霊界物語 第二巻 霊主体従 丑の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第二巻』愛善世界社
1993(平成05)年02月03日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2004年04月24日作成
2008年06月23日修正
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●目次
凡例
総説
第一篇 |神界《しんかい》の|混乱《こんらん》
第一章 |攻防《こうばう》|両軍《りやうぐん》の|配置《はいち》〔五一〕
第二章 |邪神《じやしん》の|再来《さいらい》〔五二〕
第三章 |美山彦命《みやまひこのみこと》の|出現《しゆつげん》〔五三〕
第四章 |真澄《ますみ》の|神鏡《かがみ》〔五四〕
第五章 |黒死病《ペスト》の|由来《ゆらい》〔五五〕
第六章 モーゼとエリヤ〔五六〕
第七章 |天地《てんち》の|合《あは》せ|鏡《かがみ》〔五七〕
第八章 |嫉視反目《しつしはんもく》〔五八〕
第二篇 |善悪《ぜんあく》|正邪《せいじや》
第九章 タコマ|山《やま》の|祭典《さいてん》 その一〔五九〕
第一〇章 タコマ|山《やま》の|祭典《さいてん》 その二〔六〇〕
第一一章 |狸《たぬき》の|土舟《つちぶね》〔六一〕
第一二章 |醜女《しこめ》の|活躍《くわつやく》〔六二〕
第一三章 |蜂《はち》の|室屋《むろや》〔六三〕
第三篇 |神戦《しんせん》の|経過《けいくわ》
第一四章 |水星《すゐせい》の|精《せい》〔六四〕
第一五章 |山幸《やまさち》〔六五〕
第一六章 |梟《ふくろ》の|宵企《よひだく》み〔六六〕
第一七章 |佐賀姫《さがひめ》の|義死《ぎし》〔六七〕
第一八章 |反間《はんかん》|苦肉《くにく》の|策《さく》〔六八〕
第一九章 |夢《ゆめ》の|跡《あと》〔六九〕
第四篇 |常世《とこよ》の|国《くに》
第二〇章 |疑問《ぎもん》の|艶書《えんしよ》〔七〇〕
第二一章 |常世《とこよ》の|国《くに》へ〔七一〕
第二二章 |言霊別命《ことたまわけのみこと》の|奇策《きさく》〔七二〕
第二三章 |竜世姫《たつよひめ》の|奇智《きち》〔七三〕
第二四章 |藻脱《もぬ》けの|殻《から》〔七四〕
第二五章 |蒲団《ふとん》の|隧道《トンネル》〔七五〕
第二六章 |信天翁《あはうどり》〔七六〕
第二七章 |湖上《こじやう》の|木乃伊《ミイラ》〔七七〕
第五篇 |神《かみ》の|慈愛《じあい》
第二八章 |高白山《かうはくざん》の|戦闘《せんとう》〔七八〕
第二九章 |乙女《をとめ》の|天使《てんし》〔七九〕
第三〇章 |十曜《とえう》の|神旗《しんき》〔八〇〕
第三一章 |手痛《ていた》き|握手《あくしゆ》〔八一〕
第三二章 |言霊別命《ことたまわけのみこと》の|帰城《きじやう》〔八二〕
第三三章 |焼野《やけの》の|雉子《きぎす》〔八三〕
第三四章 |義神《ぎしん》の|参加《さんか》〔八四〕
第三五章 |南高山《なんかうざん》の|神宝《しんぽう》〔八五〕
第三六章 |高白山上《かうはくさんじやう》の|悲劇《ひげき》〔八六〕
第三七章 |長高山《ちやうかうざん》の|悲劇《ひげき》〔八七〕
第三八章 |歓天喜地《くわんてんきち》〔八八〕
第六篇 |神霊《しんれい》の|祭祀《さいし》
第三九章 |太白星《たいはくせい》の|玉《たま》〔八九〕
第四〇章 |山上《さんじやう》の|神示《しんじ》〔九〇〕
第四一章 |十六社《じふろくしや》の|祭典《さいてん》〔九一〕
第四二章 |甲冑《かつちう》の|起源《きげん》〔九二〕
第四三章 |濡衣《ぬれぎぬ》〔九三〕
第四四章 |魔風《まかぜ》|恋風《こひかぜ》〔九四〕
第七篇 |天地《てんち》の|大道《だいだう》
第四五章 |天地《てんち》の|律法《りつぱう》〔九五〕
第四六章 |天則《てんそく》|違反《ゐはん》〔九六〕
第四七章 |天使《てんし》の|降臨《かうりん》〔九七〕
第四八章 |律法《りつぱう》の|審議《しんぎ》〔九八〕
第四九章 |猫《ねこ》の|眼《め》の|玉《たま》〔九九〕
第五〇章 |鋼鉄《まがね》の|鉾《ほこ》〔一〇〇〕
附録 第一回高熊山参拝紀行歌
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|本書《ほんしよ》は|王仁《わたし》が|明治《めいぢ》|三十一年《さんじふいちねん》|旧《きう》|如月《きさらぎ》|九日《ここのか》より、|同月《どうげつ》|十五日《じふごにち》にいたる|前後《ぜんご》|一週間《いつしうかん》の|荒行《あらぎやう》を|神界《しんかい》より|命《めい》ぜられ、|帰宅後《きたくご》また|一週間《いつしうかん》|床縛《とこしば》りの|修業《しうげふ》を|命《めい》ぜられ、その|間《あひだ》に|王仁《わたし》の|霊魂《れいこん》は|霊界《れいかい》に|遊《あそ》び、|種々《しゆじゆ》|幽界《いうかい》|神界《しんかい》の|消息《せうそく》を|実見《じつけん》せしめられたる|物語《ものがたり》であります。すべて|霊界《れいかい》にては|時間《じかん》|空間《くうかん》を|超越《てうえつ》し、|遠近《ゑんきん》|大小《だいせう》|明暗《めいあん》の|区別《くべつ》なく、|古今東西《ここんとうざい》の|霊界《れいかい》の|出来事《できごと》はいづれも|平面的《へいめんてき》に|霊眼《れいがん》に|映《えい》じますので、その|糸口《いとぐち》を|見付《みつ》け、なるべく|読者《どくしや》の|了解《れうかい》し|易《やす》からむことを|主眼《しゆがん》として|口述《こうじゆつ》いたしました。
|霊界《れいかい》の|消息《せうそく》に|通《つう》ぜざる|人士《じんし》は、|私《わたし》の『|霊界《れいかい》|物語《ものがたり》』を|読《よ》んで、|子供《こども》だましのおとぎ|話《はなし》と|笑《わら》はれるでせう。ドンキホーテ|式《しき》の|滑稽《こつけい》な|物語《ものがたり》と|嘲《あざけ》る|方《かた》もありませう。|中《なか》には|一篇《いつぺん》の|夢物語《ゆめものがたり》として|顧《かへり》みない|方《かた》もあるでせう。また|偶意的《ぐういてき》|教訓談《けうくんだん》と|思《おも》ふ|方《かた》もありませう。しかし|私《わたし》は|何《なん》と|批判《ひはん》されてもよろしい。|要《えう》は|一度《いちど》でも|読《よ》んでいただきまして、|霊界《れいかい》の|一部《いちぶ》の|消息《せうそく》を|窺《うかが》ひ、|神々《かみがみ》の|活動《くわつどう》を|幾分《いくぶん》なりと|了解《れうかい》して|下《くだ》されば、それで|私《わたし》の|口述《こうじゆつ》の|目的《もくてき》は|達《たつ》するのであります。
|本書《ほんしよ》の|述《の》ぶるところは|概《がい》してシオン|山《ざん》|攻撃《こうげき》の|神戦《しんせん》であつて、|国祖《こくそ》の|大神《おほかみ》が|天地《てんち》の|律法《りつぱう》を|制定《せいてい》したまひ、|第一《だいいち》に|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|天則《てんそく》|違反《ゐはん》の|罪《つみ》を|犯《をか》し|幽界《いうかい》に|神退《かむやら》ひに|退《やら》はれたまへる、|経緯《いきさつ》を|述《の》べたのであります。|本書《ほんしよ》を|信用《しんよう》されない|方《かた》は、|一《ひと》つのおとぎ|話《ばなし》か|拙《まづ》い|小説《せうせつ》として|読《よ》んで|下《くだ》さい。これを|読《よ》んで|幾分《いくぶん》なりとも、|精神上《せいしんじやう》の|立替立直《たてかへたてなほ》しのできる|方々《かたがた》があれば、|王仁《わたし》としては|望外《ばうぐわい》の|幸《さいはひ》であります。
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》。|艮《うしとら》の|金神《こんじん》の|世《よ》になりたぞよ。|須弥仙山《しゆみせんざん》に|腰《こし》を|掛《か》け、|鬼門《きもん》の|金神《こんじん》、|守《まも》るぞよ』との|神示《しんじ》は、|神世開基《ヨハ子》の|身魂《みたま》ともいふべき|教祖《けうそ》に|帰神《きしん》された|最初《さいしよ》の|艮《うしとら》の|金神様《こんじんさま》が、|救世《きうせい》のための|一大《いちだい》|獅子吼《ししく》であつた。アゝ|何《なん》たる|雄大《ゆうだい》にして、|荘厳《さうごん》なる|神言《しんげん》でありませうか。『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く』とは、|宇宙《うちう》|万有《ばんいう》|一切《いつさい》の|物《もの》に|活生命《くわつせいめい》を|与《あた》へ、|世界《せかい》のあらゆる|生物《せいぶつ》に、|安心立命《あんしんりつめい》の|神鍵《しんけん》を|授《さづ》けたまへる|一大《いちだい》|慈言《じげん》でありますまいか。
|口述者《こうじゆつしや》はいつも|此《こ》の|神言《かみごと》を|読《よ》む|度《たび》ごとに、|無限絶対《むげんぜつたい》、|無始無終《むしむしう》の|大原因神《おほもとがみ》の|洪大《こうだい》なる|御経綸《ごけいりん》と、その|抱負《はうふ》の|雄偉《ゆうゐ》にして、なんとなく|吾人《ごじん》が|心《こころ》の|海面《かいめん》に、|真如《しんによ》の|月《つき》の|光《ひか》り|輝《かがや》き、|慈悲《じひ》の|太陽《たいやう》の|宇内《うだい》を|一斉《いつせい》に|公平《こうへい》に|照臨《せうりん》したまひ、|万界《ばんかい》の|暗《やみ》を|晴《は》らしたまふやうな|心持《こころもち》になるのであります。
そして、『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く』と|宇宙《うちう》の|経綸《けいりん》を|竪《たて》に、しかと|完全《くわんぜん》に|言《い》ひ|表《あら》はし、|句《く》の|終《をは》りにいたつて『|梅《うめ》の|花《はな》』とつづめたるところ、あたかも|白扇《はくせん》を|拡《ひろ》げて|涼風《りやうふう》を|起《おこ》し、|梅《うめ》の|花《はな》の|小《ちひ》さき|要《かなめ》をもつて|之《これ》を|統一《とういつ》したる、|至大無外《しだいむぐわい》、|至小無内《しせうむない》の|神権《しんけん》|発動《はつどう》の|真相《しんさう》を|説明《せつめい》したまひしところ、|到底《たうてい》|智者《ちしや》、|学者《がくしや》などの|企《くはだ》て|及《およ》ぶべきところではない。
またその|次《つぎ》に『|須弥仙山《しゆみせんざん》に|腰《こし》をかけ、|艮《うしとら》の|金神《こんじん》|守《まも》るぞよ』との|神示《しんじ》がある。アゝこれまたなんたる|偉大《ゐだい》なる|神格《しんかく》の|表現《へうげん》であらうか。なんたる|大名文《だいめいぶん》であらうか。|到底《たうてい》|人心《じんしん》|小智《せうち》の|企及《ききふ》すべきところではない。そのほか、|大神《おほかみ》の|帰神《きしん》の|産物《さんぶつ》としては、|三千世界《さんぜんせかい》いはゆる|神界《しんかい》、|幽界《いうかい》、|現界《げんかい》にたいし、|神祇《しんぎ》はさらなり、|諸仏《しよぶつ》、|各人類《かくじんるい》にいたるまで|大慈《だいじ》の|神心《かみごころ》をもつて|警告《けいこく》を|与《あた》へ、|将来《しやうらい》を|顕示《けんじ》して、|懇切《こんせつ》いたらざるはなく、|実《じつ》に|古今《ここん》にその|類例《るゐれい》を|絶《た》つてゐる。
かかる|尊《たふと》き|大神《おほかみ》の|神示《しんじ》は、|俗人《ぞくじん》の|容易《ようい》に|解《かい》し|難《がた》きはむしろ|当然《たうぜん》の|理《り》にして、したがつて|誤解《ごかい》を|生《しやう》じ|易《やす》きところ、|口述者《こうじゆつしや》は|常《つね》にこれを|患《うれ》ひ、おほけなくも|神諭《しんゆ》の|一端《いつたん》をも|解釈《かいしやく》をほどこし、|大神《おほかみ》の|大御心《おほみこころ》の、|那辺《なへん》に|存《そん》するやを|明《あき》らかに|示《しめ》したく、|思《おも》ひ|煩《わづら》ふことほとんど|前後《ぜんご》|二十三年間《にじふさんねんかん》の|久《ひさ》しきにわたつた。されど|神界《しんかい》にては、その|発表《はつぺう》を|許《ゆる》したまはざりしため、|今日《こんにち》まで|御神諭《ごしんゆ》の|文章《ぶんしやう》の|意義《いぎ》については、|一言半句《いちごんはんく》も|説明《せつめい》したことは|無《な》かつたのであります。
しかるに|本年《ほんねん》の|旧《きう》|九月《くぐわつ》|八日《やうか》にいたつて、|突然《とつぜん》|神命《しんめい》は|口述者《こうじゆつしや》の|身魂《みたま》に|降《くだ》り、いよいよ|明治《めいぢ》|三十一年《さんじふいちねん》の|如月《きさらぎ》に、『|神《かみ》より|開示《かいじ》しおきたる|霊界《れいかい》の|消息《せうそく》を|発表《はつぺう》せよ』との|神教《しんけう》に|接《せつ》しましたので、|二十四年間《にじふよねんかん》わが|胸中《きようちう》に|蓄蔵《ちくざう》せる|霊界《れいかい》の|物語《ものがたり》を|発表《はつぺう》する|決心《けつしん》を|定《さだ》めました。しかるに|口述者《こうじゆつしや》は、|本春《ほんしゆん》|以来《いらい》|眼《め》を|病《や》み、|頭脳《づなう》を|痛《いた》めてより、|執筆《しつぴつ》の|自由《じいう》を|有《いう》せず、かつ|強《しひ》て|執筆《しつぴつ》せむとすれば、たちまち|眼《め》と|頭部《とうぶ》に|痛苦《つうく》を|覚《おぼ》え|如何《いかん》ともすること|能《あた》はず、|殆《ほと》んどその|取扱《とりあつか》ひについて|非常《ひじやう》に|心神《しんしん》を|悩《なや》めてゐたのであります。その|神教《しんけう》|降下《かうか》ありて|後《のち》、|十日《とをか》を|過《す》ぎし|十八日《じふはちにち》の|朝《あさ》にいたり、|神教《しんけう》ありて『|汝《なんぢ》は|執筆《しつぴつ》するを|要《えう》せず、|神《かみ》は|汝《なんぢ》の|口《くち》を|藉《か》りて|口述《こうじゆつ》すべければ、|外山豊二《とやまとよじ》、|加藤明子《かとうはるこ》、|桜井重雄《さくらゐしげお》、|谷口正治《たにぐちまさはる》の|四人《よにん》を|招《まね》き、|汝《なんぢ》の|口《くち》より|出《い》づるところの|神言《しんげん》を|筆録《ひつろく》せしめよ』とのことでありました。
そこで|自分《じぶん》はいよいよ|意《い》を|決《けつ》し、|並松《なみまつ》の|松雲閣《しよううんかく》に|隠棲《いんせい》して|霊媒者《れいばいしや》となり、|神示《しんじ》を|口伝《くちづた》へすることになつたのであります。|二十四年間《にじふよねんかん》|心《こころ》に|秘《ひ》めたる|霊界《れいかい》の|消息《せうそく》も、いよいよ|開《ひら》く|時津風《ときつかぜ》、|三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》、|薫《かを》る|常磐《ときは》の|松《まつ》の|代《よ》の、|神《かみ》の|経綸《しぐみ》の|開《ひら》け|口《ぐち》、|開《あ》いた|口《くち》が|閉《すぼ》まらぬやうな、|不思議《ふしぎ》な|物語《ものがた》り、|夢《ゆめ》かうつつか|幻《まぼろし》か、|神《かみ》のしらせか、|白瀬川《しらせがは》、|下《した》は|音無瀬《おとなせ》|由良《ゆら》の|川《かは》、|和知川《わちがは》、|上林川《かんばやしがは》の|清流《せいりう》|静《しづ》かに|流《なが》れ、その|中央《ちゆうあう》の|小雲川《こくもがは》、|並木《なみき》の|老松《らうしよう》|川《かは》の|辺《へ》に|影《かげ》を|浸《ひた》して|立《たち》ならぶ、|流《なが》れも|清《きよ》く、|風《かぜ》|清《きよ》く、|本宮山《ほんぐうやま》の|麓《ふもと》なる、|並松《なみまつ》に、|新《あらた》に|建《た》ちし|松雲閣《しよううんかく》|書斎《しよさい》の|間《ま》にて|五人連《ごにんづ》れ、|口《くち》から|語《かた》る、|筆《ふで》を|執《と》る、|五人《ごにん》が|活気《くわつき》|凛々《りんりん》として、|神示《しんじ》のままを|口述《こうじゆつ》|発表《はつぺう》することとなつたのであります。
大正十年十一月 旧十月九日
於松雲閣 瑞月 出口王仁三郎誌
凡例
一、|第一巻《だいいつくわん》より|第四巻《だいよんくわん》までは、まだ|伊那那岐尊《いざなぎのみこと》、|伊邪那美尊《いざなみのみこと》|二神《にしん》の|御降臨《ごかうりん》まします|以前《いぜん》の|物語《ものがたり》であります。|第四巻《だいよんくわん》にいたつて|始《はじ》めて|国祖《こくそ》の|御隠退《ごいんたい》|遊《あそ》ばされるところになり、|第六巻《だいろくくわん》において、|諾冊二尊《なぎなみにそん》が|葦原中津国《あしはらのなかつくに》へ|御降臨《ごかうりん》|遊《あそ》ばすところになるのであります。それゆゑ、あまりに|小《ちい》さく|現在《げんざい》の|大本《おほもと》といふものにとらわれてはならないのであります。たとへば『|聖地《せいち》エルサレム』とあるごときも、|決《けつ》して|綾部《あやべ》を|指《さ》されたものではありません。これは、|瑞月《ずゐげつ》|大先生《だいせんせい》より|特《とく》に|御注意《ごちうい》がありましたから、|読者《どくしや》|諸氏《しよし》のお|含《ふく》みおきを|願《ねが》つておきます。|要《えう》するに『|生《うま》れ|赤児《あかご》』の|心《こころ》になつて|拝読《はいどく》することが、もつとも|必要《ひつえう》であらうと|思《おも》ひます。
一、しかしながら、|歴史《れきし》は|繰返《くりかへ》すといふごとく、これは|今《いま》から|六七千万年前《ろくしちせんまんねんぜん》の|物語《ものがたり》で、いかにも|吾々《われわれ》とは|縁《えん》が|遠《とほ》いもののやうに|油断《ゆだん》をしてゐると、|脚下《あしもと》から|鳥《とり》が|立《た》つやうなことが|出来《しゆつたい》して、にはかに|狼狽《うろた》へ|騒《さわ》がねばならぬとも|限《かぎ》らないのであります。
一、|本書《ほんしよ》|第一巻《だいいつくわん》の|発表《はつぺう》とともに、かれこれ|種々《いろいろ》な|批評《ひへう》も|出《で》てゐるやうですが、|単《たん》に|第一巻《だいいつくわん》や|第二巻《だいにくわん》を|読《よ》んだだけでは、たうてい|分《わか》らないのであります。|何《なに》にしても|批評《ひへう》は|後廻《あとまは》しにして、|本書《ほんしよ》の|全部《ぜんぶ》|刊行《かんかう》されるまで|待《ま》つていただきたい。|神諭《しんゆ》にも『|細工《さいく》は|流々《りうりう》|仕上《しあ》げを|見《み》て|下《くだ》されよ』と|示《しめ》されてゐます。ただ|一端《いつたん》を|覗《のぞ》いただけで、|批評《ひへう》がましき|言《げん》を|弄《ろう》するのは、いかにも|軽率《けいそつ》であるばかりでなく、|御神業《ごしんげふ》にたいして|大《だい》なる|妨害《ばうがい》を|与《あた》へるやうな|結果《けつくわ》になりはしないかと|思《おも》ひます。
一、|第二巻《だいにくわん》|以下《いか》には|処々《ところどころ》に|神様《かみさま》の|歌《うた》が|出《で》てきますが、これはすべて|神代語《かみよことば》で|歌《うた》はれたものださうですが、そのままでは|今《いま》の|吾々《われわれ》には|理解《りかい》|出来《でき》ませぬので、|特《とく》に|現代語《げんだいご》に|翻訳《ほんやく》されたものであります。|例《たと》へば、|本書《ほんしよ》の|第二十三章《だいにじふさんしやう》『|竜世姫《たつよひめ》の|奇智《きち》』の|中《なか》に、|竜世姫《たつよひめ》が|滑稽諧謔《こつけいかいぎやく》な|歌《うた》を|唄《うた》はれるところがあります。その|歌《うた》の|神代語《かみよことば》と|現代語《げんだいご》を|大先生《だいせんせい》の|御教示《ごけうじ》のまま、|一例《いちれい》として|対照《たいせう》しておきます。
|言霊別《ことたまわけ》の|神《かみ》さんは (コトトモオコヨカムソモホ)
こしの|常世《とこよ》へ|使《つか》ひして (コスヨトコヨイツコイステ)
|道《みち》に|倒《たふ》れて|腰《こし》を|折《を》り (ミツイトホレテコスヨオイ)
|輿《こし》に|乗《の》せられ|腰《こし》|痛《いた》む (コスイノソロレコスイトム)
こしの|国《くに》でも|腰抜《こしぬ》かし (コスヨクシデモコスヌコス)
|腰抜《こしぬ》け|神《かみ》と|笑《わら》はれる (コスヌクカムヨワロヲレル)
|他《ひと》のことなら|何《なん》ともない (フトヨコトノロノムトヨノイ)
こしやかまやせん こしやかまやせん こしやかまやせん こしやかまやせん(コスカモヨセヌ コスカモヨセヌ コスカモヨセヌ コスカモヨセヌ)
一、|神代語《かみよことば》の|数字《すうじ》一二三四五六七八九十百千万は、〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓(略して〓)〓といふ|風《ふう》に|表《あら》はすさうであります。
一、|最近《さいきん》|一《ひと》つの|神秘的《しんぴてき》な|話《はなし》を|聞《き》きましたから、|読者《どくしや》|諸氏《しよし》の|御参考《ごさんかう》のためにここに|御紹介《ごせうかい》しておきます。
|昔《むかし》、|南都《なんと》|東大寺《とうだいじ》|五重塔《ごぢうたふ》|丸柱《まるばしら》の|虫喰《むしく》ひ|跡《あと》に|次《つぎ》のやうな|文字《もじ》が|表《あらは》れたことがあります。
九九五一 合 二十四|西《にし》より|上《あが》る|四日月《よつかづき》
一五一一 合 八|洲《しう》の|神地《しんち》となる
○五○六 合 十一|神世《かみよ》の|初《はじめ》
一三一一 合 六|合《がふ》となる
二一六一 合 十|即《すなは》ち|神《かみ》となる
一一一一 合 四|魂《こん》となる
三一六一 合 十一|即《すなは》ち|土《つち》の|神《かみ》となる
一○一一 合 三|体《たい》の|大神《おほかみ》となる
○○○  合 三ツの|御魂《みたま》となる
(|数字《すうじ》の|下《した》の「合云々」の|文字《もじ》は|瑞月《ずゐげつ》|大先生《だいせんせい》がつけ|加《くは》へられたものです)
しかし、|誰一人《たれいちにん》これを|読《よ》むことも|出来《でき》なければ、その|意味《いみ》も|分《わか》るものはありませんでしたが、|当時《たうじ》の|高僧《かうそう》|弘法大師《こうぱうだいし》は|之《これ》を|斯《か》う|読《よ》みました。
月九中岸
閑居一一
露五幽苔
獨身一一
法一不一
一一一一
道一不一
時節一一
|瑞月《ずゐげつ》|大先生《だいせんせい》にこの|事《こと》を|伺《うかが》ひましたら、ただちにその|意味《いみ》を|御教示《ごけうじ》|下《くだ》さいました。その|五重塔《ごぢうたふ》の|丸柱《まるばしら》に|現《あら》はれた|不可思議《ふかしぎ》な|文字《もじ》は|全体《ぜんたい》を|数《かぞ》へると七十七の|数《すう》になります。そして七十七は|上《かみ》からも|下《しも》からも七十七となります。|上下《かみしも》そろふ|訳《わけ》であります。七十七|数《すう》は〓の|代詞《だいし》で七は『|成《なり》』の|意《い》であり、十は『|神《かみ》』の|意《い》であり、七はまた『|国《くに》』の|意《い》であり、つまり『|成神国《なるかみくに》』の|意味《いみ》になるさうであります。その|数字《すうじ》の|中《なか》の○三つは三ツの三|玉《たま》の|意《い》であります。つまり|瑞《みづ》の|御魂《みたま》が|隠《かく》されてゐるといふことになるのであります。|弘法大師《こうぱうだいし》はこの|事《こと》を|知《し》つてゐたのだけれども、|故意《わざ》とかくしてゐたといふことであります。
|大先生《だいせんせい》は|斯《か》う|読《よ》まれました。
月懸中岸
閑居誰待
露萎幽苔
獨身孤寂
法初不蔓
隨鼓増光
道獨不擴
時節待人
いかにも|月光《げつくわう》が|万界《ばんかい》の|暗《やみ》を|照破《せうは》し、|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|機運《きうん》の|到達《たうたつ》することを|暗示《あんじ》せる|神秘的《しんぴてき》な|面白《おもしろ》い|話《はなし》であるやうに|思《おも》はれます。
大正十一年一月六日  於竜宮館 編著識す
|酸《す》いも|甘《あま》いも|皆《みな》|尻《しり》の|穴《あな》、おならの|如《ごと》くにぬけて|行《ゆ》く、|間抜《まぬ》けた|顔《かほ》の|鼻高《はなだか》が、|尻毛《しりげ》を|抜《ぬ》かれ|眉毛《まゆげ》をよまれ、|狐狸《きつねたぬき》のうさ|言《ごと》と、|相手《あひて》にせねばせぬで|良《よ》い。|雪隠《せつちん》で|饅頭《まんぢう》|喰《く》ひつ|武士《ぶし》、|武士《ぶし》の|言葉《ことば》に|二言《にごん》はないと、こいた|誤託《ごたく》の|鼻《はな》の|糞《くそ》、ひねつて|聞《き》いて|馬鹿《ばか》にして、|一度《いちど》は|読《よ》んで|暮《くれ》の|空《そら》、きよろ|月《つき》、まご|月《つき》、|嘘月《うそつき》の、|空言《そらごと》ならぬ|瑞月《ずゐげつ》|霊界《れいかい》|物語《ものがたり》|穴《あな》かしこ|穴《あな》かしこ。
総説
|神界《しんかい》における|神々《かみがみ》の|御服装《ごふくさう》につき、|大略《たいりやく》を|述《の》べておく|必要《ひつえう》があらうと|思《おも》ふ。|一々《いちいち》|神々《かみがみ》の|御服装《ごふくさう》に|関《くわん》して|口述《こうじゆつ》するのは|大変《たいへん》に|手間《てま》どるから、|概括的《がいくわつてき》に|述《の》ぶれば、|国治立命《くにはるたちのみこと》のごとき|高貴《かうき》の|神《かみ》は、たいてい|絹物《きぬもの》にして、|上衣《うはぎ》は|紫《むらさき》の|無地《むぢ》で、|下衣《したぎ》が|純白《じゆんぱく》で、|中《なか》の|衣服《いふく》が|紅《くれなゐ》の|色《いろ》の|無地《むぢ》である。|国大立命《くにひろたちのみこと》は|青色《あをいろ》の|無地《むぢ》の|上衣《うはぎ》に、|中衣《なかぎ》は|赤色《せきしよく》、|下衣《したぎ》は|白色《はくしよく》の|無地《むぢ》。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は、|上衣《うはぎ》は|水色《みづいろ》に|種々《しゆじゆ》の|美《うる》はしき|模様《もやう》があり、たいていは|上中下《じやうちうげ》とも|松《まつ》や|梅《うめ》の|模様《もやう》のついた|十二単衣《じふにひとえ》の|御服装《ごふくさう》である。|天使《てんし》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、|大足彦《おほだるひこ》のごときは、|上衣《うはぎ》は|黒色《こくしよく》の|無地《むぢ》に、|中衣《なかぎ》は|赤色《せきしよく》、|下衣《したぎ》は|白色《はくしよく》の|無地《むぢ》の|絹《きぬ》の|服《ふく》である。その|他《た》の|神将《しんしやう》は|位《くらゐ》によつて、|青《あを》、|赤《あか》、|緋《ひ》、|水色《みづいろ》、|白《しろ》、|黄《き》、|紺《こん》|等《とう》、いづれも|無地服《むぢふく》で、|絹《きぬ》、|麻《あさ》、|木綿《もめん》|等《とう》に|区別《くべつ》されてゐる。
|冠《かむり》もいろいろ|形《かたち》があつて|纓《えい》の|長短《ちやうたん》があり、|八王八頭神《やつわうやつがしらがみ》|以上《いじやう》の|神々《かみがみ》に|用《もち》ゐられ、それ|以下《いか》の|神司《かみがみ》は|烏帽子《ゑぼし》を|冠《かぶ》り、|直衣《ひたたれ》、|狩衣《かりぎぬ》。|婦神《ふしん》はたいてい|明衣《みやうえ》であつて、|青《あを》、|赤《あか》、|黄《き》、|白《しろ》、|紫《むらさき》などの|色《いろ》を|用《もち》ゐられ、|袴《はかま》も|色々《いろいろ》と|五色《ごしき》に|分《わか》れてゐる。また|神将《しんしやう》は|闕腋《けつてき》に|冠《かむり》をつけ、|残《のこ》らず|黒色《こくしよく》の|服《ふく》である。|神卒《しんそつ》は|一《いち》の|字《じ》の|笠《かさ》を|頭《あたま》に|戴《いただ》き、|裾《すそ》を|短《みじか》くからげ、|手首《てくび》、|足首《あしくび》には|紫《むらさき》の|紐《ひも》をもつて|結《むす》び、|実《じつ》に|凛々《りり》しき|姿《すがた》をしてをらるるのである。|委《くは》しく|述《の》ぶれば|際限《さいげん》がないが、いま|述《の》べたのは|国治立命《くにはるたちのみこと》が|御隠退《ごいんたい》|遊《あそ》ばす|以前《いぜん》の|神々《かみがみ》の|御服装《ごふくさう》の|大略《たいりやく》である。
|星移《ほしうつ》り、|月《つき》|換《かは》るにつれ、|神界《しんかい》の|御服装《ごふくさう》はおひおひ|変化《へんくわ》し|来《き》たり、|現界《げんかい》の|人々《ひとびと》の|礼装《れいさう》に|酷似《こくじ》せる|神服《しんぷく》を|纒《まと》はるる|神司《かみ》も|沢山《たくさん》に|現《あら》はれ、|神使《しんし》の|最下《さいか》たる|八百万《やほよろづ》の|金神《こんじん》|天狗界《てんぐかい》にては、|今日《こんにち》|流行《りうかう》の|種々《しゆじゆ》の|服装《ふくさう》で|活動《くわつどう》さるるやうになつてをる。
また|邪神界《じやしんかい》でもおのおの|階級《かいきふ》に|応《おう》じて、|大神《おほかみ》と|同一《どういつ》の|服装《ふくさう》を|着用《ちやくよう》して|化《ば》けてをるので、|霊眼《れいがん》で|見《み》ても|一見《いつけん》その|正邪《せいじや》に|迷《まよ》ふことがある。
ただ|至善《しぜん》の|神々《かみがみ》は、その|御神体《ごしんたい》の|包羅《はうら》せる|霊衣《れいい》は|非常《ひじやう》に|厚《あつ》くして、かつ|光沢《くわうたく》|強《つよ》く|眼《め》を|射《い》るばかりなるに|反《はん》し、|邪神《じやしん》はその|霊衣《れいい》はなはだ|薄《うす》くして、|光沢《くわうたく》なきをもつて|正邪《せいじや》を|判別《はんべつ》するぐらゐである。しかるに|八王大神《やつわうだいじん》とか、|常世姫《とこよひめ》のごときは、|正神界《せいしんかい》の|神々《かみがみ》のごとく、|霊衣《れいい》も|比較的《ひかくてき》に|厚《あつ》く、また|相当《さうたう》の|光沢《くわうたく》を|有《いう》してをるので、|一見《いつけん》してその|判別《はんべつ》に|苦《くる》しむことがある。
また|自分《じぶん》が|幽界《いうかい》を|探険《たんけん》した|時《とき》にも、|種々《しゆじゆ》の|色《いろ》の|服《ふく》を|着《つ》けてゐる|精霊《せいれい》を|目撃《もくげき》した。これは|罪《つみ》の|軽重《けいちよう》によつて、|色《いろ》が|別《わか》れてゐるのである。しかし|幽界《いうかい》にも|亡者《まうじや》ばかりの|霊魂《れいこん》がをるのではない。|現界《げんかい》に|立働《たちはたら》いてゐる|生《い》きた|人間《にんげん》の|精霊《せいれい》も、やはり|幽界《いうかい》に|霊籍《れいせき》をおいてをるものがある。これらの|人間《にんげん》は|現界《げんかい》においても、|幽界《いうかい》の|苦痛《くつう》が|影響《えいきやう》して、|日夜《にちや》|悲惨《ひさん》な|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けてをるものである。これらの|苦痛《くつう》を|免《まぬが》るる|方法《はうはふ》は、|現体《げんたい》のある|間《あひだ》に|神《かみ》を|信仰《しんかう》し、|善事《ぜんじ》を|行《おこな》ひ|万民《ばんみん》を|助《たす》け、|能《あた》ふかぎりの|社会的《しやくわいてき》|奉仕《ほうし》を|務《つと》めて、|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》を|受《う》け、その|罪《つみ》を|洗《あら》ひ|清《きよ》めておかねばならぬ。
さて|現界《げんかい》に|生《い》きてゐる|人間《にんげん》の|精霊《せいれい》を|見《み》ると、|現人《げんじん》と|同形《どうけい》の|幽体《いうたい》を|持《も》つてゐるが、|亡者《まうじや》の|精霊《せいれい》に|比《くら》べると、|一見《いつけん》して|生者《せいじや》と|亡者《まうじや》の|精霊《せいれい》の|区別《くべつ》が、|判然《はんぜん》とついてくるものである。|生者《せいじや》の|幽体《いうたい》(|精霊《せいれい》)は、|円《まる》い|霊衣《れいい》を|身体《しんたい》|一面《いちめん》に|被《かぶ》つてゐるが、|亡者《まうじや》の|幽体《いうたい》は|頭部《とうぶ》は|山形《やまがた》に|尖《とが》り、|三角形《さんかくけい》の|霊衣《れいい》を|纒《まと》うてをる。それも|腰《こし》から|上《うへ》のみ|霊衣《れいい》を|着《ちやく》し、|腰《こし》|以下《いか》には|霊衣《れいい》はない。|幽霊《いうれい》には|足《あし》がないと|俗間《ぞくかん》にいふのも、この|理《り》に|基《もと》づくものである。また|徳《とく》|高《たか》きものの|精霊《せいれい》は、その|霊衣《れいい》きはめて|厚《あつ》く、|大《おほ》きく、|光沢《くわうたく》|強《つよ》くして|人《ひと》を|射《い》るごとく、かつ、よく|人《ひと》を|統御《とうぎよ》する|能力《のうりよく》を|持《も》つてゐる。|現代《げんだい》はかくの|如《ごと》き|霊衣《れいい》の|立派《りつぱ》な|人間《にんげん》がすくないので、|大人物《だいじんぶつ》といはるるものができない。|現代《げんだい》の|人間《にんげん》はおひおひと|霊衣《れいい》が|薄《うす》くなり、|光沢《くわうたく》は|放射《はうしや》することなく、あたかも|邪神界《じやしんかい》の|精霊《せいれい》の|着《き》てをる|霊衣《れいい》のごとく、|少《すこ》しの|権威《けんゐ》もないやうになつて|破《やぶ》れてをる。|大病人《だいびやうにん》などを|見《み》ると、その|霊衣《れいい》は|最《もつと》も|薄《うす》くなり、|頭部《とうぶ》の|霊衣《れいい》は、やや|山形《やまがた》になりかけてをるのも、|今《いま》まで|沢山《たくさん》に|見《み》たことがある。いつも|大病人《だいびやうにん》を|見舞《みまひ》ふたびに、その|霊衣《れいい》の|厚薄《こうはく》と|円角《ゑんかく》の|程度《ていど》によつて|判断《はんだん》をくだすのであるが、|百発百中《ひやくぱつひやくちゆう》である。なにほど|名医《めいい》が|匙《さじ》を|投《な》げた|大病人《だいびやうにん》でも、その|霊衣《れいい》を|見《み》て、|厚《あつ》くかつ|光《ひかり》が|存《そん》してをれば、その|病人《びやうにん》はかならず|全快《ぜんくわい》するのである。これに|反《はん》して|天下《てんか》の|名医《めいい》や、|博士《はくし》が、|生命《いのち》は|大丈夫《だいぢやうぶ》だと|断定《だんてい》した|病人《びやうにん》でも、その|霊衣《れいい》がやや|三角形《さんかくけい》を|呈《てい》したり、|紙《かみ》のごとく|薄《うす》くなつてゐたら、その|病人《びやうにん》は|必《かなら》ず|死《し》んでしまふものである。
ゆゑに|神徳《しんとく》ある|人《ひと》が|鎮魂《ちんこん》を|拝授《はいじゆ》し、|大神《おほかみ》に|謝罪《しやざい》し、|天津祝詞《あまつのりと》の|言霊《げんれい》を|円満清朗《ゑんまんせいろう》に|奏上《そうじやう》したならば、たちまちその|霊衣《れいい》は|厚《あつ》さを|増《ま》し、|三角形《さんかくけい》は|円形《ゑんけい》に|立直《たちなほ》り、|死亡《しばう》を|免《まぬが》れるものである。かくして|救《すく》はれたる|人《ひと》は、|神《かみ》の|大恩《たいおん》を|忘《わす》れたときにおいて、たちまち|霊衣《れいい》を|神界《しんかい》より|剥《は》ぎとられ、ただちに|幽界《いうかい》に|送《おく》られるものである。
|自分《じぶん》は|数多《あまた》の|人《ひと》に|接《せつ》してより、|第一《だいいち》にこの|霊衣《れいい》の|厚薄《こうはく》を|調《しら》べてみるが、|信仰《しんかう》の|徳《とく》によつて|漸次《ぜんじ》にその|厚《あつ》みを|加《くは》へ、|身体《しんたい》ますます|強壮《きやうさう》になつた|人《ひと》もあり、また|神《かみ》に|反対《はんたい》したり、|人《ひと》の|妨害《ばうがい》をしたりなどして、|天授《てんじゆ》の|霊衣《れいい》を|薄《うす》くし、|中《なか》には|円相《ゑんさう》がやや|山形《やまがた》に|変化《へんくわ》しつつある|人《ひと》も|沢山《たくさん》|実見《じつけん》した。|自分《じぶん》はさういふ|人《ひと》にむかつて、|色々《いろいろ》と|親切《しんせつ》に|信仰《しんかう》の|道《みち》を|説《と》いた。されどそんな|人《ひと》にかぎつて|神《かみ》の|道《みち》を|疑《うたが》ひ、かへつて|親切《しんせつ》に|思《おも》つて|忠告《ちゆうこく》すると|心《こころ》をひがまし、|逆《ぎやく》にとつて|大反対《だいはんたい》をするのが|多《おほ》いものである。これを|思《おも》へばどうしても|霊魂《みたま》の|因縁《いんねん》|性来《しやうらい》といふものは、|如何《いかん》ともすることが|出来《でき》ないものとつくづく|思《おも》ひます。
|大国治立尊《おほくにはるたちのみこと》と|申《まを》し|上《あ》げるときは、|大宇宙《だいうちう》|一切《いつさい》を|御守護《ごしゆご》|遊《あそ》ばすときの|御神名《ごしんめい》であり、|単《たん》に|国治立尊《くにはるたちのみこと》と|申《まを》し|上《あ》げるときは、|大地球上《だいちきうじやう》の|神霊界《しんれいかい》を|守護《しゆご》さるるときの|御神名《ごしんめい》である。|自分《じぶん》の|口述中《こうじゆつちゆう》に|二種《にしゆ》の|名称《めいしよう》があるのは、この|神理《しんり》に|基《もと》づいたものである。
また|神様《かみさま》が|人間姿《にんげんすがた》となつて|御活動《ごくわつどう》になつたその|始《はじめ》は、|国大立命《くにひろたちのみこと》、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》が|最初《さいしよ》であり、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|日月《じつげつ》の|精《せい》を|吸引《きふいん》し、|国祖《こくそ》の|神《かみ》が|気吹《いぶき》によつて|生《うま》れたまひ、|国大立命《くにひろたちのみこと》は|月《つき》の|精《せい》より|生《うま》れ|出《い》でたまうた|人間姿《にんげんすがた》の|神様《かみさま》である。それよりおひおひ|神々《かみがみ》の|水火《いき》によりて|生《うま》れたまひし|神系《しんけい》と、また|天足彦《あだるひこ》、|胞場姫《えばひめ》の|人間《にんげん》の|祖《そ》より|生《うま》れいでたる|人間《にんげん》との、|二種《にしゆ》に|区別《くべつ》があり、|神《かみ》の|直接《ちよくせつ》の|水火《いき》より|生《うま》れたる|直系《ちよくけい》の|人間《にんげん》と、|天足彦《あだるひこ》、|胞場姫《えばひめ》の|系統《けいとう》より|生《うま》れいでたる|人間《にんげん》とは、その|性質《せいしつ》において|大変《たいへん》な|相違《さうゐ》がある。そして|神《かみ》の|直接《ちよくせつ》の|水火《いき》より|生《うま》れ|出《いで》たる|人間《にんげん》は、その|頭髪《とうはつ》|黒《くろ》くして|漆《うるし》の|如《ごと》く、|天足彦《あだるひこ》、|胞場姫《えばひめ》より|生《うま》れたる|人間《にんげん》の|子孫《しそん》は|赤色《せきしよく》の|頭髪《とうはつ》を|有《ゆう》している。|天足彦《あだるひこ》、|胞場姫《えばひめ》といへども、|元《もと》は|大神《おほかみ》の|直系《ちよくけい》より|生《うま》れたのであれども、|世《よ》の|初発《しよはつ》にあたり、|神命《しんめい》に|背《そむ》きたるその|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|罪《つみ》によつて、|人間《にんげん》に|差別《さべつ》が|自然《しぜん》にできたのである。
されども|何《いづ》れの|人種《じんしゆ》も、|今日《こんにち》は|九分九厘《くぶくりん》まで、みな|体主霊従《たいしゆれいじゆう》、|尊体卑心《そんたいひしん》の|身魂《みたま》に|堕落《だらく》してゐるのであつて、|今日《こんにち》のところ|神界《しんかい》より|見《み》たまふときは、|甲乙《かふおつ》を|判別《はんべつ》なし|難《がた》く、つひに|人種《じんしゆ》|平等《べうどう》の|至当《したう》なるを|叫《さけ》ばるるに|立《たち》いたつたのである。
|盤古大神《ばんこだいじん》|塩長彦《しほながひこ》は|日《ひ》の|大神《おほかみ》の|直系《ちよくけい》にして、|太陽界《たいやうかい》より|降誕《かうたん》したる|神人《かみ》である。|日《ひ》の|大神《おほかみ》の|伊邪那岐命《いざなぎのみこと》の|御油断《ごゆだん》によりて、|手《て》の|俣《また》より|潜《くぐ》り|出《い》で、|現今《げんこん》の|支那《しな》の|北方《ほつぱう》に|降《くだ》りたる|温厚《をんこう》|無比《むひ》の|正神《せいしん》である。
また|大自在天神《だいじざいてんじん》|大国彦《おほくにひこ》は、|天王星《てんわうせい》より|地上《ちじやう》に|降臨《かうりん》したる|豪勇《がうゆう》の|神人《かみ》である。いづれもみな|善神界《ぜんしんかい》の|尊《たふと》き|神人《かみ》であつたが、|地上《ちじやう》に|永住《えいぢゆう》されて|永《なが》き|歳月《さいげつ》を|経過《けいくわ》するにしたがひ、|天足彦《あだるひこ》、|胞場姫《えばひめ》の|天命《てんめい》に|背反《はいはん》せる|結果《けつくわ》、|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|妖気《えうき》|地上《ちじやう》に|充満《じゆうまん》し、つひにはその|妖気《えうき》|邪霊《じやれい》の|悪竜《あくりゆう》、|悪狐《あくこ》、|邪鬼《じやき》のために、いつとなく|憑依《ひようい》されたまひて、|悪神《あくがみ》の|行動《かうどう》を|自然《しぜん》に|採《と》りたまふこととなつた。それより|地上《ちじやう》の|世界《せかい》は|混濁《こんだく》し、|汚穢《をえ》の|気《き》みなぎり、|悪鬼《あくき》|羅刹《らせつ》の|跛扈跳梁《ばつこてうりやう》をたくましうする|俗悪《ぞくあく》|世界《せかい》と|化《くわ》してしまつた。
|八王大神《やつわうだいじん》|常世彦《とこよひこ》は、|盤古大神《ばんこだいじん》の|水火《いき》より|出生《しゆつしやう》したる|神《かみ》にして、|常世《とこよ》の|国《くに》に|霊魂《れいこん》を|留《とど》め、|常世姫《とこよひめ》は|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|娘《むすめ》にして、|八王大神《やつわうだいじん》の|妃《きさき》となり、|八王大神《やつわうだいじん》の|霊《れい》に|感合《かんがふ》し、つひには|八王大神《やつわうだいじん》|以上《いじやう》の|悪辣《あくらつ》なる|手段《しゆだん》を|用《もち》ゐ、|世界《せかい》を|我意《がい》のままに|統轄《とうかつ》せむとし、|車輪《しやりん》の|暴動《ばうどう》を|継続《けいぞく》しつつ、その|霊《れい》はなほ|現代《げんだい》にいたるも|常世《とこよ》の|国《くに》にとどまつて、|体主霊従的《たいしゆれいじゆうてき》|世界《せかい》|経綸《けいりん》の|策《さく》を|計画《けいくわく》してをる。
ゆゑに|常世姫《とこよひめ》の|霊《れい》の|憑依《ひようい》せる|国《くに》の|守護神《しゆごじん》は、|今《いま》になほその|意志《いし》を|実行《じつかう》せむと|企《くはだ》ててをる。|八王大神《やつわうだいじん》|常世彦《とこよひこ》には|天足彦《あだるひこ》、|胞場姫《えばひめ》の|霊《れい》より|生《うま》れたる|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《おろち》が|憑依《ひようい》してこれを|守護《しゆご》し、|常世姫《とこよひめ》には|金毛九尾白面《きんまうきゆうびはくめん》の|悪狐《あくこ》|憑依《ひようい》してこれを|守護《しゆご》し、|大自在天《だいじざいてん》には、|六面八臀《ろくめんはつぴ》の|邪気《じやき》|憑依《ひようい》してこれを|守護《しゆご》し、ここに|艮《うしとら》の|金神《こんじん》|国治立命《くにはるたちのみこと》の|神系《しんけい》と|盤古大神《ばんこだいじん》の|系統《けいとう》と、|大自在天《だいじざいてん》の|系統《けいとう》とが、|地上《ちじやう》の|霊界《れいかい》において|三《み》つ|巴《どもゑ》になつて|大活劇《だいくわつげき》を|演《えん》ぜらるるといふ|霊界《れいかい》の|珍《めづら》しき|物語《ものがたり》である。
|自分《じぶん》はここまで|口述《こうじゆつ》したとき、|何心《なにごころ》なくかたはらに|散乱《さんらん》せる|大正日日新聞《たいしようにちにちしんぶん》に|眼《め》をそそぐと、|今日《こんにち》はあたかも|大正《たいしやう》|十年《じふねん》|陰暦《いんれき》|十月《じふぐわつ》|十日《とをか》|午前《ごぜん》|十時《じふじ》であることに|気《き》がついた。|霊界《れいかい》|物語《ものがたり》|第二巻《だいにくわん》の|口述《こうじゆつ》ををはつた|今日《けふ》の|吉日《きちじつ》は、|松雲閣《しよううんかく》において|御三体《ごさんたい》の|大神様《おほかみさま》を|始《はじ》めて|新《あたら》しき|神床《かむどこ》に|鎮祭《ちんさい》することとなつてゐた。これも|何《なに》かの|神界《しんかい》の|御経綸《ごけいりん》の|一端《いつたん》と|思《おも》へば|思《おも》へぬこともない。
ついでに|第三巻《だいさんくわん》には、|盤古大神《ばんこだいじん》(|塩長彦《しほながひこ》)、|大自在天《だいじざいてん》(|大国彦《おほくにひこ》)、|艮能金神《うしとらのこんじん》(|国治立命《くにはるたちのみこと》)|三神系《さんしんけい》の|紛糾的《ふんきうてき》|経緯《けいゐ》の|大略《たいりやく》を|述《の》べ、|国祖《こくそ》の|御隠退《ごいんたい》までの|世界《せかい》の|状況《じやうきやう》、|神々《かみがみ》の|驚天動地《きやうてんどうち》の|大活動《だいくわつどう》を|略述《りやくじゆつ》する|考《かんが》へであります。|読者《どくしや》|諸氏《しよし》の|幸《さいはひ》に|御熟読《ごじゆくどく》あつて、それが|霊界《れいかい》|探求《たんきう》の|一端《いつたん》ともならば、|口述者《こうじゆつしや》の|目的《もくてき》は|達《たつ》せらるる|次第《しだい》であります。
アゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》
|大正《たいしやう》|十年《じふねん》|旧《きう》|十月《じふぐわつ》|十日《とをか》|午前《ごぜん》|十時《じふじ》|十分《じつぷん》
於松雲閣 口述者識
(註)|本巻《ほんくわん》において、|国治立命《くにはるたちのみこと》、|豊国姫命《とよくにひめのみこと》、|国大立命《くにひろたちのみこと》、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》、|木花姫命《このはなひめのみこと》とあるは、|神界《しんかい》の|命《めい》により|仮称《かしよう》したものであります。しかし|真《しん》の|御神名《ごしんめい》は|読《よ》んで|見《み》れば|自然《しぜん》に|判明《はんめい》することと|思《おも》ひます。
第一篇 |神界《しんかい》の|混乱《こんらん》
第一章 |攻防《こうばう》|両軍《りやうぐん》の|配置《はいち》〔五一〕
|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|防備《ばうび》は|勇猛《ゆうまう》なる|諸神司《しよしん》の|守護《しゆご》のため|難攻不落《なんこうふらく》の|堅城《けんじやう》となり、したがつて|黄金橋《こがねばし》もやや|安心《あんしん》することができるやうになつた。しかし|敵軍《てきぐん》は|竜宮城《りゆうぐうじやう》および|地《ち》の|高天原《たかあまはら》を|脅《おびや》かすには、まづシオン|山《ざん》に|根拠《こんきよ》を|構《かま》へるの|有利《いうり》なることを|覚《さと》つた。さうして|敵軍《てきぐん》の|部将《ぶしやう》は|棒振彦《ぼうふりひこ》、|高虎姫《たかとらひめ》、|武熊別《たけくまわけ》、|駒山彦《こまやまひこ》、|荒熊彦《あらくまひこ》などである。シオン|山《ざん》は|今日《こんにち》の|地理上《ちりじやう》よりみれば、きはめて|小《ちひ》さき|山《やま》であるが、|神界《しんかい》にては|非常《ひじやう》に|高《たか》く|秀《ひい》でたる|神嶺《しんれい》であつて、|神々《かみがみ》の|世界《せかい》|経綸《けいりん》の|御神業《ごしんげふ》の|主要《しゆえう》|地点《ちてん》である。それゆゑこのシオン|山《ざん》を|一時《いちじ》にても|早《はや》く|占領《せんりやう》した|神《かみ》が|勝利《しようり》を|得《う》るのである。
|棒振彦《ぼうふりひこ》、|高虎姫《たかとらひめ》はその|消息《せうそく》を|知《し》り、|神軍《しんぐん》を|悩《なや》ませ、|会稽《くわいけい》の|恥《はぢ》を|雪《すす》がむとして|軍備《ぐんび》を|整《ととの》へつつあつた。その|消息《せうそく》を|窺《うかが》ひ|知《し》つた|斎代彦《ときよひこ》は|看過《かんくわ》しがたき|事件《じけん》となし、ひそかに|天使《てんし》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》に|報告《はうこく》した。|天使《てんし》は|時《とき》をうつさず|真鉄彦《まがねひこ》、|谷川彦《たにがはひこ》、|谷山彦《たにやまひこ》、|宮比彦《みやびひこ》、|康代彦《やすよひこ》、|真言彦《まことひこ》、|奥山彦《おくやまひこ》、|磐樟彦《いはくすひこ》、|広足彦《ひろたるひこ》、|神座彦《かみくらひこ》、|香川彦《かがはひこ》、|花照彦《はなてるひこ》、|大足彦《おほだるひこ》、|道貫彦《みちつらひこ》、|吾妻別《あづまわけ》、|花森彦《はなもりひこ》の|十六神将《じふろくしんしやう》をしておのおの|神軍《しんぐん》を|督《とく》し、シオン|山《ざん》に|逸早《いちはや》く|出陣《しゆつぢん》せしめられた。|十六神将《じふろくしんしやう》はただちに|神軍《しんぐん》を|率《ひき》ゐシオン|山《ざん》の|要所々々《えうしよえうしよ》を|固《かた》め、ここにいよいよ|難攻不落《なんこうふらく》の|陣地《ぢんち》を|獲得《くわくとく》し、なほも|十分《じふぶん》の|注意《ちうい》を|怠《おこた》らなかつた。|天使《てんし》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|真鉄彦《まがねひこ》をして|北方《ほつぱう》の|上《あが》り|口《くち》に、|吾妻別《あづまわけ》をして|東方《とうはう》の|上《あが》り|口《くち》に、|磐樟彦《いわくすひこ》をして|西方《せいはう》の|上《あが》り|口《くち》に、|大足彦《おほだるひこ》をして|南方《なんぱう》の|上《あが》り|口《くち》に、|各自《かくじ》|神軍《しんぐん》を|率《ひき》ゐて|陣取《ぢんど》らしめ、|固《かた》く|敵軍《てきぐん》の|襲来《しふらい》に|備《そな》へられた。|山頂《さんちやう》の|中央《ちうあう》なる|顕国《うつしくに》の|御玉《みたま》の|出現《しゆつげん》せし|聖跡《せいせき》には、|荘厳《さうごん》|無比《むひ》の|神宮《じんぐう》を|建設《けんせつ》し|天神地祇《てんしんちぎ》を|祀《まつ》り、|宮比彦《みやびひこ》をしてこれに|奉仕《ほうし》せしめられた。このとき|棒振彦《ぼうふりひこ》、|高虎姫《たかとらひめ》、|武熊別《たけくまわけ》の|邪神《じやしん》の|三将《さんしやう》は、|盤古大神《ばんこだいじん》|塩長彦《しほながひこ》を|奉《ほう》じてシオン|山《ざん》を|乗取《のりと》らむと|欲《ほ》し、|高虎姫《たかとらひめ》は|南方《なんぱう》より、|棒振彦《ぼうふりひこ》は|東方《とうはう》より、|武熊別《たけくまわけ》は|西方《せいはう》より|攻《せ》めかけた。さうして|北方《ほつぱう》は|路《みち》|嶮悪《けんあく》にして|進《すす》むことができぬ。やむをえず|敵《てき》の|魔軍《まぐん》は|三方《さんぱう》より|一斉《いつせい》に|攻《せ》め|寄《よ》せた。
シオン|山《ざん》は|前述《ぜんじゆつ》のごとく|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|率《ひき》ゐる|忠勇無比《ちうゆうむひ》の|十六神将《じふろくしんしやう》によつて|堅《かた》く|守《まも》らるることになつた。しかし|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|深《ふか》く|慮《おもんばか》るところあつて、かの|神玉《しんぎよく》の|精霊《みたま》を|秘《ひ》めおかれるシナイ|山《ざん》を|魔軍《まぐん》に|占領《せんりやう》されなば、|千仭《せんじん》の|功《こう》を|一簣《いつき》に|欠《か》くのおそれありとし、ここに|八島別《やしまわけ》を|主将《しゆしやう》とし、|八島彦《やしまひこ》、|八島姫《やしまひめ》、|小車彦《こぐるまひこ》、|小車姫《こぐるまひめ》、|元照彦《もとてるひこ》、|梅若彦《うめわかひこ》、|玉栄姫《たまえひめ》、|神山彦《かみやまひこ》の|八神将《はちしんしやう》を|副《そ》へてこれを|守護《しゆご》せしめられた。
シオン|山《ざん》およびシナイ|山《ざん》の|彼我《ひが》の|勝敗《しようはい》は、|神界《しんかい》|経綸上《けいりんじやう》に|一大《いちだい》|影響《えいきやう》を|及《およ》ぼすべき|重要《ぢゆうえう》なる|地点《ちてん》である。ゆゑに、|敵《てき》も|味方《みかた》も|千変万化《せんぺんばんくわ》の|秘術《ひじゆつ》をつくして|戦《たたか》ふた。この|両山《りやうざん》の|戦闘《せんとう》|開始《かいし》に|先《さき》だち、|塩長彦《しほながひこ》を|奉《ほう》ずる|魔軍《まぐん》が|必死《ひつし》となりて|画策《くわくさく》したる、その|行動《かうどう》の|千変万化《せんぺんばんくわ》の|経緯《けいゐ》を|略述《りやくじゆつ》することにいたします。
(大正一〇・一〇・二六 旧九・二六 谷口正治録)
第二章 |邪神《じやしん》の|再来《さいらい》〔五二〕
ここに|竹熊《たけくま》の|再来《さいらい》なる|棒振彦《ぼうふりひこ》と|木常姫《こつねひめ》の|再来《さいらい》なる|高虎姫《たかとらひめ》は|八王大神《やつわうだいじん》|常世彦《とこよひこ》を|謀主《ぼうしゆ》とし、|盤古大神《ばんこだいじん》|塩長彦《しほながひこ》の|神政《しんせい》に|覆《かへ》さむと|欲《ほ》し、|艮《うしとら》の|金神《こんじん》|国治立命《くにはるたちのみこと》を|地上《ちじやう》より|退去《たいきよ》せしめむとする|一念《いちねん》は、|竹熊《たけくま》の|時《とき》よりも|一層《いつそう》|激烈《げきれつ》の|度《ど》を|増《ま》した。|棒振彦《ぼうふりひこ》はここに|美山彦《みやまひこ》と|名《な》を|変《へん》じ、|高虎姫《たかとらひめ》は|国照姫《くにてるひめ》と|偽名《ぎめい》して、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|部下《ぶか》の|神軍《しんぐん》を|欺《あざむ》く|手段《しゆだん》をとつた。
この|偽《にせ》|美山彦《みやまひこ》には|温順《おんじゆん》にして|正直《しやうぢき》|一途《いちづ》の|玉能姫《たまのひめ》といふ|妻神《つまがみ》があつた。|美山彦《みやまひこ》の|行動《かうどう》を|見《み》て、|天地《てんち》の|道理《だうり》に|背反《はいはん》せるを|歎《なげ》き、しばしば|涙《なみだ》とともに|善道《ぜんだう》に|立帰《たちかへ》らむことを|諫《いさ》めた。
しかるに|美山彦《みやまひこ》は|妻《つま》の|諫言《かんげん》を|一言《いちごん》も|耳《みみ》に|入《い》れず、|偽《にせ》|国照姫《くにてるひめ》とともに|種々《しゆじゆ》の|悪策《あくさく》を|凝議《ぎようぎ》しつつあつた。|玉能姫《たまのひめ》は|夫《をつと》の|心《こころ》を|改《あらた》めしめむと|焦心《せうしん》し、|一通《いつつう》の|遺書《かきおき》を|残《のこ》し|紅海《こうかい》に|身《み》を|投《な》げて|帰幽《きいう》した。|後《あと》に|美山彦《みやまひこ》はわが|目的《もくてき》の|妨害者《ばうがいしや》の|亡《ほろ》び|失《う》せたるをかへつて|愉快《ゆくわい》となし、|偽《にせ》|国照姫《くにてるひめ》とともに|相《あひ》|謀《はか》りて|最初《さいしよ》の|大望《たいもう》を|達《たつ》せむとした。
ここに|国照姫《くにてるひめ》は、|自分《じぶん》の|部下《ぶか》にしてもつとも|奸智《かんち》に|長《たけ》たる|小杉姫《こすぎひめ》を|美山彦《みやまひこ》の|正妻《せいさい》とした。|小杉姫《こすぎひめ》は|奸智《かんち》にたける|女《をんな》なれば、|棒振彦《ぼうふりひこ》、|高虎姫《たかとらひめ》の|奸計《かんけい》を|探知《たんち》しながら、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をしてゐた。|小杉姫《こすぎひめ》の|心中《しんちゆう》には|万一《まんいち》の|場合《ばあひ》、その|悪計《あくけい》を、|憤怒《ふんど》の|極点《きよくてん》に|達《たつ》したるとき、これを|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》に|内々《ないない》|奏上《そうじやう》し、もつてその|恨《うら》みを|報《はう》ずるの|準備《じゆんび》としてゐた。アゝ|女《をんな》の|瞋恚《しんい》ほど|世《よ》に|恐《おそ》ろしいものはない。
|棒振彦《ぼうふりひこ》、|高虎姫《たかとらひめ》は|小杉姫《こすぎひめ》の|心中《しんちゆう》|穏《おだや》かならざる|色《いろ》あるを|怪《あや》しみ、|小杉姫《こすぎひめ》の|侍女《じぢよ》|鷹姫《たかひめ》をして、その|心中《しんちゆう》を|探《さぐ》らしめた。
あるとき|鷹姫《たかひめ》は|小杉姫《こすぎひめ》にしたがひ、|美《うる》はしき|丘上《きうじやう》に|上《のぼ》り、|散歩《さんぽ》を|試《こころ》みながら|無花果《いちじく》の|実《み》を|採《と》つて|遊《あそ》んだ。ふたりは|山《やま》の|頂《いただき》に|草《くさ》をしきて|坐《ざ》し、|四方山《よもやま》の|景色《けしき》を|賞《ほ》めつつ、
『|世《よ》の|中《なか》に|多《おほ》くの|神司《かみがみ》ゐませども|貴女《あなた》のごとき|幸福《かうふく》なる|御方《おんかた》は|外《ほか》に|一柱《ひとはしら》もゐまさざるべし。げに|親《した》しき|睦《むつま》じき|御夫婦《ごふうふ》の|間柄《あひだがら》にましますこそ|羨《うらや》ましさの|限《かぎ》りよ』
と|言葉《ことば》たくみに|小杉姫《こすぎひめ》の|心中《しんちゆう》を|探《さぐ》り、その|返答《へんたふ》やいかにと、|顔《かほ》をながめて|待侘《まちわ》びた。|小杉姫《こすぎひめ》は|自分《じぶん》の|信《しん》ずる|鷹姫《たかひめ》の|言《げん》なれば、|心《こころ》|措《お》きなく|小声《こごゑ》になつて、あたりを|見廻《みまは》しながら、|耳《みみ》に|口《くち》をあて、|棒振彦《ぼうふりひこ》と|高虎姫《たかとらひめ》との|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|計画《けいくわく》を、|瞋恚《しんい》の|念《ねん》とともに|打明《うちあ》けた。ここに|鷹姫《たかひめ》は、
『|貴女《あなた》の|御立腹《ごりつぷく》は|実《げ》にごもつとも。|妾《わらは》は|実《じつ》に|同情《どうじやう》の|念《ねん》にたへませぬ』
と|額《ひたひ》に|袖《そで》をあてて|空泣《そらな》きに|泣《な》きながら、
『|妾《わらは》は|貴女《あなた》のためには|生命《せいめい》に|代《か》へても|充分《じゆうぶん》の|力《ちから》を|添《そ》へ、おふたりの|仲《なか》を|割《さ》き、もつて|貴神《あなた》に|安心《あんしん》をえさせ|奉《たてまつ》らむ。|今後《こんご》は|何事《なにごと》にても|介意《かいい》なく|仰《おほ》せられたし』
と|忠義《ちうぎ》さうにいつた。|賢明《けんめい》なやうでもさすがは|女《をんな》の|浅《あさ》はかさ、|鷹姫《たかひめ》の|詐術《さじゆつ》に|深《ふか》く|陥《おちい》つたのである。
|心《こころ》きたなき|鷹姫《たかひめ》は|棒振彦《ぼうふりひこ》、|高虎姫《たかとらひめ》にむかつて、|小杉姫《こすぎひめ》の|心中《しんちゆう》ならびに|一切《いつさい》の|秘密《ひみつ》を|密告《みつこく》した。ふたりは|大《おほ》いに|驚《おどろ》き|大事《だいじ》の|前《まへ》の|小事《せうじ》|油断《ゆだん》は|大敵《たいてき》なりと、|鷹姫《たかひめ》をして|謀計《ぼうけい》をもつて|小杉姫《こすぎひめ》を|逐《お》はしめた。ここに|鷹姫《たかひめ》はふたりの|寵《ちやう》を|得《え》、つひに|抜擢《ばつてき》されて|謀議《ぼうぎ》に|参《さん》ずるにいたつた。これより|棒振彦《ぼうふりひこ》、|高虎姫《たかとらひめ》、|鷹姫《たかひめ》は|三《み》つ|巴《どもゑ》となつて|陰謀《いんぼう》|成就《じやうじゆ》のために、|大活動《だいくわつどう》をはじめたのである。さうして|高虎姫《たかとらひめ》には|立派《りつぱ》なる|猿飛彦《さるとびひこ》という|夫《をつと》があつた。
(大正一〇・一〇・二七 旧九・二七 外山豊二録)
第三章 |美山彦命《みやまひこのみこと》の|出現《しゆつげん》〔五三〕
ここに|天使《てんし》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、|真澄姫《ますみひめ》のもつとも|信頼《しんらい》せる|神人《かみ》に、|美山彦命《みやまひこのみこと》という|智勇《ちゆう》|兼備《けんび》の|神将《しんしやう》があつた。この|神人《かみ》は|常《つね》に|帷幄《ゐあく》に|参《さん》じて、すべての|画策《くわくさく》を|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》にすすめてゐた。|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|神司《かみがみ》は、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|参謀《さんぼう》にして、かつ|信任《しんにん》ある|美山彦命《みやまひこのみこと》のあることは|仄《ほの》かに|聞《き》いてゐたが、その|風貌《ふうばう》に|接《せつ》した|神司《かみ》は|一柱《ひとはしら》もなかつた。しかしいつとはなしに|美山彦命《みやまひこのみこと》の|智勇《ちゆう》|兼備《けんび》の|声望《せいばう》は、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|驍名《げうめい》とともに|広《ひろ》く|世界《せかい》に|喧伝《けんでん》されてゐた。
|奸悪《かんあく》なる|棒振彦《ぼうふりひこ》はその|消息《せうそく》を|知《し》つて、ここに|美山彦命《みやまひこのみこと》と|名《な》を|偽《いつは》り、また|木常姫《こつねひめ》の|再来《さいらい》なる|高虎姫《たかとらひめ》は|美山彦命《みやまひこのみこと》の|妻神《つまがみ》|国照姫《くにてるひめ》と|偽《いつは》り|名乗《なの》つた。しかるに|真正《しんせい》の|美山彦命《みやまひこのみこと》は、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、|真澄姫《ますみひめ》の|内命《ないめい》によりロツキー|山《さん》に|立《た》てこもり、|魔軍《まぐん》の|内情《ないじやう》を|偵察《ていさつ》してゐた。このとき、|美山彦命《みやまひこのみこと》の|使《つかひ》として、|岡野姫《をかのひめ》は|天《あま》の|鳥船《とりふね》に|乗《の》りて|竜宮城《りゆうぐうじやう》にきたり、
『ロツキー|山《さん》は|棒振彦《ぼうふりひこ》、|高虎姫《たかとらひめ》の|魔軍《まぐん》のために|八方《はつぱう》より|包囲《はうゐ》せられ、|美山彦命《みやまひこのみこと》は|危機一髪《ききいつぱつ》のあひだに|立《た》てり、|一時《いちじ》もはやく|真澄姫《ますみひめ》は|援軍《ゑんぐん》を|率《ひき》ゐて|来《きた》りたまへ』
と|密告《みつこく》した。|真澄姫《ますみひめ》は|大《おほ》いに|訝《いぶ》かり、
『われはかよわき|女《をみな》なり、しかるに|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|差《さ》し|措《を》き、われに|救援《きうゑん》のため|出陣《しゆつぢん》を|乞《こ》ひきたるとは、|実《じつ》にその|意《い》をえず』
として|直《ただ》ちにこの|由《よし》を|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|奏上《そうじやう》したまうた。この|美山彦命《みやまひこのみこと》は|全《まつた》くの|偽名《ぎめい》であつて、|実際《じつさい》は|棒振彦《ぼうふりひこ》の|計略《けいりやく》であつた。
|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は、この|密書《みつしよ》を|怪《あや》しみ、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》に|報告《はうこく》された。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》はただちに|敵《てき》の|奸策《かんさく》なることを|看破《かんぱ》された。このゆゑは、|真《しん》の|美山彦命《みやまひこのみこと》は|神示《しんじ》によつて、|東方《とうはう》に|位《くらゐ》する|安泰山《あんたいざん》に|第二《だいに》の|陣営《ぢんえい》をつくり、|既《すで》に|出陣《しゆつぢん》してをつたからである。そして|後《あと》には|岩《いは》をもつてわが|姿《すがた》をつくり、また|諸々《もろもろ》の|従臣《じゆうしん》の|形《かたち》をも|岩《いは》にて|作《つく》り、これをロツキー|山《さん》の|城塞《じやうさい》に|立《た》ておいたのである。
|一方《いつぱう》、ロツキー|山《さん》に|駐屯《ちうとん》せる|美山彦命《みやまひこのみこと》の|危急《ききふ》は|迫《せま》れりと|伝《つた》へ|聞《き》きたる|神司《かみがみ》は、とるもの|取《と》りあへず、ロツキー|山《さん》さしてめいめい|神軍《しんぐん》を|引率《いんそつ》し|救援《きうゑん》にむかうた。そのとき|棒振彦《ぼうふりひこ》、|高虎姫《たかとらひめ》は、|山腹《さんぷく》に|待《ま》ち|伏《ふ》せ、みづから|美山彦命《みやまひこのみこと》、|国照姫《くにてるひめ》と|称《しよう》し、あまたの|正《ただ》しき|神司《かみ》を|誑《たぶら》かしてわが|勢力《せいりよく》を|集《あつ》めむとした。|味方《みかた》の|神将《しんしやう》|香川彦《かがはひこ》、|広足彦《ひろたるひこ》、|滝彦《たきひこ》、|豊彦《とよひこ》、|神山彦《かみやまひこ》はそれを|真《まこと》の|美山彦命《みやまひこのみこと》と|信《しん》じ、|率先《そつせん》して|棒振彦《ぼうふりひこ》の|魔軍《まぐん》に|加《くは》はつた。|美山彦《みやまひこ》(|棒振彦《ぼうふりひこ》の|偽名《ぎめい》)は|諸神司《しよしん》に|向《むか》つて、
『|竜宮城《りゆうぐうじやう》はすでに|棒振彦《ぼうふりひこ》、|高虎姫《たかとらひめ》の|手《て》に|陥《おちい》れり。これより|進《すす》んで|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|回復《くわいふく》し、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》|以下《いか》の|諸神司《しよしん》を|救《すく》ひ|奉《たてまつ》らむ』
と、いかにも|言葉《ことば》たくみに|諸神司《しよしん》を|詐《いつは》り、|反対《はんたい》にふたたび|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|迫《せま》らむとした。
この|時《とき》、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|安泰山《あんたいざん》の|美山彦命《みやまひこのみこと》とともにロツキー|山《さん》の|麓《ふもと》に|現《あら》はれ、
『|真《まこと》の|美山彦命《みやまひこのみこと》はここにあり』
と|大音声《だいおんじやう》に|呼《よば》はりたまえば、|棒振彦《ぼうふりひこ》、|高虎姫《たかとらひめ》は|謀計《ぼうけい》の|破《やぶ》れたるに|驚《おどろ》き、|散乱《さんらん》せむとする|魔軍《まぐん》をかきあつめ、|西方《せいはう》の|海《うみ》に|向《むか》つて|姿《すがた》を|隠《かく》した。かくして|悪神《あくがみ》の|計画《けいくわく》は|見事《みごと》|失敗《しつぱい》に|帰《き》した。
|一旦《いつたん》|棒振彦《ぼうふりひこ》を|真《しん》の|美山彦命《みやまひこのみこと》と|信《しん》じて|参加《さんか》した|諸神将《しよしんしよう》は、ここに|全《まつた》く|夢《ゆめ》のさめたるごとく、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》にその|不覚不識《ふかくふしき》を|謝《しや》し、|美山彦命《みやまひこのみこと》にしたがひて|安泰山《あんたいざん》に|出軍《しゆつぐん》した。このとき|早《はや》くも、ロツキー|山《さん》は|棒振彦《ぼうふりひこ》の|占領《せんりやう》するところとなつてゐた。しかるに|美山彦命《みやまひこのみこと》|以下《いか》の|石像《せきざう》より|常《つね》に|火《ひ》を|発《はつ》して、|棒振彦《ぼうふりひこ》の|魔軍《まぐん》を|滅茶々々《めちやめちや》になやませしかば、|棒振彦《ぼうふりひこ》はつひにロツキー|山《さん》を|捨《す》てて、|鬼城山《きじようざん》の|高虎姫《たかとらひめ》の|陣営《ぢんえい》に|退却《たいきやく》するの|止《や》むをえざるに|立《た》ちいたつた。
こがらしや|犬《いぬ》のほえつく|壁《かべ》の|蓑《みの》
(大正一〇・一〇・二七 旧九・二七 桜井重雄録)
第四章 |真澄《ますみ》の|神鏡《かがみ》〔五四〕
ここに|天使《てんし》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|勇神《ゆうしん》、|大足彦《おほだるひこ》、|花照姫《はなてるひめ》、|道貫彦《みちつらひこ》を|添《そ》へて、|木花姫命《このはなひめのみこと》の|鎮《しづ》まりたまふ|芙蓉山《ふようざん》を|守《まも》らしめたまうた。
|不二《ふじ》の|山《やま》|三国一《さんごくいち》の|四方面《しはうめん》
|汽車《きしや》の|窓《まど》|半日《はんにち》のぞく|不二《ふじ》の|峰《みね》
ここに|美山彦《みやまひこ》、|国照姫《くにてるひめ》は、|鷹姫《たかひめ》とともに|雲霧《うんむ》をおこして|芙蓉山《ふようざん》に|翔《か》けのぼり、|大足彦《おほだるひこ》に|面会《めんくわい》を|求《もと》めた。|大足彦《おほだるひこ》は|木花姫命《このはなひめのみこと》の|神務《しんむ》を|帯《お》びて、|遠《とほ》く|安泰山《あんたいざん》に|行《ゆ》かれた|後《あと》である。そこで|花照姫《はなてるひめ》は|道貫彦《みちつらひこ》をして|代《かは》つて|応接《おうせつ》せしめた。
|美山彦《みやまひこ》|以下《いか》|二神《にしん》は「|一大《いちだい》|秘密《ひみつ》あり、|願《ねが》はくは|隣神《りんしん》を|遠《とほ》ざけたまへ」と|仔細《しさい》ありげに|申《まを》しのべた。
|道貫彦《みちつらひこ》は|乞《こ》ふがまにまに|隣神《りんしん》を|遠《とほ》ざけ|一間《ひとま》に|入《い》りて、
『その|秘密《ひみつ》はいかに』
と|反問《はんもん》した。このとき|美山彦《みやまひこ》は|声《こゑ》を|密《ひそ》めて、
『|竜宮城《りゆうぐうじやう》も|地《ち》の|高天原《たかあまはら》も|既《すで》に|重囲《ぢうゐ》に|陥《おちい》り|危機《きき》|旦夕《たんせき》にせまる。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》はわずかに|身《み》をもつてのがれたまひ、|万寿山《まんじゆざん》に|避難《ひなん》し、ここに|再挙《さいきよ》を|図《はか》らせたまふ。しかるに|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、|真澄姫《ますみひめ》はすでに|棒振彦《ぼうふりひこ》に|帰順《きじゆん》し、|今《いま》や|魔軍《まぐん》の|将《しやう》として|万寿山《まんじゆざん》に|押《お》し|寄《よ》せむとす。|高天原《たかあまはら》の|大事《だいじ》を|救《すく》ふは|今《いま》この|時《とき》なり。|智略《ちりやく》|縦横《じうわう》の|大足彦《おほだるひこ》きたりて|万寿山《まんじゆざん》の|主将《しゆしやう》となり、|大勢《たいせい》を|挽回《ばんくわい》し、|大神《おほかみ》の|神慮《しんりよ》を|慰《なぐさ》めよ、との|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|御神命《ごしんめい》なり。|貴神《きしん》の|向背《かうはい》いかん』
