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三浦光世選
三浦綾子小説選集8
銃口
年譜
銃 口
(一九九四年)
昭和の雪
一
誰《だれ》よりも先に夕食を終えた父の政太郎が、出窓の障子を大きくあけて、
「おお、まだ雪が降っているな。竜太、飯を食ったら雪掻きをして来い」
と、竜太を見た。ガラス窓の外側に、太い格子が並んでいる。ぱちりと音を立てて、政太郎は障子を閉め、ちょっと大島の襟《えり》を掻き合わせた。鰈《かれい》の煮こごりを口に入れながら、竜太が伏し目のまま、
「うん」
と、重い返事をした。その竜太の表情を、政太郎も、母のキクエも、姉の美千代も、弟の保《やす》志《し》も、ちらりと見てにやにやした。竜太は一口残っていた飯をかきこんで、
「保志、お前も雪掻きするべ」
と、一つ年下の保志を誘った。保志はにこっと笑って、
「兄ちゃんは、いつまでたっても臆《おく》病《びよう》だな。もうじき四年生になるのにさ。夜になると、どうして一人で雪掻きできんのよ」
と、先に立って玄関に出て行った。竜太とお揃《そろ》いの絣《かすり》の綿《わた》入《いれ》が、その小さな背を丸くみせていた。
確かに保志の言うとおりだと、竜太は思う。竜太は自分の家の夜の庭が妙に無気味なのだ。
竜太の家は祖父の代からの質屋で、旭川の質屋では五本の指に入ると、幼い時から聞いてきた。何でも旭川には三十数軒の質屋があるそうだから、裕福なほうなのであろう。黒塀に囲まれたがっしりとした門構えで、仲通りに沿って北森質店は建っていた。軒先に「志ちや」と紺に染めぬいたのれんが下がっている。
夜になると、この黒塀の曲り角に、薄暗い行《あん》燈《どん》の灯が点《とも》る。明るい時に見る自分の家は、石造の倉や、黒塀に引き立って、誇らしいほどに立派に見えるのだが、塀の上の行燈に薄暗い灯が点ると、がらりと感じが変ってしまう。行燈のすぐ傍《そば》に大きな枝《し》垂《だ》れ柳が立っていて、それが行燈の薄暗さと相《あい》俟《ま》って、ぞっとするような無気味さをかもし出すのだ。
が、それは必ずしも竜太の臆病のせいとは限らない。竜太の家の茶の間には毎日のように私服刑事が張り込みにやってくる。どこかに盗難事件が起きると、刑事は幾日でも質屋に張り番をする。泥棒が盗品をさばくのは、ほとんど質屋と古物商であった。刑事は毎日のように来るわけだから、小学二年生の保志、三年生の竜太、そして六年生の美千代などとも親しくなる。時には、将棋の相手をしてくれたり、昔話などを語ってくれる。中でも、関西なまりのある大阪出身の西田刑事は話がうまい。いつかこんな話を竜太たち三人に聞かせてくれた。
「あれはいつやったかな。確か、まだ竜太や保志が学校へ行っとらん時のことや。美千代が二年生の頃やな。ある雪の降る夜な、この北森の質屋に、若い女が赤ん坊をおんぶしてな、恐る恐る質を入れにきた。風《ふ》呂《ろ》敷《しき》のままおずおず差し出したその包みをあけて、番頭の良吉さんが驚いた。その風呂敷の中に、何が入っていたと思う? 着物でもなければ帯でもない。ショールでもなければ角巻でもない。何と赤ん坊のおしめが入っていた。良吉さんは、こんなものに金を貸せるか、と思わず怒った時……あん時はまだおじいちゃんが生きとったな。あのおじいちゃんは評判の情け深い人やったから、黙っておしめを風呂敷に入れたまま、
『このおしめを預けては、赤ちゃんが困りませんか』
とやさしく尋ねてな、
『今日のところは、おしめを預かったつもりで、貸しましょう』
と、なんと五十銭もその女に手渡してな、その上、番頭さんに命じて、米やら炭やら、届けさせると言ったそうや。女の人は泣いて喜んでな、何度も何度も頭を下げて、お礼を言っていたそうや。けどな、もう二度とその人は現れんかった。どんな事情か知らんが、ずいぶんと貧乏しとったんやな。そのうちに届けた米もなくなったのか、赤ん坊も死に、自分も死んだ。それからや、この家の柳の下に、女が赤ん坊をおんぶして、時々現れたそうや。幽霊いうのは、恨んでばかり出てくるのではない、ありがたくても出てくるのやなあ」
と、両手を前にだらりと下げて、幽霊の真《ま》似《ね》までして見せたからたまらない。弟の保志は二、三日も経《た》たぬうちにけろりと忘れてしまったし、姉の美千代も、
「幽霊なんているわけないわ」
と、勝気に濃い眉《まゆ》をぴりりと上げて、その場で一笑に付したが、竜太のほうはそうはいかなかった。日が経《ふ》るにつれて、イメージが強く胸に刻みこまれてしまったのだ。
それ以来、行燈に灯が入ると、一人で外に出るのをいやがるようになった。それと知った西田刑事が、
「うそだよ、竜太、あの幽霊は作り話や」
と、大きな手を横にふって打ち消したが、竜太には却《かえ》って話が本当に思われて、柳のほうを見るのが恐ろしくなるのだった。
いまも竜太は、母のキクエが編んでくれた茶色のタコ帽子をかぶり、ひものついた手袋を両手にはめて玄関を出たが、柳の木に視線はやらない。そんな竜太に同情して、近所の人が、
「いっそ、柳の木を伐《き》ったらいかがです」
と言ったが、政太郎は首を横にふって、
「いやいや、竜太もいつまでも臆病でいるわけではありませんよ。死んだおやじがこの質屋を始めた時、この辺りには太い柳がたくさんあったそうでしてな、その記念にと、おやじがわざと残しておいたものだそうです」
