霊界物語 第五巻 霊主体従 辰の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第五巻』愛善世界社
1993(平成05)年08月29日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2004年09月14日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|凡例《はんれい》
|総説《そうせつ》 |嵐《あらし》の|跡《あと》
第一篇 |動天《どうてん》|驚地《きやうち》
第一章 |栄華《えいぐわ》の|夢《ゆめ》〔二〇一〕
第二章 |松竹梅《しやうちくばい》〔二〇二〕
第三章 |臭黄《くさき》の|鼻《はな》〔二〇三〕
第四章 |奇縁万状《きえんばんじやう》〔二〇四〕
第五章 |盲亀《もうき》の|浮木《ふぼく》〔二〇五〕
第六章 |南天王《なんてんわう》〔二〇六〕
第七章 |三拍子《さんびやうし》〔二〇七〕
第八章 |顕恩郷《けんおんきやう》〔二〇八〕
第九章 |鶴《つる》の|温泉《をんせん》〔二〇九〕
第二篇 |中軸《ちうぢく》|移動《いどう》
第一〇章 |奇々《きき》|怪々《くわいくわい》〔二一〇〕
第一一章 |蜃気楼《しんきろう》〔二一一〕
第一二章 |不食不飲《くはずのまず》〔二一二〕
第一三章 |神憑《かむがかり》の|段《だん》〔二一三〕
第一四章 |審神者《さには》〔二一四〕
第一五章 |石搗歌《いしつきうた》〔二一五〕
第一六章 |霊夢《れいむ》〔二一六〕
第三篇 |予言《よげん》と|警告《けいこく》
第一七章 |勢力《せいりよく》|二分《にぶん》〔二一七〕
第一八章 |宣伝使《せんでんし》〔二一八〕
第一九章 |旭日出暗《きよくじつしゆつあん》〔二一九〕
第二〇章 |猿蟹《さるかに》|合戦《がつせん》〔二二〇〕
第二一章 |小天国《せうてんごく》〔二二一〕
第二二章 |神示《しんじ》の|方舟《はこぶね》〔二二二〕
第四篇 |救世《きうせい》の|神示《しんじ》
第二三章 |神《かみ》の|御綱《みつな》〔二二三〕
第二四章 |天《あま》の|浮橋《うきはし》〔二二四〕
第二五章 |姫神《ひめがみ》の|宣示《せんじ》〔二二五〕
第二六章 |艮坤《こんごん》の|二霊《にれい》〔二二六〕
第二七章 |唖《おし》の|対面《たいめん》〔二二七〕
第二八章 |地教山《ちけうざん》の|垂示《すゐじ》〔二二八〕
第五篇 |宇宙《うちう》|精神《せいしん》
第二九章 |神慮《しんりよ》|洪遠《こうゑん》〔二二九〕
第三〇章 |真帆《まほ》|片帆《かたほ》〔二三〇〕
第三一章 |万波洋々《ばんぱやうやう》〔二三一〕
第三二章 |波瀾重畳《はらんちようでふ》〔二三二〕
第三三章 |暗夜《やみよ》の|光明《くわうみやう》〔二三三〕
第三四章 |水魚《すゐぎよ》の|情交《まじはり》〔二三四〕
第六篇 |聖地《せいち》の|憧憬《どうけい》
第三五章 |波上《はじやう》の|宣伝《せんでん》〔二三五〕
第三六章 |言霊《ことたま》の|響《ひびき》〔二三六〕
第三七章 |片輪車《かたわぐるま》〔二三七〕
第三八章 |回春《くわいしゆん》の|歓《よろこび》〔二三八〕
第三九章 |海辺《うみべ》の|雑話《ざつわ》〔二三九〕
第四〇章 |紅葉山《こうえうざん》〔二四〇〕
第四一章 |道神不二《だうしんふじ》〔二四一〕
第四二章 |神玉両純《しんぎよくりやうじゆん》〔二四二〕
第七篇 |宣伝《せんでん》|又《また》|宣伝《せんでん》
第四三章 |長恨歌《ちやうこんか》〔二四三〕
第四四章 |夜光《やくわう》の|頭《あたま》〔二四四〕
第四五章 |魂脱《たまぬけ》|問答《もんだふ》〔二四五〕
第四六章 |油断大敵《ゆだんたいてき》〔二四六〕
第四七章 |改言改過《かいげんかいくわ》〔二四七〕
第四八章 |弥勒塔《みろくたふ》〔二四八〕
第四九章 |水魚《すゐぎよ》の|煩悶《はんもん》〔二四九〕
第五〇章 |磐樟船《いはくすぶね》〔二五〇〕
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|序文《じよぶん》
この|霊界物語《れいかいものがたり》は、|全部《ぜんぶ》|五巻《ごくわん》にて|述《の》べ|終《をは》る|予定《よてい》でありました。しかしなるべく|細《こま》かくやつてくれとの|筆録者《ひつろくしや》の|希望《きばう》でありますから、|第四巻《だいよんくわん》あたりからややその|方針《はうしん》をかへて、なるべく|詳細《しやうさい》に|物語《ものがた》ることとしました。
それがため|予定《よてい》の|第五巻《だいごくわん》にて、|神界《しんかい》、|幽界《いうかい》の|物語《ものがたり》を|終《をは》ることは、|到底《たうてい》|出来《でき》なくなつてきました。|本巻《ほんくわん》の|最初《さいしよ》にあたつて、|一旦《いつたん》|海月《くらげ》なす|漂《ただよ》へるこの|国《くに》を|修理固成《しうりこせい》すべく|諾《なぎ》、|冊《なみ》|二神《にしん》の、|天《あま》の|浮橋《うきはし》に|御降臨《ごかうりん》|遊《あそ》ばすところまで|述《の》べるやうに|考《かんが》へてをりましたが、またもやガラリと|外《はづ》れまして、|第六巻《だいろくくわん》になつてやうやく|天《あま》の|浮橋《うきはし》に|二神《にしん》が|立《た》ちて|滄溟《さうめい》を|探《さぐ》りたまふ|段《だん》に|届《とど》くこととなします。[#「なします」は御校正本通り。愛世版では「なります」に書換]
この|物語《ものがたり》は、|去《さ》る|明治《めいぢ》|三十二年《さんじふにねん》|七月《しちぐわつ》より、|三十三年《さんじふさんねん》の|八月《はちぐわつ》にかけて、|一度《いちど》|筆《ふで》を|執《と》り、これを|秘蔵《ひざう》しておき、ただ|二三《にさん》の|熱心《ねつしん》なる|信者《しんじや》にのみ|閲覧《えつらん》を|許《ゆる》してゐました。しかるにこれを|読了《どくれう》したる|某々《ぼうぼう》らは、つひにいろいろのよからぬ|考《かんが》へをおこし、|妖魅《えうみ》の|容器《いれもの》となつて|帰幽《きいう》したり、また|寄《よ》つて|集《たか》つて|五百有余《ごひやくいうよ》|巻《くわん》の|物語《ものがたり》を|焼《や》き|棄《す》てて|了《しま》つたのであります。
それから|再《ふたた》び|稿《かう》を|起《おこ》さうと|考《かんが》へましたが、どうしても|神界《しんかい》から|御許《おゆる》しがないので、|昨年《さくねん》|旧《きう》|九月《くぐわつ》|十八日《じふはちにち》まで、|口述《こうじゆつ》をはじめることが|出来《でき》なかつたのであります。そのときの|二三《にさん》の|役員《やくゐん》に|憑依《ひようい》してゐた|悪神《あくがみ》の|霊《れい》は、|全然《すつかり》この|霊界物語《れいかいものがたり》を|覚《おぼ》えてしまつて、いまは|開祖《かいそ》の|系統《ひつぽう》の|人《ひと》の|肉体《にくたい》に|潜入《せんにふ》し、|現世《このよ》の|根本《こんぽん》を|説《と》き|諭《さと》すとの|筆先《ふでさき》の|真理《しんり》を|真解《しんかい》するものは、|某《ぼう》より|外《ほか》にないとか、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生魂《いくみたま》だとか、|常世姫《とこよひめ》の|身魂《みたま》だとかいつて、またもや|邪神《じやしん》が|支離滅裂《しりめつれつ》なる|物語《ものがたり》を|書《か》き、この|教《をしへ》を|攪乱《かくらん》せむと|考《かんが》へてゐるのであります。|私《わたくし》は|某《ぼう》より|一度《いちど》その|筆先《ふでさき》を|読《よ》んでおけと、|幾度《いくど》も|勧《すす》められました。
されど|如何《どう》いふものか、|腹《はら》の|中《なか》の|虫《むし》がグウグウいつて|拒《こば》み、これを|読《よ》ましてくれないのであります。これも|神界《しんかい》の|深《ふか》き|御注意《ごちうい》のあることと|考《かんが》へます。|世《よ》の|中《なか》には|否《いな》|新《あたら》しい|信者《しんじや》の|中《なか》には、|開祖《かいそ》の|書《か》かれたお|筆先《ふでさき》でさへも、|瑞月《ずゐげつ》が|作《つく》つておいて、|開祖《かいそ》に|書《か》かしたものだらう、さうでなくては、アンナ|田舎《ゐなか》の|老婆《ばあ》さまが、コンナ|深《ふか》いことを|書《か》く|道理《だうり》がないと|言《い》つて、|筆先《ふでさき》を|半信半疑《はんしんはんぎ》の|眼《め》で|見《み》る|人《ひと》が|沢山《たくさん》あるくらゐですから、|万一《まんいち》|邪神《じやしん》の|産物《さんぶつ》たる|某《ぼう》の|筆先《ふでさき》を、|一冊《いつさつ》でも|私《わたくし》が|読《よ》んだとすれば、またもや|原料《げんれう》を|某《ぼう》の|筆先《ふでさき》から|取《と》つたなどと|誤解《ごかい》する|信者《しんじや》ができるかも|知《し》れないのであります。
|実際《じつさい》を|言《い》へば、|某《ぼう》に|憑依《ひようい》してをる|守護神《しゆごじん》は、|私《わたくし》の|書《か》いた|霊界《れいかい》の|物語《ものがたり》を、ある|肉体《にくたい》を|通《つう》じてあちらこちらを|読《よ》み|覚《おぼ》え、さうして|何《なに》もかも|自分《じぶん》が|知《し》つてゐるやうに|言《い》つて、|某《ぼう》の|肉体《にくたい》までも|誑惑《きやうわく》してゐるのであります。またそれに|随喜渇仰《ずゐきかつかう》して|金言玉辞《きんげんぎよくじ》となし、|憧憬《どうけい》してをる|立派《りつぱ》な|人《ひと》たちのあるのには、|呆《あき》れざるを|得《え》ないのであります。それゆゑ|某《ぼう》の|憑神《ひようしん》の|筆先《ふでさき》にも、|常世姫《とこよひめ》とか|八王大神《やつわうだいじん》とか、その|他《た》いろいろの|似《に》たやうな|神名《しんめい》が|現《あら》はれてをるのも|道理《だうり》であります。しかし|天授《てんじゆ》の|奇魂《くしみたま》を|活用《くわつよう》して|御覧《ごらん》になれば、その|正邪《せいじや》と|確不確《かくふかく》と|理義《りぎ》の|合《あ》はざる|点《てん》において、|天地霄壤《てんちせうじやう》の|差《さ》あることが|解《わか》るであらうと|思《おも》ひます。
アヽ|私《わたし》はコンナことを|序文《じよぶん》に|一言《いちごん》も|述《の》べたくはありませぬ。されど|霊界《れいかい》の|消息《せうそく》を|知《し》らぬ|正《ただ》しき|人々《ひとびと》のためには、どうしても|注意《ちうい》のために|申《まを》しおかねばならぬのであります。
|開祖《かいそ》の|神諭《しんゆ》にも、
『|神《かみ》の|道《みち》は|誠《まこと》|一《ひと》つであるから、|親子《おやこ》、|兄弟《きやうだい》、|親類《しんるゐ》、|他人《たにん》の|差別《さべつ》は|致《いた》されぬぞよ』
と|示《しめ》されてありますから、|筆先《ふでさき》の|教示《けうじ》に|従《したが》つて、|一言《いちごん》|注意《ちうい》をしておきます。またこの|霊界物語《れいかいものがたり》について、|立派《りつぱ》な|学者《がくしや》|先生《せんせい》の|種々《いろいろ》の|批評《ひへう》があるさうですが、それはその|人《ひと》の|自由《じいう》の|研究《けんきう》に|任《まか》しておきます。
ただ|私《わたくし》は|神示《しんじ》の|儘《まま》、|工作《こうさく》して|口述《こうじゆつ》するばかりであります。
大正十一年一月十四日 旧十年十二月十七日
於|因幡《いなば》|岩井温泉《いはゐをんせん》|晃陽館《くわうやうかん》 |王仁《おに》|識《しるす》
|王仁《おに》
|醜《しこ》の|魔神《まがみ》の|現《あら》はれて |善《ぜん》の|仮面《かめん》を|被《かぶ》りつつ
|誠《まこと》の|道《みち》を|汚《けが》しゆく |言葉《ことば》|巧《たく》みな|口車《くちぐるま》
うつかり|乗《の》るな|信徒《まめひと》よ |外面如菩薩《げめんによぼさつ》|内心如夜叉《ないしんによやしや》
|神《かみ》の|真似《まね》する|悪魔《あくま》の|世界《せかい》 うまい|話《はなし》にのせられな
|凡例《はんれい》
一、|本巻《ほんくわん》は|神界《しんかい》、|幽界《いうかい》を|網羅《まうら》せる|霊界《れいかい》|物語《ものがたり》の|最終巻《さいしゆうくわん》と|期待《きたい》してをりましたところ、|瑞月《ずゐげつ》|大先生《だいせんせい》の|霊界《れいかい》に|関《くわん》する|蘊蓄《うんちく》は、|全《まつた》く|想像《さうざう》|以上《いじやう》に|豊富《ほうふ》でありまして、つひに|全体《ぜんたい》の|半《なかば》にも|達《たつ》せぬやうな|次第《しだい》であります。しかのみならず、|未《いま》だ|諾冊《なぎなみ》|二神《にしん》の|御降臨前《ごかうりんぜん》のことで、|全《まつた》く|日本国《につぽんこく》といふ|名称《めいしよう》の|附《ふ》せられない|前《まへ》の|物語《ものがたり》であります。
一、ゆゑに|日本国《につぽんこく》に|天孫《てんそん》が|御降臨《ごかうりん》|遊《あそ》ばして|国土《こくど》|経営《けいえい》を|遊《あそ》ばすのは、ズツト|後巻《こうくわん》に|出《で》ることと|思《おも》ひます。
一、|神界《しんかい》、|幽界《いうかい》、|現界《げんかい》は|共通《きやうつう》であると|云《い》ふのは、|善悪《ぜんあく》|正邪《せいじや》が|共通《きやうつう》であるといふことで、|神界《しんかい》における|事象《じしやう》そのままが|直《ただ》ちに|現界《げんかい》に|実現《じつげん》するのであると|考《かんが》へるのは|誤解《ごかい》であるさうです。
一、ただ|吾人《ごじん》は、|神界《しんかい》の|神々《かみがみ》の|御心《みこころ》も、|現界《げんかい》の|人間《にんげん》の|心《こころ》も|同《おな》じことであるから、|霊界《れいかい》|物語《ものがたり》において|得《え》たる|教訓《けうくん》を、|自己《じこ》の|心《こころ》に|較《くら》べ、|身魂《みたま》|磨《みが》きの|材料《ざいれう》にすれば|結構《けつこう》であるさうです。
大正十一年一月十四日
於因幡 岩井温泉|晃陽館《くわうやうかん》 編者識
|総説《そうせつ》 |嵐《あらし》の|跡《あと》
|畏《かしこ》くも|国祖《こくそ》|国治立命《くにはるたちのみこと》は、|逆神《ぎやくしん》|常世彦《とこよひこ》|以下《いか》の|不従《ふじゆう》を|征《せい》するにも、|天地《てんち》の|律法《りつぱふ》を|厳守《げんしゆ》し、|仁慈《じんじ》の|矛《ほこ》を|振《ふる》ひて|奇策《きさく》|神謀《しんぼう》を|用《もち》ひたまはず、|後世《こうせい》|湯王《たうわう》の|桀《けつ》を|放《はな》ち、|武王《ぶわう》の|紂《ちう》を|征誅《せいちう》するごとき|殺伐《さつばつ》の|兵法《へいはふ》をもつて、|乱虐《らんぎやく》を|鎮定《ちんてい》することを|好《この》みたまはなかつた。
これに|反《はん》し|常世彦命《とこよひこのみこと》らは、|邪神《じやしん》に|使役《しえき》され、|後世《こうせい》いはゆる|八門遁甲《はちもんとんかふ》の|陣《ぢん》を|張《は》り、|国祖《こくそ》をして|弁疏《べんそ》するの|余地《よち》なからしめ、つひに|御隠退《ごいんたい》の|止《や》むなきに|至《いた》らしめた。
|狼獺《らうだつ》の|不仁《ふじん》なるも、また|時《とき》としては|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》して|獣魚《じうぎよ》を|供《そな》へ、|天神《てんしん》を|祀《まつ》り、|雛鴉《すうあ》の|悪食《あくしよく》なるも|猶《な》ほ|反哺《はんぽ》の|孝《かう》あり、しかるに|永年《ながねん》|国祖大神《こくそおほかみ》の|仁慈《じんじ》に|浴《よく》し、|殊恩《しゆおん》を|蒙《かうむ》りたる|諸神《しよしん》の|神恩《しんおん》を|捨《す》て、|邪神《じやしん》の|六韜三略《りくたうさんりやく》の|奸計《かんけい》に|乗《の》せられ、|旗色《はたいろ》の|可《か》なる|方《はう》にむかつて|怒濤《どたう》のごとく|流《なが》れ|従《したが》ひ、|国祖《こくそ》をして|所謂《いはゆる》『|独神而隠身也《すになりましてすみきりなり》』の|悲境《ひきやう》に|陥《おちい》らしめた。
|常世城《とこよじやう》の|会議《くわいぎ》における|森鷹彦《もりたかひこ》に|変装《へんさう》せる|大江山《たいかうざん》の|鬼武彦《おにたけひこ》をはじめ、|大道別《おほみちわけ》、|行成彦《ゆきなりひこ》および|高倉《たかくら》、|旭《あさひ》の|奇策《きさく》を|弄《ろう》し、|邪神《じやしん》の|奸策《かんさく》を|根底《こんてい》より|覆《くつが》へしたるごとき|変現出没《へんげんしゆつぼつ》|自在《じざい》の|活動《くわつどう》は、|決《けつ》して|国祖《こくそ》の|関知《くわんち》したまふところに|非《あら》ずして、|聖地《せいち》の|神人《かみがみ》の|敵《てき》にたいする|臨機応変的《りんきおうへんてき》|妙案《めうあん》|奇策《きさく》にして、よくその|功《こう》を|奏《そう》したりといへども、|天地《てんち》の|律法《りつぱふ》には『|欺《あざむ》く|勿《なか》れ』の|厳戒《げんかい》あり、|神聖《しんせい》|至厳《しげん》なる|神人《かみ》の|用《もち》ふべからざる|行為《かうゐ》なれば、その|責《せめ》はひいて|国祖大神《こくそおほかみ》の|御位置《ごゐち》と|神格《しんかく》を|傷《きず》つけた。|現《げん》に|大道別《おほみちわけ》、|森鷹彦《もりたかひこ》、|鬼武彦《おにたけひこ》らの|神策鬼謀《しんさくきぼう》は、|国祖《こくそ》の|直命《ちよくめい》にあらず、|国祖《こくそ》は|至仁《しじん》|至直《しちよく》の|言霊《ことたま》をもつて|邪神《じやしん》らを|悔《く》い|改《あらた》めしめ、|言向和《ことむけやは》さむとの|御聖意《ごせいい》より|外《ほか》なかつた。しかるに|血気《けつき》に|逸《はや》り、|忠義《ちうぎ》に|厚《あつ》き|聖地《せいち》の|神々《かみがみ》は、|律法《りつぱふ》の|如何《いかん》を|顧《かへり》みるに|遑《いとま》なく、|暴《ばう》に|対《たい》するに|暴《ばう》を|以《もつ》てし、|逆《ぎやく》に|対《たい》するに|逆《ぎやく》を|以《もつ》てし、|不知不識《しらずしらず》のあひだに|各自《かくじ》の|神格《しんかく》を|損《そこな》ひ、|国祖《こくそ》の|大御心《おほみこころ》を|忖度《そんたく》し|得《え》なかつたためである。アヽされど|国祖《こくそ》の|仁愛《じんあい》|無限《むげん》にして|責任《せきにん》|観念《かんねん》の|強大《きやうだい》なる、|部下《ぶか》|諸神《しよしん》の|罪悪《ざいあく》を|一身《いつしん》に|引受《ひきう》け、|一言半句《いちごんはんく》の|弁解《べんかい》がましきことをなし|給《たま》はず、|雄々《をを》しくも|自《みづか》ら|顕要《けんえう》の|地位《ちゐ》を|捨《す》て、|隠退《いんたい》せられたるは、|実《じつ》に|尊《たふと》さのかぎりである。|吾人《ごじん》は|国祖《こくそ》の|大御心《おほみこころ》を|平素《へいそ》|奉戴《ほうたい》して、ある|人々《ひとびと》の|言行《げんかう》の|不穏《ふおん》と|誤解《ごかい》の|結果《けつくわ》、|吾《わが》|身《み》の|災厄《さいやく》に|遭遇《さうぐう》することしばしばである。されど、|心《こころ》は|常《つね》に|洋々《やうやう》として|海《うみ》のごとく、|毅然《きぜん》として|山《やま》のごとく、|動《うご》かず|騒《さわ》がず、すべての|罪責《ざいせき》を|一身《いつしん》に|引受《ひきう》け、もつて|本懐《ほんくわい》としてゐるのである。すべて|人《ひと》に|将《しやう》たるものは、よく|人《ひと》を|知《し》り、|人《ひと》を|信《しん》じ、|人《ひと》に|任《にん》じ、その|正邪《せいじや》と|賢愚《けんぐ》を|推知《すゐち》して|各自《かくじ》その|処《ところ》を|得《え》せしめねばならぬのである。しかるに|部下《ぶか》の|選任《せんにん》を|余儀《よぎ》なくして、|誤《あやま》らしめられたるは、|自己《じこ》の|無知識《むちしき》と|薄志弱行《はくしじやくかう》の|欠点《けつてん》たるを|省《かへり》み、|一言《いちごん》もつぶやかず、|大神《おほかみ》の|仁慈《じんじ》の|鞭《しもと》として|感謝《かんしや》する|次第《しだい》である。
アヽ|尊《たふと》きかな、|千座《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》ひ、|十字架《じふじか》の|贖罪的《しよくざいてき》|犠牲《ぎせい》の|行動《かうどう》に|於《おい》てをや。|吾人《ごじん》は|常《つね》に|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》を|口唱《こうしやう》す。|無明《むみやう》|暗黒《あんこく》の|現代《げんだい》を|救《すく》ふの|愉快《ゆくわい》なる|神業《しんげふ》に|於《おい》てをやである。|天下《てんか》に|二《に》|難事《なんじ》あり、その|一《いつ》は|天《てん》に|昇《のぼ》ること、その|二《に》は|人《ひと》を|求《もと》むることである。アヽ|国祖大神《こくそおほかみ》の|天国《てんごく》を|地上《ちじやう》に|建設《けんせつ》したまはむとして|艱難辛苦《かんなんしんく》をつくされ、|神人《しんじん》を|得《え》むとして、その|棟梁《とうりやう》に|最適任《さいてきにん》の|神《かみ》を|得《え》たまはざりしごとく、|吾人《ごじん》またその|例《れい》に|洩《も》れないのである。|国祖大神《こくそおほかみ》は、|聖地《せいち》に|清《きよ》き|高《たか》き|美《うる》はしき|宮殿《きうでん》を|造《つく》り、|至治太平《しちたいへい》の|神政《しんせい》を|樹立《じゆりつ》し、|天下《てんか》|八百万《やほよろづ》の|神人《しんじん》の|安住《あんぢう》する|祥代《しやうだい》をながめて、|歓喜《くわんき》に|充《み》せたまうたのも|僅《わづか》に|数百年《すうひやくねん》、つひに|善神《ぜんしん》も|年《とし》と|共《とも》に|悪化《あくくわ》して|邪神《じやしん》の|容器《ようき》となり、|国祖《こくそ》が|最初《さいしよ》の|大目的《だいもくてき》を|破滅《はめつ》せしめたるは、たとへば|小高《こだか》き|山上《さんじやう》に|美《うる》はしき|家《いへ》をたて、その|座敷《ざしき》から|四方《しはう》の|風景《ふうけい》を|眺《なが》めて、その|雄大《ゆうだい》にして|雅趣《がしゆ》に|富《と》めるを|歓《よろこ》びつつありしを、|家屋《かをく》の|周辺《しうへん》に|樹木《じゆもく》の|尠《すくな》く、|風《かぜ》あたりの|激《はげ》しきを|防《ふせ》がむために、|種々《しゆじゆ》の|必要《ひつえう》なる|木《き》を|植《うゑ》|付《つ》けたるに、|一時《いちじ》は|木《き》も|短《みじか》くして、|風景《ふうけい》の|眺望《てうばう》に|少《すこ》しも|障害《しやうがい》なかりしもの、|年《とし》を|経《へ》るにしたがひ、|追々《おひおひ》と|成長《せいちやう》して|枝葉《しえう》|繁茂《はんも》し、|何時《いつ》しか|遠景《ゑんけい》の|目《め》に|入《い》らぬやうになつたのみならず、つひにはその|大木《たいぼく》に|風《かぜ》をふくんで、その|木《き》は|屋上《をくじやう》に|倒《たふ》れ、|家《いへ》を|壊《こは》し、|主人《しゆじん》までも|傷《きず》つけたやうなものである。|世《よ》の|成功者《せいこうしや》といはるる|人々《ひとびと》にも、これに|酷似《こくじ》した|事実《じじつ》は|沢山《たくさん》にあらうと|思《おも》ふ。|現《げん》に|吾人《ごじん》は、|家《いへ》の|周囲《しうゐ》に|植《うゑ》|付《つ》けられた|種々《しゆじゆ》の|樹木《じゆもく》のために、|遠望《ゑんばう》を|妨《さまた》げられ、|暗黒《あんこく》につつまれ、つひにはその|家《いへ》もろともに|倒《たふ》されて|重傷《ぢうしやう》を|負《お》うたやうな|夢《ゆめ》を|見《み》たのである。されどふたたび|悪夢《あくむ》は|醒《さ》めて、さらに|立派《りつぱ》な|家屋《かをく》を|平地《へいち》に|建《た》て|直《なほ》す|機会《きくわい》の|到来《たうらい》することを|確信《かくしん》するものである。|国祖大神《こくそおほかみ》の|時節《じせつ》を|待《ま》つて|再臨《さいりん》されしごとく、たとへ|三度《みたび》や|五度《ごたび》|失敗《しつぱい》を|重《かさ》ぬるとも、|機会《きくわい》を|逸《いつ》するとも、|七転八起《ななころびやおき》は、|神《かみ》または|人《ひと》たるものの|通常《つうじやう》わたるべき|道程《だうてい》であるから、|幾《いく》たび|失敗《しつぱい》したつて|決《けつ》して|機会《きくわい》を|逸《いつ》したとは|思《おも》はない。|至誠《しせい》|神明《しんめい》に|祈願《きぐわん》し、|天下《てんか》|国家《こくか》のために|最善《さいぜん》の|努力《どりよく》をつくすまでである。|現代《げんだい》の|人々《ひとびと》は、|吾身《わがみ》の|失敗《しつぱい》をことごとく|棚《たな》の|上《うへ》に|祭《まつ》りこみ、|惟神《かむながら》だとか、|社会《しやくわい》|組織《そしき》の|欠陥《けつかん》そのものの|然《しか》らしむる、|自然《しぜん》の|結果《けつくわ》なりと|思《おも》ふなぞの|詭弁《きべん》に|依帰《いき》してしまつて、|自己《じこ》の|責任《せきにん》については、|少《すこ》しも|反省《はんせい》し|自覚《じかく》するものがない。|宗教家《しうけうか》の|中《なか》には『|御国《みくに》を|来《きた》らせたまへ」とか「|神国成就《しんこくじやうじゆ》|五六七神政《みろくしんせい》』とかいふことを、|地上《ちじやう》に|立派《りつぱ》な|形体《けいたい》|完備《くわんび》せる|天国《てんごく》を|立《た》てることだとのみ|考《かんが》へてゐるものが|多《おほ》い。そして|地上《ちじやう》の|天国《てんごく》は、|各人《かくじん》がまづ|自己《じこ》の|霊魂《れいこん》を|研《みが》き、|水晶《すゐしやう》の|魂《みたま》に|建替《たてかへ》るといふことを|知《し》らぬものが|沢山《たくさん》にある。|各自《かくじ》の|霊魂中《れいこんちう》に|天国《てんごく》を|建《た》てるのは、|天国《てんごく》の|住民《ぢうみん》として|愧《はづ》かしからぬ|清《きよ》き、|正《ただ》しき、|雄々《をを》しき|人間《にんげん》ばかりとならねば、|地上《ちじやう》に|立派《りつぱ》な|霊体《れいたい》|一致《いつち》の|完全《くわんぜん》な|天国《てんごく》は|樹立《じゆりつ》せないのである。
アヽされど|一方《いつぱう》より|考《かんが》ふれば、これまた|神界《しんかい》の|御経綸《けいりん》の|一端《いつたん》とも|考《かんが》へられる。|暗黒《あんこく》もまた|清明《せいめい》|光輝《くわうき》に|向《むか》ふの|径路《けいろ》である。|雛鳥《ひなどり》に|歌《うた》を|教《をし》へるには、|暗《くら》き|箱《はこ》の|中《なか》に|入《い》れておき、|外面《ぐわいめん》より|声《こゑ》の|美《うる》はしき|親鳥《おやどり》の|歌《うた》ふ|声《こゑ》を|聞《き》かしめると|同様《どうやう》に、|一時《いちじ》|大本《おほもと》の|経綸《けいりん》も、|雛鳥《ひなどり》を|暗《くら》き|箱《はこ》に|入《い》れて、|外《そと》より|親鳥《おやどり》のうるはしき|声《こゑ》を|聞《き》かしむる|大神《おほかみ》の|御仕組《おしぐみ》かとも|思《おも》はれぬこともないのである。ゆゑに|吾人《ごじん》は|大逆境《だいぎやくきやう》に|陥《おちい》つて|暗黒《あんこく》の|中《うち》にある|思《おも》ひをするとき、かならず|前途《ぜんと》の|光明《くわうみやう》を|認《みと》め|得《え》るのは、まつたく|神《かみ》の|尊《たふと》き|御仁慈《ごじんじ》であると|思《おも》ふ。いかなる|苦痛《くつう》も、|困窮《こんきう》も、|勇《いさ》んで|神明《しんめい》の|聖慮《せいりよ》|仁恵《じんけい》の|鞭《しもと》として|甘受《かんじゆ》するときは、|神霊《しんれい》ここに|活気《くわつき》|凛々《りんりん》として|吾《われ》にきたり、|苦痛《くつう》も|困窮《こんきう》も、|却《かへつ》て|神《かみ》の|恩寵《おんちよう》となつてしまふ。たとへば|籠《かご》の|中《なか》に|入《い》れられてゐる|鳥《とり》でも、|平気《へいき》で|歌《うた》つてゐる|鳥《とり》は、|最早《もはや》【とら】はれてゐるのではない。|暢気《のんき》に|天国《てんごく》|楽園《らくゑん》に|春《はる》を|迎《むか》へたやうなものである。これに|反《はん》して、|天地《てんち》を|自由《じいう》に|〓翔《かうしやう》する|百鳥《ひやくてう》も、|日々《にちにち》の|餌食《ゑじき》に|苦《くる》しみ、かつ|敵《てき》の|襲来《しふらい》にたいして|寸時《すんじ》も|油断《ゆだん》することができないのは、|籠《かご》の|鳥《とり》の、|人《ひと》に|飼《か》はれて|食《しよく》を|求《もと》むるの|心労《しんらう》なく、|敵《てき》の|襲来《しふらい》に|備《そな》ふる|苦心《くしん》なきは、|苦中《くちう》|楽《らく》あり|楽中《らくちう》|苦《く》ありてふ|苦楽《くらく》|不二《ふじ》の|真理《しんり》である。|牢獄《らうごく》の|囚人《しうじん》の|苦痛《くつう》に|比《ひ》して、|自由人《じいうじん》の|却《かへつ》て|是《これ》に|数倍《すうばい》せる|苦痛《くつう》あるも、みな|執着心《しふちやくしん》の|強《つよ》きに|因《よ》るのである。|名誉《めいよ》に、|財産《ざいさん》に、|地位《ちゐ》|情慾《じやうよく》|等《とう》に|執着《しふちやく》して、|修羅《しゆら》の|争闘《そうとう》に|日夜《にちや》|鎬《しのぎ》をけづる|人間《にんげん》の|境遇《きやうぐう》も、|神《かみ》の|公平《こうへい》なる|眼《め》より|視《み》たまへば、|実《じつ》に|憐《あは》れなものである。
|神諭《しんゆ》にも、
『|人《ひと》は|心《こころ》の|持《も》ちやう|一《ひと》つで、その|日《ひ》からどんな|苦《くる》しいことでも、|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|暮《くら》される』
と|示《しめ》されたのは、じつに|至言《しげん》であると|思《おも》ふ。|一点《いつてん》の|心燈《しんとう》|暗《くら》ければ、|天地《てんち》|万有《ばんいう》|一切《いつさい》|暗《くら》く、|心天《しんてん》|明《あきら》けく|真如《しんによ》の|日月《じつげつ》|輝《かがや》く|時《とき》は、|宇宙《うちう》|万有《ばんいう》|一切《いつさい》|清明《せいめい》である。|吾人《ごじん》は|平素《へいそ》|心天《しんてん》の|光明《くわうみやう》に|照《て》らされ、|行《ゆ》くとして|歌《うた》あらざるはない。|吾人《ごじん》の|心魂《しんこん》|神恩《しんおん》を|謳《うた》ふとき、|万物《ばんぶつ》みな|謳《うた》ひ、あたかも|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|思《おも》ひに|楽《たの》しむ。アヽ『|天国《てんごく》は|近《ちか》づけり、|悔《く》い|改《あらた》めよ』の|聖者《せいじや》の|教示《けうじ》、|今《いま》さらのごとく、さながら|基督《キリスト》の|肉身《にくしん》に|接侍《せつじ》するがごとく、|崇敬《すうけい》|畏愛《ゐあい》の|念《ねん》に|堪《た》へない。
アヽ|末世《まつせ》|澆季《げうき》の|今日《こんにち》、オレゴン|星座《せいざ》より|現《あら》はれきたるキリストは、|今《いま》や|何処《いづこ》に|出現《しゆつげん》せむとするか。その|再誕《さいたん》|再臨《さいりん》の|聖地《せいち》は、はたして|何処《いづこ》に|定《さだ》められしぞ。|左右《さいう》の|掌指《しやうし》の|節々《ふしぶし》に、|釘《くぎ》の|跡《あと》を|印《しる》し、|背部《はいぶ》にオレゴン|星座《せいざ》の|移写的《いしやてき》|印点《いんてん》を|有《いう》して|降誕《かうたん》したる|救世主《きうせいしゆ》の|出現《しゆつげん》して、|衆生《しゆじやう》に|安息《あんそく》を|与《あた》ふる|日《ひ》は、はたして|何《いづ》れの|日《ひ》ぞ。|金剛石《こんがうせき》も|汚穢《をわい》の|身体《しんたい》を|有《いう》する|蟇蛙《ひきがへる》の|頭部《とうぶ》より|出《い》づることあり、|金銀《きんぎん》いかに|尊貴《そんき》なりとて、|糞尿《ふんねう》の|植物《しよくぶつ》を|肥《こや》すに|及《およ》ばむや。|高山《かうざん》の|頂《いただき》かならずしも|良材《りやうざい》なく、|渓間《けいかん》|低《ひく》く|暗《くら》きところ、かへつて|良材《りやうざい》を|産《さん》するものである。|平地《へいち》|軟土《なんど》に|成長《せいちやう》したる|大樹《だいじゆ》、またいかに|合抱長直《がふはうちやうちよく》なりと|雖《いへど》も、|少《すこ》しの|風《かぜ》に|撓《たわ》みやすく、|折《を》れやすし。|宇宙間《うちうかん》の|万物《ばんぶつ》|一《いつ》として|苦闘《くとう》に|依《よ》らずして、|尊貴《そんき》の|位置《ゐち》に|進《すす》むものはない。しかるに、|天地経綸《てんちけいりん》の|大司宰《だいしさい》たる|天職《てんしよく》を|天地《てんち》に|負《お》へる|人間《にんげん》にして、|決《けつ》して|例外《れいぐわい》たることを|得《え》ない。アヽ|人生《じんせい》における、すべての|美《うる》はしきもの、|尊《たふと》きものは、|千辛万苦《せんしんばんく》、|至善《しぜん》のために|苦闘《くとう》して|得《え》なくてはならぬと|思《おも》ふ。
|神諭《しんゆ》に|曰《い》ふ、
『|苦労《くらう》の|塊《かたまり》の|花《はな》の|咲《さ》く|大本《おほもと》であるぞよ、|苦労《くらう》なしには|真正《まこと》の|花《はな》は|咲《さ》かぬから、|苦労《くらう》いたす|程《ほど》、|尊《たふと》いことはないぞよ|云々《うんぬん》』
|吾人《ごじん》はこの|神諭《しんゆ》を|拝《はい》する|毎《ごと》に、|国祖《こくそ》が|永年《ながねん》の|御艱苦《ごかんく》に|省《かへり》み、|慙愧《ざんき》の|情《じやう》に|堪《た》へないのである。
ここに|八王大神《やつわうだいじん》|常世彦命《とこよひこのみこと》は、|多年《たねん》の|宿望《しゆくばう》|成就《じやうじゆ》して、|天津神《あまつかみ》の|命《めい》を|受《う》け、|盤古大神《ばんこだいじん》|塩長彦《しほながひこ》を|奉《ほう》じて、|地上《ちじやう》|神界《しんかい》の|総統神《そうとうしん》と|仰《あふ》ぎ、|自《みづか》らは|八王大神《やつわうだいじん》として、|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》を|指揮《しき》することになつた。しかるに|聖地《せいち》ヱルサレムは、|新《あらた》に|自己《じこ》の|神政《しんせい》を|布《し》くについては、|種々《しゆじゆ》の|困難《こんなん》なる|事情《じじやう》あるを|慮《おもんぱか》り、|常世姫《とこよひめ》をして|竜宮城《りうぐうじやう》の|主管者《しゆくわんしや》として|守《まも》らしめ、|聖地《せいち》を|捨《す》て、アーメニヤに|神都《しんと》を|遷《うつ》し、|天下《てんか》の|諸神人《しよしん》を|率《ひき》ゐて|世《よ》を|治《をさ》めむとした。|一方《いつぱう》|常世城《とこよじやう》を|守《まも》れる|大鷹別《おほたかわけ》は、|大自在天《だいじざいてん》|大国彦《おほくにひこ》を|奉《ほう》じて|総統神《そうとうしん》となし、アーメニヤの|神都《しんと》にたいして|反抗《はんかう》を|試《こころ》み、またもや|地上《ちじやう》の|神界《しんかい》は|混乱《こんらん》に|混乱《こんらん》をかさね、|邪神《じやしん》の|横行《わうかう》はなはだしく、|已《や》むを|得《え》ず、|諾冊《なぎなみ》|二神《にしん》の|自転倒嶋《おのころじま》に|降《くだ》りたまひて、|海月《くらげ》|如《な》す|漂《ただよ》へる|国《くに》を|修理固成《しうりこせい》せむとして、|国生《くにう》み、|嶋生《しまう》み、|神生《かみう》みの|神業《みわざ》を|始《はじ》めたまひし|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》は、|本巻《ほんくわん》によつて|明《あき》らかになることと|思《おも》ふ。
|神《かむ》ながら|宇宙《うちう》の|外《そと》に|身《み》をおきて
|日《ひ》に|夜《よ》に|月《つき》ぬ|物語《ものがたり》する
|王仁《おに》は、|第一巻《だいいつくわん》において|天地剖判《てんちぼうはん》の|章《しやう》に|致《いた》り、|金《きん》や|銀《ぎん》の|棒《ぼう》が|表現《へうげん》して|云々《うんぬん》と|述《の》べたるにたいし、|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にすると|言《い》つて、コンナ|馬鹿《ばか》な|説《せつ》は|聞《き》くだけの|価値《かち》なきものだと、|一笑《いつせう》に|附《ふ》して|顧《かへり》みないのみならず、|他人《たにん》の|研究《けんきう》までも|中止《ちゆうし》せしめむとしてゐる|立派《りつぱ》な|学者《がくしや》があるさうだ。
|神諭《しんゆ》にも、
『|図抜《づぬ》けた|学者《がくしや》でないと、|途中《とちう》の|鼻高《はなだか》には、|神《かみ》の|申《まを》す|事《こと》はお|気《き》に|入《い》らぬぞよ|云々《うんぬん》』
と|示《しめ》されてある。|宇宙間《うちうかん》の|森羅万象《しんらばんしやう》、|一《いつ》として|形体《けいたい》を|具《そな》ふるもの、|金《きん》、|銀《ぎん》、|銅《どう》、|鉄《てつ》|等《とう》の|鉱物《くわうぶつ》を|包含《はうがん》せないものはない。|人間《にんげん》を|初《はじ》め、|動植物《どうしよくぶつ》と|雖《いへ》ども、|剛体《がうたい》すなはち|玉留魂《たまつめむすび》の|守護《しゆご》によらぬはない。|金銀《きんぎん》|等《とう》の|金気《きんき》の|大徳《だいとく》によつて|現出《げんしゆつ》したる|宇宙間《うちうかん》の|森羅万象《しんらばんしやう》は、|悉皆《しつかい》、|鉱物《くわうぶつ》|玉留魂《たまつめむすび》の|神力《しんりき》を|保持《ほぢ》してゐるのであるから、|金《きん》の|棒《ぼう》や|銀《ぎん》の|棒《ぼう》から|天地《てんち》|万物《ばんぶつ》が|発生《はつせい》し|凝固《ぎようこ》したと|言《い》つたとて、|別《べつ》に|非科学的《ひくわがくてき》でも|何《なん》でもない。|神《かみ》の|言《げん》には|俗人《ぞくじん》のごとき|七面倒《しちめんだう》くさきことは|仰《あふ》せられぬ。すべて|抽象的《ちうしやうてき》、|表徴的《へうちようてき》で、|一二言《いちにごん》にて|宇宙《うちう》の|真理《しんり》を|漏《も》らされるものである。
それで|神諭《しんゆ》にも、
『|一《いち》を|聞《き》いて|十《じふ》|百《ひやく》を|悟《さと》る|身魂《みたま》でないと、|誠《まこと》の|神《かみ》の|御用《ごよう》は|勤《つと》まらぬぞよ』
と|示《しめ》されてある。|半可通的《はんかつうてき》|学者《がくしや》の|鈍才《どんさい》|浅智《せんち》をもつて、|無限絶対《むげんぜつたい》|無始無終《むしむしう》の|神界《しんかい》の|事柄《ことがら》にたいして|喃々《なんなん》するは、|竿《さを》を|以《もつ》て|蒼空《あをぞら》の|星《ほし》を【がらち】|落《おと》さむとする|様《やう》なものである。|洪大《こうだい》|無限《むげん》の|神《かみ》の|力《ちから》に|比《くら》べては、|虱《しらみ》の|眉毛《まゆげ》に|巣《す》くふ|虫《むし》、その|虫《むし》のまた|眉毛《まゆげ》に|巣《す》くふ|虫《むし》、そのまた|虫《むし》の|眉毛《まゆげ》に|巣《す》くふ|虫《むし》の|放《ひ》つた|糞《くそ》に|生《わ》いた|虫《むし》が、またその|放《ひ》つた|糞《くそ》に|生《わ》いた|虫《むし》の、またその|虫《むし》の|放《ひ》つた|糞《くそ》に|生《わ》いた|虫《むし》の|糞《くそ》の|中《なか》の|虫《むし》よりも、|小《ちひ》さいものである。
ソンナ|比較《ひかく》にもならぬ|虫《むし》の|分際《ぶんざい》として、|洪大無辺《こうだいむへん》の|神界《しんかい》の|大経綸《けいりん》が|判《わか》つて|耐《たま》るものでない。それでも|人間《にんげん》は|万物《ばんぶつ》の|長《ちやう》であつて、|天地経綸《てんちけいりん》の|司宰者《しさいしや》だとは、どこで|勘定《かんぢやう》が|合《あ》ふであらうか。されど、|神《かみ》の|容器《ようき》たるべき|活動力《くわつどうりよく》を|有《いう》する|万物《ばんぶつ》の|長《ちやう》たる|人間《にんげん》が、|宇宙間《うちうかん》に|絶無《ぜつむ》とは|神《かみ》は|仰《あふ》せられぬのは、いはゆる|神界《しんかい》にては|無形《むけい》に|視《み》、|無声《むせい》に|聴《き》き、|無算《むさん》に|数《かぞ》へたまふてふ、|道《みち》の|大原《たいげん》の|聖句《せいく》に|由《よ》るのであらうと|思《おも》ふ。
|蚤《のみ》|虱《しらみ》|蚊《か》にもひとしき|人《ひと》の|身《み》の
|神《かみ》の|為《な》すわざ|争《あらそ》ひ|得《え》めや
大正十一年一月三日 旧十年十二月六日
第一篇 |動天《どうてん》|驚地《きやうち》
第一章 |栄華《えいぐわ》の|夢《ゆめ》〔二〇一〕
|国祖《こくそ》|国治立命《くにはるたちのみこと》、|豊国姫命《とよくにひめのみこと》、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、その|他《た》|聖地《せいち》における|錚々《さうさう》たる|神人《かみがみ》は、|全部《ぜんぶ》|各地《かくち》に|退隠《たいいん》されてより、|八王大神《やつわうだいじん》|常世彦《とこよひこ》の|聖地《せいち》における|神務《しんむ》はまつたく|破滅《はめつ》され、|天地《てんち》の|神《かみ》を|信《しん》ずるものなく、|聖地《せいち》の|宮殿《きうでん》は|全《まつた》く|八王大神《やつわうだいじん》の|居館《やかた》となり、|申訳的《まうしわけてき》に|小《ちひ》さき|宮《みや》を|橄欖山《かんらんざん》の|頂上《ちやうじやう》に|建設《けんせつ》し、ただ|一年《いちねん》に|一回《いつくわい》の|祭典《さいてん》を|行《おこな》ふのみであつた。|神殿《しんでん》の|柱《はしら》は|風雨《ふうう》に|曝《さら》され、|自然《しぜん》の|荒廃《くわうはい》に|任《まか》せ|屋根《やね》は|漏《も》り、|蜘蛛《くも》の|巣《す》は|四方《しはう》に|引廻《ひきまは》し、|至聖《しせい》|至厳《しげん》なるべき|神殿《しんでん》は、つひに|野鼠《やそ》の|棲処《すみか》となつて|了《しま》つたのである。
|一方《いつぱう》|竜宮城《りうぐうじやう》の|三重《みへ》の|金殿《きんでん》は、その|最下層《さいかそう》の|間《ま》は|常世姫《とこよひめ》の|遊楽《いうらく》の|場所《ばしよ》と|定《さだ》められた。されど|顕国《うつしくに》の|御玉《みたま》を|祭《まつ》りたる|最高段《さいかうだん》に|上《のぼ》ることは、いかに|常世彦《とこよひこ》といへども、|神威《しんゐ》に|畏《おそ》れて|敢行《かんかう》することが|出来《でき》なかつた。
|常世彦《とこよひこ》、|常世姫《とこよひめ》|二神《にしん》の|間《あひだ》に|常治彦《とこはるひこ》が|生《うま》れた。つぎに|玉春姫《たまはるひめ》といふ|妹神《いもうとがみ》が|生《うま》れた。|父母《ふぼ》|両神《りやうしん》はこれを|掌中《しやうちう》の|玉《たま》として|愛育《あいいく》してゐた。|愛児《あいじ》|常治彦《とこはるひこ》は|長《ちやう》ずるにおよんで|前頭部《ぜんとうぶ》に|牛《うし》のごとき|角《つの》が|二本《にほん》|生《は》えた。|神々《かみがみ》はこれを|常治彦《とこはるひこ》といはず|鬼治彦《おにはるひこ》と|密《ひそ》かに|綽名《あだな》してゐた。|聖地《せいち》の|八王大神《やつわうだいじん》にして、かくのごとく|律法《りつぱふ》を|無視《むし》し、|神《かみ》を|涜《けが》し、|放縦《はうじう》|不軌《ふき》の|神政《しんせい》をおこなひ、|悪逆《あくぎやく》|日々《ひび》に|増長《ぞうちよう》して、|聖地《せいち》は|昼夜《ちうや》の|区別《くべつ》なく|奇怪《きくわい》なることのみ|続出《ぞくしゆつ》した。『|上《かみ》の|為《な》す|所《ところ》、|下《しも》これに|倣《なら》ふ』の|諺《ことわざ》のごとく、|各山《かくざん》|各地《かくち》の|八王八頭《やつわうやつがしら》は、|邪鬼《じやき》、|悪狐《あくこ》、|悪竜《あくりう》の|霊《れい》に|憑依《ひようい》されて|神命《しんめい》を|無視《むし》し、|暴逆無道《ばうぎやくぶだう》の|神政《しんせい》を|行《おこな》ふにいたつた。|聖地《せいち》はすでに|神霊《しんれい》を|宮殿《きうでん》より|分離《ぶんり》し、|橄欖山《かんらんざん》に|形《かたち》ばかりの|神殿《しんでん》を|建《た》てたるに|倣《なら》ひ、|各地《かくち》の|八王八頭《やつわうやつがしら》もその|宮殿《きうでん》より|国魂《くにたま》を|分離《ぶんり》して、|山上《さんじやう》または|渓間《たにま》に|形《かたち》ばかりの|神殿《しんでん》を|造《つく》り、|祭祀《さいし》の|道《みち》を|怠《をこた》つた。
|天上《てんじやう》には|三個《さんこ》の|太陽《たいやう》|一度《いちど》に|現《あら》はれ、|月《つき》また|中天《ちゆうてん》、|東天《とうてん》、|西天《せいてん》に|一度《いちど》に|三個《さんこ》の|月球《げつきう》|現《あら》はるるにいたつた。しかして|太陽《たいやう》の|色《いろ》は、|一《いち》は|赤《あか》く、|一《いち》は|青赤《あをあか》く、|一《いち》は|青白《あをじろ》く、|月《つき》また|青《あを》く|赤《あか》く|白《しろ》く、おのおの|色《いろ》を|異《こと》にしてゐた。|天上《てんじやう》の|星《ほし》は|間断《かんだん》なく、|東西南北《とうざいなんぽく》に|大音響《だいおんきやう》を|立《た》てて|飛《と》び|散《ち》り、|巨大《きよだい》なる|彗星《すゐせい》は、|一《いち》は|東天《とうてん》より、|一《いち》は|南天《なんてん》より、|一《いち》は|西天《せいてん》より|現《あら》はれ、|三個《さんこ》は|地《ち》の|上空《じやうくう》に|合《がつ》して|衝突《しようとつ》し、|火花《ひばな》を|散《ち》らすこと|大花火《おほはなび》のごとくであつた。|八王大神《やつわうだいじん》はじめ|八王八頭《やつわうやつがしら》はこの|光景《くわうけい》を|見《み》て、|頑迷不霊《ぐわんめいふれい》の|国祖《こくそ》|国治立命《くにはるたちのみこと》|退隠《たいいん》ありてより、|天《てん》の|大神《おほかみ》は|大《おほい》に|歓《よろこ》びたまひ、|太陽《たいやう》はかくのごとく|三体《さんたい》|現《あら》はれ、|月《つき》また|三体《さんたい》|現《あら》はるるは、|天下《てんか》|泰平《たいへい》の|瑞祥《ずゐしやう》なりとして、|各自《かくじ》に|喜《よろこ》び|勇《いさ》んだ。
また|彗星《すゐせい》の|衝突《しようとつ》して|地上《ちじやう》に|火花《ひばな》を|落下《らくか》したるは、|天《てん》の|三体《さんたい》の|大神《おほかみ》、|盤古大神《ばんこだいじん》の|神政《しんせい》を|祝《しゆく》したまふ|瑞祥《ずゐしやう》なりと|謳《うた》つて、ますます|和光同塵的《わくわうどうじんてき》|神政《しんせい》を|遂行《すゐかう》した。
|春《はる》の|花《はな》は|秋《あき》に|咲《さ》き、|秋《あき》|咲《さ》く|花《はな》は|春《はる》に|咲《さ》き、|夏《なつ》|大雪《おほゆき》|降《ふ》り、|冬《ふゆ》は|蒸《む》し|暑《あつ》く、|気候《きこう》は|全《まつた》く|変換《へんくわん》した。|大地《だいち》の|主脳神《しゆなうじん》たる|国祖《こくそ》|国治立命《くにはるたちのみこと》の|精霊《せいれい》の|脱出《だつしゆつ》したる|天地《てんち》は、|日夜《にちや》に|大変調《だいへんてう》をきたし、|妖気《えうき》は|天《てん》に|漲《みなぎ》り、|青葉《あをば》は|黒《くろ》く、あるひは|茶褐色《ちやかつしよく》となり、|紅《あか》き|花《はな》は|黒《くろ》く|咲《さ》き、|白《しろ》き|花《はな》は|青《あを》く|咲《さ》き、|斯《か》かる|宇宙《うちう》の|大変調《だいへんてう》を|見《み》て、|八王大神《やつわうだいじん》|以下《いか》の|神々《かみがみ》は、|少《すこ》しも|国祖大神《こくそおほかみ》の|御威霊《ごゐれい》なきがために、|斯《か》く|天地《てんち》の|不順《ふじゆん》|不祥《ふしやう》を|来《きた》したりとは|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|至善《しぜん》、|至美《しび》、|至楽《しらく》の|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|先駆《せんく》の|象徴《しやうちやう》として、この|光景《くわうけい》を|祝賀《しゆくが》したのである。すべての|神々《かみがみ》は|神業《しんげふ》を|放擲《はうてき》し、|昼夜《ちうや》の|区別《くべつ》なく|踊《をど》り|狂《くる》ひ|廻《まは》つた。
|霧《きり》は|天地六合《てんちりくがふ》を|罩《こ》めて、|次第《しだい》に|太陽《たいやう》は|光《ひかり》を|曇《くも》らし、|月《つき》また|出《い》でざること|数年《すうねん》におよんだ。この|間《かん》かの|円満《ゑんまん》なる|太陽《たいやう》の|形《かたち》を|見《み》ることなく、|昼夜《ちうや》の|区別《くべつ》はほとんどつかなかつた。されど|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》は、その|暗黒《あんこく》に|苦《くる》しむほどでもなかつた。あたかも|大地《だいち》は|朧月夜《おぼろづきよ》のごとき|光景《くわうけい》である。
|八王大神《やつわうだいじん》はわが|宮殿《きうでん》の|奥《おく》に|当《あた》り、|怪《あや》しき|声《こゑ》のしきりに|聞《きこ》ゆるに|驚《おどろ》き、|急《いそ》ぎわが|居間《ゐま》を|出《い》で|走《はし》り|行《ゆ》き|見《み》れば、こはそもいかに、|常治彦《とこはるひこ》は|妹《いもうと》を|引捕《ひつとら》へ、その|腕《かいな》を【むし】り、|血《ち》の|流《なが》るるまま、|長《なが》き|舌《した》をだして|美味《うま》さうに|喰《く》つてゐる。
|常世彦《とこよひこ》は|大《おほい》に|驚《おどろ》き、|長刀《ちやうたう》を|引抜《ひきぬ》き|常治彦《とこはるひこ》を|目《め》がけて、
『わが|子《こ》の|仇敵《かたき》、|思《おも》ひ|知《し》れよ』
と|言《い》ひつつ|真向上段《まつかうじやうだん》より|斬《き》りつくるその|途端《とたん》、|常治彦《とこはるひこ》の|姿《すがた》も、|妹《いもうと》の|姿《すがた》も|白雲《はくうん》となつて|消《き》え|失《う》せ、ただわが|頭上《づじやう》に【げらげら】と|笑《わら》ふ|声《こゑ》がするのみであつた。|怪《あや》しみて|奥殿《おくでん》くまなく|探《さが》せども、|何《なん》の|異変《いへん》もなかつた。ただ|怪《あや》しきは、|長三角形《ちやうさんかくけい》の|率塔婆《そとば》のごときもの|五六本《ごろつぽん》、|常世彦《とこよひこ》の|前《まへ》にツンツンツンと|音《おと》を|立《た》て、|目《め》|鼻《はな》|口《くち》のみムケムケさせながら、|上下《じやうげ》、|前後《ぜんご》、|左右《さいう》より|常世彦《とこよひこ》に|突《つ》つかかつてきた。
|常世彦《とこよひこ》は、|長三角形《ちやうさんかくけい》の|尖端《せんたん》に|面部《めんぶ》その|他《た》の|全体《ぜんたい》を|突刺《つきさ》された。これ|全《まつた》く|神明《しんめい》を|無視《むし》し、|神殿《しんでん》を|橄欖山《かんらんざん》に|移《うつ》したるがため、|大神《おほかみ》の|激怒《げきど》に|触《ふ》れたるならむと、|橄欖山《かんらんざん》に|駈上《かけあが》り、ほとんど|朽果《くちは》てたる|神殿《しんでん》の|前《まへ》に、|息《いき》も|絶《た》えだえになつてその|罪《つみ》を|謝《しや》した。たちまち|神殿《しんでん》|鳴動《めいどう》して|無数《むすう》の|金色《こんじき》の|鳩《はと》|現《あら》はれ、|常世彦《とこよひこ》の|頭上《づじやう》|目《め》がけて|幾十回《いくじつくわい》ともなく、|鋭利《ゑいり》な|嘴《くちばし》に|啄《ついば》んだ。|常世彦《とこよひこ》は|鮮血《せんけつ》|滝《たき》のごとく、|漸《ようや》く|正気《しやうき》に|復《ふく》した。
|見《み》れば|身《み》はヱルサレムの|大宮殿《だいきうでん》の|中《なか》に、|寝汗《ねあせ》を|瀑布《たき》のごとく|流《なが》して|夢《ゆめ》を|見《み》てゐたのである。|常世彦《とこよひこ》は、この|恐《おそ》ろしき|夢《ゆめ》より|醒《さ》めて、|少《すこ》しは|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い、|聖地《せいち》の|従臣《じうしん》に|命《めい》じて|橄欖山《かんらんざん》の|神殿《しんでん》を|改造《かいざう》せしめた。また|各山《かくざん》|各地《かくち》の|八王《やつわう》にたいして、|神殿《しんでん》を|新《あらた》に|建築《けんちく》し、|大神《おほかみ》の|神慮《しんりよ》を|和《なご》め|奉《たてまつ》ることを|伝達《でんたつ》したりける。
(大正一一・一・四 旧大正一〇・一二・七 外山豊二録)
第二章 |松竹梅《しやうちくばい》〔二〇二〕
|八王大神《やつわうだいじん》|常世彦《とこよひこ》は|表面《へうめん》|盤古大神《ばんこだいじん》を|奉戴《ほうたい》し、|神政《しんせい》|総攬《そうらん》の|権《けん》を|握《にぎ》つてゐた。されど|温厚《をんこう》|篤実《とくじつ》にして|威風《ゐふう》|備《そな》はり、かつ|至誠《しせい》|至実《しじつ》の|盤古大神《ばんこだいじん》の|奥殿《おくでん》に|坐《ま》しますは、なんとなく|気《き》がねであつた。
そこで|八王大神《やつわうだいじん》は|盤古大神《ばんこだいじん》にたいし|敬遠《けいゑん》|主義《しゆぎ》を|取《と》ることになり、エデンの|園《その》に|宮殿《きうでん》を|造《つく》り、これに|転居《てんきよ》を|乞《こ》ひ、|神務《しんむ》|神政《しんせい》のことに|関《くわん》しては|表面《へうめん》|指揮《しき》を|仰《あふ》ぐことにした。されど|八王大神《やつわうだいじん》としては、もはや|盤古大神《ばんこだいじん》|夫婦《ふうふ》は|眼中《がんちゆう》になかりしのみならず、|却《かへ》つて|迷惑《めいわく》に|感《かん》じたくらゐである。|盤古大神《ばんこだいじん》は|常世彦《とこよひこ》の|心中《しんちゆう》を|洞察《どうさつ》し、|何事《なにごと》も|見《み》ざる、|言《い》はざる、|聞《き》かざるの|三猿主義《さんゑんしゆぎ》を|取《と》つてゐた。
|橄欖山《かんらんざん》の|頂《いただ》きに|新《あらた》に|建《た》てられたる|神殿《しんでん》に|奉斎《ほうさい》すべき|大神《おほかみ》の|神璽《しんじ》を、|盤古大神《ばんこだいじん》に|下附《かふ》されむことを|奉願《ほうぐわん》するため、|八王大神《やつわうだいじん》は|常治彦《とこはるひこ》を|遣《つか》はして、エデンの|宮殿《きうでん》に|到《いた》ることを|命《めい》じた。|常治彦《とこはるひこ》は|額《ひたひ》の|角《つの》を|耻《は》ぢて、この|使者《ししや》を|峻拒《しゆんきよ》した。|八王大神《やつわうだいじん》はやむを|得《え》ず|涙《なみだ》を|流《なが》して|常治彦《とこはるひこ》の|心情《しんじやう》を|察知《さつち》し、あまり|厳《きび》しく|追求《つゐきう》せなかつた。ここに|常世姫《とこよひめ》とはかり、|妹神《いもうとがみ》|玉春姫《たまはるひめ》を|使神《ししん》とし、|春日姫《かすがひめ》、|八島姫《やしまひめ》を|従《したが》へエデンの|城《しろ》にいたり、|盤古大神《ばんこだいじん》に|神璽《しんじ》の|下附《かふ》を|奉願《ほうぐわん》せしめたのである。このエデンの|園《その》は|種々《しゆじゆ》の|麗《うるは》しき|花《はな》|咲《さ》き|乱《みだ》れ、|四季《しき》ともに|果実《くわじつ》みのり、|東《ひがし》|北《きた》|西《にし》に|青垣山《あをがきやま》を|繞《めぐ》らし、|寒風《かんぷう》に|曝《さら》さるることなく、|南方《なんぱう》の|陽気《やうき》をうけ、|実《じつ》に|四時《しじ》|相応《さうおう》の|地《ち》とも|称《しよう》すべき|安楽郷《あんらくきやう》である。|南《みなみ》には|広《ひろ》きエデンの|大河《たいが》|東南《とうなん》より|流《なが》れきたり、|西北《せいほく》に|洋々《やうやう》として|流《なが》れ|去《さ》る、いかなる|悪鬼《あくき》|邪神《じやしん》もこの|楽園《らくゑん》のみは|侵《をか》すことが|出来《でき》ない|安全《あんぜん》|地帯《ちたい》であつた。|盤古大神《ばんこだいじん》|部下《ぶか》の|神々《かみがみ》は、この|楽郷《らくきやう》に|昼夜《ちうや》の|区別《くべつ》なく|天地《てんち》の|殊恩《しゆおん》を|楽《たの》しみつつあつた。
あるとき|盤古大神《ばんこだいじん》の|宮殿《きうでん》の|奥《おく》の|間《ま》の|床下《ゆかした》より、|床《ゆか》をおしあげ|突《つ》き|抜《ぬ》き、ふとき|筍《たけのこ》が|二本《にほん》|生《は》えだした。|見《み》るみるうちに|諸所《しよしよ》に|筍《たけのこ》は|床《ゆか》を|持《も》ちあげ、|瞬《またた》くうちに|棟《むね》を|突《つ》きぬき、|屋内《をくない》|屋上《をくじやう》に|枝葉《しえう》を|生《しやう》じほとんど|竹籔《たけやぶ》と|化《くわ》してしまつた。|盤古大神《ばんこだいじん》はこの|光景《くわうけい》をみて|国祖《こくそ》|国治立命《くにはるたちのみこと》の|怨霊《おんりやう》の|祟《たた》りならむとし、|大《おほい》に|怒《いか》り、|長刀《ちやうたう》を|引抜《ひきぬ》き、|大竹《おほたけ》を|片《かた》つ|端《ぱし》より|切《き》りすて|門戸《もんこ》に|立《た》てた。これが|今《いま》の|世《よ》に|至《いた》るまで|正月《しやうぐわつ》の|門《もん》に|削《そ》ぎ|竹《だけ》を|飾《かざ》る|濫觴《らんしやう》となつた。
|玉春姫《たまはるひめ》は|八王大神《やつわうだいじん》の|命《めい》により、|神璽《しんじ》の|下附《かふ》を|乞《こ》はむと|侍神《じしん》に|伴《ともな》はれ|奥殿《おくでん》に|進《すす》むをりしも、|盤古大神《ばんこだいじん》が|奥殿《おくでん》に|簇生《ぞくせい》したる|諸竹《もろだけ》を|切《き》り|放《はな》ちゐたる|際《さい》なれば、|進《すす》みかねて、この|光景《くわうけい》を|見入《みい》つた。この|竹《たけ》は|大江山《たいかうざん》の|鬼武彦《おにたけひこ》の|仕業《しわざ》であつた。|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》も、この|時《とき》のみは|鬼武彦《おにたけひこ》の|権威《けんゐ》に|辟易《へきえき》して、|何《なん》の|妨害《ばうがい》も|復讎《ふくしう》もすることが|出来《でき》なかつた。|八島姫《やしまひめ》は|忽然《こつぜん》として|姿《すがた》が|消《き》ゆると|見《み》るや、|奥殿《おくでん》には|十抱《とかか》へもあらむかと|思《おも》ふばかりの|常磐《ときは》の|松《まつ》が|俄《にはか》に|生《は》えた。これがため|盤古大神《ばんこだいじん》の|居室《きよしつ》はすつかり|塞《ふさ》がつた。|盤古大神《ばんこだいじん》は|大《おほい》に|怒《いか》り、これかならず|妖怪変化《えうくわいへんげ》の|仕業《しわざ》ならむと、|云《い》ふより|大鋸《おほのこぎり》を|取《と》りだし、|侍神《じしん》に|命《めい》じ|枝《えだ》を|伐《き》り|幹《みき》を|伐《き》り、|暫《しばら》くにしてこれを|取《と》り|除《の》けた。しかしてこの|切《き》り|放《はな》した|根無《ねな》し|松《まつ》を|門戸《もんこ》に|飾《かざ》り、|妖怪《えうくわい》|退治《たいぢ》の|記念《きねん》として|立《た》てておいた。ゆゑに|太古《たいこ》は|正月《しやうぐわつ》|松《まつ》の|内《うち》は|一本松《いつぽんまつ》を|立《た》てて、|艮《うしとら》の|金神《こんじん》|以下《いか》の|悪魔《あくま》|退治《たいぢ》の|記念《きねん》として|門松《かどまつ》を|立《た》てたのである。それが|中古《ちうこ》にいたり|二本《にほん》|立《た》てることになつた。このとき|春日姫《かすがひめ》は|幾抱《いくかか》へとも|知《し》れぬ|梅《うめ》の|木《き》となり、エデンの|城《しろ》|一《いつ》ぱいに|枝《えだ》を|瞬《またた》くうちに|張《は》り、|傘《がさ》のごとき|花《はな》を|咲《さ》かせた。|園内《ゑんない》は|一株《ひとかぶ》の|梅《うめ》にて|塞《ふさ》がるるばかりであつた。|盤古大神《ばんこだいじん》はまたもや|鉞《まさかり》、|鋸《のこぎり》|等《とう》の|道具《だうぐ》を|以《も》つて、|神々《かみがみ》に|命《めい》じ|枝葉《しえう》を|切《き》らしめ、|終《つひ》に|幹《みき》までも|切《き》り|捨《す》てさせた。|盤古大神《ばんこだいじん》は、|大地《だいち》の|艮《うしとら》に|引退《いんたい》せられし|国祖《こくそ》の|怨霊《をんりやう》の|祟《たた》りとなし、|調伏《てうふく》のために|又《また》もや|梅《うめ》の|枝《えだ》を|立《た》てて|武勇《ぶゆう》を|誇《ほこ》つた。|後世《こうせい》|年《とし》の|始《はじ》めに|松竹梅《しようちくばい》を|伐《き》り、|砂盛《すなもり》をして|門戸《もんこ》に|飾《かざ》るはこれより|始《はじ》まつたのである。
|玉春姫《たまはるひめ》はこの|奇怪《きくわい》なる|出来事《できごと》に|胆《きも》を|潰《つぶ》し、|茫然《ばうぜん》として|空《そら》ゆく|雲《くも》を|眺《なが》めつつありしが、つひに|過《あやま》つて|庭前《ていぜん》の|深《ふか》き|井戸《ゐど》に|顛落《てんらく》した。|盤古大神《ばんこだいじん》の|長子《ちやうし》|塩光彦《しほみつひこ》は、これを|見《み》るより|丸裸体《まるはだか》となり|井戸《ゐど》に|飛《と》び|入《い》り、|玉春姫《たまはるひめ》を|漸《やうや》くにして|救《すく》ひあげた。これより|塩光彦《しほみつひこ》と|玉春姫《たまはるひめ》との|間《あひだ》に|怪《あや》しき|糸《いと》が|搦《から》まれた。
|盤古大神《ばんこだいじん》は|神霊《しんれい》を|玉箱《たまばこ》に|奉安《ほうあん》し、|玉春姫《たまはるひめ》に|下《さ》げ|渡《わた》し、|聖地《せいち》ヱルサレムに|帰《かへ》らしめた。|八島姫《やしまひめ》、|春日姫《かすがひめ》は|何処《いづこ》よりともなく|現《あら》はれきたり、|玉春姫《たまはるひめ》に|依然《いぜん》として|扈従《こしよう》してゐた。|塩光彦《しほみつひこ》は、|姫《ひめ》のエデンの|大河《たいが》を|船《ふね》に|乗《の》りて|渡《わた》りゆく|姿《すがた》を|打《う》ちながめ、|矢《や》も|楯《たて》もたまらなくなつた。|盤古男神《ばんこをがみ》[#愛世版では「盤古大神」に書換]のとどむる|声《こゑ》も|空《そら》|吹《ふ》く|風《かぜ》と|聞《き》き|流《なが》し、たちまち|大蛇《をろち》と|身《み》を|変《へん》じ、|河《かは》を|横《よこ》ぎり|南岸《なんがん》に|着《つ》いた。ここに|再《ふたた》び|麗《うるは》しき|男神《をがみ》となり、|聖地《せいち》ヱルサレムを|指《さ》して|玉春姫《たまはるひめ》のあとを|追《お》ひかけた。この|神璽《しんじ》は|空虚《くうきよ》であつた。|何《なに》ゆゑか|盤古大神《ばんこだいじん》の|熱心《ねつしん》なる|祈祷《きたう》も|寸効《すんかう》なく、いかにしても|神霊《しんれい》の|鎮《しづ》まらなかつたのは|奇怪《きくわい》のいたりである。しかるにエデンの|大河《たいが》を|渡《わた》るや、この|神璽《しんじ》の|玉箱《たまばこ》は|俄《にはか》に|重量《ぢゆうりやう》|加《くは》はり|数十《すうじふ》|柱《はしら》の|神々《かみがみ》が|汗《あせ》を|垂《た》らして|輿《こし》に|乗《の》せ|捧持《はうぢ》して|帰《かへ》つた。
(大正一一・一・四 旧大正一〇・一二・七 加藤明子録)
第三章 |臭黄《くさき》の|鼻《はな》〔二〇三〕
いよいよ|橄欖山《かんらんざん》の|神殿《しんでん》には、エデンの|園《その》より|捧持《はうぢ》し|参《まゐ》りたる|神璽《しんじ》を|恭《うやうや》しく|鎮祭《ちんさい》された。この|神殿《しんでん》は|隔日《かくじつ》に|鳴動《めいどう》するのが|例《れい》となつた。これを|日毎《ひごと》|轟《とどろ》きの|宮《みや》と|云《い》ふ。この|神霊《しんれい》は|誠《まこと》の|神《かみ》の|御霊《おんれい》ではなくして、|八頭八尾《やつがしらやつを》の|悪竜《あくりう》の|霊《れい》であつた。
これより|聖地《せいち》ヱルサレム|宮殿《きうでん》は、|日夜《にちや》に|怪事《くわいじ》のみ|続発《ぞくはつ》し|暗雲《あんうん》につつまれた。|八王大神《やつわうだいじん》|常世彦《とこよひこ》はやや|良心《りやうしん》に|省《かへり》みるところあつて、|窃《ひそか》に|国祖大神《こくそおほかみ》の|神霊《しんれい》を|他《ひと》|知《し》れず|鎮祭《ちんさい》し、|昼夜《ちうや》その|罪《つみ》を|謝《しや》しつつあつた。|大神《おほかみ》の|怒《いか》りやや|解《と》けたりけむ、|久《ひさし》|振《ぶ》りにて|東天《とうてん》に|太陽《たいやう》のおぼろげなる|御影《みかげ》を|見《み》ることを|得《え》た。|随《したが》つて|月《つき》の|影《かげ》が|昇《のぼ》りそめた。|八王大神《やつわうだいじん》は|夜《よる》ひそかに|庭園《ていえん》に|出《い》で、|月神《げつしん》に|向《むか》つて|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》にくれた。されどその|本守護神《ほんしゆごじん》は|悪霊《あくれい》の|憑依《ひようい》せる|副守護神《ふくしゆごじん》のために|根底《こんてい》より|改心《かいしん》することは|出来《でき》なかつた。
|玉春姫《たまはるひめ》は|塩光彦《しほみつひこ》と|手《て》を|携《たづさ》へ、|父母《ふぼ》|両親《りやうしん》の|目《め》をくぐりて、エデンの|大河《たいが》をわたり、エデンの|楽園《らくゑん》にいたり、|園《その》の|東北隅《とうほくぐう》の|枝葉《しえう》|繁茂《はんも》せる|大樹《たいじゆ》の|下《した》にひそかに|暮《くら》してゐた。|盤古大神《ばんこだいじん》は|塩光彦《しほみつひこ》の|影《かげ》を|失《うしな》ひしに|驚《おどろ》き、|昼夜《ちうや》|禊身《みそぎ》をなし、|断食《だんじき》をおこなひ、|天地《てんち》の|神明《しんめい》を|祈《いの》つた|時《とき》しも、|園《その》の|東北《とうほく》に|当《あた》つて|紫《むらさき》の|雲《くも》たち|昇《のぼ》り、|雲中《うんちゆう》に|塩光彦《しほみつひこ》ほか|一柱《ひとはしら》の|女神《めがみ》の|姿《すがた》を|見《み》た。|盤古大神《ばんこだいじん》はただちに|従者《じゆうしや》に|命《めい》じ、その|方面《はうめん》を|隈《くま》なく|捜《さが》さしめた。|塩光彦《しほみつひこ》、|玉春姫《たまはるひめ》は、|神々《かみがみ》らの|近《ちか》づく|足音《あしおと》に|驚《おどろ》き、もつとも|茂《しげ》れる|木《き》の|枝《えだ》|高《たか》く|登《のぼ》つて|姿《すがた》を|隠《かく》した。この|木《き》は|麗《うるは》しき|木《こ》の|実《み》あまた|実《みの》つて、いつまで|上《のぼ》つてゐても|食物《しよくもつ》には|充分《じうぶん》であつた。|神々《かみがみ》らは|園内《ゑんない》|隈《くま》なく|捜索《そうさく》した。されど|二人《ふたり》の|姿《すがた》は|何日《なんにち》|経《た》つても|見当《みあた》らなかつた。|盤古大神《ばんこだいじん》はこれを|聞《き》いて|大《おほ》いに|悲《かな》しんだ。しかして|自《みづか》ら|園内《ゑんない》を|捜《さが》し|廻《まは》つた。
|枝葉《しえう》の|茂《しげ》つた|果樹《くわじゆ》の|片隅《かたすみ》より|一々《いちいち》|仰《あふ》ぎ|見《み》つつあつた。|樹上《じゆじやう》の|塩光彦《しほみつひこ》は|父《ちち》の|樹下《じゆか》に|来《きた》ることを|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|平気《へいき》になつて|大地《だいち》にむかつて、|木《こ》の|葉《は》の|薄《うす》き|所《ところ》より|臀引《しりひ》きまくりて、|穢《きたな》き|物《もの》を|落《おと》した。|盤古大神《ばんこだいじん》は|怪《あや》しき|物音《ものおと》と|仰向《あふむ》くとたんに、|臭《くさ》き|物《もの》は|鼻《はな》と|口《くち》の|上《うへ》に|落《お》ちてきた。|驚《おどろ》いて|声《こゑ》を|立《た》て|侍者《じしや》を|呼《よ》んだ。されど|一柱《ひとはしら》も|近《ちか》くには|侍者《じしや》の|影《かげ》は|見《み》えなかつた。やむを|得《え》ず|細《ほそ》き|渓水《たにみづ》に|下《お》りて|洗《あら》ひ|落《おと》し、ふたたび|上《うへ》を|眺《なが》むれば、|豈計《あにはか》らむや、|天人《てんにん》にも|見《み》まがふばかりの|美女《びぢよ》を|擁《よう》し、|樹上《じゆじやう》にわが|子《こ》|塩光彦《しほみつひこ》がとまつてゐた。|盤古大神《ばんこだいじん》は|大《おほい》に|怒《いか》り、はやくこの|木《き》を|下《くだ》れと|叫《さけ》んだ。|二人《ふたり》は|相《あひ》|擁《よう》し|父《ちち》の|声《こゑ》はすこしも|耳《みみ》に|入《い》らない|様子《やうす》であつた。|盤古大神《ばんこだいじん》は|声《こゑ》を|嗄《から》して|呼《よ》んだ。されど|樹上《じゆじやう》の|二人《ふたり》の|耳《みみ》には、どうしても|入《はい》らない。|如何《いかん》とならば、この|木《き》の|果物《くだもの》を|食《く》ふときは、|眼《め》は|疎《うと》く、|耳《みみ》|遠《とほ》くなるからである。ゆゑにこの|木《き》を|耳無《みみな》しの|木《き》と|云《い》ふ。その|実《み》は|目無《めな》しの|実《み》といふ。|今《いま》の|世《よ》に「ありのみ」といひ、|梨《なし》の|実《み》といふのはこれより|転訛《てんくわ》したものである。