と|気色《きしよく》をはげまし、|刀《かたな》の|柄《つか》に|手《て》をかけ|決心《けつしん》の|色《いろ》を|見《み》せながらヂリヂリと|詰《つ》めよつた。
|花照姫《はなてるひめ》、|道貫彦《みちつらひこ》は|始終《しじゆう》を|聞《き》きて|心《こころ》も|心《こころ》ならず、ただちに|天《あま》の|鳥船《とりぶね》をもつて、|豊彦《とよひこ》をして|安泰山《あんたいざん》の|大足彦《おほだるひこ》にこの|顛末《てんまつ》を|報告《はうこく》せしめた。|時《とき》をうつさず|西方《せいはう》の|天《てん》より、|大足彦《おほだるひこ》は|豊彦《とよひこ》とともに|帰山《きざん》し、すでにすでに|安泰山《あんたいざん》において|美山彦命《みやまひこのみこと》と|会見《くわいけん》してすべての|様子《やうす》を|知《し》りゐたるに、ここにまた|美山彦命《みやまひこのみこと》の|来《きた》れるを|聞《き》きて、|何《なん》となく|怪《あや》しみに|堪《た》へず、|山頂《さんちやう》の|木花姫命《このはなひめのみこと》の|宮《みや》にいたり|神示《しんじ》を|乞《こ》ひたまうた。
|木花姫命《このはなひめのみこと》の|神示《しんじ》によりて、|天使《てんし》は|心中《しんちゆう》|深《ふか》く|期《き》するところのあるものの|如《ごと》く、|花照姫《はなてるひめ》、|豊彦《とよひこ》その|他《た》の|神司《かみがみ》を|芙蓉山《ふようざん》に|残《のこ》して|守備《しゆび》となし、|美山彦《みやまひこ》|一行《いつかう》と|共《とも》に|万寿山《まんじゆざん》に|向《むか》うた。|万寿山《まんじゆざん》には、バイカル|湖《こ》の|邪神《じやしん》となりし|鬼姫《おにひめ》の|再来《さいらい》なる|杵築姫《きづきひめ》は、|美々《びび》しく|変装《へんさう》を|凝《こ》らして|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》と|化《な》り、|大足彦《おほだるひこ》に|向《むか》つて|遠来《ゑんらい》の|労《らう》を|謝《しや》し、かつ|地《ち》の|高天原《たかあまはら》および|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|回復《くわいふく》を|命《めい》ぜられた。
|這《は》ふて|出《で》てはねる|蚯蚓《みみず》や|雲《くも》の|峰《みね》
|大足彦《おほだるひこ》は|出発《しゆつぱつ》の|際《さい》、|木花姫命《このはなひめのみこと》よりひそかに|賜《たま》はりたる|真澄《ますみ》の|鏡《かがみ》をとりいだし、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》を|照《てら》しみれば、こはそも|如何《いか》に、|今《いま》まで|優美《いうび》にしてかつ|尊厳《そんげん》なりし|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は、|見《み》るも|恐《おそ》ろしき|鬼姫《おにひめ》の|後身《こうしん》バイカル|湖《こ》の|黒竜《こくりゆう》と|現《あら》はれ、|東北《とうほく》の|天《てん》にむかつて|黒雲《こくうん》を|捲《ま》きおこし、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|失《う》せた。|美山彦《みやまひこ》はと|鏡《かがみ》に|照《て》らして|見《み》れば、こはそも|如何《いか》に、|竹熊《たけくま》の|再来《さいらい》|棒振彦《ぼうふりひこ》の|正体《しやうたい》あらはれ、|高虎姫《たかとらひめ》を|見《み》れば|木常姫《こつねひめ》の|再来《さいらい》なる|金毛九尾《きんもうきゆうび》の|悪狐《あくこ》と|化《くわ》し、|鷹姫《たかひめ》の|姿《すがた》は|大《だい》なる|古狸《ふるだぬき》と|現《あら》はれた。
|大足彦《おほだるひこ》は|天《てん》を|拝《はい》し|地《ち》に|伏《ふ》し、|芙蓉山《ふようざん》にむかつて|合掌《がつしやう》し|神徳《しんとく》の|広大《くわうだい》|無辺《むへん》なるを|感謝《かんしや》した。その|後《ご》|棒振彦《ぼうふりひこ》、|高虎姫《たかとらひめ》は|諸方《しよはう》にかけ|廻《めぐ》り、このたびは|大足彦《おほだるひこ》をいかにもして|亡《ほろ》ぼし、|真澄《ますみ》の|鏡《かがみ》を|得《え》むと|非常《ひじやう》に|苦心《くしん》|焦慮《せうりよ》した。|邪神《じやしん》の|去《さ》りしあとの|万寿山《まんじゆざん》は、|実《じつ》に|荒涼《くわうりやう》たる|荒野《くわうや》と|化《くわ》してゐた。あとに|大足彦《おほだるひこ》は|地《ち》を|踏《ふ》み|轟《とどろ》かして|雄健《をたけ》びしながら、|怒《いか》りを|押《お》さへ|直《ただ》ちに|鳥船《とりぶね》に|乗《の》りて|芙蓉山《ふようざん》に|帰還《きくわん》した。
(大正一〇・一〇・二七 旧九・二七 加藤明子録)
第五章 |黒死病《ペスト》の|由来《ゆらい》〔五五〕
|死海《しかい》の|悪霊《あくれい》となりし|竹熊《たけくま》、|木常姫《こつねひめ》は、|再生《さいせい》して|棒振彦《ぼうふりひこ》、|高虎姫《たかとらひめ》と|化《な》り、ふたたび|初志《しよし》を|貫徹《くわんてつ》せむため、|神界《しんかい》に|声望《せいばう》|高《たか》き|美山彦命《みやまひこのみこと》、|国照姫《くにてるひめ》の|神名《しんめい》を|偽《いつは》り、|種々《しゆじゆ》の|謀計《ぼうけい》をもつて|正神界《せいしんかい》の|諸神司《しよしん》を|攪乱《かくらん》せむと|必死《ひつし》の|活動《くわつどう》を|続《つづ》けてをる。|茲《ここ》に|美山彦命《みやまひこのみこと》は|諸神司《しよしん》の|正邪去就《せいじやきよしう》の|判別《はんべつ》に|迷《まよ》はされむことを|慮《おもんぱか》り、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|神命《しんめい》を|奉《ほう》じて|言霊別命《ことたまわけのみこと》と|改名《かいめい》し、これを|諸神司《しよしん》に|内報《ないはう》しおかれた。また|国照姫《くにてるひめ》も|言霊姫《ことたまひめ》と|改名《かいめい》されることになつた。したがつて|以下《いか》|述《の》ぶるところの|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、|真《まこと》の|美山彦命《みやまひこのみこと》のことであり、|言霊姫《ことたまひめ》は|真《まこと》の|国照姫《くにてるひめ》のことである。さうして|美山彦《みやまひこ》といふのは|真《まこと》の|棒振彦《ぼうふりひこ》のことであり、|国照姫《くにてるひめ》といふのは|真《まこと》の|高虎姫《たかとらひめ》であることをあらかじめ|述《の》べておく。
|月《つき》の|夜《よ》にそのに|立出《たちい》でながむれば |黄菊《きぎく》|白菊《しらぎく》|一《ひと》つ|色《いろ》なる
|長白山《ちやうはくざん》の|山腹《さんぷく》に|古《ふる》くより|鎮《しづ》まります|智仁勇《ちじんゆう》|兼備《けんび》の|神将《しんしやう》に、|神国別命《かみくにわけのみこと》、|佐倉姫《さくらひめ》の|二神人《にしん》があつた。その|麾下《きか》には|豊春彦《とよはるひこ》、|猛虎彦《たけとらひこ》ありて|一切《いつさい》の|神務《しんむ》を|掌握《しやうあく》し、|八百万《やほよろづ》の|神司《かみがみ》を|集《あつ》めて|天下《てんか》の|趨勢《すうせい》を|観望《くわんばう》し、|鋭気《えいき》を|養《やしな》ひ、|潜勢力《せんせいりよく》を|備《そな》へて|天使《てんし》の|来迎《らいげい》を|待《ま》ちわびてゐた。この|神人《かみ》は|国治立命《くにはるたちのみこと》の|御系統《ごけいとう》にして、|木星《もくせい》の|精《せい》|降《くだ》つてここに|顕《あら》はれたのである。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、|一旦《いつたん》|神界《しんかい》は|平穏《へいおん》|無事《ぶじ》に|治《おさ》まりしといへども、|執念深《しふねんぶか》き|僣偽《にせ》の|美山彦《みやまひこ》、|国照姫《くにてるひめ》および|鬼熊《おにくま》の|再生《さいせい》なる|鬼猛彦《おにたけひこ》、|杵築姫《きづきひめ》|等《とう》の、|各所《かくしよ》に|魔軍《まぐん》を|集《あつ》めて、ふたたび|世界《せかい》を|撹乱《かくらん》するの|気勢《きせい》|明《あき》らかとなりたれば、これらの|魔軍《まぐん》を|殲滅《せんめつ》し、|世界《せかい》の|憂慮《いうりよ》を|除《のぞ》かむがために|種々《しゆじゆ》の|神策《しんさく》をめぐらされた。そこで、|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|滝津彦《たきつひこ》を|副《そ》へて|長白山《ちやうはくざん》にのぼり、|神国別命《かみくにわけのみこと》、|佐倉姫《さくらひめ》を|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に|招致《せうち》せむと|計《はか》りたまうた。|神国別命《かみくにわけのみこと》は|神命《しんめい》を|奉《ほう》じて|豊春彦《とよはるひこ》、|猛虎彦《たけとらひこ》をして|長白山《ちやうはくざん》の|神営《しんえい》にとどまつて|守備《しゆび》せしめ、みづから|進《すす》んで|地《ち》の|高天原《たかあまはら》の|部将《ぶしやう》たるを|拝授《はいじゆ》された。
このとき|偽《にせ》|美山彦《みやまひこ》の|一味《いちみ》の|邪神《じやしん》は、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|長白山《ちやうはくざん》に|到《いた》りしことを|探知《たんち》し、あまたの|邪鬼《じやき》|悪竜《あくりゆう》|毒蛇《どくじや》を|遣《つか》はし、|八方《はつぱう》より|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|神国別命《かみくにわけのみこと》を|攻《せ》め|悩《なや》まさむとした。|神国別命《かみくにわけのみこと》は|三徳《さんとく》|兼備《けんび》の|神将《しんしやう》なれども、あまりの|巧妙《かうめう》なる|邪神《じやしん》の|戦略《せんりやく》にいかんともする|能《あた》はず、|言霊別命《ことたまわけのみこと》とともに|非常《ひじやう》なる|苦境《くきやう》に|陥《おちい》つた。
|偽《にせ》|美山彦《みやまひこ》、|国照姫《くにてるひめ》は|死海《しかい》に|沈《しづ》みたる|黒玉《こくぎよく》を|爆発《ばくはつ》せしめ、|山《やま》の|周囲《しうゐ》に|邪気《じやき》を|発生《はつせい》せしめた。この|邪気《じやき》は|億兆《おくてう》|無数《むすう》の|病魔神《やまひがみ》と|変《へん》じ、|神国別命《かみくにわけのみこと》の|神軍《しんぐん》に|一々《いちいち》|憑依《ひやうい》して|大熱《だいねつ》を|発《はつ》せしめた。|神軍《しんぐん》はのこらず、この|病魔《びやうま》に|冒《をか》されて|地上《ちじやう》に|倒《たふ》れ、|中《なか》には|死滅《しめつ》する|者《もの》も|多数《たすう》に|現《あら》はれてきた。この|病魔《びやうま》は|漸次《ぜんじ》に|四散《しさん》して|世界《せかい》の|各所《かくしよ》に|拡《ひろ》がり、つひにペストの|病菌《びやうきん》となつた。
ここに|佐倉姫《さくらひめ》は|神軍《しんぐん》の|惨状《さんじやう》を|見《み》るにしのびず、|天《てん》の|木星《もくせい》にむかつて|救援《きうゑん》を|請《こ》ひ、|神言《かみごと》を|朗《ほがら》かに|奏上《そうじやう》された。このとき|木星《もくせい》より|一枝《いつし》の|榊《さかき》の|枝《えだ》がくだつてきた。|佐倉姫《さくらひめ》は|天《てん》の|与《あた》へと|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|感謝《かんしや》し、この|榊葉《さかきば》に|神霊《しんれい》を|取懸《とりか》けて「|左右左《さいうさ》」と|打《う》ちふられた。|東風《とうふう》にはかに|吹《ふ》ききたり、|長白山《ちやうはくざん》の|邪気《じやき》は|遠《とほ》く|散逸《さんいつ》してロッキー|山《ざん》の|方《はう》に|向《む》かつて|消滅《せうめつ》した。たちまち|神軍《しんぐん》は|蘇生《そせい》しその|元気《げんき》は|平素《へいそ》に|百倍《ひやくばい》した。ここに|神国別命《かみくにわけのみこと》は|神恩《しんおん》の|深《ふか》きに|感謝《かんしや》し、|神授《しんじゆ》の|榊葉《さかきば》を|豊春彦《とよはるひこ》に|授《さづ》け、|猛虎彦《たけとらひこ》とともに|長白山《ちやうはくざん》を|守《まも》らしめ、|二神人《にしん》は|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に|参向《さんかう》さるることとなつた。
(大正一〇・一〇・二八 旧九・二八 谷口正治録)
第六章 モーゼとエリヤ〔五六〕
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|命《めい》を|奉《ほう》じ、|海原彦命《うなばらひこのみこと》の|部下《ぶか》の|猛将《まうしやう》|岩高彦《いわたかひこ》はオコツク|海《かい》|方面《はうめん》にありと|知《し》り、これを|高天原《たかあまはら》に|招致《せうち》せむとされた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|天《あま》の|磐楠船《いはくすぶね》に|乗《の》りて、|浪風《なみかぜ》|荒《あら》き|海原《うなばら》を|酷烈《こくれつ》なる|寒気《かんき》を|冒《をか》して|進《すす》まれた。ここに|岩高彦《いはたかひこ》は|神命《しんめい》を|聞《き》きおほいに|喜《よろこ》び、われに|優渥《いうあく》なる|神命《しんめい》の|下《くだ》りしは|実《じつ》に|光栄《くわうえい》|身《み》にあまる|次第《しだい》なり、しかしながら|当方《たうはう》は|邪神《じやしん》もつとも|多《おほ》く、|寸時《すんじ》もわれの|不在《ふざい》を|許《ゆる》さず、あまたの|悪竜神《あくりゆうじん》は|今《いま》やオコツク|海《かい》を|八方《はつぱう》より|占奪《せんだつ》せむとするの|真最中《まつさいちう》なり。ゆえに|折角《せつかく》の|御神勅《ごしんちよく》なれども|命《みこと》に|応《おう》ずることを|得《え》ず。もしこの|一角《いつかく》を|魔軍《まぐん》に|占領《せんりやう》されなば、|竜宮城《りゆうぐうじやう》も|地《ち》の|高天原《たかあまはら》も|保《たも》ちがたし。われはこの|海《うみ》に|隠《かく》れて|大神《おほかみ》のために|死力《しりよく》をつくさむ。されども|神命《しんめい》を|拒否《きよひ》するは|心許《こころもと》なければ、|部下《ぶか》の|神将《しんしやう》|滝津彦《たきつひこ》をわれに|代《かは》つて|参向《さんかう》せしめむと|答《こた》へた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、
『|理義《りぎ》|明白《めいはく》なる|貴下《きか》の|御言葉《おことば》、げにもつともなり。われは|帰《かへ》りて|大神《おほかみ》に|貴下《きか》の|赤誠《せきせい》を|奏上《そうじやう》し|奉《たてまつ》らむ』
と|満腔《まんこう》の|感謝《かんしや》を|述《の》べられた。このとき|天《てん》の|一方《いつぱう》より|百雷《ひやくらい》の|一時《いちじ》に|轟《とどろ》くごとき|大音響《だいおんきやう》を|発《はつ》し、|黒雲《こくうん》を|押分《おしわ》け|降《くだ》りくる|巨神人《きよしん》あり。たちまち|天上《てんじやう》に|群《むら》がる|悪竜《あくりゆう》|邪鬼《じやき》を、|左右《さいう》の|手《て》に|鉄棒《てつぼう》を|振《ふ》り|廻《まは》し|縦横無尽《じゆうわうむじん》にうち|悩《なや》ませ、|悠々《いういう》として|降《くだ》りきたり、|岩高彦《いはたかひこ》に|向《むか》つて、
『|今《いま》や|地上《ちじやう》の|世界《せかい》は|悪霊《あくがみ》のために|大混乱《だいこんらん》に|陥《おちい》らむとするの|兆《てう》あり。われは|天神《てんしん》の|命《めい》によりて|地上《ちじやう》の|神政《しんせい》を|輔翼《ほよく》し、|国治立命《くにはるたちのみこと》とともに、|天上《てんじやう》の|制度《せいど》を|地上《ちじやう》に|布《し》かむがために|降《くだ》れり』
といと|厳《おごそ》かに|述《の》べられたり。この|神《かみ》|再来《さいらい》して|後《のち》にモーゼの|神人《かみ》となり、すべて|神則《しんそく》を|定《さだ》められた。この|神《かみ》の|御名《みな》は|天道別命《あまぢわけのみこと》といひ、また|天道坊《てんどうぼう》と|仮称《かしよう》する。
ここに|遠《とほ》く|西方《せいはう》の|海《うみ》より|雲霧《うんむ》|立昇《たちのぼ》り、|中天《ちゆうてん》において|光茫《くわうばう》|天地《てんち》を|輝《かがや》かす|明玉《めいぎよく》となつて、|大陸《たいりく》を|越《こ》えオコツク|海《かい》に|落《お》ち、|水煙《みずけぶり》を|立《た》て、かつ|海面《かいめん》に|渦巻《うづまき》をたて、|山岳《さんがく》のごとき|波間《はかん》より|現《あら》はれ|出《いで》たる|巨神人《きよしん》あり、これを|天真道彦命《あめのまみちひこのみこと》といふ。また|天真坊《てんまぼう》と|仮称《かしよう》する。
この|神《かみ》は|国治立命《くにはるたちのみこと》の|天地剖判《てんちぼうはん》のとき、|神命《しんめい》を|奉《ほう》じて|海中《かいちゆう》に|明玉《めいぎよく》となつて|沈《しづ》み、|神命《しんめい》のくだるを|待《ま》ちたまうた|神《かみ》である。いまや|神界《しんかい》は|混乱《こんらん》に|混乱《こんらん》を|重《かさ》ね、|邪神《じやしん》|悪鬼《あくき》の|跳梁跋扈《てうりやうばつこ》する|時機《じき》なり、|神司《かみがみ》は|善悪《ぜんあく》|正邪《せいじや》の|区別《くべつ》なく|右往左往《うわうさわう》に|迷《まよ》ふのをりからなれば、|天地《てんち》の|諸神司《しよしん》にむかつて|宇宙《うちう》|一切《いつさい》の|道理《だうり》を|説《と》き、|因果《いんぐわ》の|神律《しんりつ》を|開示《かいじ》せむとして|現《あら》はれたまうた。この|神人《かみ》|再生《さいせい》して|天下《てんか》に|現《あら》はれ、|予言《よげん》|警告《けいこく》を|発《はつ》して|神人《しんじん》を|戒《いまし》めたまふた。これをエリヤの|神《かみ》といふ。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|二神人《にしん》の|出現《しゆつげん》に|力《ちから》を|得《え》、|天《てん》にも|上《のぼ》る|心地《ここち》して|四神人《ししん》|相《あひ》ともなひ|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|目出度《めでた》く|帰城《きじやう》し、ここにいよいよ|大神《おほかみ》の|神慮《しんりよ》を|遍《あま》ねく|天上《てんじやう》|天下《てんか》に|拡充《くわくじゆう》された。
(大正一〇・一〇・二八 旧九・二八 外山豊二録)
第七章 |天地《てんち》の|合《あは》せ|鏡《かがみ》〔五七〕
ここに|天使《てんし》|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は、|天使《てんし》|天道別命《あまぢわけのみこと》をして|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|守《まも》らしめ、|天使《てんし》|天真道彦命《あめのまみちひこのみこと》、|神国別命《かみくにわけのみこと》をして|地《ち》の|高天原《たかあまはら》を|守《まも》らしめ、|滝津彦《たきつひこ》をして|橄欖山《かんらんざん》を|守《まも》らしめ、|斎代彦《ときよひこ》をして|黄金橋《こがねばし》を|守《まも》らしめ、はじめて|後顧《こうこ》の|憂《うれ》ひなきをみて、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|金竜《きんりゆう》にまたがり、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|銀竜《ぎんりう》に、|真澄姫《ますみひめ》は|金剛《こんがう》に、|芙蓉山《ふようざん》より|現《あら》はれいでたる|木花姫命《このはなひめのみこと》は|劒破《ちはや》の|竜馬《りうめ》にまたがり、あまたの|従臣《じゆうしん》を|率《ひき》ゐて|天馬《てんば》|空《くう》を|駆《か》けりて、|高砂《たかさご》の|島《しま》に|出《い》で|行《ゆ》きたまひ、|新高山《にいたかやま》に|下《くだ》らせたまふ。
|天《てん》までも|高《たか》く|匂《にほ》ふや|梅《うめ》の|花《はな》
この|高砂《たかさご》の|神島《かみじま》は|国治立命《くにはるたちのみこと》の|厳《いづ》の|御魂《みたま》の|分霊《ぶんれい》を|深《ふか》く|秘《かく》しおかれたる|聖地《せいち》であつて、|神国魂《みくにだましひ》の|生粋《きつすゐ》の|御魂《みたま》を|有《いう》する|神々《かみがみ》の|永遠《ゑいゑん》に|集《つど》ひたまふ|経綸地《けいりんち》で、|神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》の|暁《あかつき》、この|聖地《せいち》の|神司《かみ》の|御魂《みたま》を|選抜《せんばつ》して|使用《しよう》されむがための、|大神《おほかみ》の|深《ふか》き|御神慮《ごしんりよ》に|出《い》でさせられたものである。|故《ゆゑ》にこの|島《しま》は|四方《しはう》|荒浪《あらなみ》をもつて|囲《かこ》み、みだりに|邪神《じやしん》|悪鬼《あくき》の|侵入《しんにふ》を|許《ゆる》されない。|天地《てんち》の|律法《りつぱふ》まつたく|破《やぶ》れて、|国治立命《くにはるたちのみこと》|御隠退《ごいんたい》ののちは|邪神《じやしん》たちまち|襲来《しふらい》して、ほとんどその|七分《しちぶ》どほりまで|体主霊従《たいしゆれいじゆう》、|和光同塵《わくわうどうぢん》の|邪神《じやしん》の|経綸《けいりん》に|全《まつた》く|汚《けが》されてしまつた。されど|三分《さんぶ》の|残《のこ》りし|御魂《みたま》は、|今《いま》に|神代《かみよ》のままの|神国魂《みくにだましひ》を|抱持《はうぢ》する|厳正《げんせい》なる|神々《かみがみ》が、|潜《ひそ》んで|時節《じせつ》を|待《ま》つてをらるるのである。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》はこの|中央《ちうわう》なる|新高山《にひたかやま》に|到着《たうちやく》し、あまたの|正神司《せいしん》を|集《あつ》め、|神界《しんかい》の|経綸《けいりん》をひそかに|教示《けうじ》しおかれた。
ここにこの|島《しま》の|正《ただ》しき|守《まも》り|神《がみ》、|真道彦命《まみちひこのみこと》は|岩石《がんせき》を|打《う》ち|割《わ》り、|紫紺色《しこんしよく》を|帯《お》びたる|透明《とうめい》の|宝玉《ほうぎよく》を|持《も》ちだし、これを|恭々《うやうや》しく|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|捧呈《ほうてい》された。この|玉《たま》は|神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》の|暁《あかつき》、ある|国《くに》の|国魂《くにたま》となる|宝玉《ほうぎよく》である。
つぎに|奇八玉命《くしやたまのみこと》は|海底《かいてい》に|沈《しづ》み|日生石《につしやうせき》の|玉《たま》を|拾《ひろ》ひきたつて|捧呈《ほうてい》した。この|玉《たま》は|神人《しんじん》|出生《しゆつしやう》の|時《とき》にさいし、|安産《あんざん》を|守《まも》る|宝玉《ほうぎよく》である。この|玉《たま》の|威徳《ゐとく》に|感《かん》じて|生《うま》れいでたる|神人《しんじん》は、すべて|至粋《しすゐ》|至純《しじゆん》の|身魂《みたま》を|有《いう》する|霊主体従《れいしゆたいじゆう》の|身魂《みたま》である。そこで|真鉄彦《まがねひこ》は|谷間《たにま》へ|下《くだ》りて|水晶《すゐしやう》の|宝玉《ほうぎよく》を|取《と》りだし、これを|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|捧呈《ほうてい》した。この|玉《たま》は|女《をんな》の|不浄《ふじやう》を|清《きよ》むる|珍《うづ》の|神玉《しんぎよく》である。ここに|武清彦《たけきよひこ》は|山腹《さんぷく》の|埴《はに》を|穿《うが》ちて|黄色《わうしよく》の|玉《たま》を|取《と》りいだし|恭《うやうや》しく|命《みこと》に|捧呈《ほうてい》した。この|玉《たま》は|神人《しんじん》の|悪病《あくびやう》に|罹《かか》れるとき、|神気《しんき》|発射《はつしや》して|病魔《びやうま》を|退《しりぞ》くる|宝玉《ほうぎよく》である。つぎに|速吸別《はやすゐわけ》は|頂上《ちやうじやう》の|巌窟《がんくつ》の|黄金《こがね》の|頭槌《くぶつち》をもつて|静《しづか》に|三回《さんくわい》|打《う》ちたまへば、|巨厳《きよがん》は|分裂《ぶんれつ》して|炎《ほのほ》となり|中天《ちゆうてん》に|舞《ま》ひのぼつた。|空中《くうちゆう》にたちまち|紅色《こうしよく》の|玉《たま》と|変《へん》じ、|宇宙《うちう》を|東西南北《とうざいなんぽく》に|疾走《しつそう》して|火焔《くわえん》を|吐《は》き、ついで|水気《すゐき》を|吐《は》き、|雷鳴《らいめい》をおこし、たちまちにして|空中《くうちゆう》の|妖気《えうき》を|一掃《いつさう》し、|美《うるは》しき|紅色《こうしよく》の|玉《たま》と|変《へん》じ、|命《みこと》の|前《まへ》にあまたの|女性《をみな》に|捧持《ほうぢ》させてこれを|命《みこと》に|献《たてまつ》つた。この|玉《たま》はある|時《とき》は|火《ひ》を|発《はつ》し、ある|時《とき》は|水《みづ》を|発《はつ》し、|火水《ひみづ》をもつて|天地《てんち》の|混乱《こんらん》を|清《きよ》むるの|神宝《しんぽう》である。
|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|一行《いつかう》は、|馬上《ばじやう》はるかに|海上《かいじやう》を|渡《わた》りて|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に|帰還《きくわん》したまへるとき、|天《あめ》の|八衢《やちまた》に|鬼熊《おにくま》の|亡霊《ぼうれい》は|化《くわ》して|鬼猛彦《おにたけひこ》となり、|大蛇彦《だいじやひこ》とともに|命《みこと》の|帰還《きくわん》を|防止《ばうし》し、かつその|神宝《しんぽう》を|奪取《だつしゆ》せむと|待《ま》ちかまへてゐた。ここに|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|紅色《こうしよく》の|玉《たま》を|用《もち》ひるは、いまこの|時《とき》なりとしてこの|玉《たま》を|用《もち》ひむとしたまひし|時《とき》、|木花姫命《このはなひめのみこと》はこれをとどめていふ。
『この|玉《たま》は|一度《いちど》|使用《しよう》せば|再《ふたた》び|用《よう》をなすまじ。かかる|小《ちひ》さき|魔軍《まぐん》にむかつて|使用《しよう》するは|実《じつ》に|残念《ざんねん》なり。この|魔軍《まぐん》を|滅《ほろ》ぼすはこれにて|足《た》れり』
と|懐《ふところ》より|天《あめ》の|真澄《ますみ》の|鏡《かがみ》をとりだして|鬼猛彦《おにたけひこ》の|魔軍《まぐん》にむかつて|逸早《いちはや》くこれを|照《て》らしたまうた。|魔神《まがみ》はたちまち|黒竜《こくりゆう》と|変《へん》じ、|邪鬼《じやき》と|化《くわ》して、ウラル|山《さん》|目《め》がけて|遁走《とんそう》した。
|天地《あめつち》の|真澄《ますみ》の|鏡《かがみ》|照《て》りわたり
|醜《しこ》の|曲霊《まがひ》も|逃《に》げうせにけり
|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》|一行《いつかう》は|無事《ぶじ》|帰還《きくわん》された。さうしてこの|玉《たま》を|竜宮島《りゆうぐうじま》の|湖《うみ》に|深《ふか》く|秘《ひ》めおかれた。さきに|木花姫命《このはなひめのみこと》より|大足彦《おほだるひこ》に|賜《たま》はりしは|国《くに》の|真澄《ますみ》の|鏡《かがみ》である。|天地《てんち》|揃《そろ》うて|合《あは》せ|鏡《かがみ》という|神示《しんじ》は、この|二個《にこ》の|神鏡《しんきやう》の|意《い》である。また|五個《ごこ》の|神玉《しんぎよく》は|海原彦命《うなばらひこのみこと》、|国《くに》の|御柱神《みはしらかみ》|二神《にしん》の|守護《しゆご》さるることなつた。
(|附言《ふげん》)|後世《こうせい》|女神《めがみ》および|婦人《ふじん》らの|簪《かんざし》に|玉《たま》をつけ、また|玉《たま》を|連《つら》ねて|頸飾《くびかざ》りとなして、|悪事《あくじ》を|払《はら》ひ、|幸福《かうふく》を|求《もと》め、|賢児《けんじ》を|得《え》むとするのはこの|因縁《いんねん》に|因《よ》るものである。
(大正一〇・一〇・二八 旧九・二八 桜井重雄録)
第八章 |嫉視反目《しつしはんもく》〔五八〕
ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|天使《てんし》|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|命《めい》を|奉《ほう》じ、|天道別命《あまぢわけのみこと》、|天真道彦命《あめのまみちひこのみこと》とともに|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》し、|大神《おほかみ》の|勅《みことのり》を|宇内《うだい》に|宣伝《せんでん》し、|神国別命《かみくにわけのみこと》は|地《ち》の|高天原《たかあまはら》にありて|神政《しんせい》を|総轄《そうかつ》することとなつた。
この|時《とき》|常世《とこよ》の|国《くに》に|武豊彦《たけとよひこ》といふ|神司《かみ》あり、こは|正《ただ》しき|神司《かみ》にして、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|神業《しんげふ》を|賛《さん》し、|数多《あまた》の|神司《かみがみ》を|率《ひき》ゐて、|神業《しんげふ》に|参加《さんか》すべく|馳《は》せ|参《さん》じた。|武豊彦《たけとよひこ》は|全力《ぜんりよく》を|尽《つく》して|奉仕《ほうし》した。また|同《おな》じ|常世《とこよ》の|国《くに》より|鬼雲彦《おにくもひこ》|現《あら》はれ、|神国別命《かみくにわけのみこと》の|神政《しんせい》を|輔翼《ほよく》せむとして、|急《いそ》ぎ|群神司《ぐんしん》を|率《ひき》ゐて|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に|上《のぼ》り、|神政《しんせい》に|参加《さんか》した。|鬼雲彦《おにくもひこ》は|米彦《よねひこ》、|岡彦《をかひこ》を|左右《さいう》の|補佐《ほさ》としてゐた。|然《しか》るに|鬼雲彦《おにくもひこ》は|神国別命《かみくにわけのみこと》の|声望《せいばう》をみて|深《ふか》くこれを|妬《ねた》み、|米彦《よねひこ》、|岡彦《をかひこ》をして|常《つね》に|神国別命《かみくにわけのみこと》の|身辺《しんぺん》をうかがはしめてゐた。|米彦《よねひこ》、|岡彦《をかひこ》は、|神国別命《かみくにわけのみこと》の|清廉潔白《せいれんけつぱく》にして、いささかも|野望《やばう》を|懐《いだ》かず、|智仁勇《ちじんゆう》の|三徳《さんとく》を|兼備《けんび》したる|無比《むひ》の|神将《しんしやう》にして、|一意専心《いちいせんしん》|大神《おほかみ》に|奉仕《ほうし》し、|身《み》をもつて|神政《しんせい》に|奉職《ほうしよく》せるその|至誠《しせい》に|感《かん》ずるとともに、|鬼雲彦《おにくもひこ》の|奸侫邪智《かんねいじやち》にして|野心《やしん》|満々《まんまん》たるに|心底《しんてい》より|嫌気《いやき》を|生《しやう》じ、|一度《いちど》の|諫言《かんげん》をも|試《こころ》みず|鬼雲彦《おにくもひこ》に|背《そむ》きて、|神国別命《かみくにわけのみこと》の|直轄《ちよくかつ》の|配下《はいか》たらむとし、|花森彦《はなもりひこ》を|介《かい》して|神国別命《かみくにわけのみこと》に|臣従《しんじゆう》せむことを|願《ねが》ふた。
|神国別命《かみくにわけのみこと》は|一応《いちおう》|鬼雲彦《おにくもひこ》の|承認《しようにん》を|得《え》たる|上《うへ》にてこれを|許《ゆる》さむとし、その|旨《むね》を|花森彦《はなもりひこ》に|伝《つた》へた。|花森彦《はなもりひこ》は|鬼雲彦《おにくもひこ》のたうてい|許《ゆる》さざるを|悟《さと》り、かつ|米彦《よねひこ》、|岡彦《をかひこ》のすでに|鬼雲彦《おにくもひこ》にたいして|心《こころ》の|離《はな》れたるを|知悉《ちしつ》したれば、|神国別命《かみくにわけのみこと》の|旨《むね》を|鬼雲彦《おにくもひこ》に|一言《いちごん》も|伝《つた》へずして、|二神司《にしん》を|神国別命《かみくにわけのみこと》の|従臣《じゆうしん》に|推挙《すゐきよ》した。
ここに|鬼雲彦《おにくもひこ》は|神国別命《かみくにわけのみこと》、|花森彦《はなもりひこ》の|吾《われ》を|排除《はいじよ》せるものとなし、いたく|怒《いか》りて|常世《とこよ》の|国《くに》より|上《のぼ》りきたれる|武豊彦《たけとよひこ》とともに、|神国別命《かみくにわけのみこと》、|花森彦《はなもりひこ》を|排除《はいじよ》し、みづから|代《かは》りて|高天原《たかあまはら》の|神政《しんせい》を|総轄《そうかつ》せむと|計《はか》つた。ここに|武豊彦《たけとよひこ》は|言葉《ことば》を|尽《つく》してその|非《ひ》を|説《と》き|諭《さと》した。されど|鬼雲彦《おにくもひこ》の|心《こころ》はますます|荒《すさ》びにすさびてこれを|用《もち》いず、つひには|武豊彦《たけとよひこ》を|仇敵《きうてき》と|見做《みな》すにいたつた。
ここに|鬼雲彦《おにくもひこ》は|心《こころ》を|決《けつ》し、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|前《まへ》に|出《で》て、|口《くち》を|極《きは》めて|神国別命《かみくにわけのみこと》、|花森彦《はなもりひこ》の|讒誣《ざんぶ》を|放《はな》ち、かつ|反逆《はんぎやく》の|準備《じゆんび》あることを|言葉《ことば》たくみに|進言《しんげん》した。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|彼我《ひが》|両神司《りやうしん》の|心中《しんちゆう》を|推知《すゐち》し、|鬼雲彦《おにくもひこ》の|野望《やばう》を|知《し》りながら、|今《いま》このとき|正邪《せいじや》の|裁決《さいけつ》をなさば、かへつて|平地《へいち》に|浪《なみ》をおこすのおそれあり、|若《し》かず、|鬼雲彦《おにくもひこ》に|相当《さうたう》の|地位《ちゐ》を|与《あた》へ|互《たが》ひに|和衷《わちう》|協同《けふどう》せしめむと|苦心《くしん》した。されど|彼我《ひが》の|二神司《にしん》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|真意《しんい》を|悟《さと》らず、|互《たが》ひに|対立《たいりつ》して|正邪《せいじや》を|争《あらそ》ひ、|鬼雲彦《おにくもひこ》はつひにその|勢力《せいりよく》を|失墜《しつつゐ》して|地《ち》の|高天原《たかあまはら》を|追《お》はれ、|悪鬼《あくき》と|化《くわ》して|東方《とうはう》に|去《さ》つた。
|鬼雲彦《おにくもひこ》は|逃《のが》れて|鬼城山《きじやうざん》にいたり、|国照姫《くにてるひめ》と|力《ちから》を|協《あは》せ、|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|亡《ほろ》ぼし、つひに|進《すす》んで|地《ち》の|高天原《たかあまはら》を|占領《せんりやう》せむことを|凝議《ぎやうぎ》した。|国照姫《くにてるひめ》はここに|有力《いうりよく》なる|味方《みかた》を|得《え》たりと|打《う》ち|喜《よろこ》び、|偽《にせ》|美山彦《みやまひこ》とともに|八方《はつぱう》に|魔軍《まぐん》を|募《つの》り、|種々《しゆじゆ》の|準備《じゆんび》に|着手《ちやくしゆ》した。
ここに|清熊《きよくま》といふものあり、|神国別命《かみくにわけのみこと》にしたがひて|神政《しんせい》に|奉仕《ほうし》せしが、|鬼雲彦《おにくもひこ》の|鬼城山《きじようざん》に|逃《のが》れ、|反逆《はんぎやく》を|企《くはだ》てをるを|耳《みみ》にし、われもこれに|参加《さんか》せむとてひそかに|款《くわん》を|通《つう》じてゐた。|清熊《きよくま》は|利慾《りよく》に|深《ふか》き|神《かみ》なれば、|清廉潔白《せいれんけつぱく》なる|神国別命《かみくにわけのみこと》の|部下《ぶか》にありては、わが|慾望《よくばう》を|満《み》たすこと|能《あた》はず、むしろ|鬼雲彦《おにくもひこ》に|加担《かたん》して|目的《もくてき》を|達《たつ》せむとした。しかるに|清熊《きよくま》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|神眼《しんがん》に|心中《しんちゆう》を|看破《かんぱ》され、つひにゐたたまらずして|自《みづか》ら|鬼城山《きじやうざん》に|逃《のが》れ、|美山彦《みやまひこ》の|魔軍《まぐん》に|加《くは》はり、その|参謀役《さんぼうやく》となつた。
(大正一〇・一〇・二八 旧九・二八 加藤明子録)
第二篇 |善悪《ぜんあく》|正邪《せいじや》
第九章 タコマ|山《やま》の|祭典《さいてん》 その一〔五九〕
あるとき|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|神命《しんめい》を|奉《ほう》じて、|宮比彦《みやびひこ》、|谷山彦《たにやまひこ》、|谷川彦《たにがわひこ》|以下《いか》あまたの|神軍《しんぐん》を|率《ひき》ゐてタコマ|山《やま》に|登《のぼ》り、|宮比彦《みやびひこ》をして|国魂之神《くにたまのかみ》の|鎮祭《ちんさい》を|行《おこな》はしめられた。|谷山彦《たにやまひこ》、|谷川彦《たにがはひこ》は|大祓《おほはらひ》の|神事《しんじ》を|奉仕《ほうし》し、|恭《うやうや》しく|太祝詞《ふとのりと》を|奉上《そうじやう》し、|八百万《やほよろづ》の|神々《かみがみ》は|神集《かむづど》ひに|集《つど》ひて、|盛大《せいだい》なる|祭事《さいじ》は|執行《しつかう》された。|天地六合《てんちりくがふ》いよいよ|澄《す》み|渡《わた》り、|空中《くうちゆう》|一点《いつてん》の|雲翳《うんえい》をもとどめざる、えもいはれぬ|朗《ほが》かな|光景《くわうけい》であつた。
ここに|従臣《じゆうしん》なる|速虎彦《はやとらひこ》、|速虎姫《はやとらひめ》、|唐玉彦《からたまひこ》、|島田彦《しまだひこ》の|四神《よんしん》は、|国照姫《くにてるひめ》、|田野姫《たのひめ》にひそかに|気脈《きみやく》を|通《つう》じてゐた。この|四柱《よはしら》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|深《ふか》き|恩恵《おんけい》に|浴《よく》し、しばしば|危難《きなん》を|救《すく》はれた|関係《くわんけい》があつて、|命《みこと》は|彼《かれ》らの|恩神《おんしん》である。|祭事《さいじ》も|目出度《めでた》くすみて、|一行《いつかう》は|下山《げざん》し|海岸《かいがん》に|出《で》かけられたとき、|右《みぎ》の|四柱《よはしら》はあまたの|者《もの》と|共《とも》に、|山野河海《さんやかかい》の|珍味《ちんみ》をもつて、|言霊別命《ことたまわけのみこと》|一行《いつかう》の|諸神司《しよしん》を|招待《せうたい》した。その|理由《りいう》とするところは、|今回《こんくわい》|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|首尾《しゆび》よく|国魂《くにたま》の|鎮祭《ちんさい》を|了《を》へ|給《たま》ひ、|吾《われ》ら|諸神司《しよしん》は|歓喜《くわんき》に|堪《た》へず、さればその|御祝《おいはひ》として、ここに|吾々《われわれ》|祝宴《しゆくえん》を|張《は》るは、|一《いつ》は|神々《かみがみ》に|感謝《かんしや》し、|他《た》は|諸神司《しよしん》の|労苦《らうく》に|酬《むく》いむがためなりといふのであつた。
|宮比彦《みやびひこ》は|速虎彦《はやとらひこ》|以下《いか》の|諸神司《しよしん》の|誠意《せいい》をよろこび、その|由《よし》を|谷山彦《たにやまひこ》、|谷川彦《たにがはひこ》とともに|諸神司《しよしん》に|伝達《でんたつ》した。|諸神司《しよしん》は|大《おほ》いに|喜《よろこ》び、|海辺《うみべ》の|広場《ひろば》に|出《い》でて、|宴席《えんせき》に|加《くは》はり、|歓喜《よろこび》のかぎりをつくし、いたく|酔《ゑひ》つぶれて、|前後《ぜんご》の|区別《くべつ》もなく、あるひは|唄《うた》ひ、あるひは|舞《ま》ひ、|面白《おもしろ》さうに|踊《をど》り|狂《くる》うてゐた。
|小雀《こすずめ》やささのかげにて|踊《をど》り|出《だ》し
このとき|速虎彦《はやとらひこ》、|速虎姫《はやとらひめ》、|唐玉彦《からたまひこ》、|島田彦《しまだひこ》は|威儀《ゐぎ》を|正《ただ》し、|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|拝謁《はいえつ》を|請《ねが》ふた。さらに|美《うつく》しき|神殿《しんでん》に|招待《せうたい》し、|山野河海《さんやかかい》の|珍味《ちんみ》を|出《いだ》して|命《みこと》を|饗応《きやうおう》せむことを|宮比彦《みやびひこ》を|通《つう》じて|請《こ》ふた。ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|何心《なにごころ》なくその|殿内《でんない》に|入《い》り、|四方山《よもやま》の|話《はなし》に|打《う》ち|耽《ふけ》り、かつ|速虎彦《はやとらひこ》らの|好意《かうい》を|感謝《かんしや》し、|心地《ここち》よげに|一間《ひとま》に|入《い》りて|休息《きうそく》してをられた。たちまち|天《てん》の|一方《いつぱう》に|黒煙《こくえん》がたちのぼつた。|爆然《ばくぜん》たる|大音響《だいおんきやう》につれて、みるみる|一大《いちだい》|火柱《くわちう》は|天《てん》に|冲《ちゆう》し、|岩石《がんせき》の|雨《あめ》を|降《ふ》らし、|実《じつ》に|壮観《さうくわん》をきはめた。これぞエトナの|大火山《だいくわざん》が|爆発《ばくはつ》したはじまりである。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》はその|光景《くわうけい》に|見惚《みと》れてゐられる。その|隙《すき》をうかがひ|速虎彦《はやとらひこ》、|唐玉彦《からたまひこ》は|器《うつは》に|毒薬《どくやく》を|投《な》げ|入《い》れ、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をしてゐた。
『まづ|一服《いつぷく》|召《め》し|喫《あが》られよ』
と、|毒薬《どくやく》の|入《い》りたる|器《うつは》に|湯《ゆ》をそそぎ|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|奉献《たてまつ》つた。|命《みこと》は|何《なん》の|気《き》もなく、ただ|一口《ひとくち》|飲《の》まむとする|折《をり》しも、|息《いき》せき|切《き》つて|走《はし》りよつたる|時野姫《ときのひめ》はその|湯《ゆ》を|奪《うば》ひ、ただちに|自分《じぶん》の|口《くち》に|飲《の》みほした。|時野姫《ときのひめ》はたちまち|顔色《がんしよく》|蒼白《さうはく》となり、|七転八倒《しつてんばつたふ》して|苦悶《くもん》しはじめ、|黒血《くろち》を|多量《たりやう》に|吐《は》きその|場《ば》に|打《う》ち|倒《たふ》れた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》も|小量《せうりやう》ながら|口《くち》に|入《い》りし|毒薬《どくやく》の|湯《ゆ》に|中《あ》てられ、|言葉《ことば》を|発《はつ》すること|能《あた》はず、ただちにその|場《ば》を|逃《のが》れ|出《いで》むと|早々《さうさう》に|座《ざ》を|立《た》ちかけた。|速虎彦《はやとらひこ》|以下《いか》の|三柱《みはしら》は|謀計《ぼうけい》の|暴露《ばくろ》せむことを|惧《おそ》れて、|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|捕《とら》へ|隠《かく》さむとし、|命《みこと》の|跡《あと》を|追《お》つかけた。
|火《ひ》を|出《だ》して|毒湯《どくゆ》すすめる|曲津神《まがつかみ》
|万《よろづ》の|神司《かみがみ》は、|前述《ぜんじゆつ》のごとく、みな|残《のこ》らず|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れて|足《あし》の|立《た》つものは|一柱《ひとはしら》もなかつた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、|自分《じぶん》が|毒《どく》にあてられて|言語《げんご》を|発《はつ》することも|叶《かな》はぬのみならず、|時野姫《ときのひめ》の|苦悶《くもん》|昏倒《こんたう》せることを、|手真似《てまね》をもつて|衆神司《しうしん》にさとらせむとし、いろいろ|工夫《くふう》を|凝《こ》らし|表情《へうじやう》をもつて|知《し》らせども、|衆神司《しうしん》はその|何《なん》の|意《い》たるか|察《さつ》するものなく、ただ|単《たん》に|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|酒《さけ》に|酔《よ》ひ|戯《たはむ》れ|踊《をど》りをなし|給《たま》ふものと|信《しん》じ、|己《おのれ》もまた|起《た》つて、おなじく|手《て》を|振《ふ》り、|口《くち》を|押《おさ》へ、|種々《いろいろ》と|身振《みぶり》をまねて|平気《へいき》になつてゐる。アゝ|言霊別命《ことたまわけのみこと》のもどかしさは、|察《さつ》するにあまりありといふべしである。
|速虎彦《はやとらひこ》、|唐玉彦《からたまひこ》|以下《いか》の|叛臣《はんしん》は、さすがに|衆神司《しうしん》|列座《れつざ》の|前《まへ》なれば、|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|押《お》さへ|隠《かく》すをえずして|時《とき》のいたるを|待《ま》つてゐた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》はいかに|焦慮《せうりよ》するも|言語《げんご》を|発《はつ》することができないので、|已《や》むをえず|意《い》を|決《けつ》してただ|一柱《ひとはしら》|竜宮島《りうぐうじま》さして|逃《に》げ|帰《かへ》らうとせられた。さすがの|勇神猛卒《ゆうしんまうそつ》も|今《いま》は|酒《さけ》のためにその|精神《せいしん》を|奪《うば》はれ、かかる|危急《ききふ》の|場合《ばあひ》に|一柱《ひとはしら》としてその|大将《たいしやう》を|護《まも》るものはなかつた。|宮比彦《みやびひこ》、|谷山彦《たにやまひこ》、|谷川彦《たにがはひこ》は|少《すこ》しも|酒《さけ》を|飲《の》まず、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|身辺《しんぺん》を|気《き》づかひ、|後《あと》よりしたがひ|竜宮島《りゆうぐうじま》に|安全《あんぜん》に|送《おく》り|奉《たてまつ》るべく、その|座《ざ》を|立《た》たむとするや、|酒《さけ》に|酔《よ》ひつぶれ|足《あし》は|千鳥《ちどり》の|覚束《おぼつか》なく、|腰《こし》も|碌《ろく》に|立《た》ちえざる|衆神司《しうしん》は、|三神司《さんしん》の|手《て》をとり|足《あし》をとり、かかる|芽出度《めでた》き|酒宴《しゆえん》に|列《れつ》して|神酒《みき》を|飲《の》まざるは|神々《かみがみ》にたいし|御無礼《ごぶれい》なり。ゆるゆる|神酒《みき》をいただきたまへと、|寄《よ》つてたかつて|三神司《さんしん》を|遮《さへぎ》り|離《はな》さなかつた。|三神司《さんしん》は|心《こころ》も|心《こころ》ならず、|言霊別命《ことたまわけのみこと》|遭難《さうなん》の|実情《じつじやう》を|告《つ》げ、|衆神司《しうしん》の|酔《ゑひ》をさまさむと|心《こころ》を|焦《あせ》つた。されど|島田彦《しまだひこ》、|速虎姫《はやとらひめ》が|眼《め》を|光《ひか》らせて|側《そば》を|離《はな》れざるに|心《こころ》をひかれ、その|真相《しんさう》を|述《の》ぶることができない。そこで|三神司《さんしん》は|或《ある》ひは|喩言《たとへごと》を|引《ひ》き、あるひは|諷歌《ふうか》を|唄《うた》ひ、あるひは|手真似《てまね》を|用《もち》ゐて、|速虎彦《はやとらひこ》|以下《いか》の|陰謀《いんぼう》と、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|御遭難《ごさうなん》の|次第《しだい》を|衆神司《しうしん》に|悟《さと》らせやうとつとめた。いづれも|酔《よ》ひつぶれてこれを|覚《さと》る|者《もの》は|一柱《ひとはしら》もないばかりか、|三神司《さんしん》の|動作《どうさ》をながめて、|喜《よろこ》んで|歌《うた》を|詠《よ》み、|戯《ざ》れ|踊《をど》りをなすものと|思《おも》ひ|違《ちが》ひ、|手《て》をとり|足《あし》をとり、|三神司《さんしん》を|席《せき》の|中央《ちうあう》に|誘《いざな》ひゆきて|胴上《どうあ》げまでして|立《た》ち|騒《さわ》ぐもどかしさ。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|万難《ばんなん》を|排《はい》し、からうじて|竜宮島《りゆうぐうじま》にたち|寄《よ》り、|国御柱命《くにのみはしらのみこと》に|保護《ほご》されて、やうやく|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|御帰還《ごきくわん》せられた。この|竜宮島《りゆうぐうじま》の|地下《ちか》は、|多《おほ》くの|黄金《わうごん》をもつて|形造《かたちづく》られてゐるのである。これが|今《いま》|地理学上《ちりがくじやう》の|濠洲《がうしう》|大陸《たいりく》に|当《あた》るので、|一名《いちめい》また|冠島《かむりじま》といふのである。
(大正一〇・一〇・二九 旧九・二九 谷口正治録)
第一〇章 タコマ|山《やま》の|祭典《さいてん》 その二〔六〇〕
|竜宮城《りゆうぐうじやう》には|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|侍臣《じしん》に|田野姫《たのひめ》といふのがあつた。|田野姫《たのひめ》は|表面《へうめん》|忠実《ちうじつ》にたち|働《はたら》き、つねに|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|身《み》の|廻《まは》り|一切《いつさい》の|世話《せわ》をしてゐた。|田野姫《たのひめ》は|実《じつ》は|高虎姫《たかとらひめ》の|偽名《ぎめい》|国照姫《くにてるひめ》の|探女《さぐめ》として|入《い》り|込《こ》んでゐたのである。
|田野姫《たのひめ》は|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|内事《ないじ》に|関《くわん》し、|非常《ひじやう》な|信任《しんにん》と|勢力《せいりよく》があつた。ここに|田野姫《たのひめ》の|発案《はつあん》によつてタコマ|山《やま》|祭典《さいてん》の|祝祭《しゆくさい》を|行《おこな》ふことになつた。|天使《てんし》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|帰城《きじやう》の|後《あと》に|祝祭《しゆくさい》を|執行《しつかう》せよと|命《めい》ぜられた。そのとき|田野姫《たのひめ》は|命《みこと》の|前《まへ》に|進《すす》みいでて、|顔色《がんしよく》を|和《やはら》げ|甘言《かんげん》|追従《つゐしやう》いたらざるなく、
『|諺《ことわざ》にも|善《ぜん》は|急《いそ》げといふことあり、タコマ|山《やま》の|祭典《さいてん》の|時間《じかん》を|考《かんが》へ、|同時刻《どうじこく》に|祭事《さいじ》を|行《おこな》ふには|双方《さうはう》|一致《いつち》の|真理《しんり》に|適《かな》ふべし』
と|言辞《げんじ》も|滑《なめ》らかに|奏上《そうじやう》した。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》はまづ|大神《おほかみ》に|奏上《そうじやう》して、その|上《うへ》にて|決《けつ》せむと|座《ざ》をたち|奥《おく》にいり、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|伺《うかが》はれた。|命《みこと》は|嬉々《きき》として|直《ただ》ちにこれを|許《ゆる》したまうた。|一方《いつぱう》|田野姫《たのひめ》は|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|諸神将《しよしんしよう》にむかつて、|一時《いちじ》も|早《はや》く|祝宴《しゆくえん》を|開《ひら》くべきことの|可《か》なるを、|言葉《ことば》たくみに|進言《しんげん》した。|上下一致《しやうかいつち》の|賛成《さんせい》に、|城内《じやうない》はにはかに|色《いろ》めきたちて|祝祭《しゆくさい》の|準備《じゆんび》に|着手《ちやくしゆ》し、|膳部《ぜんぶ》の|献立《こんだて》はすべて|田野姫《たのひめ》が|監督《かんとく》することに|一決《いつけつ》し、|神前《しんぜん》の|祭典《さいてん》は|荘厳《さうごん》に|開《ひら》かれ、|祭典《さいてん》をはつて|諸神司《しよしん》の|談話会《だんわくわい》に|移《うつ》り、ついで|直会《なほらひ》の|宴《えん》を|開《ひら》く|順序《じゆんじよ》となつた。
|梅若彦《うめわかひこ》、|正照彦《まさてるひこ》は|上座《じやうざ》に|立《た》ちて|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|功績《こうせき》を|賞《ほ》めたたへ、つぎに|田野姫《たのひめ》の|斡旋《あつせん》|努力《どりよく》を|激賞《げきしやう》した。つぎに|梅若彦《うめわかひこ》も|双方《さうはう》|一時《いちじ》の|祭典《さいてん》については、|田野姫《たのひめ》の|斡旋《あつせん》|努力《どりよく》おほいに|功《こう》ありと|感謝《かんしや》した。|城内《じやうない》は|神国別命《かみくにわけのみこと》をはじめ|一同《いちどう》の|神司《かみがみ》|手《て》を|拍《う》つて|賛同《さんどう》した。そのまに|田野姫《たのひめ》は|鴆《ちん》の|羽《はね》を|取《とり》だし、|膳部《ぜんぶ》の|羹《あつもの》に|一々《いちいち》これを|浸《ひた》してゐたのである。|様子《やうす》をうかがひし|神島彦《かみじまひこ》は|芳子姫《よしこひめ》に|命《めい》じ、その|羹《あつもの》を|呑《の》み|試《ため》さしめた。たちまち|芳子姫《よしこひめ》は|黒血《くろち》を|吐《は》いて|七転八倒《しつてんばつたふ》|苦悶《くもん》しはじめた。|諸神司《しよしん》は|驚《おどろ》き|水《みづ》よ|薬《くすり》よと|騒《さわ》いだ。|芳子姫《よしこひめ》は|羹《あつもの》を|指《さ》さして、|自分《じぶん》の|口《くち》を|苦《くる》しきうちに|押《お》さへて|見《み》せた。|神司《かみがみ》は|芳子姫《よしこひめ》の|心《こころ》を|知《し》らず、|羹《あつもの》を|要求《えうきう》するものと|早合点《はやがつてん》し、|膳部《ぜんぶ》の|羹《あつもの》を|取《と》りて|口《くち》を|捻開《ねぢあ》け、|無理《むり》に|飲《の》ました。|芳子姫《よしこひめ》の|苦《くる》しみはますます|激烈《げきれつ》になつてきた。そこへ|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|生命《いのち》からがら|遁《に》げ|帰《かへ》つてこられた。しかして|自分《じぶん》の|口《くち》を|押《お》さへて、その|羹《あつもの》を|用心《ようじん》せよとの|意《い》を|示《しめ》された。|諸神司《しよしん》は|羹《あつもの》を|要求《えうきう》したまふものと|信《しん》じて、|恭《うやうや》しく|机《つくゑ》に|之《これ》をのせて|献上《けんじやう》した。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》はその|羹《あつもの》を|手《て》にとるやいなや、|庭園《ていえん》の|草木《さうもく》に|注《そそ》ぎかけられた。|見《み》るみる|草木《さうもく》は|白煙《はくえん》を|発《はつ》し|枯死《こし》してしまつた。ここに|諸神司《しよしん》ははじめて|気《き》がつき、|田野姫《たのひめ》の|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|所為《しよゐ》たることを|悟《さと》り、これを|捕《とら》へむとした。|田野姫《たのひめ》は|早《はや》くも|風《かぜ》をくらつて|姿《すがた》をどこかに|隠《かく》してしまつたのである。
そこへ|時野姫《ときのひめ》はやうやく|病気《びやうき》|恢復《くわいふく》し、|宮比彦《みやびひこ》|以下《いか》の|諸神司《しよしん》とともに、|鼇《すつぼん》に|尻《しり》を|吸《す》はれたる|如《ごと》き|恍惚《とぼ》けた|顔《かほ》つきして|帰《かへ》つてきた。|一同《いちどう》はアフンとして、|開《あ》いた|口《くち》が|塞《すぼ》まらぬばかりであつた。|注意《ちうい》すべきは|実《じつ》に|飲食物《いんしよくぶつ》である。
|神国別命《かみくにわけのみこと》は|驚《おどろ》いてただちに|神前《しんぜん》に|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》して、|大神《おほかみ》に|祈願《きぐわん》しをはるとともに、|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|時野姫《ときのひめ》および|芳子姫《よしこひめ》の|病気《びやうき》は、たちまち|拭《ぬぐ》ふがごとく|全快《ぜんくわい》した。
(大正一〇・一〇・二九 旧九・二九 外山豊二録)
第一一章 |狸《たぬき》の|土舟《つちぶね》〔六一〕
ここに|高虎姫《たかとらひめ》の|偽名《ぎめい》なる|国照姫《くにてるひめ》は、|常世国《とこよのくに》に|時《とき》めきわたる|常世姫《とこよひめ》を|動《うご》かして|自分《じぶん》の|目的《もくてき》を|達《たつ》せむとした。この|常世姫《とこよひめ》は|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|第三女《だいさんぢよ》にして、もつとも|野心《やしん》の|強《つよ》い|神司《かみ》であつた。|国照姫《くにてるひめ》は|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|寵神《ちようしん》|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|言霊姫《ことたまひめ》を|排除《はいじよ》し、みづから|代《かは》つてその|地位《ちゐ》に|立《た》たむとしてゐたのである。ここに|国照姫《くにてるひめ》は|偽《にせ》の|美山彦《みやまひこ》とともに|常世国《とこよのくに》にいたり|常世姫《とこよひめ》の|意《い》を|迎《むか》へ、もつて|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰還《きくわん》せしめむとした。しかるに|彼《かれ》らは、|天使《てんし》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、|言霊別命《ことたまわけのみこと》にその|大敵《たいてき》たることを|悟《さと》られをるをもつて、|自分《じぶん》の|部下《ぶか》なる|魔我彦《まがひこ》、|魔我姫《まがひめ》とともに|母神《ははがみ》に|会見《くわいけん》し、その|目的《もくてき》を|達《たつ》すべく|常世姫《とこよひめ》を|教唆《けうさ》した。
|常世姫《とこよひめ》は|久《ひさ》しぶりにて|魔我彦《まがひこ》、|魔我姫《まがひめ》をともなひ|数多《あまた》の|神司《かみがみ》に|送《おく》られて|無事《ぶじ》に|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰還《きくわん》せむと、|黄金橋《こがねばし》の|袂《たもと》にさしかかりしとき、|神威《しんゐ》にうたれて|容易《ようい》に|橋《はし》を|渡《わた》ることができなかつた。|常世姫《とこよひめ》はやむをえず|信書《しんしよ》を|認《したた》め|烏《からす》の|足《あし》に|縛《しば》りつけ、|黄金橋畔《わうごんけうはん》まで|帰《かへ》りきたりしことを|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|奏上《そうじやう》した。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|従臣《じゆうしん》に|命《めい》じ、|新《あたら》しき|黄金《こがね》の|船《ふね》を|出《だ》してこれを|迎《むか》へしめられた。|常世姫《とこよひめ》は|何《なん》の|障《さはり》もなく|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|到着《たうちやく》し、|種々《しゆじゆ》の|珍《めづ》らしきものを|八足《やたり》の|机代《つくゑしろ》に|盛足《もりた》らはして、これを|命《みこと》に|奉《たてまつ》つた。|命《みこと》は|久《ひさ》しぶりの|親子《おやこ》の|対面《たいめん》を|非常《ひじやう》によろこばれ|海山《うみやま》の|話《はなし》に|夜《よ》を|徹《てつ》し、|常世姫《とこよひめ》は|常世国《とこよのくに》の|事情《じじやう》を|詳《くは》しく|述《の》べ、|珍《めづ》らしき|話《はなし》に|花《はな》が|咲《さ》き、|和気靄々《わきあいあい》として|春陽《しゆんやう》の|気分《きぶん》にみたされたのである。その|翌日《よくじつ》、ただちに|数多《あまた》の|神司《かみがみ》を|集《あつ》め|歓迎《くわんげい》の|宴《えん》をはつた。|神司《かみがみ》は|先《さき》を|争《あらそ》ふて|宴席《えんせき》に|現《あら》はれ|無事《ぶじ》の|対面《たいめん》を|祝《しゆく》した。
さて|常世姫《とこよひめ》は、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》にむかひ、|一度《いちど》ヨルダン|河《がは》に|黄金《こがね》の|船《ふね》を|浮《うか》べ、|神司《かみがみ》とともに|船遊《ふなあそ》びせむことを|希望《きばう》した。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|直《ただ》ちにその|請《こひ》を|容《い》れ、|諸神司《しよしん》に|命《めい》じ、その|準備《じゆんび》に|着手《ちやくしゆ》せしめられた。
|御馳走《ごちそう》にヨルダン|河《がは》の|舟遊《ふなあそ》び|教《をしへ》の|舟《ふね》にヨルものは|無《な》し
|今日《こんにち》のヨルダン|河《がは》は|河幅《かははば》もあまり|広《ひろ》からず、|流《なが》れもまた|清《きよ》からず、|濁《にご》りをおびをれど、|神界《しんかい》にて|見《み》たるヨルダン|河《がは》は|水《みづ》|清《きよ》く|流《なが》れも|緩《ゆる》やかにして、|広《ひろ》きこと|揚子江《やうすかう》のやうである。これは|神界《しんかい》におけるヨルダン|河《がは》の|光景《くわうけい》である。|黄金《こがね》の|船《ふね》は|幾艘《いくそう》となく|準備《じゆんび》された。|上流《じやうりう》には、かの|金色燦然《きんしよくさんぜん》たる|黄金《こがね》の|大橋《おほはし》が、|太鼓《たいこ》を|並《なら》べたやうにその|影水《かげみづ》に|映《うつ》り、|実《じつ》に|荘厳《さうごん》を|極《きは》めてをる。|常世姫《とこよひめ》を|主賓《しゆひん》として|周囲《しうゐ》に|数多《あまた》の|船《ふね》をならべ、|珍酒佳肴《ちんしゆかかう》に|酔《よ》ひて|諸神司《しよしん》は|交《かは》るがはる|面白《おもしろ》き|歌舞《かぶ》|音楽《おんがく》を|奏《そう》し、|実《じつ》に|賑《にぎ》はしき|底抜《そこぬ》け|騒《さわ》ぎの|大散財《おほさんざい》であつた。
そこぬけのさわぎに|舟《ふね》の|底《そこ》いため
この|時《とき》、|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|神司《かみがみ》は|大部分《だいぶぶん》|出遊《しゆついう》し、|猫《ねこ》も|杓子《しやくし》もみな|船遊《ふなあそ》びに|耽《ふけ》つた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|何《なん》となく|心《こころ》に|不安《ふあん》を|感《かん》じ、|船遊《ふなあそ》びの|列《れつ》に|加《くは》はらなかつた。その|時《とき》|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|色《いろ》を|作《な》し、
『|汝《なんぢ》は|常世姫《とこよひめ》の|久《ひさ》しぶりに|帰城《きじやう》せるを|喜《よろこ》ばざる|面持《おももち》あり』
と|不満《ふまん》の|意《い》を|表《あら》はされた。|折《をり》しも|常世姫《とこよひめ》の|使《つかひ》なりとて|魔我彦《まがひこ》は|礼《れい》をつくし|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|迎《むか》へにきた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|否《いな》むに|由《よし》なく|斎代彦《ときよひこ》、|斎代姫《ときよひめ》とともに|船遊《ふなあそ》びの|列《れつ》に|加《くは》はることとなつた。あまたの|神司《かみがみ》は|命《みこと》の|河畔《かはん》に|現《あら》はれしを|見《み》て|大《おほ》いによろこび、|手《て》を|拍《う》つて|喝采《かつさい》した。この|時《とき》|魔我彦《まがひこ》は|新《あたら》しき|黄金《こがね》の|船《ふね》に|搭乗《たふじやう》を|勧《すす》めた。|命《みこと》は|虫《むし》が|知《し》らすか|何《なん》となくこの|船《ふね》に|乗《の》ることを|否《いな》む|色《いろ》があつた。ふたたび|魔我彦《まがひこ》はしきりに|搭乗《たふじやう》を|勧《すす》めてやまぬが、|他《ほか》の|船《ふね》には|神司《かみがみ》|満乗《まんじやう》してすこしも|空席《くうせき》がない。|已《や》むをえずしてこれに|乗《の》り|中流《ちうりう》に|棹《さを》さしてすすんだ。|魔我彦《まがひこ》は|常世姫《とこよひめ》の|乗《の》れる|大船《おほふね》の|側《そば》|近《ちか》く|寄《よ》るとみるや、この|船《ふね》を|捨《す》てて|常世姫《とこよひめ》の|用船《ようせん》に|飛《と》び|入《い》つた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|乗《の》せた|船《ふね》は、|表面《へうめん》|堅固《けんご》に|見《み》えてその|実《じつ》はもろき|狸《たぬき》の|土船《つちぶね》であつた。|土製《どせい》の|船《ふね》に|金箔《きんぱく》を|塗《ぬ》りたる|偽船《ぎせん》である。たちまち|船《ふね》は|崩壊《ほうくわい》|沈没《ちんぼつ》した。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|水《みづ》に|溺《おぼ》れ|深《ふか》みに|沈《しづ》まむとして|九死一生《きうしいつしやう》の|態《てい》である。|神司《かみがみ》はアレヨアレヨと|声《こゑ》を|放《はな》つて|叫《さけ》ぶばかりである。この|時《とき》|斎代彦《ときよひこ》は|水練《すゐれん》に|妙《めう》を|得《え》たるをもつて、からうじて|岸《きし》に|泳《およ》ぎついた。
|斎代姫《ときよひめ》は|身《み》を|犠牲《ぎせい》として|激浪《げきらう》の|中《なか》に|飛《と》び|入《い》り、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|頭髪《とうはつ》を|握《にぎ》り、|流《なが》れ|渡《わた》りに|此方《こなた》の|岸《きし》についた。ここに|国照姫《くにてるひめ》の|謀計《ぼうけい》は|全《まつた》く|破《やぶ》れた。
|常世姫《とこよひめ》は|船遊《ふなあそ》びををへ、|諸神司《しよしん》と|共《とも》に|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰還《きくわん》し、
『|斎代姫《ときよひめ》は|夫《をつと》の|斎代彦《ときよひこ》に|目《め》もくれず、|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|命《いのち》をかけて|救《すく》ひたる|義侠《ぎけふ》と|勇気《ゆうき》は|感《かん》ずるにあまりあれども、また|一方《いつぱう》より|考《かんが》ふる|時《とき》は、まことに|怪《あや》しき|節《ふし》あり』
と|言霊姫《ことたまひめ》および|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|種々《しゆじゆ》の|言葉《ことば》を|設《まう》けて|誣告《ぶこく》した。
きりまくる|舌《した》の|剣《つるぎ》のおそろしさ
これより|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|大《だい》なる|疑惑《ぎわく》を|受《う》けた。されど|妻神《つまがみ》はこれを|信《しん》じなかつた。それより|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》、|常世姫《とこよひめ》と、|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|言霊姫《ことたまひめ》の|間《あひだ》に|面白《おもしろ》からぬたかき|垣《かき》が|築《きづ》かれた。
(大正一〇・一〇・二九 旧九・二九 加藤明子録)
第一二章 |醜女《しこめ》の|活躍《くわつやく》〔六二〕
|常世姫《とこよひめ》は|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|厚《あつ》き|信任《しんにん》を|得《え》、|城内《じやうない》の|諸神司《しよしん》を|種々様々《しゆじゆさまざま》の|方法《はうはふ》をもつて|吾《われ》に|信頼《しんらい》せしめ、|声望《せいばう》|並《なら》ぶものなく、つひに|竜宮城内《りゆうぐうじやうない》の|花《はな》と|謳《うた》はるるにいたつた。ゆゑに|常世姫《とこよひめ》の|一言一行《いちげんいつかう》は|諸神司《しよしん》を|支配《しはい》し、その|威望《ゐばう》と|信徳《しんとく》は|四方《しはう》に|喧伝《けんでん》さるることとなつた。
これに|反《はん》し|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|言霊姫《ことたまひめ》、|斎代彦《ときよひこ》、|斎代姫《ときよひめ》の|威信《ゐしん》は、|邪神《じやしん》の|讒言《ざんげん》のために|今《いま》は|全《まつた》く|地《ち》に|墜《お》ちてしまつた。|常世姫《とこよひめ》は|魔我彦《まがひこ》、|魔我姫《まがひめ》に|陰謀《いんぼう》の|真意《しんい》を|含《ふく》め、ひそかに|美山彦《みやまひこ》、|国照姫《くにてるひめ》に|対《たい》して|一切《いつさい》の|秘密《ひみつ》の|打《う》ち|合《あは》せをなし、|漸《ぜん》をもつて|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|主《しゆ》たらむとし、|画策《くわくさく》これ|日《ひ》も|足《た》らぬ|有様《ありさま》であつた。