と、伐ろうとはしなかった。
「兄ちゃん」
弟の保志は、体は小さいが敏《びん》捷《しよう》だ。板にブリキを打ちつけたジョンバを両手で押しながら、元気よく雪掻きをしている。旭川の二月の雪は、アスピリンのように乾いていて軽い。
「何だ」
「兄ちゃん、ほんとにおっかないの」
「うん、おれ、おくびょうだからな」
「ふーん、兄ちゃんのように勉強できると、おくびょうになるのかな」
「だけど、人に言ったらだめだぞ、保志」
「あれ? 言ったらだめか。おれ、きょう楠《くす》夫《お》ちゃんに言っちゃった」
保志がつぶらな目を、困ったように伏せて、正直に言った。
「楠夫ちゃんに?なんだ楠夫ちゃんに言ったのか。こまったなあ」
真《ま》野《の》楠夫の母トシ子は、政太郎の妹で、つまり竜太と楠夫は従《い》兄《と》弟《こ》同士だった。同じ三年生で、クラスも一緒だった。成績も竜太と一、二を争うほどで、家も近かったから、毎日の学校の行き来もほとんど一緒だった。ふだんは仲がいいのだが、何かの拍子で、(おやっ)と思うようなことを楠夫は言う。
今年の正月、こんなことがあった。叔母のトシ子に招かれて、真野の家に、美千代、竜太、保志の三人で遊びに行った時だった。家族合わせをして遊んでいた時、金満家というカードを抜いた楠夫の妹の佳世子が、
「きんまんかって、なあに?」
と、あどけなく言った。佳世子は一年生なのだ。
「きんまんか? きんまんかってな、金持のことだ。竜ちゃんの家みたいなの、きんまんかっていうんだ」
「へえー、わたしのうちが金満家?」
年《とし》嵩《かさ》らしく美千代が笑った。
「そうさ、美千代ちゃんちはきんまんかさ。けどな、質屋は貧乏人でもうかっているんだってな。貧乏人がいるから得してるんだってな」
竜太は驚いて、楠夫の顔を見た。楠夫は自分の言ったことに何の頓《とん》着《ちやく》もなく、自分のカードを器用な手つきで並べ替えていた。美千代がぱっと立ち上がった。
「竜太、保志、さ、帰ろ」
竜太には何となく姉の美千代の怒りがわかるような気がした。が、この場を不意に立ち去るほどの憤ろしさを、竜太自身は感じなかった。保志はきょとんとして、
「どうして帰るの?おれ、まだみかんもたべていないのに」
「何を言ってるのよ。みかんくらいうちにだってあるわ」
美千代は保志の手をぐいと引き、
「竜太、帰るわよ」
と、隣の部屋の叔父にも叔母にも挨《あい》拶《さつ》もせず、真野の家を飛び出した。保志だけが大きな声で、
「おじさん、おばさん、さようなら」
と言って玄関を出た。
家までの二百メートル足らずの道を、美千代はものも言わずに、ずんずんと歩いた。美千代は六年生の中でも体格がよく、級長として号令をかける時、誰よりも澄んだ響く声を出す。いつも笑ってばかりいて、その笑い声の聞えるところには、すぐに幾人かの集まりができた。だから、たまに怒ることがあっても、そう怖いとは思わなかった。が、きょうの美千代は恐ろしかった。こんなに真剣に怒っている美千代は珍しかった。
家に帰り着くと、父の政太郎と母のキクエは茶の間でお茶を飲んでいたが、三人の姿を見て、
「なんだ、もう帰って来たのか」
と、時計を見上げた。まだ十一時だった。いつもの正月だと、昼前から行って昼食を馳《ち》走《そう》になり、夕方薄暗くなるまで遊んで来ることに決まっていた。
「うん、姉ちゃんが急に帰ろうっていったんだ」
「急に? けんかをしたのか」
美千代は黙って頭を横にふった。
「けんかなんかしないよ、お父さん」
保志が無邪気に答える。
「けんかもしないのに、急に帰って来たのかい」
美千代の様子を見ていたキクエが、やさしく声をかけた。
「だって、楠夫ちゃんが……」
美千代の大きな目から涙がころげおちた。保志が首をかしげた。竜太は窓の外を見た。太い格子越しに、門の外を駆けて行く子供たちの姿が見えた。
「いったいどうしたのさ」
美千代の涙に驚いてキクエは言った。美千代は、
「お母さん、楠夫ちゃんがね、質屋は貧乏人のお陰でもうかっているんだって……貧乏人がいるから得してるんだって……ほんと? お父さん」
と涙声で言った。滅多に泣いたことのない美千代の泣き顔を、政太郎はじっと見つめながら耳を傾けていたが、
「質屋は貧乏人のお陰でもうかっている? なーるほど。言われてみればそのとおりだな、母さん」
と、キクエを見た。
「誰がそんなことを楠坊に言って聞かせたんかねえ」
キクエが眉根を寄せた。
「いや、しかし、楠坊の言うとおりだよ。この店に金持が質を入れに来たためしはない。金に困った者しか、この店には来んからのう。貧乏人のお陰でもうけていると言われりゃ、ま、それはそのとおりだ」
政太郎は大きく口をあけて笑った。が、すぐに、
「しかしな、美千代。質屋というもんが、もしなかったら、金に困っている人間は、きっと困るにちがいないぞ。お前も六年生だ、よく聞いておけ。人間誰しも、一生のうちには金に困ることが必ずある。そんな時、親戚や知人のところに行って、たとえ一円でも貸してくれと頭を下げるのは、こりゃあ辛《つら》いもんだ。昨日まで仲よくしていた者でも、そういい顔をして貸してはくれぬもんだ。渋い顔になったり、見下げた顔になったりする。胸の中がひんやりするような、冷たい顔を見せられるほど人間辛いことはない。
