空色の冒険
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)ゴム動力式|エアクラフト《も け い ひ こ う き》
[#♪]:BGMの指定。「WILD ARMS Advanced 3rd Original soundtrack」内のトラックナンバー
(例)[#♪ Disc1 17-不安から焦燥へ]
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[#♪ Disc1 17-不安から焦燥へ]
第1章 月と模型飛行機
ラジオから流れるピアノソナタの音色《ね いろ》に紛《まぎ》れ、勝手口から外に出る。
裏庭を横切りながら、小窓《こ まど》からそうっと居間を覗《のぞ》くと、ランプの黄色い光の中、おばあちゃんは編み物を続けていた。
「よしっ!」
柵《さく》の掛け金を外し、自作のゴム動力式|エアクラフト《も け い ひ こ う き》を片手に、ダッシュで脱出する。
目的地へと一路《いちろ 》、山道を走る。
月の光で青白くそめられたコスモスが、足音にあわせて|微《かす》かにゆれた。
「……ふう」
町から大分《だいぶ 》離れただだっ広《ぴろ》い河原《か わ ら》に来た俺は、一つ小さな息をついて流れの側《そば》へと歩いた。
冷えた空気がじわり、昼間|着《き》ていた|半袖《はんそで》シャツの、|襟《えり》ぐりから忍び込む。
「うう、寒《さむ》ッ!」
世界を水底《みなぞこ》みたいに染める満月を見上げて、白い息を吐く。
|葉の月《は ち が つ》を過ぎたとはいえ、この山あいの僻地《ドいなか》では、すでに紅葉《こうよう》が始まってるんだ。
でも、こういう日……
すなわち昼と夜の気温差が激しい時こそチャンス。
俺はエアクラフトをかかげ、上昇気流を待った。
……頃《ころ》やよし。
「行っけぇっ!」
俺の手から、愛するマスィーン【SK−13】は飛び立ち、うまいこと上昇気流に乗る。
「やったッ! 計算通りだぜ! ……って、あれ?」
SK−13は高度を下げることなく、そのまま気流に乗ってフラフラ流されはじめた。
「お、おいッ!」
いったい、どこまで飛んでいくんだッ!?
俺はおろおろしつつ、クラフトを追って走り出した。
「げえっ!」
クラフトの落ちた先を認めた俺は、真《ま》っ青《さお》になった。
逆光の中|聳《そび》えたつ、くろぐろとしたシルエットは……
『血をすする恐ろしい夜の魔物の棲《す》み家《か》』って言われてる、旧《ふる》い城跡《しろあと》じゃないか!!
でも、……
初めて成功したクラフトを、捨てるわけにはいかないよな……
俺は震える足を引きずるようにして、城に向かって歩き出した。
「やっぱ……怖《こえ》ェ……」
悪魔の飾り彫りが一面に施された門を見上げ、ぶるりと体を震わせる。
カッコ悪《わり》い?
確かにそうかもしれないが、俺はまだ11才の少年だ。無理のない反応であろう。
「……くそッ、行くしかないぜ、ジャック!」
覚悟を決めて自分を励まし、俺は城門を開く。
崩れかけた石段を登ったテラスから、眼前の廃墟を見下ろす。
ひび割れた女神の石像が、うつろな瞳で俺を見上げていた。
……昔はさぞ、きれいなお城だったんだろうな。盛者必衰《じょうしゃひっすい》。栄枯盛衰《えいこ せいすい》。切ないねえ。
なーんてね。
感傷《かんしょう》にふけるためにここに来たんじゃなかったな。
「このあたりかな、っと……うげっ」
柵がこわれてるところから身を乗り出した俺は、見事にバラバラになったSK−13の残骸を見つけ、長い長いため息《いき》を吐《つ》いた。
「ったく、ついてないよなあ……」
一人《ひとり 》ごち、柵を背にしてその場にへなへな座り込む。
と、その時何者かの気配が、背後でざわめいた。
慌ててテラスから身を起こす俺に、闇の中から何かが飛びかかってきた!!!
う、|噂《うわさ》の魔物か――――ッ!?!?
「うわあああああっ!!!!」
その一撃を間一髪、転がってかわした俺は、魔物の正体を認めて真っ青になった。
[#♪ Disc2 19-うつむけば絶望、見上げれば希望]
そこには……目をらんらんと紅く輝かせた、はがね色の毛並みの狼《オオカミ》がいやがったんだッ!!!
「ひゃああッッ!!!」
俺は情けない悲鳴を上げて、その牙を避《よ》けつづける。
しかし、ひらりひらりと身をかわしているだけじゃ、武器もナイ力もナイないないづくしのこの俺が、狼に勝てるワケがない。
だんだんと、息が上がってくる。足が縺《もつ》れてくる。
後ろを見せて、全力で逃げるわけにもいかない。
狼《ヤツ》は、そんな俺を薄く笑ったように見えた。
ああ、夢に殉《じゅん》じて死すジャック、享年《きょうねん》11才……
……なんて嫌《イヤ》だ、まだ死ねないッ!!!!
俺は目を見開き、ヤツを見据えた。
睨《にら》み合ったまま、テラスの柵の割れ目の方へ、じりじりと移動する。
そして、狙った位置に立ち、ふっと目をそらす。
「グルル……ウウウウッ……!!!」
奴は驚くほどのジャンプ力で飛び掛かってきた!
狙い通りだ!!!
俺はそのまま、狼の方に向かって跳躍前転《ちょうやくぜんてん》した!
頼む、そのままテラスから落ちてくれッ!!!
しかし、祈りは天に届かなかった。
奴は俺の頭上を飛び越え……テラスの割れ目に気付き、体をひねって柵の部分にぶつかったのだ。
カラカラと石くずが落ちていく音が響く。
狼はひとつ、不機嫌《ふ き げん》そうな鼻息を漏らすと、見事な動きで地面を蹴った!
……もう駄目《ダメ》だ、神様ッ!!!
しかし、いつまで待っても、覚悟してた痛みはなかった。
こわごわ目をあけてみる。
……俺は見た。
月の光の中から、小さな影があらわれたのを!
その指から、一条の赤い光がほとばしったのを!!
息を呑む俺の目の前で、狼《ヤツ》はそのまま倒れ伏す。
長いマントがふわり、と舞った。
[#♪ Disc1 09-別れ・絆・旅立ち]
軽やかな着地音と共に、影は俺の前に降り立った。
「なっ……」
俺は絶句した。
なぜって、その影は、かわいい女の子だったんだ!!
俺があっけに取られていると、彼女はパチンと指を鳴らし、空に浮く小さな乗り物を呼び寄せた。
なるほど、さっき聞こえたモーター音はこれか。逃避ぎみにそんなことをおもっていると、
「|怪我《けが》はないか?」
いくぶん高めの声で話し掛けられた。
コクコクとうなずくと、彼女はふっと|微笑《ほ ほ え》んだ。
「ならばよし。ところでおぬし、何用《なによう》でここに来たのじゃ?」
先がカールした長い金髪を手で漉《す》きながら、少女は口を開いた。
それは、とてもキレイなんだけど……
少女と目が合った俺は、冷や汗をたらり、と流した。
……瞳が赤い!?
もしかして、ウワサの血を吸う魔物《マ モノ》っ!?!?
俺は思わず、心のままに叫んだ。
「おいしくないよ!! お、俺!!」
ぺたんと座りこんだまま後ずさりしようとする俺に、彼女は不思議に寂《さみ》しそうな顔で|微笑《ほ ほ え》んだ。
吊り上げられた赤い唇の内側に、白く長い犬歯《けんし 》が光る。
小さく喉を鳴らし、|身体《か ら だ》を|強張《こわば 》らせる俺に、彼女は静かに近づいてきた。
「……小僧の血なぞ吸う気にもならんわ。ところでおぬし、質問されたらちゃんと答えんか。何用でここに来たのじゃ?」
目の前に来た縦長の虹彩《こうさい》が、きろんと俺を|睨《にら》む。
俺はまさに、蛇に|睨《にら》まれたカエルってやつだ。
「あわわわわ……エ、エアクラフト飛ばしに……」
「エアクラフト??」
少女は細い首を傾《かし》げた。
「ええ、こ、これなんですけど……」
言葉と共に、模型飛行機を両手で差し出す。
「……そう固くなるな。慣れない言葉も使うこともないぞ」
少女は苦笑しながら、クラフトを手に取った。
そんなこといわれてもなあ。
緊張するな、って方が無理だよ。
「ふ〜〜〜む」
そんな俺の様子をどこ吹く風と、彼女は真剣な目で、翼のそり・ゴム製の動力部分等を確かめていく。
なんだか、目の前で先生にテストを採点されてるような、ヘンな感じだ。
「うむ。よく出来ておる。十年程度しか生きておらぬ若造《ひよっこ》にしては、だが」
クラフトを俺に返し、彼女は唇を釣り上げて笑った。
「……ありがとう、って言うべきですか」
ふてくされた俺の言葉に、少女は再び破顔した。
「うむ、誉めたつもりだったのじゃが、すまんの。ノーブルレッドであるわらわには、そのあたりの機微《きび》は分からぬのじゃ」
「……へえっ? ノーブル、レッドぉ?」
ものすごく間抜けな声が出てしまった。
慣れない丁寧《ていねい》語も吹っ飛んでる。
いやでも、ノーブルレッドって……よくマンガにも『まさか…あの伝説の……ノーブルレッド!!』ってネタにされてる、人の血を求めて夜を徨《さまよ》う、永遠の命を持つ美貌の一族、ってヤツだよな。
目の前にいるこの子は、そのノーブルレッドだって言うのか?
「うむ。そうじゃ」
でも、偉そうにうなずく彼女の姿は……伝説に聞くノーブルレッドの特徴、そのものだ。
「で、このクラフトでどうしようというのじゃ」
「…………」
さすがに、何もかもぶちまける気にはなれなかった。
でも、せっかく助けてくれたのに、さっきの態度は失礼なことこの上なかったよな……
「……俺、それでいろいろ実験して、いつか俺が乗れるような飛行機を作りたい、って思ってるんだ。……じゃない、思ってるんです」
「ほほう。それはそれは、面白いのう」
子供をあやすような口調だ。
(なんだそれ。俺は俺なりに、一生懸命にやってんだぜ……!)
かなりカチンと来た俺の、口が勝手に|喋《しゃべ》り出す。
「……人の夢を勝手に聞いといて、んでもって勝手に、笑うことはないじゃんか」
誰にも言ったことないこと話したのにさ。
「ああ、おぬしの夢を笑ったわけではないのじゃ」
「じゃあ、何がおかしかったんだよ!!」
問い詰める俺に構わず、
「まあそうカリカリしなさんな。わらわはおぬしの夢を、手伝うことができるかもしれんぞ?」
彼女はそれだけ言うと、腕に巻いた機械仕掛けのバンドのスイッチを押した。
「うわぁあああーっ!!」
今度も俺は情けなく、腰を抜かしてしまったかもしれない。
でも大人だって、こんな目にあったら、阿鼻叫喚《あびきょうかん》の大ビックリとなるはずだ。
……だって、今までは廃墟だったトコロが、いきなり立派なお城になっちまったんだぜ!!
「ひええぇ……」
少女は呆然としている俺に手を差し伸べ、城の中へと導いた。
城の中には、見たこともない機械がそこここに配置されている。
俺は目を白黒させつつ、おとなしく後をついていった。
いくつかの部屋を通り過ぎた後、彼女は両開きの豪華な扉を開いた。
「うっ……わあ……」
そこには学校の図書館の何十、いや何百倍もの本が並んでいたんだッ!!!
「これは、すげーぜ……」
俺は前から欲しかった、『初歩から学ぶ風力』とか、『失われた飛空機械』とかの背表紙を見つけ、思わず感嘆のため息を漏らす。
「どうじゃ、気にいったか?」
振り向くと、彼女が腕を組んで笑っていた。
「ここには研究に役立つだろう、様々な本がある。好きな時に、好きなものを読みにくるといい。ここまで来《き》やすいよう、城と町を結ぶ、【転送装置】を設《もう》けておくでな」
「……それはありがたいけど……アンタ、何でこんなに優しくしてくれるんだ?」
もう、少女に対する警戒心は消えていた。
不思議なことだが、どうも彼女と俺が、共通して持っている何かが、俺の心を解《ほど》いたみたいだ。
「うーむ。それは……」
少女は首を傾げ、言葉を捜す。
「それは?」
「……そうじゃな。おぬしが飛行機造りに成功し、わらわを乗せて空を飛べたら教えてやろう」
「なんじゃそりゃ」
「フフフ。約束じゃからな」
彼女は本棚にもたれ、俺に向けて笑った。
礼の言葉を言おうとして、俺ははたと気がついた。
「な、アンタのこと、なんて呼べばいい?」
「……おぬし。礼儀作法を初歩から勉強する必要があるな」
彼女は本棚にもたれた姿勢のまま、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「人に名を聞く時は、自分から名乗るのが礼儀だ、と聞いたことはないか?」
「た、確かにそうだ……」
俺は首筋をかいて、姿勢を正した。
「俺はジャック・ベックソン。南のクアトリーで、ばあちゃんと住んでる11才だ」
鷹揚《おうよう》にうなずいた彼女は、俺を見つめ言った。
「わらわの名はマリアベル・アーミティッジ。このノーブルレッド城の主《あるじ》じゃ」
「よろしくな、マリアベル」
差し出した手を、マリアベルはにっと笑って握り締めた。
俺とマリアベルは、こんなふうにして出会ったんだ。
[#改ページ]
[#♪ Disc1 15-遠い日の安息]
第2章 ティータイム
人生とは不思議なもんじゃ、っての、ばあちゃんの|口癖《くちぐせ》だけど、ホントにその通りだ、と思う。
例えノーブルレッドが伝説通り、血を啜《すす》る恐ろしい一族だとしても、城の図書室やマリアベルの存在は魅力的過ぎる。
しかも、それは全部俺だけが知ってる【ヒミツ】だってことも、かなーり心がおどることだ。
『初歩の航空力学』に目を落としながら、俺は小さな声でくっくっく、と笑った。
「講談《こうだん》の本でも読んでおるのか?」
「……えっ、いや、その」
一人笑いしてるときに面《ツラ》を見られるのって、けっこう恥ずかしいよな。
「いや、何でもないぜ」
すまして答える俺がおかしかったのだろうか、彼女はふふふ、と喉を鳴らして笑った。
「ジャック、都合がよければ菓子《かし》でも食わぬか。今の人間がどんな生活をしているのか聞いてみたい」
「それはお互い様だぜ。俺も、ノーブルレッドの生活って興味あるもん」
「決まりじゃな。ではアカとアオに用意させよう」
マリアベルは片目をつぶり、ぱちんと一つ指を鳴らした。
「こいつらがアカとアオ?」
「そうじゃ。カワイイじゃろ?」
「あ、ああ……」
女の『カワイイ』ってセンスは、よくわかんねえな。
器用に盆をくわえて持ってくる、赤色と青色に塗られた二体の丸いロボットを見て、俺はひそかにため息を吐《つ》いた。
お盆から、小さなマーブル模様の菓子ののったお皿と、薄い陶器のカップを取ると、彼ら(?)は熱い紅茶を注いでくれる。
「あんがと」
礼を言うと、デッカイ目が、どういたしましてと言うように瞬《またた》きした。確かにちょっと、カワイイかもしれない。
マリアベルも俺と同じく、青い花の描かれた皿を取り、優雅な手つきでお菓子を口に運ぶ。
あれ?