|常世姫《とこよひめ》のために|最《もつと》も|妨害《ばうがい》となるべき|目《め》の|上《うへ》の|瘤《こぶ》は、|言霊別命《ことたまわけのみこと》|以下《いか》の|神司《かみがみ》である。ここに|魔我彦《まがひこ》と|魔我姫《まがひめ》は|藤姫《ふぢひめ》、|八百姫《やほひめ》の|醜女《しこめ》をして、|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|魔道《まだう》におとしいれむとした。(|醜女《しこめ》とは|色情《しきじやう》をもつて|敵《てき》を|堕落《だらく》せしめむとする|心《こころ》の|醜悪《しうあく》なる|女性《をんな》のことである)
ある|時《とき》、|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|風邪《ふうじや》に|罹《かか》り、|病床《びやうしやう》に|呻吟《しんぎん》してゐた。|藤姫《ふぢひめ》の|醜女《しこめ》は|甘言《かんげん》をもつて|近《ちか》く|傍《かたはら》に|侍《じ》し、|看護《かんご》に|務《つと》めながら|身《み》に|盛装《せいさう》を|凝《こ》らし、|命《みこと》の|心《こころ》を|動《うご》かさむとした。|命《みこと》は|藤姫《ふぢひめ》の|醜女《しこめ》たることを|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|病《やまひ》の|床《とこ》を|立《た》ち|出《い》で|廁《かはや》に|入《い》らむとせし|時《とき》、|藤姫《ふぢひめ》は|手《て》をとつて|命《みこと》を|支《ささ》へつつ|廁《かはや》に|送《おく》つた。|命《みこと》は|廁《かはや》より|出《い》で|眩暈《げんうん》、|危《あやふ》く|地《ち》に|倒《たふ》れむとし、|前後《ぜんご》も|知《し》らず|藤姫《ふぢひめ》の|肩《かた》にもたれかかつた。|藤姫《ふぢひめ》は|甲《かん》だかき|声《こゑ》をあげて|救《すく》ひを|求《もと》めた。|一間《ひとま》にあつてこの|様子《やうす》を|聞《き》きゐたりし|魔我彦《まがひこ》は、その|場《ば》に|現《あら》はれ、
『|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|藤姫《ふぢひめ》を|後《うし》ろより|抱《だ》きしめたり。かならず|汚《きたな》き|心《こころ》あらむ』
とただちに|走《はし》つて、|常世姫《とこよひめ》に|尾《を》に|鰭《ひれ》をつけ|仰山《ぎやうさん》らしく|報告《はうこく》した。|常世姫《とこよひめ》は|烈火《れつくわ》のごとく|憤《いきどほ》り、|藤姫《ふぢひめ》を|招《まね》き|委細《ゐさい》を|厳《きび》しく|訊問《じんもん》した。|藤姫《ふぢひめ》は|涙《なみだ》ながらに、
『|吾《われ》は|今日《けふ》まで|何事《なにごと》も|包《つつ》みゐたりしが、|今《いま》や|現状《げんじやう》を|見屈《みとど》けられて|何《なん》の|辞《ことば》もなし。|実《じつ》は|命《みこと》のために|常《つね》に|脅迫《けうはく》され、|夫《をつと》ある|身《み》の|不倫《ふりん》とは|知《し》りつつも、|今《いま》まで|命《みこと》の|命《めい》に|盲従《まうじゆう》せしは、|全《まつた》く|吾《わ》が|重《かさ》ねがさねの|罪《つみ》なり』
と|声《こゑ》を|放《はな》つて|泣《な》く。|常世姫《とこよひめ》はえたりと|喜《よろこ》び、|心中《しんちゆう》ひそかに|小躍《こをど》りしながら、|表面《へうめん》はどこまでも|物憂《ものう》げに|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|御前《みまへ》に|出《い》でて、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|不倫《ふりん》の|行為《かうゐ》を|針小棒大《しんせうぼうだい》に|報告《はうこく》した。これを|聞《き》かれし|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》はおほいに|怒《いか》らせたまひ、|諸神司《しよしん》を|集《あつ》めてその|顛末《てんまつ》を|語《かた》り、|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|神退《かむやら》ひに|退《やら》はむとしたまうた。|言霊姫《ことたまひめ》は|泣《な》いてその|無実《むじつ》を|証明《しようめい》し、|佐倉姫《さくらひめ》もまた|走《は》せきたつて、その|無実《むじつ》を|涙《なみだ》とともに|証言《しようげん》した。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|二柱《ふたはしら》の|女神《めがみ》の|証言《しようげん》により、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|処罪《しよざい》を|赦《ゆる》し|給《たま》ふた。しかし|疑雲《ぎうん》は|容易《ようい》に|晴《は》れないばかりでなく、|常世姫《とこよひめ》の|誣言《ぶげん》はますます|甚《はなは》だしく、つひには|諸々《もろもろ》の|神司《かみがみ》まで、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|真意《しんい》、|行動《かうどう》を|疑《うたが》ひはじめ、たがひに|耳《みみ》に|口《くち》を|寄《よ》せては|囁《ささや》きあひ、|命《みこと》の|悪評《あくひやう》は|城内《じやうない》はおろか|四方《しはう》の|国々《くにぐに》までも、|油《あぶら》の|滲《にじ》むがごとく|広《ひろ》まつていつた。
ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|憂悶《いうもん》やるかたなく、ただ|一柱《ひとり》|神苑《しんゑん》を|逍遥《せうえう》しをられしとき、|松《まつ》の|小蔭《こかげ》に|女《をんな》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》が|聞《きこ》えた。|命《みこと》は|何事《なにごと》ならむと|急《いそ》ぎ|声《こゑ》する|方《はう》へ|走《はし》りゆく。|大空《おほぞら》の|月《つき》は|黒雲《くろくも》に|包《つつ》まれ|光《ひかり》も|薄《うす》く|星影《ほしかげ》|一《ひと》つ|見《み》えぬ|朧月夜《おぼろづきよ》であつた。フト|見《み》れば|八百姫《やほひめ》が|地上《ちじやう》に|倒《たふ》れて|七転八倒《しつてんばつたふ》してゐた。|命《みこと》は|女《をんな》の|苦悶《くもん》する|様《さま》を|見《み》て、そのままそこを|立去《たちさ》るに|忍《しの》びず、いかにもしてその|苦痛《くつう》を|救《すく》ひ|助《たす》けむものと、|八百姫《やほひめ》の|手《て》を|取《と》り|助《たす》け|起《おこ》さむとした。|八百姫《やほひめ》は|悲《かな》しき|声《こゑ》を|放《はな》つて|助《たす》けを|叫《さけ》んだ。たちまち|松《まつ》の|小蔭《こかげ》より|邪神《じやしん》|魔我彦《まがひこ》が|勿然《こつぜん》として|現《あら》はれ、
『|狼藉者《らうぜきもの》|見届《みとど》けたり』
と|燈火《ともしび》を|点《てん》じて、|言霊別命《ことたまわけのみこと》が|八百姫《やほひめ》の|手《て》を|取《と》り|脇《わき》に|抱《かか》へたその|一刹那《いちせつな》を|捉《とら》へて、|不倫《ふりん》の|行為《かうゐ》と|罵《ののし》り、|無理《むり》に|引《ひ》き|立《た》てて|常世姫《とこよひめ》の|前《まへ》に|突《つ》き|出《だ》した。|常世姫《とこよひめ》は|謀計《ぼうけい》の|図《づ》にあたりしを|喜《よろこ》びながら|何喰《なにく》はぬ|顔《かほ》にて、|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|八百姫《やほひめ》を|前《まへ》におき、|厳《きび》しく|事実《じじつ》の|審問《しんもん》をはじめた。ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|答《こた》ふるに、|事実《じじつ》の|真相《しんさう》を|委細《ゐさい》に|述《の》べた。されど|魔我彦《まがひこ》は|首《くび》を|左右《さいう》にふり、
『|否々《いないな》、|吾《われ》はたしかなる|証拠《しようこ》を|握《にぎ》る。|命《みこと》は|八百姫《やほひめ》を|手込《てご》めになし、|既《すで》に|非《ひ》を|遂《と》げむとせり、|委細《ゐさい》は|八百姫《やほひめ》に|問《と》はせたまへ』
と|気色《けしき》ばみて|誣言《ぶげん》した。|八百姫《やほひめ》は|同《おな》じ|穴《あな》の|狐《きつね》である。|魔我彦《まがひこ》の|言《い》ふところを|事実《じじつ》なりと|強弁《がうべん》し、かつ|涙《なみだ》を|流《なが》して、
『|吾《われ》は|今《いま》まで|幾度《いくど》となく|命《みこと》のために|辱《はづかし》められたり。|今日《こんにち》かぎり|吾《われ》に|暇《ひま》をたまへ』
と、しきりに|嘆願《たんぐわん》した。
|城内《じやうない》の|諸神司《しよしん》は|集《あつ》まり|来《きた》りて、あゝ|言霊別命《ことたまわけのみこと》はかかる|不倫《ふりん》の|神人《かみ》に|非《あら》ざりしに、いかなる|邪霊《じやれい》の|魅入《みい》りしやと、|命《みこと》の|前途《ぜんと》を|悲《かな》しんだ。|常世姫《とこよひめ》は|魔我彦《まがひこ》、|八百姫《やほひめ》をともなひ|奥殿《おくでん》に|進《すす》みて|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|謁《えつ》し、|事実《じじつ》を|曲《ま》げて|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|日夜《にちや》の|悪行《あくかう》を|針小棒大《しんせうぼうだい》に|進言《しんげん》した。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》はおほいに|憂《うれ》ひたまひ、|諸神司《しよしん》を|集《あつ》めて|協議《けふぎ》の|結果《けつくわ》、|命《みこと》を|蜂《はち》の|室屋《むろや》に|投《な》げ|入《い》れたまうた。
あゝ、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|運命《うんめい》や|如何《いかん》。
(大正一〇・一〇・二九 旧九・二九 桜井重雄録)
第一三章 |蜂《はち》の|室屋《むろや》〔六三〕
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|常世姫《とこよひめ》|一派《いつぱ》の|奸計《かんけい》におちいり、|蜂《はち》の|室屋《むろや》に|投《な》げ|込《こ》まれ、|熊蜂《くまばち》、|雀蜂《すずめばち》、|足長蜂《あしながばち》、|土蜂《つちばち》の|悪霊《あくれい》どもは、|昼夜《ちうや》の|区別《くべつ》なく|襲《おそ》ひきたりて、|尻尖《しりさき》の|剣《つるぎ》をもつて|刺《さ》し|迫《せま》る。
|言霊姫《ことたまひめ》は、|黄金竜姫《こがねたつひめ》の|霊魂《みたま》に|感《かん》じ、|蜂《はち》の|領巾《ひれ》を|作《つく》りて|夜《よる》ひそかに|室屋《むろや》の|内《うち》に|差入《さしい》れた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》はその|領巾《ひれ》を|持《も》ちて|八方《はつぱう》より|攻《せ》めきたる|悪蜂《あくほう》を|払《はら》ひ|退《しりぞ》けた。されど|数万《すうまん》の|悪蜂《あくほう》は|隙《すき》をねらうて、|室屋《むろや》の|外《そと》に|群《むら》がり|集《あつ》まり、|少《すこ》しの|油断《ゆだん》あれば|直《ただ》ちに|入《い》りて、これを|刺《さ》さむとするがゆゑに、|少《すこ》しも|眠《ねむ》ることはできなかつた。ここに|田依彦《たよりひこ》、|中裂彦《なかざきひこ》は|小島別《こじまわけ》を|誑《たぶら》かし、|三柱《みはしら》は、|共《とも》に|室屋《むろや》の|外《そと》にきたつて|命《みこと》が|不倫《ふりん》の|行跡《ぎやうせき》を|詰《なじ》り、かつ|改心《かいしん》を|迫《せま》つた。しかして|改心《かいしん》の|意《い》を|表《へう》するために、|蜂《はち》の|領巾《ひれ》を|吾《われ》らに|渡《わた》せと|脅迫《けうはく》した。
|命《みこと》はその|無実《むじつ》を|細々《こまごま》と|弁《べん》じた。されど|三柱《みはしら》はこれを|信《しん》ぜず、つひには|辞《ことば》を|荒《あら》らげ|顔色《がんしよく》を|紅《あか》くして、|罵詈雑言《ばりざふごん》を|頻発《ひんぱつ》し|侮辱《ぶじよく》した。|命《みこと》は|無念《むねん》やるかたなくただ|首《くび》を|垂《た》れて、|悲憤《ひふん》の|涙《なみだ》を|押《お》さへつつあつた。このとき|常世姫《とこよひめ》|室屋《むろや》の|前《まへ》に|現《あら》はれ、|命《みこと》にむかつて|言葉《ことば》きたなく|雑言《ざふごん》を|並《なら》べ、かつ|速《すみや》かに|改心《かいしん》の|情《じやう》を|表《あら》はし、|職《しよく》を|去《さ》り|常世《とこよ》の|国《くに》に|落《お》ちゆくべしと|宣言《せんげん》した。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|天《てん》にむかひ、……|正邪《せいじや》|理非《りひ》|曲直《きよくちよく》を|明《あき》らかにしたまへ、もしわれに|邪《しや》あれば、わが|生命《せいめい》を|断《た》ち、|常世姫《とこよひめ》に|邪《じや》あれば|今《いま》この|場《ば》において|常世姫《とこよひめ》を|罰《ばつ》し、もつてわが|疑《うたが》ひを|晴《は》らしたまへ……と|祈願《きぐわん》をこめた。この|時《とき》いづくともなく|神《かみ》の|御声《みこゑ》|命《みこと》の|耳《みみ》に|入《い》つた。|神《かみ》の|御声《みこゑ》のまにまに|蜂《はち》の|領巾《ひれ》を|常世姫《とこよひめ》にむかつて|打振《うちふ》つた。|常世姫《とこよひめ》の|身体《しんたい》はにはかに|動揺《どうえう》をはじめ、|悪寒《をかん》|悪熱《をねつ》を|感《かん》じ、その|場《ば》に|転倒《てんたう》し|苦悶《くもん》をはじめた。
ここに|小島別《こじまわけ》、|田依彦《たよりひこ》、|中裂彦《なかさきひこ》は|驚《おどろ》いて|常世姫《とこよひめ》を|籠《かご》に|乗《の》せ、|担《かつ》いで|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|御前《ごぜん》にいたり、|事《こと》の|顛末《てんまつ》を|報告《はうこく》した。|常世姫《とこよひめ》は|病勢《びやうせい》|刻々《こくこく》に|募《つの》り、|口《くち》より|泡《あわ》を|吹《ふ》きつひには|黒血《くろち》を|吐《は》いて|苦悶《くもん》しだした。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》はこれを|見《み》て|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|復讐的《ふくしうてき》|悪行《あくかう》となし、|大《おほ》いに|怒《いか》つて|大神《おほかみ》に|賞罰《しやうばつ》を|明《あき》らかにされむことを|祈願《きぐわん》された。
このとき|言霊姫《ことたまひめ》は|愉快気《ゆくわいげ》に|微笑《びせう》を|漏《も》らし、|神司《かみがみ》の|狼狽《らうばい》するを|傍観《ばうかん》してゐた。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》|以下《いか》の|神司《かみがみ》は、|大宮《おほみや》の|前《まへ》に|額《ぬかづ》きて|祝詞《のりと》を|奉上《そうじやう》し、|病気《びやうき》|平癒《へいゆ》の|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らし、|五日五夜《いつかいつや》に|及《およ》んだ。されど|連夜《れんや》の|祈願《きぐわん》も|寸効《すんかう》|無《な》く、|常世姫《とこよひめ》の|生命《せいめい》は|瀕死《ひんし》の|状態《じやうたい》に|立《た》ちいたつた。
ここに|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|気色《けしき》を|変《か》へ、みづから|蜂《はち》の|室屋《むろや》の|前《まへ》に|立《た》ち、|言霊別命《ことたまわけのみこと》にむかつて、
『|常世姫《とこよひめ》の|苦《くる》しみは|汝《なんぢ》が|怨霊《おんりやう》の|祟《たた》りならむ。すみやかに|前非《ぜんぴ》を|悔《く》いて、かれが|病《やまひ》を|癒《い》やし|天地《てんち》の|神《かみ》に|謝《しや》せよ』
と|言葉《ことば》|厳《おごそ》かにきめつけられた。されど|言霊別命《ことたまわけのみこと》はその|言《げん》を|用《もち》ゐず、|空《そら》|吹《ふ》く|風《かぜ》と|聞《き》き|流《なが》してゐた。|折《をり》しも|常世姫《とこよひめ》の|居室《きよしつ》に|当《あた》つて、|大《だい》なる|叫《さけ》び|声《ごゑ》がおこつた。|諸神司《しよしん》は|周章狼狽《あわてふため》きながら、その|居室《きよしつ》に|集《あつ》まつた。そのとき|既《すで》に|常世姫《とこよひめ》は|身体《しんたい》|冷《ひ》え|渡《わた》りて【こと】|切《ぎ》れてゐた。ここに|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|神慮《しんりよ》を|疑《うたが》ひ、ただちに|国治立命《くにはるたちのみこと》に|正否《せいひ》を|奉伺《ほうし》された。
|国治立命《くにはるたちのみこと》は|言葉《ことば》おごそかに|宣《の》りたまふやう、
『|邪《じや》は|正《せい》に|勝《か》たず、|神《かみ》は|善《ぜん》を|助《たす》け|邪《じや》を|罰《ばつ》す。|邪《じや》は|常世姫《とこよひめ》にあり。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|正《ただ》しき|神人《かみ》なり。|汝《なんぢ》すみやかに|小島別《こじまわけ》をして|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|前《まへ》にいたり、|謝罪《しやざい》せしめよ』
との|神勅《しんちよく》であつた。|小島別《こじまわけ》は|正邪《せいじや》の|判別《はんべつ》に|迷《まよ》ひ、|心《こころ》は|五里霧中《ごりむちう》に|彷徨《はうくわう》しつつ|大神《おほかみ》の|命《めい》を|拒《こば》むに|由《よし》なく、つひに|我《が》を|折《を》りて|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|言霊姫《ことたまひめ》に|前《まへ》の|誤解《ごかい》と|無礼《ぶれい》を|陳謝《ちんしや》した。|命《みこと》は|答《こた》へて、
『|正邪《せいじや》の|判別《はんべつ》したる|上《うへ》は、われ|何《なに》をか|恨《うら》まむ』
とて|直《ただ》ちに|天《てん》に|向《むか》つて|謝罪《しやざい》したまふと|同時《どうじ》に、|常世姫《とこよひめ》はたちまち|蘇生《そせい》した。
ここに|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》|以下《いか》の|諸神司《しよしん》は、|常世姫《とこよひめ》に|向《むか》つて|謝罪《しやざい》せむことを|勧《すす》めた。されど|頑強《ぐわんきやう》なる|常世姫《とこよひめ》はこれを|拒《こば》み、ふたたび|苦悶《くもん》をはじめ、|口《くち》から|泡《あわ》を|吹《ふ》き|血《ち》を|吐《は》くこと|前《まへ》の|通《とほ》りである。
さすがの|常世姫《とこよひめ》もつひに|我《が》を|折《を》り、|生々《なまなま》に|室屋《むろや》の|前《まへ》にきたりて|叩頭《こうとう》|陳謝《ちんしや》した。|命《みこと》の|怒《いか》りは|忽《たちま》ち|解《と》けて|常世姫《とこよひめ》の|病《やまひ》は|全快《ぜんくわい》した。ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|諸神司《しよしん》の|進言《しんげん》により、|室屋《むろや》の|中《なか》より|救《すく》ひ|出《だ》され、ふたたび|元《もと》の|聖職《せいしよく》に|就《つ》かれた。
|常世姫《とこよひめ》はこの|事件《じけん》のために|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|退《やら》はれ、つひに|常世国《とこよのくに》に|遁《に》げ|帰《かへ》つた。されど|常世姫《とこよひめ》の|悪意《あくい》は|容易《ようい》に|改《あらた》まらず、|執拗《しつえう》にも|種々《しゆじゆ》の|画策《くわくさく》をめぐらし、はるかに|常世国《とこよのくに》より|醜女《しこめ》を|放《はな》ちて、ふたたび|言霊別命《ことたまわけのみこと》|夫妻《ふさい》を|陥《おとしい》れむと、|画策《くわくさく》これ|日《ひ》も|足《た》らぬ|有様《ありさま》であつた。
(大正一〇・一〇・三〇 旧九・三〇 外山豊二録)
第三篇 |神戦《しんせん》の|経過《けいくわ》
第一四章 |水星《すゐせい》の|精《せい》〔六四〕
ここに|田依彦《たよりひこ》、|中裂彦《なかざきひこ》は|麗《うるは》しき|庭園《ていえん》を|造《つく》り、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》を|慰《なぐさ》め|奉《たてまつ》らむとし、ヨルダン|河《がは》の|上流《じやうりう》にあまたの|神々《かみがみ》を|引《ひ》きつれ、|千引《ちびき》の|岩《いは》をとり、|広《ひろ》き|石庭《いしには》を|造《つく》らむとした。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》はにはかに|身体《しんたい》に|大痙攣《けいれん》を|発《はつ》し、|劇烈《げきれつ》なる|腹痛《ふくつう》に|悩《なや》まされたまうた。|諸神司《しよしん》は|驚《おどろ》き|集《あつ》まりて、あるひは|天《てん》に|祈《いの》り、あるひは|薬《くすり》を|献《けん》じ、|百方《ひやつぱう》|手《て》を|尽《つく》せども、|何《なん》の|効《かう》をも|奏《そう》せなかつた。このとき|小島別《こじまわけ》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|前《まへ》に|出《い》で、|命《みこと》の|重病《ぢうびやう》に|罹《かか》り|給《たま》ひし|原因《げんいん》につきて|神界《しんかい》に|奉伺《ほうし》し|裁断《さいだん》を|請《こ》ひ、|神示《しんじ》を|得《え》むことを|依頼《いらい》した。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|大《おほ》いに|驚《おどろ》き、ただちに|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し|神示《しんじ》を|請《こ》ひ|奉《たてまつ》つた。|天津神《あまつかみ》の|神示《しんじ》によれば、
『ヨルダン|河《がは》の|上流《じやうりう》に、|水星《すゐせい》の|精《せい》より|出《い》でたる|長方形《ちやうはうけい》にして|茶褐色《ちやかつしよく》を|帯《お》べる|烏帽子型《ゑぼしがた》の|霊石《れいせき》あり、これを|掘《ほ》りだし|持《も》ち|帰《かへ》り、|汚《けが》れたる|地上《ちじやう》に|奉置《はうち》し、その|上《うへ》にあまたの|岩石《がんせき》を|積《つ》みたり。|水星《すゐせい》の|霊《れい》|苦《くる》しみにたへず、これを|諸神司《しよしん》に|知《し》らさむがために|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|病《やまひ》を|発《はつ》せしめ、もつて|警告《けいこく》せるなり。すみやかに|種々《しゆじゆ》の|巌岩《がんせき》を|取《と》り|除《のぞ》きて、その|霊石《れいせき》を|黄金水《わうごんすい》にて|洗《あら》ひ|清《きよ》め、|宮《みや》を|作《つく》りてこれを|鎮祭《ちんさい》せば、|命《みこと》の|病《やまひ》はたちまち|恢復《くわいふく》せむ。しかしてこれを|掘《ほ》り|出《だ》したるは|中裂彦《なかざきひこ》にして、これを|汚《けが》したるもまた|同神司《どうしん》なり。|田依彦《たよりひこ》|以下《いか》の|神司《かみがみ》も|共《とも》に、|水星《すゐせい》の|祟《たた》りを|受《う》くべきはずなれども、その|責任《せきにん》は|主神《しゆしん》たる|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|負《お》はせたまへるなり。されば|諸神司《しよしん》は|慎《つつし》みて|水星《すゐせい》の|神《かみ》に|陳謝《ちんしや》し|恭《うやうや》しくこれを|祭《まつ》れ』
との|神示《しんじ》であつた。
|小島別《こじまわけ》はこれを|聞《き》きて|大《おほ》いに|恐《おそ》れ|慎《つつし》みてその|命《めい》のごとく|取計《とりはか》らつた。|不思議《ふしぎ》なるかな|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|病苦《びやうく》は、|霊石《れいせき》を|洗《あら》ひ|清《きよ》めて|恭《うやうや》しく|神殿《しんでん》に|祭《まつ》るとともに|拭《ぬぐ》ふがごとく|癒《い》えたのである。
ヨルダン|河《がは》の|上流《じやうりう》に、この|水星《すゐせい》の|精《せい》なる|烏帽子型《えぼしがた》の|霊石《れいせき》ありしため、|河《かは》|広《ひろ》く|水《みづ》|深《ふか》く、|清鮮《せいせん》の|泉《いづみ》ゆるやかに|流《なが》れて、あたかも|水晶《すゐしやう》の|如《ごと》くなりしを、この|霊石《れいせき》を|掘《ほ》り|出《だ》してより、|山上《さんじやう》よりは|土砂《どしや》を|流《なが》し|河《かは》を|埋《うづ》め、|濁水《だくすゐ》の|流《なが》れと|変化《へんくわ》してしまつた。そして|中裂彦《なかさきひこ》はここに|心《こころ》|狂《くる》ひてヨルダン|河《がは》に|身《み》を|投《とう》じ、その|霊《れい》は|悪蛇《あくじや》と|変《へん》じ、|流《なが》れて|死海《しかい》に|入《い》り、|変《へん》じて|邪鬼《じやき》となつた。|水星《すゐせい》の|精《せい》を|祭《まつ》りたる|水《みづ》の|宮《みや》は、|言霊別命《ことたまわけのみこと》|特《とく》に|斎主《さいしゆ》として|日夜《にちや》|奉仕《ほうし》さるることとなつた。
|一時《いちじ》|霊石《れいせき》を|祭《まつ》りて|恢復《くわいふく》し|給《たま》ひし|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は、その|後《ご》|健康《けんかう》|勝《すぐ》れたまはず、|時々《ときどき》|病床《びやうしやう》に|臥《ふ》したまふことがあつた。|茲《ここ》に|常世姫《とこよひめ》は|信書《しんしよ》を|認《したた》め、|熊鷹《くまたか》の|足《あし》に|結《むす》びこれを|放《はな》ち、|真道知彦《まみちしるひこ》に|何事《なにごと》かを|報告《はうこく》した。|真道知彦《まみちしるひこ》は|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|長男《ちやうなん》であつた。この|信書《しんしよ》を|見《み》てたちまち|顔色《かほいろ》を|変《へん》じ、|怒髪《どはつ》|天《てん》を|衝《つ》き|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|参入《さんにふ》し、|神国別命《かみくにわけのみこと》、|花森彦《はなもりひこ》、|真鉄彦《まがねひこ》、|小島別《こじまわけ》その|他《た》の|神司《かみがみ》を|集《あつ》めて、|何事《なにごと》か|凝議《ぎようぎ》したのである。そしてその|結果《けつくわ》は、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|進言《しんげん》された。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》はこれを|聞《き》きて|大《おほ》いに|怒《いか》り、|言霊別命《ことたまわけのみこと》にむかひ、
『|汝《なんぢ》は|水星《すゐせい》の|霊石《れいせき》を|祭《まつ》りもつて|吾《われ》を|苦《くる》しめ、|或《ある》ひは|呪咀《じゆそ》し、つひに|取《と》つて|代《かは》らむとの|野心《やしん》ありと|聞《き》く、|実《じつ》に|汝《なんぢ》の|心情《しんじやう》|疑《うたが》ふにあまりあり。もし|汝《なんぢ》にして|誠意《せいい》あり、|吾《わ》が|疑《うたが》ひを|晴《は》らさむとせば、すみやかに|水星《すゐせい》の|宮《みや》を|毀《こぼ》ち、その|神体《しんたい》なる|霊石《れいせき》を|大地《だいち》に|抛《なげう》ち、これを|砕《くだ》きて|誠意《せいい》を|示《しめ》せ』
と|厳《きび》しく|迫《せま》られたのである。あまたの|従神《じゆうしん》は|集《あつ》まり|来《きた》りて、|異口同音《いくどうおん》に|宮《みや》を|毀《こぼ》ちて、|神体《しんたい》を|打《う》ち|砕《くだ》けと|迫《せま》るのであつた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|衆寡《しうくわ》|敵《てき》せず、|涙《なみだ》を|呑《の》んで|天《てん》に|訴《うつた》へ、|霊石《れいせき》に|謝《しや》し、|恭《うやうや》しく|頭上《づじやう》に|奉戴《ほうたい》し、ついで|麗《うるは》しき|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|擲《な》げつけた。|敬神《けいしん》に|厚《あつ》き|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、このとき|熱鉄《ねつてつ》を|呑《の》む|心地《ここち》をせられたであらう。たちまち|霊石《れいせき》より|旋風《せんぷう》|吹《ふ》きおこり、その|風玉《かざたま》は|高殿《たかどの》に|立《た》てる|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》にあたり、|高楼《かうろう》より|地上《ちじやう》に|吹《ふ》き|飛《と》ばされ、|腰骨《えうこつ》を|挫《くじ》き|身体《しんたい》の|自由《じいう》を|失《うしな》ひ、|非常《ひじやう》に|苦悶《くもん》したまうた。|諸神司《しよしん》は|群《むら》がりきたりて|命《みこと》を|介抱《かいはう》し、|奥殿《おくでん》に|担《かつ》ぎ|入《い》れ、|心力《しんりよく》をつくして|看護《かんご》に|余念《よねん》なかつた。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|久《ひさ》しうしてやや|恢復《くわいふく》され、|神務《しんむ》に|差支《さしつかへ》なきにいたられた。されど|遂《つひ》に|不具《ふぐ》となり、|歩行《ほかう》に|苦痛《くつう》を|感《かん》じたまふに|立《た》ちいたつた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|庭園《ていえん》の|八重梅《やへうめ》の|枝《えだ》を|切《き》り、|御杖《おんつゑ》を|作《つく》りてこれを|奉《たてまつ》つた。これが|老衰者《らうすゐしや》の|杖《つゑ》を|用《もち》ふる|濫觴《らんしやう》である。ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|神威《しんゐ》を|恐《おそ》れ|千引《ちびき》の|巌《いはほ》を|切《き》り、うるはしき|石造《いしづくり》の|宮《みや》を|造《つく》り、|月読命《つきよみのみこと》の|従神《じゆうしん》として、|霊石《れいせき》を|永遠《ゑいゑん》に|鎮祭《ちんさい》し|置《お》かれた。
(大正一〇・一〇・三〇 旧九・三〇 加藤明子録)
第一五章 |山幸《やまさち》〔六五〕
|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|弟《おとうと》に|元照彦《もとてるひこ》という|放縦《はうじう》な|神司《かみ》があつた。この|神司《かみ》は、|言霊別命《ことたまわけのみこと》が|神業《しんげふ》に|従事《じゆうじ》して|神界《しんかい》を|思《おも》ふのあまり、|親兄弟《おやきやうだい》を|顧《かへり》みざるのを|憤慨《ふんがい》してゐた。
ふるさとの|空《そら》|打《う》ちながめ|思《おも》ふかな|国《くに》にのこせし|母《はは》はいかにと
|元照彦《もとてるひこ》は|山幸《やまさち》を|好《この》み、|天《あめ》の|香具山《かぐやま》の|鉄《まがね》をもつて|諸々《もろもろ》の|武器《ぶき》を|作《つく》り、あまたの|征矢《そや》を|製《せい》して|大台ケ原《おほだいがはら》に|立《た》てこもり、|大峡小峡《おほがいをがい》にすむ|熊《くま》、|鹿《しか》、|猪《しし》、|兎《うさぎ》などを|打《う》ちとり|無上《むじやう》の|快楽《くわいらく》としてゐた。さうして|伊吹彦《いぶきひこ》といふ|供神《ともがみ》は|常《つね》に|元照彦《もとてるひこ》に|陪従《ばいじゆう》し、|山幸《やまさち》を|助《たす》けてゐた。
ここに|伊吹山《いぶきやま》に|立《た》てこもり|時節《じせつ》を|窺《うかが》ひゐたる|武熊別《たけくまわけ》の|部下《ぶか》、|八十熊《やそくま》、|足熊《あしくま》、|熊江姫《くまえひめ》、その|他《た》|多《おほ》くの|魔神《まがみ》も|大台ケ原山《おほだいがはらやま》にわけ|入《い》り、|花々《はなばな》しく|山幸《やまさち》を|試《こころ》むれども、|終日《しうじつ》|奔走《ほんそう》してただの|一頭《いつとう》の|獲物《えもの》もなかつた。そのわけは|元照彦《もとてるひこ》が|熟練《じゆくれん》せる|経験《けいけん》により|大小《だいせう》の|鳥獣《てうじう》を|一《ひとつ》も|残《のこ》らず|狩《かり》とつた|後《あと》ばかりを|進《すす》んだからである。|八十熊《やそくま》|以下《いか》は|方向《はうこう》を|転《てん》じて|山《やま》を|越《こ》え、|再《ふたた》び|山幸《やまさち》を|試《こころ》みた。そこには|伊吹彦《いぶきひこ》がゐて|征矢《そや》をもつて|盛《さか》んに|山幸《やまさち》をしてゐた。|八十熊《やそくま》|以下《いか》の|者《もの》は|伊吹彦《いぶきひこ》に|種々《しゆじゆ》の|宝《たから》を|与《あた》へて、しきりにその|歓心《くわんしん》を|買《か》ひ、つひに|伊吹彦《いぶきひこ》をして|元照彦《もとてるひこ》に|背《そむ》き、かつ|征矢《そや》をもつて|元照彦《もとてるひこ》を|殺《ころ》さしめむと|計《はか》つた。|伊吹彦《いぶきひこ》は|八十熊《やそくま》らの|慾《よく》に|誘《さそ》はれ、つひに|八十熊《やそくま》の|味方《みかた》となつてしまつた。
|元照彦《もとてるひこ》は|伊吹彦《いぶきひこ》の|変心《へんしん》せしことを|知《し》らず、|常《つね》のごとく|相伴《あひとも》なつて|日の出ケ山《ひのでがやま》に|登《のぼ》り、|群《むら》がる|猪《しし》にむかつて|征矢《そや》を|射《い》らしめた。|伊吹彦《いぶきひこ》はその|猪《しし》にむかつて|矢《や》を|射《い》るがごとく|装《よそほ》ひ、たちまち|体《からだ》を|翻《ひるがへ》して|元照彦《もとてるひこ》|目《め》がけてしきりに|射《い》かけた。|元照彦《もとてるひこ》は|驚《おどろ》いて|八尋《やひろ》まはりの|大杉《おほすぎ》の|蔭《かげ》にかくれ、|征矢《そや》を|防《ふせ》がむとした。この|時《とき》、|八十熊《やそくま》らの|魔軍《まぐん》|八方《はつぱう》より|現《あら》はれ|来《きた》りて、さかんに|征矢《そや》を|射《い》かけた。|元照彦《もとてるひこ》は|進退《しんたい》これ|谷《きは》まり、|身《み》に|十数創《じふすうそう》を|負《お》ひその|場《ば》に|仆《たふ》れた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|竜宮城《りゆうぐうじやう》にあり、|弟《おとうと》の|危難《きなん》を|知《し》りて|直《ただ》ちに|天《あま》の|鳥船《とりふね》に|乗《の》り、|大台ケ原《おほだいがはら》に|駆《かけ》り|進《すす》んだ。ただちに|伊吹彦《いぶきひこ》、|八十熊《やそくま》|以下《いか》の|魔軍《まぐん》にむかひ|種々《くさぐさ》の|領巾《ひれ》を|打《う》ち|振《ふ》れば、|魔軍《まぐん》は|黒雲《こくうん》をおこし、|武熊別《たけくまわけ》の|隠《かく》れたる|伊吹山《いぶきやま》さして|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|去《さ》つた。
|元照彦《もとてるひこ》は|重傷《ぢうしやう》を|負《お》ひ、つひに|病《やまひ》の|床《とこ》に|臥《ふ》し、|生命《せいめい》|危篤《きとく》の|状態《じやうたい》におちいつた。このとき|母神《ははがみ》の|国世姫《くによひめ》は、
『|汝《なんぢ》|平素《へいそ》の|放縦《はうじう》なる|心《こころ》を|立替《たてか》へ、|深《ふか》く|神《かみ》を|信《しん》じ、|兄弟《きやうだい》と|共《とも》に|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せば、|大神《おほかみ》の|恵《めぐみ》によりて|汝《なんぢ》が|病《やまひ》はたちどころに|癒《い》えむ』
と|懇《ねんごろ》に|涙《なみだ》とともに|諭《さと》された。
ここにはじめて|元照彦《もとてるひこ》は|敬神《けいしん》の|至誠《しせい》をおこし、|数月《すうげつ》の|間《あひだ》、|苦痛《くつう》を|忍《しの》びつつ|天地《てんち》の|大神《おほかみ》を|祈《いの》り、つひに|病床《びやうしやう》を|離《はな》れ|全《まつた》く|悔改《くいあらた》めて、|山幸《やまさち》の|快楽《くわいらく》を|捨《す》てて|苦《くる》しき|神業《しんげふ》に|参加《さんか》し、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|蔭身《かげみ》に|添《そ》ひて、|神教《しんけう》を|天《あめ》の|下《した》|四方《よも》の|国々《くにぐに》に|宣伝《せんでん》し|偉功《ゐこう》をあらはした。
|邪神《じやしん》|伊吹彦《いぶきひこ》は|八十熊《やそくま》と|共《とも》に|一時《いちじ》は|伊吹山《いぶきやま》に|逃《のが》れ|去《さ》り、やつと|息継《いきつ》ぐ|暇《ひま》もなく、どこともなく|飛《と》びくる|白羽《しらは》の|征矢《そや》に|当《あた》り、|山上《さんじやう》より|転落《てんらく》して|終焉《しゆうえん》を|告《つ》げ、|伊吹山《いぶきやま》の|邪鬼《じやき》となつた。
(大正一〇・一〇・三〇 旧九・三〇 桜井重雄録)
第一六章 |梟《ふくろ》の|宵企《よひだく》み〔六六〕
ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、|疑惑《ぎわく》まつたく|晴《は》れて|蜂《はち》の|室屋《むろや》を|再《ふたた》び|出《い》で、|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》せられた。されど|疑惑《ぎわく》の|念《ねん》|深《ふか》き|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|心中《しんちゆう》に|野望《やばう》を|抱《いだ》けるものと、|日夜《にちや》|疑心《ぎしん》を|抱《いだ》いてをられたのである。かてて|加《くは》へて|小島別《こじまわけ》、|田依彦《たよりひこ》の|一派《いつぱ》は|心中《しんちゆう》|穏《おだや》かならず、|命《みこと》の|神務《しんむ》にたいし、いちいち|反対的《はんたいてき》|態度《たいど》を|持《ぢ》し|種々《しゆじゆ》の|妨害《ばうがい》を|加《くは》へ、かつ|非難《ひなん》を|放《はな》つて|止《や》まなかつた。|神国別命《かみくにわけのみこと》|以下《いか》の|神司《かみがみ》も、|小島別《こじまわけ》の|言《げん》に|賛同《さんどう》して、つひに|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|排斥《はいせき》せむとするに|立《たち》いたつた。
うたがひの|黒雲《くろくも》おほふも|何《なに》かせむ|天津日《あまつひ》さへも|曇《くも》る|世《よ》なれば
されば|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、|天使《てんし》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、|真澄姫《ますみひめ》とはかりたまひ、|天道別命《あまぢわけのみこと》、|天真道彦命《あめのまみちひこのみこと》とともに|一時《いちじ》|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|立退《たちの》き、ローマの|都《みやこ》に|下《くだ》りて、|国魂《くにたま》の|神《かみ》|花園彦《はなぞのひこ》の|御舎《みあらか》に|潜《ひそ》み、|時《とき》の|到《いた》るを|待《ま》ちたまふこととなつた。このとき|八島彦《やしまひこ》、|元照彦《もとてるひこ》、|正照彦《まさてるひこ》らの|諸神司《しよしん》は、|共《とも》にローマの|都《みやこ》に|集《あつ》まり、|天道別命《あまぢわけのみこと》、|天真道彦命《あめのまみちひこのみこと》の|教《をしへ》を|四方《しはう》に|宣伝《せんでん》し、|声望《せいばう》|天下《てんか》にふるひ、|驍名《げいめい》つひに|竜宮城《りゆうぐうじやう》にまで|高《たか》く|達《たつ》した。
|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|大《おほ》いに|驚《おどろ》きたまひ、|小島別《こじまわけ》、|田依彦《たよりひこ》、|安川彦《やすかはひこ》、その|他《た》の|諸々《もろもろ》の|神司《かみ》をして、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|遺物《ゐぶつ》をヨルダン|川《がは》の|岸《きし》に|持出《もちだ》さしめ、|八方《はつぱう》より|火《ひ》をかけてこれを|焼燼《せうじん》せしめたまうた。
さるほどに、|言霊別命《ことたまわけのみこと》はモスコーの|都《みやこ》に|出《い》で、|諸神司《しよしん》を|集《あつ》めて、|天津神《あまつかみ》の|宣旨《みのり》を|宣《の》べ|伝《つた》へた。この|時《とき》、ローマなる|花園彦《はなぞのひこ》の|急使《きふし》として、|小島別《こじまわけ》、|田依彦《たよりひこ》、|安川彦《やすかはひこ》はあまたの|者《もの》と|共《とも》に|出《い》できたり、|片時《かたとき》もはやく|還《かへ》りたまへと|報告《はうこく》した。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|八島彦《やしまひこ》をともなひローマに|帰《かへ》り、|花園彦《はなぞのひこ》の|神殿《しんでん》に|到着《たうちやく》した。|待《ま》ちくたびれたる|小島別《こじまわけ》の|一行《いつかう》は、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|御殿《みあらか》に|入《い》り、|威儀《ゐぎ》を|正《ただ》し、|容《かたち》をあらため、
『|吾《われ》は|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》より|重大《ぢゆうだい》なる|任務《にんむ》を|帯《お》びてはるばる|下《くだ》りきたれる|神使《しんし》なり。|汝《なんぢ》は|今《いま》この|地《ち》にありて|諸々《もろもろ》の|神司等《かみたち》を|集《あつ》め|勢力《せいりよく》|日《ひ》に|加《くは》ふと|聞《き》く。|思《おも》ふに|後日《ごじつ》|地《ち》の|高天原《たかあまはら》を|占領《せんりやう》し|覇権《はけん》を|握《にぎ》らむとするの|所存《しよぞん》ならむ。|汝《なんぢ》は|命《みこと》の|命《めい》に|従《したが》ひ、この|所《ところ》を|捨《す》てて|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰還《きくわん》し、|命《みこと》の|命《めい》のまにまに|悔改《くひあらた》めて|神業《しんげふ》に|従《したが》ひまつるか、|万一《まんいち》これを|拒《こば》むにおいては|吾《われ》に|覚悟《かくご》あり』
と|都牟刈太刀《つむがりのたち》の|柄《つか》に|手《て》をかけ、|三方《さんぱう》より|返答《へんたふ》きかむと|詰《つ》めよつた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|小島別《こじまわけ》らの|尊大不遜《そんだいふそん》なる|態度《たいど》にあきれながら、|小島別《こじまわけ》の|鼻高《はなたか》く|肩《かた》を|揺《ゆす》りて|折衝《せつしやう》する|姿《すがた》の|可笑《をか》しさにたへず、|抱腹絶倒《はうふくぜつたう》した。
|小島別《こじまわけ》は|大《おほ》いに|怒《いか》り、|真赤《まつか》になつて、
『|汝《なんぢ》|大神《おほかみ》の|神使《しんし》を|愚弄《ぐろう》するや。このままには|捨《す》ておかじ。|覚悟《かくご》をせよ』
と|三方《さんぱう》より|刀《かたな》を|抜《ぬ》きはなちて|切《き》りかけた。
|歎《なげ》きつついかり|眼《め》をむく|猿芝居《さるしばゐ》
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|偽《いつは》つてこの|場《ば》をのがれ、|後日《ごじつ》の|備《そな》へをなさむとし、|降伏《かうふく》の|意味《いみ》の|神文《しんもん》をしたため、|小島別《こじまわけ》に|渡《わた》し、
『|貴下《きか》は|今《いま》より|速《すみ》やかに|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰《かへ》らせたまへ。|吾《われ》は|神軍《しんぐん》を|解散《かいさん》しすべての|後始末《あとしまつ》をなし、|後《あと》より|帰参《きさん》すべし』
と|体《てい》よく|答弁《たふべん》した。
|小島別《こじまわけ》は|得意《とくい》|満面《まんめん》にあふれ、|勝《か》ち|誇《ほこ》つたる|面持《おももち》にて、あたかも|鬼《おに》の|首《くび》を|竹篦《たけべら》にて|切《き》りとりしごとく、|意気《いき》|傲然《ごうぜん》として、|他《た》の|三神司《さんしん》とともに|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|引連《ひきつ》れ、|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰還《きくわん》した。
|三神司《さんしん》は|肩《かた》にて|風《かぜ》を|切《き》りつつ、|手柄顔《てがらがほ》に|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|御前《みまへ》に|出《い》で、
『このたびは|大神《おほかみ》の|御神威《ごしんゐ》により|大勝利《だいしようり》を|得《え》たり。やがて|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|悄然《せうぜん》として、|後《あと》より|還《かへ》り|来《きた》るべし。その|詫状《わびじやう》は|今《いま》ここにあり』
と|鼻高々《はなたかだか》と|得意気《とくいげ》にその|封書《ふうしよ》を|命《みこと》に|奉《たて》まつつた。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|大《おほ》いに|喜《よろこ》びたまひ、|披《ひら》き|見《み》ればこはそもいかに、|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|断《だん》じて|帰還《きくわん》せず、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》はまず|御心《みこころ》を|改《あらた》められて、|嫉妬心《しつとしん》を|去《さ》り、|冷静《れいせい》に|復《かへ》り、|赤心《せきしん》より|悔《く》い、もつて|一切《いつさい》の|誤解《ごかい》を|払拭《ふつしき》し、|常世姫《とこよひめ》、|小島別《こじまわけ》、|魔我彦《まがひこ》、|魔我姫《まがひめ》その|他《た》の|神司《かみがみ》をそれぞれ|処罰《しよばつ》し、もつて|吾意《わがい》のごとく|改革《かいかく》の|実《じつ》をあげたまふならむには、|喜《よろこ》びて|帰城《きじやう》すべし。|万一《まんいち》この|語《ことば》に|御違背《ごゐはい》あらば、|吾《われ》らはますますローマの|都《みやこ》に|根拠《こんきよ》を|固《かた》め、ここに|天津神《あまつかみ》の|命《めい》を|奉《ほう》じて、|新《あらた》に|地《ち》の|高天原《たかあまはら》を|開《ひら》き、|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|建設《けんせつ》し、もつて|貴神《きしん》に|対抗《たいかう》し|奉《たてまつ》り、|花々《はなばな》しく|雌雄《しゆう》を|決《けつ》し|申《まを》さむ、との|極《きは》めて|強硬《きやうかう》なる|信書《しんしよ》であつた。
|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|顔色《がんしよく》にはかにかはり、|声《こゑ》もいとあららかに|信書《しんしよ》を|引破《ひきやぶ》りて|握《にぎ》りかため、|小島別《こじまわけ》の|面上《めんじやう》|目《め》がけて|投《な》げつけ、|雉子《きぎす》の|直使《ひたづかひ》なり、と|神使《しんし》の|不明不覚《ふめいふかく》を|詰《なじ》りたまふた。
|小島別《こじまわけ》|以下《いか》の|神司《かみがみ》は|案《あん》に|相違《さうゐ》し、あたかも|梟《ふくろどり》の|夜食《やしよく》に|外《はづ》れしごとく、|頭《あたま》をかいて|小隅《こすみ》に|引《ひ》きさがり、|今後《こんご》の|身《み》の|進退《しんたい》につき|苦心《くしん》してゐた。
ここに|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|大《おほ》いに|憤《いきどほ》りたまひ、|小島別《こじまわけ》、|田依彦《たよりひこ》、|安川彦《やすかはひこ》をして|数多《あまた》の|神軍《しんぐん》を|引率《いんそつ》せしめ、|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|討《う》ち|悩《なや》ましたまふことになるのである。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|已《や》むをえず、|花園彦《はなぞのひこ》、|元照彦《もとてるひこ》、|正照彦《まさてるひこ》、|八島彦《やしまひこ》をして、これが|防備《ばうび》に|当《あた》らしめた。
(大正一〇・一〇・三〇 旧九・三〇 谷口正治録)
第一七章 |佐賀姫《さがひめ》の|義死《ぎし》〔六七〕
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|素《もと》より|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|反抗《はんかう》するの|心《こころ》は|毛頭《まうとう》なかつたのである。されど|命《みこと》|以下《いか》の|神司《かみがみ》にたいし、|反正撥乱《はんせいはつらん》の|目的《もくてき》をもつて|故意《こい》に|反抗的《はんかうてき》|信書《しんしよ》を|認《したた》め、|使臣《ししん》|小島別《こじまわけ》に|渡《わた》した。
|玉《たま》の|緒《を》のいのちも|如何《いか》で|惜《をし》むべきすてて|誠《まこと》の|道《みち》を|照《て》らさば
|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|心情《しんじやう》および|行動《かうどう》につき、|半信半疑《はんしんはんぎ》の|雲《くも》に|包《つつ》まれゐ|給《たま》ひし|折柄《をりから》なれば、その|信書《しんしよ》を|見《み》て、|本心《ほんしん》より|反旗《はんき》を|翻《ひるがへ》せるものとなし、ここに|天使《てんし》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》に|命《めい》じて、|言霊別命《ことたまわけのみこと》|討伐《たうばつ》の|令《れい》を|下《くだ》された。このとき|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|疚《やまひ》と|称《しよう》して|出《い》でず、|固《かた》く|戸《と》をとざして|差《さし》こもり、|諸神司《しよしん》との|交通《かうつう》を|絶《た》ち、|正邪黒白《せいじやこくびやく》の|判明《はんめい》する|時機《じき》を|待《ま》たれた。
|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|已《や》むをえず、|代《かは》つて|小島別《こじまわけ》に|叛神《はんしん》|討伐《たうばつ》の|命《めい》を|下《くだ》された。|小島別《こじまわけ》は|直《ただ》ちに|命《めい》を|拝《はい》し、|田依彦《たよりひこ》、|安川彦《やすかはひこ》を|部将《ぶしやう》とし、あまたの|神軍《しんぐん》を|督《とく》して|叛軍《はんぐん》を|悩《なや》まさむと|全力《ぜんりよく》を|尽《つく》した。ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、|一方《いつぱう》|小島別《こじまわけ》の|神軍《しんぐん》に|諸方《しよはう》より|攻撃《こうげき》され、|一方《いつぱう》よりは|常世姫《とこよひめ》の|部下《ぶか》|美山彦《みやまひこ》、|国照姫《くにてるひめ》の|魔軍《まぐん》より|攻撃《こうげき》され、|非常《ひじやう》なる|苦境《くきやう》におちいつた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》はローマに|根拠《こんきよ》をかまへ、|花園彦《はなぞのひこ》、|大島彦《おほしまひこ》をして|神軍《しんぐん》を|督《とく》せしめ、|正照彦《まさてるひこ》、|溝川彦《みぞかはひこ》をしてモスコーの|神軍《しんぐん》を|督《とく》せしめおき、|自《みづか》らは|元照彦《もとてるひこ》とともに|姿《すがた》を|変《へん》じ、|小島別《こじまわけ》、|常世姫《とこよひめ》の|両軍《りやうぐん》の|情勢《じやうせい》を|探《さぐ》りつつ、|神出鬼没《しんしゆつきぼつ》の|神策《しんさく》を|講《かう》じた。さても|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、ボムベー|山《ざん》に|陣《ぢん》せる|佐賀彦《さがひこ》のもとに|到《いた》り、この|度《たび》の|戦闘《せんとう》に|参加《さんか》せしめむとして|百方《ひやつぱう》|弁《べん》をつくして|説《と》きつけた。
|佐賀彦《さがひこ》は|元来《ぐわんらい》|言霊別命《ことたまわけのみこと》のために|身《み》の|危難《きなん》を|救《すく》はれたる|神司《かみ》であつた。ゆゑに|一言《いちごん》の|違背《ゐはい》もなく|命《みこと》の|命《めい》に|従《したが》ふは|当然《たうぜん》の|義務《ぎむ》である。しかるに|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は、
『|言霊別命《ことたまわけのみこと》|野心《やしん》あり。ローマに|拠《よ》りて|神軍《しんぐん》に|叛旗《はんき》を|翻《ひるがへ》したり。|万一《まんいち》かれに|加担《かたん》せば|厳罰《げんばつ》に|処《しよ》すべし』
との|厳令《げんれい》は、|佐賀彦《さがひこ》はじめ|一般的《いつぱんてき》に|諸神司《しよしん》の|許《もと》に|伝《つた》へられてゐた。|佐賀彦《さがひこ》もその|選《せん》に|漏《も》れず、|戦々兢々《せんせんきようきよう》として|怖《おそ》れ|戦《おのの》いてゐた|際《さい》である。また|田依彦《たよりひこ》のすでに|来《きた》りて|神軍《しんぐん》の|令旨《れいし》を|伝《つた》へ、|言霊別命《ことたまわけのみこと》|来《きた》らば|伏兵《ふくへい》をまうけて、これを|滅《ほろ》ぼさむとの|準備《じゆんび》すでに|整《ととの》ふてゐた|際《さい》である。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》はかかる|計画《けいくわく》ありとは|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|佐賀彦《さがひこ》の|勧《すす》むるままに、|奥殿《おくでん》に|入《い》りて|休息《きうそく》し、かつ|防戦《ばうせん》の|計画《けいくわく》を|命令《めいれい》された。|佐賀彦《さがひこ》は|心《こころ》すでに|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|離《はな》れ、|田依彦《たよりひこ》と|款《くわん》を|通《つう》じてゐた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|運命《うんめい》は、|今《いま》や|風前《ふうぜん》の|燈火《ともしび》であつた。|佐賀彦《さがひこ》の|妻《つま》|佐賀姫《さがひめ》は、|命《みこと》の|立《た》つて|庭園《ていえん》を|逍遥《せうえう》せるをりしも、|傍《かたはら》より|御前《みまへ》を|横切《よこぎ》り、|懐《ふところ》よりわざと|紙片《しへん》を|落《おと》し、|足早《あしばや》に|殿中《でんちう》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。
|命《みこと》は|怪《あや》しみながら、|手早《てばや》くその|紙片《しへん》を|拾《ひろ》ひあげ|披《ひら》きみるに、「|田依彦《たよりひこ》、|佐賀彦《さがひこ》の|謀計《ぼうけい》により、|貴神《きしん》の|身命《しんめい》は|瞬時《しゆんじ》に|迫《せま》れり。|一時《いちじ》も|早《はや》く|裏門《うらもん》より|免《のが》れたまへ」との|書状《しよじやう》である。|命《みこと》はやや|思案《しあん》にくるる|折《をり》しも、|奥殿《おくでん》に|当《あた》りて|怪《あや》しき|叫《さけ》び|声《ごゑ》が|聞《きこ》えた。これは|佐賀姫《さがひめ》が|自殺《じさつ》を|遂《と》げたのである。|恩神《おんしん》を|救《すく》へば|夫《をつと》にたいして|道《みち》|立《た》たず、|一命《いちめい》を|捨《す》てて|節《せつ》を|守《まも》つたのである。ボムベー|山《ざん》の|陣営《ぢんえい》は、|上《うへ》を|下《した》への|大騒《おほさわ》ぎであつた。|佐賀彦《さがひこ》は|妻《つま》の|変死《へんし》に|度《ど》を|失《うしな》ひ、|狂気《きやうき》のごとくなりて|大声《おほごゑ》を|発《はつ》し、|神々《かみがみ》を|集《あつ》めてゐた。その|声《こゑ》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|耳《みみ》に|透《す》き|通《とほ》るごとく|聞《きこ》えた。
ボムベー|山《ざん》の|部将《ぶしやう》は、|残《のこ》らず|佐賀彦《さがひこ》の|声《こゑ》する|方《はう》に|集《あつ》まつた。|佐賀彦《さがひこ》は|周章狼狽《しうしやうらうばい》のあまり、|言霊別命《ことたまわけのみこと》のあることを|忘却《ばうきやく》するにいたつた。このとき|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|服装《ふくさう》を|変《へん》じ、|神司《かみがみ》の|周章狼狽《しうしやうらうばい》するその|間《あひだ》を|悠然《いうぜん》として|表門《おもてもん》より|立出《たちい》で、|門外《もんぐわい》に|出《い》づるや|否《いな》や、|待《ま》ちかまへたる|元照彦《もとてるひこ》と|共《とも》に、モスコーをさして|落《おち》のびた。
モスコーには|正照彦《まさてるひこ》、|溝川彦《みぞかはひこ》が|固《かた》く|守《まも》つてゐた。このとき|田依彦《たよりひこ》の|姉《あね》|草香姫《くさかひめ》は、|身《み》を|変《へん》じてモスコーに|入《い》り、|正照彦《まさてるひこ》にむかひ|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|急使《きふし》なりと|偽《いつは》り、|面会《めんくわい》を|求《もと》め、かつ|言霊別命《ことたまわけのみこと》はボムベー|山《ざん》において|佐賀彦《さがひこ》、|田依彦《たよりひこ》のために|窮地《きゆうち》に|陥《おちい》り、|今《いま》や|全軍《ぜんぐん》|滅亡《めつぼう》に|瀕《ひん》せり。|正照彦《まさてるひこ》は|溝川彦《みぞかはひこ》とともに|全軍《ぜんぐん》を|率《ひき》ゐて|救援《きうゑん》に|来《きた》れとの|伝令《でんれい》なりと|伝《つた》へた。
|正照彦《まさてるひこ》は|溝川彦《みぞかはひこ》をしてモスコーを|守備《しゆび》せしめ、|自《みづか》ら|部下《ぶか》を|率《ひき》ゐてボムベー|山《ざん》に|急《いそ》ぎ|向《むか》ふたのである。モスコーは|溝川彦《みぞかはひこ》の|神軍《しんぐん》によく|守備《しゆび》されつつあつた。そこへ|国照姫《くにてるひめ》の|部下《ぶか》|種熊彦《たねくまひこ》は、ローマの|花園彦《はなぞのひこ》の|急使《きふし》なりとして|面会《めんくわい》を|求《もと》めた。|溝川彦《みぞかはひこ》は|国照姫《くにてるひめ》の|間者《かんじや》たることを|知《し》らず、|花園彦《はなぞのひこ》の|急使《きふし》と|信《しん》じ|面会《めんくわい》を|許《ゆる》し、かつ|使《つかひ》のおもむきも|訊《たづ》ねた。|種熊彦《たねくまひこ》はローマの|陥落《かんらく》は|旦夕《たんせき》に|迫《せま》り、|大島彦《おほしまひこ》は|戦死《せんし》したり。すみやかにモスコーをすて、|全軍《ぜんぐん》を|率《ひき》ゐて|救援《きうゑん》に|来《きた》るべしとのことであつた。
|溝川彦《みぞかはひこ》はただちにその|言《げん》を|信《しん》じ、モスコーを|空虚《くうきよ》にし|直《ただ》ちにローマに|向《むか》うた。ローマの|都《みやこ》は|士気《しき》おほいに|振《ふる》ひ、|敵《てき》の|片影《へんえい》だも|認《みと》めないのが|実際《じつさい》である。ボムベー|山《ざん》|救援《きうゑん》に|向《むか》ひたる|正照彦《まさてるひこ》は|中途《ちゆうと》にして、|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|元照彦《もとてるひこ》に|会《くわい》し、|草香姫《くさかひめ》のために|偽《いつは》られしことを|覚《さと》り、|取《と》るものも|取《と》りあへず、モスコーの|陣営《ぢんえい》を|気《き》づかひ、|急《いそ》いでボムベー|山《ざん》の|攻撃《こうげき》をすててモスコーに|帰陣《きぢん》した。
|一方《いつぱう》|溝川彦《みぞかはひこ》はローマに|到《いた》つて|実情《じつじやう》を|知《し》り、|全《まつた》く|敵《てき》の|間者《かんじや》に|欺《あざむ》かれたるを|悔《く》いかつ|怒《いか》り、これまたモスコーを|危《あやぶ》みて|急《きふ》に|軍《ぐん》を|復《かへ》した。|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|正照彦《まさてるひこ》、|溝川彦《みぞかはひこ》らのモスコーに|到《いた》れる|時《とき》は、すでにモスコーは|田依彦《たよりひこ》の|手《て》に|陥《おちい》り、|草香姫《くさかひめ》は|部将《ぶしやう》として|活躍《くわつやく》してゐた。
ここに|国照姫《くにてるひめ》の|部下《ぶか》|種熊彦《たねくまひこ》は、モスコーを|占領《せんりやう》せむとして|溝川彦《みぞかはひこ》を|欺《あざむ》き、|空虚《くうきよ》を|狙《ねら》つて|一挙《いつきよ》に|占領《せんりやう》し、|数多《あまた》の|魔軍《まぐん》をもつて|一斉《いつせい》に|攻撃《こうげき》をはじめた。この|時《とき》モスコーの|城塞《じやうさい》は|田依彦《たよりひこ》、|草香姫《くさかひめ》の|占領《せんりやう》に|帰《き》してゐた。ここに|田依彦《たよりひこ》、|種熊彦《たねくまひこ》の|軍《ぐん》を|見《み》て|国照姫《くにてるひめ》の|魔軍《まぐん》と|知《し》らず、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|一味《いちみ》と|誤認《ごにん》し、|死力《しりよく》を|尽《つく》して|戦《たたか》ふてゐたのである。そこへ|正照彦《まさてるひこ》、|元照彦《もとてるひこ》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|主将《しゆしやう》とし、|種熊彦《たねくまひこ》の|後方《こうはう》より|神軍《しんぐん》を|督《とく》して|火弾《くわだん》を|抛《なげう》ち、よく|戦《たたか》ふた。|種熊彦《たねくまひこ》は|双方《さうはう》に|敵《てき》を|受《う》けつひに|戦死《せんし》を|遂《と》げ、|全軍《ぜんぐん》ほとんど|全滅《ぜんめつ》するにいたつた。それと|同時《どうじ》に|溝川彦《みぞかはひこ》の|一軍《いちぐん》は|側面《そくめん》より|田依彦《たよりひこ》、|草香姫《くさかひめ》の|軍《ぐん》を|襲《おそ》ひ、|克《よ》く|戦《たたか》ふた。
|田依彦《たよりひこ》は|種熊彦《たねくまひこ》の|滅亡《めつぼう》せるを|見《み》、|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|味方《みかた》の|援軍《ゑんぐん》のために|滅《ほろぼ》されたるものと|信《しん》じ、|凱歌《がいか》を|奏《そう》し|万歳《ばんざい》を|連呼《れんこ》し、|城中《じやうちう》は|鬨《とき》の|声《こゑ》に|充《み》ち|満《み》ちてゐた。しかるに|側面《そくめん》より|溝川彦《みぞかはひこ》の|激烈《げきれつ》なる|攻撃《こうげき》を|開始《かいし》したるに|打《う》ち|驚《おどろ》き、その|方《はう》に|向《むか》つて|全力《ぜんりよく》をそそぎ、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|神軍《しんぐん》にたいする|備《そな》へを|閑却《かんきやく》してゐた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|渡《わた》りに|船《ふね》と|勇《いさ》みすすみて、|田依彦《たよりひこ》の|占領《せんりやう》する|近《ちか》くより|一斉《いつせい》に|火弾《くわだん》を|発射《はつしや》した。|田依彦《たよりひこ》、|草香姫《くさかひめ》は、|周章狼狽《しうしやうらうばい》なすところを|知《し》らず、|黒雲《こくうん》に|乗《じやう》じ、たちまち|竜《りゆう》と|変《へん》じ、|狐《きつね》と|化《くわ》して|四方《しはう》に|敗走《はいそう》した。この|時《とき》の|天祐《てんいう》は|全《まつた》く|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|神軍《しんぐん》に|下《くだ》つた。
(大正一〇・一〇・三一 旧一〇・一 外山豊二録)
第一八章 |反間《はんかん》|苦肉《くにく》の|策《さく》〔六八〕
ここに|田依彦《たよりひこ》、|安川彦《やすかはひこ》、|草香姫《くさかひめ》はモスコーに|敗《やぶ》れ|一時《いちじ》|四方《しはう》に|遁走《とんそう》し、つひにペテロに|陣営《ぢんえい》を|構《かま》へ、|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|神軍《しんぐん》と|相《あひ》|応《おう》じてモスコーを|陥落《かんらく》せしめむと|計画《けいくわく》し、|神軍《しんぐん》をペテロに|集《あつ》めて|再挙《さいきよ》を|謀《はか》つてゐた。
ローマはもはや|安全《あんぜん》なればとて、|花園彦《はなぞのひこ》の|謀将《ぼうしやう》|大島彦《おほしまひこ》をしてモスコーを|守《まも》らしめ、|言霊別命《ことたまわけのみこと》みづから|元照彦《もとてるひこ》、|正照彦《まさてるひこ》、|溝川彦《みぞかはひこ》を|督《とく》してペテロの|魔軍《まぐん》を|討伐《たうばつ》せむとし、|大川彦《おほかはひこ》、|戸川彦《とがはひこ》、|高屋彦《たかやひこ》を|各部《かくぶ》の|将《しやう》とし、|八方《はつぱう》よりこれを|攻《せ》め|落《おと》さむとした。|小島別《こじまわけ》、|田依彦《たよりひこ》は|敵勢《てきせい》の|侮《あなど》りがたきを|見《み》て、|魔我彦《まがひこ》、|魔我姫《まがひめ》に|款《くわん》を|通《つう》じ、|常世姫《とこよひめ》を|主将《しゆしやう》として|一挙《いつきよ》にこれを|破砕《はさい》せむとした。
ここに|常世姫《とこよひめ》はタカオ|山《ざん》に|城塞《じやうさい》を|構《かま》へ、あまたの|魔軍《まぐん》を|集《あつ》め、ペテロの|田依彦《たよりひこ》と|呼応《こおう》して|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|挟撃《けふげき》せむとした。|小島別《こじまわけ》、|田依彦《たよりひこ》|一派《いつぱ》は|卑怯《ひけふ》にも|魔軍《まぐん》に|款《くわん》を|通《つう》じ、その|応援力《おうゑんりよく》をもつて|敵《てき》を|悩《なや》まさむとしたのである。ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》はペテロにむかつて|進撃《しんげき》せむとす。このとき|伊吹山《いぶきやま》に|逃《に》げ|帰《かへ》りたる|八十熊《やそくま》、|足熊《あしくま》、|熊江姫《くまえひめ》の|一派《いつぱ》は、|大台ケ原山《おほだいがはらやま》の|恨《うらみ》を|報《はう》ずるはこの|時《とき》なりと、|常世姫《とこよひめ》の|魔軍《まぐん》に|参加《さんか》し、|三方《さんぱう》より|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|神軍《しんぐん》を|殲滅《せんめつ》せむとした。|神将《しんしやう》|正照彦《まさてるひこ》、|溝川彦《みぞかはひこ》は、|大川彦《おほかはひこ》、|戸川彦《とがはひこ》、|高屋彦《たかやひこ》とともに|軽々《かるがる》しく|進《すす》みて|敵《てき》の|包囲《はうゐ》に|遇《あ》ひ、|力《ちから》|尽《つ》きて|正照彦《まさてるひこ》、|溝川彦《みぞかはひこ》は|敵《てき》の|捕虜《ほりよ》となり、|他《た》の|三将《さんしやう》|以下《いか》は|戦死《せんし》を|遂《と》げたのである。さても|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|元照彦《もとてるひこ》をして|伊吹山《いぶきやま》を|攻撃《こうげき》せしめ、|自《みづか》らは|武彦《たけひこ》を|部将《ぶしやう》としてタカオ|山《ざん》に|迫《せま》つた。タカオ|山《ざん》には|常世姫《とこよひめ》|立《た》てこもり、|岩倉彦《いはくらひこ》といふ|勇猛《ゆうまう》の|魔神《まがみ》|謀主《ぼうしゆ》となり、|杉岡《すぎをか》、|夷彦《えびすひこ》、|山彦《やまひこ》、|団熊《だんくま》を|部将《ぶしやう》として|士気《しき》おほいに|振《ふる》ひつつあつた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|前方《ぜんぱう》より、|武彦《たけひこ》は|後方《こうはう》より、タカオ|山《ざん》めがけて|一目散《いちもくさん》に|押《お》し|迫《せま》つた。この|時《とき》タカオ|山《ざん》に|向《むか》はむとして|密《ひそ》かに|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|陣営《ぢんえい》を|横《よこ》ぎるものがある。|怪《あや》しみこれを|捕《とら》へ、
『|汝《なんぢ》は|何《なに》ゆゑにこの|陣中《ぢんちゆう》を|横《よこ》ぎりしか』
と|厳《きび》しく|訊問《じんもん》した。ところが|之《これ》は|国照姫《くにてるひめ》の|間者《かんじや》であつた。|懐中《くわいちゆう》せる|密書《みつしよ》を|開《ひら》き|見《み》れば、
『ローマは|既《すで》に|小島別《こじまわけ》の|手《て》に|落《お》ちたり。もはや|後顧《こうこ》の|憂《うれ》ひなし。|貴下《きか》はタカオ|山《ざん》に|押寄《おしよ》する|敵《てき》にむかつて|暫時《ざんじ》これを|支《ささ》へたまへ。|吾《われ》は|近《ちか》く|援軍《ゑんぐん》を|出《だ》して|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|後方《こうはう》より|討滅《たうめつ》すべし』
