霊界物語 第一巻 霊主体従 子の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第一巻』愛善世界社
1992(平成04)年12月08日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2004年04月24日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序《じよ》
|基本宣伝歌《きほんせんでんか》
|発端《ほつたん》
第一篇 |幽界《いうかい》の|探険《たんけん》
第一章 |霊山《れいざん》|修業《しうげふ》〔一〕
第二章 |業《げふ》の|意義《いぎ》〔二〕
第三章 |現界《げんかい》の|苦行《くぎやう》〔三〕
第四章 |現実的《げんじつてき》|苦行《くぎやう》〔四〕
第五章 |霊界《れいかい》の|修業《しうげふ》〔五〕
第六章 |八衢《やちまた》の|光景《くわうけい》〔六〕
第七章 |幽庁《いうちやう》の|審判《しんぱん》〔七〕
第八章 |女神《めがみ》の|出現《しゆつげん》〔八〕
第九章 |雑草《ざつさう》の|原野《げんや》〔九〕
第一〇章 |二段目《にだんめ》の|水獄《すゐごく》〔一〇〕
第一一章 |大幣《おほぬさ》の|霊験《れいけん》〔一一〕
第二篇 |幽界《いうかい》より|神界《しんかい》へ
第一二章 |顕幽《けんいう》|一致《いつち》〔一二〕
第一三章 |天使《てんし》の|来迎《らいがう》〔一三〕
第一四章 |神界《しんかい》|旅行《りよかう》の一〔一四〕
第一五章 |神界《しんかい》|旅行《りよかう》の二〔一五〕
第一六章 |神界《しんかい》|旅行《りよかう》の三〔一六〕
第一七章 |神界《しんかい》|旅行《りよかう》の四〔一七〕
第一八章 |霊界《れいかい》の|情勢《じやうせい》〔一八〕
第一九章 |盲目《まうもく》の|神使《しんし》〔一九〕
第三篇 |天地《てんち》の|剖判《ぼうはん》
第二〇章 |日地月《につちげつ》の|発生《はつせい》〔二〇〕
第二一章 |大地《だいち》の|修理固成《しうりこせい》〔二一〕
第二二章 |国祖《こくそ》|御隠退《ごいんたい》の|御因縁《ごいんねん》〔二二〕
第二三章 |黄金《こがね》の|大橋《おほはし》〔二三〕
第二四章 |神世開基《ヨハ子》と|神息統合《キリスト》〔二四〕
第四篇 |竜宮占領戦《りゆうぐうせんりやうせん》
第二五章 |武蔵彦《むさしひこ》|一派《いつぱ》の|悪計《あくけい》〔二五〕
第二六章 |魔軍《まぐん》の|敗戦《はいせん》〔二六〕
第二七章 |竜宮城《りゆうぐうじやう》の|死守《ししゆ》〔二七〕
第二八章 |崑崙山《こんろんざん》の|戦闘《せんとう》〔二八〕
第二九章 |天津神《あまつかみ》の|神算鬼謀《しんさんきぼう》〔二九〕
第三〇章 |黄河畔《くわうがはん》の|戦闘《せんとう》〔三〇〕
第三一章 |九山八海《きうざんはつかい》〔三一〕
第三二章 |三個《さんこ》の|宝珠《ほつしゆ》〔三二〕
第三三章 エデンの|焼尽《せうじん》〔三三〕
第三四章 シナイ|山《ざん》の|戦闘《せんとう》〔三四〕
第三五章 |一輪《いちりん》の|秘密《ひみつ》〔三五〕
第三六章 |一輪《いちりん》の|仕組《しぐみ》〔三六〕
第五篇 |御玉《みたま》の|争奪《そうだつ》
第三七章 |顕国《うつしくに》の|御玉《みたま》〔三七〕
第三八章 |黄金水《わうごんすゐ》の|精《せい》〔三八〕
第三九章 |白玉《しらたま》の|行衛《ゆくへ》〔三九〕
第四〇章 |黒玉《くろたま》の|行衛《ゆくへ》〔四〇〕
第四一章 |八尋殿《やひろどの》の|酒宴《しゆえん》の一〔四一〕
第四二章 |八尋殿《やひろどの》の|酒宴《しゆえん》の二〔四二〕
第四三章 |丹頂《たんちやう》の|鶴《つる》〔四三〕
第四四章 |緑毛《りよくまう》の|亀《かめ》〔四四〕
第四五章 |黄玉《わうぎよく》の|行衛《ゆくへ》〔四五〕
第四六章 |一島《ひとつじま》の|一松《ひとつまつ》〔四六〕
第四七章 エデン|城塞《じやうさい》|陥落《かんらく》〔四七〕
第四八章 |鬼熊《おにくま》の|終焉《しゆうえん》〔四八〕
第四九章 バイカル|湖《こ》の|出現《しゆつげん》〔四九〕
第五〇章 |死海《しかい》の|出現《しゆつげん》〔五〇〕
附記 霊界物語について
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|序《じよ》
この『|霊界《れいかい》|物語《ものがたり》』は、|天地《てんち》|剖判《ぼうはん》の|初《はじ》めより|天《あま》の|岩戸開《いはとびら》き|後《ご》、|神素盞嗚命《かむすさのをのみこと》が|地球上《ちきうじやう》に|跋扈跳梁《ばつこてうりやう》せる|八岐大蛇《やまたをろち》を|寸断《すんだん》し、つひに|叢雲宝剣《むらくものほうけん》をえて|天祖《てんそ》に|奉《たてまつ》り、|至誠《しせい》を|天地《てんち》に|表《あら》はし|五六七神政《みろくしんせい》の|成就《じやうじゆ》、|松《まつ》の|世《よ》を|建設《けんせつ》し、|国祖《こくそ》を|地上《ちじやう》|霊界《れいかい》の|主宰神《しゆさいしん》たらしめたまひし|太古《たいこ》の|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》および|霊界《れいかい》|探険《たんけん》の|大要《たいえう》を|略述《りやくじゆつ》し、|苦《く》・|集《しふ》・|滅《めつ》・|道《だう》を|説《と》き、|道《だう》・|法《はふ》・|礼《れい》・|節《せつ》を|開示《かいじ》せしものにして、|決《けつ》して|現界《げんかい》の|事象《じしやう》にたいし、|偶意的《ぐういてき》に|編述《へんじゆつ》せしものにあらず。されど|神界《しんかい》|幽界《いうかい》の|出来事《できごと》は、|古今東西《ここんとうざい》の|区別《くべつ》なく、|現界《げんかい》に|現《あら》はれ|来《きた》ることも、あながち|否《いな》み|難《がた》きは|事実《じじつ》にして、|単《たん》に|神幽《しんいう》|両界《りやうかい》の|事《こと》のみと|解《かい》し|等閑《とうかん》に|附《ふ》せず、これによりて|心魂《しんこん》を|清《きよ》め|言行《げんかう》を|改《あらた》め、|霊主体従《れいしゆたいじゆう》の|本旨《ほんし》を|実行《じつかう》されむことを|希望《きばう》す。
|読者《どくしや》|諸子《しよし》のうちには、|諸神《しよしん》の|御活動《ごくわつどう》にたいし、|一字《いちじ》か|二字《にじ》、|神名《しんめい》のわが|姓名《せいめい》に|似《に》たる|文字《もんじ》ありとして、ただちに|自己《じこ》の|過去《くわこ》における|霊的《れいてき》|活動《くわつどう》なりと、|速解《そくかい》される|傾向《けいかう》ありと|聞《き》く。|実《じつ》に|誤《あやま》れるの|甚《はなは》だしきものといふべし。|切《せつ》に|注意《ちうい》を|乞《こ》ふ|次第《しだい》なり。
大正十年十月廿日 午後一時
於松雲閣 瑞月 出口王仁三郎誌
|基本宣伝歌《きほんせんでんか》
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |曲津《まがつ》の|神《かみ》は|荒《すさ》ぶとも
|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|三千《さんぜん》|世界《せかい》の|梅《うめ》の|花《はな》  |一度《いちど》に|開《ひら》く|神《かみ》の|教《のり》
|開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》ぶ  |月日《つきひ》と|地《つち》の|恩《おん》を|知《し》れ
この|世《よ》を|救《すく》ふ|生神《いきがみ》は  |高天原《たかあまはら》に|神集《かむつど》ふ
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
この|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
|身《み》の|過《あやまち》は|宣《の》り|直《なほ》せ。
|発端《ほつたん》
|自分《じぶん》が|明治《めいぢ》|三十一年《さんじふいちねん》|旧《きう》|二月《にぐわつ》|九日《ここのか》、|神使《しんし》に|伴《とも》なはれ|丹波《たんば》|穴太《あなを》の|霊山《れいざん》|高熊山《たかくまやま》に、|一週間《いつしうかん》の|霊的《れいてき》|修業《しうげふ》を|了《を》へてより|天眼通《てんがんつう》、|天耳通《てんじつう》、|自他神通《じたしんつう》、|天言通《てんげんつう》、|宿命通《しゆくめいつう》の|大要《たいえう》を|心得《しんとく》し、|神明《しんめい》の|教義《けうぎ》をして|今日《こんにち》あるに|至《いた》らしめたるについては、|千変万化《せんぺんばんくわ》の|波瀾《はらん》があり、|縦横無限《じうわうむげん》の|曲折《きよくせつ》がある。|旧役員《きうやくゐん》の|反抗《はんかう》、|信者《しんじや》の|離反《りはん》、その|筋《すぢ》の|誤解《ごかい》、|宗教家《しうけうか》の|迫害《はくがい》、|親族《しんぞく》、|知友《ちいう》の|総攻撃《そうこうげき》、|新聞《しんぶん》|雑誌《ざつし》、|単行本《たんかうぼん》の|熱罵嘲笑《ねつばてうせう》、|実《じつ》に|筆紙口舌《ひつしこうぜつ》のよくするところのものでない。|自分《じぶん》はただただ|開教後《かいけうご》|廿四年間《にじふよねんかん》の|経緯《いきさつ》を、きわめて|簡単《かんたん》に|記憶《きおく》より|呼《よ》び|起《おこ》して、その|一端《いつたん》を|示《しめ》すことにする。
|竜宮館《りゆうぐうやかた》には|変性男子《へんじやうなんし》の|神系《しんけい》と、|変性女子《へんじやうによし》の|神系《しんけい》との|二大《にだい》|系統《けいとう》が、|歴然《れきぜん》として|区別《くべつ》されてゐる。|変性男子《へんじやうなんし》は|神政《しんせい》|出現《しゆつげん》の|予言《よげん》、|警告《けいこく》を|発《はつ》し、|千辛万苦《せんしんばんく》、|神示《しんじ》を|伝達《でんたつ》し、|水《みづ》をもつて|身魂《みたま》の|洗礼《せんれい》を|施《ほどこ》し、|救世主《キリスト》の|再生《さいせい》、|再臨《さいりん》を|待《ま》つてをられた。ヨハネの|初《はじ》めてキリストに|対面《たいめん》するまでには、ほとんど|七年《しちねん》の|間《あひだ》、|野《の》に|叫《さけ》びつつあつたのである。|変性男子《へんじやうなんし》の|肉宮《にくみや》は|女体男霊《によたいだんれい》にして、|五十七才《ごじふしちさい》はじめてここに|厳《いづ》の|御魂《みたま》の|神業《しんげふ》に|参加《さんか》したまひ、|明治《めいぢ》|二十五年《にじふごねん》の|正月《しやうぐわつ》|元旦《ぐわんたん》より、|同《どう》|四十五年《しじふごねん》の|正月《しやうぐわつ》|元旦《ぐわんたん》まで、|前後《ぜんご》|満《まん》|二十年間《にじふねんかん》の|水洗礼《すゐせんれい》をもつて、|現世《げんせ》の|汚濁《をだく》せる|霊体《れいたい》|両系《りやうけい》|一切《いつさい》に|洗礼《せんれい》を|施《ほどこ》し、|世界《せかい》|改造《かいざう》の|神策《しんさく》を|顕示《けんじ》したまうた。かの|欧洲《おうしう》|大戦乱《だいせんらん》のごときは、|厳《いづ》の|御魂《みたま》の|神業《しんげふ》|発動《はつどう》の|一端《いつたん》にして、|三千《さんぜん》|世界《せかい》の|一大《いちだい》|警告《けいこく》であつたと|思《おも》ふ。
|変性女子《へんじやうによし》の|肉宮《にくみや》は|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|神業《しんげふ》に|参加《さんか》|奉仕《ほうし》し、|火《ひ》をもつて|世界《せかい》|万民《ばんみん》に|洗礼《せんれい》を|施《ほどこ》すの|神務《しんむ》である。|明治《めいぢ》|三十一年《さんじふいちねん》の|旧《きう》|二月《にぐわつ》|九日《ここのか》をもつて|神業《しんげふ》に|参加《さんか》し、|大正《たいしやう》|七年《しちねん》|二月《にぐわつ》|九日《ここのか》をもつて|前後《ぜんご》|満《まん》|二十年間《にじふねんかん》の|霊的《れいてき》|神業《しんげふ》をほとんど|完成《くわんせい》した。|物質《ぶつしつ》|万能《ばんのう》|主義《しゆぎ》、|無神無霊魂説《むしんむれいこんせつ》に、|心酔累惑《しんすゐるゐわく》せる|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|現代《げんだい》も、やや|覚醒《かくせい》の|域《ゐき》に|達《たつ》し、|神霊《しんれい》の|実在《じつざい》を|認識《にんしき》するもの、|日《ひ》に|月《つき》に|多《おほ》きを|加《くわ》へきたれるは、すなはち|神霊《しんれい》の|偉大《ゐだい》なる|神機《しんき》|発動《はつどう》の|結果《けつくわ》にして、|決《けつ》して|人智《じんち》|人力《じんりよく》の|致《いた》すところではないと|思《おも》ふ。
|変性男子《へんじやうなんし》の|肉宮《にくみや》は|神政開祖《ヨハネ》の|神業《しんげふ》に|入《い》り、|爾来《じらい》|二十有七年間《にじふいうしちねんかん》|神筆《しんぴつ》を|揮《ふる》ひ、もつて|霊体《れいたい》|両界《りやうかい》の|大改造《だいかいざう》を|促進《そくしん》し、|今《いま》や|霊界《れいかい》に|入《い》りても、その|神業《しんげふ》を|継続《けいぞく》|奉仕《ほうし》されつつあるのである。
つぎに|変性女子《へんじやうによし》は|三十年間《さんじふねんかん》の|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》して、もつて|五六七《みろく》|神政《しんせい》の|成就《じやうじゆ》を|待《ま》ち、|世界《せかい》を|善道《ぜんどう》にみちびき、もつて|神明《しんめい》の|徳沢《とくたく》に|浴《よく》せしむるの|神業《しんげふ》である。|神業《しんげふ》|奉仕《ほうし》|以来《いらい》、|本年《ほんねん》をもつて|満《まん》|二十三年《にじふさんねん》、|残《のこ》る|七ケ年《しちかねん》こそ|最《もつと》も|重大《ぢゆうだい》なる|任務《にんむ》|遂行《すゐかう》の|難関《なんくわん》である。|神諭《しんゆ》に|曰《いは》く、
『|三十年《さんじふねん》で|身魂《みたま》の|立替《たてかへ》|立直《たてなほ》しをいたすぞよ』
と。|変性男子《へんじやうなんし》の|三十年《さんじふねん》の|神業《しんげふ》|成就《じやうじゆ》は、|大正《たいしやう》|十一年《じふいちねん》の|正月《しやうぐわつ》|元旦《ぐわんたん》である。|変性女子《へんじやうによし》の|三十年《さんじふねん》の|神業《しんげふ》|成就《じやうじゆ》は、|大正《たいしやう》|十七年《じふしちねん》|二月《にぐわつ》|九日《ここのか》である。|神諭《しんゆ》に、
『|身魂《みたま》の|立替《たてかへ》|立直《たてなほ》し』
とあるを、よく|考《かんが》へてみると、|主《しゆ》として|水洗礼《すゐせんれい》の|霊体《れいたい》|両系《りやうけい》の|改造《かいざう》が|三十年《さんじふねん》であつて、これはヨハネの|奉仕《ほうし》すべき|神業《しんげふ》であり、|体霊《たいれい》|洗礼《せんれい》の|霊魂的《れいこんてき》|改造《かいざう》が|前後《ぜんご》|三十年《さんじふねん》を|要《えう》するといふ|神示《しんじ》である。しかしながら|三十年《さんじふねん》と|神示《しんじ》されたのは、|大要《たいえう》を|示《しめ》されたもので、|決《けつ》して|確定的《かくていてき》のものではない。|伸縮遅速《しんしゆくちそく》は、たうてい|免《まぬが》れないと|思《おも》ふ。|要《えう》するに、|神界《しんかい》の|御方針《ごはうしん》は|一定不変《いつていふへん》であつても、|天地《てんち》|経綸《けいりん》の|司宰《しさい》たるべき|奉仕者《ほうししや》の|身魂《みたま》の|研不研《けんふけん》の|結果《けつくわ》によつて|変更《へんかう》されるのは|止《や》むをえないのである。
|神諭《しんゆ》に、
『|天地《てんち》の|元《もと》の|先祖《せんぞ》の|神《かみ》の|心《こころ》が|真実《ほんと》に|徹底了解《わかり》たものが|少《すこ》しありたら、|樹替《たてかへ》|樹直《たてなほ》しは|立派《りつぱ》にできあがるなれど、|神界《しんかい》の|誠《まこと》が|解《わか》りた|人民《じんみん》が|無《な》いから、|神《かみ》はいつまでも|世《よ》に|出《で》ることができぬから、|早《はや》く|改心《かいしん》いたして|下《くだ》されよ。|一人《ひとり》が|判《わか》りたら|皆《みな》の|者《もの》が|判《わか》つてくるなれど、|肝心《かんじん》のものに|判《わか》らぬといふのも、これには|何《なに》か|一《ひと》つの|原因《わけ》が|無《な》けねばならぬぞよ。|自然《しぜん》に|気《き》のつくまで|待《ま》つてをれば、|神業《しぐみ》はだんだん|遅《おく》れるばかりなり、|心《こころ》から|発根《ほつこん》の|改心《かいしん》でなければ、|教《をし》へてもらうてから|合点《がつてん》する|身魂《みたま》では、|到底《たうてい》この|御用《ごよう》は|務《つと》まらぬぞよ。|云々《うんぬん》』
|実際《じつさい》の|御経綸《ごけいりん》が|分《わか》つてこなくては、|空前絶後《くうぜんぜつご》の|大神業《だいしんげふ》に|完全《くわんぜん》に|奉仕《ほうし》することはできるものではない。|御神諭《ごしんゆ》に|身魂《みたま》の|樹替《たてかへ》|樹直《たてなほ》しといふことがある。ミタマといへば、|霊魂《れいこん》のみのことと|思《おも》つてゐる|人《ひと》が|沢山《たくさん》にあるらしい。|身《み》は|身体《しんたい》、または|物質界《ぶつしつかい》を|指《さ》し、|魂《たま》とは|霊魂《れいこん》、|心性《しんせい》、|神界《しんかい》|等《とう》を|指《さ》したまうたのである。すべて|宇宙《うちう》は|霊《れい》が|本《もと》で、|体《たい》が|末《すゑ》となつてゐる。|身《み》の|方面《はうめん》、|物質的《ぶつしつてき》|現界《げんかい》の|改造《かいざう》を|断行《だんかう》されるのは|国祖《こくそ》|大国常立神《おほくにとこたちのかみ》であり、|精神界《せいしんかい》、|神霊界《しんれいかい》の|改造《かいざう》を|断行《だんかう》したまふのは、|豊国主神《とよくにぬしのかみ》の|神権《しんけん》である。ゆゑに|宇宙《うちう》|一切《いつさい》は|霊界《れいかい》が|主《しゆ》であり、|現界《げんかい》が|従《じゆう》であるから、これを|称《しよう》して|霊主体従《れいしゆたいじゆう》といふのである。
|霊主体従《れいしゆたいじゆう》の|身魂《みたま》を|霊の本《ひのもと》の|身魂《みたま》といひ、|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|身魂《みたま》を|自己愛智《ちしき》の|身魂《みたま》といふ。|霊主体従《れいしゆたいじゆう》の|身魂《みたま》は、|一切《いつさい》|天地《てんち》の|律法《りつぱう》に|適《かな》ひたる|行動《かうどう》を|好《この》んで|遂行《すゐかう》せむとし、|常《つね》に|天下《てんか》|公共《こうきよう》のために|心身《しんしん》をささげ、|犠牲的《ぎせいてき》|行動《かうどう》をもつて|本懐《ほんくわい》となし、|至真《ししん》、|至善《しぜん》、|至美《しび》、|至直《しちよく》の|大精神《だいせいしん》を|発揮《はつき》する、|救世《きうせい》の|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》する|神《かみ》や|人《ひと》の|身魂《みたま》である。|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|身魂《みたま》は|私利私慾《しりしよく》にふけり、|天地《てんち》の|神明《しんめい》を|畏《おそ》れず、|体慾《たいよく》を|重《おも》んじ、|衣食住《いしよくぢう》にのみ|心《こころ》を|煩《わづら》はし、|利《り》によりて|集《あつ》まり、|利《り》によつて|散《さん》じ、その|行動《かうどう》は|常《つね》に|正鵠《せいかう》を|欠《か》き、|利己主義《りこしゆぎ》を|強調《きやうちよう》するのほか、|一片《いつぺん》の|義務《ぎむ》を|弁《わきま》へず、|慈悲《じひ》を|知《し》らず、|心《こころ》はあたかも|豺狼《さいらう》のごとき|不善《ふぜん》の|神《かみ》や、|人《ひと》をいふのである。
|天《てん》の|大神《おほかみ》は、|最初《さいしよ》に|天足彦《あだるひこ》、|胞場姫《えばひめ》のふたりを|造《つく》りて、|人体《じんたい》の|祖《そ》となしたまひ、|霊主体従《れいしゆたいじゆう》の|神木《しんぼく》に|体主霊従《ちしき》の|果実《くだもの》を|実《みの》らせ、
『この|果実《くだもの》を|喰《く》ふべからず』
と|厳命《げんめい》し、その|性質《せいしつ》のいかんを|試《こころ》みたまうた。ふたりは|体慾《たいよく》にかられて、つひにその|厳命《げんめい》を|犯《をか》し、|神《かみ》の|怒《いか》りにふれた。
これより|世界《せかい》は|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|妖気《えうき》|発生《はつせい》し、|神人界《しんじんかい》に|邪悪《じやあく》|分子《ぶんし》の|萠芽《はうが》を|見《み》るにいたつたのである。
かくいふ|時《とき》は、|人《ひと》あるひは|言《い》はむ。
『|神《かみ》は|全智全能《ぜんちぜんのう》にして|智徳円満《ちとくゑんまん》なり。なんぞ|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|萌芽《はうが》を|刈《か》りとり、さらに|霊主体従《れいしゆたいじゆう》の|人体《じんたい》の|祖《そ》を|改造《かいざう》せざりしや。|体主霊従《たいしゆれいじゆう》の|祖《そ》を|何《なに》ゆゑに|放任《はうにん》し、もつて|邪悪《じやあく》の|世界《せかい》をつくり、みづからその|処置《しよち》に|困《くるし》むや。ここにいたりて|吾人《ごじん》は|神《かみ》の|存在《そんざい》と、|神力《しんりき》とを|疑《うたが》はざるを|得《え》じ』
とは、|実《じつ》に|巧妙《かうめう》にしてもつとも|至極《しごく》な|議論《ぎろん》である。
されど|神明《しんめい》には、|毫末《がうまつ》の|依怙《えこ》なく、|逆行的《ぎやくかうてき》|神業《しんげふ》なし。|一度《いちど》|手《て》を|降《くだ》したる|神業《しんげふ》は|昨日《きのふ》の|今日《けふ》たり|難《がた》きがごとく、|弓《ゆみ》をはなれたる|矢《や》の|中途《ちゆうと》に|還《かへ》りきたらざるごとく、ふたたび|之《これ》を|更改《かうかい》するは、|天地《てんち》|自然《しぜん》の|経緯《けいゐ》に|背反《はいはん》す。ゆゑに|神代《かみよ》|一代《いちだい》は、これを|革正《かくせい》すること|能《あた》はざるところに|儼然《げんぜん》たる|神《かみ》の|権威《けんゐ》をともなふのである。また|一度《いちど》|出《い》でたる|神勅《しんちよく》も、これを|更改《かうかい》すべからず。|神《かみ》にしてしばしばその|神勅《しんちよく》を|更改《かうかい》し|給《たま》ふごときことありとせば、|宇宙《うちう》の|秩序《ちつじよ》はここに|全《まつた》く|紊乱《ぶんらん》し、つひには|自由《じいう》|放漫《はうまん》の|端《たん》を|開《ひら》くをもつてである。|古《いにしへ》の|諺《ことわざ》にも『|武士《ぶし》の|言葉《ことば》に|二言《にごん》なし』といふ。いはんや、|宇宙《うちう》の|大主宰《だいしゆさい》たる、|神明《しんめい》においてをやである。|神諭《しんゆ》にも、
『|時節《じせつ》には|神《かみ》も|叶《かな》はぬぞよ。|時節《じせつ》を|待《ま》てば|煎豆《いりまめ》にも|花《はな》の|咲《さ》く|時節《じせつ》が|参《まゐ》りて、|世《よ》に|落《お》ちてをりた|神《かみ》も、|世《よ》に|出《で》て|働《はたら》く|時節《じせつ》が|参《まゐ》りたぞよ。|時節《じせつ》ほど|恐《こわ》いものの|結構《けつこう》なものは|無《な》いぞよ、|云々《うんぬん》』
と|示《しめ》されたるがごとく、|天地《てんち》の|神明《しんめい》も『|時《とき》』の|力《ちから》のみは、いかんとも|為《な》したまふことはできないのである。
|天地《てんち》|剖判《ぼうはん》の|始《はじ》めより、|五十六億七千万年《ごじふろくおくしちせんまんねん》の|星霜《せいさう》を|経《へ》て、いよいよ|弥勒《みろく》|出現《しゆつげん》の|暁《あかつき》となり、|弥勒《みろく》の|神《かみ》|下生《げしやう》して|三界《さんかい》の|大革正《だいかくせい》を|成就《じやうじゆ》し、|松《まつ》の|世《よ》を|顕現《けんげん》するため、ここに|神柱《かむばしら》をたて、|苦《く》・|集《しふ》・|滅《めつ》・|道《だう》を|説《と》き、|道《だう》・|法《はふ》・|礼《れい》・|節《せつ》を|開示《かいじ》し、|善《ぜん》を|勧《すす》め、|悪《あく》を|懲《こら》し、|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|教《をしへ》を|布《し》き、|至治泰平《しぢたいへい》の|天則《てんそく》を|啓示《けいじ》し、|天意《てんい》のままの|善政《ぜんせい》を|天地《てんち》に|拡充《くわくじゆう》したまふ|時期《じき》に|近《ちか》づいてきたのである。
|吾人《ごじん》はかかる|千万億歳《せんまんおくざい》にわたりて、ためしもなき|聖世《せいせい》の|過渡時代《くわとじだい》に|生《うま》れ|出《い》で、|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》することを|得《え》ば、|何《なに》の|幸《さいはひ》か|之《これ》に|如《し》かむやである。|神示《しんじ》にいふ。
『|神《かみ》は|万物《ばんぶつ》|普遍《ふへん》の|聖霊《せいれい》にして、|人《ひと》は|天地《てんち》|経綸《けいりん》の|司宰《しさい》なり』
と。アゝ|吾人《ごじん》はこの|時《とき》をおいて|何《いづ》れの|代《よ》にか、|天地《てんち》の|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》することを|得《え》む。
アゝ|言霊《ことたま》の|幸《さち》はふ|国《くに》、|言霊《ことたま》の|天照《あまて》る|国《くに》、|言霊《ことたま》の|生《い》ける|国《くに》、|言霊《ことたま》の|助《たす》ける|国《くに》、|神《かみ》の|造《つく》りし|国《くに》、|神徳《しんとく》の|充《み》てる|国《くに》に|生《せい》を|稟《う》けたる|神国《しんこく》の|人《ひと》においてをや。|神《かみ》の|恩《おん》の|高《たか》く、|深《ふか》きに|感謝《かんしや》し、もつて|国祖《こくそ》の|大御心《おほみこころ》に|報《むく》い|奉《たてまつ》らねばならぬ|次第《しだい》である。
第一篇 |幽界《いうかい》の|探険《たんけん》
第一章 |霊山《れいざん》|修業《しうげふ》〔一〕
|高熊山《たかくまやま》は|上古《じやうこ》は|高御座山《たかみくらやま》と|称《しよう》し、のちに|高座《たかくら》といひ、ついで|高倉《たかくら》と|書《しよ》し、つひに|転訛《てんくわ》して|高熊山《たかくまやま》となつたのである。|丹波《たんば》|穴太《あなを》の|山奥《やまおく》にある|高台《たかだい》で、|上古《じやうこ》には|開化天皇《かいくわてんのう》を|祭《まつ》りたる|延喜式内《えんぎしきない》|小幡神社《をばたじんじや》の|在《あ》つた|所《ところ》である。|武烈天皇《ぶれつてんのう》が|継嗣《けいし》を|定《さだ》めむとなしたまうたときに、|穴太《あなを》の|皇子《わうじ》はこの|山中《さんちゆう》に|隠《かく》れたまひ、|高倉山《たかくらやま》に|一生《いつしやう》を|送《おく》らせたまうたといふ|古老《こらう》の|伝説《でんせつ》が|遺《のこ》つてをる|霊山《れいざん》である。|天皇《てんのう》はどうしても|皇子《わうじ》の|行方《ゆくへ》がわからぬので、やむをえず|皇族《くわうぞく》の|裔《えい》を|探《さが》しだして、|継体天皇《けいたいてんのう》に|御位《みくらゐ》を|譲《ゆづ》りたまうたといふことである。またこの|高熊山《たかくまやま》には|古来《こらい》|一《ひと》つの|謎《なぞ》が|遺《のこ》つてをる。
『|朝日《あさひ》|照《て》る、|夕日《ゆふひ》|輝《かがや》く、|高倉《たかくら》の、|三ツ葉躑躅《みつばつつじ》の|其《そ》の|下《した》に、|黄金《こがね》の|鶏《にわとり》|小判《こばん》|千両《せんりやう》|埋《い》けおいた』
|昔《むかし》から|時々《ときどき》|名《な》も|知《し》れぬ|鳥《とり》が|鳴《な》いて、|里人《さとびと》に|告《つ》げたといふことである。|自分《じぶん》は|登山《とざん》するごとに、|三ツ葉躑躅《みつばつつじ》の|株《かぶ》は|無《な》いかと|探《さが》してみたが、いつも|見当《みあた》らなかつた。|大正《たいしやう》|九年《くねん》の|春《はる》、|再度《さいど》|登山《とざん》して|休息《きうそく》してをると、|自分《じぶん》の|脚下《あしもと》に、その|三ツ葉躑躅《みつばつつじ》が|生《は》えてをるのを|見出《みいだ》し、はじめてその|歌《うた》の|謎《なぞ》が|解《と》けたのである。
『|朝日《あさひ》|照《て》る』といふ|意義《いぎ》は、|天津《あまつ》|日《ひ》の|神《かみ》の|御稜威《みいづ》が|旭日昇天《きよくじつしようてん》の|勢《いきほひ》をもつて、|八紘《はつかう》に|輝《かがや》きわたり、|夕日《ゆふひ》|輝《かがや》くてふ、|他《た》の|国々《くにぐに》までも|神徳《しんとく》を|光被《くわうひ》したまふ|黄金時代《わうごんじだい》の|来《く》ることであつて、この|霊山《れいざん》に|神威霊徳《しんゐれいとく》を|秘《ひ》めおかれたといふ|神界《しんかい》の|謎《なぞ》である。
『|三ツ葉躑躅《みつばつつじ》』とは、|三《み》つの|御霊《みたま》、|瑞霊《ずゐれい》の|意《い》である。ツツジの|言霊《ことたま》は、|万古不易《ばんこふえき》の|意《い》である。『|小判《こばん》|千両《せんりやう》|埋《い》けおいた』|大判《おほばん》は|上《かみ》を|意味《いみ》し、|小判《こばん》は|下《しも》にして、|確固不動《かくこふどう》の|権力《けんりよく》を|判《ばん》といふのである。すなわち|小判《こばん》は|小幡《こばん》ともなり、|神教顕現地《こばん》ともなる。|穴太《あなを》の|産土神社《うぶすなじんじや》の|鎮座《ちんざ》ありしも、|御祭神《ごさいしん》が|開化天皇《かいくわてんのう》であつたのも|深《ふか》い|神策《しんさく》のありませることと|恐察《きようさつ》し|得《え》られる。これを|思《おも》へばアゝ|明治《めいぢ》|卅一年《さんじふいちねん》|如月《きさらぎ》の|九日《ここのか》、|富士浅間神社《ふじせんげんじんじや》の|祭神《さいしん》、|木花咲耶姫命《このはなさくやひめのみこと》の|天使《てんし》、|松岡芙蓉仙人《まつおかふようせんにん》に|導《みちび》かれて、|当山《たうざん》に|自分《じぶん》が|一週間《いつしうかん》の|修業《しうげふ》を|命《めい》ぜられたのも、|決《けつ》して|偶然《ぐうぜん》ではないとおもふ。
|神示《しんじ》のまにまに|高熊山《たかくまやま》に|出修《しゆつしう》したる|自分《じぶん》の|霊力《れいりよく》|発達《はつたつ》の|程度《ていど》は、|非常《ひじやう》に|迅速《じんそく》であつた。|汽車《きしや》よりも|飛行機《ひかうき》よりも|電光石火《でんくわうせきくわ》よりも、すみやかに|霊的《れいてき》|研究《けんきう》は|進歩《しんぽ》したやうに|思《おも》うた。たとへば|幼稚園《えうちえん》の|生徒《せいと》が|大学《だいがく》を|卒業《そつげふ》して|博士《はくし》の|地位《ちゐ》に|瞬間《しゆんかん》に|進《すす》んだやうな|進歩《しんぽ》であつた。|過去《くわこ》、|現在《げんざい》、|未来《みらい》に|透徹《とうてつ》し、|神界《しんかい》の|秘奥《ひおう》を|窺知《きち》し|得《う》るとともに、|現界《げんかい》の|出来事《できごと》などは|数百年《すうひやくねん》|数千年《すうせんねん》の|後《のち》まで|知悉《ちしつ》し|得《え》られたのである。しかしながら、すべて|一切《いつさい》|神秘《しんぴ》に|属《ぞく》し、|今日《こんにち》これを|詳細《しやうさい》に|発表《はつぺう》することのできないのを|遺憾《ゐかん》とする。
第二章 |業《げふ》の|意義《いぎ》〔二〕
|霊界《れいかい》の|業《げふ》といへば|世間一般《せけんいつぱん》に|深山幽谷《しんざんいうこく》に|入《い》つて、|出世間的《しゆつせけんてき》|難行《なんぎやう》|苦行《くぎやう》をなすこととのみ|考《かんが》へてをる|人《ひと》が|多《おほ》いやうである。|跣足《はだし》や|裸《はだか》になつて、|山神《さんじん》の|社《やしろ》に|立籠《たてこも》り|断食《だんじき》をなし、|断湯《だんたう》を|守《まも》り|火食《くわしよく》をやめて、|神仏《しんぶつ》に|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らし、|妙《めう》な|動作《どうさ》や|異行《いぎやう》を|敢《あへ》てすることをもつて、|徹底的《てつていてき》|修行《しうぎやう》が|完了《かんれう》したやうに|思《おも》ひ|誇《ほこ》る|人々《ひとびと》が|多《おほ》い。
すべて|業《げふ》は|行《きやう》である|以上《いじやう》は、|顕幽一致《けんいういつち》、|身魂《みたま》|一本《いつぽん》の|真理《しんり》により、|顕界《けんかい》において|可急的《かきふてき》|大活動《だいくわつどう》をなし、もつて|天地《てんち》の|経綸《けいりん》に|奉仕《ほうし》するのが|第一《だいいち》の|行《ぎやう》である。たとへ|一ケ月《いつかげつ》でも|人界《じんかい》の|事業《じげふ》を|廃《はい》して|山林《さんりん》に|隠遁《いんとん》し|怪行異業《くわいぎやういげふ》に|熱中《ねつちゆう》するは、すなはち|一ケ月間《いつかげつかん》の|社会《しやくわい》の|損害《そんがい》であつて、いはゆる|神界《しんかい》の|怠業者《たいげふしや》もしくは|罷業者《ひげふしや》である。すべて|神界《しんかい》の|業《げふ》といふものは|現界《げんかい》において|生成化育《せいせいくわいく》、|進取発展《しんしゆはつてん》の|事業《じげふ》につくすをもつて|第一《だいいち》の|要件《えうけん》とせなくてはならぬ。
|大本《おほもと》の|一部《いちぶ》の|人士《じんし》のごとく、|何事《なにごと》も『|惟神《かむながら》かむながら』といつて|難《かた》きを|避《さ》け、|易《やす》きに|就《つ》かむとするは|神界《しんかい》より|御覧《ごらん》になれば、|実《じつ》に|不都合《ふつがふ》|不届《ふとどき》|至極《しごく》の|人間《にんげん》といはれてもしかたはない。|少《すこ》しも|責任《せきにん》|観念《かんねん》といふものがないのみか、|尽《つく》すべき|道《みち》をつくさず、かへつて|神業《しんげふ》の|妨害《ばうがい》ばかりしながら、いつも|神界《しんかい》にたいし|奉《たてまつ》り、|不足《ふそく》ばかりいつてゐる。これがいはゆる|黄泉醜人《よもつしこびと》である。|神諭《しんゆ》に、
『|世界《せかい》の|落武者《おちむしや》が|出《で》て|来《く》るから|用心《ようじん》なされよ』
といふことが|示《しめ》されあるを|考《かんが》へてみるがよい。|神界《しんかい》の|業《げふ》といふものは、そんな|軽々《かるがる》しき|容易《ようい》なものではない。しかるに|自分《じぶん》から|山林《さんりん》に|分入《わけい》りて|修行《しうぎやう》することを|非難《ひなん》しておきながら、かんじんの|御本尊《ごほんぞん》は|一週間《いつしうかん》も|高熊山《たかくまやま》で|業《げふ》をしたのは、|自家撞着《じかどうちやく》もはなはだしいではないか……との|反問《はんもん》も|出《で》るであらうが、しかし|自分《じぶん》はそれまでに|二十七年間《にじふしちねんかん》の|俗界《そくかい》での|悲痛《ひつう》な|修行《しうぎやう》を|遂行《すゐかう》した。その|卒業式《そつげふしき》ともいふべきものであつて、|生存中《せいぞんちゆう》ただ|一回《いつくわい》のみ|空前絶後《くうぜんぜつご》の|実修《じつしう》であつたのである。
|世《よ》には……|釈迦《しやか》でさへ|檀特山《だんとくざん》において|数ケ年間《すうかねんかん》の|難行《なんぎやう》|苦行《くぎやう》をやつて、|仏教《ぶつけう》を|開《ひら》いたではないか、それに|僅《わづ》か|一週間《いつしうかん》ぐらゐの|業《げふ》で、|三世《さんぜ》を|達観《たつくわん》することを|得《う》るやうになつたとは、あまりの|大言《たいげん》ではあるまいか……と、|疑問《ぎもん》を|抱《いだ》く|人々《ひとびと》もあるであらうが、|釈迦《しやか》は|印度国《いんどこく》|浄飯王《じやうぼんわう》の|太子《たいし》と|生《うま》れて、|社会《しやくわい》の|荒《あら》き|風波《ふうは》に|遇《あ》うたことのない|坊《ぼ》ンさんであつたから、|数年間《すうねんかん》の|種々《しゆじゆ》の|苦難《くなん》を|味《あぢ》はつたのである。|自分《じぶん》はこれに|反《はん》し|幼少《えうせう》より|極貧《ごくひん》の|家庭《かてい》に|生《うま》れて、|社会《しやくわい》のあらゆる|辛酸《しんさん》を|嘗《な》めつくしてきたために、|高熊山《たかくまやま》に登るまでに|顕界《けんかい》の|修行《しうぎやう》を|了《を》へ、また|幾分《いくぶん》かは|幽界《いうかい》の|消息《せうそく》にも|通《つう》じてをつたからである。
第三章 |現界《げんかい》の|苦行《くぎやう》〔三〕
|高熊山《たかくまやま》の|修行《しうぎやう》は|一時間《いちじかん》|神界《しんかい》の|修行《しうぎやう》を|命《さ》せられると、|現界《げんかい》は|二時間《にじかん》の|比例《ひれい》で|修行《しうぎやう》をさせられた。しかし|二時間《にじかん》の|現界《げんかい》の|修行《しうぎやう》より、|一時間《いちじかん》の|神界《しんかい》の|修行《しうぎやう》の|方《はう》が|数十倍《すうじふばい》も|苦《くるし》かつた。|現界《げんかい》の|修行《しうぎやう》といつては|寒天《さむぞら》に|襦袢《じゆばん》|一枚《いちまい》となつて、|前後《ぜんご》|一週間《いつしうかん》|水《みづ》|一杯《いつぱい》|飲《の》まず、|一食《いつしよく》もせず、|岩《いわ》の|上《うえ》に|静坐《せいざ》して|無言《むごん》でをつたことである。その|間《あひだ》には|降雨《かうう》もあり、|寒風《かんぷう》も|吹《ふ》ききたり、|夜中《よなか》になつても|狐狸《こり》の|声《こゑ》も|聞《き》かず、|虫《むし》の|音《ね》も|無《な》く、ときどき|山《やま》も|崩《くづ》れむばかりの|怪音《くわいおん》や、なんとも|言《い》へぬ|厭《いや》らしい|身《み》の|毛《け》の|震慄《しんりつ》する|怪声《くわいせい》が|耳朶《じだ》を|打《う》つ。|寂《さび》しいとも、|恐《おそ》ろしいとも、なんとも|形容《けいよう》のできぬ|光景《くわうけい》であつた。……たとへ|狐《きつね》でも、|狸《たぬき》でも、|虎《とら》|狼《おほかみ》でもかまはぬ、|生《せい》ある|動物《どうぶつ》がでてきて|生《い》きた|声《こゑ》を|聞《き》かして|欲《ほ》しい。その|姿《すがた》なりと、|生物《いきもの》であつたら、|一眼《ひとめ》|見《み》たいものだと、|憧憬《あこが》れるやうになつた。アヽ|生物《いきもの》ぐらゐ|人《ひと》の|力《ちから》になるものはない……と|思《おも》つてゐると、かたはらの|小篠《をざさ》の|中《なか》からガサガサと|足音《あしおと》をさして、|黒《くろ》い|影《かげ》の|動物《どうぶつ》が、|自分《じぶん》の|静坐《せいざ》する、|一尺《いつしやく》ほど|前《まへ》までやつてきた。|夜眼《よめ》には、|確《たしか》にそれと|分《わか》りかねるが、|非常《ひじやう》に|大《おお》きな|熊《くま》のやうであつた。
この|山《やま》の|主《ぬし》は|巨大《きよだい》な|熊《くま》であるといふことを、|常《つね》に|古老《こらう》から|聞《き》かされてをつた。そして|夜中《やちゆう》に|人《ひと》を|見《み》つけたが|最後《さいご》、その|巨熊《おほぐま》が|八裂《やつざ》きにして、|松《まつ》の|枝《えだ》に|懸《か》けてゆくといふことを|聞《き》いてゐた。|自分《じぶん》は|今夜《こんや》こそこの|巨熊《おほぐま》に|引裂《ひきさ》かれて|死《し》ぬのかも|知《し》れないと、その|瞬間《しゆんかん》に|心臓《しんざう》の|血《ち》を|躍《をど》らした。
ままよ|何事《なにごと》も|惟神《かむながら》に|一任《いちにん》するに|如《し》かず……と、|心《こころ》を|臍下丹田《さいかたんでん》に|落着《おちつ》けた。サアさうなると|恐《おそ》ろしいと|思《おも》つた|巨熊《おほぐま》の|姿《すがた》が|大変《たいへん》な|力《ちから》となり、その|呻声《うなりごゑ》が|恋《こひ》しく|懐《なつか》しくなつた。|世界《せかい》|一切《いつさい》の|生物《いきもの》に、|仁慈《じんじ》の|神《かみ》の|生魂《いくみたま》が|宿《やど》りたまふといふことが、|適切《てきせつ》に|感《かん》じられたのである。
かかる|猛獣《まうじう》でさへも|寂《さび》しいときには|力《ちから》になるものを、|況《いは》んや|万物《ばんぶつ》の|霊長《れいちやう》たる|人《ひと》においてをやだ。アゝ|世界《せかい》の|人々《ひとびと》を|悪《にく》んだり、|怒《おこ》らしたり、|侮《あなど》つたり、|苦《くる》しめたり、|人《ひと》を|何《なん》とも|思《おも》はず、|日々《にちにち》を|暮《くら》してきた|自分《じぶん》は、|何《なん》とした|勿体《もつたい》ない|罰当《ばちあた》りであつたのか、たとへ|仇敵《きうてき》|悪人《あくにん》といへども、|皆《みな》|神様《かみさま》の|霊《れい》が|宿《やど》つてゐる。|人《ひと》は|神《かみ》である。|否《いな》|人《ひと》ばかりではない、|一切《いつさい》の|動物《どうぶつ》も|植物《しよくぶつ》も、|皆《みな》われわれのためには、|必要《ひつえう》な|力《ちから》であり、|頼《たの》みの|杖《つえ》であり、|神《かみ》の|断片《だんぺん》である。
|人《ひと》はどうしても|一人《ひとり》で|世《よ》に|立《た》つことはできぬものだ。|四恩《しおん》といふことを|忘《わす》れては|人《ひと》の|道《みち》が|立《た》たぬ。|人《ひと》は|持《も》ちつ|持《も》たれつ|相互《さうご》に|助《たす》け|合《あ》うてゆくべきものである。|人《ひと》と|名《な》がつけば、たとへ|其《そ》の|心《こころ》は|鬼《おに》でも|蛇《じや》でもかまはぬ。|大切《たいせつ》にしなくてはならぬ。それに|人《ひと》はすこしの|感情《かんじやう》や、|利害《りがい》の|打算上《ださんじやう》から、たがひに|憎《にく》み|嫉《ねた》み|争《あらそ》ふとは、|何《なん》たる|矛盾《むじゆん》であらう、|不真面目《ふまじめ》であらう。|人間《にんげん》は|神様《かみさま》である。|人間《にんげん》をおいて|力《ちから》になつてくれる|神様《かみさま》がどこにあるであらうか。
|神界《しんかい》には|神様《かみさま》が|第一《だいいち》の|力《ちから》であり、|便《たよ》りであるが、|現界《げんかい》では|人間《にんげん》こそ、|吾等《われら》を|助《たす》くる|誠《まこと》の|生《い》きたる|尊《たふと》い|神様《かみさま》であると、かう|心《こころ》の|底《そこ》から|考《かんが》へてくると、|人間《にんげん》が|尊《たふと》く|有難《ありがた》くなつて、|粗末《そまつ》に|取扱《とりあつか》ふことは、|天地《てんち》の|神明《しんめい》にたいし|奉《たてまつ》り、|恐《おそ》れありといふことを|強《つよ》く|悟了《ごれう》したのである。
これが|自分《じぶん》の|万有《ばんいう》に|対《たい》する、|慈悲心《じひしん》の|発芽《はつが》であつて、|有難《ありがた》き|大神業《だいしんげふ》に|奉仕《ほうし》するの|基礎的《きそてき》|実習《じつしふ》であつた。アゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
第四章 |現実的《げんじつてき》|苦行《くぎやう》〔四〕
つぎに|自分《じぶん》の|第一《だいいち》に|有難《ありがた》く|感《かん》じたのは|水《みづ》である。|一週間《いつしうかん》といふものは、|水《みづ》|一滴《いつてき》|口《くち》に|入《い》れることもできず、|咽喉《のど》は|時々刻々《じじこくこく》に|渇《かわ》きだし、|何《なん》とも|言《い》へぬ|苦痛《くつう》であつた。たとへ|泥水《どろみづ》でもいい、|水気《みづけ》のあるものが|欲《ほ》しい。|木《こ》の|葉《は》でも|噛《か》んでみたら、|少々《せうせう》くらゐ|水《みづ》は|含《ふく》んでをるであらうが、それも|一週間《いつしうかん》は|神界《しんかい》から|飲食《いんしよく》|一切《いつさい》を|禁止《きんし》されてをるので、|手近《てぢか》にある|木《こ》の|葉《は》|一枚《いちまい》さへも、|口《くち》に|入《い》れるといふわけにはゆかない。その|上《うえ》|時々刻々《じじこくこく》に|空腹《くうふく》を|感《かん》じ、|気力《きりよく》は|次第《しだい》に|衰《おとろ》へてくる。されど|神《かみ》の|御許《おゆる》しがないので、お|土《つち》の|一片《いつぺん》も|口《くち》にすることはできぬ。|膝《ひざ》は|崎嶇《きく》たる|巌上《がんじやう》に|静坐《せいざ》せることとて、|是《これ》くらゐ|痛《いた》くて|苦《くる》しいことはない。|寒風《かんぷう》は|肌身《はだみ》を|切《き》るやうであつた。
|自分《じぶん》がふと|空《そら》をあふぐ|途端《とたん》に、|松《まつ》の|露《つゆ》がポトポトと|雨後《うご》の|風《かぜ》に|揺《ゆ》られて、|自分《じぶん》の|唇辺《くちびる》に|落《お》ちかかつた。|何心《なにごころ》なくこれを|嘗《な》めた。ただ|一滴《いつてき》の|松葉《まつば》の|露《つゆ》のその|味《あぢ》は、|甘露《かんろ》とも|何《なん》ともたとへられぬ|美味《おいし》さであつた。
これを|考《かんが》へてみても、|結構《けつこう》な|水《みづ》を|火《ひ》にかけ|湯《ゆ》に|沸《わか》して、|温《ぬる》いの|熱《あつ》いのと、|小言《こごと》を|言《い》つてゐるくらゐ|勿体《もつたい》ないことはない。
|草木《くさき》の|葉《は》|一枚《いちまい》でも、|神様《かみさま》の|御許《おゆる》しが|無《な》ければ、|戴《いただ》くことはできず、|衣服《いふく》は|何《なに》ほど|持《も》つてをつても、|神様《かみさま》の|御許《おゆる》しなき|以上《いじやう》は|着《き》ることもできず、あたかも|餓鬼道《がきだう》の|修業《しうげふ》であつた。そのお|蔭《かげ》によつて|水《みづ》の|恩《おん》を|知《し》り、|衣食住《いしよくぢう》の|大恩《たいおん》を|覚《さと》り、|贅沢《ぜいたく》なぞは|夢《ゆめ》にも|思《おも》はず、どんな|苦難《くなん》に|逢《あ》ふも|驚《おどろ》かず、|悲《かな》しまず、いかなる|反対《はんたい》や、|熱罵《ねつば》|嘲笑《てうせう》も、ただ|勿体《もつたい》ない、|有難《ありがた》い|有難《ありがた》いで、|平気《へいき》で、|社会《しやくわい》に|泰然自若《たいぜんじじやく》、|感謝《かんしや》のみの|生活《せいくわつ》を|楽《たのし》むことができるやうになつたのも、|全《まつた》く|修行《しうぎやう》の|御利益《おかげ》である。
それについて|今一《いまひと》つ|衣食住《いしよくぢう》よりも、|人間《にんげん》にとつて|尊《たふと》く、|有難《ありがた》いものは|空気《くうき》である。|飲食物《いんしよくぶつ》は|十日《とうか》や|廿日《はつか》くらゐ|廃《はい》したところで、|死《し》ぬやうな|事《こと》はめつたにないが、|空気《くうき》はただの|二三分間《にさんぷんかん》でも|呼吸《こきふ》せなかつたならば、ただちに|死《し》んでしまふより|途《みち》はない。|自分《じぶん》がこの|修行中《しうぎやうちう》にも|空気《くうき》を|呼吸《こきふ》することだけは|許《ゆる》されたのは、|神様《かみさま》の|無限《むげん》の|仁慈《じんじ》であると|思《おも》つた。
|人《ひと》は|衣食住《いしよくぢう》の|大恩《たいおん》を|知《し》ると|同時《どうじ》に、|空気《くうき》の|御恩《ごおん》を|感謝《かんしや》せなくてはならない。しかし|以上《いじやう》|述《の》べたるところは、|自分《じぶん》が|高熊山《たかくまやま》における|修行《しうぎやう》の、|現界的《げんかいてき》すなはち|肉体上《にくたいじやう》における|神示《しんじ》の|修行《しうぎやう》である。|霊界《れいかい》における|神示《しんじ》の|修行《しうぎやう》は、|到底《たうてい》|前述《ぜんじゆつ》のごとき|軽《かる》い|容易《ようい》なものではなかつた。|幾十倍《いくじふばい》とも|幾百倍《いくひやくばい》ともしれぬ|大苦難的《だいくなんてき》|修練《しうれん》であつた。
第五章 |霊界《れいかい》の|修業《しうげふ》〔五〕
|霊界《れいかい》には|天界《てんかい》と、|地獄界《ぢごくかい》と、|中有界《ちううかい》との|三大境域《さんだいきやうゐき》があつて、|天界《てんかい》は|正《ただ》しき|神々《かみがみ》や|正《ただ》しき|人々《ひとびと》の|霊魂《れいこん》の|安住《あんぢう》する|国《くに》であり、|地獄界《ぢごくかい》は|邪神《じやしん》の|集《あつ》まる|国《くに》であり、|罪悪者《ざいあくしや》の|堕《お》ちてゆく|国《くに》である。そして|天界《てんかい》は|至善《しぜん》、|至美《しび》、|至明《しめい》、|至楽《しらく》の|神境《しんきやう》で、|天《てん》の|神界《しんかい》、|地《ち》の|神界《しんかい》に|別《わか》れてをり、|天《てん》の|神界《しんかい》にも|地《ち》の|神界《しんかい》にも、|各自《かくじ》|三段《さんだん》の|区劃《くくわく》が|定《さだ》まり、|上《じやう》|中《ちゆう》|下《げ》の|三段《さんだん》の|御魂《みたま》が、それぞれに|鎮《しづ》まる|楽園《らくえん》である。|地獄界《ぢごくかい》も|根《ね》の|国《くに》、|底《そこ》の|国《くに》にわかれ、|各自《かくじ》|三段《さんだん》に|区劃《くくわく》され、|罪《つみ》の|軽重《けいちよう》、|大小《だいせう》によりて、それぞれに|堕《お》ちてゆく|至悪《しあく》、|至醜《ししう》、|至寒《しかん》、|至苦《しく》の|刑域《けいゐき》である。|今《いま》|自分《じぶん》はここに|霊界《れいかい》の|御許《おゆる》しを|得《え》て、|天界《てんかい》、|地獄界《ぢごくかい》などの|大要《たいえう》を|表示《へうじ》して|見《み》やう。
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「霊界」
「天界」…また「神界」といふ
「天の神界」三段
「地の神界」三段
「中有界」…また「精霊界」といふ
「浄罪界」
「地獄界」…また「幽界」といふ
「根の国」三段
「底の国」三段
|霊界《れいかい》の|大要《たいえう》は|大略《たいりやく》|前記《ぜんき》のとほりであるが、|自分《じぶん》は|芙蓉仙人《ふようせんにん》の|先導《せんだう》にて、|霊界《れいかい》|探険《たんけん》の|途《と》に|上《のぼ》ることとなつた。|勿論《もちろん》|身《み》は|高熊山《たかくまやま》に|端坐《たんざ》して、ただ|霊魂《れいこん》のみが|往《い》つたのである。
|行《ゆ》くこと|数百千里《すうひやくせんり》、|空中飛行船《くうちゆうひかうせん》|以上《いじやう》の|大速力《だいそくりよく》で、|足《あし》も|地《ち》につかず、ほとんど|十分《じつぷん》ばかり|進行《しんかう》をつづけたと|思《おも》ふと、たちまち|芙蓉仙人《ふようせんにん》は|立留《たちとど》まつて|自分《じぶん》を|顧《かへり》み、
『いよいよ|是《これ》からが|霊界《れいかい》の|関門《くわんもん》である』
といつて、|大変《たいへん》な|大《おお》きな|河《かは》の|辺《ほとり》に|立《た》つた。|一寸《ちよつと》|見《み》たところでは|非常《ひじやう》に|深《ふか》いやうであるが、|渡《わた》つて|見《み》ると|余《あま》り|深《ふか》くはない。|不思議《ふしぎ》にも|自分《じぶん》の|着《き》てゐた|紺衣《こんい》は、|水《みづ》に|洗《あら》はれたのか|忽《たちま》ち|純白《じゆんぱく》に|変《へん》じた。|別《べつ》に|衣服《いふく》の|一端《いつたん》をも|水《みづ》に|浸《ひた》したとも|思《おも》はぬに、|肩先《かたさき》まで|全部《ぜんぶ》が|清白《せいはく》になつた。|芙蓉仙人《ふようせんにん》とともに、|名《な》も|知《し》らぬこの|大河《おほかは》を|対岸《たいがん》へ|渡《わた》りきり、|水瀬《みなせ》を|眺《なが》めると|不思議《ふしぎ》にも|水《みづ》の|流《なが》れと|思《おも》つたのは|誤《あやま》りか、|大蛇《だいじや》が|幾百万《いくひやくまん》とも|限《かぎ》りなきほど|集《あつ》まつて、|各自《てんで》に|頭《あたま》をもたげ、|火焔《くわえん》の|舌《した》を|吐《は》いてをるのには|驚《おどろ》かされた。それから|次々《つぎつぎ》に|渉《わた》りきたる|数多《あまた》の|旅人《たびびと》らしきものが、いづれも|皆《みな》|大河《おほかは》と|思《おも》つたと|見《み》えて、|自分《じぶん》の|渉《わた》つたやうに、|各自《かくじ》に|裾《すそ》を|捲《ま》きあげてをる。そして|不思議《ふしぎ》なことには|各自《かくじ》の|衣服《いふく》が|種々《しゆじゆ》の|色《いろ》に|変化《へんくわ》することであつた。あるひは|黒《くろ》に、あるひは|黄色《きいろ》に|茶褐色《ちやかつしよく》に、その|他《た》|雑多《ざつた》の|色《いろ》に|忽然《こつぜん》として|変《かは》つてくるのを、どこともなく、|五六人《ごろくにん》の|恐《こわ》い|顔《かほ》をした|男《をとこ》が|一々《いちいち》|姓名《せいめい》を|呼《よ》びとめて、|一人々々《ひとりひとり》に|切符《きつぷ》のやうなものをその|衣服《いふく》につけてやる。そして|速《はや》く|立《た》てよと|促《うなが》す。|旅人《たびびと》は|各自《てんで》に|前方《ぜんぱう》に|向《むか》つて|歩《ほ》を|進《すす》め、|一里《いちり》ばかりも|進《すす》んだと|思《おも》ふ|所《ところ》に、|一《ひと》つの|役所《やくしよ》のやうなものが|建《た》つてあつた。その|中《なか》から|四五《しご》の|番卒《ばんそつ》が|現《あら》はれて、その|切符《きつぷ》を|剥《は》ぎとり、|衣服《いふく》の|変色《へんしよく》の|模様《もやう》によつて、|上衣《うはぎ》を|一枚《いちまい》|脱《は》ぎとるもあり、|或《ある》ひは|二枚《にまい》にしられるもあり、|丸裸《まるはだか》にしられるのもある。また|一枚《いちまい》も|脱《ぬ》ぎとらずに、|他《た》の|旅人《たびびと》から|取《と》つた|衣物《きもの》を、|或《ある》ひは|一枚《いちまい》あるいは|二枚《にまい》|三枚《さんまい》、|中《なか》には|七八枚《しちはちまい》も|被《き》せられて|苦《くる》しさうにして|出《で》てゆくものもある。|一人々々《ひとりひとり》に|番卒《ばんそつ》が|附《つ》き|添《そ》ひ、|各自《かくじ》|規定《きてい》の|場所《ばしよ》へ|送《おく》られて|行《ゆ》くのを|見《み》た。
第六章 |八衢《やちまた》の|光景《くわうけい》〔六〕
ここは|黄泉《よみ》の|八衢《やちまた》といふ|所《ところ》で|米《こめ》の|字《じ》|形《かた》の|辻《つじ》である。その|真中《まんなか》に|一《ひと》つの|霊界《れいかい》の|政庁《せいちやう》があつて、|牛頭馬頭《ごづめづ》の|恐《こわ》い|番卒《ばんそつ》が、|猛獣《まうじう》の|皮衣《かはぎぬ》を|身《み》につけたのもあり、|丸裸《まるはだか》に|猛獣《まうじう》の|皮《かは》の|褌《まはし》を|締《し》めこみ、|突棒《つくぼう》や、|手槍《てやり》や、|鋸《のこぎり》や、|斧《をの》、|鉄棒《てつぼう》に、|長《なが》い|火箸《ひばし》などを|携《たづさ》へた|奴《やつ》が|沢山《たくさん》に|出《で》てくる。|自分《じぶん》は|芙蓉仙人《ふようせんにん》の|案内《あんない》で、ズツト|奥《おく》へ|通《とほ》ると、その|中《なか》の|小頭《こがしら》ともいふやうな|鬼面《おにづら》の|男《をとこ》が、|長剣《ちやうけん》を|杖《つえ》に|突《つ》きながら|出迎《でむか》へた。そして|芙蓉仙人《ふようせんにん》に|向《むか》つて、
『|御遠方《ごゑんぽう》の|所《ところ》はるばる|御苦労《ごくろう》でした。|今日《こんにち》は|何《なん》の|御用《ごよう》にて|御来幽《ごらいいう》になりましたか』
と|恐《こわ》い|顔《かほ》に|似合《にあ》はぬ|慇懃《いんぎん》な|挨拶《あいさつ》をしてゐる。|自分《じぶん》は|意外《ゐぐわい》の|感《かん》にうたれて、|両者《りやうしや》の|応答《おうたふ》を|聞《き》くのみであつた。|芙蓉仙人《ふようせんにん》は|一礼《いちれい》を|報《むく》いながら、
『|大神《おほかみ》の|命《めい》により|大切《たいせつ》なる|修業者《しうげふしや》を|案内《あんない》|申《まを》して|参《まゐ》りました。すなはちこの|精霊《もの》でありますが、|今回《こんくわい》は|現《げん》、|神《しん》、|幽《いう》の|三界的《さんがいてき》|使命《しめい》を|帯《お》び、|第一《だいいち》に|幽界《いうかい》の|視察《しさつ》を|兼《か》ねて|修業《しうげふ》にきたのです。この|精霊《もの》は|丹州《たんしう》|高倉山《たかくらやま》に|古来《こらい》|秘《ひ》めおかれました、|三つ葉躑躅《みつばつつじ》の|霊魂《れいこん》です。|何《なに》とぞ|大王《だいわう》にこの|旨《むね》|御伝達《ごでんたつ》をねがひます』
と、|言葉《ことば》に|力《ちから》をこめての|依頼《いらい》であつた。|小頭《こがしら》は|仙人《せんにん》に|軽《かる》く|一礼《いちれい》して|急《いそ》ぎ|奥《おく》に|行《い》つた。|待《ま》つことやや|少時《しばし》、|奥《おく》には|何事《なにごと》の|起《おこ》りしかと|思《おも》はるるばかりの|物音《ものおと》が|聞《きこ》ゆる。|芙蓉仙人《ふようせんにん》に、
『あの|物音《ものおと》は|何《なん》でせうか』
と|尋《たづ》ねてみた。|仙人《せんにん》はただちに、
『|修業者《しうげふしや》の|来幽《らいいう》につき|準備《じゆんび》せむがためである』
と|答《こた》へられた。|自分《じぶん》は|怪《あや》しみて、
『|修業者《しうげふしや》とは|誰《だれ》ですか』
と|問《と》ふ。|仙人《せんにん》は|答《こた》へていふ、
『|汝《なんぢ》のことだ。|肉体《にくたい》ある|精霊《もの》、|幽界《いうかい》に|来《きた》るときは、いつも|庁内《ちやうない》の|模様《もやう》を|一時《いちじ》|変更《へんかう》さるる|定《さだ》めである。|今日《こんにち》は|別《わ》けて、|神界《しんかい》より|前《まへ》もつて|沙汰《さた》なかりし|故《ゆゑ》に、|幽庁《いうちやう》では、|狼狽《らうばい》の|体《てい》と|見《み》える』
と|仰《あふ》せられた。しばらくありて|静《しづ》かに|隔《へだ》ての|戸《と》を|開《ひら》いて、|前《まへ》の|小頭《こがしら》は|先導《せんだう》に|立《た》ち、|数名《すうめい》の|守卒《しゆそつ》らしきものと|共《とも》に|出《い》できたり、|軽《かる》く|二人《ふたり》に|目礼《もくれい》し|前後《ぜんご》に|付添《つきそ》うて、|奥《おく》へ|奥《おく》へと|導《みちび》きゆく。|上段《じやうだん》の|間《ま》には|白髪《はくはつ》|異様《いやう》の|老神《らうしん》が、|机《つくゑ》を|前《まへ》におき|端座《たんざ》したまふ。|何《なん》となく|威厳《ゐげん》があり|且《か》つ|優《やさ》しみがある。そしてきはめて|美《うつく》しい|面貌《めんばう》であつた。
|芙蓉仙人《ふようせんにん》は|少《すこ》しく|腰《こし》を|屈《かが》めながら、その|右前側《うぜんそく》に|坐《ざ》して|何事《なにごと》か|奏上《そうじやう》する|様子《やうす》である。|判神《さばきがみ》は|綺羅星《きらほし》のごとくに|中段《ちゆうだん》の|間《ま》に|列《なら》んでゐた。|老神《らうしん》は|自分《じぶん》を|見《み》て|美《うる》はしき|慈光《じくわう》をたたへ|笑顔《ゑがほ》を|作《つく》りながら、
『|修業者《しうげふしや》|殿《どの》、|遠方《ゑんぱう》|大儀《たいぎ》である。はやく|是《これ》に』
と|老神《らうしん》の|左前側《さぜんそく》に|自分《じぶん》を|着座《つか》しめられた。|老神《らうしん》と|芙蓉仙人《ふようせんにん》と|自分《じぶん》とは、|三角形《さんかくけい》の|陣《ぢん》をとつた。|自分《じぶん》は|座《ざ》につき|老神《らうしん》に|向《むか》つて|低頭平身《ていとうへいしん》|敬意《けいい》を|表《へう》した。|老神《らうしん》もまた|同《おな》じく|敬意《けいい》を|表《へう》して|頓首《とんしゆ》したまひ、
『|吾《われ》は|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》の|監督《かんとく》を|天神《てんしん》より|命《めい》ぜられ、|三千有余年《さんぜんいうよねん》|当庁《たうちやう》に|主《しゆ》たり、|大王《だいわう》たり。|今《いま》や|天運《てんうん》|循環《じゆんかん》、いよいよわが|任務《にんむ》は|一年余《いちねんあまり》にして|終《をは》る。|余《よ》は|汝《なんぢ》とともに|霊界《れいかい》、|現界《げんかい》において|相《あひ》|提携《ていけい》して、|以《もつ》て|宇宙《うちう》の|大神業《だいしんげふ》に|参加《さんか》せむ。しかしながら|吾《われ》はすでに|永年《ゑいねん》|幽界《いうかい》を|主宰《しゆさい》したれば|今《いま》さら|幽界《いうかい》を|探究《たんきう》するの|要《えう》なし。|汝《なんぢ》は|今《いま》はじめての|来幽《らいいう》なれば、|現幽《げんいう》|両界《りやうかい》のため、|実地《じつち》について|研究《けんきう》さるるの|要《えう》あり。しからざれば|今後《こんご》において、|三界《さんかい》を|救《すく》ふべき|大慈《だいじ》の|神人《しんじん》たることを|得《え》ざるべし。|是非々々《ぜひぜひ》|根《ね》の|国《くに》、|底《そこ》の|国《くに》を|探究《たんきう》の|上《うへ》|帰顕《きけん》あれよ。|汝《なんぢ》の|産土《うぶすな》の|神《かみ》を|招《まね》き|奉《まつ》らむ』
とて、|天《あま》の|石笛《いはふえ》の|音《ね》もさはやかに|吹《ふ》きたてたまへば、|忽然《こつぜん》として|白衣《びやくい》の|神姿《しんし》、|雲《くも》に|乗《の》りて|降《くだ》りたまひ、|三者《さんにん》の|前《まへ》に|現《あら》はれ、|叮重《ていちやう》なる|態度《たいど》をもつて、|何事《なにごと》か|小声《こごゑ》に|大王《だいわう》に|詔《の》らせたまひ、つぎに|幽庁《いうちやう》|列座《れつざ》の|神《かみ》にむかひ|厚《あつ》く|礼《れい》を|述《の》べ、つぎに|芙蓉仙人《ふようせんにん》に|対《たい》して、|氏子《うぢこ》を|御世話《おせわ》であつたと|感謝《かんしや》され、|最後《さいご》に|自分《じぶん》にむかつて|一巻《いつくわん》の|書《しよ》を|授《さづ》けたまひ、|頭上《づじやう》より|神息《しんそく》を|吹《ふ》きこみたまふや、|自分《じぶん》の|腹部《ふくぶ》ことに|臍下丹田《さいかたんでん》は、にはかに|暖《あたた》か|味《み》を|感《かん》じ、|身魂《みたま》の|全部《ぜんぶ》に|無限《むげん》|無量《むりやう》の|力《ちから》を|与《あた》へられたやうに|覚《おぼ》えた。
第七章 |幽庁《いうちやう》の|審判《しんぱん》〔七〕
ここに|大王《だいわう》の|聴許《ちやうきよ》をえて、|自分《じぶん》は|産土神《うぶすなのかみ》、|芙蓉仙人《ふようせんにん》とともに|審判廷《しんぱんてい》の|傍聴《ばうちやう》をなすことを|得《え》た。|仰《あふ》ぎ|見《み》るばかりの|高座《かうざ》には|大王《だいわう》|出御《しゆつぎよ》あり、|二三尺《にさんじやく》|下《した》の|座《ざ》には、|形相《ぎやうさう》すさまじき|冥官《めいくわん》らが|列座《れつざ》してゐる。|最下《さいか》の|審判廷《しんぱんてい》には|数多《あまた》の|者《もの》が|土下座《どげざ》になつて|畏《かしこ》まつてゐる。|見《み》わたせば|自分《じぶん》につづいて|大蛇《をろち》の|川《かは》をわたつてきた|旅人《たびびと》も、|早《はや》すでに|多数《たすう》の|者《もの》の|中《なか》に|混《ま》じりこんで|審判《しんぱん》の|言《い》ひ|渡《わた》しを|待《ま》つてゐる。|日本人《にほんじん》ばかりかと|思《おも》へば、|支那人《しなじん》、|朝鮮人《てうせんじん》、|西洋人《せいやうじん》なぞも|沢山《たくさん》にゐるのを|見《み》た。|自分《じぶん》はある|川柳《せんりう》に、
『|唐人《たうじん》を|入《い》り|込《こ》みにせぬ|地獄《ぢごく》の|絵《ゑ》』
といふのがある、それを|思《おも》ひだして、この|光景《くわうけい》を|怪《あや》しみ、|仙人《せんにん》に|耳語《じご》してその|故《ゆゑ》を|尋《たづ》ねた。|何《なん》と|思《おも》つたか、|仙人《せんにん》は|頭《かしら》を|左右《さいう》に|振《ふ》つたきり、|一言《ひとこと》も|答《こた》へてくれぬ。|自分《じぶん》も|強《しひ》て|尋《たづ》ねることを|控《ひか》へた。
ふと|大王《だいわう》の|容貌《ようばう》を|見《み》ると、アツと|驚《おどろ》いて|倒《たふ》れむばかりになつた。そこを|産土《うぶすな》の|神《かみ》と|仙人《せんにん》とが|左右《さいう》から|支《ささ》へて|下《くだ》さつた。もしこのときに|二柱《ふたはしら》の|御介抱《ごかいはう》がなかつたら、|自分《じぶん》は|気絶《きぜつ》したかも|知《し》れぬ。|今《いま》まで|温和《おんわ》|優美《いうび》にして|犯《をか》すべからざる|威厳《ゐげん》を|具《そな》へ、|美《うる》はしき|無限《むげん》の|笑《ゑみ》をたたへたまひし|大王《だいわう》の|形相《ぎやうさう》は、たちまち|真紅《しんく》と|変《へん》じ、|眼《め》は|非常《ひじやう》に|巨大《きよだい》に、|口《くち》は|耳《みみ》のあたりまで|引裂《ひきさ》け、|口内《こうない》より|火焔《くわえん》の|舌《した》を|吐《は》きたまふ。|冥官《めいくわん》また|同《おな》じく|形相《ぎやうさう》すさまじく、|面《おもて》をあげて|見《み》る|能《あた》はず、|審判廷《しんぱんてい》はにはかに|物凄《ものすご》さを|増《ま》してきた。
|大王《だいわう》は|中段《ちゆうだん》に|坐《ざ》せる|冥官《めいくわん》の|一人《ひとり》を|手招《てまね》きしたまへば、|冥官《めいくわん》かしこまりて|御前《ごぜん》に|出《い》づ。|大王《だいわう》は|冥官《めいくわん》に|一巻《いつくわん》の|書帳《しよちやう》を|授《さづ》けたまへば、|冥官《めいくわん》うやうやしく|押《おし》いただき|元《もと》の|座《ざ》に|帰《かへ》りて、|一々《いちいち》|罪人《ざいにん》の|姓名《せいめい》を|呼《よ》びて|判決文《はんけつぶん》を|朗読《らうどく》するのである。|番卒《ばんそつ》は|順次《じゆんじ》に|呼《よ》ばれたる|罪人《ざいにん》を|引《ひ》きたてて|幽廷《いうてい》を|退《しりぞ》く。|現界《げんかい》の|裁判《さいばん》のごとく|予審《よしん》だの、|控訴《こうそ》だの、|大審院《だいしんゐん》だのといふやうな|設備《せつび》もなければ、|弁護人《べんごにん》もなく、|単《たん》に|判決《はんけつ》の|言《い》ひ|渡《わた》しのみで、きはめて|簡単《かんたん》である。|自分《じぶん》は|仙人《せんにん》を|顧《かへり》みて、
『|何《なに》ゆゑに|冥界《めいかい》の|審判《しんぱん》は|斯《か》くのごとく|簡単《かんたん》なりや』
と|尋《たづ》ねた。|仙人《せんにん》は|答《こた》へて、
『|人間界《にんげんかい》の|裁判《さいばん》は|常《つね》に|誤判《ごはん》がある。|人間《にんげん》は|形《かたち》の|見《み》へぬものには|一切《いつさい》|駄目《だめ》である。ゆゑに|幾度《いくど》も|慎重《しんちよう》に|審査《しんさ》せなくてはならぬが、|冥界《めいかい》の|審判《しんぱん》は|三世《さんぜ》|洞察《どうさつ》|自在《じざい》の|神《かみ》の|審判《しんぱん》なれば、|何《なに》ほど|簡単《かんたん》であつても|毫末《がうまつ》も|過誤《くわご》はない。また|罪《つみ》の|軽重《けいちよう》|大小《だいせう》は、|大蛇川《をろちがは》を|渡《わた》るとき|着衣《ちやくい》の|変色《へんしよく》によりて|明白《めいはく》に|判《はん》ずるをもつて、ふたたび|審判《しんぱん》の|必要《ひつえう》は|絶無《ぜつむ》なり』
と|教《をし》へられた。|一順《いちじゆん》|言《い》ひ|渡《わた》しがすむと、|大王《だいわう》はしづかに|座《ざ》を|立《た》ちて、|元《もと》の|御居間《ごゐま》に|帰《かへ》られた。|自分《じぶん》もまた|再《ふたた》び|大王《だいわう》の|御前《ごぜん》に|招《せう》ぜられ、|恐《おそ》る|恐《おそ》る|顔《かほ》を|上《あ》げると、コハそもいかに、|今《いま》までの|恐《おそ》ろしき|形相《ぎやうさう》は|跡形《あとかた》もなく|変《かは》らせたまひて、また|元《もと》の|温和《おんわ》にして|慈愛《じあい》に|富《と》める、|美《うる》はしき|御面貌《ごめんばう》に|返《かへ》つてをられた。|神諭《しんゆ》に、
『|因縁《いんねん》ありて、|昔《むかし》から|鬼神《おにがみ》と|言《い》はれた、|艮《うしとら》の|金神《こんじん》のそのままの|御魂《みたま》であるから、|改心《かいしん》のできた、|誠《まこと》の|人民《じんみん》が|前《まへ》へ|参《まゐ》りたら、|結構《けつこう》な、いふに|言《い》はれぬ、|優《やさ》しき|神《かみ》であれども、ちよつとでも、|心《こころ》に|身慾《みよく》がありたり、|慢神《まんしん》いたしたり、|思惑《おもわく》がありたり、|神《かみ》に|敵対心《てきたいごころ》のある|人民《じんみん》が、|傍《そば》へ|出《で》て|参《まゐ》りたら、すぐに|相好《さうがう》は|変《かは》りて、|鬼《おに》か、|大蛇《をろち》のやうになる|恐《こわ》い|身魂《みたま》であるぞよ』