「マリアベル、あんたノーブルレッドなのに、そういう普通のモンも食えるのか?」
「もちろんじゃ。甘いもの好きは、婦女子のたしなみじゃからのう」
「……そういうもんなのか?」
「うむ」
「じゃあ今度、クラスの女に聞いてみる」
「それがよい」
俺たちは熱い紅茶をふうふう吹きながら、どことなく間抜けな会話を交わす。
ほのかなハーブの香りを残し、口の中でさあっと溶けるお菓子をあわてて噛み砕く俺に、
「どうじゃ? わらわたちのお菓子は?」
マリアベルはニコニコ笑いながら聞いてくる。
「正直に、言っていいか?」
「もちろん」
「……はっきり言って、食いでがないぜ。全然甘くないしさあ。もっと、砂糖がじゃりっていうのが好きなんだけど」
俺の答えに、マリアベルはやっぱり眉を逆立てた。
「食いで!? 甘くない!? 当たり前じゃ、そのような下賤《げ せん》な感覚、わらわたちは持ち合わせておらぬ!!」
「正直に言っていいって言ったのに……それに、まずいとは言ってないだろ。うまいんだよ、でも、一口で食えちゃうんだもん。なんかそれだと、もったいない気がするだろ?」
「……わらわにはその感覚、全く! 分からんわ」
「じゃあ、今度下賤なお菓子、持ってくるよ。マジでウマいんだって」
俺は近所のおばちゃんの作る、ザラメ糖がけオールドファッションアップルパイの奥歯に染みる味を思い出し、夢見る瞳で語った。
「……はいはい。おぬしがそこまで言うならば、食ってやるほどにな」
苦笑したマリアベルは、壁にかかっているからくり時計に目を留め、それから俺へと振り向いた。
「そろそろ帰った方がいい時間ではないか? ふたおやが心配するじゃろう」
「んー、いいんだよ。俺、ばあちゃんとふたり暮らしだからさ。ばあちゃん、男の子はわんぱくな方がいい、っていっつも言ってるし」
なるべく元気にいってみたのだが、マリアベルは赤い瞳を曇らせた。
「そうじゃったか。すまんの、妙なことを聞いて」
「気にしないでくれよ」
怒ったような口調になってしまったかもしれない。でも、同情されるのは嫌《イヤ》なんだ。
……ホントはこんな事思うのも、だだっ子みたいでカッコ悪いって分かってるんだけど。
でも、まだまだ許されるよな? と甘えてみたいお年頃なのであった。
「でも、そろそろ時間《タイムリミット》かもしんないな……夕食、抜きっていわれるかも」
「そうか。ならば、送って行ってやるほどに」
「いいよ、一人で帰れるって」
お尻に当たるふわふわクッションのばねを利用して、俺は席を立った。
「また、来るがいい」
お茶のセットを片づけるマリアベルに手を振って答え、俺は外に飛び出した。
北風が|頬《ほお》を突き刺す。
思わず|襟《えり》を合わせて空を見上げると、こないだよりも痩《や》せた月が山の端《は》にかかっていた。
[#♪ Disc2 09-人のぬくもり]
「くっそー、おばあちゃんめ……」
我ながら死にそうな声だぜ。
昨日も夜更《よふ》けに起き出して、ノーブルレッド城に出かけたんだけど……
帰ってきたらしっかりばれてて、真っ赤になるほどお尻をぶたれてしまったのだ。
ばあちゃんの早寝は有り難いんだけど、その分、朝が早いのを、俺はすっかり忘れてた。おおマヌケだよな。
「うええ〜」
机に伏せる俺の前で、青いサテンのリボンが揺れた。
「おはよう〜っ」
明るい声に、心の中で舌打ちをして目を上げる。
そこにはやっぱり、俺のたった一人の同級生、ビオレッタ・ブブカがいた。
こいつは外見《がいけん》『は』さらさらした金髪の、レイヤーボブ(だったかな、間違うと怒るんだ)に、青い目がバッチリ調和してるカワイイ娘《コ》だ。
去年|都会《と かい》から、父親の故郷である|この町《クアトリー》に越してきただけあって、センスだってそこらの女子とは違う。
だけど、……この女、性格が悪すぎるんだよな。
「あー、おはよう。なんの用?」
鼻で木をくくったような(逆だっけか?)俺の返事に、ビオレッタは小鼻を膨らました。
「あーら、ごあいさつね。せっかく大ニュースを持ってきてあげたってのに」
「どうせ新しいリボン手に入れた、とかだろ?」
ビオレッタは投げやりな返事に唇をとがらせたが、
「……フフフ。今日、転校生が来るらしいの!! しかもね、あたしたちと同《おな》い年《どし》の子だって!!」
そいつは確かに大ニュースだ!!!
身を起こし、ビオレッタに向き直る。
「マジ!? な、転入生《そいつ》、男? 女?」
「女の子よ、遠目で見ただけだけど。アンタみたいな山ザルとは釣り合わなさそうな、カワイっぽい感じの子だったわ」
「誰もそんなこと聞いてねえだろ……ハァ、女か……」
俺は少しがっかりして、ため息をついた。同い年の男なら、一緒にクラフト作ることだって出来るかも……なんて思ったんだけどな。
しかし。
ビオレッタの言葉に反し、先生に促されて入ってきた転校生は「男」だった。
だが。
(うっわぁ……………………!!)
ビオレッタが女と間違えたのも理解できる。
緑のキレイな目、かわいいお顔。
あんまり日に焼けてない肌に、細い手足。
(なんつーか……スカートはかせりゃそのまま女の子ってカンジだな。がっかりだぜ……)
こいつはどうも、エアクラフトに関する、俺のロマンティックを分かってくれそうにないぜ。
がっかりする俺や、顔を赤くして|囁《ささや》きあう女子たち、口を開けて、耳まで真っ赤にしたビオレッタを|一瞥《いちべつ》し、彼は緊張した声で名乗った。
「リーズ・ファーリンです。よろしく……お願いします」
「はーい、ねえリーズくん、趣味は?」
まだ|頬《ほお》を赤くしていたビオレッタが、手を挙げた。
他の女子連中よりも、奴に強い印象を与えようってハラだな。
「あ……バイオリンです。あと、読書」
うへぇ〜。【少女マンガ】の世界ですなぁ〜。
そんな俺の感慨・女子のざわめきをよそに先生は、リーズに俺の隣りに座るよう指示し、授業をはじめる。
ついでに俺に、「ちゃんと世話してあげるのよ」なんて|囁《ささや》きつつ。
……こっちは構わないけど、リーズくんはどう思うのかね。
俺は小さく首を振ると、教科書を彼と自分の間に置いた。その|微《かす》かな音に、リーズはびくっと体を震わせる。
「あの……見てもいいの?」
「いや、そのつもりだったんだけど」
ぶっきらぼうに言うと彼は俺のテリトリーを侵害しない、微妙な位置をキープしつつ、教科書を|覗《のぞ》き込んだ。
「……そんなに遠慮しなくていいんだぜ?」
ついつい出た言葉に、リーズはまたびくっと肩を震わせた。
「うん、でも……僕、こんなの初めてだから」
「『こんなの』ってなんだ?」
おばあちゃんにナイショで聞く、深夜のラジオドラマみたいなセリフじゃないか。
「いや、学校ってモノに通うの初めてだからさ」
「へっ? お前今まで、どこに住んでたんだ?」
学校もないような田舎に住んでたとは思えない、垢抜けたツラ+服なのになあ。
「えーっとねえ……」
だが、彼の言葉を全て聞くことはできなかった。さっと窓からの日光が遮られたかと思うと、そこには張りつけたような笑顔の先生が、教鞭《きょうべん》をもてあそびつつ立っていたんだ。
「うふふ〜。私語はだめよ〜、ふたりとも」
あわてて俺たちは、教科書に目を落とした。
「そういえば、おぬしは今、【がっこう】に行っている年なのではないか?」
『エマ・モーターの神秘』なる本を、対面で読んでいたマリアベルは、思い出したように口を開いた。
「うん、そうだけど」
「そっちの調子はどうじゃ? わらわと遊びすぎて、友人との付き合いを怠《おこた》っていたりせぬか?」
「俺、同年代の友達《ダチ》って、情けないけどいないんだ。ていうか、年の近い男が町にいなくてさ」
って、今日転校してきたヤツがいたっけか。俺はリーズの顔を思い出し、口をへの字に曲げた。
「……何か思いだしたのか?」
急にかけられた声に、体がびくっと震える。
「おぬしは考えてることが、すぐ顔に出る」
マリアベルは首をかしげ、本を置いて俺の顔を|覗《のぞ》き込む。
「そんなに俺、顔に出るタイプかあ?」
「うむ。はっきり言って、メチャメチャ顔に出るタイプじゃな」
「気がつかなかったぜ……」
俺は頭をかきながら、先を続けた。
「実はさ、今日、転校生が来たんだ。でも、どうも女っぽいカンジのヤツでさ。俺ちょっと、好きになれない感じなんだ。バイオリンとか弾くんだぜ?」
「ふぅーむ。難しい問題じゃのう……」
マリアベルは手の中でくるくる、ペンを回しながら答えた。
「じゃがな。
えてしてそういう男は『女臭い』と嫌われても、己《おのれ》の道を通すだけの強さがあったりするものじゃ。意外と男らしい一面があるやもしれぬ」
「そういうもんかなあ?」
……そうとは思えないんだけど。
「そういうもんじゃ。まあ、健闘するがいい」
マリアベルはカカカ、と無責任に笑った。
[#改ページ]
[#♪ Disc2 09-人のぬくもり]
第3章 噴水のまわりで
ようやく授業終了。
「リーズってさ、ピアニストのカリナ・ファーリンと似てるよねー?」
「……あの人のことは、僕には関係ないよ」
「てことは、リーズホントにあの人の息子なんだ? ね、お金払うから、サインもらってきてよ!」
困り顔のリーズにビオレッタと取り巻きが、やいやい言ってるのを横目に、教科書をカバンに放り込む。
母親のことを他人にどうこう言われたくない気持ち、理解できるだけに、ビオレッタをたしなめてやりたい気分になったけど……でも、マリアベルとの約束の時間もあるしな。
帆布《はんぷ 》のカバンを背負って校門まで出て、俺はちょっと首をひねった。
……何か忘れてきた気がする。
しばらく悩んだが、思い出さないって事は、そんな大したことじゃないんだろう。
俺は足取り軽く、お菓子屋さんへと向かった。
前にした約束通り、マリアベルにアップルパイを持っていこうと思ったのだ。
コインを数え、ほかほかのパイを受け取ろうとした俺の|袖《そで》を、誰かが引っ張った。
ギャッ。もしかして、先生?
こわごわ振り向くと、そこにはリーズが腰に手を当てて立っていた。
「買い食いはいけないよ」
「なんだ、リーズか。……見逃してくれないかな?」
わざとらしく手を合わせてウィンクする俺を、リーズは厳しい目で見かえす。
「駄目だよ。規則じゃないか」
……クソッ。なんだよイイ子ちゃんぶりやがって。俺はつかまれていた|袖《そで》を振り払った。
「いちいち文句つけてくんなよ。こないだからさ、いろいろうっとうしいんだよ」
「僕はただ……にきただけだよ」
彼は怯《ひる》みながらも、小さな声で反論してくる。
「聞こえねーよ、もっとしゃんとしろっての」
それだけ言って、俺は手を伸ばし、あっけに取られていたおばさんからパイを引ったくる。
リーズが慌てて、駆け出す俺の名を呼んでいたが、それもすぐに聞こえなくなった。
屋上に降り注ぐ日差しは、ガラスのように澄んでいた。
こまどりの卵と同じ色をした真っ青な空が、俺たちの真上にそびえ立っている。
ひなたぼっこを楽しむ俺を横目に、
「冬じゃったら今ごろ、日は沈んどるのじゃが」
まだまだ高いお日さまをサングラス越しに見上げ、着ぐるみ姿(日光|遮断《しゃだん》のためだそうだ)の、マリアベルはこぼした。
「うん、そうだよな」
俺は左手にクラフトを持ち、右手の指先で風を計りながら適当に答える。
「おぬしの言葉は、実《み》がないのう……」
答えず、エアクラフトを空にかざす。ドキドキする鼓動が、頭の中に響く。
後ろでマリアベルが、息をつめる気配がした。
|頬《ほお》に、かすかな東風が当たった。続いて、突風が来る気配を感じ、
「よし!」
俺は、かけ声とともに手を放した……!!
……クラフトは風を切り裂き、凄いスピードで、ノーブルレッド城の中庭へと墜ちていった。
[#♪ Disc1 07-昔語りの夜]
墜ちたクラフトを探しているうちに、秋の日は落ちた。アカとアオに渡されたランプを手にさ迷っていると、着ぐるみを脱いだマリアベルが俺の名を呼ぶ。
「ジャック……」
俺たちは無言で、モザイク模様の描かれた優美な噴水の底に沈んだ、壊れたクラフトを見下ろした。
「何が間違ってたんだろう……」
噴水に入ってクラフトを拾い上げ、一人ごちる。
「それは後で調べるとして……ジャック、早く出てこなければ、風邪をひくぞ」
マリアベルは珍しく、優しい声で言った。
……後で考えると、その優しさが引き金だったんだろう、と思う。
でもその時、俺はいきなりあふれてきた涙に呆然とするだけだった。
「ジャック?」
噴水の中で立ちつくす俺に、マリアベルは不思議そうな声をかけてきた。
「!?」
そして、俺の顔を見て小さく息を呑む。……ありがたいことに、彼女は何も言わなかった。
俺はそのまま、噴水の縁《ふち》に腰掛けて、なかなか止まらない涙を、袖口で何度も拭いた。
「ジャック……使え」
隣りに座った彼女は、ハンカチをそっと渡してくれた。
「あのさ……俺の話、聞いてくれるか?」
彼女は小さく、うなずいた。
「俺が、エアクラフトにこだわるのは……もうずっと前、|首 都《スレイハイム》に出稼ぎにいった母さんが、お土産に模型飛行機を買ってくれたからなんだ」
マリアベルの表情は、逆光で見えない。
「だから俺は……いつもクラフトで遊んでた。改造はじめたのも、コイツが遠くに飛ぶことで……自分も母さんのところまで、飛んでいける気がするからなんだ……
なのに俺、いつも失敗ばっかで、自分の無力が、くやしくてなさけなくて、どうしようもないよッ!!」
「……なあ、ジャック……そうかもしれんが……」
だが、彼女の言葉はそこで途切れた。
「誰じゃ!」
彼女の鋭い声に、物音の主《あるじ》は小さな悲鳴を上げた。しばらく、周囲は完全な無音となる。
マリアベルは俺の前に立ちふさがり、叫ぶ。
「観念して出てくるがよい!」
その言葉に、植え込みの後ろから出てきたのは、……リーズ・ファーリンだった。
「ゴメン……宿題忘れてたから、届けようと……」
「……!!」
一気に体中の血液が顔に集まる。よりによって、こいつに全部聞かれてたなんてッ……!
「お前……盗み聞きしてたのかよ……」
耳たぶが目茶苦茶《メ チャク チャ》熱い。
「そんなつもりじゃ、なかったんだ……」
頭の中で脈打つ鼓動が、ヤツの言葉の邪魔をする。信じてほしい、と繰り返すリーズを押しのけ、転送装置へと走った。
からだの重みがすべてなくなる感覚が訪れて……一瞬後、世界は真っ白になった。
[#♪ Disc2 09-人のぬくもり]
あれから1週間。
折々に謝りたげな視線を投げてくるリーズを、俺は徹底的に無視した。
あの後マリアベルと知り合いになったようなのも、はっきり言って気に食わない。
……オトナになれよ俺、とも思うが、しかし俺は実際子供だ。
今日はクラフト作りじゃなく、ばあちゃんのラジオのノイズを、直してもらう約束だ。
手早くカバンに教科書を放り込んでいると、前の方からビオレッタがやってくるのが見えた。
おい、そんなに急ぐと……
「ねぇジャック、今日リーズが家来てバイオリン弾いてくれるんだけど、よければ……ああっ!」
やっぱりというかなんというか、彼女《ビオレッタ》は机の脇に置いといた、俺のカバン(しかも中身はラジオとエアクラフト)に、けつまづき、派手に転んだ。
「ビオレッタ……」
「な、何よジャック、そんなコワイ目して。弁償すればいいんでしょ! どうせ安物《ヤスモノ》でしょッ!」
な、なんて女だ! プチンと何かが切れた。
「金の問題じゃねーだろ! 俺が苦労して作った、スゲー大事にしてるヤツだって知ってる|癖《くせ》に!」
「ねぇ、そんなにムキになるほどのことなの? どう見てもしょぼい、ガラクタじゃない!」
「そういう問題じゃないぜ、このっ……この……」
成金《なりきん》ッ!……と言いそうになった口を押さえ、俺は震える手でカバンの中を確かめた。
思った通り、クラフトは見事に粉砕されている。だけど、ダリアばあちゃんのラジオは傷《キズ》一つなく、鈍いマホガニーの光沢を放っていた。悔しいようなほっとしたような気持ちで、俺は無言で立ち上がった。
今日マリアベルが案内してくれたのは、地下の広い研究室《ラボラトリー》だった。
「こりゃまたすごいね」
いろんな種類のモンスターが、壁際に並ぶ巨大な水槽に浮かべられてる。全くもって壮観だ。
「フフン。こやつは水の中でしか生きられない|身体《カ ラ ダ》をしておる。エラが見えるじゃろ?
