水鏡
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
(連絡先 oni_oni_oni@a.memail.jp)
2004年04月01日作成
2006年03月03日修正
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序
あな尊うつしてや見ん水鏡
深き真奈井に月の姿を
真如の月の御姿の、静かな水の面の映つるがままの其如く、折にふれ、時に当つて漏れ出づる、真如聖師の金言玉辞を記せるものがこれの水鏡。己が姿をうつしてや見ん、身魂みがきのよすがにと。さあれ円管を伝ふ水はまろく、四角なるは又其形をなして流れ出づるためし、わが覚束なき筆もて写し出でたるこの文の、そは又安価なるガラス鏡の、いと美はしき天上の月を宿したるにも似て、円かなるもいびつに、曲線美の至粋もうねくねと、思ふに任かせぬ憾多かるべし。謹みて聖師の岐美の御許を乞ひのみまつると共に、大方のこの文読ませたまはん君達の見直し聞き直しまして、ゆるさせたまはん事を願ぎまつるになむ。
昭和三年旧九月八日 加藤明子識
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[001]
火の洗礼と水の洗礼
火をもつて、パプテスマを行ふといふことは、人間を霊的に救済するといふことである。これ|大乗《だいじやう》の教へであつて、今までの誤れる総てのものを焼き尽くし、|真《しん》の教へを布かれることである。水をもつてパプテスマを行ふといふことは、人間を体的に救済することである。
火は霊であり、水は|体《たい》である。
|瑞霊《みづのみたま》の教へは永遠の|生命《せいめい》のため欠くべからざるの教へであつて、|厳霊《いづのみたま》の教へは人生に欠くべからざるの教へである。
|厳霊《いづのみたま》の教へは、道義的であり、体的であり、現在的である。
|瑞霊《みづのみたま》の教へは道義を超越して、愛のために愛し、|真《しん》のために|真《しん》をなす絶対境である。いはゆる|三宝《さんぽう》に帰依し|奉《たてまつ》る心である。火の洗礼と、水の洗礼とは、それほどの差異があるのである。某地の大火災を目して、火の洗礼だと人はいふけれど、それは違ふ、水の洗礼である、いかんとなれば、それは体的のものであるから。
[002]
無抵抗主義と抵抗主義
無抵抗主義は、実は極端なる抵抗主義である。打たれても、|擲《たた》かれても、黙つて隠忍してゐる所に|底力《そこぢから》のある強い抵抗がある。そしてこの無抵抗の抵抗がつひに最後の勝ちを制するのである。天理教祖のおみきさんは、牢獄に投ぜらるること、幾回なるかを知らず、警官の|叱責《しつせき》に遇ふや、いつでもただ、ハイ、ハイといふてゐた。
「ハイ、ハイ、ハイで這ひ登れ山の上まで」といふのが、常に彼女が教へ子たちに示したモツトーであつたといいふことである。
[003]
神命と実行
神の命じたまふことは即座に実行せねばならぬ。寸時の猶予も許されないのである。命令を受けたときに実行せないで延ばすと、そのことはもう成就せないのである。もし後で成就することになつても、それは他の人がやつてしまふから、命令を受けた本人に取つてはつまり実行出来なかつたことになる。大本のことは、九月八日の仕組で、世間に先だつて、リードするのであるから、一日|後《おく》れると|世間並《せけんなみ》になつてしまふ。見よ大本が宗教連盟を|企《くはだ》つるや、世間は俄かに|何連盟《なにれんめい》、|彼連盟《かにれんめい》と連盟を企てて真似をする。満蒙開発より他に国是は無いと思つて|私《わたくし》が入蒙すると、満蒙政策が|喧《やかま》しく|唱道《しやうだう》される。だから大本は一日先に神様に教へられて、社会を導くやうになつてゐるのである。|私《わたくし》が「かうせい」と命じても「会議を開いて、相談した上で実行いたします」といふやうな役員が多かつたから今まで長蛇を|逸《いつ》してしまつたことが|幾何《いくばく》あるか分からぬ。だから御経綸が遅れるのだ。神様は考へてから、ゆつくりやるといふやうなことは大お嫌ひだ。事業を計画するにしても|金《かね》が集まつた上でやるといふのは、本当のやり方ではない。やらうと思ふと同時に実行に着手したらよいのだ。さうすると|金《かね》は自然に出て来るものだ。自然を見よ、彼の|蒼々《さうさう》|空《そら》を|凌《しの》いで立つ|老松《らうしやう》も、一本三厘の松苗を、二三分間の時間と、ほんのちよつとの労力で植ゑておいた結果に過ぎないではないか、先の先まで計画しての仕事ではない。
[004]
恋愛と、恋と、愛
恋といふのは子が親を慕ふ如き、または夫婦が互ひに慕ひ合ふ如き情動をいふのであつて、愛とは親が子を愛するが如き、人類が互ひに|相愛《あひあい》するが如き、情動の言ひである。信者が神を愛するといふことは無い。神様を恋ひ慕ふのである。神様の方からは、これを愛したまふのである。故に信仰は恋愛の心といふのである。
恋愛となると全く違ふ。善悪正邪美醜などを超越しての絶対境である。お互ひが全くの無条件で恋し合ひ、愛し合ふので、義理も人情も、利害得失も何もかも忘れ果てた境地である。だから恋愛は神聖であるといひ得るのである。今の若い人たちが、顔が美しいとか|技倆《ぎりよう》が優秀であるとかいふ条件の|許《もと》に惚れ合ふておいて、神聖なる恋愛だなどといふのは、恋愛を|冒涜《ぼうとく》するものである。そんなものは神聖でも何でもない、人に見せて誇らんがために、若い美貌の妻を|娶《めと》りて熱愛する夫に至つては、全く外分にのみ生きるものであつて下劣なものである。|真《しん》の恋愛には美もなく、|醜《しう》もなく、年齢もなく、利害得失もなく、世間体もなく、義理もなく、人情もなく、道徳もなく、善もなく、悪もなく、親もなく子もない、全く天消地減の境地である。人として|真《しん》の恋愛を味はひ得るものが、果たして幾人あるであらうか。どんな熱烈な恋といへども大概は、相対的なものである。神聖呼ばはりは片腹痛い。現代の不良青年などが、恋愛神聖を叫んで彼れこれと異性を求めて|蠢動《しゆんどう》するのは、恋愛でも何でもない、ただ情欲の奴隷である。
[005]
|三猿《さんゑん》主義は徳川氏の消極政策
見【ざる】、聞か【ざる】、言は【ざる】、といふモツトーがある。面倒臭い浮き世に処しては、この|三猿《さんゑん》主義に隠れるのが、一番|上分別《じやうふんべつ》のやうにも思はれるが、これは徳川氏が、人民を制御した消極政策である。有為なる人間に対する去勢政策である。この去勢政策によつて三百年の平和を維持しやうと努めた|陋劣《ろふれつ》な手段である。神様のお道はこれに反して、積極主義、進展主義である。人民を|盲人《めくら》や、|唖者《おし》や|聾者《つんぼ》にしておいて、わがまま勝手のことをしやうとは、ずいぶん虫のよい話ではないか。
[006]
我はキリストの再来に非ず
人あり、我を目してキリストの再来なりといふ。我が弟子たち、また我を見てキリストの再来なりと信じ、そを我がために名誉なりとさへ考へ、バイブルを引証して力説するものあり、はなはだ有難迷惑の次第である。彼キリストは、ヨハネによつて「彼は火をもつて洗礼をほどこす」と予言されながら、つひに火の洗礼をほどこすに至らずして帰幽せり。彼の事業は未完成のまま、悪魔の妨害によつて中絶せしに非ずや。我の来たれるは神業完成のためなり、火をもつて洗礼を施さんがためなり。世界くまなく神の福音を宣べ伝へんがためなり。しかして我は既にすでに、全世界に向つて火の洗礼を施しつつあるは、我が信徒らの日夜親しく目撃する所に非ずや。わづかに|小亜細亜《せうあじあ》の一部分に水の洗礼を施したるキリストをもつて我に擬し、栄誉を感じつつあるいとも小さき心の持ち主らよ、今少し偉大なる志をもつて我に従へ。
[007]
霊界物語は最後の審判書なり
キリストは、最後の審判を為すために再臨するといつたが、彼の最後の審判といふのは、|火洗礼《ひせんれい》をほどこすことの言ひである。彼は|火洗礼《ひせんれい》を施さんとして、その偉業が中途にして挫折したため、再び来たつて火の洗礼を、完成せんと欲したのである。
|火洗礼《ひせんれい》とは、人間を霊的に救済することであるといふことは、既に我が弟子たちの周知のことである。最後の審判は、閻魔大王が罪人を|審《さば》くと同様なる形式において行はるると、考へてゐる人が多いやうだが、それは違ふ。天国に|入《い》り得るものと、地獄に|陥落《かんらく》するものとの【標準】を示されることである。この標準を示されて|後《のち》、各自はその自由意志によつて、自ら選んで天国に|入《い》り、あるひは自ら進んで地獄におつる、そは各自の意志想念のいかんによるのである。
【標準】とは何か、霊界物語によつて示されつつある【神示】そのものである。故に最後の審判は、大正十年十月より、既に開かれてゐるのである。バイブルに「また天国の、この福音を万民に、|証《あかし》せんために、|普《あまね》く天下に宣べ伝へられん。然る後|末期《おはり》いたるべし」とある如く、大正十二年より、支那、朝鮮の順序を経て、今や全世界にこの福音が宣べ伝へられつつあるではないか、……。
[008]
霊界と神霊界
霊界とは霊妙な世界といふことであつて、顕、幽、神三界を総称してしかいふのである。人あり霊界物語を評して曰く「書名、題して霊界物語といふ。しかるに記す所は顕現界の事象はなはだ多し、なんぞそれ内容と題名と相応せざることかくのごとくはなはだしきや」と、これ、霊界の意味を|真《しん》に知らざるが故の|妄評《ぼうへう》であつて、【霊界】といふのは、三界を包含したるものであるから、顕現界のことを|記《き》して、ちつとも差し支へないのである。世人のいはゆる霊界といふのは、神霊界をさしていふのであつて、霊界とはその範囲が余程狭くなつて来る。
[009]
|言霊《げんれい》と言語
|言霊《げんれい》天地を動かすといふのは、|瑞霊《ずゐれい》の|言霊《ことたま》のことである。|言《げん》は三つの口と書く。言語の語は、|吾《われ》の|言《げん》と書く。人間は男女共に五つの口をもつてゐる。|言霊《ことたま》は天地を動かすけれど、言語は天地を動かすわけにはゆかぬ。
[010]
祈りは天帝にのみ
祈りは天帝にのみすべきものである。他の神様には礼拝するのである。私はその積もりで沢山の神様に礼拝する、そはあたかも人々に挨拶すると同様の意味においてである。誠の神様はただ一柱しかおはしまさぬ、他は皆エンゼルである。
[011]
玉について
|如意宝珠《によいほうしゆ》といふのは、|八方転《はつぱうころ》びの玉である。|円転《ゑんてん》|滑脱《くわつだつ》、いささかの|障碍《しやうげ》もなく、自由自在に転ぶ玉である。だから人が来て、それにつき当れば、ころんで他の|面《おもて》を向けるが、どの|面《おもて》を向けても同じ|珠《たま》である。もし少しでも角があれば前の|面《おもて》と、今度の|面《おもて》とは違つてゐるといふことがわかるけれど、|八面玲瓏《はちめんれいろう》の玉なれば、突き当たられて|一転《ひところ》びしても、転ばぬ前も同じである。誰がその差異を|見出《みいだ》し得るものがあらうか、人の心も同様で、少しの角もないまでに磨き上げらるれば、それが|如意宝珠《によいほうしゆ》と同じ働きを起こすのだ。|円転《ゑんてん》|滑脱《くわつだつ》、自由自在、人と衝突して人を傷つけ、我が身を傷つけるやうなことは無い、どんな立派な玉でもそれに少しのイビツな所でもあれば、決して|如意宝珠《によいほうしゆ》では無い、先年大阪|辺《へん》で|如意宝珠《によいほうしゆ》だとて大騒ぎをしてゐた|珠《たま》があるが、あの|珠《たま》は|飽《あはび》の貝に塩の付着して出来たものであるから、楕円形である。本当の|如意宝珠《によいほうしゆ》ではない、あれはむしろ邪気の|凝固《かたまり》である。あれを見、あれを持つてゐると、|禍《わざはい》が身に及ぶから、深く包んで人に見せないやうにせねばならぬ。で私はお宮を作つて祭るやうにと云ふておいたのだ。およそ形のあまりに珍奇に異様なものは、皆|邪《よこしま》なるものである、|弄《ろう》せないやうにせねばならぬ。
□録者は|愕然《がくぜん》として驚きました。この|如意宝珠《によいほうしゆ》の|珠《たま》といふのは、一見はなはだ立派なものであつて、所有者は印度人が三千年|来《らい》尋ね尋ねてゐる憧れの玉であると深く信じて居り、これを日本で盛大に祭れば数十万の印度人が|踵《きびす》を接して日本にお参りに来る、国家の利益この上もないことであるからといふて、|東奔西走《とうほんせいそう》|金《かね》を集めて大宮殿を建立して祭らうとしてゐるものであります。ただ何の玉であるかが分からぬため、日本の帝国大学はもちろんのこと、米国三界まで持ち出して、鑑定を頼んだものです。このために、今まで費やした|金高《きんだか》は既に数十万円に|上《のぼ》つてゐるはずでございます。今も現に大阪の某富豪が、数万円を投じて、祭らうと企ててゐるといふ話ですから、近い将来に実現するかも知れません。しかして不思議にも、この玉の持ち主はたびたび変はり、そしていつもいつも御覧を願ひたいといふては、聖師様のお手許に参ります。現に半年ばかり前にも、貰つて頂きたいといつて来ましたが、聖師様は
「私には必要が無い。お宮を建てて祭つておいたらよからう」
とおつしやつて断つて居られました。初めこの玉の鑑定を頼みに来たときは、聖師様は大正日日新聞社の社長室に居られましたが
「見ないでも私にはよく分かつてゐます。とうから霊眼で見てあります。少し楕円形をした、こんな|珠《たま》でせう」
とおつしやつて、見ることを拒まれました。持参者は驚いて、
「その通りでございます。大学あたりでも分からず、米国の大学まで持ち回つても本質が分からず、試験のため、この通り削つて分析し、少し傷がついてゐますが、不思議にもだんだん傷が|癒《い》えて参ります。重量も増えたり、減つたり致します」
といひながら、包みを解いて師の目の前に差し出したものです。聖師様は
「|如意宝珠《によいほうしゆ》?、さうでせう、なかなか立派な玉です」
とおつしやつたと聞いて居ります。……さうでせう……とおつしやつた|言向《ことむ》け|和《やわ》せを知らぬ私は、大層珍しがり、わざわざ見に行きまして、大正日日紙上で|提灯持《ちようちんも》ちまで致しました。私ばかりでなく吉野|花明《くわめい》氏なども、大分この玉についての記事を書かれたやうに記憶して居ります。日本一と人々から尊敬せられつつある某名僧は、深く|如意宝珠《によいほうしゆ》だと信じて、玉を世に出す運動に参加して居られますが、五年の|後《のち》の|今日《こんにち》、初めて真相を示されて悟らして頂きました。【みないでもよい】……とおつしやつた師のそのお言葉が、いかに深重な意味を含んでゐたかといふことに今気がついて
「聖師様も、その玉を御覧になつたのでございますね。私も見ました。手にまで取つて撫で回したのでございます。玉の霊徳を受けたいと存じまして……でございますが、それから受けた|禍《わざはい》と申しますと、何でございませう」とお伺ひ申し上げますと
「大正十年二月起こつた、大本事件がそれである、私はそのために今まで悩まされてゐる。お前も悩まされてゐるでは無いか。事件はあの|珠《たま》を見てから、十数日の|後《のち》に起こつたのである」
録者は、|冷水《れいすい》を頭上から浴びせられたやうな感じが致しまして、今後決して珍奇なものに心を動かすまいと考へました。(大正十五、二、九)
[012]
抱容力
今の人間には抱容力があまり無さすぎる。胸が狭いから、ちよつとのことがあればすぐ胸一杯になつて、どうすることも出来なくなる。抱容は抱擁で|抱《いだ》いてやることなのだ、|鶏《にはとり》が|雛《ひな》を抱いてやるやうなものだ。|鶏《にはとり》が|雛《ひな》を抱いて温めてやる。あれが|真《しん》の抱容だ。氷のやうな冷たい心で形の上でばつかり、抱いて貰つたつて有難くない、|雛《ひな》はすぐ脱け出してしまふ。余り固く|抱《いだ》くとまたよくない、|抱《いだ》かれた|雛《ひな》が締めつけられて育たない、余り|寛《ゆる》く|抱《いだ》くと|雛《ひな》につつかれる|憂《うれ》ひがある。抱容の仕方もなかなか難しいものである。
[013]
人を使ふこと
人を使ふには、使はれてやればよいのである。|古川《ふるかは》|市兵衛《いちべえ》氏は、職工にまで「御苦労様」と頭を下げて歩いた。今の資本家に、それだけの心掛けと好意があれば、労働争議なんか、起こりはしまいものを。
人に使はれるときは、人を使ふ気分になればよい、上の人が働かねばならぬやうに、下から次へ次へと仕向けるのである。|痒《かゆ》いところへ手が届くといふのがそれだ。嬢や坊やでは到底駄目である。
[014]
人は度胸
人は何といつても度胸が一番だ、一度胸、二度胸、三度胸、四人物、五|金《かね》だ。今の人間は、一|金《かね》、二|金《かね》、三人物、だから何も出来はせぬ。度胸の確かな人のところには人物が寄る。人物が寄れば|金《かね》なんかいつでも集まるものである。度胸がなければ仕事は出来ない。学者といふものは、多くは書物の研究に|耽《ふけ》るだけで割合に度胸といふものがないから仕事は出来ない。
女は愛嬌、男は度胸だ。男に度胸が大切であるごとく、女には愛嬌が必要である。およそ男女を問はず、この度胸と愛嬌とが具備してゐて、しかもそれが円満なる調和を保つてゐて、利己心さへ無かつたら、どんなことだつて出来ないことはないのである。
[015]
道楽は一つの宗教である
世に道楽なるものがある。女道楽、芝居道楽、酒道楽、骨董道楽、|碁《ご》道楽、将棋道楽、曰く何、曰く何と、そもそもこの道楽なるものは皆彼らの宗教である。かるが故に他を容れる余地がない、かういふ連中に向つて宗教を説き、かかる道楽を持つ人を|真《しん》の道に導くことはなかなか至難の|業《わざ》である。各自好きな道楽で充たされてゐるから、……。
[016]
天と地
地上三尺以上は天界に属する。地上三尺までが地の世界である。であるから人間の住居の|床《ゆか》は三尺以上にしてはいけない、先づ一尺五寸くらゐにすべきものであつて、寝て|体《たい》の高さを加へて三尺以内でなくてはいけない。宮殿などの|床《とこ》の高さは三尺以上になつてをる。これ宮殿は天界に属するからである。そしてそこに住む人を雲の|上人《うへびと》といふのである。地上三尺までは人間の領分であつて、それ以上は神様の領分であるから、人間が神様の領分を犯すと、|禍《わざはひ》が身に及ぶ。二階などに寝るとよく|魘《うな》されたりすることがある。天界または霊界に身を置くからである。
昔の人間は背丈が六尺くらゐあつた。天界に三尺、地界に三尺、即ちそれが人間である。太古の人たちは、七尺も八尺もあつたことは、霊界物語に出てゐるが、地界に三尺、天界に四尺乃至五尺居つたから、霊界のことがよく分かつたのである。さりとて今の|背高男《せだかをとこ》がその通りであるかといふてもさうは行かぬ。今の人間にはてんで霊界のことが分かつてゐないから分りさうなことがないでは無いか……。
[017]
艮の金神様
艮といふ字にはハジメ、カタマル、ナガシ、トドメ等の意味がある。世をハジメ、カタメ、トドメをさす神様である。金神の|金《こん》は|金剛力《こんがうりき》であり、また|金《きん》は総ての物を清浄にするものである、お守りの袋に|金襴《きんらん》を用ゐたり、神様のことに|錦《にしき》や、|金《きん》を使用するのはこの理によるのである。即ち、金神は至清至粋の|金剛力《こんがうりき》を有する神の言ひである。世を始め、世を固め、|艮《とどめ》を刺す至清至純の|金剛力《こんがうりき》をもつた神様が艮の金神様である。
[018]
|神《しん》、|耶《や》、|仏《ぶつ》すべてを信ず
バイブルから、奇跡を除かんと企てた耶蘇教信者がある。誤れるもはなはだしいものである、耶蘇教より奇跡を取り去れば、それはもう宗教でなくて倫理学である。私は仏教、耶蘇教、神道の総てを信ずるものである。
[019]
霊と記念物
霊といふものは、篭めれば篭めるほど深くなるものである。私は茶碗を一つ|捻《ひね》るにも一々|性念《しやうねん》を篭めてやるのであるから、深く霊が入つてゐる。それ故、この器で毎日湯でも茶でも呑んでゐると、相応の理によつて、お陰を頂けるのである。私がやらうとも思はぬのに、くれくれといふて貰つても、お陰は少ない。またやらうと思ふものを辞退するのもお陰がなくなる。滅多に人から記念物を貰ふのもよくないことである。霊が反対してゐると、品物を貰ふたがために、とんだ災難を受けることがある。生前お互ひが好意を持ちあうてゐたものの記念物で無くては貰ふものでは無い。また自分が一番愛してゐたものに一番霊が篭もるものであるから、昔はその一番愛してゐたものを御神体として祭つたものである。ただし、心を篭めるといふのと、霊を篭めるといふのとは意味が違ふ。
[020]
私と仕事
私は常に何か仕事をして居らねば苦しくつて仕方が無い、手を動かすか、足を動かすか、口を動かすかしておらねばならぬ。この働くことを|止《や》めると、神様は直ぐ私を他の方面にお使ひになる。即ち方々から祈りと、助けを呼ぶ声が聞こえて来る、さうなると体が苦しくつて仕方が無くなる。私は口癖のやうに、えらいえらいといふが、医師が見ると、どこも悪くないといふ、けれど私は実際苦しいのである。仕事をしてゐればその苦しさは取れてしまつてゐるから、私はちよつとも手をやすめずに仕事をしてゐるのだ。仕事をして全く疲れ果て、|床《とこ》に横たはると直ぐ寝るやうにせねば、私は苦しくて叶はぬ。それだから、|停車場《ていしやば》で汽車の来るまで長く待たされたり、写真を撮るとき暇をかけられたりすることは私に取つて一番つらいことである。方々から招待せられることもつらい、私は御馳走も何もちつとも欲しくは無いのだ。招待してくれる人の好意は受けるが、前いふ通り、暇が出来ると神様の方で直ぐ私の体をその方に使はれるのであるから、じつとしてお|膳《ぜん》の前に長い時間坐らせられるのはどのくらゐ苦しいか分からぬ。私の|身体《からだ》は|他人《ひと》のとは違ひ、|他《ひと》の楽なときが苦しく、苦しいときが楽なのである。|山海《さんかい》の珍味で私を慰めてくれるつもりで、私を招待してくれることは、実は私を苦しめることだ。それよりも|楽焼《らくやき》を|捻《ひね》つてゐる方が、どのくらゐ嬉しいか分からぬ。神様は一分間も私の体を無駄にはお使ひにならぬのだから、たとへば裁判所などへ行つても、|訊問《じんもん》を受けとる|間《あいだ》は少しも苦しくないが、待たされると|辛《つら》い、どうか皆が、私のこの天職を理解して、|嫁娶《よめとり》だ、|婿貰《むこもら》ひだ、|何祭《なにまつ》りだ|彼祭《かにまつ》りだと、いろんなことに引つ張り出してくれぬと、私は本当に助かるのだ。二代は、折角あなたに来て頂かうと思つてをるのだから、行つてお上げなさいといふ。私はさういはれると気の毒になつて、行くには行くけれど、その苦しさは、皆の想像外である。私は今までに楽な日がたつた二日あつた。そのときは体が軽くて、気持ちがよくて、こんな楽なものならば長生きがして見たいと思つた。綾部へ帰つて聞いたら、その二日間、二代が大層体が悪くて、|甚《ひど》く苦しんでゐたといふことだ。私は仕事をしてゐる以外は苦しくて仕様が無いから、早く昇天したいと思つてゐる。長命したいなと思つたことは無い。また私は神様からこんなことを聞いてゐる、「お前が国替へしたら、|後《あと》のものが余程注意して死骸を守つてゐないと、悪魔が取つて行つてしまふ」と、それだけ悪魔は私を憎んでをるのだ。
[021]
|碁《ご》と将棋は嫌ひ
私は|碁《ご》と将棋が一番嫌ひだ、あんなことをして、一体何になるのだ、時間の空費では無いか、歌を読んでも字を書いても、何かそこに残つて行くものがある。|碁《ご》、将棋には、残る何物もが無い、全く、時間と精力の空費である。
[022]
小さい|蒲公英《たんぽぽ》
大正十年二月の頃、皆の知つてゐる通り私は京都監獄に居つた。ある日の散歩に、枯れ草の中に咲いてゐる一輪の|蒲公英《たんぽぽ》を|見出《みいだ》した。ああその一輪の花、それによつて私はどのくらゐ慰められたか分からなかつた。何といふ愛らしい花であらう。冬の寒い長い間|百草《ももぐさ》も枯れて、何も無いやうに見えるこの花が、春の光を浴びると、眠つた如く見えた根からは青い芽が出で、葉が伸び、やがてはあの|豊醇《ほうじゆん》な乳を持つた美しい黄色や、白い花が咲くのである。何だか私の境遇に似てゐるやうである。私は思ふた。たとへこの度のことによつて大本が潰れたとて、五十七才になつたらまた元の六畳敷から初めやう、教祖様は五十七才にして初めて立たれたのだから……、かくこの一輪の花によつて慰められつつ、日を送つてゐるうち、やがて春の最中になつて、そこら一面|蒲公英《たんぽぽ》の花をもつて|埋《うづ》めらるるやうになつて来た。何らの慰めをも持たぬ囚人たちはいかにこの花によつて慰められたことであらう、|朝《あした》に|夕《ゆふべ》に花は囚人の唯一の愛の対象物であつた。然るに心なき|園丁《ゑんてい》は掃除をするのだといつて、皆この花を引きむしつてしまつた。
[023]
毒と薬
毒にならぬものは薬にもならぬ。毒もうまく使へばたいした働きをするものである。毒にならぬものは、ただ自分だけのことが出来るくらゐのものだ。「聖師様のそばには悪魔ばかりがついてゐる」と罵るものがあるさうだが、よし悪魔であつても差し支へないでは無いか、毒になるものは薬になる、彼のいはゆる善人なるものは、ただ自分の自身を救ふことが出来れば|関《せき》の山だが、悪魔が|一朝《いつてう》大悟徹底改心すれば、多くの人を救ふ働きをするものである。鬼も|大蛇《おろち》も救はにやならぬこの神業に、尻の穴の小さい、|毛嫌《けぎら》ひばかりしてゐて、他人を悪魔扱ひにする人たちが、信仰団体の中にも沢山あるのは歎かはしいことである。また悪魔を料理し得る|人才《じんさい》が、いかにも少ないことも、歎かはしいことの一つである。お人の好いばかりが能でもない、私は本当に骨が折れる。誰か私に代はつて鬼も|大蛇《おろち》も料理するといふ|偉才《ゐさい》が早く現はれないものかなあ。このわに口は、鬼や|大蛇《おろち》はまだ愚か、どんな骨の堅い、|腕節《うでつぷし》の強い|獣物《けだもの》でも、噛みこなすだけの強い歯を持つてをるつもりだ。御心配御無用。
[024]
和歌と|調《しらべ》
歌といふものは、|河水《かすい》の流るるやうに|滞《とどこほ》りなく、すらすらと|調《しらべ》が流れねばならぬ。|下《しも》の句から|上《かみ》の句にかへつて行くやうな歌は歌として面白くない、歌は歌ふものであるから、そのことをよく考へて、どこまでもすらすらと|調《しらべ》がよいやうに詠まねばならぬ。詩になれば少々どうなつてもよいものである。
[025]
悲劇と喜劇
私は悲劇は嫌ひである。さなきだに人生は苦しみが多いのであるに、わざわざ|銭《ぜに》まで出して暇をつぶし、泣きに行く必要がどこにある。【喜劇は心を晴らす】。時々見ると気分が転換する、私は子供のときに|定九郎《さだくらう》が|与市兵衛《よいちべゑ》を殺すところの芝居を見せられてから、【すつかり】劇といふものが嫌ひになつた。
