぎぜん》として|巌窟《いはや》の|天井《てんじやう》を|圧《あつ》するばかりなりき。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、|金剛力《こんがうりき》を|発揮《はつき》し、|力《ちから》を|籠《こ》めて、|岩戸《いはと》の|扉《とびら》を|押開《おしひら》かむとするに、|中《なか》より|何神《なにがみ》の|声《こゑ》とも|知《し》れず、
『|汝《なんぢ》|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|我々《われわれ》が|計略《けいりやく》に|甘々《うまうま》と|乗《の》せられ、|勝《かち》に|乗《じやう》じてこの|巌窟《いはや》の|中《なか》に|忍《しの》び|入《い》り【おほけ】なくも|八頭八尾《やつがしらやつを》の|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》の|御住居所《おんすまゐどころ》、|迷《まよ》ひ|来《きた》りしその|果敢《はか》なさよ。|斯《か》くなる|上《うへ》はもはや|汝《なんぢ》らは|袋《ふくろ》の|鼠《ねずみ》、|釜中《ふちう》の|魚《うを》、|締《し》め|殺《ころ》さうと、|焼《や》き|殺《ころ》さうと、|炙《あぶ》つて|喰《く》はうと|煮《に》て|食《く》はうと、こつちの|心《こころ》|次第《しだい》、|天運《てんうん》|尽《つ》きし|憫《あは》れさよ』
と|銅鑼声《どらごゑ》を|張上《はりあ》げてカラカラと|笑《わら》ふ。|三柱《みはしら》の|神《かみ》は|歯《は》がみをなし、|眼尻《まなじり》を|釣上《つりあ》げ、|刀《かたな》の|柄《つか》に|手《て》をかけ、|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|眼《まなこ》を|配《くば》るをりからに|東天紅《とうてんくれなゐ》を|潮《てう》して、|四辺《あたり》は|俄《にはか》に|昼《ひる》の|如《ごと》くなり|来《き》たりぬ。|怪《あや》しき|巌窟《がんくつ》の|奥深《おくふか》く、|日《ひ》の|神《かみ》の|現《あら》はる|可《べ》き|道理《だうり》なし、|何者《なにもの》の|変化《へんげ》ぞと、|三柱《みはしら》は|斉《ひと》しく|光《ひかり》に|向《むか》つて|眼《まなこ》を|注《そそ》ぎける。
|真鉄彦《まがねひこ》は|石門《いしもん》の|柱《はしら》に|手《て》をかけ、|金剛力《こんがうりき》を|出《だ》して、|門柱《もんばしら》を|力限《ちからかぎ》りに|捻上《ねぢあ》げければ、|門《もん》はメキメキと|音《おと》を|立《た》てその|場《ば》に|倒《たふ》れたり。|門内《もんない》には|幾百千《いくひやくせん》とも|数《かぞ》へ|難《がた》き|大蛇《だいじや》の|群《むれ》に|包《つつ》まれて、|嚮《さき》に|現《あら》はれし|美《うるは》しき|女性《ぢよせい》、|端然《たんぜん》として|控《ひか》えゐたり。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|声《こゑ》を|張上《はりあ》げて、
『|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》のひそみたる  |堅《かた》き|岩戸《いはと》も|村肝《むらきも》の
|真鉄《まがね》の|彦《ひこ》の|真心《まごころ》に  |打砕《うちくだ》かれて|門柱《もんばしら》
ても|心地《ここち》よく|淡雪《あはゆき》の  |消《き》ゆるが|如《ごと》く|除《のぞ》かれぬ
|神《かみ》に|任《まか》せし|真心《まごころ》の  |誠《まこと》の|力《ちから》はどこまでも
|世《よ》は|永遠《とこしへ》にのび|開《ひら》く  |数《かぞ》へつきせぬ|曲神《まががみ》の
|大蛇《をろち》の|棲処《すみか》を|突止《つきと》めて  |誠《まこと》を|貫《つらぬ》く|三柱《みはしら》の
|剣《つるぎ》の|錆《さび》となりひびく  さしもに|堅固《けんご》の|岩山《いはやま》の
|不動《ふどう》の|岩《いは》も|朽木《くちき》|如《な》す  |風《かぜ》にもまれて|倒《たふ》るごと
|誠《まこと》を|貫《つらぬ》く|剣刃《つるぎは》の  |十束《とつか》の|剣《つるぎ》に|斬《き》りはふり
|石土毘古司《いはつちびこのかみ》となり  この|世《よ》の|曲《まが》を|払《はら》はなむ
|世《よ》は|烏羽玉《うばたま》の|暗《くら》くとも  |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|現《あら》はれて
|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》を|寸断《すんだん》し  |百《もも》の|曲神《まがみ》を|悉々《ことごと》く
|吾《わが》|言霊《ことたま》になびけなむ  |刃向《はむか》ひ|来《きた》らむ|者《もの》あらば
|来《きた》れよ|来《きた》れいざ|来《きた》れ  |御国《みくに》を|守《まも》る|真心《まごころ》の
|剣《つるぎ》に|刃向《はむか》ふ|敵《てき》はなし  この|世《よ》を|救《すく》ふ|真心《まごころ》の
|神《かみ》に|刃向《はむか》ふ|刃《やいば》なし  たとへ|天地《てんち》は|変《かは》るとも
|大地《だいち》は|海《うみ》となるとても  |誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|救《すく》ひの|神《かみ》の|現《あら》はれし  |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生魂《いくみたま》
|康代《やすよ》の|彦《ひこ》の|幸魂《さちみたま》  |真鉄《まがね》の|彦《ひこ》の|荒魂《あらみたま》
|三《み》つの|魂《みたま》と|現《あら》はれて  |神素盞嗚《かむすさのを》の|神《かみ》となり
|大蛇《をろち》の|頭《かしら》を|始《はじ》めとし  その|尾《を》の|眷族《かみ》も|悉《ことごと》く
|斬《き》りはふりなむ|覚悟《かくご》せよ  |打滅《うちほろぼ》さむ|覚悟《かくご》せよ』
と|大音声《だいおんじやう》に|歌《うた》ひ|始《はじ》めたるに、|容色端麗《ようしよくたんれい》なりし|曲津神《まがつかみ》はこの|歌《うた》に|感《かん》じてや、|忽《たちま》ち|白竜《はくりゆう》と|化《くわ》し、|蜿蜒《えんえん》として、|三柱《みはしら》の|神《かみ》の|前《まへ》に|現《あら》はれ|来《きた》り、|帰順《きじゆん》|歓迎《くわんげい》の|意《い》を|表《へう》し、|長《なが》き|尻尾《しつぽ》の|先《さき》を|前後左右《ぜんごさいう》に|振廻《ふりまは》しつつ|消《き》え|失《う》せけり。|四辺《あたり》を|見《み》れば|今《いま》まで|荘厳《さうごん》を|極《きは》めたる|宮殿《きうでん》は|跡形《あとかた》もなく、|数十百《すうじつぴやく》の|大蛇《をろち》の|群《むれ》も|何処《どこ》へやら、もとの|朧夜《おぼろよ》に|四辺《あたり》は|化《くわ》し|去《さ》りにける。
(大正一一・一・三〇 旧一・三 松村仙造録)
第四章 |石土毘古《いはつちびこ》〔三〇四〕
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|白竜《はくりう》に|向《むか》ひ、
『いま|汝《なんぢ》が|我《わ》が|前《まへ》に|正体《しやうたい》を|現《あら》はし、|帰順《きじゆん》の|意《い》を|表《へう》したるは|何故《なにゆゑ》ぞ。|汝《なんぢ》には|最《もつと》も|深《ふか》き|謀計《ぼうけい》あらむ。|一旦《いつたん》|帰順《きじゆん》と|見《み》せかけ、|神々《かみがみ》が|心《こころ》を|緩《ゆる》ませ、その|虚《きよ》に|乗《じやう》じて|我々《われわれ》を|亡《ほろ》ぼさむとするか。その|手《て》は|喰《く》はぬぞ、|有体《ありてい》に|白状《はくじやう》せよ』
と|三方《さんぱう》より|詰《つ》め|寄《よ》れば、|白竜《はくりう》は|両眼《りやうがん》に|涙《なみだ》を|湛《たた》へ、|頭《かしら》を|大地《だいち》に|摺《す》りつけ|絶対《ぜつたい》|帰順《きじゆん》の|意《い》を|表《へう》するにぞ、|真鉄彦《まがねひこ》は|長剣《ちやうけん》を|揮《ふる》つて、|電光石火《でんくわうせきくわ》、|白竜《はくりう》の|頭部《とうぶ》を|目《め》がけて|斬《き》りつくれば、|一条《いちでう》の|血煙《ちけむり》|上空《じやうくう》に|向《むか》つて|立《た》ち|昇《のぼ》るよと|見《み》る|間《ま》に、|白雲《はくうん》|濛々《もうもう》として|起《おこ》り、|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜざるに|到《いた》りぬ。やや|暫《しばら》くありて、|濛々《もうもう》たる|白雲《はくうん》の|中《なか》より|以前《いぜん》の|女性《ぢよせい》|茫然《ばうぜん》と|現《あら》はれ|来《きた》り、|声《こゑ》も|微《かすか》に|語《かた》るやう、
『|妾《わらは》こそは、|天《あめ》の|御柱神《みはしらがみ》の|御子《みこ》にして、|石巣比売《いはすひめ》と|申《まを》すものなり。|我《わが》|夫《をつと》は|石土毘古《いはつちびこ》と|申《まを》し|侍《はべ》る。|常磐堅磐《ときはかきは》の|松《まつ》の|世《よ》の|礎《いしずゑ》たらしめむとしてわが|父大神《ちちおほかみ》は、この|御山《みやま》に|巌窟《がんくつ》を|作《つく》り|我《われ》ら|夫婦《ふうふ》を|此処《ここ》に|住《すま》はせたまふ。|然《しか》るにアーメニヤのウラル|彦《ひこ》に|憑依《ひようい》せる|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》は、|如何《いか》にしてこの|仙郷《せんきやう》を|探《さぐ》りたりけむ、|数多《あまた》の|邪神《じやしん》を|引《ひ》き|連《つ》れ|当山《たうざん》に|襲《おそ》ひ|来《きた》りて|我《われ》ら|夫婦《ふうふ》を|亡《ほろ》ぼし、|自《みづか》ら|代《かは》つて|当山《たうざん》の|主《ぬし》たらむとしたりしを、|妾《わらは》は|佯《いつは》つて|彼《かれ》が|味方《みかた》となり、|汝《なんぢ》ら|救《すく》ひの|神《かみ》の|来《きた》るを|待《ま》ちつつありしが、|今《いま》や|天運《てんうん》|循環《じゆんかん》してこの|喜《よろこ》びに|遇《あ》ふ』
と|初《はじ》めて|語《かた》る|巌窟《いはや》の|秘密《ひみつ》、|三柱《みはしら》の|神《かみ》は|言葉《ことば》を|揃《そろ》へて、
『|貴女《あなた》は|噂《うはさ》にきく|石巣比売《いはすひめ》に|御座《おは》せしや、|思《おも》はぬところにて|不思議《ふしぎ》の|対面《たいめん》、これぞ|全《まつた》く|幽界《かくりよ》に|鎮《しづ》まりたまふ、|野立彦神《のだちひこのかみ》の|御引《おんひ》き|合《あは》せ、|嬉《うれ》しや|忝《かたじけ》なや』
と|四柱《よはしら》|一緒《いつしよ》に|手《て》を|拍《う》つて|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》したりける。この|時《とき》|前方《ぜんぱう》より|一人《ひとり》の|男《をとこ》|慌《あわだた》しく|走《はし》りきたり|石巣比売《いはすひめ》に|向《むか》ひ|両手《りやうて》をつきながら、
『|一大事《いちだいじ》が|出来《しゆつたい》いたしたり。|石土毘古《いはつちびこ》は|今《いま》や|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》のために|虐殺《ぎやくさつ》されむとしたまふ。|我《われ》はその|惨状《さんじやう》を|見《み》るに|忍《しの》びず、|貴女《あなた》に|報告《はうこく》に|参《まゐ》りたり。すぐさま|来《きた》らせたまへ』
と|云《い》ふより|早《はや》く、ひらりと|体《たい》を|躱《かは》し|一目散《いちもくさん》にもと|来《き》し|道《みち》を|走《はし》り|行《ゆ》く。
ここは|巌窟《がんくつ》の|最《もつと》も|奥深《おくふか》き|一室《いつしつ》にして、|幾百丈《いくひやくぢやう》とも|知《し》れぬ|大瀑布《だいばくふ》が|落《お》ちゐたり。|瀑布《ばくふ》の|傍《かたはら》には|大小《だいせう》|無数《むすう》の|鐘乳石《しようにうせき》[#「鐘乳石」は御校正本通り。一般には「鍾乳石」と書く]よりなれる|自然《しぜん》の|石像《せきざう》、|数限《かずかぎ》りなく|停立《ていりつ》し、かつ|一方《いつぱう》|瀑布《ばくふ》の|左側《ひだりがは》には、|水晶《すゐしやう》の|母岩《ぼがん》|針《はり》のごとく|立《た》ち|並《なら》び、あたかも|氷《こほり》の|刃《やいば》を|立《た》てたる|如《ごと》くなりき。|傍《かたはら》の|高座《かうざ》には|白髪《はくはつ》|異様《いやう》の|大男《おほをとこ》、|大蛇《をろち》の|変化《へんげ》は、|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|従《したが》へ|石土毘古《いはつちびこ》を|高手小手《たかてこて》に|縛《いまし》め、|従者《じゆうしや》|共《ども》をして|石土毘古《いはつちびこ》の|身体《しんたい》を|氷《こほり》の|刃《やいば》の|上《うへ》に、どつとばかりに|投《な》げつけ、またもや|之《これ》を|頭上《づじやう》に|差《さ》し|上《あ》げ、|再《ふたた》び|投《な》げつけ、|終《をは》つて|大瀑布《だいばくふ》に|投《とう》じ、|浮《うか》み|来《く》るを|見《み》るや|再《ふたた》び|刺股《さすまた》をもつて|前後左右《ぜんごさいう》より|滝壺《たきつぼ》に|押《お》し|込《こ》み、|虐待《ぎやくたい》の|限《かぎ》りをつくし、|再《ふたた》び|大蛇《をろち》の|前《まへ》に|引《ひ》き|据《す》ゑきたつて|厳酷《げんこく》なる|訊問《じんもん》を|始《はじ》めたり。その|中《なか》の|大男《おほをとこ》の|一人《ひとり》は、
『|汝《なんぢ》は|石土毘古《いはつちびこ》ならずや。|今《いま》まで|大台ケ原《おほだいがはら》の|竜神《りうじん》と|佯《いつは》り|我《われ》らを|籠絡《ろうらく》し、|日《ひ》ごろの|大望《たいまう》を|破壊《はくわい》せむとする|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|敵《てき》なり。|表面《へうめん》|帰順《きじゆん》せし|如《ごと》く|見《み》せかけ、|汝《なんぢ》が|妻《つま》の|石巣比売《いはすひめ》と|共《とも》に|我《われ》に|近《ちか》く|仕《つか》へ|巌窟《がんくつ》の|秘密《ひみつ》を|探《さぐ》り、これを|聖地《せいち》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|密告《みつこく》せしならむ。すみやかに|白状《はくじやう》におよべ。この|上《うへ》|一言《いちごん》にても|詐言《さげん》をなさば|汝《なんぢ》を|首途《かどで》の|血祭《ちまつ》りとなし、|妻《つま》も|同《おな》じく|虐殺《ぎやくさつ》し、|次《つい》で|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|亡《ほろ》ぼし、|直《ただち》に|天下《てんか》に|躍《をど》り|出《い》でて|葦原《あしはら》の|瑞穂《みづほ》の|国《くに》を|我意《わがい》のごとく|蹂躙《じうりん》せむ。|汝《なんぢ》いかに|勇猛《ゆうまう》なりとも、|敵中《てきちう》に|陥《おちい》り|如何《いか》に|焦慮《せうりよ》するも|衆寡《しうくわ》|敵《てき》せず|及《およ》ばぬ|忠義立《ちうぎだて》をなさむよりは、|今《いま》より|我《われ》に|降服《かうふく》し、|心底《しんてい》より|我《われ》に|従《したが》ふか。|返答《へんたふ》|次第《しだい》によつては|汝《なんぢ》|夫婦《ふうふ》の|生命《いのち》は|風前《ふうぜん》の|燈火《ともしび》、|所存《しよぞん》は|如何《いか》に』
と|厳《きび》しく|責《せ》め|問《と》ひけるに、|石土毘古《いはつちびこ》は|些《すこし》も|恐《おそ》れず、
『いかに|衆寡《しうくわ》|敵《てき》せずとは|雖《いへど》も、|我《われ》ら|夫婦《ふうふ》は|神伊弉諾命《かむいざなぎのみこと》の|御子《みこ》にして|当山《たうざん》の|主《ぬし》たり。|悪魔《あくま》の|張本《ちやうほん》|八岐大蛇《やまたのをろち》の|如《ごと》き|素性《すじやう》|卑《いや》しき|悪神《あくがみ》に、|如何《いか》でか|降服《かうふく》せむや。|汝《なんぢ》|今《いま》より|悪《あく》を|悔《く》い|善《ぜん》に|移《うつ》り、|我々《われわれ》に|従《したが》つて|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せざるか。|神《かみ》は|一切《いつさい》の|神人《しんじん》を|愛《あい》したまふ。|徒《いたづら》に|悪神《あくがみ》を|殺《ころ》すは、|我《われ》の|欲《ほつ》するところに|非《あら》ず。もはや|今日《こんにち》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|康代彦《やすよひこ》、|真鉄彦《まがねひこ》の|三柱《みはしら》の|勇将《ゆうしやう》、|巌窟《がんくつ》の|奥深《おくふか》く|進《すす》み|来《きた》れり。|我《われ》こそ|実《じつ》に|鬼《おに》に|鉄棒《かなぼう》なり。|汝《なんぢ》|悪神《あくがみ》の|運命《うんめい》はもはや|尽《つ》きた。|鶏卵《けいらん》をもつて|巌《いはほ》より|堅《かた》きわが|石土毘古《いはつちびこ》に|抵抗《ていかう》するは、|自《みづか》ら|滅《ほろ》びを|招《まね》くものぞ、|汝《なんぢ》|速《すみや》かに|悔《く》い|改《あらた》めよ』
と|手足《てあし》を|縛《しば》られながら|説《と》き|諭《さと》せば、|八岐大蛇《やまたのをろち》は|大《おほい》に|怒《いか》り、
『【いまは】の|際《きは》に|何《なん》の|繰言《くりごと》。|皆《みな》の|奴《やつ》ども|彼《かれ》を|突《つ》け、|彼《かれ》を|打《う》て、|斬《き》れよ』
と|厳《きび》しく|命令《めいれい》すれば、
『アイ』
と|答《こた》へて|数多《あまた》の|部下《ぶか》は、|各自《てんで》に|柄物《えもの》を|携《たづさ》へ、|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|攻囲《せめかこ》む。|一人《ひとり》の|伴《とも》の|奴《やつこ》は|何《なに》|思《おも》ひけむ、|一目散《いちもくさん》にこの|場《ば》を|駆《か》け|出《だ》し、|行衛《ゆくゑ》をくらましける。
(大正一一・一・三〇 旧一・三 加藤明子録)
第五章 |日出ケ嶽《ひのでがだけ》〔三〇五〕
|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|石巣比売《いはすひめ》、その|他《た》|二神《にしん》の|前《まへ》に、|息《いき》【せき】|切《き》つて|現《あら》はれきたり、|石土毘古《いはつちびこ》の|危急《ききふ》を|報《はう》じたる|男《をとこ》は、|旧《も》と|竜宮城《りうぐうじやう》の|従属《じゆうぞく》なりし|豆寅《まめとら》なりける。
|豆寅《まめとら》はその|名《な》のごとく、|豆々《まめまめ》しく|何《いづ》れの|神人《しんじん》にも、よく|仕《つか》ふる|男《をとこ》なり。|善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|区別《くべつ》なく、その|旗色《はたいろ》の|善《よ》し|悪《あ》しを|見《み》て、|波《なみ》のごとく|漂《ただよ》ふ|軽卒《けいそつ》なる【ハシタ】|者《もの》なり。|常《つね》に|神業《しんげふ》の|妨害《ばうがい》のみ|不知不識《しらずしらず》の|間《あひだ》に|為《な》しつつありしが、|彼《かれ》の|本心《ほんしん》は|極《きは》めて|正直《しやうぢき》なりける。
|大国治立《おほくにはるたち》の|大神《おほかみ》の|御代《みよ》より、この|男《をとこ》の|行動《かうどう》を|看過《かんくわ》し|給《たま》ひしも、|彼《かれ》が|心中《しんちう》には|一片《いつぺん》の|悪意《あくい》なかりし|故《ゆゑ》なり。|諺《ことわざ》にも『|腐《くさ》り|繩《なは》にも|取《と》り|得《え》あり、|棒杭《ぼうぐひ》も|三年《さんねん》|経《た》てば|肥料《こやし》となる』との|筆法《ひつぱふ》にて、|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|神《かみ》は|之《これ》を|寛恕《くわんじよ》し|給《たま》ひたるなりき。
この|時《とき》、|豆寅《まめとら》は|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》のあまりの|暴虐《ばうぎやく》に|驚《おどろ》き、|石土毘古《いはつちびこ》を|虐《しひた》ぐるを|見《み》るに|忍《しの》びず、|驚《おどろ》いて|本心《ほんしん》に|立《た》ちかへり、その|妻神《つまがみ》の|石巣比売《いはすひめ》に、この|危急《ききふ》を|報告《はうこく》したるなり。|四柱神《よはしらがみ》は|豆寅《まめとら》を|先頭《せんとう》に、|巌窟《いはや》の|奥深《おくふか》く|進《すす》みいりけるに、|隔《へだ》ての|岩戸《いはと》は|堅《かた》く|閉《とざ》され|一歩《いつぽ》も|進《すす》むこと|能《あた》はざりしかば、|四柱《よはしら》は|止《や》むを|得《え》ず、|岩戸《いはと》に|耳《みみ》をすりつけて|様子《やうす》を|聞《き》き|入《い》るに、|邪神《じやしん》の|囁《ささや》く|声《こゑ》、|大蛇《をろち》の|呶鳴《どな》る|声《こゑ》、|石土毘古《いはつちびこ》の|怒《いか》り|声《ごゑ》、|手《て》にとる|如《ごと》く|聞《きこ》えけり。
されど、|岩戸《いはと》は|堅《かた》く|閉《とざ》されて|開《ひら》くこと|容易《ようい》ならざりしが、この|時《とき》、|康代彦《やすよひこ》は|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し、|拳骨《げんこ》を|固《かた》めて|門戸《もんこ》を|打《う》ちたたけば、|門《もん》は|意外《いぐわい》に|脆《もろ》く|左右《さいう》にサツと|開《ひら》きぬ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》はその|勇気《ゆうき》を|賞《しやう》し、|我《わ》が|神名《しんめい》の|一字《いちじ》を|与《あた》へて|大戸日別《おほとびわけ》と|称《とな》へしめたまひぬ。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|先頭《せんとう》に|四柱《よはしら》は、なほも|奥深《おくふか》く|進《すす》み|入《い》りぬ。|流石《さすが》に|弱《よわ》き|豆寅《まめとら》も、|四柱神《よはしらがみ》の|勇神《ゆうしん》|猛将《まうしやう》の|力《ちから》を|藉《か》り、|虎《とら》の|威《ゐ》を|藉《か》る|狐《きつね》のごとく、|禿《は》げた|頭《あたま》に|捻《ね》ぢ|鉢巻《はちま》きをしながら、|瓢箪《へうたん》を|逆様《さかさま》にしたやうな|面《つら》を【ヌツ】と|突《つ》き|出《だ》し、|真先《まつさき》に|進《すす》み|劫託《ごうたく》を|並《なら》べ、
『こらやいこらやい|八岐大蛇《やまたのをろち》  |今日《けふ》は|命《いのち》の|正念場《しやうねんば》
この|方《はう》を|何《なん》と|心得《こころえ》る  |酒《ささ》|酌《く》め|豆寅《まめとら》|汗《あせ》|拭《ふ》け|豆寅《まめとら》
|肩《かた》もめ|豆寅《まめとら》|腰《こし》うて|豆寅《まめとら》  |豆《まめ》な|俺《おれ》ぢやと|思《おも》ひやがつて
|今《いま》まで|俺《おれ》を|酷使《こきつか》ひ  |大事《だいじ》の|大事《だいじ》の|秘密《ひみつ》まで
サツパリ|明《あか》した【うつけ】|者《もの》  |俺《おれ》を|何《なん》ぢやと|心得《こころえ》る
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|一《いち》の|乾児《こぶん》  その|乾児《こぶん》モ|一《ひと》つ|乾児《こぶん》また|乾児《こぶん》
そのまた|乾児《こぶん》の|豆狸《まめだぬき》  オツトどつこい|豆寅《まめとら》の
|俺《おれ》の|頭《あたま》を|知《し》らないか  |目玉《めだま》も|光《ひか》るがよく|光《ひか》る
|俺《おれ》の|頭《あたま》にや|日《ひ》の|出神《でのかみ》が  |宿《やど》つて|御座《ござ》るが|知《し》らないか
|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》の|偉《えら》さうに  |岩戸《いはと》の|中《なか》へと|逃《に》げ|込《こ》ンで
|鳥《とり》なき|里《さと》の|蝙蝠《かうもり》か  |弱《よわ》い|者《もの》|虐《いぢ》めの|曲津神《まがつかみ》
|豆寅《まめとら》さまのこの|腕《うで》で  |曲津《まがつ》の|神《かみ》も|一掴《ひとつか》み
|掴《つか》み|潰《つぶ》して|食《く》てやろか  サアサアサア|返答《へんたふ》|返答《へんたふ》』
と、【シヤチコ】|張《ば》りゐる。
|大蛇《をろち》は|噴《ふ》き|出《いだ》し、
『|塵《ちり》に|等《ひと》しき【ヤクザ】|共《とも》、|劫託《ごうたく》ひろぐな』
と|言《い》ふより|早《はや》く、|鉄拳《てつけん》を|堅《かた》めてポカリと|打《う》てば、|豆寅《まめとら》は|三《み》つ|四《よ》つ|中空《ちうくう》を|水車《みづぐるま》の|如《ごと》く、【くる】くると|廻《まは》つて、|傍《かたはら》の|巌窟《がんくつ》に|腰《こし》を|打《う》ちつけ、
『イヽヽヽイツタイ』
と|泣《な》き|出《だ》す。|曲津《まがつ》|共《ども》は|此方《こなた》を|目《め》がけて|一斉《いつせい》に|詰《つ》め|寄《よ》り|来《き》たる。
|真鉄彦《まがねひこ》は|真先《まつさき》に|進《すす》み|出《い》で、|臍下丹田《さいかたんでん》より|息《いき》を|吹《ふ》きかくれば、|忽《たちま》ち|巌窟《がんくつ》の|中《なか》は|狭霧《さぎり》に|包《つつ》まれ、|四辺《しへん》を|弁《べん》ぜざるに|致《いた》りぬ。|天地《てんち》も|破《わ》るるばかりの|音《おと》|聞《きこ》ゆると|共《とも》に、|巌窟《がんくつ》の|屋根《やね》は|落《お》ちて、たちまち|天上《てんじやう》の|青雲《あをくも》あらはれ|来《きた》り、|大蛇《をろち》は|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|伴《ともな》ひ、|黒雲《こくうん》を|捲《ま》き|起《おこ》し、|西方《せいはう》の|天《てん》を|目《め》がけウラルの|山《やま》|指《さ》して|一目散《いちもくさん》に|逃《に》げ|帰《かへ》りけり。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|真鉄彦《まがねひこ》に|天吹男神《あまのふきをのかみ》といふ|名《な》を|与《あた》へたまひ、|自分《じぶん》は|東方《とうはう》の|山巓《さんてん》に|登《のぼ》り、|天津日《あまつひ》の|神《かみ》に|感謝《かんしや》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》したまひけり。この|山《やま》を|今《いま》に|日《ひ》の|出ケ嶽《でがだけ》とぞいふ。
|大事忍男神《おほことおしをのかみ》は|大台ケ原《おほだいがはら》の|守護神《しゆごじん》となり、|石土毘古《いはつちびこ》、|石巣比売《いはすひめ》は、この|巌窟《がんくつ》を|住家《すみか》とし、|国土《こくど》を|永遠《ゑいゑん》に|守護《しゆご》し|玉《たま》ふ|事《こと》となりける。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|大戸日別《おほとびわけ》、|天吹男《あまのふきを》を|伴《ともな》ひ、|悠々《いういう》として|大台ケ原山《おほだいがはらやま》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・一・三〇 旧一・三 桜井重雄録)
第六章 |空威張《からゐばり》〔三〇六〕
|日《ひ》は|西海《せいかい》に|没《ぼつ》せむとして、|海面《かいめん》には|金銀《きんぎん》の|波《なみ》|漂《ただよ》ふ。
|港《みなと》に|向《むか》つて|集《あつ》まり|来《きた》る|百舟《ももぶね》|千船《ちぶね》の|真帆《まほ》|片帆《かたほ》、|眼下《がんか》に|眺《なが》めて|四五《しご》の|旅人《たびびと》、|坂路《さかみち》に|腰《こし》うちかけ|談《はなし》に|耽《ふけ》り|居《ゐ》るあり。
|田依彦《たよりひこ》『あゝ|今日《けふ》も|貰《もら》ふのかナ』
|芳彦《よしひこ》『|貰《もら》ふつて|何《なに》を。|俺《おい》らに|呉《く》れる|奴《やつ》は|何《なん》にもありやしない。|呉《く》れると|云《い》つたら、|俺《おれ》らの|行《や》る|事《こと》が|何《な》ンの|彼《か》のと|吐《ぬ》かして、|大屋毘古《おほやびこ》が|怒《おこ》つて、ちよいちよい|拳骨《げんこつ》を|呉《く》れる|位《ぐらい》のものだよ』
|田依彦《たよりひこ》『くれると|云《い》つたら、|日《ひ》が|暮《く》れることだ。それで、【くれる】なら|貰《もら》ふかと|云《い》つたのだイ』
|時彦《ときひこ》『|馬鹿《ばか》、|貴様《きさま》は|何時《いつ》も|水《みづ》の|中《なか》で|屁《へ》を|放《こ》いた|様《やう》なことばつかり|云《い》ひよつて、まるで|猿猴《ゑんこう》が|池《いけ》の|月《つき》を|取《と》る|様《やう》な|考《かんがへ》ばつかり|起《おこ》して、|貰《もら》ふ|事《こと》ばかり|考《かんが》へてゐるが、それほど|貰《もら》ひたけりや|乞食《こじき》にでもなつたがよいワイ。|田依彦《たよりひこ》と|云《い》へば、ちつとは|頼《たよ》りにもなりさうなものだのに、|何時《いつ》とても|頼《たよ》りない|事《こと》をいふ|奴《やつ》だなあ。|便《たよ》り|渚《なぎさ》の|捨小舟《すてをぶね》、|取《と》りつく|島《しま》も|無《な》いわいなだよ、イヒヽヽヽ』
|田依彦《たよりひこ》『|何《なに》|吐《ぬか》しよる、|是《これ》でも|元《もと》は|竜宮城《りうぐうじやう》の|立派《りつぱ》な|御方《おかた》さまだぞ』
|芳彦《よしひこ》『|玉《たま》とられ|男《をとこ》|奴《め》が』
|田依彦《たよりひこ》『|貴様《きさま》はなンだい。|八尋殿《やひろどの》の|酒宴《さかもり》に|竹熊《たけくま》の|計略《けいりやく》にかかりよつて、|負《ま》けぬ|気《き》を|出《だ》して、|玉《たま》を|奪《と》られよつた|張本人《ちやうほんにん》ぢやないか』
|時彦《ときひこ》『もー|玉《たま》の|談《はなし》は|止《よ》さうかい』
|田依彦《たよりひこ》『|時彦《ときひこ》、|貴様《きさま》はアーメニヤの|野《の》で|古狸《ふるだぬき》に【つままれ】よつてナ』
|時彦《ときひこ》『もー|云《い》ふな、|玉《たま》の|談《はなし》はこれ|退《ぎ》りだ。もう|玉切《たまぎ》れだよ』
|芳彦《よしひこ》『【たま】らぬだらう』
|時彦《ときひこ》『フン、【たま】つたものぢや|無《な》い。【たま】たま|持《も》ちは|持《も》ちながら』
|田依彦《たよりひこ》『|冗談《ぜうだん》ぢやないぞ。それよりもこのごろ|大事忍男《おほことおしを》さまの|御布令《おふれ》が|廻《まは》つたが、|聞《き》いてるかイ』
|時彦《ときひこ》『|何《な》ンぞ|大事《だいじ》が|起《おこ》つたのかい』
|田依彦《たよりひこ》『いや、|神《かみ》さまの|名《な》だ。|時彦《ときひこ》の|欺《だま》されよつたアーメニヤの|野《の》で、【くれる】|彦《ひこ》とか【くれぬ】|彦《ひこ》とか、|田依彦《たよりひこ》の|好《す》きな|神《かみ》さまが|現《あら》はれよつてな「|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|闇《やみ》だ」なンて|判《わか》つた|事《こと》を|云《い》ひよるぢやないか』
|芳彦《よしひこ》『さうだ、よう|判《わか》つたことをいふね。「|万劫末代《まんごふまつだい》この|玉《たま》は、|命《いのち》に|代《か》へても|渡《わた》しやせぬ、|五六七《みろく》|神政《しんせい》の|暁《あかつき》までは、たとひ|火《ひ》の|中《なか》|水《みづ》の|底《そこ》」なンて、|気張《きば》つてをつた|時彦《ときひこ》でも|玉《たま》を|奪《と》られるのだから、ほンとに|一寸先《いつすんさき》は|闇雲《やみくも》だ。|闇雲《やみくも》といつたら|此《この》|頃《ごろ》の|大台ケ原《おほだいがはら》の|神《かみ》さまぢやないか。|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|彼方《あちら》の|人《ひと》を|奪《と》り、|此方《こちら》の|人間《にんげん》を|奪《と》り、|甲《かふ》も|喰《く》はれた|乙《おつ》も|呑《の》まれたと、|喰《く》はれたり、|呑《の》まれたり、|引張《ひつぱ》られたりする|噂《うはさ》ばかりだ。ぐづぐづして|居《ゐ》ると|玉《たま》どころの|騒《さわ》ぎぢやない、|命《いのち》までも|奪《と》られて|了《しま》ふぞ。それで|昔《むかし》から|無《な》い|大事《おほごと》、|命《いのち》は|惜《をし》いなり、そこで|大事忍男《おほことおしを》と|云《い》ふのだよ。どえらい|悪神《あくがみ》ぢやて』
|玉彦《たまひこ》『|馬鹿《ばか》|云《い》へ。|大事忍男《おほことおしを》さまと|云《い》ふのは、それは|何《ど》ンな|大事変《だいじへん》があつても、|大艱難《だいかんなん》が|出《で》てきても、|大台ケ原《おほだいがはら》の|山《やま》の|様《やう》に|泰然自若《たいぜんじじやく》として|能《よ》く|忍《しの》び、|世界《せかい》のために|尽《つく》してくださると|云《い》ふことだよ。お|前《まへ》たちの|忍《しの》ぶと|云《い》ふことは、|自分《じぶん》より|強《つよ》い|者《もの》が|出《で》てきて、|怖《こは》さに|堪《こら》へ|忍《しの》ぶのであつて、|実際《じつさい》は|屈《くつ》するのだ。|吾々《われわれ》はそンな|忍《しの》びとは|違《ちが》ふ。|大事忍男《おほことおしを》さまの|大御心《おほみこころ》を|心《こころ》として、いかなる|艱難辛苦《かんなんしんく》をも|能《よ》く|堪《た》へ|忍《しの》びて、|一言《いちごん》の|小言《こごと》もおつしやらぬのだよ』
|時彦《ときひこ》『ハヽア、それで|嬶《かかあ》に|呆《とぼ》けよつて、|玉《たま》を|奪《と》られて、|屈《くつ》するのでなくつて|能《よ》く|忍《しの》ぶのだな、|偉《えら》いものだい。|併《しか》しこのごろ|日《ひ》の|出神《でのかみ》とか|云《い》ふ、|偉《えら》い|宣伝使《せんでんし》がこの|辺《へん》を|廻《まは》つてをるぢやないか。なンでも|大台ケ原《おほだいがはら》の|大事忍男《おほことおしを》さまを|亡《ほろ》ぼすと|云《い》つて、ただ|単独《ひとり》|山《やま》を|登《のぼ》つて|行《い》つたさうぢや。どうせ、|飛《と》ンで|火《ひ》に|入《い》る|夏《なつ》の|虫《むし》だがなア。ともかく、|時《とき》の|天下《てんか》に|従《したが》へ。|時節《じせつ》にや|叶《かな》はぬ。なンぼ|力《ちから》の|強《つよ》い|神《かみ》だつて|大勢《おほぜい》と|一人《ひとり》では|叶《かな》はない。お|負《まけ》に|大《おほ》きな|巌窟《いはや》の|中《なか》に|構《かま》へてをる|魔神《まがみ》さまに|向《むか》つて|戦《たたか》つたところで、|勝敗《しようはい》は|見《み》え|透《す》いてゐる。どれどれ|早《はや》く|帰《い》のかい』
|芳彦《よしひこ》『おい、|田依彦《たよりひこ》、|貴様《きさま》のとこの|姉婿《あねむこ》の|豆寅《まめとら》は、たうとう|巌窟《がんくつ》の|中《なか》へ|引張《ひつぱ》られて|行《い》つたぢやないか、きつと|今頃《いまごろ》にや|喰《く》はれて|了《しま》うて|居《を》るぜ。|引張《ひつぱ》られよつてから|殆《ほとん》ど|十年《じふねん》になるが、|何《なん》の|音沙汰《おとさた》も|無《な》いぢやないか』
|田依彦《たよりひこ》『|音信《たより》しやうにも、|言伝《ことづて》しやうにも|巌窟《いはや》の|中《なか》では|仕方《しかた》がない。それよりも|早《はや》う|帰《かへ》つて|草香姫《くさかひめ》にな、|機嫌《きげん》でもとつてやるがよからう。それもう、そこらが|暗《くら》くなつて|来《き》たぞ、|帰《い》のう|帰《い》のう』
と|立《た》ち|上《あが》らむとする|処《ところ》へ、|豆寅《まめとら》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|大戸日別《おほとびわけ》、|天吹男《あまのふきを》の|三柱《みはしら》と|共《とも》に|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、|現《あら》はれ|来《き》たり。
|豆寅《まめとら》は|勢《いきほひ》よく|肩《かた》を|聳《そび》やかしながら、
『|日《ひ》は|黄昏《たそがれ》となりぬれど  |光《ひか》り|眩《まば》ゆき|禿頭《はげあたま》
|豆寅《まめとら》さまが|現《あら》はれて  |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御家来《ごけらい》と
なつたる|今日《けふ》の|嬉《うれ》しさは  |死《し》ンでも|生《い》きても|忘《わす》られぬ
|千年《せんねん》|万年《まんねん》たつたとて  この|嬉《うれ》しさが|忘《わす》られよか
|巌窟《いはや》の|中《なか》を|逃《のが》れ|出《で》て  |漸《やうや》く|此処《ここ》へ|帰《かへ》つてくるは|来《き》たものの
|一《いつ》ぺん|草香《くさか》の|顔《かほ》|見《み》たい  |十年《じふねん》|振《ぶり》でさぞやさぞ
|女房《にようばう》の|草香《くさか》は|喜《よろこ》ンで  やにはに|飛《と》びつき|獅噛《しがみ》|付《つ》き
【まめ】であつたか|豆寅《まめとら》さま  |嬉《うれ》し|嬉《うれ》しと|泣《な》くであろ
それに|付《つ》けても|何時《いつ》までも  |音信《たより》の|無《な》いは|田依彦《たよりひこ》
|玉《たま》を|抜《ぬ》かれた|玉彦《たまひこ》や  |死《し》んでも【よし】の|芳彦《よしひこ》や
|胸《むね》も【とき】とき|時彦《ときひこ》を  【けなり】がらして【いちや】ついて
|一《ひと》つ|吃驚《びつくり》させてやろ  あゝ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い
|面白狸《おもしろたぬき》の|腹鼓《はらづつみ》  |山《やま》が|裂《さ》けよが|倒《たふ》れよが
びくとも|致《いた》さぬ|豆寅《まめとら》の  |一《ひと》つ|度胸《どきよう》を|見《み》せてやれ
やれやれ|嬉《うれ》しい|嬉《うれ》しい』
と|手《て》を|振《ふ》り|足《あし》を|奇妙《きめう》に|踊《をど》らせながら、この|坂路《さかみち》を|下《くだ》りきたる。
|路傍《みちばた》に|憩《いこ》へる|田依彦《たよりひこ》|以下《いか》の|四人《よにん》は、|暗《くら》がりに|光《ひか》る|豆寅《まめとら》の|頭《あたま》に|向《むか》つて、|傍《かたはら》の|木《き》の|枝《えだ》を|取《と》つて|光《ひかり》を|目当《めあて》に、【ぴしやり】と|投《な》げつけたれば、|豆寅《まめとら》は『アツ』と|叫《さけ》んでその|場《ば》に|仆《たふ》れ、
『でゝゝ|出《で》た|出《で》た、ばゝ|化物《ばけもの》。ひゝゝ|日《ひ》の|出神《でのかみ》、おゝお|助《たす》けお|助《たす》け』
と|声《こゑ》をかぎりに|泣《な》き|叫《さけ》ぶこそ|可笑《をか》しけれ。
(大正一一・一・三〇 旧一・三 井上留五郎録)
第七章 |山火事《やまくわじ》〔三〇七〕
このとき|暗中《あんちう》に|声《こゑ》あり、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る
|身魂《みたま》を|磨《みが》けよ|立替《たてか》へよ  |身《み》の|行状《をこなひ》を|立直《たてなほ》せ
この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
|身《み》の|過《あやまち》は|宣《の》り|直《なほ》せ』
と|歌《うた》ひながら|豆寅《まめとら》に|構《かま》はず、ドシドシ|進《すす》み|行《ゆ》く。|豆寅《まめとら》は、
『モシモシ|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》、|大戸日別《おほとびわけ》|様《さま》、|天吹男様《あまのふきをさま》、しばらく|待《ま》つて|下《くだ》さいナ。|腰《こし》が|抜《ぬ》けました、|頭《あたま》を|割《わ》られました。|助《たす》けて|助《たす》けて』
と|呶鳴《どな》りゐる。
|宣伝使《せんでんし》の|声《こゑ》はだんだん|遠《とほ》くなり|行《ゆ》くのみなりき。
『|豆寅《まめとら》|奴《やつこ》が|家《うち》を|出《で》て  |草香《くさか》の|姫《ひめ》は|喜《よろこ》ンで
|嬶《かか》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |御膳《おぜん》を|据《す》ゑて|玉彦《たまひこ》に
|目玉《めだま》を|剥《む》いて|立替《たてか》へよ  |身《み》の|行《おこな》ひはさつぱりと
|善《ぜん》から|悪《あく》に|立替《たてか》へた  この|世《よ》を|造《つく》つた|肝心《かんじん》の
|目玉《めだま》も|光《ひか》る|鬼神《おにがみ》は  |夜《よる》でも|光《ひか》る|豆寅《まめとら》の
|頭《あたま》を【ぴつしやり】と|打叩《うちたた》き  |日《ひ》の|出神《でのかみ》は【さつ】さつと
|跡白浪《あとしらなみ》と|走《はし》り|行《ゆ》く  なにほど|頭《あたま》は|光《ひか》つても
|心《こころ》は|暗《やみ》の|豆狸《まめだぬき》  |狐狸《きつねたぬき》に|魅《つま》まれて
|巌窟《いはや》の|内《うち》へと|引込《ひきこ》まれ  |目《め》から|火《ひ》の|出神《でのかみ》が|出《で》て
|暗《やみ》に|倒《たふ》れた|腰抜《こしぬ》けよ』
と|歌《うた》ひ|出《だ》したる|者《もの》あり。|豆寅《まめとら》はその|声《こゑ》に|何処《どこ》ともなく|聞《き》き|覚《おぼ》えがあるので、
『やい、|暗《くら》がりに|俺《おれ》の|頭《あたま》を【しばき】よつて、|目《め》から|火《ひ》を|出《だ》させよつて、びつくりさして|腰《こし》を|抜《ぬ》かさした|奴《やつ》は|誰《たれ》だい』
と|呼《よ》べば、|暗《くらがり》から、
『|腰《こし》を|抜《ぬ》かしたのは、|豆寅《まめとら》ぢやないか』
と|叫《さけ》ぶ|者《もの》あり。|豆寅《まめとら》は|大地《だいち》に【へたばり】ながら、
『|何《なん》だか|聞《き》き|覚《おぼ》えのある|声《こゑ》の|様《やう》だが、|俺《おれ》の|嬶《かかあ》が、|玉彦《たまひこ》の|奴《やつ》に|御膳《おぜん》を|据《す》ゑたとか|云《い》うたなあ』
『|善《ぜん》は|急《いそ》げぢや、|善因善果《ぜんいんぜんぐわ》、|悪《あく》が|変《へん》じて|善《ぜん》となり|善《ぜん》が|変《へん》じて|悪《あく》となる。どちらも|玉《たま》の|磨《みが》き|合《あ》ひの|玉彦《たまひこ》さまだぞ』
|時彦《ときひこ》『|馬鹿《ばか》ツ』
|玉彦《たまひこ》『|馬鹿《ばか》つて|何《な》ンだ。|玉奪《たまと》られ|奴《め》が』
|時彦《ときひこ》『|玉取《たまと》られとは|貴様《きさま》のことぢや、|嬶取《かかあと》り|奴《め》が。|貴様《きさま》の|嬶《かかあ》に|密告《みつこく》しようか』
|玉彦《たまひこ》『まあ|待《ま》て、|同《おな》じ|穴《あな》の|狐《きつね》、|貴様《きさま》も|密告《みつこく》するぞ』
|田依彦《たよりひこ》は|火打袋《ひうちぶくろ》より|火打石《ひうちいし》|火口《ほくち》を|取出《とりだ》し、【かちかち】と|打《うち》はじめ|傍《かたはら》の|木《き》の|葉《は》|枯枝《かれえだ》を|暗《くら》がりに|掻《か》き|集《あつ》めながら|火《ひ》を|点《つ》けたれば、|火《ひ》は|炎々《えんえん》として|燃《も》え|上《あが》り|一同《いちどう》の|顔《かほ》は|始《はじ》めて|明《あか》るくなりし。|折《をり》からの|烈風《れつぷう》に|煽《あふ》られて、|見《み》る|見《み》る|火《ひ》は|四方《しはう》に|燃《も》えひろがり、|轟々《ぐわうぐわう》と|音《おと》を|立《た》てて|忽《たちま》ち|四辺《あたり》は|昼《ひる》のごとく|明《あか》くなりぬ。|火《ひ》は|次第《しだい》に|燃《も》え|拡《ひろ》がり、|全山《ぜんざん》を|殆《ほとん》ど|焼《や》き|尽《つく》さむ|勢《いきほひ》となり|来《き》たりたれば、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|一行《いつかう》はにはかに|四辺《あたり》の|明《あか》くなりしに|驚《おどろ》き、|後《あと》|振返《ふりかへ》り|見《み》れば、|全山《ぜんざん》ほとんど|火《ひ》の|山《やま》と|化《くわ》しゐる。|三柱《みはしら》は|石土毘古《いはつちびこ》、|石巣比売《いはすひめ》の|消息《せうそく》を|気遣《きづか》ひ、|一目散《いちもくさん》に|後《あと》に|引返《ひきかへ》し、|急《いそ》いで|山《やま》を|登《のぼ》り|来《き》たりぬ。
このとき|山上《さんじやう》|目《め》がけて|登《のぼ》りくる|宣伝使《せんでんし》ありき。|此《こ》は|黄金山《わうごんざん》の|三五教《あななひけう》を|天下《てんか》に|宣伝《せんでん》する、|国彦《くにひこ》の|三男《さんなん》|梅ケ香彦《うめがかひこ》なりき。|全山《ぜんざん》ほとんど|焼《や》きつくして|已《すで》に|立岩《たちいは》の|麓《ふもと》に|燃《も》え|移《うつ》らむとする|時《とき》しも、|梅ケ香彦《うめがかひこ》は|満身《まんしん》の|力《ちから》を|籠《こ》め、|伊吹戸主神《いぶきどぬしのかみ》に|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らし、|燃《も》え|拡《ひろ》がる|焔《ほのほ》に|向《むか》つて|息吹《いきふき》かけたるに、|風《かぜ》はたちまち|方向《はうかう》を|変《へん》じ、|山上《さんじやう》より|暴風《ばうふう》|吹《ふ》き|来《きた》りて、|瞬《またた》く|間《うち》にぴつたりと|消《き》えうせにけり。
|時《とき》しも|夜《よ》は|漸《やうや》く|明《あ》け|放《はな》れ、|山《やま》の|八合目《はちがふめ》|以下《いか》は|全部《ぜんぶ》|灰《はひ》の|山《やま》と|変《かは》りぬ。|山麓《さんろく》にある|神人《しんじん》の|住家《すみか》は|全部《ぜんぶ》|焼《や》け|落《お》ちければ、|山麓《さんろく》の|住民《ぢうみん》は|何人《なにびと》の|所為《しよゐ》ぞと|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|手配《てくば》りをなし、|山《やま》の|谷々《たにだに》を|隈《くま》なく|尋《たづ》ね|廻《まは》りゐたりける。|豆寅《まめとら》、|田依彦《たよりひこ》、|時彦《ときひこ》、|芳彦《よしひこ》、|玉彦《たまひこ》は|余《あま》りの|大火《たいくわ》に|胆《きも》を|潰《つぶ》し|腰《こし》を|抜《ぬ》かし、|一《ひ》と|所《ところ》に|首《くび》を|鳩《あつ》めて|慄《ふる》ひ|戦《おのの》きゐたり。|住家《すみか》を|失《うしな》ひし|数多《あまた》の|人々《ひとびと》はこの|場《ば》に|現《あら》はれ|来《きた》り、|口々《くちぐち》に、
『この|山《やま》を|焼《や》きよつたのは|大方《おほかた》|貴様《きさま》らならむ。|元《もと》の|通《とほ》りに|建《た》てて|返《かへ》さばよし、さなくば|汝等《なんぢら》を|縛《しば》つて|帰《かへ》り、|酋長《しうちやう》の|前《まへ》にて|火炙《ひあぶ》りの|刑《けい》に|処《しよ》せむ』
と|怒《いか》りの|顔色《がんしよく》|物凄《ものすご》く|呶鳴《どな》り|立《た》てたるに、|豆寅《まめとら》は|周章《あわ》てて、
『わゝゝゝ、わしは、ちゝゝゝとゝゝゝしゝゝゝ』
|大勢《おほぜい》の|中《なか》よりは、
『この|瓢箪《へうたん》』
と|云《い》ひながら|携《たづさ》へ|持《も》てる|棒千切《ぼうちぎれ》をもつてポンと|叩《たた》けば、|豆寅《まめとら》は|声《こゑ》を|揚《あ》げて|泣《な》き|出《だ》し、|右手《みぎて》の|二《に》の|腕《うで》にて|両眼《りやうがん》を|擦《す》り|乍《なが》ら、
『|今日《けふ》は|如何《いか》なる|悪日《あくにち》ぞ、|折角《せつかく》|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|助《たす》けられ、|早《はや》く|帰《かへ》つて|恋《こひ》しき|妻《つま》の|草香姫《くさかひめ》に|取付《とりつ》き、|互《たがひ》に|抱《いだ》いて|泣《な》かむものと|思《おも》ふ|間《ま》もなく、|今《いま》|此処《ここ》で|泣《な》いて|死《し》ぬとは|情《なさけ》ない。|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|助《たす》けられ、|今度《こんど》は|火《ひ》の|出《で》に|殺《ころ》されるか。|草香姫《くさかひめ》【いまは】の|際《きは》に|唯《ただ》|一目《ひとめ》、やさしい|顔《かほ》を|見《み》せて|呉《く》れ。|死《し》ぬるこの|身《み》は|厭《いと》はぬが、|後《あと》に|残《のこ》りし|草香姫《くさかひめ》、これを|聞《き》いたら|泣《な》くであらう。|思《おも》へば|悲《かな》しい|憐《いぢ》らしい』
|群衆《ぐんしう》の|中《なか》より、
『エイ、【めそめそ】と|吼面《ほえづら》【かわき】よつて、そンな|事《こと》は|聞《き》き|度《たく》は|無《な》い。|誰《たれ》が|火《ひ》を|出《だ》したのか、|確《しつ》かり|返答《へんたふ》せ』
|四人《よにん》は|黙然《もくねん》として|俯向《うつむ》き|居《を》るのみ。|豆寅《まめとら》は、
『たゝゝゝ|確《たし》かに|田依彦《たよりひこ》が|致《いた》しました』
と|云《い》はむとするや、|田依彦《たよりひこ》は、
『こら|馬鹿《ばか》ツ』
と|云《い》ひながら、またもや|豆寅《まめとら》の|頭《あたま》を|棒千切《ぼうちぎ》を|以《もつ》て【がん】と|叩《たた》く。このとき|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|山上《さんじやう》より|降《くだ》り|来《きた》りこの|態《てい》を|見《み》て、
『やあ|豆寅《まめとら》か、|頭《あたま》は|如何《どう》した。|何《なに》を|泣《な》いて|居《を》る』
|豆寅《まめとら》は|地獄《ぢごく》で|仏《ほとけ》に|逢《あ》うたる|心地《ここち》して、
『まあまあ、よう|来《き》て|下《くだ》さいました』
と|立上《たちあが》り、
『やいこら|田依彦《たよりひこ》、|時彦《ときひこ》、|芳彦《よしひこ》、|玉彦《たまひこ》、その|外《ほか》みなの|奴《やつ》らよつく|聞《き》け。この|方《はう》は|勿体《もつたい》なくも|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|一《いち》の|御家来《ごけらい》、そのまた|家来《けらい》のその|家来《けらい》、もうちつと|下《した》のその|家来《けらい》、|豆寅彦《まめとらひこ》さまだぞ、|無礼《ぶれい》を【ひろい】だその|罪《つみ》|容赦《ようしや》はならぬ』
と|章魚《たこ》の|跳《はね》る|様《やう》な|姿《すがた》になつて|肩肱《かたひぢ》|怒《いか》らしにはかに|元気《げんき》づく。|衆人《しうじん》はこの|見幕《けんまく》に|或《あるひ》は|恐《おそ》れ|或《あるひ》は|噴《ふ》き|出《だ》し、|無言《むごん》のまま|言《い》ひ|合《あは》した|様《やう》に|大地《だいち》に|平伏《ひれふ》したり。これは|日《ひ》の|出神《でのかみ》をはじめ|梅ケ香彦《うめがかひこ》、|大戸日別《おほとびわけ》、|天吹男《あまのふきを》の|威厳《ゐげん》に|何《な》ンとなく|打《う》たれたる|故《ゆゑ》なりき。|豆寅《まめとら》は|自分《じぶん》に|降伏《かうふく》したものと|思《おも》ひ、ますます|鼻息《はないき》|荒《あら》く、
『やい|田依彦《たよりひこ》、|貴様《きさま》は|最前《さいぜん》|何《なん》と|云《い》うた。|玉彦《たまひこ》が|俺《おれ》の|留守中《るすちう》に、|俺《おれ》の|嬶《かかあ》をちよろまかしたと|吐《ぬ》かしただらう、|本当《ほんたう》か|白状《はくじやう》いたせ。|貴様《きさま》は|嬶《かかあ》の|兄弟《きやうだい》ぢやと|思《おも》うて、|許《ゆる》してやりたいは|山々《やまやま》なれど、|神《かみ》の|道《みち》には|親子《おやこ》|兄弟《きやうだい》|他人《たにん》の|区別《くべつ》はない。やい|玉彦《たまひこ》|返答《へんたふ》はどうだ』
と|威張《ゐば》りだす。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|又《また》もや|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながらこの|場《ば》を|見捨《みす》てて|行《ゆ》かむとす。|豆寅《まめとら》は、
『もしもし|家来《けらい》を|捨《す》てて|何処《どこ》に|御越《おこ》し|遊《あそ》ばす。|夫《そ》れはあんまり|胴慾《どうよく》ぢや』
と|袖《そで》に|縋《すが》つて|泣《な》き|付《つ》く。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|梅ケ香彦《うめがかひこ》に、|風木津別之忍男《かぜけつわけのおしを》と|名《な》を|与《あた》へてその|功労《こうらう》を|賞《しやう》し、|豆寅《まめとら》|以下《いか》の|四人《よにん》を|山麓《さんろく》の|酋長《しうちやう》なる|大屋毘古《おほやびこ》の|身許《みもと》に|預《あづ》けて、|焼《や》け|失《う》せたる|人々《ひとびと》の|住家《すみか》を|新《あらた》に|造《つく》らしめたり。|豆寅《まめとら》はここに|久々能智《くくのち》といふ|名《な》を|与《あた》へられける。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|山《やま》を|下《くだ》り|海《うみ》を|渡《わた》り|四柱《よはしら》ここに|袖《そで》を|分《わか》ちて、|東西南北《とうざいなんぼく》に|何処《どこ》ともなく、|宣伝使《せんでんし》として|進《すす》み|行《ゆ》きける。
(大正一一・一・三〇 旧一・三 高木鉄男録)
(序〜第七章 昭和一〇・二・二一 於島根県地恩郷 王仁校正)
第二篇 |白雪郷《はくせつきやう》
第八章 |羽衣《はごろも》の|松《まつ》〔三〇八〕
|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|乗《の》せたる|大船《おほぶね》は、|熊野《くまの》の|浦《うら》を|漕《こ》ぎ|出《い》で、|折《をり》から|吹《ふ》き|来《く》る|順風《じゆんぷう》に|真帆《まほ》を|揚《あ》げ|乍《なが》ら、|東《ひがし》に|向《むか》つて|進《すす》ませたまへり。
さしもに|高《たか》き|天教《てんけう》の|九山八海《はちす》の|山《やま》は、|白扇《はくせん》を|逆様《さかさま》に|懸《か》けたる|如《ごと》く|東海《とうかい》の|波《なみ》に、その|影《かげ》を|映《うつ》す|長閑《のどか》さ。|夜《よ》を|日《ひ》についで|進《すす》み|来《く》る|浪路《なみぢ》も|遥《はる》かに|遠江《とほたふみ》。|忽《たちま》ち|浪《なみ》は|天上《てんじやう》に|向《むか》つて|立《た》ち|上《あが》り、|船《ふね》は|木《こ》の|葉《は》の|如《ごと》くに|漂《ただよ》ふ|危《あやふ》ふさ。|一同《いちどう》の|乗客《じやうきやく》は、|叶《かな》はぬ|時《とき》の|神頼《かみだの》み、|各自《てんで》に|手《て》を|拍《う》ち|大海原《おほうなばら》の|神《かみ》に|向《むか》つて、|厚《あつ》き|祈願《きぐわん》を|駿河湾《するがわん》。|天教山《てんけうざん》は|何時《いつ》しか|雲《くも》に|包《つつ》まれにけり。
この|難風《なんぷう》を|避《さ》けむとて、|向《むか》ふに|三保《みほ》の|松原《まつばら》や、|天《あま》の|羽衣《はごろも》の|老木《らうぼく》の|松《まつ》を|目標《めあて》に、|船《ふね》は|漸《やうや》う|岸《きし》に|着《つ》きたり。|一行《いつかう》の|顔《かほ》はあたかも|死人《しにん》のごとく|色《いろ》|蒼白《あをざ》めて、|立《た》つ|勇気《ゆうき》さへも|無《な》くなりてゐたり。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、|真先《まつさき》に|上陸《じやうりく》し、|続《つづ》いて|人々《ひとびと》は|生命《いのち》からがら|白砂青松《はくしやせいしよう》のこの|島《しま》に|辿《たど》り|着《つ》き、ほつと|息《いき》を|吐《つ》きけるが、|風《かぜ》はますます|烈《はげ》しく、|浪《なみ》は|猛《たけ》り|狂《くる》ひて|羽衣《はごろも》の|松《まつ》は、ほとんど|水《みづ》に|没《ぼつ》せむとするの|勢《いきほひ》なりける。
この|島《しま》に|救《すく》ひ|上《あ》げられたる|日《ひ》の|出神《でのかみ》をはじめ、|数多《あまた》の|人々《ひとびと》は|島《しま》の|小高《こだか》き|処《ところ》に|駈《か》け|登《のぼ》り、|海《うみ》の|凪《な》ぎ|行《ゆ》くを|待《ま》ちつつありし|時《とき》しも|微妙《びめう》の|音楽《おんがく》|天上《てんじやう》より|聞《きこ》えて、|馨《かんば》しき|色々《いろいろ》の|花《はな》を|降《ふ》らせ|宛然《さながら》|花莚《はなむしろ》を|布《し》き|詰《つ》めたる|如《ごと》くなりける。
|暫時《しばらく》ありて|男女《だんぢよ》の|二神《にしん》は、|雲《くも》に|乗《の》つてこの|場《ば》に|降《くだ》り|来《きた》り、|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|会釈《ゑしやく》しながら|流暢《りうてう》なる|声《こゑ》|張《は》り|上《あ》げて、|天女《てんによ》の|舞《まひ》の|歌《うた》を|舞《ま》ひ|始《はじ》めたりける。
『これや|此《こ》の|世界《せかい》にほまれ|駿河富士《するがふじ》  よしや|此《こ》の|世《よ》は|愛鷹《あしたか》の
|山《やま》より|高《たか》く|曲事《まがごと》の  |積《つも》れば|積《つも》れ|天教《てんけう》の
|山《やま》に|坐《ま》します|木《こ》の|花姫《はなひめ》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|御光《みひかり》に
|世《よ》は|照妙《てるたへ》の|薄衣《うすごろも》  |天《あま》の|羽衣《はごろも》|纏《まと》ひつつ
|瑞穂《みづほ》の|国《くに》は|千代《ちよ》|八千代《やちよ》  |芽出度《めでた》き|国《くに》と|舞《ま》ひ|納《をさ》め
|治《をさ》めて|清《きよ》き|神《かみ》の|国《くに》  |村雲《むらくも》|四方《よも》に|塞《ふさ》ぐとも
|赤《あか》き|誠《まこと》の|心《こころ》もて  |誠《まこと》の|道《みち》を|麻柱《あななひ》つ
|誠《まこと》を|通《とほ》せ|誠《まこと》ある  |神《かみ》の|日《ひ》の|出《で》の|宣伝使《せんでんし》
|荒風《あらかぜ》|猛《たけ》り|吼《ほ》ゆるとも  |浪《なみ》は|険《けは》しく|立《た》つとても
わが|日《ひ》の|本《もと》は|神《かみ》の|国《くに》  |木《こ》の|花姫《はなひめ》の|鎮《あ》る|限《かぎ》り
|世《よ》は|永久《とこしへ》に|心安《うらやす》き  |神世《かみよ》を|三保《みほ》の|松原《まつばら》や
|松《まつ》も|千歳《ちとせ》の|色《いろ》|添《そ》ひて  |緑《みどり》|添《そ》ひなす|三保津彦《みほつひこ》
|三保津《みほつ》の|姫《ひめ》は|今《いま》ここに  |現《あら》はれ|出《い》でて|汝《な》が|前途《ゆくて》
|清《きよ》く|守《まも》らむ|沫那岐《あわなぎ》の  |神《かみ》の|命《みこと》や|沫那美《あわなみ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|守《まも》ります  |大海原《おほうなばら》も|安《やす》らけく
|常世《とこよ》の|国《くに》に|渡《わた》りませ  ウラルの|山《やま》に|現《あら》はれし
|魔神《まがみ》は|今《いま》に|常世国《とこよくに》  |日《ひ》の|出ケ嶽《でがだけ》を|立出《たちい》でて
|再《ふたた》び|御国《みくに》を|襲《おそ》ひ|来《く》る  |今《いま》や|経綸《しぐみ》の|最中《もなか》なり
|今《いま》や|経綸《しぐみ》の|最中《もなか》なり  |沫那岐彦《あわなぎひこ》や|沫那美《あわなみ》の
|神《かみ》の|守《まも》りにすくすくと  |早《はや》や|出《い》でませよ|宣伝使《せんでんし》
|早《はや》や|出《い》でませよ|宣伝使《せんでんし》』
と|声《こゑ》も|涼《すず》しく|歌《うた》ひ、|中空《ちうくう》に|舞《ま》ひながら|天教山《てんけうざん》に|向《むか》つて、その|姿《すがた》を|隠《かく》したまひける。
この|沫那岐《あわなぎ》、|沫那美《あわなみ》の|二神《にしん》は、いま|現《あら》はれたる|三保津彦《みほつひこ》、|三保津姫《みほつひめ》の|分霊《わけみたま》なり。|是《これ》より|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、|種々《しゆじゆ》の|苦《くる》しみに|堪《た》へ、|遂《つひ》に|再《ふたた》び|常世《とこよ》の|国《くに》に|渡《わた》りける。
(大正一一・一・三〇 旧一・三 外山豊二録)
第九章 |弱腰《よわごし》|男《をとこ》〔三〇九〕
|日《ひ》の|出神《でのかみ》はそれより|天教山《てんけうざん》に|登《のぼ》り、|青木ケ原《あをきがはら》の|木《こ》の|花姫宮《はなひめのみや》に|致《いた》りて|今《いま》までの|神教《しんけう》|宣伝《せんでん》の|経過《けいくわ》を|詳細《しやうさい》に|物語《ものがた》りしが、|木《こ》の|花姫《はなひめ》は|深《ふか》く|感賞《かんしやう》し、|再《ふたた》び|常世国《とこよのくに》に|出発《しゆつぱつ》を|命《めい》じたまひける。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|撞《つき》の|御柱《みはしら》の|神《かみ》および|天《あめ》の|御柱《みはしら》の|神《かみ》に|謁《えつ》し、|種々《しゆじゆ》の|神勅《しんちよく》を|蒙《かうむ》り、|欣然《きんぜん》として|再《ふたた》び|宣伝《せんでん》の|途《と》に|就《つ》きにける。
|田子《たご》の|浦《うら》より|今《いま》や|常世国《とこよのくに》に|向《むか》つて|出帆《しゆつぱん》せむとする|常世丸《とこよまる》の|船客《せんきやく》となりぬ。|船中《せんちう》には|数多《あまた》の|人々《ひとびと》、あるひは|唐国《からくに》へ、あるひは|常世国《とこよのくに》へ|通《かよ》ふべく|満乗《まんじやう》しゐたり。|波《なみ》は|静《しづ》かに|風《かぜ》|凪《な》ぎわたる|海原《うなばら》を|西《にし》へ|西《にし》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。|静《しづ》けき|海《うみ》に|漂《ただよ》ふこと|数十日《すうじふにち》、|遂《つひ》に|青雲山《せいうんざん》のある|月氏国《げつしこく》の|浜辺《はまべ》に|到着《たうちやく》し、|此処《ここ》に|一同《いちどう》は|上陸《じやうりく》して|船路《ふなぢ》の|疲《つか》れを|休《やす》めける。この|船《ふね》は|風《かぜ》の|吹《ふ》き|廻《まは》しの|都合《つがふ》により|一ケ月《いつかげつ》ばかりこの|港《みなと》に|碇泊《ていはく》するの|止《や》むを|得《え》ざるに|立《た》ちいたりぬ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|無聊《むれう》に|苦《くる》しみ|山《やま》|深《ふか》く|分《わ》け|入《い》りて|此《この》|地《ち》に|宣伝《せんでん》を|試《こころ》みける。
|此処《ここ》は|青雲山《せいうんざん》の|山《やま》つづき、|白雪山《はくせつざん》といふ|小高《こだか》き|山《やま》の|麓《ふもと》にして、|山野《さんや》は|青々《あをあを》と|種々《しゆじゆ》の|草木《くさき》の|花《はな》は|所狭《ところせ》きまでに|咲《さ》き|乱《みだ》れ|居《を》り、|胡蝶《こてふ》の|花《はな》に|戯《たはむ》る|姿《すがた》、|鳥《とり》の|梢《こずゑ》に|飛《と》び|交《か》ひて|唄《うた》ふ|声《こゑ》、|実《じつ》に|長閑《のどか》さの|限《かぎ》りなり。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|長《なが》き|日《ひ》を|終日《しうじつ》|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ、|遂《つひ》に|草臥《くたび》れて|眠気《ねむけ》を|催《もよほ》し、|路傍《ろばう》の|草花《くさばな》の|中《なか》に|身《み》を|横《よこた》へ|腕《うで》を|枕《まくら》にしながら、|淡《あは》き|雲《くも》の|散《ち》り|行《ゆ》くを|眺《なが》めつつありぬ。ここは|白雪山《はくせつざん》の|山口《やまぐち》なりき。かかる|所《ところ》へ|二三《にさん》の|里人《さとびと》と|見《み》えて|息《いき》を|喘《はづ》ませながら|走《はし》り|来《きた》り、|路傍《ろばう》に|横臥《わうぐわ》せる|宣伝使《せんでんし》の|姿《すがた》を|見《み》て|両手《りやうて》をひろげ|大口《おほぐち》を|開《あ》け、
『アツ』
とばかりに|仰天《ぎやうてん》し、その|場《ば》に|打《う》ち|倒《たふ》れける。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|怪《あや》しみて、
『|汝《なんぢ》なに|故《ゆゑ》なれば、わが|姿《すがた》を|見《み》て|驚《おどろ》くか』
と|尋《たづ》ぬるに、