そこの|赤い獣《ヴァーミリオン》は外見に似合わず、ステキな音楽を聴かせると大人しくなる風流な奴じゃ」
「へえー、面白いもんだね」
うむ、と返事をしたマリアベルは、金属の作業台の前で足を止めた。
「しまった。わらわとしたことが、助手を呼ぶのを忘れておった。アカとアオを連れてくるで、おぬしはここでおとなしく待っておれ。装置には触るでないぞ」
楽しそうにウンチク垂れてるなぁとは思ったけど、まさか助手のいない事に気づかない程とは……
「はいはい、分かりましたー」
フフッと笑いながら|肯《うなず》く俺に、心配げな視線を投げながらも、マリアベルは階段を上《のぼ》っていった。
……それにしても、すごい光景だよな。俺はもう一度上を向いて無数の水槽を眺めた。
青さを増した、水越しの月光が辺りを照らしてるのが、一層幻想的というか神秘的って言うか。
俺はため息をついて、後ろの壁にもたれかかった。
と、小さなアラームと共に、大量のスイッチが並んだプレートがせり上がってきた。
なんだろ? お尻で変なスイッチ押しちゃったかな。何にせよ、マリアベルが帰って来る前に、引っ込めといたほうがいいよな……俺はそれに近寄り、両手で床に押し込もうとした。その途端……
[#♪ Disc2 19-うつむけば絶望、見上げれば希望]
突如鳴り響いたベルに、俺は文字どおり飛び上がった。
「な、なんじゃッ、何事じゃ!!」
道具箱を持ったマリアベルが、ラボラトリに駆け込んでくる。
室内の様子を察した彼女は、一瞬にして顔色を変えた。
「ジャックッ!!
おぬし、なんでモンスターを解放したんじゃァッ!!」
「なんだって? 俺は、ただこれを床に戻そうと……」
「|赤い獣《ヴァーミリオン》が、槽から出されておる……ッ!!」
「ええ?」
「マズイ、マズイぞ……転送装置を使われたら……町が襲われるッ!!!」
「な……なんだって!!!!」
血の気がざあっと顔から引いていく音がした。
「マリアベル……なんとかならねえのか?」
「……ジャック、わらわはアカとアオと共に、奴を槽に戻す機械を起動する。その後《あと》追いかけるから、おぬしは奴を、転送装置に近づけるなッ!!」
「わ、分かったッ!」
俺は叫んで、階段を一段飛ばしで駆け上がった!
中庭に続く足跡は、真っ直ぐ転送装置へ向かっていた。
鈍重そうな見かけによらず、頭の切れる怪物《モンスター》のようだ。
「くそっ!!」
俺は吐き捨て、足跡を追って転送装置に向かう。嫌な予感が、ふつふつと胸に湧いてくる。
町外れに実体化し、全速力で獣を追った俺が見たものは……
月に照らされた並木道にいるリーズとビオレッタと、獣だった。
ヤツは脅えるふたりに向け、嬉しそうに大きな口を開ける。絶望に痺れかけた俺の頭に、さっきのマリアベルの言葉が電撃みたいに走った。
『こやつは美しい音楽によって、静まるのじゃ』
「……リーズ、バイオリンを弾け!」
「ジャック!! アンタなんでここにいるの!!」
「ビオレッタ、説明は後だッ! 頼むリーズ!!」
リーズは白い顔をますます白くしながら、肯《うなず》いた。
頼む、リーズ……!
俺は爪が刺さるほど手を握り締め、祈った。リーズは流れるような動きで弓をかまえる。
一瞬の後、バイオリンが歌いはじめた。
[#♪ Disc3 09-往きて、また還る]
|綺麗《き れい》な旋律に、時が止まったような錯覚を覚えた。モンスターは甘えるような鳴き声をもらし、リーズの足元にうずくまる。同時に、蛍のようなちいさな光が獣を覆い尽くす。
ゆっくりと、|赤い獣《ヴァーミリオン》の輪郭が薄れていく。
振り向いた俺は、木立《こ だち》の中にマリアベルの金髪を認め、親指を立てた。
同じく親指を立てた彼女は、一瞬後に姿を消した。
最後の小節が終わった。俺はゆっくり、彼のほうに歩み寄る。
バイオリンを革のケースにしまおうとしていた彼は、緑の瞳を見開いて、顔を上げた。
……照れくさいけど、言わなきゃいけないことがあるよな。俺は覚悟を決めて、頭を下げた。
「ありがとう、リーズ。俺、お前のこと誤解してた。度胸のなさそうな男だって。ゴメン、ほんとに」
一息に言って、顔を上げる。ドキドキしながら彼の表情を見る。
リーズ……リーズは、笑っていた。
「いいよ。僕も悪かったし。泣き虫のくせに、いじっぱりな人と思ったしさ」
「忘れてくれ、あれは……」
俺は思いっきり赤面して、頭《アタマ》をかいた。
[#改ページ]
[#♪ Disc1 15-遠い日の安息]
第4章 秋の色
黄色く赤く色づいた葉っぱが、木の実の匂いのする風と共に流れて行く。
「いやぁ、秋はいいね」
森番のカナブンおやじみたいに|呟《つぶや》いて、俺は香ばしい朝の空気を深呼吸した。
お、あそこに見えるは……
「よっす! おはよう!」
革のケースを持ったリーズはにっこり笑った。
「おはよう。今日は気持ちのいい朝だよね」
「そだな。それ、バイオリンのケースか?」
「うん、そうだけど?」
「楽器|弾《ひ》けるのって、すごいよな。学芸会じゃ俺いつも、大だいことかシンバルだもん」
ふう、とため息を吐《つ》く俺を、ひとしきりおかしそうに笑った後、彼はバイオリンを腕に抱えた。
「帰りに音楽室で、練習しようと思ってさ。家だとおじさんに迷惑だろうから」
「おじさん……って、誰だ?」
そういえば、コイツの家の|噂《ウワサ》は聞いたことがない。クアトリーは小さな町だ。
(小学校、全学年合わせても17人しかいないんだぜ!)
だから新しい住民がくれば、そいつが好もうが好むまいが、しばらくは話の種になるのがサダメなんだ。
でも、その情報網からはリーズの事が伝わってこない。ってことは……???
アタマの中を埋めてた疑問符が、表情に出てたんだろう。リーズは苦笑を浮かべ、言った。
「森番やってる、カナブンさんだよ」
「え? カナブン……?」
リーズの細く白い顔を、まじまじと眺めてしまう。
「あの熊オヤジと親戚なのか、お前……」
全然《ゼンゼン》似てないよな……。遺伝子って不思議だぜ。
「うん」
「そうか。まあ、あんな町外れに住んでるんだったら、確かにみんなの口には上りにくいかもな」
「うん……。ああ、ジャックくん」
「ジャックでいいよ」
くん付けで呼ばれるのは、先生だけで結構だ。
「じゃあ、ジャック。今日、家《ウチ》に遊びに来ない?」
「今日かあ……。マリアベルと約束あるんだ」
「それなら、マリアベルも呼べばいいじゃない。僕、その間お菓子作ってるからさ」
「お菓子?」
俺はちょっと驚いて、リーズの顔《カオ》を見た。
「うん。僕の母さん普通の料理は上手いんだけど、甘いもの苦手だったからさ。食べたきゃ自分で作れって感じだったんだ。だから腕には自信があるよ」
「ふうん〜。なんかそういうのって、いいな」
……俺はばあちゃんの味しか知らんからなあ。と言おうとしたけど、カッチョ悪いので止めておく。
「じゃあさ、アップルパイ作ってくれよ。砂糖じゃりじゃりに入れた奴」
「えっ……? あの、めちゃくちゃ甘いやつ?」
リーズは一瞬、いやそうに顔をしかめたが、
「わかったよ、君がそう言うなら」
再び、にこっと笑った。
「あーあ」
休み時間。ビオレッタが|手編み細工《ボビンレース》の白いリボンを持ち、他の女子に見せびらかしてるのを、俺はあくびをかみ殺しながら見ていた。
羨《うらや》ましがられるのって、そんなにいいもんかねえ。
ばあちゃんは、娘時代はそういうもんだ、って言ってたけど、俺は娘《ムスメ》じゃないからなあ。
「|可愛《か わ い》いよね、ビオレッタ」
寝不足の目を擦ってると、隣の席からリーズが|囁《ささや》く。
「はぁ? どこが?」
「なんか|無邪気《む じゃき 》でいいじゃない」
……無邪気ねえ。あれがか?
「お前、好かれてるからそう思うだけじゃねえの?」
|頬杖《ほおづえ》ついた姿勢から適当に言うと、リーズは笑った。
「ううん。僕、女の子に好かれるのに慣れてるもん」
「……お前って時々、すごいこと言うよな」
アゴが外れるかと思ったぜ。
でも、確かにきれいなリボンだよな。はしゃぎ続ける女子連中をぼーっと眺め、思う。
「ジャック、先生来たよ」
「あ、ああ。サンキュー」
俺は慌てて、机の中から教科書と石版を取り出した。
秋の夕日が沈む頃、俺とマリアベルとリーズは、森番小屋で仲良くお茶を楽しんでいた。
「そういえばお前、学校今まで行ったことがないとか言ってたけどさ、その割に成績いいよな〜」
「母さんの仕事仲間が、基礎教えてくれてたんだ」
「仕事仲間? お母さん、先生だったっけ?」
俺は顎《あご》に手を当てた。
「……違うよ。国中を巡ってる、楽団さ」
「ほう、道理でしっかりしとると思ったぞ。美味《うま》いアップルパイも作れるしのう」
生クリームがついた唇でマリアベルは笑った。
「美味しい? よかった、初めて作ったから、自信なかったんだけど」
リーズは顔色を明るくする。
「うむ。りんごの酸っぱさと、ザラメの甘さがよく調和しておる」
マリアベルはおかわりを頼みながら言った。
「ありがとう、うれしいよ」
リーズが新しいパイを切り分けようとした時、扉が乱暴な音と共に開いた。
[#♪ Disc1 04-フロムビヨンド]
月に照らされて立っていたのは、ビオレッタだった。
「ビオレッタ……こんな夜にどうしたの!?」
狼狽《ろうばい》するリーズに、ビオレッタは言った。
「あたしのリボンが、盗まれたの。それで、今まで町で見たことない人が、リーズのうちに居るって聞いて」
「なんだって! 僕の客が犯人だって言うのかい?」
「だって……町の人は信頼できるけど……」
「ビオレッタ、いくらなんでも失礼過ぎだよ!!」
激する彼を制し、マリアベルは音なく立ち上がった。
「わらわは、そんなものを欲しがりはせぬ……。もう持っているものより下のものを、望みはせぬよ」
そして、カバンから一つのリボンを出す。
「こ、これは……」
ビオレッタは額に汗を浮かべ、名人芸の域に達した細かいレースを|凝視《ぎょうし》した。
「母さまから頂いたものじゃ」
マリアベルは唇を吊り上げて笑った。
「成金でも、この値打ちは分かるかのう?」
ああ、……マリアベル、残酷だぜ。
紙みたいに白い顔をしたビオレッタは、夢の中にいる人みたいな動作で、森番小屋の扉を閉めた。
よろよろと、足音が遠ざかっていく。
なんとも言えない後味の悪さに、俺たちは互いからそれとなく視線を外した。
[#改ページ]
[#♪ Disc1 15-遠い日の安息]
第5章 白いコートの彼女
「りんどうが咲きはじめるとさ、秋も深くなったって感じがするよね」
落ち葉を蹴りながら歩いていた俺は、リーズの声に振り返った。
「ああ。もうすぐ、雪も降りはじめるんだぜ」
「うんうん。11月ってさ、雪待《ゆきま 》ち月《づき》ともいうもんね」
「そうなのか〜。物知りだよな、お前」
「そんなことないよ。僕、雪見たことがないからさ。楽しみにしてるんだ。で、【雪待ち月】っていい言葉だなあって思ってたから、覚えてたってわけ」
「……俺は、雪降るとばあちゃんに、屋根の雪かきさせられるからなあ。楽しみってことはないけど」
「そっか。雪国で暮らすって、そういう面倒もあるんだね」
リーズは笑って、肩をすくめた。
「……!!」
その瞬間、彼の笑みが凍りつく。
「ん? どうしたんだ?」
唇を慄《わなな》かせるリーズの視線を追う。
「……!」
目をこらした俺は、息を呑んだ。
リーズの視線の先には、駅売りの新聞スタンドがあった。その見出しには、
『美人有名ピアニスト カリナ・F、スレイハイム交響楽団バイオリニストと熱愛発覚?』
なる単語が踊っていたんだ!
『アンタのお母さん、ピアニストのカリナ・ファーリンにそっくりよね』
いつだったかの、ビオレッタの言葉が頭をよぎる。
まさか……
俺は遠慮しながら、リーズの顔を|覗《のぞ》き見る。
うっ。デッカイ目が潤んでるじゃねーか。俺はいたたまれなくなって、口を開いた。
「駅の車両基地にさあ、除雪車見に行かねーか?」
……ミッション失敗。
同情っぽく聞こえないようにしようとしたら、やったらめったらぶっきらぼうな感じになっちまった。
横を向いて舌打ちする俺にリーズは目を擦り、小さく笑う。
「除雪車……見たことないな」
「そっか、じゃあちょうどよかったな。本当は動いてる時のがびっくりすると思うんだけどさ。先っぽが尖ってて、雪をぱぁあってかいてくんだ。カッケーんだぜ」
なんかオーバーアクションに気味になりつつ、(不器用な男なのです)俺はリーズに説明した。
「……そうなんだ? 雪降るの、やっぱ楽しみ……って、あれ?」
笑顔が戻ったリーズは、再び足を止めた。
「ね、ジャック。あれさ、マリアベルじゃない?」
リーズはポケットに突っ込んでいた手を出し、駅のホームに立つ人影を指差した。
「へえっ? こんなとこに来るか?」
「だって、ほら」
「……本当《ホント》だ」
あの怪しい着ぐるみは、見間違えようもない。
「どうしたの、マリアベル」
「おお、おぬしらか。うむ、わらわの無線友達が、この町の近所に別荘を持っておってな。紅葉《こうよう》を見るついでに会おうと約束したのだ」
「ふぅん、女の子?」
何気なく聞くリーズに、マリアベルは平然と答えた。
「うむ、わらわと同じく女の子じゃ」
「お、『同じく』女の子……?」
「なんじゃ、文句あるのかジャック」
「い、いや……」
ないけど、と続けた声は、汽笛にかき消された。
ぱらぱらと降りてきた乗客の一人に、マリアベルは大きく手を振る。
「おーい、おぬし!! アナスタシアじゃな?」
アナスタシアと呼ばれた女性は、ゆっくり振り向いた。さらさらの黒髪がふわりと揺れ、いい匂いが広がる。
(うわぁ……)
三つくらい年上の、キレイなお姉さんだ。泣きボクロが、こう、胸をドキドキさせるぜ。
俺は高鳴る鼓動を必死で押さえた。
「ええ。あなたがマリアベル?」
本当に着ぐるみとは思わなかった、と続ける彼女に、マリアベルは苦笑する。
「うむ……そうそう、こ奴《ヤツ》らはわらわの子分でな。ジャックとリーズという」
……子分? とリーズは小声で言い、鼻に|皺《しわ》をよせた。そんなリーズに構わず、マリアベルは続ける。
「今日はおぬしを是非とも案内したいと言っておる。存分に使うがいい」
……|随分《ずいぶん》ひどい言われようじゃございませんか?