[026]
物忘れと無我の境地
物を聞いて直ぐ忘れてしまふとて、心配する人があるけれど、それはかへつて結構なことである。善きことは皆血管に吸収されて霊の|糧《かて》となるのであるから、これが|真智《しんち》となつて必要な場合に現はれて来るのである。覚えてゐるやうなことはカスであつて、それは神経系統の中に吸収されるのである。人間が浄化すれば浄化するほど、聞いたよいことは、ずんずん血液の中に吸収されて、意識の中に沈んで行く、かくて血液中に吸収されたるものは必要の場合には現はれて来るが、平素は出て来ない、これが無我の状態である。
[027]
見直し聞き直しと嗅ぎ直し
|三五教《あななひけう》の宣伝歌にも、見直し聞き直し、といふことは出てゐるが、嗅ぎ直しといふことは出て居らぬ。元来鼻は素盞嗚尊であるから|詔直《のりなほ》しが無いのである。匂ひで嫌になつたのは取り返しがつかぬもので、どんな美人でも嫌な臭ひを嗅がされたが最後、再び逢ふ気はしないものである。|容貌《きりよう》が悪いのや、声の悪いのはだんだんと見慣れ、聞き慣れて来ると、またよくなつて来るものである。即ち見直し聞き直しはあるが、嗅ぎ直しといふことは無い|所以《ゆゑん》である。だから各自が|人中《ひとなか》に出るときはこの点十分注意を要する。
[028]
霊体|不二《ふじ》
肉体を通して精神状態を見ることが出来る。心が狭く、気が小さいうちは人間は|肥《ふと》れぬものであつて、心が広くゆつたりとして来ると、だんだん肥えて来る、細そりすらりの美人のお嫁さんよりも、お多福のぼつてり肥えたお嫁さんの方が、家運が|開《ひら》け、家が繁昌するものである。
[029]
惟神
惟神といふことは、天地の真象に|倣《なら》ふといふことである。また、大自然、あるひは真理のままといふことである。
[030]
世の終末と立替
キリストの【本当】の教へが伝はらぬやうになつたとき。仏法においては釈迦の【誠】の教へが伝はらないやうになつたとき、それが世の終りである。即ちキリスト精神の滅亡、仏法精神の滅亡を意味する。この時にあたつて、本当の耶蘇教、誠の仏法を起こすのが世の立替である。
[031]
太陽を|招《よ》び返した|清盛《きよもり》
天地万物、総て進展するばかりであつて後戻り、仕直しといふことは無い。花がまづく咲いたから、咲き直しをやるといふことは無い、それだのに人間は物を造つても気に入らぬと直ぐに壊してやり直しをする。字が下手に書けたといふては書き直しをするが、さうした場合前に使つた時間は全く無駄になつてしまふ。即ち太陽を|招《よ》び返したと同じわけになる。昔、平の|清盛《きよもり》は太陽を|招返《よびかへ》した罪によりて、大変な熱病を|煩《わづら》つて死んだといはれてゐる。|清盛《きよもり》の真似をやつてゐて物事思ふやうにゆかうはずがない。
私は字を書いても、絵を|描《ゑが》いても、文章を作つても、|楽焼《らくやき》をやつても、仕直しといふことをしたことがない。天地自然の運行に逆らつてやつた仕事に、ろくなことは無い。
[032]
|御手代《みてしろ》と国替へ
国替へをすると、|御手代《みてしろ》や、|楽焼《らくやき》のお茶碗お|盃《さかづき》などをその人の所有として|埋《うづ》めてやれと聖師様がおつしやつたといふ|怪宣伝《くわいせんでん》があるさうだが、そんなことは【決して無い】。それでは折角私が霊を篭めて造つたものが、皆地中に|埋《うづ》もれてしまふことになる。そんなつまらぬことをしてはならぬ、|後《あと》に取つておいてお祭りの度に供へるやうにしたらよいのである。
[033]
|高姫《たかひめ》と|妖幻坊《ようげんぼう》
霊界物語中の|高姫《たかひめ》は、|兇党界《きようたうかい》の|悪霊《あくれい》|妖幻坊《ようげんぼう》と長い間夫婦生活をつづけてをることが記されてゐるが、どういふふうにその体的夫婦関係が持続せらるるといふのか……。左様、簡単にいへば、精力素を奪取されてゐるのである。そして|高姫《たかひめ》自身はそれを知らず、完全に夫婦関係が成立してゐるものと思つてゐるのである。狐に|誑《ば》かされてゐる男が、|美婦人《びふじん》と同棲してゐるつもりで暮らしてゐると、いつの間にか|身体《しんたい》が弱り、虚脱に陥つて、呆けてしまふといふ話。また|蛇《へび》が若衆の姿に化けて毎夜、娘の|閨《ねや》に|通《かよ》つたため、娘はだんだん|身体《からだ》が弱り衰へ、つひに死んで行くといふやうな話がよくあるが、いづれも同じく、快感を覚えさせておいて精力素を奪取するのであるから、快楽を感じつつ弱つて行つて、つひには死亡してしまふことになるのである。人間の精力素を奪取した狐なり、狸なり、|蛇《へび》なりは、それだけ人間化し向上するわけだから喜んでゐる。
[034]
|厳《いづ》と|瑞《みづ》
大本の経綸は、経と緯、|厳《いづ》と|瑞《みづ》とによつて御神業が進展しつつあるが、とかく|瑞《みづ》の|霊《みたま》の御神業が役員や信者に分からないため、御神業進展のため、どのくらゐ支障を来たしてをるか分からぬ。今でも同じことであるが、昔に比べると余程仕事がしよくなつて来た。それは役員さんも信者さんも、だんだん向上進歩して、私の仕事について理解をもつてくれるやうになつたからである。昔は、漢字で書いた|本《ほん》を読めばすぐ、外国の|悪霊《あくれい》が|憑《つ》いてをるのであると私を責めたくらゐであるから、周囲にをる人に漢字の読めた人は一人も無い、神様はお急ぎなさるし、私は本当に困つた。|家《うち》の者に|手伝《てつだい》をしてくれるものは皆無だし、せめて|角《かく》な字の読める人が欲しいと思ひ、苦しい手許の中から、月々二十円余りも出してある人を学校にやつて卒業させた。やれこれで少し読み書きの方の助手が出来たから仕事を初めやうと思ふと、また皆で矢釜しういふてそばに寄せつけないやうにしてしまつた。その頃の私は目もよかつたし、活字なんかも一人で拾うたが、せめて誰か一人助手が欲しいと痛切に思つた。けれど漢字を読むものが私のそばによると、すぐ悪魔扱ひをして|退《しりぞ》けてしまふのだから仕方が無い、その頃のことを思へば今は何といふても結構なものだ。綾部の御神苑を建設するについても妨害ばかり受けたものである。私は教祖様のお頼みで池を掘らうと思ひ、地所を買うておいた、そしてそれを清めるために二三年草を生やして放つておいた。さうすると二代が|怒《おこ》つて「勿体ない、こんな荒地にしておいては神様の|御気勘《ごきかん》に叶はない」といふて大根や|葱《ねぎ》を植え|人糞《じんぷん》肥料をかけて|汚《けが》してしまふ。私が抜いておくとまた植える、こんなことばかりしてちつとも思ふやうに行かなかつた。「よくわけをおつしやつて、理解してお貰ひになりましたら、二代様も決してそんなこと遊ばさなかつたではございますまいか」といふのか……。それをいへば神様の|御経綸《おしぐみ》に邪魔が|入《い》るでは無いか、悪魔のさやる世の中、|饒舌家《おしやべり》の多い世の中だ、その地が神苑になるのだと分かればたちまち地所の価格も|騰貴《とうき》するでは無いか、まだまだ次へ次へと買収して行かなければならないのだから、不如意の大本の経済としてはこの点を十分考慮せねばならぬ。それだから、妻にも子にも誰にもいへないのである。
また今の綾部小学校の前の敷地には小松の苗を植えておいて、神苑の出来上がつた頃、移植する計画を立てておいたのだが、その頃は苗一本が三厘か、四厘しかせなかつた。いよいよ神苑が出来上がつて、植木が必要となつた頃にはかなり大きくなつてゐて、一本も買はずに済んだのだが、私のこの胸中を知らぬ二代はまた「猫の額ほどの所へも【食べ物】を植えよと御神諭にあるのに、こんな松苗なんか植えといてはどもならぬ」というて抜いて捨ててしまふ。私はまた植えてやる、また抜く、かうして二代と始終暗闘を続けたものだ。「さういふ御戦ひを、教祖様はどうお扱ひになりましたか」と聞くのか、教祖様はいつも「先生のなさるままにしておけ」とおつしやるのだけれど、二代が「それでも御神諭にはかういふふうに出てゐます」と申し上げると「成程さうだな」といはれて、私に向つて怒られ、松苗を皆抜いてしまふやうにといはれる。私は答へて「私は神様の仰せの通りにしてをるのです。貴女は知られないでも貴女の神様はよく知つて居られます。聞いて来なはれ」といふと教祖様は御神前に|額《ぬか》づいて伺ひを立てられ「神様は先生の思ふ通りにさしておけとおつしやる」といはれ、それでおしまひになる。こんなことはたびたびあつた。
[035]
天国霊国と花壇
天国にも霊国にも|花園《はなぞの》が無ければならぬのだ。それで私が昔、花を植えると、わけの分からぬ役員たちが抜いて捨ててしまふ。だから綾部になかなか天国が建設せられなかつた。幸ひ亀岡の役員たちは、私を比較的よく理解してゐてくれるので、霊国の一大要素たる|花苑《くわゑん》や花壇が段々に出来て来て結構である。今私は温室を造つてをるが、冬になつて花が無くなると霊国の資格が欠けるから、それで私がこしらへてをると、今にわけの分からぬ人たちが「この経費多端の|秋《とき》に当つて、贅沢な温室などをこしらへて、聖師様はどうするおつもりであろうか」などといふ、今も昔も忠義ぶつて神の|経綸《しぐみ》の妨害ばかりする守護神が多いのは困つたものである。神諭に「九つ花が咲きかけたぞよ、九つ花が|十《と》ようになつて咲くときは、万古末代|萎《しほ》れぬ|生花《いきばな》であるぞよ」とある。一未信者の設計になつた天恩郷の花壇の形が、十曜の神紋であつたときに、私はいよいよ時節進展と喜んだ。綾部の神苑にも花壇が出来るやうにならねば天国は|開《ひら》けぬのである。
[036]
三千年に一度実る桃の実
三千年に一度実る桃の実といふのは、|無花果《いちじく》のことである。桃のことではない、|優曇華《うどんげ》の花咲く春といふのも同じ意味である。|優曇華《うどんげ》は印度語であつて、|無花果《いちぢく》のことである。大本神諭の煎り豆にも花が咲くといふのと同じ意味であつて、|希有《けう》の出来事の言ひである。
[037]
論語読みの論語知らず
女が男より先にお湯に|入《い》つたといふ小さな出来事のため、矢釜しい問題を惹き起こすことがたびたびあるといふことを聞くが、宣伝使たち、霊界物語をどう読んでをるのか、男女同権は神の定め給ふた規則である。女が先にお湯に|入《い》つては悪いといふ理由がどこにあるか。さういふことをいふ人たちは、男が女よりも特別優れて生まれてゐるといふやうな迷信に陥つてをるからである。かういふ旧いこびりついた頭を持つてゐて、いつの日か神書霊界物語に盛られたる天地の真理を実現することが出来やうか、事柄はいと小さいけれど、神書に示さるる道理を無視し、旧来の道徳を標準として人を裁くといふことは間違ひのはなはだしいものである。かういふ見易い道理さへ分からぬ人が宣伝使の中にも多いのは困つたものである。無論夫婦となつた男女は針と糸との道理、すべてに夫を先にすべきは申すまでも無い。また女が月経中、入浴を慎むべきは当然である。
[038]
|裁《さい》、制、|断《だん》、|割《かつ》
|裁《さい》は|奇魂《くしみたま》の働き即ち智、制は|和魂《にぎみたま》の働き即ち|親《しん》、|断《だん》は|荒魂《あらみたま》の働き即ち勇、|割《かつ》は|幸魂《さちみたま》の働き即ち愛である。
[039]
人間の霊魂
人間には元はよい|魂《みたま》が授かつてあつたがだんだん悪くなつた。
黄金時代は元の美しい霊であつたが、世がだんだん悪くなつて、|白銀《はくぎん》、|赤銅《しやくどう》、|黒鉄《こくてつ》時代と成り下がり、今は|早《は》や泥海時代となつてをるから、今の世の中に生まれてをるものは、|魂《みたま》が既に外部的状態を混じた善悪混合のものとなつてゐる。
[040]
祖先の罪
祖先の罪が人間に及ぶといふのは体的である、|癩病《らいびやう》の如きまた肺病の如きがそれである。
[041]
追善供養
現界にをる人の意志想念は、天国にも通ずるものである。生き残つてゐる子が信仰を励めば、それが親に通じて、幽界にある親の意志想念もだんだん向上して行くものである。これ追善供養が大切な理由である。|供物《くもつ》は誰の手でしても同じであつて、お寺に納めてお坊さんに供養して貰はうが、|神主《かんぬし》に頼んでお供へして貰はうが、それは皆天国に届くのである、なぜならば、こちらの意志想念は死者に|手向《たむ》けるつもりであるから。故に追善供養はあたかも天国へ為替を組むやうなものである。
[042]
素盞嗚尊と鼻
素盞嗚尊は鼻になりませる神様である。鼻は|言霊学上《げんれいがくじやう》、始めて成るの意である。物の|端《はし》をハナといふ、|初発《しよつぱつ》のことをハナといふ、植物に咲く花も木のハナに咲くからハナといふのである。
私は鼻がよく利く、臭い|香《にほ》ひのするものは好かない、宣り直し、見直しはあつても嗅ぎ直しといふことは無い。
[043]
守護神
守護神といふのは、人々につけられてをるエンゼルのことである。|奇魂《くしみたま》と|幸魂《さちみたま》とを祀るので即ち|信真《しんしん》と愛善とである。信者に宣伝使がついてゐると同じである。
[044]
|賭場《とば》の番人
私は若いとき、|種粉《たねこ》を車に積んでそれを京都伏見あたりまで毎日売りに行つた。いくら朝早く起きて出ても帰りは夜になる、|七本杉《しちほんすぎ》(|大枝山《おほえやま》|老《おい》の|坂《さか》を越す京都街道にあり)の|辺《へん》まで帰つて来ると、恐ろしい顔をした屈強な男たちが、車座になつて|焚火《たきび》をしながらわいわいいうてをる。気味が悪いので、財布を懐中から出し|蓆《むしろ》にくるくると巻いて無雑作に車の上に縛りつけ、鼻歌を唄ひ|懐手《ふところで》してその前を通りながら、「ヤ、ちよつと煙草の火を貸して下さい」とそばによつて行くと、探るやうな目つきで皆がキヨロキヨロ見回してをるが、どうせ|金《かね》なんか無いと見て取つてか「まあ、あたつて行きな」といふて|賭博《とばく》を始める、おしまひには「少しの間そこで張り番をして居つてくんな」といふて見張りをさせられたこともたびたびある。今自動車でそのあたりを往復して見ると、しかすがに昔のことが思ひ出される。
[045]
焼き捨てた紙幣
私の若いとき、女の二人もおいて小料理店をひらいて居つたものがあつた。ある日私が牛乳代の集金に出かけてそこへ寄ると、その女たちが出て来て|切《しき》りに愛嬌を振り|撒《ま》いた|後《のち》「まあお上がりやす」といふて私の財布を無理やりに|捲《ま》き上げて二階へ上がつてしまひ、何といふても戻してくれぬ。私は少し|癪《しやく》に触つたから「オイ、戻せといつたら戻せ」と厳重に懸け合ふと「|甚《えら》い|怒《おこ》つてはりますな」といひながら渋々返した。そこで私はその財布を取り上げると口を開いて紙幣を引つ張り出し、【クワツクワツ】と火のおこつて居つた火鉢に|投《ほう》り込んで皆焼いてしまつた。銀貨や銅貨は裏のシル田の中に皆投げ込んでしまつた。皆の者がびつくりして、鳩が豆を食つたやうな顔をして見てゐる。一ケ月分の売上高であつたが、そのときの金額は少なくとも今にすればかなりのものである。かうして一文なしの空つぽ財布をさげて帰つて来たがたちまち困つてしまつて、知人の家に頭を下げて借りに行くと「あんたはんは大金を焼いておしまひやしたといふぢやおへんか、大変なお金持ちぢやおへんか」といふて相手にしてくれん、ずゐぶん困つた。しかしそれからすつかり名高くなつて|近郷《きんごう》の大評判になつた。私は女に|金《かね》をやつたことはないが、その後もかうして時々さういふ人たちの前で|金《かね》を焼いてやつたが、今思へば実に若気の至りとは云ひながら、馬鹿なことをしたものだ。
[046]
人に会ひたくない
私には沢山の仕事がある。そして後継者が無いのだから、私は一生のうちに何もかもしておかねばならぬ、だから一分間だつて惜しいのだ、修業者にだつて一週間の修業が済んでからで無くては会はないのに、俗界の人のために大切な神務を妨害せらるるのは叶はぬ、いくら立派な現界的地位があつても、信仰心のない人には私は会ひたくない。
[047]
何の仕事にも霊をこめる
どんな仕事にも霊を篭めてやらねばよい結果を得らるるもので無い。|田圃《たんぼ》でも|花園《くわゑん》でも主人が毎日見回つて霊を篭めねば決してよく出来るものでない、小作人や|下男《げなん》にのみになげかけておいて、よく出来るはずがない、天恩郷の植物は、松でも、|萩《はぎ》でも、アカシヤでも何でも皆非常な勢ひで成長する、それは私が毎日見回つて霊を篭めて育てるからである。
[048]
|冠句《くわんく》は大衆文芸
|冠句《くわんく》は大阪が初めである。これは|所司代《しよしだい》の取つた一つの社会政策であつて、当時下層民は喧嘩や|賭博《とばく》ばかりやつて手におへなかつたので、その想念を文芸の方にむけて、かかる悪習より|脱《だつ》せしめんとしたのである。この政策は見事|効《かう》を|奏《そう》して、風流の気が下層労働者にまで普及して、争闘や|博奕《ばくち》はずつと少なくなつた。
|冠句《くわんく》は大衆文芸の|上乗《じやうじやう》なるものであつて、俳句の如き拘束なく、歌の如く冗長ならず、しかも極めて凡俗的なるが故に、老人にも子供にも、男にも女にも、学あるも学無きも、誰にでも出来るのである。またその範囲も極めて広いから、いくらでも進歩発展の余地がある。前述の如き起源を有するをもつて、初めはごく下品な言葉が面白がられて居つた。奥さんとか、妻とかいふ所を、|嬶《かか》だとか|嬶村屋《かかむらや》だとか、ごく下品にいふのが|冠句《くわんく》の特長であつた。|冠句《くわんく》が向上して、|君《きみ》とか神とかいひ出したのは、初代|朝寝坊閑楽《あさねばうかんらく》からであつて、それはあたかも|浪界《らうかい》が、|雲右衛門《くもゑもん》によつて芸術化したのと|相《あひ》匹敵すべきものである。
[049]
精霊の|生命《せいめい》
精霊の|生命《せいめい》が亡ぶことがあるかと聞くのか、無論あるよ、現に生きてをる人即ち肉体をもつてをる人にでも精霊の|生命《せいめい》を失つてをるものがある。彼の発狂者の如きはそれであつて、生きながら既に邪霊のために、全く精霊の|生命《せいめい》を亡ぼされてしまつてゐる。永遠の|生命《せいめい》といふのは、神を信じ、神にあるもののみが|享有《きやういう》し得る特権である。
[050]
万有と道
鳥獣類にも皆彼らが通行する道といふものが|定《さだ》まつてをるのである。そして、その道以外、決して他の道を通らぬものである。だから|猪《しし》でも|鴨《かも》でもその通る道に待ち伏せしてをると、きつとそこを通るから捕獲することが容易に出来るのである。その道といふのは彼らの祖先が一番初めに通つた道であつて、子々、孫々その道を通るのである。決して勝手次第に歩くもので無い、総てのものは道によつて立つてをる。神も道によつて立ち、人も道によつて立ち、万有も道によつて立つ。
[051]
|稚姫岐美命《わかひめぎみのみこと》の御神体
|稚姫岐美命《わかひめぎみのみこと》の御神体は大本神苑教祖室のそばに植えてあつた|雌松《めまつ》と|雄松《をまつ》の|心《しん》を切り取り、それを一つに合はせて、衣装をつけてお祭りしてあるのである。|心《しん》を切つたあとの松は、今|天王平《てんのうだひら》の教祖様のお墓の上に植えてある。
[052]
天津祝詞と|神言《かみごと》
天津祝詞は岩戸開きの折り、|天之児屋根命《あめのこやねのみこと》が岩戸の前で奏上せられたのが|嚆矢《こうし》である。|神言《かみごと》は|神武《じんむ》天皇の時代、|天之登美命《あめのとみのみこと》が作られたもので、|児屋根命《こやねのみこと》以来この時代まで全然無かつたのである。天津祝詞も|神言《かみごと》も共に|神世《かみよ》言葉で出来て居つて、それを今のやうな言葉や、文字に翻訳したのは|聖武《しようむ》天皇の時代、|常盤《ときは》の|大連《おほむらじ》がやつたのである。
[053]
|月照《げつせう》観音と平安観音
今度|月照山《げつせうざん》にお鎮まりになつた観音様は、|月照《げつせう》観音様と申し上げ、|平安石《へいあんせき》の奥にお鎮まりになつたのを平安観音様と申し上げるのである。|月照《げつせう》観音の|御頭《おんかしら》(お釈迦様もさうであるが)に髪のやうにまかれてをるのは|葡萄《ぶだう》である。|葡萄《ぶだう》はまた愛の象徴である。また酒はその初め|葡萄《ぶだう》をもつて作つたものである。サケ、サカ即ちシヤカに通ずる。
[054]
|関《せき》の地蔵様と一休和尚
|関《せき》の地蔵様にお|性念《しやうねん》を入れてくれと一休和尚に頼んだものがあつた。さうすると一休は自分のしてゐた|褌《ふんどし》を外して地蔵様の首にかけた。それが後世地蔵様の|涎掛《よだれか》けの|濫觴《らんしよう》である。|褌《ふんどし》をかけたので霊が|入《い》つたのだから、地蔵様は一休の|分霊《ぶんれい》なのである。石にでも木にでも霊はあるが精霊はない、神様の神霊が宿つて、神格化したものがお|性念《しやうねん》である。|三十三間堂《さんじふさんげんだう》の柳のお|柳《りう》は、人々が「大きな柳だなあ、大きな柳だな」といつては見上げるので、その精霊が篭もつて人格化したものである。
[055]
竜神の御職務
太古国祖大神の大地の修理固成の場合には竜神が盛んに活動されたものであるが、今はもうその必要がなくなつたので、静まつて天然現象を|司《つかさ》どることになつてゐる。即ち雨を|降《ふ》らせ風を吹かす等の働きをしてゐるのである。
[056]
|清姫《きよひめ》のこと
あの|日高川《ひだかがは》で名高い|清姫《きよひめ》といふのは|竜女《りうぢよ》であつた。|安珍《あんちん》は|竜女《りうぢよ》たる|清姫《きよひめ》を犯して置いてそのまま放つて逃げてしまつたから、|竜《りう》が|怒《おこ》つて殆ど還元してしまつたから、蛇体となり|安珍《あんちん》を|逐《お》ふて|日高川《ひだかがは》を渡つたのである。
[057]
スバール姫、スダルマン太子
スバールは梵語の妙光といふ意であつて、即ちスは|妙《めう》、バールは光である。またスダルマンは梵語の妙法といふことで、ダルマンは法といふことである。
[058]
霊と精霊
霊と精霊とを混同して考へてゐる人があるが、それは大変な間違ひである。霊は万物に普遍してをるので、この火鉢にでも|鉄瓶《てつびん》にでも乃至は草花にでもある。もし霊が脱けてしまへば物はその形を保つことが出来ないで崩壊してしまふ、非常に長い年数を経た土器などが、どうもしないのにくぢやくぢやに崩れてしまふのは霊がぬけてしまつたからである。鉱物、植物皆霊のある間は、用をなすものである。精霊といふのは動物の霊をさすのであつて、即ち|生魂《いくみたま》である。
[059]
神様と温室
|外《そと》は零下幾度に下らんとしてゐるときでも、温室内は春陽三月の如き温かさである。|百花《ひやくくわ》咲き満ちて、天国が偲ばれるではないか、神様は世界を温室としやうとして居らるるのである、温かく、清らけく、そして美しく。
[060]
六百六十六の|獣《けだもの》
バイブルに六百六十六の|獣《けだもの》といふ言葉があるが、それは|三六様《みろくさま》に抵抗するといふことである。○○○○の如きがそれである。もしその通りになつたならば宗教は滅びる。宗教が滅ぶれば反乱が起こる。六といふ字は神と人とが|開《ひら》くといふ字なので、即ち、ゝはカミ、一はヒト、八は|開《ひら》くといふことである。
[061]
|易《えき》の当否
|易《えき》は当ることもあれば当らぬこともある。要は|易《えき》をたてる人の徳の有無によるのである、徳の高い人がたてればきつと本当のことが出て来るのである。
[062]
芸術は宗教の親
芸術は宗教を生むのであるから、宗教の親である。長い間子の研究をやつたから、これから親の研究をやるのぢや。
[063]
|三都《さんと》の人の|心性《しんしやう》
|杜鵑《ほととぎす》の句にかういふのがある。
ベランメー|帰《い》んで飲もかい|杜鵑《ほととぎす》(東京人)
あほらしいこの|忙《せ》はしいのに|杜鵑《ほととぎす》(大阪人)
|無代価《ただ》どすえ聞いて|帰《い》にませう|杜鵑《ほととぎす》(京都人)
|穿《うが》ち得て|妙《めう》であるまた同じほととぎすの句に、
|啼《な》かざれば殺してしまへ|杜鵑《ほととぎす》(信長)
|啼《な》かざれば|啼《な》かして見せう|杜鵑《ほととぎす》(秀吉)
|啼《な》かざれば|啼《な》くまで待たう|杜鵑《ほととぎす》(家康)
対照して面白いでは無いか。
[064]
|聚楽《じゆらく》の|第《だい》
|聚楽第《じゆらくのだい》といふのは秀吉の別荘であつて、今の|千本《せんぼん》、即ち監獄跡の|辺《へん》三万坪ばかりを取り入れて、地上天国を建設せんとしたのである。あらゆる美術を|蒐《あつ》め、|花苑《くわゑん》を築き、池には船を|泛《うか》べ、さながら極楽浄土をこの世に現出せしめたのである。|楽焼《らくやき》もそのときの芸術品の一つであつて、もとは|聚楽焼《じゆらくやき》というたのであるが、後世|聚《しう》の字を取つて、単に|楽焼《らくやき》と称ふるやうになつたのである。
[065]
亀岡と|三五教《あななひけう》
亀岡の土地は|三五教《あななひけう》に対し余程面白い因縁があるやうだ。即ち東経百三十五度三五、北緯三十五にくらゐし、東西南北皆三五に因縁が付いてゐる。この地に大本の|修業場《しうげうば》や、霊国を|開《ひら》いたのも決して偶然では無いやうである。
[066]
日本と|何鹿郡《いかるがぐん》。|綾部町《あやべちやう》
|綾部町《あやべちやう》は京都府|何鹿郡《いかるがぐん》にあるが、この|何鹿郡《いかるがぐん》と|綾部町《あやべちやう》との間、そして|何鹿郡《いかるがぐん》と日本との間には不思議な関係がある。|何鹿郡《いかるがぐん》は戸数、面積、歳出、歳入までが日本全土の千分の一に相当してゐる。政府の歳入が増すと、千分の一の割合において同じく|何鹿郡《いかるがぐん》の歳入が増す。いつでもそれが同じである。|綾部町《あやべちやう》はまた日本の万分の一にあたるのである。そしてその増減がいつもまた同じ比率をもつてゐるのは、面白い現象である。
[067]
西南戦争と私
西南戦争の頃、私はまだ六つの小さな子供であつたが、漢字で書いた新聞をよく読んだものである。そのときの新聞は今の瑞祥新聞の型で、四号活字の大きさであつた。|戸長《こちやう》(今の村長)も|羅卒《らそつ》(巡査)も読めないので、私の所へ読んでくれといふて持つて来る。難解の漢字ばかりで書いてあるので、読むことは読めても意味が分からぬ所もあるが、読んでさへやれば|戸長《こちやう》や|羅卒《らそつ》の方で意味はわかるので都合がよい。六才やそこらでどうして漢字が読めたか、自分でも分からぬが、とにかく新聞に向へばズンズン読めたのだ。|戸長《こちやう》さんたちは聞いてゐて、よく分ります、有難う有難うと礼をいうて帰つて行つた。あるとき|羅卒《らそつ》がさも秘密らしく、これはごく内緒だが、西郷の戦ひにどうも官軍の勢ひがよくない、大分|人減《ひとべり》があるやうだといふ。私はそれを聞いて、そのことなら何も内緒でも何でもない、それここにちやんと書いてあると新聞を出して見せたので、【アフン】としたことがある。今思ひ出してもおかしい。
