霊界物語 第六巻 霊主体従 巳の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第六巻』愛善世界社
1993(平成05)年11月03日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2004年09月14日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序歌《じよか》
|松葉《まつば》の|塵《ちり》
|総説《そうせつ》
第一篇 |山陰《さんいん》の|雪《ゆき》
第一章 |宇宙《うちう》|太元《たいげん》〔二五一〕
第二章 |瀑布《ばくふ》の|涙《なみだ》〔二五二〕
第三章 |頓智奇珍《とんちきちん》〔二五三〕
第四章 |立春《りつしゆん》|到達《たうたつ》〔二五四〕
第五章 |抔盤《はいばん》|狼藉《らうぜき》〔二五五〕
第六章 |暗雲《あんうん》|消散《せうさん》〔二五六〕
第七章 |旭光《きよくくわう》|照波《せうは》〔二五七〕
第二篇 |常世《とこよ》の|波《なみ》
第八章 |春《はる》の|海面《かいめん》〔二五八〕
第九章 |埠頭《ふとう》の|名残《なごり》〔二五九〕
第一〇章 |四鳥《してう》の|別《わか》れ〔二六〇〕
第一一章 |山中《さんちう》の|邂逅《かいこう》〔二六一〕
第一二章 |起死回生《きしくわいせい》〔二六二〕
第一三章 |谷間《たにま》の|囁《ささやき》〔二六三〕
第一四章 |黒竜《こくりう》|赤竜《せきりう》〔二六四〕
第三篇 |大峠《おほたうげ》
第一五章 |大洪水《だいこうずゐ》(一)〔二六五〕
第一六章 |大洪水《だいこうずゐ》(二)〔二六六〕
第一七章 |極仁《きよくじん》|極徳《きよくとく》〔二六七〕
第一八章 |天《あま》の|瓊矛《ぬほこ》〔二六八〕
第四篇 |立花《たちはな》の|小戸《をど》
第一九章 |祓戸《はらひど》|四柱《よはしら》〔二六九〕
第二〇章 |善悪《ぜんあく》|不測《ふそく》〔二七〇〕
第二一章 |真木柱《まきばしら》〔二七一〕
第二二章 |神業《しんげふ》|無辺《むへん》〔二七二〕
第二三章 |諸教《しよけう》|同根《どうこん》〔二七三〕
第二四章 |富士《ふじ》|鳴戸《なると》〔二七四〕
第五篇 |一霊四魂《いちれいしこん》
第二五章 |金勝要大神《きんかつかねのおほかみ》〔二七五〕
第二六章 |体五霊五《たいごれいご》〔二七六〕
第二七章 |神生《かみう》み〔二七七〕
第二八章 |身変定《ミカエル》〔二七八〕
第二九章 |泣沢女《なきさはめ》〔二七九〕
第三〇章 |罔象神《みづはのかみ》〔二八〇〕
第六篇 |百舌鳥《もず》の|囁《ささやき》
第三一章 |襤褸《つづれ》の|錦《にしき》〔二八一〕
第三二章 |瓔珞《えうらく》の|河越《かはごえ》〔二八二〕
第三三章 |五大教《ごだいけう》〔二八三〕
第三四章 |三大教《さんだいけう》〔二八四〕
第三五章 |北光《きたてる》|開眼《かいがん》〔二八五〕
第三六章 |三五教《あななひけう》〔二八六〕
第七篇 |黄金《わうごん》の|玉《たま》
第三七章 |雲掴《くもつか》み〔二八七〕
第三八章 |黄金《こがね》の|宮《みや》〔二八八〕
第三九章 |石仏《いしぼとけ》の|入水《にゆうすゐ》〔二八九〕
第四〇章 |琴平橋《ことひらばし》〔二九〇〕
第四一章 |桶伏山《おけふせやま》〔二九一〕
第八篇 |五伴緒神《いつとものをのかみ》
第四二章 |途上《とじやう》の|邂逅《かいこう》〔二九二〕
第四三章 |猫《ねこ》の|手《て》〔二九三〕
第四四章 |俄百姓《にわかひやくしやう》〔二九四〕
第四五章 |大歳神《おほとしのかみ》〔二九五〕
第四六章 |若年神《わかとしのかみ》〔二九六〕
第四七章 |仁王《にわう》と|観音《くわんのん》〔二九七〕
第四八章 |鈿女命《うづめのみこと》〔二九八〕
第四九章 |膝栗毛《ひざくりげ》〔二九九〕
第五〇章 |大戸惑《おほとまどひ》〔三〇〇〕
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|序歌《じよか》
|豊葦原《とよあしはら》の|千五百秋《ちいほあき》の  |瑞穂《みずほ》の|国《くに》の|真秀良場《まほらば》や
|豊栄《とよさか》|昇《のぼ》る|朝日子《あさひこ》の  |神《かみ》の|御裔《みすゑ》の|永遠《とこしへ》に
|下津岩根《したついはね》に|千木《ちぎ》|高《たか》く  |大宮柱《おほみやばしら》|太知《ふとし》りて
|鎮《しづ》まり|坐《ゐ》ます|日本《ひのもと》は  |国《くに》の|中《なか》なる|貴《うづ》の|国《くに》
|我《わ》が|大君《おほぎみ》の|御恵《みめぐみ》は  |天地《あめつち》|四方《よも》の|国《くに》の|果《はて》
|常磐堅磐《ときはかきは》に|照《て》る|御稜威《みいづ》  |千代《ちよ》も|動《うご》かぬ|足御代《たるみよ》を
|挙《こぞ》つて【|岩井《いはゐ》】の【|温泉場《をんせんば》】  |廻《めぐ》る【こまや】の|三階《さんがい》に
|身《み》も|魂《たましひ》も【いたづき】の  |保養《ほやう》がてらの|霊界《かくりよ》の
|奇《く》しき|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》  |団居《まどゐ》|安《やす》けく|睦《むつ》び|合《あ》ふ
いよいよ【|六《むつ》】の【|物語《ものがたり》】  |書《か》き|始《はじ》めむと【|大正《たいしやう》】の
【|壬戌《みづのえいぬ》】とあら|玉《たま》の  【|睦月《むつき》】の|中《なか》の【|十五日《じふごにち》】
|由緒《ゆいしよ》の|深《ふか》き【|御湯《みゆ》|神社《じんじや》】  |温泉《いでゆ》の|功《いさを》も【|大己貴《おほなむち》】
【|少彦名《すくなひこな》】の|御恵《みめぐみ》は  |泉《いずみ》となりて|湧《わ》き|出《い》でつ
|世人《よびと》を|救《すく》ひ|清《きよ》めます  |効験《しるし》もしるき【|薬師寺《やくしでら》】
|深《ふか》き|恩恵《めぐみ》に|浴《よく》しつつ  |東《ひがし》を|見《み》れば【|弥勒寺《みろくでら》】
|大和《やまと》【|島根《しまね》】の【|御湯《みゆ》|銀湯《ぎんゆ》】  【|蒲生《がまふ》の|湯《ゆ》】ぞと|昔《むかし》より
|輝《かがや》きわたる【|晃陽館《くわうやうくわん》】  |照《て》らす|霊界物語《れいかいものがたり》
【|外山《とやま》】の|頂《いただき》かき|分《わ》けて  【|豊二《ゆたかに》】|昇《のぼ》る|夕月夜《ゆふづくよ》(外山豊二)
|雲井《くも【ゐ】》の【|上《うへ》】に|御姿《みすがた》を  【|明《めい》】|皎々《かうかう》と【|留五郎《とめごらう》】(井上留五郎)
|身《み》も|清新《せい【しん】》の|心地《ここち》して  |東《ひがし》や【|西《にし》】の|大御空《おほみそら》(西村良寛)
|村雲《【むら】くも》|四方《よも》に|吹《ふ》き|散《ち》りて  |仰《あふ》げばいとど|心地《ここち》【|良《よ》】く
【|寛《ひろ》】けき|空《そら》に|神徳《しん【とく】》の  【|加藤《かとう》】【|治《をさ》】まる【|松《まつ》】の|御代《みよ》(加藤治松)
|雪《ゆき》より|清《きよ》き|神人《かみびと》の  |功績《いさを》も|高《たか》く|有明《あり【あけ】》の
|月《つき》に|誓《ちか》ひて|物語《ものがた》る  【|瑞月《ずいげつ》】【|霊界物語《れいかいものがたり》】
あゝ|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し  |地《ち》は|一面《いちめん》の|銀世界《ぎんせかい》
大正十一年一月十五日
於|因幡《ゐなば》|岩井温泉《いはゐをんせん》|晃陽館《くわうやうかん》|駒屋《こまや》
口述著者 王仁
|松葉《まつば》の|塵《ちり》
王仁
|宇宙《うちう》には|現界《げんかい》、|幽界《いうかい》、|神界《しんかい》の|三大《さんだい》|区別《くべつ》が|画《くわく》されてあつて、その|中《なか》でも、|神界《しんかい》は|最《もつと》も|至貴《しき》、|至尊《しそん》、|至厳《しげん》の|世界《せかい》であつて、|正神《せいしん》の|集《あつま》り|活動《くわつどう》さるる|神国《しんこく》であり、|幽界《いうかい》は|邪神界《じやしんかい》と|称《しよう》しても|憚《はばか》り|無《な》き|程《ほど》の|世界《せかい》である。|要《えう》するに|神界《しんかい》は|生成化育《せいせいくわいく》の|神業《しんげふ》を|専《もつぱ》ら|守護《しゆご》したまひ、|万事《ばんじ》|積極的《せつきよくてき》の|活動《くわつどう》を|営《いとな》みたまひ、|死有《しう》、|中有《ちゆうう》、|生有《せいう》、|本有《ほんう》の|四境《しきやう》を|通《つう》じて、|吾人《ごじん》の|霊魂《れいこん》を|支配《しはい》し|玉《たま》ふ|清浄《せいじやう》|潔白《けつぱく》なる|神霊界《しんれいかい》である。また|幽界《いうかい》は|神界《しんかい》の|変態的《へんたいてき》|幽境《いうきやう》にして、|消極的《せうきよくてき》|神業《しんげふ》を|執行《しつかう》する|大禍津日神《おほまがつひのかみ》、|及《およ》び|八十禍津日神《やそまがつひのかみ》が、|罪《つみ》の|御魂《みたま》を|成敗《せいばい》する|至醜《ししう》|至穢《しゑ》の|地下《ちか》の|世界《せかい》である。また|時《とき》ありて、|地上《ちじやう》にも|幽界《いうかい》の|顕現《けんげん》することもある。|神界《しんかい》は|正神界《せいしんかい》の|神々《かみがみ》の|集《あつ》まりたまふ|神国《しんこく》にして、|幽界《いうかい》は|邪神《じやしん》の|落《お》ち|往《ゆ》く|境地《きやうち》である。|正神界《せいしんかい》は|高天原《たかあまはら》と|云《い》ひ、|天国《てんごく》と|称《しよう》し、|霊国《れいごく》と|称《しよう》し、|浄土《じやうど》といひ、|極楽《ごくらく》といひ、|楽園《らくゑん》と|称《しよう》し、|邪神界《じやしんかい》は|根《ね》の|国《くに》、|底《そこ》の|国《くに》|又《また》は|地獄《ぢごく》といふ。
|神界《しんかい》には|至善《しぜん》|至美《しび》の|神人《しんじん》を|始《はじ》め、|各《かく》|階級《かいきふ》の|諸多《しよた》の|神霊《しんれい》あり、|且《か》つ|現界《げんかい》に|於《お》ける|正《ただ》しき|人々《ひとびと》の|本霊《ほんれい》|此処《ここ》に|住《ぢう》して、|現界人《げんかいじん》を|守護《しゆご》す、|之《これ》を|本守護神《ほんしゆごじん》といふ。|故《ゆゑ》に|吾人《ごじん》の|霊魂《れいこん》、|正神界《せいしんかい》に|籍《せき》を|置《お》く|時《とき》は、|現世《げんせい》に|於《おい》て|行《おこな》ふ|処《ところ》の|事業《じげふ》|悉《ことごと》く|完成《くわんせい》し|美果《びくわ》を|結《むす》び、|概《がい》して|神《かみ》に|仕《つか》へ|公共《こうきよう》に|奉仕《ほうし》し、|至誠《しせい》|一貫《いつくわん》|克《よ》く|天地《てんち》の|経綸《けいりん》を|全《まつた》うするものである。|之《これ》に|反《はん》して、|吾人《ごじん》の|霊魂《れいこん》、|邪神界《じやしんかい》(|幽界《いうかい》)に|籍《せき》を|置《お》く|時《とき》は、その|精神《せいしん》|不知不識《しらずしらず》に|混濁《こんだく》し、|邪曲《じやきよく》を|行《おこな》ひ、|天下《てんか》に|害毒《がいどく》を|流布《るふ》し、|且《か》つ|何事《なにごと》を|為《な》すにも|事半途《ことはんと》にして|破《やぶ》れ、|必《かなら》ず|良果《りやうくわ》を|来《きた》す|事《こと》は|不可能《ふかのう》なものなり。
|現界《げんかい》に|於《おい》て、|吾人《ごじん》が|日夜《にちや》|活動《くわつどう》するに|当《あた》りても、その|霊魂《れいこん》は|神界《しんかい》|又《また》は|幽界《いうかい》に|往来《わうらい》しつつあるものなり。|故《ゆゑ》に|吾人《ごじん》は|造次《ざうじ》にも|顛沛《てんぱい》にも|神《かみ》を|信《しん》じ|神《かみ》を|敬《うやま》ひ、|神界《しんかい》と|連絡《れんらく》を|保《たも》つ|可《べ》く|信仰《しんかう》を|励《はげ》まざるべからずなり。
この|霊界物語《れいかいものがたり》も|亦《ま》た|神代《かみよ》の|太古《たいこ》に|於《お》ける|現界《げんかい》を|主《しゆ》とし、|神界《しんかい》と|幽界《いうかい》との|相互《さうご》の|関係《くわんけい》を|口述《こうじゆつ》するを|旨《むね》としあるを|以《もつ》て、|読者《どくしや》はその|御考《おかんが》へにて|御誦読《ごしようどく》あらむことを|希望《きばう》する|次第《しだい》なり。
|総説《そうせつ》
|太古《たいこ》の|神霊界《しんれいかい》における|政治《せいぢ》の|大要《たいえう》を|述《の》べて|見《み》ようと|思《おも》ふ。|固《もと》より|数百万年《すうひやくまんねん》|以前《いぜん》の|事《こと》であつて、|吾々《われわれ》|人間《にんげん》としては、その|真偽《しんぎ》を|的確《てきかく》に|判別《はんべつ》する|事《こと》は|到底《たうてい》|不可能《ふかのう》であります。|然《しか》し|王仁《わたくし》の|述《の》ぶるところは、|臆説《おくせつ》や|想像《さうざう》ではない。また|創作物《さうさくぶつ》でもない。|高熊山《たかくまやま》における|霊学《れいがく》|修行中《しうぎやうちう》に、|見聞《けんぶん》したる|有《あ》りのままを、|覚束《おぼつか》なき|記憶《きおく》より|呼《よ》び|出《だ》して、|僅《わづ》かにその|片鱗《へんりん》を|吐露《とろ》したばかりであります。
|現代《げんだい》|文明《ぶんめい》の|空気《くうき》に|触《ふ》れたる、|天文《てんもん》|地文《ちもん》|学者《がくしや》や|国学者《こくがくしや》および|宗教家《しうけうか》、|哲学者《てつがくしや》などの、|深遠《しんゑん》なる|知識《ちしき》から、この|物語《ものがたり》を|見《み》るならば、|実《じつ》に|欠点《けつてん》だらけで、|中《なか》には|抱腹絶倒《はうふくぜつたう》、|批判《ひはん》の|価値《かち》なきものと、|断定《だんてい》さるるでありませう。しかし|王仁《わたくし》の|物語《ものがたり》は、|寓意的《ぐういてき》の|教訓《けうくん》でもなければ、また|虚構《きよこう》でもない、|有《あ》りのままの|見聞談《けんぶんだん》である。
|総《すべ》て|霊界《れいかい》の|話《はなし》は|現界《げんかい》とは|異《ちが》つて、|率直《そつちよく》で|簡明《かんめい》であり、|濃厚《のうこう》|複雑《ふくざつ》|等《とう》の|説話《せつわ》は、|神《かみ》の|最《もつと》も|忌《い》み|玉《たま》ふところ、|女《をんな》にも|子供《こども》にも、どんな|無知識《むちしき》|階級《かいきふ》にも、なるべく|解《わか》り|易《やす》く、|平易《へいい》|簡単《かんたん》にして、|明瞭《めいれう》なるを|主眼《しゆがん》とするが|故《ゆゑ》である。
|本巻《ほんくわん》は、いよいよ|天津神《あまつかみ》の|命《めい》により|諾冊《なぎなみ》の|二尊《にそん》が、|天照大御神《あまてらすおほみかみ》の|御魂《みたま》の|大御柱《おほみはしら》を|中心《ちうしん》に、|天《てん》より|降《くだ》り、|天《あま》の|浮橋《うきはし》に|立《た》ちて、|海月《くらげ》なす|漂《ただよ》へる|国《くに》を|修理固成《しうりこせい》し|玉《たま》ひ、|現代《げんだい》の|我《わが》|日本国《にほんこく》|即《すなは》ち|豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂《みづほ》の|中津国《なかつくに》を|胞衣《えな》となし、かつ|神実《かんざね》として、|地上《ちじやう》のあらゆる|世界《せかい》を|修理固成《しうりこせい》し|玉《たま》うた|神界経綸《しんかいけいりん》の|大略《たいりやく》を|述《の》べたものであります。それゆゑ|舞台《ぶたい》は、|地球上《ちきうじやう》|一般《いつぱん》の|神人界《しんじんかい》に|渉《わた》つた|出来事《できごと》であつて、|区々《くく》たる|極東《きよくとう》|我《わが》|神国《しんこく》のみの|神話《しんわ》を|写《うつ》したものでない|事《こと》は|勿論《もちろん》である。
|総《すべ》て|太古《たいこ》の|御神政《ごしんせい》は|神祭《しんさい》を|第一《だいいち》とし、|次《つぎ》に|神政《しんせい》を|行《おこな》ひ、|国々《くにぐに》に|国魂神《くにたまがみ》があり、|国魂神《くにたまがみ》は、その|国々《くにぐに》の|神王《しんわう》、|又《また》は|八王《やつわう》などと|云《い》つて|八尋殿《やひろどの》を|建《た》てられ、|殿内《でんない》の|至聖処《しせいしよ》に|祭壇《さいだん》を|設《まう》け、|造化三神《ざうくわさんしん》を|鎮祭《ちんさい》し、|神王《しんわう》および|八王《やつわう》は、|同殿同床《どうでんどうしやう》にて|神明《しんめい》に|奉仕《ほうし》された。さうして|神政《しんせい》は|左守神《さもりのかみ》|又《また》は|右守神《うもりのかみ》(|或《あるひ》は|八頭神《やつがしらがみ》とも|云《い》ふ)に|神示《しんじ》を|伝《つた》へ|神政《しんせい》を|司掌《つかさど》らしめ|玉《たま》うたのであります。さうして|国治立命《くにはるたちのみこと》|御神政《ごしんせい》の|時代《じだい》は、|天使長《あまつこいのをさ》と|云《い》ふ|聖職《せいしよく》があつて、|国祖《こくそ》の|神慮《しんりよ》を|奉《ほう》じ、|各地《かくち》の|国魂《くにたま》たる|八王神《やつわうじん》を|統轄《とうかつ》せしめつつあつたのが、|諾冊二尊《なぎなみにそん》の、|淤能碁呂嶋《おのころじま》へ|御降臨《ごかうりん》ありし|後《のち》は、|伊弉諾《いざなぎ》の|大神《おほかみ》、|八尋殿《やひろどの》を|造《つく》りて、これに|造化《ざうくわ》の|三神《さんしん》を|祭《まつ》り|玉《たま》ひ、|同殿同床《どうでんどうしやう》の|制《せい》を|布《し》き、|伊弉冊尊《いざなみのみこと》を、|国《くに》の|御柱神《みはしらがみ》として、|地上《ちじやう》|神政《しんせい》の|主管者《しゆくわんしや》たらしめ|玉《たま》うたのであります。しかるに|地上《ちじやう》の|世界《せかい》は、|日《ひ》に|月《つき》に、|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|邪気《じやき》|漲《みなぎ》り、|物質的《ぶつしつてき》|文明《ぶんめい》の|進歩《しんぽ》と|共《とも》に、|地上《ちじやう》|神人《しんじん》の|精神《せいしん》は、その|反比例《はんぴれい》に|悪化《あくくわ》し、|大蛇《をろち》、|鬼《おに》、|悪狐《あくこ》の|邪霊《じやれい》は|天地《てんち》に|充満《じゆうまん》して|有《あ》らゆる|災害《さいがい》をなし、|収拾《しうしふ》すべからざるに|立《た》ち|致《いた》つた。そこで|神界《しんかい》の|神人《しんじん》の|最《もつと》も|下層《かそう》|社会《しやくわい》より、|所謂《いはゆる》|糞《くそ》に|成《な》り|坐《ま》すてふ|埴安彦神《はにやすひこのかみ》が|現《あら》はれて、|大神《おほかみ》の|神政《しんせい》を|輔佐《ほさ》し|奉《たてまつ》るべく、|天地《てんち》の|洪徳《こうとく》を|汎《あまね》く|世界《せかい》に|説示《せつじ》するために|教《をしへ》を|立《た》て、|宣伝使《せんでんし》を|天下《てんか》に|派遣《はけん》さるる|事《こと》となつたのである。
また|国祖《こくそ》|国治立命《くにはるたちのみこと》は|天教山《てんけうざん》に|隠《かく》れ、|世界《せかい》の|大峠《おほたうげ》を|免《まぬが》るることを|汎《あまね》く|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》に|告《つ》げ|諭《さと》し、|大難《だいなん》を|免《まぬが》れしめむとして、|宣伝使神《せんでんししん》を|任命《にんめい》し、|地上《ちじやう》の|世界《せかい》に|派遣《はけん》せしめ|玉《たま》うた。これが|神代《かみよ》における、【|治教的《ちけうてき》|宣伝《せんでん》】の|濫觴《らんしやう》であつたのである。さうして|宣伝使神《せんでんししん》の|任《にん》にあたる|神《かみ》は|多芸《たげい》|多能《たのう》にして、|礼《れい》、|楽《がく》、|射《しや》、|御《ぎよ》、|書《しよ》、|数《すう》の|六芸《りくげい》に|通達《つうたつ》してゐた|神人《かみ》ばかりである。さうして|一身《いつしん》を|神《かみ》に|捧《ささ》げ、|衆生《しゆじやう》|救済《きうさい》の|天職《てんしよく》に|喜《よろこ》びて|従事《じうじ》されたのである。
それより|後《のち》、|埴安彦《はにやすひこ》、|埴安姫《はにやすひめ》の|二神司《にしん》が|地上《ちじやう》に|顕現《けんげん》して|麻柱教《あななひのをしへ》を|説《と》き、|宣伝使《せんでんし》を|任《にん》じて|世界《せかい》を|覚醒《かくせい》し、|神人《しんじん》の|御魂《みたま》の|救済《きうさい》に|尽《つく》さしめた。その|宣伝使《せんでんし》もまた、|士《し》、|農《のう》、|工《こう》、|商《しやう》の|道《みち》に|通達《つうたつ》し、|天則《てんそく》を|守《まも》り【|忍耐《にんたい》】を|唯一《ゆゐいつ》の|武器《ぶき》として|労苦《らうく》を|惜《をし》まず、|有《あ》らゆる|迫害《はくがい》を|甘受《かんじゆ》してその|任務《にんむ》を|尽《つく》したのである。|現今《げんこん》の|各教《かくけう》|各宗《かくしう》の|宣教師《せんけうし》の、|安逸遊惰《あんいついうだ》なる|生活《せいくわつ》に|比《ひ》すれば、|実《じつ》に|天地霄壤《てんちせうじやう》の|差《さ》があるのである。
|総《すべ》て|神《かみ》の|福音《ふくいん》を|述《の》べ|伝《つた》ふる|宣伝使《せんでんし》の|聖職《せいしよく》に|在《あ》るものは、|神代《かみよ》の|宣伝使神《せんでんししん》の|心《こころ》を|以《もつ》て|心《こころ》とし、|克《よ》く|堪《た》え|忍《しの》び|以《もつ》て|神格《しんかく》を|保持《ほぢ》し、|世人《せじん》の|模範《もはん》とならねばならぬのである。
|太古《たいこ》の|人民《じんみん》の|生活《せいくわつ》|状態《じやうたい》は、|今日《こんにち》のごとく|安全《あんぜん》なる|生活《せいくわつ》は|到底《たうてい》|望《のぞ》まれ|得《え》なかつた。|家屋《かをく》と|云《い》つても、|木《き》と|木《き》とを|組《く》み|合《あは》せ、|杭《くひ》を|地上《ちじやう》に|打《う》ち、|藤蔓《ふぢかづら》の|蔓《つる》を|以《もつ》てこれを|縛《しば》り、|茅《かや》や|笹《ささ》の|葉《は》や|木《き》の|葉《は》を|以《もつ》て|屋根《やね》を|覆《おほ》ひ、|纔《わづか》に|雨露《うろ》を|凌《しの》ぐものもあり、|岩窟《がんくつ》の|中《なか》に|住《す》むもの、|山腹《さんぷく》に|穴《あな》を|穿《うが》ち、|草《くさ》を|敷《し》きて|住《す》むもの、|巨岩《きよがん》を|畳《たた》み、|洞穴《ほらあな》を|造《つく》つてこれに|住《す》むものなどで、|衣服《いふく》のごときも、|一般《いつぱん》の|人民《じんみん》は|獣皮《じうひ》を|身《み》に|纏《まと》ひ、|或《あるひ》は|木《き》の|葉《は》を|編《あ》み、|草《くさ》を|編《あ》み、|麻《あさ》の|衣《ころも》を|着《き》るものは|人民《じんみん》の|中《なか》でも|最《もつと》も|上等《じやうとう》の|部《ぶ》である。また|絹布《けんぷ》を|纏《まと》へるは|最《もつと》も|高貴《かうき》なる|神人《しんじん》のみであつた。
|夫《そ》れでも|古代《こだい》の|人間《にんげん》は|天地《てんち》の|大恩《たいおん》を|感謝《かんしや》し、|生活《せいくわつ》を|楽《たの》しみ、|和気靄々《わきあいあい》として|楽《たの》しくその|日《ひ》を|暮《くら》して|居《を》つたのである。さうして|村々《むらむら》には|酋長《しうちやう》の|如《ごと》きものがあつて、これを|各自《かくじ》に|統一《とういつ》してゐた。|遂《つひ》には|地上《ちじやう》に|人間《にんげん》の|数《すう》の|殖《ふ》えるに|従《したが》つて、|争奪《そうだつ》をはじめ、|生存競争《せいぞんきやうそう》の|悪社会《あくしやくわい》を|馴致《じゆんち》し、|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》の|修羅場《しゆらぢやう》と|化《くわ》するに|至《いた》つた。その|人心《じんしん》を|善導《ぜんだう》すべく、|神《かみ》の|大御心《おほみこころ》に|依《よ》つて|教《をしへ》なるものが|興《おこ》り、|宣伝使《せんでんし》の|必要《ひつえう》を|招来《せうらい》するに|至《いた》つたのであります。
大正十一年一月二十五日 旧十年十二月二十八日
出口王仁三郎
第一篇 |山陰《さんいん》の|雪《ゆき》
第一章 |宇宙《うちう》|太元《たいげん》〔二五一〕
|大宇宙《だいうちう》の|元始《げんし》に|当《あた》つて、|湯気《ゆげ》とも|煙《けむり》とも|何《なん》とも|形容《けいよう》の|仕難《しがた》い|一種《いつしゆ》|異様《いやう》の|微妙《びめう》のものが|漂《ただよ》ひ|居《ゐ》たり。この|物《もの》は|殆《ほとん》ど|十億年間《じふおくねんかん》の|歳月《さいげつ》を|経《へ》て、|一種《いつしゆ》|無形《むけい》、|無声《むせい》、|無色《むしよく》の|霊物《れいぶつ》となりたり。|之《これ》を|宇宙《うちう》の|大元霊《だいげんれい》と|云《い》ふ。|我《わ》が|神典《しんてん》にては、|天御中主神《あめのみなかぬしのかみ》と|称《とな》へ|又《また》は|天之峰火男《あまのみねひを》の|神《かみ》と|称《しよう》し、|仏典《ぶつてん》にては|阿弥陀如来《あみだによらい》と|称《しよう》し、キリスト|教《けう》にては、ゴツド|又《また》はゼウスと|云《い》ひ、|易学《えきがく》にては|太極《たいきよく》と|云《い》ひ、|支那《しな》にては|天主《てんしゆ》、|天帝《てんてい》、|又《また》は|単《たん》に|天《てん》の|語《ご》をもつて|示《しめ》され|居《ゐ》るなり。|国《くに》によつては|造物主《ざうぶつしゆ》、|又《また》は|世界《せかい》の|創造者《さうざうしや》とも|云《い》ふあり。この|天御中主神《あめのみなかぬしのかみ》の|霊徳《れいとく》は、|漸次《ぜんじ》|宇宙《うちう》に|瀰漫《びまん》し、|氤〓化醇《いんうんくわじゆん》して|遂《つひ》に|霊《れい》、|力《りよく》、|体《たい》を|完成《くわんせい》し、|無始無終《むしむしう》|無限絶対《むげんぜつたい》の|大宇宙《だいうちう》の|森羅万象《しんらばんしやう》を|完成《くわんせい》したる|神《かみ》を|称《しよう》して|大国治立尊《おほくにはるたちのみこと》(|一名《いちめい》|天常立命《あめのとこたちのみこと》)と|云《い》ひ、ミロクの|大神《おほかみ》とも|云《い》ふなり。
|宇宙《うちう》の|大原因《だいげんいん》たる、|一種《いつしゆ》|微妙《びめう》の|霊物《れいぶつ》、|天御中主神《あめのみなかぬしのかみ》の|無色《むしよく》|無形《むけい》|無声《むせい》の|純霊《じゆんれい》は|遂《つひ》に|霊力《れいりよく》を|産出《さんしゆつ》するに|至《いた》れり。これを|霊系《れいけい》の|祖神《そしん》|高皇産霊神《たかみむすびのかみ》と|云《い》ふ。|次《つぎ》に|元子《げんし》、|所謂《いはゆる》|水素《すゐそ》(また|元素《げんそ》といふ)を|醸成《じやうせい》した、|之《これ》を|体系《たいけい》の|祖神《そしん》|神皇産霊神《かむみむすびのかみ》といふ。|霊《れい》は|陽主陰従《やうしゆいんじゆう》にして、|体《たい》は|陰主陽従《いんしゆやうじゆう》なり。かくして|此《この》|二神《にしん》の|霊《れい》と|体《たい》とより|一種《いつしゆ》|異様《いやう》の|力徳《りきとく》を|生《しやう》じたり。|之《これ》を|霊体《ちから》といふ。ほとんど|三十億年《さんじふおくねん》の|歳月《さいげつ》を|要《えう》して、|霊力体《れいりよくたい》のやや|完全《くわんぜん》を|期《き》することを|得《え》たるなりき。|皇典《くわうてん》に|於《おい》ては、|之《これ》を|造化《ざうくわ》の|三神《さんしん》といふ。|茲《ここ》に|完全《くわんぜん》なる|水素《すゐそ》を|産出《さんしゆつ》した。|水素《すゐそ》は|漸次《ぜんじ》|集合《しふがふ》して|現今《げんこん》の|呑《の》むごとき|清水《せいすゐ》となりぬ。この|清水《せいすゐ》には|高皇産霊神《たかみむすびのかみ》の|火霊《くわれい》を|宿《やど》し、よく|流動《りうどう》する|力《ちから》が|備《そな》はりぬ。|水《みづ》を|動《うご》かすものは|火《ひ》にして、|火《ひ》を|働《はたら》かすものは|水《みづ》なることは|第四巻《だいよんくわん》に|述《の》べたるがごとし。この|水《みづ》の|流体《りうたい》を、|神典《しんてん》にては|葦茅彦遅神《あしがひひこぢのかみ》といふ。|一切《いつさい》|動物《どうぶつ》の|根元《こんげん》をなし、|之《これ》に|霊系《れいけい》|即《すなは》ち|火《ひ》の|霊《れい》を|宿《やど》して|一種《いつしゆ》の|力徳《りきとく》を|発生《はつせい》し、|動物《どうぶつ》の|本質《ほんしつ》となる。|神祇官《しんぎくわん》|所祭《しよさい》の|生魂《いくむすび》これなり。|次《つぎ》に|火水《ひみづ》|抱合《はうがふ》して|一種《いつしゆ》の|固形《こけい》|物体《ぶつたい》|発生《はつせい》し、|宇宙《うちう》|一切《いつさい》を|修理固成《しうりこせい》するの|根元力《こんげんりよく》となる。|之《これ》を|常立神《とこたちのかみ》といひ、|剛体素《がうたいそ》といふ。|神祇官《しんぎくわん》|所祭《しよさい》の|玉留魂《たまつめむすび》これなり。|金《きん》、|銀《ぎん》、|銅《どう》、|鉄《てつ》、|燐《りん》、|砂《すな》、|石《いし》|等《とう》はこの|玉留魂《たまつめむすび》を|最《もつと》も|多量《たりやう》に|包含《はうがん》し、|万有《ばんいう》|一切《いつさい》の|骨《ほね》となり|居《ゐ》るなり。この|剛体素《がうたいそ》、|玉留魂《たまつめむすび》の|完成《くわんせい》するまでに|太初《たいしよ》より|殆《ほとん》ど|五十億年《ごじふおくねん》を|費《つひや》しゐるなり。|茲《ここ》に|海月《くらげ》なす|漂《ただよ》へる|宇宙《うちう》は|漸《やうや》く|固体《こたい》を|備《そな》ふるに|至《いた》りぬ。この|水《みづ》を|胞衣《えな》となして|創造《さうざう》されたる|宇宙《うちう》|一切《いつさい》の|円形《ゑんけい》なるは、|水《みづ》の|微粒子《びりうし》の|円形《ゑんけい》なるに|基《もとづ》くものなり。|剛体《がうたい》は|玉留魂《たまつめむすび》、|即《すなは》ち|常立《とこたち》の|命《みこと》の|神威《しんゐ》|発動《はつどう》に|依《よ》つて、|日地月星《ひつちつきほし》は|漸《やうや》く|形成《けいせい》されたり。されど|第一巻《だいいつくわん》に|述《の》ぶるがごとく、|大宇宙《だいうちう》の|一小部分《いちせうぶぶん》たる|我《わ》が|宇宙《うちう》の|大地《だいち》は、あたかも|炮烙《はうらく》を|伏《ふ》せたるが|如《ごと》き|山《やま》と、|剛流《がうりう》の|混淆《こんかう》したる|泥海《どろうみ》なりしなり。
|茲《ここ》に|絶対《ぜつたい》|無限力《むげんりよく》の|玉留魂《たまつめむすび》の|神《かみ》は|弥々《いよいよ》その|神徳《しんとく》を|発揮《はつき》して|大地《だいち》の|海陸《かいりく》を|区別《くべつ》し、|清軽《せいけい》なるものは|靉《たなび》きて|大空《たいくう》となり、|重濁《ぢうだく》なるものは|淹滞《えんたい》して|下《した》に|留《とど》まり、|大地《だいち》を|形成《けいせい》したり。されど|此《この》|時《とき》の|宇宙《うちう》の|天地《てんち》は|生物《せいぶつ》の|影《かげ》|未《いま》だ|無《な》かりけり。ここに|流剛《りうがう》すなはち|生魂《いくむすび》と|玉留魂《たまつめむすび》との|水火《いき》|合《がつ》して|不完全《ふくわんぜん》なる|呼吸《こきふ》を|営《いとな》み、|其《その》|中《うち》より|植物《しよくぶつ》の|本質《ほんしつ》たる|柔体《じうたい》|足魂《たるむすび》を|完成《くわんせい》したり。|之《これ》を|神典《しんてん》にては|豊雲淳命《とよくもぬのみこと》といふなり。いよいよ|宇宙《うちう》は|霊《れい》、|力《りよく》、|体《たい》の|元子《げんし》なる、|剛柔流《がうじうりう》の|本質《ほんしつ》|完成《くわんせい》されたのである。されど|宇宙《うちう》は|未《いま》だその|活動《くわつどう》を|開始《かいし》するに|至《いた》らなかつた。これらの|元子《げんし》と|元因《げんいん》とは|互《たがひ》に|生成化育《せいせいくわいく》し、|力《ちから》はますます|発達《はつたつ》して、|動《どう》、|静《せい》、|解《かい》、|凝《ぎよう》、|引《いん》、|弛《ち》、|分《ぶん》、|合《がふ》の|八力《はちりき》を|産出《さんしゆつ》した。|神典《しんてん》にては、|宇宙《うちう》の|動力《どうりよく》を|大戸地神《おほとのぢのかみ》といひ、|静力《せいりよく》を|大戸辺神《おほとのべのかみ》といひ、|解力《かいりよく》を|宇比地根神《うひぢねのかみ》といひ、|凝力《ぎようりよく》を|須比地根神《すひぢねのかみ》といひ、また|引力《いんりよく》を|生枠神《いくぐひのかみ》といひ、|弛力《ちりよく》を|角枠神《つぬぐひのかみ》といひ、|合力《がふりよく》を|面足神《おもたるのかみ》といひ、|分力《ぶんりよく》を|惶根神《かしこねのかみ》といふ。この|八力《はちりき》|完成《くわんせい》して|始《はじ》めて|宇宙《うちう》の|組織《そしき》|成就《じやうじゆ》し、|大空《たいくう》に|懸《かか》れる|太陽《たいやう》は、|無数《むすう》の|星晨《せいしん》の|相互《さうご》の|動《どう》、|静《せい》、|解《かい》、|凝《ぎよう》、|引《いん》、|弛《ち》、|分《ぶん》、|合《がふ》の|八力《はちりき》の|各自《かくじ》の|活動《くわつどう》によつて、その|地位《ちゐ》を|保《たも》ち|大地《だいち》|亦《また》この|八力《はちりき》によつて、その|地位《ちゐ》を|保持《ほぢ》する|事《こと》となりしなり。かくして|大宇宙《だいうちう》は|完成《くわんせい》に|至《いた》るまで|殆《ほとん》ど|五十六億万年《ごじふろくおくまんねん》を|費《つひや》した。
|茲《ここ》に|宇宙《うちう》の|主宰神《しゆさいしん》と|顕現《けんげん》し|玉《たま》ふ|無限絶対《むげんぜつたい》の|力《ちから》を、|大国治立命《おほくにはるたちのみこと》と|称《しよう》し|奉《たてまつ》る。|国治立命《くにはるたちのみこと》は、|豊雲淳命《とよくもぬのみこと》(|又《また》の|御名《みな》|豊国姫命《とよくにひめのみこと》)と|剛柔《がうじう》|相対《あひたい》して|地上《ちじやう》に|動植物《どうしよくぶつ》を|生成化育《せいせいくわいく》し、|二神《にしん》の|水火《いき》より|諾冊《なぎなみ》|二尊《にそん》を|生《う》み、|日月《じつげつ》を|造《つく》りてその|主宰神《しゆさいしん》たらしめたまひける。
かくて|大宇宙《だいうちう》の|大原因霊《だいげんいんれい》たる|天御中主神《あめのみなかぬしのかみ》は|五十六億万年《ごじふろくおくまんねん》を|経《へ》て|宇宙《うちう》|一切《いつさい》を|創造《さうざう》し、|茲《ここ》に|大国治立命《おほくにはるたちのみこと》と|顕現《けんげん》し、その|霊魂《れいこん》を|分派《ぶんぱ》して|我《わ》が|宇宙《うちう》に|下《くだ》したまへり。|即《すなは》ち|国治立命《くにはるたちのみこと》これなり。|国治立命《くにはるたちのみこと》の|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|神政《しんせい》も、|星《ほし》|移《うつ》り|年《とし》|重《かさ》なるに|連《つ》れて|妖邪《えうじや》の|気《き》、|宇宙《うちう》に|瀰漫《びまん》し、|遂《つひ》にその|邪気《じやき》のために|一時《いちじ》『|独神而《ひとりがみに》して|隠身《かくりみ》なり』の|必然的《ひつぜんてき》|経綸《けいりん》を|行《おこな》はせたまふ|事《こと》とはなりける。|而《しかし》て|霊界物語《れいかいものがたり》の|第一巻《だいいつくわん》より|本巻《ほんくわん》に|亘《わた》り|口述《こうじゆつ》するところは、|大宇宙《だいうちう》の|完成《くわんせい》するまでに|五十六億万年《ごじふろくおくまんねん》を|要《えう》したる|時《とき》より|以後《いご》の|事《こと》を|述《の》べたものなり。これより|以前《いぜん》の|事《こと》は、|神々《かみがみ》として|完全《くわんぜん》に|花々《はなばな》しき|御活動《ごくわつどう》はなく、|時《とき》の|力《ちから》によりて|氤〓化醇《いんうんくわじゆん》の|結果《けつくわ》、|宇宙《うちう》が|形成《けいせい》するを|待《ま》たれたるなり。
(大正一一・一・一六 旧大正一〇・一二・一九 加藤明子録)
(序歌〜第一章 昭和一〇・一・二七 於筑紫別院 王仁校正)
第二章 |瀑布《ばくふ》の|涙《なみだ》〔二五二〕
|名《な》も|恐《おそ》ろしき|鬼城山《きじやうざん》、|曲《まが》の|棲処《すみか》と|聞《きこ》えたる、|棒振彦《ぼうふりひこ》や|高虎《たかとら》の、|醜男醜女《しこをしこめ》の|砦《とりで》を|造《つく》り、|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|限《かぎ》りを|尽《つく》し、あらゆる|総《すべ》ての|生物《いきもの》を、|屠《ほふ》りて|喰《くら》ふ|枉神《まがかみ》の、|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|吹《ふ》く|息《いき》は、|風《かぜ》も|湿《しめ》りて|腥《なまぐさ》く、さしもに|広《ひろ》き、|鬼城河《きじやうがは》、|紅《あけ》に|染《そま》りて|汚《けが》れはて、|地獄《ぢごく》ならねど|血《ち》の|河《かは》と、|流《なが》れも|変《かは》る|清鮮《せいせん》の、|水《みづ》は|少《すこ》しもナイヤガラ、|一大瀑布《いちだいばくふ》を|右《みぎ》に|見《み》て、|足《あし》を|痛《いた》めつ|身《み》は|長雨《ながあめ》に【そぼ】|濡《ぬ》れて、この|世《よ》を|救《すく》ふ|真心《まごころ》の、|両《ふた》つの|眼《め》より|迸《ほとばし》る、|涙《なみだ》は|雨《あめ》か|滝津瀬《たきつせ》か、|響《ひび》く|水音《みなおと》|轟々《ぐわうぐわう》と、この|世《よ》を|呪《のろ》ふ|鬼《おに》|大蛇《をろち》、|曲津《まがつ》の|声《こゑ》と|聞《きこ》ゆなる、|深山《みやま》の|谷《たに》を|駆上《かけのぼ》り、|黄昏《たそがれ》|近《ちか》き|寒空《さむぞら》に、とぼとぼ|来《きた》る|宣伝使《せんでんし》、|大足彦《おほたるひこ》の|成《な》れの|果《はて》、|疲《つか》れて|足《あし》も|立《た》ち|悩《なや》み、|大地《だいち》にドツと|安坐《あんざ》して、|息《いき》を|休《やす》むる|足真彦《だるまひこ》、|面壁《めんぺき》|九年《くねん》の|其《そ》れならで、|見上《みあ》ぐる|斗《ばか》りの|岸壁《がんぺき》を、|眺《なが》むる|苦念《くねん》の|息《いき》づかひ、この|世《よ》を|救《すく》ふ|神人《しんじん》の、|心《こころ》の|空《そら》はかき|曇《くも》り、|黒白《あやめ》も|分《わか》ぬ|黄昏《たそがれ》の、|空《そら》を|眺《なが》めて|独言《ひとりごと》。
|足真彦《だるまひこ》『|嗚呼《ああ》|吾《われ》は|闇《やみ》の|世《よ》を|照《て》らさむと、|心《こころ》の|駒《こま》に|鞭撻《むちう》つて、|駆廻《かけめぐ》りたる|今日《けふ》の|旅《たび》、|行衛《ゆくゑ》も|知《し》らぬ|月照彦《つきてるひこ》の、|神《かみ》の|命《みこと》の|御舎《みあらか》を、|尋《たづ》ぬるよしもナイヤガラ、|心《こころ》は|急《あ》せる|大瀑布《だいばくふ》、|滝津《たきつ》|涙《なみだ》も|汲《く》む|人《ひと》ぞ、|泣《な》く|泣《な》く|進《すす》む|常世国《とこよくに》、|弥々《いよいよ》ここに|鬼城山《きじやうざん》、|若《もし》や|魔神《まがみ》に|吾《わが》|姿《すがた》、|美山《みやま》の|彦《ひこ》の|現《あら》はれて、|天《あま》の|逆鉾《さかほこ》うち|振《ふる》ひ、|進《すす》みきたらば|何《なん》とせむ。|嗚呼《ああ》|千秋《せんしう》のその|恨《うら》み、いつの|世《よ》にかは|晴《は》らすべき、|疲《つか》れ|果《は》てたる|吾身《わがみ》の|宿世《すぐせ》、|饑《うゑ》に|苦《くる》しみ|涙《なみだ》にかわき、|一人《ひとり》|山路《やまぢ》をトボトボと、|迷《まよ》ひの|雲《くも》に|包《つつ》まれし、|世《よ》の|蒼生《あをひとぐさ》を|照《て》らさむと、|心《こころ》をこめし|鹿島立《かしまだち》、|今《いま》は|仇《あだ》とはなりぬるか。|山野《さんや》に|暮《くら》せし|年月《としつき》を、|天教山《てんけうざん》に|現《あ》れ|坐《ま》せる、|野立《のだち》の|神《かみ》や|木花姫《このはなひめ》の、|神《かみ》の|命《みこと》に|復《かへ》り|言《ごと》、|申《まを》さむ|術《すべ》もナイヤガラ、|轟《とどろ》く|胸《むね》は|雷霆《いかづち》の、|声《こゑ》にも|擬《まが》ふ|滝《たき》の|音《ね》の、|尽《つ》きせぬ|思《おも》ひ|天地《あめつち》の、|神《かみ》も|推量《すゐりやう》ましませよ』
と|宿世《すぐせ》を|喞《かこ》つ|折《をり》からに、はるか|前方《ぜんぱう》にあたつて|騒々《さうざう》しき|物音《ものおと》が|聞《きこ》え|来《き》たりぬ。
|足真彦《だるまひこ》は、つと|身《み》を|起《おこ》し、|耳《みみ》を|傾《かたむ》け、|何者《なにもの》ならむと|思案《しあん》に|暮《く》るる|折《をり》しも、|馬《うま》の|蹄《ひづめ》の|音《おと》|戞々《かつかつ》と|近《ちか》より|来《く》るものありける。
|見附《みつ》けられては|大変《たいへん》と、|心《こころ》を|励《はげ》まし|疲《つか》れし|足《あし》を|運《はこ》びながら、|渓路《たにみち》さして|下《くだ》り|行《ゆ》かむとする|時《とき》しも、|後方《こうはう》よりは|老《お》いたる|神《かみ》と|見《み》えて、|嗄《しわが》れ|声《ごゑ》を|張揚《はりあ》げながら、
『オーイ、オーイ』
と|呼《よ》ばはりける。その|言霊《ことたま》の|濁《にご》れるは、|正《ただ》しき|神《かみ》にあらざるべし。
|疲《つか》れ|果《は》てたる|今《いま》の|身《み》に、|魔神《まがみ》に|襲撃《しふげき》されてはたまらじと、|運《はこ》ばぬ|足《あし》を|無理《むり》やりに、|一歩《いつぽ》|一歩《いつぽ》|走《はし》り|行《ゆ》く。
|駒《こま》|牽《ひ》きつれし|枉神《まがかみ》は|苦《く》もなく|追着《おひつ》きぬ。|進退《しんたい》これ|谷《きは》まりたる|足真彦《だるまひこ》は、わざと|元気《げんき》を|装《よそ》ひ、|剣《つるぎ》の|柄《つか》に|手《て》を|掛《か》けて、|寄《よ》らば|斬《き》らむと|身構《みがま》へ|居《ゐ》る。
このとき|薬鑵頭《やくわんあたま》の|爺《おやぢ》、|両手《りやうて》をついて|宣伝使《せんでんし》に|向《むか》ひ、
『|貴下《きか》は|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》と|見受《みう》け|奉《たてまつ》る。|吾《われ》に|一《ひと》つの|願《ねがひ》あり。|願《ねが》はくば|宣伝使《せんでんし》の|諸人《しよにん》を|救《すく》ひ|給《たま》ふ|慈心《じしん》によつて、|吾《わが》|一生《いつしやう》の|願《ねがひ》を|叶《かな》へ|給《たま》はずや』
とさも|慇懃《いんぎん》なり。|宣伝使《せんでんし》は、
『|願《ねがひ》とは|何事《なにごと》ぞ』
と、やや|緊張《きんちやう》したる|顔色《がんしよく》にて|問《と》ひ|返《かへ》せば、|禿頭《はげあたま》の|男《をとこ》はただ|袖《そで》を|以《もつ》て|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ひ、|大地《だいち》に|平伏《へいふく》するのみなりき。|中《なか》にも|稍《やや》|若《わか》き、|額《ひたひ》の|馬鹿《ばか》に|突出《つきで》たる、|福助頭《ふくすけあたま》の|黒《くろ》い|顔《かほ》の|男《をとこ》は、|人形《にんぎやう》|芝居《しばゐ》の|人形《にんぎやう》の|首《くび》の|様《やう》に|器械的《きかいてき》に|顔《かほ》を|振《ふ》りながら、|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ふ|真似《まね》をして、
『|旅《たび》のお|方《かた》に|一《ひと》つの|御願《おねがひ》があります。|今《いま》ここに|平伏《へいふく》して|居《を》るのは|吾《わが》|父《ちち》であります。|不幸《ふかう》にして|三年《さんねん》|以前《いぜん》に|妻《つま》に|別《わか》れ、|今《いま》は|老木《おいき》の|心《こころ》|淋《さび》しき|余生《よせい》を|送《おく》る|身《み》の|上《うへ》、せめて|今日《けふ》は|妻《つま》の|三年《さんねん》にあたる|命日《めいにち》なれば、その|霊《れい》を|慰《なぐさ》むるため、この|難路《なんろ》を|往来《わうらい》する|旅人《たびびと》に|供養《くやう》をなし、|妻《つま》の|追善《つゐぜん》のため|四方《しはう》に|家僕《かぼく》を|派遣《はけん》し、|往来《ゆきき》に|悩《なや》む|旅《たび》の|人《ひと》を|助《たす》け、|醜《みにく》き|吾《わが》|茅屋《あばらや》に|一宿《いつしゆく》を|願《ねが》ひ、|宣伝歌《せんでんか》を|霊前《れいぜん》に|唱《とな》へて、|其《その》|霊《れい》を|慰《なぐさ》め|給《たま》はるべき|御方《おかた》を|求《もと》めつつあるのであります。しかるに|如何《いか》なる|宿世《すぐせ》の|因縁《いんねん》か、|宣伝使《せんでんし》たる|貴下《きか》の|御姿《みすがた》を|拝《はい》し、|嬉《うれ》しさに|堪《た》へず|失礼《しつれい》を|省《かへりみ》ず、|御迹《みあと》を|追《お》うてここまで|到着《たうちやく》いたしました。|父《ちち》のためには|妻《つま》なれど、|私《わたくし》のためには|肉身《にくしん》の|生《うみ》の|母《はは》の|三年祭《さんねんさい》、|父子《おやこ》は|共《とも》に|宣伝使《せんでんし》の|往来《わうらい》を|待《ま》つて|居《ゐ》ました。どうぞ|一夜《いちや》の|宿泊《やど》を|願《ねが》ひます』
と、|真《まこと》しやかに|洟啜《はなすす》りながら、|声《こゑ》まで【かすめ】て|願《ねが》ひ|入《い》る。
|油断《ゆだん》ならずと|宣伝使《せんでんし》は、やや|思案《しあん》に|暮《く》れながら、|無言《むごん》のまま|佇立《ちよりつ》して|彼《かれ》らの|言葉《ことば》を|怪《あや》しみつつありける。
|父子《おやこ》は|口《くち》を|揃《そろ》へて、
『|誠《まこと》に|貴下《きか》のごとき|尊《たふと》き|神人《かみ》を|吾《わが》|茅屋《あばらや》に|宿泊《やど》を|願《ねが》ふは、|分《ぶん》に|過《す》ぎたる|願《ねがひ》でありますが、|袖振《そでふり》|合《あ》ふも|多生《たせう》の|縁《えん》とやら、|今日《けふ》|妻《つま》や|母《はは》の|三年祭《さんねんさい》に|当《あた》り、|聞《き》くも|有難《ありがた》き|宣伝使《せんでんし》に|邂逅《かいこう》し|奉《たてまつ》るは、|全《まつた》く|妻《つま》の|霊《れい》の|守護《しゆご》する|事《こと》と|信《しん》じて|疑《うたが》ひませぬ。かかる|草深《くさふか》き|山中《さんちゆう》の|事《こと》なれば、|差《さ》し|上《あ》ぐべき|馳走《ちそう》とてはありませぬが、|鬼城山《きじやうざん》の|名物《めいぶつ》たる|無花果《いちじゆく》の|果実《このみ》や|香具《かぐ》の|果物《このみ》および|山《やま》の|芋《いも》などは、|沢山《たくさん》に|貯《たくは》へて|居《を》りますから、どうぞ|吾々《われわれ》の|願《ねがひ》を|叶《かな》へて|此《この》|痩馬《やせうま》に|御召《おめ》しくださらば、お|伴《とも》|仕《つかまつ》ります』
と|頼《たの》み|入《い》る。
|足真彦《だるまひこ》は|道《みち》に|行《ゆ》き|暮《く》れて|宿《やど》るべき|処《ところ》もなく、かつ|腹《はら》は|空《むな》しく|足《あし》は|疲《つか》れ、|悲観《ひくわん》の|極《きよく》に|達《たつ》した|際《さい》の|事《こと》なれば、やや|顔色《がんしよく》を|和《やはら》げ、……エー、どうならうと|儘《まま》よ。|木花姫《このはなひめ》の|神勅《しんちよく》には、|決《けつ》して|一人旅《ひとりたび》と|思《おも》ふな、|神《かみ》は|汝《なんぢ》の|背後《あと》に|添《そ》ひて|守《まも》らむと|仰《あふ》せられたれば、|是《これ》も|全《まつた》く|神《かみ》の|御繰合《おくりあは》せならむ……と|心《こころ》に|決《けつ》し、|直《ただち》に|承諾《しようだく》の|旨《むね》を|示《しめ》した。
|嗚呼《ああ》この|父子《ふし》は|何者《なにもの》ならむか。
(大正一一・一・一六 旧大正一〇・一二・一九 井上留五郎録)
(第二章 昭和一〇・一・二八 於筑紫別院 王仁校正)
第三章 |頓智奇珍《とんちきちん》〔二五三〕
|足真彦《だるまひこ》は、|父子《おやこ》の|請《こ》ひを|容《い》れ、やや|不安《ふあん》の|念《ねん》に|包《つつ》まれながら、|馬背《ばはい》に|悠々《いういう》と|跨《またが》り|馬《うま》の|嘶《いなな》き|勇《いさ》ましく、|山路《やまみち》さして|奥深《おくふか》く|進《すす》みゆく。
ここは|鬼城山《きじやうざん》の|美山彦《みやまひこ》が|隠《かく》れ|家《が》にして、|今《いま》|宣伝使《せんでんし》を|誘《いざな》ひ|帰《かへ》りし|父《ちち》と|称《しよう》するは、|美山彦《みやまひこ》の|部下《ぶか》なる|鬼熊彦《おにくまひこ》なりき。|若《わか》きは|鬼虎《おにとら》といふ|邪神《じやしん》なり。|行《ゆ》くこと|数十町《すうじつちやう》にして|此《こ》の|隠《かく》れ|家《が》に|着《つ》きぬ。
|高山《かうざん》の|谷間《たにま》より|漏《も》れくる|月《つき》の|光《ひかり》に|照《てら》し|見《み》て、この|深山幽谷《しんざんいうこく》に|似《に》ず|意外《いぐわい》に|広《ひろ》き|館《やかた》のあるに|足真彦《だるまひこ》は|心《こころ》|私《ひそ》かに|驚《おどろ》きける。|鬼熊彦《おにくまひこ》は|声《こゑ》|張《は》り|上《あ》げて、|門戸《もんこ》を|叩《たた》き、
『オーイ、オーイ』
と|呼《よば》はる。|声《こゑ》に|応《おう》じて|門内《もんない》より|四五《しご》の|男《をとこ》|現《あら》はれ、ガラガラと|音《おと》をさせ|乍《なが》ら、|黒《くろ》き|正門《せいもん》を|開《ひら》き、
『ヤア、|鬼熊彦《おにくまひこ》、|鬼虎《おにとら》か』
と|叫《さけ》ぶや|二人《ふたり》は、
『シイーツ』
と|窃《ひそか》に|制《せい》し|止《と》むれば、|男《をとこ》は|平身《へいしん》|低頭《ていとう》し|乍《なが》ら、
『ヤア、|是《これ》は|是《これ》は|失礼《しつれい》なことを|申《まを》し|上《あ》げました。|夜中《やちう》の|事《こと》とて|召使《めしつかひ》の|鬼熊彦《おにくまひこ》、|鬼虎《おにとら》と|見誤《みあやま》り、|誠《まこと》に|申訳《まをしわけ》ありませぬ。|御主人様《ごしゆじんさま》』
と|言葉《ことば》を|濁《にご》したり。|鬼熊彦《おにくまひこ》は|態《わざ》と|大声《おほごゑ》を|発《はつ》し、
『|今日《けふ》は|許《ゆる》す、|今後《こんご》は|斯《かか》る|粗忽《そこつ》あるべからず』
といふ|間《ま》もあらず、|鬼虎《おにとら》は|其《そ》の|尾《を》に|次《つい》で、
『|今日《けふ》は|母上《ははうへ》の|三年祭《さんねんさい》なれば、|唯今《ただいま》の|無礼《ぶれい》は|母《はは》の|霊《れい》に|免《めん》じて|差許《さしゆる》す』
と|言葉《ことば》を|添《そ》へける。
|二人《ふたり》は|揉手《もみで》しながら、|宣伝使《せんでんし》に|向《むか》ひ、
『|何分《なにぶん》|山奥《やまおく》の|事《こと》とて、|万事《ばんじ》|不行届《ふゆきとどき》、そのうへ|行儀《ぎやうぎ》|作法《さはふ》も|知《し》らぬ|山猿《やまざる》ばかり、|何卒《なにとぞ》|御心《みこころ》に|掛《か》けさせられず、ゆるゆる|御逗留《ごとうりう》を|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る』
と|慇懃《いんぎん》に|述《の》べたり。
|足真彦《だるまひこ》は|馬上《ばじやう》の|儘《まま》、|門内《もんない》に|進《すす》み|入《い》り、|馬繋《うまつなぎ》の|前《まへ》にてヒラリと|下馬《げば》したる|時《とき》しも、|何処《いづこ》よりか|四五《しご》の|男《をとこ》|現《あら》はれ|来《きた》り、
『|鬼熊彦《おにくまひこ》は|偉《えら》い|奴《やつ》だ、|今日《けふ》の|一番槍《いちばんやり》。もう|斯《か》うなつては、|籠《かご》の|鳥《とり》も|同様《どうやう》、|此方《こつち》のものだ』
と|口走《くちばし》りければ、|鬼熊彦《おにくまひこ》は|驚《おどろ》きて、
『ヤイ|気違《きちがひ》ひ』
と|叱咤《しつた》しながら、|又《また》もや|揉手《もみで》をなし、
『|実《じつ》は|今日《こんにち》|妻《つま》の|供養《くやう》につき、あまたの|行倒《ゆきだふ》れ|者《もの》や|狂乱者《きやうらんしや》を|集《あつ》めて|能《あた》ふ|限《かぎ》りの|供養《くやう》を|致《いた》し|居《を》りますれば、かかる|狂人《きやうじん》の|集《あつま》つて、|理由《わけ》もなき|囈言《たはごと》を|申《まを》すので|御座《ござ》います。|必《かなら》ず|必《かなら》ず|御心《みこころ》|置《おき》なくゆるゆると|御衣《ぎよい》を|脱《だつ》し、|草鞋脚絆《わらぢきやはん》を|脱捨《ぬぎす》て、|奥殿《おくでん》に|休息《きうそく》し|給《たま》へ』
と|言《い》ふにぞ、|宣伝使《せんでんし》は、いよいよ|怪《あや》しみ、ここに|意《い》を|決《けつ》し、|俄《にはか》に|聾者《つんぼ》と|化《ば》け|変《かは》りけり。|俄《にはか》|聾者《つんぼ》の|宣伝使《せんでんし》は、|彼《かれ》らの|導《みちび》くままに、やや|美《うる》はしき|一間《ひとま》に|座《ざ》を|占《し》めたり。このとき|例《れい》の|禿頭《はげあたま》の|男《をとこ》は|丁寧《ていねい》に|叩頭《おじぎ》しながら、
|鬼熊彦《おにくまひこ》『アヽ|有難《ありがた》き|宣伝使《せんでんし》よ、よくも|此《こ》の|茅屋《あばらや》に|入《い》らせ|給《たま》ひました。|痩馬《やせうま》の|事《こと》とて|嘸《さぞ》|御身体《おからだ》を|痛《いた》め|給《たま》ひしならむ。まづ|御遠慮《ごゑんりよ》なく|温泉《をんせん》の|幸《さいは》ひに|湧《わ》き|出《い》であれば、ゆるゆる|入湯《にふたう》されたし』
と|勧《すす》むるにぞ、|宣伝使《せんでんし》は|裸体《はだか》になつては|大変《たいへん》と、|態《わざ》と|聞《きこ》えぬ|振《ふ》りをしながら|黙《もく》し|居《ゐ》たり。
|鬼熊彦《おにくまひこ》は|幾度《いくたび》も|幾度《いくたび》も|入浴《にふよく》を|勧《すす》めたり。されど|聾者《つんぼ》の|宣伝使《せんでんし》は、|一言《いちごん》も|答《こた》へざるのみならず、|態《わざ》と|自分《じぶん》より|言葉《ことば》をかけ、
『アヽ|此処《ここ》には|立派《りつぱ》な|火鉢《ひばち》があるのー、これは|何《なん》といふ|木《き》で|拵《こしら》へたのかい』
と|問《と》ひかける。|鬼熊彦《おにくまひこ》は、この|言葉《ことば》を|聞《き》くより、|頭《あたま》を|傾《かたむ》けながら|独言《ひとりごと》、
『アハー、こいつは|聾者《つんぼ》になりおつたわい、|生命《いのち》の|無《な》い|奴《やつ》は|眼玉《めだま》から|先《さき》に|上《あが》るといふ|事《こと》だが、|此奴《こいつ》は|耳《みみ》から|先《さき》に|上《あが》つたな。いづれ|今晩中《こんばんちう》の|生命《いのち》だ。|美山彦《みやまひこ》の|計略《けいりやく》にウマウマと|乗《の》せられよつて、うまい|事《こと》づくめを|並《なら》べられて、|此奴《こいつ》はうまく|乗《の》せられよつた|馬鹿者《ばかもの》だ、もう|大丈夫《だいぢやうぶ》だ』
と|小声《こごゑ》につぶやき|居《ゐ》る。
|宣伝使《せんでんし》はその|悪言《あくげん》を|少《すこ》しも|聞《きこ》えぬ|振《ふ》りにて、さも|愉快気《ゆくわいげ》に、にこにこ|笑《わら》ひつづけ|居《ゐ》たり。|而《しか》してふたたび、|宣伝使《せんでんし》は、
『オイこの|火鉢《ひばち》はどこの|山《やま》の、|何《なん》といふ|木《き》で|拵《こしら》へたのかい』
と|又《また》もや|問《と》ひかくるを、|鬼熊彦《おにくまひこ》は、
『エー|邪魔《じやま》|臭《くさ》い。|耳《みみ》も|聞《きこ》えぬ|態《ざま》しよつて、|俺《おれ》に|聞《き》いたつて|何《なん》になるかい。|人《ひと》に|物《もの》を|聞《き》くのは、|耳《みみ》の|聞《きこ》える|奴《やつ》のする|事《こと》だ。|此奴《こいつ》は|手真似《てまね》で|一《ひと》つ|驚《おどろ》かしてやらう』
と、たちまち|自分《じぶん》の|鼻毛《はなげ》を【むしり】、|火鉢《ひばち》に|燻《くす》べて|見《み》せるを、|宣伝使《せんでんし》は、
『アヽさうか、|鼻山《はなやま》の|穴《あな》たの|高《たか》き|欅《けやき》で|造《つく》つたのかのー』
と|空《そら》とぼけて|見《み》せるを、|鬼熊彦《おにくまひこ》は、
『|聾者《つんぼ》の|頓智《とんち》、|面白《おもしろ》いことを|吐《ぬか》すワイ』
とまた|笑《わら》ふ。
|宣伝使《せんでんし》は|一《ひと》つ|嬲《なぶ》つてやらうと|思《おも》つて、
『オイ、この|敷物覆《しきものおほ》ひはいつ|拵《こしら》へたのかい』
|鬼熊彦《おにくまひこ》は、
『エー|邪魔《じやま》くさい、|自分《じぶん》の|生命《いのち》が|今晩《こんばん》|終《をは》るのも|知《し》りよらずに、|暢気《のんき》らしい|敷物《しきもの》|覆《おほ》ひまで|尋《たづ》ねよる、|尻《しり》でも|喰《くら》つて|置《お》け』
と、クルリツと|宣伝使《せんでんし》の|方《はう》に|後《うしろ》を|向《む》け、|真黒《まつくろ》の|尻《しり》を|捲《まく》つて、ポンポンと|二《ふた》つ|叩《たた》いて|見《み》せたれば、|宣伝使《せんでんし》は、
『ウン、さうかい。|後月《あとげつ》の|二日《ふつか》に|拵《こしら》へたのかい。|道理《だうり》で|未《ま》だ|新《あたら》しい|香《にほひ》がプンプンとして|居《を》るワイ』
|鬼熊彦《おにくまひこ》は、その|頓智《とんち》に|呆《あき》れかへる。|宣伝使《せんでんし》は|又《また》もや|嬲《なぶ》りかけた。
『この|押戸《おしど》は、いつ|拵《こしら》へたかのー』
『エー|邪魔《じやま》|臭《くさ》い。|蕪《かぶら》から|菜種子《なたね》まで|差出《さしで》よつて、もう【けつ】が|呆《あき》れる。|差出《さしで》なイ』
といふ|言葉《ことば》を|形容《けいよう》に|代《か》へて、|又《また》もや|宣伝使《せんでんし》の|方《はう》に|向《むか》つて|尻《しり》を|捲《ま》くり、|尺《さし》を|突込《つきこ》みて|見《み》せたり。これは、「|尺《さし》でな」といふ|事《こと》なるを、|宣伝使《せんでんし》は|又《また》もや|笑《わら》ひながら、
『ウン、さうかい。|後月《あとげつ》の|差入《さしい》れに|拵《こしら》へたのかい。アハヽヽ』
と|笑《わら》ひ|転《こ》ける。
このとき|絶世《ぜつせい》の|美人《びじん》は、|淑《しと》やかに|押戸《おしど》を|開《あ》けて|入《い》り|来《きた》り、|流目《ながしめ》に|宣伝使《せんでんし》をチラリと|見上《みあ》げ、|丁寧《ていねい》に|辞儀《じぎ》をしたりしが、|互《たがひ》に|見合《みあは》す|顔《かほ》と|顔《かほ》、|二人《ふたり》の|顔《かほ》には、ハツと|驚《おどろ》きの|色《いろ》|現《あら》はれたり。この|美姓《びじん》は、|果《はた》して|何人《なにびと》ならむか。
(大正一一・一・一六 旧大正一〇・一二・一九 外山豊二録)
第四章 |立春《りつしゆん》|到達《たうたつ》〔二五四〕
|花《はな》の|顔色《かんばせ》、|霞《かすみ》の|衣《ころも》、|姿優《すがたやさ》しき|春《はる》の|日《ひ》の、|花《はな》に|戯《たはむ》る|蝶々《てふてふ》の、|得《え》も|言《い》はれぬ|風情《ふぜい》をば、|遺憾《ゐかん》|無《な》くあらはし|乍《なが》ら、|宣伝使《せんでんし》の|前《まへ》に|座《ざ》を|占《し》めたる|美人《びじん》あり。
|足真彦《だるまひこ》は|思《おも》はず、
『ヤア』
と|叫《さけ》べば、|女性《ぢよせい》はハツと|胸《むね》を|仰《おさ》へ、
『|鬼熊《おにくま》はあらざるか、|鬼虎《おにとら》はいづこぞ、|申付《まをしつ》く|可《べ》き|事《こと》あり|早《はや》く|来《きた》れ』
と、しとやかに|呼《よば》はつた。されど|何《いづ》れの|神《かみ》も、この|女《をんな》に|任《まか》せて|何彼《なにか》の|準備《じゆんび》に|取《とり》かかり、|近辺《きんぺん》には|一柱《ひとはしら》の|厄雑男《やくざをとこ》さへ|居《を》らざりける。
|女性《ぢよせい》は|四辺《あたり》に|人《ひと》|無《な》きを|見済《みす》まし、|梅花《ばいくわ》のごとき|美《うるは》しき|唇《くちびる》を|漸《やうや》く|開《ひら》いて、
『アヽ|貴下《きか》は|足真彦《だるまひこ》にまさずや。|月照彦《つきてるひこ》は、|当山《たうざん》に|割拠《かつきよ》する|美山彦《みやまひこ》の|謀計《ぼうけい》にかかり、|今《いま》や|奥殿《おくでん》に|休息《きうそく》されつつあり。|悪人《あくにん》の|奸計《かんけい》にて、|痛《いた》はしや、|今宵《こよひ》の|間《うち》にその|生命《いのち》も、|晨《あした》の|露《つゆ》と|消《き》え|給《たま》はむ。|貴下《きか》もまた|同《おな》じ|運命《うんめい》の|下《もと》に|刃《やいば》の|露《つゆ》と|消《き》えさせ|給《たま》ふも|計《はか》り|難《がた》し。|心《こころ》|配《くば》らせ|給《たま》ひ、|妾《わらは》と|共《とも》に|力《ちから》を|協《あは》せ、この|館《やかた》の|悪人《あくにん》どもを|打亡《うちほろ》ぼして、|世界《せかい》の|難《なん》を|救《すく》ひ|給《たま》へ。|妾《わらは》は|月照彦《つきてるひこ》の|懇篤《こんとく》なる|教示《けうじ》を|拝《はい》し、|吾《わが》|夫《をつと》|鷹住別《たかすみわけ》は|宣伝使《せんでんし》となつて|天下《てんか》を|遍歴《へんれき》し、|妾《わらは》は|御恩《ごおん》|深《ふか》き|月照彦《つきてるひこ》の|御跡《みあと》を|慕《した》ひ、|一《ひと》つは|吾《わが》|夫《をつと》|鷹住別《たかすみわけ》に|巡《めぐ》り|会《あ》はむと、モスコーの|城《しろ》を|後《あと》にして、|雨《あめ》に|浴《よく》し|風《かぜ》に|梳《くしけづ》り、|流浪《さすら》ひめぐる|折《をり》から、|今《いま》より|三年《みとせ》のその|昔《むかし》、|美山彦《みやまひこ》の|計略《けいりやく》に|乗《の》せられ、|鬼熊彦《おにくまひこ》の|馬《うま》に|跨《またが》り、この|深山《しんざん》の|奥《おく》に|誘拐《かどは》かされ、|面白《おもしろ》からぬ|月日《つきひ》を|送《おく》りつつある|春日姫《かすがひめ》にて|候《さふらふ》』
と|有《あ》りし|次第《しだい》を|涙《なみだ》と|共《とも》に|物語《ものがた》り、かつ|足真彦《だるまひこ》の|耳《みみ》に|口寄《くちよ》せ、|何事《なにごと》か|囁《ささや》きにける。
|足真彦《だるまひこ》は、|無言《むごん》のまま|打《う》ちうなづきぬ。
|春日姫《かすがひめ》は、|四辺《あたり》に|何人《なにびと》も|無《な》きに|安心《あんしん》したるものと|見《み》え、|涙《なみだ》を|片手《かたて》に、|激昂《げきかう》の|色《いろ》を|満面《まんめん》に|漂《ただよ》はせながら、
『|妾《わらは》は|美山彦《みやまひこ》の|妻《つま》なる|国照姫《くにてるひめ》が、ウラル|彦《ひこ》に|招《まね》かれて、ウラル|山《さん》に|出発《しゆつぱつ》せしより、|閨淋《ねやさび》しき|美山彦《みやまひこ》のために「|昼《ひる》は|娘《むすめ》となり、|夜《よ》は|妻《つま》となれよ」との|日夜《にちや》の|強要《きやうえう》に|苦《くる》しみ、|涙《なみだ》の|日《ひ》を|送《おく》ること|茲《ここ》に|三年《さんねん》に|及《およ》ぶ。されど|妾《わらは》は|貞操《みさを》を|守《まも》り、|今《いま》にその|破《やぶ》られたることなし。しかるに|美山彦《みやまひこ》は|執拗《しつえう》にも、|最初《さいしよ》の|要求《えうきう》を|強要《きやうえう》してやまざるを|幸《さいは》ひ、|今宵《こよひ》は|一計《いつけい》を|案出《あんしゆつ》し、|美山彦《みやまひこ》の|一派《いつぱ》の|悪人間《あくにんげん》を|打《う》ち|懲《こら》しくれむ。その|手筈《てはず》はかくかく』
と|再《ふたた》び|耳《みみ》うちしながら、|悠々《いういう》として|一間《ひとま》に|姿《すがた》を|隠《かく》したりける。
|場面《ばめん》は|変《かは》つて、ここは|見晴《みは》らしの|佳《よ》き|美山彦《みやまひこ》の|居間《ゐま》なり。|美山彦《みやまひこ》にとつて|強敵《きやうてき》たる|月照彦《つきてるひこ》、|足真彦《だるまひこ》の|甘々《うまうま》とその|術中《じゆつちう》に|陥《おちい》り、|吾《わ》が|山寨《さんさい》に|入《い》り|来《きた》れるは、|日頃《ひごろ》の|願望《ぐわんばう》|成就《じやうじゆ》の|時《とき》|到《いた》れりとなし、|勝誇《かちほこ》りたる|面色《おももち》にて、|花顔柳腰《くわがんりうえう》の|春姫《はるひめ》に|酌《しやく》させながら、
『|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ、|一寸先《いつすんさ》きや|暗黒《やみ》よ
|暗黒《やみ》のあとには|月《つき》が|出《で》る
|月照彦《つきてるひこ》の|運《うん》のつき
|足真《だるま》の|寿命《じゆみよう》も|今日《けふ》かぎり
|春日《かすが》の|姫《ひめ》は|軈《やが》て|妻《つま》』
と|小声《こごゑ》に|謡《うた》ひながら、|上機嫌《じやうきげん》で|果物《くだもの》の|酒《さけ》を【あほり】|居《ゐ》たり。
かかるところに、|衣摺《きぬず》れの|音《おと》しとやかに、|襖《ふすま》を|押開《おしあ》け|入《い》りきたる|女《をんな》は、|美山彦《みやまひこ》の|須臾《しゆゆ》も|忘《わす》るる|能《あた》はざる|春日姫《かすがひめ》なりける。
|春日姫《かすがひめ》は|満面《まんめん》に|笑《ゑ》みを|湛《たた》へ、|美山彦《みやまひこ》に|向《むか》つて|会釈《ゑしやく》しながら|盃《さかづき》を|執《と》り、|美山彦《みやまひこ》に|差《さ》したりしに、|美山彦《みやまひこ》は|意気《いき》|揚々《やうやう》として、|満足《まんぞく》の|色《いろ》をあらはし|乍《なが》ら、|春日姫《かすがひめ》の|顔《かほ》を|酔眼《すゐがん》|朦朧《もうろう》として|眺《なが》めて|居《ゐ》たり。|春日姫《かすがひめ》は|春姫《はるひめ》に|目配《めくば》せしたれば、|春姫《はるひめ》はこの|場《ば》を|立《た》つて、|奥殿《おくでん》の|月照彦命《つきてるひこのみこと》の|居間《ゐま》に|急《いそ》ぎける。|春日姫《かすがひめ》は|形容《かたち》をあらため、|襟《えり》を|正《ただ》し、さも|嬉《うれ》しげに|言《い》ふ。
『|今日《けふ》は|如何《いか》なる|吉日《きちじつ》ならむ。|日《ひ》ごろ|妾《わらは》が|念頭《ねんとう》を|離《はな》れざる|彼《か》の|月照彦《つきてるひこ》の、|貴下《あなた》の|術中《じゆつちう》に|陥《おちい》れるさへあるに、|又《また》もや|足真彦《だるまひこ》の、|貴下《あなた》の|神謀《しんぼう》|鬼略《きりやく》によつて、この|山寨《さんさい》に|俘虜《とりこ》となりしは、|全《まつた》く|御運《ごうん》の|強《つよ》きによるものならむ。|妾《わらは》は|此《こ》の|二人《ふたり》さへ|亡《な》きものとせば、この|世《よ》の|中《なか》に|恐《おそ》るべき|者《もの》は|一柱《ひとはしら》も|無《な》し。|今宵《こよひ》は|時《とき》を|移《うつ》さず、|貴下《あなた》の|妻《つま》と|許《ゆる》し|給《たま》はざるか。|幸《さいは》ひに|夫婦《ふうふ》となることを|得《え》ば、|互《たがひ》に|協心戮力《けふしんりくりよく》して|二人《ふたり》を|平《たひら》げ、|彼《かれ》が|所持《しよぢ》する|被面布《ひめんぷ》の|宝物《ほうもつ》を|奪《うば》ひ、かつ|足真彦《だるまひこ》は、|天教山《てんけうざん》の|木《こ》の|花姫《はなひめ》より|得《え》たる|国《くに》の|真澄《ますみ》の|玉《たま》を|所持《しよぢ》し|居《を》れば、|之《これ》またマンマと|手《て》に|入《い》るからは、|大願《たいぐわん》|成就《じやうじゆ》の|時節《じせつ》|到来《たうらい》なり。この|吉祥《きつしやう》を|祝《しゆく》するため|今宵《こよひ》|妾《わらは》と|夫婦《ふうふ》の|盃《さかづき》をなし、かつ|残《のこ》らずの|召使《めしつかひ》どもに|祝意《しゆくい》を|表《へう》するために|充分《じゆうぶん》の|酒《さけ》を|饗応《ふるま》はれたし』