|盤古大神《ばんこだいじん》は|宮殿《きうでん》に|馳《は》せ|帰《かへ》り、|神々《かみがみ》を|集《あつ》めこの|木《き》に|駆《か》け|上《のぼ》らしめ、|無理《むり》に|二人《ふたり》を|引摺《ひきず》りおろし、|殿内《でんない》に|連《つ》れ|帰《かへ》つた。|見《み》れば|二柱《ふたはしら》とも|目《め》うすく|耳《みみ》はすつかり|聾者《ろうしや》となつてゐたのである。ここに|塩長姫《しほながひめ》は|二人《ふたり》のこの|姿《すがた》を|見《み》て|大《おほい》に|憐《あは》れみ|且《か》つ|嘆《なげ》き、|庭先《にはさき》に|咲《さ》き|乱《みだ》れたる|匂《にほ》ひ|麗《うるは》しき|草花《くさばな》を|折《を》りきたりて、|二人《ふたり》の|髪《かみ》の|毛《け》に|挿《さ》した。これより|二人《ふたり》の|耳《みみ》は|聞《きこ》えるやうになつた。ゆゑにこの|花《はな》を|菊《きく》の|花《はな》と|名《な》づけた。これが|後世《こうせい》|頭《かしら》に|花簪《はなかんざし》を|挿《さ》す|濫觴《らんしやう》である。
|一方《いつぱう》|聖地《せいち》ヱルサレムにおいては、|玉春姫《たまはるひめ》の|何時《いつ》となく|踪跡《そうせき》を|晦《くらま》したるに|驚《おどろ》き、|両親《りやうしん》は|部下《ぶか》の|神人《かみがみ》らをして、|山《やま》の|尾《を》、|河《かは》の|瀬《せ》、|海《うみ》の|果《はて》まで|残《のこ》る|隈《くま》なく|捜《さが》さしめた。されど|何《なん》の|便《たよ》りもなかつた。|常世彦《とこよひこ》はひそかに|国祖《こくそ》の|神霊《しんれい》に|祈《いの》り、|夢《ゆめ》になりとも|愛児《あいじ》の|行方《ゆくへ》を|知《しら》させたまへと|祈願《きぐわん》しつつあつた。ある|夜《よ》の|夢《ゆめ》に|何処《いづこ》ともなく『エデンの|園《その》』といふ|声《こゑ》が|聞《きこ》えた。|八王大神《やつわうだいじん》は|直《ただち》にエデンの|宮殿《きうでん》に|致《いた》り、|盤古大神《ばんこだいじん》に|願《ねが》ひ、エデンの|園《その》を|隈《くま》なく|捜索《そうさく》せむことを|使者《ししや》をして|乞《こ》はしめた。|盤古大神《ばんこだいじん》は|信書《しんしよ》を|認《したた》め、|使者《ししや》をして|持《も》ち|帰《かへ》らしめた。|常世彦《とこよひこ》は|恭《うやうや》しく|押《お》しいただきこれを|披見《ひけん》して、かつ|喜《よろこ》びかつ|驚《おどろ》きぬ。
(大正一一・一・四 旧大正一〇・一二・七 吉見清子録)
第四章 |奇縁万状《きえんばんじやう》〔二〇四〕
|盤古大神《ばんこだいじん》の|信書《しんしよ》の|趣《おもむ》きは、
『わが|長子《ちやうし》|塩光彦《しほみつひこ》は|貴下《きか》の|娘《むすめ》|玉春姫《たまはるひめ》の|愛《あい》に|溺《おぼ》れ、もはや|膠漆不離《かうしつふり》の|間《あひだ》となり、いかに|理義《りぎ》を|説《と》き|諭《さと》すといへども、|恋《こひ》に|上下《じやうげ》の|隔《へだ》てなしとかや、|吾々《われわれ》としては|之《これ》をいかんともすること|能《あた》はず、|願《ねが》はくは|貴下《きか》の|娘《むすめ》|玉春姫《たまはるひめ》をつかはされたし』
と|云《い》ふのであつた。
|常世彦《とこよひこ》は|外《ほか》ならぬ|盤古大神《ばんこだいじん》の|要求《えうきう》といひ、かつ|娘《むすめ》の|立身《りつしん》なりとして|常世姫《とこよひめ》と|謀《はか》り、これを|承諾《しようだく》することとなつた。その|代償《だいしやう》として、
『わが|長子《ちようし》|常治彦《とこはるひこ》に、|貴下《きか》の|御娘《おんむすめ》|塩治姫《しほはるひめ》を|妻《つま》として|与《あた》へ|給《たま》はむことを』
と|懇請《こんせい》した。
|盤古大神《ばんこだいじん》は|妻《つま》の|塩長姫《しほながひめ》と|謀《はか》り、|塩治姫《しほはるひめ》を|一間《ひとま》に|招《まね》いて、
『|八王大神《やつわうだいじん》の|長子《ちやうし》|常治彦《とこはるひこ》の|妻《つま》たるべし』
と|厳命《げんめい》した。|塩治姫《しほはるひめ》は|卒倒《そつたふ》せむばかりに|驚《おどろ》き|呆《あき》れ、ただ|目《め》をギロつかせて|父母《ふぼ》|両親《りやうしん》の|顔《かほ》を|視守《みまも》るのみ。|口《くち》はひきつけて|一言《いちごん》も|発《はつ》すること|能《あた》はず、|両眼《りやうがん》よりは|滝《たき》のごとき|涙《なみだ》が|滴《したた》るのであつた。|盤古大神《ばんこだいじん》|夫妻《ふさい》は、|最愛《さいあい》なる|娘《むすめ》のこの|様子《やうす》を|見《み》て、|胸《むね》に|釘《くぎ》、|鎹《かすがい》を|打《う》たるる|思《おも》ひであつた。
|八王大神《やつわうだいじん》の|請求《せいきう》は、|日《ひ》に|日《ひ》に|急《きふ》を|加《くは》へた。
『|万一《まんいち》|貴下《きか》にして|塩治姫《しほはるひめ》を|下《くだ》し|給《たま》はずば、わが|最愛《さいあい》の|娘《むすめ》|玉春姫《たまはるひめ》を|一時《いつとき》も|早《はや》く、|聖地《せいち》に|帰《かへ》させたまへ』
と|進退《のつぴき》ならぬ|強談判《こはだんぱん》である。|塩治姫《しほはるひめ》は|七日七夜《なぬかななよ》|泣《な》き|叫《さけ》んで、つひには|声《こゑ》も|得上《えあ》げなくなつた。|一方《いつぱう》|常治彦《とこはるひこ》は、|深《ふか》き|大《だい》なる|冠《かんむり》を|被《かぶ》りて|角《つの》を|覆《おほ》ひ、エデンの|大河《たいが》を|渡《わた》り、|四五《しご》の|侍者《じしや》を|随《したが》へ、|盤古大神《ばんこだいじん》の|返事《へんじ》の|煮《に》え|切《き》らぬのに|業《ごふ》を|煮《に》やし、|自《みづか》ら|直接《ちよくせつ》|談判《だんぱん》せむと|進《すす》み|入《い》つた。
このとき|塩治姫《しほはるひめ》は、|父母《ふぼ》|両親《りやうしん》の|強要《きやうえう》に|堪《た》まりかね、|門内《もんない》より|脱出《だつしゆつ》し、いづこにか|身《み》を|匿《かく》さむとして|河辺《かはべ》に|馳《は》せ|着《つ》いた。このとき|常治彦《とこはるひこ》は、|塩治姫《しほはるひめ》に|河辺《かはべ》にて|都合《つがふ》よく|出会《でつくわ》した。されど|窶《やつ》れはてたる|姫《ひめ》の|姿《すがた》に|誤《あやま》られ、|他《た》の|者《もの》と|思《おも》つてエデン|城《じやう》に|進《すす》み|入《い》つた。
|常治彦《とこはるひこ》はただちに|盤古大神《ばんこだいじん》|夫妻《ふさい》に|面会《めんくわい》を|求《もと》め、|塩治姫《しほはるひめ》をわが|妻《つま》に|下《くだ》したまはむことを|懇請《こんせい》した。この|時《とき》エデンの|宮殿内《きうでんない》は、|姫《ひめ》の|姿《すがた》の|見《み》えざるに|驚《おどろ》き、|数多《あまた》の|侍者《じしや》は|右往左往《うわうさわう》に|広《ひろ》き|園内《ゑんない》|隈《くま》なく|捜索《そうさく》の|真最中《まつさいちう》である。|常治彦《とこはるひこ》はこの|光景《くわうけい》を|見《み》て、
『われ|自《みづか》ら|鬼《おに》のごとく、|角《つの》の|生《しやう》じたる|身《み》を|隠《かく》し|来《きた》りたるを|以《もつ》て、|姫《ひめ》はわれを|嫌《きら》ひ、|姿《すがた》をかくし、あまたの|侍者《じしや》は、われを|打《う》ち|殺《ころ》さむとして、かくのごとく|騒《さわ》げるならむ。|永居《ながゐ》は|恐《おそ》れあり、|一先《ひとま》づ|聖地《せいち》に|立《た》ち|帰《かへ》り、あまたの|神軍《しんぐん》を|率《ひき》ゐてエデンの|宮殿《きうでん》を|攻《せ》め|滅《ほろぼ》さむ』
と|心中《しんちゆう》|深《ふか》く|意《い》を|決《けつ》し、|勃然《ぼつぜん》として|踵《きびす》をかへし、|宮殿《きうでん》を|後《あと》にエデンの|河辺《かはべ》に|帰《かへ》つて|来《き》た。
|河辺《かはべ》に|来《き》てみれば、あまたの|神人《かみがみ》は|河《かは》の|両岸《りやうがん》に|立騒《たちさわ》いでゐる。
『|何事《なにごと》なりや』
と|訊《たづ》ねて|見《み》た。|神人《かみがみ》は|口《くち》を|揃《そろ》へて、
『ただいま|盤古大神《ばんこだいじん》の|姫御子《ひめみこ》|塩治姫《しほはるひめ》、|河中《かちう》に|投身《とうしん》したまひ、その|御姿《おんすがた》さへも|見《み》えざれば、|吾《われ》らは|如何《いか》にもして|救《すく》ひまゐらせむと|騒《さわ》いでゐるのだ』
と|答《こた》へる。
|急報《きふはう》によつて|盤古大神《ばんこだいじん》は、あまたの|神人《かみがみ》を|随《したが》へ|河辺《かはべ》に|走《はし》り|着《つ》き、|河《かは》をながめて|号泣《ごうきふ》した。|塩光彦《しほみつひこ》、|玉春姫《たまはるひめ》も|後《あと》を|追《お》つて、その|場《ば》に|現《あら》はれた。そこには|兄神《あにがみ》の|常治彦《とこはるひこ》が、|河《かは》をながめて|茫然《ばうぜん》と|立《た》つてゐる。|玉春姫《たまはるひめ》は、
『|兄上《あにうへ》』
と|声《こゑ》をかけた。|常治彦《とこはるひこ》は|妹《いもうと》の|声《こゑ》に|驚《おどろ》き|振返《ふりかへ》つて、
『おう、|玉春姫《たまはるひめ》か、われと|共《とも》に|聖地《せいち》に|帰《かへ》れ』
と|言《い》ふより|早《はや》く、|姫《ひめ》を|小脇《こわき》に|拘《かか》へ、|河中《かちう》へザンブと|飛《と》び|込《こ》んだまま、その|姿《すがた》は|見《み》えなくなつた。
アヽこの|三柱《みはしら》の|神《かみ》はどうなつたであらうか。
|塩光彦《しほみつひこ》は|最愛《さいあい》の|妻《つま》を|失《うしな》ひ、|茫然自失《ばうぜんじしつ》、|天《てん》を|仰《あふ》いで、その|不遇《ふぐう》を|歎《なげ》くをりしも、|忽然《こつぜん》として|白雲《はくうん》その|前《まへ》に|来《く》るよと|見《み》るまに、|入水《にふすゐ》せし|玉春姫《たまはるひめ》は、|莞爾《につこ》として|立《た》ち|現《あら》はれ、|固《かた》く|命《みこと》の|手《て》を|握《にぎ》り、|宮殿《きうでん》に|勇《いさ》ましげに|導《みちび》き|帰《かへ》つた。
|盤古大神《ばんこだいじん》|夫婦《ふうふ》も、この|光景《くわうけい》をみて|大《おほ》いに|喜《よろこ》び、|宮殿《きうでん》に|立帰《たちかへ》り、|天地《てんち》の|神明《しんめい》に|感謝《かんしや》したのである。アヽ|今《いま》|現《あら》はれたる|玉春姫《たまはるひめ》は、はたして|何者《なにもの》であらうか。
|聖地《せいち》ヱルサレムの|宮殿《きうでん》においては、|八王大神《やつわうだいじん》|常世彦《とこよひこ》は、|常治彦《とこはるひこ》の|帰《かへ》りの|遅《おそ》きに|欠伸《あくび》しながら、|大門《おほもん》の|前《まへ》に|出《で》た。|前方《ぜんぱう》よりは|数多《あまた》の|神人《かみがみ》に|送《おく》られ、|常治彦《とこはるひこ》は|塩治姫《しほはるひめ》の|手《て》を|携《たづさ》へて、さも|睦《むつま》じ|気《げ》に、|莞爾《につこ》として|帰《かへ》つて|来《き》た。アヽこの|二神《にしん》は、|何神《なにがみ》の|化身《けしん》であらうか。
(大正一一・一・四 旧大正一〇・一二・七 外山豊二録)
(序文〜第四章 昭和一〇・三・二九 於吉野丸船室 王仁校正)
第五章 |盲亀《もうき》の|浮木《ふぼく》〔二〇五〕
エデンの|河中《かちう》に|投身《とうしん》したる|塩治姫《しほはるひめ》は|水中《すゐちう》をくぐり、|下流《かりう》の|浅瀬《あさせ》に|着《つ》いた。ここに|一《ひと》つの|巨大《きよだい》なる|木《き》の|株《かぶ》が|横《よこ》たはつてゐた。|姫《ひめ》は|天《てん》の|祐《たす》けとその|大木《たいぼく》の|株《かぶ》に|取《と》りつき、|息《いき》を|休《やす》めつつあつた。|今《いま》まで|木《き》の|株《かぶ》と|思《おも》ひしに、|見《み》るみる|馬《うま》のごとき|首《くび》が|現《あら》はれ、つぎに|手足《てあし》が|現《あら》はれた。|株《かぶ》はすつかり|大《おほ》きな|亀《かめ》に|化《くわ》してしまつた。
|姫《ひめ》はその|亀《かめ》の|背《せ》に|乗《の》り、|上流《じやうりう》を|眺《なが》めると、|飄箪《へうたん》を|括《くく》つたやうに|二人《ふたり》の|神《かみ》がぶくぶくと|頭《あたま》を|上《あ》げて|流《なが》れて|来《き》た。よくよく|見《み》れば、|玉春姫《たまはるひめ》および|常治彦《とこはるひこ》である。|思《おも》はず|大声《おほごゑ》をあげて|二人《ふたり》に|声《こゑ》をかけた。|二人《ふたり》は|喜《よろこ》んでその|亀《かめ》に|取《と》りついた。ここに|三柱《みはしら》は|大亀《おほがめ》の|背《せ》にまたがり、|亀《かめ》の|行《ゆ》くままにまかせて、エデンの|大河《たいが》を|昼夜《ちうや》の|区別《くべつ》もなく|下《くだ》る。
|河《かは》の|両岸《りやうがん》は|壁《かべ》のごとく|岩石《がんせき》|屹立《きつりつ》して、|寄《よ》り|着《つ》くことが|出来《でき》ぬ。やや|下方《かはう》に|白《しろ》き|洲《す》が|見《み》えた。|三柱《みはしら》は|亀《かめ》の|行《ゆ》くままに|任《まか》しておくと、|亀《かめ》はその|洲《す》に|向《むか》つてのたのたと|這《は》ひ|上《あが》つた。ここに|数多《あまた》の|神人《かみがみ》は|祭《まつり》とみえて、|河辺《かはべ》に|出《い》で|酒《さけ》を|飲《の》み、|歌《うた》ひ|舞《ま》ひ、|種々《しゆじゆ》の|木石《ぼくせき》を|打《う》ち|叩《たた》き、|拍子《ひやうし》をとつて、|面白《おもしろ》さうに|騒《さわ》いでゐた。
|亀《かめ》は|容赦《ようしや》なく、あまたの|神人《かみがみ》の|群《むら》がるなかを|三柱《みはしら》を|載《の》せたまま|進《すす》んで|行《い》つた。|三柱《みはしら》の|着物《きもの》は|日《ひ》に|晒《さら》されていつの|間《ま》にか|乾《かわ》ききつてゐた。|酒《さけ》に|酔潰《よひつぶ》れたる|数多《あまた》の|神人《かみがみ》は、この|光景《くわうけい》を|見《み》て|一斉《いつせい》に|手《て》を|打《う》ちたたき、ウロー、ウローと|叫《さけ》ぶのである。ここを|突破《とつぱ》して|北《きた》へ|北《きた》へと|進《すす》んで|行《ゆ》くと、またそこにも|稍《やや》|上級《じやうきふ》の|神《かみ》らしき|群《むれ》がしきりに|酒《さけ》に|酔《よ》ひ、|手《て》を|打《う》つて|騒《さわ》いでゐる。|亀《かめ》はその|中《なか》を|遠慮《ゑんりよ》|会釈《ゑしやく》もなくのたのたと|進《すす》んで|行《い》つた。このとき|宴席《えんせき》の|上座《じやうざ》の|方《はう》より|金冠《きんくわん》を|着《つ》けたる|身体《しんたい》|骨格《こつかく》|衆《しう》に|優《すぐ》れたる|大将《たいしやう》らしき|神《かみ》が|現《あら》はれて|来《き》た。そして|亀《かめ》の|前《まへ》に|立塞《たちふさ》がつた。|亀《かめ》は|何事《なにごと》かこの|神《かみ》に|向《むか》つて|囁《ささや》くやうに|見《み》えた。
|北《きた》には|巍峨《ぎが》たる|青山《せいざん》を|繞《めぐ》らし、|東西《とうざい》に|鶴《つる》の|両翼《りやうよく》を|拡《ひろ》げたるごとく|山脈《さんみやく》が|延長《えんちやう》し、あたかも|蹄鉄形《ていてつけい》になつた|地勢《ちせい》である。そして|南《みなみ》に|大河《たいが》を|控《ひか》へ、|種々《しゆじゆ》の|麗《うるは》しき|花《はな》は|咲《さ》きみだれ、|珍《めづ》らしき|果物《くだもの》は|木々《きぎ》の|梢《こずえ》に|実《みの》つてゐた。ちやうどエデンの|園《その》にすこしも|違《ちが》はないやうな|楽郷《らくきやう》である。ここの|統一者《とういつしや》は|南天王《なんてんわう》と|称《とな》へ、|数多《あまた》の|神人《かみがみ》らより|国祖《こくそ》のごとく|尊敬《そんけい》されてゐた。いづれの|神々《かみがみ》も|木《こ》の|実《み》を|喰《く》ひ、|清泉《せいせん》を|飲《の》み、|天然《てんねん》に|発生《はつせい》する|山芋《やまいも》などを|嗜食《ししよく》し、|衣食住《いしよくぢう》の|苦痛《くつう》をすこしも|感《かん》じないあたかも|天国《てんごく》|浄土《じやうど》のやうであつた。|南天王《なんてんわう》は|実《じつ》は|大道別《おほみちわけ》であつた。この|地《ち》を|顕恩郷《けんおんきやう》と|称《とな》へられてある。|南天王《なんてんわう》はあまたの|神人《かみがみ》を|集《あつ》めて、|亀上《きじやう》の|珍客《ちんきやく》を|天下《てんか》|泰平《たいへい》の|瑞祥《ずゐしやう》として|歓待《くわんたい》せしめた。|三柱《みはしら》は|思《おも》ひがけなき|神人《かみがみ》らの|優遇《いうぐう》に|感謝《かんしや》し、つひには|果実《このみ》にて|造《つく》りたる|珍《めづら》しき|酒《さけ》に|酔《よ》ひ、|面白《おもしろ》き|歌《うた》を|謡《うた》ひはじめた。この|地《ち》の|神人《かみがみ》らはいづれも|頭《あたま》の|比較的《ひかくてき》|横《よこ》に|長《なが》く|丈《だけ》|短《みじか》く、ちやうど|蟹《かに》のやうな|顔《かほ》をした|者《もの》ばかりである。そこへ|三柱神《みはしらがみ》の|現《あら》はれたのはあたかも|塵芥場《ごもくば》に|鶴《つる》の|下《お》りたやうな|光景《くわうけい》であつた。
これらの|神人《かみがみ》は|南天王《なんてんわう》に|対《たい》し、|天上《てんじやう》より|降《くだ》りきたれる|神人《しんじん》として|畏敬《ゐけい》|尊信《そんしん》|服従《ふくじゆう》を|第一《だいいち》の|義務《ぎむ》としてゐる。しかるに|南天王《なんてんわう》の|神品《しんぴん》|骨格《こつかく》その|他《た》の|衆《しう》に|秀《ひい》でたるに|引《ひ》き|換《か》へ、この|地《ち》の|神々《かみがみ》は|比較的《ひかくてき》|背《せ》|低《ひく》く、|身体《しんたい》|矮小《わいせう》にして|容貌《ようばう》|醜悪《しうあく》なるため、|南天王《なんてんわう》の|妃《きさき》とすべき|神《かみ》なきに、|神人《かみがみ》は|挙《こぞ》つて|心痛《しんつう》してゐた|際《さい》である。そこへ|天女《てんによ》のごとき|二柱《ふたはしら》の|女神《によしん》と|一柱《ひとはしら》の|男神《だんしん》の|現《あら》はれたるを|見《み》て、|又《また》もや|天津御空《あまつみそら》より|降《くだ》りきたれる|優秀《いうしう》の|神《かみ》と|残《のこ》らず|信《しん》じてしまつた。そこで|神人《かみがみ》は|相談《さうだん》の|上《うへ》、|南天王《なんてんわう》に|奏上《そうじやう》して|彼《か》の|二神《にしん》を|王《わう》の|妃《きさき》となし、|一柱《ひとはしら》の|男神《だんしん》は|頭部《とうぶ》に|大《だい》なる|角《つの》|発生《はつせい》しあれば、まつたく|誠《まこと》の|神《かみ》と|信《しん》じてゐたり。それゆゑ|二柱《ふたはしら》の|女神《によしん》に|対《たい》して、この|神《かみ》の|妻《つま》または|妃《きさき》たることを|少《すこ》しでも|顧慮《こりよ》する|者《もの》がなかつた。
|常治彦《とこはるひこ》、|塩治姫《しほはるひめ》、|玉春姫《たまはるひめ》の|三柱《みはしら》は、この|郷《さと》の|神人《かみがみ》らの|言霊《ことたま》に|通《つう》じないのを|幸《さいは》ひにして、|種々《しゆじゆ》と|自由自在《じいうじざい》に|話《はなし》することができた。そこへ|数多《あまた》の|神人《かみがみ》は|集《あつ》まつて|涕泣《ていきふ》|拝跪《はいき》し、|輿《こし》を|舁《かつ》ぎきたり、|無理《むり》に|常治彦《とこはるひこ》に|搭乗《たうじやう》を|手真似《てまね》をもつて|勧《すす》めた。|常治彦《とこはるひこ》は|吾《われ》を|非常《ひじやう》に|歓待《くわんたい》するものと|思《おも》ひ、|心中《しんちゆう》|喜悦《きえつ》の|情《じやう》をあらはし、|二《ふた》つ|三《み》つ|頷《うな》づきながら|機嫌《きげん》よく|輿《こし》の|中《なか》に|入《はい》つた。|神人《かみがみ》らはその|輿《こし》を|寄《よ》つて|集《たか》つて|舁《かつ》きあげた。この|顕恩郷《けんおんきやう》は|昔《むかし》から|角《つの》の|生《は》えたる|神《かみ》が|降臨《かうりん》して、|天変地妖《てんぺんちえう》を|防《ふせ》ぎ、|万年《まんねん》の|寿命《じゆみやう》を|守《まも》るといふ|伝説《でんせつ》が|伝《つた》はつてゐた。そこへ|南天王《なんてんわう》の|誕生《たんじやう》の|祝日《しゆくじつ》にあたつて、|万年《まんねん》の|齢《よはひ》を|保《たも》つてふ|亀《かめ》に|乗《の》り、|河上《かはかみ》より|下《くだ》りきたれるは、あたかも|天上《てんじやう》より|降《くだ》りきたれる|神人《しんじん》に|相違《さうゐ》なしと|心《こころ》より|喜《よろこ》び|勇《いさ》んだ。
|神輿《みこし》はダンダンと|舁《かつ》がれて|東北《とうほく》の|山《やま》の|谷《たに》を|越《こ》え、|立岩《たちいは》の|上《うへ》に|神輿《みこし》もろとも|安置《あんち》された。この|岩《いは》は|円柱《ゑんちゆう》を|立《た》てたるごとき|長円形《ちやうゑんけい》の|棒岩《ぼういは》である。そして|神人《かみがみ》らは|遠《とほ》く|退《しりぞ》き|拍手《かしはで》を|打《う》つて、ウロー、ウローと|一斉《いつせい》に|讃美《さんび》しかつ|喜《よろこ》び、|涙《なみだ》を|流《なが》して|拝礼《はいれい》した。
|常治彦《とこはるひこ》は|輿《こし》の|中《なか》より|様子《やうす》|怪《あや》しと|少《すこ》しく|扉《とびら》を|開《あ》け|見《み》れば、|吾《わ》が|乗《の》れる|輿《こし》は|天《てん》をも|貫《つら》ぬくばかり|長《なが》き|棒岩《ぼういは》の|上《うへ》に|据《す》ゑられてある。|出《で》るにも|出《で》られず、|下《お》りるにも|下《お》りられず、|途方《とはう》にくれ|声《こゑ》をかぎりに『オーイ、オーイ』と|叫《さけ》んだ。あまたの|神人《かみがみ》はその|声《こゑ》を|聞《き》きつけ『オーイ、オーイ』と、|呼《よ》ばはりながら|喜《よろこ》び、|初《はじ》めて|天《てん》の|神《かみ》の|声《こゑ》を|聞《き》きたりと、|勇《いさ》み|狂《くる》ひ|踊《をど》り|廻《まは》つた。|常治彦《とこはるひこ》は、
『|輿《こし》を|下《おろ》せ』
と|大声《おほごゑ》に|呼《よ》ばはつた。|岩《いは》の|下《した》|遠《とほ》くこの|光景《くわうけい》を|見《み》て|立《た》ち|騒《さわ》いでゐた|神人《かみがみ》らは、|一斉《いつせい》に|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|腰《こし》をおろし、|棒岩《ぼういは》の|神輿《みこし》をうち|眺《なが》めた。|常治彦《とこはるひこ》はこれを|見《み》てもどかしがり、
『|違《ちが》ふ|違《ちが》ふ』
といふた。|違《ちが》ふという|言葉《ことば》は、|顕恩郷《けんおんきやう》にては|臀部《でんぶ》をまくり|握拳《にぎりこぶし》で|尻《しり》を|打《う》つと|云《い》ふことである。|神人《かみがみ》らは|棒岩《ぼういは》の|方《はう》へ|向《むか》つて|一斉《いつせい》に|赤黒《あかぐろ》い|尻《しり》をまくり、|一《ひい》|二《ふう》|三《み》つと、|拳《こぶし》を|固《かた》めて|自分《じぶん》の|尻《しり》を|打《う》ちたたいた。それがために、|臀部《でんぶ》は|青《あを》く|変色《へんしよく》したものさへあつた。|命《みこと》はこれを|見《み》て、
『コラコラ』
といつた。コラコラと|云《い》ふことは、この|郷《きやう》にては|尻《しり》をまくつたまま|左右《さいう》に|廻《まは》ることである。|棒岩《ぼういは》の|上《うへ》にある|命《みこと》は|業《ごふ》を|煮《に》やし、
『コラコラ|違《ちが》ふ』
といつた。コラコラと|二《ふた》つ|重《かさ》ねていふ|時《とき》は、|頭《あたま》を|下《した》にし|足《あし》を|上《うへ》にして|手《て》で|歩《ある》き|廻《まは》ることである。|神人《かみがみ》らは|天《てん》の|尊《たふと》き|神《かみ》の|御命令《ごめいれい》を|固《かた》く|尊信《そんしん》し、|先《さき》を|争《あらそ》うて|倒《さか》さまになり、|前後左右《ぜんごさいう》に|這《は》ひ|廻《まは》り、|廻《まは》り|損《そこ》なつて|谷《たに》に|落《お》ち|傷《きづ》つく|者《もの》も|出来《でき》た。|中《なか》には、
『こいつは|真《まこと》の|神《かみ》でない、|吾々《われわれ》を|苦《くる》しむる|悪神《あくがみ》である』
とつぶやく|者《もの》もあつた。|何処《いづこ》よりともなく|傍《かたはら》の|山《やま》の|中腹《ちうふく》に|塩治姫《しほはるひめ》、|玉春姫《たまはるひめ》の|女神《めがみ》の|姿《すがた》が|忽然《こつぜん》として|現《あら》はれた。|白《しろ》き|尾《を》のやうな|領巾《ひれ》を|前後左右《ぜんごさいう》に|振《ふ》つてゐた。この|郷《きやう》の|神人《かみがみ》らはその|白《しろ》き|領巾《ひれ》を|振《ふ》るとともに、|雪崩《なだれ》をうつてもとの|平地《へいち》に|帰《かへ》つてしまつた。|常治彦《とこはるひこ》は|横槌《よこづち》の|柄《え》に|乗《の》せられた|亀《かめ》のやうに|手足《てあし》をもがき、
『|塩治姫《しほはるひめ》ヤーイ
|玉春姫《たまはるひめ》ヤーイ』
と|声《こゑ》をかぎりに|叫《さけ》び、つひにはその|声《こゑ》さへ|出《で》なくなつてしまつた。
(大正一一・一・五 旧大正一〇・一二・八 加藤明子録)
第六章 |南天王《なんてんわう》〔二〇六〕
|顕恩郷《けんおんきやう》の|大王神《だいわうじん》なる|南天王《なんてんわう》は、その|実《じつ》|大道別《おほみちわけ》の|分魂《わけみたま》で、|日《ひ》の|出神《でのかみ》であつた。そして|三柱《みはしら》を|迎《むか》え|来《きた》つた|大亀《おほがめ》は|琴平別《ことひらわけ》の|化神《けしん》である。
|神人《かみがみ》らは|二柱《ふたはしら》の|女神《めがみ》の|婉麗《ゑんれい》にして|神格《しんかく》の|高尚《かうしやう》なるに|敬服《けいふく》し、|南天王《なんてんわう》に|請《こ》ふて、|二《に》|女神《ぢよしん》を|妃《きさき》にせむことを|協議《けふぎ》した。|神人《かみがみ》らの|中《なか》より|蟹若《かにわか》といふ|者《もの》、|推《お》されて|代表《だいへう》となり、|南天王《なんてんわう》の|宮殿《きうでん》に|参向《さんかう》し、|衆議《しうぎ》|一致《いつち》の|請願《せいぐわん》をなした。|南天王《なんてんわう》は|思《おも》ふところありて|表面《へうめん》これを|許《ゆる》した。これより|顕恩郷《けんおんきやう》は|高貴《かうき》なる|三柱《みはしら》の|神人《しんじん》によりて|統一《とういつ》さるることとなり、|南方《なんぱう》より|年々《ねんねん》|攻《せ》めきたる|悪神《あくがみ》の|襲来《しふらい》も|恐《おそ》るるに|足《た》らずと|異口同音《いくどうおん》に|祝《しゆく》しあうた。
|今《いま》まで|塩治姫《しほはるひめ》と|見《み》えしはその|実《じつ》は|春日姫《かすがひめ》であつた。|春日姫《かすがひめ》には|高倉《たかくら》|白狐《びやくこ》が|始終《しじう》|守護《しゆご》してゐた。また|玉春姫《たまはるひめ》と|見《み》えしは|実際《じつさい》は|八島姫《やしまひめ》であつて、|白狐《びやくこ》の|旭《あさひ》が|守護《しゆご》してゐた。
|今《いま》まで|国祖《こくそ》の|御神政中《ごしんせいちう》は、|大江山《たいかうざん》の|鬼武彦《おにたけひこ》|以下《いか》|正義《せいぎ》の|神人《かみがみ》らは、|敵《てき》に|対《たい》するその|神術《かむわざ》をよほど|遠慮《ひか》へてゐたのであるが、もはや|国祖《こくそ》は|御退隠《ごたいいん》となり、いかなる|権謀術数《けんぼうじゆつすう》に|出《い》づるとも、|今日《こんにち》は|累《るゐ》を|国祖《こくそ》に|及《およ》ぼし|奉《たてまつ》る|憂《うれ》ひはなくなつた。そこで|聖地《せいち》の|神人《かみがみ》らは|国祖大神《こくそおほかみ》の|御無念《ごむねん》を|深《ふか》く|察《さつ》し、わが|身《み》はたとへ|天津神《あまつかみ》より|天則違反《てんそくゐはん》に|問《と》はるるとも、|至恩《しおん》ある|大神《おほかみ》の|敵《てき》にたいして、|極力《きよくりよく》|反抗《はんかう》をこころみ、|復讐《ふくしう》をなさむとするの|念慮《ねんりよ》は、|片時《かたとき》の|間《ま》も|忘《わす》れなかつた。
|二柱《ふたはしら》の|女神《めがみ》は、|南天王《なんてんわう》の|宮殿《きうでん》|深《ふか》く|仕《つか》へることとなつた。|蟹若《かにわか》は|大《おほい》に|喜《よろこ》んで|神人《かみがみ》にその|旨《むね》を|伝《つた》へ、|一同《いちどう》は|手《て》を|拍《う》つて|祝杯《しゆくはい》を|挙《あ》げた。
|奥殿《おくでん》には|南天王《なんてんわう》と|春日姫《かすがひめ》、|八島姫《やしまひめ》の|三柱《みはしら》|鼎坐《ていざ》して|昔語《むかしがた》りに|夜《よ》を|徹《てつ》した。|春日姫《かすがひめ》は|思《おも》はず、|大道別《おほみちわけ》の|日の出神《ひのでのかみ》に|面会《めんくわい》し、うれしさのあまり|涙《なみだ》を|湛《たた》へ、|且《か》つ|俄《にはか》に|鷹住別《たかすみわけ》のことを|思《おも》ひ|出《だ》し、|憂《うれ》ひに|沈《しづ》む|面容《おももち》であつた。|南天王《なんてんわう》は、
『|貴下《きか》は|何《なに》ゆゑにかくの|如《ごと》く、この|目出度《めでた》き|宿縁《えにし》の|喜《よろこ》びにたいし|鬱《ふさ》ぎたまふや』
と|言《い》つた。|春日姫《かすがひめ》はわづかに|声《こゑ》を|出《だ》して、
『たかす……』
と|云《い》つた。|南天王《なんてんわう》はその|声《こゑ》に|春日姫《かすがひめ》の|意《い》を|悟《さと》り、ただちに|手《て》を|拍《う》つて、
『|清彦《きよひこ》、|清彦《きよひこ》』
と|呼《よ》んだ、|声《こゑ》に|応《おう》じて、|一間《ひとま》より|現《あら》はれ|出《い》でた|神格《しんかく》の|優《すぐ》れた|侍神《じしん》がある。|見《み》れば、|春日姫《かすがひめ》の|常世城《とこよじやう》を|去《さ》りしより、|夢寐《むび》にも|忘《わす》れぬ|恋人《こひびと》の|鷹住別《たかすみわけ》であつた。|春日姫《かすがひめ》は|思《おも》はず|飛付《とびつ》かむとしたが|他《た》の|神人《かみがみ》の|前《まへ》を|憚《はばか》りて、|動《うご》く|心《こころ》を|吾《われ》から|制止《せいし》し、|耻《は》づかしげに|俯《うつむ》いて|啜《すす》り|泣《な》きに|泣《な》く。
|南天王《なんてんわう》は|粋《すゐ》をきかして、|鷹住別《たかすみわけ》、|春日姫《かすがひめ》|二人《ふたり》を|別殿《べつでん》に|去《さ》らしめた。あとに|残《のこ》つた|八島姫《やしまひめ》は|南天王《なんてんわう》と|二柱《ふたはしら》|互《たがひ》に|黙然《もくねん》として|顔《かほ》|見合《みあは》せ、うれし|涙《なみだ》に|暮《く》れてゐた。|八島姫《やしまひめ》は|思《おも》ひきつたやうに、
『|南高山《なんかうざん》において、|貴下《きか》に|生命《いのち》を|救《すく》はれ、それより|貴下《きか》を|慕《した》ふ|心《こころ》、|切《しき》りに|起《おこ》りて、つひには|父母《ふぼ》を|棄《す》て、|御後《みあと》を|慕《した》ひまつりしも、|今《いま》は|昔《むかし》の|夢《ゆめ》となりたれども、|一《いつ》たん|思《おも》ひつめたる|最初《さいしよ》の|念《ねん》は、|今《いま》に|消《き》えやらず、|妾《わらは》が|心《こころ》の|切《せつ》なさを|推量《すゐりやう》ありたし』
と|前後《ぜんご》もかまはず、|南天王《なんてんわう》の|膝《ひざ》に|顔《かほ》をあて、|泣《な》き|叫《さけ》ぶのであつた。
|南天王《なんてんわう》は|八島姫《やしまひめ》の|心情《しんじやう》を|憫《あは》れみ、いかにもして|彼女《かれ》を|慰《なぐさ》めむと|思《おも》へども、|一《いつ》たん|国祖《こくそ》より|命《めい》ぜられたる|大使命《だいしめい》あれば、たとへ|国祖《こくそ》は|隠退《いんたい》し|給《たま》ふとも、|妄《みだ》りに|妻帯《さいたい》するは|大神《おほかみ》の|神慮《しんりよ》に|反《はん》するものである。されどこの|八島姫《やしまひめ》の|心情《しんじやう》を|推知《すゐち》しては、さすが|道義《だうぎ》|堅固《けんご》なる|南天王《なんてんわう》も、|骨身《ほねみ》も|砕《くだ》くるごとき|切《せつ》なき|思《おも》ひをしたのである。
|八島姫《やしまひめ》は|漸《やうや》くにして|顔《かほ》をあげ、
『|吁《ああ》、|妾《わらは》は|年《とし》|老《お》いたる|父母《ふぼ》|二神《にしん》を|棄《す》て、|山海《さんかい》の|高恩《かうおん》を|忘却《ばうきやく》し、かつ|忠節《ちうせつ》|無比《むひ》の|玉純彦《たますみひこ》を|途中《とちう》に|追返《おひかへ》したるは、|今《いま》になつて|思《おも》へば、|実《じつ》に|妾《わらは》が|一生《いつしやう》の|不覚《ふかく》であつた。たとへ|臣下《しんか》の|身分《みぶん》たりとも、|彼《かれ》がごとき|忠良《ちうりやう》なる|玉純彦《たますみひこ》をして、せめては|吾《わが》|夫《をつと》にもつことを|得《え》ば、いかに|幸《さいは》ひならむかと|夜《よ》ごとに|思《おも》ひ|浮《うか》ぶれども、かれ|玉純彦《たますみひこ》は|常世《とこよ》の|国《くに》にて、|一《ひと》たび|姿《すがた》を|見《み》たるきり、|今《いま》は|何《いづ》れにあるや、その|居所《きよしよ》も|判然《はんぜん》せず。また|父《ちち》の|消息《せうそく》も|聞《き》かまほしけれど、|今《いま》となりては|如何《いかん》とも|詮術《せんすべ》なく、|日夜《にちや》|悲歎《ひたん》の|涙《なみだ》に|暮《く》るるのみ』
と、|流石《さすが》|女人《によにん》の|愚痴《ぐち》をこぼし、|滝《たき》のごとく|涙《なみだ》を|流《なが》して、その|場《ば》に|倒《たふ》れ|伏《ふ》しにけり。
このとき|南天王《なんてんわう》は|何《なに》|思《おも》ひけむ、つと|座《ざ》をたちて|手《て》を|拍《う》ち、
『|芳彦《よしひこ》、|芳彦《よしひこ》』
と|呼《よ》ばはつた。|芳彦《よしひこ》ははたして|如何《いか》なる|神人《かみ》であらうか。
(大正一一・一・五 旧大正一〇・一二・八 松村仙造録)
第七章 |三拍子《さんびやうし》〔二〇七〕
|南天王《なんてんわう》の|招《まね》きに|応《おう》じ、
『おう』
と|答《こた》へて|現《あら》はれ|出《い》でたる|眉目清秀《びもくせいしう》の|美男《びなん》は、|南高山《なんかうざん》の|従者《じうしや》なりし|玉純彦《たますみひこ》であつた。|玉純彦《たますみひこ》は|南天王《なんてんわう》に|一礼《いちれい》し、その|右側《みぎがは》に|座《ざ》を|占《し》めた。|南天王《なんてんわう》は|八島姫《やしまひめ》にむかひ、
『|貴下《きか》にいま|珍《めづら》しきものを|御目《おんめ》にかけむ。|顔《かほ》を|上《あ》げられよ』
と|言葉《ことば》せはしく|言《い》つた。
|八島姫《やしまひめ》は、その|声《こゑ》に|励《はげ》まされ、ふと|顔《かほ》を|上《あ》ぐるとたんに|美《うる》はしき|男神《をがみ》の、わが|前《まへ》に|端坐《たんざ》せるを|見《み》た。どこやら|見覚《みおぼ》えありと|思《おも》ひながら、つらつらその|顔《かほ》を|見《み》つめてゐた。|玉純彦《たますみひこ》はただちに|下座《げざ》に|直《なほ》り、
『|姫君様《ひめぎみさま》』
と|慇懃《いんぎん》に|低頭《ていとう》していつた。
|八島姫《やしまひめ》はあわてたるごとき|声色《こゑ》にて、
『いや、|汝《なんぢ》は|玉純彦《たますみひこ》に|非《あら》ずや、|如何《いか》にして|此所《ここ》に|来《きた》りしや』
などと|再会《さいくわい》の|嬉《うれ》しさにたたみかけて、いろいろと|問《と》ひかけたのである。|南天王《なんてんわう》は|満面《まんめん》|笑《ゑみ》を|含《ふく》みながら、
『われは|今日《こんにち》ただ|今《いま》、|姫《ひめ》の|心中《しんちう》を|承《うけたま》はりたる|上《うへ》は、|今《いま》となつて|否《いな》みたまふまじ。われ|唯今《ただいま》|月下氷人《なかうど》となつて、|玉純彦《たますみひこ》とともに|夫婦《ふうふ》となり、|幾久《いくひさ》しく|同棲《どうせい》して、|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せられよ』
と|言《い》ひ|渡《わた》した。|玉純彦《たますみひこ》の|顔《かほ》にも、|八島姫《やしまひめ》の|顔《かほ》にも、さつと|紅葉《もみぢ》が|散《ち》つた。
このとき|次《つぎ》の|間《ま》より|鷹住別《たかすみわけ》、|春日姫《かすがひめ》は|銚子《てうし》を|携《たづさ》へ、|悠々《いういう》として|二人《ふたり》の|前《まへ》に|現《あら》はれ、|夫婦《ふうふ》の|盃《さかづき》を|取《と》らしめむとした。|八島姫《やしまひめ》は|何《なに》|思《おも》ひけむ、
『|暫《しばら》く|待《ま》たせたまへ』
と|言《い》つて、また|涙《なみだ》に|打沈《うちしづ》んだ。
|南天王《なんてんわう》は、
『|姫《ひめ》の|心中《しんちう》たしかに|御察《おさつ》し|申《まを》す。されど|御父《おんちち》|大島別《おほしまわけ》はおひおひ|年《とし》|老《お》いたまひ、|姫《ひめ》の|所在《しよざい》を|探《さが》し|求《もと》めてわれに|送《おく》れよ、との|度々《たびたび》の|依頼《いらい》なれど、われは|時《とき》|未《いま》だ|到《いた》らずとして、|今日《けふ》までこれを|貴下《きか》に|告《つ》げざりしが、この|信書《しんしよ》を|披見《ひけん》されよ』
と|側《かたはら》の|器《うつは》より|封書《ふうしよ》を|取出《とりいだ》し、|八島姫《やしまひめ》に|渡《わた》した。|八島姫《やしまひめ》は|不審《ふしん》の|面色《おももち》にて、その|信書《しんしよ》を|手《て》に|取《と》り、つくづく|眺《なが》むれば、|擬《まが》ふ|方《かた》なき|父《ちち》の|手蹟《しゆせき》であつた。|姫《ひめ》の|胸《むね》はあたかも|早鐘《はやがね》を|撞《つ》くごとくであつた。|轟《とどろ》く|胸《むね》を|押鎮《おししづ》め、|静《しづ》かに|封《ふう》|押切《おしき》つて|眺《なが》むれば、|左《さ》のごとき|信文《しんぶん》が|墨《すみ》|黒々《くろぐろ》と|書《か》き|記《しる》されてあつた。その|文面《ぶんめん》に|言《い》ふ、
『|吾《われ》は|南高山《なんかうざん》の|八王《やつわう》として、|国祖大神《こくそおほかみ》の|信任《しんにん》を|辱《かたじけ》なうし|来《きた》りしに、|盤古大神《ばんこだいじん》の|治《しろ》しめす|神政《しんせい》となりたれども、|仁慈《じんじ》に|厚《あつ》き|盤古大神《ばんこだいじん》は、われを|元《もと》のごとく|八王《やつわう》に|任《にん》じたまふ。されど|宰相神《さいしやうじん》なる|八王大神《やつわうだいじん》|常世彦《とこよひこ》の、|何時《なんどき》|変心《へんしん》して|吾《わが》|職《しよく》を|奪《うば》ひ、かつ|吾《われ》らを|滅《ほろ》ぼさむも|計《はか》りがたし。|汝《なんぢ》|八島姫《やしまひめ》、|一日《いちにち》も|早《はや》く|本城《ほんじやう》に|立帰《たちかへ》り、|忠良《ちうりやう》にしてかつ|勇猛《ゆうまう》なる|侍者《じしや》|玉純彦《たますみひこ》と|夫婦《ふうふ》になり、わが|後《あと》を|継《つ》げよ。アヽされど|玉純彦《たますみひこ》は、|常世城《とこよじやう》の|会議《くわいぎ》|以後《いご》|汝《なんぢ》の|後《あと》を|追《お》ひ、|世界《せかい》|各地《かくち》を|探《たづ》ね|廻《まは》り、|今《いま》にその|行方《ゆくへ》を|知《し》らず。|幸《さいは》ひに|国祖大神《こくそおほかみ》の|保護《ほご》によつて、|玉純彦《たますみひこ》と|再会《さいくわい》せば、その|時《とき》こそは、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|媒介《ばいかい》にて|夫婦《ふうふ》となり、すみやかに|南高山《なんかうざん》に|帰城《きじやう》し、|父《ちち》の|心《こころ》を|慰《なぐさ》めよ』
との|信文《しんぶん》であつた。|八島姫《やしまひめ》はこれを|見《み》るより|顔《かほ》をますます|紅《あか》らめながら、|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》とともに、その|信書《しんしよ》を|南天王《なんてんわう》の|手《て》に|恭《うやうや》しく|奉還《ほうくわん》した。
ここに|二神《にしん》は|結婚《けつこん》の|式《しき》を|挙《あ》げた。|八島姫《やしまひめ》は|心《こころ》のうちに、|万一《まんいち》かかる|目出度《めでた》き|嬉《うれ》しき|結婚《けつこん》の|席《せき》に、ただ|一柱《ひとはしら》の|老《お》ひたる|父《ちち》の|望《のぞ》み|給《たま》ふことあらば、|如何《いか》に|喜《よろこ》びたまはむと、またもや|俯《うつ》むいて|思案《しあん》に|暮《く》るるもののやうであつた。
ここに|南天王《なんてんわう》は|玉純彦《たますみひこ》にむかひ、
『|汝《なんぢ》は|今《いま》ここに|父《ちち》|坐《いま》さざれば、われは|媒酌《ばいしやく》|兼《けん》|父《ちち》となつて、この|式《しき》に|列《れつ》すべし』
といつた。そして、
『|八島姫《やしまひめ》は|父《ちち》|在《いま》せば、|今《いま》ここにて|対面《たいめん》せしむべし』
と|言《い》ひ|放《はな》つた。|八島姫《やしまひめ》は|一円《いちゑん》|合点《がてん》がゆかず、はるばる|遠《とほ》き|南高山《なんかうざん》に|在《おは》すわが|父《ちち》に、|神変《しんぺん》|不思議《ふしぎ》の|神力《しんりき》あればとて、|今《いま》この|場《ば》にすみやかに|現《あら》はれまさむ|理由《りいう》なし。|訝《いぶ》かしや、と|俯《うつむ》きたる|頭《かうべ》を|上《あ》ぐる|其《そ》のとたん、|不思議《ふしぎ》や、わが|父《ちち》の|大島別《おほしまわけ》、|南天王《なんてんわう》よりも|上座《じやうざ》に|控《ひか》へてゐた。ここに|顕恩郷《けんおんきやう》は、|親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》の|対面《たいめん》の|時《とき》ならぬ|喜悦《よろこび》の|花《はな》に|満《み》ち、|一同《いちどう》|声《こゑ》をそろへて|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》し、その|天恩《てんおん》の|厚《あつ》きに|感激《かんげき》した。
|今《いま》まではこの|郷《きやう》を|川北郷《せんほくきやう》といひしを、この|度《たび》の|事《こと》ありてより|顕恩郷《けんおんきやう》と|名《な》づけられた。さうして|玉純彦《たますみひこ》は、|父《ちち》と|共《とも》に|南高山《なんかうざん》に|夜《よる》ひそかに|遁《のが》れて|帰《かへ》り、|南高山《なんかうざん》の|八王《やつわう》となつた。そして|顕恩郷《けんおんきやう》の|宮殿《きうでん》には、|白狐《びやくこ》|旭《あさひ》が|依然《いぜん》として|八島姫《やしまひめ》に|変《へん》じて、|南天王《なんてんわう》の|側近《そばちか》く|仕《つか》へた。|南天王《なんてんわう》はこの|郷《きやう》の|数多《あまた》の|神人《かみがみ》らを|殿内《でんない》に|召集《せうしふ》し、|大王《だいわう》の|位《くらゐ》をわが|子《こ》|鷹住別《たかすみわけ》に|譲《ゆづ》ることを|宣示《せんじ》した。|神人《かみがみ》は|一《いち》も|二《に》もなく|手《て》を|拍《う》つて|慶賀《けいが》し、|鷹住別《たかすみわけ》を|大王《だいわう》と|仰《あふ》いだ。
そして|前《まへ》の|南天王《なんてんわう》たる|日の出神《ひのでのかみ》は|夜陰《やいん》に|紛《まぎ》れて、|何処《いづこ》ともなく|神界経綸《しんかいけいりん》の|神業《しんげふ》に|出《い》でてしまつた。|神人《かみがみ》らは|夜中《やちう》に|前《ぜん》|南天王《なんてんわう》の|天《てん》に|復《かへ》らせ|給《たま》ひしものと|信《しん》じて|少《すこ》しも|疑《うたが》はなかつた。|神人《かみがみ》らは|前《ぜん》|大王《だいわう》の|天上《てんじやう》に|復《かへ》りたまひしを|惜《を》しみ、|山野河海《さんやかかい》の|珍物《うましもの》を|岩上《がんじやう》に|列《なら》べ、これを|奉斎《ほうさい》し、|感謝《かんしや》の|声《こゑ》を|放《はな》ち、|果物《くだもの》の|酒《さけ》に|酔《よ》ひ、またもや|手《て》を|拍《う》ち、|歌《うた》ひ|舞《ま》ひ|騒《さわ》ぎ|立《たて》た。|鷹住別《たかすみわけ》はここに|王冠《わうくわん》を|戴《いただ》き、|春日姫《かすがひめ》とともに|棒岩《ぼういは》の|傍《そば》にいたり|祝宴《しゆくえん》を|張《は》つた。|神人《かみがみ》らは|二神《にしん》に|向《むか》つて|代《かは》るがはる|盃《さかづき》を|奉《たてまつ》つた。
|棒岩《ぼういは》の|上《うへ》に|安置《あんち》されたる|常治彦《とこはるひこ》は、|扉《とびら》をひらき|下《した》を|見下《みおろ》せば、わがもつとも|愛《あい》する|塩治姫《しほはるひめ》が、|鷹住別《たかすみわけ》と|睦《むつ》まじさうに|夫婦《ふうふ》となつて、|神人《かみがみ》らの|祝盃《しゆくはい》を|受《う》けてゐるやうに|見《み》えたので、|常治彦《とこはるひこ》は|歯噛《はが》みをなして|口惜《くや》しがり、|輿《こし》のなかを|前後左右《ぜんごさいう》に|暴《あば》れ|廻《まは》つた。すこしの|風《かぜ》にもぐらつくこの|棒岩《ぼういは》は、|常治彦《とこはるひこ》の|雄叫《をたけ》びによつて|非常《ひじやう》に|動揺《どうえう》せるとたん、|輿《こし》もろとも|谷間《たにま》に|真逆様《まつさかさま》に|顛落《てんらく》してしまつた。
この|結果《けつくわ》は、|如何《どう》なるであらうか。
(大正一一・一・五 旧大正一〇・一二・八 外山豊二録)
第八章 |顕恩郷《けんおんきやう》〔二〇八〕
|棒岩《ぼういは》の|上《うへ》に|安置《あんち》されたる|輿《こし》は、|轟然《がうぜん》たる|響《ひび》きとともに|深《ふか》き|谷間《たにま》に|落《お》ちて、メチヤメチヤに|破《こは》れてしまつた。
|幸《かう》か|不幸《ふかう》か、|日《ひ》ごろ|気《き》にかかりし|常治彦《とこはるひこ》の|角《つの》は|根本《ねもと》よりゴクリと|抜《ぬ》けてしまつた。その|後《あと》より|血《ち》は|滾々《こんこん》として|流《なが》れ、|目《め》も|鼻《はな》も|口《くち》はおろか|全身《ぜんしん》|血《ち》に|染《そま》つて、|今《いま》までの|青鬼《あをおに》は|角《つの》のなき|赤鬼《あかおに》と|一変《いつぺん》した。|赤鬼《あかおに》は|執念《しふねん》ぶかく|鷹住別《たかすみわけ》、|春日姫《かすがひめ》の|酒宴《しゆえん》の|席《せき》に|韋駄天走《いだてんばし》りに|走《はし》りよりて、あらゆる|石《いし》を|手《て》にし、|死物狂《しにものぐる》ひになつて|神人《かみがみ》を|目《め》がけて|投《な》げつけた。|如何《いかが》はしけむ、|常治彦《とこはるひこ》の|身体《しんたい》は|石《いし》を|握《にぎ》り|振《ふ》り|上《あ》げたまま|石地蔵《いしぢざう》のごとく|強直《きやうちよく》し、ビクとも|出来《でき》ぬ|様《やう》になつてしまつた。|鷹住別《たかすみわけ》の|南天王《なんてんわう》は|春日姫《かすがひめ》と|共《とも》にこの|光景《くわうけい》を|見《み》て、|面白《おもしろ》|可笑《をか》しく|酒《さけ》を|飲《の》み|舌鼓《したつづみ》を|打《う》つてをつた。|蟹面《かにづら》をなせる|万《よろず》の|神人《かみがみ》らはその|姿《すがた》を|見《み》て、|神《かみ》の|威徳《ゐとく》により|石《いし》と|化《くわ》せしものと|思《おも》ひ、やたらに|広短《ひろみじか》き|顔《かほ》を|並《なら》べて|拝跪《はいき》した。その|可笑《をか》しさに|二人《ふたり》は|堪《たま》りかねて|噴《ふ》きだした。このとき|頭部《とうぶ》に|二股《ふたまた》の|角《つの》|二本《にほん》|生《は》えたる|神《かみ》、|天上《てんじやう》より|雲《くも》に|乗《の》りてその|前《まへ》に|降《くだ》りきたり、|万《よろづ》の|神人《かみがみ》らはまたもやこの|瑞祥《ずいしやう》に|歓喜《くわんき》した。いま|降《くだ》つた|神《かみ》は|大江山《たいかうざん》の|鬼武彦《おにたけひこ》の|化身《けしん》であつた。
|鬼武彦《おにたけひこ》は|南天王《なんてんわう》|夫妻《ふさい》にむかひ|一礼《いちれい》し、つぎに|石地蔵《いしぢざう》のごとく|真赤《まつか》になりし|常治彦《とこはるひこ》の|身体《しんたい》を|鷲《わし》づかみとなし、|中天《ちうてん》に|向《むか》つて|抛《ほ》り|上《あ》げられた。|赤《あか》き|肉体《にくたい》は|空中《くうちう》を|幾百回《いくひやくくわい》となく|縦《たて》にブリブリと|廻《まは》りながら、エデンの|大河《たいが》にザンブと|落《お》ち|込《こ》んだ。|忽《たちま》ちさしもの|大河《たいが》も|血《ち》の|河《かは》と|変《へん》じてしまつた。
やうやく|気《き》がついた|常治彦《とこはるひこ》は|南岸《なんがん》に|這《は》ひ|上《あが》り、|真裸体《まつぱだか》のまま|頭《あたま》をかかへて、|何処《いづこ》ともなく|一目散《いちもくさん》に|山々《やまやま》の|谷間《たにあひ》を|目《め》がけて|走《はし》り|入《い》つた。
|一方《いつぱう》|顕恩郷《けんおんきやう》の|神人《かみがみ》らは、|新《あらた》に|降《くだ》りし|神《かみ》の、|先《さき》の|神《かみ》に|対《たい》して|非常《ひじやう》に|力強《ちからづよ》きを|或《あるひ》は|喜《よろこ》び|或《あるひ》は|恐《おそ》れつつ、|合掌《がつしやう》して|何事《なにごと》か|唱《とな》へつつ、つひに|一斉《いつせい》に|立《た》つて|手《て》を|打《う》ちウローウローと|叫《さけ》んで|踊《をど》り|廻《まは》る。|鬼武彦《おにたけひこ》は|南天王《なんてんわう》、|春日姫《かすがひめ》とともに|悠々《いういう》として|宮殿《きうでん》に|立帰《たちかへ》つた。しばらくあつて|宮殿《きうでん》の|外部《ぐわいぶ》に|非常《ひじやう》な|騒《さわ》がしき|声《こゑ》が|聞《きこ》えてきた。|以前《いぜん》より|何処《どこ》ともなく|姿《すがた》を|隠《かく》しゐたる|奇態《きたい》な|大亀《おほがめ》が|忽然《こつぜん》として|現《あら》はれた。|神人《かみがみ》らは|太平《たいへい》の|世《よ》の|瑞祥《ずゐしやう》としておのおの|果実《このみ》の|酒《さけ》を|持《も》ちきたり、その|大亀《おほがめ》に|呑《の》ませた。|大亀《おほがめ》は|喜《よろこ》んで|何斗《なんど》とも|限《かぎ》りなく|呑《の》み|干《ほ》し、つひには|立上《たちあが》つて|踊《をど》りだした、その|様子《やうす》の|面白《おもしろ》さ、|神人《かみがみ》らは|思《おも》はず|笑《わら》ひ|転《ころ》げた|鬨《とき》の|声《こゑ》であつた。
|南天王《なんてんわう》は|何事《なにごと》ならむと|宮殿《きうでん》を|立出《たちい》で|前庭《まへには》を|眺《なが》むればこの|光景《くわうけい》である。|何《いづ》れの|神人《かみがみ》らも|残《のこ》らず|酒《さけ》に|酔倒《よひたふ》れ、|地上《ちじやう》を|這《は》ひ|廻《まは》つてゐるうちに、|大亀《おほがめ》のみ|立《た》つて|踊《をど》つてゐた。その|面白《おもしろ》さに|南天王《なんてんわう》も|思《おも》はず|笑《わら》ひ|転《ころ》げた|途端《とたん》に|腰《こし》を|抜《ぬ》いた。|神人《かみがみ》らは|何《いづ》れも|横這《よこば》ひになつて、|巨大《きよだい》なる|蟹《かに》の|姿《すがた》に|変《かは》つてゐた。
|鬼武彦《おにたけひこ》は|奥殿《おくでん》より|走《はし》りきたり、この|様子《やうす》を|見《み》て|大《おほい》に|驚《おどろ》き、|天《てん》に|向《むか》つて|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》した。たちまち|南天王《なんてんわう》の|体《からだ》は|元《もと》のごとく|起立《きりつ》することを|得《え》た。|蟹《かに》の|様《やう》になつてしまつた|神人《かみがみ》らは、またもやムクムクと|立上《たちあが》り、|矮小《わいせう》なる|体《からだ》となつて|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|広短《ひろみじか》い|顔《かほ》をもたげ、|亀《かめ》さん|亀《かめ》さん、ウローウローと|亀《かめ》を|中央《ちうあう》に|据《す》ゑて|踊《をど》り|狂《くる》うた。|亀《かめ》は|酒《さけ》に|酔《よ》ふたもののごとく、またもやバツタリ|地《ち》に|伏《ふ》して|四這《よつば》ひとなつた。
|二股《ふたまた》の|角《つの》を|現《あら》はした|鬼武彦《おにたけひこ》はヒラリとその|背《せ》に|跨《またが》つた。そして|東北《とうほく》の|山《やま》の|谷間《たにあひ》|目蒐《めが》けて|進《すす》みゆき、|先《さき》に|常治彦《とこはるひこ》の|輿《こし》の|据《す》ゑられし|棒岩《ぼういは》の|上《うへ》に、あたかも|猿《さる》の|木《き》に|登《のぼ》るがごとき|勢《いきほひ》にて|登《のぼ》りつめ、その|上《うへ》に|安坐《あんざ》し、|鏡《かがみ》のごとき|目《め》を|光《ひか》らせながら|石像《せきざう》と|化《くわ》してしまつた。|神人《かみがみ》らは|喜《よろこ》んでその|下《した》に|集《あつ》まり|拝跪《はいき》し|祈願《きぐわん》を|籠《こ》めた。この|大亀《おほがめ》はまたもや|谷間《たにま》に|姿《すがた》を|隠《かく》して|了《しま》つた。それより|顕恩郷《けんおんきやう》はこの|石像《せきざう》を|神《かみ》と|崇拝《すうはい》し、|南天王《なんてんわう》|夫妻《ふさい》は|日《ひ》を|定《さだ》めて|参拝《さんぱい》し、|神勅《しんちよく》を|蒙《かうむ》りて|総《すべ》ての|事《こと》を|決《けつ》する|事《こと》となつた。これより|顕恩郷《けんおんきやう》は|天地《てんち》の|大変動《だいへんどう》|勃発《ぼつぱつ》して|大洪水《だいこうずゐ》となるまで、|実《じつ》に|安全《あんぜん》|地帯《ちたい》であつた。そして|石像《せきざう》に|化《くわ》した|鬼武彦《おにたけひこ》の|本体《ほんたい》は、この|郷《きやう》を|去《さ》つて|聖地《せいち》ヱルサレムに|帰《かへ》らむとする|常治彦《とこはるひこ》の|後《あと》を|追《お》うた。
|常治彦《とこはるひこ》は|漸《やうや》くにして|命《いのち》からがら|聖地《せいち》ヱルサレムに|月《つき》を|重《かさ》ねて|帰省《きせい》した。しかるに|聖地《せいち》には|常治彦《とこはるひこ》|儼然《げんぜん》として、|宮殿《きうでん》に|盤古大神《ばんこだいじん》の|娘《むすめ》|塩治姫《しほはるひめ》と|共《とも》に|父《ちち》の|神務《しんむ》を|輔佐《ほさ》しつつあつた。|角《つの》を|折《を》られし|常治彦《とこはるひこ》は|聖地《せいち》において|如何《いか》なる|運命《うんめい》に|遭遇《さうぐう》するであらうか。
(大正一一・一・五 旧大正一〇・一二・八 近藤貞二録)
第九章 |鶴《つる》の|温泉《をんせん》〔二〇九〕
|話《はなし》は|少《すこ》しく|後《あと》へ|戻《もど》つて、|常治彦《とこはるひこ》は|棒岩《ぼういは》の|上《うへ》より|顛落《てんらく》し、|角《つの》を|折《を》られ|鮮血《せんけつ》|淋漓《りんり》として、|全身《ぜんしん》あたかも|緋《ひ》の|衣《ころも》を|纏《まと》ひしごとくなつたが、|鬼武彦《おにたけひこ》のためにエデンの|大河《たいが》に|投《とう》ぜられ、その|機《はづみ》に|血《ち》はすつかり|洗《あら》ひ|去《さ》られ、|蒼白《あをじろ》き|顔《かほ》をしながら、ひよろひよろと|南方《なんぱう》の|谿間《けいかん》|指《さ》して|走《はし》り|入《い》つた。|折《をり》しも|山《やま》と|山《やま》との|深《ふか》き|谷間《たにあひ》に、|幾千羽《いくせんば》ともなく、|鶴《つる》の|群《むれ》が|〓翔《かうしやう》してゐるのを|見《み》た。
|喘《あへ》ぎ|喘《あへ》ぎ|近寄《ちかよ》つて|見《み》れば、|非常《ひじやう》に|美《うる》はしき|一柱《ひとはしら》の|女性《によしよう》を|中心《ちうしん》に、あまたの|鶴《つる》が|舞《ま》ひ|遊《あそ》んでゐた。|見《み》れば|透《すきとほ》つた|湯壺《ゆつぼ》があつて、|湯《ゆ》が|滾々《こんこん》と|湧出《ゆうしゆつ》してゐた。その|天然《てんねん》の|湯槽《ゆぶね》に、|女性《によしよう》は|出没《しゆつぼつ》して|身体《しんたい》の|傷所《きずしよ》を|治療《ちれう》してゐた。よくよく|見《み》れば、|自分《じぶん》が|念頭《ねんとう》に|離《はな》れぬ|塩治姫《しほはるひめ》である。いま|顕恩郷《けんおんきやう》にて|南天王《なんてんわう》と|共《とも》に|睦《むつ》まじく|酒宴《しゆえん》の|席《せき》に|列《れつ》してゐたはずの|塩治姫《しほはるひめ》は、いかにしてかかる|山間《さんかん》に|来《きた》りをれるやと、|不審《ふしん》の|眉《まゆ》をひそめ|茫然《ばうぜん》としてその|顔《かほ》を|見入《みい》つた。
|姫《ひめ》は|常治彦《とこはるひこ》を|手招《てまね》きし、
『|貴下《きか》もこの|湯《ゆ》に|入《い》りたまへ』
と|合図《あひづ》した。|常治彦《とこはるひこ》は|一《いち》も|二《に》もなく|真赤裸《まつぱだか》となつて、この|湯槽《ゆぶね》に|飛入《とびい》つた。|不思議《ふしぎ》にも|前頭部《ぜんとうぶ》の|傷《きず》はすつかり|癒《い》えて|角《つの》もなく、|実《じつ》に|神格《しんかく》の|立派《りつぱ》な|神《かみ》となつた。|塩治姫《しほはるひめ》は|大《おほい》に|喜《よろこ》びし|面色《おももち》にて、ここに|夫婦《ふうふ》の|契《ちぎり》を|結《むす》んだ。
|上空《じやうくう》には|相変《あひかは》らず|幾千羽《いくせんば》とも|知《し》れぬ|鶴《つる》が、|右往左往《うわうさわう》に|〓翔《かうしやう》してゐた。|常治彦《とこはるひこ》は|自分《じぶん》の|願望《ぐわんばう》|成就《じやうじゆ》せることを|喜《よろこ》び、|暫《しばら》くこの|温泉《をんせん》を|中心《ちうしん》に|養生《やうじやう》をつづけ、|日《ひ》を|追《お》うて|身体《しんたい》は|爽快《さうくわい》にむかひ、|二人《ふたり》はいよいよ|手《て》を|携《たづさ》へて|聖地《せいち》に|帰《かへ》らむことを|約《やく》した。たちまち|上空《じやうくう》より|鶴《つる》|一羽《いちは》|下《くだ》りきたりて、|常治彦《とこはるひこ》の|前額部《ぜんがくぶ》を|長《なが》き|嘴《くちばし》にて|二回《にくわい》ばかり|啄《つつ》いて|穴《あな》を|穿《うが》つた。|常治彦《とこはるひこ》は|驚《おどろ》いて、その|傷口《きずぐち》に|両手《りやうて》を|当《あ》て、|痛《いた》さを|堪《た》へて|俯《うつむ》いてゐた。|痛《いた》さはますます|激烈《げきれつ》になつてきた。
ふたたび|出立《しゆつたつ》を|見合《みあは》せ、|湯槽《ゆぶね》に|飛入《とびい》り|養生《やうじやう》することとなつた。|傷口《きずぐち》は|日《ひ》に|日《ひ》に|癒《い》えてきた。されどその|後《ご》かゆさを|非常《ひじやう》に|感《かん》じた。|常治彦《とこはるひこ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|掻《か》きむしつた。いくら|掻《か》いても、かゆさは|止《や》まぬ。つひには、|痛《いた》く、かゆく、|手《て》のつけやうがなくなつてきた。たちまち|筍《たけのこ》のやうな|角《かく》がまたもや|両方《りやうはう》に|発生《はつせい》した。|塩治姫《しほはるひめ》はこの|角《つの》の|日《ひ》を|追《お》うて|延長《えんちやう》するを|見《み》て、|以前《いぜん》とは|打《う》つて|変《かは》つて|喜《よろこ》んだ。しかしてその|角《つの》を|撫《な》で|廻《まは》し、あるひは|舐《な》めなどして、|口《くち》を|極《きは》めてその|角《つの》の|立派《りつぱ》なるを|賞讃《しやうさん》した。|常治彦《とこはるひこ》も、|今《いま》までこの|角《つの》を|恥《は》づかしく|思《おも》つてゐたのを、|最愛《さいあい》の|妻《つま》に|賞讃《しやうさん》されて|得意気《とくいげ》になり、|角《つの》の|日々《にちにち》に|立派《りつぱ》に|成長《せいちやう》するのを|待《ま》つ|気《き》になつた。
|山《やま》を|越《こ》え|谷《たに》を|辿《たど》り、|漸《やうや》くにして|聖地《せいち》に|帰《かへ》ることを|得《え》た。|聖地《せいち》ヱルサレムの|正門《せいもん》には、|小島別《こじまわけ》|白髪《はくはつ》を|背後《はいご》に|垂《た》れ、|薄《うす》き|髯《ひげ》を|胸先《むなさき》に|垂《た》らし、|田依彦《たよりひこ》その|他《た》の|神人《かみがみ》を|随《したが》へ、|儼然《げんぜん》として|守《まも》つてゐた。このとき|常治彦《とこはるひこ》は、|塩治姫《しほはるひめ》の|手《て》を|携《たづさ》へ、|欣然《きんぜん》としてその|門《もん》を|入《い》らむとするとき、|小島別《こじまわけ》は、
『|曲者《くせもの》、しばらく|待《ま》て』
と|呼《よ》びとめた。|二人《ふたり》は|大《おほい》に|怒《いか》り、
『われはエデンの|宮殿《きうでん》にいたり、それより|種々《しゆじゆ》の|艱難辛苦《かんなんしんく》を|嘗《な》め、|漸《やうや》くここに|帰《かへ》りきたれるを|従臣《じうしん》の|分際《ぶんざい》としてこれを|歓迎《くわんげい》せざるのみか、われに|対《たい》して|無礼《ぶれい》の|雑言《ざふごん》、|汝《なんぢ》は|今日《けふ》かぎり|門衛《もんゑい》の|守護職《しゆごしよく》を|免《めん》じ、|根《ね》の|国《くに》に|退去《たいきよ》せしむべし』
と|声高《こわだか》に|呼《よ》ばはつた。|小島別《こじまわけ》、|田依彦《たよりひこ》は|躍気《やくき》となつて|顔面《がんめん》に|青筋《あをすぢ》を|立《た》て、|棒千切《ぼうちぎれ》をもつて、
『|妖怪変化《えうくわいへんげ》の|曲者《くせもの》、|思《おも》ひ|知《し》れよ』
と|打《う》つてかかつた。|常治彦《とこはるひこ》の|頭部《とうぶ》の|角《つの》はおひおひと|成長《せいちやう》し、|二股《ふたまた》になつてゐた。|常治彦《とこはるひこ》は|笑《わら》つて|小島別《こじまわけ》の|打《う》ち|込《こ》む|棍棒《こんぼう》を|角《つの》の|尖端《さき》にてあしらひながら、|一方《いつぱう》には|田依彦《たよりひこ》、|一方《いつぱう》には|小島別《こじまわけ》の|腹部《ふくぶ》を|目《め》がけて、|角《つの》の|尖端《さき》にてグサツと|突《つ》き|破《やぶ》つた。
|二人《ふたり》は|腸《はらわた》を|抉《えぐ》り|出《だ》されそこに|倒《たふ》れ、
『|万事《ばんじ》|休矣《きうす》』
の|声《こゑ》をしぼつた。|数多《あまた》の|神人《かみがみ》はこの|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて|馳集《はせあつ》まり、この|体《てい》を|見《み》て|大《おほ》いに|怒《いか》り、|常治彦《とこはるひこ》に|四方《しはう》|八方《はつぱう》より、|長刀《ちやうたう》、あるひは|棍棒《こんぼう》その|他《た》|種々《しゆじゆ》の|兵器《えもの》をもつて|斬《き》りつけ、|擲《なぐ》りつけむとした。|命《みこと》の|角《つの》はだんだんと|鋭《するど》く|尖《とが》り、かつ|見《み》るみる|延長《えんちやう》した。|聖地《せいち》はあたかも|修羅《しゆら》の|巷《ちまた》である。
|常世彦《とこよひこ》は|侍者《じしや》の|急報《きふはう》により、|常治彦《とこはるひこ》、|塩治姫《しほはるひめ》とともに、この|場《ば》に|現《あら》はれた。このとき|殿内《でんない》に|在《あ》りし|常治彦《とこはるひこ》も、|頭角《とうかく》おひおひ|発達《はつたつ》して、いまここに|現《あら》はれたる|第二《だいに》の|常治彦《とこはるひこ》に|分厘《ふんりん》の|差《さ》なくなつてゐた。|同《おな》じ|姿《すがた》の|塩治姫《しほはるひめ》の|二柱《ふたはしら》と、また|同《おな》じ|姿《すがた》の|常治彦《とこはるひこ》が|二柱《ふたはしら》できた|勘定《かんぢやう》である。
|前後《ぜんご》の|常治彦《とこはるひこ》、|塩治姫《しほはるひめ》は|互《たがひ》に|入《い》り|乱《みだ》れて、その|真偽《しんぎ》の|判別《はんべつ》はわからなくなつてしまつた。されど|少《すこ》しく|異《ことな》る|点《てん》は、その|衣服《いふく》の|模様《もやう》であつた。|常世彦《とこよひこ》は、この|場《ば》の|光景《くわうけい》を|放任《はうにん》し、|前《まへ》の|常治彦《とこはるひこ》、|塩治姫《しほはるひめ》の|手《て》を|携《たづさ》へて、|奥殿《おくでん》に|深《ふか》く|姿《すがた》を|没《ぼつ》した。
(大正一一・一・六 旧大正一〇・一二・九 外山豊二録)
第二篇 |中軸《ちうぢく》|移動《いどう》
第一〇章 |奇々《きき》|怪々《くわいくわい》〔二一〇〕
|八王大神《やつわうだいじん》|常世彦《とこよひこ》は、この|不思議《ふしぎ》な|光景《くわうけい》を|見《み》て、|二人《ふたり》を|伴《ともな》ひ、|奥殿《おくでん》に|急《いそ》ぎ|入《い》りて、|心《こころ》|私《ひそ》かに|国祖《こくそ》の|神霊《しんれい》に|祈願《きぐわん》し、|怪事《くわいじ》|続出《ぞくしゆつ》の|難《なん》を|救《すく》はれむことを|祈願《きぐわん》した。
|奥《おく》の|一間《ひとま》よりサヤサヤと、|衣摺《きぬずれ》の|音《おと》|聞《きこ》えて|現《あら》はれ|出《い》でたる|巨大《きよだい》の|神《かみ》は、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》であつた。|常世彦《とこよひこ》は|夢《ゆめ》に|夢見《ゆめみ》る|心地《ここち》して、|物《もの》をも|言《い》はずジツとその|顔《かほ》を|見上《みあ》げた。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》と|見《み》えしは、|大江山《たいかうざん》の|鬼武彦《おにたけひこ》であつた。|常世彦《とこよひこ》は|二度《にど》|驚愕《びつくり》して、|狐《きつね》に|魅《つま》まれしごとき|顔付《かほつき》しながら、|又《また》もやその|顔《かほ》を|熟視《じゆくし》した。|見《み》るみる|神《かみ》の|額《ひたい》に|角《つの》が|現《あら》はれた。そしてその|容貌《ようばう》|身長《しんちやう》は、わが|子《こ》の|常治彦《とこはるひこ》に|分厘《ふんりん》の|差《さ》なきまでに|変《かは》つてしまつた。|表《おもて》の|門前《もんぜん》に|当《あた》つては|神人《かみがみ》らの|騒《さわ》ぎの|声《こゑ》ますます|頻《しき》りに|聞《きこ》える。|八王大神《やつわうだいじん》は|五里霧中《ごりむちゆう》に|彷徨《さまよ》ひながら、この|場《ば》を|棄《す》てて|表玄関《おもてげんくわん》に|立現《たちあらは》れた。
ここにも|常治彦《とこはるひこ》が|神人《かみがみ》らを|相手《あひて》に|闘《たたか》つてゐる。|同時《どうじ》に|三柱《みはしら》の|常治彦《とこはるひこ》が|現《あら》はれて、|角《つの》を|以《もつ》て|牛《うし》の|様《やう》に|何《いづ》れも|四這《よつばひ》になり、|突《つ》き|合《あひ》を|始《はじ》めた。つひには|常世彦《とこよひこ》を|目《め》がけて|三方《さんぱう》より|突《つ》き|迫《せま》つた。
このとき|竜宮城《りうぐうじやう》の|方《はう》にあたりて、|一大《いちだい》|爆発《ばくはつ》の|声《こゑ》が|聞《きこ》ゆるとともに、|黒烟《こくえん》|濛々《もうもう》と|立上《たちあが》り、|大火災《だいくわさい》となつた。|常世姫《とこよひめ》は、|命《いのち》カラガラ|火中《くわちう》よりのがれ|出《い》で、ヱルサレムに|走《はし》りきたりて、|常世彦《とこよひこ》に|救援《きうゑん》を|請《こ》はむとした。このとき|常世彦《とこよひこ》は、|牛《うし》のごとく|変化《へんげ》したる|三柱《みはしら》の|神《かみ》に|三方《さんぱう》より|突《つ》き|捲《まく》られ、|逃路《にげみち》に|迷《まよ》ひ|苦《くる》しむ|最中《さいちう》であつた。
|奥殿《おくでん》の|方《はう》にあたりて、またもや|大爆音《だいばくおん》が|聞《きこ》えた。|見《み》れば|殿内《でんない》は|全部《ぜんぶ》|黒煙《こくえん》につつまれ、|宮殿《きうでん》の|四方《しはう》より|一時《いちじ》に|火焔《くわえん》|立昇《たちのぼ》り、|瞬《またた》くうちに|各種《かくしゆ》の|建物《たてもの》は|全部《ぜんぶ》|烏有《ういう》に|帰《き》した。
|竜宮城《りうぐうじやう》の|三重《みへ》の|金殿《きんでん》は|俄《にはか》に|鳴動《めいどう》し、|天《てん》に|向《むか》つて|際限《さいげん》もなく|延長《えんちやう》し|雲《くも》に|達《たつ》し、その|尖端《せんたん》は|左右《さいう》に|分《わか》れ、|黄金色《わうごんしよく》の|太《ふと》き|柱《はしら》は|東西《とうざい》に|際限《さいげん》もなく|延長《えんちやう》し、|満天《まんてん》に|黄金《わうごん》の|橋《はし》を|架《か》け|渡《わた》したかのごとくに|変《かは》つてしまつた。あたかも|三重《みへ》の|金殿《きんでん》は|丁字形《ていじがた》に|変化《へんくわ》してしまつた。その|丁字形《ていじがた》の|黄金橋《わうごんけう》を|天《あま》の|浮橋《うきはし》といふ。この|橋《はし》より|俄《にはか》に|白雲《はくうん》|濛々《もうもう》として|顕現《あらは》れ、|満天《まんてん》を|白《しろ》くつつんだ。たちまち|牡丹《ぼたん》のごとき|雪《ゆき》は、|頻《しき》りに|降《ふ》りきたり、|見《み》るまに|聖地《せいち》は|雪《ゆき》に|包《つつ》まれてしまつた。|常世彦《とこよひこ》は|火《ひ》と|雪《ゆき》とに|攻《せ》められ、あまたの|神人《かみがみ》らと|共《とも》に、|辛《から》うじてアーメニヤの|野《の》にむかつて|遁走《とんそう》しはじめた。