でも……
薄手の白いコートをモードに着こなすステキな彼女に、初めまして、なんて微笑まれると……
マリアベルのぞんざいな言葉なんかは、脳からきれいさっぱり消えてしまった。
「あ……よ……よろしくお願いします」
「いやねえ、そんなに固くなられると、お姉さん困っちゃうな」
アナスタシアさんは軽やかに笑った。
「こちらこそ、よろしくね」
「は、はい」
俺とリーズはコクコクとうなずき、お互いの|頬《ほお》が赤くなっているのに気がついて、決まりの悪い思いをした。
「どういう計画をたててくれるかは、お任せするわ」
アナスタシアさんは面白そうに俺らを見下ろし、マリアベルと意味ありげに視線を交わした。
むむっ。なんか引っかかるけど……許してしまおう。
そういうわけで、俺とリーズは話し合い、
「この村自慢の架け橋を、美しい渓流から見上げてピクニック、ってのはいかがでしょう?」
っていう計画を立てた。
アナスタシアさんはにっこり笑い、俺たちの肩をぽんぽん、と叩く。
「うん、ステキな計画ね。行きましょ」
俺たちは駅を背にして、歩き出した。
「寒くないですか?」
天気がいいとはいえ、もう晩秋だ。寒さに慣れていない都会の人には厳しいかもしれない。
「お姉さんのことならだいじょーぶだいじょーぶ。お日さまがあっためてくれるもの」
敷き物の上に並べられたスコーンやサンドイッチ、アップルパイが香ばしい匂いを放つ。
「あら、おいしそう!!」
アナスタシアさんは本当にうれしそうに笑った。
「いっただきまーす!」
俺たちは声を合わせ、ごちそうに襲いかかった。
「それにしても……よく食べますねぇ」
「はっへ、ほひひんだもん」
アナスタシアさんは、卵のサンドイッチをほおばりながら答える。
「そう言っていただくと、うれしいです。僕とおじさんが育ててる鶏の卵なんですよ、その中身」
「へえ〜、リーズくんのちの産地直送なのね。うん、ホントおいしいよ」
ちょこんと正座しているリーズに、アナスタシアさんはにこにこと笑いかけた。
つられて、リーズもうれしそうな笑顔を浮かべる。リーズ、普段はもっと人見知りするタイプなのになぁ。
アナスタシアさん、なかなかの手だれのようだ。
「って、あれ?」
橋の横の道からバスケット持って、降りてくるのはブブカんちの姉妹じゃないか。
黄色い声を上げながら坂道を下っていたビオレッタは、楽しげに話しているリーズとアナスタシアさんを認め、青い瞳を見開いて黙り込む。
(あーあ、見つかっちまったか……)
……嫌な予感がするぜ。
「どうしたの、ジャックくん?」
「ううん、何でもないです」
俺は焦って、かちんこちんにこわばった、変な笑顔を浮かべた。
「はぁ、美味しかった」
アナスタシアさんはお腹をさすりながら、マリアベルが持ってきたお菓子をかじる。
「よく入るのう……」
「フフッ、よく言うじゃない、甘いものは別腹って」
それにね……と彼女は続け、リーズの手を取った。
「ふたりとも、ご飯はたくさん食べなきゃ駄目《ダメ》よ。特にリーズくん、こんなに細い手しちゃって」
「あっ……」
リーズは顔を赤くして、写真のように静止する。
それに構わず、アナスタシアさんはリーズの細い指をなぞる。
「あら? リーズくん、バイオリンやってる?」
「え、ええ」
リーズは緊張した様子で、コクコクとうなずいた。
「だと思った〜。お姉さんもさ、花嫁修業でやってるんだ。ほら見て、同じとこにタコができてる」
[#♪ Disc4 11-夢で逢えたら]
その時ふっと、日差しが|翳《かげ》った。見上げた目の前に、青いリボンが揺れている。
「……はじめまして、ご|機嫌《き げん》いかが?」
ビオレッタは|微笑《ほ ほ え》みながら……目だけが笑ってないのが、ものすごく怖い……言った。
「とてもいいわ。ステキなところよね、この町」
アナスタシアさんは何も気がついていないのか。のほほんとした口調のまま返す。
「観光客? リーズ達の親戚じゃないみたいだけど」
「そうだけど……ビオレッタ、そんな言いかたって失礼だよ」
リーズの声に、ビオレッタはまなじりをつり上げた。
「何よ。クラスメイトのあたしより、流れの観光客の方が大事ってワケ?」
「そういうことを言ってるんじゃないよ、ビオレッタ。わかってるんでしょ?」
(あああ、リーズのバカ、火に油注いじゃって……)
俺とマリアベルは、不安で目配せした。ビオレッタは腰に手を当て、リーズを追いつめる。
「そういうことを言ってるの。だってあなた、あんなにいやらしく手触られて、何にも感じないの?」
「い、いやらしく触られた?」
リーズは彼の世界になさげな言葉を投げかけられ、目を白黒させる。
「そうよ。しつこく撫で回されてたじゃない」
ビオレッタはあごをつんと上げた挑戦的な視線で、アナスタシアさんを|睨《にら》んだ。
[#♪ Disc2 09-人のぬくもり]
が、アナスタシアさんはどこまでも一枚|上手《うわて 》な人だった。
彼女はビオレッタの強い視線を受け止めてニコニコ笑い、
「そう、お姉さんはいんやらしいわよ〜」
こともなげに言ったのだ。そして、固まった彼女に何事かを耳打ちする。
「…………」
一瞬にして毒を抜かれた様子のビオレッタを置いて、アナスタシアさんはコートを持ち、立ち上がる。
「そろそろ帰りの汽車の時間だわ。今日は本当にありがとう。とっても楽しかった」
「駅まで送りますよ」
慌てて立ち上がる俺たちに、彼女はくすりと笑い、
「それじゃ、ありがたく」
頭を下げた。
山に向かう汽車の明かりが段々小さくなり、残照の中に消える。
振っていた手を降ろした俺は、マリアベルに向き直って耳打ちした。
「さっきアナスタシアさん、ビオレッタになんて言ったんだろう?」
「なんじゃ、わらわの聴力なら、聞こえるだろうと思ったのか?」
マリアベルは|呆《あき》れ顔で俺を見る。俺はこの日何度目かの赤面をしつつも、うなずいた。
マリアベルは肩をすくめ、着ぐるみの頭を取る。くしゃくしゃになった金髪を払いながら、
「ま、おぬしにならいいじゃろ。奴《ヤツ》が言ったのは……」
「言ったのは?」
「『スキならもっと、素直になるのよ』じゃ」
「なるほどねぇ……」
深くうなずく俺に、マリアベルはため息をついて、
「おぬしにも、そう言ってやって欲しかったがな」
謎の言葉を吐いた。
[#改ページ]
[#♪ Disc1 17-不安から焦燥へ]
第6章 その冬の初雪
「見てみろよ、すごいぜ」
隣のリーズに声をかけ、教室のきしる窓を開けた。黒い雲から、白い雪がきりもなく舞い落ちてくる。
「つもるかな?」
「今朝のラジオだと、そう言ってたぜ」
「そっか、うれしいね」
俺たちは顔を見合わせて、ニヤリと笑った。
俺たちはマリアベルと、「雪がつもったらスノーモービルで遊ぼう」という約束を交わしているのだ。
今年はいつもの年より初雪が遅れただけあって、なかなかチャンスはなかったけど、どうやら今日は大丈夫みたいだ。俺とリーズはにやにやしながら、窓を閉めた。
こんなに長く感じられた授業は初めてだった。終業の鐘と同時に、教科書をまとめて準備する。
そんな俺たちの机の横に、|頬《ほお》を赤く染めたビオレッタがやってきた。
「ね、今日、あたしのうちでチェッカーしない? 雪のせいで、お外で遊べないし……こないだの、リボンのことも謝りたいし」
彼女はリーズから微妙に視線をずらし、緩くカーブした金色の髪の先を弄りながら、言った。
……ちょっと良心がうずくよな。だがリーズは、のんびりした口調で返事をする。
「うれしいけど、今日は先約があるんだ。ゴメンね」
「……ふーん、そうなんだ……」
ビオレッタは女王様のプライドを傷つけられて、自分の席へと帰った。
取り巻きたちに当たってる彼女を見て、俺は心の中で肩をすくめる。
「なあリーズ。お前、もうちょっと優しくしてやれよ」
「え? 何のこと?」
雪自体が珍しいんだろう、新雪に足跡をつける行為に夢中のリーズは、イノセントな笑顔で振り向いた。
「いや、わかんないならいいんだけどさ」
気を抜かれて、俺は再び空を仰いだ。
……これくらい雲が厚ければ、マリアベルのお肌も少々の厚着で大丈夫かな。
……ん?
何かが心に引っかかった。足を止め、辺りを見回す。
「どうしたの、ジャック?」
「いや、なんか……誰かの視線を感じてさ」
「誰かの視線? でもおじさんは今日、家でかご作るっていってたよ」
「そうか……こんな日に山に来るなんて奴、カナブン以外にはいないもんなぁ……」
ま、俺の気のせいだろう。
「待っておったぞ」
城の扉を開き、いつもたむろってる図書館の続き部屋に行くと、珍しくズボンをはいたマリアベルが迎えてくれた。
「まずはあったかいものでも飲むか?」
俺たちは目を見交わし、そろって返事した。
「もちろん、早く滑りに行くのさ!」
「よぉぉし。そう来ると思ったぞ。では、いざゆかん、雪の大海じゃ!!」
「俺の運動神経を、見せてやるぜ!!」
「フフフ。わらわの経験に勝てるかな?」
「僕だって負けないからね!」
口々に言いながら、軽い足取りでガレージに向かう。
「ん?」
唐突にマリアベルは黙り込んだ。
「うっ……!!」
彼女の視線を追った俺たちは、思わず声を立てた。ガレージの前にいる、震える影……
それは、……唇を紫にしたビオレッタだったんだ!
[#♪ Disc1 04-フロムビヨンド]
何度も転んだのだろう、自慢のブロンドは雪まみれだし、服は土混じりの雪に汚れて濡れている。
爛々《らんらん》と輝く碧い瞳と相まって、それは凄まじい迫力を生み出していた。
「見たこともないモンスターに襲われた時も、リーズの家でちらっと会った時も、おかしいと思ってたのよ……」
凍りつく俺たちに、彼女はギリッと歯をきしらせ、
「リーズたちを離しなさい! この化け物!!」
「ビオレッタ!」
彼女を制するリーズの声も聞こえないかのように、ビオレッタはマリアベルに近づいた。
「すごい歯……それに、息が白くない……やっぱり、人間じゃないのね。ふたりをたぶらかして、どうしようっていうの?」
ビオレッタは、何も言わないマリアベルの肩を両手で掴もうとする。
マリアベルは音もなく、その動きを躱《かわ》した。
「そう、わらわはお前達とは違う」
だから、と言う彼女の瞳が、赤さを増していく。長い金の髪が、重力に反してふわりと浮かび上がる。
マリアベルを止《と》めろと、頭のどこかががなりたてている。だが俺の足は、少しも動かない。
「だから……」
マリアベルの白い手が、ビオレッタの額に向けて差し伸べられた。
目を見開き、硬直するビオレッタに、マリアベルは短い異類の言葉を発した。
閃光とともに、ビオレッタの体が地面に崩れ落ちた。
マリアベルは彼女の体を抱き上げ、色のない表情で俺たちに向き直る。
ガチガチと歯が鳴ってるのが、他人のものみたいに聞こえる。
喉の奥で、高い音が鳴った。
ああ、昔おばあちゃんが、卵を産まなくなった鶏をつぶした時、鶏はこんな声を出していた。
頭のどこかが冷静なのは分かるが、俺は魅入られたように、彼女から目を離すことができない。
突っ立っている俺たちへと、マリアベルはビオレッタを抱えたまま、音もなく近寄ってくる。
俺とリーズは、無意識に一歩、後ずさった。
それを認めた彼女の顔が、くしゃっと歪んだ。
「もう、帰れ…二度とここに来るな……ッ」
「マリアベル、ゴメン、違うんだ!!!」
だが、マリアベルはくるりと背を向け城へと入る。
アカとアオが、俺らに困ったような視線を向け、そして彼女の後を追った。
「マリアベル……ッ!」
叫ぶ俺とリーズの鼻先で、ノーブルレッド城の扉は轟音をたてて閉じられた。
[#♪ Disc1 18-癒される傷痕]
みぞれの音が、屋根にうるさい夕暮れだ。
「書けた?」
伸びた襟足《えりあし》を触りながら、水色のエプロンをつけたリーズが|覗《のぞ》き込んでくる。
「……わあ、よせよ!」
俺はがばっとテーブルに伏せて、リーズの視線から手紙をかばう。
「見えなかったよ。それにしても君の飛行機、手紙くくりつけてもちゃんと城壁飛び越えられるの?」
「ひどいぜ。ブレインの専門家たるジャック様を、もっと信頼してくれよな」
「信頼っていってもさ……。シンプルに城門の柵の|隙間《すきま 》から、メッセージつき紙飛行機飛ばしたら?」
「……そういう手も、あったか」
考え込んでると、リンゴとバターとシナモンが焦げる、いい匂いが漂ってきた。
「ザラメ糖、たっぷりかけてくれた?」
「それはジャックの好みじゃん」
リーズは冷たく言うと、生クリームを泡立て始めた。
「生クリーム乗せかあ。うまいよな」
よだれ垂らして言う俺を、リーズは|呆《あき》れた顔で見る。
「ねえ、マリアベルに誠意を見せるんだろ?」
そう。あれから会ってくれなくなったマリアベルに謝るために、俺たちは知恵を絞り、リーズはアップルパイを焼いて懐柔《かいじゅう》、俺はブレインに反省文を綴《つづ》って飛ばす、という作戦を立てたんだ。
「自分がされて嬉しいことを、他人にしなさい」って先生の言葉をヒントにしたんだけど、……マリアベルがどう思ってくれるかは、正直、予想つかない。
でも、そんな風に思うのも、俺とアンタは違うモノ、って言ってるみたいでいやなんだよね。
「それにしてもさ、お前んちって居心地いいよな」
俺は方眼紙に、長距離飛行可能な紙飛行機の設計計算をはじめながら言った。
「そう?」
「いい匂いする。雪の寒さも伝わってこないし」
「そうだね。濡れたヒノキの匂い、僕も好きだよ」
オーブンを|覗《のぞ》き込んでたリーズが笑う。その時、扉にものすごい音が響いた。
「な、ななな、なんだ?」
驚いて見守る俺らの前で扉が開く。そこには、頭を押さえた小屋の主、カナブンが立っていた。
「イタタ……みぞれに足、取られちまった」
水を滴《したた》らせる毛皮の|外套《がいとう》を玄関口で払い、カナブンは猛獣みたいにうめく。
「転んだの? 大丈夫、おじさん?」
タオルを持って駆け寄るリーズの頭を叩き、カナブンは豪快に笑った。
「大丈夫だ。戸の方は割れたかもしれんがな」
「ところでリーズ。なんだかイイ匂いがするな?」
カナブンは鼻をヒクヒクさせ、ニヤッと笑った。
「駄目だよ。あれは、人に持っていくものなんだから」
「ブブカんちのお|嬢《じょう》ちゃんに、か?」