ところが、質屋というものがあるお陰で、羽織の一枚も風呂敷に包んで持って行けば、質屋はいらっしゃいと迎えてくれる。品物によっては、一円借りるつもりが五十銭しか借りられないこともあるが、反対に二円借りられることもあって、何とか急場を凌《しの》げるわけだ。品物は金の都合のついた時に受け出しに行けば、ちゃんとそのまま返してもらえる。むろん、約束の三カ月が過ぎても、そのままにしておけば流れるわけだがな。ま、何《いず》れにしても、質屋のお陰で、親戚知人に頭を下げる辛さは、まぬがれる寸法だ。
質屋がなければ、首《くび》吊《つ》りしかねない気弱な人間だっているわけだから、おれはいい仕事をしてると思っているよ」
竜太はうなずきながら聞いていたが、
「したら、お父さん、やっぱし貧乏な人のおかげで、質屋はもうけているんか」
「まあそうだ。だから、質《しち》物《もつ》を入れに来るお客さんには、ありがとうございます、とていねいに頭を下げるんだな」
涙を拭《ぬぐ》った美千代が、
「お金を貸すのに、頭をていねいに下げるの」
と、ようやくふつうの声で言った。
「そうだ。金を貸す者が何も偉いわけではない。特に質屋の場合、品物を預かって金を貸すわけだからな。商売させてもらっているんだから、頭は下げなきゃならん」
竜太が顔を上げて、
「したらさ、お父さん、お金だけ貸す時は威張ってもいいの?」
と、まじめに聞いた。政太郎は思わず笑った。キクエがみかんを盛った盆をテーブルの上においた。政太郎はみかんの皮をむきながら言った。
「この質屋を始めたお前たちのおじいちゃんは、仏さんと言われたもんだが、よく言ったもんだ。『人間金があるくらいで、威張っちゃならん』とな」
みかんを頬《ほお》張《ば》っていた保志がすっとん狂な声を上げて、
「お父さん、お金がある人、偉いんじゃないの」
と尋ねた。
「どうだ、美千代、竜太、金のある人間が偉いのか」
竜太は首をひねったが、美千代が言った。
「わたしたちの坂部先生、ちっちゃな家に住んでるけど、わたし、偉いと思う」
快活な声だった。竜太は思わずうなずいた。
(そうだ! あの坂部先生、おれも偉いと思う)
何となくそう思う。どこが偉いのかよくわからぬが、話す言葉や生徒を見る目があたたかい。政太郎が言った。
「うん、坂部先生は偉い。おれなんぞより、よっぽど偉い。金はおれのほうが持ってるかもしれないがな……」
キクエがストーブに、太い薪《まき》を二本放りこんだ。
二
がらりと大きな音を立てて、教室の戸があいた。三年二組の生徒五十名は一斉に立ち上がる。黒い詰襟の服を着た河《かわ》地《ち》三《さん》造《ぞう》先生は、教卓に両手を置いて、じろりと生徒たちを一《いち》瞥《べつ》した。それが合図で、級長の竜太は、
「礼!」
と号令をかける。六年生の姉の美千代も三年生の竜太も級長なので、きょうだい級長と呼ぶ者がいた。一同が着席すると、河地先生が言った。
「みんな、綴《つづ》り方《かた》の宿題をやってきたな」
「はい」「はい」と低い声高い声があちこちにした。
「うまくできたか」
「できません」
これは男子も女子も声が揃った。
「綴り方の題は……」
そこまで言って河地先生はくるりと背を向け、「御大葬の日のこと」と黒板に書きながら、
「御大葬って何か知ってるか」
と、ふり向いた。ひょうきん者の浅田が、
「一、二、三の体操です」
と言った。みんなが笑った。河地先生の目がぎょろりと光った。
「出て来い、浅田!」
浅田はのろのろと先生の前に立った。先生の手が浅田の頬を殴った。浅田がよろけた。
「畏《おそ》れ多くも畏《かしこ》くも、大《*》正天皇の御大葬を、一、二、三の体操とは何ごとか」
と、今度は頭を小突いた。
「みんな、御大葬の日はいつだった?」
立ったまま浅田が手を上げた。先生が指した。
「二月七日? なんだ、ちゃんと知ってるじゃないか。よし、戻ってよい」
河地先生は不機嫌な顔を不意に竜太に向けた。
「じゃ、級長の竜太、どんな綴り方を書いてきたか、読んでみい」
「はい」
竜太は綴り方用紙を持って立ち上がった。胸が動《どう》悸《き》している。竜太は綴り方は好きだが、今度ばかりは自信がなかった。何をどう書いていいかわからなかった。先生はいつも、思ったこと、見たこと、聞いたことを正直に書けと言う。だからそのとおりに書いた。
「 御大葬の日のこと
大正天皇陛下がお隠れになって、御大葬というのがありました。これは天皇陛下のお葬式のことです。お母さんが絣の着物と、羽織と、縞《しま》の袴《はかま》を新しく作ってくれました。
外へ出ると、粉雪が降っていて、すごく寒かったです。式の日だからと言って、すべりどめのついた下《げ》駄《た》を履いていけと言われました。ぼくはゴム靴を履きたかったけど、いとこの楠夫ちゃんや、弟の保志といっしょに、学校に行きました。途中、ふざけて下駄がぬげ、足《た》袋《び》が雪にぬれて、足が冷たかったです。時々雪を払い、二条から六条まで歩いて行きました。
学校に着いたら、足袋がすっかりぬれていて、ほんとうに冷たかったです。寒い運動場で式がありました。運動場の板が氷のように冷たかったです。うわ靴を履いていても足が冷たかったです。気をつけの姿勢でいなければならないので、足を動かしたくても、動かせませんでした。