|一方《いつぱう》エデンの|宮殿《きうでん》は、|轟然《がうぜん》たる|音響《おんきやう》とともに、|大地《だいち》|震動《しんどう》して|巨城《きよじやう》を|滅茶々々《めちやめちや》に|打倒《うちたふ》し、|樹木《じゆもく》は|根本《ねもと》より|倒《たふ》れ、|火災《くわさい》は|四方《しはう》より|起《お》こり、|黒煙《こくえん》に|包《つつ》まれ、|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜざるの|惨状《さんじやう》に|陥《おちい》つた。|時《とき》しも|雪《ゆき》はにはかに|降《ふ》りきたり、|道《みち》を|塞《ふさ》ぎ、|神人《しんじん》は|自由《じいう》に|行動《かうどう》することができなくなつた。
|盤古大神《ばんこだいじん》はいち|早《はや》くエデンの|大河《たいが》に|船《ふね》を|泛《うか》べ、|南岸《なんがん》に|渡《わた》り、|雪《ゆき》を|掻分《かきわ》けながら|些少《すこし》の|従者《じうしや》とともに、|期《き》せずして、アーメニヤの|野《の》にむかつて|命《いのち》カラガラ|遁走《とんそう》した。|降雪《かうせつ》ますます|烈《はげ》しく、つひに|一行《いつかう》は|雪《ゆき》に|埋《うづ》もれてしまつた。
このとき|太陽《たいやう》はにはかに|光熱《くわうねつ》を|増《ま》し、|四方山《よもやま》の|積雪《せきせつ》は|一時《いちじ》に|氷解《ひようかい》し、|地上《ちじやう》はあたかも|泥《どろ》の|海《うみ》となつてしまつた。|盤古大神《ばんこだいじん》はじめその|他《た》の|神人《かみがみ》らは、|傍《かたはら》の|木《き》に|辛《から》うじて|攀上《よぢのぼ》つた。あまたの|蛇《へび》その|他《た》の|虫族《ちうぞく》は|先《さき》を|争《あらそ》うて|木《き》に|上《のぼ》り|難《なん》を|避《さ》けた。|前方《ぜんぱう》の|木《き》の|枝《えだ》にあたつて|泣《な》き|叫《さけ》ぶ|声《こゑ》が|聞《きこ》えた。|見《み》れば、|竜宮城《りうぐうじやう》の|司宰神《しさいじん》なる|常世姫《とこよひめ》が、|木《き》の|上《うへ》であまたの|毒蛇《どくじや》に|全身《ぜんしん》を|巻《ま》かれて|苦《くる》しむ|声《こゑ》であつた。|八王大神《やつわうだいじん》はその|木《き》の|中腹《ちうふく》にまたもやあまたの|蛇《へび》に|全身《ぜんしん》を|巻付《まきつ》けられ、|顔色《がんしよく》|蒼白《さうはく》となり、|息《いき》も|絶《た》え|絶《だ》えの|光景《くわうけい》である。
このとき|東南《とうなん》の|方《はう》より、|天地六合《てんちりくがふ》も|一度《いちど》に|崩壊《ほうくわい》せむばかりの|大音響《だいおんきやう》をたて、|黒雲《こくうん》を|起《おこ》し、|驀地《まつしぐら》に|進《すす》みきたる|大蛇《をろち》があつた。これは|天足彦《あだるひこ》、|胞場姫《えばひめ》の|霊《れい》より|現《あら》はれた|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》であつた。|大蛇《をろち》は|巨大《きよだい》なる|尾《を》を|前後左右《ぜんごさいう》に|打振《うちふ》り|打振《うちふ》り|暴《あば》れ|廻《まは》つた。この|震動《しんどう》に|水《みづ》は|追々《おひおひ》と|減《げん》じ、|大地《だいち》の|表面《へうめん》を|露《あら》はすやうになつた。すべての|蛇《へび》は|先《さき》を|争《あらそ》うて|樹上《じゆじやう》より|落下《らくか》し、|各自《かくじ》|土中《どちう》にその|影《かげ》を|潜《ひそ》めた。このため|常世彦《とこよひこ》、|常世姫《とこよひめ》をはじめ、|塩長彦《しほながひこ》は|漸《やうや》くにして|危難《きなん》を|免《まぬが》れ、|神人《かみがみ》らと|共《とも》に、アーメニヤに|無事《ぶじ》|到着《たうちやく》することを|得《え》た。
|塩長彦《しほながひこ》は、エデンの|宮殿《きうでん》を|棄《す》てて|遁走《とんそう》するとき、|驚愕《おどろき》のあまり、|妻《つま》の|塩長姫《しほながひめ》を|伴《ともな》ふことを|忘《わす》れてゐた。しかるに|豈《あに》はからむや、アーメニヤの|野《の》には|立派《りつぱ》なる|宮殿《きうでん》が|建《た》てられ、そのうちにわが|妻《つま》の|塩長姫《しほながひめ》および|塩光彦《しほみつひこ》は|欣然《きんぜん》として、あまたの|神人《かみがみ》らと|共《とも》に、|塩長彦《しほながひこ》|一行《いつかう》を|迎《むか》へたのは、|奇中《きちう》の|奇《き》とも|言《い》ふべきである。|吁《あゝ》、かくの|如《ごと》く|到《いた》るところに|異変《いへん》|怪事《くわいじ》の|続発《ぞくはつ》するは、|大地《だいち》の|主宰神《しゆさいじん》たる|国祖《こくそ》を|退隠《たいいん》せしめ、|地上《ちじやう》の|重鎮《ぢゆうちん》を|失《うしな》ひたるがために、たとへ|日月《じつげつ》は|天上《てんじやう》に|輝《かがや》くといへども、|霊界《れいかい》はあたかも|常暗《とこやみ》の|惨状《さんじやう》を|誘起《いうき》し、|邪神《じやしん》|悪鬼《あくき》の|跋扈跳梁《ばつこてうりやう》に|便《べん》ならしめたためである。これより|地上《ちじやう》の|神界《しんかい》は、|日《ひ》に|月《つき》に|妖怪《えうくわい》|五月蠅《さばへ》のごとく|群《むら》がり|起《おこ》り、|収拾《しうしふ》すべからざる|常暗《とこやみ》の|世《よ》を|現出《げんしゆつ》した。
(大正一一・一・六 旧大正一〇・一二・九 松村仙造録)
第一一章 |蜃気楼《しんきろう》〔二一一〕
|盤古大神《ばんこだいじん》|以下《いか》の|神人《かみがみ》は、|忽然《こつぜん》として|現《あら》はれたるアーメニヤの|宮殿《きうでん》を、|万古不易《ばんこふえき》の|安住所《あんぢゆうしよ》と|定《さだ》め、|各《かく》|居室《きよしつ》を|定《さだ》め、|八百万神《やほよろづのかみ》を|配置《はいち》し|神政《しんせい》を|行《おこな》ふこととなつた。|天《てん》より|降《ふ》つたか、|地《ち》から|湧《わ》いたか、|知《し》らぬまに|荘厳《さうごん》|無比《むひ》の|宮殿《きうでん》をはじめ|数多《あまた》の|建築物《けんちくぶつ》が|建《た》てられてゐた。|神人《かみがみ》らは|盤古《ばんこ》の|神政《しんせい》を|祝《しゆく》するために|遠近《をちこち》の|山《やま》に|分《わ》けいり、|種々《しゆじゆ》の|珍《めづら》しき|花木《はなき》を|切《き》り|来《きた》つて、|各《おのおの》これをかたげながら|宮殿《きうでん》を|中心《ちうしん》として|面白《おもしろ》き|歌《うた》を|謡《うた》ひ、|酒《さけ》に|酔《よ》ひながら|踊《をど》り|狂《くる》うてゐた。
|時《とき》に|中空《ちうくう》にあたり|何神《なにがみ》の|声《こゑ》ともなく、
『アーメニヤ、アーメニヤ』
と|叫《さけ》ぶ|声《こゑ》しきりに|聞《きこ》えた。|神人《かみがみ》らは|期《き》せずして|声《こゑ》する|方《はう》を|仰《あふ》ぎ|見《み》た。|幾百千《いくひやくせん》とも|限《かぎ》りなき|神軍《しんぐん》は|武装《ぶさう》を|整《ととの》へ、|雲《くも》に|乗《の》り|中空《ちうくう》に|整列《せいれつ》して、その|中央《ちうあう》には|国祖《こくそ》|国治立尊《くにはるたちのみこと》の|神姿《しんし》|現《あら》はれ、|采配《さいはい》を|振《ふ》つて|神軍《しんぐん》を|指揮《しき》しつつあつた。|神人《かみがみ》らはその|威厳《ゐげん》に|打《う》たれてたちまち|地上《ちじやう》に|平伏《へいふく》した。|何《なん》とはなしに|身体《しんたい》|一面《いちめん》に|湿気《しつき》を|感《かん》じ、|驚《おどろ》きのあまり|酒《さけ》の|酔《よひ》も|醒《さ》め、ぶるぶると|地震《ぢしん》の|孫《まご》のやうに、|一斉《いつせい》に|震《ふる》ひだした。このとき|又《また》もや|天上《てんじやう》より、
『|盲神《めくらがみ》ども、|足《あし》もとを|見《み》よ』
と|頭《あたま》からたたきつけるやうな|声《こゑ》で|云《い》ひ|放《はな》つた。いづれも|驚《おどろ》いて|足《あし》もとを|見《み》ると、またもや|泥田《どろた》の|中《なか》に|盤古大神《ばんこだいじん》はじめ、|八百万《やほよろづ》の|神人《かみがみ》らは|泥《どろ》まみれになつて、のたくつてゐた。ここはアーメニヤの|宮殿《きうでん》と、|何《いづ》れも|思《おも》うて|宮殿《きうでん》の|方《はう》を|一斉《いつせい》に|見《み》やれば、|今《いま》まで|立派《りつぱ》な|宮殿《きうでん》と|見《み》えしは|蜃気楼《しんきろう》であつた。|見《み》るみる|天上《てんじやう》に|宮殿《きうでん》は|舞《ま》ひ|上《あが》り、|自分《じぶん》らの|姿《すがた》までも|空中《くうちう》に|舞《ま》ひ|上《あが》つてしまつた。|八王大神《やつわうだいじん》はじめ、|重《おも》なる|神将《しんしやう》は|残《のこ》らず|蜃気楼《しんきろう》とともに|天上《てんじやう》に|昇《のぼ》つてゐるのが|見《み》える。|残《のこ》された|神人《かみがみ》らは|性《しやう》を|失《うしな》ひ|驚《おどろ》きのあまり、|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|泥田《どろた》の|中《なか》をうろつき|始《はじ》めた。そのじつ|盤古大神《ばんこだいじん》も|八王大神《やつわうだいじん》も|天上《てんじやう》に|影《かげ》が|映《うつ》つてゐるのみで、|依然《いぜん》として|深《ふか》き|泥田《どろた》に|乳《ちち》の|辺《あた》りまで|落《お》ち|入《い》り、|身動《みうご》きもならず|苦《くる》しんでゐた。されど|数多《あまた》の|神人《かみがみ》らは、|盤古大神《ばんこだいじん》|以下《いか》の|神将《しんしやう》|残《のこ》らず|天上《てんじやう》に|昇《のぼ》りしものと|思《おも》ひ、|右往左往《うわうさわう》に|泥田《どろた》を|走《はし》り|廻《まは》り、|盤古大神《ばんこだいじん》、|八王大神《やつわうだいじん》|以下《いか》の|神将《しんしやう》を|泥足《どろあし》で|踏《ふ》みつけ、|一斉《いつせい》に、
『オイオイ』
と|泣《な》くばかりである。
このとき、ウラル|山《ざん》の|方面《はうめん》より|黒雲《こくうん》を|捲《ま》き|起《おこ》し、|空中《くうちう》を|照《て》らし|進《すす》み|来《きた》る|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》が|現《あら》はれた。|今《いま》まで|国治立尊《くにはるたちのみこと》|以下《いか》の|神将《しんしやう》、|天《てん》の|一方《いつぱう》に|現《あら》はれゐたりしその|姿《すがた》はいつしか|消《き》え|失《う》せ、|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》の|火《ひ》を|噴《ふ》きつつ、|満天《まんてん》|墨《すみ》を|流《なが》したごとく|黒雲《こくうん》をもつて|包《つつ》んでしまつた。
(大正一一・一・六 旧大正一〇・一二・九 加藤明子録)
第一二章 |不食不飲《くはずのまず》〔二一二〕
|折《をり》しもウラルの|山颪《やまおろし》、|地上《ちじやう》を|吹《ふ》きまくり、|終《つひ》には|空前絶後《くうぜんぜつご》の|大旋風《だいせんぷう》となつた。あらゆる|樹木《じゆもく》を|吹《ふ》き|倒《たふ》し、|泥田《どろた》に|落《お》ちたる|神々《かみがみ》を、|木《こ》の|葉《は》のごとく|土《つち》|諸共《もろとも》、|中天《ちうてん》に|捲《ま》きあげ、|天上《てんじやう》をぐるぐると|住吉踊《すみよしをど》りの|人形《にんぎやう》のやうに|釣《つ》りまはした。そのため|何《いづ》れの|神人《かみがみ》も、|鶴《つる》のやうに|首《くび》が|残《のこ》らず|長《なが》くなつて|了《しま》つた。|丁度《ちやうど》、|空中《くうちう》に|幾百千《いくひやくせん》とも|限《かぎ》りなき|首吊《くびつ》りが|出来《でき》たやうなものである。|首吊《くびつ》りでなくて、|残《のこ》らず|鶴首《つるくび》になつてしまつた。
|風《かぜ》がやむとともに、|一斉《いつせい》に|雨霰《あめあられ》のごとく|地上《ちじやう》に|落下《らくか》した。|腕《うで》を|折《を》り|足《あし》を|挫《くじ》き|腰《こし》をぬかし、にはかに|半死半生《はんしはんしやう》の|者《もの》ばかりとなつてしまつた。そのとき|何処《いづく》ともなく、
『|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》、|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》』
といふ|声《こゑ》が|聞《きこ》えた。|八百万《やほよろづ》の|腰抜《こしぬ》け|奴《やつこ》、|不具者《かたはもの》はぶるぶる|唇《くちびる》をふるはせながら、
『|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》|様《さま》、|助《たす》けたまへ』
と|叫《さけ》んだ。
たちまち|天上《てんじやう》より|美《うる》はしき|八柱《やはしら》の|男女《だんぢよ》の|神人《かみ》が、|神人《かみがみ》らの|前《まへ》に|降《くだ》つて|来《き》た。さうしてその|中《なか》の|一番《いちばん》|大将《たいしやう》と|思《おぼ》しき|男神《だんしん》は、|耳《みみ》まで|裂《さ》けた|紅《あか》い|口《くち》を|開《ひら》いて、
『|吾《われ》はウラル|山《さん》を|守護《しゆご》する|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》である。もはや|今日《こんにち》は|国祖《こくそ》|国治立尊《くにはるたちのみこと》は、わが|神力《しんりき》に|恐《おそ》れて|根《ね》の|国《くに》に|退隠《たいいん》し、その|他《た》の|神人《かみがみ》はいづれも|底《そこ》の|国《くに》に|落《お》ち|行《ゆ》き、|無限《むげん》の|責苦《せめく》に|遭《あ》へり。この|世界《せかい》はもはや|吾《われ》の|自由《じいう》なり。|汝《なんぢ》らこのアーメニヤの|地《ち》に|来《きた》つて|神都《しんと》を|開《ひら》き、|神政《しんせい》を|樹立《じゆりつ》せむと|思《おも》はば、まづ|第一《だいいち》に|宮殿《きうでん》を|造《つく》り、わが|霊魂《みたま》を|鎮《しづ》め、|朝夕《てうせき》|礼拝《れいはい》を|怠《おこた》るなかれ。また|盤古大神《ばんこだいじん》をはじめ|八王大神《やつわうだいじん》その|他《た》の|神人《かみがみ》は、ただ|今《いま》より|百日《ひやくにち》の|断水《だんすゐ》|断食《だんじき》を|励《はげ》むべし』
と|言《い》ふかと|見《み》れば、|八柱《やはしら》の|神人《しんじん》の|姿《すがた》は|烟《けむり》のごとく|消《き》え、ただ|空中《くうちう》を|運行《うんかう》する|音《おと》のみ|聞《きこ》えてきた。その|音《おと》も|次第々々《しだいしだい》に|薄《うす》らいでウラル|山《さん》|目蒐《めが》けて|帰《かへ》つたやうな|気持《きもち》がした。
|不思議《ふしぎ》にも、|大負傷《だいふしやう》に|悩《なや》んでゐた|神人《かみがみ》は|手《て》も|足《あし》も|腰《こし》も|旧《もと》のごとくに|全快《ぜんくわい》し、ただ|首《くび》のみは|長《なが》くなつたままである。|神人《かみがみ》らは|先《さき》を|争《あらそ》うて、ウラル|山《さん》|方面《はうめん》さして|断食《だんじき》をなさむと|駆登《かけのぼ》つた。
ウラル|山《さん》の|中腹《ちうふく》には、|非常《ひじやう》な|広《ひろ》い|平地《へいち》がある。この|平地《へいち》は|南向《みなみむ》きになつて、|非常《ひじやう》に|香《かを》りのよい|甘《うま》さうな|果物《くだもの》が|枝《えだ》もたわむばかりになつてゐて、|平地《へいち》に|垂《た》れてゐる。
あまたの|神人《かみがみ》は、やつと|此処《ここ》まで|登《のぼ》つてきたが、|咽喉《のど》はにはかに|渇《かわ》きだし、|腹《はら》は|非常《ひじやう》に|空《す》いてきた。されど|大蛇《をろち》の|厳命《げんめい》によつて、|咽喉《のど》から|手《て》が|出《で》るほど|食《く》ひたくても|食《く》ふことが|出来《でき》なかつた。ちやうど|餓鬼《がき》が|河《かは》の|端《はた》に|立《た》つて、その|水《みづ》を|飲《の》むことが|出来《でき》ぬやうな|苦痛《くつう》である。
|盤古大神《ばんこだいじん》はじめ|八王大神《やつわうだいじん》は|頻《しき》りに|口《くち》なめしをなし、|長舌《ちやうぜつ》を|出《だ》し、この|果物《くだもの》をみて|羨望《せんばう》の|念《ねん》にかられてゐた。|神人《かみがみ》は|咽喉《のど》は|焼《や》けるほど|渇《かわ》き、|腹《はら》は|空《す》いて|板《いた》のごとくなつてゐる|矢先《やさき》、|目《め》の|前《まへ》にぶらついたこの|美味《びみ》を|食《く》ひたくて|堪《たま》らず、|見《み》るより|見《み》ぬが|薬《くすり》と、いづれも|目《め》を|閉《つ》ぶつて|見《み》ぬやうに|努《つと》めてゐた。さうすると|何処《いづこ》ともなしに|百雷《ひやくらい》の|一時《いちじ》に|落下《らくか》したやうな|音響《おんきやう》がきこえ、|地響《ぢひびき》がして|身体《しんたい》を|二三尺《にさんじやく》も|中空《ちうくう》に|放《はふ》りあげた。|吃驚《びつくり》して|思《おも》はず|目《め》を|開《ひら》くと、|目《め》の|前《まへ》、|口《くち》の|前《まへ》に|甘《うま》さうな|果物《くだもの》が【ぶら】ついてゐる。エヽ|儘《まま》の|皮《かは》よと|四五《しご》の|従者《じうしや》は、そのまま|大《おほ》きな|果物《くだもの》を|鷲《わし》づかみにして【かぶ】りはじめた。|何《なん》とも|言《い》へぬ|甘《うま》さである。|濡《ぬ》れぬうちこそ|露《つゆ》をも|厭《いと》へ、|毒《どく》を|食《く》うたら|皿《さら》までねぶれといふ|自棄糞気味《やけくそぎみ》になつて、|四五人《しごにん》の|神人《かみがみ》は|舌鼓《したつづみ》をうつて|猫《ねこ》のやうに|咽喉《のど》を【ごろごろ】|鳴《な》らしながら、|甘《うま》さうに|食《く》ひ|始《はじ》めた。|傍《かたはら》の|神人《かみがみ》はその|音《おと》を|聞《き》いて|矢《や》も|楯《たて》もたまらなくなつて、|目《め》を|閉《と》ぢた|上《うへ》、|両方《りやうはう》の|指《ゆび》で|耳《みみ》を|塞《ふさ》いで、|顔《かほ》をしかめて|辛抱《しんばう》してゐた。|風《かぜ》が|吹《ふ》くと、|果物《くだもの》の|枝《えだ》が|揺《ゆ》れて、その|甘《うま》さうな|果物《くだもの》は|口《くち》のあたりに|触《さは》つてくる。|思《おも》はず|知《し》らず|舌《した》がでる。こいつは|堪《たま》らぬとまた|口《くち》を|閉《ふさ》いだ。ちやうど|見《み》【ざる】、|聞《き》か【ざる】、|言《い》は【ざる】の|庚申《かうしん》さまの|眷属《けんぞく》が|沢山《たくさん》に|現《あら》はれた。|四五《しご》の|自棄糞《やけくそ》になつた|神人《かみがみ》は|腹一杯《はらいつぱい》|布袋《ほてい》のやうになつて|息《いき》までも|苦《くる》しく、|肩《かた》で|息《いき》をするやうになつた。|腹《はら》の|中《なか》は|得心《とくしん》したが、まだ|舌《した》が|得心《とくしん》せぬので、|無理無体《むりむたい》に|舌《した》の|要求《えうきう》をかなへてやつた。もはや|舌《した》も|得心《とくしん》をしたが、|肝腎《かんじん》の|眼玉《めだま》が|得心《とくしん》せぬので|無理矢理《むりやり》に|取《と》つては|食《く》ひ|取《と》つては|食《く》ひ、|大地《だいち》にドンドンと|四肢《しこ》を|踏《ふ》んで、|詰《つ》め|込《こ》まうとした。そのとたんに|臍《へそ》の|括約筋《くわつやくきん》がバラバラになつて、|果物《くだもの》の|赤子《あかご》が|沢山《たくさん》|生《うま》れた。アイタヽアイタヽと|腹《はら》を|抱《かか》へて|顰《しか》み|面《づら》しながら|大地《だいち》に|七転八倒《しちてんはつたふ》した。|他《た》の|神人《かみがみ》はまた|目《め》をあけてこの|光景《くわうけい》を|見《み》、あり|合《あ》ふ|草《くさ》の|蔓《つる》をとつて|腹《はら》の|皮《かは》を|一処《ひとところ》へ|集《あつ》め、これを|臍《へそ》の|真中《まんなか》で|堅《かた》く|括《くく》り、|五柱《いつはしら》の|神人《かみ》を|神命《しんめい》|違反《ゐはん》の|大罪人《だいざいにん》として|棒《ぼう》にかつぎ、その|果物《くだもの》の|樹《き》の|枝《えだ》にかけた。
この|時《とき》、またもや|天上《てんじやう》から|声《こゑ》がした。
『|腹《はら》が|空《す》いたら、|神命《しんめい》|違反者《ゐはんしや》を|食《くら》へ』
と|言《い》つた。|神人《かみがみ》は|果物《くだもの》は|食《く》はれぬが、この|五柱《いつはしら》の|神人《かみ》でも|食《く》つて|見《み》たいやうな|気《き》がした。このとき|早玉彦《はやだまひこ》といふ|八王大神《やつわうだいじん》の|侍者《じしや》は、|天《てん》の|声《こゑ》のする|方《はう》にむかひ、
『|断食《だんじき》する|吾々《われわれ》、この|者《もの》を|食《く》うても|神意《しんい》に|反《はん》せずや』
と|尋《たづ》ねて|見《み》た。
さうすると、また|空中《くうちう》に|声《こゑ》あつて、
『|鬼《おに》になりたき|者《もの》はこれを|食《くら》へ』
と|言《い》つた。いづれの|神人《かみ》も|自分《じぶん》の|悪《あく》は|分《わか》らず、|各自《かくじ》に|至善《しぜん》|至美《しび》の|立派《りつぱ》な|者《もの》と|自信《じしん》してゐるので、|流石《さすが》の|邪神《じやしん》も|鬼《おに》になることだけは|閉口《へいこう》したとみえ、|一柱《ひとはしら》もこれを|食《く》はうとする|者《もの》もなかつた。さうかうする|中《うち》に、|断食《だんじき》の|行《ぎやう》も|五十日《ごじふにち》を|経過《けいくわ》した。|何《いづ》れの|神人《かみがみ》も|声《こゑ》さへも|立《た》てる|勇気《ゆうき》は|失《う》せ、|目《め》は|潤《うる》み、|耳《みみ》はガンガン|早鐘《はやがね》をつくがごとくになり、ちやうど|蛭《ひる》に|塩《しほ》したやうにただ|地上《ちじやう》に|横《よこ》たはつて、|虫《むし》の|息《いき》にピコピコと|身体《しんたい》の|一部《いちぶ》を|動揺《どうえう》させてゐた。このとき、|東北《とうほく》の|空《そら》より、|六面八臂《ろくめんはつぴ》の|鬼神《きしん》、あまたの|赤《あか》、|青《あを》、|黒《くろ》などの|顔《かほ》をした|幕下《ばくか》の|鬼《おに》を|引《ひ》き|連《つ》れ、この|場《ば》にむかつて|嬉《うれ》しさうに|降《くだ》つてくるのを|見《み》た。
あゝこの|結果《けつくわ》は|如何《どう》なるであらうか。
(大正一一・一・六 旧大正一〇・一二・九 桜井重雄録)
第一三章 |神憑《かむがかり》の|段《だん》〔二一三〕
|東北《とうほく》の|天《てん》より|降《くだ》りきたれる|六面八臂《ろくめんはつぴ》の|鬼神《きしん》は、あまたの|部下《ぶか》を|引率《いんそつ》し、|盤古大神《ばんこだいじん》|以下《いか》の|飢餓《きが》に|迫《せま》りて|身体《しんたい》|痩衰《やせおとろ》へ、あたかも|葱《ねぎ》を|煮《に》たやうにヘトヘトになつて、|身動《みうご》きも|自由《じいう》ならぬこの|場《ば》に|現《あら》はれ、|鉄棒《てつぼう》をもつて|疲《つか》れ|悩《なや》める|神々《かみがみ》を|突《つ》くやら|打《う》つやら、|無残《むざん》にも|乱暴狼藉《らんばうろうぜき》のかぎりを|盡《つく》し、|連木《れんぎ》で|味噌《みそ》でもするやうな|目《め》に|遇《あ》はしてゐる。|盤古大神《ばんこだいじん》|以下《いか》の|神人《かみがみ》は、|抵抗力《ていかうりよく》も|防禦力《ばうぎよりよく》も|絶無《ぜつむ》となつてしまつて、|九死一生《きうしいつしやう》、|危機一髪《ききいつぱつ》の|悲境《ひきやう》に|陥《おちい》る|折《をり》しも、またもや|忽然《こつぜん》として|暴風《ばうふう》|吹《ふ》き|起《お》こり、|岩石《がんせき》の|雨《あめ》は|邪鬼《じやき》の|群《むれ》にむかつて|打《う》ちつけた。あまたの|鬼《おに》どもは|周章狼狽《しうしやうらうばい》しながら、|雨《あめ》と|降《ふ》りくる|岩石《がんせき》に|打《う》たれて、|頭《あたま》を|割《わ》り、|腰骨《こしぼね》を|挫《くじ》き、|脚《あし》を|折《を》り、|這々《はうはう》の|態《てい》にて、|負傷《ふしやう》した|鬼《おに》どもを|各自《かくじ》|小脇《こわき》に|抱《かか》へながら、|東北《とうほく》の|空《そら》さして|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|失《う》せた。しかるに|不思議《ふしぎ》なことには、|盤古大神《ばんこだいじん》|部下《ぶか》の|神人《かみがみ》は|一柱《ひとはしら》も|負傷《ふしやう》するものがなかつた。|何《いづ》れも|顔《かほ》を|見合《みあは》して、|眼前《がんぜん》の|奇怪《きくわい》|千万《せんばん》な|光景《くわうけい》に|呆《あき》れるばかりであつた。
このとき、|一陣《いちぢん》の|風《かぜ》サツと|音《おと》して|吹《ふ》き|来《き》たるよと|見《み》るまに、|大地《だいち》に|平臥《へいぐわ》して|苦悶《くもん》せし|盤古大神《ばんこだいじん》も|常世彦《とこよひこ》、|常世姫《とこよひめ》も|俄《にはか》に|顔色《がんしよく》|紅《くれなゐ》を|呈《てい》し、|元気《げんき》は|頓《とみ》に|回復《くわいふく》し、|立上《たちあが》つて|両手《りやうて》を|組《く》みながら|上下左右《じやうげさいう》に|身体《しんたい》を|動揺《どうえう》させ、|躍《をど》り|上《あが》つて|遠近《ゑんきん》を|狂気《きやうき》のごとくに|飛《と》び|廻《まは》つた。これは|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》と|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪狐《あくこ》の|邪霊《じやれい》が、|心身《しんしん》の|弱《よわ》り|切《き》つたところを|見澄《みすま》し、|一度《いちど》に|憑依《ひようい》したからである。|次々《つぎつぎ》に|他《た》の|神人《かみがみ》も|同様《どうやう》に|元気《げんき》を|回復《くわいふく》し、|手《て》を|振《ふ》り|足《あし》を|踏《ふ》み|轟《とどろ》かせ、|遠近《ゑんきん》を|縦横無尽《じゆうわうむじん》に|駈廻《かけまは》るその|有様《ありさま》、|実《じつ》に|雀《すずめ》の|群《むれ》に|鷹《たか》の|降《お》りたる|時《とき》のごとき|周章《あわて》かたである。|彼方《あちら》にも|此方《こちら》にも、ウンウン、ウーウーと|呻《うな》るかと|見《み》れば、ヤヽヽヽヤツヤツヤツ、カヽヽヽヽシヽヽヽヽラヽヽヽヽヤツヤツカヽヽヽシヽラヽヽ、ヤツカシラヤツヲノ、ヲヽヽヽヽロヽヽヽヽチヽヽヽヽ、ヲロチヲロチと|叫《さけ》ぶのもあり、キヽヽヽヽキンキンキンキンモヽヽヽヽヽヽモウモウキユキユキユビヽヽヽヽキキキンモモモウキユキユキユウビヽヽヽキンモウキユウビのキヽヽヽヽツヽヽヽヽネヽヽヽヽキツネキツネキツネキツネと|叫《さけ》ぶ|神人《かみ》もできてきた。また|一方《いつぱう》にはクヽヽヽヽニヽヽヽヽトヽヽヽヽコヽヽヽヽタヽヽヽヽチヽヽヽヽノヽヽヽヽミヽヽヽヽコヽヽヽヽトヽヽヽヽ、クヽニヽノトヽコヽタヽチヽノヽミヽ、コヽトヽとどなる|神人《かみ》もあれば、ケヽヽヽヽケンゾクケンゾクケヽヽヽヽケンゾクケンゾクタヽツヽヤヽヽマワヽヽケヽヽ、ノヽヽミヽコトと|口走《くちばし》つて、|両手《りやうて》を|組《く》み、|前後左右《ぜんごさいう》に|跳《は》ね|廻《まは》り|飛走《とびはし》るさま、|百鬼《ひやくき》の|昼行《ちうかう》ともいふべき|状況《じやうきやう》である。|常世姫《とこよひめ》は|俄然《がぜん》|立《た》ちあがり、
『|部下《ぶか》の|神人《かみがみ》たちよ、われこそは|日《ひ》の|大神《おほかみ》の|分魂《わけみたま》にして|玉津姫大神《たまつひめのおほかみ》なるぞ。このたび|地《ち》の|高天原《たかあまはら》をこのアーメニヤに|移《うつ》されしについては、|世《よ》の|初発《しよはつ》より|大神《おほかみ》の|経綸《けいりん》であつて、|万古不易《ばんこふえき》の|聖地《せいち》と|神定《かむさだ》められたり。|盤古大神《ばんこだいじん》|夫婦《ふうふ》は、|今日《こんにち》よりこの|方《はう》の|申《まを》すことに|誠心《せいしん》|誠意《せいい》|服従《ふくじゆう》すべきものなり。|只今《ただいま》より|常世姫《とこよひめ》の|肉体《にくたい》は|玉津姫大神《たまつひめのおほかみ》の|生宮《いきみや》なるぞ。|一日《いちにち》も|早《はや》く|立派《りつぱ》なる|宮殿《きうでん》を|造営《ざうえい》し、|神定《しんてい》の|地《ち》に|神政《しんせい》を|行《おこな》へ、ウーン』
と|呻《うな》つて|天《てん》にむかひて|打《う》ち|倒《たふ》れた。
|聖地《せいち》ヱルサレムの|天使《てんし》|言霊別《ことたまわけ》の|長子《ちやうし》なる|竜山別《たつやまわけ》といふ|腹黒《はらぐろ》き|神人《かみ》は、|始終《しじう》|野心《やしん》を|包蔵《はうざう》してをつた。それゆゑ|今回《こんくわい》のヱルサレムにおける|変乱《へんらん》にも、|自己《じこ》|一派《いつぱ》のみは|巧《たく》みに|免《まぬが》れ、|邪神《じやしん》|常世彦《とこよひこ》の|帷幕《ゐばく》に|参《さん》じてゐた。|彼《かれ》は|今《いま》また、このアーメニヤにきたり、|神々《かみがみ》とともにウラル|山《さん》の|中腹《ちうふく》に|登《のぼ》つて|断食《だんじき》|断水《だんすゐ》の|仲間《なかま》に|加《くは》はつてゐた。たちまち|身体《しんたい》|震動《しんどう》し、|顔色《がんしよく》|火《ひ》のごとくなつて|神憑《かむがか》りとなつた。|彼《かれ》には|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》の|眷属《けんぞく》、|青竜魔《せいりうま》が|憑《の》りうつり、
『アヽ|有難《ありがた》いぞよ、|勿体《もつたい》ないぞよ、この|方《はう》こそは|日《ひ》の|大神《おほかみ》、|月《つき》の|大神《おほかみ》であるぞよ。|神人《かみがみ》ども、|頭《かしら》が|高《たか》い、|頭《かしら》が|高《たか》い、|大地《だいち》に|平伏《へいふく》いたせ、|申《まを》し|渡《わた》すべき|仔細《しさい》こそあれ。|今日《こんにち》は|実《じつ》に|天地開闢《てんちかいびやく》|以来《いらい》の|目出度《めでた》き|日柄《ひがら》であるぞよ。|眼《め》を|開《ひら》いてこの|方《はう》を|拝《をが》んだならば、たちまち|眼《め》が|潰《つぶ》れてしまふぞ。これからこの|方《はう》の|仰《あふ》せを|背《そむ》いた|神《かみ》は、|神罰《しんばつ》|立《た》ちどころに|致《いた》ると|思《おも》へよ。この|方《はう》は|日《ひ》の|大神《おほかみ》、|月《つき》の|大神《おほかみ》に|間違《まちが》ひないぞよ』
と|怒鳴《どな》つた。その|声《こゑ》は|百雷《ひやくらい》の|一度《いちど》に|鳴《な》り|轟《とどろ》くごとくであつた。|神人《かみがみ》らは、|一斉《いつせい》に、アヽヽヽヽリヽヽヽヽガヽヽヽヽタヽヽヽヽヤヽヽヽアリーガーターヤヽヽヤーと|声《こゑ》を|震《ふる》はせながら|涙《なみだ》を|流《なが》して|嬉《うれ》しがつた。
|中空《ちうくう》に|声《こゑ》あり、
『|邪神《じやしん》に|誑《たぶらか》されなよ。|今《いま》に|尻《しり》の|毛《け》が|一本《いつぽん》もないやうに|抜《ぬ》かれてしまふぞよ』
と|聞《きこ》えた。|盤古大神《ばんこだいじん》は|何《なに》|思《おも》ひけむ、この|場《ば》を|逃《に》げ|去《さ》らむとするを、|常世姫《とこよひめ》の|神憑《かむがかり》は、|大手《おほて》を|拡《ひろ》げて、
『アヽ|恋《こひ》しき|吾《わ》が|夫《をつと》よ、|妾《わらは》の|申《まを》すことを|一々《いちいち》|聞《き》かれよ』
と|涙声《なみだごゑ》になつて|抱止《だきと》めた。|盤古大神《ばんこだいじん》は|袖《そで》|振払《ふりはら》ひ、
『|無礼《ぶれい》もの』
と|叱咤《しつた》した。|常世姫《とこよひめ》は|柳眉《りうび》を|逆《さか》だて、
『|畏《かしこ》くも|日《ひ》の|大神《おほかみ》の|御分魂《おんわけみたま》なるこの|方《はう》にむかつて、|無礼《ぶれい》ものとは|何事《なにごと》ぞ。|汝《なんぢ》こそは|盤古大神《ばんこだいじん》とエラソウに|申《まを》せども、この|生宮《いきみや》のために|今日《こんにち》|神人《かみがみ》らより|崇敬《すうけい》さるるやうになりしを|知《し》らざるか、その|方《はう》こそ|無礼《ぶれい》ものなり』
と|毒《どく》づいた。ここに|盤古《ばんこ》、|常世《とこよ》|二神《にしん》の|格闘《かくとう》が|始《はじ》まつた。|組《く》んづ|組《く》まれつ|互《たが》ひに|挑《いど》み|合《あ》ひ、|互《たがひ》に|上《うへ》になり|下《した》になり、|咆哮《はうかう》|怒号《どがう》した。あまたの|神人《かみがみ》は|残《のこ》らず|邪神《じやしん》の|容器《ようき》となり、|常世姫《とこよひめ》の|肩《かた》を|持《も》ち、
『|邪神《じやしん》の|盤古《ばんこ》|盤古《ばんこ》』
と|一斉《いつせい》に|叫《さけ》びながら|立上《たちあが》つた。アヽこの|結果《けつくわ》はどうなるであらうか。
(大正一一・一・七 旧大正一〇・一二・一〇 外山豊二録)
第一四章 |審神者《さには》〔二一四〕
このとき|竜山別《たつやまわけ》はたちまち|神憑《かむがか》りして、|小高《こだか》き|丘陵《きうりよう》に|飛《と》び|上《あが》り、|眼下《がんか》に|神人《かみがみ》らを|梟鳥《ふくろどり》の|円《まる》き|目玉《めだま》に|睨《ね》めつけながら、
『|吾《われ》こそは|日《ひ》の|大神《おほかみ》、|月《つき》の|大神《おほかみ》、|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》なるぞ。ただいま|常世姫《とこよひめ》に|神憑《かむがか》りしたる|玉津姫命《たまつひめのみこと》の|託宣《たくせん》を|馬耳東風《ばじとうふう》と|聞《き》きながし、|剰《あま》つさへ|雑言無礼《ざふごんぶれい》を|恣《ほしいまま》にしたる|盤古大神《ばんこだいじん》|塩長彦《しほながひこ》ははたして|何者《なにもの》ぞ。|汝《なんぢ》は|六面八臂《ろくめんはつぴ》の|鬼神《おにがみ》の|魔軍《まぐん》に|襲撃《しふげき》され、|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|場合《ばあひ》を|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》の|神《かみ》に|救《すく》はれしに|非《あら》ずや。|神力《しんりき》|無辺《むへん》なる|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》の|神《かみ》の|憑《かか》りきつたる|常世彦《とこよひこ》の|妻神《つまがみ》|常世姫《とこよひめ》の|生宮《いきみや》にたいして、|今《いま》の|雑言《ざふごん》|聞《き》き|捨《ず》てならず。|神界《しんかい》の|規則《きそく》に|照《て》らし|盤古大神《ばんこだいじん》はこの|場《ば》かぎり|神界《しんかい》|総統者《そうとうしや》の|職《しよく》を|去《さ》り、その|後任《こうにん》に|八王大神《やつわうだいじん》を|据《す》ゑたてまつりなば、|万古不易《ばんこふえき》の|神政《しんせい》は|完全無欠《くわんぜんむけつ》に|樹立《じゆりつ》さるべし。|満座《まんざ》の|神人《かみがみ》ども、|大神《おほかみ》の|言葉《ことば》を|信《しん》ずるや|否《いな》や、|返答《へんたふ》|聞《き》かむ』
と|呶鳴《どな》りつつ|物凄《ものすご》き|目《め》をむき|出《だ》し、|口《くち》を|右上方《みぎじやうはう》につり|上《あ》げ、|水《みづ》【ばな】を|長《なが》く|大地《だいち》に|垂《た》れながら、さも|厳《おごそ》かに|宣言《せんげん》した。あまたの|神人《かみがみ》は|審神《さには》の|術《じゆつ》を|知《し》らず、|日《ひ》の|大神《おほかみ》はじめ|尊《たふと》き|神《かみ》の|一度《いちど》に|懸《かか》らせたまひしものと|信《しん》じ、|頭《かうべ》を|得上《えあ》ぐるものも、|一言《いちごん》の|答弁《たふべん》をなすものもなかつた。|盤古大神《ばんこだいじん》は|空嘯《そらうそぶ》きて|満面《まんめん》に|冷笑《れいせう》を|湛《たた》へ、|常世姫《とこよひめ》の|面体《めんてい》を|凝視《ぎようし》し、|鎮魂《ちんこん》の|姿勢《しせい》を|取《と》つてゐた。
|盤古大神《ばんこだいじん》の|眼光《ぐわんくわう》に|睨《にら》みつけられたる|常世姫《とこよひめ》の|神憑《かむがか》りは、|左右《さいう》の|袖《そで》に|顔《かほ》をかくし、|泣《な》き|声《ごゑ》をふりしぼり、
『|八王大神《やつわうだいじん》|常世彦《とこよひこ》よ。いま|盤古大神《ばんこだいじん》には、|常世《とこよ》の|国《くに》に|年古《としふる》く|棲《す》める|古狸《ふるだぬき》の|霊《れい》、|憑依《ひようい》してこの|尊《たふと》き|神《かみ》の|生宮《いきみや》を|無礼千万《ぶれいせんばん》にも|睨《ね》めつけをれり。|神力《しんりき》をもつて|速《すみ》やかに|彼《かれ》を|退去《たいきよ》せしめ、|貴下《きか》は|盤古大神《ばんこだいじん》の|地位《ちゐ》に|就《つ》かるべし。|神勅《しんちよく》は|至正《しせい》|至直《しちよく》にして|寸毫《すんがう》も|犯《をか》すべからず、|満座《まんざ》の|神人《かみ》|異存《いぞん》あるや、|返答《へんたふ》|聞《き》かむ。かくも|大神《おほかみ》の|言葉《ことば》をもつて|神人《かみがみ》に|宣示《せんじ》すれども、|一言《いちごん》の|応《いら》へなきは、|汝《なんぢ》ら|諸神人《しよしん》は|神《かみ》の|言葉《ことば》を|信《しん》ぜざるか、ただしは|神《かみ》を|軽蔑《けいべつ》するか。かよわき|常世姫《とこよひめ》の|生宮《いきみや》として、|歯牙《しが》にかけざるごとき|態度《たいど》をなすは|無礼《ぶれい》のいたりなり。アーラ|残念《ざんねん》や、|口惜《くちを》しやな』
と|云《い》ひつつ|丘陵上《きうりようじやう》を|前後左右《ぜんごさいう》に|飛《と》んだり、|跳《は》ねたり、|転《ころ》んだり、その|醜態《しうたい》は|目《め》もあてられぬ|有様《ありさま》であつた。|常世彦《とこよひこ》は、やにはに|常世姫《とこよひめ》の|倒《たふ》れたる|前《まへ》に|進《すす》みいで、|襟首《えりくび》を|無雑作《むざふさ》に|猫《ねこ》でも|提《ひつさ》げたやうに|引掴《ひつつか》みて、|右《みぎ》の|片腕《かたうで》に|高《たか》くさしあげ、|大地《だいち》に|向《むか》つて|骨《ほね》も|砕《くだ》けよとばかり|投《な》げつけた。|常世姫《とこよひめ》はキヤツと|一声《いつせい》|叫《さけ》ぶと|見《み》る|間《ま》に、|邪神《じやしん》の|神憑《かむがか》りはにはかに|止《や》んで、|又《また》もや、もとの|優美《いうび》にして|温和《をんわ》なる|常世姫《とこよひめ》と|変《かは》つてしまつた。
かくのごとく|種々《しゆじゆ》の|悪神《あくがみ》たち、|大神《おほかみ》の|御名《みな》を|騙《かた》つて|神人《かみがみ》らに|一度《いちど》にどつと|憑依《ひようい》せしは、|数十日《すうじふにち》の|断水《だんすゐ》|断食《だんじき》のため|身体《しんたい》|霊魂《れいこん》ともに|疲労《ひらう》|衰耄《すいもう》の|極《きよく》に|達《たつ》し、|肉体《にくたい》としては|殆《ほとん》ど|蚤《のみ》|一匹《いつぴき》の|力《ちから》さへなくなつた。その|隙《すき》をねらつて|霊力《れいりよく》|弱《よわ》き|邪神《じやしん》が|憑依《ひようい》したのである。すべて|邪神《じやしん》の|憑依《ひようい》せむとするや、|天授《てんじゆ》の|四魂《しこん》を|弱《よわ》らせ、|肉体《にくたい》を|衰《おとろ》へさするをもつて|憑依《ひようい》の|第一方便《だいいちはうべん》とするものである。ゆゑに|神道《しんだう》または|仏道《ぶつだう》の|修業者《しうげふしや》などが|深山幽谷《しんざんいうこく》に|分《わ》け|入《い》り、|滝水《たきみづ》にうたれ|火食《くわしよく》を|断《た》ち、あるひは|断水《だんすゐ》の|行《ぎやう》をなし、または|百日《ひやくにち》の|断食《だんじき》などをなすは、その|最初《さいしよ》よりすでに|妖魅《えうみ》|邪鬼《じやき》にその|精神《せいしん》を|蠱惑《こわく》されて|了《しま》つてゐるのである。ゆゑに|神《かむ》がかりの|修養《しうやう》をなさむとせば、まづ|第一《だいいち》に|正食《せいしよく》を|励《はげ》み、|身体《しんたい》を|強壮《きやうさう》にし、|身魂《しんこん》ともに|爽快《さうくわい》となりしとき、|初《はじ》めて|至真《ししん》、|至美《しび》、|至明《しめい》、|至直《しちよく》の|神霊《しんれい》にたいし|帰神《きしん》の|修業《しうげふ》をなし、|憑依《ひようい》または|降臨《かうりん》を|乞《こ》はねばならないのである。
|総《すべ》て|神界《しんかい》には|正神界《せいしんかい》と|邪神界《じやしんかい》との|二大別《にだいべつ》あるは、この|物語《ものがたり》を|一《いち》ぺん|読《よ》みたる|人《ひと》はすでに|諒解《りやうかい》されしことならむ。されど|正邪《せいじや》の|区別《くべつ》は|人間《にんげん》として|如何《いか》に|賢明《けんめい》なりといへども、これを|正確《せいかく》に|審判《しんぱん》することは|容易《ようい》でない。|邪神《じやしん》は|善《ぜん》の|仮面《かめん》を|被《かぶ》り、|善言美辞《ぜんげんびじ》を|連《つら》ね、あるひは|一時《いちじ》|幸福《かうふく》を|与《あた》へ、あるひは|予言《よげん》をなし、もつて|審神者《さには》の|心胆《しんたん》を|蕩《とろ》かし、しかして|奥《おく》の|手《て》の|悪事《あくじ》を|遂行《すゐかう》せむとするものである。また|善神《ぜんしん》は|概《おほむ》ね|神格《しんかく》|容貌《ようばう》|優秀《いうしう》にして、|何処《いづこ》ともなく|権威《けんゐ》に|打《う》たるるものである。されど|中《なか》には|悪神《あくがみ》の|姿《すがた》と|変《へん》じ、あるひは|悪言暴語《あくげんばうご》を|連発《れんぱつ》し、|一時的《いちじてき》|災害《さいがい》を|下《くだ》し、かつ|予言《よげん》の|不適中《ふてきちう》なること|屡《しばしば》なるものがある。これらは|神界《しんかい》の|深《ふか》き|御経綸《ごけいりん》の|然《しか》らしむところであつて、|人心小智《じんしんせうち》の|窺知《きち》し|得《う》べき|範囲《はんゐ》ではないのである。ゆゑに|審神者《さには》たらむものは、|相当《さうたう》の|知識《ちしき》と|経験《けいけん》と|胆力《たんりよく》とがもつとも|必要《ひつえう》である。かつ|幾分《いくぶん》か|霊界《れいかい》の|消息《せうそく》に|通《つう》じてゐなければ、たうてい|正確《せいかく》な|審神者《さには》は|勤《つと》まらないのである。|世間《せけん》の|審神者《さには》|先生《せんせい》の|神術《かむわざ》にたいしては、ほとんど|合格者《がふかくしや》はないといつても|過言《くわげん》に|非《あら》ずと|思《おも》ふのである。
|却説《さて》、|盤古大神《ばんこだいじん》の|注意《ちうい》|周到《しうたう》なる|審神《さには》はよくその|効《かう》を|奏《そう》し、|邪神《じやしん》はここに|化《ばけ》の|皮《かは》をむかれ、|一目散《いちもくさん》にウラルの|山上《さんじやう》|目蒐《めが》けて|雲霞《くもかすみ》のごとく|逃《に》げ|帰《かへ》つた。されど|一度《いちど》|憑依《ひようい》せし|悪霊《あくれい》は|全部《ぜんぶ》|脱却《だつきやく》することは|至難《しなん》の|業《わざ》である。ちやうど|新《あたら》しき|徳利《とくり》に|酒《さけ》を|盛《も》り、その|酒《さけ》を|残《のこ》らず|飲《の》み|干《ほ》し|空《から》にしたその|後《ご》も、なほ|幾分《いくぶん》|酒《さけ》の|香《にほひ》が|残存《ざんぞん》してゐるごとく、|悪霊《あくれい》の|幾《いく》|部分《ぶぶん》はその|体内《たいない》に|浸潤《しんじゆん》してゐるのである。この|神憑《かむがか》りありしより、|常世彦《とこよひこ》、|常世姫《とこよひめ》、|竜山別《たつやまわけ》も、|日《ひ》を|追《お》ひ|月《つき》を|重《かさ》ねて、ますます|悪神《あくがみ》の|本性《ほんしやう》を|現《あら》はし、つひには|全部《ぜんぶ》|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》の|容器《ようき》となり、|神界《しんかい》を|大混乱《だいこんらん》の|暗黒界《あんこくかい》と|化《くわ》してしまつたのである。あゝ|慎《つつし》むべきは|審神《さには》の|研究《けんきう》と|神憑《かむがか》りの|修業《しうげふ》である。
(大正一一・一・七 旧大正一〇・一二・一〇 加藤明子録)
第一五章 |石搗歌《いしつきうた》〔二一五〕
|盤古大神《ばんこだいじん》は、|厳粛《げんしゆく》なる|審神《さには》に|依《よ》つて、|常世彦《とこよひこ》、|常世姫《とこよひめ》、|竜山別《たつやまわけ》その|他《た》の|神々《かみがみ》の|帰神的《きしんてき》|狂乱《きやうらん》|状態《じやうたい》はたちまち|鎮静《ちんせい》した。ここに|常世彦《とこよひこ》|以下《いか》の|神人《かみがみ》は、|盤古大神《ばんこだいじん》の|天眼力《てんがんりき》と、その|審神《さには》の|神術《かむわざ》の|優秀《いうしう》なるに|心底《しんてい》より|感服《かんぷく》し、|何事《なにごと》もその|後《ご》は|盤古大神《ばんこだいじん》の|指揮《しき》に|服従《ふくじゆう》することを|決議《けつぎ》した。
ここに|盤古大神《ばんこだいじん》は、ウラル|山《さん》の|中腹《ちうふく》の|極《きは》めて|平坦《へいたん》の|地《ち》を|選《えら》び、|宮殿《きうでん》を|造営《ざうえい》せむとし、|大峡小峡《おほがひをがひ》の|木《き》を|伐《き》り、|石《いし》を|搬《はこ》びて|基礎《きそ》|工事《こうじ》に|着手《ちやくしゆ》した。|神人《かみがみ》らの|寄《よ》り|集《あつ》まつて|勇《いさ》ましく|歌《うた》ひながらドンドンと|石《いし》|搗《つ》く|音《おと》は|昼夜《ちうや》の|区別《くべつ》なく、|天地《てんち》もために|震動《しんどう》せむず|勢《いきほひ》であつた。|百神《ももがみ》の|必死的《ひつしてき》|活動《くわつどう》の|結果《けつくわ》、|一百余日《いつぴやくよじつ》にして|基礎《きそ》|工事《こうじ》は|全《まつた》く|終了《しうれう》したのである。
その|時《とき》の|石搗《いしつき》の|歌《うた》は、
|神代《かみよ》の|昔《むかし》その|昔《むかし》 |常磐堅磐《ときはかきは》に|世《よ》を|護《まも》る
|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》の |築《つ》き|固《かた》めたる|礎《いしずゑ》は
|雨《あめ》の|朝《あした》や|風《かぜ》の|宵《よひ》 |雪《ゆき》|降《ふ》る|空《そら》や|雨嵐《あめあらし》
ちから|嵐《あらし》のいともろく |覆《くつがへ》りたる|神《かみ》の|代《よ》を
|立直《たてなほ》さむとこの|度《たび》の ウラルの|山《やま》の|神集《かむつど》ひ
|集《つど》ひたまひし|塩長彦《しほながひこ》の |神《かみ》の|命《みこと》や|八王《やつわう》の
|常世《とこよ》の|彦《ひこ》や|常世姫《とこよひめ》 |常世《とこよ》の|暗《やみ》を|照《て》らさむと
|心《こころ》も|赤《あか》きアーメニヤ |朝日《あさひ》も|清《きよ》く|照《て》りわたり
|光《ひかり》さやけき|夕月夜《ゆふづきよ》 |星《ほし》もきらめく|天津空《あまつそら》
|高行《たかゆ》く|雲《くも》も|立《た》つ|鳥《とり》も |伊行《いゆ》き|憚《はばか》るウラル|山《さん》
|表《おも》とウラルに|朝日子《あさひこ》の |輝《かがや》きわたる|祥代《あらたよ》に
|造《つく》り|固《かた》めて|常久《とことは》に |開《ひら》く|神代《かみよ》のまつりごと
|天《てん》にまします|日《ひ》の|御神《みかみ》 |大空《おほぞら》|伝《つた》ふ|月《つき》の|神《かみ》
|影《かげ》もさやかに|足御代《たるみよ》を |祝《いは》ひたまふか|今日《けふ》の|日《ひ》を
|風《かぜ》|清《きよ》らけく|花《はな》の|木《き》は |枝《えだ》もたわわに|実《みの》りして
|正《ただ》しき|神《かみ》を|松《まつ》の|山《やま》 |実《げ》にも|目出度《めでた》き|千代《ちよ》の|春《はる》
|四方《よも》にたなびく|春霞《はるがすみ》 みどりの|袖《そで》を|振《ふ》り|栄《は》えて
|春《はる》の|山姫《やまひめ》しとやかに |舞《ま》ひてをさむる|盤古《ばんこー》の
|万古不易《ばんこふえき》の|神《かみ》の|御代《みよ》 |万古不易《ばんこふえき》の|神《かみ》の|御代《みよ》
|百《もも》の|神人《かみがみ》|勇《いさ》み|立《た》ち |神《かみ》の|恵《めぐみ》に|四方山《よもやま》の
|草木《くさき》も|靡《なび》く|目出度《めでた》さよ アヽ|千秋万歳《せんしゆうばんざい》|楽境《らくきやう》の
この|礎《いしずゑ》をいや|固《かた》に いや|強《つよ》らかに|築《きづ》かむと
|上津岩根《うはついはね》に|搗《つ》き|凝《こ》らし |下津岩根《したついはね》に|搗《つ》き|固《かた》め
ついて|固《かた》めて|望《もち》の|夜《よ》の |月《つき》の|光《ひかり》の|雄々《をを》しさよ
ウラルの|山《やま》の|常久《とことは》に |空《そら》に|輝《かがや》くアーメニヤ
|野《の》は|平《たひら》けく|山《やま》|遠《とほ》く そよ|吹《ふ》く|風《かぜ》の|音《おと》|聞《き》けば
ばんこばんこと|響《ひび》くなり ばんこばんこと|響《ひび》きたる
この|石《いし》つきはいや|堅《かた》く |万古不易《ばんこふえき》の|礎《いしずゑ》ぞ
|万古不易《ばんこふえき》の|礎《いしづゑ》ぞ
ヨイトサー、ヨイトサ、ヨイトサツサー
ヨイトサ、ヨイトサ、ヨイトサツサー
いよいよ|基礎《きそ》|工事《こうじ》は|竣工《しゆんこう》した。これより|八王大神《やつわうだいじん》|指揮《しき》の|下《もと》に、|神人《かみがみ》らは|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|手分《てわけ》けをなし|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》や|谷《たに》の|底《そこ》、|大木《おほき》や|小木《をぎ》を|探《たづ》ねつつ、|本《もと》と|末《すゑ》とは|山口神《やまぐちのかみ》に|捧《ささ》げて、|中津御木《なかつみき》を|伐《き》り|採《と》り、エイヤエイヤと|日《ひ》ごと|夜《よ》ごとにウラル|山《さん》の|山腹《さんぷく》めがけて|運《はこ》び|上《あ》ぐるのであつた。
|神人《かみがみ》らの|昼夜《ちうや》の|丹精《たんせい》によつて、|用材《ようざい》はほとんど|大部分《だいぶぶん》|山《やま》のごとく|集《あつ》まつた。されど|最《もつと》も|必要《ひつえう》なる|宮殿《きうでん》の|棟木《むなぎ》を|欠《か》いてゐた。|神人《かみがみ》らは|四方山《よもやま》をあさり|探《さが》し|求《もと》むれど、|適当《てきたう》のものは|得《え》なかつた。ここに|盤古大神《ばんこだいじん》の|命《めい》により、|竜山別《たつやまわけ》は|平地《へいち》に|祭壇《さいだん》を|設《まう》け、もろもろの|供物《そなへもの》を|献《けん》じ、|心身《しんしん》を|清《きよ》めて|神勅《しんちよく》を|請《こ》ふこととなつた。|以前《いぜん》の|失敗《しつぱい》に|懲《こ》りて、|盤古大神《ばんこだいじん》は|自《みづか》ら|審神《さには》の|席《せき》についた。|竜山別《たつやまわけ》には|山口神《やまぐちのかみ》、|懸《かか》りたまひ|教《をし》へ|諭《さと》すやう、
『この|棟木《むなぎ》は、これより|遥《はる》か|南方《なんぱう》にあたり、|鷹鷲山《ようしうざん》といふ|霊山《れいざん》あり。その|山腹《さんぷく》に|朝《あさ》は|西海《せいかい》をかくし、|夕《ゆふべ》は|東海《とうかい》をかくす|枝葉《しえう》|繁茂《はんも》せる|大樹《たいじゆ》がある。その|大樹《たいじゆ》には|数万《すうまん》の|高津神《たかつかみ》|群《むら》がり|棲《す》み|居《を》れば、これを|伐《き》り|採《と》ること|容易《ようい》ならず。されば、|吾《われ》はこれより|山口神《やまぐちのかみ》の|職権《しよくけん》をもつて、|彼《かれ》らを|他山《たざん》の|大樹《たいじゆ》に|転居《てんきよ》せしめむ。|竜山別《たつやまわけ》をはじめ|数多《あまた》の|神人《かみがみ》は|獲物《えもの》[#「獲物」は御校正本通り]を|用意《ようい》し、|一時《いちじ》も|早《はや》く|鷹鷲山《ようしうざん》に|向《むか》へ』
と|宣示《せんじ》したまま、|神霊《しんれい》はたちまち|引取《ひきと》つてしまつた。この|神示《しんじ》によつて|数多《あまた》の|神人《かみがみ》は|勇《いさ》みよろこび、|時《とき》をうつさず|鷹鷲山《ようしうざん》に|数百千《すうひやくせん》の|神人《かみがみ》を|引率《いんそつ》して、|荊棘《けいきよく》を|開《ひら》き、|谷《たに》を|渡《わた》り、|叢《くさむら》を|切《き》り|払《はら》ひ、やうやく|大樹《たいじゆ》の|下《もと》に|達《たつ》した。
|樹上《じゆじやう》に|在《あ》りし|高津神《たかつかみ》は、|先頭《せんとう》に|立《た》てる|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》の|姿《すがた》に|肝《きも》を|消《け》し、|山口神《やまぐちのかみ》の|命《めい》ずるままに、|裏山《うらやま》に|転居《てんきよ》してしまつた。この|木《き》を|伐《き》り|採《と》らむとして、|神人《かみがみ》は|背《せ》つぎをなし、まづ|一《いち》の|枝《えだ》にかけつき、つづいて|数多《あまた》の|神人《かみがみ》は|鉞《まさかり》、|鋸《のこぎり》などの|得物《えもの》を|携《たづさ》へ、|最上部《さいじやうぶ》の|枝《えだ》より|伐《き》りはじめた。
|名《な》にし|負《お》う|鷹鷲山《ようしうざん》の|稀代《きだい》の|大木《たいぼく》とて、|容易《ようい》にこの|事業《じげふ》は|捗《はか》どらなかつた。この|木《き》を|伐《き》るに|殆《ほとん》ど|三年《さんねん》の|日子《につし》を|要《えう》したりといふ。
(大正一一・一・七 旧大正一〇・一二・一〇 外山豊二録)
第一六章 |霊夢《れいむ》〔二一六〕
|八王大神《やつわうだいじん》の|命《めい》により、|常世城《とこよじやう》を|預《あづ》かりて|守護《しゆご》せる|大鷹別《おほたかわけ》は、|盤古大神《ばんこだいじん》が|美《うる》はしき|宮殿《きうでん》を|建《た》てむとし、その|用材《ようざい》のために|苦《くる》しみ、|神人《かみがみ》らは|挙《こぞ》つて|鷹鷲山《ようしうざん》にいたり、|昼夜《ちうや》の|区別《くべつ》なく、その|木《き》の|伐採《ばつさい》に|全力《ぜんりよく》をつくしつつありて、|盤古大神《ばんこだいじん》の|身辺《しんぺん》も、|八王大神《やつわうだいじん》|夫妻《ふさい》の|身辺《しんぺん》もその|備《そな》への|甚《はなは》だ|薄弱《はくじやく》なることを|間者《かんじや》|松彦《まつひこ》をして|探知《たんち》せしめ、その|詳細《しやうさい》を|知《し》るとともに、|大鷹別《おほたかわけ》の|野心《やしん》は|勃然《ぼつぜん》として|湧《わ》いてきた。
|今《いま》この|際《さい》|常世城《とこよじやう》を|占領《せんりやう》し、|大自在天《だいじざいてん》を|奉《ほう》じて、あらたに|神政《しんせい》を|樹立《じゆりつ》し、|天下《てんか》の|覇権《はけん》を|握《にぎ》るといへども、|盤古大神《ばんこだいじん》および|八王大神《やつわうだいじん》の|目下《もくか》の|立場《たちば》として、|常世城《とこよじやう》を|討伐《たうばつ》する|余力《よりよく》さらになく、|気息《きそく》|奄々《えんえん》としてほとんど|孤城落日《こじやうらくじつ》の|悲境《ひきやう》にあれば、|叛旗《はんき》を|挙《あ》ぐるはこの|時《とき》なりと、|部下《ぶか》の|蟹雲別《かにくもわけ》、|牛熊別《うしくまわけ》、|鬼雲別《おにくもわけ》らと|語《かた》らひ、さかんにその|画策《くわくさく》に|熱中《ねつちゆう》してゐた。
このとき、|旭《あさひ》、|高倉《たかくら》の|妙術《めうじゆつ》に|乗《の》せられ、|何時《いつ》とはなく|常世城《とこよじやう》に|捕虜《ほりよ》となりし|塩治姫《しほはるひめ》、|玉春姫《たまはるひめ》は、|何《いづ》れもわが|父《ちち》に|叛旗《はんき》を|掲《かか》ぐるものたることを|感知《かんち》し、いかにもして|常世城《とこよじやう》を|脱出《だつしゆつ》し、ウラル|山《さん》の|両親《りやうしん》にこの|旨《むね》を|密告《みつこく》せむと、|日夜《にちや》|焦慮《せうりよ》しつつあつた。
されど、|用心《ようじん》ぶかき|大鷹別《おほたかわけ》は|二女《にぢよ》の|身辺《しんぺん》の|警護《けいご》をことさら|厳《げん》にし、|且《か》つその|室《しつ》の|周囲《しうゐ》をあまたの|神人《かみがみ》をして|囲《かこ》み|守《まも》らしめ、|遁《のが》れ|出《い》でむとするにも、|蟻《あり》の|這《は》ひ|出《い》づる|隙間《すきま》もなき|有様《ありさま》であつた。
|話《はなし》は|元《もと》へもどつて、ウラル|山《さん》の|仮殿《かりでん》にある|盤古大神《ばんこだいじん》は、ある|夜《よ》の|夢《ゆめ》に、わが|娘《むすめ》|塩治姫《しほはるひめ》は|玉春姫《たまはるひめ》とともに|常世城《とこよじやう》にさらはれ、|人質《ひとじち》の|境遇《きやうぐう》に|苦《くる》しみつつある|霊夢《れいむ》に|感《かん》じた。しかして|今《いま》ウラル|山《さん》にある|塩治姫《しほはるひめ》、|玉春姫《たまはるひめ》は|真《しん》のわが|子《こ》に|非《あら》ず、|白狐《びやくこ》の|変化《へんげ》なりといふ|霊夢《れいむ》を|引《ひ》きつづいて|見《み》た。
|明《あ》くれば、|盤古大神《ばんこだいじん》は|仮殿《かりでん》に|仕《つか》へてゐる|塩治姫《しほはるひめ》、|玉春姫《たまはるひめ》を|傍近《そばちか》く|招《まね》き、
『|汝《なんぢ》はわが|天眼通《てんがんつう》にて|審査《しんさ》するに、|全《まつた》く|白狐《びやくこ》の|変化《へんげ》なり。|今《いま》すみやかにその|正体《しやうたい》をわが|前《まへ》に|現《あら》はせ。|万一《まんいち》|違背《ゐはい》におよばば、|汝《なんぢ》ら|二人《ふたり》は|余《よ》が|手練《しゆれん》の|刀《かたな》の|錆《さび》となさむ、|覚悟《かくご》せよ』
と|炬火《たいまつ》のごとき|眼《め》を|怒《いか》らし、カツと|睨《にら》みつけた。|二《に》|女性《ぢよせい》は|少《すこ》しも|騒《さわ》がず、|満面《まんめん》に|笑《ゑみ》をたたへ、
『|貴神《きしん》の|天眼力《てんがんりき》にて|見《み》らるる|通《とほ》り、|吾《われ》は|聖地《せいち》ヱルサレムの|神使《しんし》として|長《なが》く|仕《つか》へたてまつりし|白狐《びやくこ》の|高倉《たかくら》、|旭《あさひ》なり。なんぢ|悪神《あくがみ》|一味《いちみ》の|暴悪《ばうあく》を|懲《こら》さむため、アーメニヤの|野《の》における|奇怪《きくわい》といひ、また|鷹鷲山《ようしうざん》における|棟木《むなぎ》の|三年《さんねん》を|経《ふ》るも|伐《き》り|採《と》り|得《え》ざるは、まつたく|吾《われ》ら|二神《にしん》の|所為《しよゐ》なり。あゝ|心地《ここち》よや、あゝ|面白《おもしろ》や』
とカラカラと|長《なが》き|舌《した》を|出《だ》して|笑《わら》ひこけた。
|盤古大神《ばんこだいじん》は|烈火《れつくわ》のごとく|憤《いきどほ》り、|腰《こし》に|佩《は》ける|刀《かたな》を|抜《ぬ》くより|早《はや》く、|二人《ふたり》を|目《め》がけて|発止《はつし》と|斬《き》りつけた。|如何《いかが》なしけむ、|二神《にしん》の|姿《すがた》は|煙《けむり》と|消《き》えて、ただ|中空《ちうくう》に|女神《めがみ》の|愉快《ゆくわい》げに|笑《わら》ひ【さざめく】|声《こゑ》がするのみであつた。
これより、いよいよ|大自在天《だいじざいてん》は|常世城《とこよじやう》を|占領《せんりやう》し、|天下《てんか》の|神政《しんせい》を|統一《とういつ》せむと|計《はか》り、|今《いま》まで|聖地《せいち》ヱルサレムを|滅《ほろ》ぼさむとして|協力《けふりよく》したる|盤古大神《ばんこだいじん》|一派《いつぱ》にむかつて、|無名《むめい》の|戦端《せんたん》を|開《ひら》くこととなつた。
|空《そら》には|聖地《せいち》|竜宮城《りうぐうじやう》の|三重《みへ》の|金殿《きんでん》は、|自然《しぜん》に|延長《えんちやう》して|天空《てんくう》に|高《たか》く|現《あら》はれ|出《で》た。|丁字形《ていじけい》の|天《あま》の|浮橋《うきはし》は|金色《きんしよく》|燦然《さんぜん》として|大空《おほぞら》を|東西南北《とうざいなんぼく》に|廻転《くわいてん》しはじめた。
その|橋《はし》の|尖端《せんたん》よりは、|得《え》も|言《い》はれぬ|美《うる》はしき|金色《こんじき》の|火光《くわくわう》を、|花火《はなび》のごとく|地上《ちじやう》にむかつて|放射《はうしや》しつつあつた。|実《じつ》に|荘厳《さうごん》|無比《むひ》にして、かつ|美《うつく》しきこと|譬《たと》ふるに|物《もの》なく、その|閃光《せんくわう》に|見《み》とれて|空《そら》を|見上《みあ》ぐるとたんに、|瑞月《ずゐげつ》の|身《み》は|頭部《とうぶ》に|劇痛《げきつう》を|感《かん》じた。|驚《おどろ》いて|肉体《にくたい》にかへりみれば、|寒風《かんぷう》|吹《ふ》きすさむ|高熊山《たかくまやま》の|岩窟《がんくつ》に|端坐《たんざ》し、|仰向《あふむ》くとたんに、|岸壁《がんぺき》の|凸部《とつぶ》に|後頭部《こうとうぶ》を|打《う》つてゐた。
(大正一一・一・七 旧大正一〇・一二・一〇 桜井重雄録)
第三篇 |予言《よげん》と|警告《けいこく》
第一七章 |勢力《せいりよく》|二分《にぶん》〔二一七〕
|大国彦《おほくにひこ》は、|大鷹別《おほたかわけ》|以下《いか》の|神々《かみがみ》とともに|常世城《とこよじやう》において、|堅固《けんご》なる|組織《そしき》のもとに|神政《しんせい》を|開始《かいし》した。しかして|大自在天《だいじざいてん》を|改名《かいめい》して|常世神王《とこよしんわう》と|称《しよう》し、|大鷹別《おほたかわけ》を|大鷹別神《おほたかわけのかみ》と|称《しよう》し、その|他《た》の|重《おも》き|神人《かみがみ》に|対《たい》して|命名《みことな》を|附《ふ》すこととなつた。
ここに|八王大神《やつわうだいじん》|常世彦《とこよひこ》は、|常世神王《とこよしんわう》と|類似《るゐじ》せるわが|神名《しんめい》を|改称《かいしよう》するの|必要《ひつえう》に|迫《せま》られ、ウラル|彦《ひこ》と|改称《かいしよう》し、|常世姫《とこよひめ》はウラル|姫《ひめ》と|改《あらた》めた。そして|盤古大神《ばんこだいじん》を|盤古神王《ばんこしんわう》と|改称《かいしよう》し、|常世神王《とこよしんわう》にたいして|対抗《たいかう》する|事《こと》となつた。|各山《かくざん》|各地《かくち》の|八王神《やつわうじん》は|残《のこ》らず|命《みこと》を|廃《はい》し、|神《かみ》と|称《しよう》することとなり、|八頭《やつがしら》は|依然《いぜん》として|命名《みことな》を|称《とな》へ、|八王八頭《やつわうやつがしら》の|名称《めいしよう》を|全部《ぜんぶ》|撤廃《てつぱい》してしまつた。これは|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》の|名《な》と|言霊上《ことたまじやう》|間違《まちが》ひやすきを|慮《おもんぱか》つたからである。されど|数多《あまた》の|神人《かみがみ》は|従来《じうらい》の|称呼《しようこ》に|慣《な》れて、|依然《いぜん》として|八王八頭《やつわうやつがしら》と|称《とな》へてゐた。|国祖《こくそ》|御隠退《ごいんたい》の|後《あと》は、|常世神王《とこよしんわう》の|一派《いつぱ》と|盤古神王《ばんこしんわう》|一派《いつぱ》は|東西《とうざい》に|分《わか》れ、|日夜《にちや》|権勢《けんせい》|争奪《そうだつ》に|余念《よねん》なく、|各地《かくち》の|八王八頭《やつわうやつがしら》はその|去就《きよしう》に|迷《まよ》ひ、|万寿山《まんじゆざん》、|南高山《なんかうざん》を|除《のぞ》くのほか、あるひは|西《にし》にあるひは|東《ひがし》に|随従《ずゐじう》して、たがひに|嫉視反目《しつしはんもく》、|紛糾《ふんきう》|混乱《こんらん》はますます|劇《はげ》しくなつた。この|状況《じやうきやう》を|蔭《かげ》ながら|窺《うかが》ひたまひし|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》は|野立彦命《のだちひこのみこと》と|変名《へんめい》し、|木花姫《このはなひめ》の|鎮《しづ》まります|天教山《てんけうざん》に|現《あら》はれたまうた。また|豊国姫命《とよくにひめのみこと》は|野立姫命《のだちひめのみこと》と|変名《へんめい》してヒマラヤ|山《さん》に|現《あら》はれ、|高山彦《たかやまひこ》をして|天地《てんち》の|律法《りつぱふ》を|遵守《じゆんしゆ》し、|天真道彦命《あめのまみちひこのみこと》とともに|天地《てんち》の|大道《だいだう》を|説《と》き、|神人《しんじん》をあまねく|教化《けうくわ》せしめつつあつた。また|天道別命《あまぢわけのみこと》は|国祖《こくそ》とともに|天教山《てんけうざん》に|現《あら》はれ、|神界《しんかい》|改造《かいざう》の|神業《しんげふ》について、|日夜《にちや》|心魂《しんこん》を|悩《なや》ましたまひつつあつた。|幸《さいはひ》にヒマラヤ|山《さん》は|東西《とうざい》|両方《りやうはう》の|神王《しんわう》の|管下《くわんか》を|離《はな》れ、やや|独立《どくりつ》を|保《たも》つてゐた。また|万寿山《まんじゆざん》は|磐樟彦《いはくすひこ》、|瑞穂別《みずほわけ》の|確固不抜《かくこふばつ》の|神政《しんせい》により、|依然《いぜん》として|何《なん》の|動揺《どうえう》もなく、|霊鷲山《りやうしゆうざん》の|大八洲彦命《おおやしまひこのみこと》、|大足彦《おほだるひこ》とともに|天下《てんか》の|形勢《けいせい》を|観望《くわんばう》しつつあつた。
|天道別命《あまぢわけのみこと》は、|野立彦命《のだちひこのみこと》の|内命《ないめい》を|奉《ほう》じ|青雲山《せいうんざん》に|現《あら》はれ、|神澄彦《かみずみひこ》、|吾妻彦《あづまひこ》とともに|天地《てんち》の|大変動《だいへんどう》のきたるを|予知《よち》し、あまねく|神人《しんじん》を|教化《けうくわ》しつつあつた。
|盤古神王《ばんこしんわう》およびウラル|彦《ひこ》は、|常世神王《とこよしんわう》の|反逆的《はんぎやくてき》|行為《かうゐ》をいきどほり、|各山《かくざん》|各地《かくち》の|神人《かみがみ》をアーメニヤの|仮殿《かりどの》に|召集《せうしふ》し、|常世城《とこよじやう》|討伐《たうばつ》の|計画《けいくわく》を|定《さだ》めむとした。されども|神人《かみがみ》ら(|八王八頭《やつわうやつがしら》)は、|常世神王《とこよしんわう》の|強大《きやうだい》なる|威力《ゐりよく》に|恐《おそ》れ、|鼻息《はないき》をうかがひ、|盤古神王《ばんこしんわう》の|召集《せうしふ》に|応《おう》ずるもの|甚《はなは》だ|尠《すくな》かつた。いづれも|順慶式《じゆんけいしき》|態度《たいど》をとり、|旗色《はたいろ》を|鮮明《せんめい》にするものがなかつた。また|一方《いつぱう》|常世神王《とこよしんわう》は、|各山《かくざん》|各地《かくち》の|八王八頭《やつわうやつがしら》にたいし、|常世城《とこよじやう》に|召集《せうしふ》の|令《れい》を|発《はつ》し、|神界《しんかい》|統一《とういつ》の|根本《こんぽん》を|定《さだ》めむとした。されどこれまた|前《まへ》のごとく|言《げん》を|左右《さいう》に|託《たく》して、|一柱《ひとはしら》も|参集《さんしふ》する|神人《かみがみ》がなかつた。この|参加《さんか》、|不参加《ふさんか》については、|各山《かくざん》|各地《かくち》とも、|八王《やつわう》と|八頭《やつがしら》とのあひだに|意見《いけん》の|衝突《しようとつ》をきたし、|八王《やつわう》が|常世神王《とこよしんわう》に|赴《おもむ》かむとすれば、|八頭《やつがしら》は|盤古神王《ばんこしんわう》に|附随《ふずい》せむとし、|各所《かくしよ》に|小紛乱《せうふんらん》が|続発《ぞくはつ》したのである。このときこそは|実《じつ》に|天下《てんか》は|麻《あさ》のごとく|乱《みだ》れて|如何《いかん》ともすることが|出来《でき》なかつた。|八王《やつわう》および|八頭《やつがしら》は|進退《しんたい》|谷《きは》まり、|今《いま》となつてはもはや|常世神王《とこよしんわう》も|盤古神王《ばんこしんわう》も|頼《たの》むに|足《た》らず、|何《なん》となくその|貫目《くわんもく》の|軽《かる》くして|神威《しんゐ》の|薄《うす》きを|感《かん》じ、ふたたび|国祖《こくそ》の|出現《しゆつげん》の|一日《いちにち》も|速《はや》からむことを、|大旱《たいかん》の|雲霓《うんげい》を|望《のぞ》むがごとく|待《ま》ち|焦《こ》がるるやうになつた。|叶《かな》はぬ|時《とき》の|神《かみ》|頼《だの》みとやら、いづれの|八王八頭《やつわうやつがしら》も|各自《かくじ》|鎮祭《ちんさい》の|玉《たま》の|宮《みや》に|致《いた》つて、|百日百夜《ひやくにちひやくや》の|祈願《きぐわん》をなし、この|混乱《こんらん》を|鎮定《ちんてい》すべき|強力《きやうりよく》の|神《かみ》を|降《くだ》したまはむことを|天地《てんち》に|祈《いの》ることとなつた。