[068]
|皇霊祭《くわうれいさい》と祖霊大祭
|仏家《ぶつか》では|盂蘭盆《うらぼん》とて、旧七月十五日に先祖代々の|祭《まつり》をすることになつてをるが、大本では、春秋|二季《にき》の|皇霊祭《くわうれいさい》の日、即ち彼岸の|中日《ちうにち》に祖霊大祭を執行するのが本当である。以後さういふことにする。従つて各自の祖霊大祭も春秋|二季《にき》の彼岸のときに大祭をしたらよいのである。
[069]
宿命と運命
宿命とは人間各自が先天的にもつて生まれた境遇であつて、後天的にどうすることも出来ない境涯をいふのである。運命は努力次第で無限に開拓して行けるものである。例へば貴族に生まれた、平民に生まれた、美人に生まれた、|醜婦《しうふ》に生まれた、農家に生まれた、|商家《しやうか》に生まれたとかういふのは宿命である。後からそれを動かすことは絶対に出来ない、しかし平民に生まれたといふて、一生涯平民で終はらねばならぬといふ理由は無い、各自の努力次第で貴族になれんこともなければ、貴族といへども|放蕩《はうたう》らん|惰《だ》をこととすれば、礼遇停止で平民に|降下《かうか》せんとも限らぬ。農家に生まれたといふ宿命は動かすことが出来ないが、これも一生涯農業をせねばならぬといふことは無い。何に職業替へをしやうと勝手である。商業が嫌ひなら他の職業を|択《えら》んだつて、一向差し支へないわけである。いかに|天生《てんせい》の美人だつて境遇が悪くて、|燻《くす》ぼつてをれば、化粧装飾を十分にすることの出来る|醜婦《しうふ》より見劣りがするものである。即ち運命は努力でどうともすることが出来るものである。
[070]
老人と若人
小林|佐平《さへい》といふ|侠客《けふかく》が大阪にあつて八十歳で|逝《い》つたが、死ぬまで大層達者であつた。|団熊《だんくま》なぞと一緒に大阪では有名な|侠客《けふかく》であつて、どんな喧嘩でも彼が顔を出せば、直ぐ治まつたものである。その小林が年老いて壮者をしのぐ元気があつたのは、彼は常に若い子供をそばに寝かしておいたからである。若い子供と|一所《いつしよ》に寝るといふことは若返りの一方法であつて、それによつて老人に|溌溂《はつらつ》たる元気が出て来るのである。それは若い人の生気を取るからであつて、また若い人の方面からいふと、有り余つてどんどん出て来る生気、即ち人体電気を老人に取つて貰ふことによつて、非常に快感を覚えるのである。老人が孫を可愛がつて抱いてねるのも一つはかういふ理由から来るのである。お互ひに気持ちがよいのだから、祖父母と孫とはどこでも皆仲がよいものである。
[071]
絵を|描《か》くとき
私は絵を|描《か》くにしても、岩なんかを書いてをると、上から落ちて来るやうな気がするので、左手で押しあげてをるやうにしてかく。滝を|描《ゑが》く場合には、サツと滝の落ちる速力と同様に筆を運ぶのである。ゆつくり|描《か》けば綺麗にかけるが、絵が死んでしまふ。私は猫などの生き物を|描《か》くときはざつと形をかくと直ぐ一番に鼻を|描《ゑが》く、早く|呼吸《いき》をさしてやらねば死んでしまふやうな気がする。総てさういふつもりでかくから、私の絵はまづいけれど生きてをる。画家の|描《か》く絵は顔をかくにしても、何時間もかかつて目鼻をかくのだから|呼吸《いき》が出来ぬ、即ち死んだ絵が出来上がるのである。
[072]
天は人に|二物《にぶつ》を与へず
美人に生まれたいとは総ての人の願ひであろうが、天は人に|二物《にぶつ》を与へず、美人には余り賢い人が無いものである。美人|薄命《はくめい》といふ|諺《ことわざ》があるが、それは美人に、その美に相応する【智慧】が無いから起こる悲劇であつて、もしそれがあつたら決して|薄命《はくめい》に終はるやうなことは無いのである。智慧が足らぬから自分の|容色《きりよう》を鼻にかけ、若いときは【ツン】とすましてゐて後半生の計画をせないからいけない。智慧があつて美人であつたら鬼に金棒、滅多に不幸に終はるやうなことは無いのである。私も若いとき|他人《ひと》から綺麗な綺麗なといはれたから、美人|薄命《はくめい》の|覆轍《ふくてつ》を踏まないやうにせねばならないと考へて注意して来た。【きめ】の荒い人もまた余り利口でない、きめが細かい人ほど賢いものである。
[073]
神的順序と事務的順序(人的順序)
神は順序にましますといふのは神的順序にましますといふことであつて、事務的順序即ち人的順序の言ひではない。近頃この二つを混同して、何もかも順序順序といつて、事務的順序を立てることを神の御意志のやうに誤解して、彼の事業は誰の手を経なかつたから上手く行かぬといふやうなことをいふものがあるのを聞くが、大なる誤解である。神的順序を違へるといふのは、|明日《みやうにち》必ず行きますと約束をしておきながら、突然|今日《けふ》来るといふやうなことをするのをいふのである。神様はどこまでも正しくゐらせられて、嘘や|佯《いつは》りといふことを決して許されぬ。時間的に|今日《けふ》の仕事、|明日《あす》の仕事と【ちやん】と決まつてゐるのを、約束を破つて突然来ると時間の順序といふものが全く狂つて来る、神様はいかなることがあろうとも、四季の順序を決してお違へにならぬ如く、人間も神様に習つて|今日《けふ》すると決まつたことを|明日《あす》に回したり、|明日《あす》と決まつたことを|今日《けふ》に取り越してはならぬ。私は文章を書いても書き損なひといふことをせぬ。一枚の原稿用紙を書くにも、それぞれ時間といふものを要してゐる、その時間といふものは再び来るものでないから、それを書き直すと、神的順序を乱ることになる。どんなよい文章でも神的順序を誤つてゐては神の|思召《おぼしめし》に叶はないから、人を感動さす力が薄いものである。四季の推移を考へて見るがよい。いつもいふ通り神様は春|桜花《さくらばな》の色が悪かつたので夏も一度やり直すといふことは決してなさらない。もしそんなことがあつたら、それこそ大変である。その如く人間も順序を違へてはならぬのである。さういふことを神的順序を守るといふのであつて、私の命じた仕事に対し、誰の手を経ないでした仕事であるから【成就】しないなどといふのは、神的順序と事務的順序の区別をわきまへぬものである。いふておくが私の命じたこと、いふたことは、そのとき【すぐ】その通りせねば駄目である。それから私は大正十三年の節分祭に当つて演説しておいた。私の仕事については、総裁や、瑞祥会長の手を経ないで、直接分所長、支部長に命ずる場合がある。ときにはまたただの信者に突然ゆくことがある。私は誰にでも便利のよい人に命ずるのである。命ぜられた人がやつたらよいのである。|繁文縟礼《はんぶんじよくれい》、誰の手を経なければならぬといふやうなことはない、天恩郷の建設、別院の設置等は私の仕事であつて瑞祥会の仕事でもなければ大本の仕事でもない、と同時に分所支部に関する【事務】は瑞祥会の仕事であつて私の仕事ではない。
[074]
憂国の志士と愛国の志士
憂国の志士といふが、国を|憂《うれ》ふるだけでは何にもならぬではないか、愛国の志士でなくてはならぬ。
[075]
若返りと|言霊《ことたま》
私の|言霊《ことたま》によつて年を若くして貰つた人たちは、その通りに信じ、その通りに行ひ、その通り【い】はねばならぬ。人が笑はうが|譏《そし》ろうが構はぬ。その通り人にもいふがよい、それが出来ねば折角若くして貰つても若くなり得ない。六十才の人が二十才引いて四十にして貰つたら、誰に向つても四十であると【明言】し、また自分自身も深く信じ、さういふ若々しい気持になつて活動したらよい、きつと年齢通り若くなるのである。【|言霊《ことたま》】が大事なのである。
[076]
霊界での話
あるとき私が霊界へ這入つて行くと、|天地茫漠《てんちばうばく》として、人の子一人ゐない。誰かに遇ふて尋ねやうと思つて探し回るけれども誰もゐない、ふと私は、呼べば出て来るだろうと思つて「オーイ、オーイ皆出て来い、ヤーイ」と声をかけると、丁度|菌《きのこ》が生えるやうに、あちらからも、こちらからも【ムクムク】と沢山な人間が出て来てお辞儀をした。
[077]
正夢と|霊夢《れいむ》、霊眼
正夢は時間、場所、事柄等、見た通り少しも違はず実現するものである。|霊夢《れいむ》は比喩的に見せられるから、その判断を誤ると間違つて来る。例へば、|空《そら》にお月様が二つ出た夢を見たとすると、二月とも取れるし、またあるべからざる事実として凶兆とも取れないことは無い。故に正しい判断をせねばならぬ。霊眼もこれと同じであつて、見せられたことが本当であつても、その判断のしかたを知らねば間違つて来る。|空《そら》に|五五《ごご》といふ文字が現はれたとしても、五十五日、五十五年、五月五日、五年五ケ月、二十五日、と|幾様《いくやう》にも取れる。正しい判断の仕方があるのである。ある人に霊眼を許してまだその判断の方法を教へないで置いた。ところがその人は自己判断でいろんなことをいふたが間違ひだらけである。また○○中将に霊眼が|開《ひら》けて、早くからあの大正十二年九月一日関東地方に起こつた大地震の光景を見てゐた。ただ、ときの判断を間違へて、すぐそのことが実現することと思ひ、ときの|大官連《だいくわんれん》に予言警告を発した。私はそのことを知ると共にその誤りであることを通知し、直ちに取り消すやうと電報で何度もいふてやつたが、自分の霊眼を信じ切つてゐるので、何といふても聞かなかつた。そのとき大本に於けるあらゆる御神殿の扉が、【ガタガタ】、【ガタガタ】と鳴つて、大変なことであつた。ときを判断することを誤つてゐるのであるから、その日が来ても何事も起こつて来なかつた。無論大震災などが起こるわけが無い。某氏は恥づかしくて世間へ顔出しもならない羽目に陥つた。と同時に大本の神様に対してかなり大きな御迷惑をかけたものである。
|附《ふ》、亀岡天恩郷温室係|常見《つねみ》氏が昭和元年の|暮《くれ》に見られた夢
|光照殿《くわうせうでん》に天使が立つた。と見ると|殿上《でんじやう》の|黒雲《こくうん》が|真二《まつぷた》つに別れて、お月様が二つ出た。
この|霊夢《れいむ》に対する御解説
二月に、|光照殿《くわうせうでん》に天使が立つと同じやうな出来事が起こつて来る。|光照殿《くわうせうでん》を|蔽《おほ》ふてゐた|黒雲《くろくも》がそのとき晴れるのである。
某代議士が見られた夢
信仰生活に這入つた息子と、食事を共にしてをると、御飯の中に虫が沢山わいてをるので息子は|怒《おこ》つて、こんな|蛆《うじ》がわいたものが食べられるものかといふて池に捨ててしまつた。すると|鰻《うなぎ》や|鯉《こひ》が沢山出て来て、争ふてそれを食べてゐる。と見ると息子は新しい茶碗に湯気の立つ美味しさうな御飯をもつて食べてゐる。私はぼんやりとして見てゐました。
この|霊夢《れいむ》に対する御解説
|飯《めし》は命の|糧《かて》を意味する。霊魂の|糧《かて》は宗教でその宗教に|蛆《うじ》がわいた。|炊《た》きたては美味しい|飯《めし》でも|蛆《うじ》がわいては人間の|食物《しよくもつ》とはならぬ。魚介に|委《ゐ》するより他はない、既成宗教も堕落しては人間の命の|糧《かて》とはならぬ。息子は|蛆《うじ》のわいた|糧《かて》を捨てて、今や新しい命の|糧《かて》を|貪《むさぼ》り食しつつある。それが分からぬかといふ神様の御警告である。
[078]
|魂《たましひ》は|外《そと》へ出さねばならぬ
|魂《たましひ》は遠心的のものであるから、|外《そと》へ出さねばならぬ。内へ引つ込めるから狭い胸がなほ苦しくなつて来るのである。|魂《たましひ》は決して傷つけてはならぬ。いろんな事件が起こつたら、雨や風が吹き|荒《すさ》んでゐるのだと考へたらよい。|魂《たましひ》を自由の境地において活動するのが、惟神である。
[079]
身魂の三種
神諭に神に引き取る身魂と、霊魂として働かすものと、肉体として御用に使ふ身魂とがあると出てゐるが、肉体は何もせずぶらぶらしてゐても霊で盛んに活動してをる人がある。また肉体はいかにも忙しさうに働いてゐても、霊としては一向活動してゐない人もある。
霊で活動してゐるときに肉体が現界で使はれてゐると、神様の方では使ひにくくつて困られる。さういふ人は肉体としては遊んで居つてくれる方が、かへつて御用が出来ることになる。私は霊界で大層仕事があるのに、現界でこの通り沢山の仕事をせねばならぬので忙しい、食事をする暇もない。遊んでゐるとよいのだけれど、遊ぶ|閑《ひま》が少しもないのだから困る。あるとき頭が|茫《ばう》つとして、仕事が何も出来ないので遊んでゐたことがあるが、そのことを教祖さんに申し上げると「結構どす、たいした御用が出来ております」と申された。そのときはよい加減な気休めをいふて居られるのだと思ふてゐたが、今では成程と思ふ。神に引き取る身魂とあるのが、国替へをさせられる身魂である。
[080]
神様と花
神様が分からないといふ人に、一本の花を見せてやれ。これでも神様が分からないのですかと…。誰がこの美しく、|妙《たへ》なる|色香《いろか》をもつた花を造るのであるか。同じ土地に|播《ま》いても|種《たね》が違へば、|干紫万紅《せんしばんこう》色さまざまに咲き出でて|得《え》もいはれぬ美しさを競ふでは無いか、一体誰がさうするのか。花作る人はただ世話をするに過ぎないではないか、これでも神様が分からないといふのなら、余程頭の悪い人である。
[081]
真如聖師と|応挙《おうきよ》
私の|生家《せいか》は|円山《まるやま》|応挙《おうきよ》の直系である。もと藤原氏であつたが、その後百姓となり、百姓としては|藤《ふぢ》が切れないから不便だといふので、その不便を避くるために上田と姓を改めたのである。|藤《ふぢ》といふものはよい肥料になるし、|蔓《つる》は物を縛るのに使用するし、百姓に取つて大層便利なものである。その|藤《ふぢ》はまた草と共に到る所に|簇生《ぞくせい》してゐるものであるが、それを姓が藤原だから切ることが出来ないといふことになると、百姓としてははなはだ困るのでさてこそ姓までかへたわけである。
私の子供のときには家に伝はる|応挙《おうきよ》の絵がずいぶん沢山あつたが、その後、火事に焼けて何もないやうになつてしまつたのは惜しいことであつた。今|応挙《おうきよ》の子孫だといふて記念碑を建ててゐる家もあるが明治三十五年頃大阪の某新聞に|応挙《おうきよ》が若いときは【上田】|主水《もんど》(|応挙《おうきよ》の本名)と名乗つてゐたことから、その後京都の|円山《まるやま》に移り住んだので|円山《まるやま》|応挙《おうきよ》と号したといふことまで詳しく書かれてゐた。私は子供のときにお|祖母《ばあ》さんが、|応挙《おうきよ》|応挙《おうきよ》と呼んでは【いろんな】話をするのを【オキヨウ】【オキヨウ】と、聞いて、お経文のことかと思ひ、|主水《もんど》さん|主水《もんど》さんといふのを鈴木|主水《もんど》のことかと思つてゐたのは|滑稽《こつけい》である。非常に貧乏してゐたある年の雪の|降《ふ》る日、家業の車は|挽《ひ》けず、困つてゐると、五円の|金《かね》で|応挙《おうきよ》の絵を某家から買はうといふて来たことがある。そのとき父は某のいひ|草《ぐさ》が気に食はぬといつて、大層|怒《おこ》つてその絵を目の前で数枚火にくべて|焚《や》いてしまつたこともあつた。また何度も何度も私を子にくれというて来たこともあつたが心の底が見え透いてをるといふて、父は断然ことはつてしまつた。
私の姓が藤原を捨てた理由は、前いふ通りであるが、上田の姓を名乗つたわけは、祖先が大和の国から信州に渡り、信州の上田から現在の所へ来たので、その|縁故《えんこ》によつたのである。|中古《ちうこ》の先祖が|源平藤橘《げんぺいとうきつ》のいづれにあつたにしても余り自慢にもならぬし、また祖先に偉い画家が出たにしてもあまり誇りにもならぬ。現在祖先がやつたやうな大きな働きが出来、立派な絵が|描《か》けねば、記念碑だけ立派でもつまらぬことである。
[082]
絶対善と絶対悪
世の中に絶対善もなければ、絶対悪もあるものでないことは、霊界物語によつて示さるる通りであるが、|強《し》いて絶対善を求むるならば、愛こそはそれであり、|憎《ぞう》こそ絶対悪である。
[083]
我が子の病気は治り悪い
私は人の病気を鎮魂すると直ぐ治るが、自分の子のはなかなか治らない、自己愛になると思はれてか神様が聞いて下さらない。
[084]
|兇党界《きようたうかい》
|兇党界《きようたうかい》は、肉体的精霊の団体であるから、人間から見て不思議と思ふいろんなことをして見せる。例へば誰もゐないのに机が自然に持ち上がつたり、椅子が歩き出したり、空中から仏像が|降《ふ》つて来たりする。かういふ現象を見る人は、不可思議千万と思ふであろうが、何も不思議は無いので、皆肉体的精霊たる|兇党界《きようたうかい》の仕業である。だから机などが持ち上がつたときにその下の所を刀にて切れば、血を|滴《た》らして逃げて行く、無論姿は見えぬ。日本に於ける|兇党界《きようたうかい》の|頭《かしら》は山本|五郎衛門《ごろうゑもん》といふので、本拠は|筑波山《つくばさん》である。|五郎衛門《ごろうゑもん》が最近人間としてこの世に姿を現はしたのは、今より百五六十年前であつて、それが最後である。山本|五郎衛門《ごろうゑもん》|御宿《おんやど》と書いて|門《かど》に張り出しておくと悪魔が来ないといはれてをる。それは親分の宿であるから|乾児《こぶん》の悪魔共が遠慮して来ないのである。私もいろんな不思議なことをした時代がある。その火鉢をそつちに持つて行けと命ずると、火鉢は独り動いて他に移る。お茶を|注《つ》げと命ずると、|土瓶《どびん》が勝手に空中飛行をやつて、お客の茶碗にお茶を|注《つ》いで回る。そんなことはごく|容易《たやす》いもので、その他【いろんな】不思議なことをやつたが、神様がさういふことばかりやつてをると、|兇党界《きようたうかい》に陥つてしまふぞとおつしやつて固く戒められたので、断然|止《や》めてしまつた。
[085]
百年の計
一年の|計《はかりごと》のために米を植ゑ、十年の|計《はかりごと》のために樹木を植ゑ、百年の|計《はかりごと》のために民を植ゑ、千年の|計《はかりごと》のために徳を植ゑるといふことがある。今の政治家は百年の計を立てるといひながら、目先のことのみに心を取られて、民を植ゑることをせぬ。こんなことでは仕様がない。殖民といふことは大切なことで、日本の政治家に、|真《しん》に百年の計を|樹《た》つる人があつたならば、蒙古などは|疾《とく》に|王化《わうくわ》に|潤《うるほ》ふてをるだろうに、惜しいことである。
[086]
変はつたものに相手になるな
|鰻《うなぎ》の耳の生えたものは、|幡竜《はんりう》といつて|竜《りう》の種類に属する。それを取つて食べると、一家が没落してしまふ。ときにはこの|魚《うを》が|群《むれ》をなして来ることがあるが、|家《うち》に持つて帰つただけでもよくない。ただの|鰻《うなぎ》でも余り大きなものは食べぬがよい。七八十|匁《め》くらゐが頃で、それ以上になると味もおちるし、百|匁《もんめ》以上のものは食ふものでない。総て何物に限らず、珍妙な形をしたものには相手にならぬがよい。器具でも|木石《ぼくせき》でもあまり変はつたものは何かあるので、そんなものを好んで持つのはよくないことで、思はぬ災害を受けることがある。人間も同じで、奇妙なふうをしたり、いふたりする人は、どうも信用がおけぬものである。総て余り変はつたものには相手にならぬがよい。
[087]
恋愛と家庭
|相《あひ》愛する同志が結婚して造つた家庭は、家庭としては余り面白くないものである。なぜなれば、霊界物語に示されてある如く、夫婦は家庭の重要品であつて、家庭本位でやつて行かねばならぬ。然るに|相《あひ》愛する同志は、ややもすれば家庭を忘れて夫婦本位となる|傾《かたむき》がある。また|相《あひ》愛する同志は意思想念に共通点が多いので、何事にもすぐ共鳴し易い。従つて夫が主張するにことには一も二もなく妻が賛成してしまふ。それがまた家庭から見てはなはだためにならぬことがある。矢張り夫婦は家庭本位でなければならぬから、ときには夫のいふことでも家庭のためにならぬことには反対せねばならぬ。夫婦の性格は反対の方がかへつて家庭からいふと、よい夫婦である。
[088]
人生の諸問題
人は水の流れるやうに生活すればよろしい、水は流れ易い方向を選んで、いと自然に|自《おの》が|途《みち》を開いて進み行く。途中障害物に突きあたることがあると、またいと自然に方向転換をやつて進み易い道を進んで行く、これが処世法の秘訣である。自然に逆らつて低きにつかんとする水を高所に上げやうとするやうな生活は、|労《らう》多くして|功《こう》が少ないものである。
現今の地上は、悪魔の集会所である。故に|諸善神《しよぜんしん》は天にのぼり、地に潜んで、その|跋扈跳梁《ばつこてうりやう》に任してあるが如き状態である。であるから善いことは容易に出来ない世の中である。善い人、善い仕事にはかへつて悪魔がつき|纏《まと》ふて邪魔をする。丁度よい|果実《このみ》に悪い虫がつくやうなものであつて、神様のお守りを受けるより他にこれを防ぐ道がないものである。|甘《あま》い|果実《このみ》に悪い虫がつく、その虫がつかぬやうに人間が|除虫法《ぢよちうはふ》を行ひ、袋をかぶせて保護してやる。さうすると誠に立派な見事なものが得らるる道理。どんな|性《しやう》のよい人、また成功すべき仕事であつても、神様のお守りがないと悪魔に祟られて、惜しいことには十分成熟せずに、【ポタリ】【ポタリ】と途中で落ちて行く|果実《このみ》のそれと同じ結果に終はつてしまふのである。
生死の問題と信仰とは別である。人間は玉の緒が神様と結んであるので、それを神様が切られると、命が切れるのであつて、人はそのもとを大切にせねばならぬ。生死は全く神の|御手《みて》にあるので、人力をもつていかんともすることは出来ない。大切な子が死んだため信仰をおとすなどといふのはわけの分からぬ人間である。
思ふやうには行かぬ世の中である。それは前いふ通り、地上に悪魔が横行|闊歩《くわつぽ》してをるからである。それ故に人間は神様に守つて頂くと同時に、勇気を出して物事をやつて行かねばならぬ。勇気を出せば悪魔は|退《ど》いてしまふ。人は思ふ道を勇敢に進むに限る。思ふやうには行かぬ世の中といふのは悪魔のさやる世の中をいふので、|神代《かみよ》になれば思ふことが箱さしたやうに、ケタリ、ケタリと上手く行くことは神諭に示さるる通りである。それだからこそ神様が立替を急いでおいでなさるので、神様は早くこの悪魔を退治して皆が喜び勇んで暮らす世の中にしてやろうと、昼夜間断なく御活動になつてゐるのである。思へば有難く勿体ない限りである。
どんな仕事でも十年くらゐ辛棒すれば運が向いて来る。一年や二年では成功するものでは無い。一つ仕事をつかまへたらそれを変へぬほうがよい。二三年してはほかし、三四年しては職業を変へるやうな人は、生涯成功を見ることが出来ない、十年しても芽が出ねば、他の仕事を選んで見てもよいが、それも若いうちのことで、四十歳を越したらもう、ちやんと一定の職業といふものが決まらねばならぬ。四十才で仕事が決まればそれがまあ普通である。四十歳を越して仕事をかへてもあかん、三十歳までに仕事が決まればその人は成功者となることが出来る。
[089]
忍耐
忍耐せい、忍耐せい、忍耐より他に成功の道は無いものである。私もずゐぶん忍耐してゐる。腹を立ててはあかん。
[090]
大神様|方《がた》の御容姿
艮の金神様は大学目薬の広告にある人間の顔、ああいつたやうな、眼のパツチリしたお髭の濃い威厳のある、しかも優しみと豊かさがあるお顔。坤の金神様は、十七八歳くらゐに見える美しい、何とも形容の出来ぬくらゐ綺麗な|方《かた》である。
[091]
神社参拝の心得
正式に神社参拝をするときは、必ず|神饌料《しんせんれう》を|捧呈《ほうてい》すべきものであるが、ほんのちよつとしたお宮へ、通りすがりに参拝するにしてもお|賽銭《さいせん》を五銭以上お供へすべきものである。プラツトホームの入場料でも五銭取るでは無いか、御神苑内に入れて頂くのだから、それ以上差し上げるのは当然のことである。またお祭りを当て込んで境内で店を開いてゐる商品は値切らないで、たとへ少しのものでも買うてやるがよい。さうすると神様がお喜びになる。古来代々の天子様が地方を御巡視遊ばさるることを|行幸《ぎやうかう》と申してゐるが、それはお出ましになる地方が沢山の頂きものをして喜び勇み、心から幸福を感ずるからのことである。山川も寄りて仕ふる|聖天子《せいてんし》が|行幸《ぎやうかう》遊ばさるるときは、|魚《うを》も|獣《けだもの》も皆その徳を慕ふて寄つて来るため、海には|漁猟《ぎよりよう》が多くて漁師が喜び、山には獲物が多くなつて猟師が喜ぶのである。その如く神様も、その境内に集まる人たちに福を与へておやりなさりたいのであるから、その神意を|体《たい》して、買ひ物をしてやるのである。かういふ所で使ふ|金《かね》は決して無駄|費《づか》ひではない、結構に御神徳を頂くのである。
[092]
私は大人になつた
私は今年から(昭和二年)一人前の大人になつた。私の体は人と違つて体全体が、一度に小供から大人にはならず、まづ手だけが大人|並《なみ》になり、次に足が大人になるといふふうに、各機関がだんだんと大人となつていつて、今年まで一ケ所だけ小供の所が残つて居つたが、今年になつて知らぬ|間《ま》にそれが無くなつて、全部一人前の大人となつてゐた。今まづ十五六才といふ所である。医師は血圧や肉の弾力など十七八歳の肉体だといつてゐる。
[093]
|月宮殿《げつきうでん》の宝座
ときは昭和二年旧八月十五日即ち名月の夜、聖師様は筆者を|月宮殿《げつきうでん》の宝座に導かれ、|月宮殿《げつきうでん》とその宝座について、月面と照らし合はせつつ御説明下さいました。そのお言葉は|左《さ》の通りであります。