ぼくは、天皇陛下がお隠れになったのだから、冷たいぐらいはがまんしようと思いました。校長先生のお話がありました。ぼくは足ばかり気にしていました。みんなで、大きな声で、御大葬の歌をうたいました。『地にひれ伏して天《あめ》地《つち》に 祈りしまこといれられず 日出《い》づる国の国《くに》民《たみ》は あやめもわかぬ闇《やみ》路《じ》ゆく』という歌でした。悲しそうな歌でした。
ぼくは御大葬の日を思うと、今でも足が冷たくなります。でもご大葬の日を思って、これからもぼくは勉強して行きます。
おわり」
「なあんだ、それで終りかっ!」
言うや否《いな》や、壇上から河地先生が飛んで来た。竜太はびくりと肩をふるわせた。
「これが三年二組の級長の綴り方かっ! 御大葬の日の綴り方かっ!」
あっと言うまに先生の手が両頬に鳴った。竜太は未《いま》だかつて先生に殴られたことはなかった。恐ろしさで体が硬直した。歯がガチガチと鳴った。女生徒たちが目を伏せた。
「万世一系の天皇陛下が崩御されたのに、お前は足が冷たいだけか。先生は恥ずかしいぞ。今日、残って書き直せ。こんなものを職員室に持っていくわけにはいかん」
竜太はどうして叱《しか》られたのか、よくわからなかった。綴り方は、見たこと、思ったこと、聞いたこと、したことを正直に書けばよいと、いつも先生は言う。そのとおりにしたのだ。
竜太が殴られて、教室はしんと静まった。河地先生が、
「じゃ、楠夫、お前が読め。お前はどう書いてきた?」
「はい」
楠夫は一番うしろの席で立ち上がった。楠夫はクラスで一番背が高いのだ。
「お前は副級長だ。しっかり読め」
「はい!
御大葬の日のこと
ぼくは、大正天皇陛下がお隠れになったと聞いた時、心臓のつぶれる思いがしました。天皇陛下は、日本で一番偉いお方です。国民の父親なのです。そしてぼくたちをわが子のように、かわいがって下さるのだと先生が言いました。
御大葬の日、雪が降っていました。ぼくは竜太君といっしょに、悲しいのをがまんして学校に行きました。式の時、校長先生は、これで大正天皇陛下とはお別れになりますと、言われました。御大葬の歌をうたう時も、悲しくて涙がこぼれそうになりました。でも、ぼくは日本男児だから、泣いてはならないとがまんしました。
ああもう、大正天皇陛下はこの世にはおられません。でも摂《*せつ》政《しようの》宮《みや》が新しい天皇陛下になって、ぼくたちをかわいがってくださいます。ぼくたちは安心して、昭和の御代を生きていけばいいのだと、お父さんが言いました。
御大葬の日は、自分の親がおかくれになったように悲しかったです。
おわり」
「うん、よし! 副級長のほうが立派だ。竜太、聞いたか。な、みんな、楠夫のほうが立派な綴り方だな。楠夫は三年生なのに、よく天皇陛下の崩御を悲しむ気持になったな。竜太、お前恥ずかしいとは思わんか。なんで足が冷たい足が冷たいと、それしか書くことがなかったのか。今日はきちんと書き直さんと、暗くなっても帰さんぞ」
河地先生の言葉に、真野楠夫は胸を張って辺りを見まわした。と、先生が言った。
「それはそうと楠夫、自分の親が死んだ時に、おかくれになったとは使わんぞ。覚えておけ」
と、一言たしなめた。
みんなが帰った教室に残って、竜太は綴り方を書き直していた。ストーブの火は消えて、教室の中は次第に冷えてゆく。もう三時にはなるだろう。誰もいない教室は、森《しん》閑《かん》としてものさびしい。竜太は背を丸めて、鉛筆で一字一字ていねいに書き直していく。楠夫の綴り方を聞いていたから、どう直せばいいかよくわかった。要するに、楠夫のように、「天皇陛下が死んで悲しい」、と書けば先生は許してくれる。だが楠夫は、あの日学校に行くのに、悲しそうな顔など全くしていなかった。竜太をからかって、
「竜ちゃん、竜ちゃんは自分ちの庭の柳の下に、幽霊が出るって、信じてるってか」
と、幽霊の真似をし、
「馬鹿だなあ。文化文明の世の中だぞ。飛行機も汽車も自動車もある世の中だぞ。幽霊を信じるなんて、馬鹿じゃないか。な、みんな」
と、つれの者たちに大声で言った。その中に保志もいて、
「そうだよねえ、幽霊などいないよねえ」
と相《あい》槌《づち》を打った。それから楠夫は先頭に立って、
「うらめしや……」
「うらめしや」
と言いつづけ、
「めしやは、うらにしかないんか。おもてだってあるべや」
と、ふざけて笑った。竜太は足袋がぬれて冷たいのを我慢しながら、黙ってからかわれていたのだ。
(楠夫ちゃんは、うそを書いた。それに……)
竜太は知っているのだ。綴り方の宿題は、楠夫の父か母が、必ず手伝ってやるということを。そんな楠夫の真似をして、自分の綴り方を書くのはいやだった。日本の天皇さまがおかくれになったのは、竜太としても何となく淋しい。しかし、楠夫が書いたほどに泣きたくなるほど悲しくはない。
(一度も会ったことがないし、声を聞いたこともないもな)
と思う。
(ぼくは、わるい生徒なのか)
先生に殴られ、残されるほど悪い生徒なのかと、竜太は悲しかった。
(もう綴り方なんか書くものか)