と|言《い》ふにぞ、|美山彦《みやまひこ》は|大《おほ》いに|喜《よろこ》び、|心《こころ》の|中《なか》にて、「アヽ|時節《じせつ》は|待《ま》たねばならぬものだなア、|日《ひ》ごろ|吾《われ》を|蛇蝎《だかつ》のごとく、|毛蟲《けむし》のごとく|嫌《きら》ひたる|春日姫《かすがひめ》の|今《いま》の|言葉《ことば》、|全《まつた》く|縁《えにし》の|神《かみ》の|幸《さきは》ひならむ。|善《ぜん》は|急《いそ》げ、|又《また》もや|御意《ぎよい》の|変《かは》らぬ【うち】に」と|二《ふた》つ|返事《へんじ》にて|春日姫《かすがひめ》の|願《ねがひ》を|容《い》れ、|手《て》を|拍《う》つて|侍者《じしや》を|呼《よ》び|招《まね》けば、|禿頭《はげあたま》の|鬼熊彦《おにくまひこ》は|忽《たちま》ち|此《こ》の|場《ば》に|現《あら》はれたり。|美山彦《みやまひこ》は|機嫌《きげん》|良《よ》げに、イソイソとして、
『|今宵《こよひ》ただちに|結婚式《けつこんしき》を|挙《あ》ぐる|用意《ようい》をせよ。|又《また》|召使《めしつかひ》|一同《いちどう》に|残《のこ》らず|祝酒《いはひざけ》を|与《あた》へて、|思《おも》ふままにさせ、|各自《かくじ》に|唄《うた》ひ|舞《ま》ひ|踊《をど》らしめよ』
と|命令《めいれい》したれば、|鬼熊彦《おにくまひこ》は、
「|諾々《はいはい》」
と|頭《かしら》を|幾度《いくど》も|畳《たたみ》にうちつけ|乍《なが》ら、|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|此《こ》の|場《ば》を|駈《か》け|出《だ》したり。|而《しか》して|一般的《いつぱんてき》に|今宵《こよひ》の|結婚《けつこん》の|次第《しだい》を|一々《いちいち》|伝達《でんたつ》せしめたりけり。
(大正一一・一・一六 旧大正一〇・一二・一九 藤松良寛録)
第五章 |抔盤《はいばん》|狼藉《らうぜき》〔二五五〕
|俄《にはか》に|館《やかた》の|大広間《おほひろま》は|陽気《やうき》|立《た》ち|騰《のぼ》り、|酒《さけ》や|果物《くだもの》は|沢山《たくさん》に|運《はこ》ばれ、|木葉奴《こつぱやつこ》の|端《はし》に|至《いた》るまでずらりと|席《せき》に|列《れつ》し、|大樽《おほたる》や|甕《かめ》を|中央《ちうあう》に|据《す》ゑ、|竹《たけ》を|輪切《わぎり》にした|杓《しやく》にて、|酌《く》みては|呑《の》み、|酌《く》みては|呑《の》み、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|謡《うた》ひ|始《はじ》めたり。しかして|酔《ゑひ》が|廻《まは》るに|連《つ》れて|杓《しやく》の|引奪《ひつたく》り|合《あ》ひが|始《はじ》まり、|頭《あたま》を|杓《しやく》で【こつり】とこづかれ、|禿頭《はげあたま》の|爺《おやぢ》は|面部《めんぶ》と|頭部《とうぶ》とに|沢山《たくさん》の|出店《でみせ》を|出《だ》し、|次第々々《しだいしだい》に|舌《した》は|縺《もつ》れ、|泣《な》く|奴《やつ》、|笑《わら》ふ|奴《やつ》、|怒《いか》る|奴《やつ》、|様々《さまざま》なり。
|甲《かふ》『ヤイ、|皆《みな》の|奴《やつ》ら、【けつたい】が|悪《わる》いぢやないか。|美山彦《みやまひこ》が|大将面《たいしやうづら》しよつて、|毎日々々《まいにちまいにち》、|俺《おい》らを|敵《かたき》の|末《すゑ》か|何《なん》かのやうに|扱《こ》き|使《つか》ひよつて、|自分《じぶん》ばかり|酒《さけ》を|喰《くら》ひよつて、|春日姫《かすがひめ》の|膝枕《ひざまくら》に|身《み》も|魂《たま》もとろかしよつて、お|負《ま》けに|足《あし》を|揉《も》め、|手《て》を|揉《も》めと|人《ひと》に|嬉《うれ》しいところを|見《み》せつけ、|自分《じぶん》ばかり|酒《さけ》を|喰《くら》つて、|己《おい》らには|一口《ひとくち》でも|呑《の》めと|云《い》ひよつた|事《こと》はありやしない。|俺《お》りや、いつも|器《うつは》を|片付《かたづ》けるときに|盃《さかづき》を|一《ひと》つ|一《ひと》つ|舐《ねぶ》つて|香《にほひ》を|嗅《か》いで|満足《たんのう》しとつたのだ。|今日《けふ》は|春日姫《かすがひめ》にや、|痩《や》せ|馬《うま》が|荷《に》を|顛倒《かへ》すやうにして|厭《い》やがられて|居《ゐ》たのが、どうした|風《かぜ》の|吹《ふ》き|廻《まは》しやら、|尼《あま》【つちよ】の|方《はう》から|結婚《けつこん》してくれと、ぬかしよつたとか|云《い》つて、|吝《しわ》ン|坊《ぼう》の|美山彦《みやまひこ》が、|地獄《ぢごく》の|釜《かま》の|一足飛《いつそくと》びをするやうな|気《き》に|到頭《たうとう》なりよつて、|腐《くさ》りかけた|酒《さけ》を|俺達《おれたち》に|鱈腹《たらふく》|呑《の》めと|云《い》ひよるのだ、|実《じつ》に|業腹《ごふはら》だ。|甘《あま》く|見《み》よつて|馬鹿《ばか》にするにも|程《ほど》があるぢやないか』
と|腕《うで》を|捲《まく》つて、|自分《じぶん》の|腹《はら》を|二《ふた》つ|三《み》つ|拳《こぶし》で|叩《たた》きながら、|面《つら》ふくらして|云《い》ふ。
|乙《おつ》『|大《おほ》きな|声《こゑ》で|云《い》ふな、|皆《みな》の|前《まへ》だ。また|杓《しやく》で|一杯《いつぱい》も|舐《ねぶ》らして|貰《もら》はうと|思《おも》ひよつて、|貴様《きさま》の|今《いま》|云《い》つた|悪口《わるくち》を|大将《たいしやう》に|告《つ》げる|奴《やつ》があつたらどうする』
|甲《かふ》『どうするも、かうするも|俺《おれ》らの|知《し》つた|事《こと》ぢやない。|春日姫《かすがひめ》は|美山彦《みやまひこ》の|大将《たいしやう》が、どうかするのだらう。|俺《おれ》らはどうするあてもありやしないし、マア|腐《くさ》つた|酒《さけ》でも|呑《の》ンでおとなしく|寝《ね》る|事《こと》だよ』
|丙《へい》『オイあまり|座《ざ》が|淋《さび》しくなつたやうだ、|一《ひと》つ|謡《うた》つたらどうだ。あのウラル|彦《ひこ》の|神《かみ》さまの|宣伝歌《せんでんか》は|俺《おい》らには|天国《てんごく》の|福音《ふくいん》だ。|呑《の》めや|騒《さわ》げや|一寸先《いつすんさき》は|闇《やみ》よ、|闇《やみ》の|後《あと》には|月《つき》がでるなンて|甘《うま》く|云《い》ひやあがらア、|俺《おい》らは|酒《さけ》さへありや、|嬶《かか》も|何《なに》も|要《い》らぬ』
|丁《てい》『お|前《まへ》|何《なに》ほど|天来《てんらい》の|福音《ふくいん》でも、|呑《の》めぬ|酒《さけ》に|酔《よ》へるかい。|酒《さけ》は|百薬《ひやくやく》の|長《ちやう》だとか、|生命《いのち》の|水《みづ》だとか|云《い》ふけれど、|呑《の》みたい|酒《さけ》もよう|呑《の》まずに、|毎日《まいにち》|扱《こ》き|使《つか》はれて、ナイヤガラの|赤《あか》い|水《みづ》を|酒《さけ》だと|思《おも》ふて|呑《の》みで|居《ゐ》ても、【ねつからとつくり】と|酔《よ》はぬぢやないか、これを|思《おも》へば|悲《かな》しい|浮世《うきよ》だ』
とそろそろ|泣《な》きだす|可笑《をか》しさ。
|戊《ぼう》『オイ、こんな|目出度《めでた》い|場所《ばしよ》で、メソメソ|泣《な》くやつがあるかイ』
|丁《てい》『|泣《な》かいでか、|今夜《こんや》は|美山彦《みやまひこ》が|春日姫《かすがひめ》と【しつぽり】|泣《な》きよるのだ。|俺《おい》らはその|乾児《こぶん》だ、|泣《な》くのがあたり|前《まへ》よ』
|戊《ぼう》『|貴様《きさま》の|泣《な》くのと、|春日姫《かすがひめ》の|泣《な》くのとは|泣《な》きやうが|異《ちが》ふ。|丁度《ちやうど》|鶯《うぐひす》の|梅《うめ》が|枝《え》にとまつて|陽気《やうき》な|春《はる》を|迎《むか》へて|鳴《な》くのと、|鶏《にはとり》が|首《くび》を|捻《ねぢ》られ|毛《け》を|抜《ぬ》かれ|絶命《ぜつめい》の|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて|泣《な》くのと|程《ほど》の|相違《さうゐ》があるのだ』
|甲《かふ》『この|間《あひだ》も|仇《あだ》【けつたい】の|悪《わる》い|天教山《てんけうざん》の|癲狂人《てんきやうじん》が、そこらうちを|歩《ある》き|廻《まは》りよつて、|照《て》るとか、|曇《くも》るとか、|浮《う》くとか|死《し》ぬとか、|時鳥《ほととぎす》がどうとか、|触《ふ》れ|歩《ある》くものだから、|毎日々々《まいにちまいにち》|地響《ぢひび》きは|仕出《しだ》す、|雨《あめ》は【べそべそ】と|貴様《きさま》の|涙《なみだ》のやうに|降《ふ》りしきる。|谷間《たにま》の|水《みづ》は|赤泥《あかどろ》となつて、|水《みづ》も【ろく】に|呑《の》まれやせないぢやないか、あんな|奴《やつ》は|一時《いちじ》も|早《はや》くどうかして、ナイヤガラの|滝《たき》にでも|打《う》ち|込《こ》みて|仕舞《しま》ひ|度《た》いものだなア』
|乙《おつ》『ウン、その|宣伝使《せんでんし》か、それや|今夜《こんや》|出《で》てきをつた。|奥《おく》の|間《ま》に|鯱固張《しやちこばつ》て|大《おほ》きな|目玉《めだま》をむいて、|生命《いのち》のもはや【|尽《つ》きとる】|彦《ひこ》とか|月照《つきてる》とか|云《い》ふ|奴《やつ》と、|腹《はら》がすいて、【ひだる】|彦《ひこ》とか|云《い》ふ|奴《やつ》が、|美山彦《みやまひこ》の|計略《けいりやく》にかかつて、|今《いま》はほとんど|籠《かご》の|鳥《とり》、あれさへやつて|仕舞《しま》へば、|雨《あめ》も|止《や》むだらうし、|地響《ぢひびき》も|止《と》まるだらう。|縁起糞《げんくそ》の|悪《わる》い|事《こと》をふれ|廻《まは》るものだから、|天気《てんき》がだんだん|悪《わる》くなるばかり、|俺《お》りや、|彼奴《あいつ》たちの|囀《さへづ》る|歌《うた》を|聞《き》くと|妙《めう》に|頭《あたま》ががんがん|吐《ぬ》かして、|胸《むね》を|竹槍《たけやり》で|突《つ》かれるやうな|気《き》がするのだよ』
|戊《ぼう》『そこが|美山彦《みやまひこ》は|偉《えら》いのだ。お|前達《まへたち》がその|宣伝歌《せんでんか》とやらを|聞《き》いて|苦《くる》しむのを|助《たす》けてやらうと|云《い》ふ|大慈悲心《だいじひしん》から、その|宣伝使《せんでんし》をこの|館《やかた》に|甘《うま》く|引《ひ》つ|張《は》り|込《こ》みて、|今夜《こんや》は|荒料理《あられうり》する|事《こと》となつて|居《を》るのだ。マアそれでも|肴《さかな》に|寛《ゆつ》くり|酒《さけ》を|呑《の》みて|夜明《よあ》かしでもしようぢやないか』
と|何《いづ》れの|奴《やつ》も|皆《みな》【へべれけ】に|酔《よ》ひつぶれ、|碌《ろく》に|腰《こし》の|立《た》つものも|無《な》き|有様《ありさま》なりける。
|奥《おく》の|一間《ひとま》には、|美山彦《みやまひこ》、|春日姫《かすがひめ》は|今日《けふ》をかぎりと|盛装《せいさう》を|凝《こ》らし、|結婚《けつこん》の|式《しき》を|挙《あ》げつつあつた。そして|容色《ようしよく》|麗《うるは》しき|春姫《はるひめ》が|酌《しやく》を|勤《つと》めつつあつた。|春日姫《かすがひめ》は|力《ちから》かぎり|媚《こび》を|呈《てい》して|美山彦《みやまひこ》に|無理《むり》やりに、|面白《おもしろ》き|歌《うた》を|謡《うた》ひながら|酒《さけ》を|勧《すす》むる。|美山彦《みやまひこ》は|春日姫《かすがひめ》の|勧《すす》むるままに|酒杯《しゆはい》を|重《かさ》ね、|遂《つひ》には|酩酊《めいてい》の|極《きよく》、|頭《あたま》が|痛《いた》み|眩暈《めまひ》すると|云《い》ひつつ|其《その》|場《ば》にドツと|倒《たふ》れ、|雷《かみなり》のごとき|鼾声《かんせい》をあげて|正体《しやうたい》もなく|寝入《ねい》つて|仕舞《しま》つた。|春姫《はるひめ》は|立《た》ち|上《あが》るとたんに|長《なが》き|高《たか》き|酒樽《さかだる》に|衝突《しようとつ》し、|樽《たる》は|転《こ》けて|美山彦《みやまひこ》の|頭上《づじやう》に|酒《さけ》を|滝《たき》のごとく|濺《そそ》いだ。|美山彦《みやまひこ》は|両手《りやうて》にて|虚空《こくう》を|探《さぐ》るごとき|手《て》つきして|寝返《ねがへ》りをうち、|苦《くる》しげに|呻《うな》つて|居《を》る。
|春日姫《かすがひめ》は|春姫《はるひめ》を|伴《ともな》ひ|奥殿《おくでん》に|進《すす》みいり、|月照彦天使《つきてるひこのかみ》に|委細《ゐさい》を|物語《ものがた》り、|春姫《はるひめ》をして|一室《いつしつ》に|控《ひか》へたる|足真彦《だるまひこ》を|招《まね》かしめ、|男女《だんぢよ》|四柱《よはしら》はここに|緊急《きんきふ》|会議《くわいぎ》を|開《ひら》きける。アヽこの|会議《くわいぎ》の|結果《けつくわ》や|如何《いかん》。
(大正一一・一・一六 旧大正一〇・一二・一九 加藤明子録)
第六章 |暗雲《あんうん》|消散《せうさん》〔二五六〕
ここに|月照彦《つきてるひこ》、|足真彦《だるまひこ》、|春日姫《かすがひめ》、|春姫《はるひめ》は、|悠々《いういう》と|温泉《おんせん》に|入《い》りて|心身《しんしん》を|清《きよ》め、いづれも|携《たづさ》へ|来《きた》れる|包《つつ》みより|立派《りつぱ》なる|衣服《いふく》を|取出《とりだ》し、|心《こころ》も|身《み》をも|新《あたら》しく|着換《きか》へながら、|天地《てんち》に|向《むか》つて|恭《うやうや》しく|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、かつ|感謝《かんしや》し|終《をは》つて|美山彦《みやまひこ》の|居間《ゐま》に|立現《たちあら》はれ、|細紐《ほそひも》を|以《もつ》て|手足《てあし》を|縛《しば》り、|長柄《ながえ》の|杓《しやく》に|水《みづ》を|汲《く》みて、その|顔面《がんめん》および|全身《ぜんしん》に|注《そそ》ぎ|酔《ゑひ》を|醒《さま》させけるに、|美山彦《みやまひこ》は|驚《おどろ》いて|俄《にはか》に|酒《さけ》の|酔《ゑひ》を|醒《さま》し|見《み》れば、|四人《よにん》の|男女《だんぢよ》は|枕頭《ちんとう》に|儼然《げんぜん》として|控《ひか》へゐる。|夢《ゆめ》か、|現《うつつ》か、|幻《まぼろし》か、|美山彦《みやまひこ》は|辺《あたり》を【きよろきよろ】|見廻《みまは》すをりから、|春日姫《かすがひめ》は|声《こゑ》をはげまし、
『|汝《なんぢ》|悪党《あくたう》の|張本《ちやうほん》|美山彦《みやまひこ》、|妾《わらは》が|宣伝歌《せんでんか》を|耳《みみ》を|澄《すま》して|聴《き》けよ』
といふより|早《はや》く、
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》
|開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》ぶ
|時鳥《ほととぎす》|声《こゑ》は|聞《き》けども|姿《すがた》は|見《み》せぬ』
と|謡《うた》ひ|始《はじ》めけるに、|美山彦《みやまひこ》は|頭上《づじやう》を|鉄槌《てつつい》にて|打《う》ち|叩《たた》かるるごとく、|胸《むね》を|引裂《ひきさ》かるるごとき|心地《ここち》して、|苦《くる》しみ|悶《もだ》えだしたり。|春日姫《かすがひめ》は|声《こゑ》も【さわやか】に、|又《また》もや|流暢《りうちやう》なる|声調《せいてう》にて|頻《しき》りに|謡《うた》ふ。|美山彦《みやまひこ》は|七転八倒《しちてんはつたう》|目《め》を【むき】、|泡《あわ》を|吹《ふ》き、|洟《はな》を|垂《た》らし、|冷汗《ひやあせ》を|滝《たき》のごとく|流《なが》して|苦《くる》しみもだえける。|春日姫《かすがひめ》は|言葉《ことば》を|重《かさ》ねて、
『|妾《わらは》かつて|汝《なんぢ》を|帰順《きじゆん》せしめむとして、この|山河《やまかは》を|過《す》ぐる|折《をり》しも、|汝《なんぢ》の|部下《ぶか》の|鬼熊彦《おにくまひこ》らの|悪人《あくにん》|現《あら》はれ|来《きた》り、|妾《わらは》は|女《をんな》の|身《み》の|遂《つひ》に|衆寡《しうくわ》|敵《てき》せず、|侍女《じぢよ》|春姫《はるひめ》と|共《とも》にこの|館《やかた》に|捕虜《とら》はれ、|日夜《にちや》の|侮辱《ぶじよく》をうけ、|悲《かな》しみの|月日《つきひ》をおくり、|大切《たいせつ》なる|宣伝《せんでん》を|妨《さまた》げられたるは、|千載《せんざい》の|恨事《こんじ》なり。されど|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|大神《おほかみ》は、|決《けつ》して|悪《あく》を|悪《あく》とし、|敵《てき》を|敵《てき》として【きため】|給《たま》ふことなく、|飽《あ》くまで|慈愛《じあい》の|乳房《ちぶさ》を|哺《ふくま》せ、|改心《かいしん》を|迫《せま》らせ|給《たま》ふなり。|妾《わらは》は|今《いま》|汝《なんぢ》を|殺《ころ》さむとせば、あたかも|嚢中《なうちう》の|鼠《ねずみ》のごとし。されど|五六七《みろく》|神政《しんせい》の|宣伝使《せんでんし》たる|妾《わらは》らは、|汝《なんぢ》らごとき|小人《せうじん》を|苦《くる》しむるに|及《およ》ばず、|慈愛《じあい》を|以《もつ》て|汝《なんぢ》が|生命《せいめい》を|救《すく》はむ。|汝《なんぢ》|今《いま》より|翻然《ほんぜん》として|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い、|真心《まごころ》に|立帰《たちかへ》らば、|汝《なんぢ》が|縛《いまし》めの|繩《なは》を|解《と》き、|自由《じいう》の|身《み》となさむ』
と|宣示《せんじ》すれば、|美山彦《みやまひこ》は|無念《むねん》の|歯噛《はが》みを|為《な》し、
『|殺《ころ》さば|殺《ころ》せ。か|弱《よわ》き|女性《ぢよせい》の|分際《ぶんざい》として、われに|向《むか》つてさも|横柄《わうへい》なるその|言葉《ことば》つき、|目《め》に|物《もの》|見《み》せむ』
と|縛《いまし》めの|繩《なは》を|引切《ひきき》らむとして|藻掻《もが》きはじめたり。されど|繩《なは》は|強《つよ》くして|切《き》れず、|眼《め》を【いから】し、|恨《うら》めし|気《げ》に|春日姫《かすがひめ》を|睨《ね》めつけ|居《ゐ》たる。このとき|月照彦《つきてるひこ》、|足真彦《だるまひこ》は、
『アヽ|美山彦《みやまひこ》、|汝《なんぢ》は|吾《わ》が|顔《かほ》に|見覚《みおぼ》えあるか』
と|被面布《ひめんぷ》を【めく】れば、|美山彦《みやまひこ》は|大《おほい》に|驚《おどろ》き、|歯《は》を【ガチガチ】|震《ふる》はせながら、たちまち|色《いろ》|蒼白《あをざ》め、|唇《くちびる》は|紫色《むらさきいろ》に|変化《へんくわ》したりける。
|折《をり》しも|大広間《おほひろま》に|当《あた》つて|叫喚《けうくわん》の|声《こゑ》|聞《きこ》え|来《き》たる。|即《すなは》ちこの|場《ば》は|春姫《はるひめ》に|監視《かんし》せしめ、|三人《さんにん》は|大広間《おほひろま》に|現《あら》はれ|見《み》れば、いづれの|奴原《やつばら》も、|足真彦《だるまひこ》、|春日姫《かすがひめ》の|二人《ふたり》に|手足《てあし》を|縛《しば》られたることを|覚《さと》り、おのおの|声《こゑ》を|放《はな》つて|泣《な》き|叫《さけ》ぶなりける。|三人《さんにん》は|又《また》もや|宣伝歌《せんでんか》を|高唱《かうしやう》したるに、いづれも|激《はげ》しき|頭痛《づつう》|胸痛《きようつう》を|感《かん》じ、|縛《しば》られたるまま|前後左右《ぜんごさいう》にコロコロと|回転《くわいてん》し|始《はじ》めたり。|尚《なほ》も|三人《さんにん》は|宣伝歌《せんでんか》を|頻《しきり》に|唱《とな》へ|続《つづ》くる。|酔《よ》ひつぶれたる|奴原《やつばら》は、|一時《いちじ》に|酔《ゑひ》を|醒《さま》し、
『|救《たす》けて、|救《たす》けて』
と|口々《くちぐち》に|叫《さけ》ぶ。|春日姫《かすがひめ》は|禿頭《はげあたま》の|鬼熊彦《おにくまひこ》に|向《むか》ひ、
『|汝《なんぢ》は|常世城《とこよじやう》において|腕《かひな》を|折《を》りし|蚊取別《かとりわけ》ならずや』
と|尋《たづ》ぬれば|蚊取別《かとりわけ》は|手足《てあし》を|縛《しば》られながら、
『カ ト リ ワ ケ』
とわづかに|答《こた》へける。
ここに|三人《さんにん》は、いよいよ|天地《てんち》の|大道《たいどう》を|説《と》き|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひ、|遂《つひ》に|彼《かれ》らに|憑依《ひようい》せる|邪神《じやしん》を|退去《たいきよ》せしめ、|各自《かくじ》の|縛《いましめ》を|解《と》きやりければ、|一斉《いつせい》に|両手《りやうて》を|合《あ》はせて|跪《ひざまづ》き、その|神恩《しんおん》に|感謝《かんしや》し|声《こゑ》を|揃《そろ》へて|天津祝詞《あまつのりと》を、|足真彦《だるまひこ》の|導師《だうし》の|言葉《ことば》につれて、|恭《うやうや》しく|奏上《そうじやう》したり。
その|勇《いさ》ましき|声《こゑ》は|九天《きうてん》に|轟《とどろ》きわたり、|今《いま》まで|暗澹《あんたん》たりし|黒雲《くろくも》の|空《そら》は、その|衣《ころも》を|脱《ぬ》ぎて|処々《ところどころ》に|青雲《せいうん》の|破《やぶ》れを|現《あら》はし、|遂《つひ》には|全《まつた》くの|蒼空《あおぞら》と|化《くわ》し|去《さ》りにける。
|美山彦《みやまひこ》は、|遂《つひ》に|我《が》を|折《を》り|帰順《きじゆん》の|意《い》を|表《へう》したるにぞ、ここに|四人《よにん》は、|美山彦《みやまひこ》|以下《いか》に|天教山《てんけうざん》の|教示《けうじ》を|諭《さと》し、|向後《かうご》を|戒《いまし》め、|悠々《いういう》として|鬼城山《きじやうざん》を|下《くだ》り、ナイヤガラの|瀑布《ばくふ》に|一同《いちどう》|身《み》を|浄《きよ》め、ふたたび|宣伝使《せんでんし》として|諸方《しよはう》を|遍歴《へんれき》したりける。
(大正一一・一・一六 旧大正一〇・一二・一九 外山豊二録)
第七章 |旭光《きよくくわう》|照波《せうは》〔二五七〕
|鬼《おに》|大蛇《をろち》|虎《とら》|狼《おほかみ》や|曲霊《まがつひ》の  |醜女《しこめ》|探女《さぐめ》の|訪《おとな》ひは
|峰《みね》の|嵐《あらし》か|鬼城山《きじやうざん》  |落《お》ちゆく|滝《たき》のナイヤガラ
|水音《みなおと》|高《たか》き|雄健《をたけ》びの  |中《なか》に|落《お》ち|合《あ》ふ|四柱《よはしら》は
|神《かみ》の|御国《みくに》を|立《た》てむとて  |鬼《おに》の|棲家《すみか》を|竜館《たつやかた》
|荒《あら》ぶる|神《かみ》の|訪《おとな》ひも  |松《まつ》|吹《ふ》く|風《かぜ》と|変《かは》る|世《よ》の
|汚《けが》れを|流《なが》す|河水《かはみづ》に  |禊《みそ》ぐ|身魂《みたま》ぞ|麗《うるは》しき
|花《はな》の|顔《かんばせ》|月《つき》の|眉《まゆ》  |焦眉《せうび》の|急《きふ》を|救《すく》はむと
|神《かみ》の|教《をし》への|弥深《いやふか》き  |谷《たに》に|落《お》ち|合《あ》ふ|宣伝使《せんでんし》
|右《みぎ》に|左《ひだり》に|名残《なごり》を|惜《を》しみ  |別《わか》れの|涙《なみだ》|拭《ぬぐ》ひつつ
|東《ひがし》と|西《にし》に|立雲《たつくも》の  |雲路《くもぢ》を|分《わ》けて|月照彦《つきてるひこ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》や|足真彦《だるまひこ》  |春立《はるた》ち|初《そ》めし|春日姫《かすがひめ》
|木々《きぎ》の|梢《こずゑ》は|青々《あをあを》と  |綻《ほころ》び|初《そ》めし|春姫《はるひめ》の
|長閑《のど》けき|胸《むね》も|夢《ゆめ》の|間《ま》の  |儚《はか》なき|別《わか》れ|暁《あかつき》の
|鐘《かね》の|響《ひび》きに|撞《つ》き|出《だ》され  |歩《あゆ》みも|慣《な》れぬ|旅《たび》の|空《そら》
|岩根《いはね》に|躓《つまづ》き|転《まろ》びつつ  |何処《どこ》をあてとも|長《なが》の|旅《たび》
|常世《とこよ》の|国《くに》の|常闇《とこやみ》の  |荒野《あれの》さまよふ|痛《いた》ましさ
ここに|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》  |神《かみ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて
|各《おの》も|各《おの》もが|独《ひと》り|旅《たび》  |折角《せつかく》|遇《あ》ひし|四柱《よはしら》の
|厳《いづ》の|司《つかさ》の|生《い》き|別《わか》れ  【くつろぐ】|暇《ひま》もナイヤガラ
|滝《たき》のごとくに|流《なが》れ|行《ゆ》く  |淋《さび》しき|山野《さんや》を|辿《たど》りつつ
|心《こころ》の|駒《こま》ははやれども  |疲《つか》れはてたる|膝栗毛《ひざくりげ》
|歩《あゆ》みに|難《なや》む|姫御前《ひめごぜ》の  |心《こころ》の|空《そら》はかき|曇《くも》り
|浪風《なみかぜ》|荒《あら》き|現世《うつしよ》の  |救《すく》ひの|船《ふね》と|現《あら》はれて
|雲《くも》か|霞《かすみ》か|春日姫《かすがひめ》  |花《はな》の|姿《すがた》を|曝《さら》しつつ
|春《はる》とはいへどまだ|寒《さむ》き  |霜《しも》の|晨《あした》や|雪《ゆき》の|空《そら》
|月《つき》を|頂《いただ》き|星《ほし》を|踏《ふ》み  |天涯万里《てんがいばんり》の|果《はて》しなき
|心《こころ》|淋《さび》しき|独《ひと》り|旅《たび》  |草《くさ》を|褥《しとね》に|木葉《このは》を|屋根《やね》に
やうやう|浜辺《はまべ》に|着《つ》きにけり。
ここに|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》がゆくりなくも、|鬼城山《きじやうざん》の|虎穴《こけつ》に|入《い》りて|目出度《めでた》く|対面《たいめん》を|遂《と》げたるは、|全《まつた》く|大神《おほかみ》の|経綸《しぐみ》の|糸《いと》に|操《あやつ》られたるなるべし。|四人《よにん》の|神司《かみ》は|仁慈《じんじ》の|鞭《むち》を|揮《ふる》ひ、|美山彦《みやまひこ》|一派《いつぱ》の|邪悪《じやあく》を|言向《ことむ》け|和《やは》し、|意気《いき》|揚々《やうやう》として|谷間《たにま》を|下《くだ》り、|音《おと》に|名高《なだか》きナイヤガラの|大瀑布《だいばくふ》に|禊《みそぎ》を|修《しう》し、ホツと|一息《ひといき》つく|間《ま》もなくなく|涙《なみだ》の|袖《そで》の|生別《いきわか》れ、|我《わ》が|天職《てんしよく》を|重《おも》ンじて、|東西南北《とうざいなんぼく》に|袂《たもと》を|別《わか》ちたるなり。|総《すべ》て|大神《おほかみ》の|宣伝《せんでん》に|従事《じうじ》するものは|飽迄《あくまで》も|同行者《どうかうしや》あるべからず。|他人《たにん》を|杖《つゑ》につくやうな|事《こと》にては、|到底《たうてい》|宣伝者《せんでんしや》の|資格《しかく》は|無《な》きものなり。|山野河海《さんやかかい》を|跋渉《ばつせふ》し、|寒《さむ》さと|戦《たたか》ひ、|飢《うゑ》を|忍《しの》び、あらゆる|艱難辛苦《かんなんしんく》を|嘗《な》め、|吾《わ》が|身魂《みたま》を|錬磨《れんま》し、|浮世《うきよ》の|困苦《こんく》を|自《みづか》ら|嘗《な》め、|或《あるひ》は|蛇《へび》の|室屋《むろや》に、|或《あるひ》は|蜂《はち》の|室屋《むろや》に|出入《しゆつにふ》して、|神明《しんめい》の|依《よ》さしたまへる|天職《てんしよく》を|喜《よろこ》ンで|尽《つく》すべきものなり。|宣伝使《せんでんし》に|下《くだ》したまへる|裏《うら》の|神諭《しんゆ》に|云《い》ふ。
『|汝《なんじ》ら|神《かみ》の|福音《ふくいん》を|宣《の》べ|伝《つた》ふ|時《とき》、|前途《ぜんと》に|当《あた》つて|深《ふか》き|谷間《たにま》あり。|後《あと》より、|虎《とら》、|狼《おほかみ》、|獅子《しし》などの|猛獣《まうじう》|襲《おそ》ひ|来《きた》り、|汝《なんぢ》を|呑《の》まむとする|事《こと》あるも、|少《すこ》しも|恐《おそ》るる|事《こと》なかれ。|神《かみ》を|力《ちから》に|誠《まこと》を|杖《つゑ》に、|寄《よ》せ|来《く》る|悪魔《あくま》を|言向《ことむ》けやはせ。|一人《ひとり》の|旅《たび》とて|恐《おそ》るる|勿《なか》れ、|誠《まこと》の|神《かみ》は|誠《まこと》ある|汝《なんぢ》を|守《まも》り、|汝《なんぢ》の|背後《はいご》に|付《つ》き|添《そ》ひて|太《ふと》き|功《いさを》を|立《た》てさせむ。|厳霊《いづのみたま》を|元帥《げんすゐ》に、|瑞霊《みづのみたま》を|指揮官《しきくわん》に|直日《なほひ》の|御魂《みたま》を|楯《たて》となし、|荒魂《あらみたま》の|勇《いさ》みを|揮《ふる》ひ、|和魂《にぎみたま》の|親《したし》みをもつて、|大砲小砲《おほづつこづつ》となし、|奇魂《くしみたま》の|覚《さと》りと、|幸魂《さちみたま》の|愛《あい》を、|砲弾《はうだん》または|銃丸《じうぐわん》となし、よく|忍《しの》びよく|戦《たたか》へ。|神《かみ》は|汝《なんぢ》と|共《とも》にあり』
|神人《しんじん》|茲《ここ》に|合一《がふいつ》して、|神《かみ》と|人《ひと》との|真釣合《まつりあひ》、|神《かみ》の|勅《みこと》を|身《み》に|受《う》けて、いよいよ|高天原《たかあまはら》を|伊都能売魂《いづのめみたま》の|神《かみ》の|命《みこと》、|荒磯《あらいそ》の|浪《なみ》も|鎮《しづ》まる|長閑《のどか》さよ。|春日姫《かすがひめ》は|尊《たふと》き|神《かみ》の|守護《しゆご》の|下《もと》に、|夜《よ》に|日《ひ》をついて|北東《ほくとう》へ|北東《ほくとう》へと|進《すす》みつつ、|常世国《とこよのくに》の|東岸《とうがん》に|現《あら》はれける。
|天《てん》|青《あを》く|山《やま》|清《きよ》く、|浪《なみ》|静《しづ》かに|紺碧《こんぺき》の|海面《かいめん》は|大小《だいせう》|無数《むすう》の|島嶼《たうしよ》を|浮《うか》べ、|眼界《がんかい》|遠《とほ》く|見《み》わたす|東《あづま》の|海面《かいめん》に|金色《こんじき》の|一字形《いちじがた》の|光《ひかり》は|横《よこ》に|長《なが》く|靉《たなび》き、|雲《くも》か|浪《なみ》かと|疑《うたが》ふばかり、その|麗《うるは》しきこと|言語《げんご》の|尽《つく》す|限《かぎ》りにあらず。ややありて|浮《うか》び|出《い》でたるごとく、|金色《こんじき》の|太陽《たいやう》は|浪《なみ》を|破《やぶ》り、|雲《くも》を|排《お》し|分《わ》け|悠々《いういう》と|清《きよ》き|姿《すがた》を|現《あら》はしたまひ、その|光《ひかり》は|静《しづ》かな|海面《かいめん》をサーチライトのごとく|照破《せうは》して、|金色《こんじき》の|漣《さざなみ》は|広《ひろ》き|海面《かいめん》に|漂《ただよ》ふ。|此方《こなた》を|目《め》がけて|純白《じゆんぱく》の|真帆《まほ》を|揚《あ》げ|静《しづ》かに|寄《よ》せくる|一艘《いつそう》の|船《ふね》あり。|見《み》れば|紫《むらさき》の|被面布《ひめんぷ》をかけたる|宣伝使《せんでんし》は|船《ふね》の|舳《へさき》に|直立《ちよくりつ》し、|白扇《はくせん》を|高《たか》くさしあげて、|何事《なにごと》か|謡《うた》ひつつ|船《ふね》は|岸辺《きしべ》に|刻々《こくこく》と|近寄《ちかよ》り|来《き》たりぬ。
(大正一一・一・一七 旧大正一〇・一二・二〇 加藤明子録)
第二篇 |常世《とこよ》の|波《なみ》
第八章 |春《はる》の|海面《かいめん》〔二五八〕
|船《ふね》はやうやく|岸《きし》に|着《つ》きぬ。|舟守《ふなもり》は|静《しづ》かに|白帆《しらほ》を|巻《ま》き|上《あ》ぐる。|船《ふね》の|舳《へさき》に|白扇《はくせん》を|拡《ひろ》げて|無事《ぶじ》の|着陸《ちやくりく》を|祝《しゆく》しながら|謡《うた》ひゐる|宣伝使《せんでんし》の|歌《うた》に、|春日姫《かすがひめ》は|耳《みみ》を|傾《かたむ》け、|床《ゆか》しげに|聴《き》き|入《い》りぬ。
『|海洋万里《かいやうばんり》の|波《なみ》の|上《うへ》  |天津御空《あまつみそら》も|海原《うなばら》も
【なべて】|静《しづ》かな|今日《けふ》の|旅《たび》  |科戸《しなど》の|風《かぜ》に|真帆方帆《まほかたほ》
|神《かみ》の|恵《めぐ》みを【はらみ】つつ  |彼岸《ひがん》に|着《つ》きし|悦《よろこ》びは
|神《かみ》の|教《をしへ》を|宣《の》り|伝《つた》ふ  |旅《たび》の|心《こころ》も|弘子彦《ひろやすひこ》の
|清《きよ》きは|神《かみ》の|心《こころ》かな  |広《ひろ》きは|神《かみ》の|恵《めぐ》みかな
|仰《あふ》げば|高《たか》し|久方《ひさかた》の  |天津御空《あまつみそら》に|照《て》る|月《つき》の
|隈《くま》なき|光《ひかり》|身《み》に|浴《あ》びつ  |渡《わた》る|浮世《うきよ》は|船《ふね》の|上《うへ》
|操《あやつ》る|舵《かぢ》の|波《なみ》の|間《ま》に  |浮《う》きつ|沈《しづ》みつ|常闇《とこやみ》の
|憂《うれ》ひに|悩《なや》む|神人《かみびと》を  |救《すく》はむための|鹿島立《かしまだ》ち
【かすか】な|空《そら》に|照《て》る|朝日《あさひ》  |世《よ》の|荒波《あらなみ》も|照妙《てるたへ》の
|衣《ころも》を|捨《す》てて|蓑笠《みのかさ》の  |心《こころ》も|軽《かる》き|旅《たび》の|空《そら》
|浪立《なみた》ち|騒《さわ》ぐ|荒海《あらうみ》も  |本津御神《もとつみかみ》の|御恵《みめぐ》みに
|安《やす》けく|凪《な》ぎし|今朝《けさ》の|春《はる》  |雪《ゆき》|遠山《とほやま》に|残《のこ》れども
|海辺《うみべ》は|春《はる》の|気配《けはい》して  |梅咲《うめさ》き|匂《にほ》ひ|鶯《うぐひす》の
|谷《たに》の|戸《と》|開《あ》けて|出潮《いでしほ》の  |潮《しほ》|踏《ふ》み|砕《くだ》く|旅衣《たびごろも》
|空《そら》に|輝《かがや》く|春日姫《かすがひめ》  【かすか】に|夫《それ》と|分《わか》らねど
|埠頭《ふとう》に|立《た》てる|姫人《ひめびと》は  |神《かみ》の|誠《まこと》の|道貫彦《みちつらひこ》と[#「と」は御校正本通り。愛世版では「の」に書換]
|八王神《やつわうじん》の|御娘《おんむすめ》  |稜威《みいづ》も|高《たか》き|鷹住別《たかすみわけ》の
|君《きみ》の|妻神《めがみ》にや|坐《ま》さざるか  |浪立《なみた》ち|騒《さわ》ぐ|村千鳥《むらちどり》
|浪《なみ》も|和《な》とりのしとやかに  |出《い》でます|姿《すがた》ぞ|雄々《をを》しけれ
われは|此《こ》の|世《よ》を|救《すく》ふてふ  |神《かみ》の|教《をしへ》を|世《よ》の|中《なか》に
|弘子彦《ひろやすひこ》の|長《なが》の|旅《たび》  |空《そら》|行《ゆ》く|鳥《とり》も|憚《はばか》りし
|貴《うづ》の|都《みやこ》の|宣伝使《せんでんし》  |神国別《かみくにわけ》の|司《つかさ》ぞや
|名乗《なの》らせ|給《たま》へさやさやに  |月《つき》の|御影《みかげ》の|隈《くま》もなく
|心《こころ》の|雲《くも》を|吹《ふ》き|払《はら》ひ  |払《はら》ひ|清《きよ》めむ|神《かみ》の|国《くに》
|雲路《くもぢ》|別《わけ》てふ|宣伝使《せんでんし》  |弘子彦《ひろやすひこ》の|旅姿《たびすがた》
|眼《め》をかけ|給《たま》へ|春日姫《かすがひめ》』
と、|謡《うた》ひ|終《をは》るや、|春日姫《かすがひめ》は、|岸辺《きしべ》に|立《た》つて|白扇《はくせん》を|開《ひら》きながら、|優《やさ》しき|花《はな》の|唇《くちびる》を|静《しづ》かに|開《ひら》き、|歌《うた》もてこれに|答《こた》ふ。その|歌《うた》、
『|神代《かみよ》の|昔《むかし》|高天原《たかあまはら》の  |神《かみ》の|祖《かむろ》と|生《あ》れませる
|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》の  |隠《かく》れましたる|其《そ》の|日《ひ》より
|吹《ふ》き|来《く》る|風《かぜ》は|腥《なまぐさ》く  |荒振《あらぶ》る|神《かみ》の|音《おと》なひは
|絶間《たえま》もあはれ|諸神《もろがみ》の  |涙《なみだ》は|雨《あめ》と|降《ふ》り|頻《しき》り
|河海《かはうみ》|溢《あふ》れ|山崩《やまくづ》れ  |百《もも》の|樹草《きぐさ》の|色《いろ》も|褪《あ》せ
|常世《とこよ》の|闇《やみ》の|現世《うつしよ》を  |照《てら》さむためとモスコーの
|道貫彦《みちつらひこ》の|司《かみ》の|子《こ》と  |生《うま》れ|出《い》でたる|手弱女《たをやめ》の
|女《をんな》の|身《み》をも|打忘《うちわす》れ  |世界《せかい》を|思《おも》ふ|一筋《ひとすぢ》の
|誠《まこと》の|綱《つな》に|繋《つな》がれて  |心《こころ》の|手綱《たづな》ゆるみなく
|曳《ひ》かれて|進《すす》む|馬《うま》の|背《せ》の  |危《あやふ》き|山路《やまぢ》を|踏《ふ》みさくみ
|荒波《あらなみ》|吼《たけ》る|海原《うなばら》の  |潮《しほ》を|浴《あ》みつつ|降《ふ》り|積《つも》る
|雪《ゆき》より|白《しろ》き|顔容《かんばせ》も  |大根《おほね》のごとき|白腕《ただむき》も
|若《わか》やぐ|胸《むね》を|素抱《すだだ》きて  |真玉手《またまで》、|玉出《たまで》|相抱《あひいだ》き
|休《やす》らふ|間《ま》なく|生別《いきわか》れ  |神《かみ》の|稜威《みいづ》も|鷹住別《たかすみわけ》の
|教《をし》へ|司《つかさ》の|宣伝使《せんでんし》  |嬉《うれ》し|悲《かな》しの|袖絞《そでしぼ》り
|右《みぎ》と|左《ひだり》に|別《わか》れ|路《ぢ》の  |潮《しほ》の|八百路《やほぢ》の|八塩路《やしほぢ》や
|浪路《なみぢ》を|渡《わた》り|常世国《とこよくに》  |隈《くま》なくひびく|宣伝歌《せんでんか》
|三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》  |一度《いちど》に|開《ひら》く|常磐樹《ときはぎ》の
|松《まつ》の|操《みさを》の|色《いろ》|深《ふか》く  |降《ふ》り|積《つ》む|深雪《みゆき》の|友白髪《ともしらが》
|誓《ちか》ふ【ひま】さへ|嵐《あらし》|吹《ふ》く  |山路《やまぢ》や|野辺《のべ》に|漂浪《さすらひ》の
|夫《つま》の|苦《くる》しみ|思《おも》ひ|遣《や》り  |住《す》み|心地《ここち》よきモスコーの
|都《みやこ》を|捨《す》てて【かすか】なる  |風《かぜ》にも|心《こころ》を|痛《いた》めつつ
|八千八声《はつせんやこゑ》の|杜鵑《ほととぎす》  |呼《よ》べど|叫《さけ》べど|現世《うつしよ》の
|曇《くも》り|果《は》てたる|人心《ひとごころ》  |聞《き》く|人《ひと》さへも|夏《なつ》の|夜《よ》の
|月《つき》を|力《ちから》に|鬼城山《きじやうざん》  |蚊取《かとり》の|別《わけ》の|曲人《まがびと》に
|誘拐《かどはか》されて|奥山《おくやま》の  |曲《まが》の|砦《とりで》に|捕《とら》はれの
|三年《みとせ》の|憂《うき》を|忍《しの》びつつ  |悲《かな》しき|月日《つきひ》を|送《おく》る|間《ま》に
|深山《みやま》の|奥《おく》の|美山彦《みやまひこ》  |彼《かれ》らが|運命《うんめい》|月照彦《つきてるひこ》の
|天使《かみ》の|司《つかさ》に|救《すく》はれて  |心《こころ》に|懸《かか》る|村雲《むらくも》も
|吹《ふ》き|払《はら》ひたるナイヤガラ  |滝津涙《たきつなみだ》と|諸共《もろとも》に
|別《わか》れてここに|紀井《きゐ》の|海《うみ》  |孱弱《かよわ》き|女《をんな》の|一人旅《ひとりたび》
|虎《とら》|狼《おほかみ》の|囁《ささや》きに  |心《こころ》|淋《さび》しきこの|砌《みぎり》
アヽ|懐《なつ》かしき|宣伝使《せんでんし》  |神国別《かみくにわけ》の|成《な》れの|果《はて》
|小《ちひ》さき|胸《むね》も|弘子彦《ひろやすひこ》の  |神《かみ》の|司《つかさ》に|相生《あひおひ》の
|松《まつ》に|朝日《あさひ》の|昇《のぼ》るごと  |心《こころ》の|空《そら》も|照《て》り|渡《わた》る
|長閑《のどか》な|春《はる》の|春日姫《かすがひめ》  |長閑《のどか》な|春《はる》の|春日姫《かすがひめ》』
と|歌《うた》を|以《もつ》て、その|素性《すじやう》を|明《あか》したりける。
かくて|舟守《ふなもり》は、|小舟《こぶね》を|釣《つ》り|下《おろ》し、|数多《あまた》の|旅客《りよきやく》を|陸《あげ》に|向《むか》つて|運《はこ》ぶ。|弘子彦《ひろやすひこ》は|真先《まつさき》に|小舟《こぶね》に|乗《の》せられ|岸《きし》に|着《つ》き、|二人《ふたり》は|何事《なにごと》か|目配《めくば》せしつつ、|傍《かたはら》の|森林《しんりん》にその|姿《すがた》を|没《ぼつ》したりける。
(大正一一・一・一七 旧大正一〇・一二・二〇 外山豊二録)
(第三章〜第八章 昭和一〇・一・三〇 於筑紫別院 王仁校正)
第九章 |埠頭《ふとう》の|名残《なごり》〔二五九〕
|鷹住別《たかすみわけ》は、|船底《ふなぞこ》に|長《なが》の|旅《たび》に|疲《つか》れ|果《は》て|夢路《ゆめぢ》を|辿《たど》りつつありぬ。|見渡《みわた》す|限《かぎ》り|浪《なみ》|平《たひら》かな|海面《かいめん》に、|船《ふね》は|順風《じゆんぷう》に|真帆《まほ》を|上《あ》げつつ、|長閑《のどか》な|風《かぜ》に|吹《ふ》かれながら、|東《ひがし》を|指《さ》して|進《すす》みつつありしが、|漸《やうや》くにして|無事《ぶじ》|東岸《とうがん》に|着《つ》きにける。
|日《ひ》は|西海《せいかい》の|波《なみ》に|今《いま》や|沈《しづ》まむとする|時《とき》しも、|忽然《こつぜん》として|其処《そこ》に、モスコーに|在《あ》りしわが|妻《つま》の|春日姫《かすがひめ》が|現《あら》はれ、
『|恋《こひ》しきわが|夫《つま》よ』
と|固《かた》く|右《みぎ》の|手《て》を|伸《の》べて、わが|右手《めて》を|握《にぎ》りしめ|俯《うつ》むいて|懐《なつ》かしげに|泣《な》き|入《い》りにける。|春日姫《かすがひめ》は、|夫《をつと》の|後《あと》を|慕《した》ひはるばる|海山《うみやま》を|越《こ》え、|艱難《かんなん》|苦労《くらう》して|窶《やつ》れ|果《は》てたる|姿《すがた》のまま|何《なん》|一言《いちごん》もいはず、|涙《なみだ》を|両眼《りやうがん》に|湛《たた》へて|居《ゐ》るにぞ、|鷹住別《たかすみわけ》は|心《こころ》|動《うご》き、|春日姫《かすがひめ》の|手《て》をとり、|最早《もはや》わが|宣伝《せんでん》も|一通《ひととほ》り|行渡《ゆきわた》りたれば、|恋《こひ》しき|妻《つま》と|共《とも》にモスコーに|帰《かへ》らむと、|春日姫《かすがひめ》に|向《むか》ひて、
『わが|使命《しめい》も|最早《もはや》|済《す》みたり。|汝《なんぢ》は|女性《ぢよせい》のか|弱《よわ》き|身《み》として|宣伝使《せんでんし》となるは、|少《すこ》しく|汝《なんぢ》が|身《み》にとりては|荷重《におも》し。いざ|共《とも》にモスコーに|帰《かへ》り|楽《たの》しき|夢《ゆめ》を|貪《むさぼ》らむ』
といふ|折《をり》しも、ガラガラと|錨《いかり》を|下《おろ》す|音《おと》に|驚《おどろ》き|夢《ゆめ》は|破《やぶ》れける。
|見《み》れば|船《ふね》は|常世《とこよ》の|国《くに》の|東岸《とうがん》に|安着《あんちやく》しゐたりぬ。
|鷹住別《たかすみわけ》は|夢《ゆめ》より|覚《さ》め、|太《ふと》き|息《いき》を|吐《は》きながら、【とつおいつ】|故郷《ふるさと》の|空《そら》を|振《ふ》りかへり、|呆然《ばうぜん》として|空《そら》|行《ゆ》く|雲《くも》を|仰《あふ》ぎ|視《み》ながら、
『アヽあの|雲《くも》はわが|故郷《ふるさと》の|空《そら》より|流《なが》れきたるか。|思《おも》へば|思《おも》へば|恋《こひ》しき|故郷《ふるさと》の|空《そら》よ』
と|両手《りやうて》を|組《く》み、|船底《ふなぞこ》|深《ふか》く|思《おも》ひに|沈《しづ》む。|時《とき》しも|何人《なんびと》の|声《こゑ》とも|知《し》らず、
『|天《てん》に|代《かは》りし|宣伝使《せんでんし》。|心《こころ》ゆるめな、|錨《いかり》を|下《おろ》すな。|浮世《うきよ》の|荒浪《あらなみ》に|向《むか》つて|突進《とつしん》せよ』
といふ|声《こゑ》|雷《らい》のごとくに|響《ひび》きけるにぞ、|鷹住別《たかすみわけ》は|直《ただ》ちにわが|身《み》の|薄志弱行《はくしじやくかう》を、|天地《てんち》にむかつて|号泣《がうきふ》し、かつ|謝罪《しやざい》し、それより|鷹住別《たかすみわけ》は|常世《とこよ》の|国《くに》を|足《あし》に|任《まか》せて|横断《わうだん》する|事《こと》となりにける。
|松風《まつかぜ》わたる|森林《しんりん》の|巌《いはほ》に|腰《こし》|打《う》ちかけて、ヒソヒソ|語《かた》る|男女《だんぢよ》|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》ありき。
|女《をんな》『|貴下《きか》は|噂《うはさ》に|高《たか》き|聖地《せいち》ヱルサレムの|天使《てんし》|神国別命《かみくにわけのみこと》にましまさずや。しかるに|今日《こんにち》のみすぼらしき|御姿《おすがた》は|何事《なにごと》ぞ。|浮世《うきよ》の|常《つね》とは|言《い》ひながら、|御心労《ごしんらう》|察《さつ》し|参《まゐ》らす』
と|涙《なみだ》|片手《かたて》に|優《やさ》しき|唇《くちびる》を|開《ひら》きければ、
|男神《をがみ》『われは|貴下《きか》の|推量《すゐりやう》に|違《たが》はず、|歌《うた》にて|申上《まをしあ》げたるごとく、|昔《むかし》はヱルサレムの|聖地《せいち》において|時《とき》めき|渡《わた》る|神国別命《かみくにわけのみこと》、|国祖《こくそ》|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》の|御隠退《ごいんたい》に|先《さき》だち、|万寿山《まんじゆざん》に|世《よ》を|隠《しの》び、|遂《つひ》には|天教山《てんけうざん》に|救《すく》はれ|斯《か》くも|尊《たふと》き|宣伝使《せんでんし》となり、|名《な》も|弘子彦《ひろやすひこ》と|改《あらた》め、|心《こころ》も|軽《かる》き|身《み》の|扮装《いでたち》、|萎《しほ》るる|花《はな》もまた|逢《あ》ふ|春《はる》の|梅《うめ》の|花《はな》、|一度《いちど》に|開《ひら》く|嬉《うれ》しき|神世《かみよ》を|松《まつ》の|世《よ》の、|五六七《みろく》|神政《しんせい》の|宣伝使《せんでんし》、われは|却《かへ》つて|今日《こんにち》の|境遇《きやうぐう》に|満足《まんぞく》するものなり』
と|聞《き》くより、|女《をんな》はやや|耻《はづか》し|気《げ》に、
『アヽ|実《げ》に|尊《たふと》き|御志《おんこころざし》かな。|妾《わらは》が|夫《をつと》|鷹住別《たかすみわけ》も|身魂《みたま》も|清《きよ》き|月照《つきてる》の|神《かみ》に|救《すく》はれ、|天地《てんち》の|道理《だうり》を|悟《さと》り、|世《よ》の|終末《をはり》に|近《ちか》づける|神人《かみがみ》の|悩《なや》みを|救《すく》はむと、モスコーを|後《あと》に、|妾《わらは》を|残《のこ》して|何処《いづこ》を【あて】ともなく|宣伝《せんでん》に|出掛《でか》け|玉《たま》ひぬ。|妾《わらは》も|女《をんな》の|身《み》の|夫《をつと》の|艱難辛苦《かんなんしんく》を|坐視《ざし》するに|忍《しの》びむやと、|雲《くも》|深《ふか》き|館《やかた》を|棄《す》てて|世《よ》の|荒浪《あらなみ》と|戦《たたか》ひつつ、|此処《ここ》まで|来《きた》りしものの、|何《なん》となく|心《こころ》|淋《さび》しき|一人旅《ひとりたび》、|案《あん》じ|煩《わづら》ふ|折柄《をりから》に、アヽ|勇《いさ》ましき|貴司《きか》の|御姿《おすがた》を|拝《はい》し、|枯木《かれき》に|花《はな》の|咲《さ》き|出《い》でしごとく|悦《よろこ》びに|堪《た》へず。アヽわが|夫《をつと》|鷹住別《たかすみわけ》は、いづこの|空《そら》に【さまよひ】たまふか。|女心《をんなごころ》の|未練《みれん》にも、|雨《あめ》の|朝《あした》|雪《ゆき》の|夕《ゆふべ》、|夫《をつと》の|身《み》の|上《うへ》を|思《おも》ひ|出《い》で、|思《おも》はぬ|袖《そで》に|降《ふ》る|時雨《しぐれ》、|日蔭《ひかげ》の|姿《すがた》のこの|旅路《たびぢ》、|一目《ひとめ》|会《あ》ひたく|思《おも》へども、この|世《よ》を|思《おも》ふ|真心《まごころ》の、|尊《たふと》き|墻《かき》に|隔《へだ》てられ、|今《いま》に|一目《ひとめ》も|淡雪《あはゆき》の、|春日《かすが》に|溶《と》くる|思《おも》ひ、|果敢《はか》なき|春日姫《かすがひめ》の|成《な》れの|果《は》て|御覧《ごらん》あれ』
と|流石《さすが》|優《やさ》しき|女性《ぢよせい》の、|涙《なみだ》の|雨《あめ》の|一雫《ひとしづく》、|落《お》つるを|隠《かく》して、|笑顔《ゑがほ》をつくる|愛《いぢ》らしさ、|他所《よそ》の|見《み》る|目《め》も|哀《あは》れなり。
|弘子彦《ひろやすひこ》はたちまち、|春日姫《かすがひめ》が|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに、|夫《をつと》を|慕《した》ふ|真心《まごころ》に【ほだ】されて|地教《ちけう》の|山《やま》に|隠《かく》れたる|竜世姫《たつよひめ》の|身《み》の|上《うへ》を|思《おも》ひ|浮《うか》べ、|又《また》もや|忍《しの》び|涙《なみだ》に|暮《く》れにける。このとき|船守《ふなもり》は|大声《おほごゑ》に、
『オーイ、オーイ、|今《いま》|船《ふね》が|出《で》るぞ。|早《はや》く|乗《の》らぬと|乗《の》り|後《おく》れるぞ。|吾妻《あづま》の|国《くに》への|船出《ふなで》ぢや』
と|呼《よば》はる。
この|声《こゑ》|聞《き》くより|男女《だんぢよ》|二人《ふたり》は、|何時《いつ》まで|話《はな》すも|限《かぎ》りなし、|名残《なご》はつきじと、われとわが|心《こころ》を|励《はげ》まし、【スツク】と|立《た》ち|上《あが》り、|春日姫《かすがひめ》は|埠頭《ふとう》へ、|弘子彦《ひろやすひこ》は|西方《せいはう》|指《さ》して|姿《すがた》を|没《ぼつ》しける。|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》は|互《たがひ》に|見返《みかへ》り|振《ふり》かへり、|尽《つ》きぬ|涙《なみだ》の|一時雨《ひとしぐれ》、|憫《あは》れなりける|次第《しだい》なり。
(大正一一・一・一七 旧大正一〇・一二・二〇 外山豊二録)
第一〇章 |四鳥《してう》の|別《わか》れ〔二六〇〕
|春日姫《かすがひめ》は|急《いそ》がしげに|船《ふね》に|近《ちか》づきぬ。|船《ふね》の|名《な》は|偶然《ぐうぜん》にも|春日丸《かすがまる》と|云《い》へるなりける。
|船《ふね》は|間《ま》もなく|纜《ともづな》を|解《と》き、|東《ひがし》を|指《さ》して|進《すす》み|始《はじ》めつつあり。
|春日姫《かすがひめ》は|船《ふね》の|舳先《へさき》に|立《た》ち|上《あが》り、|常世《とこよ》の|国《くに》の|見納《みをさ》めと、|振《ふ》り|向《む》く|刹那《せつな》に|顔《かほ》と|顔《かほ》、|思《おも》ひきや|鷹住別《たかすみわけ》の|宣伝使《せんでんし》、|船《ふね》を|眺《なが》めて|思案《しあん》に|暮《く》るるもののごとくなり。
|春日姫《かすがひめ》は、ハツと|驚《おどろ》き|乍《なが》らよくよく|視《み》れば|装《なり》こそ|変《かは》れ、|色《いろ》こそ|日《ひ》に|焼《や》けたれ、|擬《まが》ふ|方《かた》なき|吾《わが》|夫《をつと》なりける。
|船《ふね》は|真帆《まほ》に|春風《しゆんぷう》を|孕《はら》み、|二者《ふたり》の|切《せつ》なき|思《おも》ひも|白波《しらなみ》の、|沖《おき》をめがけて|進《すす》み|行《ゆ》く。|鷹住別《たかすみわけ》は|立《た》ち|上《あが》り、
『|淵瀬《ふちせ》と|変《かは》る|現世《うつしよ》は  |昨日《きのふ》の|曇《くも》り|今日《けふ》の|晴《は》れ
|定《さだ》めなき|世《よ》と|云《い》ひながら  |同《おな》じ|道《みち》をば|歩《あゆ》み|来《く》る
|天教山《てんけうざん》の|宣伝使《せんでんし》  |浮世《うきよ》の|風《かぜ》に|煽《あふ》られて
|聳立《そばた》つ|波《なみ》も|鷹住別《たかすみわけ》の  わけて|久《ひさ》しき|相生《あひおひ》の
|松《まつ》に|甲斐《かひ》なき|今日《けふ》の|春《はる》  |山《やま》は|霞《かすみ》を|帯《おび》にして
|花《はな》は|笑《わら》へど|諸鳥《もろどり》の  |声《こゑ》は|長閑《のどか》に|歌《うた》へども
|淵瀬《ふちせ》と|変《かは》る【うたかた】の  |消《き》え|行《ゆ》く|浪《なみ》の|生別《いきわか》れ
|吾《われ》は|常世《とこよ》へ【つき】|潮《しほ》の  |汝《なれ》は|東《あづま》の|浪《なみ》の|上《うへ》
|逢《あ》はぬ|昔《むかし》の|吾《わが》|心《こころ》  |今《いま》は|思《おも》ひも|弥《いや》|増《ま》して
|別《わか》れを|惜《をし》む|村肝《むらきも》の  |心《こころ》も|泡《あわ》と|消《き》え|失《う》せよ
|生者必滅《しやうじやひつめつ》|会者定離《ゑしやぢやうり》  |折角《せつかく》|逢《あ》ひは|逢《あ》ひながら
|浪《なみ》を|隔《へだ》つる|海《うみ》の|面《おも》  |心《こころ》も|沈《しづ》む|船《ふね》の|上《うへ》
|浮《う》いて|浮世《うきよ》を|渡会《わたらひ》の  |神《かみ》の|恵《めぐ》みに|恙《つつが》なく
|渡《わた》れよ|渡《わた》れ|春日姫《かすがひめ》  【かすか】になりゆく|浪《なみ》の|上《うへ》
|声《こゑ》も|幽《かすか》になりにけり  |浪《なみ》|押《お》し|渡《わた》る|春日丸《かすがまる》
|浪《なみ》|押《お》し|渡《わた》る|春日姫《かすがひめ》  |豊栄《とよさか》|昇《のぼ》る|朝日影《あさひかげ》
|波《なみ》は|照《て》る|照《て》る|汐風《しほかぜ》かをる  【あひ】の|涙《なみだ》の|雨《あめ》は|降《ふ》る』
と|情《なさけ》の|籠《こも》りし|悲哀《ひあい》な|歌《うた》を|謡《うた》ひて、|春日姫《かすがひめ》を|見送《みおく》りにける。
|船《ふね》は|次第《しだい》に|沖《おき》へ|沖《おき》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。|嗚呼《ああ》この|二人《ふたり》の|心《こころ》の|中《うち》は、いかに|悲嘆《ひたん》の|涙《なみだ》にくれたりにけむ。
|春日姫《かすがひめ》は|陸上《りくじやう》に|立《た》てる|夫《をつと》の|姿《すがた》の|消《き》ゆるまで、|被面布《ひめんぷ》を|振《ふ》りながら、ここに|東西《とうざい》に|別《わか》るるの|止《や》むなきに|到《いた》つた。
|春日姫《かすがひめ》は|四方《よも》の|海面《かいめん》を|眺《なが》めながら、|忍《しの》び|忍《しの》びに|惜別《せきべつ》の|歌《うた》を|謡《うた》つた。その|歌《うた》、
『|浮世《うきよ》の|浪《なみ》に|隔《へだ》てられ  |思《おも》ひは|深《ふか》き|海《うみ》の|上《うへ》
|西《にし》と|東《ひがし》へ|立《た》つ|波《なみ》の  |今日《けふ》の|別《わか》れも|何時《いつ》の|世《よ》か
また|相生《あひおひ》の|松《まつ》の|世《よ》に  |逢《あ》うて|嬉《うれ》しき|高砂《たかさご》の
|松《まつ》も|深雪《みゆき》の|共白髪《ともしらが》  |世《よ》が|世《よ》であらばモスコーの
|華《はな》と|謳《うた》はれその|誉《ほまれ》  |雲井《くもゐ》に|高《たか》き|鷹住別《たかすみわけ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》や|春日姫《かすがひめ》  |正《ただ》しき|夢《ゆめ》を|三笠山《みかさやま》
|重《かさ》ぬる|齢《よはい》|千代《ちよ》|八千代《やちよ》  |寿《ことほぎ》|祝《いは》ふ|玉椿《たまつばき》
|庭《には》の|泉《いづみ》に|影《かげ》|写《うつ》す  |現《うつつ》の|世《よ》をば|諸共《もろとも》に
|歓《ゑら》ぎ|楽《たの》しむ|天《あめ》の|下《した》  |四方《よも》の|国人《くにびと》|救《すく》はむと
|常磐《ときは》の|松《まつ》の|真心《まごころ》を  |月照彦《つきてるひこ》に|伴《ともな》はれ
|都《みやこ》を|出《い》でてはや|三歳《みとせ》  |雲《くも》の|彼方《あなた》に|照《て》る|月《つき》は
|心《こころ》も|清《きよ》き|月照《つきてる》の  |神《かみ》の|司《つかさ》と|嬉《うれ》しみて
|露野《つゆの》を|渉《わた》り|山河《やまかは》を  |越《こ》えて|久《ひさ》しき|紅《くれなゐ》の
|浜辺《はまべ》に|着《つ》くや|望月《もちづき》の  |虧《か》ぐる|事《こと》なき|兄《せ》の|君《きみ》の
|雄々《をを》しき|姿《すがた》|眼《ま》のあたり  |逢《あ》うて|嬉《うれ》しき|一言《ひとこと》の
|言葉《ことば》を|交《かは》す|暇《ひま》もなく  |何《な》ンの|情《なさけ》も|荒浪《あらなみ》の
あらぬ|思《おも》ひに|沈《しづ》みつつ  |妾《われ》は|東《ひがし》へ|帰《かへ》り|行《ゆ》く
|鷹住別《たかすみわけ》の|吾《わが》|夫《つま》よ  |荒振神《あらぶるかみ》の|荒《すさ》ぶなる
|常世《とこよ》の|国《くに》は|常闇《とこやみ》よ  |浜辺《はまべ》にならぶ|蠣殻《かきがら》に
|足《あし》を|踏《ふ》ますな|心《こころ》して  |通《かよ》はせ|給《たま》へ|渚彦《なぎさひこ》
|渚《なぎさ》の|姫《ひめ》の|御守《みまも》りに  |身《み》も|健《すこ》やかに|常世国《とこよくに》
|前《まへ》や|後《うしろ》や|右左《みぎひだり》  |心《こころ》を|配《くば》り|出《い》でませよ
たとへ|海山《うみやま》|隔《へだ》つとも  |春日《かすが》の|姫《ひめ》の|魂《たましひ》は
|汝《なれ》が|命《みこと》の|傍《そば》|近《ちか》く  |添《そ》ひて|守《まも》らむ|常久《とことは》に
|常世《とこよ》の|闇《やみ》の|晴《は》るるまで  |常世《とこよ》の|春《はる》の|来《きた》るまで
|晴《は》るる|暇《ひま》なき|妾《わが》|思《おも》ひ  |心《こころ》の|空《そら》の|日月《じつげつ》も
|汝《な》が|身《み》を|思《おも》ふ|度《たび》ごとに  |霞《かす》む|思《おも》ひの|春日姫《かすがひめ》
|幽《かす》かに|御影《みかげ》を|伏《ふ》し|拝《をが》む  かすかに|御影《みかげ》を|伏《ふ》し|拝《をが》む
|心《こころ》も|清《きよ》き|波《なみ》の|上《うへ》  |君《きみ》は|常世《とこよ》へ|出《い》でまして
|朝《あした》の|露《つゆ》や|夕霜《ゆふしも》に  |悩《なや》ませ|給《たま》ふ|事《こと》もなく
|身《み》もスクスクと|進《すす》みませ  |身《み》もスクスクと|進《すす》みませ
|嬉《うれ》し|悲《かな》しのこの|別《わか》れ  |何時《いつ》の|世《よ》にかは|白梅《しらうめ》の
|香《かを》りゆかしき|二人連《ふたりづ》れ  |水《みづ》も|洩《も》らさぬ|楠船《くすぶね》の
|仲《なか》を|隔《へだ》つる|荒浪《あらなみ》も  |神《かみ》の|恵《めぐ》みに|相生《あひおひ》の
|松《まつ》の|翠《みどり》のにぎはひて  |延《の》び|行《ゆ》く|春《はる》の|春日姫《かすがひめ》
|延《の》びゆく|春《はる》の|春日姫《かすがひめ》  まつぞ|嬉《うれ》しき|今日《けふ》の|空《そら》
まつぞ|嬉《うれ》しき|波《なみ》の|上《うへ》  【なみなみ】ならぬ|宣伝《せんでん》の
|旅《たび》の|疲《つか》れも|打《う》ち|忘《わす》れ  |互《たがひ》に|顔《かほ》を【みろく】の|世《よ》
|松《まつ》の|御代《みよ》こそ|尊《たふと》けれ  【みろく】の|神《かみ》ぞ|尊《たふと》けれ』
と|謡《うた》ひつつ、|飽《あ》かぬ|名残《なごり》を|惜《を》しみける。
(大正一一・一・一七 旧大正一〇・一二・二〇 井上留五郎録)
(第九章〜第一〇章 昭和一〇・一・三一 於筑紫別院 王仁校正)
第一一章 |山中《さんちう》の|邂逅《かいこう》〔二六一〕
|樹木《じゆもく》|鬱蒼《うつさう》として|昼《ひる》なほ|暗《くら》き|長白山《ちやうはくざん》の|大森林《だいしんりん》を、か|弱《よわ》き|足《あし》を|踏《ふ》み|占《し》めて、トボトボ|来《きた》る|手弱女《たをやめ》の、|優美《やさ》しき|姿《すがた》の|宣伝使《せんでんし》、|叢《くさむら》わけて|進《すす》みつつ、
『キヤツ』
と|一声《ひとこゑ》、その|場《ば》に|打《う》ち|仆《たふ》れたり。よくよく|見《み》れば|無残《むざん》や、|足《あし》は|毒蛇《どくじや》に|咬《か》まれて|痛《いた》み、|一足《ひとあし》も|歩《あゆ》みならねば、|岩角《いはかど》に|腰《こし》うち|掛《か》けて、|眼《まなこ》を|閉《と》ぢ、|唇《くちびる》を|固《かた》く|結《むす》びながら、その|苦痛《くつう》に|耐《た》へず、|呼吸《いき》も|苦《くる》しき|忍《しの》び|泣《な》き、|呼《よ》べど|叫《さけ》べど|四辺《あたり》には、ただ|一人《ひとり》の|影《かげ》も|無《な》く、|痛《いた》みはますます|激《はげ》しく、|玉《たま》の|緒《を》の|生命《いのち》も|今《いま》に|絶《た》えなむとする|折《をり》からに、はるか|向《むか》うの|方《はう》より、|優美《やさ》しき|女《をんな》の|声《こゑ》として、
『|時鳥《ほととぎす》|声《こゑ》は|聞《き》けども|姿《すがた》は|見《み》せぬ  |姿《すが》|隠《たかく》して|山奥《やまおく》の
|叢《くさむら》|分《わ》けてただ|一柱《ひとり》  |天教山《てんけうざん》の|御神示《ごしんじ》を
|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》や|川《かは》の|瀬《せ》に  |塞《さや》る|魔神《まがみ》に|説《と》き|諭《さと》し
やうやう|此処《ここ》に|長白《ちやうはく》の  |山路《やまぢ》を|深《ふか》く|進《すす》み|来《き》ぬ』
|心《こころ》も|赤《あか》き|春姫《はるひめ》の、|春《はる》の|弥生《やよひ》の|花《はな》の|顔《かんばせ》、|遺憾《ゐかん》なく|表白《あらは》して、ここに|現《あら》はれ|来《き》たり。|近傍《かたへ》の|岩石《いは》に|腰打掛《こしうちか》けて|苦《くる》しみ|悶《もだ》えつつある|一柱《ひとり》の|女人《によにん》のあるに|驚《おどろ》き、|天《あめ》が|下《した》|一切《いつさい》の|神人《しんじん》を|救《すく》ふは、|宣伝使《せんでんし》の|聖《きよ》き|貴《たふと》き|天職《てんしよく》と、|女人《によにん》の|側《そば》にかけ|寄《よ》りて、|背《せな》なでさすり|労《いたは》りつつ、|介抱《かいほう》に|余念《よねん》なかりける。
|女人《によにん》はやや|苦痛《くつう》|軽減《けいげん》したりと|見《み》え、やうやうに|面《おもて》を|上《あ》げ、
『いづこの|御方《おかた》か|知《し》らねども、|吾身《わがみ》は|女《をんな》の|独旅《ひとりたび》、|草《くさ》|分《わ》け|進《すす》む|折《をり》からに、|名《な》も|恐《おそ》ろしき|毒蛇《どくじや》に|咬《か》まれて、か|弱《よわ》き|女《をんな》の|身《み》のいかんともする|術《すべ》もなき|折《をり》からに、|思《おも》ひがけなき|御親切《ごしんせつ》、いかなる|神《かみ》の|御救《みすく》ひか、|辱《かたじけ》なし』
と|眺《なが》むれば、|豈《あに》はからむや、モスコーの|城中《じやうちう》において、|忠実《まめまめ》しく|仕《つか》へたる|春姫《はるひめ》の|宣伝使《せんでんし》なりける。
|春日姫《かすがひめ》『ヤア|汝《そなた》は|春姫《はるひめ》か』
|春姫《はるひめ》『ヤア|貴下《あなた》は|春日姫《かすがひめ》にましませしか。|思《おも》はぬ|処《ところ》にて|御拝顔《ごはいがん》、かかる|草深《くさぶか》き|山中《さんちゆう》にてめぐり|会《あ》ふも|仁慈《じんじ》|深《ふか》き|神《かみ》の|御引合《おひきあは》せ、アヽ|有難《ありがた》や、|勿体《もつたい》なや』
と、|前後《ぜんご》を|忘《わす》れ|互《たがひ》に|手《て》に|手《て》を|執《と》り|交《かは》し、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》は|夕立《ゆふだち》の、|雨《あめ》にも|擬《まが》ふ|許《ばか》りなりき。
かかる|処《ところ》に、|一柱《ひとはしら》の|荒々《あらあら》しき|男《をとこ》|現《あら》はれ|来《きた》り、|二人《ふたり》の|姿《すがた》を|見《み》るより|早《はや》く、|一目散《いちもくさん》に|後振《あとふ》り|返《かへ》り|振《ふ》り|返《かへ》り、|彼方《あなた》の|森林《しんりん》めがけて|姿《すがた》を|隠《かく》したるが、|漸時《しばらく》ありて、|以前《いぜん》の|曲男《まがびと》は、|四五《しご》の|怪《あや》しき|男《をとこ》と|共《とも》にこの|場《ば》に|現《あら》はれた。
|甲《かふ》『ヤア|居《を》る|居《を》る。|素的滅法界《すてきめつぱふかい》な|美《うつく》しい|女《をんな》が、しかも|両個《りやんこ》だ』
|乙《おつ》『|本当《ほん》に|本当《ほん》に、|黒熊《くろくま》の|言《い》つたやうな|天女《てんによ》の|天降《あまくだ》りだよ。|別嬪《べつぴん》だなア、【こいつは】|素敵《すてき》だ。しかし|男《をとこ》|四人《よにん》に|女《をんな》|二人《ふたり》とは、チト|勘定《かんぢやう》が|合《あ》はぬぢやないか』
|甲《かふ》『そりや|何《なに》を|言《い》ふのだい。|自分《じぶん》の|女房《にようばう》か|何《なん》ぞの|様《やう》に、|四人《よにん》に|二人《ふたり》もあつたものかい。|女《をんな》さへ|見《み》ると|直《すぐ》に|眼尻《めじり》を|下《さ》げよつて、オイ|涎《よだれ》を|落《おと》すない』
|乙《おつ》は|周章《あわ》てて|涎《よだれ》を|手繰《たぐ》る。
|甲《かふ》『|貴様《きさま》のその|面《つら》は|何《なん》だい、|杓子《しやくし》に|眼《め》|鼻《はな》をあしらつた|如《や》うな|面構《つらがま》へで、|女《をんな》が|居《を》るの|居《を》らぬのと、それこそ|癪《しやく》に|障《さは》らア。|何程《なんぼ》|女《をんな》が|癪気《しやくけ》で|苦《くるし》みて|居《を》つたつて、|御前《おまへ》のやうな|杓子面《しやくしづら》に|助《たす》けてくれと|言《い》ひはしないよ。|左様《さやう》なことは|置《お》け|置《お》け、|薩張《さつぱ》り|杓子《しやくし》だ』
|乙《おつ》は|烈火《れつくわ》のごとく|怒《いか》りて、|狸《たぬき》の|如《や》うな|眼《め》をむき、|息《いき》をはづませる。
|丙《へい》『アツハヽヽヽヽ|杓子狸《しやくしだぬき》の|橡麺棒《とちめんぼう》、|黒《くろ》い|眼玉《めだま》を|椋鳥《むくどり》、|鵯《ひよどり》、|阿呆鳥《あはうどり》、|阿呆《あはう》にくつつける|薬《くすり》は|無《な》いわい』
|丁《てい》『オーオー、その|薬《くすり》で|思《おも》ひ|出《だ》した。|俺《おれ》は|今《いま》|癪《しやく》の|薬《くすり》を|所持《しよぢ》して|居《ゐ》るのだ。これをあの|女人様《によにんさま》に|献上《けんじやう》しようか』
|甲《かふ》『|貴様《きさま》は|女《をんな》に|甘《あま》い|奴《やつ》だ、なぜ|左様《そんな》に|女《をんな》と|見《み》たら|涙《なみだ》|脆《もろ》いのだ。|貴様《きさま》のやうな|仏掌薯《つくねいも》のやうな|面《つら》つきで、なんぼ|女神様《めがみさま》の|歓心《くわんしん》を|買《かは》うと|思《おも》つて|追従《つゐしやう》たらたらやつて|見《み》ても|駄目《だめ》だよ。|肱鉄砲《ひぢてつぱう》の|一《ひと》つも|喰《く》つたら、それこそよい|恥《はぢ》さらしの|面《つら》の|皮《かは》だよ』