|地上《ちじやう》の|神界《しんかい》は|常世神王《とこよしんわう》の|統制力《とうせいりよく》も|確固《かくこ》ならず、|盤古神王《ばんこしんわう》また|勢力《せいりよく》|振《ふる》はず、|各山《かくざん》|各地《かくち》の|八王八頭《やつわうやつがしら》は|各《おのおの》|国魂《くにたま》によつて|独立《どくりつ》し、つひには|常世神王《とこよしんわう》も|盤古神王《ばんこしんわう》もほとんど|眼中《がんちう》になく、ただたんに|天地創造《てんちさうざう》の|大原因《だいげんいん》たる|神霊《しんれい》の|降下《かうか》して、|善美《ぜんび》の|神政《しんせい》を|樹立《じゆりつ》したまふ|時《とき》のきたるを|待《ま》つのみであつた。|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》および|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪狐《あくこ》および|六面八臂《ろくめんはつぴ》の|邪鬼《じやき》は、|時《とき》こそ|到《いた》れりと|縦横無尽《じうわうむじん》に|暴威《ばうゐ》を|逞《たくま》しうする|事《こと》となつてしまつた。
|附言《ふげん》、|言葉《ことば》の|冗長《じようちやう》を|避《さ》くるため、|今後《こんご》は|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》を|単《たん》に|大蛇《をろち》といひ、|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪狐《あくこ》を|単《たん》に|金狐《きんこ》と|称《しよう》し、|六面八臂《ろくめんはつぴ》の|邪鬼《じやき》を|単《たん》に|邪鬼《じやき》と|名《な》づけて|物語《ものがたり》することといたします。
(大正一一・一・九 旧大正一〇・一二・一二 加藤明子録)
第一八章 |宣伝使《せんでんし》〔二一八〕
ここに|天教山《てんけうざん》(|一名《いちめい》|須弥仙山《しゆみせんざん》ともいふ)に|鎮《しづ》まり|坐《ま》す|木花姫命《このはなひめのみこと》の|招《まね》きにより、|集《あつま》つた|神人《かみ》は、
|大八洲彦命《おおやしまひこのみこと》(|一名《いちめい》|月照彦神《つきてるひこのかみ》)、|大足彦《おほだるひこ》(|一名《いちめい》|足真彦《だるまひこ》)、|言霊別命《ことたまわけのみこと》(|一名《いちめい》|少彦名神《すくなひこなのかみ》)、|神国別命《かみくにわけのみこと》(|一名《いちめい》|弘子彦神《ひろやすひこのかみ》)、|国直姫命《くになほひめのみこと》(|一名《いちめい》|国照姫神《くにてるひめのかみ》)、|大道別《おほみちわけ》(|一名《いちめい》|日《ひ》の|出神《でのかみ》)、|磐樟彦《いはくすひこ》(|一名《いちめい》|磐戸別神《いはとわけのかみ》)、|斎代彦《ときよひこ》(|一名《いちめい》|祝部神《はふりべのかみ》)、|大島別《おおしまわけ》(|一名《いちめい》|太田神《おほたのかみ》)、|鬼武彦《おにたけひこ》(|一名《いちめい》|大江神《おほえのかみ》)、|高倉《たかくら》、|旭《あさひ》の|二神《にしん》|合体《がつたい》して|月日明神《つきひみやうじん》
その|他《た》の|神人《かみがみ》なりける。
それらの|神人《かみがみ》は、|天教山《てんけうざん》の|中腹《ちうふく》|青木ケ原《あをきがはら》の|聖場《せいぢやう》に|会《くわい》し、|野立彦命《のだちひこのみこと》の|神勅《しんちよく》を|奉《ほう》じ、|天下《てんか》の|神人《しんじん》を|覚醒《かくせい》すべく、|予言者《よげんしや》となりて|世界《せかい》の|各地《かくち》に|派遣《はけん》せられた。その|予言《よげん》の|言葉《ことば》にいふ。
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》、|月日《つきひ》と|土《つち》の|恩《おん》を|知《し》れ、|心《こころ》|一《ひと》つの|救《すく》ひの|神《かみ》ぞ、|天教山《てんけうざん》に|現《あら》はれる』
|以上《いじやう》の|諸神人《しよしん》はこの|神言《かみごと》を|唱《とな》へつつ、あるひは|童謡《どうえう》に、あるひは|演芸《えんげい》に、あるひは|音楽《おんがく》に【ことよせ】、|千辛万苦《せんしんばんく》して|窃《ひそか》に|国祖《こくそ》の|予言《よげん》|警告《けいこく》を|宣伝《せんでん》した。
されど、|大蛇《をろち》や|金狐《きんこ》の|邪霊《じやれい》に|心底《しんてい》より|誑惑《けうわく》され|切《き》つたる|神人《かみがみ》らは、ほとんどこの|予言《よげん》を|軽視《けいし》し、|酒宴《しゆえん》の|席《せき》における|流行歌《はやりうた》とのみ|聞《き》きながし、|事《こと》に|触《ふ》れ|物《もの》に|接《せつ》してただちに|口吟《くちずさ》みながら、その|警告《けいこく》の|真意《しんい》を|研究《けんきう》し、|日月《じつげつ》の|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》し、|身魂《みたま》を|錬磨《れんま》せむとする|者《もの》は、ほとんど|千中《せんちう》の|一《いち》にも|当《あた》らぬくらゐであつた。
|常世神王《とこよしんわう》は、|門前《もんぜん》に|節《ふし》|面白《おもしろ》く「|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》|云々《うんぬん》」と|歌《うた》ひくる|月日明神《つきひみやうじん》の|童謡《どうえう》を|聞《き》いて|首《くび》をかたむけ、|大鷹別《おほたかわけ》をして|月日明神《つきひみやうじん》をともなひ|殿中《でんちう》に|招《まね》き、|諸神《しよしん》|満座《まんざ》の|中《なか》にてこの|歌《うた》を|謡《うた》はしめた。
|月日明神《つきひみやうじん》は、|面白《おもしろ》く|手拍子《てべうし》|足拍子《あしべうし》を|揃《そろ》へ、かつ|優美《いうび》に|歌《うた》ひ|舞《ま》ひはじめた。いづれもその|妙技《めうぎ》に|感嘆《かんたん》して|見《み》とれゐたり。
|神人《かみがみ》らは、|嬉々《きき》として|天女《てんによ》の|音楽《おんがく》を|聴《き》くごとく|勇《いさ》みたち、|中《なか》には|自《みづか》ら|起《た》ちてその|歌《うた》をうたひ、|月日明神《つきひみやうじん》と|相並《あひなら》んで|品《ひん》よく|踊《をど》り|狂《くる》ふものあり。|殿内《でんない》は|神人《かみがみ》らの|歓喜《くわんき》の|声《こゑ》に|充《みた》されて|春《はる》のやうであつた。|独《ひと》り|常世神王《とこよしんわう》は、|神人《かみがみ》らの|喜《よろこ》び|勇《いさ》み|踊《をど》り|狂《くる》うて|他愛《たあい》なきに|引《ひ》きかへ、|両手《りやうて》に|頭《あたま》を|抑《おさ》へながら|苦悶《くもん》に|堪《た》へざる|面持《おももち》にて、|始終《しじう》|俯《うつむ》きがちにその|両眼《りやうがん》よりは|涙《なみだ》を|垂《た》らし、かつ|恐怖《きようふ》|戦慄《せんりつ》の|色《いろ》をあらはし、|何《なん》となく|落着《おちつ》かぬ|様子《やうす》であつた。
この|様子《やうす》を|窺《うかが》ひ|知《し》つたる|大鷹別《おほたかわけ》は、|常世神王《とこよしんわう》の|御前《みまへ》に|恭《うやうや》しく|拝礼《はいれい》し、かついふ、
『|神王《しんわう》は、|何故《なぜ》かかる|面白《おもしろ》き|歌舞《かぶ》を【みそなは】しながら、|憂鬱《いううつ》|煩慮《はんりよ》の|体《てい》にましますや、|一応《いちおう》|合点《がてん》ゆかず、|御真意《ごしんい》を|承《うけたま》はりたし、|小子《せうし》の|力《ちから》に|及《およ》ぶことならば、いかなる|難事《なんじ》といへども、|神王《しんわう》のためには|一身《いつしん》を|惜《を》しまず|仕《つか》へまつらむ』
と|至誠《しせい》|面《おもて》にあらはれて|進言《しんげん》した。
されど、|常世神王《とこよしんわう》はただ|俯向《うつむ》いて|一言《いちごん》も|発《はつ》せず、|溜息《ためいき》|吐息《といき》を|吐《は》くばかりであつた。|大鷹別《おほたかわけ》は|重《かさ》ねてその|真意《しんい》を|言葉《ことば》しづかに|伺《うかが》つた。|常世神王《とこよしんわう》はただ|一言《いちごん》、
『|月日明神《つきひみやうじん》を|大切《たいせつ》に|饗応《きやうおう》し、|本城《ほんじやう》の|主賓《しゆひん》として|優待《いうたい》せよ』
といひ|残《のこ》し、|奥殿《おくでん》に|逸早《いちはや》く|姿《すがた》をかくした。
|月日明神《つきひみやうじん》は|衆神《しうじん》にむかひ、
『|世《よ》の|終《をは》りは|近《ちか》づけり、|天地《てんち》の|神明《しんめい》に|身魂《みたま》の|罪《つみ》を|心底《しんてい》より|謝罪《しやざい》せよ』
といひつつ、|姿《すがた》は|烟《けむり》のごとく|消《き》えてしまつた。
しばらくあつて|常世神王《とこよしんわう》は|大鷹別《おほたかわけ》にむかひ、
『|旭明神《あさひみやうじん》とやらの|唱《とな》ふる|童謡《どうえう》は、|普通《ふつう》|一般《いつぱん》の|神人《しんじん》の|作《つく》りし|歌《うた》にあらず、|天上《てんじやう》にまします|尊《たふと》き|神《かみ》の|予言《よげん》|警告《けいこく》なれば、|吾《われ》らは|一時《いちじ》も|早《はや》く|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い、|月日《つきひ》と|土《つち》の|大恩《たいおん》を|感謝《かんしや》し、|天地《てんち》の|神霊《しんれい》を|奉斎《ほうさい》せざるべからず。|是《これ》については|吾々《われわれ》も|一大《いちだい》|決心《けつしん》を|要《えう》す。すみやかに|盤古神王《ばんこしんわう》の|娘《むすめ》|塩治姫《しほはるひめ》およびウラル|彦《ひこ》の|娘《むすめ》|玉春姫《たまはるひめ》をアーメニヤの|神都《しんと》に|礼《れい》を|厚《あつ》くしてこれを|送還《そうくわん》し、|時《とき》を|移《うつ》さずロッキー|山上《さんじやう》に|仮殿《かりどの》を|建《た》て、すみやかに|転居《てんきよ》の|準備《じゆんび》に|着手《ちやくしゆ》せよ』
と|厳命《げんめい》した。|大鷹別《おほたかわけ》は|神王《しんわう》の|真意《しんい》を|解《かい》しかね、|心中《しんちう》に|馬鹿《ばか》らしく|感《かん》じつつも、|命《めい》のごとく|数多《あまた》の|神人《かみがみ》をして|二《に》|女性《ぢよせい》をアーメニヤに|送還《そうくわん》せしめ、ロッキー|山《ざん》の|頂上《ちやうじやう》に|土引《つちひ》き|均《なら》し、|形《かたち》ばかりの|仮殿《かりどの》を|建設《けんせつ》することとなつた。
アーメニヤの|神都《しんと》にては、|盤古神王《ばんこしんわう》をはじめウラル|彦《ひこ》は、|常世神王《とこよしんわう》の|俄《にはか》に|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い、|心底《しんてい》より|帰順《きじゆん》したる|表徴《へうちよう》として|安堵《あんど》し、かつ|軽侮《けいぶ》の|念《ねん》を|高《たか》めつつ|意気《いき》|衝天《しようてん》の|勢《いきほ》ひであつた。
|頃《ころ》しも|仮《かり》|宮殿《きうでん》の|傍近《そばちか》く、
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》』
と|謡《うた》うて|通《とほ》る|言触神《ことぶれのかみ》(|宣伝使《せんでんし》)があつた。|盤古神王《ばんこしんわう》はこの|声《こゑ》に|耳《みみ》をそばだて|胸《むね》を|抑《おさ》へてその|場《ば》に|平伏《へいふく》した。この|声《こゑ》の|耳《みみ》に|入《い》るとともに|頭《かしら》は|割《わ》るるがごとく、|胸《むね》は|引《ひ》き|裂《さ》くるごとくに|感《かん》じたからである。
ウラル|彦《ひこ》|夫妻《ふさい》は、|神王《しんわう》のこの|様子《やうす》を|見《み》て|不審《ふしん》に|堪《た》へず、あわただしく|駆《か》けよつて|介抱《かいほう》せむとした。|神王《しんわう》は|右《みぎ》の|手《て》を|挙《あ》げて|左右《さいう》に|振《ふ》り、|苦《くる》しき|息《いき》を|吐《つ》きながら、
『ただ|今《いま》の|言触神《ことぶれのかみ》の|声《こゑ》を|聴《き》け』
といつた。|二神《にしん》は|答《こた》へて、
『|彼《かれ》は|神人《かみがみ》らに|食《しよく》を|求《もと》めて|天下《てんか》を|遍歴《へんれき》する|流浪人《さすらひびと》なり、かくのごとき|神人《かみがみ》の|言《げん》を|信《しん》じて|心身《しんしん》を|悩《なや》ませたまふは、|平素《へいそ》|英邁《えいまい》にして|豪胆《がうたん》なる|神王《しんわう》の|御言葉《おことば》とも|覚《おぼ》えず、|貴下《きか》は|神経《しんけい》を|悩《なや》ましたまふにあらざるか』
とやや|冷笑《れいせう》を|浮《うか》べて|問《と》ひかけた。
|神王《しんわう》は|二人《ふたり》の|言葉《ことば》の|耳《みみ》にも|入《い》らざるごとき|様子《やうす》にて、|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|或《あるひ》は|天《てん》を|拝《はい》し|或《あるひ》は|地《ち》を|拝《はい》し、
『|月日《つきひ》と|土《つち》の|恩《おん》を|知《し》れ、|月日《つきひ》と|土《つち》の|恩《おん》を|知《し》れ、|世界《せかい》の|神人《しんじん》の|罪《つみ》を|赦《ゆる》し、|吾《われ》ら|一族《いちぞく》をこの|大難《だいなん》より|救《すく》はせたまへ』
と|流汗淋漓《りうかんりんり》、|無我《むが》|夢中《むちう》に|祈願《きぐわん》をこらす。
ウラル|彦《ひこ》|夫妻《ふさい》は、この|体《てい》を|見《み》て|可笑《をか》しさに|堪《た》へかね|噴出《ふきだ》さむばかりになつたが、|神王《しんわう》の|御前《みまへ》をはばかつて、|両眼《りやうがん》より|可笑《をか》し|涙《なみだ》を|垂《た》らしてこの|場《ば》を|退《ひ》きさがつてしまつた。そしてこの|場《ば》に|現《あら》はれた|言触神《ことぶれのかみ》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》であつた。
(大正一一・一・九 旧大正一〇・一二・一二 井上留五郎録)
第一九章 |旭日出暗《きよくじつしゆつあん》〔二一九〕
ウラル|彦《ひこ》は|賢明《けんめい》|叡知《えいち》にして、|天地《てんち》の|神意《しんい》に|出《い》でたるこの|警告《けいこく》を|心底《しんてい》より|諒得《りやうとく》したる|盤古神王《ばんこしんわう》の|心《こころ》を|解《かい》せず、|大蛇《をろち》の|悪霊《あくれい》と|金狐《きんこ》の|邪霊《じやれい》に|憑依《ひようい》され、|驕慢《けうまん》ますます|甚《はなは》だしく、|神王《しんわう》の|宣示《せんじ》を|空《そら》ふく|風《かぜ》と|聞《き》きながし、かつ|神人《かみがみ》らを|四方《しはう》に|派《は》して|言触神《ことぶれのかみ》を|探《さが》し|求《もと》めしめ、つひにこれをウラル|山《さん》の|牢獄《らうごく》に|投《とう》じてしまつた。さうして、|神人《かみがみ》らの|迷《まよ》ひを|解《と》くためにとて|歌《うた》を|作《つく》り、|盛《さか》んにこれを|四方《しはう》に|宣伝《せんでん》せしめた。その|歌《うた》は、
『|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ
|暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る
|時鳥《ほととぎす》|声《こゑ》は|聞《き》けども|姿《すがた》は|見《み》えぬ
|見《み》えぬ|姿《すがた》は|魔《ま》か|鬼《おに》か』
|折角《せつかく》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》の「|三千世界《さんぜんせかい》……|梅《うめ》の|花《はな》」の|宣伝《せんでん》も、この|歌《うた》のためにほとんど|抹殺《まつさつ》されてしまつた。
|盤古神王《ばんこしんわう》は|殿外《でんぐわい》の|騒《さわ》がしき|声《こゑ》を|聞《き》き、|何事《なにごと》ならむと|殿中《でんちう》より|表門口《おもてもんぐち》に|立出《たちい》づれば、ウラル|彦《ひこ》を|中央《ちうあう》に、あまたの|神人《かみがみ》らは|酒《さけ》に|酔《よ》ひつぶれ、
『|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ』
の|歌《うた》を|謡《うた》つて|踊《をど》り|狂《くる》ふ|落花狼藉《らくくわらうぜき》に|驚《おどろ》き、|宴席《えんせき》の|中央《ちうあう》に|現《あら》はれ、
『|三千世界《さんぜんせかい》|云々《うんぬん》』
の|童謡《どうえう》を|声《こゑ》|張《は》りあげて|謡《うた》ひはじめた。
この|声《こゑ》を|聞《き》くとともに|過半数《くわはんすう》の|神人《かみがみ》は、にはかに|酒《さけ》の|酔《よひ》も|醒《さ》めはて、|顔色《がんしよく》|蒼白《あをざ》めてぶるぶる|慄《ふる》ひだす|者《もの》さへ|現《あら》はれた。|盤古神王《ばんこしんわう》はなほも|引続《ひきつづ》きこの|歌《うた》を|唱《とな》へた。|神人《かみがみ》の|過半数《くわはんすう》は、ますます|畏縮《ゐしゆく》して|大地《だいち》に|仆《たふ》れ、|踏《ふ》ん|伸《の》びる|者《もの》さへ|現《あら》はれてきた。
ウラル|彦《ひこ》は、ここぞとまたもや、
『|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ、|暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る』
と|高声《かうせい》に|謡《うた》ひかけた。|神人《かみがみ》はその|声《こゑ》に|応《おう》じてまたもや|立上《たちあが》り、|元気《げんき》|回復《くわいふく》して|踊《をど》り|狂《くる》うた。|盤古神王《ばんこしんわう》は|又《また》もや、
『|三千世界《さんぜんせかい》の……|梅《うめ》の|花《はな》』
を|謡《うた》ひはじめた。せつかく|元気《げんき》|回復《くわいふく》したる|神人《かみがみ》らは、ふたたび|大地《だいち》にバツタリ|仆《たふ》れた。
ウラル|彦《ひこ》|夫妻《ふさい》は、|場《ぢやう》の|両方《りやうはう》より|声《こゑ》をかぎりに、|手《て》を|拍《う》ち|踊《をど》り|舞《ま》ひながら、
『|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ』
の|歌《うた》をうたひ|始《はじ》めた。またもや|神人《かみがみ》らは|頭《かしら》をもたげて|踊《をど》り|狂《くる》ふ。このとき|場《ぢやう》の|一方《いつぱう》より|何《なん》ともいへぬ|美《うるは》しき|且《か》つ|荘厳《さうごん》なる|声《こゑ》が|聞《きこ》えた。その|声《こゑ》に|神人《かみがみ》らは、またもや|胸《むね》を|刺《さ》さるるごとく|苦悶《くもん》して、|大地《だいち》に|仆《たふ》れた。|盤古神王《ばんこしんわう》はその|声《こゑ》を|頼《たよ》りに|進《すす》んで|行《い》つた。その|声《こゑ》は|不思議《ふしぎ》にも、|牢獄《らうごく》の|中《なか》から|聞《きこ》えてをる。
『|不審《ふしん》』
と|神王《しんわう》は、|四五《しご》の|従者《じうしや》を|伴《ともな》ひながら|牢獄《らうごく》の|前《まへ》に|進《すす》んだ。
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》』
とまたもや|聞《きこ》えだした。|盤古神王《ばんこしんわう》は|頭《あたま》を|鉄槌《てつつゐ》にて|打《う》ち|砕《くだ》かるるごとく、|胸《むね》を|焼鉄《やきがね》にて|刺《さ》さるるごとき|苦《くる》しさを|感《かん》じ、|思《おも》はずその|場《ば》に|平伏《へいふく》した。|四五《しご》の|従者《じうしや》も|一時《いちじ》にバタバタと|将棋倒《しやうぎだふ》しにたふれた。
|神人《かみがみ》らはやうやく|頭《かしら》をもたげて|眺《なが》むれば、それは|彼《か》の|言触神《ことぶれのかみ》であつた。|驚《おどろ》いてただちに|戸《と》を|開《ひら》き|救《すく》ひだし、|奥殿《おくでん》にともなひ|帰《かへ》り、|鄭重《ていちよう》に|接待《もてな》し、|礼《れい》をつくして|教《をしへ》を|乞《こ》うた。|日の出神《ひのでのかみ》は、|慇懃《いんぎん》に|野立彦命《のだちひこのみこと》の|真意《しんい》を|伝《つた》へ、かつ|改心《かいしん》|帰順《きじゆん》を|迫《せま》り、|天地日月《てんちじつげつ》の|殊恩《しゆおん》を|説示《せつじ》した。|神王《しんわう》はあたかも|生《い》ける|神《かみ》のごとく、この|宣伝者《せんでんしや》を|尊敬《そんけい》し、|敬神《けいしん》の|態度《たいど》を|怠《をこた》らなかつた。ただちに|宣伝者《せんでんしや》の|命《めい》により、ウラルの|山上《さんじやう》に|改《あらた》めて|立派《りつぱ》なる|宮殿《きうでん》を|造《つく》り、|日《ひ》の|神《かみ》、|月《つき》の|神《かみ》、|大地《だいち》の|神《かみ》を、さも|荘厳《さうごん》に|鎮祭《ちんさい》し、|敬拝《けいはい》|怠《をこた》らなかつた。
それに|引換《ひきか》へ、|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|大蛇《をろち》と|金狐《きんこ》に|魅《み》せられたるウラル|彦《ひこ》、ウラル|姫《ひめ》は、この|神王《しんわう》の|行為《かうゐ》にたいし|不快《ふくわい》を|感《かん》じ、さかんに|神人《かみがみ》らに|対《たい》して|自暴自棄《じばうじき》となり、|日夜《にちや》|酒宴《しゆえん》を|張《は》り、|豊熟《ほうじゆく》なる|果実《このみ》を|飽食《はうしよく》せしめ、|無神説《むしんせつ》を|唱《とな》へ、
『|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ、|暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る。よいとさ、よいやさつさ、よいやさつさ』
と|意地《いぢ》づくになつて|踊《をど》りくるひ、|連日《れんじつ》|連夜《れんや》の|遊楽《いうらく》にのみ|耽《ふけ》つて、|神政《しんせい》を|忘却《ばうきやく》するに|致《いた》つた。
このとき|轟然《がうぜん》たる|音響《おんきやう》|天《てん》に|聞《きこ》ゆると|見《み》るまに、さも|強烈《きやうれつ》なる|光《ひかり》は|地上《ちじやう》を|放射《はうしや》した。|神人《かみがみ》らは|一《いつ》せいに|期《き》せずして|空《そら》を|仰《あふ》いだ。|眼《め》も|眩《くら》むばかりの|強烈《きやうれつ》なる|光《ひかり》である。その|光《ひかり》はまたもや、|天《あま》の|浮橋《うきはし》の|東西南北《とうざいなんぼく》に|悠々《いういう》として|探海燈《たんかいとう》を|照《てら》したごとく、|中空《ちうくう》を|東西南北《とうざいなんぼく》に|転回《てんくわい》してゐる。さうしてこの|強《つよ》き|光《ひかり》のために|盲目《もうもく》となる|者《もの》も|現《あら》はれた。|浮橋《うきはし》の|尖端《せんたん》よりは|金色《こんじき》の|星《ほし》|幾十《いくじふ》となく|放出《はうしゆつ》して、ウラル|山上《さんじやう》の|盤古神王《ばんこしんわう》の|宮殿《きうでん》に|落下《らくか》した。
|盤古神王《ばんこしんわう》は|大神《おほかみ》の|恵《めぐ》みと|深《ふか》く|感謝《かんしや》し、|一々《いちいち》その|玉《たま》を|拾《ひろ》ひあつめて|神殿《しんでん》に|恭《うやうや》しく|安置《あんち》し、|日夜《にちや》|供物《くもつ》を|献《けん》じ|祭祀《さいし》を|荘厳《さうごん》におこなひ、|敬神《けいしん》の|至誠《しせい》をつくしてゐた。それよりウラル|山上《さんじやう》は、|紫雲《しうん》たなびき、|天男天女《てんなんてんによ》はときどき|降《くだ》りきて|中空《ちうくう》に|舞《ま》ひ、|微妙《びめう》の|音楽《おんがく》を|奏《そう》し、|風《かぜ》|暖《あたた》かく|花《はな》は|香《かんば》しく、|木々《きぎ》の|果実《このみ》は|味《あぢ》はひ|美《うる》はしく|豊熟《ほうじゆく》するにいたつた。
|神王《しんわう》は、|日の出神《ひのでのかみ》を|宮司《みやつかさ》として、これに|奉仕《ほうし》せしめた。これよりウラル|山上《さんじやう》の|盤古神王《ばんこしんわう》とウラル|彦《ひこ》|夫妻《ふさい》との|間《あいだ》には、もつとも|深《ふか》き|溝渠《こうきよ》が|穿《うが》たれた。
(大正一一・一・九 旧大正一〇・一二・一二 外山豊二録)
第二〇章 |猿蟹《さるかに》|合戦《がつせん》〔二二〇〕
|顕恩郷《けんおんきやう》の|南方《なんぱう》なるエデン|河《がは》の|南岸《なんがん》にあたつて|橙園郷《とうゑんきやう》といふ|一大《いちだい》|部落《ぶらく》がある。この|国《くに》の|長《をさ》を|橙園王《とうゑんわう》といふ。この|数年《すうねん》、|何《なに》ゆゑか|霜雪《さうせつ》しきりに|降《ふ》り|積《つも》り、|時々《ときどき》|寒風《かんぷう》|吹《ふ》ききたつて|橙樹《とうじゆ》|実《みの》らず、この|郷《きやう》の|住民《ぢうみん》いづれも|饑餓《きが》に|迫《せま》り、ほとんど|共喰《ともぐ》ひの|惨状《さんじやう》であつた。これに|引換《ひきか》へ、|北岸《ほくがん》の|顕恩郷《けんおんきやう》は、|北《きた》に|高山《かうざん》を|繞《めぐ》らし、|東西《とうざい》に|低《ひく》き|山《やま》を|囲《かこ》ひ、|気候《きこう》は|中和《ちうわ》を|得《え》、|果実《くわじつ》|豊熟《ほうじゆく》して、|郷神《きやうしん》の|食事《しよくじ》は|常《つね》に|足《た》り|余《あま》りつつあつた。
|対岸《たいがん》の|橙園王《とうゑんわう》はこの|河《かは》を|渡《わた》り、|顕恩郷《けんおんきやう》を|占領《せんりやう》せむことを|造次《ざうじ》にも|顛沛《てんぱい》にも|忘《わす》れなかつた。されど|顕恩郷《けんおんきやう》は|天上《てんじやう》より|降下《かうか》したりてふ|威力《ゐりよく》|絶倫《ぜつりん》なる|生神《いきがみ》の|親臨《しんりん》して|固《かた》くこれを|守《まも》り、かつ|棒岩《ぼういは》の|鬼武彦《おにたけひこ》の|神霊《しんれい》、|時《とき》に|敵《てき》に|向《むか》つて|無上《むじやう》の|神力《しんりき》を|発揮《はつき》し|敵《てき》を|艱《なや》ますとの|風説《ふうせつ》を|固《かた》く|信《しん》じ|恐《おそ》れ、これが|占領《せんりやう》を|躊躇《ちうちよ》しつつあつた。されど|数多《あまた》の|住民《ぢうみん》の|饑餓《きが》に|迫《せま》りて|苦《くる》しむを|坐視《ざし》するに|忍《しの》びず、|背《せ》に|腹《はら》はかへられぬ|場合《ばあひ》となり、【いち】か、【ばち】か、|一度《いちど》|占領《せんりやう》を|試《こころ》みむと、|住民《ぢうみん》を|集《あつ》めて|協議《けふぎ》の|結果《けつくわ》、|夜陰《やいん》にまぎれ、|顕恩郷《けんおんきやう》を|襲《おそ》ひ、|自分《じぶん》らの|安住所《あんぢうしよ》と|定《さだ》めむとした。
|顕恩郷《けんおんきやう》の|神人《かみがみ》はすべて|蟹面《かにづら》をなせるに|引《ひ》きかへ、この|郷《きやう》の|住民《ぢうみん》はいづれも|猿猴《ゑんこう》のごとき|容貌《ようばう》の|持主《もちぬし》であつた。さうして|全身《ぜんしん》|荒《あら》き|毛《け》を|生《しやう》じ、ほとんど|猩々《しやうじやう》のごとく、|言葉《ことば》は|単《たん》にアオウエイの|五音《ごおん》をもつてたがひに|意思《いし》を|表示《へうじ》してゐたのである。
|雨《あめ》|激《はげ》しく|風《かぜ》|強《つよ》く、|雷鳴《らいめい》なり|轟《とどろ》く|夜《よ》を|見《み》すまし、|大挙《たいきよ》してエデンの|大河《たいが》を|各《おのおの》|手《て》をつなぎながら|打《う》ち|渡《わた》り、|各自《かくじ》に|棍棒《こんぼう》を|携《たづさ》へ、あるひは|石塊《いしころ》をもち、|顕恩郷《けんおんきやう》に|襲来《しふらい》した。|夜中《よなか》のこととてこの|郷《きやう》の|神人《かみがみ》らは|一柱《ひとはしら》として、|敵《てき》の|襲来《しふらい》を|感知《かんち》するものはなかつた。|橙園郷《とうゑんきやう》の|住民《ぢうみん》は|餓虎《がこ》のごとく|果実《くわじつ》をむしり|取《と》り、|飢《うゑ》ゑたる|腹《はら》を|膨《ふく》らせ、|元気《げんき》はますます|旺盛《わうせい》となつた。|住民《ぢうみん》らは|一所《ひとところ》に|集《あつ》まつて|議《ぎ》していふ、
『もはや|吾々《われわれ》はかくのごとく|元気《げんき》|回復《くわいふく》したれば、|強《つよ》きこと|鬼《おに》に|金棒《かなぼう》のごとし。いかに|南天王《なんてんわう》の|威力《ゐりよく》も、|鬼武彦《おにたけひこ》の|神力《しんりき》も、|何《なん》の|恐《おそ》るるところかあらむ、この|期《き》に|乗《じやう》じて|南天王《なんてんわう》の|宮殿《きうでん》を|襲《おそ》へ』
と|橙園王《とうゑんわう》は|先《さき》に|立《た》つて|鬨《とき》をつくつて|進《すす》み|寄《よ》せた。|塒《ねぐら》を|離《はな》れて|驚《おどろ》きさわぐ|鶏《にはとり》の|羽音《はおと》に|南天王《なんてんわう》は|目《め》を|醒《さ》まし、|耳《みみ》をすまして|殿外《でんぐわい》の|声《こゑ》を|聞《き》きいつた。つひに|聞《き》き|慣《な》れぬ|声《こゑ》であつて、ただウウ、エエとのみ|聞《きこ》ゆるのである。ただちに|殿内《でんない》の|神人《かみがみ》らを|呼《よ》びおこし|偵察《ていさつ》せしめむとする|時《とき》しも、|橙園王《とうゑんわう》は|岩《いは》をもつて|作《つく》りたる|鋭利《えいり》なる|大刀《だいたう》を|引提《ひつさ》げ、|奥殿《おくでん》|目《め》がけて|阿修羅王《あしゆらわう》の|暴《あば》れたるごとく|突進《とつしん》しきたり、|南天王《なんてんわう》|目《め》がけて|物《もの》をもいはず|斬《き》りつけたり。|南天王《なんてんわう》はひらりと|体《たい》をかはし、わづかに|身《み》をもつて|山奥《やまおく》に|免《のが》れ、|棒岩《ぼういは》の|麓《ふもと》にいたつて|強敵《きやうてき》|退散《たいさん》の|祈願《きぐわん》を|籠《こ》めてゐた。さうして|南天王《なんてんわう》は|背部《はいぶ》に|重傷《ぢうしやう》を|負《お》ひ、|苦痛《くつう》に|悶《もだ》えつつ|岩下《がんか》に|打倒《うちたふ》れた。|春日姫《かすがひめ》はその|後《あと》を|追《お》ひ、|泣《な》く|泣《な》く|南天王《なんてんわう》に|谷水《たにみづ》を|掬《すく》ひ|来《きた》りて|飲《の》ましめ|介抱《かいほう》をつくした。ウアーウアーの|声《こゑ》はますます|近《ちか》く|聞《きこ》えてきた。|鬼武彦《おにたけひこ》の|石像《せきざう》よりはたちまち|怪《あや》しき|光《ひかり》を|発《はつ》し、|敵軍《てきぐん》の|群《むれ》にむかつて|放射《はうしや》した。|敵《てき》はその|光《ひかり》と|強熱《きやうねつ》に|堪《た》へかねて、|両手《りやうて》をもつて|面部《めんぶ》を|覆《おほ》ひ|隠《かく》した、|頭髪《とうはつ》および|全身《ぜんしん》の|毛《け》は、ぢりぢりと|音《おと》して|焼《や》けるばかりになつた。いづれの|敵人《てきびと》も|残《のこ》らず|谷川《たにがは》に|頭《あたま》を|突込《つつこ》み、|臀部《でんぶ》を|上方《じやうはう》に|向《む》け、あたかも|尻《しり》を|花立《はなたて》のやうにして、ぶるぶると|震《ふる》うてゐた。このとき|尻《しり》は|強熱《きやうねつ》に|焼《や》かれて|赤色《せきしよく》に|変《へん》じてしまつた。|顕恩郷《けんおんきやう》の|神人《かみがみ》らは、たちまち|得意《とくい》の|通力《つうりき》をもつて|巨大《きよだい》なる|蟹《かに》と|変《へん》じ、|谷川《たにがは》に|倒《さか》さまになつて|震《ふる》うてゐる|敵住民《てきぢうみん》らの|頭《あたま》を|左右《さいう》の|鋭利《えいり》なる|鋏《はさみ》にてはさみ|切《き》らむとした。|中《なか》には|頭《あたま》を|削《けづ》られ、|首《くび》をちぎられ、|悲鳴《ひめい》をあげて|泣《な》く|者《もの》もたくさんできた。|橙園王《とうゑんわう》は|恐《おそ》れて|退却《たいきやく》を|命《めい》じた。いづれの|人民《じんみん》も|橙園王《とうゑんわう》の|指揮《しき》にしたがひ、|命《いのち》からがらエデンの|河《かは》を|渡《わた》つて|橙園《とうゑん》に|逃《のが》れ|帰《かへ》らむとして|河中《かちう》に|足《あし》を|投《とう》ずるや、|巨大《きよだい》なる|蟹《かに》は|水中《すゐちう》にあまた|集《あつ》まりゐて、|足《あし》を|切《き》りちぎつた。オーオーと|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて|泣《な》きながら、|辛《から》うじてその|過半《くわはん》は|無事《ぶじ》に|南岸《なんがん》に|着《つ》き、その|他《た》は|残《のこ》らず|滅《ほろ》ぼされてしまつた。これより|橙園郷《とうゑんきやう》の|住民《ぢうみん》は|容易《ようい》に|顕恩郷《けんおんきやう》に|襲撃《しふげき》するの|念《ねん》を|断《た》つた。されど|何時《いつ》またもや|襲来《しふらい》せむも|計《はか》りがたしと、|顕恩郷《けんおんきやう》の|神人《かみがみ》らは|安《やす》き|心《こころ》もなかつた。そして|天津神《あまつかみ》の|降臨《かうりん》と|信任《しんにん》しゐたる|南天王《なんてんわう》は、|敵《てき》の|橙園王《とうゑんわう》に|斬《き》り|立《た》てられ、|卑怯《ひけふ》にも|少《すこ》しの|抵抗《ていかう》をもなさず、|背部《はいぶ》に|大負傷《だいふしやう》をなして|石神《いしがみ》のもとに|逃《に》げゆき|戦慄《せんりつ》しゐたるを|見《み》て、|神人《かみがみ》らは|各自《かくじ》に|心《こころ》もとなく|思《おも》ひ、かつ|天神《てんしん》の|天降《あまくだ》りを|疑《うたが》ふやうになつてきた。
|鷹住別《たかすみわけ》の|南天王《なんてんわう》は、かくのごとく|脆《もろ》くも|橙園王《とうゑんわう》のために|敗《はい》を|取《と》り、|日《ひ》ごろの|神力《しんりき》を|発揮《はつき》し|得《え》ざりしは、|衣食住《いしよくぢう》の|安全《あんぜん》を|得《え》たる|上《うへ》に、|神人《かみがみ》らの|尊敬《そんけい》|畏拝《ゐはい》するにいつしか|心《こころ》をゆるめ、やや|慢心《まんしん》を|兆《きざ》し、|天地《てんち》の|神恩《しんおん》を|忘却《ばうきやく》し、|祭祀《さいし》の|道《みち》を|忽諸《こつしよ》に|附《ふ》したるがゆゑであつた。これより|南天王《なんてんわう》は|部下《ぶか》の|神人《かみがみ》らの|信任《しんにん》を|失《うしな》ひ、やむを|得《え》ず|夜陰《やいん》に|紛《まぎ》れ、|夫婦《ふうふ》は|手《て》に|手《て》をとつて|遠《とほ》く、|夜《よ》な|夜《よ》なかはる|草枕《くさまくら》、|旅《たび》の|苦労《くらう》を|重《かさ》ねて、つひに|元《もと》のモスコーに|辛《から》うじて|逃《に》げ|帰《かへ》ることを|得《え》た。
(大正一一・一・九 旧大正一〇・一二・一二 加藤明子録)
第二一章 |小天国《せうてんごく》〔二二一〕
|橙園王《とうゑんわう》|以下《いか》の|住民《ぢうみん》の|襲撃《しふげき》により、|一敗地《いつぱいち》にまみれ、|神人《かみがみ》の|信望《しんばう》を|失墜《しつつゐ》したる|南天王《なんてんわう》|夫妻《ふさい》は、|夜陰《やいん》に|乗《じやう》じモスコーに|帰《かへ》つた。ここに|顕恩郷《けんおんきやう》は|再《ふたた》び|主宰者《しゆさいしや》を|失《うしな》ひ、|日夜《にちや》|不安《ふあん》の|感《かん》に|打《う》たれてゐた。
されど|最《もつと》も|信頼《しんらい》するは、|棒岩《ぼういは》の|上《うへ》に|安置《あんち》せる|鬼武彦《おにたけひこ》の|石神像《せきしんざう》である。|神人《かみがみ》らは|南天王《なんてんわう》の|失踪《しつそう》せしより、|一意専心《いちいせんしん》にこの|石神像《せきしんざう》にむかつて|祈願《きぐわん》を|籠《こ》め、|日夜《にちや》|礼拝《れいはい》を|怠《おこた》らなかつた。さうして|南天王《なんてんわう》の|後任《こうにん》として|蟹若《かにわか》といふこの|郷《きやう》のもつとも|強《つよ》き|神人《かみ》をおし|立《た》て、|南天王《なんてんわう》の|後《あと》を|継《つ》がしめた。されど|郷神人《きやうしん》はどことなく|不安《ふあん》の|念《ねん》にかられ、|真正《しんせい》の|天津神《あまつかみ》の|降臨《かうりん》されむことを、|石神像《せきしんざう》にむかつて|昼夜《ちうや》|祈願《きぐわん》しつつあつた。
|頃《ころ》しも|一天《いつてん》|俄《にはか》に|掻《か》き|曇《くも》り、|地上《ちじやう》の|一切《いつさい》を|天空《てんくう》に|捲《ま》きあげむばかりの|猛烈《まうれつ》なる|旋風《せんぷう》が|起《おこ》つた。|神人《かみがみ》らはいづれも|九死一生《きうしいつしやう》の|思《おも》ひをなして、|石神像《せきしんざう》の|岩下《がんか》に|集《あつ》まり、|天地《てんち》に|拝跪《はいき》して|救助《きうじよ》を|祈《いの》りつつあつた。
|雲《くも》はおひおひ|低下《ていか》して|石神像《せきしんざう》のもとに|降《くだ》りきたり、|雲中《うんちう》より|剣光《けんくわう》|閃《ひらめ》くよと|見《み》るまに、|石神像《せきしんざう》に|寸分《すんぶん》|違《ちが》はぬ|容貌《ようばう》の|生神《いきがみ》が|忽然《こつぜん》として|現《あら》はれた。この|神《かみ》はたちまち|光芒陸離《くわうぼうりくり》たる|両刃《もろは》の|剣《つるぎ》をもつて|中空《ちうくう》にむかひ|左右左《さいうさ》に|打振《うちふ》つた。さしもの|強雨《がうう》|烈風《れつぷう》もパタリとやんで|紺碧《こんぺき》の|空《そら》と|化《くわ》し、|日光《につくわう》|燦然《さんぜん》として|輝《かがや》きわたりはじめた。
|神人《かみがみ》らは|蘇生《そせい》の|思《おも》ひをなし、|思《おも》わずウローウローと|叫《さけ》びつつ、その|生神《いきがみ》の|周囲《しうゐ》に|集《あつ》まり、|合掌《がつしやう》|礼拝《れいはい》|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》をながした。これは|大江山《たいかうざん》の|鬼武彦《おにたけひこ》にして、|今《いま》は|天教山《てんけうざん》の|野立彦命《のだちひこのみこと》の|命《めい》を|奉《ほう》じ、この|郷《きやう》に|大江神《おほえのかみ》と|改名《かいめい》して、|予言《よげん》|警告《けいこく》を|与《あた》ふるために|出現《しゆつげん》したるなり。|神人《かみがみ》らは|石神像《せきしんざう》に|寸毫《すんがう》の|差《さ》なきを|見《み》て、|石神《いしがみ》の|霊化《れいくわ》して|生神《いきがみ》と|現《あら》はれたまひしものと|固《かた》く|信《しん》じ、ただちに|輿《こし》に|乗《の》せて|顕恩郷《けんおんきやう》の|宮殿《きうでん》に|奉迎《ほうげい》し、|祝杯《しゆくはい》をあげて|勇《いさ》みたつた。
|大江神《おほえのかみ》はおもむろに|口《くち》を|開《ひら》き、
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》にふさがる|泥《どろ》の|海《うみ》、|月日《つきひ》と|地《つち》の|恩《おん》を|忘《わす》れな、|心次第《こころしだい》の|救《たす》け|神《がみ》』
と|声《こゑ》|高《たか》らかに|唱《とな》へだした。|神人《かみがみ》らは|一向《いつかう》|合点《がてん》ゆかず、
『かかる|平和《へいわ》にして|且《か》つ|天恵《てんけい》の|充分《じうぶん》なる|顕恩郷《けんおんきやう》の、いかでか|泥《どろ》の|海《うみ》とならむや』
と|怪《あや》しみて、|口々《くちぐち》に|反問《はんもん》した。
|大江神《おほえのかみ》は、|大神《おほかみ》の|神意《しんい》を|詳細《しやうさい》に|語《かた》り|伝《つた》へ、
『この|際《さい》|心《こころ》を|悔《く》い|改《あらた》め、|月日《つきひ》と|大地《だいち》の|四恩《しおん》を|感謝《かんしや》し、|博《ひろ》く|神人《しんじん》を|愛《あい》し、|公平《こうへい》|無私《むし》なる|行動《かうどう》をもつて|天地《てんち》の|神明《しんめい》に|奉仕《ほうし》し、|神人《しんじん》たるの|天職《てんしよく》をつくせよ。すべて|神《かみ》の|神人《しんじん》をこの|土《ど》に|下《くだ》したまふや、|神《かみ》の|広大無辺《くわうだいむへん》なる|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|理想《りさう》を|実現《じつげん》し、|天国《てんごく》を|地上《ちじやう》に|建設《けんせつ》し、|天下《てんか》の|蒼生《さうせい》をして|禽獣虫魚《きんじうちうぎよ》に|至《いた》るまで|各《おのおの》その|安住《あんぢう》の|所《ところ》を|得《え》せしめ、|神《かみ》とともに|至治太平《しちたいへい》の|聖代《せいだい》を|楽《たのし》まむがためなり。しかるにこの|顕恩郷《けんおんきやう》は、|神《かみ》の|深《ふか》き|四恩《しおん》によつて|風《かぜ》|暖《あたた》かく、|風雨《ふうう》は|時《とき》を|違《たが》へず、|花《はな》は|香《かん》ばしく、|果実《くわじつ》は|豊《ゆたか》にしてその|味《あぢ》はひ|美《うる》はし。しかるにエデンの|大河《たいが》を|限《かぎ》りとし、|南岸《なんがん》の|橙園郷《とうゑんきやう》は、|南方《なんぱう》に|山《やま》|高《たか》くして|日光《につくわう》を|遮《さへぎ》り、かつ|北風《きたかぜ》|強《つよ》く|果実《くわじつ》|常《つね》に|実《みの》らず、|住民《ぢうみん》は|飢餓《きが》に|迫《せま》り、|精神《せいしん》|自《おのづか》ら|荒涼《くわうりやう》と|化《くわ》し、ほとんど|人民《じんみん》たるの|資格《しかく》を|保持《ほぢ》せざるに|至《いた》れり。これぞ|全《まつた》く、|衣食住《いしよくぢう》の|豊《ゆたか》ならざるに|基因《きいん》するものなり。しかるにこの|顕恩郷《けんおんきやう》は、|衣食《いしよく》|足《た》り|余《あま》り、|美《うる》はしき|果実《くわじつ》は|地《ち》に|落《お》ち、|腐蝕《ふしよく》するに|任《まか》せ、|天恩《てんおん》を|無視《むし》すること|甚《はなはだ》し。かくのごとくして|歳月《さいげつ》を|経過《けいくわ》せば、つひには|天誅《てんちう》たちどころに|至《いた》つて、|南天王《なんてんわう》のごとく|郷神《きやうしん》に|襲《おそ》はれ、つひには|橙園王《とうゑんわう》に|討伐《たうばつ》され、|天授《てんじゆ》の|恩恵《おんけい》を|捨《す》てざるべからざるの|悲境《ひきやう》に|沈淪《ちんりん》し、あたかも|餓鬼《がき》|畜生《ちくしやう》の|境遇《きやうぐう》に|堕《だ》するに|至《いた》らむ。|汝《なんぢ》ら|神人《かみがみ》らは|天地《てんち》の|大神《おほかみ》の|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|大御心《おほみこころ》を|察知《さつち》し|奉《まつ》り、|地《ち》|広《ひろ》く|果実《くわじつ》|多《おほ》きこの|顕恩郷《けんおんきやう》をして|汝《なんぢ》ら|神人《かみがみ》らの|独占《どくせん》することなく、|橙園郷《とうゑんきやう》の|住民《ぢうみん》の|移住《いぢう》を|許《ゆる》し、|相《あひ》ともに|天恵《てんけい》の|深《ふか》きを|感謝《かんしや》せよ』
と|言葉《ことば》おごそかに|説示《せつじ》した。
|神人《かみがみ》らはこの|教示《けうじ》を|聞《き》いて、|初《はじ》めて|天地《てんち》の|神意《しんい》を|悟《さと》り、|何事《なにごと》も|大江神《おほえのかみ》の|指揮《しき》に|従《したが》ふこととなつた。|大江神《おほえのかみ》は、|神人《かみがみ》らの|一言《いちげん》にしてわが|言《げん》に|心服《しんぷく》せしことをよろこび、|深《ふか》く|歎賞《たんしやう》しつつ|蟹若《かにわか》その|他《た》の|神人《かみがみ》らを|引率《いんそつ》し、エデンの|大河《たいが》を|渡《わた》つて、みづから|橙園郷《とうゑんきやう》に|致《いた》り、|橙園王《とうゑんわう》に|面会《めんくわい》を|求《もと》め、その|神意《しんい》を|伝《つた》へた。
|橙園王《とうゑんわう》は、|初《はじ》めのうちは|大江神《おほえのかみ》の|神威《しんゐ》に|恐《おそ》れて|戦慄《せんりつ》し、|近《ちか》づき|来《きた》らず、かつ|部下《ぶか》の|住民《ぢうみん》は、|先《さき》を|争《あらそ》うて|山《やま》|深《ふか》く|姿《すがた》をかくした。されど、|大江神《おほえのかみ》の|仁慈《じんじ》の|言葉《ことば》に|漸《やうや》く|安堵《あんど》して、その|命《めい》に|従《したが》ひ|郷民《きやうみん》を|全部《ぜんぶ》|引率《いんそつ》して、|顕恩郷《けんおんきやう》に|移住《いぢう》することとなつた。
|顕恩郷《けんおんきやう》の|神《かみ》の|数《かず》は、|以前《いぜん》に|三倍《さんばい》することとなつた。されど|無限《むげん》の|天恵《てんけい》は、|衣食住《いしよくぢう》に|余裕《よゆう》を|存《そん》し、|住《す》むに|十分《じふぶん》の|余地《よち》をなしてゐたのである。|彼我《ひが》の|神人《かみがみ》は、|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|大江神《おほえのかみ》の|教示《けうじ》を|遵奉《じゆんぽう》し、|今《いま》まで|犬猿《けんゑん》ただならざりし|両郷《りやうきやう》の|種族《しゆぞく》も、|今《いま》は|親子《おやこ》|兄弟《きやうだい》のごとく、|相親《あひした》しみ|相《あひ》|愛《あい》して、ここに|小天国《せうてんごく》は|建設《けんせつ》されたるなり。
(大正一一・一・九 旧大正一〇・一二・一二 外山豊二録)
(第五章〜第二一章 昭和一〇・三・二九 於吉野丸船室 王仁校正)
第二二章 |神示《しんじ》の|方舟《はこぶね》〔二二二〕
|大江神《おほえのかみ》は、|小天国《せうてんごく》の|神王《しんわう》として|神人《かみがみ》らより|畏敬《ゐけい》|尊信《そんしん》され、その|命令《めいれい》は|遺憾《ゐかん》なく|実行《じつかう》された。
ここに|蟹若《かにわか》を|擢《ぬき》んでて|左守《さもり》となし、|橙園王《とうゑんわう》を|抜擢《ばつてき》し、|右守《うもり》に|任《にん》じ、この|一《いち》|小区劃《せうくくわく》は|実《じつ》に|天国《てんごく》|楽土《らくど》の|出現《しゆつげん》したるがごとくであつた。
|大江神《おほえのかみ》は|橙園山《とうゑんざん》に|登《のぼ》り、|部下《ぶか》の|神人《かみがみ》を|使役《しえき》して|真金《まがね》を|掘《ほ》り|出《だ》し、|鋸《のこぎり》、|斧《をの》その|他《た》の|金道具《かなだうぐ》を|製作《せいさく》した。そして|橙園郷《とうゑんきやう》の|果実《くわじつ》の|実《みの》らざる|杉《すぎ》、|檜《ひのき》、|樟《くす》|等《とう》の|大木《たいぼく》を|伐採《ばつさい》し、|数多《あまた》の|方舟《はこぶね》を|造《つく》ることを|教《をし》へた。
|神人《かみがみ》らは|何《なん》の|意《い》たるかを|知《し》らず、ただ|命《めい》のまにまに|汗水《あせみづ》を|垂《た》らして|方舟《はこぶね》の|製作《せいさく》や|金道具《かなだうぐ》の|製作《せいさく》に|嬉々《きき》として|従事《じうじ》した。|神人《かみがみ》の|中《なか》には|方舟《はこぶね》の|何用《なによう》に|充《あ》つべきかを|左守《さもり》に|向《むか》つて|尋《たづ》ねた。されど|左守《さもり》は、
『|果《はた》して|何《なん》の|用《よう》を|為《な》すものか、|吾《われ》は|神王《しんわう》に|一言半句《いちげんはんく》も|伺《うかが》ひたることなし。ただ|吾々《われわれ》は|神王《しんわう》の|命《めい》に|服従《ふくじゆう》すれば|可《か》なり。|吾《われ》らの|安全《あんぜん》を|計《はか》りたまうて|天上《てんじやう》より|降《くだ》りきたれる|神王《しんわう》なれば、|無益《むえき》のことを|命《めい》じたまふべき|謂《いは》れなし。|汝《なんぢ》らもただ|命《めい》のまにまに|服従《ふくじう》して|一意専心《いちいせんしん》に|方舟《はこぶね》の|製作《せいさく》に|従事《じうじ》せば|可《か》なり』
といひ|渡《わた》した。
|凡《すべ》て|神《かみ》のなす|業《わざ》は|人間《にんげん》の|窺知《きち》し|得《う》べき|所《ところ》にあらず。
『|神《かみ》は|今《いま》の|今《いま》までは|何事《なにごと》も|申《まを》さぬぞよ、|人民《じんみん》はただ|神《かみ》の|申《まを》すやうにいたせば、ちつとも|落度《おちど》はないぞよ』
と|神諭《しんゆ》に|示《しめ》されたるごとく、ただ|吾々《われわれ》は|下《くだ》らぬ|屁理屈《へりくつ》をやめて、ただただ|神命《しんめい》のまにまに|活動《くわつどう》すべきものである。
|然《しか》るに|人々《ひとびと》の|中《うち》には、|根《ね》から|葉《は》まで、|蕪《かぶら》から|菜種《なたね》まで|詮索《せんさく》しなくては、|神《かみ》は|信《しん》ぜられないとか、|御用《ごよう》は|出来《でき》ないとかいつて、|利巧《りかう》ぶるものが|沢山《たくさん》にある。いかに|才能《さいのう》ありとて、|学力《がくりよく》ありとて、|洪大無辺《こうだいむへん》の|神《かみ》の|意思《いし》|経綸《けいりん》の|判《わか》るべきものではない。また|神《かみ》よりこれを|詳《くは》しく|人間《にんげん》に|伝《つた》へむとしたまふとも、|貪瞋痴《どんしんち》の|三毒《さんどく》に|中《あ》てられたる|体主霊従《たいしゆれいじう》の|人間《にんげん》の、|到底《たうてい》|首肯《しゆこう》し|得《う》べきものでない。ただただ|神《かみ》の|言葉《ことば》を|信《しん》じて|身魂《みたま》を|研《みが》き、|命《めい》ぜらるるままに|神業《しんげふ》に|従事《じうじ》せばよい。
|顕恩郷《けんおんきやう》の|神人《かみがみ》らは|衣食住《いしよくぢう》の|憂《うれ》ひなく、|心魂《しんこん》ともに|質朴《しつぼく》にして|少《すこ》しの|猜疑心《さいぎしん》もなく、|天真爛漫《てんしんらんまん》にして|現代人《げんだいじん》のごとく|小賢《こざか》しき|智慧《ちゑ》も|持《も》つてゐなかつた。そのために|従順《じうじゆん》に|神《かみ》の|命《めい》に|服従《ふくじう》することを|得《え》たのである。|聖書《せいしよ》にも、
『|神《かみ》は|強《つよ》き|者《もの》、|賢《かしこ》き|者《もの》に|現《あら》はさずして、|弱《よわ》き|者《もの》、|愚《おろか》なる|者《もの》に|誠《まこと》を|現《あら》はし|給《たま》ふを|感謝《かんしや》す』
とあるごとく、|小《せう》なる|人間《にんげん》の|不徹底《ふてつてい》なる|知識《ちしき》|才学《さいがく》ほど|禍《わざはひ》なるはない。
かくして|神人《かみがみ》らの|昼夜《ちうや》の|丹精《たんせい》によつて、|三百三十三《さんびやくさんじふさん》|艘《ぞう》の|立派《りつぱ》なる|方舟《はこぶね》は|造《つく》りあがつた。さうしてこの|舟《ふね》には|残《のこ》らず|果物《くだもの》を|積《つ》み、または|家畜《かちく》や|草木《さうもく》の|種《たね》を|満載《まんさい》された。
|今《いま》まで|平穏《へいおん》なりし|顕恩郷《けんおんきやう》の|東北隅《とうほくぐう》の|山間《さんかん》に|立《た》てる|棒岩《ぼういは》は、|俄《にはか》に|唸《うな》りを|立《た》てて|前後左右《ぜんごさいう》に|廻転《くわいてん》し|初《はじ》めた。さうして|鬼武彦《おにたけひこ》の|石像《せきざう》は、|漸次《ぜんじ》|天《てん》に|向《むか》つて|延長《えんちやう》しだした。|之《これ》を|天《あま》の|逆鉾《さかほこ》と|称《とな》へる。
|猿《さる》のごとき|容貌《ようばう》を|具《そな》へたる|種族《しゆぞく》と、|蟹面《かにづら》の|種族《しゆぞく》は|互《たがひ》に|手《て》を|携《たづさ》へて|相親《あひした》しみ、この|逆鉾《さかほこ》の|下《した》にいたつて|果物《くだもの》の|酒《さけ》を|供《そな》へ、|祝詞《のりと》を|奏《そう》し、かつ|顕恩郷《けんおんきやう》の|永遠無窮《ゑいゑんむきう》に|安全《あんぜん》ならむことを|祈願《きぐわん》した。このとき|天《あま》の|逆鉾《さかほこ》に|声《こゑ》あり|云《い》ふ。
『|月《つき》に|叢雲《むらくも》|花《はな》には|嵐《あらし》 |天《てん》には|風雨雷霆《ふううらいてい》の|変《へん》あり
|地《ち》には|地震《ぢしん》|洪水《こうずゐ》|火災《くわさい》の|難《なん》あり |神人《しんじん》にはまた|病魔《びやうま》の|変《へん》あり
|朝《あした》の|紅顔《こうがん》|夕《ゆふべ》の|白骨《はくこつ》 |有為転変《うゐてんぺん》は|世《よ》の|習《なら》ひ
|淵瀬《ふちせ》と|変《かは》る|世《よ》の|中《なか》の |神人《かみがみ》|心《こころ》を|弛《ゆる》めなよ
|常磐堅磐《ときはかきは》に|逆鉾《さかほこ》の |堅《かた》き|心《こころ》を|立《た》て|徹《とほ》し
|天地《てんち》の|艱《なや》みきたるとも |神《かみ》にまかして|驚《おどろ》くな
|昨日《きのふ》にかはる|今日《けふ》の|空《そら》 |定《さだ》めなき|世《よ》と|覚悟《かくご》して
|月日《つきひ》と|土《つち》と|神《かみ》の|恩《おん》 |夢《ゆめ》にも|忘《わす》るることなかれ
|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》 |惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|鳴《な》りわたつたまま、|逆鉾《さかほこ》は|遂《つひ》に|沈黙《ちんもく》してしまつた。
|神人《かみがみ》らは|異口同音《いくどうおん》に|覚束《おぼつか》なき|言葉《ことば》にて、
『かんたま、かんたま』
と|唱《とな》へた。
|天地《てんち》は|震動《しんどう》して、ここに|地上《ちじやう》の|世界《せかい》は|大洪水《だいこうずゐ》となりし|時《とき》、この|郷《きやう》の|神人《かみがみ》らは|一柱《ひとはしら》も|残《のこ》らず、この|舟《ふね》に|搭乗《たふじやう》してヒマラヤ|山《さん》に|難《なん》を|避《さ》け、|二度目《にどめ》の|人間《にんげん》の|祖《そ》となつた。ゆゑにある|人種《じんしゆ》はこの|郷《きやう》の|神人《しんじん》の|血統《けつとう》を|受《う》け、その|容貌《ようばう》を|今《いま》に|髣髴《はうふつ》として|存《そん》してをる|人種《じんしゆ》がある。
|現代《げんだい》の|生物学者《せいぶつがくしや》や|人類《じんるゐ》|学者《がくしや》が、|人間《にんげん》は|猿《さる》の|進化《しんくわ》したものなりと|称《とな》ふるも|無理《むり》なき|次第《しだい》である。また|蟹面《かにづら》の|神人《しんじん》の|子孫《しそん》もいまに|世界《せかい》の|各所《かくしよ》に|残存《ざんぞん》し、|頭部《とうぶ》|短《みじか》く|面部《めんぶ》|平《ひら》たきいはゆる|土蜘蛛《つちぐも》|人種《じんしゆ》にその|血統《けつとう》を|留《とど》めてゐる。
(大正一一・一・九 旧大正一〇・一二・一二 井上留五郎録)
第四篇 |救世《きうせい》の|神示《しんじ》
第二三章 |神《かみ》の|御綱《みつな》〔二二三〕
|聖地《せいち》ヱルサレムは|常世彦《とこよひこ》、|常世姫《とこよひめ》らの|暴政《ばうせい》の|結果《けつくわ》、|天地《てんち》の|神明《しんめい》を|怒《いか》らしめ、|怪異《くわいい》|続出《ぞくしゆつ》して|変災《へんさい》しきりにいたり、|終《つひ》にアーメニヤに、|八王大神《やつわうだいじん》は|部下《ぶか》の|神々《かみがみ》とともに|逐電《ちくでん》し、エデン|城《じやう》もまた|焼尽《せうじん》し、|竜宮城《りうぐうじやう》もまた|祝融子《しゆくゆうし》に|見舞《みま》はれ|烏有《ういう》に|帰《き》し、|橄欖山《かんらんざん》の|神殿《しんでん》は|鳴動《めいどう》し、|三重《みへ》の|金殿《きんでん》は|際限《さいげん》もなく|中空《ちうくう》にむかつて|延長《えんちやう》し、|上端《じやうたん》において|東西《とうざい》に|一直線《いつちよくせん》に|延長《えんちやう》して|丁字形《ていじけい》の|金橋《きんけう》をなし、|黄金橋《わうごんけう》もまた|地底《ちてい》より|動揺《どうえう》して|虹《にじ》のごとく|上空《じやうくう》に|昇《のぼ》り、|漸次《ぜんじ》|稀薄《きはく》となり、|大空《たいくう》に|於《おい》て|遂《つひ》にその|影《かげ》を|没《ぼつ》して|了《しま》つた。
|丁字形《ていじけい》の|金橋《きんけう》は、|東《ひがし》より|南《みなみ》、|西《にし》、|北《きた》と|緩《ゆる》やかに|廻転《くわいてん》し|始《はじ》めた。さうして|金橋《きんけう》の|各部《かくぶ》よりは、|美《うる》はしき|細《ほそ》き|金色《こんじき》の|霊線《れいせん》を|所々《ところどころ》に|発生《はつせい》し、|地球《ちきう》の|上面《じやうめん》に|垂下《すゐか》すること|恰《あたか》も|糸柳《いとやなぎ》の|枝《えだ》のごとくであつた。さうして|其《そ》の|金色《こんじき》の|霊線《れいせん》の|終点《しうてん》には、|金《きん》|銀《ぎん》|銅《どう》|鉄《てつ》|鉛《なまり》|等《とう》の|鉤《かぎ》が|一々《いちいち》|附着《ふちやく》されてある。これを『|神《かみ》の|御綱《みつな》』ともいひ、または『|救《すく》いの|鈎《かぎ》』ともいふ。
|言触神《ことぶれのかみ》は|遠近《ゑんきん》の|区別《くべつ》なく|山野都鄙《さんやとひ》を|跋渉《ばつせふ》し、|櫛風沐雨《しつぷうもくう》、|心身《しんしん》を|惜《を》しまず|天教山《てんけうざん》の|神示《しんじ》を|諸方《しよはう》に|宣伝《せんでん》しはじめた。さうしてその|宣伝《せんでん》に|随喜渇仰《ずゐきかつかう》して、|日月《じつげつ》の|殊恩《しゆおん》を|感謝《かんしや》し、|正道《せいだう》に|帰順《きじゆん》する|神人《しんじん》には、おのおのその|頭《かしら》に『|神《かみ》』の|字《じ》の|記号《しるし》を|附《つ》けておいた。されど|附《つ》けられた|者《もの》も、|附《つ》けられない|反抗者《はんかうしや》も、これに|気付《きづ》くものは|一柱《ひとはしら》もなかつた。
|中空《ちうくう》に|金橋《きんけう》|廻転《くわいてん》し、|金色《こんじき》の|霊線《れいせん》の|各所《かくしよ》より|放射《はうしや》するを|見《み》て、|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》は|最初《さいしよ》は|之《これ》を|怪《あや》しみ、|天地《てんち》|大変動《だいへんどう》の|神《かみ》の|警告《けいこく》として、|心中《しんちう》|不安《ふあん》|恐怖《きようふ》の|念《ねん》に|駆《か》られて、|天《てん》に|向《むか》ひ、|何者《なにもの》かの|救《すく》ひを|求《もと》むるごとく、|合掌《がつしやう》|跪拝《きはい》しつつあつた。しかるに|日《ひ》を|重《かさ》ね、|月《つき》を|越《こ》ゆるにつれて、これを|少《すこ》しも|異《あや》しむものなく、あたかも|日々《ひび》|太陽《たいやう》の|東《ひがし》より|出《い》でて|西《にし》に|入《い》るもののごとく、ただ|普通《ふつう》の|現象《げんしやう》として|之《これ》を|蔑視《べつし》し|漸《やうや》く|心魂《しんこん》|弛《ゆる》み、|復《ふたた》び|神《かみ》を|無視《むし》するの|傾向《けいかう》を|生《しやう》じてきた。
このとき|天道別命《あまぢわけのみこと》、|天真道彦神《あめのまみちひこのかみ》、|月照彦神《つきてるひこのかみ》、|磐戸別神《いはとわけのかみ》、|足真彦神《だるまひこのかみ》、|祝部神《はふりべのかみ》、|太田神《おほたのかみ》その|他《た》の|諸神《しよしん》は、|昼夜《ちうや》|間断《かんだん》なく|予言《よげん》|警告《けいこく》を|天下《てんか》に|宣布《せんぷ》しつつあつた。
されどウラル|彦《ひこ》の|体主霊従的《たいしゆれいじうてき》|宣伝歌《せんでんか》に、あまたの|神人《かみがみ》らは|誑惑《けうわく》され、かつ|大《おほい》にこの|歌《うた》を|歓迎《くわんげい》し、|致《いた》る|所《ところ》の|神人《しんじん》は|山野都鄙《さんやとひ》の|区別《くべつ》なく、
『|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ
|暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る
|時鳥《ほととぎす》|声《こゑ》は|聞《き》けども|姿《すがた》は|見《み》せぬ
|姿《すがた》|見《み》せぬは|魔《ま》か|鬼《おに》か』
と|盛《さか》んに|謡《うた》ひ、|酒色《しゆしよく》と|色情《しきじやう》の|欲《よく》に|駆《か》られ、|暴飲暴食《ばういんばうしよく》、|淫靡《いんび》の|風《かぜ》は|四方《しはう》を|吹捲《ふきまく》つた。
|言触神《ことぶれのかみ》の|苦心惨憺《くしんさんたん》して|教化《けうくわ》の|結果《けつくわ》、|得《え》たる|神人《しんじん》の|頭部《とうぶ》に『|神《かみ》』の|字《じ》の|記号《しるし》を|附着《ふちやく》されたる|神人《しんじん》は、|大空《おほぞら》の|金橋《きんけう》より|落下《らくか》する|金色《こんじき》の|霊線《れいせん》の|末端《まつたん》なる『|救《すく》ひの|鈎《かぎ》』にかけられ、|中空《ちうくう》に|舞上《まひあが》るもの、|引揚《ひきあげ》らるるもの、|日《ひ》の|数十《すうじゆう》となく|現《あら》はれてきた。|八百万《やほよろづ》の|神人《かみ》の|中《なか》において、|日《ひ》に|幾十《いくじふ》|柱《はしら》の|神人《しんじん》の|救《すく》はれしは、あたかも|九牛《きうぎう》の|一毛《いちまう》に|如《し》かざる|数《かず》である。
この|鈎《かぎ》にかかりたる|神人《しんじん》は、|上中下《じやうちうげ》の|身魂《みたま》の|中《なか》において、|最《もつと》も|純粋《じゆんすゐ》にして、|神《かみ》より|選《えら》ばれたものである。|同《おな》じ|引揚《ひきあ》げらるる|神人《しんじん》のなかにも、|直立《ちよくりつ》して『|上《あ》げ|面《づら》』をなし、|傲然《がうぜん》として|頭《かしら》を|擡《もた》げ、|鼻高々《はなたかだか》と|大地《だいち》を|歩《あゆ》み、|又《また》は|肩《かた》にて|風《かぜ》をきる|神人《しんじん》は、|耳《みみ》、|鼻《はな》、|顎《あご》、|首《くび》、|腕《うで》などを|其《そ》の|鈎《かぎ》に|掛《か》けられ、|引揚《ひきあ》げらるる|途中《とちう》に|非常《ひじやう》の|苦《くる》しみを|感《かん》じつつあるのが|見《み》えた。また|俯向《うつむ》いて|事業《じげふ》に|勉励《べんれい》し、|一意専心《いちいせんしん》に|神《かみ》を|信《しん》じ、|下《した》に|目《め》のつく|神《かみ》は、|腰《こし》の|帯《おび》にその|鈎《かぎ》が|掛《かか》つて|少《すこ》しの|苦《くる》しみもなく、|金橋《きんけう》の|上《うへ》に|捲《ま》き|上《あ》げられるのであつた。その|他《た》|身体《しんたい》の|各所《かくしよ》を、|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》の|行動《かうどう》に|依《よ》つて|掛《か》けられ|金橋《きんけう》の|上《うへ》に|救《すく》ひ|上《あ》げらるるその|有様《ありさま》は、|千差万別《せんさばんべつ》である。|中《なか》には|苦《くる》しみに|堪《た》へかねて、|折角《せつかく》もう|一息《ひといき》といふところにて|顎《あご》がはづれ、|耳《みみ》ちぎれ、|眼《まなこ》|眩《くら》み、|腕《うで》をれ、|鼻《はな》まがりなどして、ふたたび|地上《ちじやう》に|落下《らくか》し、|神徳《しんとく》に|外《はづ》れる|者《もの》も|沢山《たくさん》に|現《あら》はれた。その|中《なか》にも|頭《あたま》を|低《ひく》くし、|下《しも》を|憐《あは》れみ、|俯向《うつむ》きて|他《た》の|神人《かみがみ》の|下座《しもざ》に|就《つ》き、【せつせ】と|神業《しんげふ》をはげむものは、|完全《くわんぜん》に|天上《てんじやう》の|金橋《きんけう》に|救《すく》ひ|上《あ》げられた。
このとき|天橋《てんけう》には、|第二《だいに》の|銀色《ぎんいろ》の|橋《はし》、|金橋《きんけう》とおなじく|左右《さいう》に|延長《えんちやう》し、また|其《そ》の|各所《かくしよ》よりは|銀色《ぎんいろ》の|霊線《れいせん》を|地上《ちじやう》に|垂下《すゐか》し、|末端《まつたん》の|鈎《かぎ》にて『|中《ちう》の|身魂《みたま》』の|神人《しんじん》を、|漸次《ぜんじ》|前《まへ》のごとくにして|救《すく》ひ|上《あ》げるのを|見《み》た。
|次《つぎ》には|同《おな》じく|銅色《どうしよく》の|橋《はし》|左右《さいう》に|発生《はつせい》して、|前《まへ》のごとく|東西《とうざい》に|延長《えんちやう》し、|銅橋《どうけう》の|各所《かくしよ》より|又《また》もや|銅色《どうしよく》の|霊線《れいせん》を|地上《ちじやう》に|垂下《すゐか》し、その|末端《まつたん》の|鉤《かぎ》にて|選《えら》まれたる|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》を、|天橋《てんけう》の|上《うへ》に|引揚《ひきあ》ぐること|以前《いぜん》のごとく、|完全《くわんぜん》に|上《あが》り|得《う》るもあり、|中途《ちうと》に|落下《らくか》するもあり、せつかく|掛《か》けられし|其《そ》の|綱《つな》、|其《そ》の|鉤《かぎ》をはづして|地上《ちじやう》より|遁去《とんきよ》するもあつた。
|図《づ》をもつて|示《しめ》せば、|前図《ぜんづ》のとほりである。
(大正一一・一・一〇 旧大正一〇・一二・一三 外山豊二録)
第二四章 |天《あま》の|浮橋《うきはし》〔二二四〕
|竜宮城《りうぐうじやう》の|三重《みへ》の|金殿《きんでん》より|顕国玉《うつしくにたま》の|神威《しんゐ》|発揚《はつやう》して、あたかも|両刃《もろは》の|剣《つるぎ》を|立《た》てたるごとき|黄金《わうごん》の|柱《はしら》|中空《ちうくう》に|延長《えんちやう》し、その|末端《まつたん》より|発生《はつせい》したる|黄金橋《わうごんけう》はこの|柱《はしら》を|中心《ちうしん》に|東西《とうざい》に|延長《えんちやう》し、その|少《すこ》しく|下方《かはう》よりは|左右《さいう》に|銀橋《ぎんけう》を|発生《はつせい》し、そのまた|下方部《かはうぶ》よりは|銅橋《どうけう》を|発生《はつせい》して|東西《とうざい》に|延長《えんちやう》し、|地球《ちきう》の|上面《じやうめん》を|覆《おほ》うたことは|前述《ぜんじゆつ》の|通《とほ》りである。
そして|各橋《かくけう》より|垂下《すゐか》する|金《きん》|銀《ぎん》|銅《どう》の|霊線《れいせん》の|鉤《かぎ》に|身体《しんたい》をかけられ、|上中下《じやうちうげ》|三段《さんだん》の|身魂《みたま》が|各自《かくじ》|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》によつて|金《きん》|銀《ぎん》|銅《どう》の|橋上《けうじやう》に|救《すく》ひ|上《あ》げられ、|或《あるひ》は|中途《ちうと》に|地上《ちじやう》に|落下《らくか》する|有様《ありさま》を、|訝《いぶ》かしげに|眺《なが》めつつ|見惚《みと》れてゐた|瑞月《ずゐげつ》の|前《まへ》に、|銀色《ぎんいろ》の|霊線《れいせん》が|下《くだ》りきたり、その|末端《まつたん》の|鉤《かぎ》は|腹部《ふくぶ》の|帯《おび》に|引掛《ひつかか》るよと|見《み》るまに、|眼《め》も|眩《くら》むばかりの|速力《そくりよく》にて|空中《くうちう》に|引《ひ》きあげられた。あまりの|恐《おそ》ろしさに、|思《おも》はず|眼《め》を|閉《と》ぢ|口《くち》を|塞《ふさ》ぎ、|両手《りやうて》をもつて|耳《みみ》を|塞《ふさ》ぎつつあつた。|俄《にはか》に、
『|眼《め》を|開《あ》けよ』
といふ|声《こゑ》が、|頭上《づじやう》の|方《はう》にあたつて|聞《きこ》えた。その|声《こゑ》に|思《おも》はず|眼《め》を|開《ひら》けば、|遥《はるか》の|中空《ちうくう》に|捲揚《まきあ》げられ、|自分《じぶん》は|銀橋《ぎんけう》の|上《うへ》に|立《た》たされてゐた。|銀橋《ぎんけう》の|上《うへ》には、ところどころに|神人《しんじん》が|引《ひ》き|揚《あ》げられてゐるのを|見《み》た。いづれも|恐《おそ》ろしげに|緊張《きんちやう》しきつた|態度《たいど》で、|地上《ちじやう》を|瞰下《みおろ》してゐるのであつた。このとき|吾《わが》|頭上《づじやう》にあたつて、
『|吾《われ》は|国姫神《くにひめのかみ》なり、|汝《なんぢ》に|今《いま》より|小松林命《こまつばやしのみこと》といふ|神名《しんめい》を|与《あた》へむ。この|綱《つな》にすがりて|再《ふたた》び|地上《ちじやう》に|降《くだ》り、|汝《なんぢ》が|両親《りやうしん》|兄弟《きやうだい》|朋友《ほういう》|知己《ちき》らに|面会《めんくわい》して|天上《てんじやう》の|光景《くわうけい》を|物語《ものがた》り、|悔《く》い|改《あらた》めしめ、|迷《まよ》へる|神人《しんじん》をして|神《かみ》の|道《みち》につかしむべし』