|月宮殿《げつきうでん》の設計図は月の|面《おもて》である。誰も知らないことであるが、私は月面のあの【くま】の通りをこの宝座に移写したので、月の|面《おもて》を眺めては、寸分も違はぬやうにと試みたのである。見よ、右の細くなつてゐる所はそれこの東の登り口、左の細い所は、これこの西の登り口、中央の広い所が正面の上がり口、|神集殿《しんしふでん》前の上がり口も、艮の隅のあの細い上がり口も、あれあの通り【ハツキリ】と現はれてをるであろう、中央の平らな所が御神殿に当るので、そこに十字形の神殿が建設されるのである。学者が噴火山の跡だなど称するあの濃淡、それあのモグモグとして見ゆる所を石の高低で現はしてあるので、|参差《しんし》としてそのままの感があるであろう、日本の位置にあたる所にあの二基の|灯篭《とうろう》が立ててある。二本の|灯篭《とうろう》は日本の光明を意味する。あの|灯篭《とうろう》から|迸《ほとばし》り|出《いづ》る光明が全世界の闇を照破するときこそは、|真《しん》の文明が世界的に建設せらるるときなのである。光は日本からといふことになる。また後方に据えられたる二基の|石灯篭《いしとうろう》には|火袋《ひぶくろ》があるまい、形は同じでも光が出ない、西洋文明の象徴である。即ち体主霊従の文明は光の出口がないといふことになる。この宝座はまた|蓮華台《れんげだい》とも呼ばるるので、|蓮《はす》の花に似て居り、所々に立ててある【チヨンマツ】は|蓮《はす》の実を型どつてある。泥の中よりぬけ出でて|濁《にごり》にしまぬ|蓮花《はちすはな》は清浄無垢の象徴、朝未だき、ポンと音立てて開花する様は、転迷開悟の花に似通ふ。|火袋《ひぶくろ》のない|灯篭《とうろう》はまた|一名《いちめい》|多宝塔《たほうたふ》と呼ばるるのであつて、竜宮様の宝庫である。この|多宝塔《たほうたふ》が出来上がれば物質が豊かになる、兎が餅を|搗《つ》くといふ月の|面《おもて》のあの|隈《くま》は、実に四十八宝座の形なのであつて、築いた宝座は月の形そのままであるから、|月宮殿《げつきうでん》の名も出て来るので、まだこの上に西北と東北の隅から南にかけて神殿と、私の控へ|所《しよ》と|二棟《ふたむね》の建造物が出来、東南と西南の隅には|宝物庫《ほうもつこ》が建ち、周囲には|白壁《しろかべ》を|廻《めぐ》らしもつて完成するのである。
因みに宝座の周囲には兎とつきものの|砥草《とくさ》(兎は自衛のため|砥草《とくさ》の中によく隠れる)を植ゑるのである。明治三十六七年の頃私は今の大本神苑別荘の北手にあつた三坪ばかりの小さい庭に、|和知川《わちがは》から小石を拾ふて来ては積んで楽しんでゐたものであるが、それがこの宝座の模型であつて、ちつとも違つてゐないのである。
[094]
祈りの声が聞こえる
私の体は難儀な体である。ちよつとでも暇があると、方々から祈りの声が聞こえて来る、と同時に、手が痛くなつたり、頭が痛んだり、腹が痛んだりして来る。昔は頼む人も少なかつたので、ああ今誰が祈つてをるなと、その声で人が判別出来たものだが「|御手代《みてしろ》」が沢山出ていつた|今日《こんにち》では、その声あたかも沢山の虫が鳴くごとく、フシヤフシヤフシヤと聞こえて来る。誰が誰やらさつぱり分からぬが、体は苦しくなる一方である。「|御手代《みてしろ》」さんを誰にやつてくれ、彼にやつてくれと頼むけれど、私からいふと、さう|容易《たやす》くは出せないのだ、皆我が身にかかつて来るのであるから。
[095]
思ひ出の一二
私が初めて綾部にいつたときに持つて行つたものは、手帳一冊、鎮魂の玉一個、天然笛一個、会員名簿一冊、ただそれだけであつた。それを小さな鞄に入れて持つていつた。着いた綾部の教祖様の御住宅は六畳一間の土蔵で、教祖様のお|膳《ぜん》がただ一個あつたばかり、私が行つたらたちまち私のお|膳《ぜん》や茶碗を買ふといふ始末で他に何もなかつた。三十年の歳月が流れて、綾部にもあれだけの建物が立ち、道具も揃ひ、亀岡にもこれだけの建造物が出来た。|顧《かへり》みて多少の感慨無き|能《あた》はぬ次第である。私は|生母《せいぼ》よりも教祖様の方がずつと心やすかつた。また教祖様も自分の子供の誰よりも一番私が可愛かつたのである。当時長男の竹造さんが、|嗾《そその》かされて、「私が家の|後取《あとと》りである」といふて怒鳴り込んで来たことがあるが、私は竹造さんを転がしてやつた。教祖様は見て居られたが、よく叱つておやりなさい、も少し|懲《こら》してやれと、私の肩をもつて、自分の子をたしなめられた。私に対して怒られるやうなことはちよつともなかつた。私も教祖様を大切にした。月のよい夜などはよく教祖様を背負つて神苑内を散歩してあげた。小供のやうに喜んで、|背《せな》の上から、あれは何といふ木か、石かなど聞いて居られた。私がゐないと淋しがつて「先生はどこに行かれたか、早くお帰りになるとよい」といはれて、私が|家《うち》にゐさへしたら御機嫌がよかつた。神懸りになると喧嘩をしたが、それは神様同士の争ひであつて、肉体ではお互ひに何ともないのだから「先生叶ひませんなあ」といふて歎かれたこともたびたびあつた。思へば長い昔のことであるが、昨今の如く懐しいことである。
[096]
|高熊山《たかくまやま》に現はれた|霊石《れいせき》
ときは昭和二年九月十一日、|高熊山《たかくまやま》に現はれたる|霊石《れいせき》について、|左《さ》の通り仰せられたのでございます。
この玉は|神代《かみよ》の昔、|言依別命《ことよりわけのみこと》が|高熊山《たかくまやま》に|蔵《ざう》し|埋《うづ》められたる黄金の玉である。この玉は月界より下つて来たものであつて、その初め|南桑《なんさう》の原野くらゐの大きさがあつたのであるが、大地に達するまでに焼き尽して小さくなり、その核心にあたるのがこの玉である。|天降鉄《てんかうてつ》であるが故に普通の石に比してこの通り重い、ソレ、月の形も現はれてをるであろう、貴重なる|宝玉《ほうぎよく》である。この玉が私の手に|入《い》るといふことは、重大なる意味があるのであつて、この玉が無かつたために、も一つ仕事が思ふやうにゆかなかつた。もう大丈夫である。大正十二年以来心ひそかに思ひ立つてゐて、どうしても成就せなかつたことも、この玉がなかつたためである。これで成就すると思ふ。|与四郎《よしろう》さん(|穴太村《あなをむら》、斎藤氏)が|高熊山《たかくまやま》の岩窟で|見出《みいだ》し、お|蘭《らん》さん(|与四郎《よしろう》氏夫人)に渡し、それをまた|婆《ばー》さん(|御生母《ごせいぼ》)が私の手に渡したであらう、霊界物語にある通りの順序を経てゐるのも面白い。|与四郎《よしろう》さんがお|蘭《らん》さんに手渡しするとき、「サアお握りをやろう、いつまでたつても無くならないお握りをやろう、腹が減らないやうにね」と冗談をいひながら手渡ししたといふでは無いか、その言葉も神様からの謎である。とにかく私はこの玉を得て喜悦に満ちてゐる。総てのことが思ふままになる|如意宝珠《によいほうしゆ》の玉である。この間の亀石は海から上がつたものだ。これは月から下つたものだ。時期だな、次第に宝が集まつて来る。
因みに筆者申す、この|宝玉《ほうぎよく》はあたかもお握りのやうな形をして居り、|黒褐色《こくかつしよく》をした光沢のある重い玉でありまして、その形はお握りといふよりも、むしろ十二夜の月に似てゐます。大きさは大きなお握りくらゐでありまして、隕石ださうでございます。|月明館《げつめいくわん》に持ち帰らるると、二三の人に見せられただけで、直ちに亀石の箱の中に納められて、固く封印を施されて、ある所に深く|蔵《おさ》められました。|稀代《きだい》の珍宝と拝察致されます。|宇知麿《うちまろ》様は「また|高姫《たかひめ》に呑まれるといけませんから」と冗談とも真面目ともつかずおつしやられました。亀石と申すは、徳島県、|棚野《たなの》支部長|美馬《みま》|美馬《くにじ》氏の家に代々伝はつたものを献納されたものでありまして、世にも珍しいものでありまして、薄緑色の地に茶色の太い|筋《すぢ》が|入《い》つて居りまして、その|筋《すぢ》によつて、亀甲形があざやかに現はれて居ります。聖師様は、これが亀山(即ち亀岡)の霊であると仰せられて秘蔵されて居り、二つ共、|月宮殿《げつきうでん》の御神体となるのであると承はつてをります。牛と馬とが持つて来た、面白いとおつしやつてゐられますが、馬とは|美馬《みま》氏のことであり、牛とは山本次郎氏のことでありますが山本氏は牛といふ号をもつて居られまして、大正日日新聞記者以来、【牛】さんで通つてをるので本名は知られん|方《かた》が多いことと存じます。四国からわざわざ持参せられたのは、その牛さんなのでした。また斎藤|与四郎《よしろう》氏の養父の名が牛さんと別称されてゐたのも不思議なことと思ひます。
[097]
私憤と公道
私憤といふのはこと自分だけにかかつてをるのであるから、忘れさへしたらことがすむ、公道や正義とは違ふ。私憤をもつて公道に及ぼしてはならぬ。
[098]
線香は嫌ひ
信徒たちが私を歓迎せんとて、|香《にほひ》のよい線香をたいて待つてゐてくれる所があるが、私は線香は嫌ひである。線香といふものは実は艮の金神様を呪つて、家に入つて来られないやうにと、立てたものである。普通の|香《かう》は構はない。
[099]
金銀なくてもいける経綸
大本神諭及び我が著『世界の経綸』には、金銀為本の政策は国家|紊乱《びんらん》の|基《もと》だと書いておいたが、我が国は|天立《てんりつ》君主国だから、国民が日本の国体の|真《しん》に尊いことを|諒知《りやうち》したならば、金銀のやうな物質的宝が無くても、治国安民の政治が立派に行はれるのである。|小胆《せうたん》な今日の政治家や、外国かぶれの経済学者の夢想だもなし能はざる大神策であつて、今日の場合いかなる政治家も、経済学者も空想空論として、一笑に付し去つてしまふであらう。それだから、自分は惟神の時期の来るまでは、発表を見合はせてゐるのである。どうしても行き詰まつて来て、自分に真面目に教へを乞ふものが出て来たら、そこで始めて神秘の扉を開いてもよい、しかし今日の財産平均論や、共産主義のやうな不合理極まる暴論では無い、|確乎不抜《かくこふばつ》の大神策であつて、我が国民の永遠の平和と幸福とを招来するものであることだけをここに言明しておくのである。
[100]
|惟神真道弥広大出口国直日主之命《かんながらまみちいやひろおほいつきくになほひぬしのみこと》
|惟神真道弥広大出口国直日主之命《かんながらまみちいやひろおほいつきくになほひぬしのみこと》の御神名は、開祖様だけでは無い、二代、三代と私とが一緒にこもつてゐるので、早く昇天したものから、第一|惟神真道弥広大出口国直日主之命《かんながらまみちいやひろおほいつきくになほひぬしのみこと》、第二|惟神真道弥広大出口国直日主之命《かんながらまみちいやひろおほいつきくになほひぬしのみこと》と呼ばるるので、第三、第四も同様である。
|大出口《おほいつき》の大の字は大きなといふ意味でなく、一は大地の|体《たい》即ち国常立尊を現はし、ノは大地の霊|金闕要神《きんかつかねのかみ》を現はし、\は大地の力、|神素盞嗚尊《かんすさのをのみこと》を現はし、|三神《さんしん》世の元となつてゐるのである。それに|直日《なほひ》を加へ、|主《す》の神が守らるるといふ意味である。
[101]
|甲子章《かふししやう》について
|日地月星《につちげつせい》を現はした|甲子章《かふししやう》は、次のやうな意味でこしらへたのである。|日《にち》、地、|月《げつ》は、霊、|力《りよく》、|体《たい》の|三元《さんげん》を現はし、星は|火水《ほし》であつて、形は大本の大の字になつてゐる。その星が中央に位置せずして左の方にかたよつてゐるのは、まだ世界には他の宗教なんかがあつて、大本が中心でないといふことが現はれてをる。即ち大本としては、活動の余地がまだまだ沢山あるので、皆の活動によつて大本の神様の教へが世界中に遍満するに至れば、星の位置は中央に置かるるのである。それで私はあの宇宙章を渡すときに「これを貰ふ人は責任が重いぞ、何らの活動もせぬ人が貰ふべきもので無い」と申して置いた。
人類愛善会のは星が中央にあつて総てを統一してゐる、エスペラントの|徽章《きしやう》は大本と|一所《いつしよ》にしないため、星が台より|外《そと》に出してある、台を白くしてあるのは、月を現はしたのである。
[102]
宣伝の標準
宣伝は一家の中でも、最も智慧の劣つた、|下女《げぢよ》にわかる程度を標準として、平易に話さねばならぬ。むつかしいことをいうてはいけないのである。
[103]
|霊衣《れいい》のこと
|霊衣《れいい》の厚い人ほど、人がなつくものである。それは厚い|霊衣《れいい》の中へ人を包むことが出来るからである。薄い|霊衣《れいい》の人は、|身体《からだ》と|身体《からだ》とが接触せねば、お互ひが|霊衣《れいい》の中に|入《い》ることが出来ないから、かかる人の相互の関係は極めて冷ややかなもので、離合集散|常《つね》なきものである。|有徳《いうとく》の人になると、いかに悲惨なる境遇におちてゐても、徳を慕ふて、世の攻撃などをものともせず、どこまでもと従つて来る者も少なくないものであるが、|薄徳《はくとく》の人になると、かかる場合、どこまでも終始するものはその妻くらゐなものである。夫婦の情愛が格別なのは、どんな薄い|霊衣《れいい》の人といへども、お互ひに|霊衣《れいい》に触れてをるからである。普通の人の|霊衣《れいい》の厚さは、五分くらゐなものであるが、宣伝使のよい人になると、三尺くらゐに広がつてをる。また宣伝に行けとの命令を受けると、|霊衣《れいい》を広げて貰ふのである。それで御神徳を頂くのである。
[104]
断食のこと
食すべき|食物《しよくもつ》が豊富にあるとき、断食しても、それは断食にはならない、宣伝にいつて食するものが無かつたり、忙しくて食事する|間《ま》が無くて、食べたり食べなかつたりする場合が|真《しん》の断食になるので、それが三度続けば一日分断食したことになるのである。それがおかげである。
昭和二年十月ある日のこと、筆者は聖師様のお伴して大阪の某会社に参りました。会社では付近の土地の御検分を願ふためにおいでをお願ひしたのでした。午前十一時頃お着きになりましたので、会社側では|御中食《ごちうしよく》を差し上げるとて、そのことを申し出られました。聖師様は軽く「御飯は済まして参りました、どうかお構ひなく」と断わられました。実は聖師様もお食事はしては居られず、随員たちも頂戴しては居りませんでした。それから電車にのせられ、下車して一里ばかりの山道を歩かされました。晩までにはかなりお腹がペコペコになつて参りました。|晩餐《ばんさん》の|後《のち》聖師様は上記のお話をして下さいまして「皆さん|今日《けふ》は定めしお腹が|空《す》いたであらう。実は皆さんに断食をさしてやらうと思つて、わざとにああいうて断つたのだ、皆さんはおかげを貰ふた」とお話し下さいました。随員一同深く御神恩を感謝いたしました。聖師様はつづいて仰せられました「たとへ断食しても、神様の|御為《おんた》め働かして頂くといふ決心をして一ケ月間その誠を致せば、神様はその|赤誠《せきせい》を|嘉《よみ》したもふて、その|後《のち》きつと結構にして下さる。一ケ月の断食といふのは引き続いて一ケ月断食するといふやうな苦業ではなく、一日食べん日があつたり、二日食べん日があつたり、それが積つて一ケ月になるといふことなので、それも前いふ通り自分の|我《が》でしては断食にならぬ。|窮乏《きうばふ》して|食物《しよくもつ》が無くなつて、食べやうにも食べられないやうになつたり、草を|褥《しとね》の旅枕、宣伝の旅にのぼつて、|金《かね》は無くなり、|食物《しよくもつ》を与へてくれるものもないで止むを得ず、断食するといふやうなので無ければ、神様から認めらるる断食にはならぬのである。
[105]
五十六億七千万年
|今年《こんねん》、即ち昭和三年辰年は、この世初まつてから、五十六億七千万年目に相当する年である。
[106]
竜宮の乙姫様
竜宮の乙姫といふのは、|竜宮館《りうぐやかた》の一番の末娘、即ち二代澄子のことである。
[107]
親切にしてやれ
誰にでも親切にしてやれよ、それだけの報ひが自分に来るものである。病人でもよく親切にして面倒を見てやれば、自分が|病《や》み|煩《わづら》つたときに必ず誰かがまた親切にして看護してくれるものである。人に親切を尽くすといふことは、即ちやがて自分に親切を尽くすといふことになるのである、|御神徳《おかげ》は取りどくといふのは、さういふことをいふのである。総ての人に親切にしてやれ。総てのものを可愛がつてやれ。
[108]
大神様御奉斎について
ある婦人が泣いて訴へられますには「私の友達が大神様を御奉斎さして頂いて居りましたところ、主人とよく協議してお受けせなかつたものですから、主人が大層反対でどうしても祭らせません、物置にほり込んだり、廊下の棚になげやつたり、誠に勿体なくて見て居られませんので、私が代はつてお祭りさして頂かうと思つて、|家《うち》へお伴して来て祭つて居りますと、皆さんが|入《い》らしつて『それは規則違反である。御本部からのお達しが参つてをる、お受けした人が祭らずに放つてゐるものを、他人が祭るのは間違つてをる、そんなことをすると、お咎めを受ける』と申します。それは全くさうに相違ございますまいが、どうも私は勿体なくて勿体なくて、よしやお咎めを受けても、大神様を物置に投げやつてあるのを見るに忍びないと存じまして、御規則に違反するとは知りながら、お祭りさして頂いて居ります。矢張りいけないのでございませうか」と。この問ひに対して聖師様は|左《さ》の通りお答へになりました。
さういふやうなわけならお祭りして置いてもよろしい、私が矢釜しくいふのは、大神様御奉斎について、皆の態度があまり軽率であるといふことにある。考へても見よ、大神様を御奉斎するといふことは、重大なることである。決して軽々にすべきことではない、お祭りが出来ないからお返しするなんていふことがあるべきものでない、お祀りが出来ないで、お粗末にするやうならば、なぜお受けするのか、軽率ではないか。かういふ出来事はその責任その地を管掌する支部分所長に帰する。将来もしかういふ出来事があれば、私はその支部分所長の責任を問ふつもりである。
[109]
|半僧坊《はんそうばう》様
ある人がお伺ひして居られました「私の家に古くから祭つてをります|半僧坊《はんそうばう》さんの神像があります。|大本様《おほもとさま》に入信致します前に、私が深く帰依してゐたのでございまして、夫の病気も、子供の大病もおかげを頂いたことがたびたびなので、今は別にお|社《やしろ》を建て、お|給仕人《きふじにん》をつけてをるのでございますが、ある事情でそれを|家《うち》に引き取らねばならなくなりました、それで小さいお|社《やしろ》でも建ててお祭りせうと存じ、ある人に御相談致しますと、『|半僧坊《はんそうばう》なんか天狗だ、大本の神様を奉斎してをる以上、そんなものを祭る必要はない、焼いておしまひなさい』と申されますが、さうしてもよろしいものでございませうか」右の問ひにお答へになつて、「|社《やしろ》を建てるなり、あるひは家の中なり、それはどちらでもよろしい、お祭りしておきなさい、大本に来られるまで、その天狗さんが守つて居つたのである。焼けば子供が死ぬ、夫がまたもや病気するといふやうな悲惨事が起こつて来る。
[110]
ミロク、ミロク
大本事件初まつて満三年にして蒙古に行き、また満三年を経て無罪となる、前後七十二ケ月、即ち三十六ケ月と三十六ケ月、ミロク、ミロクである。
[111]
神の|籍《せき》に|入《い》らざるもの
自分はよく知つてゐる人であるのに口から声が出でて「あんた誰かなア」といふことがある。その人はまだ神の|籍《せき》に記されてゐない人である。
[112]
昔は血族結婚
昔は血族結婚であつた。今は血族が結婚するといふことは近親の場合もちろん禁じられてをるし、|従兄弟《いとこ》同志なども余りよいこととはしてゐないが、昔は血族結婚が本体であつて、この制度が破れて、他と結婚することになつたときには、かなりの大騒動があつたものである。時代は|鵜茅葺不合尊《うがやふきあへずのみこと》のときであつて、○○○○|命《のみこと》の|妃《きさき》として○○○○姫が立たれたときである。○○○○姫は美人であつたので、|氏《うぢ》なうして玉の|輿《こし》に乗つたのである。即ち国津神たる姫が天津神たる○○○○|命《のみこと》の|妃《きさき》として立たれたのであるから。
血族結婚を禁じられたのは、肉体の弊害から来たのでは無く、親しいものばかりが親しくなつて、他族との間の融和を欠くといふことから起こつたのである。血族が結婚して肉体上に起こる弊害は、血液が粘るといふことである、昔は菜食したものだから、血族結婚のため血液が粘つても割合かまはなかつたのであるが、今は獣肉を食するから、血族が結婚すればするほど血液が粘つて来るから良くないのである。
[113]
|断《だん》の一字
「断じて行へば|鬼神《きしん》もこれを避く」といふ|諺《ことわざ》がある。物事は|断《だん》の一字にある、断乎として行へば出来ないといふことは無いのである。私は、どんな大問題にぶつつかつても一分間を出でずしてきめてしまふのである。そしてそれを断行する。私が今までなし来たつた仕事は皆それである。世の多くの人は、この|断《だん》の一字が欠けてゐるから、仕事が出来ないのであると私は思ふのである。
[114]
運は人が作る
運命と宿命の違ふことはかつて話しておいたが、運命といふものは、自分がつくつて行くのである。運といふ字ははこぶと|訓《よ》む、こちらから運んで運命を展開して行くのであつて、自分の思はくの立つやうに、自分から仕向けて行くのである。さういふ人を神様はお助けなさるのであつて、棚から落ちて来る|牡丹餅《ぼたもち》を待つてをるやうな人は、いつまで待つても運が|開《ひら》けることは無い、幸運ははこばねば得がたいものである。
[115]
因果応報
運命はいくらでも展開出来るが、因縁といふものは困つたもので、これを断ち切ることが困難である。|善因善果《ぜんいんぜんぐわ》、|悪因悪果《あくいんあくぐわ》、自分の蒔いた悪因は、先づ自分からこれを刈り取つた後でなければ、よい運命を作ろうとしても作れるものでは無い。人は心得た上にも心得て、悪因縁を作らんやうにせねばならぬ。悪い因縁を作ると、一生涯頭が上がらぬものである。
[116]
|奇魂《くしみたま》の足らなかつた|南州翁《なんしうをう》
大島から鹿児島へと、今度の旅行で西郷|南州翁《なんしうをう》の跡をたづねてみたが、|翁《をう》には惜しいかな|奇魂《くしみたま》が足らなかつた、といふことを痛感せずにはをれなかつた。天下に号令せうとするものが、陸路兵を起こして道々熊本を通過して東上せんとするなどは策の最も拙なるものである。彼のとき急遽兵を神戸大阪に送つて、名古屋以西を|扼《やく》して仕舞はねばならぬのであつた。当時|物情《ぶつじやう》騒然としてゐて、そんなことは何でもなく出来たことなのである。かくて京都、大阪などの大都市を早く手に収めねば志を伸ぶることが出来ないことは火を|観《み》るよりも明らかなことであつた。然るにことここに出でずして、熊本あたりに引つかかつて、愚図々々してゐたものであるから、こと|志《こころざし》と|違《たが》ひ、思ひもよらぬ|朝敵《てうてき》の汚名を一時といへども|着《き》ねばならぬやうになつてしまつたのである。【|奇魂《くしみたま》が足らなかつた】。|桐野《きりの》|利秋《としあき》、|篠原《しのはら》|国幹《くにもと》皆然りである。大島に滞在中、三回ばかり西郷|翁《をう》の霊にあつたが、いろいろ私に話をして居つた。「智慧が足らなかつたなあ」といふてやつたら、「全くやり方が悪かつた」といふて居つた。
[117]
名歌、名文章
名歌とか、名文章とかいふものは、|幾様《いくやう》にも作りかへが出来るものである。百人一首の如きがそれであつて、私は今一首について、二十一通り替へ歌を作つてゐるが、今後も続けて百首までやるつもりでゐる。都合一万首の替へ歌が出来るわけである。これをもつて見ても|元歌《もとうた》がいかに優れてゐるかといふことがよくわかる。|下手《へた》の歌であるとさういふわけにゆかぬ。文章も同じく、名文章になると、いくらでも作り替へが出来るものである。
[118]
神様のお仕事は二つ|玉《だま》
神様のお仕事は二つ|玉《だま》である。一つの仕事をせられると、同時に他にもそれと異なる大きな仕事が出来てゐる。
[119]
大事業
私には大事業といふものは無い、どんな大きな仕事でも、私はただの仕事と思つてやつて行くのだ。人はよく「私は近頃大事業を計画してゐる」などといふが、やらん先から大事業だなどといふやうでは、到底成功するものではない、初めから仕事に呑まれてをる。仕事はのんでかからねばならぬ。他から見て大事業だなーと思ふやうなことでも、「エちよつと小さな仕事を初めてゐます」といふくらゐな意気でやれば、どんな大事業だつて出来るものである。
[120]
やり通せばよい
大きな器には大きな陰がさす。大きな仕事を初めれば、それに伴ふて種々の失敗も起こり、批難攻撃もあるものである。悪い方は消して、よい方面ばかり見て、勇敢に進んで行けばよい。弱くてはいけない、強くなれ。強くなつて、物事をやり通せばよいのである。
[121]
三つの空手
|高天閣《かうてんかく》に掛けてある私の|描《か》いた観音像には、私のなすべき仕事が|描《か》いてあるのであるが、まだ三つの空手が残してある、つかまねばならぬものがあるからだ。曰く○○、曰く○○、曰く○○。
[122]
獣肉はお嫌ひ
獣肉を食べて悪いといふことは無いけれど、神様は獣肉はお嫌いだで、食べると神様に嫌はれる。
[123]
悪魔の神業妨害
人一人が神様の御用をさして頂かうと思ふと、直ぐ悪魔が妨害を初めるので、なかなか難しいものである。夫が御用をしようとするとその妻に|憑《かか》つて妨害をする。妻が御用をするとその夫に|憑《かか》つて極力妨害をする、さういふ人が無いとまた上の人即ち親とか、主人とかに|憑《かか》つて邪魔をし苦しめるものだ、かかる場合隠忍しか無い。
[124]
ミロクの世
善いことをすればよくなり、悪いことをすれば悪くなる世を称してミロクの世といふのである。今までの世は悪いことをしてもうまく世間を胡麻化すことが出来れば立身出世も出来るし、善いことばかりをしてゐても、|虐《しひた》げられ苦しめられ悲惨な境遇に泣かなければならぬものも数多くあつた。これは悪魔の守護する世であつたからである。ミロクの世になつてからは最早かかる不合理は許されない。善いことをすれば【どんどん】よくなり、悪いことを|企《くはだ》つれば片つ端から打ち砕かれ、悪の思はくは一つも立たぬ正しい世の中になるのである。
[125]
|生命《せいめい》
|生命《せいめい》は永久に存続するもので、過去現在未来の|三世《さんせ》に|渉《わた》つて生きてゐる、吾々|生物《せいぶつ》の|生命《せいめい》は絶対不変無始無終にして、神の分霊分身である。故に永遠に|渉《わた》つて不老不死である。
吾人は地上の|誰人《だれ》とも約束なく、|唯々《ただただ》惟神の摂理によつて|生《うま》るべき所に|生《うま》るべきときを得て生まれたまでだ。それ故に愛着だとか悲惨だとか苦痛だとか快感だとかいふものは、その本来には無いのだ。ただ喜怒哀楽、|愛悪欲《あいあくよく》の|情《じやう》の如きは、肉感的一つの衝動に過ぎぬ。現在はこれだこれだと握つてゐることは出来得るが、そうして掴んでる|間《ま》にそれ自体の現在は既に過去に属して了ふ。未来と聞けば遠いやうに考へられるが、その間もそれは現在として展開して来るでは無いか。そう考へて見ると、吾々の|生命《せいめい》は絶対無限であらねばならぬ。春夏秋冬と宇宙の大自然は、規則正しく展開して永遠に変はりが無い。吾々の|生命《せいめい》も愛着悲惨苦痛快感と展開して、永遠に変はりはないのだ。