カナブンの言葉に、俺たちは困って目を伏せた。
あれから俺たちとビオレッタは、かなりの冷戦状態になっちまったんだ。
ノーブルレッド城の記憶は消されてたみたいだけど、でも、確かに俺たち、彼女に嫌われてもしょうがないだけのことはしたよな。
「どうした、そんな顔して。違うのか?」
「……うん。おじさんの知らない人。それよりおじさん、今日は早かったね?」
「ああ。今朝のみぞれで、夕べ降り積もった雪が溶け出して、大雪崩が起きるかもしれないからな。巻き込まれないうちに帰ってきたんだ」
「マジですか? ……この家は大丈夫?」
「ハハハ、ジャックは心配性だなあ。雪崩ってのは、もっともっと山奥で起きるもんなんだ。ここなら周りの森が雪を食い止めてくれるさ」
俺とリーズは顔を見合わせた。
「ねえ、大雪崩が起きたらさ、すっごく大きいお城なんかでも危ないかな」
[#♪ Disc2 11-染み入る恐怖]
「そうさなぁ。雪崩の力はすごいからなぁ。さしわたし300トールの幅の雪塊が、2ケイトールに渡って滑落《かつらく》した事あるらしいからな。
……そういうデカブツが落ちてきたら、まあどんな建物でも危ないわな」
カナブンは棚からシェリーを取り出しながら言う。
「えっ、じゃあ……」
「あんだけ凄い技術があるから、とは思うけど……」
「もし、もしも……」
俺たちは意を決し、カナブンの小屋を飛び出した。
「おいお前ら!! なんなんだーっ!!」
酒瓶片手に窓から顔を出すカナブンに、リーズはエプロンを|翻《ひるがえ》して答えた。
「ごめん、おじさん! すぐ帰ってくるから!!」
[#♪ Disc1 16-駆けてゆこう、ここより向こうに]
みぞれで濡れた山道を駆け、滑りそうになりながら転送装置から城にたどり着く。
幸運にも鍵が開いていた扉から、俺たちは城内に侵入した。
「マリアベル〜!!」「どこーっ!?」
俺とリーズの声が、石造りの壁に不気味に響く。
「……わあっ!!」
「ジャック!? リーズ!?」
そこには、おでこを押さえたマリアベルが、目をぱちくりさせて尻もちをついていた。
はしごを持ったアカとアオが、彼女の横でホバリングしている。
「……こんな危険な日に、何で来たのじゃ!!」
長い髪を逆立てて怒るマリアベルに、
「……大雪崩が来るかも、てカナブンが言ったから」
「もしかして、知らなかったら、って思って……」
「何千年と生きるノーブルレッドにとって、雪崩を止めるバリアなぞは、当然の装備じゃ!」
「そ、そうだよな……悪かったよ、マリアベル……」
「大きなお世話だったよね、ごめんね……」
小さくなる俺たちを、彼女は怒りに赤く染まった顔で|睨《にら》む。
「わらわが怒りたいのはじゃな……おぬしらが、雪崩に巻き込まれるかもしれんのに、こんなところにまで来たことじゃ!!」
烈火のごとく光る彼女の瞳に見据えられ、俺たちはさらにさらに小さくなった。
「だって……心配だったんだ……」
「うん……もし、マリアベルがいなくなっちゃったら、って思ったら怖くて……」
「……バカちん……ッ」
マリアベルは小さな声で言った。
[#♪ Disc3 09-往きて、また還る]
「おぬしらは、バカちんじゃッ!! おまけにオタンコナスじゃ!!! そんでもって、まったく、救いようがない、あんぽんたんじゃッ!」
セリフとは裏腹に、マリアベルは顔を赤くしてそっぽを向いた。
そのまま、小さな声で続ける。
「じゃから……わらわが導いてやらんと、どうしようもないんじゃな……ッ!!」
「マリアベル!」
俺とリーズは顔を見合わせ、同時に彼女に抱きついていった。
[#改ページ]
[#♪ Disc1 15-遠い日の安息]
第7章 リーズとビオレッタ
「たりィ……睡眠不足だぜ」
目をこすりながら、日差しの中に飛び降りる。
リーズのバイオリンコンクールを応援するために、俺たちは|首 都《スレイハイム》に馬車ではるばるやってきたのだが……
「わらわも体内時計が狂いまくりじゃ……」
着ぐるみのマリアベルも、馬車からヨロヨロまろび出る。
「ふたりとも、大丈夫かい?」
鹿みたいな瞳《め》が、心配そうに見開かれる。
「あー、大丈夫。ダイジョウブじゃ……」
マリアベルは手をヒラヒラさせて答えた。
「夜更かしし過ぎだよ、まったく。頼むから、僕の出番の時に寝てたりしないでよ!」
「大丈夫《ダイジョーブ》というとろうが……」
馬車に轢《ひ》かれそうになりながら言っても、説得力ないぜマリアベル。
「それにしてもうるさい街だよね。いつになってもかわんないな」
彼女の背中を支えながら、リーズは顔をしかめた。
「俺的には、ちょっと違うんだけどな」
俺は、この中で母さんが暮らしてるんだと思うと、なんだか胸が痛くなる。
母さんが、俺たち家族を捨ててまで、ここで暮らしたくなった気持ちが知りたくなる。
「そう? こんなとこ、何もいいとこないよ。僕はクアトリーの方が好きだな」
「……そうかもな。お、あれが会場だな?」
「よーし、じゃ、行こう!」
顔を輝かせるリーズに、ちょっとだけ苦笑する。
肩をすくめ、奴を追おうとした拍子に、マリアベルの視線に気がつく。
「なんだよ、マリアベル?」
「いつもはおぬしよりリーズの方が大人びておるのに、さっきはそれが、逆転しておったな」
成長期の人間はこれだから楽しい、と彼女は続けた。
着ぐるみ越しの表情が予想できた俺は、なんとも答えようのない気分になり、足を早めた。
手続きを終え、着替えたリーズとマリアベルに、控室の席を取っておいた俺は立ち上がって合図する。
……あれ? あそこにいるのは……
「ビオレッタ!」
青いシフォンに包まれた肩が振り返った。
「リーズ!? コンクールに来たの? あなた|風情《ふ ぜい》が優勝できるレベルじゃないわよ?」
「……ねえ、やっぱり怒ってるよね、ゴメン」
「心にもないこと、言わないでッ!! あなたもあたしのこと、バカにしてるんでしょッ!?」
「そ、そんなことないよ」
「嘘! ……リボンのこととか、よく覚えてないけど、初雪の日のこととか……」
「それは……ちがうよ」
口ごもるリーズを、彼女は耳まで赤くして|睨《にら》みつけた。
「もう、いいわよ! あんたなんて、大嫌いッ!」
ため息が形になって浮かんでるような|雰囲気《ふんい き 》の中、マリアベルが口を開いた。
「……そろそろ、出番じゃな」
「うん……あれ?」
バイオリンを手に立ち上がったリーズは、眉をひそめた。
[#♪ Disc2 19-うつむけば絶望、見上げれば希望]
「どうしたんじゃ?」
「課題曲の封筒が、なくなってるんだ」
リーズは顔色を変え、マリアベルを見上げた。
「ちゃんと探したか?」
「……確かにバイオリンの横に置いておいたんだ」
……俺たちは、顔を見合わせた。
「ビオレッタだ! アイツ、リーズの楽譜をッ!」
「そうかッ!! わらわがついておりながら、何という不覚ッ……リーズ、わらわとジャックは楽譜を取り戻してくる。おぬしはここに居るのじゃッ」
リーズは泣きそうな顔で、うなずいた。
「ちくしょう! あいつ、どこにいるんだ」
ビオレッタは会場のどこにも見当たらない。
「次の演奏者は、リーズ・ファーリンくん……」
アナウンスに、唇をかむ。時間がナイッ!
「くっ……どうする、ジャック!」
「俺だって聞きたいよッ!!」
その時、後ろから場違いなのん気な声がかけられた。
「ジャックじゃない! 久しぶりねぇ〜」
「アナスタシアさん!?」
海の泡みたいな白いレースのドレスの彼女が、バイオリンと楽譜片手に立っている。
それを見た瞬間、俺の頭に電流が走ったッ!!
「……! そうだ、これでいこう!! マリアベル、アナスタシアさん、協力してくれッ」
話を聞いたマリアベルは顔をしかめる。
「……派手《ハデ》なパフォーマンス過ぎやせんか」
「マリアベル好みじゃない? それで行きましょ」
アナスタシアさんは指を立て、笑った。
「しょうがない、時間もないことじゃしな」
「じゃあ、行くぜ!」
ダッシュで控え室を出て、客席最後列に向かう。
|辿《たど》り着いた場所で、適当なスペースを確保し、楽譜を取り出す。設計図を思い出し、必死で紙を折る。
「ライトがついたぞジャック!」
リーズが屠《ほふ》られる子羊のような顔で出てくるのが、目のはしで見えた。
「マリアベルッ、アナスタシアさん、飛ばして!」
「任せておけッ!!」「了解ッ!」
ふたりは楽譜の紙飛行機を舞台に次々と投げていく!
白い紙飛行機は、はらはら舞い上がり、急降下する。リーズははっとしたように、それを拾い、広げる。
観客は予想もしていなかった光景に、声も出ない。
水を打ったように静かになった会場で、楽譜をすべて広げ終わり、しわを伸ばすと、リーズはバイオリンを構えた。
ホールに緊張が走る。
一拍おいて、端正な音色が弦からあふれ出た。……俺はほっと、近くの座席に倒れ込んだ。
[#♪ Disc1 15-遠い日の安息]
「ごめんな、俺のせいで優勝できなかったのかも」
車輪を鳴らす馬車の中、俺は謝った。
「ううん。賞なんかより、みんなが僕のために、一生懸命やってくれたことがうれしかった。ホント、感謝してるよ」
特別賞のトロフィーをなでていたリーズは、|傍《かたわ》らで寝息をたてるマリアベルを見やって|微笑《ほ ほ え》む。
「でもさ……」
「いいってば。かえったらアップルパイ焼いて、紅茶入れてお祝いしよう」
「そうだな。アナスタシアさんにもパイ、送ろうぜ」
パイの味を思い出して鼻の下を伸ばした俺に、リーズはにっこり笑ってうなずいた。
[#♪ Disc2 12-舞台はミスキャストでいっぱい]
「なんじゃと? あの娘が、誘拐されたとなッ!」
マリアベルの大声が、静かな城内にキンッと響いた。
「しかも知らなかったとはいえ、犯人をブブカの家に連れてったのは、僕たちだったんだ……」
「この町で誘拐なんて起きると思わなかったんだよ……」
いつもの部屋で俺とリーズはため息を吐《つ》く。
「……責任重大だよな」
「それに、クラスメイトだし。なんとか助けてあげたいんだ」
俺たちの顔を、マリアベルは面白そうに見回した。
「……コンクールの件は、もういいのか?」
「そんなのは、関係ないよ!」
気色《け しき》ばんだリーズは、すぐ顔を赤く染める。
「そんなこと、いちいち根に持ちたくないんだ」
「でさ、マリアベル。曲者《クセモノ》はビオレッタの姉ちゃんに、身代金持たせようとしてるんだ」
「それは、デンジャラスな匂いがするのう……」
「だろ!? だから、何とかしたいんだ」
「ふむ……」
右手を|頬《ほお》にあててたマリアベルは、顔をあげた。悪戯っぽい光が、両目に宿っている。
「のう。わらわがビオレッタの姉のふりをして、約束の場所に行くというのはどうじゃ。そこでアカとアオを使って、犯人をとっつかまえるという寸法じゃ」
「そんな危険なこと、アンタにさせられねーぜ!」
「僕もそう思う……マリアベル、考え直してよ」
「大丈夫じゃって。わらわの力を信じろ」
「マリアベルのパワーは、そりゃあ知ってるけど。でも、万が一ってこともあるだろ?」
「あーもう、おぬしらしつこいぞッ!!」
マリアベルは、大きな音を立ててテーブルを叩いた。
「わらわがいいと言ったらいいのだ!」
[#♪ Disc2 17-Bad Guys & Bad Land]
無言で家路につく俺たちの影を、月が長く伸ばす。
「ねえ」「なあ」
同時に言う、バッチリ気の合う俺たちであった。
「……やっぱり、お前もそう思うか?」
「あったり前だよ。マリアベルの計画じゃ、僕たちカッコ悪すぎだ」
「やっぱ、そうだよな!?……よぉ〜し!」
そばの切り株にどっかと腰を下ろす。
「っと、相手はこっちをコドモと見くびるだろうから……」
半月が見おろす中、俺とリーズの会議は続いた。
「ええと……身代金を、持ってきました」
作戦通り、ビオレッタの姉と入れ替わった俺たちは、裏声を出してならず者に近寄る。
マリアベルに教えた時間は、ずらしてある。……それにしても、スカートって動き難い。
こっそり持ち出したカナブンの山刀を、中に隠してるってのもあるけどさ。
「よし。金《カネ》を渡しな」
「待って!! 妹を解放するのが先よ!」
リーズが震えた声で叫ぶ。なかなかの演技だ。
「いいだろう、ほら」
突き飛ばされ駆けてきたビオレッタは、俺たちを見て驚いたように立ち止まった。
「だいじょうぶ? ビオレッタ!?」
小走りで近づくと、彼女はさらに目を大きくした。
「え、ええ……でも……」
(いいからだまって、後ろに隠れろ!)
ったく、気のきかないヤツだぜ……女の子だし、しょうがないのか?
なんて思ってる|隙《すき》に、曲者は拍車《ス パ ー》のついたブーツを鳴らして近寄ってきた。
「よし、金を頂くとしようか」
「は、はい」
リーズが現金の入った|鞄《かばん》を差し出した。俺は密かに、底を切ったポケットから山刀をなぞる。
「ところでお|嬢《じょう》ちゃん方、ブブカの娘にしては、かわいい顔をしているな?」
予想通りの展開だ。リーズの目を見て、軽く|肯《うなず》く。
「みんな、高く売れそうだ」
……今だ! 俺は愉しげにリーズの顎を持ち上げるヤツの背中に、思いっきり体当たりをかました!
同時にナイフを取り出し、無様に地面に転がった彼に突きつける。
「な……ガキ、何するんだ!!」
「それ以上近づいたら、……ただじゃおかない!」
「今のうちに逃げるんだ、ビオレッタ!!!」
リーズは口に手を当てる彼女の前に立ち、叫んだ。
「分かった!! パパを呼んでくるッ!!」
真っ青になってたビオレッタは、気丈に己を取り戻し、町へ駆け出す。
「おめーら……俺の計画を、よくもぶっ潰してくれたじゃねえか!! ……許さねえ!!」
奴《ヤツ》は切れた唇を拭うと、ナイフを抜いて立ち上がった。そのまま、俺たちに突進してくる!
……だめだ、俺にはまだ、人を殺すかもしれない行為への決意ができてないッ!
その思いはリーズも同じだったらしく、俺たちは抜き身の刃を持ったまま、凍りついたように動くことが出来ない。
コマ送りで、脂ぎった顔が近づいてくる。
ものすごい衝撃と共に、俺たちは頭から地面に突き倒された。
「|舐《な》めたマネしてくれたじゃねえか、ガキッ!」
ぐるぐる回る世界の中、ヤツがナイフをかざす。くそおっっ……!!