|甲《かふ》『|貴下《あなた》はウラ、ウラ、ウラル|彦《ひこ》の、カヽ|神様《かみさま》の|御家来《ごけらい》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》ではありませぬか。どゝどゝどうぞ|此《この》|場《ば》は|見逃《みのが》して|下《くだ》さいませ。|私《わたくし》は|何《なに》も|彼《か》も|包《つつ》み|隠《かく》さず|申上《まをしあげ》ます。|先《さき》つ|頃《ころ》より|此《この》|村《むら》に|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|祝姫《はふりひめ》と|云《い》ふ、それはそれは|美《うつく》しい|女性《ぢよせい》の|宣伝使《せんでんし》が|現《あら》はれて、|色々《いろいろ》のことを|教《をし》へて|呉《く》れまして、わが|里《さと》の|酋長《しうちやう》をはじめ、|老若男女《らうにやくなんによ》は|一人《ひとり》も|残《のこ》らずこの|山奥《やまおく》の|岩神《いはがみ》の|前《まへ》に|寄《よ》り|集《あつ》まり、その|女性《ぢよせい》を|中《なか》に、|種々《しゆじゆ》の|結構《けつこう》な|話《はなし》を|承《うけたま》はりつつありました。|酋長《しうちやう》|夫婦《ふうふ》はすつかりその|言葉《ことば》に|感心《かんしん》いたして|白雪郷《はくせつきやう》は|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》を|祭《まつ》る|事《こと》となりました。|今日《けふ》もその|祭《まつり》を|行《おこな》つて|居《を》ります|所《ところ》へ、ウラル|彦《ひこ》の|宣伝使《せんでんし》が|現《あら》はれ、その|女性《ぢよせい》を|掠奪《ふんだく》つて|山《やま》の|奥《おく》へ|連《つ》れて|行《い》つてしまひ、|私《わたくし》らの|酋長《しうちやう》|夫婦《ふうふ》は|大木《たいぼく》に|縛《しば》りつけられて|了《しま》ひました。さうして|逃《に》げるなら|逃《に》げて|見《み》よ、|皆《みな》の|奴《やつ》|共《ども》、この|山《やま》はウラル|彦《ひこ》の|宣伝使《せんでんし》が|取《と》り|巻《ま》いてをるから、|今《いま》この|場《ば》ですつかり|三五教《あななひけう》を|捨《す》てて、|大中教《だいちうけう》の|神《かみ》を|祭《まつ》ればよし、|違背《ゐはい》に|及《およ》ばば、|酋長《しうちやう》を|始《はじ》め|皆《みな》の|奴《やつ》を|亡《ほろ》ぼして|了《しま》うと、【いかい】|眼《め》を|剥《む》いて|呶鳴《どな》られました。|私《わたくし》はやうやくに|虎口《ここう》を|逃《のが》れて|此処《ここ》まで|来《く》ることは|来《き》ましたが、たうとう|大中教《だいちうけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》に|見《み》つけられました。どうぞ|命《いのち》ばかりはお|助《たす》け|下《くだ》さい』
と|涙《なみだ》を|流《なが》して|泣《な》き|入《い》るを、|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|驚《おどろ》いて、【むつく】と|立《た》ち|上《あが》り、
『|我《われ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》なり。これより|汝《なんぢ》らの|里人《さとびと》を|救《すく》ひ|与《あた》へむ。|疾《と》く|案内《あんない》せよ』
と|云《い》ひつつ|再《ふたた》び|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めたるに、|甲乙丙《かふおつへい》の|三人《さんにん》は|俄《にはか》に|元気《げんき》づき、
|乙《おつ》『サアもう|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。それだから|酋長様《しうちやうさま》が、どンな|事《こと》があつてもこの|神様《かみさま》に|離《はな》れな、|叶《かな》はぬ|時《とき》は【きつと】|助《たす》けて|下《くだ》さると|仰有《おつしや》つたぢやないか。それに|何《なん》だよ|貴様《きさま》は|最前《さいぜん》も|最前《さいぜん》とて、|肝腎《かんじん》の|宣伝使《せんでんし》は|引攫《ひつさら》はれてゆく、|信仰《しんかう》の|強《つよ》い|酋長《しうちやう》|夫婦《ふうふ》は|木《き》に|縛《しば》られて|居《を》つても、|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》は|助《たす》けて|呉《く》れやしない、やはり|長《なが》いものには|捲《ま》かれよと|云《い》ふことがある、|今《いま》までの|信仰《しんかう》を【サラリ】と|止《や》めて、|大中教《だいちうけう》に|入《はい》らうぢやないかと、たつた|今《いま》|泣《な》き|面《づら》【かわい】て【ほざき】よつた|癖《くせ》に、|今《いま》の|元気《げんき》たら|何《なん》のことだい』
|丙《へい》『そりや|貴様《きさま》のことだよ、|現《げん》にいま|貴様《きさま》さう|云《い》つたぢやないか。|宣伝使《せんでんし》|様《さま》に|告《つ》げられたら|耐《たま》らぬと|思《おも》ひよつて、|俺《おれ》が|云《い》つたやうに|宣伝使《せんでんし》|様《さま》に|思《おも》はせやうたつて、そンなことは|生神様《いきがみさま》ぢや、よく|御存《ごぞん》じだぞ』
|乙《おつ》『|先《さき》ンずれば|人《ひと》を|制《せい》す。|貴様《きさま》が|喋《しやべ》らぬ|間《うち》に|俺《おれ》の|方《はう》から|先鞭《せんべん》をつけたのだ』
|甲《かふ》は|低《ひく》い|声《こゑ》で、
『オイ|貴様《きさま》ら、さう|喜《よろこ》ンだつて|先方《むかう》は|多勢《たぜい》、|此方《こちら》は|一人《ひとり》の|宣伝使《せんでんし》だ。|何程《なにほど》|強《つよ》いかつて|高《たか》が|知《し》れて|居《を》る。この|宣伝使《せんでんし》も|女性《ぢよせい》のやうに【ふん】|縛《じば》られて、|山奥《やまおく》に|連《つ》れて|行《い》かれる|連中《れんぢう》であらうも|知《し》れぬぜ。あまり|喜《よろこ》ぶな|考《かんが》へものだぞ』
|乙《おつ》|丙《へい》|溜息《ためいき》を|吐《つ》きながら、
『さうかなあ、|困《こま》つたものだよ。しかしお|手際《てぎは》をまだ|拝見《はいけん》せないのだから、そつと|見《み》えかくれに|跟《つ》いて|行《い》つたらどうだい』
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、
『オイ、|三人《さんにん》の|者《もの》、|何《なに》を|分《わか》らぬ|事《こと》をいつて|居《を》るか。|早《はや》く|先《さき》に|立《た》つて|案内《あんない》をせよ。|心《こころ》が|焦《せ》く』
|甲《かふ》『|貴神《あなた》、|大丈夫《だいぢやうぶ》ですか。それはそれは【オトロ】しい|奴《やつ》が|沢山《たくさん》をりますぜ』
と|指《ゆび》をつき|出《だ》しながら、
『この|山《やま》をツーとかう|行《い》つてかう|曲《まが》つて、|又《また》かう|曲《まが》つて、かう、かう、かう、ツーとお|出《いで》なさいましたら|其処《そこ》に|皆《みな》が|縛《しば》られて|頭《あたま》を【はら】れたり、|突《つ》かれたり、|猿《さる》が|責《せ》められたやうに、キヤツキヤツ|云《い》うて|居《ゐ》ます。その|声《こゑ》を|便《たよ》りにとつととお|越《こ》しやす。|左様《さやう》なら』
と|尻引《しりひ》きからげ|逃《に》げむとする。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、
『オイ|待《ま》て』
と|云《い》ひながら|襟髪《えりがみ》を【むんづ】と|掴《つか》みける。
(大正一一・一・三〇 旧一・三 加藤明子録)
第一〇章 |附合信神《つきあひしんじん》〔三一〇〕
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、ビクビク|顫《ふる》ふ|三人《さんにん》を|先頭《せんとう》に|立《た》て|山《やま》|深《ふか》く|進《すす》みけるが、|先頭《せんとう》に|立《た》てる|甲《かふ》は|忽《たちま》ち『キヤツ』と|一声《ひとこゑ》、その|場《ば》に|仆《たふ》れたり。
|乙《おつ》は|驚《おどろ》いて|抱《だ》き|起《おこ》さうとするを、|甲《かふ》は|眼《め》を|塞《ふさ》ぎ|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》りながら、
『おい|最《も》う【こらへ】てくれ、ドエライこつちや。|今《いま》それ、|健寅彦《たけとらひこ》の|宣伝使《せんでんし》が|仰山《ぎやうさん》|乾児《こぶん》を|連《つ》れて|此方《こつち》へ|来《く》るぢやないか。それツ』
と|目《め》を|塞《ふさ》ぎながら|前方《ぜんぱう》を|指《さ》さしてブルブル|顫《ふる》へて|言《い》ふ。
『|何《な》にも|来《き》やあせぬぢやないか。|猫《ねこ》|一匹《いつぴき》|居《を》りはせぬのに、|貴様《きさま》|何《なん》だい、|大方《おほかた》|幻《まぼろし》でも|見《み》たのだらう』
『|此奴《こいつ》は|何時《いつ》もビツクリ|虫《むし》を|腹《はら》の|中《なか》に【やつと】|飼《か》うとるからな。|此奴《こいつ》と|歩《ある》くと|俺《おれ》までが|顫《ふる》ひ|出《だ》すわい。こんな|腰抜《こしぬけ》は|帰《い》なしてやつた|方《はう》がよからう。モシモシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、こンな|奴《やつ》を|連《つ》れて|行《い》つては|足手《あして》|纏《まと》ひになつて|大変《たいへん》な|御迷惑《ごめいわく》をかけるかも|知《し》れませぬ。|我々《われわれ》|二人《ふたり》がお|供《とも》をしますから、|此奴《こいつ》はもう|帰《かへ》してやつて|下《くだ》さい。おい、もう|除隊《ぢよたい》だ。|勝手《かつて》に|帰《かへ》つて|留守《るす》の|家《いへ》で|鼠《ねずみ》と|一緒《いつしよ》に|仲《なか》ようせい。|貴様《きさま》の|嬶《かか》アは|今《いま》ウラル|彦《ひこ》の|宣伝使《せんでんし》に|喰《く》はれて|了《しま》つてるかも|知《し》れぬぞ。|早《はや》う|帰《かへ》つて|線香《せんかう》でも|立《た》ててやれ。|俺《おれ》は|斯《か》ういふものの|独身者《どくしんもの》だから、|脛《すね》|一本《いつぽん》、ラマ|一本《いつぽん》だ。しかし|貴様《きさま》や|甲《かふ》になると、さういふ|訳《わけ》には|行《い》かぬから|気《き》の|毒《どく》なものだ。それだから、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》が|荷物《にもつ》を|軽《かる》うして|置《お》けと|仰有《おつしや》つたのだよ』
|丙《へい》『|馬鹿《ばか》な|事《こと》を|言《い》ふない。|貴様《きさま》だつてあのお|照《てる》を|嬶《かか》アにすると|言《い》つたぢやないか。そのお|照《てる》は|今《いま》ごろ|宣伝使《せんでんし》に|殺《ころ》されとるぞ。あまり|大《おほ》きな|声《こゑ》で|太平楽《たいへいらく》を|言《い》ふない』
『おい、|好《よ》い|加減《かげん》に|話《はなし》を|切《き》り|止《や》めて|案内《あんない》せぬか』
『ハイハイ、|今《いま》|案内《あんない》いたします』
と|拳《こぶし》を|握《にぎ》り|人指《ひとさ》し|指《ゆび》をニユーツと|出《だ》して、
『モーシ、|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|如何《どう》にも|斯《か》うにも|足《あし》が|向《むか》ふへ|出《で》ませぬ。かう|行《い》つて、かう|行《い》つて、かう|曲《まが》つて、かう|寄《よ》つてツーとお|出《いで》なさいませ』
『そんなことを|言《い》つたつて|分《わか》るか、この|深山《しんざん》が』
『|俺《おれ》だけ、それなら|堪《こら》へて|呉《く》れるか。|家《いへ》まで|送《おく》つてくれ。|丙《へい》は|俺《おれ》の|後《うしろ》について|乙《おつ》は|前《まへ》になつて|俺《おれ》の|所《ところ》まで|送《おく》つた|上《うへ》で、|宣伝使《せんでんし》|様《さま》のお|供《とも》をしてくれ』
『コラコラそンな|悠長《いうちやう》な|事《こと》ではない。|貴様《きさま》はそンな|弱《よわ》いことで|何《ど》うするのか。|苟《いやしく》も|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》を|聞《き》いた|者《もの》のする|所作《しよさ》か』
『ハイ、|私《わたくし》は|何《なん》の|事《こと》ぢやかテンと|分《わか》りませぬが、|酋長様《しうちやうさま》が|拝《をが》めと|仰有《おつしや》るので|拝《をが》まぬと|叱《しか》られますからなア。|邪魔《じやま》くさいけれどイヤイヤ|祭《まつ》つとりますので』
『この|郷《さと》の|奴《やつ》は|皆《みな》そンな|信仰《しんかう》か』
『ハイ』
と|言《い》ひかけて、|首《くび》を|振《ふ》り、
『イエイエそれは|私《わたくし》|一人《ひとり》のことです。|他《た》の|奴《やつ》|共《ども》は|何《ど》ンな|信仰《しんかう》|有《も》つとるかテンと|分《わか》りませぬ。|何《なん》だか|知《し》れませぬが、【しぶとい】|信仰《しんかう》を|持《も》つとります。ウラル|彦《ひこ》の|宣伝使《せんでんし》にエライ|目《め》に|遇《あ》はされても|信仰《しんかう》は|変《か》へぬといつて|気張《きば》つてます』
『たとへ|殺《ころ》されてもこの|神様《かみさま》には|離《はな》れぬと|言《い》つてますぜ。|命《いのち》|知《し》らずですなア。ほンとに|馬鹿《ばか》ですなア。|私《わたくし》らの|思《おも》ふのには、|敵《かな》はぬ|時《とき》に|助《たす》けて|貰《もら》うための|信仰《しんかう》なのに|殺《ころ》されてまで|信仰《しんかう》する|馬鹿《ばか》があるものか。トンと|合点《がつてん》が|行《ゆ》かぬがなア』
『|何《なに》ツ、|殺《ころ》されても|信仰《しんかう》を|変《か》へぬというか。エライ|奴《やつ》だ。|見込《みこ》みがある』
『へー|殺《ころ》されても|信仰《しんかう》するつて|幽霊《いうれい》になつて|信神《しんじん》するのですか。ケタイな|神《かみ》さまですなア』
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|大喝《だいかつ》|一声《いつせい》、
『|馬鹿《ばか》!』
と|言《い》つたその|声《こゑ》に|三人《さんにん》は|驚《おどろ》いて、|両手《りやうて》をひろげ|口《くち》を|開《あ》けて、|思《おも》はず|知《し》らず、|二三尺《にさんじやく》|飛《と》び|上《あが》る。|日《ひ》の|出神《でのかみ》はこれらの|弱虫《よわむし》に|目《め》もくれず、ドシドシと|又《また》もや|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、|山奥《やまおく》さして|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・一・三〇 旧一・三 桜井重雄録)
第一一章 |助《たす》け|船《ぶね》〔三一一〕
|岩神《いはがみ》の|祠《ほこら》の|前《まへ》に|健寅彦《たけとらひこ》と|云《い》ふ|大中教《だいちうけう》の|宣伝使《せんでんし》は、|数多《あまた》の|従者《じゆうしや》と|共《とも》に|酋長《しうちやう》|夫婦《ふうふ》を|木《き》に|縛《しば》りつけ、|右手《みぎて》に|剣《つるぎ》を|持《も》ち|左手《ひだりて》に|徳利《どつくり》を|握《にぎ》りながら、|一口《ひとくち》|呑《の》ンでは、
『|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ、|暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る。
おい|酋長《しうちやう》、|貴様《きさま》は|如何《どう》しても|三五教《あななひけう》を|思《おも》ひ|切《き》らぬか。|左様《さやう》な|邪教《じやけう》を|貴様《きさま》が|率先《そつせん》して|信仰《しんかう》をいたすものだから、|白雪郷《はくせつきやう》の|奴等《やつら》は|残《のこ》らず|呆《はう》けるのだ。さあ、|俺《おれ》の|歌《うた》を|唄《うた》つてこの|酒《さけ》を|喰《く》らへ。|結構《けつこう》な|醍醐味《だいごみ》ぢやぞ。|之《これ》を|呑《の》めば|生命《いのち》が|延《の》びる、|気分《きぶん》が|晴《は》れ|晴《ば》れする、|大中教《だいちうけう》がこンな|結構《けつこう》な|酒《さけ》を|呑《の》まして、その|上《うへ》に|面白《おもしろ》い|歌《うた》を|唄《うた》うて|遊《あそ》べと|云《い》ふのに、|貴様《きさま》は|何《なに》が|気《き》に|入《い》らぬか。|夫《それ》が|嫌《きら》ひなら|此《この》|剣《けん》の|尖《さき》で|突《つ》いて|突《つ》いて|突《つ》き|捲《まく》り、【なぶり】|殺《ごろ》しにしてやらうか。おい、よく|考《かんが》へて|見《み》ろ、|結構《けつこう》な|酒《さけ》を|喰《く》らつて|鼻歌《はなうた》|唄《うた》つて、この|世《よ》を|天国《てんごく》|浄土《じやうど》のやうにして|勇《いさ》みて|暮《くら》すがよいか。|肩《かた》の|凝《こ》るやうな|苦《くる》しい|歌《うた》を|唄《うた》つて、|甘《うま》い|酒《さけ》も|好《よ》う|呑《の》まず、|甘《うま》い|物《もの》も|碌《ろく》に|食《く》はず、|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》けるなどと|仕様《しやう》も|無《な》い。ちと|考《かんが》へてみよ。こンな|事《こと》は|子供《こども》でも|善悪《よしあし》が|解《わか》りさうなものだ。|斯《こ》うして|縛《しば》りつけた|上《うへ》は、|活《いか》さうと|殺《ころ》さうとこの|健寅彦《たけとらひこ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》の|手《て》の|裡《うち》にあるのだ。|返答《へんたふ》|聞《き》かう』
と|左《ひだり》の|手《て》に|酒《さけ》を|満《み》たした|徳利《とくり》を|持《も》ち、|酋長《しうちやう》の|唇《くちびる》の|辺《へん》に|押付《おしつ》け、|一方《いつぱう》には|鋭《するど》き|剣《つるぎ》を|眼《め》の|前《まへ》にひらつかせ|乍《なが》ら、|返答《へんたふ》|如何《いか》にと|待《ま》ち|構《かま》へ|居《ゐ》る。
|酋長《しうちやう》|夫婦《ふうふ》は|目《め》を|閉《と》ぢ、|口《くち》を|結《むす》びて|聞《きこ》えぬふりを|為《な》し、|心中《しんちう》に|深《ふか》く|野立彦命《のだちひこのみこと》、|野立姫命《のだちひめのみこと》の|救《すく》ひを|祈願《きぐわん》し|居《ゐ》たり。この|時《とき》|向《むか》ふの|方《はう》より|木霊《こだま》を|響《ひび》かせ|乍《なが》ら、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る』
との|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて|進《すす》み|来《く》るものあり。|健寅彦《たけとらひこ》はこの|声《こゑ》を|聞《き》くと|共《とも》に、|手《て》に|持《も》てる|剣《つるぎ》と|徳利《とくり》を|思《おも》はずバツタリと|落《おと》し、|頭《あたま》を|拘《かか》へ|顔《かほ》を|顰《しか》めてその|場《ば》に|縮《ちぢ》みけり。|健寅彦《たけとらひこ》の|従者《じゆうしや》|共《ども》は、|同《おな》じく|目《め》を|閉《と》ぢ|頭《あたま》を|拘《かか》へて|大地《だいち》に|蹲踞《しやが》み|震《ふる》ひ|居《ゐ》る。
この|場《ば》に|悠々《いういう》として|現《あら》はれたる|宣伝使《せんでんし》は、|擬《まが》ふ|方《かた》|無《な》き|日《ひ》の|出神《でのかみ》なり。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|大樹《だいじゆ》に|縛《しば》りつけられたる|酋長《しうちやう》|夫婦《ふうふ》を|始《はじ》め、その|他《た》の|人々《ひとびと》の|縛《いましめ》を|解《と》きしに、|健寅彦《たけとらひこ》の|一派《いつぱ》は|息《いき》を|殺《ころ》して|縮《ちぢ》み|居《ゐ》るのみ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|声《こゑ》|張《は》り|上《あ》げて|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ふ。|酋長《しうちやう》|夫婦《ふうふ》もつづいて|宣伝歌《せんでんか》を|頻《しき》りに|歌《うた》ひはじむる。この|場《ば》にありし|白雪郷《はくせつきやう》の|老若男女《らうにやくなんによ》は、またもや|一斉《いつせい》に|宣伝歌《せんでんか》を|唱《とな》へ|出《だ》したるに、|健寅彦《たけとらひこ》は|堪《たま》り|兼《か》ね|鼠《ねずみ》の|如《ごと》くなつて|数多《あまた》の|従者《じゆうしや》と|共《とも》に、|山頂《さんちやう》|目蒐《めが》けて【こそ】こそと|身《み》を|隠《かく》しける。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|酋長《しうちやう》|夫婦《ふうふ》の|固《かた》き|信仰《しんかう》を|激賞《げきしやう》し、これに|面那芸神《つらなぎのかみ》、|面那美神《つらなみのかみ》の|名《な》を|与《あた》へたまふ。|面那芸神《つらなぎのかみ》は、|妻《つま》の|面那美神《つらなみのかみ》に|白雪郷《はくせつきやう》を|守《まも》らしめ、|自《みづか》ら|宣伝使《せんでんし》となつて|天下《てんか》に|道《みち》を|弘《ひろ》めたりける。
この|時《とき》|谷《たに》の|奥《おく》に|当《あた》つて|騒々《さうざう》しき|物音《ものおと》|聞《きこ》えたり。|酋長《しうちやう》|面那芸神《つらなぎのかみ》は、|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|向《むか》ひ、|三五教《あななひけう》の|女宣伝使《をんなせんでんし》|祝姫《はふりひめ》は|彼《かれ》らの|一味《いちみ》に|捕《とら》はれ、|山奥《やまおく》に|誘《さそ》ひ|行《ゆ》かれし|事《こと》を|涙《なみだ》と|共《とも》に|物語《ものがた》れば、|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|聞《き》くより|早《はや》く、|二人《ふたり》を|後《うしろ》に|随《したが》へ、|山奥《やまおく》|指《さ》して|足早《あしばや》に|進《すす》み|行《ゆ》く。
|後《あと》に|残《のこ》りし|白雪郷《はくせつきやう》の|老若男女《らうにやくなんによ》は、|口々《くちぐち》に|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|救援《きうゑん》を|喜《よろこ》び|合《あ》ひける。
|甲《かふ》『やつぱり|信心《しんじん》はせなならぬものだのー。|俺《おれ》はもう|迚《とて》も|此奴《こいつ》は|叶《かな》はぬと|思《おも》つたので、|一杯《いつぱい》|呑《の》まされてやらうかと|思《おも》つた。さあ、さうすると|喉《のど》の|虫《むし》|奴《め》が|御苦労《ごくらう》さま、|御苦労《ごくらう》さまと|唸《うな》りよつてな。|如何《どう》にも|斯《か》うにも|堪《たま》つたものぢやない。けれども|肝腎《かんじん》の|酋長《しうちやう》が、|彼《あ》の|甘《うま》さうな|酒《さけ》も|呑《の》まずに、|殺《ころ》されても|信神《しんじん》は|止《や》めぬと|仰有《おつしや》るのだもの、|俺《おれ》|一人《ひとり》が|裏切《うらぎ》る|訳《わけ》にはゆかず、どうして|好《よ》からうと|思《おも》つてゐたが、さあ|今《いま》|九分九厘《くぶくりん》と|云《い》ふ|所《ところ》で|女宣伝使《をんなせんでんし》の|仰有《おつしや》つたやうに|結構《けつこう》な|神《かみ》さまが|出《で》て|救《たす》けて|下《くだ》さつたのは、|有《あ》り|難《がた》いのう』
|乙《おつ》『あゝ、|俺《おれ》も|結構《けつこう》だつたが、しかし|八《はち》に|鹿《しか》に|六《ろく》はどこへ|行《い》きよつたのだらうか。|白雪郷《はくせつきやう》の|掟《をきて》として|生《いき》るも|死《し》ぬるも|酋長様《しうちやうさま》と|一緒《いつしよ》にせなくてはならぬのに、|彼奴《あいつ》め|中途《ちうと》で|飛《と》び|出《だ》しよつて|仕様《しやう》の|無《な》い|奴《やつ》だ。|孰《いづ》れ|見《み》せしめに|三人《さんにん》の|奴《やつ》らは、|酋長《しうちやう》からどえらい|罰《ばつ》を|被《かうむ》るかも|知《し》れないぜ』
|丙《へい》『いや、そンな|心配《しんぱい》は|要《い》らぬよ。|三五教《あななひけう》は|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|教《をしへ》だから|何事《なにごと》も「|直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ、|聞直《ききなほ》せ、|身《み》の|過《あやま》ちは|詔《の》り|直《なほ》せ」といふ|信条《しんでう》がある。|彼《あ》れ|丈《だけ》の|信仰《しんかう》の|強《つよ》い|酋長《しうちやう》さまは、そンなことの|判《わか》らぬ|御方《おかた》ぢやない。|況《ま》して|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》の|御弟子《おでし》となつて|面那芸《つらなぎ》とか、|浦凪《うらなぎ》とか|云《い》ふ|名《な》まで|頂《いただ》かつしやつたぢやないか。エーン』
|甲《かふ》『|浦凪《うらなぎ》なンて、そンな|恐《おそ》ろしい|名《な》は|御免《ごめん》だ。ウラル|彦《ひこ》の|名《な》を|思《おも》ひだすよ。【うら】の|所《とこ》の|難儀《なんぎ》になるやうな、そンな|名《な》は|替《か》へて|欲《ほ》しいものだなア』
|丁《てい》『|浦凪《うらなぎ》ぢやない。|好《よ》う|聞《き》いて|置《お》かぬかい|二度《にど》も|三度《さんど》も|仰有《おつしや》つたじやらう。この|方《はう》の|酋長《しうちやう》さまは|面那芸《つらなぎ》の|神《かみ》さま、|奥様《おくさま》は|面那美《つらなみ》の|神《かみ》さまとなられたのだよ』
|甲《かふ》『そらまあー、|何《なん》といふ|辛《つら》い|難儀《なんぎ》な|名《な》を|貰《もら》はつしやつたものだナア。|奥《おく》さまも|奥《おく》さまぢや、|辛《つら》い|涙《なみだ》の|出《で》るやうな|名《な》を|貰《もら》つて、|勇《いさ》むで|行《い》かつしやつた。なンぼ|宣伝使《せんでんし》さまだつて、そンな|名《な》は、|俺《おい》らは|御免《ごめん》だよ』
|乙《おつ》『おい、|心配《しんぱい》するない。|貴様《きさま》らには|滅多《めつた》にそンな|名《な》は|下《くだ》さらぬワ。|面那芸《つらなぎ》といふ|事《こと》はなあ、|貴様《きさま》らが|皆《みな》|難儀《なんぎ》な|面《つら》をさらしよつて、もうウラル|彦《ひこ》の|宣伝使《せんでんし》の|方《はう》につかうかと|云《い》つて、|涙《なみだ》を|流《なが》して|吠面《ほえづら》かわいてゐたのを、それをば|神《かみ》さまに|祈《いの》つて|助《たす》けて|下《くだ》さつた|御名《おんな》だ。それで|面那芸《つらなぎ》、|面那美《つらなみ》と|申上《まをしあ》げるのだよ』
|斯《か》かる|所《ところ》へ【つま】らぬ|顔《かほ》をして|恐々《こはごは》ながら、|八《はち》と|六《ろく》と|鹿《しか》とは|現《あら》はれ|来《き》たりければ、|一同《いちどう》は、
『やい、|腰《こし》ぬけ|野郎《やらう》』
と|口々《くちぐち》に|呶鳴《どな》りける。
(大正一一・一・三〇 旧一・三 外山豊二録)
第一二章 |熟々尽《つくづくし》〔三一二〕
|八《はち》『|本当《ほんたう》にだよ、たうとう|腰抜《こしぬ》かしよつたナ。|併《しか》しながら|俺《おれ》が|腰《こし》を|抜《ぬ》かしたお|蔭《かげ》で、|貴様《きさま》たちは|助《たす》かり、【コシ】て|安心《あんしん》して|居《を》れるのだよ。【コシ】コシ|云《い》ふない、|腰抜野郎《こしぬけやらう》|奴《め》』
|鹿《しか》『【シカ】し、|健寅《たけとら》とか|云《い》ふドエライ|目《め》を|剥《む》いた|宣伝使《せんでんし》は|何処《どこ》へ|逃《に》げたのかイ、|酋長《しうちやう》さまは|居《ゐ》らつしやらぬじやないか』
|甲《かふ》『|只今《ただいま》ナ、|天《てん》から|日《ひ》の|大神様《おほかみさま》とか|日《ひ》の|入《いり》の|神様《かみさま》とかいふお|方《かた》がヒヨツクリコと|現《あらは》れて|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》はれたのだ。さうするとウラル|彦《ひこ》の|乾児《こぶん》の|健寅彦《たけとらひこ》|奴《め》が、あの|大《おほ》きな|目《め》をサツパリ|閉《ふさ》ぎよつて、【デカイ】|頭《あたま》を|拘《かか》へて|縮《ちぢ》こまつて|了《しま》つて、|終《しま》ひには|野鼠《のねずみ》のやうに|小鼠《こねずみ》と|一緒《いつしよ》に|山《やま》の|奥《おく》へ|逃《に》げて|行《ゆ》きよつたよ。そして|酋長《しうちやう》さま|夫婦《ふうふ》に|日《ひ》の|暮《くれ》とやらの|神様《かみさま》が、ウラナギとかウラナミとかいふ|名《な》を|下《くだ》さつて|酋長《しうちやう》さま|夫婦《ふうふ》は|喜《よろこ》ンで、この|山《やま》へドンドンお|出《い》で|遊《あそ》ばしたのだワ』
|鹿《しか》『|何《なに》ツ!、【ウラ】|那芸《なぎ》? ウラル|彦《ひこ》の|為《ため》に【ナギ】な|目《め》に|会《あ》つたのでウラナギといふのかい』
|甲《かふ》『|知《し》らぬわい』
|乙《おつ》『|知《し》らぬなら|言《い》うてやらうか。【ウラナギ】ぢやない、【ツラナギ】ぢやぞ。その|名《な》の|因縁《いんねん》はマア、ザツトこの|方《はう》の|申《まを》す|通《とほ》りだ。エヘン、【ツラ】ツラ|惟《をもん》みるに【ツライ】この|世《よ》に【ツライ】|目《め》して|蛸《たこ》を【ツラ】れて|聞《き》き【ヅライ】|宣伝歌《せんでんか》を|聞《き》かされて|好《よ》い【ツラ】の|皮《かは》ぢや。|俺《おれ》アもう|首《くび》でも【ツラ】ねばならぬかと|思《おも》ふほど【ツラ】かつた。それを【ツライ】とも|思《おも》はずにジツとして|耐《こら》へて|御座《ござ》つて、|酋長《しうちやう》さまは【ツラ】イ【ナンギ】を|辛抱《しんばう》し、|外《そと》へ|落《お》とす|涙《なみだ》を|内《うち》へ|溢《こぼ》して|素知《そし》らぬ|顔《かほ》して|飲《の》みたい|酒《さけ》も|呑《の》まず、|鋭《するど》い|刃《やいば》を|目《め》の|前《まへ》へ|突《つ》きつけられ、【ツラ】を|晒《さら》されても|何《なん》の【ツラ】からうといふやうな【ツラ】|構《がま》へをしてござつたのぢや。それで【ツラナギ】の|神《かみ》、【ツラナミ】の|神《かみ》さまだ。|分《わか》つたか』
|鹿《しか》『へー、【ツラ】ツラと|大《おほ》きな|面《つら》をしよつて|何《なに》|劫託《ごふたく》を【ツラ】ねさらすのだい。そンな|事《こと》を|聞《き》かされるのも|良《よ》い【ツラ】の|皮《かは》だ。ヤイ、そこいらにウラル|彦《ひこ》の|宣伝使《せんでんし》が|酒《さけ》でも|忘《わす》れて|行《ゆ》きよりやせぬかなあ』
|一同《いちどう》|四辺《あたり》を|見《み》まはして、
『おゝ|彼処《そこ》にも|此処《ここ》にも|沢山《たくさん》|徳利《とくり》を|置《お》いとるわい。【ロハ】の|酒《さけ》なら|呑《の》ンでやろかい』
|甲《かふ》『ヤイヤイ、おけおけ、それを|呑《の》む|位《ぐらゐ》なら|俺達《おれたち》は、こンな|辛《つら》い|目《め》はしやせぬのだよ』
|乙《おつ》『きまつた|事《こと》だい。|彼奴《あいつ》の|前《まへ》なり、|酋長《しうちやう》の|前《まへ》だから、|気張《きば》つてゐたが、|健寅彦《たけとらひこ》の|居《を》らぬ|後《あと》なら|何《なん》ぼ|飲《の》ンだつて|分《わか》らぬぢやないか。|宣伝使《せんでんし》の|前《まへ》で|飲《の》むのは|剛腹《がうはら》だからなア』
|丙《へい》『それでも|神《かみ》さまは|見《み》てござるぞ。おけおけ』
|斯《か》く|言《い》つて|口々《くちぐち》に|喋《しやべつ》てゐるところへ、|現《あら》はれたのは|酋長《しうちやう》の|妻《つま》|面那美《つらなみ》の|神《かみ》なりき。|面那美《つらなみ》の|神《かみ》は|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
『お|前達《まへたち》は|神様《かみさま》の|教《をしへ》を|守《まも》つてよく|忍《しの》むでくれた。これからは|妾《わらは》が|酋長《しうちやう》となつて、お|前《まへ》たちを|守《まも》つてやる。|我《わ》が|夫《をつと》は|今日《けふ》より|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》となつて、|世界《せかい》の|人民《じんみん》を|助《たす》けにお|廻《まは》り|遊《あそ》ばすのだよ。|今《いま》までは|此《こ》の|小《ちひ》さい|白雪郷《はくせつきやう》だけ|守《まも》つてゐたが、もはやそンな|時期《じき》ではない。こンな|郷《さと》|位《ぐらゐ》は|妾《わらは》|一人《ひとり》で|沢山《たくさん》だから、|今日《けふ》|限《かぎ》りこの|郷《さと》を|御出立《ごしゆつたつ》|遊《あそ》ばすのだから、お|前《まへ》たちもお|暇乞《いとまご》ひにこの|山奥《やまおく》まで|出《で》てくるがよい。ウラル|彦《ひこ》の|宣伝使《せんでんし》のやうに|酒《さけ》ばかり|飲《の》むことは|出来《でき》ぬが、|今日《けふ》は|門出《かどで》の|祝《いはひ》だから、|充分《じゆうぶん》に|酒《さけ》も|飲《の》むがいい』
|乙《おつ》『それ|見《み》たか、|今日《けふ》は|飲《の》ンでもいいつて|最前《さいぜん》から|俺《おれ》が|言《い》つたじやらう。そこいらにウラル|彦《ひこ》の|宣伝使《せんでんし》が|残《のこ》した|酒《さけ》がある。みんな|飲《の》ンでやらうかい』
|一同《いちどう》は|先《さき》を|争《あらそ》うて、その|徳利《とくり》を|拾《ひろ》い|上《あ》げて|飲《の》みはじめたるを、|面那美《つらなみ》の|神《つかさ》はこの|光景《くわうけい》を|見《み》て|顔《かほ》をしかめ、
『|人間《にんげん》といふ|奴《やつ》は|口卑《くちいや》しいものだなア。あゝこれでは|夫《をつと》の|留守番《るすばん》も【なか】なか|大抵《たいてい》ぢやなからう。|兎《と》も|角《かく》|何《なに》ごとも|神様《かみさま》にお|任《まか》せするより|外《ほか》に|仕方《しかた》がない』
と|独《ひと》り|言《ごと》を|言《い》ひながら|小声《こごゑ》になつて|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ、もと|来《き》し|道《みち》へ|引返《ひきかへ》し|行《ゆ》く。|老若男女《らうにやくなんによ》は|片手《かたて》に|徳利《とくり》を|抱《かか》へながら、|姫神《ひめがみ》の|後《あと》に|従《したが》つて|山奥《やまおく》に|進《すす》み|入《い》るに、|少《すこ》し|平坦《へいたん》なる|処《ところ》に、|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|酋長《しうちやう》と|共《とも》に|美《うつく》しき|女性《ぢよせい》の|前《まへ》に|端坐《たんざ》しゐたり。この|女性《ぢよせい》は|前《まへ》に|述《の》べたる|祝姫《はふりひめ》の|宣伝使《せんでんし》なり。|祝姫《はふりひめ》は|健寅彦《たけとらひこ》の|数多《あまた》の|弟子《でし》|共《ども》に|取《と》り|囲《かこ》まれ、|酒《さけ》と|剣《けん》とを|以《もつ》てこの|酋長《しうちやう》のごとくに|責《せ》められたりしが、|少《すこ》しも|恐《おそ》れず、|諄々《じゆんじゆん》として、|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|説《と》き|諭《さと》しければ、|一同《いちどう》は|大《おほ》いに|怒《いか》りて|祝姫《はふりひめ》を|今《いま》や|打殺《うちころ》さむとなす|折《をり》しも、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|現《あら》はれ|来《きた》りて|大音声《だいおんじやう》に|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひたる。その|声《こゑ》に|何《いづ》れも|縮《ちぢ》み|上《あが》り、コソコソと|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|姿《すがた》を|潜《ひそ》めし|際《さい》なりける。
ここに|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|面那芸《つらなぎ》の|神《かみ》、|祝姫《はふりひめ》の|三柱《みはしら》は|白雪山《はくせつざん》を|下《くだ》り、|一《いつ》たん|白雪郷《はくせつきやう》の|酋長《しうちやう》の|家《いへ》に|一泊《いつぱく》し、|歓《よろこ》びを|尽《つく》して|宣伝《せんでん》に|出発《しゆつぱつ》したりける。
(大正一一・一・三〇 旧一・三 桜井重雄録)
(第八章〜第一二章 昭和一〇・二・二二 於増田分院 王仁校正)
第三篇 |太平洋《たいへいやう》
第一三章 |美代《みよ》の|浜《はま》〔三一三〕
|烏羽玉《うばたま》の|暗世《やみよ》を|照《て》らす|宣伝使《せんでんし》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|宣伝《せんでん》に、|四方《よも》の|曲津《まがつ》も|祝姫《はふりひめ》、|心《こころ》も|清《きよ》き|白雪郷《はくせつきやう》、|渋紙面《しぶがみづら》の|面那芸《つらなぎ》の、|神《かみ》と|現《あ》れにし|宣伝使《せんでんし》、|面那美姫《つらなみひめ》を|後《あと》にして、|暗《くら》きこの|世《よ》を|照《て》らさむと、|別《わか》れに|臨《のぞ》み|門出《かどで》を|祝《しゆく》する|酒宴《しゆえん》は|開《ひら》かれたり。|白雪郷《はくせつきやう》の|老若男女《らうにやくなんによ》は、|三柱《みはしら》の|宣伝使《せんでんし》の|出発《しゆつぱつ》を|見送《みおく》るべく、|酋長《しうちやう》の|家《いへ》に|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|集《あつ》まり|来《きた》り|別《わか》れを|惜《をし》む。
|振舞《ふるまひ》の|酒《さけ》に|舌鼓《したつづみ》を|打《う》ち、|感《かん》|極《きは》まつて|泣《な》くもの、|酔《よ》うて|笑《わら》ふもの、|中《なか》には|悪酒《わるざけ》の|癖《くせ》ある|男《をとこ》はブツブツ|怒《おこ》り|出《だ》したりける。
|牛公《うしこう》『ヤイ|皆《みな》の|奴《やつ》、|一体《いつたい》|酋長《しうちやう》てな|奴《やつ》は、|訳《わけ》が|判《わか》らぬぢやないか。ウラル|彦《ひこ》の|宣伝使《せんでんし》が|来《き》をつて、|酒《さけ》を|飲《の》めと|言《い》ひよつたその|酒《さけ》は、【とてつ】もない|味《あぢ》の|好《よ》い|酒《さけ》だつたが、それをば|死《し》ンでも|飲《の》まぬ、|神様《かみさま》の|信仰《しんかう》は|止《や》めぬと|気張《きば》つてな、|俺《おい》らにまでその|甘《うま》い|酒《さけ》を|飲《の》まさずに、エライ|目《め》に|逢《あ》はされたが、それに|酒《さけ》は|飲《の》まな|飲《の》まぬで|判《わか》つて|居《を》るが、|今日《けふ》の|振舞《ふるまひ》は|一体《いつたい》|何《なん》の|事《こと》だい。|飲《の》めば|神様《かみさま》の|信仰《しんかう》にならぬと|云《い》つて|居《ゐ》るくせに、|今日《けふ》は|宣伝使《せんでんし》になつてその|門出《かどで》の|祝《いはひ》に、|酒《さけ》を|飲《の》ますとは|一体《いつたい》|全体《ぜんたい》|訳《わけ》が|判《わか》らぬじやないかイ。これからこンな|甘《うま》い|酒《さけ》の|味《あぢ》を|知《し》つたら、もうよう|忘《わす》れぬ。ウラル|彦《ひこ》の|宣伝使《せんでんし》について|飲《の》ンで|飲《の》ンで|飲倒《のみたふ》してやろかい』
|乙《おつ》『|貴様《きさま》の|云《い》ふことは【ヒヤ】ヒヤするワ。|黙《だま》つて|居《を》れ、|物《もの》には|裏《うら》と|表《おもて》があるのだ。|酋長《しうちやう》さまは|酒《さけ》は|飲《の》ンだら|悪《わる》いぞと、|表《おもて》で|眼《め》を|剥《むき》ながら|小《ちい》さい|声《こゑ》で「チツトは|飲《の》めよ」と|仰有《おつしや》る|謎《なぞ》ぢや。|貴様《きさま》のやうに|物《もの》は|堅《かた》うなるといけないよ』
|牛公《うしこう》『|何《なに》が|堅《かた》うなつたのだい。【しようも】ない|酒《さけ》を|沢山《たくさん》|飲《の》ましよつて|堅《かた》くなつた|処《どころ》か、|骨《ほね》も|魂《たましひ》もグニヤグニヤになつてしまひ、|足《あし》もろくに|立《た》ちやしない。ほんたうに|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にするのも|程《ほど》があるぢやないか。エーン』
|丙《へい》『コラコラ|牛《うし》、|貴様《きさま》は、もつたいないことを|吐《ぬ》かす|奴《やつ》ぢや、ババ|罰《ばち》が|当《あた》るぞ』
と|目《め》を|拭《ぬぐ》ふ。
|牛公《うしこう》『|貴様《きさま》は|泣《な》いて【けつ】かるな。|泣《な》く|様《やう》な|酒《さけ》なら|飲《の》まぬが|好《よ》いわ』
|丙《へい》『よう|思《おも》つて|見《み》よ。|酋長《しうちやう》さまは|俺《おい》らを|何時《いつ》も|可愛《かあい》がつて|下《くだ》さつたが、|今日《けふ》は|結構《けつこう》な|身《み》の|上《うへ》を|捨《す》て、|色《いろ》の|白《しろ》い|奥《おく》さまを|後《あと》に|残《のこ》して、|千里《せんり》|万里《ばんり》の|海《うみ》を|越《こ》え、|常世《とこよ》の|国《くに》とやらへお|越《こ》し|遊《あそ》ばすと|云《い》ふじやないか。それも|俺《おい》らを|捨《す》てて|俺《おい》らはどうでもよいと|云《い》ふのじやない。|世界《せかい》の|人間《にんげん》を|助《たす》けたさの|御出立《ごしゆつたつ》。|奥《おく》さまは|奥《おく》さまで、アノ|色《いろ》の|黒《くろ》い|目許《めもと》の|涼《すず》しい|口許《くちもと》のキツと|締《しま》つた|立派《りつぱ》な|夫《をつと》に|別《わか》れ、|留守番《るすばん》をして|今迄《いままで》のやうに|俺《おい》らを|庇《かば》つて|下《くだ》さるといふ|仕組《しぐみ》だ。さうでなければ|恋《こひ》しい|夫婦《ふうふ》、|奥《おく》さまと|手《て》に|手《て》を|取《と》つて|一緒《いつしよ》に|御出発《ごしゆつぱつ》なさる|筈《はず》だが、それもせないで|一人《ひとり》で、|御出《おい》で|遊《あそ》ばす|事《こと》を|思《おも》へば、|俺《おれ》はモウ|有難《ありがた》くて|涙《なみだ》が|溢《こぼ》れる』
と|又《また》メソメソと|泣《な》く。
|面那美《つらなみ》の|神《かみ》は|立上《たちあが》り、この|一行《いつかう》を|送《おく》る|可《べ》く|歌《うた》を|唱《うた》ひ|始《はじ》めたり。
『|久方《ひさかた》の|天津御空《あまつみそら》は|蒼々《あをあを》と  |山野《やまの》は|清《きよ》く|花《はな》|笑《わら》ひ
|鳥《とり》は|梢《こずゑ》に|歌《うた》ひつつ  |神《かみ》の|御国《みくに》を|祝《いは》ふなる
|白雪郷《はくせつきやう》を|立出《たちい》でて  |光《ひかり》も|強《つよ》き|日《ひ》の|出神《でのかみ》
|世《よ》の|村雲《むらくも》を|永遠《とことは》に  |伊吹《いぶ》き|祝《はふり》の|姫司《ひめがみ》や
|恋《こひ》しき|夫《つま》の|面那芸《つらなぎ》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|三柱《みはしら》は
|常世《とこよ》の|闇《やみ》を|晴《は》らさむと  |汐《しほ》の|八百路《やほぢ》の|八汐路《やしほぢ》の
|汐《しほ》|掻《か》き|分《わ》けて|渡《わた》ります  |嗚呼《ああ》|天地《あめつち》の|大神《おほかみ》よ
|嗚呼《ああ》|海原《うなばら》の|大神《おほかみ》よ  この|三柱《みはしら》の|宣伝使《せんでんし》
|恙《つつが》も|無《な》しに|送《おく》らせて  |太《ふと》しき|功績《いさを》を|後《のち》の|世《よ》に
|建《た》てさせ|給《たま》へ|百《もも》の|神《かみ》  |吾《わ》れは|女《をみな》のただ|一人《ひとり》
|白雪郷《はくせつきやう》に|止《とど》まりて  |郷《さと》の|諸人《もろびと》|守《まも》りつつ
|孱弱《かよわ》き|女《をみな》の|一筋《ひとすぢ》の  |髪《かみ》に|引行《ひきゆ》く|千鈞《せんきん》の
|重《おも》たき|岩《いは》のその|如《ごと》く  |朽《くち》たる|綱《つな》に|荒獅子《あらしし》や
|虎《とら》|狼《おほかみ》を|繋《つな》ぐごと  |実《げ》にも|危《あやふ》き|吾《わが》|務《つと》め
|守《まも》らせ|給《たま》へ|百《もも》の|神《かみ》  |嗚呼《ああ》|三柱《みはしら》の|宣伝使《せんでんし》
また|逢《あ》ふことも|嵐《あらし》|吹《ふ》く  |風《かぜ》の|朝《あした》や|雨《あめ》の|夜《よ》に
|君《きみ》に|恙《つつが》もあらせじと  |祈《いの》る|面那美《つらなみ》|真心《まごころ》の
|妾《わらは》は|留《とど》まり|守《まも》るなり  |稜威《みいづ》は|高《たか》し|天《あま》の|原《はら》
|恵《めぐ》みは|深《ふか》し|太平《たいへい》の  |海《うみ》の|底《そこ》ひも|白浪《しらなみ》の
|世人《よびと》を|救《すく》ふ|宣伝使《せんでんし》  |救《すく》ひの|舟《ふね》に|棹《さを》さして
|浮瀬《うきせ》に|悩《なや》む|人々《ひとびと》を  |神《かみ》の|御国《みくに》に|渡《わた》せかし
|神《かみ》の|御国《みくに》に|渡《わた》せかし』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つて|別《わか》れを|告《つ》げたりければ、|三柱《みはしら》は|名残《なごり》はつきずとここに|改《あらため》て|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|集《あつ》まる|諸人《もろびと》に|一場《いちぢやう》の|訓戒《くんかい》を|与《あた》へ、|白雪郷《はくせつきやう》を|後《あと》に|見《み》て|遂《つひ》に|美代《みよ》の|浜《はま》の|埠頭《ふとう》に|着《つ》きにける。
(大正一一・一・三一 旧一・四 谷村真友録)
第一四章 |怒濤澎湃《どたうはうはい》〔三一四〕
|船戸《ふなど》の|神《かみ》はガラガラと|錨《いかり》を|釣上《つりあ》げたり。|折《をり》から|吹《ふ》き|来《く》る|東風《とうふう》に|真帆《まほ》をかかげ|風《かぜ》を|孕《はら》まして、|果《はて》しもなき|大海原《おほうなばら》を|船底《ふなぞこ》に|鼓《つづみ》を|打《う》たせながら、|波上《はじやう》|静《しづ》かに|辷《すべ》り|行《ゆ》く。|日《ひ》は|西《にし》の|海《うみ》の|端《は》に|舂《うすづ》きて|水面《すゐめん》を|金色《こんじき》に|彩《いろど》りぬ。|東《ひがし》の|山《やま》の|端《は》より|昇《のぼ》る|玉兎《ぎよくと》の|光《ひかり》に|照《てら》されて|日《ひ》は|海《うみ》に|隠《かく》るとも、その|名《な》は|光《ひか》る|日《ひ》の|出神《でのかみ》。この|世《よ》の|幸《さち》を|祝《いは》ふ|祝姫《はふりひめ》、|連《つら》なる|浪《なみ》の|面那芸彦《つらなぎひこ》、|空《そら》は|一面《いちめん》の|星光《せいくわう》|粗《まば》らに|輝《かがや》き、|月光《げつくわう》|波間《はかん》に|浮《う》き|沈《しづ》み、|常世《とこよ》の|春《はる》の|波《なみ》の|上《うへ》、|夜《よ》を|日《ひ》に|踵《つ》いで|進《すす》み|行《ゆ》く。この|船《ふね》には|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》を|始《はじ》め|国々《くにぐに》の|沢山《たくさん》の|人々《ひとびと》が|四方山《よもやま》の|話《はなし》に|耽《ふけ》り、|波路《なみぢ》の|憂《う》さを|払《はら》ひ|慰《なぐさ》めてゐたり。|船中《せんちう》の|一方《いつぱう》より|白髪《しらが》|交《まじ》りの|長髪《ちやうはつ》の|大男《おほをとこ》、|赤黒《あかぐろ》き|面《つら》をヌツト|出《だ》し、
『おい|船頭《せんどう》、ここは|一体《いつたい》なんといふ|処《ところ》だ』
『|此処《ここ》かい、ここは|海《うみ》といふ|処《ところ》だよ』
『|海《うみ》は|極《きま》つて|居《を》るワイ。|何《な》ンといふ|海《うみ》ぢや』
『|此処《ここ》かい、ここは|乳《ちち》の|海《うみ》ぢや』
『フン|分《わか》つた。|生《うみ》の|父上《ちちうへ》|母《はは》さまは|何処《どこ》に|如何《どう》して|御座《ござ》るやら、|生命《いのち》の|際《きは》に|唯《ただ》|一目《ひとめ》、|会《あ》うて|死《し》にたい|顔《かほ》|見《み》たい、といふ|海《うみ》かい』
『|何処《どこ》の|奴《やつ》か|知《し》らぬが|縁起《えんぎ》の|悪《わる》い|事《こと》を|吐《ぬ》かすない。|一寸《いつすん》|下《した》は|水地獄《みづぢごく》だぞよ』
『|貴様《きさま》こそ|縁起《えんぎ》の|悪《わる》いことを|云《い》ふ、|水地獄《みづぢごく》なンて|俺《おれ》は|大《だい》の|嫌《きら》ひだ。|瑞《みづ》の|霊《みたま》が|探険《たんけん》して|来《き》たやうな|恐《おそ》ろしい|処《ところ》が、この|海《うみ》の|底《そこ》の|方《はう》に|在《あ》るかと|思《おも》へば、|船乗《ふなのり》も|嫌《いや》になつてしまふワ』
このとき|船《ふね》の|一方《いつぱう》より|涼《すず》しい|女《をんな》の|歌《うた》ふ|声《こゑ》|聞《きこ》えきたる。
『|山《やま》より|高《たか》き|父《ちち》の|恩《おん》  |海《うみ》より|深《ふか》き|母《はは》の|恩《おん》
|山《やま》と|海《うみ》との|恩《おん》|忘《わす》れ  この|海原《うなばら》を|打《う》ち|渡《わた》り
|常世《とこよ》の|国《くに》に|身《み》を|隠《かく》す  |恋《こひ》しき|男《をとこ》に|会《あ》はむとて
|此処《ここ》まで|来《き》たは|来《き》たものの  |長《なが》き|浪路《なみぢ》に|倦《あ》き|果《は》てて
もと|来《き》し|国《くに》へ|帰《かへ》り|行《ゆ》く  その|術《すべ》さへも|波《なみ》の|上《うへ》
|父母《ちちはは》|棄《す》てて|恋慕《こひした》ふ  |男《をとこ》に|付《つ》くか|恋慕《こひした》ふ
|夫《をつと》を|捨《す》てて|海山《うみやま》の  |深《ふか》き|恵《めぐ》みの|父母《ちちはは》の
|御側《みそば》に|帰《かへ》り|村肝《むらきも》の  |心《こころ》をつくし|仕《つか》ふるか
|善《ぜん》と|悪《あく》との|国境《くにざかひ》  |進《すす》むも|知《し》らに|退《しりぞ》くも
|成《な》らぬ|苦《くる》しき|海《うみ》の|上《うへ》  |月《つき》は|御空《みそら》に|輝《かがや》けど
|妾《わらは》は|思案《しあん》に|暮《くれ》の|鐘《かね》  |故郷《こきやう》を|思《おも》ふ|恋《こひ》しさの
|心《こころ》の|空《そら》も|掻《か》き|曇《くも》る  |吁《ああ》|如何《いか》にせむ|千尋《せんじん》の
|深《ふか》き|海路《うなぢ》に|身《み》を|投《な》げて  |親《おや》に|背《そむ》きしこの|罪《つみ》を
|天《あめ》と|地《つち》との|神々《かみがみ》に  |心《こころ》の|底《そこ》より|謝罪《しやざい》せむ』
と|歌《うた》ひ|始《はじ》むるや、|長髪《ちやうはつ》の|男《をとこ》はその|女《をんな》の|手《て》をグツト|握《にぎ》り、
『オイ|待《ま》て。|今《いま》の|歌《うた》で|様子《やうす》は|判《わか》つた。|俺《おれ》の|忰《せがれ》は|貴様《きさま》の|為《ため》に|結構《けつこう》な|白雪郷《はくせつきやう》に|居《を》る|事《こと》も|出来《でき》ず、たうとう|里人《さとびと》より|刎《は》ね|出《だ》されて|仕舞《しま》つて、この|前《まへ》の|月《つき》に|常世《とこよ》の|国《くに》に|逐電《ちくでん》し、|夫《そ》れがために|俺《おれ》のところは|大変《たいへん》な|迷惑《めいわく》だ。|大切《たいせつ》な|忰《せがれ》は|白雪郷《はくせつきやう》の|規則《きそく》を|破《やぶ》つて、|村《むら》は|逐《お》ひ|出《だ》され、|俺《おれ》も|浮世《うきよ》の|義理《ぎり》で|勘当《かんどう》はしたものの、|如何《どう》しても|忘《わす》れられぬは|親子《おやこ》の|情愛《じやうあい》だ。|年寄《としよ》つた|俺《おれ》が|遥々《はるばる》この|浪路《なみぢ》を|渡《わた》つて|忰《せがれ》の|後《あと》を|追《お》ふも|子《こ》|故《ゆゑ》に|迷《まよ》ふ|親心《おやごころ》、|俺《おれ》の|女房《にようばう》は|夫《そ》れを|苦《く》にして|死《し》ンで|了《しま》ひよつたぞよ。お|前《まへ》も|夫《そ》れほど|俺《おれ》の|忰《せがれ》を|慕《した》つて、この|海原《うなばら》を|渡《わた》つて|行《ゆ》かうと|云《い》ふ|親切《しんせつ》は、|俺《おれ》が|忰《せがれ》を|思《おも》ふも|同《おな》じことだ。|思《おも》へば|実《じつ》に|有難《ありがた》い。|清《きよ》いお|前《まへ》の|志《こころざし》、|俺《おれ》の|可愛《かあい》い|忰《せがれ》を|愛《あい》して|呉《く》れるお|前《まへ》と|思《おも》へば、|如何《どう》したものか|今《いま》までの|腹立《はらだち》もスツカリと|水《みづ》の|泡沫《あわ》のやうに|消《き》えて|了《しま》つて、|今《いま》は|一層《いつそう》|憐《あはれ》なやうな|心持《こころもち》がして|来《き》た。|何《な》ンでも|堅《かた》い|約束《やくそく》をして|居《を》るのであらう。お|前《まへ》に|聞《き》けば|常世《とこよ》の|国《くに》の|何処《どこ》に|居《を》るといふことは|判《わか》つて|居《を》らう|筈《はず》、どうぞ|包《つつ》まず|親《おや》ぢやと|思《おも》うて、|俺《おれ》に|逐一《ちくいち》|知《し》らして|呉《く》れ。|俺《おれ》が|何《なに》ほど|山野《さんや》を|駈廻《かけまは》つて|探《さが》したとて、この|海《うみ》よりも|広《ひろ》いダダツ|広《ぴろ》い|常世《とこよ》の|国《くに》を、|十年《じふねん》や|二十年《にじふねん》|探《さが》したとて、|探《さが》し|当《あた》らるるものではない。|忰《せがれ》の|在処《ありか》を|聞《き》かして|呉《く》れたら、|俺《おれ》もお|前《まへ》と|親子《おやこ》に|成《な》り、|親子《おやこ》|三人《さんにん》|睦《むつ》まじう、|常世《とこよ》の|国《くに》の|何処《いづこ》の|端《はて》でも|厭《いと》はず、|暮《くら》す|考《かんがへ》だ』
とさしも|頑丈《ぐわんぢやう》の|荒男《あらをとこ》も、|子《こ》ゆゑの|暗《やみ》に|鎖《とざ》されて|四辺《あたり》かまはず|蚕豆《そらまめ》のやうな|涙《なみだ》をボロボロと|溢《こぼ》すその|憐《あはれ》さ。
|今《いま》までさしも|晴朗《せいらう》なりし|大空《おほぞら》も|忽《たちま》ち|黒雲《こくうん》|蔽《おほ》ひ、|一望模糊《いちばうもこ》として|電光《でんくわう》|閃々《せんせん》、|雷鳴《らいめい》|轟《とどろ》き、|凄然《せいぜん》として|風《かぜ》|荒《あ》れ|狂《くる》ひ、|雨《あめ》は|沛然《はいぜん》として|降《ふ》り|来《きた》り、|怒濤澎湃《どとうはうはい》|実《じつ》に|惨澹《さんたん》たる|光景《くわうけい》となりぬ。|今《いま》まで|四方山《よもやま》の|話《はなし》に|喧噪《けんそう》を|極《きは》めたる|一同《いちどう》の|乗客《せんきやく》は、|顔色《がんしよく》|蒼白《さうはく》となり|得《え》もいはれぬ|不安《ふあん》の|念《ねん》に|満《み》たされけるが、アツと|一声《ひとこゑ》|叫《さけ》ぶよと|見《み》る|間《ま》に、|麗《うるは》しき|女《をんな》の|姿《すがた》は|荒《あ》れ|狂《くる》ふ|浪《なみ》に|向《むか》つてザンブと|許《ばか》り|身《み》を|投《とう》じたり。|長髪《ちやうはつ》の|男《をとこ》は|声《こゑ》を|限《かぎ》りに、
『ヤアわが|娘《むすめ》、いな|他処《よそ》の|女《をんな》、|何故《なぜ》に|投身《とうしん》したぞ。|助《たす》ける|術《すべ》は|無《な》いか、|皆《みな》の|者《もの》|救《すく》へ|救《すく》へ』
という|声《こゑ》も、|猛《たけ》り|狂《くる》ふ|浪《なみ》の|音《おと》に|遮《さへぎ》られて、|一同《いちどう》の|耳《みみ》には|通《かよ》はざりける。|男《をとこ》は|天《てん》に|向《むか》つて|合掌《がつしやう》し|暫《しば》し|何事《なにごと》か|祈《いの》ると|見《み》えしが、またもや|身《み》を|跳《をど》らして|海中《かいちう》にザンブとばかり|飛込《とびこ》み、|水煙《みづけぶり》を|立《た》てて|姿《すがた》は|跡白浪《あとしらなみ》と|成《な》りにける。|心《こころ》なき|海《うみ》の|面《おも》は|怒濤《どたう》の|山岳《さんがく》|凄《すさま》じく、|船《ふね》を|木葉《このは》のごとく|翻弄《ほんろう》するのみ。
|黒白《あやめ》も|分《わ》かぬ|深黒《しんこく》の|海面《かいめん》に、|一道《いちだう》の|光明《くわうみやう》|船《ふね》を|目《め》がけて|射照《いてら》し|来《きた》るあり。|天《てん》には|電光《でんくわう》|時々《ときどき》|閃《ひらめ》き|渡《わた》り、|雷鳴《らいめい》|轟《とどろ》き|惨《さん》また|惨《さん》。|一同《いちどう》|何《いづ》れも|決死《けつし》の|覚悟《かくご》。|否《いな》ただ|口々《くちぐち》に|忍《しの》び|忍《しの》びに|何物《なにもの》をか|祈《いの》りゐたりけり。
『|浪風《なみかぜ》|荒《あら》き|海原《うなばら》も  |虎《とら》|狼《おほかみ》の|咆《な》き|叫《さけ》ぶ
|荒野《あれの》の|原《はら》も|何《なん》のその  |神《かみ》の|教《をしへ》に|任《まか》す|身《み》は
|心《こころ》も|安《やす》き|法《のり》の|船《ふね》  |御世《みよ》を|救《すく》ひの|宣伝使《せんでんし》
|風《かぜ》も|吹《ふ》け|吹《ふ》け|浪《なみ》|荒《あ》れよ  |鳴《な》る|雷《いかづち》も|轟《とどろ》けよ
|仮令《たとへ》この|身《み》は|海底《うなぞこ》の  |藻屑《もくづ》となりて|果《はて》つるとも
などや|恐《おそ》れむ|竜宮《りうぐう》の  |尊《たふと》き|神《かみ》の|御守《みまも》りに
|開《ひら》く|稜威《みいづ》も|高天原《たかあまはら》の  |聖地《せいち》に|救《すく》はれ|永久《とこしへ》に
|春《はる》の|弥生《やよひ》の|花《はな》の|頃《ころ》  |心《こころ》の|清《きよ》き|益良夫《ますらを》が
|暗路《やみぢ》を|光《ひか》り|照《てら》すてふ  |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|宣伝使《せんでんし》
|風《かぜ》も|悪魔《あくま》も|祝姫《はふりひめ》  |荒《あら》き|海面《うみづら》|面那芸《つらなぎ》の
|凪《なぎ》て|目出度《めでた》き|和田《わだ》の|原《はら》  |凪《なぎ》て|目出度《めでた》き|和田《わだ》の|原《はら》
|千尋《ちひろ》の|海《うみ》に|身《み》を|投《な》げし  |吾身《わがみ》の|罪《つみ》を|久比奢母智《くひざもち》
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|真心《まごころ》は  |天《あめ》と|地《つち》とに|貫《つらぬ》きて
|今《いま》に|海原《うなばら》|凪《な》ぎ|渡《わた》り  |鏡《かがみ》のごとく|成《な》りぬべし
|実《げ》にも|尊《たふと》き|神《かみ》の|道《みち》  |神《かみ》の|恵《めぐ》みは|弥広《いやひろ》き
|大海原《おほうなばら》の|如《ごと》くなり  |大海原《おほうなばら》の|如《ごと》くなり』
と|暗中《あんちう》より|声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣伝歌《せんでんか》|響《ひび》き|来《き》たりぬ。
(大正一一・一・三一 旧一・四 高木鉄男録)
第一五章 |船幽霊《ふないうれい》〔三一五〕
|虎《とら》|吼《ほ》え|竜《りう》|哮《たけ》ぶ、さしも|凄惨《せいさん》たりし|海原《うなばら》も、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|宣伝歌《せんでんか》、その|言霊《ことたま》の|功績《いさをし》に、|今《いま》は|全《まつた》く|凪《なぎ》はてて、|世《よ》は|太平《たいへい》の|海《うみ》の|上《うへ》。|彼方此方《あなたこなた》に|嶋影《しまかげ》の、|疎《まば》らに|浮《う》けるその|中《なか》を、|真帆《まほ》に|春風《しゆんぷう》|孕《はら》ませつ、|御空《みそら》に|清《きよ》き|月影《つきかげ》を、|力《ちから》に|進《すす》む|長閑《のどか》さよ。|天津御空《あまつみそら》の|星《ほし》の|影《かげ》、|以前《いぜん》の|如《ごと》くに|輝《かがや》きて、|影《かげ》を|沈《しづ》むる|波《なみ》の|底《そこ》。|銀河《ぎんが》は|下《くだ》りて|海底《かいてい》に、|北《きた》より|南《みなみ》に|横《よこた》はる、|今《いま》|打渡《うちわた》る|天《あま》の|河《がは》、|深《ふか》きは|神《かみ》の|心《こころ》なり。
|今《いま》まで|虎狼《こらう》に|出逢《であ》ひし|羊兎《やうと》の|如《ごと》く、|慴伏《しうふく》して|弱《よわ》り|切《き》つたる|人々《ひとびと》は、またもや|元気《げんき》を|恢復《くわいふく》し|四方山《よもやま》の|談《はなし》に|花《はな》を|咲《さ》かせける。
|甲《かふ》『|先刻《さいぜん》|妙《めう》な|女《をんな》が|妙《めう》なことを|吐《ぬ》かすものだから、|大綿津見神《おほわたつみのかみ》さまも|御立腹《ごりつぷく》と|見《み》えて、どえらい|浪《なみ》を|起《おこ》したり、|風《かぜ》を|吹《ふ》かしたり、お|月様《つきさま》を|隠《かく》したり、|雷《かみなり》さまが|呶鳴《どな》つたり、ぴかりぴかりと|光《ひか》つたりして、|俺《おい》らの|肝玉《きもだま》を|大方《おほかた》|潰《つぶ》しよつた。|俺《おら》ア、もう【おつ】|魂消《たまげ》て|生《い》きて|居《を》るのか|死《し》ンでるのか、|夢《ゆめ》だつたか|幻《まぼろし》だつたか、ほんたうに|訳《わけ》が|判《わか》らなかつたよ。|恐《こわ》い|夢《ゆめ》もあればあるものだと|思《おも》つたが、やつぱり|夢《ゆめ》では|無《な》かつたか。それだから|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が「|言霊《ことたま》は|慎《つつし》まねばならぬ。|善《よ》い|言《こと》を|云《い》つて|勇《いさ》ンで|暮《くら》せば、|善《よ》いことが|来《く》る、|悔《くや》めば|悔《くや》むことが|出来《しゆつたい》する」とおつしやつたが、|本当《ほんたう》に|実地《じつち》の|学問《がくもん》をしたではないかエー』
|乙《おつ》『|本当《ほんたう》にさうだよ。|山《やま》より|高《たか》き|浪《なみ》が|立《た》つとか、|海《うみ》より|深《ふか》い【ばば】|垂《た》れ|腰《ごし》とか、|何《な》ンだか|訳《わけ》の|判《わか》らぬこと|吐《ほざ》きよつて、|池《いけ》かなンぞのやうに|思《おも》ひ、|鯉《こひ》だの|鮒《ふな》だのと|吐《ほざ》くものだからな、こンな|目《め》に|逢《あ》ふのだよ』
|丙《へい》『|貴様《きさま》は|聞違《ききちが》つてゐる。|山《やま》より|高《たか》き|父《ちち》の|恩《おん》、|海《うみ》より|深《ふか》き|母《はは》の|恩《おん》と|云《い》つて、|父《ちち》と|母《はは》との|恩《おん》は|有難《ありがた》いものだと|云《い》ふ|事《こと》を|云《い》つたのだよ。|貴様《きさま》は|耳《みみ》が|悪《わる》いから|困《こま》るナア』
|甲《かふ》『それでも|貴様《きさま》、|彼奴《あいつ》が|喋《しやべ》つてから|波《なみ》が|高《たか》くなつたり、|命辛々《いのちからがら》の|目《め》に|逢《あ》うたのじやないかい』
|丙《へい》『それあ|時節《じせつ》だ、とは|云《い》ふものの|貴様《きさま》の|精神《せいしん》が|悪《わる》いからだよ。|船《ふね》の|上《うへ》は|慎《つつし》まねばならぬと|宣伝使《せんでんし》が|云《い》つたじやないか。それに|今《いま》|出《で》ると|云《い》ふ|時《とき》に、|嬶《かかあ》と|掴《つか》み|合《あ》ひをしよつて、|喧嘩《けんくわ》をさらすものだから、こンな|目《め》に|逢《あ》ふのだ。|貴様《きさま》の|嬶《かかあ》が|出《で》るときに|何《なん》と|云《い》つた。「|私《わたし》を|捨《す》てて|好《す》きな【ブク】さまの|傍《そば》へ|行《ゆ》くのなら、|私《わたし》はたつて|留《とめ》はせぬ。その|代《かは》りに|私《わたし》を|今《いま》|此処《ここ》で|殺《ころ》して|置《お》いて|行《い》つて|下《くだ》さい。|私《わたし》は|船幽霊《ふないうれい》となつてお|前《まへ》の|船《ふね》を【ひつくり】|覆《かへ》してやる」と、|恨《うら》めしさうに|吐《ほざ》いたじやないか。それを|貴様《きさま》は「|土手《どて》|南瓜《かぼちや》の【しち】お|多福《たふく》|奴《め》が、|何《なに》を|吐《ぬ》かしよるのだ。|貴様《きさま》の|面《つら》を|見《み》てゐると|嘔吐《へど》が|出《で》る。それよりも|美《うつく》しい【ブク】の|顔《かほ》を|見《み》て、|一生《いつしやう》を|暮《くら》すのだ。|常世《とこよ》の|国《くに》は|遠《とほ》いと|云《い》つても、|寝《ね》て|居《を》つたら|行《ゆ》けるのだ。|貴様《きさま》|死《し》にたけら|勝手《かつて》に|死《し》ね」と|吐《ぬ》かして、おまけに|拳骨《げんこつ》を|呉《く》れて|船《ふね》に|飛《と》び|乗《の》つたじやらう。きつと|貴様《きさま》の|嬶《かかあ》は「|嗚呼《ああ》|残念《ざんねん》や|口惜《くやし》い、たとひこの|身《み》は|身《み》を|投《な》げて|死《し》ぬるとも|私《わたし》の|魂魄《こんぱく》は|爺《おやぢ》の|船《ふね》に|止《とど》まつて、|仇討《かたきう》たいで|置《お》かうか」と|吐《ぬ》かしてな【どンぶ】と|飛《と》び|込《こ》みよつたに|違《ちが》ひないぜ。その|時《とき》の|渦《うづ》が|段々《だんだん》と|拡《ひろ》がつてきて、こンな|大《おほ》きな|浪《なみ》になつたのだよ。さうして|彼《あ》の|雷《かみなり》は、|貴様《きさま》の|嬶《かかあ》の|呶鳴《どな》り|声《ごゑ》が|段々《だんだん》|大《おほ》きくなつて|響《ひび》いたのに|違《ちが》ひないぞ。|嬶《かかあ》を【おかみ】といふが、【おかみ】が|呶鳴《どな》つたので|雷《かみなり》さまぢや。それ|貴様《きさま》の|後《うしろ》に|嬶《かかあ》の|幽霊《いうれい》が|現《あら》はれたワ』