と|示《しめ》されてあるのを|初《はじ》めて|拝《はい》したときは、どうしても、|今度《こんど》の|冥界《めいかい》にきたりて|大王《だいわう》に|対面《たいめん》したときの|光景《くわうけい》を、|思《おも》ひ|出《だ》さずにはをられなかつた。また|教祖《けうそ》をはじめて|拝顔《はいがん》したときに、その|優美《いうび》にして|温和《おんわ》、かつ|慈愛《じあい》に|富《と》める|御面貌《ごめんばう》を|見《み》て、|大王《だいわう》の|御顔《おかほ》を|思《おも》ひ|出《だ》さずにはをられなかつた。
|大王《だいわう》は|座《ざ》より|立《た》つて|自分《じぶん》の|手《て》を|堅《かた》く|握《にぎ》りながら、|両眼《りやうがん》に|涙《なみだ》をたたへて、
『|三葉殿《みつばどの》|御苦労《ごくろう》なれど、これから|冥界《めいかい》の|修業《しうげふ》の|実行《じつかう》をはじめられよ。|顕幽《けんいう》|両界《りやうかい》のメシヤたるものは、メシヤの|実学《じつがく》を|習《なら》つておかねばならぬ。|湯《ゆ》なりと|進《しん》ぜたいは|山々《やまやま》なれど、|湯《ゆ》も|水《みづ》も|修行中《しうぎやうちう》には|禁制《きんせい》である。さて|一時《いちじ》も|早《はや》く|実習《じつしう》にかかられよ』
と|御声《みこゑ》さへも|湿《しめ》らせたまふた。ここで|産土《うぶすな》の|神《かみ》は|大王《だいわう》に、
『|何分《なにぶん》よろしく|御頼《おたの》み|申《まを》し|上《あ》げます』
と|仰《あふ》せられたまま、|後《あと》をもむかず|再《ふたた》び|高《たか》き|雲《くも》に|乗《の》りて、いづれへか|帰《かへ》つてゆかれた。
|仙人《せんにん》もまた|大王《だいわう》に|黙礼《もくれい》して、|自分《じぶん》には|何《なに》も|言《い》はず|早々《さうさう》に|退座《たいざ》せられた。|跡《あと》に|取《と》りのこされた|自分《じぶん》は|少《すこ》しく|狼狽《らうばい》の|体《てい》であつた。|大王《だいわう》の|御面相《ごめんさう》は、|俄然《がぜん》|一変《いつぺん》してその|眼《め》は|鏡《かがみ》のごとく|光《ひか》り|輝《かがや》き、|口《くち》は|耳《みみ》まで|裂《さ》け、ふたたび|面《おもて》を|向《む》けることができぬほどの|恐《おそ》ろしさ。そこへ|先《さき》ほどの|冥官《めいくわん》が|番卒《ばんそつ》を|引連《ひきつ》れ|来《き》たり、たちまち|自分《じぶん》の|白衣《びやくい》を|脱《ぬ》がせ、|灰色《はひいろ》の|衣服《いふく》に|着替《きがへ》させ、|第一《だいいち》の|門《もん》から|突《つ》き|出《だ》してしまつた。
|突《つ》き|出《だ》されて|四辺《あたり》を|見《み》れば、|一筋《ひとすぢ》の|汚《きたな》い|細《ほそ》い|道路《みち》に|枯草《かれくさ》が|塞《ふさ》がり、その|枯草《かれくさ》が|皆《みな》|氷《こほり》の|針《はり》のやうになつてゐる。|後《あと》へも|帰《かへ》れず、|進《すす》むこともできず、|横《よこ》へゆかうと|思《おも》へば、|深《ふか》い|広《ひろ》い|溝《みぞ》が|掘《ほ》つてあり、その|溝《みぞ》の|中《なか》には、|恐《おそ》ろしい|厭《いや》らしい|虫《むし》が|充満《じゆうまん》してゐる。|自分《じぶん》は|進《すす》みかね、|思案《しあん》にくれてゐると、|空《そら》には|真黒《まつくろ》な|怪《あや》しい|雲《くも》が|現《あら》はれ、|雲《くも》の|間《あひだ》から|恐《おそ》ろしい|鬼《おに》のやうな|物《もの》が|睨《にら》みつめてゐる。|後《あと》からは|恐《こわ》い|顔《かほ》した|柿色《かきいろ》の|法被《はつぴ》を|着《き》た|冥卒《めいそつ》が、|穂先《ほさき》の|十字形《じふじがた》をなした|鋭利《えいり》な|槍《やり》をもつて|突《つ》き|刺《さ》さうとする。|止《や》むをえず|逃《に》げるやうにして|進《すす》みゆく。
|四五丁《しごちやう》ばかり|往《い》つた|処《ところ》に、|橋《はし》のない|深《ふか》い|広《ひろ》い|川《かは》がある。|何心《なにごころ》なく|覗《のぞ》いてみると、|何人《なにびと》とも|見分《みわ》けはつかぬが、|汚《きたな》い|血《ち》とも|膿《うみ》ともわからぬ|水《みづ》に|落《お》ちて、|身体中《からだぢゆう》を|蛭《ひる》が|集《たか》つて|空身《あきみ》の|無《な》い|所《ところ》まで|血《ち》を|吸《す》うてゐる。|旅人《たびびと》は|苦《くるし》さうな|悲《かな》しさうな|声《こゑ》でヒシつてゐる。|自分《じぶん》もこの|溝《みぞ》を|越《こ》えねばならぬが、|翼《つばさ》なき|身《み》は|如何《いか》にして|此《こ》の|広《ひろ》い|深《ふか》い|溝《みぞ》が|飛《と》び|越《こ》えられやうか。|後《あと》からは|赤《あか》い|顔《かほ》した|番卒《ばんそつ》が、|鬼《おに》の|相好《さうがう》に|化《な》つて|鋭利《えいり》の|槍《やり》をもつて|突刺《つきさ》さうとして|追《お》ひかけてくる。|進退《しんたい》これきはまつて、|泣《な》くにも|泣《な》けず|煩悶《はんもん》してをつた。にはかに|思《おも》ひ|出《だ》したのは、|先《さき》ほど|産土《うぶすな》の|神《かみ》から|授《さづ》かつた|一巻《いつくわん》の|書《しよ》である。|懐中《くわいちゆう》より|取出《とりだ》し|押《お》しいただき|披《ひら》いて|見《み》ると、|畏《かしこ》くも『|天照大神《あまてらすおほかみ》、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』と|筆蹟《ふであと》、|墨色《すみいろ》ともに、|美《うる》はしく|鮮《あざや》かに|認《したた》めてある。|自分《じぶん》は|思《おも》はず|知《し》らず『|天照大神《あまてらすおほかみ》、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』と|唱《とな》へたとたんに、|身《み》は|溝《みぞ》の|向《むか》ふへ|渡《わた》つてをつた。
|番卒《ばんそつ》はスゴスゴと|元《もと》の|途《みち》へ|帰《かへ》つてゆく。まづ|一安心《ひとあんしん》して|歩《ほ》を|進《すす》めると、にはかに|寒気《かんき》|酷烈《こくれつ》になり、|手足《てあし》が|凍《こご》えてどうすることも|出来《でき》ぬ。かかるところへ|現《あら》はれたのは|黄金色《こがねいろ》の|光《ひかり》であつた。ハツと|思《おも》つて|自分《じぶん》が|驚《おどろ》いて|見《み》てゐるまに、|光《ひかり》の|玉《たま》が|脚下《きやくか》|二三尺《にさんじやく》の|所《ところ》に、|忽然《こつぜん》として|降《くだ》つてきた。
第八章 |女神《めがみ》の|出現《しゆつげん》〔八〕
|不思議《ふしぎ》に|堪《た》へずして、|自分《じぶん》は|金色燦爛《きんしよくさんらん》たる|珍玉《ちんぎよく》の|明光《めいくわう》を|拝《はい》して、|何《なん》となく|力強《ちからづよ》く|感《かん》じられ、|眺《なが》めてゐた。|次第々々《しだいしだい》に|玉《たま》は|大《おお》きくなるとともに、|水晶《すゐしやう》のごとくに|澄《す》みきり、たちまち|美《うる》はしき|女神《めがみ》の|御姿《みすがた》と|変化《へんくわ》した。|全身《ぜんしん》|金色《こんじき》にして|仏祖《ぶつそ》のいはゆる、|紫摩黄金《しまわうごん》の|肌《はだ》で、その|上《うへ》に|玲瓏《れいろう》|透明《とうめい》にましまし、|白《しろ》の|衣裳《いしやう》と、|下《した》は|緋《ひ》の|袴《はかま》を|穿《うが》ちたまふ、|愛情《あいじやう》あふるるばかりの|女神《めがみ》であつた。|女神《めがみ》は、|自分《じぶん》の|手《て》をとり|笑《ゑみ》を|含《ふく》んで、
『われは|大便所《かはや》の|神《かみ》なり。|汝《なんぢ》に|之《これ》を|捧《ささ》げむ』
と|言下《げんか》に|御懐中《みふところ》より、|八寸《はつすん》ばかりの|比礼《ひれ》を|自分《じぶん》の|左手《ゆんで》に|握《にぎ》らせたまひ、|再会《さいくわい》を|約《やく》して、また|元《もと》のごとく|金色《こんじき》の|玉《たま》となりて|中空《ちゆうくう》に|舞《ま》ひ|上《のぼ》り、|電光石火《でんくわうせきくわ》のごとく、|九重《ここのへ》の|雲《くも》|深《ふか》く|天上《てんじやう》に|帰《かへ》らせたまうた。
その|当時《たうじ》は、いかなる|神様《かみさま》なるや、また|自分《じぶん》にたいして|何《なに》ゆゑに、かくのごとき|珍宝《ちんぽう》を、かかる|寂寥《せきれう》の|境域《きやうゐき》に|降《くだ》りて、|授《さづ》けたまひしやが|疑問《ぎもん》であつた。しかし|参綾後《さんれうご》はじめて|氷解《ひようかい》ができた。
|教祖《けうそ》の|御話《おはなし》に、
『|金勝要神《きんかつかねのかみ》は、|全身《ぜんしん》|黄金色《わうごんしよく》であつて、|大便所《かはや》に|永年《ながねん》のあひだ|落《おと》され、|苦労《くらう》|艱難《かんなん》の|修行《しうぎやう》を|積《つ》んだ|大地《だいち》の|金神様《こんじんさま》である。その|修行《しうぎやう》が|積《つ》んで、|今度《こんど》は|世《よ》に|出《で》て、|結構《けつこう》な|御用《ごよう》を|遊《あそ》ばすやうになりたのであるから、|人間《にんげん》は|大便所《かはや》の|掃除《さうぢ》から、|歓《よろこ》んで|致《いた》すやうな|精神《せいしん》にならぬと、|誠《まこと》の|神《かみ》の|御用《ごよう》はできぬ。それに|今《いま》の|人民《じんみん》さんは、|高《たか》い|処《ところ》へ|上《あが》つて、|高《たか》い|役《やく》をしたがるが、|神《かみ》の|御用《ごよう》をいたすものは、|汚穢所《きたないところ》を、|美《うつく》しくするのを|楽《たのし》んで|致《いた》すものでないと、|三千《さんぜん》|世界《せかい》の|大洗濯《おほせんだく》、|大掃除《おほさうぢ》の|御用《ごよう》は、|到底《たうてい》|勤《つと》め|上《あが》りませぬ』
との|御言葉《おことば》を|承《うけたま》はり、かつ|神諭《しんゆ》の|何処《いづこ》にも|記《しる》されたるを|拝《はい》して、|奇異《きい》の|感《かん》に|打《う》たれ、|神界《しんかい》の|深遠《しんゑん》|微妙《びめう》なる|御経綸《ごけいりん》に|驚《おどろ》いた。
|女神《めがみ》に|別《わか》れ、ただ|一人《ひとり》、|太陽《たいやう》も|月《つき》も|星《ほし》も|見《み》えぬ|山野《さんや》を|深《ふか》く|進《すす》みゆく。
|山《やま》|深《ふか》く|分《わ》け|入《い》る|吾《われ》は|日《ひ》も|月《つき》も
|星《ほし》さへも|見《み》ぬ|狼《おほかみ》の|声《こゑ》
|冷《つめ》たい|途《みち》の|傍《かたはら》に|沼《ぬま》とも、|池《いけ》とも|知《し》れぬ|汚《きたな》い|水溜《みづたま》りがあつて、その|水《みづ》に|美《うつく》しい|三十歳《さんじつさい》|余《あま》りの|青年《せいねん》が|陥《おちい》り、|諸々《もろもろ》の|虫《むし》に|集《たか》られ、|顔《かほ》はそのままであるが|首《くび》から|下《した》は|全部《ぜんぶ》|蚯蚓《みみず》になつてしまひ、|見《み》るまに|顔《かほ》までがすつかり|数万《すうまん》の|蛆虫《うじむし》になつてしまつた。|私《わたくし》は|思《おも》はず、「|天照大神《あまてらすおほかみ》、|産土神《うぶすなのかみ》、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》」と|二回《にくわい》ばかり|繰返《くりかへ》した。|不思議《ふしぎ》にも|元《もと》の|美《うつく》しい|青年《せいねん》になつて、その|水溜《みづたま》りから|這《は》ひ|上《あが》り、|嬉《うれ》しさうな|顔《かほ》して|礼《れい》を|述《の》べた。その|青年《せいねん》の|語《かた》るところによると、
『|竜女《りゆうぢよ》を|犯《をか》した|祖先《そせん》の|罪《つみ》によつて、|自分《じぶん》もまた|悪《わる》い|後継者《こうけいしや》となつて|竜女《りゆうぢよ》を|犯《をか》しました。その|罪《つみ》によつて、かういふ|苦《くる》しみを|受《う》くることになつたのでありますが、|今《いま》、あなたの|神文《しんもん》を|聞《き》いて|忽《たちま》ちこの|通《とほ》りに|助《たす》かりました』
といつて|感謝《かんしや》する。
それから|自分《じぶん》は、|天照大神《あまてらすおほかみ》の|御神号《ごしんがう》を|一心不乱《いつしんふらん》に|唱《とな》へつつ|前進《ぜんしん》した。|月《つき》もなく、|烏《からす》もなく、|霜《しも》は|天地《てんち》に|充《み》ち、|寒《さむ》さ|酷《きび》しく|膚《はだへ》を|断《き》るごとく、|手《て》も|足《あし》も|棒《ぼう》のやうになり|息《いき》も|凍《こご》らむとする|時《とき》、またもや「|天照大御神《あまてらすおほみかみ》、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》」と|口唱《こうしやう》し|奉《まつ》つた。|不思議《ふしぎ》にも|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》|著《いちじる》しく、たちまち|全身《ぜんしん》に|暖《だん》を|覚《おぼ》え、|手《て》も|足《あし》も|湯《ゆ》に|入《い》りしごとくなつた。
アゝ|地獄《ぢごく》で|神《かみ》とは、このことであると、|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》は|滝《たき》と|流《なが》るるばかりであつた。|四五十丁《しごじつちやう》も|辿《たど》り|行《ゆ》くと、そこに|一《ひと》つの|断崕《だんがい》に|衝《つ》き|当《あた》る。|止《や》むをえず、|引《ひ》き|返《かへ》さむとすれば|鋭利《えいり》なる|槍《やり》の|尖《さき》が、|近《ちか》く|五六寸《ごろくすん》の|処《ところ》にきてゐる。この|上《うへ》は|神《かみ》に|任《まか》し|奉《まつ》らむと|決意《けつい》して、|氷《こほり》に|足《あし》をすべらせつつ|右手《めて》を|見《み》れば、|深《ふか》き|谷川《たにがは》があつて|激潭《げきたん》|飛沫《ひまつ》、|流声《りうせい》|物《もの》すごき|中《なか》に、|名《な》も|知《し》れぬ|見《み》た|事《こと》もなき|恐《おそ》ろしき|動物《どうぶつ》が、|川《かは》へ|落《お》ちたる|旅人《たびびと》を|口《くち》にくはへて、|谷川《たにがは》の|流《なが》れに|浮《う》いたり、|沈《しづ》んだり、|旅人《たびびと》は「|助《たす》けて|助《たす》けて」と、|一点張《いつてんばり》に|叫《さけ》んでゐる。|自分《じぶん》は、ふたたび|神号《しんがう》を|奉唱《ほうしやう》すると、|旅人《たびびと》をくはへてゐた|怪物《くわいぶつ》の|姿《すがた》は|沫《あわ》と|消《き》えてしまつた。
|助《たす》かつた|旅人《たびびと》の|名《な》は|舟木《ふなき》といふ。|彼《かれ》は|喜《よろこ》んで|自分《じぶん》の|後《あと》に|跟《つ》いてきた。|一人《ひとり》の|道連《みちづ》れを|得《え》て、|幾分《いくぶん》か|心《こころ》は|丈夫《ぢやうぶ》になつてきた。|危《あやふ》き|断崕《だんがい》を|辛《から》うじて|五六十丁《ごろくじつちやう》ばかり|進《すす》むと、|途《みち》が|無《な》くなつた。|薄暗《うすぐら》い|途《みち》を|行《ゆ》く|二人《ふたり》は、ここに|停立《ていりつ》して|思案《しあん》にくれてゐた。さうすると|何処《どこ》ともなく|大声《おほごゑ》で、
『ソレ|彼《かれ》ら|二人《ふたり》を、|免《の》がすな』
と|呼《よ》ぶ。にはかに|騒々《さうざう》しき|物音《ものおと》しきりに|聞《きこ》え|来《き》たり、|口《くち》の|巨大《きよだい》なる|怪物《くわいぶつ》が|幾百《いくひやく》ともなく、|二人《ふたり》の|方《はう》へ|向《むか》つて|襲《おそ》ひくる|様子《やうす》である。|二人《ふたり》は|進退《しんたい》これ|谷《きは》まり、いかがはせむと|狼狽《らうばい》の|体《てい》であつた。|何《なに》ほど|神号《しんがう》を|唱《とな》へても、|少《すこ》しも|退却《たいきやく》せずますます|迫《せま》つてくる。|今《いま》まで|怪物《くわいぶつ》と|思《おも》つたのが、|不思議《ふしぎ》にもその|面部《めんぶ》だけは|人間《にんげん》になつてしまつた。その|中《なか》で|巨魁《きよくわい》らしき|魔物《まもの》は、たちまち|長剣《ちやうけん》を|揮《ふる》つて|両人《りやうにん》に|迫《せま》りきたり、|今《いま》や|斬《き》り|殺《ころ》されむとする|刹那《せつな》に、|白衣《びやくい》|金膚《きんぷ》の|女神《めがみ》が、ふたたびその|場《ば》に|光《ひか》りとともに|現《あら》はれた。そして、「|比礼《ひれ》を|振《ふ》らせたまへ」と|言《い》つて|姿《すがた》は|忽《たちま》ち|消《き》えてしまつた。|懐中《ふところ》より|神器《しんき》の|比礼《ひれ》を|出《だ》すや|否《いな》や、|上下《じやうげ》|左右《さいう》に|祓《はら》つた。|怪物《くわいぶつ》はおひおひと|遠《とほ》く|退却《たいきやく》する。ヤレ|嬉《うれ》しやと|思《おも》ふまもなく、|忽然《こつぜん》として|大蛇《をろち》が|現《あら》はれ、|巨口《きよこう》を|開《ひら》いて|両人《りやうにん》を|呑《の》んでしまつた。|両人《りやうにん》は|大蛇《をろち》の|腹《はら》の|中《なか》を|探《さぐ》り|探《さぐ》り|進《すす》んで|行《ゆ》く。|今《いま》まで|寒《さむ》さに|困《こま》つてゐた|肉体《にくたい》は、どこともなく、|暖《あたたか》い|湯《ゆ》に|浴《よく》したやうな|心持《こころもち》であつた。|轟然《ぐわうぜん》たる|音響《おんきやう》とともに|幾百千丈《いくひやくせんぢやう》ともわからぬ、|奈落《ならく》の|底《そこ》へ|落《お》ちゆくのであつた。
ふと|気《き》がつけば|幾千丈《いくせんぢやう》とも|知《し》れぬ、|高《たか》い|滝《たき》の|下《した》に|両人《りやうにん》は|身《み》を|横《よこ》たへてゐた。|自分《じぶん》の|周囲《しうゐ》は|氷《こほり》の|柱《はしら》が、|幾万本《いくまんぼん》とも|知《し》れぬほど|立《た》つてをる。|両人《りやうにん》は、この|高《たか》い|瀑布《ばくふ》から、|地底《ちてい》へ|急転《きふてん》|直落《ちよくらく》したことを|覚《さと》つた。|一寸《いつすん》でも、|一分《いちぶ》でも|身動《みうご》きすれば、|冷《ひえ》きつた|氷《こほり》の|剣《つるぎ》で|身《み》を|破《やぶ》る。|起《お》きるにも|起《お》きられず、|同伴《どうはん》の|舟木《ふなき》を|見《み》ると、|魚《うを》を|串《くし》に|刺《さ》したやうに、|長《なが》い|鋭《するど》い|氷剣《ひようけん》に|胴《どう》のあたりを|貫《つらぬ》かれ、|非常《ひじやう》に|苦《くる》しんでゐる。|自分《じぶん》は|満身《まんしん》の|力《ちから》をこめて、「アマテラスオホミカミサマ」と、|一言《ひとこと》づつ|切《き》れ|切《ぎ》れに、やうやくにして|唱《とな》へ|奉《まつ》つた。|神徳《しんとく》たちまち|現《あら》はれ、|自分《じぶん》も|舟木《ふなき》も|身体《しんたい》|自由《じいう》になつてきた。|今《いま》までの|瀑布《ばくふ》は、どこともなく、|消《き》え|失《う》せて、ただ|茫々《ばうばう》たる|雪《ゆき》の|原野《げんや》と|化《くわ》してゐた。
|雪《ゆき》の|中《なか》に、|幾百人《いくひやくにん》とも|分《わか》らぬほど|人間《にんげん》の|手《て》や|足《あし》や|頭《あたま》の|一部《いちぶ》が|出《で》てゐる。|自分《じぶん》の|頭《あたま》の|上《うへ》から、にはかに|山岳《さんがく》も|崩《くづ》るるばかりの|響《ひびき》がして、|雪塊《ゆきだま》が|落下《らくか》し|来《きた》り、|自分《じぶん》の|全身《ぜんしん》を|埋《うづ》めてしまふ。にはかに|比礼《ひれ》を|振《ふ》らうとしたが、|容易《ようい》に|手《て》がいふことをきかぬ。|丁度《ちやうど》|鉄《てつ》でこしらへた|手《て》のやうになつた。|一生懸命《いつしやうけんめい》に「|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》」を|漸《やうや》く|一言《ひとこと》づつ|唱《とな》へた。|幸《さいはひ》に|自分《じぶん》の|身体《しんたい》は|自由《じいう》が|利《き》くやうになつた。|四辺《あたり》を|見《み》れば、|舟木《ふなき》の|全身《ぜんしん》が、また|雪《ゆき》に|埋《うづ》められ、|頭髪《とうはつ》だけが|現《あら》はれてゐる。その|上《うへ》を|比礼《ひれ》をもつて|二三回《にさんくわい》|左右左《さいうさ》と|振《ふ》りまはすと、|舟木《ふなき》は|苦《くる》しさうな|顔《かほ》をして、|雪中《せつちゆう》から|全身《ぜんしん》をあらはした。|天《てん》の|一方《いつぱう》より、またまた|金色《こんじき》の|光《ひかり》|現《あら》はれて|二人《ふたり》の|身辺《しんぺん》を|照《てら》した。|原野《げんや》の|雪《ゆき》は、|見渡《みわた》すかぎり、|一度《いちど》にパツト|消《き》えて、|短《みじか》い|雑草《ざつさう》の|原《はら》と|変《かは》つた。
あまたの|人々《ひとびと》は|満面《まんめん》|笑《ゑみ》を|含《ふく》んで|自分《じぶん》の|前《まへ》にひれ|伏《ふ》し、|救主《すくひぬし》の|出現《しゆつげん》と|一斉《いつせい》に|感謝《かんしや》の|意《い》を|表《へう》し、|今後《こんご》は|救主《すくひぬし》とともに、|三千世界《さんぜんせかい》の|神業《しんげふ》に|参加《さんか》|奉仕《ほうし》せむことを|希望《きばう》する|人々《ひとびと》も|沢山《たくさん》あつた。その|中《なか》には|実業家《じつげふか》もあれば、|教育家《けういくか》もあり、|医者《いしや》や、|学者《がくしや》も、|沢山《たくさん》に|混《まじ》つてをつた。
|以上《いじやう》は、|水獄《すゐごく》の|中《なか》にて|第一番《だいいちばん》の|処《ところ》であつた。|第二段《だいにだん》、|第三段《だいさんだん》となると、こんな|軽々《かるがる》しき|苦痛《くつう》ではなかつたのである。|自分《じぶん》は、|今《いま》この|時《とき》のことを|思《おも》ひだすと、|慄然《りつぜん》として|肌《はだへ》に|粟《あは》を|生《しやう》ずる|次第《しだい》である。
第九章 |雑草《ざつさう》の|原野《げんや》〔九〕
|雑草《ざつさう》の|原野《げんや》の|状況《じやうきやう》は、|実《じつ》に|殺風景《さつぷうけい》であつた。|自分《じぶん》は、いつしか|又《また》|一人《ひとり》となつてゐた。|頭《あたま》の|上《うへ》からザラザラと|怪《あや》しい|音《おと》がする。|何心《なにごころ》なく|仰向《あふむ》くとたんに|両眼《りやうがん》に|焼砂《やけすな》のやうなものが|飛《と》び|込《こ》み、|眼《め》を|開《ひら》くこともできず、|第一《だいいち》に|眼《め》の|球《たま》が|焼《や》けるやうな|痛《いた》さを|感《かん》ずるとともに|四面《しめん》|暗黒《あんこく》になつたと|思《おも》ふと、|何物《なにもの》とも|知《し》らず|自分《じぶん》の|左右《さいう》の|手《て》を|抜《ぬ》けんばかりに|曳《ひ》くものがある。また|両脚《りやうあし》を|左右《さいう》に|引《ひ》き|裂《さ》かうとする。なんとも|形容《けいよう》のできぬ|苦《くる》しさである。|頭上《づじやう》からは|冷《つめ》たい|冷《つめ》たい|氷《こほり》の|刃《やいば》で|梨割《なしわ》りにされる。|百雷《ひやくらい》の|一時《いちじ》に|轟《とどろ》くやうな|音《おと》がして、|地上《ちじやう》は|波《なみ》のやうに|上下《じやうげ》|左右《さいう》に|激動《げきどう》する。|怪《あや》しい、いやらしい、|悲《かな》しい|声《こゑ》が|聞《きこ》える。|自分《じぶん》は|一生懸命《いつしやうけんめい》になつて、|例《れい》の「アマテラスオホミカミ」を、|切《き》れぎれに|漸《や》つと|口唱《こうしやう》するとたんに、|天地《てんち》|開明《かいめい》の|心地《ここち》して|目《め》の|痛《いたみ》もなほり、|不思議《ふしぎ》や|自分《じぶん》は|女神《めがみ》の|姿《すがた》に|化《くわ》してゐた。
|舟木《ふなき》ははるかの|遠方《ゑんぱう》から、|比礼《ひれ》を|振《ふ》りつつ|此方《こつち》へむかつて|帰《かへ》つてくる。その|姿《すがた》を|見《み》たときの|嬉《うれ》しさ、|二人《ふたり》は|再会《さいくわい》の|歓喜《くわんき》に|充《み》ち、|暫時《ざんじ》|休息《きうそく》してゐると、|後《あと》より「|松《まつ》」といふ|悪鬼《あくき》が|現《あら》はれ、|光《ひかり》すさまじき|氷《こほり》の|刃《やいば》で|切《き》つてかかる。|舟木《ふなき》はただちに|比礼《ひれ》を|振《ふ》る、|自分《じぶん》は|神名《しんめい》を|唱《とな》へる。|悪鬼《あくき》は|二三《にさん》の|同類《どうるゐ》とともに|足早《あしばや》く|南方《なんぱう》さして|逃《に》げてゆく。
どこからともなく「|北《きた》へ|北《きた》へ」と|呼《よ》ばはる|声《こゑ》に、|機械《きかい》のごとく|自分《じぶん》の|身体《からだ》が|自然《しぜん》に|進《すす》んで|行《ゆ》く。そこへ「|坤《ひつじさる》」といふ|字《じ》のついた、|王冠《わうくわん》をいただいた|女神《めがみ》が、|小松林《こまつばやし》といふ|白髪《はくはつ》の|老人《らうじん》とともに|現《あら》はれて、|一本《いつぽん》の|太《ふと》い|長《なが》い|筆《ふで》を|自分《じぶん》に|渡《わた》して|姿《すがた》を|隠《かく》された。|見《み》るまに|不思議《ふしぎ》やその|筆《ふで》の|筒《つつ》から|硯《すずり》が|出《で》る、|墨《すみ》が|出《で》る、|半紙《はんし》が|山《やま》ほど|出《で》てくる。そして|姿《すがた》は|少《すこ》しも|見《み》えぬが、|頭《あたま》の|上《うへ》から「|筆《ふで》を|持《も》て」といふ|声《こゑ》がする。|二三人《にさんにん》の|童子《どうじ》が|現《あら》はれて|硯《すずり》に|水《みづ》を|注《つ》ぎ|墨《すみ》を|摺《す》つたまま、これも|姿《すがた》をかくした。
|自分《じぶん》は|立派《りつぱ》な|女神《めがみ》の|姿《すがた》に|変化《へんくわ》したままで、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|半紙《はんし》にむかつて|機械的《きかいてき》に|筆《ふで》をはしらす。ずゐぶん|長《なが》い|時間《じかん》であつたが、|冊数《さつすう》はたしかに|五百六十七《ごひやくろくじふしち》であつたやうに|思《おも》ふ。そこへにはかに|何物《なにもの》かの|足音《あしおと》が|聞《きこ》えたと|思《おも》ふまもなく、|前《まへ》の「|中《なか》」といふ|鬼《おに》が|現《あら》はれ、|槍《やり》の|先《さき》に|数十冊《すうじつさつ》づつ|突《つ》き|刺《さ》し、をりからの|暴風《ばうふう》|目《め》がけ|中空《ちゆうくう》に|散乱《さんらん》させてしまうた。さうすると、|又《また》もや|数十冊分《すうじつさつぶん》の|同《おな》じ|容積《ようせき》の|半紙《はんし》が、|自分《じぶん》の|前《まへ》にどこからともなく|湧《わ》いてくる。また|是《これ》も|筆《ふで》をはしらさねばならぬやうな|気《き》がするので、|寒風《かんぷう》の|吹《ふ》きすさぶ|野原《のはら》の|枯草《かれくさ》の|上《うへ》に|坐《すわ》つて、|凹凸《あふとつ》のはなはだしい|石《いし》の|机《つくゑ》に|紙《かみ》を|伸《の》べ、|左手《ゆんで》に|押《お》さへては、セツセと|何事《なにごと》かを|書《か》いてゐた。そこへ|今度《こんど》は|眼球《めだま》の|四《よつ》ツある|怪物《くわいぶつ》を|先導《せんだう》に、【|平《ひら》】だの、【|中《なか》】だの、【|木《き》】だの、【|後《ご》】だの、【|田《た》】だの、【|竹《たけ》】だの、【|村《むら》】だの、【|与《よ》】だの、【|藤《とう》】だの、【|井《ゐ》】だの|印《しるし》の入つた|法被《はつぴ》を|着《き》た|鬼《おに》がやつてきて、|残《のこ》らず|引《ひき》さらへ、|二三丁《にさんちやう》|先《さき》の|草《くさ》の|中《なか》へ|積《つ》み|重《かさ》ねて、これに|火《ひ》をかけて|焼《や》く。
そこへ、「|西《にし》」といふ|色《いろ》の|蒼白《あをじろ》い|男《をとこ》が|出《で》てきて、|一抱《ひとかか》へ|抜《ぬ》きだして|自分《じぶん》の|前《まへ》へ|持《も》つてくる。|鬼《おに》どもは|一生懸命《いつしやうけんめい》に「|西《にし》」を|追《お》ひかけてくる。|自分《じぶん》が|比礼《ひれ》をふると|驚《おどろ》いて|皆《みな》|逃《に》げてゆく。|火《ひ》は|大変《たいへん》な|勢《いきほひ》で|自分《じぶん》の|書《か》いたものを|灰《はひ》にしてゐる。|黒《くろ》い|煙《けむり》が|竜《りゆう》の|姿《すがた》に|化《な》つて|天上《てんじやう》へ|昇《のぼ》つてゆく。|天上《てんじやう》では|電光《でんくわう》のやうに|光《ひか》つて、|数《かず》|限《かぎ》りなき|星《ほし》と|化《くわ》してしまうた。その|星明《ほしあか》りに「|西《にし》」は|書類《しよるゐ》を|抱《かか》へて、|南《みなみ》の|空《そら》|高《たか》く|姿《すがた》を|雲《くも》に|隠《かく》した。|女神《めがみ》の|自分《じぶん》の|姿《すがた》は、いつとはなしに|又《また》|元《もと》の|囚人《しうじん》の|衣《ころも》に|復《かへ》つてをつた。|俄然《がぜん》|寒風《かんぷう》|吹《ふ》き|荒《すさ》み、|歯《は》はガチガチと|震《ふる》うてきた。そして|何《なん》だかおそろしいものに、|襲《おそ》はれたやうな|寂《さび》しい|心持《こころもち》がしだした。
第一〇章 |二段目《にだんめ》の|水獄《すゐごく》〔一〇〕
|自分《じぶん》は|寒《さむ》さと|寂《さび》しさにただ|一人《ひとり》、「|天照大神《あまてらすおほかみ》」の|神号《しんがう》を|唱《とな》へ|奉《たてまつ》ると、にはかに|全身《ぜんしん》|暖《あたた》かくなり、|空中《くうちゆう》に|神光《しんくわう》|輝《かがや》きわたる|間《ま》もなく、|芙蓉仙人《ふようせんにん》が|眼前《がんぜん》に|現《あら》はれた。あまりの|嬉《うれ》しさに|近寄《ちかよ》り|抱付《だきつ》かうとすれば、|仙人《せんにん》はつひに|見《み》たこともない|険悪《けんあく》な|顔色《かほいろ》をして、
『いけませぬ。|大王《だいわう》の|命《めい》なれば、|三ツ葉殿《みつばどの》、|吾《われ》に|近寄《ちかよ》つては|今《いま》までの|修業《しうげふ》は|水泡《すいはう》に|帰《き》すべし。これにて|一段目《いちだんめ》は|大略《たいりやく》|探険《たんけん》されしならむ。|第二段《だいにだん》の|門扉《もんぴ》を|開《ひら》くために|来《き》たれり』
と|言《い》ひも|終《をは》らぬに、|早《はや》くもギイーと|怪《あや》しい|音《おと》がした|一刹那《いちせつな》、|自分《じぶん》は|門内《もんない》に|投込《なげこ》まれてゐた。|仙人《せんにん》の|影《かげ》はそこらに|無《な》い。
ヒヤヒヤとする|氷結《ひようけつ》した|暗《くら》い|途《みち》を|倒《こけ》つ|転《まろ》びつ、|地《ち》の|底《そこ》へ|地《ち》の|底《そこ》へとすべりこんだ。|暗黒《あんこく》で|何一《なにひと》つ|見《み》えぬが、|前後《ぜんご》|左右《さいう》に|何《なん》とも|言《い》へぬ|苦悶《くもん》の|声《こゑ》がする。はるか|前方《まへ》に、|女《をんな》の|苦《くる》しさうな|叫《さけ》び|声《ごゑ》が|聞《きこ》える。|血醒《ちなまぐ》さい|臭気《しうき》が|鼻《はな》を|衝《つ》いて、|胸《むね》が|悪《わる》くて|嘔吐《おうと》を|催《もよほ》してくる。たちまち|脚元《あしもと》がすべつて、|何百間《なんびやくけん》とも|知《し》れぬやうな|深《ふか》い|地底《ちてい》へ|急転《きふてん》|直落《ちよくらく》した。|腰《こし》も|足《あし》も|頭《あたま》も|顔《かほ》も|岩角《いはかど》に|打《う》たれて|血塗《ちみどろ》になつた。|神名《しんめい》を|奉唱《ほうしやう》すると、|自分《じぶん》の|四辺《しへん》|数十間《すうじつけん》ばかりがやや|明《あか》るくなつてきた。|自分《じぶん》は|身体《しんたい》|一面《いちめん》の|傷《きず》を|見《み》て|大《おほ》いに|驚《おどろ》き「|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》」を|二度《にど》|繰返《くりかへ》して、|手《て》に|息《いき》をかけ|全身《ぜんしん》を|撫《な》でさすつてみた。|神徳《しんとく》たちまち|現《あら》はれ、|傷《きず》も|痛《いた》みも|全部《ぜんぶ》|恢復《くわいふく》した。ただちに|大神様《おほかみさま》に|拍手《はくしゆ》し|感謝《かんしや》した。|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》で|四辺《しへん》|遠《とほ》く|暗《やみ》は|晴《は》れわたり、にはかに|陽気《やうき》づいてきた。
|再《ふたた》び|上《うへ》の|方《はう》で、ギイーと|音《おと》がした|瞬間《しゆんかん》に、|十二三人《じふにさんにん》の|男女《だんぢよ》が|転落《てんらく》して|自分《じぶん》の|脚下《あしもと》に|現《あら》はれ、「|助《たす》けて|助《たす》けて」としきりに|合掌《がつしやう》する。|自分《じぶん》は|比礼《ひれ》をその|頭上《づじやう》|目《め》がけて|振《ふ》つてやると、たちまち|起《お》きあがり「|三ツ葉様《みつばさま》」と|叫《さけ》んで、|一同《いちどう》|声《こゑ》を|合《あは》して|泣《な》きたてる。|一同《いちどう》の|中《なか》には|宗教家《しうけうか》、|教育家《けういくか》、|思想家《しさうか》、|新聞《しんぶん》|雑誌《ざつし》|記者《きしや》、|薬種商《やくしゆしやう》、|医業者《いげふしや》も|混《まじ》つてゐた。|一同《いちどう》は|氷《こほり》の|途《みち》をとぼとぼと|自分《じぶん》の|背後《はいご》からついてくる。
第一一章 |大幣《おほぬさ》の|霊験《れいけん》〔一一〕
|一歩々々《いつぽいつぽ》|辛《から》うじて|前進《ぜんしん》すると、|広大《くわうだい》な|池《いけ》があつた。|池《いけ》の|中《なか》には|全部《ぜんぶ》いやらしい|毛虫《けむし》がウザウザしてをる。その|中《なか》に|混《まじ》つて|馬《うま》の|首《くび》を|四《よ》ツ|合《あは》せたやうな|顔《かほ》をした|蛇体《じやたい》で|角《つの》が|生《は》えたものが、|舌《した》をペロペロ|吐《は》き|出《だ》してをる。この|広《ひろ》い|池《いけ》には、|細《ほそ》い|細《ほそ》い|氷《こほり》の|橋《はし》が|一筋《ひとすぢ》|長《なが》く|向《むか》ふ|側《がは》へ|渡《わた》してあるばかりである。|後《あと》から「|松《まつ》」「|中《なか》」「|畑《はたけ》」といふ|鬼《おに》が|十字形《じふじがた》の|尖《とが》つた|槍《やり》をもつて|突《つ》きにくるので、|前《まへ》へすすむより|仕方《しかた》はない。|十人《じふにん》が|十人《じふにん》ながら、|池《いけ》へすべり|落《おち》て|毛虫《けむし》に|刺《さ》され、どれもこれも|全身《ぜんしん》|腫《はれ》あがつて、|痛《いた》さと|寒《さむ》さに|苦悶《くもん》の|声《こゑ》をしぼり、|虫《むし》の|鳴《な》くやうに|呻《うな》つてをる|状態《じやうたい》は、ほとんど|瀕死《ひんし》の|病人《びやうにん》|同様《どうやう》である。その|上《うへ》、|怪蛇《くわいだ》が|一人々々《ひとりひとり》カブツとくはへては|吐《は》きだし、|骨《ほね》も|肉《にく》も|搾《しぼ》つたやうにいぢめてをる。|自分《じぶん》もこの|橋《はし》を|渡《わた》らねばならぬ。|自分《じぶん》は|幸《さいはひ》に|首尾《しゆび》よく|渡《わた》りうるも、|連《つれ》の|人々《ひとびと》はどうするであらうかと|心配《しんぱい》でならぬ。|躊躇《ちうちよ》|逡巡《しゆんじゆん》|進《すす》みかねたるところへ、「|三葉殿《みつばどの》」と|頭《あたま》の|上《うへ》から|優《やさ》しい|女《をんな》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えて、たちまち|一本《いつぽん》の|大幣《おほぬさ》が|前《まへ》に|降《くだ》つてきた。|手早《てばや》く|手《て》にとつて、|思《おも》はず「|祓戸大神《はらひどのおほかみ》|祓《はら》ひたまへ|清《きよ》めたまへ」と|唱《とな》へた。|広《ひろ》い|池《いけ》はたちまち|平原《へいげん》と|化《くわ》し、|鬼《おに》も|怪蛇《くわいだ》も|姿《すがた》を|消《け》してしまつた。|数万人《すうまんにん》の|老若《らうにやく》|男女《だんぢよ》の|幽体《いうたい》はたちまち|蘇生《そせい》したやうに|元気《げんき》な|顔《かほ》をして、|一斉《いつせい》に「|三ツ葉様《みつばさま》」と|叫《さけ》んだ。その|声《こゑ》は、|天地《てんち》も|崩《くづ》れんばかりであつた。|各人《かくじん》の|産土《うぶすな》の|神《かみ》は|綺羅星《きらほし》のごとくに|出現《しゆつげん》したまひ、|自分《じぶん》の|氏子々々《うぢこうぢこ》を|引連《ひきつ》れ、|歓《よろこ》び|勇《いさ》んで|帰《かへ》つて|行《ゆ》かれる|有難《ありがた》さ。
|自分《じぶん》は|比礼《ひれ》の|神器《しんき》を|舟木《ふなき》に|渡《わた》して、|困《こま》つてをつたところへ、|金勝要神《きんかつかねのかみ》より、|大幣《おほぬさ》をたまはつたので、|百万《ひやくまん》の|援軍《ゑんぐん》を|得《え》たる|心地《ここち》して、|名《な》も|知《し》れぬ|平原《へいげん》をただ|一人《ひとり》またもや|進《すす》んで|行《ゆ》く。
|一《ひと》つの|巨大《きよだい》な|洋館《やうくわん》が、|儼然《げんぜん》として|高《たか》く|雲表《うんぺう》にそびえ|立《た》つてをる。|門口《もんぐち》には|厳《いか》めしき|冥官《めいくわん》が|鏡《かがみ》のやうな|眼《め》を|見張《みは》つて、|前後《ぜんご》|左右《さいう》に|首《かうべ》をめぐらし|監視《かんし》してをる。|部下《ぶか》の|冥卒《めいそつ》が|数限《かずかぎ》りもなく|現《あら》はれ、|各自《かくじ》に|亡人《もうじん》を|酷遇《こくぐう》するその|光景《くわうけい》は|筆紙《ひつし》につくされない|惨酷《ざんこく》さである。|自分《じぶん》は|大幣《おほぬさ》を|振《ふ》りながら、|館内《くわんない》へ|歩《ほ》をすすめた。|冥官《めいくわん》も、|冥卒《めいそつ》もただ|黙《もく》して|自分《じぶん》の|通行《つうかう》するのを|知《し》らぬふうをしてゐる。「キヤツキヤツ」と|叫《さけ》ぶ|声《こゑ》にふりかへると、|沢山《たくさん》の|婦女子《ふぢよし》が|口《くち》から|血《ち》を|吐《は》いたり、|槍《やり》で|腹部《ふくぶ》を|突《つ》き|刺《さ》されたり、|赤児《あかご》の|群《むれ》に|全身《ぜんしん》の|血《ち》を|吸《す》はれたり、|毒蛇《どくじや》に|首《くび》を|捲《ま》かれたりして、|悲鳴《ひめい》をあげ|七転八倒《しつてんばつたふ》してゐた。|冥卒《めいそつ》が|竹槍《たけやり》の|穂《ほ》で、|頭《あたま》といはず、|腹《はら》といはず、|身体《しんたい》|処《ところ》かまはず|突《つ》きさす|恐《おそ》ろしさ、|血《ち》は|流《なが》れて|滝《たき》となり、|異臭《いしう》を|放《はな》ち、|惨状《さんじやう》|目《め》もあてられぬ|光景《くわうけい》である。またもや|大幣《おほぬさ》を|左右左《さいうさ》に|二三回《にさんくわい》|振《ふ》りまはした。|今《いま》までのすさまじき|幕《まく》はとざされ、|婦女子《ふぢよし》の|多勢《おほぜい》が|自分《じぶん》の|脚下《あしもと》に|涙《なみだ》を|流《なが》して|集《あつ》まりきたり、|中《なか》には|身体《しんたい》に|口《くち》をつけ「|三ツ葉様《みつばさま》、|有難《ありがた》う、|辱《かたじけ》なう」と、|異口同音《いくどうおん》に|嬉《うれ》し|泣《な》きに|泣《な》いてをる。|一天《いつてん》たちまち|明光《めいくわう》|現《あら》はれ、|各人《かくじん》の|産土神《うぶすなのかみ》は|氏子《うぢこ》を|伴《とも》なひ、|合掌《がつしやう》しながら、|光《ひかり》とともにどこともなく|帰《かへ》らせたまうた。|天《てん》の|一方《いつぱう》には|歓喜《くわんき》にみちた|声《こゑ》が|聞《きこ》える。|声《こゑ》は|次第《しだい》に|遠《とほ》ざかつて|終《つひ》には|風《かぜ》の|音《おと》のみ|耳《みみ》へ|浸《し》みこむ。
第二篇 |幽界《いうかい》より|神界《しんかい》へ
第一二章 |顕幽《けんいう》|一致《いつち》〔一二〕
|自分《じぶん》が|高熊山中《たかくまさんちゆう》における、|顕界《けんかい》と、|霊界《れいかい》の|修業《しうげふ》の|間《あひだ》に、|親《した》しく|実践《じつせん》したる|大略《たいりやく》の|一端《いつたん》を|略述《りやくじゆつ》してみたのは、|真《ほん》の|一小部分《いちせうぶぶん》に|過《す》ぎない。
すべて|宇宙《うちう》の|一切《いつさい》は、|顕幽一致《けんいういつち》、|善悪一如《ぜんあくいちによ》にして、|絶対《ぜつたい》の|善《ぜん》もなければ、|絶対《ぜつたい》の|悪《あく》もない。|従《したが》つてまた、|絶対《ぜつたい》の|極楽《ごくらく》もなければ、|絶対《ぜつたい》の|苦艱《くかん》もないといつて|良《よ》いくらゐだ。|歓楽《くわんらく》の|内《うち》に|艱苦《かんく》があり、|艱苦《かんく》の|内《うち》に|歓楽《くわんらく》のあるものだ。ゆゑに|根《ね》の|国《くに》、|底《そこ》の|国《くに》に|墜《お》ちて、|無限《むげん》の|苦悩《くなう》を|受《う》けるのは、|要《えう》するに、|自己《じこ》の|身魂《みたま》より|産出《さんしゆつ》したる|報《むく》いである。また|顕界《けんかい》の|者《もの》の|霊魂《みたま》が、|常《つね》に|霊界《れいかい》に|通《つう》じ、|霊界《れいかい》からは、|常《つね》に|顕界《けんかい》と|交通《かうつう》を|保《たも》ち、|幾百千万年《いくひやくせんまんねん》といへども|易《かは》ることはない。|神諭《しんゆ》に、……|天国《てんごく》も|地獄《ぢごく》も|皆《みな》|自己《じこ》の|身魂《みたま》より|顕出《けんしゆつ》する。|故《ゆゑ》に|世《よ》の|中《なか》には|悲観《ひくわん》を|離《はな》れた|楽観《らくくわん》はなく、|罪悪《ざいあく》と|別立《べつりつ》したる|真善美《しんぜんび》もない。|苦痛《くつう》を|除《のぞ》いては、|真《しん》の|快楽《くわいらく》を|求《もと》められるものでない。また|凡夫《ぼんぶ》の|他《ほか》に|神《かみ》はない。|言《げん》を|換《かへ》ていへば|善悪不二《ぜんあくふじ》にして|正邪一如《せいじやいちによ》である。……|仏典《ぶつてん》にいふ。「|煩悩《ぼんなう》|即《そく》|菩提《ぼだい》。|生死《しやうじ》|即《そく》|涅槃《ねはん》。|娑婆《しやば》|即《そく》|浄土《じやうど》。|仏凡《ぶつぼん》|本来《ほんらい》|不二《ふじ》」である。|神《かみ》の|道《みち》からいへば「|神俗《しんぞく》|本来《ほんらい》|不二《ふじ》」が|真理《しんり》である。
|仏《ぶつ》の|大慈悲《だいじひ》といふも、|神《かみ》の|道《みち》の|恵《めぐ》み|幸《さち》はひといふも、|凡夫《ぼんぶ》の|欲望《よくばう》といふのも、その|本質《ほんしつ》においては|大《たい》した|変《かは》りはない。|凡俗《ぼんぞく》の|持《も》てる|性質《せいしつ》そのままが|神《かみ》であるといつてよい。|神《かみ》の|持《も》つてをらるる|性質《せいしつ》の|全体《ぜんたい》が、|皆《みな》ことごとく|凡俗《ぼんぞく》に|備《そな》はつてをるといつてもよい。
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》と|社会《しやくわい》|娑婆《しやば》とは、その|本質《ほんしつ》において、|毫末《がうまつ》の|差異《さい》もないものである。かくの|如《ごと》く|本質《ほんしつ》においては|全然《ぜんぜん》|同一《どういつ》のものでありながら、|何《なに》ゆゑに|神俗《しんぞく》、|浄穢《じやうゑ》、|正邪《せいじや》、|善悪《ぜんあく》が|分《わか》るるのであらうか。|要《えう》するに|此《こ》の|本然《ほんぜん》の|性質《せいしつ》を|十分《じふぷん》に|発揮《はつき》して、|適当《てきたう》なる|活動《くわつどう》をすると、せぬとの|程度《ていど》に|対《たい》して、|附《ふ》したる|仮定的《かていてき》の|符号《ふがう》に|過《す》ぎないのだ。
|善悪《ぜんあく》といふものは|決《けつ》して|一定不変《いつていふへん》のものではなく、|時《とき》と|処《ところ》と|位置《ゐち》とによつて、|善《ぜん》も|悪《あく》となり、|悪《あく》も|善《ぜん》となることがある。
|道《みち》の|大原《たいげん》にいふ。「|善《ぜん》は|天下《てんか》|公共《こうきよう》のために|処《しよ》し、|悪《あく》は|一人《ひとり》の|私有《しいう》に|所《しよ》す。|正心徳行《せいしんとくかう》は|善《ぜん》なり、|不正無行《ふせいむかう》は|悪《あく》なり」と。|何《なに》ほど|善《よ》き|事《こと》といへども、|自己《じこ》|一人《ひとり》の|私有《しいう》に|所《ところ》するための|善《ぜん》は、|決《けつ》して|真《しん》の|善《ぜん》ではない。たとへ|少々《せうせう》ぐらゐ|悪《あく》が|有《あ》つても、|天下《てんか》|公共《こうきよう》のためになる|事《こと》なれば、これは|矢張《やはり》|善《ぜん》と|言《い》はねばならぬ。|文王《ぶんわう》|一《ひと》たび|怒《いか》つて|天下《てんか》|治《おさ》まる。|怒《いか》るもまた|可《か》なり、といふべしである。
これより|推《お》し|考《かんが》ふる|時《とき》は、|小《ちひ》さい|悲観《ひくわん》の|取《と》るに|足《た》らざるとともに、|勝論外道的《しようろんげだうてき》の|暫有的小楽観《ざんいうてきせうらくくわん》もいけない。|大楽観《だいらくくわん》と|大悲観《だいひくわん》とは|結局《けつきよく》|同一《どういつ》に|帰《き》するものであつて、|神《かみ》は|大楽観者《だいらくくわんしや》であると|同時《どうじ》に、|大悲観者《だいひくわんしや》である。
|凡俗《ぼんぞく》は|小《せう》なる|悲観者《ひくわんしや》であり、また|小《せう》なる|楽観者《らくくわんしや》である。|社会《しやくわい》、|娑婆《しやば》、|現界《げんかい》は、|小苦小楽《せうくせうらく》の|境界《きやうがい》であり、|霊界《れいかい》は、|大楽大苦《だいらくだいく》の|位置《ゐち》である。|理趣経《りしゆきやう》には、「|大貪大痴《だいとんだいち》|是《こ》れ|三摩地《さんまぢ》、|是《こ》れ|浄菩提《じやうぼだい》、|淫欲是道《いんよくぜだう》」とあつて、いはゆる|当相即道《たうさうそくだう》の|真諦《しんたい》である。
|禁慾《きんよく》|主義《しゆぎ》はいけぬ、|恋愛《れんあい》は|神聖《しんせい》であるといつて、しかも|之《これ》を|自然主義的《しぜんしゆぎてき》、|本能的《ほんのうてき》で、すなはち|自己《じこ》と|同大《どうだい》|程度《ていど》に|決行《けつかう》し、|満足《まんぞく》せむとするのが|凡夫《ぼんぶ》である。これを|拡充《くわくじゆう》して|宇宙大《うちうだい》に|実行《じつかう》するのが|神《かみ》である。
|神《かみ》は|三千世界《さんぜんせかい》の|蒼生《さうせい》は、|皆《みな》わが|愛子《あいじ》となし、|一切《いつさい》の|万有《ばんいう》を|済度《さいど》せむとするの、|大欲望《だいよくばう》がある。|凡俗《ぼんぞく》はわが|妻子《さいし》|眷属《けんぞく》のみを|愛《あい》し、すこしも|他《た》を|顧《かへり》みないのみならず、|自己《じこ》のみが|満足《まんぞく》し、|他《た》を|知《し》らざるの|小貪慾《せうとんよく》を|擅《ほしいまま》にするものである。|人《ひと》の|身魂《みたま》そのものは|本来《ほんらい》は|神《かみ》である。ゆゑに|宇宙大《うちうだい》に|活動《くわつどう》し|得《う》べき、|天賦的《てんぷてき》|本能《ほんのう》を|具備《ぐび》してをる。それで|此《こ》の|天賦《てんぷ》の|本質《ほんしつ》なる、|智《ち》、|愛《あい》、|勇《ゆう》、|親《しん》を|開発《かいはつ》し、|実現《じつげん》するのが|人生《じんせい》の|本分《ほんぶん》である。これを|善悪《ぜんあく》の|標準論《へうじゆんろん》よりみれば、|自我《じが》|実現《じつげん》|主義《しゆぎ》とでもいふべきか。|吾人《ごじん》の|善悪《ぜんあく》|両様《りやうやう》の|動作《どうさ》が、|社会《しやくわい》|人類《じんるゐ》のため|済度《さいど》のために、そのまま|賞罰《しやうばつ》|二面《にめん》の|大活動《だいくわつどう》を|呈《てい》するやうになるものである。この|大《だい》なる|威力《ゐりよく》と|活動《くわつどう》とが、すなはち|神《かみ》であり、いはゆる|自我《じが》の|宇宙的《うちうてき》|拡大《くわくだい》である。
いづれにしても、この|分段《ぶんだん》|生死《しやうじ》の|肉身《にくしん》、|有漏雑染《うろざつせん》の|識心《しきしん》を|捨《す》てず、また|苦穢濁悪《くゑじよくあく》|不公平《ふこうへい》なる|現社会《げんしやくわい》に|離《はな》れずして、ことごとく|之《これ》を|美化《びくわ》し、|楽化《らくくわ》し、|天国《てんごく》|浄土《じやうど》を|眼前《がんぜん》に|実現《じつげん》せしむるのが、|吾人《ごじん》の|成神観《せいしんくわん》であつて、また|一大《いちだい》|眼目《がんもく》とするところである。
(大正一〇・二・八 王仁)
第一三章 |天使《てんし》の|来迎《らいがう》〔一三〕
|自分《じぶん》はなほ|進《すす》んで|二段目《にだんめ》を|奥深《おくふか》く|究《きは》め、また|三段目《さんだんめ》をも|探険《たんけん》せむとした|時《とき》、にはかに|天上《てんじやう》から|何《なん》ともいへぬ|嚠喨《りうりやう》たる|音楽《おんがく》が|聞《きこ》えてきた。
そこで|空《そら》を|仰《あふ》いでみると、|白衣《びやくい》|盛装《せいさう》の|天使《てんし》が|数人《すうにん》の|御供《おとも》を|伴《つ》れて、|自分《じぶん》の|方《はう》にむかつて|降臨《かうりん》されつつあるのを|拝《をが》んだ。さうすると|何十里《なんじふり》とも|知《し》れぬ、はるか|東南《とうなん》の|方《はう》に|当《あた》つて、ほんの|小《ちひ》さい|富士《ふじ》の|山頂《さんちやう》が|見《み》えてくるやうな|気《き》がした。
|自分《じぶん》のその|時《とき》の|心持《こころもち》は、|富士山《ふじさん》が|見《み》えたのであるから、|富士山《ふじさん》の|芙蓉仙人《ふようせんにん》が|来《き》たものと|思《おも》つた。しかしてその|前《まへ》に|降《お》りてきた|天使《てんし》を|見《み》ると、|実《じつ》に|何《なん》とも|言《い》へぬ|威厳《ゐげん》のある、かつ|優《やさ》しい|白髪《はくはつ》の、そして|白髯《しらひげ》を|胸前《むなさき》まで|垂《た》れた|神人《しんじん》であつた。
|神人《しんじん》は|自分《じぶん》に|向《むか》つて、
『|産土神《うぶすなのかみ》からの|御迎《おむか》へであるから、|一時《いちじ》|帰《かへ》るがよい』
との|仰《あふ》せであつた。しかし|自分《じぶん》は|折角《せつかく》ここまで|来《き》たのだから、|今《いま》|一度《いちど》|詳《くは》しく|調《しら》べてみたいと|御願《おねが》ひしてみた。
けれども|御許《おゆる》しがなく、
『|都合《つがふ》によつて|天界《てんかい》の|修業《しうげふ》が|急《いそ》ぐから、|一《ひと》まづ|帰《かへ》れ』
と|言《い》はるる|其《そ》の|言葉《ことば》が|未《ま》だ|終《をは》らぬうちに、|紫《むらさき》の|雲《くも》にわが|全身《ぜんしん》が|包《つつ》まれて、ほとんど|三四十分《さんしじつぷん》と|思《おも》はるる|間《あひだ》、ふわりふわりと|上《うへ》に|昇《のぼ》つてゆくやうな|気《き》がした。しかしてにはかに|膝《ひざ》が|痛《いた》みだし、ブルブルと|身体《からだ》が|寒《さむ》さに|慄《ふる》へてゐるのを|覚《おぼ》えた。
その|時《とき》には、まだ|精神《せいしん》が|朦朧《もうろう》としてゐたから、よくは|判《わか》らなかつたが、まもなく|自分《じぶん》は|高熊山《たかくまやま》の|巌窟《がんくつ》の|前《まへ》に|端坐《たんざ》してゐることに、|明瞭《はつきり》と|気《き》が|付《つ》いた。
それから|約《やく》|一時間《いちじかん》ばかり|正気《しやうき》になつてをると、|今度《こんど》はだんだん|睡気《ねむけ》を|催《もよほ》しきたり、ふたたび|霊界《れいかい》の|人《ひと》となつてしまつた。さうすると|其処《そこ》へ、|小幡神社《をばたじんじや》の|大神《おほかみ》として|現《あら》はれた|神様《かみさま》があつた。
それは|自分《じぶん》の|産土《うぶすな》の|神様《かみさま》であつて、
『|今日《こんにち》は|実《じつ》に|霊界《れいかい》も|切迫《せつぱく》し、また|現界《げんかい》も|切迫《せつぱく》して|来《き》てをるから、|一《ひと》まづ|地底《ちてい》の|幽冥界《いうめいかい》を|探究《たんきう》する|必要《ひつえう》はあるけれども、それよりも|神界《しんかい》の|探険《たんけん》を|先《さき》にせねばならぬ。またそれについては、|霊肉《れいにく》ともに|修業《しうげふ》を|積《つ》まねばならぬから、|神界《しんかい》|修業《しうげふ》の|方《はう》に|向《むか》へ』
と|仰《あふ》せられた。そこで|自分《じぶん》は、
『|承知《しようち》しました』
と|答《こた》へて、|命《めい》のまにまに|随《したが》ふことにした。
さうすると|今度《こんど》は|自分《じぶん》の|身体《しんたい》を|誰《だれ》とも|知《し》らず、|非常《ひじやう》に|大《おほ》きな|手《て》であたかも|鷹《たか》が|雀《すずめ》を|引掴《ひつつか》んだやうに、|捉《つか》まへたものがあつた。
やがて|降《おろ》された|所《ところ》を|見《み》ると、ちやうど|三保《みほ》の|松原《まつばら》かと|思《おも》はるるやうな、|綺麗《きれい》な|海辺《うみべ》に|出《で》てゐた。ところが|先《さき》に|二段目《にだんめ》で|見《み》た|富士山《ふじさん》が、もつと|近《ちか》くに|大《おほ》きく|見《み》えだしたので、|今《いま》それを|思《おも》ふと|三穂神社《みほのじんしや》だと|思《おも》はれる|所《ところ》に、ただ|一人《ひとり》|行《い》つたのである。すると|其処《そこ》に|二人《ふたり》の|夫婦《ふうふ》の|神様《かみさま》が|現《あら》はれて、|天然笛《てんねんぶえ》と|鎮魂《ちんこん》の|玉《たま》とを|授《さづ》けて|下《くだ》さつたので、それを|有難《ありがた》く|頂戴《ちやうだい》して|懐《ふところ》に|入《い》れたと|思《おも》ふ|一刹那《いちせつな》、にはかに|場面《ばめん》が|変《かは》つてしまひ、|不思議《ふしぎ》にも|自分《じぶん》の|郷里《きやうり》にある|産土神社《うぶすなじんじや》の|前《まへ》に、|身体《しんたい》は|端坐《たんざ》してゐたのである。
ふと|気《き》がついて|見《み》ると、|自分《じぶん》の|家《いへ》は【つい】そこであるから、|一遍《いつぺん》|帰宅《かへ》つて|見《み》たいやうな|気《き》がしたとたんに、にはかに|足《あし》が|痛《いた》くなり、|寒《さむ》くなりして|空腹《くうふく》を|感《かん》じ、|親《おや》|兄弟《きやうだい》|姉妹《しまい》の|事《こと》から|家政上《かせいじやう》の|事《こと》まで|憶《おも》ひ|出《だ》されてきた。さうすると|天使《てんし》が、
『|御身《おんみ》が|今《いま》|人間《にんげん》に|復《かへ》つては、|神《かみ》の|経綸《しぐみ》ができぬから|神《かみ》にかへれ』
と|言《い》ひながら、|白布《しらぬの》を|全身《ぜんしん》に|覆《おほ》ひかぶされた。|不思議《ふしぎ》にも|心《こころ》に|浮《うか》んだ|種々《しゆじゆ》の|事《こと》は|打忘《うちわす》れ、いよいよこれから|神界《しんかい》へ|旅立《たびだ》つといふことになつた。しかして|其《そ》の|時《とき》|持《も》つてをるものとては、ただ|天然笛《てんねんぶえ》と|鎮魂《ちんこん》の|玉《たま》との|二《ふた》つのみで、しかも|何時《いつ》のまにか|自分《じぶん》は|羽織袴《はおりはかま》の|黒装束《くろしやうぞく》になつてゐた。その|処《ところ》へ|今《いま》|一人《ひとり》の|天使《てんし》が、|産土神《うぶすながみ》の|横《よこ》に|現《あら》はれて、|教《をし》へたまふやう、
『|今《いま》や|神界《しんかい》、|幽界《いうかい》ともに|非常《ひじやう》な|混乱《こんらん》|状態《じやうたい》に|陥《おちい》つてをるから、このまま|放《はう》つておけば、|世界《せかい》は|丸潰《まるつぶ》れになる』
と|仰《あふ》せられ、しかして、
『|御身《おんみ》はこれから、この|神《かみ》の|命《めい》ずるがままに|神界《しんかい》に|旅立《たびだ》ちして|高天原《たかあまはら》に|上《のぼ》るべし』
と|厳命《げんめい》された。
しかしながら|自分《じぶん》は、|高天原《たかあまはら》に|上《のぼ》るには|何方《どちら》を|向《む》いて|行《ゆ》けばよいか|判《わか》らぬから、
『|何《なに》を|目標《めあて》として|行《ゆ》けばよいか、また|神様《かみさま》が|伴《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さるのか』
とたづねてみると、
『|天《あめ》の|八衢《やちまた》までは|送《おく》つてやるが、それから|後《のち》は、さうはゆかぬから|天《あめ》の|八衢《やちまた》で|待《ま》つてをれ。さうすると|神界《しんかい》の|方《はう》すなはち|高天原《たかあまはら》の|方《はう》に|行《ゆ》くには、|鮮花色《せんくわしよく》の|神人《しんじん》が|立《た》つてをるからよくわかる。また|黒《くろ》い|黒《くろ》い|何《なん》ともしれぬ|嫌《いや》な|顔《かほ》のものが|立《た》つてをる|方《はう》は|地獄《ぢごく》で、|黄胆《わうだん》|病《や》みのやうに|黄色《きいろ》い|顔《かほ》したものが|立《た》つてゐる|方《はう》は|餓鬼道《がきだう》で、また|真蒼《まつさを》な|顔《かほ》のものが|立《た》つてをる|方《はう》は|畜生道《ちくしやうだう》で、|肝癪筋《かんしやくすぢ》を|立《た》てて|鬼《おに》のやうに|怖《おそ》ろしい|顔《かほ》のものが|立《た》つてゐる|方《はう》は|修羅道《しゆらだう》であつて、|争《あらそ》ひばかりの|世界《せかい》へゆくのだ』
と|懇切《こんせつ》に|教示《けうじ》され、また、
『|汝《なんぢ》が|先《さき》に|行《い》つて|探険《たんけん》したのは|地獄《ぢごく》の|入口《いりぐち》で、|一番《いちばん》|易《やす》い|所《ところ》であつたのだ。それでは|今度《こんど》は|鮮花色《せんくわしよく》の|顔《かほ》した|神人《しんじん》の|立《た》つてゐる|方《はう》へ|行《ゆ》け。さうすればそれが|神界《しんかい》へゆく|道《みち》である』
と|教《をし》へられた。しかして|又《また》、
『|神界《しんかい》といへども|苦《くる》しみはあり、|地獄《ぢごく》といへどもそれ|相当《さうたう》の|楽《たの》しみはあるから、|神界《しんかい》だからといつてさう|良《よ》い|事《こと》ばかりあるとは|思《おも》ふな。しかし|高天原《たかあまはら》の|方《はう》へ|行《ゆ》く|時《とき》の|苦《くる》しみは|苦《くる》しんだだけの|効果《かうのう》があるが、|反対《はんたい》の|地獄《ぢごく》の|方《はう》へ|行《ゆ》くのは、|昔《むかし》から|其《そ》の|身魂《みたま》に|罪業《めぐり》があるのであるから、|単《たん》に|罪業《めぐり》を|償《つぐな》ふのみで、|苦労《くらう》しても|何《なん》の|善果《ぜんくわ》も|来《きた》さない。もつとも、|地獄《ぢごく》でも|苦労《くらう》をすれば、|罪業《めぐり》を|償《つぐな》ふといふだけの|効果《かうなう》はある。またこの|現界《げんかい》と|霊界《れいかい》とは|相《あひ》|関聯《くわんれん》してをつて、いはゆる|霊体不二《れいたいふじ》であるから、|現界《げんかい》の|事《こと》は|霊界《れいかい》にうつり、|霊界《れいかい》の|事《こと》はまた|現界《げんかい》にうつり、|幽界《いうかい》の|方《はう》も|現界《げんかい》の|肉体《にくたい》にうつつてくる。ここになほ|注意《ちうい》すべきは、|神界《しんかい》にいたる|道《みち》において|神界《しんかい》を|占領《せんりやう》せむとする|悪魔《あくま》があることである。それで|汝《なんぢ》が|今《いま》、|神界《しんかい》を|探険《たんけん》せむとすれば|必《かなら》ず|悪魔《あくま》が|出《で》てきて|汝《なんぢ》を|妨《さまた》げ、|悪魔《あくま》|自身《じしん》|神界《しんかい》を|探険《たんけん》|占領《せんりやう》せむとしてをるから、それをさうさせぬやうに、|汝《なんぢ》を|神界《しんかい》へ|遣《つか》はされるのだ。また|神界《しんかい》へいたる|道路《みち》にも、|広《ひろ》い|道路《みち》もあればまた|狭《せま》い|道路《みち》もあつて、|決《けつ》して|広《ひろ》い|道路《みち》ばかりでなく、あたかも|瓢箪《へうたん》を【いくつ】も|竪《たて》に|列《なら》べたやうな|格好《かくかう》をしてゐるから、|細《ほそ》い|狭《せま》い|道路《みち》を|通《とほ》つてゐるときには、【たつた】|一人《ひとり》しか|通《とほ》れないから、|悪魔《あくま》といへども|後《あと》から|追越《おひこ》すといふわけには|行《ゆ》かぬが、|広《ひろ》い|所《ところ》へ|出《で》ると、|四方《しはう》|八方《はつぱう》から|悪魔《あくま》が|襲《おそ》つて|来《く》るので、かへつて|苦《くる》しめられることが|多《おほ》い』
と|教《をし》へられた。|間《ま》もなく、|神様《かみさま》の|天使《てんし》は|姿《すがた》を|隠《かく》させたまひ、|自分《じぶん》はただ|一人《ひとり》|天然笛《てんねんぶえ》と|鎮魂《ちんこん》の|玉《たま》とを|持《も》ち、|天《てん》|蒼《あを》く|水《みづ》|青《あを》く、|山《やま》また|青《あを》き|道路《みち》を|羽織袴《はおりはかま》の|装束《しやうぞく》で、|神界《しんかい》へと|旅立《たびだ》ちすることとなつた。
(大正一〇・一〇・一八 旧九・一八 外山豊二録)
第一四章 |神界《しんかい》|旅行《りよかう》の一〔一四〕
|瓢箪《へうたん》のやうな|細《ほそ》い|道《みち》をただ|一人《ひとり》なんとなく|心《こころ》|急《せ》はしく|進《すす》んでゆくと、|背後《うしろ》の|山《やま》の|上《うへ》から|数十人《すうじふにん》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》が|誰《だれ》を|呼《よ》ぶともなしに|聞《きこ》えてくる。
そこで|何《なに》がなしに|後《あと》をふり|返《かへ》つて|見《み》ると、|最早《もはや》|二三丁《にさんちやう》も|来《き》たと|思《おも》つたのに、いつの|間《ま》にか、また|元《もと》の|八衢《やちまた》に|返《かへ》つてゐた。そこには|地獄《ぢごく》へ|墜《お》ちて|行《ゆ》くものと|見《み》えて、|真黒《まつくろ》の|汚《きたな》い|顔《かほ》をしたものが|打《う》ち|倒《たふ》れてゐる。これは|現界《げんかい》で|今《いま》|肉体《にくたい》が|息《いき》を|引取《ひきと》つたもので、その|幽体《いうたい》がこの|所《ところ》に|横《よこ》たはつたのであり、また|先《さき》の|大《おほ》きな|叫《さけ》び|声《ごゑ》は、|親族《しんぞく》|故旧《こきう》が|魂呼《たまよ》びをしてをる|声《こゑ》であることが|分《わか》つた。さうすると|見《み》てをる|間《ま》に、その|真黒《まつくろ》い|三十五六《さんじふごろく》の|男《をとこ》の|姿《すがた》が|何百丈《なんびやくぢやう》とも|知《し》れぬ|地《ち》の|底《そこ》へ、|地《ち》が|割《わ》れると|共《とも》に|墜《お》ち|込《こ》んでしまつた。これが|自分《じぶん》には|不審《ふしん》でたまらなかつた。といふのは、|地獄《ぢごく》に|行《ゆ》くのには|相当《さうたう》の|道《みち》がついてをる|筈《はづ》である。しかるに、|忽《たちま》ち|急転《きふてん》|直下《ちよくか》の|勢《いきほひ》で|地《ち》の|底《そこ》へ|墜《お》ちこむといふのが、|不思議《ふしぎ》に|思《おも》はれたからである。とに|角《かく》かういふふうになる|人《ひと》を|現界《げんかい》の|肉体《にくたい》から|見《み》れば、|脳充血《なうじゆうけつ》とか|脳溢血《なういつけつ》とか|心臓《しんざう》|破裂《はれつ》とかの|病気《びやうき》で、|遺言《ゆゐごん》もなしに|頓死《とんし》したやうなものである。そこで|天然笛《てんねんぶえ》を|吹《ふ》いてみた。|天《てん》の|一方《いつぱう》から|光《ひかり》となつて|芙蓉仙人《ふようせんにん》が|現《あら》はれ|給《たま》うた。
『|一体《いつたい》|地獄《ぢごく》といふものには|道《みち》は|無《な》いのでせうか』
とたづねてみた。|仙人《せんにん》いふ。
『この|者《もの》は|前世《ぜんせ》においても、|現世《このよ》においても|悪事《あくじ》をなし、|殊《こと》に|氏神《うぢがみ》の|社《やしろ》を|毀《こぼ》つた|大罪《だいざい》がある。それは|旧《ふる》い|社《やしろ》であるからといふて|安価《あんか》で|買取《かひと》り、|金物《かなもの》は|売《う》り、|材木《ざいもく》は|焼《や》き|棄《す》てたり、または|薪《たきぎ》の|代《かは》りに|焚《た》いたりした。それから|一週間《いつしうかん》も|経《た》たぬまに|病床《びやうしやう》について、|黒死病《ペスト》のごときものとなつた。それがため|息《いき》を|引取《ひきと》るとともに、|地《ち》が|割《わ》れて|奈落《ならく》の|底《そこ》へ|墜《お》ち|込《こ》んだのである。すなはちこれは|地獄《ぢごく》の|中《なか》でも|一番《いちばん》|罪《つみ》が|重《おも》いので、|口《くち》から|血《ち》を|吐《は》き|泡《あわ》を|吹《ふ》き、|虚空《こくう》を|掴《つか》んで|悶《もだ》え|死《じに》に|死《し》んだのだ。しかもその|肉体《にくたい》は|伝染《でんせん》の|憂《うれ》ひがあるといふので、|上《かみ》の|役人《やくにん》がきて|石油《せきゆ》をかけ|焼《や》き|棄《す》てられた』
との|答《こた》へである。そこで|自分《じぶん》は、
『|悶《もだ》え|死《じに》をしたものは|何故《なぜ》かういふふうに|直様《すぐさま》|地《ち》の|底《そこ》へ|墜《お》ちるのでせうか』
と|尋《たづ》ねてみた。|仙人《せんにん》は|答《こた》へて、
『すべて|人《ひと》は|死《し》ぬと、|死有《しう》から|中有《ちゆうう》に、|中有《ちゆうう》から|生有《しやうう》といふ|順序《じゆんじよ》になるので、|現界《げんかい》で|息《いき》を|引取《ひきと》るとともに|死有《しう》になり、|死有《しう》から|中有《ちゆうう》になるのは|殆《ほとん》ど|同時《どうじ》である。それから|大抵《たいてい》|七七四十九日《しちしちしじふくにち》の|間《あひだ》を|中有《ちゆうう》といひ、|五十日目《ごじふにちめ》から|生有《しやうう》と|言《い》つて、|親《おや》が|定《き》まり|兄弟《きやうだい》が|定《き》まるのである。ただし|元来《ぐわんらい》そこには|山河《やまかは》、|草木《くさき》、|人類《じんるゐ》、|家屋《かをく》のごとき|万有《ばんいう》はあれども、|眼《め》には|触《ふ》れず|単《たん》に|親兄弟《おやきやうだい》がわかるのみで、そのときの、|幽体《いうたい》は、あたかも|三才《さんさい》の|童子《どうじ》のごとく|縮小《しゆくせう》されて、|中有《ちゆうう》になると|同時《どうじ》に|親子《おやこ》|兄弟《きやうだい》の|情《じやう》が、|霊覚的《れいかくてき》に|湧《わ》いてくるのである。
さうして|中有《ちゆうう》の|四十九日間《しじふくにちかん》は|幽界《いうかい》で|迷《まよ》つてをるから、この|間《あひだ》に|近親者《きんしんしや》が|十分《じつぷん》の|追善供養《つゐぜんくやう》をしてやらねばならぬ。|又《また》これが|親子《おやこ》|兄弟《きやうだい》の|務《つと》めである。この|中有《ちゆうう》にある|間《あひだ》の|追善供養《つゐぜんくやう》は、|生有《しやうう》に|多大《ただい》の|関係《くわんけい》がある。すなはち|大善《だいぜん》と|大悪《だいあく》には|中有《ちゆうう》なく、|大善《だいぜん》は|死有《しう》から|直《ただ》ちに|生有《しやうう》となり、|大悪《だいあく》はただちに|地獄《ぢごく》すなはち|根底《ねそこ》の|国《くに》に|墜《お》ちる。ゆゑに|真《しん》に|極善《ごくぜん》のものは|眠《ねむ》るがごとく|美《うつく》しい|顔《かほ》をしたまま|国替《くにがへ》して、ただちに|天国《てんごく》に|生《う》まれ|変《かは》るのである。また|大極悪《だいごくあく》のものは|前記《ぜんき》のごとき|径路《けいろ》をとつて、|悶《もだ》え|苦《くる》しみつつ|死《し》んで、ただちに|地獄《ぢごく》に|墜《お》ちて|行《ゆ》くのである』
と。|自分《じぶん》はそれだけのことを|聞《き》いて、|高天原《たかあまはら》の|方《はう》へむかひ|神界《しんかい》|旅行《りよかう》にかからうとした。ところが|顔一杯《かほいつぱい》に|凸凹《でこぼこ》のできた|妙《めう》な|婦人《ふじん》が、|八衢《やちまた》の|中心《ちゆうしん》に|忽然《こつぜん》として|現《あら》はれた。|自分《じぶん》の|姿《すがた》を|見《み》るなり、|長《なが》い|舌《した》をペロリと|吐《は》きだし、ことさらに|凹《くぼ》んだ|眼《め》の|玉《たま》を、ギロギロと|異様《いやう》に|光《ひか》らせながら、|足早《あしばや》に|神界《しんかい》の|入口《いりぐち》さして|一目散《いちもくさん》に|駆《か》けだした。