との|秘文《ひぶん》であつた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》はその|真偽《しんぎ》を|疑《うたが》ひ、|敵《てき》の|謀計《ぼうけい》に|非《あら》ずやと|思案《しあん》にくるる|折《をり》しも、|後方《こうはう》の|陣営《ぢんえい》にある|武彦《たけひこ》より、
『ただ|今《いま》わが|軍《ぐん》において|敵《てき》の|間者《かんじや》を|捕《とら》へこれが|懐中《くわいちゆう》を|厳査《げんさ》せしに、かかる|秘文《ひぶん》を|所持《しよぢ》しゐたり、よつてこれを|奉《たてまつ》り|裁断《さいだん》を|乞《こ》はむとす』
といふてきた。
|曲神《まがかみ》の|醜《しこ》のたくみの|深《ふか》くとも|言霊別《ことたまわけ》ぞふみ|破《やぶ》りけり
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|慌《あわ》ただしくその|秘文《ひぶん》を|開《ひら》き|見《み》るに、
『モスコーは|既《すで》に|味方《みかた》の|手《て》に|入《い》らむとす。|貴下《きか》はタカオ|山《ざん》の|陣営《ぢんえい》を|守《まも》り、|暫時《ざんじ》これを|支《ささ》へたまふべし。|吾《われ》は|直《ただ》ちに|進《すす》んでタカオ|山《ざん》を|応援《おうゑん》し、|前後《ぜんご》より|敵《てき》を|全滅《ぜんめつ》せむ』
との|文意《ぶんい》が|記《しる》されてあつた。この|間者《かんじや》は|国照姫《くにてるひめ》の|謀計《ぼうけい》に|出《い》づるものにして、|態《わざ》とこれを|捕《と》らへしめた。
ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|武彦《たけひこ》|以下《いか》の|諸将《しよしやう》を|集《あつ》めて|議《ぎ》を|凝《こ》らし、つひに|軍《ぐん》を|還《かへ》した。|神軍《しんぐん》を|二隊《にたい》に|分《わか》ちて|自《みづか》らはローマに|向《むか》ひ、|武彦《たけひこ》をしてモスコーに|向《むか》はしめた。|岩倉彦《いはくらひこ》|以下《いか》の|部将《ぶしやう》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|退却《たいきやく》するを|見《み》て|後方《こうはう》より|火弾《くわだん》を|投《とう》じた。|怯気《おぢけ》だちたる|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|神軍《しんぐん》は|諸方《しよはう》に|散乱《さんらん》した。|武彦《たけひこ》は|身《み》をもつて|免《まぬが》れ、|伊吹山《いぶきやま》に|迫《せま》れる|元照彦《もとてるひこ》に|急《きふ》を|報《はう》じ、モスコー、ローマの|危急《ききふ》に|迫《せま》り、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|消息《せうそく》もつとも|心許《こころもと》なきを|伝《つた》へた。|元照彦《もとてるひこ》は|取《と》るものも|取敢《とりあへ》ず、|伊吹山《いぶきやま》の|囲《かこ》みを|解《と》いて|直《ただ》ちにローマに|向《むか》はむとした。|伊吹山《いぶきやま》の|八十熊《やそくま》|一派《いつぱ》はこの|機《き》に|乗《じやう》じ|後方《こうはう》より|火弾《くわだん》を|投《とう》じ、|元照彦《もとてるひこ》の|神軍《しんぐん》を|打《う》ち|悩《なや》ました。|元照彦《もとてるひこ》は|身《み》をもつて|免《まぬが》れた。ローマ|及《およ》びモスコーの|危急《ききふ》に|迫《せま》れりとの|密書《みつしよ》は、|全然《ぜんぜん》|国照姫《くにてるひめ》|以下《いか》の|反間《はんかん》|苦肉《くにく》の|策《さく》であり、ローマもモスコーも|依然《いぜん》として|金城鉄壁《きんじやうてつぺき》のごとく|安全《あんぜん》であつた。
(大正一〇・一〇・三一 旧一〇・一 加藤明子録)
第一九章 |夢《ゆめ》の|跡《あと》〔六九〕
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|元照彦《もとてるひこ》、|武彦《たけひこ》と|共《とも》に|辛《から》うじてローマの|都《みやこ》に|帰還《きくわん》することをえた。ローマは|依然《いぜん》として、|大島彦《おほしまひこ》に|固《かた》く|守《まも》られてゐる。|諸神将《しよしんしよう》はおひおひと|集《あつ》まり|来《きた》り、ともにモスコーに|籠城《ろうじやう》し、|持久戦《ぢきうせん》に|移《うつ》らむことを|協議《けふぎ》した。しかるに|敵軍《てきぐん》はなほペテロにありて|勢《いきほひ》|侮《あなど》るべからざる|情勢《じやうせい》である。|諸神将《しよしんしよう》は|大挙《たいきよ》して|竜宮城《りゆうぐうじやう》および|地《ち》の|高天原《たかあまはら》を|占領《せんりやう》せむことを|密議《みつぎ》した。これに|先立《さきだ》つてまづペテロ|城《じやう》を|亡《ほろ》ばす|必要《ひつえう》があつたのである。ローマ|本営《ほんえい》にては|士気《しき》|大《おほ》いにあがり、すでに|天下《てんか》|無敵《むてき》の|概《がい》があつた。
しかるに|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|心底《しんてい》より|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|反抗《はんかう》し|奉《たてまつ》るの|意志《いし》なく、ただ|単《たん》にわが|神力《しんりき》を|示《しめ》し、|小島別《こじまわけ》|以下《いか》の|諸神司《しよしん》を|覚醒《かくせい》せしめむとの|誠意《せいい》より|出《で》たるものなれば、この|上《うへ》|徒《いたづ》らに|戦闘《せんとう》を|継続《けいぞく》し、|彼我《ひが》の|諸神司《しよしん》を|苦《くる》しむるに|及《およ》ばず、かつ|一方《いつぱう》には|美山彦《みやまひこ》、|国照姫《くにてるひめ》の|一派《いつぱ》ありて|時《とき》を|窺《うかが》ひつつあれば、いたづらに|内訌《ないかう》をおこし、|味方《みかた》の|勢力《せいりよく》を|減《げん》ずるは|策《さく》の|得《え》たるものに|非《あら》ず、|要《えう》するに|今次《こんじ》のわが|行動《かうどう》は|味方《みかた》の|戦闘力《せんとうりよく》を|養《やしな》ひ、もつて|演習《えんしふ》を|試《こころ》みたるに|過《す》ぎず、|一時《いちじ》も|早《はや》く|戦《たたかひ》ををさめ、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》を|助《たす》け|神業《かむわざ》に|奉仕《ほうし》せむと、ひそかに|決心《けつしん》を|定《さだ》めてゐたのである。されど|花園彦《はなぞのひこ》|以下《いか》の|諸神将《しよしんしよう》は、|命《みこと》の|真意《しんい》を|解《かい》せず、|飽《あ》くまで|対抗戦《たいかうせん》を|継続《けいぞく》せむと、|勇《いさ》み|猛《たけ》りつつあつた。
|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|真意《しんい》をさとり|給《たま》はず、あくまで|叛旗《はんき》を|翻《ひるがへ》し|野望《やばう》を|達《たつ》せむとするものと|認《みと》めたまひ、|新《あらた》に|真道彦《まみちひこ》、|神倉彦《かみくらひこ》、|花照彦《はなてるひこ》を|部将《ぶしやう》とし、ローマに|向《むか》はしめむとし|給《たま》ふたのである。しかして|一旦《いつたん》|常世《とこよ》の|国《くに》に|追《お》ひかへしたる、|常世姫《とこよひめ》の|大功績《だいこうせき》に|愛《め》でこれを|赦《ゆる》して、ふたたび|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰還《きくわん》せしめたまふた。
|常世姫《とこよひめ》の|信任《しんにん》は|復活《ふくくわつ》した。|元来《ぐわんらい》|常世姫《とこよひめ》は|奸侫邪智《かんねいじやち》にして、|抜目《ぬけめ》なき|女性《をみな》なれば、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|勢力《せいりよく》には|到底《たうてい》|勝《か》つべからざるを|悟《さと》り、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|進言《しんげん》して、|一時《いちじ》|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|赦《ゆる》し、|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰還《きくわん》せしめ、|時《とき》をはかりてこれを|失脚《しつきやく》せしめむとの|計画《けいくわく》をしてゐた。
|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》はここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|勢力《せいりよく》|侮《あなど》りがたきを|看破《かんぱ》したまひ、|花森彦《はなもりひこ》をローマに|遣《つか》はし、すみやかに|帰順《きじゆん》せむことを|勧告《くわんこく》せられた。|花森彦《はなもりひこ》は|天磐樟船《あまのいはくすぶね》にあまたの|神司《かみがみ》を|従《したが》へ、ローマに|到着《たうちやく》しひそかに|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|謁《えつ》し、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|御意志《ごいし》を|伝《つた》へた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|内心《ないしん》すでに|覚悟《かくご》しゐたる|折柄《をりから》なれば、|喜《よろこ》んでその|聖旨《せいし》を|受《う》け、|直《ただ》ちにローマ、モスコーを|捨《す》て|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰還《きくわん》し、|大命《たいめい》を|奉《ほう》じて|犬馬《けんば》の|労《らう》をとらむことを|約《やく》し、|信書《しんしよ》を|認《したた》めて|花森彦《はなもりひこ》の|手《て》に|渡《わた》した。
|花森彦《はなもりひこ》はただちに|諸神司《しよしん》とともに|帰城《きじやう》し、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|心底《しんてい》より|帰順《きじゆん》せることを|報告《はうこく》し、かつその|信書《しんしよ》を|捧呈《ほうてい》した。
ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|全神軍《ぜんしんぐん》をあつめ、|真意《しんい》を|伝《つた》へ、すみやかに|帰城《きじやう》せむことを|宣告《せんこく》した。|花園彦《はなぞのひこ》、|元照彦《もとてるひこ》、|武彦《たけひこ》、|大島彦《おほしまひこ》は|大《おほ》いに|怒《いか》り、その|卑怯《ひけふ》なる|変心《へんしん》を|強《つよ》く|詰《なじ》り、かつ|反抗《はんかう》を|試《こころ》み、つひに|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|命《みこと》に|従《したが》はず、|依然《いぜん》ローマ、モスコーを|固守《こしゆ》せむことを|強硬《きやうかう》に|述《の》べたてた。|命《みこと》は|夜陰《やいん》ひそかにローマに|遁《のが》れ、ペテロに|向《む》かはれた。ここには|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|神使《しんし》として|杉嶋彦《すぎしまひこ》|来《きた》り、|常世姫《とこよひめ》の|仲裁《ちゆうさい》によりて、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|帰順《きじゆん》せしことを|報告《はうこく》せし|後《あと》であつた。ペテロに|捕虜《ほりよ》となりし|正照彦《まさてるひこ》、|溝川彦《みぞかはひこ》は|放免《はうめん》された。このとき|竜宮城《りゆうぐうじやう》より|数多《あまた》の|神使《しんし》、|盛装《せいさう》をこらして|礼儀《れいぎ》をただして、|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|出迎《でむか》へ、|命《みこと》は|歓呼《くわんこ》のうちに|帰城《きじやう》せられた。
|一旦《いつたん》|帰順《きじゆん》を|拒《こば》みたる|花園彦《はなぞのひこ》|以下《いか》の|諸神将《しよしんしよう》も、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|深《ふか》き|神慮《しんりよ》をやうやく|悟《さと》り、つひに|言霊別命《ことたまわけのみこと》と|行動《かうどう》を|共《とも》にすることとなり、|目出度《めでた》くこの|紛争《ふんさう》は|終結《しうけつ》を|告《つ》げた。しかしローマには|花園彦《はなぞのひこ》、モスコーには|大島彦《おほしまひこ》が、おのおの|帰順《きじゆん》してこれを|守備《しゆび》してゐた。
(大正一〇・一〇・三一 旧一〇・一 谷口正治録)
第四篇 |常世《とこよ》の|国《くに》
第二〇章 |疑問《ぎもん》の|艶書《えんしよ》〔七〇〕
|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|妻神《つまがみ》|言霊姫《ことたまひめ》は|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|第五女《だいごぢよ》であり、|常世姫《とこよひめ》は|第三女《だいさんぢよ》である。|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|帰城《きじやう》により|城内《じやうない》の|疑雲《ぎうん》は|一掃《いつさう》され、|親子《おやこ》|兄弟《きやうだい》|夫婦《ふうふ》の|目出《めで》たき|対面《たいめん》となつた。|邪智《じやち》|深《ふか》き|常世姫《とこよひめ》は|表面《へうめん》|祝意《しゆくい》を|表《へう》し、|城内《じやうない》の|諸神将《しよしんしよう》も|亦《また》|心底《しんてい》より|平和《へいわ》にをさまりしことを|祝《しゆく》した。しばらくの|間《あひだ》は|竜宮城《りゆうぐうじやう》はきはめて|平穏《へいおん》|無事《ぶじ》であつた。
ここに|常世姫《とこよひめ》は|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》、|以下《いか》|諸神将《しよしんしよう》の|信頼《しんらい》を|一身《いつしん》に|集《あつ》めた。しかしてその|勢力《せいりよく》は|日《ひ》ごとに|増《ま》して|来《き》たのであつた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|声望《せいばう》は|以前《いぜん》の|如《ごと》くならず、|一時《いちじ》の|叛将《はんしやう》として|上下《しやうか》|一般《いつぱん》より|侮蔑《ぶべつ》の|眼《まなこ》をもつて|見《み》らるるにいたつた。しかし|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|信任《しんにん》|厚《あつ》き|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、|真澄姫《ますみひめ》の|隠《かく》れたる|努力《どりよく》により、|日《ひ》に|月《つき》に|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|声望《せいばう》は|回復《くわいふく》に|向《むか》つていた。そこで|言霊別命《ことたまわけのみこと》はふたたび|神務《しんむ》を|掌握《しやうあく》し、|神国別命《かみくにわけのみこと》は|依然《いぜん》として|神政《しんせい》を|総攬《そうらん》し、|言霊別命《ことたまわけのみこと》と|神国別命《かみくにわけのみこと》のあひだは|極《きは》めて|円《まどか》にして、あたかも|親《した》しい|夫婦《ふうふ》のごとくであつた。|常世姫《とこよひめ》はふたたび|魔我彦《まがひこ》、|魔我姫《まがひめ》を|左右《さいう》の|補佐《ほさ》となし、|種々《しゆじゆ》の|手段《しゆだん》をめぐらし、|二神《にしん》の|信望《しんばう》を|失墜《しつつゐ》せしめむとした。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|声望《せいばう》|日々《ひび》に|回復《くわいふく》するとともに、|常世姫《とこよひめ》の|奸黠《かんかつ》なる|心情《しんじやう》はやうやく|諸神司《しよしん》の|感知《かんち》するところとなつた。しかるに|小島別《こじまわけ》、|田依彦《たよりひこ》、|安川彦《やすかはひこ》、|竹彦《たけひこ》|一派《いつぱ》は|常世姫《とこよひめ》を|深《ふか》く|信頼《しんらい》してゐた。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》もつひにその|心情《しんじやう》を|察知《さつち》し、|信任《しんにん》は|前日《ぜんじつ》に|比《ひ》して|大《おほ》いに|薄《うす》らいだのである。
やうやく|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|一派《いつぱ》と|常世姫《とこよひめ》の|一派《いつぱ》とがここに|現《あら》はれた。されど|常世姫《とこよひめ》の|一派《いつぱ》はきはめて|少数《せうすう》にして|微力《びりよく》であつた。|常世姫《とこよひめ》はつひに|策《さく》の|成《な》らざるを|知《し》り、|時機《じき》をまつてその|目的《もくてき》を|達《たつ》せむとし、|表《おもて》に|不平《ふへい》を|包《つつ》み、|莞爾《につこ》として|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|暇《いとま》を|請《こ》ひ、|常世国《とこよのくに》へ|事変《じへん》|突発《とつぱつ》せりと|称《しよう》して、|帰国《きこく》せむことを|乞《こ》ふた。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|思《おも》ふところあつて、|之《これ》をただちに|許《ゆる》したまふた。|常世姫《とこよひめ》は|魔我彦《まがひこ》、|魔我姫《まがひめ》を|伴《とも》なひ、|帰国《きこく》に|際《さい》して|小島別《こじまわけ》、|田依彦《たよりひこ》、|安川彦《やすかはひこ》|一派《いつぱ》に|密策《みつさく》を|授《さづ》け、|公然《こうぜん》|帰国《きこく》した。
|常世姫《とこよひめ》の|退城《たいじやう》したるあとは、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|勢力《せいりよく》は|実《じつ》に|旭日昇天《きよくじつしようてん》の|勢《いきほひ》となつた。|田依彦《たよりひこ》、|安川彦《やすかはひこ》は|命《みこと》の|声望《せいばう》を|傷《きず》つけむとし、|容色《ようしよく》|並《なら》びなき|数子姫《かずこひめ》を|城内《じやうない》に|召《め》し、|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|近侍《きんじ》せしめた。|数子姫《かずこひめ》はいと|懇切《こんせつ》に|命《みこと》に|仕《つか》へて、かゆきところへ|手《て》のまはるごとく|立《た》ち|働《はたら》いた。|命《みこと》は|数子姫《かずこひめ》の|誠意《せいい》を|喜《よろこ》び、|外出《ぐわいしゆつ》のときは|必《かなら》ず|侍女《じぢよ》として|相《あひ》|伴《とも》なふこととしてゐた。
あるとき|城内《じやうない》に|一通《いつつう》の|手紙《てがみ》が|落《お》ちてゐた。|安川彦《やすかはひこ》は|手早《てばや》くこれを|拾《ひろ》つて|懐中《くわいちゆう》し、ただちに|小島別《こじまわけ》の|手《て》に|渡《わた》した。|小島別《こじまわけ》はこれを|披見《ひけん》し、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|奉《たてまつ》つた。その|手紙《てがみ》は|数子姫《かずこひめ》より|言霊別命《ことたまわけのみこと》へ|送《おく》れる|艶書《えんしよ》であつた。その|文面《ぶんめん》によれば、すでに|数回《すうくわい》|要領《えうりやう》をえたる|後《あと》にして、かつ|命《みこと》の|強圧的《きやうあつてき》|非行《ひかう》を|怨《うら》み、|天則《てんそく》に|違反《ゐはん》したる|罪《つみ》を|謝《しや》し、|自《みづか》らはヨルダン|河《がは》に|身《み》を|投《とう》じて|罪《つみ》を|償《つぐな》はむとの|意味《いみ》が|認《したた》めてあつた。ここに|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》はおほいに|驚《おどろ》き、ひそかに|言霊姫《ことたまひめ》にその|手紙《てがみ》を|示《しめ》された。
|言霊姫《ことたまひめ》は|夫神《をつとがみ》の|行為《かうゐ》を|嘆《なげ》き、|死《し》して|夫《をつと》を|諫《いさ》めむと|覚悟《かくご》を|定《さだ》めた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》はかかる|奸計《かんけい》ありとは|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|一間《ひとま》に|入《い》つて|安臥《あんぐわ》しゐたりしに、|夜半《よは》ひそかに|室《しつ》の|押戸《おしど》を|押開《おしひら》きて|入《い》りきたる|怪《あや》しき|影《かげ》がある。|何心《なにごころ》なく|打《う》ちながめてゐると、その|影《かげ》は|正《まさ》しく|言霊姫《ことたまひめ》であつた。しばらく|熟睡《じゆくすい》をよそほひ|姫神《ひめがみ》の|様子《やうす》をうかがつてゐた。|姫神《ひめがみ》は|命《みこと》の|枕辺《まくらべ》に|端坐《たんざ》し、|小声《こごゑ》にて|何事《なにごと》か|耳語《じご》しつつ|寝姿《ねすがた》を|三拝《さんぱい》して|直《ただ》ちにその|室《しつ》を|立《た》ち|出《い》でた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》はこれを|怪《あや》しみて|直《ただ》ちに|起《お》きあがり、|姫神《ひめがみ》の|後《あと》を|差《さ》し|足《あし》|抜《ぬ》き|足《あし》しつつ|追《お》ふていつた。|姫神《ひめがみ》は|天《あま》の|真名井《まなゐ》の|岸《きし》に|立《た》ち、|天地《てんち》を|拝《はい》して|合掌《がつしやう》し|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》しをはりて|今《いま》や|投身《とうしん》せむとす。|命《みこと》は|驚《おどろ》いて|背後《はいご》より|不意《ふい》にこれを|抱《いだ》きとめ、|仔細《しさい》を|尋《たづ》ぬれば、|数子姫《かずこひめ》の|落《おと》したる|艶書《えんしよ》の|次第《しだい》を|物語《ものがた》り、かつ|泣《な》いていふ。
『|折角《せつかく》の|声望《せいばう》を|回復《くわいふく》したまへる|夫神《をつとがみ》にして、かかる|汚《きたな》き|御心《みこころ》ましますはかならず|天魔《てんま》の|魅入《みい》りしならむ。|妾《わらは》は|死《し》をもつて|夫神《をつとがみ》に|代《かは》り、|天地《てんち》の|神明《しんめい》に|夫《をつと》の|罪科《ざいくわ》を|謝《しや》し、かつ|夫神《をつとがみ》をして|悔改《くいあらた》め|本心《ほんしん》に|立《た》ちかへらしめ|奉《たてまつ》らむと、|女心《をんなごころ》の|一心《いつしん》に|胸《むね》せまりてかかる|行動《かうどう》に|出《い》でしなり』
との|陳弁《ちんべん》であつた。|命《みこと》の|驚《おどろ》きはあたかも|寝耳《ねみみ》に|水《みづ》のごとく、|呆気《あつけ》にとられて|何《なん》の|言葉《ことば》も|出《で》なかつた。|時《とき》しも|城内《じやうない》は|言霊姫《ことたまひめ》の|影《かげ》を|失《うしな》ひしに|驚《おどろ》き、|上《うへ》を|下《した》へと|動揺《どよ》めきわたつた。|神国別命《かみくにわけのみこと》は|姫神《ひめがみ》を|尋《たづ》ねむとしてここに|現《あら》はれ、|二神《にしん》の|姿《すがた》を|見《み》てやや|安堵《あんど》し、|二神《にしん》をなだめて|殿内《でんない》に|帰《かへ》つた。
|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|非行《ひかう》を|質問《しつもん》したまふた。|諸神司《しよしん》はただ|驚《おどろ》くばかりである。この|時《とき》|思慮《しりよ》|深《ふか》き|神国別命《かみくにわけのみこと》は|安川彦《やすかはひこ》をひそかに|招《まね》き、|肩《かた》をたたき|敬意《けいい》を|表《へう》して、
『|貴下《きか》の|謀計《ぼうけい》は|巧妙《かうめう》|至極《しごく》にして、|吾《われ》らは|実《じつ》に|舌《した》を|巻《ま》くに|堪《た》へたり。|吾《われ》も|貴下《きか》と|同腹《どうふく》なり。いかにもして|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|失墜《しつつゐ》せしめむと|日夜《にちや》|苦慮《くりよ》せしが、もとより|愚鈍《ぐどん》の|吾《われ》、かかる|神策鬼謀《しんさくきぼう》は|夢《ゆめ》にも|思《おも》ひよらず。|吾《われ》は|今日《こんにち》より|貴下《きか》を|総裁《そうさい》と|仰《あふ》ぎ、|貴下《きか》の|部下《ぶか》となつて|仕《つか》へ|奉《たてまつ》らむ』
と|言葉《ことば》たくみに|述《の》べたてた。|安川彦《やすかはひこ》は|持《も》ち|上《あ》げられて|心《こころ》おごり、|鼻高々《はなたかだか》と|吾《われ》の|腕前《うでまへ》はかくの|如《ごと》しといはむばかりの|面色《めんしよく》にて、
『|実《じつ》は|数子姫《かずこひめ》は|吾《われ》の|間者《かんじや》なり。|決《けつ》して|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|非行《ひかう》あるに|非《あら》ず。|数子姫《かずこひめ》をしてわざと|艶書《えんしよ》を|認《したた》め、|殿内《でんない》に|遺失《ゐしつ》せしめたるなり。しかしながら|吾《われ》は|貴下《きか》を|信《しん》じて|秘密《ひみつ》を|打明《うちあ》けたれば、|貴下《きか》もまた|吾《われ》を|信《しん》じて|口外《こうぐわい》したまふ|勿《なか》れ』
と、かたく|口止《くちど》めた。|神国別命《かみくにわけのみこと》は|直《ただ》ちに|色《いろ》を|変《へん》じ、|安川彦《やすかはひこ》の|両手《りやうて》を|捻《ね》ぢ|後《うしろ》へまはして|縛《しば》りあげ、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|御前《おんまへ》に|引《ひ》き|連《つ》れ、|彼《かれ》が|自白《じはく》のことを|逐一《ちくいち》|進言《しんげん》した。
ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|対《たい》する|疑《うたが》ひは|全《まつた》く|晴《は》れた。|神国別命《かみくにわけのみこと》は|諸神司《しよしん》を|集《あつ》めて、|安川彦《やすかはひこ》、|数子姫《かずこひめ》の|罪状《ざいじやう》を|審議《しんぎ》し、つひに|退去《たいきよ》を|命《めい》じたのである。|安川彦《やすかはひこ》は|退《やら》はれて|直《ただ》ちに|鬼城山《きじやうさん》にある|国照姫《くにてるひめ》の|城塞《じやうさい》に|使《つか》はるることとなつた。
(大正一〇・一〇・三一 旧一〇・一 桜井重雄録)
第二一章 |常世《とこよ》の|国《くに》へ〔七一〕
|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は、|一度《いちど》は|常世姫《とこよひめ》を|常世《とこよ》の|国《くに》に|追《お》ひ|帰《かへ》したまうた。されど|親子《おやこ》の|情《なさけ》として、|幾分《いくぶん》か|常世姫《とこよひめ》を|愛護《あいご》さるる|気味《きみ》があつた。
|常世姫《とこよひめ》はロッキー|山麓《さんろく》に|都《みやこ》を|開《ひら》き|漸次《ぜんじ》|勢力《せいりよく》を|増《ま》し、その|威望《ゐばう》は|諸方《しよはう》に|拡充《くわくじゆう》されたのである。|常世姫《とこよひめ》は|一方《いつぱう》に|威力《ゐりよく》を|示《しめ》しつつ、|一方《いつぱう》には|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|信任《しんにん》を|回復《くわいふく》せむとし、|善言美辞《ぜんげんびじ》を|連《つら》ねて|命《みこと》を|慰《なぐさ》め|奉《たてまつ》り、かつ|一方《いつぱう》には|言霊別命《ことたまわけのみこと》|夫妻《ふさい》の|心理《しんり》|行動《かうどう》につき、|種々《しゆじゆ》の|虚偽的《きよぎてき》|材料《ざいれう》を|集《あつ》めて|密使《みつし》をたて、しばしば|報告《はうこく》した。|命《みこと》はふたたび|常世姫《とこよひめ》の|言《げん》に|耳《みみ》を|傾《かたむ》け、つひにはその|報告《はうこく》を|信《しん》ぜらるるにいたつた。
|時《とき》しも|竜宮城内《りゆうぐうじやうない》における|数子姫《かずこひめ》の|艶書《えんしよ》の|件《けん》につき、|一時《いちじ》|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|疑《うたが》ひたまひしが、|神国別命《かみくにわけのみこと》の|智略《ちりやく》によりて、|安川彦《やすかはひこ》らの|陰謀《いんぼう》|露見《ろけん》し、|少《すこ》しく|疑団《ぎだん》を|晴《は》らしたまうた。されど|内心《ないしん》|疑《うたがひ》ふかく、|半信半疑《はんしんはんぎ》の|眼《まなこ》をもつて、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|行動《かうどう》を|注意《ちうい》されつつあつた。
また|安川彦《やすかはひこ》の|陰謀《いんぼう》は|常世姫《とこよひめ》の|使嗾《しそう》に|出《い》で、|小島別《こじまわけ》らの|謀議《ぼうぎ》に|加《くは》はりしを|少《すこ》しも|覚《さと》られなかつた。
やや|年《とし》をへて|常世姫《とこよひめ》の|公然《こうぜん》の|使者《ししや》は、|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|参向《さんかう》し、|恭《うやうや》しく|信書《しんしよ》を|奉《たてまつ》つた。その|文意《ぶんい》は、
『|常世姫《とこよひめ》の|神政《しんせい》おほいに|開《ひら》け、ここに|神殿《しんでん》を|造《つく》り、|天地《てんち》の|神霊《しんれい》を|奉斎《ほうさい》せむとす。|実《じつ》に|恐《おそ》れ|多《おほ》き|願《ねがひ》なれども、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》|諸神司《しよしん》とともに|出場《しゆつぢやう》されたし。|万一《まんいち》|御承認《ごしようにん》なくば|已《や》むをえず、|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|代理《だいり》として|出場《しゆつぢやう》せしめたまへ。|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|悪心《あくしん》を|改《あらた》めしめ、|真心《まごころ》より|命《みこと》に|奉仕《ほうし》せしむべく|種々《しゆじゆ》の|神策《しんさく》をもつてし、まことに|命《みこと》の|輔佐神《ほさしん》たるの|実《じつ》を|挙《あ》げさせしめむ。すなはち|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|出場《しゆつぢやう》は、|一挙両得《いつきよりやうとく》の|所為《しよゐ》たるべし』
と|理《り》をつくして|認《したた》められてあつた。
|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》はこれを|見《み》て|大《おほ》いに|喜《よろこ》び、|常世姫《とこよひめ》は|最早《もはや》|改心《かいしん》の|実《じつ》を|挙《あ》げたれば|憂《うれ》ふるに|足《た》らず、ただ|心《こころ》にかかるは|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|心理《しんり》|行動《かうどう》なり。|如《し》かず、これを|遣《つか》はして、|常世姫《とこよひめ》により|改心《かいしん》せしめむと、ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|招《まね》き、その|旨《むね》を|伝《つた》へたまうた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|常世姫《とこよひめ》の|奸計《かんけい》ならずやと|思案《しあん》にくれてゐた。|折《をり》しも|元照彦《もとてるひこ》、|常世《とこよ》の|国《くに》の|実情《じつじやう》を|探知《たんち》し、|帰《かへ》りきたりて|常世姫《とこよひめ》の|謀計《ぼうけい》に|出《い》でたるなれば、ゆめゆめ|油断《ゆだん》あるべからず、とひそかに|忠告《ちゆうこく》した。
|茲《ここ》に|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|病《やまひ》と|称《しよう》して|出場《しゆつぢやう》を|謝絶《しやぜつ》せむとした。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|顔色《がんしよく》を|変《へん》じ|言葉《ことば》を|荒《あら》らげ
『|千載一遇《せんざいいちぐう》の|神界《しんかい》の|慶事《けいじ》にたいし、|病《やまひ》に|託《たく》し|出場《しゆつぢやう》を|拒《こば》むは、|吾《わ》が|命《めい》に|背《そむ》くものにして|必《かなら》ず|深《ふか》き|企《たく》みあらむ』
と|憤懣《ふんまん》された。
ここに|言霊姫《ことたまひめ》は|止《や》むをえず|竜世姫《たつよひめ》、|元照彦《もとてるひこ》とはかり|種々《しゆじゆ》の|秘策《ひさく》を|案《あん》じ、|命《みこと》の|危難《きなん》を|救《すく》はむとし、その|神策《しんさく》を|命《みこと》にすすめられた。
|元照彦《もとてるひこ》はひそかに|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|立出《たちい》で、|天《あめ》の|八衢《やちまた》に|隠《かく》れ|種々《しゆじゆ》の|計画《けいくわく》を|立《た》ててゐた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|厳命《げんめい》|否《いな》みがたく、ここに|意《い》を|決《けつ》して|常世《とこよ》の|国《くに》に|出発《しゆつぱつ》さるることとなつた。|一行《いつかう》は|小島別《こじまわけ》、|松代姫《まつよひめ》、|竜世姫《たつよひめ》、|竹島彦《たけじまひこ》らの|諸神司《しよしん》であつた。|命《みこと》の|出発《しゆつぱつ》に|臨《のぞ》み|母神《ははがみ》の|国世姫《くによひめ》は、|種々物《くさぐさもの》の|領巾《ひれ》を|取《と》り|出《だ》して、|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|与《あた》へ、
『この|領巾《ひれ》は|吾家《わがや》の|宝《たから》なり。|今《いま》これを|汝《なんぢ》に|授《さづ》く、この|領巾《ひれ》をわれと|思《おも》ひ、|深《ふか》く|懐中《くわいちう》に|秘《ひ》して|行《ゆ》け』
との|言葉《ことば》を|残《のこ》し、|涙《なみだ》とともに|別《わか》れたまうたのである。|一行《いつかう》は|目無堅間《めなしかたま》の|船《ふね》に|乗《の》りて|常世《とこよ》の|国《くに》へ|安着《あんちやく》した。ここにロッキー|山麓《さんろく》の|常世《とこよ》の|都《みやこ》にいたるべき|左右《さいう》に|岐《わか》れたる|二筋《ふたすぢ》の|大道《だいだう》が|開《ひら》かれてある。その|岐路《わかれみち》の|少《すこ》しく|手前《てまへ》に|差《さ》しかかるや、|竜世姫《たつよひめ》は|忽《たちま》ち|急病《きふびやう》を|発《はつ》し、|路上《ろじやう》に|転倒《てんたう》し|苦《くる》しみ|悶《もだ》える。
|竜世姫《たつよひめ》は|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|最愛《さいあい》の|娘神《むすめがみ》なれば、|小島別《こじまわけ》|以下《いか》の|神司《かみがみ》はおほいに|驚《おどろ》き、|周章狼狽《あわてふため》きて|看護《かんご》に|余念《よねん》なく|手《て》をつくした。これは|竜世姫《たつよひめ》の|巧妙《かうめう》なる|神策《しんさく》にして、その|実《じつ》は|偽病《にせやまひ》であつた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》はこの|場《ば》の|光景《くわうけい》に|眼《め》もくれず、ただ|一柱《ひとはしら》|足《あし》を|速《はや》めてその|岐路《わかれみち》に|進《すす》み、|左方《さはう》の|道《みち》をとつて|驀地《まつしぐら》に|走《はし》り|進《すす》んだ。
(大正一〇・一一・一 旧一〇・二 外山豊二録)
第二二章 |言霊別命《ことたまわけのみこと》の|奇策《きさく》〔七二〕
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|何《なに》ゆゑかこの|遭難《さうなん》を|後《あと》にみて、|一目散《いちもくさん》に|左《ひだり》の|大道《だいだう》を|進《すす》み、|美濃彦《みのひこ》の|住《す》める|紅館《くれなゐやかた》にいたり、|元照彦《もとてるひこ》とともに|種々《しゆじゆ》の|計画《けいくわく》をたて、|万一《まんいち》に|備《そな》へたのである。|小島別《こじまわけ》|以下《いか》の|神司《かみがみ》は|竜世姫《たつよひめ》の|急病《きふびやう》に|心《こころ》をとられ、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|影《かげ》を|失《うしな》ひしに|心付《こころづ》かず、|種々《しゆじゆ》|手《て》をつくして|看護《かんご》した。されど|容易《ようい》に|竜世姫《たつよひめ》の|病《やまひ》は|癒《い》えずして、|多《おほ》くの|時《とき》を|費《つひ》やした。
このとき|小島別《こじまわけ》は|狼狽《らうばい》のあまり、|傍《かたはら》の|深《ふか》き|谷間《たにま》に|転落《てんらく》して|腰《こし》を|打《う》ち、|谷底《たにぞこ》にて|悲鳴《ひめい》を|上《あ》げてゐた。|一方《いつぱう》|竜世姫《たつよひめ》には|松代姫《まつよひめ》|看護《かんご》の|任《にん》にあたり、|竹島彦《たけじまひこ》は|谷間《たにま》に|下《くだ》りて、|小島別《こじまわけ》の|看護《かんご》に|尽《つく》してゐた。|竜世姫《たつよひめ》はますます|苦悶《くもん》を|訴《うつた》へた。
|竹島彦《たけじまひこ》は|小島別《こじまわけ》をやうやく|背《せな》に|負《お》ひて|谷《たに》を|這《は》ひのぼり、ここにふたりの|病神《びやうしん》に|手《て》を|曳《ひ》かれ|栃麺棒《とちめんぼう》をふつてゐた。そのとき|竜世姫《たつよひめ》は|掌《てのひら》を|翻《かへ》したごとくに|病気《びやうき》|全快《ぜんくわい》し、|大声《おほごゑ》を|出《だ》して|笑《わら》ひだした。
|小島別《こじまわけ》は|顔《かほ》をしかめ、|苦痛《くつう》を|訴《うつた》へてゐたが、|種々《しゆじゆ》|看護《かんご》の|末《すゑ》やうやく|杖《つゑ》を|力《ちから》に|歩行《ほかう》しうるやうになつた。ここにはじめて|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|影《かげ》を|失《うしな》ひしに|驚《おどろ》き、|竹島彦《たけじまひこ》は|大声《おほごゑ》を|発《はつ》して、「オーイ、オーイ」と|呼《よ》ばはつた。その|声《こゑ》は|木精《こだま》にひびき、|山嶽《さんがく》も|崩《くづ》るるばかりであつた。されど|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|声《こゑ》は|梨《なし》の|礫《つぶて》の|何《なん》の|音沙汰《おとさた》もなかつた。
|小島別《こじまわけ》は【よろめき】つつ|杖《つゑ》を|力《ちから》に【なめくじり】の|江戸行《えどゆき》のごとく、|遅々《ちち》としてはかどらぬのである。にはかに|従者《じゆうしや》に|命《めい》じ、|輿《こし》にかつがして|行《ゆ》くことになつたが、やがて|二股《ふたまた》の|岐路《きろ》にさしかかつた。このとき、|一行《いつかう》は、|言霊別命《ことたまわけのみこと》はいづれの|路《みち》をとりしやと、しばし|思案《しあん》にくれてゐた。
|竜世姫《たつよひめ》は|右《みぎ》の|道《みち》をとれと|勧《すす》めてやまなかつた。されど|一行《いつかう》は|途方《とはう》にくれていた。
|衆議《しうぎ》の|結果《けつくわ》、|竹島彦《たけじまひこ》、|松代姫《まつよひめ》は|右《みぎ》の|道《みち》をとつたが、|小島別《こじまわけ》、|竜世姫《たつよひめ》は|左道《さだう》をとつて|美濃彦《みのひこ》の|館《やかた》の|前《まへ》を|何気《なにげ》なく|通過《つうくわ》した。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|小島別《こじまわけ》の|輿《こし》をやり|過《す》ごして、|悠々《いういう》として|協議《けふぎ》をとげ、|元照彦《もとてるひこ》、|美濃彦《みのひこ》に|策《さく》を|授《さづ》け、やがて|後《あと》より「オーイ、オーイ」と|大声《おほごゑ》を|上《あ》げて、|小島別《こじまわけ》の|輿《こし》を|呼《よ》びとめた。
|小島別《こじまわけ》は|輿《こし》より|這《は》ひいで、
『|命《みこと》はいづれにありしぞ。|竜世姫《たつよひめ》の|重病《ぢうびやう》を|見捨《みす》て、|吾《われ》らを|捨《す》てて|自由《じいう》|行動《かうどう》をとられしは、|実《じつ》に|不深切《ふしんせつ》にして|無道《ぶだう》のきはみならずや』
と、|腰《こし》を|押《お》さへながら|詰問《きつもん》した。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|打《う》ち|笑《わら》つて、
『|竜世姫《たつよひめ》は|平素《へいそ》|慢心《まんしん》|強《つよ》し、|重病《ぢうびやう》に|罹《かか》るごときは|当然《たうぜん》なり。|望《のぞ》むらくは|途上《とじやう》に|倒《たふ》れ|死《し》し、|鳥獣《てうじう》の|餌食《ゑじき》となるべきものなり。しかるに|憎《にく》まれ|児《ご》|世《よ》に|羽張《はば》るとの|譬《たとへ》のとほり、まだ|頑強《ぐわんきやう》に|生《いき》ながらへゐたるは|不思議《ふしぎ》なり』
と|口《くち》をきはめて|罵《ののし》つた。
|小島別《こじまわけ》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|竜世姫《たつよひめ》の|心中《しんちゆう》を|知《し》らず、|躍起《やくき》となつて|憤《いきどほ》り、
『|極悪無道《ごくあくむだう》の|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|吾《われ》いま|天《てん》に|代《かは》つて|誅伐《ちうばつ》せむ。|泣面《なきづら》はかくな』
と|起《お》き|上《あが》つた。その|一刹那《いちせつな》に|小島別《こじまわけ》の|腰《こし》の|痛《いた》みはたちまち|癒《い》え、|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|路上《ろじやう》にたふれて、|絶息《ぜつそく》してしまうたのである。|小島別《こじまわけ》は、
『|神明《しんめい》|恐《おそ》るべし。|罰《ばつ》は|覿面《てきめん》なり』
と|手《て》を|拍《う》つて|天《てん》に|感謝《かんしや》した。
|竜世姫《たつよひめ》はただちに|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|看護《かんご》した。このとき|小島別《こじまわけ》|怒《いか》つて|曰《いは》く、
『|彼《かれ》は|命《みこと》の|野倒《のた》れ|死《じに》を|希《こひねが》ひし|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|神《かみ》なり。|何《なん》の|義務《ぎむ》あつて、|仇敵《きうてき》を|介抱《かいはう》したまふや』
と|詰《なじ》つた。|竜世姫《たつよひめ》は|容《かたち》をあらため、|威儀《ゐぎ》を|正《ただ》し、
『|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|神慮《しんりよ》は|汝《なんぢ》らのたうてい|窺知《きち》すべきところに|非《あら》ず。|汝《なんぢ》の|言《げん》こそ|実《じつ》に|悪魔《あくま》の|囁《ささや》きなり。すみやかに|悔改《くいあらた》め、|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|陳謝《ちんしや》し|奉《たてまつ》れ。しからざれば|妾《わらは》はこれより|竜宮城《りゆうぐうじやう》にたち|帰《かへ》り、|汝《なんぢ》が|不信《ふしん》の|罪《つみ》を|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|奏上《そうじやう》し|奉《たてまつ》らむ』
と|厳《きび》しく|戒《いまし》めた。
|小島別《こじまわけ》は|大地《だいち》に|平伏《へいふく》し、|平蜘蛛《ひらぐも》のごとくなつて|自分《じぶん》の|過去《くわこ》を|陳謝《ちんしや》した。|路上《ろじやう》に|倒《たふ》れし|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|決《けつ》して|病《やまひ》を|発《はつ》して|倒《たふ》れたのではなかつた。|小島別《こじまわけ》をして|自分《じぶん》を|輿《こし》にのせて|舁《か》つぎ|行《ゆ》かしめむための|奇策《きさく》であつた。
|小島別《こじまわけ》は|竜世姫《たつよひめ》の|厳命《げんめい》により、あまたの|輿舁《こしかき》の|神《かみ》あるにかかはらず|自《みづか》ら|輿舁《こしかき》となり、|不精々々《ふしやうぶしやう》に、あたかも|屠所《としよ》に|曳《ひ》かるる|羊《ひつじ》のごとく、|足並《あしなみ》もあまり|面白《おもしろ》からず|進《すす》むのであつた。
|行《ゆ》くことややしばしにして|左右《さいう》|両岐路《りやうきろ》の|出会路《であひみち》にさしかかつた。|右《みぎ》の|道《みち》をたどりし|竹島彦《たけじまひこ》、|松代姫《まつよひめ》もここに|来《きた》り、たがひに|無事《ぶじ》の|会合《くわいがふ》を|祝《しゆく》した。
このとき|竜世姫《たつよひめ》は|竹島彦《たけじまひこ》にむかひ、
『|吾《わ》が|厳命《げんめい》なり。|汝《なんぢ》は|後棒《あとぼう》となり、この|輿《こし》を|舁《かつ》ぎて|命《みこと》を|常世姫《とこよひめ》のもとに|送《おく》り|奉《たてまつ》れ』
と|命令《めいれい》した。|竹島彦《たけじまひこ》は|心中《しんちゆう》おだやかならず。されど|竜世姫《たつよひめ》の|命《めい》を|拒《こば》むに|由《よし》なく、つひに|輿《こし》を|舁《かつ》ぐこととなつた。|輿《こし》を|舁《かつ》ぎしふたりはとみれば、|実《じつ》に|三宝荒神《さんぽうくわうじん》が、|竈《かまど》の|上《うへ》の|不動《ふどう》を|燃《も》え|杭《くひ》で【くらはした】やうな|不足相《ふそくさう》な|顔付《かほつき》であつた。
(大正一〇・一一・一 旧一〇・二 谷口正治録)
第二三章 |竜世姫《たつよひめ》の|奇智《きち》〔七三〕
|小島別《こじまわけ》、|竹島彦《たけじまひこ》は、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|輿《こし》をかつぎながら、|猿《さる》が|渋柿《しぶがき》を|喰《く》つたやうに、|子供《こども》が|苦《にが》い|陀羅助《だらすけ》を|呑《の》んだやうな|面構《つらがま》へして|嫌々《いやいや》ながらかついでゆく。|心中《しんちう》の|不平《ふへい》|不満《ふまん》は|察《さつ》するにあまりがあつた。やうやく|嶮《けは》しい|坂《さか》に|差《さ》しかかつた。ふたりは|汗水《あせみづ》|垂《た》らして|登《のぼ》りゆく。|松代姫《まつよひめ》は|竹島彦《たけじまひこ》の|後棒《あとぼう》を|押《お》しながら|助《たす》けてゆく。|竜世姫《たつよひめ》は|滑稽諧謔《こつけいかいぎやく》の|神司《かみ》である。|後《うしろ》からこの|状態《じやうたい》を|見《み》、|手《て》を|打《う》ちつつ|笑《わら》ひ、いろいろの|面白《おもしろ》き|手《て》まね、|足踏《あしぶ》みしながら、
『|言霊別《ことたまわけ》の|神《かみ》さんは こしの|常世《とこよ》へ|使《つか》ひして
|道《みち》に|倒《たふ》れて|腰《こし》を|折《をり》り |輿《こし》に|乗《の》せられ|腰《こし》|痛《いた》む
こしの|国《くに》でも|腰《こし》|抜《ぬ》かし |腰抜《こしぬ》け|神《がみ》と|笑《わら》はれる
|他《ひと》の|事《こと》なら|何《なん》ともない こしやかまやせぬ、かまやせぬ』
と|声《こゑ》を|放《はな》つてからかふ。
|小島別《こじまわけ》|以下《いか》の|一行《いつかう》は、|登《のぼ》り|坂《ざか》にあたつて|苦《くる》しみつつある|際《さい》、この|歌《うた》を|聞《き》きて|吹《ふ》きだし、|笑《わら》ひこけ、|足《あし》まで|捲《だ》るくなつて|一歩《いつぽ》も|進《すす》めず、ここらに|立往生《たちわうじやう》をなし、つひには|腰《こし》をまげ|腹《はら》を|抱《かか》へて|笑《わら》ふのであつた。|輿《こし》の|中《なか》よりは、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|声《こゑ》としてさも|愉快《ゆくわい》げに、
『こいでこいでと|松代《まつよ》は|来《こ》いで |末法《まつぱふ》の|世《よ》がきて|駕籠《かご》をかく
|小島《こじま》、|竹島《たけじま》お|気《き》の|毒《どく》 さぞやお|腰《こし》が|痛《いた》からう
お|腹《はら》が|竜世《たつよ》が|倒《たふ》れうが |他《ひと》のことなら|何《なん》ともない
こしや|構《かま》やせぬ、かまやせぬ』
と|歌《うた》つた。|小島別《こじまわけ》、|竹島彦《たけじまひこ》はその|歌《うた》を|聞《き》くなり|大《おほ》いに|怒《いか》つて|輿《こし》をそのまま|谷底《たにぞこ》へ|投《な》げ|棄《す》てた。
|輿《こし》は|転々《てんてん》として|谷底《たにぞこ》に|落《お》ち|木葉微塵《こつぱみぢん》に|砕《くだ》けてしまつた。|小島別《こじまわけ》らは|手《て》をうつて|快哉《くわいさい》を|叫《さけ》び|舞《ま》ひをどつてゐた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|懐中《くわいちう》に|持《も》てる、|種々物《くさぐさもの》の|領巾《ひれ》の|神力《しんりき》により、|少《すこ》しの|負傷《ふしやう》だもなく、|悠然《いうぜん》として|谷《たに》を|登《のぼ》り、|小島別《こじまわけ》|一行《いつかう》の|立《た》てる|前《まへ》に|現《あら》はれた。|竜世姫《たつよひめ》は|口《くち》をきはめて|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|熱罵《ねつば》した。ここに|二神《にしん》のあひだに|大争論《だいそうろん》がはじまり、つひには|掴《つか》みあひとなつた。この|争論《そうろん》は|全《まつた》く|両神《りやうしん》の|八百長《やほちやう》である。|真意《しんい》を|知《し》らざる|小島別《こじまわけ》、|竹島彦《たけじまひこ》らは、|竜世姫《たつよひめ》に|怪我《けが》させじと|仲《なか》に|分《わ》けいり、|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|双方《さうはう》より|乱打《らんだ》した。それより|竜世姫《たつよひめ》、|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|後《あと》になり|先《さき》になり|悪口《あくこう》の|限《かぎ》りをつくし、|犬猿《けんゑん》もただならざる|様子《やうす》を|示《しめ》した。|一行《いつかう》はおひおひ|常世《とこよ》の|都《みやこ》に|近《ちか》づいた。|常世姫《とこよひめ》はあまたの|神司《かみがみ》をして|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|一行《いつかう》を|迎《むか》へしめた。そして|二台《にだい》の|輿《こし》がきた。|一台《いちだい》には|言霊別命《ことたまわけのみこと》これに|乗《の》り、|一台《いちだい》には|竜世姫《たつよひめ》がこれに|乗《の》つた。|小島別《こじまわけ》、|竹島彦《たけじまひこ》は|迎《むか》への|神司《かみがみ》に|命《めい》じ、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|輿《こし》を|前後《ぜんご》|左右《さいう》に|揺《ゆす》りまはし、あるひは|高《たか》く|頭上《づじやう》に|上《あ》げ、ときどきは|低《ひく》く|地上《ちじやう》に|落《お》とし|苦《くる》しめた。|命《みこと》はほとんど|眩暈《めまひ》するばかりであつた。|常世姫《とこよひめ》の|宮殿《きうでん》に|着《つ》いたときは、|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|劇烈《げきれつ》なる|動揺《どうえう》のため|疲労《ひらう》し、|咽喉《のど》をかわかせ、|急《いそ》ぎ|水《みづ》を|求《もと》めた。|常世姫《とこよひめ》の|侍者《じしや》は|黄金《わうごん》の|器《うつは》に|水《みづ》を|盛《も》り、|渇《かは》ける|命《みこと》に|捧呈《ほうてい》した。このとき|竜世姫《たつよひめ》は|輿《こし》より|降《お》り、この|様《さま》をみて、
『かかる|尊《たふと》き|玉水《ぎよくすゐ》を|腰抜神《こしぬけがみ》に|呑《の》ますの|必要《ひつえう》なし。われは|大《おほ》いに|渇《かは》きたり。この|水《みづ》はわが|呑《の》むべき|水《みづ》なり。|腰抜神《こしぬけがみ》は|泥水《どろみづ》にて|充分《じゆうぶん》なり』
といひながらその|水《みづ》を|横合《よこあひ》よりやにはに|奪《うば》ひ、|松代姫《まつよひめ》の|神《かみ》を|目《め》がけて|打《うち》かけた。|松代姫《まつよひめ》の|袖《そで》よりは|火煙《くわえん》を|発《はつ》し、|熱《あつ》さに|悶《もだ》えつつ|濠《ほり》に|飛込《とびこ》み|火《ひ》を|消《け》し、|辛《から》うじて|這《は》ひ|上《あが》つてきた。|諸神司《しよしん》は|驚《おどろ》いて|松代姫《まつよひめ》の|方《はう》に|走《はし》り|新《あたら》しき|衣《ころも》を|着替《きが》へさせこれを|労《いた》はり|慰《なぐさ》めた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|竜世姫《たつよひめ》の|剛情我慢《がうじやうがまん》を|詰《なじ》つた。|竜世姫《たつよひめ》はしきりに「|腰《こし》ぬけ、|腰《こし》ぬけ」と|嘲笑《てうせう》した。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|憤懣《ふんまん》の|色《いろ》をあらはし、|剣《つるぎ》の|柄《つか》に|手《て》をかけ|切《き》つて|捨《す》てむと|竜世姫《たつよひめ》に|迫《せま》つた。|小島別《こじまわけ》、|竹島彦《たけじまひこ》は|二神人《にしん》の|仲《なか》に|割《わ》つていり、|百方《ひやつぱう》|弁《べん》をつくして|仲裁《ちゆうさい》の|労《らう》をとり、この|紛争《ふんさう》は|無事《ぶじ》に|治《おさ》まつたのである。この|争《あらそ》ひは|竜世姫《たつよひめ》が|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|毒殺《どくさつ》されむとするを|救《すく》ふための|深慮《しんりよ》に|出《い》でたる|一場《いちぢやう》の|狂言《きやうげん》であつた。
(大正一〇・一一・一 旧一〇・二 加藤明子録)
第二四章 |藻脱《もぬ》けの|殻《から》〔七四〕
|常世《とこよ》の|都《みやこ》には|荘厳瀟洒《さうごんせうしや》なる|大神殿《だいしんでん》が|建《た》てられ、|天地《てんち》の|諸神《しよしん》を|鎮祭《ちんさい》し|奉《たてまつ》つた。ここに|常世姫《とこよひめ》は|斎主《さいしゆ》となり、|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|諸神司《しよしん》を|率《ひき》ひ|副斎主《ふくさいしゆ》の|職《しよく》を|奉仕《ほうし》した。|荘厳《さうごん》なる|祭典《さいてん》はやうやくにして|済《す》んだ。ただちに|直会《なほらひ》の|宴《えん》にうつり、|常世姫《とこよひめ》は|首座《しゆざ》に、|八百万《やほよろづ》の|神司《かみがみ》は|順次《じゆんじ》|宴席《えんせき》に|着《つ》いた。さしもの|広大《くわうだい》なる|広前《ひろまへ》も|立錐《りつすゐ》の|余地《よち》もなきまでに|塞《ふさ》がつた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|大切《たいせつ》なる|賓客《ひんきやく》として、|常世姫《とこよひめ》の|次席《じせき》の|座《ざ》を|占《し》めることとなつた。このとき|竜世姫《たつよひめ》は|顔色《がんしよく》を|変《か》へ、|常世姫《とこよひめ》の|前《まへ》にて|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|尻目《しりめ》にかけ、
『かかる|腰抜《こしぬ》け|神司《がみ》を|正座《しやうざ》に|着《つ》かしむるは|吾《われ》を|侮辱《ぶじよく》するものなり。|吾《われ》は|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|娘《むすめ》なり。|席《せき》を|代《かは》らせたまへ』
と|申《まを》し|込《こ》んだ。|衆神《しうしん》はこの|形勢《けいせい》を|見《み》て|不安《ふあん》の|念《ねん》にかられた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|大《おほ》いに|怒《いか》り、
『|女神《めがみ》の|分際《ぶんざい》にて|吾《われ》の|上座《じやうざ》に|着《つ》かむとするは、|僣越《せんえつ》もはなはだし。|汝《なんぢ》は|最下座《さいげざ》にかへり、|吾《われ》に|接待《せつたい》の|役《やく》を|務《つと》めよ』
といつた。かくして|二神《ふたり》の|争《あらそ》ひは|再発《さいはつ》した。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》はつひに|一歩《いつぽ》を|譲《ゆづ》つて、|竜世姫《たつよひめ》を|上座《じやうざ》にすゑた。このとき|山野河海《さんやかかい》の|美味《うま》し|物《もの》は|諸神司《しよしん》の|前《まへ》へ|運《はこ》ばれてきた。|常世姫《とこよひめ》は|一同《いちどう》にむかひ、|祭典《さいてん》の|無事《ぶじ》|終了《しうれう》せしことを|祝《しゆく》し、かつ|直会《なほらひ》の|宴《えん》を|開《ひら》きたる|次第《しだい》を|細々《こまごま》と|述《の》べたてた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》はこれに|答《こた》へて|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|代表《だいへう》し、|慇懃《いんぎん》なる|挨拶《あいさつ》を|述《の》べ、いよいよ|酒宴《しゆえん》の|箸《はし》をとることとなつた。このとき|竜世姫《たつよひめ》は、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|前《まへ》にある|種々《くさぐさ》の|馳走《ちそう》をみ、|怒《いか》つて|曰《いは》く、
『かかる|腰抜《こしぬ》け|神司《がみ》に、|山野河海《さんやかかい》の|珍物《ちんもつ》を|饗応《きやうおう》するは|分《ぶん》に|過《す》ぎたり』
といひつつ、|命《みこと》の|前《まへ》に|据《す》ゑたる|膳部《ぜんぶ》を|残《のこ》らず|転覆《ひつくり》かへした。そして|自分《じぶん》の|懐中《ふところ》より|蛙《かわづ》の|形《かたち》したる|味《あぢ》よきパンを|取《と》りだし、
『これは|蛙《かわづ》の|木乃伊《ミイラ》なり。|汝《なんぢ》はこれにて|充分《じゆうぶん》なり』
といひも|終《をは》らず、ただちに|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|口《くち》に|捻《ねぢ》こんだのである。うちかへされたる|膳部《ぜんぶ》の|羹《あつもの》よりは|青色《せいしよく》の|火焔《くわえん》が|立《た》ち|昇《のぼ》つた。|常世姫《とこよひめ》|以下《いか》の|神司《かみがみ》は、|二神《にしん》の|間《あひだ》が|犬猿《けんゑん》もただならざることを|知《し》り、|竜世姫《たつよひめ》に|心《こころ》を|許《ゆる》してゐた。
|宴会《えんくわい》は|無事《ぶじ》にすんだ。|神司《かみがみ》は|各自《かくじ》わが|居間《ゐま》に|帰《かへ》つた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|主賓《しゆひん》として、|奥殿《おくでん》のもつとも|美《うるは》しき|居間《ゐま》にて|寝《しん》につくこととなつた。|小島別《こじまわけ》、|竹島彦《たけじまひこ》は|侍者《じしや》として|枕辺《まくらべ》に|保護《ほご》することとなつた。|命《みこと》は|腰部《えうぶ》の|苦痛《くつう》はなはだしければ、ふたりに|命《めい》じて|夜《よ》|深《ふか》くまで|腰《こし》を|揉《も》ましめた。ふたりは|疲《つか》れはてて|高鼾《たかいびき》をかきだした。そこへ|竜世姫《たつよひめ》|来《きた》りて、ふたりに|対《たい》して|一間《ひとま》に|休息《きうそく》せよと|命《めい》じた。ふたりは|喜《よろこ》んで|命《めい》のまにまに|一間《ひとま》へはいつて、|白河《しらかは》|夜船《よぶね》を|漕《こ》いで、|華胥《くわしよ》の|国《くに》へ|遊楽《いうらく》してゐた。
その|間《ま》に|竜世姫《たつよひめ》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|武装《ぶさう》せしめ、|夜《よる》ひそかに|裏門《うらもん》より|逃《のが》れしめた。|門外《もんぐわい》には|元照彦《もとてるひこ》あまたの|従者《じゆうしや》とともに|待《ま》ち|伏《ふ》せて、|天《あめ》の|羽車《はぐるま》に|乗《の》り、|北方《ほつぱう》めがけて|逃《に》げ|出《だ》したのである。たちまち|奥殿《おくでん》に|声《こゑ》が|聞《きこ》えた。|諸神司《しよしん》は|目《め》を|醒《さ》まし、|何事《なにごと》の|突発《とつぱつ》せしかと|怪《あや》しみながら|駆《か》けつけた。
このとき|竜世姫《たつよひめ》は|大音声《だいおんじやう》にて、
『われ|今《いま》、|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|殺《ころ》されむとせり。われは|女神《めがみ》ながらも|死力《しりよく》をつくして|争《あらそ》ひたれば、|命《みこと》は|力《ちから》つき|逃《に》げゆくとたんに、|階段《かいだん》より|辷《すべ》り|落《お》ち、いまこの|深《ふか》き|濠《ほり》に|溺没《できぼつ》したり。|神司《かみがみ》|来《きた》りてこれを|救《すく》ひ|上《あ》げよ』
と|叫《さけ》びつつあつた。|神司《かみがみ》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》のひそかに|逃《のが》れしを|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|右往左往《うわうさわう》に|走《はし》りまはり、|舟《ふね》をいだして|濠《ほり》を|捜索《さうさく》したが、つひにはその|影《かげ》だにも|認《みと》むることができなかつた。
|小島別《こじまわけ》、|竹島彦《たけじまひこ》、|松代姫《まつよひめ》は|大《おほ》いに|驚《おどろ》き、
『|吾《われ》らは|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|対《たい》し|奉《たてまつ》り、|何《なん》とも|陳弁《ちんべん》の|辞《ことば》なし』
と|頭《あたま》をかたむけ|吐息《といき》をつくのであつた。|時《とき》しも|急報《きふはう》あり、
『|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|元照彦《もとてるひこ》と|共《とも》に、|神軍《しんぐん》を|率《ひき》ゐて|逃《に》げ|失《う》せたり』
との|報告《はうこく》である。|常世姫《とこよひめ》、|小島別《こじまわけ》、その|他《た》あまたの|神司《かみがみ》は、|八方《はつぱう》に|手配《てくば》りして|命《みこと》の|所在《ありか》を|厳探《げんたん》したが、つひにその|影《かげ》を|認《みと》むる|事《こと》はできなかつた。ああ|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|運命《うんめい》はどうなるであらうか。
(大正一〇・一一・一 旧一〇・二 桜井重雄録)
第二五章 |蒲団《ふとん》の|隧道《トンネル》〔七五〕
|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|夜陰《やいん》にまぎれて|城中《じやうちう》を|遁《に》げ|出《い》でたる|藻脱《もぬ》けの|穀《から》のあとの|祭《まつ》りの|光景《くわうけい》は、|実《じつ》に|惨澹《さんたん》たるものであつた。|神司《かみがみ》は|残《のこ》らず|八方《はつぱう》に|派遣《はけん》された。|後《あと》には|常世姫《とこよひめ》|諸神司《しよしん》を|集《あつ》め、|竜世姫《たつよひめ》の|行動《かうどう》を|怪《あや》しみ、いろいろと|詰問《きつもん》をした。|竜世姫《たつよひめ》は|何《なん》といはれても|平気《へいき》の|平左《へいざ》で|鼻唄《はなうた》をうたひ、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》に|誤魔化《ごまくわ》すのであつた。|常世城《とこよじやう》の|重神《ぢゆうしん》|猿世彦《さるよひこ》は、|竜世姫《たつよひめ》にむかひ、
『|大切《たいせつ》なる|玉《たま》を、|眠《ねむ》れる|間《ま》に|失《うしな》ひたるは|貴神司《きしん》の|責任《せきにん》なり。|貴神司《きしん》はこれより|常世姫《とこよひめ》に|事実《じじつ》を|述《の》べ、|所在《ありか》を|詳《つまびら》かに|自白《じはく》せられよ』
と|迫《せま》つた。|竜世姫《たつよひめ》は|飽《あ》くまで|白《しろ》を|切《き》り、ネル|尽《づく》しの|歌《うた》を|作《つく》つて|異《あや》しき|手真似《てまね》をなし、|臀《しり》を|振《ふ》りつつ|面白《おもしろ》く|踊《をど》りくるふのであつた。
その|歌《うた》は、
『|長途《ちやうと》の|旅《たび》に|疲《つか》れてグツと|寝《ね》る |素人按摩《しろうとあんま》が|肩《かた》ひねる
|竹島彦《たけじまひこ》が|腰《こし》ひねる |寝《ね》るは|寝《ね》るは|他愛《たあい》もなしに
|寝《ね》る|間《ま》に|飛《と》び|出《で》た|目《め》の|玉《たま》は |尋《たづ》ねる|由《よし》も|泣《な》き|寝入《ねい》り
こねる|理屈《りくつ》も|立《た》ちかねる |呆《あき》れてわたしは|尻《しり》ひねる
なんぼ|理屈《りくつ》をこねるとも わたしは|何《なん》とも|言《い》ひかねる
|言霊別《ことたまわけ》の|神《かみ》さんは |竜宮城《りゆうぐうじやう》へは|往《い》にかねる
|行衛《ゆくゑ》はどこぢやと|尋《たづ》ねるも |妾《わたし》は|知《し》らんで|言《い》ひかねる
|寝床《ねどこ》の|後《あと》を|眺《なが》むれば |布団《ふとん》の|隧道《トンネル》|開《あ》いてある
あまり|寝《ね》るにもほどがある |常世《とこよ》の|国《くに》の|神《かみ》さんの
わたしは|心《こころ》を|解《と》きかねる ねつてねつてねりさがし
|百度《ひやくど》も|千度《せんど》もねるがよい わたしに|何《なに》を|尋《たづ》ねるも
|白河《しらかは》|夜船《よぶね》のネル|尽《づく》し |白川《しらかは》|夜船《よぶね》のネル|尽《づく》し』
と|奥殿《おくでん》|目《め》がけて|踊《をど》り|入《い》る。|常世姫《とこよひめ》も|呆《あき》れはて、やうやくに|疑《うたがひ》を|晴《は》らした。
|常世《とこよ》の|城《しろ》はほとんど|空虚《くうきよ》となり、|守将《しゆしやう》は|大部分《だいぶぶん》|出城《しゆつじやう》して、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|跡《あと》を|追《お》ふて|不在中《ふざいちゆう》である。にはかに|城下《じやうか》に|聞《きこ》ゆる|鬨《とき》の|声《こゑ》。|常世姫《とこよひめ》は|高台《たかだい》に|上《のぼ》つて|城下《じやうか》をきつと|打見《うちみ》やれば、|豈《あに》はからむや、|元照彦《もとてるひこ》はあまたの|神軍《しんぐん》を|引《ひ》つれ、|十重二十重《とへはたへ》に|取囲《とりかこ》んでいまや|火蓋《ひぶた》を|切《き》らむとする|勢《いきほひ》であつた。
|常世姫《とこよひめ》は|進退《しんたい》これきはまり、|直《ただ》ちに|和睦《わぼく》をなさむとて、|竜世姫《たつよひめ》を|軍使《ぐんし》として、|元照彦《もとてるひこ》の|神軍《しんぐん》に|遣《つか》はした。|竜世姫《たつよひめ》は|元照彦《もとてるひこ》の|前《まへ》に|出《い》で、たがひに|顔《かほ》を|見合《みあは》せ、|微笑《びせう》しつつ|常世姫《とこよひめ》の|命《めい》を|伝《つた》へた。
|元照彦《もとてるひこ》は|和議《わぎ》に|関《くわん》する|信書《しんしよ》をしたため、|常世姫《とこよひめ》に|送達《そうたつ》した。その|文意《ぶんい》は、
『すみやかに|城《しろ》を|捨《す》て、|汝《なんぢ》はウラル|山《さん》に|退却《たいきやく》せよ』
といふのであつた。|常世姫《とこよひめ》はいよいよ|進退《しんたい》|谷《きは》まり、ただちに|黒雲《こくうん》を|呼《よ》び、|金毛八尾《きんまうはつぴ》の|悪狐《あくこ》と|化《くわ》して|東北《とうほく》の|空《そら》|高《たか》く|遁《に》げのびた。
|元照彦《もとてるひこ》は|常世《とこよ》の|城《しろ》に|入城《にふじやう》した。|常世姫《とこよひめ》の|部下《ぶか》の|神軍《しんぐん》は、|残《のこ》らず|元照彦《もとてるひこ》に|降伏《かうふく》した。|元照彦《もとてるひこ》は|諸神司《しよしん》の|勤労《きんらう》を|慰《なぐさ》めむとて|酒宴《しゆえん》を|催《もよほ》した。このときロッキー|山《さん》の|南方《なんぱう》に|立籠《たてこも》りたる|常世姫《とこよひめ》の|部下《ぶか》なる|竹熊彦《たけくまひこ》、|安熊《やすくま》といふ|勇猛《ゆうまう》なる|魔神《まがみ》があつた。|彼《かれ》は|常世城《とこよじやう》の|陥落《かんらく》し、かつ|常世姫《とこよひめ》の|身《み》をもつて|免《まぬが》れたるを|憤慨《ふんがい》し、|再《ふたた》びこれを|回復《くわいふく》せむとして|身《み》をやつし、|城下《じやうか》|近《ちか》く|進《すす》んで|様子《やうす》を|考《かんが》へたのである。