そうも思う。先生は何でも正直に書けという。だから正直に書いたつもりなのだ。だが先生は、思わないことまで書けというのだ。竜太は納得のいかぬままに、楠夫の綴り方を真似て書いた。臆病な竜太だったが、今日は幽霊のことを考える暇はなかった。只、今まで味わったことのない惨めな、不愉快な思いで綴り方を書き上げた。
書いた綴り方を職員室に持っていくと、ストーブの傍らで煙草《たばこ》を喫《の》んでいた河地先生が、
「何だ、早いな。もうできたのか」
と、竜太の綴り方を手に取った。そして煙草をくわえたまま、少しむずかしい顔で読んでいたが、読み終ると大きくうなずいて、
「うん、これでいい。楠夫よりよく書けてるじゃないか。初めからこう書けば文句はなかったんだ」
と、竜太の頭を掌《て》でぐるりとなで、
「よし、帰ってよい。早く帰れ」
と、あごで戸口のほうをしゃくるようにした。竜太は不意に涙がこみ上げてきた。うれしかったのではない。口《く》惜《や》しかったのだ。口惜しさが心の底から噴き出てきたのだ。が、竜太は一礼して、手の甲で涙を拭いながら職員室を出た。
家に帰ると、弟の保志が飛び出して来た。
「兄ちゃん、先生になぐられたってほんとうか。のこされたってほんとうか」
保志は急《せ》きこんで尋ねた。そのうしろに、姉の美千代が黙って突っ立っていた。竜太は自分が残されたこと、殴られたことを、既に父も母も知っていると観念した。
茶の間に入ると、台所から母が前掛で手を拭《ふ》き拭き顔を出して、
「寒かったろう」
と、ねぎらった。またしても竜太の目に涙があふれてきた。学校に入って以来、三年生の今日まで、殴られたり、残されたりしたことは一度もなかった。
竜太が帰って来たと察したらしく、店から政太郎が茶の間に入って来た。質屋が忙しくなるのは、夕暮からだ。まだ二月の太陽は、沈んではいなかった。
「殴られたってか」
いきなり父の政太郎が言い、
「殴られることだってあるさ。どんな綴り方を書いたんだ? 見せてみろ」
案の定父親は今日の出来事を何もかも知っていた。が、咎《とが》める口調は露ほどもなかった。竜太はすすり上げながら、綴り方を父の前に差し出した。政太郎はきらりと目を光らせて綴り方を読んでいたが、読み終ると声を上げて笑った。
「なるほど、始めから終りまで、足が冷たい、足が冷たいの一点張りだ。それで先生が殴ったわけだ。先生としては、ちょっと困ったな。天皇陛下がお隠れになって、足が冷たかったばかりではな」
と、竜太の顔をまじまじと見、
「しかしなあ、竜太。お前三年生だもな。もうじき四年生になるといっても、子供だもな。天皇陛下がお隠れになって、悲しくて仕方がないと思えなくても、仕方がないんだ。大人じゃないんだからな」
政太郎に替わって綴り方を読んでいた母のキクエが、
「父さん、これでけっこう。子供なりに悲しみは出てると、わたしは思いますけれどね。冷たいというのは、悲しみの感情に通ずるものがありますよ」
いかにも俳句を作るキクエらしい言葉だった。
「なるほど、まあそう言えばそうだな。しかし先生は、悲しみが出ているとは思わなかったんだろう」
「わからないほうが悪いんですよ」
「それはともかく、竜太、人間は一生の間に、口惜しい目に遇《あ》ったり、辛い目に遇ったりすることが、何度もあるもんだ。馬鹿にされたり、誤解されたり、悪口を言われたりな」
「…………」
「お父さんは今でも辛い目に遇うことが、幾度もある。辛い目に遇わせる人間のおかげで、人間は本当の大人になるのかもしれん。だからな、むやみと恨むな。根に持つな」
政太郎がそう言った時だった。姉の美千代が叫ぶように言った。
「お父さん、わたしは反対よ。恨まなければならないことは、絶対恨むわ。根に持つわ。わたし、忘れてならないことは、絶対忘れないの。竜太、今日の先生の仕打ちを、決して忘れちゃ駄目よ。別だん悪いことを書いたんじゃないのに、殴ったり書き直しさせたりするようなの、先生じゃないわ。わたしは許さない」
語尾がふるえた。竜太はその声に姉らしさを感じた。今まで竜太にとって、美千代は頭のいい、ちょっと厳し過ぎる姉だった。いつも明るく笑っている美千代だが、どこかに厳しさがあった。それが今、あたたかい何かが胸に流れこむような、そんな親しさを覚えたのだった。保志が笑った。
「姉ちゃん、おっかないな。うらむのか。根にもつのか」
母のキクエが言った。
「美千代、いつからお前そんな気持になったんかねえ。お前は笑い上《じよう》戸《ご》で、明るくて、親切で、いい気性だと思っていたけどねえ。きついことを言うようになったねえ。ねえ、お父さん」
「うん、しかし、もしかして美千代の生き方のほうが、おれなんかより上等と言えるかもしれんな」
考え深げな政太郎の声だった。
大正天皇 一八七九〜一九二六(明治十二〜大正十五)年。第百二十三代天皇。称号明宮《はるのみや》、名嘉《よし》仁《ひと》。明治天皇の第三皇子。一九一二年(大正一)七月三十日、践祚。一五年十一月十日、即位。二六年十二月二十五日、葉山御用邸で崩御。昭和天皇の父。
摂政宮 一九〇一〜八九(明治三十四〜昭和六十四)年。大正天皇の第一皇子。昭和天皇。皇太子時代の一九二一(大正十)年十一月二十五日、病弱の大正天皇の健康悪化に伴い、摂政に就任した。摂政は、天皇に代わり政を執り行う者、または執り行うこと。昭和天皇の摂政就任は、古代の中大兄皇子(のちの天智天皇)以来であった。
坂《さか》部《べ》久《ひさ》哉《や》先生
一