世の中に現実観ほど悲哀の多いものは無い。あの仕事をやつて見たい、この望みも達したい、|明日《あす》が来たら、|明後日《あさつて》が来たら恋人に逢へる、来春は久し振りで帰郷して懐しい|慈母《じぼ》に会へると指折り数へてゐる。子にも会へるといつて自分が指を折つて待つて行く。引きつけるやうに色々な欲求を追つて行く。その心の底に一脈の喜びが潜んでゐる。しかしそれを待つ刻一刻にその人の|生命《せいめい》は幻滅に近づいて行く。可愛らしかつた子は筋肉|逞《たくま》しき壮漢となり、愛らしかつた恋人は|皺苦茶《しわくちや》の姿となり、曲線美は梅干の如く|乾《ひ》からびて行く。小さい現実の欲求を遂げんとするために死に行く大なる犠牲を払ひつつ迷路に進んで行くのだ。刻々にその人の|生命《せいめい》は死の関門を指して、一歩々々近づきつつあるのである。もしそれ吾人の|生命《せいめい》が有限のものであつたら、さうした欲求の行程は死の行程であつて、これほど大なる不幸と不安は無いのである。
無限の|生命《せいめい》、そこに吾人が絶対不断の|生命《せいめい》を|見出《みいだ》して、永久に生きることを悟つたとき、吾々の眼前に展開されるものは総てが試練であり、すべてが教訓であることが覚り得られる。吾々が人間として世に処するその|間《かん》の出来事を見ても、幾多の曲折があるので面白い。その当時は欲求に満たない、いはば一種の苦痛として痛ましいことであつたその試練されたことを、とき過ぎてから想ひ出したときに、皆それは追憶となつて美しき過去を見ることが出来る楽しさがある。過去の悲惨なりし歴史も、|甘《あま》かりし恋路も得意も失敗も|幻《まぼろし》の如く現実に浮かんで来るごとに一種の愉快さを覚ゆる。そして過去から現在未来へと永遠無窮に|生命《せいめい》が継続されつつ天国の果てなき国へと進んで行く。これが人生永遠の|生命《せいめい》だ。
自分は今までの体験から考へると、吾々の過去は|真《まこと》に美しかつた。貧乏で食ふや食はずの危機に立つたことも、|冤罪《ゑんざい》を被つて獄舎に自由を束縛されてゐたことも、世間のあらゆる嘲笑|讒誣《ざんぶ》の|的《まと》となつたことも、過去の歴史の一頁として語るとき、それは皆美しい、そして楽しい。たとへ貧乏生活でも悲惨の境遇でも、それを永続したときは勝利となつて来る。勝利は常に正義である。社会から何程|嘲罵《てうば》され、|侮辱《ぶじよく》され、批難されても、それ自体が永続したら、必ず末には|正道《せいだう》として認めらるることになる。現代人の大本に対する総ての観念も、今や勝利者として遇するに至つたのは、吾人が永遠の|生命《せいめい》を確信して不断の活動を続けて来た|活歴史《くわつれきし》の|賜《たまもの》であるともいへる。
[126]
人生と信仰
人間を現在的生活の上より見れば、実に寂しい、はかないものである。十ケ月間恩育された母体をはなれて、やつと一口産声をあげるや否や、五十年とか長きは七十年、八十年を限りとして大自然といふ無言の裁判官から死刑の宣告をうけてゐるのだ。日一日と乳児が生育してゆくのは、いはゆる死刑台上に一日一日と近よりつつあるのだ。それでも吾人は千年も万年も生きられるものの如く、安閑として種々の欲求にかられ活動を続けてるのだ。名は益々|美《び》ならんことを思ひ、くらゐは益々高からんことを念じ、|生命《いのち》は|万歳《まんざい》の|齢《よはひ》を空想し、|富《とみ》は益々大ならんことを欲して、|走馬灯《そうまとう》の如く現実界に目まぐるしきほどの活動を続けてゐる。そして一日一日死刑台上に近づいてることを余り深くは感じないのである。試みに思へ、重罪犯人が裁判官より死刑の宣告を受けて、刑の執行の日をいつかいつかと待つてる間の心持ちはどうであらう。淋しいといはふか苦しいといはふか、|顔色《かほいろ》青ざめ|身体《しんたい》|骨立《こつりつ》し、飲食もその美を感ぜず、殆ど|死人《しにん》の如く青息吐息|溜息《ためいき》にのみ刻々を過ごすであらう。吾人は重罪犯人でなくとも裁判官の死刑の宣告を受けずとも、大自然は既にすでに吾人に|厳《げん》として動かすべからざる死刑の宣告を与へてゐるではないか。ああ人生はかくの如く淋しいものであらうか、悲惨なものであらうか。|否々《いないな》然らず。吾人は神と共に永遠無窮不老不死の|生命《せいめい》そのものである。霊肉脱離の関門はあつても、吾人の本体そのものは決して滅亡しない。現実界のすべての歴史を、過去の背景として永遠無窮に霊界に復活するのである。そして現実界に於ける善悪の応報は自身の霊体に反響し、しみついて永遠に離れないものだ。これをおもへば神の子神の宮たる人間は現実界において善をいひ善を思ひ、そして善を行ひ|主神《すしん》を愛して|主一無適《しゆいつむてき》の信仰に生き、永遠無窮の|安楽国《あんらくこく》を自ら開拓せなくてはならぬ。これ人生に信仰の最も必要な|所以《ゆゑん》である。
[127]
神の|恵《めぐみ》は公平無私である
世の中には、祖先伝来の巨額の財産によつて|安佚《あんいつ》に一生を暮らし、かつ巨万の資産によつて|富《とみ》はますますその|富《とみ》を加へ、一食数十円の馳走を食ひ、世間一般の人々より、非常な羨望の|的《まと》となつてゐる一方には、朝食て晩に食ふものがなく、冬になつても|綿入《わたいれ》一つ|着《き》兼ねるやうな極貧者があつたり、非常に人間の生活上には|逕庭《けいてい》がある。これを見て世人一般は前に述べた|富者《ふうじや》を最大幸福者となし、貧者を最大不幸者と見てゐる。しかしながら|一飯《いつぱん》|数十金《すうじつきん》を投じた美食よりも、塩【から】|鰯《いわし》に麦飯を食つて|舌鼓《したづつみ》をうつてゐる貧乏人の方が、何程上手く|食《しよく》を味はつてゐるか知れない。また貧乏人の方には、|今日《けふ》食つて|明日《あす》の食糧をどうせうかといふ極めて単純の心配があるのみで、働きさへすれば何とかして食つて行くことが出来るが、一方の|富者《ふうじや》になると、その精神上の苦痛は極めて複雑なるものである。大地主は天災地変のために収入の不足を憂慮し、あるひは小作米が満足に納まるであらうか納まらないだらうかといふやうな煩悶があり、金貸しは借り倒されはせぬかと案じ、大株主は一時間ごとに相場の|高下《かうげ》によりて|睾丸《きんたま》を上げ下げし、かつまた自分一生の間巨万の財産を保護し得たとした所で、子の代になつて|費《つか》ひ果たしてしまふやうなことはないかと、先の先まで煩悶苦悩を継続し、寝ても醒めても、|真《まこと》の安心といふことは得られないのである。「楽しさは|夕顔棚《ゆふがほだな》の|下涼《したすず》み」とかいつて、貧乏人や労働者になると、一日汗を絞りその日の労銀を得て|米塩《べいえん》を買ひ、夫婦小供が|夕顔棚《ゆふがほだな》の下で家庭|団欒《だんらん》の楽しみを味はふその気楽さに比して、到底比べものにならないのである。かう考へて見ると、|富者《ふうじや》は物質の方にこと足るといへども、物質あるがために非常な煩悶と苦悩を続けて一生を終はらねばならず、また一方の|貧人《ひんじん》は一生涯の間、|米塩《べいえん》のために汗を絞らねばならぬ、その代はり精神的の苦痛は極めて軽微のものでかつ簡単である。一食三十円の|膳部《ぜんぶ》よりも、一食十銭の|塩鰯《しほいわし》に麦飯の方が、何程味がよいか知れぬ。働いて食ふ麦飯と、|身体《しんたい》を労せずして精神を使ふて食ふ美食とは比べものにならぬほど、その味が違ふのである。かく|観《くわん》じ来たれば神が人に与ふるその|恵《めぐみ》に、少しの不公平はない。|否《いな》、むしろ貧者の生活の方が、何程恵まれてゐるか分からないと思ふ。
[128]
世の中に最も不幸なるもの
世人あるひはいふ、|鰥寡《かんくわ》、孤独、または貧者、重病人なりと。しかしながら以上の人たちよりも|尚々《なほなほ》不幸なるものがある。いかに巨万の|富《とみ》を積むといへども、貴人の列に加はるとも、人間死後の生活を知らぬほど大なる不幸のものはない。いかなる|貧人《ひんじん》といへども、|鰥寡《かんくわ》、孤独といへども死後永遠の|生命《せいめい》を感得したものは、胸中|自《おのづか》ら|閑日月《かんじつげつ》あり。|非時心《ときじくこころ》に|爛漫《らんまん》たる花咲きみち、芳香|薫《くん》じいふにいはれぬ歓楽に|浸《ひた》り、永遠の|生命《せいめい》を楽しむことが出来る。故にいかなる智者、学者、貴人、|富者《ふうじや》といへども、|明日《あす》をも知れぬ人生を保ち、|戦々兢々《せんせんきようきよう》としてその日その日を送るくらゐ不幸なものはない。
[129]
科学の力
現代は、科学万能の世界といはれてゐる。ラヂオ、無線電信、空中飛行船、飛行機、潜水艇その他種々の文明の利器は非常に発達し、宇宙一切のことは科学でなければ、解決できないといふて誇つてゐる学者も沢山あるやうであるが、何程科学が進んだといふても、宇宙の謎は解くことは出来ない。白い米を食ふて、赤い血を出し、黒い髪を生やし、|黄色糞《きなくそ》を垂れる、この原理が明瞭に分かつた医学博士もなければ科学者もない世の中だ。それだから|虱《しらみ》一匹を研究して論文を出しても、博士になれる世の中だから、学者といつても、|真《しん》に頼りないものである。今の学者は天地を征服するとか、神を解剖するとか、|猪口才《ちよこざい》な|大法螺《おほぼら》を吹いてゐるが、無限絶対無始無終におはします神どころか、|日々《にちにち》自分が食つてゐる|飯《めし》のことさへ解決がつかないやうなことで、何程|鯱《しやち》になつても、神の説明だとか、天地の征服なぞは駄目である。昔の黄金時代の人間や、天国の天人が、ただ|一二言《いちにごん》で解決する事柄を現代の学者は数千万語を費やさなくては分からないといふ、厄介の代物である。現代の鼻高学者に、宇宙の真相や、神様の御本体を明瞭に分かるやうに説明せうと思へば、世界五大洋の海水をインクに使つて、一滴も無いやうにした所で、まだ書き切れないほどいはなくてはならない厄介至極な現代人である。それだから神様が、|常暗《とこやみ》のわけの分からぬ世の中だとおつしやるのも無理はないと思ふ。
[130]
無我の境、無我の声
|無《む》といふことは|言霊学上《げんれいがくじやう》、天といふことである。|我《が》といふことは霊的に見た自分、宇宙と合致したる自分。自己の肉体をさして|吾《われ》といふ、|吾《われ》のわれは五つの口と書く。鼻の穴、口の穴、耳の穴、尻の穴、小便の穴、この五つの穴を備へた肉体の自分をさして|吾《われ》といふ。無我の境といふことは、天地の神と融合したる状態である。欲望もなく、|怨恨《えんこん》もなく、好きもなく嫌ひもなく、自分もなく人も無く、神の|懐《ふところ》にとけいつて、神は我なり我は神なり、|神人《しんじん》|一如《いちによ》の境地に立つた場合を無我の境といふのである。吾人の|吾《ご》もわれなれば我が国の我もわれといふ。しかしながら、【我】といふ場合は大なる神の我、【|吾《われ》】といふ場合は一個の肉体の|吾《われ》となるのである。われわれとか、わが身とか、わが|家《や》、わが|妹《いも》、わが妻など書く場合は必ず|吾《ご》の字を用ふるのが至当である。
[131]
|苦集滅道《くじふめつだう》
【|苦《く》】は苦しみである。人生に|苦《く》といふものがあればこそ|楽《らく》の味はひが判るのである。人間が|飢《うゑ》んとするとき、|凍《こご》えんとするとき、あるひは重い病にかかるとき、可愛いい妻子に別るるとき、汗を絞つて働くとき、|峻坂《しゆんはん》を登るときなぞは、必ずこの|苦《く》といふものを味はふものである。この|苦《く》があつてこそ、楽しいとか、嬉しいとか、面白いとかいふ結果を生み出して来るのである。人生に|苦《く》といふものが無いとすれば、無生機物も同様で、天地経綸の神業に奉仕することは絶対に不可能である。人生は苦しい中に楽しみがあり、楽しい中に苦しみがあつて永遠に進歩発達するもので、寒暑と戦ひ、困難と戦ひ、悪と戦ひ、さうしてこれらの苦しみに打ち勝つたときの愉快は、実に人生の花となり、実となるものである。高い山に登るのは苦しいが、その頂上に登りつめて|四方《よも》を見晴すときの愉快な気分は、山登りの苦しみを|贖《あがな》ふて|尚《なほ》余りある楽しみである。
【|集《しふ》】、宇宙一切は総て細胞の集合体である。|日月星辰《じつげつせいしん》あり、地には|山川草木《さんせんさうもく》あり、|禽獣虫魚《きんじうちうぎよ》あり、森羅万象ことごとく細胞の集合体ならざるは無いのである。家庭を作るも、国家を|樹《た》つるのも、同志が集まつて団体をつくるのも、これ皆|集《しふ》である。家を一つ建てるにも柱や|桁《けた》や|礎《いしづゑ》や壁や、屋根その他種々の物を集めなくては家が出来ない。人間の体一つを見ても四肢五体、五臓六腑、神経、動静脈、筋肉、血管、毛髪、爪なぞ、種々雑多の分子が集まらなければ人体は構成されない。天国の団体を作るにも、智慧証覚の相似せるものが|相《あひ》寄り|相《あひ》集まつて、かたちづくるものである。これ皆|集《しふ》である。要するに、前にのべた【|苦《く》】は人生の本義を示し、【|集《しふ》】は宇宙一切の組織を示したものである。
【|滅《めつ》】は、形あるものは必ず滅するものである。またいかなる心の罪といへども天地惟神の|大道《だいだう》によつて朝日に氷のとけるが如く滅するものである。たとへば百姓がいろいろの虫に作物を荒されて困るとき、いろいろの工夫をこらして、その害虫を全滅せんとしてゐるが、到底これは|人力《じんりよく》では滅ぼすことは出来ない。ただその一部分を|滅《めつ》し得るだけである。害虫は植物の根や|幹《みき》や、|梢《こづゑ》または草の根に産卵して種属の繁殖をはかつてをるが、しかしながら冬の厳寒あるためにその大部分は滅ぼされて|終《しま》ふ。これは天地惟神の摂理であつて|減《めつ》の作用である。仏教に|寂滅為楽《じやくめつゐらく》といふ語があるが、人間がこの天地から死滅してしまへば、何の苦痛も感じない極楽の境地に|入《い》ると説くものがあるが、これは実に浅薄極まる議論である。|寂滅為楽《じやくめつゐらく》といふ意義は、総ての罪悪が消滅し、害毒が滅尽したならば、極楽浄土に現代が化するといふ意味である。総て人間そのものは無始無終の神の分身である以上、どこまでも死滅するものではない。五尺の|躯格《くかく》は滅ぼすにしても、人間の本体そのものは永遠無窮に滅尽しないのである。しかしながら、悪逆とか、|無道《むだう》とか、|曲神《まがかみ》とかいふものはきつと神の力と信仰力によつて滅ぼし得るものである。これらをさして|滅《めつ》といふのである。
【|道《だう》】は|道《みち》といひ、言葉といひ、神ともいふ。宇宙に遍満充実する神の力をさして、みちみつといふのである。要するに|苦《く》|集《しふ》|滅《めつ》の意義を総括したものが|道《だう》となるのである。道は霊的にも体的にも踏まねば、到底天国に達し、彼岸に渡ることが出来ない。故に空中にも道があり、地上にも道があり、海の|面《おも》にも道がある。道は充ち満つる意味であり、霊力体の三大元質を統一したる意味であつて、これがいはゆる|瑞霊《ずゐれい》の働きである。仏典にはミロク|下生《げしやう》して、|苦集滅道《くじふめつだう》を説き、道法礼節を開示す、と出てゐるが、|苦集滅道《くじふめつだう》といふも、道法礼節を開示するといふも、意味は同じことである。要するに|苦集滅道《くじふめつだう》は|体《たい》であり、道法礼節は用ともいふべきものである。
[132]
ミロク|三会《さんゑ》
天のミロク、地のミロク、人のミロクと揃ふたときがミロク|三会《さんゑ》である。天からは|大元霊《だいげんれい》たる|主神《すしん》が地に下り、地からは国祖国常立尊が地のミロクとして現はれ、人間は高い系統をもつて地上に肉体を現はし、至粋至純の霊魂を宿し、天のミロクと地のミロクの内流をうけて暗黒世界の光明となり、|現《げん》、|幽《いう》、|神《しん》の三界を根本的に救済する|暁《あかつき》、即ち日の出の|御代《みよ》、岩戸開きの聖代をさしてミロク|三会《さんゑ》の|暁《あかつき》といふのである。要するに|瑞霊《ずゐれい》の活動を暗示したものに外ならぬのである。天地人、また|法身《はふしん》、|報身《はうしん》、|応身《おうしん》のミロク一度に現はれるといふ意味である。|法身《はふしん》は天に配し、|報身《はうしん》は地に配し、|応身《おうしん》は人に配するのである。昔から|法身《はふしん》の阿弥陀に|報身《はうしん》の釈迦、キリストその他の聖者が現はれたけれども、|未《いま》だ自由|豁達《かつたつ》進退|無碍《むげ》の|応身《おうしん》聖者が現はれなかつた。故に総ての教理に欠陥があり、実行が伴ひ得なかつたのである。ミロク|三会《さんゑ》の世は|言心行《げんしんかう》一致の神の表はるる聖代をいふのである。人間にとれば天は父であり、地は母であり、子は人である。キリストは三位一体と説いてゐるが、その三位一体は父と子と聖霊とをいふてゐる。聖霊なるものは決して独立したものでなく、天にも地にも人にも聖霊が主要部を占めてゐる、|否《いな》聖霊そのものが天であり、地であり、父であり、母であり、子であり、人である。故に三位一体といつてもその実は|二位一体《にゐいつたい》である。キリスト教には父と子はあつても母が無い。マホメツト教もまたその通りである。仏教は一切が|無《む》であつて、父も無ければ母もなく、ただ人間あるのみと説いてゐる。なぜならば唯心の阿弥陀に|己心《こしん》の浄土といつてゐるでは無いか。|今日《こんにち》までの既成宗教は総て父があつても母が無かつたり、母があつても父がなかつたり、|変性男子《へんじやうなんし》があつても|女子《によし》が無かつたり、不完全極まる教理であつた。天のとき来たつて|真《まこと》の三位一体即ちミロク|三会《さんゑ》を説く宇宙大本教が出現したのである。
ああ惟神|霊魂幸倍坐世《たまちはへませ》。
[133]
王ミロク様
天のミロクは|瑞霊《ずゐれい》であり、地のミロクは|厳霊《げんれい》であり、人のミロクは伊都能売の霊であり、この三体のミロクを称して王ミロクといふのである。さうして総て神は人体を天地経綸の司宰者として地に現はしたものであるから、天地の御内流を享けて御用に奉仕する現実の霊体が王ミロクの働きをするのである。【おほミロク】は大の字を書くのでなく、王の字をあつるのである。|言霊学上《げんれいがくじやう》からいへばオホミロクのオは神、または霊、または|心《こころ》及び治むるの意義であり、ホは高く現はるる意味であり、ミは遍満具足して欠陥なき意味であり、水の動きであり、ロは修理固成の意味であり、クは組織経綸の意味である。天地人三才を貫通したるが王の字となるのである。
[134]
神の経綸
神は全大宇宙を創造し、宇宙一切の花とし実として人間を造つた。人間は神の精霊を宿し、神に代はつて地上の世界はいふも更なり、宇宙一切霊界までも支配せしむることとしたのである。然るに人間は現界に生るる刹那の苦しみによつて一切の使命を忘却し、ただ地上のみの経綸者として生まれて来たもののやうに思つてゐるくらゐは上等の部分である。現代の科学に心酔してゐるいはゆる立派な人間共は、人は|何処《いづこ》より来たり、|何処《いづこ》へ去るといふ点さへも明らかに分かつてゐない。|太極《たいきよく》といひ、自然といひ、大自然といひ、上帝または天帝といひ、阿弥陀と称へ、ゴツドといふも皆、無始無終、無限絶対の普遍の霊力体を指したものである。故に神とか、大自然とかいふものは、宗教家のいふ如く絶対的の、全智全能者でない。地上の花たる人間を疎外しては、神の全智全能もあつたものではない。けれども、神は全智全能なるが故に人間を地上に下して、天地経綸の用をなさしめてゐる。神と人と|相侯《あいま》つて初めて全智全能の威力が発揚されるのである。数百万年の太古より|因蘊化醇《いんうんくわじゆん》されたる今日の宇宙も、人間といふものを地上に下し、これに霊と力を与へて各々その任を全うせしめたから、今日のやや完全なる宇宙が構成されたのである。神は|山川草木《さんせんさうもく》をある力によりて造り出したが、しかしながら人間の活動が加はらなかつたならば、依然として|山河草木《さんがさうもく》は|太初《はじめ》のままで、少しも進歩発達はしてゐないのである。自然に生えた山野の草木、果実は極めて小さく、極めて味が悪い。瑞穂の国の稲穂といへども、|太初《はじめ》地上に発生したものはわづかに三粒か十粒の|籾《もみ》を頂いてゐたのに過ぎない。それを人間がいろいろと工夫して、今日の如き立派な稲穂を造り出すやうになつたのである。その他一切万事皆人間の力の加はつてゐない物はない。しかしながら人間は独力では働きは出来ない、いづれも神の分霊分魂が、体内に宿つて、地上の世界を今日の現状まで開発させたのである。人間は神と共に働いて、天国を造り、浄土も造り、文明の世も造るのである。この原理を忘れて、ただ神仏さへ信仰すれば全智全能だから、信心さへ届けばどんなことでも神が聞いてくれるやうに思ふのは迷信、妄信のはなはだしきものといはなければならぬ。また神の造つた宇宙には一つの不思議なる意志がある。その意志によつて人間は人間を統一し、|魚属《ぎよぞく》は|魚属《ぎよぞく》を統一し、鳥類、虫けらに至るまで、一々指導者がこしらへてある。しかしながら釈迦のいつたやうに、地上にミロクが出現するまでは、この天地間は未完成時代であつて、蜂に王があるが如く、|蟻《あり》に親玉があるが如く、|真《まこと》の人間界の統一者、指導者が無かつたのである。要するに宇宙が未だそこまで進んでゐなかつたからである。この無限絶対なる宇宙の完成は|今日《こんにち》まで五十六億七千万年を要してゐる。故にこれからの世の中は永遠無窮であつて、いつまでつづくか、計算の出来ないほどのものである。天文学者なぞが、何億年すれば太陽の熱がなくなるとか、月がどうとか、星がどうとかいつてゐる論説なぞは、取るに足らざる迷論である。いよいよ天地人三才の完成する間際であり、今や新時代が生まれんとする|生《せい》の苦悶時代である。|今日《こんにち》までいろいろの大宗教家や、聖人や学者などが現はれて宗教を説いたり、宇宙の真理を説いてゐるが、いづれも暗中模索的の議論であつて、一つとしてその真相を掴んだものはない。故に|今日《こんにち》まで、|真《しん》の宗教もなく、|真《しん》の哲学もなく、|真《しん》の政治も行はれてゐない。いよいよ宇宙一切の完成の時期になつたのであるから、その過渡時代に住する人間の目からは、地上一切のものが破壊され、滅亡するやうに見えるのである。
[135]
|真《しん》の宗教
宗教の宗の字は、国語にて|宗《むね》と|訓《くん》ず、宇宙一切の経緯を示すといふ意味である。ウ|冠《かんむり》の【ウ】は、天地万有一切を生み出す神の経綸といふ|言霊《ことたま》であり、下の【示す】といふ字は、天地人|開《ひら》くといふ意味である。
【宗教】といふ意味は、天地人一切に関する根本の真理を開示し、神の意志によつて人心を導き、民をおさめ、一切の万有を安息せしむべき意味が含まれてゐる。故に宗教は、天文、地文、政治、教育、芸術、経済、その他ありとあらゆるものに対し、根本的解決を与ふるもののいひである。
今までの既成宗教はいづれも天に傾き、地に傾き、あるひは|心《しん》に傾き、そして一切の人間界と|乖離《くわいり》してゐる傾きがある。現実界を疎外し|厭離穢土《えんりゑど》だとか、|苦《く》の世界だとか、|火宅土《くわたくど》とか、種々|軽侮的《けいぶてき》扱ひをなし、さうして目に見えない霊界を讃美|渇仰《かつかう》し、人間生活の|要諦《えうたい》にふれてゐないものばかりである。中には立派な宗教と現代人が思つてゐる教理は人間の慣性たる五倫五常の道を専ら説いて宗教の|本旨《ほんし》に|副《かな》つたもののやうに思つてゐるのが多い。|試《ためし》の道の心得だとか、八ツのほこりだとか、五戒十戒だとか、地上の人間に対し禁欲的の教理を教へ、神仏は非常に尊きもの、恐るべきものとして、殆ど人間の近づくことが出来ないものの如く習慣づけて来たものである。人間は生まれながらにして善悪正邪の区別は知つてゐる。教へなるものは今日の曇りきつた人間の知識をもつて測知すべからざる真理を教へてこそ初めて宗教の価値もあり、権威もあるのである。バイブルを調べても、釈迦の|一切経《いつさいけう》を調べて見ても、いたづらに文句を長たらしく並べたのみで、これといふ一つの|竜頭《りうづ》を認めることが出来ない。故に既成宗教を調ぶれば調ぶるほど、迷ひを生ずるのみであつて、|徒《いたづら》に時間を空費したのが収穫くらゐなのである。故に|今日《こんにち》まで、宗教が人心によい感化を与へたことは少々あつても、至粋至純なる天賦の精霊を混濁せしめたことも多大である。さうして今まで地上は宗教あるが故に残虐なる宗教戦も、たびたび繰り返された。現にメキシコあたりの宗教戦もその|数《すう》に漏れない残虐戦である。先年の世界戦に対しても世界のあらゆる宗教が、何の権威もなく、何の働きもなかつたことなぞも明瞭である。
要するに宗教なるものは地上一切の経綸に対し、根本的に指導すべき使命をもつてゐるものでなくてはならないのである。
[136]
自主的精神
我が国は|開闢《かいびやく》の初めより、神様が世界の宗主国として造られた自主的神国である。故に地上一切の中心となつて世界万民を指導すべき神国である。一切のものには総て中心がある。地球上、国を|樹《た》つるものその|数《すう》幾十にあまるといへども、我が国のごとく|神代《かみよ》より皇統連綿として|天壌《てんじやう》無窮なる国家は無い。故に我が国民は政治、宗教、教育、外交一切自主的精神を発揮し、あくまでも我が国風を発揮せなくてはならない使命を持つてゐるのである。然るに現代の日本人は|外尊内卑的《ぐわいそんないひてき》精神に習慣づけられ、依頼心のみ旺盛になつて来たやうである。子弟を教育するにも、莫大なる学資を投じ、やつと高等学府を卒業さした目的は、大商店の支配人になるとか、あるひは|米搗《こめつ》きバツタの|変化《へんげ》たる代議士になるか、蓄音機の化け者たる教育家になるか、人の|褌《ふんどし》で相撲をとる|伴食《ばんしよく》大臣、地方長官になるくらゐが、最大高級の目的である。一つの事業をなすにも自主的精神が欠けてゐるから、現代にときめきわたる政治家や、代議士の|古手《ふるて》、博士、大実業家なぞの名を並べさへすれば、いかなる事業でも成功するやうに思つてゐる。初めからいかなる事業といへども人の援助を受けたり、賛成を得てやらうといつたやうな薄弱な意志では決して成功するものではない。一つの事業を完成しやうと思へば少なくとも十年間の自主的|刻苦《こくく》経営を経なくてはどんな事業でも成功するものではない。加ふるに信仰、忍耐、正直の、この三つのものを活用せなくては駄目である。現代人のやることを見てゐると、政治家や、華族や、博士などの名を立派に並べたてて主義や綱領の立派なことは大政治家も、聖人君子も|裸足《はだし》で逃げるやうな勇壮な文章が並べられてあるが、単に|売薬屋《ばいやくや》の|効能書《かうのうがき》に過ぎない。我々は|真《しん》の日本人である以上、名望家の応援を受けたり、補助などを仰いで事業をやりたくはない。さういふやうな薄弱な意志では、有終の|美果《びくわ》を収めることは出来ないものである。