目を閉じた俺たちの耳に、聞きなれた声が響いた。
「キュベレイ!!」
同時に、ヤツの立っている地面が盛り上がる。
地面から突き出た巨大な金属柱が、ゆるりと瞳を開く。
「ひぇぇ……!」
そいつの全身から衝撃波が| 迸 《ほとばし》り、曲者をぶっとばすのを、俺は信じられない思いで見つめた。
尻を押さえた犯人が、よろよろ逃げていくのを呆然と見ていると、
「……間に合ったようじゃの」
金属柱の陰から作業着姿のマリアベルが、ちょっと割れたゴーグルを外してあらわれた。
「マリアベル、これは……」
「アカとアオの機能をさらに巨大化・強力化した、ゴーレム【キュベレイ(試作)】じゃ」
マリアベルはそれだけ言うと、短い命令を放った。轟音と共に、キュベレイは再び地面に潜る。
「……これにこりたら、以後わらわを置いてきぼりにしないことじゃ」
「は、はい……」
俺たちはしょんぼり頭を下げた。
「でも、カッコよかったがな」
マリアベルはウインクし、にっと笑う。
「ホントか?」
「……ホントだとも。最後に犯人を取り逃がさなければ、もっとな」
「……マリアベル、気がついてたのか」
「いや、わらわもウッカリしたーッ、と思ったところでな……」
そこに、何人かの足音が響く。ビオレッタとブブカが、保安官を連れてきたのだ。
犯人を取り逃がしたことを告げると、ブブカと保安官は残念そうな表情を浮かべたが、
「危険を顧みず、娘を助けてくれたそうだな」
ブブカは俺たちの手を取り、ありがとう、と繰り返す。
汗ばんだ手に心配の度合いが見え、俺は苦笑しながら後ろを振り向いた。
ビオレッタがマリアベルの前に立っていた。
「ごめんなさい、その……いろんなこと」
「構わぬ。わらわも大人げなかったからの」
マリアベルはやわらかな笑みを浮かべた。
「今度は我が城に、3人で遊びに来い」
待っておるでな、と告げ、彼女はすばやく姿を消した。
[#改ページ]
[#♪ Disc1 15-遠い日の安息]
第8章 春を愛する人
あのとき「クレメンタイン・ベックソン」って名前だけが、灰の中で鮮やかだった。
……ばあちゃんが母さんの手紙、焼いてると知ったのは、いつごろだろう。
そして、母さんは村の人の言う通り、街の男と暮らしてるんだ、って悟ったのはいつだろう。
「くっそぅっ……!」
自分の声で目がさめた。いまいましいことに、涙が|頬《ほお》に残っている。
もう、起きてるときはあの人のこと、思っても泣いたりしないのに、寝てるときは心が素直に悲しむのだろうか。
そんなことを考えてしまい、俺はむしゃくしゃした気分で着替えをはじめた。
「おそかったわね」
緊張した面持ちのビオレッタが、すでに小屋に来ていた。
そう、今日はビオレッタとマリアベルを引きあわせる約束の日なんだ。
「ゴメンゴメン。リーズは?」
「おみやげにって、プリン作ってたんだけど……バニラエッセンス切らしてたみたいで、さっき慌てて町に買い出しにいったわ」
「匂いなんて、俺はどうでもいいけどな」
「フフッ、リーズは完璧主義だもの」
確かにな、と返した俺は、かすかな気配に顔を上げた。
「どうしたの、ジャック」
「ノックの音が聞こえたような……」
俺たちは顔を見あわせた。
カナブンの小屋をわざわざ訪ねてくる物好きなヤツに、ノックするヤツはいない。
「はい」
けげんに思いながら、俺は扉を開けた。
「こんにちは」
黒髪に緑の目の、キレイな女性《ひと》が立っていた。どこかで見たカオだけど……
「どちらさまですか?」
首をひねる俺の後ろで、ビオレッタが歓声を上げた。
「あの、カリナさんですよね? ピアニストの」
ビオレッタがいつもより高い声を出して、カリナさんとうれしそうに話をしている横で、俺はお茶を入れる。
リーズの複雑な感情を知っているから、彼を置いたまま、カリナさんと親しくなるのはためらわれたのだ。
「どうぞ」
アップルティーの香りが、湯気とともに立ち上《のぼ》った。
「ねえ、あなた」
お茶の水面を見ながらふたりの会話を黙って聞いていた俺に、カリナさんが話しかけてきた。
「リーズのお友達ですね? あの子が元気でやっているか、伺《うかが》ってもいいかしら?」
リーズに似たこぎれいな顔が、優しく笑《え》んだ。
「ええ。バイオリンもうまくて、勉強も……」
俺は答えになってない、よく分からない言葉を返してしまう。
「よかった。今まで学校に行かせていなかったから、心配してたんですけれど」
いい友達もいるようだし、とカリナさんは|微笑《ほ ほ え》んだ。
「え、ええ……」
なんか……理想のお母さんってカンジだぜ? 俺はとまどい、目を泳がせた。
小屋の入り口でバタバタ音がした。
「ごめん! ふたりとも、待っただろ?」
息を切らしながら入ってきたリーズは、カリナさんの姿を認めて体中をこわばらせる。
[#♪ Disc2 20-心臓に流れる折れた針]
「母さん……なんで、ここに」
かれた声を出すリーズの前に、カリナさんは立ち上がる。
「コンクール入賞、おめでとう。あなたの演奏を聴いたわ。うまくなったわね」
「……ありがとう。で、さっきも聞いたけど、僕とカナブンおじさんの小屋に、なんの用?」
冷たい声で、リーズは返す。
「あなたを迎えに来たの。バイオリンをこれからも続けるなら、楽団員になって、今から顔を売っておいた方がいいから」
「え……」
リーズの手から、カバンが落ちる。中身が散らかる騒がしい音が、小屋中に響いた。
「なんだよ、それ!!」
「リーズ。聞いてちょうだい」
カリナさんはしずかに言った。
「や……イヤだよ!! 僕は」
初めて見る|激昂《げっこう》するリーズに気圧《けお》されながら、俺はこの場を出るに出られぬ己を呪った。
目を丸くしているビオレッタを、一人で置いていくわけにもいかない。
「ねえリーズ。裏目に出たのは確かだけれど、私があなたをここに預けることにしたのは、あなたのためを考えてのことだったのよ」
「ウソ……嘘だ……だって……」
手負いの獣のような視線で、リーズはカリナさんを突き刺す。
唇が、酸欠の金魚みたいに閉じたり開いたりしている。
「僕が、なにも知らないと思ってるの……?」
何を言う気だ……? まさか……?!
「リーズ、やめろ!!」
だが、一瞬遅かった。
「あのゴシップは何なんだよ!」
真っ青な顔でリーズは叫んだ。
「あのゴシップって……まさかあなた」
カリナさんの顔から、ざっと血の気が引く音が聞こえた気がした。
「母さんはもう、父さんを忘れたんだ! それに、……僕がいると、邪魔だったんだろ!」
乾いた音がした。リーズの|頬《ほお》が、紅く染まる。
「……そんな風に思ってたの」
カリナさんは唇を噛み、絞り出すように言った。
肩を震わせうつむくリーズも気になったが、俺は小屋を出ていくカリナさんを追った。
「待ってくださいッ!」
声をかけると、彼女は泣き出す一歩手前の表情で振り向く。
「…………」
小屋を離れる後ろ姿には、入り込めないものがあった。
ただ見送った俺は、地面に銀のロケットが落ちているのに気がついた。
かがみ込んで手に取ると、金具が甘くなっていたそれは勝手に開き小さいリーズの写真を見せた。
……あいつ、なんてぜいたくなんだ。
俺は奥歯をぎりっと噛みしめ、小屋に戻った。
とりなすビオレッタをすげなくあしらうリーズに、俺は銀のロケットを手渡す。
「カリナさんの落とし物だぜ。お前、大切にされてんじゃんか」
リーズはキッと目をつり上げた。
「あんな人……僕、母親なんて認めたくない。母親のない、君がうらやましいくらいだ」
その言葉に、視界がまっ白になった。
我に返ると、目の前にリーズが倒れていた。
「……見そこなったぜ」
胸の中には、もっと言いたいことが渦巻いてるのに、俺はそれしか言葉にできなかった。
たまらなくなって、俺は小屋のドアを乱暴に開け、外へと飛び出した。
[#♪ Disc1 15-遠い日の安息]
あーあ、カリナさんとの仲を取り持とうと思ったのに、逆にリーズとケンカしてちゃ世話《セワ》ないぜ。
俺は肩を落として、城への道を進んだ。向いてない問題みたいだし、マリアベルに相談してみようと思ったのだ。
「ジャック!」
ビオレッタが明るい髪を揺らしながら駆けてくる。
「あたしもさ、がつんと言ってきちゃった。ね、今からあの人の城に行くんでしょ?」
「ああ。予定通りにマリアベル、紹介するよ」
図書室にいたマリアベルは、ビオレッタの姿を認めて立ち上がり、ぎこちない礼をする。
ビオレッタも、同じような礼を返した。
ま、最初はこんなもんだろ。いろいろあったしな。俺は自分を納得させ、手早くリーズの件を話した。
「リーズのヤツ、意地を張っているんじゃな」
話を聞きおわったマリアベルは頭を押さえた。
「本当は母親の気持ちに気がついているはずじゃ。しかし素直になれず、甘えているんじゃな。お前たちにも覚えがあるじゃろう」
「ええ、そうね……」
……そういうもんか? 俺は首をひねった。
「俺、そういうのわかんねえよ。好意を持ってくれてる人の気持ちを知ってて、裏切れるなんてさ。もしかしたらその人、こっちの甘えた横着《おうちゃく》なところが嫌《イヤ》んなって、どっか行っちゃうかもしれないじゃんか」
何気なく発した言葉だったが、ふたりは気まずそうに黙り込む。
……やっちゃったか。
ため息をついて、謝罪の言葉を吐こうとした俺に、しかし先に謝ってきたのはふたりだった。
「ああ……スマンな、ジャック」
「ええ、あなたの言う通りなとこも、あるわ」
……あんまりすまなさそうな顔をされると、よけい嫌《イヤ》な気分になるのだが、それはさすがに言えない。
俺は笑ってみせて、話題を変えることにする。
「とりあえずさ、仲なおりさせる策《テ》を考えようぜ」
ふたりは無理メな笑顔を浮かべ、|頷《うなず》いた。紅茶を啜り、ビオレッタは口を開く。
「こないだの逆……つまり、ゴーレムを使うってのはどう? リーズを襲うゴーレムから、カリナさんが、彼をかばうの」
「……あんまりバレバレじゃろ……」
「そうかしら……」
ビオレッタは口をへの字に曲げる。
「そうじゃ。ジャックがもっとるロケットを、なくしたと言ってリーズを困らせ、大切な物に気づかせる、というのはどうじゃ」
「……それ、嫌がらせに近いと思うわ……」
「むうう」
マリアベルは首をかしげ、唇をとがらせる。
「……ヘンに小細工しない方が、いいかもしれないぜ」
「じゃあ、どうしろって言うの?」
突っかかるビオレッタに、マリアベルは|微笑《ほ ほ え》んだ。
「いや、ジャックの言う通りかもしれぬ。リーズのヤツも、そろそろアタマが冷えている頃じゃろ」
「じゃあ、町に帰ろうぜ。早くしないとカリナさん、リーズと仲直りしないまま帰っちゃいそうだ」
「そうじゃな……雪もほぼ溶けたことだし、反重力バイクで帰ることにしようか」
春のたそがれは甘い匂いに満ち、俺たちはその空気を吸い込みながら、空中を飛ぶバイクを走らせる。
だが、俺達が城で結論のでない話をしている間に、事態は急展開を迎えていた。
「ん?」
マリアベルがけげんな顔をして一点を見おろす。
「どうしたんだ?」
「リーズじゃ。リーズがエライ顔で走っとる」
「どうしたんだ、リーズッ!」
バイクを降ろすと、彼は息を切らしながら、
「ビオレッタを誘拐したヤツが、今度はお母さんをさらったんだッ、楽団からお金をとろうって……!」
[#♪ Disc4 16-獰悪なる爪も牙も]
「ええっ……! 本当か、リーズ!」
……やらせじゃなく、ホンモノの危機が来るとは思わなかった。
「うん、今おじさんと、ヤツを探してて……!」
「……わらわがこらしめてやったというにッ!」
マリアベルは自分の機体から降り、俺のリアシートにのっかりながら言った。
「リーズ、このバイクを操縦せい。わらわはヤツを見つけるのに全力を尽くす」
リーズは|頷《うなず》くと、素早い動きでバイクに乗り込んだ。
俺+マリアベル、リーズ+ビオレッタという組み合わせになり、再び、全速力で走り出す。
「いたぞッ、奴じゃッ!!」
マリアベルの指差した場所には、カリナさんを銃《アーム》で脅しつけている男がいた。
「何をする気だッ!!」
リーズが叫んだ。その声に、男が驚いた顔を上げる。表情が、ゆっくり憎しみの色に染まってくる。
まあ、何度も俺たちみたいなコドモにやられてちゃ、ムカツキもするだろうな。
などど悠長なことを考えているヒマはなかった。男がピストルを取り出し、リーズに銃口を向けたのだ。
「いやッ!」
それを認めたカリナさんは叫び、男に体当たりした。
バランスを崩した彼はいまいましげに舌打ちして、カリナさんの体を蹴り飛ばす。
……スゲエ。自分が撃たれるかもしれないのに。
口を開けてる俺の横で、リーズがギリッと歯を鳴らした。
「チクショウ……」
らしくない言葉づかいで|唸《うな》り、強い瞳で振り返る。
「ジャック、行くよッ!」
「……合点《がってん》だ!」
リーズの魂胆《こんたん》をつかみ、俺は大きく|頷《うなず》いた。
一瞬のうちに同盟を組みおわり、リーズは後ろから、俺は前から犯人に突っ込んだ。
男の卑しい顔が、恐怖に歪むのがズームアップされる。
「行くぜッ!!!」
俺たちは声を合わせ、男の服を掠るほどの至近距離ですれ違った。
男がへなへな座り込むと同時に、車体が大きく揺れる。後ろの席にいたマリアベルが飛び降り、
「覚悟ッ!」
だらしなく腰を抜かした男に魔法をかけたのだ。
同時にビオレッタが、カリナさんのもとへ走る。……いいコンビネーションじゃん、俺たち。
[#♪ Disc3 09-往きて、また還る]
大きないびきをかく男の手首を、ハンカチをつなげて作ったロープで縛る。
「……一件落着、じゃな」
裾をはたいて土を払うマリアベルに、俺は首を振る。
「俺たちは、な」
ポケットに手を突っ込んだまま、リーズの方を向く。
うん、とだけ言った彼は口を切り、視線を落としてつぶやいた。
「みんな、いろいろありがとう。ジャック……さっきはゴメンね」
ぽつりと言うリーズに、俺は苦笑した。
「そんなことより、早く行けよ」
リーズは小さくうなずき、カリナさんに駆け寄った。彼女は|微笑《ほ ほ え》み、リーズの髪をていねいに|梳《す》く。
優しい情景が、心に痛く突き刺さる。喜んでやれない自分も、ものすごく嫌だった。
涙が出てきそうで、俺はあわてて顔をそらす。
マリアベルが気づかうような視線を投げてきたが、……ちょっとくらいいいよな。
だってカリナさんは、俺が欲しかった母親そのものなんだから。
[#改ページ]
[#♪ Disc3 15-掌からこぼれおちて]
第9章 初夏の物語
「ただいま、ダリアばあちゃん」
あれ? いつもこの時間に流れてる【レディオガガ】の音がない。どうしちゃったんだろう?
「ばあちゃん、いるの? ……!」
何気なくキッチンを|覗《のぞ》いた俺は、思わずカバンを取り落とした。
……おばあちゃんはキッチンに両手をつき、肩を震わせて泣いていたのだ。
骨張った手が、白い前掛けを握り締めている。
「ばあちゃん、どうかしたのッ!?」
「な、なんでもないんだよ、ジャック」
あわてて駆けよる俺に、ばあちゃんはいつになく焦って、手に持った白いものをエプロンに突っ込む。
紙が擦れるカサカサ、って音がした。
「おばあちゃん、それって……」
俺は直感的にさとった。あれは、母さんの手紙だ。今回こそは、焼かせてたまるかッ!