と|言葉《ことば》|終《をは》るとともに|頭上《づじやう》より|金線《きんせん》は|下《くだ》つてきた。そして|国姫神《くにひめのかみ》の|姿《すがた》は|声《こゑ》のみにて、|拝《はい》することは|出来《でき》なかつたのである。|下《くだ》りくる|金色《こんじき》の|霊線《れいせん》を|両手《りやうて》に|握《にぎ》るよとみるまに、ガラガラと|釣瓶《つるべ》の|車《くるま》をまはすごとき|音《おと》して|地上《ちじやう》に|釣瓶落《つるべおと》しに|卸《おろ》されて|了《しま》つた。
|降《くだ》れば|身《み》は|何《なん》ともいへぬひろびろとした|原野《げんや》に|立《た》つてゐた。ここには|吾《わが》|親《おや》らしきものも|兄弟《きやうだい》|知己《ちき》らしき|人間《にんげん》もなく、ただ|虎《とら》、|狼《おほかみ》、|山狗《やまいぬ》、|狐狸《こり》の|群《むれ》がところどころに|散在《さんざい》してゐるのであつた。|不思議《ふしぎ》にも|是《これ》らの|猛獣《まうじう》は|白壁《しらかべ》|造《つく》りの|庫《くら》を|建《た》てて、|或《あるひ》は|立派《りつぱ》な|門構《もんがま》へをなし、|美《うつく》しき|広《ひろ》き|家《いへ》に|住《す》まつてゐるのである。どう|考《かんが》へても|猛獣《まうじう》|狐狸《こり》の|棲《す》むべき|住家《すみか》とは|思《おも》はれなかつた。これはどうしても|人間《にんげん》の|住《す》むべき|家《いへ》である。しかるに|何《なに》ゆゑ、|此《かく》のごとき|獣類《じうるゐ》のみ|住《す》みをるやと、|訝《いぶ》かりつつあつた。
このとき|国姫神《くにひめのかみ》の|声《こゑ》として、
『|天上《てんじやう》より|此《この》|黒布《こくふ》を|与《あた》へむ』
と|云《い》はるるかと|見《み》るまに、|黒《くろ》き|布《ぬの》は|風《かぜ》にヒラヒラとして|吾《わが》|前《まへ》に|下《くだ》り|来《きた》つた。|手早《てばや》くこれを|持《も》つて|面部《めんぶ》を|覆《おほ》うた。|黒布《こくふ》を|透《とう》してその|猛獣《まうじう》|狐狸《こり》の|群《むれ》をながむれば、あにはからむや、いづれも|皆《みな》|立派《りつぱ》なる|人間《にんげん》ばかりである。|中《なか》には|自分《じぶん》の|親《した》しく|交《まじ》はつてゐた|朋友《ほういう》も|混《まじ》つてをるには、|驚《おどろ》かざるを|得《え》なかつた。
それよりこの|黒布《くろぬの》を|一瞬《いつしゆん》の|間《ま》も|離《はな》すことをせなかつた。そのゆゑは、|此《この》|眼《め》の|障害物《しやうがいぶつ》を|一枚《いちまい》|除《のぞ》けば、|前述《ぜんじゆつ》のごとく|猛虎《まうこ》や|狐狸《こり》の|姿《すがた》に|変《かは》つて|了《しま》ひ、|実《じつ》に|恐《おそ》ろしくてたまらなかつたからである。
さうかうする|間《うち》、|又《また》もや|天上《てんじやう》より|吾《わが》|前《まへ》に|金色《こんじき》の|霊線《れいせん》が|下《さが》つてきた。|以前《いぜん》のごとく|吾《わが》|腹帯《はらおび》に|鉤《かぎ》は|引《ひき》かかつた。|今度《こんど》はその|黒布《くろぬの》を|手《て》ばやく|懐中《ふところ》に|入《い》れ、|両手《りやうて》を|以《もつ》て|確《しか》と|金色《こんじき》の|霊線《れいせん》を|掴《つか》みながら、|前《まへ》のごとく|一瀉千里《いつしやせんり》の|勢《いきほひ》にて|上空《じやうくう》に|引《ひ》き|揚《あ》げられて|了《しま》つた。
やや|久《ひさ》しうして、
『|眼《め》を|開《あ》けよ』
と|叫《さけ》びたまふ|神《かみ》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えた。|眼《め》を|開《ひら》けば|今度《こんど》は|最高点《さいかうてん》の|黄金橋《こがねばし》の|上《うへ》に|引《ひ》き|揚《あ》げられてゐたのである。まづ|安心《あんしん》とあたりを|見《み》れば、|国姫神《くにひめのかみ》は|莞爾《につこ》として|四五《しご》の|従神《じうしん》とともに|吾《わが》|前《まへ》に|現《あらは》れ、
『この|橋《はし》は|黄金《こがね》の|大橋《おおはし》といひ、また|天《あま》の|浮橋《うきはし》ともいひ、|地球《ちきう》の|中心《ちうしん》|火球《くわきう》より|金気《きんき》|昇騰《しようとう》して|顕国《うつしくに》の|玉《たま》となり、この|玉《たま》の|威徳《ゐとく》によりて|国《くに》の|御柱《みはしら》は|中空《ちうくう》に|高《たか》く|延長《えんちやう》し、その|頂上《ちやうじやう》は|左右《さいう》に|分《わか》れ、|左《ひだり》は|男神《をがみ》の|渡《わた》るべき|橋《はし》にして、|右《みぎ》は|女神《めがみ》の|渡《わた》る|橋《はし》なり、この|黄金橋《わうごんけう》は|滑《なめらか》にして、|少《すこ》しの|油断《ゆだん》あらば|滑《すべ》りて|再《ふたた》び|地《ち》に|顛落《てんらく》し、|滅亡《めつぼう》を|招《まね》くの|危険《きけん》あり。|汝《なんぢ》は|抜身《ぬきみ》の|中《なか》に|立《た》つごとく|心《こころ》を|戒《いまし》め、|一足《ひとあし》たりとも|油断《ゆだん》なく、|眼《まなこ》を|配《くば》り、|耳《みみ》を|澄《す》ませ、|息《いき》を|詰《つ》め、あらゆる|心《こころ》を|配《くば》りてこの|橋《はし》を|東方《とうはう》に|向《むか》つて|渡《わた》れ。また|此《この》|橋《はし》は|東南西北《とうなんせいほく》に|空中《くうちう》を|旋回《せんくわい》す、その|旋回《せんくわい》の|度《たび》ごとに|橋体《けうたい》|震動《しんどう》し、|橋上《けうじやう》の|神人《しんじん》は|動《やや》もすれば|跳飛《はねと》ばさるる|恐《おそ》れあり、また|時《とき》には|暴風《ばうふう》|吹《ふ》ききたつて|橋上《けうじやう》の|神人《しんじん》を|吹《ふ》き|落《おと》すことあり。|欄干《らんかん》もなく、|足溜《あしだま》りもなく、|橋《はし》とはいへど|黄金《こがね》の|丸木橋《まるきばし》、|渡《わた》るに|難《かた》し、|渡《わた》らねば|神《かみ》の|柱《はしら》となることを|得《え》ず、|実《じつ》に|難《かた》きは|神柱《かむばしら》たるものの|勤《つと》めなり』
と|言葉《ことば》|嚴《おごそ》かに|云《い》ひ|渡《わた》された。
|王仁《おに》は|唯々諾々《ゐゐだくだく》として|其《その》|教訓《けうくん》を|拝《はい》し、|東方《とうはう》に|向《むか》つて|覚束《おぼつか》なき|足下《あしもと》にて、|一歩々々《いつぽいつぽ》|跣足《はだし》のまま|歩《ほ》を|進《すす》めた。
|忽《たちま》ち|黄金橋《わうごんけう》は|東《ひがし》より|南《みなみ》に|廻転《くわいてん》を|初《はじ》めた。じつに|危険《きけん》|身《み》に|迫《せま》るを|覚《おぼ》え、|殆《ほとん》ど|顔色《がんしよく》をなくして|了《しま》つた。このとき|何神《なにがみ》の|御声《みこゑ》とも|知《し》れず、
『|勇猛《ゆうまう》なれ、|果断《くわだん》なれ、|毅然《きぜん》として|神命《しんめい》を|敢行《かんかう》せよ。|神《かみ》は|汝《なんぢ》の|背後《はいご》にあり、|夢《ゆめ》|恐《おそ》るるな』
といふ|声《こゑ》が|耳朶《じだ》を|打《う》つた。
|王仁《おに》はこの|声《こゑ》を|聞《き》くとともに、|恐怖心《きようふしん》も|何《なに》も|全部《すつかり》|払拭《ふつしき》され、|光風霽月《くわうふうせいげつ》、|心天《しんてん》|一点《いつてん》の|暗翳《あんえい》も|留《とど》めざる|思《おも》ひがした。
|金橋《きんけう》はますます|廻転《くわいてん》を|速《はや》め、|東《ひがし》より|南《みなみ》に、|南《みなみ》より|西《にし》へ、|西《にし》より|北《きた》へと|中空《ちうくう》をいと|迅速《じんそく》に|旋回《せんくわい》し、また|元《もと》の|東《ひがし》に|戻《もど》つた。
|黄金橋《わうごんけう》の|東端《とうたん》は、ある|一《ひと》つの|高山《かうざん》に|触《ふ》れた。|見《み》れば|是《これ》は|世界《せかい》の|名山《めいざん》|天教山《てんけうざん》の|頂《いただ》きであつた。このとき|木花姫命《このはなひめのみこと》を|初《はじ》め|数多《あまた》の|神人《かみがみ》は、|吾《わが》|姿《すがた》を|見《み》て、
『ウローウロー』
と|両手《りやうて》を|挙《あ》げて|叫《さけ》び、|歓迎《くわんげい》の|意《い》を|表《へう》された。
いつの|間《ま》にか|王仁《おに》の|身《み》は|天教山《てんけうざん》の|山頂《さんちやう》に、|神々《かみがみ》とともに|停立《ていりつ》してゐた。|金橋《きんけう》は|何時《いつ》のまにか|東南隅《とうなんぐう》に|方向《はうかう》を|変《へん》じてゐた。
|時《とき》しも|山上《さんじやう》を|吹《ふ》き|捲《ま》くる|吹雪《ふぶき》の|寒《さむ》さに、|頬《ほほ》も|鼻《はな》も|千切《ちぎ》れるばかりの|痛《いた》みを|感《かん》ずるとともに、|烈風《れつぷう》に|吹《ふ》かれて|山上《さんじやう》に|倒《たふ》れし|其《そ》の|途端《とたん》に|前額部《ぜんがくぶ》を|打《う》ち、|両眼《りやうがん》より|火光《くわくわう》が|飛《と》び|出《だ》したと|思《おも》ふ|一刹那《いちせつな》、|王仁《おに》の|身《み》は|高熊山《たかくまやま》の|岩窟《がんくつ》に|静坐《せいざ》し、|前額部《ぜんがくぶ》を|岩角《いはかど》に|打《う》つてゐた。
(大正一一・一・一〇 旧大正一〇・一二・一三 井上留五郎録)
第二五章 |姫神《ひめがみ》の|宣示《せんじ》〔二二五〕
|月《つき》|清《きよ》く|星《ほし》|稀《まれ》にして、|銀河《ぎんが》は|東南《とうなん》の|天《てん》より|西北《せいほく》に|流《なが》れ、|風《かぜ》は|微妙《びめう》の|音楽《おんがく》を|奏《そう》し、|天教山《てんけうざん》の|中腹《ちうふく》は|霞《かすみ》の|帯《おび》を|引《ひ》き|廻《まは》し、|海面《かいめん》を|見渡《みわた》せば、|浪《なみ》|静《しづか》にして|水面《すゐめん》に|白色《はくしよく》の|真帆《まほ》|片帆《かたほ》、|東西南北《とうざいなんぼく》に|風《かぜ》をはらんで|疾走《しつそう》する|様《さま》、|実《じつ》に|竜宮城《りうぐうじやう》の|神苑《しんゑん》に|白鷺《しらさぎ》の|降《お》りたるがごとき|光景《くわうけい》であつた。
|木花姫命《このはなひめのみこと》を|中心《ちうしん》に、|天道別命《あまぢわけのみこと》、|天真道彦命《あめのまみちひこのみこと》、|月照彦神《つきてるひこのかみ》、|足真彦神《だるまひこのかみ》、|磐戸別神《いはとわけのかみ》、|祝部神《はふりべのかみ》、|弘子彦神《ひろやすひこのかみ》、|太田神《おほたのかみ》その|他《た》の|神々《かみがみ》は、|勇気《ゆうき》|凛々《りんりん》たる|面持《おももち》にて、いまや|黄金橋《わうごんけう》をあとにしてこの|天教山《てんけうざん》に|息《いき》を|休《やす》め、|天眼鏡《てんがんきやう》を|片手《かたて》にとりて、|上《うへ》は|天《てん》を|照《て》らし、|下《した》は|地上《ちじやう》を|照《て》らし、|天地《てんち》の|光景《くわうけい》は|手《て》にとるごとく、|否《いな》、|神現幽《しんげんいう》|三界《さんかい》の|光景《くわうけい》は|目睫《もくせふ》の|間《あひだ》に|透見《とうけん》し|得《え》らるるその|面白《おもしろ》さに、われを|忘《わす》れ|異口同音《いくどうおん》に、
『ヤヤヤ|大変《たいへん》|大変《たいへん》』
と|叫《さけ》ぶもあれば、
『ヤア|面白《おもしろ》い』
と|叫《さけ》ぶ|神人《かみがみ》もある。なかに|祝部神《はふりべのかみ》は|頓狂《とんきやう》な|声《こゑ》を|出《だ》して、
『ヨウヨウこいつは|大変《たいへん》だ、|助《たす》けてやらねばなるまい』
と|一目散《いちもくさん》に|天教山《てんけうざん》を|駆《か》け|下《くだ》らむとする|慌《あわ》て|者《もの》である。|木花姫命《このはなひめのみこと》は|満面《まんめん》に|笑《ゑみ》を|湛《たた》へつつ|祝部神《はふりべのかみ》を『|暫《しば》し』と|呼《よ》びとめられた。|祝部神《はふりべのかみ》は|下《くだ》りかけたる|山路《やまみち》をふたたび|登《のぼ》り|来《きた》りながら、|右《みぎ》の|手《て》をもつて|鼻《はな》をこすりあげ、|右《みぎ》の|目縁《まぶち》より|左《ひだり》の|目尻《めじり》にかけてつるりと|撫《な》で、|手《て》の|甲《かふ》にて【はな】をかみながら、その|手《て》を|袖《そで》にて|拭《ぬぐ》ひ|落《おと》し、
『これはこれは、|真《まこと》に|失礼《しつれい》いたしました』
とお|玉杓子《たまじやくし》のようなる|不格好《ぶかくかう》の|顔《かほ》つきして、かるく|目礼《もくれい》するのであつた。
|月照彦神《つきてるひこのかみ》は|祝部神《はふりべのかみ》にむかひ、
『|貴下《きか》のごとく|慌《あわ》てた|挙動《きよどう》にて、いかにして|天橋《てんけう》を|渡《わた》りたまひしか』
と|訝《いぶか》しげに|問《と》ひかけたまへば、|命《みこと》は|雑作《ざふさ》なく、
『|私《わたし》は|天教山《てんけうざん》の|方《はう》のみ|見《み》つめてゐましたので、|足許《あしもと》などは|少《すこ》しも|気《き》にかけませぬ』
と|云《い》つて|数多《あまた》の|神々《かみがみ》を|煙《けむり》にまいた。|祝部神《はふりべのかみ》はそれでも|済《す》ました|顔《かほ》で|木花姫命《このはなひめのみこと》に|向《むか》ひ、
『|私《わたくし》は|三界《さんかい》の|惨状《さんじやう》を|目撃《もくげき》してより、|一寸《ちよつと》の|間《ま》も|安逸《あんいつ》に|身《み》を|置《お》くことは|出来《でき》ないやうな|気《き》になりました。なにとぞ|一時《いちじ》もはやく|下山《げざん》を|許《ゆる》させたまへ』
といふより|早《はや》く、|木花姫命《このはなひめのみこと》の|宣示《せんじ》も|待《ま》たず、|踵《きびす》を|返《かへ》してまたもやトントンと|青木ケ原《あをきがはら》に|下《くだ》りゆかむとする。|足真彦神《だるまひこのかみ》は|苦笑《くせう》しながら、
『|祝部神《はふりべのかみ》、あまり|貴下《きか》の|挙動《きよどう》|粗忽《そこつ》に|過《す》ぎざるや、|未《いま》だ|大神《おほかみ》の|御許容《ごきよよう》なし、|自由《じいう》|行動《かうどう》は|神人《しんじん》のもつとも|慎《つつし》むべきところならずや』
と|声《こゑ》に|力《ちから》を|入《い》れて|呼《よ》び|止《と》めた。|祝部神《はふりべのかみ》はまたもや|手《て》【ばな】をかみながら|元《もと》の|座《ざ》に|現《あら》はれた。|神々《かみがみ》は|一度《いちど》にどつと|哄笑《こうせう》し、なかには|笑《わら》ひこけて|腰骨《こしぼね》を|拳《こぶし》もて|叩《たた》く|神《かみ》さへもあつた。
|木花姫命《このはなひめのみこと》は|神々《かみがみ》を|集《あつ》め、|天眼鏡《てんがんきやう》を|一面《いちめん》づつ|神々《かみがみ》に|授《さづ》け、|且《か》つ|紫《むらさき》、|青《あを》、|赤《あか》、|白《しろ》、|黄《き》、|黒《くろ》|等《とう》の|被面布《ひめんぷ》を|渡《わた》し、
『|汝《なんぢ》|諸神人《しよしん》ら、いま|現幽二界《げんいうにかい》に|出《い》で|致《いた》りて|神言《しんげん》を|伝《つた》へむとするときは、|必《かなら》ずこの|被面布《ひめんぷ》を|用《もち》ゐたまへ、しかし|神界《しんかい》は|此《この》|限《かぎ》りに|非《あら》ず』
といひつつ|各神《かくしん》に|各色《かくしよく》の|被面布《ひめんぷ》を|渡《わた》された。
|茲《ここ》に|神々《かみがみ》は|八方《はつぱう》に|手分《てわけ》けなしつつ、|神界《しんかい》より|野立彦命《のだちひこのみこと》の|神教《しんけう》を|宣伝《せんでん》するため、|各自《かくじ》|変装《へんさう》して|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》にむかひ、|警告《けいこく》を|与《あた》ふることとなつた。
このとき|天教山《てんけうざん》は|鳴動《めいどう》しはじめた。|音響《おんきやう》は|時々刻々《じじこくこく》に|強烈《きやうれつ》となつた。|木花姫命《このはなひめのみこと》は|神々《かみがみ》に|向《むか》ひ、
『もはや|野立彦命《のだちひこのみこと》の|神教《しんけう》を|宣伝《せんでん》すべき|神々《かみがみ》は、|黄金橋《わうごんけう》のもつとも|困難《こんなん》なる|修業《しうげふ》を|終《を》へ、|難関《なんくわん》を|渡《わた》りたれば、ふたたび|邪神《じやしん》に|誑惑《けうわく》せらるることなかるべし。|今《いま》や|当山《たうざん》の|鳴動《めいどう》|刻々《こくこく》に|激烈《げきれつ》となるは、|火球《くわきう》の|世界《せかい》より|大神《おおかみ》の|神霊《しんれい》ここに|現《あら》はれたまひて、|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》、|開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》び、スの|種《たね》を|世界《せかい》に|間配《まくば》る|瑞祥《ずゐしやう》の|表徴《へうちよう》なれば、|吾《われ》はこれより|中腹《ちうふく》の|青木ケ原《あをきがはら》に|転居《てんきよ》せむ、|諸神《しよしん》はこれよりヒマラヤ|山《さん》に|集《あつ》まり、|野立姫命《のだちひめのみこと》の|再《ふたた》び|神教《しんけう》を|拝受《はいじゆ》し、|霊魂《みたま》に|洗練《せんれん》を|加《くは》へ、もつて|完全無欠《くわんぜんむけつ》の|宣伝使《せんでんし》となり、|地上《ちじやう》の|世界《せかい》を|救済《きうさい》されよ』
と|容《かたち》を|改《あらた》め|言葉《ことば》おごそかに|宣示《せんじ》された。|遉《さすが》に|優美《いうび》にして|愛情《あいじやう》|溢《あふ》るるばかりの|木花姫命《このはなひめのみこと》も、この|時《とき》ばかりは|凛乎《りんこ》として|犯《をか》すべからざる|威厳《ゐげん》が|備《そな》はつてゐた。|諸神《しよしん》は|思《おも》はずその|威《ゐ》に|打《う》たれて|地上《ちじやう》に|跪《ひざま》づき、|感涙《かんるい》に|咽《むせ》んだ。|鳴動《めいどう》|刻々《こくこく》に|激《はげ》しく、|遂《つひ》には|山頂《さんちやう》より|大爆発《だいばくはつ》をなして|中空《ちうくう》に|火花《ひばな》を|散《ち》らし、|得《え》もいはれぬ|光景《くわうけい》を|呈《てい》したのである。あゝ|今後《こんご》の|天教山《てんけうざん》は、いかなる|神霊的《しんれいてき》|活動《くわつどう》が|開始《かいし》さるるであらうか。
(大正一一・一・一〇 旧大正一〇・一二・一三 加藤明子録)
第二六章 |艮坤《こんごん》の|二霊《にれい》〔二二六〕
|轟然《がうぜん》たる|大音響《だいおんきやう》とともに|突然《とつぜん》|爆発《ばくはつ》したる|天教山《てんけうざん》の|頂上《ちやうじやう》より、|天《てん》に|向《むか》つて|打《う》ち|上《あ》げられたる|数多《あまた》の|星光《せいくわう》は、|世界《せかい》の|各地《かくち》にそれぞれ|落下《らくか》した。
これは|第四巻《だいよんくわん》に|示《しめ》す|地球《ちきう》の|中軸《ちうぢく》なる|大火球《たいくわきう》すなはち|根底《ねそこ》の|国《くに》に|落《お》ちて、|種々《しゆじゆ》の|艱難辛苦《かんなんしんく》をなめたる|各神《かくしん》の|身魂《みたま》の|時《とき》を|得《え》て、|野立彦命《のだちひこのみこと》の|神徳《しんとく》により|地中《ちちう》の|空洞《くうどう》(|天《あま》の|岩戸《いはと》)を|開《ひら》き、|天教山《てんけうざん》の|噴火口《ふんくわこう》に|向《むか》つて|爆発《ばくはつ》したのである。|俗《ぞく》に|地獄《ぢごく》の|釜《かま》の|蓋《ふた》が|開《あ》くと|云《い》ふはこのことである。また『|天《あま》の|岩戸開《いはとびら》き』と|云《い》ふのも、これらを|指《さ》して|云《い》ふこともあるのである。
|地上《ちじやう》に|散布《さんぷ》せられたる|星光《せいくわう》は、|多年《たねん》の|労苦《らうく》に|洗練《せんれん》されて|天授《てんじゆ》の|真霊魂《しんれいこん》に|立替《たちか》はり、ことに|美《うる》はしき|神人《しんじん》として|地上《ちじやう》に|各自《かくじ》|身魂《みたま》|相応《さうおう》の|神徳《しんとく》を|発揮《はつき》することとなつた、これらの|顛末《てんまつ》を|称《しよう》して、
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》』
と|謂《い》ひ、また|各《かく》|身魂《みたま》の|美《うる》はしき|神人《しんじん》と|生《うま》れて、|神業《しんげふ》に|参加《さんか》するの|状態《じやうたい》を|指《さ》して、
『|開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》び、スの|種子《たね》を|養《やしな》ふ』
といふのである。
かくして|野立彦命《のだちひこのみこと》は|世《よ》の|立替《たてか》へ、|立直《たてなほ》しの|先駆《せんく》として、まづ|世《よ》に|落《お》ちたる|正《ただ》しき|神《かみ》を|一度《いちど》に|岩戸《いはと》を|開《ひら》き、|地獄《ぢごく》の|釜《かま》の|蓋《ふた》を|開《ひら》いて|救《すく》ひたまひ、|世界《せかい》|改造《かいざう》の|神種《かむだね》と|為《な》し|給《たま》うたる|最《もつと》も|深遠《しんゑん》なる|御経綸《ごけいりん》である。
|却説《さて》|木花姫命《このはなひめのみこと》は、|月照彦神《つきてるひこのかみ》|以下《いか》の|諸神《しよしん》を|随《したが》へ、|天教山《てんけうざん》の|中腹《ちうふく》なる|青木ケ原《あをきがはら》に|下《くだ》り|着《つ》きたまうた。ここには|彼《か》の|銀橋《ぎんけう》を|渡《わた》りてきたれる|神々《かみがみ》の|数多《あまた》|集《つど》ひて、|山上《さんじやう》を|見上《みあ》げながら、|木花姫命《このはなひめのみこと》を|先頭《せんとう》にあまたの|供神《ともがみ》とともに|下《くだ》りきたるを|見《み》て、|一斉《いつせい》に|手《て》を|拍《う》ち|喊声《かんせい》をあげ、ウローウローと|叫《さけ》びつつ、|踊《をど》り|狂《くる》うて|歓迎《くわんげい》した。
|神人《かみがみ》は|遥《はるか》にこの|光景《くわうけい》を|眺《なが》めて|大《おほい》に|喜《よろこ》び、|先《さき》を|争《あらそ》うて|青木ケ原《あをきがはら》に|息《いき》せききつて|上《のぼ》りきたり、|上中下《じやうちうげ》|三段《さんだん》の|身魂《みたま》の|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|神柱《かむばしら》の|揃《そろ》ひしことを|喜《よろこ》び|祝《しゆく》し、|手《て》に|手《て》に|木《き》の|皮《かは》を|以《もつ》て|造《つく》れる|扇《あふぎ》を|開《ひら》き、|前後左右《ぜんごさいう》に|手拍子《てびやうし》、|足拍子《あしびやうし》を|揃《そろ》へ、ウローウローと|叫《さけ》びながら|踊《をど》り|狂《くる》うた。その|有様《ありさま》は、あたかも|春《はる》の|野《の》に|男蝶女蝶《をてふめてふ》の|翩翻《へんぽん》として、|菜《な》の|花《はな》に|戯《たはむ》るごとくであつた。|神々《かみがみ》の|一度《いちど》に|手《て》を|拍《う》ち|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》する|声《こゑ》は、|上《かみ》は|天《てん》を|轟《とどろ》かし、|下《しも》は|地《ち》の|万物《ばんぶつ》を|震動《しんどう》させた。
かくのごとく|天教山《てんけうざん》にては、|上中下《じやうちうげ》の|身魂《みたま》の|神柱《かむばしら》は、|各自《かくじ》|部署《ぶしよ》を|定《さだ》めて|地上《ちじやう》の|世界《せかい》を|救済《きうさい》のために|宣伝者《せんでんしや》となつて|巡回《じゆんくわい》し、かつ|先《さき》に|地上《ちじやう》に|散布《さんぷ》されたる|身魂《みたま》は、|美《うる》はしき|神人《しんじん》と|出世《しゆつせ》して|各地《かくち》に|現《あら》はれ、この|宣伝者《せんでんしや》の|教《をしへ》を|聞《き》いて|随喜渇仰《ずゐきかつかう》した。|説《と》く|者《もの》と|聞《き》く|者《もの》と|意気《いき》|合《がつ》するときは、|神《かみ》の|正《ただ》しき|教《をしへ》は|身魂《みたま》の|奥《おく》に|沁《し》みわたるものである。あたかも|磁石《じしやく》の|鉄《てつ》を|吸《す》ひよせるごとき|密着《みつちやく》の|関係《くわんけい》をつくることが|出来《でき》る。これらを|称《しよう》して|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》といふ。
ゆゑにいかに|尊《たふと》き|大神《おほかみ》の|慈言《じげん》といへども、|教理《けうり》といへども、|因縁《いんねん》なき|身魂《みたま》は、あたかも|水《みづ》と|油《あぶら》のごとく|反撥《はんぱつ》して、その|効果《かうくわ》は|到底《たうてい》あがらない。|後世《こうせい》|印度《いんど》に|生《うま》れた|釈迦《しやか》の|言《げん》に、
『|縁《えん》なき|衆生《しゆじやう》は|度《ど》し|難《がた》し』
と|言《い》つたのも、この|理《り》に|拠《よ》るのである。ゆゑに|大神《おほかみ》に|因縁《いんねん》あるものは、この|浅深厚薄《せんしんこうはく》に|拘《かか》はらず、どうしても|一種《いつしゆ》|微妙《びめう》の|神《かみ》の|縁《えにし》の|絲《いと》に|繋《つな》がれて、その|信仰《しんかう》を|変《か》ふることはできない。
|神諭《しんゆ》にも、
『|綾部《あやべ》の|大本《おおもと》は、|昔《むかし》から|因縁《いんねん》ある|身魂《みたま》を|引寄《ひきよ》して、|因縁《いんねん》|相応《さうおう》の|御用《ごよう》をさせるぞよ』
と|神示《しんじ》されたのも、|遠《とほ》き|神代《かみよ》の|昔《むかし》より、|離《はな》るべからざる|神縁《しんえん》の|綱《つな》に|縛《しば》られてをるからである。
『|神《かみ》が|一旦《いつたん》|綱《つな》をかけた|因縁《いんねん》の|身魂《みたま》は、どうしても|離《はな》さぬぞよ。|神《かみ》の|申《まを》すことを|背《そむ》いて、|何《なん》なりと|致《いた》して|見《み》よれ。|後戻《あともど》りばかり|致《いた》すぞよ』
との|神示《しんじ》は、|神《かみ》の|因縁《いんねん》の|綱《つな》に|繋《つな》がれてをるから、|自由《じいう》|行動《かうどう》を|取《と》りつつ、|一時《いちじ》は|都合《つがふ》よく|行《ゆ》くことあるも、|九分九厘《くぶくりん》といふ|所《ところ》になつて、|神《かみ》よりその|因縁《いんねん》の|綱《つな》を|引《ひ》かるるときは、また|元《もと》の|大橋《おほはし》へ|返《かへ》らねばならぬやうになるものである。
これを|神諭《しんゆ》に、
『|引《ひ》つかけ|戻《もど》しの|仕組《しぐみ》』
と|示《しめ》されてある。
さて|木花姫命《このはなひめのみこと》の|宣示《せんじ》を|奉《ほう》じて、|月照彦神《つきてるひこのかみ》、|足真彦神《だるまひこのかみ》、|少彦名神《すくなひこなのかみ》、|太田神《おほたのかみ》、|祝部神《はふりべのかみ》、|弘子彦神《ひろやすひこのかみ》その|他《た》の|神々《かみがみ》は、|折《をり》から|再《ふたた》び|廻転《くわいてん》しきたれる|銀橋《ぎんけう》に|打乗《うちの》り、|一旦《いつたん》|中空《ちうくう》を|廻《めぐ》りながら、|復《ふたた》び|野立姫命《のだちひめのみこと》の|現《あら》はれたまへるヒマラヤ|山《さん》に|無事《ぶじ》|降下《かうか》した。
ヒマラヤ|山《さん》には、あまたの|神人《かみがみ》が|夜《よ》を|日《ひ》についで、|山《やま》の|八合目《はちがふめ》|以下《いか》の|木《き》を|伐採《ばつさい》し、|大杭《おほくひ》をあまた|造《つく》り、|頚槌《くぶつち》を|携《たづさ》へ|地中《ちちう》にさかんに|打込《うちこ》みつつあつた。|月照彦神《つきてるひこのかみ》|一行《いつかう》は、その|何《なん》の|意《い》なるかを|知《し》らず、|神人《かみがみ》らに|丁寧《ていねい》に|一礼《いちれい》しながら、|山上《さんじやう》の|野立姫命《のだちひめのみこと》の|神殿《しんでん》に|向《むか》つて、|隊伍《たいご》|粛々《しゆくしゆく》として|参向《さんかう》したのである。
(大正一一・一・一〇 旧大正一〇・一二・一三 外山豊二録)
第二七章 |唖《おし》の|対面《たいめん》〔二二七〕
|天道別命《あまぢわけのみこと》、|月照彦神《つきてるひこのかみ》|一行《いつかう》は、ヒマラヤ|山《さん》の|頂上《ちやうじやう》に|漸《やうや》くにして|到着《たうちやく》し、|表門《おもてもん》より|粛々《しゆくしゆく》として|列《れつ》をただし|玄関先《げんくわんさき》に|進入《しんにふ》した。この|宮殿《きうでん》を|白銀《しろがね》の|宮《みや》といふ。
|高山彦《たかやまひこ》、|高山姫《たかやまひめ》は|慇懃《いんぎん》に|一行《いつかう》を|出迎《でむか》へ、ただちに|奥殿《おくでん》に|案内《あんない》した。|諸神人《しよしん》は|襟《えり》を|正《ただ》しながら、|純銀《じゆんぎん》の|玉《たま》を|斎《いつ》ける|祭壇《さいだん》の|前《まへ》にすすんだ。この|時《とき》、あまたの|女性《ぢよせい》|現《あら》はれて|一行《いつかう》に|一礼《いちれい》し、
『ただいま|高照姫神《たかてるひめのかみ》|出御《しゆつぎよ》あり』
と|報告《はうこく》し、|足早《あしばや》に|奥深《おくふか》く|姿《すがた》をかくした。
|暫《しばら》くありて|高照姫神《たかてるひめのかみ》は|頭《かしら》に|銀色《ぎんいろ》の|荘厳《さうごん》なる|冠《かんむり》を|戴《いただ》き、あまたの|神々《かみがみ》の|手《て》をひきながら、|悠々《いういう》として|現《あら》はれたまうた。|天道別命《あまぢわけのみこと》|一行《いつかう》の|神々《かみがみ》はハツと|驚《おどろ》かざるを|得《え》なかつた。|一《いつ》たん|豊国姫命《とよくにひめのみこと》|及《およ》び|高照姫命《たかてるひめのみこと》とともに、|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》に|退去《たいきよ》したりと|思《おも》ひゐたる|高照姫命《たかてるひめのみこと》をはじめ、|天道姫《あまぢひめ》、|天真道姫《あめのまみちひめ》、|真澄姫《ますみひめ》、|純世姫《すみよひめ》、|言霊姫《ことたまひめ》、|竜世姫《たつよひめ》、|祝姫《はふりひめ》、|太田姫《おほたひめ》、|磐戸姫《いはとひめ》その|他《た》の|女性《ぢよせい》は、|欣然《きんぜん》としてこの|場《ば》に|現《あら》はれたからである。いづれも|各自《かくじ》の|妻神《つまがみ》のみ、その|面前《めんぜん》に|現《あら》はれたのである。されど|神命《しんめい》をまもり、たがひに|目《め》と|目《め》を|見合《みあは》せながら、|言問《ことと》ふことを|控《ひか》へ、あたかも|唖《おし》の|対面《たいめん》そのままであつた。
このとき|月照彦神《つきてるひこのかみ》は|高照姫神《たかてるひめのかみ》にむかひ、
『|恐《おそ》れながら|野立姫命《のだちひめのみこと》は|何《いづ》れにましますぞ、|吾《われ》らは|一度《いちど》|拝顔《はいがん》を|得《え》たし』
と|奏上《そうじやう》した。
|高照姫神《たかてるひめのかみ》は|顔色《がんしよく》やや|憂《うれ》ひを|含《ふく》みながら、
『|野立姫命《のだちひめのみこと》は|今《いま》は|蔭《かげ》の|守護《しゆご》なれば、|表面《へうめん》|貴神《きしん》らと|面会《めんくわい》したまふこと|能《あた》はず、|天教山《てんけうざん》もその|如《ごと》く、|貴神《きしん》は|野立彦命《のだちひこのみこと》に|対面《たいめん》を|許《ゆる》され|給《たま》はざりしならむ、|木花姫《このはなひめ》かはつて|神慮《しんりよ》を|伝《つた》へられしごとく、|妾《わらは》も|大神《おほかみ》にかはつて|神示《しんじ》を|伝《つた》へむ、|妾《わらは》はすなはち|野立姫命《のだちひめのみこと》の|代理《だいり》と|心得《こころえ》られよ』
と|宣示《せんじ》された。そして|高照姫神《たかてるひめのかみ》はいぶかしげに、
『|祝部神《はふりべのかみ》は|何《なに》ゆゑ|此処《ここ》に|来《きた》らざりしや』
と|問《と》ひたまうた。
|神人《かみがみ》|一行《いつかう》は|初《はじ》めて|祝部神《はふりべのかみ》の|列座《れつざ》の|中《なか》にあらざりしに|気《き》がついた。その|妻《つま》たりし|祝姫《はふりひめ》の|面貌《めんばう》には、えもいはれぬ|暗《くら》き|影《かげ》がさしてゐた。
『|先《ま》づゆるゆる|休憩《きうけい》あれ』
と|高照姫神《たかてるひめのかみ》は|一言《いちごん》を|残《のこ》して、|神人《かみがみ》とともに|奥殿《おくでん》に|入《い》らせたまうた。
あまたの|女神《めがみ》は|列座《れつざ》の|神人《かみがみ》を|名残《なごり》|惜《を》しげに、|振《ふ》り|返《かへ》り|振《ふ》り|返《かへ》り|見送《みおく》りつつ|奥殿《おくでん》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。|祝姫《はふりひめ》の|顔《かほ》には|涙《なみだ》さへ|滴《したた》りてをるのが、ありありと|目《め》についた。
|少彦名神《すくなひこなのかみ》は|祝部神《はふりべのかみ》の|所在《ありか》を|求《もと》めむと|一行《いつかう》に|別《わか》れ、しばし|休憩《きうけい》の|間《ま》を|利用《りよう》して|正門《せいもん》を|出《い》で、|神人《かみがみ》の|声《こゑ》する|方《はう》に|向《むか》つて|進《すす》み|行《い》つた。いたり|見《み》れば、あまたの|神人《かみがみ》は|各自《かくじ》に|大杭《おほぐひ》を|建《た》てて、|山《やま》の|八合目《はちがふめ》あたりに|巨大《きよだい》なる|頚槌《くぶつち》を|振《ふ》りあげながら、|声《こゑ》|勇《いさ》ましくうたひつつ|汗《あせ》みどろになつて|働《はたら》いてゐたのである。よくよく|見《み》れば|涼《すず》しき|声《こゑ》をはりあげて|捻鉢巻《ねぢはちまき》の|大活動《だいくわつどう》をはじめてゐるのは、|行方《ゆくへ》|不明《ふめい》となつてゐた|祝部神《はふりべのかみ》である。|少彦名神《すくなひこなのかみ》は|思《おも》はず、
『ヤア』
と|叫《さけ》んだ。
|祝部神《はふりべのかみ》は|平然《へいぜん》として、
『ヨー』
と|答《こた》へたまま、また|元《もと》のごとく|声《こゑ》はりあげて、|頚槌《くぶつち》をもつて|大杭《おほぐひ》の|頭《かしら》を|乱打《らんだ》しつつ|歌《うた》つてゐた。その|歌《うた》にいふ、
『|打《う》てよ|打《う》て|打《う》てどんどん|打《う》てよ
|奈落《ならく》の|底《そこ》まで|打《う》ち|抜《ぬ》けよ
|地獄《ぢごく》の|釜《かま》の|底《そこ》までも
|打《う》つて|打《う》つて|打《う》ち|抜《ぬ》けよ
よいとさつさ、よーいとさつさ』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|面白《おもしろ》さうに|側目《わきめ》もふらず、|神人《かみがみ》とともに|活動《くわつどう》しゐたり。
|少彦名神《すくなひこなのかみ》は|祝部神《はふりべのかみ》の|頚槌《くぶつち》を|取《と》りあげ、その|手《て》を|無理《むり》にひいて|門内《もんない》に|入《い》らむとするとき、|祝部神《はふりべのかみ》は|頭《かしら》に|手《て》をあげ、
『ああしまつた』
と|一言《いちごん》を|発《はつ》した。|見《み》れば|頭《かしら》に|戴《いただ》きし|冠《かんむり》も、|木花姫命《このはなひめのみこと》より|授《さづ》かつたる|被面布《ひめんぷ》も|残《のこ》らず|遺失《ゐしつ》してゐたからである。
|祝部神《はふりべのかみ》は|少彦名神《すくなひこなのかみ》の|手《て》を|振《ふ》り|切《き》つたまま、|一目散《いちもくさん》に|元《もと》の|場《ば》に|走《はし》りゆき、|遠近《をちこち》と|冠《かんむり》および|被面布《ひめんぷ》の|所在《ありか》を|探《さが》し|求《もと》めた。|幸《さいはひ》にも|冠《かんむり》は|茨《いばら》の|針《はり》にかかり、|風《かぜ》に|揺《ゆ》られてブラブラとしてゐた。|早速《さつそく》これを|頭《かしら》に|戴《いただ》き、|遺失《ゐしつ》せし|被面布《ひめんぷ》の|所在《ありか》を|探《さが》し|求《もと》めた。
|数多《あまた》の|神人《かみがみ》はてんでにその|被面布《ひめんぷ》を|顔《かほ》に|当《あ》てて、|無我夢中《むがむちう》になつて、
『よーよー』
と|呆《あき》れ|声《ごゑ》を|張《は》りあげながら、|山下《さんか》を|遠《とほ》くあたかも|望遠鏡《ばうゑんきやう》を|視《み》るごとき|心地《ここち》して、|珍《めづ》らしがつてゐた。
|祝部神《はふりべのかみ》は|神人《かみがみ》らにむかひ、
『その|被面布《ひめんぷ》は、|吾《われ》に|返《かへ》させたまへ』
といふを、|神人《かみがみ》らは|仏頂面《ぶつちやうづら》をしながら|忽《たちま》ち|大地《だいち》に|投《な》げ|捨《す》てた。|祝部神《はふりべのかみ》は、
『|勿体《もつたい》なきことを|為《な》す|馬鹿者《ばかもの》かな』
と|呟《つぶや》きながら、|手《て》ばやく|拾《ひろ》ひあげて|懐中《くわいちゆう》に|納《をさ》めた。そして|再《ふたた》び|正門《せいもん》に|向《むか》つて|突進《とつしん》しきたりぬ。
|少彦名神《すくなひこなのかみ》は|依前《いぜん》として|門前《もんぜん》に|停立《ていりつ》し、|祝部神《はふりべのかみ》の|帰《かへ》るを|待《ま》ちつつあつた。|二神《にしん》はやつと|安心《あんしん》しながら|門内《もんない》に|入《い》らむとするとき、|祝姫《はふりひめ》は|涙《なみだ》の|顔《かほ》をおさへながら、あわただしく|走《はし》りきたるに|出会《でつくわ》した。|互《たがひ》に|顔《かほ》を|見合《みあは》し、|無言《むごん》のまま|二神《にしん》は|休憩《きうけい》の|間《ま》に|進《すす》み|入《い》つた。|祝姫《はふりひめ》はやや|安堵《あんど》の|体《てい》にて、いそいそとしてまたもや|奥殿《おくでん》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。
(大正一一・一・一〇 旧大正一〇・一二・一三 井上留五郎録)
第二八章 |地教山《ちけうざん》の|垂示《すゐじ》〔二二八〕
ややあつて、|高照姫神《たかてるひめのかみ》は|以前《いぜん》のごとく、あまたの|女性《ぢよせい》をともなひ|祭壇《さいだん》の|前《まへ》に|現《あら》はれ、|神人《かみがみ》らに|向《むか》つて、|太《ふと》き|竹《たけ》を|割《わ》りたるその|内側《うちがは》に、
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|大地《だいち》は|泥《どろ》に|浸《ひた》るとも |誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ』
と|書《か》きたるを|一々《いちいち》|手渡《てわた》しされた。|神人《かみがみ》らは|垂訓《すゐくん》を|記《しる》したる|大竹《おほだけ》の|片割《かたわれ》を|背《せ》に|確《しか》とくくりつけ、これより|諸方《しよはう》を|宣伝《せんでん》の|旅《たび》に|出《で》ることとなつた。|首途《かどで》の|祝《いは》ひとして|珍《めづ》らしき|酒肴《しゆかう》は|持《も》ち|出《だ》され、|女神《めがみ》はここに|千秋《せんしう》|万歳楽《ばんざいらく》を|唱《とな》へ、かつ|淑《しと》やかなる|舞曲《ぶきよく》を|奏《かな》でて|一行《いつかう》の|首途《かどで》を|祝《しゆく》したのである。|高照姫神《たかてるひめのかみ》は|奥殿《おくでん》へ、|天道別命《あまぢわけのみこと》|一行《いつかう》は|門前《もんぜん》へ、|一歩々々《いつぽいつぽ》|互《たがひ》の|影《かげ》は|遠《とほ》ざかりつつ、ここに|嬉《うれ》しき|悲《かな》しき|別《わか》れを|告《つ》げたのである。|祝部神《はふりべのかみ》はこの|垂示《すゐじ》を|受取《うけと》るや|否《いな》や、|酒宴《しゆえん》の|席《せき》に|坐《ざ》するのも|憔《もど》かしがり、あわてて|門前《もんぜん》に|飛《と》び|出《だ》し、|一目散《いちもくさん》にヒマラヤ|山《さん》を、ドンドンドンドンと|四辺《しへん》に|地響《ぢひび》きを|立《た》てながら|下《くだ》つて|行《ゆ》く。|山麓《さんろく》には|数多《あまた》の|神人《かみがみ》|集《あつ》まり、
『|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ
|暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る
|時鳥《ほととぎす》|声《こゑ》は|聞《き》けども|姿《すがた》は|見《み》せぬ
|姿《すがた》|見《み》せぬは|魔《ま》か|鬼《おに》か』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|果実《このみ》の|酒《さけ》に|酔《よ》ひ、|踊《をど》り|狂《くる》うてゐる。|祝部神《はふりべのかみ》はこれを|聞《き》くと|忽《たちま》ちムツとして、|負《ま》けず|劣《おと》らず|声《こゑ》を|張《は》りあげ、
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》 |開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》ぶ
|須弥仙山《しゆみせんざん》の|時鳥《ほととぎす》 |月日《つきひ》や|土《つち》や|空気《くうき》なぞ
|深《ふか》き|御恩《ごおん》を|忘《わす》れるな この|世《よ》を|救《すく》ふ|生神《いきがみ》は
|天教山《てんけうざん》にましますぞ |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |大地《だいち》は|泥《どろ》に|浸《ひた》るとも
|誠《まこと》の|神《かみ》は|世《よ》を|救《すく》ふ |誠《まこと》の|神《かみ》は|世《よ》を|救《すく》ふ』
と|反抗的《はんかうてき》に|謡《うた》ひはじめた。|神人《かみがみ》らは|此《この》|声《こゑ》を|聞《き》くとともに、|頭《かしら》は|割《わ》るるごとく、|胸《むね》は|引《ひ》き|裂《さ》かるるごとき|苦痛《くつう》を|感《かん》じた。そして|此《この》|言葉《ことば》を|発《はつ》する|神《かみ》は|吾《われ》らを|苦《くる》しむる|悪神《あくがみ》ならむと|云《い》ひながら、|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|祝部神《はふりべのかみ》にむかつて|棍棒《こんぼう》、|石塊《いしころ》などをもつて|攻《せ》め|囲《かこ》み、|一寸《いつすん》の|逃《に》げ|道《みち》もなきまでに|立《た》ちふさがつた。|神人《かみがみ》らの|一行《いつかう》は、ゆるゆるこの|山《やま》を|下《くだ》りきたり、|途中《とちう》この|光景《くわうけい》を|見《み》てやや|思案《しあん》にくれてゐたが、いづれも|一同《いちどう》に、
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》』
と|謡《うた》ひはじめた。|何《いづ》れの|神人《かみがみ》も、またもや|神々《かみがみ》に|向《むか》つて、
『|吾《われ》を|苦《くる》しむる|悪神《あくがみ》なり』
といひつつ、|多数《たすう》を|楯《たて》に|攻《せ》め|囲《かこ》んだ。|神人《かみがみ》らはたちまち|被面布《ひめんぷ》を|被《かぶ》りながら、なほも|力《ちから》を|籠《こ》めてこの|歌《うた》をうたつた。|被面布《ひめんぷ》を|被《かぶ》れる|神人《かみがみ》の|姿《すがた》は、|山麓《さんろく》の|者《もの》の|目《め》には|止《と》まらず、ただ|不快《ふくわい》なる|声《こゑ》の|聞《きこ》ゆるのみであつた。
|祝部神《はふりべのかみ》はこれを|見《み》て、われもまた、|被面布《ひめんぷ》を|被《かぶ》らむとし、あわてて|黒色《こくしよく》の|被面布《ひめんぷ》を|顔《かほ》に|当《あ》て、|一生懸命《いつしやうけんめい》に、
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》』
を|高唱《かうしやう》した。|命《みこと》の|姿《すがた》は|見《み》えなくなつた。されど|黒布《こくふ》のあたりし|部分《ぶぶん》のみは|中空《ちうくう》にありありと|残《のこ》つてゐた。|神人《かみがみ》らはその|黒布《こくふ》を|目《め》がけて|打《う》つてかかつた。たちまち|中空《ちうくう》に|声《こゑ》あり、
『ヒマラヤ|山《さん》は|今《いま》まで、ヒマラヤ|彦《ひこ》、ヒマラヤ|姫《ひめ》の|管轄《くわんかつ》なりしも、|今《いま》は|高山彦《たかやまひこ》、|高山姫《たかやまひめ》の|専管《せんくわん》することと|神定《かむさだ》められたり。|汝《なんぢ》らヒマラヤ|彦《ひこ》の|部下《ぶか》なる|神人《かみがみ》よ、|一時《いちじ》も|早《はや》く|天《てん》の|声《こゑ》に|聞《き》け、|天《てん》の|声《こゑ》に|目《め》を|覚《さ》ませ。|是《これ》よりヒマラヤ|山《さん》を|改《あらた》めて|地教山《ちけうざん》と|称《とな》ふべし』
と|最《いと》も|荘重《さうちよう》なる|声《こゑ》の|中空《ちうくう》に|聞《きこ》ゆるのであつた。|数多《あまた》の|神人《かみがみ》はこの|声《こゑ》に|驚《おどろ》き、いづれも|大地《だいち》に|平伏《ひれふ》して|謝罪《しやざい》した。|祝部神《はふりべのかみ》は、ここぞと|云《い》はぬばかり|又《また》|声《こゑ》はりあげて、
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》|云々《うんぬん》』
と|節《ふし》|面白《おもしろ》く|唱《とな》へ|出《だ》した。|神人《かみがみ》らは|頭《あたま》をかかへ、|耳《みみ》を|押《おさ》へ|目《め》を|閉《と》ぢ、
『|許《ゆる》せ|許《ゆる》せ』
といひつつ|四這《よつば》ひとなつて|転《ころ》げまはる。
ここに|何処《いづこ》よりともなく|天《あま》の|磐船《いはふね》|現《あら》はれ|来《きた》り、|天道別命《あまぢわけのみこと》その|他《た》の|一行《いつかう》を|乗《の》せ、|天空《てんくう》|高《たか》く|東西南北《とうざいなんぼく》におのおの|其《その》|姿《すがた》を|隠《かく》してしまつた。
(大正一一・一・一〇 旧大正一〇・一二・一三 加藤明子録)
第五篇 |宇宙《うちう》|精神《せいしん》
第二九章 |神慮《しんりよ》|洪遠《こうゑん》〔二二九〕
|天道別命《あまぢわけのみこと》、|月照彦神《つきてるひこのかみ》|以下《いか》の|宣伝神《せんでんしん》|選定《せんてい》され、|各地《かくち》に|配置《はいち》されてより、|今《いま》まで|天空《てんくう》を|廻転《くわいてん》しゐたる|金《きん》|銀《ぎん》|銅《どう》の|天橋《てんけう》の|光《ひかり》は、|忽然《こつぜん》として|虹《にじ》のごとく|消《き》え|失《う》せ、|再《ふたた》び|元《もと》の|蒼天《さうてん》に|復《ふく》し、|銀河《ぎんが》を|中心《ちうしん》に|大小《だいせう》|無数《むすう》の|星《ほし》は|燦然《さんぜん》たる|光輝《くわうき》を|放射《はうしや》し|出《だ》した。
|時《とき》しも|東北《とうほく》の|天《てん》にあたつて|十六個《じふろくこ》の|光芒《くわうぼう》|強《つよ》き|大星《たいせい》|一所《いつしよ》に|輝《かがや》き|始《はじ》めた。その|光色《くわうしよく》はあたかも|黄金《わうごん》のごとくであつた。|又《また》もや|西南《せいなん》の|天《てん》にあたつて|十六個《じふろくこ》の|星光《せいくわう》が|一所《いつしよ》に|現《あら》はれた。その|光色《くわうしよく》は|純銀《じゆんぎん》のごとくであつた。|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》は、この|変異《へんい》に|対《たい》して|或《あるひ》は|五六七《みろく》|聖政《せいせい》の|瑞祥《ずゐしやう》と|祝《しゆく》し、あるひは|大地震《だいぢしん》の|兆候《しるし》となして|怖《おそ》れ、あるひは|凶年《きようねん》の|表徴《へうちよう》となし、その|観察《くわんさつ》は|区々《まちまち》にして|一定《いつてい》の|判断《はんだん》を|与《あた》ふるものがなかつた。
|忽《たちま》ちにして|蒼天《さうてん》|墨《すみ》を|流《なが》せしごとく|暗黒《あんこく》となり、また|忽《たちま》ちにして|満天《まんてん》|血《ち》を|流《なが》せしごとく|真紅《しんく》の|色《いろ》と|変《へん》じ、あるひは|灰色《はひいろ》の|天《てん》と|化《くわ》し、|黄色《きいろ》と|化《くわ》し、|時々刻々《じじこくこく》に|雲《くも》の|色《いろ》の|変《かは》り|行《ゆ》く|様《さま》は、|実《じつ》に|無常迅速《むじやうじんそく》の|感《かん》を|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》に|与《あた》へたのである。|地《ち》は|又《また》たちまち|暴風《ばうふう》|吹《ふ》き|荒《すさ》み、|樹木《じゆもく》を|倒《たふ》し、|岩石《がんせき》を|飛《と》ばし、|神人《しんじん》を|傷《きず》つけ、|妖気《えうき》|地上《ちじやう》を|鎖《とざ》すと|見《み》るまに、たちまち|光熱《くわうねつ》|強《つよ》き|太陽《たいやう》は|東西南北《とうざいなんぼく》に|現出《げんしゆつ》し、|暑熱《しよねつ》はなはだしく、|地上《ちじやう》の|草木《さうもく》、|神人《しんじん》その|他《た》の|動物《どうぶつ》はほとんど|枯死《こし》せむとするかと|思《おも》へば、|寒風《かんぷう》|俄《にはか》に|吹《ふ》き|来《きた》り、|雹《へう》を|降《ふ》らし、|雷鳴《らいめい》|満天《まんてん》に|轟《とどろ》き、|轟然《がうぜん》たる|音響《おんきやう》は|各所《かくしよ》に|起《おこ》り、|遠近《をちこち》の|火山《くわざん》は|爆発《ばくはつ》し、|地震《ぢしん》、|海嘯《つなみ》ついで|起《おこ》り、|不安《ふあん》の|念《ねん》にかられざるものはなかつた。
「かなはぬ|時《とき》の|神頼《かみだの》み」とでも|云《い》ふのか、|今《いま》まで|神《かみ》を|無視《むし》し、|天地《てんち》の|恩《おん》を|忘却《ばうきやく》しゐたる|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》は、|天《てん》を|仰《あふ》いで|合掌《がつしやう》し、|地《ち》に|伏《ふ》して|歎願《たんぐわん》し、その|窮状《きうじやう》は|実《じつ》に|名状《めいじやう》すべからざる|有様《ありさま》であつた。|烈風《れつぷう》の|吹《ふ》き|通《かよ》ふ|音《おと》は、あたかも|猛獣《まうじう》の|咆哮《ほうこう》するがごとく、|浪《なみ》の|音《おと》は|万雷《ばんらい》の|一斉《いつせい》に|轟《とどろ》くがごとく、|何時《いつ》|天地《てんち》は|崩壊《ほうくわい》せむも|計《はか》り|難《がた》き|光景《くわうけい》となつて|来《き》たのである。
かくのごとき|天地《てんち》の|変態《へんたい》は、|七十五日《しちじふごにち》を|要《えう》した。このとき|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》は、|神《かみ》を|畏《おそ》れて|救《すく》ひを|求《もと》むるものあれば、|妻子《さいし》、|眷属《けんぞく》、|財産《ざいさん》を|失《うしな》ひて|神《かみ》を|呪《のろ》ふものも|現《あら》はれた。|中《なか》には|自暴自棄《じばうじき》となり、ウラル|彦神《ひこのかみ》の|作成《さくせい》したる|宣伝歌《せんでんか》を|高唱《かうしやう》し、
『|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ
|暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る
|月《つき》には|村雲《むらくも》|花《はな》には|嵐《あらし》
|嵐《あらし》|過《す》ぐれば|春《はる》が|来《く》る
ヨイトサ、ヨイトサ、ヨイトサノサツサ』
と|焼糞《やけくそ》になつて|踊《をど》り|狂《くる》ふ|神《かみ》は|大多数《だいたすう》に|現《あら》はれた。
そもそも|七十五日間《しちじふごにちかん》の|天災地妖《てんさいちえう》のありしは、|野立彦神《のだちひこのかみ》、|野立姫神《のだちひめのかみ》を|始《はじ》め、|日《ひ》の|大神《おほかみ》、|月《つき》の|大神《おほかみ》の|地上《ちじやう》|神人《しんじん》の|身魂《みたま》を|試《ため》したまふ|御経綸《ごけいりん》であつたのである。このとき|真《しん》の|月日《つきひ》の|恩《おん》を|知《し》り、|大地《だいち》の|徳《とく》を|感得《かんとく》したる|誠《まこと》の|神人《しんじん》は、|千中《せんちう》の|一《いち》にも|如《し》かざる|形勢《けいせい》であつた。
|大国治立尊《おほくにはるたちのみこと》は、この|光景《くわうけい》を|見《み》て|大《おほい》に|悲歎《ひたん》の|涙《なみだ》にくれたまうた。
『アヽわが|数十億年《すうじふおくねん》の|艱難辛苦《かんなんしんく》の|結果《けつくわ》|成《な》れる|地上《ちじやう》の|世界《せかい》は、かくも|汚《けが》れかつ|曇《くも》りたるか。|如何《いか》にして|此《こ》の|地上《ちじやう》を|修祓《しうばつ》し、|払拭《ふつしき》し、|最初《さいしよ》のわが|理想《りさう》たりし|神国《しんこく》|浄土《じやうど》に|改造《かいざう》せむや』
と|一夜《いちや》|悲歎《ひたん》の|涙《なみだ》にくれ|給《たま》うた。|大神《おほかみ》の|吐息《といき》を|吐《は》き|給《たま》ふ|時《とき》は、その|息《いき》は|暴風《ばうふう》となつて|天地《てんち》を|吹《ふ》きまくり、|森羅万象《しんらばんしやう》を|倒壊《たうくわい》せしむるのである。|大神《おほかみ》の|悲歎《ひたん》にくれ|落涙《らくるい》し|給《たま》ふ|時《とき》は、たちまち|強雨《がうう》となりて|地上《ちじやう》に|降《ふ》りそそぎ、|各地《かくち》に|氾濫《はんらん》の|災害《さいがい》を|来《きた》す|事《こと》になるのである。
|大神《おほかみ》はこの|惨状《さんじやう》を|見給《みたま》ひて、|泣《な》くにも|泣《な》かれず、|涙《なみだ》を|体内《たいない》に|流《なが》し、|吐息《といき》を|体内《たいない》にもらして、|地上《ちじやう》の|災害《さいがい》を|少《すこ》しにても|軽減《けいげん》ならしめむと、|隠忍《いんにん》し|給《たま》ふこと|幾十万年《いくじふまんねん》の|久《ひさ》しきに|亘《わた》つたのである。|大国治立尊《おほくにはるたちのみこと》の|堪忍袋《かんにんぶくろ》は、もはや|吐息《といき》と|涙《なみだ》もて|充《みた》され、|何時《いつ》|破裂《はれつ》して|体外《たいぐわい》に|勃発《ぼつぱつ》せむも|計《はか》りがたき|状態《じやうたい》となつた。
されど|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|大神《おほかみ》は、|宇宙《うちう》|万有《ばんいう》を|憐《あは》れみ|給《たま》ふ|至情《しじやう》より、|身《み》の|苦《くる》しさを|抑《おさ》へ、よく|堪《た》へ、よく|忍《しの》び、もつて|地上《ちじやう》|神人《しんじん》の|根本的《こんぽんてき》に|革正《かくせい》するの|時機《じき》を|待《ま》たせ|給《たま》ふのである。されど|御腹《みはら》の|内《うち》に|充《み》ち|満《み》ちたる|神《かみ》の|涙《なみだ》と|慨歎《がいたん》の|吐息《といき》は、もはや|包《つつ》むに|由《よし》なく、|少《すこ》しの|感激《かんげき》にも|一時《いちじ》に|勃発《ぼつぱつ》|破裂《はれつ》の|危機《きき》に|瀕《ひん》しつつあつた。アヽ|宇宙《うちう》の|天地間《てんちかん》は、|実《じつ》に|危機一髪《ききいつぱつ》の|境《さかひ》に|時々刻々《じじこくこく》に|迫《せま》りつつある。
|大神《おほかみ》は|多年《たねん》の|忍耐《にんたい》に|忍耐《にんたい》を|重《かさ》ね|給《たま》ひしより、その|御煩慮《ごはんりよ》の|息《いき》は、|鼻口《びこう》よりかすかに|洩《も》れて|大彗星《だいすゐせい》となり、|無限《むげん》の|大宇宙間《だいうちうかん》に|放出《はうしゆつ》されたのである。|一息《ひといき》ごとに|一個《いつこ》の|大彗星《だいすゐせい》となつて|現《あら》はれ、|瞬《またた》くうちに|宇宙間《うちうかん》に|数十万《すうじふまん》の|彗星《すゐせい》は、|宇宙《うちう》の|各所《かくしよ》に|現《あら》はれ、|漸次《ぜんじ》その|光《ひかり》は|稀薄《きはく》となつて|宇宙《うちう》に|消滅《せうめつ》した。
されどその|邪気《じやき》なる|瓦斯体《がすたい》は、|宇宙間《うちうかん》に|飛散《ひさん》し、|遂《つひ》には|鬱積《うつせき》して|大宇宙《だいうちう》に|妖邪《えうじや》の|空気《くうき》を|充満《じゆうまん》し、|一切《いつさい》の|生物《せいぶつ》はその|健康《けんかう》を|害《がい》し、|生命《せいめい》を|知《し》らず|識《し》らずの|間《あひだ》に|短縮《たんしゆく》する|事《こと》となつた。ゆゑに|古来《こらい》の|神人《しんじん》は、|短《みじか》くとも|数千年《すうせんねん》の|天寿《てんじゆ》を|保《たも》ち、|長《なが》きは|数十万年《すふじふまんねん》の|寿命《じゆみやう》を|保《たも》ちしもの、|漸次《ぜんじ》|短縮《たんしゆく》して|今《いま》は|天地経綸《てんちけいりん》の|司宰者《しさいしや》たる|最高《さいかう》|動物《どうぶつ》の|人間《にんげん》さへも、|僅《わづ》かに|百年《ひやくねん》の|寿命《じゆみやう》を|保《ほ》し|難《がた》き|惨状《さんじやう》を|来《きた》すことになつた。
アヽ|無量寿《むりやうじゆ》を|保《たも》ち、|無限《むげん》に|至治泰平《しぢたいへい》を|楽《たの》しむ|五六七《みろく》|出現《しゆつげん》の|聖代《せいだい》は、|何時《いつ》の|日《ひ》か|来《きた》るであらう。|吾人《ごじん》は|霊界《れいかい》における|大神《おほかみ》の|御神慮《ごしんりよ》と、その|仁恵《じんけい》を|洞察《どうさつ》し|奉《たてまつ》る|時《とき》は、|実《じつ》に|万斛《ばんこく》の|涙《なみだ》のただよふを|感《かん》ぜざるを|得《え》ない。
|神諭《しんゆ》に、
『|恋《こひ》し|恋《こひ》しと|松世《まつよ》は|来《こ》いで、|末法《まつぱふ》の|世《よ》が|来《き》て|門《かど》に|立《た》つ』
と|述懐《じゆつくわい》されたる|大国治立尊《おほくにはるたちのみこと》の|御聖慮《ごせいりよ》を|深《ふか》く|考《かんが》へねばならぬ。
(大正一一・一・一一 旧大正一〇・一二・一四 外山豊二録)
第三〇章 |真帆《まほ》|片帆《かたほ》〔二三〇〕
さしも|暗澹《あんたん》たりし|天地《てんち》の|光景《くわうけい》はここに|一変《いつぺん》して、|空《そら》には|燦然《さんぜん》たる|天津日《あまつひ》の|影《かげ》うららかに|下界《げかい》を|照《てら》し、|地《ち》は|東風《とうふう》おもむろに|吹《ふ》いて|紺碧《こんぺき》の|海面《かいめん》に|漣《さざなみ》を|立《た》て、これに|日光《につくわう》|映射《えいしや》して|波《なみ》のきらめく|有様《ありさま》は、あたかも|鯛魚《たいぎよ》の|鱗《うろこ》を|敷《し》き|詰《つ》めたるがごとき|地中海《ちちうかい》の|渡船場《とせんば》に、|息《いき》|急《せ》き|切《き》つて|現《あら》はれた|宣伝使《せんでんし》があつた。|今《いま》や|船《ふね》は|静《しづ》かな|風《かぜ》に|真帆《まほ》を|打揚《うちあ》げ、|西南《せいなん》に|向《むか》つて|出帆《しゆつぱん》せむとする|時《とき》である。
ここに|現《あら》はれた|宣伝使《せんでんし》は、|太《ふと》き|竹《たけ》に|教示《けうじ》を|記《しる》したるを|甲斐々々《かひがひ》しく|左肩《さけん》より|右《みぎ》の|腋下《わきした》に|斜交《はすかひ》に|背負《せお》ひながら、|紫《むらさき》の|紐《ひも》もて|乳房《ちぶさ》のあたりに|確《しか》と|結《むす》び、|片手《かたて》に|杖《つゑ》をつきながら、|紫《むらさき》の|被面布《ひめんぷ》を|被《かぶ》り、ときどき|左《ひだり》の|手《て》をもつてこの|被面布《ひめんぷ》を|額《ひたひ》のあたりまでめくり|上《あ》げ、|右《みぎ》の|手《て》にて|鼻柱《はなばしら》をこぢあげ、そのまま|右《みぎ》の|眼瞼《まぶた》より|左《ひだり》の|目尻《めじり》にかけてつるりと|撫《な》で、|再《ふたた》び|鼻《はな》の|下《した》を|手《て》の|甲《かふ》にて|擦《こす》り、|左《ひだり》の|手《て》にて|再《ふたた》び|被面布《ひめんぷ》を|顔《かほ》に|覆《おほ》ひながら|乗船《じやうせん》を|迫《せま》つた。
あまたの|船客《せんきやく》は、この|異様《いやう》の|扮装《いでたち》に|怪訝《けげん》の|眼《め》を|見張《みは》つた。|船戸神《ふなどのかみ》は|快《こころよ》く|右手《めて》を|揚《あ》げてさしまねき、|早《はや》く|乗《の》れよとの|暗示《あんじ》を|与《あた》へた。|宣伝使《せんでんし》はつかつかと|乗場《のりば》に|近《ちか》づき、|船《ふね》を|目《め》がけて|飛《と》び|込《こ》んだ。その|響《ひびき》に|船《ふね》は|激動《げきどう》して、|畳《たたみ》のごとき|海面《かいめん》に|時《とき》ならぬ|波《なみ》の|皺《しわ》を|描《ゑが》いた。|海辺《かいへん》の|長《なが》き|太《ふと》き|樹《き》は|海底《かいてい》に|向《むか》つて|倒《さかし》まにその|影《かげ》を|沈《しづ》め、|波《なみ》につれて|竜《りう》の|天《てん》に|昇《のぼ》るがごとく、|樹木《じゆもく》の|幹《みき》は|左右《さいう》に|蜿蜒《えんえん》として、|地上《ちじやう》|目《め》がけて|上《のぼ》り|来《く》るのであつた。
|空《そら》には|一点《いつてん》の|雲《くも》なくまた|風《かぜ》もなき|海面《かいめん》は、あたかも|玻璃鏡《はりきやう》を|渡《わた》るがごとく、|帆《ほ》は|痩《や》せ|萎《しを》れ、|船脚《ふなあし》|遅々《ちち》として|進《すす》まず、この|海上《かいじやう》に|漂《ただよ》ふこと|数日《すうじつ》に|及《およ》んだのである。|神人《かみがみ》らは|四方山《よもやま》の|無駄話《むだばなし》に|時《とき》を|費《つひや》し、|無聊《むれう》を|慰《なぐさ》めつつあつた。
|日《ひ》は|西山《せいざん》に|没《ぼつ》し、|海上《かいじやう》を|飛《と》び|交《か》ふ|諸鳥《もろどり》は|塒《ねぐら》を|求《もと》めておのおの|巣《す》に|帰《かへ》り|行《ゆ》く。|半弦《はんげん》の|月《つき》は|西天《せいてん》に|懸《かか》り、|利鎌《とがま》のごとき|光《ひかり》を|海上《かいじやう》に|投《な》げた。|空《そら》は|一面《いちめん》に|天書《てんしよ》の|光《ひかり》|梨地色《なしぢいろ》に|輝《かがや》き、|月《つき》は|天《あま》の|河《かは》を|流《なが》れて|海《うみ》の|涯《はて》に|沈《しづ》むの|感《かん》があつた。
|海《うみ》の|底《そこ》には|一面《いちめん》の|星光《せいくわう》|輝《かがや》き、|天《てん》にも|銀河《ぎんが》|横《よこ》たはり、|海底《かいてい》にもまた|燦爛《さんらん》たる|銀河《ぎんが》|流《なが》れ、|河《かは》|二《ふた》つ|月《つき》|二《ふた》つ、|実《じつ》に|蓮華《れんげ》の|台《うてな》に|身《み》を|托《たく》したる|如《ごと》き|爽快《さうくわい》の|念《ねん》に|打《う》たれつつ、|静《しづ》かに|船《ふね》は|西南《せいなん》に|向《むか》つて|進《すす》んでゐる。
|船《ふね》は|渡《わた》る|海底《かいてい》の|空《そら》を、|棹《さを》は|穿《うが》つ|海底《かいてい》の|星《ほし》を、|海月《くらげ》の|幾十百《いくじふひやく》ともなく|波《なみ》に|漂《ただよ》ふ|有様《ありさま》は、|俄《にはか》に|天上《てんじやう》の|月《つき》|幾十《いくじふ》ともなく|降《くだ》り|来《きた》りて、|船《ふね》を|支《ささ》へまもるの|感《かん》じがしたのである。
|昨日《きのふ》の|惨澹《さんたん》たる|天地《てんち》の|光景《くわうけい》に|引換《ひきか》へ、|今日《けふ》のこの|静《しづ》けさは、|夕立《ゆふだち》の|後《あと》の|快晴《くわいせい》か、|嵐《あらし》の|後《あと》の|静《しづ》けさか、|天地《てんち》|寂《せき》として|声《こゑ》なく、|蚯蚓《みみず》のささやく|声《こゑ》さへ|耳《みみ》に|通《かよ》ふやうであつた。
|連日《れんじつ》の|航海《かうかい》に|船中《せんちう》の|神人《かみがみ》は|何《いづ》れも|無聊《むれう》に|苦《くる》しみ、|船《ふね》の|四隅《よすみ》には、
『アーアー』
と|大口《おほぐち》を|開《あ》けて|欠伸《あくび》をする|神人《かみ》が|現《あら》はれた。|何《いづ》れもこの|欠伸《あくび》に|感染《かんせん》して、|一斉《いつせい》に|両手《りやうて》の|拳《こぶし》を|握《にぎ》り|頭上《づじやう》|高《たか》く|延長《えんちやう》しながら、|大口《おほぐち》を|開《あ》けて、
『アーアー』
と|云《い》ひながら、|欠伸《あくび》を|吾《われ》|劣《おと》らずと|始《はじ》めかけた。|一時《いつとき》ばかりはあたかも|欠伸《あくび》の|競争場《きやうそうば》のごとき|感《かん》があつた。|最早《もはや》|欠伸《あくび》の|種《たね》も|尽《つ》き、|船《ふね》の|一隅《いちぐう》には|辺《あた》りをはばかりてか、|小声《こごゑ》に|鼻唄《はなうた》さへ|謡《うた》ふ|神人《かみ》が|現《あら》はれた。これに|感染《かんせん》されてか、またもや|小声《こごゑ》に|何事《なにごと》をか|小唄《こうた》を|謡《うた》ひ|始《はじ》めた。|遂《つひ》には|狎《な》れて|大声《おほごゑ》をあげ、|遠慮《ゑんりよ》|会釈《ゑしやく》もなく|船中《せんちう》に|立《た》ち|上《あが》り、|両手《りやうて》を|頬《ほほ》に|当《あ》てながら、
『|飲《の》めよ|騒《さわ》げーよ|一寸先《いつすんさき》あー|闇《やみ》ーよー
|闇《やみ》のーあとーにはー|月《つき》がーでるー
|船《ふね》がー|浮《う》くならー|心《こころ》もー|浮《う》かせー
|心《こころ》|沈《しづ》めばー|船《ふね》|沈《しづ》むー
さあさ|浮《う》いたり|浮《う》いたり|浮《う》いたりなー
|浮《う》いたー|浮世《うきよ》はどうなろとままよー
|儘《まま》にならぬが|浮世《うきよ》と|云《い》へどー
わしはー|時節《じせつ》で|浮《う》いてーゐる
|時鳥《ほととぎす》|声《こゑ》は|聞《き》けどもー|姿《すがた》は|見《み》せぬ
|見《み》せぬ|姿《すがた》は|魔《ま》か|鬼《おに》か
|若《もし》も|鬼《おに》|奴《め》が|出《で》て|来《き》たら
|手足《てあし》を|縛《しば》りー|角《つの》を|折《を》り
|叩《たた》いて|炙《あぶ》つて|食《く》てしまへ
たとへ|牛《うし》|虎《とら》|狼《おおかみ》|獅子《しし》も
|力《ちから》のーよわき|山羊《やまひつじ》
|猿《さる》の|千疋《せんびき》ー|万疋《まんびき》もー
|掻《か》いて|集《あつ》めて|引《ひ》き|縛《しば》り
|西《にし》の|海《うみ》へとさらりとほかせ
さらりとーほかせー
よいよいーよいとさのーよいとさつさ』
|神人《かみがみ》らは|異口同音《いくどうおん》に|声《こゑ》を|合《あは》して、|節《ふし》|面白《おもしろ》く|手《て》を|拍《う》つて|謡《うた》ひ|始《はじ》めた。
|宣伝使《せんでんし》は|黙然《もくねん》としてこの|騒《さわ》ぎを|心《こころ》なげに、|見《み》るともなしに|眺《なが》めてゐた。|暫《しばら》くあつて|神人《かみがみ》らは|疲労《ひらう》を|感《かん》じたと|見《み》え、さしも|騒《さわ》がしかりし|波《なみ》の|上《うへ》も、|水《みづ》を|打《う》つたる|如《ごと》くたちまち|静粛《せいしゆく》に|帰《き》し、|風《かぜ》の|音《おと》さへも|聞《きこ》えぬ|閑寂《かんじやく》の|気《き》に|打《う》たるるばかりになつた。
|宣伝使《せんでんし》はやをら|身《み》を|起《おこ》し、|船中《せんちう》の|小高《こだか》き|所《ところ》に|立《た》ち|現《あら》はれ、|涼《すず》しき|声《こゑ》を|張《は》りあげて、
『|高《たか》い|山《やま》からー|谷底《たにそこ》|見《み》れば |憂《う》しや|奈落《ならく》の|泥《どろ》の|海《うみ》
|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》 |開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》ぶ
|月日《つきひ》と|土《つち》の|恩《おん》を|知《し》れ この|世《よ》を|救《すく》ふ|生神《いきがみ》は
|天教山《てんけうざん》に|現《あら》はれる この|世《よ》を|教《をし》ふる|生神《いきがみ》は
|地教《ちけう》の|山《やま》にあらはれた |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ |誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ』
と|手《て》を|拍《う》ち|足踏《あしふ》み|轟《とどろ》かし|舞《ま》ひ|狂《くる》ふ。
|神人《かみがみ》らはこの|声《こゑ》に|釣《つ》り|出《だ》さるる|心地《ここち》して、|一斉《いつせい》に|立《た》ち|上《あが》り、|手《て》を|拍《う》ち|足踏《あしふ》み|轟《とどろ》かし、|一心不乱《いつしんふらん》に|興《きよう》に|乗《の》りて|踊《をど》り|狂《くる》ふ。