|自分《じぶん》は……|変《へん》な|奴《やつ》が|出《で》てきたものだ、|一《ひと》つ|跡《あと》を|追《お》つて|彼《かれ》の|正体《しやうたい》を|見届《みとど》けてくれむ……と、やや|好奇心《かうきしん》にかられて、ドンドンと|追跡《つゐせき》した。かの|怪女《くわいぢよ》はほとんど|空中《くうちゆう》を|走《はし》るがごとく、|一目散《いちもくさん》に|傍《かたはら》の|山林《さんりん》に|逃込《にげこ》んだ。|自分《じぶん》はとうとう|怪女《くわいぢよ》の|姿《すがた》を|見失《みうしな》つてしまひ、|途方《とはう》にくれて|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|腰《こし》を|降《おろ》し、|鼬《いたち》に|最後屁《さいごぺ》を|嗅《かが》されたやうな|青白《あをじろ》いつまらぬ|顔《かほ》をして、|四辺《あたり》の|光景《くわうけい》をキヨロキヨロと|見《み》まはしてゐた。どこともなく|妙《めう》な|声《こゑ》が|耳朶《じだ》を|打《う》つた。
|耳《みみ》を|澄《す》まして|考《かんが》へてゐると、|鳥《とり》の|啼《な》き|声《ごゑ》とも、|猿《さる》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》ともわからぬ|怪《あや》しき|声《こゑ》である。|恐《こわ》いもの|見《み》たさに、その|聞《きこ》ゆる|方向《はうこう》を|辿《たど》つて|荊《いばら》を|押《お》しわけ、|岩石《がんせき》を|踏《ふ》み|越《こ》え|渓流《けいりう》を|渡《わた》り、|峻坂《しゆんぱん》を|攀《よ》ぢ|登《のぼ》り、|色々《いろいろ》と|苦心《くしん》して|漸《やうや》く|一《ひと》つの|平坦《へいたん》なる|地点《ちてん》に|駆《か》けついた。
|見《み》ると|最前《さいぜん》みた|怪女《くわいぢよ》を|中心《ちゆうしん》に、あまたの|異様《いやう》な|人物《じんぶつ》らしいものが、|何《なに》かしきりに|囁《ささや》き|合《あ》つてゐた。|自分《じぶん》は|大木《たいぼく》の|蔭《かげ》に|身《み》を|潜《ひそ》めて、|彼《かれ》らの|様子《やうす》を|熟視《じゆくし》してゐると、|中央《ちゆうあう》に|座《ざ》を|構《かま》へた|凸凹《でこぼこ》の|顔《かほ》をした|醜《みにく》い|女《をんな》の|後方《うしろ》から、|太《ふと》いふとい|尻尾《しつぽ》が|現《あら》はれた。|彼《かれ》はその|尻尾《しつぽ》をピヨンと|左《ひだり》の|方《はう》へ|振《ふ》つた。あまたの|人三化七《にんさんばけしち》のやうな|怪物《くわいぶつ》が、その|尻尾《しつぽ》の|向《む》いたる|方《はう》へ|雪崩《なだれ》を|打《う》つて、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|駆《か》け|出《だ》した。
|怪女《くわいぢよ》はまたもや|尻尾《しつぽ》を|右《みぎ》の|方《はう》へ|振《ふ》つた。あまたの|動物《どうぶつ》とも|人間《にんげん》とも|区別《くべつ》もつかぬやうな|怪物《くわいぶつ》は、|先《さき》を|争《あらそ》ふやうにして|又《また》もや、|右《みぎ》の|方《はう》へ|一目散《いちもくさん》に|駆《か》け|出《だ》した。|怪女《くわいぢよ》はまたもや|尻尾《しつぽ》を|天《てん》に|向《むか》つてピヨンと|振《ふ》りあげた。
あまたの|怪物《くわいぶつ》は|一斉《いつせい》に、|天上《てんじやう》|目《め》がけて|投《ほ》り|上《あ》げられ、しばらくすると、その|怪物《くわいぶつ》は|雨《あめ》のごとくなつて|降《ふ》り|来《き》たり、あるひは|渓谷《けいこく》に|陥《おちい》り、|負傷《ふしやう》をするものもあり、あるひは|荊棘《いばら》の|叢《くさむら》に|落込《おちこ》み|全身《ぜんしん》を|破《やぶ》り、|血《ち》に|塗《まみ》れて|行《ゆ》きも|帰《かへ》りもならず、|苦悶《くもん》してをるのもあつた。|中《なか》には|大木《たいぼく》にひつかかり、|半死半生《はんしはんしやう》のていにて|苦《くる》しみ|呻《うめ》いてゐるのもある。|中《なか》には|墜落《つゐらく》とともに|頭骨《とうこつ》を|打《う》ち|挫《くじ》き、|鮮血《せんけつ》|淋漓《りんり》として|迸《ほとばし》り、|血《ち》の|泉《いづみ》をなした。
|怪女《くわいぢよ》は、さも|嬉《うれ》しさうな|顔色《がんしよく》をあらはし、|流《なが》るる|血潮《ちしほ》を|片《かた》つ|端《ぱし》から|美味《うま》さうに|呑《の》んでゐた。|怪女《くわいぢよ》の|体《からだ》は|見《み》るみる|太《ふと》り|出《だ》した。|彼《かれ》の|額部《がくぶ》には|俄《にはか》にニユツと|二本《にほん》の|角《つの》が|発生《はつせい》した。|口《くち》はたちまち|耳《みみ》の|辺《あたり》まで|裂《さ》けてきた。|牙《きば》はだんだんと|伸《の》びて|剣《つるぎ》のやうに|鋭《するど》く|尖《とが》り、かつ、キラキラと|光《ひか》りだしてきた。
|自分《じぶん》は|神界《しんかい》の|旅行《りよかう》をしてをるつもりだのに、なぜこんな|鬼女《きぢよ》のゐるやうな|処《ところ》へ|来《き》たのであらうかと、|胸《むね》に|手《て》をあてて|暫《しばら》く|考《かんが》へてゐた。|前後《ぜんご》|左右《さいう》に、|怪《あや》しい、いやらしい|身《み》の|毛《け》の|戦慄《よだ》つやうな|音《おと》がまたもや、|耳《みみ》を|掠《かす》めるのである。|自分《じぶん》はどうしても|合点《がつてん》がゆかなかつた。|途方《とはう》にくれた|揚句《あげく》に、|神様《かみさま》のお|助《たす》けを|願《ねが》はうといふ|心《こころ》がおこつてきた。
|自分《じぶん》は|四辺《あたり》の|恐《おそ》ろしいそして|殊更《ことさら》に|穢《けが》らはしい|光景《くわうけい》の、|眼《め》に|触《ふ》れないやうにと|思《おも》つて|瞑目《めいもく》し|静座《せいざ》して、|大声《おほごゑ》に|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》した。ややあつて「|眼《め》を|開《あ》け」と|教《をし》ゆる|声《こゑ》が|緩《ゆる》やかに|聞《きこ》えた。|自分《じぶん》はあまりに|眼前《がんぜん》の|光景《くわうけい》の|恐《おそ》ろしさ、|無残《むごたらし》さを|再《ふたた》び|目睹《もくと》することが|不快《ふくわい》でたまらないので、なほも|瞑目《めいもく》の|態度《たいど》を|持《も》ちつづけてゐた。
さうすると|今度《こんど》は、|前《まへ》とはやや|大《おほ》きな、そして|少《すこ》し|尖《とが》りのあるやうな|声《こゑ》で、
『|迷《まよ》ふなかれ、|早《はや》く|活眼《くわつがん》を|開《ひら》いて、|神世《かみよ》の|荘厳《さうごん》なる|状況《じやうきやう》に|眼《め》を|醒《さ》ませ』
と|叫《さけ》ぶものがあつた。|自分《じぶん》は|心《こころ》のうちにて|妖怪変化《えうくわいへんげ》の|誑惑《けふわく》と|思《おも》ひつめ、……そんなことに|乗《の》るものかい、|尻《しり》でも|喰《くら》へ……と|素知《そし》らぬふうをして|猶《なほ》も|瞑目《めいもく》をつづけた。
『|迷《まよ》へるものよ、|時《とき》は|近《ちか》づいた。|一時《いちじ》も|早《はや》く|眼《め》を|開《ひら》いて、|神界《しんかい》の|経綸《けいりん》の|容易《ようい》ならざる|実況《じつきやう》を|熟視《じゆくし》せよ。|神国《しんこく》は|眼前《がんぜん》に|近《ちか》づけり。されど|眼《まなこ》なきものは、|憐《あは》れなるかな。|汝《なんぢ》いつまで|八衢《やちまた》に|踏《ふ》み|迷《まよ》ひ、|神《かみ》の|命《めい》ずる|神界《しんかい》の|探険《たんけん》|旅行《りよかう》に|出立《しゆつたつ》せざるや』
と|言《い》ふものがある。|自分《じぶん》は|心《こころ》の|中《うち》で……|神界《しんかい》|旅行《りよかう》を|試《こころ》み、|今《いま》かくのごとき|不愉快《ふゆくわい》なることを|目撃《もくげき》してをるのに、|神界《しんかい》の|探険《たんけん》せよとは、|何者《なにもの》の|言《げん》ぞ。|馬鹿《ばか》を|言《い》ふな、|古狸《ふるだぬき》|奴《め》、|大《おほ》きな|尻尾《しつぽ》をさげて|居《ゐ》よつて、|俺《おれ》が|知《し》らんと|思《おも》つて|居《い》やがるか|知《し》らんが、おれは|天眼通《てんがんつう》でチヤンと|看破《かんぱ》してをるのだ。|鬼化《をにば》け|狸《たぬき》に|他人《たにん》は|欺《だま》されても、おれは|貴様《きさま》のやうな|古狸《ふるだぬき》には、|誑《たぶ》らかされないぞ。|見《み》る|眼《め》も|汚《けが》れる……と|考《かんが》へた。そうするとまた|前《まへ》のやうな|声《こゑ》に、すこし|怒《いか》りを|帯《お》びたやうな|調子《てうし》で、
『|貴様《きさま》は|道《みち》を|知《し》らぬ|奴《やつ》だ』
と|呶鳴《どな》る。
そのとたんに|目《め》を|思《おも》はず|開《ひら》いて|見《み》ると、|前《まへ》の|光景《くわうけい》とは|打《う》つて|変《かは》つた|荘厳《さうごん》|無比《むひ》の|宝座《ほうざ》が|眼前《がんぜん》に|現《あら》はれた。その|一刹那《いちせつな》、|松《まつ》|吹《ふ》く|風《かぜ》の|音《おと》に|気《き》がつくと、|豈計《あにはか》らんや、|自分《じぶん》は|高熊山《たかくまやま》のガマ|岩《いは》の|上《うへ》に|端座《たんざ》してゐた。
(大正一〇・一〇・一八 旧九・一八 外山豊二録)
第一五章 |神界《しんかい》|旅行《りよかう》の二〔一五〕
|神界《しんかい》の|旅行《りよかう》と|思《おも》つたのは|自分《じぶん》の|間違《まちが》ひであつたことを|覚《さと》り、|今度《こんど》は|心《こころ》を|改《あらた》め、|好奇心《かうきしん》を|戒《いまし》め|一直線《いつちよくせん》に|神界《しんかい》の|旅路《たびぢ》についた。
|細《ほそ》い|道路《みち》をただ|一人《ひとり》、|足《あし》をはやめて|側眼《わきめ》もふらず、|神言《かみごと》を|唱《とな》へながら|進《すす》み|行《ゆ》く。そこへ「|幸《かう》」といふ|二十才《にじつさい》くらゐの|男《をとこ》と「|琴《こと》」といふ|二十二才《にじふにさい》ばかりの|女《をんな》とが|突然《とつぜん》|現《あら》はれて、|自分《じぶん》の|後《あと》になり|前《まへ》になつて|踉《つ》いてくる。そのとき|自分《じぶん》は|非常《ひじやう》に|力《ちから》を|得《え》たやうに|思《おも》ふた。
その|女《をんな》の|方《はう》は|今《いま》|幽体《いうたい》となり、|男《をとこ》の|方《はう》はある|由緒《ゆいしよ》ある|神社《じんじや》に、|神官《しんくわん》として|仕《つか》へてをる。その|両人《りやうにん》には|小松林《こまつばやし》、|正守《まさもり》といふ|二柱《ふたはしら》の|守護神《しゆごじん》が|付随《ふずゐ》してゐた。そして|小松林《こまつばやし》はある|時期《じき》において、ある|肉体《にくたい》とともに|神界《しんかい》に|働《はたら》くことになられた。
|細《ほそ》い|道路《みち》はだんだん|広《ひろ》くなつて、そしてまた|行《ゆ》くに|従《したが》つてすぼんで|細《ほそ》い|道路《みち》になつてきた。たとへば|扇《あふぎ》をひろげて|天《てん》と|天《てん》とを|合《あは》せたやうなものである。|扇《あふぎ》の|骨《ほね》のやうな|道路《みち》は、|幾条《いくすじ》となく|展開《てんかい》してゐる。そのとき|自分《じぶん》はどの|道路《みち》を|選《えら》んでよいか|途方《とはう》に|暮《く》れざるを|得《え》なかつた。その|道路《みち》は|扇《あふぎ》の|骨《ほね》と|骨《ほね》との|隙間《すきま》のやうに、|両側《りやうがわ》には|非常《ひじやう》に|深《ふか》い|溝渠《みぞ》が|掘《ほ》られてあつた。
|水《みづ》は|美《うつく》しく、|天《てん》は|青《あを》く、|非常《ひじやう》に|愉快《ゆくわい》であるが、さりとて|少《すこ》しも|油断《ゆだん》はできぬ。|油断《ゆだん》をすれば|落《お》ちこむ|恐《おそ》れがある。|自分《じぶん》は|高天原《たかあまはら》に|行《ゆ》く|道路《みち》は、|平々坦々《へいへいたんたん》たるものと|思《おも》ふてゐたのに、かかる|迷路《めいろ》と|危険《きけん》の|多《おほ》いのには|驚《おどろ》かざるを|得《え》ない。その|中《なか》でまづ|正中《せいちゆう》と|思《おも》ふ|小径《こみち》を|選《えら》んで|進《すす》むことにした。
|見渡《みわた》すかぎり|山《やま》もなく、|何《なに》もない|美《うつく》しい|平原《へいげん》である。その|道路《みち》を|行《ゆ》くと|幾《いく》つともなく|種々《しゆじゆ》の|橋《はし》が|架《か》けられてあつた。|中《なか》には|荒廃《くわうはい》した|危《あぶ》ないものもある。さういふのに|出会《でくは》した|時《とき》は、「|天照大神《あまてらすおほかみ》」の|御神名《ごしんめい》を|唱《とな》へて、|一足《いつそく》|飛《と》びに|飛《と》び|越《こ》したこともあつた。
そこへ|突然《とつぜん》として|現《あら》はれたのが|白衣《びやくい》の|男女《だんぢよ》である。|見《み》るまに|白狐《びやくこ》の|姿《すがた》に|変《かは》つてしまつた。「|琴《こと》」と「|幸《かう》」との|二人《ふたり》は|同《おな》じくついてきた。|急《いそ》いで|行《ゆ》くと、|突然《とつぜん》また|橋《はし》のあるところにきた。|橋《はし》の|袂《たもと》から|真黒《まつくろ》な|四足動物《よつあし》が|四五頭《しごとう》|現《あら》はれて、いきなり|自分《じぶん》を|橋《はし》の|下《した》の|深《ふか》い|川《かは》に|放《はう》り|込《こ》んでしまつた。|二人《ふたり》の|連《つれ》も、|共《とも》に|川《かは》に|放《はう》りこまれた。
|自分《じぶん》は|道路《みち》の|左側《ひだりがは》の|溝《みぞ》を|泳《およ》ぐなり、|二人《ふたり》は|道《みち》の|右側《みぎがは》の|溝《みぞ》を|泳《およ》いで、|元《もと》の|道路《みち》まできた。|前《まへ》の|動物《どうぶつ》は|追《おひ》かけ|来《き》たり、また|飛《と》びつかうと|狙《ねら》ふその|時《とき》、たちまち|二匹《にひき》の|白狐《びやくこ》が|現《あら》はれて|動物《どうぶつ》を|追《お》ひ|払《はら》つた。|三人《さんにん》はもとの|扇形《あふぎがた》の|処《ところ》に|帰《かへ》り、|衣服《いふく》を|乾《かわ》かして|休息《きうそく》した。その|時《とき》|非常《ひじやう》なる|大《おほ》きな|太陽《たいやう》が|現《あら》はれて、|瞬《またた》くまに|乾《かわ》いてしまつた。|三人《さんにん》は|思《おも》はず|合掌《がつしやう》して、「|天照大神《あまてらすおほかみ》」の|御名《おんな》を|唱《とな》へて|感謝《かんしや》した。
|今度《こんど》は|三人《さんにん》が|各自《かくじ》|異《こと》なる|道路《みち》をとつて|進《すす》んだ。「|幸《かう》」といふ|男《をとこ》は|左側《ひだりがは》の|端《はし》を、「|琴《こと》」といふ|女《をんな》は|右側《みぎがは》の|道路《みち》をえらんだ。それはまさかの|時《とき》、この|路《みち》なれば|一方《いつぱう》が|平原《へいげん》に|続《つづ》いてゐるから、その|方《はう》へ|逃《に》げるための|用意《ようい》であつた。|自分《じぶん》も|中央《ちゆうあう》の|道路《みち》を|避《さ》けて|三《み》ツばかり|傍《かたはら》の|道路《みち》を|進《すす》んだ。|依然《いぜん》として|両側《りやうがは》に|溝《みぞ》がある。|最前《さいぜん》の|失敗《しつぱい》に|懲《こ》りて、|両側《りやうがは》と|前後《ぜんご》に|非常《ひじやう》の|注意《ちうい》を|払《はら》つて|進《すす》んで|行《い》つた。|横《よこ》にもまた|沢山《たくさん》の|溝《みぞ》があり、|非常《ひじやう》に|堅固《けんご》な|石橋《いしばし》が|架《かか》つてゐた。|不思議《ふしぎ》にも|今《いま》まで|平原《へいげん》だと|思《おも》つてゐたのに|中途《ちゆうと》からそれが|山《やま》になり、|山《やま》また|山《やま》に|連《つら》なつた|場面《ばめん》に|変《かは》つてゐる。
さうして|其《そ》の|山《やま》は|壁《かべ》のやうに|屹立《きつりつ》し、|鏡《かがみ》のやうに|光《ひか》つてゐるのみならず、|滑《すべ》つて|足《あし》をかける|余地《よち》がない。さりとて|引《ひ》き|返《かへ》すのは|残念《ざんねん》であると|途方《とはう》にくれ、ここに|自分《じぶん》は|疑《うたが》ひはじめた。これは|高天原《たかあまはら》にゆく|道路《みち》とは|聞《き》けど、|或《ある》ひは|地獄《ぢごく》への|道路《みち》と|間違《まちが》つたのではあるまいかと。かう|疑《うたが》つてみると、どうしてよいか|分《わか》らず、|進退《しんたい》|谷《きは》まり|吐息《といき》をつきながら、「|天照大神《あまてらすおほかみ》」の|御名《みな》を|唱《とな》へ|奉《まつ》り、「|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》」を|三唱《さんしやう》した。
|不思議《ふしぎ》にもその|山《やま》は、|少《すこ》しなだらかになつて、|自分《じぶん》は|知《し》らぬまに、|山《やま》の|中腹《ちゆうふく》に|達《たつ》してゐる。|幹《みき》の|周《まは》り|一丈《いちぢやう》に|余《あま》るやうな|松《まつ》や、|杉《すぎ》や、|桧《ひのき》の|茂《しげ》つてゐる|山道《やまみち》を、どんどん|進《すす》んで|登《のぼ》ると|大《おほ》きな|瀑布《ばくふ》に|出会《でくは》した。|白竜《はくりゆう》が|天《てん》に|登《のぼ》るやうな|形《かたち》をしてゐる。
ともかくもその|滝《たき》で|身《み》を|清《きよ》めたいと、|近《ちか》よつて|裸《はだか》になり|滝《たき》に|打《う》たれてみた。たちまち|自分《じぶん》の|姿《すがた》は|瀑布《たき》のやうな|大蛇《だいじや》になつてしまつた。|自分《じぶん》はこんな|姿《すがた》になつてしまつたことを、|非常《ひじやう》に|残念《ざんねん》に|思《おも》つてゐると、|下《した》の|方《はう》から|自分《じぶん》の|名《な》を|大声《おほごゑ》に|呼《よ》ぶものがある。|姿《すがた》は|真黒《まつくろ》な|大蛇《だいじや》であつて、|顔《かほ》は「|琴《こと》」といふ|女《をんな》の|顔《かほ》であつた。そして|苦《くる》しさうに、のた|打《う》ちまはつて|暴《あ》れ|狂《くる》ふてゐた。よくよく|見《み》ると|大《おほ》きな|目《め》の|玉《たま》は|血走《ちばし》つて|巴形《ともゑがた》の|血斑《ちまだら》が|両眼《りやうがん》の|白《しろ》いところに|現《あら》はれてゐた。|自分《じぶん》は|蛇体《じやたい》になりながら、|女《をんな》を|哀《あは》れに|思《おも》ひ|救《すく》ふてやりたいと|考《かんが》へてゐると、その|山《やま》が|急《きふ》に|大阪湾《おおさかわん》のやうな|海《うみ》に|変《かは》つてしまつた。そのうちに「|琴《こと》」|女《ぢよ》の|大蛇《だいじや》が|火《ひ》を|吐《は》きながら、|非常《ひじやう》な|勢《いきほひ》で、|浪《なみ》を|起《おこ》して|海中《かいちゆう》に|水音《みづおと》たてて|飛《と》び|込《こ》んだ。|自分《じぶん》は|水《みづ》を|吐《は》きながら、|後《あと》を|追《お》ひかけて|同《おな》じく|海《うみ》に|飛《と》び|入《い》つて|救《すく》ふてやらうとした。されど、あたかも|十《じふ》ノツトの|軍艦《ぐんかん》で、|三十《さんじふ》ノツトの|軍艦《ぐんかん》を|追《お》ふやうに|速力《そくりよく》|及《およ》ばぬところから、だんだんかけ|離《はな》れて|救《すく》ふてやることができない。そのうちに|黒《くろ》い|大蛇《だいじや》はまつしぐらに|泳《およ》いで|遥《はる》かあなたへ|行《い》つて、|黒《くろ》い|煙《けむり》が|立《た》つたと|思《おも》ふと|姿《すがた》は|消《き》えてしまつた。さうすると|不思議《ふしぎ》にも|海《うみ》も|山《やま》もなくなつて、|自分《じぶん》はまた|元《もと》の|扇《あふぎ》の|要《かなめ》の|道《みち》に|帰《かへ》つてゐた。
|今度《こんど》は|決心《けつしん》して|一番《いちばん》|細《ほそ》い|道路《みち》を|行《ゆ》くことにした。そこには|人《ひと》が|五六十人《ごろくじふにん》と|思《おも》ふほど|集《あつ》まつてゐる。|見《み》るに|目《め》の|悪《わる》いもの、|足《あし》の|立《た》たないもの、|腹《はら》の|痛《いた》むものや、|種々《しゆじゆ》の|病人《びやうにん》がゐて|何《なに》か|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祈《いの》つてをる。
|道路《みち》にふさがつて|何《なに》を|拝《をが》んでをるかと|思《おも》へば、|非常《ひじやう》に|劫《がふ》を|経《へ》た|古狸《ふるだぬき》を|人間《にんげん》が|拝《をが》んでをる。その|狸《たぬき》は|大《おほ》きな|坊主《ぼうず》に|見《み》せてゐる。|拝《をが》んでゐるものは、|現体《げんたい》を|持《も》つた|人間《にんげん》ばかりであつた。しかし|一人《ひとり》も|病気《びやうき》にたいして|何《なん》の|効能《かうのう》もない。|自分《じぶん》は|狸《たぬき》|坊主《ぼうず》にむかつて|鎮魂《ちんこん》の|姿勢《しせい》をとると、その|姿《すがた》は|煙《けむり》のごとく|消《き》えてしまい、すべての|人《ひと》は|皆《みな》|病《やまひ》が|癒《い》えた。|芙蓉仙人《ふようせんにん》に|聞《き》いてみれば、|古狸《ふるだぬき》の|霊《れい》が、|僧侶《そうりよ》と|現《あら》はれて|人《ひと》を|悩《なや》まし、そして|自己《じこ》を|拝《をが》ましてゐたのであつた。その|狸《たぬき》の|霊《れい》を|逐《お》ひ|払《はら》つたとともに|衆人《しうじん》が|救《すく》はれ、|盲人《まうじん》は|見《み》え、|跛《びつこ》は|歩《あゆ》み、|霊《れい》は|畜生道《ちくしやうだう》の|仲間《なかま》に|入《い》るのを|助《たす》かつたのである。
|衆人《しうじん》は|非常《ひじやう》に|感謝《かんしや》して|泣《な》いて|喜《よろこ》び、とり|縋《すが》つて|一歩《いつぽ》も|進《すす》ましてくれぬ。しかるに|天《てん》の|一方《いつぱう》からは「|進《すす》め、すすめ」の|声《こゑ》が|聞《きこ》えるので、|天《あま》の|石笛《いはぶえ》を|吹《ふ》くと、|何《なに》も|彼《か》も|跡形《あとかた》もなく|消《き》えて、|扇《あふぎ》の|紙《かみ》のやうな|広《ひろ》い|平坦《へいたん》なところに|進《すす》んでゐた。
(大正一〇・一〇・一八 旧九・一八 加藤明子録)
第一六章 |神界《しんかい》|旅行《りよかう》の三〔一六〕
|扇《あふぎ》でたとへると|丁度《ちやうど》|骨《ほね》を|渡《わた》つて|白紙《はくし》のところへ|着《つ》いた。ヤレヤレと|一息《ひといき》して|傍《かたはら》の|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|身《み》を|横《よこ》たへて|一服《いつぷく》してゐた。するとはるか|遠《とほ》く|北方《ほつぱう》にあたつて、|細《ほそ》い|幽《かす》かな|悲《かな》しい|蚊《か》の|泣《な》くやうな|声《こゑ》で、「オーイ、オーイ」と|自分《じぶん》を|呼《よ》ぶいやらしい|声《こゑ》がしてきた。|自分《じぶん》は|思案《しあん》にくれてゐると、|南方《なんぱう》の|背後《はいご》から|四五人《しごにん》の|声《こゑ》で|自分《じぶん》を|呼《よ》び|止《と》める|者《もの》がある。|母《はは》や|祖母《そぼ》や|隣人《りんじん》の|声《こゑ》にどこか|似《に》てゐる。フト|南方《なんぱう》の|声《こゑ》に|気《き》をひかれ|気《き》が|付《つ》けば、|自分《じぶん》の|身体《からだ》はいつのまにか|穴太《あなを》の|自宅《じたく》へ|帰《かへ》つてゐた。
これは|幽界《いうかい》のことだが、|母《はは》の|後《うしろ》に|妙《めう》な|顔《かほ》をした、|非常《ひじやう》に|悲《かな》しさうに、かつ|立腹《りつぷく》したやうな、|一口《ひとくち》に|言《い》へば|怒《おこ》つたのと|泣《な》いたのが|一緒《いつしよ》になつたやうな|顔《かほ》した|者《もの》が|付《つ》いてゐる。それが|母《はは》の|口《くち》を|藉《か》つていふには、
『|今《いま》かうして|老母《らうぼ》や|子供《こども》を|放《ほ》つておいて|神界《しんかい》の|御用《ごよう》にゆくのは|結構《けつこう》だが、|祖先《そせん》の|後《あと》を|守《まも》らねばならぬ。それに|今《いま》お|前《まへ》に|出《で》られたら、|八十《はちじふ》に|余《あま》る|老母《らうぼ》があり、たくさんの|農事《のうじ》を|自分《じぶん》|一人《ひとり》でやらねばならぬ。とにかく|思《おも》ひ|止《とど》まつてくれ』
と|自分《じぶん》を|引《ひ》き|止《と》めて、|行《ゆ》かさうとはささぬ。そこへまた|隣家《りんか》から「|松《まつ》」と「|正《まさ》」といふ|二人《ふたり》が|出《で》てきて、|祖先《そせん》になり|代《かは》つて|意見《いけん》すると|言《い》つて|頻《しき》りに|止《と》める。|二人《ふたり》は、
『お|前《まへ》、|神界《しんかい》とか|何《なん》とか|言《い》つたところで、|家庭《かてい》を|一体《いつたい》どうするのだ』
と|喧《やかま》しく|言《い》ひこめる。その|時《とき》たちまち|老祖母《らうそぼ》の|衰弱《すゐじやく》した|姿《すがた》が|男《をとこ》の|神様《かみさま》に|変《かは》つてしまつた。そして、
『|汝《なんぢ》は|神界《しんかい》の|命《めい》によつてするのであるから、|小《ちひ》さい|一身一家《いつしんいつか》の|事《こと》は|心頭《しんとう》にかくるな。|世界《せかい》を|此《こ》のままに|放《はう》つておけば、|混乱《こんらん》|状態《じやうたい》となつて|全滅《ぜんめつ》するより|道《みち》はないから、|三千世界《さんぜんせかい》のために|謹《つつし》んで|神命《しんめい》を|拝受《はいじゆ》し、|一時《いちじ》も|早《はや》く|此処《ここ》を|立《た》ち|去《さ》れよ』
と|戒《いまし》められた。すると|矢庭《やには》に「|松《まつ》」と「|正《まさ》」とが|自分《じぶん》の|羽織袴《はおりはかま》を|奪《と》つて|丸裸《まるはだか》になし、それから|鎮魂《ちんこん》の|玉《たま》をも|天然笛《てんねんぶえ》をも|引《ひつ》たくつて|池《いけ》の|中《なか》へ|投《ほ》り|込《こ》んでしまつた。そこへ「|幸《かう》」といふ|男《をとこ》が|出《で》てきて、いきなり|自分《じぶん》が|裸《はだか》になり、その|衣服《いふく》を|自分《じぶん》に|着《き》せてくれ、|天然笛《てんねんぶえ》も|鎮魂《ちんこん》の|玉《たま》も|池《いけ》の|中《なか》から|拾《ひろ》うて|私《わたし》に|渡《わた》してくれた。
|自分《じぶん》は|一切《いつさい》の|執着《しふちやく》を|捨《す》てて、|神命《しんめい》のまにまに|北《きた》へ|北《きた》へと|進《すす》んで、|知《し》らぬまに|元《もと》の|天《あめ》の|八衢《やちまた》へ|帰《かへ》つておつた。これは|残念《ざんねん》なことをしたと|思《おも》つたが、もと|来《き》た|道《みち》を【すう】と|通《とほ》つて、|扇形《あふぎがた》の|道《みち》を|通《とほ》りぬけ|白紙《はくし》の|所《ところ》へ|辿《たど》りついた。その|時《とき》、「|幸《かう》」が|白扇《はくせん》の|紙《かみ》の|半《なかば》ほどのところまで|裸《はだか》のまま|送《おく》つて|来《き》たが、そこで|何処《どこ》ともなく|姿《すがた》を|消《け》してしまつた。やはり|相変《あひかは》らず、|細《ほそ》い|悲《かな》しいイヤらしい|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|来《く》る。その|時《とき》、|自分《じぶん》の|身体《からだ》は|電気《でんき》に|吸《す》ひつけられるやうに、|北方《きた》へ|北方《きた》へと|進《すす》んで|行《ゆ》く。|一方《いつぱう》には|大《おほ》きな|河《かは》が|流《なが》れてあり、その|河辺《かはべり》には|面白《おもしろ》い|老松《らうしよう》が|並《なら》んでゐる。|左側《ひだりがは》には|絶壁《ぜつぺき》の|山《やま》が|屹立《きつりつ》して、|一方《いつぱう》は|河《かは》、|一方《いつぱう》は|山《やま》で、|其処《そこ》をどうしても|通《とほ》らねばならぬ|咽喉首《のどくび》である。その|咽喉首《のどくび》の|所《ところ》へ|行《ゆ》くと、|地中《ちちゆう》から|頭《あたま》をヌツと|差出《さしだ》し、つひには|全身《ぜんしん》を|顕《あら》はし、|狭《せま》い|道《みち》に|立《た》ち|塞《ふさ》がつて、|進《すす》めなくさせる|男女《だんぢよ》のものがあつた。
そこで|鎮魂《ちんこん》の|姿勢《しせい》をとり|天然笛《てんねんぶえ》を|吹《ふ》くと、|二人《ふたり》の|男女《だんぢよ》は|温順《おんじゆん》な|顔付《かほつき》にて、|女《をんな》は|自分《じぶん》に|一礼《いちれい》し、
『あなたは|予言者《よげんしや》のやうに|思《おも》ひますから、|私《わたくし》の|家《いへ》へお|入《はい》り|下《くだ》さいまし。|色々《いろいろ》お|願《ねが》ひしたいことがございます』
と|言《い》つた。その|時《とき》フト|小《ちひ》さな|家《いへ》が|眼前《がんぜん》にあらはれてきた。その|夫婦《ふうふ》に|八頭八尾《やつがしらやつを》の|守護神《しゆごじん》が|憑依《ひようい》してゐた。|夫婦《ふうふ》の|話《はなし》によれば、
『|大神《おほかみ》の|命《めい》により|神界《しんかい》|旅行《りよかう》の|人《ひと》を|幾人《いくにん》も|捉《とら》へてみたが、|真《まこと》の|人《ひと》に|会《あ》はなかつたが、はじめて|今日《こんにち》|目的《もくてき》の|人《ひと》に|出会《であ》ひました。|実《じつ》は|私《わたくし》は、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》にあつて|幽界《いうかい》を|知《し》ろしめす|大王《だいわう》の|肉身《にくしん》|系統《けいとう》の|者《もの》です。どうぞ|貴方《あなた》はこの|道《みち》を|北《きた》へ|北《きた》へと|取《と》つていつて|下《くだ》さい、さうすれば|大王《だいわう》に|面会《めんくわい》ができます。|私《わたくし》が|言伝《ことづけ》をしたと|言《い》つて|下《くだ》さい』
と|言《い》つて|頼《たの》む。
『|承知《しようち》した、それなら|行《い》つて|来《こ》よう』
こう|言《い》つて|立《た》ち|去《さ》らうとする|時《とき》、|男女《だんぢよ》の|後《うしろ》に|角《つの》の|生《は》えた|恐《こわ》い|顔《かほ》をした|天狗《てんぐ》と、|白狐《びやくこ》の|金毛九尾《きんまうきうび》になつたのが|眼《め》についた。この|肉体《にくたい》としては|実《じつ》に|善《よ》い|人間《にんげん》で、|信仰《しんかう》の|強《つよ》い|者《もの》だが、その|背後《うしろ》には、|容易《ようい》ならぬ|物《もの》が|魅入《みい》つてゐることを|悟《さと》つた。そのままにして|自分《じぶん》は|一直線《いつちよくせん》に|地《ち》の|高天原《たかあまはら》へ|進《すす》んで|行《い》つた。トボトボと|暫《しばら》くのあひだ|北《きた》へ|北《きた》へと|進《すす》みゆくと、|一《ひと》つの|木造《もくざう》の|大橋《おほはし》がある。|橋《はし》の|袂《たもと》へさしかかると|川《かは》の|向《むか》ふ|岸《ぎし》にあたり、|不思議《ふしぎ》な|人間《にんげん》の|泣《な》き|声《ごゑ》や|狐《きつね》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えた。|自分《じぶん》はその|声《こゑ》をたどつて|道《みち》を|北《きた》へとつて|行《ゆ》くと、|親子《おやこ》|三人《さんにん》の|者《もの》が|寄《よ》つて|集《たか》つて、|穴《あな》にゐる|四匹《しひき》の|狐《きつね》を|叩《たた》き|殺《ころ》してゐた。|見《み》るみる|狐《きつね》は|殺《ころ》され、|同時《どうじ》にその|霊《れい》は|女《をんな》に|憑《つ》いてしまつた。|女《をんな》の|名《な》は「|民《たみ》」といふ。|女《をんな》は|狐《きつね》の|怨霊《おんりやう》のために|忽《たちま》ち|膨《ふく》れて|脹満《ちやうまん》のやうな|病体《びやうたい》になり、|俄然《がぜん》|苦悶《くもん》しはじめた。そこで|其《そ》の|膨《ふく》れた|女《をんな》にむかつて、|自分《じぶん》は|両手《りやうて》を|組《く》んで|鎮魂《ちんこん》をし、|神明《しんめい》に|祈《いの》つてやると、その|体《たい》は|旧《もと》の|健康体《けんかうたい》に|復《ふく》し、|三人《さんにん》は|合掌《がつしやう》して|自分《じぶん》にむかつて|感謝《かんしや》する。されど|彼《か》の|殺《ころ》された|四匹《しひき》の|狐《きつね》の|霊《れい》はなかなかに|承知《しようち》しない。
『|罪《つみ》なきものを|殺《ころ》されて、これで|黙《だま》つてをられぬから、あくまでも|仇討《あだうち》をせねばおかぬ』
と、|怨《うら》めしさうに|三人《さんにん》を|睨《にら》みつめてゐる。|狐《きつね》の|方《はう》ではその|肉体《にくたい》を|機関《きくわん》として、|四匹《しひき》ながら|這入《はい》つて|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けてゆきたいから、|神様《かみさま》に|願《ねが》つて|許《ゆる》していただきたいと|嘆願《たんぐわん》した。
|自分《じぶん》はこの|場《ば》の|処置《しよち》に|惑《まど》うて、|天《てん》にむかひ|裁断《さいだん》を|仰《あふ》いだ。すると|天《てん》の|一方《いつぱう》より|天使《てんし》が|顕《あら》はれ、|産土《うぶすな》の|神《かみ》も|顕《あら》はれたまひて、
『|是非《ぜひ》なし』
と|一言《いちごん》|洩《も》らされた。|氏子《うぢこ》であるとは|言《い》ひながら、|罪《つみ》なきものを|打《う》ち|殺《ころ》したこの|女《をんな》は、|畜生道《ちくしやうだう》へ|堕《お》ちて|狐《きつね》の|容器《いれもの》とならねばならなかつた。|病気《びやうき》は|治《なほ》つたが、|極熱《ごくねつ》と|極寒《ごくかん》との|苦《くる》しみを|受《う》け、|数年後《すうねんご》に|国替《くにがへ》した。|現界《げんかい》で|言《い》へば|稲荷下《いなりさげ》のやうなことをやつたのである。
やや|西南方《せいなんぱう》にあたつてまた|非常《ひじやう》な|叫《さけ》び|声《ごゑ》が|聞《きこ》えてきた。すぐさま|自分《じぶん》は|声《こゑ》を|尋《たづ》ねて|行《い》つてみると、|盲目《めくら》の|親爺《おやぢ》に|狸《たぬき》が|憑依《ひようい》し、また|沢山《たくさん》の|怨霊《おんりやう》が|彼《かれ》をとりまいて、|眼《め》を|痛《いた》めたり、|空中《くうちゆう》へ|身体《しんたい》を|引《ひ》き|上《あ》げたり、さんざんに|親爺《おやぢ》を|虐《いぢ》めてゐる。|見《み》ると|親爺《おやぢ》の|肩《かた》の|下《した》のところに|棒《ぼう》のやうなものがあつて、それに|綱《つな》がかかつてをり、|柱《はしら》の|真《しん》に|取付《とりつ》けられた|太綱《ふとづな》を|寄《よ》つてたかつて、|弛《ゆる》めたり|引《ひ》きしめたりしてゐるが、|落下《らくか》する|時《とき》は|川《かは》の|淵《ふち》までつけられ、つり|上《あ》げられる|時《とき》は、|太陽《たいやう》の|極熱《ごくねつ》にあてられる。そして|釣《つ》り|上《あ》げられたり、|曳《ひ》き|下《おろ》されたりする|上下《じやうげ》の|速《はや》さ。この|親爺《おやぢ》は「|横《よこ》」といふ|男《をとこ》である。
なぜにこんな|目《め》に|遇《あ》ふのかと|理由《りいう》を|聞《き》けば、この|男《をとこ》は|非常《ひじやう》に|強慾《がうよく》で、|他人《ひと》に|金《かね》を|貸《か》しては|家屋敷《いへやしき》を|抵当《ていたう》にとり、ほとんど|何十軒《なんじつけん》とも|知《し》れぬほど、その|手《て》でやつては|財産《ざいさん》を|作《つく》つてきた。そのために|井戸《ゐど》にはまつたり、|首《くび》を|吊《つ》つたり、|親子《おやこ》|兄弟《きやうだい》が|離散《りさん》したりした|者《もの》さへ|沢山《たくさん》にある。その|霊《れい》がことごとく|怨念《おんねん》のために|畜生道《ちくしやうだう》へ|堕《お》ち|入《い》り、|狐《きつね》や|狸《たぬき》の|仲間《なかま》|入《い》りをしてゐるのであつた。そのすべての|生霊《いきりやう》や|亡霊《ぼうれい》が、|身体《からだ》の|中《なか》からも、|外《そと》からも、|攻《せ》めて|攻《せ》めて|攻《せ》めぬいて|命《いのち》をとりにきてゐるのである。
|何《なに》ゆゑ|神界《しんかい》へ|行《ゆ》く|道《みち》において、|地獄道《ぢごくだう》のやうなことをしてゐるのを|神《かみ》がお|許《ゆる》しになつてゐるかと|問《と》へば、|天使《てんし》の|説明《せつめい》には、
『|懲戒《みせしめ》のために|神《かみ》が|許《ゆる》してある。その|長《なが》い|太《ふと》い|綱《つな》は|首《くび》を|吊《つ》つた|者《もの》の|綱《つな》が|凝固《かたま》つたのである。|毒《どく》を|嚥《の》んで|死《し》んだ|人《ひと》があるから、|毒《どく》が|身《み》の|中《なか》に|入《はい》つてゐる。|川《かは》へはまつた|者《もの》があるから|川《かは》へ|突《つ》つ|込《こ》まれる。これが|済《す》めば|畜生道《ちくしやうだう》へ|墜《お》ちて|苦《くる》しみを|受《う》けるのである』
と。あまり|可愛相《かあいさう》であるから|私《わたし》は|天照大御神《あまてらすおほみかみ》へお|願《ねが》ひして「|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》」と|唱《とな》へ|天然笛《てんねんぶえ》を|吹《ふ》くと、その|苦《くる》しみは|忽《たちま》ち|止《や》んでしまつた。そして|狐狸《こり》に|化《くわ》してゐる|霊《れい》は|嬉々《きき》として|解脱《げだつ》した。その|顔《かほ》には|桜色《さくらいろ》を|呈《てい》してきたものもある。これらの|霊《れい》はすべて|老若《らうにやく》|男女《だんぢよ》の|人間《にんげん》に|一変《いつぺん》した。すると|産土《うぶすな》の|神《かみ》が|現《あら》はれて|喜《よろこ》び|感謝《かんしや》された。|自分《じぶん》もこれは|善《よ》い|修業《しうげふ》をしたと|神界《しんかい》へ|感謝《かんしや》し、そこを|立《た》ち|去《さ》つた。が、「|横《よこ》」といふ|男《をとこ》の|肉体《にくたい》は|一週間《いつしうかん》ほど|経《へ》て|現界《げんかい》を|去《さ》つた。
それからまた|真西《まにし》にあたつて|叫《さけ》び|声《ごゑ》がおこる。|猿《さる》を|責《せ》めるやうな|叫《さけ》び|声《ごゑ》がする。その|声《こゑ》を|尋《たづ》ねてゆくと、|本当《ほんたう》の|狐《きつね》が|数十匹《すうじつひき》|集《あつ》まり、|一人《ひとり》の|男《をとこ》を|中《なか》において|木《き》にくくりつけ、「キヤツ、キヤツ」と|言《い》はして|苦《くる》しめてゐる。その|男《をとこ》の|手足《てあし》はもぎとられ、|骨《ほね》は|一本々々《いつぽんいつぽん》|砕《くだ》かれ、|滅茶々々《めちやめちや》にやられてゐるのに|現体《げんたい》が|残《のこ》つたままそこに|立《た》つてゐる。|自分《じぶん》はこれを|救《すく》ふべく、|神名《しんめい》を|奉唱《ほうしやう》し|型《かた》のごとく|鎮魂《ちんこん》の|姿勢《しせい》をとるや|否《いな》や、すべての|狐《きつね》は|平伏《へいふく》してしまつた。|何故《なぜ》そんな|事《こと》をするのかと|尋《たづ》ぬれば、|中《なか》でも|年老《としと》つた|狐《きつね》がすすみでて、
『この|男《をとこ》は|山猟《やまれふ》が|飯《めし》よりもすきで、|狐穽《きつねおとし》を|作《つく》つたり、|係蹄《わな》をこしらへたりして|楽《たのし》んでゐる|悪《わる》い|奴《やつ》です。それがために|吾々《われわれ》|一族《いちぞく》のものは|皆《みな》|命《いのち》をとられた。|生命《いのち》をとられるとは|知《し》りつつも、|油揚《あぶらあ》げなどの|好《す》きな|物《もの》があれば【つい】かかつて、ここにゐるこれだけの|狐《もの》はことごとく|命《いのち》をとられました。それでこの|男《をとこ》の|幽体《いうたい》|現体《げんたい》|共《とも》に|亡《ほろ》ぼして、|幽界《いうかい》で|十分《じふぷん》に|復讐《ふくしう》したい|考《かんが》へである』
といふ。そこで|私《わたし》は、
『|命《いのち》をとられるのは|自分《じぶん》も|悪《わる》いからである。それよりはいつそ|各自《めいめい》|改心《かいしん》して|人界《じんかい》へ|生《うま》れたらどうだ』
と|言《い》へば、
『|人界《じんかい》へ|生《うま》れられますか』
と|尋《たづ》ねる。|自分《じぶん》は、
『|生《うま》れられるのだ』
と|答《こた》ふれば、
『|自分《じぶん》らはこんな|四《よ》ツ|足《あし》だから|駄目《だめ》だ』
といふ|絶望《ぜつぼう》の|意《い》を|表情《へうじやう》で|現《あら》はしたが、|自分《じぶん》は、
『|汝《なんぢ》らに|代《かは》つて|天地《てんち》へお|詫《わび》をしてやらう』
と|神々《かみがみ》へお|詫《わび》をするや|否《いな》や、「|中《なか》」といふ|男《をとこ》の|幽体《いうたい》は|見《み》るまに|肉《にく》もつき|骨《ほね》も|完全《くわんぜん》になつて|旧《もと》の|身体《からだ》に|復《かへ》り、いろいろの|狐《きつね》はたちまち|男《をとこ》や|女《をんな》の|人間《にんげん》の|姿《すがた》になつた。その|時《とき》の|数十《すうじふ》の|狐《きつね》の|霊《れい》は、|一部分《いちぶぶん》|今日《こんにち》でも|神界《しんかい》の|御用《ごよう》をしてゐるものもあり、|途中《とちゆう》で|逃《に》げたものもある。|中《なか》には|再《ふたた》び|畜生道《ちくしやうだう》へ|堕《お》ちたものもある。
(大正一〇・一〇・一九 旧九・一九 桜井重雄録)
第一七章 |神界《しんかい》|旅行《りよかう》の四〔一七〕
|神界《しんかい》の|場面《ばめん》が、たちまち|一変《いつぺん》したと|思《おも》へば、|自分《じぶん》は|又《また》もとの|大橋《おほはし》の|袂《たもと》に|立《た》つてゐた。どこからともなくにはかに|大祓詞《おほはらひ》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えてくる。|不思議《ふしぎ》なことだと|思《おも》ひながら、|二三丁《にさんちやう》|辿《たど》つて|行《ゆ》くと、|五十恰好《ごじふかつかう》の|爺《ぢい》さんと|四十《しじふ》かつかうの|婦《をんな》とが|背中《せなか》|合《あは》せに|引着《ひつつ》いて、どうしても|離《はな》れられないでもがいてゐる。|男《をとこ》は|声《こゑ》をかぎりに|天地金《てんちかね》の|神《かみ》の|御名《みな》を|唱《とな》へてゐるが、|婦《をんな》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|合掌《がつしやう》して|稲荷《いなり》を|拝《をが》んでゐる。|男《をとこ》の|合掌《がつしやう》してゐる|天《そら》には、|鼻《はな》の|高《たか》い|天狗《てんぐ》が|雲《くも》の|中《なか》に|現《あら》はれて|爺《ぢい》をさし|招《まね》いてゐる。|婦《をんな》のをがむ|方《はう》をみれば、|狐狸《こり》が|一生懸命《いつしやうけんめい》|山《やま》の|中《なか》より|手招《てまね》きしてゐる。|男《をとこ》が|行《ゆ》かうとすると、|婦《をんな》の|背中《せなか》にぴつたりと|自分《じぶん》の|背中《せなか》が|吸《す》ひついて、|行《ゆ》くことができない。|婦《をんな》もまた|行《ゆ》かうとして|身悶《みもだ》えすれども、|例《れい》の|背中《せなか》が|密着《みつちやく》して|進《すす》むことができない。|一方《いつぱう》へ|二歩《にほ》|行《い》つては|後戻《あともど》り、|他方《たはう》へ|二歩《にほ》|行《い》つては、|又《また》【あともどり】といふ|調子《てうし》で、たがひに|信仰《しんかう》を|異《こと》にして|迷《まよ》つてゐる。|自分《じぶん》はそこへ|行《い》つて、「|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》」と|神様《かみさま》にお|願《ねが》ひして、|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》した。そのとき|私《わたくし》は、|自分《じぶん》ながらも|実《じつ》に|涼《すず》しい|清《きよ》らかな|声《こゑ》が|出《で》たやうな|気《き》がした。
たちまち|密着《みつちやく》してゐた|両人《ふたり》の|身体《からだ》は|分離《ぶんり》することを|得《え》た。|彼《かれ》らは|大《おほ》いに|自分《じぶん》を|徳《とく》として|感謝《かんしや》の|辞《じ》を|述《の》べ、どこまでも|自分《じぶん》に|従《したが》つて、
『|神界《しんかい》の|御用《ごよう》を|勤《つと》めさしていただきます』
と|約束《やくそく》した。やがて|男《をとこ》の|方《はう》は|肉体《にくたい》をもつて、|一度《いちど》|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に|上《のぼ》つて|神業《しんげふ》に|参加《さんか》しやうとした。しかし|彼《かれ》は|元来《ぐわんらい》が|強慾《がうよく》な|性情《たち》である|上《うへ》、|憑依《ひようい》せる|天狗《てんぐ》の|霊《れい》が|退散《たいさん》せぬため、つひには|盤古大神《ばんこだいじん》の|眷族《けんぞく》となり、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》の|占領《せんりやう》を|企《くわだ》て、ために、|霊《れい》は|神譴《しんけん》を|蒙《かうむ》りて|地獄《ぢごく》に|堕《お》ち、|肉体《にくたい》は|二年後《にねんご》に|滅《ほろ》びてしまつた。さうしてその|婦《をんな》は、|今《いま》なほ|肉体《にくたい》を|保《たも》つて|遠《とほ》く|神《かみ》に|従《したが》ふてゐる。
この|瞬間《しゆんかん》、|自分《じぶん》の|目《め》の|前《まへ》の|光景《くわうけい》は|忽《たちま》ち|一転《いつてん》した。|不思議《ふしぎ》にも|自分《じぶん》はある|小《ちひ》さな|十字街頭《じふじがいとう》に|立《た》つてゐた。そこへ|前《まへ》に|見《み》た|八頭八尾《やつがしらやつを》の|霊《れい》の|憑《つ》いた|男《をとこ》が|俥《くるま》を|曳《ひ》いてやつて|来《き》て、
『|高天原《たかあまはら》にお|伴《とも》させていただきますから、どうかこの|俥《くるま》にお|召《め》し|下《くだ》さい』
といふ。しかし「|自分《じぶん》は|神界《しんかい》|修業《しうげふ》の|身《み》なれば、|俥《くるま》になど|乗《の》るわけにはゆかぬ」と|強《しひ》て|断《ことわ》つた|上《うへ》、|徒歩《とほ》でテクテク|西《にし》へ|西《にし》へと|歩《あゆ》んで|行《い》つた。|非常《ひじやう》に|嶮峻《けんしゆん》な|山坂《やまさか》を|三《み》つ|四《よ》つ|越《こ》えると、やがてまた|広《ひろ》い|清《きよ》い|河《かは》のほとりに|到着《たうちやく》した。|河《かは》には|澄《すみ》きつた|清澄《せいちやう》な|水《みづ》が|流《なが》れてをり、|川縁《かはぶち》には|老松《らうしやう》が|翠々《あをあを》と|並《なら》んでゐる|実《じつ》に|景勝《けいしよう》の|地《ち》であつた。|自分《じぶん》はこここそ|神界《しんかい》である、こんな|処《ところ》に|長《なが》らくゐたいものだといふ|気《き》がした。また|一人《ひとり》とぼとぼと|進《すす》んで|行《ゆ》けば、とある|小《ちひ》さい|町《まち》に|出《で》た。|左方《さはう》を|眺《なが》むれば|小《ちひ》さな|丘《をか》があり、|山《やま》は|紫《むらさき》にして|河《かは》は|帯《おび》のやうに|流《なが》れ、|蓮華台上《れんげだいじやう》と|形容《けいよう》してよからうか、|高天原《たかあまはら》の|中心《ちゆうしん》と|称《しよう》してよからうか、|自分《じぶん》はしばしその|風光《ふうくわう》に|見惚《みと》れて、そこを|立去《たちさ》るに|躊躇《ちうちよ》した。
|山《やま》を|降《くだ》つて|少《すこ》しく|北《きた》に|進《すす》んで|行《ゆ》くと、|小《ちひ》さな|家《いへ》が|見《み》つかつた。|自分《じぶん》は|電気《でんき》に|吸着《すひつ》けらるるごとく、|忽《たちま》ちその|門口《かどぐち》に|着《つ》いてゐた。そこには|不思議《ふしぎ》にも、かの|幽庁《いうちやう》にゐられた|大王《だいわう》が、|若《わか》い|若《わか》い|婦《をんな》の|姿《すがた》と|化《くわ》して|自分《じぶん》を|出迎《でむか》へ、やがて|小《ちひ》さい|居間《ゐま》へ|案内《あんない》された。|自分《じぶん》はこの|大王《だいわう》との|再会《さいくわい》を|喜《よろこ》んで、いろいろの|珍《めづ》らしい|話《はなし》しを|聞《き》いてゐると、にはかに|虎《とら》が|唸《うな》るやうな、また|狼《おほかみ》が|呻《うめ》くやうな|声《こゑ》が|聞《きこ》えてきた。よく|耳《みみ》を|澄《す》まして|聞《き》けば、|天津祝詞《あまつのりと》や|大祓《おほはらひ》の|祝詞《のりと》の|声《こゑ》であつた。それらの|声《こゑ》とともに|四辺《あたり》は|次第《しだい》に|暗黒《あんこく》の|度《ど》を|増《ま》しきたり、|密雲《みつうん》|濛々《もうもう》と|鎖《とざ》して、|日光《につくわう》もやがては|全《まつた》く|見《み》えなくなり、|暴風《ばうふう》にはかに|吹《ふ》き|起《おこ》つて、|家《いへ》も|倒《たふ》れよ、|地上《ちじやう》のすべての|物《もの》は|吹《ふ》き|散《ち》れよとばかり|凄《すさま》じき|光景《くわうけい》となつた。その|濛々《もうもう》たる|黒雲《こくうん》の|中《なか》より「|足《あし》」といふ|古《ふる》い|顔《かほ》の|鬼《おに》が|現《あら》はれてきた。それには「|黒《くろ》」といふ|古狐《ふるぎつね》がついてゐて、|下界《げかい》を|睥睨《へいげい》してゐる。その|時《とき》にはかに|河水《かはみづ》|鳴《な》りとどろき|河中《かはなか》より|大《おほ》いなる|竜体《りゆうたい》が|現《あら》はれ、またどこからともなく、|何《なん》とも|形容《けいよう》のしがたい|悪魔《あくま》があらはれてきた。|大王《だいわう》の|居間《ゐま》も|附近《ふきん》も、この|時《とき》すつかり|暗黒《あんこく》となつて、|咫尺《しせき》すら|弁《べん》じがたき|暗《やみ》となり、かの|優《やさ》しい|大王《だいわう》の|姿《すがた》もまた|暗中《あんちゆう》に|没《ぼつ》してしまつた。ただ|目《め》に|見《み》ゆるは、|烈風中《れつぷうちゆう》に|消《き》えなむとして|瞬《またた》いてゐる|一《ひと》つのかすかな|燈光《とうくわう》ばかりである。|自分《じぶん》は|今《いま》こそ|神《かみ》を|祈《いの》るべき|時《とき》であると|不図《ふと》|心付《こころづ》き、「|天照大御神《あまてらすおほみかみ》」と「|産土神《うぶすなのかみ》」をひたすらに|念《ねん》じ、|悠々《いういう》として|祝詞《のりと》をすずやかな|声《こゑ》で|奏上《そうじやう》した。|一天《いつてん》にはかに|晴《は》れわたり、|一点《いつてん》の|雲翳《うんえい》すらなきにいたる。
|祝詞《のりと》はすべて|神明《しんめい》の|心《こころ》を|和《やはら》げ、|天地人《てんちじん》の|調和《てうわ》をきたす|結構《けつこう》な|神言《しんげん》である。しかしその|言霊《げんれい》が|円満清朗《ゑんまんせいろう》にして|始《はじ》めて|一切《いつさい》の|汚濁《をだく》と|邪悪《じやあく》を|払拭《ふつしき》することができるのである。|悪魔《あくま》の|口《くち》より|唱《とな》へらるる|時《とき》はかへつて|世《よ》の|中《なか》はますます|混乱《こんらん》|悪化《あくくわ》するものである。|蓋《けだ》し|悪魔《あくま》の|使用《しよう》する|言霊《げんれい》は|世界《せかい》を|清《きよ》める|力《ちから》なく、|慾心《よくしん》、|嫉妬《しつと》、|憎悪《ぞうを》、|羨望《せんばう》、|憤怒《ふんど》などの|悪念《あくねん》によつて|濁《にご》つてゐる|結果《けつくわ》、|天地《てんち》|神明《しんめい》の|御心《みこころ》を|損《そこな》ふにいたるからである。それ|故《ゆゑ》、|日本《にほん》は|言霊《ことたま》の|幸《さち》はふ|国《くに》といへども、|身《み》も|魂《たましひ》も|本当《ほんたう》に|清浄《せいじやう》となつた|人《ひと》が、その|言霊《ことたま》を|使《つか》つて|始《はじ》めて、|世《よ》のなかを|清《きよ》めることができ|得《う》るのである。これに|反《はん》して|身魂《みたま》の|汚《けが》れた|人《ひと》が|言霊《ことたま》を|使《つか》へば、その|言霊《ことたま》には|一切《いつさい》の|邪悪《じやあく》|分子《ぶんし》を|含《ふく》んでゐるから、|世《よ》の|中《なか》はかへつて|暗黒《あんこく》になるものである。
さて|自分《じぶん》は|八衢《やちまた》に|帰《かへ》つてみると、|前刻《さつき》の|鬼《おに》、|狐《きつね》および|大《おほ》きな|竜《りゆう》の|悪霊《あくれい》は、|自分《じぶん》を|跡《あと》から|追《お》つてきた。「|足《あし》」の|鬼《おに》は、|今度《こんど》は|多《おほ》くの|眷族《けんぞく》を|引連《ひきつ》れ|来《き》たり、|自分《じぶん》を|八方《はつぱう》より|襲撃《しふげき》し、おのおの|口中《こうちゆう》より|噴霧《ふんむ》のやうに|幾十万本《いくじふまんぼん》とも|数《かぞ》へられぬほどの|針《はり》を|噴《ふ》きかけた。しかし|自分《じぶん》の|身体《からだ》は|神明《しんめい》の|加護《かご》を|受《う》けてゐた。あたかも|鉄板《てつぱん》のやうに|針《はり》を|弾《は》ね|返《かへ》して|少《すこ》しの|痛痒《つうよう》をも|感《かん》じない。その|有難《ありがた》さに|感謝《かんしや》のため|祝詞《のりと》を|奏《あ》げた。その|声《こゑ》に、すべての|悪魔《あくま》は|煙《けむり》のごとく|消滅《せうめつ》して|見《み》えなくなつた。
ここで|一寸《ちよつと》|附言《ふげん》しておく。「|足《あし》」の|鬼《おに》といふのは|烏帽子《ゑぼし》|直垂《ひたたれ》を|着用《ちやくよう》して、あたかも|神《かみ》に|仕《つか》へるやうな|服装《ふくさう》をしてゐた。しかし|本来《ほんらい》|非常《ひじやう》に|猛悪《まうあく》な|顔貌《がんばう》なのだが、|一見《いつけん》|立派《りつぱ》な|容子《ようす》に|身《み》をやつしてゐる。また|河《かは》より|昇《のぼ》れる|竜《りゆう》は、たちまち|美人《びじん》に|化《ば》けてしまつた。この|竜女《りゆうぢよ》は、|竜宮界《りゆうぐうかい》の|大使命《だいしめい》を|受《う》けてゐるものであつて、|大神《おほかみ》|御経綸《ごけいりん》の|世界《せかい》|改造《かいざう》|運動《うんどう》に|参加《さんか》すべき|身魂《みたま》であつたが、|美《うつく》しい|肉体《にくたい》の|女《をんな》に|変《へん》じて「|足《あし》」の|鬼《おに》と|肉体上《にくたいじやう》の|関係《くわんけい》を|結《むす》び|神界《しんかい》の|使命《しめい》を|台《だい》なしにしてしまつた。|竜女《りゆうぢよ》に|変化《かは》つたその|肉体《にくたい》は、|現在《げんざい》|生《い》き|残《のこ》つて|河《かは》をへだてて|神《かみ》に|仕《つか》へてゐる。|彼女《かのぢよ》が|竜女《りゆうぢよ》であるといふ|証拠《しようこ》には、その|太腿《ふともも》に|竜《りゆう》の|鱗《うろこ》が|三枚《さんまい》もできてゐる。|神界《しんかい》の|摂理《せつり》は|三界《さんかい》に|一貫《いつくわん》し、|必《かなら》ずその|報《むく》いが|出《で》てくるものであるから、|神界《しんかい》の|大使命《だいしめい》を|帯《お》びたる|竜女《りゆうぢよ》を|犯《をか》すことは、|神界《しんかい》としても|現界《げんかい》としても、|末代《まつだい》|神《かみ》の|譴《いまし》めを|受《う》けねばならぬ。「|足《あし》」の|鬼《おに》はその|神罰《しんばつ》により、その|肉体《にくたい》の|一子《いつし》は|聾《つんぼ》となり、|一女《いちぢよ》は|顔《かほ》|一面《いちめん》に|菊石《あばた》を|生《しやう》じ、|醜《みにく》い|竜《りゆう》の|葡匐《ほふく》するやうな|痕跡《こんせき》をとどめてゐた。さて|一女《いちぢよ》まづ|死《し》し、ついでその|一子《いつし》も|滅《ほろ》んだ。かれは|罪《つみ》のために|国常立尊《くにとこたちのみこと》に|谷底《たにぞこ》に|蹴落《けおと》され|胸骨《きようこつ》を|痛《いた》めた|結果《けつくわ》、|霊肉《れいにく》ともに|滅《ほろ》んでしまつた。かくて「|足《あし》」の|肉体《にくたい》もついに|大神《おほかみ》の|懲戒《いましめ》を|蒙《かうむ》り、|日《ひ》に|日《ひ》に|痩衰《やせおとろ》へ|家計《かけい》|困難《こんなん》に|陥《おちい》り、|肺結核《はいけつかく》を|病《や》んで|悶死《もんし》してしまつた。
|以上《いじやう》の|一男《いちなん》|一女《いちぢよ》は「|足《あし》」の|前妻《ぜんさい》の|子女《しぢよ》であるが、|竜女《りゆうぢよ》と「|足《あし》」の|鬼《おに》との|間《あひだ》にも、|一男《いちなん》が|生《うま》れた。「|足《あし》」の|鬼《おに》は|二人《ふたり》の|子女《しぢよ》を|失《うしな》つたので、|彼《かれ》は|自分《じぶん》の|後継者《こうけいしや》として、その|男《をとこ》の|子《こ》を|立《た》てやうとする。|竜女《りゆうぢよ》の|方《はう》でも、|自分《じぶん》の|肉体《にくたい》の|後継者《こうけいしや》としやうとして|焦《あせ》つてゐる。|一方《いつぱう》|竜女《りゆうぢよ》には|厳格《げんかく》な|父母《ふぼ》があつた。|彼《かれ》らもその|子《こ》を|自分《じぶん》の|家《いへ》の|相続者《さうぞくしや》としやうとして|離《はな》さぬ。「|足《あし》」の|鬼《おに》の|方《はう》は|無理《むり》にこれを|引《ひき》とらうとして、|一人《ひとり》の|肉体《にくたい》を、|二《ふた》つに|引《ひ》きち|切《ぎ》つて|殺《ころ》してしまつた。|霊界《れいかい》でかうして|引裂《ひきさ》かれて|死《し》んだ|子供《こども》は|現界《げんかい》では、|父《ちち》につけば|母《はは》にすまぬ、|母《はは》につけば|父《ちち》にすまぬと、|煩悶《はんもん》の|結果《けつくわ》、|肺結核《はいけつかく》を|病《や》んで|死《し》んだのである。かうして「|足《あし》」の|鬼《おに》の|方《はう》は|霊肉《れいにく》ともに|一族《いちぞく》|断絶《だんぜつ》したが、|竜女《りゆうぢよ》は|今《いま》も|後継者《こうけいしや》なしに|寡婦《くわふ》の|孤独《こどく》な|生活《せいくわつ》を|送《おく》つてゐる。
|本来《ほんらい》|竜女《りゆうぢよ》なるものは、|海《うみ》に|極寒《ごくかん》|極熱《ごくねつ》の|一千年《いつせんねん》を|苦行《くぎやう》し、|山中《さんちゆう》にまた|一千年《いつせんねん》、|河《かは》にまた|一千年《いつせんねん》を|修業《しうげふ》して、はじめて|人間界《にんげんかい》に|生《うま》れ|出《い》づるものである。その|竜体《りゆうたい》より|人間《にんげん》に|転生《てんしやう》した|最初《さいしよ》の|一生涯《いつしやうがい》は、|尼《あま》になるか、|神《かみ》に|仕《つか》へるか、いづれにしても|男女《だんぢよ》の|交《まじは》りを|絶《た》ち、|聖浄《きよらか》な|生活《せいくわつ》を|送《おく》らねばならないのである。もしこの|禁断《きんだん》を|犯《をか》せば、|三千年《さんぜんねん》の|苦行《くぎやう》も|水《みづ》の|沫《あわ》となつて|再《ふたた》び|竜体《りゆうたい》に|堕落《だらく》する。|従《したが》つて|竜女《りゆうぢよ》といふものは|男子《だんし》との|交《まじは》りを|喜《よろこ》ばず、かつ|美人《びじん》であり、|眼《まなこ》|鋭《するど》く、|身体《しんたい》のどこかに|鱗《うろこ》の|数片《すうへん》の|痕跡《こんせき》を|止《とど》めてゐるものも|偶《たま》にはある。かかる|竜女《りゆうぢよ》に|対《たい》して|種々《しゆじゆ》の|人間界《にんげんかい》の|情実《じやうじつ》、|義理《ぎり》、|人情《にんじやう》|等《とう》によつて、|強《しひ》て|竜女《りゆうぢよ》を|犯《をか》し、また|犯《をか》さしめるならば、それらの|人《ひと》は|竜神《りゆうじん》よりの|恨《うらみ》をうけ、その|復讐《ふくしう》に|会《あ》はずにはゐられない。|通例《つうれい》|竜女《りゆうぢよ》を|犯《をか》す|場合《ばあひ》は、その|夫婦《ふうふ》の|縁《えん》は|決《けつ》して|安全《あんぜん》に|永続《ゑいぞく》するものではなく、|夫《をつと》は|大抵《たいてい》は|夭死《えうし》し、|女《をんな》は|幾度《いくど》|縁《えん》をかゆるとも、|同《おな》じやうな|悲劇《ひげき》を|繰返《くりかへ》し、|犯《をか》したものは|子孫《しそん》|末代《まつだい》まで、|竜神《りゆうじん》の|祟《たた》りを|受《う》けて|苦《くる》しまねばならぬ。
(大正一〇・一〇・一九 旧九・一九 谷口正治録)
第一八章 |霊界《れいかい》の|情勢《じやうせい》〔一八〕
ここで|自分《じぶん》は、|神界《しんかい》|幽界《いうかい》の|現界《げんかい》にたいする|関係《くわんけい》を|一寸《ちよつと》|述《の》べておかうと|思《おも》ふ。
|神界《しんかい》と|幽界《いうかい》とは|時間《じかん》|空間《くうかん》を|超越《てうゑつ》して、|少《すこ》しも|時間的《じかんてき》の|観念《かんねん》はない。それゆゑ|霊界《れいかい》において|目撃《もくげき》したことが、|二三日後《にさんにちご》に|現界《げんかい》に|現《あら》はれることもあれば、|十年後《じふねんご》に|現《あら》はれることもあり、|数百年後《すうひやくねんご》に|現《あら》はれることもある。また|数百年《すうひやくねん》|数千年《すうせんねん》|前《ぜん》の|太古《たいこ》を|見《み》せられることもある。その|見《み》ゆる|有様《ありさま》は|過去《くわこ》、|現在《げんざい》、|未来《みらい》が|一度《いちど》に|鏡《かがみ》にかけたごとく|見《み》ゆるものであつて、あたかも|過去《くわこ》、|現在《げんざい》、|未来《みらい》の|区別《くべつ》なきが|如《ごと》くにして、しかもその|区別《くべつ》がそれと|歴然《れきぜん》|推断《すいだん》され|得《う》るのである。
|霊界《れいかい》より|観《み》れば、|時空《じくう》、|明暗《めいあん》、|上下《じやうげ》、|大小《だいせう》、|広狭《くわうけふ》|等《とう》すべて|区別《くべつ》なく、|皆《みな》|一様《いちやう》|平列的《へいれつてき》に|霊眼《れいがん》に|映《えい》じてくる。
ここに|自分《じぶん》が|述《の》べつつあることは、|霊界《れいかい》において|見《み》た|順序《じゆんじよ》のままに|来《く》るとはかぎらない。|霊界《れいかい》において|一層《いつそう》|早《はや》く|会《あ》ふた|身魂《みたま》が、|現界《げんかい》では|一層《いつそう》|晩《おそ》く|会《あ》ふこともあり、|霊界《れいかい》にて|一層《いつそう》|後《あと》に|見《み》た|身魂《みたま》を、|現界《げんかい》にて|一層《いつそう》|早《はや》く|見《み》ることもある。|今回《こんくわい》の|三千世界《さんぜんせかい》の|大神劇《だいしんげき》に|際《さい》して、|檜舞台《ひのきぶたい》に|立《た》つところの|霊界《れいかい》の|役者《やくしや》たちの|霊肉《れいにく》|一致《いつち》の|行動《かうどう》は、|自分《じぶん》が|霊界《れいかい》において|観《み》たところとは、|時間《じかん》において|非常《ひじやう》に|差異《さい》がある。
されど|自分《じぶん》は、|一度《いちど》|霊界《れいかい》で|目撃《もくげき》したことは、|神劇《しんげき》として|必《かなら》ず|現界《げんかい》に|再現《さいげん》してくることを|信《しん》ずるものである。
さて|天界《てんかい》は、|天照大御神《あまてらすおほみかみ》の|御支配《ごしはい》であつて、これは|後述《こうじゆつ》することにするが、|今《いま》は|地上《ちじやう》の|神界《しんかい》の|紛乱《ふんらん》|状態《じやうたい》を|明《あき》らかにしたいと|思《おも》ふ。|今《いま》までは|地上《ちじやう》|神界《しんかい》の|主宰者《しゆさいしや》たる|国常立尊《くにとこたちのみこと》は、「|表《おもて》の|神諭《しんゆ》」に|示《しめ》されたるごとくに、やむを|得《え》ざる|事情《じじやう》によつて、|引退《いんたい》され|給《たま》うてゐられた。
それに|代《かは》つて、|太古《たいこ》において|衆望《しうばう》を|担《にな》うて、|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|後《あと》を|襲《おそ》ひたまうた|神様《かみさま》は、|現在《げんざい》は|支那《しな》といふ|名《な》で|区劃《くくわく》されてゐる|地域《ちゐき》に、|発生《はつせい》せられたる|身魂《みたま》であつて、|盤古大神《ばんこだいじん》といふ|神《かみ》である。この|神《かみ》はきはめて|柔順《じうじゆん》なる|神《かみ》にましまして、|決《けつ》して|悪神《わるがみ》ではなかつた。ゆゑに|衆神《おほくのかみ》より|多大《ただい》の|望《のぞ》みを|嘱《しよく》されてゐたまうた|神《かみ》である。|今《いま》でこそ|日本《にほん》といひ、|支那《しな》といひ|露西亜《ロシア》といひ、|種々《しゆじゆ》に|国境《こくきやう》が|区劃《くくわく》されてゐるが、|国常立尊《くにとこたちのみこと》|御神政《ごしんせい》|時代《じだい》は、|日本《にほん》とか|外国《ぐわいこく》とかいふやうな|差別《さべつ》は|全《まつた》くなかつた。
ところが|天孫《てんそん》|降臨《かうりん》|以来《いらい》、|国家《こくか》といふ|形式《けいしき》ができあがり、いはゆる|日本国《にほんこく》が|建《た》てられた。|従《したが》つて|水火沫《しほなは》の|凝《こ》りてなれるてふ|海外《かいぐわい》の|地《ち》にも|国家《こくか》が|建設《けんせつ》されたのである。さて、いはゆる|日本国《にほんこく》が|創建《さうけん》され、|諸々《もろもろ》の|国々《くにぐに》が|分《わか》れ|出《い》でたるとき、|支那《しな》に|生《う》まれたまうた|盤古大神《ばんこだいじん》は、|葦原中津国《あしはらのなかつくに》に|来《き》たりたまひて|国祖《こくそ》の|後《あと》を|襲《おそ》ひたまふた|上《うへ》、|八王大神《やつわうだいじん》といふ|直属《ちよくぞく》の|番頭神《ばんとうがみ》を|御使《おつか》ひになつて、|地《ち》の|世界《せかい》の|諸国《しよこく》を|統轄《とうかつ》せしめられた。|一方《いつぱう》いはゆる|外国《ぐわいこく》には、|国々《くにぐに》の|国魂《くにたま》の|神《かみ》および|番頭神《ばんとうがみ》として、|国々《くにぐに》に|八王八頭《やつわうやつがしら》といふ|神《かみ》を|配置《はいち》された。|丁度《ちやうど》それは|日本《にほん》の|国《くに》に|盤古大神《ばんこだいじん》があり、その|下《した》に|八王大神《やつわうだいじん》がおかれてあつたやうなものである。|日本《にほん》|本土《ほんど》における|八王大神《やつわうだいじん》は、|諸外国《しよぐわいこく》の|八王八頭《やつわうやつがしら》を|統轄《とうかつ》し、その|上《うへ》を|盤古大神《ばんこだいじん》が|総纜《そうらん》したまひましたが、|八王八頭《やつわうやつがしら》は|決《けつ》して|悪神《あくがみ》ではない。|天《てん》から|命《めい》ぜられて|各国《かくこく》の|国魂《くにたま》となつたのは|八王《やつわう》であり、|八頭《やつがしら》は|宰相《さいしやう》の|位置《ゐち》の|役《やく》である。こういふ|風《ふう》なのが、|今日《こんにち》、|国常立尊《くにとこたちのみこと》|御復権《ごふくけん》までの|神界《しんかい》の|有様《ありさま》である。
さうかうするうちに、|露国《ろこく》のあたりに|天地《てんち》の|邪気《じやき》が|凝《こ》りかたまつて|悪霊《あくれい》が|発生《はつせい》した。これがすなはち|素盞嗚命《すさのをのみこと》の|言向和《ことむけやわ》された、かの|醜《みにく》い|形《かたち》の|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》の|姿《すがた》をしてゐたのである。この|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》の|霊《れい》が|霊《みたま》を|分《わ》けて、|国々《くにぐに》の|国魂神《くにたまがみ》および|番頭神《ばんとうがみ》なる|八王八頭《やつわうやつがしら》の|身魂《みたま》を|冒《をか》し、|次第《しだい》に|神界《しんかい》を|悪化《あくくわ》させるやうに|努力《どりよく》しながら|現在《げんざい》にいたつたのである。しかるに|一方《いつぱう》|印度《いんど》においては、|極陰性《ごくいんせい》の|邪気《じやき》が|凝《こ》りかたまつて|金毛九尾《きんまうきうび》|白面《はくめん》の|悪狐《あくこ》が|発生《はつせい》した。この|霊《れい》はおのおのまた|霊《れい》を|分《わ》けて、|国々《くにぐに》の|八王八頭《やつわうやつがしら》の|相手方《あひてがた》の|女《をんな》の|霊《れい》にのり|憑《うつ》つた。