このとき|元照彦《もとてるひこ》は|心《こころ》ゆるめ、|丸裸《まるはだか》のまま|酔《よ》ひ|倒《たふ》れてゐた。|竹熊彦《たけくまひこ》、|安熊《やすくま》は|突然《とつぜん》|城内《じやうない》に|侵入《しんにふ》し、|頭槌《くぶつち》をもつて|元照彦《もとてるひこ》の|部下《ぶか》を|目《め》がけて|打《う》ちまくつた。|今《いま》まで|元照彦《もとてるひこ》に|帰順《きじゆん》せし|常世城《とこよじやう》の|神司《かみがみ》は|総立《そうだち》となり、|四方《しはう》より|討《う》ちかかつた。これらの|諸神司《しよしん》は|初《はじ》めより|酒《さけ》を|呑《の》み|酔《よ》ひしと|見《み》せて、その|実《じつ》|水《みづ》を|呑《の》み|酒《さけ》に|酔《よ》ひし|風《ふう》をしてゐた。|元照彦《もとてるひこ》は|驚《おどろ》きのあまり|酔《よひ》もにはかに|醒《さ》め、|生命《いのち》からがら|裏門《うらもん》より|逃《に》げだし、|濠《ほり》を|泳《およ》いで|裸《はだか》のまま|後《あと》をも|水《みづ》に、|浪《なみ》を|打《う》たせつつ|震《ふる》ひにふるふて、|北方《ほつぱう》さして|影《かげ》を|隠《かく》してしまつた。|元照彦《もとてるひこ》の|運命《うんめい》はどうなるであらうか。
|元照彦《もとてるひこ》の|神軍《しんぐん》はにはかに|驚《おどろ》いて|酔《ゑひ》を|醒《さ》まし、|蜘蛛《くも》の|子《こ》を|散《ち》らすがごとく|四方《しはう》に|遁《に》げ|散《ち》つたのである。
(大正一〇・一一・一 旧一〇・二 外山豊二録)
第二六章 |信天翁《あはうどり》〔七六〕
|元照彦《もとてるひこ》の|攻撃《こうげき》に|進退《しんたい》きはまり、|金毛八尾白面《きんまうはつぴはくめん》の|悪狐《あくこ》となりてロッキー|山《さん》の|方面《はうめん》に|雲《くも》をおこして|逃《に》げ|帰《かへ》りしと|見《み》えしは、まつたく|常世姫《とこよひめ》の|魔術《まじゆつ》であつた。|常世姫《とこよひめ》は|依然《いぜん》として|城内《じやうない》の|奥深《おくふか》く|潜《ひそ》んでゐた。|常世姫《とこよひめ》は|盛装《せいさう》をこらし|悠然《いうぜん》として|竜世姫《たつよひめ》、|竹熊彦《たけくまひこ》らの|前《まへ》に|現《あら》はれた。|竹熊彦《たけくまひこ》は|死者《ししや》の|蘇《よみが》へりし|如《ごと》く|狂喜《きやうき》した。|諸神司《しよしん》もともに|歓喜《くわんき》の|声《こゑ》をあげて|勇躍《ゆうやく》した。|城内《じやうない》はにはかに、|枯木《かれき》に|花《はな》の|咲《さ》きしがごとく|陽気《やうき》となつた。これに|反《はん》し|小島別《こじまわけ》、|竹島彦《たけじまひこ》、|松代姫《まつよひめ》は|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》にたいし、この|失敗《しつぱい》をいかにして|陳謝《ちんしや》せむやと、|思案《しあん》にくれ、|顔《かほ》の|色《いろ》までかへて|青息吐息《あをいきといき》の|体《てい》であつた。|竜世姫《たつよひめ》は|可笑《をか》しさに|堪《た》へかねて|失笑《ふき》だした。さうしてまた|面白《おもしろ》く|歌《うた》を|唄《うた》つて|踊《をど》りだした。
その|歌《うた》の|文句《もんく》は、
『|竹島彦《たけじまひこ》の|顔《かほ》|見《み》れば |閻魔《えんま》が|抹香《まつかう》|喰《く》つたやうに
|何《なに》が|不足《ふそく》でそんな|顔《かほ》 ここは|地獄《ぢごく》か|極楽《ごくらく》か
|常世《とこよ》の|城《しろ》ではないかいな お|地蔵《ぢざう》さまでも|呼《よ》んで|来《き》て
お|酌《しやく》さしたらどうであろ |小島別《こじまわけ》の|神《かみ》さんの
お|顔《かほ》を|一寸《ちよつと》|眺《なが》むれば |青瓢箪《あをべうたん》か|干瓢《かんぺう》か
|朝瓜《あさうり》、|鴨瓜《かもうり》、|唐茄子《たうなすび》 |南瓜《かぼちや》の|一寸《ちよつと》ひねたのか
ここは|畑《はたけ》ぢやあるまいに |青息吐息《あをいきといき》の|仏掌薯《つくねいも》
つくづく|思案《しあん》をして|見《み》れば うそでつくねた|其《そ》の|罪《つみ》で
|真赤《まつか》な|恥《はぢ》を|柿《かき》のへた |下手《へた》な|巧《たくみ》はせぬがよい
|宵《よひ》に|企《たく》んだ|梟鳥《ふくろどり》 |夜食《やしよく》に|外《はづ》れてお|気《き》の|毒《どく》
これが|真《まこと》の|信天翁《あはうどり》 |一《ひと》つの|取得《とりえ》|泣《な》き|寝入《ねい》り
|煎豆《いりまめ》|花《はな》|咲《さ》く|時《とき》もある この|縮尻《しくじり》は|身《み》の|因果《いんぐわ》
|因果《いんぐわ》|応報《おうはう》|目《ま》のあたり |当《あた》り|散《ち》らして|怒《いか》つても
|私《わたし》は|一寸《ちよつと》も|知《し》らぬ|顔《かほ》 |顔《かほ》が|立《た》たうが|立《た》つまいが
いが|栗《ぐり》|頭《あたま》が|割《わ》れやうが |用《よう》が|無《な》いのはお|前《まへ》さん
|三度《さんど》の|食事《しよくじ》も|二度《にど》にして |指《ゆび》をくはへて|寝《ね》るがよい
よいよいよいのよいとさつさ さつさと|竜宮《りうぐう》に|逃《に》げ|還《かへ》れ
|帰《かへ》れば|竜宮《りうぐう》の|神《かみ》さんに |頭《あたま》をはられて|可笑《をか》しかろ
をかし|可笑《をか》しと|笑《わら》はれて |腹《はら》を|立《た》てなよ|小島別《こじまわけ》
|笑《わら》ふ|門《かど》には|福《ふく》きたる |来《きた》る|時節《じせつ》を|楽《たのし》みに
|今度《こんど》は|改心《かいしん》するがよい よいよいよいのよいとさつさ』
|諸神司《しよしん》は|小島別《こじまわけ》、|竹島彦《たけじまひこ》の|心配《しんぱい》さうな|顔《かほ》つきを|眺《なが》め、いろいろと|言葉《ことば》を|尽《つく》して|慰《なぐさ》めた。|常世姫《とこよひめ》はあまたの|珍《めづ》らしきものを|二柱《ふたはしら》に|与《あた》へ、かつ|慇懃《いんぎん》にその|労《らう》を|謝《しや》し、|竜世姫《たつよひめ》には|麗《うるは》しき|宝玉《ほうぎよく》を|与《あた》へ、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|御土産《おみやげ》としては、|種々《くさぐさ》の|珍宝《ちんぽう》を|取《と》り|出《だ》して、これを|竜世姫《たつよひめ》に|伝献《でんけん》せしむることとなし、ここに|四柱《よはしら》はまづ|竜宮城《りゆうぐうじやう》へ|還《かへ》ることとなり、はるかに|海山川《うみやまかは》を|打渡《うちわた》りやうやく|帰城《きじやう》した。|竜世姫《たつよひめ》は|何《なん》の|恐《おそ》れ|気《げ》もなく|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|御前《ごぜん》に|出《い》で、|常世姫《とこよひめ》より|預《あづ》かりしくさぐさの|珍宝《ちんぽう》を|奉《たてまつ》り、かつ|小島別《こじまわけ》、|竹島彦《たけじまひこ》らの|今回《こんくわい》の|失策《しつさく》を|詳細《しやうさい》に、|面白《おもしろ》く|進言《しんげん》した。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|大《おほ》いに|怒《いか》り、
『|小島別《こじまわけ》|以下《いか》の|二神司《にしん》、すみやかに|吾《わ》が|前《まへ》に|来《きた》れ』
と|厳命《げんめい》せられた。|三柱《みはしら》は|猫《ねこ》に|追《お》はれた|鼠《ねずみ》のごとく|縮《ちぢ》みあがり、|蚤《のみ》か|虱《しらみ》のその|如《ごと》く、|頭《あたま》を|隠《かく》して|戦慄《をのの》いてゐた。|言霊姫《ことたまひめ》はこの|状態《じやうたい》を|見《み》て|気《き》の|毒《どく》にたへず、いかにもして|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|怒《いか》りを|和《やは》らげむと|百方《ひやつぱう》|焦慮《せうりよ》し、|竜世姫《たつよひめ》は|面白《おもしろ》き|歌《うた》を|作《つく》り、|言霊姫《ことたまひめ》は|怪《あや》しき|手《て》つきをなして|踊《をど》り|狂《くる》ひ、|命《みこと》を|抱腹絶倒《はうふくぜつたう》せしめ、この|場《ば》のごみを|濁《にご》さむとした。その|歌《うた》は、
『|大蛇《だいじや》に|追《お》はれた|蟇蛙《ひきがへる》 こんなこと【ぢや】と|知《し》つたなら
|使《つか》ひに|行《ゆ》くの【ぢや】なかつたに |何《なん》【ぢや】かん【ぢや】とだまされて
【ぢや】ぢや|馬神《うまがみ》に【ぢや】ぢやにされ |元照彦《もとてるひこ》に|邪魔《じやま》されて
|善《ぜん》【ぢや】|悪《あく》【ぢや】と|争《あらそ》ひつ たがひに|邪推《じやすい》の|廻《まは》し|合《あ》ひ
|相《あひ》も|変《かは》らぬ|邪智《じやち》|深《ふか》き |常世《とこよ》の|邪神《じやしん》に|尾《を》をふつて
|尻《しり》までふつて|腰抜《こしぬ》いて |輿《こし》を|取《と》られて|輿《こし》を|舁《か》き
|輿《こし》に|乗《の》せたる|神《かみ》さんに さんざん|膏《あぶら》を|搾《しぼ》られて
その|上《うへ》|腰《こし》を|揉《も》まされて |越《こし》の|国《くに》をば|腰抜《こしぬ》け|顔《がほ》して|竜宮《りうぐう》へ
|帰《かへ》つた|姿《すがた》を|眺《なが》むれば |青菜《あをな》に|塩《しほ》か|蛭《ひる》に|塩《しほ》
|血《ち》を|吐《は》く|思《おも》ひの|時鳥《ほととぎす》 ほつと|一息《ひといき》|休《やす》む|間《ま》も
なくてこの|場《ば》に|一同《いちどう》|引《ひ》き|出《だ》され |何《なん》の|云《い》ひわけ|荒男《あらをとこ》
|男《をとこ》の|顔《かほ》も|竜世姫《たつよひめ》 |立《た》つ|時《とき》えらい|勢《いきほひ》で
|帰《かへ》つた|時《とき》のその|姿《すがた》 |姿《すがた》かくして|泣《な》いてゐる
これが|深山《みやま》の|時鳥《ほととぎす》 ほうほけきようの|呆《はう》け|面《づら》
|面《つら》を|隠《かく》して|尻《しり》を|出《だ》し |尻《しり》の|締《しま》りはこの|通《とほ》り
|通《とほ》り|越《こ》したる|大阿呆《おほあはう》 |阿呆々々《あはうあはう》と|暁《あかつき》に
|鳴《な》いた|烏《からす》の|惚《とぼ》け|声《ごゑ》 どうぞ|許《ゆる》して|下《くだ》しやんせ
|三人《さんにん》|寄《よ》れば|文殊《もんじゆ》の|智慧《ちゑ》といふものを この|三人《さんにん》の|神《かみ》さんは
|年《とし》は|取《と》つても|虫喰《むしく》はぬ |目《め》に|見《み》ぬ|智慧《ちゑ》は|稚姫《わかひめ》の
|若布《わかめ》のやうな|弱腰《よわごし》で |向《むか》ふも|見《み》ずにべらべらと
|云《い》はぬは|云《い》ふにいや|勝《まさ》る |猿《さる》が|三匹《さんぴき》|飛《と》んで|出《で》て
|常世《とこよ》の|国《くに》で|恥《はぢ》を【かき】 なほまた|帰《かへ》つて|頭《あたま》|掻《か》く
|木《き》から|落《お》ちたる|猿《さる》のよに |空《そら》を|眺《なが》めて|泣《な》くよりも
|一先《ひとま》づこの|場《ば》をさるがよい よいよいよいのよいとさつさ』
といふ|戯歌《ざれうた》であつた。|三柱《みはしら》はこの|歌《うた》の|言霊《ことたま》によつて、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》のお|怒《いか》りを|和《やは》らげ、|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|失《うしな》つたる|失敗《しつぱい》の|罪《つみ》を|赦《ゆる》された。
(大正一〇・一一・一 旧一〇・二 加藤明子録)
第二七章 |湖上《こじやう》の|木乃伊《ミイラ》〔七七〕
|元照彦《もとてるひこ》は|裸体《らたい》のまま|辛《から》うじて|常世城《とこよじやう》を|逃《のが》れいで、|草《くさ》を|編《あ》んで|簑笠《みのかさ》を|作《つく》り、|紅《くれなゐ》の|館《やかた》に|落《お》ちのび|美濃彦《みのひこ》の|門《もん》を|叩《たた》いた。|美濃彦《みのひこ》の|門戸《もんこ》には|立熊別《たてくまわけ》といふ|守将《しゆしやう》が、|少数《せうすう》の|神卒《しんそつ》と|共《とも》に|厳守《げんしゆ》してゐた。そこへ|元照彦《もとてるひこ》は|顔《かほ》に|桑《くは》の|実《み》の|汁《しる》をぬり、|容貌《ようばう》を|変《か》へ、|簑笠《みのかさ》の【みすぼ】らしい|姿《すがた》にて|現《あら》はれたのである。|立熊別《たてくまわけ》はこの|姿《すがた》を|見《み》て|悪神《あくがみ》の|落《お》ちぶれ|者《もの》と|信《しん》じ、|大《おほ》いに|叱咤《しつた》して|門戸《もんこ》の|出入《しゆつにふ》を|拒《こば》んだ。
|元照彦《もとてるひこ》は、
『|吾《われ》は|美濃彦《みのひこ》の|同志《どうし》である。すみやかにこの|旨《むね》を|美濃彦《みのひこ》に|伝《つた》へられよ』
といつた。|立熊別《たてくまわけ》はこれを|信《しん》ぜず、
『すみやかにここを|立《た》ち|去《さ》れ』
と|厳命《げんめい》し、|元照彦《もとてるひこ》が|何《なに》ほど|弁明《べんめい》しても|聞《き》き|入《い》れぬ。そこで|元照彦《もとてるひこ》は|一策《いつさく》を|案《あん》じ、
『|実《じつ》は|吾《われ》は|浮浪神《さすらひがみ》である』
と|言《い》つて、【そろそろ】|竜世姫《たつよひめ》の|故智《こち》をまねて|歌《うた》を|唱《うた》ひだした。
『|常世《とこよ》の|城《しろ》を|逃《に》げだして |身《み》は|身《み》で|通《とほ》る|裸《はだか》ン|坊《ばう》
|簑《みの》|着《き》て|笠《かさ》|着《き》て|身《み》の|終《をは》り どうして|会《あ》はしてくれなゐの
|館《やかた》の|神《かみ》の|門番《もんばん》は |身《み》のほど|知《し》らぬ|簑虫《みのむし》か
わが|身《み》の|姿《すがた》の|落《お》ちぶれて |乞食《こじき》のやうに|見《み》えたとて
|結構《けつこう》な|神《かみ》ぢやぞ|見《み》のがすな わが|身《み》の|仇《あだ》となることを
|知《し》らずに|門《もん》に|立《た》つ|熊《くま》が わけも|知《し》らずにハネのける
|今《いま》は|曇《くも》りしこの|身体《からだ》 |元《もと》は|照彦《てるひこ》|身《み》は|光《ひかり》る
|光《ひかり》が|出《で》たら|紅《くれなゐ》の |館《やかた》はたちまち|夜《よ》が|明《あ》ける
|開《あ》けて|口惜《くや》しい|玉手箱《たまてばこ》 |美濃彦《みのひこ》|今《いま》に|泣《な》き|面《づら》を
かわくを|見《み》るのが|気《き》の|毒《どく》ぢや |会《あ》はにや|会《あ》はぬでそれもよい
|後《あと》でビツクリして|泡《あわ》|吹《ふ》くな |後《あと》でビツクリして|泡《あわ》|吹《ふ》くな』
と|繰返《くりかへ》しくりかへし|踊《をど》つたのである。
|立熊別《たてくまわけ》は|不思議《ふしぎ》な|奴《やつ》が|来《き》たものと、|面白《おもしろ》|半分《はんぶん》にからかつてゐた。|美濃彦《みのひこ》はあまり|門口《かどぐち》の|騒《さわ》がしさに|立《た》ち|出《い》で、【じつ】と|様子《やうす》を|考《かんが》へてみた。|合点《がつてん》のゆかぬはこの|浮浪神《さすらひがみ》である。|顔《かほ》の|色《いろ》こそ|変《かは》つてゐるが、どことなく|見覚《みおぼ》えのある|顔《かほ》である。またその|声《こゑ》は|何《なん》となく|聞《き》き|覚《おぼ》えのある|声《こゑ》である。|不思議《ふしぎ》に|思《おも》つて、ともかくもこれを|門内《もんない》に|通《とほ》した。|門内《もんない》に|入《い》るや|否《いな》や、|美濃彦《みのひこ》にむかひ、
『|吾《われ》は|元照彦《もとてるひこ》である。|常世《とこよ》の|城《しろ》に|敗《はい》をとり、|全軍《ぜんぐん》|四方《しはう》に|解散《かいさん》し、|吾《われ》はわずかに|身《み》をもつて|免《まぬが》れ、やうやくここまで|落《お》ちのびたのである』
と|一伍一什《いちぶしじふ》を|物語《ものがたり》つた。
|美濃彦《みのひこ》は|驚《おどろ》いて|大地《だいち》に|平伏《へいふく》し、|立熊別《たてくまわけ》の|無礼《ぶれい》を|陳謝《ちんしや》し、ただちに|奥殿《おくでん》へともなひ|種々《しゆじゆ》の|饗応《きやうおう》をなし、かつ|新《あたら》しき|衣服《いふく》を|出《だ》し|来《きた》りてそれを|着用《ちやくよう》させた。さうして|元照彦《もとてるひこ》を|正座《しやうざ》に|直《なほ》し、|自分《じぶん》は|左側《さそく》に|端座《たんざ》し、|侍者《じしや》をして|立熊別《たてくまわけ》を|招《まね》き|来《きた》らしめた。|立熊別《たてくまわけ》は|美濃彦《みのひこ》の|前《まへ》へ|出頭《しゆつとう》した。|正座《しやうざ》に|立派《りつぱ》な|神《かみ》のあるのを|見《み》て|驚《おどろ》き、|不審《ふしん》さうに|顔《かほ》を|打見《うちみ》まもつてゐる。|美濃彦《みのひこ》は|立熊別《たてくまわけ》に|向《むか》つて、|先程《さきほど》の|浮浪神《さすらひがみ》は|此方《こなた》であると、|上座《じやうざ》の|方《はう》を|指《さ》し|示《しめ》した。|立熊別《たてくまわけ》はつくづくこれを|眺《なが》め、はじめて|元照彦《もとてるひこ》なりしことを|知《し》り、|尻《しり》を|花立《はなたて》にして|以前《いぜん》の|無礼《ぶれい》を|陳謝《ちんしや》した。
ここに|美濃彦《みのひこ》と|密議《みつぎ》の|結果《けつくわ》、|元照彦《もとてるひこ》は|服装《ふくさう》を|変《へん》じ、|館《やかた》の|従臣《じゆうしん》|港彦《みなとひこ》をともなひ、スペリオル|湖《こ》のほとりに|船頭《ふながみ》となつて|往来《わうらい》の|神司《かみがみ》を|調《しら》べ、|味方《みかた》をあつめ、かつ|敵《てき》の|情勢《じやうせい》を|探《さぐ》らむとした。
|常世姫《とこよひめ》の|軍《ぐん》は、|八方《はつぱう》に|手分《てわ》けして|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|元照彦《もとてるひこ》の|所在《ありか》を|厳密《げんみつ》に|探《さぐ》らむとし、|猿世彦《さるよひこ》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|後《あと》を|追《お》ふて、いま|此処《ここ》に|現《あら》はれた。|猿世彦《さるよひこ》は|船《ふね》を|命《めい》じこの|湖水《こすゐ》を|渡《わた》らむとした。|港彦《みなとひこ》はただちに|船《ふね》を|出《だ》した。|船《ふね》は|湖《みづうみ》の|中《なか》ほどまで|進《すす》んだ。にはかに|暴風《ばうふう》|吹《ふ》きおこり、|浪《なみ》|高《たか》く|船《ふね》はすでに|浪《なみ》に|呑《の》まれむとする。|猿世彦《さるよひこ》は|顔色《がんしよく》|蒼《あを》ざめ|慄《ふる》ひ|戦《おのの》ひてゐた。これにひきかへ、|港彦《みなとひこ》は|平気《へいき》の|平左《へいざ》で|歌《うた》をうたつてゐる。さうして|常世《とこよ》の|城《しろ》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|元照彦《もとてるひこ》といふ|神将《しんしやう》のために|再《ふたた》び|陥落《かんらく》し、|常世姫《とこよひめ》は|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|行《い》つたといふ|噂《うはさ》が|専《もつぱ》らであると、|他事《よそごと》に|話《はなし》しかけた。|猿世彦《さるよひこ》は|心《こころ》も|心《こころ》ならず、|速《すみ》やかにこの|船《ふね》を|元《もと》へ|返《かへ》せと|命《めい》じた。|風《かぜ》はますます|烈《はげ》しく、|浪《なみ》はおひおひ|高《たか》くなつてきた。|猿世彦《さるよひこ》は|気《き》が|気《き》でなく、しきりにかへせかへせと|厳命《げんめい》した。|港彦《みなとひこ》は|少《すこ》しも|騒《さわ》がず、ますます|北方《ほつぱう》へ|漕《こ》ぐのであつた。そして|港彦《みなとひこ》は|容《かたち》を|正《ただ》し、|猿世彦《さるよひこ》にむかひ、
『|吾《われ》は|卑《いや》しき|船頭《ふながみ》となつて|汝《なんぢ》らの|来《く》るのを|待《ま》つてゐたのである。|実《じつ》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|元照彦《もとてるひこ》の|謀将《ぼうしやう》である。|今《いま》ここで|南《みなみ》へ|引《ひ》きかへさむか、|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|数多《あまた》の|神軍《しんぐん》を|整《ととの》へて|汝《なんぢ》を|滅《ほろ》ぼさむと|待《ま》ちかまへてゐる。|北《きた》へ|進《すす》まむか、|北岸《ほくがん》には|元照彦《もとてるひこ》が|神軍《しんぐん》を|整《ととの》へ|汝《なんぢ》の|到着《たうちやく》を|待《ま》つてこれを|滅《ほろ》ぼさむとしてゐる。この|湖《みづうみ》は|両神軍《りやうしんぐん》の|部将《ぶしやう》が|東西南北《とうざいなんぽく》に|手配《てくば》りして、|蟻《あり》のはひでる|隙間《すきま》もない|状況《じやうきやう》である。|吾《われ》は|汝《なんぢ》に|教《をし》ふべきことがある、|袖振《そでふ》り|合《あ》ふも|他生《たしやう》の|縁《えん》といふではないか。|汝《なんぢ》と|吾《われ》とはいはば|一蓮托生《いちれんたくしやう》、いつそこの|湖《みづうみ》に|両人《りやうにん》|投身《とうしん》しては|如何《いかん》。なまじひに|命《いのち》を|長《なが》らへむとして|恥《はぢ》をかくは|男子《だんし》たるものの|本意《ほんい》ではあるまい。また|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》な|心《こころ》をおこし|身《み》を|逃《のが》れむとして|捕虜《とりこ》となり、|恥《はぢ》をさらさば、|汝《なんぢ》|一人《いちにん》の|恥《はぢ》のみではない。|常世姫《とこよひめ》の|一大《いちだい》|恥辱《ちじよく》である。|覚悟《かくご》はいかに』
と|問詰《とひつ》めた。|猿世彦《さるよひこ》は|進退《しんたい》きはまり|卑怯《ひけふ》にも|声《こゑ》を|放《はな》つて、|男《をとこ》|泣《な》きに|泣《な》きだし、|手《て》を|合《あ》はせて|救《すく》ひを|乞《こ》ふた。|港彦《みなとひこ》は|愉快《ゆくわい》でたまらず、
『しからば|汝《なんぢ》の|願《ねが》ひを|聞《き》き|届《とど》けてやらう。その|代《かは》りに、|吾《われ》の|一《ひと》つの|願《ねが》ひを|聞《き》いてくれるか』
といつた。|猿世彦《さるよひこ》は、
『|命《いのち》あつての|物種《ものだね》、たとへ|貴下《きか》が|山《やま》を|逆様《さかさま》に|上《あが》れと|言《い》はれても、|吾《わ》が|命《いのち》さへ|助《たす》けたまへば|決《けつ》して|違背《ゐはい》は|申《まを》さじ』
と|答《こた》へた。|港彦《みなとひこ》は、
『しからば|汝《なんぢ》の|衣類《いるゐ》を|脱《ぬ》ぎすて、この|湖《みづうみ》の|中《なか》へ|投入《とうにふ》し、|裸《はだか》になれ』
と|命《めい》じた。
|寒気《かんき》の|激烈《げきれつ》なるこの|湖上《こじやう》に、かてて|加《くは》へて|身《み》を|切《き》るやうな|寒風《かんぷう》が|吹《ふ》き|荒《すさ》んでゐる。されど|命《いのち》が|大事《だいじ》と|猿世彦《さるよひこ》は、|命《めい》の【まにまに】|衣《ころも》を|脱《ぬ》ぎ|捨《す》てた。たちまち|菎蒻《こんにやく》の|幽霊《いうれい》か|地震《ぢしん》の|孫《まご》のやうに、ブルブル|慄《ふる》ひだし、つひには|手足《てあし》も|凍《こほ》り|息《いき》さへ|絶《た》えて、|完全《くわんぜん》なる|木乃伊《ミイラ》になつてしまつた。|港彦《みなとひこ》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|土産《みやげ》として、この|木乃伊《ミイラ》を|乗《の》せて|乗場《のりば》に|引《ひ》きかへしたのである。
(大正一〇・一一・二 旧一〇・三 桜井重雄録)
第五篇 |神《かみ》の|慈愛《じあい》
第二八章 |高白山《かうはくざん》の|戦闘《せんとう》〔七八〕
ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|元照彦《もとてるひこ》と|共《とも》に、|猿世彦《さるよひこ》の|木乃伊《ミイラ》にむかひ、|前後《ぜんご》より|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し|息《いき》を|吹《ふ》きかけられた。たちまち|猿世彦《さるよひこ》は|体温《たいおん》|次第《しだい》にまし、|辛《から》うじて|蘇生《そせい》した。
|猿世彦《さるよひこ》はわが|前《まへ》に、|言霊別命《ことたまわけのみこと》|以下《いか》の|神将《しんしやう》の|姿《すがた》を|見《み》て|大《おほ》いに|驚《おどろ》き、ひたすらに|生命《いのち》を|救《すく》ひ|罪《つみ》を|赦《ゆる》されむことを|嘆願《たんぐわん》した。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|仁義《じんぎ》を|重《おも》んじ|生命《いのち》を|救《すく》ひしうへ、|一片《いつぺん》の|信書《しんしよ》を|認《したた》め、これを|常世姫《とこよひめ》に|伝達《でんたつ》せむことを|命《めい》じた。
|猿世彦《さるよひこ》は|唯々《ゐゐ》として|命《めい》を|拝《はい》し、かつ|救命《きうめい》の|大恩《だいおん》を|感謝《かんしや》し、|尾《を》をふり|嬉々《きき》として|帰国《きこく》した。
その|信書《しんしよ》の|文面《ぶんめん》は、
『|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|元照彦《もとてるひこ》は、|勇猛《ゆうまう》|無比《むひ》の|神将《しんしやう》をあまた|引率《ひきつ》れ、スペリオル|湖《こ》を|中心《ちゆうしん》として|陣営《ぢんえい》を|造《つく》り、|大挙《たいきよ》して|常世城《とこよじやう》を|占領《せんりやう》せむとす。|汝《なんぢ》|常世姫《とこよひめ》すみやかに|善心《ぜんしん》に|立帰《たちかへ》り、|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い|心底《しんてい》より|悔《く》い|改《あらた》めよ。しからざれば、われはここに|天軍《てんぐん》を|興《おこ》して|汝《なんぢ》を|鏖滅《あうめつ》せむ』
との|意味《いみ》であつた。|猿世彦《さるよひこ》は|虎口《ここう》を|免《のが》れ、|頭《かしら》をさげ、|腰《こし》をまげ|尾《を》をふりつつ|南方《なんぱう》さして|遁《に》げかへつた。スペリオル|湖畔《こはん》の|陣営《ぢんえい》は、|港彦《みなとひこ》をしてこれを|守《まも》らしめ、|命《みこと》は|元照彦《もとてるひこ》とともに|長駆《ちやうく》して|高白山《かうはくざん》に|進《すす》んだのである。ここは|荒熊彦《あらくまひこ》、|荒熊姫《あらくまひめ》の|二神司《にしん》があつた。
この|二神司《にしん》は|高白山《かうはくざん》の|守将《しゆしやう》である。
|高白山《かうはくざん》は|常世姫《とこよひめ》|一派《いつぱ》の|魔軍《まぐん》に|攻《せ》め|悩《なや》まされ、|二神司《にしん》はすでに|捕虜《ほりよ》となり、|岩窟《がんくつ》を|掘《ほ》つて|取《と》じこめられてゐた。
このとき|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、|山上《さんじやう》より|白雲《はくうん》の|立上《たちのぼ》るを|見《み》て|正《ただ》しき|神司《かみ》ありと|知《し》り、|近《ちか》づき|見《み》るに、|常世姫《とこよひめ》の|部下《ぶか》|駒山彦《こまやまひこ》が|包囲《はうゐ》してをつた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|南方《なんぱう》より、|元照彦《もとてるひこ》は|西方《せいはう》より|迂回《うくわい》して|北方《ほつぱう》の|背後《はいご》に|出《い》で、|前後《ぜんご》より|高白山《かうはくざん》を|攻撃《こうげき》した。|駒山彦《こまやまひこ》は|不意《ふい》の|強力《きやうりよく》なる|援軍《ゑんぐん》に|背後《はいご》を|衝《つ》かれ|不覚《ふかく》をとり、はうはうの|体《てい》にてわづかに|身《み》をもつて|免《まぬ》がれ、|全軍《ぜんぐん》はほとんど|四方《しはう》に|潰走《くわいそう》した。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|元照彦《もとてるひこ》は、|南北《なんぽく》|両面《りやうめん》より|高白山《かうはくざん》にのぼり、|白雲《はくうん》の|立《た》てる|岩窟《がんくつ》の|戸《と》を|打砕《うちくだ》き、|二神司《にしん》を|救《すく》ひ|出《だ》した。
ここに|荒熊彦《あらくまひこ》、|荒熊姫《あらくまひめ》は|再生《さいせい》の|恩《おん》を|謝《しや》し、みづから|乞《こ》ふて|従臣《じゆうしん》となり、|高白山《かうはくざん》の|城塞《じやうさい》を|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|奉献《たてまつ》つた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|元照彦《もとてるひこ》をローマ、モスコーに|遣《つか》はして、|味方《みかた》の|情勢《じやうせい》を|偵察《ていさつ》せしめ、みづからは|荒熊彦《あらくまひこ》を|部将《ぶしやう》としてここに|根拠《こんきよ》を|定《さだ》められた。
|高白山《かうはくざん》は|常世《とこよ》の|国《くに》の|北極《ほくきよく》にして、|世界経綸《せかいけいりん》の|神策上《しんさくじやう》もつとも|枢要《すうえう》なる|地点《ちてん》である。
(大正一〇・一一・二 旧一〇・三 外山豊二録)
第二九章 |乙女《をとめ》の|天使《てんし》〔七九〕
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、|高白山《かうはくざん》を|中心《ちゆうしん》として|仁慈《じんじ》をもつて|神政《しんせい》をほどこし、|諸神《しよしん》は|鼓腹撃壤《こふくげきじやう》してその|堵《と》に|安《やす》んじ、|実《じつ》に|地上《ちじやう》の|天国《てんごく》といふべき|聖代《せいだい》を|現出《げんしゆつ》した。|命《みこと》の|威望《ゐばう》は|旭日昇天《きよくじつしようてん》の|勢《いきほひ》であつた。|荒熊彦《あらくまひこ》は|荒熊姫《あらくまひめ》の|使嗾《しそう》により、|内心《ないしん》|時《とき》をうかがひ、|大恩《だいおん》ある|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|陥《おとしい》れ|再《ふたた》び|自分《じぶん》が|取《と》つて|代《かは》らむと|企《たく》みてゐた。かれ|荒熊彦《あらくまひこ》は、|常世城《とこよじやう》に|密使《みつし》を|立《た》て、|常世姫《とこよひめ》の|力《ちから》を|借《か》りて、|再生《さいせい》の|恩神《おんしん》、|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|亡《ほろ》ぼさむとした。
|一旦《いつたん》|敗走《はいそう》したる|駒山彦《こまやまひこ》は|兵備《へいび》を|整《ととの》へ、|遮二無二《しやにむに》|高白山《かうはくざん》に|攻《せ》めかけた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|荒熊彦《あらくまひこ》に|命《めい》じてこれを|防《ふせ》がしめた。しかるに|荒熊彦《あらくまひこ》はすでに|敵軍《てきぐん》に|款《くわん》を|通《つう》じてゐた。
ここに|荒熊彦《あらくまひこ》の|子《こ》に|清照彦《きよてるひこ》といふ|正《ただ》しき|神司《かみ》があつた。この|度《たび》の|戦《たたか》ひに|大敗《たいはい》して|元照彦《もとてるひこ》のために|滅《ほろ》ぼされたりとの|風評《ふうへう》たかく|荒熊姫《あらくまひめ》のもとに|届《とど》いた。この|時《とき》|元照彦《もとてるひこ》はローマ、モスコーの|視察《しさつ》ををへ、|高白山《かうはくざん》の|危急《ききふ》に|迫《せま》れることを|聞《き》きて、はるかに|神軍《しんぐん》を|率《ひき》ゐて|応援《おうゑん》に|来《き》たのである。|荒熊姫《あらくまひめ》は|清照彦《きよてるひこ》の、|元照彦《もとてるひこ》に|亡《ほろ》ぼされし|噂《うはさ》を|聞《き》きてますます|怒《いか》り、ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|神軍《しんぐん》を|率《ひき》ゐて|南方《なんぱう》に|陣《ぢん》し、|敵軍《てきぐん》を|防《ふせ》ぐと|見《み》せかけ、|高白山《かうはくざん》を|陥《おとしい》れむとした。|折《をり》しも|竜馬《りゆうめ》にまたがり|天空《てんくう》を|翔《かけ》り、|高白山《かうはくざん》の|城塞《じやうさい》|目《め》がけて|下《くだ》りきたる|女神使《によしん》があつた。|年《とし》いまだ|若《わか》く|容貌《ようばう》|秀麗《しうれい》なる|天使《てんし》である。|案内《あんない》もなく|馬《うま》を|乗《の》りすてて、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|御座《ござ》|近《ちか》くすすみ、
『|吾《われ》は|天津神《あまつかみ》の|使神《ししん》なり。|高白山《かうはくざん》は、|今《いま》や|荒熊彦《あらくまひこ》の|変心《へんしん》によつて、|危機一髪《ききいつぱつ》の|間《あひだ》に|迫《せま》り、|命《みこと》の|生命《いのち》は|瞬時《しゆんじ》に|迫《せま》りつつあり。|命《みこと》にして|吾《わ》が|天使《てんし》の|言《げん》を|信《しん》じたまはば、われに|全軍《ぜんぐん》の|指揮《しき》を|命《めい》じたまへ』
といふのである。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|荒熊彦《あらくまひこ》、|荒熊姫《あらくまひめ》を|深《ふか》く|信《しん》じ、|全軍《ぜんぐん》の|指揮《しき》を|委任《ゐにん》したるくらゐなれば、|今《いま》この|天使《てんし》の|言葉《ことば》を|聞《き》いて|大《おほ》いに|訝《いぶ》かり、
『|汝《なんぢ》は|天使《てんし》に|化《くわ》して|吾《われ》を|偽《いつは》る|邪神《じやしん》には|非《あら》ざるか、|汝《なんぢ》は|常世姫《とこよひめ》の|魔術《まじゆつ》によりて|現《あら》はれたる|魔神《ましん》ならむ』
とただちに|剣《つるぎ》を|抜《ぬ》きてその|女神使《によしん》に|斬《き》りつけた。|電光石火《でんくわうせきくわ》|今《いま》や|天使《てんし》は|頭上《づじやう》より|真二《まふた》つになりしと|思《おも》ふ|瞬間《しゆんかん》、|天使《てんし》の|頭上《づじやう》より|異様《いやう》の|光輝《くわうき》あらはれ、|剣《つるぎ》は|三段《さんだん》に|折《を》れて|命《みこと》の|手《て》には|柄《つか》のみ|残《のこ》つた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|呆然《ばうぜん》として|乙女《をとめ》の|天使《てんし》を|眺《なが》めてゐた。|乙女《をとめ》の|天使《てんし》は|笑《わら》ひとともに|命《みこと》にむかひ、
『もし|吾《わ》が|言《げん》を|疑《うたが》ひたまはば、|高白山《かうはくざん》は|直《ただ》ちに|滅亡《めつぼう》すべし。|吾《われ》は|天津神《あまつかみ》の|命《めい》により、|正《ただ》しき|神人《かみ》に|味方《みかた》せむとて|天《てん》より|救援《きうゑん》に|来《きた》りしものぞ』
と|天神《てんしん》の|神慮《しんりよ》を|詳細《しやうさい》に|述《の》べられたのである。|言霊別命《ことたまわけのみこと》はやうやく|乙女《をとめ》を|天使《てんし》と|信《しん》ずるに|至《いた》つた。|時《とき》しも|門外《もんぐわい》|騒《さわ》がしく、|足音《あしおと》|高《たか》く|命《みこと》の|前《まへ》に|近《ちか》づき|来《く》るものがある。|命《みこと》は|怪《あや》しみて|見《み》るに、|荒熊彦《あらくまひこ》、|鉄棒《てつぼう》を|打《う》ち|振《ふ》りつつ|御座《ござ》|近《ちか》く|迫《せま》りきたつて、
『|言霊別命《ことたまわけのみこと》にただいま|更《あらた》めて|見参《けんざん》せん。|高白山《かうはくざん》はすでに|常世姫《とこよひめ》の|有力《いうりよく》なる|応援《おうゑん》と、|駒山彦《こまやまひこ》の|巧妙《かうめう》なる|戦略《せんりやく》と、|加《くは》ふるに|吾《われ》ら|夫婦《ふうふ》の|変心《へんしん》とによりほとんど|全滅《ぜんめつ》せり。もはや|命《みこと》の|運命《うんめい》は|尽《つ》きたり。|潔《いさぎよ》くこの|場《ば》にて|自決《じけつ》さるるや。いたづらに|躊躇《ちうちよ》|逡巡《しゆんじゆん》して|時《とき》を|移《うつ》さるるにおいては、|畏《おそ》れながら|吾《われ》は、この|鉄棒《てつぼう》をもつて|命《みこと》を|粉砕《ふんさい》し|奉《たてまつ》らむ。|返答《へんたふ》いかに』
と|詰《つ》め|寄《よ》つた。|見《み》るより|乙女《をとめ》の|天使《てんし》|絹子姫《きぬこひめ》はその|仲《なか》に|入《い》り、
『|荒熊彦《あらくまひこ》、しばらく|待《ま》て』
と|柔《やさ》しき|女神使《によしん》に|似《に》ず、|言葉《ことば》|鋭《するど》く|眦《まなじり》を|釣《つ》つて|叫《さけ》んだ。|荒熊彦《あらくまひこ》はかよわき|乙女《をとめ》と|侮《あなど》り|嘲笑《あざわら》つていふやう、
『|大廈《たいか》の|覆《くつが》へらむとするとき、|一木《いちぼく》のよく|支《ささ》ふべきに|非《あら》ず。いはんや|乙女《をとめ》のただ|一柱《ひとはしら》の|如何《いか》でか|力《ちから》|及《およ》ばむや、|邪魔《じやま》ひろぐな』
と|乙女《をとめ》を|突《つ》き|倒《たふ》さむとした。|乙女《をとめ》の|天使《てんし》は|声《こゑ》をはげまし、
『|汝《なんぢ》|天使《てんし》に|向《むか》つて|挑戦《てうせん》するか。|目《め》に|物《もの》|見《み》せむ』
といふより|合掌《がつしやう》した。|勇猛《ゆうまう》なる|神卒《しんそつ》はたちまち|天《てん》より|下《くだ》り、|荒熊彦《あらくまひこ》を|前後《ぜんご》|左右《さいう》に|取囲《とりかこ》み、つひにその|場《ば》に|引据《ひきす》ゑた。|荒熊彦《あらくまひこ》は|胆《きも》をつぶし、|救《すく》ひを|求《もと》め、かつ|総《すべ》ての|罪状《ざいじやう》を|自白《じはく》し、|全軍《ぜんぐん》の|指揮権《しきけん》を|返上《へんじやう》した。|荒熊姫《あらくまひめ》はかかる|出来事《できごと》を|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|南麓《なんろく》の|原野《げんや》において|元照彦《もとてるひこ》と|鎬《しのぎ》を|削《けづ》つてゐたのである。この|時《とき》|元照彦《もとてるひこ》は|深《ふか》く|進《すす》みて|重囲《ぢうゐ》に|陥《おちい》り、ほとんど|全滅《ぜんめつ》せむとする|間際《まぎは》であつた。
|駒山彦《こまやまひこ》の|魔軍《まぐん》はますます|勢《いきほひ》を|得《え》て|今《いま》や|城内《じやうない》に|入《い》らむとする。|常世姫《とこよひめ》の|応援軍《おうゑんぐん》は|鬨《とき》をつくつて|勢《いきほひ》を|煽《あふ》り、|侮《あなど》りがたき|猛勢《まうせい》である。この|時《とき》|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、|乙女《をとめ》の|天使《てんし》に|全軍《ぜんぐん》の|指揮《しき》を|命《めい》じた。ほとんど|絶望《ぜつぼう》に|瀕《ひん》したる|味方《みかた》の|神軍《しんぐん》は、にはかに|天使《てんし》の|現《あら》はれしに|勇《いさ》みたち、|勇気《ゆうき》はここに|百倍《ひやくばい》した。|乙女《をとめ》の|天使《てんし》は|金《きん》の|采配《さいはい》を|打振《うちふ》り|全軍《ぜんぐん》を|指揮《しき》し、|駒山彦《こまやまひこ》の|魔軍《まぐん》にむかつて、|驀地《まつしぐら》に|突入《とつにふ》した。|敵軍《てきぐん》は|雪崩《なだれ》をうつて、|倒《こ》けつ|転《まろ》びつ|数多《あまた》の|死傷者《ししやうしや》を|出《だ》しつつ、|山麓《さんろく》|目《め》がけて|逃《に》げ|散《ち》つた。
|荒熊彦《あらくまひこ》は|改心《かいしん》の|上《うへ》|一方《いつぱう》の|部将《ぶしやう》となり、|常世姫《とこよひめ》の|援軍《ゑんぐん》にむかつて|厳《きび》しく|攻《せ》め|入《い》り、|奮闘《ふんとう》のすゑ|足部《そくぶ》に|大負傷《だいふしやう》をなし、|身体《しんたい》の|自由《じいう》を|失《うしな》ひ、|従臣《じゆうしん》に|救《すく》はれやうやく|城塞《じやうさい》に|逃《に》げ|帰《かへ》つた。|乙女《をとめ》の|天使《てんし》は|駒山彦《こまやまひこ》の|魔軍《まぐん》を|破《やぶ》り、|再《ふたた》び|転《てん》じて|荒熊姫《あらくまひめ》の|頭上《づじやう》より|攻撃《こうげき》をはじめた。|荒熊姫《あらくまひめ》は|周章狼狽《あわてふため》き、つひに|乙女《をとめ》の|天使《てんし》にむかつて|降《かう》を|乞《こ》うた。ここに|乙女《をとめ》の|忠告《ちゆうこく》により|元照彦《もとてるひこ》に|無礼《ぶれい》を|謝《しや》し、|高白山《かうはくざん》は|目出《めで》たく|平和《へいわ》に|帰《き》し、|敵《てき》は|四方《しはう》に|散乱《さんらん》した。
(大正一〇・一一・三 旧一〇・四 加藤明子録)
第三〇章 |十曜《とえう》の|神旗《しんき》〔八〇〕
|高白山《かうはくざん》を|中心《ちゆうしん》とするアラスカ|国《こく》はふたたび|平和《へいわ》に|治《おさ》まつた。|常世姫《とこよひめ》はいかにもしてこれを|占領《せんりやう》せむと、|多《おほ》くの|探女《さぐめ》|醜女《しこめ》を|放《はな》つて、|種々《しゆじゆ》の|計画《けいくわく》を|立《た》ててゐるので、|少《すこ》しの|油断《ゆだん》もできぬ|有様《ありさま》であつた。
|天使《てんし》として|下《くだ》り|来《きた》れる|絹子姫《きぬこひめ》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|身辺《しんぺん》を|衛《まも》り、かつ|不測《ふそく》の|出来事《できごと》を|排除《はいじよ》せむために、ここに|侍女《じぢよ》と|身《み》を|変《へん》じ|名《な》を|照妙姫《てるたへひめ》と|改称《かいしよう》し、|命《みこと》の|側《そば》|近《ちか》く|奉仕《ほうし》した。
|常世姫《とこよひめ》の|部将《ぶしやう》|駒山彦《こまやまひこ》はこのことをうかがひ|知《し》り、ただちにこれを|常世姫《とこよひめ》に|通告《つうこく》した。|常世姫《とこよひめ》は|好機《かうき》|逸《いつ》すべからずとなし、みづから|竜宮城《りゆうぐうじやう》にいたつて、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|謁《えつ》し、
『|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|高白山《かうはくざん》に|城塞《じやうさい》を|構《かま》へ、ローマ、モスコーの|神軍《しんぐん》と|相《あひ》|呼応《こおう》して|常世城《とこよじやう》を|屠《はふ》り、ついで|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|占領《せんりやう》せむとし、|照妙姫《てるたへひめ》といふ|怪《あや》しき|女性《をみな》を|妻《つま》となし、|神政《しんせい》を|怠《おこた》り、|国土《こくど》は|乱《みだ》れ、|昼夜《ちうや》|間断《かんだん》なく|酒色《しゆしよく》に|耽《ふけ》り、|荒淫《くわういん》いたらざるなし。かつ|言霊姫《ことたまひめ》を|極力《きよくりよく》|誹謗《ひばう》し、かつ|天地《てんち》に|容《い》れざるの|大叛逆《だいはんぎやく》を|企《くはだ》てをれり』
と|誣奏《ぶそう》した。
|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|常世姫《とこよひめ》の|言《ことば》を|信《しん》じ、たちまち|顔色《がんしよく》を|変《へん》じて、|天使《てんし》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、|真澄姫《ますみひめ》、|言霊姫《ことたまひめ》、|神国別命《かみくにわけのみこと》その|他《た》の|諸神将《しよしんしよう》を|集《あつ》めて|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|非行《ひかう》を|伝《つた》へ、かつ|神軍《しんぐん》をもつてこれを|討亡《うちほろ》ぼさむことを|厳命《げんめい》された。
ここに|小島別《こじまわけ》、|竹島彦《たけじまひこ》は|大《おほ》いに|喜《よろこ》び、|雙手《さうしゆ》をあげて|賛成《さんせい》をとなへた。|城内《じやうない》の|諸神将《しよしんしよう》は|常世姫《とこよひめ》の|言《げん》を|疑《うたが》ひ、|大広間《おほひろま》に|諸神司《しよしん》をあつめて、|高白山《かうはくざん》|攻撃《こうげき》に|関《くわん》する|協議《けふぎ》を|開《ひら》いた。
そのとき|末席《まつせき》よりあらはれたる|神山彦《かみやまひこ》、|村雲彦《むらくもひこ》、|真倉彦《まくらひこ》、|武晴彦《たけはるひこ》は|一斉《いつせい》に|立《た》ち、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》に|向《むか》つて|発言《はつげん》をもとめ、|言葉《ことば》も|穏《おだ》やかに、
『|高白山《かうはくざん》|討伐《たうばつ》の|儀《ぎ》は、しばらく|吾《われ》らに|委《まか》したまはずや』
といつた。|小島別《こじまわけ》、|竹島彦《たけじまひこ》はたちまち|立《た》つて、
『|汝《なんぢ》がごとき|微力《びりよく》なる|神司《かみ》の、いかでかこの|大任《たいにん》を|果《はて》し|得《う》べきぞ。|冀《こひねが》はくは|吾《われ》に|少《すこ》しの|神軍《しんぐん》を|与《あた》へたまはば、|吾《われ》は|神変不可思議《しんぺんふかしぎ》の|妙策《めうさく》をもつて、|言霊別命《ことたまわけのみこと》|以下《いか》を|捕虜《ほりよ》とし|面縛《めんばく》して、|彼《かれ》らを|諸神司《しよしん》の|眼前《がんぜん》に|連《つ》れ|帰《かへ》らむ』
と|述《の》べ|立《た》てた。|神山彦《かみやまひこ》は|憤然《ふんぜん》|色《いろ》をなし、
『|常世《とこよ》の|国《くに》に|使《つか》ひして、|言霊別命《ことたまわけのみこと》|以下《いか》をとり|失《うしな》ひ、|失敗《しつぱい》の|恥《はぢ》を|晒《さら》したる|汝《なんぢ》ら|諸神司《しよしん》、いかなる|妙策《めうさく》あるとも|散々《さんざん》に|討《う》ち|悩《なや》まされ、ふたたび|恥辱《ちじよく》を|重《かさ》ぬるは|火《ひ》をみるよりも|瞭《あきら》かなり。いらざる|言挙《ことあ》げして|失敗《しつぱい》をとるなかれ』
と|睨《ね》めつけた。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、|相互《たがひ》の|争論《そうろん》のいつ|果《は》つるべきやうもなきを|見《み》、この|場《ば》をはづして|直《ただ》ちに|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|拝謁《はいえつ》し、
『いづれの|神司《かみ》を|遣《つか》はさむや』
と|教《おしへ》を|請《こ》はれた。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》はこれを|聞《き》きて|頭《かうべ》をかたむけ、やや|思案《しあん》の|体《てい》であつた。このとき|真澄姫《ますみひめ》、|言霊姫《ことたまひめ》、|竜世姫《たつよひめ》は|異口同音《いくどうおん》に、
『|神山彦《かみやまひこ》を|遣《つか》はしたまふべし。|彼《かれ》は|忠勇無比《ちうゆうむひ》の|神将《しんしやう》にして、かつ|至誠《しせい》|至実《しじつ》の|神司《かみ》なり』
と|奏上《そうじやう》した。かくしてつひに|神山彦《かみやまひこ》の|進言《しんげん》は|容《い》れられた。
ここに|神山彦《かみやまひこ》は、|村雲彦《むらくもひこ》、|真倉彦《まくらひこ》、|武晴彦《たけはるひこ》を|伴《とも》なひ、|従臣《じゆうしん》を|引連《ひきつ》れ、|天之磐樟船《あまのいはくすぶね》に|打乗《うちの》りて|天空《てんくう》|高《たか》く|高白山《かうはくざん》にむかふた。
|時《とき》しも|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、|高白山《かうはくざん》|城塞《じやうさい》に|安居《あんきよ》し、|照妙姫《てるたへひめ》を|侍臣《じしん》とし、|荒熊彦《あらくまひこ》、|荒熊姫《あらくまひめ》、|元照彦《もとてるひこ》らの|勇将《ゆうしやう》とともに|高台《たかだい》にのぼり、|月《つき》を|賞《しやう》してゐた。|空《そら》は|一点《いつてん》の|雲《くも》もなく、|星《ほし》はほとんどその|姿《すがた》を|隠《かく》し、えもいはれぬ|光景《くわうけい》であつた。
|折《をり》から|東南《とうなん》の|蒼空《さうくう》より|一点《いつてん》の|黒影《こくえい》があらはれ、おひおひ|近《ちか》づいてくる。|一同《いちどう》は|何者《なにもの》ならむと|一心《いつしん》にこれを|眺《なが》めてゐた。たちまち|音響《おんきやう》が|聞《きこ》えだした。|見《み》れば|天之磐樟船《あまのいはくすぶね》である。この|船《ふね》には|白地《しろぢ》に|赤《あか》の|十曜《とえう》を|染《そ》めだしたる|神旗《しんき》が|立《た》つてゐた。ややあつてその|船《ふね》は|城内《じやうない》に|下《くだ》つてきた。これは|神山彦《かみやまひこ》|一行《いつかう》の|乗《の》れる|船《ふね》であつた。
このとき|照妙姫《てるたへひめ》は|何《なに》|思《おも》ひけむ、にはかに|白雲《はくうん》と|化《くわ》し、|細《ほそ》く|長《なが》く|虹《にじ》のごとく|身《み》を|変《へん》じて|月界《げつかい》に|帰《かへ》つた。
|荒熊彦《あらくまひこ》は|神山彦《かみやまひこ》の|一行《いつかう》を|出迎《でむか》へ、|慇懃《いんぎん》に|遠来《ゑんらい》の|労《らう》を|謝《しや》し、かつ|使節《つかひ》の|趣旨《おもむき》をたづねた。|神山彦《かみやまひこ》は|威儀《ゐぎ》を|正《ただ》して、
『|吾《われ》は|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|直使《ちよくし》なり。|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|面会《めんくわい》ををはるまでは、|何事《なにごと》も|口外《こうぐわい》することあたはず』
と|意味《いみ》ありげに|答《こた》へ、
『ただちに|命《みこと》の|前《まへ》へ|吾《われ》らを|導《みちび》くべし』
といつた。|荒熊彦《あらくまひこ》は|何《なに》|思《おも》ひけむ、|得意気《とくいげ》に|微笑《びせう》を|洩《も》らしつつ、この|由《よし》を|命《みこと》に|伝《つた》へた。
|命《みこと》はただちに|応諾《おうだく》して、|神山彦《かみやまひこ》|一行《いつかう》を|居間《ゐま》に|導《みちび》き、まづ|来意《らいい》を|尋《たづ》ねた。|神山彦《かみやまひこ》は、
『|一大事《いちだいじ》あり、|冀《こひねが》はくは|隣神司《りんしん》を|遠《とほ》ざけたまへ』
と|申込《まをしこ》んだ。ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|隣神司《りんしん》を|遠《とほ》ざけ、
『|一大事《いちだいじ》とは|何《なん》ぞ』
とあわただしく|尋《たづ》ねた。
(大正一〇・一一・三 旧一〇・四 谷口正治録)
第三一章 |手痛《ていた》き|握手《あくしゆ》〔八一〕
|神山彦《かみやまひこ》は|決心《けつしん》の|色《いろ》をあらはし|言霊別命《ことたまわけのみこと》にむかつて、
『|貴神《きしん》は|美《うるは》しき|天女《てんによ》のごとき|妻《つま》ありと|聞《き》く、|冀《こひねが》はくは|吾《われ》らに|拝謁《はいえつ》を|許《ゆる》したまはずや』
と|出《だ》しぬけに|申《まを》しこんだ。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|案《あん》に|相違《さうゐ》し、
『こは|奇怪《きくわい》なることを|承《うけたま》はるものかな、わが|妻《つま》は|汝《なんぢ》の|知《し》らるるごとく|竜宮城《りゆうぐうじやう》にあり』
と|答《こた》へた。|神山彦《かみやまひこ》は、
『そは|既《すで》に|承知《しようち》せり。|第二《だいに》の|妃神《きさきがみ》に|面会《めんくわい》したし。|秘《か》くさせたまふとも、|秘《か》くすよりあらはるるはなし。すでに|妃神《きさきがみ》のあることは|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|雷《らい》のごとく|響《ひび》きわたれり。|命《みこと》は|吾《われ》らにむかつて|詐言《さげん》を|用《もち》ゐたまふや』
と|詰問《きつもん》した。|命《みこと》はおほいに|困《こま》り、
『|吾《われ》は|汝《なんぢ》の|言《い》はるるごとく|第二《だいに》の|妃神《きさきがみ》を|持《も》てる|覚《おぼ》えなし。|吾《われ》|高白山《かうはくざん》の|戦《たたか》ひに|敗《やぶ》れ、|危機《きき》に|迫《せま》れるとき、|天上《てんじやう》より|乙女《をとめ》の|天使《てんし》|下《くだ》りきたりて|吾《われ》を|救《すく》ひ、かつ|吾《わ》が|身辺《しんぺん》に|侍《じ》してこれを|保護《ほご》せり。|常世姫《とこよひめ》はこれを|伝《つた》へ|聞《き》きて、|第二《だいに》の|妃神《きさきがみ》と|思《おも》ひ|誤《あやま》りしならむ。|疑《うたが》はしくば|今《いま》ここに|天使《てんし》を|招《まね》き、もつて|汝《なんぢ》の|蒙《もう》を|啓《ひら》かむ』
とたちまち|立《た》つて|一室《いつしつ》に|入《い》り、『|照妙姫《てるたへひめ》|殿《どの》、|照妙姫《てるたへひめ》|殿《どの》』と|呼《よ》んだ。|何《なん》の|返事《へんじ》もなく、そこらには|影《かげ》だに|見《み》えぬ。|命《みこと》は|不思議《ふしぎ》にたへず|今度《こんど》は、『|乙女《をとめ》の|天使《てんし》|絹子姫《きぬこひめ》|殿《どの》、|絹子姫《きぬこひめ》|殿《どの》』と|名《な》をかへて|呼《よ》びかけた。されども|音沙汰《おとさた》も|返辞《へんじ》もない。|命《みこと》は|荒熊彦《あらくまひこ》に|命《めい》じて|乙女《をとめ》の|行衛《ゆくへ》を|厳探《げんたん》せしめたが、いづこにも|乙女《をとめ》の|姿《すがた》を|認《みと》めることはできなかつた。
|命《みこと》は|是非《ぜひ》なく|一間《ひとま》へ|帰《かへ》り、|神山彦《かみやまひこ》らに|向《むか》つて、
『|今《いま》まで|吾《わ》が|前《まへ》にありし|乙女《をとめ》はいかがなりけむ。|声《こゑ》のかぎり|呼《よ》べど|叫《さけ》べど、|何《なん》の|答《こた》へもなし。|城内《じやうない》くまなく|探《さが》せどもその|影《かげ》さへも|認《みと》めず』
と|答《こた》へた。|神山彦《かみやまひこ》はニヤリと|笑《わら》ひ、
『|天女《てんによ》のごとき|妃神《きさきがみ》|二柱《ふたはしら》までも、|左右《さいう》に|侍《はべ》らせたまふ|命《みこと》の|身《み》の|上《うへ》こそ|実《じつ》に|羨《うらや》まし。からかはずと|早《はや》くわれらに|会《あ》はせたまへ』
としきりに|嘲笑《てうせう》の|色《いろ》をうかべて|促《うなが》すのである。|命《みこと》はおほいに|当惑《たうわく》した。ここに|元照彦《もとてるひこ》は|戸《と》を|排《はい》して|入《い》りきたり、|密室《みつしつ》を|開《ひら》きたてまつり、
『|吾《われ》は|申《まを》しわけなき|次第《しだい》なれど、|大変事《だいへんじ》|出来《しゆつたい》せり』
と|顔色《がんしよく》をかへ|進言《しんげん》するのであつた。|命《みこと》は、
『|変事《へんじ》とは|何事《なにごと》ぞ』
と|反問《はんもん》した。|元照彦《もとてるひこ》は、
『ただいま|照妙姫命《てるたへひめのみこと》は|白雲《はくうん》と|化《くわ》し、|月宮殿《げつきうでん》に|帰《かへ》りたまへり』
といつた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》はおほいに|驚《おどろ》き、|思《おも》はずその|場《ば》を|立《た》ち|上《あ》がらむとした。このとき|神山彦《かみやまひこ》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|袂《たもと》をひかへ、
『|暫《しばら》く|待《ま》たれよ、その|計略《けいりやく》はもはや|古《ふる》し、ふるし、|吾《われ》らはかかる|奸策《かんさく》に|誤《あやま》らるる|神司《かみ》にあらず、|誠心《せいしん》|誠意《せいい》、|善心《ぜんしん》に|立《た》ちかへり、もつて|事実《じじつ》の|真相《しんさう》を|明白《めいはく》に|述《の》べられよ』
と|追窮《つゐきう》ますます|烈《はげ》しくなつた。|真倉彦《まくらひこ》、|村雲彦《むらくもひこ》、|武晴彦《たけはるひこ》は|一斉《いつせい》に|立《た》つて|刀《かたな》の|柄《つか》に|手《て》をかけ、|満面《まんめん》|憤怒《ふんど》の|色《いろ》をあらはし、
『われを|偽《いつは》る|悪神《あくがみ》の|張本《ちやうほん》、|目《め》に|物《もの》|見《み》せてくれむ』
と|三方《さんぱう》より|詰《つ》めよつた。|神山彦《かみやまひこ》は|声《こゑ》を|荒《あら》らげ、
『|第二《だいに》の|妃神《きさきがみ》|絹子姫《きぬこひめ》をわが|前《まへ》に|出《だ》せ。|第三《だいさん》の|妃神《きさきがみ》|照妙姫《てるたへひめ》をこのところに|現《あら》はせ。|汝《なんぢ》は|竜宮《りうぐう》の|使神《つかひがみ》を|弁舌《べんぜつ》をもつて|胡魔化《ごまくわ》さむとするか、|無礼者《ぶれいもの》、|斬《き》つて|捨《す》てむ』
とこれまた|刀《かたな》の|柄《つか》に|手《て》をかけ|気色《きしよく》ばみて|四方《しはう》より|迫《せま》つた。|命《みこと》は|進退《しんたい》|谷《きは》まり、いかにしてこの|疑《うたが》ひを|晴《は》らさむかと|焦慮《せうりよ》し、かの|国世姫《くによひめ》より|賜《たま》はりし|種々物《くさぐさもの》の|領巾《ひれ》を|懐中《くわいちゆう》より|取《と》りいだし、|左右左《さいうさ》に|打《う》ちふつた。たちまち|天《てん》に|嚠喨《りうりやう》たる|音楽《おんがく》がきこえ、|乙女《をとめ》は|閉《とざ》したる|戸《と》のまま、|何《なん》の|障《さはり》もなく|入《い》りきたり、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|前《まへ》に|平伏《へいふく》した。
ここに|神山彦《かみやまひこ》は、【したり】|顔《がほ》に|命《みこと》にむかひ、
『こは|照妙姫《てるたへひめ》にあらずや、|最早《もはや》かくなる|上《うへ》は|絹子姫《きぬこひめ》も|現《あら》はし、|吾《われ》らの|疑《うたが》ひを|晴《は》らされよ』
と|迫《せま》つた。|困《こま》りはてたる|命《みこと》は、|左右左《さいうさ》に|前《まへ》の|如《ごと》くに|領巾《ひれ》を|振《ふ》つた。たちまち|嚠喨《りうりやう》たる|音楽《おんがく》|聞《きこ》え、あまたの|天女《てんによ》その|場《ば》に|現《あら》はれきたつて、|四柱《よはしら》の|手《て》を|把《と》り|踊《をど》り|狂《くる》うた。|手《て》をとられた|四柱《よはしら》は|身体《しんたい》たちまち|強直《きやうちよく》してその|場《ば》に|仆《たふ》れ、ここに|全《まつた》く|疑《うたが》ひを|晴《は》らし、|重々《ぢうぢう》の|無礼《ぶれい》を|陳謝《ちんしや》したのである。|真倉彦《まくらひこ》、|村雲彦《むらくもひこ》は|大《おほ》いに|弱《よわ》り、
『いかに|美《うるは》しき|天女《てんによ》なりとて、かかる|強《つよ》き|手《て》にて|握《にぎ》られては、|実《じつ》にたまつたものにあらず。|命《みこと》はよくもかかる|怪物《くわいぶつ》を|相手《あひて》にしたまひしぞ』
と|目《め》と|目《め》を|見《み》あはせ、|舌《した》をまきうち|驚《おどろ》く。|命《みこと》は、
『|汝《なんぢ》らの|疑《うたが》ひ|全《まつた》く|晴《は》れたるは|相互《さうご》の|幸《さいは》ひなり。いざこれより|遠来《ゑんらい》の|労《らう》を|犒《ねぎら》はむため、|奥殿《おくでん》にて|饗応《きやうおう》せむ』
と|先《さき》に|立《た》つてゆかむとした。そのとき|神山彦《かみやまひこ》は、
『しばらく|待《ま》たれよ。|申《まを》し|上《あ》げたき|仔細《しさい》あり』
と|引《ひ》きとどめ、
『これから|肝心要《かなめ》の|正念場《しやうねんば》なり。この|返答《へんたふ》|承《うけたま》はりしのち|饗応《きやうおう》に|預《あづ》からむ』
と|四柱《よはしら》はともに|声《こゑ》を|揃《そろ》へていきまきながらいつた。
(大正一〇・一一・三 旧一〇・四 桜井重雄録)
第三二章 |言霊別命《ことたまわけのみこと》の|帰城《きじやう》〔八二〕
|神山彦《かみやまひこ》は|威儀《ゐぎ》を|正《ただ》し、|言葉《ことば》を|改《あらた》め、
『|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|直使《ちよくし》として|貴神《きしん》に|伝《つた》ふべきことあり。|貴神《きしん》はローマ、モスコーにあまたの|神軍《しんぐん》を|配置《はいち》し、|今《いま》またこの|高白山《かうはくざん》に|陣営《ぢんえい》をかまへ、|久《ひさ》しく|竜宮城《りゆうぐうじやう》へ|帰《かへ》りきたらざるは|何故《なにゆゑ》ぞ。|一時《いちじ》も|早《はや》くローマ、モスコーの|神軍《しんぐん》を|解散《かいさん》し、|当城《たうじやう》をすてて|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰《かへ》り、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|疑《うたがひ》を|晴《は》らすべし』
と|気色《けしき》はげしく|鼻息《はないき》たかく|述《の》べたてた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|答《こた》へて、
『|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|真意《しんい》はさることながら、|今《いま》や|魔神《ましん》は|天下《てんか》に|跋扈跳梁《ばつこてうりやう》して、|勢《いきほひ》なかなか|侮《あなど》るべからず。|吾《われ》らが|今《いま》、ローマ、モスコーに|神軍《しんぐん》をあつめ、また|当山《たうざん》に|城塞《じやうさい》をかまへて|神軍《しんぐん》を|集《あつ》むるは、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》を|守《まも》り|奉《たてまつ》らむがためなり。いかに|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|聡明《そうめい》におはしますとも、|元来《ぐわんらい》は|婦神《ふじん》の|悲《かな》しさ、|比較的《ひかくてき》その|御神慮《ごしんりよ》|浅《あさ》く|疑念《ぎねん》|深《ふか》く、|常《つね》に|常世姫《とこよひめ》のごとき|奸侫邪智《かんねいじやち》の|神《かみ》を|信任《しんにん》し、つひには|根底《こんてい》より|神政《しんせい》を|覆《くつが》へされたまふは、|火《ひ》をみるより|瞭《あきら》かなり。われはこの|災禍《わざはひ》を|前知《ぜんち》し、|実《じつ》は|天使《てんし》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、|真澄姫《ますみひめ》と|謀《はか》り、|万一《まんいち》に|備《そな》へむとして|苦慮《くりよ》せるなり。|思慮《しりよ》|浅《あさ》き|女神《によしん》、|小神《せうしん》の|知《し》るところに|非《あら》ず』
と|憤然《ふんぜん》として|席《せき》をけり、|一間《ひとま》に|駆《か》け|入《い》らむとした。このとき|神山彦《かみやまひこ》は|懐中《くわいちゆう》より|短剣《たんけん》を|取《とり》いだし、|両肌《もろはだ》を|脱《ぬ》いで|割腹《かつぷく》せむとした。|真倉彦《まくらひこ》|以下《いか》|二神司《にしん》も、|吾《われ》|後《おく》れじと|一時《いちじ》に|両肌《もろはだ》を|脱《ぬ》ぎ|短刀《たんたう》にて|腹《はら》を|掻《か》ききらむとす。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》はこれを|見《み》ておほいに|驚《おどろ》き、
『|諸神《しよしん》しばらく|待《ま》たれよ。|逸《はや》まりたまふな』
ととどめむとした。|四柱《よはしら》は、
『しからば|命《みこと》は|竜宮城《りゆうぐうじやう》へすみやかに|帰《かへ》りたまふや』
と|問《と》ひつめた。|命《みこと》はいかに|答《こた》へむと|太息《といき》をもらし、|思案《しあん》にくれた。|神山彦《かみやまひこ》は|決心《けつしん》の|色《いろ》をあらはし、
『われは|帰《かへ》りて|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》にたいし|奉《たてまつ》り、|陳弁《ちんべん》の|辞《じ》なし。|如《し》かず、ここに|潔《いさぎよ》く|諸共《もろとも》に|自殺《じさつ》して、その|責任《せきにん》を|明《あき》らかにせむ』
と|又《また》もや|短刀《たんたう》を|逆手《さかて》に|持《も》ち、|四柱《よはしら》|一度《いちど》に|割腹《かつぷく》せむとする。
このとき|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|心中《しんちゆう》にて、|吾《われ》は|天下《てんか》を|救《すく》はむと|思《おも》へばこそ、|寒風《かんぷう》|強《つよ》き|極北《きよくほく》に|種々《しゆじゆ》の|苦難《くなん》を|嘗《な》めつつあるのである。されど|眼前《がんぜん》に、かかる|忠誠《ちゆうせい》なる|神司《かみ》の|自殺《じさつ》の|惨状《さんじやう》を|看過《かんくわ》するに|忍《しの》びず、アゝいかにせむと、その|刹那《せつな》の|苦痛《くつう》は|実《じつ》に|言辞《げんじ》の|尽《つく》すべきかぎりでなかつた。
|命《みこと》は|意《い》を|決《けつ》し、
『しからば|神山彦《かみやまひこ》の|言葉《ことば》を|容《い》れ、すみやかに|帰城《きじやう》すべし』
と|決心《けつしん》|固《かた》くのべた。ここに|一行《いつかう》は|大《おほ》いによろこび|自殺《じさつ》を|思《おも》ひとどまり、その|場《ば》は|無事《ぶじ》に|治《おさ》まつたのである。|言霊別命《ことたまわけのみこと》はやむをえず、|一《ひと》まず|神山彦《かみやまひこ》|一行《いつかう》とともに|帰城《きじやう》せむとするに|際《さい》し、|元照彦《もとてるひこ》を|一間《ひとま》に|招《まね》き、|清照彦《きよてるひこ》の|所在《ありか》を|教《をし》へ、かつわが|妹《いもうと》の|末世姫《すゑよひめ》を|娶《めあは》し、|斎代彦《ときよひこ》を|相《あひ》そへて、|海峡《かいけふ》をこえ、|長高山《ちやうかうざん》の|北方《ほつぱう》に|都《みやこ》を|開《ひら》き、|時期《じき》を|待《ま》ちつつあることを|密《ひそ》かに|告《つ》げた。
しかして|高白山《かうはくざん》は|元照彦《もとてるひこ》を|主将《しゆしやう》とし、|荒熊彦《あらくまひこ》を|部将《ぶしやう》としてこれを|守《まも》らしめ、|天《あま》の|磐樟船《いはくすぶね》に|乗《の》りて、|神山彦《かみやまひこ》|一行《いつかう》とともに|目出度《めでた》く|竜宮城《りゆうぐうじやう》へ|帰還《きくわん》した。
|竜宮城《りゆうぐうじやう》はにはかに|色《いろ》めきたつて、|諸神司《しよしん》の|悦《よろこ》びはたとふるにものなき|有様《ありさま》で、|春陽《しゆんやう》の|気《き》は|城内《じやうない》に|溢《あふ》れた。|常世城《とこよじやう》よりきたれる|常世姫《とこよひめ》のみは、|何《なに》ゆゑか|顔色《がんしよく》が|平常《つね》よりも|冴《さ》えなかつた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》はただちに|奥殿《おくでん》に|入《い》り、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|謁《えつ》した。かたはらに|常世姫《とこよひめ》、|竜世姫《たつよひめ》、|真澄姫《ますみひめ》は|侍《じ》してゐた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|帰城《きじやう》の|挨拶《あいさつ》を|慇懃《いんぎん》にのべた。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|帰城《きじやう》を|悦《よろこ》び、いろいろの|飲食《おんじき》を|出《だ》して|饗応《きやうおう》された。
|常世姫《とこよひめ》はたちまち|口《くち》を|開《ひら》いて|命《みこと》にむかひ、
『|高白山《かうはくざん》は|全《まつた》く|滅亡《めつぼう》し、|汝《なんぢ》は|進退《しんたい》きはまり|九死一生《きうしいつしやう》の|悲境《ひきやう》にありしを、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|大慈悲心《だいじひしん》より|窮場《きふば》を|救《すく》はれしは、|定《さだ》めて|満足《まんぞく》ならむ。すみやかに|命《みこと》にその|大恩《たいおん》を|謝《しや》したまへ』
と|言葉《ことば》を|鼻《はな》にかけて|嘲笑《あざわら》ひつつ、いと|憎気《にくげ》に|言《い》ひはなつのであつた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|立腹《りつぷく》のあまり、|高白山《かうはくざん》の|実情《じつじやう》を|述《の》べむとし、|口《くち》を|開《ひら》かむとする|時《とき》、|常世姫《とこよひめ》は|遮《さへぎ》つて、
『|敗軍《はいぐん》の|将《しやう》は|兵《へい》を|語《かた》らず。|黙《もく》したまへ』
と|頭《あたま》から|押《おさ》へつけた。また|言葉《ことば》をついで、
『|汝《なんぢ》は|命《みこと》に|背《そむ》き、ローマ、モスコーに|陣営《ぢんえい》を|構《かま》へたが、これまた|荒熊彦《あらくまひこ》のために|一敗地《いつぱいち》に|塗《まみ》れ、|汝《なんぢ》にしたがひし|諸神《しよしん》|将卒《しやうそつ》は|四方《しはう》に|散乱《さんらん》して、|今《いま》は|残《のこ》らず|天下《てんか》に|放浪《はうらう》のあはれ|果敢《はか》なき|者《もの》となつてゐる。|汝《なんぢ》はこの|失敗《しつぱい》に|省《かへり》み、|今後《こんご》は|心《こころ》を|改《あらた》めて|命《みこと》の|厳命《げんめい》に|服従《ふくじゆう》し、かつ|吾《われ》は|女性《をみな》なれども、わが|言《げん》も|少《すこ》しは|用《もち》ゐられよ』
と|舌長《したなが》に|上《うへ》から|被《かぶ》せかけるやうに|言《い》つた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|怒《いか》りを|忍《しの》び、わざと|笑《わら》つてその|場《ば》をすました。|今後《こんご》この|二神司《にしん》の|関係《くわんけい》はどうなるであらうか。
(大正一〇・一一・三 旧一〇・四 外山豊二録)
第三三章 |焼野《やけの》の|雉子《きぎす》〔八三〕
|高白山《かうはくざん》の|陣営《ぢんえい》は、|元照彦《もとてるひこ》|代《かは》つてアラスカ|全土《ぜんど》を|治《をさ》めてゐた。
ここに|常世姫《とこよひめ》の|部将《ぶしやう》|猿世彦《さるよひこ》は、スペリオル|湖《こ》において|一《いつ》たん|救《たす》けられたが、たちまち|変心《へんしん》して|常世姫《とこよひめ》の|命《めい》をふくみ、|駒山彦《こまやまひこ》の|高白山《かうはくざん》|下《か》の|隠《かく》れ|家《が》にいたり、ふたたび|高白山《かうはくざん》|占領《せんりやう》の|計画《けいくわく》を|執拗《しつえう》にも|企《くはだ》ててゐた。