このとき|船中《せんちう》の|一隅《いちぐう》より、|苦々《にがにが》しき|面構《つらがまへ》の|巨大《きよだい》なる|神人《しんじん》は、すつくと|立《た》ち|上《あが》り、|宣伝使《せんでんし》をはつたと|睨《ね》めつけた。その|光景《くわうけい》は、あたかも|閻羅王《えんらわう》の|怒髪《どはつ》|天《てん》を|衝《つ》いて|立《た》ち|現《あら》はれたごとくであつた。あゝこの|神人《かみ》は|何物《なにもの》ならむか。
(大正一一・一・一一 旧大正一〇・一二・一四 井上留五郎録)
第三一章 |万波洋々《ばんぱやうやう》〔二三一〕
|阿修羅王《あしゆらわう》のごとく|閻羅王《えんらわう》のごとき|形相《ぎやうさう》|凄《すさま》じき|神《かみ》は、|巨眼《きよがん》を|開《ひら》き、|船中《せんちう》の|神人《かみがみ》らを|睨《ね》めつけながら、
『|神人《かみがみ》らよ、|余《よ》が|宣示《せんじ》を|耳《みみ》をさらへてよく|承《うけたま》はれよ』
と|頭上《づじやう》より|浴《あ》びせかけるやうに|呶鳴《どな》りつけた。これは|牛雲別《うしくもわけ》である。
|此方《こちら》の|宣伝使《せんでんし》は|例《れい》の|祝部神《はふりべのかみ》である。|彼《かれ》は|無雑作《むざふさ》に|打《う》ち|笑《わら》ひながら、
『|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》 |百《もも》の|千種《ちぐさ》も|万《よろづ》のものも
|天地《てんち》の|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》に |洩《も》れたるものは|塵《ちり》|程《ほど》もなし
|海《うみ》の|底《そこ》にも|光《ひかり》あり |山《やま》の|尾上《をのへ》も|河《かは》の|瀬《せ》も
|光《ひか》りに|光《ひか》る|今《いま》の|世《よ》を |何《なん》と|思《おも》ふか|盲神《めくらがみ》
|盲《めくら》の|杖《つゑ》を|失《うしな》うた |苦《くる》しき|報《むく》いは|目《ま》のあたり
あたるは|罰《ばち》と|河豚《ふぐ》の|肉《にく》 |辺《あた》り|構《かま》はず|吠《ほ》え|猛《たけ》る
|四足神《よつあしがみ》の|哀《あは》れさよ |角《つの》の|生《は》えたる|牛雲別《うしくもわけ》の
|身《み》の|果《はて》こそは|哀《あは》れなり |身《み》の|果《はて》こそは|哀《あは》れなり』
と|又《また》もや|手《て》を|振《ふ》り|足《あし》|踏《ふ》み|鳴《な》らして、|四辺《あたり》|構《かま》はず|傍若無神《ばうじやくぶじん》の|挙動《きよどう》の|大胆《だいたん》さに、|何《いづ》れも|呆《あき》れて|祝部神《はふりべのかみ》の|全身《ぜんしん》に|目《め》を|注《そそ》いだ。
|牛雲別《うしくもわけ》は、アーメニヤの|野《の》に、|螢火《ほたるび》のごとき|光《ひかり》を|現《あら》はすウラル|彦《ひこ》の|命《めい》により、|宣伝使《せんでんし》として|此処《ここ》に|現《あら》はれた。|彼《かれ》は|強烈《きやうれつ》なる|酒《さけ》を|大口《おほぐち》|開《ひら》いてがぶがぶと|牛飲《ぎういん》しながら、あまたの|神人《かみがみ》らに|見《み》せつけ、
『|酒《さけ》は|百薬《ひやくやく》の|長《ちやう》と|云《い》う |命《いのち》の|水《みづ》を|飲《の》まざるか
|飲《の》めば|心《こころ》は|面白《おもしろ》い |寿命長久《じゆみやうちやうきう》|千秋万歳楽《せんしうばんざいらく》のこの|薬《くすり》
|飲《の》まぬは|天下《てんか》の|大馬鹿者《おおばかもの》よ たはけた|面《つら》してぶるぶると
ふるひ|苦《くる》しむ|青瓢箪《あをふくべ》 |酒《さけ》を|飲《の》んだら|顔《かほ》の|色《いろ》
|朝日《あさひ》の|豊栄昇《とよさかのぼ》るごと |輝《かがや》き|渡《わた》る|血色《いろ》|清《すが》し
|空《そら》に|輝《かがや》く|月《つき》の|夜《よ》に |心《こころ》|爽《さはや》か|気《き》はさらり
さらりさらりと|物事《ものごと》は |酒《さけ》でなければ|運《はこ》ばない
|酒《さけ》は|命《いのち》の|親神《おやがみ》ぞ |親《おや》を|知《し》らない|子《こ》があろか
|親《おや》を|知《し》らぬは|鬼子《おにご》ぞや |鬼《おに》を|殺《ころ》すはこの|酒《さけ》ぞ
|酒《さけ》の|肴《さかな》は|祝部《はふりべ》の |神《かみ》の|舌《した》をば|引《ひ》き|抜《ぬ》いて
|作《つく》り【なます】にして|喰《くら》へ |暗《くら》い|暗《くら》いと|吐《ぬ》かす|奴《やつ》
|酒《さけ》を|飲《の》んで|見《み》よ|赤《あか》くなる |赤《あか》い|心《こころ》は|神心《かみごころ》
|赤《あか》い|心《こころ》は|神心《かみごころ》 |暗《くら》い|心《こころ》の|祝部《はふりべ》が
|真赤《まつか》な|虚言《うそ》を|月読《つきよみ》の |月夜《つきよ》に|釜《かま》をぬかれたる
あきれ|顔《がほ》して|目《ま》のあたり |吠面《ほえづら》かわくが|面白《おもしろ》い
これを|肴《さかな》に|皆《みな》の|奴《やつ》 おれが|今《いま》|出《だ》すこの|酒《さけ》を
|遠慮《ゑんりよ》|会釈《ゑしやく》も|梨地《なしぢ》の|盃《つき》に |盛《も》つて|飲《の》め|飲《の》め|飲《の》んだら|酔《よ》へよ
|酔《よ》うたら|管《くだ》まけ|管《くだ》まきや|機《はた》が |織《お》れるか|織《お》れぬかおりや|知《し》らぬ
|知《し》らぬが|仏《ほとけ》ほつとけ|捨《す》てとけ |一寸《いつすん》さきは|暗《やみ》よ
|暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る あまり|無聊《むれう》に|時鳥《ほととぎす》
|声《こゑ》はすれども|姿《すがた》は|見《み》せぬ |見《み》せぬ|姿《すがた》は|鬼《おに》か|魔《ま》か
|鬼《おに》の|念仏《ねんぶつ》わしや|鬼来《きらい》 きらひな|奴《やつ》に|目《め》も|呉《く》れな
|好《す》きなお|酒《さけ》に|酔《よ》ひつぶれ |宵《よひ》に|企《たく》んだ|梟《ふくろどり》
|袋《ふくろ》の|底《そこ》を|叩《たた》いて|見《み》たら |誰《たれ》の|心《こころ》も|同《おな》じ|事《こと》
|酒《さけ》の|嫌《きら》ひな|神《かみ》なかろ |済《す》まし|顔《がほ》して|負《ま》け|惜《を》しみ
|豪《えら》そな|面《つら》して|力《りき》むより |些《すこ》しは|顔《かほ》の|紐《ひも》ほどけ
|仏《ほとけ》に|地獄《ぢごく》で|会《あ》うたよな この|甘酒《うまざけ》の|味《あぢ》を|知《し》れ
|酔《よ》うて|酔《よ》うて|酔《よ》ひつぶれ |酔《よ》うたらよいぢやないか
よいよいよいのよいのさつさ
|酒酒《さつさ》、|酒酒《さつさ》』
と|頻《しき》りに|祝部神《はふりべのかみ》の|宣示《せんじ》にたいして|防禦線《ばうぎよせん》を|張《は》り、|座席《ざせき》の|傍《かたはら》より|二樽《ふたたる》の|強《きつ》き|酒《さけ》を|出《だ》し、|数多《あまた》の|盃《さかづき》を|船中《せんちう》にふり|撒《ま》いた。
|神人《かみがみ》らは|猫《ねこ》に|鼠《ねずみ》を|見《み》せたごとく|喉《のど》をごろごろ|鳴《な》らし、|唇《くちびる》に|唾《つばき》をため、|羨《うらや》ましげに|酒樽《さかだる》に|目《め》を|注《そそ》いだ。|中《なか》には|狐《きつね》が|油揚《あぶらあげ》を|見《み》せつけられたやうな|心地《ここち》となつて、|牛雲別《うしくもわけ》の|樽《たる》の|鏡《かがみ》を|開《ひら》くを|待《ま》たず、|飢虎《きこ》のごとく|樽《たる》を|目《め》がけて|飛《と》びつく|上戸《じようご》の|神人《かみ》も|現《あら》はれた。|俄《にはか》に|船中《せんちう》は|春《はる》めき|渡《わた》り、|酔《よひ》の|廻《まは》るにつれて、|神人《かみがみ》らは|平手《ひらて》をもちて|舷《ふなばた》を|叩《たた》き、|拍子《ひやうし》をとり|舞《ま》ひ|始《はじ》めた。
『|来《く》るか|来《く》るかと|浜《はま》へ|出《で》て|見《み》れば |浜《はま》の|松風《まつかぜ》|音《おと》もせぬ
|音《おと》に|聞《きこ》えた|竜宮海《りうぐうかい》の |乙姫《おとひめ》さまでも|呼《よ》んで|来《き》て
|酌《しやく》をさしたら|面白《おもしろ》からう |癪《しやく》に|触《さは》るは|祝部神《はふりべのかみ》よ
|癪《しやく》にさはるは|祝部神《はふりべのかみ》よ |杓《しやく》で|頭《あたま》を|砕《くだ》いてやろか』
ポンポンポンと|舷《ふなばた》をたたき、|遂《つひ》には|両手《りやうて》で|自分《じぶん》の|額《ひたい》を|無性矢鱈《むしやうやたら》に|叩《たた》いて|踊《をど》り|狂《くる》うた。
|祝部神《はふりべのかみ》は|元来《ぐわんらい》|酒《さけ》が|好《す》きである。|喉《のど》から|手《て》の|出《で》るやうにその|盃《さかづき》が|取《と》りたくなつた。|喉《のど》の|辺《あた》りに|腹《はら》の|虫《むし》が|込《こ》み|上《あが》つて、ぐうぐうと|吐《ぬ》かすのである。|祝部神《はふりべのかみ》はこれこそ|神《かみ》の|試《こころ》みとわれとわが|心《こころ》を|制《せい》し、|思《おも》はず|知《し》らず|指《ゆび》を|喰《くは》へ、|遂《つひ》には|激昂《げきかう》してわれとわが|指《ゆび》を|喰《く》ひ|切《き》り、|始《はじ》めて|気《き》がつき、|又《また》もや|声《こゑ》|張《は》り|上《あ》げて、「|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|云々《うんぬん》」の|歌《うた》をうたひ|始《はじ》めた。
(大正一一・一・一一 旧大正一〇・一二・一四 加藤明子録)
第三二章 |波瀾重畳《はらんちようでふ》〔二三二〕
|神人《かみがみ》らは|強《つよ》き|酒《さけ》にへべれけに|酔《よ》ひつぶれ、ほとんど|船中《せんちう》の|客《きやく》たる|事《こと》を|忘《わす》るる|位《くらゐ》であつた。このとき|祝部神《はふりべのかみ》の「|三千世界《さんぜんせかい》|云々《うんぬん》」の|歌《うた》に|神人《しんじん》らは|何《なに》ゆゑか、|頭《あたま》を|鉄槌《てつつゐ》にて|打《う》ち|砕《くだ》かれ、|胸《むね》は|引《ひ》き|裂《さ》かるるがごとき|苦痛《くつう》に|襲《おそ》はれた。
|夜《よ》は|深々《しんしん》と|更《ふ》け|渡《わた》り、|万物《ばんぶつ》|寂《せき》として|声《こゑ》なき|丑満《うしみつ》|頃《ごろ》となつた。|聞《きこ》ゆるものはただ|神人《かみがみ》らの|酒《さけ》に|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れて|呻《うめ》く|苦悶《くもん》の|声《こゑ》のみである。|折《をり》しも|東北《とうほく》の|空《そら》に|当《あた》つて|一団《いちだん》の|黒雲《こくうん》が|現《あら》はるるよと|見《み》る|間《ま》に、|前後左右《ぜんごさいう》に|電光石火《でんくわうせきくわ》の|速力《そくりよく》をもつて|押《お》し|拡《ひろ》がり、|満天《まんてん》|墨《すみ》を|流《なが》したるがごとく、|海上《かいじやう》また|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜざるに|至《いた》つた。|忽《たちま》ち|颶風《ぐふう》|吹《ふ》き|起《おこ》り、さしも|平和《へいわ》の|海面《かいめん》は、ここに|虎嘯《とらうそぶ》き|竜《りう》|躍《をど》り、|海馬《かいば》は|白《しろ》き|浪《なみ》の|鬣《たてがみ》を|振《ふる》うて|船体《せんたい》に|噛《か》みつき|始《はじ》めた。|船《ふね》は|木葉《このは》のごとく|中天《ちうてん》に|捲《ま》き|上《あ》げらるるやと|見《み》る|間《ま》に、|又《また》もや|浪《なみ》と|浪《なみ》との|千仭《せんじん》の|谷間《たにま》に|突《つ》き|落《おと》され、|檣《ほばしら》|折《を》れ、|舵《かぢ》は【むし】られ、|艫《ろ》は|中心《ちうしん》より|折《を》れて|進退《しんたい》の|自由《じいう》を|失《うしな》ひ、ただ|風《かぜ》と|浪《なみ》との|翻弄《ほんろう》するに|任《まか》すより|外《ほか》は|無《な》かつた。
|神人《かみがみ》らは|一度《いちど》に|酔《よひ》も|醒《さ》め、|顔《かほ》は|真青《まつさを》となつて、|地獄《ぢごく》より|火《ひ》を|貰《もら》ひに|来《き》た|餓鬼《がき》の|相好《さうがう》の|其《その》|侭《まま》となつて|仕舞《しま》つた。|鼻《はな》つままれても|分《わか》らぬ|真暗《まつくら》な|海上《かいじやう》に|潮《しほ》を|浴《あ》び、|全身《ぜんしん》|濡《ぬ》れ|鼠《ねずみ》となつて|震《ふる》ひ|戦《をのの》くその|光景《くわうけい》は、|死線《しせん》を|越《こ》えて|処《どころ》の|騒《さわ》ぎでは|無《な》かつた。
|忽《たちま》ち|前方《ぜんぱう》に|当《あた》つて|一道《いちだう》の|光明《くわうみやう》が|赫灼《かくしやく》と|放射《はうしや》するのを|見《み》た。これは|高杉別《たかすぎわけ》の|従者《じうしや》|杉高《すぎたか》の|瑠璃光《るりくわう》の|玉《たま》の|光《ひかり》であつた。|船戸神《ふなどのかみ》は|船体《せんたい》をその|光《ひかり》の|方《はう》に|向《む》けむとしたが、|舵《かぢ》は|千切《ちぎ》られ、|艫《ろ》は|折《を》れ、|檣《ほばしら》は|挫《くじ》け、|帆《ほ》はむしられて|如何《いかん》ともするよしなく、ただ|天《てん》を|仰《あふ》ぎ|救助《きうじよ》を|乞《こ》ふのみであつた。|酒《さけ》のために|空元気《からげんき》を|装《よそほ》うてゐた|数多《あまた》の|神人《かみがみ》らは、|恐怖心《きようふしん》にかられ、|青菜《あをな》に|塩《しほ》か、|蛭《ひる》に|塩《しほ》、しほしほとして|辛《から》い|目《め》に|遇《あ》ふ|事《こと》よと|溜息《ためいき》を|吐《つ》き、|中《なか》には|卑怯《ひけふ》にも|泣声《なきごゑ》をしぼる|者《もの》さへ|現《あら》はれた。|祝部神《はふりべのかみ》は|此処《ここ》ぞと|言《い》はぬばかり|暗中《あんちう》|声《こゑ》を|励《はげ》まし、|荒《あ》れ|狂《くる》ふ|怒濤《どたう》の|浪音《なみおと》を|圧《あつ》するばかりの|大音声《だいおんじやう》で、
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》 |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |牛雲別《うしくもわけ》は|浪《なみ》に|浚《さら》はれ|死《し》ぬるとも
|酒《さけ》を|喰《く》らうた|神々《かみがみ》は |海《うみ》の|藻屑《もくず》となるとても
|何《なん》と|鳴戸《なると》や|瀬戸《せと》の|海《うみ》 |命《いのち》の|瀬戸《せと》のいまはの|際《きは》に
|神《かみ》の|恵《めぐみ》も|白波《しらなみ》の |馬鹿者《ばかもの》どもよ
|命《いのち》|惜《を》しくば|天地《てんち》に|詫《わ》びよ |詫《わび》が|叶《かな》へば|許《ゆる》してやるぞ
|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》 |万《よろづ》の|罪咎《つみとが》さらりと|海《うみ》に
|流《なが》してしまへ |涙《なみだ》ばかりを|流《なが》すぢやないぞ
|心《こころ》の|垢《あか》も|身《み》の|罪《つみ》も |流《なが》して|泣《な》かせて|腹《はら》の|中《なか》
|泣《な》かぬ|日《ひ》はなき|時鳥《ほととぎす》 |八千八声《はつせんやこゑ》の|血《ち》を|吐《は》いて
へどまで|吐《は》いて|今《いま》のざま |苦《くる》しいときの|神頼《かみだの》み
それでも|頼《たの》まにや|助《たす》からぬ よいとさ、よいとさ
|暗《やみ》に|鉄砲《てつぽう》|数打《かずう》ちやあたる |何《なん》でも|構《かま》はぬ|神様《かみさま》|祈《いの》れ
よいとさのよいとさ |生《い》きるか|死《し》ぬかの|瀬戸際《せとぎは》ぞ
|一《ひと》つの|命《いのち》を|瀬戸《せと》の|海《うみ》 |一《ひと》つの|島《しま》なる|一《ひと》つ|松《まつ》
|一《ひと》つの|玉《たま》の|御光《みひかり》に |心《こころ》を|照《てら》して|改《あらた》めよ
|荒浪《あらなみ》|如何《いか》に|高《たか》くとも |荒風《あらかぜ》|如何《いか》に|強《つよ》くとも
|現《あら》はれ|出《い》でたる|神島《かみじま》の |神《かみ》の|光《ひかり》に|村肝《むらきも》の
|心《こころ》の|空《そら》も|凪《な》ぎわたり |浪路《なみぢ》も|凪《な》ぎて|珍《うづ》の|島《しま》
よいさよいとさ |宵《よひ》から|喰《くら》うた|酒《さけ》の|酔《よひ》
|一度《いちど》に|醒《さ》ませよ|心《こころ》の|迷《まよ》ひ |迷《まよ》ひの|果《は》ては|悟《さと》りの|船《ふね》よ
|覚《さと》りは|救《すく》ひの|船《ふね》と|知《し》れ』
と|止《と》め|度《ど》もなく、|口《くち》から|出《で》まかせに|歌《うた》つた。|祝部神《はふりべのかみ》の|容貌《ようばう》は|暗夜《あんや》のため|確《しか》と|見《み》ることは|出来《でき》なかつた。されどその|謡《うた》ひ|振《ぶ》りによつて、その|相貌《さうばう》や|手足《てあし》の|振《ふ》り|方《かた》など、|歴然《れきぜん》|白昼《はくちう》を|見《み》るが|如《ごと》き|感《かん》がした。|忽《たちま》ち|船底《ふなそこ》がガラガラと|音《おと》がした。|見《み》れば|一《ひと》つの|島《しま》にうち|上《あ》げられてゐた。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・一・一一 旧大正一〇・一二・一四 加藤明子録)
第三三章 |暗夜《やみよ》の|光明《くわうみやう》〔二三三〕
|一行《いつかう》は|先《さき》を|争《あらそ》うて|暗中《あんちう》|摸索《もさく》、|島《しま》に|駈上《かけのぼ》つた。|山頂《さんちやう》には|一道《いちだう》の|光明《くわうみやう》|暗《やみ》を|縫《ぬ》うてサーチライトのごとく、|細《ほそ》く|長《なが》く|海面《かいめん》を|照《て》らしてゐる。この|島《しま》は|地中海《ちちうかい》の|一孤島《いちこたう》にして|牛島《うしじま》といひ、また|神島《かみじま》、|炮烙島《はうらくじま》と|称《とな》へられた。|現今《げんこん》にてはサルヂニア|島《たう》と|云《い》ふ。またこの|海《うみ》を|一名《いちめい》|瀬戸《せと》の|海《うみ》と|云《い》ふ。
かつて|黄金水《わうごんすゐ》の|霊《れい》より|現《あら》はれ|出《い》でたる|十二個《じふにこ》の|玉《たま》のうち、|十個《じつこ》までは|邪神《じやしん》|竹熊《たけくま》|一派《いつぱ》のために、|反間苦肉《はんかんくにく》の|策《さく》に|乗《じやう》ぜられ、|竜宮城《りうぐうじやう》の|神人《かみがみ》が、その|持玉《ぢぎよく》を|各自《かくじ》|争奪《そうだつ》されたる|時《とき》、|注意《ちうい》|深《ぶか》き|高杉別《たかすぎわけ》は、|従者《じゆうしや》の|杉高《すぎたか》に|命《めい》じ、その|一個《いつこ》たる|瑠璃光色《るりくわうしよく》の|玉《たま》を、|窃《ひそか》にこの|島《しま》の|頂上《ちやうじやう》なる|岩石《がんせき》を|打《う》ち|破《やぶ》り、|深《ふか》くこれを|秘蔵《ひざう》せしめ、その|上《うへ》に|標示《しるし》の|松《まつ》を|植《う》ゑ、|杉高《すぎたか》をして|固《かた》くこれを|守《まも》らしめつつあつた。
しかるに|天教山《てんけうざん》の|爆発《ばくはつ》に|際《さい》し、|天空《てんくう》より|光《ひかり》を|放《はな》つて|十一個《じふいつこ》の|美《うる》はしき|光輝《くわうき》を|発《はつ》せる|宝玉《ほうぎよく》、この|瀬戸《せと》の|海《うみ》に|落下《らくか》し、あまたの|海神《かいしん》は|海底《かいてい》|深《ふか》くこれを|探《さぐ》り|求《もと》めて|杉高《すぎたか》に|奉《たてまつ》り、|今《いま》やこの|一《ひと》つ|島《じま》には|十二個《じふにこ》の|宝玉《ほうぎよく》が|揃《そろ》うたのである。かかる|不思議《ふしぎ》の|現象《げんしやう》は、|全《まつた》く|杉高《すぎたか》がこの|孤島《こたう》に|苦節《くせつ》を|守《まも》り、|天地《てんち》の|神命《しんめい》を|遵守《じゆんしゆ》し、|雨《あめ》の|朝《あした》、|雪《ゆき》の|夕《ゆふべ》にも|目《め》を|離《はな》さず、|心《こころ》を|弛《ゆる》めず、|厳格《げんかく》に|保護《ほご》せしその|誠敬《せいけい》の|心《こころ》に、|国祖大神《こくそおほかみ》は|感《かん》じ|給《たま》ひて、ここに|十一個《じふいつこ》の|玉《たま》を|下《くだ》し、|都合《つがふ》|十二個《じふにこ》の|宝玉《ほうぎよく》を|揃《そろ》へさせ、もつて|高杉別《たかすぎわけ》および|杉高《すぎたか》の|至誠《しせい》を|憫《あは》れませ|給《たま》うたからである。これより|杉高《すぎたか》は|高杉別《たかすぎわけ》と|共《とも》に、この|玉《たま》を|捧持《ほうぢ》して|天地《てんち》|改造《かいざう》の|大神業《だいしんげふ》に|奉仕《ほうし》し、|芳名《はうめい》を|万代《よろづよ》に|伝《つた》へた。この|事実《じじつ》は|後日《ごじつ》|詳《くは》しく|述《の》ぶることにする。
|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜざる|暗黒《あんこく》の|夜《よ》に、|辛《から》うじてこの|島《しま》に|打上《うちあ》げられたる|神人《かみがみ》らは、あたかも|地獄《ぢごく》にて|仏《ほとけ》に|会《あ》ひしごとく、|盲亀《まうき》の|浮木《ふぼく》に|取着《とりつ》きしがごとく、|死者《ししや》の|冥府《めいふ》より|甦《よみがへ》りたるがごとく、|枯木《かれき》に|花《はな》の|開《ひら》きしがごとく、|三千年《さんぜんねん》の|西王母《せいわうぼ》が|園《その》の|桃花《たうくわ》の|咲《さ》きしごとき|嬉《うれ》しさと|感謝《かんしや》の|念《ねん》に|駆《か》られ、|祝部神《はふりべのかみ》が|暗中《あんちう》に|立《た》ちて、
『|三千世界《さんぜんせかい》|云々《うんぬん》』
の|歌《うた》を|謡《うた》ふ|声《こゑ》を|蛇蝎《だかつ》のごとく|忌《い》み|嫌《きら》ひし|神人《かみがみ》も、ここに|本守護神《ほんしゆごじん》の|霊威《れいゐ》|発動《はつどう》して、|天女《てんによ》の|音楽《おんがく》とも|聞《きこ》え、|慈母《じぼ》の|愛《あい》の|声《こゑ》とも|響《ひび》いた。|神人《かみがみ》らは|一斉《いつせい》に|声《こゑ》を|揃《そろ》へて、|祝部神《はふりべのかみ》の|後《あと》をつけ、
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》|云々《うんぬん》』
と|唱《とな》へ|出《だ》した。
|祝部神《はふりべのかみ》は、これに|力《ちから》を|得《え》て、|又《また》もや|面白《おもしろ》き|歌《うた》を|謡《うた》ひ|始《はじ》めた。
『|世《よ》は|烏羽玉《うばたま》の|暗《やみ》【|深《ふか》】く |罪《つみ》さへ【|深《ふか》】き|現世《うつしよ》の
|神《かみ》の【|不覚《ふかく》】をとりどりに 【|深《ふか》】くも|思《おも》ひめぐらせば
|海底《かいてい》【|深《ふか》】く|棲《す》む【|鱶《ふか》】の |餌食《ゑじき》となすも|食《く》ひ|足《た》らず
|邪曲《まが》を|助《たす》くる|神心《かみごころ》 【|深《ふか》】く|悟《さと》りて|感謝《かんしや》せよ
|海《うみ》より【|深《ふか》】き|神《かみ》の|恩《おん》 |恩《おん》になれては|又《また》もとの
【|深《ふか》】き|泥溝《どぶ》にと|投《な》げ|込《こ》まれ |奈落《ならく》の|底《そこ》の|底《そこ》【|深《ふか》】く
【|不覚《ふかく》】をとるな|百《もも》の|神《かみ》 |神《かみ》の|恵《めぐみ》は|目《ま》の|当《あた》り
|辺《あた》り|輝《かがや》く|瑠璃光《るりくわう》の |光《ひかり》は|神《かみ》の|姿《すがた》ぞや
|光《ひかり》は|神《かみ》の|姿《すがた》ぞや 【|牛《うし》】|雲別《くもわけ》も|角《つの》を|折《を》り
|心《こころ》の【|雲《くも》】を|吹《ふ》き|払《はら》ひ |心《こころ》の|岩戸《いはと》を|押《おし》【|別《わ》】けて
|神《かみ》の|光《ひかり》を|称《たた》へかし |牛雲別《うしくもわけ》を|始《はじ》めとし
|百《もも》の|神人《かみがみ》|諸共《もろとも》に |心《こころ》の|暗《やみ》を|照《て》らせよや
|心《こころ》の|暗《やみ》の|戸《と》|開《ひら》けなば |朝日《あさひ》|眩《まば》ゆき|日《ひ》の|光《ひかり》
|汝《なれ》が|頭上《づじやう》を|照《て》らすべし |朝日《あさひ》の|直刺《たださ》す|一《ひと》つ|島《じま》
|夕日《ゆふひ》の|輝《かがや》く|一《ひと》つ|松《まつ》 |常磐《ときは》の|松《まつ》のその|根本《ねもと》
|千代《ちよ》も|動《うご》かぬ|巌《いは》の|根《ね》に |秘《ひ》め|置《お》かれたる|瑠璃光《るりくわう》の
|玉《たま》の|光《ひかり》に【あやかり】て |心《こころ》の|玉《たま》を|磨《みが》くべし
|三千世界《さんぜんせかい》の|珍宝《うづだから》 この|神島《かみじま》に|集《あつ》まりて
|十二《じふに》の|卵《たまご》を|産《う》み|並《なら》べ |松《まつ》も|千歳《ちとせ》の|色《いろ》|深《ふか》く
|枝葉《えだは》は|繁《しげ》り|幹《みき》|太《ふと》り |空《そら》に|伸《の》び|行《ゆ》く|杉高《すぎたか》の
|功績《いさを》をひらく|目《ま》のあたり |高杉別《たかすぎわけ》の|誠忠《せいちう》も
|共《とも》に|現《あら》はれ|北《きた》の|島《しま》 |蓬莱山《ほうらいざん》も|啻《ただ》ならず
この|神島《かみじま》は|昔《むかし》より |神《かみ》の|隠《かく》せし|宝島《たからじま》
|宝《たから》の|島《しま》に|救《すく》はれて |跣《はだし》|裸《はだか》で|帰《かへ》るなよ
|神《かみ》より|朽《く》ちぬ|御宝《みたから》を |腕《うで》もたわわに|賜《たま》はりて
|叢雲《むらくも》|繁《しげ》き|現世《うつしよ》の |万《よろづ》のものを|救《すく》ふべし
われと|思《おも》はむ|神等《かみたち》は われに|続《つづ》けよ、いざ|続《つづ》け
|言触神《ことぶれがみ》の|楽《たの》しさは |体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|小慾《せうよく》に
|比《くら》べて|見《み》れば|眼《め》の|埃《ほこり》 |埃《ほこり》の|慾《よく》に|囚《とら》はれて
|眼《まなこ》も|眩《くら》み|村肝《むらきも》の |心《こころ》|曇《くも》らせ|暗《やみ》の|夜《よ》に
|暗路《やみぢ》を|迷《まよ》ふ|海《うみ》の|上《うへ》 |心《こころ》の|波《なみ》を【なぎ】|立《た》てて
この|世《よ》を|造《つく》り|始《はじ》めたる |神《かみ》の|御息《みいき》の|風《かぜ》を【|吸《す》】ひ
【|酸《す》】いも|甘《あま》いも|弁《わきま》へて この|世《よ》を【|救《すく》】ふ|神《かみ》となれ
|神《かみ》の|力《ちから》は|目《ま》のあたり |辺《あた》り|輝《かがや》く|瑠璃光《るりくわう》の
|光《ひかり》は|神《かみ》の|姿《すがた》ぞや |光《ひかり》は|神《かみ》の|姿《すがた》ぞや
|東雲《しののめ》|近《ちか》き|暗《やみ》の|空《そら》 やがて|開《ひら》くる|常磐樹《ときはぎ》の
|松《まつ》の|根本《ねもと》に|神集《かむつど》ひ |千代万代《ちよよろづよ》も|動《ゆる》ぎなき
|堅磐常磐《かきはときは》の|松心《まつごころ》 この|松心《まつごころ》|神心《かみごころ》
|神《かみ》の|心《こころ》に|皆《みな》|復《かへ》れ |神《かみ》の|心《こころ》に|皆《みな》|復《かへ》れ
かへれよ|復《かへ》れ|村肝《むらきも》の |心《こころ》に|潜《ひそ》む|曲津神《まがつかみ》
|大蛇《をろち》や|金狐《きんこ》|悪鬼《あくき》|共《ども》 |国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》の
|御息《みいき》の|気吹《いぶき》に|吹払《ふきはら》ひ |払《はら》ひ|清《きよ》めて|神《かみ》の|世《よ》を
|待《ま》つぞ|目出度《めでた》き|一《ひと》つ|松《まつ》 |心《こころ》|一《ひと》つの|一《ひと》つ|島《じま》
|心《こころ》|一《ひと》つの|一《ひと》つ|島《じま》 |一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》
|百千万《ももちよろづ》の|神人《かみがみ》よ |百千万《ももちよろづ》の|神人《かみがみ》よ
それ|今《いま》|昇《のぼ》る|東《ひむがし》の |空《そら》|見《み》よ|空《そら》には|真円《まんまる》き
|鏡《かがみ》のやうな|日《ひ》が|昇《のぼ》る |心《こころ》の|鏡《かがみ》|明《あきら》かに
|照《て》らして|耻《は》づること|勿《なか》れ ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
みたま|幸《さち》はひましませよ |三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》
|一度《いちど》に|開《ひら》く|松《まつ》の|世《よ》の |松《まつ》に|千歳《ちとせ》の|鶴《つる》|巣喰《すぐ》ひ
|緑《みどり》の|亀《かめ》は|此《この》|島《しま》に |泳《およ》ぎ|集《つど》ひて|神《かみ》の|代《よ》を
|祝《いは》ふも|目出度《めでた》き|今日《けふ》の|空《そら》 |千秋万歳《せんしうばんざい》|万々歳《ばんばんざい》
|千秋万歳《せんしうばんざい》|万々歳《ばんばんざい》
ヨイトサ、ヨーイトサ、ヨイヨイヨイトサツサツサ』
と|祝部神《はふりべのかみ》の|歌《うた》|終《をは》ると|共《とも》に、|東天《とうてん》|紅《くれなゐ》を|潮《てう》して|天《あま》の|岩戸《いはと》の|開《ひら》けし|如《ごと》く、|日《ひ》の|大神《おほかみ》は|東《ひがし》の|山《やま》の|上《うへ》に|温顔《をんがん》を|現《あら》はし、|一《ひと》つ|島《じま》の|神人《かみがみ》らをして|莞爾《につこ》として|覗《のぞ》かせ|給《たま》うた。
ここに|牛雲別《うしくもわけ》は、|危機一髪《ききいつぱつ》の|神《かみ》の|試練《しれん》に|逢《あ》ひ、|翻然《ほんぜん》としてその|非《ひ》を|悟《さと》り、|断然《だんぜん》|酒《さけ》を|廃《はい》し、かつ|三千世界《さんぜんせかい》の|宣伝歌《せんでんか》を|親《おや》のごとくに|欣仰《きんかう》し、|寸時《すんじ》も|口《くち》を|絶《た》たなかつた。|牛雲別《うしくもわけ》は|祝部神《はふりべのかみ》に|帰順《きじゆん》し、|祝彦《はふりひこ》と|名《な》を|賜《たま》はり、|杉高《すぎたか》はまた|杉高彦《すぎたかひこ》と|改名《かいめい》し、ここに|三柱《みはしら》は|相携《あひたづさ》へて、|大神《おほかみ》の|宣伝使《せんでんし》となつた。
しかして、この|十二個《じふにこ》の|宝玉《ほうぎよく》は、|天《あま》の|磐船《いはふね》に|乗《の》せ、|玉若彦《たまわかひこ》の|神司《かみ》をしてこれを|守《まも》らしめ、|地教山《ちけうざん》の|高照姫命《たかてるひめのみこと》の|御許《みもと》に|送《おく》り|届《とど》けられた。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一一・一・一一 旧大正一〇・一二・一四 外山豊二録)
第三四章 |水魚《すゐぎよ》の|情交《まじはり》〔二三四〕
|天《てん》にも|地《ち》にも|只《ただ》|一《ひと》つ、|風光明媚《ふうくわうめいび》の|一《ひと》つ|島《じま》、|類稀《たぐひまれ》なる|瑞祥《ずゐしやう》の、|光《ひかり》を|照《て》らす|神々《かみがみ》の、|心《こころ》の|空《そら》も|晴《は》れ|渡《わた》り、|和気靄々《わきあいあい》として|心天《しんてん》|清朗《せいらう》|一点《いつてん》の|隔《へだ》てもなく、|各自《かくじ》に|得物《えもの》を|携《たづさ》へて、|諸神人《しよしん》は|手《て》を|揃《そろ》へ|足曳《あしびき》の、|山《やま》の|尾上《をのへ》の|山口《やまぐち》の、|神《かみ》に|願《ねが》ひを|掛《か》けまくも、|畏《かしこ》き|神《かみ》の|御許《みゆる》しを、|忝《かたじけ》なみて|千仭《せんじん》の、|谷間《たにま》に|下《くだ》り|檣《ほばしら》に、|匹敵《ひつてき》したる|杉《すぎ》の|大木《おほき》を|伐《き》り|倒《たふ》し、|檣《ほばしら》に|代《か》へ|艫《ろ》を|新《あらた》に|造《つく》り、|乗《の》り|来《き》し|船《ふね》に|艤装《ぎさう》して、いよいよ|音《おと》に|名高《なだか》き|一《ひと》つ|島《じま》、|一《ひと》つの|松《まつ》に|名残《なごり》を|惜《を》しみ、|真帆《まほ》を|上《あ》げつつ|悠々《いういう》と、|油《あぶら》を|流《なが》せし|波《なみ》の|上《うへ》、|船《ふね》の|動揺《ゆるぎ》に|円《まる》き|波紋《はもん》を|描《ゑが》きながら、|心《こころ》も|身《み》をも|打解《うちと》けし、|救《すくひ》の|船《ふね》の|一蓮托生《いちれんたくしやう》、|修羅《しゆら》も|地獄《ぢごく》も|波《なみ》の|上《うへ》、|水《みづ》に|流《なが》してをちこちの、|話《はなし》にふける|面白《おもしろ》さ、|実《げ》にも|目出度《めでた》き|高砂《たかさご》の、|尉《じやう》と|姥《うば》とが|現《あら》はれて、|心《こころ》の|空《そら》の|雲霧《くもきり》を、|伊吹《いぶき》の|狭霧《さぎり》に|吹《ふ》き|払《はら》ひ、|心《こころ》の|底《そこ》の|塵埃《ちりあくた》、|雁爪《がんざ》や|箒《はうき》に|掻《か》き|払《はら》ひたる、|年《とし》の|始《はじ》めの|春心地《はるごこち》、|和気靄々《わきあいあい》として|西南《せいなん》|指《さ》して|欸乃《ふなうた》|面白《おもしろ》く|出帆《しゆつばん》したりける。
|空《そら》には|鴎《かもめ》の|幾千羽《いくせんば》、|前後左右《ぜんごさいう》に|飛《と》び|交《か》ひて、|一行《いつかう》の|船《ふね》を|祝《しゆく》し|見送《みおく》るかと|思《おも》はるるばかりの|心地《ここち》よき|光景《くわうけい》なりき。|祝部神《はふりべのかみ》は|真先《まつさき》に|口《くち》の|扉《とびら》を|捻《ね》ぢ|上《あ》げた。そして|船中《せんちう》の|神人《かみがみ》らに|向《むか》ひ、
『|見渡《みわた》すところ、|貴下《きか》らはいづれも|由緒《ゆゐしよ》ありげの|神人《しんじん》らしく|思《おも》はる。|何《なん》の|目的《もくてき》あつてこの|海《うみ》を|渡《わた》り|給《たま》ふや』
と|問《と》ひかけたるに、|神人《かみがみ》の|中《なか》に|最《もつと》も|秀《ひい》でて|骨格《こつかく》たくましき|男《をとこ》は、|膝《ひざ》を|立直《たてなほ》し、
『|実《じつ》は|吾々《われわれ》は|小郷《せうきやう》の|酋長《しうちやう》でありますが、|先《さき》つ|頃《ごろ》よりの|天変地妖《てんぺんちえう》に|対《たい》し、|吾《わが》|郷《さと》の|神人《かみがみ》たちの|不安《ふあん》は|一方《ひとかた》ならず、|東北《とうほく》の|天《てん》に|当《あた》つて|烟火《えんくわ》のごとき|火光《くわくわう》|天《てん》に|冲《ちゆう》するかと|見《み》れば、|大空《おほぞら》には|金銀銅色《きんぎんどうしよく》の|三重《みへ》の|橋《はし》|東西《とうざい》に|架《かか》り、|南北《なんぽく》に|廻転《くわいてん》し、|暴風《ばうふう》|吹《ふ》き|荒《すさ》み、|強雨《がうう》|頻《しきり》に|臻《いた》り、|五風十雨《ごふうじふう》の|順《じゆん》を|破《やぶ》り、|雷鳴地震《らいめいぢしん》|非時《ときじく》|鳴動《めいどう》し、|火山《くわざん》は|爆発《ばくはつ》し、|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》|色《いろ》を|失《うしな》ひ、|未来《みらい》を|憂慮《いうりよ》すること|言辞《ことば》の|尽《つく》す|限《かぎ》りではありませぬ。|加《くは》ふるに|東北《とうほく》の|天《てん》に|当《あた》つて、|此《この》|頃《ごろ》|又《また》もや|十六個《じふろくこ》の|光星《くわうせい》|現《あら》はれ、|日《ひ》を|逐《お》うてその|星《ほし》は|金線《きんせん》のごとく|地上《ちじやう》に|向《むか》つて|延長《えんちやう》し、そのうへ|西南《せいなん》の|天《てん》に|当《あた》り|銀色《ぎんいろ》の|十六個《じふろくこ》の|星《ほし》|同《おな》じく|現《あら》はれて、|地上《ちじやう》に|日々《にちにち》|接近《せつきん》しつつ、|吾々《われわれ》|神人《しんじん》に|向《むか》つて|何事《なにごと》か|天地《てんち》の|神《かみ》の|暗示《あんじ》さるるごとき|心地《ここち》がしてならないのであります。それ|故《ゆゑ》|吾々《われわれ》は|其《その》|星《ほし》の|地上《ちじやう》に|垂下《すゐか》するに|先《さき》だち、|西南《せいなん》に|向《むか》つてその|真相《しんさう》を|確《たしか》め、|郷《きやう》の|神人《かみがみ》をして|覚悟《かくご》する|所《ところ》あらしめむと|欲《ほ》し、|酋長《しうちやう》の|役目《やくめ》として、はるばる|西南《せいなん》に|向《むか》つて|進《すす》むのであります』
と|首《くび》を|傾《かたむ》けながら、|物憂《ものう》しげに|語《かた》り|始《はじ》めた。|酋長《しうちやう》の|言葉《ことば》|終《をは》るや|否《いな》や、|次席《じせき》にひかへたる|一柱《ひとはしら》の|神人《かみ》は、|直《ただち》にその|後《あと》をつけて、
『なほも|吾々《われわれ》として|訝《いぶか》しきは、|宵《よひ》の|明星《みやうじやう》|何時《いつ》の|間《ま》にか|東天《とうてん》に|現《あら》はれて|非常《ひじやう》の|異光《いくわう》を|放《はな》ち、その|星《ほし》の|周囲《しうゐ》には|種々《しゆじゆ》の|斑紋《はんもん》|現《あら》はれ、|地上《ちじやう》の|吾々《われわれ》は|何事《なにごと》かの|変兆《へんてう》ならむと|心《こころ》も|心《こころ》ならず、|郷《きやう》の|神人《かみがみ》に|選《えら》ばれて|吾《われ》もまた|西南《せいなん》|指《さ》して|進《すす》むのであります。|果《はた》して|何《なん》の|象徴《しやうちやう》でありませうか』
と|云《い》つて|祝部神《はふりべのかみ》の|顔《かほ》をちよつと|覗《のぞ》いた。
|祝部神《はふりべのかみ》は|膝《ひざ》|立直《たてなほ》し、|諄々《じゆんじゆん》として|説《と》き|始《はじ》めた。
『この|天地《てんち》は|決《けつ》して|地上《ちじやう》|神人《しんじん》の|力《ちから》によつて|造《つく》られたものでは|無《な》い。|大宇宙《だいうちう》に|唯《ただ》|一柱《ひとはしら》まします|無限絶対《むげんぜつたい》|無始無終《むしむしう》の|霊力体《れいりよくたい》の|三徳《さんとく》を|完全《くわんぜん》に|具有《ぐいう》し|給《たま》ふ|天主《てんしゆ》、|大国治立尊《おおくにはるたちのみこと》と|云《い》ふ|絶対《ぜつたい》|無限力《むげんりよく》の|神様《かみさま》が、この|広大無辺《くわうだいむへん》の|大宇宙《だいうちう》を|創造《さうざう》されたのである。そしてこの|宇宙《うちう》には|其《その》|身魂《みたま》を|別《わ》けて|国治立尊《くにはるたちのみこと》と|命名《なづ》け、わが|大地《だいち》|及《およ》び|大空《たいくう》を|守護《しゆご》せしめ|給《たま》うたのである。しかるに|世《よ》は|追々《おひおひ》と|妖邪《えうじや》の|気《き》|充《み》ち、【|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》は|神恩《しんおん》を|忘却《ばうきやく》し】、|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|悪風《あくふう》は|上下《じやうげ》に|吹《ふ》き|荒《すさ》び、かつ|私利私慾《しりしよく》に|耽《ふけ》り、|至善《しぜん》|至美《しび》の|地上《ちじやう》を|汚《けが》し、そのうへ|大蛇《をろち》と|金狐《きんこ》と|邪鬼《じやき》の|悪霊《あくれい》に|左右《さいう》されて、|上位《じやうゐ》に|立《た》つ|神人《かみがみ》らは、|遂《つひ》に|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|国祖《こくそ》|国治立尊《くにはるたちのみこと》を|根底《ねそこ》の|国《くに》に|神退《かむやら》ひに|退《やら》ひ、|暴虐無道《ばうぎやくぶだう》の|限《かぎ》りを|尽《つく》した。それ|故《ゆゑ》この|宇宙《うちう》には|真《まこと》の|統率神《とうそつしん》なく、|神人《しんじん》|日夜《にちや》に|悪化《あくくわ》して、|修羅《しゆら》、|餓鬼《がき》、|地獄《ぢごく》、|畜生《ちくしやう》の|世界《せかい》と|堕《だ》して|了《しま》つた。それがために|地《ち》は|震《ふる》ひ|天《てん》は|乱《みだ》れ、|天変地妖《てんぺんちえう》|頻《しきり》に|臻《いた》る。|世《よ》の|災《わざはひ》は|是《これ》にて|足《た》らず、|一大《いちだい》|災害《さいがい》の|今《いま》|将《まさ》に|来《きた》らむとする|象徴《しやうちやう》あり。それ|故《ゆゑ》、|吾々《われわれ》は|慈愛《じあい》|深《ふか》き|野立彦命《のだちひこのみこと》、|野立姫命《のだちひめのみこと》の|神勅《しんちよく》を|奉《ほう》じ、|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》を|悔《く》い|改《あらた》めしめ、この|災害《さいがい》を|救《すく》ひ、|大難《だいなん》をして|小難《せうなん》に|見直《みなほ》し、|聞直《ききなほ》し、|宣直《のりなほ》さむと、|八王《やつわう》の|聖位《せいゐ》を|捨《す》て、かくも|見《み》すぼらしき|凡夫《ぼんぶ》の|姿《すがた》と|変《へん》じ、|山野河海《さんやかかい》を|跋渉《ばつせふ》して、|救《すくひ》の|道《みち》の|宣伝《せんでん》を|為《な》すのである。|諺《ことわざ》に|云《い》ふ、|袖振《そでふ》り|合《あ》ふも|他生《たしやう》の|縁《えん》、|躓《つまづ》く|石《いし》も|縁《えん》のはしとやら、|今《いま》や|同《おな》じ|一《ひと》つの|船《ふね》に|身《み》を|托《たく》し、|天来《てんらい》の|福音《ふくいん》を|伝《つた》ふる|吾《われ》も、これを|聴《き》く|汝《なんじ》ら|神人《かみがみ》らも|決《けつ》して|偶然《ぐうぜん》にあらず、|必《かなら》ず|深《ふか》き|大神《おほかみ》の|恵《めぐみ》の|綱《つな》に|共《とも》に|結《むす》ばれたるものなれば、|吾《わが》|一言《ひとこと》を|夢々《ゆめゆめ》|聴《き》き|落《おと》す|勿《なか》れ』
と|云《い》つて|手《て》を|伸《の》べて|海水《かいすゐ》を|掬《すく》ひ、|唇《くちびる》を|潤《うるほ》しながら|座《ざ》を|頽《くづ》した。
|並《なみ》ゐる|神人《かみがみ》らはいづれも|緊張《きんちやう》し|切《き》つた|面色《おももち》にて、|首《くび》を|傾《かた》げながら|一言《ひとこと》も|聴《き》き|洩《も》らすまじと|耳《みみ》を|澄《す》まして|聞《き》き|入《い》りにける。
(大正一一・一・一一 旧大正一〇・一二・一四 井上留五郎録)
第六篇 |聖地《せいち》の|憧憬《どうけい》
第三五章 |波上《はじやう》の|宣伝《せんでん》〔二三五〕
この|教示《けうじ》を、|首《くび》を|傾《かたむ》けて|聞《き》き|入《い》つた|彼《か》の|酋長《しうちやう》は、|吐息《といき》を|吐《つ》きながら|再《ふたた》び|口《くち》を|開《ひら》いて|云《い》ふ。
『|天地《てんち》の|間《あひだ》に、|果《はた》して|貴下《きか》の|仰《あふ》せのごとき|独一真神《どくいつしんしん》なる|大国治立尊《おほくにはるたちのみこと》の|坐《ま》しますとせば、|何故《なぜ》に|斯《かく》のごとき|天変地妖《てんぺんちえう》を|鎮静《ちんせい》せず、|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》をして|恐怖《きようふ》|畏縮《ゐしゆく》せしめ、|傍観《ばうかん》の|態度《たいど》を|取《と》り|給《たま》ふか。いづくんぞ|全智全能《ぜんちぜんのう》の|神力《しんりき》を|発揮《はつき》して、|世界《せかい》を|救助《きうじよ》し|給《たま》はないのでせうか。|吾々《われわれ》は|真《しん》の|神《かみ》の|存在《そんざい》について、|大《おほい》に|疑《うたが》ひを|抱《いだ》くものであります』
と|云《い》つて|祝部神《はふりべのかみ》の|教示《けうじ》を|待《ま》つた。
|祝部神《はふりべのかみ》は、|事《こと》もなげに|答《こた》へて|云《い》ふ。
『|宇宙《うちう》|万有《ばんいう》を|創造《さうざう》し|給《たま》うた|全智全能《ぜんちぜんのう》の|大神《おほかみ》の|経綸《けいりん》は、|吾々《われわれ》|凡夫《ぼんぶ》の|窺知《きち》する|所《ところ》ではない。|吾《われ》らは|唯々《ただただ》|神《かみ》の|教示《けうじ》に|随《したが》つて、|霊主体従《れいしゆたいじゆう》の|行動《かうどう》を|執《と》ればよい。|第一《だいいち》に|吾々《われわれ》|神人《しんじん》として、|最《もつと》も|慎《つつし》むべきは【|貪慾《どんよく》】と【|瞋恚《しんい》】と【|愚痴《ぐち》】である。また|第一《だいいち》に|日月《じつげつ》の|高恩《かうおん》を|悟《さと》らねばならぬ。|徒《いたずら》に|小智浅才《せうちせんさい》を|以《もつ》て、|大神《おほかみ》の|聖霊体《せいれいたい》を|分析《ぶんせき》し、|研究《けんきう》せむとするなどは|以《もつ》ての|外《ほか》の|僻事《ひがごと》である。すべて|吾々《われわれ》の|吉凶《きつきよう》|禍福《くわふく》は、|神《かみ》の|命《めい》じたまふ|所《ところ》であつて、|吾々《われわれ》|凡夫《ぼんぶ》の|如何《いかん》とも|左右《さいう》し|難《がた》きものである。|之《これ》を|惟神《かむながら》といふ。|諸神人《しよしん》らはわが|唱《とな》ふる|宣伝歌《せんでんか》を|高唱《かうしやう》し、|天津祝詞《あまつのりと》を|朝夕《てうせき》に|奏上《そうじやう》し、かつ|閑暇《かんか》あらば「|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》」と|繰返《くりかへ》すのが、|救《すく》ひの|最大《さいだい》|要務《えうむ》である。|吾々《われわれ》はこれより|外《ほか》に、|天下《てんか》に|向《むか》つて|宣伝《せんでん》する|言葉《ことば》を|知《し》らない』
と|云《い》つた。
|折《をり》しも|再《ふたた》び|日《ひ》は|西山《せいざん》に|姿《すがた》を|没《ぼつ》し、|半円《はんゑん》の|月《つき》は|頭上《づじやう》に|輝《かがや》き|始《はじ》めた。この|時《とき》|又《また》もや|東北《とうほく》の|天《てん》に|当《あた》つて|一塊《いつくわい》の|怪《あや》しき|雲片《うんぺん》が|現《あら》はれた。|祝部神《はふりべのかみ》は|神人《かみがみ》らに|向《むか》ひ、
『|彼《か》の|怪《あや》しき|雲《くも》を|見《み》られよ』
|神人《かみがみ》らは|一斉《いつせい》に|東北《とうほく》の|天《てん》を|仰《あふ》いで|視《み》た。|祝部神《はふりべのかみ》は|尚《なほ》も|語《ご》をついで、
『すべて|神《かみ》のなす|業《わざ》は、|斯《か》くの|如《ごと》きものである。|今《いま》まで|蒼空《さうくう》|一点《いつてん》の|雲翳《うんえい》もなく、|月《つき》は|皎々《かうかう》として|中天《ちうてん》に|輝《かがや》き、|星《ほし》は|燦爛《さんらん》として|満天《まんてん》に|列《れつ》を|正《ただ》し、|各《おのおの》|大小《だいせう》|強弱《きやうじやく》の|光《ひかり》を|放《はな》つてゐる。|地上《ちじやう》の|吾々《われわれ》|凡夫《ぼんぶ》は、|実《じつ》に|無知識《むちしき》|無勢力《むせいりよく》である。|何時《いつ》までも|天空《てんくう》に|明月《めいげつ》|輝《かがや》き、|星光《せいくわう》|燦爛《さんらん》たるべきものと、|心《こころ》に|期《き》する|間《ま》もなく、|忽然《こつぜん》として|一塊《いつくわい》の|怪雲《くわいうん》|現《あら》はれしは、|果《はた》して|何物《なにもの》の|所為《しよゐ》であらうか。|変幻出没《へんげんしゆつぼつ》|窮《きわ》まりなく、|神機《しんき》|無辺《むへん》の|活動《くわつどう》はこれ|果《はた》して|何物《なにもの》の|所為《しよゐ》であらうか。すべて|宇宙間《うちうかん》|一物《いちぶつ》と|雖《いへど》も、|原因《げんいん》なく|因縁《いんねん》なくして|現《あら》はるるものはない。しかしてその|原因《げんいん》、|因縁《いんねん》は|到底《たうてい》|凡夫《ぼんぶ》の|究《きは》めて|究《きは》め|尽《つく》す|限《かぎ》りではない。|諸神人《しよしん》の|中《うち》に、|果《はた》して|彼《か》の|一塊《いつくわい》の|怪雲《くわいうん》は|如何《いか》に|変化《へんくわ》するかを|知《し》れる|者《もの》ありや。|恐《おそ》らく|一柱《ひとはしら》として|之《これ》を|前知《ぜんち》したまふ|神人《かみ》はあらざるべし。|吾々《われわれ》は|天地《てんち》の|神《かみ》の|教《をしへ》を|説《と》く|宣伝使《せんでんし》の|身《み》としても、|一分《いつぷん》|先《さき》の|黒雲《こくうん》の|結果《けつくわ》いかになりゆくかを|覚《さと》ること|能《あた》はず、かくのごとき|暗昧愚蒙《あんまいぐもう》の|知識力《ちしきりよく》を|以《もつ》て、|神明《しんめい》の|聖霊《せいれい》を|云為《うんゐ》し、|神《かみ》の|存否《そんぴ》を|論争《ろんそう》するがごときは、あたかも|夏《なつ》の|虫《むし》の|冬《ふゆ》の|雪《ゆき》を|知《し》らざるがごとき|愚蒙《ぐもう》のものである。|視《み》られよ、|彼《か》の|黒雲《こくうん》を、|次第々々《しだいしだい》に|四方《しはう》に|向《むか》つて|拡大《くわくだい》するに|非《あら》ずや。|其《そ》の|結果《けつくわ》は|雨《あめ》か、|嵐《あらし》か、|果《は》た|雪《ゆき》か、|地震《ぢしん》か、|雷鳴《らいめい》か、|天地《てんち》の|鳴動《めいどう》か、|吾々《われわれ》の|知識力《ちしきりよく》にては、|到底《たうてい》|感知《かんち》する|事《こと》|能《あた》はず、|唯《ただ》|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》は、|宇宙《うちう》の|大原因《だいげんいん》たる|大国治立尊《おほくにはるたちのみこと》の|意思《いし》に|柔順《じうじゆん》に|随《したが》ふのみである』
と|舌端《ぜつたん》|火《ひ》を|吐《は》いて|諄々《じゆんじゆん》と|宣伝《せんでん》した。
|神人《かみがみ》らは|祝部神《はふりべのかみ》の|教示《けうじ》に|耳《みみ》をすませ、|今更《いまさら》のごとく、|神《かみ》の|無限絶対《むげんぜつたい》の|霊威《れいゐ》と|力徳《りきとく》と、|其《そ》の|犯《をか》すべからざる|御聖体《ごせいたい》の|不可測《ふかそく》なるを|感嘆《かんたん》しつつ『|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』と|一斉《いつせい》に|高唱《かうしやう》した。
|前日《ぜんじつ》の|喧騒《けんさう》を|極《きは》めたる|此《こ》の|船《ふね》は、|今《いま》は|全《まつた》く|祝詞《のりと》の|声《こゑ》|清《きよ》き|祭場《さいじやう》と|化《くわ》して|了《しま》つた。|折《をり》しもまばらなる|雨《あめ》、ぼつぼつと|石《いし》を|投《な》げるごとく|船中《せんちう》の|神人《かみがみ》らの|身体《しんたい》を|打《う》つた。|俄然《がぜん》、|寒風《かんぷう》|吹《ふ》くよと|見《み》る|間《ま》に、|雨《あめ》は|拳《こぶし》のごとき|霰《あられ》を|混《まじ》へて|降《ふ》り|注《そそ》ぎ、これに|打《う》たれて|負傷《ふしやう》する|神人《かみ》さへあつた。このとき|祝部神《はふりべのかみ》は|立上《たちあが》り、|又《また》もや、
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |誠《まこと》の|神《かみ》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|誠《まこと》の|神《かみ》は|世《よ》を|救《すく》ふ |勇《いさ》みて|暮《くら》せ、|神《かみ》の|造《つく》りし|神《かみ》の|世《よ》ぢや
|神《かみ》から|生《うま》れた|神《かみ》の|子《こ》ぢや |力《ちから》になるは|神《かみ》ばかり
|神《かみ》より|外《ほか》に|杖《つゑ》となり |柱《はしら》となるべきものはない
|雨風《あめかぜ》|荒《あら》き|海原《うなばら》も |地震《ぢしん》かみなり|火《ひ》の|車《くるま》
|何《なん》の|恐《おそ》れも|荒浪《あらなみ》の |中《なか》に|漂《ただよ》ふこの|船《ふね》は
|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|御試《おんため》し |喜《よろこ》び|勇《いさ》め|神《かみ》の|恩《おん》
|讃《ほ》めよ|称《たた》へよ|神《かみ》の|徳《とく》 |天地《てんち》は|神《かみ》の|意《い》のままぞ
|天《てん》を|畏《おそ》れよ|地《ち》をおそれ |畏《おそ》れといつても|卑怯心《ひけふしん》
|出《だ》してぶるぶる|慄《ふる》ふでないぞ |神《かみ》の|力《ちから》を|崇《あが》むることぞ
|如何《いか》なる|災難《さいなん》|来《きた》るとも |神《かみ》に|抱《だ》かれし|吾々《われわれ》は
|神《かみ》の|助《たす》けはたしかなり たしかな|神《かみ》の|御教《みをしへ》の
|救《すく》ひの|船《ふね》に|身《み》を|任《まか》せ |任《まか》せ|切《き》つたる|暁《あかつき》は
|千尋《ちひろ》の|海《うみ》も|何《なん》のその |海《うみ》の|底《そこ》にも|神《かみ》|坐《ま》せば
たとへ|沈《しづ》んだところーで どこにも|神《かみ》は|坐《ま》しますぞ
|讃《ほ》めよ|称《たた》へよ|祈《いの》れよ|歌《うた》へ |歌《うた》ふ|心《こころ》は|長閑《のどか》なる
|春《はる》の|花《はな》|咲《さ》く|神心《かみごころ》 |神《かみ》の|心《こころ》になれなれ|一同《いちどう》
|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》 |一度《いちど》にひらく|梅《うめ》の|花《はな》』
と|歌《うた》まじりの|宣伝《せんでん》を、|又《また》もや|手真似《てまね》、|足真似《あしまね》しながら、|際限《さいげん》もなく|説《と》き|立《た》てる。
|船《ふね》は|辛《から》うじて|西南《せいなん》の|岸《きし》に|着《つ》いた。ここを|埃《え》の|宮《みや》と|云《い》ひ、また|埃《え》の|港《みなと》とも|云《い》ふ。|一行《いつかう》は|勇《いさ》んで|上陸《じやうりく》した。|海面《かいめん》を|見渡《みわた》せば、|山岳《さんがく》の|如《ごと》き|荒浪《あらなみ》、|見《み》るも|凄《すさま》じき|音《おと》を|立《た》てて|踊《をど》り|狂《くる》うてゐる。
(大正一一・一・一二 旧大正一〇・一二・一五 外山豊二録)
第三六章 |言霊《ことたま》の|響《ひびき》〔二三六〕
『|昔《むかし》の|昔《むかし》、|其《その》|昔《むかし》 |国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》は
|天地《あめつち》|四方《よも》の|神人《しんじん》の |拗《ねぢ》け|曲《まが》れる|霊魂《みたま》をば
|直《なほ》さむために|神柱《かむばしら》 |四方《よも》の|御国《みくに》に|遣《つか》はして
|世《よ》の|立替《たてか》へを|知《し》らせむと |東《ひがし》や|西《にし》や|北《きた》|南《みなみ》
|千々《ちぢ》に|其《そ》の|身《み》を|窶《やつ》しつつ |雪《ゆき》の|晨《あした》や|雨《あめ》の|宵《よい》
|虎《とら》|棲《す》む|野辺《のべ》も|厭《いと》ひなく |神《かみ》の|救《すく》ひの|言《こと》の|葉《は》を
|科戸《しなど》の|風《かぜ》に|吹《ふ》き|拡《ひろ》め |四方《よも》の|国々《くにぐに》|隈《くま》もなく
|行《ゆ》き|渡《わた》りたる|暁《あかつき》に |天教山《てんけうざん》に|現《あら》はれし
|野立《のだち》の|彦《ひこ》の|大神《おほかみ》や |木花姫《このはなひめ》の|御指揮《おんさしず》
|地教《ちけう》の|山《やま》に|現《あら》はれし |野立《のだち》の|姫《ひめ》の|大神《おほかみ》の
|宣示《せんじ》を|背《せな》にいそいそと めぐり|車《ぐるま》のいとはやく
|変《かは》る|浮世《うきよ》の|有様《ありさま》を |心《こころ》にかくる|空《そら》の|月《つき》
つきせぬ|願《ねがひ》は|神人《しんじん》の |霊魂《みたま》、|霊魂《みたま》を|立直《たてなほ》し
|清《きよ》き|神代《かみよ》に|救《すく》はむと わが|身《み》を|風《かぜ》に|梳《くしけづ》り
|激《はげ》しき|雨《あめ》を|浴《あ》びつつも |三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》
|一度《いちど》に|開《ひら》く|常磐樹《ときはぎ》の |常磐《ときは》の|松《まつ》の|神《かみ》の|御代《みよ》
|心《こころ》も|清《きよ》き|木花《このはな》の |開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》び
スの|種《たね》|四方《よも》に|間配《まくば》りし |神《かみ》の|恵《めぐみ》を|白浪《しらなみ》に
|漂《ただよ》ふ|神《かみ》こそ|憐《あは》れなり |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |假令《たとへ》|天地《てんち》は|倒《さかさま》に
|地《ち》は|覆《くつが》へり|天《てん》となり |天《てん》はかへりて|地《ち》となるも
|何《なん》と|詮方《せんかた》|千秋《せんしう》の |恨《うらみ》を|胎《のこ》すな|万歳《ばんざい》に
|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|言《こと》の|葉《は》に |眼《まなこ》をさませ|百《もも》の|神《かみ》
|耳《みみ》を|欹《そば》だて|聞《き》けよかし |聞《き》けば|香《かむ》ばし|長月《ながつき》の
|九月《くぐわつ》|八日《やうか》のこの|経綸《しぐみ》 |九《ここの》つ|花《はな》の|開《ひら》くてふ
|今日《けふ》|九日《ここのか》の|菊《きく》の|花《はな》 |花《はな》より|団子《だんご》と|今《いま》の|世《よ》は
|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|神《かみ》ばかり |世《よ》は|常暗《とこやみ》と|鳴門灘《なるとなだ》
|渦《うづ》まきのぼる|荒浪《あらなみ》に |浚《さら》はれ|霊魂《みたま》は|根《ね》の|国《くに》や
|底《そこ》の|国《くに》へと|落《お》ち|行《ゆ》きて |消《き》えぬ|地獄《ぢごく》の|火《ひ》に|焼《や》かれ
|或《あるひ》は|氷《こほり》の|刃《やいば》もて |無限《むげん》の|艱苦《かんく》を【なめくじり】
|蛙《かへる》に|出会《であ》うたその|如《ごと》く |天地《てんち》はかへる|蛇《へび》の|群《むれ》
|蛇《へび》に|等《ひと》しき|舌剣《ぜつけん》を |振《ふる》ふは|大蛇《おろち》の|悪神《あくがみ》ぞ
その|悪神《あくがみ》に|取《と》りつかれ |素《もと》より|清《きよ》き|大神《おほかみ》の
|霊魂《みたま》と|生《うま》れし|神人《かみがみ》は |知《し》らず|識《し》らずの|其《その》|間《うち》に
|体主霊従《ちゑのみたま》となり|果《は》てぬ |体主霊従《ちゑのみたま》となり|果《は》てぬ
この|惨状《さんじやう》を|救《すく》はむと |国治立尊《くにはるたちのみこと》もて
|百《もも》の|神々《かみがみ》|天教《てんけう》の |山《やま》に|集《つど》ひて|諸共《もろとも》に
|赤《あか》き|心《こころ》を|筑紫潟《つくしがた》 |誠《まこと》を|尽《つく》す|神々《かみがみ》の
|清《きよ》き|心《こころ》も|不知火《しらぬひ》の |波《なみ》に|漂《ただよ》ふ|憐《あは》れさよ
|暗路《やみぢ》を|照《て》らす|朝日子《あさひこ》の |神《かみ》のみことの|隠《かく》れます
|天《あま》の|岩戸《いはと》はいつ|開《ひら》く この|世《よ》は|終《をは》りに|近《ちか》づきて
この|世《よ》は|終《をは》りに|近《ちか》づきて |鬼《おに》や|大蛇《をろち》やまがつみや
|醜女《しこめ》|探女《さぐめ》の|時《とき》を|得《え》て |荒振《あらぶる》る|世《よ》とぞなりにけり
|荒振《あらぶ》る|世《よ》とぞなりにけり あゝ|神人《かみがみ》よ|神人《かみがみ》よ
|神《かみ》の|救《すく》ひの|声《こゑ》を|聞《き》け |耳《みみ》を|浚《さら》へてよつく|聞《き》け
|眼《まなこ》を|洗《あら》つてよつく|見《み》よ |眼《まなこ》を|洗《あら》つてよつく|見《み》よ』
と|節《ふし》|面白《おもしろ》く|謡《うた》ひながら|異様《いやう》の|扮装《いでたち》にて、|数多《あまた》の|神人《かみがみ》に|取囲《とりかこ》まれ|謡《うた》ふ|神《かみ》があつた。|祝部神《はふりべのかみ》はこの|声《こゑ》を|聞《き》き、|何《なん》となく|心《こころ》|勇《いさ》み、|祝彦《はふりひこ》、|杉高彦《すぎたかひこ》と|共《とも》に、|肩《かた》を|搖《ゆす》りながらその|声《こゑ》|目蒐《めが》けて|突進《とつしん》した。
|激《はげ》しき|風《かぜ》に|吹《ふ》き|捲《ま》くられて、|地上《ちじやう》の|一切《いつさい》は、|見《み》るも|無残《むざん》に|落花狼藉《らくくわらうぜき》、|神人《しんじん》は|烈風《れつぷう》に|遇《あ》ひし|蚊《か》の|如《ごと》く、|蟆子《ぶと》のごとく|中天《ちうてん》に|捲《ま》き|上《あ》げられてしまつた。されど|臍下丹田《あまのいはと》に|心《こころ》を|鎮《しづ》め|神力《しんりき》を|蒙《かうむ》りし|神《かみ》のみは、|大地《だいち》より|生《は》えたる|岩石《がんせき》の|如《ごと》くびくとも|動《うご》かず、|悠々《いういう》として|烈風《れつぷう》|吹《ふ》き|荒《すさ》ぶ|広野《ひろの》を、|風《かぜ》に|向《むか》つて|濶歩《くわつぽ》しつつ、|雄々《をを》しくも|宣伝歌《せんでんか》を|謠《うた》つた。その|声《こゑ》は|風《かぜ》の|共響《むたひび》きに|送《おく》られて|地教山《ちけうざん》の|高照姫神《たかてるひめのかみ》の|御許《おんもと》に|達《たつ》した。|真澄姫神《ますみひめのかみ》、|祝姫神《はふりひめのかみ》の|耳《みみ》にはことさらに|痛切《つうせつ》に|響《ひび》いたのである。|果《はた》して|何人《なにびと》の|宣伝歌《せんでんか》であらうか。|云《い》はずと|知《し》れた|月照彦神《つきてるひこのかみ》と|祝部神《はふりべのかみ》の|宣伝歌《せんでんか》であつた。
|高照姫神《たかてるひめのかみ》は|黄金《わうごん》の|幣《ぬさ》を|奥殿《おくでん》より|取《と》り|出《だ》し、|烈風《れつぷう》に|向《むか》つて|左右左《さいうさ》と|振《ふ》り|払《はら》ひ|給《たま》へば、|風《かぜ》は|逆転《ぎやくてん》して|東北《とうほく》より|西南《せいなん》に|向《むか》つて|吹《ふ》き|捲《まく》つた。その|時《とき》|二神使《にしん》はまたもや|歌《うた》をよまれた。その|歌《うた》は|地中海《ちちうかい》の|西南《せいなん》なる|埃《え》の|宮《みや》を|通行《つうかう》しつつある|夫神《をつとがみ》の|耳《みみ》に|音楽《おんがく》のごとく|微妙《びめう》に|響《ひび》いた。|真澄姫神《ますみひめのかみ》は|地教山《ちけうざん》の|高閣《かうかく》に|登《のぼ》り|言葉《ことば》|涼《すず》しく|謡《うた》ひ|始《はじ》めた。
『|仰《あふ》けば|高《たか》し|久方《ひさかた》の |天津御空《あまつみそら》に|澄《す》み|渡《わた》る
|月照彦《つきてるひこ》の|大神《おほかみ》の |恋《こひ》しき|御声《みこゑ》は|聞《きこ》えけり
|雨《あめ》の|晨《あした》や|風《かぜ》の|宵《よい》 この|世《よ》を|思《おも》ふ|真心《まごころ》の
|君《きみ》が|御声《みこゑ》は|天《あめ》の|下《した》 |四方《よも》の|国々《くにぐに》|鳴《な》り|響《ひび》き
|響《ひび》き|渡《わた》りて|今《いま》ここに |地教《ちけう》の|山《やま》まで|届《とど》きけり
|地教《ちけう》の|山《やま》まで|届《とど》きけり |嗚呼《ああ》|尊《たふと》しや|言霊《ことたま》の
|誠《まこと》の|響《ひび》きは|鳴《な》り|渡《わた》る |雄々《をを》しき|声《こゑ》は|雷《いかづち》か
|雷《かみなり》ならぬ|神《かみ》の|声《こゑ》 その|声《こゑ》こそは|世《よ》を|救《すく》ふ
|神《かみ》の|御旨《みむね》に|叶《かな》ふべし |神《かみ》の|御旨《みむね》に|叶《かな》ふべし
|妾《わらは》は|茲《ここ》に|大神《おほかみ》の みこと|畏《かしこ》み|日《ひ》に|夜《よる》に
|世《よ》の|神人《かみがみ》らを|救《すく》はむと |思《おも》ひあまりて|村肝《むらきも》の
|心《こころ》の|空《そら》も|掻《か》き|曇《くも》る |心《こころ》の|空《そら》も|掻《か》き|曇《くも》る
|曇《くも》るこの|世《よ》を|清《きよ》めむと |心《こころ》も|清《きよ》く|身《み》も|清《きよ》く
|光《ひかり》|隈《くま》なき|月照彦《つきてるひこ》の |神《かみ》の|命《みこと》の|雄叫《をたけ》びに
|四方《よも》の|草木《くさき》も|靡《なび》き|伏《ふ》し |伏《ふ》して|仕《つか》へむ|天地《あめつち》の
|草木《くさき》の|神《かみ》も|山川《やまかは》の |正《ただ》しき|神《かみ》は|君《きみ》が|辺《へ》に
い|寄《よ》り|集《つど》ひて|統神《すべかみ》の |教《をし》へたまひし|言《こと》の|葉《は》の
|三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》 |曇《くも》る|心《こころ》の|岩屋戸《いはやと》を
|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》 |月照彦《つきてるひこ》の|大神《おほかみ》の
|霊魂《みたま》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |神《かみ》の|依《よ》さしの|神業《かむわざ》に
はむかふ|魔神《まがみ》は|非《あら》ざらむ あゝ|勇《いさ》ましき|月照彦《つきてるひこ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|功績《いさをし》や あゝ|勇《いさ》ましき|祝部《はふりべ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|宣伝《せんでん》よ』
と|声《こゑ》|涼《すず》しく|謡《うた》ひ|始《はじ》めた。|風《かぜ》は|涼《すず》しき|声《こゑ》を|乗《の》せて|地中海《ちちうかい》の|西南《せいなん》にいます|二神《にしん》の|許《もと》に|送《おく》り|届《とど》けた。|二神《にしん》は|勇気《ゆうき》|百倍《ひやくばい》して、さしも|激《はげ》しき|烈風《れつぷう》の|中《なか》を|撓《たゆ》まず|屈《くつ》せず、またもや|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて、|山野河海《さんやかかい》の|神人《かみがみ》らに|警告《けいこく》を|与《あた》へつつ、ヱルサレムの|聖地《せいち》を|指《さ》して|進《すす》む。
(大正一一・一・一二 旧大正一〇・一二・一五 加藤明子録)
(昭和一〇・三・三〇朝 於吉野丸船室 王仁校正)
第三七章 |片輪車《かたわぐるま》〔二三七〕
|烈風《れつぷう》|吹荒《ふきすさ》む|埃及《エヂプト》の|野《の》に|現《あら》はれたる|宣伝使《せんでんし》の|一行《いつかう》は、ここに|東西《とうざい》に|袂《たもと》を|別《わか》つた。|月照彦神《つきてるひこのかみ》は|東方《とうはう》を|指《さ》して|膝栗毛《ひざくりげ》の|音《おと》|高《たか》く、|風《かぜ》に|逆《さか》らひつつ|長髪《ちやうはつ》を|振《ふ》り|乱《みだ》し、つひに|樹木《じゆもく》の|陰《かげ》に|姿《すがた》を|没《ぼつ》した。|祝部神《はふりべのかみ》は|杉高彦《すぎたかひこ》、|祝彦《はふりひこ》をともなひ、ヱルサレムをさして|宣伝歌《せんでんか》をうたひつつ|道《みち》を|急《いそ》いだ。
さしもの|烈風《れつぷう》も|強雨《がうう》もカラリと|晴《は》れて、|草《くさ》の【そよぎ】も|止《とま》つた。|遥《はるか》の|前方《ぜんぱう》より|尾羽《をば》うち|枯《か》らし|痩《や》せ|衰《おとろ》へたる|女人《によにん》の|一柱《ひとはしら》は、|松《まつ》の|大木《たいぼく》を|輪切《わぎり》にしたる|車《くるま》を|曳《ひ》きつつ|北方《ほつぱう》に|向《むか》つて|進《すす》み|来《き》たる。よくよく|見《み》れば|車《くるま》の|上《うへ》には|足《あし》【なへ】と|見《み》えて|一柱《ひとはしら》の|男子《をのこ》が|乗《の》つて|居《を》る。ちようど|箱根山《はこねやま》を【いざり】|勝五郎《かつごらう》を|車《くるま》に|乗《の》せて|初花《はつはな》の|曳《ひ》いて|来《く》るやうな|光景《くわうけい》その|侭《まま》であつた。
|女人《によにん》は|細《ほそ》き|声《こゑ》を|絞《しぼ》りながら、|何事《なにごと》か|歌《うた》ひつつ|重《おも》たげに|車《くるま》を|徐々《しづしづ》と|曳《ひ》いて|来《く》る。
『|雨《あめ》の|降《ふ》る|夜《よ》も|風《かぜ》の|夜《よ》も |顕恩郷《けんおんきやう》を|出《い》でてより
|水瀬《みなせ》|激《はげ》しきエデン|河《がは》 |夫婦《ふうふ》|手《て》に|手《て》を|取《と》り|交《かは》し