|甲《かふ》は『キアツ』と|云《い》ひながら、|目《め》を|塞《ふさ》いで|頭《あたま》を|抱《かか》へる。|乙《おつ》は|大口《おほぐち》を|開《ひら》いて、
『アハヽヽヽ、|弱虫《よわむし》だ、|臆病者《おくびやうもの》だなあ』
と|笑《わら》ひ|倒《こ》ける。
|乙《おつ》『しかし|世《よ》の|中《なか》に|鬼《おに》は|無《な》いとか、|神《かみ》の|守《まも》る|世《よ》の|中《なか》だとか、よく|宣伝使《せんでんし》に|聞《き》いたが、|本当《ほんたう》に|神《かみ》さまは|在《あ》るらしいなあ。いま|暗《くら》がりから|何《なん》でも|日《ひ》の|出神《でのかみ》とか、|何《なん》とか|云《い》つて、|歌《うた》はつしやつた。あれあ|人間《にんげん》ぢやない、きつと|天《あま》の|河《がは》から|船《ふね》に|乗《の》つて|降《くだ》つて|来《き》た|神《かみ》さまらしい。も|一遍《いつぺん》あの|神《かみ》さまの|御声《みこゑ》が|聴《き》きたいものだ。|何《なん》とも|云《い》へぬ|清々《すがすが》しい|心持《こころもち》がしたよ』
|甲《かふ》『あゝいやいや。あンな|声《こゑ》を|聞《き》くと|頭《あたま》はガンガン|吐《ぬ》かすし、|胸《むね》は|槍《やり》で|突《つ》かれる|様《やう》になつてきて、|苦《くる》しくて|堪《たま》つたものじやないワ。|蓼《たで》|喰《く》ふ|蟲《むし》も|好《す》き|好《ず》き、|辛《から》い【えぐい】|煙草《たばこ》にさへも|蟲《むし》が|生《わ》く|時節《じせつ》だから、|彼《あ》ンな【えぐい】|強《きつ》い|言葉《ことば》でも、|貴様《きさま》には|有難《ありがた》く|聞《きこ》えるのだ。|雪隠蟲《せつちんむし》は|彼《あ》の|汚《きたな》い|糞《くそ》の|中《なか》を、|天国《てんごく》|浄土《じやうど》のやうに|思《おも》つて、【あた】|汚《きたな》い|糞汁《くそじる》を|百味《ひやくみ》の|飲食《をんじき》の|様《やう》によろこびて|喰《くら》ひ、|下《した》から|人間《にんげん》の|尻《しり》の|穴《あな》を|拝《をが》ンで、|結構《けつこう》なお|日天《てんと》さまが|黄金《こがね》の|飲食《をんじき》を|降《ふ》らして|下《くだ》さると|云《い》うて、|暮《くら》す|様《やう》なものだよ。|貴様《きさま》は|雪隠虫《せつちんむし》か、|糞蟲《くそむし》だなあ』
|乙《おつ》『|何《なに》|馬鹿《ばか》を【たれ】よるのだイ』
と|云《い》ひながら、|鉄拳《てつけん》を|固《かた》めて|前頭部《ぜんとうぶ》を|目《め》がけて、【ぽかり】と|打《う》つ。
|甲《かふ》『|何《な》ンだ、|喧嘩《けんくわ》かい。|喧嘩《けんくわ》なら|負《ま》けやせぬぞ』
|乙《おつ》『|針金《はりがね》の|幽霊《いうれい》のやうな|腕《うで》を|振《ふ》り|廻《まは》しよつて、|喧嘩《けんくわ》にや|負《ま》けぬなンて、ヘン|喧嘩《けんくわ》が|聞《き》いて|呆《あき》れるは』
|又《また》もや|俄《にはか》に|暴風《ばうふう》|吹《ふ》き|荒《すさ》び、|浪《なみ》|猛《たけ》り|狂《くる》ひ、|四辺《しへん》は|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜざる|光景《くわうけい》とはなりぬ。
(大正一一・一・三一 旧一・四 井上留五郎録)
第一六章 |釣魚《てうぎよ》の|悲《かなしみ》〔三一六〕
|再《ふたた》び|暴《あれ》たる|光景《くわうけい》に|船《ふね》の|諸人《もろびと》はまたも|不安《ふあん》の|念《ねん》に|駆《か》られ、|猫《ねこ》に|逐《お》はれし|鼠《ねずみ》の|如《ごと》く|頭《かうべ》を|垂《た》れ|呼吸《いき》を|凝《こら》し、|戦慄《をのの》き|伏《ふ》して【チウ】の|声《こゑ》も|挙《あ》げ|得《え》ざりける。
この|四辺《あたり》は|大小《だいせう》|無数《むすう》の|岩石《がんせき》|水面《すゐめん》に|起伏《きふく》して|危険《きけん》|極《きは》まる|区域《くゐき》なり。|一《ひと》つ|違《ちが》へば|船《ふね》は|忽《たちま》ち|破壊《はくわい》|覆没《ふくぼつ》の|厄《やく》に|遭《あ》ふ|地点《ちてん》にして、|地獄《ぢごく》の|釜《かま》の|一足飛《いつそくと》び、|人々《ひとびと》の|生命《いのち》は|恰《あたか》も|轍迹《てつぷ》の|魚《うを》か|石上《せきじやう》の|累卵《るいらん》か、|危険《きけん》|刻々《こくこく》に|迫《せま》り|来《き》たりける。このとき|船《ふね》の|一方《いつぱう》に|声《こゑ》あり。
『|禍《わざはひ》|多《おほ》き|人《ひと》の|世《よ》は  |飯《めし》|食《く》ふ|暇《ひま》も|附《つ》け|狙《ねら》ふ
|情《なさけ》|嵐《あらし》の|吹《ふ》き|荒《すさ》び  |何《なん》の|容赦《ようしや》も|荒浪《あらなみ》の
|涙《なみだ》の|淵《ふち》に|沈《しづ》みたる  |世《よ》の|諸人《もろびと》を|天津日《あまつひ》の
|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|救《すく》はむと  |黄金山《わうごんざん》に|現《あら》はれし
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |日《ひ》の|出神《でのかみ》と|現《あら》はれて
|波風《なみかぜ》|猛《たけ》る|荒海《あらうみ》を  |渡《わた》りてここに|太平《たいへい》の
|神世《かみよ》を|修理固成《つくりかた》めむと  |常世《とこよ》の|国《くに》に|進《すす》み|行《ゆ》く
|心《こころ》も|広《ひろ》き|海原《うなばら》や  |神《かみ》の|恵《めぐみ》の|弥《い》や|深《ふか》く
|大御稜威《おほみみいづ》は|久方《ひさかた》の  |天津御空《あまつみそら》にそそり|立《た》つ
|天教山《てんけうざん》も|啻《ただ》ならず  |神徳《しんとく》|高《たか》き|照妙《てるたへ》の
|衣《ころも》を|捨《す》てて|簑笠《みのかさ》の  |服装《みなり》も|軽《かる》き|宣伝使《せんでんし》
|重《おも》き|罪人《つみびと》|救《すく》はむと  |教《をしへ》の|船《ふね》に|棹《さを》さして
|闇《やみ》の|海原《うなばら》|進《すす》み|行《ゆ》く  |黒白《あやめ》も|分《わ》かぬ|暗《やみ》の|夜《よ》に
|苦《くる》しみ|迷《まよ》ふ|人々《ひとびと》の  |心《こころ》の|波《なみ》は|騒《さわ》ぐとも
|魂《みたま》の|月《つき》は|曇《くも》るとも  |天津日《あまつひ》の|出《で》の|宣伝使《せんでんし》
|光《ひか》り|輝《かがや》く|言霊《ことたま》に  |眠《ねむり》を|醒《さま》せ|眼《め》を|開《ひら》け
|眠《ねむり》を|醒《さま》せ|眼《め》を|開《ひら》け  |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わけ》る  この|世《よ》を|修理固成《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》  ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直霊《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》せ  |身《み》の|過《あやまち》は|宣《の》り|直《なほ》せ
|神《かみ》の|御子《みこ》なる|人草《ひとぐさ》は  |恵《めぐみ》も|深《ふか》き|神《かみ》の|前《まへ》
|祈《いの》りて|効験《しるし》あらざらめ  |祈《いの》れよ|祈《いの》れ|諸人《もろびと》よ
|神《かみ》は|汝《なんぢ》と|倶《とも》にあり  |神《かみ》は|汝《なんぢ》と|倶《とも》に|在《あ》り
|心《こころ》の|岩戸《いはと》を|押開《おしひら》き  |鬼《おに》や|大蛇《をろち》を|逐《お》ひ|出《いだ》し
|三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|教《のり》  |心《こころ》の|倉《くら》に|隙間《すきま》なく
|充《み》たせ|足《た》らはせ|諸人《もろびと》よ  |充《み》たせ|足《た》らはせ|諸人《もろびと》よ
|世《よ》は|紫陽花《あじさゐ》の|七変《ななかは》り  |月日《つきひ》は|落《お》つる|世《よ》ありとも
|海《うみ》の|底《そこ》ひは|乾《かわ》くとも  |千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|変《かは》りなき
|神《かみ》の|恵《めぐみ》を|力《ちから》とし  |大神光《おほみひかり》を|目標《めじるし》に
|波風《なみかぜ》|高《たか》き|荒海《あらうみ》の  |潮《しほ》|踏《ふ》み|分《わ》けて|世《よ》を|渡《わた》れ
|神《かみ》は|汝《なんぢ》と|倶《とも》にあり  |光《ひか》り|輝《かがや》く|言霊《ことたま》の
|天津祝詞《あまつのりと》の|太祝詞《ふとのりと》  |声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣《の》れよ|人《ひと》
|声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣《の》れよ|人《ひと》  この|世《よ》を|救《すく》ふ|埴安彦《はにやすひこ》の
|神《かみ》の|命《みこと》や|埴安姫《はにやすひめ》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|開《ひら》きたる
|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》をば  |耳《みみ》の|戸《と》|開《あ》けて|菊《きく》の|秋《あき》
|四方《よも》の|山々《やまやま》|紅《くれなゐ》に  |錦《にしき》|織《お》りなす|真心《まごころ》は
|神《かみ》に|通《かよ》へる|心《こころ》ぞや  |神《かみ》に|通《かよ》へる|心《こころ》ぞや
|吾《われ》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》なるぞ  わが|言霊《ことたま》は|常世《とこよ》|行《ゆ》く
|暗《やみ》を|照《て》らして|世《よ》の|中《なか》の  |百《もも》の|曲事《まがごと》|祝姫《はふりひめ》
|長閑《のどか》な|海面《うなづら》|面那芸《つらなぎ》の  |厳《いづ》の|息吹《いぶき》に|凪《な》ぎて|行《ゆ》く
|実《げ》にも|尊《たふと》き|神《かみ》の|恩《おん》  |実《げ》にも|尊《たふと》き|神《かみ》の|徳《とく》』
と|歌《うた》ひ|終《をは》ると|共《とも》に、またも|海面《かいめん》は|風《かぜ》|凪《な》ぎ、|波《なみ》|静《しづ》まり、|月《つき》は|中天《ちうてん》に|皎々《かうかう》として|輝《かがや》き|始《はじ》め、さしも|頑強《ぐわんきやう》なる|船《ふね》の|人々《ひとびと》も|思《おも》はず|手《て》を|拍《う》つて|天地《てんち》の|神《かみ》の|洪徳《こうとく》を|感謝《かんしや》したりける。
|船客《せんきやく》の|中《なか》より|色《いろ》|浅黒《あさぐろ》き、|口元《くちもと》の|締《しま》りたる|中肉中背《ちうにくちうぜい》の|男《をとこ》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|前《まへ》に|現《あら》はれ、|恭《うやうや》しく|手《て》を|突《つ》きながら、
『|一度《いちど》ならず|二度《にど》までも、この|遭難《さうなん》を|救《すく》ひ、|吾《われ》らに|清《きよ》き|美《うる》はしき|教《をしへ》を|垂《た》れさせ|玉《たま》ひしことを|有《あ》り|難《がた》く|感謝《かんしや》いたします』
と|云《い》ひつつ|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ひ、
『さて、|宣伝使《せんでんし》にお|尋《たづ》ね|申《まを》したきことがあります。お|聴《き》き|届《とど》け|下《くだ》されますや』
と|耻《はづ》かし|気《げ》にいう。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、
『|吾《われ》は|世界《せかい》を|導《みちび》く|宣伝使《せんでんし》、|何事《なにごと》なりとも|問《と》はせ|給《たま》へ』
と|快《こころよ》く|答《こた》へたまへば、|彼《か》の|男《をとこ》は、
『|私《わたくし》は|実《じつ》は|白雪郷《はくせつきやう》の|者《もの》であります。ふとしたことより|郷《さと》の|女《をんな》と|恋《こひ》に|落《お》ち、|白雪郷《はくせつきやう》を|追《お》ひ|出《いだ》され|常世《とこよ》の|国《くに》に|遁《に》げ|行《ゆ》かむと|致《いた》しました。|然《しか》るに|唯《ただ》|一足《ひとあし》|違《ちが》ひにて、|船《ふね》は|常世《とこよ》の|国《くに》へ|出帆《しゆつぱん》いたし、|次《つぎ》の|船《ふね》を|待《ま》つて、|今《いま》や|常世《とこよ》の|国《くに》に|渡《わた》らうと|致《いた》して|居《を》ります。|然《しか》るに|吾《わ》が|恋《こひ》しき|女《をんな》はわが|後《あと》を|追《お》ひ、|同《おな》じ|船《ふね》に|如何《いか》なる|因縁《いんねん》か|乗《の》ることとなりました。しかし|彼《か》の|女《ぢよ》は|私《わたくし》の|此《こ》の|船《ふね》に|乗《の》つて|居《を》ることは|夢《ゆめ》にも|知《し》りませぬ。|私《わたくし》も|亦《また》その|女《をんな》の|船《ふね》に|乗《の》つて|居《を》ることは|毫《すこし》も|気《き》が|付《つ》かなかつたのです。|時《とき》しも|船《ふね》の|一方《いつぱう》に|当《あた》つて、|歌《うた》を|唄《うた》ひ|始《はじ》めた|女《をんな》あり、よくよく|視《み》れば、|私《わたし》の|日頃《ひごろ》|恋《こひ》ひ|慕《した》ふ|彼《かれ》なれば、|噫《ああ》、|彼《かれ》は|一旦《いつたん》|約《やく》したる|言葉《ことば》を|守《まも》り、|遥々《はるばる》|遠《とほ》き|波《なみ》の|上《うへ》、|我《われ》を|捜《たづ》ねて|来《きた》りしか、|嗚呼《ああ》、|愛《いと》しの|者《もの》よ、と|自《みづか》ら|名乗《なの》りを|挙《あ》げ、|相擁《あひよう》して|泣《な》きたく|思《おも》ひました。|傍《かたはら》を|見《み》れば|豈計《あにはか》らむや、|我《わ》が|父《ちち》の|儼然《げんぜん》として|船中《せんちう》に|控《ひか》へて|居《を》るに|気《き》が|付《つ》きました。|思《おも》ひは|同《おな》じ|一蓮托生《いちれんたくしやう》の|身《み》の|上《うへ》、【とつおいつ】、|吐息《といき》を|漏《も》らす|折《をり》からに、|彼《か》の|女《ぢよ》は|遂《つひ》に|何《なに》|思《おも》ひけむ、|深《ふか》き|千尋《ちひろ》の|海《うみ》に|身《み》を|投《な》げて、|泡《あわ》と|消《き》えゆく|哀《あは》れさ。|亦《また》もや|我《わ》が|父《ちち》の|後《あと》を|追《お》ひて|海《うみ》の|藻屑《もくづ》となりしを|見《み》る|我身《わがみ》の|苦《くる》しさ。|私《わたくし》もその|時《とき》|彼《かれ》と|父《ちち》との|後《あと》を|追《お》ひ、この|海原《うなばら》へ|身《み》を|投《な》げむやと|決心《けつしん》はいたしたものの、|何《なん》となく|腹《はら》の|底《そこ》より「マア|待《ま》て、マア|待《ま》て。|愛《あい》する|彼《か》の|女《ぢよ》と|恩《おん》|深《ふか》き|父《ちち》の|弔《とむら》ひは|誰人《だれ》がなす。|天《てん》にも|地《ち》にも|親《おや》|一人《ひとり》|子《こ》|一人《ひとり》の|汝《なんぢ》、|身投《みな》げは|思《おも》ひ|止《とど》まれよ」と|頻《しき》りに|私語《ささや》きます。|我《わが》|身《み》の|不覚《ふかく》より、|彼《か》の|女《ぢよ》を|殺《ころ》し、|大恩《だいおん》ある|我《わが》|父《ちち》の|生命《いのち》まで|水《みづ》の|泡《あわ》となせしは|私《わたくし》の|罪咎《つみとが》、|千尋《ちひろ》の|海《うみ》よりも|深《ふか》きを|思《おも》へば|立《た》つてもゐても|居《を》られませぬ、|何卒《どうぞ》わが|心《こころ》の|迷《まよ》ひを|照《て》らさせ|給《たま》へ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|宣伝使《せんでんし》さま』
と|涙《なみだ》と|共《とも》に|物語《ものがた》るを、|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|莞爾《につこ》として、|事《こと》も|無《な》げに、
『|世《よ》の|中《なか》は|老少不定《らうせうふぢやう》、|会者定離《ゑしやぢやうり》だ。|一切万事《いつさいばんじ》|人《ひと》の|運命《うんめい》は|神《かみ》の|御手《みて》に|握《にぎ》られて|居《ゐ》る。|生《い》くるも|神《かみ》の|御慮《みこころ》、|死《し》するも|神《かみ》の|御慮《みこころ》ぞ。|唯《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は、|直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ、|身《み》の|過《あやまち》は|宣《の》り|直《なほ》せ。また|来《く》る|春《はる》に|相生《あひおひ》の、|松《まつ》も|芽出度《めでた》き|親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》の|再会《さいくわい》を、|必《かなら》ず|得《え》させ|玉《たま》はむ。|汝《なんぢ》はこれより|本心《ほんしん》に|立《た》ち|帰《かへ》り、|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》を|守《まも》り、|天地《てんち》の|神《かみ》を|真心《まごころ》より|讃美《さんび》し|奉《たてまつ》れ』
と|教《をし》へ|玉《たま》へば、|彼《かれ》は|熱《あつ》き|涙《なみだ》を|湛《たた》へながら、|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|感謝《かんしや》し、|直《ただち》に|宣伝歌《せんでんか》を|声《こゑ》|高《たか》らかに|歌《うた》ひはじめたり。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|手《て》を|拍《う》つて|彼《か》の|男《をとこ》に|向《むか》ひ、
『|彼方《あなた》を|見《み》られよ』
と|指《ゆび》さしたまふ。|波《なみ》の|彼方《かなた》に、|浮《う》きつ|沈《しづ》みつ、|何《なに》かにのせられたる|男女《だんぢよ》の|影《かげ》|見《み》えたり。この|男女《だんぢよ》は|果《はた》して|何人《なにびと》ならむか。
(大正一一・一・三一 旧一・四 広瀬義邦録)
第一七章 |亀《かめ》の|背《せ》〔三一七〕
|夜《よ》は|漸《やうや》くに|明《あ》け|離《はな》れ、|東海《とうかい》の|浪《なみ》を|割《わ》つて|昇《のぼ》る|朝暾《てうとん》の|光《ひかり》は、さしもに|広《ひろ》き|海原《うなばら》を|忽《たちま》ち|金色《こんじき》の|浪《なみ》に|彩《いろど》り、|向《むか》ふに|見《み》ゆる|島影《しまかげ》は、ニウジーランドの|一《ひと》つ|島《じま》、|大海原彦《おほうなばらひこ》の|鎮《しづ》まりゐます、|真澄《ますみ》の|玉《たま》の|納《をさ》まりし、|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》の|穿《うが》たせ|玉《たま》ひし|沓嶋《くつのしま》。|浪《なみ》の|間《ま》に|間《ま》に|浮《う》きつ|沈《しづ》みつする|様《さま》は、|荘厳《さうごん》|身《み》に|迫《せま》るの|思《おも》ひあり。
|怪《あや》しき|船《ふね》に|跨《また》がりて、|浪《なみ》に|漂《ただよ》ふ|男女《だんぢよ》の|影《かげ》は、|船《ふね》を|目掛《めが》て|近《ちか》より|来《きた》る。よくよく|見《み》れば|豈《あに》|図《はか》らむや、|猛《たけ》り|狂《くる》ふ|浪間《なみま》に|身《み》を|投《な》げ|捨《す》てたる|白雪郷《はくせつきやう》の|若《わか》き|女《をんな》と、|白髪《しらが》|交《まじ》りの|長髪《ちやうはつ》の|男《をとこ》の|二人《ふたり》なりき。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|麾《さしまね》き「|来《きた》れ、|来《きた》れ」と|呼《よ》ばはれば、|男女《だんぢよ》を|乗《の》せたる|怪《あや》しき|影《かげ》は、やうやう|船《ふね》に|近寄《ちかよ》りきたるを|見《み》れば|巨大《きよだい》なる|亀《かめ》なりき。|二人《ふたり》は|直《ただ》ちに|船《ふね》に|飛《と》び|乗《の》りぬ。|巨大《きよだい》の|亀《かめ》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|打《う》ち|向《むか》ひ、|熟々《つらつら》|顔《かほ》を|見交《みか》はしつつ|又《また》も|姿《すがた》を|海《うみ》|深《ふか》く|没《ぼつ》したりける。|嗚呼《ああ》この|亀《かめ》は|何神《なにがみ》の|化身《けしん》ならむか。
|二人《ふたり》は|此処《ここ》に|再生《さいせい》の|思《おも》ひをなして|再《ふたた》び|船中《せんちう》の|客《きやく》となり、|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|打《う》ち|向《むか》ひ、|涙《なみだ》を|湛《たた》へながら|各自《かくじ》の|経歴《けいれき》を|物語《ものがた》り、|且《か》つ、
『|海中《かいちう》に|身《み》を|投《とう》ずる|折《をり》しも、|何処《どこ》よりともなく|一道《いちだう》の|光明《くわうみやう》が|現《あら》はれて|来《き》ました。|妾《わたし》はその|光《ひかり》を|眼当《めあて》に|浪《なみ》に|漂《ただよ》ひ、|浮《う》きつ|沈《しづ》みつ|参《まゐ》りました。|私《わたくし》の|後《あと》より|一人《ひとり》の|男《をとこ》|又《また》も|追《お》つかけ|来《きた》り、【そうかう】するうち、|光《ひかり》は|消《き》えて|真《しん》の|暗《やみ》、|身《み》は|何物《なにもの》かの|上《うへ》に|二人《ふたり》とも|乗《の》せられて|居《ゐ》ました。さうして|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》の|宣伝歌《せんでんか》は、|猛《たけ》り|狂《くる》ふ|風《かぜ》の|音《おと》、|浪《なみ》の|響《ひび》きを|透《す》して|手《て》に|取《と》る|如《ごと》く|聞《きこ》えました。|私《わたくし》はその|歌《うた》について|共《とも》に|合唱《がつしやう》いたしました。|不思議《ふしぎ》や|天津御空《あまつみそら》は|晴《は》れ|渡《わた》り、|風《かぜ》|凪《な》ぎ|浪《なみ》|静《しづ》まり、|長閑《のどか》な|春《はる》の|浪《なみ》の|上《うへ》に|比類稀《たぐひまれ》なる|大亀《おほがめ》の|背《せ》に|救《すく》はれ|御船《みふね》に|助《たす》けられたる|嬉《うれ》しさを、いつの|世《よ》にかは|忘《わす》れませう。|実《じつ》に|有難《ありがた》き|大神《おほかみ》の|深《ふか》き|恵《めぐ》みや』
と、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|暮《く》れて|二人《ふたり》は|交《かは》る|交《がは》る|感謝《かんしや》する。
|一人《ひとり》の|名《な》は|国彦《くにひこ》と|云《い》ひ、この|女《をんな》は|奇姫《くしひめ》と|云《い》ふ。|国彦《くにひこ》は|傍《かたは》らに|黙然《もくねん》として|俯《うつむ》き|居《を》る|男《をとこ》の|顔《かほ》を|横目《よこめ》に|見《み》て、
『ヤアお|前《まへ》は|高彦《たかひこ》か』
と|叫《さけ》べば、|若《わか》き|男《をとこ》は、
『アヽ、|父上様《ちちうへさま》か、|若気《わかげ》の|致《いた》り、|尊《たふと》き|親《おや》の|恩《おん》を|忘《わす》れ、【えらい】|苦労《くらう》をかけました。お|赦《ゆる》し|下《くだ》さいませ。ただ|何事《なにごと》も|今《いま》までの|罪《つみ》は|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し、|宣《の》り|直《なほ》しを|願《ねが》ひます』
と|涙《なみだ》と|共《とも》に|語《かた》る。|国彦《くにひこ》は|両眼《りやうがん》に|涙《なみだ》を|浮《うか》べ、
『アヽ|高彦《たかひこ》、|天《てん》にも|地《ち》にも|親《おや》|一人《ひとり》|子《こ》|一人《ひとり》、|如何《どう》してお|前《まへ》を|憎《にく》もうぞ。|老先《おいさき》|短《みじか》い|我《わ》が|命《いのち》|一人《ひとり》の|我子《わがこ》に|生《い》き|別《わか》れ、この|世《よ》に|生《い》きて|詮《せん》もなし、たとへ|汝《おまへ》の|行方《ゆくへ》が|一生《いつしやう》|知《し》れぬとも、|汝《おまへ》の|渡《わた》りし|常世《とこよ》の|国《くに》のせめて|土《つち》になりたいと|思《おも》ひ|定《さだ》めて、|此処《ここ》まで|来《き》た|親《おや》の|心《こころ》、どうしてお|前《まへ》が|憎《にく》からう、|心配《しんぱい》するな。お|前《まへ》が|里《さと》の|規則《きそく》を|破《やぶ》り|白雪郷《はくせつきやう》を|追放《つゐはう》せられたその|後《のち》は、|後《あと》に|残《のこ》りし|老《おい》の|身《み》の|明暮《あけくれ》|涙《なみだ》の|袖《そで》を|絞《しぼ》るばかりであつたが、|如何《いか》なる|神《かみ》の|御引《おひ》き|合《あは》せか|渡《わた》る|世間《せけん》に|鬼《おに》は|無《な》い。それにも|一《ひと》つ|嬉《うれ》しいは、お|前《まへ》の|慕《した》うた|彼女《かのぢよ》はいま|此処《ここ》に|来《き》てをる。|俺《おれ》がこれから|仲媒《なかだち》して、|天晴《あつぱれ》|親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》の|契《ちぎり》を|結《むす》ばせやう。オイ|高彦《たかひこ》、|可憐《かれん》の|女《をんな》に、よう|来《き》たと|柔《やさ》しい|言葉《ことば》をかけてやれ。|広《ひろ》い|世《よ》の|中《なか》に|親《おや》となり、|子《こ》となり、|女房《にようばう》となるも|昔《むかし》の|神代《かみよ》から|神《かみ》の|結《むす》びし|深《ふか》い|因縁《いんねん》、|同《おな》じ|船《ふね》の|一蓮托生《いちれんたくしやう》』
と|嬉《うれ》し|涙《なみだ》にかき|曇《くも》る。|此処《ここ》に|親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》の|契《ちぎり》を|結《むす》び、|三人《さんにん》|手《て》に|手《て》を|取《と》つて|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|神《かみ》に|感謝《かんしや》を|捧《ささ》ぐる|殊勝《しゆしよう》さよ。|船《ふね》の|一方《いつぱう》には、
|甲《かふ》『オイ、|馬鹿《ばか》にするじやないか。お|安《やす》くないところを|見《み》せつけよつて、|俺《おれ》もかうはして|居《を》るものの、|国《くに》に|帰《かへ》れば、|皺《しわ》だらけの|父母《ふぼ》もあれば、|頗《すこぶ》る|別嬪《べつぴん》の|女房《にようばう》もあるのだ。それで|近所《きんじよ》の|奴等《やつら》あ、|俺《おれ》の|事《こと》を|歌《うた》に|唄《うた》ひよつて「よい|嬶《かか》|持《も》つたが|一生《いつしやう》の|徳《とく》だよ、|近所《きんじよ》も|喜《よろこ》ぶ、|爺《おやぢ》も|喜《よろこ》ぶ、お|婆《ばば》も|喜《よろこ》ぶ、|第一《だいいち》|熊《くま》さま|喜《よろこ》ぶ、|熊《くま》さまどころか、|伜《せがれ》も|喜《よろこ》ぶ」とこんな|歌《うた》を|唄《うた》ひよるのだよ』
|乙《おつ》『オイ、|涎《よだれ》を|拭《ふ》かぬか、|見《み》つともない』
|熊《くま》『あまり|嫉妬《やく》ない、あまり【やく】と|色《いろ》が|黒《くろ》くなるぞ』
|乙《おつ》『|貴様《きさま》とこの|嬶《かかあ》は、あれでも|別嬪《べつぴん》だと|思《おも》うて|居《を》るのか、|笑《わら》はしやがる。|鼻《はな》は|獅子舞《ししまひ》、|眼玉《めだま》は|猫《ねこ》で、|菊石《あばた》だらけで、おまけに|跛者《びつこ》と|来《き》て|居《を》るのだから、|悪《わる》い|事《こと》にかけたら|完全無欠《くわんぜんむけつ》だ。ウンその【|尻《けつ》】で|思《おも》ひ|出《だ》した、|貴様《きさま》の|嬶《かかあ》は|村中《むらぢう》にない|大《おほ》きな【だん】|尻《じり》をぶりぶりさしよつて、|歩《ある》く|態《ざま》つたらありやしないよ。それでも|貴様《きさま》は【みつちや】も|笑靨《ゑくぼ》、|獅子鼻《ししばな》も|却《かへ》つて|優《しほ》らしい、|歩《ある》く|姿《すがた》は|品《しな》がよい|位《くらゐ》に|思《おも》つて|居《を》るだらう。ほんとにお|目出度《めでた》い|奴《やつ》だよ』
|熊《くま》『オイ、|小《ちひ》さい|声《こゑ》で|云《い》はぬかい、|人《ひと》の|前《まへ》だぞ。|此処《ここ》に|居《を》る|奴《やつ》は|俺《おれ》の|嬶《かかあ》のことを|知《し》りやしない、それだから|別嬪《べつぴん》らしう|俺《おれ》が|云《い》つて|居《を》るのに|貴様《きさま》が|大《おほ》きな|声《こゑ》で|素破抜《すつぱぬ》きよつて、あまり|気《き》が|利《き》かぬぢやないか。|些《ち》と|心得《こころえ》て|呉《く》れぬと|困《こま》るよ』
|乙《おつ》『|困《こま》るたつて、|事実《じじつ》は|事実《じじつ》ぢやないか。|貴様《きさま》とこの|嬶《かかあ》は【どて】|南瓜《かぼちや》の|七《しち》お|多福《たふく》で、おまけに|菊石面《あばたづら》で、ど|跛者《ちんば》で|大《おほ》きな【だん】|尻《じり》をぶりぶりさして|歩《ある》いて|居《ゐ》る|姿《すがた》たら|見《み》られた|態《ざま》ぢやないぞ。それで|俺《おれ》のところの|村《むら》の|名物《めいぶつ》だ』
と|態《わざ》と|大《おほ》きな|声《こゑ》で|呶鳴《どな》るを、|熊公《くまこう》は『【シツ】』と|低《ひく》い|声《こゑ》で|制《せい》してゐる。
|乙《おつ》『|貴様《きさま》「【シツ】」なンて|俺《おれ》を|牛《うし》でも|追《お》ふやうな|扱《あつか》ひをしよるのか、|俺《おれ》が|牛《うし》なら|貴様《きさま》は|熊《くま》だ。|黒熊《くろくま》、|嬶大明神《かかあだいみようじん》ばかり|拝《をが》むで|居《を》る|赤熊《あかぐま》|穴熊《あなぐま》さまだよ』
と|自暴自棄気味《やけぎみ》になつて|喋《しやべ》りたてて|居《ゐ》る。かく|話《はな》す|中《うち》に|船《ふね》は|沓嶋《くつじま》の|港《みなと》に|無事《ぶじ》に|着《つ》きけり。
|高彦《たかひこ》は|天久比奢母智司《あまのくひざもちのかみ》の|前身《ぜんしん》にして、|奇姫《くしひめ》は|国久比奢母智司《くにのくひざもちのかみ》の|前身《ぜんしん》なりける。
(大正一一・一・三一 旧一・四 加藤明子録)
第四篇 |鬼門《きもん》より|竜宮《りうぐう》へ
第一八章 |海原《うなばら》の|宮《みや》〔三一八〕
|船《ふね》は|漸《やうや》くニユージーランドの|沓島《くつじま》の|港《みなと》に|着《つ》きぬ。この|島《しま》は|人々《ひとびと》の|上陸《じやうりく》することを|禁《きん》じられありき。|唯《ただ》この|島《しま》より|湧《わ》き|出《い》づる|飲料水《いんれうすゐ》を|船《ふね》に|貯《たくは》ふる|為《ため》に|寄港《きかう》したるなり。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|且《か》つ|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》を|伴《ともな》ひ|上陸《じやうりく》し、|海原彦神《うなばらひこのかみ》の|鎮《しづ》まります|宮《みや》に|詣《まう》で、|海上《かいじやう》の|無事《ぶじ》を|祈願《きぐわん》し、|風波《ふうは》の|都合《つがふ》にてこの|島《しま》に|一月《ひとつき》|許《ばか》り|避難《ひなん》する|事《こと》となりにける。
|船中《せんちう》の|人々《ひとびと》は|無聊《むれう》に|苦《くる》しみ、|又《また》もや|珍《めづ》らしき|話《はなし》を|互《たがひ》に|始《はじ》め|出《だ》し、|国々《くにぐに》の|自慢《じまん》をなしゐたり。
|中《なか》に|二三《にさん》の|色黒《いろくろ》き|大男《おほをとこ》と、|顔《かほ》の|細長《ほそなが》く|脊《せ》の|高《たか》き|大《だい》の|目《め》を|剥《む》ける|男《をとこ》と、|少《すこ》しく|脊《せ》の|低《ひく》き|痩顔《やせがほ》の|三人《さんにん》の|男《をとこ》が、チビリチビリと|酒《さけ》を|呑《の》みながら|話《はなし》に|耽《ふけ》り|居《ゐ》る。
『おい、|時彦《ときひこ》、あんまり|酒《さけ》を|喰《くら》うと|大台ケ原《おほだいがはら》に|出会《でくわ》した|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|乗《の》つとるぢやないか、|見付《みつ》けられたら|大変《たいへん》だぞ』
『|芳彦《よしひこ》、|構《かま》ふない。|今《いま》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|山《やま》へ|上《あが》つて|行《い》つたぢやないか。その|間《あひだ》に|精《せい》|出《だ》して|貴様《きさま》も|呑《の》め、|俺《おれ》も|呑《の》むのだ。おい、|田依彦《たよりひこ》。そンな|大《おほ》きな|目《め》ばつかりギロつかさずに|呑《の》め|呑《の》め』
『|貴様《きさま》|規則《きそく》を|破《やぶ》ると、|俺《おれ》が|承知《しようち》せぬぞ。|俺《おれ》は|酒《さけ》は|香《にほ》ひを|嗅《か》ぐのも|嫌《きら》ひだのに、|両方《りやうはう》から|俺《おれ》を|困《こま》らせようと|思《おも》ひよつて、また|酒《さけ》を|喰《くら》ふのか。|今度《こんど》こそは|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまに|言《い》うて【こます】。この|長《なが》い|海《うみ》の|上《うへ》をアタ|世間《せけん》の|狭《せま》い、|酒《さけ》を|喰《くら》ひたいものだから、|名乗《なのり》も|上《あ》げずに、|何時《いつ》も|俯向《うつむ》いて|顔《かほ》を|隠《かく》して|貴様《きさま》だけなら|好《よ》いが、|俺《おれ》まで|俯向《うつむ》かせられて|堪《たま》つたものかい』
|時彦《ときひこ》『|業《ごふ》が|湧《わ》くぢやないかい。|若《わか》い|男《をとこ》と|女《をんな》|奴《め》が|海《うみ》に|飛《と》び|込《こ》みたり、|上《あが》つたりしよつてな、|終《しまひ》には|気《き》の|良《よ》い|宣伝使《せんでんし》を、【ちよろまか】して|夫婦《ふうふ》になるなンて、|馬鹿《ばか》にしとるじやないか。|俺《おい》らは|遥々《はるばる》とこの|波《なみ》の|上《うへ》を、|常世《とこよ》へ|行《ゆ》くのも、ウラル|彦《ひこ》さまの|乾児《こぶん》となつて、|甘《うま》い|酒《さけ》を|鱈腹《たらふく》|呑《の》まして|貰《もら》うためだ。|国《くに》の|御柱《みはしら》の|神《かみ》さまが|根《ね》の|国《くに》とかへ|遁《に》げて|行《い》つたと|云《い》つて、|宣伝使《せんでんし》とやらが|騒《さわ》いでゐるが、|根《ね》の|国《くに》とか、|夜見《よみ》の|国《くに》とか|云《い》ふのは、|常世《とこよ》の|国《くに》のことだい。きつと|酒《さけ》に|浸《つか》つて|酒池肉林《しゆちにくりん》といふ、|贅沢《ぜいたく》|三昧《さんまい》を|遊《あそ》ばして|御座《ござ》るのよ。|俺《おい》らもその|酒池肉林《しゆちにくりん》に|逢《あ》ひたさに、|可愛《かあい》い|女房《にようばう》を|捨《す》てて|行《ゆ》くのぢやないかエーン』
|田依彦《たよりひこ》は|丸《まる》い|目《め》を|剥《む》き|出《だ》し、|口《くち》を|尖《とが》らせ、
『|貴様《きさま》はいよいよ|怪《け》しからぬ|奴《やつ》だ。|常世《とこよ》の|国《くに》に|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》が|現《あら》はれ|遊《あそ》ばして、|神政《しんせい》を|再《ふたた》び|御開《おひら》き|遊《あそ》ばす。|夫《そ》れに|就《つい》て|昔《むかし》の|竜宮《りうぐう》の|家来《けらい》は、|元《もと》のごとくに|使《つか》うてやらうとおつしやるのだから、|一時《いちじ》も|早《はや》う|行《ゆ》かうじやないかと、|俺《おれ》を|此処《ここ》まで|誘《さそ》ひ|出《だ》しよつたのは|嘘《うそ》だつたな』
|時彦《ときひこ》『|今頃《いまごろ》に|貴様《きさま》|嘘《うそ》に|気《き》が|付《つ》いたのかい。|田依《たより》ない|奴《やつ》ぢや。|夫《そ》れで|頼《たよ》り|無《な》い|彦《ひこ》と|皆《みな》が|云《い》ふのだよ。|頼《たよ》りに|思《おも》ふ|女房《にようばう》を|玉《たま》を|奪《と》られた|玉彦《たまひこ》に|玉《たま》なしにされて|其《その》|上《うへ》に|玉《たま》を|奪《と》られたこの|時彦《ときひこ》に、|魂《たま》を|奪《と》られて|何《なん》の|態《ざま》。|貴様《きさま》の|性念玉《しやうねんだま》は|気《き》の|毒《どく》ながら|腐《くさ》つて|居《を》るよ。|併《しか》しなンぼ|腐《くさ》つて|居《ゐ》ても|仕様《しやう》が|無《な》い。|貴様《きさま》と|一緒《いつしよ》にかうして|暮《くら》さにやならぬ|腐《くさ》れ|縁《えん》だもの』
|田依彦《たよりひこ》は、
『|何《なに》、|馬鹿《ばか》|吐《ぬ》かす』
と|云《い》ふより|早《はや》く|鉄拳《てつけん》を|固《かた》めて、|時彦《ときひこ》の|横面《よこづら》をポカンとやる。
|時彦《ときひこ》は|酒《さけ》が|廻《まは》り、|舌《した》は|縺《もつ》れ、|足《あし》はひよろひよろなりき。|口《くち》ばかり|達者《たつしや》なるが、|身体《からだ》の|自由《じいう》は|一寸《ちよつと》も|利《き》かぬ。|船《ふね》の|人々《ひとびと》は、
『|喧嘩《けんくわ》だ|喧嘩《けんくわ》だ』
と|総立《そうだち》になつて|眺《なが》めてゐる。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、|海原《うなばら》の|神《かみ》の|宮《みや》を|後《あと》にして、この|船《ふね》に|向《むか》つて|帰《かへ》りきたる。
|時彦《ときひこ》、|芳彦《よしひこ》は|蝸々虫《でんでんむし》のやうに|縮《ちぢ》まつて、|船《ふね》の|底《そこ》に|平太《へた》ばりぬ。|田依彦《たよりひこ》は、むつくと|立上《たちあが》り、
『もしもし|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》、|私《わたくし》は|田依彦《たよりひこ》であります。|大台ケ原《おほだいがはら》で|御別《おわか》れ|致《いた》し|申《まを》しましてから、|豆寅《まめとら》は|久々能智《くくのち》と|云《い》ふ|立派《りつぱ》な|御名《おんな》を|頂戴《ちやうだい》して、|大屋毘古《おほやびこ》と|一緒《いつしよ》に|家《いへ》|造《つく》りをやつて|居《を》ります。それはそれは|偉《えら》い|鼻息《はないき》で、|私《わたくし》らは|奴扱《やつこあつか》ひにされて|堪《たま》りませぬので、たうとう|貴下《あなた》の|後《あと》を|慕《した》つて|参《まゐ》りました。|何卒《なにとぞ》|私《わたくし》にも|結構《けつこう》な|名《な》を|命《つ》けて|下《くだ》さい。|何時《いつ》までも|田依彦《たよりひこ》でも|頼《たよ》るところがなければ|仕方《しかた》がありませぬ』
と、|目《め》をギヨロギヨロさせながら|頼《たの》み|入《い》る。
『あゝさうか。|夫《そ》れに|相違《さうゐ》なければ|感心《かんしん》な|男《をとこ》だ。しかし|其処《そこ》に|平太《へた》ばつて|居《を》る|二人《ふたり》は、|時彦《ときひこ》と|芳彦《よしひこ》では|無《な》いか。|頻《しき》りに、|酒《さけ》の|香《にほ》ひがするなア。その|徳利《とくり》は|誰《たれ》のだ』
『ハイ、これはトヽヽヽヽトヽヽヽヽトントもう|解《わか》りませぬ。トキドキこンな|事《こと》があります』
『それは|芳彦《よしひこ》のじやないか』
『ハイハイ、|田依彦《たよりひこ》はヨヽヽヽヽヨヽヽヽヽヨソの|人《ひと》かと|思《おも》ひます。ヨヽヽヽヽ|酔《よ》うて|居《を》ります』
『なンだ|貴様《きさま》は、|俄《にはか》に|吃《どもり》になつたのか』
『ハイ、ドヽヽヽヽドヽヽヽヽドウもなりませぬ。|時《とき》や、|芳《よし》が|私《わたくし》の|云《い》ふことを|聞《き》かぬものだから、|私《わたくし》も|共々《ともども》にイヤもう|何《ど》うもかうも|申上《まをしあ》げやうはありませぬ。|何卒《なにとぞ》|神直日《かむなほひ》に|見《み》【のがし】、|聞《きき》【のがし】て|下《くだ》さいませ。|併《しか》し、|此奴《こいつ》は|燗直日《かんなほひ》で|無《の》うて、|冷酒《ひや》で|呑《の》ンでゐます。|私《わたくし》も|側《そば》に|居《を》つて、|貴下《あなた》に|見《み》つかりやせぬかと|思《おも》ひまして、ヒヤヒヤアブアブしとりました。|私《わたくし》は|性来《しやうらい》の|酒《さけ》|嫌《ぎら》ひですから、|一《ひと》つも|呑《の》みませぬ。|時彦《ときひこ》や、|芳彦《よしひこ》は、たとひ|何《ど》うならうとも|私《わたくし》だけは|赦《ゆる》して|下《くだ》さい。|日《ひ》の|出神《でのかみ》さま』
『|馬鹿《ばか》|言《い》ふな、|貴様《きさま》だけが|助《たす》かつたら|好《よ》いのか』
『イーエ、|成《な》る|可《べ》くは|貴様《きさま》も、|時《とき》も、|芳《よし》も|救《たす》けて|貰《もら》ひたいものです。おい|時《とき》、|芳《よし》、|面《つら》を|上《あ》げい。|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまだぞ。|目《め》から|火《ひ》の|出《で》るやうな|目《め》に|一遍《いつぺん》|逢《あ》はされて|見《み》い、|酒《さけ》も|酔《ゐい》も|醒《さ》めるだらう。|今《いま》なんと|吐《ぬ》かした。|国《くに》の|御柱《みはしら》の|神《かみ》さまは、|常世《とこよ》の|国《くに》へ|酒《さけ》|呑《の》みに|行《い》かつしやつたなンて|云《い》うただらう』
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|微笑《びせう》しながら、
『|好《よ》い|加減《かげん》にせよ。|今《いま》|船《ふね》が|出《で》る。|船《ふね》の|中《なか》で|悠久《ゆつくり》と|油《あぶら》を|搾《しぼ》つてやらうかい』
|船《ふね》は|又《また》もや|錨《いかり》を|捲《ま》き|揚《あ》げ、|順風《じゆんぷう》に|帆《ほ》を|上《あ》げて|竜宮島《りうぐうじま》さして|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・一・三一 旧一・四 外山豊二録)
(第一三章〜第一八章 昭和一〇・二・二三 於徳山 王仁校正)
第一九章 |無心《むしん》の|船《ふね》〔三一九〕
|船《ふね》は|纜《ともづな》を|解《と》いて、|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》の|御冠《おんかむり》になりませる|竜宮島《りうぐうじま》に|向《むか》つて|進《すす》み|行《ゆ》く。|暗礁《あんせう》|点綴《てんてつ》の|間《あひだ》、|何時《いつ》|船《ふね》を|打破《うちやぶ》るかも|知《し》れぬ|難海路《なんかいろ》なり。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|海上《かいじやう》の|無事《ぶじ》を|沫那芸《あわなぎ》|沫那美《あわなみ》の|二神《にしん》に|祈《いの》りつつ、|又《また》もや|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひたまふ。
『|国《くに》の|御祖《みおや》とあれませる  |国治立大神《くにはるたちのおほかみ》は
|蓮華台上《れんげだいじやう》に|現《あら》はれて  その|御冠《おんかむり》をとりはづし
|海原《うなばら》|目《め》がけて|投《な》げ|給《たま》ふ  |御魂《みたま》は|凝《こ》りて|一《ひと》つ|島《じま》
|冠島《かんむりじま》となりにけり  |冠島《かんむりじま》は|永遠《とことは》に
|鎮《しづ》まりゐます|豊玉姫《とよたまひめ》の  |神《かみ》の|命《みこと》や|玉依姫《たまよりひめ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》の|御恵《みめぐ》みに  |御船《みふね》も|安《やす》く|進《すす》み|行《ゆ》け
|荒浪《あらなみ》|猛《たけ》る|海原《うなばら》も  |闇《やみ》より|暗《くら》き|世《よ》の|中《なか》も
|朝日《あさひ》|夕日《ゆふひ》の|照《て》り|映《は》えて  |神《かみ》の|御魂《みたま》の|凝《こ》りて|成《な》る
|天《あめ》と|地《つち》との|大道《おほみち》の  |教《をしへ》を|開《ひら》く|宣伝使《せんでんし》
|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|現《あら》はれて  |恵《めぐみ》を|頭《かしら》に|冠嶋《かむりじま》
|天地《てんち》をまつる|祝姫《はふりひめ》  |辛《つら》き|憂《う》き|世《よ》を|面那芸《つらなぎ》の
|神《かみ》の|御心《みこころ》に|憐《あは》れみて  |常世《とこよ》の|国《くに》に|恙《つつが》なく
|渡《わた》らせ|給《たま》へ|天津神《あまつかみ》  |神伊弉諾《かむいざなぎ》の|大御神《おほみかみ》
|月《つき》の|大神《おほかみ》|野立彦《のだちひこ》  |野立《のだち》の|姫《ひめ》やあら|金《がね》の
|土《つち》を|守《まも》らす|要《かね》の|神《かみ》  |浪路《なみぢ》を|守《まも》る|綿津神《わたつかみ》
|常世《とこよ》の|闇《やみ》を|晴《は》らせかし  |常世《とこよ》の|闇《やみ》を|晴《は》らせかし』
と、|歌《うた》ひつつ|進《すす》み|行《ゆ》く。|田依彦《たよりひこ》は、
『オイ、|時彦《ときひこ》、|早《はや》く|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》にお|詫《わび》をせぬか。「|一生《いつしやう》お|酒《さけ》は|飲《の》みませぬ。|目出度《めでた》い|時《とき》に|限《かぎ》つてお|神酒《みき》を|頂《いただ》かして|貰《もら》ひます」と|言《い》つて、お|辞儀《じぎ》をせぬかい。|芳彦《よしひこ》|貴様《きさま》もその|通《とほ》りだぞ』
|時彦《ときひこ》『|俺《おれ》アもう|雪隠《せつちん》の|火事《くわじ》だ。【やけくそ】だ。|嬶《かか》アよりも|飯《めし》よりも|好《す》きな|酒《さけ》を|止《や》めるなら、|誰《たれ》がこンな|常世《とこよ》の|国《くに》へ|行《ゆ》くものかい。アヽ|飲《の》みたい|飲《の》みたい』
|芳彦《よしひこ》『|時彦《ときひこ》、|貴様《きさま》は|如何《どう》しても|改心《かいしん》できぬのかなア、|困《こま》つたものだよ』
|時彦《ときひこ》『|貴様《きさま》も|改心《かいしん》すると|吐《ぬか》してから、|一体《いつたい》|何年《なんねん》になると|思《おも》ふ。|八尋殿《やひろどの》の|酒宴《さかもり》に、|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れて、|竹熊《たけくま》の|計略《けいりやく》に|罹《かか》り、イの|一番《いちばん》に|玉《たま》を|奪《と》られて、それからと|云《い》ふものは、アヽ|酒《さけ》は|慎《つつし》まねばならぬ、|俺《おれ》は|酒《さけ》で|縮尻《しくじ》つたと|吐《ぬ》かして、|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|蒼《あを》い|顔《かほ》して、|小《ちひ》さくなつてゐたのも、|僅《わづ》かに|二月《ふたつき》か|三月《みつき》、ソロソロ|地金《ぢがね》をほり|出《だ》して、|今《いま》の|今《いま》まで|酒《さけ》を|喰《くら》つてよい|程《ほど》|酔《よ》うて、|舌《した》もロクに|廻《まは》らぬやうになつた|上《うへ》に、|俺《おれ》は|改心《かいしん》したもないものだ。また|酔《ゑひ》が|醒《さめ》ると、|貴様《きさま》の|喉《のど》がヂリヂリと|焼《や》きついて、|太《ふと》い|腹《はら》の|中《なか》から|結構《けつこう》な|副守護神《ふくしゆごじん》が|飛《と》び|出《だ》して、「オイ|芳彦《よしひこ》、|酒《さけ》は|飲《の》みてもヨシ|彦《ひこ》ぢや、|規則《きそく》は|破《やぶ》つてもヨシ|彦《ひこ》、|飲《の》めよ|騒《さわ》げよヨシ|彦《ひこ》、|一寸先《いつすんさき》あ|暗《やみ》でもヨシ|彦《ひこ》、|暗《やみ》の|後《あと》から|月《つき》が|出《で》りや|尚々《なほなほ》ヨシ|彦《ひこ》だ」と|吐《ぬか》してな、|勧《すす》めるのだろ。そこで|貴様《きさま》の|喉《のど》は|焼《や》けるし、|元《もと》から|口汚《くちぎたな》い、|口卑《くちいや》しい|性来《しやうらい》だから、|何《なん》でもヨシヨシと|吐《ぬ》かして|又《また》しても|食《くら》ふのだ。|今《いま》|一寸《ちよつと》のあひだ|改心《かいしん》したつて、|何《なん》にもなりやしない。|改心《かいしん》するなら、|万古《まんご》|末代《まつだい》|変《かは》らぬやうに|改心《かいしん》せい……|俺《おい》らはそんな|柔弱《じうじやく》な|事《こと》は|嫌《きら》ひだ。|一生涯《いつしやうがい》|酒《さけ》だけは|改心《かいしん》せぬ|心算《つもり》だよ』
|田依彦《たよりひこ》『エヽ|貴様《きさま》たちは|仕様《しやう》のない|奴《やつ》らだナ。|何《なん》でそンな|辛《から》い、【えぐい】|物《もの》が|好《す》きなのだい。|貴様《きさま》も|最前《さいぜん》|船客《せんきやく》の|言《い》つてゐた|雪隠《せんち》の|蟲《むし》か|蓼《たで》|喰《く》ふ|虫《むし》の|仲間《なかま》だナ』
|時彦《ときひこ》『オイオイ、よい|加減《かげん》にせぬか、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》に|聞《きこ》えるぞ』
|田依彦《たよりひこ》は|大《おほ》きな|声《こゑ》を|出《だ》して、
『|聞《きこ》えるやうに|云《い》ふのだ。|如何《どう》しても|止《や》まぬか、ウラル|彦《ひこ》の|処《ところ》へどうしても|行《ゆ》きたいか』
と|故意《わざ》と|大声《おほごゑ》に|呶鳴《どな》り|立《た》てる。|時彦《ときひこ》と|芳彦《よしひこ》は|両方《りやうはう》の|耳《みみ》を|閉《ふさ》いで|縮《ちぢ》こまりゐる。
|田依彦《たよりひこ》『|貴様《きさま》は|自分《じぶん》の|耳《みみ》を|押《おさ》へて|何《なに》をするのだい』
|時《とき》、|芳《よし》『|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|聞《きこ》えぬやうに、|蓋《ふた》してるのだい。|貴様《きさま》があまり|大《おほ》きな|声《こゑ》を|出《だ》すからナ』
|田依彦《たよりひこ》『|耳《みみ》を|蓋《ふた》して|鈴《すず》を|盗《ぬす》むやうな|馬鹿《ばか》な|真似《まね》をしたつて、|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまの|耳《みみ》にはよく|分《わか》つてるぞ。ソレソレこつちを|今《いま》|向《む》いて|恐《こは》い|顔《かほ》してゐらつしやる。|綺麗《きれい》、サツパリと|改心《かいしん》すると|吐《ぬか》せ』
この|時《とき》、|傍《かたはら》の|船客《せんきやく》のなかに|幽《かす》かな|声《こゑ》を|搾《しぼ》つて、
『|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ  |暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る
とかく|此《こ》の|世《よ》は|色《いろ》と|酒《さけ》  |酒《さけ》が|無《な》ければ|世《よ》の|中《なか》は
|面白《おもしろ》|可笑《をか》しく|暮《くら》せない  |泣《な》いて|暮《くら》すも|一生《いつしやう》なら
|笑《わら》つて|暮《くら》すも|一生《いつしやう》ぢや  |一升《いつしよう》|徳利《とつくり》|首《くび》に|懸《か》け
|二生《にしやう》も|三生《さんしやう》も|夫婦《めをと》ぢやと  |誓《ちか》うた|女房《にようばう》も|何《なん》のその
お|酒《さけ》は|私《わたし》の|女房《にようばう》ぢや  |酒《さけ》より|可愛《かあい》|妻《つま》あろか
|酒《さけ》より|甘《うま》いものあろか  |酒《さけ》を|嫌《きら》ひと|吐《ぬか》す|奴《やつ》
|変《へん》チキチンの|馬鹿者《ばかもの》か  この|世《よ》に|生《うま》れて|来《き》た|上《うへ》は
|酒《さけ》と|肴《さかな》と|心中《しんぢう》して  |死《し》ンで|地獄《ぢごく》へ|落《お》ちたとて
|酒《さけ》の|嫌《きら》ひな|鬼《おに》はない  |恐《こは》い|鬼《おに》めに|徳利《とつくり》を
|見《み》せてやつたらニーヤリと  |忽《たちま》ち|相好《さうご》を|崩《くづ》すだろ
この|世《よ》もあの|世《よ》も|神《かみ》の|世《よ》も  |酒《さけ》でなければ|渡《わた》られぬ
お|神酒《みき》あがらぬ|神《かみ》はない  |酒《さけ》を|嫌《きら》ひと|吐《ぬか》す|奴《やつ》
|神《かみ》には|非《あら》で|狼《おほかみ》か  |顔色《かほいろ》|悪《わる》い|貧乏神《びんばふがみ》
【シミタレ】|神《がみ》の|腐《くさ》れ|神《がみ》  |日《ひ》の|出神《でのかみ》とはそりや|何《なん》ぢや
|酒《さけ》が|無《な》くては|日《ひ》が|照《て》らぬ  |肴《さかな》|無《な》くては|夜《よ》が|明《あ》けぬ
ドツコイシヨのドツコイシヨ  ドツコイシヨのドツコイシヨ
トツクリ|思案《しあん》をして|見《み》れよ  さした|盃《さかづき》やクルクル|廻《まは》る
|廻《まは》る|浮世《うきよ》は|色《いろ》と|酒《さけ》  ドツコイシヨのドツコイシヨ』
と、|小声《こごゑ》に|歌《うた》ひ|出《だ》したるものあり。
|時彦《ときひこ》、|芳彦《よしひこ》は|耐《たま》らなくなり、|情《なさけ》なささうな|声《こゑ》を|出《だ》して、
|時《とき》、|芳《よし》『あゝア、|酒《さけ》は|止《や》めなら|止《や》めもしよ  |飲《の》まぬとおけなら|飲《の》みもせぬ
それでも|天地《てんち》の|神《かみ》さまは  お|神酒《みき》あがるが|俺《おれ》ア|不思議《ふしぎ》
|酒《さけ》を|飲《の》むのが|悪《わる》いなら  |俺《おれ》はこれからサツパリと
|改心《かいしん》いたして|神酒《みき》を|飲《の》む  |改心《かいしん》いたして|神酒《みき》を|飲《の》む』
と|調子《てうし》に|乗《の》つて|歌《うた》ひ|始《はじ》め、|踊《をど》り|狂《くる》ふ。
|田依彦《たよりひこ》は|眼《め》を|丸《まる》くし、|又《また》もや|鉄拳《てつけん》を|振《ふる》つてポンポンと|続《つづ》け|打《う》ちに|二人《ふたり》の|横面《よこづら》をイヤといふほど|喰《くら》はしける。
|無心《むしん》の|船《ふね》はこの|囁《ささや》きを|乗《の》せてドンドンと|竜宮島《りうぐうじま》|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・一・三一 旧一・四 桜井重雄録)
第二〇章 |副守飛出《ふくしゆとびだし》〔三二〇〕
『|竜宮《りうぐう》|見《み》たさに|沓島《くつじま》|越《こ》せば、|竜宮《りうぐう》|送《おく》りの|風《かぜ》が|吹《ふ》く』
と|節《ふし》|面白《おもしろ》く|船頭《せんどう》は|歌《うた》ひ|始《はじ》めたり。|長閑《のどか》な|春《はる》の|海面《うみづら》に|幾百千《いくひやくせん》とも|知《し》れぬ|白《しろ》き|帆《ほ》の|往来《わうらい》する|様《さま》、|春《はる》の|野《の》に|胡蝶《こてふ》の|群《むれ》の|飛交《とびか》ふ|如《ごと》き|美々《びび》しき|光景《くわうけい》なり。
|船《ふね》は|漸《やうや》くにして|潮満《しほみつ》、|潮干《しほひる》の|玉《たま》の|隠《かく》されたる|冠島《かむりじま》の|岸《きし》に|着《つ》きぬ。|又《また》もや|船《ふね》の|諸人《もろびと》は|一人《ひとり》も|残《のこ》らずこの|島《しま》に|上陸《じやうりく》し、|竜宮《りうぐう》の|宮《みや》に|詣《まう》でける。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、|祝姫《はふりひめ》、|面那芸《つらなぎ》|二人《ふたり》に、|船客《せんきやく》に|向《むか》ひ|宣伝《せんでん》を|命《めい》じ|置《お》き、|自《みづか》らは|田依彦《たよりひこ》、|時彦《ときひこ》、|芳彦《よしひこ》を|伴《ともな》ひ、|当山《たうざん》の|奥深《おくふか》く|姿《すがた》を|隠《かく》しける。|田依彦《たよりひこ》は|道案内《みちあんない》として|先《さき》に|立《た》ち、|日《ひ》の|出神《でのかみ》はその|後《あと》に|随《したが》ひ|行《ゆ》く。|時彦《ときひこ》、|芳彦《よしひこ》は|屠所《としよ》に|曳《ひ》かるる|羊《ひつじ》の|如《ごと》く、|悄然《せうぜん》として|恐《おそ》る|恐《おそ》る|追従《つゐじゆう》する。
|芳彦《よしひこ》『オイ|時公《ときこう》、|貴様《きさま》あまり|頑張《ぐわんば》るものだから、たうとうこンな|山奥《やまおく》に|引張《ひつぱ》り|込《こ》まれるのだ。どンな|目《め》に|遭《あ》はされるか|知《し》れやしない。|貴様《きさま》の|胸《むね》を|見《み》い、|大《おほ》きな|波《なみ》を|立《た》てて|胸《むね》をどきどきどき|彦《ひこ》ぢやないか』
|時彦《ときひこ》『ヨヽヽ|芳公《よしこう》、そんな|事《こと》は|止《よ》しにしてくれ。|俺《おれ》やもう|一足《ひとあし》も|歩《ある》けない。アイタタ』
とバツタリ|谷道《たにみち》に|倒《たふ》れてしまつた。|田依彦《たよりひこ》は|後《あと》|振《ふ》り|返《かへ》り、
『オーイ、|早《はや》く|来《こ》ぬかい。|何《なに》をグヅグヅしてるのだい。【なめくじ】だつて、もつと|足《あし》が|早《はや》いぞ。この|山《やま》の|奥《おく》には|結構《けつこう》な|甘《うま》い|酒《さけ》が、|泉《いづみ》の|如《ごと》くに|湧《わ》いて|居《ゐ》るのだ。そこで|貴様《きさま》らに|飲《の》ンで|飲《の》ンで|飲《のみ》|堪能《たんのう》さしてやるのだから|喜《よろこ》ンで|来《こ》い。|何事《なにごと》も|神直日《かむなほひ》、|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し、|聞《き》き|直《なほ》して、|宣《の》り|直《なほ》す|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》だ。|喜《よろこ》ばして|改心《かいしん》さして|遣《や》らうと|仰《おつ》しやるのだ。|何《なに》も|恐《こわ》いことはない。|酒《さけ》ぢや|酒《さけ》ぢや|早《はや》う|来《こ》ぬかい』
|時彦《ときひこ》は|酒《さけ》と|聞《き》くや、|俄《にはか》に|元気《げんき》|回復《くわいふく》し、
『ヤアヤア|有難《ありがた》い。ほンたうかい』
と|云《い》ひながら|走《はし》り|出《だ》し、どんどん|進《すす》んで|山奥《やまおく》の|谷間《たにま》に|屹立《きつりつ》する|大岩《おほいは》の|麓《ふもと》に|付《つ》く。|何《なん》とも|言《い》へぬ、|馨《かんば》しき|匂《にほ》ひのする|酒《さけ》が|天然《てんねん》に|湧《わ》き|出《いで》て|居《ゐ》るのを|見《み》て、|時彦《ときひこ》は|鼻《はな》|蠢《うごめ》かし|咽《のど》をクウクウ|言《い》はせながら、|直《ただち》に|掬《すく》つて|飲《の》まむとするを、|田依彦《たよりひこ》はこれを|遮《さへぎ》り、
『|待《ま》て|待《ま》て、この|酒《さけ》は|無茶苦茶《むちやくちや》に|飲《の》ンだら、|命《いのち》が|無《な》くなる。マア|神《かみ》さまに|御願《おねが》ひした|上《うへ》の|事《こと》だ』
|時《とき》、|芳《よし》『|死《し》ンでもよいから|早《はや》く|飲《の》まして|呉《く》れ、モウ|堪《たま》らぬ|堪《たま》らぬ』
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|時彦《ときひこ》の|顔《かほ》をギロリと|睨《にら》みけるに、|時彦《ときひこ》は|睨《にら》まれて|縮《ちぢ》み|上《あ》がり|打《う》ち|伏《ふ》しぬ。
|田依彦《たよりひこ》『ここは|酒《さけ》の|滝《たき》といふ|所《ところ》だ。|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまがお|造《つく》り|遊《あそ》ばした|酒《さけ》だから、|祝詞《のりと》を|上《あ》げてお|祓《はらひ》をしてそれからの|事《こと》だ。サア|貴様《きさま》は|祓戸《はらひど》になれ、|俺《おれ》は|斎主《さいしゆ》になつてやらう。|芳彦《よしひこ》、|貴様《きさま》は|神饌係《しんせんがかり》だよ』
『|神饌係《しんせんがかり》だつて、|何《なに》をお|供《そな》へするのだい』
『|貴様《きさま》の|持《も》つて|居《を》る|魂《たま》を|御供《おそな》へするのだよ』
|芳彦《よしひこ》、|時彦《ときひこ》|一度《いちど》に、
『|玉《たま》を|供《そな》へたつて|折角《せつかく》|拾《ひろ》うた|玉《たま》は、|竹熊《たけくま》に|奪《と》られてしもうたではないか』
|田依彦《たよりひこ》は、
『その|玉《たま》なら|俺《おれ》も|奪《と》られたのだ。|貴様《きさま》の|魂《たま》を|供《そな》へる|事《こと》だよ。|貴様《きさま》が|酒《さけ》が|飲《の》みたい|飲《の》みたいといふ|副守護神《ふくしゆごじん》の|魂《たま》を|綺麗《きれい》サツパリ|御供《おそな》へせいと|云《い》ふ|事《こと》だい』
|時彦《ときひこ》『|何時《いつ》も|酒《さけ》を|見《み》るとクウクウ|云《い》つて、|臍《へそ》の|下《した》あたりから|上《あ》がつて|来《き》よるあの|魂《たま》が|副守護神《ふくしゆごじん》と|云《い》ふのか、それなら|俺《おれ》は|四《よ》つばかりあるわい』
|芳彦《よしひこ》『|俺《おれ》も|二《ふた》つほど|持《も》つて|居《を》る』
|田依彦《たよりひこ》『|時彦《ときひこ》の|持《も》つて|居《を》る|四《よつ》つの|魂《たま》と、|芳彦《よしひこ》の|持《も》つて|居《ゐ》る|二《ふた》つの|魂《たま》をお|供《そな》へするのだ。|皆《み》なその|副守《ふくしゆ》の|魂《たま》|奴《め》が|酒《さけ》を|喰《くら》つて|貴様《きさま》の|魂《たましひ》や|身体《からだ》をわやにするのだ。|綺麗《きれい》サツパリと|御供《おそな》へしてしまへ』
|時彦《ときひこ》『|御供《おそな》へせよと|言《い》つたつて|咽《のど》まで|出《で》て|来《き》ても|口《くち》へは|出《で》て|来《こ》ぬのだもの。|俺《おれ》の|腹《はら》を|切《き》つたつて|出《で》て|来《きた》やしないし、どうすれば|好《い》いのだ。アヽ、|甘《うま》さうな|酒《さけ》だな、|飲《の》みたい|飲《の》みたい』
|日出神《ひのでのかみ》『|早《はや》く|御祭《おまつり》を|始《はじ》めぬかい』
『ハイハイ|今《いま》|始《はじ》めます。|一寸《ちよつと》|手《て》を|洗《あら》うて|手水《てみづ》を|使《つか》ひまして|嗽《うがひ》を|致《いた》します。|待《ま》つて|下《くだ》さい』
|田依彦《たよりひこ》『|貴様《きさま》らは|狡猾《ずる》い|奴《やつ》だナ。|嗽《うがひ》するなンて、|酒《さけ》を|飲《の》まうと|思《おも》つて、|早《はや》くしないか』
『ハイハイ|友達《ともだち》の|好《よし》みで、チツト|許《ばか》り|大目《おほめ》に|見《み》て|呉《く》れても。|好《よ》ささうなものだなあ』
と|芳彦《よしひこ》は|時彦《ときひこ》の|耳《みみ》に|口《くち》を|寄《よ》せて|囁《ささや》く。かくして|祭典《さいてん》は|無事《ぶじ》に|済《す》みけるが、|肝腎《かんじん》の|御供《おそな》へ|物《もの》の|魂《たま》はどうしても|出《で》て|来《こ》ない。
|時彦《ときひこ》『サア|御祭《おまつり》が|済《す》ンだ。|約束《やくそく》の|通《とほ》り|御神酒《おみき》を|頂《いただ》かして|貰《もら》はうかい』
|田依彦《たよりひこ》『まだまだ|待《ま》てまて、|俺《おれ》のいふ|通《とほ》りにして|魂《たま》を|出《だ》すのだ』
と|云《い》ひながら|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|目配《めくば》せした。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|時彦《ときひこ》を|後手《うしろで》に|廻《まは》し|堅《かた》く|縛《しば》り|上《あ》げたまふ。|田依彦《たよりひこ》は|芳彦《よしひこ》の|手《て》を|後《うしろ》に|廻《まは》し、|是《こ》れまた|同《おな》じく|縛《しば》り|上《あ》げたり。|二人《ふたり》は|泣声《なきごゑ》を|出《だ》しながら、
『オイ|田依彦《たよりひこ》、アンマリじやないか。|田依《たより》ない|彦《ひこ》、|頼《たよ》りに|思《おも》ふこなさまはナンデこの|様《やう》に|無情《つれな》いぞよ。アーン アーン アーン』
|田依彦《たよりひこ》『|貴様《きさま》らは|狂言《きやうげん》をするのか|馬鹿《ばか》ツ! |飲《の》みたけりや|飲《の》まして|遣《や》らう』