[137]
惟神の|心性《しんせい》
|富貴《ふうき》、栄達、金銭、性欲、|虚栄《きよゑい》その間に介在する一切の闘争も論議も屁理屈も所詮無事平穏時代の一つの躍りに過ぎない。純理だ、合理だ、正義だ、公論だと殊勝らしく|喋々《てふてふ》してゐたいはゆる先覚者も、私利私欲に|旦暮《あけく》れかぢりついてゐる|餓利餓利《がりがり》|亡者連《もうじやれん》も、名誉の|奴隷輩《どれいはい》も、驚天動地の大震災と大火災の阿鼻叫喚地獄に投ぜられたその瞬間には、何物がその|脳裡《なうり》に存在するであらうか。その最初の|間《あいだ》は、|一物《いちぶつ》でも|一物《いちぶつ》でもと物質に対する欲求に駆られてゐるが、次第に|震害《しんがい》と火力が強烈になつたら、それらも一つ一つ放棄せねばならなくなる。執念深く物質にのみかぢり付いてゐやうものなら、貴重な|生命《せいめい》までも放棄せなくてはならなくなるだらう。理学や化学の|大家《たいか》と称せらるる人々にも、天変地妖の惨状を予知することは到底出来ないだらう。いかなる哲学者も宗教家も応用化学の|大家《たいか》も、端然として|大震《だいしん》|大火《たいくわ》の真最中に立つてゐることは出来ない。いづれも|生命《せいめい》の惜しさに、【ブザマ】な醜状を暴露して逃げ出すより|途《みち》は無いのである。千万長者も、無一物の労働者も愚者も智者も、|吾《われ》先にと争つて逃げ迷はざるを得ないだらう。
かかる際、物質欲を捨て一切を神に委し身一つで逃げ出したものは|生命《いのち》を保たれ、欲の深い連中は皆殺されて了ふであらう。大自然といふ|強力者《きやうりよくしや》の前には、|智愚《ちぐ》貧富の区別は無い。太陽は等しく|暖味《だんみ》を平等的に与へる。日光も|涼風《りやうふう》も等しく風流を与へる。そこに大自然|即《そく》神様の尊い|仁恵《じんけい》があるのだ。暴風も洪水も地震も、人に依つての区別は無い。いはゆる天災地妖は平等的である。
かうした大自然の中から、人間は人間の哲学を|見出《みいだ》さねばならない。現代の一切について大なる矛盾と|撞着《どうちやく》の余りに雑多なるを|痛嘆《つうたん》せられる。自分はここにおいて一切の人類に対しただ惟神の|心性《しんせい》に帰れと|大声疾呼《たいせいしつこ》したくなる。
文化の進展した今の世界においては、人間の|生命《せいめい》は余りに|廉《やす》い。竹の柱に|茅《かや》の屋根の時代には、余り|生存難《せいぞんなん》だとか、失業だとかいふような|忌《いま》はしい不自然な問題は起こらなかつたのである。
鉄筋コンクリートの高層建造物の世の中に、|生存難《せいぞんなん》や|人間苦《にんげんく》が存在してゐる。一つの大建造物に幾万の|生霊《せいれい》を容れて一瞬の間にその|生命《いのち》を奪はれた東京の震災を思ひ出さずにはゐられない。只々天地惟神の法に従ひ、|竹柱茅屋《ちくちうぼうをく》の|神代的《かみよてき》生活であつたならば、かやうな無残なことは出来なかつたであらう。電気も|瓦斯《がす》も水道も、大自然の|強力《きやうりよく》には、何らの力なく滅茶々々に|毀《こは》されて了ふ。井戸水や|蝋燭《らふそく》はそこになると非常なる|底力《そこぢから》があると言はれるのも、西洋文明に対する皮肉である。
自分は原始時代を盲目的に讃美するのではないが、そこに味はふべき点の多々あることを力説したいのである。薄つぺらな西洋文明崇拝者や、耶蘇教かぶれや、文化宣伝の学者らの反省を促したい。そしてこれらの盲目的学者や同胞をして、純粋なる日本神国の神民に復活させたい。純日本人に|復《ふく》し、惟神の|大道《だいだう》に導き救ふのが人間相互の勤めであると思ふ。外道に陥れる|地獄魂《ぢごくだましひ》の多い今の世の中は、|殊《こと》にこの感を深うさせられるのである。
東京横浜の震火災のとき、玄米の|粥《かゆ》と梅干一個で一日の|生命《せいめい》をつないだ経験のある人々には、いかに人間が生命欲に強烈であるかと言ふことに気が付いたであらう。所詮人間の欲求するものは永遠無窮の|生命《せいめい》である。人間の|生命《せいめい》は何処までも永遠でありたい、そして不滅でありたい。心強い信仰の上に立脚して、人間らしく神民らしく進展すべきである。純日本人は日本神国の神民に|復《かへ》りたい。この筆法で自分は|今日《こんにち》まで進んで来た。真剣に|邁進《まいしん》して来たのである。これに反対し妨害するものに対しては、全力を挙げて闘つて来た。自分は人類愛のために、|今日《こんにち》まで奮戦苦闘を続け、外道悪魔の牙城に向つて|勝鬨《かちどき》を挙げて来た。神を力に誠を柱に、信仰と熱心と忍耐とによつて、ここに地上天国、霊国を建設して来たのである。ああ惟神|霊魂幸倍坐世《たまちはへませ》。
[138]
死に直面しての安心立命
死といふものは人間に取つて最も大切なる大峠である、階段である。霊肉分離のときをもつて普通一般に死んだといふ。いかなる思想、いかなる境遇の人間も死といふものの境界に想ひを致したときは何らかの感慨に打たれないものは無い。|虚心虚無《きよしんきよむ》の|境《きやう》に|入《い》つたと平素いつてゐる|悟道者《ごだうしや》もまた相当の寂しみを有するのが常である。いわんや俗人においてをや。現世に対して執着の感想を強ふすると共に行く末に対しての欲求が|沛然《はいぜん》として台頭して来るだらう。
かなりの屁理屈を|囀《さへづ》つて|飯《めし》を食つてゐる間は別にその本心に衝動はないが、さて口でこそ色々と強そうなことを言つてゐても、それがいよいよ何日の何時に汝の|生命《せいめい》|否《いな》肉体は破滅すると断定されたときには、人相当の想ひを致すは事実である。それが各人各様にさうした事実が運命づけられてゐながら明らかで無いから良いやうなものの、適確に断定されたらかなり強烈なる衝動を感ずるであらう。
万事は天運とあきらめてみようと思つてもそれは|生《せい》に対する欲求が余りに強いために出来にくい。未来は天国へ行つて復活するといふ確信があつてもそれが時間的に断定されたら、だうしても|心魂《しんこん》がグラツイて来る。死の境に直面して|真個《しんこ》に微笑して行くといふ人は、大本信者の他には断じて無いだらう。一段の宗教家らしい人も信仰者も、精神修養者も道徳体験者も、既成宗教のいづれの派の信徒も、|真個《しんこ》に微笑して心から嬉しく楽しんで【ニコヤカ】に死につくものは無い。故に吾人は地上一般の人々に対してこの大問題を解決し心の底から安心立命させたいがために日夜の活動を続けてゐるのである。
[139]
阿弥陀の実現化、弥勒仏
朝夕の教会詣でも、寺参りも、祝詞を奏上するのも、|鐘《かね》をたたいて読経するのも、悪いことではない。それはただ信仰の行程であつて、百万億土に極楽浄土があつてそこへ行つたら|蓮華《れんげ》の|台《うてな》にのせられて、|百味《ひやくみ》の|飯食《おんじき》が得られると無我に信ずることが出来て|木仏《きぶつ》|金仏《かなぶつ》|石仏《いしぼとけ》、|絵仏《ゑぶつ》を絶対に|仏《ほとけ》の姿だと信ずることの出来る者は幸福者だが、現代の人間はそういふ絶対他力の安心の|出来難《できがた》いものが多い。いよいよこれで確実だと自分の|腹底《はらぞこ》にきめ込んでゐるものも、必ず助けて貰へると絶対他力の帰依者も、いよいよ死といふ一段に想ひを致したときはグラツイて来るものが多い。あれほど信心深い|同行《どうぎやう》でさへといふことがある。極楽浄土から便りのあつたものは今に一人も無い。ただ信ぜよ|弥陀《みだ》を基督をと言つてもそれはあまりに安すぎて受け取りにくい者が多い。こう思ひ考へて見ると|真個《しんこ》に信心の出来たものが幾人あるだらうか。それを思つて自分は阿弥陀を弥勒仏として実現化せんとするために努力してゐるのである。
[140]
神と共にある人
|仏《ほとけ》の|面《かほ》から|御光《ごくわう》が射したとか、こんな不可思議が在つたとか、どんな|御利益《ごりやく》が在つたとか、|五色《ごしき》の雲がたなびいて仏陀が現はれたとか、さういふ伝説めきたることは論外として吾々人間がかうして生きてゐる、その間の|天恵《てんけい》|地恵《ちけい》、それを毎日刻々に体験して味はつて見れば、吾々の周囲は皆神であり、|弥陀《みだ》であり、弥勒である。天の恩恵地の恩恵、それらはことごとく神仏弥勒の本体では無いか。一滴の水も、一点の火光も、人の|情《なさけ》も、土も太陽も、月も、星も、数へ来たれば皆吾々人間に幸福を与へてゐる。感謝の念慮から想ひを致したならば、宇宙に存在するものすべてが有難く想はれる。それが|弥陀《みだ》であり、神であり、キリストであり、弥勒である。|木仏《きぶつ》|金仏《かなぶつ》|石仏《いしぶつ》|絵仏《ゑぶつ》はそれを顕はしたいはゆる大いなる|仁恵《じんけい》の具体化したものであつて、その目は慈愛を現はし、その手の挙げられたるは智の光明を顕はし、一方の手は救ひを示したるもの、あるひは両手を天地にたとへその像全体を宇宙としたとの説明も良いだらう。即ち大なる恵みの理想化されたものが|仏《ほとけ》の像であるといつてもよい。吾々|大本人《おほもとじん》からいつたら、|日々《にちにち》の生存は神の恵みのうちに包含されてゐるのみでなく、神の|生宮《いきみや》である、神の|御子《みこ》である。いはば神と合体である。現在も未来も神と合体である。仏者の説のやうに十万億土まで探して行く必要はない。毎日神と共に生き、神と共に働き、弥勒の神業に奉仕してゐるのだ。これほど現実で心地の良いことはない。吾々の|生命《せいめい》は永遠無窮に神と共に栄えて行くのである。
[141]
金持ちと|金番《かねばん》
金持ちと、|金番《かねばん》とは違ふ。|金《かね》を生かして使ふ人を金持ちといふのである。|金《かね》も【いき】ものであるから、自分をよく|活《い》かして使つてくれる人を喜ぶ。活動さしてくれぬやうな主人に対しては、不平があるから、さういふ所には|金《かね》が集まらぬ。
[142]
頭髪と人間の使命
髪は神界との架け橋である。あたかもそれは電線みたやうなものであつて、頭髪の多い人ほど神界との交通が盛んに行はれるのである。そして髪の多い人ほど、天の使命が重大なのである。天の使命が重大なるほどまた苦労が多いものである。だから苦労の多いのは使命の重大なる|証左《しようさ》であつて、感謝すべきことである。
老人になると天の使命が少なくなるから、従つて頭も禿げ、髪も少なくなつてしまふのである。私は幾歳になつてもこの通り、髪が少しも減らぬ。苦労も多い。使命も重大だ。
頭髪は少なくとも一寸くらゐはのばして置くがよい、それより短いのはよくない、女に|長命者《ちやうめいしや》の多いのは髪の長いお陰である。
頭髪をたびたび洗ふと命が短くなる、年に一度くらゐが適当である。多くとも四回を越えてはならぬ。
[143]
心と形
人は心を大きくもつと、従つて|体《たい》も膨れて来る。心を宇宙大に張り切つてをれば、体も従つて元気旺盛で張り切つて来る。心を小さくもつと、体もだんだん|痿《しな》びてかじかんで来る。小さな心をもつて、小さなことをいふて居つては、大きな仕事は出来ないものである。
[144]
満月と万有
満月の日には、万物が皆膨張してゐる。総てのものは|水気《すいき》を含んで水々しくなつてゐる。山でも一尺くらゐは膨張してゐるのだが、万物が一切膨れるから、人間の眼には分からぬ。
|白蟻《しろあり》が食ふやうな材木は、満月の日に切つたものである。即ち木が水分を最も多く含んでゐるときに切つたのだから、虫がつき易いのである。
満月の日に生まれた子供は色が白い、満月に遠ざかるに従つて色が黒くなる。
[145]
樹木の心を汲め
樹木を植ゑるのに私は木と相談してやるから、どんな炎天にどんなつき難い木を植えても枯れたことは無い、木の心に従つて、木の思ふやうにしてやるからだ。先づ普通の場合に移植せんとするには、|立木《たちき》の位置方向をよく覚えておいて、その通り植え替えてやればよい。総て樹木といふものは、根が痛んでゐるだけ葉や枝を切つてしまへばきつとよくつくのである。これ相応の理によるもので、根だけ切つて、枝の切り方が足らぬと、根より吸収する養分の量は枝葉を養ふに足らぬので、つひに|枯死《こし》するに至るのである。また大きな木になると、かなり強い枝を切つて弱い枝をのこしておかねばならぬ。翌年に至りて十分かついたことが確実になつてから、だんだんと強い枝を残して弱い枝を切るやうにする。かういふやうにすれば、きつとつくものである。
[146]
|大江山《おほえやま》と|邪気線《じやきせん》
|大江山《おほえやま》は日本の|悪霊《あくれい》の集まつてゐる所である。山の中腹を|邪気線《じやきせん》(|死線《しせん》)が六十間くらゐの幅で取り巻いてゐる。さればこの山に登ることは危険なことである。大抵の人間がこの邪気に犯されると思想まで悪化して了ふのである。元伊勢の内宮から、外宮にかけて霊線が通つてゐる、この霊線は良い線で、これを突破して|大江山《おほえやま》に登つた大本信者は|悪霊《あくれい》の教唆によつて、つひに信仰から離れて行くものが多い。
[147]
背に腹はかへられぬ
木といふものは、総て北が背であつて、南が腹に当つてゐる。木を切つてその|木輪《もくりん》を調べて見ると、北より南の方が膨れてゐる。それで|深山《しんざん》などに迷ひ込んで、方向が分からなくなつてしまつたときは、どれでもよい、一本木を切つて見れば直ぐ方向が分かるものである。|木輪《もくりん》のふくれた方向を取つて進めば南に行く、その反対の方向に行けば北に出るのである。
昔から、背に腹はかへられぬといふ言葉があるが、樹木を植えるときもこの原則に従つて、元の北を北に、元の南を南にして植えてやらねばならぬ。背と腹とをとりかへて、反対に植えるとつき|悪《にく》いものである。
北はほねであるから、鉱山を掘るにしても、その|鉱口《くわうこう》が真北をさしておればきつと出るのであるから、北に北にと掘つて行くべきものである。
[148]
千の利休は明智光秀
千の利休といふ人は、明智光秀の成れの果てである。明智光秀は山崎の一戦に|脆《もろ》くも敗れて、つひに名もなき|一土兵《いちどへい》のために竹槍にてつき殺されたと、歴史に伝へられてあるがあれは嘘である。|天王山《てんのうざん》の一戦で勝敗の決することは、初めからよく承知してをつたが、光秀は将士のたびたびの迎へをうけながら、わざとグズグズしてゐて、つひに勝ちを秀吉に譲つたのである。実は|疾《と》くに光秀と秀吉との間には妥協が成立してゐたのである。聡明なる光秀は、たとへいかなる事情があつたにもせよ、いつたん|主《しゆ》|殺《ごろし》の汚名を着たものが、天下の将軍となつても永続きがせぬといふことをよく承知してゐて秀吉に勝ちを譲つたのである。そして彼は頭を丸めてお茶坊主となり、|萩《はぎ》の|枝折戸《しをりど》四畳半の中にあつて、天下の大事を論じ、|謀《はかりごと》を|廻《めぐ》らして秀吉を|太閤《たいこう》の地位まで押しのぼしてしまつたのである。彼は実に秀吉の好参謀であつたのである。朝鮮征伐なども、彼の|献策《けんさく》に出たものである。茶室に這入るには丸腰となつてにじり口より|入《い》らねばならぬ。|元亀《げんき》|天正《てんしやう》時代の荒武者を制御操縦するに、もつて来いの場所方法であつた。第一秘密を保つに絶好であつた。|後《のち》彼は娘の美貌が|禍《わざはい》の|因《いん》をなして自殺を余儀なくせしめられたと、世に伝へられてゐるが、全く跡形もないことである。英雄、英雄を知る諸般機微の消息は俗人には分からぬ。
筆者がこのお話を伺つて、あるときのこと二三の|方々《かたがた》にお話して居りました、たまたま座に岡山の太田栄子夫人が居られて、この話を裏書きする面白い物語をせられましたので、|左《さ》に御紹介致します。
太田夫人は、大正九年の頃、聖師様から「千の利休は明智光秀である」といふことを承はつて、それを師匠(お茶の先生)の|名倉《なくら》某氏に話されたさうです。さうすると|名倉《なくら》氏はそれをまた家元(当時第十三代|円能斎《ゑんのうさい》氏)に話されました、すると|円能斎《ゑんのうさい》氏の|顔色《かほいろ》がサツと変はつてしばらくは物もいはれなかつたさうですが、太い|吐息《といき》と共に口を突いて出た言葉は、「まあどうしてそれが分かつたのですか」といふことであつたといふことです。そして、更に語をついで、「そのことこそ、|千家《せんけ》に伝はる、一子相伝の大秘密であつて、|後《あと》を嗣ぐ長男のみが知つて、次から次へと言ひつたへ語りつぎて、世に知るものが絶えて無いはずです。どうしてそれが分かつたのでせう」と聞くので、|名倉《なくら》氏は「霊覚によつて分かつたのです。丹波の国|綾部町《あやべちやう》に、大神通力を供へた聖者がありましてその人の霊覚によつて、その|秘事《ひじ》が分かつて来たのです」とて、聖師様に関するお話をせられました。|円能斎《ゑんのうさい》氏はいたく驚き|且《かつ》感じ|入《い》り、つひに執事を派して綾部に参拝せしめ、次いで自らもまた参拝せられたさうですが、深くこのことを秘して人に語らなかつた。|名倉《なくら》氏もまた秘してしまつたのですが、不思議なことには三人が三人共、|相《あひ》前後して同じ心臓病のため倒れてしまつたさうです。
太田夫人は「これは秘してはならぬと思ひ、皆さんにお話して居ります」と語られました。一座のものはこれを聞いて、今更の如く驚き、聖師様の|称《たた》へ尽くせぬ御霊覚のほどを感じ|入《い》りました。そして聖師様がもし、この霊覚によつて訂正さるるならば、世界の歴史もずいぶん変はつて来るかも知れないと思ひました。
[149]
|雑魚《ざこ》取りの名人
二代がこういふたことがある「先生は|雑魚《ざこ》取りの名人だから、貧乏したら|雑魚《ざこ》を取つても|生活《くらし》が立ちまするなア」と。私は|雑魚《ざこ》を取るのは名人だよ、|鰌《どぢやう》取りでも、|蛸《たこ》取りでも名人だ。一つその秘訣を教へようか。
|雑魚《ざこ》でも|鰌《どぢやう》でも、一二匹試験的に小さい|盥《たらひ》のやうなものに入れて飼ふておく、すると、ときを期してその|魚《うを》が水の上に顔を突き出して上がつて来るときがある。そのときは|大川《おほかは》にゐる|魚《うを》も、|小川《こがは》にゐる|魚《うを》も一斉に水面に現はれて来るときだ。この時を|外《はづ》さず網を入れて|掬《すく》ひさへすればきつと大漁がある。ただし私は|鯉《こひ》でも、|鮒《ふな》でも|蛸《たこ》でも|掬《すく》つたりするのでは無い、つかんで取るときの方が多い。かういふやうに|魚《うを》が頭をあげて来たときに、頭の方から電光石火的に【チヤツ】とつかむのだ、なんぼうでも取れる。|魚《うを》の逃げる時間より、こつちのつかむ時間の方が早ければ、取れるのは当然である。皆は【そつ】とねらつて取ろうとするから逃げられてしまふのである。
[150]
気候による植物の植え方
冬は地中深く植え、夏は浅く植えるのがよい、なぜならば冬は地中が暖かく、夏は地上が暖かいからである。
[151]
日本には|金《きん》はいくらでもある
|金《きん》といふ鉱物は、くらゐが高いから、さう無茶苦茶に掘つても出るものではない。持ち主の徳に相応して出て来るものであるから、徳の高い人が持つて居らねば、たとへ有つても出て来ないものである。少しも出なかつた|鉱山《やま》が持ち主が変はると【ドンドン】急に出だすことなどあつて、世の中から不思議がられることがある、徳に相応するのであるから、さういふこともあるはずである。日本には|金《きん》は沢山あるのであるが、|血眼《ちまなこ》になつて、私利私欲に|狂奔《きやうほん》する人たちが焦つても、決して出るものではない。
[152]
|三杓子《みしやくし》は天国
|御供米《ごくまい》を盛るに、神様には|三杓子《みしやくし》と定められてゐるのは、第三天国に一杯、第二天国に一杯、第一天国に一杯、都合三杯盛るわけだ。|八衢《やちまた》は二杯、地獄は一杯である。死後天国に昇らんことを|希《こひねが》ふものは、御飯も|三杓子《みしやくし》盛つて食べるやうにするのがよいのである。
[153]
出産日と男女
二百八十五日、即ち九ケ月半をもつて生まれるのは男の子であつて、女の子は二百八十日で生まれるものである。
[154]
|牛頭《ごづ》|天王《てんわう》と|午頭《ごづ》|天王《てんわう》
|牛頭《ごづ》|天王《てんわう》は素盞嗚命の|御事《おんこと》であり、|午頭《ごづ》|天王《てんわう》はマツソンのことである。|牛頭《ごづ》とはソシモリといふことであり、ソシは朝鮮語の牛のことである、モリは頭といふことである。頭はまん丸くもり上がつてゐるから、さういふ意味で【もり】といふ。|牛頭《ごづ》(ソシモリ)これは前いふ通り素盞嗚の大神様のことであるが、マツソンは大神様の名を|僣《せん》して、まぎらはしい|午頭《ごづ》|天王《てんわう》などといふたのである。牛と午との違ひである。
[155]
お釈迦さんの頭
お釈迦様の頭の髪のぐるぐる巻いてあるのは、|葡萄《ぶだう》の形を取つたものである。キリストの|荊《いばら》の|冠《かむり》も実は|葡萄《ぶだう》である。|葡萄《ぶだう》は救ひを意味するのである。
[156]
|土瓶《どびん》や|鉄瓶《てつびん》の置き方
|土瓶《どびん》や|鉄瓶《てつびん》を置くときは必ず、口が東または南に向くやうに置かねばならぬ。北向きや西向きにおいてはいけない、それは死んだときの置き方である。総て物は|陽《やう》に向ふやうにせねばならぬ、また|土瓶《どびん》は敷き物が要るが、|鉄瓶《てつびん》は畳にじかにおいても差し支へないものである。
[157]
人相とその性質
ツンと尖つた|節《ふし》のある鼻は、攻撃性を現はす。かかる鼻の持ち主は、人と衝突し易く、とかく|我意《がい》を通さんとする傾きがある。鼻の先が平たくて尖つてゐるものは、鼻柱がつよくて|猪突《ちよとつ》する傾向があるが、【てん】と行き詰まつてしまふ。曲り鼻の持ち主は、親分になりたい、|頭《かしら》になりたいととかく人の上になりたがる傾向があるが、先が曲つて引つ込んでゐるので、【てん】と明かん、|猶太人《ゆだやじん》の鼻がそれである。鼻としては、小鼻が大きいのが、よい鼻である。
耳は|後頭《こうとう》にぴたとくつついたのがよい、これは天に聞く耳といつて、一番よい耳である。耳の色が、顔の色よりも白い人は、天下に名を顕はす人である。立つてる耳はよくない、人のことに聞き耳立てる人で、立ち聞きなんかしたがる傾向がある。耳の上の方が立つて、|覆《かぶ》りかかるやうになつてゐるのは、一番悪い、天を塞いでゐるのだから、神様のことなど聞かしても、かういふ耳の持ち主には殆ど分からぬものである。|耳朶《みみたぶ》の膨れてゐるのは|福相《ふくさう》である。
唇の厚きは淫欲の深きを示し、薄きは|饒舌《おしやべり》、への字なりに下に向つて曲つてゐるのは、根性の悪いのを示す。上唇の出たのは【チヨカ】な性質であつて、下唇の出たのは意地悪の相である。
口は小さくて|口腔《こうこう》の広く、大きいのがよい、口が大きくても、|口腔《こうこう》が大きく広くさへあればよいのである。
目の奥深いのは知慧の深い証拠である。かういふ目の持ち主は内流が強いから、深く|慮《おもんばか》りてことを処するから、間違ひがない、目の飛び出てる人は、ちよつと目先が利いて利口さうに見えるが、外部状態をのみ見る人で、奥がない、かういふ人に阿呆が多い。|茶色目《ちやいろめ》の人は長生きをする、性質が清廉潔白で、道徳心強く、自制の念が深いから、情欲のために失敗を招くことがない、|黒目勝《くろめがち》の人は、見た所綺麗だが、情欲が強く、情事のために身を危ふくする恐れがある。男の目は細長い|一重目《ひとへめ》がよい。丸い目は|悪相《あくさう》である。女は|二重目《ふたへめ》のパツチリとした丸いのが円満を表象してよい。女の細い目は淫乱な相である。「女の目には|鈴《すず》を張れ、男の目にはしんしはれ」との|諺《ことわざ》は本当である。|三白眼《さんぱくがん》は根性の悪い証拠。
私の目?、ボンヤリしてゐて、ときに鋭く光ると人がいふ。見るが如く、見ざるが如きうちに人の心を読む。
額は広いほどよい、狭いのは貧相である。|頤《あご》の四角張つたのは|悪相《あくさう》、|下頤《したあご》のしやくつたやうに出てゐるのはデレ助で、軽率な人である。|顴骨《くわんこつ》の|秀《ひい》でたのは善い相で、鼻の下の長いのは、世間でいふ通り馬鹿の象徴だ。
|眉《まゆ》は三ケ月が最上で、少し下にさがつたのがよい。上に向いてゐるのは険悪な相である。毛虫のやうな|眉《まゆ》は|殊《こと》にいけないのである。
[158]
|男松《をまつ》と|女松《めまつ》
|男松《をまつ》と|女松《めまつ》とは種類が違ふ。|男松《をまつ》は|男松《をまつ》を生み、|女松《めまつ》は|女松《めまつ》を生む。|男松《をまつ》にも|雌雄《しゆう》があり、|女松《めまつ》にもまた|雌雄《しゆう》がある。赤い松の中で葉が短いものは、|女松《めまつ》の中の|男松《をまつ》である。大抵|女松《めまつ》の下には|松茸《まつたけ》が生える。神様におあげするのは|女松《めまつ》に限る。|男松《をまつ》は、本当の松ではないのである。
[159]
拍手の意義
左手は火を表象し右手は水を表象す。拍手すると左右合はして神(|火水《かみ》)となりて声を発す、その|音《おん》タカとなる。アーの|言霊《ことたま》は上がる意、マーの|言霊《ことたま》は円満具足を示し、ハーの|言霊《ことたま》|四方《よも》に|開《ひら》くの意を現はし、ラーの|言霊《ことたま》螺旋を現はす、即ち拍手によりて、神なる声が天地の間に広がりゆくなり。
[160]
地震と鉱物
地震が揺るといふことは、一方からいへば結構なことである。鉱物といふものは、地震によつて造らるるのであるから、あたかも鉱物は植物に於ける脂肪のやうなものである。いひかへれば、岩の|脂肪《やに》なのだ、地が動揺することによつて、汗が|滲《にじ》み出るやうに、岩の脂肪が出て固まるのである。これが即ち|金《きん》であり、銀であり、また銅であり、鉄であるのである。
[161]
神示の若返り法
|年寄《としと》ると誰でも|皺《しわ》が寄るが、この|皺《しわ》が寄らないやうにするには、平素から顔や体の洗ひ方に注意せねばならぬ。既に寄つた|皺《しわ》が無いやうにして、若く|艶々《つやつや》しくなるやうにするにもまた、|左《さ》の通りすればよいのである。