まづ|第一《だいいち》に|荒熊姫《あらくまひめ》を|説《と》きおとす|必要《ひつえう》を|感《かん》じ、|種々《しゆじゆ》の|手段《しゆだん》をもつて|荒熊姫《あらくまひめ》に|密会《みつくわい》した。|荒熊姫《あらくまひめ》は|元照彦《もとてるひこ》にその|子《こ》|清照彦《きよてるひこ》の|亡《ほろ》ぼされしことを、|常《つね》に|恨《うら》んでゐた。|彼《かれ》にとつて、|仇敵《きうてき》を|主将《しゆしやう》と|仰《あふ》ぎつかふるは、|実《じつ》に|無限《むげん》の|苦痛《くつう》であつた。ある|時《とき》はその|寝室《しんしつ》にしのび|入《い》り、|一刺《ひとさし》にこれを|刺殺《さしころ》し、|吾児《わがこ》の|仇《あだ》を|報《むく》いむと|考《かんが》へたこともしばしばであつた。
かかる|考《かんが》へを|抱《いだ》いてゐる|荒熊姫《あらくまひめ》にひそかに|面会《めんくわい》をもとめた。|猿世彦《さるよひこ》、|駒山彦《こまやまひこ》は|荒熊姫《あらくまひめ》にとつては|実《じつ》に|強大《きやうだい》なる|味方《みかた》を|得《え》たごとく|感《かん》ぜられた。
|猿世彦《さるよひこ》、|駒山彦《こまやまひこ》は|荒熊姫《あらくまひめ》にむかひ、
『|貴下《きか》は|子《こ》の|愛《あい》を|知《し》れりや』
と|問《と》ふた。|荒熊姫《あらくまひめ》は|涙《なみだ》を|腮辺《しへん》に|垂《た》らしつつ、
『|焼野《やけの》の|雉子《きぎす》|夜《よる》の|鶴《つる》、|子《こ》を|憐《あはれ》まざるはなし。ましてや|天《てん》にも|地《ち》にも|杖柱《つゑはしら》とたのむ|最愛《さいあい》の|子《こ》を|討《う》たれ、|老《おい》の|身《み》の|味気《あぢけ》なき|世《よ》を|送《おく》る|吾《われ》らの|境遇《きやうぐう》、|推量《すゐりやう》されよ』
とその|場《ば》によよと|泣《な》きふれた。
ふたりは|策《さく》のあたれるを|喜《よろこ》び、さも|同情《どうじやう》の|念《ねん》に|堪《た》へざるごとく、ひそかに|両眼《りやうがん》に|唾《つばき》をぬり、|泣顔《なきがほ》をつくり、さも|悲《かな》しさうにオイオイと|泣《な》きくづれた。|荒熊姫《あらくまひめ》は|居《ゐ》たたまらず、|共《とも》に|声《こゑ》を|放《はな》つて|泣《な》きさけんだ。
|荒熊彦《あらくまひこ》はその|泣声《なきごゑ》を|聞《き》いて|馳《は》せきたり、|見《み》れば|三柱《みはしら》のこの|状態《じやうたい》である。|荒熊彦《あらくまひこ》は|声《こゑ》を|励《はげ》まして、
『かかる|太平《たいへい》の|御代《みよ》にあたつて|何《なに》を|悲《かな》しむか』
と|尋《たづ》ねた。|三柱《みはしら》はその|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて|一度《いちど》に|顔《かほ》をあげた。|見《み》れば|敵軍《てきぐん》の|駒山彦《こまやまひこ》、|猿世彦《さるよひこ》がその|場《ば》にあつた。
|荒熊彦《あらくまひこ》は|大《おほ》いに|憤《いきどほ》り、|荒熊姫《あらくまひめ》にむかつて、
『|汝《なんぢ》は|何故《なにゆゑ》にわれの|承認《しようにん》をも|得《え》ず、|男性《をのこ》をわが|居間《ゐま》に|引入《ひきい》るるのみならず、このふたりは|敵方《てきがた》の|謀将《ぼうしやう》である。|実《じつ》に|汝《なんぢ》の|挙動《きよどう》こそ|訝《いぶ》かしきかぎりなれ』
と|怒《いか》りとともにその|不都合《ふつがふ》を|詰《なじ》つた。ここに|荒熊姫《あらくまひめ》は|泣《な》きたふれつつ、
『|愛児《あいじ》の|清照彦《きよてるひこ》を|亡《ほろ》ぼせしは|元照彦《もとてるひこ》の|部下《ぶか》である。しかるに|今《いま》や|何《なん》の|因果《いんぐわ》ぞ、|吾子《わがこ》の|仇《あだ》を|主将《しゆしやう》として|仰《あふ》ぎ、これにまめまめしく|仕《つか》ふるは|実《じつ》に|残念《ざんねん》である。|時世時節《ときよじせつ》とは|云《い》ひながら、かかる|悲惨《ひさん》なことが|何処《いづく》にあらうか』
と、いと|悲《かな》しげにいふのであつた。|猿世彦《さるよひこ》、|駒山彦《こまやまひこ》はすかさず|荒熊彦《あらくまひこ》にむかひ、|今日《こんにち》までの|無礼《ぶれい》を|謝《しや》した。さうして、
『|吾《われ》らふたりは|最愛《さいあい》の|独児《ひとりご》を|彼《かの》|元照彦《もとてるひこ》の|部下《ぶか》に|殺《ころ》され、|無念《むねん》やるかたなく、いかにしてもこの|仇《あだ》を|報《はう》ぜむと|日夜《にちや》|肺肝《はいかん》をくだいてゐた。|貴下《きか》は|勇壮活溌《ゆうさうくわつぱつ》にしてわが|児《こ》の|愛《あい》には|溺《おぼ》れたまはず、|時世時節《ときよじせつ》とあきらめて、|仇敵《きうてき》にまめまめしく|奉仕《ほうし》さるるは、|実《じつ》にお|心《こころ》の|美《うるは》しき|次第《しだい》である。されど|金銀珠玉《きんぎんしゆぎよく》、その|他《た》あまたの|宝《たから》ありといへども、|吾児《わがこ》にまさる|宝《たから》は、|天地《てんち》の|間《あひだ》にあらじと|思《おも》ふ。|貴下《きか》はこれでも|愛児《あいじ》の|仇《あだ》を|討《う》ちたまふ|御心《みこころ》はなきや』
といつて、|荒熊彦《あらくまひこ》の|顔色《がんしよく》いかにと|見詰《みつ》めてゐた。
|荒熊彦《あらくまひこ》は|黙然《もくねん》として|何《なん》の|返事《いらへ》もなく、さしうつむいて|思案《しあん》にくれてゐたが、たちまち|両眼《りやうがん》よりは|豆《まめ》のごとき|涙《なみだ》がはふり|落《お》つる。
|元来《ぐわんらい》、|荒熊彦《あらくまひこ》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|亡《ほろ》ぼし、|自分《じぶん》がとつて|代《かは》らむとし、|駒山彦《こまやまひこ》に|一時《いちじ》|款《くわん》を|通《つう》じたる|関係上《くわんけいじやう》、|今《いま》は|敵味方《てきみかた》と|区別《くべつ》はあれど、|子《こ》を|思《おも》ふ|一念《いちねん》は|少《すこ》しも|変《かは》りはない。|同病《どうびやう》|相《あひ》|憐《あはれ》むの|念《ねん》より、|叛心《はんしん》をおこし、|駒山彦《こまやまひこ》らとともに|元照彦《もとてるひこ》を|亡《ほろ》ぼし、みづから|主将《しゆしやう》となりアラスカの|王《わう》たらむとした。
ここに|荒熊姫《あらくまひめ》は|偽《いつは》つて|元照彦《もとてるひこ》を|殺《ころ》さむとし、|事《こと》をかまへて|拝謁《はいえつ》を|乞《こ》ふた。|元照彦《もとてるひこ》は|何《なん》の|気《き》もなく|面会《めんくわい》を|許《ゆる》した。|見《み》れば|荒熊姫《あらくまひめ》は|表面《へうめん》|笑《ゑみ》を|含《ふく》み、|何心《なにごころ》なき|体《てい》を|装《よそほ》ふてゐたるが、その|面上《めんじやう》には|陰険《いんけん》なる|毒気《どくき》を|含《ふく》んでゐた。
|元照彦《もとてるひこ》はこれを|怪《あや》しみ、ただちに|荒熊姫《あらくまひめ》の|両手《りやうて》を|後《うしろ》へ|捻《ねぢ》まはし、|堅《かた》く|柱《はしら》に|縛《しば》りつけ|酷《きび》しく|訊問《じんもん》をはじめた。|荒熊姫《あらくまひめ》は|知《し》らぬ|知《し》らぬの|一点張《いつてんば》りである。|勝敗《しようはい》いかにと|気遣《きづか》ひたる|荒熊彦《あらくまひこ》、|猿世彦《さるよひこ》、|駒山彦《こまやまひこ》はこのとき|折戸《をりど》を|押《お》しわけ|乱入《らんにふ》し、|矢庭《やには》に|元照彦《もとてるひこ》を|目《め》がけて|斬《き》つてかかつた。
|元照彦《もとてるひこ》は|三柱《みはしら》を|相手《あひて》に、しばしは|火花《ひばな》を|散《ち》らして|闘《たたか》ふたが、つひに|山《やま》を|下《くだ》り、|身《み》をもつて|逃《のが》れ、ローマをさして|遠《とほ》く|落《お》ちのびた。かくして|高白山《かうはくざん》は|全《まつた》く|荒熊彦《あらくまひこ》の|手《て》に|落《お》ちた。
(大正一〇・一一・三 旧一〇・四 谷口正治録)
第三四章 |義神《ぎしん》の|参加《さんか》〔八四〕
ここに|常世姫《とこよひめ》は|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|入《い》りて|種々《しゆじゆ》の|策《さく》をめぐらし、|巧言令辞《こうげんれいじ》をもつて|諸神司《しよしん》を|薬寵中《やくろうちう》のものにせむとした。されど|城内《じやうない》の|諸神《しよしん》の|大半《たいはん》は|依然《いぜん》として|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|神国別命《かみくにわけのみこと》に|心服《しんぷく》してゐたのである。されど|執拗《しつえう》なる|常世姫《とこよひめ》の|魔《ま》の|手《て》は、|油《あぶら》のにじむがごとく|暗々裡《あんあんり》に|拡《ひろ》がつてゆく|形勢《けいせい》となつた。
ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|神国別命《かみくにわけのみこと》と|謀《はか》り、|花森彦《はなもりひこ》をして|神務《しんむ》を|総轄《そうかつ》せしめ、|二神司《にしん》は|各自《かくじ》に|天下《てんか》の|義神《ぎしん》を|募《つの》るべく|東西《とうざい》に|袂《たもと》を|分《わか》つた。
|茲《ここ》にペテロの|都《みやこ》に|声望《せいばう》|高《たか》き|道貴彦《みちたかひこ》といふ|義勇《ぎゆう》の|神司《かみ》があつた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|村幸彦《むらさちひこ》を|遣《つか》はして|味方《みかた》に|参加《さんか》せしめむとし、|大神《おほかみ》の|御経綸《ごけいりん》を|詳細《しやうさい》に|説明《せつめい》せしめた。|道貴彦《みちたかひこ》は|謹《つつし》んでその|神慮《しんりよ》を|奉《ほう》じ、ペテロの|館《やかた》を|捨《す》て|妻《つま》|葭子姫《よしこひめ》とともに、|村幸彦《むらさちひこ》を|介《かい》してつひに|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|出仕《しゆつし》することとなつた。
これより|先《さ》き|言霊別命《ことたまわけのみこと》はペテロの|道貴彦《みちたかひこ》の|館《やかた》にいたり、|神界《しんかい》の|経綸《けいりん》を|逐一《ちくいち》|説明《せつめい》した。|道貴彦《みちたかひこ》はすでに|決心《けつしん》を|定《さだ》め、|今《いま》や|竜宮城《りゆうぐうじやう》にむかつて|出発《しゆつぱつ》せむとするとき、その|弟《おとうと》なる|高国別《たかくにわけ》きたりて|出発《しゆつぱつ》を|妨害《ばうがい》せむとした。|高国別《たかくにわけ》は|大酒《おほざけ》を|煽《あふ》りきたりて|道貴彦《みちたかひこ》の|愚蒙《ぐもう》を|罵《ののし》り、かつ|葭子姫《よしこひめ》をとらへて、
『|汝《なんぢ》は|何《なに》ゆゑに|夫《をつと》の|館《やかた》を|捨《す》て|怪《あや》しき|竜宮《りうぐう》の|神人《かみ》に|誑惑《けうわく》され、つひには|噬臍《ぜいせい》の|悔《くい》を|残《のこ》さむことを|知《し》りながらこれを|諫止《かんし》せざるや』
と|声《こゑ》も|荒《あら》く|睨《ね》めつけた。|葭子姫《よしこひめ》は|言葉《ことば》をつくして、
『|神界《しんかい》の|一大事《いちだいじ》は|刻々《こくこく》に|迫《せま》りつつあり、わたくしはこの|大事《だいじ》を|看過《かんくわ》するに|忍《しの》びず、むしろ|妾《わたくし》より|進《すす》んで|夫《をつと》に|勧《すす》め、もつて|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せむとしたるなり。|貴下《きか》も|一身《いつしん》の|利慾《りよく》を|捨《す》て|一切《いつさい》の|宝《たから》を|擲《なげう》ち、|吾《われ》らとともに|神界《しんかい》のために|尽《つく》されよ』
と|事《こと》をわけ|理《り》をつくして|説《と》き|諭《さと》した。|高国別《たかくにわけ》はますます|怒《いか》り、
『|女神《によしん》と|小神《せうしん》とは|養《やしな》ひがたしとは|汝《なんぢ》がことなり。|女性《をんな》の|世迷言《よまひごと》、|耳《みみ》をかすに|足《た》らず』
といふより|早《はや》く|盃《さかづき》を|取《と》つて|葭子姫《よしこひめ》めがけて|打《う》ちつけた。その|時《とき》、|仲国別《なかくにわけ》|走《はし》りきたりて|高国別《たかくにわけ》をとつて|押《おさ》へた。この|神司《かみ》は|勇力《ゆうりよく》|無比《むひ》の|巨神司《きよしん》であつた。
|高国別《たかくにわけ》はこの|巨神司《きよしん》に|取押《とりおさ》へられ、|無念《むねん》の|歯《は》を|喰《く》ひしばりながらも、|口《くち》をきはめて|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|道貴彦《みちたかひこ》らを|悪罵《あくば》し、かつ、
『|吾《われ》はたとひ|汝《なんぢ》に|生命《せいめい》を|奪《うば》はるるとも、|吾《わが》|精魂《せいこん》は|再生《さいせい》して|汝《なんぢ》らの|計画《けいくわく》を|破壊《はくわい》すべし』
と|声《こゑ》を|励《はげ》まして|叫《さけ》んだ。このとき|村幸彦《むらさちひこ》は|顔色《がんしよく》を|和《やは》らげ、|言葉《ことば》も|穏《おだや》かに|仲国別《なかくにわけ》にむかひ、
『まづ|高国別《たかくにわけ》を|許《ゆる》し、|吾《わが》|言《げん》を|心静《こころしづ》めて|聞《き》かれよ』
といつた。
|仲国別《なかくにわけ》はその|言葉《ことば》を|機《き》に、|高国別《たかくにわけ》を|捻伏《ねぢふ》せたる|手《て》を|放《はな》ち、しづかに|座《ざ》についた。|高国別《たかくにわけ》は|直《ただ》ちに|起《お》きあがり、|仲国別《なかくにわけ》にむかつて、|血相《けつさう》をかへて|死物狂《しにものぐる》ひの|体《てい》で|飛《と》びついた。|村幸彦《むらさちひこ》は|襟髪《えりがみ》とつて|引《ひ》きもどし、|静《しづ》かに|端座《たんざ》せしめ、|怒《いか》りに|狂《くる》ふ|高国別《たかくにわけ》をなだめて|大義名分《たいぎめいぶん》を|説《と》き、かつ、
『|貴下《きか》の、|祖先《そせん》の|館《やかた》を|大切《たいせつ》に|保護《ほご》せむとせらるるその|誠意《せいい》は|大《おほ》いに|愛《あい》するにあまりあり、されど|神界《しんかい》は|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|場合《ばあひ》に|瀕《ひん》せり。|一身《いつしん》をすて|総《すべ》ての|執着《しふちやく》を|葬《はうむ》つて|義《ぎ》に|殉《じゆん》ずるは、|大丈夫《だいぢやうぶ》の|本懐《ほんくわい》たらずや。|吾《われ》も|今《いま》まで|住《すみ》の|江《え》の|館《やかた》に、|心安《こころやす》く|親子《おやこ》|楽《たの》しき|日《ひ》を|送《おく》りたるものなるが、|今回《こんくわい》の|神界《しんかい》の|大望《たいもう》にたいし、すべてを|捨《す》てて|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せしものなり。|貴下《きか》もいま|一《ひと》つ|心《こころ》を|取《と》り|直《なほ》し、|想《おも》ひをかへ、|冷静《れいせい》に|天下《てんか》の|大勢《たいせい》を|顧《かへり》みられなば、|道貴彦《みちたかひこ》の|今回《こんくわい》の|決心《けつしん》は|氷解《ひようかい》せむ』
と|諄々《じゆんじゆん》として|説《と》き|諭《さと》したのである。ここに|高国別《たかくにわけ》ははじめて|悟《さと》り、
『|貴下《きか》の|言葉《ことば》|実《げ》にもつともなり。|吾《われ》はしばしこの|館《やかた》にありて|固《かた》く|守《まも》るべし。なにとぞ|道貴彦《みちたかひこ》|以下《いか》の|神将《しんしやう》、くれぐれも|頼《たの》みたてまつる』
と|顔色《がんしよく》をやはらげ|心底《しんてい》より|感謝《かんしや》した。|一場《いちぢやう》の|波瀾《はらん》は|平和《へいわ》に|納《をさ》まり、ここに|盛大《せいだい》なる|祝宴《しゆくえん》を|開《ひら》き、|道貴彦《みちたかひこ》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|諸神司《しよしん》に|従《したが》ひて、|竜宮城《りゆうぐうじやう》にむかつて|参向《さんかう》した。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|有力《いうりよく》なる|神将《しんしやう》をえて|大《おほ》いに|喜《よろこ》び、ここに|道貴彦《みちたかひこ》、|花森彦《はなもりひこ》をして、|新《あらた》に|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|大門《おほもん》の|部将《ぶしやう》として、|入《い》り|来《きた》るあまたの|神々《かみがみ》の|正邪《せいじや》|善悪《ぜんあく》を|審判《しんぱん》せしむる|重要《ぢうえう》な|職務《しよくむ》を|命《めい》じた。|一方《いつぱう》、|常世姫《とこよひめ》は|魔我彦《まがひこ》、|魔我姫《まがひめ》をして|城内《じやうない》の|様子《やうす》を|隈《くま》なく|探《さぐ》らしめ、かつ|言霊別命《ことたまわけのみこと》|以下《いか》の|神司《かみがみ》の|動静《どうせい》を|監視《かんし》せしめおき、みづからは|一先《ひとま》づ|常世城《とこよじやう》に|帰《かへ》つた。
(大正一〇・一一・四 旧一〇・五 加藤明子録)
第三五章 |南高山《なんかうざん》の|神宝《しんぽう》〔八五〕
|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|表大門口《おもておほもんぐち》は|花森彦《はなもりひこ》、|道貴彦《みちたかひこ》|二神司《にしん》が|控《ひか》へてゐた。この|時《とき》、|天下《てんか》の|形勢《けいせい》を|憂《うれ》へ、|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せむとして|集《あつ》まる|神司《かみがみ》は|日増《ひま》しに|殖《ふ》えてきた。|折《をり》しも|東《ひがし》の|空《そら》より|怪《あや》しき|光《ひかり》を|放《はな》つて|入《い》り|来《きた》る|神司《かみ》があつた。この|神司《かみ》を|若豊彦《わかとよひこ》といふ。|若豊彦《わかとよひこ》は|常世《とこよ》の|国《くに》にありて、|数多《あまた》の|神司《かみがみ》と|共《とも》に|神界《しんかい》を|救《すく》ふべく|種々《しゆじゆ》の|画策《くわくさく》をなし、|一時《いちじ》は|一方《いつぱう》の|主将《しゆしやう》となり|声望《せいばう》を|遠近《ゑんきん》に|轟《とどろ》かした|神司《かみ》である。|然《しか》るに|時節《とき》|非《ひ》にして|大自在天《だいじざいてん》の|忌諱《きゐ》にふれ、たちまち|猛烈《まうれつ》なる|攻撃《こうげき》にあひ、カシハ|城《じやう》をすて|味方《みかた》は|四方《しはう》に|散乱《さんらん》し、|自分《じぶん》はわづかに|身《み》をもつて|免《まぬが》れた。この|神司《かみ》はいかにしても|初志《しよし》を|達《たつ》せむとし、|散《ち》り|失《う》せたる|味方《みかた》の|神将《しんしやう》を|集《あつ》めむとしたが、カシハ|城《じやう》の|陥落《かんらく》のために、|目的《もくてき》を|達《たつ》することができなかつた。ここにおいて、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》あらはれ|神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》の|経綸《けいりん》を|起《おこ》したまふと|聞《き》き、|自分《じぶん》もその|幕下《ばくか》に|参加《さんか》せむとし、はるばる|尋《たづ》ねてきたのである。|道貴彦《みちたかひこ》、|花森彦《はなもりひこ》は|一見《いつけん》してその|真偽《しんぎ》を|疑《うたが》ひ、これを|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|進言《しんげん》した。|言霊別命《ことたまわけのみこと》はただちに|神国別命《かみくにわけのみこと》に|命《めい》じて、その|正邪《せいじや》を|審判《しんぱん》せしめた。|八咫《やあた》の|大広間《おほひろま》に|連《つ》れゆき、ここに|厳粛《げんしゆく》なる|審神《さには》がはじまつた。|若豊彦《わかとよひこ》の|肉体《にくたい》には|数多《あまた》の|邪神《じやしん》がひそかに|憑依《ひようい》してゐた。|大神《おほかみ》の|神殿《しんでん》に|端座《たんざ》し、|神国別命《かみくにわけのみこと》の|審神《さには》を|受《う》くるや、たちまち|憑霊《ひようれい》|現《あら》はれて|前後《ぜんご》|左右《さいう》に|飛《と》びまはり、|野天狗《のてんぐ》、|野狐《のぎつね》、|悪蛇《あくじや》、|狸《たぬき》の|類《たぐひ》さかんに|飛《と》びだし、その|数《かず》は|幾十百《いくじふひやく》とも|数《かぞ》ふるに|遑《いとま》なきほどであつた。これらの|数多《あまた》の|邪霊《じやれい》は|美山彦《みやまひこ》の|部下《ぶか》の|魔神《まがみ》であつて、|若豊彦《わかとよひこ》の|体《たい》に|憑依《ひようい》し|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|深《ふか》く|忍《しの》び|入《い》らむとした。ここに|厳粛《げんしゆく》なる|審神《さには》によつて|邪霊《じやれい》は|全部《ぜんぶ》その|正体《しやうたい》を|露《あら》はし、|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|逃《に》げ|散《ち》つた。
|邪霊《じやれい》の|退《しりぞ》きさつた|若豊彦《わかとよひこ》は、はじめて|本心《ほんしん》にたちかへり、|正《ただ》しき|神司《かみ》となつて|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|奉仕《ほうし》することとなつた。そこで|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|花森彦《はなもりひこ》を|神務《しんむ》につかしめ、|若豊彦《わかとよひこ》には、その|後《あと》を|襲《おそ》はしめた。それより|表大門《おもておほもん》は|道貴彦《みちたかひこ》、|若豊彦《わかとよひこ》の|二神《にしん》が|厳守《げんしゆ》することとなつた。|若豊彦《わかとよひこ》は|漸次《ぜんじ》すすんで、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|帷幄《ゐあく》に|参《さん》ずるやうになつた。
|若豊彦《わかとよひこ》は|命《みこと》の|内命《ないめい》をうけ|天《てん》の|高天原《たかあまはら》にいたり、|天上《てんじやう》において|最《もつと》も|有力《いうりよく》なる|女神《めがみ》の|高照姫命《たかてるひめのみこと》を|百方《ひやつぱう》|力《ちから》をつくして|説《と》きつけ、|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|下《くだ》つてきた。ここに|高照姫命《たかてるひめのみこと》は|城内《じやうない》の|諸神司《しよしん》に|迎《むか》へられ、|鄭重《ていちよう》なる|饗応《きやうおう》を|受《う》け、ついで|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|謁《えつ》し、|天上《てんじやう》における|混乱《こんらん》の|状態《じやうたい》を|詳細《しやうさい》に|宣《の》り|伝《つた》へ、かつ|天上《てんじやう》を|修理固成《しうりこせい》し、|真《しん》の|天国《てんごく》たらしめむとせば、まづ|地上《ちじやう》の|修祓《しうばつ》を|第一着《だいいちちやく》とするの|必要《ひつえう》なることを|詳細《しやうさい》に|宣示《せんじ》された。
|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》はその|真意《しんい》を|諒《りやう》し、ここに|天地《てんち》|相《あひ》|応《おう》じて、|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せむことを|互《たが》ひに|相《あひ》|約《やく》された。この|時《とき》、|天《あめ》の|八衢《やちまた》より|高照姫命《たかてるひめのみこと》の|様子《やうす》をうかがひ、ひそかに|跟《つ》けきたりし|大魔我彦《おほまがひこ》はその|場《ば》に|現《あら》はれて、
『|吾《われ》は|両神《りやうしん》の|秘密《ひみつ》の|計画《けいくわく》を|残《のこ》らず|聞《き》きたり。さればこれよりこの|一伍一什《いちぶしじふ》を|八王大神《やつわうだいじん》に|報告《はうこく》し、もつて|根底《こんてい》より|破壊《はくわい》せしめむ。|後悔《こうくわい》するな』
と|言《い》ひをはるとともに、|姿《すがた》を|消《け》し|黒雲《こくうん》となつて|逸早《いちはや》く|東方《とうはう》の|天《てん》に|向《むか》つて|去《さ》つた。|両神司《りやうしん》は|魔神《ましん》に|神策《しんさく》の|暴露《ばくろ》せむことを|恐《おそ》れ、|奥殿《おくでん》に|入《い》つて|深《ふか》く|戸《と》を|閉《と》ぢ、|真澄姫《ますみひめ》を|加《くは》へて|種々《しゆじゆ》の|協議《けふぎ》ををへ、その|結果《けつくわ》、|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|招《まね》き|神界《しんかい》の|秘策《ひさく》を|授《さづ》けられた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|高照姫命《たかてるひめのみこと》を|先頭《せんとう》に、|神国別命《かみくにわけのみこと》、|花照姫《はなてるひめ》、|火水姫《かみひめ》、|梅若彦《うめわかひこ》、|広照彦《ひろてるひこ》、|秋足彦《あきたるひこ》、|村幸彦《むらさちひこ》、|若豊彦《わかとよひこ》|以下《いか》|五神将《ごしんしやう》をともなひ、|長駆《ちやうく》して|南高山《なんかうざん》に|微行《びかう》することとなつた。このときの|天《あめ》の|八衢《やちまた》に|待《ま》ち|伏《ふ》せたる|大魔我彦《おほまがひこ》|一派《いつぱ》は、|一行《いつかう》の|乗《の》れる|天《あめ》の|磐船《いはふね》を|覆《くつが》へさむとし、|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|引《ひ》き|連《つ》れ、|醜《しこ》の|磐船《いはふね》をあまた|狩《か》り|集《あつ》め、|中空《ちうくう》にありて|盛《さか》んに|攻撃《こうげき》をはじめた。
|高照姫命《たかてるひめのみこと》の|一行《いつかう》は、ただちに|方向《はうこう》を|変《へん》じて|北方《ほくぱう》に|引《ひ》きかへし、|東方《とうはう》の|天《てん》にめぐり、つひに|東北《とうほく》さして|大空《おほぞら》|高《たか》く、やうやくにして|南高山《なんかうざん》に|到着《たうちやく》した。
|南高山《なんかうざん》は|天上《てんじやう》より|下《くだ》りたる|種々《しゆじゆ》の|神宝《しんぽう》の|秘蔵《ひざう》されし|霊山《れいざん》である。|五六七《みろく》|神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》のために|使用《しよう》すべき|種々《しゆじゆ》の|神物《しんもつ》が|充満《じゆうまん》してゐる。|高照姫命《たかてるひめのみこと》は|一々《いちいち》その|神宝《しんぽう》を|点検《てんけん》し、|一切《いつさい》を|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|授《さづ》け、|若豊彦《わかとよひこ》を|従《したが》へて|一旦《いつたん》|天上《てんじやう》に|帰《かへ》られた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》|一行《いつかう》は|一切《いつさい》の|秘密《ひみつ》を|固《かた》く|守《まも》り、|目出《めで》たく|竜宮城《りゆうぐうじやう》へ|帰還《きくわん》した。この|南高山《なんかうざん》の|神物《しんもつ》は、|他《た》の|神司《かみがみ》には|少《すこ》しも|点検《てんけん》を|許《ゆる》さず、|言霊別命《ことたまわけのみこと》ただ|一柱《ひとはしら》がこれを|旧《もと》のごとく|秘《ひ》めおかれた。
(大正一〇・一一・四 旧一〇・五 桜井重雄録)
第三六章 |高白山上《かうはくさんじやう》の|悲劇《ひげき》〔八六〕
|元照彦《もとてるひこ》は|高白山《かうはくざん》に|敗《やぶ》れ、|部下《ぶか》の|神軍《しんぐん》を|狩《か》り|集《あつ》め、|長駆《ちやうく》してローマに|遁《のが》れ、ここにしばらく|駐屯《ちうとん》し、モスコーをへて|清照彦《きよてるひこ》の|立《た》てこもれる|長高山《ちやうかうざん》に|到着《たうちやく》し、|清照彦《きよてるひこ》、|末世姫《すゑよひめ》に|会《くわい》し、|荒熊彦《あらくまひこ》|以下《いか》の|反逆無道《はんぎやくぶだう》の|詳細《しやうさい》を|物語《ものがたり》つた。|荒熊彦《あらくまひこ》、|荒熊姫《あらくまひめ》は|前述《ぜんじゆつ》のごとく、|清照彦《きよてるひこ》の|父母《ふぼ》に|当《あた》る|神《かみ》である。
ここに|清照彦《きよてるひこ》は|父母《ふぼ》の|惨虐無道《ざんぎやくぶだう》なる|行為《かうゐ》を|諫《いさ》め、|善心《ぜんしん》に|立返《たちかへ》らしめむとして|侍臣《じしん》に|命《めい》じ、|天《あま》の|鳥船《とりふね》を|遣《つか》はして、|高白山《かうはくざん》の|城塞《じやうさい》に|信書《しんしよ》を|送《おく》つたのである。その|信書《しんしよ》の|意味《いみ》は、
『|父母《ふぼ》の|二神《にしん》は|再生《さいせい》の|大恩《だいおん》ある|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|背《そむ》き、かつ|天地《てんち》の|法則《はふそく》に|違《たが》ひ|大義名分《たいぎめいぶん》|忘《わす》れたる|其《そ》の|非理非行《ひりひかう》を|諫《いさ》め、かつわれは|慈愛《じあい》|深《ふか》き|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|妹《いもうと》|末世姫《すゑよひめ》を|娶《めと》りて|今《いま》や|長高山《ちやうかうざん》にあり。すみやかに|悔《くい》あらためて|常世姫《とこよひめ》をすて、|恩神《おんしん》に|従来《じゆうらい》の|無礼《ぶれい》を|謝《しや》し、ただちに|忠誠《ちうせい》の|意《い》を|表《へう》するべし。もし|言霊別命《ことたまわけのみこと》にしてこれを|許《ゆる》したまはざる|時《とき》は、|両神《りやうしん》には、すみやかに|自決《じけつ》されむことを|乞《こ》ふ』
といふ|信書《しんしよ》であつた。
|荒熊彦《あらくまひこ》|夫妻《ふさい》はこの|信書《しんしよ》を|見《み》て、|清照彦《きよてるひこ》の|安全《あんぜん》なるを|喜《よろこ》び、またその|信書《しんしよ》の|文意《ぶんい》にたいして|大《おほ》いに|驚《おどろ》きかつ|悲《かな》しんだ。されど|二柱《ふたはしら》はいかに|最愛《さいあい》の|児《こ》の|言《げん》なりとて、|直《ただ》ちにこれを|容《い》れ、|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|帰順《きじゆん》せむとせば、|強力《きやうりよく》なる|常世姫《とこよひめ》に|討伐《たうばつ》されむ。また|常世姫《とこよひめ》に|随《したが》はば、|最愛《さいあい》の|児《こ》に|捨《す》てられむ、とやせむ|角《かく》やせむと|二柱《ふたはしら》は|煩悶《はんもん》し、その|結果《けつくわ》つひに|荒熊彦《あらくまひこ》は|病《やまひ》を|発《はつ》し、|身体《しんたい》の|自由《じいう》を|失《うしな》ふにいたつた。|荒熊姫《あらくまひめ》は|日夜《にちや》に|弱《よわ》りゆく|夫《をつと》の|容態《ようだい》を|眺《なが》めて|心《こころ》も|心《こころ》ならず、かつ|清照彦《きよてるひこ》の|忠告《ちゆうこく》を|思《おも》ひ|浮《うか》べて、|矢《や》も|楯《たて》もたまらず、|胸《むね》に|熱鉄《ねつてつ》を|飲《の》むごとく|思《おも》ひわづらつた。この|様子《やうす》を|怪《あや》しみ|窺《うかが》ひたる|駒山彦《こまやまひこ》は、|荒熊姫《あらくまひめ》の|居間《ゐま》を|訪《と》ひ、
『|前《さき》ごろより|貴下《きか》|夫婦《ふうふ》の|様子《やうす》をうかがふに、|合点《がつてん》のゆかざることのみ|多《おほ》し。|貴下《きか》らにして|吾子《わがこ》の|愛《あい》に|溺《おぼ》れ、|常世姫《とこよひめ》に|背《そむ》きたまふにおいては、われは|時《とき》を|移《うつ》さず|委細《ゐさい》を|常世城《とこよじやう》に|注進《ちうしん》し、|反逆《はんぎやく》の|罪《つみ》を|問《と》ひ、もつて|貴下《きか》を|討《う》ち|奉《たてまつ》るべし』
と|顔色《がんしよく》をかへて|詰《つ》めかけた。このとき|天空《てんくう》|高《たか》く、|天《あま》の|鳥船《とりふね》に|乗《の》りてきたる|美《うつく》しき|神司《かみ》あり。こは|長高山《ちやうかうざん》より|翔《か》けきたれる|第二《だいに》の|使者《ししや》であつた。|荒熊姫《あらくまひめ》は|駒山彦《こまやまひこ》を|賺《すか》して|自《みづか》ら|応接《おうせつ》の|間《ま》に|出《い》で、|第二《だいに》の|使者《ししや》より|信書《しんしよ》を|受取《うけと》り|披見《ひけん》した。
その|文面《ぶんめん》によれば、
『われ|先《さき》に|使《つかひ》をつかはして、|父母《ふぼ》|二神《にしん》の|改心《かいしん》|帰順《きじゆん》を|勧《すす》め|奉《たてまつ》りたり。されど|使者《ししや》は|久《ひさ》しきに|亘《わた》るも|帰《かへ》りきたらず。|惟《おも》ふにわが|言《げん》を|用《もち》ゐたまはざるものとみえたり。われは|骨肉《こつにく》の|情《じやう》|忍《しの》び|難《がた》しといへども、|大義名分上《たいぎめいぶんじやう》、やむを|得《え》ず|貴下《きか》を|天《てん》にかはつて|討滅《たうめつ》せざるべからざるの|悲境《ひきやう》に|陥《おちい》れり。ああ、|忠《ちう》ならむとすれば|孝《かう》ならず。|孝《かう》ならむとすれば|忠《ちう》ならず。わが|万斛《ばんこく》の|涙《なみだ》は|何《いづ》れに|向《むか》つて|吐却《ときやく》せむ。されど|大義《たいぎ》には|勝《か》つべからず。|骨肉《こつにく》の|情《じやう》をすて、|天《てん》に|代《かは》つて、すみやかに|神軍《しんぐん》を|率《ひき》ゐ、|海山《うみやま》の|恩《おん》ある|両親《りやうしん》を|滅《ほろ》ぼさむとす。|不孝《ふかう》の|罪《つみ》|赦《ゆる》したまへ』
との|信書《しんしよ》であつた。
|荒熊姫《あらくまひめ》は|第二《だいに》の|信書《しんしよ》を|見《み》て、ただちに|一室《いつしつ》に|入《い》り|短刀《たんたう》を|抜《ぬ》いて|自刃《じじん》せむとする|時《とき》しも、|蒼惶《あわただ》しく|戸《と》を|押《お》し|開《あ》け、「|暫《しばら》く、しばらく」と|呼《よ》ばはりつつ|駒山彦《こまやまひこ》が|現《あら》はれ、その|短刀《たんたう》をもぎ|取《と》り|言葉《ことば》をはげまして|曰《いは》く、
『|主将《しゆしやう》は|病《やまひ》の|床《とこ》に|臥《ふ》し、|高白山《かうはくざん》はその|主宰者《しゆさいしや》を|失《うしな》はむとす。|加《くは》ふるに|貴下《きか》は|短慮《たんりよ》を|発《はつ》し、|今《いま》ここに|自刃《じじん》して|果《は》てなば、|当城《たうじやう》はいづれの|神司《かみ》かこれを|守《まも》るべき。|逃《に》げ|去《さ》りたる|元照彦《もとてるひこ》は、|何時《なんどき》|神軍《しんぐん》を|整《ととの》へ|攻《せ》め|来《く》るや|図《はか》り|難《がた》し。われはかかる|思慮《しりよ》|浅《あさ》き|貴下《きか》とは|思《おも》ひ|設《まう》けざりき。さきに|怒《いか》りて|貴下《きか》を|滅《ほろ》ぼさむと|云《い》ひしは、われの|真意《しんい》に|非《あら》ず。|貴下《きか》の|決心《けつしん》を|強《つよ》めむがためなり。かかる|大事《だいじ》の|場合《ばあひ》、|親子《おやこ》の|情《じやう》にひかれて|敵《てき》に|降《くだ》り、あるひは|卑怯《ひけふ》にも|自刃《じじん》してその|苦《く》を|免《まぬが》れむとしたまふは、|実《じつ》に|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》の|御振舞《おんふるまひ》なり。|善《ぜん》に|強《つよ》ければ|悪《あく》にも|強《つよ》きが|将《しやう》たるものの|採《と》るべき|途《みち》ならずや』
と|涙《なみだ》とともに|諫《いさ》める。|病《やまひ》の|床《とこ》に|臥《ふ》したる|荒熊彦《あらくまひこ》は|俄然《がぜん》|起《おき》あがり、
『|最前《さいぜん》より|始終《しじゆう》の|様子《やうす》ことごとく|聞《き》きたり。|今《いま》や|詮《せん》なし、|大義《たいぎ》をすて、|親子《おやこ》の|情《じやう》を|破《やぶ》り、もつて|常世姫《とこよひめ》に|忠誠《ちうせい》を|捧《ささ》げむ。|荒熊姫《あらくまひめ》の|覚悟《かくご》やいかん』
と|言葉《ことば》|鋭《するど》く|迫《せま》つたのである。|荒熊姫《あらくまひめ》は|大声《おほごゑ》をあげて|涕泣《ていきふ》し、|狂気《きやうき》のごとく|吾《わが》|胸《むね》を|掻《かき》むしり、
『われを|殺《ころ》せよ、わが|苦痛《くつう》を|救《たす》けよ』
と|藻掻《もが》くのである。ここに|第一《だいいち》、|第二《だいに》の|使者《ししや》は、この|様子《やうす》を|見《み》て|元《もと》のごとく、|天《あま》の|鳥船《とりふね》に|乗《の》り|西北《せいほく》の|空《そら》|高《たか》く|長高山《ちやうかうざん》に|帰《かへ》つた。
(大正一〇・一一・四 旧一〇・五 外山豊二録)
第三七章 |長高山《ちやうかうざん》の|悲劇《ひげき》〔八七〕
|長高山《ちやうかうざん》の|城塞《じやうさい》には|清照彦《きよてるひこ》、|末世姫《すゑよひめ》、|元照彦《もとてるひこ》とともに、|高白山《かうはくざん》に|遣《つか》はしたる|使者《ししや》の|帰還《きくわん》を|待《ま》つてゐた。そこへ|第一《だいいち》、|第二《だいに》の|使者《ししや》は|天空《てんくう》をかすめて|一度《いちど》に|帰《かへ》つてきた。
|様子《やうす》いかにと|待《ま》ちかまへたる|清照彦《きよてるひこ》は、ただちに|使者《ししや》を|居間《ゐま》に|通《とほ》した。|使者《ししや》は|荒熊彦《あらくまひこ》|夫妻《ふさい》の|反逆心《はんぎやくしん》ますます|強《つよ》く、かつ|常世姫《とこよひめ》の|圧迫《あつぱく》はげしく、|駒山彦《こまやまひこ》は|容易《ようい》に|従《したが》はず、やむを|得《え》ず、|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|反抗《はんかう》を|継続《けいぞく》するの|決心《けつしん》|確《たしか》なりと|報告《はうこく》した。
|清照彦《きよてるひこ》はしばし|黙然《もくねん》として|頭《かうべ》を|垂《た》れ、|吐息《といき》をつき|思案《しあん》にくれた|態《さま》であつた。|末世姫《すゑよひめ》の|顔《かほ》には|憂《うれ》ひの|雲《くも》が|漂《ただよ》うた。
やがて|清照彦《きよてるひこ》は|翻然《ほんぜん》としてたち|上《あが》り、|部下《ぶか》の|部将《ぶしやう》を|集《あつ》めて、
『|吾《われ》らの|強敵《きやうてき》は|高白山《かうはくざん》にあり。|早《はや》く|出陣《しゆつぢん》の|用意《ようい》に|取《と》りかかれ』
と|命令《めいれい》を|発《はつ》した。|数多《あまた》の|部将《ぶしやう》は|時《とき》を|移《うつ》さず|群臣《ぐんしん》を|集《あつ》め、|部署《ぶしよ》を|定《さだ》め、|命令《めいれい》|一下《いつか》せばたちまち|出発《しゆつぱつ》せむと、|数万《すうまん》の|鳥船《とりふね》を|用意《ようい》した。|清照彦《きよてるひこ》は|一室《ひとま》に|入《い》つて|独語《どくご》した。
『あゝ|天《てん》なる|哉《かな》。|吾《わが》|父母《ふぼ》を|救《すく》ひたる|恩神《おんしん》にたいし、|背《そむ》かばこれ|天《てん》の|道《みち》に|非《あら》ず。さりとて|又《また》、|山海《さんかい》の|鴻恩《こうおん》ある|父母《ふぼ》を|討《う》たむか、これまた|天《てん》の|理《り》に|反《そむ》くものなり。されど|大義《たいぎ》は|炳然《へいぜん》として|日月《じつげつ》の|如《ごと》し。あゝ、|鴻恩《こうおん》ある|父《ちち》よ、|母《はは》よ、|吾《わが》|不孝《ふかう》の|罪《つみ》を|赦《ゆる》したまへ』
かく|言《い》ひて|涙《なみだ》に|暮《く》るるをりしも、|最前《さいぜん》より|様子《やうす》を|窺《うかが》ひゐたる|末世姫《すゑよひめ》は、あわただしく|入《い》り|来《きた》つて、|清照彦《きよてるひこ》の|袖《そで》をひかへ、
『|夫神《をつとがみ》、かくまで|決心《けつしん》したまひし|以上《いじやう》は、|妾《わらは》はいかにとどめ|奉《たてまつ》らむとするも、とどまりたまはざるべし。されど、|父《ちち》の|恩《おん》は|山《やま》より|高《たか》く、|母《はは》の|恩《おん》は|海《うみ》より|深《ふか》しと|聞《き》く。いかに|大義《たいぎ》を|重《おも》んずればとて、|現在《げんざい》|骨肉《こつにく》の|父母《ふぼ》を|殺《ころ》したまふは、いかに|時世時節《ときよじせつ》とは|申《まを》しながら|悲惨《ひさん》のきはみなり。|希《こひねが》はくはわが|夫《をつと》よ、|今日《こんにち》の|場合《ばあひ》は|厳正《げんせい》なる|中立《ちゆうりつ》を|守《まも》り、もつて|忠孝両全《ちうかうりやうぜん》の|策《さく》を|建《た》てさせ|給《たま》へ』
かく|言《い》つて|末世姫《すゑよひめ》は|掻《か》き|口説《くど》くのである。このとき|清照彦《きよてるひこ》、|慨然《がいぜん》として|立《た》ち|上《あが》り、
『|一旦《いつたん》、|男子《だんし》の|身《み》として|決心《けつしん》の|臍《ほぞ》を|固《かた》めたる|以上《いじやう》は、|善悪《ぜんあく》|正邪《せいじや》は|兎《と》も|角《かく》、|初志《しよし》を|貫徹《くわんてつ》せざれば|止《や》まず。|女子《によし》の|喧《やかま》しく|邪魔《じやま》ひろぐな』
と|云《い》ひも|終《をは》らず、|袖《そで》ふり|払《はら》ひ、|今《いま》や|出陣《しゆつぢん》の|用意《ようい》にかからむとした。|末世姫《すゑよひめ》はただちに|一室《いつしつ》に|入《い》り、|懐剣《くわいけん》を|逆手《さかて》にもち、|咽喉《のど》を|掻《か》き|切《き》つてその|場《ば》にうち|倒《たふ》れた。|清照彦《きよてるひこ》は|怪《あや》しき|物音《ものおと》にうち|驚《おどろ》き、|一室《いつしつ》に|走《はし》り|入《い》り|見《み》れば、こはそも|如何《いか》に、|末世姫《すゑよひめ》は|朱《あけ》に|染《そま》り、|悶《もだ》え|苦《くる》しみつつあつた。
|清照彦《きよてるひこ》はこの|有様《ありさま》を|見《み》て|何《なに》|思《おも》ひけむ、たちまち|大刀《だいたう》を|抜《ぬ》き|放《はな》ち、|双肌《もろはだ》を|脱《ぬ》ぎ、しばらくこれを|打《う》ち|眺《なが》めてありしが、たちまち|決心《けつしん》の|色《いろ》をあらはすとともに、|刀《かたな》を|逆手《さかて》に|持《も》ち、|左腹部《さふくぶ》よりこれを|突《つ》き|切《き》らむとする|一刹那《いちせつな》、|元照彦《もとてるひこ》は|差《さ》し|足《あし》|抜《ぬ》き|足《あし》しのび|寄《よ》り、その|大刀《だいたう》をもぎとり|声《こゑ》をはげまして、その|不覚《ふかく》を|戒《いま》しめた。
|時《とき》しも|天空《てんくう》とどろきわたり、|天《あま》の|磐船《いはぶね》に|乗《の》りて|降《くだ》りきたる|神司《かみ》があつた。これは|竜宮城《りゆうぐうじやう》より|派遣《はけん》されたる|梅若彦《うめわかひこ》である。ただちに|案内《あんない》もなくツカツカと|奥殿《おくでん》に|入《い》りきたり、|清照彦《きよてるひこ》に|大神《おほかみ》の|命《めい》を|伝《つた》へむとした。
|清照彦《きよてるひこ》は|使者《ししや》の|来臨《らいりん》に|驚《おどろ》き、ただちに|容《かたち》をあらため、|襟《えり》を|正《ただ》し、|梅若彦《うめわかひこ》を|正座《しやうざ》に|直《なほ》し、|自《みづか》らは|遠《とほ》く|引下《ひきさが》つてその|旨《むね》を|承《うけたま》はらむことを|申《まを》し|上《あ》げた。
|梅若彦《うめわかひこ》は|懐中《ふところ》より|恭《うやうや》しく|一書《いつしよ》を|取出《とりいだ》し、これを|頭上《づじやう》に|捧《ささ》げ|披《ひら》いてその|文面《ぶんめん》を|読《よ》み|伝《つた》へた。その|文意《ぶんい》は、
『|荒熊彦《あらくまひこ》、|荒熊姫《あらくまひめ》、|駒山彦《こまやまひこ》ら、|常世姫《とこよひめ》に|内通《ないつう》し、|高白山《かうはくざん》を|根拠《こんきよ》とし、つひに|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|占領《せんりやう》せむとす。|汝《なんぢ》は|元照彦《もとてるひこ》に|長高山《ちやうかうざん》を|守《まも》らしめ、みづから|神軍《しんぐん》を|率《ひき》ゐて|高白山《かうはくざん》を|攻《せ》め、|彼《かれ》ら|魔軍《まぐん》を|剿滅《さうめつ》せよ』
との|厳命《げんめい》である。しかし|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|大慈《だいじ》|大仁《だいじん》の|神《かみ》なれば、|決《けつ》して|内心《ないしん》|清照彦《きよてるひこ》をして|父母《ふぼ》の|両親《りやうしん》を|討《う》たしめむの|心《こころ》なし、ただ|清照彦《きよてるひこ》をして|父母《ふぼ》|両親《りやうしん》を|悔《く》い|改《あらた》めしめ、|最愛《さいあい》の|児《こ》の|手《て》より|救《すく》はしめむとの|神慮《しんりよ》であつた。|清照彦《きよてるひこ》は|深《ふか》き|神慮《しんりよ》を|知《し》らず|大義名分《たいぎめいぶん》を|重《おも》んじ、つひに|父母《ふぼ》|両神《りやうしん》を|涙《なみだ》を|振《ふ》つて|攻撃《こうげき》した。すなはち|清照彦《きよてるひこ》の|心中《しんちゆう》は|熱鉄《ねつてつ》をのむよりも|苦《くる》しかつた。されど|大命《たいめい》は|黙《もだ》しがたく|謹《つつし》んで|拝命《はいめい》の|旨《むね》を|答《こた》へた。
|梅若彦《うめわかひこ》は|吾《わ》が|使命《しめい》の|遂《と》げられたるを|喜《よろこ》び、
『|時《とき》あつて|親子《おやこ》|兄弟《きやうだい》となり|主従《しゆじゆう》となり、|互《たが》ひに|相《あひ》|争《あらそ》ふも|天《てん》の|命《めい》ならむ。|御心中《ごしんちう》|察《さつ》し|入《い》る』
と|温《あたた》かき|一言《いちごん》を|残《のこ》して|再《ふたた》び|磐船《いはふね》に|乗《の》り、|蒼空《あをぞら》|高《たか》く|竜宮城《りゆうぐうじやう》さして|帰還《きくわん》した。
ここに、|高白山《かうはくざん》の|城塞《じやうさい》には、|高虎彦《たかとらひこ》の|部下《ぶか》に|大虎別《おほとらわけ》といふ|忠勇《ちうゆう》にして|誠実《せいじつ》なる|神《かみ》があつた。この|神《かみ》は|常《つね》に|荒熊彦《あらくまひこ》の|悪事《あくじ》を|嘆《なげ》き、いかにもして|悔改《くいあらた》めしめむと、|陰《いん》に|陽《やう》に|全力《ぜんりよく》をつくして|注意《ちうい》したのである。|今《いま》しも|荒熊彦《あらくまひこ》|夫妻《ふさい》のあくまで|神軍《しんぐん》に|対抗《たいかう》せむとする|状《さま》を|聞《き》き、その|場《ば》にあらはれ|種々《しゆじゆ》の|道理《だうり》を|説《と》き、|涙《なみだ》を|流《なが》して|諫言《かんげん》した。されど、|荒熊彦《あらくまひこ》は|容易《ようい》に|肯《き》かむとする|気色《けしき》がなかつた。
|大虎別《おほとらわけ》は、
『|吾《われ》かくの|如《ごと》く|主《あるじ》の|耳《みみ》に|逆《さか》らひ|奉《まつ》るは、|主《あるじ》および|天下《てんか》の|大事《だいじ》を|思《おも》へばなり。かくなる|上《うへ》は|到底《たうてい》|吾《わ》が|力《ちから》の|及《およ》ぶべくもあらず。さらば』
といふより|早《はや》く|懐剣《くわいけん》をとり|出《だ》し、|手早《てばや》く|双肌《もろはだ》を|脱《ぬ》ぎ、|腹《はら》を|掻《か》ききり、|咽喉《のど》を|突刺《つきさ》し、その|場《ば》に|繹切《ことき》れた。
|荒熊彦《あらくまひこ》は|冷笑《れいせう》の|眼《め》をもつてこれを|眺《なが》めてゐた。たちまち|西北《せいほく》の|天《てん》より|数万《すうまん》の|神軍《しんぐん》|天《あま》の|鳥船《とりふね》にうち|乗《の》り、|高白山《かうはくざん》の|上空《じやうくう》|高《たか》く|押寄《おしよ》せきたり、|空中《くうちゆう》より|火弾《くわだん》を|投下《とうか》した。ために|駒山彦《こまやまひこ》は|戦死《せんし》し、|荒熊彦《あらくまひこ》|夫妻《ふさい》は|天《あま》の|磐船《いはふね》に|乗《の》り、ローマを|指《さ》して|一目散《いちもくさん》に|遁走《とんそう》した。この|神軍《しんぐん》はいふまでもなく|清照彦《きよてるひこ》の|率《ひき》ゐるものであつた。
|陥落《かんらく》したる|高白山《かうはくざん》は|清照彦《きよてるひこ》|代《かは》つてこれを|守《まも》り、アラスカ|全土《ぜんど》はきはめて|平和《へいわ》に|治《おさ》まつた。さうして|長高山《ちやうかうざん》は|元照彦《もとてるひこ》これを|守《まも》り、その|地方《ちはう》|一帯《いつたい》はこれまた|平安《へいあん》によく|治《おさ》まつてゐた。|後《のち》に|清照彦《きよてるひこ》はシオン|山《ざん》の|戦闘《せんとう》に|加《くは》はらず、ここに|割拠《かつきよ》し、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|了解《れうかい》をえて|堅《かた》く|守《まも》つた。
(大正一〇・一一・四 旧一〇・五 谷口正治録)
第三八章 |歓天喜地《くわんてんきち》〔八八〕
|清照彦《きよてるひこ》は|最愛《さいあい》の|妻《つま》に|死《し》に|別《わか》れ、|厚《あつ》くこれを|葬《はうむ》るのいとまもなく、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|進退《のつぴき》ならぬ|厳命《げんめい》に|接《せつ》し、ただちに|高白山《かうはくざん》に|向《むか》ひ、|呑剣《どんけん》|断腸《だんちやう》の|思《おも》ひをなして、|骨肉《こつにく》の|父母《ふぼ》|両親《りやうしん》を|討滅《たうめつ》するのやむなき|窮境《きうきやう》にたちいたつた。されど|神命《しんめい》|辞《じ》するに|由《よし》なく、|大義《たいぎ》を|重《おも》んじ、ここに|血《ち》をもつて|血《ち》を|洗《あら》ふ|悲惨《ひさん》なる|戦闘《せんとう》を|開始《かいし》した。
|荒熊彦《あらくまひこ》、|荒熊姫《あらくまひめ》は|一方《いつぱう》|血路《けつろ》を|開《ひら》き|辛《から》うじて|免《まぬが》るることを|得《え》た。この|時《とき》|清照彦《きよてるひこ》は、ただちに|追撃《つゐげき》せばこれを|滅《ほろ》ぼすこと|実《じつ》に|容易《ようい》であつた。されど|敵《てき》といひながら、|肉身《にくしん》の|情《じやう》にひかされ、わざとこれを|見逃《みのが》し、|心《こころ》の|中《なか》にその|影《かげ》を|拝《をが》みつつ、|父母《ふぼ》の|前途《ぜんと》を|気遣《きづか》ひ、いづれへなりとも|両親《りやうしん》の|隠《かく》れて|安《やす》く|余生《よせい》を|送《おく》らむことを|祈願《きぐわん》した。|親子《おやこ》の|情《じやう》としてはさもあるべきことである。
|荒熊彦《あらくまひこ》は、|散軍《さんぐん》を|集《あつ》めて|尚《なほ》も|懲《こ》りずまに|羅馬城《ローマじやう》に|進《すす》み、|決死《けつし》の|覚悟《かくご》をもつて|戦《たたか》ふた。されど|天運《てんうん》つたなき|荒熊彦《あらくまひこ》は|力《ちから》|尽《つ》き、つひに|大島彦《おほしまひこ》のために|捕虜《ほりよ》となり、|夫婦《ふうふ》ともに|密《ひそか》に|幽閉《いうへい》され、|面白《おもしろ》からぬ|幾《いく》ばくかの|月日《つきひ》を|送《おく》つた。
|清照彦《きよてるひこ》は、|風《かぜ》の|共響《むたひび》きに|両親《りやうしん》の|羅馬《ローマ》に|敗《やぶ》れ、|幽閉《いうへい》され、|苦《くる》しみつつあることを|伝《つた》へ|聞《き》きて、|心《こころ》も|心《こころ》ならず、|煩悶《はんもん》|苦悩《くなう》しつつ|面白《おもしろ》からぬ|月日《つきひ》を|淋《さび》しく|送《おく》つてゐた。|清照彦《きよてるひこ》は|忠義《ちうぎ》に|篤《あつ》く、|孝道《かうどう》|深《ふか》き|神司《かみ》なれば、その|心中《しんちゆう》の|煩悶《はんもん》は|一入《ひとしほ》|察《さつ》するに|余《あま》りありといふべし。|清照彦《きよてるひこ》は|雨《あめ》の|朝《あした》|風《かぜ》の|夕《ゆうべ》に|空《そら》を|仰《あふ》いで|吐息《といき》を|漏《も》らし、われ|両親《りやうしん》の|憂目《うきめ》を|見《み》ながら|坐視《ざし》するに|忍《しの》びず、これを|救《すく》はむとすれば|主命《しゆめい》に|背《そむ》き、|大逆《たいぎやく》の|罪《つみ》を|重《かさ》ぬるにいたるべし。あゝ|両親《りやうしん》といひ|妻《つま》といひ、|今《いま》は|或《ある》ひは|幽界《いうかい》に、あるひは|敵城《てきじやう》に|囚《とら》はれ、|子《こ》たるもの|如何《いか》に|心《こころ》を|鬼畜《きちく》に|持《ぢ》すとも|忍《しの》び|難《がた》し、【いつそ】|自刃《じじん》を|遂《と》げ、もつて|忠孝《ちうかう》の|大義《たいぎ》を|全《まつた》うせむ、と|決心《けつしん》せる|折《をり》しも、また|飛報《ひはう》あり、
『|荒熊彦《あらくまひこ》|夫妻《ふさい》は、|羅馬《ローマ》において|大島彦《おほしまひこ》のために|殺《ころ》されたり』
と。これを|聞《き》きたる|清照彦《きよてるひこ》は|矢《や》も|楯《たて》もたまらず、|吾《われ》は|山海《さんかい》の|洪恩《こうおん》ある|恋《こひ》しき|両親《りやうしん》に|別《わか》れ|妻《つま》に|別《わか》れ、|生《い》きて|何《なん》の|楽《たの》しみもなし、|自刃《じじん》するはこの|時《とき》なりと、|天《てん》に|向《むか》つて|吾身《わがみ》の|不遇《ふぐう》を|歎《なげ》き|号泣《がうきふ》し、|短刀《たんたう》を|逆手《さかて》に|持《も》ち|双肌《もろはだ》|脱《ぬ》いで|覚悟《かくご》をきはむるをりしも、|天空《てんくう》より|光《ひかり》|強《つよ》き|宝玉《ほうぎよく》|眼前《がんぜん》に|落下《らくか》するよと|見《み》えしが、たちまちその|光玉《くわうぎよく》|破裂《はれつ》して、|中《なか》より|麗《うるは》しく|優《やさ》しき|女神《めがみ》|現《あら》はれたまひ、
『|吾《われ》は|天極紫微宮《てんきよくしびきう》より|来《きた》れる|天使《てんし》なり。|天津神《あまつかみ》は|汝《なんぢ》が|忠孝両全《ちうかうりやうぜん》の|至誠《しせい》を|隣《あはれ》みたまひ、ここに|汝《なんぢ》を|救《すく》ふべく|吾《われ》を|降《くだ》したまへり。|汝《なんぢ》しばらく|隠忍《いんにん》して|時《とき》を|待《ま》て、|汝《なんぢ》がもつとも|敬愛《けいあい》する|両親《りやうしん》および|妻《つま》に|再会《さいくわい》せしめむ。|夢《ゆめ》|疑《うたが》ふなかれ』
との|言葉《ことば》を|残《のこ》して、|再《ふたた》び|鮮光《せんくわう》まばゆき|玉《たま》と|化《な》り|天上《てんじやう》にその|影《かげ》を|隠《かく》した。|後《あと》に|清照彦《きよてるひこ》は|夢《ゆめ》に|夢見《ゆめみ》る|心地《ここち》して、|合点《がつてん》のゆかぬ|今《いま》の|天女《てんによ》の|言葉《ことば》、われは|憂苦《いうく》のあまり|遂《つひ》に|狂《きやう》せるには|非《あら》ざるか。あるひは|父母《ふぼ》、|妻《つま》を|思《おも》ふのあまり、|一念《いちねん》|凝《こ》つて|幻影《げんえい》を|認《みと》めしに|非《あら》ずやと、みづから|疑《うたが》ふのであつた。されどどこやら|心《こころ》の|底《そこ》に、|一道《いちだう》の|光明《くわうみやう》が|輝《かがや》くのを|認《みと》めた。|何《なに》はともあれ、|吾《われ》ここに|自刃《じじん》せば、たれか|両親《りやうしん》および|妻《つま》の|霊《れい》を|慰《なぐさ》むるものあらむ、と|心《こころ》を|取《と》り|直《なほ》し、|時節《じせつ》を|覚束《おぼつか》なくも|待《ま》つことに|決心《けつしん》した。
|待《ま》つこと|幾星霜《いくせいさう》、|山《やま》は|緑《みどり》に|包《つつ》まれ、|諸々《もろもろ》の|鳥《とり》は|春《はる》を|謳《うた》ひ、|麗《うるは》しき|花《はな》は|芳香《はうかう》を|放《はな》ち、|所狭《ところせま》きまで|咲《さ》き|満《み》ち、|神司《かみがみ》はその|光景《くわうけい》を|見《み》て|喜《よろこ》び|勇《いさ》み、あたかも|天国《てんごく》の|春《はる》に|遇《あ》へるがごとく|舞《ま》ひ|狂《くる》うてゐた。されど|清照彦《きよてるひこ》の|心《こころ》の|空《そら》はますます|曇《くも》り、|花《はな》は|咲《さ》けども、|鳥《とり》は|歌《うた》へども、|諸神司《しよしん》は|勇《いさ》み|遊《あそ》べども、|自分《じぶん》に|取《と》つては|見《み》るもの|聞《き》くもの、すべてが|吾《われ》を|呪《のろ》ふもののごとく、|悲哀《ひあい》の|涙《なみだ》はかはく|術《じゆつ》なく、|日《ひ》に|夜《よ》に|憂愁《いうしう》の|念《ねん》は|増《ま》すばかりであつた。
|清照彦《きよてるひこ》は|天《てん》の|一方《いつぱう》を|眺《なが》め、|長大歎息《ちやうだいたんそく》を|漏《も》らす|折《をり》しも、|天空《てんくう》|高《たか》く|数十《すうじふ》の|鳥船《とりふね》は|翼《つばさ》を|連《つら》ね|高白山《かうはくざん》めがけて|降《くだ》り|来《きた》るあり、いづれの|鳥船《とりふね》にもみな|十曜《とえう》の|神旗《しんき》が|立《た》てられてあつた。|清照彦《きよてるひこ》は、かかる|歎《なげ》きの|際《さい》、|又《また》もや|竜宮城《りゆうぐうじやう》よりいかなる|厳命《げんめい》の|下《くだ》りしならむかと、|心《こころ》を|千々《ちぢ》に|砕《くだ》きつつ|重《おも》き|頭《かしら》を|痛《いた》めた。
|鳥船《とりふね》はたちまち|清照彦《きよてるひこ》の|面前《めんぜん》|近《ちか》く|下《くだ》り|来《きた》りて、|内《うち》より|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|元照彦《もとてるひこ》、|梅若彦《うめわかひこ》は|英気《えいき》に|満《み》ちたる|顔色《がんしよく》にて|現《あら》はれ|来《きた》り、|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|第一《だいいち》に|進《すす》んで|清照彦《きよてるひこ》にむかひ|慇懃《いんぎん》に|礼《れい》を|述《の》べ、かつ|容《かたち》を|改《あらた》め|正座《しやうざ》に|直《なほ》り、
『われ|今《いま》、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|神使《しんし》として、|当城《たうじやう》に|来《きた》りし|理由《りいう》は、|汝《なんぢ》に|賞賜《しやうし》のためなり』
と|云《い》ひをはつて、|数多《あまた》の|従臣《じゆうしん》に|命《めい》じ|善美《ぜんび》を|尽《つく》した|御輿《みこし》を|鳥船《とりふね》よりかつぎおろさしめ、|清照彦《きよてるひこ》の|前《まへ》に|据《す》ゑ、
『|汝《なんぢ》は|忠孝《ちうかう》を|全《まつた》うし、かつ|至誠《しせい》をよく|天地《てんち》に|貫徹《くわんてつ》したり。|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》は|深《ふか》くこれを|嘉《よみ》して|汝《なんぢ》に|珍宝《ちんぽう》を|授与《じゆよ》し|賜《たま》ひたり。|謹《つつし》んで|拝受《はいじゆ》されよ』
と|莞爾《くわんじ》として|控《ひか》へてをられた。|清照彦《きよてるひこ》は|不審《ふしん》の|念《ねん》ますます|晴《は》れず、とも|角《かく》もその|厚意《こうい》を|感謝《かんしや》した。|前方《ぜんぱう》の|輿《こし》よりは|顔色《がんしよく》|美《うるは》しく|勇気《ゆうき》|凛々《りんりん》たる|男神《をとこがみ》が|現《あら》はれた。つらつら|見《み》れば|思《おも》ひがけなきわが|父《ちち》|荒熊彦《あらくまひこ》であつた。|第二《だいに》の|輿《こし》を|開《ひら》いて|母《はは》の|荒熊姫《あらくまひめ》が|現《あら》はれた。|第三《だいさん》の|輿《こし》よりは|自殺《じさつ》せしと|思《おも》ひし|最愛《さいあい》の|妻《つま》|末世姫《すゑよひめ》が|現《あら》はれ、ただちに|清照彦《きよてるひこ》の|手《て》を|取《と》つてうれし|泣《な》きに|泣《な》く。|清照彦《きよてるひこ》は|夢《ゆめ》に|夢見《ゆめみ》る|心地《ここち》して|何《なん》と|言葉《ことば》も|泣《な》くばかり、ここに|四人《よにん》|一度《いちど》に|声《こゑ》を|放《はな》つて|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|時《とき》を|移《うつ》した。|親子《おやこ》|夫婦《ふうふ》の|目出《めで》たき|対面《たいめん》に、|高白山《かうはくざん》の|木《き》も|草《くさ》も|空《そら》の|景色《けしき》も、|一入《ひとしほ》|光《ひかり》を|添《そ》へるやうであつた。
ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|懐中《くわいちゆう》より|一書《いつしよ》を|取出《とりだ》し、|声《こゑ》も|涼《すず》しく|神文《しんもん》を|読《よ》み|聞《き》かした。その|意味《いみ》は、
『|長高山《ちやうかうざん》は|汝《なんぢ》|荒熊彦《あらくまひこ》、|荒熊姫《あらくまひめ》これを|主宰《しゆさい》せよ。また|高白山《かうはくざん》は|清照彦《きよてるひこ》|永遠《ゑいゑん》にこれを|主宰《しゆさい》せよ』
との|神勅《しんちよく》である。
【附記】|末世姫《すゑよひめ》は|長高山《ちやうかうざん》の|城中《じやうちう》において|自刃《じじん》せむとしたるとき、たちまちその|貞節《ていせつ》に|感《かん》じ、|天使《てんし》|来《きた》りて|身代《みがは》りとなり、|末世姫《すゑよひめ》は|無事《ぶじ》に|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|傍《そば》|近《ちか》く|仕《つか》へてゐた。
(大正一〇・一一・六 旧一〇・七 加藤明子録)
第六篇 |神霊《しんれい》の|祭祀《さいし》
第三九章 |太白星《たいはくせい》の|玉《たま》〔八九〕
|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|従臣《じゆうしん》|鶴若《つるわか》は、|黄金水《わうごんすゐ》より|出《いで》たる|十二《じふに》の|玉《たま》の|中《うち》、|一個《いつこ》の|赤玉《あかだま》を|命《いのち》にかへてアルタイ|山《ざん》に|逃《のが》れ|守《まも》つてゐたが、|竹熊《たけくま》|一派《いつぱ》の|奸策《かんさく》に|陥《おちい》り、つひにこれを|奪取《だつしゆ》されて|無念《むねん》やる|方《かた》なく、つひには|嘆《なげ》きのあまり、|精霊《せいれい》|凝《こ》つて|丹頂《たんちやう》の|鶴《つる》と|変《へん》じたるは、さきに|述《の》べたところである。
|丹頂《たんちやう》の|鶴《つる》は|昼夜《ちうや》の|区別《くべつ》なく、|天空《てんくう》|高《たか》く、|東西南北《とうざいなんぽく》に|翔《かけ》めぐつて|声《こゑ》も|嗄《か》れむばかりに|啼《な》き|叫《さけ》んだ。その|声《こゑ》はつひに|九皐《きうこう》に|達《たつ》し、|天《てん》の|太白星《たいはくせい》に|伝《つた》はつた。|太白星《たいはくせい》の|精霊《せいれい》|生代姫命《いくよひめのみこと》はこの|声《こゑ》を|聞《き》き、|大《おほ》いに|怪《あや》しみ、その|啼《な》くゆゑを|尋《たづ》ねられた。ここに|鶴若《つるわか》は、
『われは、わが|身《み》の|不覚《ふかく》|不敏《ふびん》より|大切《たいせつ》なる|黄金水《わうごんすゐ》の|宝《たから》を|敵《てき》に|奪《うば》はれ、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》に|謝《しや》する|辞《ことば》なく、いかにもして、この|玉《たま》を|探《さが》し|求《もと》め、もつて|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰参《きさん》を|願《ねが》ひ、|再《ふたた》び|神人《かみ》となり、この|千載一遇《せんざいいちぐう》の|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せむと|欲《ほつ》し、|昼夜《ちうや》の|区別《くべつ》なく|地上《ちじやう》を|翔《かけ》めぐり|探《さが》せども、|今《いま》にその|行方《ゆくへ》を|知《し》らず、|悲《かな》しみにたへずして|啼《な》き|叫《さけ》ぶなり』
と|奉答《ほうたふ》した。|生代姫命《いくよひめのみこと》は、
『そは|実《じつ》に|気《き》の|毒《どく》のいたりなり。われは|十二《じふに》の|白鳥《はくてう》を|遣《つか》はし、|黄金水《わうごんすゐ》の|宝《たから》に|優《まさ》れる|貴重《きちよう》なる|国玉《くにたま》を|汝《なんぢ》に|与《あた》へむ。|汝《なんぢ》が|敵《てき》に|奪《うば》はれたる|玉《たま》は|今《いま》や|死海《しかい》に|落《お》ち|沈《しづ》めり。されどこの|玉《たま》はもはや|汚《けが》されて|神業《しんげふ》に|用《もち》ふるの|資格《しかく》なし。されば、われ|新《あらた》に|十二《じふに》の|玉《たま》を|汝《なんぢ》に|与《あた》へむ。この|玉《たま》を|持《も》ちて|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰還《きくわん》し、|功績《こうせき》を|挙《あ》げよ』
と|言葉《ことば》をはるや、|忽然《こつぜん》としてその|神姿《しんし》は|隠《かく》れ、|白気《はくき》となりて|太白星中《たいはくせいちう》に|帰還《きくわん》された。たちまち|鳩《はと》のごとき|白鳥《はくてう》|天《てん》より|降《くだ》るをみとめ|雀躍《じやくやく》|抃舞《べんぶ》した。されど|鶴若《つるわか》は、わが|身《み》|一《ひと》つにして|十二《じふに》の|白鳥《はくてう》の|後《あと》を|追《お》ふはもつとも|難事中《なんじちう》の|難事《なんじ》なり、いかがはせむと|案《あん》じ|煩《わづら》ふをりしも、|天上《てんじやう》より|声《こゑ》ありて、
『|汝《なんぢ》は|天空《てんくう》もつとも|高《たか》く|昇《のぼ》り|詰《つ》め、|玉《たま》の|行方《ゆくへ》を|仔細《しさい》に|見届《みとど》けよ』
といふ|神《かみ》の|言葉《ことば》が|聞《きこ》えてきた。
|鶴若《つるわか》はその|声《こゑ》を|聞《き》くとともに|天上《てんじやう》より|引《ひき》つけらるるごとき|心地《ここち》して、|力《ちから》のかぎり|昇《のぼ》り|詰《つ》めた。このとき|十二《じふに》の|白鳥《はくてう》は|諸方《しよはう》に|飛散《ひさん》してゐたが、たちまち|各地《かくち》に|降下《かうか》するよと|見《み》る|間《ま》に|白《しろ》き|光《ひかり》となり、|地上《ちじやう》より|天《てん》に|冲《ちゆう》して|紅霓《こうげい》のごとく|輝《かがや》いた。
|鶴若《つるわか》はその|光《ひかり》を|目《め》あてに|降《くだ》つた。|見《み》れば|白鳥《はくてう》は|一個《いつこ》の|赤玉《あかだま》と|化《くわ》してゐる。|鶴若《つるわか》は|急《いそ》いでこれを|腹《はら》の|中《なか》に|呑《の》み|込《こ》んだ。また|次《つぎ》の|白気《はくき》の|輝《かがや》くところに|行《い》つた。|今度《こんど》はそれは|白玉《しらたま》と|化《くわ》してゐた。これまた|前《まへ》のごとく|口《くち》より|腹《はら》に|呑《の》み|込《こ》んだが、かくして|順次《じゆんじ》に|赤《あか》、|青《あを》、|黒《くろ》、|紫《むらさき》、|黄《き》|等《ら》の|十二色《じふにしよく》の|玉《たま》をことごとく|腹《はら》に|呑《の》み|込《こ》んだ。|鶴若《つるわか》は、|身《み》も|重《おも》く、やむをえず|低空《ていくう》を|飛翔《ひしやう》して、やうやく|芙蓉山《ふようざん》の|中腹《ちゆうふく》に|帰《かへ》ることをえた。
|芙蓉山《ふようざん》の|中腹《ちうふく》には|種々《しゆじゆ》の|色彩《しきさい》|鮮麗《せんれい》なる|雲《くも》|立《た》ちあがつた。この|光景《くわうけい》を|怪《あや》しみて、|清国別《きよくにわけ》は|訪《おとづ》れて|行《い》つた。すると|其処《そこ》には|立派《りつぱ》なる|女神《によしん》が|一柱《ひとはしら》|現《あら》はれて、|十二個《じふにこ》の|玉《たま》を|産《う》みつつあつた。|清国別《きよくにわけ》は|怪《あや》しみて、
『|貴神《きしん》は|何神《なにがみ》ぞ』
と|尋《たづ》ねた。|女神《めがみ》は|答《こた》ふるに|事実《じじつ》をもつてし、かつ、
『この|玉《たま》を|貴下《きか》は|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|送《おく》り|届《とど》けたまはずや』
と|頼《たの》んだ。この|女神《めがみ》は|鶴野姫《つるのひめ》といふ。
|清国別《きよくにわけ》はここに|肝胆《かんたん》|相《あひ》|照《て》らし、|夫婦《ふうふ》の|約《やく》を|結《むす》び、|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|相《あひ》|携《たづさ》へて|帰還《きくわん》し、この|玉《たま》を|奉納《ほうなふ》せむとした。
しかるに|夫婦《ふうふ》の|契《ちぎり》を|結《むす》びしより、ふたりはたちまち|通力《つうりき》を|失《うしな》ひ、|次第《しだい》に|身体《しんたい》|重《おも》く、|動《うご》くことさへままならぬまでに|立《た》ちいたつた。
ふたりは|神聖《しんせい》なる|宝玉《ほうぎよく》はともかく、|夫婦《ふうふ》の|契《ちぎり》によりてその|身魂《みたま》を|涜《けが》し、|通力《つうりき》を|失《うしな》ひたることを|悔《く》い、|声《こゑ》をはなつて|泣《な》き|叫《さけ》ぶ。
その|声《こゑ》はアルタイ|山《ざん》を|守《まも》る|守護神《まもりがみ》|大森別《おほもりわけ》の|許《もと》に|手《て》にとるごとく|聞《きこ》えた。|大森別《おほもりわけ》は|従臣《じゆうしん》の|高山彦《たかやまひこ》に|命《めい》じ、|芙蓉山《ふようざん》にいたつてその|声《こゑ》の|所在《ありか》を|探《さぐ》らしめた。
|高山彦《たかやまひこ》は|命《めい》を|奉《ほう》じ、ただちに|芙蓉山《ふようざん》に|天羽衣《あまのはごろも》をつけて、|空中《くうちゆう》はるかに|翔《かけ》り|着《つ》いた。|見《み》ればふたりは|十二《じふに》の|玉《たま》を|前《まへ》に|置《お》き|泣《な》き|叫《さけ》んでゐる。|高山彦《たかやまひこ》は|大《おほ》いにあやしみ、
『|汝《なんぢ》、かかる|美《うつく》しき|宝玉《ほうぎよく》を|持《も》ちながら、|何《なに》を|悲《かな》しんで|歎《なげ》きたまふや』
と|問《と》ふた。ふたりは|答《こた》ふるに|事実《じじつ》をもつてし、かつ、
『|貴神司《きしん》はこの|十二《じふに》の|玉《たま》を|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|持《も》ちゆき、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》に|伝献《でんけん》したまはずや』
と|口《くち》ごもりつつ|歎願《たんぐわん》した。
|高山彦《たかやまひこ》はこの|物語《ものがたり》を|聞《き》き、しばし|頭《かうべ》を|傾《かたむ》け、|不審《ふしん》の|面持《おももち》にて|思案《しあん》の|体《からだ》であつた。たちまち|物《もの》をも|言《い》はず、ふたたび|羽衣《はごろも》を|着《ちやく》し、アルタイ|山《ざん》めがけて|中空《ちゆうくう》はるかに|翔《かけ》り|去《さ》つた。