と|言《い》ひながら、|匂《にほ》ひの|高《たか》い|甘《うま》さうな|酒《さけ》をこの|滝壺《たきつぼ》から|大《だい》の|柄杓《ひしやく》に|汲《く》み|上《あ》げて、|二人《ふたり》の|口先《くちさき》に|交《かは》る|交《がは》る|突付《つきつ》ける。|二人《ふたり》は|舌《した》を|出《だ》して|飲《の》まうとする。|田依彦《たよりひこ》が、
『ドツコイさうは|行《ゆ》かぬ』
と|後《うしろ》へ|引《ひ》く。また|杓《しやく》を|出《だ》す。|舌《した》を|出《だ》す。また|後《うしろ》へ|引《ひ》く。|突出《つきだ》す。|舌《した》を|出《だ》す。|杓《しやく》を|引《ひ》く。|忽《たちま》ち|時彦《ときひこ》は「カツ」と|声《こゑ》を|出《だ》した|矢先《やさき》に、|卵《たまご》の|如《ごと》き|焼《や》け|石《いし》が|飛出《とびだ》し|滝壺《たきつぼ》の|中《なか》に「ジユン」と|音《おと》を|立《た》てて|落込《おちこ》みける。|芳彦《よしひこ》の|咽《のど》からもクワツクワツといふ|音《おと》がして、|二《ふた》つの|焼石《やけいし》が|飛《と》び|出《だ》し|滝壺《たきつぼ》の|中《なか》に|落込《おちこ》みける。|芳彦《よしひこ》は、
『アア|俺《おら》もう|酒《さけ》の|匂《にほ》ひを|嗅《か》ぐのも|嫌《いや》になつたよ。|酒《さけ》は|嫌《きら》ひだよ、|酒《さけ》は|嫌《きら》ひ |嫌《きら》ひ』
と|首《くび》を|振《ふ》りだす。|田依彦《たよりひこ》は、
『|今迄《いままで》アレほど|好《す》きな|酒《さけ》を|嫌《きら》ひといふことがあるか、|飲《の》め |飲《の》め』
と|杓《しやく》を|突出《つきだ》す。|芳彦《よしひこ》は|悲《かな》しさうに|泣《な》き|出《だ》しける。
『そんなら|好《よ》し』
と|田依彦《たよりひこ》は|芳彦《よしひこ》の|縛《いましめ》を|解《と》く。|芳彦《よしひこ》は|目《め》を、ギロギロさせながら|恨《うら》めしさうに|酒《さけ》の|滝壺《たきつぼ》を|眺《なが》め|居《ゐ》る。|田依彦《たよりひこ》はまた|杓《しやく》に|酒《さけ》を|汲《く》ンで|今度《こんど》は|時彦《ときひこ》の|鼻《はな》の|先《さき》に|突出《つきだ》す。|時彦《ときひこ》は|舌《した》を|出《だ》す。|田依彦《たよりひこ》は、
『オツトドツコイそれやならぬ』
と|杓《しやく》を|後《うしろ》へ|引《ひ》く。また|杓《しやく》を|出《だ》す。|舌《した》を|出《だ》す。また|後《うしろ》へ|引《ひ》くと|俄《にはか》に「クワツクワツクワツ」と|三声《みこゑ》|叫《さけ》びしその|途端《とたん》に|咽《のど》から|焼石《やけいし》|三箇《さんこ》|一度《いちど》に|飛《と》び|出《だ》し、|酒《さけ》の|滝壺《たきつぼ》の|中《なか》に『ジユンジユンジユン』と|音《おと》をさせて|落《お》ち|込《こ》みにける。|田依彦《たよりひこ》は、
『サア|時彦《ときひこ》|御祭《おまつり》は|済《す》ンだ。|御供物《おそなへもの》も|是《こ》れで|終《しま》ひだ。|何《なん》ぼなと|酒《さけ》を|飲《の》め』
と|杓《しやく》に|酒《さけ》を|汲《く》ンで|口《くち》の|辺《はた》へ|持《も》つて|行《ゆ》く。|時彦《ときひこ》は|目《め》を|塞《ふさ》ぎ|口《くち》を|閉《と》ぢ、|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》つて、
『もうもう|酒《さけ》は|匂《にほ》ひを|利《き》くのも|嫌《いや》だ。|酒《さけ》は|嫌《きら》ひだ、|勘忍々々《かんにんかんにん》』
と|頭《あたま》を|左右《さいう》に|振《ふ》る。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|時彦《ときひこ》の|縛《いましめ》を|解《と》きけるが、|是《こ》れぎり|二人《ふたり》は|酒《さけ》の|匂《にほ》ひを|嗅《か》ぐのも|嫌《いや》になりたりける。ここに|時彦《ときひこ》、|芳彦《よしひこ》は|竜宮島《りうぐうじま》の|宮《みや》の|造営《ざうえい》を|命《めい》ぜられ、「|久久神《くくのかみ》、|久木神《くきのかみ》」といふ|名《な》を|貰《もら》つて|住家《すみか》を|造《つく》る|役目《やくめ》となりぬ。
(大正一一・一・三一 旧一・四 谷村真友録)
第二一章 |飲《の》めぬ|酒《さけ》〔三二一〕
またもや|海面《かいめん》は|波《なみ》|荒《あら》く|猛《たけ》り|狂《くる》ひ、|出帆《しゆつぱん》を|見合《みあ》はすの|止《や》むなきに|致《いた》り、|風《かぜ》を|待《ま》つこと|殆《ほとん》ど|一ケ月《いつかげつ》に|及《およ》びける。
この|島《しま》は|潮満《しほみつ》、|潮干《しほひる》の|玉《たま》を|秘《ひ》めかくされ、|豊玉姫神《とよたまひめのかみ》、|玉依姫神《たまよりひめのかみ》これを|守護《しゆご》し|給《たま》ひつつありしが、|世界《せかい》|大洪水《だいこうずゐ》|以前《いぜん》に、ウラル|彦《ひこ》の|率《ひき》ゆる|軍勢《ぐんぜい》の|為《ため》に|玉《たま》は|占領《せんりやう》され、|二柱《ふたはしら》の|女神《めがみ》は|遠《とほ》く|東《ひがし》に|逃《のが》れて、|天《あめ》の|真名井《まなゐ》の|冠島《をしま》、|沓島《めしま》に|隠《かく》れたまひし|因縁《いんねん》|深《ふか》き|嶋《しま》なりける。
その|後《ご》はウラル|彦《ひこ》の|部下《ぶか》|荒熊別《あらくまわけ》といふ|者《もの》、この|島《しま》を|占領《せんりやう》し、|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|集《あつ》め、|酒《さけ》の|泉《いづみ》を|湛《たた》へて、|体主霊従《たいしゆれいじゆう》のあらむかぎりを|尽《つく》しゐたり。|然《しか》るに|天教山《てんけうざん》に|鎮《しづ》まり|給《たま》ふ|神伊邪那岐神《かむいざなぎのかみ》はこの|島《しま》の|守護神《しゆごじん》として|真澄姫命《ますみひめのみこと》を|遣《つか》はし|給《たま》ひぬ。それより|荒熊別《あらくまわけ》は|神威《しんゐ》に|怖《おそ》れ、|夜陰《やいん》に|乗《じやう》じて|常世《とこよ》の|国《くに》に|逃《に》げ|帰《かへ》つたりける。その|時《とき》の|名残《なごり》として、|今《いま》に|酒《さけ》の|泉《いづみ》は|滾々《こんこん》と|湧《わ》き|出《で》て|居《ゐ》たるなりき。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|真澄姫命《ますみひめのみこと》の|神霊《しんれい》を|祭《まつ》る|可《べ》く、|久々神《くくのかみ》、|久木神《くきのかみ》に|命《めい》じ、|大峡小峡《おほがひをがひ》の|木《き》を|伐《き》り、|美《うつく》しき|宮《みや》を|営《いとな》ましめたまふ。|是《これ》を|竜宮島《りうぐうじま》の|竜《たつ》の|宮《みや》といふ。|而《しか》して|田依彦《たよりひこ》をこの|嶋《しま》の|守護神《しゆごじん》となし、|名《な》を|飯依彦《いひよりひこ》と|改《あらた》めしめたまへり。
|久々神《くくのかみ》、|久木神《くきのかみ》はこの|嶋《しま》の|人々《ひとびと》をかり|集《あつ》め、|宮殿《きうでん》|造営《ざうえい》の|棟梁《とうりやう》として|忠実《ちうじつ》に|立働《たちはたら》きぬ。|嶋《しま》の|谷々《たにだに》には|木《き》を|伐《き》る|音《おと》、|削《けづ》る|音《おと》、|人《ひと》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》|盛《さか》ンに|聞《きこ》えける。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|海辺《かいへん》の|見《み》はらし|佳《よ》き|高殿《たかどの》に|昇《のぼ》りて、|海上《かいじやう》の|静《しづか》まるを|待《ま》ちゐたまひぬ。
|山《やま》の|奥《おく》には|彼方《あちら》にも|此方《こちら》にも、|斧鉞《ふゑつ》の|音《おと》|丁々《ちやうちやう》と|聞《きこ》え|盛《さかん》に|伐木《ばつぼく》しゐたり。
『おい、|皆《みな》|一服《いつぷく》しやうじやないか。いま|久々神《くくのかみ》があちらへ|行《ゆ》きよつたで、|叔母《をば》の|死《し》ンだも|食《じ》き|休《やす》みと|云《い》ふ|事《こと》があるよ。|鬼《おに》の|様《やう》な|大将《たいしやう》が|彼方《あつち》へ|行《い》つた|留守《るす》の|間《ま》に、|鬼《おに》の|来《こ》ぬ|間《ま》の|洗濯《せんたく》だ。おいおい、|休《やす》め|休《やす》め』
『おーい|皆《みな》の|奴《やつ》、|一緒《いつしよ》に|休《やす》まうかい』
『それでも|休《やす》むと|音《おと》が|止《とま》るから、また|呶鳴《どな》られるよ』
『|休《やす》ンで、そこらの|木《き》を|叩《たた》いて|居《を》ればよいワイ』
『|一体《いつたい》、|宮《みや》を|建《た》てるとか|云《い》つて、まるで|吐血《とけつ》の|起《おこ》つた|様《やう》に、|夜《よ》さにも|俺《おい》らを|寝《ね》ささずに、ひどく|酷使《こきつか》ひよるじやないか。|結構《けつこう》な|酒《さけ》はあーして|湧《わ》いて|居《を》るのに、|飲《の》まれぬなどと|吐《ぬ》かしよるし、|堪《たま》つたものじやない。|合間《あひま》には|酒《さけ》|位《ぐらゐ》、ただ|湧《わ》いて|居《を》るのじやもの、|飲《の》まして|呉《く》れたつてよかりさうなものじやないか。|一体《いつたい》こりや|何《なん》の|宮《みや》だらう』
『|酒《さけ》を|飲《の》まさぬから、お|前達《まへたち》ア|腹《はら》が|立《た》つ、その|腹《はら》を|立《た》てさせぬため、|神《かみ》さまを|祭《まつ》らすのだ。それで|何《なん》でも、|腹《はら》が【たつよ】|姫《ひめ》とか、|真澄姫《ますみひめ》とか|桝呑姫《ますのみひめ》とかいふ|神《かみ》さまじやさうだよ』
『【けたい】な|神《かみ》さまだね。|立《た》つものは|腹《はら》ばかりぢやない。|疳癪《かんしやく》も|立《た》つし、|鳥《とり》も|立《た》つし、|立疳姫《たつかんひめ》の|神《かみ》やら、|立鳥姫《たつとりひめ》の|神《かみ》も|祭《まつ》つたらどうだらう』
『|馬鹿《ばか》いふない。それまた|彼処《あすこ》へ|痛《いた》い|奴《やつ》さまが|来《き》たぞ。それそれ|釘《くぎ》の|神《かみ》さまだ』
『|釘《くぎ》ぢやない。|久木神《くきのかみ》さまといふのだい。なまくらをして|居《ゐ》ると、|首《くび》きりの|神《かみ》さまにならつしやるぞ』
かかる|処《ところ》へ|久木神《くきのかみ》は|廻《まは》り|来《き》たり、
『オー、|皆《みな》の|者《もの》|御苦労《ごくらう》だな。|酒《さけ》が|飲《の》みたさうな|顔《かほ》をして|居《ゐ》るが、|酒《さけ》はあまり|飲《の》まぬがよいぞ。|俺《おれ》も|今《いま》まで|酒《さけ》が|好《す》きだつたが、たうとう|嫌《きら》ひになつて|了《しま》つた。|好《す》きなものを|無理《むり》に|止《や》めよと|云《い》つても、|止《や》むものぢやない。お|前《まへ》たちは|充分《じうぶん》に|酒《さけ》を|飲《の》ンで|満足《たんのう》したら、しまひには|舌《した》がもつれ|口《くち》が|痺《しび》れ|副守《ふくしゆ》が|飛出《とびだ》して|酒《さけ》が|飲《の》めなくなるかも|知《し》れぬぞよ。|飲《の》みたい|飲《の》みたいと|思《おも》つて|辛抱《しんばう》して|居《ゐ》ると、|根性《こんじやう》が|曲《まが》つてよく|無《な》い。|酒《さけ》は|百薬《ひやくやく》の|長《ちやう》だ、|御神酒《おみき》あがらぬ|神《かみ》は|無《な》いから、お|前《まへ》たちも|神《かみ》さまになりたくば、ちつとも|遠慮《ゑんりよ》は|要《い》らぬ。|自然《しぜん》に|湧《わ》く|酒《さけ》だから|遠慮《ゑんりよ》なしに|飲《の》ンで|来《こ》い』
と|云《い》ひ|捨《す》てて、この|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》る。|後《あと》|見送《みおく》つて、
『おいおい、|久々神《くくのかみ》は|酒《さけ》を|飲《の》むなと、|喧《やかま》しう|吐《ぬ》かすが、いま|来《き》た|久木神《くきのかみ》さまは|流石《さすが》に|苦労人《くらうじん》じやなあ。|根性《こんじやう》が|歪《ゆが》ンではいかぬから、|飲《の》みたい|丈《だ》け|飲《の》ンで|来《こ》いと|云《い》ひよつたぞ。お|許《ゆる》しが|出《で》たのだ。|天下《てんか》|御免《ごめん》だ。|飲《の》ンで|来《こ》うかい』
『よからう、よからう』
と、|大勢《おほぜい》は|先《さき》を|争《あらそ》うて、|酒《さけ》の|湧《わ》き|出《いづ》る|滝壺《たきつぼ》|指《さ》して|走《はし》り|行《ゆ》く。
|来《き》て|見《み》れば|酒《さけ》の|泉《いづみ》の|滝壺《たきつぼ》は、|千引《ちびき》の|岩《いは》にてすつかり|包《つつ》まれ、|処々《ところどころ》に|人《ひと》の|口《くち》|位《ぐらゐ》な|孔《あな》が|上面《じやうめん》に|開《あ》いてをる。
『やいやい|皆《みな》の|奴《やつ》、|久木神《くきのかみ》も|腹《はら》が|悪《わる》いじやないか。こンな|巨大《おほ》きな|岩《いは》で、|何時《いつ》の|間《ま》にやら、ぴつたりと|蓋《ふた》をして|置《お》きよつて、|飲《の》みたけりや|飲《の》ンで|来《こ》いなンて、|俺《おい》らを|馬鹿《ばか》にするじやないか』
『さうだな、しかし|其処《そこ》に|孔《あな》が|開《あ》いて|居《を》るじやないか。その|孔《あな》から|口《くち》を|突込《つつこ》ンだらどうだい』
『おー、それもさうだ。|皆《みな》の|奴《やつ》ここから|飲《の》まう|飲《の》まう』
|一同《いちどう》は|岩蓋《いはぶた》の|上《うへ》に|取《と》り|縋《すが》つて、その|孔《あな》より|舌《した》を|突《つ》き|出《だ》して|見《み》てゐたるが、
『おい|甘《うま》さうな|酒《さけ》は|沢山《たくさん》あるが、|舌《した》が|届《とど》かぬワイ。もう|一分《いちぶ》といふ|所《ところ》だ』
『|貴様《きさま》|舌《した》が|短《みじか》いのだ、どれどれ|俺《おれ》が|飲《の》ンで|見《み》てやらう』
『|貴様《きさま》は|何時《いつ》も|舌《した》の|長《なが》い|奴《やつ》だ。|舌長《したなが》に|物《もの》を|吐《ぬ》かすから、こンな|時《とき》にや|重宝《ちようほう》だ。やつて|見《み》よ』
『エヘン』
と|咳払《せきばら》ひしながら、|岩《いは》の|孔《あな》から|舌《した》を|突込《つきこ》ンで|見《み》たが、|是《これ》も|届《とど》かない。|交《かは》る|交《がは》るやつて|見《み》たが、どうしても|酒《さけ》の|所《ところ》までは、|間隔《かんかく》があつて|嘗《な》めることが|出来《でき》ない。しかしその|孔《あな》からは|何《なん》とも|云《い》へぬ|馨《かんば》しい|酒《さけ》の|匂《にほ》ひがして|居《を》るので、|各自《めいめい》に|口《くち》を|当《あ》てて|匂《にほ》ひを|嗅《か》いだ。|喉《のど》は|各自《めいめい》にごろごろ|唸《うな》り|出《だ》して、|腹《はら》の|中《なか》の|焼石《やけいし》は|残《のこ》らず|酒壺《さけつぼ》に|向《むか》つてジユンジユンと|音《おと》を|立《た》てて、|落《お》ち|込《こ》みにける。
それよりこの|郷《さと》の|人間《にんげん》は、|酒《さけ》の|匂《にほ》ひを|嗅《か》ぐさへも|嫌《いや》になり、|神《かみ》の|教《をしへ》をよく|守《まも》り、|飯依彦神《いひよりひこのかみ》の|指揮《さしづ》に|従《したが》ひて、|名《な》にし|負《お》ふ|竜宮島《りうぐうじま》の|楽《たの》しき|生活《せいくわつ》を|送《おく》りたりける。
(大正一一・一・三一 旧一・四 井上留五郎録)
第二二章 |竜宮《りうぐう》の|宝《たから》〔三二二〕
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|飯依彦《いひよりひこ》をして、|竜宮城《りうぐうじやう》の|国魂《くにたま》、|真澄姫《ますみひめ》の|御魂《みたま》を|宮柱太敷立《みやばしらふとしきた》て、|鎮《しづ》め|祭《まつ》らしめ、ここに|祝姫《はふりひめ》、|面那芸《つらなぎ》、|天久比奢母智《あまのくひざもち》、|国久比奢母智《くにのくひざもち》を|伴《ともな》ひ、|順風《じゆんぷう》に|帆《ほ》を|揚《あ》げ|西南《せいなん》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く|勇《いさ》ましさ。|飯依彦《いひよりひこ》を|始《はじ》め|久久司《くくのかみ》、|久木司《くきのかみ》は|埠頭《ふとう》に|立《た》つて、この|船《ふね》を|名残《なごり》|惜《を》し|気《げ》に|見送《みおく》つた。|飯依彦《いひよりひこ》は|白扇《はくせん》をひらいて|歌《うた》ひながら|此《こ》の|一行《いつかう》を|見送《みおく》りぬ。
『|高天原《たかあまはら》に|宮柱《みやばしら》  |千木高知《ちぎたかし》りて|永久《とこしへ》に
|鎮《しづ》まり|居《ゐ》ます|伊弉諾《いざなぎ》の  |神《かみ》の|命《みこと》や|木花姫《このはなひめ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》の|御教《みをしへ》を  |造《つく》り|固《かた》めて|黄金《わうごん》の
|山《やま》の|麓《ふもと》に|現《あ》れませる  |三五教《あななひけう》の|大神《おほかみ》の
|教《をしへ》を|四方《よも》に|敷島《しきしま》の  |心《こころ》も|清《きよ》き|宣伝使《せんでんし》
|世《よ》は|常暗《とこやみ》となるとても  |御稜威《みいづ》|輝《かがや》く|大空《おほぞら》の
|日《ひ》の|出神《でのかみ》や|祝姫《はふりひめ》  |外《ほか》|三柱《みはしら》の|神人《かみびと》が
|常世《とこよ》の|国《くに》へ|鹿島立《かしまだち》  |見送《みおく》りまつる|我《わが》|心《こころ》
|風《かぜ》も|凪《な》げ|凪《な》げまた|雨《あめ》も  |降《ふ》らずに|波《なみ》も|平《たひら》けく
いと|安《やす》らけく|出《い》でませよ  |神徳《みいづ》の|波《なみ》に|照《て》らされて
|心《こころ》の|暗《やみ》も|晴《は》れ|渡《わた》り  |名《な》さへ|目出度《めでた》き|飯依彦《いひよりひこ》の
|命《みこと》と|貴《たふと》き|名《な》を|負《お》ひて  |依《よ》さし|玉《たま》ひし|竜宮《りうぐう》の
|常磐堅磐《ときはかきは》の|島守《しまもり》は  |心《こころ》も|真澄《ますみ》の|姫神《ひめがみ》の
|宮《みや》に|仕《つか》へて|三五《あななひ》の  |清《きよ》き|教《をしへ》を|遠近《をちこち》に
|心《こころ》を|尽《つく》し|身《み》を|尽《つく》し  |仕《つか》へまつらせ|日《ひ》の|出神《でのかみ》
|名残《なごり》は|尽《つ》きぬ|波《なみ》の|上《うへ》  いと|安《やす》らけく|出《い》でませよ
うら|安《やす》らけく|渡《わた》りませ』
と|挨拶《あいさつ》にかへて|歌《うた》ふ。|今《いま》まで|田依彦《たよりひこ》と|云《い》はれし|時《とき》にはその|身魂《みたま》も|下劣《げれつ》にして、|一《ひと》つの|歌《うた》を|歌《うた》ふにも|野趣《やしゆ》を|帯《お》び|居《ゐ》たるが、ここに|飯依彦《いひよりひこ》と|云《い》ふ|神名《しんめい》をたまひ、この|島《しま》の|守神《まもりがみ》たる|御魂《みたま》の|真澄姫神《ますみひめのかみ》の|神徳《しんとく》に|感《かん》じて、かくも|優長《いうちやう》なる|歌《うた》を|歌《うた》ふことを|得《え》たるは|身魂《みたま》の|向上《こうじやう》したる|証拠《せうこ》なるべし。
|久久司《くくのかみ》は|又《また》もや|歌《うた》を|歌《うた》ふ。
『|時《とき》は|待《ま》たねばならぬもの  |時《とき》が|来《き》た|来《き》た|時彦《ときひこ》の
|好《すき》な|酒《さけ》まで|止《や》める|時《とき》  |時《とき》のお|蔭《かげ》で|時彦《ときひこ》も
|天《てん》から|下《くだ》つた|生神《いきがみ》の  お|目《め》に|留《と》まつて|久久司《くくのかみ》
|飯依彦《いひよりひこ》に|従《したが》うて  |真澄《ますみ》の|姫《ひめ》によく|仕《つか》へ
きつとこの|島《しま》|守《まも》ります  |後《あと》に|心《こころ》は|沖《おき》の|船《ふね》
|馳《は》せ|行《ゆ》く|帆柱《ほばしら》|打《う》ち|眺《なが》め  |隠《かく》るるまでも|拝《をが》みます
どうぞ|御無事《ごぶじ》でお|達者《たつしや》で  この|海《うみ》|御渡《おわた》り|遊《あそ》ばせよ
また|逢《あ》ふ|時《とき》もありませう  |逢《あ》うたその|時《とき》や|百年目《ひやくねんめ》
|二人《ふたり》の|仲《なか》は|芳彦《よしひこ》の  |離《はな》れぬ|私《わたし》は|釘鎹《くぎかすがひ》
|必《かなら》ず|案《あん》じて|下《くだ》さるな  |尊《たふと》き|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》よ
その|他《た》の|尊《たふと》い|宣伝使《せんでんし》  これでお|別《わか》れ|致《いた》します』
と|扇《あふぎ》をひらいて|歌《うた》ひ、|舞《ま》ひ、この|船《ふね》を|見送《みおく》りぬ。|久木司《くきのかみ》は、
『|私《わたし》は|歌《うた》は|出来《でき》ませぬ、|踊《をど》つてお|別《わか》れいたします』
と|口《くち》の|奥《おく》にて|何《なに》か|小声《こごゑ》に|囁《ささや》きながら、|大地《だいち》を|踏《ふ》み|轟《とどろ》かせ、|汗《あせ》をしぼつて|手振《てぶり》|足振《あしぶり》|面白《おもしろ》く|踊《をど》り|狂《くる》ひぬ。|船中《せんちう》の|人々《ひとびと》も|見送《みおく》る|数多《あまた》の|神人《かみびと》も|一度《いちど》にどつと|哄笑《こうせう》したり。|船《ふね》は|容赦《ようしや》なく|纜《ともづな》を|解《と》いて|櫓《ろ》の|音《おと》ぎいぎいと|響《ひび》かせながら、|追々《おひおひ》|岸《きし》を|遠《とほ》ざかり|行《ゆ》く。|船頭《せんどう》は|舳《へさき》に|立《た》ちて|唄《うた》ふ。
『ここは|竜宮《りうぐう》の|大海原《おほうなばら》よ、|可惜《あたら》|宝《たから》は|海《うみ》の|底《そこ》』
と|海上《かいじやう》の|風《かぜ》に|慣《な》れたる|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて|繰《く》り|返《かへ》し|繰《く》り|返《かへ》し|唄《うた》ふ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、
『オイ|船頭《せんどう》、|今《いま》お|前《まへ》の|唄《うた》つた|歌《うた》は、あたら|宝《たから》は|海《うみ》の|底《そこ》といつたなあ、それや|又《また》どういふ|訳《わけ》か|聞《き》かして|呉《く》れないか』
『ハイ|左様《さやう》でございます。この|頃《ごろ》のやうな|春《はる》の|海《うみ》では|判《わか》りませぬが、やがて|秋《あき》が|来《く》ると|海《うみ》の|底《そこ》が【ハツキリ】と|見《み》えます。それはそれは|綺麗《きれい》な|金《きん》や|銀《ぎん》が|海《うみ》の|底《そこ》|一面《いちめん》に|山《やま》のやうになつて|居《ゐ》ます。|恰度《ちやうど》この|下《した》|辺《あた》りは|最《もつと》も|多《おほ》い|処《ところ》です』
『お|前《まへ》たちはその|綺麗《きれい》な|宝《たから》をどうして|採《と》らぬのか』
『エイ|滅相《めつさう》もない。この|海《うみ》の|底《そこ》には|結構《けつこう》な|宝《たから》も|沢山《たくさん》ありますが、|恐《こわ》いものも|沢山《たくさん》ゐます。|太《ふと》い|太《ふと》い|竜神《りうじん》さまが、|金《きん》や|銀《ぎん》の|鱗《うろこ》をぴかぴかさして|誰《た》れも|採《と》らないやうに|守《まも》つてゐらつしやる。この|海《うみ》の|底《そこ》に|居《を》るものは、|鯛《たひ》でも、|蝦《えび》でも、|蛸《たこ》でも|皆《みな》|金《きん》や|銀《ぎん》の|色《いろ》をしてゐます。|蝦《えび》|一匹《いつぴき》でも|釣《つ》つたが|最後《さいご》、|竜宮様《りうぐうさま》が|怒《いか》つてそれはそれは|豪《えら》いこと|海《うみ》が|荒《あ》れます。それで|誰《たれ》も|雑魚《ざこ》|一匹《いつぴき》この|辺《へん》では|捕《と》りませぬ。|大《おほ》きな|声《こゑ》で|物《もの》いつても|此処《ここ》では|竜宮様《りうぐうさま》に|怒《おこ》られます。|竜宮《りうぐう》さまの|好《す》きなのは|只《ただ》|歌《うた》ばかりです。|歌《うた》ならどんな|大《おほ》きな|声《こゑ》で|唄《うた》つても|構《かま》やせぬが、|妙《めう》な|話《はなし》をしたり、|慾《よく》な|話《はなし》でもしやうものなら、それはそれは|恐《おそ》ろしい|目《め》に|遭《あ》はされます』
『さうかい。|竜神《りうじん》といふ|奴《やつ》よほど|歌《うた》の|好《すき》な|奴《やつ》と|見《み》えるな』
『もしもしそンな|失礼《しつれい》な|事《こと》をおつしやつたら|竜神《りうじん》さまに|怒《おこ》られますよ。|竜神様《りうじんさま》はよほど|暢気《のんき》な|御神《おかみ》ぢやと|云《い》ひ|直《なほ》して|下《くだ》さいませ』
と|云《い》ひながら|顔《かほ》の|色《いろ》を|変《か》へて、ぶるぶる|慄《ふる》ひゐる。
『|何《なに》|心配《しんぱい》するにや|及《およ》ばぬ。|俺《おれ》がこれから|竜神《りうじん》に|一《ひと》つ|談判《だんぱん》して、その|宝《たから》を|見《み》せて|貰《もら》はう。モシ|竜神殿《りうじんどの》、|乙姫《おとひめ》の|眷属殿《けんぞくどの》、|我《われ》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》ぢや、|宝《たから》を|一遍《いつぺん》|見《み》せて|呉《く》れよ』
と|云《い》ひも|終《をは》らず、たちまち|海面《かいめん》は|四方《しはう》|八方《はつぱう》にまン|円《まる》き|渦《うづ》を|巻《ま》ききたりぬ。|船頭《せんどう》は|驚《おどろ》いてますます|慄《ふる》ひ|上《あが》りゐる。【ブク】ツと|音《おと》がすると|共《とも》に|大《おほ》きな|金塊《きんくわい》が|波《なみ》の|上《うへ》に|浮《う》き|出《で》て、|次《つい》で|右《みぎ》にも|左《ひだり》にも、|前《まへ》にも|後《うしろ》にも|数限《かずかぎ》りのなき|金銀《きんぎん》、|真珠《しんじゆ》、|瑪瑙《めのう》、|瑠璃《るり》、|〓〓《しやこ》などの|立派《りつぱ》な|宝玉《ほうぎよく》は、|水面《すゐめん》に|浮《う》き|上《あが》り、|実《じつ》に|何《なん》とも|知《し》れぬ|美観《びくわん》なりける。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、
『もうよろしい、|乙姫《おとひめ》|殿《どの》に|宜敷《よろしう》|云《い》うて|下《くだ》さい』
と|言葉《ことば》|終《をは》ると|共《とも》に|浮《う》き|出《で》たる|諸々《もろもろ》の|宝《たから》は|又《また》もやぶくぶくと|音《おと》をさせて|海底《かいてい》に|残《のこ》らず|潜《ひそ》みける。|船客《せんきやく》|一同《いちどう》は|手《て》を|拍《う》つてその|美観《びくわん》を|褒《ほ》めたり。|船《ふね》は|悠々《いういう》として|西南《せいなん》に|向《むか》つて|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・一・三一 旧一・四 加藤明子録)
第二三章 |色《いろ》|良《よ》い|男《をとこ》〔三二三〕
|船頭《せんどう》は|又《また》もや|立《た》つて|船歌《ふなうた》を|唄《うた》ひ|始《はじ》めたり。
『|金《かね》は|世界《せかい》の|宝《たから》と|聞《き》けど ここの|宝《たから》は|手《て》に|合《あ》はぬ』
と|歌《うた》ひながら|進《すす》み|行《ゆ》く。|船頭《せんどう》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|向《むか》ひ、
『|漸《やうや》く|竜宮島《りうぐうじま》の|区域《くゐき》は|離《はな》れました。これから|先《さき》は|何《ど》ンな|話《はなし》をしても|構《かま》ひませぬ。どうぞ|珍《めづ》らしい|話《はなし》を|聞《き》かして|下《くだ》さい。|長《なが》い|海《うみ》の|上《うへ》、|嘸《さぞ》|御退屈《ごたいくつ》でせうから、|充分《じうぶん》|面白《おもしろ》い|話《はなし》をして|下《くだ》さいませ』
と、|荒《あら》つぽい|船頭《せんどう》に|似《に》ず|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|向《むか》つては、|力《ちから》|限《かぎ》り|丁寧《ていねい》な|言葉《ことば》を|列《なら》べ|立《た》てたり。|而《しかし》て|一般《いつぱん》の|船客《せんきやく》に|向《むか》ひ、
『おい、|皆《みな》の|御客《おきやく》さまよ、|是《これ》から|何《ど》ンな|話《はなし》をしてもよいわ。もう|竜宮島《りうぐうじま》の|上《うへ》は|越《こ》えた。|面白《おもしろ》い|歌《うた》でも|唄《うた》はつしやれ』
|船客《せんきやく》の|中《なか》から、
『あゝヤレヤレ、|口《くち》に|虫《むし》が|湧《わ》くかと|思《おも》つた。これからチツと|喋《しやべ》らして|貰《もら》はうかい。おい|船頭衆《せんどうしう》、|何《なに》|言《い》つても|好《よ》いかい』
『|生命《いのち》の|洗濯《せんたく》ぢや、|面白《おもしろ》い|事《こと》を|話《はな》さつしやい』
『|何《ど》うも|立派《りつぱ》な|宝《たから》が|浮《う》いたね。|一《ひと》つ|俺《おれ》も|欲《ほ》しかつた。|彼《あ》れ|一《ひと》つ|有《あ》つたら、|一生涯《いつしやうがい》|親子《おやこ》|兄弟《きやうだい》が「|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》は|暗《やみ》よ」と|云《い》つて、ウラル|彦《ひこ》さまのやうに|暮《くら》されるのに、|一《ひと》つ|位《くらゐ》くれたつて|好《よ》ささうなものだに、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》といふ|餓鬼《がき》や、よつぽど|慾《よく》な|奴《やつ》ぢやナア』
『|慾《よく》な|奴《やつ》は|皆《みんな》、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|見《み》たやうな|奴《やつ》だと|云《い》はうがな、|慾《よく》|有《あ》る|奴《やつ》ぢやから|偉《えら》いのだ。【ヨク】|無《な》い|奴《やつ》は|即《すなは》ち|悪《わる》いのだよ。【よく】よく|思案《しあん》をしてみれば、|金《かね》が|仇《かたき》の|世《よ》の|中《なか》か』
『|何《なに》を|吐《ぬ》かすのだい。|貴様《きさま》の|云《い》ふ|事《こと》は、チツとも|分《わか》りやしないよ』
『|分《わか》らぬ|筈《はず》だよ。|深《ふか》い|深《ふか》い|海《うみ》の|底《そこ》に|隠《かく》してあるのだもの、|分《わか》つたら|貴様《きさま》のやうな|慾心坊《よくしんばう》が、みな|持《も》つて|帰《い》ンで|了《しま》ふ。それで|乙姫《おとひめ》|様《さま》が|分《わか》らぬやうにして|御座《ござ》るのぢや』
『|益々《ますます》|分《わか》らぬことを|言《い》ふ|奴《やつ》だなあ』
『そンなことは|牛《うし》の|爪《つめ》だい、|先《さき》から|分《わか》つてらあ』
『そンな【けなり】さうな|話《はなし》はやめてくれ。|何《なん》だか|羨《うらや》ましくなつてきた。それよりも|酒《さけ》を|呑《の》ンで|喧嘩《けんくわ》でもして|見《み》ようかい。|俺《おれ》が|呑《の》まぬ|役《やく》の|狸彦《たぬきひこ》とか、|狐彦《きつねひこ》とかになるさ。|貴様《きさま》らは|徳利彦《とつくりひこ》と、|酔払彦《よつぱらひひこ》になつて|歌《うた》を|唄《うた》つて|酒《さけ》を|呑《の》むのだ。さうすると|俺《おれ》の|狸彦《たぬきひこ》が、|貴様《きさま》の|頭《あたま》をポカンとやるのだ。さうすると|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまが、|貴様《きさま》は|狸《たぬき》かいとおつしやるのだ。さうするとタヽヽヽタヽヽヽタノで|御座《ござ》いますと|云《い》ふのだ。|然《しか》り|而《しかう》して|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまが、|其処《そこ》に|居《を》るのは|徳利彦《とつくりひこ》か、|酔払彦《よつぱらひひこ》かと|御訊《おたづ》ね|遊《あそ》ばすのだ。そこで|俺《おれ》がトヽヽトヽヽトツクリと|分《わか》りませぬと|噛《か》ますのだ。さうすると|今度《こんど》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまが、そこに|居《ゐ》るのは|酔払彦《よつぱらひひこ》かと|仰有《おつしや》るのだ。さうすると|俺《おれ》がヨヽヽヽヨヽヽヽヨウ|酔《よ》うてゐますと|噛《か》ますのだ。さうすると|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまが、|御感心《ごかんしん》|遊《あそ》ばしてな、|俺《おれ》にはまた|色《いろ》|好《よ》い|男《をとこ》とか、|何《なん》とかいふ|神名《しんめい》を|下《くだ》さるなり、|貴様《きさま》にはクヽヽクヽヽ|黒狸《くろだぬき》とか、クヽヽクヽヽ|黒狐《くろぎつね》とかいふ|名《な》を|賜《たまは》つて、|竜宮島《りうぐうじま》の|神《かみ》さまにして|下《くだ》さるのだ』
『やい、|貴様《きさま》は|色《いろ》|好《よ》い|男《をとこ》なンて|吐《ぬ》かしよつて、|俺《おれ》を|黒狐《くろぎつね》の|黒狸《くろだぬき》と、|何《なん》だい|馬鹿《ばか》にするな。それそれ|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまが、|大《おほ》きな|目《め》を|剥《む》いて|睨《にら》んでゐらつしやるぞ。|蝸牛蟲《でんでんむし》のやうに、すつこめすつこめ』
と|他愛《たあい》なく|馬鹿口《ばかぐち》を|叩《たた》いて|酒《さけ》をチビリチビリと|呑《の》ンでゐる。|船頭《せんどう》は、
『オイ、|御客様《おきやくさま》、|常世《とこよ》の|国《くに》に|行《ゆ》くつもりだつたが、お|前達《まへたち》が|仕様《しやう》もない|話《はなし》をするものだから、さつぱり|風《かぜ》が|変《かは》つて|了《しま》つたよ。これは|如何《どう》しても|一旦《いつたん》は、|筑紫《つくし》の|島《しま》へ|押流《おしなが》されにや|仕方《しかた》が|無《な》い。これもお|前達《まへたち》の|身《み》から|出《で》た|錆《さび》だ。|必《かなら》ず|船頭《せんどう》を|悪《わる》いと|思《おも》つてくれるなよ』
『|船頭《せんどう》、|吾々《われわれ》の|前途《ぜんと》を|見届《みとど》けるのは、|船頭《せんどう》の|役《やく》ぢやないか。|飯《めし》は|船中《せんちう》の|虱《しらみ》のやうにセンドセンドかかつて|喰《くら》ふなり、そンなことで|船商買《ふなしやうばい》[#「船商買」は御校正本通り]は|務《つと》まら【せんどう】だアハヽヽヽ』
|霧《きり》を【すかし】て|遥《はるか》|向方《むかう》に、|波《なみ》に|浮《うか》べる【こンもり】とした|島《しま》かげ|現《あら》はれたり。|船頭《せんどう》は、
『やあ、たうとう|筑紫《つくし》の|島《しま》が|見《み》えました』
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|立《た》ち|上《あが》り、|筑紫《つくし》の|島《しま》に|向《むか》つて、またもや|歌《うた》を|唄《うた》ひたまう。
(大正一一・一・三一 旧一・四 外山豊二録)
第五篇 |亜弗利加《アフリカ》
第二四章 |筑紫《つくし》|上陸《じやうりく》〔三二四〕
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|唄《うた》ひ|玉《たま》ふ。
『|天津御空《あまつみそら》も|海原《うなばら》も  |真澄《ますみ》の|姫《ひめ》の|永遠《とことは》に
|鎮《しづ》まりゐます|冠島《かむりじま》  |名《な》さへ|目出度《めでた》き|竜宮《りうぐう》の
|宝《たから》の|島《しま》を|後《あと》にして  |科戸《しなど》の|風《かぜ》の|吹《ふ》くままに
|流《なが》れ|流《なが》れて|今《いま》ここに  |筑紫《つくし》の|島《しま》の|島影《しまかげ》を
|幽《かす》かに|眺《なが》め|皇神《すめかみ》の  |深《ふか》き|仕組《しぐみ》も|不知火《しらぬひ》の
わが|身《み》の|魂《たま》の|愚《おろか》さよ  |心《こころ》つくしの|益良雄《ますらを》が
|深《ふか》き|仕組《しぐみ》を|駿河《するが》なる  |富士《ふじ》の|御山《みやま》に|千木《ちぎ》|高《たか》く
|鎮《しづ》まりゐます|木《こ》の|花姫《はなひめ》の  |神《かみ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて
|塩《しほ》の|八百路《やほぢ》を|渡《わた》りつつ  |心《こころ》の|空《そら》も|純世姫《すみよひめ》
|神《かみ》の|命《みこと》の|永遠《とことは》に  |鎮《しづ》まりゐますこの|島《しま》は
|天津御神《あまつみかみ》の|造《つく》らしし  |宝《たから》の|島《しま》と|聞《きこ》ゆなる
|珍《うづ》の|島根《しまね》を|目《ま》のあたり  |越《こ》えて|又《また》もやこの|島《しま》の
|宝《たから》を|探《さぐ》る|楽《たのし》さは  |黒白《あやめ》も|分《わ》かぬ|闇《やみ》の|世《よ》を
|天津日《あまつひ》の|出《で》の|東天《とうてん》に  |現《あら》はれ|給《たま》ひし|如《ごと》くなり
|現《あら》はれ|給《たま》ひし|如《ごと》くなり』
『オイ、|今《いま》の|歌《うた》を|聞《き》いたか。この|昼中《ひるなか》に|目《め》の|玉《たま》の|闇《やみ》だとか、|暗《くら》がりだとか|仰有《おつしや》つたじやらう。|東《ひがし》の|空《そら》から、お|日《ひ》さまが|出《で》るとか|聞《き》いたじやらう、|一寸《ちよつと》|可笑《をか》しいじやないか。|日天様《につてんさま》は|西《にし》の|空《そら》に|傾《かたむ》いてゐらつしやるのに、|苟《いやし》くも|人《ひと》を|教《をし》へる|宣伝使《せんでんし》ともあるものが|何《なん》であンな|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を|言《い》ふのだらうね』
『|貴様《きさま》はそれだから|困《こま》るのよ。|何《なん》でもかでもチヨツピリと|聞《き》き【はつり】よつて、|知《し》らぬ|者《もの》の|半分《はんぶん》も|知《し》らぬくせに、|知《し》つた|者《もの》のやうにナゼそンな|脱線《だつせん》した|講釈《かうしやく》をするのだ。|貴様《きさま》と|一緒《いつしよ》に|連《つら》なつてゐると、|俺《おれ》アもう|情《なさけ》ない。あまりわけが|分《わか》らなさ|過《すぎ》らア』
『|分《わか》らぬ|分《わか》らぬて、|何《なに》が|分《わか》らぬ。|分《わか》らぬとは|貴様《きさま》のことじやないか。|嬶《かか》アや|子《こ》のある【ざま】をしよつて、|五十《ごじふ》の|尻《けつ》を|作《つく》つて|居《を》り|乍《なが》ら、|貴様《きさま》のとこの【おさん】の○○へ○○しよつて、|嬶《かか》アに|見《み》つけられ、それがために|嬶《かか》アは|悋気《りんき》の|角《つの》を|振《ふる》ひ|立《た》てて、|死《し》ぬの|生《い》きるの|暇《ひま》をくれのと、|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|犬《いぬ》も|食《く》はぬ|喧嘩《けんくわ》をおつ|始《ぱじ》め、|近所《きんじよ》の|大迷惑《おほめいわく》だつたよ。|酋長《しうちやう》の|木兵衛《もくべゑ》さまが|心配《しんぱい》して、いろいろと|道理《だうり》を|説《と》き|諭《さと》して|噛《か》ンで|飲《の》むやうにおつしやつても、|貴様《きさま》は|死《し》ンでも|彼奴《あいつ》とは|別《わか》れぬとか、|分《わか》らぬとか|吐《ぬ》かしたぢやないか。ソレに|俺《おれ》が|分《わか》らぬもあつたものかい』
『サアサア|船《ふね》が|着《つ》きましたよ。お|客《きやく》さま、また|此処《ここ》で|十日《とをか》ばかり|風《かぜ》を|待《ま》たな、|常世《とこよ》の|国《くに》へは|行《ゆ》けやしない。グヅグヅしとると、この|船《ふね》は|何処《どこ》へ|行《ゆ》くか|分《わか》りやしないぞ。|早《はや》う|立《た》たぬかい』
『|八釜《やかま》しう|言《い》うない。|立《た》てらりやせぬわ』
『|立《た》てないつて|貴様《きさま》|何《なに》して|居《ゐ》るのだい』
『|貴様《きさま》ら|先《さき》へ|上《あが》れ、|俺《おれ》は|後《あと》から|上《あが》る』
『|腹《はら》の|悪《わる》い|奴《やつ》だナ。|皆《みんな》|上《あが》つた|後《あと》で|何《なに》か|忘《わす》れ|物《もの》でもあつたら、|猫《ねこ》【ババ】でもキメ|込《こ》まうと|思《おも》ひよつて【ケツ】が|呆《あき》れらア』
『その【ケツ】だよ』
『|貴様《きさま》【ケツ】て|何《なん》だい。ははあ|坐《すわ》つたままで、|糞《くそ》を|放《た》れよつたのだな。ハヽーそれで|読《よ》めた。じつとしてをれ。バタバタすると|臭《くさ》いぞ。|臭《くさ》い|野郎《やらう》だナ』
|船頭《せんどう》は|心《こころ》せはし|気《げ》に、
『おい、|早《はや》く|立《た》たぬか』
『はいはい、|今《いま》|立《た》ちます』
『そのババたれ|腰《ごし》は|何《なん》だい』
『|本当《ほんたう》にタレたのだい』
|船頭《せんどう》は|真赤《まつか》になりながら、
『すつくり|掃除《さうぢ》せい。|掃除《さうぢ》せにや|上《あ》がらせぬぞ。|糞放《くそたれ》|奴《め》が』
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》と|共《とも》に|上陸《じやうりく》し、|又《また》もや|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、|後《あと》をも|見《み》ずに|奥深《おくふか》く|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・一・三一 旧一・四 桜井重雄録)
第二五章 |建日別《たけひわけ》〔三二五〕
|大海原《おほうなばら》を|撫《な》で|渡《わた》る  |科戸《しなど》の|風《かぜ》の|吹《ふ》き|廻《まは》し
|常世《とこよ》の|波《なみ》の|重波《しきなみ》の  |寄《よ》せ|来《く》る|儘《まま》に|思《おも》ひきや
|筑紫島《つくしじま》なる|亜弗利加《アフリカ》の  |広《ひろ》き|陸地《りくち》に|着《つ》きにけり
|暗世《やみよ》を|照《て》らす|天津日《あまつひ》の  |光《ひかり》を|浴《あ》びて|照妙《てるたへ》の
|衣《ころも》を|捨《す》てて|蓑笠《みのかさ》の  |身装《みなり》も|脚《あし》もいと|軽《かる》く
|崎嶇《きく》たる|山《やま》を|登《のぼ》り|来《く》る  ここに|一条《いちでう》の|急潭《きふたん》は
|怪《あや》しき|巌《いはほ》と|相打《あひう》ちて  |激怒突喊《げきどとつかん》|飛《と》ぶ|沫《あわ》の
|万斛《ばんこく》の|咳咤《がいだ》を|注《そそ》いで  |怪岩《くわいがん》の|面《おもて》を|打《う》てば
|巌《いはほ》はその|奇《く》しき|醜《みにく》き  |面《おもて》を|背《そむ》けて|水《みづ》は|狂奔《きやうほん》する
|奇絶壮絶《きぜつさうぜつ》|勝景《しようけい》の  |谷間《たにま》の|小径《こみち》に|差懸《さしかか》る
|春《はる》とはいへど|蒸暑《むしあつ》き  |日《ひ》に|亜弗利加《アフリカ》の|山《やま》の|奥《おく》
|暫時《しばし》|木蔭《こかげ》に|佇《たたず》みて  この|光景《くわうけい》を|三柱《みはしら》の
|名《な》さへ|芽出度《めでた》き|宣伝使《せんでんし》  |飛瀑《ひばく》の|声《こゑ》と|相俟《あひま》つて
|壮快《さうくわい》|極《きは》まる|宣伝歌《せんでんか》  |天地《てんち》の|塵《ちり》を|払拭《ふつしき》し
|山野《さんや》を|清《きよ》むる|如《ごと》くなり。
|三柱《みはしら》の|宣伝使《せんでんし》は、この|谷川《たにがは》の|奇勝《きしよう》を|眺《なが》め、|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、
『あゝ|実《じつ》に|天下《てんか》の|絶景《ぜつけい》だ。|吾々《われわれ》も|宣伝使《せんでんし》となつて、|天下《てんか》を|横行《わうかう》|濶歩《くわつぽ》して|来《き》たが、|未《いま》だ|嘗《かつ》て|見《み》ざる|壮快《さうくわい》な|景色《けしき》である。|山《やま》といひ、|谷川《たにがは》といひ、|実《じつ》に|吾々《われわれ》の|心境《しんきやう》を|洗《あら》ふやうな|心持《こころもち》がするね』
|祝姫《はふりひめ》『|左様《さやう》でござります。|長《なが》い|間《あひだ》|波《なみ》の|上《うへ》の|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けて、|少々《せうせう》|勿体《もつたい》ないこと|乍《なが》ら|飽《あ》き|気味《ぎみ》になつてゐましたが、|世界《せかい》はよくしたものですな。かう|云《い》ふやうな|天下《てんか》の|奇勝《きしよう》を|見《み》ることの|出来《でき》るのも、|全《まつた》く|神様《かみさま》の|御引合《おひきあは》はせ。|旅《たび》は|憂《う》いもの、|辛《つら》いものと|申《まを》せども、|宣伝使《せんでんし》でなくては|到底《たうてい》かう|云《い》ふ|絶景《ぜつけい》を|見《み》ることは|出来《でき》ない。|吾々《われわれ》は|神様《かみさま》に|感謝《かんしや》を|捧《ささ》げねばなりますまい』
|面那芸《つらなぎ》『あゝ|時《とき》に|何《なん》だか|谷底《たにそこ》に|流《なが》れの|音《おと》か、|猛獣《まうじう》の|呻《うめ》き|声《ごゑ》か、|人《ひと》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》か、【はつきり】|分《わか》りませぬが|妙《めう》な|響《ひびき》がするではありませぬか』
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、|衝《つ》と|立《た》つて|耳《みみ》を|澄《すま》しながら、
『はー、|如何《いか》にも|何《なん》だか|合点《がつてん》のゆかぬ|唸鳴《うな》り|声《ごゑ》ですな。|何《なん》は|兎《と》もあれ、|私《わたくし》はその|声《こゑ》を|目標《めあて》に|調《しら》べて|来《き》ませう。|貴使《あなた》は|此処《ここ》に|暫《しばら》く|待《ま》つてゐて|下《くだ》さい』
|二柱《ふたはしら》は|口《くち》を|揃《そろ》へて、
『いや、|吾々《われわれ》も|御伴《おとも》いたしませう』
|日出神《ひのでのかみ》『|然《しか》らば|私《わたくし》が|一歩先《ひとあしさき》に|参《まゐ》ります。|貴下《あなた》は|見《み》え|隠《かく》れに|跟《つ》いて|来《き》て|下《くだ》さい。|万一《もしも》の|事《こと》があれば|合図《あひづ》を|致《いた》しますから、こちらが|合図《あひづ》をするまで、|出《で》て|来《き》てはなりませぬぞ』
と|云《い》ひながら、|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|谷《たに》|深《ふか》く|声《こゑ》を|捜《たづ》ねて|進《すす》み|行《ゆ》く。
|行《ゆ》くこと|二三町《にさんちやう》|斗《ばか》り、|此処《ここ》には|見上《みあ》ぐるばかりの|大岩石《だいがんせき》が|谷間《たにま》に|屹立《きつりつ》し、|五六尺《ごろくしやく》もある|大《だい》なる|巌窟《がんくつ》が、|彼方《あちら》にも|此方《こちら》にも、|天然《てんねん》に|穿《うが》たれあり。|髪《かみ》の|毛《け》の|赤《あか》い、|顔《かほ》の|炭《すみ》ほど|黒《くろ》いやや|赤銅色《あかがねいろ》を|帯《お》びた|数多《あまた》の|男《をとこ》が、|幅《はば》の|分厚《ぶあつ》い|唇《くちびる》を|鳥《とり》の|嘴《くちばし》のやうに|突出《つきだ》した|奴《やつ》|数十人《すうじふにん》|安座《あぐら》をかいて、|一人《ひとり》の|色《いろ》の|蒼白《あをじろ》い|少《すこ》しく|眼《め》の|悪《わる》い|男《をとこ》を|中《なか》に|置《お》いて|何《なに》か|頻《しきり》に|揶揄《からか》つてゐる。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、|木蔭《こかげ》に|身《み》を|忍《しの》ばせこの|様子《やうす》を|聞《き》き|入《い》つた。
『やい、|貴様《きさま》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》とか、|何《なん》とか|吐《ぬ》かしよつて、この|島《しま》に|案内《あんない》も|無《な》く|肩《かた》の|凝《こ》るやうな|歌《うた》を|歌《うた》つて|参《まゐ》り、|俺《おい》らの|一族《いちぞく》を|滅茶々々《めちやめちや》にしよるのか。|此処《ここ》を|何《なん》と|心得《こころえ》てをる。|勿体《もつたい》なくも|常世《とこよ》の|国《くに》の|常世神王様《とこよしんわうさま》の|御領分《ごりやうぶん》だぞ。それに|貴様《きさま》は|大《おほ》きな|面《つら》を|提《さげ》よつて、この|世《よ》が|変《かは》るの、|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》けるのと、|大《おほ》きな|喇叭《ラツパ》を|吹《ふ》きよつて|何《なん》のことだい。もうこれ|限《ぎ》り|宣伝使《せんでんし》を|止《や》めて、|俺《おい》らの|奴隷《どれい》になればよし。ならなならぬで|是《これ》から|成敗《せいばい》をしてやる。|返答《へんたふ》せい』
|一人《ひとり》の|男《をとこ》は、|少《すこ》しも|屈《くつ》せず|四辺《あたり》に|響《ひび》く|声《こゑ》を|張上《はりあ》げて、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る』
『こら、【しぶとい】|奴《やつ》だ。|未《ま》だ|吐《ぬ》かすのか。おい、|皆《みな》の|奴《やつ》、|石塊《いしころ》を|持《も》つて|来《こ》い。|此奴《こいつ》の|口《くち》を|塞《ふさ》いでやらうぢやないか』
『おい、|宣伝使《せんでんし》、|此処《ここ》は|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|常世国《とこよのくに》に|現《あら》はれました|伊弉冊命《いざなみのみこと》|様《さま》が、|常世神王《とこよしんわう》といふ|偉《えら》い|神様《かみさま》を|御使《おつか》ひになつて、その|御家来《ごけらい》の|荒熊別《あらくまわけ》といふ|力《ちから》の|強《つよ》い|御威勢《ごゐせい》の|高《たか》い|神様《かみさま》が、|御守《おまも》り|遊《あそ》ばす|結構《けつこう》な|国《くに》だぞ。|此処《ここ》の|人間《にんげん》は|毎日々々《まいにちまいにち》、|神様《かみさま》の|御蔭《おかげ》で、|一《ひと》つも|働《はたら》かず|無花果《いちじゆく》の|実《み》を|食《く》つたり、|橘《たちばな》や、|橙《だいだい》その|他《た》の|結構《けつこう》なものを|頂《いただ》いて、|梨《あり》の|実《み》の|酒《さけ》を|醸《つく》つて「|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ、|暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る」と|日々《にちにち》|勇《いさ》ンで|暮《くら》す|天国《てんごく》だ。それに|何《なん》ぞや、|七六ケ敷《しちむつかし》い|劫託《ごふたく》を|列《なら》べよつて、|立替《たてかへ》るも|立別《たてわけ》るもあつたものかい。さあ、これから|皆《みな》|寄《よ》つて|此奴《こいつ》を|荒料理《あられうり》して|食《く》つて|了《しま》つてやらうかい』
『やい、そんな|無茶《むちや》をするない。|此奴《こいつ》は|剛情我慢《がうじやうがまん》の|奴《やつ》だが、|併《しか》しあの|細《ほそ》い|目《め》から|恐《おそ》ろしい|光《ひかり》を|出《だ》して|居《を》るぞ。|何《なん》でも|天《てん》から|降《ふ》つて|来《き》た|神《かみ》さまの|化物《ばけもの》かも|知《し》れやしない。うつかり|手出《てだし》をしたら、|罰《ばち》が|当《あた》るぞよ』
『|気《き》の|弱《よわ》いことを|言《い》ふな。|吾々《われわれ》は|伊弉諾神《いざなぎのかみ》|様《さま》の|立派《りつぱ》な|氏子《うぢこ》だ。|天《てん》から|降《ふ》つたか、|地《ち》から|湧《わ》いたか|知《し》らぬが、こンなものの|一疋《いつぴき》|位《ぐらゐ》にびくびくするない』
|一人《ひとり》の|男《をとこ》、|声《こゑ》を|張上《はりあ》げて、
『|神《かみ》がこの|世《よ》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|天地《あめつち》|四方《よも》の|国々《くにぐに》や  |島《しま》の|八十島《やそしま》|八洲国《やしまぐに》
|教《をしへ》を|開《ひら》く|宣伝使《せんでんし》  |神《かみ》の|恵《めぐ》みも|大島《おほしま》や
|小島《こじま》の|別《わけ》の|神司《かんつかさ》  |眼《まなこ》は|少《すこ》し|悪《わる》けれど
|汝《なんぢ》の|眼《まなこ》に|映《うつ》らない  |心《こころ》の|眼《まなこ》は|日月《じつげつ》の
|光《ひかり》に|擬《まが》ふ|小島別《こじまわけ》  わけも|知《し》らずに|言《こと》さやぐ
|醜《しこ》の|曲津《まがつ》の|集《あつ》まれる  |虎《とら》|狼《おほかみ》や|鬼《おに》|大蛇《をろち》
|熊襲《くまそ》の|国《くに》の|山《やま》の|奥《おく》  |山路《やまぢ》を|別《わ》けて|進《すす》み|来《く》る
われは|汝《なんぢ》の|助《たす》け|神《がみ》  |世《よ》は|常暗《とこやみ》の|熊襲国《くまそぐに》
|残《のこ》る|隈《くま》なく|照《て》らさむと  |綾《あや》の|高天《たかま》を|立出《たちい》でて
|心《こころ》のたけの|建日別《たけひわけ》  |神《かみ》の|命《みこと》と|現《あら》はれて
この|国魂《くにたま》と|天津日《あまつひ》の  |神《かみ》の|命《みこと》のよさしなり
|神《かみ》の|命《みこと》のよさしなり  |荒《あら》ぶる|神《かみ》よ|醜人《しこびと》よ
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》る  |誠《まこと》の|神《かみ》の|神勅《みことのり》』
と|歌《うた》ひ|始《はじ》むるや、|一同《いちどう》は|耳《みみ》を|塞《ふさ》ぎ、|目《め》を|閉《と》ぢ、
『やあ、こいつは|堪《たま》らぬ』
と|大地《だいち》にかぶりつく。この|時《とき》またもや、|森林《しんりん》の|中《なか》より|宣伝歌《せんでんか》が|聞《きこ》えきたりぬ。
(大正一一・二・一 旧一・五 外山豊二録)
第二六章 アオウエイ〔三二六〕
|小島別《こじまわけ》は|尚《なほ》も|進《すす》むで|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ふ。|数多《あまた》の|人々《ひとびと》は|息《いき》を|凝《こら》し|一言一句《いちげんいつく》その|歌《うた》に|胸《むね》を|刺《さ》さるる|如《ごと》く、|苦《くる》しみ|呻《うめ》き|冷汗淋漓《れいかんりんり》として|雨《あめ》の|如《ごと》く、|滝《たき》の|如《ごと》くに|流《なが》し、|焦暑《いらあつ》さと|宣伝歌《せんでんか》に|責《せ》められて、|頭《あたま》はますます【ガンガン】と|痛《いた》み|出《だ》したり。|小島別《こじまわけ》は|大喝《だいかつ》|一声《いつせい》、
『|赦《ゆる》す』
と|声《こゑ》をかくれば、|諸人《もろびと》はその|声《こゑ》を|聞《き》くと|共《とも》に|頭痛《づつう》はぴたりと|止《と》まり、|忽《たちま》ち|各自《かくじ》は|大地《だいち》に|両手《りやうて》を|突《つ》き、|犬突這《いぬつくばひ》となりて|謝罪《しやざい》の|意《い》を|表《へう》したりける。
|小島別《こじまわけ》は|眼《め》を|擦《こす》りながら、|諄々《じゆんじゆん》として|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|説《と》きければ、いづれの|人々《ひとびと》も|感《かん》に|打《う》たれて|恐《おそ》れ|入《い》り、|宣伝使《せんでんし》の|顔《かほ》を|穴《あな》のあくほど|眺《なが》め|入《い》りぬ。このとき|巌窟《がんくつ》の|奥《おく》より|何《なん》とも|云《い》へぬ|呻《うめ》き|声《ごゑ》|聞《き》こえきたる。|人々《ひとびと》は|耳《みみ》を|聳立《そばだ》て|眼《め》を|見張《みは》り、|期《き》せずして|巌窟《がんくつ》の|方《はう》に|向《む》き|直《なほ》れば、|奥深《おくふか》き|暗《くら》き|巌窟《がんくつ》の|中《なか》より|茫然《ばうぜん》として|白《しろ》き|怪《あや》しき|影《かげ》が、|蚊帳《かや》を|透《とほ》して|見《み》るが|如《ごと》く【ぼんやり】と|現《あら》はれ、|不思議《ふしぎ》な|声《こゑ》にて、
『アハヽヽハー。オホヽヽホー。ウフヽヽフー。エヘヽヽヘー。イヒヽヽヒー。|腰《こし》ぬけ|野郎《やらう》、|屁古垂《へこたれ》|野郎《やらう》、【ばばたれ】|野郎《やらう》、【ひよつとこ】|野郎《やらう》、|弱虫《よわむし》、|糞虫《くそむし》、|雪隠虫《せんちむし》、|吃驚虫《びつくりむし》ども、【とつくり】と|聞《き》け。ここは|何《なん》と|心得《こころえ》てゐるか。|勿体《もつたい》なくも|常世国《とこよのくに》に|現《あら》はれ|玉《たま》へる、|国《くに》の|御柱《みはしら》|大御神《おほみかみ》|伊弉冊命《いざなみのみこと》のその|家来《けらい》、|常世神王《とこよしんわう》の|隠《かく》れ|場所《ばしよ》と|造《つく》られし、|一大《いちだい》|秘密《ひみつ》の|天仙郷《てんせんきやう》、この|八《や》つの|巌窟《がんくつ》は、|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》の|隠《かく》れ|場所《ばしよ》ぞ。その|眷属《けんぞく》の|貴様《きさま》たちは、たつた|一人《ひとり》の|宣伝使《せんでんし》|小島別《こじまわけ》の|盲《めくら》どもの|舌《した》の|先《さき》にちよろまかされ、|木《こ》の|葉《は》に|風《かぜ》の|当《あた》りしごとく、【びりびり】|致《いた》す|腰抜《こしぬ》け|野郎《やらう》、|馬鹿《ばか》ツ、|馬鹿々々々々《ばかばかばか》ツ』
と|呶鳴《どな》り|立《た》てたれば、|数多《あまた》の|黒坊《くろんぼ》はこの|声《こゑ》に|二度《にど》|吃驚《びつくり》、
『ヒヤツ! こいつは|耐《たま》らぬ』
と|亦《また》もや|大地《だいち》にべたりと|倒《たふ》れる。|小島別《こじまわけ》は|巌窟《がんくつ》に|向《むか》ひ|両手《りやうて》を|組《く》み「|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》」と|唱《とな》へながら、
『|我々《われわれ》は、|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|天教山《てんけうざん》に|現《あら》はれ|給《たま》へる|撞御柱大御神《つきのみはしらおほみかみ》、|天御柱大御神《あめのみはしらおほみかみ》、|木花姫《このはなひめ》の|神教《しんけう》を|開《ひら》かせたまふ|黄金山下《わうごんさんか》の|三五教《あななひけう》の|守神《まもりがみ》、|埴安彦神《はにやすひこのかみ》の|宣伝使《せんでんし》|小島別《こじまわけ》なるぞ。|何者《なにもの》ならば|断《ことわ》りもなく|筑紫《つくし》の|島《しま》に|打《う》ち|渡《わた》り、この|巌窟《がんくつ》に|巣《す》を|構《かま》へ、|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|限《かぎ》りを|尽《つく》し、|天命《てんめい》つひに|免《まぬが》れ|難《がた》く、この|巌窟《がんくつ》に|忍《しの》び|入《い》るこそ|汝《なんぢ》|悪神《あくがみ》の|運《うん》の|尽《つ》き。|早《はや》く|汝《なんぢ》が|素性《すじやう》を|名乗《なの》り、|悪《あく》を|悔《く》ひ|善《ぜん》に|立《た》ちかへり、|撞御柱大神《つきのみはしらおほかみ》に|心《こころ》の|底《そこ》より|謝罪《しやざい》せよ。|否《いな》むに|於《おい》ては|我《われ》に|天授《てんじゆ》の|宝剣《ほうけん》あり。サア|如何《どう》ぢや。|抜《ぬ》いて|見《み》せうか|抜《ぬ》かずに|置《お》かうか。|醜《しこ》の|曲津見《まがつみ》|返答《へんたふ》|致《いた》せ』
|巌窟《いはや》の|中《なか》より|亦《また》もや、
『アハヽヽハー|阿呆《あはう》につける|薬《くすり》はないワイ、オホヽヽホー|臆病者《おくびやうもの》の|空威張《からいば》り|奴《め》、ウフヽヽフー|迂濶者《うつけもの》の|世迷《よま》ひ|言《ごと》、エヘヽヽヘー|得体《えたい》の|知《し》れぬ|宣伝使《せんでんし》、イヒヽヽヒー|行《い》きつきばつたりの|流浪人《さすらひびと》、|吾《われ》は|熊襲《くまそ》の|大曲津神《おほまがつかみ》、|曲《まが》つた|事《こと》は|大《だい》の|好物《かうぶつ》、|汝《なんぢ》が|頭《あたま》の【ど】|天辺《てつぺん》から|塩《しほ》でもつけて|噛《か》ぶつて|喰《くら》はうか、|股《また》から|引《ひ》き|裂《さ》いて|炙《あぶ》つて|喰《くら》はうか、|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》の|大棟梁《だいとうりやう》、|蛇々雲彦《じやじやくもひこ》とは|吾事《わがこと》なるぞ。|返答《へんたふ》|聴《き》かう、|小島別《こじまわけ》の|宣伝使《せんでんし》』
と|四辺《あたり》に|響《ひび》く|大音声《だいおんじやう》に|呶鳴《どな》りつけたれども、|小島別《こじまわけ》は|莞爾《につこ》として、
『アハヽヽアー|熊襲《くまそ》の|国《くに》の|枉津神《まがつかみ》、|味《あぢ》をやり|居《を》るワイ。|正義《せいぎ》に|刃向《はむか》ふ|刃《やいば》は|無《な》いぞ。|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る|神《かみ》の|使《つかひ》の|宣伝使《せんでんし》だ。|真澄《ますみ》の|鏡《かがみ》に|照《てら》されて、|赤耻《あかはぢ》|掻《か》き|頭《あたま》を|掻《か》いて|吠面《ほえづら》かわくな。かく|申《まを》す|某《それがし》は、|天教山《てんけうざん》に|名《な》も|高《たか》き|神伊弉諾大神《かむいざなぎのおほかみ》の|遣《つか》はせ|玉《たま》へる、|心《こころ》も|膽《きも》も|天下《てんか》|無雙《むさう》の|太柱《ふとばしら》、|太《ふと》い|奴《やつ》とは|俺《おれ》の|事《こと》、|喰《く》ふなら|見事《みごと》|喰《く》つて|見《み》よ。|古手《ふるて》な|事《こと》をして|泡《あわ》を|喰《く》ふな』
|巌窟《いはや》の|中《なか》より、
『アハヽハー|仇阿呆《あだあはう》らしいワイ。オホヽホー|脅喝《おどかし》|文句《もんく》のお|目出度《めでた》さ。ウフヽフー|迂濶者《うつけもの》の|迂濶事《うつけごと》、|熱《ねつ》に|浮《う》かされて【うさ】|事《ごと》を|吐《ほざ》くな。エヘヽヘー|豪《えら》い|元気《げんき》だのう、|閻魔《えんま》も|裸足《はだし》で|逃《に》げやうかい。イヒヽヒー|勢《いきほひ》ばかり|強《つよ》うても|心《こころ》の|弱味《よわみ》は|見《み》え|透《す》いた。イヒヽー|憐愍《いじらし》いものだ。いま|俺《おれ》の|手《て》にかかつて|寂滅為楽《じやくめつゐらく》|頓生菩提《とんしやうぼだい》、|一寸先《いつすんさき》の|見《み》えぬ|盲《めくら》ども、これを|思《おも》へば|憐愍《いじらし》うて|涙《なみだ》が|溢《こぼ》れる。アハヽハー|悪《あく》の|身魂《みたま》の|年《ねん》の|明《あ》きとは|貴様《きさま》の|事《こと》、|悪《あく》の|栄《さか》える|例《ためし》はないぞ。イヒヽヒーいつまで|身魂《みたま》が|磨《みが》けぬか。オホヽホー|己《おのれ》の|事《こと》は|棚《たな》に|上《あ》げ、|人《ひと》を|悪《わる》い|悪《わる》いと|慢心《まんしん》いたして|其《その》|権幕《けんまく》は|何《なん》の|事《こと》だい。ウフヽフー|動《うご》きの|取《と》れぬ|今日《けふ》の|首尾《しゆび》、|迂濶《うつかり》|出《で》て|来《き》た|偽宣伝使《にせせんでんし》。エヘヽヘー|枝《えだ》の、|末《すゑ》の、|貧乏神《びんばふがみ》、|腰抜《こしぬ》け|野郎《やらう》の|分際《ぶんざい》で、|常世《とこよ》の|国《くに》に|使《つか》ひして、|言霊別《ことたまわけ》に|騙《だま》されて、|竜宮城《りうぐうじやう》に|帰《かへ》つて|何《なん》の|態《ざま》。イヒヽヒー|何時《いつ》まで|経《たつ》ても|改心《かいしん》せぬか、|心《こころ》の|岩戸《いはと》は|何時《いつ》|開《ひら》く、|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》、|善《ぜん》に|見《み》えても|悪《あく》がある。|悪《あく》に|見《み》えても|善《ぜん》がある。|善《ぜん》と|慈悲《じひ》との|仮面《かめん》を|被《かぶ》り、|吾物顔《わがものがほ》に|天下《てんか》を|横行《わうかう》|濶歩《くわつぽ》する|小島別《こじまわけ》の|偽宣伝使《にせせんでんし》。この|世《よ》の|中《なか》の|穀潰《ごくつぶ》し、|生《いき》て|益《えき》なき|娑婆塞《しやばふさ》ぎ、|地獄《ぢごく》の|釜《かま》のどン|底《ぞこ》に|落《おと》してやらうか|小島別《こじまわけ》、|常世姫《とこよひめ》に|玉抜《たまぬけ》かれ、|言霊別《ことたまわけ》に|力《ちから》の|限《かぎ》り|根《こん》|限《かぎ》り、|邪魔《じやま》をひろいだ|盲者《めくら》の|張本《ちやうほん》、|何《ど》の|面《つら》|提《さ》げて|臆面《おくめん》もなく|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》。アハヽハー、ほンに|世界《せかい》は|広《ひろ》いものだなあ、オホヽホー、ウフヽフー、エヘヽヘー、イヒヽヒー、』