|丁《てい》『|面《つら》の|皮《かは》でも|何《なん》でも|放《ほ》つとけ。|俺《おれ》がこの|薬《くすり》を|飲《の》ましたら、それこそ|女人《によにん》は|全快《ぜんくわい》してニコニコと|笑《わら》ひ|出《だ》し、あの|優美《やさ》しい|唇《くちびる》から、|雪《ゆき》のやうな|歯《は》を|出《だ》して「|何処《どこ》のどなたか|知《し》らねども、この|山中《さんちう》に|苦《くる》しみ|迷《まよ》ふ|女人《によにん》の|身《み》、この|御親切《ごしんせつ》は、いつの|世《よ》にか|忘《わす》れませう。アヽ|嬉《うれ》しや、おなつかしや」と|言《い》つて、|白《しろ》い|腕《かひな》をヌツと|出《だ》して、|離《はな》しはせぬと|来《く》るのだ。そこで|俺《おれ》は「コレハコレハ|心得《こころえ》ぬ|貴《たつと》き|女人《によにん》のあなた|様《さま》、|荒《あら》くれ|男《をとこ》の|仏掌薯《つくねいも》のやうな|吾々《われわれ》にむかつて、|抱《だ》き|附《つ》きたまふは|如何《いかが》の|儀《ぎ》で|御座《ござ》る」と【かます】のだ。すると|女人《によにん》の|奴《やつ》、|梅《うめ》の|花《はな》の|朝日《あさひ》に|匂《にほ》ふやうな|顔《かほ》をしやがつて「いえいえ|仮令《たとへ》|御顔《おかほ》は【つくねいも】でも|生命《いのち》の|親《おや》のあなた|様《さま》、どうぞ|私《わたくし》を|可愛《かあい》がつてね、|千年《せんねん》も|万年《まんねん》も」と|出《で》て|来《く》るのだ』
|甲《かふ》『|馬鹿《ばか》ツ』
と|大喝《だいかつ》する。
|丁《てい》『|馬鹿《ばか》ツて|何《なん》だい、|美《うつく》しい|女《をんな》の|姿《すがた》に|見惚《みと》れよつて、|顔《かほ》の|紐《ひも》まで|解《と》き、|貴様《きさま》の|篦作《べらさく》|眉毛《まゆげ》を、いやが|上《うへ》にも|下《さ》げて、|章魚《たこ》のやうな|禿頭《はげあたま》を|見《み》せたとて、いかな|物好《ものず》きな|女人《によにん》でも、そんな|土瓶章魚禿《どびんたこはげ》には|一瞥《いちべつ》もしてくれないぞ、あんまり|悋気《りんき》をするない、チト|貴様《きさま》の|面相《つら》と|相談《さうだん》したがよい、|馬鹿々々《ばかばか》しいワ』
とやり|返《かへ》せば、
|丙《へい》『オイ|黒熊《くろくま》、|貴様《きさま》は|結構《けつこう》な|獲物《えもの》が|有《あ》るなンて、|慌《あわただ》しく|俺《おれ》らの|前《まへ》に|飛《と》ンで|来《き》よつて、|御注進《ごちうしん》|申《まを》し|上《あ》げたが、|一体《いつたい》この|女人《によにん》は|何《なん》だと|思《おも》ふ、|恐《おそ》ろしい|宣伝使《せんでんし》ではないか。|若《も》しも|此女《こいつ》らの|病気《びやうき》でも|全快《ぜんくわい》して|見《み》ろ、|又《また》もや|頭《あたま》の|痛《いた》む、|胸《むね》の|苦《くる》しい「|三千世界《さんぜんせかい》」とか「|時鳥《ほととぎす》」とか、「|照《て》る」とか「|曇《くも》る」とか|吐《ぬか》す|奴《やつ》だぞ。|貴様《きさま》は|明盲者《あきめくら》だな、こんな|被面布《ひめんぷ》を|被《かぶ》つてをる|奴《やつ》は|俺《おい》らの|敵《かたき》だ。こンな|奴《やつ》を|助《たす》けてやらうものなら、アーメニヤのウラル|彦様《ひこさま》に、どんな|罰《ばつ》を|与《あた》へられるか|知《し》れやしないぞ。【いつそ】のこと|皆《みな》|寄《よ》つて|集《たか》つて、|叩《たた》きのばしてウラル|彦様《ひこさま》の|御褒美《ごほうび》にあづからうではないか』
|一同《いちどう》『それが|宜《よ》からう、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い』
と|目配《めくば》せしながら、|四方《しはう》より|棒千切《ばうちぎれ》を|持《も》つて|攻《せ》めかくれば、|春姫《はるひめ》は|涼《すず》しき|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて、
『|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|唱《とな》へ、かつ、
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》』
と|歌《うた》ひ|出《だ》したるにぞ、|一同《いちどう》は|頭《あたま》をかかへ、|大地《だいち》に|跼蹐《しやが》みける。
|春姫《はるひめ》は、|右《みぎ》の|人差指《ひとさしゆび》を|四人《よにん》の|頭上《づじやう》めがけてさし|向《む》けたるに、|指頭《しとう》よりは|五色《ごしき》の|霊光《れいくわう》|放射《はうしや》して、|四人《よにん》の|全身《ぜんしん》を|射徹《いとほ》したり。
|一同《いちどう》は、
『|赦《ゆる》せ|赦《ゆる》せ』
と|声《こゑ》を|立《た》て、|両手《りやうて》を|合《あは》せ|哀願《あいぐわん》するのみ。このとき|又《また》もや|山奥《やまおく》より、
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》』
と|歌《うた》ふ|声《こゑ》、|木精《こだま》を|響《ひび》かせながら、|雲《くも》つくばかりの|男《をとこ》が|現《あら》はれたり。これぞ|大道別《おほみちわけ》のなれの|果《はて》、|日《ひ》の|出《で》の|守《かみ》の|宣伝使《せんでんし》なりける。
|黒熊《くろくま》|以下《いか》の|魔人《まがびと》は|男神《をがみ》の|出現《しゆつげん》に|膽《きも》を|潰《つぶ》して、|転《こ》けつ|輾《まろ》びつ、|蜘蛛《くも》の|子《こ》を|散《ち》らすがごとく|逃《に》げ|去《さ》りぬ。|後《あと》に|三人《さんにん》は|顔《かほ》|見合《みあ》はせて、うれし|涙《なみだ》に|袖《そで》を|絞《しぼ》るのみなりき。
(大正一一・一・一七 旧大正一〇・一二・二〇 藤松良寛録)
第一二章 |起死回生《きしくわいせい》〔二六二〕
|久方《ひさかた》の|天《あめ》と|地《つち》との|大道《おほみち》を、|解《と》き|分《わ》け|進《すす》む|宣伝使《せんでんし》、|世《よ》は|烏羽玉《うばたま》の|闇《やみ》の|世《よ》を、|洽《あま》ねく|照《て》らす|日《ひ》の|出《で》の|守《かみ》、|深山《みやま》の|奥《おく》に|分《わ》け|入《い》りて、|神《かみ》の|御旨《みむね》を|伝《つた》へ|来《く》る、|月日《つきひ》も|長《なが》き|長白《ちやうはく》の、|山《やま》|分《わ》け|進《すす》む|神司《いきがみ》の、|雄々《をを》しき|姿《すがた》|今《いま》ここに、|三《み》つの|身魂《みたま》のめぐり|逢《あ》ひ、|深《ふか》き|縁《えにし》の|谷《たに》の|底《そこ》、|底《そこ》ひも|知《し》らぬ|皇神《すめかみ》の、|恵《めぐ》みの|舟《ふね》に|棹《さを》さして、|大海原《おほうなばら》や|川《かは》の|瀬《せ》を、|渡《わた》る|浮世《うきよ》の|神柱《かむばしら》。
ゆくりなくも、ここに|一男二女《いちなんにぢよ》の|宣伝使《せんでんし》は|邂逅《かいこう》したりける。|春日姫《かすがひめ》は|苦《くる》しき|息《いき》の|下《した》よりも|幽《かすか》な|声《こゑ》をふり|絞《しぼ》り、
『|貴下《きか》は|大恩《たいおん》|深《ふか》き|南天王《なんてんわう》の|日《ひ》の|出《で》の|守《かみ》にましますか。【みじめ】なところを|御目《おめ》にかけ、|御耻《おはづ》かしく|存《ぞん》じます』
と|言葉《ことば》|終《をは》ると|共《とも》に、|息《いき》も|絶《た》え|絶《だ》えに|又《また》もや|打伏《うちふ》しにける。|日《ひ》の|出《で》の|守《かみ》は|両眼《りやうがん》に|涙《なみだ》をたたへ、|黙然《もくねん》として|春日姫《かすがひめ》を|打《う》ち|眺《なが》めつつありしが、ツと|立《た》ち|上《あが》り、|傍《かたはら》の|叢《くさむら》を|彼方《あなた》こなたと|逍遥《せうえう》しながら、|二種《ふたいろ》の|草《くさ》の|葉《は》を|求《もと》めきたり、|両手《りやうて》の|掌《たなごころ》に|揉《も》み|潰《つぶ》し、|雫《しづく》のしたたる|葉薬《はぐすり》を|春日姫《かすがひめ》の|疵所《きずしよ》にあて|介抱《かいほう》したりける。
これは|各地《かくち》の|高山《かうざん》によく|発生《はつせい》する|山薊《やまあざみ》と、|山芹《やませり》にして、|起死回生《きしくわいせい》の|神薬《しんやく》は、これを|以《もつ》て|作《つく》らるるといふ。|日本《にほん》では|伊吹山《いぶきやま》に|今《いま》に|発生《はつせい》し|居《を》るものなり。
|見《み》るみる|春日姫《かすがひめ》は、|熱《ねつ》さめ|痛《いた》みとまり|腫《は》れは|退《ひ》き、たちまちにして|元《もと》の|身体《からだ》に|復《ふく》し、さも|愉快気《ゆくわいげ》に|笑顔《ゑがほ》の|扉《とびら》|開《ひら》きける。ここに|三人《さんにん》は|歓喜《くわんき》|極《きは》まつて、|神恩《しんおん》の|厚《あつ》きに|落涙《らくるい》したり。
|日《ひ》の|出《で》の|守《かみ》はおもむろに|春日姫《かすがひめ》に|向《むか》ひ、
『|貴女《あなた》は|顕恩郷《けんおんきやう》の|南天王《なんてんわう》として|夫婦《ふうふ》|睦《むつま》じく|住《す》まはせ|給《たま》ふならむと|思《おも》ひきや、|思《おも》ひがけなき|宣伝使《せんでんし》のこの|姿《すがた》。|変《かは》り|易《やす》きは|浮世《うきよ》の|習《なら》ひとは|言《い》ひながら、|何《な》ンとして|斯《か》かる|深山《みやま》にさまよひ|給《たま》ふぞ。また|鷹住別《たかすみわけ》は|如何《いかが》はしけむ、その|消息《せうそく》を|聞《き》かまほし』
と|訝《いぶ》かしげに|問《と》ひけるに、|春日姫《かすがひめ》は|一別《いちべつ》|以来《いらい》の|身《み》の|消息《せうそく》を、こまごまと|物語《ものがた》り、かつ|世《よ》の|終末《をはり》に|近《ちか》づけるを|坐視《ざし》するに|忍《しの》びず、|身命《しんめい》を|神《かみ》に|捧《ささ》げて、|歩《あゆ》みも|馴《な》れぬ|宣伝使《せんでんし》の|苦《くる》しき|旅路《たびぢ》の|詳細《しやうさい》を|物語《ものがた》りけるに、|日《ひ》の|出《で》の|守《かみ》は|言葉《ことば》を|改《あらた》めて、
『|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|神心《かみごころ》を|奉戴《ほうたい》し、|世《よ》を|救《すく》ふべく|都《みやこ》を|出《い》でての|艱難辛苦《かんなんしんく》お|察《さつ》し|申《まを》す。さりながら、|女《をんな》たるものは|家《いへ》を|治《をさ》むるをもつて|第一《だいいち》の|務《つと》めとなす。|汝《な》が|夫《をつと》|鷹住別《たかすみわけ》の|宣伝使《せんでんし》として|浪路《なみぢ》はるかに|出《い》でませし|後《のち》のモスコーは、|年《とし》|老《お》いたる|両親《りやうしん》の|御心《みこころ》のほども|察《さつ》しやらねばなりますまい。|貴女《あなた》はすみやかにモスコーに|帰《かへ》り、|父母《ふぼ》に|孝養《かうやう》を|尽《つく》し、|神《かみ》を|祈《いの》りて、|夫《をつと》の|帰省《きせい》を|心《こころ》|静《しづ》かに|待《ま》たせたまへ』
と|勧《すす》むるにぞ、|春姫《はるひめ》はその|語《ご》に|次《つ》いで、
『|隙間《すきま》の|風《かぜ》にもあてられぬ|貴《たつと》き|女性《ぢよせい》の|御身《おんみ》の|上《うへ》として、|案内《あない》も|知《し》らぬ|海山《うみやま》|越《こ》えて、|神《かみ》のためとは|言《い》ひながら、|御《おん》いたはしき|姫《ひめ》の|御姿《みすがた》、|一日《ひとひ》も|早《はや》くモスコーに|帰《かへ》らせたまへ。|妾《わらは》は|今《いま》よりモスコーに|汝《な》が|命《みこと》を|送《おく》り|届《とど》け|参《まゐ》らせむ』
と|真心《まごころ》|面《おもて》に|表《あら》はして、|涙《なみだ》と|共《とも》に|諫《いさ》めけるにぞ、|春日姫《かすがひめ》は|首《かうべ》を|左右《さいう》に|振《ふ》り、
『|二司《おふたかた》の|妾《わらは》を【かばひ】たまふその|御心《みこころ》は、|何時《いつ》の|世《よ》にかは|忘《わす》れ|申《まを》さむ。されど|一旦《いつたん》|思《おも》ひ|定《さだ》めた|宣伝使《せんでんし》、たとへ|屍《かばね》を|山野《さんや》に|曝《さら》し、|虎《とら》|狼《おほかみ》の|餌食《ゑじき》となるとも、|初心《しよしん》を|枉《ま》ぐる|事《こと》のいとぞ|苦《くる》しければ』
と|二司《ふたかた》の|諫《いさ》めを|拒《こば》みて|動《うご》く|色《いろ》|見《み》えざりければ、|日《ひ》の|出《で》の|守《かみ》も|春姫《はるひめ》も、|巌《いはほ》を|射抜《いぬ》く|春日姫《かすがひめ》の|固《かた》き|決心《けつしん》に|感歎《かんたん》し、|三人《さんにん》の|司《つかさ》は|相《あひ》|携《たづさ》へて|長白山《ちやうはくざん》を|下《くだ》り、|東《ひがし》、|西《にし》、|南《みなみ》の|三方《さんぱう》に|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひつつ|袂《たもと》を|別《わか》ちたりける。
(大正一一・一・一七 旧大正一〇・一二・二〇 嵯峨根民蔵録)
(第一一章〜一二章 昭和一〇・一・二八 於筑紫別院 王仁校正)
第一三章 |谷間《たにま》の|囁《ささやき》〔二六三〕
|八百八谷《はつぴやくやたに》の|谷々《たにだに》の、|流《なが》れもここに|鴨緑江《あいなれ》の、その|水上《みなかみ》の|岩《いは》が|根《ね》に、|腰《こし》|打《う》ちかけて、|四五《しご》の|山人《やまびと》は、|弓矢《ゆみや》を|携《たづさ》へ、|水音《みなおと》|高《たか》き|谷川《たにがは》の|巌《いはほ》に|腰《こし》をうちかけて、|囁《ささや》く|声《こゑ》は【あいなれ】の|水瀬《みなせ》を|圧《あつ》するばかりなりけり。|深霧《ふかぎり》|罩《こ》めし|長白《ちやうはく》の|峰《みね》は|屹然《きつぜん》と、|雲《くも》に|頭《かしら》を|現《あら》はして、さも|雄渾《ゆうこん》の|気《き》に|充《み》たされ|居《ゐ》たる。
|甲《かふ》『オイ|今日《けふ》はどうだつたい、|何《なに》か|獲物《えもの》があつたかの、|吾々《われわれ》は|谷《たに》から|谷《たに》へ|駆《か》け|廻《まは》り、|兎《うさぎ》や|猪《しし》の|足跡《あしあと》を|考《かんが》へ|附《つ》け|狙《ねら》つたが、どうしたものか|一匹《いつぴき》の|獲物《えもの》もないのだ。|大《おほ》きな|顔《かほ》をして|弓矢《ゆみや》を|持《も》つて|家《うち》へ|帰《かへ》れた|態《ざま》ぢやない。お|前《まへ》たちの|獲《と》つたものでも、|一寸《ちよつと》|俺《おれ》に|貸《か》してくれないか、|手《て》ぶらで|帰《かへ》るとまた|山《やま》の|神《かみ》の|御機嫌《ごきげん》|斜《ななめ》なりだ。いつもいつも|夫婦《めをと》|喧嘩《げんくわ》は|見《み》つともないからなア』
|乙《おつ》『|俺《おい》らだつて|同《おな》じことだよ、|一体《いつたい》このごろ|四足《よつあし》どもは|何処《どこ》へ|行《ゆ》きよつたのだらうか。|影《かげ》も|形《かたち》も|見《み》せない。|俺《おい》らア|合点《がつてん》がゆかぬが、きつと|大変《たいへん》だぜ』
|丙《へい》『|察《さつ》するところ、つらつら|考《かんが》ふるに、|天地開闢《てんちかいびやく》の|初《はじ》め、|大国治立命《おおくにはるたちのみこと》|御退隠《ごたいいん》|遊《あそ》ばしてより……』
|甲《かふ》『|何《なん》ぢや、【ひち】|六《むつ》か|敷《し》い|御託《ごたく》ばかり【こき】よつて、いつも|貴様《きさま》のいふ|事《こと》は|尻《しり》が|結《むす》べた|事《こと》はありやしない、|黙《だま》つてすつこみて|居《を》れ』
|丁《てい》『イヤ|丙《へい》のいふ|通《とほ》りだ、|終《をは》りまで|聞《き》いてやれ、この|間《あひだ》からチト|天《てん》の|様子《やうす》が|変《へん》ぢやないか。|彼方《あつち》の|天《てん》にも|此方《こつち》の|天《てん》にも|金《きん》や|銀《ぎん》の|星《ほし》が|集合《かたま》つて、|星様《ほしさま》が|何《なん》か|相談《さうだん》しとるぢやないか。ありやキツと|大地震《だいぢしん》か、|大風《おほかぜ》か、|大雨《おほあめ》を|降《ふ》らす|相談《さうだん》だらうぜ』
|丙《へい》『しかり|而《しか》うして、そもそも|天上《てんじやう》の|諸星《しよせい》|鳩首《きうしゆ》|謀議《ぼうぎ》の|結果《けつくわ》は』
|甲《かふ》『|貴様《きさま》のいふ|事《こと》は|訳《わけ》が|分《わか》らぬ。すつこみて|居《を》れと|云《い》つたら、すつこみて|居《を》らうよ』
|丙《へい》『|貴様《きさま》は、いつも|吾輩《わがはい》の|議論《ぎろん》を|強圧的《きやうあつてき》に|圧迫《あつぱく》して、|抑《おさ》へつけようとするのか……』
|甲《かふ》『|強圧《きやうあつ》も、|圧迫《あつぱく》も、|抑《おさ》へつけるもあつたものか。|同《おな》じ|事《こと》ばかり|並《なら》べよつて、|此奴《こいつ》は|余程《よほど》どうかして|居《を》るぜ』
|丙《へい》『どうかして|居《を》るつて|何《なん》だい。|本来《もともと》|俺《おれ》が|一言《ひとこと》いふと|頭《あたま》から|強圧《きやうあつ》しよつたらう。|二度目《にどめ》にはまた|圧迫《あつぱく》しよつて、|三度目《さんどめ》には|抑《おさ》へつけよつたらう。|面倒《めんだう》くさいから|三度《さんど》のを|一遍《いつぺん》にいうたのだ。|無学《むがく》の|奴《やつ》は|憐《あは》れなものだナア』
|乙《おつ》『そんな|話《はなし》はどうでもよい、|第一《だいいち》|地響《ぢひび》きは|毎日《まいにち》ドンドンと|続《つづ》くなり、|雨《あめ》はベチヤベチヤ|降《ふ》り|続《つづ》くなり、|猪《しし》や|兎《うさぎ》の|奴《やつ》|一匹《いつぴき》も、どこかへ|行《ゆ》きよつて、|俺《おい》らも|最早《もはや》|蛙《かへる》の|干乾《ひぼし》にならなくちや|仕方《しかた》がないのだ。|俺《おい》らの|生活上《せいくわつじやう》の|大問題《だいもんだい》だよ』
|丁《てい》『|要《えう》するに、|貴様《きさま》たちの【やくざ】|人足《にんそく》は|何《なに》も|知《し》らないからだ。この|間《あひだ》も|宣伝使《せんでんし》とかいふ|奴《やつ》がやつて|来《き》てね、「|猪《しし》や|兎《うさぎ》などは|三日前《みつかまへ》から|何《なん》でも|知《し》つて|居《を》る。お|前《まへ》たちの|眼《め》はまるで|節穴《ふしあな》だ」と|云《い》つて|通《とほ》りよつたが、|大方《おほかた》このごろ|山《やま》に、|鳥《とり》や|獣《けだもの》の|居《を》らなくなつたのは、|大洪水《だいこうずゐ》の|出《で》るのを|知《し》つて、|長白山《ちやうはくざん》の|奴頂辺《どてつぺん》にでも|避難《ひなん》したのかも|分《わか》らないよ。|道理《だうり》でこの|谷川《たにがは》の|名物《めいぶつ》|緑《みどり》の|鴨《かも》も、|一羽《いちは》もそこらに|居《を》らないぢやないか。|晴天《せいてん》でお|太陽様《てんとうさま》の|光《ひかり》が|木間《このま》から|漏《も》れて、この|谷川《たにがは》に|美《うつく》しい|鴛鴦《をしどり》が|浮《う》いて|居《を》るときの|光景《くわうけい》は、|何《なん》ともいはれなかつたが、|今日《けふ》の|殺風景《さつぷうけい》はどうだい。この|間《あひだ》の|雨《あめ》で|谷水《たにみづ》は|濁《にご》る、|水《みづ》はだんだん|増加《ふえ》る、おまけに|間断《かんだん》なく|雨《あめ》は|降《ふ》る、これ|見《み》ても|吾々《われわれ》は|何《なん》とか|考《かんが》へねばなるまい。キツと|天地《てんち》の|大変動《だいへんどう》の|来《きた》るべき|前兆《ぜんてう》かも|知《し》れないよ』
|丙《へい》『|江山《かうざん》の|風景《ふうけい》は|必《かなら》ずしも|晴天《せいてん》のみに|限《かぎ》らず、|降雪《かうせつ》、|降雨《かうう》、|暴風《ばうふう》のときこそかへつて|雅趣《がしゆ》を|添《そ》へるものなりだ。エヘン』
|甲《かふ》『また|始《はじ》まつた、|貴様《きさま》のいふことは|一体《いつたい》|訳《わけ》が|分《わか》らないワ』
|丙《へい》『|黙言《だま》つて|終《しまひ》まで|聞《き》かうよ。|昔《むかし》から|相似《さうじ》の|年《とし》といつて、|長雨《ながあめ》も|降《ふ》つたり、|地震《ぢしん》も|揺《ゆ》つたり、|星《ほし》が|降《ふ》つたり、|凶作《きようさく》が|続《つづ》いたり、|鳥獣《てうじう》が|居《ゐ》なくなつたりした|事《こと》は|幾度《いくたび》もあるよ。|世《よ》の|中《なか》の|歴史《れきし》は|繰返《くりかへ》すといつてな、|少々《せうせう》|地響《ぢひびき》がしたつて、|雨《あめ》が|降《ふ》つたつて、|星《ほし》が|集会《しふくわい》したつて、さう|驚《おどろ》くに|及《およ》ばぬのぢや。|察《さつ》するところお|前《まへ》たちの|臆病者《おくびやうもの》の|腹《はら》の|中《なか》は、もはや|天変地妖《てんぺんちえう》が|到来《たうらい》して、|獲物《えもの》が|無《な》いので|山《やま》の|神《かみ》に|雷《かみなり》でも、|頭《あたま》の|上《うへ》から|落《おと》されるのが|恐《こは》くつて|震《ふる》うて|居《ゐ》よるのだらう。つらつら|惟《おもんみ》るに、エヘン、お|前《まへ》たちは|臆病神《おくびやうがみ》に|誘《さそ》はれたのだねえ、エヘン、オホン』
|丁《てい》『ヤア、そこへ|五六羽《ごろつぱ》の|鴨《かも》が|来《き》たではないか』
ヨウ、ヨウ、と|言《い》ひながら|一同《いちどう》は|弓《ゆみ》に|矢《や》を|番《つが》へて|身構《みがま》へする。
|乙《おつ》『|待《ま》て|待《ま》て|大変《たいへん》だ。この|谷《たに》は|鴨猟《かもれふ》は|厳《きび》しく|禁《きん》じてあるぢやないか、そんな|物《もの》ども|獲《と》つたら|大変《たいへん》だよ。この|鴨《かも》は|昔《むかし》|八頭《やつがしら》の|妻《つま》|磐長姫《いはながひめ》が、|悋気《りんき》とか|陰気《いんき》とかの|病《やまひ》で|河《かは》へ|飛《と》び|込《こ》んで、その|亡霊《ばうれい》が|鴨《かも》になつたといふ|事《こと》だ。それでその|鴨《かも》は|八頭様《やつがしらさま》の|奥様《おくさま》の|霊《れい》だから、それを|撃《う》たうものなら|大変《たいへん》な|刑罰《けいばつ》を|受《う》けねばならぬ。そしてその|鴨《かも》を|食《く》つた|奴《やつ》の|嬶《かかあ》は、すぐにこの|谷川《たにがは》へ|飛《と》び|込《こ》んで、|鴨《かも》になつて|仕舞《しま》ふと|云《い》う|事《こと》だよ』
|丙《へい》『そンな|事《こと》は|疾《とほ》の|昔《むかし》に|委細《ゐさい》|御承知《ごしようち》だ。|迷信《めいしん》|臭《くさ》い|事《こと》をいつ|迄《まで》もぬかす|奴《やつ》があるかい、|背《せ》に|腹《はら》はかへられぬ。|食《く》はずに|死《し》ぬか、|食《く》うて|死《し》ぬかぢや。|罰《ばつ》があたりや、|当《あた》つたでよい。|一寸先《いつすんさき》は|闇《やみ》よ。|宣伝使《せんでんし》の|云《い》ひ|草《くさ》ではないが、|天《てん》は|地《ち》となり|地《ち》は|天《てん》となる、たとへ|大地《だいち》が|沈《しづ》むとも|間男《まをとこ》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふのだ。せせつ|細《こま》しい|善《ぜん》とか|悪《あく》とかに|拘泥《かうでい》してゐたら、|吾々《われわれ》は【ミイラ】になつて|仕舞《しま》わア、そンな|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|迷信《めいしん》はさつぱりとおいて|欲《ほ》しぼしぢや、|梅干《うめぼし》ぢや、|蛙《かへる》の|干乾《ひぼし》ぢや、|土用干《どようぼし》ぢや、お|玉《たま》り|小坊子《こぼし》や|膝坊子《ひざぼふし》や、カンカン』
とただ|単独《ひとり》、|調子《てうし》にのつて|下《くだ》らぬことを|喋《しやべ》りてをる。
このとき|西方《せいはう》の|谷間《たにま》にあたりて、|山《やま》も|割《わ》るるばかりの|音響《おんきやう》|聞《きこ》ゆると|思《おも》ふ|刹那《せつな》、|身《み》の|廻《まは》り|三丈《さんぢやう》もあらうと|思《おも》ふ|真黒《まつくろ》の|大蛇《だいじや》が、|谷川《たにがは》めがけて|下《くだ》り|来《き》たり、|間《ま》もなく、|少《すこ》し|赤味《あかみ》を|帯《お》びたる|同《おな》じ|大《おほ》きさの|二三百《にさんびやく》|丈《ちやう》もある|長《なが》い|大蛇《だいじや》が、|引《ひ》き|続《つづ》いて|谷川《たにがは》めがけて|驀地《まつしぐら》に|下《くだ》り|来《きた》るを|見《み》つつ、|一同《いちどう》は|息《いき》を|殺《ころ》し、|目《め》を|塞《ふさ》ぎ、|岩《いは》に|噛《かぢ》りつき、|大蛇《だいじや》の|通過《つうくわ》するを|震《ふる》ひ|震《ふる》ひ|唇《くちびる》まで|真蒼《まつさを》にして|待《ま》ち|居《ゐ》たりける。
(大正一一・一・一八 旧大正一〇・一二・二一 加藤明子録)
第一四章 |黒竜《こくりう》|赤竜《せきりう》〔二六四〕
|話《はなし》は|少《すこ》し|後《あと》に|戻《もど》つて、ウラル|山《さん》の|宮殿《きうでん》より|盤古神王《ばんこしんわう》を|奉《ほう》じ、ヱルサレムの|聖地《せいち》に|帰還《きくわん》したる|日《ひ》の|出《で》の|守《かみ》は、|世《よ》の|終末《をはり》の|近《ちか》づけるに|憂慮《いうりよ》し、|天下《てんか》の|災害《さいがい》を|坐視《ざし》するに|忍《しの》びずとして、|盤古大神《ばんこだいじん》をヱルサレムに|奉安《ほうあん》し、|自《みづか》らは|宣伝使《せんでんし》となりてこの|長白山《ちやうはくざん》に|現《あら》はれたるなり。
|長白山《ちやうはくざん》には|白色《はくしよく》の|玉《たま》が|祭《まつ》られてある。|而《して》して|有国彦《ありくにひこ》、|有国姫《ありくにひめ》が|之《これ》を|主宰《しゆさい》し、|磐長彦《いはながひこ》をして|神政《しんせい》を|掌《つかさど》らしめられたり。|然《しか》るにこの|長白山《ちやうはくざん》は、|悉皆《しつかい》ウラル|彦《ひこ》に|帰順《きじゆん》して|居《ゐ》たりける。|有国彦《ありくにひこ》はある|夜《よ》|怖《おそ》ろしい|夢《ゆめ》を|見《み》たるが、その|夢《ゆめ》は|暴風雨《ばうふうう》が|幾百日《いくひやくにち》か|続《つづ》いて、|大地《だいち》|一面《いちめん》に|泥海《どろうみ》と|化《くわ》し、さしもに|高《たか》き|長白山《ちやうはくざん》も|水中《すゐちう》に|没《ぼつ》し、|神人《しんじん》|皆《みな》|溺死《できし》を|遂《と》げたるが、|自分《じぶん》は|山頂《さんちやう》の|大樹《だいじゆ》の|枝《えだ》に|駈登《かけのぼ》りけるに、|数多《あまた》の|蛇《へび》|樹上《じゆじやう》に|登《のぼ》りきたつて、|夫婦《ふうふ》の|手足《てあし》を|噛《か》むだ。|地上《ちじやう》の|泥水《どろみづ》はますます|増加《ぞうか》して、|遂《つひ》にはその|大樹《だいじゆ》をも|没《ぼつ》し、|今《いま》や|自分《じぶん》の|頭《あたま》も|没《ぼつ》せむとした|時《とき》、|一柱《ひとはしら》の|美《うるは》しき|神《かみ》が|天上《てんじやう》より|現《あら》はれ|来《きた》り、|金線《きんせん》の|鈎《かぎ》に|引懸《ひきか》け|中空《ちうくう》に|捲《ま》き|上《あ》げ、|救《すく》ひたまふ。|途中《とちう》に|目《め》を|開《ひら》いて|地上《ちじやう》を|見下《みおろ》す|途端《とたん》に、|鈎《かぎ》に|懸《かか》りし|吾《わが》|帯《おび》はプツリと|断《き》れて、|山岳《さんがく》のごとく|怒濤《どたう》の|吼《たけ》り|狂《くる》ふ|泥海《どろうみ》に、|真倒《まつさか》さまに|顛落《てんらく》せし、と|思《おも》ふ|途端《とたん》に|眠《ねむ》りは|醒《さ》めたり。それより|夫婦《ふうふ》は|直《ただ》ちに|白玉《しらたま》の|宮《みや》に|詣《まう》で、かつ|天地《てんち》の|大神《おほかみ》に|祈願《きぐわん》し、|山《やま》の|神人《かみがみ》を|集《あつ》めて|警戒《けいかい》を|与《あた》へたれど、|磐長彦《いはながひこ》はじめ|一柱《ひとはしら》も|之《これ》を|信《しん》ずる|者《もの》なかりける。|然《しか》るに|日夜《にちや》|暴風《ばうふう》|吹《ふ》き|荒《すさ》び、|天空《てんくう》には|異様《いやう》の|星《ほし》|現《あら》はれ、|三箇《さんこ》の|彗星《すゐせい》の|出没《しゆつぼつ》きはまりなく、|夫婦《ふうふ》は|非常《ひじやう》に|胸《むね》を|痛《いた》めつつありき。かかるところへ|天教山《てんけうざん》の|宣伝使《せんでんし》、|日《ひ》の|出《で》の|守《かみ》は、
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ』
と|歌《うた》ひて|登《のぼ》り|来《く》るあり。その|声《こゑ》は|針《はり》を|刺《さ》すごとくに|夫婦《ふうふ》の|耳《みみ》に|入《い》りぬ。|長白山《ちやうはくざん》の|神人《かみがみ》は|宣伝使《せんでんし》の|歌《うた》を|聞《き》くや|否《いな》や、たちまち|頭痛《づつう》を|感《かん》じ、|胸部《きようぶ》に|激烈《げきれつ》なる|痛《いた》みを|覚《おぼ》え、|大地《だいち》に|七転八倒《しちてんばつたう》して|苦《くるし》み|悶《もだ》ゆる|而者《のみ》なりき。|磐長彦《いはながひこ》は、
『|天下《てんか》を|害《そこな》ふ|悪神《あくがみ》の|声《こゑ》、|征服《せいふく》してくれむ』
と|弓《ゆみ》に|矢《や》を|番《つが》へて、|宣伝使《せんでんし》を|目《め》がけて|発止《はつし》と|射《い》かけたり。されどその|矢《や》は|残《のこ》らず|外《そ》れて、|一矢《いつし》も|命中《めいちう》せざりける。|日《ひ》の|出《で》の|守《かみ》は|少《すこ》しも|屈《くつ》せず、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、|山上《さんじやう》の|宮殿《きうでん》に|進《すす》み|入《い》る。|夫婦《ふうふ》は|喜《よろこ》びて|日《ひ》の|出《で》の|守《かみ》を|奥殿《おくでん》に|導《みちび》き、|懇切《こんせつ》なる|教示《けうじ》を|受《う》けたり。|日《ひ》の|出《で》の|守《かみ》は【|今《いま》より|三年《さんねん》の|後《のち》にいよいよ|世《よ》の|終末《をはり》|到来《たうらい》す】べき|事《こと》を|明示《めいじ》し、|又《また》もや|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひながら|山《やま》を|下《くだ》り、|何処《いづこ》ともなく|姿《すがた》を|隠《かく》したまひける。
|夫《それ》より|夫婦《ふうふ》は|昼夜《ちうや》|神《かみ》に|祈《いの》り、かつ|方舟《はこぶね》を|造《つく》るべき|事《こと》を|領内《りやうない》の|神人《かみがみ》に|命令《めいれい》したれど、|肝腎《かんじん》の|神政《しんせい》を|主管《しゆくわん》する|磐長彦《いはながひこ》に|妨《さまた》げられ、|其《その》|目的《もくてき》を|達《たつ》するに|至《いた》らざりける。ここに|夫婦《ふうふ》は|意《い》を|決《けつ》し、|百日百夜《ひやくにちひやくや》|神《かみ》に|祈《いの》り、|遂《つひ》に|黒竜《こくりゆう》|赤竜《せきりゆう》と|身《み》を|還元《くわんげん》し、|白色《はくしよく》の|玉《たま》を|口《くち》に|含《ふく》み、|鴨緑江《あふりよくかう》を|下《くだ》り、|大海原《おほうなばら》を|横断《よこぎ》り、|天教山《てんけうざん》に|登《のぼ》り|大神《おほかみ》に|親《した》しく|奉仕《ほうし》したまひしなり。
(大正一一・一・一八 旧大正一〇・一二・二一 録)
第三篇 |大峠《おほたうげ》
第一五章 |大洪水《だいこうずゐ》(一)〔二六五〕
|天《てん》より|高《たか》く|咲《さ》く|花《はな》の、|天教山《てんけうざん》に|坐《ま》しませる、|木花姫《このはなひめ》の|御教《みをしへ》も、|地教《ちけう》の|山《やま》に|隠《かく》ります、|高照姫《たかてるひめ》の|垂教《すいけう》も、|八百八十八柱《はつぴやくはちじふやはしら》の、|宣伝使《せんでんし》の|艱難《かんなん》も、|盲目《めくら》|聾者《つんぼ》の|世《よ》の|中《なか》は、|何《なん》の|効果《かうくわ》も|荒風《あらかぜ》の、|空《そら》|吹《ふ》く|声《こゑ》と|聞《き》き|流《なが》し、|肯諾《うけが》ふ|者《もの》は|千柱《ちばしら》の、|中《なか》にもわづか|一柱《ひとはしら》、|一《ひと》つの|柱《はしら》は|見《み》る|者《もの》を、|金《きん》|銀《ぎん》|銅《どう》の|天橋《てんけう》に、|救《すく》はむための|神心《かみごころ》、|仇《あだ》に|過《すご》せしその|報《むく》い、|雨《あめ》は|頻《しき》りに|降《ふ》りきたり、|前後《ぜんご》を|通《つう》じて|五百六十七日《ごひやくろくじふしちにち》の、|大洪水《だいこうずゐ》と|大地震《だいぢしん》、|彗星《すゐせい》|処々《しよしよ》に|出没《しゆつぼつ》し、|日月《じつげつ》|光《ひかり》を|押《お》し|隠《かく》し、|御空《みそら》は|暗《くら》く|大地《だいち》の|上《うへ》は、|平《たひら》|一面《いちめん》の|泥《どろ》の|海《うみ》、|凄《すさ》まじかりける|次第《しだい》なり。
|宣伝使《せんでんし》の|神示《しんじ》を|嘲笑《てうせう》して|耳《みみ》にも|入《い》れざりし|長白山《ちやうはくざん》の|磐長彦《いはながひこ》|以下《いか》|数多《あまた》の|神人《かみがみ》は、|追々《おひおひ》|地上《ちじやう》の|泥水《どろみづ》に|覆《おほ》はれて|逃《に》げ|迷《まよ》ひ、|草木《くさき》はいづれも【ずるけ】|腐《くさ》り、|禽獣虫魚《きんじうちうぎよ》は|生命《いのち》を|保《たも》たむため、あらゆる|附近《ふきん》の|山《やま》に|先《さき》を|争《あらそ》うて|駆《か》け|登《のぼ》りける。
されど、|連日《れんじつ》|連夜《れんや》の|大雨《おほあめ》に|洪水《こうずゐ》はますます|地上《ちじやう》に|氾濫《はんらん》し、|遂《つひ》には|小高《こだか》き|山《やま》もその|姿《すがた》を|水中《すゐちう》に|没《ぼつ》するに|致《いた》りぬ。
|神示《しんじ》の|方舟《はこぶね》は|暴風《ばうふう》に|揉《も》まれつつ、|木《こ》の|葉《は》の|散《ち》るごとき|危《あやふ》き|光景《くわうけい》にて、|高山《かうざん》の|巓《いただき》めがけて|漂着《へうちやく》せむと|焦《あせ》りをる。
この|方舟《はこぶね》は|一名《いちめい》|目無堅間《めなしかたま》の|船《かね》といひ、ちやうど|銀杏《ぎんなん》の|実《み》を|浮《うか》べたる|如《ごと》くにして、|上面《じやうめん》は|全部《すつかり》|樟《くす》の|堅固《けんご》な|板《いた》で、|中高《なかだか》に|円《まる》く|覆《おほ》はれ|居《を》り、わづかに|側部《そくぶ》に|空気孔《くうきあな》が|開《あ》けあるのみなりける。
|船《ふね》の|中《なか》には|神人《しんじん》を|初《はじ》め、|牛馬《ぎうば》、|羊《ひつじ》、|鳥《とり》|等《とう》が|一番《ひとつがひ》|宛《づつ》|各自《めいめい》に|入《い》れられ、また|数十日間《すうじふにちかん》の|食物《しよくもつ》|用意《ようい》されありける。
|種々《いろいろ》の|船《ふね》に|身《み》を|托《たく》し、|高山《かうざん》|目蒐《めが》けて|避難《ひなん》せむとする|者《もの》も|沢山《たくさん》ありたれど|上方《じやうはう》に|屋根《やね》なき|舟《ふね》は、|降《ふ》りくる|雨《あめ》の|激《はげ》しさに、|溜《たま》り|水《みづ》を|汲《く》み|出《だ》す|暇《ひま》なく、かつ|寄《よ》せくる|山岳《さんがく》のごとき|怒濤《どたう》に|呑《の》まれて、|数限《かずかぎ》りなき|舟《ふね》は|残《のこ》らず|沈没《ちんぼつ》の|厄《やく》に|逢《あ》ひける。
されど|鳥《とり》の|啼声《なきごゑ》や、|獣類《じうるゐ》のいづれも|山《やま》に|駆《か》け|登《のぼ》るを|見《み》て、|朧気《おぼろげ》ながらにも|世界《せかい》の|大洪水《だいこうずゐ》を|知《し》り、|逸早《いちはや》く|高山《かうざん》に|避難《ひなん》したる|人畜《じんちく》はやうやく|生命《いのち》を|支《ささ》へ|得《え》たりしなり。
|一般《いつぱん》|蒼生《さうせい》は|数多《あまた》の|禽獣《きんじう》や|虫《むし》のために、|安眠《あんみん》することも|出来《でき》ず、|雨《あめ》は|歇《や》まず、|実《じつ》に|困難《こんなん》を|極《きは》めたりける。ここに|一般人《いつぱんじん》は|宣伝使《せんでんし》の|宣伝歌《せんでんか》を|今更《いまさら》のごとく|想《おも》ひ|出《だ》し、|悔悟《くわいご》の|念《ねん》を|喚《よ》び|起《おこ》し、|俄《にはか》に|神《かみ》を|祈願《きぐわん》し|始《はじ》めたれど|何《なん》の|効験《かうけん》もなく、|風《かぜ》はますます|激《はげ》しく、|雨《あめ》は|次第《しだい》に|強《つよ》くなるのみなりき。|総《すべ》ての|神人《しんじん》は|昼夜《ちうや》|不安《ふあん》の|念《ねん》に|駆《か》られ、ここにいよいよ|世《よ》の|終末《をはり》に|瀕《ひん》せることを|嘆《なげ》き|悲《かな》しみけり。
|現代《げんだい》の|賢《さか》しき|人間《にんげん》は、|天災地妖《てんさいちえう》と|人事《じんじ》とには、|少《すこ》しも|関係《くわんけい》|無《な》しと|云《い》ふもの|多《おほ》けれど|地上《ちじやう》|神人《しんじん》の|精神《せいしん》の|悪化《あくくわ》は、|地上《ちじやう》|一面《いちめん》に|妖邪《えうじや》の|気《き》を|発生《はつせい》し、|宇宙《うちう》を|溷濁《こんだく》せしめ、|天地《てんち》の|霊気《れいき》を|腐穢《ふゑ》し、かつ|空気《くうき》を|変乱《へんらん》せしめたるより、|自然《しぜん》に|天変地妖《てんぺんちえう》を|発生《はつせい》するに|至《いた》るものなり。
|凡《すべ》ての|宇宙《うちう》の|変事《へんじ》は、|宇宙《うちう》の|縮図《しゆくづ》たる|人心《じんしん》の|悪化《あくくわ》によつて|宇宙《うちう》|一切《いつさい》の|悪化《あくくわ》するのは、|恰《あたか》も|時計《とけい》の|竜頭《りゆうづ》が|破損《はそん》して、|時計《とけい》|全体《ぜんたい》がその|用《よう》を|為《な》さないのと|同《おな》じ|様《やう》なものである。|故《ゆゑ》に|大神《おほかみ》の|神諭《しんゆ》には、
『|神《かみ》の|形《かたち》に|造《つく》られて、|神《かみ》に|代《かは》つて|御用《ごよう》を|致《いた》す|人民《じんみん》の、|一日《いちにち》も|早《はや》く、|一人《ひとり》でも|多《おほ》く、|心《こころ》の|立替立直《たてかへたてなほ》しをして、|誠《まこと》の|神心《かみごころ》に|成《な》つてくれよ』
と|示《しめ》し|給《たま》ふたのは、この|理《り》に|基《もとづ》くものである。また、
『|人民《じんみん》くらゐ|結構《けつこう》な|尊《たふと》いものは|無《な》いぞよ。|神《かみ》よりも|人民《じんみん》は|結構《けつこう》であるぞよ』
と|示《しめ》されあるも、|人間《にんげん》は|万物《ばんぶつ》|普遍《ふへん》の|元霊《げんれい》たる|神《かみ》に|代《かは》つて、|天地経綸《てんちけいりん》の|主宰者《しゆさいしや》たる|可《べ》き|天職《てんしよく》を、|惟神《かむながら》に|賦与《ふよ》されて|居《ゐ》るからである。
|古今《ここん》|未曾有《みぞう》のかくのごとき|天変地妖《てんぺんちえう》の|襲来《しふらい》したのも、|全《まつた》く|地上《ちじやう》の|人類《じんるゐ》が、|鬼《おに》や|大蛇《をろち》や|金狐《きんこ》の|邪霊《じやれい》に|憑依《ひようい》されて、|神人《しんじん》たるの|天職《てんしよく》を|忘《わす》れ、|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|行動《かうどう》を|敢《あへ》てし、|天地《てんち》の|神恩《しんおん》を|忘却《ばうきやく》したる|自然的《しぜんてき》の|結果《けつくわ》である。
|神《かみ》は|素《もと》より|至仁《しじん》|至愛《しあい》にましまして、|只《ただ》|一介《いつかい》の|昆虫《こんちう》といへども、|最愛《さいあい》の|寵児《ちようじ》として|之《これ》を|保護《ほご》し|給《たま》ひつつあるがゆゑに、|地上《ちじやう》の|人類《じんるゐ》を|初《はじ》め|動植物《どうしよくぶつ》|一切《いつさい》が、|日《ひ》に|月《つき》に|繁殖《はんしよく》して|天国《てんごく》の|生活《せいくわつ》を|送《おく》ることを、|最大《さいだい》の|本願《ほんぐわん》となし|給《たま》ふなり。また、
『|神《かみ》を|恨《うら》めてくれるな。|神《かみ》は|人民《じんみん》その|他《た》の|万物《ばんぶつ》を、|一《ひと》つなりとも|多《おほ》く|助《たす》けたいのが|神《かみ》は|胸《むね》|一杯《いつぱい》であるぞよ。|神《かみ》の|心《こころ》を|推量《すゐりやう》して|万物《ばんぶつ》の|長《ちやう》と|云《い》はるる|人民《じんみん》は、|早《はや》く|改心《かいしん》いたしてくれ。|神《かみ》|急《せ》けるぞよ。|後《あと》で|取返《とりかへ》しのならぬ|事《こと》がありては、|神《かみ》の|役《やく》が|済《す》まぬから、|神《かみ》は|飽《あ》くまでも|気《き》を|付《つ》けたが、もう|気《き》の|付《つ》けやうが|無《な》いぞよ。|神《かみ》は|残念《ざんねん》なぞよ』
との|神諭《しんゆ》を、|我々《われわれ》はよく|味《あぢは》はねばならぬ。
(大正一一・一・一八 旧大正一〇・一二・二一 井上留五郎録)
第一六章 |大洪水《だいこうずゐ》(二)〔二六六〕
|世《よ》は|焼劫《せうごふ》に|瀕《ひん》せるか、|酷熱《こくねつ》の|太陽《たいやう》|数個《すうこ》|一時《いちじ》に|現《あら》はれて、|地上《ちじやう》に|熱《ねつ》を|放射《はうしや》し、|大地《だいち》の|氷山《ひやうざん》を|溶解《ようかい》したる|水《みづ》は|大地《だいち》|中心《ちうしん》の|凹部《あふぶ》なる|地球《ちきう》に|向《むか》つて|流《なが》れ|集《あつ》まり、|地球《ちきう》は|冷水《れいすい》|刻々《こくこく》に|増加《ぞうか》して、さしもに|高《たか》き|山《やま》の|尾上《をのへ》も|次第々々《しだいしだい》に|影《かげ》を|没《ぼつ》するに|至《いた》りける。
このとき|星《ほし》はその|位置《ゐち》を|変《へん》じ、|太陽《たいやう》は|前後左右《ぜんごさいう》に|動揺《どうえう》し、|地《ち》は|激動《げきどう》して|形容《けいよう》し|難《がた》き|大音響《だいおんきやう》に|充《みた》されたりぬ。|太陽《たいやう》は|黒雲《くろくも》に|包《つつ》まれ、|地上《ちじやう》は|暗黒《あんこく》と|変《へん》じ、|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜざる|光景《くわうけい》とはなりぬ。
|彼《か》の|竜宮城《りうぐうじやう》に|在《あ》りし|三重《みへ》の|金殿《きんでん》は、|中空《ちうくう》に|際限《さいげん》もなく|延長《えんちやう》して、|金銀銅色《きんぎんどうしよく》の|天橋《てんけう》を|成《な》し、|各自《かくじ》|天橋《てんけう》よりは|金銀銅色《きんぎんどうしよく》の|霊線《れいせん》を|垂下《すゐか》し、その|端《はし》の|救《すく》ひの|鉤《かぎ》をもつて、|正《ただ》しき|神人《しんじん》を|橋上《けうじやう》に|引《ひ》き|揚《あ》げ|始《はじ》めたり。
|天橋《てんけう》の|上《うへ》には|蟻《あり》の|群《むら》がる|如《ごと》く、|数多《あまた》の|神人《かみがみ》が|救《すく》ひ|上《あ》げられ、|天橋《てんけう》は|再《ふたた》び|回転《くわいてん》を|開始《かいし》したり。|東西《とうざい》に|延長《えんちやう》せる|天橋《てんけう》は、|南《みなみ》に|西《にし》に|北《きた》に|東《ひがし》と|中空《ちうくう》を|廻《めぐ》り、|天教山《てんけうざん》、|地教山《ちけうざん》その|他《た》|数ケ所《すうかしよ》の|高山《かうざん》の|巓《いただき》に、|救《すく》はれたる|神人《しんじん》を|送《おく》り、またもや|憂瀬《うきせ》に|沈《しづ》み|苦《くる》しめる|正《ただ》しき|神人《しんじん》を|救《すく》ひの|鈎《かぎ》を|以《もつ》て|次第々々《しだいしだい》に|天橋《てんけう》の|上《うへ》に|引《ひ》き|揚《あ》げ|玉《たま》ひける。
このとき|天教山《てんけうざん》の|宣伝使《せんでんし》は、|何時《いつ》の|間《ま》にか|黄金橋《わうごんけう》の|上《うへ》に|立《た》ち、|金色《こんじき》の|霊線《れいせん》を|泥海《どろうみ》に|投《な》げ、|漂流《へうりう》する|正《ただ》しき|神人《しんじん》を|引《ひ》き|揚《あ》げつつあり。|而《しか》して|天橋《てんけう》に|神人《しんじん》の|充満《じゆうまん》するを|待《ま》ちて、またもや|天橋《てんけう》は|起重機《きぢゆうき》のごとく|東南西北《とうなんせいぼく》に|転回《てんくわい》し、その|身魂《みたま》|相当《さうたう》の|高山《かうざん》に|運《はこ》ばれゆくなり。|神諭《しんゆ》に、
『|誠《まこと》の|者《もの》は、さあ|今《いま》と|云《い》ふ|所《ところ》になりたら、|神《かみ》が|見届《みとど》けてあるから、たとひ|泥海《どろうみ》の|中《なか》でも|摘《つま》み|上《あ》げてやるぞよ』
と|示《しめ》されあるを、|想《おも》ひ|出《だ》さしめらるるなり。
|救《すく》ひ|上《あ》げられたる|中《なか》にも、|鬼《おに》の|眼《め》にも|見落《みおと》しとも|云《い》ふべきか、|或《あるひ》は|宣伝使《せんでんし》の|深《ふか》き|経綸《しぐみ》ありての|事《こと》か、さしも|悪逆無道《あくぎやくぶだう》なりしウラル|彦《ひこ》、ウラル|姫《ひめ》も|銅橋《どうけう》の|上《うへ》に|救《すく》ひ|上《あ》げられたり。|而《しか》して|常世神王《とこよしんわう》|始《はじ》め|盤古神王《ばんこしんわう》もまた|金橋《きんけう》の|上《うへ》に|救《すく》はれて|居《ゐ》たりける。
ウラル|彦《ひこ》はアルタイ|山《ざん》に|運《はこ》ばれ、その|他《た》の|神人《かみがみ》も|多《おほ》くここに|下《おろ》されたり。この|山《やま》は|大小《だいせう》|無数《むすう》の|蟻《あり》、|山頂《さんちやう》に|堆《うづだか》く|積《つも》り|居《ゐ》たりけるが、|凡《すべ》て|蟻《あり》は|洪水《こうずゐ》を|前知《ぜんち》し、|山上《さんじやう》に|真先《まつさき》に|避難《ひなん》したりしなり。
ウラル|彦神《ひこのかみ》は|蟻《あり》の|山《やま》に|運《はこ》ばれ、|全身《ぜんしん》|蟻《あり》に|包《つつ》まれ、|身体《しんたい》の|各所《かくしよ》を|鋭《するど》き|針《はり》にて|突《つ》き|破《やぶ》られ、|非常《ひじやう》の|苦悶《くもん》に|堪《た》へかねて|少《すこ》しく|山《やま》を|下《くだ》り、|泥水《でいすゐ》の|中《なか》に|全身《ぜんしん》を|浸《ひた》し|見《み》たるに、|蟻《あり》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|喰《く》ひ|着《つ》きて、|苦痛《くつう》はますます|激《はげ》しく、またもや|蟻《あり》の|山《やま》へと|這《は》ひ|上《あが》りゆけり。
|蚊取別《かとりわけ》の|禿頭《はげあたま》も|此処《ここ》に|居《ゐ》たるが、この|時《とき》ばかりはその|禿頭《はげあたま》は|全部《すつかり》|毛《け》が|生《は》えたるごとく|見《み》えたりき。|全《まつた》く|蟻《あり》が|集《たか》りたる|結果《けつくわ》なりける。
このアルタイ|山《ざん》に|運《はこ》ばれた|神人《かみがみ》は、|極悪《ごくあく》の|神人《かみ》ばかりにして、|極善《ごくぜん》の|神人《かみ》は|天教《てんけう》、|地教《ちけう》|両山《りやうざん》に、|極悪者《ごくあくしや》はアルタイ|山《ざん》に|救《すく》はれたりける。
|平素《へいそ》|利己主義《りこしゆぎ》を|持《ぢ》し、|甘《あま》い|汁《しる》を|吸《す》うた|悪者《わるもの》|共《ども》は、|全身《ぜんしん》|残《のこ》らず|甘《あま》くなつてをると|見《み》えて、|蟻《あり》が|喜《よろこ》びて|集《たか》るに|反《はん》して、|世界《せかい》のために|苦《にが》き|経験《けいけん》を|嘗《な》めたる|神人《しんじん》は、|身体《しんたい》|苦《にが》く、|一匹《いつぴき》も|蟻《あり》は|集《たか》り|得《え》ざるなり。|裏《うら》の|神諭《しんゆ》に、
『|甘《あま》いものには|蟻《あり》がたかる(|有難《ありがたかる》)。|苦《にが》いものには|蟻《あり》がたからぬ(|不有難《ありがたからぬ》)』
と|書《か》いてあるのは、この|物語《ものがたり》の|光景《くわうけい》を|洩《も》らされしものなるべし。|嗚呼《ああ》|地上《ちじやう》の|世界《せかい》は|今後《こんご》|何《いづ》れに|行《い》くか|心許《こころもと》なき|次第《しだい》なり。
(大正一一・一・一八 旧大正一〇・一二・二一 井上留五郎録)
第一七章 |極仁《きよくじん》|極徳《きよくとく》〔二六七〕
|見渡《みわた》す|限《かぎ》り|地《ち》は|一面《いちめん》の|泥《どろ》の|海《うみ》、|彼方此方《あなたこなた》の|高山《かうざん》は|僅《わづ》かにその|頂《いただき》を|水上《すゐじやう》に|現《あら》はすのみなりき。|地教山《ちけうざん》に|漂《ただよ》ひきたる|方舟《はこぶね》は|幾百千《いくひやくせん》とも|限《かぎ》り|無《な》く、|山《やま》の|八合目《はちがふめ》あたりに|打《うち》つけたる|太《ふと》き|杭《くひ》に|舟《ふね》を|繋《つな》ぎ、やうやく|難《なん》を|避《さ》け、|山上《さんじやう》の|神殿《しんでん》めがけて、|隙間《すきま》もあらず|駆《か》け|登《のぼ》るあり。|浪《なみ》のまにまに|漂《ただよ》ふ|数多《あまた》の|材木《ざいもく》に、|生命《いのち》|大事《だいじ》と|縋《すが》りつきし|神人《かみがみ》は|互《たが》ひに|先《さき》を|争《あらそ》ひ、|或《ある》ひは|水《みづ》に|陥《おちい》り、|或《ある》ひは【かぢり】つき、|丸《まる》き|柱《はしら》のクルクルと、|廻《めぐ》る|因果《いんぐわ》の|恐《おそ》ろしさ。
|琴平別《ことひらわけ》は、あまたの|眷族《けんぞく》を|随《したが》へ、|最《もつと》も|巨大《きよだい》なる|亀《かめ》と|化《くわ》し、|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》をその|背《せ》に|乗《の》せ、|浪《なみ》のまにまに|漂《ただよ》ひつつ|高山《かうざん》めがけて|運《はこ》びきたる。|金銀橋《きんぎんけう》の|上《うへ》よりは|最早《もはや》|救《すく》ふべき|神人《しんじん》も|絶《た》えたりと|見《み》え、|天橋《てんけう》は|合一《がふいつ》して、|一《ひと》つの|橋《はし》となりぬ。|未《ま》だ|銅橋《どうけう》よりは、|盛《さか》ンに|銅線《どうせん》の|鉤《かぎ》を|垂下《すゐか》して、|浪《なみ》に|漂《ただよ》ふ|神人《かみがみ》を|救《すく》ひ|上《あ》げつつありき。これも|漸《やうや》くにしてその|影《かげ》を|没《ぼつ》し、|東天《とうてん》より、|西天《せいてん》にただ|一筋《ひとすぢ》の|黄金《わうごん》の|長橋《ちやうけう》と|変《かは》りをはりぬ。
|阿鼻叫喚《あびけうくわん》の|声《こゑ》は、|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|起《おこ》り、|吹《ふ》き|荒《すさ》ぶ|風《かぜ》の|音《おと》、|波《なみ》の|響《ひび》きは|実《じつ》に|名状《めいじやう》すべからざる|惨澹《さんたん》たる|光景《くわうけい》なり。
|地教《ちけう》の|山《やま》に|坐《ま》します|野立姫命《のだちひめのみこと》は、|廻《めぐ》りくる|黄金《こがね》の|橋《はし》にヒラリと|飛《と》び|乗《の》り|給《たま》ふや、|金橋《きんけう》はたちまち|回転《くわいてん》を|始《はじ》めて、|天教山《てんけうざん》に|触《ふ》れ|届《とど》きける。|野立姫命《のだちひめのみこと》は、|直《ただ》ちに|天教山《てんけうざん》に|下《くだ》り|給《たま》ひぬ。このとき|金橋《きんけう》は|早《はや》くも|東南《とうなん》に|廻《まは》りゐたりける。
|野立彦命《のだちひこのみこと》、|野立姫命《のだちひめのみこと》は、|地上《ちじやう》の|惨状《さんじやう》を|見《み》て|悲歎《ひたん》に|堪《た》へず、|忽《たちま》ち|宇宙《うちう》の|大原因神《だいげんいんしん》たる|大国治立命《おほくにはるたちのみこと》に|向《むか》つて|祈願《きぐわん》し、|且《か》つ|日《ひ》の|神《かみ》、|月《つき》の|神《かみ》の|精霊《せいれい》にたいして、
『|地上《ちじやう》の|森羅万象《しんらばんしやう》を|一種《ひといろ》も|残《のこ》さず、この|大難《だいなん》より|救《すく》はせ|給《たま》へ。|我《われ》らは|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》を|始《はじ》め、|一切《いつさい》|万有《ばんいう》の|贖《あがな》ひとして、|根底《ねそこ》の|国《くに》に|落《お》ち|行《ゆ》き、|無限《むげん》の|苦《くる》しみを|受《う》けむ。|願《ねが》はくは|地上《ちじやう》|万類《ばんるゐ》の|罪《つみ》を|赦《ゆる》させ|給《たま》へ。|地上《ちじやう》のかくまで|溷濁《こんだく》して、かかる|大難《だいなん》の|出来《しゆつたい》したるは|吾《われ》らの|一大責任《いちだいせきにん》なれば、|身《み》を|以《もつ》て|天下《てんか》|万象《ばんしやう》に|代《かは》らむ』
と|言《い》ふより|早《はや》く、|天教山《てんけうざん》の|猛烈《まうれつ》なる|噴火口《ふんくわこう》に|身《み》を|投《とう》じて|神避《かむさ》りましける。
|神《かみ》の|仁慈《じんじ》は、|実《じつ》に|無限絶対《むげんぜつたい》にして、|吾々《われわれ》|人間《にんげん》の|想像《さうざう》も|及《およ》ばざる|極仁《きよくじん》|極愛《きよくあい》の|御精神《ごせいしん》なるを|窺《うかが》ひ|奉《たてまつ》りて|感謝《かんしや》すべきなり。
アヽ『|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。』
(大正一一・一・一八 旧大正一〇・一二・二一 外山豊二録)
第一八章 |天《あま》の|瓊矛《ぬほこ》〔二六八〕
この|大変乱《だいへんらん》に|天柱《てんちう》|砕《くだ》け、|地軸《ちぢく》|裂《さ》け、|宇宙大地《うちうだいち》の|位置《ゐち》は、|激動《げきどう》の|為《ため》やや|西南《せいなん》に|傾斜《けいしや》し、|随《したが》つて|天上《てんじやう》の|星《ほし》の|位置《ゐち》も|変更《へんかう》するの|已《や》むを|得《え》ざるに|致《いた》りける。
さて|大地《だいち》の|西南《せいなん》に|傾斜《けいしや》したるため、|北極星《ほくきよくせい》および|北斗星《ほくとせい》は、|地上《ちじやう》より|見《み》て、その|位置《ゐち》を|変《へん》ずるに|至《いた》り、|地球《ちきう》の|北端《ほくたん》なる|我《わ》が|国土《こくど》の|真上《まうへ》に、|北極星《ほくきよくせい》あり、|北斗星《ほくとせい》またその|真上《まうへ》に|在《あ》りしもの、この|変動《へんどう》に|依《よ》りて|稍《やや》|我《わ》が|国《くに》より|見《み》て、|東北《とうほく》に|偏位《へんゐ》するに|致《いた》りける。
また|太陽《たいやう》の|位置《ゐち》も、|我《わ》が|国土《こくど》より|見《み》て|稍《やや》|北方《ほくはう》に|傾《かたむ》き、それ|以後《いご》|気候《きこう》に|寒暑《かんしよ》の|相違《さうゐ》を|来《きた》したるなり。
ここに|大国治立命《おほくにはるたちのみこと》は、この|海月成《くらげな》す|漂《ただよ》へる|国《くに》を|修理固成《しうりこせい》せしめむとし、|日月界《じつげつかい》の|主宰神《しゆさいしん》たる|伊邪那岐尊《いざなぎのみこと》および|伊邪那美尊《いざなみのみこと》に|命《めい》じ、|天《あま》の|瓊矛《ぬほこ》を|賜《たま》ひて|天《あま》の|浮橋《うきはし》に|立《た》たしめ、|地上《ちじやう》の|海原《うなばら》を|瓊矛《ぬほこ》を|以《も》つて|掻《か》きなさしめ|給《たま》ひぬ。
この|瓊矛《ぬほこ》と|云《い》ふは、|今《いま》の|北斗星《ほくとせい》なり。|北極星《ほくきよくせい》は|宇宙《うちう》の|中空《ちうくう》に|位置《ゐち》を|占《し》め、|月《つき》の|呼吸《こきふ》を|助《たす》け、|地上《ちじやう》の|水《みづ》を|盛《さか》ンに|吸引《きふいん》せしめたまふ。|北斗星《ほくとせい》の|尖端《せんたん》にあたる|天教山《てんけうざん》は、|次第《しだい》に|水量《みづかさ》を|減《げん》じ、|漸次《ぜんじ》|世界《せかい》の|山々《やまやま》は、|日《ひ》を|追《お》うて|其《そ》の|頂点《ちやうてん》を|現《あら》はしにける。
|数年《すうねん》を|経《へ》て|洪水《こうずゐ》|減《げん》じ、|地上《ちじやう》は|復《ふたた》び|元《もと》の|陸地《りくち》となり、|矛《ほこ》の|先《さき》より|滴《したた》る|雫《しづく》|凝《こ》りて、|一《ひと》つの|島《しま》を|成《な》すといふは、この|北斗星《ほくとせい》の|切尖《きつさき》の|真下《ました》に|当《あた》る|国土《こくど》より、|修理固成《しうりこせい》せられたるの|謂《いひ》なり。
|太陽《たいやう》は|復《ふたた》び|晃々《くわうくわう》として|天《てん》に|輝《かがや》き、|月《つき》は|純白《じゆんぱく》の|光《ひかり》を|地上《ちじやう》に|投《な》げ、|一切《いつさい》の|草木《さうもく》は|残《のこ》らず|蘇生《そせい》し、|而《しかし》て|地上《ちじやう》|総《すべ》ての|蒼生《さうせい》は、|殆《ほとん》ど|全滅《ぜんめつ》せしと|思《おも》ひきや、|野立彦《のだちひこ》、|野立姫《のだちひめ》|二神《にしん》の|犠牲的《ぎせいてき》|仁慈《じんじ》の|徳《とく》によりて、|草《くさ》の|片葉《かきは》に|至《いた》るまで、|残《のこ》らず|救《すく》はれ|居《ゐ》たりける。
|神諭《しんゆ》に、
『|神《かみ》は|餓鬼《がき》、|虫族《むしけら》に|至《いた》る|迄《まで》、【つつぼ】には|落《おと》さぬぞよ』
と|示《しめ》し|給《たま》ふは、この|理由《りいう》である。
アヽ|有難《ありがた》きかな、|大神《おほかみ》の|仁慈《じんじ》よ。|唯《ただ》|善神《ぜんしん》は|安全《らく》にこの|世界《せかい》の|大難《だいなん》たる|大峠《おほたうげ》を|越《こ》え、|邪神《じやしん》は|大峠《おほたうげ》を|越《こ》ゆるに|非常《ひじやう》の|困苦《こんく》あるのみなりき。
|而《しかし》て|仁慈《じんじ》の|神《かみ》は、|吾《わが》|御身《おんみ》を|犠牲《ぎせい》となし|禽獣《きんじう》|魚介《ぎよかい》に|至《いた》る|迄《まで》、これを|救《すく》はせ|給《たま》ひけり。|世《よ》の|立替《たてか》へ|立直《たてなほ》しを|怖《おそ》るる|人《ひと》よ。|神《かみ》の|大御心《おほみころ》を|省《かへり》み、よく|悔《く》い|改《あらた》め、よく|覚《さと》り、|神恩《しんおん》を|畏《かしこ》み、|罪悪《ざいあく》を|恥《は》ぢ、|柔順《すなほ》に|唯《ただ》|神《かみ》に|奉仕《ほうし》し、その|天賦《てんぷ》の|天職《てんしよく》を|盡《つく》すを|以《もつ》て|心《こころ》とせよ。
|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・一・一八 旧大正一〇・一二・二一 外山豊二録)
第四篇 |立花《たちはな》の|小戸《をど》
第一九章 |祓戸《はらひど》|四柱《よはしら》〔二六九〕
|日《ひ》の|神国《かみくに》を|知食《しろしめ》す  |神伊弉諾《かむいざなぎ》の|大神《おほかみ》は
|撞《つき》の|御柱《みはしら》|大御神《おほみかみ》  |神伊弉冊《かむいざなみ》の|大神《おほかみ》と
|天《あめ》と|地《つち》との|中空《なかぞら》の  |黄金《こがね》の|橋《はし》に|現《あら》はれて
|天《あま》の|瓊矛《ぬほこ》をさしおろし  |高皇産霊大御神《たかみむすびのおほみかみ》
|神皇産霊大神《かむみむすびのおほかみ》の  |神勅《みこと》|畏《かしこ》み|泥海《どろうみ》を
|許袁呂《こをろ》|許袁呂《こをろ》と|掻《か》き|鳴《な》して  |矛《ほこ》の|先《さき》より|滴《したた》れる
|淤能碁呂島《おのころじま》を|胞衣《えな》となし  |神国《みくに》を|造《つく》り|固《かた》めむと
|二仁《にじん》の|妻《つま》に|手《て》を|曳《ひ》かれ  |黄金《こがね》の|橋《はし》を|渡会《わたらひ》の
|天教山《てんけうざん》に|下《お》り|立《た》ちて  |木《こ》の|花姫《はなひめ》と|語《かた》らひつ
|常磐堅磐《ときはかきは》の|松《まつ》の|世《よ》を  |千代万代《ちよよろづよ》に|築《きづ》かむと
|月《つき》の|世界《せかい》を|知食《しろしめ》す  |神伊弉冊《かむいざなみ》の|大御神《おほみかみ》
|日《ひ》の|神国《かみくに》の|主宰《つかさ》なる  |撞《つき》の|御神《みかみ》と|諸共《もろとも》に
|雪《ゆき》より|清《きよ》き|玉柱《たまばしら》  |見立《みた》て|玉《たま》ひて|目出度《めでた》くも
|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|神祭《かむまつ》り  |一度《いちど》に|開《ひら》く|木《こ》の|花《はな》の
|三十三相《さんじふさんさう》に|身《み》を|変《へん》じ  |五十六億七千万《ごじふろくおくしちせんまん》
|長《なが》き|月日《つきひ》を|松《まつ》の|世《よ》の  ミロクの|御代《みよ》を|建《た》てむとて
まづ|淡島《あはしま》を|生《う》み|玉《たま》ひ  |伊予《いよ》の|二名《ふたな》や|筑紫島《つくしじま》
|豊葦原《とよあしはら》の|中津国《なかつくに》  |雄島《をしま》|雌島《めしま》や|壱岐《いき》|対馬《つしま》
|佐渡《さど》や|淡路《あはぢ》の|島々《しまじま》に  |生《う》みなしたまふ|国魂《くにたま》や
|山川木草《やまかはきくさ》の|守《まも》り|神《がみ》  |各自各自《おのもおのも》に|任《ま》け|玉《たま》ひ
|治《をさ》まる|御代《みよ》を|三柱《みはしら》の  |撞《つき》の|御柱《みはしら》|大御神《おほみかみ》
|天《あめ》の|御柱《みはしら》|大御神《おほみかみ》  |国《くに》の|御柱《みはしら》|大御神《おほみかみ》
この|三柱《みはしら》の|大神《おほかみ》は  |国祖《かむろ》の|神《かみ》の|宣《の》り|玉《たま》ふ
|天《あめ》に|坐《ま》しましす|御三柱《みみはしら》  |実《げ》にも|尊《たふと》き|有難《ありがた》き
|古《ふる》き|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》  |聞《き》くぞ|目出度《めでた》き|今日《けふ》の|春《はる》
|百《もも》の|草木《くさき》に|魁《さきがけ》て  |匂《にほ》ひ|出《い》でたる|白梅《しらうめ》の
|雪《ゆき》より|清《きよ》き|其《そ》の|香《かを》り  |一度《いちど》に|開《ひら》く|常磐木《ときはぎ》の
|常磐《ときは》の|松《まつ》の|茂《しげ》りたる  |実《げ》にも|尊《たふと》き|神《かみ》の|国《くに》
|須弥仙山《しゆみせんざん》に|腰《こし》をかけ  |守《まも》り|玉《たま》ひし|野立彦《のだちひこ》
|野立《のだち》の|姫《ひめ》の|二柱《ふたはしら》  |顕幽二界《うつつかくりよ》|修理固成《かためな》し
|根底《ねそこ》の|国《くに》を|固《かた》めむと  |天教山《はちすのやま》の|噴火口《ほのでぐち》
|神《かみ》の|出口《でぐち》や|入口《いりぐち》と  |定《さだ》めて|茲《ここ》に|火《ひ》の|御国《みくに》
|岩《いは》より|固《かた》き|真心《まごころ》は  |猛火《たけび》の|中《なか》も|何《なん》のその
|火《ひ》にも|焼《や》かれぬ|水《みづ》さへに  |溺《おぼ》れぬ|身魂《みたま》は|鳴戸灘《なるとなだ》
|根底《ねそこ》の|国《くに》に|到《いた》りまし  |浮瀬《うきせ》に|落《お》ちて|苦《くる》しめる
|数多《あまた》の|身魂《みたま》を|救《すく》はむと  |無限地獄《ねぞこのくに》の|苦《くる》しみを
|我身《わがみ》|一《ひと》つに|引《ひ》き|受《う》けて  |三千年《さんぜんねん》の|昔《むかし》より
|耐《こら》へ|耐《こら》へし|溜《た》め|涙《なみだ》  |晴《は》れて|嬉《うれ》しき|神《かみ》の|世《よ》の
その|礎《いしずゑ》と|現《あ》れませる  |神《かみ》の|出口《でぐち》の|物語《ものがたり》
|鬼《おに》の|来《く》るてふ|節分《せつぶん》や  |四方《よも》の|陽気《やうき》も|立《た》つ|春《はる》の
|撒《ま》く|煎豆《いりまめ》に|咲《さ》く|花《はな》の  |来《きた》る|時節《じせつ》ぞ|尊《たふと》けれ。
|天地《てんち》の|大変動《だいへんどう》により、|大地《だいち》は|南西《なんせい》に|傾斜《けいしや》し、|其《そ》のため|大空《たいくう》の|大気《たいき》に|変動《へんどう》を|起《おこ》し、|数多《あまた》の|神人《かみがみ》が、|唯一《ゆゐいつ》の|武器《ぶき》として|使用《しよう》したる|天磐樟船《あまのいはくすぶね》、|鳥船《とりぶね》も、|宇宙《うちう》の|震動《しんどう》のため|何《なん》の|効力《かうりよく》もなさざりき。その|時《とき》もつとも|役立《やくだ》ちしは|神示《しんじ》の|方舟《はこぶね》のみにして、|金《きん》|銀《ぎん》|銅《どう》の|三橋《さんけう》より|垂下《すゐか》する|救《すく》ひの|綱《つな》と、|琴平別《ことひらわけ》が|亀《かめ》と|化《くわ》して、|泥海《どろうみ》を|泳《およ》ぎ、|正《ただ》しき|神人《しんじん》を|高山《かうざん》に|運《はこ》びて|救助《きうじよ》したるのみなりける。
|天上《てんじやう》よりこの|光景《くわうけい》を|眺《なが》めたる、|大国治立命《おほくにはるたちのみこと》の|左守神《さもりがみ》なる|高皇産霊神《たかみむすびのかみ》、|右守神《うもりがみ》なる|神皇産霊神《かむみむすびのかみ》は、|我《わ》が|精霊《せいれい》たる|撞《つき》の|大御神《おほみかみ》、|神伊弉諾《かむいざなぎ》の|大神《おほかみ》、|神伊弉冊《かむいざなみ》の|大神《おほかみ》に|天《あま》の|瓊矛《ぬほこ》を|授《さづ》け|黄金橋《わうごんけう》なる|天《あま》の|浮橋《うきはし》に|立《た》たしめ|玉《たま》ひて、|海月《くらげ》の|如《ごと》く|漂《ただよ》ひ|騒《さわ》ぐ|滄溟《さうめい》を、|潮許袁呂許袁呂《しほこをろこをろ》に|掻《か》き|鳴《な》し|玉《たま》ひ、|日《ひ》の|大神《おほかみ》の|気吹《いぶき》によりて、|宇宙《うちう》に|清鮮《せいせん》の|息《いき》を|起《おこ》し、|地上《ちじやう》|一切《いつさい》を|乾燥《かんさう》し|玉《たま》ひ、|総《すべ》ての|汚穢塵埃《をくわいぢんあい》を|払《はら》ひ|退《の》けしめ|玉《たま》ひぬ。この|息《いき》よりなりませる|神《かみ》を|伊吹戸主神《いぶきどぬしのかみ》と|云《い》ふ。
|而《しか》して|地上《ちじやう》|一面《いちめん》に|泥《どろ》に|塗《まみ》れたる|草木《さうもく》の|衣《ころも》を|脱《ぬ》がしめむため|風《かぜ》を|起《おこ》し、|風《かぜ》に|雨《あめ》を|添《そ》へて|清《きよ》めたまひぬ。この|水火《いき》より|現《あら》はれたまへる|神《かみ》を|速秋津比売神《はやあきつひめのかみ》と|云《い》ふ。|再《ふたた》び|山々《やまやま》の|間《あひだ》に|河川《かせん》を|通《つう》じ、|一切《いつさい》の|汚物《をぶつ》を|神退《かむやら》ひに|退《やら》ひ|給《たま》ふ。この|御息《みいき》を|瀬織津比売神《せおりつひめのかみ》と|云《い》ふ。|瀬織津比売神《せおりつひめのかみ》は、|地上《ちじやう》の|各地《かくち》より|大海原《おほうなばら》に、|総《すべ》ての|汚《けが》れを|持《も》ち|去《さ》り、|之《これ》を|地底《ちそこ》の|国《くに》に|持佐須良比失《もちさすらひうしな》ふ、この|御息《みいき》を|速佐須良比売神《はやさすらひめのかみ》と|云《い》ふ。|以上《いじやう》|四柱《よはしら》の|神《かみ》を|祓戸神《はらひどのかみ》と|称《しよう》し、|宇宙《うちう》|一切《いつさい》の|新陳代謝《しんちんたいしや》の|神界《しんかい》の|大機関《だいきくわん》となしたまふ。この|機関《きくわん》によつて、|太陽《たいやう》、|大地《だいち》、|太陰《たいいん》、|列星《れつせい》、|及《およ》び|人類《じんるゐ》|動植物《どうしよくぶつ》に|至《いた》るまで|完全《くわんぜん》に|呼吸《こきふ》し、|且《か》つ|新陳代謝《しんちんたいしや》の|機能《きのう》|全《まつた》く|完備《くわんび》して、|各《おのおの》|其《そ》の|生活《せいくわつ》を|完全《くわんぜん》ならしめ|給《たま》へり。この|神業《しんげふ》を|九山八海《つくし》の|火燃輝《ひむか》の|アオウエイ《たちばな》の、|緒所《をど》(臍)の|青木原《あはぎはら》に|御禊《みそぎ》|祓《はら》ひたまふと|云《い》ふなり。