しかして、また|一《ひと》つの|邪気《じやき》が|凝《こ》り|固《かた》まつて|鬼《おに》の|姿《すがた》をして|発生《はつせい》したのは、|猶太《ゆだや》の|土地《とち》であつた。この|邪鬼《おに》は、すべての|神界《しんかい》|並《なら》びに|現界《げんかい》の|組織《そしき》を|打《う》ち|毀《こわ》して、|自分《じぶん》が|盟主《めいしゆ》となつて、|全世界《ぜんせかい》を|妖魅界《えうみかい》にしやうと|目論《もくろ》みてゐる。しかしながら|日本国《にほんこく》は|特殊《とくしゆ》なる|神国《しんこく》であつて、この|三種《さんしゆ》の|悪神《あくがみ》の|侵害《しんがい》を|免《まぬが》れ、|地上《ちじやう》に|儼然《げんぜん》として、|万古不動《ばんこふどう》に|卓立《たくりつ》してをることができた。この|悪霊《あくれい》の|三つ巴《みつどもゑ》のはたらきによつて、|諸国《しよこく》の|国魂《くにたま》の|神《かみ》の|統制力《とうせいりよく》はなくなり、|地上《ちじやう》の|世界《せかい》は|憤怒《ふんど》と、|憎悪《ぞうを》と、|嫉妬《しつと》と、|羨望《せんばう》と、|争闘《そうとう》などの|諸罪悪《しよざいあく》に|充《み》ち|満《み》ちて、つひに|収拾《しうしふ》すべからざる|三界《さんかい》の|紛乱《ふんらん》|状態《じやうたい》を|醸《かも》したのである。
ここにおいて、|天上《てんじやう》にまします|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|大神《おほかみ》は、このままにては|神界《しんかい》、|現界《げんかい》、|幽界《いうかい》も、|共《とも》に|破滅《はめつ》|淪亡《りんばう》の|外《ほか》はないと|観察《くわんさつ》したまひ、ふたたび|国常立尊《くにとこたちのみこと》をお|召《めし》|出《だ》し|遊《あそ》ばされ、|神界《しんかい》および|現界《げんかい》の|建替《たてかへ》を|委任《ゐにん》し|給《たま》ふことになつた。さうして|坤之金神《ひつじさるのこんじん》をはじめ、|金勝要神《きんかつかねのかみ》、|竜宮乙姫《りゆうぐうのおとひめ》、|日出神《ひのでのかみ》が、この|大神業《だいしんげふ》を|輔佐《ほさ》し|奉《たてまつ》ることになり、|残《のこ》らずの|金神《こんじん》すなはち|天狗《てんぐ》たちは、おのおの|分担《ぶんたん》に|従《したが》つて|御活動《ごくわつどう》|申《まを》し|上《あ》げ、|白狐《びやくこ》は|下郎《げろう》の|役《やく》として、それぞれ|神務《しんむ》に|参加《さんか》することになつた。ここにおいて|天津神《あまつかみ》の|嫡流《ちやくりう》におかせられても、|木花咲耶姫命《このはなさくやひめのみこと》と|彦火々出見命《ひこほほでみのみこと》は、|事態《じたい》|容易《ようい》ならずと|見《み》たまひ、|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|神業《しんげふ》を|御手伝《おてつだ》ひ|遊《あそ》ばすこととなり、|正神界《せいしんかい》の|御経綸《ごけいりん》は|着々《ちやくちやく》その|歩《ほ》を|進《すす》め|給《たま》ひつつあるのである。それと|共《とも》にそれぞれ|因縁《いんねん》ある|身魂《みたま》は、すべて|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に|集《あつ》まり、|神界《しんかい》の|修行《しうげやう》に|参加《さんか》し、|御経綸《ごけいりん》の|端《はし》なりとも|奉仕《ほうし》さるることになつてをるのである。
そもそも|太古《たいこ》、|葦原瑞穂中津国《あしはらのみづほのなかつくに》は|大国主命《おほくにぬしのみこと》が|武力《ぶりよく》をもつて、|天下《てんか》をお|治《おさ》めになつてゐた。|天孫《てんそん》|降臨《かうりん》に|先《さき》だち、|天祖《てんそ》は|第三回《だいさんくわい》まで|天使《てんし》をお|遣《つかは》しになり、つひには|武力《ぶりよく》をもつて|大国主命《おほくにぬしのみこと》の|権力《けんりよく》を|制《せい》し|給《たま》うた。|大国主神《おほくにぬしのかみ》も|力《ちから》|尽《つ》きたまひ、|現界《げんかい》の|御政権《ごせいけん》をば|天命《てんめい》のままに|天孫《てんそん》に|奉還《ほうくわん》し、|大国主《おほくにぬし》|御自身《ごじしん》は、|青芝垣《あをしばがき》にかくれて|御子《おんこ》|事代主《ことしろぬし》と|共《とも》に、|幽世《かくりよ》を|統治《とうち》したまふことになつた。
この|時代《じだい》の|天孫《てんそん》の|御降臨《ごかうりん》は、|現在《げんざい》の|日本《にほん》なる|地上《ちじやう》の|小区劃《せうくくわく》を|御支配《ごしはい》なし|給《たま》ふためではなく、|実《じつ》に|全地球《ぜんちきう》の|現界《げんかい》を|知食《しろしめ》すための|御降臨《ごかうりん》であり|給《たま》うた。しかしながら|未完成《みくわんせい》なる|世界《せかい》には、|憎悪《にくみ》、|憤怒《いかり》、|怨恨《うらみ》、|嫉妬《ねたみ》、|争闘《あらそひ》|等《とう》あらゆる|邪悪《じやあく》が|充満《じゆうまん》してゐるために、|天《てん》の|大神様《おほかみさま》の|御大望《ごたいもう》は|完成《くわんせい》するにいたらず、|従《したが》つて|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》の|修羅《しゆら》の|巷《ちまた》と|化《くわ》し|去《さ》り|地上《ちじやう》の|神界《しんかい》、|現界《げんかい》は、ほとんど|全《まつた》く|崩壊《ほうくわい》|淪亡《りんぼう》しやうとする|場合《ばあひ》に|立《た》ちいたつたのである。
かかる|情勢《じやうせい》を|見給《みたま》ひし|天津神《あまつかみ》|様《さま》は、|命令《めいれい》を|下《した》したまひて、|盤古大神《ばんこだいじん》は|地上《ちじやう》|一切《いつさい》の|幽政《いうせい》の|御権利《ごけんり》を、|艮金神《うしとらのこんじん》|国常立尊《くにとこたちのみこと》に、ふたたび|御奉還《ごほうくわん》になるのやむなき|次第《しだい》となつた。ここに|盤古大神《ばんこだいじん》も|既《すで》に|時節《じせつ》のきたれるを|知《し》り、|従順《すなほ》に|大神様《おほかみさま》の|御命令《ごめいれい》を|奉戴《ほうたい》|遵守《じゆんしゆ》したまうた。しかるに|八王大神《やつわうだいじん》|以下《いか》の|国魂《くにたま》は、|邪神《じやしん》のためにその|精霊《せいれい》を|全《まつた》く|汚《けが》されきつてゐるので、まだまだ|改心《かいしん》することができず、いろいろと|悪策《あくさく》をめぐらしてゐたのである。なかには|改心《かいしん》の|兆《きざし》の|幾分《いくぶん》|見《み》えた|神《かみ》もあつた。
かくの|如《ごと》くにして|国常立尊《くにとこたちのみこと》が、|完全《くわんぜん》に|地上《ちじやう》の|神界《しんかい》を|御統一《ごとういつ》なしたまふべき|時節《じせつ》は、|既《すで》に|已《すで》に|近《ちか》づいてゐる。|神界《しんかい》の|有様《ありさま》は|現界《げんかい》にうつりきたり、|神界《しんかい》|平定後《へいていご》は|天津日継命《あまつひつぎのみこと》が|現界《げんかい》を|治《をさ》め|給《たま》ひ、|国常立尊《くにとこたちのみこと》は|幽政《いうせい》を|総纜《そうらん》したまひ、|大国主命《おほくにぬしのみこと》は|日本《にほん》の|幽政《いうせい》をお|司《つかさど》りになるはずである。しかし|現在《げんざい》ではまだ、|八頭八尾《やつがしらやつを》の|大蛇《をろち》、|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪狐《あくこ》および|鬼《おに》の|霊《れい》は、|盤古大神《ばんこだいじん》を|擁立《ようりつ》して、|幽界《いうかい》および|現界《げんかい》を|支配《しはい》しやうと、|諸々《もろもろ》の|悪計《あくけい》をめぐらしつつあるのである。
しかしながら|従順《じゆうじゆん》な|盤古大神《ばんこだいじん》は、|神界《しんかい》に|対《たい》するかかる|反逆《はんぎやく》に|賛同《さんどう》されないので、|邪鬼《じやき》の|霊《れい》はみづから|頭目《とうもく》となり、|赤色旗《せきしよくき》を|押立《おした》てていろいろの|身魂《みたま》をその|眷族《けんぞく》に|使《つか》ひつつ、|高天原《たかあまはら》|乗取策《のつとりさく》を|講《かう》じてゐる。
そこで|天《てん》よりは|事態《じたい》|容易《ようい》ならずとして、|御三体《ごさんたい》の|大神《おほかみ》が|地上《ちじやう》に|降臨《かうりん》ましまして、|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|御経綸《ごけいりん》を|加勢《かせい》なしたまふことになり、|国常立尊《くにとこたちのみこと》は|仮《かり》の|御息所《みやすどころ》を|蓮華台上《れんげだいじやう》に|建設《けんせつ》して、|御三体《ごさんたい》の|大神様《おほかみさま》を|奉迎《ほうげい》し|給《たま》ふこととなるのである。
したがつて、|御三体《ごさんたい》の|大神様《おほかみさま》の|御息所《みやすどころ》ができたならば、|神界《しんかい》の|御経綸《ごけいりん》が|一層《いつそう》|進《すす》んだ|証拠《しようこ》だと|拝察《はいさつ》することができる。
(大正一〇・一〇・二〇 旧九・二〇 谷口正治録)
第一九章 |盲目《まうもく》の|神使《しんし》〔一九〕
|自分《じぶん》は、ある|清《きよ》い|水《みづ》の|流《なが》れてゐる|河《かは》の|中《なか》へはいつて|漁魚《すなどり》をしてゐた。さうすると|河《かは》の|岸《きし》に|立《た》つて、しきりに|呼《よ》ぶ|者《もの》がある。その|男《をとこ》の|顔《かほ》を|見《み》ると、|眼《め》がほとんど|閉《ふさ》がつて、|一《ひと》ツも|見《み》えない。ようこんな|眼《め》で|危《あやふ》い|河縁《かはぶち》の|土堤《どて》へこられたものだと|思《おも》つた。
ともかくも|河《かは》から|上《あが》つて、その|使《つかひ》の|側《そば》へ|寄《よ》つて、
『|私《わたくし》を|呼《よ》びとどめたのは|何《なん》の|用《よう》か』
とたづねてみた。すると|盲目《めくら》の|男《をとこ》は、
『|私《わたし》は|地《ち》の|高天原《たかあまはら》からのお|使《つかひ》で、あなたをお|迎《むか》ひに|参《まゐ》つたものです』
と|答《こた》へた。そこで|自分《じぶん》は、
『いや、|先《せん》だつて、|神界《しんかい》を|探険《たんけん》したが、あのやうな|状態《じやうたい》では、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》も|糞《くそ》もあつたものではない。むしろ|地獄《ぢごく》の|探険《たんけん》が|優《ま》しである』
と|答《こた》へた。そして、
『お|前《まへ》のやうな|盲目《めくら》の|使《つかひ》を|寄《よ》こすやうな|神《かみ》なら、きつと|盲目《めくら》の|神《かみ》であらう。|盲目《めくら》が|眼明《めあ》きの|手《て》をひいて、|地獄《ぢごく》の|谷底《たにぞこ》へ|落《おと》すやうなものであるから|行《ゆ》かぬ』
と|答《こた》へた。すると|其《そ》の|使《つかひ》は、
『あなたは|私《わたし》の|肉体《にくたい》を|見《み》てゐるのか、それとも|霊《れい》を|見《み》てゐるのか。|肉体《にくたい》は|現存《げんぞん》してゐるが、|私《わたし》の|霊《れい》は|尊《たふと》いものである。しかも|私《わたし》の|霊《れい》はすべての|神《かみ》に|優《すぐ》れてゐる』
と|誇《ほこ》り|気《げ》にいふ。にはかに|自分《じぶん》も|行《ゆ》きたい|気《き》がして、|産土神《うぶすなのかみ》にむかつてお|願《ねが》ひをした。すると|産土神《うぶすなのかみ》が|現《あら》はれて、|両眼《りやうがん》に|涙《なみだ》をたたへたまひ、
『とも|角《かく》も|世界《せかい》を|救済《きうさい》する|御用《ごよう》であるから、|行《い》つてくるが|宜《よ》かろう。しかし|今度《こんど》|行《い》つたら、|容易《ようい》に|帰《かへ》つてくることはできぬ。いろいろの|艱難《かんなん》|辛苦《しんく》を|嘗《な》めなければならぬが、|神《かみ》から|十分《じゆうぶん》|保護《ほご》をするから、|使《つかひ》について|高天原《たかあまはら》へ|上《のぼ》つてくれ。|自分《じぶん》も|産土神《うぶすなのかみ》として|名誉《めいよ》であるから』
と|仰《あふ》せられる。そこで|自分《じぶん》はその|使《つかひ》とともに、|大橋《おほはし》を|渡《わた》つて、だんだんと|何《なん》とも|知《し》れぬ、|焦《あせ》つくやうな|熱《あつ》い|空《そら》を、|笠《かさ》も|着《き》ず|進《すす》んで|行《い》つた。すると|俄《にはか》にどういふわけか、|空《そら》が|真黒《まつくろ》になつて、|雷鳴《らいめい》|轟《とどろ》きわたり、|雨《あめ》は|車軸《しやじく》を|流《なが》すがごとく|降《ふ》つてきた。|真昼《まひる》にもかかはらず|一寸先《いつすんさき》も|見《み》えぬ|真黒闇《まつくらやみ》になつて、あまつさへ|風《かぜ》ひどく|一歩《いつぽ》も|進《すす》むことができぬ。そのとき|心《こころ》に|思《おも》ふやう、……|高天原《たかあまはら》から|自分《じぶん》を|迎《むか》ひに|来《き》たといふから、|承知《しようち》して|一歩《いつぽ》|踏《ふ》みだすと|此《こ》の|有様《ありさま》である。|或《ある》ひはこの|者《もの》がさういふて、|自分《じぶん》に|苦《くる》しみを|与《あた》へるために|連《つ》れて|行《ゆ》くのではないか……といふ|念《ねん》が|起《おこ》つてきた。
そこでまた|天然笛《てんねんぶえ》を|取《と》りだして|吹奏《すゐそう》した。すると|雨《あめ》はカラリと|晴《は》れ、|雷鳴《らいめい》は|止《や》み、|空《そら》は|明《あき》らかになつてきた。それから|幾《いく》つも|幾《いく》つも|峠《たうげ》を|縫《ぬ》つてすすむと、|狭《せま》い|道路《みち》にあたつて、|種々《しゆじゆ》の|大蛇《だいじや》や|毒蛇《どくじや》が|横《よこ》たはつてゐるのに|出会《であ》うた。
|盲目《めくら》の|使《つかひ》は|大蛇《だいじや》も|平気《へいき》でその|上《うへ》をドンドン|踏《ふ》みわたつて|行《ゆ》く。また|蝮《まむし》がをつても|狼《おほかみ》が|足元《あしもと》に|噛《か》みつきかかつても、|平気《へいき》で|歩《ある》いてゐる。|自分《じぶん》は|眼《め》が|明《あ》いてゐるために、|大蛇《だいじや》や、|毒蛇《どくじや》や、|狼《おほかみ》に|眼《め》がつき、|恐怖心《きようふしん》がおこつて|進《すす》むことを|躊躇《ちうちよ》した。しかしながら|盲目《めくら》の|使《つかひ》がするとほり|踏《ふ》んで|行《ゆ》けば、|別条《べつでう》はなからうと|思《おも》ひ、|怖々《こわごわ》|踏《ふ》んで|行《い》つた。そのとき|天《てん》の|一方《いつぱう》から|誰《だれ》いふとなく、
『|眼《め》の|見《み》えざる|者《もの》は|幸《さいはひ》なり』
との|声《こゑ》が|聞《きこ》えてきた。
それから|一《いち》の|峠《たうげ》の|頂上《ちやうじやう》に|達《たつ》して、|両人《りやうにん》がそこで|暫時《ざんじ》|休息《きうそく》した。そのとき|心《こころ》に|思《おも》つたのは……|実《じつ》にこの|小《ちひ》さな|眼《め》の|見《み》えるほど|苦痛《くつう》な、そして|不幸《ふかう》なものはない。|自分《じぶん》は|眼《め》が|明《あ》いてゐるために、|大蛇《だいじや》や|狼《おほかみ》を|防《ふせ》がうとして、|色々《いろいろ》と|心配《しんぱい》をするが、|盲目《めくら》はなんとも|思《おも》はず、|平気《へいき》で|進《すす》んで|行《ゆ》く。この|小《ちひ》さな|眼《め》を|開《ひら》くことは|要《い》らぬことだ。|世界《せかい》のことは、|眼《め》を|明《あ》けぬ|方《はう》がよい。たとへ|見《み》えても|見《み》えぬふりする|方《はう》が|無難《ぶなん》である……と|覚《さと》ることを|得《え》た。
すると|盲目《めくら》の|使《つかひ》は、|諄々《じゆんじゆん》と|地《ち》の|高天原《たかあまはら》における|種々《しゆじゆ》の|様子《やうす》を|話《はな》してくれた。かつて|自分《じぶん》の|経《とほ》つてきた|幽界《いうかい》や、いまだ|探険《たんけん》をせぬ|神界《しんかい》の|話《はなし》もした。そこで、
『|貴殿《きでん》はどうしてこんなに|詳《くは》しいことが|解《わか》るか』
とたづねた。
『あなたをお|迎《むか》へに|来《き》て、お|目《め》にかかつた|時《とき》、あなたから|光《ひかり》が|現《あら》はれて、|今《いま》まで|解《わか》らなかつたのが、|幽界《いうかい》の|方《はう》は|何《なに》もかも|明瞭《あきらか》になつて、|非常《ひじやう》に|心《こころ》が|勇《いさ》んできました』
と|答《こた》へた。
さうしてその|使《つかひ》の|言《い》ふには、
『|実《じつ》は|大神《おほかみ》の|命《めい》により、あなたを|迎《むか》へに|来《き》たのであるが、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》は|今《いま》|悪魔《あくま》が、|種々《いろいろ》と|邪魔《じやま》をして|黒雲《くろくも》に|包《つつ》まれてをるので、ひそかに|隠《かく》れて|来《き》たやうな|次第《しだい》であります。そこで|神様《かみさま》も|単独《ひとり》では|行《ゆ》かず、あなたに|来《き》てもらうて、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》を|明《あき》らかにすべく|御用《ごよう》してもらはねばならぬ。あなたも|洵《まこと》に|御苦労《ごくろう》なことです』
といふ。|自分《じぶん》はこの|山《やま》の|峠《たうげ》まで|引《ひ》つぱり|出《だ》されて、かういふことを|聞《き》かされたのである。|前回《ぜんくわい》の|探険《たんけん》に|懲《こ》りてをるからと|言《い》つて、|今《いま》さら|女々《めめ》しく|引還《ひきかへ》すこともならず、|行《ゆ》けば|大変《たいへん》な|艱難《かんなん》に|会《あ》ふことは|知《し》れてゐるが、|氏神《うぢがみ》や、|神界《しんかい》の|命令《めいれい》であるから、どこまでも|奉《ほう》ぜなければならぬと|思《おも》ひ、|勇気《ゆうき》を|鼓《こ》して|地《ち》の|高天原《たかあまはら》へゆくことにした。
|案《あん》の|定《ぢやう》、|高天原《たかあまはら》の|聖地《せいち》に|来《き》てみると、|自分《じぶん》の|来《く》ることを|悪魔《あくま》が|先《さき》に|知《し》つて、|非常《ひじやう》に|狼狽《らうばい》し、|反抗《はんかう》|運動《うんどう》の|真最中《まつさいちゆう》であつた。|丁度《ちやうど》|自分《じぶん》は、|火《ひ》の|燃《も》えてゐる|中《なか》へ|飛《と》びこむ|心地《ここち》がした。
(大正一〇・一〇・一九 旧九・一九 広瀬義邦録)
第三篇 |天地《てんち》の|剖判《ぼうはん》
第二〇章 |日地月《につちげつ》の|発生《はつせい》〔二〇〕
|盲目《めくら》の|神使《しんし》に|迎《むか》へられて、|自分《じぶん》は|地《ち》の|高天原《たかあまはら》へたどりついたが、|自分《じぶん》の|眼《め》の|前《まへ》には、|何時《いつ》のまにか、|大地《だいち》の|主宰神《しゆさいしん》にまします|国常立大神《くにとこたちのおほかみ》と、|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》が|出御《しゆつぎよ》|遊《あそ》ばしたまうた。|自分《じぶん》は|仰《あふ》せのまにまにこの|両神《りやうしん》より、|貴重《きちよう》なる|天眼鏡《てんがんきやう》を|賜《たま》はり、いよいよ|神界《しんかい》を|探険《たんけん》すべき|大命《たいめい》を|拝受《はいじゆ》したのである。
|忽《たちま》ち|眼前《がんぜん》の|光景《くわうけい》は|見《み》るみる|変《へん》じて、すばらしい|高《たか》い|山《やま》が、|雲表《うんぺう》に|聳《そび》えたつてゐる。その|山《やま》には|索線車《ケーブルカー》のやうなものが|架《かか》つてゐた。|自分《じぶん》は|登《のぼ》らうかと|思《おも》つて、|一歩《いつぽ》|麓《ふもと》の|山路《やまみち》に|足《あし》を|踏《ふ》みこむと、|不思議《ふしぎ》や、|五体《ごたい》は|何者《なにもの》かに|引上《ひきあ》げらるるやうな|心持《こころもち》に、|直立《ちよくりつ》したままスウと|昇騰《しようとう》してゆく。
これこそ|仏者《ぶつしや》のいはゆる|須弥仙山《しゆみせんざん》で、|宇宙《うちう》の|中心《ちゆうしん》に|無辺《むへん》の|高《たか》さをもつて|屹立《きつりつ》してゐる。それは|決《けつ》して、|肉眼《にくがん》にて|見《み》うる|種類《しゆるい》の、|現実的《げんじつてき》の|山《やま》ではなくして、|全《まつた》く|霊界《れいかい》の|山《やま》であるから、|自分《じぶん》とても|霊《れい》で|上《のぼ》つたので、|決《けつ》して|現体《げんたい》で|上《のぼ》つたのではない。
|自分《じぶん》は|須弥仙山《しゆみせんざん》の|頂上《ちやうじやう》に|立《た》つて、|大神《おほかみ》より|賜《たま》はつた|天眼鏡《てんがんきやう》を|取《と》り|出《だ》して、|八方《はつぱう》を|眺《なが》めはじめた。すると|茫々《ばうばう》たる|宇宙《うちう》の|渾沌《こんとん》たる|中《なか》に、どこともなしに|一《ひと》つの|球《まる》い|凝塊《かたまり》ができるのが|見《み》える。
それは|丁度《ちやうど》|毬《まり》のやうな|形《かたち》で、|周辺《しうへん》には|一杯《いつぱい》に|泥水《どろみづ》が|漂《ただよ》うてゐる。|見《み》るまにその|球《まる》い|凝塊《かたまり》は|膨大《ばうだい》して、|宇宙《うちう》|全体《ぜんたい》に|拡《ひろ》がるかと|思《おも》はれた。やがて|眼《め》もとどかぬ|拡《ひろ》がりに|到達《たうたつ》したが、|球形《きうけい》の|真中《まんなか》には、|鮮《あざや》かな|金色《こんじき》をした|一《ひと》つの|円柱《ゑんちゆう》が|立《た》つてゐた。
|円柱《ゑんちゆう》はしばらくすると、|自然《しぜん》に|左旋《させん》|運動《うんどう》をはじめる。|周辺《しうへん》に|漂《ただよ》ふ|泥《どろ》は、|円柱《ゑんちゆう》の|回転《くわいてん》につれて|渦巻《うづまき》を|描《ゑが》いてゐた。その|渦巻《うづまき》は|次第《しだい》に|外周《ぐわいしう》へ|向《む》けて、|大《おほ》きな|輪《わ》が|拡《ひろ》がつていつた。はじめは|緩《ゆる》やかに|直立《ちよくりつ》して|回転《くわいてん》してゐた|円柱《ゑんちゆう》は、その|速度《そくど》を|加《くは》へきたるにつれ、|次第《しだい》に|傾斜《けいしや》の|度《ど》を|増《ま》しながら、|視角《しかく》に|触《ふ》れぬやうな|速《はや》さで、|回転《くわいてん》しはじめた。
すると、|大《おほ》きな|円《まる》い|球《きう》の|中《なか》より、|暗黒色《あんこくしよく》の|小塊体《せうくわいたい》が|振《ふ》り|放《はな》たるるやうにポツポツと|飛《と》びだして、|宇宙《うちう》|全体《ぜんたい》に|散乱《さんらん》する。|観《み》ればそれが|無数《むすう》の|光《ひかり》のない|黒《くろ》い|星辰《ほし》と|化《な》つて、|或《ある》ひは|近《ちか》く、|或《ある》ひは|遠《とほ》く|位置《ゐち》を|占《し》めて|左旋《させん》するやうに|見《み》える。|後方《こうはう》に|太陽《たいやう》が|輝《かがや》きはじめるとともに、それらの|諸星《しよせい》は|皆《みな》|一斉《いつせい》に|輝《かがや》きだした。
その|金《きん》の|円柱《ゑんちゆう》は、たちまち|竜体《りゆうたい》と|変化《へんくわ》して、その|球《まる》い|大地《だいち》の|上《うへ》を|東西南北《とうざいなんぽく》に|馳《は》せめぐりはじめた。さうしてその|竜体《りゆうたい》の|腹《はら》から、|口《くち》から、また|全身《ぜんしん》からも、|大小《だいせう》|無数《むすう》の|竜体《りゆうたい》が|生《うま》れいでた。
|金色《こんじき》の|竜体《りゆうたい》と、それから|生《うま》れいでた|種々《しゆじゆ》の|色彩《いろつや》をもつた|大小《だいせう》|無数《むすう》の|竜体《りゆうたい》は、|地上《ちじやう》の|各所《かくしよ》を|泳《およ》ぎはじめた。もつとも|大《おほ》きな|竜体《りゆうたい》の|泳《およ》ぐ|波動《はどう》で、|泥《どろ》の|部分《ぶぶん》は|次第《しだい》に|固《かた》くなりはじめ、|水《みづ》の|部分《ぶぶん》は|稀薄《きはく》となり、しかして|水蒸気《すゐじようき》は|昇騰《しようとう》する。そのとき|竜体《りゆうたい》が|尾《を》を|振《ふ》り|廻《まは》すごとに、その|泥《どろ》に|波《なみ》の|形《かたち》ができる。もつとも|大《おほ》きな|竜体《りゆうたい》の|通《とほ》つた|所《ところ》は|大山脈《だいさんみやく》が|形造《かたちづく》られ、|中小《ちゆうせう》|種々《しゆじゆ》の|竜体《りゆうたい》の|通《とほ》つた|所《ところ》は、またそれ|相応《さうおう》の|山脈《さんみやく》が|形造《かたちづく》られた。|低《ひく》き|所《ところ》には|水《みづ》が|集《よ》り、かくして|海《うみ》もまた|自然《しぜん》にできることになつた。この|最《もつと》も|大《おほ》いなる|御竜体《ごりゆうたい》を、|大国常立命《おほくにとこたちのみこと》と|称《とな》へ|奉《たてまつ》ることを|自分《じぶん》は|知《し》つた。
|宇宙《うちう》はその|時《とき》、|朧月夜《おぼろづきよ》の|少《すこ》し|暗《くら》い|加減《かげん》のやうな|状態《じやうたい》であつたが、|海原《うなばら》の|真中《まんなか》と|思《おも》はるる|所《ところ》に、|忽然《こつぜん》として|銀色《ぎんいろ》の|柱《はしら》が|突出《とつしゆつ》してきた。その|高《たか》さは|非常《ひじやう》に|高《たか》い。それが|忽《たちま》ち|右旋《みぎめぐ》りに|回転《くわいてん》をはじめた。その|旋回《せんくわい》につれて|柱《はしら》の|各所《かくしよ》から|種々《しゆじゆ》の|種物《たねもの》が|飛《と》び|散《ち》るやうに|現《あら》はれて、|山野河海《さんやかかい》|一切《いつさい》のところに|撒《ま》き|散《ち》らされた。しかしまだその|時《とき》は|人類《じんるゐ》は|勿論《もちろん》、|草木《さうもく》、|禽獣《きんじう》、|虫魚《ちゆうぎよ》の|類《たぐひ》は|何物《なにもの》も|発生《はつせい》してはゐなかつた。
たちまち|銀《ぎん》の|柱《はしら》が|横様《よこさま》に|倒《たふ》れたと|見《み》るまに、|銀色《ぎんいろ》の|大《おほ》きな|竜体《りゆうたい》に|変《へん》じてゐる。その|竜体《りゆうたい》は|海上《かいじやう》を|西《にし》から|東《ひがし》へと、|泳《およ》いで|進《すす》みだした。この|銀色《ぎんいろ》の|竜神《りゆうじん》が|坤金神《ひつじさるのこんじん》と|申《まを》すのである。
また|東《ひがし》からは|国祖《こくそ》|大国常立命《おほくにとこたちのみこと》が、|金色《こんじき》の|大《おほ》きな|竜体《りゆうたい》を|現《げん》じて、|固《かた》まりかけた|地上《ちじやう》を|馳《は》せてこられる。|両《ふた》つの|御竜体《ごりゆうたい》は、|雙方《さうはう》より|顔《かほ》を|向《む》き|合《あ》はして、|何《なに》ごとかを|諜《しめ》しあはされたやうな|様子《やうす》である。しばらくの|後《のち》|金色《きんいろ》の|竜体《りゆうたい》は|左《ひだり》へ|旋回《せんくわい》しはじめ、|銀色《ぎんいろ》の|竜体《りゆうたい》はまた|右《みぎ》へ|旋回《せんくわい》し|始《はじ》められた。そのため|地上《ちじやう》は|恐《おそ》ろしい|音響《おんきやう》を|発《はつ》して|震動《しんどう》し、|大地《だいち》はその|震動《しんどう》によつて、|非常《ひじやう》な|光輝《くわうき》を|発射《はつしや》してきた。
このとき|金色《きんいろ》の|竜体《りゆうたい》の|口《くち》からは、|大《だい》なる|赤《あか》き|色《いろ》の|玉《たま》が|大音響《だいおんきやう》と|共《とも》に|飛《と》びだして、まもなく|天《てん》へ|騰《のぼ》つて|太陽《たいやう》となつた。|銀色《ぎんいろ》の|竜体《りゆうたい》はと|見《み》れば、|口《くち》から|霧《きり》のやうな|清水《せいすゐ》を|噴《ふ》きだし、|間《ま》もなく|水《みづ》は|天地《てんち》の|間《あひだ》にわたした|虹《にじ》の|橋《はし》のやうな|形《かたち》になつて、その|上《うへ》を|白色《はくしよく》の|球体《きうたい》が|騰《のぼ》つてゆく。このとき|白色《はくしよく》の|球体《きうたい》は|太陰《たいいん》となり、|虹《にじ》のやうな|尾《を》を|垂《た》れて、|地上《ちじやう》の|水《みづ》を|吸《す》ひあげる。|地上《ちじやう》の|水《みづ》は|見《み》るまに、|次第《しだい》にその|容量《ようりやう》を|減《げん》じてくる。
|金竜《きんりゆう》は|天《てん》に|向《むか》つて|息吹《いぶき》を|放《はな》つ。その|形《かたち》もまた|虹《にじ》の|橋《はし》をかけたやうに|見《み》えてゐる。すると|太陽《たいやう》はにはかに|光《ひかり》を|強《つよ》くし、|熱《ねつ》を|地上《ちじやう》に|放射《はうしや》しはじめた。
|水《みづ》は|漸《やうや》く|減《ひ》いてきたが、|山野《さんや》は|搗《つき》たての|団子《だんご》か|餅《もち》のやうに|柔《やはら》かいものであつた。それも|次第《しだい》に|固《かた》まつてくると、|前《まへ》に|播《ま》かれた|種《たね》は、そろそろ|芽《め》を|出《だ》しはじめる。|一番《いちばん》に|山《やま》には|松《まつ》が|生《は》え、|原野《げんや》には|竹《たけ》が|生《は》え、また|彼方《かなた》こなたに|梅《うめ》が|生《は》えだした。
|次《つ》いで|杉《すぎ》、|桧《ひのき》、|槙《まき》などいふ|木《き》が、|山《やま》や|原野《げんや》のところどころに|生《しやう》じた。つぎに|一切《いつさい》の|種物《たねもの》は|芽《め》を|吹《ふ》き、|今《いま》までまるで|土塊《つちくれ》で|作《つく》つた|炮烙《ほうらく》をふせたやうな|山《やま》が、にはかに|青々《あをあを》として、|美《うつく》しい|景色《けしき》を|呈《てい》してくる。
|地上《ちじやう》が|青々《あをあを》と|樹木《じゆもく》が|生《は》え|始《はじ》めるとともに、|今《いま》まで|濁《にご》つて|赤褐色《せきかつしよく》であつた|天《てん》は、|青《あを》く|藍色《あゐいろ》に|澄《す》みわたつてきた。さうして|濁《にご》りを|帯《お》びて|黄《き》ずんでゐた|海原《うなばら》の|水《みづ》は、|天《てん》の|色《いろ》を|映《うつ》すかのやうに|青《あを》くなつてきた。
|地上《ちじやう》がかうして|造《つく》られてしまふと、|元祖《もと》の|神様《かみさま》も、もう|御竜体《ごりゆうたい》をお|有《も》ちになる|必要《ひつえう》がなくなられたわけである。それで|金《きん》の|竜体《りゆうたい》から|発生《はつせい》せられた、|大《おほ》きな|剣膚《たちはだ》の|厳《いか》めしい|角《つの》の|多《おほ》い|一種《いつしゆ》の|竜神《りゆうじん》は、|人体化《じんたいくわ》して、|荘厳《さうごん》|尊貴《そんき》にして|立派《りつぱ》な|人間《にんげん》の|姿《すがた》に|変化《へんくわ》せられた。これはまだ|本当《ほんたう》の|現体《げんたい》の|人間姿《にんげんすがた》ではなくして、|霊体《れいたい》の|人間姿《にんげんすがた》であつた。
このとき、|太陽《たいやう》の|世界《せかい》にては、|伊邪那岐命《いざなぎのみこと》がまた|霊体《れいたい》の|人体姿《じんたいすがた》と|現《げん》ぜられて、その|神《かみ》をさし|招《まね》かれる。そこで|荘厳《さうごん》|尊貴《そんき》なる、かの|立派《りつぱ》な|大神《おほかみ》は、|天《てん》に|上《のぼ》つて|撞《つき》の|大神《おほかみ》とおなり|遊《あそ》ばし、|天上《てんじやう》の|主宰神《しゆさいじん》となりたまうた。
|白色《はくしよく》の|竜体《りゆうたい》から|発生《はつせい》された|一番《いちばん》|力《ちから》ある|竜神《りゆうじん》は、また|人格化《じんかくくわ》して|男神《だんしん》と|現《あら》はれたまうた。この|神《かみ》は|非常《ひじやう》に|容貌《ようばう》|美《うる》はしく、|色《いろ》|白《しろ》くして|大英雄《だいえいゆう》の|素質《そしつ》を|備《そな》へてをられた。その|黒《くろ》い|頭髪《とうはつ》は、|地上《ちじやう》に|引《ひ》くほど|長《なが》く|垂《た》れ、|髯《ひげ》は|腹《はら》まで|伸《の》びてゐる。この|男神《をとこがみ》を|素盞嗚大神《すさのをのおほかみ》と|申《まを》し|上《あ》げる。
|自分《じぶん》はその|男神《をとこがみ》の|神々《かうがう》しい|容姿《ようし》に|打《う》たれて|眺《なが》めてゐると、その|御身体《おからだ》から|真白《まつしろ》の|光《ひかり》が|現《あら》はれて、|天《てん》に|冲《ちう》して|月界《げつかい》へお|上《あが》りになつてしまつた。これを|月界《げつかい》の|主宰神《しゆさいじん》で|月夜見尊《つきよみのみこと》と|申《まを》し|上《あ》げるのである。そこで|大国常立命《おほくにとこたちのみこと》は、|太陽《たいやう》、|太陰《たいいん》の|主宰神《しゆさいじん》が|決《きま》つたので、|御自身《ごじしん》は|地上《ちじやう》の|神界《しんかい》を|御主宰《ごしゆさい》したまふことになり、|須佐之男大神《すさのをのおほかみ》は、|地上《ちじやう》|物質界《ぶつしつかい》の|主宰《しゆさい》となり|給《たま》うたのである。
(大正一〇・一〇・二〇 旧九・二〇 谷口正治録)
第二一章 |大地《だいち》の|修理固成《しうりこせい》〔二一〕
|大国常立尊《おほくにとこたちのみこと》はそこで、きはめて|荘厳《さうごん》な、|厳格《げんかく》な|犯《をか》すことのできない、すばらしく|偉大《ゐだい》な|御姿《おすがた》を|顕《あら》はし|給《たま》ひて、|地《ち》の|世界《せかい》|最高《さいかう》の|山巓《さんてん》にお|登《のぼ》り|遊《あそ》ばされて|四方《しはう》を|見渡《みわた》したまへば、もはや|天《てん》に|日月星辰《じつげつせいしん》|完全《くわんぜん》に|顕現《けんげん》せられ、|地《ち》に|山川草木《さんせんさうもく》は|発生《はつせい》したとはいへ、|樹草《じゆさう》の|類《たぐひ》はほとんど|葱《ねぎ》のやうに|繊弱《かよわ》く、|葦《あし》のやうに|柔《やはら》かなものであつた。そこで|国祖《こくそ》は、その|御口《おんくち》より|息吹《いぶき》を|放《はな》つて|風《かぜ》を|吹《ふ》きおこし|給《たま》うた。その|息吹《いぶき》によつて|十二《じふに》の|神々《かみがみ》が|御出現《ごしゆつげん》|遊《あそ》ばされた。
ここに|十二《じふに》の|神々《かみがみ》は、おのおの|分担《ぶんたん》を|定《さだ》めて、|風《かぜ》を|吹《ふ》き|起《おこ》したまうたが、その|風《かぜ》の|力《ちから》によつて|松《まつ》、|竹《たけ》、|梅《うめ》をはじめ、|一切《いつさい》の|樹草《じゆさう》はベタベタに、その|根本《ねもと》より|吹倒《ふきたふ》されてしまうた。|大国常立尊《おほくにとこたちのみこと》はこの|有様《ありさま》を|眺《なが》めたまうて、|御自身《ごじしん》の|胸《むね》の|骨《ほね》をば|一本《いつぽん》|抜《ぬ》きとり、|自《みづか》ら|歯《は》をもつてコナゴナに|咬《か》みくだき、|四方《しはう》に|撒布《さんぷ》したまうた。
すべての|軟《やはら》かき|動植物《どうしよくぶつ》は、その|骨《ほね》の|粉末《ふんまつ》を|吸収《きふしう》して、その|質《しつ》|非常《ひじやう》に|堅《かた》くなり、|倒《たふ》れてゐた|樹草《じゆさう》は|直立《ちよくりつ》し、|海鼠《なまこ》のやうに|柔軟《じうなん》|匍匐《ほふく》してゐた|人間《にんげん》その|他《た》の|諸動物《しよどうぶつ》も、この|時《とき》はじめて|骨《ほね》が|具《そな》はり、|敏活《びんくわつ》に|動作《どうさ》することが|出来《でき》るやうになつた。|五穀《ごこく》が|実《みの》るやうになり、|葱《ねぎ》のやうに|一様《いちやう》に|柔《やはら》かくして、|区別《くべつ》さへ|殆《ほとん》どつかなかつた|一切《いつさい》の|植物《しよくぶつ》は、はつきりと、おのおの|特有《とくいう》の|形体《かたち》をとるやうになつたのも|此《こ》の|時《とき》である。|骨《ほね》の|粉末《ふんまつ》の|固《かた》まり|着《つ》いた|所《ところ》には|岩石《がんせき》ができ、|諸々《もろもろ》の|鉱物《くわうぶつ》が|発生《はつせい》した。これを|称《しよう》して|岩《いは》の|神《かみ》と|申《まを》し|上《あ》げる。
しかるに|太陽《たいやう》は|依然《いぜん》として|強烈《きやうれつ》なる|光熱《くわうねつ》を|放射《はうしや》し、|月《つき》は|大地《だいち》の|水《みづ》の|吸収《きふしう》を|続《つづ》けてゐるから、|地上《ちじやう》の|樹草《じゆさう》は|次第《しだい》に|日《ひ》に|照《て》りつけられて|殆《ほとん》ど|枯死《こし》せむとし、|動物《どうぶつ》も|亦《また》この|旱天《かんてん》つづきに|非常《ひじやう》に|困《こま》つてゐた。しかし|月《つき》からは、まだ|水《みづ》を|吸引《きふいん》することを|止《や》めなかつた。このままで|放任《はうにん》しておくならば、|全世界《ぜんせかい》は|干鰈《ほしかれい》を|焦《こが》したやうに|燻《くすぶ》つてしまふかも|知《し》れないと、|大国常立尊《おほくにとこたちのみこと》は|山上《さんじやう》に|昇《のぼ》つて、まだ|人体化《じんたいくわ》してをらぬ|諸々《もろもろ》の|竜神《りゆうじん》に|命《めい》じて、|海水《かいすゐ》を|口《くち》に|銜《ふく》んで|持《も》ちきたらしめ|給《たま》うた。
|諸々《もろもろ》の|竜神《りゆうじん》は|命《めい》を|奉《ほう》じて、|海水《かいすゐ》を|国祖《こくそ》の|許《もと》に|持《も》ちきたつた。|国祖《こくそ》はその|水《みづ》を|手《て》に|受《う》けて、やがてそれを|口《くち》に|呑《の》み、|天《てん》に|向《むか》つて|息吹《いぶき》をフーと|吹《ふ》き|放《はな》たれた。すると|天上《てんじやう》には|色《いろ》の|濃《こ》い|雲《くも》や|淡《あは》い|雲《くも》や、その|他《た》|種々《しゆじゆ》|雑多《ざつた》の|雲《くも》が|起《おこ》つてきた。たちまち|雲《くも》からサツと|地上《ちじやう》に|雨《あめ》が|降《ふ》りはじめた。この|使神《つかひがみ》であつた|竜神《りゆうじん》は|無数《むすう》にあつたが、|国祖《こくそ》はこれを|総称《そうしよう》して|雨《あめ》の|神《かみ》と|名付《なづ》けたまうた。
ところが|雨《あめ》が|降《ふり》すぎても|却《かへつ》て|困《こま》るといふので、これを|調和《てうわ》するために、|大国常立尊《おほくにとこたちのみこと》は|御身体《おからだ》|一杯《いつぱい》に|暑《あつ》いほど|太陽《たいやう》の|熱《ねつ》をお|吸《す》ひになつた。さうして|御自分《ごじぶん》の|御身体《おからだ》の|各部《かくぶ》より|熱《ねつ》を|放射《はうしや》したまうた。その|放射《はうしや》された|熱《ねつ》はたちまち|無数《むすう》の|竜体《りゆうたい》と|変《へん》じて、|天《てん》に|向《むか》つて|昇騰《しようとう》していつた。|国祖《こくそ》はこれに|火竜神《くわりゆうじん》といふ|名称《めいしよう》をお|付《つ》けになつた。(|筆《ふで》に|書《か》いては|短《みじか》いが|大国常立尊《おほくにとこたちのみこと》がここまで|天地《てんち》をお|造《つく》りになるのに|数十億年《すうじふおくねん》の|歳月《さいげつ》を|要《えう》してゐる)
|尊《みこと》はかくの|如《ごと》くにして|人類《じんるゐ》を|始《はじ》め、|動物《どうぶつ》、|植物《しよくぶつ》|等《とう》をお|創造《つく》り|遊《あそ》ばされて、|人間《にんげん》には|日《ひ》の|大神《おほかみ》と、|月《つき》の|大神《おほかみ》の|霊魂《みたま》を|賦与《ふよ》せられて、|肉体《にくたい》は|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|主宰《しゆさい》として、|神《かみ》の|御意志《ごいし》を|実行《じつかう》する|機関《きくわん》となし|給《たま》うた。これが|人生《じんせい》の|目的《もくてき》である。|神示《しんじ》に『|神《かみ》は|万物《ばんぶつ》|普遍《ふへん》の|霊《れい》にして|人《ひと》は|天地《てんち》|経綸《けいりん》の|大司宰《だいしさい》なり』とあるも、この|理《り》に|由《よ》るのである。
しかるに|星移《ほしうつ》り|年《とし》をかさぬるにしたがつて、|人智《じんち》は|乱《みだ》れ、|情《じやう》は|拗《ねじ》け、|意《こころ》は|曲《まが》りて、|人間《にんげん》は|次第《しだい》に|私慾《しよく》を|擅《ほしいまま》にするやうになり、ここに|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》、|生存競争《せいぞんきやうそう》の|端《たん》はひらかれ、せつかく|神《かみ》が|御苦心《ごくしん》の|結果《けつくわ》、|創造《さうざう》|遊《あそ》ばされた|善美《ぜんび》のこの|地上《ちじやう》も|亦《また》、【もと】の|泥海《どろうみ》に|復《かへ》さねばならぬやうな|傾向《けいかう》ができた。
しかるに|地《ち》の|一方《いつぱう》では、|天地間《てんちかん》に|残滓《かす》のやうに|残《のこ》つてゐた|邪気《じやき》は、|凝《こ》つて|悪竜《あくりゆう》、|悪蛇《あくじや》、|悪狐《あくこ》を|発生《はつせい》し、|或《ある》ひは|邪鬼《じやき》となり、|妖魅《えうみ》となつて、|我侭放肆《わがままはうし》な|人間《にんげん》の|身魂《みたま》に|憑依《ひようい》し、|世《よ》の|中《なか》を|悪化《あくくわ》して、|邪霊《じやれい》の|世界《せかい》とせむことを|企《くはだ》てた。そこで|大国常立大神《おほくにとこたちのおほかみ》は|非常《ひじやう》に|憤《いきどほ》りたまうて、|深《ふか》い|吐息《といき》をおはきになつた。その|太息《といき》から|八種《やくさ》の|雷神《らいじん》や、|荒《あれ》の|神《かみ》がお|生《うま》れ|遊《あそ》ばしたのである。
それで|荒《あれ》の|神《かみ》の|御発動《ごはつどう》があるのは、|大神《おほかみ》が|地上《ちじやう》の|人類《じんるゐ》に|警戒《けいかい》を|与《あた》へたまふ|時《とき》である。かうしてしばしば|大神《おほかみ》は|荒《あれ》の|神《かみ》の|御発動《ごはつどう》によつて、|地上《ちじやう》の|人類《じんるゐ》を|警戒《けいかい》せられたが、|人類《じんるゐ》の|大多数《だいたすう》は|依然《いぜん》として|覚醒《かくせい》しない。そこで|大神《おほかみ》は|大《おほ》いにもどかしがりたまひ|伊都《いづ》の|雄猛《をたけ》びをせられて、|大地《だいち》に|四股《しこ》を|踏《ふ》んで|憤《いか》り|給《たま》うた。そのとき|大神《おほかみ》の|口《くち》、|鼻《はな》、また|眼《め》より|数多《あまた》の|竜神《りゆうじん》がお|現《あら》はれになつた。この|竜神《りゆうじん》を|地震《ぢしん》の|神《かみ》と|申《まを》し|上《あ》げる。|国祖《こくそ》の|大神《おほかみ》の|極端《きよくたん》に|憤《いか》りたまうた|時《とき》に|地震《ぢしん》の|神《かみ》の|御発動《ごはつどう》があるのである。|大神《おほかみ》の|怒《いか》りは|私《わたくし》の|怒《いか》りではなくして、|世《よ》の|中《なか》を|善美《ぜんび》に|立替《たてか》へ|立直《たてなほ》したいための、|大慈悲心《だいじひしん》の|御発現《ごはつげん》に|外《ほか》ならぬのである。
|大国常立尊《おほくにとこたちのみこと》が|天地《てんち》を|修理固成《しうりこせい》したまうてより、ほとんど|十万年《じふまんねん》の|期間《きかん》は、|別《べつ》に|今日《こんにち》のやうに|区劃《くくわく》された|国家《こくか》はなかつた。ただ|地方《ちはう》|地方《ちはう》を|限《かぎ》つて、|八王《やつわう》といふ|国魂《くにたま》の|神《かみ》が|配置《はいち》され、|八頭《やつがしら》といふ|宰相《さいしやう》の|神《かみ》が|八王神《やつわうがみ》の|下《した》にそれぞれ|配置《はいち》されてゐた。
しかるに|世《よ》の|中《なか》はだんだん|悪化《あくくわ》して、|大神《おほかみ》の|御神慮《ごしんりよ》に|叶《かな》はぬことばかりが|始《はじ》まり、|怨恨《うらみ》、|嫉妬《ねたみ》、|悲哀《かなしみ》、|呪咀《のろい》の|声《こゑ》は、|天地《てんち》に|一杯《いつぱい》に|充《み》ちわたることになつた。そこで|大国常立大神《おほくにとこたちのおほかみ》は|再《ふたた》び|地上《ちじやう》の|修理固成《しうりこせい》を|企劃《きくわく》なしたまうて、ある|高《たか》い|山《やま》の|頂上《ちやうじやう》にお|立《た》ちになつて|大声《おほごゑ》を|発《はつ》したまうた。その|声《こゑ》は|万雷《ばんらい》の|一時《いちじ》に|轟《とどろ》くごとくであつた。|大神《おほかみ》はなほも|足《あし》を|踏《ふ》みとどろかして|地蹈鞴《ぢだんだ》をお|踏《ふ》みになつた。そのため|大地《だいち》は|揺《ゆ》れゆれて、|地震《ぢしん》の|神《かみ》、|荒《あれ》の|神《かみ》が|挙《こぞ》つて|御発動《ごはつどう》になり、|地球《ちきう》は|一大《いちだい》|変態《へんたい》を|来《きた》して、|山河《さんか》はくづれ|埋《うづ》まり、|草木《さうもく》は|倒《たふ》れ|伏《ふ》し、|地上《ちじやう》の|蒼生《さうせい》はほとんど|全《まつた》く|淪亡《ほろび》るまでに|立《た》ちいたつた。その|時《とき》の|雄健《をたけ》びによつて、|大地《だいち》の|一部《いちぶ》が|陥落《かんらく》して、|現今《げんこん》の|阿弗利加《アフリカ》の|一部《いちぶ》と、|南北《なんぽく》|亜米利加《アメリカ》の|大陸《たいりく》が|現出《げんしゆつ》した。それと|同時《どうじ》に|太平洋《たいへいやう》もでき|上《あが》り、その|真中《まんなか》に|竜形《りゆうけい》の|島《しま》が|形造《かたちづく》られた。これが|現代《げんだい》の|日本《にほん》の|地《ち》である。それまでは|今《いま》の|日本海《にほんかい》はなく|支那《しな》も|朝鮮《てうせん》も、|日本《にほん》に|陸地《りくち》で|連続《れんぞく》してゐた。この|時《とき》まで|現代《げんだい》の|日本《にほん》の|南方《なんぱう》、|太平洋面《たいへいやうめん》にはまだ|数百里《すうひやくり》の|大陸《たいりく》がつづいてゐたが、この|地球《ちきう》の|大変動《だいへんどう》によつて、その|中心《ちゆうしん》の|最《もつと》も|地盤《ぢばん》の|鞏固《きやうこ》なる|部分《ぶぶん》が、|竜《りゆう》の|形《かたち》をして|取《と》り|残《のこ》されたのである。
この|日本国土《にほんこくど》の|形状《けいじやう》をなしてゐる|竜《りゆう》の|形《かたち》は、|元《もと》の|大国常立尊《おほくにとこたちのみこと》が、|竜体《りゆうたい》を|現《げん》じて|地上《ちじやう》の|泥海《どろうみ》を|造《つく》り|固《かた》めてゐられた|時《とき》のお|姿《すがた》|同様《どうやう》であつて、その|長《なが》さも、|幅《はば》も、|寸法《すんぱふ》において|何《なん》ら|変《かは》りはない。それゆゑ|日本国《にほんこく》は、|地球《ちきう》の|艮《うしとら》に|位置《ゐち》して|神聖《しんせい》|犯《をか》すべからざる|土地《とち》なのである。【もと】|黄金《きん》の|円柱《ゑんちゆう》が、|宇宙《うちう》の|真中《まんなか》に|立《た》つてゐた|位置《ゐち》も|日本国《にほんこく》であつたが、それが、|東北《とうほく》から、|西南《せいなん》に|向《む》けて|倒《たふ》れた。この|島《しま》を|自転倒嶋《おのころじま》といふのは、|自《おのづか》ら|転《ころ》げてできた|島《しま》といふ|意味《いみ》である。
この|島《しま》が|四方《しはう》に|海《うみ》を|環《めぐ》らしたのは、|神聖《しんせい》なる|神《かみ》の|御息《おやす》み|所《どころ》とするためなのである。さうしてこの|日本《にほん》の|土地《とち》|全体《ぜんたい》は、すべて|大神《おほかみ》の|御肉体《おんにくたい》である。ここにおいて|自転倒嶋《おのころじま》と、|他《た》の|国土《こくど》とを|区別《くべつ》し、|立別《たてわ》けておかれた。
それから|大神《おほかみ》は|天《てん》の|太陽《たいやう》、|太陰《たいいん》と|向《むか》はせられ、|陽気《やうき》と|陰気《いんき》とを|吸《す》ひこみたまうて、|息吹《いぶき》の|狭霧《さぎり》を|吐《は》きだしたまうた。この|狭霧《さぎり》より|現《あら》はれたまへる|神《かみ》が|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》である。
このたびの|地変《ちへん》によつて、|地上《ちじやう》の|蒼生《さうせい》はほとんど|全滅《ぜんめつ》して、そのさまあたかもノアの|洪水《こうずゐ》|当時《たうじ》に|彷彿《はうふつ》たるものであつた。そこで|大神《おほかみ》は、|諸々《もろもろ》の|神々《かみがみ》および|人間《にんげん》をお|生《う》みになる|必要《ひつえう》を|生《しやう》じたまひ、まづ|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》は、|天稚彦《あめのわかひこ》といふ|夫神《をつとがみ》をおもちになり、|真道知彦《まみちしるひこ》、|青森知木彦《あをもりしるきひこ》、|天地要彦《あめつちかなめひこ》、|常世姫《とこよひめ》、|黄金竜姫《こがねたつひめ》、|合陀琉姫《あふだるひめ》、|要耶麻姫《かなやまひめ》、|言解姫《ことときひめ》の|三男五女《さんなんごぢよ》の|神人《かみがみ》をお|生《う》みになつた。この|天稚彦《あめのわかひこ》といふのは、|古事記《こじき》にある|天若彦《あまわかひこ》とは|全然《ぜんぜん》|別《べつ》の|神《かみ》である。かくのごとく|地上《ちじやう》に|地変《ちへん》を|起《おこ》さねばならぬやうになつたのは、|要《えう》するに|天《てん》において|天上《てんじやう》の|政治《まつりごと》が|乱《みだ》れ、それと|同《おな》じ|形《かたち》に、|地上《ちじやう》に|紛乱《ふんらん》|状態《じやうたい》が|現《あら》はれ|来《きた》つたからである。|天《てん》にある|事《こと》はかならず|地《ち》に|映《うつ》り、|天《てん》が|乱《みだ》れると|地《ち》も|乱《みだ》れ、|地《ち》が|乱《みだ》れると、|天《てん》も|同様《どうやう》に|乱《みだ》れてくるものである。そこで|大神《おほかみ》は|天上《てんじやう》を|修理固成《しうりこせい》すべく|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》を|生《う》みたまうて|天《てん》にお|昇《のぼ》せになり、|地《ち》は|御自身《ごじしん》に|幽界《いうかい》を|主宰《しゆさい》し、|現界《げんかい》の|主宰《しゆさい》を|須佐之男命《すさのをのみこと》に|御委任《ごゐにん》になつた。
(大正一〇・一〇・二〇 旧九・二〇 谷口正治録)
第二二章 |国祖《こくそ》|御隠退《ごいんたい》の|御因縁《ごいんねん》〔二二〕
|大国常立尊《おほくにとこたちのみこと》の|御神力《ごしんりき》によりて、|天地《てんち》はここに|剖判《ぼうはん》し、|太陽《たいやう》、|太陰《たいいん》、|大地《だいち》の|分担神《ぶんたんしん》が|定《さだ》まつたことは、|前述《ぜんじゆつ》したとほりである。しかして|太陽《たいやう》の|霊界《れいかい》は|伊邪那岐命《いざなぎのみこと》これを|司《つかさど》りたまひ、その|現界《げんかい》は、|天照大御神《あまてらすおほみかみ》これを|主宰《しゆさい》したまふのである。|次《つぎ》に|太陰《たいいん》の|霊界《れいかい》は、|伊邪那美命《いざなみのみこと》これを|司《つかさど》りたまひ、その|現界《げんかい》は、|月夜見之命《つきよみのみこと》これを|主宰《しゆさい》したまふ。|大地《だいち》の|霊界《れいかい》は|前述《ぜんじゆつ》のごとくに|大国常立命《おほくにとこたちのみこと》|之《これ》を|司《つかさど》りたまひ、その|大海原《おほうなばら》は|日之大神《ひのおほかみ》の|命《めい》によりて|須佐之男命《すさのをのみこと》これを|主宰《しゆさい》したまふ|神定《かむさだ》めとなつた。
しかるに|太陽界《たいやうかい》と、|大地球界《だいちきうかい》とは|鏡《かがみ》を|合《あは》したやうに、|同一《どういつ》|状態《じやうたい》に|混乱《こんらん》|紛糾《ふんきう》の|状態《じやうたい》を|現出《げんしゆつ》した。|太陰《たいいん》の|世界《せかい》のみは、|現幽《げんいう》|両界《りやうかい》ともに|元《もと》のままに、|平和《へいわ》に|治《おさ》まつてゐる。ひとり|太陰《たいいん》に|限《かぎ》つて、なぜ|今《いま》でも|平和《へいわ》に|治《おさ》まつてゐるかと|言《い》へば、この|理《り》は|月《つき》の|形《かたち》を|地上《ちじやう》から|観測《くわんそく》しても|明《あき》らかである|如《ごと》く、|光《ひかり》はあれども|酷烈《こくれつ》ならず、|水気《すゐき》はあつても|極寒《ごくかん》ではない。|実《じつ》に|寒暑《かんしよ》の|中庸《ちゆうよう》を|得《え》たる|至善《しぜん》|至美《しび》の|世界《せかい》であるからである。これに|反《はん》して|太陽《たいやう》の|世界《せかい》は、|非常《ひじやう》に|凡《すべ》てのものが|峻烈《しゆんれつ》で|光《ひかり》は|鮮《あざや》かであり、|六合《りくがふ》に|照徹《せうてつ》する|神力《しんりき》はあれども、それだけまた|暗黒《あんこく》なる|陰影《いんえい》が|多《おほ》い。しかしてまた|大地《だいち》は、もとより|混濁《こんだく》せる|分子《ぶんし》の|凝《こ》り|固《かた》まつてできたものであるから、|勢《いきほひ》として|不浄《ふじやう》|分子《ぶんし》が|多《おほ》い。したがつてまた|邪神《じやしん》の|発生《はつせい》するのも、やむを|得《え》ない|次第《しだい》である。
そこで|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》は、|天稚彦《あめのわかひこ》と|共《とも》に|神命《しんめい》を|奉《ほう》じて|天《てん》に|上《のぼ》り、|天界《てんかい》の|神政《しんせい》を|司《つかさど》らうとしたまうたが、|御昇天《ごしようてん》の|途上《とじやう》において、|地上《ちじやう》からつき|従《したが》うた|邪神《じやしん》どもにあやまられ、|天地《てんち》|経綸《けいりん》の|機織《はた》の|仕組《しぐみ》を|仕損《しそん》じたまひ、つひに|地上《ちじやう》に|降《くだ》りたまひて|国常立命《くにとこたちのみこと》と|共《とも》に|地底《ちてい》に|潜《ひそ》ませられ、あらゆる|艱難《かんなん》|苦労《くらう》を|忍《しの》びたまふの|已《や》むを|得《え》ざるに|立《た》ちいたつた。|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》の|御失敗《ごしつぱい》の|因縁《いんねん》については、|後日《ごじつ》|詳《くは》しく|述《の》べることにする。
さて、|大国常立命《おほくにとこたちのみこと》は|天地間《てんちかん》の|混乱《こんらん》|状態《じやうたい》|邪悪《じやあく》|分子《ぶんし》をば|掃蕩《さうたう》して、|最初《さいしよ》の|神界《しんかい》の|御目的《ごもくてき》どほりの|幽政《いうせい》を|布《し》かうと|遊《あそ》ばしたまうた。これについて|国祖《こくそ》は、まづ|坤金神《ひつじさるのこんじん》を|内助《ないじよ》の|役《やく》として|種々《しゆじゆ》の|神策《しんさく》を|企図《きと》したまひ、また、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|天使長《てんしちやう》|兼《けん》|宰相《さいしやう》の|地位《ちゐ》に|立《た》たして、|非常《ひじやう》に|厳格《げんかく》な|規則《きそく》|正《ただ》しき|政《まつりごと》を|行《おこな》ひ、|天《てん》の|律法《りつぱう》を|制定《せいてい》して、|寸毫《すんがふ》といへども|天則《てんそく》に|干犯《かんはん》するものは、|罰《ばつ》するといふことに|定《さだ》めたまうた。そのために|地上《ちじやう》の|年数《ねんすう》にして|数百年《すうひやくねん》の|間《あひだ》は|非常《ひじやう》に|立派《りつぱ》に|神政《しんせい》が|治《おさ》まつてゐたが、|世《よ》が|次第《しだい》に|開《ひら》けゆくにつれて、|神界《しんかい》、|幽界《いうかい》、|現界《げんかい》ともに|邪悪《じやあく》|分子《ぶんし》が|殖《ふ》えてきた。すなはち|八百万《やほよろづ》の|神人《かみがみ》は、|日増《ひまし》に|大神《おほかみ》の|御幽政《ごいうせい》に|対《たい》する|不服《ふふく》を|訴《うつた》ふるやうになり、|山川草木《さんせんさうもく》にいたるまで|言問《ことと》ひあげつらふ|世《よ》になつた。
そこでやむを|得《え》ず|宰相《さいしやう》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|御意志《ごいし》に|背《そむ》くと|知《し》りつつも、|和光同塵《わくわうどうじん》の|神策《しんさく》をほどこし、|言問《ことと》ひ、|論争《あげつら》ふ|八百万《やほよろづ》の|神々《かみがみ》を|鎮定《ちんてい》|慰撫《ゐぶ》しつつ、ともかくも|世《よ》を|治《おさ》めてゆかれたのである。
しかるにこのとき|霊界《れいかい》は、ほとんど|四分五裂《しぶんごれつ》の|勢《いきほひ》となり、|一方《いつぱう》には、|盤古大神《ばんこだいじん》(|又《また》の|御名《みな》|塩長彦《しほながひこ》)を|擁立《ようりつ》して、|幽政《いうせい》を|主宰《しゆさい》せしめむとする|一派《いつぱ》を|生《しやう》じ、|他方《たはう》には、|大自在天神《だいじざいてんじん》|大国彦《おほくにひこ》を|押《お》し|立《た》てて|神政《しんせい》を|支配《しはい》し、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》を|占領《せんりやう》せむとする|神人《かみがみ》の|集団《しふだん》が|出現《しゆつげん》し、その|他《た》|諸々《もろもろ》の|神々《かみがみ》の|小集団《せうしふだん》は、|或《ある》ひは|盤古大神派《ばんこだいじんは》に、|或《ある》ひは|大自在天神派《だいじざいてんじんは》に|付随《ふずい》せむとし、また|中《なか》には、この|両派《りやうは》に|属《ぞく》せずして|中立《ちゆうりつ》しながら、|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|神政《しんせい》に|反対《はんたい》する|神々《かみがみ》も|生《しやう》じてきた。
そこで|国常立尊《くにとこたちのみこと》はやむを|得《え》ず|天《てん》に|向《むか》つて|救援《きうゑん》をお|請《こ》ひになつた。|天《てん》では|天照大御神《あまてらすおほみかみ》、|日《ひ》の|大神《おほかみ》(|伊邪那岐尊《いざなぎのみこと》)、|月《つき》の|大神《おほかみ》(|伊邪那美尊《いざなみのみこと》)、この|三体《さんたい》の|大神《おほかみ》が、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に|御降臨《ごかうりん》あそばし|給《たま》ひ、|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|神政《しんせい》および|幽政《いうせい》のお|手伝《てつだ》ひを|遊《あそ》ばされることになつた。|国常立尊《くにとこたちのみこと》は|畏《おそ》れ|謹《つつし》み、|瑞《みづ》の|御舎《みあらか》を|仕《つか》へまつりて、|三体《さんたい》の|大神《おほかみ》を|奉迎《ほうげい》したまうた。|然《しか》るところ、|地上《ちじやう》は|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|御系統《ごけいとう》は|非常《ひじやう》に|減少《げんせう》して|勢力《せいりよく》を|失《うしな》ひ、|盤古大神《ばんこだいじん》および|大自在天神《だいじざいてんじん》の|勢力《せいりよく》はなはだ|侮《あなど》り|難《がた》く、つひには|国常立尊《くにとこたちのみこと》に|対《たい》して、|御退位《ごたいゐ》をお|迫《せま》り|申《まを》すやうになつた。|天《てん》の|御三体《ごさんたい》の|大神《おほかみ》は、|地上《ちじやう》の|暴悪《ばうあく》なる|神々《かみがみ》にむかつて、あるひは|宥《なだ》め、|或《ある》ひは|訓《さと》し、|天則《てんそく》に|従《したが》ふべきことを|懇《ねんごろ》に|説《と》きたまうた。されど、|時節《じせつ》は|悪神《あくがみ》に|有利《いうり》にして、いはゆる……|悪《あく》|盛《さか》んにして|天《てん》に|勝《か》つ……といふ|状態《じやうたい》に|立《た》ちいたつた。
ここに|国常立尊《くにとこたちのみこと》は|神議《かむはか》りに|議《はか》られ、|髪《かみ》を|抜《ぬ》きとり、|手《て》を|切《き》りとり、|骨《ほね》を|断《た》ち、|筋《すぢ》を|千切《ちぎ》り、|手足《てあし》|所《ところ》を|異《こと》にするやうな|惨酷《ざんこく》な|処刑《しよけい》を|甘《あま》んじて|受《う》けたまうた。されど|尊《みこと》は|実《じつ》に|宇宙《うちう》の|大原霊神《おほもとがみ》にましませば、|一旦《いつたん》|肉体《にくたい》は|四分五裂《しぶんごれつ》するとも、|直《ただ》ちにもとの|肉体《にくたい》に|復《かへ》りたまひ、|決《けつ》して|滅《ほろ》びたまふといふことはない。
|暴悪《ばうあく》なる|神々《かみがみ》は|盤古大神《ばんこだいじん》と|大自在天神《だいじざいてんじん》とを|押《お》し|立《た》て、|遮二無二《しやにむに》におのが|要求《えうきう》を|貫徹《くわんてつ》せむとし、つひには|天《てん》の|御三体《ごさんたい》の|大神様《おほかみさま》の|御舎《みあらか》まで|汚《けが》し|奉《まつ》るといふことになり、|国常立尊《くにとこたちのみこと》に|退隠《たいいん》の|御命令《ごめいれい》を|下《した》し|給《たま》はむことを|要請《えうせい》した。さて|天《てん》の|御三体《ごさんたい》の|大神様《おほかみさま》は、|国常立尊《くにとこたちのみこと》は|臣系《しんけい》となつてゐらるるが、|元来《ぐわんらい》は|大国常立尊《おほくにとこたちのみこと》は|元《もと》の|祖神《おやがみ》であらせたまひ、|御三体《ごさんたい》の|大神様《おほかみさま》といへども、|元来《ぐわんらい》は|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|生《う》みたまうた|御関係《ごくわんけい》が|坐《ま》します|故《ゆゑ》、|天《てん》の|大神様《おほかみさま》も|御真情《ごしんじやう》としては、|国常立尊《くにとこたちのみこと》を|退隠《たいいん》せしむるに|忍《しの》びずと|考《かんが》へたまうたなれど、ここに|時節《じせつ》の|已《や》むなきを|覚《さと》りたまひ、|涙《なみだ》を|流《なが》しつつ|勇猛心《ゆうまうしん》を|振起《しんき》したまひ、すべての|骨肉《こつにく》の|情《じやう》をすて、しばらく|八百万《やほよろづ》の|神々《かみがみ》の|進言《しんげん》を、|御採用《ごさいよう》あらせらるることになつた。そのとき|天《てん》の|大神様《おほかみさま》は、|国祖《こくそ》に|対《たい》して|後日《ごじつ》の|再起《さいき》を|以心伝心的《いしんでんしん》に|言《い》ひ|含《ふく》みたまひて、|国常立尊《くにとこたちのみこと》に|御退隠《ごたいいん》をお|命《めい》じになり、|天《てん》に|御帰還《ごきくわん》|遊《あそ》ばされた。
その|後《ご》、|盤古大神《ばんこだいじん》を|擁立《ようりつ》する|一派《いつぱ》と、|大自在天神《だいじざいてんじん》を|押立《おした》つる|一派《いつぱ》とは、|烈《はげ》しく|覇権《はけん》を|争《あらそ》ひ、つひに|盤古大神《ばんこだいじん》の|党派《たうは》が|勝《か》ち|幽政《いうせい》の|全権《ぜんけん》を|握《にぎ》ることになつた。|一方《いつぱう》|国常立尊《くにとこたちのみこと》は|自分《じぶん》の|妻神《つまがみ》|坤金神《ひつじさるのこんじん》と、|大地《だいち》の|主宰神《しゆさいじん》|金勝要神《きんかつかねのかみ》および|宰相神《さいしやうがみ》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》その|他《た》の|有力《いうりよく》なる|神人《かみがみ》と|共《とも》に、わびしく|配所《はいしよ》に|退去《たいきよ》し|給《たま》うた。
|地上《ちじやう》の|神界《しんかい》の|主宰《しゆさい》たる|大神《おほかみ》さへ、かくのごとく|御隠退《ごいんたい》になるといふ|有様《ありさま》であるから、|地上《ちじやう》の|主宰《しゆさい》たる|須佐之男命《すさのをのみこと》も|亦《また》、|八百万《やほよろづ》の|神々《かみがみ》に、|神退《かむやら》ひに|退《やら》はるるの|已《や》むなきにいたりたまひ、|自転倒嶋《おのころじま》を|立去《たちさ》りて、|世界《せかい》のはしばしに|漂泊《さすらひ》の|旅《たび》をつづけられることになつた。しかし|須佐之男命《すさのをのみこと》は、|現界《げんかい》において|八岐大蛇《やまたのをろち》を|平《たひら》げ|地上《ちじやう》を|清《きよ》め、|天照大御神《あまてらすおほみかみ》にお|目《め》にかけ|給《たま》うたと|同《おな》じやうに、|神界《しんかい》においても、すべての|悪神《あくがみ》を|掃蕩《さうたう》して|地上《ちじやう》を|天下《てんか》|泰平《たいへい》に|治《おさ》め、|御三体《ごさんたい》の|大神様《おほかみさま》にお|目《め》にかけ、|地上《ちじやう》の|主宰《しゆさい》の|大神《おほかみ》となり|給《たま》ふといふのである。
さて、|自分《じぶん》はこれから|国常立尊《くにとこたちのみこと》|随従《ずゐじゆう》の|八百万《やほよろづ》の|神人《かみがみ》の|中《なか》でも、|主《おも》なる|神司《かみがみ》の|御経歴《ごけいれき》|御活動《ごくわつどう》を|述《の》べ、また|盤古大神《ばんこだいじん》および|大自在天神《だいじざいてんじん》を|擁立《ようりつ》せる|一派《いつぱ》の|八百万《やほよろづ》の|神々《かみがみ》の|経歴《けいれき》および|暴動《ばうどう》|振《ぶ》りを、|神界《しんかい》にて|目撃《もくげき》せるままを|述《の》べておかふと|思《おも》ふ。
(大正一〇・一〇・二〇 旧九・二〇 谷口正治録)
第二三章 |黄金《こがね》の|大橋《おほはし》〔二三〕
|地《ち》の|高天原《たかあまはら》は、|盤古大神《ばんこだいじん》|塩長彦《しほながひこ》|系《けい》と|大自在天《だいじざいてん》|大国彦《おほくにひこ》|系《けい》の|反抗的《はんかうてき》|活動《くわつどう》によつて、|一旦《いつたん》は|滅茶々々《めちやめちや》に|根底《こんてい》から|覆《くつが》へされむとした。|故《ゆゑ》にその|実状《じつじやう》を|述《の》べるに|先《さ》きだち、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》の|状況《じやうきやう》を|概略《あらまし》|述《の》べておく|必要《ひつえう》がある。
|自分《じぶん》の|霊魂《みたま》は|今《いま》まで|須弥仙山《しゆみせんざん》の|上《うへ》に|導《みちび》かれて、|総《すべ》て|前述《ぜんじゆつ》の|状況《じやうきやう》を|目撃《もくげき》してゐたが、|天《てん》の|一方《いつぱう》より|嚠喨《りうりやう》たる|音楽《おんがく》|聞《きこ》えて、|自分《じぶん》の|霊体《れいたい》は|得《え》もいはれぬ|鮮麗《せんれい》な|瑞雲《ずゐうん》に|包《つつ》まれた。その|刹那《せつな》、|場面《ばめん》は|一転《いつてん》して|元《もと》の|神界《しんかい》|旅行《りよかう》の|姿《すがた》に|立返《たちかへ》つてゐた。
|或《ある》ひは|細《ほそ》く、|或《ある》ひは|広《ひろ》き|瓢箪《へうたん》なりの|道路《みち》を|進《すす》んで|行《ゆ》くと、そこには|大《おほ》きな|河《かは》が|流《なが》れてゐる。これは|神界《しんかい》の|大河《おほかは》でヨルダン|河《がは》ともいひ、|又《また》これをイスラエルの|河《かは》ともいひ、また|五十鈴川《いすずがは》ともいふのである。さうしてそこには|非常《ひじやう》に|大《おほ》きな|反橋《そりばし》が|架《かか》つてゐる。
この|橋《はし》は、|全部《ぜんぶ》|黄金《こがね》|造《つく》りで|丁度《ちやうど》|住吉《すみよし》|神社《じんじや》の|反橋《そりばし》のやうに、|勾配《こうばい》の|急《きふ》な、|長《なが》い|大《おほ》きな|橋《はし》であつた。|神界《しんかい》|旅行《りよかう》の|旅人《たびびと》は、|総《すべ》てこの|橋《はし》の|袂《たもと》へ|来《き》て、その|荘厳《さうごん》にして|美麗《びれい》なのと、|勾配《こうばい》の|急《きふ》なのとに|肝《きも》を|潰《つぶ》してしまひ、|或《ある》ひは|昇《のぼ》りかけては|橋《はし》から|滑《すべ》り|落《お》ちて|河《かは》に|陥込《はまりこ》むものもある。また|一面《いちめん》には|金色《きんしよく》|燦爛《さんらん》としてゐるから、おのおの|自分《じぶん》の|身魂《みたま》が|映《うつ》つて|本性《ほんしやう》を|現《あら》はすやうになつてゐる。それで|中《なか》には|非常《ひじやう》な|猛悪《まうあく》な|悪魔《あくま》が|現《あら》はれて|来《き》ても|渡《わた》られないので、その|橋《はし》を|通《とほ》らずに、|橋《はし》の|下《した》の|深《ふか》い|流《なが》れを|泳《およ》いで|彼岸《むかふぎし》に|着《つ》く|悪神《あくがみ》も|沢山《たくさん》ある。それは|千人《せんにん》に|一人《ひとり》くらゐの|比例《ひれい》であつて、|神界《しんかい》ではこの|橋《はし》のことを|黄金《こがね》の|大橋《おほはし》と|名《な》づけられてある。