顔は決して石鹸や、|糠袋《ぬかぶくろ》で洗つてはいけない、ただ|掌《てのひら》には天然に与へられたる脂肪が常に分泌してゐる、この脂肪こそは、顔や体を洗ふに最も適当なる洗料である。これ以上の結構な洗料は無い、|糠《ぬか》や石鹸は顔面の脂肪を多く取るから、そのときは|垢《あか》がよく落ちて【さつぱり】するやうな気がするけれど、これが|皺《しわ》のよる原因となるのである。顔面の|上皮《うはかは》はごく薄いもので、その下には医師も知らぬやうな、細い細い脂肪腺が、無数にあるのであるから、顔をひどくこすると、この脂肪腺をグヂヤグヂヤにしてしまふ。例へば、薄い薄い紙を擦れば|皺《しわ》がよると同様である。|掌《てのひら》で静かに静かに撫でるやうにして洗はねばならぬ。|掌《てのひら》の柔らかさは最も顔面を洗ふに適してゐる。手拭ひなどのやうな硬いもので擦つては|耐《たま》らぬ。かくの如く|掌《てのひら》で静かに静かに撫で洗ふことによつて、皮下脂肪腺がふつくりとしてゐて、いつまでもその若々しさを保ち得るのである。あまり擦つて一旦つぶれてしまつた人は、下記の如くして、その回復を待たねばならぬ。それは、タオルを|微温湯《びおんたう》につけて、これを顔に当て、五分間くらゐ蒸す、かくすれば皮下脂肪腺が口を開いて自然に下から掃除が出来るのである。まただんだんと、脂肪腺が旧状態に回復して来て、|小皺《こじわ》がのびて来る。かくて|後《のち》タオルでこすることなく、押さへるやうにして水を|払拭《ふつしき》し、その上に女ならば薄化粧でもすると、|滲《にじ》み出した脂肪は、お|白粉下《しろいした》の作用をなして、綺麗になる。この方法を|度重《たびかさ》ねてゐると、|年老《としと》つた人も段々若く美しくなる。体も同様、|掌《てのひら》で洗ふのが、一番である。ただし腰から下は天国に相応しない所であるから、石鹸を使用しても構はぬ、ただし石鹸を使用する人は、体に臭気があつていけない。
筆者附記
右は承はつた体的若返り法の大体です。そしてこの通り実行してゐるものは、実際に日に日に|皺《しわ》が取れ若返りつつあります。ただ誰もが思ひ切つて従来使用し来たつた石鹸や|糠《ぬか》が捨てられないやうですが、それでは駄目です。|主一無適《しゆいつむてき》を標榜しつつも、これだけはいくら聖師様の仰せ【でも】さう出来ぬと、【でも】をつけてお言葉を実行しないと御神徳は頂けないと同様、石鹸をつかつたり、|糠《ぬか》をつかつたりするとまた|後《あと》もどりを致します。ただし汽車旅行などして【ひどく】、【すすけ】た場合は止むを得ないから、|糠《ぬか》など使つてもよいとのことでございます。
[162]
動物の寿命
|蜉蝣《ふゆふ》が五時間、象が二百年、鶴が百年、亀が九十年である。鶴も亀も三日を一年としてゐる、|牛馬《ぎうば》は三ケ月を一年としてゐて、その割合で年が寄るのである。
[163]
|尸解《しけ》
虎、狼、猪、熊、狐、狸など野山に住む獣類、さては鳩、|鳶《とび》、|烏《からす》、雀の鳥類に至るまで、死骸といふものをこの|土《ど》にのこさぬ。人に殺された場合は別だが、自然に死んだこれらの|屍《しかばね》といふものを誰も見たことがあるまい、これらの動物は一定のときが来ると、|尸解《しけ》の法によつて体をもつて霊界に|入《い》つてしまふのである。これ皆神様の|御恵《みめぐみ》によるもので彼らが死して|醜骸《しうがい》をこの地上に残すとき、誰も葬式をして|埋《うづ》めてやるものが無いからのことである。それに彼らには欲といふものがないし、執着心も何もないので、実際綺麗なものである。|虎狼《とらおほかみ》の欲といふ|諺《ことわざ》があるけれど、彼らは腹が膨れてさへをれば、決して他を犯さうとはしない。人間の欲となると恐ろしいもので、その日の|糧《かて》どころか、一年中食べても、一生涯食べても余りあるほどのものを貯へながら、まだその上|他《ひと》のものを自分のものにしたいといふ欲望の絶ゆるときがないのだから、おそろしい執着だ。家畜は死骸をこの|土《ど》に|曝《さら》すが、それは人間が始末をしてやるから、|尸解《しけ》の法に依らないのである。人間も同様お互ひに始末をしやうことが出来るから|尸解《しけ》の法によらないのである。
[164]
|金剛石《こんがうせき》
ダイヤモンドは昔|阿弗利加《あふりか》などの熱帯地方にて、地質の変動の場合、地熱二千二百度のとき結晶して出来たるものであると霊界で聞いた。五百間|四方《しはう》のミカゲ石の中心にあるダイヤモンドの如きは、チヤボの|鶏卵《けいらん》くらゐの大きさである。
[165]
風も|浪《なみ》も|七五三《しちごさん》
風は|七五三《しちごさん》の律動で吹くものである。従つて|浪《なみ》もその通り|七五三《しちごさん》とうつものである。この消息を知らないで絵をかくと、絵が死んでしまふし、この原則にのつとつて|描《ゑが》くと、松などはさながら|樹《き》が動いてゐるやうな感じを起こすもので、これを絵が生きてゐるといふのである。
名人の絵にも上の|松ケ枝《まつがえ》は右に動き、下に立つてゐる人物の|衣《ころも》の袖は左に|靡《なび》てゐるやうなのがある、これは嘘の絵だといふことがすぐ分かる。風の心になつて|描《ゑが》けば風が吹いてゐるやうにかけ、|浪《なみ》の心になつて|描《ゑが》けば|浪《なみ》が打つてゐるやうに見える、皆天地自然の道理だ。
[166]
黒は色の王
|黒色《くろいろ》は色の王である。どんな美しい色彩も黒が出て来ると皆消されてしまふ。服装もこの理によつて、|黒色《くろいろ》があらゆる色彩を圧倒して勝ちを占める。
[167]
八月のいら|蒸《むし》
八月のいら蒸しといつて、残暑の堪へ難きはまた格別である。これは八月になると、大気は暑中よりもいささか冷却して冷たくなり、人間の皮膚を引き締めるにより、熱は他に発散するを妨げられて内に篭もり勝ちになる、それでいらいらしい暑気に襲はれるのである。
[168]
|芋明月《いもめいげつ》
|芋明月《いもめいげつ》といふのは八月十五日のことで、昔|宮中《きうちう》では、月見の|宴《えん》を催し、|女官《ぢよくわん》たちは|芋《いも》を|箸《はし》につきさして、その穴より月をのぞいて見たものである。月にいろいろの自分の運命がうつるといふのである。これ|芋名月《いもめいげつ》の名の起こる|所以《ゆゑん》。
[169]
人間は種々の前世をもつ
人が死んでから再び人間に生まれ代はつて来るのは、罪があるからである。生まれ代はるといふても、人間から生まれ代はつて来てゐるのもあり、犬や猫から生まれ代はつてゐるのもあり、|竜《りう》から生まれ代はつてゐるものもある。
[170]
|仏《ほとけ》と神
あの人は仏様のやうな人だといふ人は、お人よしのいはゆる好人物の代表とはなるが、仕事は出来ぬ。|鬼神《きしん》壮烈に泣くといふ|諺《ことわざ》がある、勇気|凛々《りんりん》、活気に満てるが神様だ、神様でなければ働きは出来ぬ。
[171]
|空《そら》の星と人間
|空《そら》の星を見てゐるくらゐ楽しいことはない。各自の星が皆|空《そら》にあるのであるが、今の世の中の人々の星は、多く|暗星《あんせい》だから、光を放つてゐないから見えぬ。大臣たちだつて三等星か四等星である。一等星の人なんか世に出てゐない、歴史上の人物で豊臣秀吉即ち太閤さんは一等星の人であつた。近頃の人では西郷隆盛が一等星であつた。その後一等星の人物は出てゐない。
[172]
|椢《くぬぎ》
|椢《くぬぎ》は国の木とかいて、亜細亜の国々のどこにもある木である。|橄欖山《かんらんざん》には|橄欖《かんらん》と|椢《くぬぎ》とが沢山ある。
[173]
|籔蚊《やぶか》
蚊の中で|籔蚊《やぶか》ばかりは|棒振《ぼうふら》から出ないで、木や何かのしげみに|生《わ》くのである。そして食いつかなくてただそばに飛んでゐても人間の血を吸ふものである。
[174]
地上に移写すオリオン星座
「明らかなオリオン星座地にもあり」といふ|冠句《くわんく》が出てゐたので抜いておいた。オリオン星座を地にうつすのが|月宮殿《げつきうでん》であつて、敷地も同じ形に出来てゐるのである。月の輪台はミロク様のゐられる所である。
[175]
|奴《やつ》といふ言葉
|奴《やつ》とは親しみ愛し、褒め|称《たた》へていふ言葉である。古事記に「|此奴《こやつ》よと|宣《のたま》ひき」といふ文章があり、釈迦や孔子は偉い|奴《やつ》といふ文句がある。|奴《やつ》とは智、勇、愛、|親《しん》の備はつてゐるものをいふのである。
[176]
天人の五官
天人は額の目で見るのである、天人にも目鼻、口、それぞれ形はあるが、天人の五感は皆額である。仏像の|白光《びやくくわう》がそれにあたる。天人の性交は頬と頬とをちよつとほんの瞬間接触するだけである。そして|霊子《れいし》は|天窓《あたま》より下さるるのである。|天窓《あたま》とは現はれる|魂《たましひ》の意であつて、|聖上《せいじやう》の|御体《おからだ》のことを|玉体《ぎよくたい》と申し上げるのは、|天窓《あたま》の|体《たい》といふことであつて、|天窓《あたま》は|体《たい》の一番上にあるから、|天窓《あたま》といふのである。
[177]
霊と|食物《しよくもつ》
霊の低いものほど沢山|食物《しよくもつ》を食べるから、かういふ霊への供へ物は後が|不味《まずく》ていけない。神様に御供へしたものは、ほんの少し|食《め》しあがつて後へ精気が入るから、それがお|陰《かげ》である。あたかも|美《よ》い|香袋《にほひぶくろ》に手を触れると移り|香《か》が残るやうなものである。通りがかりの飲食店などの店に飾つてある|鮓司《すし》などは、うまさうに見えるが、食べて見るとはなはだ|不味《まず》い、餓鬼の霊が味を吸ひ取つて行くからである。
[178]
月と三日月
月といふのは三日月のことであつて、その形が|剣《けん》に似てゐるからである。ツルギは|言霊学上《げんれいがくじやう》【つき】である。ツルの返しツであり、キキの返しキである。即ちツキである。その他の月には、|後《のち》の月とか、いざよふ月とか、|望《もち》の月とか、皆それぞれ名がある。
[179]
植物と精霊
植物や石には霊はあつても、精霊が無い、これは全く神様の|御恵《みめぐみ》であつて、もしこれらのものに精霊があつたならば、長い間|一所《いつしよ》にぢつとして動くことも出来ないやうな境遇には堪へられないであらう、植物も古くなれば|木魂《もくこん》といふて精霊が|入《い》るが、それは世にいふ天狗が入るのである。だからよく世の人が天狗が松の木にとまつてゐるなどといふ、それが、松の木の精霊である。
[180]
植えかへた木のため
植え替へた木は三年、五年たつても、|干天《かんてん》には三日目くらゐに水をやらねばならぬ。水も【さ】水では駄目である。少し塩気のあるものでなくてはならぬ。漬物の洗ひ汁などの|雑水《ざふすい》がよい、【さ】水ではすぐ乾いてしまふから効果が少ないものである。
[181]
雀の領分地
雀にも自分の持つ領分がある。雀ばかりではない、|烏《からす》でも、鷹でも、|鳶《とび》でも、虎でも獅子でも狼でも、|禽獣虫魚《きんじうちうぎよ》皆それぞれ自分の住む範囲、即ち領分があるのである。そして彼らは決してその範囲外には出ないのである。またお互ひが決してその範囲を犯さないものである。もし他を犯すときはたちまち争闘が始まる。小鳥の領分地は狭い、この|光照殿《くわうせうでん》の中庭にでも雀の|幾群《いくむれ》かが住み得る。鷹となると余程範囲が広く、いつも天恩郷の|空《そら》を舞ふてゐるキンミー鷹の如きは、|南桑《なんさう》の原野の半分くらゐの|広袤《くわうぼう》を領有してゐる、ときに沢山の鷹が飛翔するときがあるが、それは彼らの|漫遊客《まんいうきやく》である。もし彼らが移住するときは、数百羽打ちつれて行く、かくの如く万物その領するところが|定《さだ》まつてゐるのであるから、人間にもまたその領有する所が無くてはならぬわけである。だが|鳥獣《てうじう》の|類《るゐ》は自分の領分を他に|賃貸《ちんかし》して金銭を取るといふやうなことが無いが如く、人間もまたさうあらねばならぬ。
[182]
ドテラの始まり
某|博徒《ばくと》の親分が、【すつかり】|賭博《とばく》にまけて衣類は皆質屋にやつてしまひ、仕方なく|夜着《よぎ》を着てゐたところ、それがまた非常によく似ついて親分からしかつたので、|乾児《こぶん》共がだんだん真似をした、それが今日の【ドテラ】である。
[183]
|本宮山《ほんぐうやま》は平重盛の居城
丸山(|本宮山《ほんぐうやま》)は平の重盛の居城であつた。|本宮《ほんぐう》、|新宮《しんぐう》、熊野神社、那智の滝等皆紀州の地名と同じである。また舞鶴はもと田辺といふてゐたのであるが、それも同じである。|以仁王《もちひとわう》は重盛を頼つて綾部の地に来られて、つひに|薨去《こうきよ》されたのである。|本宮山《ほんぐうやま》の中腹にある|治總《はるふさ》神社は私が重盛の霊を祭つたものである。
[184]
|神木《しんぼく》|銀杏《いてふ》
|銀杏《いてふ》といふ木は日本以外にはあまり無い不思議な木である。松、梅などと共に前世期に属する植物であつて、|木質《もくしつ》に粘り気があるから、あの大洪水に耐えて来たのである。|銀杏《いてふ》の実は、全部精虫で満たされて居つて、動物の精虫と少しも異ならぬものである。その臭気も全く精虫と同じであつて、焼くと蒼い色になる、即ち|蒼人草《あをひとくさ》の|種《たね》である。もし適当なる方法でこれを孵化することが出来るならば、|銀杏《いてふ》から確かに、動物が出来るはずである。かかる|霊木《れいぼく》であるから、|神籬《ひもろぎ》となるに最も|適当《ふさ》はしいのである。五十年や八十年ではなかなか実を結ばないから、実益上普通の人家にはあんまり植えない、大概お宮かお寺かさういふ所でないと植えないやうである。彼の|三十三間堂《さんじふさんげんだう》の|棟《むなぎ》の柳といふのは、その|実《じつ》|銀杏《いてふ》のことである。
[185]
天恩郷の命名
天恩郷を南北に別けて、|月照山《げつせうざん》の以北を|万寿苑《まんじゆゑん》と名づけ、以南を|千秋苑《せんしうゑん》と命名した、|光照殿《くわうせうでん》の前より聖観音様の前に通ずる道路を観音通り、天声社前より|瑞祥閣《ずゐしやうかく》に達するものを瑞祥通り、|瑞祥閣《ずゐしやうかく》前、及び温室西側より|大祥殿《たいしやうでん》に通ずるものを大祥通り、温室前より|安生館《あんせいくわん》に至り、表通りに通ずるものを大手通り、炊事場より鏡の池に達するものを真名井通り、|神集殿《しんしふでん》敷地の裏通りの最高地を国見峠、その以西を|西阪《にしざか》、東を|東阪《ひがしざか》、|東阪《ひがしざか》より大手通りに達するものを極楽通りと命名した。
[186]
|水鳥《みづどり》の温度
|水鳥《みづどり》はその体温平素四十度以上に達するものである。故に厳寒骨を刺す水の中で平気に|游弋《いうよく》してゐるのである。彼らにこの冷たさがむしろ快感を覚えしむるのである。
[187]
樹木のいろいろ
桧は素盞嗚大神様の頭髪を抜いて蒔かれたもの(もちろん比喩)なれば神様のお宮より他使用せぬものである。松杉は人家に使用し、|槙《まき》は尻の毛を抜いて蒔かれたから棺桶に使ふものである。これは|古史成文《こしせいぶん》といふ書物にのせられたる、素盞嗚命の御神勅である。
[188]
墓の|台石《だいいし》
墓石は四寸角、二尺の高さが普通である、|台石《だいいし》は、一番下が二尺角の高さ四寸、その上が一尺六寸角の高さ四寸、その上が一尺二寸角の高さ四寸の三段にするのがよい、もしそれが小さいといふのならば倍加したらよいのである。
[189]
字と筆
字は筆の|軸《ぢく》の先をもつて書くほどよく書けるものである。ペンの字でも同じことである。それに先をもつて書けば、字が真つ直ぐか、|曲《ゆが》んでいるかもよく見える、第一先の方をもつて書けば一息にかけるから、霊がぬけない、霊が抜ければ字はどんなに立派であつてもそれは|死字《しじ》である。
[190]
|与謝《よさ》の海
|与謝《よさ》の海はヨサの海と|訓《よ》む、|往昔《わうせき》素盞嗚命が|覧《みそな》はして、ヨサ、ヨサとお|賞《ほめ》になつたので、しか名づけられたのである。【ヨシヤ】と読んではいけないのである。
[191]
死者の枕する方向
死者の枕する方向は、仏教では頭北面西とて、頭は北に顔は西方浄土に向ふさだめとなつてゐるが、大本では頭を高天原、即ち神のまします綾部の方に向けるやうにするのが本当である。
[192]
結婚と男女の年齢
結婚する男女の年齢は十違ふのが最も理想的である。なぜかといへば男は三十歳にして霊肉共に完成し、女は二十歳にして完成するものであるから、完成したもの同志の結合が一番よいのである。
[193]
耐寒力と飲酒、肉食
野菜を食するものが一番耐寒力が強いものである。肉食をするものは血液が粘つてゐるので血液の循環が悪く、肉食をした当時こそ耐寒力もあるが、食せぬときは一層はなはだしく寒気を感ずるものである。飲酒家に至りては血液の粘ること一層はなはだしく、アルコールをもつてするに非ざれば、血液の循環を速やかにすることが出来ない、従つて酒を|止《や》めるとはなはだしく寒気を感ずるものである。雪に凍りたる道などを行くに、飲酒の習慣ある人はその寒気に堪え兼ね、飲酒をつづけ居らざれば血液凝結して死に至るものである。
[194]
田植
苗を田に移すには、|種《たね》を蒔いてから四十八日目から初める。そして四十九日目を避けるのが普通である。これは四は死に通じ、九は|苦《く》に通ずるので、縁起を祝ふ百姓として、こんな迷信的習慣があるわけである。
[195]
人間は木から生まれた
|足魂《たるむすび》から|生魂《いくむすび》が出る。大きな木が腐つて人間が生まれた。あたかも|小豆《あづき》に虫が発生し、|櫟《くぬぎ》に|甲虫《かぶとむし》が出来、また栗の木から|栗虫《くりむし》が出来るやうなものである。
[196]
|胞衣《えな》と|岩田帯《いはたおび》
|胞衣《えな》は然るべき|壷《つぼ》に納めて、|床《ゆか》の下か、あるひは家の|外《そと》で、人のあまり踏まぬ適宜の場所へ|埋《うづ》めるがよろしい。然し今までに既に|埋《うづ》めた人は、右のやうにせなかつたからといつて、|埋《うづ》めかへせなくてもよろしい。また|岩田帯《いはたおび》については別に儀式ばつたことは要らない。神様にお願ひしたらよいのである。
[197]
|一星霜《いちせいさう》
太陽は一年に二度回る。即ち春分から秋分までに一度回り、秋分から春分までにも一度回る、だから一年に二度回る勘定である。月は二十九日と数時間で一周してもとの位置に|還《かへ》つて来るし、星は一年に|一周《ひとめぐ》り(太陽系天体内)する、それで一年のことを|一星霜《いちせいさう》といふのである。(流星や彗星は別として)もちろん星自体が回るのでなく、地の傾斜運動によることは、霊界物語に出てゐる通り、いふまでもないことである。
[198]
虫の触角と鳴き声
鈴虫や松虫には長い触角があるが、あれは面白い働きをするものである。即ちあの長い触角は、ラヂオのアンテナと、拡声器とを兼ね備へたやうな働きをするのである。今一匹の松虫の|雄虫《をす》が鳴いたとすると、その声は触角に伝はつて強められ、高められて数丁乃至数里先の|雌虫《めす》に達する。いくら松虫の声が高いからといふて、マサカ数里先の|雌虫《めす》にまで達するといふのは信ぜられない話であるが、そこは神様の深い|思召《おぼしめし》があつて、|雌虫《めす》の頭には、ちやんと触角のアンテナが用意してあるのであつて、この触角のアンテナに感応して、数里先の|雄虫《をす》の鳴き声が【ハツキリ】と聞き取れるので、呼び出しをかけられた|雌虫《めす》は大喜びで声を便りに飛んで行く。もちろん恋しい自分の|雄虫《をす》の鳴き声を、他の|雄虫《をす》の鳴き声と混同するやうなことは決してない、【ちやん】と各自の|雄虫《をす》の所へ飛んで行つて、|甘《あま》い恋を囁きつづけるのである。彼らの鳴き声は決して人間を慰むるためではなく、種属繁栄のための本能の叫びであることは、人皆がよく知つてゐる通りである。|鶏《にはとり》の【トサカ】の如きも同じ働きをするもので、|鳥《とり》や虫が|一足《ひとあし》お先にラヂオを実際に使用してゐるのは面白い現象である。
[199]
開祖様の|奥津城《おくつき》
霊界物語二段目の水獄とよく似通つた場面を蒙古で実際に目撃したことがしばしばあるが、墳墓の如きもその一つである。蒙古では人間の死骸を地を掘つては埋めない、平地の上において、その上に土を被せるのだから、|土饅頭《つちまんぢう》が出来るのであつて、至つて簡単なものであるから、どうかすると直ぐ|土饅頭《つちまんぢう》が壊れて、|髑髏《どくろ》がごろごろと転び出す、ずいぶん気味の悪いものである。蒙古では地中に深く埋めることを地獄にやるのだと考へてゐるので、こんな埋葬の仕方をするのである。地下三尺以下は地獄に相応するのであるから、この信念は一理あるといはねばなるまい、大本の教祖様の|奥津城《おくつき》は|左《さ》の通りに築かれてゐる。
先づ地上より二尺五寸高いコンクリートの台を据え、その上に同じコンクリートで箱を作り、その中に御遺骸を納めた棺を|入《い》れ、|蓋《ふた》をなし、その上をまたコンクリートで塗つて、所々に空気抜きの穴を|穿《うが》つてある。その上をまた石で囲んであるので、地を掘つて埋葬しては無いのである。
因みにこの|奥津城《おくつき》は築き直されてからの方が、私の計画通りになつてゐるのは、不思議である。私がかつて、こんな具合に築くのであると、|描《か》いて渡しておいた図面が、旧役員の所に残つてゐるが、それを見た人たちは驚き合つてゐた。私は初めから今のやうな形にせうと思つてゐたので、|桃山御陵《ももやまごりよう》に似てゐるとかいふああした形にする積もりでは無かつた。私のいふ通りにしてくれないから、神様が官憲の手を借りて、本当のものに直されたのである。役員の中には|奥津城《おくつき》を直させられたといふて、ずいぶん官憲の処置に憤慨して、矢釜しくいふたものもあつたが、かう分かつて見ると、どちらが悪いのか分かつたものでは無い。
[200]
地震の前兆
|空《そら》が馬鹿に静かになり、井戸水が不意に|涸《か》れ、あるひは湯のやうになる。さういふときは三日と経たぬうちに地震が来るものである。この地震の危害から|免《のが》れるには、田の中に板を敷いて掘建小屋を立ててをると安全である。
[201]
御神霊を鎮めるとき
御神霊をお鎮めするとき、今までは灯火を消して暗くしてやつてゐたが、もう岩戸が|開《ひら》いたから今後は灯火を消すに及ばぬ、明くしておいてやらねばならぬのである。祖霊さんも同じことである、明くしておいてせないと、邪霊などが、闇に乗じて祖霊さんの鎮まる先に鎮まつてしまふことがある。某所で某氏が祖霊様をお鎮めすると、霊舎が動いたといふて大変に喜んでゐたが、私がいつて調べて見たら何の、祖霊さんは鎮まらないで動物霊がすまして鎮まつてゐた。私が鎮めたのは一向動かないといふて、大先生よりもお弟子さんの方がお鎮めなさるのはお上手である。お弟子さんが鎮められたときには、神様は喜び勇んで動き出されるけれど、大先生のは【ちつ】とも動かぬといふて不平を並べられたこともある。「弟子は祖霊さんを鎮めないで、狸を鎮めた」ともいへないし「私はどうも祖霊さんをお鎮めすることは|仕《し》つけないから下手である」といふて逃げて帰つたことがある。
[202]
墓場跡と飲食店
墓場跡などに普通の人家を建てると、亡霊のために種々の|煩《わづら》ひを受けることがあるが、見世物小屋とか、飲食店とかをさういふ場所に出すと、大層繁昌するものである。なぜかといふと、祭り|人《て》の無い餓鬼共が、|飲食《おんじき》にありつき、また面白いものを見て喜んで、次から次へと友を呼ぶからである。|素《もと》よりこれらの餓鬼共は、通りがかりの人らに憑依して飲食するので、その人間が見世物小屋なり、飲食店なりの前を通ると、急に食ひ物が欲しくなり、また見世物が見度くなつて飛び込んで来る。そこで大入満員の大盛況を来たすこととなるのである。だからこういふ商売をして儲けやうと思ふなら、墓場跡を選ぶのが第一番であろう。
[203]
南天と|蓮《はす》
南天といふ|樹《き》は、南の方へ向つて繁殖するものである。南の方角にある南天を北あるひはその他の方角に移植するならば、大抵の場合枯れる。これと反対に北の方から南へ移植するならば、きつとつくに決まつてゐる、これ南天の名がある|所以《ゆゑん》である。数百年を経た|古木《こぼく》だといふと、移植はむづかしく、大概枯れてしまふものである。現在の所にあれば弱つた根からも養分を吸収することが出来てゐても、他の土地に移すとさうした力をもつてゐない、南天といふ木は移植した年はついてをるやうに見えてゐても、一二年経つと枯れるから、余程よく方角を考へて移植せねばならぬ。|蓮《はす》はまた反対に東南の隅にしたがよい、さうすると西北に向つてどんどん繁殖してゆく、西北に植ゑたら、だんだんと減つて行く一方である。
[204]
神様の一年
神様の一月といはるるのは一年のことであつて、一つづきといふことである。で神様の一年といはるるのは人間界でいふ十二年のことである、教祖は三年辛抱したら大本は結構になると仰せられたが、三年とは三十六年のことである。明治二十五年から三十六年目、即ち大正十七年から結構になるのである。私はこのことをたびたび旧役員に話したが聞き入れずに、三年どころか、十年経つても一向結構にならぬと、愚痴ばかり並べたものであるが、大本も今年からだんだん結構になりかけたのである。
[205]
家畜と人間の唾液
人間の唾液は家畜には何らの影響もないが、野獣や、虫類のためには非常に害になるものである。であるから彼らは人間の唾液を非常に怖れる。彼の|蜈蚣《むかで》の如きは唾液をかけると、直ちに色が変はつてしまふ。犬や猫の小さいとき、人間が|食物《しよくもつ》をよく噛んで食べよいやうにして与へることがあるが、野獣はそんなものを食べさすと中毒を起こし、はなはだしいのは死んでしまふものである。
[206]
|山上《さんじやう》の家
山の上に掘つ建て小屋などをたてたときには、その周囲に三尺の間隔をもつて、縄をグルリと一回ししておかねばならぬ。さうしておかないと、霊に襲はれる。また普通の人家でも、縁側などに寝てはならない、必ず家の|礎《いしづゑ》から三尺内側に寝るべきものであつて、さうせんとこれまた霊に襲はれる。石は悪魔をふせぐものであるから、|礎《いしづゑ》から三尺以内に寝れば大丈夫である。
[207]
寝るときの形
寝るときはさの字のやうな形がよい。仰向けに寝ると|鼠《ねずみ》に呼吸を合はせられたときに耐へ切れなくて、病人などになると死ぬことがある。|鼠《ねずみ》が呼吸を合はせるといふのは、俗にいふ襲はれることであつて、人間の吐く息を天井で|鼠《ねずみ》が吸ひ、|鼠《ねずみ》が吐く息を人間が吸ふので、かかる場合寝てゐる人間は苦しくつて息がとまりさうになり、ウンウンと唸るもので、自分の唸り声で目が覚めることもある。この時、仰向けに寝たる弱い人だと、つひに目が覚めず、それなりになることがあるのだ。襲はれる場合には人がそばにゐて起こしてやるとよいけれど、一人だとさう行かないから、右の脇腹を下にして、【さ】の字の形に寝てさへをれば大丈夫である。
[208]
狛犬のこと
狛犬は、神功皇后が朝鮮を征伐せられたとき|高麗王《こまわう》が、降服の|印《しるし》にとて持つて来たもので、将来は、犬になつて日本に仕へますといふ意味を表はしたものである。それで|高麗狗《こまいぬ》といふのであるが、口をつまへてをるのが|唐《から》の王で、あけてをるのが向ふの王妃に型どつたもので、夫婦アウンの息を合はして神国に仕へるといふ意思の表徴である。