と|又《また》も|笑《わら》ひ|出《だ》したり。
|小島別《こじまわけ》は|胸《むね》に|鎹《かすがひ》|打《う》たるる|心地《ここち》、ハツと|胸《むね》を|衝《つ》いて|思案《しあん》に|暮《く》れゐたりける。
(大正一一・二・一 旧一・五 加藤明子録)
(第一九章〜第二六章 昭和一〇・二・二三 於徳山市松政旅館 王仁校正)
第二七章 |蓄音器《ちくおんき》〔三二七〕
|小島別《こじまわけ》はこの|巌窟《がんくつ》の|中《なか》より|出《いづ》る|声《こゑ》に、|合点《がつてん》ゆかぬといふ|身振《みぶ》りをしながら、|以前《いぜん》の|元気《げんき》に|引《ひき》かへて、|虫《むし》のやうな|声《こゑ》を|搾《しぼ》り|出《だ》し、
『さう|仰有《おつしや》る|貴方様《あなたさま》は|果《はた》して|何《いづ》れの|神《かみ》に|坐《ま》しますや、|御名《おんな》を|名告《なの》らせ|給《たま》へ』
|巌窟《がんくつ》の|中《なか》より|大声《おほごゑ》にて|又《また》も、
『アハヽヽヽヽ、あかぬあかぬまだ|改心《かいしん》はできぬ。オホヽヽヽヽ|恐《おそ》ろしい|渋太《しぶとい》|奴《やつ》ぢやな、ウフヽヽヽヽ|浮《う》か|浮《う》かするな、この|世《よ》は|悪魔《あくま》の|巣窟《さうくつ》ぞ、エヘヽヽヽヽ|豪《えら》さうに|威張《ゐば》つて|歩《ある》く|宣伝使《せんでんし》、|頭《あたま》の|先《さき》から|足許《あしもと》まで|好《よ》く|気《き》をつけよ。イヒヽヽヽヽ|威張《ゐばり》|散《ち》らして|竜宮《りうぐう》の|小島別《こじまわけ》の|宣伝使《せんでんし》、カヽヽヽヽ|必《かなら》ず|神《かみ》を|鰹節《かつをぶし》にいたすなよ、コヽヽヽヽ|小島別《こじまわけ》の|盲《めくら》ども、クヽヽヽヽ|腐《くさ》つた|魂《たま》の|宣伝使《せんでんし》、|臭《くさ》い|物《もの》に|蓋《ふた》して|歩《ある》く|小島別《こじまわけ》、ケヽヽヽヽ|見当《けんたう》の|取《と》れぬ|神《かみ》の|仕組《しぐみ》、|好《よ》く|味《あぢ》はうておくがよい、キヽヽヽヽ|気違《きちが》ひじみた|小島別《こじまわけ》、|真《まこと》の|神《かみ》が|気《き》をつける|内《うち》に|改心《かいしん》いたすが|好《よ》いぞ、サヽヽヽヽさらりと|迷《まよ》ひを|覚《さ》ませ|小島別《こじまわけ》、|天《あめ》の|探女《さぐめ》の|仲間入《なかまいり》をいたすな、ソヽヽヽヽ|損《そん》と|思《おも》へば|手《て》も|出《だ》さぬ、|我身《わがみ》の|徳《とく》と|思《おも》つたら|牛《うし》の|骨《ほね》でも|手《て》を|出《いだ》す、|慾心坊《よくしんばう》の|小島別《こじまわけ》、スヽヽヽヽ|好《す》きぢや|嫌《きら》ひと|人《ひと》に|区別《くべつ》を|立《た》てる|宣伝使《せんでんし》。セヽヽヽヽ|脊《せ》に|腹《はら》は|替《か》へられぬと|甘《うま》い|言葉《ことば》に|遁《にげ》を|打《う》つて|薄志弱行《はくしじやくかう》の|張本人《ちやうほんにん》、シヽヽヽヽ|知《し》らぬ|事《こと》をば|知《し》つたやうに|法螺《ほら》|吹《ふ》き|歩《ある》く|宣伝使《せんでんし》』
|小島別《こじまわけ》は|縮《ちぢみ》|上《あが》り、
『|何《いづ》れの|神様《かみさま》か|知《し》りませぬが、もう|改心《かいしん》いたします、これで|許《こ》らえて|下《くだ》さいませ』
『タヽヽヽヽ』
『もう|沢山《たくさん》です、どうぞ|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》ります、|骨身《ほねみ》にこたへますワ』
|穴《あな》の|中《なか》より、
『|沢山《たくさん》でない、まだまだあるぞ、|七十五声《しちじふごせい》の|有《あ》らむかぎり|教《をし》へてやらねば|目《め》が|覚《さ》めぬ、トヽヽヽヽ|当惑顔《たうわくがほ》の|宣伝使《せんでんし》|栃麺棒《とちめんぼう》の|小島別《こじまわけ》、トツクリ|思案《しあん》をするが|好《よ》い、トテも|逃《のが》れぬ|此《この》|場《ば》の|仕儀《しぎ》、トコヨの|国《くに》に|遣《や》つてしもうか、トテも|改心《かいしん》は|覚束《おぼつか》ないぞ、ツヽヽヽヽ|月夜《つきよ》に|釜《かま》を|抜《ぬ》かれた|様《やう》につまらぬ|面《つら》した|小島別《こじまわけ》、|掴《つか》まえ|所《どころ》の|無《な》いやうな|道《みち》にはづれた|宣伝使《せんでんし》、テヽヽヽヽ|手柄顔《てがらがほ》して|世《よ》の|中《なか》を|廻《まは》つて|歩《ある》く|宣伝使《せんでんし》、チヽヽヽヽ|智慧《ちゑ》も|力《ちから》もない|癖《くせ》に、チツトの|手柄《てがら》を|笠《かさ》に|被《き》て、|力《ちから》の|自慢《じまん》の|宣伝使《せんでんし》。ナヽヽヽヽ|長《なが》い|間《あひだ》の|慢神《まんしん》でお|道《みち》のために|艱難《かんなん》|苦労《くらう》、|救《すく》ひのためとは|何《なに》の|囈語《たわごと》、|情《なさけ》ないぞよ、|思《おも》へば|思《おも》へば|涙《なみだ》がこぼれる|小島別《こじまわけ》、ノヽヽヽヽ|喉《のど》から|血《ち》を|吐《は》く|神《かみ》の|胸《むね》、よう|汲《く》みとらぬ|宣伝使《せんでんし》、ヌヽヽヽヽぬかるな|気《き》をつけ|小島別《こじまわけ》、ネヽヽヽヽ|熱心《ねつしん》らしく|見《み》せかけて|此《この》|世《よ》を|誑《たば》かる|小島別《こじまわけ》、ニヽヽヽヽ|日天様《につてんさま》に|叱《しか》られて、|目《め》さへ|不自由《ふじゆう》な|小島別《こじまわけ》』
『|何《いづ》れの|神様《かみさま》か|存《ぞん》じませぬがもう|沢山《たくさん》でございます、これで|御赦《おゆる》しを|願《ねが》ひます』
|岩窟《いはや》の|中《なか》より|一層《いつそう》|大《おほ》きな|声《こゑ》で、
『ハヽヽヽヽ|耻《はづ》かしいか、|腹《はら》が|立《た》つか、|神《かみ》の|言葉《ことば》に|歯節《はぶし》はたつまい、ホヽヽヽヽほうけ|面《づら》して|常世《とこよ》の|国《くに》より|竜宮城《りうぐうじやう》へ、|肩《かた》|怒《いか》らして|帰《かへ》つて|来《き》た|小島別《こじまわけ》の|信天翁《あはうどり》、フヽヽヽヽ【ぶる】ぶる|振《ふる》ふ|頭《あたま》をかくしあやまり|入《い》つた|宣伝使《せんでんし》、ヘヽヽヽヽ|屁《へ》つぴり|腰《ごし》の|小島別《こじまわけ》、へなへな|腰《ごし》の|宣伝使《せんでんし》、ヒヽヽヽヽ|日暮《ひぐれ》に|企《たく》みた|梟鳥《ふくろどり》、|夜食《やしよく》にはづれて|小難《こむつ》かしい|面《つら》をさらした|小島別《こじまわけ》』
『もうもう|沢山《たくさん》でございます、|解《わか》りました、|貴神《あなた》はウヽヽヽウシトヽヽヽトラ』
|岩窟《いはや》の|中《なか》より、
『マヽヽヽヽ|待《ま》て|待《ま》て、まだある まだある まだあるぞ、|曲津《まがつ》の|正体《しやうたい》ひきむいて|呉《く》れる、|盲目《まうもく》の|宣伝使《せんでんし》、|老碌爺《おいぼれぢぢ》の|小島別《こじまわけ》、ムヽヽヽヽ|無理《むり》と|思《おも》ふか|小島別《こじまわけ》、|虫《むし》が|好《す》くまい|此《この》|方《はう》の|言葉《ことば》、|無理《むり》と|思《おも》ふか|無理《むり》ではないぞ、|昔《むかし》|昔《むかし》の|其《そ》の|昔《むか》し、|古《ふる》き|神世《かみよ》の|昔《むか》しより|此《この》|世《よ》を|守《まも》る|無限絶対《むげんぜつたい》の|生神《いきがみ》、この|方《はう》の|姿《すがた》は|見《み》えたか。メヽヽヽヽ|盲《めくら》の|分際《ぶんざい》で|神《かみ》の|姿《すがた》は|解《わか》るまい。ミヽヽヽヽ|見《み》えぬは|道理《だうり》|目《め》の|帳《とばり》、かき|上《あ》げて|神《かみ》の|光《ひかり》を|身《み》に|宿《やど》せ、ヤヤヽヽヽ|大和魂《やまとだましひ》と|申《まを》せども、|汝《なんぢ》の|魂《たましひ》は|曇《くも》り|切《き》りたる【やまこ】|騙《だまし》、|知《し》らず|識《し》らずの|間《あひだ》に|世人《よびと》を|迷《まよ》はし|騙《だま》す【やまこ】の|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》、ヨヽヽヽヽ|世《よ》の|中《なか》に|鬼《おに》は|居《ゐ》ないと|申《まを》して|歩《ある》く|腰抜《こしぬけ》の|宣伝使《せんでんし》、|鬼《おに》は|在《あ》るぞよ、この|鬼神《おにがみ》の|姿《すがた》が|見《み》えぬか、ユヽヽヽヽ|幽霊《いうれい》の|如《ごと》きフナフナ|腰《ごし》で|神《かみ》の|大道《たいだう》を|開《ひら》くとは|片腹痛《かたはらいた》い、エエヽヽヽ|縁《えにし》の|糸《いと》に|繋《つな》がれて、|斯程《かほど》に|曇《くも》つた|魂《たましひ》さへ、|神《かみ》から|綱《つな》をかけられて|助《たす》けてもらうた|小島別《こじまわけ》、イヽヽヽヽ|何時《いつ》まで|言《い》うても|同《おな》じ|事《こと》、|今日《けふ》かぎり|宣伝使《せんでんし》の|役《やく》をサツパり|返上《へんじやう》せよ、|言分《いひぶん》あるか、|違背《ゐはい》があるか、|何《いづ》れになりと|返答《へんたふ》|聞《き》かう』
『ハイハイどうも|仕方《しかた》がありませぬ、|平《ひら》あやまりにあやまります、|臍《へそ》の|緒《を》|切《き》つてから、こんな|薄《うす》い|目《め》に|逢《あ》うた|事《こと》はありませぬワ、どうなりと|神様《かみさま》の|思召《おぼしめ》しにして|下《くだ》さい』
『ラヽヽヽヽ|乱心賊子《らんしんぞくし》とは|貴様《きさま》のこと、これしきの|小言《こごと》に|膽《きも》を|潰《つぶ》し|難《なん》を|避《さ》け、|易《やす》きにつかむといたす|卑劣《ひれつ》|極《きは》まる|宣伝使《せんでんし》、リヽヽヽヽ|理屈《りくつ》ばかり|並《なら》べたて|月日《つきひ》をくらす|小島別《こじまわけ》、ルヽヽヽヽ|累卵《るいらん》の|危《あやふ》きこの|世《よ》を|振捨《ふりす》て、|我身《わがみ》の|安全《あんぜん》を|謀《はか》る|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》の|宣伝使《せんでんし》、レヽヽヽヽ|連木《れんぎ》で|腹《はら》を|切《き》る|様《やう》なその|場《ば》|逃《のが》れの|言訳《いひわけ》いたす|狡猾《かうくわつ》|至極《しごく》の|小島別《こじまわけ》、ロヽヽヽヽ|碌《ろく》でもない|囈言《たわごと》|世界《せかい》にひろむる|小島別《こじまわけ》、ワヽヽヽヽ|我身《わがみ》の|目的《しがく》ばかり|日《ひ》に|夜《よ》に|企《たく》む|小島別《こじまわけ》』
『モモヽ|何《な》ンぼ|神様《かみさま》でもあまりでございます。|神様《かみさま》は|善言美詞《ぜんげんびし》を|御使《おつか》ひ|遊《あそ》ばす|筈《はず》だのに、あなたは|乱言暴語《らんげんばうご》を|仰有《おつしや》いますが……』
『イヒヽヽヽヽ|痛《いた》いか|痛《いた》いか|耳《みみ》が|痛《いた》からう、ウフヽヽヽヽうつかり|聞《き》いて|後悔《こうくわい》するな、|浮世《うきよ》の|暗《やみ》に|彷徨《さまよ》ふ|汝《なんぢ》、|狼狽者《うろたへもの》の|宣伝使《せんでんし》、ヱヘヽヽヽヽ』
『モモもうこらへて|下《くだ》さいませ』
|巌窟《がんくつ》の|中《なか》より、
『えぐいと|思《おも》ふか|俺《おれ》の|言葉《ことば》、ヰヒヽヽヽヽ|命《いのち》が|惜《を》しいか|小島別《こじまわけ》、|忌々《いまいま》しいか、|意見《いけん》が|合《あ》はぬか、|鼬《いたち》の|最後屁《さいごぺ》、|以後《いご》は|必《かなら》ず|慎《つつし》めよ。ガヽヽヽヽ|我《が》が|折《を》れねば|餓鬼道《がきだう》に|落《おと》してやるが、ギヽヽヽヽ|義理《ぎり》も|人情《にんじやう》も|弁《わきま》へ|知《し》らぬ|宣伝使《せんでんし》なら|止《や》めて|置《お》け、グヽヽヽヽ|愚《ぐ》にもつかない|世迷言《よまいごと》、|愚図《ぐづ》|愚図《ぐづ》いたすと|日《ひ》が|暮《くれ》るぞ、ゲヽヽヽヽ|元気《げんき》の|無《な》さそなその|面附《つらつき》、ゴヽヽヽヽ|劫託《ごふたく》|並《なら》べたその|報《むく》い、ザヽヽヽヽ|醜体《ざま》さらされて|耻《はぢ》をかく、ジヽヽヽヽ|自業自得《じごうじとく》だ|小島別《こじまわけ》、ズヽヽヽヽ|図抜《ずぬ》けた|馬鹿《ばか》の|分際《ぶんざい》で、づうづうしくも|天下《てんか》を|廻《まは》る|宣伝使《せんでんし》、ゼヽヽヽヽ|善《ぜん》と|悪《あく》とを|弁《わきま》へよ、|善《ぜん》に|見《み》へても|悪《あく》もあり、|悪《あく》と|見《み》えても|善《ぜん》がある、|善《ぜん》と|悪《あく》との|真釣《まつ》り|合《あ》ひ、ゾヽヽヽヽ|存外《ぞんぐわい》|渋太《しぶと》い|宣伝使《せんでんし》、これでも|改心《かいしん》いたさぬか』
『モシモシもう|改心《かいしん》いたします。あまりと|言《い》へば|余《あま》りの|雑言《ざふごん》、|御無礼《ごぶれい》ではございませぬか』
『ダヽヽヽヽ|黙《だま》つて|聞《き》いてをれ、|神《かみ》を【だし】に|致《いた》したその|報《むく》い、ヂヽヽヽヽ|地震《ぢしん》、|雷《かみなり》、|火《ひ》の|車《くるま》、|好《よ》くも|駄法螺《だぼら》を|吹《ふ》きをつたナ。ヅヽヽヽヽ|図抜《づぬ》けた|間抜《まぬ》けの|宣伝使《せんでんし》。デヽヽヽヽデンデン|虫《むし》の|角《つの》|生《はや》し、|理屈《りくつ》を|争《あらそ》ふ|小癪面《こしやくづら》、ドヽヽヽヽ』
『ドヽヽドウも|恐《おそ》れ|入《い》りました、どうも|恐《おそ》れ|入《いり》ました。|何卒《どうぞ》これで|御赦《おゆる》し|下《くだ》さいませ、どうもかうも|頭《あたま》が|痛《いた》くて|堪《たま》りませぬ』
|巌窟《がんくつ》の|中《なか》より、
『|胴慾《どうよく》と|思《おも》ふか、|何処《どこ》の|何国《いづく》へ|行《い》つたとて、|度胸《どきよう》の|据《すは》らぬ|宣伝使《せんでんし》、どうして|道教《だうけう》が|開《ひら》けやうか、バヽヽヽヽ|馬鹿《ばか》を|尽《つく》すも|程《ほど》がある、|馬鹿《ばか》に|与《あた》ふる|薬《くすり》はないぞ、|米搗《こめつ》き【バツタ】の|腰《こし》のやうに|稚桜姫《わかざくらひめ》の|目《め》の|前《まへ》で|腰《こし》をぺこぺこ|何《なん》の|態《ざま》』
『モシモシ、|岩《いは》の|神様《かみさま》、もう|沢山《たくさん》でございます。|昔《むかし》の|棚卸《たなおろし》までなさいまして、|大勢《おほぜい》の|前《まへ》でございます、|私《わたくし》の|顔《かほ》は|丸潰《まるつぶ》れ、チツトは|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|御心《みこころ》に、この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》、|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》、ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は、|直霊《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ、|身《み》の|過《あやまち》は|宣《の》り|直《なほ》せぢやございませぬか』
|岩窟《がんくつ》の|中《なか》より、
『ヂヽヽヽヽヂツクリ|聞《き》かぬか、ヂレツタイか、|地震《ぢしん》の|孫《まご》め、ビヽヽヽヽ|貧乏《びんばふ》|動《ゆる》ぎもさせぬぞよ、ブヽヽヽヽ|仏頂面《ぶつちやうづら》の|宣伝使《せんでんし》、|武運《ぶうん》の|尽《つ》きた|小島別《こじまわけ》、ベヽヽヽヽ|便所《べんじよ》の|掃除《さうぢ》が|性《しやう》に|合《あ》ふ、|尻《しり》の|締《しま》りのつかぬ|宣伝使《せんでんし》、ボヽヽヽヽ|呆《ぼけ》た|面《つら》してボロボロ|涙《なみだ》、パヽヽヽヽパツパ|一服《いつぷく》するがよい』
『ハイハイ|有難《ありがた》う、やれやれアアもうこれで|済《す》みたか、|長《なが》い|岩《いは》のやうな|堅《かた》い|御説教《おせつけう》を|曲津《まがつ》か|何《なに》が|云《い》ふのか|知《し》らぬが、ほンたうに|豪《えら》い|目《め》に|会《あ》はして、どつさり|油《あぶら》を|搾《と》りよつた。しかし|俺《おれ》は|夢《ゆめ》でも|見《み》て|居《ゐ》やせぬかな、|一寸《ちよつと》|頬《ほほ》べたを|捻《ひね》つて|見《み》よう。アヽ|矢張《やつぱ》り|痛《いた》いな、|一体《いつたい》|全体《ぜんたい》|岩《いは》の|前《まへ》で|何《なん》のことだい。|岩《いは》ぬは|言《い》ふに|弥《いや》まさるが、この|岩《いは》はほンたうに|怪体《けつたい》な|巌窟《がんくつ》だ、まるで|天然《てんねん》の|安《やす》い|蓄音器《ちくおんき》|見《み》た|様《やう》だワイ。オイ|蓄音器《ちくおんき》|先生《せんせい》、ヤイ|俺《おれ》は|天下《てんか》|晴《は》れての|宣伝使《せんでんし》だぞ、|俺《おれ》でもお|前《まへ》の|言《い》ふやうな|事《こと》は|何《なん》でも|言《い》へるわい。なンぼなと|言《い》へ』
『ピヽヽヽヽ』
『ヨー、なンだ|鵯《ひよどり》でも|居《を》るのかな、オイ|鵯《ひよどり》の|谷渡《たにわた》り、いくらでもピヽと|囀《さへづ》れ、|天下《てんか》|晴《は》れての|宣伝使《せんでんし》だぞ、|俺《おれ》が|黙《だま》つて|聞《き》いてやつて|居《を》れば、|調子《てうし》に|乗《の》りよつて|殆《ほとん》ど|言霊《ことたま》の|七十五声《しちじふごせい》を|並《なら》べよつた、|仕舞《しまひ》に|往生《わうじやう》しよつて|何《なん》の|醜態《ざま》だい、|腹《はら》|下《くだ》りが|雪隠《せんち》に|行《い》つたやうにピヽヽヽヽそら|何《なん》の|態《ざま》だ、|穴《けつ》が|呆《あき》れて|雪隠《せつちん》が|躍《をど》るわ』
このとき|巌窟《がんくつ》は|百雷《ひやくらい》の|一時《いちじ》に|轟《とどろ》く|如《ごと》き|大音響《だいおんきやう》を|立《た》てて|唸《うな》り|出《だ》したりければ、|小島別《こじまわけ》は|心砕《しんくだ》け|魂消《たまき》ゆる|許《ばか》りに|驚《おどろ》きて|大地《だいち》にぺたりと|倒《たふ》れける。
(大正一一・二・一 旧一・五 谷村真友録)
第二八章 |不思議《ふしぎ》の|窟《いはや》〔三二八〕
|巌窟内《がんくつない》の|唸《うな》り|声《ごゑ》は|刻々《こくこく》|強烈《きやうれつ》となり、|百千万《ひやくせんまん》の|虎《とら》|狼《おほかみ》の|一時《いちじ》に|吼《ほ》え|猛《たけ》るが|如《ごと》く、|四辺《あたり》の|山々《やまやま》も|木草《きくさ》も|凡《すべ》て|一切《いつさい》のものを|戦慄《せんりつ》せしめたり。|小島別《こじまわけ》は|殆《ほとん》ど|失神《しつしん》の|状態《じやうたい》にて、|大地《だいち》に|仰向《あふむ》けに|倒《たふ》れたるまま、|手足《てあし》をビクビク|慄《ふる》はせ|居《ゐ》たりける。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、
『オーイ、オーイ』
と|合図《あひづ》をすれば、この|声《こゑ》に|応《おう》じて|何処《いづく》よりともなく|祝姫《はふりひめ》の|宣使《かみ》と|面那芸《つらなぎ》の|宣使《かみ》は|現《あら》はれきたり、ここに|三柱《みはしら》は|小島別《こじまわけ》の|倒《たふ》れたる|巌窟《いはや》の|前《まへ》に|立《た》ち|現《あら》はれ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|歌《うた》を|歌《うた》ひ、|面那芸《つらなぎ》の|宣使《かみ》は|石《いし》と|石《いし》とを|両手《りやうて》に|持《も》ち|拍子《へうし》を|取《と》り、|祝姫《はふりひめ》は|日蔭葛《ひかげかづら》を|襷《たすき》に|掛《か》け、|常磐《ときは》の|松《まつ》を|左手《ゆんで》に|携《たづさ》へ|右《みぎ》の|手《て》に|白扇《はくせん》を|広《ひろ》げ|舞《ま》ひ|始《はじ》めたり。
|祝姫《はふりひめ》の|歌《うた》、
『|天《あめ》と|地《つち》との|火《ひ》と|水《みづ》の  |呼吸《いき》を|合《あは》せて|国治立《くにはるたち》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|造《つく》らしし  |心筑紫《こころつくし》の|神《かみ》の|島《しま》
|大海原《おほうなばら》を|取囲《とりかこ》み  |浦安国《うらやすくに》は|豊《とよ》の|国《くに》
|熊襲《くまそ》の|国《くに》は|神《かみ》の|園《その》  |常磐堅磐《ときはかきは》に|築立《つきた》てし
|天《あま》の|岩戸《いはと》は|是《これ》なるか  |国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》は
|心《こころ》の|汚《きたな》き|八十神《やそがみ》の  |曲神《まが》の|企《たく》みの|舌《した》の|根《ね》に
|懸《かか》らせ|玉《たま》ひて|天津神《あまつかみ》  |日《ひ》の|大神《おほかみ》の|戒《いまし》めを
|受《う》けさせ|玉《たま》ひて|根《ね》の|国《くに》に  |退《やら》はれませど|皇神《すめかみ》は
|何《なに》も|岩戸《いはと》の|奥深《おくふか》く  |隠《かく》れ|玉《たま》ひて|世《よ》を|忍《しの》び
|天地《あめつち》|四方《よも》の|神人《かみびと》の  |身魂《みたま》を|永遠《とは》に|守《まも》ります
その|勲功《いさをし》は|千代《ちよ》|八千代《やちよ》  |常磐《ときは》の|巌《いは》の|弥《いや》|堅《かた》く
|穿《うが》ちの|巌《いは》の|弥《いや》|深《ふか》く  |忍《しの》ばせ|玉《たま》ふこれの|巌《いは》
|忍《しの》ばせ|玉《たま》ふこれの|巌《いは》  |岩戸《いはと》を|開《ひら》く|久方《ひさかた》の
|天津日《あまつひ》の|出《で》の|神言《かみごと》を  |堅磐常磐《かきはときは》に|宣《の》る|神《かみ》は
|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|祝姫《はふりひめ》  |面那芸彦《つらなぎひこ》の|三柱《みはしら》ぞ
|浮船《うきぶね》|伏《ふ》せて|雄々《をを》しくも  |踏《ふ》み|轟《とどろ》かす|巌《いは》の|前《まへ》
|神《かみ》の|小島《こじま》の|宣伝使《せんでんし》  |建日《たけひ》の|別《わけ》と|現《あら》はれて
|天《てん》の|三柱大神《みはしらおほかみ》の  |任《まけ》のまにまに|上《のぼ》り|来《く》る
されど|心《こころ》は|常暗《とこやみ》の  |未《ま》だ|晴《は》れやらぬ|胸《むね》の|闇《やみ》
|心《こころ》の|岩戸《いはと》は|締《し》め|切《き》りて  |開《ひら》かむよしも|無《な》きふしに
|恵《めぐみ》も|深《ふか》き|国治立《くにはるたち》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|分《わ》け|魂《みたま》
|建日《たけひ》の|別《わけ》の|大神《おほかみ》は  |天《あま》の|岩戸《いはと》を|開《ひら》かむと
|導《みちび》きたまふ|親心《おやごころ》  |神《かみ》の|心《こころ》を|不知火《しらぬひ》の
|小島《こじま》の|別《わけ》の|宣伝使《せんでんし》  |千々《ちぢ》の|神言《かみごと》|蒙《かうむ》りて
|心《こころ》に|懸《かか》る|千万《ちよろづ》の  |雲霧《くもきり》|払《はら》ひ|晴《は》れ|渡《わた》る
|御空《みそら》に|清《きよ》く|茜《あかね》さす  |日《ひ》の|大神《おほかみ》の|御恵《みめぐ》みに
|常世《とこよ》の|暗《やみ》も|晴《は》れぬべし  |赦《ゆる》させ|玉《たま》へ|建日別《たけひわけ》
|熊襲《くまそ》の|国《くに》の|守《まも》り|神《がみ》  |人《ひと》の|心《こころ》も|清々《すがすが》と
|誠《まこと》の|道《みち》に|服従《まつろ》ひて  |心安《うらやす》らけく|純世姫《すみよひめ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|御魂《みたま》をば  これの|巌窟《いはや》に|三柱《みつはしら》
|千木高知《ちぎたかし》りて|斎《いつ》かひつ  |天津祝詞《あまつのりと》の|太祝詞《ふとのりと》
|宣《の》るも|尊《たふと》き|巌《いは》の|前《まへ》  |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|言霊《ことたま》を
|建日《たけひ》の|別《わけ》も|諾《うべ》なひて  |御心《みこころ》|和《なご》め|玉《たま》へかし』
と|涼《すず》しき|声《こゑ》を|張上《はりあ》げ|調子《てうし》よく|歌《うた》ひながら、|汗《あせ》を|流《なが》し|帰神《かむがかり》して|舞《ま》ひ|狂《くる》ひける。|面那芸神《つらなぎのかみ》は|石《いし》と|石《いし》とを|打《う》ち|合《あは》せて|面白《おもしろ》く|拍子《へうし》をとりしが、さしも|猛烈《まうれつ》なりし|巌窟《いはや》の|大音響《だいおんきやう》は|夢《ゆめ》のごとくに|止《と》まりにける。|小島別《こじまわけ》はムツクと|立上《たちあ》がり|細《ほそ》き|目《め》を|開《ひら》きながら|三柱《みはしら》の|神《かみ》を|眺《なが》めて|驚《おどろ》き、|夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|幻《まぼろし》か、|合点《がつてん》の|行《ゆ》かぬこの|場《ば》の|光景《くわうけい》と、|自《みづか》ら|頬《ほほ》を|抓《つ》めり|指《ゆび》を|噛《か》み、
『アヽ|矢張《やつぱ》り|夢《ゆめ》では|無《な》かつたかナア』
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、
『オー|貴下《きか》は|小島別《こじまわけ》の|宣伝使《せんでんし》、|最前《さいぜん》よりの|貴下《きか》の|様子《やうす》、|如何《いか》にも|怪《あや》しく|何事《なにごと》ならむと、|木蔭《こかげ》に|佇《たたず》み|聞《き》きをれば|此《この》|巌窟《いはや》の|唸《うな》り|声《ごゑ》、|如何《いかが》なせしやその|顛末《てんまつ》を|詳細《しやうさい》に|語《かた》られよ』
と|尋《たづ》ねられ、|小島別《こじまわけ》は|三柱《みはしら》の|宣伝使《せんでんし》に|黙礼《もくれい》しながら、
『イヤモウ、|大変《たいへん》でしたよ。|私《わたくし》は|神界《しんかい》に|仕《つか》へてより、|何一《なにひと》つ|功名《こうみやう》もいたさず、|智慧《ちゑ》|暗《くら》き|身《み》の|悲《かな》しさ、|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|大神《おほかみ》の|御心《みこころ》を|誤解《ごかい》し|普《あまね》く|天下《てんか》を|宣伝《せんでん》して、やうやうこの|亜弗利加《アフリカ》の|嶋《しま》に|参《まゐ》りましたのは|一月《ひとつき》|以前《いぜん》のことであります。|国人《くにびと》の|話《はなし》に|依《よ》れば、|此処《ここ》には|立派《りつぱ》な|巌窟《いはや》ありて、|時々《ときどき》|唸《うな》りを|立《た》てるといふ|事《こと》。|私《わたくし》も|一《ひと》つ|修業《しうげふ》の|為《ため》と|思《おも》ひ、|嶮《けは》しき|山坂《やまさか》を|越《こ》へ|谷《たに》を|渡《わた》りて、|漸《やうや》くこの|巌窟《いはや》に|辿《たど》り|着《つ》きし|間《ま》もなく、|色々《いろいろ》の|国人《くにびと》がこれこの|通《とほ》り|参拝《さんぱい》いたして、|頻《しき》りに|何事《なにごと》か|祈《いの》つてをる。|耳《みみ》を|澄《すま》して|聞《き》けば、|常世神王《とこよしんわう》の|教《をしへ》を|奉《ほう》ずる|人間《にんげん》|計《ばか》り、これでは|成《な》らぬと|背水《はいすゐ》の|陣《ぢん》を|張《は》りて、|命《いのち》を|的《まと》に|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めました。|数多《あまた》の|人々《ひとびと》は|私《わたくし》の|宣伝歌《せんでんか》を|非常《ひじやう》に|嫌《きら》つて|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|迫害《はくがい》せむとする。なに、|吾々《われわれ》は|天地《てんち》の|教《をしへ》を|説《と》く|神《かみ》の|使《つかひ》の|宣伝使《せんでんし》だ。たとへ|火《ひ》の|中《なか》|水《みづ》の|底《そこ》も、|潜《くぐ》りて|助《たす》けるは|吾々《われわれ》の|天職《てんしよく》と、|有《あ》らゆる|勇気《ゆうき》を|出《だ》して|漸《やうや》く|彼《かれ》らを|改心《かいしん》させ、ホツト|一息《ひといき》|吐《つ》く|間《ま》もなく|此《この》|巌窟《いはや》の|奥《おく》の|方《はう》より|異様《いやう》の|姿《すがた》|朦朧《もうろう》と|現《あら》はれ、「アハヽヽハー、オホヽヽホー」と|嘲弄《からか》はれ、あらむかぎりの|吾々《われわれ》の|弱点《じやくてん》を|並《なら》べ|立《た》てられ、イヤハヤモウ|埒《らち》もなくきつく|油《あぶら》を|搾《と》られました。|吾々《われわれ》は|未《いま》だ|身魂《みたま》が|磨《みが》けて|居《を》りませぬ。いよいよ|一《ひと》つ|決心《けつしん》をして、|今《いま》までの|取違《とりちがひ》を|改《あらた》めねばなりませぬ』
と|大略《たいりやく》を|物語《ものがた》りける。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|厳然《げんぜん》として|宣《の》るやう、
『ここは|尊《たふと》き|神様《かみさま》の|御隠家《おかくれが》、|建日別《たけひわけ》とは|仮《か》りの|御神名《ごしんめい》、やがて|御本名《ごほんみやう》を|名乗《なの》り|玉《たま》ふ|時《とき》も|来《き》たるべし。|貴下《きか》は|此処《ここ》へ|永《なが》らく|鎮《しづ》まりて、この|巌窟《いはや》の|前《まへ》に|宮《みや》を|建《た》て、|純世姫命《すみよひめのみこと》の|御魂《みたま》を|祭《まつ》り、|熊襲《くまそ》の|国《くに》の|人民《じんみん》を|守《まも》つて|下《くだ》さい、|吾々《われわれ》はこの|山《やま》を|越《こ》えて|肥《ひ》の|国《くに》に|行《ゆ》かねばなりませぬから』
これを|聞《き》くより|小島別《こじまわけ》は、
『|如何《いか》なる|神《かみ》の|御引合《おひきあは》せか、|思《おも》ひ|掛《がけ》なき|尊《たふと》き|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》に|御目《おんめ》に|掛《かか》り、こンな|嬉《うれ》しきことはありませぬ。|仰《あふ》せに|従《したが》ひ|大神様《おほかみさま》の|岩戸《いはと》の|神《かみ》の|御名《おんな》を|戴《いただ》き、これより|建日別《たけひわけ》と|改《あらた》め|永遠《とことは》に|守護《しゆご》をいたします。どうぞ|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
と|答《こた》へける。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|満足《まんぞく》の|色《いろ》を|現《あら》はし、この|場《ば》を|後《あと》に|三柱《みはしら》の|宣伝使《せんでんし》を|伴《ともな》ひ、|又《また》もや|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、この|谷間《たにま》をドンドン|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・二・一 旧一・五 高木鉄男録)
第六篇 |肥《ひ》の|国《くに》へ
第二九章 |山上《さんじやう》の|眺《ながめ》〔三二九〕
|行《ゆ》けど|行《ゆ》けど|限《かぎ》り|知《し》られぬ|足曳《あしびき》の、|山路《やまぢ》を|辿《たど》る|宣伝使《せんでんし》、|激潭飛瀑《げきたんひばく》の|谷川《たにがは》を、|右《みぎ》に|左《ひだり》に|飛《と》び|越《こ》えて、|夜《よ》を|日《ひ》に|継《つ》いで|進《すす》み|行《ゆ》く。ここに|三人《みたり》の|宣伝使《せんでんし》、さしもに|高《たか》き|山《やま》の|尾《を》に、|腰《こし》|打《うち》かけて|四方山《よもやま》の|景色《けしき》を|眺《なが》めて|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》りゐる。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、
『|曲津神《まがつかみ》と|云《い》ふものは、|何処《どこ》から|何処《どこ》まで、よくも|仕組《しぐみ》をしたものだな。こンな|未開《みかい》の|筑紫《つくし》の|嶋《しま》の|山奥《やまおく》まで、|眷族《けんぞく》を|遣《つか》はして、どこ|迄《まで》も|天下《てんか》を|席巻《せきけん》せむとする|執念深《しふねんぶか》き|仕組《しぐみ》には、|吾々《われわれ》は|実《じつ》に|感服《かんぷく》の|至《いた》りだ。|悪《あく》が|八分《はちぶ》に|善《ぜん》が|二分《にぶん》の|世《よ》の|中《なか》、|吾々《われわれ》もうかうかとしては|居《を》れない。ヤヤ、あの|北《きた》の|方《はう》に|怪《あや》しい|煙《けぶり》が|立《た》つではないか』
|祝姫《はふりひめ》『|如何《いか》にも|妙《めう》な|煙《けぶり》が|立《た》ちますな、|紫《むらさき》の|麗《うるは》しい|何《なん》ともいへぬ|煙《けぶり》の|色《いろ》。あそこには|何《なん》でも|尊《たふと》い|神様《かみさま》が|居《ゐ》らつしやるのでせう。|斯《か》うして|高山《かうざん》の|上《うへ》から|四方《しはう》を|見《み》はらせば|実《じつ》に|世界《せかい》|一目《ひとめ》に|見《み》るやうな|雄大《ゆうだい》な|心地《ここち》が|致《いた》しまして、|実《じつ》に|壮快《さうくわい》ですな』
|日出神《ひのでのかみ》『いかにも|壮快《さうくわい》だ、|人間《にんげん》は|山《やま》へ|上《のぼ》るに|限《かぎ》る。かうして|展開《てんかい》された|四方《しはう》の|山《やま》や|海《うみ》を|眼下《がんか》に|見下《みおろ》す|心地《ここち》よさは、|丁度《ちやうど》|天教山《てんけうざん》から|自転倒嶋《おのころじま》を|見下《みおろ》すやうだね。ヤヽ、あの|煙《けぶり》を|見《み》られよ、ますます|麗《うるは》しき|五色《ごしき》の|彩《いろ》になつたぢやないか』
|面那芸《つらなぎ》『|彼処《あそこ》は|肥《ひ》の|国《くに》でせうかな』
|日出神《ひのでのかみ》『さうだらう、|何《なん》でもこの|熊襲山《くまそざん》の|山脈《さんみやく》を|境《さかひ》に|肥《ひ》の|国《くに》があつて、そこには|建日向別《たけひむかわけ》が|守《まも》つてゐる|筈《はず》だ。しかしながら|常世神王《とこよしんわう》の|毒牙《どくが》に|罹《かか》つて、|彼《かの》|国《くに》の|神人《しんじん》は|又《また》もや|悪化《あくくわ》してゐるかも|判《わか》らない。|一《ひと》つ|行《い》つて|宣伝《せんでん》をやつて|見《み》やうかな』
|面那芸《つらなぎ》『それも|結構《けつこう》ですが、|良《よ》い|加減《かげん》に|帰《かへ》りませぬと、|常世《とこよ》の|国《くに》へ|船《ふね》は|出《で》て|了《しま》ひはしますまいかな。こンな|嶋《しま》に|置《お》いとけぼりを|喰《く》つては|堪《たま》りませぬぜ』
|日出神《ひのでのかみ》『|何《なに》、|構《かま》ふことがあるものか、|何事《なにごと》も|惟神《かむながら》だ。|船《ふね》はあれ|計《ばか》りじやない、また|次《つぎ》の|船《ふね》が|来《く》るよ。|折角《せつかく》|神様《かみさま》の|御計《おはか》らひで|常世《とこよ》の|国《くに》へ|行《ゆ》く|積《つも》りが、こンな|処《ところ》へ|押《お》し|流《なが》されたのだから、|何《なに》か|深《ふか》い|神界《しんかい》の|御都合《ごつがふ》があるのだらう。|我々《われわれ》は|翌日《あす》の|事《こと》は|心配《しんぱい》しなくてもよい。|今《いま》と|云《い》ふこの|瞬間《しゆんかん》に|善《ぜん》を|思《おも》ひ、|善《ぜん》を|言《い》ひ、|善《ぜん》を|行《おこな》つたらよいのだ。|我々《われわれ》はその|刹那々々《せつなせつな》を|清《きよ》く|正《ただ》しく|勤《つと》めて|行《ゆ》けばよい。|取越苦労《とりこしくらう》も|過越苦労《すぎこしくらう》も、|何《なん》にもならない。|一息後《ひといきのち》のこの|世《よ》は、もはや|過去《くわこ》となつて|吾々《われわれ》のものではない。また|一息先《さき》といへども、それは|未来《みらい》だ。|人間《にんげん》の|分際《ぶんざい》で|取越苦労《とりこしくらう》をしたり、|過越苦労《すぎこしくらう》をしたつて|何《なん》にもならない。マア|何事《なにごと》も|神様《かみさま》に|任《まか》したがよからうよ』
|祝姫《はふりひめ》『|貴神《あなた》の|仰《おほ》せの|通《とほ》り、|何事《なにごと》も|惟神《かむながら》に|任《まか》せませう』
|面那芸《つらなぎ》『|如何《いか》にもさうです、|然《しか》らばぼつぼつ|参《まゐ》りませう』
|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》は、|又《また》もや|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、|五色《ごしき》の|雲《くも》の|立昇《たちのぼ》る|山《やま》を|目当《めあて》に|疲《つか》れた|足《あし》を|進《すす》ませ|嶮《けは》しき|山《やま》を|下《くだ》りゆく。
|山《やま》の|尾《を》を|伝《つた》ひ、|谷《たに》に|下《くだ》り、また|山《やま》に|上《のぼ》り|谷《たに》に|下《くだ》りつ|進《すす》み|行《ゆ》く|折《をり》しも、|何処《どこ》ともなく|人声《ひとごゑ》|聞《きこ》え|来《き》たるにぞ、|三人《さんにん》は|人里《ひとざと》|近《ちか》しと|立停《たちど》まつてその|声《こゑ》を|聞《き》き|入《い》りぬ。
|谷間《たにま》には、|数十人《すうじふにん》の|以前《いぜん》の|如《ごと》き|黒《くろ》い|顔《かほ》の|人間《にんげん》が、|何事《なにごと》か|囁《ささや》きながら|谷間《たにま》の|奇石怪岩《きせきくわいがん》を【いぢつて】|居《ゐ》る。
|甲《かふ》『おい、|詰《つま》らぬじやないか。|毎日《まいにち》|日日《ひにち》こンな|重《おも》たい|石《いし》を|担《かつ》がされて、|腹《はら》は|空《へ》るなり、|着物《きもの》は|破《やぶ》れるなり、|掠《かす》り|疵《きず》はするなり、|掠《かす》り|疵《きず》はまだ|宜《よ》いが、|鈍公《どんこう》の|様《やう》に|岩《いは》に|圧《おさ》へられて、|身体《からだ》が|紙《かみ》の|様《やう》になつて|死《し》ンで|了《しま》つちや、たまつたものぢやないぜ。|皆《みな》|気《き》を|付《つ》けぬと、|何時《いつ》|石《いし》に|圧《あつ》へられて、また|鈍公《どんこう》のやうな|目《め》に|逢《あ》ふかも|知《し》れないぞ。|気《き》を|付《つ》けよ』
|乙《おつ》『|気《き》を|付《つ》けるも|良《よ》いが、|貴様《きさま》らは|神《かみ》さまを|知《し》つてゐるかい。|神《かみ》さまさへ|信神《しんじん》すれば、|怪我《けが》なンかしやしないよ。あの|鈍公《どんこう》の|野郎《やらう》はな、|俺《おれ》が|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|教《をしへ》を|聞《き》いて、「|貴様《きさま》も|神様《かみさま》を|信仰《しんかう》しないと、|今日《けふ》は【えらい】|怪我《けが》をするぞ、|貴様《きさま》の|顔《かほ》には|不審《をか》しい|曇《くも》りが|現《あら》はれて|居《ゐ》る」と|気《き》をつけてやつたのに、|鈍公《どんこう》の|野郎《やらう》「なに、|神《かみ》さまだ、そンなものが|何処《どこ》にあるかい。|神《かみ》さまがあるなら|俺《おれ》に|逢《あ》はしてくれ、|一目《ひとめ》でも|神《かみ》の|姿《すがた》を|見《み》せて|呉《く》れたら|本当《ほんたう》にする。|屁《へ》でさへも、|姿《すがた》|見《み》えでも|音《おと》なりとするだらう。それに|音《おと》もせねば|声《こゑ》もなし、|姿《すがた》も|見《み》えず、そンな|便《たよ》りないありもせぬ|神《かみ》が|信神《しんじん》できるかい。|俺《おれ》のとこには、|立派《りつぱ》な、ものも【おつしやる】、|手伝《てつだ》うても|下《くだ》さる|結構《けつこう》な|嬶大明神《かかあだいみやうじん》といふ|現実《げんじつ》の|神様《かみさま》が|鎮座《ちんざ》ましますのだよ。それに|何《なん》ぞや、|屁《へ》でもない|神《かみ》さまを|信神《しんじん》せなぞと、|雲《くも》を|掴《つか》むやうなことを|云《い》ひよつて、|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にするない、|俺《おれ》の|目《め》は|光《ひか》つて|居《ゐ》るぞ、|節穴《ふしあな》じやないぞ」と|劫託《ごふたく》を|吐《こ》き|散《ち》らして、|鼻唄《はなうた》を|唄《うた》ひよつて、|石運《いしだし》に|行《ゆ》きよつた。さうすると|彼《あ》の|大《おほ》きな|岩《いは》|奴《め》が、|鈍公《どんこう》の|方《はう》に【ごろり】と|転《こ》けたと|思《おも》ふが|最後《さいご》、【きやつ】と|一声《ひとこゑ》この|世《よ》の|別《わか》れ、|忌《い》やな|冥土《めいど》へ|死出《しで》の|旅《たび》、|気《き》の|毒《どく》なりける|次第《しだい》なりだ。|貴様《きさま》も、ちつと|神《かみ》さまを|信神《しんじん》せぬと、また|鈍公《どんこう》の|二《に》の|舞《まひ》だぞ』
|斯《か》く|囁《ささや》く|折《をり》しも、|三柱《みはしら》の|宣伝使《せんでんし》は|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|谷間《たにま》に|向《む》かつて|下《くだ》りきたる。
(大正一一・二・一 旧一・五 井上留五郎録)
第三〇章 |天狗《てんぐ》の|親玉《おやだま》〔三三〇〕
|暗《くら》き|谷間《たにま》は|辿《たど》れども  |心《こころ》は|明《あか》き|宣伝使《せんでんし》
|狭《せま》き|山道《やまみち》|通《かよ》へども  |心《こころ》は|広《ひろ》き|宣伝使《せんでんし》
|常夜《とこよ》の|暗《やみ》を|晴《は》らし|行《ゆ》く  |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|宣伝使《せんでんし》
|四方《よも》に|塞《ふさ》がる|村雲《むらくも》を  |気吹《いぶ》き|祝《はふ》りの|宣伝使《せんでんし》
|連《つら》なる|憂《うさ》を|薙《な》ぎ|払《はら》ふ  |面那芸彦《つらなぎひこ》の|宣伝使《せんでんし》
|八島《やしま》の|国《くに》を|開《ひら》き|行《ゆ》く  |八島《やしま》の|別《わけ》の|宣伝使《せんでんし》
とどまる|都《みやこ》も|近《ちか》づきて  |心《こころ》も|勇《いさ》む|宣伝使《せんでんし》
と、|歌《うた》ひながら|谷道《たにみち》を|下《くだ》り|来《く》る。|谷底《たにそこ》には|石運《いしだし》に|余念《よねん》なき|数十《すうじふ》の|人夫《にんぷ》ありける。
|伝《でん》『オイ|八公《はちこう》、|貴様《きさま》の|親分《おやぶん》が|来《き》たぜ。ソレ、|今《いま》そこを|好《い》い|気《き》な|顔《かほ》して|鼻唄《はなうた》|歌《うた》つて、|宣伝使《せんでんし》、|宣伝使《せんでんし》と|仰有《おつしや》つてお|通《とほ》り|遊《あそ》ばすだらう。|早《はや》く|行《い》つて|拝《をが》ンで|来《こ》い。|石運《いしだし》どころぢやあるまい』
|八《はち》『やかましう|言《い》ふない。チヤンと|肥《ひ》の|国《くに》の|都《みやこ》へ|行《い》つて、|八島別《やしまわけ》の|宣伝使《せんでんし》と|一緒《いつしよ》に|俺等《おいら》のお|出《で》ましを、|鶴《つる》のやうに|首《くび》を|長《なが》くして、|八《はち》は|来《こ》ぬか、まだ|来《こ》ぬかと|指折《ゆびを》り|数《かぞ》へて|時《とき》の|経《た》つのを|待《ま》つてゐて|下《くだ》さるのだ。この|仕事《しごと》が|済《す》みたら、|俺《おれ》は|家《うち》へ|帰《かへ》る。さうすると、|立派《りつぱ》な|乗物《のりもの》をもつて、サア|八《はち》さま、|宣伝使《せんでんし》がお|待《ま》ち|受《うけ》で|御座《ござ》います。|八《はち》さまに|来《き》て|貰《もら》はぬと|宣伝使《せんでんし》も【ねつから】やりきれない。|八《はち》さまでなければ|夜《よ》も|明《あ》けぬ、|日《ひ》も|暮《く》れぬ。|鳥《とり》が|啼《な》かぬ|日《ひ》があつても、|八《はち》さまの|顔《かほ》の|見《み》えぬ|日《ひ》があつたら、この|世《よ》に|生《い》きとる|甲斐《かひ》が|無《な》いと|仰有《おつしや》るのだ』
|伝《でん》『|馬鹿《ばか》、|何《なに》|吐《ぬか》しよるのだ。|惚《のろ》けよつて、|貴様《きさま》はスベタ|嬶《かか》アの|真黒《まつくろ》けの|黒助《くろすけ》の|炭団玉《たどんだま》の|烏《からす》の|親分《おやぶん》みたいな|嬶《かか》アのお【せん】に|惚《とぼ》けよつて、お【せん】と|宣伝使《せんでんし》とを|間違《まちが》へたりして|居《ゐ》るのだ、オイ|確《しつか》りせぬかい』
とポカンと|横面《よこづら》を|撲《なぐ》りつける。
|八《はち》『|喧嘩《けんくわ》か、よし|来《こ》い』
と|捻《ね》ぢ|鉢巻《はちまき》をしながら、|手《て》の|掌《ひら》に|唾《つばき》して、|四股《しこ》を|踏《ふ》む。|今《いま》や|両方《りやうはう》から|掴《つか》み|合《あ》はうとする|時《とき》、
『|待《ま》てツ』
と|大喝《だいかつ》する|者《もの》あり。この|言霊《ことたま》に、|伝《でん》と|八《はち》は|吃驚《びつくり》して、|思《おも》はず|谷底《たにそこ》へペタリと【へた】ばりける。
|八《はち》『オイ|伝公《でんこう》、|立《た》たぬかい。|喧嘩《けんくわ》しやうと|吐《ぬか》したぢやないか。|立《た》て|立《た》て』
|伝《でん》『|泰然自若《たいぜんじじやく》|動《うご》かざること|巌《いはほ》の|如《ごと》しだ。|大丈夫《だいぢやうぶ》|正《まさ》にこの|慨《がい》なかる|可《べ》からざらむやだ』
|八《はち》『|何《なに》を|吐《ぬか》しよるのだい。|腰《こし》を|抜《ぬ》かしよつて、ビクとも|動《うご》けねえのだらう。どうだ|謝《あやま》つたか、|腰抜《こしぬ》け|野郎《やらう》|奴《め》』
|伝《でん》『|最前《さいぜん》のは|戯談《じやうだん》だ。どうぞ|俺《おれ》をおぶつて|帰《かへ》つて|呉《く》れ、|腰《こし》が|立《た》たぬわい。あまり|大《おほ》きな|声《こゑ》で|雷《かみなり》が|落《お》ちたやうに|呶鳴《どな》りよるのだからなア』
|八《はち》『それや|天狗《てんぐ》さまだよ。|貴様《きさま》|何時《いつ》も|鼻《はな》が|高《たか》いから、|天狗《てんぐ》さまが|鼻《はな》を|折《を》つてやらうとなすつたのだ』
|鼻《はな》を|撫《な》でて|見《み》て、
|伝《でん》『まだそれでも|鼻《はな》はあるぞ。|鼻《はな》は|大丈夫《だいぢやうぶ》だが、|腰《こし》の|骨《ほね》が|折《を》れよつたらしい。|天狗《てんぐ》|奴《め》|勘違《かんちが》ひしよつたな』
|上《うへ》の|方《はう》から、
|日出神《ひのでのかみ》『オイ、そこにゐる|数多《あまた》の|人々《ひとびと》、このやうに|沢山《たくさん》の|石《いし》を|運《はこ》ンで、|一体《いつたい》|何《なに》をするのか』
|二三人《にさんにん》|口《くち》を|揃《そろ》へて、
『これはな、|八島別《やしまわけ》さまが|肥《ひ》の|国《くに》の|都《みやこ》へお|出《いで》になつて、|城《しろ》を|築《きづ》き|遊《あそ》ばすその|為《ため》に、|吾々《われわれ》は|朝《あさ》から|晩《ばん》までエライ|目《め》に|会《あ》うとるのだ。|困《こま》つた|奴《やつ》が|肥《ひ》の|国《くに》へ|天降《あまくだ》つて|来《き》よつてな、|本当《ほんたう》に|堪《たま》つたものぢやありやしない』
|日出神《ひのでのかみ》『ウンさうか、それで|解《わか》つた。|御苦労《ごくらう》だがその|肥《ひ》の|国《くに》の|都《みやこ》へ|案内《あんない》して|呉《く》れないか』
|二三人《にさんにん》『ハイハイ|御案内《ごあんない》|申上《まをしあ》げます。|貴方《あなた》は|見《み》れば|蓑笠《みのかさ》をお|召《め》しになつて、【みすぼ】らしいお|姿《すがた》をして|御座《ござ》るが、どこやらに|貴方《あなた》のお|言葉《ことば》に|何《なん》とも|言《い》へぬ|力《ちから》がある。|最前《さいぜん》|唸《うな》らしやつた|大《おほ》きな|声《こゑ》で、|伝公《でんこう》は|腰《こし》を|抜《ぬ》かすなり、|吾々《われわれ》|一同《いちどう》は|膽《きも》を|潰《つぶ》して|了《しま》ひました。|天狗《てんぐ》さまの|親方《おやかた》だらう。いつぺんあの|八島別《やしまわけ》の|奴《やつ》、あまり|吾々《われわれ》を|酷《こ》き|使《つか》ひよるから、|貴方様《あなたさま》のその|大《おほ》きな|声《こゑ》を【もつと】もつと|大《おほ》きうして、|八島別《やしまわけ》を|呶鳴《どな》つて|腰《こし》を|抜《ぬ》いてやつて|下《くだ》さい。あンな|奴《やつ》が|居《を》つては、|肥《ひ》の|国《くに》の|人民《じんみん》も|気楽《きらく》に|遊《あそ》ンで|暮《くら》すことはできやしない。サアサア|御案内《ごあんない》いたします』
と、|先《さき》に|立《た》つて|坂道《さかみち》を|二三人《にさんにん》の|黒《くろ》い|男《をとこ》が|案内《あんない》する。
(大正一一・二・一 旧一・五 桜井重雄録)
第三一章 |虎転別《とらてんわけ》〔三三一〕
|久方《ひさかた》の|天津御空《あまつみそら》に|聳《そそ》り|立《た》つ  |仰《あふ》ぐも|高《たか》き|天教《てんけう》の
|山《やま》に|鎮《しづ》まる|木《こ》の|花姫《はなひめ》の  |神《かみ》のみことの|世《よ》を|救《すく》ふ
|清《きよ》き|教《をしへ》を|四方《よも》の|国《くに》  |国《くに》の|八十国《やそくに》|百八十《ももやそ》の
|八島《やしま》の|別《わけ》の|宣伝使《せんでんし》  |堅磐常磐《かきはときは》に|鎮《しづ》まりし
|肥《ひ》の|神国《かみくに》の|常磐城《ときはじやう》  |折《を》りから|起《おこ》る|鬨《とき》の|声《こゑ》
|八島《やしま》の|別《わけ》は|怪《あや》しみて  |戸《と》を|押《お》し|開《ひら》き|眺《なが》むれば
|東《ひがし》や|西《にし》や|北南《きたみなみ》  |蟻《あり》の|這《は》ひでる|隙《すき》もなく
|押《お》し|寄《よ》せきたる|諸人《もろびと》の  |勢《いきほひ》|猛《たけ》き|人《ひと》の|波《なみ》
|心《こころ》も|荒《あら》き|国人《くにびと》の  |醜《しこ》の|荒《すさ》びぞ|凄《すさま》じき。
|数万《すうまん》の|群集《ぐんしふ》の|中《なか》より|勝《すぐ》れて|背《せ》の|高《たか》い|色《いろ》の|赭黒《あかぐろ》い、|目《め》の|玉《たま》の|大《おほ》きい|鰐口《わにぐち》の|男《をとこ》は、|四五《しご》の|醜男《しこを》を|引《ひ》き|連《つ》れて、|拳《こぶし》を|固《かた》め|大手《おほて》を|振《ふ》りながら、|八島別《やしまわけ》の|門前《もんぜん》に|立《た》ち|現《あら》はれ、
『オーイ、オーイ、この|門《もん》|開《あ》け』
と|雷《かみなり》のごとく|呶鳴《どな》り|立《た》てゐる。|門番《もんばん》は、
『|何物《なにもの》ならば|勿体《もつたい》なくも、|天教山《てんけうざん》より|天降《あまくだ》り|給《たま》うた|八島別《やしまわけ》|様《さま》の|御威勢《ごゐせい》を|恐《おそ》れず、この|門《もん》|開《あ》けとは|無礼千万《ぶれいせんばん》、|汝《なんぢ》ら|如《ごと》き|乱暴者《らんばうもの》の|申《まを》すことを|聞《き》く|耳《みみ》|持《も》たぬ。トツトと|帰《かへ》れ』
|大《だい》の|男《をとこ》、|才槌《さいづち》のごとき|拳《こぶし》を|固《かた》め、
『|恐《こは》くてよう|開《あ》けぬか、|穴虫《あなむし》、【がつと】|虫《むし》、まだも|違《ちが》うたら|土鼠《もぐらもち》、|塵埃《ごもく》に|潜《ひそ》む|蚯蚓虫《みみずむし》、ごてごて|云《い》はずに|早《はや》く|開《あ》け』
|門番《もんばん》『|明《あ》けの|鴉《からす》のカアカアと、あたやかましい、|開《あ》けなら|開《あ》けで|開《あ》けもしようが、|開《あ》けてビツクリ|玉手箱《たまてばこ》、|魂《たま》の|宿替《やどがへ》せぬ|様《やう》に、|性念魂《しやうねんだま》をしつかり|据《す》ゑてゐるがよからう』
|門番《もんばん》は|不承無精《ふしやうぶしやう》に|門《もん》の|戸《と》をガラガラと|音《おと》させながら|左右《さいう》にサツト|開《ひら》けば、|屋根葺《やねぶき》の|手伝《てつだひ》のやうな|体中《からだぢう》の|真黒黒助《まつくろくろすけ》、|熊《くま》のお|化《ばけ》か|烏《からす》の|親方《おやかた》か、|頭《あたま》か|顔《かほ》か|一寸《ちよつと》|見分《みわけ》のつかぬ|五人連《ごにんづれ》、|口《くち》を|揃《そろ》へて|目《め》を|釣《つ》り|上《あ》げながら、
『|俺《おれ》は|肥《ひ》の|国《くに》の|数万《すうまん》の|人間《にんげん》に|選《えら》ばれて|談判《だんぱん》にきた|虎転別《とらてんわけ》だ。|一時《いちじ》も|早《はや》く|八島別《やしまわけ》の|前《まへ》に|案内《あんない》いたせ』
|門番《もんばん》『|何《なん》だい|黒《くろ》ン|坊《ばう》、|二《ふた》つとない|命《いのち》が|惜《をし》くなければ|会《あ》はしてやらう、|吃驚《びつくり》するな。さあ|俺《おれ》について|来《こ》い』
と|奥殿《おくでん》さして|進《すす》み|行《ゆ》く。
|門番《もんばん》『モシモシ|受付《うけつけ》のお|方《かた》、ドエライ|奴《やつ》が|参《まゐ》りました。|真黒《まつくろ》|黒助《くろすけ》の|熊転《くまてん》だとか、|虎猫《とらねこ》だとか、|怪体《けつたい》な|奴《やつ》が|八島別《やしまわけ》に|会《あ》はしてくれと|申《まを》します、どうぞお|取次《とりつぎ》を|願《ねが》ひます』
『コラ|門番《もんばん》、いらぬ|事《こと》をいふな、|虎様《とらさま》を|八島別《やしまわけ》に|会《あ》はせばよいのだ』
|暫《しばら》くすると|奥《おく》の|間《ま》より、|容姿《ようし》|端麗《たんれい》なる|四五《しご》の|美人《びじん》|現《あら》はれ|来《きた》り、しとやかに、
『コレハコレハ|虎転別《とらてんわけ》|様《さま》、ようこそお|出《いで》|下《くだ》さいました。すぐに|奥《おく》にお|通《とほ》り|下《くだ》さいませ』
と|云《い》ひつつニヤリと|笑《わら》つて|両手《りやうて》をとり、|奥《おく》へ|導《みちび》き|入《い》る。
|虎転別《とらてんわけ》は|絶世《ぜつせい》の|美人《びじん》に、|鰐《わに》の|鱗《うろこ》のやうな|手《て》を|握《にぎ》られ、|章魚《たこ》の|様《やう》にグニヤグニヤになつて|涎《よだれ》を|垂《た》らしながら|奥深《おくふか》く|伴《ともな》はれ|行《い》く。|何《なん》とも|知《し》れぬ|酒《さけ》の|香《にほひ》がしてゐるので、|虎転別《とらてんわけ》は|立《た》ち|止《ど》まり、|鼻《はな》を|犬《いぬ》のやうにピコつかせながら|山《やま》の|如《ごと》く|積《つ》み|重《かさ》ねたる|酒樽《さかだる》の|方《はう》に|眼《め》を|配《くば》りゐる。
|女性《ぢよせい》は|虎転別《とらてんわけ》に|向《むか》ひ、
『もしもし|虎転《とらてん》さま、お|酒《さけ》はこの|通《とほ》り|沢山《たくさん》に|置《お》いてあります。|八島別《やしまわけ》さまは|神通力《じんつうりき》を|以《もつ》て、あなたのお|越《こ》し|遊《あそ》ばすことを|前《まへ》|以《もつ》て|御承知《ごしようち》なので、|酒《さけ》を|沢山《たくさん》に|珍客《ちんきやく》に|十分《じふぶん》|飲《の》ましてあげといふ|事《こと》でした。サアサア|妾《わたし》がお|酌《しやく》をします。|御遠慮《ごゑんりよ》なくお|召上《めしあ》がり|下《くだ》さい』
と|言《い》ひながら|怪《あや》しき|秋波《しうは》を|虎転別《とらてんわけ》に|注《そそ》げば、|虎転別《とらてんわけ》は|猫《ねこ》のやうにゴロゴロと|喉《のど》を|鳴《な》らせ、|今《いま》までの|勢《いきほひ》は|何処《どこ》へやら|行《い》つてしまひ、
『|八島別《やしまわけ》さまは|話《はな》せるわい、|気《き》が|利《き》いてるな。しかし|気《き》の|毒《どく》だが|折角《せつかく》ここまで|用意《ようい》して|下《くだ》さつたのだから|無下《むげ》にお|辞退《ことはり》するも|気《き》の|毒《どく》だ。|頂《いただ》くのも|気《き》の|毒《どく》だが、|頂《いただ》かぬも|気《き》の|毒《どく》だ。|同《おな》じ|気《き》の|毒《どく》ならトツクと|頂《いただ》かう』
|女《をんな》『それが|宜《よろ》しうございませう』
|虎転別《とらてんわけ》は|忽《たちま》ち|相好《さうがう》を|崩《くづ》してその|場《ば》に|安坐《あぐら》をかいてベツタリと|坐《すわ》り|込《こ》み、|四人《よにん》の|供人《ともびと》もこの|男《をとこ》を|中心《ちうしん》に|鶴翼《くわくよく》の|陣《ぢん》を|張《は》りて|左右《さいう》にヅラリと|並《なら》ぶ。この|三人《さんにん》の|美人《びじん》の|名《な》は|春姫《はるひめ》、|夏姫《なつひめ》、|秋姫《あきひめ》といふ。|春姫《はるひめ》は|白扇《はくせん》をひろげ、|長袖《ながそで》を|振《ふ》つて|舞《ま》ひ|始《はじ》め、|夏姫《なつひめ》は|磬《けい》を|打《う》つて|調子《てうし》をとり、|秋姫《あきひめ》は|大《だい》の|盃《さかづき》になみなみと|注《つ》いて、|虎転別《とらてんわけ》を|始《はじ》め|四人《よにん》の|供人《ともびと》に|代《かは》るがはる|酒《さけ》を|勧《すす》める。|虎転別《とらてんわけ》は|御機嫌《ごきげん》|斜《ななめ》ならず、|八島別《やしまわけ》の|館《やかた》に|在《あ》るを|打《う》ち|忘《わす》れ、|銅鑼声《どらごゑ》を|張《は》り|上《あ》げて|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》りながら、|唄《うた》ひ|始《はじ》めたり。
『ここは|筑紫《つくし》の|神国《かみくに》と  |人《ひと》はいへども|常世国《とこよくに》
|常世神王《とこよしんわう》のその|使《つかひ》  |虎転別《とらてんわけ》の|御領分《ごりやうぶん》
|鬼《おに》でも|蛇《じや》でも|閻魔《えんま》でも  |掴《つか》みて|喰《く》らふこの|方《はう》の
|威勢《ゐせい》も|知《し》らずに|何《なん》の|態《ざま》  |八島《やしま》の|別《わけ》の|宣伝使《せんでんし》
|天教《てんけう》の|山《やま》から|降《ふ》つてきて  この|肥《ひ》の|国《くに》に|城《しろ》|造《つく》り
その|名《な》も|建《たけ》の|日向別《ひむかわけ》  |訳《わけ》の|分《わか》らぬ|有散事《うさごと》を
ほざいて|世人《よびと》を|迷《まよ》はせる  |俺《おれ》にはそれが|気《き》に|喰《く》はぬ
そこで|俺《おれ》|奴《め》が|国人《くにびと》を  |沢山《たくさん》|集《あつ》めて|谷々《たにだに》の
|岩《いは》を|運《はこ》ばせ|城《しろ》|築《きづ》き  |八島《やしま》の|別《わけ》の|常永《とことは》に
|鎮《しづ》まる|城《しろ》だと|誑《たば》かりて  その|礎《いしずゑ》も|大方《おほかた》に
|築《きづ》き|始《はじ》めた|我《わ》が|企《たく》み  いよいよ|成功《せいこう》した|上《うへ》は
|虎転別《とらてんわけ》は|城《しろ》の|中《なか》  |弓矢《ゆみや》を|調《ととの》へ|準備《じゆんび》して
|八島《やしま》の|別《わけ》の|宣伝使《せんでんし》  ただ|一撃《ひとうち》にやる|企《たく》み
|企《たく》みはうまいぞあゝ|旨《うま》い  |甘《うま》いといつたらこの|酒《さけ》ぢや
|酒《さけ》ほど|甘《うま》いものはない  |酒《さけ》を|飲《の》まして|虎転《とらてん》を
|亡《ほろ》ぼす|企《たく》みが|面白《おもしろ》い  |酒《さけ》さへ|飲《の》まして|呉《く》れたなら
|俺《おれ》はどうでも|宵《よひ》の|口《くち》  |酔《よ》つてクダまきや|尾《を》も|白《しろ》い
|頭《あたま》も|白《しろ》い|古狐《ふるぎつね》  |化《ば》けた|虎転化《とらてんばけ》の|司《かみ》
|金毛九尾《きんまうきうび》の|御眷族《ごけんぞく》  あゝ|面白《おもしろ》いおもしろい』
と|酒《さけ》に|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れて|自分《じぶん》の|企《たく》みを|残《のこ》らず|白状《はくじやう》しけるぞ|面白《おもしろ》かりける。
(大正一一・二・一 旧一・五 吉原亨録)
第三二章 |水晶玉《すいしやうだま》〔三三二〕
|日《ひ》の|出神《でのかみ》|以下《いか》|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》は、|肥《ひ》の|国《くに》の|都《みやこ》に|漸《やうや》う|辿《たど》り|着《つ》きぬ。|八島別《やしまわけ》の|館《やかた》は|巍然《ぎぜん》として|高《たか》く|聳《そび》え|居《ゐ》たり。|数多《あまた》の|群集《ぐんしふ》は、ウロー、ウローと|叫《さけ》びながら|十重二十重《とへはたへ》に|取《と》り|巻《ま》き、|先《さき》に|立《た》つたる|案内《あんない》の|甲乙丙《かふおつへい》は|後《あと》|振返《ふりかへ》り|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|向《むか》ひ、
『モシモシ、|山《やま》の|奥《おく》の|大天狗様《だいてんぐさま》、|私等《わたしら》はこれからご|免《めん》を|蒙《かうむ》ります。|一《ひと》つ|呶鳴《どな》つて|皆《みな》の|奴《やつ》に|一泡《ひとあわ》|吹《ふ》かさして|見《み》せて|下《くだ》さいませぬか』
|日出神《ひのでのかみ》『よし、よし、あゝ|遠方《ゑんぱう》の|所《ところ》をお|前達《まへたち》も|忙《いそが》しいのに|御苦労《ごくらう》であつた。|俺《おれ》は|唯《ただ》に|使《つか》はぬ、これをお|礼《れい》にその|方《はう》らに|与《あた》へる』
と|懐中《ふところ》より|取《と》り|出《だ》したるは|立派《りつぱ》な|水晶《すゐしやう》の|玉《たま》なりける。
|甲《かふ》『これは|一体《いつたい》|何《なん》で|御座《ござ》いますか、|立派《りつぱ》なもので|生《うま》れてから|見《み》た|事《こと》もありませぬ。これは|如何《どう》して|喰《く》ふので|御座《ござ》いませう』
|日出神《ひのでのかみ》『これは|喰《く》ふものぢやない、|立派《りつぱ》な|宝《たから》だ。これさへ|持《も》つて|居《を》れば|世界《せかい》の|事《こと》は|何《なん》でも|解《わか》る。さうして|病人《びやうにん》でもあつたらこれで|撫《な》でてやつたら|忽《たちま》ち|全快《ぜんくわい》する、|死《し》ンだ|者《もの》でも|蘇《よみが》へる、|起死回生《きしくわいせい》の|玉《たま》だよ』
|三人《さんにん》『それは|有難《ありがた》うございます。|三人《さんにん》の|中《なか》に|三《み》つまで、|気《き》の|利《き》いた|天狗《てんぐ》さまだ。これさへあれば|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|一《ひと》つ|帰《かへ》つて|皆《みな》の|者《もの》に|見《み》せびらかして|威張《ゐば》つてやらうかい』
|日出神《ひのでのかみ》『オイ、この|玉《たま》は|威張《ゐば》ると|消《き》えてしまふぞ、|心《こころ》を|真直《まつすぐ》に|持《も》つて|人《ひと》を|助《たす》ける|心《こころ》になれ。|一寸《ちよつと》しても|今迄《いままで》のやうに【ぶり】ぶり|怒《おこ》つてはいかないぞ。|誠《まこと》|一《ひと》つを|貫《つらぬ》き|通《とほ》す、|水晶玉《すいしやうだま》だ、よいか』
|三人《さんにん》『それは|結構《けつこう》な|宝《たから》を|頂《いただ》きました。|併《しか》しながら、|三人《さんにん》ながら|同《おな》じ|物《もの》を|持《も》つて|居《ゐ》てもあまり|尊《たふと》くもありませぬ、|一《ひと》つより|無《な》いものが|天下《てんか》の|宝《たから》でございますから、|一《ひと》つは|頂戴《ちやうだい》いたします、さうしてその|代《かは》りに|乙《おつ》には|貴神《あなた》の|隠《かく》れ|簑《みの》をやつて|下《くだ》さい。|丙《へい》には|隠《かく》れ|笠《がさ》をやつて|下《くだ》さらば、|誠《まこと》に|有難《ありがた》うございます』
|日出神《ひのでのかみ》『|隠《かく》れ|簑《みの》、|隠《かく》れ|笠《がさ》を|貰《もら》つて|何《なん》にする|心算《つもり》か』
|乙《おつ》『|下《くだ》さるのならば|申上《まをしあげ》ます。|甲《かふ》は|水晶《すゐしやう》の|玉《たま》で|八島別《やしまわけ》の|館《やかた》の|中《なか》を|透《す》き|通《とほ》して|見《み》ますなり、|私《わたくし》らは|隠《かく》れ|笠《がさ》と|簑《みの》を|着《き》て|館《やかた》の|中《なか》に|忍《しの》び|込《こ》み、|八島別《やしまわけ》の|素首《そつくび》を|引《ひ》き|抜《ぬ》き、|虎転別《とらてんわけ》|様《さま》に|送《おく》ります。さうすると|虎転別《とらてんわけ》|様《さま》は、お|前《まへ》は|世界《せかい》に|比類《たぐひ》なき|大手柄者《おほてがらもの》だと|云《い》つて、きつと|私等《わたくしら》をお|側付《そばづき》として|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|甘《うま》い|酒《さけ》を|飲《の》まして|下《くだ》さいませう、それが|何《なに》より|私《わたくし》の|望《のぞ》みです』
|日出神《ひのでのかみ》『|我々《われわれ》は|虎転別《とらてんわけ》といふ|悪《わる》い|奴《やつ》を|往生《わうじやう》させに|行《ゆ》くのだ。|虎転別《とらてんわけ》の|助太刀《すけだち》をしやうと|云《い》ふやうな|不量見《ふりやうけん》な|奴《やつ》には、もう|何《なに》もやらない、その|水晶玉《すいしやうだま》もかやせ』