|因《ちなみ》に|九山八海《つくし》の|火燃輝《ひむか》の|アオウエイ《たちばな》の|御禊《みそぎ》の|神事《しんじ》については、|言霊学上《げんれいがくじやう》|甚深微妙《じんしんびめう》の|意味《いみ》あれども、これは|後日《ごじつ》|閑《かん》を|得《え》て|詳説《しやうせつ》する|事《こと》となすべし。
(大正一一・一・二〇 旧大正一〇・一二・二三 加藤明子録)
第二〇章 |善悪《ぜんあく》|不測《ふそく》〔二七〇〕
|国祖《こくそ》|国治立命《くにはるたちのみこと》、|豊国姫命《とよくにひめのみこと》の|二柱《ふたはしら》は、|千座《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》ひて、|根《ね》の|国《くに》、|底《そこ》の|国《くに》に|御退隠《ごたいいん》|遊《あそ》ばす|事《こと》となり、|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|御心《みこころ》は、|神界《しんかい》、|現界《げんかい》の|当《まさ》に|来《きた》らむとする|大惨害《だいさんがい》を|座視《ざし》するに|忍《しの》びず、|暫《しば》らく|天教山《てんけうざん》および|地教山《ちけうざん》に|身《み》を|隠《しの》び、|野立彦神《のだちひこのかみ》、|野立姫神《のだちひめのかみ》と|改名《かいめい》し、|神《しん》、|現《げん》|二界《にかい》の|前途《ぜんと》を|見定《みさだ》め、
『ここに|撞《つき》の|御柱《みはしら》の|神《かみ》、|天《あめ》の|御柱《みはしら》の|神《かみ》、|国《くに》の|御柱《みはしら》の|神《かみ》の|降臨《かうりん》ありて、|修理固成《しうりこせい》の|神業《しんげふ》も|稍《やや》その|緒《しよ》に|就《つ》きたれば、われは|是《これ》より|進《すす》みて|幽界《いうかい》を|修理固成《しうりこせい》し、|万《よろづ》の|身魂《みたま》を|天国《てんごく》に|救《すく》はむ』
と、|夫婦《ふうふ》|二神《にしん》|相《あひ》|携《たづさ》へて、さしも|烈《はげ》しき|天教山《てんけうざん》の|噴火口《ふんくわこう》に|身《み》を|投《とう》じ、|大地《だいち》|中心《ちうしん》の|火球界《くわきうかい》なる|根底《ねそこ》の|国《くに》に|落行《おちゆ》き|給《たま》ひ、|野立姫命《のだちひめのみこと》は、これより|別《わか》れて、その|西南隅《せいなんぐう》なる|地汐《ちげき》の|世界《せかい》に|入《い》らせ|給《たま》ひける。
|至仁《しじん》|至愛《しあい》|至誠《しせい》|至実《しじつ》の|身魂《みたま》は、いかなる|烈火《れつくわ》の|中《なか》も、その|身魂《みたま》を|害《そこな》ふこと|無《な》く、いかなる|濁流《だくりう》に|漂《ただよ》ふも、その|身魂《みたま》は|汚《けが》れ|溺《おぼ》るること|無《な》きは、|全《まつた》く『|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ』の|宣伝歌《せんでんか》の|実証《じつしよう》なり。その|身魂《みたま》の|偉大《ゐだい》にして|無限《むげん》の|力《ちから》あるときは、|心中《しんちう》|一切《いつさい》の|混濁《こんだく》|溟濛《めいもう》なる|貪瞋痴《どんしんち》の|悪毒《あくどく》なければ、|悪心《あくしん》ここに|消滅《せうめつ》して、|烈火《れつくわ》も|亦《また》|清涼《せいりやう》の|風《かぜ》となるなり。
|野立彦神《のだちひこのかみ》、|野立姫神《のだちひめのかみ》は、さしも|烈《はげ》しき|噴火口《ふんくわこう》を、|初秋《しよしう》の|涼風《りやうふう》に|吹《ふ》かるるがごとき|心地《ここち》して、|悠々《いういう》として|根底《ねそこ》の|国《くに》に|赴《おもむ》かせ|給《たま》ひぬ。たとへば|蚤《のみ》や、|蚊《か》や、|虱《しらみ》のごとき|小虫《こむし》は、『|敷島《しきしま》』の|煙草《たばこ》の|吸殻《すひがら》にも、その|全身《ぜんしん》を|焼《や》かれて、|苦悶《くもん》すと|雖《いへど》も、|野良男《のらをとこ》は|其《そ》の|同《おな》じ|煙草《たばこ》の|吸殻《すひがら》を|掌《てのひら》に|載《の》せて|継《つ》ぎ|替《か》へながら、|手《て》の|甲《かふ》の|熱《あつ》さを|少《すこ》しも|感《かん》ぜざるが|如《ごと》し。|三歳《さんさい》の|童子《どうじ》に|五貫目《ごくわんめ》の|荷物《にもつ》を|負《お》はしむれば、|非常《ひじやう》に|苦《くる》しむと|雖《いへど》も、|壮年《さうねん》の|男子《だんし》は|之《これ》を|指先《ゆびさき》にて|何《なん》の|苦《く》もなく|取扱《とりあつか》ふがごとく、すべての|辛苦艱難《しんくかんなん》なるものは、|自己《じこ》の|身魂《みたま》の|強弱《きやうじやく》に|因《よ》るものなり。|罪深《つみふか》き|人間《にんげん》の|火中《くわちう》に|投《とう》ずるや、|限《かぎ》りなき|苦《くる》しみに|悶《もだ》えながら、その|身《み》を|毀《やぶ》り|遂《つひ》には|焼《や》かれて|灰《はひ》となるに|至《いた》る。されど|巨大《きよだい》なる|動物《どうぶつ》ありて|人《ひと》を|焼《や》く|可《べ》き|其《そ》の|火《ひ》も|片足《かたあし》の|爪《つめ》の|端《さき》にて|踏《ふ》み|消《け》し、|何《なん》の|感《かん》じも|無《な》きがごとく、|神格《しんかく》|偉大《ゐだい》にして、|神徳《しんとく》|無辺《むへん》なる|淤能碁呂島《おのころじま》の|御本体《ごほんたい》ともいふべき|野立彦神《のだちひこのかみ》、|野立姫神《のだちひめのかみ》においては、|我《わ》が|身《み》の|一端《いつたん》ともいふべき|天教山《てんけうざん》の|烈火《れつくわ》の|中《なか》に|投《とう》じ|給《たま》ふは、|易々《いい》たるの|業《わざ》なるべし。
|智慧《ちゑ》|暗《くら》く、|力《ちから》|弱《よわ》き|人間《にんげん》は、どうしても|偉大《ゐだい》なる|神《かみ》の|救《すく》ひを|求《もと》めねば、|到底《たうてい》|自力《じりき》を|以《もつ》て|吾《わ》が|身《み》の|犯《をか》せる|身魂《みたま》の|罪《つみ》を|償《つぐな》ふことは|不可能《ふかのう》なり。|故《ゆゑ》に|人《ひと》は|唯《ただ》、|神《かみ》を|信《しん》じ、|神《かみ》に|随《したが》ひ|成可《なるべ》く|善《ぜん》を|行《おこな》ひ、|悪《あく》を|退《しりぞ》け|以《もつ》て|天地経綸《てんちけいりん》の|司宰者《しさいしや》たるべき|本分《ほんぶん》を|尽《つく》すべきなり。|西哲《せいてつ》の|言《げん》にいふ、
『|神《かみ》は|自《みづか》ら|助《たす》くるものを|助《たす》く』
と。|然《しか》り。されど|蓋《そ》は|有限的《いうげんてき》にして、|人間《にんげん》たるもの|到底《たうてい》|絶対的《ぜつたいてき》に|身魂《みたま》の|永遠的《ゑいゑんてき》|幸福《かうふく》を|生《う》み|出《だ》すことは|不可能《ふかのう》なり。|人《ひと》は|一《ひと》つの|善事《ぜんじ》を|為《な》さむとすれば、|必《かなら》ずやそれに|倍《ばい》するの|悪事《あくじ》を|不知不識《しらずしらず》|為《な》しつつあるなり。|故《ゆゑ》に|人生《じんせい》には|絶対的《ぜつたいてき》の|善《ぜん》も|無《な》ければ、また|絶対的《ぜつたいてき》の|悪《あく》も|無《な》し。|善《ぜん》|中《ちう》|悪《あく》あり、|悪《あく》|中《ちう》|善《ぜん》あり、|水《すゐ》|中《ちう》|火《ひ》あり、|火《くわ》|中《ちう》|水《すゐ》あり、|陰《いん》|中《ちう》|陽《やう》あり、|陽《やう》|中《ちう》|陰《いん》あり、|陰陽《いんやう》|善悪《ぜんあく》|相《あひ》|混《こん》じ、|美醜《びしう》|明暗《めいあん》|相交《あひまじ》はりて、|宇宙《うちう》の|一切《いつさい》は|完成《くわんせい》するものなり。|故《ゆゑ》に|或《ある》|一派《いつぱ》の|宗派《しうは》の|唱《とな》ふる|如《ごと》き|善悪《ぜんあく》の|真《しん》の|区別《くべつ》は、|人間《にんげん》は|愚《おろか》、|神《かみ》と|雖《いへど》も|之《これ》を|正確《せいかく》に|判別《はんべつ》し|給《たま》ふことは|出来《でき》ざるべし。
|如何《いかん》とならば|神《かみ》は|万物《ばんぶつ》を|造《つく》り|給《たま》ふに|際《さい》し、|霊力体《れいりよくたい》の|三大元《さんだいげん》を|以《もつ》て|之《これ》を|創造《さうざう》し|給《たま》ふ。|霊《れい》とは|善《ぜん》にして、|体《たい》とは|悪《あく》なり。|而《しか》して|霊体《れいたい》より|発生《はつせい》する|力《ちから》は、これ|善悪《ぜんあく》|混淆《こんかう》なり。|之《これ》を|宇宙《うちう》の|力《ちから》といひ、|又《また》は|神力《しんりき》と|称《しよう》し、|神《かみ》の|威徳《みいづ》と|云《い》ふ。|故《ゆゑ》に|善悪不二《ぜんあくふじ》にして、|美醜《びしう》|一如《いちによ》たるは、|宇宙《うちう》の|真相《しんさう》なり。
|重《おも》く|濁《にご》れるものは|地《ち》となり、|軽《かる》く|清《きよ》きものは|天《てん》となる。|然《しか》るに|大空《たいくう》のみにては、|一切《いつさい》の|万物《ばんぶつ》|発育《はついく》するの|場所《ばしよ》なく、また|大地《だいち》のみにては、|正神《せいしん》の|空気《くうき》を|吸収《きふしう》すること|能《あた》はず、|天地《てんち》|合体《がつたい》、|陰陽《いんやう》|相和《あひわ》して、|宇宙《うちう》|一切《いつさい》は|永遠《ゑいゑん》に|保持《ほぢ》さるるなり。また|善悪《ぜんあく》は|時《じ》、|所《しよ》、|位《ゐ》によりて|善《ぜん》も|悪《あく》となり、|悪《あく》もまた|善《ぜん》となることあり。|実《じつ》に|善悪《ぜんあく》の|標準《へうじゆん》は|複雑《ふくざつ》にして、|容易《ようい》に|人心小智《じんしんせうち》の|判知《はんち》すべき|限《かぎ》りにあらず。|故《ゆゑ》に|善悪《ぜんあく》の|審判《しんぱん》は、|宇宙《うちう》の|大元霊《だいげんれい》たる|大神《おほかみ》のみ、|其《そ》の|権限《けんげん》を|有《いう》し|給《たま》ひ、|吾人《ごじん》はすべての|善悪《ぜんあく》を|審判《しんぱん》するの|資格《しかく》は|絶対《ぜつたい》|無《な》きものなり。
|妄《みだり》に|人《ひと》を|審判《さばく》は、|大神《おほかみ》の|職権《しよくけん》を|侵《をか》すものにして、|僣越《せんえつ》の|限《かぎ》りと|言《い》ふべし。
|唯々《ただただ》|人《ひと》は|吾《わ》が|身《み》の|悪《あく》を|改《あらた》め、|善《ぜん》に|遷《うつ》ることのみを|考《かんが》へ、|決《けつ》して|他人《たにん》の|審判《さばき》を|為《な》す|可《べ》き|資格《しかく》の|無《な》きものなることを|考《かんが》ふべきなり。
|吾《われ》を|愛《あい》するもの|必《かなら》ずしも|善人《ぜんにん》に|非《あら》ず、|吾《われ》を|苦《くる》しむるもの|必《かなら》ずしも|悪人《あくにん》ならずとせば、|唯々《ただただ》|吾人《ごじん》は、|善悪愛憎《ぜんあくあいぞう》の|外《ほか》に|超然《てうぜん》として、|惟神《かむながら》の|道《みち》を|遵奉《じゆんぽう》するより|外《ほか》|無《な》しと|知《し》るべし。
アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
|録者《ろくしや》いはく、『|虚偽《きよぎ》と|虚飾《きよしよく》の|生活《せいかつ》に|囚《とら》はれたる|現代《げんだい》|人士《じんし》は、|此《こ》の|一節《いつせつ》に|躓《つまづ》くの|虞《おそれ》あれば|特《とく》に|熟読《じゆくどく》|玩味《ぐわんみ》することを|要《えう》す』
(大正一一・一・二〇 旧大正一〇・一二・二三 外山豊二録)
(第一三章〜第二〇章 昭和一〇・二・九 於那智丸船中 王仁校正)
第二一章 |真木柱《まきばしら》〔二七一〕
|伊弉諾大神《いざなぎのおほかみ》の|又《また》の|御名《みな》を、|天《あめ》の|御柱《みはしら》の|神《かみ》といひ、|伊弉冊大神《いざなみのおほかみ》の|又《また》の|御名《みな》を、|国《くに》の|御柱《みはしら》の|神《かみ》といひ、|天照大神《あまてらすおほかみ》の|又《また》の|御名《みな》を、|撞《つき》の|御柱《みはしら》の|神《かみ》といふ。
この|三柱《みはしら》の|神《かみ》は、|天教山《てんけうざん》の|青木ケ原《あはぎがはら》に|出《い》でまして、|撞《つき》の|御柱《みはしら》の|神《かみ》を|真木柱《まきばしら》とし、|八尋殿《やひろどの》を|見立《みたて》て|給《たま》ひて、|天津神祖《あまつみおや》の|大神《おほかみ》を|祭《まつ》り、|月照彦神《つきてるひこのかみ》を|斎主《いはひぬし》とし、|足真彦《だるまひこ》、|少彦《すくなひこ》[#「少彦」は御校正本通り]、|弘子彦《ひろやすひこ》、|高照姫《たかてるひめ》、|真澄姫《ますみひめ》、|言霊姫《ことたまひめ》、|竜世姫《たつよひめ》、|祝部《はふりべ》、|岩戸別《いはとわけ》その|他《た》|諸々《もろもろ》の|神人《かみ》たちを|集《つど》へて、|天津祝詞《あまつのりと》の|太祝詞《ふとのりと》を|詔《の》らせ|給《たま》へば、|久方《ひさかた》の|天津御空《あまつみそら》も、|大海原《おほうなばら》に|漂《ただよ》ふ|葦原《あしはら》の|瑞穂《みづほ》の|国《くに》も、|清《きよ》く|明《あか》く|澄《す》み|渡《わた》りて、|祓戸《はらひど》|四柱《よはしら》の|神《かみ》の|千々《ちぢ》の|身魂《みたま》の|活力《はたらき》に|復《ふたた》び|美《うる》はしき|神《かみ》の|御国《みくに》は|建《た》てられたるなり。
ここに|伊弉諾神《いざなぎのかみ》は|撞《つき》の|御柱《みはしら》を|中《なか》に|置《お》き、|左《ひだり》より|此《こ》の|御柱《みはしら》を|行《ゆ》き|廻《めぐ》り|給《たま》ひ、|伊弉冊神《いざなみのかみ》は|右《みぎ》より|廻《めぐ》り|合《あ》ひ|給《たま》ひて、ここに|天地《てんち》を|造《つく》り|固《かた》めなし|給《たま》ひ、|国生《くにう》み、|島《しま》|生《う》み、|神生《かみう》み、|人生《ひとう》み、|山河《やまかは》|百《もも》の|草木《くさき》の|神《かみ》を|生《う》み|成《な》し|給《たま》ふ|善言美詞《かむよごと》を|謡《うた》はせ|給《たま》ひける。その|御歌《みうた》、
|伊弉諾神《いざなぎのかみ》『|限《かぎ》り|無《な》く|果《は》てしも|知《し》らぬ|大空《おほぞら》の  その|大空《おほぞら》の|本津空《もとつそら》
|天津御空《あまつみそら》の|果《は》てのはて  |九山八海《つくし》の|火燃輝《ひむか》の|アオウエイ《たちばな》の
アオウエイの|五柱《いつはしら》  カサタナハマヤラワ
この|九《ここの》つの|御柱《みはしら》の  |父《ちち》と|母《はは》との|言霊《ことたま》に
|鳴《な》り|出《いづ》る|息《いき》は  キシチニヒミイリヰ
クスツヌフムユルウ  ケセテネヘメエレヱ
コソトノホモヨロヲ  これに|続《つづ》いて
ガゴグゲギ  ザゾズゼジ
ダドヅデヂ  バボブベビ
パポプペピ  |七十五声《ななそいつごゑ》|生《う》みなして
|果《は》てしも|知《し》らぬ|天地《あめつち》を  |造《つく》り|給《たま》ひし|大御祖《おほみおや》
|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》の  |左守《さもり》の|神《かみ》と|在《あ》れませる
|其《そ》の|霊主体従《ひのもと》の|霊高《いづたか》き  |高皇産霊《たかみむすび》の|大御神《おほみかみ》
|瑞《みづ》の|身魂《みたま》の|本津神《もとつかみ》  |神皇産霊《かむみむすび》の|大神《おほかみ》の
|御息《みいき》は|凝《こ》りて|天《あま》の|原《はら》  |大海原《おほうなばら》を|永遠《とこしへ》に
|搗《つ》き|固《かた》めたる|神《かみ》の|代《よ》と  |寄《よさ》し|給《たま》へる|高天原《たかあまはら》の
|神《かみ》の|祖《かむろ》の|詔《みことのり》  |畏《かしこ》み|仕《つか》へまつりつつ
|常磐堅磐《ときはかきは》に【つき】|立《た》てし  |撞《つき》の|御柱《みはしら》|左《ひだり》より
い|行《ゆ》きて|廻《めぐ》り【さむらへ】ば  |照《て》る|日《ひ》の|影《かげ》も|明《あき》らかに
|月《つき》の|光《ひかり》も【さやさや】に  |輝《かがや》き|渡《わた》る|青木原《あはぎはら》
|大海原《おほうなばら》も|諸共《もろとも》に  |清《きよ》く|治《をさ》まる|神《かみ》の|国《くに》
|清《きよ》く|治《をさ》まる|神《かみ》の|国《くに》  |好哉《あなにやし》えー|神《かみ》の|国《くに》
【あなにやし】えー|神《かみ》の|園《その》』
と|謡《うた》ひながら、|撞《つき》の|御柱《みはしら》を|左《ひだり》より|廻《めぐ》り|始《はじ》め|給《たま》ひける。
このとき|撞《つき》の|御柱《みはしら》を|右《みぎ》よりい|行《ゆ》き|廻《めぐ》りて、|茲《ここ》に|二柱神《ふたはしらがみ》は、|双方《さうはう》より|出会《であひ》|給《たま》ひ、|国《くに》の|御柱《みはしら》の|神《かみ》は、|男神《をがみ》の|美《うる》はしき、|雄々《をを》しき|御姿《おんすがた》をながめ|給《たま》ひて|喜《よろこ》びに|堪《た》へず|御歌《おんうた》を|詠《よ》ませ|給《たま》ひぬ。その|御歌《おんうた》、
『|久方《ひさかた》の|天津空《あまつそら》より|天降《あも》りまし  |黄金《こがね》の|橋《はし》のその|上《うへ》に
|月《つき》と|撞《つき》との|二柱《ふたはしら》  |二神《にしん》の【つま】に|手《て》をひかれ
|天《あま》の|浮橋《うきはし》|度会《わたらひ》の  |月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|神祭《かむまつ》り
|斎《いは》ひ|治《をさ》めて|伊弉諾《いざなぎ》の  |神《かみ》の|命《みこと》は|畏《かしこ》くも
|撞《つき》の|御柱《みはしら》|行《ゆ》き|廻《めぐ》り  めぐりめぐりて|今《いま》ここに
|嬉《うれ》しき|君《きみ》に|相生《あひおい》の  |千代万代《ちよよろづよ》も|動《うご》きなく
|松《まつ》の|神代《かみよ》の|礎《いしずゑ》を  |築《つ》き|固《かた》めたる|宮柱《みやばしら》
【うつしき】|神代《かみよ》を|五六七《みろく》の|世《よ》  |仁愛三会《みろくさんゑ》の|鐘《かね》の|音《ね》も
|鳴《な》り|響《ひび》きたる|青木原《あはぎはら》  |御腹《みはら》の|胞衣《えな》は|美《うる》はしく
|生《お》ひ|立《た》ち|侍《はべ》り|天《あめ》の|下《した》  |山川木草《やまかはきぐさ》もろもろの
|人《ひと》を|生《う》みまし|鳥《とり》|獣《けもの》  |昆虫魚《はふむしうを》に|至《いた》るまで
|天津御空《あまつみそら》の|星《ほし》の|如《ごと》  |生《う》みふやします|其《そ》の|稜威《みいづ》
|見《み》れども|飽《あ》かぬ|御姿《みすがた》の  |清《きよ》きは|真澄《ますみ》の|鏡《かがみ》かな
|清《きよ》きは|真澄《ますみ》の|鏡《かがみ》かも  |月日《つきひ》と|光《ひかり》をあらそひて
|月日《つきひ》の|神《かみ》と|生《あ》れませる  |神《かみ》の|御霊《みたま》や【あなにやし】
|愛《え》ー|男《をとこ》や、|愛《え》ー|男《をとこ》  |斯《かか》る|芽出度《めでた》き|夫神《つまがみ》の
|天《あめ》をば|翔《かけ》り|地《くに》|駆《か》けり  |何処《いづく》の|果《はて》を|求《もと》むとも
|求《もと》め|得《え》ざらめあら|尊《たふと》  |天《あめ》の|御柱《みはしら》|夫神《つまがみ》の
|雄々《をを》しき|姿《すがた》【あなにやし】  |愛《え》ー|男《をとこ》や、【おとこ】やと
|今日《けふ》の|祭《まつ》りに|嬉《うれ》しくも  |善言美詞《みやびのよごと》【ほぎ】|奉《まつ》る
|七十五声《ななそいつごゑ》|鈴《すず》の|音《ね》も  すべて|芽出度《めでた》き|天《あま》の|原《はら》
|皇御国《すめらみくに》と|鳴《な》り|響《ひび》く  |皇御国《すめらみくに》と|鳴《な》り|響《ひび》く
|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》  |百《もも》|千《ち》|万《よろづ》の|神嘉言《かむよごと》
|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》  |百《もも》|千《ち》|万《よろづ》の|神嘉言《かむよごと》
|百代《ももよ》も|千代《ちよ》も|変《かは》らずに  |百代《ももよ》も|千代《ちよ》も|変《かは》らずに
|汝《なれ》と|吾《あれ》とは|天地《あめつち》の  |鏡《かがみ》とならめ|永遠《とこしへ》に
|神祖《みおや》とならめ|永遠《とこしへ》に』
と|祝《しゆく》し|給《たま》ひて、|淡島《あはしま》を|生《う》ませ|給《たま》ひぬ。この|淡島《あはしま》は|少名彦神《すくなひこのかみ》、|国魂神《くにたまのかみ》として|任《ま》けられたまひぬ。されどこの|島《しま》は|御子《みこ》の|数《かず》に|入《い》らず、|少名彦神《すくなひこなのかみ》は|野立彦神《のだちひこのかみ》の|御跡《みあと》を|慕《した》ひて、|幽界《いうかい》の|探険《たんけん》に|発足《はつそく》さるる|事《こと》とはなりける。
(大正一一・一・二〇 旧大正一〇・一二・二三 外山豊二録)
(第二一章 昭和一〇・二・一〇 於勝浦支部 王仁校正)
第二二章 |神業《しんげふ》|無辺《むへん》〔二七二〕
|爰《ここ》に|天《あめ》の|御柱《みはしら》の|神《かみ》は、|女神《めがみ》の|宣言《のりごと》を|喜《よろこ》び|給《たま》はず、いたく|怒《いか》り|給《たま》ひて、|歌《うた》もて|其《そ》の|怒《いか》りを|洩《も》らさせ|給《たま》ひぬ。|其《その》|御歌《みうた》、
『|天津御神《あまつみかみ》の|御言《みこと》もて  |天《あめ》の|柱《はしら》となり|出《い》でし
|吾《あれ》は|高天原《たかま》を|知《し》らすべき  |神《かみ》のよさしの|神司《かむづかさ》
|雲井《くもゐ》に|高《たか》き|朝日子《あさひこ》の  |光《ひか》りも|清《きよ》き|神御魂《かむみたま》
|汝《なれ》は|国土《くにつち》|知《し》らすべき  |豊葦原《とよあしはら》の|神《かむ》つかさ
|天《あめ》と|地《つち》とはおのづから  |高《たか》き|低《ひく》きのけじめあり
|重《おも》き|軽《かる》きのちがひあり  |天《あめ》は|上《うへ》なり|地《ち》は|下《した》よ
|男子《をのこ》は|天《あめ》よ|女《め》は|地《つち》よ  |天《あめ》は|下《くだ》りて|地《つち》は|上《うへ》
|此《この》|逆《さか》さまの|神業《かむわざ》は  |本津御神《もとつみかみ》の|御心《みこころ》に
いたく|違《たが》へる【ひが】|事《ごと》ぞ  |天《あめ》は|上《うへ》なり|地《つち》は|下《した》
|男子《をのこ》は|上《かみ》ぞ|女《め》は|下《しも》ぞ  |天《あめ》と|地《つち》とを|取違《とりちが》ひ
|上《かみ》と|下《しも》とを|誤《あやま》りて  いかでか|清《きよ》き|御子《みこ》|生《う》まむ
いかでか|清《きよ》き|国《くに》|生《う》まむ  |再《ふたた》び|元《もと》に|立帰《たちかへ》り
|天津御神《あまつみかみ》に【さかしら】の  この|罪科《つみとが》を|詫《わ》び|了《を》へて
|再《ふたた》び|神《かみ》のみことのり  |祈願奉《こひのみまつ》り|御柱《みはしら》を
|改《あらた》め|廻《めぐ》り|言霊《ことたま》を  |宣《の》りかへしなむいざさらば
いざいざさらば|汝《な》が|命《みこと》』
と|稍《やや》|不満《ふまん》の|態《てい》にて、|男神《をがみ》は|元《もと》の|処《ところ》に|帰《かへ》り|給《たま》ひけるに、|女神《めがみ》も|其《その》|理義《りぎ》|明白《めいはく》なる|神言《かみごと》にたいし、|返《かへ》す|言葉《ことば》もなく|再《ふたた》び|元《もと》の|処《ところ》に、|唯々諾々《ゐゐだくだく》として|復帰《ふくき》し|給《たま》ひたり。
その|時《とき》|成《な》り|出《い》でましたる|嶋《しま》は、|前述《ぜんじゆつ》のごとく|淡嶋《あはしま》なりき。|淡嶋《あはしま》は|現今《げんこん》の|太平洋《たいへいやう》の|中心《ちうしん》に|出現《しゆつげん》したる|嶋《しま》なるが、|此《この》|天地《てんち》|逆転《ぎやくてん》の|神業《しんげふ》によつて、|其《その》|根底《こんてい》は|弛《ゆる》み、|遂《つひ》に|漂流《へうりう》して|南端《なんたん》に|流《なが》れ、|地理家《ちりか》の|所謂《いはゆる》|南極《なんきよく》の|不毛《ふまう》の|嶋《しま》となりにける。
|而《しかし》て|此《こ》の|淡嶋《あはしま》の|国魂《くにたま》として、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|再来《さいらい》なる|少名彦命《すくなひこのみこと》は|手足《てあし》を|下《くだ》すに|由《よし》なく、|遂《つひ》に|蛭子《ひるこ》の|神《かみ》となりて|繊弱《かよわ》き|葦舟《あしぶね》に|乗《の》り、|常世《とこよ》の|国《くに》に|永《なが》く|留《とど》まり、その|半分《はんぶん》の|身魂《みたま》は|根《ね》の|国《くに》に|落《お》ち|行《ゆ》き、|幽界《いうかい》の|救済《きうさい》に|奉仕《ほうし》されたるなり。
この|因縁《いんねん》によりて、|後世《こうせい》|猶太《ゆだや》の|国《くに》に|救世主《きうせいしゆ》となりて|現《あら》はれ、|撞《つき》の|御柱《みはしら》の|廻《めぐ》り|合《あ》ひの|過《あやま》ちの|因縁《いんねん》によりて、|十字架《じふじか》の|惨苦《さんく》を|嘗《な》め、|万民《ばんみん》の|贖罪主《あがなひぬし》となりにける。
ここに|諾冊《なぎなみ》|二尊《にそん》は|再《ふたた》び|天津神《あまつかみ》の|御許《おんもと》に|舞《ま》ひ|上《のぼ》り、|大神《おほかみ》の|神勅《しんちよく》を|請《こ》ひ|給《たま》ひぬ。|大神《おほかみ》は|男神《をがみ》の|宣言《みことのり》のごとく、|天地顛倒《てんちてんどう》の|言霊《ことたま》を|改《あらた》め、|過《あやま》ちを|再《ふたた》びせざる|様《やう》|厳命《げんめい》されたり。
ここに|二神《にしん》は|改言改過《かいげんかいくわ》の|実《じつ》を|表《あら》はし、|再《ふたた》び|撞《つき》の|御柱《みはしら》を|中《なか》に|置《お》き、|男神《をがみ》は|左《ひだり》より、|女神《めがみ》は|右《みぎ》より、い|行《ゆ》き|廻《めぐ》りて|互《たが》ひに|相《あひ》|逢《あ》ふ|時《とき》、|男神《をがみ》|先《ま》づ|御歌《みうた》をよませ|給《たま》ひける。|其《その》|御歌《みうた》、
『|浮世《うきよ》の|泥《どろ》を|清《きよ》めむと  |天津御神《あまつみかみ》の|御言《みこと》もて
|高天原《たかあまはら》に|架《か》け|渡《わた》す  |黄金《こがね》の|橋《はし》を|打《う》ち|渡《わた》り
【おのころ】|嶋《じま》におり|立《た》ちて  |八尋《やひろ》の|殿《との》をいや|堅《かた》に
|上《そら》つ|岩根《いはね》につき|固《かた》め  |底《そこ》つ|岩根《いはね》につきならし
うましき|御世《みよ》を|三《み》つ|栗《ぐり》の  |中《なか》に|立《た》てたる|御柱《みはしら》は
【つくし】の|日向《ひむか》の|立花《たちばな》や  |音《おと》に|名高《なだか》き|高天原《たかあまはら》の
【あはぎ】が|原《はら》に|聳《そび》え|立《た》つ  |天《あめ》と|地《つち》との|真釣《まつ》り|合《あ》ひ
|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|神《かむ》まつり  |済《す》ませてここに|二柱《ふたはしら》
|汝《なれ》は|右《みぎり》へ|吾《あ》は|左《ひだり》  |左《ひだり》は|夫《をつと》|右《みぎ》は|妻《つま》
めぐりめぐりて|今《いま》ここに  |清《きよ》き|御国《みくに》を|生《う》みの|親《おや》
|神伊邪那美《かむいざなみ》の|大神《おほかみ》の  |清《きよ》き|姿《すがた》は|白梅《しらうめ》の
|一度《いちど》に|開《ひら》く|如《ごと》くなり  |嗚呼《あゝ》うるはしき|姫神《ひめがみ》よ
|嗚呼《ああ》うるはしき|顔容《かんばせ》よ  |汝《なれ》が|命《みこと》のましまさば
たとひ|朝日《あさひ》は|西《にし》の|空《そら》  |月《つき》は|東《ひがし》の|大空《おほぞら》に
|現《あら》はれ|出《い》づる|世《よ》ありとも  |夫婦《めをと》が|心《こころ》は|相生《あひおひ》の
|栄《さか》え|久《ひさ》しき|松《まつ》の|世《よ》を  |常磐堅磐《ときはかきは》に|立《た》てむこと
いと|安《やす》らけし|平《たひら》けし  いざいざさらばいざさらば
|天津御神《あまつみかみ》の|御言《みこと》もて  |国《くに》の|安国《やすくに》|生《う》みならし
|島《しま》の|八十嶋《やそしま》つき|固《かた》め  |百《もも》の|神達《かみたち》|草木《くさき》まで
|蓬莱《とこよ》の|春《はる》のうまし|世《よ》に  |開《ひら》くも|尊《たふと》き|木《こ》の|花《はな》の
|咲耶《さくや》の|姫《ひめ》の|常永《とことは》に  |鎮《しづ》まり|居《ゐ》ます|富士《ふじ》の|峰《みね》
|空《そら》|行《ゆ》く|雲《くも》もはばかりて  |月日《つきひ》もかくす|此《こ》の|山《やま》に
|稜威《みいづ》も|高《たか》き|宮柱《みやばしら》  |撞《つき》の|御柱《みはしら》|右左《みぎひだり》
めぐる|浮世《うきよ》の|浮橋《うきはし》は  この|世《よ》を|渡《わた》す|救《たす》け|船《ぶね》
|救《たす》けの|船《ふね》の|汝《な》が|命《みこと》  |見《み》れども|飽《あ》かぬ|汝《な》が|姿《すがた》
|阿那邇夜志愛袁登女《あなにやしえをとめ》  |阿那邇夜志愛袁登女《あなにやしえをとめ》
|夫婦《めをと》|手《て》に|手《て》をとりかはし  |天《あめ》と|地《つち》との|御柱《みはしら》の
|主宰《つかさ》の|神《かみ》を|生《う》みなさむ  |主宰《つかさ》の|神《かみ》を|生《う》みなさむ
|浦安国《うらやすくに》の|心安《うらやす》く  【みたま】も|光《ひか》る|紫《むらさき》の
|雲《くも》の【とばり】を|押分《おしわ》けて  |輝《かがや》きわたる|日《ひ》の|光《ひかり》
|月《つき》の|輝《かがや》きさやさやに  いやさやさやに|又《また》さやに
|治《をさ》まる|両刃《もろは》の|剣刃《つるぎば》の  |天《あま》の|瓊矛《ぬほこ》の|尖《さき》よりも
|滴《したた》り|落《お》つる|淤能碁呂《おのころ》の  |嶋《しま》こそ|実《げ》にも|尊《たふと》けれ
|嶋《しま》こそ|実《げ》にも|尊《たふと》けれ』
と|讃美《さんび》の|歌《うた》を|唱《とな》へられたりける。
(大正一一・一・二〇 旧大正一〇・一二・二三 井上留五郎録)
(第二二章 昭和一〇・二・一二 於木の本支部 王仁校正)
第二三章 |諸教《しよけう》|同根《どうこん》〔二七三〕
ここに|伊弉冊命《いざなみのみこと》は|返《かへ》り|歌《うた》|詠《よ》まし|給《たま》ひぬ。|其《そ》の|歌《うた》、
『|天《あめ》と|地《つち》とはおのづから  |正《ただ》しき|清《きよ》き|秩序《ついで》あり
|汝《なれ》が|命《みこと》の|宣言《みことのり》  |月日《つきひ》のごとく|明《あき》らかに
|輝《かがや》きわたり|村肝《むらきも》の  |吾《あ》が|心根《こころね》もさやさやと
|冴《さ》えわたりたる|嬉《うれ》しさよ  |天《あめ》にも|地《つち》にも|只《ただ》|一《ひと》つ
|力《ちから》と|頼《たの》む|汝《な》が|命《みこと》  |杖《つゑ》とも【たけ】とも|柱《はしら》とも
たよるは|汝《なれ》が|御魂《たま》|一《ひと》つ  |心《こころ》の|清《きよ》き|赤玉《あかたま》は
|魂《たま》の|緒《を》|清《きよ》く|冴《さ》えわたり  |吾《あれ》の|御霊《みたま》は|月雪《つきゆき》の
|色《いろ》にも|擬《まが》ふ|白玉《しらたま》の  |天《あめ》と|地《つち》との|真釣《まつ》りあひ
|尊《たふと》き|御代《みよ》に|相生《あひおひ》の  |松《まつ》の|神世《かみよ》の|基礎《いしずゑ》を
|天《あめ》より|高《たか》く|搗《つ》き|固《かた》め  |地《つち》の|底《そこ》まで|搗《つ》き|凝《こ》らし
|天《あめ》と|地《つち》とは|睦《むつ》び|合《あ》ひ  |力《ちから》を|協《あは》せ|村肝《むらきも》の
|心《こころ》|一《ひと》つに|御子《みこ》|生《う》まむ  みたま|清《きよ》めて|国《くに》|生《う》まむ
|世《よ》は|紫陽花《あぢさゐ》の|七《なな》かはり  |如何《いか》に|天地《あめつち》|変《かは》るとも
|汝《なれ》と|吾《あれ》との|其《そ》の|仲《なか》は  |千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|変《かは》らまじ
|栄《さか》え【みろく】の|御代《みよ》までも  |栄《さか》え【みろく】の|御代《みよ》までも
|尽《つ》きせぬ|縁《えにし》は|天伝《あまつた》ふ  |月《つき》に|誓《ちか》ひて|大空《おほぞら》の
|星《ほし》の|如《ごと》くに|御子《みこ》|生《う》まむ  |生《う》めよ|生《う》め|生《う》め|地《ち》の|上《うへ》に
|仰《あふ》げば|高《たか》し|久方《ひさかた》の  |天津日影《あまつひかげ》にいやまして
|永久《とは》に|栄《さか》ゆる|汝《な》がみたま  |阿那邇夜志愛袁登古《あなにやしえをとこ》
|阿那邇夜志愛袁登古《あなにやしえをとこ》  |男女《をとこをみな》の|睦《むつ》びあひ
|八尋《やひろ》の|殿《との》にさし|籠《こも》り  |天津御祖《あまつみおや》の|皇神《すめかみ》の
みたまを|永久《とは》に|斎《いつ》くべし  |御魂《みたま》を|永久《とは》に|斎《いつ》くべし』
と|声《こゑ》も|涼《すず》しく|歌《うた》ひ|給《たま》ふ。
|是《これ》より|二神《にしん》は|撞《つき》の|御柱《みはしら》を、|左右《さいう》より|隈《くま》なく|廻《めぐ》り|給《たま》ひて、|青木ケ原《あはぎがはら》の|真中《まんなか》に|立《た》てる|八尋殿《やひろどの》に|立帰《たちかへ》り、|息《いき》を|休《やす》め|給《たま》ひける。
ここに|月照彦神《つきてるひこのかみ》、|足真彦《だるまひこ》、|弘子彦《ひろやすひこ》、|祝部《はふりべ》、|岩戸別《いはとわけ》の|諸神人《しよしん》は、|野立彦神《のだちひこのかみ》、|野立姫神《のだちひめのかみ》の|御跡《みあと》を|慕《した》ひて|神界《しんかい》|現界《げんかい》の|地上《ちじやう》の|神業《しんげふ》を|終《を》へ、|大地《だいち》の|中心地点《ちうしんちてん》たる|火球《くわきう》の|世界《せかい》、|即《すなは》ち|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》に|出《い》でまして、|幽界《いうかい》の|諸霊《しよれい》を|安息《あんそく》せしめむため、|天教山《てんけうざん》の|噴火口《ふんくわこう》に|身《み》を|投《とう》じ|給《たま》ひける。
|神徳《しんとく》|高《たか》く|至仁《しじん》|至愛《しあい》にして、|至誠《しせい》|至直《しちよく》の|神人《かみがみ》は、|神魂《しんこん》|清涼《せいりやう》の|気《き》に|充《み》たされ、さしもに|激烈《げきれつ》なる|猛火《まうくわ》の|中《なか》に|飛《と》び|入《い》りて、|少《すこ》しの|火傷《くわしやう》も|負《お》はせ|給《たま》はず、|無事《ぶじ》に|幽界《いうかい》に|到着《たうちやく》し|給《たま》ひぬ。
これらの|諸神人《しよしん》は|幽界《いうかい》を|修理固成《しうりこせい》し、かつ|各自《かくじ》|身魂《みたま》の|帰着《きちやく》を|定《さだ》め、|再《ふたた》び|地上《ちじやう》に|出生《しゆつしやう》して、|月照彦神《つきてるひこのかみ》は|印度《いんど》の|国《くに》|浄飯王《じやうぼんわう》の|太子《たいし》と|生《うま》れ、|釈迦《しやか》となつて|衆生《しゆじやう》を|済度《さいど》し、|仏教《ぶつけう》を|弘布《ぐふ》せしめたまひけり。ゆゑに|釈迦《しやか》の|誕生《たんじやう》したる|印度《いんど》を|月氏国《げつしこく》といひ、|釈迦《しやか》を|月氏《げつし》と|称《しよう》するなり。
また|足真彦《だるまひこ》は、これまた|月照彦神《つきてるひこのかみ》の|後《あと》を|逐《お》ひて|月氏国《げつしこく》に|出生《しゆつしやう》し、|達磨《だるま》となつて|禅道《ぜんだう》を|弘布《ぐふ》したり。
|時《とき》により|処《ところ》によりて、|神人《かみがみ》の|身魂《みたま》は|各自《かくじ》|変現《へんげん》されたるなり。|何《いづ》れも|豊国姫命《とよくにひめのみこと》の|分霊《ぶんれい》にして、|国治立命《くにはるたちのみこと》の|分身《ぶんしん》なりける。
|少名彦《すくなひこ》は|幽界《いうかい》を|遍歴《へんれき》し、|天地《てんち》に|上下《じやうげ》し、|天津神《あまつかみ》の|命《めい》をうけ|猶太《ゆだや》に|降誕《かうたん》して、|天国《てんごく》の|福音《ふくいん》を|地上《ちじやう》に|宣伝《せんでん》したまふ。
|天道別命《あまぢわけのみこと》は|天教山《てんけうざん》の|噴火口《ふんくわこう》より|地中《ちちう》の|世界《せかい》に|到達《たうたつ》し、これまた|数十万年《すふじふまんねん》の|神業《しんげふ》を|修《しう》し、|清《きよ》められて|天上《てんじやう》に|上《のぼ》り、|天地《てんち》の|律法《りつぱふ》を|再《ふたた》び|地上《ちじやう》に|弘布《ぐふ》せり。|之《これ》を|後世《こうせい》「モーゼ」の|司《かみ》と|云《い》ふ。
|天真道彦命《あめのまみちひこのみこと》も|同《おな》じく|天教山《てんけうざん》の|噴火口《ふんくわこう》に|飛《と》び|入《い》り、|火《ひ》の|洗礼《せんれい》を|受《う》けて|根底《ねそこ》の|国《くに》を|探険《たんけん》し、|地上《ちじやう》に|出生《しゆつしやう》して|人体《じんたい》と|化《くわ》し、エリヤの|司《かみ》と|現《あら》はれてその|福音《ふくいん》を|遍《あまね》く|地上《ちじやう》に|宣伝《せんでん》し、|天下《てんか》|救済《きうさい》の|神業《しんげふ》に|従事《じうじ》したり。
また|高皇産霊神《たかみむすびのかみ》の|御子《みこ》たりし|大道別《おほみちわけ》は、|日《ひ》の|出神《でのかみ》となりて|神界《しんかい》|現界《げんかい》に|救《すく》ひの|道《みち》を|宣伝《せんでん》し、|此《この》|度《たび》の|変《へん》によりて|天教山《てんけうざん》に|上《のぼ》り、それより|天《あま》の|浮橋《うきはし》を|渡《わた》りて|日《ひ》の|御国《みくに》に|到《いた》り、|仏者《ぶつしや》の|所謂《いはゆる》|大日如来《だいにちによらい》となりにける。|神界《しんかい》にてはやはり|日出神《ひのでのかみ》と|称《とな》へらるるなり。
また|豊国姫命《とよくにひめのみこと》は|地中《ちちう》の|火球《くわきう》、|汐球《げききう》を|守《まも》り、|数多《あまた》の|罪《つみ》ある|身魂《みたま》の|無差別的《むさべつてき》|救済《きうさい》に、|神力《しんりき》を|傾注《けいちう》したまへり。|仏者《ぶつしや》の|所謂《いはゆる》|地蔵尊《ぢざうそん》は|即《すなは》ちこの|神《かみ》なり。
|天教山《てんけうざん》は|後《のち》にシナイ|山《ざん》とも|称《しよう》せらるるに|至《いた》りぬ。|併《しか》し|第一巻《だいいつくわん》に|表《あら》はれたるシナイ|山《ざん》とは|別《べつ》のものたるを|知《し》るべし。
|弘子彦司《ひろやすひこのかみ》は|一旦《いつたん》|根底《ねそこ》の|国《くに》にいたりしとき、|仏者《ぶつしや》の|所謂《いはゆる》|閻羅王《えんらわう》なる|野立彦命《のだちひこのみこと》の|命《めい》により、|幽界《いうかい》の|探険《たんけん》を|中止《ちゆうし》し、|再《ふた》たび|現界《げんかい》に|幾度《いくたび》となく|出生《しゆつしやう》し、|現世《うつしよ》の|艱苦《かんく》を|積《つ》みて|遂《つひ》に|現代《げんだい》の|支那《しな》に|出生《しゆつしやう》し、|孔子《こうし》と|生《うま》れ、|治国安民《ちこくあんみん》の|大道《だいだう》を|天下《てんか》に|弘布《ぐふ》したりける。
|然《しか》るに|孔子《こうし》の|教理《けうり》は|余《あま》り|現世的《げんせいてき》にして、|神界《しんかい》|幽界《いうかい》の|消息《せうそく》に|達《たつ》せざるを|憂慮《いうりよ》し|給《たま》ひ、|野立彦命《のだちひこのみこと》は|吾《わ》が|身魂《みたま》の|一部《いちぶ》を|分《わ》けて、|同《おな》じ|支那国《しなこく》に|出生《しゆつしやう》せしめ|給《たま》ひぬ。|之《これ》|老子《らうし》なり。
(大正一一・一・二〇 旧大正一〇・一二・二三 井上留五郎録)
第二四章 |富士《ふじ》|鳴戸《なると》〔二七四〕
|二柱《ふたはしら》は|茲《ここ》に|撞《つき》の|御柱《みはしら》を|廻《めぐ》り|合《あ》ひ、|八尋殿《やひろどの》を|見立《みたて》て|玉《たま》ひ、|美斗能麻具波比《みとのまぐはひ》の|神業《しんげふ》を|開《ひら》かせ|玉《たま》ひぬ。|美斗能麻具波比《みとのまぐはひ》とは、|火《ひ》と|水《みづ》との|息《いき》を|調節《てうせつ》して、|宇宙《うちう》|万有《ばんいう》|一切《いつさい》に|対《たい》し、|活生命《くわつせいめい》を|賦与《ふよ》し|玉《たま》ふ|尊《たふと》き|神業《かむわざ》なり。|撞《つき》の|御柱《みはしら》の|根《ね》に|清《きよ》き|水《みづ》を|湛《たた》へたまひぬ。これを|天《あめ》の|真奈井《まなゐ》と|云《い》ひまた|後世《こうせい》|琵琶湖《びはこ》と|云《い》ふ。|撞《つき》の|御柱《みはしら》のまたの|御名《おんな》を|伊吹《いぶき》の|御山《みやま》と|云《い》ふ。|天《あめ》の|御柱《みはしら》の|神《かみ》は|九山八海《はちす》の|山《やま》を|御柱《みはしら》とし、|国《くに》の|御柱《みはしら》の|神《かみ》は|塩《しほ》の|八百路《やほぢ》の|八塩路《やしほぢ》の|泡立《あはだ》つ|海《うみ》の|鳴戸灘《なるとなだ》をもつて|胞衣《えな》となし|玉《たま》ひ、|地《ち》の|世界《せかい》の|守護《しゆご》を|営《いとな》ませ|玉《たま》ふ。また|鳴《な》り|鳴《な》りて|鳴《な》りあまれる、|九山八海《つくし》の|火燃輝《ひむか》の|アオウエイ《たちばな》の|緒所《をど》と|云《い》はれて|居《を》るは|不二山《ふじさん》にして、また|鳴《な》り|鳴《な》りて|鳴《な》り|合《あ》はざるは、|阿波《あは》の|鳴戸《なると》なり。『|富士《ふじ》と|鳴戸《なると》の|経綸《しぐみ》』と|神諭《しんゆ》に|示《しめ》し|玉《たま》ふは、|陰陽《いんやう》|合致《がつち》、|採長補短《さいちやうほたん》の|天地経綸《てんちけいりん》の|微妙《びめう》なる|御神業《おんかむわざ》の|現《あら》はれをいふなり。|鳴戸《なると》は|地球上面《ちきうじやうめん》の|海洋《かいやう》の|水《みづ》を|地中《ちちう》に|間断《かんだん》なく|吸入《きふにふ》しかつ|撒布《さんぷ》して|地中《ちちう》の|洞穴《どうけつ》、|天《あま》の|岩戸《いはと》の|神業《しんげふ》を|輔佐《ほさ》し、|九山八海《はちす》の|山《やま》は|地球《ちきう》の|火熱《くわねつ》を|地球《ちきう》の|表面《へうめん》に|噴出《ふんしゆつ》して、|地中《ちちう》|寒暑《かんしよ》の|調節《てうせつ》を|保《たも》ち|水火《すいくわ》|交々《こもごも》|相和《あひわ》して、|大地《だいち》|全体《ぜんたい》の|呼吸《こきふ》を|永遠《ゑいゑん》に|営《いとな》み|居《ゐ》たまふなり。|九山八海《はちす》の|山《やま》と|云《い》ふは|蓮華台上《れんげだいじやう》の|意味《いみ》にして、|九山八海《つくし》の|アオウエイ《たちばな》と|云《い》ふは、|高《たか》く|九天《きうてん》に|突出《とつしゆつ》せる|山《やま》の|意味《いみ》なり。|而《しかし》て|富士《ふじ》の|山《やま》と|云《い》ふは、|火《ひ》を|噴《ふ》く|山《やま》と|云《い》ふ|意義《いぎ》なり、フジの|霊反《たまがへ》しはヒなればなり。
|茲《ここ》に|当山《たうざん》の|神霊《しんれい》たりし|木花姫《このはなひめ》は、|神《しん》、|顕《けん》、|幽《いう》の|三界《さんかい》に|出没《しゆつぼつ》して、|三十三相《さんじふさんさう》に|身《み》を|現《げん》じ、|貴賤《きせん》|貧富《ひんぷ》、|老幼《らうえう》|男女《だんぢよ》、|禽獣虫魚《きんじうちうぎよ》とも|変化《へんくわ》し、|三界《さんかい》の|衆生《しゆじやう》を|救済《きうさい》し、|天国《てんごく》を|地上《ちじやう》に|建設《けんせつ》するため、|天地人《てんちじん》、|和合《わがふ》の|神《かみ》と|現《あら》はれたまひ、|智仁勇《ちじんゆう》の|三徳《さんとく》を|兼備《けんび》し、|国祖《こくそ》|国治立命《くにはるたちのみこと》の|再出現《さいしゆつげん》を|待《ま》たせ|玉《たま》ひける。|木花姫《このはなひめ》は|顕《けん》、|幽《いう》、|神《しん》における|三千世界《さんぜんせかい》を|守護《しゆご》し|玉《たま》ひしその|神徳《しんとく》の、|一時《いちじ》に|顕彰《けんしやう》したまふ|時節《じせつ》|到来《たうらい》したるなり。これを|神諭《しんゆ》には、
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》』
と|示《しめ》されあり。|木花《このはな》とは|梅《うめ》の|花《はな》の|意《い》なり。|梅《うめ》の|花《はな》は|花《はな》の|兄《あに》と|云《い》ひ、|兄《あに》を【このかみ】と|云《い》ふ。|現代人《げんだいじん》は|木《こ》の|花《はな》と|云《い》へば、|桜《さくら》の|花《はな》と|思《おも》ひゐるなり。|節分《せつぶん》の|夜《よ》を|期《き》して|隠《かく》れたまひし、|国祖《こくそ》|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》|以下《いか》の|神人《かみがみ》は、|再《ふたた》び|時節《じせつ》|到来《たうらい》し、|煎豆《いりまめ》の|花《はな》の|咲《さ》くてふ|節分《せつぶん》の|夜《よ》に、|地獄《ぢごく》の|釜《かま》の|蓋《ふた》を|開《あ》けて、|再《ふたた》び|茲《ここ》に|神国《しんこく》の|長閑《のどか》な|御世《みよ》を|建《た》てさせ|玉《たま》ふ。|故《ゆゑ》に|梅《うめ》の|花《はな》は|節分《せつぶん》をもつて|花《はな》の|唇《くちびる》を|開《ひら》くなり。|桜《さくら》の|花《はな》は|一月《ひとつき》|後《おく》れに|弥生《やよひ》の|空《そら》にはじめて|花《はな》の|唇《くちびる》を|開《ひら》くを|見《み》ても、|木《き》の|花《はな》とは|桜《さくら》の|花《はな》に|非《あら》ざる|事《こと》を|窺《うかが》ひ|知《し》らるるなり。
|智仁勇《ちじんゆう》の|三徳《さんとく》を|兼備《けんび》して、|顕幽神《けんいうしん》の|三界《さんかい》を|守《まも》らせたまふ|木花姫《このはなひめ》の|事《こと》を、|仏者《ぶつしや》は|称《しよう》して|観世音菩薩《くわんぜおんぼさつ》といひ、|最勝妙如来《さいしようめうによらい》ともいひ、|観自在天《くわんじざいてん》ともいふ。また|観世音《くわんぜおん》|菩薩《ぼさつ》を、|西国《さいごく》|三十三《さんじふさん》|箇所《かしよ》に|配《はい》し|祭《まつ》りたるも、|三十三相《さんじふさんさう》に|顕現《けんげん》したまふ|神徳《しんとく》の|惟神的《かむながらてき》に|表示《へうじ》されしものにして、|決《けつ》して|偶然《ぐうぜん》にあらず。|霊山《れいざん》|高熊山《たかくまやま》の|所在地《しよざいち》たる|穴太《あなを》の|里《さと》に、|聖観世音《せいくわんぜおん》を|祭《まつ》られたるも、|神界《しんかい》に|於《おけ》る|何彼《なにか》の|深《ふか》き|因縁《いんねん》なるべし。|瑞月《ずゐげつ》は|幼少《えうせう》の|時《とき》より、この|観世音《くわんぜおん》を|信《しん》じ、かつ|産土《うぶすな》の|小幡神社《をばたじんじや》を|無意識的《むいしきてき》に|信仰《しんかう》したるも、|何彼《なにか》の|神《かみ》の|御引《おひ》き|合《あ》はせであつたことと|思《おも》ふ。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
|附記《ふき》
|三十三魂《みづのみたま》は|瑞霊《ずゐれい》の|意《い》なり。また|天地人《てんちじん》、|智仁勇《ちじんゆう》、|霊力体《れいりよくたい》、|顕神幽《けんしんいう》とも|云《い》ひ、|西王母《せいわうぼ》が|三千年《さんぜんねん》の|園《その》の|桃《もも》の|開《ひら》き|初《はじ》めたるも|三月三日《さんぐわつみつか》であり、|三十三《さんじふさん》は|女《をんな》の|中《なか》の|女《をんな》といふ|意味《いみ》ともなるを|知《し》るべし。
(大正一一・一・二〇 旧大正一〇・一二・二三 加藤明子録)
第五篇 |一霊四魂《いちれいしこん》
第二五章 |金勝要大神《きんかつかねのおほかみ》〔二七五〕
|天津御神《あまつみかみ》の|造《つく》らしし  |豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》
|泥《どろ》の|世界《せかい》と|鳴戸灘《なるとなだ》  |天《あま》の|瓊矛《ぬほこ》の|一滴《ひとしづく》
|言霊姫《ことたまひめ》の|鳴《な》り|鳴《な》りて  |鳴《な》りも|合《あは》ざる|海原《うなばら》の
|穢《けが》れもここに|真澄姫《ますみひめ》  |竜世《たつよ》の|浪《なみ》も|収《をさ》まりて
|天地《あめつち》|四方《よも》の|神人《かみびと》は  |心《こころ》|平《たひら》に|安《やす》らかに
この|浮島《うきしま》に|純世姫《すみよひめ》  |御稜威《みいづ》も|高《たか》き|高照姫《たかてるひめ》の
|神《かみ》の|命《みこと》と|諸共《もろとも》に  |神界《かみよ》、|現界《うつしよ》|事完《ことを》へて
|根底《ねそこ》の|国《くに》を|治《をさ》めむと  |地教《ちけう》の|山《やま》を|出《い》でたまひ
|野立《のだち》の|姫《ひめ》の|後《あと》を|追《お》ひ  |救《すく》ひの|神《かみ》と|鳴戸灘《なるとなだ》
|同《おな》じ|心《こころ》の|姫神《ひめがみ》は  |根底《ねそこ》の|国《くに》へ|五柱《いつはしら》
|千尋《ちひろ》の|深《ふか》き|海《うみ》よりも  |業《めぐり》の|深《ふか》き|罪咎《つみとが》を
|清《きよ》むるための|塩《しほ》をふみ  |浪路《なみぢ》を|開《ひら》きて|出《い》でましぬ
|無限無量《むげんむりやう》の|御恵《みめぐ》みは  |現界《うつつ》、|幽界《かくりよ》、|神《かみ》の|世《よ》の
|救《すく》ひの|神《かみ》の|御柱《みはしら》ぞ。
|茲《ここ》に|五柱《いつはしら》の|女神《めがみ》は、|地球《ちきう》の|中軸《ちうぢく》なる|火球《くわきう》の|世界《せかい》に|到《いた》り|給《たま》ひ、|野立彦神《のだちひこのかみ》、|野立姫神《のだちひめのかみ》の|命《めい》を|奉《ほう》じ、|洽《あまね》く|地中《ちちう》の|地汐《ちげき》、|地星《ちせい》の|世界《せかい》を|遍歴《へんれき》し、|再《ふたた》び|天教山《てんけうざん》に|登《のぼ》り|来《きた》つて、|大海原《おほうなばら》の|守《まも》り|神《がみ》とならせ|給《たま》ひける。
ここに|天《あめ》の|御柱《みはしら》の|神《かみ》、|国《くに》の|御柱《みはしら》の|神《かみ》は、|伊予《いよ》の|二名《ふたな》の|島《しま》を|生《う》み、|真澄姫神《ますみひめのかみ》をして、これが|国魂《くにたま》の|神《かみ》たらしめたまふ。|之《これ》を|愛媛《えひめ》といふ。|一名《いちめい》|竜宮島《りうぐうじま》ともいひ、|現今《げんこん》の|濠洲《がうしう》|大陸《たいりく》なり。|而《しかし》て|我《わ》が|四国《しこく》は、その|胞衣《えな》にぞありける。
つぎに|純世姫神《すみよひめのかみ》をして、|筑紫《つくし》の|守《まも》り|神《がみ》となさしめ|給《たま》ひぬ。これを|多計依姫《たけよりひめ》といふ。|筑紫《つくし》の|島《しま》とは|現代《げんだい》の|亜弗利加《あふりか》|大陸《たいりく》なり。わが|九州《きうしう》はこの|大陸《たいりく》の|胞衣《えな》にぞありける。
つぎに|言霊姫神《ことたまひめのかみ》をして、|蝦夷《えぞ》の|島《しま》の|守《まも》り|神《がみ》たらしめ|給《たま》ひぬ。これ|現代《げんだい》の|北米《ほくべい》なり。|而《しかし》て|我《わ》が|北海道《ほつかいだう》は、その|大陸《たいりく》の|胞衣《えな》にぞありける。
つぎに|竜世姫神《たつよひめのかみ》をして、|高砂《たかさご》の|島《しま》を|守《まも》らしめ|給《たま》ひぬ。ゆゑに|又《また》の|名《な》を|高砂姫神《たかさごひめのかみ》といふ。|高砂《たかさご》の|島《しま》は|南米《なんべい》|大陸《たいりく》にして、|台湾島《たいわんたう》はその|胞衣《えな》にぞありける。
つぎに|高照姫神《たかてるひめのかみ》をして、|葦原《あしはら》の|瑞穂国《みづほのくに》を|守《まも》らしめ|給《たま》ひぬ。これ|欧亜《おうあ》の|大陸《たいりく》にして、|大和《やまと》の|国《くに》は、その|胞衣《えな》にぞありける。
かくして|五柱《いつはしら》の|女神《めがみ》は、その|地《ち》の|国魂《くにたま》として|永遠《ゑいゑん》に|国土《こくど》を|守護《しゆご》さるる|事《こと》となれり。|但《ただ》しこれは|霊界《れいかい》における|御守護《ごしゆご》にして、|現界《げんかい》の|守護《しゆご》ならざる|事《こと》は|勿論《もちろん》なり。|是《これ》らの|女神《めがみ》は、おのおのその|国《くに》の|神人《しんじん》の|霊魂《れいこん》を|主宰《しゆさい》し、|或《あるひ》は|天国《てんごく》へ、|或《あるひ》は|地上《ちじやう》へ、|或《あるひ》は|幽界《いうかい》に|到《いた》るべき|身魂《みたま》の|救済《きうさい》を|各自《かくじ》|分掌《ぶんしやう》し|給《たま》ふ|事《こと》となりける。|故《ゆゑ》にその|国々《くにぐに》|島々《しまじま》の|身魂《みたま》は、|総《すべ》てこの|五柱《いつはしら》の|指揮《しき》に|従《したが》ひ、|現《げん》、|幽《いう》、|神《しん》の|三界《さんかい》に|出現《しゆつげん》するものなり。
|併《しか》し|此《こ》の|五柱《いつはしら》の|神《かみ》の|一旦《いつたん》|幽界《いうかい》に|入《い》りて、|再《ふたた》び|天教山《てんけうざん》に|現《あら》はれ、|国魂神《くにたまがみ》とならせ|給《たま》ふ|迄《まで》の|時日《じじつ》は、|数万年《すうまんねん》の|長年月《ちやうねんげつ》を|要《えう》したまひける。その|五柱《いつはしら》を|総称《そうしよう》して、|金勝要神《きんかつかねのかみ》といふ。
|天《てん》は|男系《だんけい》、|地《ち》は|女系《ぢよけい》と|云《い》ふは、|霊界《れいかい》のこの|消息《せうそく》を|洩《も》らせしものなり。|神諭《しんゆ》に、
『|大地《だいち》の|金神《こんじん》、|金勝要神《きんかつかねのかみ》』
とあるは、これの|表示《へうじ》なり。また、
『この|大神《おほかみ》は、|雪隠《せついん》の|中《なか》に|落《おと》された|神《かみ》』
とあるは、|総《すべ》ての|地上《ちじやう》の|罪悪《ざいあく》を|持《も》ち|佐須良比《さすらひ》|失《うしな》ふ|所《ところ》の|鳴戸《なると》の|意味《いみ》なり。
|天教山《てんけうざん》は|口《くち》に|当《あた》り、|鳴戸《なると》は|地球《ちきう》の|肛門《こうもん》に|当《あた》るが|故《ゆゑ》なり。|神《かみ》の|出口《でぐち》、|入口《いりぐち》といふは、この|富士《ふじ》と|鳴戸《なると》の|御経綸《ごけいりん》の|意《い》なり。|大地《だいち》の|金神《こんじん》を|金勝要神《きんかつかねのかみ》と|称《しよう》するは、|大地《だいち》の|金気《きんき》の|大徳《だいとく》によりて|固成《こせい》され、この|神《かみ》の|身魂《みたま》に|依《よ》りて|凝縮《ぎようしゆく》|保維《ほゐ》されてゐるが|故《ゆゑ》なり。
(大正一一・一・二一 旧大正一〇・一二・二四 外山豊二録)
(第二三章〜第二五章 昭和一〇・二・一二 於新宮市油屋旅館 王仁校正)
第二六章 |体五霊五《たいごれいご》〔二七六〕
|天帝《てんてい》|大六合治立命《おほくにはるたちのみこと》は|一霊四魂《いちれいしこん》|三元八力《さんげんはちりき》を|以《もつ》て|万物《ばんぶつ》を|造《つく》り、|自《みづか》ら|直接《ちよくせつ》に|之《これ》を|保護《ほご》し|給《たま》ふことなく、|各自《かくじ》にその|守《まも》り|神《がみ》を|定《さだ》めて、|之《これ》を|管掌《くわんしやう》せしめ|給《たま》ふは、この|物語《ものがたり》に|依《よ》りて|考《かんが》ふるも|最早《もはや》|明《あきら》かに|判明《はんめい》する|事《こと》と|思《おも》ふ。
|大神《おほかみ》は|太陽《たいやう》を|造《つく》つて、これに|霊魂《れいこん》、|霊力《れいりよく》、|霊体《れいたい》を|賦与《ふよ》し|給《たま》ひ、|大地《だいち》を|造《つく》りて|又《また》これに|霊魂《れいこん》、|霊力《れいりよく》、|霊体《れいたい》を|賦与《ふよ》し、|太陰《たいいん》を|造《つく》り、|列星《れつせい》を|造《つく》りその|他《た》|万物《ばんぶつ》|各自《かくじ》に|霊魂《れいこん》、|霊力《れいりよく》、|霊体《れいたい》を|賦与《ふよ》し|給《たま》ひしなり。|今《いま》は|唯《ただ》|其《そ》の|一霊《いちれい》|四魂《しこん》について、|大略《たいりやく》を|述《の》べむとするなり。
|大宇宙《だいうちう》には、|一霊《いちれい》|四魂《しこん》が|原動力《げんどうりよく》となりて、|活機《くわつき》|凛々乎《りんりんこ》として|活動《くわつどう》しつつあり。|先《ま》づ|小宇宙《せううちう》の|一霊《いちれい》|四魂《しこん》に|就《つい》て|述《の》ぶるならば、|大空《たいくう》の|中心《ちうしん》に|懸《かか》れる|太陽《たいやう》は|直霊《ちよくれい》にして、これを|一霊《いちれい》ともいひ、|大直日神《おほなほひのかみ》ともいふなり。
|而《しか》して|太陽《たいやう》には、|荒魂《あらみたま》、|和魂《にぎみたま》、|幸魂《さちみたま》、|奇魂《くしみたま》の|四魂《しこん》が|完全《くわんぜん》に|備《そな》はり、その|四魂《しこん》はまた|一々《いちいち》|直霊《ちよくれい》を|具有《ぐいう》し、また|分《わか》れ、また|四魂《しこん》を|為《な》して|居《ゐ》る。さうして|是《これ》らの|直霊《ちよくれい》を|神直日神《かむなほひのかみ》といふ。その|四魂《しこん》また|分派《ぶんぱ》して|四魂《しこん》をなし、|各々《おのおの》|直霊《ちよくれい》を|備《そな》ふ。|大空《たいくう》の|諸星《しよせい》は、|皆《みな》|一霊《いちれい》|四魂《しこん》を|各自《かくじ》に|具有《ぐいう》し|居《を》るものなり。
|而《しか》して|太陽《たいやう》の|一霊《いちれい》|四魂《しこん》を|厳《いづ》の|身魂《みたま》と|総称《そうしよう》し、かつ|霊主体従《れいしゆたいじゆう》の|身魂《みたま》ともいふなり。|故《ゆゑ》に|大空《たいくう》は|霊《れい》を|主《しゆ》とし、|体《たい》を|従《じゆう》とす。|大空中《たいくうちう》に|懸《かか》れる|太陽《たいやう》、|太陰《たいいん》および|列星《れつせい》は、|皆《みな》|幽体《いうたい》を|以《もつ》て|形成《かたちづく》られあるなり。ゆゑに|太陽《たいやう》、|列星《れつせい》の|中《なか》に|鉱物《くわうぶつ》ありと|雖《いへど》も、|大地《だいち》のごとく|堅《かた》からず、|重《おも》からず、その|重量《ぢうりやう》に|非常《ひじやう》の|差《さ》あるを|知《し》るべし。
|大空中《たいくうちう》における|一霊《いちれい》|四魂《しこん》の|分布《ぶんぷ》|状態《じやうたい》を、|仮《かり》に|図《づ》を|以《もつ》て|示《しめ》せば|左図《さづ》の|如《ごと》し。
|大地《だいち》は|体《たい》を|主《しゆ》とし、|霊《れい》を|従《じゆう》として|形成《かたちづく》られあり。|故《ゆゑ》に|木火土金水《もくくわどごんすゐ》が|凝結《ぎようけつ》して|生成化育《せいせいくわいく》を|営《いとな》みつつあるなり。|太陽《たいやう》の|霊魂《れいこん》を|厳《いづ》の|身魂《みたま》と|称《しよう》するに|対《たい》し、|地《ち》の|霊《れい》を|瑞《みづ》の|身魂《みたま》といひ、|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|身魂《みたま》といふ。また|大地球《だいちきう》の|直霊《ちよくれい》を|大曲津日《おほまがつひ》の|神《かみ》といひ、|荒魂《あらみたま》、|和魂《にぎみたま》、|幸魂《さちみたま》、|奇魂《くしみたま》の|四魂《しこん》を|備《そな》へ、その|四魂《しこん》は|太陽《たいやう》のごとく|分離《ぶんり》してまた|直霊《ちよくれい》を|備《そな》ふ。その|直霊《ちよくれい》を|八十曲津日《やそまがつひ》の|神《かみ》といふ。この|四魂《しこん》はまた|更《さら》に|分《わか》れ、|際限《さいげん》|無《な》く|大地《だいち》|一面《いちめん》に|一霊《いちれい》|四魂《しこん》を|分布《ぶんぷ》されつつあるなり。
|天地開闢《てんちかいびやく》の|初《はじ》めに|当《あた》り、|清《きよ》く、|軽《かる》き|物《もの》は|天《てん》となり、|重《おも》く、|濁《にご》れるものは|地《ち》となりぬ。|故《ゆゑ》に|地上《ちじやう》は|幾万億年《いくまんおくねん》を|経《ふ》ると|雖《いへど》も、|天空《てんくう》のごとく|清明無垢《せいめいむく》なることは、|到底《たうてい》できざるは|自然《しぜん》の|道理《だうり》なり。|故《ゆゑ》に、|地上《ちじやう》に|棲息《せいそく》する|限《かぎ》りは、|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|身魂《みたま》に|制御《せいぎよ》さるるものなり。ここに|於《お》いてか|体主霊従《たいしゆれいじゆう》を|調和《てうわ》し、|霊体《れいたい》|一致《いつち》の|美《うる》はしき|身魂《みたま》を|造《つく》らざるべからざるなり。|体主霊従《たいしゆれいじゆう》とは、|体六霊四《たいろくれいし》の|意《い》に|非《あら》ず、|霊主体従《れいしゆたいじゆう》とは|霊六体四《れいろくたいし》の|意《い》に|非《あら》ず、|体主霊従《たいしゆれいじゆう》なるものは|体五霊五《たいごれいご》の|意味《いみ》なり。
|然《しか》るに|動《やや》もすれば、|地上《ちじやう》の|人類《じんるゐ》は|体六《たいろく》|或《あるひ》は|体七《たいしち》、|体八《たいはち》となり、|霊四《れいし》、|霊三《れいさん》、|霊二《れいに》、|霊一《れいいち》となり|易《やす》きものなり。|故《ゆゑ》に|体主霊従《たいしゆれいじゆう》と|雖《いへど》も、|体五霊五《たいごれいご》は、|即《すなは》ち|天《てん》の|命《めい》ずる|所《ところ》にして、これに|体《たい》|超過《てうくわ》すれば、いはゆる|罪《つみ》となるなり。|体五霊五《たいごれいご》の|天則《てんそく》を|破《やぶ》りたる|吾人《ごじん》の|身魂《みたま》を、|大曲津神《おほまがつかみ》と|云《い》ひ、また|吾人《ごじん》をして|外面《ぐわいめん》より|悪《あく》に|導《みちび》く|身魂《みたま》を|八十曲津神《やそまがつかみ》といふなり。
ゆゑに|大曲津日《おほまがつひ》の|神《かみ》、|八十曲津日《やそまがつひ》の|神《かみ》は、|曲津《まがつ》の|名《な》ありと|雖《いへど》も、|決《けつ》して|悪神《わるがみ》に|非《あら》ず、|悪《あく》を|制御《せいぎよ》する|一種《いつしゆ》の|直日神《なほひのかみ》である。|曲津日《まがつひ》と|曲津《まがつ》といふ|神《かみ》の|区別《くべつ》を|混同《こんどう》せざる|様《やう》|注意《ちうい》すべし。
|大地《だいち》の|一霊《いちれい》|四魂《しこん》の|分布《ぶんぷ》は、|即《すなは》ち|前記《ぜんき》|太陽《たいやう》の|図《づ》に|準《じゆん》じて|知《し》るべきなり。|而《しかし》て|厳《いづ》の|身魂《みたま》は、|荒魂《あらみたま》、|和魂《にぎみたま》|最《もつと》も|重《おも》きを|占《し》め、|瑞《みづ》の|身魂《みたま》は、|奇魂《くしみたま》、|幸魂《さちみたま》|最《もつと》も|重《おも》きを|占《し》め|居《を》るなり。
つぎに|伊都能売《いづのめ》の|身魂《みたま》に|就《つい》て|略述《りやくじゆつ》すれば、この|身魂《みたま》は、|一《いち》に|月《つき》の|霊魂《れいこん》ともいひ、|五六七《みろく》の|身魂《みたま》と|称《しよう》せらる。|五六七《みろく》の|身魂《みたま》は、|厳《いづ》の|身魂《みたま》に|偏《へん》せず、|瑞《みづ》の|身魂《みたま》にも|偏《へん》せず、|厳《いづ》、|瑞《みづ》の|身魂《みたま》を|相《あひ》|調和《てうわ》したる|完全無欠《くわんぜんむけつ》のものなり。
|而《しか》して|伊都能売《いづのめ》の|身魂《みたま》は、|最《もつと》も|反省力《はんせいりよく》の|強《つよ》き|活動《くわつどう》を|備《そな》へて、|太陽《たいやう》のごとく|常《つね》に|同《おな》じ|円形《ゑんけい》を|保《たも》つことなく、|地球《ちきう》のごとく|常《つね》に|同形《どうけい》を|保《たも》ちて|同所《どうしよ》に|固着《こちやく》すること|無《な》く、|日夜《にちや》|天地《てんち》の|間《あひだ》を|公行《こうかう》して、|明《めい》となり、|暗《あん》となり|或《あるひ》は|上弦《じやうげん》の|月《つき》となり、また|下弦《かげん》の|月《つき》となり、|半円《はんゑん》となり、|満月《まんげつ》となり、|時々刻々《じじこくこく》に|省《かへり》みるの|実証《じつしよう》を|示《しめ》しゐるなり。
|斯《か》くのごとく|吾人《ごじん》の|身魂《みたま》の|活用《くわつよう》し|得《う》るを、|伊都能売《いづのめ》の|身魂《みたま》といふ。|伊都能売《いづのめ》の|身魂《みたま》の|活動《くわつどう》は、|時《とき》として|瑞《みづ》の|身魂《みたま》と|同一視《どういつし》され、|或《あるひ》は|変性女子《へんじやうによし》の|身魂《みたま》と|誤解《ごかい》さるる|事《こと》あり。
|伊都能売《いづのめ》の|身魂《みたま》は、|変性男子《へんじやうなんし》の|身魂《みたま》にも|非《あら》ず、また|変性女子《へんじやうによし》の|身魂《みたま》にもあらず。|完全無欠《くわんぜんむけつ》にして|明暗《めいあん》、|遠近《ゑんきん》、|大小《だいせう》、|賢愚《けんぐ》、|肖不肖《せうふせう》、|善悪《ぜんあく》|等《とう》の|自由自在《じいうじざい》の|活動《くわつどう》をなし|得《う》る|至粋《しすゐ》|至純《しじゆん》の|神霊《しんれい》の|活用《くわつよう》なり。
かくのごとく|自由自在《じいうじざい》の|神人《しんじん》たることを|得《え》ば、|初《はじ》めて、|五六七《みろく》の|活動《くわつどう》をなし|得《う》べきなり。|月《つき》にもまた|一霊《いちれい》|四魂《しこん》あり、その|四魂《しこん》の|各々《おのおの》にもまた|一霊《いちれい》|四魂《しこん》の|備《そな》はれることは、|太陽《たいやう》|地球《ちきう》と|同一《どういつ》なり。|而《しかし》てこの|月球《げつきう》を|保持《ほぢ》するは、|前巻《ぜんくわん》に|述《の》べたるごとく、|北斗星《ほくとせい》、|北極星《ほくきよくせい》、オレオン|星《せい》および|三角星《さんかくせい》の|四大《しだい》|星体《せいたい》である。この|四大《しだい》|星体《せいたい》は、|月球《げつきう》の|直接《ちよくせつ》|保護《ほご》に|任《にん》じ、|瑞《みづ》の|身魂《みたま》の|活用《くわつよう》を|主《しゆ》としつつ|大空《たいくう》、|大地《だいち》の|中間《ちうかん》を|調理《てうり》|按配《あんばい》する|重要《ぢうえう》なる|職務《しよくむ》を|有《いう》するものなり。
(|附言《ふげん》)
|霊五体五《れいごたいご》(|霊主体従《れいしゆたいじゆう》)を【ひのもと】の|身魂《みたま》といひ、|体五霊五《たいごれいご》(|体主霊従《たいしゆれいじゆう》)を|又《また》【ひのもと】の|身魂《みたま》といふ。|併《しか》し|行動上《かうどうじやう》の|体主霊従《たいしゆれいじゆう》は、|之《これ》を|悪《あく》の|身魂《みたま》または|智慧《ちゑ》の|身魂《みたま》といふなり。また|霊主体従《れいしゆたいじゆう》とは|霊五体五《れいごたいご》の|意味《いみ》で、|体主霊従《たいしゆれいじゆう》とは|体五霊五《たいごれいご》の|意味《いみ》なりといふ|説明《せつめい》は、|組織的《そしきてき》の|説明《せつめい》にして、|行動上《かうどうじやう》の|説明《せつめい》にあらず。|読者《どくしや》よくよく|注意《ちうい》すべし。
(大正一一・一・二一 旧大正一〇・一二・二四 外山豊二録)