|後《あと》にふたりは|絶望《ぜつぼう》の|念《ねん》にかられ、その|泣《な》き|声《ごゑ》はますます|高《たか》く|天上《てんじやう》に|届《とど》くばかりであつた。ふたりのまたの|名《な》を|泣沢彦《なきさはひこ》、|泣沢姫《なきさはひめ》といふ。
|高山彦《たかやまひこ》はアルタイ|山《ざん》に|帰《かへ》り、|大森別《おほもりわけ》に|委細《ゐさい》を|復命《ふくめい》した。|大森別《おほもりわけ》は、
『こは|看過《みのが》すべからず。|汝《なんぢ》も|共《とも》にきたれ』
といふより|早《はや》く|天《あま》の|羽衣《はごろも》を|着《ちやく》し、|芙蓉山《ふようざん》に|向《むか》つた。さうして|心《こころ》よくふたりの|請《こひ》を|入《い》れ、|十二個《じふにこ》の|玉《たま》を|受取《うけと》り、ただちに|竜宮城《りゆうぐうじやう》にいたり、この|玉《たま》を|奉献《ほうけん》した。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|大《おほ》いに|喜《よろこ》び、これを|千載《せんざい》の|神国《しんこく》|守護《しゆご》の|御玉《みたま》とせむと、シオン|山《ざん》に|立派《りつぱ》なる|宮殿《きうでん》を|造営《ざうえい》し、これを|安置《あんち》した。
シオン|山《ざん》は|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|東北《とうほく》に|位《くらゐ》し、|要害《えうがい》|堅固《けんご》の|霊山《れいざん》にして、もしこの|霊山《れいざん》を|魔軍《まぐん》の|手《て》に|奪《うば》はれむか、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》も|竜宮城《りゆうぐうじやう》も|衛《まも》ることのできない|重要《ぢうえう》な|地点《ちてん》である。
ここに|棒振彦《ぼうふりひこ》|仮《かり》の|名《な》|美山彦《みやまひこ》、|高虎姫《たかとらひめ》|仮《かり》の|名《な》|国照姫《くにてるひめ》は、この|霊地《れいち》を|奪《うば》ひ、かつ|十二《じふに》の|宝玉《ほうぎよく》をとり、ついで|竜宮城《りゆうぐうじやう》および|地《ち》の|高天原《たかあまはら》を|占領《せんりやう》せむとして、|主《しゆ》としてシオン|山《ざん》に|驀進《ばくしん》した。かくていよいよシオン|山《ざん》の|戦闘《せんとう》は|開始《かいし》さるるのである。
(大正一〇・一一・六 旧一〇・七 谷口正治録)
第四〇章 |山上《さんじやう》の|神示《しんじ》〔九〇〕
ここに|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|神命《しんめい》を|奉《ほう》じ、シオンの|霊山《れいざん》にのぼり|地鎮祭《ぢちんさい》をおこなひ、かの|顕国《うつしくに》の|御玉《みたま》の|母岩《ぼがん》の|現《あら》はれたる|聖跡《せいせき》を|中心《ちうしん》として、|十六社《じふろくしや》の|白木《しらき》の|宮《みや》を|造《つく》り、|鵜《う》の|羽《はね》をもつて|屋根《やね》を|覆《おほ》ひ、|金銀《きんぎん》|珠玉《しゆぎよく》|種々《しゆじゆ》の|珍宝《ちんぽう》をちりばめ、|荘厳《さうごん》|優美《いうび》たとふるにものなく、|旭《あさひ》に|照《て》り|夕陽《ゆふひ》に|輝《かがや》き、その|状《さま》は|目《め》も|眩《まばゆ》きばかりであつた。
|一《ひと》つの|宮《みや》に|一《ひと》つの|玉《たま》を|神体《しんたい》として|祭《まつ》り、|十二社《じふにしや》と|称《とな》へた。|他《た》の|四個《よんこ》の|宮《みや》には、|鶴野姫《つるのひめ》、|大森別《おほもりわけ》、|生代姫命《いくよひめのみこと》および|姫古曽《ひめこそ》の|神《かみ》を|鎮祭《ちんさい》し、|荘厳《さうごん》なる|祭祀《さいし》は|挙行《きよかう》された。
その|他《た》、|楼門《ろうもん》、|広間《ひろま》|等《とう》|大小《だいせう》|三十二棟《さんじふにむね》を|造《つく》り、いづれも|白木造《しらきづく》りにして|桧皮《ひのきがは》をもつて|屋根《やね》を|覆《おほ》ひ、|千木《ちぎ》、|堅魚木《かつをぎ》|等《とう》|実《じつ》に|崇高《すうかう》の|極《きは》みであつた。この|十六《じふろく》の|宮《みや》とともに|四十八棟《よんじふはちむね》となり、あまたの|重臣《ぢうしん》はこれに|住《す》みて|神明《しんめい》に|日夜《にちや》|奉仕《ほうし》した。
ここに|宮比彦《みやびひこ》を|斎主《さいしゆ》とし、|一切《いつさい》の|神務《しんむ》を|主宰《しゆさい》せしめられた。シオン|山《ざん》はもとより|荘厳《さうごん》なる|霊山《れいざん》である。しかるに|今《いま》や|四十八棟《よんじふはちむね》の|瀟洒《せうしや》たる|社殿《しやでん》|幄舎《あくしや》は|建《た》て|並《なら》べられ、|荘厳《さうごん》の|上《うへ》になほ|荘厳《さうごん》を|加《くは》へた。
このとき|常世姫《とこよひめ》の|部下《ぶか》たる|美山彦《みやまひこ》、|国照姫《くにてるひめ》は|杵築姫《きつきひめ》を|部将《ぶしやう》とし、|鬼雲彦《おにくもひこ》、|清熊《きよくま》ら|数多《あまた》の|魔軍《まぐん》を|率《ひき》ゐて|鬼城山《きじやうざん》を|立《た》ちいで、|東西《とうざい》|両方面《りやうはうめん》より、シオン|山《ざん》を|占領《せんりやう》せむと|計画《けいくわく》しつつあつた。また|南方《なんぱう》よりは|別働隊《べつどうたい》として|主将《しゆしやう》|武熊別《たけくまわけ》は、|荒熊《あらくま》、|駒山彦《こまやまひこ》を|率《ひき》ゐ、シオン|山《ざん》を|奪取《だつしゆ》せむとし、ここに|東西南《とうざいなん》|三方《さんぱう》よりこれを|占領《せんりやう》するの|計画《けいくわく》を|定《さだ》めた。
このこと|忽《たちま》ち|天使《てんし》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|知《し》るところとなり、|東《ひがし》の|山麓《さんろく》には|吾妻別《あづまわけ》を|主将《しゆしやう》とし、|香川彦《かがはひこ》、|広足彦《ひろだるひこ》を|部将《ぶしやう》として|防衛《ばうゑい》の|陣《ぢん》を|張《は》り、|西《にし》の|山麓《さんろく》には|磐樟彦《いはくすひこ》を|主将《しゆしやう》とし、|上倉彦《かみくらひこ》、|花照彦《はなてるひこ》を|部将《ぶしやう》とし、あまたの|神軍《しんぐん》をもつてこれを|守《まも》らしめた。|南方《なんぱう》の|山麓《さんろく》には|大足彦《おほだるひこ》を|主将《しゆしやう》とし、|奥山彦《おくやまひこ》、|安世彦《やすよひこ》を|部将《ぶしやう》とし、あまたの|神軍《しんぐん》と|共《とも》にこれを|守《まも》らしめ、|北方《ほつぱう》の|山麓《さんろく》には|真鉄彦《まがねひこ》|少《すこ》しの|神軍《しんぐん》と|共《とも》に|万一《まんいち》に|備《そな》へることとなつた。また|山上《さんじやう》の|本営《ほんえい》には|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|総大将《そうだいしやう》として|真道彦命《まみちひこのみこと》、|花森彦《はなもりひこ》、|谷川彦《たにがはひこ》、|谷山彦《たにやまひこ》が|固《かた》く|守《まも》ることとなつた。
|三方《さんぱう》より|押寄《おしよ》せたる|敵軍《てきぐん》は、|難攻不落《なんこうふらく》の|霊山《れいざん》を|攻撃《こうげき》せむとするは|容易《ようい》の|業《わざ》に|非《あら》ず、|遠《とほ》くこれを|囲《かこ》みて|睨《にら》み|合《あ》ひ、|互《たが》ひに|火蓋《ひぶた》を|切《き》らざること|長《なが》きに|渉《わた》つた。ここに|南軍《なんぐん》の|将《しやう》|武熊別《たけくまわけ》は|探女《さぐめ》を|放《はな》つて|一挙《いつきよ》にこれを|討《う》ち|破《やぶ》らむとした。|南軍《なんぐん》の|神将《しんしやう》|大足彦《おほだるひこ》の|陣営《ぢんえい》を|夜《よる》ひそかに|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせ、|横切《よこぎ》る|女性《によしやう》があつた。|数多《あまた》の|神卒《しんそつ》は|怪《あや》しみ、|四方《しはう》よりこの|女性《によしやう》を|囲《かこ》み|捕《とら》へて|大足彦《おほだるひこ》の|陣中《ぢんちゆう》に|送《おく》つた。|女性《によしやう》の|衣《ころも》をことごとく|剥《は》ぎあらため|見《み》るに、|一通《いつつう》の|信書《しんしよ》があつた。これは|東軍《とうぐん》の|敵将《てきしやう》|美山彦《みやまひこ》にあて、|武熊別《たけくまわけ》より|送《おく》るところの|密書《みつしよ》のやうである。
その|文意《ぶんい》は、
『|常世姫《とこよひめ》すでに|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|陥《おとしい》れむとす。されど|敵《てき》は|克《よ》く|防《ふせ》ぎ、|克《よ》く|戦《たたか》ひ|容易《ようい》に|抜《ぬ》くべからず。|大国彦《おほくにひこ》の|援軍《ゑんぐん》を|乞《こ》ひ、|大勢《たいせい》をもり|返《かへ》したれば、|味方《みかた》の|士気《しき》|頓《とみ》に|加《くは》はり|来《きた》り、|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|陥落《かんらく》は|旦夕《たんせき》に|迫《せま》る。|汝《なんぢ》らは|吾《われ》らを|顧慮《こりよ》するところなく、|全力《ぜんりよく》を|尽《つく》してシオン|山《ざん》を|攻《せ》め|滅《ほろぼ》せ。|時《とき》を|移《うつ》さず|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|屠《ほふ》り、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》の|諸神将《しよしんしよう》を|討伐《たうばつ》し、その|機《き》に|乗《じやう》じて|応援《おうゑん》に|向《むか》はむとの、|常世姫《とこよひめ》の|密書《みつしよ》|来《きた》れり。これを|貴下《きか》に|報告《はうこく》す』
と|記《しる》してあつた。
|大足彦《おほだるひこ》は|南軍《なんぐん》の|指揮《しき》を|安世彦《やすよひこ》に|一任《いちにん》し、ひそかに|遁《のが》れて|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|警衛《けいゑい》に|尽力《じんりよく》してゐた。|安世彦《やすよひこ》はこの|密書《みつしよ》を|探女《さぐめ》の|手《て》より|奪《うば》ひ|大《おほ》いに|驚《おどろ》き、|吾妻別《あづまわけ》、|真鉄彦《まがねひこ》、|磐樟彦《いはくすひこ》を|山上《さんじやう》の|陣営《ぢんえい》に|集《あつ》めて|密議《みつぎ》をこらした。|諸将《しよしやう》はおほいに|驚《おどろ》き、シオン|山《ざん》は|難攻不落《なんこうふらく》にして、|一卒《いつそつ》これに|当《あた》れば|万卒《ばんそつ》|進《すす》むあたはざるの|要害《えうがい》なり。|軍《ぐん》の|半《なかば》を|割《さ》き|速《すみ》やかに|一方《いつぱう》の|血路《けつろ》を|開《ひら》き、|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|応援《おうゑん》せむことを|決議《けつぎ》され、その|決議《けつぎ》の|結果《けつくわ》は|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|前《まへ》にいたされた。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》はしばし|思案《しあん》に|暮《く》れゐたりしが、|直《ただ》ちにその|決議《けつぎ》を|排《はい》し|諸将《しよしやう》にむかひ、
『|竜宮城《りゆうぐうじやう》には|大足彦《おほだるひこ》|警衛《けいゑい》のために|帰還《きくわん》しをれば、|深《ふか》く|案《あん》ずるに|足《た》らず。|加《くは》ふるに|真澄姫《ますみひめ》、|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|神国別命《かみくにわけのみこと》ら|智勇《ちゆう》|兼備《けんび》の|神将《しんしやう》の|固《かた》く|守《まも》りあれば、いかなる|邪神《じやしん》もこれを|抜《ぬ》くあたはざるべし。これ|必《かなら》ず|敵《てき》の|奸策《かんさく》ならむ』
と|事《こと》もなげに|刎《は》ねつけられた。このとき|安世彦《やすよひこ》|色《いろ》をなしていふ。
『|貴神《きしん》は|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|御上《おんうへ》を|憂慮《いうりよ》したまはざるや。|万一《まんいち》この|密書《みつしよ》にして|偽《いつは》りなれば|重畳《ちようでふ》なり。されど|油断《ゆだん》は|大敵《たいてき》、|当山《たうざん》は|寡兵《くわへい》をもつて|克《よ》く|衆《しう》を|防《ふせ》ぐに|足《た》る。しかるに|竜宮城《りゆうぐうじやう》|陥《おちい》りなば、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》もまた|危《あやふ》からむ。|是非《ぜひ》に|応援軍《おうゑんぐん》を|出《だ》し、もつて|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|危急《ききふ》を|救《すく》ひたまへ』
と|決心《けつしん》の|色《いろ》を|表《あら》はし、|容易《ようい》に|意志《いし》を|枉《ま》ぐべき|形勢《けいせい》は|見《み》えなかつた。
|真鉄彦《まがねひこ》、|磐樟彦《いわくすひこ》、|吾妻別《あづまわけ》も、|安世彦《やすよひこ》の|提案《ていあん》に|賛成《さんせい》した。|部下《ぶか》の|神卒《しんそつ》はこの|風評《ふうへう》を|耳《みみ》にし、|大部分《だいぶぶん》は|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|危険《きけん》を|信《しん》じ、|一時《いちじ》も|早《はや》く|帰城《きじやう》せむことを|唱《とな》ふるにいたつた。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|断乎《だんこ》としてその|衆議《しうぎ》を|排《はい》し、|決心《けつしん》の|色《いろ》を|表《あら》はし、
『しからば|諸神司《しよしん》は|吾《わ》が|指揮《しき》を|用《もち》ゐざるや。|今《いま》は|詮《せん》なし、たとへわれ|一柱《ひとはしら》になるとも、|当山《たうざん》は|誓《ちか》つて|退却《たいきやく》せじ、また|一卒《いつそつ》をもわれは|帰城《きじやう》|応援《おうゑん》せしむるの|意志《いし》なし』
と|主張《しゆちやう》した。ここに|宮比彦《みやびひこ》は|恭《うやうや》しく|神前《しんぜん》に|出《い》で|神勅《しんちよく》を|奏請《そうせい》したるに、たちまち|神示《しんじ》あり、
『|探女《さぐめ》をわが|前《まへ》に|伴《ともな》ひきたれ』
とあつた。|宮比彦《みやびひこ》は|神示《しんじ》を|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》に|恭《うやうや》しく|伝《つた》へた。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|安世彦《やすよひこ》に|命《めい》じ、|神示《しんじ》のごとく|探女《さぐめ》を|神前《しんぜん》に|曳《ひ》き|来《きた》らしめ、|庭石《にはいし》の|上《うへ》に|引据《ひきす》ゑた。たちまち|探女《さぐめ》の|身体《しんたい》は|上下《じやうげ》|左右《さいう》に|震動《しんどう》し、かつ|自《みづか》ら|口《くち》を|切《き》つて、
『|武熊別《たけくまわけ》の|密使《みつし》にして、|実際《じつさい》は|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|陥落《かんらく》|近《ちか》きにありといふは|虚偽《きよぎ》なり。|貴軍《きぐん》の|士気《しき》を|沮喪《そそう》せしめ、かつ|陣容《ぢんよう》を|紊《みだ》し、その|虚《きよ》に|乗《じやう》じ|一挙《いつきよ》にシオン|山《ざん》を|攻略《こうりやく》せんずの|攻軍《こうぐん》の|奸計《かんけい》なり』
と|白状《はくじやう》するや、たちまち|大地《だいち》に|倒《たふ》れた。
ここに|諸神将《しよしんしよう》は|神明《しんめい》の|威力《ゐりよく》と、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|明察力《めいさつりよく》に|感嘆《かんたん》し、|今後《こんご》は|命《みこと》の|命令《めいれい》には|一切《いつさい》|背《そむ》かずと|誓《ちか》つた。
|探女《さぐめ》は|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|仁慈《じんじ》によつて、|神卒《しんそつ》に|守《まも》られ、|武熊別《たけくまわけ》の|陣営《ぢんえい》|近《ちか》く|護送《ごそう》せられたのである。
(大正一〇・一一・六 旧一〇・七 外山豊二録)
第四一章 |十六社《じふろくしや》の|祭典《さいてん》〔九一〕
シオン|山《ざん》は|難攻不落《なんこうふらく》の|堅城《けんじやう》|鉄壁《てつぺき》にして、|如何《いか》なる|鬼神《きしん》といへども、これを|攻略《こうりやく》するは|容易《ようい》の|業《わざ》に|非《あら》ず。ここに|西方《せいはう》の|陣《ぢん》を|固《かた》むる|敵将《てきしやう》|国照姫《くにてるひめ》は|鬼雲彦《おにくもひこ》、|清熊《きよくま》らと|謀《はか》り、|謀計《ぼうけい》をもつてこの|目的《もくてき》を|達《たつ》せむと|画策《くわくさく》した。
しかるにシオン|山《ざん》の|本営《ほんえい》にては、|神明《しんめい》の|霊威《れいゐ》と、|天使《てんし》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|明察《めいさつ》とにより、|探女《さぐめ》の|真相《しんさう》を|探知《たんち》し、|危《あやふ》きを|免《まぬが》れたる|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》し、かつ|味方《みかた》の|無事《ぶじ》を|祝福《しゆくふく》するため、|盛大《せいだい》なる|祭典《さいてん》が|執行《しつかう》された。|神軍《しんぐん》の|過半《くわはん》は|祭典《さいてん》に|列《れつ》し、をはつて|各《かく》もとの|守備《しゆび》につき、また|半分《はんぶん》の|余《あま》る|神軍《しんぐん》は|交代《かうたい》して、|山上《さんじやう》の|祭典《さいてん》に|列《れつ》する|仕組《しぐみ》であつた。
|十六社《じふろくしや》の|宮《みや》にはおのおの|八塩折《やしほをり》の|酒《さけ》を|大《だい》なる|甕《かめ》に|充《みた》して|供進《ぐしん》された。|敵《てき》の|軍臣《ぐんしん》に|非《あら》ざるものは|何神《なにがみ》といへども、その|当日《たうじつ》のみは|参拝《さんぱい》を|許《ゆる》さるることとなつた。
ここに|数多《あまた》の|女性《によしやう》あり、|順礼《じゆんれい》の|姿《すがた》に|身《み》を|装《よそほ》ひ|麗《うるは》しき|顔《かんばせ》したる|美姫神《びきしん》|続々《ぞくぞく》として|山上《さんじやう》へ|登《のぼ》り、この|祭典《さいてん》に|列《れつ》し、かつ|神威《しんゐ》の|無限《むげん》なるを|口《くち》をきはめて|讃美《さんび》しつつあつた。|時《とき》しも|十六社《じふろくしや》の|祭典《さいてん》は|一時《いちじ》に|行《おこな》はれ、|神饌神酒《みけみき》を|捧《ささ》ぐるものは|若《わか》き|女性《によしやう》ならざるべからず。しかるに|今《いま》は|戦場《せんぢやう》のことなれば|女性《によしやう》の|影《かげ》もなく、|男臣《なんしん》の|武者《むしや》ぶり|勇《いさ》ましけれど、いづれの|男臣《なんしん》も|何《なん》となくあきたらぬ|思《おも》ひに|沈《しづ》みつつありし|時《とき》なれば、|麗《うるは》しきあまたの|女性《によしやう》の|数奇《すき》を|凝《こ》らして|参上《まゐのぼ》り|来《きた》れる|姿《すがた》を|見《み》て、|大《おほ》いに|喜《よろこ》び、|身心《しんしん》を【とろ】かし、|中《なか》には|眉《まゆ》や|目尻《めじり》を|下《さげ》る|軍神《ぐんしん》さへあらはれた。いづれ|劣《おと》らぬ|花紅葉《はなもみぢ》、|色香《いろか》|争《あらそ》ふその|態《さま》に、|並《なみ》ゐる|神将《しんしやう》|神卒《しんそつ》も|見惚《みと》れつつ、|戦《たたか》ひの|庭《には》にあることをも|打《う》ち|忘《わす》れてゐた。
|宮比彦《みやびひこ》はその|美《うつく》しきもつとも|年若《としわか》き|女性《によしやう》に|向《むか》ひ、
『|今《いま》は|戦場《せんぢやう》のこととて|神《かみ》に|仕《つか》ふる|乙女《をとめ》の|一柱《ひとはしら》だもなし。|願《ねが》はくは|汝《なんぢ》ら|神《かみ》に|至誠《しせい》|奉仕《ほうし》の|信仰《しんかう》あらば、|直《ただ》ちに|立《た》つて|神饌神酒《みけみき》を|供《きよう》せよ。また|技芸《ぎげい》あるものは|立《た》つて|神楽《かぐら》を|奏《そう》し|奉《たてまつ》れ』
と|呼《よ》ばはつた。|天女《てんによ》に|等《ひと》しき|乙女《をとめ》らは|一斉《いつせい》に|立《た》つて|神饌神酒《みけみき》を|供《きよう》し|奉《まつ》り、かつ|神楽《かぐら》を|奏《そう》して|神慮《しんりよ》を|慰《なぐさ》め|奉《たてまつ》つた。|祭典《さいてん》の|式《しき》も|無事《ぶじ》|終了《しうれう》し、|諸神司《しよしん》は|神卒《しんそつ》に|至《いた》るまで|直会《なほらひ》の|宴《えん》に|坐《ざ》し、|神饌神酒《みけみき》を|拝戴《はいたい》することとなつた。|数多《あまた》の|乙女《をとめ》は|酒杯《しゆはい》の|間《あひだ》に|往来《わうらい》して|盛《さかん》に|取《と》りもつた。|酒《さけ》はおひおひまはつてきた。|忽《たちま》ち|呂律《ろれつ》の|廻《めぐ》らぬ|者《もの》、|眼《め》を|剥《む》く|者《もの》、|耳《みみ》の|聞《きこ》えぬ|者《もの》、|頭《かしら》の|痛《いた》む|者《もの》、|手足《てあし》の|痺《しび》れる|者《もの》、|吐《は》く|者《もの》、|下痢《くだ》す|者《もの》、|腹《はら》を|痛《いた》め|胸《むね》を|苦《くる》しめ|七転八倒《しつてんばつたふ》|黒血《くろち》を|吐《は》く|者《もの》もできてきた。そこにもここにも|石《いし》ころのやうに|転《ころ》びまはつて、|不思議《ふしぎ》な|手《て》つきをなし|虚空《こくう》を|掴《つか》んで|倒《たふ》れむとする|者《もの》も|現《あら》はれてきた。
たちまち|十六社《じふろくしや》の|神殿《しんでん》|鳴動《めいどう》し、|各宮々《かくみやみや》の|扉《とびら》は|自然《しぜん》に|開《ひら》かれ、|中《なか》より|数多《あまた》の|金鵄《きんし》|現《あら》はれて|宴席《えんせき》の|上《うへ》を|縦横無尽《じゆうわうむじん》に|飛《と》び|舞《ま》うた。|今《いま》まで|苦《くる》しみつつありし|一同《いちどう》は|残《のこ》らず|元気《げんき》|恢復《くわいふく》して|一柱《ひとはしら》の|怪我《けが》あやまちもなかつた。|今《いま》まで|花顔柳腰《くわがんりうえう》の|乙女《をとめ》と|見《み》えしは|魔神《ましん》の|変化《へんげ》にて、|見《み》るみる|面相《めんさう》すさまじき|悪鬼《あくき》と|化《くわ》し、あるひは|老狐《らうこ》と|変《へん》じ、|毒蛇《どくじや》となつて、|四方《しはう》に|逃《に》げ|散《ち》つた。これは|国照姫《くにてるひめ》|以下《いか》の|神軍《しんぐん》|剿滅《そうめつ》の|残虐《ざんぎやく》なる|奸策《かんさく》であつた。
ここにシオン|山《ざん》の|全軍《ぜんぐん》は、|神助《しんじよ》により|全部《ぜんぶ》その|危難《きなん》を|救《すく》はれ、|以後《いご》|戦場《せんぢやう》に|酒《さけ》と|女性《ぢよせい》を|入《い》れぬこととなつた。
(大正一〇・一一・六 旧一〇・七 桜井重雄録)
第四二章 |甲冑《かつちう》の|起源《きげん》〔九二〕
|南方《なんぱう》の|敵将《てきしやう》|武熊別《たけくまわけ》は、|美山彦《みやまひこ》および|国照姫《くにてるひめ》の|二回《にくわい》の|計略《けいりやく》もぜんぜん|失敗《しつぱい》にをはり、|尋常《じんじやう》|一様《いちやう》の|画策《くわくさく》にては|容易《ようい》に|目的《もくてき》を|達《たつ》しがたきを|知《し》り、|部下《ぶか》の|魔軍《まぐん》をことごとく|数千万《すうせんまん》の|黒熊《くろくま》と|化《くわ》せしめた。
さうして|東軍《とうぐん》の|吾妻別《あづまわけ》、|南軍《なんぐん》の|大足彦《おほだるひこ》、|西軍《せいぐん》の|磐樟彦《いはくすひこ》の|陣営《ぢんえい》にむかひ、|夜陰《やいん》に|乗《じやう》じて、|一《いつ》せいに|咆哮《はうかう》|怒号《どがう》の|声《こゑ》とともに|襲撃《しふげき》した。|三軍《さんぐん》の|神将卒《しんしやうそつ》は|不意《ふい》の|襲撃《しふげき》に|驚《おどろ》き|右往左往《うわうさわう》に|散乱《さんらん》した。|武熊別《たけくまわけ》は|勢《いきほひ》を|得《え》て、まつしぐらにシオン|山《ざん》の|山頂《さんちやう》|目《め》がけて|馳《は》せのぼり、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|陣営《ぢんえい》を|襲《おそ》ひ、かつ|十六社《じふろくしや》の|宮《みや》を|破壊《はくわい》せむとした。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》|以下《いか》の|神将《しんしやう》は|不意《ふい》の|襲来《しふらい》に|驚《おどろ》き、みづから|奥殿《おくでん》に|入《い》り、|宮比彦《みやびひこ》とともに|天津神《あまつかみ》にむかつて|救援《きうゑん》を|請《こ》ひたまうた。
このとき|十六社《じふろくしや》の|宮《みや》は|既《すで》に|武熊別《たけくまわけ》の|部下《ぶか》なる|数多《あまた》の|黒熊《くろくま》に|破壊《はくわい》されむとする|間際《まぎは》であつた。たちまち|社殿《しやでん》の|扉《とびら》は|自然《しぜん》に|開《ひら》かれ、|中《なか》より|数千万羽《すうせんまんば》の|金鵄《きんし》あらはれ、|黒熊《くろくま》の|群《ぐん》にむかひ、|口《くち》より|火焔《くわえん》を|吐《は》き、|縦横無尽《じゆうわうむじん》に|翔《かけ》めぐつた。
|数千万《すうせんまん》の|黒熊《くろくま》はたちまちその|毛《け》を|焼《や》かれ、|一時《いちじ》に|羆《ひぐま》となつて|熱《あつ》さに|悶《もだ》え|苦《くる》しみつつ、|北方《ほつぱう》の|雪山《せつざん》|目《め》がけて|遁走《とんさう》し、|積雪《せきせつ》の|中《なか》に|残《のこ》らずもぐり|入《い》り、やうやく|焼死《せうし》をまぬがれた。
|焼死《せうし》をまぬがれた|熊《くま》の|群《むれ》は、|火傷《やけど》のために|表皮《へうひ》は|全部《ぜんぶ》|剥落《はくらく》して|真裸《まつばだか》となつた。|熊《くま》の|群《むれ》は|雪山《せつざん》に|雪《ゆき》を|分《わ》け|土《つち》を|掘《ほ》り、|穴《あな》を|造《つく》つてその|中《なか》に|潜《ひそ》み、|傷《きず》の|癒《い》ゆるを|待《ま》つた。さしも|激《はげ》しき|火傷《やけど》は|漸次《ぜんじ》|恢復《くわいふく》して、|全身《ぜんしん》ことごとく|白毛《はくまう》を|生《しやう》じ|白熊《しろくま》と|変化《へんくわ》した。
|山麓《さんろく》にありし|東西南《とうざいなん》の|諸神将《しよしんしよう》はやうやく|散軍《さんぐん》を|集《あつ》め、|陣営《ぢんえい》もとに|復《ふく》し、|勇気《ゆうき》はますます|隆盛《りうせい》であつた。|武熊別《たけくまわけ》はあまたの|味方《みかた》を|失《うしな》ひ、ふたたび|国照姫《くにてるひめ》の|魔軍《まぐん》をかつて|再挙《さいきよ》を|企《くはだ》てた。|今度《こんど》は|魔軍《まぐん》を|数千万《すうせんまん》の|亀《かめ》と|化《くわ》し、|山上《さんじやう》|目《め》がけて|密《ひそ》かに|這《は》ひ|登《のぼ》らしめた。|山上《さんじやう》は|亀《かめ》をもつて|埋《うづ》もれた。|亀《かめ》は|一斉《いつせい》に|口《くち》より|火焔《くわえん》を|吐《は》き、|四十八棟《よんじふはちむね》の|社殿《しやでん》および|幄舎《あくしや》を|一時《いちじ》に|焼尽《やきつく》し、|神軍《しんぐん》を|全部《ぜんぶ》|焼滅《やきほろ》ぼさむとする|勢《いきほひ》であつた。|神軍《しんぐん》はこれを|見《み》て、|一々《いちいち》|亀《かめ》の|首《くび》を|斬《き》らむとした。|数万《すうまん》の|亀《かめ》は|一時《いちじ》に|首《くび》を|甲《かふ》の|中《なか》に|潜《ひそ》め、|打《う》てども|斬《き》れども|何《なん》の|痛痒《つうよう》も|感《かん》ぜず、ただカツカツ|音《おと》の|聞《きこ》ゆるばかりである。
|亀《かめ》はだんだん|折重《をりかさ》なつて|山《やま》を|築《きづ》き、|諸神将《しよしんしよう》を|取囲《とりかこ》み、|一歩《いつぽ》も|動《うご》かざらしめむとした。さうして|口々《くちぐち》に|烈《はげ》しき|火焔《くわえん》を|甲《かふ》のなかより|紅蓮《ぐれん》のごとくに|吐《は》きだし、|神軍《しんぐん》を|悩《なや》ますのであつた。
ここに|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|宮比彦《みやびひこ》に|神策《しんさく》を|授《さづ》け、|十二社《じふにしや》の|神殿《しんでん》に|到《いた》らしめた。さうして|神殿《しんでん》に|奉献《ほうけん》されたる|神酒《みき》を|一滴《いつてき》づつ|数百《すうひやく》の|甕《かめ》にうつした。たちまち|天《てん》に|黒雲《こくうん》おこり、|大雨《たいう》|降《ふ》りそそぎて、|瞬《またた》くうちに|数百《すうひやく》の|甕《かめ》は|満《み》ちあふれた。その|雨水《うすゐ》は|全部《ぜんぶ》|芳醇《はうじゆん》なる|神酒《しんしゆ》と|化《くわ》した。このとき|何処《いづく》ともなく|数十羽《すうじつぱ》の|怪《あや》しき|鳥族《てうぞく》|現《あら》はれて、|甕《かめ》に|浸《ひた》り、|羽撃《はばた》きしていづくともなく|消《き》え|去《さ》つた。
|芳《かんば》しき|酒《さけ》の|匂《にほ》ひは|山上《さんじやう》に|溢《あふ》るるばかりであつた。この|匂《にほ》ひを|嗅《か》いだ|数万《すうまん》の|亀《かめ》の|群《むれ》はにはかに|首《くび》を|出《だ》し、|先《さき》を|争《あらそ》ふて|酒甕《さけがめ》の|前《まへ》へ|駆《か》けりつき、|背《せ》のびをなし、|首《くび》を|長《なが》く|突出《とつしゆつ》して|残《のこ》らず|甕《かめ》の|酒《さけ》を|飲《の》み|干《ほ》し、|敵地《てきち》にあるを|忘《わす》れて、|一《いつ》せいに|酔狂《ゑひくる》ひ|踊《をど》りまはつた。
このとき|山上《さんじやう》の|神将《しんしやう》|神卒《しんそつ》は、|彼《かれ》らを|討《う》つは|今《いま》この|時《とき》なり。|醒《さ》めては|容易《ようい》に|討《う》つこと|難《がた》しと、おのおの|刀《かたな》を|引抜《ひきぬ》き|首《くび》を|一《いつ》せいに|斬《き》らむと|計《はか》つた。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》はこれを|遮《さへぎ》り、|諸神司《しよしん》をして|亀群《きぐん》の|酔狂《すゐきやう》|状態《じやうたい》を|観覧《くわんらん》せよと|命《めい》じた。
|神将《しんしやう》|神卒《しんそつ》は|命《めい》にしたがひ、|袖手《しうしゆ》|傍観《ばうかん》することとなつた。|亀《かめ》はますます|面白《おもしろ》き|手《て》つきをなして|踊《をど》り|狂《くる》ひ、たがひに|争《あらそ》ひを|始《はじ》めた。その|光景《くわうけい》は|何《なん》ともいひえない|面白《おもしろ》き|場面《ばめん》であつた。
|山上《さんじやう》の|神将《しんしやう》|神卒《しんそつ》は|思《おも》はず|手《て》を|拍《う》ち、つひには|亀《かめ》の|踊《をどり》の|面白《おもしろ》さに|引《ひ》つけられて、|自分《じぶん》もそろそろ|歌《うた》を|唄《うた》ひ、|亀《かめ》の|群《むれ》に|交《まじ》つて|敵味方《てきみかた》ともに|踊《をど》り|狂《くる》うた。そろそろ|亀《かめ》は|毒《どく》が|廻《まは》つた。|黒血《くろち》を|吐《は》く、|仰向《あふむ》けに|倒《たふ》れる、そろそろ|苦悶《くもん》しはじめた。たちまち|味方《みかた》の|神将《しんしやう》|神卒《しんそつ》は|帯刀《たいたう》を|抜《ぬ》き、|亀《かめ》の|首《くび》をずたずたに|斬《き》り|放《はな》ち、|残《のこ》らずこれを|亡《ほろ》ぼし、|甲《かふ》を|剥《は》いで|各自《かくじ》の|武具《ぶぐ》となし、これを|身《み》に|鎧《よろ》うた。これが|戦争《せんそう》に|甲冑《かつちう》を|着《ちやく》するにいたつた|嚆矢《かうし》である。
(大正一〇・一一・八 旧一〇・九 谷口正治録)
第四三章 |濡衣《ぬれぎぬ》〔九三〕
シオン|山《ざん》はかくのごとく|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|機略《きりやく》|縦横《じうわう》の|戦略《せんりやく》によつて、|容易《ようい》に|抜《ぬ》くこと|能《あた》はず、かつ|三方《さんぱう》の|神将《しんしやう》はますます|勇気《ゆうき》を|増《ま》しきたり、|魔軍《まぐん》はもはや|退却《たいきやく》するのやむなき|苦境《くきやう》に|陥《おちい》つた。
このとき|常世姫《とこよひめ》より|密使《みつし》が|来《き》た。
『|汝《なんぢ》らはいかに|苦境《くきやう》に|陥《おちい》るとも|断《だん》じて|一歩《いつぽ》も|退却《たいきやく》すべからず。|持久戦《ぢきうせん》をもつて|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》|以下《いか》の|諸神将《しよしんしよう》を、シオン|山《ざん》に|封鎖《ふうさ》せよ。われは|竜宮城《りゆうぐうじやう》をはじめ、|芙蓉山《ふようざん》、モスコー、ローマ、|竜宮島《りゆうぐうじま》をこの|機《き》に|乗《じやう》じて|占領《せんりやう》せむ』
とのことであつた。
|美山彦《みやまひこ》、|国照姫《くにてるひめ》、|武熊別《たけくまわけ》はこの|命《めい》を|奉《ほう》じて、あくまでも|退却《たいきやく》せざることになつた。ここに|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|諸神将《しよしんしよう》は、|芙蓉山《ふようざん》およびローマ、モスコーの|魔軍《まぐん》の|攻撃《こうげき》にあひ、|苦戦《くせん》の|情況《じやうきやう》を|察知《さつち》し、|神国別命《かみくにわけのみこと》、|元照彦《もとてるひこ》をして、ローマ、モスコーへ|向《むか》はしめ、|真鉄彦《まがねひこ》をして|芙蓉山《ふようざん》に|向《むか》はしめた。|竜宮城《りゆうぐうじやう》には|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|花森彦《はなもりひこ》、|主将《しゆしやう》としてこれを|守《まも》ることとなつた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|内部《ないぶ》の|統制《とうせい》にあたり、|花森彦《はなもりひこ》は|敵軍《てきぐん》の|襲来《しふらい》に|備《そな》へた。
|常世姫《とこよひめ》の|夫神《をつとがみ》|八王大神《やつわうだいじん》|常世彦《とこよひこ》は、|三軍《さんぐん》の|将《しやう》として|芙蓉山《ふようざん》を|始《はじ》めローマ、モスコーの|攻撃《こうげき》に|全力《ぜんりよく》を|注《そそ》ぎ、|常世姫《とこよひめ》は|魔我彦《まがひこ》、|魔我姫《まがひめ》とともに|再《ふたた》び|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|入《い》り、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|深《ふか》く|取入《とりい》り、|表面《へうめん》|猫《ねこ》を|被《かぶ》つて|柔順《じうじゆん》に|仕《つか》へてゐた。しかして|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|花森彦《はなもりひこ》を|失墜《しつつゐ》せしめ、みづから|城内《じやうない》の|主権《しゆけん》を|握《にぎ》らむと|考《かんが》へてゐた。
|常世姫《とこよひめ》は|常世《とこよ》の|国《くに》より|来《きた》れる|容色《ようしよく》|艶麗《えんれい》|並《なら》びなき|唐子姫《からこひめ》を|城中《じやうちう》に|入《い》れ、|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|花森彦《はなもりひこ》に|近《ちか》く|奉仕《ほうし》せしめた。|唐子姫《からこひめ》の|涼《すず》しき|眼《まなこ》は、つひに|花森彦《はなもりひこ》を|魅《み》するにいたつた。|花森彦《はなもりひこ》は|唐子姫《からこひめ》に|精神《せいしん》を|奪《うば》はれ、|大切《たいせつ》なる|神務《しんむ》を|忘却《ばうきやく》し、|夜《よる》ひそかに|手《て》を|携《たづさ》へて|壇山《だんざん》に|隠《かく》れ、ここに|仮夫婦《かりふうふ》として|生活《せいくわつ》をつづけた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|力《ちから》とたのむ|花森彦《はなもりひこ》を|失《うしな》ひ、ほとんど|為《な》すところを|知《し》らなかつた。|花森彦《はなもりひこ》の|妻《つま》|桜木姫《さくらぎひめ》はおほいに|驚《おどろ》き、かつ|怒《いか》り、かつ|怨《うら》み、|涕泣《ていきふ》|煩悶《はんもん》の|結果《けつくわ》つひに|発狂《はつきやう》するにいたつた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》|以下《いか》の|神将《しんしやう》は|大《おほ》いにこれを|憂《うれ》ひ、いかにもして|花森彦《はなもりひこ》の|行衛《ゆくへ》を|探《さぐ》り、ふたたび|城内《じやうない》に|還《かへ》らしめ|桜木姫《さくらぎひめ》に|面会《めんくわい》せしめなば、たちまち|全快《ぜんくわい》せむと|協議《けふぎ》の|結果《けつくわ》、|神卒《しんそつ》を|諸方《しよはう》に|派遣《はけん》し、その|行方《ゆくへ》を|探《さぐ》らしめた。|城内《じやうない》はおひおひ|神卒《しんそつ》の|数《すう》を|減《げん》じ、|漸次《ぜんじ》|守備《しゆび》は|手薄《てうす》になつた。
|桜木姫《さくらぎひめ》はますます|暴狂《あれくる》ふのである。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|今《いま》や|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|前《まへ》に|出《い》で、シナイ|山《ざん》の|戦況《せんきやう》を|奏上《そうじやう》する|時《とき》しも、|桜木姫《さくらぎひめ》は|走《はし》り|来《きた》つて|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|抱《いだ》き、
『|恋《こひ》しき|吾《わ》が|夫《をつと》ここにゐますか』
と、かつ|泣《な》き、かつ|笑《わら》ひ、|無理《むり》に|手《て》も|脱《ぬ》けむばかりにして、|自分《じぶん》の|居間《ゐま》に|帰《かへ》らむとする。|常世姫《とこよひめ》は|心中《しんちゆう》|謀計《ぼうけい》の|図《づ》にあたれるをよろこび|威丈高《ゐだけだか》になつて、『|言霊別命《ことたまわけのみこと》』と|言葉《ことば》に|角《かど》を|立《た》てて|呼《よ》びとめ、
『|汝《なんぢ》は|常《つね》に|行状《ぎやうじやう》|悪《あし》く|内外《ないぐわい》ともにその|風評《うはさ》を|聞《き》かぬものはなし。しかるに|天罰《てんばつ》は|眼《ま》のあたり、いま|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|御前《みまへ》にて|醜態《しうたい》を|暴露《ばくろ》したり。|桜木姫《さくらぎひめ》の|発狂《はつきやう》せしは|貴神司《きしん》が|原動力《げんどうりよく》なり。これを|探知《たんち》したる|花森彦《はなもりひこ》は|温順《おんじゆん》の|性《たち》なれば、|過去《くわこ》の|因縁《いんねん》と|断念《だんねん》してすこしも|色《いろ》に|表《あら》はさず、|桜木姫《さくらぎひめ》を|汝《なんぢ》に|与《あた》へ、みづからは|唐子姫《からこひめ》とともにこの|場《ば》を|遁《のが》れたるなり。|花森彦《はなもりひこ》は|決《けつ》して|女性《をみな》の|情《なさけ》に|絆《ほだ》されて、|大事《だいじ》を|誤《あやま》るがごとき|神司《かみ》に|非《あら》ず。しかるに|危急《ききふ》|存亡《そんばう》の|場合《ばあひ》、|命《みこと》をしてかかる|行動《かうどう》に|出《い》でしめたるは、|全《まつた》く|汝《なんぢ》が|罪《つみ》のいたすところ、これにてもなほ|弁解《べんかい》の|辞《じ》あるや』
と、|理《り》を|非《ひ》にまげ、|誣言《ぶげん》をもつて|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|心《こころ》を|動《うご》かさむとした。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|居《ゐ》なほつて|常世姫《とこよひめ》にむかひ、
『こは|奇怪《きくわい》なることを|承《うけたま》はるものかな。|貴神司《きしん》は|何《なん》の|証拠《しようこ》あつて、かくのごとき|暴言《ばうげん》を|吐《は》きたまふや』
と|言《い》はせもはてず、|常世姫《とこよひめ》は|眼《まなこ》を|怒《いか》らし、|口《くち》を|尖《とが》らし、|少《すこ》しく|空《そら》を|仰《あふ》いで、フフンと|鼻《はな》で|息《いき》をなし、
『|証拠《しようこ》は|貴神司《きしん》の|心《こころ》に|問《と》へ』
と|睨《ね》めつけた。
|桜木姫《さくらぎひめ》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|花森彦《はなもりひこ》と|誤解《ごかい》し、|狂気《きやうき》の|身《み》ながらも|常世姫《とこよひめ》にむかつて|飛《と》びつき、
『|汝《なんぢ》は|何故《なにゆゑ》なれば|最愛《さいあい》の|吾《わが》|夫《をつと》にたいし、|暴言《ばうげん》を|吐《は》くか。われは|夫《をつと》に|代《かは》り、|目《め》に|物《もの》|見《み》せてくれむ』
と、いふより|早《はや》く|髻《たぶさ》に|手《て》をかけ、|力《ちから》かぎりに|引《ひき》ずりまはした。|常世姫《とこよひめ》は|声《こゑ》を|上《あ》げて|救《たす》けを|叫《さけ》んだ。|城内《じやうない》の|神司《かみがみ》はこの|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて|諸方《しよはう》より|駈《か》けつけた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|濡衣《ぬれぎぬ》は|容易《ようい》に|晴《は》れず、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|厳命《げんめい》により、|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|追放《つゐはう》さるることとなつたのである。ここに|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|常世姫《とこよひめ》の|誣言《ぶげん》を|信《しん》じ、|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|追放《つゐはう》し、|花森彦《はなもりひこ》を|壇山《だんざん》より|召還《せうくわん》し、|城内《じやうない》の|主将《しゆしやう》たらしめむとしたまうた。ここに|天稚彦《あめのわかひこ》は|協議《けふぎ》の|結果《けつくわ》|壇山《だんざん》にむかひ、|花森彦《はなもりひこ》を|招《まね》き|帰《かへ》らしめむと|出発《しゆつぱつ》せしめられた。|天稚彦《あめのわかひこ》は|容色《ようしよく》|美《うる》はしき|男性《おのこ》にして、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》を|助《たす》けてゐた。
|天稚彦《あめのわかひこ》は|天《あま》の|磐船《いはふね》に|乗《の》つて|壇山《だんざん》にむかひ、|花森彦《はなもりひこ》に|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|命《めい》を|伝《つた》へ、かつ|唐子姫《からこひめ》との|手《て》を|断《き》り、|一時《いちじ》も|早《はや》く|帰還《きくわん》せむことを|伝《つた》へた。
|花森彦《はなもりひこ》はおほいに|悦《よろこ》び、ただちに|迷夢《めいむ》を|醒《さ》まし、|天《あま》の|磐船《いはふね》に|乗《の》つて|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰還《きくわん》し、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|帷幄《ゐあく》に|参《さん》ずることとなつた。
|城内《じやうない》は|常世姫《とこよひめ》、|花森彦《はなもりひこ》の|二神司《にしん》が|牛耳《ぎうじ》を|執《と》つてゐた。|実《じつ》に|竜宮城《りゆうぐうじやう》は|常世姫《とこよひめ》の|奸策《かんさく》によつて、|何時《いつ》|破壊《はくわい》さるるか|分《わか》らぬ|状態《じやうたい》であつた。
|天稚彦《あめのわかひこ》は|唐子姫《からこひめ》の|姿《すがた》を|見《み》るより、にはかに|精神《せいしん》|恍惚《くわうこつ》として|挙措《きよそ》|動作《どうさ》|度《ど》を|失《うしな》ひ、つひに|手《て》に|手《て》をとつて|山奥《やまおく》|深《ふか》く|隠遁《いんとん》し、|竜宮城《りゆうぐうじやう》へは|帰《かへ》つてこなかつた。
|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》といふ|美《うる》はしき|妻神《つまがみ》があり、また|八柱《やはしら》の|御子《みこ》のあるにもかかはらず、|唐子姫《からこひめ》に|心魂《しんこん》を|蕩《とろ》かしたるは、|返《かへ》す|返《がへ》すも|残念《ざんねん》な|次第《しだい》である。
(大正一〇・一一・八 旧一〇・九 外山豊二録)
第四四章 |魔風《まかぜ》|恋風《こひかぜ》〔九四〕
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|思《おも》はざる|漏衣《ぬれぎぬ》を|着《き》せられ、|如何《いか》にもしてこの|疑《うたがひ》を|晴《は》らし、|身《み》の|潔白《けつぱく》を|示《しめ》さむと|焦慮《せうりよ》し、かつ|常世姫《とこよひめ》を|悔《く》い|改《あらた》めしめむとした。されど|狐独《こどく》の|身《み》となりし|命《みこと》はいかんとも|策《さく》の|施《ほどこ》すべき|道《みち》がなかつた。そこでいよいよ|意《い》を|決《けつ》し、|万寿山《まんじゆざん》に|落《お》ち|延《の》びた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|境遇《きやうぐう》に|同情《どうじやう》したる|数多《あまた》の|神司《かみがみ》は、|命《みこと》の|後《あと》をおふて|万寿山《まんじゆざん》に|馳集《はせあつ》まつた。
|重《おも》なる|神将《しんしやう》は、|吾妻別《あづまわけ》、|鷹松別《たかまつわけ》、|河原林《かはらばやし》、|玉照彦《たまてるひこ》、|有国彦《ありくにひこ》、|森鷹彦《もりたかひこ》らの|諸神将《しよしんしよう》であつた。|勇猛《ゆうまう》なる|神軍《しんぐん》は|期《き》せずして|日《ひ》に|月《つき》に|集《あつ》まりきたつた。このこと|常世姫《とこよひめ》の|耳《みみ》に|雷《らい》のごとく|響《ひび》いてきた。|常世姫《とこよひめ》はおほいに|驚《おどろ》き、|八王大神《やつわうだいじん》|常世彦《とこよひこ》をして|万寿山《まんじゆざん》を|攻撃《こうげき》せしめむとした。|時《とき》しも|竜宮城《りゆうぐうじやう》は|常世姫《とこよひめ》のために|陥落《かんらく》し、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|神国別命《かみくにわけのみこと》|以下《いか》の|神将《しんしやう》とともに、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|駐屯《ちうとん》せる|万寿山《まんじゆざん》に|逃《のが》れたまうた。
ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、|礼《れい》をつくしてこれを|迎《むか》へ|奉《たてまつ》り、|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|回復《くわいふく》せむとし、かつ|言霊別命《ことたまわけのみこと》|以下《いか》の|清廉潔白《せいれんけつぱく》にして、|至誠《しせい》|至実《しじつ》の|神《かみ》たることが|初《はじ》めて|悟《さと》られた。
|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|来臨《らいりん》とともに|万寿山《まんじゆざん》はますます|開拓《かいたく》され、つひには|堅城《けんじやう》を|造《つく》り、|鉄壁《てつぺき》をめぐらし、|実《じつ》に|難攻不落《なんこうふらく》の|城塞《じやうさい》となつた。
この|時《とき》、|智勇《ちゆう》|兼備《けんび》の|勇将《ゆうしやう》にして、|紅葉別《もみぢわけ》といふ|軍神《ぐんしん》があつた。この|神司《かみ》あまたの|神軍《しんぐん》を|率《ひき》ゐて|来《きた》り、|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|面謁《めんえつ》せむことを|申込《まをしこ》んだ。|言霊別命《ことたまわけのみこと》はまづ|吾妻別《あづまわけ》に|面会《めんくわい》せしめ、その|来意《らいい》を|尋《たづ》ねさせた。|紅葉別《もみぢわけ》は|常世姫《とこよひめ》の|奸策《かんさく》を|聞《き》き|義憤《ぎふん》をおこし、|自《みづか》ら|進《すす》んで|万寿山《まんじゆざん》に|参加《さんか》し、|彼《かれ》を|亡《ほろ》ぼし|天下《てんか》を|太平《たいへい》に|治《をさ》めむと|欲《ほつ》し、|協心戮力《けふしんりくりよく》もつてミロク|神政《しんせい》の|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せむと、|殊勝《しゆしよう》にも|誠意《せいい》を|表《おもて》にあらはして|参加《さんか》せむ|事《こと》を|申込《まをしこ》んだ。|吾妻別《あづまわけ》はおほいに|喜《よろこ》び、これを|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|委細《ゐさい》|進言《しんげん》した。|紅葉別《もみぢわけ》は|戦闘《せんとう》に|妙《めう》をえたる|武神《ぶしん》である。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》とはかり、|紅葉別《もみぢわけ》をして|万寿山《まんじゆざん》の|主将《しゆしやう》たらしめむとした。このとき|竜宮城《りゆうぐうじやう》はすでに|常世姫《とこよひめ》の|占領《せんりやう》するところとなり、ついで|地《ち》の|高天原《たかあまはら》も、|橄欖山《かんらんざん》も|敵手《てきしゆ》に|落《お》ちてゐた。シオン|山《ざん》の|総大将《そうだいしやう》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、|逃《のが》れきたれる|大足彦《おほだるひこ》の|国《くに》の|真澄《ますみ》の|鏡《かがみ》をもつて、|敵軍《てきぐん》を|山上《さんじやう》より|射照《いてら》した。たちまち|山頂《さんちやう》より|幾十万《いくじふまん》とも|知《し》れぬ|巨巌《きよがん》|湧出《ゆうしゆつ》して|中空《ちゆうくう》に|飛《と》び、|美山彦《みやまひこ》、|国照姫《くにてるひめ》、|武熊別《たけくまわけ》の|魔軍《まぐん》の|集団《しふだん》めがけて|雨《あめ》のごとく|落下《らくか》し、|一方《いつぱう》|鏡《かがみ》に|射照《いてら》されてその|正体《しやうたい》を|露《あら》はし、たちまち|悪鬼《あくき》、|大蛇《だいじや》、|悪狐《あくこ》の|姿《すがた》と|変《へん》じ、|鬼城山《きじやうざん》めがけて|逃《に》げ|散《ち》つた。
ここに|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|宮比彦《みやびひこ》を|祭祀《さいし》の|長《ちやう》とし、|安世彦《やすよひこ》を|主将《しゆしやう》とし、|一部《いちぶ》の|神軍《しんぐん》をもつてこれを|守《まも》らしめ、ただちにその|勢《いきほひ》をもつて|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|攻《せ》め|寄《よ》せ|回復戦《くわいふくせん》を|試《こころ》みた。|真鉄彦《まがねひこ》は|地《ち》の|高天原《たかあまはら》にむかひ、|磐樟彦《いはくすひこ》は|橄欖山《かんらんざん》にむかひ、|吾妻別《あづまわけ》、|大足彦《おほだるひこ》は|竜宮城《りゆうぐうじやう》にむかひ、|国《くに》の|真澄《ますみ》の|鏡《かがみ》を|取《と》り|出《だ》し、|敵軍《てきぐん》を|照《てら》し、かつ|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》するや、たちまち|暴風《ばうふう》|吹《ふ》きおこり、|浪《なみ》は|山《やま》の|如《ごと》く|立荒《たちすさ》び、|城《しろ》はほとんど|水中《すゐちゆう》に|没《ぼつ》した。|常世姫《とこよひめ》の|身体《しんたい》よりは|異様《いやう》の|光《ひかり》|現《あら》はれ、|金毛八尾《きんまうはちび》の|悪狐《あくこ》と|化《くわ》し、|黒雲《こくうん》を|巻《ま》きおこし、|常世城《とこよじやう》めがけて|遁走《とんさう》し、|部下《ぶか》の|魔軍《まぐん》は|諸方《しよはう》に|散乱《さんらん》して、|竜宮城《りゆうぐうじやう》も|地《ち》の|高天原《たかあまはら》も|再《ふたた》び|神軍《しんぐん》の|手《て》に|帰《かへ》つた。ここに|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は、|言霊別命《ことたまわけのみこと》、|吾妻別《あづまわけ》らを|率《ひき》ゐてふたたび|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰還《きくわん》したまうた。|万寿山《まんじゆざん》は|鷹松別《たかまつわけ》、|有国別《ありくにわけ》らの|諸神将《しよしんしよう》をしてこれを|守備《しゆび》せしむることとなつた。
|話《はなし》かはつて|天稚彦《あめのわかひこ》は、|唐子姫《からこひめ》に|心《こころ》を|奪《うば》はれ、|壇山《だんざん》を|捨《す》ててなほも|山奥《やまおく》|深《ふか》くわけいり、
『お|前《まへ》と|一緒《いつしよ》に|暮《くら》すなら、たとへ|野《の》の|末《すゑ》|山《やま》の|奥《おく》、|虎《とら》|狼《おほかみ》の|住家《すみか》にて、|竹《たけ》の|柱《はしら》に|茅《かや》の|屋根《やね》、|手鍋《てなべ》|提《さ》げてもかまやせぬ』
といふやうな|状態《じやうたい》にて、わづかの|庵《いほり》を|結《むす》び|夫婦《ふうふ》きどりで|暫《しばら》く|暮《くら》してゐた。
ある|時《とき》|天稚彦《あめのわかひこ》は|近辺《ほとり》の|山《やま》に|分《わ》け|入《い》りて、|兎《うさぎ》を|狩《か》つて|帰《かへ》つてきた。|唐子姫《からこひめ》は|夫《をつと》の|留守《るす》に|気《き》を|許《ゆる》し、|辺《あた》りに|響《ひび》く|鼾声《かんせい》を|発《はつ》し、よく|寝入《ねい》つてゐた。|天稚彦《あめのわかひこ》はひそかに|外《そと》より|覗《のぞ》いて|見《み》た。|唐子姫《からこひめ》の|姿《すがた》はどこへ|行《い》つたか|影《かげ》もなく、|寝間《ねま》には|銀毛八尾白面《ぎんまうはちびはくめん》の|悪狐《あくこ》が|睡《ねむ》つてゐる。|天稚彦《あめのわかひこ》はおほいに|驚《おどろ》き、かつ|怒《いか》り、
『この|邪神《じやしん》|奴《め》、わが|不在《ふざい》を|窺《うかが》ひ、|最愛《さいあい》の|唐子姫《からこひめ》を|喰《く》ひ|殺《ころ》し|腹《はら》|膨《ふく》らせ、|安閑《あんかん》と|仮眠《いねむ》りをるとは|心憎《こころにく》し。|妻《つま》の|敵《かたき》、|思《おも》ひ|知《し》れよ』
と|弓《ゆみ》に|矢《や》をつがひ、|悪狐《あくこ》をめがけて|発止《はつし》と|射《い》かけた。この|時《とき》|遅《おそ》く、かの|時《とき》|速《はや》く、|悪狐《あくこ》はたちまち|白煙《はくえん》となつて|消《き》え|失《う》せた。いづこともなく|唐子姫《からこひめ》の|声《こゑ》として、
『われは|常世姫《とこよひめ》の|部下《ぶか》の|魔神《まがみ》なり。|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|占領《せんりやう》せむために|花森彦《はなもりひこ》を|誘《おび》き|出《だ》し、|今《いま》また|汝《なんぢ》をこの|山奥《やまおく》に|誘《さそ》ひ、その|通力《つうりき》を|失《うしな》はしめたり。|吾《われ》はこれより|常世《とこよ》の|国《くに》に|馳帰《はせかへ》り|賞賜《しやうし》に|預《あづ》からむ。|汝《なんぢ》はすみやかに|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|還《かへ》り、この|失敗《しつぱい》を|包《つつ》み|隠《かく》さず|物語《ものがた》り、|唐子姫《からこひめ》に|眉毛《まゆげ》をよまれ、|尻《しり》の|毛《け》も|一本《いつぽん》も|残《のこ》らず|引抜《ひきぬ》かれたり。|悔《くや》し|残念《ざんねん》を|耐《こば》りこばりてここまで|還《かへ》りきました。|今《いま》までの|罪《つみ》はお|許《ゆる》し|下《くだ》さいと、|女房《にようばう》の|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に|頭《あたま》を|下《さ》げて、|三拝九拝《さんぱいきうはい》せよ』
と|言葉《ことば》|途切《とぎ》るとともに、カラカラと|嘲笑《あざわら》ひの|声《こゑ》|次第《しだい》に|遠《とほ》くなりゆくのであつた。|命《みこと》は|大《おほ》いに|怒《いか》り、|声《こゑ》する|方《はう》を|中空《ちゆうくう》|目《め》がけて|矢《や》を|射《い》つた。|矢《や》は|危《あやふ》くも|命《みこと》の|肩先《かたさき》をすれずれにうなりを|立《た》てて|落《お》ちきたり、|実《じつ》に|危機一髪《ききいつぱつ》の|間《あひだ》であつた。|天稚彦《あめのわかひこ》はこれより|諸方《しよはう》を|流浪《るらう》し、|種々《しゆじゆ》の|艱苦《かんく》を|嘗《な》めつつすごすごと|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰《かへ》ることとなつた。
(大正一〇・一一・八 旧一〇・九 加藤明子録)
第七篇 |天地《てんち》の|大道《だいだう》
第四五章 |天地《てんち》の|律法《りつぱう》〔九五〕
|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に|宮柱太《みやはしらふと》しき|立《た》て|千木《ちぎ》|高《たか》しりて|鎮《しづ》まりゐます、|国治立命《くにはるたちのみこと》、|豊国姫命《とよくにひめのみこと》の|二神《にしん》は、|神界《しんかい》のかくまで|混乱《こんらん》の|極《きよく》に|達《たつ》し、|収拾《しうしふ》す|可《べ》からざるにいたりしは、|諸神人《しよしん》に|対《たい》し、|厳格《げんかく》なる|神律《しんりつ》の|制定《せいてい》されざるに|基《もと》づくものなりとし、ここに|天道別命《あまぢわけのみこと》とともに|律法《りつぱう》を|制定《せいてい》したまうた。
その|律法《りつぱう》は|内面的《ないめんてき》には、「|反省《かへりみ》よ。|恥《は》ぢよ。|悔改《くいあらた》めよ。|天地《てんち》を|畏《おそ》れよ。|正《ただ》しく|覚《さと》れよ」の|五戒律《ごかいりつ》であつた。また|外面的《ぐわいめんてき》|律法《りつぱう》としては、「|第一《だいいち》に、|夫婦《ふうふ》の|道《みち》を|厳守《げんしゆ》し、|一夫一婦《いつぷいつぷ》たるべきこと。|第二《だいに》に、|神《かみ》を|敬《うやま》ひ|長上《ちやうじやう》を|尊《たふと》み、|博《ひろ》く|万物《ばんぶつ》を|愛《あい》すること。|第三《だいさん》には、|互《たが》ひに|嫉妬《ねた》み、|誹《そし》り、|偽《いつは》り、|盗《ぬす》み、|殺《ころ》しなどの|悪行《あくかう》を|厳禁《げんきん》すること」|等《とう》の|三大《さんだい》|綱領《かうりやう》である。
この|律法《りつぱう》を|天下《てんか》に|広《ひろ》むるに|先立《さきだ》ち、まづ|竜宮城《りゆうぐうじやう》および|地《ち》の|高天原《たかあまはら》より|実行《じつかう》し、これが|模範《もはん》を|天下《てんか》|万神人《ばんしん》に|伝示《でんじ》し|堅《かた》く|遵奉《じゆんぽう》せしむることと|定《さだ》められた。これより|高天原《たかあまはら》は|規律《きりつ》|正《ただ》しく、ことに|一夫一婦《いつぷいつぷ》の|道《みち》は|厳格《げんかく》に|守《まも》られてゐた。
|竜宮城《りゆうぐうじやう》も|地《ち》の|高天原《たかあまはら》も、|天使《てんし》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、|大足彦《おほだるひこ》らの|機略《きりやく》|縦横《じうわう》の|神策《しんさく》により、|常世姫《とこよひめ》の|魔軍《まぐん》を|伐《う》ちはらひ、|平穏《へいおん》|無事《ぶじ》に|治《おさ》まり、|諸神司《しよしん》は|太平《たいへい》の|夢《ゆめ》に|酔《よ》ひ、|花《はな》に|戯《たはむ》れ、|月《つき》を|愛《め》で、|荘厳《さうごん》なる|神楽《かぐら》を|奏上《そうじやう》して|神《かみ》の|御祭《みまつり》を|盛大《せいだい》に|挙行《きよかう》し、|舞《ま》ひ|遊《あそ》ぶ|黄金時代《わうごんじだい》となつた。
しかるに|遠《とほ》き|国々《くにぐに》はいまだ|泰平《たいへい》ならず、したがつて|大神《おほかみ》の|律法《りつぱう》もゆきわたるまでに|至《いた》らなかつた。|茲《ここ》において|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|天上《てんじやう》および|天下《てんか》|泰平《たいへい》の|御喜《およろこ》びに、|盛装《せいさう》を|凝《こ》らして|諸神司《しよしん》の|遊楽場《いうらくぢやう》へ|出場《しゆつぢやう》|遊《あそ》ばされ、|高座《かうざ》より|愉快気《ゆくわいげ》にこれを|眺《なが》めてをられた。このとき、|眉目清秀《びもくせいしう》なる|年若《としわか》き|男神司《だんしん》は、|長《なが》き|袖《そで》の|錦衣《きんい》を|着《ちやく》し|中央《ちうあう》に|立《た》ち、|音楽《おんがく》につれて|淑《しと》やかに|舞《ま》ひはじめた。|実《じつ》に|万緑叢中《ばんりよくそうちう》|紅一点《こういつてん》の|観《くわん》があつた。|時《とき》に|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は、にはかに|顔色蒼白《がんしよくさうはく》となり、|吐息《といき》をつき、その|場《ば》に|倒《たふ》れ|伏《ふ》したまうた。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》|以下《いか》の|神将《しんしやう》は|驚《おどろ》いて|介抱《かいはう》し、|奥殿《おくでん》へ|送《おく》りたてまつり、|柔《やはら》かき|夜具《やぐ》を|八重《やへ》に|重《かさ》ね、その|上《うへ》に|命《みこと》を|安臥《あんぐわ》させたてまつり、いろいろと|介抱《かいはう》に|余念《よねん》なかつた。|神司《かみがみ》はめいめいに|病床《びやうしやう》を|訪《たづ》ね、いろいろの|薬草《やくさう》を|遠近《をちこち》の|山々《やまやま》より|求《もと》め|来《きた》つてこれを|勧《すす》めた。されども|命《みこと》は|御首《みくび》を|左右《さいう》に|振《ふ》つてこれを|拒絶《きよぜつ》したまひ、|命《みこと》の|様子《やうす》は|日《ひ》をおふて|疲労《ひらう》を|増《ま》すばかりであつた。|神司《かみがみ》は|種々《しゆじゆ》と|手《て》をつくし、|心《こころ》をつくした。されど、|命《みこと》の|病気《びやうき》にたいしては|何《なん》の|効能《かうのう》もなかつた。このとき|命《みこと》は|思《おも》ひ|切《き》つたやうに、|神楽《かぐら》の|舞《まひ》を|見《み》せよと|仰《あふ》せられた。|直《ただ》ちに|諸神司《しよしん》は|準備《じゆんび》に|取《と》りかかり、|命《みこと》の|御前《ごぜん》に|神楽《かぐら》を|奏上《そうじやう》した。|音楽《おんがく》につれて|数多《あまた》の|乙女《をとめ》は|長袖《ちやうしう》をひるがへし、|淑《しと》やかに|舞《ま》ひはじめた。|諸神人《しよしん》の|歓呼《くわんこ》の|声《こゑ》、|拍手《はくしゆ》の|響《ひび》きは|天《てん》に|轟《とどろ》くばかりであつた。
|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》はその|舞曲《ぶきよく》を|一心《いつしん》に|眺《なが》め、|眼《まなこ》を|諸方《しよはう》に|配《くば》り、また「あゝ」と|吐息《といき》をもらして|床上《しやうじやう》に|伏《ふ》したまうた。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|御病《おやまひ》のかへつて|重《おも》らむことをおそれ、|舞曲《ぶきよく》を|中止《ちゆうし》し、|自分《じぶん》はただ|一柱《ひとり》|枕頭《ちんとう》に|侍《じ》して|看護《かんご》に|余念《よねん》なかつたのである。|夜中《やちう》|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は、
『あゝ|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照彦《たまてるひこ》』
と|連呼《れんこ》された。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》はあわてて、
『|玉照彦《たまてるひこ》は|如何《いか》にいたせしや』
と|問《と》ひたてまつつた。|命《みこと》は|何《なん》の|返答《へんたふ》もなく、すやすやと|眠《ねむ》らせゐたまうのであつた。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》はただちに|玉照彦《たまてるひこ》を|招《まね》き、|命《みこと》の|看護《かんご》を|命《めい》じた。それより|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|御病《おんやまひ》は|日《ひ》に|日《ひ》に|恢復《くわいふく》し、|玉照彦《たまてるひこ》は|命《みこと》のそば|近《ちか》く|奉仕《ほうし》することとなつた。|雨《あめ》の|夜《よ》も|風《かぜ》の|荒《あら》き|日《ひ》も|瞬時《しゆんじ》も|御傍《おそば》を|離《はな》したまはず、|玉照彦《たまてるひこ》を|掌中《しやうちう》の|玉《たま》のごとくに|愛《あい》されたまうた。
(大正一〇・一一・八 旧一〇・九 桜井重雄録)
第四六章 |天則《てんそく》|違反《ゐはん》〔九六〕
ここに|天稚彦《あめのわかひこ》は|唐子姫《からこひめ》の|妖魅《えうみ》に|誑《たぶ》らかされ、|諸方《しよはう》を|流転《るてん》し、|山野河海《さんやかかい》を|跋渉《ばつせう》し、|雪《ゆき》の|朝《あした》|霜《しも》の|夕《ゆふべ》に|足《あし》を|痛《いた》め、|風雨《ふうう》に|曝《さら》され、|晩秋《ばんしう》の|案山子《かがし》の|如《ごと》きみすぼらしき|姿《すがた》となりて|万寿山《まんじゆざん》の|城下《じやうか》に|現《あら》はれ、|神司《かみがみ》の|門戸《もんこ》をたたき、|乞食《こじき》の|姿《すがた》となつてあらはれた。
たまたま|吾妻別《あづまわけ》の|門戸《もんこ》をたたく|者《もの》がある。その|音《おと》はどこともなくことなれる|響《ひび》きであるを|感《かん》じ、|吾妻別《あづまわけ》はみづから|立《た》つて|門《もん》を|開《ひら》きみれば、|一個《いつこ》の|賤《いや》しき|漂浪神《さすらひがみ》が|立《た》つてゐて、|命《みこと》の|顔《かほ》を|眺《なが》め、
『|汝《なんぢ》は|吾妻別《あづまわけ》に|非《あら》ずや』
といつた。|命《みこと》の|従臣《じゆうしん》|滝彦《たきひこ》は|走《はし》りきたり、その|神司《かみ》にむかつて、
『|汝《なんぢ》はいづれの|神司《かみ》か|知《し》らざれども、|吾《わが》|門戸《もんこ》に|立《た》ち、|吾《わが》|主人《あるじ》にむかつて|名《な》を|呼捨《よびす》てになす|不届者《ふとどきもの》、|一時《いちじ》も|早《はや》くこの|場《ば》を|立去《たちさ》れ。|否《いな》むにおいてはこの|通《とほ》り』
といふより|早《はや》く|棍棒《こんぼう》をもつて|頭上《づじやう》を|殴打《おうだ》した。そのはづみに|急所《きふしよ》をはづれて|笠《かさ》は|飛《と》び|散《ち》つた。|漂浪神《さすらひがみ》は|眼光烱々《がんくわうけいけい》として|射《い》るごとく、|言葉《ことば》するどく、
『|無礼者《ぶれいもの》』
と|罵《ののし》つた。
|吾妻別《あづまわけ》は|始《はじ》めて|天稚彦《あめのわかひこ》の|成《な》れの|果《は》てなることを|覚《さと》り、|従臣《じゆうしん》の|無礼《ぶれい》を|謝《しや》し、ねんごろに|手《て》を|引《ひ》き|万寿山《まんじゆざん》|城内《じやうない》に|迎《むか》へたてまつり、|新《あたら》しき|神衣《しんい》を|奉《たてまつ》つた。|今《いま》までの|案山子《かがし》のごとく|窶《やつ》れたる|神司《かみ》は、たちまち|豊頬《ほうけい》|円満《ゑんまん》なる|天晴勇将《あつぱれゆうしやう》と|変《かは》りたまうた。|吾妻別《あづまわけ》は|信書《しんしよ》を|認《したた》め、|滝彦《たきひこ》を|使者《ししや》として|竜宮城《りゆうぐうじやう》につかはし、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》に、
『|天稚彦《あめのわかひこ》、|万寿山《まんじゆざん》に|還《かへ》りたまひ、しばらく|休養《きうやう》されしのち、ふたたび|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰還《きくわん》したまはむとす。すみやかに|歓迎《くわんげい》の|準備《じゆんび》あらむことを|乞《こ》ふ』
といふ|意味《いみ》の|文面《ぶんめん》であつた。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》はまづこの|信書《しんしよ》をひらき、|一見《いつけん》して|大《おほ》いに|悦《よろこ》び、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|定《さだ》めて|満足《まんぞく》したまはむと、みづから|心中《しんちゆう》|雀躍《こをど》りしながら、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|御前《みまへ》に|出《い》で、|委細《ゐさい》を|言上《ごんじやう》した。