玄関でうわ靴に履き替えた竜太と楠夫は、一目散に廊下を走った。二人は今日から四年生なのだ。四年生の教室は、西側の階段を上がった右手にある。この階段の途中の踊り場に、大きな四角い鏡が掛かっている。絵の額縁のように、縁が金《きん》箔《ぱく》で、小学校には贅《ぜい》沢《たく》な鏡だ。二人は鏡には見向きもせず、階段を一段置きに駆け上がった。
学校へ来る道々、「おれたちの先生、誰《だれ》だべな」と二人は胸をわくわくさせて来たのだ。道すがら楠夫は、
「おれ、今までどおり河地先生でもいいや」
とも言っていた。
「河地先生?そうだなあ」
竜太は気のなさそうに相《あい》槌《づち》を打ちながら、
(もし河地先生の持ち上がりならどうしよう)
と心配だった。河地先生には、一年生から三年生まで受持たれた。熱心で真《ま》面《じ》目《め》な先生ではあった。が、どうかすると大声を出す。拳骨をふるう。竜太も大正天皇の大葬の日の綴《つづ》り方《かた》で、両頬を殴られた上、残されて書き直しを命ぜられた。それまで殴られたことがなかっただけに、大きな屈辱だった。以来、俄《にわ》かに河地先生が嫌いになった。どうにかして、今日からは新しい先生に替わって欲しいと思っていた。河地先生以外なら、どの先生でもかまわない気がしていた。楠夫は、
「おれ、河地先生もいいけど、谷川先生もいいな」
と、晴れた空を見上げながら、にやにやした。谷川先生は若い女の先生で、洋服を着ている。ほとんどの女の先生が袴《はかま》を胸高に穿《は》いて、廊下を歩く時も風呂敷包みを胸に抱え、足音を立てずに歩く。が、谷川冴《さえ》子《こ》先生は教科書を持った手を大きく振りながら、廊下の真ん中を、さっさっと一直線に歩く。受持以外の生徒に会っても、
「お早う。元気?」
と快活に声をかける。時には頭を撫《な》でてくれることもある。軽く肩を叩《たた》いて通り過ぎて行くこともある。楠夫は時折、
「谷川先生って、いい匂いがするな」
と、鼻をうごめかすことがある。その谷川先生がいいなと、楠夫は道々言ったりしていたのだ。が、その時竜太は、
(谷川先生では困る)
と思った。谷川先生は嫌いではない。が、女というのは困る。なぜ困るのかはわからないが、いい匂いのするのも何となく困るのだ。とにかく、どんな先生になるかと話し合いながら来ただけに、二人は廊下を走り、階段を駆け上がった。
竜太と楠夫は、階段を上がり切ると、右手の四年二組の教室を目がけて飛んで行った。教室の出入口の上に先生の名が出ている筈だ。その下に、生徒たちが七、八人集まって、何かわいわい騒いでいる。駆け寄った二人を見て、誰かが言った。
「坂部先生だぞ!」
竜太はわが耳を疑った。見上げると、「四年二組坂部久哉」と、黒塗りの札に白い字で達筆で書かれてあるではないか。楠夫が両手を上げたかと思うと、
「坂部先生だーっ!」
と叫んで、
「よかったなあ、竜ちゃん」
と、竜太に抱きついた。竜太もしっかりと楠夫に抱きついた。竜太は急に楠夫を凄《すご》く好きになったような気がした。
その日、屋内運動場で始業式が終ると、竜太たちは四年二組の教室に入った。男子も女子もみな緊張した面持で、新しい受持の坂部先生を待っていた。
竜太たちの大《だい》栄《えい》小学校は、教室数四十、生徒数二千名を超える大きな小学校だ。コの字型の二階建で、三年生以下は一階に教室があり、四年生以上が二階に教室があった。坂部先生は高学年を受持っていたから、低学年の竜太たちとは、滅多に行き合うことはない。が、坂部先生に受持たれていた姉の美千代が、いつもほめていたので、いつの間にか竜太も楠夫も、坂部先生が好きになっていたのだ。
待つ間もなく坂部先生が入って来た。
「やあ、お早う」
先生は教室に一歩入るや否《いな》や、朗らかに言った。教壇に立った坂部先生は、微笑を浮かべて、生徒たちの顔を順々に見つめた。一人一人をしっかりと見つめた。生徒たちは先生と視線が合うと、恥ずかしそうにうつむいたり、うれしそうに笑ったり、おどけて口を曲げたり、頭を掻いたりした。
みんなの顔を見終った先生は言った。
「四年二組の諸君、四年生になっておめでとう。先生は感激だなあ。日本中には、今日四年生になった生徒が何十万人もいる。だがその中で、わたしの受持になったのは、君たち五十名だけだ。仲よくしような」
坂部先生は、油けのない髪を掻き上げて、もう一度生徒たちをぐるりと見渡した。まだ二十代の若い先生だ。
「はーい」
生徒たちは大きく声を合わせた。
「うん、いい返事だ、返事がいいと幸せがくる」
先生はまたにこっと笑った。坂部先生の眉《まゆ》毛《げ》は濃い。目は大きいが、笑うとやさしい。背も高い。何となく頼りになるような気がする。黒い詰《つめ》襟《えり》の服が少し窮屈そうに見えた。
「先ず、わたしの名前を覚えてもらおうか」
「知ってる、知ってる。坂《さか》部《べ》久《きゆう》哉《や》だ」
ひょうきん者の浅田が、名前を呼び捨てにしたので、みんなが笑った。先生も笑って、
「おう、よく読めたな。うれしいな。だが、先生の名前は、ひさやと読むんだ。仮名をふっておけばよかったな。ま、きゅうやとも読めるけどな」
先生はくるりと背を向け、「坂部久哉」と黒板に書き、「ひさや」と黄色いチョークで仮名をふった。