(第二六章 昭和一〇・二・一三 於勝浦支部 王仁校正)
第二七章 |神生《かみう》み〔二七七〕
|天《あめ》の|御柱《みはしら》|大御神《おほみかみ》  |国《くに》の|御柱《みはしら》|大神《おほかみ》は
|陽《を》と|陰《め》の|水火《いき》を|合《あは》せつつ  |淡路嶋《あはぢしま》なる|大倭《おほやまと》
|豊《とよ》の|秋津《あきつ》の|嶋《しま》を|生《う》み  |伊予《いよ》の|二名《ふたな》や|筑紫嶋《つくしじま》
|次《つぎ》には|隠岐《をき》と|佐渡《さど》の|嶋《しま》  |越《こし》の|洲《しま》まで|生《う》みたまひ
|次《つぎ》に|大嶋《おほしま》|吉備《きび》|児嶋《こじま》  |対嶋《つしま》|壱岐嶋《いきじま》|百八十《ももやそ》の
|国々《くにぐに》|嶋々《しまじま》|生《う》みたまふ  |名《な》づけて|稜威《みいづ》の|大八洲《おほやしま》
|神《かみ》の|御国《みくに》と|称《たた》ふなり。
|大八洲《おほやしま》の|国《くに》とは、|地球《ちきう》|全体《ぜんたい》の|海陸《かいりく》の|総称《そうしよう》なり。
|爰《ここ》に|伊邪那岐命《いざなぎのみこと》は|弥《いよいよ》|修理固成《しうりこせい》の|神業《しんげふ》を、|着々《ちやくちやく》と|緒《しよ》に|就《つ》かせられける。
|長白山《ちやうはくざん》には、|磐長彦《いはながひこ》を|国魂《くにたま》として|之《これ》に|任《にん》じ、|玉世姫《たまよひめ》|之《これ》を|輔佐《ほさ》し、
|万寿山《まんじゆざん》は、|瑞穂別《みづほわけ》|国魂《くにたま》に|任《にん》ぜられ、|瑞穂姫《みづほひめ》これを|輔佐《ほさ》し、
|青雲山《せいうんざん》には、|吾妻彦《あづまひこ》|国魂《くにたま》に|任《にん》ぜられ、|吾妻姫《あづまひめ》|之《これ》を|輔佐《ほさ》し、
|地教山《ちけうざん》は、ヒマラヤ|彦《ひこ》|国魂《くにたま》となり、ヒマラヤ|姫《ひめ》|之《これ》を|輔佐《ほさ》し、
|天山《てんざん》は、|谷山彦《たにやまひこ》|国魂《くにたま》に|任《にん》ぜられ、|谷山姫《たにやまひめ》|之《これ》を|輔佐《ほさ》し、
|崑崙山《こんろんざん》は、|岩玉彦《いはたまひこ》|国魂《くにたま》に|任《にん》ぜられ、|岩玉姫《いはたまひめ》|之《これ》を|輔佐《ほさ》し、[#「岩玉彦」「岩玉姫」は御校正本通り]
タコマ|山《やま》は、|東別《あづまわけ》|国魂《くにたま》に|任《にん》ぜられ、|東姫《あづまひめ》|之《これ》を|輔佐《ほさ》し、[#「東別」「東姫」は御校正本通り]
ロッキー|山《ざん》は、|国魂別《くにたまわけ》|国魂《くにたま》に|任《にん》ぜられ、|国魂姫《くにたまひめ》|之《これ》を|輔佐《ほさ》し、[#「国魂別」「国魂姫」は御校正本通り]
|羅馬《ローマ》は、|元照別《もとてるわけ》|国魂《くにたま》に|任《にん》ぜられ、|元照姫《もとてるひめ》|之《これ》を|輔佐《ほさ》し、
モスコーは、|夕日別《ゆふひわけ》|国魂《くにたま》に|任《にん》ぜられ、|夕照姫《ゆふてるひめ》|之《これ》を|輔佐《ほさ》し、
|新高山《にひたかやま》は、|花守彦《はなもりひこ》|国魂《くにたま》に|任《にん》ぜられ、|花守姫《はなもりひめ》|之《これ》を|輔佐《ほさ》し、[#「花守彦」「花守姫」は御校正本通り]
|常世《とこよ》の|都《みやこ》は、|貴治彦《たかはるひこ》|国魂《くにたま》に|任《にん》ぜられ、|貴治姫《たかはるひめ》|之《これ》を|輔佐《ほさ》することとなりにける。
つぎに|霊鷲山《りやうしうざん》は、|神教《しんけう》を|宣布《せんぷ》する|神界《しんかい》の|根本《こんぽん》|霊地《れいち》として、|白雲別《しらくもわけ》、|圓山姫《まるやまひめ》、|久方彦《ひさかたひこ》、|三葉彦《みつばひこ》を|永遠《ゑいゑん》に|守神《まもりがみ》として|任命《にんめい》されたりける。
|次《つぎ》に|黄金山《わうごんざん》には|東雲別《しののめわけ》、|東雲姫《しののめひめ》、|青雲別《あをくもわけ》、|青雲姫《あをくもひめ》、|機照彦《はたてるひこ》、|機照姫《はたてるひめ》を|神教《しんけう》|護持《ごぢ》の|為《ため》に、|永遠《ゑいゑん》に|任命《にんめい》し|給《たま》ひける。
(大正一一・一・二一 旧大正一〇・一二・二四 井上留五郎録)
第二八章 |身変定《ミカエル》〔二七八〕
ここに|二柱《ふたはしら》の|大神《おほかみ》は|陰陽《いんやう》|水火《すいくわ》の|呼吸《いき》を|合《がつ》して、|七十五声《しちじふごせい》を|鳴《な》り|出《だ》し|給《たま》ひ、スの|言霊《ことたま》を|以《もつ》て|之《これ》を|統一《とういつ》し|給《たま》ふ|事《こと》となりぬ。
|而《そう》してこの|七十五声《しちじふごせい》の|父音《ふおん》を、|立花《たちばな》の|小戸《をど》と|云《い》ふ。|祝詞《のりと》に、
『|筑紫《つくし》の|日向《ひむか》の|橘《たちばな》の|小戸《をど》の|阿波岐原《あはぎはら》に|御禊《みそ》ぎ|祓《はら》ひ|給《たま》ふ|時《とき》に|生坐《なりませ》る』
とあるは、このアオウエイの|五大父音《ごだいふおん》より、|以下《いか》の|七十声《しちじつせい》を|生《う》み|出《だ》し、|新陳代謝《しんちんたいしや》の|機能《きのう》たる|祓戸《はらひど》|四柱《よはしら》の|神《かみ》を|生《う》み|成《な》し|給《たま》ひて、|宇宙《うちう》の|修祓神《しうばつしん》と|為《な》し|給《たま》ひたなり。
|而《そ》してこの|五大父音《ごだいふおん》を|地名《ちめい》に|充《あ》つれば、
『ア』は|天《てん》にして『アジヤ』の|言霊《ことたま》となり
『オ』は|地《ち》にして『オーストラリヤ』の|言霊《ことたま》となり
『ウ』は|結《むす》びにして『アフリカ』の|言霊《ことたま》となり
『エ』は|水《みづ》にして『エウロツパ』の|言霊《ことたま》となり
『イ』は|火《ひ》にして『アメリカ』の|言霊《ことたま》となる。
|而《そ》して『アジヤ』は『ア』と|返《かへ》り、『オーストラリヤ』はまた『ア』に|返《かへ》り、『アフリカ』また『ア』に|返《かへ》り、『エウロツパ』|又《また》『ア』に|返《かへ》り、『アメリカ』|又《また》『ア』の|父音《ふおん》に|返《かへ》る。
その|他《た》の|七十声《しちじつせい》は|何《いづ》れも『アオウエイ』の|五大父音《ごだいふおん》に|返《かへ》り|来《きた》るなり。
この|理《り》に|依《よ》りて|考《かんが》ふるも、『アオウエイ』の|大根源《だいこんげん》たる『アジヤ』に|総《すべ》てのものは|統一《とういつ》さる|可《べ》きは、|言霊学上《ことたまがくじやう》|自然《しぜん》の|結果《けつくわ》なり。|而《そう》して『ア』は|君《きみ》の|位置《ゐち》にあるなり。
|而《しかし》て『ア』と『ウ』との|大根源《だいこんげん》は、『ス』より|始《はじ》まるなり。『ス』|声《ごゑ》の|凝結《ぎようけつ》したる|至粋《しすゐ》|至純《しじゆん》の|神国《しんこく》は、|即《すなは》ち|皇御国《すめらみくに》なり。
|二神《にしん》は|先《ま》づ|天地《てんち》を|修理固成《しうりこせい》する|為《ため》に、『アオウエイ』の|五大父音《ごだいふおん》|立花《たちばな》の|小戸《をど》の|言霊《ことたま》に|依《よ》りて、|一切《いつさい》の|万物《ばんぶつ》を|生《う》み|成《な》し|給《たま》ひ、|而《しかし》て『ス』の|言霊《ことたま》の|凝結《ぎようけつ》せる|神国《しんこく》の|水火《いき》は|最《もつと》も|円満清朗《ゑんまんせいろう》にして、|大神《おほかみ》|其《その》ままの|正音《せいおん》を|使用《しよう》する|事《こと》を|得《う》るなり。
その|他《た》の|国々《くにぐに》の|言霊《ことたま》のやや|不完全《ふくわんぜん》なるは、|凡《すべ》て『ア』とか『オ』とか『ウ』|又《また》は『エ』『イ』|等《とう》の|大父音《だいふおん》に|左右《さいう》せらるるが|故《ゆゑ》なり。
|神《かみ》の|神力《しんりき》を|発揮《はつき》し|給《たま》ふや、|言霊《ことたま》の|武器《ぶき》を|以《もつ》て|第一《だいいち》となし|玉《たま》ふ。|古書《こしよ》に『ミカエル|一度《ひとたび》|起《た》つて|天地《てんち》に|号令《がうれい》すれば、|一切《いつさい》の|万物《ばんぶつ》|之《これ》に|従《したが》ふ』といふ|意味《いみ》の|記《しる》されあるも、『ミカエル』の|言霊《ことたま》の|威力《ゐりよく》を|示《しめ》したるものなり。|而《しかし》てこの『ミカエル』の|言霊《ことたま》を、|最《もつと》も|完全《くわんぜん》に|使用《しよう》し|得《う》る|神人《しんじん》は『ス』の|言霊《ことたま》の|凝《こ》れる|皇御国《すめらみくに》より|出現《しゆつげん》すべきは|当然《たうぜん》なり。
『ミカエル』とは|天地人《てんちじん》、|現幽神《げんいうしん》の|三大界《さんだいかい》|即《すなは》ち|三《み》を|立替《たてかへ》る|神人《しんじん》の|意味《いみ》なり。|詳《くは》しく|云《い》へば、|現幽神《げんいうしん》|三《み》つの|世界《せかい》を|根本的《こんぽんてき》に|立替《たてかへ》る|神人《しんじん》、といふ|意味《いみ》なり。
また|男体《だんたい》にして|女霊《ぢよれい》の|活用《くわつよう》を|為《な》し、|女体《ぢよたい》にして|男霊《だんれい》の|活用《くわつよう》を|為《な》す|神人《しんじん》を|称《しよう》して『|身変定《ミカエル》』といふ。
ここに|七十五声《しちじふごせい》の|言霊《ことたま》の|活用《くわつよう》、|及《およ》び|結声《けつせい》の|方法《はうはふ》に|就《つ》き、|言霊《ことたま》の|釈歌《しやくか》を|添付《てんぷ》する|事《こと》となしたり。
|言霊学《ことたまがく》|釈歌《しやくか》
|久方《ひさかた》の|天之御中主《あめのみなかぬし》の|神《かみ》は  |五十鈴川《いそすずかは》の(【ス】)ごゑなりけり
【あ】のこゑは|我《わが》|言霊《ことたま》の|上《うへ》よりは  |宇比地邇神《うひぢにのかみ》、|須比智邇神《すひぢにのかみ》
【お】のこゑは|我《わが》|言霊《ことたま》の|上《うへ》よりは  |角杙神《つぬぐひのかみ》、|活杙神《いくぐひのかみ》
【う】のこゑは|我《わが》|言霊《ことたま》に|照《て》らし|見《み》て  |大戸之道神《おほとのぢのかみ》、|大戸之辺神《おほとのべのかみ》
【え】のこゑの|其《その》|言霊《ことたま》を|調《しら》ぶれば  |面足神《おもたるのかみ》、|惶根神《かしこねのかみ》
【い】のこゑは|言霊学《ことたまがく》の|助《たす》けより  |伊邪那岐神《いざなぎのかみ》、|伊邪那美神《いざなみのかみ》
【あ】のこゑの|活動《はたらき》なすは|須比智邇《すひぢに》の  |神《かみ》の|保《たも》てる|本能《ちから》なりけり
【お】のこゑの|活動《はたらき》するは|活杙《いくぐひ》の  |神《かみ》の|表《あら》はす|本能《ちから》なりけり
【う】のこゑの|活動《はたらき》|保《たも》つは|大戸之辺《おほとのべ》  |神《かみ》の|表《あら》はす|本能《ちから》なりけり
【え】のこゑに|万《よろづ》の|物《もの》の|開《ひら》くるは  |阿夜訶志古泥《あやかしこね》の|神《かみ》の|御本能《みちから》
【い】のこゑの|活動《はたらき》なすは|伊邪那美《いざなみ》の  |神《かみ》の|御言《みこと》の|本能《ちから》なりけり
|喉頭《のど》、|気管《きくわん》、|肺臓《はいざう》なぞの|活用《はたらき》は  |国常立《くにとこたち》の|神言《みこと》|守《まも》れる
|口腔口唇《くちのなか》、|口蓋《くちびる》|等《など》の|発音《ことたま》の  |根本機関《もとのしぐみ》は|豊雲野神《とよくもぬのかみ》
|日《ひ》の|本《もと》の|国《くに》の|語《ことば》の|源《みなもと》は  |只《ただ》|五声《いつこゑ》の|竪端《たちばな》の|父音《おど》
|多陀用弊流国《ただよへるくに》といふ|意義《いぎ》は【あ】【お】【う】【え】【い】  |五声父音《いつつのこゑ》の|発作《おこり》なりけり
|久方《ひさかた》の|天《あま》の|沼矛《ぬほこ》と|云《い》ふ|意義《いぎ》は  |言語《ことば》の|節《ふし》を|調《ととの》ふ|舌《した》なり
|立花《たちばな》の|小戸《をど》の【あはぎが】|原《はら》に|鳴《な》る  【お】こゑを|天《あま》の|浮橋《うきはし》といふ
|塩許袁呂《しほこをろ》、|許袁呂邇画鳴《こをろにかきな》す|其《その》|意義《いぎ》は  【お】と【を】の|声《こゑ》の|活用《はたらき》を|云《い》ふ
|数音《かずのね》を|総称《すべとな》ふるを|島《しま》といふ  |淤能碁呂島《おのころじま》は【を】こゑなりけり
【あ】【お】【う】【え】【い】|素《もと》の|五《いつ》つの|父声《おやごゑ》を  |天之御柱神《あまのみはしらがみ》と|総称《そうしよう》す
|宇宙《おほかた》に|気体《きたい》の|揃《そろ》ひ|在《あ》る|意義《いぎ》を  |我《わが》|言霊《ことたま》に|八尋殿《やひろどの》といふ
|鳴々而《なりなりて》|鳴合《なりあ》はざるは【あ】の|声《こゑ》ぞ  |鳴余《なりあま》れるは【う】こゑなりけり
【う】【あ】のこゑ|正《ただ》しく|揃《そろ》ひて|結《むす》び|合《あ》ひ  |変転《はたらき》するは|美斗能麻具波比《みとのまぐはひ》
【う】【あ】の|声《こゑ》|結《むす》びて【わ】|声《ごゑ》に|変化《はたら》くは  |阿那邇夜志愛上袁登古袁《あなにやしえーをとこを》といふ
【え】【あ】の|声《こゑ》|結《むす》びて【や】|声《ごゑ》に|変化《はたら》くは  |阿那邇夜志愛上袁登売袁《あなにやしえーをとめを》といふ
|女人先言不良《をみなまづことさきだちてふさはず》と|言《い》へる|神文《みこと》を|調《しら》ぶれば  |以前《いぜん》の|方法《はうはふ》|形式《けいしき》で
|言霊《げんれい》|発達《はつたつ》せざるてふ  |意義《いぎ》の|大要《たいえう》|含《ふく》むなり
|久美度邇興而子水蛭子《くみどにおこしてみこひるこ》  |生《う》むは【わ】|声《ごゑ》を|母音《ぼいん》とし
【あ】|行《しま》【|烏《う》】【え】【い】を|父音《ふおん》とし  【わ】【|烏《う》】の|二声《にせい》を|結《むす》び|付《つ》け
【わ】|行《しま》の【う】|声《ごゑ》に|変化《へんくわ》|為《な》し  【わ】【ゑ】の|二声《にせい》を|結《むす》び|付《つ》け
【わ】|行《しま》の【ゑ】|声《ごゑ》に|変化《へんくわ》|為《な》し  【わ】【い】の|二声《にせい》を|結《むす》び|付《つ》け
【わ】|行《しま》の【ゐ】|声《ごゑ》に|変化《へんくわ》|為《な》し  |次《つぎ》に【や】|声《ごゑ》を|母音《ぼいん》とし
【あ】|行《しま》【お】【|烏《う》】【え】【い】|父音《ふおん》とし  |結声《けつせい》|変化《へんくわ》す|意義《いぎ》ぞかし
【や】【お】の|二声《にせい》を|結《むす》び|付《つ》け  【や】|行《しま》の【よ】|声《ごゑ》に|変化《へんくわ》|為《な》し
【や】【|烏《う》】の|二声《にせい》を|結《むす》び|付《つ》け  【や】|行《しま》の【ゆ】|声《ごゑ》に|変化《へんくわ》なし
【や】【え】の|二声《にせい》を|結《むす》び|付《つ》け  【や】|行《しま》の【|延《え》】|声《ごゑ》に|変化《へんくわ》|為《な》し
【や】【い】の|二声《にせい》を|結《むす》び|付《つ》け  【や】|行《しま》の【い】|声《ごゑ》の|変化《へんくわ》|為《な》す
この|言霊《ことたま》の|活用《はたらき》を  |久美度邇興而《くみどにおこす》と|称《とな》ふなり
|子蛭子《みこひるこ》|生《う》むとふ|神文《こと》は|鳴出《なりいづ》る  |声音《こゑ》の|等《ひと》しき|意義《いぎ》にして
【あ】|行《しま》【お】|声《ごゑ》と【わ】|行《しま》の【を】|声《ごゑ》  【あ】【わ】の|行《しま》なる【|烏《う》】|声《ごゑ》と【う】の|神声《みこゑ》
【あ】【わ】【や】の|行《しま》の【ゑ】【|衣《え》】【|延《え》】と  【い】【ゐ】【|以《い》】の|声《こゑ》の|異性《いせい》にて
|同声音《どうせいおん》の|意義《いぎ》ぞかし  |是《これ》ぞ|水蛭子《ひるこ》を|産《う》むといふ
|布斗麻邇々卜相而詔《ふとまににうらへてのる》といふ|意義《いぎ》は  【あ】|行《しま》【|烏《う》】|声《ごゑ》の|活用《はたらき》ぞかし
|淡道之穂之狭別島《あはみちのほのさわけじま》といふは  【|烏《う》】【う】【ゆ】(【む】|声《ごゑ》)と|結《むす》ぶ|言霊《ことたま》
|伊予之国二名島《いよのくにふたなのしま》といふ|意義《いぎ》は  |母音《ぼいん》【む】|声《ごゑ》に【い】を|結《むす》び
【み】|声《ごゑ》に|変化《へんくわ》し【む】【ゑ】|結《むす》び  【め】|声《ごゑ》に|変化《へんくわ》し【む】【お】を|結《むす》び
【も】|声《ごゑ》に|変化《へんくわ》し【む】【あ】を|結《むす》び  【ま】ごゑに|変化《へんくわ》す|此《この》|故《ゆえ》に
【む】ごゑの|父音《ふおん》【み】【め】【も】【ま】の  |四声《よごゑ》に|変化《かはる》を|身一而《みひとつ》
|面四有《おもよつあり》と|称《とな》ふなり
【み】のこゑの|其《その》|言霊《ことたま》の|活用《はたらき》を  |伊予国愛比売《いよくにえひめ》と|謂《まを》すなり
【め】のこゑの|其《その》|言霊《ことたま》の|幸《さちは》ひを  |讃岐飯依比古《さぬきいひよりひこ》と|謂《い》ふ
【も】のこゑの|其《その》|言霊《ことたま》の|助《たす》けをば  |阿波国大宜津比売《あはくにおほげつひめ》と|謂《い》ふ
【ま】のこゑの|其《その》|言霊《ことたま》の|照《て》る|時《とき》ぞ  |土佐国健依別《とさくにたけよりわけ》と|謂《い》ふ
|惟神《かむながら》|其《その》|名《な》の|如《ごと》く|性能《せいのう》の  |等《ひと》しく|易《かは》るを|国《くに》と|謂《い》ふなり
【む】のこゑに【う】【ゆ】を|結《むす》びて【ふ】の|声《こゑ》に  |変化《かはる》を|隠岐之三子嶋《をきのみつごしま》と|謂《い》ふ
【ふ】のこゑに|天之御柱《あめのみはしら》|結《むす》び|付《つ》け  【は】【ほ】【ふ】【へ】|四声《よこゑ》に|変化《かはる》をば
|天之忍許呂別《あまのをしころわけ》と|謂《い》ふ
|筑紫島《つくしじま》|生《う》むと|言《い》ふ|意義《いぎ》は  【は】の|行《しま》の【ふ】こゑ【|烏《う》】こゑと|結声《けつせい》し
【ぷ】ごゑに|変化《はたらく》|言霊《みたま》|也《なり》  |是《これ》の【ぷ】|声《ごゑ》に【い】【え】【お】【あ】の
|四声《よごゑ》を|漸次《ぜんじ》に|結声《けつせい》し  【ぴ】【ぺ】【ぽ】【ぱ】|四《よ》ごゑに|変化《へんくわ》なす
【ひ】のこゑの|意義《いぎ》の|言霊《ことたま》|調《しら》ぶれば  |筑紫《つくし》の|国《くに》の|白日別《しらひわけ》と|謂《い》ふ
【ぺ】のこゑの|意義《いぎ》の|言霊《ことたま》|調《しら》ぶれば  |豊国豊日別《とよくにとよひわけ》と|謂《い》ふなり
|建日向《たけひむか》、|日豊久士《ひとよくじ》、|比泥別《ひねわけ》と|謂《い》ふは  【ほ】|声《ごゑ》の|言霊《たま》の|意義《こころ》なりけり
【ぱ】のこゑの|意義《いぎ》の|言霊《ことたま》|調《しら》ぶれば  |熊曽《くまそ》の|国《くに》の|建日別《たけひわけ》なり
|伊岐嶋《いきのしま》、|比登都柱《ひとつはしら》と|謂《い》ふ|意義《いぎ》は  【ぷ】ごゑに【|烏《う》】ごゑを|結《むす》び|成《な》し
【ふ】ごゑに|変化《へんくわ》し【ふ】のこゑに  |天《あま》の|御柱《みはしら》【あ】【お】【う】【え】【い】
|是《これ》の|素音《そいん》を|結声《けつせい》し  【は】【ほ】【へ】【ひ】|四声《よこゑ》の|言霊《ことたま》に|変化《へんくわ》せしむる|意義《こころ》なり
|津嶋天之狭手依比売《つしまあまのさでよりひめ》と|謂《い》ふは  【ふ】ごゑに【|烏《う》】ごゑを|結《むす》び|付《つ》け
【す】ごゑに|変化《へんくわ》し【あ】【お】【う】【え】【い】  |是《これ》の|素音《そいん》を|結声《けつせい》し
【さ】【そ】【す】【せ】|四《よ》ごゑに|変化《かは》る|意義《いぎ》
|佐渡島《さどしま》を|生《う》むてふ|意義《いぎ》を|調《しら》ぶれば  【す】ごゑに【う】ごゑを|結声《けつせい》し
【す】ごゑに|変化《へんくわ》なさしめて  |之《これ》に|素音《そいん》を|結声《けつせい》し
【さ】|行《しま》を【ざ】|行《しま》に|変化《へんくわ》する  |言霊上《ことたまのへ》の|意義《こころ》なり
|大倭秋津嶋生《おほやまとあきつしまう》むといふは  【に】【り】【ち】の|父音《ふおん》の|言霊《ことたま》を
|生《う》み|出《いだ》したる|意義《いぎ》にして  【な】|行《しま》【に】ごゑは【じ】【い】|二声《にせい》
|結声《けつせい》|変化《へんくわ》し【り】のこゑは  【し】【い】が|結声《けつせい》|変化《へんくわ》|為《な》し
【た】|行《しま》【ち】ごゑは【ひ】【い】|二声《にせい》が  |結声《けつせい》|変化《へんくわ》を|為《な》す|意義《いぎ》ぞ
|天御虚空豊秋津根別《あめみそらとよあきつねわけ》といふ|意義《いぎ》は  【ち】【り】【に】の|父音《ふおん》に|久方《ひさかた》の
|天之御柱《あまのみはしら》【あ】【お】【う】【え】【い】  |素音《そいん》を|結声《けつせい》|変化《へんくわ》して
【た】【ら】【な】|三行《さんぎやう》を|結声《けつせい》し  |変化《へんくわ》せしむる|意義《いぎ》ぞかし
|意義《いぎ》|深《ふか》き【わ】|行《ぎやう》【や】|行《ぎやう》の|言霊《ことたま》は  |先所生大八島国《さきにうみますおほやしまぐに》
|吉備児島建日方別《きびこじまたけひかたわけ》と|謂《い》ふ|意義《いぎ》は  【ち】【じ】の|二声《にせい》を|結声《けつせい》し
【ち】ごゑに|変化《へんくわ》し|久方《ひさかた》の  |天《あま》の|御柱《みはしら》【あ】【お】【う】【え】【い】
|素音《そいん》を|結《むす》ぶ|言霊《たま》ぞかし
|小豆島大野手上比売《あづきしまおほぬでえひめ》と|謂《い》ふ|意義《いぎ》は  【ぢ】【い】の|二声《にせい》を|結声《けつせい》し
【ぎ】こゑに|変化《へんくわ》し|久方《ひさかた》の  |天《あま》の|御柱《みはしら》【あ】【お】【う】【え】【い】
|素音《そいん》を|結《むす》ぶ|言霊《たま》ぞかし
|大嶋《おほしま》や|大多上麻流別《おほたあまるわけ》と|謂《い》ふ|意義《いぎ》は  【ぎ】【い】の|二声《にせい》を|結《むす》び|成《な》し
【き】ごゑに|変化《へんくわ》し|久方《ひさかた》の  |天《てん》の|御柱《みはしら》【あ】【お】【う】【え】【い】
|素音《そいん》を|結《むす》ぶ|言霊《たま》ぞかし
|女嶋天一根《むすめじまあまひとつね》と|謂《い》ふ|意義《いぎ》は  【か】|行《しま》の|音韻《おんゐん》【か】【こ】【く】【け】【き】
|天地《てんち》|貫通《くわんつう》の|言霊《たま》ぞかし
|知訶嶋天之忍男《ちかのしまあまのおしを》と|謂《い》ふ|意義《いぎ》は  【が】|行《しま》の|音韻《おんゐん》【が】【ご】【ぐ】【げ】【ぎ】
|天機《てんき》|活動《くわつどう》を|起《おこ》す|言霊《ことたま》
|両児嶋天両屋《ふたごしまあまのふたや》の|言霊《ことたま》は  【た】|行《しま》の|音韻《おんゐん》【だ】【ど】【づ】【で】【ぢ】
|造化《ざうくわ》|発作《ほつさ》を|起《おこ》す|意義《いぎ》なり
【わ】|行《しま》【を】ごゑの|言霊《ことたま》の|精神的《せいしんてき》の|活用《はたらき》を  |大事忍男之神《おほことおしをのかみ》と|謂《い》ふ
【わ】|行《しま》【|井《ゐ》】ごゑの|言霊《ことたま》の|精神的《せいしんてき》の|活用《はたらき》を  |石土毘古《いはつちひこ》の|神《かみ》と|謂《い》ふ
【や】|行《しま》【ゐ】ごゑの|言霊《ことたま》の|精神的《せいしんてき》の|活用《はたらき》を  |石巣《いはす》の|比売《ひめ》の|神《かみ》といふ
【わ】|行《しま》の|言霊《ことたま》【わ】【を】【う】【ゑ】【ゐ】|精神的《せいしんてき》の|活用《はたらき》を  |大戸日別之神《おほとひわけのかみ》といふ
【わ】|行《しま》【う】ごゑの|言霊《ことたま》の|精神的《せいしんてき》の|活用《はたらき》を  |天之吹男神《あまのふくをのかみ》といふ
【や】|行《しま》の|言霊《ことたま》【や】【よ】【ゆ】【え】【い】|精神的《せいしんてき》の|活用《はたらき》を  |大屋毘古之神《おほやねびこのかみ》といふ
【や】|行《しま》【よ】ごゑの|言霊《ことたま》の|精神的《せいしんてき》の|活用《はたらき》は  |風木津別之忍男神《かぜげつわけのおしをかみ》なり
【や】|行《しま》【ゆ】ごゑの|言霊《ことたま》の|精神的《せいしんてき》の|活用《はたらき》を  |大綿津見《おほわたつみ》の|神《かみ》と|言《い》ふ
【わ】|行《しま》【|衣《ゑ》】ごゑの|言霊《ことたま》の|精神的《せいしんてき》の|活用《はたらき》を  |速秋津彦《はやあきつひこ》の|神《かみ》と|謂《い》ふなり
【や】|行《しま》【|延《え》】ごゑの|言霊《ことたま》の|精神的《せいしんてき》の|活用《はたらき》を  |速秋津姫《はやあきつひめ》の|神《かみ》といふ
(以上六十五首)
|大事忍男神《おほことおしをのかみ》より|以下《いか》|速秋津姫神《はやあきつひめのかみ》まで、|十神《とはしら》|十声《とごゑ》の|精神的《せいしんてき》|作用《さよう》は|所謂《いはゆる》|大八嶋国《おほやしまぐに》の|活用《くわつよう》、|即《すなは》ち|世界的経綸《せかいてきけいりん》の|活機《くわつき》を|顕《あら》はす|本能《ほんのう》を|享有《きやういう》する|言霊《ことたま》なり。
(第二七章〜第二八章 昭和一〇・二・一三 於田辺分苑 王仁校正)
第二九章 |泣沢女《なきさはめ》〔二七九〕
|神伊邪那岐《かむいざなぎ》の|大御神《おほみかみ》  |神伊邪那美《かむいざなみ》の|大神《おほかみ》は
|清《きよ》き|正《ただ》しき|天地《あめつち》の  |陽《やう》と|陰《いん》との|呼吸《いき》|合《あは》せ
スの|言霊《ことたま》の|幸《さちは》ひに  |天《あめ》の|御柱《みはしら》|国柱《くにばしら》
|生《な》り|出《い》でまして|山川《やまかは》や  |草木《くさき》の|神《かみ》まで|生《う》み|了《を》ほせ
|青人草《あをひとぐさ》や|諸々《もろもろ》の  |呼吸《いき》あるものを|生《う》み|満《み》たせ
|栄《さか》ゆる|神代《かみよ》を|楽《たのし》みて  |喜《よろこ》び|玉《たま》ふ|間《ま》もあらず
|天津御空《あまつみそら》の|星《ほし》の|如《ごと》  |浜《はま》の|真砂《まさご》の|数多《かずおほ》く
|青人草《あをひとぐさ》は|生《な》り|成《な》りて  |鳴《な》りも|合《あ》はざる|言霊《ことたま》の
|呼吸《いき》の|穢《けが》れは|天地《あめつち》や  |四方《よも》の|国々《くにぐに》|拡《ひろ》ごりつ
|清《きよ》き|正《ただ》しき|大御呼吸《おほみいき》  |濁《にご》りに|濁《にご》り|村雲《むらくも》の
|塞《ふさ》がる|世《よ》とはなりにけり  |開《ひら》け|行《ゆ》く|世《よ》の|常《つね》として
|天津御空《あまつみそら》に|舞《ま》ひ|狂《くる》ふ  |天《あま》の|磐樟船《いはくすふね》の|神《かみ》
|天《あま》の|鳥船《とりぶね》|影暗《かげくら》く  |御空《みそら》を|蔽《おほ》ひ|隠《かく》しつつ
|人《ひと》の|心《こころ》は|日《ひ》に|月《つき》に  |曇《くも》り|穢《けが》れて|常闇《とこやみ》の
|怪《あや》しき|御代《みよ》となり|変《かは》り  |金山彦《かなやまひこ》の|神《かみ》|出《い》でて
|遠《とほ》き|近《ちか》きの|山奥《やまおく》に  |鋼鉄《まがね》を|取《と》りて|武器《つはもの》を
|互《かたみ》に|造《つく》り|争《あらそ》ひつ  |体主霊従《ちゑのみたま》の|呼吸《いき》|満《み》ちて
|互《かたみ》に|物《もの》を|奪《うば》ひ|合《あ》ふ  |大宜津姫《おほげつひめ》の|世《よ》となりぬ
|野山《のやま》に|猛《たけ》き|獣《けだもの》の  |彼方此方《あちらこちら》に|荒《あ》れ|狂《くる》ひ
|青人草《あをひとぐさ》の|命《いのち》をば  |取《と》りて|餌食《ゑじき》と|為《な》しければ
ここに|火《ひ》の|神《かみ》|現《あら》はれて  |木草《きくさ》の|繁《しげ》る|山《やま》や|野《の》を
|一度《いちど》にどつと|焼速男《やきはやを》  |世《よ》は|迦々毘古《かがびこ》となり|変《かは》り
|山《やま》は|火《ひ》を|噴《ふ》き|地《ち》は|震《ふる》ひ  さも|恐《おそ》ろしき|迦具槌《かぐづち》の
|荒振《あらぶる》|世《よ》とはなりにけり  |国《くに》の|柱《はしら》の|大御神《おほみかみ》
|此《この》|有様《ありさま》を|見《み》そなはし  |御魂《みたま》の|限《かぎ》りを|尽《つく》しつつ
|力《ちから》を|揮《ふる》はせ|玉《たま》へども  |猛《たけ》き|魔神《まがみ》の|勢《いきほひ》に
|虐《しひた》げられてやむを|得《え》ず  |黄泉御国《よもつみくに》に|出《い》でましぬ
|糞《くそ》に|成《な》ります|埴安彦《はにやすひこ》の  |神《かみ》の|命《みこと》や|埴安姫《はにやすひめ》の
|神《かみ》の|命《みこと》のいたはしく  |世《よ》を|治《をさ》めむと|為《な》し|玉《たま》ひ
|尿《ゆまり》に|成《な》ります|和久産霊《わくむすび》  |世《よ》を|清《きよ》め|行《ゆ》く|罔象女《みづはのめ》
|神《かみ》の|命《みこと》は|朝夕《あさゆふ》に  |心《こころ》を|尽《つく》し|身《み》を|尽《つく》し
|遂《つひ》に|生《あ》れます|貴《うづ》の|御子《みこ》  この|世《よ》を|救《すく》ふ|豊受姫《とようけひめ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|世《よ》となりぬ  |嗚呼《ああ》|奇《くしび》なる|神《かみ》の|業《わざ》。
|伊邪那岐命《いざなぎのみこと》は、|伊邪那美命《いざなみのみこと》の|黄泉国《よもつくに》、すなはち|地中《ちちう》|地汐《ちげき》の|世界《せかい》に、|地上《ちじやう》の|世界《せかい》の|混乱《こんらん》せるに|驚《おどろ》き|玉《たま》ひて|逃《に》げ|帰《かへ》り|玉《たま》ひしを、いたく|嘆《なげ》きてその|御跡《みあと》を|追懐《つゐくわい》し、|御歌《おんうた》を|詠《よ》ませ|玉《たま》ひぬ。
その|歌《うた》、
『|神《かみ》の|神祖《かむろ》とましませる  |高皇産霊《たかみむすび》の|大御神《おほみかみ》
|神皇産霊《かむみむすび》の|大神《おほかみ》の  |清《きよ》き|尊《たふと》き|命《みこと》もて
|女男《めを》|二柱《ふたはしら》|相並《あひなら》び  |天《あま》の|瓊矛《ぬほこ》を|取《と》り|持《も》ちて
|黄金《こがね》の|橋《はし》に|立《た》ち|列《なら》び  |海月《くらげ》の|如《ごと》く|漂《ただよ》へる
|大海原《おほうなばら》の|渦中《うづなか》を  こおろこおろに|掻《か》き|鳴《な》らし
|淤能碁呂島《おのころじま》に|降《お》り|立《た》ちて  |島《しま》の|八十島《やそしま》|八十国《やそくに》や
|山川草木《やまかはくさき》の|神《かみ》を|生《う》み  |天《あめ》の|下《した》をば|平《たひら》けく
|神《かみ》の|御国《みくに》を|治《をさ》めむと  |誓《ちか》ひし|事《こと》も|荒塩《あらしほ》の
|塩《しほ》の|八百路《やほぢ》の|八塩路《やしほぢ》の  |塩路《しほぢ》を|渡《わた》り|黄泉国《よもつくに》
|汝《なれ》は|独《ひとり》で|出《いで》ましぬ  |振《ふ》り|残《のこ》されし|吾独《われひとり》
|如何《いか》でこの|国《くに》|細《つばら》かに  |神《かみ》の|御胸《みむね》に|適《かな》ふ|如《ごと》
|造《つく》り|治《をさ》めむ|吾《われ》は|今《いま》  |熟々《つらつら》|思《おも》ひめぐらせば
|黄金《こがね》の|橋《はし》に|立《た》ちしより  |天教山《はちすのやま》に|天降《あまくだ》り
|撞《つき》の|御柱《みはしら》|右左《みぎひだり》  |伊《い》|行《ゆ》き|廻《めぐ》りて|誓《ちか》ひたる
その|言《こと》の|葉《は》の|功《いさをし》も  |何《なん》とせむ|方《かた》|泣《な》く|泣《な》くも
|涙《なみだ》を|絞《しぼ》る|夜《よる》の|袖《そで》  |汝《なれ》の|頭《かしら》に|御後辺《みあとべ》に
|匍匐《はらば》ひ|嘆《なげ》く|吾《わ》が|胸《むね》を  |晴《は》らさせ|玉《たま》へ【うたかた】の
|定《さだ》めなき|世《よ》の|泣《な》き|沢女《さはめ》  |定《さだ》めなき|世《よ》の【なきさはめ】』
と|謡《うた》ひて|別《わか》れを|惜《お》しみ、|再《ふたた》び|淤能碁呂島《おのころじま》に、|女神《めがみ》の|帰《かへ》り|来《き》まさむことを|謡《うた》ひたまふ。|是《これ》より|神伊邪那岐《かむいざなぎ》の|神《かみ》は、|女神《めがみ》に|別《わか》れ|一時《いちじ》は|悄然《せうぜん》として、|力《ちから》を|落《おと》させ|玉《たま》ひける。
されど、ここに|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|省《かへり》み、|荒魂《あらみたま》の|勇《いさ》みを|振《ふ》り|起《おこ》し、|天《あま》の|香具山《かぐやま》の|鋼鉄《まがね》を|掘《ほ》り、|自《みづか》ら|十握《とつか》の|剣《つるぎ》を|数多《あまた》|造《つく》りて、|荒振《あらぶ》る|神共《かみども》をば、|武力《ぶりよく》を|以《もつ》て|討《う》ち|罰《きた》めむと|計《はか》らせ|玉《たま》ひける。
(大正一一・一・二一 旧大正一〇・一二・二四 藤原勇造録)
(第二九章 昭和一〇・二・一五 於淡の輪黒崎館 王仁校正)
第三〇章 |罔象神《みづはのかみ》〔二八〇〕
|伊弉諾《いざなぎ》、|伊弉冊《いざなみ》|二神《にしん》は、|撞《つき》の|大御神《おほみかみ》を|豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほのくに》の|大御柱《おほみはしら》となし、みづからは|左守《さもり》、|右守《うもり》の|神《かみ》となりて、|漂《ただよ》へる|大海原《おほうなばら》の|国《くに》を|修理固成《しうりこせい》し、|各国魂《かくくにたま》の|神《かみ》を|任《にん》じ|山川草木《さんせんさうもく》の|片葉《かきは》に|至《いた》るまで|各《おのおの》その|処《ところ》を|得《え》せしめ、|完全無欠《くわんぜんむけつ》の|神国《しんこく》を|茲《ここ》に|芽出度《めでた》く|樹立《じゆりつ》せられたのである。|然《しか》るに|好事《かうず》|魔《ま》|多《おほ》しとかや、|葦原《あしはら》の|瑞穂国《みづほくに》には|天《あめ》の|益人《ますひと》、|日《ひ》に|月《つき》に|生《うま》れ|増《ま》して、つひには|優勝劣敗《いうしようれつぱい》|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》の|暗黒《あんこく》|世界《せかい》を|再現《さいげん》し、|国治立命《くにはるたちのみこと》の|御神政《ごしんせい》に|比《ひ》して|数十倍《すうじふばい》の|混乱《こんらん》|暗黒《あんこく》|世界《せかい》とはなりける。
|茲《ここ》に|人間《にんげん》なるもの|地上《ちじやう》に|星《ほし》のごとく|生《うま》れ|出《い》で、|増加《ぞうか》するによつて、|自然《しぜん》に|自己《じこ》|保護上《ほごじやう》|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|悪風《あくふう》|日《ひ》に|月《つき》に|吹《ふ》き|荒《すさ》み、|山《やま》を|独占《どくせん》する|神《かみ》|現《あら》はれ、|一《いち》|小区劃《せうくくわく》を|独占《どくせん》するものも|出《い》で|来《きた》り、|野《の》も|海《うみ》も|川《かは》も、|大《だい》にしては|国《くに》、|洲《しま》などを|独占《どくせん》せむとする|神人《しんじん》や|人間《にんげん》が|現《あら》はれたのである。|山《やま》を|多《おほ》く|占領《せんりやう》する|神《かみ》を|大山杙《おほやまぐひ》の|神《かみ》と|云《い》ひ、また|小区劃《せうくくわく》を|独占《どくせん》する|神《かみ》を|小山杙《こやまぐひ》の|神《かみ》と|云《い》ふ。また|原野田圃《げんやでんぽ》の|大区劃《だいくくわく》を|独占《どくせん》する|人間《にんげん》を|野槌《のづち》の|神《かみ》と|云《い》ふ。|小区域《せうくゐき》を|独占《どくせん》する|人間《にんげん》を|茅野姫《かやぬひめ》の|神《かみ》と|云《い》ふ。|山杙《やまぐひ》の|神《かみ》や|野槌《のづち》の|神《かみ》や|茅野姫《かやぬひめ》の|神《かみ》は|各処《かくしよ》に|現《あら》はれて|互《たがひ》に|争奪《そうだつ》を|試《こころ》み、|勢《いきほひ》|強《つよ》きものは|大《だい》をなし、|力《ちから》|弱《よわ》きものは|遂《つひ》に|生存《せいぞん》の|自由《じいう》さへ|得《え》られなくなつて|来《き》たのである。|人間《にんげん》の|心《こころ》はますます|荒《すさ》み、いかにして|自己《じこ》の|生活《せいくわつ》を|安全《あんぜん》にせむかと|日夜《にちや》|色食《しきしよく》の|道《みち》にのみ|孜々《しし》として|身心《しんしん》を|労《らう》し、|遂《つひ》には|他《た》を|滅《ほろぼ》しその|目的《もくてき》を|達《たつ》せむために|人工《じんこう》をもつて|天《あま》の|磐船《いはふね》を|造《つく》り、|或《あるひ》は|鳥船《とりふね》を|造《つく》り|敵《てき》を|斃《たふ》すために、|各地《かくち》の|銅鉄《どうてつ》の|山《やま》を|穿《うが》ちて|種々《しゆじゆ》の|武器《ぶき》を|製造《せいざう》し、|働《はたら》かずして|物資《ぶつし》を|得《え》むがために|又《また》もや|山《やま》を|掘《ほ》り、|金銀《きんぎん》を|掘《ほ》り|出《だ》して|之《これ》を|宝《たから》となし、|物質《ぶつしつ》との|交換《かうくわん》に|便《べん》じ、|或《あるひ》は|火《ひ》を|利用《りよう》して|敵《てき》の|山野《さんや》|家屋《かをく》を|焼《や》き、|暗夜《あんや》の|危険《きけん》を|恐《おそ》れて|燈火《とうくわ》を|点《てん》じ、|種々《しゆじゆ》の|攻防《こうばう》の|利器《りき》を|製造《せいざう》して|互《たがひ》に|雌雄《しゆう》を|争《あらそ》ふやうになつて|来《き》た。|而《しかし》て|衣食住《いしよくぢう》はますます|贅沢《ぜいたく》に|流《なが》れ、|神典《しんてん》にいはゆる|大宜津姫命《おほげつひめのみこと》の|贅沢《ぜいたく》|極《きは》まる|社会《しやくわい》を|現出《げんしゆつ》し、|貧富《ひんぷ》の|懸隔《けんかく》|最《もつと》も|甚《はなは》だしく、|社会《しやくわい》は|実《じつ》に|修羅《しゆら》の|現状《げんじやう》を|呈出《ていしゆつ》するに|至《いた》りたり。
|茲《ここ》に|伊弉冊命《いざなみのみこと》は、|女神《めがみ》として|地上《ちじやう》|主宰《しゆさい》のその|任《にん》に|堪《た》へざるを|慮《おもんぱか》り|黄泉国《よもつのくに》に|隠《かく》れ|入《い》ります|事《こと》となつた。そこで|益々《ますます》|世《よ》は|混乱《こんらん》|状態《じやうたい》となり、|天下《てんか》の|神々《かみがみ》も|一般《いつぱん》の|人間《にんげん》も、|救世主《きうせいしゆ》の|出現《しゆつげん》を|希望《きばう》する|事《こと》となつて|来《き》た。|時《とき》にもつとも|虐《しひた》げられたる|人間《にんげん》の|中《なか》より、|埴安彦神《はにやすひこのかみ》、|埴安姫神《はにやすひめのかみ》の|二神《にしん》が|現《あら》はれ、|吾久産霊《わくむすび》なる|仁慈《じんじ》の|神々《かみがみ》を|多《おほ》く|率《ひき》ゐて|救《すく》ひの|道《みち》を|宣伝《せんでん》し、|水波廼女《みづはのめ》なる|正《ただ》しき|人間《にんげん》を|多《おほ》く|救《すく》うた。されど、その|数《すう》は|千中《せんちう》の|一《ひと》つにも|足《た》らない|位《くらゐ》の|比較《ひかく》である。これより|伊弉諾《いざなぎ》、|伊弉冊《いざなみ》の|大神《おほかみ》は、|各地《かくち》の|国魂《くにたま》に|命《めい》じ、|数多《あまた》の|曲津神《まがつかみ》を|掃蕩《さうたう》せしめむとされた、この|御神業《ごしんげふ》を|称《しよう》して、|御子《おんこ》|迦具槌《かぐつち》の|神《かみ》の|御首《おしるし》を|斬《き》り|玉《たま》ふといふなり。
(大正一一・一・二一 旧大正一〇・一二・二四 加藤明子録)
第六篇 |百舌鳥《もず》の|囁《ささやき》
第三一章 |襤褸《つづれ》の|錦《にしき》〔二八一〕
|彼《か》のウラル|山《さん》およびアーメニヤの|野《の》に|神都《しんと》を|開《ひら》き、|体主霊従的《たいしゆれいじうてき》|神政《しんせい》を|天下《てんか》に|流布《るふ》し、つひには|温順《をんじゆん》にして、かつ|厳粛《げんしゆく》なる|盤古神王《ばんこしんわう》を|追放《つゐはう》し、|自《みづか》ら|偽《にせ》|盤古神王《ばんこしんわう》となり、|大蛇《をろち》の|霊魂《みたま》に|使嗾《しそう》されて、|一時《いちじ》は|暴威《ばうゐ》を|揮《ふる》ひたりし|所謂《いはゆる》|盤古神王《ばんこしんわう》は、|大神《おほかみ》の|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|恩恵《おんけい》の|笞《むち》を|加《くは》へられ、アルタイ|山《さん》に|救《すく》はれて|蟻虫《ぎちう》の|責苦《せめく》に|逢《あ》ひ、ここに|翻然《ほんぜん》として|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い、|再《ふたた》びウラル|山《さん》に|立帰《たちかへ》り、アーメニヤに|神都《しんと》を|開《ひら》きて、|諸方《しよはう》の|神人《しんじん》を、よく|治《をさ》め|仁徳《じんとく》を|施《ほどこ》し、|天地《てんち》|大変動後《だいへんどうご》の|救《すく》ひの|神《かみ》として、|人々《ひとびと》の|尊敬《そんけい》もつとも|深《ふか》かりしが、|年月《としつき》を|経《ふ》るに|随《したが》ひ、|少《すこ》しく|夫婦《ふうふ》|二神《にしん》は|神政《しんせい》に|倦《う》み、|色食《しきしよく》の|道《みち》に|耽溺《たんでき》し、|復《ふたた》び、
『|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》は|闇《やみ》よ
|闇《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る
|人《ひと》は|呑《の》め|食《く》へ|寝《ね》て|転《ころ》べ』
と、|又《また》もや|大蛇《をろち》の|霊魂《みたま》に|憑依《ひようい》されて、|体主霊従的《たいしゆれいじうてき》|行動《かうどう》を|始《はじ》むるに|致《いた》りける。
さしもに|悪《あく》に|強《つよ》き|大蛇《をろち》の|身魂《みたま》も、|金狐《きんこ》および|鬼《おに》の|身魂《みたま》も、|宇宙《うちう》の|大変動《だいへんどう》に|対《たい》しては、|蠑〓《いもり》、|蚯蚓《みみず》と|身《み》を|潜《ひそ》め、|神威《しんゐ》の|赫灼《かくしやく》たるに|畏縮《ゐしゆく》してその|影《かげ》を|潜《ひそ》めゐたが、やや|世《よ》の|泰平《たいへい》に|馴《な》れ|神人《しんじん》の|心《こころ》に|油断《ゆだん》を|生《しやう》ずるに|及《およ》んで、またもや|悪鬼《あくき》|邪神《じやしん》は|頭《あたま》を|擡《もた》げ|跋扈跳梁《ばつこてうりやう》するの|惨状《さんじやう》となりける。
|神諭《しんゆ》にも、
『この|世界《せかい》は、|悪魔《あくま》が|隙《すき》を|附《つ》け|狙《ねら》うて|居《を》るから、|腹帯《はらおび》をゆるめぬやうに|致《いた》されよ』
と|示《しめ》されたる|如《ごと》く、|一寸《ちよつと》の|油断《ゆだん》あれば|悪神《あくがみ》は|風《かぜ》のごとく|襲《おそ》ひきたつて、その|身魂《みたま》を|悪化《あくくわ》せしめ|根底《ねそこ》の|国《くに》に|落《おと》し|行《ゆ》かむとするものなり。
|盤古神王《ばんこしんわう》(ウラル|彦《ひこ》の|偽称《ぎしよう》)は、|大蛇《をろち》の|霊魂《みたま》に|身魂《しんこん》を|左右《さいう》され、つひには|一派《いつぱ》の|教《をしへ》を|立《た》てた。これを|大中教《だいちうけう》といふ。この|教《をしへ》の|意味《いみ》は、|要《えう》するに|極端《きよくたん》なる|個人主義《こじんしゆぎ》の|教理《けうり》にして、|己一人《おのれひとり》を|中心《ちうしん》とする|主義《しゆぎ》である。|大《だい》は|一人《いちにん》である。|一人《ひとり》を|中心《ちうしん》とするといふ|意義《いぎ》は、|盤古神王《ばんこしんわう》|唯《ただ》|一人《いちにん》、この|世界《せかい》の|神《かみ》であり、|王者《わうじや》であり、|最大《さいだい》|権威者《けんゐしや》である、|此《この》|一人《ひとり》を|中心《ちうしん》として、|総《すべ》ての|命令《めいれい》に|服従《ふくじう》せよと|云《い》ふ|教《をしへ》の|立《た》て|方《かた》であつた。|然《しか》るに|数多《あまた》の|宣伝使《せんでんし》は、|立教《りつけう》の|意義《いぎ》を|誤解《ごかい》し、|大蛇《をろち》や|金狐《きんこ》の|眷属《けんぞく》の|悪霊《あくれい》に|左右《さいう》されて|遂《つひ》には|己《おの》れ|一人《ひとり》を|中心《ちうしん》とするを|以《もつ》て、|大中教《だいちうけう》の|主義《しゆぎ》と|誤解《ごかい》するに|致《いた》つたのである。|実《じつ》に|最《もつと》も|忌《い》む|可《べ》き|利己主義《われよし》の|行《や》り|方《かた》と|変《かは》りける。
この|大中教《だいちうけう》は、|葦原《あしはら》の|瑞穂国《みづほのくに》(|地球上《ちきうじやう》)に|洽《あまね》く|拡《ひろ》がり|渡《わた》りて、|大山杙神《おほやまぐひのかみ》、|小山杙神《こやまぐひのかみ》、|野槌神《のづちのかみ》、|茅野姫神《かやぬひめのかみ》の|跋扈跳梁《ばつこてうりやう》となり、|金山彦《かなやまひこ》、|金山姫《かなやまひめ》、|火焼速男神《ほのやきはやをのかみ》、|迦具槌神《かぐづちのかみ》、|火迦々毘野神《ひのかがびののかみ》、|大宜津姫神《おほげつひめのかみ》、|天《あま》の|磐樟船神《いはくすぶねのかみ》、|天《あま》の|鳥船神《とりぶねのかみ》などの|体主霊従的《たいしゆれいじゆうてき》|荒振《あらぶる》|神々《かみがみ》が、|地上《ちじやう》の|各所《かくしよ》に|顕現《けんげん》するの|大勢《たいせい》を|馴致《じゆんち》したりける。
ここに|於《おい》て|国《くに》の|御柱神《みはしらのかみ》なる|神伊弉冊命《かむいざなみのみこと》は、|地上神人《ちじやうしんじん》の|統御《とうぎよ》に|力《ちから》|尽《つ》き|給《たま》ひて、|黄泉国《よもつくに》に|神避《かむさ》りましたることは、|既《すで》に|述《の》べたる|通《とほ》りなり。
アーメニヤの|神都《しんと》を|南《みなみ》に|距《さ》ること|僅《わづ》かに|数十丁《すうじつちやう》の|田舎《いなか》の|村《むら》を、|東西《とうざい》に|流《なが》れてゐる|可《か》なり|広《ひろ》き|河《かは》あり、|之《これ》をカイン|河《がは》といふ。|春《はる》の|日《ひ》の|日向《ひなた》ぼつこりに、|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》る|四五《しご》の|乞食《こじき》の|群《むれ》あり。|口々《くちぐち》に|何事《なにごと》か|頻《しき》りに|語《かた》らひ|居《を》りぬ。
|甲《かふ》『|世《よ》の|中《なか》の|奴《やつ》は、|乞食《こじき》|三日《みつか》すりや|味《あぢ》が|忘《わす》れられぬと|云《い》うてるさうだ。|一体《いつたい》|乞食《こじき》と|云《い》ふものは|一定《いつてい》の|事業《しごと》もなし、|世界中《せかいぢう》をぶらついて|人《ひと》の|余《あま》り|物《もの》を、|頭《あたま》をペコペコと|下《さ》げて、|貰《もら》つては|食《く》ひ、|名所《めいしよ》|旧蹟《きうせき》を|勝手気儘《かつてきまま》に|飛《と》び|歩《ある》き、|鼻唄《はなうた》でも|謡《うた》つて|気楽《きらく》にこの|世《よ》を|渡《わた》るものの|様《やう》に|考《かんが》へてゐるらしい。なかなか|乞食《こじき》だつて|辛《つら》いものだ。|三日《みつか》も|乞食《こじき》するや、|万劫《まんご》|末代《まつだい》その|辛《つら》さが|忘《わす》れられぬと|云《い》ふことを、|世《よ》の|中《なか》の|利己主義《われよし》の|人間《にんげん》は|苦労《くらう》|知《し》らずだから、そんな|坊《ぼつ》ちやま|見《み》たやうな|囈語《たはごと》を|吐《は》くのだよ。|同《おな》じ|時代《じだい》に|生《うま》れ、|横目立鼻《よこめたちはな》の|神様《かみさま》の|愛児《あいじ》と|生《うま》れて、|一方《いつぱう》には|沢山《たくさん》な|山《やま》や|田地《でんち》を|持《も》ち、|家《いへ》、|倉《くら》を|建《た》て、|妾《てかけ》、|足懸《あしか》けを|沢山《たくさん》に|囲《かこ》うて|綾錦《あやにしき》に|包《つつ》まれ、|毎日々々《まいにちまいにち》|酒《さけ》に|喰《くら》ひ|酔《よ》うて、「|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》は|暗《やみ》よ、|呑《の》め|食《くら》へ|寝《ね》て|転《ころ》べ」なんて、|盤古大尽《ばんこだいじん》を|気取《きど》りやがつて、|天下《てんか》を|吾《わ》が|物《もの》|顔《がほ》してゐる|餓鬼《がき》と、|俺《おれ》らのやうに|毎日々々《まいにちまいにち》|人《ひと》の|家《いへ》の|軒《のき》を|拝借《はいしやく》したり、|樹《き》の|下《した》に|雨露《うろ》を|凌《しの》ぎ、|若布《わかめ》の|行列《ぎやうれつ》か、|雑巾屋《ざふきんや》の|看板《かんばん》のやうな|誠《まこと》にどうも|御立派《ごりつぱ》な|襤褸錦《つづれにしき》を|纏《まと》うてござる|御方《おかた》と|比《くら》べたら|何《ど》うだらう。お|月《つき》さまに|鼈《すつぽん》か、|天《てん》の|雲《くも》に|沼《ぬま》の|泥《どろ》か、|本当《ほんたう》に|馬鹿々々《ばかばか》しい。|之《これ》を|思《おも》へば|俺《おれ》はもう|世《よ》の|中《なか》が|嫌《いや》になつてきた。|一体《いつたい》|盤古大神《ばんこだいじん》てな|奴《やつ》は、ありや|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》の|再来《さいらい》だよ』
|乙《おつ》『コラコラ、|大《おほ》きな|声《こゑ》で|言《い》ふない。それまた|向方《むかふ》へ|変《へん》な|奴《やつ》がきをるぞ。あいつは|山杙《やまぐひ》とか|川杙《かはぐひ》とか|云《い》ふ|悪神《わるがみ》に|使《つか》はれて|居《ゐ》る|奴役人《どやくにん》だらう。この|間《あいだ》も|鈍〓《どんしう》が|盤古神王《ばんこしんわう》の|行《や》り|方《かた》をひそひそ|話《はなし》して|居《ゐ》たら、|山杙《やまぐひ》とかの|狗《いぬ》が|嗅《か》ぎ|出《だ》しやがつて、|無理矢理《むりやり》に|鈍〓《どんしう》を|踏縛《ふんじば》つて、ウラル|山《さん》の|山奥《やまおく》へ|伴《つ》れて|行《い》つて|嬲《なぶり》ものにしたと|云《い》ふことだ。|恐《こは》い|恐《こは》い、|鬼《おに》の|世《よ》の|中《なか》だ。|黙《だま》つて|居《を》れ|居《を》れ。|言《い》はぬは|言《い》ふにいや|優《まさ》るだ』
この|時《とき》、|黒《くろ》い|目《め》をぎよろつかせた|顔色《がんしよく》の|赭黒《あかぐろ》い|目付役《めつけやく》が、|乞食《こじき》の|群《むれ》の|前《まへ》に|立《た》ち|止《ど》まり、
『ヤイ、|貴様《きさま》は|今《いま》|何《なに》を|囁《ささや》いてゐたのか』
|甲《かふ》『ハイ、|結構《けつこう》なお|日和《ひより》さまで|暖《あたた》かいことでございますな。|嬉《うれ》しさうに|四方《よも》の|山々《やまやま》は|笑《わら》ひ、|鳥《とり》は|花《はな》の|木《き》に|歌《うた》つてゐます。|実《じつ》に|結構《けつこう》な|天国《てんごく》の|春《はる》ですな。これも|全《まつた》く|盤古神王様《ばんこしんわうさま》の|御仁政《ごじんせい》の|賜《たまもの》と|思《おも》へば、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》がこぼれます。ハイハイ』
と|他事《よそごと》をいふ。|目付役《めつけやく》はやや|声《こゑ》を|尖《とが》らして、
『|馬鹿《ばか》ツ、そんなことを|言《い》つて|居《を》るのぢや|無《な》い。|今《いま》|何《なに》を|囁《ささや》いてゐたかといふのだ』
|甲《かふ》は|首《くび》を|傾《かたむ》け、|耳《みみ》を|手《て》で|囲《かこ》ふやうな|風《ふう》して|聾《つんぼ》を|装《よそほ》ひ、
『|私《わたくし》は|一寸《ちよつと》|耳《みみ》が|遠《とほ》いので、しつかり|貴方《あなた》の|御言葉《おことば》は|聞《き》きとれませぬが、|何《なん》でも|囁《ささや》くとか【ささ】を|呑《の》んでゐるとか、|仰有《おつしや》るやうに|聴《き》きました。|間違《まちが》ひましたら|真平《まつぴら》|御免《ごめん》なさい。イヤもうこの|頃《ごろ》は、|日《ひ》は|長《なが》し|腹《はら》は|減《へ》るなり、|喉《のど》は|渇《かわ》くなり、|甘《うま》い【ささ】の|一杯《いつぱい》でも|呑《の》ましてくれる|人《ひと》があれば、|本当《ほんたう》に|結構《けつこう》ですが、|今《いま》このカイン|河《がは》の|水《みづ》をどつさり|呑《の》んで、【ささ】やつとこせいと|腹《はら》を|叩《たた》きました。|腹《はら》はよう|鳴《な》りますよ。|私《わたくし》の|聾《つんぼ》でさへ|聞《きこ》えるくらゐですから、|貴方《あなた》がたが|御聴《おき》きになつたら、|本当《ほんたう》に|面白《おもしろ》いでせうよ。|尾《を》も|白狸《しろだぬき》の|腹鼓《はらつづみ》、|面白《おもしろ》うなつておいでたな。【ささ】やつとこせー、よーいやな。なんぼよういやなと|云《い》つたつて、|水《みづ》では|尚且《やつぱり》|酔《ゑひ》がまはらぬ。よい【ささ】|一杯《いつぱい》ふれまつて|下《くだ》さい』
と|屁《へ》に|酔《よ》うたやうな|答《こた》へに、|目付《めつけ》も|取《とり》つくしまも|無《な》く、|面《つら》ふくらし|踵《きびす》を|返《かへ》して|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
(大正一一・一・二二 旧大正一〇・一二・二五 外山豊二録)
第三二章 |瓔珞《えうらく》の|河越《かはごえ》〔二八二〕
|目付役《めつけやく》の|姿《すがた》が|見《み》えなくなつたので、ホツと|安心《あんしん》したもののごとく、|一同《いちどう》はヤレヤレと|胸《むね》を|撫《な》で|下《おろ》し、
|乙《おつ》『アヽ|危《あぶ》なかつたのー。【すんで】のことで|女郎《ぢよらう》でも|無《な》いのに、わが|身《み》をウラル|山《さん》の|山奥《やまおく》に、|引捉《ひつとら》へられて|行《ゆ》く|所《とこ》だつたい。|本当《ほんたう》に|利己主義《われよし》の|強《つよ》い|者《もの》|勝《が》ちの|世《よ》の|中《なか》ぢやないか。われわれは|斯《こ》んな|世《よ》には|住《すま》へないよ。|寧《いつ》そ|食《く》つて|死《し》ぬか、|食《く》はずに|死《し》ぬか、|思《おも》ひきり|大洪水《だいこうずゐ》ぢやないが、|堤《どて》|切《き》つて|暴《あば》れてやつたら|何《どう》だらう』
|丙《へい》は、|黒《くろ》い|目《め》をぎよろつかせ、|顎《あご》の|下《した》のむしやむしや|髯《ひげ》を|捻《ひね》りながら、
『|一体《いつたい》|全体《ぜんたい》この|世《よ》の|中《なか》は|何《なん》と|思《おも》ふ。|貴様《きさま》らは|人間《にんげん》の|世界《せかい》と|思《おも》つてゐるのか。|第一《だいいち》その|点《てん》からして|大間違《おほまちが》ひだよ。|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》といふ|大《おほ》きな|魔《ま》や、|金毛九尾《きんまうきうび》といふ|大魔狐《だいまこ》や|鬼《おに》の|大魔《だいま》の|蔓延《はびこ》る|世《よ》の|中《なか》だ。さうしてその|魔神《ましん》|共《ども》が、|今《いま》の|勢力《せいりよく》ある|神人《かみがみ》に【のり】|憑《うつ》つて、いろいろの|事《こと》を|為《さ》して|弱《よわ》い|者虐《いぢ》めをやるのだよ。それで|偉《えら》い|神《かみ》さまだと|思《おも》つたら|大魔違《おほまちが》ひだといふのだ。こんな|所《ところ》へ|魔誤魔誤《まごまご》してゐると、|魔《ま》【かり】|違《ちが》へばまたまた|夫《そ》れウラル|山《さん》ぢや。|何《なに》ほど|恨《うら》めしいと|云《い》つたつて|仕方《しかた》が|無《な》いよ。|永居《ながゐ》は|恐《おそ》れだ。|早《はや》くこの|河《かは》を|渡《わた》つて|対岸《むかう》へ|遁《に》げろ|遁《に》げろ』
|甲《かふ》『|魔《ま》の|世界《せかい》なら|河《かは》の|対岸《むかう》にも、|魔《ま》が【けつか】らア。|何《ど》うなるも|皆《みな》|各自《めいめい》の|運《うん》だよ、|今《いま》の|奴《やつ》は「|運《うん》は|天《てん》に|在《あ》り」なんて|吐《ぬか》しよるが|運《うん》が|聞《き》いて|呆《あき》れる。|糞《くそ》いまいましい、|尻《しり》が|呆《あき》れるワ。|今頃《いまごろ》はウラル|彦《ひこ》は、|沢山《たくさん》な|白首《しらくび》を|左右《さいう》に|侍《はんべ》らして「|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》は|暗《やみ》よ」なんて、|悟《さと》つたらしいことを|云《い》ひよつて、おまけに|宣伝歌《せんでんか》とやらを|世界《せかい》へ|拡《ひろ》め、|酒《さけ》の|税《ぜい》を|徴《と》る|手段《しゆだん》を|考《かんが》へて|酒《さけ》の|宣伝歌《せんでんか》を|聞《き》かぬものは|踏縛《ふんじば》つて|了《しま》ふなんて、|本当《ほんたう》に|乱暴《らんばう》|極《きは》まるぢやないか。|沢山《たくさん》|物《もの》を|持《も》つてゐる|奴《やつ》は、|呑《の》ンだり|騒《さわ》いだりしとつてもよいが、|朝《あさ》は|冷飯《ひやめし》|食《く》つて|昼間《ひるま》には|何処《どこ》の|何処《いづこ》で|戴《いただ》かうやらといふ|乞食《こじき》の|分際《ぶんざい》では、|何《なに》も|彼《か》もあつたものぢやない。そんな|教《をしへ》は|沢山《たくさん》な|財産《ざいさん》のある|奴《やつ》の|守《まも》ることだ。|貧乏人《びんばふにん》や|乞食《こじき》|仲間《なかま》にや|適用《てきよう》できぬ【ごうたく】だ。それでも|宣伝使《せんでんし》が|通《とほ》つた|時《とき》は、|大地《だいち》に|跪《ひざまづ》かされて|歌《うた》を|聞《き》かされるのだ。|宣伝使《せんでんし》とやらいふ|奴《やつ》は|瓢箪《へうたん》を|粟島《あはしま》さまのやうに、|腰《こし》のあたりに|沢山《たくさん》ぶら|下《さ》げよつて、|一《ひと》つ|謡《うた》うては|呑《の》み、|一《ひと》つ|謡《うた》うては|呑《の》みして、さうしてその|歌《うた》を|謹《つつし》んで|聞《き》けと|云《い》ひよるのだ。|若《も》し|聞《き》かぬときは、|右《みぎ》の|手《て》に|持《も》つてゐるあの|剣《つるぎ》で、|処《ところ》|構《かま》はず、|斬《き》つたり|突《つ》いたりするのだから|堪《たま》らぬ。|俺《おい》らは|猫《ねこ》を|冠《かぶ》つて、|目《め》をつぶつて|聞《き》いてやつて|居《ゐ》ると、|咽喉《のど》の|虫《むし》|奴《め》が|酒《さけ》を|欲《ほ》しがりよつて、|猫《ねこ》の|喉《のど》のやうにゴロゴロ|吐《ぬ》かすぢやないか。|有難《ありがた》くも、|甘《うま》くも|何《なん》ともありやしない。|宣伝使《せんでんし》は|好《よ》い|気《き》になりよつて、|同《おな》じ|事《こと》を|繰返《くりかへ》し、|俺等《おいら》に|見《み》せびらかしよつて、|宣伝《せんでん》も|糞《くそ》もあつたものぢやない。|業腹《ごふはら》が|立《た》つて、むかついて|嘔吐《あげ》さうになつてくるよ。なんぼ|呑《の》めよ、|騒《さわ》げよといつたつて|俺《おい》らのやうな|乞食《こじき》は、|呑《の》ンで|騒《さわ》ぐことはできはせぬ。|酒《さけ》は|一滴《いつてき》もくれるものは|無《な》いのだもの』
|丁《てい》『|呑《の》めよ|呑《の》めよといつたつて、|酒《さけ》を|呑《の》めと|云《い》つて|居《ゐ》るのぢやない。|何《なに》を|呑《の》むのか|知《し》れやしない。|腹《はら》が|減《へ》つたら|水《みづ》でも|呑《の》ンで|騒《さわ》げと|云《い》ふのか。|懐《ふところ》に|短刀《たんたう》いないな|松魚《かつを》でも|呑《の》んで|騒《さわ》げといふのか。まさか|違《ちが》うたら、|泥水《どろみづ》でも|小便《せうべん》でも|呑《の》めと|吐《ぬ》かすのか|判《わか》りやしない。それなら|宣伝歌《せんでんか》も|徹底《てつてい》してゐるが、|呑《の》み|込《こ》みが|悪《わる》いと|腹《はら》が|立《た》つのぢや』
|甲《かふ》『|貴様《きさま》そら|何《なに》を|吐《ぬ》かす。|口《くち》に|番所《ばんしよ》が|無《な》いと|思《おも》ひよつて、|馬鹿《ばか》なことを|吐《ぬ》かすも|程《ほど》がある。|貴様《きさま》は|大方《おほかた》ウラル|彦《ひこ》の|間諜《まはしもの》だな。|今《いま》|帰《かへ》つて|往《ゆ》きよつた|目付《めつけ》と|何《なん》だか|妙《めう》な|風《ふう》をしよつて、|顎《あご》をしやくりよつて|合図《あひづ》をさらしとつたやうだ。そんな|事《こと》はチヤーンと|此方《こつち》の|黒《くろ》い|眼《まなこ》で|睨《にら》んであるのだ。オイ|兄弟《きやうだい》、|此奴《こいつ》は|狗《いぬ》だ。|河《かは》へぶち|込《こ》め、ぶち|込《こ》め』
|一同《いちどう》『オー、それがよからう。|薩張《さつぱり》|河《かは》へ|流《なが》れ|勘定《かんぢやう》だ。|河《かは》の|水《みづ》でも、どつさり|呑《の》んで、「|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》は|暗《やみ》よ」だ。それより|前《まへ》に|先《ま》づ|吾々《われわれ》|一統《いつとう》の|小便《せうべん》や|糞《くそ》を|呑《の》めよ|喰《くら》へよ、さうして【くたばれ】』
と|毒吐《どくつ》きながら、|手足《てあし》を|引浚《ひつさら》へ、カイン|河《がは》へざむぶと|許《ばか》り|投《な》げ|込《こ》みにける。
|乙《おつ》『オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、|気《き》を|付《つ》け。|向方《むかう》|見《み》よ、|向《むか》うを。また|何《なに》か|来《き》よつたぜ』
|丙《へい》『|何《なに》が|来《き》たのだい』
|乙《おつ》『それ|目《め》を|開《あ》けて|見《み》ろ。|瓔珞《えうらく》さまだ』
|丙《へい》『|瓔珞《えうらく》さまて|何《なん》だい』
|乙《おつ》『わからぬ|奴《やつ》ぢやな。|俺等《おいら》の|仲間《なかま》と|同《おな》じ|風《ふう》してる|奴《やつ》さ』
|丙《へい》『|俺《おい》らはそんな|立派《りつぱ》な|瓔珞《えうらく》のやうなものを|頭《あたま》に|被《かぶ》つたことは、|夢《ゆめ》にも|無《な》いぢやないか』
|乙《おつ》『|馬鹿《ばか》、【うんばら】、【さんばら】、|若布《わかめ》の|行列《ぎやうれつ》、|襁褓《しめし》の|親分《おやぶん》、|雑巾屋《ざふきんや》の|看板《かんばん》、【けつ】でも|喰《くら》へと|云《い》ふやうな|襤褸《つづれ》の|錦《にしき》を|御召《おめ》し|遊《あそ》ばした|天下《てんか》のお|乞食様《こじきさま》だ。|併《しか》し|彼奴《きやつ》は|本当《ほんたう》の|吾々《われわれ》の|仲間《なかま》と|思《おも》つたら|間違《まちが》ひだ。きつと|狗《いぬ》だよ。|気《き》を|付《つ》けよ』
|丙《へい》『|狗《いぬ》だといふが|些《ちつ》とも|往《い》なぬぢやないか。だんだん|此方《こつち》へ|寄《よ》つて|来《き》|居《を》るぞ』
|戊《ぼう》『|来《き》をる|来《き》をる。こいつは|怪《あや》しい。|遁《に》げろ にげろ』
と|瓔珞《えうらく》さまの|一隊《いつたい》は、|尻《しり》ひつからげ|河《かは》を|流《なが》れ|渡《わた》りに、ザブザブと|音《おと》をさせながら、|対岸《むかう》の|樹《き》の【しげみ】に|姿《すがた》を|隠《かく》しける。
この|体《てい》を|見《み》て|今《いま》|来《き》かかつた|偽乞食《にせこじき》は、
『オーイオーイ。|誰《たれ》でもよい、|今《いま》そこへ|往《ゆ》く|奴《やつ》を|一人《ひとり》でも|捕《とら》へたら|褒美《ほうび》をやるぞ』
と|対岸《かはむかう》から|叫《さけ》びゐたりける。
(大正一一・一・二二 旧大正一〇・一二・二五 外山豊二録)
第三三章 |五大教《ごだいけう》〔二八三〕
『|可飲《かいん》の|流《なが》れは|止《と》まるとも  とめて|止《と》まらぬ|色《いろ》の|道《みち》
|酒《さけ》と|博奕《ばくち》は|猶《なほ》やまぬ  |飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》と
|旨《うま》いこといふ|宣伝使《せんでんし》  |俺《おい》らは|裸体《はだか》で|蓑蟲《みのむし》の
|雨《あめ》に|曝《さら》され|荒風《あらかぜ》に  |吹《ふ》かれて|深山《みやま》の|霜《しも》を|踏《ふ》み
|常夜《とこよ》の|露《つゆ》に|曝《さら》されて  |飲《の》み|渡《た》き|酒《さけ》もヱー|飲《の》まず
|食《く》ひたいものもヨー|食《く》はず  |人《ひと》の|屑《くづ》やら|余《あま》りもの
|貰《もら》うて|其《その》|日《ひ》をひよろひよろと  |渡《わた》る|浮世《うきよ》の|丸木橋《まるきばし》
|吾《わが》|身《み》に|襤褸《ぼろ》は|纏《まと》へども  |肝腎要《かんじんかなめ》の|魂《たましひ》は
|錦《にしき》を|飾《かざ》る|大丈夫《ますらを》ぞ  ウラルの|彦《ひこ》の|邪曲《よこしま》に
|虐《しひた》げられて|吾々《われわれ》は  |昨日《きのふ》は|山《やま》に|今日《けふ》は|又《また》
|野辺《のべ》の|嵐《あらし》に|晒《さら》されて  |臭《くさ》い|狗《いぬ》めに|嗅出《かぎだ》され
|捕《つかま》へられて|何時《いつ》の|日《ひ》か  ウラルの|山《やま》に|連《つ》れ|行《ゆ》かれ
|舌《した》を|捩《ねじ》られ|眼《め》を|抜《ぬ》かれ  |手足《てあし》を|菱《ひし》に|縛《しば》られて
|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|暢気《のんき》なる  |歌《うた》を|聞《き》かされ|木兎《みみづく》の
|身《み》の|行《ゆ》く|果《はて》を|偲《しの》ぶれば  この|世《よ》は|鬼《おに》か|大蛇《をろち》か|暗《やみ》の|夜《よ》か
|旦《あした》の|露《つゆ》と|消《き》ゆる|身《み》の  |実《げ》にも|果敢《はか》なき|身《み》の|宿世《すぐせ》
|救《すく》ひの|神《かみ》は|何時《いつ》の|世《よ》か  |天《あめ》より|降《くだ》り|来《きた》るらむ
|助《たす》けの|船《ふね》は|何時《いつ》の|日《ひ》か  |海《うみ》の|底《そこ》より|浮《うか》び|出《で》む
|憂《うれ》ひに|沈《しづ》む|吾々《われわれ》は  |何時《いつ》の|世《よ》にかは|浮《うか》ばれむ
|嗚呼《ああ》|味気《あぢき》なの|闇《やみ》の|世《よ》や  |嗚呼《ああ》あぢきなの|闇《やみ》の|夜《よ》や』
と|謡《うた》ひながら、エデン|川《がは》の|岸《きし》を|降《くだ》る|漂浪神《さすらいがみ》の|一群《ひとむれ》があつた。このとき|前方《ぜんぱう》より、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》ける
|魂《たま》を|研《みが》けよ|立替《たてか》へよ  |身《み》の|行《おこな》ひも|立《た》て|直《なお》せ
|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|守《まも》る』
と|節《ふし》|面白《おもしろ》く|謡《うた》ひ|来《く》る|宣伝使《せんでんし》ありけり。|是《これ》は|黄金山《わうごんざん》の|麓《ふもと》に、この|混乱《こんらん》|紛糾《ふんきう》の|世《よ》を|救《すく》ふべく、|埴安彦《はにやすひこ》といふ|大神《おほかみ》|現《あら》はれて、|五大教《ごだいけう》といふ|教《をしへ》を|立《た》てられ、その|宣伝使《せんでんし》なる|東彦《あづまひこ》と|云《い》ふ|神人《かみ》なりき。|一行《いつかう》はこの|声《こゑ》を|聞《き》いて|耳《みみ》を|傾《かたむ》けゐる。|宣伝使《せんでんし》は|猶《なほ》も、|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひながら|此方《こなた》に|向《むか》つて|進《すす》み|来《き》たる。