|命《みこと》はさだめて|御喜《およろこ》びのことと|思《おも》ひきや、その|御顔《おんかほ》には|怪《あや》しき|雲《くも》がただようた。|側近《そばちか》く|仕《つか》へゐたる|玉照彦《たまてるひこ》は、にはかに|顔色《がんしよく》|蒼白《さうはく》となり、|唇《くちびる》はぶるぶると|震《ふる》へだした。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|合点《がつてん》ゆかず、その|場《ば》を|引退《ひきさが》つた。このとき|滝彦《たきひこ》は、|天稚彦《あめのわかひこ》の|今《いま》までの|御経歴《ごけいれき》を|語《かた》り、かつ|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》にたいし、|大《だい》なる|疑《うたがひ》を|抱《いだ》き|給《たま》ふことを|述《の》べた。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|一室《ひとま》に|入《い》りて、|双手《もろて》を|組《く》み|思案《しあん》に|時《とき》を|移《うつ》し、この|度《たび》の|命《みこと》の|態度《たいど》といひ、|玉照彦《たまてるひこ》の|様子《やうす》といひ、|実《じつ》に|怪《あや》しさのかぎりである。しかし|律法《りつぱう》|厳《きび》しき|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|主神《しゆしん》として|天則《てんそく》を|破《やぶ》りたまふごとき|失態《しつたい》あるべき|理由《りいう》なしと、とつおいつ|煩悶《はんもん》|苦悩《くなう》してゐた。
しばらくあつて|城内《じやうない》はにはかに|騒《さわ》がしく、|天稚彦《あめのわかひこ》の|御帰城《ごきじやう》なりとて、|右往左往《うわうさわう》に|神司《かみがみ》は|奔走《ほんそう》しはじめた。ここに|花森彦《はなもりひこ》は|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|前《まへ》に|出《い》で、|夫君《をつとぎみ》の|御帰城《ごきじやう》なり、|一時《いちじ》もはやく|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》みづから|出迎《でむか》へたまふやう、|御執成《おとりな》しあらむことをと、|顔《かほ》に|笑《ゑ》みを|含《ふく》んで|進言《しんげん》した。
|花森彦《はなもりひこ》はすでに|善道《ぜんだう》に|復帰《たちかへ》り、|律法《りつぱう》をよく|守《まも》りつつあれば、|唐子姫《からこひめ》を|奪《うば》はれしことは、|少《すこ》しも|念頭《ねんとう》にかけてゐなかつた。ここに|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|周章狼狽《しうしやうらうばい》のあまり、|袴《はかま》を|前後《まへうしろ》にはき、|上着《うはぎ》の|裏《うら》を|着《き》るなどして、あわてて|出迎《でむか》へられた。しかして|玉照彦《たまてるひこ》は|相変《あひかは》らず、|御手《おんて》をひき|命《みこと》を|労《いたは》りつつ|迎《むか》へた。
|天稚彦《あめのわかひこ》は、いきなり|物《もの》をもいはず|鉄拳《てつけん》を|振《ふ》りあげ、|玉照彦《たまてるひこ》を|打《う》ちすゑた。|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》はおほいに|驚《おどろ》き、|玉照彦《たまてるひこ》を|抱《いだ》きあげむとしたまうた。
|玉照彦《たまてるひこ》は|息《いき》もたえだえに、
『われは|厳重《げんぢう》なる|規律《きりつ》を|破《やぶ》り、|天則《てんそく》に|違反《ゐはん》し、ここに|命《みこと》のために|打《う》たれて|滅《ほろ》びむとす。これ|国治立命《くにはるたちのみこと》の|御神罰《ごしんばつ》なり。|許《ゆる》したまへ』
と|真心《まごころ》より|大神《おほかみ》に|祈《いの》りを|捧《ささ》げ、たちまち|城内《じやうない》の|露《つゆ》と|消《き》えた。
|諸神司《しよしん》はこの|光景《くわうけい》をながめ、|二神司《にしん》の|間《あひだ》をいかにして|宥《なだ》め|奉《たてまつ》らむやと|苦心《くしん》した。
このとき|国治立命《くにはるたちのみこと》は|神姿《しんし》を|現《あら》はし、|二神司《にしん》の|前《まへ》に|立《た》ち、
『|夫婦《ふうふ》の|戒律《かいりつ》を|破《やぶ》りたる|極重罪《ごくじうざい》|悪神《あくしん》なり。|天地《てんち》の|規則《きそく》に|照《てら》し、|天稚彦《あめのわかひこ》、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は、すみやかに|幽界《いうかい》にいたり、|幽庁《いうちやう》の|主宰者《しゆさいしや》たるべし』
と|厳命《げんめい》された。|地上《ちじやう》を|治《をさ》め、その|上《うへ》|天上《てんじやう》にいたりて|神政《しんせい》を|掌握《しやうあく》さるべき|運命《うんめい》の|神《かみ》、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は、やがては|天《てん》より|高《たか》く|咲《さ》く|花《はな》の、|色香《いろか》|褪《あ》せたる|紫陽花《あぢさゐ》や、|変《かは》ればかはる|身《み》の|宿世《すぐせ》、いよいよここに、|二神司《にしん》は|地獄《ぢごく》の|釜《かま》の|焦起《こげおこ》し、|三千年《さんぜんねん》の、|忍《しの》びがたき|苦《くる》しみを|受《う》けたまうこととなつた。
(大正一〇・一一・八 旧一〇・九 外山豊二録)
第四七章 |天使《てんし》の|降臨《かうりん》〔九七〕
ここに|常世姫《とこよひめ》は、|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|敗《やぶ》れ、|金毛八尾《きんまうはつぴ》の|悪狐《あくこ》と|変《へん》じ、|常世城《とこよじやう》に|逃《に》げかへり、|魔神《ましん》|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》とともに、|天下《てんか》を|席捲《せきけん》せむとし、ロッキー|山《さん》、ウラル|山《さん》、バイカル|湖《こ》および|死海《しかい》にむかつて|伝令《でんれい》をくだした。|死海《しかい》の|水《みづ》はにはかに|沸騰《ふつとう》し、|天《てん》に|冲《ちゆう》するまもなく、|原野《げんや》を|濁水《だくすゐ》に|変《へん》じて|悪鬼《あくき》となつた。つひにウラル|山《ざん》はにはかに|鳴動《めいどう》をはじめ、|八頭八尾《やつがしらやつを》の|悪竜《あくりゆう》と|化《くわ》し、あまたの|悪竜蛇《あくりうじや》を|吐《は》きだした。
バイカル|湖《こ》の|水《みづ》はにはかに|赤色《せきしよく》をおび、|血《ち》なまぐさき|雨《あめ》となつて、|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|降《ふ》りそそいだ。つぎに|揚子江《やうすかう》の|上流《じやうりう》なる|西蔵《チベツト》、|天竺《てんじく》の|国境《こくきやう》|青雲山《せいうんざん》よりは、しきりに|火焔《くわえん》を|吐《は》きだし、|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪狐《あくこ》となり、その|口《くち》よりは|数多《あまた》の|悪狐《あくこ》を|吐《は》き、|各自《かくじ》|四方《しはう》に|散乱《さんらん》した。
|天足彦《あだるひこ》、|胞場姫《えばひめ》の|霊《れい》より|出生《しゆつしやう》したる|金毛九尾白面《きんまうきゆうびはくめん》の|悪狐《あくこ》は、ただちに|天竺《てんじく》にくだり、ついでウラル|山麓《さんろく》の|原野《げんや》に|現《あら》はれた。ここに|常磐城《ときはじやう》といふ|魔軍《まぐん》の|城《しろ》がある。その|王《わう》は|八頭八尾《やつがしらやつを》の|悪竜《あくりゆう》の|一派《いつぱ》にしてコンロン|王《わう》といふ。|青雲山《せいうんざん》より|現《あら》はれたる|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪狐《あくこ》は、コンロン|王《わう》の|前《まへ》に|現《あら》はれ、たちまち|婉麗《ゑんれい》ならびなき|女性《によしやう》と|化《くわ》し、コンロン|王《わう》に|愛《あい》されつひにその|妃《きさき》となり、|名《な》をコンロン|姫《ひめ》とつけられた。
コンロン|姫《ひめ》はウラル|山《さん》|一帯《いつたい》を|掌握《しやうあく》せむとし、まづコンロン|王《わう》を|滅《ほろ》ぼさむとして|仏頂山《ぶつちやうざん》の|魔王《まわう》、|鬼竜王《きりゆうわう》に|款《くわん》を|通《つう》じてゐた。コンロン|王《わう》の|従臣《じゆうしん》コルシカはコンロン|姫《ひめ》の|悪計《あくけい》を|悟《さと》り、|夜陰《やいん》に|乗《じやう》じてこれを|暗殺《あんさつ》した。コンロン|王《わう》は|鬼竜王《きりゆうわう》の|悪計《あくけい》を|知《し》り、|悪竜《あくりゆう》をして、|近《ちか》づき|攻撃《こうげき》せしめた。|鬼竜王《きりゆうわう》は、|死力《しりよく》をつくして|戦《たたか》ふた。このとき|常世国《とこよのくに》ロッキー|山《さん》より|常世姫《とこよひめ》の|魔軍《まぐん》は|黒雲《こくうん》となり、|風《かぜ》に|送《おく》られて、|仏頂山《ぶつちやうざん》|近《ちか》く|進《すす》んだ。|空中《くうちゆう》よりは|黒《くろ》き|雲塊《うんくわい》|雨《あめ》のごとく|地上《ちじやう》に|落下《らくか》し、たちまち|荒鷲《あらわし》と|変《へん》じ、|猛虎《まうこ》となり、|獅子《しし》と|化《くわ》し、|狼《おほかみ》となつて|諸方《しよはう》に|散乱《さんらん》し、ここに|驚天動地《きやうてんどうち》の|大混乱《だいこんらん》が|始《はじ》まつたのである。|敵味方《てきみかた》の|区別《くべつ》なく、|世界《せかい》は|大混乱《だいこんらん》|状態《じやうたい》に|陥《おちい》り、|味方《みかた》の|同志討《どうしうち》は|諸方《しよはう》に|勃発《ぼつぱつ》した。
|海上《かいじやう》には|黒竜《こくりう》|火焔《くわえん》を|吐《は》きつつ|互《たが》ひに|相《あひ》|争《あらそ》ひ、|勝敗《しようはい》|定《さだ》まらず、|暴風《ばうふう》|吹《ふ》き|荒《すさ》み、|血雨《ちあめ》|滝《たき》のごとく|降《くだ》り、|洪水《こうずゐ》おこりて|山《やま》をも|没《ぼつ》せむとするにいたつた。|天空《てんくう》には|幾千万《いくせんまん》とも|数《かず》かぎりなき|怪鳥《くわいてう》|翼《つばさ》をならべて|前後《ぜんご》|左右《さいう》にかけめぐり、|空中《くうちゆう》に|衝突《しようとつ》して、あるひは|地上《ちじやう》に、あるひは|海上《かいじやう》に|落下《らくか》し、|火焔《くわえん》は|濛々《もうもう》としてたちあがり、|高《たか》き|山《やま》はほとんど|焼《や》けうせ、|水上《すゐじやう》は|地震《ぢしん》のために|巨浪《きよらう》|山《やま》をなし、|天地《てんち》もほとんど|破壊《はくわい》せむばかりであつた。
このとき|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に、|国治立命《くにはるたちのみこと》|現《あら》はれたまひ、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》に|命《めい》じて、|天上《てんじやう》の|天則《てんそく》をもつて|地上《ちじやう》に|宣伝《せんでん》せむとしたまうた。|八百万《やほよろづ》の|神司《かみ》はこの|旨《むね》を|奉戴《ほうたい》し、|天《あま》の|鳥船《とりふね》に|乗《の》り|諸方《しよはう》に|駆《か》けめぐり、|天則《てんそく》を|芭蕉《ばせう》の|葉《は》に|記《しる》し、|世界《せかい》|各地《かくち》に|撒布《さんぷ》せしめた。されど|一柱《ひとり》とてこれを|用《もち》ゐる|者《もの》はなく、かへつてこれを|嘲笑《てうせう》するばかりである。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》はやむをえず、|一《ひと》まづ|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に|帰還《きくわん》された。
このとき|天上《てんじやう》より|嚠喨《りうりよう》たる|音楽《おんがく》|聞《き》こえ、|数多《あまた》の|従神《じゆうしん》をともなひ、いういうとして|地《ち》の|高天原《たかあまはら》めがけて|降《くだ》りきたる|荘厳《さうごん》な|女神《めがみ》があつた。|女神《めがみ》は|第一着《だいいつちやく》に|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|現《あら》はれ、|城内《じやうない》にしばし|光玉《くわうぎよく》と|化《くわ》して|休息《きうそく》し、ふたたび|元《もと》の|女神《めがみ》となり、|従神《じゆうしん》とともに|地《ち》の|高天原《たかあまはら》なる、|国治立命《くにはるたちのみこと》の|宮殿《きうでん》に|着《つ》かせたまひ、
『この|度《たび》の|地上《ちじやう》の|大混乱《だいこんらん》たちまち|天上《てんじやう》に|影響《えいきやう》し、|天上《てんじやう》の|状態《じやうたい》はあたかも|乱麻《らんま》のごとし。|一時《いちじ》も|早《はや》く|大地《だいち》を|修理固成《しうりこせい》し、もつて|天上《てんじやう》の|混乱《こんらん》を|治《をさ》められよ。|吾《われ》は|日《ひ》の|大神《おほかみ》の|神使《しんし》、|高照姫命《たかてるひめのみこと》なり』
と|伝《つた》へられた。
|国治立命《くにはるたちのみこと》は|神意《しんい》を|畏《かしこ》み、すみやかに|地上《ちじやう》の|混乱《こんらん》を|治《をさ》め、|天界《てんかい》を|安全《あんぜん》ならしめ、もつて|天津大神《あまつおほかみ》の|御目《おんめ》にかけむと|答《こた》へられた。|高照姫命《たかてるひめのみこと》は|大《おほ》いに|喜《よろこ》び、|大神《おほかみ》もさぞ|御満足《ごまんぞく》に|思召《おぼしめ》すらむ。|妾《わらは》は|急《いそ》ぎ、|貴神《きしん》の|答辞《たふじ》を|復命《ふくめい》したてまつらむ、と|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|天上《てんじやう》に|紫雲《しうん》とともに|帰《かへ》りたまうた。
(大正一〇・一一・八 旧一〇・九 栗原七蔵録)
第四八章 |律法《りつぱう》の|審議《しんぎ》〔九八〕
|国治立命《くにはるたちのみこと》が、|天道別命《あまぢわけのみこと》とともに|天地《てんち》の|律法《りつぱう》を|制定《せいてい》され、その|第一《だいいち》|着手《ちやくしゆ》に、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》は|律法《りつぱう》の|犠牲《ぎせい》となり、|幽界《いうかい》に|降《くだ》りたまうた。それより|竜宮城《りゆうぐうじやう》も、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》も、|神司《かみがみ》の|謹慎《きんしん》により、|律法《りつぱう》は|厳粛《げんしゆく》に|守《まも》られてゐた。
さて|一夫一婦《いつぷいつぷ》の|制定《せいてい》により、|花森彦《はなもりひこ》の|身上《みのうへ》について|一《ひと》つの|問題《もんだい》がおこつた。ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、|花森彦《はなもりひこ》の|孤独《こどく》を|憐《あわれ》み、|相当《さうたう》の|妻《つま》を|選定《せんてい》し、|夫婦《ふうふ》うちそろひ、|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せしめむことを|提議《ていぎ》した。|神国別命《かみくにわけのみこと》|以下《いか》の|諸神将《しよしんしよう》は、|鳩首《きうしゆ》|謀議《ぼうぎ》の|結果《けつくわ》、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|提議《ていぎ》を|理由《りいう》なしとして、|葬《はうむ》らむとした。その|理由《りいう》は、
『|天稚彦《あめのわかひこ》、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》を|堕落《だらく》せしめたる|原因《げんいん》は、|花森彦《はなもりひこ》である。|肝腎《かんじん》の|主神《しゆしん》は|幽界《いうかい》に|落《お》ちたまひし|後《のち》に、|安閑《あんかん》として|妻《つま》を|娶《めと》り、|雪隠《せつちん》にひそみて|饅頭《まんじゆう》くらひしごとく|素知《そし》らぬ|顔色《かほいろ》なしをるは、|実《じつ》に|無責任《むせきにん》にして|且《か》つ|道義的《だうぎてき》|罪悪《ざいあく》である。|平《ひら》たくいへば|花森彦《はなもりひこ》は、|二柱《ふたはしら》とともに|罪《つみ》に|殉《じゆん》じ、|幽界《いうかい》にいたつてこれに|奉仕《ほうし》すべきが、|神司《かみ》たるものの|当然《たうぜん》の|行動《かうどう》であらねばならぬ』
といふのであつた。|城内《じやうない》の|諸神将《しよしんしよう》は|満場《まんぢやう》|一致《いつち》、|手《て》を|拍《う》つて|神国別命《かみくにわけのみこと》の|意見《いけん》に|賛成《さんせい》した。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、
『|今回《こんくわい》の|事件《じけん》の|原動力《げんどうりよく》は|決《けつ》して|花森彦《はなもりひこ》にあらず。|奸佞《かんねい》|邪智《じやち》にたけたる|常世姫《とこよひめ》が|原動力《げんどうりよく》である。ゆゑに|花森彦《はなもりひこ》の|妻《つま》を|禁《きん》ずるに|先《さき》だち、まづ|常世姫《とこよひめ》を|改心《かいしん》せしめ、|幽界《いうかい》に|赴《おもむ》かしめよ』
と|言葉《ことば》を|強《つよ》めて|主張《しゆちやう》した。かくして|互《たが》ひに|議論《ぎろん》は|果《は》てなかつた。つひには|真澄姫《ますみひめ》の|裁断《さいだん》を|乞《こ》ふこととなつた。|真澄姫《ますみひめ》は、
『|花森彦《はなもりひこ》の|妻帯《さいたい》は、|断《だん》じて|許《ゆる》すべからず』
と|裁決《さいけつ》した。|八百万《やほよろづ》の|神人《かみがみ》はこの|説《せつ》に|賛成《さんせい》をした。
ここに|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|色《いろ》をなし、
『|天地《てんち》の|律法《りつぱう》は|既往《きわう》に|遡《さかのぼ》りてこれを|罰《ばつ》すべきや』
と|質問《しつもん》した。|神司《かみがみ》は、
『|肉体上《にくたいじやう》の|既往《きわう》はおろか、|過去《くわこ》における|霊魂《れいこん》の|罪《つみ》も|今回《こんくわい》の|律法《りつぱう》によりて|罰《ばつ》すべきもの』
と|主張《しゆちやう》したのである。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、
『|然《しか》らばまづ|第一《だいいち》に|吾《われ》を|罪《つみ》せよ。|吾《われ》は|言霊姫《ことたまひめ》の|夫《をつと》となるまでに、|数回《すうくわい》|妻《つま》を|替《か》へたり。|過去《くわこ》の|霊魂《れいこん》の|罪《つみ》は|確知《かくち》せずといへども、|肉体上《にくたいじやう》における|律法《りつぱう》|違反《ゐはん》は、|確乎《かくこ》たる|証拠《しようこ》あり』
といひはなち、かついふ。
『|諸神司《しよしん》にして|果《はて》してこの|律法《りつぱう》に|触《ふ》れざるもの|幾柱《いくはしら》かある』
と|大声叱呼《たいせいしつこ》された。いづれの|神司《かみがみ》も|今《いま》まで|自分《じぶん》の|罪《つみ》を|棚《たな》にあげ、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》に|隠《かく》してゐたのを|素《す》つ|破《ぱ》ぬかれ、|猿猴《ゑんこう》の|樹上《じゆじやう》よりたたき|落《おと》されしごとき|心《こころ》|持《も》ちとなり、いづれもアフンとして|沈黙《ちんもく》におちてしまつた。いづれの|神司《かみ》もここにいたつて|開《あ》いた|口《くち》がすぼまらず、|誰《だれ》もかれも|雪隠《せつちん》で|饅頭《まんぢゆう》|食《く》ふた|系統《ひつぽう》の|神司《かみ》ばかりであつた。
|神司《かみがみ》らは|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|事理明白《じりめいはく》なる|一言《いちごん》に|胆《きも》をぬかれ、|石亀《いしかめ》が|横槌《よこづち》の|柄《え》の|上《うへ》に|甲《かふ》をのせられ、|首《くび》を|延《の》ばしてもがきつつ|進退《しんたい》きはまりし|体裁《ていさい》にて、|手《て》も|足《あし》もつけやうがなかつた。
|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、
『|諸神司《しよしん》の|意見《いけん》にして|果《はて》して|正当《せいたう》ならば、|吾《われ》には|大《だい》なる|決心《けつしん》あり。|吾《われ》まづ、|天則《てんそく》|違反《ゐはん》の|罪神《ざいしん》として|裁断《さいだん》をうけ、|幽界《いうかい》にくだらむ。|諸神司《しよしん》はいづれも|清廉潔白《せいれんけつぱく》の|神司《かみ》にましませば、|決《けつ》して|幽界《いうかい》に|降《くだ》されたまふごとき|案《あん》じは|毛頭《まうとう》なかるべし。さらばこれより|国治立命《くにはるたちのみこと》の|御前《みまへ》に|出《い》で|吾《わ》が|罪《つみ》を|自白《じはく》し、その|処置《しよち》を|甘受《かんじゆ》せむ』
と|立《た》ちあがらむとするを、|諸神司《しよしん》はあわててこれを|引《ひ》きとめ、
『|短気《たんき》は|損気《そんき》、しばらく|待《ま》たれよ』
と|大手《おほて》をひろげて|命《みこと》の|前《まへ》に|立《た》ちふさがるのであつた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》はをかしさにたへず、|思《おも》はず|失笑《しつせう》せむとしたが、にはかに|律法《りつぱう》の|精神《せいしん》を|思《おも》ひだし、|無理《むり》にこれをおさへた。
そのとき|真鉄彦《まがねひこ》|走《はし》りいで、
『|蓋《ふた》をあくれば|何《いづ》れの|神司《かみがみ》も|同様《どうやう》ならむ。|同《おな》じ|穴《あな》の|狐《きつね》、|同僚《どうれう》の|情誼《じやうぎ》をもつて、まづ|思《おも》ひとどまりたまへ』
と|諫止《かんし》した。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、
『|天地《てんち》の|律法《りつぱう》に|依怙《えこ》なし。|吾《われ》は|過去《くわこ》の|罪《つみ》によつて|裁断《さいだん》を|受《う》けむ。|止《とど》めたまうな』
と|袖《そで》|振《ふ》りきつて|行《ゆ》かむとす。をりしも|安世彦《やすよひこ》は|口《くち》をひらいて、
『まづこの|場《ば》はこれにて|静《しづ》まりたまへ。|敵《かたき》の|末《すゑ》は|根《ね》を|絶《た》つて|葉《は》を|枯《か》らす。まづ|第一《だいいち》に|常世姫《とこよひめ》を|亡《ほろ》ぼし|禍根《くわこん》を|絶《た》つに|如《し》かず』
とこともなげにいつた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、
『|亡《ほろ》ぼすとは|殺《ころ》すといふことならむ。|殺《ころ》すといふ|行為《かうゐ》は|天地《てんち》の|律法《りつぱう》に|違反《ゐはん》せずや』
と|一本《いつぽん》|参《まゐ》つた。|安世彦《やすよひこ》は|頭《あたま》をかき、
『これは|失言《しつげん》いたしました』
と|引《ひ》きさがる。この|光景《くわうけい》を|見《み》たるあまたの|神司《かみがみ》は、あたかも|蜴《とかげ》のあくびしたやうな|顔色《おももち》にて、|口《くち》を|開《ひら》きアフンとしてゐたのである。
をりしも|天上《てんじやう》より|一道《いちだう》の|光明《くわうみやう》|赫灼《かくしやく》として、|衆神司《しうしん》のまへに|強《つよ》く|放射《はうしや》するよと|見《み》るまに、|麗《うるは》しき|威厳《ゐげん》そなはれる|女神《めがみ》|降《くだ》りきたり、|中央《ちうあう》にしとやかに|端座《たんざ》せられた。この|神《かみ》は|国直姫命《くになほひめのみこと》である。|国直姫命《くになほひめのみこと》は|神司《かみがみ》にむかひ、ただいま|国治立命《くにはるたちのみこと》|天上《てんじやう》にのぼり、|律法《りつぱう》の|解釈《かいしやく》につき、|天津神《あまつかみ》とともに|御詮議《ごせんぎ》ありし|結果《けつくわ》、
『|律法《りつぱう》|制定前《せいていぜん》の|罪《つみ》は|今回《こんくわい》かぎり|問《と》はざるべし。|今後《こんご》の|世界《せかい》における|総《すべ》ての|罪悪《ざいあく》は|厳重《げんぢう》に|処罰《しよばつ》し、|霊魂上《れいこんじやう》の|罪《つみ》も|償却《しやうきやく》するまでは|永遠《ゑいゑん》に|罪《つみ》さるるべし』
との|御決定《ごけつてい》なりと、|言葉《ことば》おごそかに|宣示《せんじ》せられた。そして|国直姫命《くになほひめのみこと》は、|稚桜姫命《わかざくらひめのみこと》の|天職《てんしよく》をおそひ、|竜宮城《りゆうぐうじやう》にとどまり|地《ち》の|高天原《たかあまはら》を|治《をさ》めたまふこととなつた。かくて|花森彦《はなもりひこ》は|国栄姫《くにさかひめ》|一名《いちめい》|花森姫《はなもりひめ》との|結婚《けつこん》を|許《ゆる》さるることとなつた。
(大正一〇・一一・九 旧一〇・一〇 加藤明子録)
第四九章 |猫《ねこ》の|眼《め》の|玉《たま》〔九九〕
|常世姫《とこよひめ》の|雄猛《をたけ》びにより、|世界《せかい》の|各地《かくち》はほとんど|戦乱《せんらん》の|巷《ちまた》と|化《くわ》し、|天《てん》に|妖雲《えううん》みなぎり、|地《ち》に|濁流《だくりう》あふれ、|猛獣《まうじう》|悪蛇《あくじや》の|咆吼《はうこう》する|声《こゑ》、|呑噬《どんぜい》の|争《あらそ》ひはますます|烈《はげ》しくなつてきた。
|盤古大神《ばんこだいじん》もその|部下《ぶか》の|八王大神《やつわうだいじん》も、さらに|策《さく》の|施《ほどこ》すところがなかつた。|大自在天《だいじざいてん》はこの|惨状《さんじやう》を|坐視《ざし》するに|忍《しの》びず、いかにもしてこれを|平定《へいてい》せむと|苦心《くしん》した。|八王大神《やつわうだいじん》は|妻《つま》|常世姫《とこよひめ》の|暴動《ばうどう》を|制《せい》する|能《あた》はず、|最初《さいしよ》は|一小部分《いちせうぶぶん》の|小火災《せうくわさい》くらゐにみなしてゐたが、|火《ひ》は|意外《ゐぐわい》に|猛烈《まうれつ》となり、|全世界《ぜんせかい》を|焼尽《せうじん》せんず|勢《いきほ》ひとなつた。|八王大神《やつわうだいじん》は|案《あん》に|相違《さうゐ》し、その|処置《しよち》に|困《こま》りはてたのである。ここにいよいよ|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い、|善道《ぜんだう》をもつて|世界《せかい》を|鎮定《ちんてい》するよりほかに|策《さく》なきを|自覚《じかく》した。
|八王大神《やつわうだいじん》は|常世城《とこよじやう》にあつて|東北《とうほく》の|天《てん》を|仰《あふ》ぎ|見《み》る|折《をり》しも、|一道《いちだう》の|光明《くわうみやう》|天《てん》に|冲《ちゆう》するを|見《み》た。|熟視《じゆくし》すればその|光明《くわうみやう》の|中《なか》より、|平和《へいわ》の|女神《めがみ》の|姿《すがた》|幾柱《いくはしら》となく|現《あら》はれ、|琴《こと》や|笛《ふえ》などの|音楽《おんがく》を|奏《そう》し、|日《ひ》の|丸《まる》の|扇《あふぎ》を|手《て》にもてる|女神《めがみ》の|舞《ま》ひ|遊《あそ》ぶ|光景《くわうけい》を|眺《なが》めて、おほいに|怪《あや》しみつつ|盤古大神《ばんこだいじん》に|奏上《そうじやう》しおき、ただちに|風雲《ふううん》に|乗《じやう》じ|光明《くわうみやう》をたづねて|進《すす》んだ。この|光明《くわうみやう》は|地《ち》の|高天原《たかあまはら》より|現《あら》はれてゐた。
|八王大神《やつわうだいじん》はあまたの|従臣《じゆうしん》とともに|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に|降《くだ》りついた。そして|自《みづか》ら|高尾別《たかをわけ》と|名乗《なの》り|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|門戸《もんこ》をたたき、|主神《しゆしん》に|謁《えつ》を|請《こ》ふたのである。|若豊彦《わかとよひこ》は|来意《らいい》をたづね、|喜《よろこ》んでこれを|言霊別命《ことたまわけのみこと》に|通《つう》じた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》はただちに|面会《めんくわい》を|許《ゆる》した。|高尾別《たかをわけ》は|慇懃《いんぎん》に|礼《れい》をのべ、かつ|世界《せかい》の|平和《へいわ》を|来《きた》さむための|神策《しんさく》を|開示《かいじ》せられむことを|乞《こ》ふのであつた。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|一見《いつけん》して、こは|正《ただ》しき|神《かみ》に|非《あら》ざるべしと|直《ただ》ちに|審神《さには》の|室《しつ》へともなつた。たちまち|正体《しやうたい》|露《あら》はれ|大蛇《だいじや》の|姿《すがた》となり、
『われは|実《じつ》は|八王大神《やつわうだいじん》なり』
と|自白《じはく》するのやむなきに|立《た》ち|至《いた》つた。されど|言霊別命《ことたまわけのみこと》は、「いかなる|悪神《あくしん》にもせよ|悔《く》い|改《あらた》めなば|善神《ぜんしん》なり。また|天地《てんち》の|律法《りつぱう》に|照《てら》し|敵《てき》を|愛《あい》するは|大神《おほかみ》の|御心《みこころ》なり」として、これを|許《ゆる》し、|厚《あつ》く|導《みちび》き|諭《さと》し、
『|一時《いちじ》も|早《はや》く|天地《てんち》の|律法《りつぱう》を|守《まも》り、|正道《せいだう》に|立《た》ちかへりなば|天下《てんか》は|治平《ちへい》ならむ』
と|懇々《こんこん》として|説示《せつじ》されたのである。|八王大神《やつわうだいじん》の|高尾別《たかをわけ》は|本心《ほんしん》より|改悛《かいしゆん》の|情《じやう》を|表《あら》はし、|喜《よろこ》んで|教《をし》へをこふこととなつた。この|神司《かみ》の|教導《けうだう》には、|神国別命《かみくにわけのみこと》これにあたることとなつた。|高尾別《たかをわけ》に|従《したが》ひ|来《きた》れる|神司《かみがみ》も、|共《とも》に|正道《せいだう》に|帰順《きじゆん》し、いよいよ|国治立命《くにはるたちのみこと》の|神律《しんりつ》を|奉《ほう》じ、|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》せむことを|誓《ちか》つた。|神国別命《かみくにわけのみこと》はおほいに|喜《よろこ》び、|言霊別命《ことたまわけのみこと》を|通《つう》じてこれを|国治立命《くにはるたちのみこと》に|進言《しんげん》したのである。|大神《おほかみ》はまづ、
『|国直姫命《くになほひめのみこと》の|裁断《さいだん》をえよ』
と|厳命《げんめい》された。|高尾別《たかをわけ》は|恐《おそ》るおそる|国直姫命《くになほひめのみこと》の|御前《みまへ》に|出《い》で、|所信《しよしん》を|逐一《ちくいち》|奏上《そうじやう》した。
|国直姫命《くになほひめのみこと》は、
『いかに|悪神《わるがみ》なりとて|改心《かいしん》せば|元《もと》の|善神《ぜんしん》なり。|高尾別《たかをわけ》をして|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|総轄《そうかつ》せしめ、この|神司《かみ》の|力《ちから》によりて、|常世姫《とこよひめ》を|心底《しんてい》より|改心《かいしん》せしむるに|如《し》かず』
とし、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|上位《じやうゐ》につかしめ、|神務《しんむ》に|奉仕《ほうし》させられたのである。
ここに|高尾別《たかをわけ》は|意気《いき》|揚々《やうやう》として|神国別命《かみくにわけのみこと》、|神国彦《かみくにひこ》、|照彦《てるひこ》とともに|常世城《とこよじやう》に|帰還《きくわん》し、まづ|常世姫《とこよひめ》を|悔《く》い|改《あらた》めしめむとし、|天《あま》の|磐船《いはふね》に|乗《の》りて|常世《とこよ》の|国《くに》へ|帰《かへ》つていつた。|帰《かへ》りみれば|常世《とこよ》の|国《くに》は|目《め》もあてられぬ|常夜《とこよ》の|暗《やみ》であつて、|万《よろづ》の|災《わざはひ》ことごとく|起《おこ》り、|山河草木《さんかさうもく》|色《いろ》を|失《うしな》ひ、|実《じつ》に|惨憺《さんたん》たる|光景《くわうけい》であつた。
|高尾別《たかをわけ》は|神国別命《かみくにわけのみこと》|以下《いか》の|神司《かみがみ》を|常世城《とこよじやう》に|休息《きうそく》せしめ、|自《みづか》らは|立《た》つてただちに|盤古大神《ばんこだいじん》の|館《やかた》に|参向《さんかう》し、|天下治平《てんかちへい》の|神策《しんさく》は|国治立命《くにはるたちのみこと》の|律法《りつぱう》によるの|外《ほか》なきを|奏言《そうごん》した。|盤古大神《ばんこだいじん》は|何《なん》の|答《いら》へもなく、ただ|微笑《びせう》をうかべて|高尾別《たかをわけ》の|進言《しんげん》を|聞《き》くのみであつた。|高尾別《たかをわけ》は|盤古大神《ばんこだいじん》が|何《なん》の|答辞《たふじ》も|与《あた》へざるをもどかしがり、|天下《てんか》|擾乱《ぜうらん》の|場合《ばあひ》かかる|主将《しゆしやう》を|戴《いただ》き、|事《こと》をなさむとするは|吾《われ》のあやまちなり。むしろ|国治立命《くにはるたちのみこと》を|奉《ほう》じて|事《こと》をなさむと|心《こころ》を|決《けつ》し、|大自在天《だいじざいてん》の|従神《じゆうしん》|松山別《まつやまわけ》、|小鹿彦《をしかひこ》に|決心《けつしん》をのべ、|盤古大神《ばんこだいじん》は|平和《へいわ》の|世《よ》の|主将《しゆしやう》にして、|天下《てんか》の|混乱《こんらん》を|案配《あんばい》するの|器《うつは》に|非《あら》ずと|説《と》きつけた。
|松山別《まつやまわけ》、|小鹿彦《をしかひこ》は|大《おほ》いに|怒《いか》り、
『|汝《なんぢ》は|今《いま》まで|盤古大神《ばんこだいじん》を|奉戴《ほうたい》して|諸神司《しよしん》を|率《ひき》ゐ、|天下《てんか》の|経綸《けいりん》にたいして|赤心《せきしん》をこめゐたりしに、|国治立命《くにはるたちのみこと》の|神示《しんじ》を|聞《き》き、たちまち|猫眼《べうがん》のごとく|心《こころ》を|変《へん》ずるはその|意《い》をえず。|善悪《ぜんあく》|正邪《せいじや》にかかはらず|何《なに》ゆゑ|初志《しよし》を|貫徹《くわんてつ》せざるや。|思《おも》ふに|国治立命《くにはるたちのみこと》は|邪神《じやしん》ならめ。すみやかに|汝《なんぢ》は|神国別命《かみくにわけのみこと》|以下《いか》の|神司《かみがみ》を|捕虜《とりこ》にし、これを|質《しち》となして|盤古大神《ばんこだいじん》に|帰順《きじゆん》すべく|厳《きび》しき|交渉《かうせう》を|開始《かいし》せよ』
と|大自在天《だいじざいてん》を|笠《かさ》に、|虎《とら》の|威《ゐ》をかる|狐《きつね》の|厳命《げんめい》であつた。
|折《をり》しも|常世姫《とこよひめ》その|場《ば》に|現《あら》はれ、|口《くち》をきはめて|高尾別《たかをわけ》の|不明《ふめい》をなじり、かつ|松山別《まつやまわけ》の|応援《おうゑん》を|求《もと》めた。|松山別《まつやまわけ》は|常世姫《とこよひめ》の|言《げん》を|一《いち》も|二《に》もなく|採納《さいなふ》した。ここに|高尾別《たかをわけ》の|八王大神《やつわうだいじん》は|進退《しんたい》これきはまり、|折角《せつかく》の|決心《けつしん》を|翻《ひるがへ》し、ふたたび|盤古大神《ばんこだいじん》を|奉戴《ほうたい》して、|国治立命《くにはるたちのみこと》に|反抗《はんかう》の|態度《たいど》をとることとなつた。
(大正一〇・一一・九 旧一〇・一〇 桜井重雄録)
第五〇章 |鋼鉄《まがね》の|鉾《ほこ》〔一〇〇〕
|神国別命《かみくにわけのみこと》、|神国彦《かみくにひこ》|以下《いか》の|神司《かみがみ》は、|八王大神《やつわうだいじん》の|変心《へんしん》せしことは|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|数多《あまた》の|神司《かみがみ》に|囲繞《ゐげふ》されながら、|諄々《じゆんじゆん》として|国治立命《くにはるたちのみこと》の|教示《けうじ》を|説《と》き|示《しめ》しつつあつた。
|折《をり》しもにはかに|城内《じやうない》は|騒々《さうざう》しく|数多《あまた》の|足音《あしおと》は|近《ちか》く|迫《せま》つてきた。|室内《しつない》の|戸《と》を|開《ひら》くやいなや、|八王大神《やつわうだいじん》は|以前《いぜん》にかはる|暴悪《ばうあく》なる|顔色《がんしよく》をなし、|大刀《だいたう》の|柄《つか》に|手《て》をかけ、|神国別命《かみくにわけのみこと》の|前《まへ》に|詰《つ》めより、
『|汝《なんぢ》はすみやかに|盤古大神《ばんこだいじん》に|帰順《きじゆん》せよ。|混乱《こんらん》|紛糾《ふんきう》をきはめたる|現下《げんか》の|世界《せかい》の|情勢《じやうせい》は、|汝《なんぢ》らの|主神《しゆしん》|国治立命《くにはるたちのみこと》の|唱《とな》ふるごとき、|迂遠《うゑん》きはまる|教《おしへ》をもつて、いかでか|天下《てんか》を|至治太平《しちたいへい》ならしむることを|得《え》む。|汝《なんぢ》らの|唱《とな》ふる|経綸《けいりん》|策《さく》は、|天下《てんか》|泰平《たいへい》に|治《おさ》まれる|世《よ》にたいしての|遊戯的《ゆうぎてき》|神策《しんさく》にして、|言《い》ふべくして|行《おこな》ふべからざる|迂愚《うぐ》の|策《さく》なり。|汝《なんぢ》すみやかにその|非《ひ》を|悟《さと》り|常世城《とこよじやう》の|従臣《じゆうしん》となるか、ただしは|兜《かぶと》をぬいで|降伏《かうふく》するか、|二《ふた》つとも|否認《ひにん》するにおいては、|気《き》の|毒《どく》ながら|汝《なんぢ》らを|門出《かどで》の|血祭《ちまつ》り、|一刀両断《いつたうりやうだん》の|処置《しよち》を|執《と》らむ』
と|打《う》つて|変《かは》つた|狂態《きやうたい》を|演《えん》ずるのである。
|神国別命《かみくにわけのみこと》は、じゆんじゆんとしてその|非《ひ》を|説《と》き、|天下《てんか》は|圧力《あつりよく》|武力《ぶりよく》をもつて|到底《たうてい》|治《をさ》むべからざるの|神理《しんり》を、|言葉《ことば》をつくして|弁明《べんめい》した。されど|貪《どん》、|瞋《しん》、|痴《ち》の|三毒《さんどく》をふくめる|悪神《あくがみ》の|主将《しゆしやう》|八王大神《やつわうだいじん》には、あたかも|馬耳東風《ばじとうふう》のごとく、もはや|毫末《がうまつ》の|効果《かうくわ》もなかつた。
|八王大神《やつわうだいじん》は|立《た》ちあがり、
『いらざる|繰言《くりごと》|耳《みみ》を|汚《けが》すも|面倒《めんだう》なり』
と|真向《まつかう》|上段《じやうだん》に|斬《き》つてかかつた。|神国別命《かみくにわけのみこと》|以下《いか》は|身《み》に|寸鉄《すんてつ》を|帯《お》びず、ただ|一心《いつしん》に|神明《しんめい》を|祈《いの》るよりほかに|道《みち》はなかつた。|神国別命《かみくにわけのみこと》は|天《てん》に|向《むか》つて|合掌《がつしやう》し、|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》せむとするや、|八王大神《やつわうだいじん》は|一刀《いつたう》を|頭上《づじやう》|高《たか》く|振《ふ》りかざしたるままどつと|仰向《あふむけ》に|倒《たふ》れた。この|光景《くわうけい》を|目撃《もくげき》したる|常世城《とこよじやう》の|神司《かみがみ》は、|右往左往《うわうさわう》に|周章《あわて》ふためき、|急《いそ》ぎ|常世姫《とこよひめ》にこの|実状《じつじやう》を|報告《はうこく》した。|常世姫《とこよひめ》は|直《ただ》ちに|鉄棒《てつぼう》の|火《ひ》に|焼《や》けて|白熱化《はくねつくわ》したるを|提《ひつさ》げ|来《きた》り、あはや|神国別命《かみくにわけのみこと》は、|焼鉄《せうてつ》に|打《う》たれてすでに|焼《や》き|滅《ほろ》ぼされむとするをりしも、|東北《とうほく》の|空《そら》より|俄然《がぜん》|暴風《ばうふう》|吹《ふ》ききたり、|常世姫《とこよひめ》は|暴風《ばうふう》にあふられて、たちまち|地上《ちじやう》に|転倒《てんたう》した。|城内《じやうない》の|神司《かみがみ》もまた|一度《いちど》にどつと|吹《ふ》き|倒《たふ》された。|神国別命《かみくにわけのみこと》は|神国彦《かみくにひこ》|以下《いか》の|神司《かみ》とともに、からうじてその|場《ば》を|逃《のが》れ、やうやくにして|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰還《きくわん》し、|高尾別《たかをわけ》の|変心《へんしん》し、かつ|何時《いつ》|魔軍《まぐん》を|引率《いんそつ》してここに|攻《せ》め|来《きた》るやもはかられざることを、|国直姫命《くになほひめのみこと》に|奏上《そうじやう》した。
ここに|地《ち》の|高天原《たかあまはら》においては、|国直姫命《くになほひめのみこと》、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、|言霊別命《ことたまわけのみこと》|以下《いか》の|神将《しんしやう》|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|会《くわい》し、|八王大神《やつわうだいじん》の|反逆《はんぎやく》にたいし|防戦《ばうせん》の|議《ぎ》をこらした。このとき|国直姫命《くになほひめのみこと》は、
『いかなる|暴悪無道《ばうあくぶだう》の|強敵《きやうてき》たりとも、|神明《しんめい》の|力《ちから》を|信《しん》じ、|天地《てんち》の|律法《りつぱう》を|遵守《じゆんしゆ》し、|悪《あく》にたいするに|至善《しぜん》をもつてせよ』
との|命令《めいれい》を|発《はつ》せられた。|神司《かみがみ》は|神国別命《かみくにわけのみこと》の|詳細《しやうさい》なる|報告《はうこく》に|接《せつ》し、|切歯扼腕《せつしやくわん》|悲憤《ひふん》の|涙《なみだ》を、|顋辺《しへん》にただよはしながら、|天地《てんち》の|律法《りつぱう》に|違反《ゐはん》すべからず、あくまで|柔和《にうわ》と|懇切《こんせつ》と|信義《しんぎ》をもつてこれに|対抗《たいかう》せむと、|協議《けふぎ》|一決《いつけつ》した。
|時《とき》しも|百雷《ひやくらい》の|一時《いちじ》に|轟《とどろ》くごとき|音響《おんきやう》とともに|黒雲《こくうん》に|乗《じやう》じ、|西南《せいなん》の|天《てん》をかすめて|入来《いりきた》る|数多《あまた》の|鳥船《とりふね》がある。|彼《かれ》らは|黄金橋《こがねばし》のかたはらに|落下《らくか》し、|獅子奮迅《ししふんじん》の|勢《いきほひ》をもつてヨルダン|河《がは》を|押《お》しわたり、|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|押《お》しよせ|門扉《もんぴ》を|打破《うちやぶ》り、|暴虎馮河《ぼうこひようが》の|勢《いきほひ》をもつて|城内《じやうない》に|侵入《しんにふ》し、|国治立命《くにはるたちのみこと》に|面会《めんくわい》せむと、|大音声《だいおんじやう》に|呼《よ》ばはつた。
|鬼雲彦《おにくもひこ》、|清熊《きよくま》を|先頭《せんとう》に|八王大神《やつわうだいじん》その|他《た》の|魔神《ましん》が、|雲霞《うんか》のごとく|押《お》し|寄《よ》せているため、|城内《じやうない》はにはかに|騒《さわ》ぎたつた。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|周章《あわて》ふためく|神司《かみがみ》を|制《せい》しとどめ、みづから|出《い》でて|八王大神《やつわうだいじん》に|面会《めんくわい》し、|来意《らいい》を|厳《おごそ》かに|訊問《じんもん》した。
|八王大神《やつわうだいじん》は|傍若無神《ぼうじやくぶじん》の|態度《たいど》にて、|諸神将《しよしんしよう》を|眼下《がんか》に|睨《ね》めつけ、
『|汝《なんぢ》らのごとき【やくざ】|神《がみ》にいふべき|言葉《ことば》なし。すみやかに|国治立命《くにはるたちのみこと》に|見参《けんざん》せむ』
と|仁王立《にわうだち》になつて|怒号《どがう》した。|国治立命《くにはるたちのみこと》はこの|声《こゑ》を|聞《き》くより、たちまち|悠然《いうぜん》としてその|場《ば》に|出現《しゆつげん》したまうた。|八王大神《やつわうだいじん》は|声《こゑ》をふるはしながら、
『われは|盤古大神《ばんこだいじん》|大自在天《だいじざいてん》の|大命《たいめい》を|伝《つた》へむために|出場《しゆつぢやう》せり。|汝《なんぢ》はみづから|国治立命《くにはるたちのみこと》と|称《しよう》すれども、まつたくの|偽神《ぎしん》なり。|国治立命《くにはるたちのみこと》とは|国土《こくど》を|永遠《ゑいゑん》に|立《た》て|守《まも》るべき|神明《しんめい》なり。かかる|天下《てんか》|混乱《こんらん》の|際《さい》、|下《くだ》らぬ|迂遠《うゑん》なる|教《おしへ》をもつて、|難《かた》きを|避《さ》け|安《やす》きにつかむとするは|心得《こころえ》がたし。|汝《なんぢ》が|唱《とな》ふる|天地《てんち》の|律法《りつぱう》とはそもそも|何《なん》ぞ。|陳腐固陋《ちんぷころう》の|世迷言《よまひごと》にして|唾棄《だき》すべき|教理《けうり》なり。すみやかにこの|律法《りつぱう》を|破壊《はくわい》し、|汝《なんぢ》はこれより|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》に、|一時《いちじ》も|早《はや》く|退却《たいきやく》せよ。|真《まこと》の|国治立命《くにはるたちのみこと》は、|大自在天《だいじざいてん》の|権威《けんゐ》ある|神策《しんさく》によつて、|初《はじ》めて|顕現《けんげん》せむ。|返答《へんたふ》いかに』
と|詰《つ》めよつた。
|八王大神《やつわうだいじん》の|従臣《じゆうしん》、|鬼雲彦《おにくもひこ》は|尻馬《しりうま》に|乗《の》り、
『|汝《なんぢ》|国治立命《くにはるたちのみこと》と|称《しよう》する|偽神《ぎしん》よ。|八王大神《やつわうだいじん》の|教示《けうじ》を|遵奉《じゆんぽう》せずして、|万一《まんいち》|違背《ゐはい》に|及《およ》ばば、われは|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|諸竜神《しよりゆうじん》を|寸断《すんだん》し、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》の|神司《かみがみ》を、|一柱《ひとはしら》も|残《のこ》らず、|刀《かたな》の|錆《さび》となし、|屍《しかばね》の|山《やま》を|築《きづ》き、|竜宮海《りゆうぐうかい》を|血《ち》の|海《うみ》と|化《くわ》せしめむ。|返答《へんたふ》いかに』
と|詰《つ》めよつた。|国治立命《くにはるたちのみこと》|以下《いか》の|諸神司《しよしん》は、|天地《てんち》の|律法《りつぱう》をみづから|破《やぶ》るに|忍《しの》びず、いかなる|悪言暴語《あくげんばうご》にも|怒《いか》りをしづめ、|博《ひろ》く|万物《ばんぶつ》を|愛《あい》するの|律法《りつぱう》を|遵守《じゆんしゆ》し、|柔和《にうわ》の|態度《たいど》をもつてこれに|向《むか》はせ|給《たま》ふた。
されど|八王大神《やつわうだいじん》は|何《なん》の|容赦《ようしや》もなく、つひに|一刀《いつたう》を|抜《ぬ》きはなち、|今《いま》や|狼藉《らうぜき》におよばむとするとき、|衆神《しゆうしん》の|中《なか》より|突然《とつぜん》|現《あら》はれたる|花森彦《はなもりひこ》は、
『われはただ|今《いま》|戒律《かいりつ》を|破《やぶ》らむ』
と|言《い》ひもはてず、|一刀《いつたう》を|抜《ぬ》きはなち|鬼雲彦《おにくもひこ》の|背部《はいぶ》に|斬《き》りつけた。なほも|進《すす》んで|八王大神《やつわうだいじん》に|斬《き》つてかかるを、|大足彦《おほだるひこ》は、「しばらく|待《ま》て」とこれを|制止《せいし》した。
|大足彦《おほだるひこ》の|一言《いちごん》に|花森彦《はなもりひこ》も|刀《かたな》ををさめ、|元《もと》の|座《ざ》に|復《ふく》し、|唇《くちびる》をふるはせ、|心臓《しんざう》をはげしく|鼓動《こどう》させ、|顔色《がんしよく》|蒼白《さうはく》となつてひかへてゐた。|八王大神《やつわうだいじん》はこの|勢《いきほひ》にのまれて、やや|躊躇《ちうちよ》の|色《いろ》が|見《み》えた。|鬼雲彦《おにくもひこ》は|背部《はいぶ》の|負傷《ふしやう》にその|場《ば》に|打倒《うちたふ》れ、|哀《あはれ》みを|乞《こ》ふた。
ここに|大足彦《おほだるひこ》は、|国《くに》の|真澄《ますみ》の|鏡《かがみ》を|取出《とりいだ》し、|八王大神《やつわうだいじん》|以下《いか》の|魔軍《まぐん》を|射照《いてら》した。たちまち|正体《しやうたい》をあらはし、|悪竜《あくりゆう》、|悪鬼《あくき》、|悪狐《あくこ》の|姿《すがた》と|変《へん》じ、|自在《じざい》の|通力《つうりき》をうしなひ、|身動《みうご》きも|自由《じいう》ならず|一斉《いつせい》に|救《すく》ひを|乞《こ》ふた。
この|時《とき》ふたたび|国治立命《くにはるたちのみこと》あらはれ|給《たま》ひ、
『|地《ち》の|高天原《たかあまはら》は|天地《てんち》の|律法《りつぱう》を|遵守《じゆんしゆ》する、|正《ただ》しき|神《かみ》の|神集《かむつど》ひに|集《つど》ふ|聖地《せいち》である。また|広《ひろ》く|万物《ばんぶつ》を|愛《あい》し、|禽獣虫魚《きんじうちうぎよ》にいたるまで|殺《ころ》さざるをもつて|主旨《しゆし》とす。ゆゑに|今回《こんくわい》にかぎり|汝《なんぢ》らの|罪《つみ》を|赦《ゆる》し、|生命《せいめい》を|救《すく》ひ、|常世城《とこよじやう》に|帰城《きじやう》せしむべし。|汝《なんぢ》らは|一時《いちじ》も|早《はや》く|帰城《きじやう》し、|常世姫《とこよひめ》をはじめ|他《た》の|神司《かみがみ》にわが|旨《むね》を|伝《つた》へよ。|暴《ばう》に|報《むく》いるに|暴《ばう》をもつてせば、|何時《いつ》の|日《ひ》か|世界《せかい》は|治平《ちへい》ならむ。|憎《にく》み|憎《にく》まれ、|恨《うら》み|恨《うら》まれ、|殺《ころ》し|殺《ころ》され、|誹《そし》り|誹《そし》られ、|世《よ》は|永遠《ゑいゑん》に|暗黒《あんこく》の|域《ゐき》を|脱《だつ》せざるべし。|常世姫《とこよひめ》にして、わが|教《おしへ》を|拒《こば》まば|是非《ぜひ》なし。|常世城《とこよじやう》をすみやかに|明《あ》け|渡《わた》し、|根《ね》の|国《くに》、|底《そこ》の|国《くに》に、|汝《なんぢ》ら|先《ま》づ|退却《たいきやく》せよ。しからざればやむを|得《え》ず、|律法《りつぱう》を|破《やぶ》り、|決死《けつし》の|神司《かみがみ》をして、|常世姫《とこよひめ》を|屠《ほふ》らしめむ』
との|厳格《げんかく》なる|神示《しんじ》であつた。
ここに|八王大神《やつわうだいじん》は、その|意《い》を|諒《りやう》し、|厚《あつ》く|感謝《かんしや》して|部下《ぶか》|一同《いちどう》とともに、|神国彦《かみくにひこ》に|送《おく》られ|常世城《とこよじやう》に|立帰《たちかへ》り、|国治立命《くにはるたちのみこと》の|神示《しんじ》を|常世姫《とこよひめ》に|伝《つた》へた。|常世姫《とこよひめ》は|聞《き》くより|打笑《うちわら》ひ、|鼻先《はなさき》に|扱《あつか》ひつつあくまで|国治立命《くにはるたちのみこと》に|対抗《たいかう》し、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》|以下《いか》の|神司《かみがみ》を|滅《ほろ》ぼし、ふたたび|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|占領《せんりやう》せむと|力《りき》みかへり、かつ|八王大神《やつわうだいじん》の|不甲斐《ふがひ》なきを|慨歎《がいたん》した。
|八王大神《やつわうだいじん》は|常世姫《とこよひめ》の|大胆《だいたん》なる|魔言《まげん》に|動《うご》かされ、ふたたび|反抗《はんかう》の|旗《はた》を|挙《あ》げむとし、|魔神《まがみ》を|集《あつ》めて|決議《けつぎ》をこらす|折《をり》しも、|天上《てんじやう》より|鋼鉄《まがね》の|鉾《ほこ》、|棟《むね》をついて|降《くだ》り、|八王大神《やつわうだいじん》の|側《そば》に|侍《じ》する|鬼雲彦《おにくもひこ》の|頭上《づじやう》に|落《お》ち、|即死《そくし》をとげたのである。これは|自在天《じざいてん》より|神国彦《かみくにひこ》に|向《む》かつて|投《な》げたのが、あやまつて|鬼雲彦《おにくもひこ》に|中《あた》つたのである。
|八王大神《やつわうだいじん》は|驚《おどろ》いて|奥殿《おくでん》に|逃《に》げ|入《い》り、|息《いき》をこらして|鼠《ねずみ》のごとく、|一隅《いちぐう》に|身慄《みぶる》ひしつつ|蹲踞《しやが》んでゐた。
このとき、|一天《いつてん》にはかに|晴《は》れ、|天津日《あまつひ》の|光《ひか》り|輝《かがや》き|渡《わた》るよと|見《み》えしとたん、|身《み》は|高熊山《たかくまやま》の|巌窟《がんくつ》に|静坐《せいざ》してゐたのである。このとき|巌上《がんじやう》に|坐《ざ》せるわが|足《あし》は、にはかに|苦痛《くつう》をうつたへ、|寒気《かんき》は|身《み》を|切《き》るばかりであつた。
(大正一〇・一一・九 旧一〇・一〇 外山豊二録)
附録 第一回高熊山参拝紀行歌
王仁
高熊山参拝者名簿
(大正十年十二月三日)
千引の岩【石】打【破】る  日本男子の大丈夫と(石破馨)
色香も【馨】る女丈夫が  世界をま【森国】々の(森国幹造)
助けの【幹】を【造】らむと  東や【西】や北南
日【出】る国のまめ人が  【善】男善女を誘ひて(西出善竜)
【竜】宮城に参集ひ  浦【保】国を永遠の
珍の【住】処と歓びて  神の【啓】示を【次】々に(保住啓次郎)
宣べ伝へ行く言霊は  円満晴【朗】澄の江の
天竜【藤】に登る如  我日の【本】の権威なる(藤本十三郎)
一と二三四五つと六ゆ  七八九つ【十】り【三】年
【今】より【きよ】く田なびかむ  【村】雲四方にかき別けて(今きよ)
六合【兼太】る我国【土】  真奈【井】の海の洋々と(田村兼太郎)
渡も静かに浦【靖】の  国の栄えも九重の(土井靖都)
玉の【都】や【小】都会  深【山】の奥も押並べて(小山貞之)
忠勇仁義孝【貞之】  道明らけく治まれる
三十一年如月の  梅ケ香匂ふ九日の
月をば西に【高】熊の  神山に深くわけ【井】りて(高井寿三郎)
聖【寿】万歳祈らんと  【三】ツ葉つつじの其上に
【村】肝【清】く端坐しつ  言霊【彦】の神教を(上村清彦)
耳を澄ませて【マツ】の下  吹き来る風もいとひなく(同マツ)
岩窟の前に【寛】ぎつ  心の【中】の【村】雲も(同寛)
かすみと共に消え行きて  稍清【新】の魂となり(中村新吉)
神の恵みに浴しける  今日は如何なる【吉】日ぞ
【吉】や屍を【原】野に曝すとも  国【常】立の大神や(吉原常三郎)
【三】ツの御魂の教なら  などや厭はむ【鈴木】野や(鈴木延吉)
深山に足を【延】ばすとも  心持【吉】き岩清【水】(水戸富治)
【戸】閉さぬ国と賑はしく  【富】みて治まる君ケ御代
五十鈴の流れ清くして  【大川口】や小川口(大川ロトク)
水は溢れて【トク】川の  泥にまみれし幕政も
茲に亡びて大小名  名主【庄司】に至るまで(庄司キツ)
な【キツ】倒れつ四方に散る  その状実に憐れなり
かかる例しも【在原】の  【丑】寅金神【太】元に(在原丑太郎)
現はれまして【前】の世の  神と【田美】との有様を(前田美千香)
説き教へたる三【千】年の  一度に【香】ふ白梅の
花咲く春の【山】の【根】に  【菊太】に目出度神言を(山根菊太郎)
天地の神に奉上し  三千世界の改造を
【チカへ】玉ひし雄々しさよ  四尾と本宮の【山】の【根】に(山根チカヘ)
経と緯との神の機  錦の糸の【絹枝】姫(同絹枝子)
神の助けの【有】が【田】や  鶴【九皐】に【高】く鳴き(有田九皐)
【岸】に登りし緑毛の  亀のよはひの長の【とし】(高岸としゑ)
【ゑ】びす大黒福の神  真奈【井】の【上】に舞ひ遊ぶ(井上あや)
【あや】に尊き神の苑  海の内外別ちなく
【山】野河海の神々の  【介】けの道も【昭】々と(外山介昭)
【植】ゑ拡め行く道【芝】の  【盛】りの花も【隆】々と(植芝盛隆)
薫る常磐の神の【森】  【良】きも悪しきも【仁】愛の(森良仁)
神の恵みは変りなく  【竹】の御園の【下斯芸琉】
御国の誉れ照妙の  綾の高天に|北【東】《うしとら》の(東尾吉雄)
神【尾】|伊都【吉】《いつき》て【雄】々しくも  教は【広瀬】の|仁【義邦】《まつのくに》(広瀬義邦)
昇る旭は【高橋】の  その勢ひも【常】永に(高橋常祥)
開き行く世ぞ|【祥】《めで》たけれ  誉れもたかき瑞祥の
やかたに基いを固めつつ  遠【津】御国も近【村】も(津村藤太郎)
すさぶ曲津を【|藤《ふじ》太郎】  秋津【島】根の【田】広路に(島田頴)
千【頴】八百頴実のりゆく  稲【木】の【村】の中心に(木村研一郎)
霊魂【研】きを第一と  教へ導く白【藤】の(藤井健弘)
【井】や栄え行く【健】げさよ  誠の教を遠近に
【弘】むる時や【北】の空  【村】雲四方に掻き別けて(北村隆光)
【隆】々のぼる日の【光】  本【宮】山や玉の【井】の(宮井懿子)
空に映え行く御【懿】徳に  浴する魂ぞ【浦山】し(浦山専一)
霊魂修行を【専一】と  深山の奥に分け入りて
【佐】とり了ふせし高熊の  【イワ】屋の内も賑はしく(山佐イワ)
朝【日】夕日を【笠】として  祝詞奏上や神の詩を(日笠吟三)
【吟】じて進む【三】ツ御魂  【藤】の仙人芙蓉坊が
穴太の【村】に【伊】智はやく  現はれ来たりて大神【之】(藤村伊之吉)
【吉】き音信を宣り伝へ  【石】より固き信仰を(石井孝三郎)
【井】や益々も励みつつ  忠【孝】敬神愛国の
【三】ツの綱領怠らず  加たく御魂に【納】めつつ(加納録平)
心に【録】して【平】けく  たとへ野【山】の奥の奥(山口佐太郎)
率土の浜も宣べ伝へ  【口佐】賀あしき悪【太郎】が
そしり嘲り【山】ぬ【内】  布教伝道厭【トイ】なく(山内トイ)
四方の国【中】大日本  日高の【村】の佐男【鹿】の(中村鹿三)
妻呼ぶ如き有様に  世人を思ふ【三】千年の
神の光りは【西】東  【村】雲四方にかき【|理《わ》】けて(西村理)
大【海原】も【平】けく  波も鎮まる【八】洲国(海原平八)
神須【佐】之男の神魂  【沢田】の姫が現はれて(佐沢広臣)
教を【広】く君【臣】の  【中】を執持つ一【条】の(中条勝治郎)
至誠に【勝】るものはなし  明【治】の廿五年より
【佐藤】りの開く大【善】の  艮神の【四郎】し召す(佐藤善四郎)
梅花の開く神の世は  老も若きもおしなべて
五六七の御世の活動を  汗と油をしぼりつつ
山田の果ても【伊藤】ひなく  くさきり【耕】やせ【三】伏の(伊藤耕三郎)
暑さも涼し【高野】原  【円】く治まる【太】平の(高野円太)
風に【黒】雲吹き払ひ  四方の【沢】ぎも静まりて(黒沢春松)
さながら【春】の如くなり  常磐の【松】や白梅の
枝にて造りし神の杖  【菅野】小笠に身を包み(菅野義衛)
仁【義】の教【衛】らむと  【京】都をさして【谷】波より(京谷朝太郎)
出口の教祖は【朝】まだき  綾の【太】元立出でて
海潮純子諸共に  昨日や【京屋】明日の旅(京屋フク)
風【フク】山路をすくすくと  字【司朗】も見ずに足早に(同司朗)
【飛田】つ如く進まるる  【豊】かなそのの梅【香】り(飛田豊子)
五六七の御代に【逢坂】の  【キミ】の恵みに報いむと(同香)
鞍馬をさして出でて行く  出口の守の雄々しさは(逢坂キミ)
日本魂の鏡なり  月に【村】雲花に風(村松タミ)
浮世の常と聞きつれど  【松】の神世の【タミ】草の
心はいつも春の空  深【山】の奥も仁愛の(山崎〓平)
花【崎】にほひ【|王《きみ》民】の  なか【平】けく安らけく
【上野】おこなひ下ならひ  国は【豊】かに足御代は(上野豊)
業務を【伊藤】ものも無く  【正】しき【男】の子女子が(伊藤正男)
【大】内【山】の御栄えを  【春】かに祝ひよろこびつ(大山春子)
君に捧ぐる真心の  強きは【波田野】国人の(波田野菊次郎)
【菊】もまれなる【次】第なり  澆季末法の世の【瀬戸】に(瀬戸幸次郎)
現はれ玉ひし艮の  神の御【幸】は【次】々に
いやちこまして国民は  【同】じ心の【きみ】が御【よ】(同きみよ)
四方の【山】々【内】外の  風も【静】かに【笹川】の(山内静)
水にも神光【煕】り渡る  【雄】々しき清き葦原の(笹川煕雄)
神の御国ぞたふとけれ  日本御魂の大丈夫が
勇気も【古井】現し世の  濁りを【清】め【市】村【野】(古井清市)
戸【口】も【佐】和に佐和佐和に  五六【七】の御世を【松】の色(野口佐七)
【本】つ御魂も幸ひて  長閑な【春】の【政】事(松本春政)
【国】常立の【分】御魂  仁【義】の道を【一】と筋に(国分義一)
守るや洋の【西】東  【山】の尾の上に出入る月(西山勝)
光り【勝】れし大御代に  立て直さむと昔より
【水野】御魂の大御神  【貞】めなき世を【|弌《いく》】らんと(水野貞弌)
道も【飯田】の神の詔  【千代】の【松】ケ枝澄み渡り(飯田千代松)
昇る月影【高橋】の  夜の【守】りとありがたき(高橋守)
御代に【太田】の楽もしや  神の御国に【伝】はりし(太田伝九郎)
【九】つ花の咲き匂ふ  深山の【奥】の寒【村】も(奥村芳夫)
大和心の【芳】ばしき  大丈【夫】須佐の大神を
【斎】ひ【|藤《とう》】とみ惟神  御霊【幸】ひて【吉】祥の(斎藤幸吉)
|聖《ひじり》の御代ぞたふとけれ
道の|蘊【奥】《おくが》を塞ぎ居る  【村】雲四方にかきわけて(奥村友夫)
心も清き【友】の夫が  至誠を内外に【長谷川】の(長谷川清一)
【清】きながれも【一】と筋に  久【米】ども尽きぬ【川】水に(米川太介)
濁世を洗ひ【太|介《すけ》】んと  【田】庭綾【辺】の【政雄】等が(田辺政雄)
神の御声をいや高き  【雲井】に告げよほととぎす(雲井恒右衛門)
【恒】の誠のおこなひは  この【|右衛門《うえも》】なき神の笑み
その身の【佐賀】も【康正】の  実にも【鈴】し【木】忠と【孝】(佐賀康正)
慈悲を【三】つ楯【戸】して  【田】助【澄】まして【国】の祖(鈴木孝三郎)
【古】き昔の神代より  【高】き神徳【次】ぎつぎに(戸田澄国)
かくれて御世を守りつつ  忍び玉ひし大神を(古高徳次郎)
【斎】きまつるぞ【藤】とけれ  【吉】きもあしきも【三】吉野の(斎藤吉三)
花と散りしく【大】八【嶋】  【長】き平【和】の夢さめて(大島長和)
【|西洋《から》】の国【原】見渡せば  神を【敬】ふ人もなし(西原敬昌)
物質文明【昌】ふとも  心の花は散りにけり
【谷】波の国にあらはれし  出【口】の神の御教は(谷口清満)
【清】く天地に【満】ちぬらむ  桧【杉原】かきわけて(杉原佐久)
梅【佐久】そのを【杉】の【山】  見【当】てに進む日本【一】(杉山当一)
長閑けき風も【福】の【井】の  大【精】神は【平】らかに(福井精平)
神の【林】に|著《いちじ》【二郎】く  鳴り渡るなり高倉の(林二郎)
高き厳に【八重】むぐら  青き苔蒸し小田【牧野】(林八重子)
蔓さえ光る万世の  【亀】の|歓【吉】《えらぎ》て岩の【上】(牧野亀吉)
鶴さへ巣ぐふ高【倉】の  【三】ツ葉つつじ【之】御【助】に(上倉三之助)
【小野】が御【田】間を研きつつ  生れ赤子と【若】がへり(小野田若次郎)
【次】第々々にたましひを  【石】とかためて世を【渡】り(石渡たみ)
四方の【たみ】草【同一】に  神の真道に【進】ましめ(同進)
御代の栄えを内外に  照らすは神の大本ぞ
【谷】波の国は狭くとも  【広】く【賢】こき神の道(谷広賢)
雲【井】の上も海原も  神【武】と【仁】徳かがやきて(井上武仁)
神の守りの金【城】は  【所】在神の【守】りにて(城所守息)
神々安【息】遂げたまふ  その聖世【美馬】ほしと(美馬邦二)
心の清き神人が  御【邦二】つくす真心は
大【小】高下の差こそあれ  【林】の【ナカ】の下木まで(小林ナカ)
よろこび祝ふ【細】し矛  千【田】琉の国の神の【徳】(細田徳治)
円く|平穏《おだひ》に【治】まりて  身【椙】の【元】も【二三太郎】(椙元二三太郎)
広き新道進むより  神の大道踏める身は
【笹原義登】と悉【後藤】く  いと【康】らか【仁】進み行く(笹原義登)
無事平【安】の神の道  【達】るは神の温たかき(後藤康仁)
あまき乳【房】にすがる児の  太郎【次郎】の生命の(安達房次郎)
親の光りと【松】の御代  上【田】の家に生れたる(松田文一郎)
三【文】奴の只【一】人  神の御【前】にぬかづきて(前田茂寿)
世人を【田】すけ守らんと  昼はひねもす夜【茂寿】がら
愛宕の山の【片】ほとり  つづきが【岡】のふもとなる(片岡幸次郎)
小幡神社の【幸】ひに  祈願の効もいち【次郎】く
【大河口】や小川口  教を日々に【トク】人の(大河口トク)
心の丈けは【庄司】きに  【シウ】ジウの苦辛を耐へつつ(庄司シウ)
【安】く【達】せん大神の  心は清き白【ユキ】の(安達ユキ)
黄金の世界銀世界  真鯉の【上】る【滝】津瀬の(上滝美祐)
さま【美】はしき神【祐】に  心の垢を洗ひつつ
【西】山林【谷】の道  【作】り【治】めて登り行く(西谷作治)
四十八個の宝座ある  高倉【山】に【崎】にほふ(山崎耕作)
三ツ葉つつじの花の下  【耕】し【作】る田男の
【中】にも【邨】で【新】しき  由緒を知れる由松の(中邨新助)
道の手引に【助】けられ  万寿神苑立出でて
詣づる信者二百人  出口の海潮を先導に
田舎の【村】の小幡【橋】  【金】神竜神【一】同に(村橋金一郎)
渡り【田所】は宮垣内  【鹿蔵】住むなる松林(田所鹿蔵)
紅葉は散れど青々と  茂る木の葉のうるはしき
【豊】かな冬の木の【本】に  四方の【景】色を覚めつつも(豊本景介)
婦人子供に至るまで  【介】々しくも【谷】川を(谷前貞義)
飛び越え【|前《すす》】み【貞】勇き【|義《よし》】  【近藤】初めて修業場と(近藤貞二)
神の【貞】めに一同は  第【二】霊地と感謝しつ
祝詞の声も晴やかに  木魂に響く床しさよ
【勝又】|五【六】七《みろく》の神政に  【水野】御魂があらはれて(勝又六郎)
【久米】ども尽きぬ真清水の  かはく事なき【吉】祥の(水野久米吉)
命の親の神心  仰ぐも【高】し【田】加倉の(高田権四郎)
神の【権】威は【四】ツの海  珍の国【土】も【井】や広に(土井理平)
摂【理】は届く公【平】の  うましき御世は【北村】の
人は勇みて神寿ぎの  祭祀の道も【庄太郎】(北村庄太郎)
日本の国は【松】の国  【浦】安【国】と日【五郎】より(松浦国五郎)
|御【三木】《みそぎ》清めし神の国  【善】一と筋の世の元の(|三木《そうぎ》善建)
神の【建】てたる御国なり  外国人に惑はされ
御国の精華も【白石】の  五【倫】五常の道忘れ(白石倫城)
難攻不落の堅【城】と  神の造りし無【比】の園(比村中)
心にかかる【村】雲を  払ふて清め腹の【中】
神の授けし御魂をば  汚さむ事を【|鴛海《おしみ》】つつ(鴛海政彦)
国家の【政】り家政り  【彦】と夜毎にいそしみて
たとへ悪魔の襲ふとも  少しも【鎌】はず【田】力男(鎌田徴)
日本心を【微】かに  照して見せよ三日月の
敏【鎌】の光り鋤の跡  稲【田】も【茂】る八百【頴野】(鎌田茂頴)
【間田】なき秋に【アイ】の空  瑞穂の国の【中】国の(野間田アイ子)
誉れを【|西洋《から》】まで【ノブエ】姫  姫氏の国の豊の年(中西ノブヱ)
稔も【吉田】の花ぞ【サク】  【清】き【水】穂に【フク】風の(吉田サク子)
薫りは外に【比】類なき  富貴の草香【村】肝の(清水フク子)
心の【美佐尾】芳ばしく  続【鎌】ほしや曇りたる(比村美佐尾)
世を【田貞】か【江】て神の世に  なれば曲事かくろひて(鎌田貞江)
【吉】きこと斗り【村|幸《さき》】の  雲間を照らす神の【トク】(吉村トク)
ま【コト】を【那須】の神人は  神にすがり【ツヤ】はらぎつ(同コト子)
吾身のことを打捨てて  【多田】道のため【クニ】のため(那須ツヤ子)
つくしの果の人々も  海【河】こえて【田】庭路の(多田クニ)
神の御【親】の膝元に  【直】子の刀自の跡慕ひ(河田親直)
【滋】しげ通ふ楽もしさ  小【柴田】間萩【米】躅躑(同滋子)
茂れる山路ふみ別けて  【同】じ心の【一】隊は(柴田米子)
神の恵【與】と勇みつつ  清水湧き出る宮垣【内】(同一與)
上【田】の家も【市】々に  立出で【田渡】る野山路(内田市子)
心せき【セキヨ】ぢ登る  新池【馬場】を一【斉】に(田渡セキヨ)
進めば砂止山の神  祠の跡を右に見て(馬場斉)
【谷】の【村】杉潜りぬけ  【真】の道の【友】垣は(谷村真友)
山【奥】見かけ【村】々と  【貞】めの場所【雄】さして行く(奥村貞雄)
黄昏近く【湯】ふ【浅】の  空に出口の|王【仁】《ひろちか》が(湯浅仁斎)
岩屋の神を【斎】ひつつ  降【雨】も知らぬ【森】の中(雨森松吉)
【松】葉の露の一雫  味はひ【吉】しと喜びて
呑みし昔の思ひ出に  水の冥【加】を【|藤《とう》】とみつ(加藤明子)
天地神【明】の洪徳を  感謝しまつる此一行
折も【吉野】の【とき】つ風  吹かれて顔の【湯】煙りも(吉野とき子)
御空になびく【浅】曇り  霊魂を【研】く三柱の(湯浅研三)
神の宝座の大前に  【東尾】さして神【吉】詞(東尾吉三郎)
拍手【三】拝【上】々の  【坂】えの声を【きく】の年(上坂きく)
【山】の尾の上を【崎】わけて  昇る旭日の【あけ】の空(山崎あけ子)
【小】男鹿妻恋ふ【高】熊の  見るも勇まし【一】つ岩(小高一栄)
【栄】え久しき神国の  【牧】の柱とまめ人の(牧慎平)
【慎】み仕え大前に  低頭【平】身祈りつつ
松のお【千葉】もいと【清】く  月も見【五郎】の十五日(千葉清五郎)
【大山】小山の中道を  おのが【寿美】家へ【雄】々しくも(大山寿美雄)
松【岡】神使に誘はれて  【本】の古巣へ帰りける(岡本尚市)
【尚】き教へを【市】早く  上【田】の炉【辺】に宣ぶる時(田辺林三郎)
小松【林】の神憑り  【三】ツの御魂が現はれて
【近藤】二度目の立替は  御国を思【兼】の神(近藤兼堂)
現はれまして【堂】々と  小【畠】の宮の【山】の跡(畠山彦久)
本宮神宮の聖邑に  国武【彦】の大神は
世も【久】方の天津神  月見の神や天照す(佐藤かめ)
皇大神の神言もて  世人を【佐藤】し身をた【かめ】(平野千代子)
天下太【平野千代】の基  【佐藤】りて三【よし】の花の春(佐藤よし)
お【土】の【井とく】水の恩  【正】しき御【木】の宮柱(土井とく)
千本高知りて【きん】ぎんや  珠玉を飾る三体の(正木きん)
神の|御舎殿《みあらか》荘厳に  大宮【小宮】建て並べ(小宮きゑ)
深【きゑ】にしを説き諭す  高天【原】の神の道(原竹蔵)
松のみさをは神の国  【竹蔵】即ち外国に
たとへて【東尾】日の本と  【さき】はひ玉ふぞ尊とけれ(東尾さき)
【板】り尽せしあがなひの  千【倉】の置戸を負ふ神の(板倉寛太郎)
【寛】仁【太】度の胸の内  【同】じ教も【寛】々と(同寛文)
【文】化の魁け梅の花  御空は清く山【青】く(青野都秀)
【野】村も|【都】会《みやこ》も【秀】れたる  神の大道に従ひて
日【東】帝国【安】らけく  日【五郎】の信仰現はれて(東安五郎)
【安】全無事の世の中に  到【達】せしめ聖【哲】の(安達哲也)
教は四方に響く【也】  【同】じ天地に生ひ立ちし(同佐右衛門)
草木で【佐右衛門】色艶を  増して歓こぶ君が御代
世は【古川】の水絶えず  万寿の苑は【亀】岡の(古川亀市)
【市】中に高く聳えつつ  曇れる社会を照らし行く
神の仕組の万寿苑  瑞祥閣の芽出度けれ。
教の花の【桜井愛子】  【中野祝子】の太祝詞(桜井愛子)
【同】じく【作郎】青年も  巌の【上田】に参ゐ詣で(中野祝子)
各自気分も【由松】の  |【前】駈《さきがけ》し【田】るは十四夜の(同作郎)
【稲】田を照らす月の影  風も清けき秋の末(上田由松)
此一行廿二人  巻尾に記して証となす。(前田満稲)
(以上)
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霊界物語 第二巻 霊主体従 丑の巻
終り