俺はおばあちゃんの手から紙をひったくって、そのまま外へと駆け出した!!
「ジャックッ!!! よせ、見てはいかんッ!」
「ごめん、ばあちゃん!」
ばあちゃんを振り切って(年の差50才はデカイぜ)、俺は川沿いの道を転送装置へと走った。
夕日に赤く染まるノーブルレッド城。
中庭の噴水の縁に座った俺は、すっかり上がってしまった息を静めつつ、手紙を広げようとした。
「おっとと」
握り締めていたからか、汗で裏表がぴったり張り付いちゃったみたいだ。
はやる心が薄い紙を破かないよう注意して、最後の折り目をはがしていく。
……よーし、これでOK。絶妙微妙な力を入れていた指を離し、ドキドキしながら中身をのぞく。
「……!!!!」
俺は、頭を強く殴られたような衝撃を感じた!!
死亡通知〜クレメンタイン・ベックソン
無機質にタイプされた手紙が滑り落ちる。
「ウソだ……っ!」
大声で叫んだ……つもりだったが、俺の舌は|強張《こわば 》り縺《もつ》れ、聞き苦しい音を出すだけだった。
「くそぉっ……!」
とほうもない量のさまざまな感情が、俺の脳を覆い尽くしていく。
「ちくしょう、畜生……何のために……嫌だ……」
繰り返す呪詛が何に対してのものなのかわからないまま、俺はよろめきながら城の中へ歩き出した。
「……」
いつもの部屋にたどりつき、戸棚を開く。
息苦しさと|動悸《どうき 》を押さえ、今までに作ったブレインと設計図を取り出す。
両手に抱えきれないほどの量に、やるせない気持ちが湧きおこった。
再び噴水の前に戻ってきた俺は、運んできた荷物を乱暴に置く。
その上に枯れ木の枝を乗せ、引き出した一枚の設計図をねじり、導火線にする。
不思議に、悲しさとかみじめさとかは感じなかった。すごく透明な気持ちが、俺の中に満ちていく。
「さよなら、母さん」
後ろポケットから取り出したマッチを擦る。小さな燐《りん》の炎を、導火線へと近づけた。
だが、その瞬間。
白い腕が俺の右手に伸びた。
振り向くと、そこには静かな表情をしたマリアベルが立っていた。
「……離してくれよ」
「だめじゃ」
「……離せって、言ってるだろ!!」
鼻声になりながら、俺は叫ぶ。
「だめじゃ」
マッチの赤い火が燃え尽きる。同時に、張り詰めていたものが切れる音がした。
「嫌なんだ……もう、何もかも……ッ!!」
叫び、手のひらを思いっきり地面に叩きつける。
「何をするんじゃ!!」
制止しようとする彼女を振り払い、
「だって、俺の手は、こんなにも無力だ!!
結局母さんを引き止められなかったッ……!!
……置いていかれたんだ、母さんがいなくなった時と、おんなじに……」
最後の方は、しゃくりあげる喉の奥に消える。
[#♪ Disc1 09-別れ・絆・旅立ち]
マリアベルは無言で、俺の側に来た。
「おぬしの手は、無力じゃない」
マリアベルは、優しい顔で俺をみていた。
「ほら、そんなに泣くでない。男じゃろうが」
爪が刺さるほど握り締めていた手を開いてくれる。
そのまま彼女は、俺の土にまみれた手を、自分の手のひらに包んだ。
「思い出せ……おぬしの手は、いろんなものを掴んできたじゃろ?」
「リーズのバイオリンのコンクールで、とっさの機転で紙飛行機を折ったこと。ビオレッタを誘拐犯から無事に逃がしたこと。……すべて、おぬしの手がなしたことじゃ」
な? と、マリアベルは視線を合わせて|微笑《ほ ほ え》んだ。
「『置いていかれる』のが辛いのは分かる。でも、自分を否定してやるな……」
半分|己《おのれ》に言い聞かせるような口調のマリアベルを見上げ、俺はまたまぶたが熱くなるのを感じた。
だけど、今度の涙はさっきのとは違う。
……ホントは、気がついてたんだ。
動機はどうでも、飛行機を造る夢は、捨てようがないほど俺の心に根を下ろしてるって。
「うん。俺は……誰のためじゃなく、自分のために、自分の夢を叶えるために、空を飛ぶよ」
「その意気じゃ」
すみれの香水の匂いがするハンカチを差し出しながら、マリアベルはきれいに|微笑《ほ ほ え》んでくれた。
「今度はさ、簡単なモーターを、クラフトに取り付けてみようと思うんだ」
転送装置に足をつっこみながら、俺は言った。
「ふむ。それは面白そうじゃな」
立ち上る光のカーテンの向こうで、腕を組んだマリアベルが|微笑《ほ ほ え》む。
「それじゃあ、また明日」
「待っておるぞ」
同時に、装置が作動する。
町についても、すみれの香りはまだ、装置の中に仄《ほの》かに漂っていた。
[#♪ Disc2 09-人のぬくもり]
珍しく、蒸し暑い日だった。
「もう夏だなあ」
ばあちゃんみたいに当たり前のことを|呟《つぶや》き、|半袖《はんそで》のシャツの襟元を広げながら外に出る。
井戸水をじょうろに汲み、心なしか萎《しお》れぎみのヤナギランにやっていると、後ろで軽い金属音がした。
「ジャック!」
花柄のワンピースを着たビオレッタが、自転車から手を振っていた。
「ビオレッタ! どうしたんだ?」
「あのね、今夜あたしのうちで、パーティーがあるの。姉さんの誕生日パーティーなんだけど、こないだのお礼って意味でも、来て欲しいのよ」
首を傾げる彼女に、俺はじょうろを上げてみせる。
「うまい飯《メシ》が出るんだろ? 行かせてもらうぜ〜。リーズとマリアベルも誘っていいか?」
「もちろん。こっちから、お願いしたいくらいだわ」
ビオレッタは笑い、短い別れの|挨拶《あいさつ》を告げ、坂道にむかっていった。
……やっぱ、面と向かっては誘いづらいもんなのかね。オトメゴコロってやつなのかなあ。
って、妙な感慨にじっくりふけってる暇《ヒマ》はない。清く貧しいために(悲しい話です)、ロクな服を持ってない俺は、マリアベルにお洋服《ベベ》借りないといけないだろうし。
俺はじょうろを放り投げ、ふたりにパーティーのことを知らせるべく走り出した。
「ふむ、たまにはドレスの虫干しもいいの」
髪をお団子に結い(尖った耳を隠しとくためらしい)、シンプルな形の青い|袖《そで》なしドレスを着たマリアベルは、赤ワインを片手に優雅に言った。
「良かったな。俺はアレだけどさ……」
絶対遠慮したかった『蝶ネクタイに半ズボン』の俺は、スモークサーモンのせライ麦クラッカーを、音を立てて噛み砕いた。
「そんなにふくれるな。よく似合っておるぞ☆」
「……似合ってない、っていわれた方が嬉しいぜ」
「ジャック、そんなにイヤなものかい?」
「だって、リーズは普通のタキシードじゃん……」
「そうは言うけど、僕が半ズボンなんてはいたらさ、似合いすぎて気色悪いだろ?」
「……それは一理あるかもしれないけど……」
「ふたりとも、ブブカの|挨拶《あいさつ》が始まるようじゃぞ」
「招いてくれたんだし、一応ちゃんと聞こうかな」
「リーズは偉いねえ」
だるだるな口調で返しつつ、俺も一応、しつらえられた段の方に体を向ける。
ブブカは巨体を揺すりながら壇《だん》に上がり、|咳払《せきばら》いを一つした。外見を裏切らないだみ声が響く。
「えー、皆さん。今晩は我が娘のためにお集まりいただき、非常に光栄であります。|賑《にぎ》やかに楽しく過ごして下さい。
それが、彼女が大人になった時『楽しい誕生日』の|想《おも》い出となり、優しい気持ちになる種となるのです」
……へー、結構いいこと言うじゃないか。
「長話も野暮《ヤボ》ですな、皆さんごいっしょに、乾杯!」
|賑《にぎ》やかに唱和の声が上がる。気持ちのいい乾いた音が、そこここで響いた。
「来てくれたのね!」
ゆるやかにカールさせ、花を差した髪を揺らして、ビオレッタは俺たちの元にやってきた。
「うむ。ご招待、ありがたく受けさせて頂いた」
古風な礼に、ビオレッタは目を丸くする。
「ええ、あの……楽しんでいかれて頂きたいわ」
つられたのか妙な言葉づかいをするビオレッタに、俺たちが思わず笑ってしまうと、
「な、何よっ!」
照れ隠しからか、ビオレッタは強い視線を投げる。
リーズはそれを柔らかくいなした。
「ゴメンゴメン。お詫びにさ、一緒にバイオリン弾くから許してよ」
「え? えっえっ?」
「ピアノ出してあるよね? それとも、僕と一緒に演奏するなんて嫌《イヤ》かな?」
「そ、そんなことないけど……、いいの?」
真っ赤になった彼女に、リーズは優しく|微笑《ほ ほ え》んだ。
「もちろん。君のピアノ、好きだからね」
「あ、あ……ありがと」
ビオレッタは小さな声でそれだけ言うと、花が開くみたいにキレイに笑った。
あ、アツイぜ……
俺とマリアベルは目配せしあって、テラスで熱を冷ますことにした。
[#♪ Disc1 07-昔語りの夜]
「あーあ。リーズの奴、タラシの素質あるよな〜」
手すりに|頬杖《ほおづえ》つきながらぼやくと、マリアベルはドレスの裾を|翻《ひるがえ》して振り向いた。
白い顔の上に、いたずらっぽい笑みが浮かんでいる。
「そんなに妬《や》くな。お前さんにも、そのうちいい娘《コ》が出来る」
「別に、そういうんじゃねーよ……」
さすがに、自分より先に、リーズが大人になってしまったようで淋《さみ》しいんだ、とは言えなかった。
「……そんなに急いで、オトナになることもないじゃろう?」
「……ッ!」
はっとして彼女の方を向くと、マリアベルは不思議な色を|湛《たた》えた瞳で俺を見ていた。
「……ごめん」
「いいのじゃ。置いていかれることには慣れておる」
強がりながらも寂しそうなマリアベルがせつなくて、俺は小さな影の方に歩いた。
リーズたちのソナタが、窓の内側から流れ出す。
「なあ、思い出さないか?」
「ああ。わらわがゆっくりテラスで月を見ていたら、おぬしが闖入《ちんにゅう》してきおった時と、よく似ておる」
「そうそう。だいぶ前みたいな気がするけど、アレからまだ、一年経ってないんだよな」
「その間にいろんなことがあったからのう……」
マリアベルは目を細め、空を見上げた。
「なんだかいい匂いがするのう」
「黒百合の匂いだ。もうそんな季節なんだなぁ」
「華やかな香りじゃの。……ん?」
マリアベルは結った髪に触れながら、振り向いた。
「なんだよ」
「ジャック、あれを見るがいい」
空を仰いだ俺の目に、昨日までは確かに存在していなかった光輝く星が映る。
「……新しい星が、生まれたのか?」
「いや。あれは、星が死にゆく姿じゃ……」
「死に際が一番キレイなんて、哀しいな」
「でも、その中から新しい星も生まれるのじゃぞ」
「ふうん……ロマンチックだね」
むせ返るような花の匂いに包まれて、俺たちはただ青白い月を見上げていた。
[#改ページ]
[#♪ Disc1 15-遠い日の安息]
第10章 空が墜ちる日
「それにしてもあの新しい星、|綺麗《き れい》だよね。マリアベルが望遠鏡で見せてくれるの、楽しみだな」
獲物の入ったバケツを持ち、白い夏服に身を包んだリーズは腕を上げた。
「ああ。マリアベルの着ぐるみも、もう乾いたかな」
彼女が見事に流れに落ちた姿を思い出し、俺は含み笑いをする。
「それはわかんないけどさ、ビオレッタとマリアベル、じりじりしてそうだ、早く行こう」
だんだんとオレンジ色に染まる空をバックに、ブブカの屋敷が黒く大きく浮かび上がる。
ビオレッタの部屋のバルコニーに、川に落ちたマリアベルの着ぐるみが乾かしてあった。
勝手口でメイドさんに、ふたりを呼んでくれるよう頼む。
レンガの壁にもたれてしばらく待つと、白いレースのサマードレスのビオレッタと、細かい刺繍の施された赤いワンピースを着た、マリアベルがあらわれた。
「なかなか着ぐるみは乾かぬものじゃのう。あれは、我ながらうかつじゃったわ」
釣りは楽しかったのに……とマリアベルは裾をつまんでうつむく。
「……まあ、夏はこれからだし、着ぐるみ乾いたらまた行こうぜ」
「そうだよ。ところで、そのドレス似合ってるね、マリアベル。ビオレッタが見立てたの?」
「ええ、姉さんのドレスなんだけど、色白いのが映えるわよね」
「当然じゃ、わらわは美貌の一族なのじゃからなッ」
|機嫌《き げん》が直ったのはいいけど、まったくいばりんぼなヤツだぜー。
「じゃあレディ、日も落ちたことだし、新星観測会に出発進行としゃれこみますか」
肩をすくめて言うと、マリアベルはフッフン、と鼻を鳴らした。
「よし。皆、用意はいいな?」
[#♪ Disc1 17-不安から焦燥へ]
アカとアオを手伝い、俺たちは中庭に望遠鏡を持ち込んだ。
「では、貸すがよい」
マリアベルは接眼レンズをのぞきこみながら、カチャカチャ微調整ダイヤルをいじる。
と、マリアベルは一つ大きな息を飲んだ。
「どうしたんだ?」
らしくない、深刻な顔だ。
「いや、なんでもない……ああ、望遠鏡は新星にセットしてあるから、好きに見るがいい」
そういうと、マリアベルは噴水の縁に腰掛けた。
「あ、ああ……」
戸惑いながら俺たちは|肯《うなず》き、交互にレンズを|覗《のぞ》く。
「すごい光ね……」
「うん……」
リーズとビオレッタは|微笑《ほ ほ え》み合う。
俺はふたりの|雰囲気《ふんい き 》を壊さないようそっと場を離れ、マリアベルの隣りに腰かけた。
ワンピースの刺繍部分を、指先でなぞっていたマリアベルが、目を上げる。
「ジャック、エアクラフトの方はどうじゃ?」
「え? ああ、モーター動力、やっぱすごいよ」
いきなりの質問に、俺は戸惑いつつも答えた。
「そうか……おぬし、わらわとの約束、覚えとるじゃろうな?」
「当たり前だろ。それって俺の、|動 機《モチベーション》の一つなんだぜ」
「ならばよいのじゃが……」
「どうしたんだ? なんか今日のアンタ、変《ヘン》だぜ」
「……なんでもない」
マリアベルは長い金色の髪を|梳《す》きながら言った。
「わらわの……気のせいじゃ、きっと」
「何か心配事でもあるのか? 俺にできることなら何でもするけど」
「そう言ってくれると、ありがたいがの」
彼女は埃《ほこり》を払い、立ち上がった。
「もう、遅い。皆、今日はもう帰れ」
陰のある表情に引っかかりを感じたが、マリアベルをわずらわせるのも申し訳ない気がして、俺たちはノーブルレッド城を後にした。
[#♪ Disc2 09-人のぬくもり]
音楽室の庇《ひさし》に巣をかけているツバメが、窓を掠めた。
月見草が黄金色に揺れてるのを見ながら、俺はあくびをかみ殺す。
……ああ、いい天気だ。まだ眠い目を擦りながら、俺はぼんやりとマリアベルの城がある方角を見ていた。
……あれ?
季節外れの砂煙が、村の外れに見えた。それは小さな影と共に、だんだんと村に向かって近づいてくる。
あんな乗り物を、俺は一つしか知らない。
[#♪ Disc2 20-心臓に流れる折れた針]
(……マリアベルの反重力バイク?)