|宣伝使《せんでんし》は、|蓑笠《みのかさ》を|纏《まと》ひ、|草鞋脚絆《わらぢきやはん》の、|身軽《みがる》な|扮装《いでたち》にて|宣伝歌《せんでんか》を|高唱《かうしやう》しながら、|一行《いつかう》と|行《ゆ》き|違《ちが》ひ|進《すす》み|行《ゆ》く。|一同《いちどう》は|互《たがひ》に|顔《かほ》を|見合《みあは》せ、
|甲《かふ》『|今《いま》の|歌《うた》は|何《なん》だか、|吾々《われわれ》の|耳《みみ》にはいり|易《や》すい|様《やう》な|気《き》がして、|何処《どこ》ともなく|面白《おもしろ》いぢやないか』
|乙《おつ》『ウン、さう|云《い》へばさうだ。|神様《かみさま》の|御声《みこゑ》のやうにも|響《ひび》いた』
|丙《へい》『|兎《と》もかく|呼《よ》び|止《と》めて、|詳《くは》しい|話《はなし》を|聞《き》いたらどうだ』
|丁《てい》『|呼《よ》び|止《と》めたつて、|吾々《われわれ》のような|人間《にんげん》に、|振《ふ》り|向《む》いては|呉《く》れはしないだらう。|恥《はぢ》をかくよりは、|止《よ》したらどうだ』
|丙《へい》『|馬鹿《ばか》|云《い》へ、|人《ひと》を|助《たす》けるのが|宣伝使《せんでんし》だ。そりや、|屹度《きつと》|呼《よ》び|止《と》めたら、|待《ま》つてくれるよ』
|一同《いちどう》『それがよからう。オーイ オーイ』
と|一同《いちどう》は|声《こゑ》を|揃《そろ》へ、|右手《みぎて》をあげてさし|招《まね》いた。|宣伝使《せんでんし》はあと|振返《ふりかへ》りつつ、こなたを|見詰《みつ》めてゐた。そこへ|一人《ひとり》のみすぼらしい|男《をとこ》が、|一行《いつかう》の|中《なか》から|抜擢《ばつてき》されて|走《はし》つて|行《い》つた。そして|宣伝使《せんでんし》の|前《まへ》に|手《て》を|突《つ》き、
『|貴神《あなた》の|御歌《おうた》を、|吾々《われわれ》は|承《うけたま》はりまして、|何《なん》とも|知《し》れぬ|心《こころ》に|力《ちから》が|着《つ》いた|様《やう》に|思《おも》ひます。どうぞ|御面倒《ごめんだう》でもありませうが、|吾々《われわれ》|一同《いちどう》を|救《すく》ふ|為《ため》に、|詳《くは》しい|御話《おはなし》を|聞《き》かして|戴《いただ》けませぬか』
と|真心《まごころ》を|面《おもて》に|現《あら》はして|頼《たの》み|込《こ》んだ。|宣伝使《せんでんし》は、
『|吾《われ》は|天下《てんか》の|混乱《こんらん》|窮乏《きうばふ》を|救《すく》はむために、|黄金山麓《わうごんさんろく》に|現《あら》はれ|玉《たま》ふ|埴安彦命《はにやすひこのみこと》の|教《をしへ》を|奉《ほう》じて、|天下《てんか》に|宣伝《せんでん》するものであります。|吾々《われわれ》の|宣伝《せんでん》を|御聞《おきき》き|下《くだ》さるならば、|喜《よろこ》んでこれに|応《おう》じます』
といつた。そのうちに、|一同《いちどう》は|宣伝使《せんでんし》の|傍《かたはら》に|集《あつ》まり|来《きた》り、|一々《いちいち》|鄭重《ていちよう》に|会釈《ゑしやく》をした。|宣伝使《せんでんし》もまた|慇懃《いんぎん》に|礼《れい》を|返《かへ》し、|傍《かたはら》の|美《うる》はしき|平《ひら》たき|岩《いは》の|上《うへ》に|座《ざ》を|占《し》め、|一同《いちどう》はその|周囲《しうゐ》に|坐《ざ》して、|問答《もんだふ》を|始《はじ》めける。
|甲《かふ》『|只今《ただいま》の|御歌《おうた》の|中《なか》に、「|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて、|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》ける」といふ|御言葉《おことば》がありましたが、|実際《じつさい》にこの|世《よ》に、|吾々《われわれ》を|守《まも》つて|下《くだ》さる|尊《たふと》い|神《かみ》が|在《あ》るのでせうか。|善悪《ぜんあく》を|公明正大《こうめいせいだい》に|審判《さば》いて|下《くだ》さる|誠《まこと》の|神《かみ》が|現《あら》はれますのでせうか。|吾々《われわれ》はこの|事《こと》のみが|日夜《にちや》|気《き》にかかつてなりませぬ』
|宣伝使《せんでんし》は|答《こた》へていふ。
『この|世界《せかい》は|誠《まこと》の|神様《かみさま》が、|御造《おつく》り|遊《あそ》ばしたのである。さうして|人間《にんげん》は、|御用《ごよう》を|努《つと》める|様《やう》に、|神《かみ》が|御造《おつく》りになつたのである。|神《かみ》は|人間《にんげん》を|生宮《いきみや》として|是《これ》に|降《くだ》り、|立派《りつぱ》な|世《よ》を|開《ひら》かうと|日夜《にちや》|焦慮《せうりよ》して|居《を》られます。あなた|方《がた》|一同《いちどう》の|肉体《にくたい》もまた、|尊《たふと》き|神様《かみさま》の|霊魂《みたま》と|肉《にく》とを|分《わ》け|与《あた》へられて|造《つく》られた|人間《にんげん》である。さうして|神様《かみさま》の|生宮《いきみや》となつて、|働《はたら》くべき|結構《けつこう》な|万物《ばんぶつ》の|霊長《れいちやう》である。|然《しか》るに|人間《にんげん》の|本分《ほんぶん》を|忘《わす》れて、ただただ|飲食《のみくひ》や、|色《いろ》の|道《みち》ばかりに|耽溺《たんでき》するのは、|神様《かみさま》に|対《たい》して、|最《もつと》も|深《ふか》き|罪悪《ざいあく》である。|世《よ》の|中《なか》には|善《ぜん》の|神《かみ》もあれば、|悪《あく》の|神《かみ》もある。さうして|善《ぜん》の|神《かみ》|一人《ひとり》に|対《たい》し、|悪《あく》の|神《かみ》は|九百九十九人《きうひやくきうじふきうにん》の|割合《わりあひ》に、|今《いま》の|世《よ》はなつてしまつてゐる。そこで|神様《かみさま》は、この|世界《せかい》を|清《きよ》め、|神《かみ》の|生宮《いきみや》たる|人間《にんげん》の|身魂《みたま》を|清《きよ》めて、|立派《りつぱ》な|神国《しんこく》を|建《たて》むと|思召《おぼしめ》し、|宣伝使《せんでんし》を|四方《しはう》に|派遣《はけん》され|居《を》るなり』
と、|大略《たいりやく》を|物語《ものがた》りける。
|甲《かふ》『|吾々《われわれ》はどうしても、|合点《がつてん》の|行《ゆ》かぬことが|沢山《たくさん》あります。それで|貴神《あなた》に|御尋《おたづ》ねをしたいと|思《おも》つて、|呼《よ》び|止《と》めました。|一体《いつたい》|今日《こんにち》の|人間《にんげん》は、|広《ひろ》い|山《やま》や|野《の》を|独占《どくせん》し、さうして|吾々《われわれ》の|働《はたら》く|処《ところ》もなく、また|働《はたら》かしてもくれない。|何《なに》ほど|働《はたら》くに|追《お》ひ|付《つ》く|貧乏《びんばふ》なしと|云《い》つても、|働《はたら》く|種《たね》がなければ、|吾々《われわれ》は|乞食《こじき》でもするより、|仕方《しかた》がないではありませぬか。|勿論《もちろん》|吾々《われわれ》は、|遊《あそ》んで|楽《らく》に|飲《の》んだり|食《く》つたり、|贅沢《ぜいたく》をしようとは|思《おも》ひませぬ。|唯《ただ》|働《はたら》いて、|親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》が、その|日《ひ》をどうなりと、|暮《くら》すことが|出来《でき》ればそれで|満足《まんぞく》するのであります。|然《しか》るに|吾々《われわれ》は、この|広《ひろ》い|天《あめ》が|下《した》に、|脚踏《あしふ》み|立《た》てる|場所《ばしよ》も|持《も》つて|居《を》りませぬ。|皆《みな》|強《つよ》い|者《もの》、|大《おほ》きな|者《もの》に、|独占《どくせん》されて、|働《はたら》くに|処《ところ》なく、|親子《おやこ》|兄弟《きやうだい》は、ちりぢりばらばらになり、|天《あめ》が|下《した》を|苦《くる》しみながら、|漂浪《さすら》ひつつわづかにその|日《ひ》を|暮《くら》してをります。こんな|世《よ》の|中《なか》を|立替《たてか》へて|御日様《おひいさま》の|御照《おてら》しの|様《やう》に、|万遍《まんべん》なく、|吾々《われわれ》にも|天地《てんち》の|恵《めぐみ》が|身《み》に|潤《うるほ》ふ|事《こと》ができるならば、こんな|有難《ありがた》いことはなからうと|思《おも》ひます。さうしてその|結構《けつこう》な|神様《かみさま》は|何時《いつ》|御現《おあら》はれになりませうか』
と|首《くび》を|傾《かたむ》け、|宣伝使《せんでんし》の|顔《かほ》を|覗《のぞ》き|込《こ》む。|宣伝使《せんでんし》は|両眼《りやうがん》に|涙《なみだ》を|湛《たた》へながら、
『|空《そら》|翔《た》つ|鳥《とり》も、|野辺《のべ》に|咲《さ》く|花《はな》も、みな|神様《かみさま》の|厚《あつ》き|恵《めぐみ》をうけて、|完全《くわんぜん》に|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けてをります。|况《いは》んや|万物《ばんぶつ》の|霊長《れいちやう》たり、|神《かみ》の|生宮《いきみや》たる|人間《にんげん》に|於《おい》ておや。|神様《かみさま》の|御守《おまも》りがどうして|無《な》いといふ|事《こと》がありませうか。ただ|何事《なにごと》も|神様《かみさま》の|御心《みこころ》に|任《まか》せ、|今日《けふ》|只今《ただいま》を、|有難《ありがた》い|有難《ありがた》いで|暮《くら》して|行《ゆ》けば、|神様《かみさま》は|花《はな》|咲《さ》く|春《はる》に|会《あ》はして|下《くだ》さいます。|世《よ》の|中《なか》は|暗夜《やみよ》ばかりではない、|暗夜《やみよ》があつても|何時《いつ》かは|夜《よ》が|明《あ》ける。|冷《つめ》たい|雪《ゆき》の|降《ふ》る|冬《ふゆ》があれば、また|長閑《のどか》な|花《はな》|咲《さ》き|鳥《とり》|唄《うた》ふ|春《はる》が|出《で》て|来《く》る|様《やう》に、きつと|苦《くるし》みの|後《あと》には|楽《たの》しみがあります。あなた|方《がた》も|働《はたら》く|場所《ばしよ》がないからといつて、そこら|中《ぢう》を|漂浪《さまよ》ひなさるのも、|無理《むり》はありませぬが、この|世界《せかい》は|皆《みな》|神様《かみさま》のものである。|人間《にんげん》のものは、|足《あし》の|裏《うら》に|附《つ》いて|居《ゐ》る|土埃《つちほこり》|一《ひと》つだもありませぬ。|今《いま》の|人間《にんげん》は|広大《くわうだい》な|山野《さんや》を|独占《どくせん》して、|自分《じぶん》のもののやうに|思《おも》つてゐるが、|命数《めいすう》|尽《つ》きて、|幽界《いうかい》に|至《いた》るときは、いかなる|巨万《きよまん》の|財宝《ざいほう》も、|妻子《さいし》も、|眷属《けんぞく》も|一切《いつさい》を|捨《す》てて、ただ|独《ひとり》トボトボと|行《ゆ》かねばならぬのである。|唯《ただ》|自分《じぶん》の|連《つ》れとなるものは|深《ふか》い|罪《つみ》の|重荷《おもに》ばかりである。あなた|方《がた》も、|神《かみ》を|信《しん》じ、|誠《まこと》|一《ひと》つの|心《こころ》を|持《も》つて、この|広《ひろ》い|天地《てんち》の|間《あひだ》に|活動《くわつどう》なさい。きつと|神様《かみさま》が|幸《さいはひ》を|与《あた》へて|下《くだ》さいます。この|地《ち》の|上《うへ》の|形《かたち》ある|宝《たから》は、|亡《ほろ》ぶる|宝《たから》であります。|水《みづ》に|流《なが》れ|火《ひ》に|焼《や》かれ、|虫《むし》に|蝕《く》はれ、|錆朽《さびく》ちる、|果敢《はか》ない|宝《たから》である。それよりも|人間《にんげん》は、|永遠無窮《ゑいゑんむきう》に|朽《く》ちず、|壊《くづ》れず、|焼《や》けず、|亡《ほろ》びぬ|誠《まこと》といふ|一《ひと》つの|宝《たから》を|神《かみ》の|御国《みくに》に|積《つ》む|事《こと》を|努《つと》めねばなりませぬ』
と|諄々《じゆんじゆん》として|五大教《ごだいけう》の|教理《けうり》を|説《と》き|勧《すす》めたるに、|一同《いちどう》は|呼吸《いき》を|凝《こ》らして、|熱心《ねつしん》に|宣伝使《せんでんし》の|教示《けうじ》を|聞《き》き|入《い》りぬ。この|時《とき》またもや、|声《こゑ》|張《は》り|揚《あ》げて、
『この|世《よ》を|創造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |御魂《みたま》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》は|皆《みな》  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
|身《み》の|過《あやまち》は|宣《の》り|直《なほ》せ』
と|謡《うた》ひつつ、|此方《こなた》に|向《むか》つて|進《すす》み|来《く》る|宣伝使《せんでんし》ありけり。
(大正一一・一・二二 旧大正一〇・一二・二五 藤原勇造録)
第三四章 |三大教《さんだいけう》〔二八四〕
|黄金山下《わうごんさんか》の|埴安彦神《はにやすひこのかみ》の|教示《けうじ》を|天下《てんか》に|宣伝《せんでん》する|東彦《あづまひこ》は、|一同《いちどう》を|集《あつ》め、|岩上《がんじやう》に|端坐《たんざ》し|五大教《ごだいけう》の|教理《けうり》を|説示《せつじ》する|折《をり》しも、|遥《はるか》の|前方《ぜんぱう》より、|又《また》もや|白髪《はくはつ》|異様《いやう》の|宣伝使《せんでんし》|現《あら》はれ|来《きた》り、
『この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |御魂《みたま》もひろき|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》せ』
と|節《ふし》|面白《おもしろ》く|謡《うた》ひつつ、|此方《こなた》に|向《むか》ひて|進《すす》み|来《く》る。
|頭髪《とうはつ》は|飽《あ》くまで|白《しろ》く、|髯《ひげ》は|八握《やつか》の|胸先《むなさき》に|垂《た》れ、|是《これ》また|純白《じゆんぱく》にして、|銀《ぎん》の|如《ごと》き|光沢《くわうたく》を|放《はな》ち|居《ゐ》たり。
この|宣伝使《せんでんし》は、|霊鷲山麓《りやうしうさんろく》の|玉《たま》の|井《ゐ》の|郷《さと》に|現《あら》はれ|出《い》でたる|三葉彦神《みつばひこのかみ》の|教理《けうり》|三大教《さんだいけう》を、|天下《てんか》に|宣布《せんぷ》する|北光天使《きたてるのかみ》であつた。さうしてこの|霊鷲山《れいしうざん》は|印度《いんど》と|西蔵《チベツト》の|境《さかひ》に|屹立《きつりつ》する|高山《かうざん》であり、|黄金山《わうごんざん》は|聖地《せいち》ヱルサレムの|傍《かたはら》に|聳《そび》え|立《た》つ|橄欖山《かんらんざん》の|別名《べつめい》なり。
|白髪《はくはつ》|異様《いやう》の|老宣伝使《らうせんでんし》は、|東彦天使《あづまひこのかみ》の|宣教《せんけう》を|耳《みみ》を|澄《す》ませて|路傍《ろばう》に|立《た》ちながら|静《しづか》に|聴《き》き|入《い》る。|東彦天使《あづまひこのかみ》はこの|宣伝使《せんでんし》が、|吾《わが》|傍《かたはら》に|来《きた》りて|教理《けうり》を|立聞《たちぎ》きせることを|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|一心不乱《いつしんふらん》に|側目《わきめ》も|振《ふ》らず|五大教《ごだいけう》の|教理《けうり》を|説示《せつじ》しつつありき。
|北光天使《きたてるのかみ》は|一同《いちどう》に|目礼《もくれい》するのも|打忘《うちわす》れ、|襟《えり》を|正《ただ》して|無我夢中《むがむちう》にこの|教理《けうり》を|聴《き》きつつありき。|東彦天使《あづまひこのかみ》は|少《すこ》しく|息《いき》を|休《やす》めむとして|口《くち》を|閉《と》ぢ、あたりを|見《み》れば、|白髪《はくはつ》|異様《いやう》の|宣伝使《せんでんし》が|平岩《ひらいは》の|傍《かたはら》に|佇立《ちよりつ》しゐるに|驚《おどろ》き、
『|貴下《あなた》は|何人《なにびと》なるや』
と|軽《かる》き|目礼《もくれい》と|共《とも》に|問《と》ひかくるに、|白髪《はくはつ》|異様《いやう》の|宣伝使《せんでんし》は、|慇懃《いんぎん》に|答礼《たふれい》を|施《ほどこ》しながら、
『|吾《われ》は|霊鷲山《りやうしうざん》の|麓《ふもと》に|坐《ま》します|三葉彦神《みつばひこのかみ》の|宣伝使《せんでんし》なり。|今《いま》|貴下《きか》の|御説示《ごせつじ》を|聴《き》き|感歎《かんたん》|措《お》く|能《あた》はず|拝聴《はいちやう》したり。|願《ねが》はくは|吾《われ》にも|教理《けうり》の|蘊奥《うんあう》を|説示《せつじ》し|給《たま》はずや』
と|懇請《こんせい》する。
|東彦天使《あづまひこのかみ》は|宣伝使《せんでんし》と|聞《き》き、|直《ただち》に|岩《いは》の|座《ざ》を|下《くだ》りその|前《まへ》に|進《すす》み、|慇懃《いんぎん》に|会釈《ゑしやく》しながら、
『|吾《われ》は|愚鈍《ぐどん》の|性質《せいしつ》にして、|貴下《きか》らに|教理《けうり》を|説《と》くの|力《ちから》なし。|只《ただ》|吾《われ》より|後《おく》れたる|信者《しんじや》に|対《たい》し、|神《かみ》の|道《みち》を|朧気《おぼろげ》ながら|口伝《くちづた》へするのみ』
と|謙譲《けんじやう》の|色《いろ》を|表《あら》はし、|固《かた》く|辞《じ》し、かつ、
『|貴下《きか》は|如何《いか》なる|教理《けうり》を|宣伝《せんでん》したまふや、|聴《き》かま|欲《ほ》し』
と|云《い》ふにぞ、|北光天使《きたてるのかみ》は、
『こは|心得《こころえ》ぬ|貴下《きか》の|御言葉《おことば》かな。そもそも|神《かみ》の|道《みち》は|神人《しんじん》の|知識《ちしき》また|考量《かうりやう》を|以《もつ》て|伝《つた》ふ|可《べ》きものにあらず。|神《かみ》は|宣伝使《せんでんし》の|口《くち》を|藉《か》りて|以《もつ》て|甚深微妙《じんしんびめう》の|教理《けうり》を|説示《せつじ》し|給《たま》ふにあらざるか』
と|問《と》ひ|返《かへ》したるに、|東彦天使《あづまひこのかみ》はその|理《り》に|服《ふく》し、
『|吾《われ》は|誤《あやま》れり。|日夜《にちや》|大神《おほかみ》の|神示《しんじ》を|宣伝《せんでん》|弘布《ぐふ》する|身《み》でありながら、かくの|如《ごと》き【|重大《ぢうだい》なる|意義《いぎ》】を|忘却《ばうきやく》し|居《ゐ》たり。|嗚呼《ああ》|耻《はづ》かしや』
とさし|俯向《うつむ》きて、|袖《そで》に|顔《かほ》を|隠《かく》すを|見《み》て、|北光天使《きたてるのかみ》は|気《き》の|毒《どく》がり、
『|致《いた》らぬ|吾《われ》らの|過言《くわごん》|無礼《ぶれい》|許《ゆる》させたまへ。|吾《われ》は|神人《かみびと》を|思《おも》ふの|余《あま》り、かくも|不遜《ふそん》の|言辞《げんじ》を、|宣伝使《せんでんし》たる|貴下《きか》に|申上《まをしあ》げしは|不覚《ふかく》の|至《いた》りなり。|実《げ》に|耻《はづ》かしさの|限《かぎ》りよ』
と|吾《わが》|心《こころ》に|省《かへり》み、|大《おほい》に|耻《は》づるものの|様《やう》なりける。
ここに|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》は|岩上《がんじやう》に|立《た》ち、|宣伝歌《せんでんか》を|交《かは》る|交《がは》る|謡《うた》ひて、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|天地《てんち》の|大神《おほかみ》の|洪徳《こうとく》を|賛美《さんび》したりける。|而《しか》して|二人《ふたり》の|宣伝歌《せんでんか》を|合一《がふいつ》して、|一《ひと》つの|歌《うた》に|延長《えんちやう》したり。
『|神《かみ》が|表面《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|別《わ》ける
|魂《たま》を|研《みが》けよ|立替《たてか》へよ  |身《み》の|行為《おこなひ》も|立直《たてなほ》せ
この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |霊魂《みたま》もひろき|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ
|身《み》の|過失《あやまち》は|宣《の》り|直《なほ》せ』
|東彦天使《あづまひこのかみ》は|席《せき》を|譲《ゆづ》つて、|北光天使《きたてるのかみ》を|平岩《ひらいは》の|上《うへ》へ|安坐《あんざ》せしめ、|神《かみ》の|教示《けうじ》を|聴《き》き|入《い》りぬ。この|時《とき》|一同《いちどう》は|合掌《がつしやう》して|神徳《しんとく》を|讃美《さんび》し、|異口同音《いくどうおん》に|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ふ。|一同《いちどう》の|顔《かほ》には|以前《いぜん》に|引代《ひきか》へ、|愉快《ゆくわい》に|充《み》てる|血色《けしき》|漂《ただよ》ひける。
|甲《かふ》『|只今《ただいま》の|宣伝使《せんでんし》に|御尋《おたづ》ね|致《いた》します。|前刻《ぜんこく》より|黄金山《わうごんざん》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》に|承《うけたま》はりますには、この|世《よ》の|中《なか》は|善悪《ぜんあく》の|立替《たてかへ》があり、|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|神様《かみさま》が|現《あら》はれて|善人《ぜんにん》を|助《たす》け、|悪人《あくにん》を|亡《ほろ》ぼし、|強《つよ》きを|挫《くじ》き、|弱《よわ》きを|救《すく》ひ、|吾々《われわれ》の|地《ち》に|落《お》ちたる|人民《じんみん》を|天国《てんごく》に|救《すく》うて|下《くだ》さると|云《い》ふ|事《こと》であります。|実《じつ》に|吾々《われわれ》は|再生《さいせい》の|思《おも》ひと、|歓喜《くわんき》に|堪《た》へませぬ。|然《しか》るに、|又《また》もや|貴神《あなた》がここに|現《あら》はれて、「ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は、|直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ|云々《うんぬん》」と|仰《おほ》せられましたが、|一体《いつたい》これは|何《ど》う|云《い》う|事《こと》でありませうか。|詳《くは》しく|御説示《ごせつじ》を|願《ねが》ひます。|吾々《われわれ》は|祖先《そせん》|伝来《でんらい》の|山《やま》や|田地《でんち》を|悪人《あくにん》に|占領《せんりやう》せられ、|女房《にようばう》は|奪《うば》ひ|取《と》られ、|住居《すみか》は|焼《や》かれ、|食《く》ふに|食《しよく》なく、|眠《ねむ》るに|家《いへ》なく、|親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》は|四方《しはう》に|離散《りさん》し、|実《じつ》に|在《あ》るにあられぬ、|悲《かな》しい|世《よ》を|送《おく》つて|居《を》ります。|私《わたくし》はそれ|故《ゆゑ》|斯《か》く|乞食《こじき》となりて|四方《しはう》を|廻《めぐ》り、|家《いへ》を|焼《や》き|女房《にようばう》を|奪《うば》つた|悪者《わるもの》を|探《さが》し|求《もと》めて、|仇《あだ》を|討《う》つてやらうと|考《かんが》へ、|苦労《くらう》|艱難《かんなん》を|致《いた》してをりますが、|若《も》し|神様《かみさま》がこの|世《よ》に|在《い》らつしやるのならば、|何故《なぜ》こんな|不公平《ふこうへい》な|事《こと》があるのに、|黙《だま》つて|見《み》て|居《を》られるのでせうか。|私《わたくし》はこの|世《よ》に|神《かみ》の|存在《そんざい》を|疑《うたが》ひます。|先《さき》の|宣伝使《せんでんし》の|言《い》はれたやうに、|善悪《ぜんあく》を|立替《たてかへ》る|神様《かみさま》が|在《あ》るとすれば、|一日《いちにち》も|早《はや》くこの|無念《むねん》を|晴《は》らして|欲《ほ》しいと|思《おも》ひます。|然《しか》るに|只今《ただいま》|貴下《あなた》の|御言葉《おことば》の|中《なか》に「ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は、|直霊《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞《き》き|直《なほ》せ」と|仰《あふ》せになりましたが、これは|要《えう》するに|何事《なにごと》も|諦《あきら》めよとの|教《をしへ》ではありますまいか。|先《さき》の|神様《かみさま》の|教《をしへ》と|貴下《あなた》の|教《をしへ》とは、どうしても【つばね】が|合《あ》はないやうな|考《かんが》へがするのです。どうぞ|詳《くは》しく|御諭《おさと》しを|願《ねが》ひたう|存《ぞん》じます』
ここに|北光天使《きたてるのかみ》は、
『|神様《かみさま》は|至善《しぜん》|至美《しび》|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|御方《おかた》である。|故《ゆゑ》に|悪《あく》を|憎《にく》み、|無慈悲《むじひ》を|御嫌《おきら》ひ|遊《あそ》ばすのは|云《い》ふ|迄《まで》もない。しかし|人間《にんげん》はいかに|立派《りつぱ》な|賢《かしこ》い|者《もの》でも、|神様《かみさま》の|御智慧《おちゑ》に|比《くら》べて|見《み》れば、|実《じつ》に|耻《はづ》かしいものであります。|災《わざはひ》|多《おほ》く、|悪魔《あくま》の|蔓延《はびこ》る|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》は、どうしても|無限絶対力《むげんぜつたいりよく》におはします|神様《かみさま》の|力《ちから》に|依頼《たよ》らねばならぬ。あなたが|家《いへ》を|焼《や》かれ、|山林《さんりん》|田畑《でんばた》を|掠奪《りやくだつ》され、|女房《にようばう》を|取《と》られて、その|怨《うら》みを|晴《は》らさうと|思《おも》ひ、|諸方《しよはう》を|尋《たづ》ね|廻《まは》らるるのは|人情《にんじやう》として|尤《もつと》もであり、|吾々《われわれ》も|満腔《まんこう》の|同情《どうじやう》をよせますが、|併《しか》し、そこを|人間《にんげん》は|忍耐《にんたい》して、|敵《てき》を|赦《ゆる》してやらねばならぬのです。そこが|人間《にんげん》の|尊《たふと》い|所《ところ》であつて、|神様《かみさま》の|大御心《おほみこころ》に|叶《かな》うといふものです』
と|聞《き》くや|否《いな》や、|甲《かふ》はムツクと|起《た》ち|上《あが》り、
『|馬鹿《ばか》』
と|叫《さけ》び、かつ|隼《はやぶさ》の|様《やう》な|眼《め》を|剥《む》いて|北光天使《きたてるのかみ》を|睨《にら》みつけ、|息《いき》をはづませながら、
『オヽ|俺《おれ》はコヽ|斯《こ》んな|宣伝使《せんでんし》の|吐《ぬ》かす|事《こと》は、キヽ|気《き》に|食《く》はぬ。|腰抜野郎《こしぬけやらう》|奴《め》。|嬶《かか》を|奪《と》られ、|家《いへ》を|焼《や》かれ、|悪人《あくにん》に|財産《ざいさん》を|全部《すつかり》ふんだくられ、|寝《ね》る|家《いへ》もなく、|食《く》ふ|物《もの》もなし、|親子《おやこ》は|散《ち》り|散《ぢ》りばらばらになつて、|在《あ》るにあられぬ|艱難《かんなん》|苦労《くらう》をして|居《を》るのに、|苦労《くらう》|知《し》らずの|人情《にんじやう》|知《し》らず|奴《め》。ナヽ|何《なに》が、カヽ|神《かみ》さまだ。|赦《ゆる》してやれも|糞《くそ》もあつたものかい。|尻《けつ》が|呆《あき》れらア。あまり|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にするない。そんならお|前《まへ》の|頭《あたま》に、オヽ|俺《おれ》が|今《いま》|小便《せうべん》を|引《ひ》つかけてやるが、それでもお|前《まへ》はオヽ|怒《おこ》らぬか』
といひながら、|宣伝使《せんでんし》の|背後《はいご》に|立《た》ち、|端坐《たんざ》せる|北光天使《きたてるのかみ》の|頭《あたま》をめがけて、ジヤアジヤアと|放《や》りだした。|東彦天使《あづまひこのかみ》その|他《た》の|一同《いちどう》は、
『|待《ま》て|待《ま》て』
と|叫《さけ》ぶ。その|間《あひだ》に|小便《せうべん》は|全部《すつかり》|放出《はうしゆつ》し|了《をは》りぬ。
|北光天使《きたてるのかみ》は|莞爾《につこ》として|坐《すわ》りゐたり。
|甲《かふ》は|尚《なほ》も|口汚《くちぎた》なく、
『ヤイ|腰抜《こしぬけ》、|弱蟲《よわむし》、|小便《せうべん》|垂《た》れ、|洟《はな》|垂《た》れ』
と|罵《ののし》る。|一同《いちどう》は、
『オイ|貴様《きさま》が|小便《せうべん》|垂《た》れぢやないか。|今《いま》|現《げん》に|小便《せうべん》を|垂《た》れたであらう。|人《ひと》のことだと|思《おも》つて|自分《じぶん》の|事《こと》を|吐《ぬ》かして|居《ゐ》らア。オイ、|洟《はな》を|拭《ふ》かぬかい。|水洟《みづばな》|垂《た》らしやがつて、|洟《はな》|垂《た》れの|小便《せうべん》|垂《た》れとは|貴様《きさま》のことだよ』
といふに、|甲《かふ》は|躍起《やつき》となり、
『なに、|俺《おれ》が|小便《せうべん》|垂《た》れたのぢやない。|小便《せうべん》の|方《はう》から|出《で》よつたのだ。|俺《おれ》や、|洟《はな》|垂《た》れアせぬ、|洟《はな》の|方《はう》から|出《で》て|来《き》やがつたのだい』
と|不減口《へらずぐち》を|叩《たた》く。
|北光天使《きたてるのかみ》は|泰然《たいぜん》として、|小便《せうべん》を|浴《あ》びたまま|講演《かうえん》をつづける。
(大正一一・一・二二 旧大正一〇・一二・二五 井上留五郎録)
第三五章 |北光《きたてる》|開眼《かいがん》〔二八五〕
|霊鷲山《れいしうざん》の|宣伝神《せんでんしん》|北光天使《きたてるのかみ》は|泰然自若《たいぜんじじやく》として、|一心不乱《いつしんふらん》に|神教《しんけう》を|説《と》き|進《すす》めつつあつた。|一同《いちどう》の|中《うち》より、
|乙《おつ》『|宣伝使《せんでんし》にお|尋《たづ》ねします。|私《わたくし》は|御存《ごぞん》じのとほり、|片目《かため》を|抉《えぐ》られました。|幸《さいは》ひに|片目《かため》は|助《たす》かつたので、どうなりかうなり、この|世《よ》の|明《あか》りは|見《み》えますが、|時々《ときどき》|癪《しやく》に|触《さは》ります。|貴下《あなた》の|御話《おはなし》を|承《うけたまは》り、かつ|御忍耐《ごにんたい》の|強《つよ》きに|感動《かんどう》しまして、|私《わたくし》も|貴下《あなた》のやうに|美《うるは》しき|心《こころ》になつて、|直日《なほひ》とやらに|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》さうと、|覚悟《かくご》は|定《き》めましたが、どうしたものか、|腹《はら》の|底《そこ》に|悪《わる》い|蟲《むし》が|潜《ひそ》んで|居《ゐ》まして|承知《しようち》をして|呉《く》れませぬ。これでも|神様《かみさま》の|御意《ぎよい》に|叶《かな》ひませうか。どうやらすると、|仇《あだ》を|討《う》て、|仇《あだ》を|討《う》て、|何《なに》をぐづぐづしてゐる。|肝腎《かんじん》の|眼球《めのたま》を|刳《えぐ》られよつて、|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》にもその|敵《てき》を|赦《ゆる》しておくやうな、|弱《よわ》い|心《こころ》を|持《も》つなと|囁《ささや》きます。どうしたら|之《これ》が|消《き》えるでせうか。どうしたら|之《これ》を|思《おも》はぬやうに、|綺麗《きれい》に|忘《わす》れる|事《こと》ができませうか』
|北光彦《きたてるひこ》『|御尤《ごもつとも》です、それが|人間《にんげん》の|浅《あさ》ましさです。しかし、【そこ】を|忍耐《にんたい》せなくてはならないのです。|何事《なにごと》も|惟神《かむながら》に|任《まか》せなさい。|吾々《われわれ》がかうして|一口《ひとくち》|話《はなし》をする|間《ま》も、|死《し》の|悪魔《あくま》は|吾々《われわれ》の|身辺《しんぺん》を|狙《ねら》つて|居《を》るのです。また|吾々《われわれ》の|心《こころ》の|中《なか》には、|常《つね》に|鬼《おに》や|悪魔《あくま》が|出入《でいり》をします。それで|人間《にんげん》は|生《うま》れ|付《つき》の|直日《なほひ》の|霊《みたま》といふ|立派《りつぱ》な|守護神《しゆごじん》と|相談《さうだん》して、よく|省《かへり》みなくてはなりませぬ。|笑《わら》つて|暮《くら》すも|泣《な》いて|暮《くら》すも、|怒《いか》つて|暮《くら》すも|勇《いさ》んで|暮《くら》すも|同《おな》じ|一生《いつしやう》です。|兎《と》にかく|忘《わす》れるが|宜《よろ》しい。|仇《あだ》を|討《う》つべき|理由《りいう》があり、|先方《むかう》が|悪《わる》ければ|神様《かみさま》はきつと|仇《あだ》を|討《う》つて|下《くだ》さるでせう。|人間《にんげん》は|何《なに》よりも|忍耐《にんたい》といふことが|第一《だいいち》であります。【|人《ひと》を|呪《のろ》はず、|人《ひと》を|審判《さばか》ず】、ただ|人間《にんげん》は|神《かみ》の|御心《みこころ》に|任《まか》して|行《ゆ》けばこの|世《よ》は|安全《あんぜん》です。|何事《なにごと》も|神様《かみさま》の|御心《みこころ》であつて、|人間《にんげん》は|自分《じぶん》の|運命《うんめい》を|左右《さいう》する|事《こと》も、どうする|事《こと》も|出来《でき》ないものです。|生《い》くるも|死《し》するも、みな|神様《かみさま》の|御手《みて》の|中《うち》に|握《にぎ》られて|居《を》るのである。ただ|人《ひと》は|己《おのれ》を|正《ただ》しうして|人《ひと》に|善《ぜん》を|施《ほどこ》せば、それが|神様《かみさま》の|御心《みこころ》に|叶《かな》ひ、|幸福《かうふく》の|身《み》となるのです。|人間《にんげん》としてこの|世《よ》にある|限《かぎ》り、どうしても|神様《かみさま》のお|目《め》に|止《と》まるやうな|善事《ぜんじ》をなすことはできませぬ。|日《ひ》に|夜《よ》に|罪悪《ざいあく》を|重《かさ》ねてその|罪《つみ》の|重《おも》みによつて|種々《しゆじゆ》と|因縁《いんねん》が|結《むす》ばれて|来《く》るのです。あなたが|眼球《めだま》を|刳《えぐ》られたのも|決《けつ》して|偶然《ぐうぜん》ではありますまい。|本守護神《ほんしゆごじん》たる|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し、|省《かへり》みて|御覧《ごらん》なさい。|悪人《あくにん》だと|思《おも》つても|悪人《あくにん》でなく|神様《かみさま》に|使《つか》はれてをる|人間《にんげん》もあり、|善人《ぜんにん》だと|見《み》えてもまた|悪魔《あくま》に|使《つか》はれてをる|人間《にんげん》もあります。|善悪正邪《ぜんあくせいじや》は|到底《たうてい》|人間《にんげん》として|判断《はんだん》は|出来《でき》ませぬ。ただ|惟神《かむながら》に|任《まか》せて、|神《かみ》の|他力《たりき》に|頼《よ》つて|安養《あんやう》|浄土《じやうど》に|救《すく》うて|貰《もら》ふのが|人生《じんせい》の|本意《ほんい》であります。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|合掌《がつしやう》する。|折《をり》しも|甲《かふ》は、
『ヤイ|皆《みな》の|奴《やつ》、こんな|恍《とぼ》けた|教示《けうじ》を|聞《き》く|馬鹿《ばか》があるか。それこそ|強《つよ》い|者《もの》|勝《がち》の|教《をしへ》だ。|此奴《こいつ》はきつとウラル|彦《ひこ》の|間諜《まはしもの》だぞ。|俺《おれ》のやうな|弱《よわ》い|者《もの》を、|舌《した》の|先《さき》で、【ちよろま】かしよるのだ。オイ|金州《きんしう》、|貴様《きさま》は|片目《かため》を|刳《えぐ》られて、|今朝《けさ》まで|仇《あだ》を|討《う》つと|吐《ぬ》かして|力《りき》んで【けつ】かつたが、|今《いま》の|態《ざま》つたらどうだい。さつぱり|宣伝使《せんでんし》に|盲《めくら》にせられよつて、|今《いま》に|片方《かたはう》の|目《め》も|取《と》られてしまふのを|知《し》らぬか。オイ|片目《かため》、|所存《しよぞん》の|臍《ほぞ》を【かんち】、|否《いや》、|固《かた》めてかからぬと|馬鹿《ばか》な|目玉《めだま》に|遇《あ》はされるぞ。コラヤイ、|何処《どこ》から|北光彦《きたてるひこ》の|宣伝使《せんでんし》、|貴様《きさま》も【えらい】|目《め》に|遇《あ》はしたらうか』
といふより|早《はや》く、|削竹《そぎたけ》を|持《も》つて|宣伝使《せんでんし》の|右《みぎ》の|眼《め》を【ぐさ】と|突《つ》いた。|宣伝使《せんでんし》は|泰然《たいぜん》としてその|竹槍《たけやり》を|抜《ぬ》き|取《と》り、|片手《かたて》に|目《め》を|押《お》さへながら、|右《みぎ》の|手《て》に|竹槍《たけやり》を|持《も》ち、|押戴《おしいただ》き|天《てん》に|祈《いの》り|始《はじ》めた。
|甲《かふ》『ヤイ|腹《はら》が|立《た》つか。|天道様《てんだうさま》に|早《はや》く|罰《ばち》を|与《あた》へて|下《くだ》さいなんて、|竹槍《たけやり》を|頭《あたま》の|上《うへ》に|戴《いただ》きやがつてるのだらう。|滅多《めつた》に|此方《こなた》さまに|罰《ばつ》が|当《あた》つてたまるかい。|悲《かな》しいか、|痛《いた》いか、|苦《くる》しいか、|涙《なみだ》を|雫《こぼ》しよつて。|今《いま》まで|太平楽《たいへいらく》の|法螺《ほら》ばかり|垂《た》れてその|吠面《ほへづら》は|何《なん》だ。|今迄《いままで》の|広言《くわうげん》に|似《に》ず、|何《なに》をメソメソ|呟《つぶや》いてゐるのだイ』
と|言《げん》を|極《きは》めて|嘲弄《てうろう》した。|宣伝使《せんでんし》は|竹槍《たけやり》を|頭《かしら》に|戴《いただ》き、|右手《めて》にて|目《め》を|押《お》さへながら、
『アヽ|天地《てんち》の|大神様《おほかみさま》、|私《わたくし》は|貴神《あなた》の|深《ふか》き|広《ひろ》きその|御恵《みめぐみ》と、|尊《たふと》き|御稜威《みいづ》を|世《よ》の|中《なか》の|迷《まよ》へる|人々《ひとびと》に|宣伝《せんでん》して|神《かみ》の|国《くに》の|福音《ふくいん》を|実現《じつげん》することを|歓《よろこ》びと|致《いた》します。|殊《こと》に|今日《こんにち》は|広大無辺《くわうだいむへん》の|御恩寵《ごおんちやう》を|頂《いただ》きました。|二《ふた》つの|眼《め》を|失《うしな》つた|人間《にんげん》さへあるに、|私《わたくし》は|如何《いか》なる|幸《さいはひ》か|一《ひと》つの|眼《め》を|与《あた》へて|下《くだ》さいました。さうして|一《ひと》つのお|取《と》り|上《あ》げになつた|眼《め》は、|物質界《ぶつしつかい》は|見《み》ることは|出来《でき》なくなりましたが、その|代《かは》りに、|心《こころ》の|眼《まなこ》は|豁然《かつぜん》として|蓮《はちす》の|花《はな》の|開《ひら》くが|如《ごと》く|明《あきらか》になり、|三千世界《さんぜんせかい》に|通達《つうたつ》するの|霊力《れいりよく》を|与《あた》へて|下《くだ》さいました。|今日《けふ》は|如何《いか》なる|有難《ありがた》い|尊《たふと》き|日柄《ひがら》でありませう。|天地《てんち》の|大神様《おほかみさま》に|感謝《かんしや》を|捧《ささ》げます』
と|鄭重《ていちよう》に|祈願《きぐわん》を|捧《ささ》げ、|天津祝詞《あまつのりと》を|声《こゑ》|朗《ほがら》かに|奏上《そうじやう》した。|一同《いちどう》の|人々《ひとびと》は|感涙《かんるい》に|咽《むせ》んでその|場《ば》に|平伏《ひれふ》しうれし|涙《なみだ》に|袖絞《そでしぼ》る。|甲《かふ》は|冷静《れいせい》にこの|光景《くわうけい》を|見遣《みや》りながら、
『オイ|腰抜《こしぬ》け、|弱虫《よわむし》、|洟《はな》|垂《た》れ、|小便《せうべん》|垂《た》れ、|減《へ》らず|口《ぐち》を|叩《たた》くな。|三文《さんもん》の|獅子舞《ししまい》|口《くち》ばかりぢや。それほど|眼《め》を|突《つ》かれて|嬉《うれ》しけりやお|慈悲《じひ》に、も|一《ひと》つ|突《つ》いてやらうか』
と|又《また》もや|竹槍《たけやり》を|持《も》つて|左《ひだり》の|目《め》を|突《つ》かうとした。このとき|東彦命《あづまひこのみこと》はその|竹槍《たけやり》を|右手《みぎて》にグツと|握《にぎ》つたとたんに|右方《うはう》へ|押《お》した。|甲《かふ》はよろよろとして|倒《たふ》れ、|傍《かたはら》のエデン|河《がは》の|岸《きし》より|真逆《まつさか》さまに|顛落《てんらく》した。|北光天使《きたてるのかみ》は|驚《おどろ》いて|真裸体《まつぱだか》となり|河中《かちう》に|飛《と》び|入《い》り、|甲《かふ》の|足《あし》を|掴《つか》み|浅瀬《あさせ》に|引《ひ》いて|之《これ》を|救《すく》うた。
これよりさしも|猛悪《まうあく》なりし|乱暴者《らんばうもの》の|甲《かふ》も|衷心《ちうしん》よりその|慈心《じしん》に|感《かん》じ、|悔《く》い|改《あらた》めて|弟子《でし》となり|宣伝《せんでん》に|従事《じうじ》することとはなりぬ。|宣伝使《せんでんし》は|之《これ》に|清河彦《きよかはひこ》と|名《な》を|与《あた》へたり。|因《ちな》みに|北光天使《きたてるのかみ》は|天岩戸《あまのいわと》|開《びら》きに|就《つい》て|偉勲《ゐくん》を|建《た》てたる|天《あめ》の|目一箇神《まひとつのかみ》の|前身《ぜんしん》なりける。
(大正一一・一・二二 旧大正一〇・一二・二五 加藤明子録)
第三六章 |三五教《あななひけう》〔二八六〕
|五大教《ごだいけう》の|宣伝使《せんでんし》|東彦天使《あづまひこのかみ》は、|北光天使《きたてるのかみ》の|無限《むげん》の|慈悲心《じひしん》と、その|忍耐力《にんたいりよく》に|感服《かんぷく》し、|口《くち》を|極《きは》めてその|徳《とく》を|讃嘆《さんたん》し、かつ|天地《てんち》に|向《むか》つて、
『|吾々《われわれ》は|宣伝使《せんでんし》の|聖《きよ》き|職《しよく》にありながら、かくまで|仁慈《じんじ》|深《ふか》く、|忍耐《にんたい》|強《づよ》く|世《よ》に|処《しよ》する|事《こと》はできなかつた。|実《じつ》に|神《かみ》に|対《たい》しても|恥《はづ》かしく、|且《か》つ|申訳《まをしわけ》もなき|次第《しだい》であつた。|今日《けふ》まで、|意気《いき》|揚々《やうやう》として|自分《じぶん》は|最《もつと》も|聖《きよ》き|者《もの》、|正《ただ》しき|者《もの》、かつ|博愛《はくあい》に|富《と》み|忍耐《にんたい》|強《づよ》き|者《もの》と|自惚《うぬぼ》れてゐた。|然《しか》るに|三大教《さんだいけう》|宣伝使《せんでんし》の|心《こころ》と、その|行《おこな》ひの|立派《りつぱ》さ|尊《たふと》さ、|吾々《われわれ》|宣伝使《せんでんし》はその|足下《あしもと》にも|寄《よ》りつけない。|嗚呼《ああ》|今日《けふ》は|慈愛《じあい》|深《ふか》き|大神様《おほかみさま》の|御恵《みめぐ》みによつて、|活《いき》たる|教訓《けうくん》をうけました。|嗚呼《ああ》|今日《こんにち》|極《きは》めて|尊《たふと》き|神様《かみさま》の|大御心《おほみこころ》を|覚《さと》らして|頂《いただ》きました。|過去《くわこ》を|顧《かへり》みれば、|私《わたくし》はヨウも|大《おほ》きな|面《つら》をして、|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひながら、|天下《てんか》を|遍歴《へんれき》したことでせう。かくのごとく|不純《ふじゆん》にして|愛《あい》の|欠《か》げたる|吾々《われわれ》が、|天下《てんか》の|人々《ひとびと》に|向《むか》つていかに|口《くち》を|酸《すう》くして|説《と》き|諭《さと》すも、|何《なに》ほど|骨《ほね》を|折《を》るも、その|効果《かうくわ》の|挙《あ》がらないのは|当然《たうぜん》であります。|嗚呼《ああ》|神様《かみさま》よ、|自惚《うぬぼれ》|強《つよ》き、|力《ちから》|弱《よわ》き、|心《こころ》の|暗《くら》き|盲目《めくら》|同様《どうやう》の|吾々《われわれ》を、|今日《けふ》までよくも|赦《ゆる》して|下《くだ》さいました。|私《わたくし》のごとき|盲目《めくら》が、|世《よ》の|中《なか》の|盲目《めくら》の|手《て》を|曳《ひ》いて、|暗《やみ》の|地獄《ぢごく》へ|導《みちび》いたことは|何《なに》ほどか|判《わか》りませぬ。|一生懸命《いつしやうけんめい》に|心《こころ》を|尽《つく》し、|身《み》を|尽《つく》し、|神様《かみさま》の|誠《まこと》の|御用《ごよう》を|努《つと》めさして|頂《いただ》いた|積《つも》りで、|神様《かみさま》の|御邪魔《おじやま》ばかり|致《いた》して|居《を》りましたことを、|今更《いまさら》の|如《ごと》く|悔悟《くわいご》いたします。ドウカ|吾々《われわれ》の|心《こころ》に|一《ひと》ツの|灯火《ともしび》を|照《て》らさせ|給《たま》うて、|三大教《さんだいけう》の|宣伝使《せんでんし》|北光天使《きたてるのかみ》|様《さま》のやうな、|聖《きよ》き|美《うる》はしき、|仁慈《じんじ》に|富《と》める、|耐《こら》へ|忍《しの》びの|強《つよ》き|天使《かみ》とならしめ|給《たま》へ。|吾々《われわれ》に|天津神《あまつかみ》より|下《くだ》し|給《たま》うたる、|直日《なほひ》の|御霊《みたま》の|本守護神《ほんしゆごじん》をして、|天地《てんち》に|輝《かがや》き|渡《わた》る|美《うる》はしき、|伊都能売《いづのめ》の|霊魂《みたま》として、|御用《ごよう》の|一端《いつたん》に|御抱《おかか》へ|下《くだ》さらむことを|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》ります』
と|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|咽《むせ》びつつ、|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らしける。
|北光天使《きたてるのかみ》を|始《はじ》め|一同《いちどう》は|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|打《う》たれて、ここに|一同《いちどう》|宣伝歌《せんでんか》を|合唱《がつしやう》し、|声《こゑ》|朗《ほがら》かに|天津祝詞《あまつのりと》や|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》したり。
|今《いま》まで|雨雲《あまぐも》に|包《つつ》まれたる|大空《おほぞら》は|東西《とうざい》にサツと|開《ひら》けて、|中天《ちうてん》には|明光《めいくわう》|赫々《かくかく》たる|日《ひ》の|大御神《おほみかみ》が|一同《いちどう》の|頭上《づじやう》を|照《て》らし|給《たま》ひぬ。
ここに|北光天使《きたてるのかみ》は|南《みなみ》へ、|東彦天使《あづまひこのかみ》は|西《にし》へと、|再会《さいくわい》を|約《やく》し|惜《をし》き|別《わか》れを|告《つ》げにけり。
|而《しか》して|一同《いちどう》は、|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》の|弟子《でし》となつて、|天下《てんか》に|神《かみ》の|福音《ふくいん》を|述《の》べ|伝《つた》ふこととなりける。
『エデンの|河《かは》の|水《みづ》|清《きよ》く  |心《こころ》も|聖《きよ》き|宣伝使《せんでんし》
|西《にし》と|南《みなみ》に|別《わか》れ|行《ゆ》く  |黄金《こがね》の|山《やま》は|天空《てんくう》に
|天津日《あまつひ》の|如《ごと》|輝《かがや》きて  |烏羽玉《うばたま》の|世《よ》を|照《て》らしつつ
|神《かみ》の|御国《みくに》に|救《すく》はむと  |埴安彦命《はにやすひこのみこと》もて
|東《あづま》の|国《くに》や|西《にし》の|国《くに》  |海川山野《うみかはやまぬ》|打《う》ち|渡《わた》り
|霜《しも》の|朝《あした》や|雪《ゆき》の|宵《よひ》  |踏《ふ》み|分《わ》け|進《すす》む|神《かみ》の|道《みち》
|霊鷲山《れいしうざん》に|現《あ》れ|坐《ま》せる  |三葉天使《みつばのかみ》の|命《みこと》もて
|玉《たま》の|井村《ゐむら》に|現《あら》はれし  |心《こころ》も|聖《きよ》き|宣伝使《せんでんし》
|暗《くら》きこの|世《よ》を|照《てら》さむと  |巡《めぐ》り|巡《めぐ》りて|北光《きたてる》の
|天使《かみ》の|命《みこと》の|宣伝歌《せんでんか》  |清《きよ》く|流《なが》れてエデン|河《がは》
|岩《いは》より|堅《かた》き|真心《まごころ》を  |打《う》ち|破《わ》り|諭《さと》す|岩《いは》の|上《うへ》
|巌《いはほ》に|松《まつ》の|生《お》ふるてふ  |常磐堅磐《ときはかきは》の|神《かみ》の|世《よ》に
|造《つく》り|固《かた》めて|天《あめ》に|坐《ま》す  |天津御神《あまつみかみ》の|御許《みもと》べに
|功績《いさを》を|建《た》てむと|勇《いさ》ましく  |足《あし》に|任《まか》して|葦原《あしはら》の
|千草百草《ちぐさももぐさ》|押《お》し|分《わ》けつ  |四方《よも》の|民草《たみぐさ》|救《すく》ひ|行《ゆ》く
|嗚呼《ああ》|勇《いさ》ましき|宣伝使《せんでんし》  |実《げ》にも|尊《たふと》き|宣伝使《せんでんし》』
と|清河彦《きよかはひこ》は、|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》を|讃美《さんび》する|歌《うた》を|謡《うた》ひながら、|霊鷲山《れいしうざん》に|北光天使《きたてるのかみ》と|共《とも》に|到着《たうちやく》したりける。
ここに|東彦《あづまひこ》は、|一《いつ》たん|黄金山《わうごんざん》の|山麓《さんろく》の|埴安彦神《はにやすひこのかみ》の|御許《みもと》に|帰《かへ》り、|三大教《さんだいけう》の|宣伝使《せんでんし》たる|北光彦《きたてるひこ》の|言心行《げんしんかう》|一致《いつち》の|神業《しんげふ》を|讃嘆《さんたん》しながら|奏上《そうじやう》し、かつ|三大教《さんだいけう》の|教義《けうぎ》を|詳細《しやうさい》に|語《かた》つた。|埴安彦神《はにやすひこのかみ》は|之《これ》を|聞《き》いて|大《おほい》に|感《かん》じ、|直《ただち》に|使《つかひ》を|霊鷲山《れいしうざん》に|遣《つか》はし、|三葉彦神《みつばひこのかみ》を|迎《むか》へ|帰《かへ》らしめたり。
|三葉彦神《みつばひこのかみ》は|三大教《さんだいけう》の|教主《けうしゆ》である。このとき|北光天使《きたてるのかみ》より、|五大教《ごだいけう》の|教義《けうぎ》を|詳細《しやうさい》に|聞《き》きて|大《おほい》に|歓《よろこ》びつつあつた|際《さい》のこととて、|直《ただち》に|承諾《しようだく》の|意《い》を|表《へう》し、|北光天使《きたてるのかみ》と|共《とも》に|黄金山《わうごんざん》に|参《ま》ゐ|上《のぼ》り、|埴安彦神《はにやすひこのかみ》に|面会《めんくわい》して、|種々《しゆじゆ》|教理《けうり》を|問答《もんだふ》し、|互《たがひ》に|諒解《りやうかい》を|得《え》て|此処《ここ》に|両教《りやうけう》を|統一《とういつ》し、|三五教《あななひけう》と|改称《かいしよう》することとなりぬ。
|而《しか》して|埴安彦神《はにやすひこのかみ》は|女神《めがみ》にして、|三葉彦神《みつばひこのかみ》は|男神《をがみ》なり。ここに|両教《りやうけう》|一致《いつち》の|結果《けつくわ》、|三葉彦神《みつばひこのかみ》は|名《な》を|改《あらた》めて、|埴安姫神《はにやすひめのかみ》となりて|女房役《にようばうやく》を|勤《つと》め、|救《すく》ひの|道《みち》を|天下《てんか》に|宣伝《せんでん》することとなりぬ。この|東彦《あづまひこ》は、|天岩戸《あまのいはと》の|前《まへ》に|偉功《ゐこう》を|建《た》てたる|石凝姥天使《いしこりどめのかみ》の|前身《ぜんしん》なり。
(大正一一・一・二二 旧大正一〇・一二・二五 石破馨録)
(第三〇章〜第三六章 昭和一〇・二・一六 於阿万支部 王仁校正)
第七篇 |黄金《わうごん》の|玉《たま》
第三七章 |雲掴《くもつか》み〔二八七〕
|仰《あふ》げば|高《たか》し|久方《ひさかた》の  |天津御神《あまつみかみ》の|造《つく》らしし
|豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂地《みづほぢ》と  |称《とな》へ|奉《まつ》るは|海原《うなばら》の
|浪《なみ》に|漂《ただよ》ふ|五大洲《ごだいしう》  |神《かみ》の|御稜威《みいづ》も|三《み》ツ|栗《ぐり》の
|中津御国《なかつみくに》の|日《ひ》の|本《もと》の  |要《かなめ》と|生《あ》れし|天教山《てんけうざん》の
|木花姫《このはなひめ》の|御教《みをしへ》を  |語《かた》り|伝《つた》へて|経緯《たてよこ》の
|綾《あや》と|錦《にしき》の|機《はた》を|織《お》る  |黄金《こがね》の|山《やま》や|霊鷲《れいしう》の
|山《やま》の|麓《ふもと》に|現《あ》れませる  |埴安彦《はにやすひこ》や|三葉彦《みつばひこ》
|清《きよ》く|湧《わ》き|出《で》る|瑞御霊《みづみたま》  |流《なが》れ|流《なが》れて|世《よ》を|洗《あら》ふ
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|勲功《いさをし》を  |固《かた》めて|茲《ここ》に|三五教《さんごけう》
|一度《いちど》に|開《ひら》く|白梅《しらうめ》の  |香《かを》りも|床《ゆか》し|神《かみ》の|教《のり》
|宣《の》り|伝《つた》へむと|四方《よも》の|国《くに》  |山《やま》の|尾上《をのへ》も|川《かは》の|瀬《せ》も
|残《のこ》る|隈《くま》なく|青雲《あをくも》の  |靉靆《たなび》く|極《きは》み|白雲《しらくも》の
|降《を》り|居《ゐ》|向《む》か|伏《ふ》す|其《そ》の|涯《かぎり》  |峻《さか》しき|国《くに》は|平《たひら》けく
|狭《せま》けき|国《くに》は|弥《いや》|広《ひろ》く  |神《かみ》の|光《ひかり》を|照《て》らさむと
|光《ひかり》まばゆき|黄金《わうごん》の  |山《やま》の|麓《ふもと》を|立《た》ち|出《い》でて
|青雲《せいうん》|遥《はるか》に|押《お》し|別《わ》けて  |進《すす》む|青雲別《あをくもわけ》の|天使《かみ》
|名《な》も|高彦《たかひこ》と|改《あらた》めて  |服装《みなり》も|軽《かる》き|宣伝使《せんでんし》
|峻《さか》しき|山《やま》を|打《う》ち|渡《わた》り  |深《ふか》き|谷間《たにま》を|飛《と》び|越《こ》えて
|声《こゑ》も|涼《すず》しく|歌《うた》ひ|来《く》る  |世人《よびと》を|覚《さま》す|宣伝歌《せんでんか》
|世《よ》は|烏羽玉《うばたま》の|闇《やみ》となり  |万《よろづ》の|神《かみ》の|音《おと》なひは
|五月蠅《さばへ》の|如《ごと》く|満《み》ち|生《わ》きて  |治《をさ》むる|由《よし》もなくばかり
|山川《やまかは》どよみ|草木《くさき》|枯《か》れ  |宛然《さながら》|荒野《あれの》の|如《ごと》くなる
|山《やま》と|山《やま》とを|踏《ふ》み|分《わ》けて  |青雲山《せいうんざん》の|山麓《さんろく》に
|漸《やうや》く|辿《たど》り|着《つ》きにけり。
|高彦天使《たかひこのかみ》は|漸《やうや》くにして|青雲山《せいうんざん》の|山麓《さんろく》に|辿《たど》り|着《つ》きしに、|山中《さんちゆう》に|幾百人《いくひやくにん》とも|知《し》れぬ|人声《ひとごゑ》あり。|何事《なにごと》ならむと|暫《しばら》く|木蔭《こかげ》に|腰《こし》|打《う》ち|掛《か》けて、その|声《こゑ》を|聞《き》くともなしに|息《いき》を|休《やす》め|居《ゐ》たり。|数多《あまた》の|人々《ひとびと》は|手《て》に|手《て》に|柄物《えもの》を|持《も》つて、|山上《さんじやう》に|達《たつ》する|道路《だうろ》の|開鑿中《かいさくちう》なり。|高彦天使《たかひこのかみ》は|木蔭《こかげ》を|立《た》ち|出《い》で、またもや|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|登《のぼ》りゆく。|数多《あまた》の|人足《にんそく》は|土工《どこう》に|従事《じうじ》しながら|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて、
『|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》は|暗夜《やみよ》、|暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る。|人《ひと》は|飲《の》め|食《く》へ、|寝《ね》てころべ』
と|唄《うた》ひながら|汗水《あせみづ》|垂《た》らして|働《はたら》いて|居《ゐ》る。その|中《なか》を、|高彦天使《たかひこのかみ》は|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
|多人数《たにんずう》の|中《なか》より|頭領《かしら》らしき|一人《ひとり》が、|宣伝使《せんでんし》の|前《まへ》に|現《あら》はれ|大手《おほて》を|拡《ひろ》げて|立《た》ち|塞《ふさ》がり、
『|当山《たうざん》へ|登《のぼ》ること|罷《まか》りならぬ』
と|梟《ふくろ》のごとき|眼《め》を|剥《む》きだし、|口《くち》を|尖《とが》らせながら|呶鳴《どな》りつけたるに、|宣伝使《せんでんし》は|笑《わら》ひながら、|手《て》の|下《した》を|潜《くぐ》つて|登《のぼ》らむとするを、|大《だい》の|男《をとこ》は|矢庭《やには》に|首筋《くびすぢ》|引《ひ》つ|掴《つか》みて|路上《ろじやう》に|捻《ね》ぢ|伏《ふ》せ、|右《みぎ》の|手《て》にて|拳骨《げんこつ》を|固《かた》め、
『|通行《つうかう》ならぬと|申《まを》すに|何故《なぜ》|無断《むだん》にて|当山《たうざん》に|登《のぼ》り|来《く》るか、|当山《たうざん》を|何《なん》と|心得《こころえ》て|居《ゐ》る。|昔《むかし》は|吾妻別命《あづまわけのみこと》[#第二七章では青雲山の国魂神は「吾妻彦」になっている]、|八頭神《やつがしらがみ》として|当山《たうざん》を|中心《ちうしん》に|神政《しんせい》を|布《し》き|給《たま》うたが、|世界《せかい》の|大洪水《だいこうずゐ》の|後《のち》は、ウラル|彦神《ひこのかみ》、|盤古神王《ばんこしんわう》の|管轄《くわんかつ》のもとに|置《お》かれ、|吾妻別命《あづまわけのみこと》[#第二七章では青雲山の国魂神は「吾妻彦」になっている]はその|配下《はいか》として|当山《たうざん》を|守護《しゆご》し「|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》は|闇夜《やみよ》、|闇《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る」と|唄《うた》つてこの|世《よ》の|人民《じんみん》を|気楽《きらく》に|暮《くら》さして|下《くだ》さるのだ。それに|何《なん》ぞや|七六ケ敷《しちむつかし》い、|肩《かた》の|凝《こ》るやうな|宣伝歌《せんでんか》とやらを|歌《うた》ひよつて、|見《み》【のがせ】の|聞《きき》【のがせ】のと、|何《な》んのことだい。|見逃《みのが》せと|云《い》つたつて、|聞逃《ききのが》せと|云《い》つたつて、|吾々《われわれ》は|見《み》【のがし】|聞《き》【のがし】は|罷《まか》りならぬのだ。この|上《うへ》|一寸《いつすん》でもこの|山《やま》に|登《のぼ》るなら|登《のぼ》つて|見《み》よれ、|生首《なまくび》を|引《ひ》き|抜《ぬ》いて|了《しま》ふぞ』
と|呶鳴《どな》り|立《た》てる。|宣伝使《せんでんし》はこの|男《をとこ》に|首筋《くびすぢ》を|掴《つか》まれ|捻《ね》ぢ|伏《ふ》せられては|居《ゐ》るが、|別《べつ》に|弱《よわ》つても|居《ゐ》ない、|蚊《か》や|虻《あぶ》の|一二疋《いちにひき》|肩《かた》に|止《と》まつた|位《くらゐ》に|感《かん》じてゐる。|引掴《ひつつか》んで|中天《ちうてん》に|放《は》り|上《あ》げるくらゐは|何《なん》でもないが、|神示《しんじ》の「|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ」の|戒律《かいりつ》を|破《やぶ》ること|出来《でき》ぬので、わざと|柔順《すなほ》に|彼《かれ》が|為《な》すままに|身《み》を|任《まか》してゐた。|而《しか》して|小声《こごゑ》になりて|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し|始《はじ》めたり。
|大《だい》の|男《をとこ》の|名《な》は|雲掴《くもつかみ》と|云《い》ふ。|雲掴《くもつかみ》の|手《て》はだんだんと|痲痺《しび》れ|出《だ》し|遂《つひ》には|全身《ぜんしん》|強直《きやうちよく》して|石地蔵《いしぢざう》のごとくに|硬化《かうくわ》して|了《しま》つた。|数多《あまた》の|人足《にんそく》|共《ども》はこの|体《てい》を|見《み》て|前後左右《ぜんごさいう》より|宣伝使《せんでんし》に|向《むか》つて、|手《て》に|手《て》に|鎌《かま》や、|鍬《くは》や、|鶴嘴《つるはし》、|山《やま》【こぼち】|等《など》を|振《ふ》り|上《あ》げ|攻《せ》め|掛《かか》つた。|宣伝使《せんでんし》は|少《すこ》しも|騒《さわ》がず、|路上《ろじやう》に|端坐《たんざ》して|盛《さかん》に|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》した。|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|攻《せ》め|囲《かこ》んだ|人足等《にんそくら》は|孰《いづ》れも|柄物《えもの》を|以《もつ》て|腕《うで》をふり|上《あ》げたるまま|石像《せきざう》のごとく|強直《きやうちよく》|硬化《かうくわ》して|身動《みうご》きもならず、|只《ただ》|二《ふた》ツの|眼球《めだま》ばかり|白黒《しろくろ》と|転回《てんくわい》させて|居《ゐ》るのみであつた。|宣伝使《せんでんし》は|鎮魂《ちんこん》の|神術《かむわざ》を|以《もつ》て|雲掴《くもつかみ》の|霊縛《れいばく》を|解《と》いた。|雲掴《くもつかみ》は|忽《たちま》ち|身体《しんたい》の|自由《じいう》を|得《え》、|両眼《りやうがん》に|涙《なみだ》を|浮《う》かべて|大地《だいち》に|平伏《へいふく》しその|無礼《ぶれい》を|謝《しや》したり。
|宣伝使《せんでんし》は|言葉《ことば》を|改《あらた》めて|云《い》ふ。
『|先刻《せんこく》の|汝《なんぢ》の|言《げん》によれば|当山《たうざん》の|守護職《しゆごしよく》|吾妻別《あづまわけ》[#第二七章では青雲山の国魂神は「吾妻彦」になっている]は、ウラル|彦《ひこ》に|帰順《きじゆん》せりと|聞《き》き|及《およ》ぶが、はたして|真実《しんじつ》なるや、|詳細《しやうさい》に|逐一《ちくいち》|物語《ものがた》れ』
と|云《い》はれて|雲掴《くもつかみ》は|大団扇《おほうちは》の|様《やう》な|手《て》を|以《もつ》て|天《てん》に|向《むか》ひ|拍手《かしはで》を|響《ひび》かせながら、またも|地上《ちじやう》に|跪《ひざまづ》き、|恐《こは》さに|震《ふる》うて、
『|申上《まをしあ》げます、モー|斯《か》うなる|上《うへ》は|何《なに》もかも、|包《つつ》み|隠《かく》さず|綺麗《きれい》サツパリと、|白状《はくじやう》いたしますから|生命《いのち》ばかりはお|助《たす》け』
と|男泣《をとこな》きに|泣《な》く、その|見《み》つともなさ。|数多《あまた》の|人足《にんそく》|共《ども》は|何《いづ》れも|石地蔵《いしぢざう》となつて、|眼《め》ばかりギロツカせこの|光景《くわうけい》を|見《み》て|居《ゐ》たり。
|宣伝使《せんでんし》は、
『|吾《われ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》である。|何事《なにごと》も|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|過《あやま》ちを|宣《の》り|直《なほ》すのが|吾々《われわれ》の|主旨《しゆし》であるから、|決《けつ》して|汝《なんぢ》らを|憎《にく》しとは|思《おも》はぬ。|何《いづ》れも|皆《みな》|神様《かみさま》の|最愛《さいあい》の|御子《みこ》である。|吾々《われわれ》もまた|神《かみ》の|愛《あい》し|給《たま》ふ|御子《みこ》である|以上《いじやう》は、|汝《なんぢ》らと|吾《われ》らは|同一《どういつ》の|神《かみ》の|御子《みこ》であつて、いはば|兄弟《きやうだい》である。|吾々《われわれ》はどうして|兄弟《きやうだい》を|虐《しひた》げることができるであらうか。|神《かみ》は|広《ひろ》く|万物《ばんぶつ》を|愛《あい》し|給《たま》ふ。|吾《われ》らは|尊《たふと》き|神《かみ》の|御子《みこ》なれば、|互《たがひ》に|相愛《あひあい》し|相助《あひたす》けねばならぬ。|人間《にんげん》に|差別《さべつ》を|付《つ》けるといふことは、|最《もつと》も|神《かみ》の|嫌《きら》はせ|給《たま》ふところである。|汝《なんぢ》らも|今迄《いままで》の|心《こころ》を|改《あらた》め、|本心《ほんしん》に|立《た》ち|帰《かへ》り、|神《かみ》の|尊《たふと》き|御子《みこ》として、|善《ぜん》を|行《おこな》ひ|人《ひと》を|助《たす》け、|神様《かみさま》の|大御心《おほみこころ》に|副《かな》ふ|至善《しぜん》の|行《おこな》ひをするが|人間《にんげん》の|本分《ほんぶん》である』
と|諄々《じゆんじゆん》として|人道《じんだう》を|説《と》き|始《はじ》めたるにぞ、さしも|暴悪《ばうあく》|無頼《ぶらい》の|雲掴《くもつかみ》も、|宣伝使《せんでんし》の|言葉《ことば》に|感激《かんげき》して、|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ひながら|一伍一什《いちぶしじふ》を|物語《ものがた》りける。
(大正一一・一・二三 旧大正一〇・一二・二六 石破馨録)
第三八章 |黄金《こがね》の|宮《みや》〔二八八〕
|高彦天使《たかひこのかみ》は、|雲掴《くもつかみ》の|改心《かいしん》の|情《じやう》|現《あらは》れしより、|一同《いちどう》の|霊縛《れいばく》を、|一《ひ》イ|二《ふ》ウ|三《み》ツと|唱《とな》へながら|解《と》いた。|一同《いちどう》は|一時《いちじ》に|身体《しんたい》の|自由《じいう》を|得《え》、|涙《なみだ》を|流《なが》して|各々《おのおの》|柄物《えもの》を|大地《だいち》に|投《な》げ|捨《す》て、|宣伝使《せんでんし》の|前《まへ》に|群《むら》がり|来《きた》りて|跪《ひざまづ》きその|無礼《ぶれい》を|陳謝《ちんしや》し、|雲掴《くもつかみ》は|涙《なみだ》|片手《かたて》に|逐一《ちくいち》その|真相《しんさう》を|語《かた》りける。