|自分《じぶん》はこの|大橋《おほはし》を|足《あし》の|裏《うら》がくすぐつたいやうな、|眩《まぶ》しいやうな|心持《こころもち》でだんだんと|彼岸《むかふぎし》へ|渡《わた》つた。|少《すこ》し|油断《ゆだん》をすると|上《のぼ》りには|滑《すべ》り、|下《くだ》りになれば|仰向《あふむ》けに|転倒《てんたう》するやうなことが|幾度《いくど》もある。|要《えう》するにこの|黄金《こがね》の|大橋《おほはし》は、|十二《じふに》の|太鼓橋《たいこばし》が|繋《つな》がつてゐるやうなもので、|欄干《らんかん》が|無《な》いから、|橋《はし》を|渡《わた》るには|一切《いつさい》の|荷物《にもつ》を|捨《す》てて|跣足《はだし》となり、|足《あし》の|裏《うら》を|平《ひら》たく|喰付《くつつ》けて|歩《ある》かねばならぬ。
さうしてこの|橋《はし》を|渡《わた》ると|直《すぐ》に、|自分《じぶん》はエルサレムの|聖地《せいち》に|着《つ》いた。この|聖地《せいち》には|黄金《こがね》とか、|瑪瑙《めのう》とかいふ|七宝《しつぽう》の|珠玉《しゆぎよく》をもつて|雄大《ゆうだい》な、とても|形容《けいよう》のできない|大神《おほかみ》の|宮殿《きうでん》が|造《つく》られてある。
さうしてこの|宮《みや》はエルサレムの|宮《みや》ともいへば、また|珍《うづ》の|宮《みや》とも|称《とな》へられてゐる。ウといふのはヴエルの|返《かへ》し、サレムの|返《かへ》しがスであるから、|珍《めづら》しい|宮《みや》といふ|言霊《ことたま》の|意義《いぎ》である。さうしてこの|宮《みや》の|建《た》つてゐる|所《ところ》は、|蓮華台上《れんげだいじやう》である。この|台上《だいじやう》に|上《のぼ》つて|見《み》ると、|四方《しはう》はあたかも|屏風《びやうぶ》を|立《た》てたやうな|青山《せいざん》を|廻《めぐ》らし、その|麓《ふもと》にはヨルダン|河《がは》が、|布《ぬの》をさらしたやうに|長《なが》く|流《なが》れてゐる。また|一方《いつぱう》には|金色《こんじき》の|波《なみ》を|漂《ただよ》はした|湖水《みづうみ》が、|麓《ふもと》を|取囲《とりかこ》んでゐる。その|湖水《こすゐ》の|中《なか》には、|大小《だいせう》|無数《むすう》の|島嶼《たうしよ》があつて、その|島《しま》ごとに|宮《みや》が|建《た》てられ、どれもこれも|皆《みな》|桧造《ひのきづく》りで、|些《すこ》しの|飾《かざ》りもないが|非常《ひじやう》に|清《きよ》らかな|宮《みや》ばかりである。それからそこに|黄金《こがね》の|橋《はし》が|架《か》けられてあり、その|橋《はし》の|向《むか》ふに|大《おほ》きな|高殿《たかどの》があつて、これも|全部《ぜんぶ》|黄金造《こがねづく》りである。これを|竜宮城《りゆうぐうじやう》といふ。
|空《そら》には|金色《こんじき》の|烏《からす》が|何百羽《なんびやくぱ》とも|知《し》れぬほど|〓翔《かうしやう》し、またある|時《とき》は、|斑鳩《はんきう》が|沢山《たくさん》に|群《むれ》をなして|飛《と》んでをる。さうして|湖上《こじやう》には|沢山《たくさん》の|鴛鴦《をし》が、|悠々《いういう》として|游泳《いうえい》し、また|大小《だいせう》|無数《むすう》の|緑毛《りよくまう》の|亀《かめ》が|遊《あそ》んでゐる。
この|島嶼《たうしよ》はことごとく|色沢《いろつや》のよい|松《まつ》ばかり|繁茂《はんも》し、|松《まつ》の|枝《えだ》には|所々《ところどころ》に|鶴《つる》が|巣《す》を|構《かま》へて|千歳《ちとせ》を|寿《ことほ》ぎ、|一眼《ひとめ》|見《み》ても|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|形《かたち》が|備《そな》はつて、どこにも|邪悪《じやあく》|分子《ぶんし》の|影《かげ》だにも|認《みと》められず、|参集《さんしふ》|来往《らいわう》する|神人《しんじん》は、|皆《みな》|喜悦《よろこび》に|満《み》ちた|面色《かほいろ》をしてゐる。これは、|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|治《おさ》めたまふ|神都《しんと》の|概況《がいきやう》である。さうしてこの|竜宮《りゆうぐう》を|占領《せんりやう》して、|自《みづか》ら|竜王《りゆうわう》となり、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》の|主権《しゆけん》を|握《にぎ》らむとする|一《ひと》つの|神《かみ》の|団体《だんたい》が、|盤古大神《ばんこだいじん》|系《けい》である。この|団体《だんたい》が、|蓮華台上《れんげだいじやう》を|占領《せんりやう》せむとする|大自在天《だいじざいてん》(|大国彦《おほくにひこ》)|一派《いつぱ》の|悪神《あくがみ》と|共《とも》に、|漸次《ぜんじ》に|聖地《せいち》に|入《い》りこみ、|内外《ないぐわい》|相《あひ》|呼応《こおう》してエルサレムの|聖地《せいち》を|占領《せんりやう》せむと|企《たく》らんでゐた。
|蓮華台上《れんげだいじやう》に|昇《のぼ》り、|珍《うづ》の|宮《みや》に|到《いた》りうる|身魂《みたま》は、|既《すで》に|神界《しんかい》より|大使命《だいしめい》を|帯《おび》たる|神人《かみ》であり、また|竜宮《りゆうぐう》に|到《いた》りうるところの|身魂《みたま》は、|中位《ちゆうゐ》の|神人《かみ》であつて、|今《いま》までの|総《すべ》ての|罪悪《ざいあく》を|信仰《しんかう》の|努《つと》めによりて|払拭《ふつしき》し、|御詫《おわび》を|許《ゆる》され、|始《はじ》めて|人間《にんげん》の|資格《しかく》を|備《そな》へ|得《え》たものの|行《ゆ》く|処《ところ》である。この|蓮華台上《れんげだいじやう》の|珍《うづ》の|宮《みや》は、|天国《てんごく》のままを|移写《いしや》されたものであつて、|天人《てんにん》|天女《てんによ》のごとき|清《きよ》らかな|身魂《みたま》の|神人《かみがみ》らが、|天地《てんち》の|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》する|聖地《せいち》である。また|竜宮《りゆうぐう》は|主《しゆ》として|竜神《りゆうじん》の|集《あつ》まる|所《ところ》で、|竜神《りゆうじん》が|解脱《げだつ》して|美《うつく》しい|男女《だんぢよ》の|姿《すがた》と|生《うま》れ|更《かわ》る|神界《しんかい》の|修業所《しうげふしよ》である。
さうしてこの|竜宮《りゆうぐう》の|第一《だいいち》の|宝《たから》は|麻邇《まに》の|珠《たま》である。|麻邇《まに》の|珠《たま》は|一名《いちめい》|満干《みちひ》の|珠《たま》といひ、|風雨電雷《ふううでんらい》を|叱咤《しつた》し、|自由《じいう》に|駆使《くし》する|神器《しんき》である。ゆゑに|総《すべ》ての|竜神《りゆうじん》はこの|竜宮《りゆうぐう》を|占領《せんりやう》し、その|珠《たま》を|得《え》むとして|非常《ひじやう》な|争闘《そうとう》をはじめてゐる。されどこの|珠《たま》はエルサレムの|珍《うづ》の|宮《みや》に|納《をさ》まつてゐる|真澄《ますみ》の|珠《たま》に|比《くら》べてみれば、|天地《てんち》|雲泥《うんでい》の|差《さ》がある。また|竜神《りゆうじん》は|実《じつ》に|美《うつく》しい|男女《だんぢよ》の|姿《すがた》を|顕現《けんげん》することを|得《う》るといへども、|天《てん》の|大神《おほかみ》に|仕《つか》へ|奉《まつ》る|天人《てんにん》に|比《くら》ぶれば、その|神格《しんかく》と|品位《ひんゐ》において|著《いちじる》しく|劣《おと》つてをる。また|何《なに》ほど|竜宮《りゆうぐう》が|立派《りつぱ》であつても、|竜神《りゆうじん》は|畜生《ちくしやう》の|部類《ぶるい》を|脱《だつ》することはできないから、|人界《じんかい》よりも|一段下《いちだんした》に|位《くらゐ》してゐる。ゆゑに|人間界《にんげんかい》は|竜神界《りゆうじんかい》よりも|一段上《いちだんうへ》で|尊《たふと》く、|優《すぐ》れて|美《うるは》しい|身魂《みたま》であるから|神《かみ》に|代《かは》つて、|竜神《りゆうじん》|以上《いじやう》の|神格《しんかく》を|神界《しんかい》から|賦与《ふよ》されてゐるものである。
しかしながら|人間界《にんげんかい》がおひおひと|堕落《だらく》し|悪化《あくくわ》し、|当然《たうぜん》|上位《じやうゐ》にあるべき|人間《にんげん》が、|一段下《いちだんした》の|竜神《りゆうじん》を|拝祈《はいき》するやうになり、ここに|身魂《みたま》の|転倒《てんたう》を|来《きた》すこととなつた。
(大正一〇・一〇・二一 旧九・二一 外山豊二録)
第二四章 |神世開基《ヨハ子》と|神息統合《キリスト》〔二四〕
|神界《しんかい》においては|国常立尊《くにとこたちのみこと》が|厳《いづ》の|御魂《みたま》と|顕現《けんげん》され、|神政発揚直《ヨハ子》の|御魂《みたま》|変性男子《へんじやうなんし》を|機関《きくわん》とし、|豊雲野尊《とよくもぬのみこと》は|神息統合《キリスト》の|御魂《みたま》を|機関《きくわん》とし、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》より|三千世界《さんぜんせかい》を|修理固成《しうりこせい》せむために|竜宮館《りゆうぐうやかた》に|現《あら》はれたまうた。
|竜宮界《りゆうぐうかい》においては、|三千年《さんぜんねん》の|長《なが》き|艱難《かんなん》|苦労《くらう》を|嘗《な》めた|竜神《りゆうじん》の|乙米姫命《おとよねひめのみこと》は、|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《ひつぱう》の|肉体《にくたい》の|腹《はら》をかりて|現《あら》はれ、|二度目《にどめ》の|世《よ》の|立替《たてかへ》の|御神業《ごしんげふ》に|参加《さんか》すべく、すべての|珍宝《ちんぽう》を|奉《たてまつ》られた。この|乙米姫命《おとよねひめのみこと》は、|竜神中《りゆうじんちゆう》でも|最《もつと》も|貪婪《どんらん》|強慾《がうよく》な|神《かみ》であつて、|自分《じぶん》の|慾《よく》ばかりに|心《こころ》を|用《もち》ひてゐる、きはめて|利己主義《りこしゆぎ》の|強《つよ》い|神《かみ》であつた。それが|現代《げんだい》の|太平洋《たいへいやう》の|海底《かいてい》|深《ふか》く|潜《ひそ》んでゐたが、|海底《かいてい》の|各所《かくしよ》より|猛烈《まうれつ》な|噴火《ふんくわ》の|出現《しゆつげん》するに|逢《あ》ひ、|身《み》には|日々《にちにち》|三寒三熱《さんかんさんねつ》の|苦《くる》しみを|受《う》けるばかりでなく、その|上《うへ》に|猛烈《まうれつ》な|毒熱《どくねつ》を|受《う》けて|身体《しんたい》を|焼《や》かれ、|苦《くる》しみにたへずして|従来《じゆうらい》の|凡《あら》ゆる|慾望《よくばう》を|潔《いさぎよ》く|打《う》ち|棄《す》てて、|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|修理固成《しうりこせい》の|大業《たいげふ》を|感知《かんち》し、|第一番《だいいちばん》に|帰順《きじゆん》された|神《かみ》である。
かくて|凡《すべ》ての|金銀《きんぎん》、|珠玉《しゆぎよく》、|財宝《ざいほう》は、|各種《かくしゆ》の|眷族《けんぞく》なる|竜神《りゆうじん》によつて|海底《かいてい》に|持《も》ち|運《はこ》ばれ、|海底《かいてい》には|宝《たから》の|山《やま》が|築《きづ》かれてある。これは|世界中《せかいぢゆう》もつとも|深《ふか》い|海底《かいてい》であるが、ある|時期《じき》において|神業《しんげふ》の|発動《はつどう》により、|陸上《りくじやう》に|表現《へうげん》さるるものである。|要《えう》するに|物質的《ぶつしつてき》の|宝《たから》であつて、|神業《しんげふ》の|補助《ほじよ》|材料《ざいれう》とはなるが、|本当《ほんたう》の|間《ま》にあふ|宝《たから》とはならぬ。|乙米姫命《おとよねひめのみこと》は|大神《おほかみ》に|初《はじ》めて|帰順《きじゆん》した|時《とき》、その|宝《たから》を|持《も》つて|来《こ》られたなれど、|大神《おほかみ》はそれ|以上《いじやう》の|尊《たふと》き|誠《まこと》の|宝《たから》を|持《も》つてをられるので、|人間《にんげん》の|目《め》に|結構《けつこう》に|見《み》ゆるやうなものは、|余《あま》り|神界《しんかい》では|重宝《ちようほう》なものと|見《み》られない。しかしとに|角《かく》|生命《いのち》よりも|大切《たいせつ》にしてゐた|一切《いつさい》の|宝《たから》を|投《な》げだした|其《そ》の|改心《かいしん》の|真心《まごころ》に|愛《め》でて、|従来《これまで》の|罪《つみ》をお|赦《ゆる》しになつた。この|神人《かみ》が|改心《かいしん》して|財宝《ざいほう》をことごとく|捨《す》てて、|本当《ほんたう》の|神《かみ》の|御神意《ごしんい》を|悟《さと》り、|麻邇《まに》|以上《いじやう》の|宝《たから》を|探《さぐ》りあて、はじめて|崇高《すうかう》な|神人《しんじん》の|域《ゐき》に|到達《たうたつ》し、ここに|日の出神《ひのでのかみ》の|配偶神《はいぐうしん》として|顕現《けんげん》されたのである。
つぎに|地底《ちてい》のもつとも|暗黒《くら》い、もつとも|汚《けが》れたところの|地点《ちてん》に|押込《おしこ》まれてをられた|大地《だいち》の|金神《こんじん》、|金勝要神《きんかつかねのかみ》が、|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|出現《しゆつげん》とともに、|天運《てんうん》|循環《じゆんかん》して|一切《いつさい》の|苦《く》を|脱《だつ》し、|世界《せかい》|救済《きうさい》のため|陸《あげ》の|竜宮館《りゆうぐうやかた》に|顕現《けんげん》された。この|神人《かみ》は|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》の|第五女《だいごぢよ》の|神《かみ》である。この|金勝要神《きんかつかねのかみ》が|地球《ちきう》|中心界《ちゆうしんかい》の|全権《ぜんけん》を|掌握《しやうあく》して|修理固成《しうりこせい》の|大業《たいげふ》を|遂《と》げ、|国常立尊《くにとこたちのみこと》へ|之《これ》を|捧呈《ほうてい》し、|国常立大神《くにとこたちのおほかみ》は|地《ち》の|幽界《いうかい》を|総攬《そうらん》さるる|御経綸《ごけいりん》である。
|瑞《みづ》の|御魂《みたま》は、|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|御神業《ごしんげふ》の|輔佐役《ほさやく》となり、|天地《てんち》の|神命《しんめい》により|金勝要神《きんかつかねのかみ》と|相並《あひなら》ばして、|活動《くわつどう》|遊《あそ》ばさるるといふことに|定《さだ》められた。これは、いまだ|数千年《すうせんねん》の|太古《たいこ》の|神界《しんかい》における|有様《ありさま》であつて、|世界《せかい》の|国家《こくか》が|創立《さうりつ》せざる、|世界《せかい》|一体《いつたい》の|時代《じだい》のことであつた。
そこで|盤古大神《ばんこだいじん》(|塩長彦《しほながひこ》)の|系統《けいとう》と、|大自在天《だいじざいてん》(|大国彦《おほくにひこ》)の|系統《けいとう》の|神《かみ》が、|大神《おほかみ》の|経綸《けいりん》を|破壊《はくわい》し|地《ち》の|高天原《たかあまはら》を|占領《せんりやう》せむため、|魔神《まがみ》を|集《あつ》めて|一生懸命《いつしやうけんめい》に|押寄《おしよ》せてきた。しかしながら|地《ち》の|高天原《たかあまはら》へ|攻《せ》め|寄《よ》せるには、どうしてもヨルダンの|大河《おほかは》を|渡《わた》らねばならぬ。ヨルダン|河《がは》には、|前述《ぜんじゆつ》のごとく、|善悪《ぜんあく》|正邪《せいじや》の|真相《しんさう》が|一目《ひとめ》にわかる|黄金《こがね》の|大橋《おほはし》がかかつてゐる。それで|真先《まつさき》に、その|大橋《おほはし》を|破壊《はくわい》する|必要《ひつえう》がおこつてきた。ここに|盤古大神《ばんこだいじん》の|系統《けいとう》は|武蔵彦《むさしひこ》を|先頭《せんとう》に|立《た》てて|進《すす》んできた。これは|非常《ひじやう》に|大《おほ》きな|黒色《こくしよく》の|大蛇《だいじや》である。つぎに|春子姫《はるこひめ》といふ|悪狐《あくこ》の|姿《すがた》をした|悪神《あくがみ》が|現《あら》はれ、|次《つぎ》には|足長彦《あしながひこ》といふ|邪鬼《じやき》が|現《あら》はれ、そして|其《そ》の|黄金《こがね》の|大橋《おほはし》の|破壊《はくわい》に|全力《ぜんりよく》を|傾注《けいちう》した。
しかるに|此《こ》の|大橋《おほはし》は、|金輪際《こんりんざい》の|地底《ちてい》より|湧《わ》きでた|橋《はし》であるから、|容易《ようい》に|破壊《はくわい》し|得《う》べくもない。|思案《しあん》に|尽《つ》きたる|悪神《あくがみ》は、|地底《ちてい》における|大地《だいち》の|霊《れい》なる|金勝要神《きんかつかねのかみ》を|手《て》に|入《い》れる|必要《ひつえう》を|感《かん》じてきた。これがために|百方《ひやつぱう》|手段《しゆだん》をつくし|奸計《かんけい》をめぐらして、|瑞《みづ》の|御魂《みたま》を|舌《した》の|剣《つるぎ》、|筆《ふで》の|槍《やり》はまだ|愚《おろ》か|凡《あら》ゆる|武器《ぶき》を|整《ととの》へ、|縦横無尽《じゆうわうむじん》に|攻《せ》め|悩《なや》め、かつ、|一方《いつぱう》には|種々《しゆじゆ》|姿《すがた》を|変《へん》じ|善神《ぜんしん》の|仮面《かめん》を|被《かぶ》りて、|厳《いづ》の|御魂《みたま》にたいして|讒訴《ざんそ》し、|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|排斥《はいせき》|運動《うんどう》を|試《こころ》みた。|厳《いづ》の|御魂《みたま》は|稍《やや》しばし|考慮《かうりよ》を|費《つひや》し、つひにその|悪神《あくがみ》の|心中《しんちゆう》|謀計《ぼうけい》を|看破《かんぱ》され、|直《ただ》ちにその|要求《えうきう》をはね|付《つ》けられた。その|時《とき》、|足長彦《あしながひこ》の|邪鬼《じやき》、|春子姫《はるこひめ》の|悪狐《あくこ》、|武蔵彦《むさしひこ》の|大蛇《だいじや》の|正体《しやうたい》は|神鏡《しんきやう》に|照《てら》されて|奸計《かんけい》のこらず|曝露《ばくろ》し、|雲霞《くもかすみ》となつて|海山《うみやま》を|越《こ》え|一《ひと》つは|北《きた》の|国《くに》へ、|一《ひと》つは|西南《せいなん》の|国《くに》へ、|一《ひと》つは|遠《とほ》く|西《にし》の|国《くに》へといちはやく|逃《に》げ|帰《かへ》つた。
ここにおいて|第一戦《だいいつせん》の|第一《だいいち》|計画《けいくわく》は、|見事《みごと》|破《やぶ》られた。|悪神《あくがみ》は、ただちに|第二《だいに》の|計画《けいくわく》にうつることとなつた。
(|附言《ふげん》)
|神世開基《ヨハ子》と|神息統合《キリスト》は|世界《せかい》の|東北《とうほく》に|再現《さいげん》さるべき|運命《うんめい》にあるのは、|太古《たいこ》よりの|神界《しんかい》の|御経綸《ごけいりん》である。
|天《てん》に|王星《わうせい》の|顕《あら》はれ、|地上《ちじやう》の|学者《がくしや》|智者《ちしや》の|驚歎《きやうたん》する|時《とき》こそ、|天国《てんごく》の|政治《せいぢ》の|地上《ちじやう》に|移《うつ》され、|仁愛神政《みろく》の|世《よ》に|近《ちか》づいた|時《とき》なので、これがいはゆる|三千世界《さんぜんせかい》の|立替立直《たてかへたてなほ》しの|開始《かいし》である。
ヨハネの|御魂《みたま》は|仁愛《みろく》|神政《しんせい》の|根本神《こんぽんしん》であり、また|地上《ちじやう》|創設《さうせつ》の|太元神《たいげんしん》であるから、キリストの|御魂《みたま》に|勝《まさ》ること|天地《てんち》の|間隔《かんかく》がある。ヨハネがヨルダン|河《がは》の|上流《じやうりう》の|野《や》に|叫《さけ》びし|神声《しんせい》は、ヨハネの|現人《あらはれ》としての|謙遜辞《けんそんじ》であつて、|決《けつ》して|真《しん》の|聖意《せいい》ではない。|国常立尊《くにとこたちのみこと》が|自己《じこ》を|卑《ひく》うし、|他《た》を|尊《たふと》ぶの|謙譲的《けんじやうてき》|聖旨《せいし》に|出《い》でられたまでである。
ヨハネは|水《みづ》をもつて|洗礼《せんれい》を|施《ほどこ》し、キリストは|火《ひ》をもつて|洗礼《せんれい》を|施《ほどこ》すとの|神旨《しんし》は、|月《つき》の|神《かみ》の|霊威《れいゐ》を|発揮《はつき》して|三界《さんがい》を|救《すく》ふの|意《い》である。キリストは|火《ひ》をもつて|洗礼《せんれい》を|施《ほどこ》すとあるは、|物質《ぶつしつ》|文明《ぶんめい》の|極点《きよくてん》に|達《たつ》したる|邪悪《じやあく》|世界《せかい》を|焼尽《せうじん》し、|改造《かいざう》するの|天職《てんしよく》である。
|要《えう》するにヨハネは|神界《しんかい》、|幽界《いうかい》の|修理固成《しうりこせい》の|神業《しんげふ》には、|月《つき》の|精《せい》なる|水《みづ》を|以《もつ》てせられ、キリストは|世界《せかい》の|改造《かいざう》にあたり、|火《ひ》すなはち|霊《れい》をもつて|神業《しんげふ》に|参加《さんか》したまふのである。|故《ゆゑ》にキリストは、かへつてヨハネの|下駄《げた》を|直《なほ》すにも|足《た》らぬものである。ヨハネは|神界《しんかい》、|幽界《いうかい》の|改造《かいざう》のために|聖苦《せいく》を|嘗《な》められ、キリストは|世界《せかい》の|人心《じんしん》|改造《かいざう》のために|身《み》を|犠牲《ぎせい》に|供《きよう》し、|万人《ばんじん》に|代《かは》つて|千座《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》ひて、|聖苦《せいく》を|嘗《な》めたまふ|因縁《いんねん》が|具《その》はつてをられるのである。これは|神界《しんかい》において|自分《じぶん》が|目撃《もくげき》したところの|物語《ものがたり》である。
そしてヨハネの|厳《いづ》の|御魂《みたま》は、|三界《さんがい》を|修理固成《しうりこせい》された|暁《あかつき》において|五六七大神《みろくのおほかみ》と|顕現《けんげん》され、キリストは、|五六七《みろく》|神政《しんせい》の|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》さるるものである。|故《ゆゑ》にキリストは|世界《せかい》の|精神上《せいしんじやう》の|表面《へうめん》にたちて|活動《くわつどう》し、|裏面《りめん》においてヨハネはキリストの|聖体《せいたい》を|保護《ほご》しつつ|神世《しんせい》を|招来《せうらい》したまふのである。
|耳《みみ》で|見《み》て|目《め》できき|鼻《はな》でものくうて |口《くち》で|嗅《か》がねば|神《かみ》は|判《わか》らず
|耳《みみ》も|目《め》も|口《くち》|鼻《はな》もきき|手足《てあし》きき |頭《あたま》も|腹《はら》もきくぞ|八ツ耳《やつみみ》
(大正一〇・一〇・二一 旧九・二一 桜井重雄録)
第四篇 |竜宮占領戦《りゆうぐうせんりやうせん》
第二五章 |武蔵彦《むさしひこ》|一派《いつぱ》の|悪計《あくけい》〔二五〕
|武蔵彦《むさしひこ》、|春子姫《はるこひめ》、|足長彦《あしながひこ》の|悪神《あくがみ》は、|最初《さいしよ》の|黄金橋《こがねばし》|破壊《はくわい》に|失敗《しつぱい》したので、こんどは|大挙《たいきよ》して|一挙《いつきよ》に|之《これ》を|打《う》ち|落《おと》さむとし、|数万《すうまん》の|雷神《らいじん》や、|悪竜《あくりゆう》、|悪狐《あくこ》および|醜女《しこめ》、|探女《さぐめ》の|群魔《ぐんま》を|堂山《だうやま》の|峡《かひ》に|集《あつ》め|密議《みつぎ》を|凝《こ》らした。その|時《とき》に|参加《さんか》した|悪神《あくがみ》は|竹熊《たけくま》、|木常姫《こつねひめ》を|大将《たいしやう》とし、|八十熊《やそくま》、|鬼熊《おにくま》、|猿飛彦《さるとびひこ》、|魔子彦《まごひこ》、|藤足彦《ふぢたるひこ》、|中裂彦《なかさきひこ》、|土彦《つちひこ》、|胸長彦《むねながひこ》、|牛人《うしうど》らの|悪神《あくがみ》が|部将《ぶしやう》の|位地《ゐち》につき、|黄金橋《こがねばし》の|占領《せんりやう》|破壊《はくわい》に|全力《ぜんりよく》をつくした。
そして|木常姫《こつねひめ》、|魔子彦《まごひこ》は|東《ひがし》の|空《そら》より、|猿飛彦《さるとびひこ》は|東南《とうなん》より、|牛人《うしうど》、|藤足彦《ふぢたるひこ》は|西北《せいほく》より|現《あら》はれて|三角形《さんかくけい》の|陣《ぢん》をとり、|数万《すうまん》の|魔神《まがみ》を|引率《いんそつ》して、|疾風迅雷的《しつぷうじんらいてき》に|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|占領《せんりやう》すべき|計画《けいくわく》をめぐらし|手筈《てはづ》を|定《さだ》めた。
この|目的《もくてき》を|達《たつ》するには、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》を|内部《ないぶ》より|混乱《こんらん》|瓦解《がくわい》させねばならぬとし、|魔軍《まぐん》はたくみに|探女《さぐめ》を|放《はな》ち、そして|瑞《みづ》の|霊《みたま》の|肉体《にくたい》を|陥《おとしい》れむとして|炎《ほのほ》の|剣《つるぎ》や、|氷柱《つらら》の|槍《やり》にて|大々的《だいだいてき》|攻撃《こうげき》を|開始《かいし》した。
|瑞霊《みづのみたま》は|茲《ここ》に|霊《れい》を|下《くだ》して|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》と|現《あら》はれ、|寄《よ》せくる|探女《さぐめ》を|真澄《ますみ》の|剣《つるぎ》を|振《ふり》かざし|山《やま》の|尾《を》ごとに|追《お》ひ|伏《ふ》せ、|河《かは》の|瀬《せ》ごとに|切《き》りまくつた。その|神勇《しんゆう》に|驚《おどろ》き|周章《あわて》ふためき|四方《しはう》に|逃《に》げ|散《ち》つた。|竹熊《たけくま》、|木常姫《こつねひめ》らの|計画《けいくわく》は|全《まつた》く|水泡《すいはう》に|帰《き》し、|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|失《うしな》ひ、|失望《しつばう》の|結果《けつくわ》、ふたたび|計《はかりごと》を|定《さだ》め、|金勝要神《きんかつかねのかみ》を|薬籠中《やくろうちゆう》のものとせむとした。その|主謀者《しゆぼうしや》は|奸智《かんち》に|長《た》けたる|春子姫《はるこひめ》であつた。
|春子姫《はるこひめ》は|藤足彦《ふぢたるひこ》、|牛人《うしうど》とともに、|小島別《こじまわけ》を|甘言《かんげん》をもつて|説《と》きつけ、|小島別《こじまわけ》の|手《て》によつてその|目的《もくてき》を|達《たつ》せむと|企《たく》らんだのである。|小島別《こじまわけ》は|元来《ぐわんらい》|正直《しやうぢき》の|性質《せいしつ》であるから、|春子姫《はるこひめ》の|詐言《さげん》を|信《しん》じて|車輪《しやりん》の|運動《うんどう》を|開始《かいし》したが、|彼《かれ》は|厳《いづ》の|霊《みたま》の|霊眼《れいがん》に|見破《みやぶ》られて|目的《もくてき》を|妨《さまた》げられ、つひに|自棄気味《やけぎみ》になつて|大々的《だいだいてき》|活動《くわつどう》をはじめ、|木常姫《こつねひめ》、|中裂彦《なかさきひこ》の|悪神《あくがみ》を|加《くは》へ、|鞍馬山《くらまやま》に|立《た》てこもつて|該山《がいざん》の|魔王《まわう》と|諜《しめ》し|合《あは》せ、|数万《すうまん》の|邪霊《じやれい》を|引《ひ》つれ、|強圧的《きやうあつてき》に|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|占領《せんりやう》せむと|企《くはだ》てた。しかし|注意《ちうい》ぶかき|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|烱眼《けいがん》に|再《ふたた》び|看破《みやぶ》られ、|小島別《こじまわけ》の|覚醒的《かくせいてき》|返《かへ》り|忠《ちゆう》とともに|第二《だいに》の|計画《けいくわく》も|全然《ぜんぜん》|破《やぶ》れてしまひ、|春子姫《はるこひめ》は|遂《つひ》に|悶死《もんし》を|遂《と》げ、|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》に|落《お》ち|行《ゆ》くの|止《や》むを|得《え》ざる|破目《はめ》となつた。
|春子姫《はるこひめ》の|親《おや》なる|武蔵彦《むさしひこ》は、こんどは|筑波《つくば》|仙人《せんにん》の|体《からだ》を|藉《か》り、またもや|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|占領《せんりやう》を|企《くはだ》てた。しかるに|武蔵彦《むさしひこ》の|目的《もくてき》とするところは|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|占領《せんりやう》ばかりではなく、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》の|聖地《せいち》をも|占領《せんりやう》し、その|上《うへ》|国常立尊《くにとこたちのみこと》を|退去《たいきよ》させ、|盤古大神《ばんこだいじん》をもつて、これに|代《かは》らしめむとするのが|根本的《こんぽんてき》の|目的《もくてき》であつた。
さて|仙人《せんにん》には|神仙《しんせん》、|天仙《てんせん》、|地仙《ちせん》、|凡仙《ぼんせん》の|四階級《しかいきふ》がある。そしてその|四種《よんしゆ》の|仙人《せんにん》にも、|正邪《せいじや》の|区別《くべつ》がある。|筑波《つくば》|仙人《せんにん》は|邪神界《じやしんかい》に|属《ぞく》し、|第三階級《だいさんかいきふ》に|属《ぞく》する|地仙《ちせん》である。
またもや|武蔵彦《むさしひこ》は|黒姫《くろひめ》、|菊姫《きくひめ》、|八足姫《やたるひめ》を|先頭《せんとう》に|立《た》て、|竹熊《たけくま》に|策《さく》を|授《さづ》けて|再挙《さいきよ》を|企《くはだ》てた。|竹熊《たけくま》はまづ|第一《だいいち》に|金勝要神《きんかつかねのかみ》をわが|手《て》に|籠絡《ろうらく》せむとし、|土彦《つちひこ》、|牛人《うしうど》、|中裂彦《なかさきひこ》、|鬼熊《おにくま》らの|部将株《ぶしやうかぶ》と、|大江山《おほえやま》に|集《あつ》まつて|熟議《じゆくぎ》を|凝《こ》らした。|竹熊《たけくま》は|表面《へうめん》きはめて|温良《おんりやう》な|風姿《ふうし》を|装《よそほ》うてゐるが、その|内心《ないしん》は|実《じつ》に|極悪無道《ごくあくむだう》の|性質《せいしつ》をもつてをり、いろいろと|手《て》を|換《か》へ|品《しな》を|換《か》へ、|厳《いづ》の|御魂《みたま》に|取《と》りいつて、|表面《へうめん》|帰順《きじゆん》の|意《い》を|表《へう》し|木常姫《こつねひめ》を|手《て》に|入《い》れ、またもや|小島別《こじまわけ》を|誑惑《たぶらか》し、|牛人《うしうど》をしてつひに|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|計略《けいりやく》をもつて|亡《ほろ》ぼさしめむとした。|牛人《うしうど》の|悪霊《あくれい》は|謀計《ぼうけい》をもつて|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|堂山《だうやま》の|峡《かひ》に|導《みちび》き、|竹春彦《たけはるひこ》、|藤足彦《ふぢたるひこ》その|他《た》|数名《すうめい》の|邪神《じやしん》に|命《めい》じて、|雙方《さうはう》より|之《これ》を|攻《せ》め|討《う》たしめむとした。そこへ|守高彦《もりたかひこ》といふ|武勇絶倫《ぶゆうぜつりん》の|神《かみ》|現《あら》はれて、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|危難《きなん》を|救《すく》はむとした。されど|守高彦《もりたかひこ》はある|附属《つきもの》の|女神《によしん》のために|後髪《うしろがみ》をひかれて、|進《すす》むことができなかつた。
|竹熊《たけくま》の|部下《ぶか》は、|今《いま》や|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》に|接近《せつきん》しきたり、|十握《とつか》の|剣《つるぎ》を|抜《ぬ》き|持《も》ちて|前後《ぜんご》|左右《さいう》より|斬《き》りつけた。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|雷《らい》のごとき|言霊《ことたま》を|活用《くわつよう》し、|厳《いづ》の|御魂《みたま》の|御加勢《おてつだい》により、|脆《もろ》くも|敵《てき》は|退散《たいさん》した。
この|時《とき》|地《ち》の|高天原《たかあまはら》においては|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》は|大《おほ》いに|御心配《ごしんぱい》あそばし、|不思議《ふしぎ》な|神術《かむわざ》を|実行《じつかう》され、その|神術《かむわざ》と|言霊《ことたま》と|相俟《あひま》つて|敵《てき》を|退散《たいさん》せしめ|無事《ぶじ》なるを|得《え》たのである。その|神法《しんぱふ》は|千引《ちびき》の|岩《いは》を|大神《おほかみ》の|神殿《しんでん》に|安置《あんち》し、|岩《いは》の|上《うへ》に|白《しろ》き|真綿《まわた》と、|赤《あか》き|真綿《まわた》とを|重《かさ》ねて|岩《いは》にかぶせ、|赤色《せきしよく》の|長《なが》き|紐《ひも》をもつて|十二《じふに》|廻《めぐ》り|廻《まは》し、これを|固《かた》く|縛《しば》らせられたのである。これは|神界《しんかい》の|禁厭《まじなひ》であつて、|一身上《いつしんじやう》の|一大事《いちだいじ》に|関《くわん》した|時《とき》に|行《おこな》ふものである。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|言霊《ことたま》の|雄健《をたけ》びと|神術《かむわざ》の|徳《とく》によつて|一旦《いつたん》|退却《たいきやく》した|竹熊《たけくま》の|一派《いつぱ》は、ただちに|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に|馳《は》せ|登《のぼ》り、|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》の|御前《みまへ》にまかり|出《い》でて|表面《へうめん》に|改心《かいしん》を|装《よそほ》ひ、|命《みこと》をして|深《ふか》く|安堵《あんど》せしめおき、|油断《ゆだん》の|隙《すき》に|乗《じやう》じて、|執念《しふねん》|深《ぶか》くも|金勝要神《きんかつかねのかみ》を|手《て》にいれむと|百方《ひやつぱう》|苦心《くしん》をめぐらし、|夜《よ》を|日《ひ》についで|大々的《だいだいてき》|活動《くわつどう》を|続《つづ》けをるを|見《み》たまひし|大神《おほかみ》は、|竹熊《たけくま》|一派《いつぱ》を|憐《あは》れみ、|善心《ぜんしん》に|立《た》ち|帰《かへ》らしめ、|善道《ぜんだう》に|導《みちび》き|救《すく》はむとして、|種々《しゆじゆ》と|因果《いんぐわ》の|理法《りはふ》を|説《と》き|教《をし》へられた。
されど|元来《ぐわんらい》|悪神《あくがみ》の|系統《けいとう》なれば、|表面《へうめん》には|改心《かいしん》せしごとく|装《よそほ》ひをれども、|内心《ないしん》はますます|荒《すさ》んで|来《く》るばかりである。そこへこの|度《たび》は、|大江山《おほえやま》から|現《あら》はれた|邪神《じやしん》の|頭領株《とうりやうかぶ》、|鬼熊《おにくま》なるもの|現《あら》はれきたり、|竹熊《たけくま》と|密謀《みつぼう》を|凝《こ》らし、あくまでも|最初《さいしよ》の|目的《もくてき》を|達《たつ》せむと|試《こころ》みたが、この|鬼熊《おにくま》と|木常姫《こつねひめ》との|間《あひだ》に、|非常《ひじやう》な|意見《いけん》の|衝突《しようとつ》をきたしたために、|竹熊《たけくま》との|関係上《くわんけいじやう》|自滅的《じめつてき》に|破《やぶ》れてしまつた。|竹熊《たけくま》は|木常姫《こつねひめ》と|同腹《どうはら》で、|今度《こんど》の|計画《けいくわく》を|立《た》ててゐたのである。そこで|鬼熊《おにくま》と|木常姫《こつねひめ》は、|意見《いけん》の|大衝突《だいしようとつ》より|大争闘《だいそうとう》をはじめた。|又《また》ある|事情《じじやう》のために|竹熊《たけくま》は|鬼熊《おにくま》と|争《あらそ》ひ、|鬼熊《おにくま》に|対《たい》して|非常《ひじやう》の|打撃《だげき》を|加《くは》へた。この|衝突《しようとつ》たるや|総《すべ》て|彼《かれ》ら|悪神《あくがみ》の|権力《けんりよく》|争《あらそ》ひのために|起《おこ》つたのである。
(大正一〇・一〇・二一 旧九・二一 加藤明子録)
第二六章 |魔軍《まぐん》の|敗戦《はいせん》〔二六〕
|竹熊《たけくま》はなほ|懲《こ》りずに、|執念《しふねん》|深《ぶか》くも|最初《さいしよ》の|目的《もくてき》を|貫徹《くわんてつ》せむとし、|魔子彦《まごひこ》、|足長彦《あしながひこ》、|牛人《うしうど》、|寅熊《とらくま》と|相《あひ》|語《かた》らひ、こんどは|金勝要神《きんかつかねのかみ》を|手《て》に|入《い》るることを|断念《だんねん》し、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|高天原《たかあまはら》より|排除《はいじよ》せむとした。|然《しか》るに、|足長彦《あしながひこ》はなほ|依然《いぜん》として|金勝要神《きんかつかねのかみ》をねらひ、|寅熊《とらくま》も|亦《また》|同《おな》じく|之《これ》を|内心《ないしん》ひそかにねらつてゐた。さうして|魔子彦《まごひこ》は|甘言《かんげん》をもつて|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|身辺《しんぺん》に|近《ちか》づき、|隙《すき》あらばこれを|刺殺《さしころ》さむとする|計画《けいくわく》であつた。
しかし、もとの|謀主《ぼうしゆ》は|竹熊《たけくま》であるから、|各自《かくじ》の|野望《やばう》を|心中《しんちゆう》|深《ふか》く|秘《ひ》めながら、|互《たが》ひに|自己《じこ》|本位《ほんゐ》の|計画《けいくわく》をたててゐた。|竹熊《たけくま》は、|大神《おほかみ》に|信任《しんにん》|厚《あつ》き|熊足彦《くまたるひこ》を|味方《みかた》につけ、|牛人《うしうど》、|与彦《ともひこ》、|黒姫《くろひめ》、|菊姫《きくひめ》を|部将《ぶしやう》と|定《さだ》めて|暗々裡《あんあんり》に|活動《くわつどう》をはじめた。また|熊彦《くまひこ》は|杉山彦《すぎやまひこ》、|中裂彦《なかさきひこ》、|照姫《てるひめ》、|藤姫《ふぢひめ》、|花立姫《はなたちひめ》、|土彦《つちひこ》、|谷熊《たにくま》、|蟹熊《かにくま》の|邪神《じやしん》を|部将《ぶしやう》として、|暗々裡《あんあんり》に|活動《くわつどう》してゐた。さうして|熊彦《くまひこ》は|足長彦《あしながひこ》を|参謀《さんぼう》につかつて、|盛《さかん》に|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|討取《うちと》る|計画《けいくわく》をすすめてゐた。|一方《いつぱう》また|魔子彦《まごひこ》は|田依彦《たよりひこ》、|豆寅《まめとら》、|胸長彦《むねながひこ》、|草香姫《くさかひめ》、|時津彦《ときつひこ》、|梅若彦《うめわかひこ》、|八島姫《やしまひめ》、|高山彦《たかやまひこ》の|神々《かみがみ》を|部将《ぶしやう》と|定《さだ》め、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|歓心《くわんしん》を|買《か》ひ、|搦手《からめて》より|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|忍《しの》び|入《い》り、|以《もつ》て|竜宮《りゆうぐう》の|実権《じつけん》を|握《にぎ》り、その|上《うへ》、|事《こと》をなさむとの|下心《したごころ》であつた。しかしこれらの|三巨頭《さんきよとう》は、|表面《へうめん》|一致《いつち》の|行動《かうどう》をとつて|竜宮《りゆうぐう》|占領《せんりやう》の|計画《けいくわく》をすすめ、あまたの|魔軍《まぐん》をかり|集《あつ》めてまつしぐらに|黄金橋《こがねばし》に|攻《せ》めかけた。しかしいづれも|自己《じこ》を|本位《ほんゐ》とする|魔軍《まぐん》の|団結《だんけつ》であるから、|今《いま》|一息《ひといき》といふところで、|四分五裂《しぶんごれつ》のやむなきに|立《た》ちいたつた。
さる|程《ほど》に、|竹熊《たけくま》は|猿飛彦《さるとびひこ》、|木常姫《こつねひめ》を|背後《はいご》の|参謀《さんぼう》として、|熊彦《くまひこ》、|魔子彦《まごひこ》を|両翼《りやうよく》とし、|綿密《めんみつ》なる|作戦《さくせん》|計画《けいくわく》に|着手《ちやくしゆ》した。|第一《だいいち》に、|自分《じぶん》の|地位《ちゐ》を|保護《ほご》する|必要《ひつえう》ありとし、|牛人《うしうど》および|魔子彦《まごひこ》を|使《つか》ひ、|足長彦《あしながひこ》を|偽《いつは》つて|遠《とほ》き|土地《とち》に|去《さ》らしめ、|与彦《ともひこ》、|黒姫《くろひめ》、|菊姫《きくひめ》をして|数多《あまた》の|魔軍《まぐん》を|引率《いんそつ》せしめ、|橄欖山《かんらんざん》のうしろに|忍《しの》ばしめて|時《とき》の|来《く》るのを|待《ま》たしめた。また|一方《いつぱう》|魔子彦《まごひこ》に|命《めい》じて、|足長彦《あしながひこ》の|行動《かうどう》を|監視《かんし》せしめた。ここに|熊彦《くまひこ》の|部下《ぶか》なる|土彦《つちひこ》は|魔子彦《まごひこ》の|計略《けいりやく》を|悟《さと》り、|密使《みつし》をもつて|足長彦《あしながひこ》に|一伍一什《いちぶしじゆう》を|報告《はうこく》した。さうしてまた|魔子彦《まごひこ》は|胸長彦《むねながひこ》を|参謀《さんぼう》とし、|豆寅《まめとら》の|妻《つま》なる|草香姫《くさかひめ》をつひに|奪《うば》ひとつた。|魔子彦《まごひこ》には、|田依彦《たよりひこ》といふ|邪神《じやしん》が|影《かげ》のごとくに|附随《ふずい》して、|種々《しゆじゆ》の|企策《きさく》を|授《さづ》けてをつた。|田依彦《たよりひこ》は|草香姫《くさかひめ》の|弟《おとうと》である。そこで|魔子彦《まごひこ》の|行状《ぎやうじやう》をうかがひ|知《し》つたる、|熊彦《くまひこ》の|部下《ぶか》なる|杉山彦《すぎやまひこ》、|中裂彦《なかさきひこ》、|花立彦《はなたちひこ》、|土彦《つちひこ》、|谷熊《たにくま》、|時彦《ときひこ》などが|憤慨《ふんがい》して、|魔子彦《まごひこ》をヨルダン|川《がは》に|沈《しづ》め|殺《ころ》さむとした。しかるに、|梅若彦《うめわかひこ》、|八島姫《やしまひめ》、|高山彦《たかやまひこ》は|魔子彦《まごひこ》のきたなき|行動《かうどう》に|愛想《あいさう》をつかして、その|実況《じつきやう》を|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》に|報告《はうこく》するとともに|善心《ぜんしん》に|立復《たちかへ》り、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》に|心《こころ》の|底《そこ》から|帰順《きじゆん》した。
このとき|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》はヨルダン|川《がは》を|渡《わた》り、はるかの|東方《とうはう》に|出陣《しゆつぢん》してゐたのである。|一方《いつぱう》|熊彦《くまひこ》は、また|竹熊《たけくま》の|部下《ぶか》なる|牛人《うしうど》、|与彦《ともひこ》、|黒姫《くろひめ》、|菊姫《きくひめ》、|谷熊《たにくま》、|寅熊《とらくま》とともに、|橄欖山《かんらんざん》の|後《うしろ》に|陣《ぢん》をかまへて|待伏《まちぶ》せた。これは|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|第一着《だいいちちやく》に|亡《ほろ》ぼして|目的《もくてき》を|達《たつ》せむためであつた。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|魔子彦《まごひこ》を|帰順《きじゆん》せしめ、|武勇絶倫《ぶゆうぜつりん》なる|高山彦《たかやまひこ》の|軍勢《ぐんぜい》を|引率《いんそつ》して、|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰還《きくわん》し、|杉山彦《すぎやまひこ》の|返《かへ》り|忠《ちゆう》なる|報告《はうこく》によつて、|竹熊《たけくま》の|謀計《ぼうけい》をさとり、|遠巻《とほまき》に|橄欖山《かんらんざん》をとり|囲《かこ》み、|一挙《いつきよ》にこれを|殲滅《せんめつ》せむと|天《あま》の|磐船《いはふね》をもつて|火弾《くわだん》を|投《な》げつけた。たちまち|竹熊《たけくま》の|軍勢《ぐんぜい》は|蜘蛛《くも》の|子《こ》を|散《ち》らすごとく、|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|散乱《さんらん》してしまつた。
(大正一〇・一〇・二一 旧九・二一 谷口正治録)
第二七章 |竜宮城《りゆうぐうじやう》の|死守《ししゆ》〔二七〕
|竹熊《たけくま》、|魔子彦《まごひこ》、|熊彦《くまひこ》の|三角《さんかく》|同盟軍《どうめいぐん》は、|前述《ぜんじゆつ》のごとく|内部《ないぶ》の|暗闘《あんとう》より|統制力《とうせいりよく》を|失《うしな》ひ、|一時《いちじ》は|諸処《しよしよ》に|潰走《くわいそう》した。そのため|暫時《ざんじ》の|間《あひだ》は、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》もやや|小康《せうかう》を|得《え》てゐた。
|以前《いぜん》の|失敗《しつぱい》に|懲《こ》りた|竹熊《たけくま》は|攻撃《こうげき》の|方法《はうはふ》を|一変《いつぺん》し、こんどは|千辛万苦《せんしんばんく》の|結果《けつくわ》、|厳《いづ》の|御魂《みたま》の|信任《しんにん》を|得《う》ることに|努力《どりよく》した。|厳《いづ》の|御魂《みたま》はやや|安堵《あんど》され、|彼《かれ》らはほとんど|改心《かいしん》の|実《じつ》を|挙《あ》げたものと|思《おも》はれ、|少《すこ》しく|油断《ゆだん》があつた。そこで|竹熊《たけくま》は|策《さく》の|当《あた》れるを|心《こころ》ひそかに|喜《よろこ》びつつ、|厳《いづ》の|御魂《みたま》の|系統《けいとう》なる|木常姫《こつねひめ》と|力《ちから》を|協《あは》せ、|心《こころ》を|一《いつ》にし|内部《ないぶ》より|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|瓦解《ぐわかい》し、|両神《りやうしん》は|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|王《わう》たらむとの|手筈《てはず》を|定《さだ》めた。|竹熊《たけくま》は|自分《じぶん》の|妻《つま》なる|菊姫《きくひめ》にワザと|汚点《をてん》をつけこれを|離縁《りえん》し、|猿飛彦《さるとびひこ》の|妻《つま》なる|木常姫《こつねひめ》を|奪《うば》はむとした。
ここに|猿飛彦《さるとびひこ》は|竹熊《たけくま》の|謀計《ぼうけい》を|覚《さと》り、|怒《おこ》つて|木常姫《こつねひめ》を|追《お》ひ|出《だ》した。|竹熊《たけくま》と|木常姫《こつねひめ》は|謀計《ぼうけい》の|図《づ》に|当《あた》れるを|喜《よろこ》び、|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|参上《まゐのぼ》り|言葉《ことば》たくみに|猿飛彦《さるとびひこ》や、|菊姫《きくひめ》の|乱倫《らんりん》|悪行《あくかう》の|数々《かずかず》を|捏造《ねつざう》して、これを|厳《いづ》の|御魂《みたま》に|進言《しんげん》した。
ほとんど|信任《しんにん》した|竹熊《たけくま》、|木常姫《こつねひめ》の|言《げん》に|耳《みみ》を|傾《かたむ》け、|厳《いづ》の|御魂《みたま》は|竹熊《たけくま》と|木常姫《こつねひめ》の|結婚《けつこん》を|事情《じじやう》やむを|得《え》ずとして、|許《ゆる》されることになつた。ここに|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》と|金勝要神《きんかつかねのかみ》は、|猿飛彦《さるとびひこ》と|菊姫《きくひめ》の|詳細《しやうさい》なる|陳情《ちんじやう》によつて|彼《かれ》らの|陰謀《いんぼう》を|知悉《ちしつ》された。|竹熊《たけくま》が|木常姫《こつねひめ》と|結婚《けつこん》せむとした|真《しん》の|目的《もくてき》は、|木常姫《こつねひめ》が、|厳《いづ》の|御魂《みたま》の|肉身《にくしん》の|系統《けいとう》であるから、|自分《じぶん》の|権勢力《けんせいりよく》を|増《ま》しておき、|徐《おもむろ》に|時《とき》を|待《ま》つて|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|占領《せんりやう》せむとしたのである。また|木常姫《こつねひめ》は|夫《をつと》なる|猿飛彦《さるとびひこ》の|頑迷《ぐわんめい》にして、かつ|強硬《きやうかう》なる|態度《たいど》に、やや|嫌忌《けんき》の|情《じやう》を|発《はつ》してゐた|際《さい》であるから、|表面《へうめん》|温良《おんりやう》にして|多《おほ》くの|者《もの》の|信任《しんにん》|厚《あつ》き|竹熊《たけくま》と|夫婦《ふうふ》になり、|金勝要神《きんかつかねのかみ》や、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|地位《ちゐ》に|取《と》つて|代《かは》らむと|考《かんが》へたからである。
|竹熊《たけくま》らの|陰謀《いんぼう》を|知悉《ちしつ》したる|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、|金勝要神《きんかつかねのかみ》と|共《とも》に|面《めん》を|冒《をか》して|厳《いづ》の|御魂《みたま》に|諫言《かんげん》し、かつ|速《すみや》かに|竹熊《たけくま》と|木常姫《こつねひめ》の|結婚《けつこん》を、|破棄《はき》せむことを|道理《だうり》の|上《うへ》より|強請《きやうせい》した。この|様子《やうす》を|窺《うかが》ひ|知《し》つたる|竹熊《たけくま》と|木常姫《こつねひめ》は、|大《おほ》いに|怒《いか》つて|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》に|打《う》つてかかつた。しかして|一方《いつぱう》|木常姫《こつねひめ》はあまたの|魔軍《まぐん》の|応援《おうゑん》を|得《え》て、|金勝要神《きんかつかねのかみ》を|八方《はつぱう》より|挟撃《けふげき》し、ほとんど|窮地《きゆうち》に|陥《おとしい》れむとした。ここに|小島別《こじまわけ》は、|仲裁《ちゆうさい》の|労《らう》を|執《と》らむとして|少数《せうすう》の|軍《ぐん》を|引率《いんそつ》し、|急《いそ》いで|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|馳《は》せ|参《さん》じ|百方《ひやつぱう》|手《て》を|尽《つく》した。しかるに|戦闘《せんとう》はますます|激烈《げきれつ》となつた。しかして|竹熊《たけくま》はエデンの|園《その》に|陣《ぢん》を|取《と》り、|木純姫《こすみひめ》、|足長彦《あしながひこ》らを|参謀《さんぼう》として|陣営《ぢんえい》を|構《かま》へた。
このとき|地《ち》の|高天原《たかあまはら》も、|竜宮城《りゆうぐうじやう》も|暗雲《あんうん》に|包《つつ》まれ、|天地《てんち》は|惨憺《さんたん》として|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜざる|光景《くわうけい》である。さうして|天《てん》の|一方《いつぱう》よりは、|数万《すうまん》の|魔軍《まぐん》が|竹熊《たけくま》にむかつて|応援《おうゑん》する。その|時《とき》の|大将《たいしやう》は|大森別《おほもりわけ》、|加津彦《かつひこ》、|杉森彦《すぎもりひこ》の|面々《めんめん》である。にはかに|雷鳴《らいめい》|天地《てんち》にとどろきわたり、|雨《あめ》は|盆《ぼん》を|覆《くつが》へすごとく、|東北《とうほく》の|風《かぜ》は、|地上《ちじやう》|一切《いつさい》のものを|天上《てんじやう》に|捲《ま》き|上《あ》げむとするの|惨状《さんじやう》であつた。
ここに|厳《いづ》の|御魂《みたま》は|驚《おどろ》きおそれて|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|立《た》ちいで、|高杉彦《たかすぎひこ》、|安熊《やすくま》らの|部将《ぶしやう》を|引率《ひきつ》れ、シナイ|山《ざん》に|避難《ひなん》された。しかして|後《あと》には|金勝要神《きんかつかねのかみ》|主宰《しゆさい》の|下《もと》に|小島別《こじまわけ》、|元彦《もとひこ》、|高杉別《たかすぎわけ》を|部将《ぶしやう》として、|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|死守《ししゆ》した。この|時《とき》|地《ち》の|高天原《たかあまはら》も、|竜宮城《りゆうぐうじやう》も|惨憺《さんたん》たる|光景《くわうけい》で、|殆《ほとん》ど|全滅《ぜんめつ》に|近《ちか》かつたのである。
(大正一〇・一〇・二二 旧九・二二 外山豊二録)
第二八章 |崑崙山《こんろんざん》の|戦闘《せんとう》〔二八〕
このとき|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|元彦《もとひこ》に|命《めい》じて|少数《せうすう》の|神軍《しんぐん》を|引率《ひきつ》れ、|橄欖山《かんらんざん》を|守《まも》らしめた。この|山《やま》はエルサレムの|西方《せいはう》にある|高山《かうざん》で、エルサレムおよび|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|守《まも》るには、もつとも|必要《ひつえう》の|地点《ちてん》である。
この|時《とき》エデンの|野《の》に|集《あつ》まりし|竹熊《たけくま》は|木常姫《こつねひめ》、|足長彦《あしながひこ》、|富屋彦《とみやひこ》を|部将《ぶしやう》として、|第一着《だいいちちやく》に|橄欖山《かんらんざん》の|背後《はいご》に|出《い》で、|背面《はいめん》より|襲撃《しふげき》をしてきた。また|一方《いつぱう》|大森別《おほもりわけ》は|中空《ちゆうくう》より|高津鳥《たかつとり》の|魔軍《まぐん》を|指揮《しき》して、|隕石《いんせき》の|珠《たま》を|黄金橋《こがねばし》の|上《うへ》に|無数《むすう》に|発射《はつしや》した。されども|黄金橋《こがねばし》は、どうしても|落《おと》すことはできなかつた。
ここにおいて|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|改心《かいしん》したる|牛人《うしうど》を|引率《いんそつ》し、|天《てん》の|高天原《たかあまはら》に|裁断《さいだん》を|仰《あふ》ぐべく、|雲井《くもゐ》はるかに|舞《ま》ひ|上《のぼ》り、|月《つき》の|大神《おほかみ》の|裁断《さいだん》を|乞《こ》ひ、かつ|応援軍《おうゑんぐん》を|派遣《はけん》されむことを|歎願《たんぐわん》した。しかしながら|天上《てんじやう》においても|地《ち》の|高天原《たかあまはら》と|同様《どうやう》に、|正邪《せいじや》|両軍《りやうぐん》の|戦闘《せんとう》|真最中《まつさいちゆう》であつて、|月《つき》の|大神《おほかみ》は|月宮殿《げつきうでん》の|奥深《おくふか》く|隠《かく》れたまひ、|拝顔《はいがん》することは|得《え》なかつた。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》はやむを|得《え》ず|地上《ちじやう》に|降臨《かうりん》せむとするに|先立《さきだ》ち、|牛人《うしうど》をして|高天原《たかあまはら》の|実情《じつじやう》を|金勝要神《きんかつかねのかみ》に|報告《はうこく》せしめられた。しかし|牛人《うしうど》は|途中《とちゆう》において|竹熊《たけくま》、|木常姫《こつねひめ》の|一派《いつぱ》の|俘虜《とりこ》となり、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|報告《はうこく》をせなかつた。しかして|再《ふたた》び、|竹熊《たけくま》の|魔軍《まぐん》に|従《したが》つてしまつたのである。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|独《ひと》り|少数《せうすう》の|神軍《しんぐん》とともに、|天山《てんざん》の|頂《いただき》に|降《くだ》つてきた。ここには|胸長彦《むねながひこ》の|軍勢《ぐんぜい》が|待伏《まちぶ》せ、|表面《へうめん》では|歓迎《くわんげい》と|見《み》せかけ、|山麓《さんろく》に|伏兵《ふくへい》をおきて|一斉《いつせい》に|火弾《くわだん》を|浴《あび》せかけた。そのとき|天上《てんじやう》に|声《こゑ》あり、
『|崑崙山《こんろんざん》に|移《うつ》れ』
との|神命《しんめい》である。
|然《しか》るに|山麓《さんろく》には|伏兵《ふくへい》が|無数《むすう》に|取巻《とりま》いてゐる。このとき|天《てん》より|天《あま》の|羽衣《はごろも》が|幾《いく》つともなく|降《くだ》つてきた。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》はじめ|従神《じゆうしん》は、|一々《いちいち》これを|身《み》に|纏《まと》ひ、|中空《ちゆうくう》を|翔《かけ》つて、やうやく|崑崙山《こんろんざん》に|難《なん》を|避《さ》けた。
|険峻《けんしゆん》な|山《やま》に|似《に》ず、|山巓《さんてん》には|非常《ひじやう》な|平原《へいげん》が|広《ひろ》く|展開《てんかい》されてあり、いろいろの|草花《くさばな》が|爛漫《らんまん》と|咲《さ》き|乱《みだ》れ、|珍《めづ》らしい|果実《くだもの》が|沢山《たくさん》に|実《みの》つてゐた。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|一隊《いつたい》は、|非常《ひじやう》に|空腹《くうふく》を|感《かん》じたために、その|果物《くだもの》を|取《と》つておのおの|食料《しよくれう》に|代《か》へた。|胸長彦《むねながひこ》の|軍勢《ぐんぜい》は、またもや|山麓《さんろく》に|押寄《おしよ》せて|八方《はつぱう》より|喊声《かんせい》を|揚《あ》げた。|見《み》ると、|数百万《すうひやくまん》の|魔軍《まぐん》が|蟻《あり》の|這《は》ひ|出《いづ》る|隙《すき》もなきまでヒシヒシと|取《と》り|巻《ま》いてゐる。しかしてその|軍勢《ぐんぜい》は|十二《じふに》の|山道《やまみち》を|伝《つた》うて|十二方《じふにはう》より、|一度《いちど》に|攻《せ》め|上《のぼ》つて|来《き》た。めいめいに|手分《てわけ》して、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|軍勢《ぐんぜい》は|各自《かくじ》|各部署《かくぶしよ》を|定《さだ》め|上《のぼ》りくる|軍勢《ぐんぜい》を、そこに|実《みの》つてゐる|桃《もも》の|実《み》を|取《と》つて|打《う》ちつけた。たちまち|敵軍《てきぐん》はいづれも、|雪崩《なだれ》の|如《ごと》くになつて|潰《つひ》え、|山麓《さんろく》に|落《お》ち|込《こ》んだ。
この|時《とき》、|中空《ちゆうくう》から|何《なん》ともいへぬ|妖雲《えううん》が|現《あら》はるよと|見《み》るまに、|大自在天《だいじざいてん》|大国彦《おほくにひこ》の|部下《ぶか》の|将卒《しやうそつ》が、|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|崑崙山《こんろんざん》を|目《め》がけて|破竹《はちく》の|勢《いきほひ》で|攻《せ》めかけてくる。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|桃《もも》の|枝《えだ》を|折《お》り、それを|左右《さいう》に|打《う》ち|振《ふ》りたまへば、|部下《ぶか》の|神将《しんしやう》もおなじく|桃《もも》の|枝《えだ》をとつて、|大自在天《だいじざいてん》の|魔軍《まぐん》に|向《むか》つて|打《う》ち|振《ふ》つた。|見《み》る|間《ま》に|一天《いつてん》カラリと|晴《は》れわたり、|拭《ぬぐ》ふがごとく|紫《むらさき》の|美《うる》はしき|祥雲《しやううん》に|変《かは》つてきた。|而《しか》して|非常《ひじやう》に|大《だい》なる|太陽《たいやう》は|山腹《さんぷく》を|豊栄登《とよさかのぼ》りに|立《た》ち|登《のぼ》り、|天地《てんち》の|暗《やみ》を|照《てら》して|皎々《かうかう》と|山《やま》の|中央《ちゆうあう》に|輝《かがや》きはじめた。しかして|黒雲《こくうん》の|中《なか》から|大自在天《だいじざいてん》の|軍勢《ぐんぜい》の|姿《すがた》は|消《き》え|失《う》せた。しかし|山《やま》の|八合目《はちがふめ》あたりに|何《なん》となくどよめきの|声《こゑ》が|聞《きこ》えてきた。|敵軍《てきぐん》が|再挙《さいきよ》の|相談《そうだん》の|声《こゑ》である。|胸長彦《むねながひこ》の|魔軍勢《まぐんぜい》は、|山麓《さんろく》の|谷《たに》に|落《お》ちて|或《ある》ひは|傷《きず》つき、あるひは|死《し》し|非常《ひじやう》な|混雑《こんざつ》を|極《きは》めてゐる。その|声《こゑ》と|相《あひ》|合《がつ》して|何《なん》ともいへぬ|嫌《いや》な|感《かん》じである。よつて|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、|天《てん》に|向《むか》つて|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》された。つづいて|従属《じゆうぞく》の|神人《かみがみ》も|同《おな》じく|祝詞《のりと》を|合唱《がつしやう》した。その|声《こゑ》は|天地《てんち》に|響《ひび》きわたつて、そこら|一面《いちめん》|夜《よ》が|明《あ》けたやうな、|壮快《さうくわい》な|感《かん》じがする。そのとき|既《すで》に|太陽《たいやう》は|形《かたち》を|小《ちひ》さくして、|中天《ちゆうてん》に|上《のぼ》つてゐた。|今《いま》までの|敵軍《てきぐん》の|矢叫《やさけ》びの|声《こゑ》も、|大自在天軍《だいじざいてんぐん》の|囁《ささや》きも|松《まつ》|吹《ふ》く|風《かぜ》と|変《かは》つてしまつた。
(大正一〇・一〇・二二 旧九・二二 外山豊二録)
第二九章 |天津神《あまつかみ》の|神算鬼謀《しんさんきぼう》〔二九〕
|神界《しんかい》の|場面《ばめん》は、ガラリ|一転《いつてん》した。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|少数《せうすう》の|神軍《しんぐん》とともに、|広大《くわうだい》|無辺《むへん》な|原野《げんや》に|現《あら》はれた。そして|一隊《いつたい》を|引率《ひきつ》れ、|東《ひがし》へ|東《ひがし》へと|進軍《しんぐん》された。その|果《はて》しもない|原野《げんや》には|身《み》を|没《ぼつ》するばかりの|種々《いろいろ》の|草《くさ》が|茫々《ばうばう》と|繁《しげ》つてゐる。その|刹那《せつな》、|諸方《しよはう》より|火《ひ》の|手《て》があがつた。しかも|風《かぜ》は|非常《ひじやう》に|強烈《きやうれつ》な|旋風《せんぷう》である。|天《てん》の|一方《いつぱう》を|望《のぞ》めば、|常世彦《とこよひこ》が|現《あら》はれ|軍扇《ぐんせん》をもつて|数多《あまた》の|魔軍《まぐん》を|指揮《しき》してゐる。
|火《ひ》は|諸方《しよはう》より|燃《も》え|迫《せま》り、|煙《けぶり》とともに|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|一隊《いつたい》を|包《つつ》んでしまつた。ここに|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|進退《しんたい》これ|谷《きは》まり、|自分《じぶん》の|珍蔵《ちんざう》してゐる|真澄《ますみ》の|珠《たま》を、|中空《ちゆうくう》にむかつて|投《な》げつけられた。その|珠《たま》は|中空《ちゆうくう》に|爆裂《ばくれつ》して|数十万《すうじふまん》の|星《ほし》となつた。この|星《ほし》は|残《のこ》らず|地上《ちじやう》に|落下《らくか》して|威儀《ゐぎ》|儼然《げんぜん》たる|数十万《すうじふまん》の|神軍《しんぐん》と|化《くわ》した。さうしてその|神軍《しんぐん》は、|一斉《いつせい》に|百雷《ひやくらい》の|一度《いちど》にとどろくごとき|巨大《きよだい》なる|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》した。それと|同時《どうじ》に、さしも|猛烈《まうれつ》なる|曠野《くわうや》の|火焔《くわえん》は【ぱつたり】|消滅《せうめつ》し、|丈《たけ》|高《たか》き|草《くさ》はことごとく|焼《や》き|払《はら》はれた。|魔軍《まぐん》の|死骸《しがい》は|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|黒焦《くろこげ》となつて|累々《るゐるゐ》と|横《よこ》たはつてゐた。
それから|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|一隊《いつたい》はだんだん|東《ひがし》へ|向《むか》つて|進《すす》んでいつた。そこに|又《また》もや|一《ひと》つの|大《おほ》きな|山《やま》が|出現《しゆつげん》してゐる。この|山《やま》には|彼《か》の|胸長彦《むねながひこ》の|残党《ざんたう》が|立《た》て|籠《こ》もり、|再挙《さいきよ》を|計《はか》つてゐた。
この|山《やま》を|天保山《てんぱうざん》といふ。|胸長彦《むねながひこ》はこんどは|安熊《やすくま》、|高杉別《たかすぎわけ》、|桃作《ももさく》、|虎若《とらわか》、|黒姫《くろひめ》を|部将《ぶしやう》として、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|一隊《いつたい》を|待《ま》ち|討《う》たむとしてゐた。このとき|真澄《ますみ》の|珠《たま》より|現《あら》はれたる|数十万《すうじふまん》の|軍勢《ぐんぜい》は|残《のこ》らず|天《てん》へ|帰《かへ》つてしまつた。せつかく|勢力《せいりよく》を|得《え》て、|勇気《ゆうき》|百倍《ひやくばい》せる|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|非常《ひじやう》に|失望《しつばう》|落胆《らくたん》して、|天《てん》にむかひ|再《ふたた》び|神軍《しんぐん》の|降下《かうか》せむことを|哀願《あいぐわん》された。|折《をり》しも|天《てん》よりは|紫雲《しうん》に|打《う》ち|乗《の》つて|容姿《ようし》|端麗《たんれい》な|白髪《はくはつ》の|神使《しんし》が、|二柱《ふたはしら》の|実《じつ》に|美《うる》はしい|女神《めがみ》をしたがへ|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|前《まへ》にお|降《くだ》りになり、|厳《おごそ》かに|天津神《あまつかみ》の|命《めい》を|伝《つた》へられた。その|命令《めいれい》の|意味《いみ》は、
『|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》が|今度《こんど》|世界《せかい》の|修理固成《しうりこせい》をなして、|国常立大神《くにとこたちのおほかみ》の|神業《しんげふ》を|奉仕《ほうし》したまふ|上《うへ》において、|加勢《かせい》の|力《ちから》を|頼《たの》むやうなことであつては、この|神業《しんげふ》は|到底《たうてい》|完全《くわんぜん》に|成功《せいこう》せぬ。それゆゑ|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|胆力《たんりよく》|修錬《しうれん》のため、わざとに|神軍《しんぐん》を|引《ひ》き|上《あ》げさせ、|孤立《こりつ》|無援《むゑん》の|地位《ちゐ》に|立《た》たしめたのは|神《かみ》の|深《ふか》き|御仁慈《ごじんじ》である』
と|云《い》ひをはり、|天《てん》の|使《つかひ》は|掻《か》き|消《け》すごとく|姿《すがた》をかくしたまうた。