[209]
|大安石《だいあんせき》と|小安石《せうあんせき》
伊都能売観音様の前に据ゑられた二つの石がある。平たい方を|小安石《せうあんせき》と名づけ、も一つの方を|大安石《だいあんせき》と命名し、どちらも鎮魂して|平安石《へいあんせき》と同じく病気の人たちがお陰を頂くやうにした。|小安石《せうあんせき》は|一名《いちめい》|赤子岩《あかごいは》と名づけられ、赤子の足跡があるといふので有名な岩である。|南桑田郡《みなみくはだぐん》|曽我部村《そがべむら》|法貴谷《はふきだに》はこの岩があつたため名所になつてゐたほどであるから、普通ではなかなか手に入らないのであるが、天恩郷に上がるのならば結構であるとて譲つてくれた。この岩には小児の病気平癒をお願ひするがよい、また子の無い人は子宝を得るやうにお願ひするがよい。赤子の足跡だといつてをるが、実は天人の足跡である。|大安石《だいあんせき》は総ての病を治して頂くのであるが、特に胃腸等腹部の病に結構である。霊を|入《い》れるといふても、私はただ岩に命令をするだけのことで、命令を受けると、そのときから直ぐ石はその働きを起こすのである。
[210]
面会のこと
私はどういふものか昨年来から(昭和元年、即ち大正十五年)人に面会することが嫌になつて来た。近頃はそれが一層ひどくなつて、未信者はもちろんのこと、役員信者といへども面会することが極端にいやになつたのだ、|近侍《きんじ》といへども余り大勢が長くそばに居られることは苦痛なので、用事があつて呼ぶとき来てくれればよいといひ渡してある。私は肉体として出来るだけ辛抱してゐるのであるが、神様が嫌はれるのだから仕方が無い、特に朝早くから来られると、それつきり神様の御機嫌が悪くなつて、その日一日の仕事が駄目になつてしまふことがある。だから面会時間は午後の五時から六時の間に定めてあるので、その頃になると、為すべき仕事が一段落つき、夜の仕事との間にちよつと一服する間があるから、余り邪魔にならない。かく定めてあつても、|今日《けふ》は早く帰らねばならぬとか、綾部にお参りせねばならぬとか、【特別をもつて】とか、自分の都合のため、朝から面会を|強《し》いらるるのは苦痛でたまらぬ。私は神様に使はれてをるのである。人間の都合のために神様の御用を左右さすのは余りでは無いか、私はそのため命が縮まるやうな気がする。私に長生きをさせようと思ふなら、少し気をつけて貰ひたい。早くから信仰してゐる人たちはかういふことがよく分かつて居らねばならぬはずであるのに、旧いが故に特別の権利があるやうに思ふて、規定を無視して自分の知己を連れてズンズン押しかけられるのにも困る。遠方から来たのだから、十分や二十分時間を|割《さ》いて下さつてもよかりさうなものだと思ふ人があるかも知れぬが、私の十分間は|他人《ひと》の十分間と違ふ。十分間あれば約百五十枚の短冊を|描《か》くことが出来る。一時間も邪魔されると、九百枚も駄目になるのである。それにまだそれよりも困ることは、各自がいろんな霊を連れて来て、それを置いて行くことである。非常に気分がよくて、これから大いに仕事をしようと思つてをる所へ、ちよつと人が来てその人が、|悪霊《あくれい》でも背負て来てゐたら、すぐ頭が痛くなり、気分が悪くて一日何も出来ぬことがある。のみならずはなはだしいときはウンウンと唸つて寝なければならぬことになる。私の体は人並みにゆかぬのであるから、それを察して貰ひたい、用がある場合はこちらから呼ぶことに仕度いのである。
[211]
|白髪《しらが》の増えぬ法
|白髪《しらが》が出来かかつたらすぐ抜いてしまつたらよい、放つておくと次から次へと増えて行くものである。
[212]
雑草は彼岸前に刈れ
夏の頃盛んに繁茂した雑草は、必ず彼岸前に刈り取つて|肥料《こやし》にせねばならぬ。秋の彼岸後になると、養分が皆地に下つてしまふから、肥料として価値少ないものとなる。これに反して、柴は彼岸後に刈るがよい、水分が地に下つておるから、よく燃える。
[213]
生前に銅像を建ててはならぬ
生前に銅像を建ててはならぬ。命が短くなる、大抵それを建てて○年するときつと帰幽するものである。木像は構はない、私は自分の銅像は建てぬことにしてをる。私の像は十三段の石の塔である。台までよせて十八になる。即ちミロクの意味である。
[214]
ラヂオは気候を調節する
西村さんが|仏蘭西《フランス》から帰朝の途次|西比利亜《しべりあ》を通過して、気候が案外暖かであつたといふてゐたが、近来地上の気候はラヂオ使用のため大気に大変化を来たしてをるのである。神諭にある「世界中を|枡掛《ますか》け|曳《ひ》きならす」といふことを皆が小さい意味に取つて、国土とか、経済とかの上とのみ思つてをるやうであるが、神様の|枡掛《ますかけ》|曳《ひ》きならしはそんな狭義の意味のものでは無い、気候までも|枡掛《ますか》け|曳《ひ》きならされるのであつて、ラヂオもその働きの一部分を勤めてゐるのである、ラヂオは音波を輸送する如くに、寒気、熱気をも輸送するもので、寒帯の寒気は熱帯に運ばれ、熱帯の熱気は寒帯に運ばれて世界中の温度が段々平均して来るのである。平均するといふても、比較的のことであつて、熱帯は矢張り暑く、寒帯は冷たいが、寒暑の度が今までのやうに激烈でないやうに調節されるのである。温帯は余り変化は無い。「北がよくなるぞよ」との神諭もまた|這般《しやはん》の消息を伝へてゐるのである。また大本祝詞の「暑さ寒さも柔らかに云々」とあるもこのことである。
[215]
花は皆太陽に従つて回る
花は皆太陽に従つて回るものであつて、|日出時《ひのでどき》は皆東に向ひ、日没のときは西方に向つてをる。独り|向日葵《ひまはり》のみが太陽に従つて回るといふわけでは無いので、あの花は大きいから目立つてよく分かるが、他のはちよつと気がつかないのである。独り花のみではない、木でも草でもその|心《しん》は常に太陽に向つて居り、その運行に従つて回つてゐるのである。
[216]
惟神の寝方
惟神の寝方とゐへば、時計の針の如く、くるくる回つて夜の十二時には頭が北即ち|子《ね》の方向に向ひ、二時には丑、四時は寅、六時には|卯《う》、八時には辰とゐつたふうになるので、子供が東枕に寝さしておいても、いつの間にか南枕に回転して寝てゐるのは、惟神の寝方に叶つてをるものである。
[217]
雪の予告
雪の大層|降《ふ》る年は、茶の花が下を向いて咲いてをるからよく分かる。単に茶の花のみならず、冬咲く花は皆その通り下を向いて咲いてゐる。花のみならず、枝も用意をして下へ下へと張つてゐる、重力を支へる準備を春からしておるのだ。偉いものである。人間は万物の霊長でありながら、一向さういふことを知らないで、ぼんやりしてゐるやうである。
[218]
みささぎ、かささぎ
|陵《みささぎ》は水|幸《さち》はふといふ意であり、【かささぎ】は火|幸《さち》はふといふ意であつて、|大極殿《たいきよくでん》のことである。かの有名な「|鵲《かささぎ》の渡せる橋におく|霜《しも》の白きを見れば夜ぞ|更《ふけ》にける」といふ歌は、|大極殿《たいきよくでん》に|霜《しも》を置いたのを詠んだのである。
[219]
取越日記
取越日記について皆が取越苦労をしてをるといふのか、ハハハ何でもないことなのだ、日記帳に歌日記を書きかけたところ、一年分の日記帳が半月で済んで一月の間に二ケ年分を使つてしまつた。見ると上部の予定欄、通信欄が白紙のまま残つてゐるので、勿体無いと思つて、その日付に合ふやうな歌を書きつけていつたのである。別に意味も何も無いものであるが、神様が意味を持たさるれば、それは何ともいへないけれど、私は予言的に書いたのでは無いのである。
[220]
草花より生ずる虫
あるとき聖師は|花園《くわゑん》の中に立ち筆者を招かれました、参つてみると虎の尾に似たる、名のしれぬ草花を手にしながらふつておられました。中から無数の羽の生へた小さい虫がとんで出てゐます。
「気候と温度との具合で、|種《たね》が虫に変化したのである」とおつしやいました。「|種《たね》が虫になる、|種《たね》が虫になる」不思議なこともあるものと|訝《いぶ》かしみつつ、手に取つて他の花をふつて見るとバラバラと|黍《きび》の実が|殻《から》からおちるやうにどれからもどれからも無数の|小虫《せうちう》が飛んで出る。
「麦を|収穫《とりい》れるに際し、湿気を十分取り去らないと麦は皆|小蝶《こてふ》に変化してたつてしまふことは、農民周知の事実である。何の不思議もない、|足魂《たるむすび》は|生魂《いくむすび》、|玉留魂《たまつめむすび》に変化し得る素質をもつてをる。虫は蒸し|生《わか》すの意にて、土から蒸し|生《わ》かされるものもあれば、木から蒸し|生《わ》かされるものもある。栗の木から|栗虫《くりむし》がわくが如きもそれである。人間は|身体《からだ》を初め木から蒸し|生《わ》かされたのであるが、今は夫婦によつて造らるることになつたのである。草の実が|羽虫《はむし》に化したのに驚くほど、今の人間は誤れる学問に|煩《わづら》はされて痴呆になつてゐる。人間が最初に木から蒸し|生《わ》かされたといふことを立証して行けば直ぐに博士になれるよ」と。
筆者はやがて|恋月《れんげつ》氏をよんで虎の尾のやうな、名無し草の|種《たね》から|羽虫《はむし》が出て来る実況を見せました。|恋月《れんげつ》氏も成程成程と不思議さうに頷いて、
「学説が根底から|覆《くつが》へる。植物学も、昆虫学も、我らに植物から昆虫が生まれて来るといふことを決して教へてはくれなかつた。だが事実は鉄よりも堅く冷たい」
と|呟《つぶや》いて居られました。
[221]
女と|蛇《へび》と馬
女が|蛇《へび》や馬に|魅《みい》られると叶はぬ。一度|魅《みい》られたが最後命を奪はれねばやまぬのである。だから決して不用意に|草原《くさはら》だとて不浄を漏らしてはならぬ。ちやんと便所で用を達すべきものである。馬に|魅《みい》られるのは多くの場合処女である。そして赤い布に痛く心をそそらるるものであるから、注意せねばならぬ。|蛇《へび》に犯さるる女、馬に狙はるる女、|過世《すぐせ》の因縁因果もあろう。大神様を信じ、その御加護を頂くより他、防ぎやうが無いのである。
[222]
|霊木《れいぼく》
三百年を経過してゐる|樹《き》には霊が|入《い》つてゐる。これらの|樹《き》は切らない方がよい、もしどうしても切らなければならない場合があつたら別に一本の|樹《き》を植ゑて、それに霊を移して然る後切るがよい。かかる場合、|言霊《ことたま》で宣り直すのである。即ち「この大きな木(前のが【|直径《ちよつけい》二尺】あれば|今度《こんど》のは二尺五寸)に移つて下さい」と、こういふふうにいふのである。
森林を切る場合には大きな木を一本残して切つたらよい、霊のあるものは皆その一本の木に移つて貰うのである。
|霊木《れいぼく》を切つて祟りを受けて苦しんでゐる人も、前述の通り|若木《わかぎ》を植え宣り直してその方へ霊に移つて貰つたら、それで直るのである。霊の宿つてゐる木を切ると、霊の宿が無くなるから霊が|怒《おこ》つて崇りをなすのであるから、宿が出来ればそれでよいわけである。
[223]
盲腸は人体の根の国
盲腸は人間の体の根の国にあたる、|悪霊《あくれい》の集まる場所だ。盲腸を病むと医師はよく切開手術をほどこすが、それは危険なことである。盲腸炎といふ病気は、|外《そと》に活動してゐた|悪霊《あくれい》が、神様のお光に遇ふてゐたたまらないで盲腸に逃げ込んで、そこが満員になるから起こるのである。
盲腸は悪魔の根拠地であるから、病気をそこに押し込めて置くやうなものだ。その根拠地を破壊すればよかろうはずが無い。
[224]
日本人の肉体
日本人の肉体は、他の人種よりも組織が余程完全に出来上がつてゐるから、|創《きづ》をしてもすぐ肉が塞がつてしまふものである。肉が刃物に吸ひつくくらゐな力がある。だから指など切つて落としても、直ぐ拾つてくつつけて|繃帯《ほうたい》でもしておけば付着してしまふが、西洋人は組織が弱いからさうは行かぬ、かういふ現象の起こるのは|食物《しよくもつ》の関係であつて肉食と菜食との相違から来るのである。かく日本人の肉体組織は完全であるから、腫れ物などが出来ても切開せずに治るが、西洋人は切開して手当てをせねば治らぬのである。かういふふうに肉体が違ふのを知らずして、西洋人の真似をするのは間違つてゐる。日本人の|生肌断《いきはだだち》はいけないが、西洋人は止むを得ない。
昔の武士は|槍《やり》をもつて敵につかれると、いきなり刀を抜いて|槍《やり》を切つたものである。|槍《やり》を敵に引き抜かれるが最後、血が出るから、その場で|斃《たを》れてしまふのであるが、前いふ通り日本人の肉体は|勝《すぐ》れてゐて、かかる場合刃物に吸いついてしまふから、抜きさへせねば決して血はこぼれないから、しばらくの|間《あいだ》は命が保たれるものである。よく劇などで|刃《やいば》を腹へ突き立てた手負ひが物語をする場面があるが、同じわけで突き立てただけでは決して死ぬもではない、その刀を引き回すと死ぬのだ。
「やれその|刃《やいば》引き回すことしばらく待て、いひ聞かす次第あり」
などと|上使《じやうし》が来る所があるが、この芸当は日本人には出来るが、肉体組織の弱い西洋人には出来ぬ。直ぐ|庇口《きずぐち》が【ワクン】と|開《あ》いて血が流れ出してしまふから。
日本人はこんなに優秀に出来上がつてゐる自分の肉体のことさへも知らずして、無闇矢鱈に西洋かぶれをしてゐるのである。昔の武人はこの呼吸をよく知つてゐて、|槍《やり》などで突いた瞬間に手際よく【サツ】ト刃物を引き抜くのである、早く抜かねば、身が吸いついて抜けぬやうになつてしまふ。突かれた方はこれも【ほん】の瞬間に敵の武器を切つて血を出さぬ分別をしたものである。かうして遺言なり、跡始末なりを遺憾なくやつてさて|徐《おもむろ》に死を待つたのである。
[225]
白血球と赤血球
白血球は|体《たい》の|養《やう》を司るものであり、赤血球には霊が充満してゐる。また霊の交通運輸の役目もする。赤血球百に対して、白血球一の割合が普通である。二千対一くらゐになると体が弱い。
[226]
深呼吸の害
深呼吸は人体にとつてよくない。例へば|楽焼《らくやき》をしてゐるあの|電気竃《でんきかまど》、八百度の熱をかくべきところへ、千度の熱を加へるとヒユーズが切れると同じやうに、かへつて|身体《しんたい》の具合が悪くなるものである。矢張り自然そのままの呼吸が一番結構である。
[227]
|癩病《らいびやう》と肺病は|天刑病《てんけいびやう》
|癩病《らいびやう》、肺病共に体の組織が破壊される病であつて、どちらとも|天刑病《てんけいびやう》である。|癩病《らいびやう》は外部に起こる|天刑病《てんけいびやう》、肺病は内部に起こる|天刑病《てんけいびやう》である。普通ではなかなか治らぬ。余程深い信仰に|入《い》らねばいかぬ。「いうて聞かせてやりたいけれど、今の人間は欲に呆けてゐるから、取違ひをするから」とて、教祖様もとうとう平癒の方法を示されなかつた。
[228]
|葱《ねぎ》と呼吸器病
|葱《ねぎ》は|肋膜炎《ろくまくえん》や肺病等に特効あるものである。元来|葱《ねぎ》はその成分中に殺菌剤と精力増進剤とを兼ね備へてゐるのであるから、非常に結構なものである。ただしその用法は刻んだり、煮たりしたのでは効果はない、|生《なま》のまま一寸五分くらゐにちぎつて味噌をつけて食するのである。ことに|醤油《しようゆ》の|諸味《もろみ》をつけて食べるのが一等である。
[229]
|脚気《かつけ》の妙薬
|脚気《かつけ》に|罹《かか》つた人は、伊勢海老を黒焼きにして、それを粉にして呑むがよい。
[230]
|癲癇《てんかん》
|癲癇《てんかん》を病んで引つくり返つてゐる人間があつたらその足の裏に、艮の金神と|墨《すみ》で書いてやると正気に返るものである。
[231]
熱と病気
病中に熱が大層出るのはよいことである。病気と体とが戦つてゐるために出るのだから、熱が出れば出るほど結構なことで、病気はそのために駆逐されつつあるのである。然るに熱の出てゐるのを冷やしたりすると、火に水をそそぐやうなもので、病気に加勢することになる、肺病患者などに始終熱が出て来るのは|黴菌《ばいきん》を殺さうとしてゐるのである。
[232]
カタバミの葉
お腹がひどく痛むとき、【カタバミ】の葉を二三枚お|臍《へそ》の上にのせておくと直ぐ治るものである。
[233]
|平安石《へいあんせき》と眼病
|平安石《へいあんせき》にお祈りをすれば、どんな病気も治るが、取りわけ眼病に一番効験が現はれるのである。|一路《いちろ》平安に行くのには眼がよくなければならぬ、それでしか命名したのである。草や木に種々薬になるものがあるが如く、石にも眼に利く石、腫れ物に利く石とそれぞれ使命が違つてゐるから、その使命を保つた石を使用せねばならぬ。先日綾部から帰る道すがら、自動車がパンクしたので修繕の|了《を》はるまで待つてゐたその間、ちよつと山に登つて見たら腫れ物によく利く石を見つけたから、持つて帰つて来た。これに霊を入れて腫れ物で困る人にやろうと思つてゐる。
[234]
|創《きづ》をしたとき
|創《きづ》をしたり、腫れ物が出来たりした|後《あと》は、しばらく梅を食べないやうに心掛けねばならぬ。梅を食べると、その後が赤い|痕《きづ》となつて生涯治らぬものである。
[235]
感冒の妙薬
感冒に|罹《かか》つたら、味噌仕立ての熱いお|粥《かゆ》をこしらへ、それに沢山|葱《ねぎ》を刻み込んで食し、暖かにして寝るときは、【きつ】とぬけるものである。もし一度でぬけぬならば、何度もぬけるまでやつたがよい。一体|風邪《ふうじや》といふものは狸の霊の作用であるから、狸の嫌ひな|葱《ねぎ》を沢山食べれば自然になほるわけである。
[236]
病気の手当て二三
|直腸癌《ちよくちやうがん》には御神水で|灌腸《くわんちやう》してやるとよい、|章魚《たこ》にあたつたときは、|生紙《きがみ》を煎じて飲むと直ぐ治るものである。|田螺《たにし》と|蕎麦粉《そばこ》とを食ひ合はすと流産する恐れがあるから注意せねばならぬ。
[237]
|瘤《こぶ》を取る法
|瘤《こぶ》を取るには、|無花果《いちじく》の葉の搾り汁即ちあの乳のやうな汁を取り、それを塗りつけて置くとやがて取れる。
[238]
伝染病根治法
伝染病は総て|悪霊《あくれい》のなす作用であるから、それを根絶しやうと思へば、年に一度くらゐ餓鬼に供養してやるとよい。団子を作り|河辺《かはべり》において丁寧に慰霊祭をすれば、決して悪病は蔓延せぬものである。
[239]
火傷の妙薬
火傷の薬は|母汁《ぼじふ》に|如《し》くものは無い。これをつけさへすればどんな火傷でも直ぐ痛みが止まつて、平癒してからも決して痕跡を|止《と》めるやうなことは無い、このことは古事記にも出てゐる。
因みに|母汁《ぼじふ》と|母乳《ぼにう》とは違ひます。混同されないやうにお願ひいたします。
[240]
柿は毒消し
私は柿が大層好きである。果物のうちでは柿が一番美味しい、柿はまた毒消しの働きをするものであつて、夏の暑いときから、秋にかけていろんな悪い|食物《しよくもつ》を食べてた毒が秋になつて出て来るのを、柿によつて消してしまふやうに出来てゐるのだ。単に柿のみならず、神様は季節季節に人体に必要なるものを出して下さる。春は人間の体が柔らかになつて来るから、|筍《たけのこ》のやうな石灰分に富んだものを食べさすやうに【ちやん】と用意してあるのだ。故に人はその季節相応のものを食べてをれば健康を保つことが出来るやうになつてゐるものである。今のやうに夏出る|西瓜《すいくわ》を春頃食べて見たり、春出るべき|筍《たけのこ》を冬食べて珍味だと喜んでゐるのは間違つてゐる。それだから人間がだんだん弱くなつて来るのである。総てが間違ひだらけである。
[241]
|大蛇《だいじや》と|毒気《どくき》
山で|大蛇《だいじや》の|毒気《どくき》に当つて大病になつたとか、死んだとかいふ話がよくあるが、それは|大蛇《だいじや》の|毒気《どくき》にあたるのでは無く、驚きのため人間自体に発生する毒素のために犯されるのである。人はまた|怒《おこ》つたときにも同じ作用を起こすものであつて、その毒は病の原因となるのである。私が|怒《おこ》るとき大きな声を出すのは、実はこの毒素を放散せしむるためである。
[242]
|痔疾《ぢしつ》の妙薬
|痔《ぢ》の病にかかつたら、|鳰《かいつむり》を一羽料理して焼きたるを、味噌汁に仕立てて食すると直ちに治るものである。
また、|葱《ねぎ》の|白根《しろね》を、おろし|金《かね》でおろし、紙にのベて局部に宛てておくもよく、|白根《しろね》の切り口にて局部をこするも|効《かう》多し、多少しみて痛むものなれども、大層よく利くものである。霊的にいへば|痔《ぢ》はドブ狸の作用である。
[243]
呼吸について
呼吸は両方の鼻の穴から吸うて、また出してゐるやうに、多くの人は思ふてゐるが、さうではない、左の穴から吸ふて、右の穴に出してゐるので、試みに一方を塞いで実験をして見ればよく分かることである。
[244]
泥は薬
天恩郷|洗心亭《せんしんてい》の湯が時々泥湯になることがあるが、それははなはだ結構なことである。そもそも人間はお土からむしわかされたものであるから、土は人間に取つてはなはだ結構なものである。さういふお湯に|入《い》るのは温泉に|入《い》るやうなもので大層薬になるものである。お土はそれ自体が薬になるから、病気のときにはお土を溶かして飲むとよく利く、またお腹の|空《す》いたときには土を食べてもよろしい、私はかつて伏見から綾部まで二十五里の道を、何も食べることが出来ないで帰つたことがあるが、そのとき赤土を取つて水に溶かして飲んで|食物《しよくもつ》の代用とした、そして無事綾部に帰りついた。土といふても大本のお土さんのやうに粘り気のある土でなくてはいけぬ。
[245]
泣く病人は死ぬ
病人がメソメソ泣き出したら死ぬ。霊界物語は常に人々を明るい愉快な楽しい気持になすやうにと口述せられてゐる。病人には成るべく面白おかしい所を読んで聞かせて気持を楽しい方面に転じさせ笑はせてやることが必要である。
[246]
病気と脈拍
古今を通じて医師は「脈が確かだからこの病人はきつと全快する」といふやうなことをいつて、脈拍をもつて病気を測定するの必須機関と考へてゐるが、さうばかりは行かないのである。獣脈といつて憑依霊の脈が確かに打つてゐるのを、人間の脈と誤診する場合が多々ある。しかし今のお医者さんにはこの差別はちよつと分かるまい。
[247]
病気と薬
一、|喘息《ぜんそく》は|榧《かや》の実を|煎《い》つて毎日食べるとよい、|榧《かや》の無い場合には|蚕豆《そらまめ》を|煎《い》つて粉にして食べてもよい。
一、熱のあるときは|蚯蚓《みみづ》の乾いたものを煎じて飲むとよい、水を呑むこともよいことである。
一、胃癌には塩の【ニガリ】を|盃《さかづき》に一杯くらゐ一日量として飲むとよい、単に胃癌のみならず子宮癌、食道癌などの癌種には皆よい、盲腸炎、胃病、腸、|口中《こうちう》のただれなどにも有効である。
一、下痢、赤痢、コレラ等の病気には一本の寒天の四分の一くらゐを煮てトロトロとなし、固まらないうちに白湯一合にて飲むとよい、この故は|黴菌《ばいきん》を全部寒天の中に吸収してしまふて排出するからである。
一、腎臓病には、オバコ(|根葉《ねば》共)の|生《なま》のもの百五十|匁《もんめ》を煎じて飲む、これは一週間の量であるから一日量約二十|匁《もんめ》強にあたる。|生《なま》のものを得られぬ場合は干したものでもよろしい、オバコはまた他の|腫病《はれやまひ》にも利くものである。
一、|蛇《へび》に|咬《か》まれたときは山ぜりを揉んでつける。
一、|蝮《まむし》に|咬《か》まれたときには生きてゐる|蚯蚓《みみづ》をこづき御飯粒と練つてつける。
一、眼病は|鰻《うなぎ》の|腹綿《はらわた》を毎日一回づつ生で食すとよい。
一、梅毒には人の入つた風呂の|脂《あぶら》を飲むとよいので、風呂の湯に手拭ひをあて|垢《あか》など|入《い》らないやうにこしてのむのである。
一、胎毒には垣根を結びたる腐れ縄を黒焼きにして、その灰を灯明の油にて練り、それを腫れ物の上につける。
一、生涯、食あたりをせぬために、妊婦が出産して、第一回授乳する前に、|塩小鯛《しほこたひ》を全部【バリバリ】に焼いて食ふとよい。
一、【よう】、【ちよう】などの腫れ物が出来たときは、【あをき】の葉を七枚煎じてそれでなでると治る。
一、|腹痛《はらいた》、胃病等の場合には、【げんのしようこ】を煎じてのむとよい。
一、胃腸病には松傘の青いのを煎じて呑む。
一、なまこにあたつたときは|藁《わら》を煎じてのむ。
一、|魚《うを》にあたりたるときは梅酢をのむ、あるひは|生果物《なまくだもの》を食するもよし。中にも林檎は最もよろし。
一、|十二指腸虫《じふにしちやうちう》には果物を食す、柿は最もよろし、次には林檎。
一、針をのみたるときは【ぼれい】(|蠣殻《かきから》を焼いて粉にせるもの)を呑むこと。
一、|肋膜炎《ろくまくえん》には【ゆづり】葉六枚を黒焼きとして粉末として三度くらゐに|分服《ぶんぷく》するとよい、大概一回で|効《こう》を奏すれど、もしきかざれば二回までは同様のこと繰り返してよし。
一、丹毒に|罹《かか》りたるときは生きた|鰻《うなぎ》をして、患部を這はしめるときつと治る。|鰻《うなぎ》が毒を取つてくれるのであるから、這はした|後《あと》はすぐ河に放してやらねばならぬ。
[248]
松と土と水
大概の病気は、松と土と水さへあつたら治るものである、|風邪《ふうじや》その他熱のある場合には、|雌松《めまつ》を煎じてのむとぢきに熱が引く、神様にお供へしたものならば一層結構である。お土は|傷《きず》をした場合にぬりつけるとよい、|切瘡《きりきず》、火傷、打身腫れ物などなんにでもよい、また、水は万病の薬であつて、諸薬、水に越したものはないのである。熱のある場合病人が欲しがれば井戸の汲み立ての水をどんどん呑ましてやつたらよい、水道の水はくたぶれてゐる、井戸水は生気|溌溂《はつらつ》としてゐるから井戸水に限る。私はかつてひどい熱病患者にどんどん水を呑まして治してやつたことがある、医師はちよつとも水を呑ましていけないといつてゐたが、そんなことはない、水くらゐ薬になるものは無いのである。
[249]
|四苦《しく》
|生《せい》、病、老、死、これを|四苦《しく》といつて、人生で一番苦しいものである。生まれるときの苦痛が一番ひどいので、人はその苦しみによつて、自分の|前生《ぜんしやう》を総て忘れてしまつて、何も分からぬやうになるのである。次が病の苦しみ、これは大抵の人が大か小か味ははないものは少ない、次が年とつて行く苦しみ、だんだん苦痛が軽く死が一番苦痛が小さいのである。
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巻頭の聖師様御写真は青森にて御撮影 時ならぬ花満開の霊写真です御歌あり
青森のわがうつしゑの背景の
女松の枝に|日《す》の花咲きけり
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水鏡
終り