|甲《かふ》『|私《わたくし》はこの|玉《たま》のやうに|水晶魂《すゐしやうだま》になります。|乙《おつ》や|丙《へい》があのやうな|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を|云《い》つたのです。|私《わたくし》と|彼《あれ》との|心《こころ》はお|月様《つきさま》と|鼈《すつぽん》ほど|違《ちが》つて|居《ゐ》ます。この|玉《たま》はどうぞ|私《わたくし》に|下《くだ》さいませ』
|日出神《ひのでのかみ》『それならやらう。|心《こころ》を|真直《まつすぐ》にもて、そして|玉《たま》の|曇《くも》らぬやうにせい』
と|言《い》ひ|捨《す》てて|八島別《やしまわけ》の|館《やかた》を|指《さ》してどんどんと|進《すす》み|入《い》る。
(大正一一・二・一 旧一・五 加藤明子録)
(第二七章〜第三二章 昭和一〇・二・二四 於呉市徳田屋旅館 王仁校正)
第七篇 |日出神《ひのでのかみ》
第三三章 |回顧《くわいこ》〔三三三〕
|月日《つきひ》の|駒《こま》は|矢《や》の|如《ごと》く、|瑞霊《みづのみたま》に|縁《ゆかり》ある、|壬戌《みづのえいぬ》の|正月《しやうぐわつ》の、|神《かみ》の|御稜威《みいづ》を|照《てら》すてふ、|心《こころ》の|帳《とばり》も|七五三《しめ》の|内《うち》、|睦月《むつき》|五日《いつか》となりにけり。|思《おも》へば|去年《こぞ》の|今日《けふ》の|日《ひ》は、|難波《なには》の|水《みづ》の|都《みやこ》より、|思《おも》ひがけなき【わざひと】に、|導《みちび》かれつつ|烏羽玉《うばたま》の、|闇《やみ》より|暗《くら》き|根《ね》の|国《くに》の、|門《もん》を|潜《くぐ》りしその|夕《ゆふべ》、|大正日々《たいしやうにちにち》|副社長《ふくしやちやう》、|高木鉄男《たかぎかねを》|氏《し》|門前《もんぜん》に、|送《おく》り|来《きた》りし|夜見《よみ》の|庭《には》、|月《つき》|西天《せいてん》に|輝《かがや》けど、|心《こころ》は|曇《くも》る|暗《やみ》の|夜《よ》の、|牢獄《ひとや》の|中《なか》に|囚《とら》はれし、|思《おも》ひ|出《で》|深《ふか》き|夕《ゆふべ》なり。|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|幸《さち》はひて、|奇《く》しき|神世《かみよ》の|物語《ものがたり》、|清《きよ》く|流《なが》るる|和知川《わちがは》の、|辺《ほとり》に|近《ちか》き|松雲閣《しよううんかく》、|一《いち》の|巻《まき》より|説《と》き|始《はじ》め、|外山《とやま》、|谷口《たにぐち》、|桜井《さくらゐ》、|加藤《かとう》、|四人《よにん》の|御子《みこ》を|命毛《いのちげ》の、|筆《ふで》を|揮《ふる》はせ|綴《つづ》り|行《ゆ》く、|心《こころ》の|駒《こま》は|逸《はや》れども、|進《すす》み|兼《か》ねたる|口車《くちぐるま》、やうやう|茲《ここ》に|三百三十三《さんびやくさんじふさん》|節《せつ》の、|歩《あゆみ》も|慣《な》れぬ|神《かみ》の|道《みち》、|辿《たど》り|辿《たど》りて|説《と》き|明《あか》す、これの|霊界物語《れいかいものがたり》、|言葉《ことば》の|綾《あや》や|錦織《にしきお》る、|秋《あき》の|最中《もなか》に|筆《ふで》|執《と》りて、|心《こころ》も|清《きよ》き|白雪《しらゆき》の、|地《ち》は|一面《いちめん》の|銀《ぎん》|世界《せかい》、|総《すべ》ての|枉《まが》を|清《きよ》めたる、|錦水亭《きんすゐてい》の|奥深《おくふか》く、|悩《なや》みの|身《み》をば|横《よこ》たへて、|世人《よびと》のために|言挙《ことあ》ぐる、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御活動《ごくわつどう》、|世《よ》の|黒雲《くろくも》を|吹《ふ》き|払《はら》ひ、|日出《ひいづ》る|国《くに》の|礎《いしずゑ》を、|堅磐常磐《かきはときは》に|経緯《たてよこ》の、|神《かみ》の|教《をしへ》を|敷島《しきしま》や、|煙草《たばこ》に|心《こころ》|慰《なぐさ》めつ、|熊襲《くまそ》の|国《くに》の|醜人《しこびと》に、|光《ひかり》|眩《まば》ゆき|水晶《すゐしやう》の、|三《み》つの|御魂《みたま》を|与《あた》へたる、|実《げ》にも|目出度《めでた》き|物語《ものがたり》、|花《はな》|咲《さ》く|春《はる》の|三月三日《さんぐわつみつか》、|菖蒲《あやめ》も|薫《かを》る|五月空《さつきぞら》、いつかは|晴《は》れむ|胸《むね》の|闇《やみ》、|黒白《あやめ》も|分《わ》かぬ|闇《やみ》の|夜《よ》の、|光《ひかり》となるぞ|苦《くる》しけれ、|証《あかし》となるぞ|尊《たふと》けれ。|夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|夢《ゆめ》ならば、いつかは|醒《さ》めよ|現身《うつそみ》の、この|世《よ》を|思《おも》ふ|赤心《まごころ》の、|紅《あけ》に|染《そ》めなす|紅葉《もみぢば》の、|妻《つま》|恋《こ》ふ|鹿《しか》の|奥山《おくやま》の、しかと|往事《わうじ》を|極《きは》めむと、|先《さき》を|争《あらそ》ひ|来《く》る|人《ひと》の、|魂《たま》の|証《あかし》と|教子《をしへご》が、|先《さき》を|争《あらそ》ひ|筆《ふで》を|執《と》る、|神《かみ》の|守護《まもり》も|弥深《いやふか》き、これの|霊界物語《れいかいものがたり》、|語《かた》り|尽《つく》せぬ|言霊《ことたま》の、|清《きよ》きは|神《かみ》の|心《こころ》かな。|嗚呼《ああ》この|神心《かみごころ》|神心《かみごころ》、|世人《よびと》の|心《こころ》|片時《かたとき》も、|鏡《かがみ》に|写《うつ》れ|真澄空《ますみぞら》、|空《そら》|行《ゆ》く|雲《くも》の|定《さだ》めなき、|昨日《きのふ》に|変《かは》る|今日《けふ》の|雪《ゆき》、|神《かみ》を|力《ちから》に|教《をしへ》を|杖《つゑ》に、|身《み》は|高砂《たかさご》の|尉《じやう》と|姥《うば》、|尉《じやう》と|姥《うば》との|御教《みをしへ》を、|千歳《ちとせ》の|松《まつ》の|末長《すゑなが》く、|守《まも》れよ|守《まも》れ|百《もも》の|人《ひと》、|三千年《さんぜんねん》がその|間《あひだ》、|守《まも》り|育《そだ》てし|園《その》の|桃《もも》、|天津御神《あまつみかみ》に|奉《たてまつ》る、|神《かみ》の|化身《けしん》の|西王母《せいわうぼ》が、|心《こころ》の|花《はな》の|開《ひら》く|時《とき》、|心《こころ》の|花《はな》の|薫《かを》る|時《とき》。
|世《よ》を|思《おも》ふ|心《こころ》は|胸《むね》に|三千歳《みちとせ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》を|開《ひら》く|今日《けふ》かな
(大正一一・二・一 旧一・五 加藤明子録)
第三四章 |時《とき》の|氏神《うぢがみ》〔三三四〕
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》を|伴《ともな》ひ、|数万《すうまん》の|群集《ぐんしふ》を|押分《おしわ》けて、|又《また》もや|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|人波《ひとなみ》|分《わ》けて|進《すす》み|行《ゆ》く。|群集《ぐんしふ》は|三人《さんにん》の|姿《すがた》を|見《み》て|口々《くちぐち》に|囁《ささや》き|合《あ》ふ。
|甲《かふ》『オイ、|八島別《やしまわけ》とか|云《い》ふ、|天《てん》から|降《ふ》つた|様《やう》な|豪《えら》い|力《ちから》の|強《つよ》い|神《かみ》さまが、この|肥《ひ》の|国《くに》へ|降《くだ》つて|来《き》たと|思《おも》へば、|又《また》もや|妙《めう》な|姿《すがた》をした|神《かみ》さまが|遣《や》つて|来《き》たぞ、|一寸《ちよつと》|見《み》た|処《ところ》は|見窄《みすぼ》らしいが、アノ|声《こゑ》を|聞《き》くと|俺等《おいら》は|何《な》ンとなく|恐《おそ》ろしくつて|身体《からだ》が|縮《ちぢ》み|上《あが》るやうだ。|一人《ひとり》でさへも|肥《ひ》の|国《くに》の|人間《にんげん》は|持余《もてあま》して|恐《おそ》れ|入《い》つてゐるのに、|三人《さんにん》も|遣《や》つて|来《く》るとはコラまたどうしたものだい』
|乙《おつ》『|心配《しんぱい》するな、|天道《てんどう》は|人《ひと》を|殺《ころ》さずと|云《い》ふ|事《こと》があるよ』
|丙《へい》『|乙《おつ》、|貴様《きさま》は|天道《てんだう》|天道《てんだう》て|一体《いつたい》ソラ|何《な》ンだい、テンと|分《わか》らぬではないか。|一《ひと》つ|後《あと》をつけて|行《い》つたら|如何《どう》だらうか』
|甲《かふ》『それもさうだな。|素知《そし》らぬ|顔《かほ》にて|何処《どこ》に|行《ゆ》きよるか、|踵《つ》いて|行《い》つてやらうよ』
ここに|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》の|後《あと》に、|見《み》えつ|隠《かく》れつ|踵《つ》いて|行《ゆ》く。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|館《やかた》の|門前《もんぜん》に|立止《たちど》まり、
『|吾《われ》こそは|黄金山《わうごんざん》の|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|一行《いつかう》なり。この|門《もん》を|速《すみや》かに|開《あ》けられよ』
と|呼《よば》はれば、|門番《もんばん》は『ハイ』と|答《こた》へて|直《ただ》ちに|門《もん》を|左右《さいう》に|開《ひら》きぬ。
『|御苦労《ごくらう》でござる。|八島別《やしまわけ》は|在館《ざいくわん》か』
|門番《もんばん》『ハイ、|在《い》らつしやいます。|貴下《あなた》は|音《おと》に|名高《なだか》き、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》でありましたか、|好《よ》い|処《ところ》へ|来《き》て|下《くだ》さいました。|奥《おく》は|大変《たいへん》でございます』
『|大変《たいへん》とは|何《な》ンだ』
『|大変《たいへん》も|大変《たいへん》、さつぱり|天地《てんち》がヒツクリ|覆《かへ》るやうな、|館《やかた》の|内《うち》は|大騒動《おほさうどう》がオツ|始《ぱじ》まりました。|虎転別《とらてんわけ》と|云《い》ふこの|国《くに》の|豪《えら》い|大将《たいしやう》が、|何時《いつ》も|八島別《やしまわけ》さまに|向《むか》つて、|酢《す》に|付《つ》け|味噌《みそ》につけ|小言《こごと》を|申《まを》すなり、|反対《はんたい》を|致《いた》すなり、それはそれは|大変《たいへん》な|悪《わる》い|奴《やつ》で|御座《ござ》いますが、たつた|今《いま》も|無理《むり》にこの|門《もん》を|開《ひら》かして、|奥《おく》へ|四五人《しごにん》の|家来《けらい》を|連《つれ》て|進《すす》ンでゆきました。さうして|結構《けつこう》な|酒《さけ》を|喰《くら》ひ|酔《よ》つた|揚句《あげく》は、そこら|中《ぢう》を|荒《あ》れて|荒《あ》れて|荒廻《あれまは》し、|戸《と》を|叩《たた》き|破《やぶ》るやら|敷物《しきもの》を|引裂《ひきさ》くやら、|女連《をんなれん》を【とつ】|捉《つか》まへてキヤアキヤア|云《い》はすやら、|終《しま》ひには|八島別《やしまわけ》さまを【とつ】|捉《つか》まへて、|大《おほ》きな|握《にぎ》り|拳《こぶし》で|拳骨《げんこつ》を|喰《くら》はすやら、それはそれは|豪《えら》い|乱暴《らんばう》、|門番《もんばん》の|私《わたくし》もあまりの|事《こと》で|腹《はら》が|立《た》ち、|疳癪玉《かんしやくだま》も|舞上《まひあが》つて、|胸《むね》のあたりに【ぐつ】と|詰《つま》つてしまひました。それに|八島別《やしまわけ》さまは、|虎転別《とらてんわけ》の|支度《したい》ままに|為《さ》して、|拳骨《げんこつ》まで|喰《くら》はされても|些《ちつと》も|抵抗《ていかう》なさらぬので、|段々《だんだん》と|付《つ》け|上《あが》り、|有《あ》るに|有《あ》られぬ|乱暴狼藉《らんばうろうぜき》、|私《わたくし》ザザヽヽヽヽ|残念《ざんねん》で|堪《たま》りませぬ。|何卒《どうぞ》|貴下《あなた》が|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまなら、|一時《いちじ》も|早《はや》く|虎転別《とらてんわけ》をふン|縛《じば》つて、|敵《かたき》を|討《う》つて|下《くだ》さい、|御頼《おたの》みです』
と|手《て》を|合《あは》して|拝《をが》む。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|又《また》もや|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、|悠然《いうぜん》として|奥深《おくふか》く|進《すす》み|行《ゆ》く。|一行《いつかう》の|姿《すがた》を|見《み》るより、|三人《さんにん》の|若《わか》き|美人《びじん》は|袖《そで》に|取《と》り|縋《すが》り、
『|何《いづ》れの|御方《おかた》かは|知《し》りませぬが、よくまあ|来《き》て|下《くだ》さいました。|奥《おく》は|大変《たいへん》でございます』
と|各々《おのおの》|涙声《なみだごゑ》にて|訴《うつた》ふる。|三人《さんにん》は|軽《かる》く|打頷《うちうなづ》きながら、|女《をんな》の|後《あと》を|逐《お》うて、|奥深《おくふか》く|進《すす》み|入《い》る。
|八尋殿《やひろどの》の|中央《ちうあう》に、|虎転別《とらてんわけ》は|真裸《まつぱだか》となり|安座《あぐら》をかき、|仁王《にわう》の|如《ごと》き|拳《こぶし》を|頭上《づじやう》|高《たか》く|振上《ふりあ》げ|眼《まなこ》を|怒《いか》らし|居《を》る。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|鎮魂《ちんこん》の|姿勢《しせい》を|取《と》つて、ウンと|一声《ひとこゑ》|叫《さけ》び|給《たま》へば、|虎転別《とらてんわけ》は|如何《いか》にしけむ、|腕《うで》を|振上《ふりあ》げたまま|木像《もくざう》の|如《ごと》くに、|身体《しんたい》|硬直《かうちよく》して、ビクとも|動《うご》けず、ただ|両眼《りやうがん》のみギロギロと|廻転《くわいてん》さすのみなり。|奥殿《おくでん》よりは|八島別《やしまわけ》、|乱《みだ》れたる|髪《かみ》を|撫《な》で|上《あ》げながら、|静々《しづしづ》と|出《い》で|来《きた》り、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|一行《いつかう》に|向《むか》ひ、|慇懃《いんぎん》に|挨拶《あいさつ》を|述《の》べたるに、|日《ひ》の|出神《でのかみ》も|叮嚀《ていねい》に|答礼《たふれい》し|八島別《やしまわけ》に|向《むか》つて、
『|貴下《あなた》の|内《うち》には|見事《みごと》な|木像《もくざう》がありますな。|何処《どこ》からお|求《もと》めになりましたか。なかなか|立派《りつぱ》な|細工《さいく》ですネ、ほとんど|虎転別《とらてんわけ》の|生写《いきうつ》し、よくも|刻《きざ》むだものですなあ』
|八島別《やしまわけ》はフト|気《き》が|付《つ》き|傍《かたはら》を|見《み》れば|今《いま》まで|荒《あ》れ|狂《くる》ひ|居《ゐ》たりし|虎転別《とらてんわけ》は、|腕《うで》を|振上《ふりあ》げたまま|固《かた》まり|居《を》るを|見《み》て、|八島別《やしまわけ》は|微笑《ほほえ》みながら、
『イヤ、これは|左程《さほど》|貴重《きちよう》なものではありませぬ、ホンの|仕入細工《しいれざいく》のヤクザ|物《もの》、|貴下《あなた》の|御意《ぎよい》に|召《め》しますなら、|御土産《おみやげ》に|進上《しんじやう》いたします。|貴下《あなた》は|叩《たた》きなりと、|崩《くづ》しなりと、|砕《くだ》くなりと|御勝手《ごかつて》に|為《な》さいませ』
『それなら|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しませう。|貰《もら》つた|上《うへ》は|私《わたくし》の|物《もの》、しかし|木像《もくざう》は|奇妙《きめう》に|目玉《めだま》が|動《うご》きますね。|眼《め》|計《ばか》りギロギロと|動《うご》いて|居《ゐ》るのは|見《み》つともない。こンな|怪体《けつたい》な|眼《め》は|抉《ゑぐ》り|出《だ》して|動《うご》かぬ|品《ひん》のよい|眼《め》を|入《い》れ|替《か》へてもよろしいか』
『さあさあ、|貴下《あなた》の|御自由《ごじいう》に』
|四人《よにん》の|供人《ともびと》は|是《こ》れまた|恐怖心《きようふしん》に|駆《か》られて、|同《おな》じく|平太張《へたば》つたまま、カチカチになつてゐる。
|日出神《ひのでのかみ》『いやここにも|乾児《こぶん》がをりますねー。これも|一緒《いつしよ》に|頂戴《ちやうだい》いたしませうか』
|八島別《やしまわけ》『さあさあ、|御安《おやす》い|事《こと》』
|虎転別《とらてんわけ》は|心《こころ》も|心《こころ》ならず、|如何《いかが》|成《な》り|行《ゆ》く|事《こと》ならむと|胸《むね》を|跳《をど》らせたるが、|遂《つひ》には、|涙《なみだ》をポロリポロリと|零《こぼ》し|出《だ》したりける。
|日出神《ひのでのかみ》『やあ、|縁起《えんぎ》の|悪《わる》い、|涙《なみだ》を|零《こぼ》しかけました。|打《う》ち|斬《き》つて|仕舞《しま》ひませうか』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|両刃《もろは》の|剣《つるぎ》をスラリと|抜《ぬ》いて、|虎転別《とらてんわけ》の|眼《め》の|前《まへ》に|突付《つきつ》けたまひける。
(大正一一・二・一 旧一・五 高木鉄男録)
第三五章 |木像《もくざう》に|説教《せつけう》〔三三五〕
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
『|何《いづ》れもこの|場《ば》にあつまり|給《たま》へ。|今《いま》|某《それがし》がこの|木像《もくざう》の|眼《め》を|刳《く》り|抜《ぬ》いてお|目《め》にかけむ』
との|一言《いちごん》を|聞《き》くより、|木像《もくざう》はますます|烈《はげ》しく|眼玉《めだま》を|廻転《くわいてん》し|初《はじ》めたり。|木像《もくざう》の|前《まへ》には、|八島別《やしまわけ》、|春姫《はるひめ》、|夏姫《なつひめ》、|秋姫《あきひめ》を|始《はじ》め、|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|面那芸《つらなぎ》、|祝姫《はふりひめ》その|他《た》|十数人《じふすうにん》の|佳人《かじん》がズラリと|列《なら》びけり。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|木像《もくざう》に|向《むか》ひ、
『えゝ|皆《みな》の|方々《かたがた》、これより|此《こ》の|木像《もくざう》に|一《ひと》つお|嫌《きら》ひな|祝詞《のりと》を|唱《とな》へて|進《しん》ぜませう。|序《ついで》に|木像《もくざう》さまのお|嫌《きら》ひな|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひませう。|皆《みな》さま、|私《わたくし》について|合唱《がつしやう》して|下《くだ》さい』
と|言《い》ひながら、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|宣伝歌《せんでんか》を|各々《おのおの》|口《くち》を|揃《そろ》へて|歌《うた》ひ|終《をは》れば、|五体《ごたい》の|木像《もくざう》は|両眼《りやうがん》より|涙《なみだ》を|滝《たき》の|如《ごと》く|流《なが》し|居《ゐ》たり。
ここに|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、|木像様《もくざうさま》のお|経《きやう》だと|言《い》ひつつ|歌《うた》を|歌《うた》ひ、|祝姫《はふりひめ》を|始《はじ》め|春姫《はるひめ》、|夏姫《なつひめ》、|秋姫《あきひめ》をして|歌《うた》につれて|踊《をど》らしめける。
|日出神《ひのでのかみ》『|虎《とら》|狼《おほかみ》の|吼《ほ》え|猛《たけ》る  |熊襲《くまそ》の|国《くに》の|国境《くにざかひ》
|肥《ひ》の|国《くに》|都《みやこ》に|名《な》も|高《たか》き  |虎転別《とらてんわけ》の|神《かみ》さまは
|力《ちから》が|余《あま》つて|瘤《こぶ》だらけ  お|酒《さけ》が|好《す》きで|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れ
|酔《よ》うた|揚句《あげく》は|鉢《はち》を|破《わ》り  |戸《と》を|蹴破《けやぶ》つて|荒《あ》れ|狂《くる》ひ
|乱暴《らんばう》|極《きは》まるお|振舞《ふるまひ》  ふるまひ|酒《ざけ》を|飲《の》み|過《す》ぎて
|体《からだ》は|木像《もくざう》となりかはり  |眼玉《めだま》ばかりをギヨロギヨロと
|剥《む》いて|御座《ござ》るがいぢらしや  |好《す》きなお|酒《さけ》をどつさりと
|上《あが》つた|報《むく》いは|忽《たちま》ちに  |虎転《とらてん》さまの|何《なに》よりも
|嫌《きら》ひな|嫌《きら》ひな|宣伝歌《せんでんか》  ま|一《ひと》つ|嫌《きら》ひな|太祝詞《ふとのりと》
|手向《たむ》けて|上《あ》げたら|眼《め》に|涙《なみだ》  |滝《たき》と|流《なが》して|泣《な》いたあと
きつと|嬉《うれ》しいことがある  |虎転別《とらてんわけ》の|神《かみ》さまよ
|荒《あら》い|心《こころ》を|立替《たてか》へて  |神《かみ》の|心《こころ》になりかはり
|肥《ひ》の|国人《くにびと》を|懇《ねんご》ろに  |治《をさ》めてやれよ|虎転別《とらてんわけ》よ
|三五教《あななひけう》の|吾々《われわれ》は  お|前《まへ》を|憎《にく》いと|思《おも》はない
|元《もと》をただせば|皆《みな》|神《かみ》の  |御子《みこ》と|生《うま》れた|兄弟《きやうだい》よ
|天《てん》にも|地《ち》にも|世《よ》の|中《なか》に  |他人《たにん》があつて|堪《たま》らうか
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る  |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれた
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》す
|神《かみ》の|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》  |少《すこ》しは|心《こころ》を|柔《やはら》げよ
|片意地《かたいぢ》|張《は》るとこの|通《とほ》り  |体《からだ》は|石《いし》のやうになり
|二進《につち》も|三進《さつち》も|動《うご》けまい  |神《かみ》の|教《をしへ》を|聞《き》き|分《わ》けて
|誠《まこと》の|心《こころ》に|立《た》ち|帰《かへ》れ  |虎転別《とらてんわけ》の|神《つかさ》さまよ
それに|従《したが》ふ|供人《ともびと》よ』
と|歌《うた》ひたまへば、|木像《もくざう》はますます|涙《なみだ》を|零《こぼ》し|出《だ》しける。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|涼《すず》しき|声《こゑ》を|張《は》りあげて、
『|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》』
と|神文《しんもん》を|唱《とな》へたるに、|虎転別《とらてんわけ》の|木像《もくざう》は|俄《にはか》にグニヤグニヤとなつて|旧《もと》の|自由《じいう》の|身体《からだ》に|復《ふく》したり。|忽《たちま》ち|虎転別《とらてんわけ》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|向《むか》つて|飛《と》び|附《つ》いたまま、|又《また》もや|拳骨《げんこつ》を|振《ふ》り|上《あ》げてポカンと|打《う》ちかかる|刹那《せつな》、|再《ふたた》び|身体《しんたい》は|強直《きやうちよく》してまた|木像《もくざう》の|如《ごと》くなりにける。
|日出神《ひのでのかみ》『あなたの|家《いへ》には、|妙《めう》な|木像《もくざう》がありますな。|時々《ときどき》|暴《あば》れますのか、よう|腕《うで》を|振《ふ》り|上《あ》げる|木像《もくざう》ですな』
|八島別《やしまわけ》『ハイハイ、|最前《さいぜん》も|最前《さいぜん》とて、よく|振《ふ》り|上《あ》げましたよ。|実《じつ》に|面白《おもしろ》い|人形《にんぎやう》ですワ』
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|又《また》もや|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》の|神歌《しんか》を|歌《うた》ふ。|木像《もくざう》はまた|旧《もと》の|通《とほ》り|身体《しんたい》|自由《じいう》に|復《ふく》したり。
|虎転別《とらてんわけ》『いや、どうも|恐《おそ》れ|入《い》りました。|何卒《どうぞ》|許《ゆる》して|下《くだ》さい。|今日《けふ》|限《かぎ》り|改心《かいしん》をいたします』
と|男泣《をとこな》きに|泣《な》き|立《た》てける。
|一同《いちどう》は|顔《かほ》|見合《みあ》はせてニヤリと|笑《わら》ふ。|虎転別《とらてんわけ》の|今後《こんご》は|如何《いかが》なるならむか。
(大正一一・二・一 旧一・五 桜井重雄録)
第三六章 |豊日別《とよひわけ》〔三三六〕
|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|八島別宣使《やしまわけのかみ》は、|虎転別《とらてんわけ》の|心《こころ》よりの|改心《かいしん》を|喜《よろこ》び、|神前《しんぜん》に|御饌《みけ》|御酒《みき》|種々《くさぐさ》の|物《もの》を|供《そな》へ|足《たら》はし、|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し|互《たがひ》に|心《こころ》を|打明《うちあ》けて|兄弟《きやうだい》の|如《ごと》く|睦《むつ》び|合《あ》ひける。|虎転別《とらてんわけ》は、|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|向《むか》ひ、
『お|蔭《かげ》を|以《もつ》て|我《わ》が|身《み》に|憑依《ひようい》せる|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》の|悪霊《あくれい》は、|貴下《きか》の|神力《しんりき》に|依《よ》つて|残《のこ》らず|脱出《だつしゆつ》しました。|今《いま》となつては|何《なん》となく|精神《せいしん》|清々《すがすが》しく|身《み》も|軽《かる》き|心地《ここち》が|致《いた》します。|今《いま》まで|私《わたくし》は|悪神《あくがみ》の|虜《とりこ》となり、|数多《あまた》の|国人《くにびと》を|唆《そその》かし、|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|神《かみ》の|教《をしへ》を|宣《の》べ|伝《つた》ふ|宣伝使《せんでんし》を|責《せ》め|悩《なや》めむとしたる|重々《ぢうぢう》|深《ふか》き|我身《わがみ》の|罪《つみ》、|何卒《なにとぞ》|見直《みなほ》し|宣《の》り|直《なほ》して|下《くだ》さいませ』
と|涙《なみだ》と|共《とも》に|詫入《わびい》るにぞ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|憐《あは》れを|催《もよ》ほして、
『|人間《にんげん》は|総《すべ》て|神様《かみさま》の|分霊《ぶんれい》であります。|生《うま》れつき|悪人《あくにん》は|一人《ひとり》も|無《な》い。|唯《ただ》|心《こころ》の|弛《ゆる》みより|種々《いろいろ》の|悪魔《あくま》に|左右《さいう》されて、|悪行《あくぎやう》を|為《な》すのであつて、|決《けつ》して|肉体《にくたい》の|所作《しよさ》ではない。|肉体《にくたい》は|皆《みな》その|悪神《あくがみ》に|使《つか》はれるのであるから、そこで|神様《かみさま》は|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し、|聞《き》き|直《なほ》し、|宣《の》り|直《なほ》し|給《たま》ふのである。|又《また》その|悪魔《あくま》と|雖《いへど》も、|心《こころ》を|改《あらた》むればきつと|御許《おゆる》しになるのである。|况《ま》して|神《かみ》の|分霊《わけみたま》たる|人間《にんげん》の|貴方《あなた》、|必《かなら》ず|御心配《ごしんぱい》あるな』
と|懇《ねんごろ》に|教理《けうり》を|説《と》き|諭《さと》せば、|虎転別《とらてんわけ》は|且《か》つ|喜《よろこ》び|且《か》つ|覚《さと》り、
『あゝ|辱《かたじけ》なき|御言葉《おことば》、|私《わたくし》は|斯《こ》うしては|居《ゐ》られませぬ。|数多《あまた》の|群衆《ぐんしう》に|向《むか》つて、|今《いま》までの|曲事《まがごと》を|宣《の》り|直《なほ》さねばなりませぬ。|斯《こ》う|申《まを》す|間《あひだ》も|心《こころ》が|急《いそ》ぐ。|暫時《しばし》|御許《おゆる》し|下《くだ》されよ』
と|云《い》ひながら、|韋駄天走《ゐだてんばし》りに|門《もん》を|立《た》ち|出《い》で、|十重二十重《とへはたへ》に|群《むら》がる|群衆《ぐんしう》に|向《むか》つて、|声《こゑ》を|張上《はりあ》げ、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る
この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》せ  |虎転別《とらてんわけ》の|曲事《まがごと》は
|今《いま》|宣《の》り|直《なほ》す|神直日《かむなほひ》  |今《いま》|宣《の》り|直《なほ》す|大直日《おほなほひ》
これに|群《むら》がる|人々《ひとびと》よ  われに|做《なら》つて|宣《の》り|直《なほ》し
|悪《あ》しき|心《こころ》を|立替《たてか》へよ  |荒《あ》らき|言葉《ことば》を|立直《たてなほ》せ
|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》』
と|歌《うた》へば、|群衆《ぐんしう》は|口々《くちぐち》に|藪《やぶ》から|棒《ぼう》の|虎転別《とらてんわけ》の|言霊《ことたま》に、アフンとして|口《くち》を|開《ひら》き、
『ヤヽヤイ|何《なん》だい。|一体《いつたい》|薩張《さつぱり》【こン】だ。テンツクテンだ、テンテラテンだ、テンプクだ、|天狗《てんぐ》だ、|天界《てんかい》だ、|回天《くわいてん》だ。【てン】と|訳《わけ》が|分《わか》らぬぢやないか』
|虎転別《とらてんわけ》は、なほも|言葉《ことば》を|継《つ》いで、
『|悪《あく》の|中《なか》にも|善《ぜん》がある  |善《ぜん》と|思《おも》ふても|悪《あく》がある
|俺《おれ》は|今《いま》まで|悪《あく》だつた  |八島別宣使《やしまわけのかみ》さまや
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御教《みをしへ》に  |悪《あく》が|復《かへ》つて|善《ぜん》となり
|今《いま》は|心《こころ》も|清々《すがすが》し  |善《ぜん》に|復《かへ》れよ|皆《みな》の|者《もの》
|悪《あく》を|放《ほか》せよ|皆《みな》の|者《もの》』
と|大音声《だいおんじやう》に|呼《よ》ばはりければ、|今《いま》まで|猛《たけ》り|切《き》つて|此《この》|館《やかた》を|攻《せ》め|囲《かこ》んでゐた|群衆《ぐんしう》は、この|言葉《ことば》に|拍子《へうし》|抜《ぬ》けがし|口々《くちぐち》に|呟《つぶや》きながら、|各々《おのおの》|家路《いへぢ》に|帰《かへ》り|行《ゆ》く。ここに|八島別《やしまわけ》は、|純世姫命《すみよひめのみこと》の|神霊《しんれい》を|祀《まつ》り、|肥《ひ》の|国《くに》の|守護神《しゆごじん》となり、|建日別《たけひわけ》となり、また|虎転別《とらてんわけ》は|心《こころ》を|改《あらた》めて、|豊《とよ》の|国《くに》の|守護職《しゆごしよく》となり、|豊日別《とよひわけ》となりにける。
(大正一一・二・一 旧一・五 外山豊二録)
第三七章 |老利留油《らうりるいう》〔二三七〕
|神《かみ》の|光《ひかり》を|輝《かがや》かす  この|四柱《よはしら》の|宣伝使《せんでんし》
|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|始《はじ》めとし  |心《こころ》も|豊《ゆたか》に|治《をさ》まれる
|豊日《とよひ》の|別《わけ》の|宣伝使《せんでんし》  |醜《しこ》の|曲津《まがつ》も|祝姫《はふりひめ》
|面那芸彦《つらなぎひこ》と|諸共《もろとも》に  |国《くに》の|八十国《やそくに》|八島別《やしまわけ》
|神《かみ》の|命《みこと》に|立別《たちわか》れ  |漸《やうや》くここを|建日向《たけひむか》
|別《わけ》に|別《わか》れて|進《すす》み|行《ゆ》く  |豊葦原《とよあしはら》の|豊《とよ》の|国《くに》
|長閑《のどか》な|春日《はるひ》を|負《お》ひ|乍《なが》ら  |脚《あし》に|任《まか》せて|山坂《やまさか》を
|岩《いは》の|根《ね》|木《き》の|根《ね》|踏《ふ》みさくみ  |深《ふか》き|谷間《たにま》を|打渡《うちわた》り
|豊《ゆた》けき|豊《とよ》の|神国《かみくに》の  |名《な》を|負《お》ひませる|白日別《しらひわけ》
|筑紫《つくし》の|国《くに》に|渡《わた》らむと  |勇《いさ》み|行《ゆ》くこそ|雄々《をを》しけれ。
|霧《きり》|立昇《たちのぼ》る|霧島《きりしま》の|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》に、|四柱《よはしら》は|腰《こし》うち|下《おろ》し|草《くさ》の|上《うへ》に【どつか】と|臀《しり》を|据《す》ゑて、|流《なが》るる|汗《あせ》を|拭《ぬぐ》ひ|乍《なが》ら、|四方《よも》の|景色《けしき》を|眺《なが》めて、|無《な》|邪気《じやき》な|話《はなし》に|耽《ふけ》りける。
|豊日別《とよひわけ》『あゝ|実《じつ》に|高山《かうざん》から|見《み》た|景色《けしき》は|雄大《ゆうだい》ですな。|四方《しはう》|山《やま》に|包《つつ》まれ、|一方《いつぱう》には|荒浪《あらなみ》に|時々《ときどき》|襲《おそ》はれる|肥《ひ》の|国《くに》に|鳥無郷《とりなきさと》の|蝙蝠《かうもり》を|気取《きど》つて、|権利《けんり》だ、|義務《ぎむ》だ、|得《とく》だ|損《そん》だと|狭《せせ》つこましきことを|言《い》つて|争《あらそ》つたり、|訳《わけ》の|解《わか》らぬ|人間《にんげん》を|相手《あひて》に|昼夜《ちうや》|心《こころ》を|腐《くさ》らし、|心配《しんぱい》をしながら|虎転別《とらてんわけ》の|悪魔《あくま》だとか、|鬼《おに》だとか|云《い》はれて|居《を》るよりも、|斯《こ》うして|貴下等《あなたがた》と|一緒《いつしよ》に|元《もと》の|心《こころ》に|生《うま》れ|変《かは》つて、|自由自在《じいうじざい》に|山野《さんや》を|跋渉《ばつせふ》するのは、|実《じつ》に|何《なん》とも|云《い》へぬ|天恵《てんけい》ですワ。|夫《そ》れに|就《つい》て|私《わたくし》は、|豊《とよ》の|国《くに》の|豊日別《とよひわけ》となつて|守護《しゆご》を|致《いた》さねばなりませぬが、|豊《とよ》の|国《くに》は|一体《いつたい》|何《ど》の|方面《はうめん》に|当《あた》るのでせうか』
|面那芸宣使《つらなぎのかみ》は|四方《しはう》を|見廻《みまは》しながら、|眼下《がんか》に|展開《てんかい》せる|大沙漠《だいさばく》を|指《ゆび》さし、
『|豊《とよ》の|国《くに》はこの|西南《せいなん》に|当《あた》る|赤白《あかじろ》く|見《み》える|処《ところ》ですよ』
|豊日別《とよひわけ》『よを、|何《なん》だ、|草《くさ》も|木《き》も|一本《いつぽん》も|生《は》えて|居《ゐ》ないぢやありませぬか。|彼《あ》れは|沙漠《さばく》ではありますまいか』
|面那芸《つらなぎ》『|大沙漠《だいさばく》ですよ。そこに|草木《くさき》を|植付《うゑつ》け|五穀《ごこく》を|稔《みの》らせ、|豊《ゆたか》な|豊《とよ》の|国《くに》とするのが|貴下《あなた》の|役目《やくめ》ですよ』
|豊日別《とよひわけ》『|天恵《てんけい》どころか、|非常《ひじやう》な|天刑《てんけい》です。|何《ど》うしたら|草木《くさき》が|繁茂《はんも》し、|人間《にんげん》が|繁殖《はんしよく》して|立派《りつぱ》な|国土《こくど》になりませうかな』
|日出神《ひのでのかみ》『|豊日別《とよひわけ》さまの|頭《あたま》の|禿《はげ》に|毛《け》が|生《は》えたら|彼《あ》の|沙漠《さばく》にも|草木《くさき》が|生《は》えるだらう。|夫《そ》れを|生《はや》さうと|思《おも》へば|大変《たいへん》な|辛《つら》い|目《め》をしなくちやならぬ』
『この|禿《はげ》た|頭《あたま》に|毛《け》が|生《は》えますか』
|日出神《ひのでのかみ》『|痛《いた》い|目《め》をすれば|生《は》える。|生《は》やして|上《あ》げようか』
|豊日別《とよひわけ》『|少々《せうせう》|痛《いた》い|目《め》をしたつて|天下《てんか》の|為《ため》になることなら|構《かま》ひませぬ』
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は【つと】|立上《たちあが》り|傍《かたはら》の|樹木《じゆもく》の|中《なか》に|姿《すがた》を|隠《かく》したるが、|暫《しば》らくありて|青々《あをあを》とした|樹《き》の|枝《えだ》を|握《にぎ》り|帰《かへ》り|来《き》たり、|傍《かたはら》の|岩《いは》の|上《うへ》にその|樹《き》の|枝《えだ》を|積《つ》み、|手頃《てごろ》の|石《いし》を|以《もつ》て【おさん】が|砧《きぬた》を|打《う》つやうに|打《う》ち|始《はじ》めたるに、|追々《おひおひ》と|打《う》たれて|枝《えだ》も|葉《は》も|容量低《かさびく》になり、|水気《みづけ》が|滴《したた》り|出《だ》しける。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|黒《くろ》き|被面布《ひめんぷ》にくるくると|包《つつ》み、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|力《ちから》を|籠《こ》めて|搾《しぼ》り、|出《で》た|汁《しる》は、|岩《いは》の|上《うへ》の|少《すこ》しく|凹《くぼ》みし|所《ところ》に|油《あぶら》となつて|充《みた》されける。
|日出神《ひのでのかみ》『さあ、|是《これ》から|毛《け》を|生《は》やして|上《あ》げやう。|些《ちつと》は|痛《いた》いが、|辛抱《しんばう》できますか』
と|云《い》ひながら、|豊日別《とよひわけ》の|頭《あたま》を|傍《かたはら》の|荒《あら》き|砂《すな》を|掴《つか》みて、ゴシゴシと|擦《こす》りけるに、|豊日別《とよひわけ》は、
『イヽヽヽヽ』
|日出神《ひのでのかみ》『|宣伝使《せんでんし》たる|者《もの》が|痛《いた》いなぞと|弱音《よわね》を|吹《ふ》いてはならぬ、そこが|男《をとこ》だ、|気張《きば》りなさい』
『イヽヽヽヽ|好《い》い|気分《きぶん》ですワ』
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|益々《ますます》ガシガシと|擦《こす》る。|薄皮《うすかは》は|剥《む》ける、|血《ち》は|滲《にじ》む。
『イヽヽヽヽ|至《いた》つて|好《い》い|気分《きぶん》ですワイ』
|日出神《ひのでのかみ》『よし、これからもう|一《ひと》つ|好《い》い|気分《きぶん》にして|上《あ》げやう』
と|今《いま》|搾《しぼ》つた|岩《いは》の|上《うへ》の|油《あぶら》を|掬《すく》うて、ビシヤビシヤと|塗《ぬ》りつける。|豊日別《とよひわけ》は|顔《かほ》を|顰《しか》め、|又《また》もや、
『イヽヽヽヽイヽヽヽヽ』
と|泣声《なきごゑ》になつて|来《き》てゐる。
|日出神《ひのでのかみ》『また|貴方《あなた》は|弱音《よわね》を|吹《ふ》くな』
|豊日別《とよひわけ》『イヽヽヽヽイヽヽヽ|好《い》い|加減《かげん》です。|成《な》ることなら、もう|好《い》い|加減《かげん》に|止《や》めて、ホヽヽヽ|欲《ほ》しいことない』
と|涙《なみだ》をボロボロと|零《こぼ》して|気張《きば》りゐる。
|日出神《ひのでのかみ》『さあ、これでよし』
と|再《ふたた》び|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|腰《こし》を|下《おろ》したりける。|豊日別《とよひわけ》は|頭《あたま》を|押《おさ》へ、|目《め》を|塞《ふさ》ぎ、|息《いき》を|詰《つ》めて|蹲踞《しやが》みゐる。|暫時《しばらく》すると|痛《いた》みが|止《と》まり、|豊日別《とよひわけ》はやつと|安心《あんしん》して|顔《かほ》の|紐《ひも》を|解《と》く。
|日出神《ひのでのかみ》『|如何《どう》でした。|好《い》い|気分《きぶん》でせう。|人間《にんげん》は|一度《いちど》は|大峠《おほたうげ》を|越《こ》さねばならぬ。|大峠《おほたうげ》を|越《こ》すのは|随分《ずゐぶん》|苦《くる》しいものだ』
|豊日別《とよひわけ》『いや、この|大峠《おほたうげ》まで|上《のぼ》つて|来《き》たが、さう|苦《くる》しいとは|思《おも》はなかつたのに、しかし|大峠《おほたうげ》どころの|騒《さわ》ぎぢやありませぬよ。|随分《ずゐぶん》|痛《いた》い、ドツコイ|至《いた》つて|結構《けつこう》な|目《め》に|会《あ》ひました』
|日出神《ひのでのかみ》『|頭《あたま》に|手《て》を|上《あ》げて|御覧《ごらん》なさい』
|豊日別《とよひわけ》は、|頭《あたま》を|撫《な》で、
『やあ、|生《は》えた|生《は》えた。すつかり|生《は》えた。|有《あ》り|難《がた》う』
と|俄《にはか》に|飛《と》び|上《あが》り|喜《よろこ》ぶ。これは|老利留《らうりる》といふ|木《き》の|油《あぶら》なりける。
『さあさあ|行《ゆ》かう』
と|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|先頭《せんとう》に|立《た》つ。|豊日別《とよひわけ》は|禿頭《はげあたま》に|毛《け》の|生《は》えたのを|大《おほ》いに|喜《よろこ》び、
『さあ、これで|若《わか》くなりました』
と|肩《かた》を|怒《いか》らせながら、ドンドンと|峠《たうげ》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。|四人《よにん》の|歌《うた》ふ|宣伝歌《せんでんか》は|谷々《たにだに》に|響《ひび》き|渡《わた》りぬ。
(大正一一・二・二 旧一・六 外山豊二録)
第三八章 |雲天焼《くもてんやけ》〔三三八〕
|春《はる》の|山辺《やまべ》は|緑《みどり》の|顔《かほ》を|天《てん》に|晒《さら》して|打《う》ち|笑《わら》ひ、|芳《かんば》しき|花《はな》は|黄《き》|紫《むらさき》|赤《あか》|白《しろ》と|処々《ところどころ》に|咲《さ》き|乱《みだ》れて|木《こ》の|間《ま》を|綴《つづ》り、|百鳥《ももとり》は|長閑《のどか》な|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げてこの|世《よ》を|謳《うた》ふ。|春山《はるやま》の|霞《かすみ》を|別《わ》けて|下《くだ》り|来《く》る|心《こころ》も|清《きよ》き|宣伝使《せんでんし》、|身装《みなり》も|軽《かる》き|簑笠《みのかさ》の、|鎧冑《よろひかぶと》を|取《と》り|付《つ》けて、|草鞋脚絆《わらぢきやはん》の|小手脛当《こてすねあて》、|勢《いきほひ》|込《こ》ンで|進《すす》みくる。|潺々《せんせん》として|流《なが》れも|清《きよ》き|谷川《たにがは》の|傍《かたはら》に|腰《こし》|打《う》ち|掛《か》け、|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》る|四五人《しごにん》の|杣人《そまびと》ありけり。
|甲《かふ》『オイ、|貴様《きさま》ら|聞《き》いたか、この|間《あひだ》から|艮《うしとら》の|方《はう》に|当《あた》つて、|五色《ごしき》の|雲《くも》が|立《た》ち|昇《あが》つただらう。アレヤ、|一体《いつたい》|何《な》ンだと|思《おも》つて|居《を》るか』
|乙《おつ》『|乞食《こじき》の|雲《くも》つて|何《な》ンだい、それや|貴様《きさま》らの|親類《しんるゐ》だらう。|乞食《こじき》の|雲助《くもすけ》が|立《た》ち|昇《あが》つた、|艮《うしとら》で|無《な》うても|此《こ》の|山道《やまみち》には、|何日《いつ》も|雲《くも》が|籠《かご》を|舁《かつ》いだり|乞食《こじき》が|徘徊《はいくわい》するじやないか』
|甲《かふ》『|馬鹿《ばか》、|貴様《きさま》はド|聾《つんぼ》だな。|五色《ごしき》の|雲《くも》が|立《た》ち|昇《あが》つたのだと|云《い》ふのだよ』
と|乙《おつ》の|耳《みみ》の|傍《そば》に|口《くち》を|寄《よ》せて|大声《おほごゑ》に|呶鳴《どな》る。
『そンな|大《おほ》きな|声《こゑ》を|為《し》なくてもよう|聞《きこ》えて|居《を》るのだ。|乞食《こじき》と|雲助《くもすけ》が|何《ど》うしたと|云《い》ふのだい』
|甲《かふ》『ハヽヽヽヽ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、|金挺子《かなてこ》だね、こンな|聾《つんぼ》に|話《はなし》をして|居《ゐ》ると|日《ひ》が|暮《く》れてしまふわ。オイ|八公《はちこう》、|五色《ごしき》の|雲《くも》の|理由《わけ》を|聞《き》かして|呉《く》れ』
|八《はち》は|威丈高《ゐたけだか》に|成《な》り、
『|何《な》ンでも|肥《ひ》の|国《くに》に|虎転別《とらてんわけ》とか、|雲天焼《くもてんやけ》とか、|妙《めう》な|名《な》の|悪神《わるがみ》がをつてな。|焼島別《やけしまわけ》とかいふ|宣伝使《せんでんし》の|館《やかた》に|火《ひ》を|点《つ》けよつたが、その|煙《けぶり》が|天《てん》へ|舞《ま》ひ|昇《あが》つて、|空《そら》の|雲《くも》が|焼《や》けて、それで|雲天焼《くもてんやけ》と|云《い》ふのだよ。さうして|結構《けつこう》な|宣伝使《せんでんし》の|館《やかた》が、スツカリ|焼《や》けて|島《しま》つた|別《わけ》といふのだ。|何《いづ》れ|焼《や》けて|島《しま》つた|別《わけ》は|居《ゐ》る|所《ところ》がないので、この|峠《たうげ》を|越《こ》して|出《で》て|来《く》るかも|知《し》れないぞ。|又《また》あンな|奴《やつ》が|豊《とよ》の|国《くに》に|逃《に》げて|来《き》よつて、|肩《かた》の|凝《こ》るやうな|歌《うた》を|歌《うた》ひよると、|豊《とよ》の|国《くに》にも|腰抜《こしぬ》けばかりは|居《ゐ》やしないから、|第二《だいに》の|雲天焼《くもてんやけ》が|現《あら》はれるに|定《きま》つてゐる、|物騒《ぶつそう》な|事《こと》だワイ』
|乙《おつ》『その|雲天焼《くもてんやけ》とかいふ|奴《やつ》はこの|広《ひろ》い|豊《とよ》の|国《くに》には|何《いづ》れ|居《を》るだらうね』
|八公《はちこう》『|居《を》らいでかい、|居《を》らいで|耐《たま》らうかい。|俺《おら》がその|雲天焼《くもてんやけ》に|成《な》るのだもの』
|乙《おつ》『|貴様《きさま》|雲天焼《くもてんやけ》に|成《な》つて|何《ど》うするのだい』
|八公《はちこう》『そンな|奴《やつ》が|来《き》よつたら|焼糞《やけくそ》になつて|焼《や》いて【こます】のだ』
|乙《おつ》『それや|貴様《きさま》、|焼糞《やけくそ》に|成《な》つたら|雲天焼《くもてんやけ》ではないよ。|糞天焼《くそてんやけ》だよ』
と、|馬鹿口《ばかぐち》を|叩《たた》いてをる。そこへ|微《かすか》に|聞《きこ》えて|来《き》た|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》。
|八公《はちこう》『ヤア、|怖《こは》いぞ|肩《かた》の|凝《こ》る|声《こゑ》が|聞《きこ》え|出《だ》した。|長居《ながゐ》は|恐《おそ》れだ、|逃《に》げろ|逃《に》げろ』
|乙《おつ》『|態《ざま》|見《み》やがれ、|大法螺《おほぼら》|計《ばか》り|吹《ふ》きよつて、|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》か|水《みづ》の|音《おと》か|風《かぜ》の|響《ひびき》か|分《わか》りもせぬのに、|日《ひ》の|暮《くれ》まぎれに|茅《かや》の|穂《ほ》を|見《み》て|幽霊《いうれい》だと|思《おも》つて|腰《こし》を|抜《ぬ》かした|奴《やつ》のやうに、|見《み》つとも|無《な》いじやないか』
|八公《はちこう》『|喧《やかま》しう|言《い》ふない。|頭《あたま》が|痛《いた》いわ、|逃《に》げろ|逃《に》げろ』
|乙《おつ》は|一目散《いちもくさん》に|駆《か》け|出《だ》さうとする。
|八公《はちこう》『|一寸《ちよつと》|待《ま》つてくれ|俺《おれ》も|一緒《いつしよ》に|連《つ》れて|逃《に》げぬかい』
|乙《おつ》『|貴様《きさま》|足《あし》が|有《あ》るだらう。|貴様《きさま》|勝手《かつて》に|歩《ある》かぬかい』
|八公《はちこう》『|何《ど》うやら|俺《おれ》は|胴《どう》が|据《すわ》つたと|見《み》えてビクともできぬわい』
|乙《おつ》『|貴様《きさま》|臆病者《おくびやうもの》|奴《め》、|腰《こし》を|抜《ぬ》かしよつたな』
|宣伝歌《せんでんか》は|益々《ますます》|近《ちか》く|聞《きこ》え|来《き》たる。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る
|日《ひ》の|出神《でのかみ》や|三柱《みはしら》が  |今《いま》|下《くだ》り|行《ゆ》く|豊《とよ》の|国《くに》
|四方《よも》の|草木《くさき》も|神風《かみかぜ》に  |靡《なび》き|伏《ふ》しけむ|醜草《しこぐさ》は
|神《かみ》の|御息《みいき》に|散《ち》り|果《は》てむ  |散《ち》りたる|後《のち》に|実《み》を|結《むす》ぶ
|神《かみ》の|教《をしへ》の|豊《とよ》の|国《くに》  |豊日《とよひ》の|別《わけ》と|現《あら》はれて
|四方《よも》に|拡《ひろ》むる|宣伝歌《せんでんか》』
と|近辺《あたり》を|響《ひび》かせながら|一声々々《ひとこゑひとこゑ》と|近寄《ちかよ》り|来《く》る。|四五人《しごにん》の|杣人《そまびと》は|頭《あたま》を|抱《かか》へ|呼吸《いき》を|詰《つ》めて|谷道《たにみち》に|横《よこ》たはりブルブル|震《ふる》へゐる。|中《なか》に|一人《ひとり》の|勝《すぐ》れて|大《だい》の|男《をとこ》|泰然自若《たいぜんじじやく》として|首《くび》を|傾《かたむ》け、その|宣伝歌《せんでんか》を|愉快気《ゆくわいげ》に|聴《き》き|入《い》りぬ。
|声《こゑ》は|刻々《こくこく》に|近《ちか》づくと|共《とも》に|益々《ますます》|高《たか》く|聞《きこ》え|出《だ》し、|大《だい》の|男《をとこ》は|立上《たちあが》り|声《こゑ》する|方《はう》に|向《むか》つて|歌《うた》ひ|始《はじ》めたり。
『|此処《ここ》は|亜弗利加《アフリカ》|豊《とよ》の|国《くに》  |広《ひろ》い|沙漠《さばく》の|連《つらな》りし
|不毛《ふまう》の|土地《とち》ぞ|荒野原《あれのはら》  |神《かみ》の|御国《みくに》の|宣伝使《せんでんし》
|何《なに》ほど|力《ちから》が|有《あ》るとても  |荒野《あらの》が|原《はら》の|荒風《あらかぜ》に
|吹《ふ》かれて|体《からだ》は|砂《すな》まぶれ  |頭《あたま》の|髪《かみ》はテカテカと
|光《ひかり》の|強《つよ》い|禿頭《はげあたま》  |何《ど》ンな|神《かみ》なと|出《で》てうせよ
|豊日《とよひ》の|別《わけ》の|神《かみ》の|国《くに》  |豊日《とよひ》の|別《わけ》の|神国《かみくに》は
|荒《あら》ぶる|神《かみ》や|曲津神《まがつかみ》  |曲《まが》つた|心《こころ》の|八公《はちこう》や
|虎公《とらこう》のやうな|奴《やつ》が|居《を》る』
|八公《はちこう》『ヤイ|何《なに》を|言《い》ふのだい、|宣伝使《せんでんし》が|来《く》ると|思《おも》つて|貴様《きさま》|一人《ひとり》が|助《たす》かり|度《た》いと|思《おも》ふのか、|俺《おれ》の|悪口《わるくち》まで|歌《うた》ひよつて|怪《け》しからぬ|奴《やつ》だ。|覚《おぼ》えて|居《ゐ》ろ』
|大男《おほをとこ》『|八公《はちこう》、|熊公《くまこう》、ここ|迄《まで》ござれ、ドツコイシヨドツコイシヨ』
と、|舌《した》を|出《だ》し、|手《て》を|振《ふ》りながら、|八公《はちこう》を|嘲弄《てうろう》しつつ、|宣伝使《せんでんし》の|声《こゑ》のする|方《はう》に|向《むか》つて|走《はし》り|行《ゆ》く。
|日出神《ひのでのかみ》『お|前《まへ》は|豊《とよ》の|国《くに》の|者《もの》か』
|大男《おほをとこ》『ハイ|私《わたくし》は|豊《とよ》の|国《くに》の|熊《くま》といふ|野郎《やらう》です。|能《よ》う|来《き》て|下《くだ》さいました。しかし、この|国《くに》は|七分《しちぶ》どほり|沙漠《さばく》で|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|風《かぜ》が|吹《ふ》きます。それはそれは【えらい】|砂烟《すなけぶり》で|目《め》も|鼻《はな》も|開《あ》けて|居《を》る|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。それで|彼方此方《あちらこちら》の|木草《きくさ》の|繁《しげ》つた|山《やま》を|撰《えら》ンで、|木《こ》の|実《み》を|食《く》つたり|兎《うさぎ》や|猪《しし》を|生捕《いけどつ》て|生活《せいくわつ》をして|居《ゐ》る|惨目《みぢめ》な|国《くに》であります。|駱駝《らくだ》は|沢山《たくさん》に|居《を》りますが、|彼奴《あいつ》|馬鹿《ばか》な|奴《やつ》で|大《おほ》きな|図体《づうたい》をしよつて|何《なに》も|役《やく》に|立《た》たず、|時々《ときどき》|虎《とら》や|狼《おほかみ》に|追《お》はれて|吾々《われわれ》|人間《にんげん》の|居《を》る|処《ところ》へ|妙《めう》な|声《こゑ》を|出《だ》して|押寄《おしよ》せて|来《く》るなり、その|時《とき》には|吾々《われわれ》の|歩《ある》く|場《ば》も|無《な》いやうな|目《め》に|会《あは》せます。|貴下《あなた》はこの|国《くに》に|折角《せつかく》|御出《おい》で|下《くだ》さつたが、もう|御帰《おかへ》りになつたが|宜《よろ》しからう。|世界《せかい》は|広《ひろ》いのにこンな|悪《わる》い|国《くに》に|御出《おい》でになつたつて|仕方《しかた》が|有《あ》りませぬ。|肥《ひ》の|国《くに》の|八島別《やしまわけ》のやうに|又《また》|虎転別《とらてんわけ》とか|云《い》ふ|悪者《わるもの》が|出《で》てきて|惨《ひど》い|目《め》に|会《あ》はされては|御気《おき》の|毒《どく》ですから、もうこれ|限《かぎ》りこの|山《やま》を|引《ひ》き|返《かへ》して|熊襲《くまそ》の|国《くに》にでも|御出《おい》でなさいませ。|私《わたくし》は|決《けつ》して|悪《わる》いことは|申《まを》しませぬ。|貴下《あなた》の|歌《うた》はつしやる|宣伝歌《せんでんか》は|誠《まこと》に|結構《けつこう》ですが、この|国《くに》の|人間《にんげん》の|耳《みみ》には|余《あんま》り|立派《りつぱ》|過《す》ぎて|這入《はい》りませぬ』
と|虎転別《とらてんわけ》の|豊日別《とよひわけ》が|現在《げんざい》|眼《め》の|前《まへ》に|居《を》るのも|知《し》らずに|喋《しやべ》り|立《た》てゐる。
|豊日別《とよひわけ》『|俺《おれ》はその|悪者《わるもの》の|虎転別《とらてんわけ》だよ。|今《いま》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御取計《おとりはか》らひに|依《よ》つて|此《こ》の|豊《とよ》の|国《くに》の|守護職《しゆごしよく》と|成《な》つたのだ。お|前《まへ》らは|豊《とよ》の|国《くに》の|都《みやこ》へ|吾々《われわれ》|一同《いちどう》を|案内《あんない》いたせ』
|大《だい》の|男《をとこ》|熟々《つくづく》と|豊日別《とよひわけ》の|顔《かほ》を|見《み》て、
|大男《おほをとこ》『イヤー、|肥《ひ》の|国《くに》の|虎転別《とらてんわけ》といふ|奴《やつ》は|頭《あたま》の|禿《は》げた|悪者《わるもの》だといふ|事《こと》だのに、それにお|前《まへ》さまは|毛《け》が|生《は》えて|居《ゐ》るでは|無《な》いか、|結構《けつこう》な|宣伝使《せんでんし》|様《さま》だらう。それに|何《なん》ぞや|鬼《おに》のやうな|人《ひと》の|嫌《きら》ふ|悪《あく》の|強《つよ》い|虎転別《とらてんわけ》じやなンて|戯言《ぜうだん》にも|程《ほど》がある、|本当《ほんたう》の|名《な》を|仰言《おつしや》つて|下《くだ》さい』
|豊日別《とよひわけ》『そりや|実際《じつさい》だ。|何《なに》は|兎《と》もあれ、|豊《とよ》の|国《くに》の|都《みやこ》へ|案内《あんない》してくれ』
|大《だい》の|男《をとこ》は、|不承無精《ふしやうぶしやう》ながら|先《さき》に|立《た》つて、|豊《とよ》の|国《くに》の|都《みやこ》へ、|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》を|導《みちび》き|行《ゆ》く。|八公《はちこう》その|他《た》|四五《しご》の|杣人《そまびと》は|路傍《みちばた》に|腰《こし》を|抜《ぬ》かしたるまま、
|八公《はちこう》『オイオイ|熊公《くまこう》|貴様《きさま》どこへ|行《ゆ》く。|豊《とよ》の|都《みやこ》にでもそンな|奴《やつ》を|案内《あんない》したら、この|国《くに》は|大変《たいへん》だぞ。|俺《おれ》|一人《ひとり》でも|雲天焼《くもてんやけ》に|成《な》つてやるぞ』
と|叫《さけ》ぶ。
|熊公《くまこう》『|八公《はちこう》の|腰抜《こしぬ》け、|喧《やかま》しう|云《い》ふない、|善《ぜん》か|悪《あく》か|未《ま》だ|知《し》れやしない。|馬《うま》には|乗《の》つて|見《み》い、|人《ひと》には|添《そ》うて|見《み》いだ。|貴様《きさま》も|早《はや》く|腰《こし》を|癒《なほ》して|後《あと》から|俺《おれ》の|処《ところ》を|探《たづ》ねて|来《こ》い』
と|云《い》ひながら|都《みやこ》を|指《さ》してドンドンと|急《いそ》ぎ|行《ゆ》く。
|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》は|又《また》もや|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひつつ|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・二・二 旧一・六 谷川常清録)
(第三三章〜第三八章 昭和一〇・二・二五 於天恩郷透明殿 王仁校正)
第三九章 |駱駝隊《らくだたい》〔三三九〕
|霧島山《きりしまやま》の|坂道《さかみち》を、|西南《せいなん》に|向《むか》つて|下《くだ》り|来《き》たりし|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》は、|大《だい》の|男《をとこ》の|熊公《くまこう》を|先頭《せんとう》に|足《あし》に|任《まか》せて|下《くだ》り|行《ゆ》く。
|熊公《くまこう》『モシモシ、この|方《はう》へモー|少《すこ》し|行《ゆ》けば|大沙漠《だいさばく》です。この|沙漠《さばく》をば|越《こ》えぬ|事《こと》には、|豊《とよ》の|国《くに》の|都《みやこ》には|行《ゆ》けませぬ。|幸《さいは》ひ|向《むか》ふの|森林《しんりん》に|沢山《たくさん》の|駱駝《らくだ》が|居《を》ります。|彼奴《きやつ》の|背中《せなか》に|跨《またが》つて|沙漠《さばく》を|横断《わうだん》いたしませうか』
|日出神《ひのでのかみ》『それは|面白《おもしろ》からう、|便利《べんり》だ。|駱駝《らくだ》を|七八頭《しちはつとう》|引張《ひつぱ》つて|来《き》て|呉《く》れないか』
『|畏《かしこ》まりました』
と|熊公《くまこう》は|駱駝《らくだ》の|群《むれ》に|向《むか》つて|駈《か》け|出《だ》しぬ。|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》は|路傍《みちばた》の|草《くさ》の|上《うへ》に|腰《こし》うち|掛《か》け、|息《いき》を|休《やす》め|居《ゐ》る。|暫《しばら》くありて|駱駝《らくだ》を|使《つか》ひ|馴《な》れたる|熊公《くまこう》は、|数十頭《すうじつとう》の|駱駝《らくだ》を|引張《ひつぱ》り|来《き》たり。
|日出神《ひのでのかみ》『ヤア、|沢山《たくさん》のものだなあ』
|熊公《くまこう》『|何《ど》れなつと、|御気《おき》に|入《い》つた|奴《やつ》に|御召《おめ》し|下《くだ》さい。|外《ほか》の|奴《やつ》は|控《ひか》へとして|連《つ》れて|行《ゆ》きます。|沙漠《さばく》の|中《なか》は|水《みづ》が|有《あ》りませぬから、|水《みづ》が|無《な》くなつたら、|此奴《こいつ》の|背中《せなか》の|団瘤《だんこぶ》を|破《やぶ》つて|水《みづ》を|出《だ》して|飲《の》みつつ|行《ゆ》くのです』
|面那芸《つらなぎ》『|調法《てうはふ》なものだなあ』
と|感心《かんしん》する。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|翻然《ひらり》と|駱駝《らくだ》に|跨《またが》り、|続《つづ》いて|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》も|熊公《くまこう》も|同《おな》じく、|駱駝《らくだ》の|上《うへ》の|人《ひと》となりぬ。
|日出神《ひのでのかみ》『これは|焦暑《いらあつ》い、|焦付《こげつ》くやうな|沙漠《さばく》を|歩《ある》くより|苦労《くらう》はない。|本当《ほんたう》に【ラクダ】』
と|無駄口《むだぐち》を|喋《しやべ》りながら|駱駝《らくだ》を|並《なら》べて、|春風《はるかぜ》|涼《すず》しき|不毛《ふまう》の|沙漠《さばく》を|進《すす》みゆく。
|折《をり》から|旋風《せんぷう》|吹起《ふきおこ》り、|砂塵《さぢん》を|捲《ま》き|上《あ》げ、|四辺《しへん》|暗澹《あんたん》として|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜざるに|立到《たちいた》り、|加《くは》ふるに|折悪《をりあ》しく|向《むか》ふ|風《かぜ》なれば、|時々《ときどき》|一行《いつかう》は|駱駝《らくだ》の|頭《あたま》を|廻《めぐ》らして、|風《かぜ》を|背中《せなか》に|受《う》け|息《いき》を|休《やす》めける。|暫《しばら》くありて|猛烈《まうれつ》なる|旋風《せんぷう》は、ピタリと|止《とま》り、|酷熱《こくねつ》の|春《はる》の|太陽《たいやう》はガンガンと|輝《かがや》き|始《はじ》めたり。|熊公《くまこう》は|先頭《せんとう》に|立《た》ち、|歌《うた》ひ|始《はじ》めたり。
『|日《ひ》が|出《で》た|日《ひ》が|出《で》た|沙漠《さばく》の|空《そら》に  |日《ひ》が|出《で》た|日《ひ》が|出《で》た|駱駝《らくだ》に|乗《の》つて
これが|日《ひ》の|出《で》の|宣伝使《せんでんし》  |頭《あたま》は|暑《あつ》い|顔《かほ》も|暑《あつ》い
|厚《あつ》い|情《なさけ》に|絆《ほだ》されて  |水《みづ》も|漏《も》らさぬ|熱《あつ》い|中《なか》
|暑《あつ》い|肥《ひ》の|国《くに》|立《た》ち|出《い》でて  |豊日《とよひ》の|別《わけ》の|宣伝使《せんでんし》
|豊《とよ》の|都《みやこ》へ|進《すす》み|行《ゆ》く  |照《て》れよ|照《て》れ|照《て》れ|日《ひ》の|出神《でのかみ》よ
|吹《ふ》けよ|吹《ふ》け|吹《ふ》け|科戸《しなど》の|風《かぜ》よ  |起《た》てよ|起《た》てたて|砂煙《すなけぶり》
|駱駝《らくだ》の|足《あし》の|続《つづ》かむ|限《かぎ》り  |駱駝《らくだ》は【えらかろ】|己《おのれ》は【らくだ】
|雨《あめ》も|降《ふ》れ|降《ふ》れドツサリ|降《ふ》れよ  |降《ふ》つて|湧《わ》いたる|宣伝使《せんでんし》
|天《てん》の|星《ほし》から|天降《あまくだ》り  |豊《とよ》の|御国《みくに》の|砂《すな》の|原《はら》
|進《すす》み|行《ゆ》く|身《み》の|雄々《をを》しさよ  |豊《とよ》の|都《みやこ》はもう|少《すこ》し
|少《すこ》しと|云《い》つてもまだ|百里《ひやくり》  |百里《ひやくり》|千里《せんり》も|何《な》ンのその
|進《すす》めよ|進《すす》め|駱駝隊《らくだたい》  |進《すす》めよ|進《すす》め|駱駝隊《らくだたい》』
と|四辺《あたり》|憚《はばか》らず、|出任《でまか》せの|歌《うた》を|歌《うた》ひつつ|進《すす》みゆく。|数多《あまた》の|駱駝《らくだ》の|背《せ》に|載《の》せたる|果物《くだもの》に、|饑《うゑ》を|凌《しの》ぎながら、|日《ひ》を|重《かさ》ねて|漸《やうや》く|豊《とよ》の|都《みやこ》に|着《つ》きにける。
|大《だい》の|男《をとこ》の|熊公《くまこう》は、|都《みやこ》|間近《まぢか》くなりしより|元気《げんき》を|増《ま》し、|駱駝《らくだ》の|尻《しり》を|無性《むしやう》|矢鱈《やたら》に|打《う》ちながら、|一目散《いちもくさん》に|都《みやこ》を|指《さ》して|獅子奮迅《ししふんじん》の|勢《いきほひ》にて|駆込《かけこ》みぬ。|次《つ》いで|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》は、|吾《わ》れ|劣《おと》らじと|駱駝《らくだ》の|尻《しり》に|鞭打《むちう》ちて、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|駆《か》けり|行《ゆ》く。|豊《とよ》の|都《みやこ》の|入口《いりぐち》には、|数多《あまた》の|群衆《ぐんしう》|声《こゑ》を|揃《そろ》へてウローウローと、|熊公《くまこう》の|帰還《きくわん》を|祝《しゆく》しける。