|渡《わた》るこの|世《よ》の|浮瀬《うきせ》をば |浮《う》きつ|沈《しづ》みつ|南岸《なんがん》に
|着《つ》くや|間《ま》もなく|橙園郷《とうゑんきやう》 |猿《ましら》に|似《に》たる|人々《ひとびと》に
|手負《てお》ひの|身《み》をば|追《お》はれつつ |深山《みやま》の|奥《おく》に|分《わ》け|入《い》りて
|星《ほし》をいただき|月《つき》を|踏《ふ》み |猿《ましら》の|千声《ちごゑ》|百声《ももごゑ》に
|心《こころ》を|痛《いた》め|胸《むね》くだき やつと|遁《のが》れた|鬼《おに》の|口《くち》
|大蛇《をろち》の|棲処《すみか》も|後《あと》にして |天《てん》の|恵《めぐ》みか|地《ち》の|恩《おん》か
|暗《くら》きわが|身《み》は|白雲《しらくも》の |他所《よそ》の|見《み》る|目《め》も|憐《あは》れなる
|夫婦《ふうふ》の|者《もの》は|山奥《やまおく》に |飢《うゑ》と|寒《さむ》さに|戦《たたか》ひつ
|昨日《きのふ》の|栄華《えいぐわ》に|引換《ひきか》へて |今日《けふ》は|朽木《くちき》の|成《な》れの|果《はて》
|進《すす》むも|知《し》らず|退《しりぞ》くも |知《し》らぬ|深山《みやま》の|谷《たに》|深《ふか》く
|落《お》ち|行《ゆ》くわが|身《み》を|果敢《はか》なみて |涙《なみだ》の|袖《そで》を|絞《しぼ》りつつ
|夫婦《ふうふ》|互《たがひ》に|抱《いだ》き|合《あ》ひ |泣《な》いて|明《あ》かせし|暗《やみ》の|夜《よ》の
|草《くさ》の|枕《まくら》も|幾度《いくたび》ぞ |石《いし》に|躓《つまづ》き|足破《あしやぶ》り
|破《やぶ》れ|被《かぶ》れの|二人連《ふたりづ》れ |夫《をつと》の|病《やまひ》は|日《ひ》に|夜《よる》に
|痛《いた》み|苦《くる》しみ|堪《た》へ|難《がた》き |思《おも》ひに|沈《しづ》む|春日姫《かすがひめ》
|憶《おも》へば|昔《むかし》モスコーの |八王神《やつわうじん》の|最愛《さいあい》の
|娘《むすめ》と|生《うま》れし|身《み》の|冥加《みやうが》 |山《やま》より|高《たか》く|八千尋《やちひろ》の
|海《うみ》より|深《ふか》き|父母《ふぼ》の|恩《おん》 |親《おや》を|忘《わす》れて|常世《とこよ》|往《ゆ》く
|恋路《こひぢ》の|闇《やみ》に|迷《まよ》ひつつ |鷹住別《たかすみわけ》の|後《あと》を|追《お》ひ
|艱難辛苦《かんなんしんく》の|其《そ》の|果《はて》は |常世《とこよ》の|国《くに》の|八王神《やつわうじん》
|常世《とこよ》の|彦《ひこ》や|常世姫《とこよひめ》 |夫婦《ふうふ》の|神《かみ》の|慈《いつくし》み
|身《み》に|沁《し》み|渡《わた》り|幾年《いくとせ》も |常世《とこよ》の|暗《やみ》にさまよひし
その|天罰《てんばつ》は|目《ま》のあたり |一度《いちど》は|神《かみ》の|御恵《みめぐ》みに
|顕恩郷《けんおんきやう》に|救《すく》はれて |南天王《なんてんわう》の|妻《つま》となり
|諸神人《しよしん》の|崇敬《すうけい》|一身《いつしん》に |集《あつ》めて|栄華《えいぐわ》を|誇《ほこ》りたる
|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》の|夫婦連《ふうふづ》れ |天地《てんち》の|道《みち》を|踏《ふ》み|外《はづ》し
|横《よこ》さの|道《みち》に|迷《まよ》ひたる その|身《み》の|果《はて》は|恐《おそ》ろしや
|歩《あゆ》みもならぬ|足《あし》【なへ】の |夫《をつと》の|身《み》をば|助《たす》けむと
|因果《いんぐわ》は|巡《めぐ》る|小車《をぐるま》の めぐり|車《ぐるま》の|埃及《エヂプト》に
はげしく|野分《のわけ》と|戦《たたか》ひつ |秋《あき》の|木《こ》の|葉《は》の|木枯《こがらし》に
|散《ち》り|行《ゆ》くわが|身《み》の|浅《あさ》ましさ |霜《しも》の|剣《つるぎ》を|幾度《いくたび》か
かよわき|身魂《みたま》に|受《う》けながら しのぎしのぎて|今《いま》ここに
|着《つ》くは|着《つ》けども|尽《つ》きざるは わが|身《み》の|因果《いんぐわ》と|過去《くわこ》の|罪《つみ》
|積《つ》み|重《かさ》ねたる|罪悪《ざいあく》の |重《おも》き|荷物《にもつ》は|何時《いつ》の|世《よ》か
|科戸《しなど》の|風《かぜ》に|払《はら》はめや つらつら|空《そら》をながむれば
|月日《つきひ》は|昔《むかし》のそのままに |天津御空《あまつみそら》に|輝《かがや》きて
|四方《よも》の|木草《きぐさ》を|照《て》らせども |照《て》らぬはわが|身《み》の|不仕合《ふしあは》せ
|元《もと》の|古巣《ふるす》へ|帰《かへ》らむと |心《こころ》は|千々《ちぢ》に|砕《くだ》けども
いとしき|夫《つま》のこの|病《やまひ》 たとへ|日《ひ》の|神《かみ》|西天《せいてん》に
|昇《のぼ》りますとも|竜宮《りうぐう》の |海《うみ》の|底《そこ》ひは|干《かわ》くとも
|行末《ゆくすゑ》ながく|誓《ちか》ひてし |恋《こひ》しき|夫神《ふしん》を|捨《す》てらりよか
|生《い》きて|甲斐《かひ》なきわが|生命《いのち》 いのちの|瀬戸《せと》の|荒海《あらうみ》に
|身《み》を|投《な》げ|島田《しまだ》|振《ふ》りかかる わが|身《み》の|末《すゑ》ぞ|恐《おそ》ろしき
あゝ|天地《あめつち》に|世《よ》を|救《すく》ふ |神《かみ》はまさずや|在《おは》さずや
あゝ|天地《あめつち》に|世《よ》を|救《すく》ふ |神《かみ》はまさずや|在《おは》さずや』
と|哀《あは》れげに|謡《うた》ひつつ、こなたに|向《むか》つて|進《すす》みくる。
|祝部神《はふりべのかみ》はこの|女性《ぢよせい》の|姿《すがた》を|見《み》て、|倒《こ》けむばかりに|驚《おどろ》いた。|祝部神《はふりべのかみ》はものをも|言《い》はず、この|窶《やつ》れたる|女性《によしやう》の|面影《おもかげ》をつくづくながめ、|首《くび》を|傾《かたむ》け|何事《なにごと》か|思案《しあん》に|暮《く》るるものの|如《ごと》くであつた。|女人《によにん》は|堪《た》へ|兼《か》ねたやうに|祝部神《はふりべのかみ》の|袖《そで》に|縋《すが》りつき、|頬《ほほ》やつれたる|顔《かほ》を|腹《はら》の|臍《ほぞ》の|辺《あた》りにぴつたり|付《つ》けながら|涙《なみだ》を|滝《たき》のごとく|流《なが》し、|歔《しやく》り|泣《な》きさへ|聞《きこ》ゆる。
|祝部神《はふりべのかみ》は|痛々《いたいた》しき|面色《おももち》にて、|女人《によにん》の|背《せな》を|幾度《いくたび》となく|撫《な》で|擦《さす》つた。|女人《によにん》は|漸《やうや》く|顔《かほ》を|上《あ》げ、
『|耻《はづ》かしき|今《いま》のわが|身《み》のありさま、|思《おも》はぬ|所《ところ》にて|御目《おめ》にかかり、|申《まを》し|上《あ》ぐる|言葉《ことば》もなし。|妾《わらは》は|貴下《きか》の|知《し》らるるごとく|常世城《とこよじやう》に|仕《つか》へ、|常世会議《とこよくわいぎ》の|席上《せきじやう》にて|八島姫《やしまひめ》と|共《とも》に、|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》と|謳《うた》はれしモスコーの|八王《やつわう》|道貫彦《みちつらひこ》の|長女《ちやうぢよ》|春日姫《かすがひめ》にて|候《さふらふ》。|貴下《きか》は|忘《わす》れもせぬ|天山《てんざん》の|八王《やつわう》|斎代彦《ときよひこ》にましまさずや』
と|問《と》ひかけた。
|漂浪神《さすらひがみ》は|四辺《あたり》を|憚《はばか》りながら、|春日姫《かすがひめ》の|口《くち》に|手《て》をあてた。|春日姫《かすがひめ》はその|意《い》を|悟《さと》り、
『これは|失礼《しつれい》なことを|申《まを》し|上《あ》げました。|妾《わらは》は|長《なが》の|旅《たび》の|疲《つか》れに|精神《せいしん》|衰《おとろ》へ|眼《まなこ》くらみ、|思《おも》はぬ|粗忽《そこつ》|無礼《ぶれい》の|段《だん》|許《ゆる》されたし』
と|素知《そし》らぬ|態《てい》を|装《よそほ》うた。|祝部神《はふりべのかみ》は|改《あらた》めて、
『|何《いづ》れの|女人《によにん》か|知《し》らねども、|貴下《きか》の|御様子《ごやうす》を|見《み》れば、|凡人《ただびと》ならぬ|神人《しんじん》の|御胤《おたね》と|見受《みう》け|奉《たてまつ》る。|吾《われ》は|天教山《てんけうざん》にまします|木花姫命《このはなひめのみこと》の|命《めい》に|依《よ》り、|世界《せかい》の|立替《たてか》へ|立直《たてなほ》しに|先立《さきだ》ち、|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》に|向《むか》つて、|遍《あまね》く|救《すく》ひの|福音《ふくいん》を|宣伝《せんでん》する|枝神《えだがみ》なり。|貴下《きか》の|言《い》はるる|如《ごと》き|尊《たふと》き|素性《すじやう》の|者《もの》に|非《あら》ず』
と、|態《わざ》ととぼけ|顔《がほ》をする。|祝部神《はふりべのかみ》は|車上《しやじやう》の|神人《しんじん》を|見《み》て、
『やあ、|貴下《きか》は』
と|頓狂《とんきやう》な|声《こゑ》を|張《は》りあげ、
『|何《なに》ゆゑ|車《くるま》に|召《め》さるるや、|合点《がてん》ゆかぬ』
と|眼《め》を|丸《まる》くし|口《くち》を|尖《とが》らせ、|鼻《はな》をこすりながら|問《と》ひかけた。
|車上《しやじやう》の|男子《をのこ》は、さめざめと|涙《なみだ》を|漂《ただよ》はし、|両手《りやうて》をもつて|眼《め》を|覆《おほ》ひ|頭《かしら》を|垂《た》れた。
アヽこの|結果《けつくわ》は|如何《いか》になるであらうか。
(大正一一・一・一二 旧大正一〇・一二・一五 外山豊二録)
第三八章 |回春《くわいしゆん》の|歓《よろこび》〔二三八〕
|祝部神《はふりべのかみ》は|車上《しやじやう》|鷹住別《たかすみわけ》がさめざめと|男泣《をとこな》きに|泣《な》き|出《い》づる|姿《すがた》を|見《み》て、|眉《まゆ》をしかめ、
『|吾々《われわれ》は|男子《をのこ》の|癖《くせ》に|吠面《ほえづら》かわく|奴《やつ》は、|大大大《だいだいだい》の|大嫌《だいきら》ひで|御座《ござ》る』
と|事《こと》もなげに|云《い》つて|退《の》け、|且《か》つ|心中《しんちう》には|鷹住別《たかすみわけ》の|今日《こんにち》の|窮状《きうじやう》に|満腔《まんこう》の|同情《どうじやう》を|寄《よ》せながら、|態《わざ》と|潔《いさぎよ》く|彼《かれ》が|心《こころ》を|引《ひ》き|立《た》てむとして、またもや|面白《おもしろ》き|歌《うた》をつくり、|杉高彦《すぎたかひこ》、|祝彦《はふりひこ》と|共《とも》に|手《て》を|取《と》り|合《あ》うて|巴《ともゑ》のごとく|渦《うづ》をつくりて、くるくると|左旋《させん》し|始《はじ》めた。その|歌《うた》、
『|鮒《ふな》や|諸鱗《もろこ》は|止《と》めても|止《と》まる |止《と》めて|止《と》まらぬ|鯉《こひ》の|道《みち》
どつこいしよ、どつこいしよ
|鯉《こひ》に|上下《じやうげ》の|隔《へだ》てはなかろ |隔《へだ》てがあれば|鯉《こひ》ならず
|誰《たれ》も|好《す》くのは|色《いろ》の|鱶鮫《ふかさめ》 |腰《こし》は|鮒々《ふなふな》|女《をんな》の|刺身《さしみ》で
|〓鮒《えぶな》とようがり|嬉《うれ》しがり 【れこ】の|赤貝《あかがひ》に|夜昼《よるひる》|蛤《はまぐり》
この|世《よ》の【せと】|貝《がひ》は|鰆々《さはらさはら》 さらさら【かます】で
|穴子《あなご》にうちこみ |他神《たしん》に|意見《いけん》を|鰯《いわし》ておいて
|鯔《いな》とも【いかなご】とも|薩張《さつぱり》 |飯蛸《いひだこ》やなまくら|海鼠《なまこ》に
ちやらくら|口《くち》【さいら】 |口《くち》に|任《まか》して|鰤々《ぶりぶり》|怒《おこ》るな
|目白《めじろ》もむかずに つ【ばす】を|呑《の》み|込《こ》み
|鯉《こひ》のためなら【いかなご】の |辛抱《しんばう》も|寿留女《するめ》がやくだよ
|赤〓《あかえ》|年《とし》でもない|身《み》で|居《ゐ》ながら 【かざみ】に|理屈《りくつ》は|鼈《すつぽん》の
|間《ま》には|鮎《あゆ》ない|屁理屈《へりくつ》よ |鰐《わに》が|悪《わる》けりや
|尼鯛《あまだひ》|鱒《ます》から|蟹《かに》して|下《くだ》さい |黄頴《ぎぎ》【しいら】ねば|泥溝貝《どぶがひ》なとしたがよい
お|前《まへ》に|油女《あぶらめ》|頭《あたま》の|数《かず》の|子《こ》 |探《さが》そとままだよ
|一度《いちど》|死《し》んだら|二度《にど》とは|死《し》なない |一層《いつそう》|茅渟鯛《ちぬだひ》
|小鮒《こふな》|浮世《うきよ》に|生蝦《なまえび》したとて |針魚《さより》がないから|命《いのち》は|鰆《さはら》に
|惜《を》しみはせないよ |黄螺《ばいにし》、|黄螺《ばいにし》
|白魚《しらうを》もやして|海豚《いるか》より|鱒《ます》だが |塩魚《しほうを》【ぐし】には|戸《と》が|立《た》てられない
|乾海鼠《きんこ》|隣《となり》の|手前《てまへ》も|耻《はづ》かし ぷんぷん|香《にほ》うた|腐《くさ》つた|魚《うを》の
|腐《くさ》つた|鯉《こひ》に|鼻《はな》ぴこつかせて |春日《かすが》の|狐《きつね》、|油揚《あぶらげ》さらへた|鷹住別《たかすみわけ》の
|窶《やつ》れた|姿《すがた》の【かます】|面《づら》 |鯉《こひ》に|上下《じやうげ》の|隔《へだ》てはないと
エラソにエラソに|小塩鯛《こしほだひ》いふ|故《ゆゑ》に |〓《このしろ》ものは|六ケ敷《むつかしき》と|神々《かみがみ》にいやがられ
【こち】からより|付《つ》かぬが|鰆《さはら》ぬ|神《かみ》に |祟《たた》りなしと|逃腰《にげごし》【さごし】に
|平家蟹《へいけがに》|見《み》たよな|鱚《きす》ごい|顔付《かほつき》 |烏賊《いか》に【さごし】が|鯖《さば》けて|居《ゐ》たとて
|〓《ごまめ》の|仕打《しう》ちが|〓《このしろ》ないゆゑ |鯉《こひ》ことばも|言《い》はねばならない
さすれば|栄螺《さざえ》に|散子《はららご》|太刀魚《たちうを》 |春日《かすが》は|刺身《さしみ》よ|鷹住《たかすみ》は|好《す》き|身《み》よ
|祝部神《はふりべのかみ》が|今《いま》【かます】 |鼬《いたち》の|最後屁《さいごぺ》|喰《くら》つて|見《み》よ
|臭《くさ》い|臭《くさ》いと|夕月夜《ゆふづきよ》 |月夜《つきよ》を|呪《のろ》ふ|恋仲《こひなか》の
|臭《くさ》い|仲《なか》ではなかつたか |嗚呼《ああ》|邪魔《じやま》くさい|邪魔《じやま》くさい
|四十九才《しじふくさい》の|尻《けつ》の|穴《あな》』
と|滑稽諧謔《こつけいかいぎやく》|止《と》め|途《ど》もなく、|歌《うた》を|謠《うた》つて|踊《をど》り|狂《くる》うた。|車上《しやじやう》の|鷹住別《たかすみわけ》はこの|面白《おもしろ》き|歌《うた》に|霊魂《たましひ》を|抜《ぬ》かれて、|奇怪《きくわい》なる|身振《みぶり》|足振《あしぶ》りに|感染《かんせん》してか、|足萎《あしなへ》の|身《み》も|打《う》ち|忘《わす》れ、|車上《しやじやう》に|忽《たちま》ち|立《た》ち|上《あが》り、|共《とも》に|手《て》を|拍《う》ち|足踏《あしふ》み|轟《とどろ》かせ|踊《をど》り|狂《くる》ふ。
|春日姫《かすがひめ》はこの|光景《くわうけい》を|見《み》て|嬉《うれ》し|泣《な》きに|泣《な》き|伏《ふ》した。|鷹住別《たかすみわけ》は|始《はじ》めて|吾《わ》が|足《あし》の|立《た》ちしに|気《き》がつき、またもや|声《こゑ》を|放《はな》つて|嬉《うれ》し|泣《な》きに|泣《な》き|出《だ》した。|祝部神《はふりべのかみ》は|又《また》もや、
『|泣《な》く|奴《やつ》は|大大大《だいだいだい》の|大嫌《だいきら》ひ』
と|謡《うた》ひかけた。
『|一寸《ちよつと》|待《ま》つて』
と|春日姫《かすがひめ》は|慌《あわ》てて|口《くち》を|押《おさ》へた。|祝部神《はふりべのかみ》は|鼻《はな》の|上《うへ》に|拳《こぶし》を|載《の》せ、またその|上《うへ》に|左《ひだり》の|手《て》の|拳《こぶし》を|重《かさ》ね、|漸次《ぜんじ》|代《かは》るがはる|抜《ぬ》いては|重《かさ》ね、|抜《ぬ》いては|重《かさ》ね、|鼻高神《はなだかがみ》の|真似《まね》をしながら、
『|躄《ゐざり》が|立《た》つた、|足立《あした》つた |立《た》つた、|立《た》つたは【たつた】|今《いま》
さあさあこの|場《ば》を|逸早《いちはや》く |聖地《せいち》を|指《さ》して|立《た》つて|行《い》かう』
と|元気《げんき》さうに|又《また》もや|踊《をど》り|狂《くる》ひ、|傍《かたはら》の|細溝《ほそみぞ》に|足踏《あしふ》み|外《はづ》し、
『アイタタツタ、アイタアイタノタツタ』
と|又《また》もや|気楽《きらく》さうに|溝《みぞ》の|中《なか》に|落《お》ちたまま|踊《をど》り|狂《くる》ふと、|五柱《いつはしら》の|神司《かみ》は|一時《いちじ》にどつと|笑《わら》ひ|転《こけ》た。
|彌《いよいよ》ここに|心《こころ》の|岩戸《いはと》は|開《あ》け|初《そ》めて、さしも|難病《なんびやう》の|躄《ゐざり》の|足《あし》の|立《た》つたのも、|笑《わら》ひと|勇《いさ》みの|効果《かうくわ》である。|神諭《しんゆ》にも、
『|勇《いさ》んで|笑《わら》うて|暮《くら》せ』
と|示《しめ》されてある。|笑《わら》ふ|門《かど》には|福《ふく》|来《きた》る。|泣《な》いて|鬱《ふさ》いで|悔《くや》んで|暮《くら》すも|一生《いつしやう》なら、|笑《わら》うて|勇《いさ》んで|神《かみ》を|崇《あが》めてこの|世《よ》を|楽《たの》しみ|暮《くら》すも|一生《いつしやう》である。|天地《てんち》の|間《あひだ》は|凡《すべ》て|言霊《ことたま》によつて|左右《さいう》さるるものである|以上《いじやう》は、|仮《かり》にも|万物《ばんぶつ》の|霊長《れいちやう》として|生《うま》れ|出《い》でたる|人間《にんげん》は、この|世《よ》を|呪《のろ》ひ|或《あるひ》は|悲《かな》しみ、|或《あるひ》は|怒《いか》り|憂《うれ》ひ|艱《なや》みの|禍津《まがつ》の|心《こころ》を|取《と》り|直《なほ》し、|如何《いか》なる|大難《だいなん》に|遇《あ》ふも|迫害《はくがい》に|会《くわい》するも|決《けつ》して|悔《く》み|悲《かな》しむべきものでない。|勇《いさ》めば|勇《いさ》むだけの|神徳《しんとく》が|備《そな》はるべき|人間《にんげん》と|生《うま》れさせられて|居《を》るのである。
(大正一一・一・一二 旧大正一〇・一二・一五 加藤明子録)
第三九章 |海辺《うみべ》の|雑話《ざつわ》〔二三九〕
|西《にし》に|高山《かうざん》を|控《ひか》へ|東《ひがし》に|縹渺《へうべう》たる|万里《ばんり》の|海《うみ》を|控《ひか》へたる|浜辺《はまべ》に|立《た》ち、|山嶽《さんがく》のごとき|怒濤《どたう》の|荒《あ》れ|狂《くる》ふ|光景《くわうけい》を|眺《なが》めて|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》る|四五《しご》の|男《をとこ》があつた。
|甲《かふ》『あゝ|世《よ》の|中《なか》は|変《へん》になつて|来《き》たではないか、あの|濤《なみ》を|見《み》よ。|海《うみ》か|山《やま》か|判《わか》らぬではないか。この|間《あひだ》も|宣伝使《せんでんし》とやらが|遣《や》つてきて、|海《うみ》は|変《へん》じて|山《やま》となり、|山《やま》は|変《へん》じて|海《うみ》となると、|大声《おほごゑ》に|叫《さけ》んで|吾々《われわれ》の|度胆《どぎも》を|抜《ぬ》いた。されど「|馬鹿《ばか》いへ、この|深《ふか》い|海《うみ》が|山《やま》になつてたまるものか」と|冷笑《れいせう》してゐた。それにあの|濤《なみ》は|爺《ぢぢ》の|代《だい》からまだ|見《み》たこともない。この|間《あひだ》もタコマ|山《やま》の|半腹《はんぷく》まで|海嘯《つなみ》が|押《お》し|寄《よ》せると|云《い》つて、|宣伝使《せんでんし》が|呶鳴《どな》つてゐたよ。この|辺《へん》も|今《いま》に|海嘯《つなみ》で|浚《さら》はれるかも|知《し》れない。|汝《おまへ》らも|一《ひと》つ|思案《しあん》して、タコマ|山《やま》の|頂辺《てつぺん》か、|地教山《ちけうざん》へでも|避難《ひなん》したら【どう】だらうね』
と|首《くび》を|傾《かたむ》けて|思案顔《しあんがほ》に|言《い》つた。|乙《おつ》は|冷笑《れいせう》を|浮《うか》べながら、
『【なに】、ソンナ|馬鹿《ばか》なことがあつてたまるかい。この|間《あひだ》の|宣伝使《せんでんし》といふ|奴《やつ》は、ありや|気違《きちが》ひだよ、|星《ほし》が|降《ふ》るとか、|洪水《こうずゐ》が|出《で》るとか、|人《ひと》が|三分《さんぶ》になるとか、|訳《わけ》の|判《わか》らぬ、|舁《か》いて|走《はし》るやうな|法螺《ほら》ばかり|吹《ふ》きよつて、|吾々《われわれ》を【びつくり】させて|喜《よろこ》んで|居《ゐ》るのよ。この|世《よ》に|神《かみ》もなければ、|又《また》ソンナ|大変動《だいへんどう》があつてたまるものぢやない、|万々一《まんまんいち》ソンナ|事《こと》があれば|世間並《せけんなみ》ぢやないか。この|世《よ》の|神人《かみがみ》が|全部《ぜんぶ》|死《し》んで|了《しま》つて、|僅《わづか》に|二分《にぶ》や|三分《さんぶ》|残《のこ》つたつて|淋《さび》しくて|仕様《しやう》がない。ソンナことを|云《い》つてくれな、それよりもこの|前《まへ》に|来《き》た|宣伝使《せんでんし》のいふことあ|気《き》が|利《き》いて|居《ゐ》たよ』
|丙《へい》『|気《き》が|利《き》いて|居《ゐ》るつて、ドンナことを|云《い》つたのだい』
|乙《おつ》『ドンナ|事《こと》をいつたつて、そりや|大変《たいへん》な|結構《けつこう》なことだよ。|天来《てんらい》の|福音《ふくいん》といつたら、まあアンナことをいふのだらう』
|甲《かふ》『|天来《てんらい》の|福音《ふくいん》て|何《なに》か、「|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》」とか、「たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも、|誠《まこと》の|神《かみ》は|世《よ》を|救《すく》ふ」と|云《い》ふことだらう』
|丙《へい》[#ここから章末まで丙が九箇所、乙が一箇所あるが、愛世版の編者は丙と乙が入れ替わっていると解釈して、丙と乙を書き換えている。校定版も愛世版と同じ]『|馬鹿《ばか》いふない、この|天地《てんち》は|自然《しぜん》に|出来《でき》たのだ。|雨《あめ》が|降《ふ》るのも|風《かぜ》が|吹《ふ》くのも|浪《なみ》が|高《たか》くなるのも|海嘯《つなみ》も、みな|時節《じせつ》だよ。この|世《よ》は|浮世《うきよ》といつて|水《みづ》の|上《うへ》に|浮《う》いてゐるのだ。ソンナ【けち】|臭《くさ》い|恐怖心《きようふしん》を|起《おこ》すやうな、たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むともなぞと、|吾々《われわれ》はちつと|気《き》に|喰《く》わないよ。アンナ|歌《うた》を|聞《き》くと、|吾々《われわれ》の|頭《あたま》はガンガンいつて、|今《いま》の|彼《あ》の|浪《なみ》よりも|業腹《ごふばら》が|立《た》つよ。|吾々《われわれ》の|聞《き》いた|福音《ふくいん》といふのは、ソンナ【けち】|臭《くさ》い|白痴《こけ》おどしの|腐《くさ》れ|文句《もんく》ぢやない。|古今独歩《ここんどつぽ》、|珍無類《ちんむるい》、|奇妙奇天烈《きめうきてれつ》の|福音《ふくいん》だ。まあコンナ|大事《だいじ》なことはとつとこうかい。|汝《おまへ》らに|聞《き》かしたら|吃驚《びつくり》して|癲癇《てんかん》でも|起《おこ》すと|迷惑《めいわく》だからな』
|乙《おつ》『|何《なん》だい、|貴《き》さまの|云《い》ふことあ|一体《いつたい》|訳《わけ》が|判《わか》らぬぢやないかい、|偉《えら》さうに|人《ひと》の|受売《うけうり》を|勿体《もつたい》ぶつて|天来《てんらい》の|福音《ふくいん》だなぞと、おほかた|駄法螺《だぼら》でも|吹音《ふくいん》だらう、|癲癇《てんかん》の|泡吹音《あわふくいん》くらゐが|関《せき》の|山《やま》だ』
|丙《へい》『だまつて|聞《き》いてゐろよ、たとへ|大地《だいち》が|沈《しづ》むとも|間男《まをとこ》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふのだ。|弱蟲《よわむし》や|腰抜蟲《こしぬけむし》の|前《まへ》でコンナことを|云《い》つたら、|冥加《みやうが》に|盡《つき》て|天罰《てんばつ》が|当《あた》るかも|知《し》れぬ。やつぱり|却《かへ》つて|汝《おまへ》らの|迷惑《めいわく》になるから|止《や》めておこかい』
|丁《てい》『あまり|勿体《もつたい》ぶるない、|三文《さんもん》の|大神楽《だいかぐら》で|口《くち》ばつかりだよ、こいつな、この|間《あひだ》も|自分《じぶん》の|小忰《こせがれ》が|井戸《ゐど》へはまりよつただ。その|時《とき》に|狼狽《うろた》へよつて|矢庭《やには》に|手《て》を|合《あは》せて「お|天《てん》とさま、お|天《てん》とさま」と|吐《ぬ》かしてな、|吠面《ほえづら》かわきよつて|拝《をが》み|仆《たふ》してゐたのよ。その|間《あひだ》にその|小忰《こせがれ》がぶくぶくと|泡《あわ》をふきよつて|沈《しづ》んでしまつたのだ。その|時《とき》に|自暴糞《やけくそ》になりよつてな、この|世《よ》に|神《かみ》も|糞《くそ》もあるものか。|全智全能《ぜんちぜんのう》の|神《かみ》だつて、|尻《しり》が|呆《あき》れて|雪隠《せつちん》が|踊《おど》る、|小便壺《せうべんつぼ》がお|出《い》で、お|出《い》でをすると|吐《ぬ》かして|怨《うら》んでゐたよ』
|丙《へい》『|要《い》らぬことをいふない、|人《ひと》の|欠点《あら》までコンナとこで|曝《さら》け|出《だ》しよつて、|貴様《きさま》の|嬶《かかあ》が|死《し》んだ|時《とき》どうだつたい。|男《をとこ》らしくもない、|冷《つめ》たうなつて|踏《ふ》ん|伸《の》びて、|石《いし》の|様《やう》に|硬《かた》うなつた|奴《やつ》を……こら|女房《にようばう》、お|前《まへ》は|儂《わし》を|後《あと》に|遺《のこ》してなぜ|先《さき》に|死《し》んだ、も|一度《いちど》|夫《をつと》といつてくれ……ナンテ|死《し》んだ|奴《やつ》に|物《もの》をいへと|吐《ぬ》かすやうな|没暁漢《わからずや》だからね』
|丁《てい》『|馬鹿《ばか》|云《い》へ、|俺《おれ》の|嬶《かかあ》、|神《かみ》さまだ。|貴様《きさま》の|嬶《かかあ》のやうな|蜴《とかげ》の|欠伸《あくび》したやうな|変《へん》な|面付《つらつき》した|嬶《かかあ》とは|種《たね》が|違《ちが》ふだよ。|死《し》んでからでも|毎晩々々《まいばんまいばん》おれの|枕許《まくらもと》へきて|介抱《かいほう》する、そりやホントに|親切《しんせつ》だよ。そして|天人《てんにん》の|天降《あまくだ》つたやうな|立派《りつぱ》な|装束《しやうぞく》を|着《き》てゐるよ』
|丙《へい》『|一遍《いつぺん》|手水《てうづ》を|使《つか》うて|来《こ》い、そりや|幻《まぼろし》だよ、すべた|嬶《かかあ》にうつつ|三太郎《さんたらう》になりよつて、|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|息《いき》のある|間《あひだ》はお|嬶大明神《かかだいみやうじん》と|崇《あが》めよつて、|朝晩《あさばん》に|屁《へ》つぴり|腰《ごし》をしよつて、|嬶《かかあ》のお|給仕《きふじ》に|涎《よだれ》を|垂《た》らしてをつたお|目出度《めでた》い|奴《やつ》だからね』
|一同《いちどう》|転《ころ》げて|笑《わら》ふ。このとき|海鳴《うみなり》ますます|激《はげ》しく|浪《なみ》は|脚下《あしもと》まで|襲《おそ》うてきた。これは|大変《たいへん》と|真蒼《まつさを》な|顔《かほ》して|一丁《いつちやう》ばかり|山《やま》へかけ|登《のぼ》つた。
|丁《てい》『|偉《えら》さうに|太平楽《たいへいらく》のへらず|口《ぐち》ばかり|並《なら》べよつたが、そのざま|何《なん》だい。|浪《なみ》が|来《き》たつて|真蒼《まつさを》な|顔《かほ》しやがつて、|腰《こし》を|抜《ぬ》かさぬ|許《ばか》りに|山《やま》へ|駆登《かけのぼ》つたその【ぶざま】つたらないぢやないか。|見《み》られた【ざま】でないよ、ソンナ【ざま】して|天来《てんらい》の|福音《ふくいん》なんて|福音《ふくいん》が|聞《き》いて|呆《あき》れらあ、|呆《あき》れ|入谷《いりや》の|鬼子母神《きしもじん》だ。それもつと|早《はや》く|意茶《いちや》つかさずに|癲癇《てんかん》の|泡吹音《あわふくいん》とやらを、|吾々《われわれ》|御一統《ごいつとう》の|前《まへ》に|畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|奏聞《そうもん》|仕《つかまつ》るが|後生《ごしやう》のためだよ』
|丙《へい》『その|後生《ごしやう》で|思《おも》ひだした、この|間《あひだ》もな、ウラル|彦《ひこ》の|宣伝使《せんでんし》だと|云《い》つて|五升樽《ごしやうだる》を|供《とも》に|担《かつ》がして|大道《だいだう》を|呶鳴《どな》つて|来《き》たのだ。それだ、|天国《てんごく》の|福音《ふくいん》といふのは』
|丁《てい》『|何《なん》の|事《こと》だい、べらべらと|序文《じよぶん》ばつかり|並《なら》べよつて、おほかた|酒《さけ》を|喰《くら》ふことだらう。まあ【こいつ】らの|福音《ふくいん》といふのは|樽《たる》さへ|見《み》せたらよいのだ。|口《くち》に|唾《つばき》|一《いつ》ぱい|溜《た》めよつて、|蟹《かに》のやうな|泡《あわ》をふきよつてな、|喉《のど》をぢりぢり|焦《こ》げつかして、|餓鬼《がき》が|飲《の》みたい|水《みづ》を|飲《の》まれぬ|時《とき》のやうな|憐《あは》れな|面付《つらつき》をして、その|宣伝使《せんでんし》の|後《あと》から|跟《つ》きまはつて、|犬《いぬ》が|猪《しし》の|後《あと》をつけるやうに|鼻《はな》ばかりぴこつかして|歩《ある》いていつたということだ。こいつ|等《ら》の|福音《ふくいん》といふことは、|酒《さけ》の|匂《にほ》ひを|嗅《か》ぎつけて、よう|飲《の》みもせず、【けなり】さうに|指《ゆび》をくはへて、|宣伝使《せんでんし》の|臭《くさ》い|尻《しり》からついて|歩《ある》きよつて、|宣伝使《せんでんし》が|厠《かはや》へでも|這入《はい》つてゐるまに、|樽《たる》のつめをポンと|抜《ぬ》いて、|長《なが》い|舌《した》を|樽《たる》の|中《なか》へ|入《い》れべそべそやつて|居《を》ると、|雪隠《せつちん》の|窓《まど》から|宣伝使《せんでんし》に|見《み》つけられて|平謝《ひらあやま》りに|謝《あやま》つて、その|代償《だいしやう》として|立派《りつぱ》な|美《うつく》しいお|尻《けつ》を|拭《ふ》かしてもらつた|臭《くさ》い|奴《やつ》があるといふ|評判《ひやうばん》だつた。|大方《おほかた》こいつ|等《とう》のことだらうよ。|天国《てんごく》の|福音《ふくいん》でなくつて|糞放《くそこき》の|尻拭音《しりふくいん》だよ。|馬鹿々々《ばかばか》しい、|糞《くそ》が|呆《あき》れらあ』
|丙《へい》は|拳《こぶし》を|握《にぎ》り、むつとした|顔付《かほつ》きで、
『|貴様《きさま》アよい|頬桁《ほほげた》だなあ』
|丁《てい》『|頬桁《ほほげた》より|桐下駄《きりげた》がよいのだ、あまり|穿《は》きちがひするなよ』
|丙《へい》『|穿《は》きちがひは|貴様《きさま》のこつた、|人《ひと》の|下駄《げた》で|人《ひと》を|踏《ふ》みつけやうとしよつて、|泥足《どろあし》で|三千世界《さんぜんせかい》|泥《どろ》の|海《うみ》なんて、|泥棒《どろばう》の|言《い》ひ|草《ぐさ》みたいなことを|吐《ぬか》してな、|馬鹿《ばか》らしい、それよりも|酒《さけ》の|代《かは》りに|泥水《どろみづ》でも|飲《の》んだら、ちつと|天来《てんらい》の|福音《ふくいん》が|聞《き》けるだらう。
|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ
|暗《やみ》のあとには|月《つき》が|出《で》る
ヨイトサ、ヨイトサ』
|丁《てい》『|酒《さけ》もないのに|酒《さけ》を|飲《の》んだ|気《き》になりよつて、|踊《をど》る|奴《やつ》があるものかい』
|丙《へい》『【ごてごて】いふない、|早《はや》う|帰《かへ》つて|嬶《かかあ》の|幽霊《いうれい》になと|会《あ》つてこい、かまふない』
とたがひに|腕《うで》を|捲《まく》りあげ|格闘《かくとう》を|初《はじ》めたとたんに、はるか|前方《ぜんぱう》より|三柱《みはしら》の|宣伝使《せんでんし》は、
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》、|開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》ぶ』
と|謡《うた》つてくる。|丙《へい》は|矢庭《やには》に|眼《め》を|塞《ふさ》ぎ、|顔《かほ》を|顰《しか》め、|両手《りやうて》に|頭《あたま》を|抑《おさ》へながら、
『こいつはたまらぬ』
と|大地《だいち》にしやがんだ。
|折《をり》しも|暴風《ばうふう》ますます|激《はげ》しく、|浪《なみ》は|脚下《あしもと》へ|襲《おそ》うてくる。|一同《いちどう》は|先《さき》を|争《あらそ》うて|又《また》もや|山上《さんじやう》めがけて|逃《に》げ|出《だ》した。
(大正一一・一・一三 旧大正一〇・一二・一六 井上留五郎録)
第四〇章 |紅葉山《こうえうざん》〔二四〇〕
|露《つゆ》の|弾《たま》|霜《しも》の|剣《つるぎ》を|幾《いく》たびか、|受《う》けて|血潮《ちしほ》に|染《そ》むる|紅葉《もみぢば》の、|丹《あか》き|心《こころ》を|照《て》らしつつ、|錦《にしき》の|機《はた》のこの|経綸《しぐみ》、|織《お》りなす|糸《いと》の|小田巻《をだまき》や、|真木《まき》の|柱《はしら》のいと|高《たか》く、|高天原《たかあまはら》の|神国《かみくに》に、|築《きづ》き|上《あ》げむと|神人《かみがみ》の、|四方《よも》に|心《こころ》を|配《くば》りつつ、|苦《くる》しき|悩《なや》みを|物《もの》とせず、|沐雨櫛風《もくうしつぷう》|数《かず》かさね、|草《くさ》の|枕《まくら》の|悲《かな》しげに、|天津御空《あまつみそら》の|月星《つきほし》を、|褥《しとね》に|着《き》つつ|進《すす》みくる。|心《こころ》も|丹《あか》き|紅葉山《こうえうざん》の、|紅葉《もみじ》の|大樹《おほき》のその|下《もと》に、|腰《こし》うち|掛《か》けて|宣伝《せんでん》の、|神《かみ》の|姿《すがた》の|殊勝《しゆしよう》にも、|彼方《あなた》こなたの|山《やま》の|色《いろ》、|日々《ひび》に|褪《あ》せ|行《ゆ》く|有様《ありさま》を、|見《み》る|目《め》も|憂《う》しと|青息《あをいき》や、|吐息《といき》を|月《つき》の|大神《おほかみ》に、|祈《いの》る|心《こころ》の|真澄空《ますみぞら》、|忽《たちま》ち|吹《ふ》きくる|木枯《こがら》しの、|風《かぜ》に|薄衣《うすぎ》の|身体《しんたい》を、|慄《ふる》はせながら|又《また》もや|起《た》つて|出《い》でて|行《ゆ》く。|行《ゆ》くはいづくぞモスコーの、|都《みやこ》をさしてさし|上《のぼ》る、|東《ひがし》の|山《やま》の|端《は》|出《で》る|月《つき》の、|影《かげ》も|円《まど》かなその|身魂《みたま》、|月照彦《つきてるひこ》の|宣伝使《せんでんし》、|春日《かすが》の|姫《ひめ》の|生《うま》れたる、|道貫彦《みちつらひこ》の|神館《かみやかた》、|息急《いきせ》き|切《き》つて|進《すす》みける。
|折《をり》から|降《ふ》りしく|村雨《むらさめ》に、|草鞋脚袢《わらぢきやはん》に|身《み》をかため、|菅《すげ》の|小笠《をがさ》や|草《くさ》の|蓑《みの》、この|世《よ》の|末《すゑ》をはかなみて、|涙《なみだ》の|雨《あめ》の|古布子《ふるぬのこ》、|袖《そで》ふりあうも|多生《たしやう》の|縁《えん》、つまづく|石《いし》も|縁《えん》のはし。
|走《はし》つて|馳《か》け|来《く》る|三柱《みはしら》の|神人《かみがみ》は、この|宣伝使《せんでんし》の|謡《うた》ふ|宣伝歌《せんでんか》に|引《ひ》きつけられ、たちまち|前《まへ》に|現《あら》はれて、|大地《だいち》に|頭《かしら》を|下《さ》げながら、
『|貴下《きか》は|地中海《ちちうかい》の|西南岸《せいなんがん》にて|御目《おめ》にかかりし|月照彦神《つきてるひこのかみ》にましまさずや、|吾《われ》らはそのとき|天地《てんち》の|神《かみ》の|懲戒《ちやうかい》を|受《う》け、|道《みち》|踏《ふ》み|外《はづ》す|躄《あしなへ》の、|旅《たび》に|〓〓《さまよ》ふ|折《をり》からに、|天地《てんち》も|動《ゆる》ぐ|言霊《ことたま》の、|三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》、|一度《いちど》に|開《ひら》くと|言挙《ことあ》げし、|東《ひがし》を|指《さ》して|御姿《みすがた》を、|隠《かく》したまひし|現《うつ》し|神《かみ》、|吾《われ》らは|御後《みあと》を|伏《ふ》し|拝《をが》み、その|再会《さいくわい》を|待《ま》つほどに、|天《てん》の|時節《じせつ》の|到来《たうらい》か、|思《おも》はずここに|廻《めぐ》り|会《あ》ひ|尊顔《そんがん》を|拝《はい》するは、|盲亀《まうき》の|浮木《ふぼく》、|浮木《ふぼく》はまだおろか、|枯木《かれき》に|花《はな》の|咲《さ》きしが|如《ごと》く|感《かん》きはまりて|言《こと》の|葉《は》の、|散《ち》り|布《し》く|紅葉《もみぢ》|顔《かほ》あからめて、|耻《はぢ》を|忍《しの》びつつ|出《い》で|迎《むか》へ|申《まを》したり。わが|父《ちち》|道貫彦《みちつらひこ》は|幸《さいはひ》にして|今《いま》に|健全《けんぜん》に|月日《つきひ》を|送《おく》り|候《さふら》へど、|素《もと》より|頑迷不霊《ぐわんめいふれい》にして、|天教山《てんけうざん》に|現《あら》はれし|神《かみ》の|教《をしへ》をうはの|空《そら》、|空吹《そらふ》く|風《かぜ》と|聞《き》き|流《なが》し、|塞《ふさ》がる|耳《みみ》は|木耳《きくらげ》の、|気苦労《きぐらう》おほき|吾《われ》らが|夫婦《ふうふ》、いかに|教示《けうじ》を|諭《さと》すとも、ただ|一言《ひとこと》も|聞《き》かばこそ、|日《ひ》に|夜《よ》に|荒《すさ》ぶ|酒《さけ》の|魔《ま》の、|擒《とりこ》となりし|両親《たらちね》の、|心《こころ》|浅《あさ》まし|常暗《とこやみ》の、|岩戸《いはと》を|開《ひら》き|救《すく》はむと、|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|身《み》を|尽《つ》くし、|心《こころ》を|竭《つく》し|諫《いさ》むれど、|馬耳東風《ばじとうふう》の|浅《あさ》ましさ、|鳥《とり》は|歌《うた》へど|花《はな》は|咲《さ》けども|吾《わが》|心《こころ》、|父《ちち》の|心《こころ》を|直《なほ》さむと、|暗路《やみぢ》を|辿《たど》る|憐《あは》れさを、|推《お》し|測《はか》られて|一言《ひとこと》の、|教示《けうじ》を|頼《たの》み|奉《たてまつ》る』
と|涙《なみだ》と|共《とも》に|嘆願《たんぐわん》したりける。
モスコーの|奥殿《おくでん》には、|道貫彦《みちつらひこ》あまたの|侍者《じしや》と|共《とも》に、|八尋殿《やひろどの》において|大酒宴《だいしゆえん》の|真最中《まつさいちう》である。|神人《かみがみ》らは|一統《いつとう》に|声《こゑ》を|揃《そろ》へて、
『|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ
|暗《やみ》のあとには|月《つき》が|出《で》る
|暗《やみ》のあとには|月《つき》が|出《で》る』
とさうざうしく|謡《うた》ひ|狂《くる》ふ|声《こゑ》は、|殿外《でんぐわい》に|遠《とほ》く|響《ひび》き|渡《わた》りける。
たちまち|道貫彦《みちつらひこ》は|顔色《がんしよく》|蒼白《さうはく》と|変《へん》じ、|座上《ざじやう》に|卒倒《そつたふ》した。|数多《あまた》の|神人《かみがみ》の|酔《よひ》は|一時《いちじ》に|醒《さ》め、|上《うへ》を|下《した》への|大騒《おほさわ》ぎとなつた。|道貫姫《みちつらひめ》は|大《おほ》いに|驚《おどろ》き、|鷹住別《たかすみわけ》は|何処《いづこ》ぞ? |春日姫《かすがひめ》……と、|狂気《きやうき》の|如《ごと》くに|叫《さけ》び|狂《くる》ふ。
|神人《かみがみ》らは|二神司《にしん》の|所在《ありか》を|探《さが》さむと、|鵜《う》の|目《め》|鷹《たか》の|目《め》になつて、|城内《じやうない》くまなく|駆《か》け|廻《まは》つた。されど|何《なん》の|影《かげ》もない。
このとき|城門外《じやうもんぐわい》にどやどやと|数多《あまた》の|神人《かみがみ》の|囁《ささや》く|声《こゑ》が|聞《きこ》えた。そして|三柱《みはしら》の|怪《あや》しき|宣伝使《せんでんし》は、|涼《すず》しき|声《こゑ》を|張《は》りあげて、
『|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ |暗《やみ》のあとには|月《つき》が|出《で》る
|月《つき》が|出《で》るとは|何事《なにごと》ぞ |月《つき》は|月《つき》ぢやがまごつきよ
|息《いき》つきばつたり|力《ちから》つき |今《いま》に|命《いのち》もつきの|空《そら》
|空《そら》|行《ゆ》く|雲《くも》を|眺《なが》むれば |東《ひがし》や|西《にし》や|北南《きたみなみ》
|酔《よ》うた|揚句《あげく》は|息《いき》つきの |道貫彦《みちつらひこ》の|憐《あは》れなる
|最後《さいご》を|見《み》るは|眼《ま》のあたり |冥加《みやうが》につきし|今日《けふ》の|月《つき》
|曇《くも》る|心《こころ》は|烏羽玉《うばたま》の |暗路《やみぢ》を|照《てら》す|月照彦《つきてるひこ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》 |月《つき》は|御空《みそら》に|鷹住別《たかすみわけ》や
|長閑《のどか》な|春《はる》の|春日姫《かすがひめ》 |命《いのち》の|瀬戸《せと》を|救《すく》はむと
|心《こころ》|一《ひと》つの|一《ひと》つ|島《じま》 |神《かみ》の|鎮《しづ》まる|一《ひと》つ|松《まつ》
|堅磐常磐《かきはときは》の|神《かみ》の|法《のり》 |法《のり》を|違《たが》へし|天罰《てんばつ》の
|報《むく》いは|忽《たちま》ちモスコーの |道貫彦《みちつらひこ》の|身《み》の|果《はて》か
|果《はて》しなき|世《よ》に|永《なが》らへて |果《はて》なき|夢《ゆめ》を|結《むす》びつつ
|心《こころ》の|糸《いと》の|縺《もつ》れ|合《あ》ひ |乱《みだ》れに|乱《みだ》れし|奇魂《くしみたま》
|照《て》れよ|照《て》れてれ|朝日《あさひ》の|如《ごと》く |澄《す》めよ|澄《す》めすめ|月照彦《つきてるひこ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》に|目《め》を|覚《さ》まし |再《ふたた》び|息《いき》を|吹《ふ》き|返《かへ》し
|救《すく》ひの|司《つかさ》と|現《あら》はれよ |救《すく》ひの|司《つかさ》と|現《あら》はれよ』
と|門前《もんぜん》に|佇《たたず》み、|数多《あまた》の|神人《かみがみ》に|囲《かこ》まれて|大音声《だいおんじやう》に|呼《よ》ばはつてゐる。
この|声《こゑ》は|胸《むね》を|刺《さ》すが|如《ごと》く|道貫姫《みちつらひめ》の|耳《みみ》に|入《い》つた。|姫《ひめ》は|従臣《じうしん》に|命《めい》じ、|三柱《みはしら》の|神司《かみ》を|招《まね》いて|奥殿《おくでん》に|進《すす》ましめた。
|三柱《みはしら》の|神司《かみ》は|簑笠《みのかさ》のまま|遠慮《ゑんりよ》|会釈《ゑしやく》もなく|奥殿《おくでん》に|進《すす》み|入《い》り、|又《また》もや|三千世界《さんぜんせかい》の|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひ、|手《て》を|拍《う》つて|踊《をど》り|始《はじ》めた。
|息《いき》も|絶《た》えだえに|卒倒《そつたふ》しゐたる|道貫彦《みちつらひこ》は、|俄然《がぜん》として|起《た》ち|上《あが》り、|両手《りやうて》を|拍《う》ち|踊《をど》り|始《はじ》めた。|神人《かみがみ》はあまりの|不思議《ふしぎ》さに、アフンとして|開《あ》いた|口《くち》も|塞《ふさ》がらなかつた。
|三柱《みはしら》の|神司《かみ》は|目配《めくば》せしながら、|身《み》に|纏《まと》へる|簑笠《みのかさ》を|脱《ぬ》ぎ|捨《す》て、|宴席《えんせき》の|中央《ちうあう》に|三《み》つ|巴《どもゑ》となつて|鼎立《ていりつ》した。|見《み》れば|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》|初《はじ》め|鷹住別《たかすみわけ》、|春日姫《かすがひめ》の|三柱《みはしら》である。
|是《これ》よりさしも|頑迷《ぐわんめい》なりし|道貫彦《みちつらひこ》も|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い、|月照彦神《つきてるひこのかみ》の|教示《けうじ》に|従《したが》ひ、|顕要《けんえう》の|地位《ちゐ》を|捨《す》てて、|月照彦神《つきてるひこのかみ》の|従者《じうしや》となり、|天下《てんか》|救済《きうさい》のために|諸方《しよはう》を|遍歴《へんれき》する|事《こと》となりたり。
(大正一一・一・一三 旧大正一〇・一二・一六 井上留五郎録)
第四一章 |道神不二《だうしんふじ》〔二四一〕
|千年《ちとせ》の|老松《らうしやう》|杉林《すぎばやし》 |紅葉《かへで》|雑木《ざふき》も|苔《こけ》むして
|神《かむ》さびたてる|青雲山《せいうんざん》の |空《そら》に|煌《きら》めく|黄金橋《わうごんけう》
|朝日《あさひ》に|輝《かがや》くその|色《いろ》は |常世《とこよ》の|闇《やみ》の|烏羽玉《うばたま》の
|暮《くら》き|浮世《うきよ》を|照《てら》すなる |玉守彦《たまもりひこ》の|仕《つか》ふる|玉《たま》の|宮《みや》
|空《そら》|澄《す》み|渡《わた》り|久方《ひさかた》の |星《ほし》も|冴《さ》え|切《き》る|雲《くも》の|上《うへ》に
|屹立《きつりつ》したる|此《この》|山《やま》は |神《かみ》の|御稜威《みいづ》も|弥高《いやたか》く
|高天原《たかあまはら》と|称《たた》へられ |上《かみ》と|下《しも》とはよく|睦《むつ》び
|親《した》しみ|守《まも》る|神《かみ》の|道《みち》 |御稜威《みいづ》は|四方《よも》に|三千年《みちとせ》の
|神《かみ》の|光《ひかり》を|照《てら》さむと |朝夕《あさゆふ》|祈《いの》る|太祝詞《ふとのりと》
|天地《あめつち》|四方《よも》に|言霊《ことたま》の |響《ひび》き|轟《とどろ》く|勇《いさ》ましさ
|天地《てんち》の|道《みち》を|諭《さと》すてふ |天道別《あまぢのわけ》の|宣伝使《せんでんし》
さしもに|高《たか》きこの|山《やま》を |谷《たに》|打《う》ち|渉《わた》り|磐根樹根《いはねきね》
|踏《ふ》みさくみつつ|登《のぼ》り|来《く》る |男々《をを》しき|姿《すがた》はまたと|世《よ》に
|荒浪《あらなみ》|猛《たけ》る|和田津見《わだつみ》の |国《くに》の|守《まも》りとあれませる
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の |清《きよ》き|姿《すがた》にさも|似《に》たり
|嗚呼《ああ》|太平《たいへい》の|御代《みよ》なれば |青雲山《せいうんざん》の|八王《やつわう》と
|世《よ》に|仰《あふ》がれし|生神《いきがみ》の |今《いま》ははかなき|青雲《せいうん》の
|行方《ゆくへ》|定《さだ》めぬ|神澄彦《かむすみひこ》 |同《おな》じ|心《こころ》の|天道別《あまぢわけ》は
|天ケ下《あめがした》の|諸神人《ももがみ》の |深《ふか》き|悩《なや》みを|救《すく》はむと
|黄金《こがね》の|宮《みや》の|表門《おもてもん》 |案内《あない》もなしに|潜《くぐ》り|入《い》る
|世《よ》は|常闇《とこやみ》となるとても |堅磐常磐《かきはときは》の|神心《かみごころ》
|心《こころ》に|照《て》れる|月影《つきかげ》は |宇宙《うちう》を|照《て》らす|朝日子《あさひこ》の
|神《かみ》の|姿《すがた》ぞ|勇《いさ》ましき |身《み》は|照妙《てるたへ》の|薄衣《うすごろも》
|荒《あら》ぶる|風《かぜ》に|揉《も》まれつつ |雲路《くもぢ》を|分《わ》けてのぼり|来《く》る
|天道別《あまぢのわけ》のこの|姿《すがた》 |見《み》るより|早《はや》く|神澄彦《かむすみひこ》は
|飛《と》び|立《た》つばかり|勇《いさ》み|立《た》ち |神澄姫《かむすみひめ》や|東彦《あづまひこ》[#「東彦」は御校正本通り]
|吾妻《あづま》の|姫《ひめ》を|伴《ともな》ひて いと|慇懃《いんぎん》に|出《い》で|迎《むか》ふ
|案内《あない》につれて|宣伝使《せんでんし》 |天道別《あまぢのわけ》の|生神《いきがみ》は
|奥殿《おくでん》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》り |別《わか》れて|程《ほど》|経《へ》し|千万《ちよろづ》の
|苦《くる》しき|宿世《すぐせ》を|語《かた》りつつ |夜《よ》の|更《ふ》くるまで|話《はな》し|合《あ》ふ
その|言《こと》の|葉《は》のさらさらと |秋《あき》の|木《こ》の|葉《は》の|凩《こがらし》に
|吹《ふ》かれて|囁《ささや》くばかりなり。
|神澄姫《かむすみひめ》は|黄金《こがね》の|宮《みや》の|大前《おほまへ》に|拝跪《はいき》し、|恭《うやうや》しく|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|御饌《みけ》|神酒《みき》|御水《みもひ》|種々《くさぐさ》の|海川山野《うみかはやまぬ》の|珍物《うましもの》、|八足《やたり》の|机《つくゑ》に|横山《よこやま》のごとく|置足《おきた》らはし、|祝詞《のりと》の|声《こゑ》も|涼《すず》やかに、|天道別《あまぢわけ》の|来場《らいぢやう》を、|黄金《こがね》の|宮《みや》の|大前《おほまへ》に|恭《うやうや》しく|奏上《そうじやう》し、|終《をは》つて|居間《ゐま》に|立《た》ち|帰《かへ》り、ここに|嬉《うれ》しく|直会《なほらひ》の|清《きよ》き|酒宴《しゆえん》は|開《ひら》かれぬ。
|黄金《こがね》の|宮《みや》の|宮司《みやつかさ》、|玉守彦《たまもりひこ》は|黄金《こんじき》の|幣《ぬさ》を|右手《めて》に|持《も》ち、|左手《ゆんで》に|鈴《すず》を|携《たづさ》へながら、この|酒宴《しゆえん》に|現《あら》はれきたり、|宣伝使《せんでんし》に|対《たい》して|祝歌《しゆくか》を|歌《うた》ひ|始《はじ》めたり。その|歌《うた》、
『|久方《ひさかた》の|天津御空《あまつみそら》にふさがれる |雲押《くもお》し|開《ひら》き|天《あま》の|原《はら》
|道押《みちお》し|別《わ》けて|降《くだ》りくる |天道別《あまぢのわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|心《こころ》も|清《きよ》き|神澄彦《かむすみひこ》の |神《かみ》の|命《いのち》[#ルビ「いのち」は御校正本通り]の|永久《とことは》に
うしはぎいます|青雲《せいうん》の |山《やま》より|高《たか》き|神徳《しんとく》は
|流《なが》れながれて|楊子江《やうすかう》 |千尋《ちひろ》の|海《うみ》に|注《そそ》ぐ|如《ごと》
|五《いつ》つの|海《うみ》を|隈《くま》もなく |洗《あら》ひ|清《きよ》むる|神《かみ》の|教《のり》
|天道別《あまぢのわけ》の|言霊《ことたま》は |天地《あめつち》|四方《よも》の|雲霧《くもきり》を
|伊吹《いぶ》き|払《はら》ひて|後《のち》の|世《よ》の |月《つき》より|清《きよ》き|玉守彦《たまもりひこ》の
|宮《みや》の|司《つかさ》や|村肝《むらきも》の |心《こころ》もはるる|秋《あき》の|空《そら》
|雪《ゆき》より|清《きよ》き|神澄彦《かむすみひこ》の |神《かみ》の|命《みこと》と|諸共《もろとも》に
|天地《てんち》の|闇《やみ》を|照《てら》さむと |天教山《てんけうざん》に|現《あ》れませる
|野立《のだち》の|彦《ひこ》の|神《かみ》の|徳《のり》 |一度《いちど》に|開《ひら》く|木《こ》の|花《はな》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|功《いさをし》は |青木ケ原《あをきがはら》に|満《み》ち|足《た》らひ
|足《た》らひ|余《あま》りて|和田《わだ》の|原《はら》 |波《なみ》も|静《しづ》かに|治《をさ》まりて
|御世《みよ》|安《やす》らけきこの|瑞祥《ずゐしやう》 |嗚呼《ああ》されど、|嗚呼《ああ》されど
|空《そら》に|叢雲《むらくも》|地《つち》に|泥《どろ》の |漂《ただよ》ふ|国《くに》を|荒磯《あらいそ》の
|深《ふか》き|悩《なや》みを|白浪《しらなみ》の |四方《よも》の|神人《かみがみ》|救《すく》はむと
|手足《てあし》は|岩《いは》に|傷《きず》つきて |血潮《ちしほ》|染《そ》めなす|紅葉《もみぢば》の
|黒白《あやめ》も|余処《よそ》に|天道別《あまぢわけ》の |神《かみ》の|命《みこと》の|真心《まごころ》は
|天地《てんち》の|神《かみ》も|嘉《よみ》すらむ この|世《よ》は|末《すゑ》に|近《ちか》づきて
|虎《とら》|狼《おほかみ》や|獅子《しし》|大蛇《をろち》 |威猛《ゐたけ》り|狂《くる》ひ|八洲国《やしまくに》
ただ|一口《ひとくち》に|呑《の》まむとす |野立《のだち》の|彦《ひこ》の|大神《おほかみ》は
この|常暗《とこやみ》の|世《よ》を|救《すく》ひ |百《もも》の|神人《かみがみ》|助《たす》けむと
|草木《くさき》の|片葉《かきは》|戦《そよ》ぐ|間《ま》も |忘《わす》れ|給《たま》はぬ|御恵《みめぐ》みは
|青雲山《せいうんざん》の|峰《みね》よりも |高《たか》くましまし|竜宮《りうぐう》の
|海《うみ》より|深《ふか》き|大慈心《だいじしん》 |酌《く》み|取《と》るものは|荒浪《あらなみ》の
|荒《あら》き|浮世《うきよ》を|平《たひら》かに いと|安《やす》らけく|神《かみ》の|世《よ》に
|立直《たてなほ》さむと|皇神《すめかみ》の |心《こころ》を|開《ひら》く|宣伝使《せんでんし》
|天道別《あまぢのわけ》や|神澄彦《かむすみひこ》の |司《かみ》の|心《こころ》ぞ|尊《たふと》けれ
|司《かみ》の|心《こころ》ぞ|尊《たふと》けれ。
○
|三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》 |一度《いちど》に|開《ひら》く|常磐木《ときはぎ》の
|堅磐常磐《かきはときは》の|松《まつ》の|世《よ》を まつは|昔《むかし》の|夢《ゆめ》ならで
|今《いま》|目《ま》のあたり|松《まつ》の|国《くに》 |大和島根《やまとしまね》の|神人《しんじん》は
|天教山《てんけうざん》の|御恵《みめぐ》みに |千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|栄《さか》ゆべし
|嗚呼《ああ》さりながら|塩沫《しほなわ》の |凝《こ》りて|成《な》るてふ|島々《しまじま》は
|鬼《おに》や|大蛇《をろち》のはびこりて |救《すく》はむよしもないじやくり
|涙《なみだ》の|雨《あめ》の|降《ふ》る|時雨《しぐれ》 しぐるる|後《のち》に|霽《は》れ|渡《わた》る
|冷《ひ》えたる|月《つき》のさやさやと |心《こころ》を|研《みが》け|唐土《もろこし》の
|百《もも》の|神《かみ》たち|従神《みとも》たち |天道別《あまぢのわけ》の|出《い》でましは
|曇《くも》り|切《き》りたる|常闇《とこやみ》の |天《あま》の|岩戸《いはと》の|開《ひら》き|主《ぬし》
|神澄彦《かむすみひこ》の|宣伝使《せんでんし》 |神代《かみよ》に|坐《ま》します|皇神《すめかみ》の
|深《ふか》き|思《おも》ひを|四方《よも》の|国《くに》 |山《やま》の|尾《を》の|上《へ》も|河《かは》の|瀬《せ》も
|荒野《あらの》の|果《は》ての|隈《くま》もなく |伊吹《いぶ》き|度会神《わたらひかみ》の|徳《のり》
|伊吹《いぶ》き|渡《わた》れよ|神《かみ》の|徳《のり》』
|長袖《ながそで》を|振《ふ》りながら|大幣《おほぬさ》|鈴《すず》を|両手《りやうて》に|持《も》ち、|節《ふし》|面白《おもしろ》く|歌《うた》ひ|納《をさ》めて、この|祝宴《しゆくえん》に|錦上《きんじやう》|花《はな》を|添《そ》へにける。これより|神澄彦神《かむすみひこのかみ》、|東彦神《あづまひこのかみ》の|夫妻《ふさい》は、|天道別命《あまぢわけのみこと》と|共《とも》に|天教山《てんけうざん》の|神示《しんじ》と|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひながら、|溷濁《こんだく》の|世《よ》を|救《すく》ふべく、|青雲山《せいうんざん》を|後《あと》に|見《み》て、|何処《いづこ》ともなく|出発《しゆつぱつ》した。
(大正一一・一・一三 旧大正一〇・一二・一六 藤原勇造録)
第四二章 |神玉両純《しんぎよくりやうじゆん》〔二四二〕
|雪《ゆき》は|翩翻《へんぽん》として|降《ふ》りしきり、|地《ち》は|一面《いちめん》の|銀《ぎん》|世界《せかい》、|南高山《なんかうざん》の|鐘《かね》の|音《ね》は、|諸行無常《しよぎやうむじやう》と|鳴《な》り|響《ひび》き、|黄昏《たそがれ》|告《つ》ぐる|寂寥《せきれう》の、|山路《やまぢ》を|辿《たど》る|簑笠《みのかさ》も、|宣伝使《せんでんし》は|唯《ただ》|一人《ひとり》、|雪《ゆき》|押分《おしわ》けて|上《のぼ》り|来《く》る、|冷酷《れいこく》|無残《むざん》の|浮世《うきよ》をば、|天地《てんち》の|神《かみ》の|暖《あたた》かき、その|懐《ふところ》に|救《すく》はむと、|身《み》の|苦《くる》しみも|打忘《うちわす》れ、|神澄彦《かむすみひこ》の|宣伝使《せんでんし》は、|雲《くも》つく|山《やま》を|上《のぼ》り|来《く》る、|南高山《なんかうざん》は|大島別《おほしまわけ》の|管掌《くわんしやう》する|聖地《せいち》なり。
ここに|神澄彦《かむすみひこ》は、|旧知《きうち》の|神人《かみ》を|救《すく》はむと、|見《み》るも|淋《さび》しき|簑笠《みのかさ》の、|浮世《うきよ》を|忍《しの》ぶ|仮姿《かりすがた》、|漸《やうや》う|山頂《さんちやう》に|上《のぼ》りつき、|表門《おもてもん》に|立《た》つて|力限《ちからかぎ》りに|門戸《もんこ》を|打叩《うちたた》いた。|華胥《くわしよ》の|国《くに》に|遊楽《いうらく》せる|門番《もんばん》は|暖《あたた》かき|夢《ゆめ》を|破《やぶ》られ、|目《め》をこすりながら、|仏頂面《ぶつちやうづら》して|出《い》で|来《きた》り、
『|殊更《ことさら》|寒《さむ》き|冬《ふゆ》の|夜《よ》の、この|真夜中《まよなか》に|門戸《もんこ》を|叩《たた》くは|何者《なにもの》ぞ。|御用《ごよう》あらば|明日《あす》|来《こ》られよ』
と|膠《にべ》も|杓子《しやくし》もなき|挨拶《あいさつ》なり。
|神澄彦神《かむすみひこのかみ》は、|已《や》むを|得《え》ず|門外《もんぐわい》に|立《た》ちて|声《こゑ》を|限《かぎ》りに、
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》 |南高山《なんかうざん》は|高《たか》くとも
|天《てん》の|星《ほし》より|未《ま》だ|低《ひく》い |大島別《おほしまわけ》は|偉《えら》くとも
|蚤《のみ》に|喰《く》はれる|浅《あさ》ましさ |蚤《のみ》に|喰《く》はれる|弱虫《よわむし》の
|門戸《もんこ》を|守《まも》る|弱虫《よわむし》は |雪隠《せんち》の|虫《むし》か|糞虫《くそむし》か』
と|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。|門番《もんばん》は|声《こゑ》|荒《あら》らげて、
『この|真夜中《まよなか》に、|漂浪《さすらひ》の|身《み》を|持《も》ちながら、|雪《ゆき》に|鎖《とざ》され、|降《ふ》り|積《つも》る|門《もん》を|叩《たた》いて|救《すく》ひをねだるその|弱虫《よわむし》は|何虫《なにむし》ぞ。|蚤《のみ》より|弱《よわ》い|大島別《おほしまわけ》に、|助《たす》けて|呉《く》れと|吐《ぬか》す|奴《やつ》、|蚤《のみ》の|糞《くそ》から|湧《わ》き|出《だ》す|糞《くそ》より|弱《よわ》い|弱虫《よわむし》の、|身《み》の|分際《ぶんざい》も|弁《わきま》へず、|何《なん》の|詮方《せんかた》|涙《なみだ》の|果《はて》は、|乞食《こじき》となつた|今《いま》のざま、この|門《もん》|開《あ》くること|罷《まか》りならぬ』
と|門内《もんない》より|呶鳴《どな》りつけたり。
この|声《こゑ》は|寝殿《しんでん》に|眠《ねむ》れる|玉純彦《たますみひこ》、|八島姫《やしまひめ》の|耳《みみ》に|雷《かみなり》の|如《ごと》く|轟《とどろ》いた。|二神司《にしん》は|夢《ゆめ》を|破《やぶ》られて、むつくとばかり|起上《おきあが》り、
『|熊若《くまわか》、|々々《くまわか》』
と|呼《よ》ばはれば、|門番《もんばん》は、
『ハイ』
と|答《こた》へて|寝殿《しんでん》|指《さ》して|一目散《いちもくさん》に|駈入《かけい》りぬ。|神澄彦《かむすみひこ》は|雪《ゆき》の|門前《もんぜん》に|立《た》ちながら、|大音声《だいおんじやう》を|張《は》り|上《あ》げて、
『|常世《とこよ》の|国《くに》に|現《あら》はれし |八島《やしま》の|姫《ひめ》の|身《み》の|果《はて》は
|流《なが》れながれてエデン|河《がは》 |流《なが》れの|果《はて》は|道彦《みちひこ》の
|国《くに》の|命《みこと》に|助《たす》けられ |恵《めぐ》みも|深《ふか》き|顕恩《けんおん》の
|郷《さと》に|隠《かく》れて|世《よ》を|送《おく》る |雪《ゆき》より|白《しろ》き|玉純彦《たますみひこ》の
|従者《みとも》の|神《かみ》に|救《すく》はれて |今《いま》は|全《まつた》く|妻《つま》となり
|南高山《なんかうざん》に|立帰《たちかへ》り |大島別《おほしまわけ》の|禿八王《はげやつわう》
|八王《やつわう》の|位《くらゐ》を|奪《と》りはがれ |今《いま》は|僅《わづか》に|大島別《おほしまわけ》
|世《よ》の|諸神人《ももがみ》は|理《わけ》|知《し》らず |大神様《おほかみさま》と|敬《うやま》へど
|誠《まこと》の|神《【かみ】》に|非《あら》ずして |顔色《かほいろ》|黒《くろ》き|渋紙《しぶ【がみ】》か
|荒野《あらの》に|猛《たけ》る|狼《おほ【かみ】》か |門番《もんばん》までが|嗅《か》ぎつける
|鼻紙《はな【がみ】》|渋紙《しぶ【がみ】》|奴神《やつこ【がみ】》 |神々《【かみ】がみ》|吐《ぬ》かすは|狼《おほ【かみ】》か
もしも|違《ちが》うたら|貧乏神《びんばふ【がみ】》 |弱《よわ》みにつけこむ|風《かぜ》の|神《【かみ】》
それに|引換《ひきか》へ|吾々《われわれ》は |天地《てんち》に|耻《は》ぢぬ|神《【かみ】》の|裔《すゑ》
|神澄彦《【かむ】すみひこ》の|神《【かみ】》なるぞ |障子《しやうじ》|一枚《いちまい》ままならぬ
|破《やぶ》れた|神《【かみ】》の|分際《ぶんざい》で |馬鹿《ばか》にするにも|程《ほど》がある
|玉純彦《たますみひこ》や|八島姫《やしまひめ》 |常世《とこよ》の|会議《くわいぎ》の|泥田圃《どろたんぼ》
よくだまされた|耻《はぢ》を|知《し》れ さは|云《い》ふものの|吾々《われわれ》も
|同《おな》じ|泥田《どろた》の|奴狐《どぎつね》に だまされ|切《き》つた|仲間《なかま》ぞよ
|玉純彦《たますみひこ》は|何処《どこ》に|居《を》る |八島《やしま》の|狐《きつね》は|未《ま》だ|来《こ》ぬか
こんこんこんと|寒狐《かんぎつね》 |怪々々《くわいくわいくわい》と|寒狐《かんぎつね》
|狐《きつね》の|嫁入《よめい》り|尾《を》も|白《しろ》く |頭《あたま》も|白《しろ》い|古狐《ふるぎつね》』
と|口《くち》から|出任《でまか》せに|歌《うた》つてゐる。
|玉純彦《たますみひこ》、|八島姫《やしまひめ》は|耳《みみ》を|澄《す》まし、|一言々々《ひとことひとこと》|胸《むね》を|躍《をど》らせ、|顔《かほ》を|顰《しか》め|首《くび》を|傾《かた》げて、この|声《こゑ》に|聴《き》き|入《い》りぬ。|玉澄彦《たますみひこ》[#「玉澄彦」は御校正本通り]は|門番《もんばん》に|厳命《げんめい》し|直《ただち》に|表門《おもてもん》を|開《ひら》かしめ、|歌《うた》へる|神人《かみ》を|導《みちび》きてわが|寝殿《しんでん》に|伴《ともな》はしめた。
|神澄彦神《かむすみひこのかみ》は|二神司《にしん》を|見《み》るなり、
『ヤア|久《ひさ》し|振《ぶ》りです』
と|無雑作《むざふさ》に|言葉《ことば》をかけた。
|二神司《にしん》は|驚《おどろ》いて、つくづく|顔《かほ》を|見詰《みつ》めた。|神澄彦《かむすみひこ》は、|忽《たちま》ち|天道別命《あまぢわけのみこと》より|分与《ぶんよ》されたる|黒《くろ》の|被面布《ひめんぷ》を|無雑作《むざふさ》に|剥《は》ぎ|取《と》り「これ|見《み》よ」と|云《い》はぬばかりに、|黒《くろ》い|顔《かほ》を|二神司《にしん》の|前《まへ》に|差《さ》し|出《だ》した。|二神司《にしん》は、
『ヤア、|貴下《きか》は|青雲山《せいうんざん》の|八王《やつわう》|神澄彦《かむすみひこ》ならずや。|夜中《やちう》といひ、|思《おも》はぬ|御来訪《ごらいはう》といひ、|失礼《しつれい》いたしました』
と|恟々《おどおど》として、|二人《ふたり》は|手《て》を|座《ざ》に|突《つ》き|詫《わ》び|入《い》る。|神澄彦《かむすみひこ》は|春《はる》の|雪《ゆき》の|如《ごと》く、|忽《たちま》ち|打解《うちと》けて|天教山《てんけうざん》の|神示《しんじ》を|天下《てんか》に|宣伝《せんでん》すべく、|青雲山《せいうんざん》を|後《あと》にして|霜雪《さうせつ》を|凌《しの》ぎ、|艱難《かんなん》と|戦《たたか》ひ|諸神人《しよしん》を|救済《きうさい》せむため、|山野河海《さんやかかい》を|跋渉《ばつせふ》|遍歴《へんれき》する|旨《むね》を|答《こた》へた。
|二神司《にしん》は|大《おほい》に|驚《おどろ》き、|奥殿《おくでん》に|神澄彦《かむすみひこ》を|導《みちび》き|鄭重《ていちよう》に|歓待《くわんたい》し|乍《なが》ら、|天教山《てんけうざん》の|神示《しんじ》を|畏敬《ゐけい》の|態度《たいど》を|以《もつ》て|一言《いちごん》も|洩《も》らさじと|聴問《ちやうもん》し、|且《か》つ|其《そ》の|勇気《ゆうき》を|激賞《げきしやう》した。|神澄彦《かむすみひこ》は|諄々《じゆんじゆん》として、|世《よ》の|終《をは》りに|近《ちか》づける|事《こと》を|説《と》き|諭《さと》し|且《か》つ|改悛《かいしゆん》を|迫《せま》つた。|時《とき》しも|奥殿《おくでん》に|当《あた》つて|騒々《さうざう》しき|声《こゑ》が|聞《きこ》えた。さうして|母《はは》の|声《こゑ》として、
『|玉純彦《たますみひこ》、|八島姫《やしまひめ》』
と|呼《よ》ばはつてゐる。
|玉純彦《たますみひこ》は、
『|暫《しばら》く|失礼《しつれい》|致《いた》します』
と|云《い》つて、|八島姫《やしまひめ》を|側《そば》に|侍《じ》せしめ|置《お》き、|急《いそ》いで|奥殿《おくでん》に|入《い》りぬ。
|見《み》れば|大島別《おほしまわけ》は、|年古《としふる》く|憑依《ひようい》せし|荒河《あらかは》の|宮《みや》の|邪神《じやしん》の|神澄彦《かむすみひこ》の|宣伝歌《せんでんか》に|怖《おそ》れて|脱出《だつしゆつ》したその|刹那《せつな》、|老衰《らうすゐ》の|大島別《おほしまわけ》は、|身体《しんたい》|氷《こほり》の|如《ごと》くなつて|帰幽《きいう》した。これより|玉純彦《たますみひこ》、|八島姫《やしまひめ》は、|神澄彦《かむすみひこ》の|誠心《せいしん》に|感《かん》じ、|宣伝使《せんでんし》となつて、|南高山《なんかうざん》の|城内《じやうない》は|云《い》ふに|及《およ》ばず、|諸方《しよはう》を|遍歴《へんれき》し、|神《かみ》の|福音《ふくいん》を|伝《つた》ふる|事《こと》となりける。
(大正一一・一・一三 旧大正一〇・一二・一六 外山豊二録)
第七篇 |宣伝《せんでん》|又《また》|宣伝《せんでん》
第四三章 |長恨歌《ちやうこんか》〔二四三〕
『|心《こころ》も|清《きよ》き|玉純彦《たますみひこ》の |神《かみ》の|命《みこと》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|神澄彦《かむすみひこ》と|諸共《もろとも》に この|世《よ》の|泥《どろ》を|滌《すす》がむと
|草鞋脚絆《わらぢきやはん》に|身《み》を|固《かた》め |心《こころ》も|軽《かる》き|簑笠《みのかさ》の
この|世《よ》を|忍《しの》ぶ|二柱《ふたはしら》 |雲路《くもぢ》をわけて|降《くだ》り|来《く》る
|南高山《なんかうざん》も|夢《ゆめ》の|間《ま》に |霞《かす》みて|進《すす》む|膝栗毛《ひざくりげ》
|栗毛《くりげ》の|駒《こま》はなけれども |心《こころ》の|駒《こま》に|鞭打《むちう》ちて
|進《すす》み|行《ゆ》くこそ|雄々《をを》しけれ |八島《やしま》の|姫《ひめ》は|門外《もんぐわい》に
|見送《みおく》り|来《きた》る|溜《た》め|涙《なみだ》 |涙《なみだ》はげしき|夕立《ゆふだち》の
|雨《あめ》にはあらぬ|鹿島立《かしまだ》ち |立《た》ち|別《わか》れむとする|時《とき》に
|縺《もつ》れ|絡《から》みし|恋糸《こひいと》の |解《と》くべきよしも|泣《な》いじやくり
|泣《な》いて|明石《あかし》の|浜千鳥《はまちどり》 |百鳥《ももどり》|騒《さわ》ぐ|波《なみ》の|上《うへ》
|穏《おだや》かならぬ|思《おも》ひなり |嗚呼《ああ》|玉純彦《たますみひこ》の|宣伝使《せんでんし》