|天保山《てんぱうざん》のはるか|東北《とうほく》にあたつて|天教山《てんけうざん》といふのがある。そこには|八島別《やしまわけ》が、|天神《てんじん》の|命《めい》により、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|救援《きうゑん》すべく|計画《けいくわく》されて、あまたの|神軍《しんぐん》を|引率《いんそつ》してをられた。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|今《いま》の|神使《しんし》の|教示《けうじ》を|聞《き》き、もはや|天《てん》よりの|救援隊《きうゑんたい》は、|一神《いつしん》も|来《きた》らぬものと|断念《だんねん》されてゐた。そのために|天教山《てんけうざん》の|八島別《やしまわけ》の|軍勢《ぐんぜい》を、わが|援軍《ゑんぐん》なりとは|少《すこ》しも|気《き》づかず、かへつて|天保山《てんぱうざん》の|別働隊《べつどうたい》のやうに|思《おも》はれたのである。
|一方《いつぱう》|胸長彦《むねながひこ》は、|天保山《てんぱうざん》の|陣営《ぢんえい》が|強圧《きやうあつ》さるることを|恐《おそ》れて、いろいろと|謀議《ぼうぎ》を|凝《こ》らした|結果《けつくわ》、まづ|第一《だいいち》に|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|偽《いつは》つて|帰順《きじゆん》し、|命《みこと》とともに|八島別《やしまわけ》の|陣営《ぢんえい》なる|天教山《てんけうざん》を|殲滅《せんめつ》せむことを|企《くはだ》てたのである。そこで|胸長彦《むねながひこ》は|安熊《やすくま》、|桃作《ももさく》、|虎若《とらわか》の|三部将《さんぶしやう》を|軍使《ぐんし》として|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|陣営《ぢんえい》に|遣《つか》はして、|帰順《きじゆん》の|意《い》を|表《へう》し、かつ|天教山《てんけうざん》には|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》にとつて、|強敵《きやうてき》の|現《あら》はれたことを|注進《ちうしん》した。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|陣営《ぢんえい》は、|原野《げんや》の|中心《ちゆうしん》にあつて|非常《ひじやう》に|不利《ふり》な|位置《ゐち》であつた。もし|天教山《てんけうざん》の|上《うへ》より|一斉《いつせい》|射撃《しやげき》を|受《う》けたならば、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|一隊《いつたい》は、|全滅《ぜんめつ》さるる|恐《おそ》れがあつたのである。さういふ|立場《たちば》に|立《た》ちいたれる|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、|渡《わた》りに|船《ふね》と|快諾《くわいだく》されてここに|和睦《わぼく》をなし、|胸長彦《むねながひこ》とともに|天教山《てんけうざん》を|攻撃《こうげき》することとなつた。
|天教山《てんけうざん》の|方《はう》においては、|胸長彦《むねながひこ》の|先頭《せんとう》に|立《た》ちて|攻《せ》め|来《く》るのを|見《み》て、【てつきり】|敵軍《てきぐん》に|相違《さうゐ》なしと|思《おも》ひ、|山上《さんじやう》より|大風《おほかぜ》を|起《おこ》し、|岩石《がんせき》を|飛《と》ばし、|攻《せ》めくる|敵軍《てきぐん》を|散々《さんざん》に|悩《なや》ました。しかも|先頭《せんとう》に|立《た》つた|胸長彦《むねながひこ》の|軍隊《ぐんたい》は、|第一戦《だいいつせん》において|殆《ほとん》ど|滅亡《めつぼう》されてしまつた。
その|次《つぎ》に|第二軍《だいにぐん》として|現《あら》はれたるは、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|軍勢《ぐんぜい》であつた。|命《みこと》は|数十羽《すうじつぱ》の|烏《からす》を|使《つか》つて、|天教山《てんけうざん》なる|八島別《やしまわけ》にたいし、|帰順《きじゆん》すべく|神書《しんしよ》を|認《したた》め、|足《あし》に|括《くく》りつけて|放《はな》たれた。|烏《からす》は|空中《くうちゆう》|高《たか》く|舞《ま》ひあがるとともに|天教山《てんけうざん》へ|昇《のぼ》り、|八島別《やしまわけ》に|伝達《でんたつ》した。|八島別命《やしまわけのみこと》はその|伝達《でんたつ》を|読《よ》んで、はじめて|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|消息《せうそく》を|知《し》り、かつ、
『|自分《じぶん》は|天《てん》の|命《めい》により、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|救援《きうゑん》に|来《き》たものである』
との|信書《しんしよ》を|書《か》いて、|同《おな》じく|烏《からす》の|足《あし》へ|括《くく》りつけて|放《はな》した。|烏《からす》はにはかに|金色《こんじき》の|鵄《とび》と|化《かは》り、|四方《しはう》を|照《てら》しつつ|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|前《まへ》に|下《くだ》つてきた。
ここにおいて|始《はじ》めて|相互《さうご》の|真相《しんさう》がわかり、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|軍《ぐん》は|歓喜《くわんき》のあまり|天《てん》にむかつて|神言《かみこと》を|奏上《そうじやう》した。
その|声《こゑ》は|天教山《てんけうざん》の|八島別《やしまわけ》の|陣営《ぢんえい》に|澄《す》みきるごとくに|響《ひび》きわたつたので、|八島別《やしまわけ》は|山《やま》を|下《くだ》らず、そのまま|諸軍勢《しよぐんぜい》を|引《ひ》き|率《つ》れ|天《てん》の|一方《いつぱう》に|姿《すがた》をかくしてしまつた。かくのごとくして|敵軍《てきぐん》を|殲滅《せんめつ》せしめたまひし|天津神《あまつかみ》の|神算鬼謀《しんさんきぼう》は、|実《じつ》に|感歎《かんたん》の|次第《しだい》である。
(大正一〇・一〇・二二 旧九・二二 桜井重雄録)
第三〇章 |黄河畔《くわうがはん》の|戦闘《せんとう》〔三〇〕
|神界《しんかい》の|場面《ばめん》はここに|急転《きふてん》し、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|濁流《だくりう》みなぎる|黄河《くわうが》の|畔《ほとり》にすすまれた。ここには|稲山彦《いなやまひこ》といふ|金毛九尾《きんまうきうび》の|一派《いつぱ》の|部将《ぶしやう》が、|鉄城《てつじやう》を|築《きづ》きて|控《ひか》へてをる。これは|竹熊《たけくま》、|木常姫《こつねひめ》らの|部下《ぶか》である。
|今《いま》や|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|黄河《くわうが》を|渡《わた》つて|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰還《きくわん》せられむとするところである。|帰還《きくわん》されては|竹熊《たけくま》の|目的《もくてき》|成就《じやうじゆ》し|難《がた》きをおそれ、ここに|稲山彦《いなやまひこ》に|命《めい》じて、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|中途《ちゆうと》において|亡《ほろ》ぼさむとしたのである。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》はかかる|企《たく》みのあらむとは|寸毫《すんがう》も|心《こころ》づかず、|少数《せうすう》の|部下《ぶか》を|引《ひ》き|率《つ》れて|城下《じやうか》に|近《ちか》づいた。
シナイ|山《ざん》に|御座《おは》す|厳《いづ》の|御魂《みたま》はこの|現状《げんじやう》をはるかに|見《み》そなはし、|救援《きうゑん》のため|高杉別《たかすぎわけ》に|命《めい》じ|杉松彦《すぎまつひこ》、|若松彦《わかまつひこ》、|田子彦《たごひこ》、|牧屋彦《まきやひこ》、|時彦《ときひこ》の|各部将《かくぶしやう》に|数百《すうひやく》の|神軍《しんぐん》を|引率《いんそつ》せしめ、|天《あま》の|磐船《いはふね》に|乗《の》りて|応援《おうゑん》に|向《む》かはしめられた。|敵《てき》の|城内《じやうない》よりは|盛《さか》んに|火弾《くわだん》を|投下《とうか》し、|縦横無尽《じゆうわうむじん》に|攻《せ》め|悩《なや》まさむとす。このとき|前述《ぜんじゆつ》の|応援軍《おうゑんぐん》は|天《あま》の|磐船《いはふね》に|乗《の》り|天上《てんじやう》より|火弾《くわだん》を|投下《とうか》し|敵城《てきじやう》を|粉砕《ふんさい》した。|敵《てき》は|狼狽《らうばい》のあまり|四方《しはう》に|散乱《さんらん》した。
|折《をり》しも|大虎彦《おほとらひこ》といふ|悪神《あくがみ》は、|数万《すうまん》の|蒙古《もうこ》の|魔軍《まぐん》をかつて|大声叱呼《たいせいしつこ》し、よく|之《これ》を|操縦《さうじう》|指揮《しき》し|濁流《だくりう》を|渡《わた》つて、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|陣営《ぢんえい》に|一直線《いつちよくせん》に|襲撃《しふげき》する。にはかに|西南《せいなん》の|空《そら》にあたつて、|黒煙《こくえん》|濛々《もうもう》と|立《た》ち|現《あら》はれたと|思《おも》ふ|一刹那《いちせつな》、|雲《くも》は|左右《さいう》にサツト|分《わか》れて|勇猛《ゆうまう》|無比《むひ》の|獅子王《ししわう》|現《あら》はれ、|軍扇《ぐんせん》をあげて|咆吼怒号《はうこうどがう》しはじめた|一刹那《いちせつな》、|数万《すうまん》の|暗星《あんせい》は|地上《ちじやう》に|落下《らくか》した。|大小《だいせう》|無数《むすう》の|暗星《あんせい》は|地上《ちじやう》に|落下《らくか》するとともに、|大小《だいせう》|無数《むすう》の|獅子《しし》と|変化《へんくわ》し|神軍《しんぐん》|目《め》がけて|突進《とつしん》しきたつた。
このとき|東北《とうほく》の|天《てん》より|雲路《くもぢ》を|分《わ》け|火《ひ》を|噴《ふ》きつつ|進《すす》みきたる|竜体《りゆうたい》がある。これは|乙米姫命《おとよねひめのみこと》であつた。|命《みこと》は|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|眼前《がんぜん》に|現《あら》はれ、|麻邇《まに》の|珠《たま》を|渡《わた》し|何事《なにごと》か|耳語《じご》して、また|元《もと》のごとく|東北《とうほく》の|天《てん》にむかつて|帰還《きくわん》した。ここに|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|麻邇《まに》の|珠《たま》を|受取《うけと》り、|応援軍《おうゑんぐん》なる|田子彦《たごひこ》と|牧屋彦《まきやひこ》に|預《あづ》けた。すると|田子彦《たごひこ》、|牧屋彦《まきやひこ》はにはかに|態度《たいど》|一変《いつぺん》し、|敵《てき》の|稲山彦《いなやまひこ》についてしまつた。
|稲山彦《いなやまひこ》は、|大虎彦《おほとらひこ》と|獅子王《ししわう》の|応援《おうゑん》ある|上《うへ》に|麻邇《まに》の|珍宝《ちんぽう》を|手《て》にいれ、|勇気《ゆうき》は|頓《とみ》に|百倍《ひやくばい》し|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|散々《さんざん》に|打《う》ち|悩《なや》めた。
ああ|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|運命《うんめい》は|如何《いか》になりゆくであらうか。
(大正一〇・一〇・二二 旧九・二二 加藤明子録)
第三一章 |九山八海《きうざんはつかい》〔三一〕
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、|杉松彦《すぎまつひこ》、|若松彦《わかまつひこ》、|時彦《ときひこ》、|元照彦《もとてるひこ》の|部将《ぶしやう》とともに、|八島別《やしまわけ》の|現《あら》はれし|天教山《てんけうざん》に|引《ひ》きかへし、ここに|防戦《ばうせん》の|準備《じゆんび》に|取《と》りかかつた。|稲山彦《いなやまひこ》は|大虎彦《おほとらひこ》と|獅子王《ししわう》の|応援《おうゑん》を|得《え》て|勝《かち》に|乗《じやう》じ、|天教山《てんけうざん》を|八方《はつぱう》より|取《と》りまいた。
|稲山彦《いなやまひこ》は|潮満《しほみつ》の|珠《たま》をもつて、|天教山《てんけうざん》を|水中《すゐちゆう》に|没《ぼつ》せしめむとした。|地上《ちじやう》はたちまち|見渡《みわた》すかぎり|泥《どろ》の|海《うみ》と|一変《いつぺん》した。このとき|天空《てんくう》|高《たか》く、|東《ひがし》の|方《かた》より|花照姫《はなてるひめ》、|大足彦《おほだるひこ》、|奇玉彦《くしたまひこ》は|天神《てんしん》の|命《めい》によりてはるかの|雲間《くもま》より|現《あら》はれ、|魔軍《まぐん》にむかつて|火弾《くわだん》を|発射《はつしや》し、|天教山《てんけうざん》の|神軍《しんぐん》に|応援《おうゑん》した。されど|一面《いちめん》|泥海《どろうみ》と|化《くわ》したる|地上《ちじやう》には、|落《お》ちた|火弾《くわだん》も|的確《てきかく》にその|効《かう》を|奏《そう》せなかつた。ただジユンジユンと|怪《あや》しき|音《おと》を|立《た》てて|消《き》えてゆくばかりである。されど|白煙《はくえん》|濛々《もうもう》と|立《た》ち|昇《のぼ》りて、|四辺《しへん》を|閉《と》ざすその|勢《いきほひ》の|鋭《するど》さに|敵《てき》しかねて、|敵軍《てきぐん》は|少《すく》なからず|悩《なや》まされた。
このとき|稲山彦《いなやまひこ》の|率《ひき》ゆる|魔軍《まぐん》は|天保山《てんぱうざん》に|登《のぼ》り、まづ|潮満《しほみつ》の|珠《たま》をもつて、ますます|水量《みづかさ》を|増《ま》さしめた。|天教山《てんけうざん》は|危機《きき》に|瀕《ひん》し、|神軍《しんぐん》の|生命《せいめい》は|一瞬《いつしゆん》の|間《あひだ》に|迫《せま》つてきた。|折《をり》しも|杉松彦《すぎまつひこ》、|若松彦《わかまつひこ》、|時彦《ときひこ》は、|天教山《てんけうざん》にすむ|烏《からす》の|足《あし》に|神書《しんしよ》を|括《くく》りつけ、|天保山《てんぱうざん》に|向《むか》つて|降服《かうふく》の|意《い》を|伝《つた》へしめた。|烏《からす》の|使《つかひ》を|受《う》けた|稲山彦《いなやまひこ》は、|意気《いき》|揚々《やうやう》として|諸部将《しよぶしやう》を|集《あつ》め|会議《くわいぎ》を|開《ひら》いた。その|結果《けつくわ》は、
『|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》が|竜宮城《りゆうぐうじやう》|管理《くわんり》の|職《しよく》を|抛《なげう》つか、さもなくば|自殺《じさつ》せよ。しからば|部下《ぶか》の|神軍《しんぐん》の|生命《せいめい》は|救助《きうじよ》せむ』
との|返信《へんしん》となつて|現《あら》はれた。この|返信《へんしん》を|携《たづさ》へて|烏《からす》は|天教山《てんけうざん》に|帰《かへ》つてきた。|神書《しんしよ》を|見《み》たる|杉松彦《すぎまつひこ》、|若松彦《わかまつひこ》、|時彦《ときひこ》は|密《ひそ》かに|協議《けふぎ》して、|自己《じこ》の|生命《せいめい》を|救《すく》はむために|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》に|自殺《じさつ》をせまつた。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|天《てん》を|仰《あふ》ぎ|地《ち》に|俯《ふ》し、|部下《ぶか》の|神司《かみがみ》らの|薄情《はくじやう》と|冷酷《れいこく》と、|不忠不義《ふちゆうふぎ》の|行動《かうどう》を|長歎《ちやうたん》し、いよいよ|自分《じぶん》は|天運《てんうん》|全《まつた》く|尽《つ》きたるものと|覚悟《かくご》して、|今《いま》や|将《まさ》に|自殺《じさつ》せむとする|時《とき》しもあれ、|東《ひがし》の|空《そら》に|当《あた》つて|足玉彦《たるたまひこ》、|斎代姫《ときよひめ》、|磐樟彦《いわくすひこ》の|三部将《さんぶしやう》はあまたの|風軍《ふうぐん》を|引《ひ》きつれ、
『しばらく、しばらく』
と|大音声《だいおんじやう》に|呼《よ》ばはりつつ、|天教山《てんけうざん》にむかつて|最急速力《さいきふそくりよく》をもつて|下《くだ》つてきた。|忽然《こつぜん》として|大風《たいふう》|捲《ま》きおこり、|寄《よ》せきたる|激浪《げきらう》|怒濤《どたう》を|八方《はつぱう》に|吹《ふ》き|捲《まく》つた。|泥水《どろみづ》は|風《かぜ》に|吹《ふ》きまくられて、|天教山《てんけうざん》の|麓《ふもと》は|水量《みづかさ》にはかに|減《げん》じ、その|余波《よは》は|大山《おほやま》のごとき|巨浪《きよらう》を|起《おこ》して、|逆《さか》しまに|天保山《てんぱうざん》に|打《う》ち|寄《よ》せた。
|天保山《てんぱうざん》の|魔軍《まぐん》は|潮干《しほひる》の|珠《たま》を|水中《すゐちゆう》に|投《とう》じて、その|水《みづ》を|減退《げんたい》せしめむとした。|西《にし》の|天《てん》よりは|道貫彦《みちつらひこ》、|玉照彦《たまてるひこ》、|立山彦《たてやまひこ》|数万《すうまん》の|竜神《りゆうじん》を|引《ひ》きつれ、|天保山《てんぱうざん》にむかつて|大水《おほみづ》を|発射《はつしや》した。さしもの|潮干《しほひる》の|珠《たま》も|効《かう》を|奏《そう》せず、|水《みづ》は|刻々《こくこく》に|増《ま》すばかりである。これに|反《はん》して|天教山《てんけうざん》は|殆《ほとん》ど|山麓《さんろく》まで|減水《げんすゐ》してしまつた。|南方《なんぱう》よりは|白雲《はくうん》に|乗《の》りて、|速国彦《はやくにひこ》、|戸山彦《とやまひこ》、|谷山彦《たにやまひこ》の|三柱《みはしら》の|神将《しんしやう》は、あまたの|雷神《らいじん》をしたがへ、|天保山《てんぱうざん》の|空《そら》|高《たか》く|鳴《な》り|轟《とどろ》き|天地《てんち》も|崩《くづ》るるばかりの|大音響《だいおんきやう》を|発《はつ》して|威喝《ゐかつ》を|試《こころ》みた。
ここに|稲山彦《いなやまひこ》は、|天保山上《てんぱうさんじやう》に|立《た》ちて|潮満《しほみつ》の|珠《たま》を|取《と》りいだし、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|天教山《てんけうざん》の|方《はう》にむかつて|投《な》げつけた。|水《みづ》はたちまち|氾濫《はんらん》して|天教山《てんけうざん》は|水中《すゐちゆう》に|陥《おちい》り、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|首《くび》のあたりまでも|浸《ひた》すにいたつた。
|泥水《どろみづ》はなほもますます|増《ふ》える|勢《いきほひ》である。このとき|東北《とうほく》に|当《あた》つて、|天地《てんち》|六合《りくがふ》も|崩《くづ》るるばかりの|大音響《だいおんきやう》とともに|大地震《だいぢしん》となり、|天保山《てんぱうざん》は|見《み》るみるうちに|水中《すゐちゆう》|深《ふか》く|没頭《ぼつとう》し、|同時《どうじ》に|天教山《てんけうざん》は|雲表《うんぺう》に|高《たか》く|突出《とつしゆつ》した。これが|富士《ふじ》の|神山《しんざん》である。
|時《とき》しも|山《やま》の|頂上《ちやうじやう》より、|鮮麗《せんれい》たとふるに|物《もの》なき|一大《いちだい》|光輝《くわうき》が|虹《にじ》のごとく|立《た》ち|昇《のぼ》つた。その|光《ひかり》は|上《うへ》に|高《たか》く|登《のぼ》りゆくほど|扇《あふぎ》を|開《ひら》きしごとく|拡《ひろ》がり、|中天《ちゆうてん》において|五色《ごしき》の|雲《くも》をおこし、|雲《くも》の|戸《と》|開《ひら》いて|威厳《ゐげん》|高《たか》く|美《うつく》しき|天人《てんにん》|無数《むすう》に|現《あら》はれたまひ、その|天人《てんにん》は|山上《さんじやう》に|立《た》てる|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|前《まへ》に|降《くだ》り|真澄《ますみ》の|珠《たま》を|与《あた》へられた。その|天人《てんにん》の|頭首《かしら》は|木花姫命《このはなひめのみこと》であつた。
この|神山《しんざん》の、|天《てん》|高《たか》く|噴出《ふきだ》したのは|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|蓮華台上《れんげだいじやう》に|於《おい》て|雄健《をたけ》びし|給《たま》ひし|神業《しんげふ》の|結果《けつくわ》である。その|時《とき》|現代《げんだい》の|日本国土《にほんこくど》が|九山八海《きうざんはつかい》となつて、|環海《くわんかい》の|七五三波《しはがき》の|秀妻《ほづま》の|国《くに》となつたのである。
|天保山《てんぱうざん》の|陥落《かんらく》したその|跡《あと》が、|今《いま》の|日本海《にほんかい》となつた。また|九山《きうざん》とは、|九天《きうてん》にとどくばかりの|高山《かうざん》の|意味《いみ》であり、|八海《はつかい》とは、|八方《はつぱう》に|海《うみ》をめぐらした|国土《こくど》の|意味《いみ》である。ゆゑに|秋津島根《あきつしまね》の|国土《こくど》そのものは、|九山八海《きうざんはつかい》の|霊地《れいち》と|称《とな》ふるのである。
(大正一〇・一〇・二二 旧九・二二 加藤明子録)
第三二章 |三個《さんこ》の|宝珠《ほつしゆ》〔三二〕
|神山《しんざん》の|上《うへ》に|救《すく》はれた|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、|天《てん》より|下《くだ》りたまへる|木花姫命《このはなひめのみこと》より|真澄《ますみ》の|珠《たま》を|受《う》け、|脚下《あしもと》に|現《あら》はれた|新《あたら》しき|海面《かいめん》を|眺《なが》めつつあつた。|見《み》るみる|天保山《てんぱうざん》は|急《きふ》に|陥落《かんらく》して|現今《げんこん》の|日本海《にほんかい》となり、|潮満《しほみつ》、|潮干《しほひる》の|麻邇《まに》の|珠《たま》は、|稲山彦《いなやまひこ》および|部下《ぶか》の|魔軍勢《まぐんぜい》とともに|海底《かいてい》に|沈没《ちんぼつ》した。|稲山彦《いなやまひこ》はたちまち|悪竜《あくりゆう》の|姿《すがた》と|変《へん》じ、|海底《かいてい》に|深《ふか》く|沈《しづ》める|珠《たま》を|奪《と》らむとして、|海上《かいじやう》を|縦横無尽《じゆうわうむじん》に|探《さぐ》りまはつてゐた。|九山《きうざん》の|上《うへ》より|之《これ》を|眺《なが》めたる|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、|脚下《あしもと》の|岩石《がんせき》をとり|之《これ》に|伊吹《いぶき》の|神法《しんぱふ》をおこなひ、|四個《しこ》の|石《いし》を|一度《いちど》に|悪竜《あくりゆう》にむかつて|投《な》げつけた。|悪竜《あくりゆう》は|目敏《めざと》くこれを|見《み》て、ただちに|海底《かいてい》に|隠《かく》れ|潜《ひそ》んでしまつた。
この|四《よつ》つの|石《いし》は、|海中《かいちゆう》に|落《お》ちて|佐渡《さど》の|島《しま》、|壱岐《いき》の|島《しま》および|対馬《つしま》の|両島《りやうたう》となつたのである。
そこへ|地《ち》の|高天原《たかあまはら》の|竜宮城《りゆうぐうじやう》より|乙米姫命《おとよねひめのみこと》|大竜体《だいりゆうたい》となつて|馳《は》せきたり|海底《かいてい》の|珠《たま》を|取《と》らむとした。|稲山彦《いなやまひこ》の|悪竜《あくりゆう》は|之《これ》を|取《と》らさじとして、たがひに|波《なみ》を|起《おこ》し【うなり】を|立《た》て|海中《かいちゆう》に|争《あらそ》つたが、つひには|乙米姫命《おとよねひめのみこと》のために|平《たひら》げられ、|潮満《しほみつ》、|潮干《しほひる》の|珠《たま》は|乙米姫命《おとよねひめのみこと》の|手《て》にいつた。|乙米姫命《おとよねひめのみこと》はたちまち|雲竜《うんりゆう》と|化《くわ》し|金色《こんじき》の|光《ひかり》を|放《はな》ちつつ|九山《きうざん》に|舞《ま》ひのぼつた。この|時《とき》の|状況《じやうきやう》を|古来《こらい》の|絵師《ゑし》が、|神眼《しんがん》に|示《しめ》されて「|富士《ふじ》の|登《のぼ》り|竜《りゆう》」を|描《えが》くことになつたのだと|伝《つた》へられてゐる。
|乙米姫命《おとよねひめのみこと》の|変《へん》じた|彼《か》の|大竜《だいりゆう》は|山頂《さんちやう》に|達《たつ》し、たちまち|端麗《たんれい》|荘厳《さうごん》なる|女神《によしん》と|化《くわ》し、|潮満《しほみつ》、|潮干《しほひる》の|珠《たま》を|恭《うやうや》しく|木花姫命《このはなひめのみこと》に|捧呈《ほうてい》した。
|木花姫命《このはなひめのみこと》はこの|神人《かみ》の|殊勲《しゆくん》を|激賞《げきしやう》され、|今《いま》までの|諸々《もろもろ》の|罪悪《ざいあく》を|赦《ゆる》されたのである。これより|乙米姫命《おとよねひめのみこと》は、|日出《ひいづ》る|国《くに》の|守護神《しゆごじん》と|神定《かむさだ》められ、|日出神《ひのでのかみ》の|配偶神《つまがみ》となつた。
ここに|木花姫命《このはなひめのみこと》は|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》にむかひ、
『|今《いま》|天《てん》より|汝《なんぢ》に|真澄《ますみ》の|珠《たま》を|授《さづ》け|給《たま》ひたり。|今《いま》また|海中《かいちゆう》より|奉《たてまつ》れる|此《こ》の|潮満《しほみつ》、|潮干《しほひる》の|珠《たま》を|改《あらた》めて|汝《なんぢ》に|授《さづ》けむ。この|珠《たま》をもつて|天地《てんち》の|修理固成《しうりこせい》の|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》せよ』
と|厳命《げんめい》され、|空前絶後《くうぜんぜつご》の|神業《しんげふ》を|言依《ことよ》せたまうた。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、はじめて|三個《さんこ》の|珠《たま》を|得《え》て|神力《しんりき》|旺盛《わうせい》となり、|徳望《とくばう》|高《たか》くつひに|三《み》ツの|御魂大神《みたまのおほかみ》と|御名《みな》がついたのである。
(大正一〇・一〇・二二 旧九・二二 桜井重雄録)
第三三章 エデンの|焼尽《せうじん》〔三三〕
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、|天《てん》にも|昇《のぼ》る|心地《ここち》し|三個《さんこ》の|珠《たま》を|捧持《ほうじ》し、|木花姫命《このはなひめのみこと》より|賜《たま》はりし|天《あま》の|磐船《いはふね》に|乗《の》りて|空中《くうちゆう》はるかに|西天《せいてん》を|摩《ま》して、|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰還《きくわん》した。|一方《いつぱう》エデンの|園《その》に|集《あつ》まれる|竹熊《たけくま》をはじめ|木純姫《こすみひめ》、|足長彦《あしながひこ》の|大将株《たいしやうかぶ》は、|村雲別《むらくもわけ》の|注進《ちうしん》により、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|無事《ぶじ》に|帰城《きじやう》したることを|知《し》り、|周章《しうしやう》|狼狽《らうばい》し|鳩首《きうしゆ》|謀議《ぼうぎ》の|上《うへ》|一計《いつけい》を|案出《あんしゆつ》し、ここに|木純姫《こすみひめ》、|足長彦《あしながひこ》はにはかに|改心《かいしん》の|状《じやう》をよそほひ、|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|参向《さんこう》して、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|無事《ぶじ》|凱旋《がいせん》を|祝《しゆく》するためにと|詐《いつ》はりて|盛《さかん》なる|宴《えん》をひらき、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|御出席《ごしゆつせき》を|請《こ》ひ|奉《まつ》つた。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》はもとより|仁慈《じんじ》に|深《ふか》き|義神《ぎしん》なれば、|彼《かれ》らの|請《こひ》を|容《い》れ、|他意《たい》なき|体《てい》にてエデンの|園《その》にいたりたまひ、|八尋殿《やひろどの》の|奥深《おくふか》く|迎《むか》へられて|酒宴《しゆえん》の|席《せき》につきたまうた。その|時《とき》の|従者《じゆうしや》は|守高彦《もりたかひこ》、|守安彦《もりやすひこ》、|高見姫《たかみひめ》であつた。|木純姫《こすみひめ》、|足長彦《あしながひこ》は|表面《へうめん》|帰順《きじゆん》をよそほひ、|歓待《くわんたい》いたらざるなき|有様《ありさま》であつた。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|八塩折《やしほをり》の|酒《さけ》に|酔《よ》はせたまひて、|八尋殿《やひろどの》の|中《なか》に|入《い》りて|心《こころ》ゆるして|宿泊《しゆくはく》することとなつた。|命《みこと》の|熟睡《じゆくすい》の|様子《やうす》を|窺《うかが》ひゐたる|竹熊《たけくま》は、|時分《じぶん》はよしと|暗夜《あんや》に|乗《じやう》じ|八方《はつぱう》より|八尋殿《やひろどの》に|火《ひ》をかけて|従者《じゆうしや》|諸共《もろとも》にこれを|焼殺《せうさつ》せむとした。|時《とき》に|三柱《みはしら》の|従神《じゆうしん》はおのおの|三個《さんこ》の|珠《たま》を|一個《いつこ》づつ|捧持《ほうぢ》して|命《みこと》の|枕辺《まくらべ》に|警護《けいご》してゐた。|火《ひ》は|猛烈《まうれつ》に|燃《も》えさかつて|八尋殿《やひろどの》を|今《いま》に|焼《や》きつくさむとする|勢《いきほひ》である。
このとき|真澄《ますみ》の|珠《たま》よりは|大風《おほかぜ》|吹《ふ》きおこり、|潮満《しほみつ》の|珠《たま》よりは|竜水《りゆうすゐ》|迸《ほとばし》りて、|瞬《またた》くうちに|殿《との》の|火焔《くわえん》を|打《う》ち|消《け》した。また|潮干《しほひる》の|珠《たま》よりは|猛火《まうくわ》を|吹出《ふきいだ》し、|真澄《ますみ》の|珠《たま》の|風《かぜ》に|煽《あふら》れてエデンの|城《しろ》は|瞬《またた》くうちに|焼《や》け|落《お》ちてしまつた。|竹熊《たけくま》|一派《いつぱ》は|周章狼狽《しうしやうらうばい》|死力《しりよく》をつくしてヨルダン|河《がは》を|打《う》ちわたり|遠《とほ》く|北方《ほくはう》に|逃《のが》れた。この|時《とき》あまたの|従神《じゆうしん》は|河中《かちゆう》に|陥《おちい》り、その|大部分《だいぶぶん》は|溺死《できし》してしまつたのである。
(大正一〇・一〇・二二 旧九・二二 谷口正治録)
第三四章 シナイ|山《ざん》の|戦闘《せんとう》〔三四〕
エデンの|野《の》に|敗《やぶ》れたる|竹熊《たけくま》|一派《いつぱ》は、わづかに|身《み》をもつて|難《なん》を|免《まぬ》かれ、|堂山《だうやま》の|峡《かひ》に|身《み》をひそめ、|遠近《をちこち》の|山《やま》の|端《は》より、ふたたび|魔軍《まぐん》をかり|集《あつ》めて、シナイ|山《ざん》を|攻撃《こうげき》せむことを|企《くはだ》て、|魔軍《まぐん》の|猛将《まうしやう》なる|大虎彦《おほとらひこ》を|辞《じ》を|低《ひく》うし、|礼《れい》を|厚《あつ》うして|招待《せうたい》し、シナイ|山《ざん》|攻撃《こうげき》の|援軍《ゑんぐん》を|依頼《いらい》した。もとより|同《おな》じ|心《こころ》の|大虎彦《おほとらひこ》は、|竹熊《たけくま》の|願望《ぐわんばう》を|一《いち》も|二《に》もなく|承諾《しようだく》し、|数万《すうまん》の|蒙古軍《もうこぐん》を|堂山《だうやま》の|麓《ふもと》に|召集《せうしふ》し、|旗鼓堂々《きこだうだう》として、|士気《しき》|冲天《ちゆうてん》の|慨《がい》があつた。
このとき|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰還《きくわん》して|神務《しんむ》を|管理《くわんり》したまひたる|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、シナイ|山《ざん》の|攻撃軍《こうげきぐん》を|掃蕩《さうたふ》し、|厳《いづ》の|御魂《みたま》を|救《すく》ひ|奉《たてまつ》らむと、|少数《せうすう》の|神軍《しんぐん》を|引率《いんそつ》して|出陣《しゆつぢん》せむとしたまうた。|金勝要神《きんかつかねのかみ》は、|命《みこと》の|袖《そで》を|控《ひか》へて、|出陣《しゆつぢん》を|中止《ちゆうし》したまふべく|懇請《こんせい》せられた。そのゆゑは|竜宮城内《りゆうぐうじやうない》に|潜《ひそ》める|竹熊《たけくま》の|一派《いつぱ》|木常姫《こつねひめ》は|深《ふか》く|城内《じやうない》に|醜女《しこめ》、|探女《さぐめ》を|放《はな》ち、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|不在《ふざい》を|機会《きくわい》に|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|占領《せんりやう》せむと、|着々《ちやくちやく》と|計画《けいくわく》をすすめゐたる|謀計《ぼうけい》を、|金勝要神《きんかつかねのかみ》はよく|看破《かんぱ》しゐたまうたからである。
また|木常姫《こつねひめ》の|応援《おうゑん》として|犬子姫《いぬこひめ》は、|橄欖山《かんらんざん》の|麓《ふもと》にひそみ、あまたの|魔軍《まぐん》を|駆《か》つて|内外《ないぐわい》|両面《りやうめん》より|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|占領《せんりやう》せむとし、すでに|事変《じへん》の|起《おこ》らむとする|間際《まぎは》であつた。しかるに|城内《じやうない》の|味方《みかた》は、ほとんどシナイ|山《ざん》に|登《のぼ》りて、|竜宮城《りゆうぐうじやう》は|守《まも》り|手薄《てうす》になつてゐたからである。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|金勝要神《きんかつかねのかみ》の|進言《しんげん》を|容《い》れて、|出陣《しゆつぢん》を|思《おも》ひとどまり|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|固守《こしゆ》せむことを|決意《けつい》した。
しかし|命《みこと》の|心《こころ》にかかるは、シナイ|山《ざん》にまします|厳《いづ》の|御魂《みたま》の|御上《おんうへ》であつた。|吾《われ》いま|出陣《しゆつぢん》せば|竜宮城《りゆうぐうじやう》は|敵手《てきしゆ》に|落《お》ちむ。|出陣《しゆつぢん》せざればシナイ|山《ざん》の|危急《ききふ》を|救《すく》ふことができぬ。|進退《しんたい》これ|谷《きは》まりし|命《みこと》の|心中《しんちゆう》、|実《じつ》に|想察《さうさつ》するにあまりありといふべしである。
ここに|竹熊《たけくま》は|大虎彦《おほとらひこ》の|応援《おうゑん》を|得《え》、|数万《すうまん》の|蒙古軍《もうこぐん》を|引率《いんそつ》して、シナイ|山《ざん》に|八方《はつぱう》より|攻《せ》めよせた。|竹熊《たけくま》は|木純姫《こすみひめ》、|足長彦《あしながひこ》に|命《めい》じ、|遠近《をちこち》の|諸山《しよざん》より|集《あつ》まりきたれる|悪竜《あくりゆう》を|指揮《しき》して|雲《くも》を|起《おこ》し、|大雨《たいう》を|降《ふ》らせ、|一直線《いつちよくせん》にシナイ|山《ざん》の|中腹《ちゆうふく》に|攻《せ》めよせた。しかるに|一方《いつぱう》|山麓《さんろく》には、|大虎彦《おほとらひこ》の|蒙古軍《もうこぐん》が|十重二十重《とへはたへ》に|取囲《とりかこ》み、もつとも|堅固《けんご》に|警戒《けいかい》の|網《あみ》をはつて|構《かま》えてゐる。ここに|山上《さんじやう》にまします|厳《いづ》の|御魂《みたま》はこの|光景《くわうけい》を|瞰下《かんか》し、|事態《じたい》|容易《ようい》ならずと|見《み》たまひ、|高杉別《たかすぎわけ》を|主将《しゆしやう》とし|鶴若《つるわか》、|亀若《かめわか》、|鷹取《たかとり》、|雁姫《かりひめ》、|稲照彦《いなてるひこ》を|部将《ぶしやう》として、|防戦《ばうせん》につとめたまうた。されど|衆寡《しうくわ》|敵《てき》しがたく、シナイ|山《ざん》の|陥落《かんらく》は|旦夕《たんせき》に|迫《せま》り、|厳《いづ》の|御魂《みたま》の|御身辺《ごしんぺん》の|危険《きけん》は|刻々《こくこく》に|迫《せま》つてきた。このとき|天上《てんじやう》よりは|大自在天《だいじざいてん》|大国彦《おほくにひこ》の|部下《ぶか》の|魔軍《まぐん》|無数《むすう》に|現《あら》はれ、|火弾《くわだん》を|投下《とうか》し、|厳《いづ》の|御魂《みたま》の|神軍《しんぐん》を|窮地《きゆうち》に|陥《おとしい》れた。|厳《いづ》の|御魂《みたま》は|鷹取《たかとり》、|雁姫《かりひめ》を|急使《きふし》として、|竜宮城《りゆうぐうじやう》にまします|金勝要神《きんかつかねのかみ》に|味方《みかた》の|窮状《きゆうじやう》を|報告《はうこく》し、|応援軍《おうゑんぐん》を|差向《さしむ》けらるるやう|申《まを》し|渡《わた》したまうた。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|進退《しんたい》ここに|谷《きは》まつて、|千考万慮《せんかうばんりよ》の|末《すゑ》、|真澄《ますみ》の|珠《たま》を、|鷹取《たかとり》、|雁姫《かりひめ》に|托《たく》したまうた。|鷹取《たかとり》、|雁姫《かりひめ》は|天空《てんくう》|高《たか》く、|敵軍《てきぐん》の|上《うへ》を|飛揚《ひやう》してシナイ|山頂《さんちやう》に|達《たつ》し、|真澄《ますみ》の|珠《たま》を|厳《いづ》の|御魂《みたま》の|大神《おほかみ》に|奉《たてまつ》つた。|厳《いづ》の|御魂《みたま》は|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|珠《たま》を|手《て》に|取《と》りたまひ、|攻《せ》めくる|敵軍《てきぐん》にむかつて|珠《たま》を|口《くち》にあて、|力《ちから》をこめて|息吹《いぶ》きの|神業《かむわざ》をおこなひたまうた。|東《ひがし》にむかつて|吹《ふ》きたまへば、|東《ひがし》の|魔軍《まぐん》はたちまち|潰《つぶ》れ、|西《にし》にむかつて|吹《ふ》きたまへば、|西《にし》の|魔軍《まぐん》はことごとく|散乱《さんらん》し、かくのごとくにして、|八方《はつぱう》の|魔軍《まぐん》は|真澄《ますみ》の|珠《たま》の|神力《しんりき》により、|或《ある》ひは|雲《くも》にのつて|逃《のが》れ、|或《ある》ひは|霞《かすみ》に|包《つつ》まれてかくれ、|四方《しはう》|八方《はつぱう》へ|散乱《さんらん》し|遁走《とんさう》し|全《まつた》く|影《かげ》をかくしてしまつた。
|今《いま》まで|暗黒《あんこく》なりし|天地《てんち》はにはかに|快明《くわいめい》となり、シナイ|山《ざん》の|神軍《しんぐん》はたちまち|蘇生《そせい》の|思《おも》ひをなし、|隊伍《たいご》をととのへ|堂々《だうだう》として|無事《ぶじ》|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|凱旋《がいせん》した。
(大正一〇・一〇・二二 旧九・二二 谷口正治録)
第三五章 |一輪《いちりん》の|秘密《ひみつ》〔三五〕
|厳《いづ》の|御魂《みたま》の|大神《おほかみ》は、シナイ|山《ざん》の|戦闘《せんとう》に|魔軍《まぐん》を|潰走《くわいそう》せしめ、ひとまづ|竜宮城《りゆうぐうじやう》へ|凱旋《がいせん》されたのは|前述《ぜんじゆつ》のとほりである。
さて|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|天山《てんざん》、|崑崙山《こんろんざん》、|天保山《てんぱうざん》の|敵《てき》を|潰滅《くわいめつ》し、|天教山《てんけうざん》に|現《あら》はれ、|三個《さんこ》の|神宝《しんぽう》を|得《え》て|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰還《きくわん》し、つづいてエデンの|園《その》に|集《あつ》まれる|竹熊《たけくま》の|魔軍《まぐん》を|破《やぶ》り、|一時《いちじ》は|神界《しんかい》も|平和《へいわ》に|治《おさ》まつた。されど|竹熊《たけくま》の|魔軍《まぐん》は|勢《いきほひ》やむを|得《え》ずして|影《かげ》を|潜《ひそ》めたるのみなれば、|何《なん》どき|謀計《ぼうけい》をもつて|再挙《さいきよ》を|試《こころ》みるやも|計《はか》りがたき|状況《ありさま》であつた。まづ|第一《だいいち》に|魔軍《まぐん》の|恐《おそ》るるものは|三個《さんこ》の|神宝《しんぽう》である。ゆゑに|魔軍《まぐん》は|百方《ひやつぱう》|画策《くわくさく》をめぐらし、|或《ある》ひは|探女《さぐめ》を|放《はな》ち、|醜女《しこめ》を|使《つか》ひ、この|珠《たま》を|吾《わ》が|手《て》に|奪《うば》はむとの|計画《けいくわく》は|一時《いちじ》も|弛《ゆる》めなかつた。
|茲《ここ》に|艮《うしとら》の|金神《こんじん》|国常立尊《くにとこたちのみこと》は、|山脈《さんみやく》|十字形《じふじがた》をなせる|地球《ちきう》の|中心《ちゆうしん》|蓮華台上《れんげだいじやう》に|登《のぼ》られ、|四方《よも》の|国型《くにがた》を|見《み》そなはし、|天《てん》に|向《むか》つて|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|頭上《づじやう》の|冠《かんむり》を|握《と》り、これに|神気《しんき》をこめて|海上《かいじやう》に|投《な》げ|遣《や》りたまうた。その|冠《かんむり》は|海中《かいちゆう》に|落《お》ちて|一孤島《いちこたう》を|形成《けいせい》した。これを|冠島《かんむりじま》といふ。しかして|冠《かんむり》の|各処《かくしよ》より|稲《いね》を|生《しやう》じ、|米《こめ》もゆたかに|穰《みの》るやうになつた。ゆゑにこの|島《しま》を|稲原《いばら》の|冠《かんむり》といひ、また|茨《いばら》の|冠《かんむり》ともいふ。
つぎに|大地《だいち》に|向《むか》つて|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》したまひ、その|穿《はか》せる|沓《くつ》を|握《にぎ》り|海中《かいちゆう》に|抛《な》げうちたまうた。|沓《くつ》は|化《くわ》して|一孤島《いちこたう》を|形成《けいせい》した。ゆゑにこれを|沓島《くつじま》といふ。|冠島《かんむりじま》は|一名《いちめい》|竜宮島《りゆうぐうじま》ともいひ、|沓島《くつじま》は|一名《いちめい》|鬼門島《きもんじま》ともいふ。
ここに|国常立尊《くにとこたちのみこと》は|厳《いづ》の|御魂《みたま》、|瑞《みづ》の|御魂《みたま》および|金勝要神《きんかつかねのかみ》に|言依《ことよ》さしたまひて、この|両島《りやうたう》に|三個《みつ》の|神宝《しんぽう》を|秘《ひ》め|置《お》かせたまうた。
|潮満《しほみつ》の|珠《たま》はまた|厳《いづ》の|御魂《みたま》といふ。【いづ】とは|泉《いづみ》のいづの|意《い》であつて、|泉《いづみ》のごとく|清鮮《せいせん》なる|神水《しんすゐ》の|無限《むげん》に|湧出《ゆうしゆつ》する|宝玉《ほうぎよく》である。これをまたヨハネの|御魂《みたま》といふ。つぎに|潮干《しほひる》の|珠《たま》はこれを|瑞《みづ》の|御魂《みたま》といひ、またキリストの|御魂《みたま》といふ。【みづ】の|御魂《みたま》は【みいづ】の|御魂《みたま》の|意《い》である。【みいづ】の|御魂《みたま》は|無限《むげん》に|火《ひ》の|活動《くわつどう》を|万有《ばんいう》に|発射《はつしや》し、|世界《せかい》を|清《きよ》むるの|活用《くわつよう》である。|要《えう》するに|水《みづ》の|動《うご》くは|火《ひ》の|御魂《みたま》があるゆゑであり、また|火《ひ》の|燃《も》ゆるは|水《みづ》の|精魂《せいこん》があるからである。しかして|火《ひ》は|天《てん》にして|水《みづ》は|地《ち》である。|故《ゆゑ》に|天《てん》は|尊《たふと》く|地《ち》は|卑《ひく》し。ヨハネが|水《みづ》をもつて|洗礼《せんれい》を|施《ほどこ》すといふは、|体《たい》をさして|言《い》へる|詞《ことば》にして、|尊《たふと》き|火《ひ》の|活動《くわつどう》を|隠《かく》されてをるのである。またキリストが|霊《れい》(|霊《れい》は|火《ひ》なり)をもつて|洗礼《せんれい》を|施《ほどこ》すといふは、キリストの|体《たい》をいへるものにして、その|精魂《せいこん》たる|水《みづ》をいひしに|非《あら》ず。
ここに|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、|金勝要大神《きんかつかねのおほかみ》は、|三個《みつ》の|神宝《しんぽう》を|各自《かくじ》に|携帯《けいたい》して、|目無堅間《めなしかたま》の|船《ふね》に|乗《の》り、|小島別《こじまわけ》、|杉山別《すぎやまわけ》、|富彦《とみひこ》、|武熊別《たけくまわけ》、|鷹取《たかとり》の|神司《かみがみ》を|引率《いんそつ》して、まづこの|竜宮ケ嶋《りゆうぐうがしま》に|渡《わた》りたまうた。しかして|竜宮ケ嶋《りゆうぐうがしま》には|厳《いづ》の|御魂《みたま》なる|潮満《しほみつ》の|珠《たま》を、|大宮柱《おほみやばしら》|太敷立《ふとしきたて》て|納《をさ》めたまひ、また|瑞《みづ》の|御魂《みたま》なる|潮干《しほひる》の|珠《たま》とともに、この|宮殿《きうでん》に|納《をさ》めたまうた。この|潮満《しほみつ》の|珠《たま》の|又《また》の|名《な》を|豊玉姫神《とよたまひめのかみ》といひ、|潮干《しほひる》の|珠《たま》の|又《また》の|名《な》を|玉依姫神《たまよりひめのかみ》といふ。かくて|潮満《しほみつ》の|珠《たま》は|紅色《こうしよく》を|帯《お》び、|潮干《しほひる》の|珠《たま》は|純白色《じゆんぱくしよく》である。
|国常立尊《くにとこたちのみこと》は|冠島《かんむりじま》の|国魂《くにたま》の|神《かみ》に|命《めい》じて、この|神宝《しんぽう》を|永遠《ゑいゑん》に|守護《しゆご》せしめたまうた。この|島《しま》の|国魂《くにたま》の|御名《みな》を|海原彦神《うなばらひこのかみ》といひ、|又《また》の|御名《みな》を|綿津見神《わだつみのかみ》といふ。つぎに|沓島《くつじま》に|渡《わた》りたまひて|真澄《ますみ》の|珠《たま》を|永遠《ゑいゑん》に|納《をさ》めたまひ、|国《くに》の|御柱神《みはしらのかみ》をして|之《これ》を|守護《しゆご》せしめられた。|国《くに》の|御柱神《みはしらのかみ》は|鬼門ケ島《きもんがじま》の|国魂《くにたま》の|又《また》の|御名《みな》である。
いづれも|世界《せかい》の|終末《しうまつ》に|際《さい》し、|世界《せかい》|改造《かいざう》のため|大神《おほかみ》の|御使用《ごしよう》になる|珍《うづ》の|御宝《みたから》である。しかして|之《これ》を|使用《しよう》さるる|御神業《ごしんげふ》がすなはち|一輪《いちりん》の|秘密《ひみつ》である。
この|両島《りやうたう》はあまたの|善神《ぜんしん》|皆《みな》|竜《りゆう》と|変《へん》じ、|鰐《わに》と|化《くわ》して|四辺《しへん》を|守《まも》り、|他神《たしん》の|近《ちか》づくを|許《ゆる》されないのである。
(大正一〇・一〇・二三 旧九・二三 外山豊二録)
第三六章 |一輪《いちりん》の|仕組《しぐみ》〔三六〕
|国常立尊《くにとこたちのみこと》は|邪神《じやしん》のために、|三個《さんこ》の|神宝《しんぽう》を|奪取《だつしゆ》せられむことを|遠《とほ》く|慮《おもんぱか》りたまひ、|周到《しうたう》なる|注意《ちうい》のもとにこれを|竜宮島《りゆうぐうじま》および|鬼門島《きもんじま》に|秘《ひ》したまうた。そして|尚《なほ》も|注意《ちうい》を|加《くは》へられ|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、|金勝要神《きんかつかねのかみ》、|海原彦神《うなばらひこのかみ》、|国《くに》の|御柱神《みはしらのかみ》、|豊玉姫神《とよたまひめのかみ》、|玉依姫神《たまよりひめのかみ》たちにも|極秘《ごくひ》にして、その|三個《さんこ》の|珠《たま》の|体《たい》のみを|両島《りやうたう》に|納《をさ》めておき、|肝腎《かんじん》の|珠《たま》の|精霊《せいれい》をシナイ|山《ざん》の|山頂《さんちやう》へ、|何神《なにがみ》にも|知《し》らしめずして|秘《かく》し|置《お》かれた。これは|大神《おほかみ》の|深甚《しんじん》なる|水《みづ》も|洩《も》らさぬ|御経綸《ごけいりん》であつて、|一厘《いちりん》の|仕組《しぐみ》とあるのはこのことを|指《さ》したまへる|神示《しんじ》である。
|武熊別《たけくまわけ》は|元《もと》よりの|邪神《じやしん》ではなかつたが、|三《み》つの|神宝《しんぽう》の|秘《かく》し|場所《ばしよ》を|知悉《ちしつ》してより、にはかに|心機《しんき》|一転《いつてん》して、これを|奪取《だつしゆ》し、|天地《てんち》を|吾《わが》ものにせむとの|野望《やばう》を|抱《いだ》くやうになつた。そこでこの|玉《たま》を|得《え》むとして、|日《ひ》ごろ|計画《けいくわく》しつつありし|竹熊《たけくま》と|語《かた》らひ、|竹熊《たけくま》の|協力《けふりよく》によつて、|一挙《いつきよ》に|竜宮島《りゆうぐうじま》および|大鬼門島《だいきもんじま》の|宝玉《ほうぎよく》を|奪略《だつりやく》せむことを|申《まを》し|込《こ》んだ。|竹熊《たけくま》はこれを|聞《き》きて|大《おほ》いに|喜《よろこ》び、ただちに|賛成《さんせい》の|意《い》を|表《へう》し、|時《とき》を|移《うつ》さず|杉若《すぎわか》、|桃作《ももさく》、|田依彦《たよりひこ》、|猿彦《さるひこ》、|足彦《たるひこ》、|寅熊《とらくま》、|坂熊《さかくま》らの|魔軍《まぐん》の|部将《ぶしやう》に、|数万《すうまん》の|妖魅軍《えうみぐん》を|加《くは》へ、|数多《あまた》の|戦艦《せんかん》を|造《つく》りて|両島《りやうたう》を|占領《せんりやう》せむとした。
これまで|数多《あまた》の|戦《たたか》ひに|通力《つうりき》を|失《うしな》ひたる|竹熊《たけくま》|一派《いつぱ》の|部将《ぶしやう》らは、|武熊別《たけくまわけ》を|先頭《せんとう》に|立《た》て、|種々《しゆじゆ》なる|武器《ぶき》を|船《ふね》に|満載《まんさい》し、|夜陰《やいん》に|乗《じやう》じて|出発《しゆつぱつ》した。|一方《いつぱう》|竜宮島《りゆうぐうじま》の|海原彦命《うなばらひこのみこと》も、|鬼門島《きもんじま》の|国《くに》の|御柱神《みはしらのかみ》も、かかる|魔軍《まぐん》に|計画《けいくわく》あらむとは|露《つゆ》だも|知《し》らず、|八尋殿《やひろどの》に|枕《まくら》を|高《たか》く|眠《ねむ》らせたまふ|時《とき》しも、|海上《かいじやう》にどつとおこる|鬨《とき》の|声《こゑ》、|群鳥《むらどり》の|噪《さは》ぐ|羽音《はおと》に|夢《ゆめ》を|破《やぶ》られ、|竜燈《りゆうとう》を|点《てん》じ|手《て》に|高《たか》く|振翳《ふりかざ》して|海上《かいじやう》はるかに|見渡《みわた》したまへば、|魔軍《まぐん》の|戦艦《せんかん》は|幾百千《いくひやくせん》とも|限《かぎ》りなく|軍容《ぐんよう》を|整《ととの》へ、|舳艪《ぢくろ》|相啣《あひふく》み|攻《せ》めよせきたるその|猛勢《まうせい》は、|到底《たうてい》|筆舌《ひつぜつ》のよく|尽《つく》すところではなかつた。
ここに|海原彦命《うなばらひこのみこと》は|諸竜神《しよりゆうじん》に|令《れい》を|発《はつ》し、|防禦軍《ばうぎよぐん》、|攻撃軍《こうげきぐん》を|組織《そしき》し、|対抗戦《たいかうせん》に|着手《ちやくしゆ》したまうた。|敵軍《てきぐん》は|破竹《はちく》の|勢《いきほひ》をもつて|進《すす》みきたり、|既《すで》に|竜宮嶋《りゆうぐうじま》|近《ちか》く|押寄《おしよ》せたるに、|味方《みかた》の|竜神《りゆうじん》は|旗色《はたいろ》|悪《あし》く、|今《いま》や|敵軍《てきぐん》は|一挙《いつきよ》に|島《しま》へ|上陸《じやうりく》せむず|勢《いきほひ》になつてきた。このとき|海原彦命《うなばらひこのみこと》は|百計《ひやくけい》|尽《つ》きて、かの|大神《おほかみ》より|預《あづ》かりし|潮満《しほみつ》、|潮干《しほひる》の|珠《たま》を|取《と》りだし|水火《すゐくわ》を|起《おこ》して、|敵《てき》を|殲滅《せんめつ》せしめむと|為《な》し|給《たま》ひ、まづかの|潮満《しほみつ》の|珠《たま》を|手《て》にして|神息《しんそく》をこめ、|力《ちから》かぎり|伊吹《いぶき》|放《はな》ちたまへども、|如何《いか》になりしか、この|珠《たま》の|神力《しんりき》は|少《すこ》しも|顕《あら》はれなかつた。それは|肝腎《かんじん》の|精霊《みたま》が|抜《ぬ》かされてあつたからである。|次《つぎ》には|潮干《しほひる》の|珠《たま》を|取《と》りいだし、|火《ひ》をもつて|敵艦《てきかん》を|焼《や》き|尽《つ》くさむと、|神力《しんりき》をこめ|此《こ》の|珠《たま》を|伊吹《いぶき》したまへども、これまた|精霊《みたま》の|引抜《ひきぬ》かれありしため、|何《なん》らの|効《かう》をも|奏《そう》さなかつた。
|鬼門ケ島《きもんがじま》にまします|国《くに》の|御柱神《みはしらのかみ》は、この|戦況《せんきやう》を|見《み》て|味方《みかた》の|窮地《きゆうち》に|陥《おちい》れることを|憂慮《いうりよ》し、ただちに|神書《しんしよ》を|認《したた》めて|信天翁《あはうどり》の|足《あし》に|括《くく》りつけ、|竜宮城《りゆうぐうじやう》にゐます|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》に|救援《きうゑん》を|請《こ》はれた。
このとき|地《ち》の|高天原《たかあまはら》も、|竜宮城《りゆうぐうじやう》も|黒雲《こくうん》に|包《つつ》まれ|咫尺《しせき》を|弁《べん》せず、|荒振神《あらぶるかみ》どもの|矢叫《やさけ》びは|天地《てんち》も|震撼《しんかん》せむばかりであつた。
ここにおいて|金勝要大神《きんかつかねのおほかみ》は|秘蔵《ひざう》の|玉手箱《たまてばこ》を|開《ひら》きて|金幣《きんぺい》を|取《と》りだし、|天《てん》に|向《むか》つて|左右左《さいうさ》と|打《う》ちふり|給《たま》へば、|一天《いつてん》たちまち|拭《ぬぐ》ふがごとく|晴《は》れわたり、|日光《につくわう》|燦爛《さんらん》として|輝《かがや》きわたつた。|金勝要神《きんかつかねのかみ》は|更《さら》に|金幣《きんぺい》の|一片《いつぺん》を|取欠《とりか》きたまひて|信天翁《あはうどり》の|背《せ》に|堅《かた》く|結《むす》びつけ、なほ|返書《へんしよ》を|足《あし》に|縛《しば》りて、|天空《てんくう》に|向《むか》つて|放《はな》ちやられた。|信天翁《あはうどり》は|見《み》るみる|中天《ちゆうてん》に|舞《ま》ひ|上《あ》がり、|東北《とうほく》の|空《そら》|高《たか》く|飛《と》び|去《さ》つた。|信天翁《あはうどり》はたちまち|金色《こんじき》の|鵄《とび》と|化《くわ》し、|竜宮島《りゆうぐうじま》、|鬼門島《きもんじま》の|空《そら》|高《たか》く|縦横無尽《じゆうわうむじん》に|飛《と》びまはつた。|今《いま》や|竜宮島《りゆうぐうじま》に|攻《せ》め|寄《よ》せ|上陸《じやうりく》せむとしつつありし|敵軍《てきぐん》の|上《うへ》には、|火弾《くわだん》の|雨《あめ》しきりに|降《ふ》り|注《そそ》ぎ、かつ|東北《とうほく》の|天《てん》よりは|一片《いつぺん》の|黒雲《こくうん》|現《あら》はれ、|見《み》るみる|満天《まんてん》|墨《すみ》を|流《なが》せしごとく、|雲間《くもま》よりは|幾百千《いくひやくせん》とも|限《かぎ》りなき|高津神《たかつかみ》|現《あら》はれきたりて|旋風《せんぷう》をおこし、|山《やま》なす|波浪《はらう》を|立《た》たしめ|敵艦《てきかん》を|中天《ちゆうてん》に|捲《ま》きあげ、あるひは|浪《なみ》と|浪《なみ》との|千仭《せんじん》の|谷間《たにま》に|突《つ》き|落《おと》し、|敵船《てきせん》を|翻弄《ほんろう》すること|風《かぜ》に|木《こ》の|葉《は》の|散《ち》るごとくであつた。このとき|竹熊《たけくま》、|杉若《すぎわか》、|桃作《ももさく》、|田依彦《たよりひこ》の|一部隊《いちぶたい》は、|海底《かいてい》に|沈没《ちんぼつ》した。
|国常立尊《くにとこたちのみこと》はこの|戦況《せんきやう》を|目撃《もくげき》|遊《あそ》ばされ、|敵《てき》ながらも|不愍《ふびん》の|至《いた》りと、|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|神心《かみごころ》を|発揮《はつき》し、シナイ|山《ざん》にのぼりて|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》したまへば、|一天《いつてん》にはかに|晴渡《はれわた》りて|金色《こんじき》の|雲《くも》あらはれ、|風《かぜ》|凪《な》ぎ、|浪《なみ》|静《しづ》まり、|一旦《いつたん》|沈没《ちんぼつ》せる|敵《てき》の|戦艦《せんかん》も|海底《かいてい》より|浮揚《うきあが》り、|海面《かいめん》はあたかも|畳《たたみ》を|敷《し》きつめたるごとく|穏《おだや》かになつてきた。
このとき|両島《りやうたう》の|神々《かみがみ》も、|諸善竜神《しよぜんりゆうじん》も|竹熊《たけくま》の|敵軍《てきぐん》も、|一斉《いつせい》に|感謝《かんしや》の|声《こゑ》をはなち、|国常立大神《くにとこたちのおほかみ》の|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|恵徳《けいとく》に|心服《しんぷく》せずにはをられなかつた。|広《ひろ》く|神人《しんじん》を|愛《あい》し、|敵《てき》を|敵《てき》とせず、|宇宙《うちう》|一切《いつさい》の|衆生《しうじやう》にたいし|至仁至愛《みろく》の|大御心《おほみこころ》を|顕彰《けんしやう》したまふこそ、|実《じつ》に|尊《たふと》き|有難《ありがた》ききはみである。
(大正一〇・一〇・二三 旧九・二三 桜井重雄録)
第五篇 |御玉《みたま》の|争奪《そうだつ》
第三七章 |顕国《うつしくに》の|御玉《みたま》〔三七〕
|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|厳命《げんめい》を|奉《ほう》じ、ここに|天使《てんし》|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》、|同《どう》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、|金勝要神《きんかつかねのかみ》の|三柱《みはしら》は、|高杉別《たかすぎわけ》、|森鷹彦《もりたかひこ》、|田依彦《たよりひこ》、|玉彦《たまひこ》、|芳彦《よしひこ》、|神彦《かみひこ》、|鶴若《つるわか》、|亀若《かめわか》、|倉高《くらたか》、|杉生彦《すぎふひこ》、|時彦《ときひこ》、|猿彦《さるひこ》|以下《いか》の|神司《かみがみ》を|引率《いんそつ》し、|流《なが》れも|清《きよ》き|天《あま》の|安河《やすかは》の|源《みなもと》に|参上《まゐのぼ》りたまうた。この|山《やま》の|水上《みなかみ》にはシオンの|霊山《れいざん》が|雲表《うんぺう》|高《たか》く|聳《そび》えてゐる。シオンの|山《やま》の|意義《いぎ》は、「|浄行《じやうぎやう》|日域《にちゐき》といつて|天男《てんなん》|天女《てんによ》の|常《つね》に|来《きた》りて、|音楽《おんがく》を|奏《そう》し|舞曲《ぶきよく》を|演《えん》じて、|遊楽《いうらく》する」といふことである。この|山《やま》の|頂《いただき》には|広《ひろ》き|高原《かうげん》があつて、|珍《めづら》しき|五色《ごしき》の|花《はな》が|馥郁《ふくいく》たる|香気《かうき》をはなつて、|春夏秋冬《しゆんかしうとう》の|区別《くべつ》なく|咲《さ》き|満《み》ちてゐる。また|種々《しゆじゆ》の|美味《びみ》なる|果実《くわじつ》は|木々《きぎ》の|梢《こづゑ》に|枝《えだ》もたわわに|実《みの》つてゐる|安全境《あんぜんきやう》である。この|高原《かうげん》の|中央《ちゆうあう》に、|高《たか》さ|五十間《ごじつけん》|幅《はば》|五十間《ごじつけん》の|方形《ほうけい》の|極《きは》めて|堅固《けんご》なる|岩石《がんせき》が|据《す》ゑられてある。これは|国常立尊《くにとこたちのみこと》が|天《あめ》の|御柱《みはしら》の|黄金《こがね》の|柱《はしら》となつて|星辰《せいしん》を|生《う》み|出《だ》し|給《たま》ひしとき、|最初《さいしよ》に|現《あら》はれたる|星巌《せいがん》である。|神業《かむわざ》|祈念《きねん》のために|最初《さいしよ》の|一個《いつこ》を|地上《ちじやう》にとどめ、これを|地上《ちじやう》の|国魂《くにたま》の|守護《しゆご》と|定《さだ》めて|今《いま》まで|秘《ひ》めおかれたのである。
|天地《てんち》|剖判《ぼうはん》の|初《はじ》めより、|一週間《いつしうかん》ごとに|十二柱《じふにはしら》の|天人《てんにん》、この|山上《さんじやう》に|現《あら》はれて|遊楽《いうらく》する|時《とき》、この|星巌《せいがん》を|中《なか》に|置《お》き、|天男《てんなん》は|左《ひだり》より、|天女《てんによ》は|右《みぎ》より|廻《めぐ》りて|音楽《おんがく》を|奏《そう》し、|舞曲《ぶきよく》を|演《えん》ずる|所《ところ》である。そのとき|天男《てんなん》、|天女《てんによ》の|薄衣《うすぎぬ》のごとき|天《あま》の|羽衣《はごろも》の|袖《そで》にすり|磨《みが》かれて、その|星巌《せいがん》は|自然《しぜん》に|容積《ようせき》を|減《げん》じ、|今《いま》は|中心《ちゆうしん》の|玉《たま》のみになつてゐたのである。この|玉《たま》は|直径《ちよくけい》|三尺《さんじやく》の|円球《ゑんきう》である。これを|見《み》ても|天地《てんち》|剖判《ぼうはん》の|初《はじ》めより|幾万億年《いくまんおくねん》を|経過《けいくわ》したるかを|想像《さうざう》される。
|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》|以下《いか》の|神司《かみがみ》は、|天《あま》の|安河原《やすかはら》の|渓流《けいりう》に|御禊《みそぎ》の|神業《しんげふ》を|修《しう》したまひ、ただちに|雲《くも》を|起《おこ》し、これに|乗《の》り、シオン|山《ざん》の|頂《いただき》に|登《のぼ》りたまひ、|山上《さんじやう》の|高原《かうげん》を|残《のこ》る|隈《くま》なく|踏査《たふさ》し、|諸天神《しよてんじん》の|御魂《みたま》の|各自《かくじ》の|御座所《ござしよ》を|定《さだ》め、|地鎮祭《ぢちんさい》をおこなひ、|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|永遠《ゑいゑん》に|神《かみ》の|霊地《れいち》と|定《さだ》めたまうた。
この|高原《かうげん》の|中央《ちゆうあう》には、|前記《ぜんき》|十二柱《じふにはしら》の|天男《てんなん》|天女《てんによ》が|一個《いつこ》の|星巌《せいがん》を|中心《ちゆうしん》に、|左右《さいう》より|廻《めぐ》り|遊《あそ》んでゐた。ここに|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》|以下《いか》の|神司《かみがみ》は、その|星巌《せいがん》に|近《ちか》づきたまへば、|天男《てんなん》|天女《てんによ》ははるか|後方《こうはう》に|退《しりぞ》き、|地上《ちじやう》に|拝跪《はいき》して|太古《たいこ》より|今日《こんにち》まで|星巌《せいがん》を|磨《みが》き、かつ|守護《しゆご》せしことの|詳細《しやうさい》を|命《みこと》に|進言《しんげん》した。
|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》は|多年《たねん》の|労苦《らうく》を|謝《しや》し、かつ|神勅《しんちよく》に|違《たが》はず、|数万年間《すうまんねんかん》これを|守護《しゆご》せしその|功績《こうせき》を|激賞《げきしやう》し、|種々《しゆじゆ》の|珍《めづら》しき|宝《たから》を|十二《じふに》の|天人《てんにん》にそれぞれ|与《あた》へたまうた。
|一見《いつけん》するところ|此《こ》の|円《まる》き|星巌《せいがん》は|地球《ちきう》に|酷似《こくじ》してゐる。|大地《だいち》の|神霊《しんれい》たる|金勝要神《きんかつかねのかみ》は、いと|軽々《かるがる》しくその|円巌《ゑんがん》を|手《て》にして|三回《さんくわい》ばかり|頭上《づじやう》|高《たか》く|捧《ささ》げ、|天《てん》に|向《むか》つて|感謝《かんしや》し、ついでこれを|胸先《むなさき》に|下《くだ》し、|息吹《いぶき》の|狭霧《さぎり》を|吹《ふ》きかけたまへば、|円巌《ゑんがん》はますます|円《まる》く|形《かたち》を|変化《へんくわ》し、その|上《うへ》|得《え》もいはれぬ|光沢《くわうたく》を|放射《はうしや》するにいたつた。このとき|金勝要神《きんかつかねのかみ》はいかが|思召《おぼしめし》けむ、この|円巌《ゑんがん》を|山頂《さんちやう》より|安河原《やすかはら》の|渓流《けいりう》めがけて|投《な》げ|捨《す》てたまうた。|急転《きふてん》|直下《ちよくか》、|六合《りくがふ》も|割《わ》るるばかりの|音響《おんきやう》を|発《はつ》して|谷間《たにま》に|転落《てんらく》した。|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》|以下《いか》の|諸神司《しよしん》は|諸々《もろもろ》の|従臣《じゆうしん》と|共《とも》に、|星巌《せいがん》の|跡《あと》を|尋《たづ》ねてシオン|山《ざん》を|下《くだ》り、|星巌《せいがん》の|行方《ゆくへ》いかにと|谷間《たにま》の|彼方《あなた》こなたを|捜《さが》させたまうた。はるか|上流《じやうりう》に|当《あた》つて、|以前《いぜん》の|十二《じふに》の|天人《てんにん》|霧《きり》|立《た》ちのぼる|谷間《たにま》に|面白《おもしろ》く|舞《ま》ひ|狂《くる》うてゐる|姿《すがた》が|目《め》につき、|玉《たま》の|行方《ゆくへ》は|確《たしか》にそこと|見定《みさだ》め、|渓流《けいりう》を|遡《さかのぼ》りたまうた。|幾百丈《いくひやくぢやう》とも|知《し》れぬ|大瀑布《だいばくふ》の|下《した》に、|以前《いぜん》の|星巌《せいがん》|落《お》ちこみ|滝水《たきみづ》に|打《う》たれ、|或《ある》ひは|水上《すゐじやう》に|浮《う》かび、あるひは|水中《すゐちゆう》に|沈《しづ》み、|風船玉《ふうせんだま》が|水《みづ》の|力《ちから》によつて|動《うご》くがごとく、あるひは|右《みぎ》に|或《ある》ひは|左《ひだり》に|旋転《せんてん》して|円《まる》さはますます|円《まる》く、|光《ひかり》はますます|強《つよ》く|金剛不壊《こんがうふえ》の|宝珠《ほつしゆ》と|化《くわ》してゐる。この|時《とき》|金勝要神《きんかつかねのかみ》はたちまち|金色《こんじき》の|竜体《りゆうたい》と|化《くわ》し、|水中《すゐちゆう》に|飛《と》びいり|両手《りやうて》にその|玉《たま》を|捧《ささ》げて、|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》の|御前《ごぜん》に|捧呈《ほうてい》された。|洗《あら》ひ|晒《さら》された|此《こ》の|玉《たま》は、|表側《おもてがは》は|紫色《むらさきいろ》にして、|中心《ちゆうしん》には|赤《あか》、|白《しろ》、|青《あを》の|三《み》つの|宝玉《ほうぎよく》が|深《ふか》く|包《つつ》まれてゐるのを|外部《ぐわいぶ》から|透見《とうけん》することができる。これを|顕国《うつしくに》の|御玉《みたま》と|称《とな》え|奉《まつ》る。
(大正一〇・一〇・二三 旧九・二三 加藤明子録)
第三八章 |黄金水《わうごんすゐ》の|精《せい》〔三八〕
ここに|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》、|金勝要神《きんかつかねのかみ》、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|歓喜《くわんき》のあまり、シオン|山《ざん》の|大峡小峡《おほがひをがひ》の|木《き》を|切《き》り|新《あたら》しき|御船《みふね》をつくり、また|珠《たま》をおさむる|白木《しらき》の|御輿《みこし》をしつらへ、|恭《うやうや》しく|顕国《うつしくに》の|御玉《みたま》を|奉按《ほうあん》し、これを|御輿《みこし》もろとも|御船《みふね》の|正中《せいちゆう》に|安置《あんち》し、|安河《やすかは》を|下《くだ》りて|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|帰還《きくわん》し、|三重《みへ》の|金殿《きんでん》に|深《ふか》く|秘蔵《ひざう》したまうた。この|御玉《みたま》はある|尊貴《そんき》なる|神《かみ》の|御精霊体《ごせいれいたい》である。