まさか、なあ。だって今、日中だぜ!
でも着ぐるみは、今ビオレッタのうちにあるんだったよな……
額の汗をぬぐい、目をすがめてソレを|凝視《ぎょうし》する。
「……ッ!!」
小さな球体が二つ、彼女の後ろを追ってきている。金色の長い髪が、日光を反射してきらめいた。
静かな教室に、鉛筆が転がる音が響いた。
「やっぱり……マリアベル」
「ジャック、何事ですか!!」
先生のとんがり声に構わず、俺は扉を開いて校庭へと駆け出した!
「マリアベル!」
真っ赤な火傷《や け ど》になっている肌に、言葉を失う。
彼女に肩を貸して木陰へと導くと、アカとアオが心配そうに、横になったマリアベルの上でくるくる周った。
「イタタ……」
マリアベルは顔を顰《しか》めた。ワンピースの生地が、炎症を起こした肌を擦ったようだ。
「あっ、ご、ごめん……!」
「気にするでない……」
大粒の汗を浮かべた彼女は、それでも気丈に言う。
言葉をかけながら木陰に彼女を寝かせていると、ようやくリーズとビオレッタが校庭に出てきた。
口々に体を気遣う言葉を発する俺たちを、マリアベルは奇妙に優しい瞳で見回した。
それはなぜか、俺の心臓を冷たくする。
彼女は割れた唇を湿すと、俺を見据えて口を開いた。
「よく聞け……あの新星は、大きな隕石じゃ……
わらわが計測した結果によると……今夜12時ごろに、村を直撃する……」
「な……なんだって!?」
遠くでヒバリが飛び立ち、高くさえずった。
太陽は白く目を刺し、いつもと同じうららかな日差しを投げかけていた。
[#♪ Disc2 09-人のぬくもり]
放送室に陣取った俺たちは、茜色に染まる校庭に集まった、村のみんなを見下ろしてため息を吐いた。
「やっぱり、全然信用してくれないな……」
「ダリアさんや、叔父さんが煽ってるのに……」
「あーもう、どうすりゃいいんだ!!」
頭を抱える俺の横で、リーズはひゅっと喉を鳴らした。
「ジャック!! ブブカがッ!!」
あわてて窓ガラスに鼻先をつける俺たちの目の前で、ブブカは村人たちと向かい合う。
顔色を変えたビオレッタがブブカに駆け寄るが……間に合わないッ!
俺たちが息を詰めて見守る中、ブブカは朝礼台に上る。
そして彼は、だみ声で話しはじめた。
「娘の言うことを、わしは信じる。だから……」
彼はそこで言葉を切り、みんなの顔を見渡した。
「みんな、わしの財産を、山に運んでくれんか。もし城あとに怪物がいたら、運んでくれた分の財産をアンタらに譲ろう」
ブブカが言い終わると同時に、動揺が走った。村の人たちが、ウンカみたいにブブカを取り巻く。
「ブブカ、約束は本当だな?」
「ああ。これだけの人数を前に誓ったのだ。男ブブカ、契約は破らん」
深くうなずくブブカを目にし、村人は一人、また一人とブブカの家に消えていった。
みんなが欲深く、抱えられるだけの財産を持って出てくるのを見て、ビオレッタは一つ息をついた。
「……ありがとう、パパ」
「フン。わしは、自分の財産を守りたいだけじゃ」
「でも……見直しちゃった、ステキだったわ」
見上げるビオレッタを、グラサン越しに|一瞥《いちべつ》した彼は、葉巻の灰を落とし、
「……今はそんなことをいっとる場合じゃない。わしらも早く、遺跡に行くぞ!」
照れくさそうに言った。
ただの遺跡と思っていたところに、立派な城があるのを見て驚く皆を、大広間に集める。
「……ホントに隕石が、来るんだろうな?」
豪華な調度に、落ちつかなげに歩き回っていた一人が指を突きつける。
「ああ、来るよ」
俺は腕を組んで、彼を見返してた。
「でも……さっきからダリアのラジオを聞いてるけど、そんなニュースは毛ほどもねえぜ?」
確かに「何かの情報があるかもしれない」と、スイッチを入れたままにしておいたラジオは、普段通りの番組を流している。
「お前さん、この城に住むって言われてる、血吸いの魔物にたぶらかされたんじゃねえだろうな?」
彼がそう言った瞬間、村人たちの間に見えないさざ波が走った。
「そうだ。ただの遺跡が、豪勢なお城に変わるわけがねえ。何か邪悪な仕掛けがあるんじゃ」
「うむ……帰った方が賢いのではないだろうか」
一気に場がざわめきだした。
「ど、どうしよう? ジャック」
「俺個人としては、帰りたい奴《ヤツ》は勝手にしてくれ、って感じなんだけどな……」
でも、そんなこと許したら、きっと俺は後悔する。
「くそっ……なあリーズ、マリアベルにさ、強制的に城門を封鎖してもらうってのはどうだろう?」
「そんなことしたら、パニックが起こっちゃうよ」
「そうだよな……くっそ……」
俺らがそうしてる間にも、混乱は広がるばかりだ。
[#♪ Disc3 06-過去と未来の狭間でできること]
その時ラジオから、美しいピアノの音色が響いた。リーズがはじかれたように顔を上げる。
「母さん……」
流れるような旋律に、DJのアルトが乗る。
「今日のレディオ・ガガのゲストは、カリナ・ファーリンさんです。曲目は、初夏の夜のためのソナタ」
リーズは一つうなずき、バイオリンと弓を取り出した。
ピアノとバイオリンの華やかな音色が、大広間を覆っていく。
朝の光と共に消えていく影の様に、村の皆は話を止め、ふたりの|紡《つむ》ぐ旋律に聞き入っていた。
胸をなで下ろす俺の|袖《そで》を、誰かが引っ張る。振り返るとそこには、マリアベルを寝室に連れていってたビオレッタがいた。
「ジャック……マリアベルが、話したいことあるって」
「そっか、ありがと」
俺は足音を殺して大広間を出た。
[#♪ Disc3 15-掌からこぼれおちて]
ビロードの張られた棺桶に横たわるマリアベルは、今まで見たこともないほど小さく見えた。
「マリアベル……」
遠慮がちに呼びかけると、彼女はふっと笑った。
「おぬしに二つ、頼みがある……」
聞いてくれるか? という言葉に、手をぎゅっと握って返事をする。
「一つは隣街の、別荘にいるアナスタシアに……、ここの状態を知らせ、救援を頼むことじゃ。あやつは下級ながらも貴族の娘。きっとおぬしらの力になってくれる」
「わかった、無線《む せん》だな」
「そうじゃ、アカとアオが操作を教えるからな」
マリアベルは胸を大きく波打たせ、咳き込んだ。
「マリアベルッ!」
「何、わらわは死にはせん。ちょっとお肌を焼きすぎてしまっただけじゃからな」
「本当に、ホントだな!?」
「ああ。じゃが、|暫《しばら》くの間、ふかーい眠りにつくことになるじゃろう……」
「そんな顔をするな、ジャック。わらわのもう一つの頼み事も、聞いてくれるんじゃろ?」
コクコクとうなずく俺を、彼女は満足そうに見る。」
「もう一つの頼み事とは……約束を違《たが》えない、ことじゃ。わらわのエマ・モーターの研究成果も、使ってくれて構わんからの」
「エマ・モーター?」
「うむ……ロストテクノロジーの一つじゃ。入力したエネルギーよりも、出力するエネルギーの方が大きい、というカラクリじゃから、きっと役に立つじゃろう……」
「ありがとう。使わせてもらうよ」
「……本当は、おぬしと一緒に謎を解いていきたかったんじゃがな」
マリアベルは力なくふっと笑ったが、すぐに真剣な表情に戻った。
「初めて、相手を置いていく側になったわ……のうジャック、わらわはおぬしの哀しみが分かる」
マリアベルは俺の手を握り、囁いた。
「不思議なものじゃ……落ちていく暗黒は怖くないのに、おぬしの痛みがわらわを切なくさせる」
「縁起でもないこと、止《や》めてくれよ!! アンタの方が、初飛行《はつひ こう》一緒って約束、破る気かよッ!!」
怖くて切なくて、彼女の手を握り、俺は叫ぶ。
「……ジャック、わらわは……」
マリアベルは震える指で、俺の手を引き寄せた。涙に霞む視界の中、天が落ちてくる轟音が響く。
そして彼女は、
「……」
小さく口を動かす。
よく聞こえなくて耳を近づけたそのとき、
……世界は真っ白な光に染まった。
[#改ページ]
[#♪ Disc4 02-星と命の間の宴]
第11章 7 years after
腰を下ろした噴水は、あの日と同じ透明な水をたたえていた。
傾きかけた日差しの中、俺はひじをついて、空を見上げた。
「我ながら偉いナァ」
7年間の出来事を思い出し、一人ごちる。
「ジャックさん、最終チェックOKです……って、まだこんなとこで、油《アブラ》売ってんですかッ!!」
「おっと、ゴメンよ。じゃ、そろそろ行きますわ」
助手に手を振ってみせて、俺はふらふらと立ち上がった。
城の中に、足を踏み入れる。冷たく乾いた空気が、体を包む。
「……かわんないな」
中庭の|喧噪《けんそう》がウソみたいだ。俺はひとりごち、マリアベルの部屋を目指し、螺旋階段を降《くだ》りはじめた。
昔と同じに、彼女の寝室を守っているアカとアオが、俺の足音に目を開く。
「お久しぶり」
声をかけるとふたり(?)は相談し合うように目配せし、ドアから離れる。
深呼吸して、髪を直した。そして、ドアを開ける。
(もし、彼女がいなかったらどうしよう……)
埒《らち》もない想像を振り払い、俺は棺桶の蓋を取る。
……彼女は、そこにいた。
あの日と変わらぬ様子で瞳を閉じて横たわっていた。
「マリアベル……」
自分でも|滑稽《こっけい》になるぐらい、臆病な声で彼女の名前を呼ぶ。
「うーん……」
目蓋がふるえ、なつかしい、赤い瞳があらわれる。まだ少し、焦点の合わない目を|覗《のぞ》き込んだ。
「おはよう」
彼女の瞳が、ゆっくり柔らかい光を帯びていく。
「フフ……意外と早かったな」
マリアベルは身を起こし、じいさんになってるかと思ったぞ、なんて言いながら、俺に向かって|微笑《ほ ほ え》んだ。
「エマ・モーターのおかげでね」
ウィンクしてみせた俺に、マリアベルはちょっと不機嫌《ふ き げん》そうに唇を曲げた。
「おぬし、ウスラでかくなったのう……首《クビ》が疲れる、頼むからそこに座ってくれぬか」
「あ、うん」
言われるまま座ると、彼女は立ち上がった。
鏡の前で髪を|梳《と》かすマリアベルに、俺は今まであったことを話す。
カナブンとばあちゃんが結婚(ばあちゃんは再婚)して、でももうふたりはいなくなっちゃったこととか、
リーズとお母さんが出したレコードが、売れに売れて大変だったこととか、
村長になったブブカが、見事にクアトリーを復興させたこととか。
「で、リーズとビオレッタはどうなったのかの」
「あのふたりは……相変わらずだよ。今、中庭に来てるから、自分の目で確かめた方がいいと思うぜ」
「それは楽しみじゃな」
リボンを結んだマリアベルが、鏡の中で|微笑《ほ ほ え》んだ。
「寒くないか?」
螺旋階段を上がる細い肩が震えている。
「うーむ、そうじゃな。眠りはじめた時と、少し季節がズレているかの」
「じゃ、このジャケットでも|羽織《はお》ってくれよ」
ジャケットを取り、彼女に渡す。
「……ヤニくさい。おまけにぶかぶかじゃ」
マリアベルは鼻に小じわを寄せた。
「昔は女装もできたくらい小さかったのにのう」
「それは、言わないでくれよ……」
中庭に上がると、リーズとビオレッタが駆けてきた。
「久しぶり、マリアベル!!」
「おうおう。おぬしら、元気そうじゃな?」
「マリアベルも。相変わらず美貌の一族よね」
ビオレッタは赤い口紅で、フフッと笑った。
「ビオレッタは美人になったのう〜」
「ありがと、マリアベル。自分でも、けっこうイイ女《オンナ》になったかなって思うのよ」
「リーズは、変わってないような気がするが」
……確かにカメオみたいに整った顔立ちはそのままだし、体はビオレッタより細そうだ。
「お得な体質なのね、リーズってば。あたしがいくら食べさせても、全然《ゼンゼン》太んないの」
その分あたしが太ってるような気がすると、ビオレッタは眉を寄せた。
「そりゃあ、あれだけ食べれば太るよ」
のんびりした口調で返し、リーズは笑った。
「おぬしら、変わらんの。一緒に暮らしとるのか?」
「うん。お互いボランティア精神で、ね」
赤くなったビオレッタに代わって、リーズは答えた。
「ところで、ジャック。そろそろ乗った方がいいんじゃないの? 助手さんさっきから、時計《トケイ》見てるよ」
天然ぎみのリーズに言われちゃおしまいだ。
「あ、ああ。そうするか」
パイロット側のドアから滑り込み、反対側のドアを開くマリアベルに手を貸す。
「そうそう、忘れるところだった。アップルパイを焼いてきたんだ。もし、余裕があれば、上空で食べてね」
計器を確認していると、窓から顔を覗かせたリーズが、いい匂いのする箱を差し入れてくれた。
「ありがと。このパイ食うのも久しぶりだぜ」
「すてきな機内食じゃな、感謝するぞ」
「どういたしまして」
マリアベルと手を握り、ふたりは機体から離れた。
「じゃ、気をつけてね」
「無事な生還を祈ってるよ」
手を振るふたりに軍式の敬礼を返し、俺たちは風防を閉める。
最終チェックに入りながら、俺は口を開いた。
「ところで、マリアベル。ずっと聞きたかったんだけど……あの隕石が落ちた時、俺になんて言ったんだ?」
「……覚えておったのか」
もちろん、と返すと、マリアベルは窓の外を向いた。赤くなった|頬《ほお》が、ガラスに映りこんでいる。
「もう、ええじゃろそんなことは」
「よくないって。俺、この7年間ずうっと気になってたんだ。お願いだから教えてくれよ」
「おぬしはタチが、悪くなったの……」
「そうかな?」
機械《マシン》の状態がオールグリーンなのを確かめ、心地いい音と共に、俺はスイッチを入れていく。
さっき渡したゴーグルをはめながら、マリアベルは唇をとがらせ、自覚がないのか、と|呟《つぶや》いた。
「……おぬし、本当《ホンットウ》に聞きたいのか?」
ゴーグル越しに|尋《たず》ねる瞳《め》に|肯《うなず》く。
「……おぬしと友達でよかった、と言ったんじゃ」
「ええっ?」
目をぱちくりさせると、彼女の強い視線とぶつかる。
「おぬしと友達でよかった、それを誇りに思ってる、と言ったんじゃ」
らしくない話をさせるでない、とぷりぷりしているマリアベルに、俺は|頬《ほお》のゆるみを止められない。
「なあ友よ。これ、一緒に引いてくれないか」
操縦桿に手をかけ、マリアベルを促す。一瞬まるくなった目が、優しい光を灯《とも》した。
「うむ。共に引こう」
マリアベルの冷たい手が、俺の掌《てのひら》に重ねられる。俺たちは息を合わせ、カウントをはじめる。
「……3、2、1」
「行くぜッ!!!」
俺たちの飛空機械は爆音と共に、宵の明星の輝く空へと飛び出した!
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底本:PS2ソフト「WILD ARMS Advanced 3rd」ソニー・コンピューター・エンターテイメント、メディアビジョン
※作中、主人公の仲間クライヴが娘ケイトリンに読んで聞かせる絵本。作者は不明。
2002年03月14日 発売
改変:TJMO
2006年12月28日作成