この|熊公《くまこう》は、|豊《とよ》の|国《くに》の|大酋長《だいしうちやう》なり。|本名《ほんみやう》を|八十熊別《やそくまわけ》といふ。|八十熊別《やそくまわけ》は|神通力《じんつうりき》を|持《も》ちゐたり。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|宣伝使《せんでんし》が、このアフリカの|筑紫島《つくしじま》に|渡《わた》り、|熊襲《くまそ》の|国《くに》に|上陸《じやうりく》し|肥《ひ》の|国《くに》を|越《こ》え|豊《とよ》の|国《くに》に|下《くだ》り|来《く》ることを|前知《ぜんち》し、この|沙漠《さばく》の|難《なん》を|救《すく》ふべく|数多《あまた》の|駱駝《らくだ》を|引連《ひきつ》れ、|霧島山《きりしまやま》の|山麓《さんろく》|迄《まで》この|一行《いつかう》を|迎《むか》へむために|来《き》たりしものなり。しかして|態《わざ》と|熊公《くまこう》と|只人《ただびと》の|名《な》を|名告《なの》り|居《ゐ》たるなり。|八十熊別《やそくまわけ》は|豊《とよ》の|都《みやこ》に|着《つ》くや|否《いな》や、|国人《くにびと》は|踊《をど》り|狂《くる》うて|無事《ぶじ》の|帰還《きくわん》を|祝《しゆく》しける。|国人《くにびと》の|歓呼《よろこび》の|声《こゑ》に|包《つつ》まれて、|八十熊別《やそくまわけ》は|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》と|共《とも》に|吾《わが》|館《やかた》に|轡《くつわ》を|連《つら》ねて、|悠々《いういう》と|奥深《おくふか》く|姿《すがた》を|隠《かく》しける。
あとに|残《のこ》りし|群集《ぐんしふ》は、|口々《くちぐち》に|言葉《ことば》の|花《はな》を|咲《さ》かしゐたりけり。
|甲《かふ》『オイ|大酋長《だいしうちやう》の|八十熊別《やそくまわけ》さまは、|何《ど》う|考《かんが》へてあンな|蓑虫《みのむし》|見《み》た|様《やう》な、|乞食《こじき》の|様《やう》な、|色《いろ》の|白《しろ》い|奴《やつ》や、|赤《あか》い|奴《やつ》や、|黒《くろ》い|奴《やつ》をあの|広《ひろ》い|沙漠《さばく》を|越《こ》えて|引張《ひつぱ》つて|来《き》たのであらうか。チツト|物好《ものず》きにも|程《ほど》があるぢやないか。あンな|奴《やつ》を|連《つ》れて|来《こ》ようものなら、|豊《とよ》の|国《くに》はさつぱり|蹂躪《ふみにじ》られてしまひ、【ドド】の【ドン】|詰《づま》りは、|自分《じぶん》も|敲《たた》き|出《だ》されてしまふかも|知《し》れやあしないぜ』
|乙《おつ》『|八十熊別《やそくまわけ》さま|丈《だけ》なら|宜《よ》いが、|俺《おれ》たちも|何処《どこ》へ|敲《たた》きやられるか|知《し》れやあしない。|困《こま》つた|事《こと》になつたものだのー』
|丙《へい》『|貴様《きさま》たちに|何《なに》が|判《わか》るかい。アレ|丈《だけ》|力《ちから》の|強《つよ》い|賢《かしこ》い|立派《りつぱ》な|八十熊別《やそくまわけ》さまに|抜目《ぬけめ》があるものかい、|燕雀《えんじやく》|何《な》ンぞ|大鵬《たいほう》の|志《こころざし》を|知《し》らむやだ。|燕《つばめ》や|雀《すずめ》がチユーチユーと|云《い》つたつて【あく】ものかい』
|乙《おつ》『|燕雀《えんじやく》とは|何《な》ンぢや、|俺《おい》らが|燕雀《えんじやく》なら、|貴様《きさま》たちは|糞蟲《くそむし》だよ』
|丙《へい》『|何《なに》が|糞蟲《くそむし》だい、|糞《くそ》が|呆《あき》れらあ。|燕雀《えんじやく》の|糞《くそ》から|湧《わ》きよつた、|貴様《きさま》が|糞蟲《くそむし》だよ』
|丁《てい》『|貴様《きさま》らは|何《な》ンにも|知《し》りはしない、この|方《はう》の|申《まを》す|事《こと》を|謹《つつし》ンで|承《うけたま》はらう。この|間《あひだ》も|艮《うしとら》の|天《てん》に|当《あた》つて、|五色《ごしき》の|雲《くも》が|立《た》ち|昇《のぼ》つたのを、|貴様《きさま》らも|見《み》たじやらう』
|丙《へい》『オー|見《み》た|見《み》た、あれは|一体《いつたい》なンだらうナア』
|丁《てい》『|黙《だま》つて|俺《おれ》の|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》け。|天《てん》に|風雲《ふううん》の|変《へん》あり|人《ひと》に|病《やまひ》の|苦《くる》しみありだ。|何《な》ンでも|世《よ》の|中《なか》が|変《かは》つて|来《く》るのよ。|夫《そ》れで|賢《かしこ》い|八十熊別《やそくまわけ》|様《さま》は|御覧《ごらん》|遊《あそ》ばして、|何《な》ンでも|立派《りつぱ》な|神様《かみさま》が|艮《うしとら》の|方《はう》に|現《あら》はれてござると|仰有《おつしや》つて、|駱駝《らくだ》を|引連《ひきつ》れて|御出《おいで》|遊《あそ》ばしたのぢや。|夫《そ》れ|今《いま》|大酋長様《だいしうちやうさま》に|踵《つ》いて|来《き》たあの|神《かみ》さまは、|五色《ごしき》の|雲《くも》の|変化《へんげ》|遊《あそ》ばしたのに|違《ちが》ひないのだ。|愚図々々《ぐづぐづ》|吐《ぬ》かすと|天罰《てんばつ》が|当《あた》るぞ』
|甲《かふ》『|道理《だうり》で、|乞食《こじき》の|雲助《くもすけ》が|天《てん》から|降《ふ》つて|来《き》よつたのか、【てん】で|別《わけ》が|分《わか》らぬわい。【やそ|天《てん》やけ】とか【|雲天焼《くもてんやけ》】とか、|何《な》ンとか|云《い》ふ|神《かみ》が|交《まじ》つとると|云《い》ふ|事《こと》じや』
|丁《てい》『|分《わか》らぬ|奴《やつ》ぢや、|貴様《きさま》らに|話《はなし》は|出来《でき》ぬ。|掴《つか》まへ|処《どころ》の|無《な》い|事《こと》ばかり|吐《ぬ》かしよつて』
|甲《かふ》『|掴《つか》まへても|居《ゐ》らぬのに|話《はな》すも【はなさぬ】も|有《あ》るものかい、|馬鹿《ばか》ツ!』
|没分漢《わからずや》が|寄《よ》つて|集《たか》つて、|勝手《かつて》な|下馬評《げばひやう》を|試《こころ》みてゐる。|八十熊別《やそくまわけ》の|館《やかた》には、|又《また》もや|天《てん》を|衝《つ》いて|五色《ごしき》の|雲《くも》|立《た》ち|昇《のぼ》つた。|群集《ぐんしふ》はアツと|叫《さけ》ンでその|場《ば》に|倒《たふ》れ|合掌《がつしやう》するのみ。
(大正一一・二・二 旧一・六 高木鉄男録)
第八篇 |一身四面《いつしんしめん》
第四〇章 |三人《さんにん》|奇遇《きぐう》〔三四〇〕
|熊公《くまこう》に|連《つ》れられて、|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》は|宏大《くわうだい》なる|構《かま》への|館《やかた》に|導《みちび》かれ、|種々《しゆじゆ》の|馳走《ちそう》は|堆高《うづたか》く|並《なら》べられぬ。|数多《あまた》の|侍女《じぢよ》は|盛装《せいさう》を|凝《こ》らして|果物《くだもの》の|酒《さけ》を|取《と》り|出《だ》し、|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》を|饗応《きやうおう》したり。|而《しか》して|一行《いつかう》は|宣伝歌《せんでんか》を|盛《さかん》に|歌《うた》ひ|始《はじ》むる。|数多《あまた》の|侍女《じぢよ》は|松《まつ》の|小枝《こえだ》を|手《て》に|手《て》に|携《たづさ》へて、|歌《うた》に|連《つ》れて|淑《しと》やかに|舞《ま》ふ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》|一行《いつかう》は|長途《ちやうと》の|疲《つか》れをここに|慰《なぐさ》め|元気《げんき》は|頓《とみ》に|回復《くわいふく》したりけり。
|日出神《ひのでのかみ》『|貴下《きか》は|熊公《くまこう》と|仰《あふ》せになつたが、|初《はじ》めてお|目《め》にかかつた|時《とき》より、|凡人《ただびと》ならじと|睨《にら》ンでおきましたが、|果《はた》して|我《わ》が|推量《すゐりやう》に|違《たが》はず|此《この》|国《くに》の|大酋長《だいしうちやう》なりしか、|重《かさ》ね|重《がさ》ねのお|心《こころ》|遣《づか》ひ|感謝《かんしや》の|至《いた》りに|堪《た》へませぬ。|我々《われわれ》は|神伊弉諾大神《かむいざなぎのおほかみ》の|落胤《らくいん》にして、|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|申《まを》すもの、|世《よ》の|大立替《おほたてかへ》に|際《さい》し|撞《つき》の|大神《おほかみ》は|天《あま》の|浮橋《うきはし》に|立《た》ち、それより|天教山《てんけうざん》に|降《くだ》り|玉《たま》ひて|八百万《やほよろづ》の|国魂《くにたま》の|神《かみ》を|生《う》ませ|玉《たま》ひ、|我々《われわれ》をして|国魂神《くにたまがみ》を|間配《まくば》らせ|玉《たま》ふのであります。この|後《ご》はどうか|私《わたくし》の|指揮《しき》に|従《したが》つて|貰《もら》ひたい』
と|厳《おごそ》かに|云《い》ひ|渡《わた》したり。
|熊公《くまこう》『|承知《しようち》いたしました。|私《わたくし》は|熊公《くまこう》とは|仮《かり》の|名《な》、|国治立命《くにはるたちのみこと》の|落胤《らくいん》、|高照彦《たかてるひこ》と|申《まを》すもの、|大神《おほかみ》の|御退隠後《ごたいいんご》は|八十熊別《やそくまわけ》と|名《な》を|変《か》へてこの|亜弗利加《アフリカ》の|原野《げんや》に|都《みやこ》を|造《つく》り、|時《とき》を|待《ま》ちつつあつたものであります。|時節《じせつ》の|到来《たうらい》か|神《かみ》の|御引《おひ》き|合《あは》せにて|貴《たつと》き|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》との|今日《けふ》の|対面《たいめん》』
と|云《い》ひながら|嬉《うれ》し|涙《なみだ》をボロボロと|流《なが》しける。|日《ひ》の|出神《でのかみ》はこの|物語《ものがたり》を|聞《き》いて|感《かん》に|打《う》たれ|独語《ひとりごと》、
『あゝ|神様《かみさま》は|何処《どこ》までも|注意《ちうい》|周到《しうたう》なものだナア。|水《みづ》も|漏《もら》さぬ|神《かみ》の|御仕組《おんしぐみ》、|何処《いづこ》の|果《はて》に|如何《いか》なる|尊《たふと》き|神様《かみさま》が|隠《かく》してあるか、|分《わか》つたものでない』
と|俯《うつ》むいて|首《くび》を|傾《かたむ》け、|暫《しばら》くは|物《もの》をも|云《い》はず|溜息《ためいき》を|吐《つ》く。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》に|向《むか》つて、
『|皆《みな》の|衆《しう》、|今《いま》の|命《みこと》のお|言葉《ことば》を|聞《き》きましたか。|世《よ》の|中《なか》にはどンな|偉《えら》い|神様《かみさま》が|落《お》ちてござるか|分《わか》りませぬ。|皆《みな》さまも|是《これ》からは、どンな|落魄《おちぶれ》た|神《かみ》でも|人間《にんげん》でも|侮《あなど》る|事《こと》は|出来《でき》ませぬよ。あゝ|今日《けふ》は|何《なん》たる|結構《けつこう》な|日《ひ》であるか、|高照彦《たかてるひこ》といふ|立派《りつぱ》な|神様《かみさま》がこの|世界《せかい》に|隠《かく》してあるといふ|事《こと》は、|天教山《てんけうざん》の|木花姫《このはなひめ》より|承《うけたま》はつて|居《を》りました。|何《なん》とかしてその|御方《おかた》に|一度《いちど》お|目《め》に|懸《かか》り|度《たい》と|忘《わす》れた|暇《ひま》とては|無《な》かつたのです。|今日《けふ》は|嬉《うれ》しくも、|斯《かく》も|貴《たふと》き|御方《おかた》に|出遇《であ》ひ、|何《なん》とはなしに|心強《こころづよ》くなりました』
|末座《まつざ》に|控《ひか》へたる|豊日別《とよひわけ》は|立上《たちあが》り、|扇《あふぎ》を|披《ひら》いて|松葉《まつば》を|左手《ゆんで》に|持《も》ちながら、|席上《せきじやう》に|立《た》つて|自《みづか》ら|歌《うた》ひ|且《か》つ|舞《ま》ひ|始《はじ》めたり。
『|久方《ひさかた》の|天津空《あまつそら》より|天降《あも》ります  |神伊弉諾《かむいざなぎ》の|大神《おほかみ》の
|珍《うづ》のかくしの|御子《みこ》とます  |光《ひかり》も|清《きよ》き|日本《ひのもと》の
|日出《ひいづ》る|神《かみ》の|宣伝使《せんでんし》  |我《われ》は|輝《かがや》く|肥《ひ》の|国《くに》の
|守《まもり》の|神《かみ》と|現《あら》はれて  |虎転別《とらてんわけ》と|名告《なの》れども
その|源《みなもと》をたづぬれば  |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の
|隠《かく》し|給《たま》ひし|珍《うづ》の|御子《みこ》  |豊国別《とよくにわけ》の|神《かみ》なるぞ
|豊国別《とよくにわけ》の|神《かみ》なるぞ  |世《よ》の|荒浪《あらなみ》に|隔《へだ》てられ
|醜《しこ》の|曲霊《まがひ》に|取《と》り|憑《つ》かれ  |身《み》を|持《も》ち|崩《くづ》し|虎転別《とらてんわけ》の
|虎《とら》|狼《おほかみ》や|獅子《しし》|熊《くま》に  |劣《おと》らぬばかり|荒《あ》れ|果《はて》し
|心《こころ》の|空《そら》の|村曇《むらくも》り  |曇《くも》りを|晴《は》らす|日《ひ》の|神《かみ》の
|御胤《みたね》と|現《あ》れし|宣伝使《せんでんし》  |日《ひ》の|出神《でのかみ》に|救《すく》はれて
|豊《とよ》の|御国《みくに》の|主宰神《つかさがみ》  |任《ま》けのまにまに|出《い》で|来《きた》る
|心《こころ》の|空《そら》ぞ|涼《すず》しけれ』
と|歌《うた》によそへてわが|素性《すじやう》を|明《あか》しける。|日《ひ》の|出神《でのかみ》も|高照彦神《たかてるひこのかみ》も|此《この》|奇遇《きぐう》に|神恩《しんおん》の|深《ふか》きを|感謝《かんしや》し、|直《ただち》に|神籬《ひもろぎ》を|立《た》て|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》、|豊国姫大神《とよくにひめのおほかみ》、|伊弉諾大神《いざなぎのおほかみ》、|撞《つき》の|御柱大神《みはしらのおほかみ》を|鎮祭《ちんさい》し、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|一同《いちどう》|歓《よろこ》びを|尽《つく》して|宴会《えんくわい》を|閉《と》ぢたりにける。
|此《これ》より|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|澄世姫命《すみよひめのみこと》の|神霊《しんれい》を|国魂《くにたま》として|鎮祭《ちんさい》し、|豊日別《とよひわけ》をして|豊《とよ》の|国《くに》の|守護職《しゆごしよく》となし、|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|高照彦神《たかてるひこのかみ》、|外《ほか》|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》は|筑紫《つくし》を|指《さ》して|足《あし》に|任《まか》せて|勇《いさ》み|進《すす》み|行《ゆ》く。
この|島《しま》は|身《み》|一《ひと》つに|面《おも》|四《よ》つあり、|豊国《とよのくに》、|肥国《ひのくに》、|熊襲国《くまそのくに》、|筑紫国《つくしのくに》と|区別《くべつ》され|居《ゐ》るなり。しかしてこの|四《よ》つの|国《くに》を|総称《そうしよう》して|又《また》|筑紫《つくし》の|洲《しま》といふなり。
(大正一一・二・二 旧一・六 加藤明子録)
第四一章 |枯木《かれき》の|花《はな》〔三四一〕
|時世時節《ときよじせつ》と|云《い》ひながら  |稜威《みいづ》も|高《たか》き|高照彦《たかてるひこ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》は|畏《かしこ》くも  |国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》の
かくしの|珍《うづ》の|神《かみ》の|御子《みこ》  |天《てん》より|高《たか》く|咲《さ》く|花《はな》も
|豊《とよ》の|御国《みくに》に|身《み》を|隠《かく》し  |八十熊別《やそくまわけ》と|名《な》を|変《か》へて
|沙漠《さばく》の|包《つつ》む|豊国《とよくに》の  |都《みやこ》に|現《あら》はれ|酋長《しうちやう》の
いやしき|司《かみ》となり|果《は》てて  |月日《つきひ》を|松《まつ》の|時津風《ときつかぜ》
|花《はな》|咲《さ》く|春《はる》の|今日《けふ》の|空《そら》  |日《ひ》の|出神《でのかみ》と|諸共《もろとも》に
|長《なが》の|年月《としつき》|住《すみ》|馴《な》れし  |豊《とよ》の|都《みやこ》を|後《あと》にして
|天《あめ》と|地《つち》との|神々《かみがみ》に  |赤《あか》き|心《こころ》を|筑紫潟《つくしがた》
|御空《みそら》を|指《さ》して|出《い》でて|行《ゆ》く  |日《ひ》の|出神《でのかみ》を|先頭《せんとう》に
|続《つづ》く|面那芸《つらなぎ》|宣伝使《せんでんし》  |四方《よも》の|雲霧《くもきり》|祝姫《はふりひめ》
|登《のぼ》る|山路《やまぢ》も|高照彦《たかてるひこ》の  |貴《うづ》の|命《みこと》と|諸共《もろとも》に
|声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣伝歌《せんでんか》  |四方《よも》の|山々《やまやま》|谷々《たにだに》に
|木霊《こだま》|響《ひび》かせ|勇《いさ》ましく  |進《すす》みて|来《きた》る|一行《いつかう》は
|筑紫《つくし》の|国《くに》の|国境《くにざかひ》  |玉野《たまの》の|里《さと》につきにける。
ここに|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》は|路傍《ろばう》の|岩角《いはかど》に|腰《こし》|打《う》ちかけ、|息《いき》を|休《やす》めながら|空《そら》ゆく|雲《くも》を|眺《なが》めて、|回顧談《くわいこだん》に|耽《ふけ》りける。
|高照彦《たかてるひこ》『アヽ|昨日《きのふ》に|変《かは》る|今日《けふ》の|空《そら》、|流《なが》れ|行《ゆ》く|雲《くも》を|眺《なが》むれば、|実《じつ》に|人間《にんげん》の|身《み》の|上《うへ》ほど|変《かは》るものはない。|回顧《くわいこ》すれば|吾《われ》こそはヱルサレムの|聖地《せいち》に|現《あら》はれ|給《たま》うた|国治立命《くにはるたちのみこと》の|珍《うづ》の|御子《みこ》と|生《うま》れ、|少《すこ》しの|過《あやま》ちより|父神《ちちがみ》の|勘気《かんき》を|蒙《かうむ》り、この|島《しま》に|永《なが》らく|神退《かむやら》ひに|退《やら》はれ、|身装《みなり》も|卑《いや》しき|八十熊別《やそくまわけ》となつて|永《なが》い|月日《つきひ》を|送《おく》つて|来《き》た。|聖地《せいち》の|大変《たいへん》を|耳《みみ》にし、|一時《いちじ》も|早《はや》くヱルサレムに|帰《かへ》つて|父《ちち》の|危難《きなん》を|救《すく》はむと|心《こころ》は|千々《ちぢ》に|焦《あせ》つてみたが、|何《なに》を|云《い》うても|勘気《かんき》を|受《う》けたこの|体《からだ》、|父母《ふぼ》の|危難《きなん》を|居《ゐ》ながらに|聞《き》き|流《なが》し、|見流《みなが》し、|助《たす》け|参《まゐ》らすその|術《すべ》さへも|泣《な》きの|涙《なみだ》で|月日《つきひ》を|送《おく》る|苦《くる》しさ。|世《よ》は|段々《だんだん》と|立替《たてかは》り|世界《せかい》は|大洪水《だいこうずゐ》に|浸《ひた》され、その|時《とき》|吾《われ》は|方舟《はこぶね》を|作《つく》つて、ヒマラヤ|山《さん》に|舞《ま》ひ|戻《もど》り、|目《め》も|届《とど》かぬ|大沙漠《だいさばく》を|拓《ひら》いて、やうやう|今日《けふ》まで|過《すご》してきた。アヽ|時節《じせつ》は|待《ま》たねばならぬもの、|今日《けふ》は|如何《いか》なる|吉日《きちにち》か、|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|神伊邪那岐《かむいざなぎ》の|大神《おほかみ》の|珍《うづ》の|御子《みこ》たる、|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|吾《わ》が|素性《すじやう》を|打《う》ち|明《あ》かし、|実《げ》にも|尊《たふと》き|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》となつて、|今日《けふ》のお|供《とも》に|仕《つか》へまつるは|何《なん》と|有難《ありがた》い|事《こと》であらう。|父《ちち》の|大神《おほかみ》は|常《つね》に|仰《おほ》せられた。この|私《わし》をアフリカの|沙漠《さばく》に|神退《かむやら》ひ|給《たま》うた|時《とき》に、|二《ふた》つの|眼《め》に|涙《なみだ》を|垂《たら》して「|英雄《えいゆう》|涙《なみだ》を|振《ふる》つて|馬稷《ばしよく》を|斬《き》る、|俺《おれ》の|胸《むね》は|焼金《やきがね》をあてる|様《やう》だ、|何《ど》うして|吾《わが》|子《こ》の|憎《にく》いものがあらう、かうなり|行《ゆ》くも|時世時節《ときよじせつ》と|諦《あきら》めてくれ、ただ|何事《なにごと》も|時節《じせつ》を|待《ま》てよ、|時節《じせつ》が|来《く》れば|煎豆《いりまめ》に|花《はな》の|咲《さ》く|事《こと》もある、|枯木《かれき》に|花《はな》の|咲《さ》く|例《ためし》もないではない、|籠《かご》の|鳥《とり》でも|時節《じせつ》を|待《ま》てば|籠《こも》の|破《やぶ》れる|事《こと》もある。|無慈悲《むじひ》な|親《おや》ぢやと|恨《うら》まずに、|天地《てんち》の|規則《きそく》は|破《やぶ》られぬ、サツサと|行《い》つてくれ、|老少不定《らうせうふぢやう》、これが|現世《このよ》の|見納《みをさ》めになるやも|知《し》れぬ」と|仰有《おつしや》つた|事《こと》を|今《いま》|思《おも》ひ|出《だ》せば、|何《なん》とも|云《い》へぬ|心持《こころもち》がして|来《く》る。これを|思《おも》へば|今日《けふ》の|吾々《われわれ》のこの|嬉《うれ》しさを|父《ちち》の|大神《おほかみ》に、|一度《いちど》お|目《め》にかけて|見《み》たいものだ。|父《ちち》のこの|世《よ》を|知召《しろしめ》す|時代《じだい》は|神代《かみよ》といつて|誰《たれ》も|彼《かれ》も|皆《みな》|神《かみ》の|名《な》を|賜《たまは》つたが、|世界《せかい》の|立替《たてかへ》|以後《いご》|大洪水《だいこうずゐ》の|後《あと》のこの|世《よ》は|神《かみ》の|名《な》は|無《な》くなつて、|誰《たれ》も|彼《かれ》も|人《ひと》といふ|名《な》になり、|彼方《あちら》、|此方《こちら》の|頭《かしら》するものばかりが|司《かみ》となつて、|加美《かみ》といふ|名《な》をつけることになつた。|然《しか》し|神代《かみよ》は|乱《みだ》れたというても|今日《こんにち》の|様《やう》な|惨《むご》たらしい|世《よ》の|中《なか》ではなかつた。|人間《にんげん》の|代《だい》になつてからは|悪魔《あくま》はますます|天下《てんか》を|横行《わうかう》し、|血腥《ちなまぐさ》い|風《かぜ》は|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|吹《ふ》き|荒《すさ》ンでくる。これに|付《つ》いてもこの|世《よ》を|治《をさ》め|給《たま》ふ|伊邪那岐大神《いざなぎのおほかみ》の|大御心使《おほみこころづか》ひが|思《おも》ひやられ、|杖柱《つゑはしら》と|思《おも》つてゐた|伊邪那美命《いざなみのみこと》は、この|世《よ》に|愛想《あいさう》をつかし、|火《ひ》の|神《かみ》の|為《ため》に|夜見《よみ》の|国《くに》にお|出《で》ましになつたとかいふ|事《こと》だ。アヽ|吾々《われわれ》は|伊邪那岐《いざなぎ》の|大神《おほかみ》の|珍《うづ》の|御子《みこ》なる|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|引《ひ》き|出《だ》され、こンな|有難《ありがた》いことはない。この|御恩《ごおん》を|酬《むく》ゆるために|骨身《ほねみ》を|砕《くだ》いても|大神様《おほかみさま》のために|尽《つく》さねばならぬ。アヽ|有難《ありがた》いありがたい、|変《かは》れば|変《かは》る|世《よ》の|中《なか》だなア』
と|長物語《ながものがたり》をしながら、|両眼《りやうがん》から|滴《したた》る|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ふ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》|一行《いつかう》はこの|詐《いつは》らざる|話《はなし》に|感激《かんげき》して、|何《いづ》れも|袖《そで》をしぼりける。
(大正一一・二・二 旧一・六 吉原亨録)
第四二章 |分水嶺《ぶんすゐれい》〔三四二〕
|高照彦《たかてるひこ》の|憂《うき》に|沈《しづ》む|懐旧談《くわいきうだん》に、|耳《みみ》を|澄《す》まして|聞《き》き|入《い》りゐたる|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》は、|有為転変《うゐてんぺん》の|空《そら》|行《ゆ》く|雲《くも》を|打眺《うちなが》め、|感慨《かんがい》|無量《むりやう》の|態《てい》なりしが、|面那芸司《つらなぎのかみ》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|向《むか》ひ、
『ただいま|高照彦《たかてるひこ》|様《さま》のお|話《はなし》を|聞《き》きまして、|実《じつ》に|感心《かんしん》いたしました。これを|思《おも》へば、|我々《われわれ》はわづかな|狭《せま》い|白雪郷《はくせつきやう》に|酋長《しうちやう》となつて、|夢《ゆめ》の|如《ごと》くにこの|世《よ》を|暮《くら》して|来《き》たが、|高照彦《たかてるひこ》|様《さま》の|御苦労《ごくらう》のことを|思《おも》へば、|殆《ほとん》ど|九牛《きうぎう》の|一毛《いちまう》にも|如《し》かない|苦労《くらう》だ。|幸《さいはひ》にも|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|宣伝使《せんでんし》に|三五教《あななひけう》の|結構《けつこう》な|教《をしへ》を|説《と》き|諭《さと》され、|翻然《ほんぜん》として|悔《く》い|改《あらた》め、ここまで|来《く》るは|来《き》たものの、|未《ま》だ|未《ま》だ|我々《われわれ》は|苦労《くらう》が|足《た》りない。|実際《じつさい》の|事《こと》を|白状《はくじやう》いたしますが、|明《あ》けても|暮《くれ》ても、|白雪郷《はくせつきやう》に|残《のこ》しておいた|我《わ》が|妻《つま》の|面那美姫《つらなみひめ》は|何《ど》うして|居《を》るであらうか、|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|虎《とら》や|熊《くま》のやうな|里人《さとびと》を、|女《をんな》の|弱《よわ》い|細腕《ほそうで》で|酋長《しうちやう》として|何《ど》うして|治《をさ》めて|行《ゆ》くであらうか。|思《おも》へば|思《おも》へば|不愍《ふびん》なものだ。|夫婦《ふうふ》となるも|深《ふか》い|因縁《いんねん》だのに、|神《かみ》の|為《ため》とは|言《い》ひ|乍《なが》ら、|海山《うみやま》|越《こ》えて|二人《ふたり》は|悲《かな》しき|生木《なまき》の|別《わか》れ、|四鳥《してう》の|悲《かな》しみ|釣魚《てうぎよ》の|歎《なげ》きとは|我々《われわれ》の|境遇《きやうぐう》であらうと、|明《あ》け|暮《くれ》|愛着《あいちやく》の|涙《なみだ》を|人《ひと》|知《し》れずしぼつたのを|思《おも》へば、|実《じつ》に|情《なさけ》ない。|何《なん》たる|卑怯《ひけふ》であらう。あゝ|何《なん》たる|未練《みれん》な|我《われ》であらう。|生者必滅《せいじやひつめつ》|会者定離《ゑしやぢやうり》だ。|愛別離苦《あいべつりく》の|念《ねん》に|駆《か》られるやうな|事《こと》では、|到底《たうてい》この|世《よ》を|救《すく》ふ|清《きよ》き|宣伝使《せんでんし》となることは|出来《でき》ない。あゝ|悪《わる》かつた。あゝあゝ|神様《かみさま》、どうぞ|私《わたくし》の|弱《よわ》き|心《こころ》に、|貴神《あなた》の|強《つよ》き|力《ちから》を|与《あた》へて|下《くだ》さいませ』
と|天《てん》に|向《むか》つて|合掌《がつしやう》し、|涙《なみだ》を|流《なが》しける。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》はうち|頷《うなづ》き、
『あゝそれで|宜《よろ》しい。その|心掛《こころがけ》でなくては、とても|宣伝使《せんでんし》にはなれない。|私《わたし》も|実《じつ》の|事《こと》を|言《い》へば、|貴方《あなた》の|精神上《せいしんじやう》の|覚悟《かくご》の|点《てん》に|於《おい》て、|最《も》う|少《すこ》し|何処《どこ》やら|物足《ものた》らぬ|心持《こころもち》がしてゐた。|中途《ちうと》に|神徳《しんとく》を|外《はづ》して|了《しま》やせぬか、|腰《こし》を|折《を》りやせぬかと、やや|不安《ふあん》の|念《ねん》に|駆《か》られてゐたのだ。あゝ|私《わたし》もそれを|聞《き》いて|本当《ほんたう》に|安心《あんしん》した。|有為転変《うゐてんぺん》の|世《よ》の|中《なか》は、|何事《なにごと》も|惟神《かむながら》に|任《まか》すより|仕方《しかた》がない。|今《いま》といふこの|瞬間《しゆんかん》は、|善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|分水嶺《ぶんすゐれい》だ。【|過去《くわこ》を|悔《くや》まず|未来《みらい》を|恐《おそ》れず】、|神命《しんめい》のまにまに|皆《みな》さま|心《こころ》を|合《あは》せて|進《すす》みませう』
と|言《い》ひ|切《き》つて、|先《さき》に|立《た》ち、|又《また》もや|涼《すず》しき|声《こゑ》を|張《は》りあげて、
『|心《こころ》つくしの|益良雄《ますらを》が  |神《かみ》の|命《みこと》を|蒙《かうむ》りて
|波《なみ》に|漂《ただよ》ふアフリカの  |筑紫《つくし》の|国《くに》へと|進《すす》みゆく
|心《こころ》は|矢竹《やたけ》にはやれども  |弱《よわ》り|果《は》てたる|膝栗毛《ひざくりげ》
|足《あし》は|草鞋《わらぢ》に|破《やぶ》られて  |血潮《ちしほ》を|染《そ》めなす|紅葉《もみぢば》の
|赤《あか》き|心《こころ》をたよりとし  |豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》
|踏《ふ》み|行《ゆ》く|旅《たび》の|面白《おもしろ》さ  そも|此《こ》の|島《しま》は|身《み》|一《ひと》つに
|面《おも》|四《よ》つありと|聞《き》くからは  |残《のこ》るはもはや|一《ひと》つ|面《おも》
|思《おも》ひは|同《おな》じ|宣伝使《せんでんし》  |宣《の》る|言霊《ことたま》も|清《きよ》くして
|大海原《おほうなばら》を|包《つつ》みたる  |深霧《ふかぎり》|伊吹《いぶ》きに|払《はら》ひつつ
|国《くに》の|主宰《つかさ》の|白日別《しらひわけ》  |鎮《しづ》まりゐます|都《みやこ》まで
|進《すす》めや|進《すす》めいざ|進《すす》め  |進《すす》めや|進《すす》めいざ|進《すす》め』
と|勢《いきほひ》よく|駆《か》け|出《だ》しにける。
|折《をり》しも、|轟然《ぐわうぜん》たる|大音響《だいおんきやう》|聞《きこ》ゆると|見《み》る|間《ま》に、|東北《とうほく》の|天《てん》に|当《あた》つて|黒煙《こくえん》|濛々《もうもう》と|立《た》ち|昇《のぼ》り、|大岩石《だいがんせき》は|火弾《くわだん》となりて|地上《ちじやう》に|落下《らくか》し|来《きた》りぬ。|一行《いつかう》はこの|爆音《ばくおん》に|思《おも》はず|歩《あゆ》みを|止《とど》め、しばし|途上《とじやう》に|佇立《ちよりつ》して、その|惨澹《さんたん》たる|光景《くわうけい》を|遥《はるか》にうち|仰《あふ》ぎける。
|面那芸《つらなぎ》『モシモシ、あれは|何処《どこ》の|山《やま》が|破裂《はれつ》したのでせうか。|吾々《われわれ》の|前途《ぜんと》を|祝《しゆく》するのでせうか、あるひは|悪神《あくがみ》が|呪《のろ》つてるのではありますまいか』
|祝姫《はふりひめ》『いいえ、|吾々《われわれ》は|神様《かみさま》の|御用《ごよう》のために|斯《か》うして|天下《てんか》を|遍歴《へんれき》する|者《もの》、|天地《てんち》の|大神様《おほかみさま》は|我々《われわれ》の|一行《いつかう》の|門出《かどで》を|祝《しゆく》するために、|煙火《はなび》を|上《あ》げて|下《くだ》さつたのでせう。|最前《さいぜん》も|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》が|有為転変《うゐてんぺん》の|世《よ》の|中《なか》ぢやとおつしやつたでせう』
|面那芸《つらなぎ》『さうでせうかな。それにしても|余《あま》り|大《おほ》きな|音《おと》でした。|私《わたくし》は|耻《はづか》しい|事《こと》だが、|胆玉《きもだま》が|転覆《てんぷく》しかけましたよ』
|日出神《ひのでのかみ》『アハヽヽヽヽ、も|一寸《ちよつと》|面那芸《つらなぎ》さま、|度胸《どきよう》を【しつかり】せないとこンな|事《こと》ではない、|今《いま》かうして|吾々《われわれ》の|通《とほ》つてゐる|大地《だいち》が|爆発《ばくはつ》するかも|知《し》れない。その|時《とき》には|貴方《あなた》は|何《ど》うする|心算《つもり》だ』
|面那芸《つらなぎ》『さあ|刹那心《せつなしん》ですな。|善悪正邪《ぜんあくせいじや》の|分水嶺《ぶんすゐれい》、|一寸先《いつすんさき》のことは|分《わか》りませぬわ』
|日出神《ひのでのかみ》『さうでせう、さうでせう。しかしこの|世《よ》の|中《なか》はすべて|神様《かみさま》の|意《い》の|儘《まま》だ。|今《いま》|破裂《はれつ》したのは、あれはヱトナの|火山《くわざん》だ。タコマ|山《やま》の|祭典《さいてん》の|時《とき》に、|爆発《ばくはつ》して|以来《いらい》、|今日《けふ》まで|鎮《しづ》まつてゐたのだが、|又《また》もや|突然《とつぜん》|爆発《ばくはつ》したのは|吾々《われわれ》に|対《たい》する|天《てん》の|警告《けいこく》だらう。|竜宮城《りうぐうじやう》の|言霊別《ことたまわけ》の|神《かみ》はヱトナ|火山《くわざん》の|爆発《ばくはつ》した|一刹那《いちせつな》、|悪神《あくがみ》に|毒《どく》を|盛《も》られて|大変《たいへん》に|苦《くる》しまれたといふことだ。|吾々《われわれ》も|注意《ちうい》せないと、|筑紫《つくし》の|都《みやこ》へ|行《い》つて、|何《ど》ンな|悪神《あくがみ》の|計略《けいりやく》の|罠《わな》に|陥《おとしい》れられるやも|知《し》れないから、|気《き》を|付《つ》けなくてはならぬ』
|高照彦《たかてるひこ》『さういふ|時《とき》には|吾々《われわれ》はどうしたらよろしいか』
|日出神《ひのでのかみ》『|別《べつ》に|何《ど》うするも|斯《か》うするもありませぬ。ただ|天地《てんち》を|自由《じいう》にし、|風雨雷霆《ふううらいてい》を|叱咤《しつた》するといふ|神言《かみごと》を、|無駄口《むだぐち》を|言《い》ふ|暇《ひま》があつたら、|奏上《そうじやう》さへすれば|凡《すべ》ての|災《わざはひ》は|払《はら》はれて|了《しま》ふのです』
|祝姫《はふりひめ》『|今《いま》ここで|一同《いちどう》|揃《そろ》うて|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》しては|如何《いかが》でせう。|大変《たいへん》に|足《あし》も|疲《つか》れましたなり、|休息《きうそく》がてら|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》しませうか』
|日出神《ひのでのかみ》『|休息《きうそく》がてらとは、それは|何《なん》の|事《こと》です。|序《ついで》に|神言《かみごと》を|上《あ》げるといふやうな|事《こと》は|出来《でき》ない。|休息《きうそく》は|休息《きうそく》、|神言《かみごと》|奏上《そうじやう》は|奏上《そうじやう》だ』
|祝姫《はふりひめ》『いや、これは|有《あ》り|難《がた》う、つい【うつかり】と|取違《とりちが》ひをいたしました』
|高照彦《たかてるひこ》『それだから、|女《をんな》の|宣伝使《せんでんし》は|頼《たよ》りないと|言《い》ふのだ』
|日出神《ひのでのかみ》『|人《ひと》の|事《こと》はかまはひでも|宜《よろ》しい。|宣伝使《せんでんし》の|身《み》になつたホヤホヤで、|人《ひと》の|事《こと》を|言《い》ふどころですか。|貴方《あなた》こそ|私《わたくし》は|頼《たよ》りないと|思《おも》つてゐる』
|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》は|道々《みちみち》いろいろの|話《はなし》を|進《すす》ませながら、|漸《やうや》くにして|大野原《おほのはら》に|出《い》で、|見《み》れば|南方《なんぱう》に|当《あた》つて、|巍然《ぎぜん》たる|白日別司《しらひわけのかみ》の|鎮《しづ》まる|館《やかた》|現《あら》はれたりける。
(大正一一・二・二 旧一・六 桜井重雄録)
第四三章 |神《かみ》の|国《くに》〔三四三〕
|日《ひ》は|西山《せいざん》に|傾《かたむ》いて、|塒《ねぐら》に|帰《かへ》る|群鴉《むらがらす》、|遠音《とほね》に|響《ひび》く|暮《くれ》の|鐘《かね》、ゴーンゴーンと|鳴《な》り|渡《わた》る、|四面《しめん》|暗澹《あんたん》として|寂寥《せきれう》の|気《き》に|包《つつ》まれたる|筑紫《つくし》の|都《みやこ》の|町外《まちはづ》れ、|前方《ぜんぱう》に|当《あた》つて|数十人《すうじふにん》の|口々《くちぐち》に|叫《さけ》ぶ|騒々《さうざう》しき|物音《ものおと》|聞《きこ》えきたる。|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》は|何事《なにごと》ならむと、|声《こゑ》する|方《はう》に|足《あし》を|早《はや》めて|進《すす》み|寄《よ》り、|暗《やみ》に|紛《まぎ》れてジツとこの|様子《やうす》を|伺《うかが》ひゐたり。|見《み》れば|数多《あまた》の|篝火《かがりび》をドンドン|焚《た》いて|数十人《すうじふにん》の|人々《ひとびと》、|頭《あたま》の|光《ひか》つた|瓢箪面《へうたんづら》の|男《をとこ》を|中《なか》に|置《お》き、
|甲《かふ》『ヤイ、|貴様《きさま》は|蚊蜻蛉《かとんぼ》とか|蚤取《のみとり》とか、|蚊取《かとり》とか|吐《ぬ》かす|禿頭《はげあたま》の、|瓢箪面《へうたんづら》を|下《さ》げよつて、|自分《じぶん》の|頭《あたま》のやうな|瓢箪《へうたん》を|腰《こし》にブラブラと|沢山《たくさん》にさげて、ウラル|彦《ひこ》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて「|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|闇《やみ》の|夜《よ》、|闇《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る」とは|何《なに》をほざきよるのだい、これを|見《み》いこの|空《そら》を。|一《いち》の|暗《くら》みの|真《しん》の|闇夜《やみ》ぢやないか、|月《つき》が|出《で》るなら|出《だ》してみい。|篝火《かがりび》を|焚《た》かな|分《わか》らぬ|様《やう》な|闇《やみ》の|晩《ばん》に、|月《つき》が|出《で》るなンて、ヘン|大方《おほかた》ウソ|月《つき》が|出《で》るだらう。それ|見《み》い|貴様《きさま》の|月《つき》は、|頭《あたま》に|附《つ》いてゐながら|分《わか》るまいが、|篝《かがり》がついてゐるわ。|貴様《きさま》のド|頭《たま》は|月《つき》の|様《やう》に|光《ひか》つてらあ、|闇《やみ》の|後《あと》に|月《つき》が|出《で》るとは|自分《じぶん》の|禿頭《はげあたま》の|自慢《じまん》だらう』
|乙《おつ》『|此処《ここ》を|何《なん》と|心得《こころえ》てる。|白日別《しらひわけ》といふ|立派《りつぱ》な|御方《おかた》の|鎮《しづ》まり|遊《あそ》ばす|都《みやこ》だぞ。|勿体《もつたい》|無《な》くも|黄金山《わうごんざん》の|麓《ふもと》に|現《あら》はれ|給《たま》うた|三五教《あななひけう》の|神《かみ》の|教《をしへ》を|守《まも》る|神《かみ》の|国《くに》だ。|宣《の》り|直《なほ》せ、|云《い》ひ|直《なほ》せ』
|蚊取別《かとりわけ》『ハイハイ|宣《の》り|直《なほ》します。どうぞ|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ』
|乙《おつ》『|宣《の》り|直《なほ》すなら|許《ゆる》してやらう、さあ|早《はや》く|宣《の》り|直《なほ》さぬか』
|蚊取別《かとりわけ》は|慄《ふる》ひ|声《ごゑ》を|出《だ》し|妙《めう》な|疳声《かんごゑ》を|張《は》りあげて、
『|飲《の》むなよ、|騒《さわ》ぐなよ、|一尺先《いつしやくさき》は|闇《やみ》の|夜《よ》、|闇《やみ》の|夜《よ》さには|月《つき》は|出《で》ぬ』
|乙《おつ》『|馬鹿《ばか》、|何《なに》|吐《ぬ》かしよるのだい。なほ|悪《わる》い、もつと|確《しつか》り|宣《の》り|直《なほ》さぬか』
|蚊取別《かとりわけ》は|悲《かな》しさうな|声《こゑ》を|出《だ》して、
『|私《わたし》は|馬鹿《ばか》な|生《うま》れつきで|俄《にはか》に|宣《の》り|直《なほ》すと|云《い》つたつてロクな|事《こと》は|宣《の》れませぬ。どうで|貴方《あなた》がたのお|気《き》に|召《め》す|様《やう》な|事《こと》はございませぬが、|宣《の》れとおつしやりや|仕方《しかた》が|無《な》いが、|命《いのち》あつての|物種《ものだね》だ。|死《し》ぬ|代《かは》りに|一生《いつしやう》この|歌《うた》を|歌《うた》ひ|通《とほ》さうと|思《おも》うてゐた|決心《けつしん》を|破《やぶ》つて、マー|一遍《いつぺん》|宣《の》り|直《なほ》して|見《み》せませう「|除《の》けよ、|妨《さまた》げなよ|一同《いちどう》の|者《もの》よ、|散《ち》れよ|散《ち》つた|後《あと》では|酒《さけ》を|飲《の》む」ヘイヘイ』
|乙《おつ》『こいつは|益々《ますます》|馬鹿《ばか》だな。|俺《おれ》が|教《をし》へてやろ、しつかり|聞《き》け、かう|吐《ぬか》すのだ。「|伸《の》べよ、|栄《さか》えよ、|一寸《ちよつと》|咲《さ》いても|神代《かみよ》、|神《かみ》の|国《くに》には|月《つき》が|照《て》る」よいか、サア|云《い》うたり、|云《い》うたり』
|蚊取別《かとりわけ》は|頭《あたま》をなでながら、
『ハイハイ、ま|一遍《いつぺん》|云《い》うて|下《くだ》さいな、|忘《わす》れました。ハイ』
『|忘《わす》れると|云《い》ふことがあるか、|武士《ぶし》の|言葉《ことば》に|二言《にごん》はないぞ、|考《かんが》へ|出《だ》して|宣《の》り|直《なほ》せ』
『ノ、エー、ノ、エー、ヘイヘイ』
|乙《おつ》『|早《はや》く|云《い》はぬか』
『ハイハイ、ノ、ベ、ヨ、|酒樽《さかだる》、ヘ、ヘ』
『ドツコイ|違《ちが》ふぞ、|酒樽《さかだる》なンて、|直《ぢき》に|酒《さけ》の|事《こと》を|吐《ぬ》かしよる。|伸《の》べよ、|栄《さか》えよと、かう|云《い》ふのだい』
『カ、カ、|勘忍《かんにん》して|下《くだ》さい、その|代《かは》りに|私《わたくし》の|懺悔《ざんげ》を|致《いた》します。そンな|六ケ敷《むつかし》いことは|覚《おぼ》えられませぬ』
『ソラ|面白《おもしろ》からう。|一《ひと》つ|汝《おまへ》の|履歴《りれき》を|云《い》つて|見《み》い。ドウデ|碌《ろく》な|事《こと》はあるまい』
『ドウデ|私《わたし》は|碌《ろく》でなし  |常世《とこよ》の|国《くに》の|常世彦《とこよひこ》
|常世《とこよ》の|姫《ひめ》に|見出《みいだ》され  |常世会議《とこよくわいぎ》に|曳出《ひきだ》され
|喉《のど》に|詰《つ》まつて|一言《ひとこと》も  |口《くち》も|利《き》けない|悲《かな》しさに
|常世《とこよ》の|城《しろ》を|放《ほ》り|出《だ》され  |美山《みやま》の|彦《ひこ》の|宣使《かみ》さまに
|拾《ひろ》ひあげられ|鬼城山《きじやうざん》  ナイヤ|河原《がはら》の|水《みづ》|汲《く》みと
|仕《つか》へて|又《また》も|馬《うま》の|世話《せわ》  【うま】いこと|云《い》うて|麻柱《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》  |春日《かすが》の|姫《ひめ》や|月照彦《つきてるひこ》の
ドエライ|神《かみ》を|馬《うま》に|乗《の》せ  |道《みち》に|大足彦《おほだるひこ》の|司《かみ》
|聾《つんぼ》になつた|宣伝使《せんでんし》  |砦《とりで》の|中《なか》に|引込《ひきこ》みて
|美山《みやま》の|彦《ひこ》に|御褒美《ごほうび》を  |頂戴《ちやうだい》しやうと|思《おも》うたら
|的《あて》が|外《はづ》れてしくじつて  |一度《いちど》は|降参《かうさん》したけれど
|酒《さけ》が|飲《の》みたい|飲《の》みたいと  |喉《のど》の|虫《むし》|奴《め》が|吐《ぬか》すので
|思《おも》ひ|切《き》られぬ|身《み》の|因果《いんぐわ》  これほど|甘《うま》い|酒《さけ》の|味《あぢ》
|私《わたし》は|死《し》ンでも|止《や》めないと  |再《ふたた》び|心《こころ》を|翻《ひるがへ》し
ウラルの|彦《ひこ》の|宣伝歌《せんでんか》  |歌《うた》うて|居《ゐ》たら|何処《どこ》となく
|大中教《だいちうけう》の|宣伝使《せんでんし》  |私《わたし》の|前《まへ》に|現《あら》はれて
|貴様《きさま》はよつぽど|偉《えら》い|奴《やつ》  |酒《さけ》を|飲《の》め|飲《の》め|酒《さけ》なれば
いくらなりとも|貢《みつ》いでやらう  |世界《せかい》の|奴《やつ》を|悉《ことごと》く
|酒《さけ》に|酔《よ》はして|泡《あわ》|吹《ふ》かせ  |魂《たま》を|蕩《とろ》かし|身《み》を|砕《くだ》き
|天下万民《てんかばんみん》メチヤメチヤに  やつた|所《ところ》でウラル|彦《ひこ》
ウラルの|姫《ひめ》が|現《あら》はれて  |枉津《まがつ》の|国《くに》としてしまふ
それの|使《つかひ》の|宣伝使《せんでんし》  |蚊取別《かとりわけ》とは|俺《おれ》のこと
|筑紫《つくし》の|国《くに》までやつて|来《き》て  |酒《さけ》を|飲《の》むなとは|情《なさけ》ない
これがどうして|止《や》められよか  |好《す》きな|酒《さけ》をば|止《や》めるなら
|一層《いつそう》|死《し》ンだがましであらう  あらう|事《こと》かあるまい|事《こと》か
|訳《わけ》の|判《わか》らぬ|下戸《げこ》たちに  |好《す》きな|酒《さけ》をば|止《と》められて
|私《わし》は|立《た》つ|瀬《せ》がないわいのー  |妻《つま》も|子供《こども》も|振捨《ふりす》てて
|酒《さけ》で|苦労《くらう》をする|私《わし》は  |何《なん》と|因果《いんぐわ》の|生《うま》れつき
|名酒《なさけ》ないではないかいな  |酒《さけ》も|酒《さけ》も|世《よ》の|中《なか》に
|酒《さけ》ほど|甘《うま》いものあろか  |四百種病《しひやくしゆびやう》の|病《やまひ》より
|辛《つら》いは|酒《さけ》を|止《や》める|事《こと》  |止《や》めてたまろか|此《この》|酒《さけ》を
|飲《の》まず|嫌《ぎら》ひは|止《や》めにして  |皆《みな》さま|一《ひと》つ|飲《の》ンで|見《み》よ
|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|闇《やみ》の|夜《よ》』
『コラ|又《また》|吐《ぬか》すか。おいおい|皆《みな》の|奴《やつ》、あの|禿頭《はげあたま》をかち|割《わ》つてやれ』
『はいはい|悪《わる》うございました。|私《わたし》が|悪《わる》いのではございませぬ、|皆《みな》|飲《の》ンだ|酒《さけ》が|悪《わる》いのです。【サケ】、【サケ】|困《こま》つたことになつたものぢや』
|群衆《ぐんしう》は|蚊取別《かとりわけ》を|中《なか》に|置《お》いて|見《み》せ|物《もの》のやうに|面白《おもしろ》がつて|嘲弄《からか》つて|居《ゐ》る。|闇《やみ》の|中《なか》から、
『|伸《の》べよ|栄《さか》えよ|一寸《ちよつと》|咲《さ》いても|神世《かみよ》  |神《かみ》の|国《くに》には|月《つき》が|照《て》る
|月《つき》より|明《あか》い|大空《おほぞら》の  |日《ひ》の|出神《でのかみ》が|現《あら》はれて
|天津御空《あまつみそら》に|高照彦《たかてるひこ》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》
|酒《さけ》の|悪魔《あくま》も|祝姫《はふりひめ》  |蚊取《かとり》の|別《わけ》が|今《いま》|茲《ここ》で
|面《つら》を|曝《さら》した|面那芸《つらなぎ》の  |司《かみ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》
|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》  |花《はな》は|紅《くれなゐ》|葉《は》は|緑《みどり》
|結《むす》ぶ|実《みのり》は|神《かみ》の|国《くに》  |結《むす》ぶ|実《みのり》は|神《かみ》の|国《くに》』
と|闇《やみ》を|破《やぶ》つて|宣伝歌《せんでんか》は|聞《きこ》え|来《き》たりける。
(大正一一・二・二 旧一・六 奥村芳夫録)
第四四章 |福辺面《ふくべづら》〔三四四〕
|思《おも》ひがけなき|藪《やぶ》から|棒《ぼう》の|宣伝歌《せんでんか》に、|一同《いちどう》は|肝《きも》を|潰《つぶ》し、キヨロキヨロと|四辺《あたり》を|見廻《みまは》したれど、それきり|何《なん》の|声《こゑ》もなければ、|群衆《ぐんしう》は|又《また》もや|口々《くちぐち》に|喋《しやべ》りはじめけり。
『|今《いま》の|声《こゑ》は|何《なん》だらうな。|大変《たいへん》に|涼《すず》しい、|力《ちから》のある、|儼《げん》として|犯《をか》す|可《べ》からざる、|荘重《さうちよう》なる、|立派《りつぱ》なる、|厳格《げんかく》なる』
『オイ|貴様《きさま》、|同《おな》じことばつかり|並《なら》べよつて、|訳《わけ》の|判《わか》らぬ|奴《やつ》だな。|厳格《げんかく》だの、|荘重《さうちよう》だのと、|何《なん》の|事《こと》だい。|貴様《きさま》も|蚊取別《かとりわけ》の|仲間《なかま》だナ』
『|黙《だま》れツ。|貴様《きさま》のやうな|不分漢《わからずや》に、|判《わか》つてたまるかい』
『おい、|蚊取別《かとりわけ》が|逃《に》げるぞ|逃《に》げるぞ。|皆《みな》|気《き》を|付《つ》けぬかい』
|蚊取別《かとりわけ》は、この|声《こゑ》に|驚《おどろ》きて|振《ふ》りかへり、|止《と》まつた|蚊《か》を|敲《たた》くやうな|手《て》つきをして、|自分《じぶん》の|顔《かほ》を【ぴしやり】と|打《う》ち|敲《たた》き、|猫《ねこ》のやうに|右《みぎ》の|手《て》を、|口《くち》の|辺《あた》りに【ちよこなん】と|据《す》ゑながら、|左《ひだり》の|手《て》に、|落《お》つる|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ひ、|蚊《か》の|鳴《な》くやうな|声《こゑ》を|出《だ》して、
『|皆《みな》のお|方《かた》、どうぞ|赦《ゆる》して|下《くだ》さいませ。その|代《かは》りにこのお|酒《さけ》を|飲《の》まして|上《あ》げます』
『|馬鹿《ばか》な|奴《やつ》ぢやな、|酒《さけ》が【いかん】と|云《い》うて|吾々《われわれ》は、|貴様《きさま》と|談判《だんぱん》をして|居《を》るのだ。|吾々《われわれ》は|同《おな》じ|人間《にんげん》だ。|酒《さけ》と○○[#「○○」は校定版では「博奕」]と|女《をんな》の|嫌《きら》ひな|奴《やつ》は、|三千世界《さんぜんせかい》にありやしないよ。それでも|吾々《われわれ》は|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》を|守《まも》つて、|好《す》きな|酒《さけ》もよう|飲《の》まずに|辛抱《しんばう》してゐるのだ。ただ|神様《かみさま》の|御神酒《おみき》を|頂《いただ》くばかりのことだ。|貴様《きさま》のやうに|粟嶋《あはしま》さまの|化物《ばけもの》のやうに|腰《こし》が|重《おも》たいほど|瓢箪《ふくべ》を|吊《つ》りよつて、|世界《せかい》を|酒《さけ》で|乱《みだ》さうとしても、|筑紫《つくし》の|国《くに》に|限《かぎ》つて、|貴様《きさま》らに|乱《みだ》される|人間《にんげん》は|一人《ひとり》もゐないのだ』
『ソヽヽそれはごもつとも、|思《おも》ひは|同《おな》じ|酒《さけ》の|味《あぢ》、|酒《さけ》の|嫌《きら》ひな|人間《にんげん》が、|広《ひろ》い|世界《せかい》にあるものか、|酒《さけ》は|生命《いのち》の|親《おや》ぢやぞい』
『|渋太《しぶと》い|奴《やつ》だ、こやつは|酒《さけ》に|魂《たましひ》を|腐《くさ》らして【けつ】かる。|何《なん》と|云《い》うても|判《わか》らぬ|奴《やつ》だな。おい|蚊取別《かとりわけ》、|俺《おれ》の|前《まへ》でその|瓢箪《へうたん》を|皆《みな》|空《から》にして|了《しま》へ』
|蚊取別《かとりわけ》は|耳《みみ》を|少《すこ》し|左方《さはう》に|傾《かたむ》けながら、|右《みぎ》の|手《て》に|額《ひたい》をぴしやりと|打《う》ち、
『|貴方《あなた》は|今《いま》【かんとり】|酒《ざけ》とおつしやつたが、|瓢箪《へうたん》を|火《ひ》にかけて|燗《かん》をする|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、どうした|拍子《へうし》の|瓢箪《へうたん》やら』
『おいおい|皆《みな》の|者《もの》、|此奴《こやつ》は|酒《さけ》に|喰《くら》ひ|酔《よ》うて|俺《おれ》らを|肴《さかな》にしよつて、いい|気《き》になつて|玩弄《おもちや》にしよるのだよ。|俺《おれ》らが|蚊取別《かとりわけ》を|虐《いぢ》めた|積《つも》りで、|却《かへ》つて|蚊取別《かとりわけ》に|管《くだ》を|巻《ま》かれて|虐《いぢ》められて|居《ゐ》るのだよ。|馬鹿々々《ばかばか》しいぢやないか。|一《ひと》つ|頭《あたま》をこの|杖《つゑ》で【かんとり】|別《わけ》とやつてやろかい』
|群衆《ぐんしう》は『よからう、よからう』
と、|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|棒千切《ぼうちぎれ》を|以《もつ》て、|蚊取別《かとりわけ》の|頭《あたま》を|目《め》がけて|打《う》ちかからうとするを、|蚊取別《かとりわけ》は|腰《こし》の|瓢箪《へうたん》を|両手《りやうて》に|抱《かか》へ、|頭《あたま》の|上《うへ》に|載《の》せて、|打《う》つなら|打《う》てと|云《い》はぬ|許《ばか》りに、|身構《みがまへ》する。
|群衆《ぐんしう》は|我《われ》|劣《おと》らじと|打《う》つてかかる。|打《う》たれて|瓢箪《へうたん》は|破《やぶ》れ、|酒《さけ》は|四方《しはう》に|飛《と》び|散《ち》る。|蚊取別《かとりわけ》は|頭《あたま》から|酒《さけ》を|浴《あ》びて、|俄《にはか》に|誕生《たんじやう》のお|釈迦《しやか》さまになりてしまひける。
このとき|暗《やみ》を|衝《つ》いて、|又《また》もや|宣伝歌《せんでんか》が|聞《きこ》えきたりぬ。
『|常世《とこよ》の|国《くに》に|生《あ》れませる  |少彦名《すくなひこな》の|神様《かみさま》の
|醸《かも》し|給《たま》ひし|神酒《みき》なれば  |少《すこ》しは|飲《の》めよ|程《ほど》ほどに
|御神酒《おみき》を|飲《の》むはよけれども  |酒《さけ》に|飲《の》まれな|百《もも》の|人《ひと》
|飲《の》みたい|酒《さけ》も|飲《の》まずして  |気張《きば》つてをれば|何時《いつ》か|又《また》
|心《こころ》|荒《すさ》びて|暗雲《やみくも》に  |酒《さけ》を|飲《の》まねばならうまい
|神《かみ》に|供《そな》へた|其《そ》の|後《のち》に  |神酒《みき》を|飲《の》まずに|頂《いただ》けよ
|神酒《みき》を|飲《の》まずに|頂《いただ》けよ』
と|涼《すず》しき|声《こゑ》|聞《きこ》え|来《き》たる。|蚊取別《かとりわけ》はこの|声《こゑ》を|敏《さと》くも|耳《みみ》に|入《い》れ、
『やい、|皆《みな》の|奴《やつ》、|今《いま》の|歌《うた》を|聞《き》いたか。|貴様《きさま》らは|大勢《おほぜい》だと|思《おも》つて、|俺《おれ》を|馬鹿《ばか》にしたが、|俺《おれ》も|今《いま》まで|多勢《たぜい》に|無勢《ぶぜい》だ。|強《つよ》い|奴《やつ》にア|負《ま》けて|置《お》けと、【むかつく】|腹《はら》をじつと|堪《こら》へて|疳癪玉《かんしやくだま》を|抑《をさ》へて|居《ゐ》たが、モヽヽもう|俺《おれ》は|承知《しようち》せぬぞ。|今《いま》の|歌《うた》を|聞《き》いたかい。|御神酒《おみき》は|飲《の》むな|頂《いただ》けと|聞《きこ》えたであらう。|飲《の》むのも|頂《いただ》くのも|同《おな》じことだ。さあ、|俺《おれ》の|味方《みかた》のウラル|彦《ひこ》の|宣伝使《せんでんし》が|現《あら》はれた|以上《いじやう》は、もはや|鬼《おに》に|鉄棒《かなぼう》だ。なンぼなと|喋《しやべ》れ、|頭《あたま》を|敲《たた》け、|敲《たた》いて|後《あと》で|後悔《こうくわい》するな』
と|鼻息《はないき》|荒《あら》く|両臂《りやうひぢ》を|振《ふ》つて|威張《ゐば》り|出《だ》しける。
『やいやい、|禿頭《はげあたま》の|瓢箪面《へうたんづら》が|俄《にはか》に【はしやぎ】よつたぞ。|愚図々々《ぐづぐづ》してゐると、|彼奴《あいつ》の|同類《どうるゐ》が|暗《くら》がりから|出《で》て|来《き》て、どンな|事《こと》をするか|判《わか》らない。|逃《に》げろ|逃《に》げろ』
|群衆《ぐんしう》はこの|声《こゑ》に|驚《おどろ》き、|先《さき》を|争《あらそ》ひ|暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|逃《に》げ|散《ち》りにけり。
|蚊取別《かとりわけ》はただ|一人《ひとり》|篝火《かがりび》の|前《まへ》に|立《た》ち|塞《ふさ》がり|大音声《だいおんじやう》を|張《は》りあげて、
『|俺《おれ》を|誰《たれ》だと|思《おも》うて|居《を》るか。|勿体《もつたい》なくも|鬼城山《きじやうざん》に|館《やかた》を|構《かま》へて、|御威勢《ごゐせい》|並《なら》びなき|美山彦《みやまひこ》の|第一番《だいいちばん》の|家来《けらい》』
|少《すこ》し|小声《こごゑ》で、
『|家来《けらい》のその|家来《けらい》の、も|一《ひと》つ|家来《けらい》の|又《また》|家来《けらい》|蚊取別《かとりわけ》とは|我《わが》|事《こと》なるぞ。【ごく】にも|立《た》たぬ|雲虫《くもむし》|奴《め》ら、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|失《う》せたな』
と|威張《ゐば》り|散《ち》らしをる。|又《また》もや|暗《やみ》の|中《なか》より、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わけ》る
|蚊取《かとり》の|別《わけ》の|曲神《まがかみ》は  |鬼城山《きじやうざん》をば|抜《ぬ》けて|出《で》て
|筑紫《つくし》の|国《くに》まで|流《なが》されて  |瓢箪面《へうたんづら》を|曝《さら》しつつ
|知《し》らぬ|他国《たこく》の|人々《ひとびと》に  |頭《あたま》を|張《は》られ|油《あぶら》を|搾《と》られ
その|有様《ありさま》は|何《なん》の|事《こと》  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|面那芸彦《つらなぎひこ》とは|吾《わが》|事《こと》ぞ  |面那芸彦《つらなぎひこ》とは|吾《わが》|事《こと》ぞ』
と|大音声《だいおんじやう》に|歌交《うたまじ》りに|呼《よ》ばはりける。
|蚊取別《かとりわけ》はこの|声《こゑ》を|聞《き》きて|俄《にはか》に|酔《ゑい》も|醒《さ》め、|頭《あたま》を|抱《かか》へてその|場《ば》に|蹲踞《しやが》みたりにける。
(大正一一・二・二 旧一・六 井上留五郎録)
第四五章 |酒魂《くしみたま》〔三四五〕
|一《いつ》たん|蹲踞《しやが》みたる|蚊取別《かとりわけ》は|群衆《ぐんしう》の|散《ち》り|失《う》せたるに、ほつと|一息《ひといき》し、お|山《やま》の|大将《たいしやう》|俺《おれ》|一人《ひとり》と|云《い》はぬばかりに、|薬鑵頭《やかんあたま》を|振立《ふりた》てて、|篝火《かがりび》の|前《まへ》に|臂《ひぢ》を|張《は》り|威張《ゐば》りゐたり。
そこへ|悠然《いうぜん》として|現《あら》はれたる|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》の|一人《ひとり》|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、|蚊取別《かとりわけ》の|肩《かた》をソツと|敲《たた》きながら、
『もしもし|蚊取別《かとりわけ》の|宣伝使《せんでんし》、|思《おも》はぬ|所《ところ》でお|目《め》にかかりました。|今《いま》|木蔭《こかげ》より|承《うけたま》はればウラル|彦《ひこ》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて|歩《ある》かれるさうですな。それは|誠《まこと》に|御苦労《ごくらう》なことです。|常世《とこよ》の|国《くに》の|会議《くわいぎ》でお|目《め》にかかりました|私《わたくし》は|大道別《おほみちわけ》ですよ、|否《い》や|偽《にせ》の|常世彦命《とこよひこのみこと》ですよ』
|聞《き》くより|蚊取別《かとりわけ》は|後《あと》ふり|向《む》いて、ギロリと|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|顔《かほ》を|見詰《みつ》め、|尻《しり》を|後《あと》へ|突《つ》き|出《だ》し、|早《はや》くも|逃腰《にげごし》になりゐる。
|日出神《ひのでのかみ》『あなた|沢山《たくさん》な|瓢箪《ふくべ》を|持《も》つて|居《ゐ》ますね』
|高照彦《たかてるひこ》『|瓢箪《ふくべ》だと|思《おも》つたら、|何《な》ンだ、|光《ひか》つた|顔《かほ》だな。|瓢箪《ふくべ》によう|似《に》た|宣伝使《せんでんし》だ』
|日出神《ひのでのかみ》『|又《また》|貴方《あなた》は|他人《ひと》の|事《こと》をおつしやる。|人《ひと》の|顔《かほ》の|批評《ひへう》は|止《や》めて|下《くだ》さい』
|高照彦《たかてるひこ》『ハハハイ』
|蚊取別《かとりわけ》『ハア、|私《わたくし》はあれから|常世《とこよ》の|国《くに》を|放《ほ》り|出《だ》され、|流《なが》れ|流《なが》れてナイヤガラの|滝《たき》の|水上《みなかみ》の|鬼城山《きじやうざん》に、|永《なが》の|月日《つきひ》を|送《おく》りましたが、|悪《わる》い|事《こと》を|致《いた》しまして、たうとう|鬼城山《きじやうざん》も|追《お》ひ|出《だ》され、それからウラル|彦《ひこ》さまの|宣伝歌《せんでんか》を|聞《き》いて、|飛《と》び|立《た》つ|許《ばか》り|勇《いさ》み|立《た》ち、|今《いま》はこの|通《とほ》り|瓢箪《ふくべ》を|提《さ》げて|世界《せかい》に|宣伝《せんでん》をやつて|居《を》ります。|貴方《あなた》は|矢張《やつぱ》りウラル|彦《ひこ》の|宣伝使《せんでんし》ですか』
|日出神《ひのでのかみ》『|吾々《われわれ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だ』
|蚊取別《かとりわけ》は|宣伝使《せんでんし》と|聞《き》いて、|逃《に》げ|出《だ》さうとする。
|日出神《ひのでのかみ》『ままお|待《ま》ちなさい。|私《わたくし》も|斯《か》うやつて|歩《ある》いて|居《ゐ》るものの、|表面《へうめん》は|酒《さけ》を|飲《の》むな|飲《の》むなと|教《をし》へてゐるが、その|実《じつ》|世界《せかい》の|奴《やつ》が|酒《さけ》を|飲《の》むと、|吾々《われわれ》の|飲《の》む|酒《さけ》が|無《な》くなつて|困《こま》るので、|世界《せかい》の|奴《やつ》は「|飲《の》むな、|飲《の》ンだら|悪《わる》いぞ」と|云《い》つて|止《と》めて|廻《まは》つて、|自分《じぶん》|一人《ひとり》【こつそり】と|飲《の》ンでゐるのだ。|好《す》きな|酒《さけ》を|止《や》めと|云《い》つたつて、どうしても|止《や》むものでない。|世《よ》の|中《なか》はな、かならず|裏《うら》と|表《おもて》とがあるものだ。お|前《まへ》さまも|酒《さけ》を|飲《の》め|飲《の》めと|云《い》うて|歩《ある》くのは|結構《けつこう》だが、|余《あま》り|世界《せかい》の|者《もの》に|酒《さけ》ばかり|飲《の》ますと、お|前《まへ》さまの|飲《の》む|酒《さけ》が|無《な》くなつて|了《しま》うぢやないか。ウラル|彦《ひこ》さまは|本当《ほんたう》に|博愛《はくあい》だな。お|前《まへ》さまもその|博愛《はくあい》に|感心《かんしん》して|宣伝《せんでん》して|居《ゐ》るのだらう。さうして|彼方《あちら》や|此方《こちら》で|頭《あたま》を|敲《たた》かれたり、|瓢箪《ふくべ》を|破《やぶ》られたり、|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》も|並大抵《なみたいてい》の|事《こと》ぢやありますまい、|御察《おさつ》し|申《まを》す。|貴方《あなた》もここは|一《ひと》つ|考《かんが》へ|直《なほ》して、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》になつて、|自分《じぶん》|独《ひと》り|美味《うま》い|酒《さけ》を|飲《の》む|気《き》はないか。|世《よ》の|中《なか》は|何事《なにごと》も|表《おもて》があれば|裏《うら》がある。|昼《ひる》があれば|夜《よる》があるものだ。|一枚《いちまい》の|紙《かみ》にも|裏表《うらおもて》がある。なンぼウラル|彦《ひこ》さまだとて、|裏《うら》ばかりでは|間《ま》に|合《あ》ふまい。これからはウラル|教《けう》を|表《おもて》にして、|三五教《あななひけう》を|裏《うら》にして、|表裏《へうり》|揃《そろ》うて|吾々《われわれ》と|一緒《いつしよ》に|宣伝《せんでん》に|出《で》て|来《き》ませぬか』