|話《はなし》はもとへかへつて、|高杉別《たかすぎわけ》、|森鷹彦《もりたかひこ》は|大神《おほかみ》の|命《めい》を|奉《ほう》じ、|黄金造《わうごんづくり》の|器《うつは》にシオンの|滝《たき》の|清泉《せいせん》を|盛《も》り、|御輿《みこし》の|前後《ぜんご》に|扈従《こじゆう》し|目出度《めでた》く|帰城《きじやう》したまひ、この|清泉《せいせん》は|命《みこと》の|指揮《しき》の|下《もと》に|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|真奈井《まなゐ》に|注《そそ》ぎ|入《い》れられた。それよりこの|水《みづ》を|黄金水《わうごんすゐ》といふ。
|顕国《うつしくに》の|御玉《みたま》の|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|御安着《ごあんちやく》とともに、|三方《さんぱう》より|不思議《ふしぎ》にも|黒煙《こくえん》|天《てん》に|冲《ちゆう》して|濛々《もうもう》と|立《た》ち|騰《のぼ》り、|竜宮城《りゆうぐうじやう》は|今《いま》|将《まさ》に|焼《や》け|落《お》ちむとする|勢《いきほひ》である。この|時《とき》たちまち|彼《か》の|真奈井《まなゐ》より|黄金水《わうごんすゐ》は|竜《りゆう》の|天《てん》に|昇《のぼ》るがごとく|中天《ちゆうてん》に|噴《ふ》きあがり、|大雨《おほあめ》となつて|降《ふ》り|下《くだ》り、|立《た》ち|上《のぼ》る|猛火《まうくわ》を|鎮定《ちんてい》した。|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|後《あと》の|光景《くわうけい》は|不審《ふしん》にも|何《なん》の|変異《いへん》もなく、|依然《いぜん》として|元形《げんけい》をとどめてゐた。
|金剛不壊《こんがうふえ》の|顕国《うつしくに》の|御玉《みたま》は、|時々刻々《じじこくこく》に|光度《くわうど》を|増《ま》し、|一時《いちじ》に|数百《すうひやく》の|太陽《たいやう》の|現《あら》はれしごとく、|神人《しんじん》|皆《みな》その|光徳《くわうとく》の|眩《まば》ゆさに|眼《め》を|開《ひら》く|能《あた》はず、|万一《まんいち》|眼《め》を|開《ひら》くときは|失明《しつめい》するにいたるくらゐである。
ここに|国常立尊《くにとこたちのみこと》は、|神威《しんゐ》の|赫灼《かくしやく》たるに|驚喜《きやうき》したまひしが、さりとてこのまま|竜宮城《りゆうぐうじやう》にあからさまに|奉祭《ほうさい》することを|躊躇《ちうちよ》したまひ、|天運《てんうん》の|循環《じゆんかん》しきたるまで、|至堅《しけん》|至牢《しらう》なる|三重《みへ》の|金殿《きんでん》に|八重畳《やへたたみ》を|布《し》き、その|上《うへ》に|御輿《みこし》もろとも|安置《あんち》し、|十二重《じふにへ》の|戸帳《とちやう》をもつてこれを|掩《おほ》ひ|深《ふか》く|秘斎《ひさい》したまうた。
それより|三重《みへ》の|金殿《きんでん》はにはかに|光《ひかり》を|増《ま》し、その|光《ひかり》は|上《うへ》は|天《てん》を|照《てら》し、|下《した》は|葦原《あしはら》の|瑞穂国《みづほのくに》|隈《くま》なく|照《て》り|輝《かがや》くにいたつた。|金色《こんじき》の|鵄《とび》は|常《つね》に|金殿《きんでん》の|上空《じやうくう》に|〓翔《かうしやう》し、|天地《てんち》の|諸善神《しよぜんしん》、|時《とき》に|集《あつ》まりきたつて、|微妙《びめう》の|音楽《おんがく》を|奏《そう》し|遊《あそ》び|戯《たはむ》れたまふ、|実《じつ》に|五六七神世《みろくしんせい》の|実現《じつげん》、|天《あま》の|岩戸開《いはとびら》きの|光景《くわうけい》もかくやと|思《おも》はるるばかりである。
|天《あめ》の|真奈井《まなゐ》の|清泉《せいせん》はにはかに|金色《こんじき》と|変《へん》じ、その|水《みづ》の|精《せい》は、|十二個《じふにこ》の|美《うつく》しき|玉《たま》となつて|中空《ちゆうくう》に|舞《ま》ひ|上《のぼ》り、|種々《しゆじゆ》の|色《いろ》と|変《へん》じ、ふたたび|地上《ちじやう》に|降下《かうか》した。このとき|眼《め》ざとくも|田依彦《たよりひこ》、|玉彦《たまひこ》、|芳彦《よしひこ》、|神彦《かみひこ》、|鶴若《つるわか》、|亀彦《かめひこ》、|高倉《たかくら》、|杉生彦《すぎふひこ》、|高杉別《たかすぎわけ》、|森高彦《もりたかひこ》、|猿彦《さるひこ》、|時彦《ときひこ》の|十二《じふに》の|神司《かみ》は|争《あらそ》うてこれを|拾《ひろ》ひ、|各自《かくじ》に|珍蔵《ちんざう》して|天運《てんうん》|循環《じゆんかん》の|好期《かうき》を|待《ま》たむとした。
この|十二《じふに》の|玉《たま》はおのおの|特徴《とくちやう》を|備《そな》へ、|神変不可思議《しんぺんふかしぎ》の|神力《しんりき》を|具有《ぐいう》せるものである。
ここに|竹熊《たけくま》の|一派《いつぱ》は、|危急《ききふ》を|救《すく》はれし|大神《おほかみ》の|厚恩《こうおん》を|無視《むし》し、|生来《しやうらい》の|野心《やしん》をますます|増長《ぞうちよう》し、|金殿《きんでん》に|安置《あんち》せる|顕国《うつしくに》の|御玉《みたま》を|涜《けが》しくもらせ、|無用《むよう》の|長物《ちやうぶつ》たらしめむとして|四方《よも》の|曲津神《まがつかみ》と|語《かた》らひ、なほ|懲《こ》りずまに|計画《けいくわく》を|廻《めぐ》らしてゐた。この|目的《もくてき》を|達《たつ》するには、その|第一《だいいち》|着手《ちやくしゆ》として|黄金水《わうごんすゐ》の|精《せい》より|成《な》り|出《い》でたる|十二個《じふにこ》の|玉《たま》を|手《て》に|入《い》れねばならぬ。この|玉《たま》をことごとく|手《て》に|握《にぎ》れば、|彼《かれ》らの|目的《もくてき》は|達《たつ》するものと|深《ふか》く|信《しん》じたからである。ここにおいて|竹熊《たけくま》は、|将《しやう》を|射《い》むとするものは|先《ま》づその|馬《うま》を|射《い》よとの|戦法《せんぱふ》を|応用《おうよう》せむとし、あらゆる|方策《はうさく》を|講《かう》じて|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|従臣《じゆうしん》なる|十二柱《じふにはしら》の|神司《かみ》を|説《と》き|落《おと》し、あるひは|討《う》ち|亡《ほろ》ぼして、その|玉《たま》をいよいよ|奪《うば》ひ|取《と》らむとした。この|玉《たま》は|十二個《じふにこ》のうち、|一個《いつこ》|不足《ふそく》しても|何《なん》の|用《よう》をもなさないのである。
(大正一〇・一〇・二三 旧九・二三 谷口正治録)
第三九章 |白玉《しらたま》の|行衛《ゆくへ》〔三九〕
|黄金水《わうごんすい》の|精《せい》より|出《い》でたる|十二《じふに》の|宝玉《ほうぎよく》は、|個々別々《ここべつべつ》に|使用《しよう》しては|何《なん》の|効用《かうよう》も|現《あら》はれないものである。しかしこれを|拾《ひろ》ひ|得《え》たる|十二柱《じふにはしら》の|神司《かみ》も、|竹熊《たけくま》の|一派《いつぱ》もその|真相《しんさう》を|知《し》らず、|一個《いつこ》を|得《う》れば|一個《いつこ》だけの|活用《くわつよう》あり、|二個《にこ》を|得《う》れば|二個《にこ》だけの|神力《ちから》の|現《あら》はるるものといづれの|者《もの》も|確信《かくしん》してゐた。
そこで|竹熊《たけくま》は、|第一番《だいいちばん》に|田依彦《たよりひこ》の|持《も》つてをる|白色《はくしよく》の|玉《たま》を、|手《て》に|入《い》れむことを|計画《けいくわく》したが、どうしても|田依彦《たよりひこ》を|説服《せつぷく》して、その|自分《じぶん》に|譲《ゆづ》らしむることの|容易《ようい》ならざるをさとり、ここに|竹熊《たけくま》は|一計《いつけい》を|案出《あんしゆつ》し、|田依彦《たよりひこ》のもつとも|信頼《しんらい》|措《を》かざる|魔子彦《まごひこ》を、|物質慾《ぶつしつよく》をもつて|甘《うま》く|自分《じぶん》の|参謀《さんぼう》にとりいれた。|魔子彦《まごひこ》は|容姿《ようし》|端麗《たんれい》なる|美男《びなん》である。さうして|田依彦《たよりひこ》の|姉《あね》にして|豆寅《まめとら》の|妻《つま》なる|草香姫《くさかひめ》といふのがあつた。これもまた|非常《ひじやう》な|麗《うるは》しき|容貌《ようばう》を|備《そな》へていた。しかるに|草香姫《くさかひめ》はいつとなく、|魔子彦《まごひこ》に|思《おも》ひをかけてゐた。
このとき|竹熊《たけくま》は|魔子彦《まごひこ》に|種々《くさぐさ》の|珍《めづら》しき|宝《たから》を|与《あた》へ、また|非常《ひじやう》に|麗《うるは》しき|衣服《いふく》を|与《あた》へた。ここに|魔子彦《まごひこ》はその|美衣《びい》を|身《み》に|着《ちやく》し、|薫香《くんかう》つよき|膏《あぶら》を|肉体《にくたい》|一面《いちめん》に|塗《ぬ》りつけ、|草香姫《くさかひめ》が|吾《われ》に|恋愛《れんあい》の|情《じやう》を|深《ふか》からしめむとした。この|行動《かうどう》は|竹熊《たけくま》の|内命《ないめい》に|従《したが》つたものである。
ここに|草香姫《くさかひめ》はますます|恋慕《れんぼ》の|情《じやう》が|募《つの》つてきた。されども、あからさまに|心《こころ》の|思《おも》ひを|魔子彦《まごひこ》に|打《う》ちあけることを|愧《は》ぢて、|日夜《にちや》|悶々《もんもん》の|情《じやう》に|堪《た》へかねてゐた。つひに|草香姫《くさかひめ》は|気鬱病《きうつびやう》になり、|病床《びやうしやう》に|臥《ふ》して|呻吟《しんぎん》し、その|身体《しんたい》は|日一日《ひいちにち》と|痩衰《やせおとろ》へ、|生命《いのち》は|旦夕《たんせき》に|迫《せま》つてきた。|弟《おとうと》|田依彦《たよりひこ》は|大《おほ》いに|驚《おどろ》き、かつ|悲《かな》しみ、いかにもして|草香姫《くさかひめ》の|病《やまひ》を|癒《い》やし|救《すく》はむと、|百方《ひやつぱう》|苦慮《くりよ》しつつあつた。
|時《とき》に|田依彦《たよりひこ》は|自分《じぶん》の|信《しん》ずる|魔子彦《まごひこ》が、|内々《ないない》|竹熊《たけくま》の|参謀役《さんぼうやく》になつてをることは|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|魔子彦《まごひこ》をよんで、|草香姫《くさかひめ》の|病気《びやうき》をいかにせば|全快《ぜんくわい》せむやと、|顔《かほ》の|色《いろ》をかへ|吐息《といき》をつきながら|相談《そうだん》をしかけた。
|魔子彦《まごひこ》は|時節《じせつ》の|到来《たうらい》と|内心《ないしん》ひそかに|打《う》ち|喜《よろこ》びつつ、|田依彦《たよりひこ》に|向《むか》つて|言葉《ことば》をかまへていふ。
『われ|一昨夜《いつさくや》の|夢《ゆめ》に、|高天原《たかあまはら》にまします|国常立尊《くにとこたちのみこと》、|枕頭《ちんとう》に|現《あら》はれたまひて、|言葉《ことば》|厳《おごそ》かに|宣《の》り|給《たま》ふやうは、……|草香姫《くさかひめ》はもはや|生命《せいめい》|旦夕《たんせき》に|迫《せま》る。これを|救《すく》ふの|道《みち》は、ただ|単《たん》に|田依彦《たよりひこ》のもてる|白色《はくしよく》の|玉《たま》を|草香姫《くさかひめ》に|抱《いだ》かしめ、|日十日《ひとうか》、|夜十夜《よとうや》これを|枕頭《ちんとう》より|離《はな》れざらしめなば、|病《やまひ》はたちまち|癒《い》ゆべし……との|大神《おほかみ》のお|告《つげ》であつた。しかし|貴下《あなた》はわが|夢《ゆめ》に|見《み》しごとき|美《うるは》しき|白玉《しらたま》を|果《はて》して|所持《しよぢ》さるるや、|夢《ゆめ》のことなれば|信《しん》を|措《を》くにたらず、|痴人《ちじん》|夢《ゆめ》を|語《かた》るものと|失笑《しつせう》したまふ|勿《なか》れ』
と|空《そら》とぼけて、|田依彦《たよりひこ》の|心《こころ》を|探《さぐ》つてみた。
|田依彦《たよりひこ》は|平素《へいそ》|信任《しんにん》する|魔子彦《まごひこ》の|言《げん》を、|少《すこ》しも|疑《うたが》ふの|余地《よち》なく、ただちに|自分《じぶん》が|件《くだん》の|玉《たま》を|拾《ひろ》つて|珍蔵《ちんざう》してをることを、あからさまに|答《こた》へ、その|玉《たま》の|神力《しんりき》によつて|姉《あね》の|命《いのち》が|救《すく》はるるものならば、これに|越《こ》したる|喜《よろこ》びなしと|雀躍《じやくやく》し、|肩《かた》を|揺《ゆす》りながら|直《ただ》ちに|草香姫《くさかひめ》の|許《もと》にいたり、|魔子彦《まごひこ》の|神夢《しんむ》の|次第《しだい》を|語《かた》り、
『この|玉《たま》を|十日十夜《とうかとうや》|抱《いだ》きて、|寝《い》ねよ』
と|告《つ》げ、|玉《たま》を|草香姫《くさかひめ》に|渡《わた》し、|会心《くわいしん》の|笑《ゑみ》を|漏《も》らして|帰《かへ》つてきた。
ここに|草香姫《くさかひめ》は|田依彦《たよりひこ》の|厚意《こうい》を|喜《よろこ》び、|教《をし》へられし|如《ごと》くにして、|五日《いつか》を|経過《くれ》た。しかるにその|病気《びやうき》に|対《たい》しては|少《すこ》しの|効力《かうりよく》もなく、|身体《しんたい》は|日夜《にちや》|衰《おとろ》へゆくのみであつた。|時分《じぶん》はよしと|魔子彦《まごひこ》は、|美麗《きらび》やかに|衣服《いふく》を|着《き》かざり、|身《み》に|薫香《くんかう》を|浴《あ》びつつ|四辺《しへん》を|芳香《はうかう》に|化《くわ》してしまつた。その|香《かん》ばしき|匂《にほ》ひは、|病《やまひ》の|床《とこ》にあつて|苦悶《くもん》しつつある|草香姫《くさかひめ》の|鼻《はな》に、もつとも|強《つよ》く|感《かん》じた。
|草香姫《くさかひめ》はこの|匂《にほ》ひを|嗅《か》ぐとともに、すこしく|元気《げんき》が|恢復《くわいふく》したやうな|心持《こころもち》になつた。しばらくあつて|魔子彦《まごひこ》は|病気《びやうき》|見舞《みまひ》と|称《しよう》して、いと|静《しづ》かに|這入《はい》つてきた。さうして|田依彦《たよりひこ》に|偽《いつは》り|伝《つた》へた|神夢《しんむ》を、さも|真実《まこと》しやかに|草香姫《くさかひめ》に|物語《ものがたり》つた。|草香姫《くさかひめ》は|真偽《しんぎ》を|判別《はんべつ》するの|暇《いとま》なく、|一方《いつぱう》は|弟《おとうと》の|言葉《ことば》といひ、|一方《いつぱう》は|日《ひ》ごろ|恋慕《れんぼ》する|魔子彦《まごひこ》の|親切《しんせつ》なる|言葉《ことば》なれば、あたかも|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|大神《おほかみ》の|慈言《じげん》の|如《ごと》く|驚喜《きやうき》した。さうして|玉《たま》の|神力《ちから》の|数日《すうじつ》を|経《へ》ても、|顕《あら》はれないにかかはらず、
『|貴下《あなた》の|麗《うるは》しき|御姿《おすがた》を|拝《はい》してより、にはかに|元気《げんき》|恢復《くわいふく》して、|精神《せいしん》|涼《すず》しく|爽快《さうくわい》さを|感《かん》じたり』
と|顔《かほ》を|赧《あから》めつつ、|小声《こごゑ》で|呟《つぶや》くやうに|心《こころ》のたけをのべ|伝《つた》へた。
してやつたり、|願望《ぐわんもう》|成就《じやうじゆ》の|時《とき》こそ|今《いま》と、|魔子彦《まごひこ》は、|後《うしろ》をむいて|舌《した》を|出《だ》し、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》に|言葉《ことば》をもうけていふやう、
『すべて|神《かみ》の|授《さづ》けたまふ|神玉《しんぎよく》は、|熱臭《ねつくさ》き|病人《びやうにん》の|肌《はだ》に|抱《いだ》くは、かへつて|神威《しんゐ》を|汚涜《をどく》するものなり。この|玉《たま》を|抱《いだ》いて、|病《やまひ》を|癒《い》やさむとせば、まず|汝《なんぢ》が|身体《しんたい》に|薫香《くんかう》の|強《つよ》き|膏《あぶら》を|塗布《とふ》し、|芳香《はうかう》を|四辺《しへん》に|放《はな》ち、|室《へや》の|空気《くうき》を|一変《いつぺん》し、|天地《てんち》|清浄《せいじやう》ののちに|非《あら》ざれば、|効《かう》なかるべし』
と|告《つ》げた。|草香姫《くさかひめ》は、
『|薫香《くんかう》の|膏《あぶら》は、いづれにありや』
と|反問《はんもん》した。|魔子彦《まごひこ》はすかさず|腮《あご》を【しやくり】ながら、
『この|膏《あぶら》は|容易《ようい》に|得《え》らるべきものにあらず、シオン|山《ざん》の|南方《なんぱう》にある|小《ちひ》さき|峰《みね》の|頂《いただき》に、|時《とき》あつて|湧出《ゆうしゆつ》するものなり』
と、その|容易《ようい》に|得《う》べからざることの|暗示《あんじ》を|与《あた》へた。
ここに|草香姫《くさかひめ》は|口《くち》ごもりつつ、
『この|玉《たま》を|貴下《あなた》の|肌《はだ》に|抱《いだ》きたまひて|玉《たま》を|清《きよ》め、|玉《たま》の|神力《しんりき》を|発揮《はつき》せしめ|給《たま》はずや』
と|嘆願《たんぐわん》した。|魔子彦《まごひこ》はわざと|躊躇《ちうちよ》の|色《いろ》を|見《み》せながら、|内心《ないしん》|欣喜《きんき》|雀躍《じやくやく》しつつ、なまなまに|玉《たま》を|抱《いだ》くことを|承諾《しようだく》した。|不思議《ふしぎ》にも|草香姫《くさかひめ》の|病《やまひ》は、|白色《はくしよく》の|玉《たま》が|魔子彦《まごひこ》の|懐《ふところ》に|抱《いだ》かれるとともに、ほとんど|癒《い》えたやうな|気分《きぶん》になつた。
|魔子彦《まごひこ》は|庭園《ていえん》の|景色《けしき》を|賞《ほ》めつつ、|何《なに》くはぬ|顔《かほ》にて|〓〓《せうやう》しつつありしが、|庭内《ていない》に|聳《そび》えたつ|一本《いつぽん》の|老松《おいまつ》の|枝《えだ》に|手《て》をかけ、|樹上《じゆじやう》に|昇《のぼ》るや|否《いな》や、|西方《せいはう》より|〓《か》けきたる|天鳥船《あまのとりふね》に|身《み》を|托《たく》し、|雲上《うんじやう》|高《たか》く|姿《すがた》を|隠《かく》した。しかるにこの|玉《たま》を|乗《の》せたる|鳥船《とりふね》は、|中空《ちゆうくう》において|大虎彦《おほとらひこ》の|乗《の》れる|鳥船《とりふね》に|衝突《しようとつ》し、|玉《たま》は|飛《と》んで|大虎彦《おほとらひこ》の|鳥船《とりふね》に|入《い》り、|魔子彦《まごひこ》は|中空《ちゆうくう》よりシナイ|山《ざん》の|渓谷《けいこく》に|墜落《つゐらく》して、|霊体《れいたい》ともに|粉砕《ふんさい》|滅亡《めつぼう》してしまつた。
|大虎彦《おほとらひこ》の|手《て》に|入《い》つた|玉《たま》は、やがて|竹熊《たけくま》の|手《て》に|渡《わた》された。|竹熊《たけくま》は|謀計《ぼうけい》の|後《のち》に|破《やぶ》れむことを|恐《おそ》れて、|中途《ちゆうと》に|大虎彦《おほとらひこ》をして|魔子彦《まごひこ》を|亡《ほろ》ぼさしめたのである。|悪霊《あくがみ》の|仕組《しぐみ》は|実《じつ》にどこまでも|注意《ちうい》|深《ぶか》い、いやらしきものである。
(大正一〇・一〇・二四 旧九・二四 谷口正治録)
第四〇章 |黒玉《くろたま》の|行衛《ゆくへ》〔四〇〕
|竹熊《たけくま》は|謀計《ぼうけい》をもつて、|田依彦《たよりひこ》の|持《も》てる|玉《たま》を|手《て》に|入《い》れたるより|大《おほ》いに|勢《いきほひ》を|得《え》、|今度《こんど》はすすんで|玉彦《たまひこ》の|持《も》てる|黒色《こくしよく》の|玉《たま》を、|奪取《だつしゆ》せむことを|企《くはだ》てた。|玉彦《たまひこ》は|名誉慾《めいよよく》が|強《つよ》く、つねに|衆人《しうじん》の|下位《かゐ》に|立《た》ち|不平満々《ふへいまんまん》で|日《ひ》を|送《おく》つてゐたのである。
しかるに|茲《ここ》に|黒玉《くろたま》を|得《え》て|心中《しんちゆう》|勇気《ゆうき》を|増《ま》し、|意気《いき》|揚々《やうやう》として|竜宮城内《りゆうぐうじやうない》を|濶歩《くわつぽ》し、|他《た》の|者《もの》たちに|対《たい》して、
『われは|位《くらゐ》の|低《ひく》き|者《もの》なれども、|大神《おほかみ》より|特《とく》に|選《えら》ばれて、|黄金水《わうごんすゐ》の|黒玉《くろたま》を|得《え》たり。かならずや|時《とき》きたらば、われは|立派《りつぱ》なる|上《うへ》の|位地《ゐち》にのぼり、|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|権力《けんりよく》を|掌握《しやうあく》するにいたらむ』
と|心《こころ》ひそかに|期待《きたい》してゐた。
|竹熊《たけくま》は|醜女《しこめ》、|探女《さぐめ》を|放《はな》ちて、|玉彦《たまひこ》の|心中《しんちゆう》を|探《さぐ》り、|玉彦《たまひこ》の|持《も》てる|玉《たま》を|奪《と》らむとすれば、まづ|名誉慾《めいよよく》をもつてこれにのぞまねばならぬことを|知《し》つた。そこで|竹熊《たけくま》は|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|部下《ぶか》の|長彦《ながひこ》を|誑《たぶ》らかし、|長彦《ながひこ》の|手《て》より|玉彦《たまひこ》の|妻《つま》|坂姫《さかひめ》を|説《と》き、|坂姫《さかひめ》より|玉彦《たまひこ》の|黒玉《くろたま》を|得《え》むとした。|長彦《ながひこ》は|十二《じふに》の|玉《たま》のうち|一個《いつこ》の|玉《たま》も|吾《わ》が|手《て》に|入《い》らざりしを|心《こころ》|足《た》りなく|思《おも》ひゐたる|矢《や》さきなれば、|玉彦《たまひこ》に|対《たい》しても、やや|嫉妬《しつと》の|念《ねん》の|萠《きざ》してゐた|際《さい》である。そこへ|自分《じぶん》の|下位《かゐ》にある|玉彦《たまひこ》は、|玉《たま》を|得《え》て|高慢心《かうまんしん》を|生《しやう》じ、|長彦《ながひこ》の|命《めい》を|時《とき》どき|拒《こば》むやうになつた。|長彦《ながひこ》はいかにもして|玉彦《たまひこ》の|高《たか》き|鼻《はな》をくじかむと、|百方《ひやくぱう》|焦慮《せうりよ》してゐたのである。
そこへ|竹熊《たけくま》の|間者《かんじや》なる|鳥熊《とりくま》は、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|命《めい》と|佯《いつ》はり、かつ|曰《いは》く、
『|玉彦《たまひこ》のこのごろの|行動《かうどう》もつとも|不穏《ふおん》なり、|彼《かれ》がごとき|者《もの》に|玉《たま》を|抱《いだ》かしむるは、はなはだ|危険《きけん》なり。もしこの|玉《たま》にして|長彦《ながひこ》の|手《て》に|入《い》らば、|玉《たま》の|神力《ちから》はいやが|上《うへ》にも|発揮《はつき》せむ。|何《なん》とぞ|長彦《ながひこ》はわれの|内命《ないめい》を|諾《うべ》なひ、かの|玉《たま》を|奪取《だつしゆ》せよ……との|厳命《げんめい》なり』
と、|私《ひそ》かに|長彦《ながひこ》の|家《いへ》にいたつて|教唆《けうさ》した。
ここに|長彦《ながひこ》は|一計《いつけい》をめぐらし、|玉彦《たまひこ》の|妻《つま》|坂姫《さかひめ》を|言葉《ことば》たくみに|説《と》きつけ、|坂姫《さかひめ》の|手《て》よりこの|玉《たま》を|奪《うば》はしめむとした。|坂姫《さかひめ》は|容色《ようしよく》|端麗《たんれい》なる|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|美人《びじん》であつた。|玉彦《たまひこ》は、|平素《へいそ》より|坂姫《さかひめ》の|美貌《びばう》に|恋々《れんれん》たる|有様《ありさま》で、|坂姫《さかひめ》の|一言一動《いちげんいちどう》は|玉彦《たまひこ》の|生命《せいめい》の|鍵《かぎ》であつた。そこを|窺《うかが》ひ|知《し》つた|長彦《ながひこ》は、いかにもして|坂姫《さかひめ》の|首《くび》を|縦《たて》に|振《ふ》らしめむとした。|坂姫《さかひめ》はいたつて|舞曲《ぶきよく》が|好《す》きであつた。
そこで|長彦《ながひこ》と|鳥熊《とりくま》は、シオン|山《ざん》において|見《み》たる|天男《てんなん》、|天女《てんによ》の|舞曲《ぶきよく》を|思《おも》ひだし、ひそかに|舞曲《ぶきよく》の|稽古《けいこ》にかかつた。|百日百夜《ひやくにちひやくよ》の|習練《しうれん》の|結果《けつくわ》は|実《じつ》に|妙《めう》を|得《え》、|神《しん》に|達《たつ》した。もはやこれならば|坂姫《さかひめ》の|心《こころ》を|動《うご》かすに|足《た》らむと|自信《じしん》し、|坂姫《さかひめ》の|住《す》まへる|室《へや》の|庭先《にはさき》にいたつて、さかんに|舞《ま》ひはじめた。|坂姫《さかひめ》は|何心《なにごころ》なく|押戸《おしど》を|開《あ》けて|庭先《にはさき》を|眺《なが》めたが、ふたりの|妙《めう》をえたる|舞踏《ぶたふ》に|胆《きも》を|奪《うば》はれ、しばし|恍惚《くわうこつ》としてこれに|見惚《みと》れてゐた。つひには|自分《じぶん》も|立《た》つてその|場《ば》に|顕《あら》はれ|三巴《みつどもゑ》となつて、たがひに|手《て》を|取《と》り|踊《をど》りまはつた。かくしていつの|間《ま》にか|坂姫《さかひめ》は、|長彦《ながひこ》、|鳥熊《とりくま》らと|無二《むに》の|親友《しんいう》となつてしまつた。その|翌日《よくじつ》もまたその|翌日《よくじつ》も、|三人《さんにん》はその|庭前《ていぜん》に|出《い》でて|舞曲《ぶきよく》に|余念《よねん》なく、|歓喜《くわんき》の|声《こゑ》は|四辺《しへん》にひびき、|園内《えんない》はにはかに|陽気《やうき》となつてきた。
このとき|別殿《べつでん》に|控《ひか》へたる|玉彦《たまひこ》は、|最愛《さいあい》の|妻《つま》の|舞《ま》ひ|狂《くる》ふ|優美《いうび》なる|姿《すがた》に|見惚《みと》れ、|玉《たま》を|奥殿《おくでん》に|秘蔵《ひざう》しおき、|三人《さんにん》の|前《まへ》に|立現《たちあら》はれた。|鳥熊《とりくま》、|長彦《ながひこ》は|巧言令色《こうげんれいしよく》いたらざるなく、|玉彦《たまひこ》を|主座《しゆざ》に|据《す》ゑ、|尊敬《そんけい》のあらむ|限《かぎ》りをつくし、|玉彦《たまひこ》の|歓心《くわんしん》を|求《もと》めた。ここに|玉彦《たまひこ》は、|自分《じぶん》の|上位《じやうゐ》にある|長彦《ながひこ》に|尊敬《そんけい》されるのは、|全《まつた》く|坂姫《さかひめ》の|舞曲《ぶきよく》の|妙技《めうぎ》の|然《しか》らしむるところと|心中《しんちゆう》に|深《ふか》く|坂姫《さかひめ》に|感謝《かんしや》した。|坂姫《さかひめ》は|玉彦《たまひこ》にむかひ、
『|貴下《あなた》も|共《とも》に|舞《ま》ひたまへ』
と|無理《むり》にその|手《て》を|取《と》つて|舞踏《ぶたふ》せしめむとした。|玉彦《たまひこ》には|坂姫《さかひめ》の|一言一句《いちごんいつく》は、|常《つね》に|微妙《びめう》なる|音楽《おんがく》と|聞《きこ》ゆるのである。|少《すこ》しでも|坂姫《さかひめ》の|心《こころ》に|逆《さか》らへば、|坂姫《さかひめ》の|顔色《かほいろ》はたちまち|憂愁《いうしう》に|沈《しづ》む。いかにもして|坂姫《さかひめ》に|笑顔《ゑがほ》を|作《つく》らしめむと|心《こころ》を|悩《なや》ましてゐた。
ここに|鳥熊《とりくま》、|長彦《ながひこ》は、「|獅子王《ししわう》、|玉《たま》を|争《あらそ》ふ」の|舞曲《ぶきよく》を|演《えん》ぜむことを|申《まを》し|込《こ》んだ。|坂姫《さかひめ》は|第一《だいいち》に|賛成《さんせい》の|意《い》を|表《へう》し、|玉彦《たまひこ》に|黒色《こくしよく》の|玉《たま》を|持《も》ちいだし、|舞曲《ぶきよく》の|用《よう》に|供《きよう》せむことを|懇請《こんせい》した。|玉彦《たまひこ》はいかに|最愛《さいあい》の|妻《つま》なればとて、
『こればかりは|許《ゆる》せよ。わが|位地《ゐち》|昇進《しようしん》のための|重宝《ぢゆうほう》なれば』
と|拒《こば》んだ。|坂姫《さかひめ》はたちまち|顔色《がんしよく》|曇《くも》り、|地上《ちじやう》に|倒《たふ》れ|伏《ふ》し|声《こゑ》をあげて|夫《をつと》|玉彦《たまひこ》の|無情《むじやう》に|泣《な》いた。|玉彦《たまひこ》はやむを|得《え》ず、|坂姫《さかひめ》の|請《こひ》を|容《い》れて、|不安《ふあん》の|内《うち》にも|此《こ》の|玉《たま》を|奥殿《おくでん》より|取《と》り|出《だ》した。|坂姫《さかひめ》は|喜色《きしよく》|満面《まんめん》に|溢《あふ》れ、ここに|四柱《よはしら》は、|玉《たま》を|争《あらそ》ふ|獅子王《ししわう》の|舞曲《ぶきよく》を|奏《そう》しはじめた。|四柱《よはしら》はただちに|牡丹《ぼたん》の|園《その》へ|出《で》て、|各自《かくじ》|獅子《しし》に|変装《へんさう》した。まづ|玉《たま》を|坂姫《さかひめ》の|獅子《しし》に|持《も》たせた。|鳥熊《とりくま》、|長彦《ながひこ》の|変化獅子《へんげじし》は、|坂姫《さかひめ》を|左右《さいう》より|取《と》りまき、|鳥熊《とりくま》はその|玉《たま》を|取《と》るより|早《はや》く、|口《くち》に|含《ふく》み|庭先《にはさき》の|湯津桂《ゆつかつら》の|樹上《じゆじやう》|高《たか》くかけ|登《のぼ》つた。つづいて|長彦《ながひこ》もかけ|登《のぼ》つた。このとき|鳥熊《とりくま》は|足《あし》もて、|長彦《ながひこ》を|地上《ちじやう》に|蹴落《けおと》した。|長彦《ながひこ》は、|庭先《にはさき》の|置石《おきいし》に|頭《あたま》を|打《う》ち|砕《くだ》きことぎれた。
|玉彦《たまひこ》、|坂姫《さかひめ》は、|驚《おどろ》き|周章《あわ》て|狼狽《ふためき》ゐる|其《そ》の|間《あひだ》に、|西方《せいはう》の|天《てん》より|空中《くうちゆう》をとどろかして、|大虎彦《おほとらひこ》の|邪神《じやしん》は|天《あま》の|鳥船《とりふね》に|乗《の》りきたり、|鳥熊《とりくま》を|乗《の》せて|遠《とほ》く|西天《せいてん》に|姿《すがた》を|没《ぼつ》した。|鳥熊《とりくま》の|持《も》てる|黒玉《くろたま》は|大虎彦《おほとらひこ》の|手《て》に|入《い》るとともに、|鳥熊《とりくま》の|身体《からだ》は|鳥船《とりふね》より|蹴落《けおと》され、シナイ|山《ざん》の|深《ふか》き|谷間《たにま》に|落《お》ちて、その|肉体《にくたい》はたちまち|粉砕《ふんさい》の|厄《やく》に|遇《あ》うた。
アゝ|何処《どこ》までも|巧妙《かうめう》なる|邪神《じやしん》の|奸策《かんさく》よ。いかに|善良《ぜんりやう》なる|神人《かみ》といへども、|心中《しんちゆう》に|一片《いつぺん》の|執着《しふちやく》ある|時《とき》はかならず|邪鬼妖神《じやきえうじん》のために|犯《をか》さるるものである。|慎《つつし》むべきは|一切《いつさい》の|物《もの》に|執着《しふちやく》の|念《ねん》を|断《た》つべきことである。
(大正一〇・一〇・二四 旧九・二四 加藤明子録)
第四一章 |八尋殿《やひろどの》の|酒宴《しゆえん》の一〔四一〕
|竹熊《たけくま》は|奸計《かんけい》を|廻《めぐ》らし、やうやく|二個《にこ》の|玉《たま》を|手《て》に|入《い》れたが、|後《あと》にまだ|十個《じつこ》の|玉《たま》が|残《のこ》つてゐるのを|手《て》に|入《い》れねばならぬ。しかし|是《これ》はなかなか|容易《ようい》の|業《わざ》ではないと|悟《さと》つた|竹熊《たけくま》|一派《いつぱ》は、|一挙《いつきよ》に|十個《じつこ》の|玉《たま》を|得《え》むことを|企画《きくわく》した。そこで|先《ま》づ|第一《だいいち》に|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|宰相神《さいしやうがみ》なる|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|誑《たば》かる|必要《ひつえう》に|迫《せま》られた。|竹熊《たけくま》は|大虎彦《おほとらひこ》と|共《とも》に|種々《しゆじゆ》の|珍《めづら》しき|宝《たから》を|持《も》ち、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|御前《みまへ》に|出《い》で、|以前《いぜん》の|悪逆《あくぎやく》|犯行《はんかう》の|重《おも》き|罪《つみ》を、|空涙《そらなみだ》とともに|謝罪《しやざい》した。
その|時《とき》の|有様《ありさま》は、|土間《どま》に|両名《りやうめい》|四《よ》つ|這《ばひ》となり、|地《つち》に|頭《あたま》を|下《さ》げ、もつて|絶対的《ぜつたいてき》|帰順《きじゆん》を|装《よそほ》うたのである。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|元来《ぐわんらい》|仁慈《じんじ》|無限《むげん》の|神《かみ》にして、かつ|戦闘《せんとう》を|好《この》まず、|悪霊《あくれい》を|善道《ぜんだう》にみちびき|神界《しんかい》を|泰平《たいへい》ならしめむと、|日夜《にちや》|焦慮《せうりよ》してをられた。そこへ|両名《りやうめい》の|帰順《きじゆん》の|態度《たいど》を|見《み》て|心中《しんちゆう》|深《ふか》く|憐《あは》れみ、|邪悪《じやあく》|無道《ぶだう》の|敵《てき》ながらも|気《き》の|毒《どく》なりと、つひにその|請《こ》ひを|許《ゆる》し、|将来《しやうらい》は|相《あひ》|提携《ていけい》して|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》せむことを|教示《けうじ》せられた。|両名《りやうめい》は|感謝《かんしや》の|意《い》を|表《あら》はし、|恭《うやうや》しく|礼《れい》を|陳《の》べこの|場《ば》を|立去《たちさ》つた。
しかして|竹熊《たけくま》、|大虎彦《おほとらひこ》は|門外《もんぐわい》に|出《い》づるや|否《いな》や、たがひに|面《おもて》を|見合《みあは》せて|舌《した》を|出《だ》し、|苦笑《くせう》した。このとき|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、|田依彦《たよりひこ》、|玉彦《たまひこ》が|竹熊《たけくま》の|奸計《かんけい》によりて、|玉《たま》を|奪取《だつしゆ》されたことを|感知《かんち》してゐなかつた。|田依彦《たよりひこ》、|玉彦《たまひこ》は|己《おの》が|失策《しつさく》を|責《せ》められむことを|恐《おそ》れて、たれにも|口外《こうぐわい》せず、ただ|独《ひと》り|煩悶《はんもん》してゐたからである。
ここに|竹熊《たけくま》、|大虎彦《おほとらひこ》は、|新《あたら》しき|八尋殿《やひろどの》を|建《た》てて|諸々《もろもろ》の|珍器《ちんき》を|飾《かざ》り、|金銀《きんぎん》|珠玉《しゆぎよく》をちりばめたる|金殿玉楼《きんでんぎよくろう》を|造《つく》り、|平和《へいわ》|帰順《きじゆん》の|目出度《めでたき》|記念《きねん》として|大祝宴《だいしゆくえん》を|張《は》らむとし、|第一《だいいち》に|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|招待《せうたい》した。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、|玉照彦《たまてるひこ》、|大足彦《おほだるひこ》を|左右《さいう》にしたがへ、|神彦《かみひこ》、|芳彦《よしひこ》、|高杉別《たかすぎわけ》、|森鷹彦《もりたかひこ》、|鶴若《つるわか》、|亀若《かめわか》、|倉高《くらたか》、|時彦《ときひこ》、|杉生彦《すぎふひこ》、|猿彦《さるひこ》らと|共《とも》にこの|祝宴《しゆくえん》に|臨《のぞ》まれた。また|竹熊《たけくま》の|方《はう》では、|大虎彦《おほとらひこ》をはじめ、|玉若《たまわか》、|繁若《しげわか》、|坂熊《さかくま》、|寅熊《とらくま》、|桃作《ももさく》、|木常姫《こつねひめ》、|中裂彦《なかさきひこ》らが|宴《えん》に|侍《じ》した。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|竹熊《たけくま》らの|歓待《くわんたい》に|満足《まんぞく》し、|大盃《たいはい》を|挙《あ》げて|祝《しゆく》された。しかして|一同《いちどう》にむかひ、
『|斯《か》くのごとく|互《たが》ひに|打《う》ち|解《と》け|帰順《きじゆん》|和合《わがふ》の|上《うへ》は、もはや|世界《せかい》に|敵味方《てきみかた》の|区別《くべつ》なし。たがひに|力《ちから》を|協《あは》せ|心《こころ》を|一《いつ》にし、|親子《おやこ》|兄弟《きやうだい》のごとく|相《あひ》|和《わ》し|相《あひ》|親《した》しみ、もつて|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》せよ』
との|訓示《くんじ》を|伝《つた》へ、かつ|竹熊《たけくま》、|大虎彦《おほとらひこ》らに|厚《あつ》く|礼《れい》を|述《の》べ、|玉照彦《たまてるひこ》、|大足彦《おほだるひこ》とともに|鳥船《とりふね》に|乗《の》りて、|竜宮城《りゆうぐうじやう》へ|無事《ぶじ》|帰城《きじやう》された。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|退座《たいざ》されし|後《のち》は、もはや|少《すこ》しの|気兼《きがね》なく、たがひに|心《こころ》を|打《う》ちあけ|無礼講《ぶれいかう》をなさむとて、さかんに|飲《の》み|食《くら》ひ、かつ|乱舞《らんぶ》に|時《とき》を|移《うつ》した。|時分《じぶん》はよしと|竹熊《たけくま》は、|田依彦《たよりひこ》、|玉彦《たまひこ》より|奪《うば》ひたる|玉《たま》に|金箔《きんぱく》を|塗《ぬ》り、|玉《たま》の|一部分《いちぶぶん》に|生地《きぢ》を|露《あら》はし、その|生地《きぢ》のところに|日月《じつげつ》の|形《かたち》を|造《つく》り、|宴席《えんせき》の|上座《じやうざ》に|持出《もちだ》して、
『これは|余《よ》がかつて|天神《てんしん》より|賜《たま》はりたる|金剛水《こんがうすゐ》の|玉《たま》なり、この|玉《たま》ある|時《とき》は|世界《せかい》は|自由《じいう》|自在《じざい》なり』
と|誇《ほこ》り|顔《がほ》に|陳《の》べたてた。|竹熊《たけくま》の|従臣《じゆうしん》は、「われにも|斯《か》かる|珍器《ちんき》あり」とて、|円《まる》き|石《いし》に|種々《しゆじゆ》の|箔《はく》を|着《き》せ、|宴席《えんせき》に|持出《もちだ》し、|非常《ひじやう》に|玉《たま》の|功用《こうよう》を|誇《ほこ》つた。|高杉別《たかすぎわけ》|以下《いか》の|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|神司《かみがみ》は|面目《めんぼく》を|失《うしな》つた。たちまち|負《ま》けぬ|気《き》になつた|芳彦《よしひこ》は、|懐《ふところ》より|紫《むらさき》の|玉《たま》を|取出《とりだ》し、
『|諸神《しよしん》よ、あまり|軽蔑《けいべつ》されな。われにも|斯《か》くのごとき|宝玉《ほうぎよく》あり』
と|席上《せきじやう》に|持出《もちだ》し、これを|机上《きじやう》に|据《す》ゑ|肩《かた》をはり|鼻息《はないき》たかく|頤《あご》を|振《ふ》つてみせた。ここに|神彦《かみひこ》は、「われにも|玉《たま》あり」とて、|黄色《きいろ》の|玉《たま》を|持出《もちだ》し、|机上《きじやう》に|据《す》ゑてその|珍宝《ちんぽう》を|誇《ほこ》り、|意気《いき》|揚々《やうやう》として|座《ざ》に|復《ふく》した。
そのとき|大虎彦《おほとらひこ》は|席上《せきじやう》に|立《た》ち、
『われ|等《ら》の|部下《ぶか》にはかくの|如《ごと》き|数多《あまた》の|玉《たま》を|有《いう》す。|然《しか》るに|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|神司《かみがみ》に|玉《たま》|少《すく》なきは|如何《いかん》』
と|暗《あん》に|敵慨心《てきがいしん》を|挑発《てうはつ》せしめた。このとき|負《ま》けぬ|気《き》の|倉高《くらたか》は、
『|貴下《きか》らの|玉《たま》は、|吾《われ》らの|所持《しよぢ》する|宝玉《ほうぎよく》に|比《くら》ぶれば、|天地《てんち》|霄壤《せうじよう》の|差《さ》あり、|天下無双《てんかむさう》、|古今独歩《ここんどくぽ》、|珍無類《ちんむるゐ》の|如意《によい》の|宝珠《ほつしゆ》の|玉《たま》を|見《み》て|驚《おどろ》くな』
と|酒気《しゆき》にまかして、|前後《ぜんご》の|弁《わきま》へもなく、|鼻高々《はなたかだか》と|机上《きじやう》に|据《す》ゑわが|席《せき》に|復《かへ》つた。|竹熊《たけくま》は|大《おほ》ひに|笑《わら》ひ、
『いかに|立派《りつぱ》なる|竜宮《りゆうぐう》の|宝玉《ほうぎよく》とて、ただ|三個《さんこ》にては|何《なん》の|用《よう》をかなさむ。|吾《われ》には|無数《むすう》の|宝玉《ほうぎよく》あり』
とて、なほ|奥《おく》の|間《ま》より|一個《いつこ》の|偽玉《にせだま》を|持出《もちだ》してきた。
|一見《いつけん》|実《じつ》に|立派《りつぱ》なものであるが、その|内容《ないよう》は|粘土《ねんど》をもつて|固《かた》められた|偽玉《にせだま》である。|羨望《せんばう》の|念《ねん》に|駆《か》られたる|杉生彦《すぎふひこ》、|猿彦《さるひこ》は|負《ま》けぬ|気《き》になり、
『|斯《か》くのごとき|宝玉《ほうぎよく》は、いかに|光《ひか》り|輝《かがや》くとも|何《なに》かあらむ、|今《いま》わが|持《も》ち|出《い》づる|玉《たま》を|見《み》て|肝《きも》を|潰《つぶ》すな』
と|酒気《しゆき》にまかせて|机上《きじやう》に|持出《もちだ》し、|玉《たま》の|由来《ゆらい》を|誇《ほこ》り|顔《がほ》に|物語《ものがた》つた。
このとき|高杉別《たかすぎわけ》、|森鷹彦《もりたかひこ》、|鶴若《つるわか》、|亀若《かめわか》、|時彦《ときひこ》は|苦《にが》り|切《き》つた|顔色《がんしよく》をなし、|酒《さけ》の|酔《よひ》も|醒《さ》め|色《いろ》|蒼白《あをざ》めて|控《ひか》へてゐる。|竹熊《たけくま》、|大虎彦《おほとらひこ》は|五柱《いつはしら》の|神司《かみ》にむかひ、|言葉《ことば》|汚《きたな》く、
『|汝《なんぢ》らは|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|従臣《じゆうしん》なりと|聞《き》けども、ただ|一個《いつこ》の|宝玉《ほうぎよく》も|無《な》し。ただ|汝《なんぢ》の|持《も》てるものは|大《だい》なる|肛門《こうもん》の|穴《あな》か、|八畳敷《はちぜふじき》の|睾丸《きんたま》のみならむ』
と|冷笑《れいせう》した。|五柱《いつはしら》は|怒《いか》り|心頭《しんとう》に|達《たつ》した。されども|深《ふか》く|慮《おもんぱか》つて、|容易《ようい》にその|玉《たま》を|出《だ》さなかつた。
(大正一〇・一〇・二四 旧九・二四 外山豊二録)
第四二章 |八尋殿《やひろどの》の|酒宴《しゆえん》の二〔四二〕
ここに|竹熊《たけくま》、|大虎彦《おほとらひこ》は|威丈高《ゐたけだか》になり、|高杉別《たかすぎわけ》、|森鷹彦《もりたかひこ》、|鶴若《つるわか》、|亀若《かめわか》、|時彦《ときひこ》を|眼下《がんか》に|見下《みくだ》し、
『|汝《なんぢ》らは|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|神司《かみ》とはいへ、その|実《じつ》は|有名無実《いうめいむじつ》にして、|糞土神《くそがみ》|同様《どうやう》なり。|玉《たま》なき|者《もの》は、この|席《せき》に|列《つら》なる|資格《しかく》なし。ああ|汚《けが》らはしや』
と|塩《しほ》をふり、|臀部《でんぶ》をまくり、あらゆる|侮辱《ぶじよく》を|加《くは》へた。|五柱《いつはしら》の|従臣《じゆうしん》は、|勘忍《かんにん》に|勘忍《かんにん》を|重《かさ》ね、これも|畢竟《ひつけう》|悪魔《あくま》の|世迷《よまよ》ひ|言《ごと》に|過《す》ぎずとして、つひには|少《すこ》しも|耳《みみ》をかさなかつた。
|玉《たま》を|差《さ》し|出《だ》したる|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|五柱《いつはしら》の|神司《かみ》も、|竹熊《たけくま》|一派《いつぱ》の|者《もの》も、|共《とも》に|声《こゑ》を|揃《そろ》へて、|高杉別《たかすぎわけ》|以下《いか》の|神司《かみがみ》をさんざん|罵倒《ばたふ》した。|酒宴《しゆえん》はますます|酣《たけなは》となつた。
この|時《とき》、|竹熊《たけくま》は|左《ひだり》より|大虎彦《おほとらひこ》は|右《みぎ》より、|彼我《ひが》の|手《て》を|結《むす》びあはせ、|円《ゑん》を|描《ゑが》いて|高杉別《たかすぎわけ》|以下《いか》|四柱《よはしら》の|神司《かみ》を|中《なか》に|取《とり》まき、|悪声《あくせい》を|放《はな》ちつつ|踊《をど》り|狂《くる》ひはじめた。
|五柱《いつはしら》の|神司《かみ》は、|遁《のが》れ|出《い》づるに|由《よし》なく、|何時《いつ》また|吾《わ》が|玉《たま》を|奪《うば》はるるやも|知《し》れずと、|非常《ひじやう》に|苦心《くしん》した。されど|竹熊《たけくま》の|執拗《しつえう》なる|計略《けいりやく》も、この|五柱《いつはしら》の|神司《かみ》の|玉《たま》のみは、どうしても|奪《と》ることはできなかつた。そこで|更《さら》に|第二次会《だいにじくわい》に|臨《のぞ》まむことを|告《つ》げた。|酔《ゑ》ひつぶれた|彼我《ひが》の|者《もの》たちは、|一《いち》も|二《に》もなく、|手《て》を|拍《う》つて|賛成《さんせい》した。
|要《えう》するに、|玉《たま》を|差《さ》し|出《だ》したる|五柱《いつはしら》の|神司《かみ》は、|知《し》らず|知《し》らずのまに、|全《まつた》く|竹熊《たけくま》の|捕慮《ほりよ》となつたのである。|高杉別《たかすぎわけ》|以下《いか》|四柱《よはしら》の|神司《かみ》は、いかにして|此《こ》の|場《ば》を|遁出《にげだ》さむかと|苦心《くしん》すれども、|彼《かれ》らはなかなか|油断《ゆだん》はしない。やむなく|引《ひ》きずられて、|第二次会《だいにじくわい》の|宴席《えんせき》に|臨《のぞ》むことになつた。
|第二次《だいにじ》の|宴会《えんくわい》は|開《ひら》かれた。ここは|以前《いぜん》の|席《せき》とは|変《かは》つて、よほど|大《おほ》きな|広間《ひろま》であつた。|広間《ひろま》は|上下《じやうげ》の|二座《にざ》に|別《わか》たれて、|上座《じやうざ》には|八重畳《やへだたみ》が|敷《し》きつめられ、|種々《しゆじゆ》の|珍宝《ちんぽう》が|飾《かざ》り|立《た》てられてある。|席《せき》の|中央《ちゆうあう》には、|得《え》もいはれぬ|美《うつく》しき|花瓶《くわびん》に、|芳香《はうかう》|馥郁《ふくいく》たる|珍《めづ》らしき|花樹《くわじゆ》が|立《た》てられてある。これに|反《はん》して、|下座《げざ》には|目《め》もあてられぬやうな、|汚《きたな》い|破《やぶ》れ|畳《だたみ》が|敷《し》きつめてあつた。
|各自《めいめい》|席《せき》に|着《つ》くや、|竹熊《たけくま》は|立《た》つて|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、
『この|席《せき》は、|玉《たま》を|差《さ》し|出《だ》したる|心《こころ》|美《うつく》しき|者《もの》のみ|集《あつ》まる、|神聖《しんせい》なる|宴席《えんせき》である。|玉《たま》を|差《さ》し|出《だ》さざる|心《こころ》|汚《きたな》き|者《もの》は、|下《しも》の|席《せき》に|下《さが》れよ』
と、おごそかに|言《い》ひ|渡《わた》した。
そこで、|一同《いちどう》は|立《た》つて、|高杉別《たかすぎわけ》|以下《いか》|四柱《よはしら》の|神司《かみ》を|下座《げざ》に|押《お》しやつた。|五柱《いつはしら》の|神司《かみ》は、この|言語道断《ごんごどうだん》なる|虐待《ぎやくたい》に|慷慨悲憤《こうがいひふん》の|念《ねん》に|堪《た》へなかつたが、|深《ふか》くこれを|胸《むね》の|中《なか》に|秘《ひ》めて、せきくる|涙《なみだ》を【ぢつ】と|押《おさ》へてゐた。
|上座《じやうざ》の|席《せき》には、|海河山野《うみかはやまぬ》の|種々《くさぐさ》の|珍《めづ》らしき|馳走《ちそう》が|列《なら》べられ、|一同《いちどう》は|舌鼓《したつづみ》を|打《う》つて|或《ある》ひは|食《くら》ひ、あるひは|飲《の》み、|太平楽《たいへいらく》のあらむかぎりを|尽《つく》してゐた。|下座《げざ》におかれた|五柱《いつはしら》の|神司《かみ》の|前《まへ》には、|破《やぶ》れた|汚《きたな》き|衣《ころも》を|纏《まと》へる|年《とし》|老《お》いたる|醜女《しこめ》|数名《すうめい》が|現《あら》はれて、|膳部《ぜんぶ》を|持《も》ち|運《はこ》んできた。その|酒《さけ》はと|見《み》れば|牛馬《ぎうば》の|小便《せうべん》である。|飯《めし》はと|見《み》れば|虱《しらみ》ばかりがウヨウヨと|動《うご》いてゐる。その|他《た》の|馳走《ちそう》は|蜈蚣《むかで》、|蛙《かはづ》、|蜥蜴《とかげ》、|蚯蚓《みみず》などである。|五柱《いつはしら》の|神司《かみ》は、あまりのことに|呆《あき》れかへつて、|暫《しば》しは、ただ|茫然《ばうぜん》と|見詰《みつ》めてゐるより|外《ほか》はなかつた。
その|時《とき》、|汚《きたな》き|老婆《ろうば》は、
『|竹熊《たけくま》さまの|御芳志《ごはうし》である。この|酒《さけ》を|飲《の》まず、この|飯《めし》を|食《くら》ひたまはずば、|竹熊《たけくま》さまに|対《たい》して、|礼《れい》を|失《しつ》するならむ、|親交《しんかう》を|温《あたた》むるため|是非々々《ぜひぜひ》、|御遠慮《ごゑんりよ》なく、この|珍味《ちんみ》を|腹一杯《はらいつぱい》に|召《め》し|上《あが》れ』
と、|無理矢理《むりやり》に|奨《すす》めておかない。|上座《じやうざ》よりは、|酒《さけ》に|酔《よ》ひつぶれた|者《もの》が|集《あつ》まりきたりて、|手《て》を|取《と》り、|足《あし》を|取《と》り、|無理《むり》|無体《むたい》に|頭《かしら》を|押《おさ》へ、|口《くち》を|捻《ね》ぢ|開《あ》け、|小便《せうべん》の|酒《さけ》を|飲《の》ませ|虱《しらみ》の|飯《めし》を|口《くち》に|押込《おしこ》み、その|他《た》いやらしい|物《もの》を|強《しひ》て|食《く》はせてしまつた。
そこへ|芳彦《よしひこ》|座《ざ》を|立《た》ち|酔顔《すゐがん》|朦朧《もうろう》として、|高杉別《たかすぎわけ》|以下《いか》の|神司《かみ》にむかひ、
『|貴下《あなた》らは|竹熊《たけくま》さまの|誠意《せいい》を|疑《うたが》ひ、|玉《たま》を|秘《かく》して|出《だ》さざるため、かかる|侮辱《ぶじよく》と|迫害《はくがい》を|受《う》くるものならむ。よし|玉《たま》を|出《だ》したりとて、|決《けつ》して|奪《うば》はるるものにあらず、|速《すみ》やかにその|玉《たま》を|差《さ》し|出《だ》し|机上《きじやう》に|飾《かざ》りたて|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|威勢《ゐせい》を|示《しめ》し、もつて|竹熊《たけくま》さまの|心《こころ》を|柔《やはら》げられよ』
と|忠告《ちゆうこく》した。
この|時《とき》、|高杉別《たかすぎわけ》は|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》り|声《こゑ》を|励《はげ》まし、
『|吾《われ》はたとへ|如何《いか》なる|侮辱《ぶじよく》を|受《う》くるとも、いかなる|迫害《はくがい》に|遭《あ》ひ、|生命《せいめい》を|絶《た》たるるとも|万古《まんご》|末代《まつだい》、この|玉《たま》は|断《だん》じて|離《はな》さじ』
と、キツパリ|強《つよ》く|言《い》ひはなつた。|残《のこ》りの|四柱神司《よはしらがみ》も|同《おな》じく、「|高杉別《たかすぎわけ》の|意見《いけん》に|同意《どうい》なり」と|答《こた》へた。をりしも、|金色《こんじき》の|咫尺《やた》の|烏《からす》|数百千《すうひやくせん》とも|限《かぎ》りなく|中空《ちゆうくう》より、|光《ひかり》を|放《はな》つて|現《あら》はれ、|高杉別《たかすぎわけ》|以下《いか》|四神司《ししん》を|掴《つか》んで、|竜宮城《りゆうぐうじやう》へ|飛《と》び|帰《かへ》つた。
つづいて|数多《あまた》の|怪鳥《くわいてう》は|天空《てんくう》に|舞《ま》ひ|乱《みだ》れ、|砂磔《されき》の|雨《あめ》しきりに|降《ふ》りきたり、|屋根《やね》の|棟《むね》を|打《う》ち|貫《つらぬ》き、|宴席《えんせき》に|列《なら》べる|芳彦《よしひこ》、|神彦《かみひこ》、|倉高《くらたか》、|杉生彦《すぎふひこ》、|猿彦《さるひこ》の|頭上《づじやう》を|砕《くだ》き、その|場《ば》に|悶死《もんし》せしめた。
アゝ|貴重《きちよう》なる|竜宮《りゆうぐう》の|黄金水《わうごんすゐ》の|玉《たま》は、|惜《を》しい|哉《かな》、|七個《しちこ》まで|竹熊《たけくま》の|手《て》に|渡《わた》つてしまつたのである。
(大正一〇・一〇・二四 旧九・二四 桜井重雄録)
第四三章 |丹頂《たんちやう》の|鶴《つる》〔四三〕
|鶴若《つるわか》は、|黄金水《わうごんすゐ》の|精《せい》なる|赤色《せきしよく》の|玉《たま》を|得《え》てより、|信念《しんねん》ますます|鞏固《きようこ》となり、ひそかに、シオン|山《ざん》に|登《のぼ》りて|多年《たねん》の|修業《しうげふ》をなし、ある|時《とき》はシオンの|滝《たき》に|飛《と》び|込《こ》み、ある|時《とき》はシオンの|谷川《たにがは》に|禊身《みそぎ》をなし、つひには、|神通力《しんつうりき》を|自由《じいう》|自在《じざい》に|発揮《はつき》し|得《う》るやうになつた。|鶴若《つるわか》はその|名《な》のごとく、|鶴《つる》と|変《へん》じて|空中《くうちゆう》を|〓翔《かうしやう》し、|天地間《てんちかん》を|上下《じやうげ》して、|神界《しんかい》の|天使《てんし》とならむと、|一意専念《いちいせんねん》に|苦《くる》しき|修行《しうぎやう》をつづけてゐた。
ここに|竹熊《たけくま》|一派《いつぱ》の|悪神《あくがみ》は、|鶴若《つるわか》の|神通力《しんつうりき》を|奪《うば》ひ、|地上《ちじやう》に|落下《らくか》せしめむとして|苦心《くしん》してゐた。|鶴若《つるわか》は|空中《くうちゆう》を|一瀉千里《いつしやせんり》の|勢《いきほひ》をもつて、|諸方《しよはう》を|〓《か》けめぐつた。ときに|前方《ぜんぱう》にあたつて|紫雲《しうん》|棚《たな》びく|高山《たかやま》が|目《め》についた。|山頂《さんちやう》は|雲《くも》の|上《うへ》に|白《しろ》く|浮出《うきで》てゐる。|鶴若《つるわか》は、その|山《やま》に|引《ひ》きつけらるる|心地《ここち》していつの|間《ま》にか、|山上《さんじやう》に|〓《か》けりついた。|折《をり》しも、|山腹《さんぷく》の|紫雲《しうん》の|中《なか》より|四方《しはう》を|照《て》らす|鮮光《せんくわう》あらはれ、|光《ひかり》はおひおひ|山頂《さんちやう》を|目《め》がけて|立騰《たちあが》つていつた。そして、それが|一個《いつこ》の|紅色《こうしよく》の|玉《たま》となつた。このとき|鶴若《つるわか》は、|鶴《つる》の|姿《すがた》を|変《へん》じて、|荘厳《さうごん》なる|神人《かみ》と|化《くわ》してゐたのである。その|玉《たま》は、|見《み》るみる|左右《さいう》にわかれて、|中《なか》より|天女《てんによ》が|現《あら》はれてきた。|鶴若《つるわか》はこの|天女《てんによ》の|美貌《びばう》に|見惚《みと》れてゐると、|天女《てんによ》はまた|鶴若《つるわか》を|見《み》て|秋波《しうは》を|送《おく》り、|無言《むごん》のまま|鶴若《つるわか》の|側《そば》に|立寄《たちよ》つてきた。この|高山《かうざん》はアルタイ|山《ざん》で、この|天女《てんによ》は|名《な》を|鶴姫《つるひめ》といふ。|鶴若《つるわか》、|鶴姫《つるひめ》はここに|夫婦《ふうふ》の|約《やく》を|結《むす》んだ。これと|同時《どうじ》に|鶴若《つるわか》はたちまち|通力《つうりき》を|失《うしな》ひ、|空中《くうちゆう》|飛行《ひかう》の|術《じゆつ》が|利《き》かなくなつた。
|山《やま》の|中腹《ちゆうふく》には|巨大《きよだい》な|岩窟《がんくつ》がある。ふたりはこの|岩窟《がんくつ》を|棲所《すみか》とし、|遠近《をちこち》の|山々《やまやま》の|者《もの》を|集《あつ》めて、ここを|中心《ちゆうしん》として|一《ひと》つの|国《くに》を|立《た》てた。さうして、|広《ひろ》き|岩窟《がんくつ》の|奥《おく》には|赤玉《あかだま》を|安置《あんち》し、これを|無二《むに》の|神宝《しんぽう》と|崇《あが》め|祀《まつ》つた。ふたりはたがひに|相《あひ》|親《した》しみ、|相《あひ》|愛《あい》し、|永《なが》き|年月《としつき》をアルタイ|山《ざん》に|送《おく》つてゐた。
|然《しか》るにふたりの|若《わか》き|姿《すがた》は|年《とし》とともにおひおひ|痩《や》せ|衰《おとろ》へ、|頭《あたま》には|白髪《しらが》が|生《は》えだし、|何《なん》となく|淋《さび》しさを|感《かん》じてきた。ふたりは|後継者《こうけいしや》たる|子《こ》の|生《うま》れ|出《い》でむことを|希求《ききう》するやうになつた。
ここに|竹熊《たけくま》の|部下《ぶか》、|鶴析姫《つるさきひめ》は、うるはしき|天使《てんし》の|姿《すがた》に|変《へん》じてアルタイ|山《ざん》の|山頂《いただき》にのぼり、|雷鳴《らいめい》を|発《はつ》し|大雨《だいう》を|降《ふ》らしめた。|雨《あめ》は|滝《たき》の|如《ごと》くにふりしきり、たちまち|山《やま》の|一角《いつかく》を|崩壊《ほうくわい》し、|濁水《だくすゐ》は|流《なが》れて|岩窟《がんくつ》の|前《まへ》に|溢《あふ》れいで、|少時《しばらく》にして、その|雨《あめ》も|歇《や》み、|岩窟《がんくつ》の|前《まへ》には、|一《ひと》つの|柔《やはら》かき|麗《うるは》しき|鮮花色《せんくわしよく》の|玉《たま》が|残《のこ》されてゐた。|鶴若《つるわか》は|手《て》にとりてこれを|眺《なが》むるに、あたかも|搗《つ》きたての|餅《もち》のやうな|柔《やはら》かさである。|鶴姫《つるひめ》はこれを|見《み》て、にはかにこの|玉《たま》を|食《くら》ひたくなり、|鶴若《つるわか》の|手《て》より|之《これ》を|奪《と》らむとして、つひに|両方《りやうはう》よりその|玉《たま》を|引《ひ》き|千切《ちぎ》つてしまつた。この|引《ひ》き|千切《ちぎ》られた|玉《たま》は、|自然《しぜん》にふたりの|口《くち》に|入《い》り|腹中《ふくちゆう》に|納《をさ》まつてしまつた。それよりふたりは|情慾《じやうよく》をさとることになり、|鶴姫《つるひめ》はつひに|妊娠《にんしん》し、|月《つき》|満《み》ちて|玉《たま》のごとき|女子《によし》が|生《うま》れた。これを|鶴子姫《つるこひめ》と|名付《なづ》けた。
|二人《ふたり》は|鶴子姫《つるこひめ》を|生《う》んで、|寵愛《ちようあい》|斜《ななめ》ならず、|這《は》へば|立《た》て、|立《た》てば|歩《あゆ》めの|親心《おやごころ》、|鶴子姫《つるこひめ》の|泣《な》くにつけ、|笑《わら》ふにつけても|心《こころ》を|動《うご》かし、|子《こ》のためには|一切《いつさい》を|犠牲《ぎせい》にしても|悔《く》いないといふ|態度《たいど》であつた。|鶴子姫《つるこひめ》は、|両親《りやうしん》の|愛育《あいいく》によりて、|追々《おひおひ》|成長《せいちやう》し、|言語《げんご》を|発《はつ》するやうになつて、|初《はじ》めて「ターター」と|啼《な》きだした。|両親《りやうしん》はその|啼声《なきごゑ》が|気《き》にかかり「ターター」とは、|如何《いか》なる|意味《いみ》かと|非常《ひじやう》に|苦心《くしん》したが、|到底《たうてい》その|意味《いみ》はわからなかつた。|鶴子姫《つるこひめ》は、|今度《こんど》は「マーマー」と|啼《な》きだした。|何《なん》の|意味《いみ》か、これも|判《わか》らなかつた。しばらくすると|鶴子姫《つるこひめ》は「タマ、タマ」と|啼《な》きだした。これを|聞《き》いて|両親《りやうしん》は、|種々《しゆじゆ》の|鳥類《てうるゐ》の|卵《たまご》を|従臣《じゆうしん》に|命《めい》じて|集《あつ》めさせたが、|鶴子姫《つるこひめ》はしきりに|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》り、|卵《たまご》を|吸《す》ふことを|嫌《きら》つた。|両親《りやうしん》は|昼夜《ちうや》|膝《ひざ》を|交《まじ》へて、その|鶴子姫《つるこひめ》のいふ「タマ」とは、|如何《いか》なる|意味《いみ》かと|首《くび》を|傾《かたむ》け|色々《いろいろ》と|考《かんが》へたが、どうしてもわからなかつた。|時《とき》に|両親《りやうしん》は|万《よろづ》の|従臣《じゆうしん》を|集《あつ》め、|赤玉《あかだま》の|祀《まつ》りある|玉《たま》の|宮《みや》の|祭典《さいてん》をおこなひ、|鶴子姫《つるこひめ》の|無事《ぶじ》|成長《せいちやう》せむことを|祈《いの》つた。その|時《とき》|鶴子姫《つるこひめ》は、|鶴姫《つるひめ》に|抱《いだ》かれて|祭場《さいじやう》に|列《れつ》した。ここに|鶴子姫《つるこひめ》は、はじめて|笑顔《ゑがほ》をつくり「|赤玉《あかだま》、|々々《あかだま》」といつて|喜《よろこ》んだ。|両親《りやうしん》は|目《め》の|中《なか》へはいつても、|痛《いた》くは|思《おも》はぬ|愛児《あいじ》の|鶴子姫《つるこひめ》の|笑顔《ゑがほ》に、|満腔《まんこう》の|喜《よろこ》びをおぼえ、|鶴子姫《つるこひめ》の|要求《えうきう》なれば、|自分《じぶん》の|生命《いのち》を|捨《す》てても|惜《をし》くはないとまで|愛《あい》してゐたのである。|祭典《さいてん》は|無事《ぶじ》にすみ、ふたりは|広大《くわうだい》なる|岩窟《がんくつ》の|居間《ゐま》に|帰《かへ》つた。|万《よろず》の|従臣《じゆうしん》は|直会《なほらひ》の|酒《さけ》に|酔《よ》ひ、|万歳《ばんざい》を|連呼《れんこ》し、|各自《かくじ》の|住所《ぢうしよ》に|帰《かへ》つた。あとに|親子《おやこ》|三名《さんめい》は|奥《おく》の|一室《ひとま》に|入《い》り、やすやすと|寝《しん》についた。|夜半《よは》にいたり、|鶴子姫《つるこひめ》はにはかに「タマ、タマ」と|啼《な》きだした。|鶴姫《つるひめ》は|之《これ》を|聞《き》いて|始《はじ》めて|其《そ》の|意《い》をさとり、|鶴子姫《つるこひめ》が「タマ、タマ」といふのは、かの|玉《たま》を|要求《えうきう》してゐるに|違《ちが》ひなしと|思《おも》ひ|浮《う》かべ、その|旨《むね》を|鶴若《つるわか》に|話《はなし》しかけた。|鶴若《つるわか》はにはかに|床上《しやうじやう》に|起《お》き|上《あが》り、|腕《うで》を|組《く》み、|思案《しあん》にくれて、|一言《いちごん》も|発《はつ》せず|伏向《うつむ》いてゐた。|鶴子姫《つるこひめ》の|啼《な》き|声《ごゑ》はますます|激《はげ》しくなり、|両親《りやうしん》の|胸《むね》を|引《ひ》き|裂《さ》かむばかりに|聞《きこ》えた。|両親《りやうしん》はゐたたまらず、|夜中《よなか》をも|顧《かへり》みず、|鶴若《つるわか》は|起《た》つて|玉《たま》の|宮《みや》に|入《い》り、|御神体《ごしんたい》の|赤玉《あかだま》を|捧持《ほうぢ》し、|恭《うやうや》しく|居間《ゐま》の|机上《きじやう》に|据《す》ゑた。すると|鶴子姫《つるこひめ》の|啼《な》き|声《ごゑ》は|頓《とみ》にやんで|笑《わら》ひ|声《ごゑ》と|変《へん》じ、その|玉《たま》に|手《て》を|触《ふ》れ、|玉《たま》の|周囲《しうゐ》を|嬉々《きき》として|飛《と》びまはつた。|両親《りやうしん》はそのまま|玉《たま》を|床上《しやうじやう》に|据《す》ゑ、|鶴子姫《つるこひめ》の|機嫌《きげん》とりの|玩具《おもちや》とした。
|鶴子姫《つるこひめ》はかくてだんだんと|成長《せいちやう》したが、ある|日《ひ》たちまち|其《そ》の|姿《すがた》を|黒竜《こくりゆう》と|変《へん》じ、その|玉《たま》をとるや|否《いな》や、|黒雲《こくうん》を|捲《ま》きおこし|雷雨《らいう》をよび、|大音響《だいおんきやう》とともに、|父母《ふぼ》を|捨《す》て、|西方《せいはう》の|空《そら》|高《たか》く|姿《すがた》を|隠《かく》してしまつた。|後《あと》に|残《のこ》りしふたりは|驚《おどろ》き|呆《あき》れ、かつ|玉《たま》と|愛児《あいじ》の|行方《ゆくへ》を|眺《なが》めて|長嘆《ちやうたん》|止《や》まなかつた。ふたりは|鶴子姫《つるこひめ》が|邪神《じやしん》の|霊《みたま》の|変化《へんげ》なりしことを|悟《さと》りて、|姫《ひめ》の|身《み》については|断念《だんねん》せるものの、|断念《あきら》め|切《き》れぬのはかの|赤玉《あかだま》である。かつて|竹熊《たけくま》らの|侮辱《ぶじよく》|圧迫《あつぱく》にたへ、|生命《いのち》にかへて|守護《しゆご》したる、かの|宝玉《ほうぎよく》を|敵《てき》に|奪《うば》はれては、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》にたいして|一言《いちごん》の|申訳《まをしわけ》なしと、|天地《てんち》にむかつて|号泣《がうきふ》し、その|一念《いちねん》|凝《こ》つて、|頭上《づじやう》に|赤玉《あかだま》の|痕《あと》をとどむるにいたつた。これを|丹頂《たんちやう》の|鶴《つる》といふのである。|焼野《やけの》の|雉子《きぎす》、|夜《よる》の|鶴《つる》、|児《こ》を|愛《あい》すること|鶴《つる》に|優《まさ》るものなきも、これが|縁由《えんいう》である。
(大正一〇・一〇・二五 旧九・二五 谷口正治録)
第四四章 |緑毛《りよくまう》の|亀《かめ》〔四四〕
|亀若《かめわか》は|緑《みどり》の|玉《たま》を|生命《いのち》にかけて|死守《ししゆ》してゐた。いかなる|名誉慾《めいよよく》も、|物質慾《ぶつしつよく》も|眼中《がんちゆう》におかず、ただこの|玉《たま》のみを|保護《ほご》することに|心魂《しんこん》を|凝《こ》らしてゐた。しかるに|亀若《かめわか》は|八尋殿《やひろどの》の|酒宴《しゆえん》のみぎり|竹熊《たけくま》の|奸計《かんけい》にかかり、|毒虫《どくむし》を|多《おほ》く|腹中《ふくちゆう》に|捻込《ねぢこ》まれたのが|原因《げんいん》をなして、|身体《しんたい》の|健康《けんかう》を|害《がい》し、|病床《びやうしやう》に|臥《ふ》し|全身《ぜんしん》|黄緑色《わうりよくしよく》に|変《へん》じ、つひに|帰幽《きいう》した。|亀若《かめわか》の|妻《つま》|亀姫《かめひめ》は、|天地《てんち》に|慟哭《どうこく》し、|足辺《あしべ》に|腹這《はらば》ひ|頭辺《かしらべ》に|這《は》ひまはり、|涕泣《ていきふ》|日《ひ》を|久《ひさ》しうした。その|悲《かな》しみ|泣《な》き|叫《さけ》ぶ|声《こゑ》は|風《かぜ》のまにまに|四方《しはう》にひびき、つひには|悲風惨雨《ひふうさんう》の|絶間《たえま》なきにいたつた。この|間《あひだ》およそ|百日百夜《ひやくにちひやくよ》に|及《およ》んだ。
この|時《とき》ガリラヤの|海《うみ》より|雲気《うんき》|立《た》ち|登《のぼ》り、|妖雲《えううん》を|巻《ま》きおこして|一種《いつしゆ》|異様《いやう》の|動物《どうぶつ》|現《あら》はれ、|竜宮城《りゆうぐうじやう》|近《ちか》く|進《すす》んできた。|異様《いやう》の|動物《どうぶつ》は、たちまち|美《うる》はしき|神人《しんじん》と|化《くわ》した。そして|亀姫《かめひめ》の|家《いへ》に|亀若《かめわか》の|喪《も》を|弔《とむら》うた。この|者《もの》は|其《そ》の|名《な》を|高津彦《たかつひこ》といふ。|亀姫《かめひめ》は|高津彦《たかつひこ》を|見《み》て|大《おほ》いに|喜《よろこ》び、その|手《て》を|取《と》つて|一間《ひとま》に|導《みちび》き、いろいろの|酒肴《さけさかな》を|出《だ》して|饗応《きやうおう》し、かつ、
『|貴下《あなた》はわが|最《もつと》も|愛《あい》する|亀若《かめわか》ならずや』
と|訝《いぶ》かり|問《と》ふた。|高津彦《たかつひこ》は、
『われは|亀若《かめわか》なり、|決《けつ》して|死《し》したるに|非《あら》ず、|毒《どく》の|廻《まは》りし|体《からだ》を|捨《す》て、|新《あらた》に|健全《けんぜん》なる|体《からだ》を|持《も》ち、|汝《なれ》の|前《まへ》にきたりて|偕老同穴《かいらうどうけつ》の|契《ちぎり》を|全《まつた》くせむとすればなり』
と|言葉《ことば》たくみに|物語《ものがた》つた。|亀姫《かめひめ》は|高津彦《たかつひこ》の|顔色《がんしよく》といひ、|容貌《ようばう》といひ、|言葉《ことば》の|色《いろ》といひ、その|動作《どうさ》にいたるまで|亀若《かめわか》に|寸毫《すんがう》の|差《さ》なきを|見《み》て、|心底《しんてい》より|深《ふか》くこれを|信《しん》ずるにいたつた。ここにふたりは|水《みづ》も|洩《もら》さぬ|仲《なか》のよき|夫婦《ふうふ》となつた。