『|当山《たうざん》は|貴下《きか》の|知《し》らるる|如《ごと》く、|古《いにしへ》より|国治立命《くにはるたちのみこと》の|命《めい》によりて|黄金《こがね》の|玉《たま》を|祭《まつ》り、|玉守彦《たまもりひこ》、|玉守姫《たまもりひめ》の|二神《にしん》が、|宮司《みやづかさ》として|之《これ》を|保護《ほご》し|奉《たてまつ》りて|居《を》りました。さうして|神澄彦《かむすみひこ》が|八王神《やつわうじん》となりて、|当山《たうざん》|一帯《いつたい》の|地《ち》を|御守護《ごしゆご》|遊《あそ》ばされ、|吾妻別《あづまわけ》[#第二七章では青雲山の国魂神は「吾妻彦」になっている]は|神政《しんせい》を|管掌《くわんしやう》されつつあつたのでありましたが、|八王神《やつわうじん》の|神澄彦《かむすみひこ》|様《さま》は、|大洪水《だいこうずゐ》の|前《まへ》に、|宣伝使《せんでんし》となつて、|聖地《せいち》ヱルサレムへ|御出《おいで》になり、それからは|吾妻別《あづまわけ》[#第二七章では青雲山の国魂神は「吾妻彦」になっている]の|独舞台《ひとりぶたい》となつてをりました。|然《しか》るにこの|度《たび》、|常世彦《とこよひこ》の|御子《おんこ》なるウラル|彦《ひこ》が、アーメニヤの|聖地《せいち》に|神都《しんと》を|開《ひら》かれ、|宣伝使《せんでんし》を|諸方《しよはう》に|派遣《はけん》され、|先年《せんねん》その|宣伝使《せんでんし》たる|鬼掴《おにつかみ》と|云《い》ふ|力《ちから》の|強《つよ》き|使《かみ》が、|当山《たうざん》にきたりて|吾妻別《あづまわけ》[#第二七章では青雲山の国魂神は「吾妻彦」になっている]と|談判《だんぱん》の|末《すゑ》、つひに|吾妻別《あづまわけ》[#第二七章では青雲山の国魂神は「吾妻彦」になっている]は|鬼掴《おにつかみ》に|降伏《かうふく》し、アーメニヤの|神都《しんと》に|帰順《きじゆん》された。そこでいよいよアーメニヤの|神都《しんと》に、|黄金《こがね》の|国魂《くにたま》を|祭《まつ》るべく、|黄金《こがね》の|宮《みや》をアーメニヤに|遷《うつ》される|事《こと》となり、やがてウラル|彦《ひこ》は、|数多《あまた》の|供人《ともびと》を|引《ひ》き|伴《つ》れ、|当山《たうざん》へその|玉《たま》を|受取《うけと》りに|御出《おいで》になるので、|吾々《われわれ》は|吾妻別《あづまわけ》[#第二七章では青雲山の国魂神は「吾妻彦」になっている]の|厳命《げんめい》によりて、|山道《やまみち》の|開鑿《かいさく》に|昼夜《ちうや》|間断《かんだん》なく|従事《じうじ》してをりました。しかるに|尊《たふと》き|貴下《あなた》の|御出《おいで》になり、|有難《ありがた》き|神様《かみさま》の|教《をしへ》を|聞《き》かして|頂《いただ》きましてより、どうやら|私《わたくし》らの|心《こころ》の|中《なか》に|潜《ひそ》める|大蛇《をろち》の|悪霊《あくれい》も|逃《に》げ|出《だ》したやうで|実《じつ》に|天地開明《てんちかいめい》の|心持《こころもち》となり、|今迄《いままで》の|吾々《われわれ》の|慢心誤解《まんしんとりちがひ》を|省《かへり》みれば、|実《じつ》に|耻《はづ》かしくつて|穴《あな》でもあらば|這入《はい》りたいやうな|気《き》が|致《いた》します』
と|真心《まごころ》を|面《おもて》に|現《あら》はして|述《の》べたてにける。|宣伝使《せんでんし》は|打《う》ち|首肯《うなづ》き、
『|汝《なんぢ》の|詐《いつは》らざる|告白《こくはく》によつて、|総《すべ》ての|疑団《ぎだん》は|氷解《ひようかい》した。それに|就《つ》いても|当山《たうざん》の|守護神《しゆごじん》|吾妻別《あづまわけ》[#第二七章では青雲山の国魂神は「吾妻彦」になっている]は|今何処《いづこ》に|在《あ》るぞ』
との|尋《たづ》ねに、|雲掴《くもつかみ》は、
『ハイ、この|頃《ごろ》は|黄金《こがね》の|宮《みや》の|御神体《ごしんたい》をアーメニヤに|遷《うつ》す|準備《じゆんび》のために、|昼夜《ちうや》|断食《だんじき》の|行《ぎやう》を|為《な》して|居《を》られます。|然《しか》るに|肝腎《かんじん》の|宮司《みやづかさ》なる|玉守彦天使《たまもりひこのかみ》は、この|御宮《おみや》をアーメニヤに|遷《うつ》すことは、|御神慮《ごしんりよ》に|適《かな》はないと|云《い》つて、|大変《たいへん》に|反対《はんたい》をされて|居《を》るさうであります。|肝腎《かんじん》の|御宮守《おみやもり》が|御承知《ごしようち》なければ、|如何《いか》に|当山《たうざん》の|守護職《しゆごしよく》なる|吾妻別命《あづまわけのみこと》[#第二七章では青雲山の国魂神は「吾妻彦」になっている]も、どうする|事《こと》も|出来《でき》ず、さりとて|一旦《いつたん》ウラル|彦《ひこ》に|約束《やくそく》なされた|以上《いじやう》は、これを|履行《りこう》せなくてはならず、|万々一《まんまんいち》|今《いま》となつて|違背《ゐはい》される|様《やう》な|事《こと》があるとすれば、|当山《たうざん》はウラル|彦《ひこ》のために|焼《や》き|亡《ほろ》ぼされるは|火《ひ》を|睹《み》るより|明《あきら》かなりと|云《い》ふので、|玉守彦天使様《たまもりひこのかみさま》の|御承知《ごしようち》が|行《ゆ》く|様《やう》にと、|一方《いつぱう》に|準備《じゆんび》すると|共《とも》に、|一方《いつぱう》は|断食《だんじき》の|行《ぎやう》をせられて|居《を》るのであります。|私《わたくし》は|実《じつ》は|雲掴《くもつかみ》と|申《まを》して、|賤《いや》しき|人夫《にんぷ》の|頭領《とうりやう》を|致《いた》してをりますが、|実際《じつさい》は|吾妻別《あづまわけ》[#第二七章では青雲山の国魂神は「吾妻彦」になっている]の|補佐《ほさ》の|神司《かみ》で、|雲別《くもわけ》と|申《まを》す|者《もの》であります。それゆえ|当山《たうざん》の|事《こと》ならば、|何事《なにごと》も|詳《くは》しく|存《ぞん》じて|居《を》りますが、|今日《こんにち》のところ|吾妻別《あづまわけ》[#第二七章では青雲山の国魂神は「吾妻彦」になっている]は|実《じつ》に|板挟《いたばさ》みとなりて、|苦《くる》しみ|悶《もだ》えて|居《を》られます。|誠《まこと》に|見《み》るも|御気《おき》の|毒《どく》の|至《いた》りであります』
と|顔色《がんしよく》を|曇《くも》らせ、|吐息《といき》を|吐《は》きつつ|述《の》べ|立《た》つる。
|高彦天使《たかひこのかみ》は、|雲別《くもわけ》に|向《むか》つて、
『|御心配《ごしんぱい》はいりませぬ、|当山《たうざん》の|禍《わざはひ》を|救《すく》ふは、|唯《ただ》|天津祝詞《あまつのりと》と|言霊《ことたま》の|力《ちから》と、|宣伝歌《せんでんか》の|功徳《くどく》のみであります。また|黄金《こがね》の|宮《みや》は|決《けつ》してアーメニヤには|遷《うつ》りませぬ。これは|黄金山《わうごんざん》に|遷《うつ》せば|宜《よろ》しい。|黄金山《わうごんざん》には|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|神様《かみさま》が|現《あら》はれて、|立派《りつぱ》な|教《をしへ》を|立《た》てられて|居《を》りますから、|一時《いちじ》もはやく|之《これ》を|黄金山《わうごんざん》に|遷《うつ》し|奉《たてまつ》り、|高天原《たかあまはら》に|坐《ま》します|神伊邪那岐命《かむいざなぎのみこと》の|御神政《ごしんせい》|御守護《ごしゆご》の|御魂《みたま》とすべきものであります。それゆゑ|吾々《われわれ》は|当山《たうざん》に|宣伝使《せんでんし》となつて|参《まゐ》りしなり』
と、|初《はじ》めて|自分《じぶん》の|使命《しめい》を|物語《ものがた》りける。この|高彦天使《たかひこのかみ》は、|後《あと》に|天照大御神《あまてらすおほみかみ》|様《さま》が|岩戸隠《いはとがく》れを|遊《あそ》ばした|時《とき》、|岩屋戸《いはやど》の|前《まへ》で|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|玉《たま》ひし|天児屋根命《あめのこやねのみこと》の|前身《ぜんしん》なり。
|是《これ》より|雲別《くもわけ》の|案内《あんない》にて|山頂《さんちやう》に|登《のぼ》り、|吾妻別《あづまわけ》[#第二七章では青雲山の国魂神は「吾妻彦」になっている]、|玉守彦天使《たまもりひこのかみ》に|面会《めんくわい》し、|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》や|伊邪那岐《いざなぎ》の|大神《おほかみ》の|御神徳《ごしんとく》を|詳細《しやうさい》に|説《と》き|示《しめ》し、つひに|吾妻別《あづまわけ》[#第二七章では青雲山の国魂神は「吾妻彦」になっている]は、|伊邪那岐命《いざなぎのみこと》に|帰順《きじゆん》し|忠誠《ちうせい》を|擢《ぬき》ンでたりける。|而《しか》して|黄金《こがね》の|宮《みや》は、|玉《たま》と|共《とも》にヱルサレムの|聖地《せいち》に|遷座《せんざ》さるる|事《こと》となりにける。
(大正一一・一・二三 旧大正一〇・一二・二六 藤原勇造録)
第三九章 |石仏《いしぼとけ》の|入水《にゆうすゐ》〔二八九〕
|天津御空《あまつみそら》は|黒雲《くろくも》の、いや|塞《ふさ》がりて|降《ふ》り|続《つづ》く、|雨《あめ》に|水量《みづかさ》|増《まさ》り|行《ゆ》く、|四恩《しおん》の|河《かは》の|架橋《かけはし》は、|押《お》し|流《なが》されて|四恩郷《しおんきやう》、|往来《ゆきき》|途絶《とだ》えし|苦《くる》しさに、この|郷《さと》の|酋長《しうちやう》|寅若《とらわか》は、|数多《あまた》の|郷人《さとびと》を|引《ひ》き|具《ぐ》して、|晴《は》れたる|空《そら》の|星《ほし》のごと、|数多《あまた》の|人夫《にんぷ》を|駆《か》り|集《あつ》め、|今《いま》や|架橋《かけう》の|真最中《まつさいちう》なり。
|青雲山《せいうんざん》より|落《お》ち|注《そそ》ぐ|百谷千谷《ももたにちたに》の|一処《ひととこ》に|集《あつ》まり|来《きた》る|水音《みなおと》は、|百千万《ひやくせんまん》の|獅子《しし》|虎《とら》の、|声《こゑ》を|揃《そろ》へて|一時《ひととき》に、|咆哮《はうかう》|怒号《どがう》せるにもいや|勝《まさ》り、その|凄《すさま》じさ|譬《たと》ふるにものなかりける。
|酋長《しうちやう》の|指揮《しき》に|従《したが》つて、|数多《あまた》の|人夫《にんぷ》は|真裸体《まつぱだか》となり、|河中《かちう》に|飛《と》び|込《こ》み、|彼処此処《をちこち》の|山《やま》より|数多《あまた》の|木《き》を|伐《き》り|運《はこ》び|来《きた》つて、|架橋《かけう》に|余念《よねん》なく|従事《じうじ》し|居《ゐ》たりき。
|酋長《しうちやう》は|人夫《にんぷ》の|頭目《かしら》に|何事《なにごと》か|命令《めいれい》を|伝《つた》へ、|吾家《わがや》に|帰《かへ》り|去《さ》りぬ。
|人夫《にんぷ》の|中《なか》より|優《すぐ》れて|骨格《こつかく》の|逞《たくま》しい、|身長《せい》|高《たか》い|色《いろ》の|黒《くろ》い、|大兵《たいひやう》|肥満《ひまん》の|男《をとこ》は|立《た》ち|上《あが》り、
『オイ|皆《みな》の|者《もの》、|一服《いつぷく》しようではないか』
といふにぞ、|何《いづ》れもこの|一言《いちごん》に|先《さき》を|争《あらそ》うて|河《かは》の|堤《どて》に|寄《よ》り|集《あつ》まり、|草《くさ》の|葉《は》を|煙草《たばこ》に|代《か》へながら、スパスパと|紫《むらさき》の|煙《けむり》をたて|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》る。
|甲《かふ》『|一体《いつたい》|全体《ぜんたい》この|橋《はし》はよう|落《お》ちるぢやないか。|一年《いちねん》に|少《すくな》くて|二度《にど》、|多《おほ》くて|五六度《ごろくど》|落橋《らくけう》すると|云《い》ふのだから、|吾々《われわれ》|四恩郷《しおんきやう》の|人間《にんげん》はほんとに|迷惑《めいわく》な、|四恩河《しおんがは》なンて|恩《おん》も|糞《くそ》もあつたものぢやない。|至難河《しなんがは》だ』
|乙《おつ》『|死《し》なぬ|河《かは》なら|長命《ながいき》して|善《い》いぢやないか』
|甲《かふ》『|貴様《きさま》は|訳《わけ》の|判《わか》らぬ|奴《やつ》だな。この|橋《はし》|見《み》い、|長命《ながいき》どころか|二月《ふたつき》か|三月《みつき》に|一遍《いつぺん》づつ|死《し》ぬぢやないか。|四恩河《しおんがは》なンてほんとうに|善《い》い|面《つら》の|河《かは》だ。|神《かみ》さまもチツと|気《き》を|利《き》かしさうなものだねー』
|乙《おつ》『|変《かは》れば|変《かは》る|世《よ》の|中《なか》といふぢやないか。|今度《こんど》の|雨《あめ》で、|昨日《きのふ》や|今日《けふ》の|飛鳥川《あすかがは》、|淵瀬《ふちせ》と|変《かは》る|世《よ》の|中《なか》に、|変《かは》らぬものは|恋《こひ》の|道《みち》』
|甲《かふ》『ソラー|何《なに》|吐《ぬ》かす。とぼけるない。|歌々《うたうた》と|歌《うた》どころの|騒《さわ》ぎぢやない。この|橋《はし》を|十日間《とをかかん》に|架《か》けて|了《しま》はなくつちや、|吾妻別命《あづまわけのみこと》[#第二七章では青雲山の国魂神は「吾妻彦」になっている]から|又《また》どえらいお|目玉《めだま》だぞ』
|丙《へい》『そんな|無茶《むちや》な|事《こと》|云《い》つたつて|仕方《しかた》が|無《な》いぢやないか。この|泥水《どろみづ》に|何《ど》うして|斯《こ》んな|長《なが》い|橋《はし》が|十日《とをか》やそこらに|架《か》かつてたまるものか』
|乙《おつ》『たまつても、たまらいでも|仕方《しかた》がない。|毎日《まいにち》|掛《かか》つて|居《を》るのだい。|吾々《われわれ》は|雨《あめ》の|神《かみ》とやらに|橋《はし》を|落《おと》されて、【はしなく】もこの|苦労《くらう》だ』
|丙《へい》『|洒落《しやれ》どころぢやないわい。|今《いま》|酋長《しうちやう》が|言《い》つて|居《ゐ》たよ。アーメニヤのウルル|彦神《ひこのかみ》[#「ウルル」は御校正本通り]が|青雲山《せいうんざん》へお|出《いで》になるのだて。それでそれ|迄《まで》に|架《か》けて|置《お》かぬと、どえらいお|目玉《めだま》ぢやと|聞《き》いた。|俺等《おいら》は|夜昼《よるひる》なしに、たとへ|歪《ゆが》みなりにでもこの|橋《はし》|架《か》けて|了《しま》はなくちや、|酋長《しうちやう》に|申《まを》し|訳《わけ》がないわい』
|乙《おつ》『なんと、アーメニヤがウラル|彦《ひこ》つて、|何《な》んだい。|毎日《まいにち》|日《ひ》にち【アメ】ニヤが【ふられ】|彦《ひこ》で|橋《はし》まで|落《おと》されて|俺等《おいら》の|迷惑《めいわく》。アーメニヤが【ふられ】とか、【ふる】とかが|橋《はし》を|渡《わた》るなんて、|一体《いつたい》|訳《わけ》が|判《わか》らぬぢやないかい』
|甲《かふ》『|判《わか》らぬ|奴《やつ》だ。|黙《だま》つて|居《を》れ、|貴様《きさま》のやうな|奴《やつ》あ、|雨《あめ》でも|噛《か》んで|死《し》んだらよからう』
|乙《おつ》『|死《し》ねと|云《い》つたつて、|貴様《きさま》|最前《さいぜん》|死《し》なぬ|河《かは》つて|吐《ぬ》かしたらう。|雨《あめ》でも|噛《か》んで|死《し》ねなんて|貴様《きさま》こそ|判《わか》らぬ|事《こと》を|云《い》ふぢやないか』
|丁《てい》『|実際《じつさい》の|事《こと》あ、こちら|様《さま》がよく|御存《ごぞん》じぢや。お|前達《まへたち》|一同《いちどう》は|謹聴《きんちやう》して、|吾々《われわれ》の|御託宣《ごたくせん》を|承《うけたまは》れ』
|乙《おつ》『イヨー、|大《おほ》きく|出《で》やがつたぞ』
|丁《てい》『|大《おほ》きいも|小《ちひ》さいもあるかい。この|毎日《まいにち》|日《ひ》にち|雨《あめ》の|降《ふ》るのは、|青雲山《せいうんざん》の|御宝《おたから》の|黄金《こがね》の|玉《たま》とやらをウラル|彦神《ひこのかみ》が|持《も》つて|去《い》ぬと|云《い》ふので、|神様《かみさま》が|嘆《なげ》いて|毎日《まいにち》|涙《なみだ》をこぼさつしやるのだ。それで|涙《なみだ》の|雨《あめ》が|降《ふ》るのだ。|困《こま》つた|事《こと》になつたものだ。|昔《むかし》|神澄彦天使《かむずみひこのかみ》さまが|御守護《ごしゆご》あつた|時《とき》は|天気《てんき》も|好《よ》かつたなり、|何時《いつ》も|青雲山《せいうんざん》は|青雲《あをくも》の|中《なか》まで|抜《ぬ》き|出《で》て|立派《りつぱ》な|姿《すがた》を|現《あら》はし、|山《やま》の|頂《いただき》からは|玉《たま》の|威徳《ゐとく》によつて|紫《むらさき》の|雲《くも》が|靉靆《たなび》き、|河《かは》の|水《みづ》は|清《きよ》く|美《うつく》しく、|果物《くだもの》は|実《みの》り、|羊《ひつじ》はよく|育《そだ》ち、ほんたうに|天下《てんか》|泰平《たいへい》であつたが、アーメニヤのウラル|彦神《ひこのかみ》が、|青雲山《せいうんざん》に|手《て》を|付《つ》けてからと|云《い》ふものは、【ろく】にお|天道《てんだう》さまも|拝《をが》めた|事《こと》はなく、|毎日々々《まいにちまいにち》、ザアザアザアと|雨《あめ》が|土砂降《どしやぶ》りに|降《ふ》るなり、|羊《ひつじ》は|雨気《あまけ》の|草《くさ》を|食《く》うて|病《やまひ》を|起《おこ》して【ころつ】、【ころつ】と|息盡《いきつく》なり、|五日《いつか》の|風《かぜ》|十日《とをか》の|雨《あめ》は|昔《むかし》の|夢《ゆめ》となり、こんな|詰《つま》らぬ|世《よ》の|中《なか》は|有《あ》りやしない。|何《なに》を|言《い》つても|肝腎《かんじん》の|大将《たいしやう》が、|鬼掴《おにつかみ》とかいふ|悪《わる》い|奴《やつ》にまゐつて|了《しま》うたのだから、お|天道《てんだう》さまも|御機嫌《ごきげん》が|善《よ》くないのは|当前《あたりまえ》だ。それ|迄《まで》は|二十年《にじふねん》や|三十年《さんじふねん》に|橋《はし》が|落《お》つるの、|家《いへ》が|流《なが》れるのと|云《い》ふ|様《やう》な|水《みづ》が|出《で》た|事《こと》が|無《な》いぢやないか。|何《なん》でも|国《くに》の|御柱神《みはしらのかみ》|様《さま》は、あまり|悪神《わるがみ》が|覇張《はば》るので|業《ごう》を|煮《に》やして、|黄泉《よみ》の|国《くに》とかへ【さつさ】と|行《い》つて|了《しま》はれたと|云《い》ふことだ。|後《あと》に|天《あめ》の|御柱神《みはしらのかみ》|様《さま》が|独《ひと》り|残《のこ》されて、|何《なに》も|彼《か》も|御指揮《おさしづ》を|遊《あそ》ばすと|云《い》ふ|事《こと》だが、|一軒《いつけん》の|内《うち》でもおなじ|事《こと》、|女房《にようばう》が|無《な》くては|家《いへ》の|内《うち》は|暗《くら》がりと|同《おんな》じ|様《やう》に、|世界《せかい》も|段々《だんだん》|暗《くら》うなつて|来《く》るのだよ』
と|悲《かな》し|相《さう》にいふ。
|戊《ぼう》『|何《ど》うしたらこの|世《よ》が|治《をさ》まるか。|何《ど》うしたらこの|橋《はし》|架《か》けられよか』
と|唄《うた》ひながら|立《た》ち|上《あが》つて|踊《をど》り|出《だ》した。
|甲《かふ》は『|馬鹿《ばか》』と|云《い》ひながら、|戊《ぼう》の|肩《かた》を|力《ちから》を|籠《こ》めて|押《お》した|途端《とたん》に、|戊《ぼう》は|河《かは》の|中《なか》に|真倒様《まつさかさま》に|落《お》ち|込《こ》んだ。
|戊《ぼう》はやにはに|橋杭《はしぐひ》に|取《と》り|着《つ》き、|又《また》もや|一同《いちどう》の|方《はう》に|向《むか》つて、
|戊《ぼう》『|何《ど》うしても|私《わたし》は|流《なが》れませぬ。|何《ど》うしたらこの|橋《はし》|架《か》けられよか、|何《ど》うしたら|甲《かふ》|奴《め》が|倒《たふ》されよか』
と|杭《くひ》に|抱《だ》きつき|不減口《へらずくち》を|叩《たた》いて|唄《うた》つて|居《ゐ》る。|漸《やうや》くにして|戊《ぼう》は|河土手《かはどて》に、|濡《ぬ》れ|鼠《ねずみ》となつて|這《は》ひ|上《あが》り、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|真裸体《まつぱだか》になつて|衣類《いるゐ》を|搾《しぼ》つて|居《ゐ》る。さうして|又《また》もや、
|戊《ぼう》『どうしたら|衣物《きもの》が|乾《かわ》かうか、これだけ|降《ふ》つては|仕様《しやう》がない、どうしようぞいな、どうしようぞいな、スツテのことで|土左衛門《どざゑもん》』
と|気楽《きらく》さうに|踊《をど》り|出《だ》す。
この|男《をとこ》は|河童《かつぱ》の|生《うま》れ|変《かは》りで、|水《みづ》の|中《なか》を|何《な》ンとも|思《おも》つて|居《ゐ》ない。|寒《さむ》い|時《とき》に|温泉《をんせん》にでも|這入《はい》つた|様《やう》な|心持《こころもち》になる|男《をとこ》なり。
|戊《ぼう》は|甲《かふ》の|傍《かたはら》にツカツカと|寄《よ》り|来《き》たり、
『お|蔭《かげ》で|泥水《どろみづ》を|沢山《たくさん》|頂《いただ》きました。なんとも|御礼《おれい》の|申様《まをしやう》がありませぬ』
と|云《い》ひながら、【むんづ】と|斗《ばか》り|甲《かふ》の|腰《こし》を|引《ひ》つ|抱《かか》へ|自分《じぶん》から|体《たい》を|躱《かは》して、|共《とも》に|河《かは》の|中《なか》に|飛《と》んだ。|甲《かふ》は|石仏《いしぼとけ》を|放《ほ》り|込《こ》んだ|様《やう》に【ぶくぶく】と|泡《あわ》を|立《た》て、|河底《かはぞこ》へ|沈《しづ》むで|了《しま》つた。|大勢《おほぜい》の|人夫《にんぷ》は|驚《おどろ》いて、どうしよう、かうしようと|狼狽《うろたへ》まはりたり。|戊《ぼう》は|又《また》もや|橋杭《はしくひ》に|取《と》りつき、
|戊《ぼう》『|何《ど》うしたら|生命《いのち》が|助《たす》からう、【ぶくぶく】|沈《しづ》んだ|石仏《いしぼとけ》、どつこいしよのしよ』
と|唄《うた》ひ|居《ゐ》る。
|大勢《おほぜい》は|腹《はら》を|立《た》てて|有《あ》り|合《あ》ふ|石《いし》を|手《て》に|握《にぎ》り、|戊《ぼう》を|目《め》がけて|打《う》ちつける。
|戊《ぼう》はたちまち|水中《すゐちう》に|潜《もぐ》り|込《こ》み、しばらくすると|甲《かふ》の|体《からだ》を|両手《りやうて》に|捧《ささ》げて|浮《う》き|上《あが》つた。|石《いし》の|礫《つぶて》は|雨《あめ》のごとく|降《ふ》つて|来《く》る。|戊《ぼう》は|甲《かふ》の|体《からだ》にて|雨《あめ》と|降《ふ》る|石礫《いしつぶて》を|受《う》け|止《と》めた。|甲《かふ》は、
『あ|痛《いた》、あ|痛《いた》』
と|頭《あたま》をかかへて|渋面《じふめん》を|造《つく》つて|泣《な》き|出《だ》すを|見兼《みかね》て、|戊《ぼう》は|甲《かふ》を|浅瀬《あさせ》に|救《すく》ひ|上《あ》げ、|巨大《きよだい》なる|亀《かめ》と|化《くわ》し、|悠々《いういう》として|水上《すゐじやう》に|浮《うか》び、|再《ふたた》び|姿《すがた》を|隠《かく》したり。この|亀《かめ》は|果《はた》して|何神《なにがみ》の|化身《けしん》ならむか。
(大正一一・一・二三 旧大正一〇・一二・二六 井上留五郎録)
(第三七章〜第三九章 昭和一〇・二・一七 於木の花丸船中 王仁校正)
第四〇章 |琴平橋《ことひらばし》〔二九〇〕
|人馬《じんば》の|物音《ものおと》|騒《さわ》がしく、|旗指物《はたさしもの》を|押立《おした》てて、|馬《うま》にまたがり|数多《あまた》の|戦士《つはもの》|引率《ひきつ》れ|乍《なが》ら、|四恩河《しおんがは》の|袂《たもと》に|押《お》し|寄《よ》せきたる|者《もの》あり。|是《これ》は|外《ほか》でも|無《な》くアーメニヤの|神都《しんと》に|勢望《せいばう》|高《たか》きウラル|彦《ひこ》を|初《はじ》め、|鬼掴《おにつかみ》その|他《た》の|猛将《まうしやう》|勇卒《ゆうそつ》なりける。
たちまち|橋梁《けうりやう》の|無《な》きに|驚《おどろ》き、|大音声《だいおんじやう》に|架橋《かけう》に|従事《じうじ》する|人夫《にんぷ》に|向《むか》つて、
『|酋長《しうちやう》を|呼《よ》べ』
と|厳命《げんめい》したるに、|一同《いちどう》は|驚《おどろ》き|平伏《へいふく》したりしが、その|中《なか》の|一人《いちにん》は|立上《たちあが》り、
『ハイハイ、|只今《ただいま》|酋長《しうちやう》を|呼《よ》ンで|参《まゐ》ります』
と|言《い》つて、|小走《こばし》りに|森林《しんりん》の|中《なか》に|姿《すがた》を|隠《かく》しける。
ウラル|彦《ひこ》の|一行《いつかう》は、ここに|武装《ぶさう》を|解《と》き、|携《たづさ》へ|来《きた》れる|酒《さけ》や|兵糧《ひやうらう》を|出《だ》して|呑《の》み|喰《くら》ひ、つひには、
『|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》は|暗《やみ》よ』
と|唄《うた》ひ|始《はじ》めたるが、そこへ|酋長《しうちやう》の|寅若《とらわか》が|二三《にさん》の|部下《てした》を|伴《つ》れ、|揉手《もみで》し|乍《なが》ら|出《い》で|来《き》たり、ウラル|彦《ひこ》の|前《まへ》に|恐《おそ》るおそる|現《あら》はれ、
『|何御用《なにごよう》でございますか』
と|跪《ひざまづ》いて、|叮嚀《ていねい》に|尋《たづ》ぬる。
この|時《とき》|鬼掴《おにつかみ》は、|居丈高《ゐたけだか》になり|酔《ゑい》の|廻《まは》つた|銅羅声《どらごゑ》を|上《あ》げながら、
『|勿体《もつたい》なくもアーメニヤの|神都《しんと》に、|御威勢《ごゐせい》は|日月《じつげつ》のごとく|輝《かがや》き|渡《わた》り、|名声《めいせい》は|雷《らい》のごとく|轟《とどろ》き|給《たま》ふウラル|彦様《ひこさま》の|御通過《ごつうくわ》あるは、|前《まへ》|以《もつ》て|知《し》らせ|置《お》いた|筈《はず》である。|然《しか》るに|其《その》|方《はう》どもは、|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》いたして|居《ゐ》るか。この【ざま】は|何《なん》だ。|今日中《けふぢう》にこの|橋《はし》を|架《か》け|渡《わた》さばよし、|渡《わた》さぬにおいては、|汝《なんぢ》を|初《はじ》め|四恩郷《しおんきやう》の|奴《やつ》らは、|残《のこ》らず|八裂《やつざき》に|裂《さ》き|千切《ちぎ》つて、この|河《かは》に|流《なが》してやるぞ。|返答《へんたふ》はどうだ』
と|眼《め》を|怒《いか》らして|怒鳴《どな》りつける。
|酋長《しうちやう》|寅若《とらわか》は、|猫《ねこ》の|前《まへ》の|鼠《ねずみ》のやうに|縮《ちぢ》み|上《あが》りブルブルと|慄《ふる》うて|一言《いちごん》も|発《はつ》し|得《え》ず、|顔《かほ》を|蒼白《まつさお》にして|俯向《うつむ》きゐる。
この|時《とき》|戊《ぼう》は、|忽然《こつぜん》として|現《あら》はれ、
『オツと|待《ま》つた。|怒《おこ》るな、|焦《あせ》るな、|目《め》を|剥《む》くな|鬼掴《おにつかみ》。|細工《さいく》は|流々《りうりう》|仕上《しあ》げを|見《み》てから|小言《こごと》を|云《い》うたり|云《い》うたり。|夫《そ》れより|美味《うま》い|酒《さけ》を|呑《の》んで|踊《をど》れよ|踊《をど》れ、|踊《をど》らな|損《そん》ぢや。
とかく|浮世《うきよ》は|色《いろ》と|酒《さけ》  |酒《さけ》はこの|世《よ》の|生命《いのち》ぢやぞ
|酒《さけ》なくて|何《なん》の|己《おのれ》が|桜《さくら》かなだ  ウラルの|彦《ひこ》の|司《かみ》とやら
|苦《にが》い|顔《かほ》して|怒《おこ》るよな  そんな|酒《さけ》なら|止《よ》すがよい
|呑《の》んで|列《なら》べた|瓢箪《へうたん》の  |蒼《あお》い|顔《かほ》して|沈《しづ》むより
|四恩《しおん》の|河《かは》の|水《みづ》|呑《の》んで  |沈《しづ》んだ|方《はう》が|面白《おもしろ》い
|浮《う》けよ|浮《う》け|浮《う》け|酒《さけ》|呑《の》んで  |四恩《しおん》の|河《かは》へ|落《おと》されて
|浮《う》けよ|浮《う》け|浮《う》けしまひにや|沈《しづ》め  |沈《しづ》んで|死《し》んだら|土左衛門《どざゑもん》
どんなお|亀《かめ》も【ひよつとこも】  |女《をんな》が|死《し》んだら|皆《みな》|美人《びじん》
|貴様《きさま》が|死《し》んだら|土左衛門《どざゑもん》  どつこいしよのどつこいしよ
どつこい|滑《すべ》つて|河底《かはぞこ》へ  ぶくぶく|流《なが》れて|青雲山《せいうんざん》の
|黄金《こがね》の|宮《みや》をば|眺《なが》めて|泣《な》いて  |玉《たま》は|欲《ほ》しいが|生命《いのち》も|惜《を》しい
|生命《いのち》|知《し》らずのアーメニヤ  ウラルの|神《かみ》の|浅猿《あさま》しさ
|浅《あさ》い|知慧《ちゑ》をば|絞《しぼ》り|出《だ》し  |深《ふか》い|仕組《しぐみ》を|四恩《しおん》の|河《かは》の
|蒼《あを》い|淵《ふち》へと|身《み》を|投《な》げに  うかうか|渡《わた》るな|四恩橋《しおんばし》
どつこいしよの、どつこいしよ』
と|唄《うた》ひ、かつ|踊《をど》り|狂《くる》ふ。
|鬼掴《おにつかみ》は|初《はじめ》の|間《うち》は、|顔色《がんしよく》|烈火《れつくわ》のごとく|憤懣《ふんまん》の|色《いろ》を|表《あら》はし、|鼻息《はないき》|荒《あら》く|今《いま》にも|掴《つか》み|掛《かか》つて|取《と》り|挫《ひし》がむず|勢《いきほひ》であつたが、|何《ど》うしたものか、|俄《にはか》に|菎蒻《こんにやく》か|蛸《たこ》のやうに|軟《やは》らかくなつてしまひ、|大口《おほぐち》を|開《あ》けて、
|鬼掴《おにつかみ》『アハハハハハハ』
と|笑《わら》ひ|出《だ》し、へべれけに|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れた|数多《あまた》の|戦士《いくさびと》は、|参謀長《さんぼうちやう》の|鬼掴《おにつかみ》の|笑《わら》ふのを|見《み》て、|何《いづ》れも|一斉《いつせい》にどつと|声《こゑ》を|上《あ》げて|笑《わら》ひ|狂《くる》ひ、|前後《ぜんご》も|知《し》らずに|踊《をど》り|出《だ》したり。
|不思議《ふしぎ》や、|何時《いつ》の|間《ま》にか|四恩《しおん》の|河《かは》には、|立派《りつぱ》な|広《ひろ》き|新《あたら》しき|長《なが》き|橋《はし》が|架《かか》つてゐたれば、|一同《いちどう》はいよいよ|茲《ここ》に|戎衣《じうい》を|着《ちやく》し、|青雲山《せいうんざん》に|向《むか》つて|前進《ぜんしん》する|事《こと》となりける。
ウラル|彦《ひこ》はたちまち|機嫌《きげん》を|直《なほ》し、|酋長《しうちやう》に|向《むか》ひいろいろの|褒美《ほうび》を|与《あた》へ、|隊伍《たいご》を|整《ととの》へ|堂々《だうだう》と|橋《はし》を|渡《わた》りはじめたり。|先鋒隊《せんぽうたい》が|橋《はし》の|先端《むかふはな》に|着《つ》いた|頃《ころ》は、その|一隊《いつたい》は|全部《ぜんぶ》|橋《はし》の|上《うへ》に|乗《の》りけるが、この|時《とき》めきめきと|怪《あや》しい|音《おと》するよと|見《み》る|間《ま》に、|橋《はし》は|落《お》ち|濁流《だくりう》|漲《みなぎ》る|河中《かはなか》へ|甲冑《かつちう》のまま、|人馬《じんば》|共《とも》に|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|落《お》ちこんでしまひ、ウラル|彦《ひこ》を|初《はじ》め|一同《いちどう》は|浮《う》きつ|沈《しづ》みつ|押《お》し|流《なが》されて|行《ゆ》く。|間《ま》もなく、|又《また》もや|立派《りつぱ》な|橋《はし》が|架《か》けられたり。
|前方《ぜんぱう》よりは|高彦天使《たかひこのかみ》を|先頭《せんとう》に、|吾妻別《あづまわけ》[#第二七章では青雲山の国魂神は「吾妻彦」になっている]、|玉守彦《たまもりひこ》、|雲別《くもわけ》は、|数多《あまた》の|戦士《つはもの》を|随《した》がへ|黄金《こがね》の|御輿《みこし》を|守《まも》り、|黄金《こがね》の|玉《たま》を|納《をさ》めて|之《これ》を|担《かつ》がせながら、|悠々《いういう》として|進《すす》みきたり|難《なん》なくこの|橋《はし》を|渡《わた》り|了《を》へ、|後振《あとふ》り|返《かへ》り|見《み》れば、|今《いま》|渡《わた》りし|橋《はし》は|跡形《あとかた》も|無《な》く、|巨大《きよだい》なる|亀《かめ》|幾百《いくひやく》ともなく、|甲《かふ》を|列《なら》べて|浮《うか》びゐたりける。
|頓《やが》てその|亀《かめ》も|水中《すゐちう》に|姿《すがた》を|隠《かく》しけるが、これぞ|正《まさ》しく|琴平別神《ことひらわけのかみ》の|化身《けしん》にして、|黄金《こがね》の|玉《たま》を|守護《しゆご》するための|活動《くわつどう》なりしなり。
(大正一一・一・二三 旧大正一〇・一二・二六 外山豊二録)
第四一章 |桶伏山《おけふせやま》〔二九一〕
|光《ひか》り|眩《まばゆ》き|黄金《わうごん》の、|玉《たま》を|斎《いつ》きし|玉《たま》の|輿《こし》、|青雲山《せいうんざん》の|玉《たま》の|宮《みや》、|玉守彦《たまもりひこ》や|吾妻別《あづまわけ》[#第二七章では青雲山の国魂神は「吾妻彦」になっている]、|貴《うづ》の|命《みこと》は|前後《あとさき》に、|数多《あまた》の|従者《じゆうしや》を|従《したが》へて、|四恩《しおん》の|河《かは》を|打《う》ち|渡《わた》り、|夜《よ》を|日《ひ》についてやうやうに、|古《ふる》き|昔《むかし》の|神都《しんと》なる、|黄金山《わうごんざん》のその|麓《ふもと》、|蓮華台上《れんげだいじやう》と|聞《きこ》えたる、ヱルサレムの|都《みやこ》に、|八十《やそ》の|隈路《くまぢ》を|踏《ふ》み|越《こ》えて、やうやうここに|着《つ》きにける。
ヱルサレムには、|昔《むかし》の|俤《おもかげ》は|無《な》けれども、|美《うるは》しき|神殿《しんでん》を|造《つく》り、これに|黄金《こがね》の|国魂《くにたま》を|奉安《ほうあん》し、|聖地《せいち》の|守神《まもりがみ》となし|玉《たま》うたのである。ウラル|彦《ひこ》は、この|様子《やうす》を|窺《うかが》ひ|知《し》り、|数多《あまた》の|探女《さぐめ》|醜女《しこめ》を|参拝者《さんぱいしや》に|仕立《した》てて、この|国魂《くにたま》を|奪取《だつしゆ》せしめむと|計《はか》り、|昼夜《ちうや》|間断《かんだん》なく、ヱルサレムの|聖地《せいち》を|巡礼《じゆんれい》に|変装《へんさう》せしめ|窺《うかが》ひつつありける。|玉守彦天使《たまもりひこのかみ》は|霊夢《れいむ》に|感《かん》じ、|玉《たま》を|安全《あんぜん》に|保護《ほご》すべく、|夜《よる》|窃《ひそ》かに|玉《たま》の|宮《みや》に|入《い》り、|恭《うやうや》しく|是《これ》を|持《も》ち|出《いだ》し、|人々《ひとびと》の|目《め》を|避《さ》くるため、|釜《かま》の|中《なか》に|秘《ひ》め|隠《かく》し|置《お》きけり。
|斯《か》くすること|数年《すうねん》を|経《へ》て、|釜《かま》は|非常《ひじやう》なる|音響《おんきやう》を|立《た》てて|唸《うな》りはじめたり。その|唸《うな》り|声《ごゑ》は|遠近《ゑんきん》に|響《ひび》き|渡《わた》りければ、|玉守彦《たまもりひこ》は|何事《なにごと》ならむと、|宝庫《はうこ》の|戸《と》を|押《お》し|開《ひら》き|見《み》れば、こはそも|如何《いか》に、|鉄《てつ》の|釜《かま》は|黄金《こがね》の|玉《たま》の|威徳《ゐとく》に|感《かん》じてや、いつの|間《ま》にか|純金《じゆんきん》の|釜《かま》となり、|美《うるは》しき|光輝《くわうき》を|放《はな》ちて、|宝庫《はうこ》の|内部《ないぶ》を|眩《まば》ゆきばかりに|照《て》らしてゐたり。|怪《あや》しみて|身《み》を|清《きよ》め、|近寄《ちかよ》り|熟視《じゆくし》すれば、その|釜《かま》の|周囲《まはり》には|自然《しぜん》に|上《のぼ》り|竜《りう》、|下《くだ》り|竜《りう》が|現《あら》はれてをり、|而《しか》して|釜《かま》の|中《なか》の|玉《たま》はと|見《み》れば、これまた|玉《たま》の|表面《へうめん》に|多《おほ》くの|竜体《りゆうたい》が|現《あら》はれ|居《ゐ》たり。|而《しか》して|玉《たま》は、|光《ひかり》ますます|強《つよ》く|唸《うな》り|立《た》てたり。|玉《たま》より|出《い》づる|声《こゑ》か、|釜《かま》より|出《い》づる|声《こゑ》か、たうてい|区別《くべつ》がつかぬため、|釜《かま》の|中《なか》よりその|玉《たま》を|取《と》り|出《だ》し、|離《はな》して|据《す》ゑてみたりしに、|玉《たま》より|出《い》づる|声《こゑ》は、|大《だい》なれども|遠《とほ》く|響《ひび》かず、|釜《かま》より|出《い》づる|声《こゑ》はやや|小《せう》なれども、|遠方《ゑんぱう》に|響《ひび》き|渡《わた》ること|判明《はんめい》したり。
|何時《いつ》ウラル|彦《ひこ》が、この|玉《たま》を|奪《と》りに|来《く》るやも|知《し》れぬとの|暗示《あんじ》を|与《あた》へられたれば、|玉守彦《たまもりひこ》は、|埴安彦神《はにやすひこのかみ》、|埴安姫神《はにやすひめのかみ》と|計《はか》り、|窃《ひそ》かに|玉《たま》の|隠《かく》し|場所《ばしよ》を|変《か》へる|事《こと》となしたり。|余《あま》り|近《ちか》くに|隠《かく》しては、またもや|盗《ぬす》まるる|恐《おそ》れありとし、|遠《とほ》く|東《あづま》の|国《くに》に|持《も》ち|行《ゆ》く|事《こと》となり、|粗末《そまつ》なる|唐櫃《からをと》を|造《つく》り、これに|黄金《こがね》の|玉《たま》と、|黄金《こがね》の|釜《かま》を|納《をさ》め、|侍者《じしや》に|担《かつ》がしめ、|夜《よ》を|日《ひ》に|継《つい》で、|磯輪垣《しわがき》の|秀妻《ほづま》の|国《くに》の|淤能碁呂島《おのころじま》の|中心地《ちうしんち》なる|桶伏山《をけふせやま》、|一名《いちめい》|円山《まるやま》の|麓《ふもと》に|隠《かく》し|納《をさ》め、|円山姫《まるやまひめ》をして、この|神宝《しんぽう》の|守護《しゆご》を|窃《ひそ》かに|命《めい》じ|置《お》きたるなり。アヽ|何時《いつ》の|世《よ》にか、|黄金《こがね》の|玉《たま》と|釜《かま》とが|世《よ》に|現《あら》はれ|出《い》でて、|混濁《こんだく》の|代《よ》を|照《て》らすこととなるならむか。
(大正一一・一・二三 旧大正一〇・一二・二六 藤原勇造録)
第八篇 |五伴緒神《いつとものをのかみ》
第四二章 |途上《とじやう》の|邂逅《かいこう》〔二九二〕
|東《ひがし》や|西《にし》に|立《た》つ|雲《くも》の、|雲路《くもぢ》を|分《わ》けて|進《すす》みくる、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|黄金山《わうごんざん》を|立《た》ち|出《い》でて、|久方彦《ひさかたひこ》のまたの|御名《みな》、|雲路別《くもぢわけ》の|天使《かみ》は、|夜《よ》を|日《ひ》に|継《つ》いで|遥々《はるばる》と、|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひながら、|進《すす》み|来《き》たるは|羅馬《ローマ》の|都《みやこ》、|心《こころ》も|清《きよ》き|元照別《もとてるわけ》の|守《まも》ります、|伊太利亜《イタリア》さして|進《すす》みける。
|路傍《ろばう》の|石《いし》に|腰《こし》|打《う》ちかけ、|空《そら》を|眺《なが》めて|行《ゆ》く|雲《くも》の、|変《かは》る|姿《すがた》を|見《み》るにつけ、|変《かは》り|果《は》てたる|吾身《わがみ》の|姿《すがた》、|可憐《いと》しき|妻子《つまこ》を|振《ふ》り|捨《す》てて、|何処《いづこ》を|宛《あて》とも|長《なが》の|旅《たび》、|長《なが》き|吐息《といき》を|漏《も》らす|折柄《をりから》に、
『この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |御魂《みたま》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
|身《み》の|過《あやまち》は|宣《の》り|直《なほ》せ』
と|声《こゑ》も|涼《すず》しく|謡《うた》ひくる|宣伝使《せんでんし》ありけり。|雲路別天使《くもぢわけのかみ》は|耳《みみ》を|欹立《そばだ》て、その|声《こゑ》を|懐《なつ》かしげに|聞《き》き|入《い》りぬ。
『|天教山《てんけうざん》に|現《あら》はれて  |撞《つき》の|御柱《みはしら》|廻《めぐ》り|合《あ》ひ
|天《あめ》の|御柱《みはしら》|大御神《おほみかみ》  |国《くに》の|御柱《みはしら》|大御神《おほみかみ》
この|世《よ》の|闇《やみ》を|照《て》らさむと  |思《おも》ひは|胸《むね》に|三《み》つ|栗《ぐり》の
|中津御国《なかつみくに》を|胞衣《えな》として  |国土《くにつち》|造《つく》り|神《かみ》を|生《う》み
|青人草《あをひとぐさ》や|草《くさ》や|木《き》や  |万《よろづ》の|物《もの》に|御恵《みめぐ》みの
|乳房《ちぶさ》を|哺《ふく》ませ|永久《とこしへ》に  |照《て》らさせ|給《たま》ふ|三柱《みはしら》の
|神《かみ》の|御稜威《みいづ》は|天《あめ》が|下《した》  |四方《よも》の|国々《くにぐに》|三葉彦《みつばひこ》
|神《かみ》の|御勅《みこと》を|畏《かしこ》みて  |三五教《あななひけう》を|開《ひら》かむと
|心筑紫《こころつくし》の|蓑笠《みのかさ》や  |草鞋脚絆《わらぢきやはん》の|扮装《いでたち》に
|広道別《ひろみちわけ》と|改《あらた》めて  |神《かみ》の|教《をしへ》の|道《みち》|広《ひろ》く
|塩《しほ》の|八百路《やほぢ》の|八塩路《やしほぢ》を  |渡《わた》り|難《なや》みて|白雲《しらくも》の
|向伏《むかふ》す|限《かぎ》り|青雲《あをくも》の  |靉靆《たなび》く|極《きは》み|雲路別《くもぢわけ》
|貴《うづ》の|御勅《みこと》の|宣伝使《せんでんし》  |今《いま》は|何処《いづこ》に|漂《さす》らひの
|旅《たび》を|続《つづ》かせ|玉《たま》ふらむ  ここは|伊太利《イタリー》の|国境《くにざかひ》
|羅馬《ローマ》の|都《みやこ》も|近《ちか》づけど  |元照別《もとてるわけ》の|神司《かむつかさ》
ウラルの|神《かみ》に|服従《まつら》うと  |聞《き》きし|日《ひ》よりも|村肝《むらきも》の
|心《こころ》の|空《そら》は|掻《か》き|曇《くも》る  |雨《あめ》の|繁《しげ》しげ|降《ふ》る|中《なか》を
|広道別《ひろみちわけ》の|今日《けふ》の|旅《たび》  |神《かみ》と|国《くに》との|其《その》ために
|黄金山《わうごんざん》を|立《た》ち|出《い》でて  |歩《あゆ》みも|慣《な》れぬ|長旅《ながたび》に
|疲《つか》れ|果《は》てたる|吾《わが》|姿《すがた》  |疲《つか》れ|果《は》てたる|吾《わが》|姿《すがた》
|空《そら》|行《ゆ》く|鳥《とり》を|眺《なが》むれば  |各々《おのおの》|家路《いへぢ》に|帰《かへ》り|行《ゆ》く
|空飛《そらと》ぶ|鳥《とり》も|繁《しげ》りたる  |梢《こずゑ》に|宿《やど》を|求《もと》めつつ
|親子《おやこ》|諸共《もろとも》|睦《むつ》び|合《あ》ひ  |心《こころ》も|安《やす》く|楽《たの》しまむ
|頼《たの》み|難《がた》きは|人《ひと》の|世《よ》の  |明日《あす》をも|知《し》れぬ|吾《わが》|命《いのち》
|故郷《こきやう》に|捨《す》てし|妻《つま》や|子《こ》の  |心《こころ》を|思《おも》ひ|廻《めぐ》らせば
|進《すす》むも|知《し》らに|退《しりぞ》くも  |知《し》られぬ|国《くに》の|暮《くれ》の|空《そら》
あゝさりながら  さりながら  |神《かみ》の|恵《めぐみ》に|生《お》ひ|立《た》てる
|吾《われ》らは|尊《たふと》き|神《かみ》の|御子《みこ》  |神《かみ》はわが|父《ちち》わが|母《はは》ぞ
|夕暮《ゆふぐれ》|淋《さび》しき|独身《ひとりみ》の  |旅《たび》にはあらで|御恵《みめぐみ》の
いとも|厚《あつ》けき|大神《おほかみ》の  |御魂《みたま》と|共《とも》に|進《すす》むなる
|尊《たふと》き|聖《きよ》き|宣伝使《せんでんし》  |過《す》ぎにしかたの|罪咎《つみとが》を
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》し  |宣《の》り|直《なほ》します|埴安《はにやす》の
|彦《ひこ》の|命《みこと》ぞ|尊《たふと》けれ  |彦《ひこ》の|命《みこと》ぞ|尊《たふと》けれ』
と|謡《うた》ひながら|黄昏《たそがれ》の|空《そら》を、とぼとぼと|進《すす》みきたる。|雲路別天使《くもぢわけのかみ》は|広道別天使《ひろみちわけのかみ》の|姿《すがた》を|見《み》て|大《おほい》に|喜《よろこ》び、
『ヤア、|広道別天使《ひろみちわけのかみ》よ』
と|声《こゑ》をかくれば、|宣伝使《せんでんし》は|藪《やぶ》から|棒《ぼう》のこの|言葉《ことば》に|驚《おどろ》き、|熟々《つらつら》|眺《なが》むれば、|雲路別《くもぢわけ》の|宣伝使《せんでんし》なりき。|二神司《にしん》は|茲《ここ》に|相携《あひたづさ》へて|羅馬《ローマ》に|入《い》り、|元照別天使《もとてるわけのかみ》を|帰順《きじゆん》せしめ、|伊弉諾命《いざなぎのみこと》の|神政《しんせい》に|奉仕《ほうし》せしめたりける。
|広道別天使《ひろみちわけのかみ》は、|天照大御神《あまてらすおほみかみ》、|天《あま》の|岩戸《いはと》に|隠《かく》れ|給《たま》ひ、|六合《りくがふ》|暗黒《あんこく》となりし|時《とき》、|岩戸《いはと》の|前《まへ》に|太玉串《ふとたまぐし》を|捧《ささ》げ、|神慮《しんりよ》を|慰《なぐさ》めたる|太玉命《ふとたまのみこと》の|前身《ぜんしん》なり。
(大正一一・一・二三 旧大正一〇・一二・二六 加藤明子録)
第四三章 |猫《ねこ》の|手《て》〔二九三〕
|遠音《とほね》に|響《ひび》く|暮《くれ》の|鐘《かね》  |五月《さつき》の|空《そら》の|木下闇《こしたやみ》
|空《そら》に|一声《ひとこゑ》|時鳥《ほととぎす》  |黒白《あやめ》も|分《わか》ぬ|夜《よる》の|旅《たび》
ローマに|通《かよ》ふ|広道別《ひろみちわけ》の  |貴《うづ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》
|心《こころ》にかかる|故郷《ふるさと》の  |空《そら》|振《ふ》り|返《かへ》り|降《ふ》る|雨《あめ》の
|雲路《くもぢ》を|別《わけ》の|宣伝使《せんでんし》  |東《ひがし》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く
|血《ち》を|吐《は》く|思《おも》ひの|杜鵑《ほととぎす》  |闇《やみ》で|暗《くら》せよ|暫《しばら》くは
やがて|三五《さんご》の|月《つき》の|顔《かほ》  |元照別《もとてるわけ》の|司《かみ》の|在《ま》す
ローマの|都《みやこ》も|近付《ちかづ》きて  |東《あづま》の|空《そら》に|茜《あかね》さし
|変《かは》る|変《かは》ると|啼《な》き|渡《わた》る  |明《あ》けの|烏《からす》の|右左《みぎひだり》
|頭上《づじやう》に|高《たか》く|飛《と》び|交《か》ひて  |旅《たび》の|疲《つかれ》を|労《いたは》るか
その|啼声《なきごゑ》も|五月雨《さみだれ》に  |湿《しめ》り|勝《がち》なる|明《あけ》の|空《そら》
【かあい】かあいと|鳴《な》き|渡《わた》る  |今日《けふ》は|珍《めづら》し|雨雲《あまぐも》の
|帳《とばり》を|開《あ》けて|天津日《あまつひ》の  |長閑《のどか》な|影《かげ》を|地《ち》に|投《な》げて
|前途《ぜんと》を|照《てら》す|如《ごと》くなり  |前途《ゆくて》を|照《て》らす|日《ひ》の|神《かみ》の
|恵《めぐ》みの|露《つゆ》に|村肝《むらきも》の  |心《こころ》の|空《そら》も|晴《は》れ|渡《わた》る
|渡《わた》る|浮世《うきよ》に|鬼《おに》は|無《な》し  |鬼《おに》や|大蛇《をろち》や|狼《おほかみ》の
|勢《いきほひ》|猛《たけ》く|荒《あ》れ|狂《くる》ふ  ローマの|空《そら》も|久方《ひさかた》の
|天津御神《あまつみかみ》や|国津神《くにつかみ》  |撞《つき》の|御柱《みはしら》|大御神《おほみかみ》
|神《かみ》の|御《み》【かげ】を|頼《たよ》りとし  |寄《よ》せくる|曲《まが》を|言向《ことむ》けて
|美《うま》し|神世《かみよ》を|経緯《たてよこ》の  |綾《あや》と|錦《にしき》の|機《はた》を|織《お》る
|唐紅《からくれなゐ》の|紅葉《もみぢば》の  |朝日《あさひ》|夕日《ゆふひ》に|照《て》り|栄《は》ゆる
|色《いろ》にも|擬《まが》ふ|埴安《はにやす》の  |彦《ひこ》の|命《みこと》や|埴安《はにやす》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|織《お》りませる  |百機千機《ももはたちはた》の|御教《みをしへ》は
|天《あま》の|河原《かはら》を|中《なか》にして  |栲機姫《たくはたひめ》や|千々姫《ちぢひめ》の
|心《こころ》も|清《きよ》き|稚桜姫《わかざくらひめ》の  |神《かみ》の|命《みこと》の|御心《みこころ》ぞ
|三五《さんご》の|月《つき》の|御教《みをしへ》を  |残《のこ》る|隈《くま》なく|天《あめ》が|下《した》
|四方《よも》の|国々《くにぐに》|布《し》いて|行《ゆ》く  |心《こころ》の|色《いろ》ぞ|美《うるは》しき
|心《こころ》の|花《はな》ぞ|馨《かんば》しき。
|降《ふ》りみ|降《ふ》ら【ずみ】|雲《くも》に|包《つつ》まれたる|五月雨《さみだれ》の|空《そら》も、|今日《けふ》は|珍《めづら》しくも|天津日《あまつひ》の|神《かみ》は、|東天《とうてん》に|円《まる》き|温顔《をんがん》を|現《あら》はし、|下界《げかい》に|焦熱《いりあつ》き|光輝《くわうき》を|投《な》げ|給《たま》ひける。
|二人《ににん》の|宣伝使《せんでんし》は、ホツと|息吐《いきつ》きながら|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひつつ、ローマを|指《さ》して|膝栗毛《ひざくりげ》に|鞭《むち》うち|進《すす》み|行《ゆ》く。ここはローマの|町外《まちはづ》れの|二三十軒《にさんじつけん》ばかり|小《ちひ》さき|家《いへ》の|立《た》ち|列《なら》ぶ|御年村《みとせむら》といふ|小村《こむら》なりける。
|村《むら》の|若者《わかもの》|五六人《ごろくにん》、|路傍《ろばう》に|蓑《みの》を|敷《し》き|腰《こし》うち|掛《か》けながら、|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》り|居《を》る。|田植時《たうゑどき》の|最中《さいちう》と|見《み》えて、|町外《まちはづ》れの|田舎《いなか》の|田園《でんえん》には、|蓑笠《みのかさ》の|甲冑《かつちう》を|取《と》り【よろひ】、|手覆《ておひ》、|脚絆《きやはん》の|小手脛当《こてすねあて》、|三々五々《さんさんごご》|隊伍《たいご》を|整《ととの》へ、|節《ふし》|面白《おもしろ》く|田歌《たうた》を|唄《うた》ひながら、|田植《たうゑ》に|余念《よねん》なき|有様《ありさま》なり。
|見渡《みわた》す|限《かぎ》り、|牛《うし》や|馬《うま》の|田《た》を|鋤《す》く|影《かげ》、|老若男女《らうにやくなんによ》の|右往左往《うわうさわう》に|活動《くわつどう》する|有様《ありさま》は、|実《じつ》に|猫《ねこ》の|手《て》も|人《ひと》の|手《て》といふ|農家《のうか》の|激戦場裡《げきせんぢやうり》ともいふべき|光景《くわうけい》なりける。
|甲《かふ》『アヽ|斯《か》うして|夜《よる》も|昼《ひる》も|碌《ろく》に|眠《ねむ》ることもできず、|汗水《あせみづ》|垂《た》らして|働《はたら》いて|田《た》は|植《う》ゑて|居《を》るものの、また|去年《きよねん》のやうに|大水《おほみづ》が|出《で》て|流《なが》されて|了《しま》ふのぢやなからうかな。|二年《にねん》も|三年《さんねん》もあんなことが|続《つづ》いては、|百姓《ひやくしやう》もたまつたものぢやない。|俺《おれ》はそんなこと|思《おも》ふと|腕《うで》が|倦《だる》うなつて、|手《て》に|持《も》つ|鍬《くは》も、【ほろ】が|泣《な》いて|落《お》ちさうだ。|百姓《ひやくしやう》は|実業《じつげふ》だなんていふ|者《もの》があるけれど、|百姓《ひやくしやう》ぐらゐ|当《あて》にならぬものは|無《な》いぢやないか。せつかく|暑《あつ》いのに|草《くさ》を|除《と》り|肥料《こやし》を|施《や》り、|立派《りつぱ》な|稲《いね》ができたと|思《おも》へば、|浮塵子《うんか》がわく。|肝腎《かんじん》の|収穫時《しうくわくどき》になると、|目的物《もくてきぶつ》の|米《こめ》は|穫《と》れず|藁《わら》ばつかりだ。|本当《ほんたう》に|草喜《くさよろこ》びとは|此《こ》のことぢやないか。それも|自分《じぶん》の|田地《でんち》なら|未《ま》だしもだが、|穫《と》つた|米《こめ》はみな|野槌《のづち》の|神《かみ》さまの|所《ところ》へ|納《をさ》めねばならず、|納《をさ》めた|後《のち》は、|後《あと》に|残《のこ》るものは|藁《わら》と|籾《もみ》の|滓《かす》ばつかりだ。アーア|火《ひ》を|引《ひ》いて|灰《はひ》|残《のこ》る。|灰《はひ》|引《ひ》いて|火《ひ》|残《のこ》る。さつぱり|勘定《かんぢやう》が|合《あ》はぬ。|蚯蚓《みみず》|切《き》りの|蛙《かへる》|飛《と》ばしも|厭《いや》になつちまつた、|割《わり》|切《き》れたものぢやない。|四捨五入《ししやごにふ》も|六七面倒《ろくしちめんだう》くさい|約《つま》らぬものだ。ローマの|都《みやこ》の|奴《やつ》は、|暑《あつ》いの|涼《すず》しいのと|云《い》ひよつて|左団扇《ひだりうちは》を|使《つか》つて、「|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》は|暗《やみ》よ」なんて|気楽《きらく》さうに|田《た》の|中《なか》の|蛙《かはづ》のやうに、ガヤガヤ|吐《ぬ》かして|一汗《ひとあせ》も|絞《しぼ》らずに、|俺《おい》らの|作《つく》つた|米《こめ》を|喰《くら》ひよつて、|米《こめ》が|美味《うま》いの|味《あぢ》|無《な》いの、【あら】が|高《たか》いの|低《ひく》いのと、|小言八百《こごとはつぴやく》|垂《た》れよつてな。おまけに|垂《た》れた|糞《くそ》まで|俺《おい》らに|掃除《さうぢ》をさせよつて、|土百姓《どんびやくしやう》、|土百姓《どんびやくしやう》と|口汚《くちぎたな》く、|口《くち》から【ごふたく】を|垂《た》れるのだ。|誰《たれ》だつてこんなこと|思《おも》ふと、|本当《ほんたう》に【ごふ】が|湧《わ》かア。これが|何《なん》ともないやうな|奴《やつ》は、|洟《はな》たれの|屁古《へこ》たれの、|弱《よわ》たれの|馬鹿《ばか》たれの、【ばば】たれの……』
|乙《おつ》『オイ、|貴様《きさま》もよく|垂《た》れる|奴《やつ》ぢやね。さう|小言《こごと》を|垂《た》れるものぢやない。|誰《たれ》もみな|因縁《いんねん》ぢやと|諦《あきら》めて|辛抱《しんばう》しとるのぢや。|土百姓《どびやくしやう》が|都会《とくわい》の|人間《にんげん》になつて、じつとして、うまい|商売《しやうばい》をして|都会《とくわい》の|人《ひと》の|真似《まね》をしようたつて、|智慧《ちゑ》がないから|駄目《だめ》だ。お|玉杓子《たまじやくし》は、|小《ちひ》さいときは|鯰《なまづ》に|似《に》て|居《ゐ》るが、チーイと|日《ひ》が|経《た》つて|大《おほ》きくなりよると、|手《て》が|生《は》え|足《あし》が|生《は》えて|蛙《かへる》になつて|了《しま》ふ。どうしても|蛙《かへる》の|子《こ》は|蛙《かへる》だ。そんな|下《くだ》らぬ|馬鹿《ばか》を|垂《た》れるより|精《せい》|出《だ》して、|糞《くそ》でも|垂《た》れたが|利益《りえき》だよ。|肥料《こえ》になとなるからな。どうせ|貴様《きさま》たちは|米《こめ》を|糞《くそ》にする|製糞器《せいふんき》だ。|人間《にんげん》は|米《こめ》を|食《く》つては|糞《くそ》にし、|糞《くそ》を|稲《いね》にやつては|米《こめ》を|作《つく》り、その|米《こめ》をまた|食《く》つては|糞《くそ》にし、|糞《くそ》が|米《こめ》になつたり、|米《こめ》が|糞《くそ》になつたり、|互《たがひ》に|因果《いんぐわ》の|廻《めぐ》り|合《あ》ひの|世《よ》の|中《なか》だ。これでも|一遍《いつぺん》|芝《しば》を|被《かぶ》つて|出直《でなほ》してくると、|都会《とくわい》の|奴《やつ》のやうな|結構《けつこう》な|生活《くらし》をするやうになるのだ』
|丙《へい》『さうか、そりや|面白《おもしろ》い。よい|事《こと》を|聞《き》かして|呉《く》れた』
と|言《い》ひながら、|大鍬《おほくは》を|握《と》るより|早《はや》く|路傍《みちばた》の|芝草《しばくさ》を|起《おこ》して|頭《あたま》に|被《かぶ》つて、
|丙《へい》『オイ、|芝《しば》を|被《かぶ》つて|出直《でなほ》してきた。その|後《あと》はどうしたら|都会《とくわい》の|人《ひと》のやうになるのだ。|教《をし》へてくれぬか』
|乙《おつ》『|馬鹿《ばか》、|芝《しば》を|被《かぶ》るといふ|事《こと》は|死《し》ぬといふ|事《こと》だ』
|丙《へい》『|死《し》ぬのが|芝《しば》を|被《かぶ》るつて|合点《がつてん》が|往《ゆ》かぬぢやないか』
|乙《おつ》『マアー、そんな|事《こと》はどうでもよい。この|百姓《ひやくしやう》の|忙《いそが》しい、|猫《ねこ》の|手《て》も|人《ひと》の|手《て》といふ|時《とき》に|雑談《ざつだん》どころじやない。|先《さき》のことは|心配《しんぱい》するない。|人間《にんげん》は|今日《けふ》の|務《つと》めを|今日《けふ》すればよい。|明日《あす》の|天気《てんき》を|雨《あめ》にしようたつて、|日和《ひより》にしようたつて|人間様《にんげんさま》の|自由《じいう》になるものぢやない。【みんな】|神様《かみさま》の|為《な》さるままだ。この|間《あひだ》も|三五教《あななひけう》とかの|宣伝使《せんでんし》とやらが|出《で》てきてな、|百姓《ひやくしやう》を|集《あつ》めて|六ケ敷《むつかし》い|説教《せつけう》をしてゐたよ。その|中《なか》に【たつた】|一言《ひとこと》|感心《かんしん》したことがある。|吾々《われわれ》|土百姓《どんびやくしやう》はその|心《こころ》で|無《な》ければ、|今日《けふ》の|日《ひ》が|務《つと》まらぬ。|流石《さすが》は|宣伝使《せんでんし》だ、|偉《えら》いことを|言《い》ふよ』
|甲《かふ》『どんな|事《こと》を|言《い》つたい』
|乙《おつ》『|天機《てんき》|洩《も》らす|可《べか》らず。また|雨《あめ》が|降《ふ》ると|困《こま》るからな。|早苗饗休《さなぶりやす》みに、【ゆつくり】と|聞《き》かしてやらう』
|甲《かふ》『|一口《ひとくち》ぐらゐ|今《いま》|言《い》つたつて|仕事《しごと》の|邪魔《じやま》にもならないぢやないか。|一寸先《いつすんさき》の|知《し》れぬ|弱《よわ》い|人間《にんげん》の【ざま】で、|早苗饗《さなぶり》の|休《やす》みもあつたものかい。|物《もの》いふ|間《あひだ》も|無常《むじやう》の|風《かぜ》とやらが|俺《おい》らの|身辺《しんぺん》をつけ|狙《ねら》うとるのぢや。その|風《かぜ》が|何処《どこ》からともなしに、スツと|吹《ふ》いたが|最後《さいご》、|寂滅為楽《じやくめつゐらく》|頓証菩提《とんしようぼだい》だ。【いちやつかさず】に|言《い》つてくれ。|後生《ごしやう》のためだ』
|乙《おつ》『ほんなら|言《い》うたらう。|俺《おれ》は|宣伝使《せんでんし》だぞ』
|甲《かふ》『にはか|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|蚯蚓《みみず》|飛《と》ばしの|蛙《かへる》|切《き》り、|糞《くそ》|垂《た》れの【はな】|垂《た》れ、|頤《あご》ばつかり|達者《たつしや》で|百姓《ひやくしやう》を|嫌《きら》うて|一寸《ちよつと》も|宣伝使《せんでんし》だ……』
|乙《おつ》『|要《い》らぬことを|垂《た》れない、【はな】|垂《た》れ|奴《め》。|抑《そもそ》も|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》は|皇祖教《くわうそけう》だ』
|甲《かふ》『|皇祖教《くわうそけう》つて|何《なん》だい、そんな|事《こと》を|吐《ぬ》かすと、それそれ|警察《けいさつ》から|不礼罪《ぶれいざい》として|訴《うつた》へられるぞ』
|乙《おつ》『マア|先《さき》まで|聞《き》けい。
この|餓鬼《がき》は|蚯蚓《みみず》か【あんこ】か|虱《しらみ》か|蚤《のみ》か |今日《けふ》も|明日《あす》もと|糞《くそ》|垂《た》れるなり』
|甲《かふ》『|馬鹿《ばか》、|何《なに》|吐《ぬ》かすのだい。|貴様《きさま》|聞《き》き|損《そこ》ねよつて、|矢張《やつぱ》り|蛙切《かへるき》りの|伜《せがれ》は|蛙切《かへるき》りだ。|困《こま》つたものだね。|俺《おれ》が|云《い》ふてやらう。ヱヘン。
この|秋《あき》は|水《みづ》か|嵐《あらし》か|知《し》らねども |今日《けふ》のつとめに|田草《たぐさ》とるなり
|明日《あす》の|事《こと》はどうでもよい。|今日《けふ》の|事《こと》は|今日《けふ》せいと|宣伝使《せんでんし》が|吐《ぬ》かすのだ。|頼《たよ》りない|宣伝使《せんでんし》だ。|俺《おれ》はもう|厭《いや》になつてしまつた。アーア、また|一汗《ひとあせ》|絞《しぼ》らうかい』
と|甲《かふ》は|立《た》ち|上《あが》つた。つづいて|四五《しご》の|若者《わかもの》も|蓑笠《みのかさ》を|身《み》に|纏《まと》ひ、|水田《みづだ》の|中《なか》へバサバサと|這入《はい》つて|了《しま》つた。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》てわける』
と|大声《おほごゑ》に|呼《よ》ばはりながら、|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》が|此方《こなた》に|向《むか》ひ|進《すす》みくる。
(大正一一・一・二四 旧大正一〇・一二・二七 外山豊二録)
第四四章 |俄百姓《にわかひやくしやう》〔二九四〕
|狭田長田《さだながた》、|高田窪田《たかたくぼた》に|三々五々《さんさんごご》|隊伍《たいご》を|整《ととの》へ、|鋤《すき》の|後均《あとなら》しする|男《をとこ》、|声《こゑ》|面白《おもしろ》く|唄《うた》ひながら|苗《なへ》を|挿《さ》す|早乙女《さをとめ》の|姿《すがた》の|勇《いさ》ましさ。
|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》はこの|光景《くわうけい》を|見《み》てゐたりしが、|広道別《ひろみちわけ》は|開口《かいこう》|一番《いちばん》、
『|嗚呼《ああ》|立派《りつぱ》なものだ。この|光景《くわうけい》を|見《み》ると、まるで|天国《てんごく》のやうな|思《おも》ひがするね。|世界中《せかいぢう》の|人間《にんげん》が、かうやつて|一生懸命《いつしやうけんめい》に|働《はたら》かうものなら、|世《よ》の|中《なか》に|一《ひと》つも|苦情《くじやう》は|起《おこ》りはしない。|吾々《われわれ》は|宣伝使《せんでんし》が|辛《つら》いと|思《おも》つてをるが、この|百姓《ひやくしやう》の|働《はたら》きを|見《み》れば、|別《べつ》にどんな|苦労《くらう》|艱難《かんなん》しても|足《た》りないやうな|心持《こころもち》がする。|粒々《りうりう》みな|辛苦《しんく》になつた|米《こめ》を|吾々《われわれ》は|頂《いただ》いて、|神様《かみさま》や|社会《しやくわい》の|恩《おん》に|浴《よく》し、|手厚《てあつ》い|保護《ほご》を|受《う》けながら、|御道《おみち》の|為《ため》だの、|国《くに》の|為《ため》だのと|云《い》つて、|宣伝使面《せんでんしづら》を|提《さ》げて|歩《ある》いて|居《ゐ》るのは、|実《じつ》にお|百姓《ひやくしやう》に|対《たい》しても、|天《てん》の|神様《かみさま》に|対《たい》しても、|恥《はづ》かしいやうな|気《き》がする。|一《ひと》つ|吾々《われわれ》は|冥加《みやうが》だ、|百姓《ひやくしやう》に|頼《たの》んで|手伝《てつだ》はして|貰《もら》ひたいものだナア』
|雲路別天使《くもぢわけのかみ》も、
『なるほどそれは|結構《けつこう》だ。|一《ひと》つ|掛《か》け|合《あ》つてみようかな』
と|覚束《おぼつか》なげに|首《かしら》を|傾《かたむ》けたりける。
|田男《たをとこ》|甲《かふ》『アーア、お|百姓《ひやくしやう》さまも|随分《ずゐぶん》|苦《くる》しいね。オヽ、|吾輩《わがはい》はモヽモウ|倦《あき》がきた。アー|嫌《いや》いや』
と|溜息《ためいき》をつく。
|乙《おつ》『なンだい。|烏《からす》の|案山子《おどし》のやうに|田《た》の|中《なか》に|立《た》てつて、|大《おほ》きい|口《くち》|開《あ》けよつて、|欠伸《あくび》ばかり|為《し》よつて、|倦《あき》がきたなンて、|何《なに》とぼけてゐるのだい。|立《た》てつて|夢《ゆめ》みる|奴《やつ》があるかい。|秋《あき》が|来《く》りやお|米《こめ》が|穫《と》れて|結構《けつこう》だが、まだ|夏《なつ》の|最中《さいちう》だぞ。|泥水《どろみづ》なと|掬《すく》つて、|手水《てうづ》でも|使《つか》へ。|貴様《きさま》のやうに|立《た》てつてをると、|空《そら》の|鳶《とんび》|奴《め》が|糞《くそ》|引《ひ》つかけるぞ。|案山子野郎《かがしやらう》|奴《め》』
|甲《かふ》『|猫《ねこ》の|手《て》も|人《ひと》の|手《て》なンて、なンぼ|忙《せは》しいといつて、|人間《にんげん》の|手《て》を|猫《ねこ》の|手《て》にしよつて……』
|乙《おつ》『さうだから|手水《てうづ》を|使《つか》へといふのだ。|昨日《きのふ》も|雨《あめ》が|降《ふ》るといつて、|俺《おれ》ンとこの|三毛《みけ》が|唾《つばき》をつけては|自分《じぶん》の|顔《かほ》をなでて|手水《てうづ》|使《つか》うてをつた。|貴様《きさま》の|手《て》は|猫《ねこ》で|結構《けつこう》だ』
|甲《かふ》は|怒《おこ》つて、|携《たづさ》へ|持《も》つた|鍬《くは》を|振《ふ》り|揚《あ》げ、|泥田《どろた》を|力《ちから》かぎり【びしやつ】と|打《う》ち|叩《たた》いた。その|途端《はずみ》に|泥水《どろみづ》は|乙《おつ》の|顔《かほ》に【どさり】とかかつた。|乙《おつ》は|怒《おこ》つて、
『|貴様《きさま》なにをする』
といひながら、|又《また》もや|鍬《くは》を|振《ふ》り|揚《あ》げて、|甲《かふ》の|方《はう》めがけて【ぴしやつ】と|泥田《どろた》を|打《う》つた。|泥水《どろみづ》は|甲《かふ》の|顔《かほ》に、|嫌《いや》といふほど|飛《と》びかかれば、
|甲《かふ》『オイ、|喧嘩《けんくわ》か。|喧嘩《けんくわ》なら|俺《お》ら|飯《めし》より|好《す》きだ』
と|泥田《どろた》の|中《なか》に|立《た》つて、|両手《りやうて》に|唾《つばき》しながら|四股踏《しこふ》み|鳴《な》らし、
『サア|来《こ》い』
と|大手《おほで》を|拡《ひろ》げる。|乙《おつ》は|負《ま》けぬ|気《き》になり、
『|己《おの》れ|田吾作《たごさく》|見違《みちが》ひするな。|虎《とら》も|目《め》をふさぎ|爪《つめ》を|隠《かく》してをれば、|猫《ねこ》だと|思《おも》ひよつて、コラ、この|虎《とら》はんの|腕力《わんりよく》を|見《み》せてやらう』
といふより|早《はや》く、|節《ふし》くれだつたり、|気張《きば》つたり、|仁王《にわう》の|様《やう》な|瘤《こぶ》だらけの|腕《うで》を|捲《まく》つて、|泥田《どろた》の|中《なか》にて|角力《すまう》をはじめた。|数多《あまた》の|百姓《ひやくしやう》は、|一時《いちじ》に|仕事《しごと》を|止《や》めて、
『オイ、|田吾《たご》|待《ま》て|待《ま》て、|喧嘩《けんくわ》なら|山《やま》でせい』
と|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|走《はし》り|寄《よ》る。|田吾作《たごさく》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|逃《に》げ|出《だ》す。|虎《とら》は|追《お》ひかける。|丙《へい》は|虎《とら》の|蓑《みの》を|引《ひ》つつかみ、
『|逃《に》げる|奴《やつ》を|追《お》ひかけるに|及《およ》ばぬ、|降参《かうさん》した|奴《やつ》は|許《ゆる》せゆるせ』
|虎公《とらこう》『|杢兵衛《もくべゑ》の|知《し》つたことかい。|貴様《きさま》|俯向《うつむ》いて|蛙飛《かへると》ばしが|性《しやう》に|合《あ》ふてゐらア。|俺《おれ》をなんと|心得《こころえ》てをる。|丑《うし》の|年《とし》に|生《うま》れた|虎《とら》さまだぞ。|丑寅《うしとら》の|金神《こんじん》さまぢや。|相手《あひて》になつたら|祟《たた》るぞ』
と|眼玉《めだま》を|剥《む》いて|呶鳴《どな》りつけた。|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》は|思《おも》はず|知《し》らず、|田《た》の|中《なか》へ|飛《と》び|込《こ》み、
『マアマア、|丑寅《うしとら》の|金神《こんじん》さま、どうぞ|穏《おだや》かにお|鎮《しづ》まりを|願《ねが》ひます。|私《わたくし》が|貴方《あなた》に|代《かは》つて|御手伝《おてつだひ》をさして|頂《いただ》きますから、どうぞ|貴方《あなた》はお|疲《つか》れでせうから|暫《しばら》くお|休《やす》みください』