|蚊取別《かとりわけ》『あー|貴方《あなた》はよく|判《わか》つてゐる。これまで|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》に|沢山《たくさん》|逢《あ》うたが、それはそれは|堅《かた》い|堅《かた》い、|石部金吉鉄兜《いしべきんきちかねかぶと》、|飲《の》みたい|酒《さけ》も、|神《かみ》が|怒《おこ》るの|何《ど》うのと|云《い》つて|辛抱《しんばう》して、グウグウいふ|喉《のど》を|抑《おさ》へて、|唾《つばき》を|呑《の》ンで、|目《め》を|剥《む》いて|気張《きば》つてゐる|苦《くる》しさ。こンな|事《こと》なら|死《し》んだが【まし】だ、|酒《さけ》|無《な》くて|何《なん》の|己《おのれ》が|桜《さくら》かなだ。|貴方《あなた》のやうな|教《をしへ》なら、ただ|今《いま》より|喜《よろこ》びて|御伴《おとも》をいたしませう。|実《じつ》のところ|私《わたくし》もさうしたいのだけれど、|何分《なにぶん》に|智慧《ちゑ》が|廻《まは》らぬものだから、|真正直《まつしやうぢき》にやつて|来《き》ました。|本当《ほんたう》によう|判《わか》つた|神《かみ》さまですな。さうでなくては、|世《よ》の|中《なか》が|渡《わた》れませぬ|哩《わい》』
と|顔色《かほいろ》を|変《か》へ、|肩《かた》をゆすつて|歓《よろこ》ぶ。
|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》は|合点《がつてん》ゆかず、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|蓑《みの》を|引張《ひつぱ》り、
『もしもし|貴方《あなた》のおつしやることは、ちつと|違《ちが》ひはしませぬか』
|日出神《ひのでのかみ》『|違《ちが》ひはしませぬよ。|細工《さいく》は|粒々《りうりう》|仕上《しあげ》を|見《み》て|下《くだ》さい』
|一同《いちどう》は|怪訝《けげん》な|顔《かほ》つき。
|夜《よ》は|深々《しんしん》と|更《ふ》けわたる、|水《みづ》も|眠《ねむ》れる|丑満《うしみつ》の|頃《ころ》となり、|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|何事《なにごと》か|祈願《きぐわん》を|籠《こ》めた。たちまちその|場《ば》に|何処《いづこ》ともなく、|四辺《あたり》を|照《てら》す|鏡《かがみ》の|如《ごと》き|火《ひ》の|玉《たま》は|降《くだ》り|来《きた》りぬ。
|一同《いちどう》は|驚《おどろ》きその|火《ひ》の|玉《たま》を|凝視《みつ》めゐたり。これぞ|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|奇魂《くしみたま》が、|今《いま》|天《てん》より|降《くだ》り|来《きた》れるなりき。|見《み》る|見《み》る|大《だい》なる|光《ひか》りの|甕《かめ》となりぬ。なんとも|言《い》へぬ|芳《かん》ばしき|酒《さけ》は、|溢《あふ》るる|許《ばか》り|盛《も》られゐたり。|蚊取別《かとりわけ》は|鼻《はな》を【ぴこつかせ】、
|蚊取別《かとりわけ》『やあ、|是《これ》は|是《これ》は|結構《けつこう》な|御神酒《おみき》、|頂《いただ》きませうか』
と|早《はや》くも|甕《かめ》に|向《むか》つて|飛《と》び|付《つ》かうとする。
|日出神《ひのでのかみ》『マア、お|待《ま》ちなさい。この|酒《さけ》は|手《て》をつけたり、|杓《しやく》で|汲《く》んでは|神罰《しんばつ》が|当《あた》ります。|天《てん》から|与《あた》へて|下《くだ》さつた、|結構《けつこう》な|御神酒《おみき》、|静《しづ》かに|口《くち》をつけて|飲《の》まなくては|味《あぢ》がありませぬ』
|蚊取別《かとりわけ》『こンな|大《おほ》きな|甕《かめ》に|手《て》も|触《ふ》れず、|杓《しやく》もつけずに、どうして|飲《の》めますか』
|日出神《ひのでのかみ》『|私《わし》が|今《いま》|飲《の》ましてあげやう』
|蚊取別《かとりわけ》『|有難《ありがた》う、どうぞ|早《はや》く|飲《の》まして|下《くだ》さい』
|日出神《ひのでのかみ》は|又《また》もや|甕《かめ》に|向《むか》つて、|何事《なにごと》か|神文《しんもん》を|唱《とな》へける。|忽《たちま》ち|甕《かめ》は|横《よこ》に|平《ひら》たくなり、その|代《かは》りに|丈《たけ》は|低《ひく》くなりぬ。|口《くち》をつけるには|丁度《ちやうど》よき|加減《かげん》となりけり。
|蚊取別《かとりわけ》『あゝ|見《み》とる|間《ま》に、|甕《かめ》が|地《つち》の|中《なか》へ|這入《はい》りよつたな。ちやうど|私《わたし》の|体《からだ》の|丈《たけ》に|比《くら》べて、よい|加減《かげん》の|所《ところ》へ|来《き》たワ』
|日出神《ひのでのかみ》『さあ|飲《の》ましてあげませう』
と|云《い》ひながら、|蚊取別《かとりわけ》の|身体《からだ》に|霊縛《れいばく》を|施《ほどこ》した。|蚊取別《かとりわけ》は|首《くび》から|下《した》は、|材木《ざいもく》のやうに|堅《かた》くなりぬ。
|蚊取別《かとりわけ》は|酒《さけ》に|心《こころ》を|奪《と》られて、|身体《からだ》の|強直《きやうちよく》した|事《こと》も|気《き》が|付《つ》かず、|首《くび》ばかり|振《ふ》り|居《ゐ》たる。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|蚊取別《かとりわけ》の|二本《にほん》の|脚《あし》をグツと|掴《つか》みて、|甕《かめ》の|上《うへ》に|突《つ》き|出《だ》したるに、|蚊取別《かとりわけ》は|舌《した》を|出《だ》して、
|蚊取別《かとりわけ》『もしもし、も|少《すこ》し|一寸《いつすん》|許《ばか》り|下《さ》げて|下《くだ》さい、|届《とど》きませぬ』
|日出神《ひのでのかみ》『よしよし』
と|云《い》つて|七八分《しちはちぶ》|下《さ》げた。|蚊取別《かとりわけ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|舌《した》を|出《だ》し、
|蚊取別《かとりわけ》『もう|一分《いちぶ》|下《さ》げて|下《くだ》さらぬか、|届《とど》きませぬ』
|日出神《ひのでのかみ》『よしよし』
|蚊取別《かとりわけ》『そら|反対《はんたい》です、|高《たか》うなりました。もちつと|下《した》まで』
|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|蚊取別《かとりわけ》を|上《あ》げたり、|下《おろ》したり、どうしても|酒《さけ》の|処《ところ》へまで|届《とど》かさざりけり。|蚊取別《かとりわけ》は|声《こゑ》を|搾《しぼ》り|出《だ》して、
『あゝ|鈍《どん》なお|方《かた》だな、もちつと|下《さ》げて|下《くだ》さいな』
|斯《か》くして|半時《はんとき》ばかりも|時間《じかん》を|経《へ》にける。|蚊取別《かとりわけ》は、
『かゝゝ』
と|咳払《せきばら》ひをすると|共《とも》に、|焼石《やけいし》が|三箇《さんこ》|飛《と》び|出《だ》し、ジユンジユンと|音《おと》を|立《た》てて|甕《かめ》の|中《なか》に|落《お》ち|込《こ》みし|途端《とたん》に、|甕《かめ》は|煙《けぶり》のごとく|消《き》え|失《う》せにけり。
そこら|一面《いちめん》もとの|暗夜《やみよ》となり、|空《そら》には|閃《ひらめ》く|星《ほし》の|影《かげ》、|地《ち》には|暗《やみ》を|透《すか》して|蚊取別《かとりわけ》の|頭《あたま》|薄《うす》く|光《ひか》りゐるのみなりける。
これより|蚊取別《かとりわけ》は、すつかり|酒《さけ》が|嫌《きら》ひになつて|了《しま》ひ、しかして|三五教《あななひけう》を|信《しん》ずる|事《こと》となり、|面那芸司《つらなぎのかみ》の|供《とも》となりて|諸方《しよはう》を|遍歴《へんれき》し、|知《し》らぬまに|生神《いきがみ》となりにける。
(大正一一・二・二 旧一・六 井上留五郎録)
第四六章 |白日別《しらひわけ》〔三四六〕
|夜《よ》は|仄々《ほのぼの》と|明《あ》けかかる。|国家《こくか》|興々《こうこう》と|鳴《な》く|鶏《にはとり》の、|声《こゑ》に|日《ひ》の|出《での》|宣伝使《せんでんし》、|東天紅《とうてんくれなゐ》を|兆《てう》して|雲《くも》を|披《ひら》きて|昇《のぼ》りくる、|清新《せいしん》の|晨《あした》の|空気《いき》を|吸《す》ひ|乍《なが》ら、|露路《つゆぢ》を|分《わ》けて、|日《ひ》は|白々《しらじら》と|白日別司《しらひわけのかみ》の|館《やかた》に|進《すす》み|行《ゆ》く。
|蚊取別《かとりわけ》は|数多《あまた》の|瓢箪《ふくべ》を|腰《こし》にガラガラ|云《い》はせながら、|跛《びつこ》を|引《ひ》きつつ|頭《あたま》を|空中《くうちう》に|上《あ》げたり|下《さ》げたり、|息《いき》もセキセキ|四人《よにん》の|後《あと》に|跟《つ》いて|来《く》る。その|姿《すがた》の|可笑《をか》しさは、|飯蛸魚《いひだこ》が|芋畑《いもばたけ》から|立《た》つて|逃《に》げる|姿《すがた》その|儘《まま》なりける。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|一行《いつかう》は、|白日別《しらひわけ》の|館《やかた》に|近付《ちかづ》き、|門《もん》を|叩《たた》いて|打《う》てども|打《う》てども、|何《なん》の|答《こた》へもなければ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|蚊取別《かとりわけ》に|向《むか》つて、
『|汝《なんぢ》はこの|塀《へい》を|越《こ》え、|中《なか》より|門《もん》を|開《ひら》け』
と|命《めい》じたまへば、|蚊取別《かとりわけ》は、
『これ|程《ほど》|高《たか》い|塀《へい》を|私《わたくし》のやうな|跛《びつこ》が、|何《ど》うして|越《こ》せませうか』
|日出神《ひのでのかみ》『|越《こ》せるとも、|越《こ》せる|工夫《くふう》がある。|斯《か》うするのだ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|腰《こし》の|瓢箪《ふくべ》の|詰《つめ》を|抜《ぬ》いて、
|日出神《ひのでのかみ》『お|前《まへ》はもう|酒《さけ》は|嫌《きら》ひになつたのであるから、もう|酒《さけ》はいらない、|捨《す》てて|遣《や》らう、|未練《みれん》は|無《な》いか』
|蚊取別《かとりわけ》『ハイ、|未練《みれん》も|焼酎《せうちう》も|有《あ》りませぬ、|並酒《なみさけ》ばかりです。もう|放《ほ》かしても|一寸《ちよつと》も|惜《を》しいとは|思《おも》ひませぬ。しかし|是《こ》れで|一生《いつしやう》|酒《さけ》と|縁切《えんぎ》れぢやと|思《おも》ふと、|名残《なご》|惜《をし》い|様《やう》な|気《き》がいたします。|放《ほ》かすは|放《ほ》かしますが、|一寸《ちよつと》|嘗《な》めてみても|宜《よろ》しいか』
|日出神《ひのでのかみ》『|卑《いや》しい|奴《やつ》ぢや、|思《おも》ひ|切《き》りの|悪《わる》い|男《をとこ》じやなあ』
と|云《い》ひながら、|瓢箪《ふくべ》の|詰《つめ》を|抜《ぬ》いて|残《のこ》らず|大地《だいち》に|棄《す》てて|仕舞《しま》つた。そして|沢山《たくさん》の|瓢箪《へうたん》の|口《くち》より、|一々《いちいち》|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|力《ちから》|限《かぎ》りに|息《いき》を|吹込《ふきこ》み|玉《たま》へば、|瓢箪《へうたん》は|見《み》る|見《み》る|膨張《ぼうちやう》して、|風船玉《ふうせんだま》のやうに|薄《うす》くなり、|蚊取別《かとりわけ》は|自然《しぜん》に【フウ】と|舞《ま》ひ|〓《あが》りたり。
|蚊取別《かとりわけ》『モシモシ|〓《あが》ります|〓《あが》ります、どうしたら|宜《よろ》しいか』
|日出神《ひのでのかみ》『その|瓢箪《へうたん》を|一《ひと》つ|一《ひと》つ|放《ほ》かすのだ。|薄《うす》くなつて|居《ゐ》るから|爪《つめ》で|破《やぶ》れ』
|蚊取別《かとりわけ》は|爪《つめ》の|先《さき》でパチパチと|破《やぶ》つた。|一度《いちど》に|瓢箪《へうたん》は|破《やぶ》れて、|図顛倒《づてんだう》と|屋敷《やしき》の|中《なか》に|落《お》ちた。|門内《もんない》にはドスン、「アイタタ」の|声《こゑ》|聞《きこ》えゐたり。
|日出神《ひのでのかみ》『おい、|早《はや》く|門《もん》を|開《あ》けぬか』
|蚊取別《かとりわけ》『【あかぬ】あかぬ|薩張《さつぱり》あかぬ。|抜《ぬ》けた|抜《ぬ》けた』
|面那芸《つらなぎ》『|何《なに》が|抜《ぬ》けたのだい』
|蚊取別《かとりわけ》『|腰《こし》だ、|腰《こし》だ』
|面那芸《つらなぎ》『|間《ま》に|合《あ》はぬ|奴《やつ》だナア。|腰《こし》を|抜《ぬ》かしよつて』
と|云《い》ひながら|翻然《ひらり》と|体《たい》をかわし、【もんどり】|打《う》つて|門内《もんない》に|飛込《とびこ》ンだ、|忽《たちま》ち|門《もん》は|左右《さいう》にサツと|開《ひら》かれた。
|面那芸《つらなぎ》『|皆《みな》さま|御待《おま》たせ|致《いた》しました、さあお|這入《はい》り|下《くだ》さい』
|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》はドシドシ|奥《おく》へ|進《すす》み|行《ゆ》く。
|蚊取別《かとりわけ》『あゝもしもし、|私《わたくし》を|如何《どう》して|下《くだ》さいます。|私《わたくし》を、|私《わたくし》を』
と|叫《さけ》びをる。|祝姫《はふりひめ》は|気《き》の|毒《どく》がり、|後《あと》に|引返《ひきかへ》して|蚊取別《かとりわけ》の|手《て》を|取《と》り|抱《だ》き|起《おこ》さうとしたるに、|蚊取別《かとりわけ》は|何《ど》うしても|腰《こし》を|上《あ》げぬ。
|祝姫《はふりひめ》『|何故《なぜ》|起《お》きないのですか』
|蚊取別《かとりわけ》『はい、|私《わたくし》は|嬶《かか》よりも|子《こ》よりも、|好《す》きな|酒《さけ》がすつかり|嫌《きら》ひになりました。かうなると|思《おも》ひ|出《だ》すのは、|国《くに》に|残《のこ》した|女房《にようばう》の|事《こと》。あゝあゝ、もうこの|頃《ごろ》は|死《し》んだか|生《い》きたか、|何分《なにぶん》|太平洋《たいへいやう》を|越《こ》えて|永《なが》い|歳月《としつき》、|何《な》ンぼ|女房《にようばう》が|有《あ》つたとてまさかの|間《ま》には|合《あ》ひませぬ、|察《さつ》する|処《ところ》|貴方《あなた》は|独身《ひとりみ》らしい、|何《ど》うぞ|私《わたくし》に|輿入《こしい》れして|下《くだ》さい。そしたら|腰《こし》が|立《た》ちますよ』
|祝姫《はふりひめ》『オホホヽヽヽまだ|貴方《あなた》は|酒《さけ》に|酔《よ》うて|居《ゐ》るのですか。|何《なに》ほど|男旱《をとこひでり》の|世《よ》の|中《なか》でも、|云《い》うと|済《す》まぬが、|貴方《あなた》の|様《やう》な|黒《くろ》いお|方《かた》の|女房《にようばう》に|誰《たれ》がなりますか。|軈《やが》て|烏《からす》が|婿《むこ》に|取《と》りませう。|私《わたくし》はたとへ|烏《からす》に|身《み》を|任《まか》しても、|貴方《あなた》のやうな|瓢箪面《へうたんづら》には|真平《まつぴら》|御免《ごめん》ですよ。|阿呆《あほ》らしい、サアサア|早《はや》く|御立《おた》ちなさい。|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまに|睨《にら》まれたら|怺《たま》りませぬよ』
|蚊取別《かとりわけ》『アーア、|成《な》るは|厭《いや》なり、|思《おも》ふは|成《な》らず、|私《わたし》の|好《す》く|人《ひと》また|他人《ひと》も|好《す》く。アーア|気《き》の|揉《も》める|事《こと》だワイ』
|祝姫《はふりひめ》『|知《し》りませぬ』
と【ツン】として、|足《あし》を|早《はや》めてさつさと|奥《おく》に|行《ゆ》かうとする。|蚊取別《かとりわけ》は|蓑《みの》を|握《にぎ》つて、
『もしもし、さう|素気《すげ》|無《な》くしたものでは|有《あ》りませぬ。|旅《たび》は|道伴《みちづ》れ|世《よ》は|情《なさけ》』
|祝姫《はふりひめ》『エヽ、|情《なさ》け|無《な》い』
と|禿頭《はげあたま》を【ぴしやつ】と|叩《たた》いて|一目散《いちもくさん》に|走《はし》り|行《ゆ》く。|蚊取別《かとりわけ》は|腰《こし》を|抜《ぬ》かした|儘《まま》、
『オーイ、オーイ』
と|叫《さけ》びゐる。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|一行《いつかう》は、|館《やかた》の|内《うち》を|隈《くま》なく|探《さが》し|見《み》たが、|猫《ねこ》|一匹《いつぴき》もゐない。|不思議《ふしぎ》ぢやと|其処辺中《そこらぢう》を|開《あ》けて|見《み》たるに、|国魂《くにたま》の|神《かみ》|純世姫《すみよひめ》の|御魂《みたま》は|奥殿《おくでん》に|鄭重《ていちよう》に|鎮祭《ちんさい》されてあり。さうして|一切《いつさい》の|器具《きぐ》は、|秩序《ちつじよ》よく|整頓《せいとん》してある。|一同《いちどう》は|神殿《しんでん》に|向《むか》つて|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》したるが、|神殿《しんでん》には|何一《なにひと》つ|供物《くもつ》は|無《な》かりける。|一枚《いちまい》の|紙片《しへん》に|何事《なにごと》か|記《しる》しあり。|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|恭《うやうや》しく|神殿《しんでん》に|進《すす》み、これを|手《て》に|戴《いただ》き|拝読《はいどく》したるに、|神《かみ》に|奏上《そうじやう》する|祝詞《のりと》と|思《おも》ひの|外《ほか》、|次《つぎ》の|様《やう》なことが|記《しる》されありける。
一、|私《わたくし》は|白日別《しらひわけ》と|申《まを》す、|筑紫《つくし》の|国《くに》の|大酋長《だいしうちやう》であります。|一昨夜《いつさくや》の|夢《ゆめ》に、|国治立《くにはるたち》の|命《みこと》の|珍《うづ》の|御子《みこ》と、|神伊邪那岐命《かむいざなぎのみこと》の|珍《うづ》の|御子《みこ》が、この|筑紫《つくし》の|島《しま》にお|降《くだ》りになるから、|汝《なんぢ》ら|一族《いちぞく》は、この|国《くに》と|館《やかた》を|明《あ》け|渡《わた》し、|一時《いちじ》も|早《はや》く|高砂《たかさご》の|島《しま》に|立《た》ち|去《さ》りて、その|島《しま》の|守護職《しゆごしよく》となれ。|跡《あと》は|高照彦神《たかてるひこのかみ》|鎮《しづ》まり|給《たま》へば、|筑紫《つくし》の|国《くに》も、|葦原《あしはら》の|瑞穂《みづほ》の|国《くに》も|穏《おだや》かに|治《をさ》まるべしとの、|夢《ゆめ》の|御告《おつ》げでありましたから、|私《わたくし》は|夜《よ》の|間《うち》に|一族《いちぞく》を|引連《ひきつ》れてこの|島《しま》を|立退《たちの》きました。|跡《あと》は|宜《よろ》しくお|願《ねが》ひ|致《いた》します。
|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》
|高照彦《たかてるひこ》|様《さま》
|外《ほか》|御一同様《ごいちどうさま》
と|記《しる》しありぬ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》はこの|遺書《ゐしよ》に|依《よ》り、|高照彦《たかてるひこ》を|筑紫《つくし》の|国《くに》の|守護職《しゆごしよく》となし、|名《な》も|白日別《しらひわけ》と|改《あらた》めしめ、|天運《てんうん》の|到《いた》るを|待《ま》つ|事《こと》としたまひぬ。
|此《これ》より|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|常世《とこよ》の|国《くに》へ、|面那芸司《つらなぎのかみ》は|天教山《てんけうざん》へ、|祝姫《はふりひめ》は|黄金山《わうごんざん》に|向《むか》つて|進《すす》む|事《こと》となり、|三柱《みはしら》は|此処《ここ》に|惜《を》しき|袂《たもと》を|別《わか》ちたりける。
(大正一一・二・二 旧一・六 高木鉄男録)
第四七章 |鯉《こひ》の|一跳《ひとはね》〔三四七〕
|金山彦《かなやまひこ》の|生《あ》れまして、この|世《よ》も|曇《くも》る|瀬戸《せと》の|海《うみ》、|地中海《ちちうかい》の|波《なみ》を|蹴立《けた》てて|東南《とうなん》|指《さ》して|波上《はじやう》を|滑《すべ》る|帆前船《ほまへせん》あり。|頃《ころ》しも|夏《なつ》の|真最中《まつさいちう》、|三伏《さんぷく》の|暑熱《しよねつ》に|船《ふね》の|諸人《もろびと》は|汗《あせ》を|流《なが》し|息《いき》も|苦《くる》しげに|波《なみ》に|揺《ゆ》られて、|彼方《あちら》の|隅《すみ》にも、こちらの|隅《すみ》にも|苦《くる》しみ|乍《なが》ら、ゲエゲエゲエと|八百屋店《やほやみせ》を|出《だ》すもの|多《おほ》く、|無心《むしん》の|船《ふね》は|波《なみ》を|蹴立《けた》てて|真帆《まほ》に|順風《じゆんぷう》を|孕《はら》ませながら|走《はし》りゐる。|日《ひ》は|漸《やうや》く|西《にし》の|山《やま》の|端《は》に|没《ぼつ》し、|中天《ちうてん》の|月《つき》は|洗《あら》ひ|出《だ》した|様《やう》な、|清涼《せいりやう》の|光《ひかり》を|海面《かいめん》に|投《な》げゐたり。
|風《かぜ》は|漸《やうや》く|凪《な》いで、|波《なみ》は|青畳《あをだたみ》を|敷《し》きたる|如《ごと》く|穏《おだや》かになり|来《きた》り。|従《したが》つて|船《ふね》の|動揺《どうえう》も|静《しづ》まり、|船客《せんきやく》は|追々《おひおひ》と|元気《げんき》を|回復《くわいふく》し、|彼方《あちら》にも|此方《こちら》にも|雑話《ざつわ》がはじまりぬ。|船《ふね》の|一隅《いちぐう》よりスラリと|立《た》ち|上《あが》り|歌《うた》ひ|出《だ》したるものあり。
『|烏羽玉《うばたま》の|暗《くら》きこの|世《よ》はよき|事《こと》に  |枉事《まがごと》いつき|枉事《まがこと》に
よき|事《こと》いつく|世《よ》の|習《なら》ひ  |科戸《しなど》の|風《かぜ》の|凪《な》ぎ|渡《わた》る
この|海原《うなばら》に|照《て》る|月《つき》は  |仰《あふ》げば|高《たか》し|蒼空《あをぞら》の
|限《かぎ》り|知《し》られぬうまし|世《よ》の  ミロクの|御代《みよ》の|恵《めぐ》みかな
あゝさりながらさりながら  この|船《ふね》|一《ひと》つ|砕《くだ》けなば
|何《いづ》れの|人《ひと》もおしなべて  |海《うみ》の|藻屑《もくづ》となりぬべし
あゝこの|船《ふね》よこの|船《ふね》よ  |暗夜《やみよ》を|渡《わた》す|神《かみ》の|船《ふね》
|天津御空《あまつみそら》の|月《つき》よりも  |高《たか》く|尊《たふと》き|神《かみ》の|恩《おん》
|千尋《ちひろ》の|海《うみ》の|底《そこ》よりも  |深《ふか》き|恵《めぐ》みの|神《かみ》の|徳《とく》
|天《あめ》と|地《つち》との|中空《なかぞら》を  やすやす|渡《わた》るこの|御船《みふね》』
と|歌《うた》ふ。|諸人《もろびと》はこの|歌《うた》に|耳《みみ》を|傾《かたむ》け、|一言《ひとこと》も|漏《も》らさじと|聞《き》き|入《い》りぬ。|船《ふね》の|一方《いつぱう》よりは|女《をんな》の|声《こゑ》として、またもや|歌《うた》が|始《はじ》まりける。
『|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|抱《いだ》かれて  この|海原《うなばら》を|渡《わた》り|行《ゆ》く
|教《のり》の|友船《ともぶね》|嬉《うれ》しくも  |真澄《ますみ》の|空《そら》のその|如《ごと》く
|澄《す》み|渡《わた》りたる|宣伝歌《せんでんか》  |高天《たかま》の|原《はら》も|海原《うなばら》も
|実《げ》に|明《あき》らけく|住《すみ》の|江《え》の  |御前《みまへ》の|神《かみ》の|御守《みまも》りに
|筑紫《つくし》の|嶋《しま》を|後《あと》にして  よしとあしとの|瀬戸《せと》の|海《うみ》
|今《いま》わたらしし|皇神《すめかみ》の  |国治立《くにはるたち》の|始《はじ》めてし
その|言霊《ことたま》の|祝姫《はふりひめ》  |四方《よも》の|村雲《むらくも》|吹《ふ》きはふり
はふり|清《きよ》めて|今《いま》|此処《ここ》に  |帰《かへ》り|来《きた》るも|神《かみ》の|恩《おん》
|深《ふか》き|縁《ゆかり》の|神《かみ》の|声《こゑ》  |耳《みみ》に|聞《きこ》ゆる|三五《あななひ》の
|道《みち》の|教《をしへ》の|宣伝歌《せんでんか》  |汝《なれ》は|何《いづ》れの|神《かみ》なるぞ
|君《きみ》は|何《いづ》れの|神《かみ》なるぞ  |名告《なの》らせ|給《たま》へすくすくに
|大峡小峡《おほがひをがひ》に|伸《の》び|立《た》てる  |檜《ひのき》|杉木《すぎき》の|芽《め》の|如《ごと》く
|宣《の》らせ|給《たま》へよ|宣伝使《せんでんし》  |妾《わらは》は|神《かみ》の|命《みこと》もて
|珍《うづ》の|都《みやこ》のヱルサレム  |黄金山《わうごんざん》のそのもとに
|現《あら》はれませる|埴安彦《はにやすひこ》の  |救《すく》ひの|神《かみ》の|御《み》もとべに
|侍《さむら》ふ|者《もの》ぞいざさらば  |名告《なの》らせ|給《たま》へ|宣伝使《せんでんし》』
と|声《こゑ》も|涼《すず》しく|女宣伝使《をんなせんでんし》は|問《と》ひかけたり。|月《つき》の|光《ひかり》に|照《て》らされて、|頭《あたま》の|馬鹿《ばか》に|光《ひか》つた|男《をとこ》、|船《ふね》の|中程《なかほど》より|立《た》ち|上《あが》り、
『あゝよい|月《つき》よ よい|月《つき》よ  いつも|月夜《つきよ》に|米《こめ》の|飯《めし》
|米《こめ》|食《く》ふ|虫《むし》を|乗《の》せて|行《ゆ》く  この|友船《ともぶね》は|何処《どこ》へ|行《ゆ》く
|常世《とこよ》の|国《くに》か|唐国《からくに》か  |行衛《ゆくゑ》も|知《し》らぬ|恋《こひ》の|暗《やみ》
|俺《おい》らの|恋《こひ》は|命《いのち》がけ  |命《いのち》を|的《まと》に|跟《つ》いて|来《き》た
|祝《はふり》の|姫《ひめ》の|宣伝使《せんでんし》  |千々《ちぢ》に|心《こころ》を|筑紫《つくし》がた
|言葉《ことば》つくして|口説《くど》けども  |蜂《はち》を|払《はら》ふ|様《やう》な|無情《つれな》さに
|諦《あきら》めようとは|思《おも》へども  |諦《あきら》められぬ|吾《わ》が|恋路《こひぢ》
|恋《こひ》し|恋《こひ》しの|一筋《ひとすぢ》に  |祝《はふり》の|姫《ひめ》の|後《あと》|追《お》うて
|此処《ここ》まで|来《き》たのが|蚊取別《かとりわけ》  |堅《かた》き|心《こころ》は|何処《どこ》までも
|唐国山《もろこしやま》の|奥《おく》までも  |千尋《ちひろ》の|海《うみ》の|底《そこ》までも
|祝《はふり》の|姫《ひめ》の|後《あと》|追《お》うて  |何処々々《どこどこ》までも|附狙《つけねら》ふ
|祝《はふり》の|姫《ひめ》よ|頑固《かたくな》な  |心《こころ》なほして|恋《こひ》ひ|慕《した》ふ
|男心《をとこごころ》を|酌《く》みとれよ  |男《をとこ》の|身《み》もて|手弱女《たをやめ》の
|後《あと》|尋《たづ》ね|行《ゆ》く|恋《こひ》の|暗《やみ》  |一度《いちど》は|晴《は》らしてくれの|空《そら》
|空《そら》|行《ゆ》く|鳥《とり》も|今頃《いまごろ》は  |夫婦《めをと》|仲善《なかよ》く|暮《くら》すのに
|一《ひと》つの|船《ふね》に|乗《の》りながら  |名告《なの》りをせぬとは|胴慾《どうよく》な
|好《す》きな|酒《さけ》まで|止《や》めにして  お|前《まへ》の|後《あと》に|附纏《つきまと》ふ
|俺《おれ》の|心《こころ》も|酌《く》み|取《と》れよ  |跳《は》ねるばかりが|芸《げい》でない
|男冥加《をとこみやうが》に|尽《つき》るぞよ  |蚊取《かとり》の|別《わけ》のこの|面《つら》は
|女《をんな》の|好《す》かぬ|顔《かほ》なれど  |世《よ》の|諺《ことわざ》にいふ|通《とほ》り
|馬《うま》にや|乗《の》つて|見《み》よ|男《をとこ》には  |会《あ》つて|見《み》ようと|云《い》ふぢやないか
|素知《そし》らぬ|顔《かほ》して|白波《しらなみ》の  |上《うへ》|漕《こ》ぎわたる|船《ふね》の|中《なか》
|俺《おれ》も|一度《いちど》は|漕《こ》いで|見《み》たい  |船《ふね》の|梶取《かぢと》り|船人《ふなびと》の
|蚊取《かとり》は|別《わけ》て|上手《じやうず》もの  |蚊《か》ぢ|取《とり》は|別《わけ》てうまいぞや』
と、|嗄《しはが》れ|声《ごゑ》を|振《ふ》り|絞《しぼ》つて|恋路《こひぢ》に|迷《まよ》ふ、|耻《はぢ》も|情《なさけ》もかまはばこそ、|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|海面《かいめん》|吹《ふ》き|渡《わた》る|風《かぜ》に|向《むか》つて|歌《うた》ふ。|祝姫《はふりひめ》は|蚊取別《かとりわけ》のこの|歌《うた》を|聞《き》きてもどかしがり、|穴《あな》でもあらば|潜《もぐ》り|込《こ》みたい|心持《こころもち》になつて|息《いき》を|凝《こ》らして|船底《ふなぞこ》に|噛《かぢり》つきゐたりける。
(大正一一・二・二 旧一・六 吉原亨録)
第九篇 |小波丸《さざなみまる》
第四八章 |悲喜《ひき》|交々《こもごも》〔三四八〕
|月《つき》|照《て》り|渡《わた》る|浪《なみ》の|上《うへ》を|客人《きやくじん》を|満載《まんさい》したる|小波丸《さざなみまる》は、このローマンスを|乗《の》せて|波《なみ》に|鼓《つづみ》を|打《う》たせつつ、|東南《とうなん》に|向《むか》つて|進《すす》み|行《ゆ》く。|祝姫《はふりひめ》の|歌《うた》に|答《こた》ふべく|以前《いぜん》の|宣伝使《せんでんし》は、|亦《また》もや|立《た》つて|声《こゑ》も|涼《すず》しく|歌《うた》ひ|始《はじ》めたり。
『|常世《とこよ》の|波《なみ》の|重浪《しきなみ》を  |渡《わた》りて|漸《やうや》く|筑紫嶋《つくしじま》
|虎《とら》|狼《おほかみ》や|獅子《しし》|熊《くま》の  |猛《たけ》り|狂《くる》へる|熊襲国《くまそくに》
|肥《ひ》の|国《くに》|豊《とよ》の|国《くに》|越《こ》えて  |漸《やうや》うここに|北光《きたてる》の
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |目一箇神《まひとつがみ》と|謳《うた》はれて
|錦《にしき》の|機《はた》を|織《お》りながら  |千尋《ちひろ》の|海《うみ》を|打渡《うちわた》り
|黄金《こがね》の|山《やま》に|進《すす》み|行《ゆ》く  |思《おも》へば|同《おな》じ|教《のり》の|船《ふね》
|同《おな》じ|教《をしへ》を|宣《の》べ|伝《つた》ふ  この|世《よ》の|曲《まが》を|祝姫《はふりひめ》
|蚊取《かとり》の|別《わけ》に|狙《ねら》はれて  |苦《くるし》き|思《おも》ひの|汝《な》が|心《こころ》
|幾重《いくへ》にも|量《はか》り|参《まゐ》らせる  さはさり|乍《なが》ら|世《よ》の|中《なか》は
|恋《こ》はれ|恋《こ》ふるも|前《まへ》の|世《よ》の  |尽《つき》せぬ|縁《えにし》と|聞《き》くからは
|仇《あだ》に|捨《す》てなよ|祝姫《はふりひめ》  |蚊取《かとり》の|別《わけ》の|顔《かんばせ》は
しこの|醜女《しこめ》に|似《に》たれども  |汝《な》が|身《み》を|思《おも》ふ|真心《まごころ》は
|生命《いのち》かけての|恋《こひ》の|闇《やみ》  |闇《やみ》を|晴《は》らして|助《たす》くるは
|世人《よびと》を|救《すく》ふ|大神《おほかみ》の  |心《こころ》を|現《あら》はす|宣伝使《せんでんし》
|幸《さいは》ひ|汝《なれ》は|独身者《ひとりもの》  |何《いづ》れ|一度《いちど》は|夫《つま》を|持《も》つ
|汝《なれ》の|身《み》の|上《うへ》|表面《うはつら》の  |花《はな》に|迷《まよ》ふな|実《み》を|求《もと》め
|如何《どう》なり|行《ゆ》くも|人《ひと》の|身《み》は  この|世《よ》を|造《つく》りし|大神《おほかみ》の
|心《こころ》の|儘《まま》よ|祝姫《はふりひめ》  |蚊取《かとり》の|別《わけ》の|妻女《さいぢよ》なる
|蚊取《かとり》の|姫《ひめ》のその|面《おもて》  |花《はな》にも|紛《まが》ふ|優姿《やさすがた》
されど|心《こころ》は|腐《くさ》り|切《き》り  |夫《つま》ある|身《み》をも|打忘《うちわす》れ
|花光彦《はなてるひこ》と|手《て》を|取《と》りて  |今《いま》は|常世《とこよ》の|佗住居《わびずまゐ》
|頼《たよ》る|術《すべ》なき|独身《ひとりみ》の  |男心《をとこごころ》の|哀《あは》れさを
|汲《く》みて|助《たす》けよ|祝姫《はふりひめ》』
と|歌《うた》ひければ、|祝姫《はふりひめ》は|蛇《へび》よりも【げぢげぢ】よりも、|何《なに》よりも|嫌《いや》なる|蚊取別《かとりわけ》に|恋慕《れんぼ》され、|力《ちから》|限《かぎ》りに|遁《に》げ|隠《かく》れつつありし|矢先《やさき》、|執念深《しふねんぶか》くも|何処《いづこ》よりともなく|蚊取別《かとりわけ》がこの|船《ふね》に|乗《の》りゐて、いやな|歌《うた》を|歌《うた》ひしに|縮《ちぢ》み|上《あが》り、|胸苦《むなぐる》しく|嘔吐《おうど》を|催《もよほ》す|様《やう》な|思《おも》ひに|悩《なや》みゐたりしが、|力《ちから》と|思《おも》ふ|宣伝使《せんでんし》の|北光神《きたてるのかみ》は、
『|蚊取別《かとりわけ》の|燃《も》え|立《た》つ|思《おも》ひを|叶《かな》へてやれ、それが|宣伝使《せんでんし》の|世《よ》を|救《すく》ふ|役《やく》だ。|幸《さいは》ひ|独身《ひとりみ》だから』
と|勧《すす》められたのには|倒《たふ》れぬ|許《ばか》りに|驚《おどろ》きける。
|祝姫《はふりひめ》は|心《こころ》の|中《うち》に|思《おも》ふ|様《やう》、あゝこンな|事《こと》なら|何故《なぜ》もちと|早《はや》く|夫《をつと》を|持《も》つて|置《おか》なかつた。|彼方《あちら》からも|此方《こちら》からも|夫《をつと》にならう、|女房《にようばう》に|呉《く》れいと、|沢山《たくさん》の|矢入《やい》れがあつた。その|中《なか》には|立派《りつぱ》な|男《をとこ》も|沢山《たくさん》あつたのに、まあ|世界《せかい》は|広《ひろ》い|周章《あわ》てるには|及《およ》ばぬ、|大神様《おほかみさま》のため|世界《せかい》のために|宣伝使《せんでんし》となり、|一《ひと》つの|功名《こうみやう》を|立《た》てて|立派《りつぱ》な|神司《かみ》となつたその|上《うへ》では、どんな|好《よ》い|夫《をつと》でも|立派《りつぱ》な|男《をとこ》でも|持《も》てると|思《おも》つたのは|誤《あやま》り、あまり|玉撰《たまえら》びをして|男《をとこ》の|切《せつ》ない|思《おも》ひを|無下《むげ》に|辞《ことは》つた。その|天罰《てんばつ》が|報《むく》うて|来《き》て、|世界《せかい》に|二人《ふたり》と|無《な》いやうな|醜《みにく》い|男《をとこ》を|夫《をつと》に|持《も》たねばならぬか、それとも、せめて|智慧《ちゑ》なりと|人《ひと》に|優《すぐ》れ、|心《こころ》の|高尚《かうしやう》な|男《をとこ》ならたとへ|色《いろ》が|黒《くろ》うても、【ひよつとこ】でも|構《かま》ひはせぬが、|選《よ》りに|選《よ》つて|世界《せかい》の|醜男《ぶをとこ》に|添《そ》はねばならぬか。あゝ|情《なさけ》ない。|如何《どう》しようぞや。とばかりに|船底《ふなぞこ》にしがみついて|泣《な》き|伏《ふ》しける。|祝姫《はふりひめ》は|決心《けつしん》の|臍《ほぞ》を|固《かた》め、またもや|立《た》つて|歌《うた》もて|北光神《きたてるのかみ》に|答《こた》へたり。
『|昨日《きのふ》に|変《かは》る|今日《けふ》の|空《そら》  |定《さだ》め|無《な》き|世《よ》と|云《い》ひ|乍《なが》ら
|浮世《うきよ》の|義理《ぎり》に|絡《から》まれて  |嬉《うれ》しい|悲《かな》しい|船《ふね》の|上《うへ》
|嬉《うれ》しい|悔《くや》しい|波《なみ》の|上《うへ》  |心《こころ》の|浪《なみ》は|騒《さわ》げども
【なみなみ】ならぬ|北光《きたてる》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|御教《みをしへ》は
|我身《わがみ》の|胸《むね》にひしひしと  |釘《くぎ》を|打《う》たるる|如《ごと》くなり
あゝ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |吾身《わがみ》の|儘《まま》にならぬもの
|切《せつ》ない|思《おも》ひの|恋男《こひをとこ》  |切《せつ》ない|思《おも》ひの|我《わが》|心《こころ》
|雪《ゆき》と|炭《すみ》ほど|変《かは》れども  |切《せつ》ない|思《おも》ひは|同《おな》じ|事《こと》
|身《み》の|行《ゆ》く|末《すゑ》も|恐《おそ》ろしや  |頑固《かたくな》|心《こころ》|振《ふ》り|捨《す》てて
|汝《なれ》が|命《みこと》の|愛《いつくし》み  |酬《むく》い|奉《まつ》らむ|祝姫《はふりひめ》
|蚊取《かとり》の|別《わけ》の|宣伝使《かみさま》よ  |必《かなら》ず|無情《つれな》き|女《をんな》ぞと
|憎《にく》み|玉《たま》はず|末長《すゑなが》く  |千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|愚《おろか》なる
|妾《わらは》を|妻《つま》と|愛《いつくし》み  |虎《とら》|伏《ふ》す|野辺《のべ》も|山奥《やまおく》も
|互《たがひ》に|手《て》に|手《て》を|携《たづさ》へて  |睦《むつ》びに|睦《むつ》ぶ|玉椿《たまつばき》
|鴛鴦《おし》の|契《ちぎり》を|何時迄《いつまで》も  |続《つづ》かせ|給《たま》へよ|蚊取別《かとりわけ》』
と|歌《うた》をもつて|北光神《きたてるのかみ》|並《ならび》に|蚊取別《かとりわけ》に|承諾《しようだく》の|旨《むね》を|答《こた》へたりける。
|茲《ここ》に|祝姫《はふりひめ》は|蚊取別《かとりわけ》によく|仕《つか》へ|貞節《ていせつ》|並《なら》びなく、|婦人《ふじん》の|亀鑑《きかん》と|謳《うた》はれて|夫婦《ふうふ》は|共《とも》に|東西《とうざい》に|別《わか》れて|神《かみ》の|教《をしへ》を|宣伝《せんでん》し、|天《あま》の|岩戸《いはと》の|変《へん》に|於《おい》て|偉勲《ゐくん》を|立《た》てた|雲依彦《くもよりひこ》は|蚊取別《かとりわけ》の|後身《こうしん》にして、|太玉姫《ふとたまひめ》は|祝姫《はふりひめ》の|後身《こうしん》なりける。
(大正一一・二・二 旧一・六 湯浅仁斎録)
第四九章 |乗《の》り|直《なほ》せ〔三四九〕
|折《をり》から|吹《ふ》き|来《く》る|真夏《まなつ》の|夜風《よかぜ》に|面《おもて》を|吹《ふ》かせながら、|船頭《せんどう》は|舳《へさき》に|立《た》つて、
|竜宮《りうぐう》|見《み》たさに|瀬戸海《せとうみ》|越《こ》せば  |向《むか》ふに|見《み》えるは|一《ひと》つ|島《じま》
と|歌《うた》ひ|出《だ》したり。
|船《ふね》は|小波《さざなみ》の|上《うへ》を|静《しづ》かに|辷《すべ》り|行《ゆ》く。|空《そら》|一面《いちめん》に|疎《まばら》の|星《ほし》が|輝《かがや》き、|月《つき》は|中空《ちうくう》に|水《みづ》の|滴《したた》るやうな|顔《かほ》をして|海面《かいめん》を|覗《のぞ》いてゐる。|海《うみ》の|底《そこ》には|竜《りう》の|盤紆《うね》るやうな|月影《つきかげ》|沈《しづ》ンでゐる。この|時《とき》|前方《ぜんぱう》より|艪《ろ》を|漕《こ》ぎ|舵《かぢ》を|操《あやつ》りながら、グーイグーイ、ギークギークと|音《おと》をさせて、|此方《こなた》に|向《むか》つて|進《すす》み|来《く》る|一艘《いつそう》の|船《ふね》があつた。その|船《ふね》の|舳《へさき》に|蓑笠《みのかさ》を|着《ちやく》し、|被面布《ひめんぷ》をつけた|男《をとこ》が|立《た》つてゐる。|北光神《きたてるのかみ》は、その|船《ふね》に|向《むか》つて|声《こゑ》を|張上《はりあ》げ、
『|心《こころ》を|尽《つく》し|身《み》を|尽《つく》し  |天地《てんち》の|神《かみ》に|麻柱《あななひ》の
|道《みち》を|立《た》て|抜《ぬ》く|宣伝使《せんでんし》  |四方《よも》の|国々《くにぐに》|巡《めぐ》り|来《き》て
やうやう|此処《ここ》に|北光《きたてる》の  |我《われ》は|目一箇神《まひとつのかみ》なるぞ
|名告《なの》らせ|給《たま》へその|船《ふね》の  |舳《へさき》に|立《た》てる|宣伝使《せんでんし》
|舳《へさき》に|立《た》てる|神人《かみびと》よ』
と|歌《うた》へば、その|声《こゑ》に|応《おう》じて|向《むか》ふの|船《ふね》より、
『|天津御神《あまつみかみ》や|国津神《くにつかみ》  |木《こ》の|花姫《はなひめ》の|御教《みをしへ》を
|四方《よも》の|国々《くにぐに》|島々《しまじま》に  |広道別《ひろみちわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|汝《なれ》は|何《いづ》れに|坐《ま》しますか  |我《われ》はこれより|亜弗利加《アフリカ》の
|熊襲《くまそ》の|国《くに》に|渡《わた》るなり  |熊襲《くまそ》の|国《くに》は|猛《たけ》くとも
|神《かみ》の|依《よ》さしの|言霊《ことたま》に  |四方《よも》の|曲霊《まがひ》を|悉《ことごと》く
|言向和《ことむけや》はせ|天教《てんけう》の  |山《やま》に|坐《ま》します|木《こ》の|花姫《はなひめ》の
|神《かみ》の|命《みこと》や|黄金《わうごん》の  |山《やま》の|麓《ふもと》に|現《あ》れませる
|埴安神《はにやすかみ》の|御前《おんまへ》に  |奇《く》しき|功《いさを》を|立《た》つるまで
|浪路《なみぢ》を|渡《わた》る|宣伝使《せんでんし》  |稜威《みいづ》も|広《ひろ》き|広道別《ひろみちわけ》の
|神《かみ》の|使《つかひ》は|我《われ》なるぞ  |神《かみ》の|使《つかひ》は|我《われ》なるぞ』
と|歌《うた》ふ|声《こゑ》も|幽《かす》かになり|行《ゆ》く。|二人《ふたり》は|互《たが》ひに|立《た》ち|上《あ》がり、|被面布《ひめんぷ》を|振《ふ》つてその|安全《あんぜん》を|祝《しゆく》し|合《あ》ひける。|船中《せんちう》の|人々《ひとびと》は|亦《また》もや|雑談《ざつだん》を|始《はじ》め|出《だ》したり。
|甲《かふ》『もう、つい|竜宮城《りうぐうじやう》が|見《み》えるぜ。おとなしくせぬと、|竜宮《りうぐう》さまが|怒《おこ》つて|荒浪《あらなみ》を|立《た》てられたらまた|昨日《きのふ》のやうに|八百屋店《やほやみせ》を|出《だ》して|苦《くる》しまねばならぬから、|小《ちひ》さい|声《こゑ》で|話《はな》しをしようかい』
|乙《おつ》『お|前《まへ》らこの|竜宮《りうぐう》の|訳《わけ》を|知《し》つてるか、|今《いま》こそかうして|船《ふね》に|乗《の》つて|瀬戸《せと》の|海《うみ》から|竜宮城《りうぐうじやう》まで|楽《らく》に|行《ゆ》けるが、|昔《むかし》は|竜宮《りうぐう》と|瀬戸《せと》の|海《うみ》との|真中《まんなか》に、それはそれは|高《たか》い|山《やま》があつて、その|山《やま》はシオン|山《ざん》というてな、|何《なん》でもえらい|玉《たま》が|出《で》たといふことだ。それが|大洪水《だいこうずゐ》のあつた|時《とき》に、|地震《ぢしん》が|揺《ゆ》つてその|山《やま》が|地《ち》の|底《そこ》に|沈《しづ》ンで|了《しま》ひ、|竜宮《りうぐう》と|瀬戸《せと》の|海《うみ》とが|一《ひと》つになつて|了《しま》うたといふことだよ』
|丙《へい》『そんな|事《こと》かい、そんな|事《こと》は|祖父《ぢい》の|代《だい》から|誰《たれ》でも|聞《き》いてゐる|事《こと》だよ。もつと|珍《めづら》しい|話《はなし》はないのかい』
|乙《おつ》『|竜宮城《りうぐうじやう》には|稚桜姫《わかざくらひめ》といふ、それはそれは|美《うつく》しい|神様《かみさま》があつて、そこに|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》とか、|大足彦《おほだるひこ》とかいふ|立派《りつぱ》な|神様《かみさま》が|竜宮城《りうぐうじやう》とヱルサレムの|宮《みや》を|守《まも》つて|御座《ござ》つた。さうすると|常世《とこよ》の|国《くに》の|常世姫《とこよひめ》といふ|偉《えら》い|女性《ぢよせい》が|竜宮《りうぐう》を|占領《せんりやう》しようと|思《おも》うて、|何遍《なんべん》も|何遍《なんべん》も|偉《えら》い|神様《かみさま》の|戦《たたか》ひが|始《はじ》まつたということだのう。|今《いま》の|竜宮《りうぐう》もヱルサレムの|宮《みや》も|昔《むかし》の|話《はなし》と|比《くら》べて|見《み》ると、|本当《ほんたう》に【みじめ】なものだ。ヨルダン|河《がは》というて|大《おほ》きな|河《かは》があつたのが、その|河《かは》も|洪水《こうずゐ》の|時《とき》に|埋《うま》つて|了《しま》ひ、|今《いま》では|小《ちい》さい|細《ほそ》い|川《かは》となつて、|汚《きたな》い|水《みづ》が|流《なが》れて|居《を》る。|変《かは》れば|変《かは》る|世《よ》の|中《なか》だ。これを|思《おも》へば|何《ど》ンな|偉《えら》い|神様《かみさま》でも【あかぬ】ものだな。|翔《た》つ|鳥《とり》も|落《お》ちる|勢《いきほひ》の|稚桜姫《わかざくらひめ》といふ|神様《かみさま》も、|大八洲彦《おほやしまひこ》といふ|神様《かみさま》もさつぱり|常世姫《とこよひめ》とかに【わや】にされて、|今《いま》は|吾々《われわれ》の|行《ゆ》く|事《こと》のできぬ|富士《ふじ》とやらへ|逃《に》げて|行《ゆ》かれたといふ|事《こと》だよ』
|丙《へい》『フーン、さうかい。さうすると|我々《われわれ》も|今《いま》|豪《えら》さうに|言《い》つて|居《を》つてもどう|変《かは》るやら|分《わか》らぬな』
|乙《おつ》『|知《し》れた|事《こと》よ、|神様《かみさま》でも|時世時節《ときよじせつ》には|敵《かな》はぬのだもの、|我々《われわれ》はなほ|更《さら》の|事《こと》だ。|併《しか》しこの|船《ふね》には|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》が|乗《の》つて|居《ゐ》られるといふ|事《こと》だが、|一遍《いつぺん》|話《はなし》を|聞《き》かして|貰《もら》つたら|如何《どう》だらう』
|甲《かふ》『イヤ|最《も》う|宣伝使《せんでんし》の|歌《うた》も|好《よ》い|加減《かげん》なものだよ。|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》けるなンて、|冷飯《ひやめし》に|湯気《ゆげ》が|立《た》つたやうな|事《こと》を|吐《ぬ》かすのだもの、|阿呆《あはう》らしくて|聞《き》かれたものぢやない。そンな|歌《うた》は|大洪水《だいこうずゐ》|前《ぜん》の|事《こと》だ。|大洪水《だいこうずゐ》のときは|善《ぜん》の|神様《かみさま》は|天教山《てんけうざん》とか|天橋《てんけう》とかに|助《たす》けられ、|悪《わる》い|者《もの》は|洪水《こうずゐ》に|漂《ただよ》うたり、|百足虫《むかで》の|山《やま》や|蟻《あり》の|山《やま》に|揚《あ》げられて、|善悪《ぜんあく》の|立別《たてわけ》がハツキリあつたさうだ。|俺等《おれら》の|祖父《ぢい》の|代《だい》の|話《はなし》だから|詳《くは》しい|事《こと》は|知《し》らぬが、|今《いま》ごろにそんな|事《こと》を|歌《うた》ふ|奴《やつ》は、|死《し》ンだ|子《こ》の|年《とし》を|数《かぞ》へるやうなものだ。|阿呆《あほ》らしいぢやないか。これだけ|開《ひら》けた|世《よ》の|中《なか》が、さう|易々《やすやす》と|立替《たてか》はつて|堪《たま》るかい。|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》けるとか|変《かは》るとかいふが、|俺《おれ》の|処《とこ》の|村《むら》の|久公《きうこう》のやうな|悪人《あくにん》は|段々《だんだん》と|栄《さか》えて|来《く》るなり、|新公《しんこう》のやうな|善人《ぜんにん》は|益々《ますます》|貧乏《びんばふ》して、|終《しま》ひには|道具《だうぐ》を|売《う》つて|親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》が|生別《いきわか》れして|乞食《こじき》に|出《で》たぢやないか。|俺《おれ》はそれを|思《おも》うと|神様《かみさま》を|頼《たの》む|気《き》にならぬがなア。|宣伝使《せんでんし》の|歌《うた》なンて|古《ふる》めかしいわい、|六日《むゆか》の|菖蒲《あやめ》|十日《とをか》の|菊《きく》だ。|併《しか》しながら、|憂晴《うさばら》しに|聞《き》くのは|善《よ》いが、それを【ほンま】の|事《こと》だと|思《おも》つたら、|量見《りやうけん》が|違《ちが》ふぞ。|宣伝使《せんでんし》といふものは、|方便《はうべん》を|使《つか》つて|吾々《われわれ》に|悪《わる》い|事《こと》をせぬやうにするのだが、|今日《こんにち》のやうに|悪《あく》が|栄《さか》えて|善《ぜん》が|衰《おとろ》へるやうな|暗《くら》がりの|世《よ》の|中《なか》に、|何《なに》ほど|宣伝使《せんでんし》が|呶鳴《どな》つたところで、|屁《へ》の|突張《つつぱり》にもなつたものぢやないよ』
この|時《とき》、|船《ふね》の|一方《いつぱう》より、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る』
|甲《かふ》『それ|始《はじ》まつた、|頭《あたま》が|痛《いた》い。こいつは|耐《たま》らぬ。この|船《ふね》には|怪体《けたい》な|奴《やつ》が|乗《の》つて【けつ】かるものだ』
『この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
|身《み》の|過《あやまち》は|宣《の》り|直《なほ》せ』
|乙《おつ》『オイ|貴様《きさま》|心配《しんぱい》せいでもよいわ。|宣伝使《せんでんし》が|今《いま》【|乗《の》り】|直《なほ》すと|言《い》つてゐた。|今《いま》|其処《そこ》へ|来《く》る|船《ふね》に|乗《の》り|直《なほ》して|呉《く》れるわい。さうしたらいやな|歌《うた》は|聞《き》かいでもよいわ』
|甲《かふ》『|早《はや》く【|乗《の》り】|直《なほ》しやがらぬかいな』
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて……』
|甲《かふ》『ソレ|亦《また》|始《はじ》めよつた。アイタヽヽヽ』
『|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る……』
|甲《かふ》『あゝたゝ|怺《たま》らぬ|怺《たま》らぬ』
と|言《い》ひながら、|甲《かふ》は|立《た》つて、
『やいやいやい|宣伝使《せんでんし》  それ|来《く》るそれ|来《く》る|船《ふね》が|来《く》る
お|前《まへ》のやうな|痛《いた》い|事《こと》  |囀《さへづ》る|奴《やつ》はあの|船《ふね》に
|一時《いちじ》も|早《はや》く【|乗《の》り】|直《なほ》せ  |早《はや》う【|乗《の》れ】|乗《の》れ【|乗《の》り】|直《なほ》せ
そら|来《き》たそら|来《き》た|船《ふね》が|来《き》た  |乗《の》らぬか|乗《の》らぬか|宣伝使《せんでんし》
|貴様《きさま》のお|蔭《かげ》で|頭痛《づつう》がする』
と|呶鳴《どな》つてゐる。|後《うしろ》の|方《はう》より|亦《また》もや|乙《おつ》の|宣伝使《せんでんし》が|立《た》つて、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわけ》る』
|甲《かふ》『また|出《で》よつた。|一体《いつたい》この|船《ふね》は|何《なん》だい。もう|船《ふね》の|旅《たび》は|懲《こ》り|懲《ご》りだ』
|船頭《せんどう》『お|客《きやく》さま、|船《ふね》が|着《つ》いた。|早《はや》く|上《あが》らつしやれ』
と|叫《さけ》ぶ。|甲《かふ》は|頭《あたま》を|抱《かか》へて、いの|一番《いちばん》に|船《ふね》を|飛出《とびだ》し、どこともなく|姿《すがた》を|隠《かく》したり。この|男《をとこ》は|果《はた》して|何者《なにもの》ならむか。
(大正一一・二・二 旧一・六 桜井重雄録)
第五〇章 |三五○《さんごのつき》〔三五〇〕
|如何《どう》した|機《はづ》みか|竜宮城《りうぐうじやう》の|海面《かいめん》に|指《さ》しかかつた|船《ふね》は、ヱルサレムには|着《つ》かずして|方向《はうかう》|違《ちが》ひの|此方《こなた》の|岸《きし》に|着《つ》きゐたり。
|此処《ここ》は|不思議《ふしぎ》にも|月照彦神《つきてるひこのかみ》、|足真彦《だるまひこ》、|少名彦《すくなひこ》、|祝部《はふりべ》、|弘子彦《ひろやすひこ》の|五柱《いつはしら》が、ズラリと|立《た》ちゐたり。さうして|北光神《きたてるのかみ》、|祝姫《はふりひめ》、|蚊取別《かとりわけ》を|麾《さしまね》いた。|五柱《いつはしら》の|神司《かみ》はものをも|云《い》はず、ドンドンと|崎嶇《きく》たる|岩山《いはやま》を|目《め》がけて|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|三人《さんにん》は|何心《なにごころ》なく|汗《あせ》を|流《なが》してその|後《あと》に|跟《つ》いて|行《ゆ》く。|先《さき》に|立《た》つたる|五柱《いつはしら》は|恰《あたか》も|雲《くも》を|走《はし》るが|如《ごと》き|速力《そくりよく》で|岩山《いはやま》を|登《のぼ》つて|行《ゆ》く。さうして|五柱《いつはしら》は|時々《ときどき》|後《あと》を|振向《ふりむ》きて|三人《さんにん》を|手招《てまね》きする。|三人《さんにん》は|吾《われ》|劣《おと》らじと|汗塗《あせみどろ》になつて|岩山《いはやま》を|駆《か》け|登《のぼ》りける。
|登《のぼ》りて|見《み》れば|大小《だいせう》|四十八箇《しじふはちこ》の|宝座《ほうざ》が|設《まう》けられてあり。さうして|其処《そこ》には|種々《しゆじゆ》の|立派《りつぱ》な|男神《をがみ》、|女神《めがみ》が|鎮座《ちんざ》して、|苦《く》、|集《しふ》、|滅《めつ》、|道《だう》を|説《と》き、|道法《だうはふ》、|礼節《れいせつ》を|開示《かいじ》して|居《ゐ》る。|五柱《いつはしら》の|神司《かみ》は|三人《さんにん》に|向《むか》ひ、|一々《いちいち》その|宝座《ほうざ》に|案内《あんない》をなし、さうして|現《げん》、|神《しん》、|幽《いう》|三界《さんかい》の|実況《じつきやう》を|鏡《かがみ》のごとく|写《うつ》して|見《み》せたりける。|蚊取別《かとりわけ》は|余《あま》りの|嬉《うれ》しさに|額《ひたい》をやたらに|叩《たた》き、
『あゝ|今日《こんにち》は|何《なん》と|云《い》ふ|結構《けつこう》な|日柄《ひがら》であらう。|好《す》きな|好《す》きな|世界《せかい》で|一番《いちばん》|好《す》きな、|惚《ほ》れた|惚《ほ》れきつた、|可愛《かあい》い|可愛《かあい》い|一番《いちばん》|可愛《かあい》い、|美《うつく》しい|美《うつく》しい|世界《せかい》に|無《な》いやうな|美《うつく》しい|祝姫《はふりひめ》の|宣伝使《せんでんし》と|夫婦《ふうふ》の|約束《やくそく》を|結《むす》ンだ。あゝ|嬉《うれ》しい|嬉《うれ》しいほンとに|嬉《うれ》しい。これほど|嬉《うれ》しいその|上《うへ》に|結構《けつこう》な|結構《けつこう》な|五柱《いつはしら》、|立派《りつぱ》な|立派《りつぱ》なほンとに|立派《りつぱ》な、|結構《けつこう》な|神司《かみ》に|導《みちび》かれて、|高《たか》い|高《たか》い|天《てん》|程《ほど》|高《たか》いこの|山《やま》に|導《みちび》かれ、|広《ひろ》い|広《ひろ》い|限《かぎ》りも|無《な》いほど|広《ひろ》い、|三千世界《さんぜんせかい》の|有様《ありさま》を|綺麗《きれい》な|鏡《かがみ》に|写《うつ》して|見《み》せて|貰《もら》つて、|阿呆《あはう》な|私《わたし》も|賢《かしこ》うなつた。|真実《ほんとう》に|誠《まこと》に|賢《かしこ》うなつた。|女房《にようばう》|喜《よろこ》べ、おつとどつこい|祝姫《はふりひめ》よ。|私《わたし》はお|前《まへ》の|夫《をつと》ぢや|程《ほど》に、|堅《かた》い|堅《かた》いほンとに|堅《かた》い、この|岩《いは》の|上《うへ》で|堅《かた》い|堅《かた》いほンとに|堅《かた》い、|夫婦《ふうふ》の|約束《やくそく》|結《むす》ぼぢやないか、あゝ|嬉《うれ》しい|嬉《うれ》しい、どつこいしよどつこいしよ。たとへ|天地《てんち》が|動《うご》いても、|私《わたし》とお|前《まへ》は|先《さき》の|世《よ》かけて、ミロクの|世《よ》までも|変《かは》りはしよまい、|北光彦《きたてるひこ》の|宣伝使《せんでんし》、【がんち】イヤ|片目《かため》の|神《かみ》の|固《かた》めた|仲《なか》ぢや。|千代《ちよ》の|礎《いしずゑ》|万代《よろづよ》の|固《かた》め、|固《かた》い|約束《やくそく》、|金輪奈落《こんりんならく》、|心《こころ》の|底《そこ》まで|打《う》ち|解《と》けて、|天《てん》と|地《ち》とに|一人《ひとり》の|男《をとこ》、|天《てん》と|地《ち》とに|一人《ひとり》の|女《をんな》、こンな|目出度《めでたい》|夫婦《ふうふ》があろか、|俺《わし》の|頭《あたま》は|南瓜《かぼちや》であろが、|瓢箪面《へうたんづら》であらうとも、そンな|事《こと》には【かぼちや】|居《を》られない。|祝《いは》へよ|祝《いは》へ|岩《いは》の|上《うへ》、|祝《いは》へよ|祝《いは》へ|岩《いは》の|上《うへ》、|踊《をど》つた|踊《をど》つた|祝姫《はふりひめ》よ。どつこいしよう、どつこいしよ。|俺《おれ》が|踊《をど》るに|何故《なぜ》|踊《をど》らぬか、オツト|分《わか》つた|神様《かみさま》の|前《まへ》ぢや、|耻《はづ》かしがるのも|無理《むり》はない、|祝《いは》へよ|祝《いは》へよ|岩《いは》の|上《うへ》、どつこいしよ どつこいしよ』
と|踊《をど》り|狂《くる》うて、|千丈《せんぢやう》の|岩《いは》の|上《うへ》からグワラグワラと|岩《いは》と|一緒《いつしよ》に|谷底《たにぞこ》へ|引繰《ひつくり》|返《かへ》つた。その|物音《ものおと》に|驚《おどろ》いて|目《め》を|開《ひら》いて|見《み》れば|豈《あ》に|図《はか》らむや|十三夜《じふさんや》の|瑞月《ずゐげつ》は|天空《てんくう》に|輝《かがや》き、|口述《こうじゆつ》|著者《ちよしや》の|瑞月《ずゐげつ》の|身《み》は|高熊山《たかくまやま》の|蟇岩《がまいは》の|麓《ふもと》の|松《まつ》に|脊《せ》をあてて|坐《すわ》り|居《ゐ》たりける。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・二・二 旧一・六 加藤明子録)
(第三九章〜第五〇章 昭和一〇・二・二五 於天恩郷 王仁校正)
附録 第三回高熊山参拝紀行歌
王仁作
高熊山参拝者名簿(一)
(大正十一年四月十三日 旧三月十七日)
(一)
【出】の御魂の開け【口】  神の稜威も高熊の(出口王仁三郎)
清き霊地に詣でんと  大本信徒の一隊は
世継【王】山を後にして  【|仁愛《みろく》】の神の教のまに
【三】月弥生の十五日  円満清【郎】澄渡る
月【野】御影を頼りとし  【崎】を争ひ|【信】徒《まめひと》が(野崎信行)
進み【行】くこそ雄々しけれ  世に【勝】れたる大【本】の(勝本安太郎)
|教《のり》は浦【安】国の果  【太】平洋をのり越えて
光は日々に【増】り行く  山【川】野原谷の底(増川康)
【|康《しづか》】に栄ゆる神の道  誠の神の御心を(佐藤勝治)
【佐藤】る霊界物語  優【勝】劣敗今の世の
汚れを清め【治】め行く  皇大神は【|石《いそ》】の上(石川保次郎)
古き神世の昔より  禊身たまひし五十鈴【川】
国家【保】護の神徳は  他教にまさりていち【次郎】く
東の海や【西】の洋  塞がり渡る【村】雲を(西村寛之助)
【寛】仁無比の言霊【之】  【助】に開き【初】めつつ(初田彦九郎)
教へ導く猿【田彦】  【九郎】するがの富士の山
仰げば【高】き雲の【橋】  【喜美】の恵は常永に(高橋喜美)
かがやき渡る雲の上  下津【石】根や【川】の底(石川こずえ)
木々の【こずえ】に至るまで  輝やき和【田】る【中】津国(田中亀太郎)
【亀】の齢の充ち【太郎】  下津【岩】根の日の【本】は(岩本なみ)
【なみ】も静かに治まりて  【村】雲四方に晴れ渡る(村橋金一郎)
【橋】は黄【金】の【一】筋に  老若男女の【牧】ばしら(牧近一郎)
遠き【近】きの隔てなく  【一】心不乱にさざれ【石】(石川はつ)
清く流るる和知の【川】  水瀬【はつ】よく|稜威《いづ》【高】く(高野久)
御代【野】栄えは永【久】に  【岩城】の如く美治【よし】(岩城よし)
露【西田】たる青葉蔭  お【津留】雫も【三】な【上】と(西田津留)
なりて水かさ【まさ】り行く  瑞の御魂の海潮が(三上まさ)
雨ふる郷の亀【岡】や  瑞祥閣に立籠り(岡基道)
五六七の【基】の神の【道】  【田】加熊山の岩【中】に(田中嘉太郎)
修業なしたる物【嘉太】り  上田喜三【郎】が生家より
【東】にあたる川原【條】  【内外】の区別弁まへず(東條内外)
夢中遊行月の夜に  西【山口】に進【|三《み》】行く(山口三蔵)
【蔵】さは暗し松の【森】  御【国】の【幹】を【造】らんと(森国幹造)
議り玉ひし御神慮を  堅く真【森】て【種】々の(森種次)
苦労艱難なめ【次】ぎつ  上中下なる【三段】の(三段崎俊介)
御縁【崎】はふ神の業  鬼も大蛇も戌の【俊】
神の【介】けに【石田】ふや  天馳せつかい富士の山(石田要之介)
扇の【要之助】け以て  【西】の穴太の【村】外れ(西村ゆき)
【ゆき】未だ残る【奥】山の  草【村】わけて辿りつつ(奥村貞雄)
神の【貞】めの霊場に  尋ね行くこそ【雄】々しけれ
(二)
【田】舎の【村】に生れたる  神に仕ふる神【兵】が(田村兵次郎)
その霊術も著【次郎】く  屹立したる【岩城】に(岩城達禅)
漸く【達】し悠然と  座【禅】姿の帰神術
雲【井】の【上】を泣渡る  山郭公血を吐いて(井上武仁)
【武】男と【仁】義の大御代に  【太田】る民の【幸】も【吉】く(太田幸吉)
君の恵を仰ぎつつ  悪しき心を【桐山】に(桐山謙吉)
力をかくす【謙】譲の  徳の光りはさえも【吉】く 大和心の信徒が
【西尾】見当てに【金】峰山  手前の神山に【次】ぎて行く(西尾金次郎)
治まる御代に【大崎】の  外国人に【勝】れたる(大崎勝夫)
誠に強き大丈【夫】は  数回【有田】の【九皐】氏(有田九皐)
【瑞穂】栄ゆる玉の【井】の  村に生れし【上】田の子(同瑞穂)
世は吉【祥】と【治】まりて  国威も四方に輝きし(井上祥治)
明治は三十一の年  春の初めに【斎藤】の(斎藤弁治)
借家を夜半に立出でて  咫尺も【弁】ぜぬ暗の夜を
神の大道に【治】めんと  稜威も【高木】神の山(高木寿三郎)
|経綸《しぐみ》も長き三千【|寿《とせ》】の  【三】国一の不二の峰
【秀】妻の国も【平】けく  【遠】き神代の其ままに(秀平遠安喜)
波風【安】く治まりて  【喜】悦に充てる松【たけ】や(同たけ)
梅【野】花咲く門【口】を  【如月】九日子の刻に(野口如月)
小松【林】の御眷属  【やゑ】の村雲掻別けて(林やゑ)
天の羽【車】轟かし  【小】さな|宿【房】《やど》に降り来て(車小房)
顕幽二界の【溝】渠をば  上【下】の別なく取り放ち(溝下とみ)
厳【とみ】づとの神の|教《のり》  し【加藤】諭さん【吉】き【人】よ(加藤吉人)
吾に続けと松岡の  |貴《うづ》の道【柴田】どりつつ(柴田健次郎)
生れ付いたる【健】脚を  神使に【次】ぎて喜三【郎】(藤岡しか)
【藤】蔓からむ神の【岡】  【しか】と踏みしめ【漆原】(漆原一郎)
【一】心不乱に|小【竹】《ささ》の【中】  【かや】生ひしげる山路を(竹中かや)
神の御杖に【すが】りつつ  【梅】咲き匂ふ宮垣内(同すが・同梅)
あとに見捨てて登り行く  水音【高】く【沢】々と(高沢たか)
【たか】天原となり渡る  【川西】あれば【いさ】ましく(川西いさ)
栄え目出度き【松野】代の  声も【しづ】かに【杉原】や(松野しづ)
【喜】び【重】ねて大本の  誠一つの信徒が(杉原喜重)
道の泉の【水口】を  尋ねて進む【惣】部隊(水口惣夫)
老若男女【夫】婦連  【松野しげみ】の下蔭を(松野しげ)
心いそいそ【平】原の  【松】樹【丈】余に伸びも【吉】く(平松丈吉)
野【山崎】々た【つね】行く  今日【初】ての鹿【島】立(山崎つね)
二回目三回四回迄  登山を為せる人もあり(初島政)
一回毎に【政】り行く  歩みも【吉田】の【黄金】に(吉田黄金)
彩どる野辺を眺めつつ  小【石】の転ぶ【田】圃路(石田ちよ)
かたへの林にた【ちよ】りて  【原】をふくらす弁当の【祐】(原祐蔵)
胃【蔵】の虫を歓ばせ  小雨の空に一行を(西尾藤之助)
【西尾】目指して先【藤之】  横芝勇士に手を曳かれ(同与一郎)
なやむ足元【与一】々々と  【稲】む色なく【田】どり行く(稲田愛五郎)
万有一切【愛五郎】  谷と谷との【落合】の(落合平三郎)
少し【平】らな芝の上  【三】人五人と名【西尾】(西尾たね)
【た】か【ね】を【井】きせき【上】りつつ  【あや】に畏こき神の山(井上あや)
【牧】の柱のすぐすぐと  【慎】しみ敬ひ【平】坦な(牧慎平)
巌窟前の木下蔭  一同の胸も【秋月】の(秋月晴登)
【晴】れたる空を【登】る如  【杉山】越えて【勇】ぎ【吉】く(杉山勇吉)
【村】草分けて【上】方へ  【八重野】陣をばしき乍ら(村上八重野)
【小】笹ケ【原】を進み【きぬ】  一【同】息を【やす】めつつ(小原きぬ・同やす)
【青】年隊の行く後【江】  【寿】らすら【次】々かけ登る(青江寿次)
(以下第九巻)
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霊界物語 第七巻 霊主体従 午の巻
終り