「じゃ、今度はみんなの名前を覚えさせてもらうよ。まちがって読んだらごめんな。名前というものは、時々読みちがえることがあるもんだ。名前を呼ばれたら、大きな声で返事をする。返事がいいと幸せがくる」
竜太は何だか幸せになったような気がした。「返事がいいと幸せがくる」は、先生の口癖らしい。それが何となくみんなを楽しくさせる。アイウエオ順に、みんなの名前が呼ばれていった。
「青木咲子」
「はい!」
いつもは低い咲子の声が、珍しく大きかった。
「うん、いい返事だ。咲子の家は、学校のすぐ傍《そば》の青木米屋さんだな」
先生の言葉に、咲子はうれしそうにうなずいた。坂部先生は次々と名前を呼んでいく。どの生徒にも、「おっ、元気そうだな」とか、「君、相撲が強いんだってな」とか、「あんたは図画がうまいそうだね」とか、必ず一言つけ加える。竜太は、坂部先生が生徒たちのことを、いろいろよく知っていると驚いた。そのうちに竜太の名が呼ばれた。
「北森竜太」
「はい」
「美千代の自慢の弟だけあるな。しっかりしている」
先生はまたにこっと笑った。竜太は言い知れぬ喜びを感じた。楠夫は、五十音順だから竜太よりかなり後に呼ばれた。
「真野楠夫」
「はい」
楠夫は待ち構えていたように大声を上げた。
「楠の木は、いい匂いのする上品な木だぞ。立派な名前をつけてもらったな」
楠夫は頭を掻いた。時々友だちと喧《けん》嘩《か》をすると、
「クスオ、クソ、クソ、クッソ、クソ」
と、はやされることがあるのだ。いい匂いのする木だと先生が言ったので、みんなが笑った。
出席簿の読まれたあと、どの子の顔にも、坂部先生への親しみがあふれていた。
「じゃ、今日から君たちは、わたしの大事な生徒だ。いいか、君たちは学校へ来て、一体何が一番大切だと思っているのかね。何でもいい、思ったとおり答えて欲しい」
ほとんどの者が一斉に手を上げた。一番前に坐っている女の子が指された。
「はい。勉強することです」
「なるほど、勉強することは大事だ。だが、それと同じくらい大事なことがある。一年生の一番初めに修身で習ったんだが、忘れたかな」
「忘れたあ」
「忘れましたあ」
という声が、あちこちで起きた。それでも五、六人の手が上がった。竜太が指された。
「はい、よく学び、よく遊べ、です」
「うん、よく三年前のことを覚えていたな」
言いながら先生は、黒板に「よく学び、よく遊べ」と書いた。
「大人たちはね、勉強すれ勉強すれって言うだろう。確かに、字を覚えることも、計算することも大事だが、子供たちにとって、よく遊ぶことも大事なんだ。遊び時間に、遊びながら、本当は結構いろんなことを勉強しているんだよ。人と仲よくすること、これはね、大人にとっても子供にとっても、凄くむずかしいことなんだ。人と仲よく出来たら、それは大金持になるより、すばらしいことなんだ」
生徒たちは、隣同士目を合わせて、わかったような、わからないような顔をした。
「勉強時間には、みんなそうそう喧嘩はしないよな。だけど、遊び時間には時々喧嘩をする。そして、ああ自分が悪かったなあとか、あんちくしょう、絶対ゆるさんぞなんて思ったりする。仲が悪くなったりもする。すると、仲の悪いことがどんなに淋しいことか、わかるようになる。こうして段々君たちの心が優しくなったり、強くなったりして、成長していくんだ。むろん、泳ぎに行ったり、鬼ごっこしたりして、体もぐんぐん大きくなる。いいか、みんな、百点取ることばかり考えるな。もっと大事なことは、みんなで仲よく遊ぶことだ。この組は、よく遊び、よく学んで欲しい」
みんなは「はーい」と答え、そして笑った。坂部先生がつづけた。
「ところでなみんな、先生は凄く怒る時があるぞ。どんな時だと思う?」
みんなが頭をかしげた。楠夫がさっと手を上げた。
「先生に口答えをした時です」
「なるほど」
坂部先生は楠夫を見て、にやりと笑ったが、
「みんなね、先生がまちがうこともけっこうあるからな。先生、今言ったことおかしいんじゃないかって、注意してくれても先生は怒らん」
「へーえ」
二、三人が本当に驚いた声を上げた。竜太も驚いた。河地先生は、
「それが先生に言う言葉かっ!」
と、時々怒ったからだ。
坂部先生は真顔になった。
「みんな、この坂部先生が怒る時はな、たとえばここに足の悪い友だちがいるとする。その友だちの歩き真《ま》似《ね》をして、からかったり、いじめたりした時は、猛烈に怒る。体が弱くて体操ができない子や、どうしても勉強ができない子を見くだしたりした時は、絶対許さない。また、家が貧乏で、大変な友だちをいじめたりしてみろ、先生はぶんなぐるぞ。只ではおかん」
坂部先生は本当に恐ろしい顔をした。
「ま、そんな生徒は、この組にはいないと思うが、念のために言っておく。宿題を忘れるより、零点を取るより、ずっと悪いのは弱い者いじめだ。よく覚えておけ。先生も気をつける」
みんなは大きくうなずいた。竜太は何となく一番うしろの楠夫をふり返った。楠夫は時に弱い者いじめをする。零点を取った子の答案をみんなに見せびらかしたりする。竜太はそのことをちょっと思い出した。
四年生の第一日はこうして始まった。
この坂部先生との出会いが、竜太の一生を大きく左右することになろうとは、むろん竜太は知る筈もなかった。
二