|虎公《とらこう》『どこの|何者《なにもの》か。|百姓《ひやくしやう》のやうなえらい|仕事《しごと》は、どうしてもよう|宣伝使《せんでんし》、|貴様《きさま》たちは|気楽相《きらくさう》に「|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》ア|暗《やみ》だ」なんぞと|吐《ぬ》かして、|気楽相《きらくさう》に|歩《ある》く|風来者《ふうらいもの》だらう。|一遍《いつぺん》|百姓《ひやくしやう》の|辛《つら》い|味《あぢ》も|知《し》つたがよからう。サア、この|鍬《くは》を|貸《か》してやらう、これで|泥《どろ》を|均《なら》すのだ、|判《わか》つたか。アヽ|俺《おれ》も|休《やす》みたいと|思《おも》つてをつたとこへ、|妙《めう》な|奴《やつ》が|降《ふ》つてきよつたものだ。オイここに|田吾《たご》の|鍬《くは》もあるわ。|丁度《ちやうど》|合《あ》うたり、|叶《かな》うたり、|神妙《しんめう》にやつてくれ。|御褒美《ごほうび》には|麦飯《むぎめし》の|握飯《にぎりめし》でも、|一《ひと》つや|半分《はんぶん》は|振《ふ》れ|舞《ま》つてやるからな』
|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》は|何事《なにごと》もただ「ハイハイ」といつて、|田植《たうゑ》の|手伝《てつだ》ひを、|汗《あせ》みどろになつて|行《や》つて|居《ゐ》た。さうしてその|翌日《よくじつ》も、その|翌々日《よくよくじつ》も|田植《たうゑ》の|済《す》むまで、|彼方此方《あちらこちら》を|手伝《てつだ》ひ|廻《まは》つた。
この|事《こと》が|百姓《ひやくしやう》|仲間《なかま》に|感謝《かんしや》されて、たうとう|早苗饗祭《さなぶりまつり》まで|水田《みづだ》の|中《なか》の|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けたりける。
|早苗饗祭《さなぶりまつり》には、|田植《たうゑ》の|無事《ぶじ》|終了《しうれう》を|祝《しゆく》するため|村中《むらぢう》の|老若男女《らうにやくなんによ》が|集《あつ》まり、|団子《だんご》や|餅《もち》を|搗《つ》きて|祝《いは》ふ。
この|時《とき》に|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》も|招《まね》かれて|此《この》|席《せき》に|列《れつ》し、|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|説《と》き|諭《さと》したれば、これがためこの|一村《いつそん》は、|全部《ぜんぶ》|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|浴《よく》する|事《こと》となりける。
(大正一一・一・二四 旧大正一〇・一二・二七 井上留五郎録)
第四五章 |大歳神《おほとしのかみ》〔二九五〕
|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》の、|骨身《ほねみ》を|惜《を》しまぬ|昼夜《ちうや》の|勤労《きんらう》にて、|思《おも》ひの|外《ほか》|田植《たうゑ》も|楽《らく》に|片付《かたづ》いた。ここに|村内《そんない》を|取締《とりしまり》る|最《もつと》も|広《ひろ》き|熊公《くまこう》の|家《いへ》を|開放《かいはう》し、|早苗饗祭《さなぶりまつり》の|祝宴《しゆくえん》が|開《ひら》かれた。さうして|村中《むらぢう》の|百姓《ひやくしやう》は、|命《いのち》の|洗濯《せんたく》ぢや、|睾丸《きんたま》の|皺伸《しわの》ばしぢやと|云《い》つて、|神酒《みき》を|頂《いただ》き、|餅《もち》や|団子《だんご》に|舌鼓《したつづみ》を|打《う》つて|歌《うた》ふ。
このとき|丑寅《うしとら》と|自称《じしよう》した|虎公《とらこう》は、|一座《いちざ》の|中《なか》でも|図抜《づぬ》けた|大《おほ》きい|男《をとこ》である。|酒《さけ》を|二升《にしよう》や|三升《さんじよう》|呑《の》ンだつて、|顔《かほ》の|色《いろ》ひとつ|変《か》へぬ|豪《がう》のものである。|獅子舞《ししまひ》の|様《やう》な|大《おほ》きな|口《くち》を|開《あ》けて、|餅《もち》や|団子《だんご》を|三《み》つ|四《よ》つ|一度《いちど》につまんでは|口《くち》の|中《なか》へ|投《ほう》りこみ、|唇《くちびる》を|締《し》めるとたんに、【ぐう】と|音《おと》をさせて|平《たひら》げる。|実《じつ》に|健啖家《けんたんか》である。|飲《の》ンでは|食《くら》ひ、|飲《の》ンでは|食《くら》ひ、さすがの|酒豪《しゆがう》もそろそろ|酔《ゑひ》がまはり、|気《き》が|浮《う》いたとみえて|唸《うな》り|始《はじ》めた。|牛飲馬食《ぎういんばしよく》といふは、|自称《じしよう》|丑寅《うしとら》の|金神《こんじん》から|始《はじ》まつたのだらう。|丑寅《うしとら》の|自称《じしよう》|金神《こんじん》は|大口《おほぐち》を|開《あ》けて、|砂糖屋《さたうや》の|十能《じふのう》の|様《やう》な|平《ひら》たい|大《だい》なる|掌《てのひら》をピシヤピシヤ|叩《たた》きながら、|牛《うし》や|虎《とら》の|吼《ほ》える|様《やう》な|声《こゑ》を|出《だ》して、
|虎公《とらこう》『|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|闇《やみ》よ、|闇《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る』
と|歌《うた》ひはじめた。|数多《あまた》の|百姓《ひやくしやう》どもは、|眼《め》を|円《まる》くし、|口《くち》を|尖《とが》らし、
『|貴様《きさま》は|怪《け》しからぬ|事《こと》をいふ、|言《い》ひ|直《なほ》せ|歌《うた》ひ|直《なほ》せ』
と|口々《くちぐち》に|云《い》つた。|虎公《とらこう》は|一切《いつさい》かまはず|又《また》も、
『|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|闇《やみ》よ』
と|歌《うた》ひ|出《だ》した。|田吾作《たごさく》は|躍起《やくき》となり、
『コラ、オイ、|虎《とら》、こんな|目出度《めでた》い|処《ところ》で、ウラル|彦《ひこ》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ふちう|事《こと》があるものか。|云《い》ひ|直《なほ》せ、|云《い》ひ|直《なほ》せ、|諾《き》かぬと|此《この》|村《むら》を|除《は》ねられてしまふぞ』
|虎公《とらこう》『|除《は》ねるなら|除《は》ねるがえー、|俺《おれ》もまた|飛《は》ねる……|這《は》うて|出《で》てはねる|蚯蚓《みみず》や|雲《くも》の|峰《みね》……もうこの|土《つち》|臭《くさ》い|村《むら》を|這《は》ひ|出《で》る|覚悟《かくご》だ』
|杢兵衛《もくべゑ》『|虎《とら》、|貴様《きさま》は|蚯蚓《みみず》|見《み》たやうな|奴《やつ》だ。そんな|誤託《ごたく》を|並《なら》べると|蛙飛《かはづと》ばしの|蚯蚓《みみず》|切《き》りさまの|御集《おあつ》まりの|座《ざ》だぞ。|手斧鍬《てうなくは》で【ちよん】|切《ぎ》つてしまつてやらうか』
|泥酔者《よひどれもの》の|他愛《たあい》なき、この|酒《さけ》の|上《うへ》の|問答《もんだふ》を|聞《き》いてゐた|宣伝使《せんでんし》の|雲路別《くもぢわけ》は、|一座《いちざ》の|機嫌《きげん》を|直《なほ》すべく|手《て》を|拍《う》つて|歌《うた》ひ|始《はじ》めける。
『|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|神《かみ》よ  |神《かみ》の|恵《めぐ》みを|喜《よろこ》びて
|汗《あせ》を|流《なが》せよ|脂《あぶら》を|搾《しぼ》れ  |汗《あせ》や|脂《あぶら》は|酒《さけ》となる
|稼《かせ》ぎに|追《お》ひつく|貧乏《びんばふ》なし  |稼《かせ》げば|闇《やみ》の|夜《よる》はない
|何時《いつ》も|月夜《つきよ》に|米《こめ》の|飯《めし》  |飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|心地《ここち》よく
|飲《の》ンで|働《はたら》け|汗《あせ》をかけ  |汗《あせ》と|脂《あぶら》は|酒《さけ》となる
|神《かみ》に|供《そな》へたこの|神酒《みき》は  |命《いのち》を|延《の》ばす|御薬《おくすり》よ
|毒《どく》も|薬《くすり》となる|世《よ》の|中《なか》に  あまり|薬《くすり》を|飲《の》み|過《す》ぎて
|毒《どく》とならない|程度《ていど》で|止《や》めよ  |善《ぜん》と|悪《わる》とを|立別《たてわ》ける
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |働《はたら》く|吾《われ》らの|保護《ほご》をする
|働《はたら》く|吾《われ》らの|保護《ほご》をする』
と|節《ふし》|面白《おもしろ》く、|口《くち》から|出任《でまか》せの|歌《うた》を|歌《うた》つて、|舞《ま》うて|見《み》せた。|一同《いちどう》はこの|歌《うた》を|聞《き》いて|非常《ひじやう》に|喜《よろこ》び、|又《また》もや|立《た》つて|踊《をど》り|狂《くる》うた。|虎公《とらこう》も、|田吾作《たごさく》も、|杢兵衛《もくべゑ》も、|熊公《くまこう》も、|一同《いちどう》は|酒《さけ》の|上《うへ》の|争論《いさかひ》も、サラリと|醒《さ》めてしまつて、|互《たがひ》に|手《て》を|取《と》り|合《あ》つて|勇《いさ》ましくこの|祝宴《しゆくえん》を|閉《と》ぢにける。
|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》はこの|御年村《みとせむら》の|百姓《ひやくしやう》に、|大神《おほかみ》の|宣示《せんじ》を|伝《つた》へ、かつ|農業《のうげふ》の|改善《かいぜん》を|教《をし》へた。それより|年々《ねんねん》|収穫《しうくわく》おほく|豊年《ほうねん》が|続《つづ》くことになつた。|村人《むらびと》は|喜《よろこ》んで|雲路別天使《くもぢわけのかみ》を、|百姓《ひやくしやう》の|神様《かみさま》と|尊敬《そんけい》したり。|遂《つひ》に|雲路別《くもぢわけ》は|農業《のうげふ》の|道《みち》を|奨励《しやうれい》し、|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》を|説《と》き、|茲《ここ》に|大歳神《おほとしのかみ》となりにける。
|虎公《とらこう》は|膂力《りよりよく》|衆《しゆう》に|勝《すぐ》れ|醜悪《しうあく》なる|面相《めんさう》に|似《に》ず、いたつて|正直《しやうぢき》な|男《をとこ》であつた。これより|広道別《ひろみちわけ》の|弟子《でし》となり、|宣伝使《せんでんし》の|後《あと》に|従《したが》ひローマの|都《みやこ》をはじめ、その|他《た》|世界《せかい》の|宣伝《せんでん》に|努《つと》めた。この|虎公《とらこう》はおひおひ|宣伝使《せんでんし》に|感化《かんくわ》されて|心魂《しんこん》ますます|清《きよ》まり、つひに|立派《りつぱ》なる|宣伝使《せんでんし》となりたり。|天《あま》の|岩戸《いはと》の|変《へん》に|際《さい》し、|岩戸《いはと》を|押《お》し|開《あ》けたる|手力男神《たぢからをのかみ》はこの|男《をとこ》の|後身《こうしん》なりける。
(大正一一・一・二四 旧大正一〇・一二・二七 藤原勇造録)
第四六章 |若年神《わかとしのかみ》〔二九六〕
|三伏《さんぷく》の|炎暑《えんしよ》、|酷烈《こくれつ》にして|火房《くわばう》に|坐《ざ》するがごとく、|釜中《ふちゆう》にあるがごとき|中《なか》に、|御年村《みとせむら》|田圃《たんぼ》の|木蔭《こかげ》に|四五《しご》の|農夫《のうふ》、|折《をり》から|吹《ふ》きくる|涼風《りやうふう》に|身《み》を|浴《よく》しながら|田圃《たんぼ》を|望《のぞ》みて|話《はなし》に|耽《ふけ》り|居《ゐ》る。
|甲《かふ》『|今年《ことし》は|何《なん》といふ|変《へん》な|年《とし》だらうね。|大歳神《おほとしのかみ》|様《さま》がこの|村《むら》にお|出遊《いであそ》ばしてからといふものは、|年々《ねんねん》|続《つづ》いた|不作《ふさく》もすつかり|止《や》んで|稲《いね》はよく|実《みの》り、|吾々《われわれ》|百姓《ひやくしやう》は|鼓腹撃壌《こふくげきじやう》の|有難《ありがた》き|世《よ》を|暮《くら》してきたが、あの|神様《かみさま》が、|黄金山《わうごんざん》とやらへ|帰《かへ》られてからといふものは、|又々《またまた》|不作《ふさく》がつづき、|百姓《ひやくしやう》は|米《こめ》を|作《つく》りながらその|米《こめ》は|一粒《ひとつぶ》も|口《くち》にする|事《こと》はできず、|木《こ》の|葉《は》を|喰《く》つたり|木《き》の|皮《かは》をむいて、やうやう|命《いのち》をつないでゐる。|何《なん》と|悲惨《みじめ》なことだらう。|何《なに》かこれについては、|神様《かみさま》のお|気《き》に|召《め》さぬ|事《こと》があるのではあるまいか』
|乙《おつ》『サア、どうかなア、|困《こま》つたことだ、この|稲《いね》を|見《み》ろ、|吾々《われわれ》は|目《め》を|開《あ》けて|見《み》られぬぢやないか。|去年《きよねん》といひ、|今年《ことし》といひ、せつかく|青々《あをあを》と|株《かぶ》も|茂《しげ》り|葉《は》も|延《の》びたと|思《おも》ふと、|田圃《たんぼ》|一面《いちめん》に|稲虫《いなむし》が|発生《わ》きやがつて、|見《み》る|間《ま》に|稲葉《いなば》はコロリコロリと|倒《たふ》れて、|青田《あをた》はまるで|冬《ふゆ》の|草野《くさの》のやうに|真赤《まつか》いけに|萎《しほ》れてしまふ。これでは|今年《ことし》もまた|結構《けつこう》なお|米《こめ》を|頂《いただ》くことはできはしない。|命《いのち》の|親《おや》ともいふべきお|米《こめ》の|樹《き》が、かう、ベタベタ|倒《たふ》れてしまつては、|米《こめ》|喰《く》ふ|虫《むし》の|吾々《われわれ》は|何《いづ》れはこの|稲《いね》のやうな|運命《うんめい》に|遇《あ》はなければなるまい、アーア』
と|吐息《といき》を|吐《つ》く。
|丙《へい》『それだから|俺《おれ》が|毎度《いつも》いふのだ。|御年村《みとせむら》の|人間《にんげん》は|頑迷不霊《ぐわんめいふれい》で|物《もの》が|分《わか》らぬから|困《こま》るのだ。|大歳神《おほとしのかみ》|様《さま》が|毎度《いつも》|仰有《おつしやつ》たぢやないか、|結構《けつこう》なお|米《こめ》のできるのは|皆《みな》|天道様《てんだうさま》のお【|光《ひかり》】と、|結構《けつこう》な|清《きよ》らかなお【|水《みづ》】と、お【|土《つち》】の|御恩《ごおん》だ。|百姓《ひやくしやう》は|第一《だいいち》この【|火《ひ》】と【|水《みづ》】とお【|土《つち》】の|御恩《ごおん》を|忘《わす》れたり、【|火《ひ》】を|汚《けが》したり、【|水《みづ》】を|汚《けが》したり、お【|土《つち》】を|汚《けが》すと、|稲《いね》に|虫《むし》がついて|一粒《ひとつぶ》もお|米《こめ》は|頂《いただ》けぬから|気《き》をつけと|仰有《おつしや》つただらう、|俺《おれ》やそれを|一日《いちにち》も|忘《わす》れた|事《こと》はない。それで|俺《おれ》やその|有難《ありがた》い|教《をしへ》をいつも|守《まも》つてをるのだがなア』
|乙《おつ》『そんなら|貴様《きさま》ところの|田畑《たはた》は|虫《むし》が|喰《く》ひさうもないものだ。|貴様《きさま》の|田《た》もやはり|虫《むし》が|喰《く》つてゐるぢやないか』
|丙《へい》『それや|時節《じせつ》だよ。|時節《じせつ》には|神様《かみさま》も|叶《かな》はぬと|仰有《おつしや》るからなア』
|乙《おつ》『|貴様《きさま》が|火《ひ》や|水《みづ》やお|土《つち》を|汚《けが》さぬやうにして|神様《かみさま》のお|気《き》に|入《い》るのなら、なぜ|貴様《きさま》のところの|田地《でんち》だけは|虫《むし》に|喰《く》はさぬやうにして、|吾《わ》が|神《かみ》の|教《をしへ》を|守《まも》るものはこんなものだと、|手本《てほん》を|出《だ》さつしやりさうなものぢやないか』
|丙《へい》『|俺《おれ》んとこ|一軒《いつけん》なにほど|清《きよ》めたつて、|隣《となり》の|田《た》から|移《うつ》つてくるのだもの|仕方《しかた》がないさ。|村中《むらぢう》が|一同《いちどう》に|改心《かいしん》せなくちや、|清《きよ》い|者《もの》まで|巻添《まきぞ》へに|遇《あ》はされて|共倒《ともだふ》れにならねばならぬ。それで|神様《かみさま》は|村中《むらぢう》|一致《いつち》|和合《わがふ》して|信心《しんじん》せよとおつしやるのだ』
|甲《かふ》『|汚《けが》すなといつたつて、|百姓《ひやくしやう》してをれば|糞《くそ》や|小便《せうべん》を|田《た》にやらねばならず、|肥料《こえ》をやらねば|稲《いね》は|大《おほ》きくならず、|収穫《しうくわく》は|従《したが》つて|少《すく》なく、|汚《けが》さぬわけにゆきやしない。それは|神様《かみさま》も|無理《むり》といふものぢや』
|丙《へい》『|勿論《もちろん》|肥料《こやし》もやらねばならぬが、それは|時《とき》による。|今《いま》|肝腎《かんじん》の|田《た》を|植《う》ゑるときに、|糞《くそ》を|撒《ま》いたり、|小便《せうべん》を|撒《ま》いたり、|田《た》の|中《なか》で|便《はばかり》をしたり、そんな|戯《ふざ》けたことをやると、|神様《かみさま》は|守《まも》つては|下《くだ》さらぬのだ。|田《た》を|植《う》ゑるときは|心《こころ》を|清《きよ》め、|体《からだ》を|清潔《きれい》にし、|神様《かみさま》を|祭《まつ》つて、|月経《げつけい》などある|時《とき》はなんぼ|忙《いそが》しくつても、|田植《たうゑ》の|時《とき》だけは|遠慮《ゑんりよ》をせぬと、その|日《ひ》は|神様《かみさま》が|守《まも》つて|下《くだ》さるのだからなア。|間《あひ》の|日《ひ》はチト|汚《きたな》いものをやつても、お|土《つち》が|吸《す》ふてそれが|稲《いね》の|根《ね》に|廻《まは》つて|肥料《こやし》になるのだ。それにこの|頃《ごろ》は|田植《たうゑ》のときに|神様《かみさま》を|祭《まつ》るのでもなく、|糞《くそ》や|小便《せうべん》は|田《た》の|中《なか》で|肥料《こやし》になると|云《い》つてやりはうだい。おまけに|百姓《ひやくしやう》の|宝《たから》たるべき|牛肉《ぎうにく》を|喰《く》つたり、|月経《げつけい》の|女《をんな》が|入《はい》つたりするから、|大歳神《おほとしのかみ》|様《さま》も|御守護《ごしゆご》して|下《くだ》さらぬのだ。|皆《みな》|村中《むらぢう》の|難儀《なんぎ》だから|各自《めいめい》が|心得《こころえ》て|欲《ほ》しいものだ』
と、かく|語《かた》り|合《あ》ふ|其《そ》のところへ、|脊《せ》は|高《たか》からず|低《ひく》からず、|容色端麗《ようしよくたんれい》なる|女《をんな》の|宣伝使《せんでんし》|現《あら》はれ|来《き》たりける。
『|命《いのち》の|親《おや》を|植《う》ゑつける  |夏《なつ》の|初《はじめ》の|田人等《たびとら》が
お|土《つち》を|汚《けが》し|火《ひ》を|汚《けが》し  |水《みづ》まで|汚《けが》して|牛《うし》の|肉《しし》
|喰《く》つた|報《むく》いは|眼《ま》の|当《あた》り  |見渡《みわた》すかぎり|広野原《ひろのはら》
|山《やま》の|木草《きくさ》の|蒼々《あをあを》と  |茂《しげ》れる|中《なか》に|田《た》の|面《おも》は
|冬《ふゆ》の|荒野《あれの》の|如《ごと》くなり  |嗚呼《ああ》|大歳《おほとし》の|神様《かみさま》よ
|百姓《おほみたから》の|行《おこな》ひを  |立替《たてか》へさせて|世《よ》を|清《きよ》め
|年《とし》も|豊《ゆた》かに|実《みの》らせて  |豊受《とゆけ》の|国《くに》となさしめよ
|埴安彦《はにやすひこ》や|埴安《はにやす》の  |姫《ひめ》の|御心《みこころ》|汲《く》みとりて
|百姓《おほみたから》と|名《な》に|負《お》ひし  |田人《たびと》よ|心《こころ》|改《あらた》めよ
|秋《あき》の|実《みの》りの【たわ】たわに  |命《いのち》の|親《おや》の|実《み》は|倉《くら》に
|膨《ふく》るるばかり|与《あた》へかし  |膨《ふく》るるばかり|与《あた》へかし』
と|低声《ていせい》に|歌《うた》ひつつ、|木蔭《こかげ》に|憩《いこ》ふ|田人《たびと》の|前《まへ》を|過《よ》ぎらむとせり。
|甲《かふ》は、
『モシモシ』
と|呼《よ》び|留《と》めたるより、|宣伝使《せんでんし》は|立《た》ち|留《と》まり
『|貴郎《あなた》はこの|村《むら》のお|百姓《ひやくしやう》と|見受《みう》けますが、この|稲《いね》の|虫《むし》に|喰《く》はれて|斯《か》くのごとく|全滅《ぜんめつ》せむとするのは|何《なん》と|思《おも》はれます。|大歳神《おおとしのかみ》|様《さま》の|御立腹《ごりつぷく》ではありますまいか。|百姓《ひやくしやう》の|宝《たから》を|殺《ころ》して|食《く》つた|方《かた》が、きつとこの|村《むら》にありませう。この|後《ご》はさういふ|汚《けが》れた|事《こと》をなさらぬやうに|心《こころ》がけられたが|宜《よろ》しからう。|私《わたくし》が|今《いま》|禁厭《まじなひ》をしてあげますから、|今後《こんご》は|決《けつ》して|百姓《ひやくしやう》の|宝《たから》を|喰《く》はないやうにして|下《くだ》さい』
と|傍《かたはら》の|長《なが》き|草《くさ》を【むし】り|男根《だんこん》の|形《かたち》を|作《つく》り、これを|田《た》の|水口《みなぐち》に|祭《まつ》り、|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》したるに、|見《み》るみる|稲《いね》は|青々《あをあを》として、|霜野《しもの》のごとき|田面《たのも》はにはかに|青海原《あをうなばら》の|浪《なみ》のやうに、|稲葉《いなば》は|風《かぜ》に【そよぎ】、|見《み》る|間《ま》に|繁茂《はんも》して【さやさや】と|音《おと》を|立《た》つるに|至《いた》つた。|百姓《ひやくしやう》どもは|手《て》を|拍《う》つて|喜《よろこ》んだ。|傍《かたはら》を|見《み》れば、|女《をんな》の|宣伝使《せんでんし》は|何処《どこ》へ|行《い》つたか、|姿《すがた》が|見《み》えなくなりゐたり。これは|若年神《わかとしのかみ》の|変化神《へんげしん》なりける。
(大正一一・一・二四 旧大正一〇・一二・二七 加藤明子録)
第四七章 |仁王《にわう》と|観音《くわんのん》〔二九七〕
|広道別天使《ひろみちわけのかみ》は、この|大男《おほをとこ》に|岩彦《いはひこ》といふ|名《な》を|与《あた》へ、|例《れい》の|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひながら、ローマの|都《みやこ》の|中心《ちうしん》に|進《すす》んで|行《い》つた。|今日《けふ》は|元照別天使《もとてるわけのかみ》の|誕生祭《たんじやうさい》とかで、|家々《いへいへ》に|紅《あか》や、|白《しろ》や、|青《あを》の|旗《はた》を|掲《かか》げ、|祝意《しゆくい》を|表《へう》しゐたりける。
|而《しかし》て|数千《すうせん》の|群集《ぐんしふ》は、|白捩鉢巻《しろねぢはちまき》に|紫《むらさき》の|襷《たすき》を|十文字《じふもんじ》に|綾取《あやど》り、|石《いし》や|茶碗《ちやわん》や、|鉦《かね》や|錻力鑵《ぶりきくわん》のやうなものを|叩《たた》いて、ワツシヨワツシヨと|列《れつ》を|作《つく》つて|走《はし》つてくる。さうして|一同《いちどう》はウラル|彦《ひこ》の|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひながら、|勢《いきほひ》|凄《すさま》じく|海嘯《つなみ》のやうに|此方《こちら》を|目《め》がけて|突進《とつしん》しきたる。|広道別天使《ひろみちわけのかみ》は、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける』
と|謡《うた》ひながら|進《すす》まむとするを、|群集《ぐんしふ》の|中《なか》の|頭《かしら》らしき|男《をとこ》は、この|歌《うた》を|謡《うた》つてゐる|宣伝使《せんでんし》の|横面《よこづら》めがけて|拳骨《げんこつ》を|固《かた》め、|首《くび》も|飛《と》べよと|言《い》はぬばかりに|擲《なぐ》りつけた。|宣伝使《せんでんし》は|素知《そし》らぬ|顔《かほ》して、|又《また》もや|歌《うた》を|謡《うた》ひはじめたり。
|男《をとこ》『こいつしぶとい|奴《やつ》。|未《ま》だほざくか』
と|蠑螺《さざえ》のやうな|拳骨《げんこつ》を|固《かた》めて、|処《ところ》かまはず|打《う》ち|伏《ふ》せた。|岩彦《いはひこ》は|仁王《にわう》のやうな|体躯《たいく》を|控《ひか》へ、|握《にぎ》り|拳《こぶし》を|固《かた》めて|歯《は》を|食《く》ひしばり、|地団太《ぢだんだ》を|踏《ふ》んだ。されど|宣伝歌《せんでんか》の「|直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ、|詔《の》り|直《なほ》せ」といふ|神言《かみごと》を|思《おも》ひ|出《だ》し、かつ|宣伝使《せんでんし》の|命令《めいれい》が|無《な》いので|大道《だいだう》に|仁王《にわう》|立《だ》ちとなりしまま、|歯《は》を|食《く》ひしばるのみなりき。
|群集《ぐんしふ》はこの|男《をとこ》の|姿《すがた》を|見《み》て|驚《おどろ》きしか、|途中《とちう》に|立《た》ち|止《とどま》りて|一歩《いつぽ》も|進《すす》まず|居《ゐ》る。|後列《こうれつ》の|弥次馬《やじうま》は、
『ヤーヤイ。どうしてるのだ。|進《すす》まぬか|進《すす》まぬか』
と|呶鳴《どな》りゐる。|宣伝使《せんでんし》は|打《う》ち|据《す》ゑられ|叩《たた》かれながら、|悠々《いういう》として|宣伝歌《せんでんか》を|小声《こごゑ》で|謡《うた》ひ、かつ|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》した。たちまち|大《だい》の|男《をとこ》は|拳《こぶし》を|握《にぎ》り|頭上《づじやう》に|振《ふ》り|上《あ》げた|刹那《せつな》、|全身《ぜんしん》|強直《きやうちよく》して|銅像《どうざう》のやうになつてしまひ、|目《め》ばかりギヨロギヨロと|廻転《くわいてん》させるのみであつた。こちらは|岩彦《いはひこ》の|大男《おほをとこ》が、|眼《め》を|怒《いか》らし、|面《つら》をふくらし、|口《くち》をへの|字《じ》に|結《むす》んで|握《にぎ》り|拳《こぶし》を|固《かた》めて|振《ふ》り|上《あ》げたまま、|直立《ちよくりつ》|不動《ふどう》の|態《てい》である。|一方《いつぱう》は|拳骨《げんこつ》を|固《かた》め|振《ふ》り|上《あ》げたまま、|口《くち》を|開《あ》けたまま|強直《きやうちよく》して、たちまちローマの|十字街頭《じふじがいとう》には、|阿吽《あうん》の|仁王様《にわうさま》が|現《あら》はれたる|如《ごと》くなりき。|群集《ぐんしふ》の|中《なか》からは、
『|仁王《にわう》さまぢや|仁王《にわう》さまぢや』
と|叫《さけ》ぶものあり、それに|続《つづ》いて|群集《ぐんしふ》は|又《また》もや|口《くち》を|揃《そろ》へて、
『|仁王《にわう》ぢや|仁王《にわう》ぢや、ようマア|似合《にあ》うた|仁王《にわう》さまぢや』
と|無駄口《むだぐち》を|叩《たた》きはじめたり。
このとき|横合《よこあひ》より|美《うるは》しい|女《をんな》の|宣伝使《せんでんし》が、|又《また》もや、
『この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |御霊《みたま》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ』
と|謡《うた》ひながら、この|場《ば》に|現《あら》はれたり。
|群集《ぐんしふ》は|口々《くちぐち》に、
『オーイ、|見《み》よ|見《み》よ、|立派《りつぱ》な|仁王《にわう》さまができたと|思《おも》ふたら、|今度《こんど》は|三十三相《さんじふさんさう》|揃《そろ》うた|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|観世音菩薩《くわんぜおんぼさつ》だ。|拝《をが》め|拝《をが》め』
と|異口同音《いくどうおん》に|叫《さけ》び|出《い》だしたり。
『ヨーヨー』
と|数千《すうせん》の|群集《ぐんしふ》は、|前後左右《ぜんごさいう》を|取《と》り|巻《ま》き、さしもに|広《ひろ》き|都《みやこ》|大路《おほぢ》の|十字街頭《じふじがいとう》も、【すし】|詰《づめ》となつて、|風《かぜ》の|通《とほ》る|隙間《すきま》も|無《な》いやうになつて|来《き》た。|女《をんな》|宣伝使《せんでんし》は、|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひ|出《だ》したるに、|群集《ぐんしふ》の|中《なか》には|罵詈雑言《ばりざふごん》を|逞《たくま》しうする|弥次馬《やじうま》さえ、|沢山《たくさん》|現《あら》はれ|来《き》たりぬ。
|女《をんな》|宣伝使《せんでんし》は、|細《ほそ》き、|白《しろ》き|手《て》を|上《あ》げて、|左右左《さいうさ》に|振《ふ》つた。|悪口雑言《あくこうざふごん》をほざいた|群集《ぐんしふ》は、|口《くち》を|開《あ》いたなり、|閉《と》ぢることもできず|強直《きやうちよく》して、アーアと|言《い》ひながら|涎《よだれ》を|垂《た》らすもの、|彼方此方《あちらこちら》に|現《あら》はれたり。
このとき|前方《ぜんぱう》より、|行列《ぎやうれつ》|厳《いか》めしく|立派《りつぱ》な|乗物《のりもの》に|乗《の》り|来《く》るものあり。|乗物《のりもの》の|前後《ぜんご》には、|沢山《たくさん》の|伴人《とも》が|警護《けいご》して|人払《ひとはら》ひしながら、おひおひと|十字街頭《じふじがいとう》に|向《むか》つて|進《すす》み|来《く》るあり。これはローマの|城主《じやうしゆ》|元照別天使《もとてるわけのかみ》が、|誕生《たんじやう》の|祝《いは》ひを|兼《か》ね、|地中海《ちちうかい》の|一《ひと》つ|島《じま》に|参拝《さんぱい》する|途中《とちう》の|行列《ぎやうれつ》なりける。
|群集《ぐんしふ》は|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|散《ち》つて|了《しま》つた。|仁王《にわう》さまは、|依然《いぜん》として|十字街頭《じふじがいとう》に|二柱《ふたはしら》|相並《あひなら》んで、|阿吽《あうん》の|息《いき》を|凝《こ》らして|佇立《ちよりつ》してゐる。|先払《さきばら》ひは|仁王《にわう》にむかひ、
『|右《みぎ》へ|右《みぎ》へ』
と|声《こゑ》をかけた。|仁王《にわう》は【ウン】とも、【スン】とも|言《い》はず、|十字街頭《じふじがいとう》に|鯱虎《しちやこ》|張《ば》つてゐる。|広道別天使《ひろみちわけのかみ》は|路傍《ろばう》の|或《ある》|家《いへ》の|軒先《のきさき》に|立《た》つて、この|光景《くわうけい》を|眺《なが》めゐたり。
|先払《さきばらい》『この|無礼者《ぶれいもの》。|右《みぎ》へと|言《い》つたら、なぜ|右《みぎ》へ|行《ゆ》かぬか。|何《なん》と|心得《こころえ》ゐるか。|勿体《もつたい》なくもローマの|城主《じやうしゆ》|元照別天使《もとてるわけのかみ》の|御通行《ごつうかう》だ。|速《すみや》かに|右《みぎ》へ|寄《よ》れ』
といひつつ、あまり|巨大《きよだい》なる|男《をとこ》の|握《にぎ》り|拳《こぶし》を|固《かた》めて|立《た》つて|居《ゐ》るに、やや|驚《おどろ》きしと|見《み》え|慄《ふる》ひ|声《ごゑ》で|呶鳴《どな》りをる。
|輿《こし》は|段々《だんだん》と|進《すす》んでくる。|仁王《にわう》はどうしても|微躯《びく》ともせぬ。|先払《さきばら》ひの|甲乙丙《かふおつへい》は、|恐々《こはごは》|前《まへ》に|寄《よ》つてこの|大男《おほをとこ》を|仰《あふ》ぎ|視《み》た。|見《み》れば|動《うご》いてゐるものは|目《め》ばかりなり。
|甲《かふ》『ハヽーこいつは|造《つく》り|物《もの》だな。ローマの|人民《じんみん》は|今日《けふ》は|御城主《ごじやうしゆ》の|御通《おとほ》りだと|思《おも》つて、アーチの|代《かは》りにこんな|所《ところ》に、|仁王立《にわうだ》ちを|拵《こしら》へて|立《た》てときよつたらしい。しかしもつと|距離《きより》を|開《あ》けとかぬと、これでは|通《とほ》れはせぬワイ。|気《き》の|利《き》かぬ|奴《やつ》だな』
|乙《おつ》『イヤ、|此奴《こいつ》は|人間《にんげん》だぞ。それ|見《み》い、|目《め》を|剥《む》いてらア。ど|偉《えら》い|目玉《めだま》を|剥《む》きよつて|俺等《おいら》を|嚇《おど》かさうといふ|駄洒落《だじやれ》だな。ヤイ、|退《ど》かぬか。どかぬと|目《め》を|突《つ》いてやるぞ』
|丙《へい》『|無茶《むちや》するない、もし|神《かみ》さまが|化《ば》けとるのぢやつたら、|如何《どう》する、|罰《ばち》が|当《あた》るぞ』
|甲《かふ》『|神《かみ》さまなら、|一《ひと》つ|頼《たの》んで|見《み》ようかい。モシモシ|渋紙《しぶがみ》さま』
|乙《おつ》『|渋紙《しぶかみ》さまてあるものかい』
|甲《かふ》『それでも|渋紙《しぶかみ》|見《み》たやうな|色《いろ》してるぢやないかい』
|乙《おつ》『|渋紙《しぶかみ》さまなら|貴様《きさま》の|事《こと》だい。|食《くら》ひものに|渋《しぶ》い、|仕事《しごと》に|鈍《にぶ》い、そこで|死《し》に|損《ぞこ》なひの|合《あは》せて|六分《ろくぶ》を|除《のぞ》つて、|後《あと》の|残《のこ》りの|渋紙《しぶがみ》の|貧乏神《びんばふがみ》つたら、|貴様《きさま》のことだ。この|間《あひだ》も|貴様《きさま》のとこの|嬶《かか》に|貧乏神《びんばふがみ》と、【ぼや】かられよつて、|猿《さる》が|渋柿《しぶがき》|喰《く》つたやうな|顔《かほ》をさらして、|渋々《しぶしぶ》|出《で》て|行《ゆ》きよつたぢやないか』
|甲《かふ》『しぶとい|奴《やつ》ぢや。こんな|大道《だいだう》の|真中《まんなか》で、|他人《ひと》の|所《ところ》の|内《うち》の|棚卸《たなおろ》しまで|止《や》めて|貰《もら》はふかい。そんなこと|吐《ぬ》かすと|仁王《にわう》さまに|取掴《とつつか》まるぞ。それそれあのお|顔《かほ》を|見《み》い、|御機嫌《ごきげん》|斜《ななめ》なりだ。あの|振《ふ》り|上《あ》げた|鉄拳《てつけん》が、|今《いま》|貴様《きさま》の|頭上《づじやう》にくるぞ』
|乙《おつ》『|馬鹿《ばか》|言《い》へ、|造《つく》り|物《もの》だ、|造《つく》り|物《もの》だ』
|後《うしろ》の|方《はう》よりは、
『|進《すす》め、|進《すす》め』
と|号令《がうれい》がかかる。このとき|一方《いつぱう》の|仁王《にわう》は|大手《おほで》を|拡《ひろ》げて、
『|通《とほ》ること|罷《まか》りならぬ』
と|怒鳴《どな》りゐる。
|丙《へい》『オー|化物《ばけもの》が|物《もの》を|言《い》うた。ヤイ|貴様《きさま》は|昼《ひる》の|白昼《はくちう》に、こンな|所《ところ》へ|出《で》て|化《ば》けたつてあかぬぞー。|仁王《にわう》の|幽霊《いうれい》|奴《め》が』
|又《また》もや|後《うしろ》の|方《はう》より、
『|進《すす》め、|進《すす》め』
の|声《こゑ》が|頻《しき》りに|聞《きこ》えきたる。
(大正一一・一・二四 旧大正一〇・一二・二七 外山豊二録)
第四八章 |鈿女命《うづめのみこと》〔二九八〕
|一旦《いつたん》|逃《に》げ|散《ち》つたる|群集《ぐんしう》は、|再《ふたた》び|十字街頭《じふじがいとう》に|潮《うしほ》のごとく|集《あつ》まつて|来《き》た。さうして|互《たが》ひに|争論《そうろん》をはじめ、つひには|撲《なぐ》り|合《あ》ひ、|組打《くみうち》の|修羅場《しゆらぢやう》となつた。|敵味方《てきみかた》の|区別《くべつ》なく、|手当《てあた》り|放題《はうだい》に、|打《う》つ、|蹴《け》る、|撲《なぐ》る、たちまち|阿鼻叫喚《あびけうくわん》|地獄《ぢごく》の|巷《ちまた》と|化《くわ》し|去《さ》りにける。
|例《れい》の|仁王《にわう》は|依然《いぜん》として、|十字街頭《じふじがいとう》に|硬《かた》くなり|佇立《ちよりつ》しをる。
|一方《いつぱう》|元照別《もとてるわけ》の|従者《じゆうしや》は、|声《こゑ》をかぎりに|制止《せいし》した。されど|争闘《そうとう》はますます|激《はげ》しくなりぬ。
このとき|女《をんな》の|宣伝使《せんでんし》は、|群集《ぐんしふ》の|中《なか》に|蓑笠《みのかさ》を|脱《ぬ》ぎ|捨《す》て、|花顔柳腰《くわがんりうえう》あたりに|眼《まなこ》を|欹《そばだ》てながら、|悠々《いういう》として|長袖《ながそで》を|振《ふ》り、みづから|謡《うた》ひつつ|舞《ま》ひはじめける。
『|羅馬《ローマ》の|都《みやこ》の|十字街《じふじがい》  |押《お》し|寄《よ》せきたる|人《ひと》の|浪《なみ》
|心《こころ》も|暗《くら》く|身《み》も|暗《くら》き  |常夜《とこよ》の|暗《やみ》のウラル|彦《ひこ》
ウラルの|姫《ひめ》の|曲事《まがごと》に  |相交《あひまじ》こりて|村肝《むらきも》の
|心《こころ》も|曇《くも》る|元暗《もとやみ》の  |別《わか》らぬ|命《みこと》の|誕生日《たんじやうび》
|飲《の》めよ|騒《さわ》げの|宣伝歌《せんでんか》  |一寸《いつすん》|先《さき》は|真《しん》の|暗《やみ》
|暗《やみ》の|夜《よさ》には|鬼《おに》が|出《で》る  |鬼《おに》より|恐《こは》い|仁王《にわう》さま
|十字街頭《じふじがいとう》に|待《ま》ち|受《う》けて  |元暗別《もとやみわけ》の|素首《そつくび》を
|抜《ぬ》くか|抜《ぬ》かぬかそりや|知《し》らぬ  |知《し》らぬが|仏《ほとけ》の|市人《まちびと》は
|元暗別《もとやみわけ》に|欺《だま》されて  |眉毛《まゆげ》を|読《よ》まれて|尻《しり》ぬかれ
|尻《しり》の|締《しま》りはこの|通《とほ》り  |渋紙《しぶがみ》さまが|現《あら》はれて
|渋《しぶ》い|顔《かほ》して|拳骨《げんこつ》を  |固《かた》めて|御座《ござ》る|恐《おそ》ろしさ
|殿《との》さま|恐《こは》いと|強飯《こはめし》を  こはごは|炊《た》いて|泣面《なきづら》で
おん|目出目出《めでめで》たい|御目出《おめで》たい  |目玉《めだま》の|出《で》るよな|苦面《くめん》して
|血《ち》を|吐《は》く|思《おも》ひの|時鳥《ほととぎす》  ホツと|一息《ひといき》する|間《ま》もあらず
|現《あら》はれ|出《いで》たる|荒男《あらをとこ》  その|振《ふ》り|上《あ》げた|拳骨《げんこつ》に
|荒肝《あらぎも》とられてあら|恐《こは》い  |荒肝《あらぎも》とられてあら|恐《こは》い
|恐《こは》い|恐《こは》いと|言《い》ひながら  |何《なに》が|恐《こは》いか|知《し》つてるか
|何程《なにほど》|威勢《ゐせい》が|強《つよ》くとも  |心《こころ》の|暗《くら》い|元暗別《もとやみわけ》の
|醜《しこ》の|霊《みたま》や|仁王《にわう》さま  それより|恐《こは》いは|踵《あし》の|皮《かは》
まだまだ|恐《こは》いものがある  |天地《てんち》を|造《つく》り|日月《じつげつ》を
|造《つく》つて|此《この》|世《よ》を|守《まも》られる  |神《かみ》の|律法《おきて》は|厳《きび》しいぞ
|律法《おきて》を|破《やぶ》れば|其《その》|日《ひ》から  |根底《ねそこ》の|国《くに》へと|落《おと》されて
|焦熱地獄《せうねつぢごく》や|水地獄《みづぢごく》  |地獄《ぢごく》の|釜《かま》の|焦《こげ》おこし
それも|知《し》らずに|今《いま》の|奴《やつ》  |盲目《めくら》ばかりが|寄《よ》り|合《あ》うて
|飲《の》めよ|騒《さわ》げと|何《なん》のざま  |一寸先《いつすんさき》は|火《ひ》の|車《くるま》
|廻《めぐ》る|因果《いんぐわ》の|報《むく》いにて  |羅馬《ローマ》の|都《みやこ》は|眼《ま》の|当《あた》り
|焼《や》けて|亡《ほろ》びて|真《しん》の|暗《やみ》  |栄華《えいぐわ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る
|月《つき》は|月《つき》ぢやが|息尽《いきつ》きぢや  きよろ【つき】まご【つき】|嘘《うそ》【つき】の
|嘘《うそ》で|固《かた》めた|羅馬城《ローマじやう》  |天津神《あまつかみ》より|賜《たま》ひたる
|元《もと》の|心《こころ》を|研《みが》き|上《あ》げ  |元照別《もとてるわけ》の|神司《かみ》となり
|三五教《あななひけふ》の|神《かみ》の|法《のり》  |耳《みみ》を|浚《さら》へて|聴《き》くがよい
お|前《まへ》の|耳《みみ》は|木耳《きくらげ》か  |海月《くらげ》の|如《ごと》く|漂《ただよ》うた
この|人浪《ひとなみ》を|何《ど》うするぞ  |浪《なみ》|打《う》ち|噪《さわ》ぐ|胸《むね》の|中《うち》
さぞや|無念《むねん》であろ|程《ほど》に  |慢心《まんしん》するにも|程《ほど》がある
|羅馬《ローマ》の|都《みやこ》を|輿《こし》に|乗《の》り  |吾物顔《わがものがほ》に|練《ね》り|歩《ある》く
|貴様《きさま》は|脚《あし》はどうしたか  |虎《とら》|狼《おほかみ》や|豺《やまいぬ》の
|様《やう》な|心《こころ》で|世《よ》の|中《なか》が  |治《をさ》まる|道理《だうり》は|荒浪《あらなみ》の
|浪《なみ》に|漂《ただよ》ふ|民草《たみくさ》を  どうして|救《すく》ふ|元暗《もとやみ》の
|別《わけ》の|判《わか》らぬ|盲目神《めくらがみ》  か|弱《よわ》き|女人《によにん》の|吾《われ》なれど
|天津御空《あまつみそら》の|雲《くも》|別《わ》けて  |降《くだ》り|来《きた》れる|出雲姫《いづもひめ》
|出雲《いづも》の|烏《からす》が|啼《な》くやうに  【うか】うか|聞《き》くなよ|聾神《つんぼがみ》
|盲目《めくら》|聾《つんぼ》の|世《よ》の|中《なか》は  なにほど|立派《りつぱ》な|神言《かみごと》も
どれほど|尊《たふと》い|神《かみ》さまの  |声《こゑ》も|聞《き》けよまい|御姿《みすがた》も
|見《み》えはしまいが|神様《かみさま》に  |貰《もら》うた|身魂《みたま》を|光《ひか》らして
|元照別《もとてるわけ》の|天使《かみ》となり  |昔《むかし》の|心《こころ》に|立復《たちかへ》り
|撞《つき》の|御柱《みはしら》|大御神《おほみかみ》  |天《あめ》の|御柱《みはしら》|大御神《おほみかみ》
|国《くに》の|御柱大神《みはしらおほかみ》の  |御前《みまへ》に|詫《わ》びよ|伏《ふ》し|拝《をが》め
|元《もと》は|尊《たふと》き|大神《おほかみ》の  |分《わ》けの|御魂《みたま》と|生《うま》れたる
|元照別《もとてるわけ》にはあらざるか  |甲斐《かひ》ない|浮世《うきよ》に|永《なが》らへて
|吾物顔《わがものがほ》に|世《よ》の|中《なか》を  |振《ふ》れ|舞《ま》ふお|方《かた》の|気《き》が|知《し》れぬ
ヤツトコドツコイ、ドツコイシヨ  ヨイトサー、ヨイトサ
ヨイヨイヨイの  ヨイトサツサ』
と|節《ふし》|面白《おもしろ》く、|手《て》つき|怪《あや》しく|踊《をど》り|狂《くる》うた。
|木綿《もめん》の|洗濯物《せんたくもの》に|固糊《かたのり》を|付《つ》けた|様《やう》に、|街頭《がいとう》に|鯱《しやち》|張《ば》つて|居《ゐ》た|岩彦《いはひこ》も、|大《だい》の|男《をとこ》も、この|歌《うた》に【とろかされ】て、|何時《いつ》のまにか|菎蒻《こんにやく》のやうに、ぐにやぐにやになつて|了《しま》つて|居《ゐ》た。
|広道別天使《ひろみちわけのかみ》は|女《をんな》|宣伝使《せんでんし》にむかひ、
『|貴方《あなた》は|噂《うはさ》に|聞《き》く、|出雲姫《いづもひめ》におはせしか。|存《ぞん》ぜぬこととて、|無礼《ぶれい》の|段《だん》|御許《おゆる》しくだされませ』
と|慇懃《いんぎん》に|挨拶《あいさつ》した。
|出雲姫《いづもひめ》は|丁寧《ていねい》に|挨拶《あいさつ》を|返《かへ》す|折《をり》しも、|礼服《れいふく》を|着用《ちやくよう》したる|四五《しご》の|役人《やくにん》らしき|者《もの》、|前《まへ》に|現《あら》はれ|丁寧《ていねい》に|辞儀《じぎ》をしながら、
|役人《やくにん》『|私《わたくし》は|羅馬《ローマ》の|城《しろ》に|仕《つか》へまつる|端下役《はしたやく》であります。|今《いま》|城主《じやうしゆ》の|命令《めいれい》により|参《まゐ》りました。どうかこの|駕籠《かご》に|乗《の》つて|羅馬城《ローマじやう》へ|御出張《ごしゆつちやう》を|願《ねが》ひたい』
と|頼《たの》み|入《い》つた。
|元照別天使《もとてるわけのかみ》の|輿《こし》は|何故《なにゆゑ》か、|後《あと》へ|一目散《いちもくさん》に|引返《ひきかへ》して|了《しま》つた。
この|群集《ぐんしふ》の|中《なか》から|現《あら》はれ、|十字街頭《じふじがいとう》に|拳《こぶし》を|固《かた》め、|口《くち》を|開《あ》いたなり|強直《きやうちよく》してゐた|大《だい》の|男《をとこ》は、いよいよ|改心《かいしん》して|宣伝使《せんでんし》となり、|天《あま》の|岩戸《いはと》の|前《まへ》において|手力男命《たぢからをのみこと》と|相並《あひなら》び、|岩戸《いはと》を|開《ひら》いた|岩戸別神《いはとわけのかみ》の|前身《ぜんしん》である。
|手力男神《たぢからをのかみ》の|又《また》の|名《な》を、|豊岩窓神《とよいはまどのかみ》といひ、|岩戸別神《いはとわけのかみ》の|又《また》の|名《な》を、|櫛岩窓神《くしいはまどのかみ》と|云《い》ふのである。さうして|今《いま》|現《あら》はれた|出雲姫《いづもひめ》は、|岩戸《いはと》の|前《まへ》に|俳優《わざをぎ》をなし、|神々《かみがみ》の|顎《あご》を|解《と》いた|滑稽《こつけい》|洒落《しやらく》の|天宇受売命《あめのうづめのみこと》の|前身《ぜんしん》である。
(大正一一・一・二四 旧大正一〇・一二・二七 井上留五郎録)
第四九章 |膝栗毛《ひざくりげ》〔二九九〕
|広道別天使《ひろみちわけのかみ》、|出雲姫《いづもひめ》は、|城内《じやうない》の|役人《やくにん》に|向《むか》つて、
『|御親切《ごしんせつ》は|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます。|然《しか》しながら、|吾々《われわれ》はこの|世《よ》を|救《すく》ふ|神《かみ》の|任《よさ》しの|宣伝使《せんでんし》の|身《み》の|上《うへ》、|艱難《かんなん》|苦労《くらう》を|致《いた》すのが、|吾々《われわれ》の|本意《ほんい》でありますから、|御用《ごよう》があれば、|喜《よろこ》びて|何処《どこ》までも|参《まゐ》りますが、|乗物《のりもの》だけは|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》りたい』
と|断《ことわ》りける。|役人《やくにん》は、
『|御説《おせつ》は|御尤《ごもつと》もなれど、|吾々《われわれ》は、|城主《じやうしゆ》の|命令《めいれい》で、|駕籠《かご》を|持《も》つて|御迎《おむか》ひに|参《まゐ》つたもの、|是非《ぜひ》|乗《の》つて|頂《いただ》かぬと、|帰《かへ》つてから|叱《しか》られますから、どうぞ|御乗《おの》り|下《くだ》さい。お|願《ねが》ひです』
と|頼《たの》み|入《い》る。|広道別天使《ひろみちわけのかみ》は、
『あなたの|御言葉《おことば》は|御尤《ごもつと》もなれど、この|暑《あつ》いのに|百姓《ひやくしやう》は|熱湯《ねつたう》のやうな|田《た》の|中《なか》で、|草除《くさと》りをしてをることを|思《おも》へば、|勿体《もつたい》なくてそんな|奢《おご》つたことはできませぬ。|吾々《われわれ》は|神様《かみさま》から|頂《いただ》いた|立派《りつぱ》な|脚《あし》を|持《も》つて|居《を》りますから、この|膝栗毛《ひざくりげ》に|鞭韃《むちう》つて|参《まゐ》ります。|乗物《のりもの》は|真平御免《まつぴらごめん》を|蒙《かうむ》りたい』
と|固《かた》く|辞《じ》して|応《おう》ぜざりければ、|役人《やくにん》はやむを|得《え》ず、
『|斯程《かほど》に|御頼《おたの》み|申《まう》すを、|御聞《おきき》きいれなくば|是非《ぜひ》はありませぬ。オイ|駕籠舁《かごかき》ども、この|駕籠《かご》を|担《かつ》いで|直《すぐ》に|帰《かへ》つたがよからう。|吾々《われわれ》はこの|御方《おかた》の|御伴《おとも》をして|徒歩《かち》で|帰《かへ》るから、|右守神《うもりのかみ》にこの|由《よし》|御伝《おつた》へ|申《まを》せ』
|駕籠舁《かごかき》は、
『ハイ』
と|答《こた》へて、すぐ|駕籠《かご》を|担《かつ》いて|一目散《いちもくさん》に|駆《か》け|出《だ》したり。
|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》と、|岩彦《いはひこ》および|大《だい》の|男《をとこ》|熊公《くまこう》は、|四五《しご》の|役人《やくにん》と|共《とも》に、|都大路《みやこおほじ》をトボトボと|進《すす》み|行《ゆ》く。さうして|広道別天使《ひろみちわけのかみ》および|出雲姫《いづもひめ》は、|代《かは》る|代《がは》る|互《たが》ひに|宣伝歌《せんでんか》を|謳《うた》ひつつ|進《すす》み|行《ゆ》く。
|大路《おほみち》の|両側《りやうそく》には|彼方《あちら》に|三人《さんにん》、|此方《こちら》に|五人《ごにん》|十人《じふにん》と|立《た》つて、この|一行《いつかう》の|姿《すがた》を|見《み》て|口々《くちぐち》に|下馬評《げばひやう》を|試《こころ》みてゐる。
|甲《かふ》『あれ|見《み》い、あの|宣伝使《せんでんし》とかいふ|奴《やつ》が、|城主様《じやうしゆさま》の|御通行《ごつうかう》を|妨《さまた》げよつたので、|役人《やくにん》に|引張《ひつぱ》られて|行《ゆ》きよるのだ。アレアレ、|仁王《にわう》のやうな|大男《おほをとこ》が|二人《ふたり》も|従《つ》いて|行《ゆ》きアがらア。いづれ|彼奴《あいつ》ア、|御城内《ごじやうない》へ|引張《ひつぱ》られて、【ふりつけ】に|逢《あ》ひよるのだ』
|乙《おつ》『|何《なん》だい、|芝居《しばゐ》でも|教《をし》へるのか、|御城主様《ごじやうしゆさま》もよつぽど|物好《ものず》きだな。あンな|奴《やつ》に|振《ふ》り|付《つ》けして|貰《もら》つたつて、|碌《ろく》な|芝居《しばゐ》は|打《う》てはしないぞ』
|丙《へい》『|振《ふ》りつけなんて、そんな|気楽《きらく》なことかい。|磔《はりつけ》のことだい』
|乙《おつ》『ウンさうか、|男《をとこ》の|癖《くせ》して、|裁縫《さいほう》でもするのかい。|俺《おれ》とこの|尼《あま》つちよも、この|間《あひだ》から|縫《ぬ》ひ|物《もの》|稽古《けいこ》するといつてな、お|玉《たま》さま|処《とこ》で|張《は》り|付《つ》けをやつて|貰《もら》つたのだ』
|甲《かふ》『そんな|気楽《きらく》なことかい、えらい|目《め》にあはされるのだ』
|丙《へい》『えらい|目《め》にあはされるのも|知《し》らずに、|気楽《きらく》さうに|歌《うた》でも|謳《うた》ひやがつて、よつぽど|暢気《のんき》な|奴《やつ》だな』
|乙《おつ》『ナーニ、ありや|自暴自棄《やけくそ》だよ。|引《ひ》かれものの|小歌《こうた》てな、|屠所《としよ》の|羊《ひつじ》のやうに|悄々《しほしほ》とこの|大路《おほぢ》を|通《とほ》るのは、|見《み》つともないものだから、|痩我慢《やせがまん》を|出《だ》しアがつてるのよ。あの|声《こゑ》を|聞《き》いて|見《み》い、|何《なん》だか|見逃《みのが》せ|聞逃《ききのが》せなんて|泣《な》き|言《ごと》いつとるぢやないか』
|宣伝使《せんでんし》の|一行《いつかう》は、この|下馬評《げばひやう》を|聞《き》きながら、|役人《やくにん》と|共《とも》にドンドンと|進《すす》みゆく。
また|此方《こちら》の|方《はう》には、|一群《ひとむれ》の|男女《だんぢよ》があつて、|一行《いつかう》の|姿《すがた》を|見《み》て|囁《ささや》き|合《あ》うてゐる。
|甲《かふ》『|今日《けふ》は|目出度《めでた》い|結構《けつこう》な、|御城主様《ごじやうしゆさま》の|御誕生日《おたんじやうび》で、|仰山《ぎやうさん》の|供《とも》を|伴《つ》れて、|立派《りつぱ》な|御輿《みこし》に|乗《の》つて、|一《ひと》ツ|島《じま》とかへ|御参拝《ごさんぱい》になるので、|町《まち》のものはみんな|御祝《おいは》ひのため、|家々《いへいへ》に|旗《はた》を|立《た》て、|御神酒《おみき》を|頂《いただ》いて、|踊《をど》り|廻《まは》つてをるところへ、|肩《かた》の|凝《こ》るやうな|歌《うた》を|謳《うた》ひやがる|宣伝使《せんでんし》とかがやつて|来《き》て、|御城主様《ごじやうしゆさま》の|行列《ぎやうれつ》を|邪魔《じやま》したとかで、|今《いま》|引張《ひつぱ》られて|行《ゆ》くのだ。|彼奴《あいつ》ア|別《べつ》に|酒《さけ》に|酔《よ》つたやうな|顔《かほ》もして|居《ゐ》やアしないが、|何《なん》であんな|馬鹿《ばか》な|事《こと》をするのだらう、|命《いのち》|知《し》らずだなア』
|乙《おつ》『|飛《と》ンで|火《ひ》に|入《い》る|夏《なつ》の|虫《むし》かい。|然《しか》しこのごろ|余《あま》り|悪神《わるがみ》が|覇張《はば》るので、|彼方《あちら》にも|此方《こちら》にもドエラい|騒動《さうだう》がオツ|初《ぱじ》まつて、|人民《じんみん》は|塗炭《とたん》とか|炭団《たどん》とかの、|苦《くる》しみとか|黒玉《くろたま》とかを|嘗《な》めて、|眼《め》を|白黒玉《しろくろたま》にして、|彼方《あつち》にも|此方《こつち》にも|泣《な》いたり|怒《おこ》つたり|悔《くや》んだりするので、|御天道様《おてんだうさま》は|御機嫌《ごきげん》をそこね、|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|雨《あめ》が|降《ふ》り|続《つづ》いて、とうとう|此《こ》の|世《よ》の|御大将《おんたいしやう》|国《くに》の|御柱《みはしら》の|神《かみ》さまとか、|伊邪那美命《いざなみのみこと》|様《さま》とかいふ|御方《おかた》が、この|世《よ》に|愛想《あいさう》を|御尽《おつ》かし|遊《あそ》ばして|黄泉国《よもつくに》とか、|塵芥《ごもく》の|国《くに》とか|何《なん》でも|汚《きたな》い|国《くに》へ、|御越《おこ》し|遊《あそ》ばしたといふことだ。それに|今日《けふ》は|御城主様《ごじやうしゆさま》の|御誕生日《おたんじやうび》で、たまたまの|結構《けつこう》なお|日和《ひより》だ。|御城主《ごじやうしゆ》さまの|御威徳《ごゐとく》は、|天道様《てんだうさま》でも|御感心《ごかんしん》|遊《あそ》ばして、こんな|世界晴《せかいばれ》の|結構《けつこう》なお|日和《ひより》さまだ。それに|陰気《いんき》な|歌《うた》を|謳《うた》ひよつて|邪魔《じやま》するものだから、|罰《ばち》は|覿面《てきめん》、|己《おのれ》の|刀《かたな》で|己《おの》が|首《くび》、|馬鹿《ばか》な|奴《やつ》もありや|有《あ》るものだな』
と|口々《くちぐち》に|罵《ののし》り|居《ゐ》る。|一行《いつかう》は|委細《ゐさい》|構《かま》はずドンドンと|進《すす》み、|羅馬《ローマ》|城内《じやうない》に|姿《すがた》を|隠《かく》しける。
(大正一一・一・二四 旧大正一〇・一二・二七 藤原勇造録)
第五〇章 |大戸惑《おほとまどひ》〔三〇〇〕
|宣伝使《せんでんし》の|一行《いつかう》は|役人《やくにん》の|案内《あんない》につれ、|悠々《いういう》として|奥殿《おくでん》に|導《みちび》かれた。|元照別《もとてるわけ》は|愴惶《さうくわう》として|出迎《でむか》へ、|畳《たたみ》に|頭《あたま》を|擦《す》りつけながら、
『|曇《くも》り|果《は》てたる|汚《けが》らはしい|身魂《みたま》の、|吾々《われわれ》の|願《ねが》ひをよくも|聞《き》き|届《とど》け|下《くだ》さいました。サアサアこれへ』
と|自《みづか》ら|先《さき》に|立《た》つて|見晴《みはら》しのよい|高楼《たかどの》に|導《みちび》きけり。|宣伝使《せんでんし》は|二人《ふたり》の|大男《おほをとこ》を|伴《ともな》ひ|高楼《たかどの》に|登《のぼ》りて|見《み》れば、|山野河海《さんやかかい》の|珍肴《ちんかう》|美酒《びしゆ》は|所狭《ところせま》きまでに|並《なら》べられありき。|而《しか》して|元照別《もとてるわけ》は|二人《ふたり》の|宣伝使《せんでんし》を|正座《しやうざ》に|導《みちび》き、
『|清《きよ》き|御教示《ごけうじ》は|後刻《のちほど》ゆるゆる|拝聴《はいちやう》|仕《つかまつ》ります。まづ|御食事《おしよくじ》を|取《と》らせられよ』
と|誠実《せいじつ》|面《おもて》に|現《あら》はれて|着坐《ちやくざ》を|勧《すす》める。|広道別天使《ひろみちわけのかみ》は、
『|然《しか》らば|御免《ごめん》』
と|設《まう》けの|席《せき》につき、|二人《ふたり》の|大男《おほをとこ》も|末座《まつざ》に|着席《ちやくせき》したり。|出雲姫《いづもひめ》はなまなまに|設《まう》けの|席《せき》につき、
『コレハコレハ、|元照別《もとてるわけ》|殿《どの》、|随分《ずゐぶん》|贅沢《ぜいたく》な|御馳走《ごちそう》でござる。|妾《わらは》は|世界《せかい》の|青人草《あをひとぐさ》の|憂瀬《うきせ》に|沈《しづ》み、|木葉《このは》を|喰《く》ひ|木《き》の|根《ね》を|嘗《な》めて、わづかにその|日《ひ》の|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けてゐる|悲惨《ひさん》の|状態《じやうたい》を|目撃《もくげき》いたして|居《を》りますれば、|妾《わらは》は|斯《か》くの|如《ごと》き|珍味《ちんみ》を|長《なが》の|年月《としつき》|見《み》たこともありませぬ。|大宜津姫神《おほげつひめのかみ》の|世《よ》とは|申《まを》しながら、|実《じつ》に|呆《あき》れ|果《は》てた|次第《しだい》であります。しかし|折角《せつかく》の|思召《おぼしめし》なれば|喜《よろこ》ンで|頂戴《ちやうだい》いたします。かくのごとき|御馳走《ごちそう》は、|吾々《われわれ》の|口《くち》には|勿体《もつたい》なくて|頂《いただ》くことが|出来《でき》ませぬから、|鳥獣《てうじう》にも|魚《うを》にも|分配《ぶんぱい》をいたします』
といふより|早《はや》く、|高楼《たかどの》より|眼下《がんか》の|深堀《ふかぼり》に|向《むか》つて、|自分《じぶん》に|与《あた》へられたる|膳部《ぜんぶ》|一切《いつさい》を、バラバラと|投《な》げ|込《こ》んで|了《しま》つた。|元照別《もとてるわけ》は|顔赧《かほあか》らめ、|物《もの》をも|言《い》はず、|差俯《さしうつむ》き|涙《なみだ》をホロホロと|流《なが》すのみ。|広道別天使《ひろみちわけのかみ》はこの|珍味《ちんみ》を|食《く》ひもならず、、|又《また》もや、|吾《われ》も|衆生《しゆじやう》に|分配《ぶんぱい》せむといひながら、|眼下《がんか》の|堀《ほり》を|目《め》がけて|惜気《をしげ》もなく|投《な》げ|捨《す》てて、|元照別《もとてるわけ》にむかひ、
『かかる|珍味《ちんみ》を|吾々《われわれ》が|頂《いただ》くよりも、|一切《いつさい》の|衆生《しゆじやう》に|分配《ぶんぱい》いたした|方《はう》が、|何《なに》ほど|心地《ここち》がよいか|分《わか》りませぬ。|甘《うま》い、|美味《おいし》い、|味《あぢ》ないは、|喉三寸《のどさんずん》|通《とほ》る|間《あひだ》のこと、|幸《さいはひ》|今日《けふ》は|貴下《きか》の|御誕生日《おたんじやうび》と|承《うけたまは》る。|一国《いつこく》|一城《いちじやう》の|城主《じやうしゆ》の|御身分《おみぶん》として、|一切《いつさい》の|衆生《しゆじやう》に|恩恵《おんけい》を|施《ほどこ》したまふは、|民《たみ》に|主《しゆ》たるものの|勤《つと》めらるべき|大切《たいせつ》なる|御所行《ごしよぎやう》と|察《さつ》し|参《まゐ》らす。|吾々《われわれ》もお|芽出度《めでた》く、|衆生《しゆじやう》も|貴下《きか》の|誕生《たんじやう》を|喜《よろこ》び|祝《しゆく》する|事《こと》でありませう』
と|言《い》ひ|終《をは》つて|元《もと》の|座《ざ》に|復《ふく》した。|岩彦《いはひこ》や|熊彦《くまひこ》はこの|珍味《ちんみ》を|前《まへ》に|据《す》ゑられて、|喰《く》ふには|喰《く》はれず、|負《ま》けぬ|気《き》を|出《だ》して|自分《じぶん》も|眼下《がんか》の|堀《ほり》を|目《め》がけて|投《な》げ|捨《す》てむかと、【とつ】、【おいつ】|思案《しあん》はしたが、どうしても|喉《のど》がゴロゴロ|言《い》ふて|仕方《しかた》がない、そこで|岩彦《いはひこ》は|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
『|私《わたくし》も|一切《いつさい》の|衆生《しゆじやう》に【なりかは】り、|有難《ありがた》く|頂戴《ちやうだい》いたします』
といふより|早《はや》く、|大口《おほぐち》を|開《ひら》いて|食《く》ひ|始《はじ》めた。|熊彦《くまひこ》も、
『|拙者《せつしや》も、ちよぼちよぼ』
と|言《い》ひながら、|沢山《たくさん》の|飲食《おんじき》を【ケロリ】と|平《たひら》げてしまつた。|出雲姫《いづもひめ》は|立《た》つて|歌《うた》を|歌《うた》ひ、|誕生《たんじやう》を|祝《しゆく》するためと|舞《ま》ひ|始《はじ》めたり。
『|世《よ》は|常闇《とこやみ》となり|果《は》てて  |御空《みそら》をかける|磐船《いはふね》や
|天《あま》の|鳥船《とりぶね》|舞《ま》ひ|狂《くる》ひ  |月日《つきひ》は|空《そら》に|照妙《てるたへ》の
|美々《びび》しき|衣《ころも》に|身《み》を|纏《まと》ひ  |山野海河《やまぬうみかは》|隈《くま》もなく
|漁《あさ》り|散《ち》らして【うまし】もの  |横山《よこやま》のごとく|掻《か》き|集《あつ》め
|驕《おごり》も|深《ふか》き|大宜津《おほげつ》の  |姫《ひめ》の|命《みこと》の|世《よ》となりて
|手繰《たぐり》になります|金山《かなやま》の  |彦《ひこ》の|命《みこと》や|金山《かなやま》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|現《あら》はれて  |世人《よびと》|害《そこ》なふ|剣《つるぎ》|太刀《たち》
|大砲小銃《おほづつこづつ》や|簇《やじり》まで  |造《つく》り|足《た》らはし|遠近《をちこち》に
|鎬《しのぎ》を|削《けづ》る|浅《あさ》ましさ  |怪《あや》しき|教《をしへ》はびこりて
|世人《よびと》の|心《こころ》|迷《まよ》はせつ  |元照別《もとてるわけ》の|司《つかさ》まで
|大戸惑子《おほとまどひこ》の|神《かみ》となり  この|世《よ》はますます|曇《くも》り|行《い》く
|曇《くも》る|浮世《うきよ》を|照《て》らさむと  |雲路《くもぢ》を|出《い》でて|出雲姫《いづもひめ》
ここに|現《あら》はれ|神《かみ》の|道《みち》  |広《ひろ》く|伝《つた》ふる|広道別《ひろみちわけ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》と|諸共《もろとも》に  |縦《たて》と|横《よこ》との|十字街《じふじがい》
|現《あら》はれ|来《きた》る|時《とき》もあれ  |群《むら》がりおこる|叫《さけ》び|声《ごゑ》
|耳《みみ》を|澄《すま》して|聞《き》きをれば  ウローウローの|声《こゑ》ならで
ほろふほろふと|聞《きこ》えけり  |滅《ほろ》びゆく|世《よ》を|悲《かな》しみて
|九山八海《はちす》の|山《やま》に|現《あ》れませる  |天《あめ》の|御柱大神《みはしらおほかみ》は
|世《よ》を|平《たひら》けく|安《やす》らけく  |治《をさ》めまさむと|埴安彦《はにやすひこ》の
|貴《うづ》の|命《みこと》や|埴安姫《はにやすひめ》の  |貴《うづ》の|命《みこと》に|事依《ことよ》さし
|三五教《あななひけう》を|開《ひら》かせて  |神《かみ》の|教《をしへ》の|宣伝使《とりつぎ》を
|四方《よも》の|国々《くにぐに》|間配《まくば》りつ  |大御心《おほみこころ》を|痛《いた》めます
|神《かみ》の|御恵《みめぐ》み|白雲《しらくも》の  |外《ほか》に|見做《みな》して|大宜津姫《おほげつひめ》の
|神《かみ》の|捕虜《とりこ》となりおほせ  |下民草《しもたみぐさ》の|苦《くる》しみも
|知《し》らぬが|仏《ほとけ》か|鬼《おに》か|蛇《じや》か  あゝ|元照別《もとてるわけ》の|城主《じやうしゆ》どの
あゝ|元照姫《もとてるひめ》のおかみさま  |今日《けふ》の|生日《いくひ》の|足日《たるひ》より
|身魂《みたま》を|立替《たてか》へ|立直《たてなほ》し  |神《かみ》を|敬《うやま》ひ|民草《たみぐさ》を
|妻子《つまこ》のごとく|慈《いつく》しみ  |天《あめ》と|地《つち》との|大恩《たいおん》を
|悟《さと》りて|道《みち》を|守《まも》れかし  |人《ひと》を|審判《さば》くは|人《ひと》の|身《み》の
なすべき|業《わざ》に|非《あら》ざらめ  |下《しも》を|審判《さば》くな|慈《いつく》しめ
|下《しも》がありての|上《かみ》もあり  |上《かみ》がありての|下《しも》もある
|上《かみ》と|下《しも》とは|打《う》ち|揃《そろ》ひ  |力《ちから》を|合《あは》せ|村肝《むらぎも》の
|心《こころ》を|一《ひと》つに|固《かた》めつつ  |世《よ》の|曲事《まがこと》は|宣直《のりなほ》し
|直日《なほひ》の|御霊《みたま》に|省《かへり》みて  |神《かみ》の|心《こころ》に|叶《かな》へかし
|清《きよ》き|心《こころ》を|望《もち》の|夜《よ》の  |月《つき》に|誓《ちか》ひていと|円《まる》く
|治《をさ》めて|茲《ここ》にミロクの|世《よ》  |神伊弉諾《かむいざなぎ》の|大神《おほかみ》の
|御楯《みたて》となりて|真心《まごころ》を  |尽《つく》せよ|尽《つく》せ|二柱《ふたはしら》
|尽《つく》せよ|尽《つく》せ|二柱《ふたはしら》』
と|厳粛《げんしゆく》に|荘重《さうちやう》に|謡《うた》つて|舞《ま》ひ|納《をさ》め|座《ざ》につきぬ。
ここに|元照別《もとてるわけ》|夫婦《ふうふ》は、|今《いま》までウラル|彦《ひこ》の|圧迫《あつぱく》によりて、|心《こころ》ならずも|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|行動《かうどう》を|続《つづ》けつつありしが、|今《いま》この|二柱《ふたはしら》の|宣伝使《せんでんし》の|実地的《じつちてき》|訓戒《くんかい》によつて、|自分《じぶん》の|薄志弱行《はくしじやくかう》を|恥《は》ぢ、|一大《いちだい》|勇猛心《ゆうまうしん》を|振興《ふりおこ》して|神政《しんせい》を|根本的《こんぽんてき》に|改革《かいかく》し、|大御神《おほみかみ》の|神示《しんじ》を|遵奉《じゆんぽう》し、|伊弉諾《いざなぎ》の|大神《おほかみ》の|神政《しんせい》に|奉仕《ほうし》する|事《こと》となりぬ。この|二神《にしん》の|名《な》は|遠近《をちこち》|誰《たれ》いふとなく、|大戸惑子神《おほとまどひこのかみ》、|大戸惑女神《おほとまどひめのかみ》と|称《とな》へられゐたりける。
|広道別《ひろみちわけ》は|出雲姫《いづもひめ》の|涼《すず》しき|声《こゑ》とその|優美《いうび》な|舞曲《ぶきよく》に|心《こころ》を|奪《うば》はれ、|知《し》らず|識《し》らず|吾《わが》|席《せき》を|立《た》ちて|高楼《たかどの》の|欄干《てすり》に|手《て》をかけ|見惚《みと》れゐたり。たちまち|欄干《てすり》はメキメキと|音《おと》するよと|見《み》る|間《ま》に、|広道別天使《ひろみちわけのかみ》の|身体《しんたい》は|眼下《がんか》の|深《ふか》き|堀《ほり》の|中《なか》にザンブと|陥《お》ち|込《こ》みた。その|寒《さむ》さに|震《ふる》うて|気《き》がつけば、|豈《あに》|図《はか》らむや、|王仁《おに》の|身《み》は|高熊山《たかくまやま》の|方形《ほうけい》の|岩《いは》の|上《うへ》に|寒風《かんぷう》に|曝《さら》されゐたりけり。
(大正一一・一・二四 旧大正一〇・一二・二七 加藤明子録)
(第四〇章〜第五〇章 昭和一〇・二・一七 於奈良菊水旅館 王仁校正)
|道《みち》の|栞《しおり》
|天帝《てんてい》は|瑞《みづ》の|霊《みたま》に|限《かぎ》り|無《な》き|直霊魂《なほひのみたま》を|賚《たま》ひて、|暗《くら》き|世《よ》を|照《て》らし、|垢《あか》を|去《さ》り、|泥《どろ》を|清《きよ》め、|鬼《おに》を|亡《ほろ》ぼさしめむ|為《ため》に、|深《ふか》き|御心《みこころ》ありて|降《くだ》し|玉《たま》へり。|天国《てんごく》に|救《すく》はれむと|欲《ほつ》する|者《もの》は|救《すく》はれ、|瑞霊《みづのみたま》に|叛《そむ》く|者《もの》は|自《みづか》ら|亡《ほろ》びを|招《まね》くべし。
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霊界物語 第六巻 霊主体従 巳の巻
終り