|何処《いづこ》を|当《あ》てと|定《さだ》めなき |深山《みやま》の|奥《おく》の|草枕《くさまくら》
|旅《たび》の|疲《つか》れも|厭《いと》はずに |三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》
|一度《いちど》に|開《ひら》く|神《かみ》の|世《よ》を |堅磐常磐《かきはときは》に|立《た》てむとて
|君《きみ》の|御影《みかげ》のとぼとぼと |虎伏《とらふ》す|野辺《のべ》も|厭《いと》ひなく
|出《い》でます|姿《すがた》|思《おも》ひ|出《で》の |名残《なごり》は|深《ふか》き|山奥《やまおく》の
|雪《ゆき》|積《つ》む|山《やま》の|八島姫《やしまひめ》 |必《かなら》ず|忘《わす》れてたもるなよ
|忘《わす》れがたきは|顕恩郷《けんおんきやう》 |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|慈《いつくし》み
|常世《とこよ》の|国《くに》の|巡《めぐ》り|会《あ》ひ |会《あ》うて|嬉《うれ》しき|相生《あひおひ》の
|松《まつ》の|緑《みどり》の|色《いろ》|深《ふか》く |契《ちぎ》り|初《そ》めたる|夫婦仲《めをとなか》
|空《なか》を|隔《へだ》つる|黒雲《くろくも》の |叢《むら》がり|渡《わた》る|今《いま》の|世《よ》を
|晴《は》らさむ|為《ため》のこの|門出《かどで》 |一日《ひとひ》も|早《はや》く|片時《かたとき》も
|夙《と》く|速《すみ》やけく|帰《かへ》りませ |恋《こひ》しき|君《きみ》に|生別《いきわか》れ
|後《あと》に|淋《さび》しき|独《ひと》り|寝《ね》も |夢路《ゆめぢ》は|通《かよ》ふ|君《きみ》の|側《そば》
|守《まも》り|参《まゐ》らす|八島姫《やしまひめ》 |必《かなら》ず|独《ひと》りと|思《おぼ》ほすな
|蔭身《かげみ》に|添《そ》ひて|吾《わが》|魂《たま》は |汝《なれ》が|御側《みそば》に|仕《つか》へなむ
|汝《なれ》が|御側《みそば》に|仕《つか》へなむ |南高山《なんかうざん》に|残《のこ》されし
いとしき|妻《つま》のあることを |雨《あめ》の|晨《あした》や|雪《ゆき》の|宵《よひ》
|必《かなら》ずともに|念頭《みこころ》に かけさせ|給《たま》へよ|吾《あが》|夫《つま》よ
|世《よ》は|紫陽花《あじさゐ》の|七変《ななかは》り たとへ|天地《てんち》は|変《かは》るとも
|千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|変《かは》らぬは |汝《な》が|身《み》を|思《おも》ふ|吾《あが》|心《こころ》
|心《こころ》をつくしの|八島姫《やしまひめ》 |夢々《ゆめゆめ》|忘《わす》れ|給《たま》ふまじ
|夢々《ゆめゆめ》|忘《わす》れ|給《たま》ふまじ |老少不定《らうせうふぢやう》|会者定離《ゑしやぢやうり》
|浮世《うきよ》の|常《つね》と|聞《き》くからは これがお|顔《かほ》の|見納《みをさ》めか
|深《ふか》き|縁《えにし》のあるならば またもや|会《あ》はむ|相生《あひおひ》の
|松《まつ》も|目出度《めでた》き|高砂《たかさご》の |尾《を》の|上《へ》に|立《た》ちて|玉純彦《たますみひこ》の
|神《かみ》の|命《みこと》を|松風《まつかぜ》や |草《くさ》の|片葉《かきは》に|至《いた》るまで
|心《こころ》を|注《そそ》がせ|給《たま》へかし |心《こころ》にかかる|冬《ふゆ》の|空《そら》
|馳《は》せ|行《ゆ》く|雲《くも》の|果《はて》しなき |海《うみ》の|彼方《あなた》に|度会《わたらひ》の
|神《かみ》の|御徳《みのり》を|解《と》きわくる |心《こころ》も|赤《あか》き|奇魂《くしみたま》
|久延毘古神《くへびこがみ》の|力《ちから》にて |寄《よ》せ|来《く》る|曲津《まがつ》を|打《う》ち|払《はら》ひ
|言向《ことむ》け|和《やは》せ|天教山《てんけうざん》の |宮《みや》に|坐《ま》します|木花姫《このはなひめ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|御前《おんまへ》に |雄々《をを》しき|功《いさを》を|奉《たてまつ》り
|地教《ちけう》の|山《やま》を|守《まも》ります |御稜威《みいづ》も|高《たか》き|高照姫《たかてるひめ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|御前《おんまへ》に |功《いさを》を|立《た》てよわが|夫《つま》よ
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|神《かみ》の|前《まへ》 |真心《まごころ》こめて|八島姫《やしまひめ》
|祈《いの》る|誠《まこと》の|太祝詞《ふとのりと》 |皇大神《すめおほかみ》は|平《たひら》けく
いと|安《やす》らけく|聞《きこ》し|召《め》し |君《きみ》の|御幸《みさち》を|守《も》り|坐《ま》さむ
|折角《せつかく》|会《あ》ひは|相生《あひおひ》の |松《まつ》の|生木《なまき》の|生別《いきわか》れ
かひなき|思《おも》ひも|神《かみ》の|為《ため》 この|世《よ》の|為《ため》の|苦《くる》しみと
|思《おも》ひは|深《ふか》き|神《かみ》の|恩《おん》 |高《たか》き|功《いさを》をヒマラヤの
|山《やま》より|高《たか》く|天教《てんけう》の |山《やま》の|尾《を》の|上《へ》に|現《あら》はれて
この|世《よ》を|造《つく》りし|大神《おほかみ》の |国治立《くにはるたち》の|神勅《みことのり》
|世《よ》にも|稀《まれ》なる|宣伝使《せんでんし》 |玉純彦《たますみひこ》と|謳《うた》はれて
その|名《な》を|千代《ちよ》に|万代《よろづよ》に |留《とど》め|給《たま》へよ、いざさらば
さらばさらばの|今《いま》のきは |諸行無常《しよぎやうむじやう》と|鳴《な》り|渡《わた》る
|南高山《なんかうざん》の|鐘《かね》の|音《ね》も |勝利々々《しようりしようり》と|響《ひび》くなり
|勝利々々《しようりしようり》と|響《ひび》くなり |嗚呼《ああ》なつかしき|吾《わが》|夫《つま》よ
|嗚呼《ああ》いとほしき|吾《わが》|夫《つま》よ』
|斯《かく》の|如《ごと》く|歌《うた》ひて|八島姫《やしまひめ》は|名残《なごり》を|惜《を》しみける。|神澄彦《かむすみひこ》、|玉純彦《たますみひこ》の|二神司《にしん》は、|何処《いづこ》ともなく|宣伝歌《せんでんか》を|声《こゑ》|高《たか》らかに|謡《うた》ひながら、ヱルサレムをさして|脚《あし》を|速《はや》めける。
(大正一一・一・一三 旧大正一〇・一二・一六 藤原勇造録)
第四四章 |夜光《やくわう》の|頭《あたま》〔二四四〕
ロッキー|山《ざん》の|山颪《やまおろし》、|世《よ》を|艮《うしとら》と|吹《ふ》く|風《かぜ》に、スペリオル|湖《こ》の|水面《すゐめん》は、|忽《たちま》ち|怒濤《どたう》を|捲《ま》き|起《おこ》し、|小船《こぶね》を|前後左右《ぜんごさいう》に|翻弄《ほんろう》した。ここに|少彦名神《すくなひこなのかみ》は|数多《あまた》の|神人《しんじん》とともに|漂《ただよ》うた。|風《かぜ》は|刻々《こくこく》に|唸《うな》りを|立《た》てて|激《はげ》しくなつた。|空《そら》は|一面《いちめん》の|暗雲《あんうん》に|鎖《とざ》され、|船《ふね》の|前後《ぜんご》に|数限《かずかぎ》りもなく|出没《しゆつぼつ》する|海坊主《うみばうず》の|姿《すがた》は|実《じつ》に|凄《すさま》じき|光景《くわうけい》である。|少彦名神《すくなひこなのかみ》は|忽《たちま》ち|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し、|声《こゑ》|爽《さはや》かに、
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
スペリオル|湖《こ》の|浪《なみ》|高《たか》く |吾《われ》らの|船《ふね》は|覆《かへ》るとも
|変《かは》らぬものは|神心《かみごころ》 |神《かみ》の|心《こころ》を|胸《むね》にもち
|寄《よ》せくる|怒濤《どたう》を|言霊《ことたま》の |息吹《いぶき》の|狭霧《さぎり》に|吹《ふ》き|払《はら》ひ
|払《はら》ひ|清《きよ》むる|神《かみ》の|道《みち》 |浪《なみ》も|鎮《しづ》まれ|風《かぜ》も|凪《な》げ
されどもされど|常暗《とこやみ》の |心《こころ》の|暗《くら》き|魔神《まがかみ》は
|慄《ふる》ひ|戦《をのの》き|顔《かほ》の|色《いろ》 |土《つち》と|鳴門《なると》の|渦巻《うづまき》や
|嗚呼《ああ》|凪《な》げよ|凪《な》げなげ|科戸彦《しなどひこ》 |科戸《しなど》の|風《かぜ》の|永久《とこしへ》に
|吹《ふ》くなら|吹《ふ》けよ|吾々《われわれ》が この|湖水《みづうみ》を|安全《あんぜん》に
|渡《わた》つた|後《のち》に【どつと】|吹《ふ》け |今《いま》は|吹《ふ》くなよ【ふく】の|神《かみ》
|今《いま》は|吹《ふ》くなよ【ふく】の|神《かみ》』
と|暴風《ばうふう》に|向《むか》つて|謡《うた》へば、|不思議《ふしぎ》にもこの|声《こゑ》の|止《と》まると|共《とも》に、さしもの|暴風《ばうふう》もぴたりと|止《と》まり、|浪《なみ》は|俄《にはか》に|凪《な》ぎ、|海面《かいめん》は|恰《あたか》も|畳《たたみ》を|敷《し》き|詰《つ》めたるが|如《ごと》き|平穏《へいおん》に|帰《き》してしまつた。
|青瓢箪《あをふくべ》が|寒《さむ》さに|怖《お》ぢけた|時《とき》のやうな|面構《つらがま》へをした|常世国《とこよのくに》の|人々《ひとびと》も、にはかに|蘇生《そせい》の|思《おも》ひをなし、|少彦名神《すくなひこなのかみ》に|向《むか》つて、|異口同音《いくどうおん》に|嬉《うれ》し|涙《なみだ》と|共《とも》に|感謝《かんしや》する。
|少彦名神《すくなひこなのかみ》は|節《ふし》|面白《おもしろ》く、|例《れい》の|宣伝歌《せんでんか》を|唱《とな》へた。|神人《かみがみ》の|中《なか》に|秀《ひい》でて|逞《たくま》しき、|色《いろ》|浅黒《あさぐろ》き|背《せ》の|高《たか》き|男《をとこ》は|口《くち》を|尖《とが》らせながら、|少彦名神《すくなひこなのかみ》に|向《むか》ひ、
『|貴下《きか》は|何《いづ》れの|宣伝使《せんでんし》なるぞ、|貴下《きか》の|言霊《ことたま》の|威力《ゐりよく》に|風《かぜ》も|海《うみ》も|皆《みな》|従《したが》ひたり、|願《ねが》はくは|御名《おんな》を|吾《われ》らに|聞《き》かせたまへ』
と|云《い》ふ。|少彦名神《すくなひこなのかみ》は、
『|吾《われ》こそは、この|世《よ》の|宝《たから》その|物《もの》にたいして、|凡夫《ぼんぶ》の|如《ごと》き|無限《むげん》の|欲望《よくばう》は|少彦名神《すくなひこなのかみ》なり』
と|枕言葉《まくらことば》を|沢山《たくさん》に|並《なら》べて|名乗《なの》り、|而《しか》してそろそろ|大神《おほかみ》の|御徳《みとく》を|説《と》き|始《はじ》めたりける。
『|総《すべ》てこの|広大無辺《くわうだいむへん》の|宇宙間《うちうかん》は、|無限絶対《むげんぜつたい》|無始無終《むしむしう》の|全智全能力《ぜんちぜんのうりよく》を|有《いう》し|給《たま》ふ、|一柱《ひとはしら》の|大国治立《おほくにはるたち》の|大神《おほかみ》|御座《おは》しまして|万有《ばんいう》を|創造《さうざう》したまひ、その|至粋《しすゐ》|至純《しじゆん》の|神霊《しんれい》を|伊都《いづ》の|千別《ちわ》きに|千別《ちわ》きたまうて、|海河山野《うみかはやまぬ》などの|神人《かみがみ》を|生《う》みたまうたのである。|故《ゆゑ》にこの|世界《せかい》は|神《かみ》の|御座《いま》さぬ|処《ところ》は|一寸《いつすん》の|間《あひだ》もない。|神《かみ》を|讃美《さんび》し、かつ|神《かみ》に|頼《たよ》らねば、|吾々《われわれ》は|片時《かたとき》の|間《ま》もこの|世《よ》に|生存《いきながら》へることは|出来《でき》ない。いま|吾々《われわれ》が|呼吸《こきふ》する|息《いき》も|皆《みな》|神《かみ》の|御息《みいき》であつて、|決《けつ》して|自己《じこ》のものでなく、|昆虫《こんちう》の|端《はし》に|至《いた》るまで、|皆《みな》|神《かみ》の|慈《いつくしみ》をうけざるはない。ゆゑに|天地間《てんちかん》において|最《もつと》も|敬《けい》すべく|親《した》しむべく|信《しん》ずべく|愛《あい》すべきは、|第一《だいいち》に|世界《せかい》の|造《つく》り|主《ぬし》なるただ|一柱《ひとはしら》の|真《まこと》の|神《かみ》なる|大国治立尊《おほくにはるたちのみこと》の|尊《たふと》さを|措《を》いて|外《ほか》にはないのである。この|大神《おほかみ》の|聖霊《せいれい》によつて|分派《ぶんぱ》|出生《しゆつしやう》したる|海河山野《うみかはやまぬ》の|神人《かみがみ》もまた|尊敬《そんけい》しなくてはならない、|何事《なにごと》も|皆《みな》このごとき|弱《よわ》き|凡夫《ぼんぶ》は、|神《かみ》の|力《ちから》を|借《か》るより|外《ほか》にはないのだ』
と|説示《せつじ》した。|船中《せんちう》の|神人《かみがみ》らは|各自《てんで》に|口《くち》を|開《ひら》いて、
『|果《はた》して|宣伝使《せんでんし》の|言《い》はるる|如《ごと》くならば、|今《いま》このスペリオル|湖《こ》の|水中《すゐちう》にも|神《かみ》はいますか』
と|尋《たづ》ねける。|少彦名神《すくなひこなのかみ》は、
『|海《うみ》には|海《うみ》の|神《かみ》、|河《かは》には|河《かは》の|神《かみ》、また|船《ふね》には|船《ふね》の|神《かみ》がある。|決《けつ》して|吾々《われわれ》は|神《かみ》を|汚《けが》してはならないのだ』
|船《ふね》はだんだんと|進《すす》んで|西岸《せいがん》に|近《ちか》づいた。|湖辺《こへん》に|明滅《めいめつ》する|漁火《ぎよくわ》の|光《ひかり》は、あたかも|夏《なつ》の|夜《よ》の|暗《やみ》に|螢《ほたる》の|飛《と》び|交《か》ふごとく、|得《え》も|云《い》はれぬ|光景《くわうけい》なり。|船中《せんちう》は|暗《やみ》の|帳《とばり》に|包《つつ》まれて|真黒《まつくろ》である。
このとき|頭《あたま》のピカピカと|光《ひか》つた|神《かみ》は|頓狂《とんきやう》な|声《こゑ》をふりあげ、
『ヤア|殺生《せつしやう》な、オレを|馬鹿《ばか》にするない』
といふ。|船《ふね》の|片蔭《かたかげ》にはクスリ、クスリと|笑《わら》ふ|声《こゑ》さへ|聞《きこ》えてゐる。
|廿日《はつか》の|月《つき》は|東《ひがし》の|山《やま》の|端《は》を|出《い》でて|皎々《かうかう》として|輝《かがや》き|始《はじ》めた。|第一番《だいいちばん》に|禿頭《はげあたま》は|鏡《かがみ》のごとく|照《て》り|出《だ》した。よくよく|見《み》れば、【ズクタンボー】である。|禿頭《はげあたま》は|声《こゑ》を|尖《とが》らし、
『|暗《やみ》の|中《なか》で|知《し》らぬかと|思《おも》つて、|吾々《われわれ》の|頭《あたま》に|尿《ゆばり》をした|奴《やつ》がある。|暗《くら》がりでも|神《かみ》の|目《め》は|光《ひか》つてをるぞ、|承知《しようち》がならぬ』
と|目《め》の|玉《たま》まで|光《ひか》らして|怒《おこ》りたてる。|傍《かたはら》にゐた|屋根葺《やねふき》の|手伝《てつだ》ひか、|炭焼《すみやき》のやうな|顔《かほ》した|黒《くろ》い|男《をとこ》は|立《た》ち|上《あが》り、
『|海《うみ》には|海《うみ》の|神《かみ》があり、|船《ふね》には|船《ふね》の|神《かみ》が|御座《いま》すと|聞《き》いたから、|神《かみ》(|髪《かみ》)なき|頭《あたま》に|尿《ゆばり》ひつかけたのが|何《なん》が|悪《わる》い』
と|逆捻《さかねぢ》を|喰《く》らはす。|禿頭《はげあたま》の|男《をとこ》は【ぶつぶつ】|呟《つぶや》きながら、|湖水《こすゐ》の|水《みづ》に|光《ひか》つた|頭《あたま》を|洗《あら》ひはじめた。|船《ふね》は|漸《やうや》くにして|西岸《せいがん》についた。|少彦名神《すくなひこなのかみ》は|又《また》もや|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひながら、|西《にし》へ|西《にし》へと【あてど】もなく|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一一・一・一三 旧大正一〇・一二・一六 加藤明子録)
第四五章 |魂脱《たまぬけ》|問答《もんだふ》〔二四五〕
|誠《まこと》の|齢《よはひ》を|保《たも》つ|神国《しんこく》は、|世《よ》も|久方《ひさかた》の|天津空《あまつそら》、|寿《ことほ》ぎ|合《あ》ふ|真鶴《まなづる》の、|東《ひがし》や|西《にし》と|飛《と》び|交《か》ひて、|世《よ》の|瑞祥《ずゐしやう》を|謡《うた》ひつつ、|緑《みどり》の|亀《かめ》はうれしげに、|天《てん》に|向《むか》つて|舞《ま》ひ|上《のぼ》る、|目出度《めでた》き|齢《よはひ》の|万寿山《まんじゆざん》、|主《あるじ》の|神《かみ》と|現《あら》はれし、この|美《うる》はしき|神国《しんこく》を、|堅磐常磐《かきはときは》に|守《まも》るてふ、|名《な》さへ|目出度《めでた》き|磐樟彦《いはくすひこ》は|八洲国《やしまくに》、|神《かみ》の|救《すく》ひの|太祝詞《ふとのりと》、|遠《とほ》き|近《ちか》きの|隔《へだ》てなく、|唐土山《もろこしやま》を|踏越《ふみこ》えて、|雲《くも》に|浮《うか》べるロッキーの、|山《やま》の|嵐《あらし》に|吹《ふ》かれつつ、さも|勇《いさ》ましき|宣伝歌《せんでんか》、|心《こころ》も|軽《かる》き|簑笠《みのかさ》や、|草鞋脚絆《わらじきやはん》に|身《み》を|固《かた》め、|何処《いづこ》を|当《あて》と|長《なが》の|旅《たび》、|愈々《いよいよ》|来《きた》る|常世城《とこよじやう》、|今《いま》は|間近《まぢか》くなりにけり、|磐樟彦《いはくすひこ》の|宣伝使《せんでんし》、|磐戸別《いはとわけ》の|神司《かみ》と、|名《な》も|新玉《あらたま》の|今朝《けさ》の|春《はる》、|雪《ゆき》|掻《か》きわけて|行詰《ゆきつま》り、|塞《ふさ》がる|道《みち》を|開《ひら》かむと、|日《ひ》も|紅《くれなゐ》の|被面布《ひめんぷ》を、|押別《おしわ》け|来《きた》る|紅葉《もみぢば》の、|赤《あか》き|心《こころ》ぞ|尊《たふと》けれ。|盤古大神《ばんこだいじん》|八王《やつわう》の、|曲《まが》の|暴威《ばうゐ》を|振《ふる》ひたる、|堅磐常磐《かきはときは》の|常世城《とこよじやう》、|名《な》のみ|残《のこ》りて|今《いま》はただ、|常世《とこよ》の|城《しろ》は|大国彦《おほくにひこ》の、|曲《まが》の|醜夫《しこを》のものとなり、|時《とき》めき|渡《わた》る|自在天《じざいてん》、|常世神王《とこよしんわう》と|改《あらた》めて、|輝《かがや》き|渡《わた》るその|稜威《みいづ》、|隈《くま》なく|光《ひか》り|照妙《てるたへ》の、|城《しろ》に|輝《かがや》く|金色《こんじき》の、|十字《じふじ》の|紋章《もんしやう》をうち|眺《なが》め、|溜息《ためいき》|吐息《といき》を|吐《つ》きながら、|風雨《ふうう》に|窶《やつ》れし|宣伝使《せんでんし》、|今《いま》はなんにも|磐樟《いはくす》の、|神《かみ》の|果《はて》なる|磐戸別《いはとわけ》、|心《こころ》の|岩戸《いはと》は|開《ひら》けども、|未《いま》だ|開《ひら》けぬ|常世国《とこよのくに》、|常世《とこよ》の|闇《やみ》を|開《ひら》かむと、|脚《あし》に|鞭《むちう》つ|膝栗毛《ひざくりげ》、さしもに|広《ひろ》き|大陸《たいりく》を、やうやく|茲《ここ》に|横断《わうだん》し、|浜辺《はまべ》に|立《た》ちて|天《あめ》の|下《した》、|荒《あら》ぶる|浪《なみ》の|立騒《たちさわ》ぎ、ウラスの|鳥《とり》や|浜千鳥《はまちどり》、|騒《さや》げる|百《もも》の|神人《しんじん》を、|神《かみ》の|救《すく》ひの|方舟《はこぶね》に、|乗《の》せて|竜宮《りうぐう》に|渡《わた》らむと、|草《くさ》の|枕《まくら》も|数《かず》かさね、|今《いま》や|港《みなと》に|着《つ》き|給《たま》ふ。
|磐戸別《いはとわけ》の|神《かみ》は|常世《とこよ》の|国《くに》の|西岸《せいがん》なる|紅《くれなゐ》の|港《みなと》に|漸《やうや》く|着《つ》いた。ここには|四五《しご》の|船人《ふなびと》が|舟《ふね》を|繋《つな》いで、|色々《いろいろ》の|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つてゐた。
|甲《かふ》『オイ、このごろの|天気《てんき》はちつと|変《へん》ぢやないかい、|毎日毎夜《まいにちまいよ》|引《ひ》き|続《つづ》けに|大雨《おほあめ》が|降《ふ》つて、|河《かは》は|氾濫《はんらん》し、|家《いへ》は|流《なが》れ、【おまけ】に|何《なん》とも|知《し》れぬ、ドンドンと|地響《ぢひび》きが|間断《かんだん》なくしてをる。|初《はじ》めの|間《うち》は、|吾々《われわれ》は|浪《なみ》の|音《おと》だと|思《おも》つてゐたが、どうやら|浪《なみ》でもないらしい。|地震《ぢしん》の|報《し》らせかと|思《おも》つて|心配《しんぱい》してゐたら、|今日《けふ》で|三十日《さんじふにち》も|降《ふ》り|続《つづ》いて、【いつかう】|地震《ぢしん》らしいものもない。この|間《あひだ》も|宣伝使《せんでんし》とやらがやつて|来《き》よつて、|地震《ぢしん》|雷《かみなり》|火《ひ》の|雨《あめ》が|降《ふ》つて、|終末《しまひ》には|泥海《どろうみ》になると|云《い》つて|居《を》つたが、|或《ある》ひはソンナ|事《こと》になるかも|知《し》れないよ』
と|心配《しんぱい》さうに|首《くび》を|傾《かたむ》けた。
|乙《おつ》『|何《なに》、|火《ひ》の|雨《あめ》が|降《ふ》る、ソンナ|馬鹿《ばか》なことがあるかい。|雨《あめ》【ちう】|奴《やつ》は|皆《みな》|水《みづ》が|天《てん》へ|昇《あが》つて、それが|天《てん》で|冷《ひ》えて、また|元《もと》の|水《みづ》になつて|天降《あまくだ》つて|来《く》るのだ、|水《みづ》の|雨《あめ》は|昔《むかし》からちよいちよい|降《ふ》るが、|火《ひ》の|雨《あめ》の|降《ふ》つた|例《ためし》はないぢやないか』
『それでもこの|前《まへ》に、エトナの|火山《くわざん》が|爆発《ばくはつ》した|時《とき》は、|火《ひ》の|雨《あめ》が|降《ふ》つたぢやないか』
『|馬鹿《ばか》|云《い》へ、あれは|火《ひ》の|岩《いは》が|降《ふ》つたのだい。|万寿山《まんじゆざん》とやらの|宣伝使《せんでんし》が、|天《てん》から|降《ふ》つた|様《やう》に|偉《えら》さうに|宣伝《せんでん》して|居《を》つたが、|是《これ》も【やつぱり】|天《てん》から|降《ふ》つた|岩戸開《いはとあ》けとか、|岩戸閉《いはとし》めとか|云《い》ふぢやないか』
『|火《ひ》の|雨《あめ》が|降《ふ》らぬとも|限《かぎ》らぬよ。この|間《あひだ》も|闇《くら》がり|紛《まぎ》れに|柱《はしら》に|行当《ゆきあた》つた|途端《とたん》に、|火《ひ》の|雨《あめ》が|降《ふ》つたよ、|確《たしか》に|見《み》たもの、|降《ふ》らぬとは|言《い》へぬ』
『そりや|貴様《きさま》、|柱《はしら》に【ぶつつかつ】て、|眼玉《めだま》から|火《ひ》を|出《だ》しやがつたのだ。|降《ふ》つたのぢやない、|打《う》つたのだらう。|地震《ぢしん》|雷《かみなり》と|云《い》ふ|事《こと》あ、|吾々《われわれ》|神人《しんじん》は|神様《かみさま》の|裔《すゑ》だから、|吾々《われわれ》|自身《じしん》そのものが|神《かみ》だ。それで|自身神也《じしんかみなり》といふのだ、さうして|自身神也《じしんかみなり》といふ|貴様《きさま》が、|眼《め》から|火《ひ》の|雨《あめ》を|降《ふ》らしたのだ。【まあ】|世《よ》の|中《なか》に、|不思議《ふしぎ》と|化物《ばけもの》と|誠《まこと》のものはないといつても【ゑい】|位《くらゐ》だ』
|丙《へい》『ソンナ|話《はなし》はどうでもよいが、この|間《あひだ》|海《うみ》の|向《むか》ふに|大変《たいへん》な|戦争《せんそう》があつたぢやないか』
|丁《てい》『ウン、ソンナことを|聞《き》いたね。|其《その》|時《とき》の|音《おと》だらうよ、|毎日々々《まいにちまいにち》ドンドン|云《い》ふのは』
『|戦《たたか》ひが|終《す》んでから、まだドンドン|音《おと》が|聞《きこ》えるが、そりや|何《なん》かの|原因《げんいん》があるのだらう。|竜宮島《りうぐうじま》とやらには、|天《あま》の|真澄《ますみ》の|珠《たま》とか|潮満《しほみつ》|潮干《しほひる》の|珠《たま》とかいふ|宝《たから》が|昔《むかし》から|隠《かく》してあるとかで、ウラル|山《さん》のウラル|彦《ひこ》の|手下《てした》の|奴《やつ》らがその|珠《たま》を|奪《と》らうとして、|沢山《たくさん》の|舟《ふね》を|拵《こしら》へよつて、|闇《くら》がり|紛《まぎ》れに|攻《せ》め|付《つ》けよつたさうだ。さうすると|沓島《くつじま》の|大海原彦神《おほうなばらひこのかみ》とやらが、|海原《うなばら》とか|向腹《むかつぱら》とかを|立《た》ててその|真澄《ますみ》の|珠《たま》で|敵《てき》を|悩《なや》まさうとした。しかしその|珠《たま》は|何《なん》にもならず、たうとう|敵《てき》に|取《と》られてしまつたさうだよ。そして|冠島《かむりじま》|一名《いちめい》|竜宮島《りうぐうじま》には|潮満《しほみつ》|潮干《しほひる》の|珠《たま》が|隠《かく》してあつたさうだ。それもまたウラル|彦《ひこ》の|手下《てした》の|奴《やつ》らが|攻《せ》めかけて|奪《と》らうとした。ここの|守護神《しゆごじん》さまは、|敵《てき》の|襲来《しふらい》を|悩《なや》ます|積《つも》りで、また|潮満《しほみつ》とか|潮干《しほひる》とかいふ|珠《たま》を|出《だ》して|防《ふせ》がうとした。これも|亦《また》|薩張《さつぱり》|役《やく》に|立《た》たず、【とうたう】|冠島《かんむりじま》も|沓島《くつじま》も、|敵《てき》に|奪《と》られて|仕舞《しま》つたと|云《い》ふぢやないか。|珠々《たまたま》というても、なにもならぬものだね』
『そりや|定《き》まつた|話《はなし》だよ、よう|考《かんが》へて|見《み》よ。|真澄《ますみ》の|珠《たま》と|云《い》ふぢやないか。【マスミ】つたら、|魔《ま》の|住《す》んで|居《を》る|珠《たま》だ。それを|沢山《たくさん》の|魔神《まがみ》が|寄《よ》つて|来《き》て|奪《と》らうとするのだもの、|合《あ》うたり|叶《かな》うたり、|三《み》ツ|口《くち》に|真子《しんこ》、|四《よ》ツ|口《くち》に|拍子木《ひやうしぎ》、|開《あ》いた|口《くち》に|牡丹餅《ぼたもち》、|男《をとこ》と|女《をんな》と|会《あ》うたやうなものだ。ナンボ|海原《うなばら》とか|向腹立《むかつぱらだち》とかを|立《た》てた|海原彦神《うなばらひこのかみ》でも、|内外《うちそと》から|敵《てき》をうけて、|内外《うちそと》から|攻《せ》められて、お|溜《たま》り|零《こぼ》しがあつたものぢやない。また|潮満《しほみつ》とか|潮干《しほひる》とかの|珠《たま》も、|役《やく》に|立《た》たなかつたと|聞《き》いたが、よう|考《かんが》えて|見《み》よ、|塩《しほ》は|元来《ぐわんらい》|鹹《から》いものだ、そして|蜜《みつ》は|甘《あま》いものだ。|鹹《から》いものと|甘《あま》いものと|一緒《いつしよ》にしたつて|調和《てうわ》が|取《と》れないのは|当然《あたりまへ》だ。また|潮干《しほひる》の|珠《たま》とか|云《い》ふ|奴《やつ》は、|塩《しほ》に|蛭《ひる》といふ|事《こと》だ。ソンナ|敵《かたき》|同士《どうし》のものを|寄《よ》せて|潮満《しほみつ》の|珠《たま》とか、|潮干《しほひる》の|珠《たま》だとか|一体《いつたい》わけがわからぬぢやないかい。|負《ま》けるのは|当然《あたりまへ》だよ。その|珠《たま》の|性根《しやうね》とやらを、どつと|昔《むかし》のその|昔《むかし》に|厳《いづ》の|御霊《みたま》とかいふどえらい|神《かみ》があつて、それをシナイ|山《ざん》とかいふ|山《やま》の|頂上《てつぺん》に|隠《かく》しておいた。それを|竹熊《たけくま》とかいふ|悪《わる》い|奴《やつ》がをつてふんだくらうとして、|偉《えら》い|目《め》にあうたといふこと。しかしながら、|聖地《せいち》の|神《かみ》|共《ども》は|勿体《もつたい》ぶつて、|一輪《いちりん》の|秘密《ひみつ》とか|一輪《いちりん》の|経綸《しぐみ》とかいつて|威張《ゐば》つてをつたが、とうとうその|一輪《いちりん》の|秘密《ひみつ》が【ばれ】て、ウラル|彦《ひこ》が|嗅《か》ぎつけ、|第一番《だいいちばん》に|竜宮島《りうぐうじま》の|珠《たま》をふんだくつて、|直《すぐ》にその|山《やま》の|御性念《ごしやうねん》を|引張《ひつぱ》り|出《だ》さうと|一生懸命《いつしやうけんめい》に|攻《せ》めかかつた。その|時《とき》シナイ|山《ざん》とやらを|守《まも》つてゐた|貴治別《たかはるわけ》とかいふ|司《かみ》が、|敵軍《てきぐん》の|頂辺《てつぺん》から、その|御性念《ごしやうねん》の|神徳《しんとく》を|現《あら》はして|岩石《がんせき》を|降《ふ》らした。ウラル|彦《ひこ》の|幕下《ばくか》は【とうとう】これに|屁古垂《へこた》れよつて、|何《なん》にもしないで、|逃《に》げ|帰《かへ》つたと|言《い》ふことだ。それで|攻撃《こうげき》を|一寸《ちよつと》もシナイ|山《ざん》といふのだ』
|甲《かふ》『|馬鹿《ばか》にすな、|人《ひと》に|落話《おとしばなし》を|聞《き》かせよつて、もうもう|行《ゆ》かうかい。コンナ|奴《やつ》に|相手《あひて》になつてゐると、|日《ひ》が|暮《く》れてしまふワイ。それそれ、またど|偉《えら》い|声《こゑ》が|聞《きこ》えてきた。|脚下《あしもと》の|明《あか》るいうちに|何処《どこ》なと|逃《に》げようぢやないか』
|乙《おつ》『|逃《に》げようたつて、|吾々《われわれ》の|乗《の》つてゐる|大地《だいち》が|動《うご》いてをるのだもの、|何処《どこ》へ|逃《に》げたつて|同《おな》じことぢやないか』
|雨《あめ》は|益々《ますます》|激《はげ》しく、|地鳴《ぢな》りは|刻々《こくこく》に|強烈《きやうれつ》になつて|来《き》た。|一同《いちどう》は|真青《まつさを》な|顔《かほ》して、|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|眼《まなこ》を|配《くば》り、|忽《たちま》ち|不安《ふあん》の|雲《くも》に|包《つつ》まるる|折《をり》しも、|林《はやし》の|茂《しげ》みを|別《わ》けて、|簑笠脚絆《みのかさきやはん》の|軽装《けいさう》をした|宣伝使《せんでんし》が|涼《すず》しき|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて、
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |千尋《ちひろ》の|海《うみ》は|干《かわ》くとも
|世界《せかい》は|泥《どろ》に|浸《ひた》るとも |誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ』
といふ|宣伝歌《せんでんか》が|聞《きこ》え|始《はじ》めたり。|一同《いちどう》は|耳《みみ》を|澄《す》ましてその|宣伝歌《せんでんか》を|聞《き》き|入《い》りにける。
(大正一一・一・一四 旧大正一〇・一二・一七 藤原勇造録)
第四六章 |油断大敵《ゆだんたいてき》〔二四六〕
アーメニヤの|野《の》に|神都《しんと》を|開《ひら》きたるウラル|彦《ひこ》は|大蛇《をろち》の|身魂《みたま》の|猛威《まうゐ》を|借《か》り、ウラル|姫《ひめ》は|金狐《きんこ》の|悪霊《あくれい》の|使嗾《しそう》によつて|天下《てんか》の|神人《かみがみ》を|帰従《きじゆう》せしめ、|一時《いちじ》|衰退《すゐたい》に|帰《き》したる|神政《しんせい》は|日《ひ》に|月《つき》に|降盛《りうせい》の|域《ゐき》に|達《たつ》した。
|世《よ》の|終《をは》りに|近《ちか》づきしこの|際《さい》、かくも|勢力《せいりよく》|頓《とみ》に|加《くは》はるのは、|恰《あたか》も|燈火《とうくわ》の|滅《めつ》せむとする|時《とき》その|光《ひかり》|却《かへつ》て|強《つよ》く|輝《かがや》きわたるやうなものである。
アーメニヤを|中心《ちうしん》として|集《あつ》まり|来《きた》る|数多《あまた》の|神々《かみがみ》は、|孰《いづ》れも|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|行動《かうどう》を|取《と》り、|自由《じいう》を|鼓吹《こすゐ》し|天地《てんち》の|神明《しんめい》を|無視《むし》し、|利己《りこ》|一遍《いつぺん》に|傾《かたむ》き、ここに|天地《てんち》の|律法《りつぱふ》は|全《まつ》たく|破壊《はくわい》されて|了《しま》つた。
ウラル|彦《ひこ》は|勢《いきほひ》を|得《え》て、|遂《つひ》に|氷炭《ひようたん》|相容《あひい》れざる|盤古神王《ばんこしんわう》をウラル|山上《さんじやう》より|駆逐《くちく》せむとし、|暗夜《あんや》に|乗《じやう》じて|八方《はつぱう》より|短兵《たんぺい》|急《きふ》に|攻《せ》め|寄《よせ》た。
|然《しか》るに|盤古神王《ばんこしんわう》は|天地《てんち》の|大恩《だいおん》を|悟《さと》り|律法《りつぱふ》を|遵守《じゆんしゆ》し、|敵《てき》の|襲来《しふらい》に|対《たい》して|天運《てんうん》と|諦《あきら》め、|少《すこ》しも|抵抗《ていかう》しなかつた。
|元来《ぐわんらい》ウラル|彦《ひこ》は|盤古神王《ばんこしんわう》の|肉身《にくしん》の|子《こ》なる|常世彦《とこよひこ》の|子《こ》にして、|云《い》はば|神王《しんわう》の|孫《まご》に|当《あた》るのである。されど|大蛇《をろち》の|霊《れい》に|左右《さいう》せられたるウラル|彦《ひこ》は|五倫五常《ごりんごじやう》の|大道《だいだう》を|忘却《ばうきやく》し、|心神常暗《しんしんとこやみ》となつて、|遂《つひ》に|天位《てんゐ》の|慾《よく》に|絡《から》まれ、かくの|如《ごと》き|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|行為《かうゐ》に|出《い》でたのである。|実《じつ》に|邪神《じやしん》|位《くらゐ》|恐《おそ》ろしきものは|世《よ》にないのである。|如何《いか》に|善良《ぜんりやう》なる|神《かみ》と|雖《いへど》も、その|心身《しんしん》に|空隙《くうげき》または|油断《ゆだん》あるときは、たちまち|邪霊《じやれい》|襲来《しふらい》して|非行《ひかう》を|遂行《すゐかう》せしめ、|大罪《だいざい》を|犯《をか》さしむるものである。
|傀儡師《くわいらいし》|胸《むね》にかけたる|人形箱《にんぎやうばこ》
|鬼《おに》を|出《だ》したり|仏《ほとけ》|出《だ》したり
|善《ぜん》になるも|悪《あく》に|復《かへ》るも|皆《みな》|精神《せいしん》の|持方《もちかた》|一《ひと》つにあるを|思《おも》へば、|精神《せいしん》|位《くらゐ》|恐《おそ》ろしきものはない。
ここに|盤古神王《ばんこしんわう》は|覚悟《かくご》を|定《さだ》め、ウラル|彦《ひこ》の|蹂躙《じうりん》に|一任《いちにん》し、|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》をとることとなり、|天《てん》を|拝《はい》し|地《ち》を|拝《はい》し、|一切《いつさい》の|結果《けつくわ》を|大神《おほかみ》の|命《めい》に|一任《いちにん》し|奉《たてまつ》つた。
|奥殿《おくでん》に|賓客《ひんきやく》として|留《とど》まり|居《ゐ》たる|宣伝使《せんでんし》|日《ひ》の|出神《でのかみ》は、|盤古神王《ばんこしんわう》を|励《はげ》まし、|塩長姫《しほながひめ》および|塩治姫《しほはるひめ》と|共《とも》に|夜陰《やいん》に|紛《まぎ》れてウラルの|深林《しんりん》に|隠《かく》れ、|辛《から》うじて|聖地《せいち》ヱルサレムに|難《なん》を|逃《のが》れ、|荒《あ》れ|果《はて》たる|聖地《せいち》に|形《かたち》ばかりの|仮殿《かりでん》を|造《つく》り、ここに|天地神明《てんちしんめい》を|祀《まつ》り、|世界《せかい》の|混乱《こんらん》|鎮定《ちんてい》の|祈願《きぐわん》に|余念《よねん》なかつた。
|天上《てんじやう》の|星《ほし》は|常規《じやうき》を|逸《いつ》して|運行《うんかう》し、|地《ち》は|絶《た》えず|震動《しんどう》して|轟々《がうがう》たる|音響《おんきやう》を|立《た》て、|空《そら》|行《ゆ》く|諸鳥《もろどり》は|残《のこ》らず|地《ち》に|落下《らくか》し、|日月《じつげつ》は|光《ひかり》|褪《あ》せ、|雨《あめ》|頻《しき》りに|降《ふ》り|来《きた》つて|諸川《しよせん》|氾濫《はんらん》し、|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》は|日夜《にちや》|塗炭《とたん》の|苦《くる》しみを|嘗《な》むるに|至《いた》りぬ。
(大正一一・一・一四 旧大正一〇・一二・一七 井上留五郎録)
第四七章 |改言改過《かいげんかいくわ》〔二四七〕
ウラル|彦《ひこ》、ウラル|姫《ひめ》は、|一時《いちじ》|地上《ちじやう》の|神界《しんかい》を|意《い》の|如《ごと》くに|掌握《しやうあく》し、|権勢《けんせい》|並《なら》ぶものなく、|遂《つひ》に|盤古神王《ばんこしんわう》を|排斥《はいせき》して|自《みづか》らその|地位《ちゐ》になほり、|茲《ここ》に|盤古神王《ばんこしんわう》と|自称《じしよう》するに|致《いた》つた。
|盤古神王《ばんこしんわう》は|再《ふたた》び|常世城《とこよじやう》を|回復《くわいふく》せむとし、|数多《あまた》の|勇猛《ゆうまう》なる|神人《しんじん》を|引率《いんそつ》し、|大海《たいかい》を|渡《わた》つて|常世《とこよ》の|国《くに》に|攻寄《せめよ》せ、|常世神王《とこよしんわう》に|向《むか》つて|帰順《きじゆん》を|迫《せま》つた。|常世神王《とこよしんわう》を|初《はじ》め|大鷹別《おほたかわけ》は、その|真《まこと》の|盤古《ばんこ》に|非《あら》ざることを|看破《かんぱ》し、|一言《いちごん》の|下《もと》に|要求《えうきう》を|拒絶《きよぜつ》し、|俄《にはか》に|戦備《せんび》を|整《ととの》へ|防戦《ばうせん》の|用意《ようい》に|取《と》りかかつた。
ここに|両軍《りやうぐん》の|戦端《せんたん》は|最《もつと》も|猛烈《まうれつ》に|開始《かいし》された。|天《てん》|震《ふる》ひ|地《ち》|動《ゆる》ぎ、|暴風《ばうふう》|怒濤《どたう》|百雷《ひやくらい》の|一時《いちじ》に|轟《とどろ》く|如《ごと》き|惨澹《さんたん》たる|修羅場《しゆらぢやう》と|化《くわ》し|去《さ》つた。|地上《ちじやう》の|神将《しんしやう》|神卒《しんそつ》は、|或《あるひ》は|常世神王《とこよしんわう》に|或《あるひ》は|盤古神王《ばんこしんわう》に|随従《ずゐじゆう》して|極力《きよくりよく》|火花《ひばな》を|散《ち》らして、|各地《かくち》に|戦闘《せんとう》は|開始《かいし》された。
|時《とき》しも|連日《れんじつ》の|雨《あめ》は|益々《ますます》|激《はげ》しく、|暴風《ばうふう》|凄《すさ》まじく、|遂《つひ》には|太平洋《たいへいやう》の|巨浪《きよらう》は|陸地《りくち》を|舐《な》め、|遂《つひ》に|常世城《とこよじやう》は|水中《すゐちう》に|没《ぼつ》せむとするに|到《いた》つた。|茲《ここ》において|盤古神王《ばんこしんわう》は|一先《ひとま》づその|魔軍《まぐん》を|引返《ひきかへ》して、ウラル|山《さん》に|帰《かへ》らむとした。されど|海浪《かいらう》|高《たか》く|暴風《ばうふう》|吹《ふ》き|荒《すさ》みて、|一歩《いつぽ》も|前進《ぜんしん》することが|出来《でき》なかつたのである。さすが|兇悪《きやうあく》なる|大蛇《をろち》の|身魂《みたま》も|金狐《きんこ》の|邪霊《じやれい》も、これに|対《たい》しては|如何《いかん》ともするの|途《みち》がなかつた。
|凡《すべ》て|邪神《じやしん》は、|平安《へいあん》|無事《ぶじ》の|時《とき》においては、その|暴威《ばうゐ》を|逞《たくま》しうすれども、|一朝《いつてう》|天地神明《てんちしんめい》の|怒《いか》りによりて|発生《はつせい》せる|天変地妖《てんぺんちえう》の|災禍《さいくわ》に|対《たい》しては、|少《すこ》しの|抵抗力《ていかうりよく》もなく、|恰《あたか》も|竜《りう》の|時《とき》を|失《うしな》ひて|蠑〓《ゐもり》、|蚯蚓《みみず》となり、|土中《ちちう》または|水中《すゐちう》に|身《み》を|潜《ひそ》むるごとき|悲惨《ひさん》な|境遇《きやうぐう》に|落下《らくか》するものである。これに|反《はん》して|至誠《しせい》|至実《しじつ》の|善神《ぜんしん》は|一難《いちなん》|来《きた》る|毎《ごと》にその|勇気《ゆうき》を|増《ま》し、つひに|神力《しんりき》|潮《うしほ》の|如《ごと》くに|加《くは》はり|来《きた》つて、|回天動地《くわいてんどうち》の|大活動《だいくわつどう》を|為《な》すものである。
|天《てん》は|鳴動《めいどう》し、|地《ち》は|動揺《どうえう》|激《はげ》しく|海嘯《つなみ》しきりに|迫《せま》つて、|今《いま》や|常世城《とこよじやう》は|水中《すゐちう》に|没《ぼつ》せむとした。|常世神王《とこよしんわう》は|大《おほい》に|驚《おどろ》き、|天地《てんち》を|拝《はい》し|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|東北《とうほく》の|空《そら》|高《たか》く|天教山《てんけうざん》の|方面《はうめん》に|向《むか》ひ、
『|三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》 |一度《いちど》に|開《ひら》く|兄《こ》の|花《はな》の
この|世《よ》を|救《すく》ふ|生神《いきがみ》は |天教山《てんけうざん》に|坐《ま》しますか
あゝ|有難《ありがた》や、|尊《たふと》しや この|世《よ》を|教《をし》ふる|生神《いきがみ》は
|地教《ちけう》の|山《やま》に|坐《ま》しますか |御稜威《みいづ》は|高《たか》き|高照《たかてる》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|神徳《しんとく》を |仰《あふ》がせたまへ|常世国《とこよくに》
|常世《とこよ》の|城《しろ》は|沈《しづ》むとも |水《みづ》に|溺《おぼ》れて|死《し》するとも
|神《かみ》の|授《さづ》けしこの|身魂《みたま》 【みたま】ばかりは|永遠《とこしへ》に
|助《たす》けたまへよ|天地《あめつち》の |元津御神《もとつみかみ》よ|皇神《すめかみ》よ』
と|讃美歌《さんびか》を|唱《とな》へた。|忽《たちま》ち|中空《ちうくう》に|例《れい》の|天橋《てんけう》|現《あら》はれ、|銀線《ぎんせん》の|鉤《かぎ》、|常世神王《とこよしんわう》|始《はじ》め|大鷹別《おほたかわけ》その|他《た》の|目覚《めざ》めたる|神々《かみがみ》の|身体《からだ》の|各所《かくしよ》に|触《ふ》るるよと|見《み》るまに、|諸神《しよしん》の|身体《しんたい》は|中空《ちうくう》に|釣《つ》り|上《あ》げられてしまつた。
ウラル|彦《ひこ》の|魔軍《まぐん》は|大半《たいはん》|水《みづ》に|溺《おぼ》れて|生命《いのち》を|落《おと》し、その|余《よ》は|有《あら》ゆる|船《ふね》に|身《み》を|托《たく》し、あるいは|鳥船《とりぶね》に|乗《じやう》じ、ウラルの|山頂《さんちやう》|目蒐《めが》けて|生命《いのち》からがら|遁走《とんそう》した。
(大正一一・一・一四 旧大正一〇・一二・一七 外山豊二録)
第四八章 |弥勒塔《みろくたふ》〔二四八〕
|国治立尊《くにはるたちのみこと》の|退隠《たいいん》せられ、|天使長《てんしちやう》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》|以下《いか》の|神人《かみがみ》もその|責《せめ》を|負《お》ひて|各自《かくじ》|配所《はいしよ》の|月《つき》を|眺《なが》め|給《たま》ふ|事《こと》になり、|後《のち》には|八王大神《やつわうだいじん》|天下《てんか》の|諸神人《しよしん》を|集《あつ》めて|神政《しんせい》を|樹立《じゆりつ》し|栄華《えいぐわ》を|誇《ほこ》りたるも、|槿花一朝《きんくわいつてう》の|夢《ゆめ》の|間《ま》、|注意《ちうい》|周到《しうたう》なるその|神政《しんせい》も|天地神明《てんちしんめい》の|怒《いか》りに|触《ふ》れて|怪事《くわいじ》|百出《ひやくしゆつ》し、|遂《つひ》には|居《ゐ》たたまらなくなつて、アーメニヤの|野《の》に|神都《しんと》を|移《うつ》したのは|既《すで》に|前《まへ》に|述《の》べた|通《とほ》りである。それより|聖地《せいち》ヱルサレムは|統率者《とうそつしや》なく、|殆《ほとん》ど|荒廃《くわうはい》に|帰《き》し、|僅《わづか》に|昔《むかし》の|名残《なごり》を|留《とど》むるのみの|薄野《すすきの》となり|変《かは》りたる|聖地《せいち》は、|武蔵野《むさしの》の|哀《あはれ》を|秋《あき》の|虫《むし》の|音《ね》に|止《とど》め、|雪《ゆき》の|晨《あした》|霜《しも》の|夕《ゆふ》べ、|炉辺《ろへん》わずかに|物語《ものがた》りを|残《のこ》すのみであつた。
ここに|真心彦命《うらひこのみこと》の|従神《じゆうしん》なりし|国彦《くにひこ》、|国姫《くにひめ》より|生《うま》れ|出《い》でたる|真道知彦《まみちしるひこ》、|青森彦《あをもりひこ》、|梅ケ香彦《うめがかひこ》は、|天教山《てんけうざん》の|神《かみ》の|教《をしへ》を|宣伝使《せんでんし》|祝部神《はふりべのかみ》より|聞《き》き|伝《つた》へ、ここにいよいよ|意《い》を|決《けつ》し、|聖地《せいち》ヱルサレムに|神政《しんせい》を|復古《ふくこ》せむとし、その|兄弟《きやうだい》|三神《さんしん》の|男神《をがみ》は|心《こころ》を|協《あは》せ、|力《ちから》を|一《いつ》にして|神政《しんせい》の|端緒《たんしよ》を|開《ひら》き、|父母《ふぼ》|二神《にしん》をして|聖地《せいち》の|主管者《しゆくわんしや》と|仰《あふ》ぎ、|三柱《みはしら》の|兄弟《きやうだい》のみがその|神政《しんせい》を|補佐《ほさ》する|事《こと》となつた。|諸方《しよはう》に|散乱《さんらん》したる|神人《かみがみ》は、この|吉報《きつぱう》を|聞《き》きて|山《やま》の|谷々《たにだに》、|野《の》の|末《すゑ》より|雲霞《うんか》の|如《ごと》く|集《あつ》まり|来《きた》り、|国彦《くにひこ》、|国姫《くにひめ》の|神政《しんせい》に|再生《さいせい》の|思《おも》ひをなして|奉仕《ほうし》したのである。しかるに|国彦《くにひこ》、|国姫《くにひめ》は|第三巻《だいさんくわん》に|略述《りやくじゆつ》して|置《おき》たるが|如《ごと》く、|放縦《はうじゆう》にして|節制《せつせい》なく、|三柱《みはしら》の|神人《かみ》の|諫言《かんげん》をも|聞《き》かず、|再《ふたた》び|聖地《せいち》は|混沌《こんとん》の|域《ゐき》に|立《た》ち|帰《かへ》つてしまつた。
|三重《みへ》の|金殿《きんでん》は、|前述《ぜんじゆつ》の|如《ごと》く、|際限《さいげん》なきまでに|金色《こんじき》の|両刃《もろは》の|剣《つるぎ》となつて|天上《てんじやう》に|延長《えんちやう》してしまつた。これを|天《あま》の|浮橋《うきはし》といひ、その|両刃《もろは》の|剣《つるぎ》の|形《かたち》をなして|天《てん》に|冲《ちゆう》するときをミロク|塔《たふ》といふ。
|天教山《てんけうざん》の|宣伝使《せんでんし》|祝部神《はふりべのかみ》は、|昼夜《ちうや》の|区別《くべつ》なくヱルサレムを|中心《ちうしん》に、|遠近《ゑんきん》の|山河原野《さんかげんや》を|跋渉《ばつせふ》して|盛《さかん》に|宣伝歌《せんでんか》を|伝《つた》へ、かつ|非常《ひじやう》に|備《そな》ふるため、|各自《かくじ》に|方船《はこぶね》を|造《つく》らしむる|事《こと》を|命《めい》じた。|諸神人《しよしんじん》はあるひは|信《しん》じ|或《あるひ》は|疑《うたが》ひ、|宣伝使《せんでんし》の|教《をしへ》を|心底《しんてい》より|信《しん》ずるものは、|殆《ほとん》ど|千中《せんちう》の|一《いつ》にも|当《あ》たらぬ|程《ほど》の|少数《せうすう》であつた。|真道知彦《まみちしるひこ》は|二柱《ふたはしら》の|弟《おとうと》と|共《とも》に、|橄欖山《かんらんざん》の|大樹《たいじゆ》を|伐《き》り、|神人《しんじん》を|救《すく》はむために|数多《あまた》の|方船《はこぶね》を|造《つく》り|始《はじ》めた。|国彦《くにひこ》、|国姫《くにひめ》の|二神司《にしん》は、|極力《きよくりよく》これに|反対《はんたい》し、|怪乱《くわいらん》|狂暴《きやうばう》の|詭言《きげん》となし、|方船《はこぶね》|政策《せいさく》を|厳禁《げんきん》してしまつた。
この|時《とき》ウラル|山《さん》を|逃《のが》れ、|山野河海《さんやかかい》を|跋渉《ばつせふ》して|漸《やうや》くここに|辿《たど》り|着《つ》きたる|盤古神王《ばんこしんわう》|始《はじ》め|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|一行《いつかう》は、|欣然《きんぜん》として|数多《あまた》の|正《ただ》しき|神々《かみがみ》を|引率《いんそつ》して|聖地《せいち》に|到着《たうちやく》した。さしも|閑寂《かんじやく》なりし|聖地《せいち》ヱルサレムは、ここに|殷盛《いんせい》を|極《きはむ》る|事《こと》となつた。|時《とき》しも|天地《てんち》は|震動《しんどう》し、|星《ほし》は|空中《くうちう》に|乱《みだ》れ|散《ち》り、|怪《あや》しき|音響《おんきやう》は|昼夜《ちうや》|間断《かんだん》なく|四方《しはう》に|響《ひび》き、|雨《あめ》は|沛然《はいぜん》として|滝《たき》のごとく|連日《れんじつ》|連夜《れんや》|降《ふ》り|頻《しき》り、さしもに|高《たか》き|蓮華台上《れんげだいじやう》の|聖地《せいち》も|半《なかば》|水中《すゐちう》に|没《ぼつ》せむとした。あゝこの|結果《けつくわ》は|果《はた》してどうなるのであらうか。
(大正一一・一・一四 旧大正一〇・一二・一七 加藤明子録)
第四九章 |水魚《すゐぎよ》の|煩悶《はんもん》〔二四九〕
|盤古神王《ばんこしんわう》は、|心身《しんしん》ともに|解脱《げだつ》して|玲瓏玉《れいろうたま》の|如《ごと》く、|威風《ゐふう》|堂々《だうだう》あたりを|払《はら》ひながら、|聖地《せいち》ヱルサレムを|指《さ》して、|最《もつと》も|謹厳《きんげん》なる|態度《たいど》を|持《ぢ》しつつ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|導《みちび》かれて、|数百《すうひやく》の|従神《じうしん》と|共《とも》に|安着《あんちやく》した。
ここに|真道知彦命《まみちしるひこのみこと》、|青森彦《あをもりひこ》、|梅ケ香彦《うめがかひこ》の|三柱《みはしら》の|兄弟神《きやうだいしん》は、|心《こころ》の|底《そこ》より|之《これ》を|歓迎《くわんげい》し、|煎豆《いりまめ》に|花《はな》|咲《さ》き|出《い》でたる|如《ごと》く、|欣喜《きんき》|雀躍《じやくやく》して、|手《て》の|舞《ま》ひ|足《あし》の|踏《ふ》むところを|知《し》らなかつた。|然《しか》るに|一方《いつぱう》|国彦《くにひこ》、|国姫《くにひめ》は、その|三柱《みはしら》の|肉身《にくしん》の|父母《ふぼ》に|坐《まし》ませども、|放逸邪慳《はういつじやけん》にして|少《すこ》しも|天則《てんそく》を|守《まも》らず、|残虐《ざんぎやく》の|行動《かうどう》|日《ひ》に|月《つき》に|甚《はなは》だしく、|為《ため》に|妖邪《えうじや》の|気《き》|四辺《しへん》に|満《み》ち、|再《ふたた》び|怪事《くわいじ》|百出《ひやくしゆつ》、|暗黒界《あんこくかい》とならむとしつつありし|際《さい》とて、|三柱《みはしら》は|暗夜《あんや》に|光明《くわうみやう》を|得《え》たるごとく|随喜渇仰《ずゐきかつかう》したのも|無理《むり》はない。|梅ケ香彦《うめがかひこ》は|形《かたち》ばかりの|仮宮《かりみや》に、|盤古神王《ばんこしんわう》を|始《はじ》め、|日の出神《ひのでのかみ》を|導《みちび》き、|酒肴《しゆかう》を|供《そな》へて|遠来《ゑんらい》の|労苦《らうく》を|慰《なぐさ》め|歌《うた》ふ。
『|常世《とこよ》ゆく|世《よ》は|烏羽玉《うばたま》の|暗《くら》くして |万《よろづ》の|禍《まが》の|雄叫《をたけ》びは
|五月蠅《さばへ》のごとく|群《む》れ|起《おこ》り |天《あめ》が|下《した》なる|神人《しんじん》の
|闇路《やみぢ》を|辿《たど》る【あはれさ】を |国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》は
|助《たす》けむものと|現世《うつしよ》を |照《て》らす|日《ひ》の|出《で》の|神様《かみさま》や
|万古不易《ばんこふえき》に|世《よ》を|守《まも》る |盤古神王《ばんこしんわう》を|現《あら》はして
|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に|宮柱《みやばしら》 |太《ふと》しき|立《た》てて|神《かみ》の|世《よ》の
|聖《きよ》き|祭《まつ》りををさめむと |神《かみ》の|中《なか》よりヱルサレム
|選《えら》みに|選《えら》みし|誠神《まことがみ》 |現《あら》はれますか|有難《ありがた》や
|真《まこと》の|道《みち》を|知《し》る|彦《ひこ》の |嬉《うれ》しき|神代《みよ》に|青森《あをもり》や
|梅ケ香《うめがか》|清《きよ》きこの|園《その》に |三柱神《みはしらがみ》の|現《あら》はれて
|神《かみ》の|律法《おきて》を|守《まも》りつつ |堅磐常磐《かきはときは》の|本《もと》の|世《よ》の
|礎《いしずゑ》かたく|搗《つ》き|固《かた》め |高天原《たかあまはら》に|千木《ちぎ》|高《たか》く
|仕《つか》へまつりて|治《をさ》めむと |吾《あ》が【たらちね】の|国彦《くにひこ》や
|国姫司《くにひめがみ》に|言問《ことと》へど |心《こころ》|荒《すさ》びし|両親《たらちね》の
|吾《われ》らが|諫《いさ》め|木耳《きくらげ》の |耳《みみ》に|等《ひと》しきかなしさよ
この|世《よ》を|照《て》らし|助《たす》けむと |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|計《はか》らひに
|盤古大神《ばんこだいじん》あれまして |治《をさ》め|給《たま》はば|幾千代《いくちよ》も
|世《よ》は|常久《とこしへ》に|安《やす》からむ |浦安国《うらやすくに》の|浦安《うらやす》く
|治《をさ》まる|御代《みよ》を|松風《まつかぜ》や |大木《おほき》の|枝《えだ》の|葉《は》も|茂《しげ》り
|千年《ちとせ》の|鶴《つる》の|舞遊《まひあそ》ぶ |聞《き》くも|目出度《めでた》き|松《まつ》の|代《よ》の
|聞《き》くも|目出度《めでた》き|松《まつ》の|代《よ》の |名《な》も|高砂《たかさご》と|響《ひび》くらむ
|名《な》も|高砂《たかさご》と|響《ひび》くらむ』
と|謡《うた》ひて|歓迎《くわんげい》の|意《い》を|表《へう》したり。|国彦《くにひこ》、|国姫《くにひめ》の|二神司《にしん》は、|三柱《みはしら》の|吾《わ》が|子《こ》の|心底《しんてい》より|盤古神王《ばんこしんわう》の|到着《たうちやく》を|歓《よろこ》び、|神王《しんわう》を|奉《ほう》じて、ふたたび|聖地《せいち》を|回復《くわいふく》せむとするを|見《み》て、|心中《しんちう》|快《こころよ》からず、|極力《きよくりよく》|親《おや》の|威光《ゐくわう》を|笠《かさ》に|着《き》て、|妨害《ばうがい》を|加《くは》へむとした。されど|三柱《みはしら》の|神司《かみ》は、|神明《しんめい》に|背反《はいはん》し、|律法《りつぱふ》を|攪乱《かくらん》する|父母《ふぼ》を|奉《ほう》じて、ますますこの|上《うへ》に|父母《ふぼ》に|罪《つみ》を|重《かさ》ねしめ、かつ|天下《てんか》|万人《ばんにん》の|禍《わざはひ》を|坐視《ざし》するに|忍《しの》びず、|涙《なみだ》を|呑《の》んで、|大義《たいぎ》|親《しん》を|滅《めつ》するの|態度《たいど》に|出《い》で、|盤古神王《ばんこしんわう》を|奉《ほう》じて|総統神《そうとうしん》と|仰《あふ》ぎ、|日の出神《ひのでのかみ》を|補佐《ほさ》として、|神務《しんむ》と|神政《しんせい》とを|復活《ふくくわつ》したのである。されど|天地《てんち》は|暗澹《あんたん》として|前述《ぜんじゆつ》のごとく|曇《くも》り|霽《は》れず、|日夜《にちや》|覆盆《ふくぼん》の|雨《あめ》は、ザアザアと|滝《たき》の|如《ごと》く|降《ふ》りしきりける。
(大正一一・一・一四 旧大正一〇・一二・一七 藤原勇造録)
第五〇章 |磐樟船《いはくすぶね》〔二五〇〕
|生者必滅《しやうじやひつめつ》、|会者定離《ゑしやぢやうり》、|栄古盛衰《えいこせいすゐ》は|世《よ》の|習《なら》ひとは|云《い》ひながら、|一時《いちじ》は|聖地《せいち》ヱルサレムの|神都《しんと》において、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》と|共《とも》に|天使《てんし》の|職《しよく》の|就《つ》きたりし|機略《きりやく》|縦横《じうわう》の|神人《しんじん》も、|今《いま》は|配所《はいしよ》の|月《つき》を|見《み》る、|苦《くる》しき|憂《う》きに|大足彦《おほだるひこ》の、|神《かみ》の|命《みこと》の|成《な》れの|果《はて》、この|世《よ》を|忍《しの》ぶ|足真彦《だるまひこ》、|神《かみ》と|現《あら》はれ|荒《あ》れ|狂《くる》ふ、|魔神《まがみ》の|荒《すさ》びを|鎮《しづ》めむと、|神国《みくに》を|思《おも》ふ|真心《まごころ》の、|心《こころ》の|駒《こま》に|鞭打《むちう》ちて、|山野河海《さんやかかい》を|駆《か》け|廻《めぐ》り、|天教山《てんけうざん》の|神示《しんじ》をば、|四方《よも》に|伝《つた》ふる|常磐木《ときはぎ》の、|松《まつ》の|心《こころ》ぞ|勇《いさ》ましき。|足真彦《だるまひこ》は、
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》、|開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》ぶ。|時鳥《ほととぎす》|声《こゑ》は|聞《き》けども|姿《すがた》は|見《み》えぬ』
と|世《よ》を|忍《しの》ぶ|幽《かす》かな|声《こゑ》に|四方《しはう》を|逍遙《さまよ》ひながら、|漸《やうや》うここに|歩《あゆ》みくる。
|淵瀬《ふちせ》と|変《かは》る|仮《かり》の|世《よ》の、|昨日《きのふ》や|今日《けふ》の|飛鳥川《あすかがは》、|彼岸《ひがん》に|渡《わた》す|弥勒《みろく》の|世《よ》、|弥勒《みろく》|神政《しんせい》の|成就《じやうじゆ》を、|深《ふか》く|心《こころ》に|掛巻《かけま》くも、|畏《かしこ》き|神《かみ》の|宣伝使《せんでんし》。
ここは|常世《とこよ》の|国《くに》の|紅《くれなゐ》の|郷《さと》である。|紅《くれなゐ》の|館《やかた》には|蓑彦《みのひこ》といふこの|地方《ちはう》を|治《をさ》むる|正《ただ》しき|神人《かみ》があつた。
|足真彦《だるまひこ》は|門前《もんぜん》に|立《た》ち|現《あら》はれ、この|宣伝歌《せんでんか》を|小声《こごゑ》に|謡《うた》ひつつ、|淋《さび》しげに|通《とほ》り|過《す》ぎた。
|少《すこ》し|前方《ぜんぱう》に|当《あた》つて、|頻《しきり》に|木《き》を|伐《き》る|音《おと》が|聞《きこ》えた。|足真彦《だるまひこ》は|不知不識《しらずしらず》その|音《おと》のする|方《はう》に|歩《あゆ》みを|運《はこ》びつつあつた。
|数十《すうじふ》|柱《はしら》の|神々《かみがみ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|汗《あせ》【みどろ】になつて、この|山林《さんりん》の|樟《くす》の|樹《き》の|伐採《ばつさい》に|余念《よねん》がなかつた。|棟梁神《とうりやうしん》と|覚《おぼ》しき|図体《づうたい》の|長大《ちやうだい》なる|色《いろ》の|黒《くろ》き|神《かみ》は、|神々《かみがみ》に|向《むか》つて、
『オーイ|皆《みな》の|神《かみ》たち、モウ|休息《きうそく》してもよいぢやないか』
と|呶鳴《どな》る。|数多《あまた》の|神々《かみがみ》は|鶴《つる》の|一声《ひとこゑ》に、|得物《えもの》をその|場《ば》に|捨《す》て、|一所《いつしよ》に|集《あつ》まり、|倒《たふ》した|木《き》に|腰《こし》を|掛《か》けながら、|四方山《よもやま》の|話《はなし》に|花《はな》が|咲《さ》いた。
|甲《かふ》『オイ|皆《みな》の|者《もの》、|昔《むかし》から|紅《くれなゐ》の|郷《さと》の|名物《めいぶつ》といはれたこの|樟樹山《くすのきやま》を、|毎日々々《まいにちまいにち》|伐採《ばつさい》するなんて、|一体《いつたい》、こりや|何《なん》のためだらうな。|蓑彦神《みのひこのかみ》さまも、ちつとこの|頃《ごろ》はどうかして|居《を》りはせぬかな』
と|辺《あた》りを|憚《はばか》る|様《やう》な|手付《てつ》きをして、そこらを【きよろきよろ】|見廻《みまは》しながら|口《くち》を|切《き》つた。
|乙《おつ》『ナンダとー。【くすくす】|云《い》ふに|及《およ》ばぬ、|凡夫《ぼんぶ》の|分際《ぶんざい》として、|蓑彦《みのひこ》|様《さま》の|御精神《ごせいしん》が|判《わか》つてたまるかい。|只《ただ》お|前《まへ》たちや|黙《だま》つて|仰《あほせ》の【まにまに】|俯向《うつむ》いて|働《はたら》いて|居《を》りやよいのだ。|大神《おほかみ》さまの|為《な》さることを【くすくす】|批評《ひひやう》するのは、【みの】|彦《ひこ》、おつと、どつこい、|身《み》の|上《うへ》|知《し》らずといふのだよ』
|丙《へい》は|澄《す》ました|顔《かほ》をしながら|起《た》ち|上《あが》り、
『そもそもこの|山《やま》は|遠《とほ》き|神代《かみよ》の|昔《むかし》より』
|丁《てい》『おいおいそらなに|吐《ぬか》すのだい、|遠《とほ》きも|糞《くそ》もあつたかい。とぼけ|人足《にんそく》に|昔《むかし》からの|事《こと》が|判《わか》つてたまるかい。|俺《おれ》が|真正《ほんと》の|事《こと》あ|知《し》つてらー。この|頃《ごろ》それ、|蟻《あり》が|行列《ぎやうれつ》する|様《やう》にドンドンと|海《うみ》を|越《こ》えて|東《ひがし》の|国《くに》へ|渡《わた》る|奴《やつ》があるだろう。|彼奴《あいつ》はな、|宣伝使《せんでんし》とやらの|言《い》つたことに|胆《きも》を|潰《つぶ》しやがつて、|蟻《あり》のやうな|小《ちひ》さい|神《かみ》どもが、【ユルサレル】とか、【ユルサレム】とか、|何《なん》だか|妙《めう》な|名《な》の|付《つ》いた|都《みやこ》へ|助《たす》けて|貰《もら》ひに|行《ゆ》きよるのだと|云《い》う|事《こと》だよ。|蟻《あり》の|行列《ぎやうれつ》の|様《やう》に|沢山《たくさん》に|並《なら》んで、|有難《ありがた》いも|糞《くそ》もあつたものぢやない。それよりも|船《ふね》を|沢山《たくさん》に|持《も》つてをる|神人《かみがみ》こそ、|沢山《たくさん》な|船賃《ふなちん》を|取《と》りよつて、それをホントに|有難《ありがた》がつてをるから、|蓑彦《みのひこ》さまも|酢《す》でも、|蒟蒻《こんにやく》でも、おつとどつこい|誠《まこと》に|立派《りつぱ》な、お|賢《かしこ》い、|知慧《ちゑ》の|深《ふか》い、|利益《りえき》に|敏《さと》い、|気《き》の|利《き》いた、|賢明《けんめい》な、|敏捷《びんせう》な……』
|甲《かふ》『そりや|何《なに》を|吐《ぬ》かすのだい。|同《おんな》じことばかり|並《なら》べよつて、|早《はや》く|次《つ》ぎへ|切《き》り|上《あ》げて|先《さ》きを|言《い》はぬかい』
|丁《てい》『|切《き》り|上《あ》げて|言《い》へつたつて、コンナ|大樹《たいじゆ》がさう|早速《さつそく》に|伐《き》り|上《あ》げられるかい』
|甲《かふ》『|馬鹿《ばか》、その|次《つ》ぎを|早《はや》く|申《まを》せと|言《い》ふのだ』
|丁《てい》『その|次《つ》ぎはその|次《つ》ぎかい。それでな、|蓑彦《みのひこ》さまは|身《み》の|得《とく》を|考《かんが》へて、|沢山《たくさん》に|立派《りつぱ》な|船《ふね》を|造《つく》つて、|蟻《あり》のやうな|凡夫《ぼんぶ》を|沢山《たくさん》に|乗《の》せて|駄賃《だちん》を|吸《す》ひあげる|積《つも》りだよ。|吾々《われわれ》は|汗水《あせみづ》|垂《た》らして|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|木《き》を|伐《き》らされて、【ホント】に|気《き》が|利《き》かないよ』
|戊《ぼう》『|馬鹿《ばか》いへ、|蓑彦《みのひこ》はソンナ|慾《よく》な|神《かみ》さまぢやない。【よくも】|無《な》い|神人《かみ》さまだよ』
|丁《てい》『|慾《よく》ないから|悪《わる》いのだ。ソンナこと|言《い》つてゐると、|今《いま》にそれ|勝彦《かつひこ》のやうに、また【どえらい】|目玉《めだま》を|剥《む》かれて、|縮《ちぢ》み|上《あが》つて|吠面《ほえづら》かわいて|謝《あや》まらねばならぬ|事《こと》が|出来《でき》てくるワ』
|乙《おつ》『|真正《ほんと》の|事《こと》は、お|前《まへ》たちも|確乎《しつかり》せぬと|大洪水《だいこうずゐ》が|出《で》るのだよ。|蓑彦《みのひこ》さまは|吾々《われわれ》を|助《たす》けるために、|昔《むかし》から|秘蔵《ひざう》のこの|山《やま》を|伐《き》つて、|立派《りつぱ》に|樟《くす》の|船《ふね》を|造《つく》つて、サア|世界《せかい》の|大洪水《だいこうずゐ》といふ|時《とき》に、お|前《まへ》たちも|助《たす》けてやらうといふ|御精神《ごせいしん》ぢや。そりやもう、ちつとも|間違《まちが》ひはないよ。|吾々《われわれ》は|堅《かた》くかたく|信《しん》じてゐるのだ。|堅《かた》いといつたら|石《いし》に|証文《しようもん》、|岩《いは》に|判《はん》を|押《お》したやうなものだよ』
|丁《てい》『ソンナ|大洪水《だいこうずゐ》が|実際《じつさい》あるものだらうかな。|俺《おれ》もこの|間《あひだ》から、|何《なん》だか|気《き》に|掛《かか》るのだ。|毎日《まいにち》|日日《ひにち》、|今日《けふ》で|四五十日《しごじふにち》も|雨《あめ》は【ざあざあ】と|降《ふ》りつづくなり、|大河小川《おほかはをがは》の|堤《どて》が|切《き》れるなり、|低《ひく》いとこの|家《いへ》はみな|流《なが》されて|了《しま》ふなり、この|調子《てうし》で|二年《にねん》も|三年《さんねん》も|降《ふ》り|続《つづ》くものなら、それこそ|事《こと》だ。きつと|山《やま》も|何《なん》にも|沈《しづ》んでしまふに|違《ちが》ひない。マア、マア、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|蓑彦《みのひこ》さまの|仰《あふ》せに|従《したが》つて|働《はたら》かうかい』
|一同《いちどう》『それが|宜《よ》からう、それが|宜《よ》からう』
といつてまた|起《た》ち|上《あが》り、|樟《くす》の|伐採《ばつさい》に|着手《ちやくしゆ》せむとする|時《とき》、|低《ひく》い|声《こゑ》にて|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ひながら|出《で》て|来《く》る|神人《かみ》があつた。
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|常世《とこよ》の|暗《やみ》は|晴《は》れぬとも
|大地《だいち》は|泥《どろ》に|浸《ひた》るとも
|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ』
と|謡《うた》ひつつ|此方《こなた》に|向《むか》つて|進《すす》み|来《く》る。|神人《かみがみ》らはこの|宣伝使《せんでんし》の|歌《うた》に|耳《みみ》を|傾《かたむ》けた。|後《あと》より|又《また》もや、
『おーい、おーい』
と|呼《よ》ばはりながら、|宣伝使《せんでんし》の|後《あと》を|追《お》つかけて|来《く》る|威厳《ゐげん》ある|男《をとこ》ありき。|即《すなは》ちこれは|蓑彦《みのひこ》なりける。|一同《いちどう》は|大地《だいち》に|拝跪《はいき》した。
|蓑彦《みのひこ》は|宣伝使《せんでんし》にたいし、|鄭重《ていちよう》に|挨拶《あいさつ》をなし、かつ|地上《ちじやう》|神人《しんじん》の|為《ため》に|千辛万苦《せんしんばんく》を|排《はい》し、|世界《せかい》を|遍歴《へんれき》し|警告《けいこく》を|与《あた》へ|給《たま》ふその|至誠《しせい》を|感謝《かんしや》しつつ、|紅《くれなゐ》の|館《やかた》に|伴《ともな》ひ|帰《かへ》つた。
|足真彦《だるまひこ》は|蓑彦《みのひこ》に|導《みちび》かれ、|館《やかた》に|立《た》ち|入《い》り、|奥殿《おくでん》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》りぬ。
そこには|幾丈《いくぢやう》とも|知《し》れぬ|大岩石《だいがんせき》があつて、|数多《あまた》の|神人《かみがみ》の|姿《すがた》が|天然《てんねん》に|現《あら》はれて|居《ゐ》た。
よくよく|見《み》れば|王仁《おに》の|身《み》は、|高熊山《たかくまやま》の|岩窟《がんくつ》の|前《まへ》に、|何時《いつ》の|間《ま》にか|霊《れい》より|覚《さ》めて、|両眼《りやうがん》を【ぱつちり】|開《ひら》いてその|岩窟《がんくつ》を|眺《なが》めいたりけり。
(大正一一・一・一四 旧大正一〇・一二・一七 井上留五郎録)
(昭和一〇・三・二〇 於瀬戸内海航海中 王仁校正)
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霊界物語 第五巻 霊主体従 辰の巻
終り