|亀姫《かめひめ》は|再生《さいせい》の|思《おも》ひをなし、|一旦《いつたん》|長《なが》き|別《わか》れと|断念《だんねん》した|不運《ふうん》の|身《み》に、|夫《をつと》のふたたび|蘇生《そせい》しきたつて|鴛鴦《ゑんあう》の|契《ちぎり》を|結《むす》ぶは|如何《いか》なる|宿世《すぐせ》の|果報《くわはう》ぞと、|手《て》の|舞《ま》ひ|足《あし》の|踏《ふ》むところを|知《し》らなかつた。
|夫婦《ふうふ》の|仲《なか》は|蜜《みつ》のごとく|漆《うるし》のごとく|親《した》しかつたが、ふとしたことより|風邪《かぜ》のために|高津彦《たかつひこ》は|重《おも》い|病《やまひ》の|床《とこ》についた。|今《いま》まで|歓喜《くわんき》に|満《み》ちた|亀姫《かめひめ》の|胸《むね》は、ふたたび|曇《くも》らざるを|得《え》なかつた。|手《て》を|替《か》へ|品《しな》を|換《か》へ|看病《かんびやう》に|尽《つく》した。|幾日《いくにち》たつても|何《なん》の|効《かう》も|見《み》えず、|病《やまひ》はだんだん|重《おも》るばかりである。このとき|高津彦《たかつひこ》の|友《とも》の|高倉彦《たかくらひこ》きたりて|病床《びやうしやう》を|見舞《みま》ひ、かつ|医療《いれう》の|法《はふ》をすすめた。|百草《ひやくさう》を|集《あつ》め|種々《しゆじゆ》の|医薬《いやく》をすすめた。されど|病《やまひ》は|依然《いぜん》として|重《おも》るばかりである。|亀姫《かめひめ》の|胸《むね》は、|実《じつ》に|熱鉄《やきがね》を|当《あた》るごとくであつた。|不思議《ふしぎ》にも|高倉彦《たかくらひこ》の|容貌《ようばう》、|身長《しんちやう》、|言語《げんご》は、|亀若《かめわか》に|酷似《こくじ》してゐた。ここに|亀姫《かめひめ》は、その|真偽《しんぎ》に|迷《まよ》はざるを|得《え》なかつた。そこで|亀姫《かめひめ》は、かつ|驚《おどろ》き、かつ|怪《あや》しみ、
『|貴下《あなた》はいづれより|来《き》ませしや』
といぶかり|問《と》ふた。|高倉彦《たかくらひこ》は、
『われは|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|神司《かみ》にして、|亀若《かめわか》のふるくよりの|親《した》しかりし|美《うる》はしき|友《とも》なり』
と|答《こた》へた。そこで|亀姫《かめひめ》は、
『|高倉彦《たかくらひこ》の|亀若《かめわか》に|酷似《こくじ》したまふは|如何《いか》なる|理由《りいう》ぞ』
と|反問《はんもん》した。|高倉彦《たかくらひこ》は|答《こた》へて、
『|実際《じつさい》|吾《われ》は|亀若《かめわか》とは|双生児《ふたご》である、されどわが|父母《ふぼ》は|世間《せけん》を|憚《はばか》り、|出産《しゆつさん》とともに|他《た》に|預《あづ》けたのである。そして|亀若《かめわか》と|吾《われ》とは|此《こ》の|消息《せうそく》を|少《すこ》しも|知《し》らず、|心《こころ》の|親友《しんいう》として|幼少《えうせう》のころより|交《まじ》はつてゐた。|然《しか》るにある|事情《じじやう》より|吾《われ》はこの|事《こと》を|感知《かんち》せしが、|今《いま》ここに|病《や》みたまふ|亀若《かめわか》は、この|真相《しんさう》を|御存《ごぞん》じないのである。われは|骨肉《こつにく》の|情《じやう》に|惹《ひ》かれて、|同胞《どうはう》の|苦《くる》しみを|見《み》るに|忍《しの》びず、いかにもしてこの|病《やまひ》を|恢復《くわいふく》せしめ|兄弟《きやうだい》|睦《むつま》じく|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》せむと|焦慮《せうりよ》し、|神務《しんむ》の|余暇《よか》を|得《え》て、ここに|病床《びやうしやう》を|訪《たづ》ねたのである』
とはつきり|物語《ものがた》つたので、|亀姫《かめひめ》の|疑《うたが》ひは|全《まつた》く|氷解《ひやうかい》した。
|高倉彦《たかくらひこ》は、|亀姫《かめひめ》の|信頼《しんらい》ますます|加《くは》はつてきた。|一方《いつぱう》|亀若《かめわか》の|病気《びやうき》はだんだん|重《おも》るばかりである。そこで|亀姫《かめひめ》はふたたび、
『|夫《をつと》の|病《やまひ》を|救《すく》ふ|妙術《めうじゆつ》はなきや』
と|面色《めんしよく》|憂《うれ》ひを|含《ふく》んで|高倉彦《たかくらひこ》に|相談《さうだん》をした。そのとき|高倉彦《たかくらひこ》は、|実《じつ》に|当惑《たうわく》の|面持《おももち》にて、
『ああ|気《き》の|毒《どく》』
と|長歎息《ちやうたんそく》をなし、|腕《うで》を|組《く》んで|頭《あたま》を|垂《た》れしばしは|何《なん》の|返答《へんたふ》もなかつた。ややあつて|思《おも》ひ|出《だ》したやうに|高倉彦《たかくらひこ》は|喜色《きしよく》を|満面《まんめん》にたたへて、
『その|方法《はうはふ》たしかにあり』
と|飛《と》び|立《た》つやうな|態度《たいど》をしながら|答《こた》へた。|亀姫《かめひめ》は|顔色《がんしよく》にはかに|輝《かがや》き、|驚喜《きやうき》して、
『いかなる|神法《しんぱふ》なりや|聞《き》かま|欲《ほ》し』
と|高倉彦《たかくらひこ》の|返辞《へんじ》をもどかしがつて|待《ま》つた。
|高倉彦《たかくらひこ》はわざと|落着《おちつ》いて|手《て》を|洗《あら》ひ|口《くち》|嗽《すす》ぎ、|天《てん》に|向《むか》つて|永《なが》らくのあひだ|合掌《がつしやう》し、|何事《なにごと》か|神勅《しんちよく》を|請《こ》ふもののやうであつた。|病床《びやうしやう》にある|亀若《かめわか》はしきりに|苦悶《くもん》の|声《こゑ》を|発《はつ》し、|既《すで》に|断末魔《だんまつま》の|容態《ようだい》である。|亀姫《かめひめ》の|胸《むね》は|矢《や》も|楯《たて》もたまらぬやうになつた。たとへ|自分《じぶん》の|生命《いのち》は|失《うしな》ふとも|最愛《さいあい》の|夫《をつと》、|亀若《かめわか》の|生命《いのち》を|救《すく》はねばおかぬといふ|決心《けつしん》である。|一方《いつぱう》|高倉彦《たかくらひこ》の|様子《やうす》いかにと|見《み》れば|悠々《いういう》として|天《てん》に|祈《いの》り、いささかも|急《いそ》ぐ|様子《やうす》がない。|高倉彦《たかくらひこ》はおもむろに|祈《いの》りを|捧《ささ》げた|後《のち》、|室内《しつない》に|這入《はい》つてきた。このとき|亀姫《かめひめ》は|渇《かは》きたる|者《もの》の|水《みづ》を|求《もと》むるごとくに、|高倉彦《たかくらひこ》の|教示《けうじ》や|如何《いか》にと|待《ま》ち|詫《わ》びた。|高倉彦《たかくらひこ》はこの|様子《やうす》を|見《み》て|心中《しんちゆう》に|謀計《ぼうけい》のあたれるを|打《う》ち|喜《よろこ》び、|外知《そし》らぬ|顔《かほ》にて|左《さ》も|勿体《もつたい》らしく|言葉《ことば》をかまへていふ、
『|当家《たうけ》には|貴重《きちよう》なる|緑色《みどりいろ》の|玉《たま》が|秘蔵《ひざう》されてある。この|玉《たま》を|取《と》りだして|月《つき》の|夜《よ》に|高台《たかだい》を|設《まう》けてこれを|奉安《ほうあん》し、|月《つき》の|水《みづ》をこの|玉《たま》に|凝集《ぎようしふ》せしめ、その|玉《たま》より|滴《したた》る|一滴《いつてき》の|水《みづ》を|亀若《かめわか》に|呑《の》ましめなば、|病《やまひ》|癒《い》えなむとの|月読神《つきよみのかみ》の|神勅《しんちよく》なり』
と|誠《まこと》しやかに|教示《けうじ》した。|亀姫《かめひめ》は|天《てん》の|佑《たす》けと|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|直《ただ》ちに|高台《たかだい》を|造《つく》り、その|玉《たま》を|中央《ちゆうあう》に|安置《あんち》した。その|刹那《せつな》|一天《いつてん》たちまち|掻《か》き|曇《くも》り、|黒雲《こくうん》|濛々《もうもう》として|天地《てんち》をつつみ、|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜざるにいたつた。|時《とき》しも|雲中《うんちゆう》に|黒竜《こくりゆう》|現《あら》はれ、その|玉《たま》を|掴《つか》みて|西方《せいはう》の|天《てん》に|姿《すがた》をかくした。|数日《すうじつ》を|経《へ》てこの|玉《たま》は、|竹熊《たけくま》の|手《て》に|入《い》つたのである。|今《いま》まで|夫《をつと》と|思《おも》ふてゐた|偽《にせ》の|亀若《かめわか》は、にはかに|大竜《だいりゆう》と|変《へん》じた。また|高倉彦《たかくらひこ》はガリラヤの|大《だい》なる|竈《すつぽん》に|還元《くわんげん》し、|亀姫《かめひめ》を|後《あと》に|残《のこ》して|雲《くも》をおこし|姿《すがた》をかくした。|亀姫《かめひめ》は|地団駄《ぢだんだ》|踏《ふ》んで|侮《くや》しがり、|精魂《せいこん》|凝《こ》つて|遂《つひ》に|緑毛《りよくまう》の|亀《かめ》と|変《へん》じ|竜宮海《りゆうぐうかい》に|飛《と》び|入《い》つたのである。|亀《かめ》は|万年《まんねん》の|齢《よはひ》を|保《たも》つといふ。|亀若《かめわか》は|八尋殿《やひろどの》の|宴会《えんくわい》において|毒虫《どくむし》を|食《く》はせられ、それがために|短命《たんめい》にして|世《よ》を|去《さ》つた。それから|亀姫《かめひめ》の|霊《れい》より|出《い》でし|亀《かめ》は、|衛生《えいせい》に|注意《ちうい》して|毒虫《どくむし》を|食《く》はず、|長寿《ちやうじゆ》を|保《たも》つことになつた。
(大正一〇・一〇・二五 旧九・二五 加藤明子録)
第四五章 |黄玉《わうぎよく》の|行衛《ゆくへ》〔四五〕
|時彦《ときひこ》は|黄金《わうごん》の|玉《たま》を|生命《いのち》にかへても、|神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》の|暁《あかつき》まで|之《これ》を|保護《ほご》し|奉《たてまつ》らねばならぬと|決心《けつしん》し、|既《すで》に|竜宮神《りゆうぐうしん》の|不覚不注意《ふかくふちうい》より|九個《きうこ》の|玉《たま》を|竹熊《たけくま》に|奪《うば》はれ、|無念《むねん》やるかたなく、せめてはこの|玉《たま》をわれ|一人《ひとり》になるとも|保護《ほご》せむとて|竜宮城《りゆうぐうじやう》にいたり、|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|許《ゆる》しをえて|諸方《しよはう》を|逍遥《せうえう》し、つひにヒマラヤ|山《さん》に|立《た》て|籠《こも》つた。そしてヒマラヤ|山《さん》に|巌窟《がんくつ》を|掘《ほ》り、|巌中《がんちゆう》|深《ふか》く|之《これ》を|秘《ひ》め、その|上《うへ》に|神殿《しんでん》を|建《た》て|時節《とき》のいたるを|待《ま》ちつつあつた。|居《を》ること|数年《すうねん》たちまち|山下《さんか》におこる|鬨《とき》の|声《こゑ》、|不審《ふしん》にたへず|殿《との》を|立《た》ちいで|声《こゑ》するかたを|眺《なが》むれば、|豈計《あにはか》らむや、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|大足彦《おほだるひこ》、|玉照彦《たまてるひこ》を|両翼《りやうよく》となし|数多《あまた》の|天津神《あまつかみ》|竜宮《りゆうぐう》の|神司《かみがみ》と|共《とも》に、デカタン|高原《かうげん》にむかつて|錦旗《きんき》|幾百《いくひやく》ともなく|風《かぜ》に|靡《なび》かせ、|種々《しゆじゆ》の|音楽《おんがく》を|奏《そう》しつつ|旗鼓堂々《きこだうだう》として|進行中《しんかうちゆう》である。
|時彦《ときひこ》は|山上《さんじやう》より|遠《とほ》くこれを|見渡《みわた》せば、|十二個《じふにこ》の|同型同色《どうけいどうしよく》の|神輿《しんよ》をあまたの|徒歩《とほ》の|神司《かみがみ》が|担《かつ》いで|進《すす》みくるのである。|時彦《ときひこ》は|直《ただ》ちに|天《あま》の|鳥船《とりふね》を|取出《とりいだ》し、|従臣《じゆうしん》をして|地上《ちじやう》に|下《くだ》り|一行《いつかう》の|動静《どうせい》を|窺《うかが》はしめた。|従臣《じゆうしん》はその|荘厳《さうごん》なる|行列《ぎやうれつ》と|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|盛装《せいさう》を|見《み》て|肝《きも》を|潰《つぶ》し、あはただしく|鳥船《とりふね》に|乗《じやう》じてヒマラヤ|山《さん》にその|詳細《しやうさい》を|復命《ふくめい》したのである。
|時彦《ときひこ》は|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|一行《いつかう》と|聞《き》きて|心《こころ》も|心《こころ》ならず、|吾《われ》は|徒《いたづら》に|深山《みやま》にかくれて、ミロク|神政《しんせい》の|神業《しんげふ》|参加《さんか》に|後《おく》れたるかと|大地《だいち》を|踏《ふ》んで|残念《ざんねん》がり、ただちに|天《あま》の|鳥船《とりふね》に|打乗《うちの》りて|地上《ちじやう》に|下《くだ》り、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|一行《いつかう》の|後《あと》に|出《い》でて|恐《おそ》るおそる|扈従《こじゆう》した。されども|時彦《ときひこ》は|吾《わ》が|身《み》の|神業《しんげふ》に|後《おく》れたるを|恥《は》ぢて、|花々《はなばな》しく|名乗《なのり》も|得《え》せず、デカタン|高原《かうげん》に|着《つ》いたのである。
デカタン|高原《かうげん》には|荘厳《さうごん》なる|殿堂《でんだう》が|幾十《いくじふ》とも|限《かぎ》りなく|建《た》て|列《なら》べられ、|八百万《やほよろづ》の|神司《かみがみ》は|喜々《きき》として|神務《しんむ》に|奉仕《ほうし》してゐる。|四辺《あたり》は|得《え》もいはれぬ|香気《かうき》をはなてる|種々《しゆじゆ》の|花木《くわぼく》に|廻《めぐ》らされ、|天人《てんにん》|天女《てんによ》の|歓《よろこ》び|狂《くる》ふ|有様《ありさま》は、|実《じつ》に|天国《てんごく》、|浄土《じやうど》、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》の|光景《くわうけい》であつた。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|中央《ちゆうあう》の|荘厳《さうごん》なる|殿堂《でんだう》に|立《た》ち、|八百万《やほよろづ》の|神司《かみ》らにむかつて|宣《せん》して|曰《いわ》く、
『ミロクの|世《よ》は|未《いま》だ|時期《じき》|尚早《しやうそう》なれども、|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|天《てん》に|嘆願《たんぐわん》されし|結果《けつくわ》、|地上《ちじやう》の|神人《しんじん》を|救《すく》ふため、|末法《まつぱふ》の|世《よ》を|縮《ちぢ》めて|天《あま》の|岩戸《いはと》を|開《ひら》き、|完全《くわんぜん》なる|神代《かみよ》を|現出《げんしゆつ》せしめ、このデカタンの|野《の》を|地《ち》の|高天原《たかあまはら》と|定《さだ》めたまへり。されど|悲《かな》しむべし、|黄金水《わうごんすゐ》より|出《で》たる|十二個《じふにこ》の|宝玉《ほうぎよく》はもはや|十一個《じふいつこ》まで|悪神《あくがみ》の|手《て》に|占領《せんりやう》されたるを、|大神《おほかみ》の|神力《しんりき》によりてこれを|敵《てき》より|奪《と》り|還《かへ》し、ここに|十二《じふに》の|神輿《しんよ》を|作《つく》りて、この|地《ち》の|高天原《たかあまはら》の|治政《ちせい》の|重要《ぢゆうえう》なる|神器《しんき》として、|永遠《ゑいゑん》に|保存《ほぞん》すべしとの|神命《しんめい》なり。されど|一個《いつこ》の|黄色《わうしよく》の|玉《たま》の|行衛《ゆくへ》は|今《いま》に|判明《はんめい》せず、この|玉《たま》なきときは|折角《せつかく》のミロクの|世《よ》も|再《ふたた》び|瓦壊《ぐわくわい》するの|恐《おそ》れあり、かの|黄玉《わうぎよく》を|携《たづさ》へたる|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|従臣《じゆうしん》たりし|時彦《ときひこ》は、|今《いま》いづこに|在《あ》るや、|彼《かれ》が|持《も》てる|一個《いつこ》の|宝玉《ほうぎよく》は、この|十一個《じふいつこ》の|玉《たま》に|匹敵《ひつてき》するものなり。もし|時彦《ときひこ》にして|後《おく》れ|馳《ば》せながらも、いづれよりか|其《そ》の|玉《たま》を|持《も》ちきたらば、|神界《しんかい》の|殊勲者《しゆくんしや》として|吾《われ》は|之《これ》を|天神《てんしん》に|奏上《そうじやう》し、わが|地位《ちゐ》を|譲《ゆづ》らむ』
と|大声《おほごゑ》に|呼《よ》ばはりたまうた。
このとき、|時彦《ときひこ》|思《おも》へらく、「われ|多年《たねん》|苦心《くしん》|惨憺《さんたん》して|此《こ》の|玉《たま》を|保護《ほご》す。しかるに|今《いま》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|教示《けうじ》を|聞《き》き|喜《よろこ》びに|堪《た》へず、この|時《とき》こそ|吾《われ》は|花々《はなばな》しく|名乗《なの》りを|上《あ》げ、もつて|神界《しんかい》の|花《はな》と|謳《うた》はれむ」と|笑《ゑ》みを|満面《まんめん》にたたへ、|恐《おそ》るおそる|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|御前《ごぜん》に|出《い》で|九首三拝《きうしゆさんぱい》して、
『|時彦《ときひこ》ここに|在《あ》り、|黄色《わうしよく》の|玉《たま》を|持参《ぢさん》|仕《つかまつ》り|候《さふらふ》』
と|言葉《ことば》すずしく|言上《ごんじやう》した。あまたの|神司《かみがみ》は、|突如《とつじよ》として|名告《なの》り|出《いで》たる|時彦《ときひこ》の|様子《やうす》を|見《み》て|感《かん》に|打《う》たれたもののごとく、|時彦《ときひこ》は|神司《かみがみ》らの|羨望《せんばう》の|的《まと》となつた。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|大《おほ》いに|喜《よろこ》び、かつ|時彦《ときひこ》を|招《まね》き|殿内《でんない》|深《ふか》く|入《い》りたまうた。|殿内《でんない》には|十二《じふに》の|同色同型《どうしよくどうけい》の|立派《りつぱ》な|神輿《みこし》が|奉安《ほうあん》されてある。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|正中《せいちゆう》にある|一個《いつこ》の|神輿《みこし》の|扉《とびら》を|開《ひら》き、
『|十一個《じふいつこ》は|各色《かくしよく》の|玉《たま》をもつて|充《み》たされあり、されど|見《み》らるる|如《ごと》くこの|神輿《みこし》は|空虚《くうきよ》なり。|速《すみ》やかに|汝《なれ》が|玉《たま》を|是《これ》に|奉安《ほうあん》し、ミロクの|代《よ》のために|尽《つく》されよ』
と|厳命《げんめい》した。この|時《とき》、|時彦《ときひこ》は|歓天喜地《くわんてんきち》|身《み》のおくところを|知《し》らず、ただちに|玉《たま》を|取出《とりだ》し|神輿《みこし》の|中《なか》|深《ふか》くこれを|納《をさ》めた。そこでいよいよ|十二《じふに》の|神輿《みこし》に|種々《しゆじゆ》の|供《そな》へ|物《もの》を|献《けん》じ、|荘厳《さうごん》なる|祭典《さいてん》がおこなはれた。ついで|十二《じふに》の|神輿《みこし》はデカタン|国《こく》の|麗《うるは》しき|原野《げんや》を|神司《かみがみ》らによつて|担《かつ》ぎまはされた。|実《じつ》に|賑《にぎは》しき|得《え》もいはれぬ|爽快《さうくわい》な|祭典《さいてん》であつた。|原野《げんや》の|中心《ちゆうしん》に|各自《かくじ》|神輿《みこし》を|下《おろ》し|神司《かみがみ》らの|休憩《きうけい》を|命《めい》じたまうた。
|折《をり》から|天《てん》の|一方《いつぱう》に|妖雲《えううん》おこり、たちまち|雲中《うんちゆう》より|種々《しゆじゆ》の|鮮光《せんくわう》があらはれた。その|光景《くわうけい》はあたかも|花火《はなび》を|数百千《すうひやくせん》ともなく|一度《いちど》に|観《み》るやうな|壮観《さうくわん》であつた。|神司《かみがみ》らは、|皆《みな》|天《てん》の|一方《いつぱう》に|心《こころ》を|惹《ひ》かれて|見《み》つめてゐた。そのあひだに|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、|大足彦《おほだるひこ》は|神輿《みこし》の|位置《ゐち》を|変更《へんかう》しておいた。いづれの|神輿《みこし》も|同型同色《どうけいどうしよく》のものである。
にはかに|天《てん》の|一方《いつぱう》より|黒雲《くろくも》おこり|雨《あめ》は|地上《ちじやう》に|滝《たき》のごとく|降《ふり》そそいだ。あまたの|神司《かみがみ》は|狂気《きやうき》のごとく|神輿《みこし》の|中《なか》より|各自《かくじ》に|黄色《わうしよく》の|玉《たま》を|取《と》りだし|四方《しはう》に|解散《かいさん》した。|時彦《ときひこ》は|驚《おどろ》いて|吾《わ》が|奉《たてまつ》れる|玉《たま》を|保護《ほご》すべく|神輿《みこし》に|近《ちか》づき、その|玉《たま》を|懐中《ふところ》に|入《い》れむとした。いづれの|者《もの》も|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|四散《しさん》して、|宮殿《きうでん》はいつしか|荒涼《くわうりやう》たる|原野《げんや》に|化《くわ》してゐた。
|時彦《ときひこ》は|夢《ゆめ》に|夢見《ゆめみ》る|心地《ここち》してその|玉《たま》を|取《と》りだし|点検《てんけん》した。こはそも|如何《いか》に、|容積《ようせき》において|光沢《くわうたく》において、|少《すこ》しも|変化《へんくわ》はない。されど|重量《ぢゆうりやう》のはなはだ|軽《かる》きを|訝《いぶ》かり、|混雑《こんざつ》に|紛《まぎ》れて|吾《わ》が|玉《たま》を|取換《とりかへ》られしやと|歯《は》がみをなして|口惜《くちを》しがつた。
このとき|空中《くうちゆう》に|声《こゑ》あり、
『|大馬鹿者《おほばかもの》!』
と|叫《さけ》ぶ。|今《いま》まで、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》と|見《み》えしは|武熊別《たけくまわけ》の|変身《へんしん》であり、|大足彦《おほだるひこ》|以下《いか》の|正神《せいしん》と|見《み》えしは|彼《かれ》が|部下《ぶか》の|邪神《じやしん》であつた。アゝいかに|信仰《しんかう》|厚《あつ》く、|節《せつ》を|守《まも》るとも、|時彦《ときひこ》のごとく|少《すこ》しにても|野心《やしん》を|抱《いだ》く|時《とき》は、ただちに|邪神《じやしん》のために|誑《たぶ》らかされ、|呑臍《どんぜい》の|悔《くい》を|遺《のこ》すことあり。|注意《ちうい》すべきは、|執着心《しふちやくしん》と|巧妙心《こうみようしん》である。
|花《はな》と|見《み》て|来《き》たであらうか|火取虫《ひとりむし》
(大正一〇・一〇・二五 旧九・二五 桜井重雄録)
第四六章 |一島《ひとつじま》の|一松《ひとつまつ》〔四六〕
ここに|竹熊《たけくま》は|武熊別《たけくまわけ》と|共《とも》に、あまたの|者《もの》を|集《あつ》め、|大祝宴《だいしゆくえん》を|張《は》つた。その|理由《りいう》は、|十二個《じふにこ》の|宝玉《ほうぎよく》はわが|神智《しんち》|神策《しんさく》をもつて|十個《じつこ》まで|手《て》に|入《い》れたり、|余《あま》すところただ|二個《にこ》のみ。いかなる|神力《しんりき》の|強《つよ》き|神人《かみ》なりとて、これを|奪取《だつしゆ》するに|何《なん》の|苦心《くしん》かあらむと、おのが|智略《ちりやく》に|誇《ほこ》り、ここに|一同《いちどう》を|集《あつ》め|祝宴《しゆくえん》を|張《は》つてゐた。
|時《とき》しも|末席《まつせき》より|鬼彦《おにひこ》|肩《かた》を|揺《ゆす》りながら|立《た》ち|現《あら》はれ、|竹熊《たけくま》、|武熊別《たけくまわけ》の|前《まへ》に|出《い》で、
『|今日《けふ》は|実《じつ》に|大慶至極《たいけいしごく》の|日《ひ》なり。しかるによき|事《こと》の|続《つづ》けばつづくものかな。ただ|今《いま》|竜宮城《りゆうぐうじやう》より|高杉別《たかすぎわけ》、|森鷹彦《もりたかひこ》の|二神司《にしん》、|二個《にこ》の|玉《たま》を|持《も》ち|献上《けんじやう》せむことを|申込《まをしこ》みたり。いかが|取計《とりはか》らつてよかるべきや』
と|述《の》べた。|酒宴《しゆえん》の|酒《さけ》に|酔《よ》ひて|酔眼朦朧《すゐがんもうろう》たる|竹熊《たけくま》らは、|願望《ぐわんばう》|成就《じやうじゆ》の|時節《じせつ》|到来《たうらい》と|欣喜雀躍《きんきじやくやく》し、ともかく|二神司《にしん》を|引見《いんけん》せむことを|承諾《しようだく》した。ややありて|高杉別《たかすぎわけ》、|森鷹彦《もりたかひこ》は|侍者《じしや》の|案内《あんない》に|伴《つ》れて、|殿中《でんちゆう》|深《ふか》く|竹熊《たけくま》の|前《まへ》に|現《あら》はれ|一礼《いちれい》をなし、|且《か》つおのおの|玉《たま》を|献上《けんじやう》せむことを|申込《まをしこ》んだ。
|竹熊《たけくま》は|胸《むね》を|躍《をど》らせた。|注意深《ちういぶか》き|武熊別《たけくまわけ》は|二神司《にしん》にむかひ、
『この|貴重《きちよう》なる|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|神宝《しんぽう》を|何《なに》ゆゑ|吾《われ》らに|譲与《じやうよ》せらるるや。その|理由《りいう》を|聞《き》かまほし』
と|詰《なじ》つた。|二神司《にしん》は|喜色《きしよく》|満面《まんめん》を|粧《よそほ》ひながら、おもむろに|答《こた》ふるやう、
『|貴下等《きかたち》の|神算鬼謀《しんさんきぼう》は|吾《われ》らをして|舌《した》を|巻《ま》かしむるに|足《た》る。|既《すで》に|十個《じつこ》の|玉《たま》は|貴下《きか》の|手《て》に|入《い》れり。われ|二個《にこ》の|玉《たま》を|以《もつ》て|貴下《きか》と|争《あらそ》ふといへども、|十《じふ》|対《たい》|二《に》の|比例《ひれい》をもつて、|何《なん》ぞよく|貴下《きか》の|軍《いくさ》に|勝《か》たむや。それよりも|潔《いさぎよ》く|吾《われ》らは|此《こ》の|玉《たま》を|貴下《きか》に|献《けん》じ、たがひに|和親《わしん》を|結《むす》び、もつて|天下《てんか》|泰平《たいへい》を|祈《いの》らむのみ』
と、|言葉《ことば》|涼《すず》しく|答《こた》ふるのであつた。
|竹熊《たけくま》は|二個《にこ》の|玉《たま》を|熟視《じゆくし》して|大《おほ》いに|驚《おどろ》き、その|光沢《くわうたく》に|感激《かんげき》|止《や》まなかつた。このとき|高杉別《たかすぎわけ》、|森鷹彦《もりたかひこ》は|言葉《ことば》を|設《まう》けて|曰《いは》く、
『この|玉《たま》は|十二個《じふにこ》のうち|特殊《とくしゆ》の|神力《しんりき》あり、|故《ゆゑ》に|悪臭《あくしう》に|触《ふ》れ、|悪風《あくふう》にあたらば|霊力《れいりよく》|迸出《へいしゆつ》して|何《なん》の|効用《かうよう》も|為《な》さじ。いづれの|者《もの》にも|拝観《はいくわん》を|許《ゆる》さず、ただちに|函《はこ》を|作《つく》り|十重二十重《とへはたへ》に|之《これ》をつつみて|奥殿《おくでん》|深《ふか》く|奉安《ほうあん》し、|危機一髪《ききいつぱつ》の|場合《ばあひ》にこれを|使用《しよう》したまへ』
と|述《の》べた。|竹熊《たけくま》も|武熊別《たけくまわけ》も|二神《にしん》の|誠意《せいい》を|疑《うたが》はず、ただちに|言《げん》のごとく|之《これ》を|幾重《いくへ》にも|函《はこ》に|包《つつ》み、|固《かた》く|封《ふう》じて|奥殿《おくでん》|深《ふか》く|蔵《をさ》めたのである。
しかるにこの|玉《たま》は|真赤《まつか》な|偽玉《にせだま》であつた。|注意深《ちういぶか》き|二神司《にしん》は|竹熊《たけくま》の|機先《きせん》を|制《せい》し、もつて|真玉《しんぎよく》の|奪取《だつしゆ》を|免《まぬが》れたのである。その|後《ご》|高杉別《たかすぎわけ》、|森鷹彦《もりたかひこ》は|竹熊《たけくま》の|気《き》にいりとなり、|重《おも》く|用《もち》ゐられた。しかして|真正《しんせい》の|玉《たま》は、|森鷹彦《もりたかひこ》は|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》に|献《たてまつ》り、|高杉別《たかすぎわけ》は|従臣《じゆうしん》の|杉高《すぎたか》に|命《めい》じ、|口《くち》に|呑《の》ましめて|地中海《ちちゆうかい》に|羅列《られつ》せる|嶋嶼《たうしよ》に|之《これ》を|永遠《ゑいゑん》に|秘蔵《ひざう》し、|杉高《すぎたか》をこの|島《しま》の|守護神《しゆごじん》に|任命《にんめい》した。|一《ひと》つ|島《じま》に|堅《かた》き|岩窟《がんくつ》を|掘《ほ》り、|玉《たま》を|深《ふか》く|蔵《をさ》め、その|上《うへ》に|標《しるし》の|松《まつ》を|植《う》ゑておいた。これを|一《ひと》つ|島《じま》の|一《ひと》つ|松《まつ》といふ。
これより|二神司《にしん》は|竹熊《たけくま》の|信任《しんにん》をえ、|武熊別《たけくまわけ》と|列《なら》んで|三羽烏《さんばがらす》と|称《しよう》せられ、|帷幕《ゐばく》に|参《さん》ずるにいたつた。アゝ|今後《こんご》の|高杉別《たかすぎわけ》、|森鷹彦《もりたかひこ》は|如何《いか》なる|行動《かうどう》に|出《い》づるであらうか。
(大正一〇・一〇・二五 旧九・二五 外山豊二録)
第四七章 エデン|城塞《じやうさい》|陥落《かんらく》〔四七〕
|竹熊《たけくま》は|大小《だいせう》|十二《じふに》の|各色《かくしよく》の|玉《たま》を|得《え》て|意気《いき》|天《てん》を|衝《つ》き、|虚勢《きよせい》を|張《は》つて|横暴《わうばう》の|極《きよく》を|尽《つく》した。さうして|高杉別《たかすぎわけ》、|森鷹彦《もりたかひこ》を|深《ふか》く|信任《しんにん》し、|高杉別《たかすぎわけ》をして|武熊別《たけくまわけ》の|地位《ちゐ》にかはらしめた。|武熊別《たけくまわけ》は|竹熊《たけくま》の|態度《たいど》に|憤怨《ふんえん》やるかたなく、ここに|一計《いつけい》をめぐらし、ウラル|山《ざん》に|割拠《かつきよ》する|鬼熊《おにくま》に|款《くわん》を|通《つう》じ、|竹熊《たけくま》、|高杉別《たかすぎわけ》、|森鷹彦《もりたかひこ》を|滅《ほろ》ぼさむとした。|鬼熊《おにくま》はその|妻《つま》|鬼姫《おにひめ》に|計《はかりごと》を|授《さづ》けて|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|奥深《おくふか》く|忍《しの》ばしめ、|遂《つひ》には|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》のやや|信任《しんにん》を|得《う》るにいたつた。|鬼熊《おにくま》は|鬼姫《おにひめ》の|苦心《くしん》により、つひに|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|出入《でいり》を|許《ゆる》さるるとこまで|漕《こ》ぎつけた。さうして|鬼熊《おにくま》の|子《こ》に|月彦《つきひこ》といふ|心《こころ》の|麗《うるは》しき|者《もの》があつた。この|者《もの》は|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》の|大変《たいへん》なお|気《き》にいりであつた。|悪霊《あくれい》|夫婦《ふうふ》の|子《こ》に、かくのごとき|善人《ぜんにん》の|生《うま》れ|出《い》でたるは、あたかも|泥中《でいちゆう》より|咲《さ》く|蓮華《れんげ》のやうなものである。ここに|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》は、ふたたび|世界《せかい》の|各所《かくしよ》に|群《むら》がりおこる|悪霊《あくれい》の|騒動《さうどう》を|鎮定《ちんてい》すべく、|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|神命《しんめい》を|奉《ほう》じ、|月彦《つきひこ》、|真倉彦《まくらひこ》を|伴《ともな》ひ、|目無堅間《めなしかたま》の|御船《みふね》にのり、|真澄《ますみ》の|珠《たま》を|秘《ひ》めおかれたる|沓島《くつじま》にわたり、|諸善神《しよぜんしん》を|集《あつ》めて、|魔軍《まぐん》|鎮定《ちんてい》の|神業《かむわざ》を|奉仕《ほうし》されたのである。この|時《とき》|秋津島根《あきつしまね》に|攻《せ》めよせきたる|数万《すうまん》の|黒竜《こくりゆう》は、|竜宮《りゆうぐう》の|守《まも》り|神《がみ》および|沓島《くつじま》の|守《まも》り|神《がみ》、|国《くに》の|御柱命《みはしらのみこと》の|率《ひき》ゐる|神軍《しんぐん》のために、|真奈井《まなゐ》の|海《うみ》においてもろくも|全滅《ぜんめつ》した。しかるに|陸上《りくじやう》の|曲津《まがつ》らは、|勢力《いきほひ》|猖獗《せうけつ》にして|容易《ようい》に|鎮定《ちんてい》の|模様《もやう》も|見《み》えなかつた。これは、ウラル|山《ざん》に|割拠《かつきよ》する|鬼熊《おにくま》の|部下《ぶか》の|悪霊《あくがみ》らの、|権力《けんりよく》|争奪《そうだつ》の|悪魔戦《あくません》であつた。|鬼熊《おにくま》は|部下《ぶか》の|者共《ものども》の|統一力《とういつりよく》なきを|憂《うれ》へ、ここに|一計《いつけい》をめぐらし、|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|出入《でいり》して|根本的《こんぽんてき》|権力《けんりよく》を|得《え》、|部下《ぶか》の|悪霊《あくがみ》を|鎮定《ちんてい》し、すすんで|地《ち》の|高天原《たかあまはら》を|占領《せんりやう》せむとする|企画《きくわく》をたててゐた。
|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》|一行《いつかう》の|沓島《くつじま》に|出馬《しゆつば》されし|後《あと》の|竜宮城《りゆうぐうじやう》は、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、|真澄姫《ますみひめ》をはじめ、|竹熊《たけくま》、|高杉別《たかすぎわけ》、|森鷹彦《もりたかひこ》、|竜代姫《たつよひめ》、|小島別《こじまわけ》|等《ら》のあまたの|神司《かみがみ》が|堅《かた》く|守《まも》つてゐた。|武熊別《たけくまわけ》は|如何《いか》にもして、|竹熊《たけくま》、|高杉別《たかすぎわけ》を|亡《ほろ》ぼさむとし、|鬼熊《おにくま》、|鬼姫《おにひめ》に|対《たい》し、
『|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、|竹熊《たけくま》|等《ら》は|神軍《しんぐん》を|整《ととの》へ、|大挙《たいきよ》してウラル|山《ざん》を|攻落《せめおと》し、|貴下《きか》を|討滅《たうめつ》せむと|種々《しゆじゆ》|画策《くわくさく》の|最中《さいちゆう》なり。われは|探女《さぐめ》を|放《はな》ちてその|詳細《しやうさい》を|探知《たんち》せり』
と|種々《しゆじゆ》の|虚偽《きよぎ》を|並《なら》べ、|鬼熊《おにくま》、|鬼姫《おにひめ》の|心《こころ》を|動《うご》かさむとした。ここに|鬼熊《おにくま》、|鬼姫《おにひめ》の|憤怒《ふんど》は|心頭《しんとう》に|達《たつ》し、
『|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》、|竹熊《たけくま》|一派《いつぱ》らを|亡《ほろ》ぼすは|今《いま》を|措《を》いて|好機《かうき》はなし。|今《いま》|吾《われ》、|彼《かれ》らを|滅《ほろ》ぼさずんば、|吾《われ》は|彼《かれ》に|早晩《さうばん》|亡《ほろ》ぼされむ。|機先《きせん》を|制《せい》するはこの|時《とき》なり』
と|鬼熊《おにくま》、|鬼姫《おにひめ》は|武熊別《たけくまわけ》を|部将《ぶしやう》として、ウラル|山《ざん》の|鬼神《きしん》|毒蛇《どくじや》を|引率《いんそつ》し、まづ|竹熊《たけくま》の|屯《たむろ》せるエデンの|城《しろ》を|襲《おそ》ひ、ついで|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|襲撃《しふげき》せむとした。|鬼熊《おにくま》の|魔軍《まぐん》は|驀地《まつしぐら》にすすんで、|八方《はつぱう》よりエデンの|城塞《じやうさい》に|迫《せま》つた。|時《とき》しも|竹熊《たけくま》は、|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|留守役《るすやく》として|不在中《ふざいちゆう》なりしかば、エデン|城《じやう》は|戦《たたか》はずしてもろくも|鬼熊《おにくま》の|手《て》に|落《お》ちた。
(大正一〇・一〇・二六 旧九・二六 谷口正治録)
第四八章 |鬼熊《おにくま》の|終焉《しゆうえん》〔四八〕
ここに|鬼熊《おにくま》はエデンの|城塞《じやうさい》を|奪取《だつしゆ》し、|牛熊《うしくま》、|牛姫《うしひめ》をして|数多《あまた》の|魔軍《まぐん》を|統《す》べて|之《これ》を|守《まも》らしめ、|鬼熊《おにくま》、|鬼姫《おにひめ》のふたりは|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|裏門《うらもん》より|潜《ひそ》かに|忍《しの》び|入《い》つた。|鬼熊《おにくま》は|巨大《きよだい》なる|鉄棒《てつぼう》を|提《ひつさ》げ、|鬼姫《おにひめ》は|都牟苅《つむがり》の|太刀《たち》を|懐《ふところ》に|秘《ひ》め、|奥殿《おくでん》|深《ふか》く|進《すす》みいり、|大音声《だいおんじやう》に|叫《さけ》んで|曰《いは》く、
『|鬼熊《おにくま》、|鬼姫《おにひめ》これに|在《あ》り、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|何処《いづこ》に|在《あ》るぞ、|見参《けんざん》せむ』
とますます|奥深《おくふか》く|獅子奮迅《ししふんじん》の|勢《いきほひ》をもつて、ふたりは|襲《おそ》ひいつた。
このとき|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|病《やまひ》に|臥《ふ》して、|戸《と》を|堅《かた》く|閉鎖《とざ》し|差籠《さしこ》もつてをられた。|鬼熊《おにくま》、|鬼姫《おにひめ》は|満身《まんしん》の|力《ちから》をこめて、その|室《しつ》の|扉《とびら》を|叩《たた》き|破《やぶ》らむとした。その|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて|馳集《はせあつ》まりしは|竜世姫《たつよひめ》、|高杉別《たかすぎわけ》であつた。たちまち|彼我《ひが》のあひだに|大格闘《だいかくとう》がはじまつた。|高杉別《たかすぎわけ》は|今《いま》や|鬼熊《おにくま》のために|亡《ほろ》ぼされむとする|時《とき》、|小島別《こじまわけ》|駈《かけ》|来《きた》つて、|忠臣蔵《ちゆうしんぐら》の|加古川本蔵《かこがはほんざう》が|塩谷判官《えんやはんぐわん》を|抱止《だきと》めたやうに|背後《はいご》より|無手《むず》と|組《く》みついた。|他《た》の|神司《かみがみ》は|鬼熊《おにくま》の|手《て》や|足《あし》に|組《く》みついた。|鬼熊《おにくま》は|進退《しんたい》|谷《きは》まつて、|鬼姫《おにひめ》の|救《たす》けを|叫《さけ》んだ。|鬼姫《おにひめ》は|鬼熊《おにくま》を|救《すく》はむとして|走《はし》りゆかむとするを、ここに|菊姫《きくひめ》|現《あら》はれて|後《うしろ》より|八尋繩《やひろなわ》を|首《くび》に|打《う》ちかけ|仰向《あふむ》けに|倒《たふ》した。あまたの|女性《じよせい》は|群《むら》がりたかつて|鬼姫《おにひめ》を|縛《ばく》しあげた。|時《とき》しも|竹熊《たけくま》は|中殿《ちゆうでん》より|現《あら》はれ|来《きた》りて、|進退《しんたい》|谷《きは》まり|身動《みうご》きのままならぬ|鬼熊《おにくま》の|面上《めんじやう》|目《め》がけて、|鉄鎚《てつつゐ》を|打下《うちくだ》した。|血《ち》は|流《なが》れて|泉《いづみ》のごとく、|惨状《さんじやう》|目《め》もあてられぬ|有様《ありさま》である。かかるところへ|現《あら》はれ|出《い》でたる|真澄姫《ますみひめ》、|竜世姫《たつよひめ》は、|日《ひ》ごろの|鬱憤《うつぷん》を|晴《は》らし|悪心《あくしん》を|懲《こら》すは|今《いま》この|時《とき》なりと、|女性《をんな》の|浅果敢《あさはか》にも|弱《よわ》りきつたる|鬼熊《おにくま》を|荊《いばら》の|鞭《むち》にてやみくもに|乱打《らんだ》|打擲《ちやうちやく》する。|一同《いちどう》の|猛《たけ》り|狂《くる》ひ|叫《さけ》ぶ|声《こゑ》は|四辺《しへん》に|洪水《こうずゐ》のごとく|響《ひび》きわたる。
|病床《びやうしやう》にありし|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、スワこそ|一大事《いちだいじ》|勃発《ぼつぱつ》せりと|病《やまひ》の|床《とこ》をはね|起《お》き、|現場《げんば》に|馳着《はせつ》け、|小島別《こじまわけ》、|高杉別《たかすぎわけ》を|宥《なだ》め、かつ|鬼熊《おにくま》の|負傷《ふしやう》を|懇切《こんせつ》に|見舞《みまひ》ふた。まことに|智仁勇《ちじんゆう》|兼備《けんび》の|神将《しんしやう》である。
|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》は|沓島《くつじま》の|神業《しんげふ》を|了《を》へ、|二柱《ふたはしら》の|従臣《じゆうしん》と|共《とも》に|帰城《きじやう》され、この|場《ば》の|光景《くわうけい》を|眺《なが》めて|大《おほ》いに|怒《いか》らせたまひ、|眉《まゆ》をひそめて、
『|鬼熊《おにくま》を|討《う》ちし|無法《むはふ》のものはたれぞ』
と|色《いろ》をなして|詰問《きつもん》された。このとき|鬼熊《おにくま》は|狼狽《らうばい》のあまり、その|下手人《げしゆにん》の|誰《たれ》なるかを|知《し》らなかつた。されど|彼《かれ》は|邪推《じやすい》を|廻《めぐ》らし、
『わが|面体《めんてい》を|打《う》ちしは|確《たしか》に|竜世姫《たつよひめ》、|高杉別《たかすぎわけ》、|虎彦《とらひこ》ならむ』
と|血泥《ちみどろ》の|物凄《ものすご》き|顔《かほ》を|振《ふ》りたてて|奏上《そうじやう》した。|小島別《こじまわけ》は|鬼熊《おにくま》の|言葉《ことば》を|遮《さへぎ》り、
『|否《いな》|然《しか》らず、|小臣《せうしん》はその|現場《げんば》を|目撃《もくげき》せる|証神《しようしん》なり。|鉄棒《てつぼう》をもつて|討《う》ちしことは|竹熊《たけくま》の|所為《しよゐ》なり』
と、|言葉《ことば》に|力《ちから》をこめて|言明《げんめい》した。
|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》は|竹熊《たけくま》に|向《むか》ひ、
『|汝《なんぢ》の|行動《かうどう》はなはだ|暴逆無道《ばうぎやくむだう》なり、|妾《わらは》はいまだ|心底《しんてい》より|汝《なんぢ》が|改心《かいしん》の|実証《じつしよう》を|認《みと》むる|能《あた》はず。|今《いま》はもはや|是非《ぜひ》なし、|神界《しんかい》の|規定《きてい》にしたがひ|速《すみやか》に|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》に|降《くだ》るべし』
と|厳命《げんめい》された。|竹熊《たけくま》は|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》り、
『|否々《いないな》、|下手人《げしゆにん》はわれに|非《あら》ず、|高杉別《たかすぎわけ》|以下《いか》の|所為《しよゐ》なり』
と|強弁《きやうべん》した。|小島別《こじまわけ》|以下《いか》は|現場《げんば》の|実状《じつじやう》を|目撃《もくげき》せるをもつて、あくまで|竹熊《たけくま》の|所為《しよゐ》なりと|主張《しゆちやう》した。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、
『|大神《おほかみ》の|神業《しんげふ》に|出嶋《しゆつたう》されし|不在中《ふざいちゆう》にかくのごとく|不祥事《ふしやうじ》を|惹起《じやくき》せしめたるは、|全《まつた》く|吾《わが》|不注意《ふちうい》の|罪《つみ》なり。|何《なに》とぞ|吾《われ》を|根《ね》の|国《くに》、|底《そこ》の|国《くに》へ|追放《おひや》りて|竹熊《たけくま》の|罪《つみ》を|赦《ゆる》したまへ』
と|涙《なみだ》とともに|言上《ごんじやう》された。
|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》は|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|慈愛《じあい》に|厚《あつ》き|真心《まごころ》に|感《かん》じ、|諸神《しよしん》にむかつて|今後《こんご》を|戒《いまし》め、この|場《ば》は|事《こと》|無《な》く|事済《ことず》みとなつた。|鬼熊《おにくま》はこの|負傷《ふしやう》が|原因《げんいん》となり、|運命《うんめい》|尽《つ》きて|遂《つひ》に|落命《らくめい》するにいたつた。|妻《つま》の|鬼姫《おにひめ》は|竹熊《たけくま》の|非道《ひだう》を|怒《いか》り、|仇《あだ》を|報《はう》ぜむとし、|武熊別《たけくまわけ》とともに|弔《とむら》ひ|合戦《がつせん》を|計画《けいくわく》した。しかして|鬼熊《おにくま》は|怨霊《おんりやう》|凝《こ》つて、|終《つひ》にウラル|山《ざん》の|黒竜《こくりゆう》となつた。
(大正一〇・一〇・二六 旧九・二六 外山豊二録)
第四九章 バイカル|湖《こ》の|出現《しゆつげん》〔四九〕
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|仁慈《じんじ》に|充《み》てる|犠牲的《ぎせいてき》|至誠《しせい》より、|竹熊《たけくま》の|罪《つみ》は|赦《ゆる》された。しかしながら|衆神《しうじん》の|手前《てまへ》もあり、|竹熊《たけくま》も|竜宮城《りゆうぐうじやう》に|出入《しゆつにふ》せしむることを|禁《きん》ぜざるを|得《え》ない|立場《たちば》になつた。|竹熊《たけくま》はやむを|得《え》ず、もとのエデンの|城塞《じやうさい》に|帰《かへ》らうとした。この|時《とき》エデンの|城塞《じやうさい》は|既《すで》に|鬼熊《おにくま》に|占領《せんりやう》されてゐた。そして|鬼熊《おにくま》の|滅亡後《めつぼうご》|鬼姫《おにひめ》は、|牛熊《うしくま》、|武熊別《たけくまわけ》を|部将《ぶしやう》とし、あまたの|魔軍《まぐん》を|集《あつ》めてこれを|死守《ししゆ》してゐた。|竹熊《たけくま》は|高杉別《たかすぎわけ》、|森鷹彦《もりたかひこ》の|心中《しんちゆう》を|少《すこ》しも|知《し》らず、|全《まつた》く|自分《じぶん》の|無二《むに》の|味方《みかた》であると|信《しん》じてゐた。
|竹熊《たけくま》は|高杉別《たかすぎわけ》、|森鷹彦《もりたかひこ》に|命《めい》じてエデンの|城塞《じやうさい》を|前後《ぜんご》より|襲撃《しふげき》し|回復《くわいふく》せむとした。されどもふたりは|言《げん》を|左右《さいう》に|託《たく》して|竹熊《たけくま》の|命《めい》に|従《したが》はず、かへつて|竹熊《たけくま》の|暴悪不道《ばうあくぶだう》の|行為《かうゐ》を|責《せ》め|門内《もんない》よりこれを|突出《つきだ》し、|門扉《もんぴ》を|固《かた》く|鎖《とざ》して、|再《ふたた》び|竹熊《たけくま》の|出入《しゆつにふ》し|得《え》ざるやう、きびしく|警護《けいご》した。
|竜宮城《りゆうぐうじやう》の|出入《でいり》を|禁《きん》ぜられた|竹熊《たけくま》は、|鬼城山《きじやうざん》に|城塞《じやうさい》を|構《かま》へ|数多《あまた》の|魔軍《まぐん》をしたがへ|割拠《かつきよ》する、|木常姫《こつねひめ》の|陣営《ぢんえい》にむかひ|救援《きうゑん》を|求《もと》めた。|木常姫《こつねひめ》は|何条否《なんでういな》むべき、|同志《どうし》の|竹熊《たけくま》にして|亡《ほろ》ぼされなば|吾《わ》が|大望《たいもう》を|達《たつ》する|望《のぞ》みなしと、ここに|魔鬼彦《まきひこ》、|鷹姫《たかひめ》|等《ら》とともに|軍容《ぐんよう》を|整《ととの》へ、エデンの|城塞《じやうさい》にむかつて|短兵《たんぺい》|急《きふ》に|攻《せ》めいつた。|鬼姫《おにひめ》は|牛熊《うしくま》、|牛姫《うしひめ》に|命《めい》じて|敵《てき》のヨルダン|河《がは》を|渡《わた》るを|拒止《きよし》せしめた。|木常姫《こつねひめ》は|雲《くも》を|呼《よ》び、|風《かぜ》を|起《おこ》し、|雨《あめ》を|降《ふ》らし、|死力《しりよく》をつくして|争《あらそ》うた。|河水《かすゐ》はたちまち|氾濫《はんらん》し、|水量《みづかさ》おひおひに|増《ま》して、エデンの|城塞《じやうさい》はほとんど|水中《すゐちゆう》に|没《ぼつ》するばかりである。ここに|鬼姫《おにひめ》は|進退《しんたい》|谷《きは》まり、|竹熊《たけくま》より|奉《たてまつ》れる|真贋《しんがん》|十二《じふに》の|玉《たま》を|抱《いだ》き、|従者《じゆうしや》とともに|黒雲《こくうん》に|乗《じやう》じ|天空《てんくう》はるかに|逃《に》げゆく。|天日《てんじつ》|暗澹《あんたん》として|常暗《とこやみ》のごとく、|鬼姫《おにひめ》|一行《いつかう》の|邪神隊《じやしんたい》はウラルの|山上《さんじやう》|目《め》がけて|一目散《いちもくさん》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。
たちまち|前方《ぜんぱう》より|奇晴彦《くしはるひこ》、|村雲別《むらくもわけ》は|国常立尊《くにとこたちのみこと》の|命《めい》を|奉《ほう》じ、|火竜《くわりゆう》となつて|中空《ちゆうくう》に|現《あら》はれ、|鬼姫《おにひめ》の|前後《ぜんご》|左右《さいう》より|焔《ほのほ》を|噴《ふ》きだし|攻《せ》めきたる。|鬼姫《おにひめ》の|一隊《いつたい》は|苦《くるし》みにたへず、|少時《しばらく》は|死物狂《しにものぐる》ひとなつて|応戦《おうせん》せしが、つひに|力《ちから》|尽《つ》きて|地上《ちじやう》に|落下《らくか》した|途端《とたん》に、|大地《だいち》は|大震動《だいしんどう》とともに|陥落《かんらく》し、|長大《ちやうだい》なる|湖水《こすゐ》を|現《げん》じた。これをバイカル|湖《こ》といふ。そして|鬼姫《おにひめ》は|茲《ここ》に|終焉《しゆうえん》を|告《つ》げバイカル|湖《こ》の|黒竜《こくりゆう》となり、|再《ふたた》び|変《へん》じて|杵築姫《きづきひめ》となり、|執念深《しふねんぶか》く|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|附《つ》け|狙《ねら》うたのである。エデンの|城塞《じやうさい》はかくして|再《ふたた》び|竹熊《たけくま》の|手《て》に|還《かへ》つた。
(大正一〇・一〇・二六 旧九・二六 加藤明子録)
第五〇章 |死海《しかい》の|出現《しゆつげん》〔五〇〕
|鬼熊《おにくま》、|鬼姫《おにひめ》は|竹熊《たけくま》との|戦《たたか》ひに|敗《やぶ》れ、ウラル|山《ざん》およびバイカル|湖《こ》の|悪鬼《あくき》|邪霊《じやれい》となり、|一時《いちじ》は|其《そ》の|影《かげ》を|潜《ひそ》め、ために|竜宮城《りゆうぐうじやう》はやや|安静《あんせい》になつてきた。
|国常立尊《くにとこたちのみこと》は|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》および|稚姫君命《わかひめぎみのみこと》の|功績《こうせき》を|賞《しやう》し、ここに|霊国天使《れいごくてんし》の|神位《しんゐ》を|授《さづ》けたまうた。さても|竹熊《たけくま》は|高杉別《たかすぎわけ》、|森鷹彦《もりたかひこ》の|変心《へんしん》に|恨《うら》みを|呑《の》み、いかにもしてふたりを|亡《ほろ》ぼし|仇《あだ》を|報《はう》ぜむと|企《くはだ》てた。ついては|第一《だいいち》に|又《また》もや|天使《てんし》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|滅《ほろ》ぼすの|必要《ひつえう》を|感《かん》じたのである。
|今《いま》や|竹熊《たけくま》はエデンの|城塞《じやうさい》を|回復《くわいふく》し、|中裂彦《なかさきひこ》、|大虎彦《おほとらひこ》を|部将《ぶしやう》とし、|牛熊《うしくま》、|牛姫《うしひめ》を|参謀《さんぼう》として|再《ふたた》び|事《こと》を|挙《あ》げむとし、|鬼城山《きじやうざん》に|割拠《かつきよ》せる|木常姫《こつねひめ》の|応援軍《おうゑんぐん》を|必要《ひつえう》とした。|木常姫《こつねひめ》は|魔鬼彦《まきひこ》、|鷹姫《たかひめ》、|松山彦《まつやまひこ》らの|部将《ぶしやう》を|督《とく》し、|前後《ぜんご》より|天使《てんし》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|攻撃《こうげき》せむと|計画《けいくわく》を|回《めぐ》らしつつあつた。
|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|猿飛彦《さるとびひこ》、|菊姫《きくひめ》の|密告《みつこく》により|竹熊《たけくま》、|木常姫《こつねひめ》の|反逆的《はんぎやくてき》|挙兵《きよへい》の|消息《せうそく》を|知《し》り、|竜宮城《りゆうぐうじやう》は、|花照彦《はなてるひこ》、|花照姫《はなてるひめ》、|香川彦《かがはひこ》、|速国彦《はやくにひこ》、|戸山彦《とやまひこ》、|佐倉彦《さくらひこ》の|部将《ぶしやう》をして|城《しろ》の|各門《かくもん》を|守《まも》らしめた。もはや|後顧《こうこ》の|憂《うれ》ひなければ、ここに|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|高杉別《たかすぎわけ》、|森鷹彦《もりたかひこ》、|時代彦《ときよひこ》の|部将《ぶしやう》とともに|神命《しんめい》を|奉《ほう》じて、シオン|山《ざん》に|向《むか》つて|出発《しゆつぱつ》した。この|用務《ようむ》は|大神《おほかみ》の|神勅《しんちよく》を|諸天神《しよてんじん》へ|報告《はうこく》のためであつた。|諸天神《しよてんじん》は|命《みこと》の|報告《はうこく》を|聞《き》き、|天軍《てんぐん》を|起《おこ》して|竹熊《たけくま》、|木常姫《こつねひめ》の|暴逆《ばうぎやく》を|懲《こら》すの|神策《しんさく》を|定《さだ》めたまうた。|時《とき》しも|天上《てんじやう》より|天使《てんし》|天明彦命《あまあかりひこのみこと》あまたの|天軍《てんぐん》を|従《したが》へ、シオン|山頂《さんちやう》の|高原《かうげん》に|下《くだ》り、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》に|向《むか》ひ、
『|危機一髪《ききいつぱつ》の|場合《ばあひ》は|天軍《てんぐん》の|応援《おうゑん》をなさむ、されど|竹熊《たけくま》、|木常姫《こつねひめ》の|魔軍《まぐん》は|決《けつ》して|恐《おそ》るるに|足《た》らず』
とて|金色《こんじき》の|頭槌《くぶつち》をもつて|地上《ちじやう》を|打《う》ちたまへば、シオン|山《ざん》の|地上《ちじやう》より|瑞気《ずゐき》|顕《あら》はれ|天《てん》に|舞《ま》ひ|上《あが》り|再《ふたた》び|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|前《まへ》に|降下《かうか》した。これを|頭槌《くぶつち》の|玉《たま》といふ。
かくして|三個《さんこ》の|玉《たま》を|鳴《な》り|出《い》で|給《たま》ひ、「この|精霊《みたま》をもつて|魔軍《まぐん》を|掃蕩《さうたふ》せよ」との|言葉《ことば》とともに、|天明彦命《あまあかりひこのみこと》は|群神《ぐんしん》を|率《ひき》ゐて|天使《てんし》は|天《てん》に|還《かへ》らせたまうた。|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|天《てん》を|拝《はい》し|地《ち》に|伏《ふ》して、|神恩《しんおん》の|洪大無辺《こうだいむへん》なるに|感謝《かんしや》された。
|竹熊《たけくま》、|木常姫《こつねひめ》は|全力《ぜんりよく》を|尽《つく》して|前後《ぜんご》|左右《さいう》より|竜宮城《りゆうぐうじやう》を|取《と》り|囲《かこ》んだ。|勇猛《ゆうまう》なる|香川彦《かがはひこ》|以下《いか》の|神司《かみがみ》は|全力《ぜんりよく》を|挙《あ》げて|之《これ》を|撃退《げきたい》し、|押《お》し|寄《よ》する|敵《てき》の|魔軍《まぐん》は|或《ある》ひは|傷《きず》つき|或《ある》ひは|倒《たふ》れ、|全軍《ぜんぐん》の|三分《さんぶん》の|一《いち》を|失《うしな》つた。|時《とき》に|探女《さぐめ》あり、「|天使《てんし》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は、シオン|山《ざん》に|在《あ》り」と|密告《みつこく》した。|竹熊《たけくま》、|木常姫《こつねひめ》は|時《とき》を|移《うつ》さず、|黒雲《こくうん》を|起《おこ》し|風《かぜ》を|呼《よ》び、シオン|山《ざん》の|空《そら》をめがけて|驀地《まつしぐら》に|攻《せ》め|寄《よ》せた。
この|時《とき》、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|天明彦命《あまあかりひこのみこと》より|賜《たま》はりし|頭槌《くぶつち》の|玉《たま》を|一《ひと》つ|取《と》りだし、|竹熊《たけくま》の|魔軍《まぐん》にむかつて|空中《くうちゆう》|高《たか》く|投《な》げ|打《う》ちたまへば、その|玉《たま》は|爆発《ばくはつ》して|数万《すうまん》の|黄竜《わうりゆう》となり、|竹熊《たけくま》に|前後《ぜんご》|左右《さいう》より|迫《せま》つた。この|空中《くうちゆう》の|戦《たたか》ひに|竹熊《たけくま》は|通力《つうりき》を|失《うしな》ひ、|真贋《しんがん》|十二個《じふにこ》の|玉《たま》とともに|無惨《むざん》にも|地上《ちじやう》へ|墜落《つゐらく》し、たちまち|黒竜《こくりゆう》と|変《へん》じ、|地上《ちじやう》に|打《う》ち|倒《たふ》れた。しばらくあつて|竹熊《たけくま》は|起上《おきあ》がり、ふたたび|魔軍《まぐん》を|起《おこ》して|防戦《ばうせん》せむとする|折《をり》しも、|天上《てんじやう》より|金勝要神《きんかつかねのかみ》、|未姫命《ひつじひめのみこと》の|二柱《ふたはしら》の|女神《によしん》は、|天《あめ》の|逆鉾《さかほこ》を|竹熊《たけくま》が|頭上《づじやう》|目《め》がけて|投《な》げ|下《くだ》したまうた。|一個《いつこ》は|竹熊《たけくま》の|頭《あたま》にあたり|一個《いつこ》は|背《せ》にあたり、その|場《ば》に|倒《たふ》れ|黒血《くろち》を|吐《は》き、ここに|敢《あへ》なき|終焉《しゆうえん》を|告《つ》げた。
|竹熊《たけくま》の|血《ち》は|溢《あふ》れて|湖水《こすゐ》となつた。これを|死海《しかい》といふ。|竹熊《たけくま》の|霊魂《れいこん》はその|後《ご》|死海《しかい》の|怨霊《おんりやう》となつた。|死海《しかい》の|水《みづ》は|苦《にが》くして、からく|粘着性《ねんちやくせい》を|帯《を》ぶるは、|天《あめ》の|逆鉾《さかほこ》の|精気《せいき》と|血《ち》【のり】の|精《せい》の|結晶《けつしやう》である。|竹熊《たけくま》の|霊《れい》はふたたび|化《くわ》して|棒振彦《ぼうふりひこ》となり、|天使《てんし》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|執念深《しふねんぶか》く|幾度《いくど》も|悩《なや》ました。|竹熊《たけくま》|部下《ぶか》の|悪霊《あくれい》もまた|此《こ》の|湖水《こすゐ》の|邪鬼《じやき》となつた。そしてその|怨霊《おんりやう》は|世界《せかい》に|拡《ひろ》まり、|後世《こうせい》に|至《いた》るまで、|種々《しゆじゆ》の|祟《たた》りをなすにいたつた。その|方法《はうはふ》は|淵《ふち》、|河《かは》、|池《いけ》、|海《うみ》などに|人《ひと》を|誘《さそ》ひ、|死神《しにがみ》となつてとり|憑《つ》き|溺死《できし》せしめるのである。|故《ゆゑ》にこの|湖水《こすゐ》を|禊身《みそぎ》の|神業《かむわざ》をもつて|清《きよ》めざれば、|世界《せかい》に|溺死人《できしにん》の|跡《あと》は|絶《た》たぬであらう。
シオン|山《ざん》の|後方《こうはう》の|天《てん》より|襲《おそ》ひきたる|最《もつと》も|猛烈《まうれつ》なる|木常姫《こつねひめ》の|魔軍《まぐん》に|対《たい》して、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》は|第二《だいに》の|頭槌《くぶつち》の|玉《たま》を|空中《くうちゆう》に|投《な》げ|捨《す》てたまへば、たちまち|爆裂《ばくれつ》し、|木常姫《こつねひめ》の|一軍《いちぐん》は|神威《しんゐ》におそれ|狼狽《らうばい》の|極《きよく》、|死海《しかい》の|周囲《しうゐ》に|屹立《きつりつ》せる|禿山《はげやま》の|山上《さんじやう》に|墜落《つゐらく》し、|岬角《こうかく》に|傷《きず》つき、|最後《さいご》を|遂《と》げた。|木常姫《こつねひめ》の|霊《れい》はふたたび|変《へん》じて|高虎姫《たかとらひめ》となり、|棒振彦《ぼうふりひこ》とともに、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|絶対的《ぜつたいてき》に|悩《なや》まさむとした|一切《いつさい》の|径路《けいろ》は、おひおひ|述《の》ぶるところによつて|判明《はんめい》する。
|竹熊《たけくま》の|所持《しよぢ》せる|十個《じつこ》の|玉《たま》と、|二個《にこ》の|偽玉《にせだま》は|一旦《いつたん》|死海《しかい》に|沈《しづ》み、|歳月《さいげつ》を|経《へ》ておひおひに|雲気《うんき》となつて|舞《ま》ひ|上《のぼ》り、|世界《せかい》の|各地《かくち》に|墜落《つゐらく》し|邪気《じやき》を|散布《さんぷ》し、あらゆる|生物《せいぶつ》を|困《くるし》ましめたのである。さしもの|黄金水《わうごんすゐ》より|出《い》でたる|十個《じつこ》の|宝玉《ほうぎよく》も、|竹熊《たけくま》の|血《ち》に|汚《けが》されて|悪霊《あくがみ》と|変《へん》じ、|諸国《しよこく》に|散乱《さんらん》して|種々《しゆじゆ》の|悪事《あくじ》を|現出《げんしゆつ》せしむる|悪玉《あくだま》と|変化《へんくわ》したのである。この|玉《たま》の|散布《さんぷ》せる|地《ち》は|最《もつと》も|国魂《くにたま》の|悪《あし》き|国土《こくど》である。
|天《てん》の|一方《いつぱう》より|村雲《むらくも》|押開《おしひら》きて|天使《てんし》の|群《むれ》、|幾百千《いくひやくせん》となく|現《あら》はれ、|地上《ちじやう》に|漸次《ぜんじ》|降《くだ》りくるよと|見《み》るまに、|瑞月《ずゐげつ》の|身体《しんたい》はたちまち|極寒《ごくかん》を|感《かん》じ、ふと|眼《め》を|開《ひら》けば、|身《み》は|高熊山《たかくまやま》の|巌窟《がんくつ》の|前《まへ》に|寒風《かんぷう》に|曝《さら》されてゐた。
(大正一〇・一〇・二六 旧九・二六 桜井重雄録)
附記 霊界物語について
瑞月 出口王仁三郎
|霊界《れいかい》|物語《ものがたり》は|総計《そうけい》|壱百二十巻《いつぴやくにじつくわん》をもつて|完成《くわんせい》する|予定《よてい》になつてをります。しかしながら|是《これ》だけ|浩瀚《こうかん》な|著述《ちよじゆつ》を|全部《ぜんぶ》|読了《どくれう》せなくては、|神幽現《しんいうげん》の|三界《さんがい》の|経緯《けいゐ》が|判《わか》らないなどと|思《おも》ふのは|間違《まちが》ひの|甚《はなは》だしきものです。|経《きやう》を|訓《よ》むには、|冒頭《ぼうとう》の|一篇《いつぺん》を|充分《じゆうぶん》に|玩味《ぐわんみ》して|腹《はら》に|畳《たた》み|込《こ》めば、すべての|精神《せいしん》が|明瞭《めいれう》に|解《かい》し|得《え》らるるものです。どんな|人間《にんげん》といへども|最初《さいしよ》の|一瞥《いちべつ》によつて|其《そ》の|内容《ないよう》や|心《こころ》が|読《よ》めるものです。|刀剣《たうけん》は|鯉口一寸《こひぐちいつすん》の|窓《まど》さへ|開《あ》けて|視《み》れば、その|名刀《めいたう》たり|鈍刀《どんたう》たることが|判《わか》り、|蛇《へび》は|三寸《さんずん》ばかり|見《み》ればモウそれで|全体《ぜんたい》の|見当《けんたう》がつくものである。|詩経《しきやう》も|最初《さいしよ》の|周南篇《しうなんへん》に|自余《じよ》の|篇《へん》が|包《つつ》まれてあり、|周南《しうなん》は『|関々《くわんくわん》たる|雎鳩《しよきう》は|河《かは》の|洲《す》にあり』の|首語《しゆご》に|包《つつ》まれてゐることが|判《わか》るやうに、|本書《ほんしよ》もまた|第一巻《だいいつくわん》の|或《あ》る|一点《いつてん》を|読《よ》めば|全巻《ぜんくわん》の|精神《せいしん》が|判《わか》るはずである。|本書《ほんしよ》の|基本宣伝歌《きほんせんでんか》|三章《さんしやう》だけでも|全部《ぜんぶ》の|大精神《だいせいしん》が|判《わか》る。|教祖《けうそ》の|書《か》き|残《のこ》された|一万巻《いちまんぐわん》の|筆先《ふでさき》も|初発《しよつぱつ》に|現《あら》はれた、
『|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》|艮《うしとら》の|金神《こんじん》の|世《よ》になりたぞよ。|須弥仙山《しゆみせんざん》に|腰《こし》を|懸《か》け|世《よ》の|元《もと》の|生神《いきがみ》|表《おもて》に|現《あら》はれて|三千世界《さんぜんせかい》を|守《まも》るぞよ。|神《かみ》が|表《おもて》になりて|上下《うへした》|運否《うんぷ》の|無《な》きやうに|桝掛《ますかけ》ひきならして、|世界《せかい》の|神《かみ》、|仏《ほとけ》、|人民《じんみん》の|身魂《みたま》を|改《あらた》めて|弥勒《みろく》の|世《よ》に|立替立直《たてかへたてなほ》して|天地《てんち》へお|目《め》に|掛《か》ける|云々《うんぬん》』
の|神示《しんじ》で|全部《ぜんぶ》の|御経綸《ごけいりん》や|大神《おほかみ》の|意志《いし》が|判《わか》るものであります。キリスト|教《けう》の|聖書《せいしよ》だつて、『|神《かみ》|世界《せかい》を|創造《つくり》たまへり。|又《また》|初《はじ》めに|道《ことば》あり、|道《ことば》は|神《かみ》なり、|神《かみ》は|道《ことば》と|倶《とも》にありき、|万物《ばんぶつ》これによつて|造《つく》らる』の|聖句《せいく》さへ|腹《はら》に|畳《たた》み|込《こ》めば|聖書《せいしよ》の|全体《ぜんたい》の|精神《せいしん》が|判《わか》るのである。たとへば|茶室《ちやしつ》の|中《なか》に|一輪《いちりん》の|朝顔《あさがほ》が|床柱《とこばしら》に|掛《か》けてあるのも、|見《み》やうに|由《よ》つて|茶室内《ちやしつない》は|愚《おろ》か|天地《てんち》|全体《ぜんたい》が|朝顔化《あさがほくわ》するものである。|凡《すべ》て|物《もの》は|個体《こたい》に|由《よ》つて|全体《ぜんたい》が|摂取《せつしゆ》され|得《う》るものである。|華厳経《けごんきやう》の|一花百億国《いつくわひやくおくこく》とは、|一微塵《いちみぢん》に|三千世界《さんぜんせかい》を|包《つつ》むといふの|意義《いぎ》であります。こういふ|見地《けんち》に|立《た》つた|時《とき》は、|何《なに》ほど|大部《だいぶ》の|本書《ほんしよ》もただ|一章《いつしやう》の|註釈《ちうしやく》に|過《す》ぎないのであります。|最奥天国《さいあうてんごく》の|天人《てんにん》になると、|智慧証覚《ちゑしようかく》が|他界《たかい》の|天人《てんにん》に|比《ひ》して|大変《たいへん》に|勝《まさ》つてゐるので、|他界《たかい》の|天人《てんにん》が|数百万言《すうひやくまんげん》の|書《しよ》を|読《よ》んでも、まだ|充分《じゆうぶん》に|理解《りかい》し|得《え》ないやうなことでも、|簡単《かんたん》なる|一二言《いちにごん》に|由《よ》つて|良《よ》く|深遠《しんゑん》|微妙《びめう》なる|大真理《だいしんり》を|悟《さと》るものである。|要《えう》するに|未《いま》だ|第一天国《だいいちてんごく》|天人《てんにん》の|境域《きやうゐき》にその|霊性《れいせい》の|達《たつ》してゐない|人《ひと》のために、|神意《しんい》に|従《したが》ひ|斯《か》くのごとき|長物語《ながものがたり》を|著述《ちよじゆつ》したのであります。|読者《どくしや》|諸氏《しよし》|幸《さいは》ひに|御諒解《ごりやうかい》あらむことを、|茲《ここ》に|一言《いちごん》|述《の》べておきます。
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霊界物語 第一巻 霊主体従 子の巻
終り