竜太が四年生になって、二度目の日曜日がきた。茶の間には朝から私服の菅井刑事が来て、父の政太郎と将棋をさしていた。菅井刑事の場所から、長いのれん越しに店を垣《かい》間《ま》見《み》ることができる。茶の間と店との間は、厚い黒木綿ののれんが下がっているだけだから、店の戸が開けば、すぐにわかる。昨夜市内のある雑貨屋に泥棒が入ったらしい。タンスを一《ひと》棹《さお》空にするほどの盗みようで、雑貨屋夫婦は手足を縛られていたという。将棋をさしながらも、刑事の目は時折店のほうに走る。店には番頭の良吉が店番をしていて、手配の品物が現れたら、大きな咳《せき》払《ばら》いをすることになっている。
その傍らで、竜太と弟の保志が、宿題をしている。竜太も保志も算数の宿題だ。時折風が、窓を鳴らす。窓の向こうの空がくもっている。雨になるのかも知れない。
宿題といっても、坂部先生が出した宿題ではない。坂部先生になるまで、宿題というものは、先生が出すものだと思っていた。が、坂部先生は、
「先生はあまり宿題を出さんぞ。出すのは君たち自身だ。銘々自分で自分に出すんだ」
生徒たちは驚きの声を上げた。
「漢字一字でも、計算問題一題でもかまわん。自分はこれだけの宿題をしてくると、決めたことだけは守れ」
みんなは喜んで手を叩いた。本当に一字しか書いてこない者もいたが、先生はその子にも丸をくれた。
「ぼくは朗読三回してきました」
と言って、一字も書いて来ない子もいた。が、その子のノートにも丸をくれた。山という字ばかり一頁書いて来た生徒もいた。先生はそれにも丸を与えた。が、一週間が過ぎると、みんなはお互いにノートを見せ合って、むずかしい漢字を何行とか、計算問題十題とか、勉強してくるようになった。
今日竜太は、修身の本をテーブルの上に開いて、教《*》育勅語を暗《あん》誦《しよう》することに決めた。三年生までは教育勅語を習わなかった。四年生になって初めて、教育勅語が修身の本の第一頁《ページ》に載せられていた。
「朕《*チン》惟《オモ》フニ……」
竜太が読もうとした時、今まで算術の勉強をしていた保志が、国語の本を開いて、
「一、大日本……」
と大きい声を張り上げた。竜太が一年前に習った国語だ。竜太はこの詩を全部暗誦している。思わず竜太は声を合わせた。
「大日本、大日本、
神の御《み》裔《すえ》の天皇陛下
われら国民七千万を
わが子のように
おぼしめされる」
そこまで読んで、保志は国語読本を置き、
「なあんだ兄ちゃん、全部おぼえてるの」
「そりゃあ覚えてるさ」
「したらさ、神のみすえの天皇陛下って、何だか知ってるかい」
保志は自分が習ったことを、兄の竜太もまた習っているなどとは、なぜか思えない。自分だけが習っているつもりなのだ。と、将棋をしていた菅井刑事が言った。
「神のみすえか。それはな、神さまのお子さんの、またお子さんのお子さんの、またお子さんということだ」
刑事の言葉に保志が、
「つまり、子孫ということだね」
と、けろりとして言ったので、政太郎が声を上げて笑った。何を笑われたかわからずに保志が言った。
「したらさ、神さまと、天皇陛下と、どっちが偉いの?」
菅井刑事が、
「それは難問だ」
と首をひねった。政太郎は、
「そりゃあご先祖が偉いに決まっているだろう。神さまはご先祖で、天皇陛下は子孫だ。ちゃんと読本に書いてあるとおりだ」
と言った。竜太は河地先生に習った時のことを思い出した。河地先生は、
「天皇陛下は神のご子孫だから、やっぱり、神さまだ」
と教えてくれた。保志は政太郎の言葉にうなずきながら、
「したらね、お父さん、われら国民七千万を、わが子のようにおぼしめされる、っていうのは、天皇陛下は七千万の国民に、一人一人頭を撫でてくれるというの?」
「いやいや、それはわが子のように思って下さるというだけで……つまりお気持のことだ。七千万人の頭を撫でていたら、何年もかかってしまう」
菅井刑事が大きくうなずいて、
「なるほどそういうことになるな」
「それからね、お父さん、天皇陛下を神とも仰ぎ、親とも慕いてお仕え申す、って書いてあるでしょう?これ、天皇陛下を神さまだと言ってるの? 親だって言ってるの?」
政太郎は打ちかけた駒《こま》を駒台に戻して、
「保志、お前、けろけろしてるようで、意外と考えるんだな。天皇陛下を神とも仰ぐということはだな、神さまだということではなくて、神さまのように仰ぐ、ということだ」
「うちわであおぐの?」
菅井刑事が口にふくんだ茶を思わず噴き出した。
「あおぐとは、尊敬して見上げることだ」
「なあんだ。おれ、うちわであおぐのかと思った。したら、天皇陛下は神さまじゃないのか。神さまのようで、親のようなのか。どうして、会ったこともないのに、親のようなんだろ?」
言ったかと思うと、保志は大きな声で続きを読んだ。
「大日本、大日本、
神代此《こ》の方一度もてきに
負けたことなく、月日とともに、
国の光がかがやきまさる」
竜太はノートを出して、教育勅語を書き写すことにした。
「朕《チン》惟《オモ》フニ我カ皇皇宗國《クニ》ヲ肇《ハジ》ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹《タ》ツルコト深厚ナリ我カ臣民克《ヨ》ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一《イツ》ニシテ世世厥《ソ》ノ美ヲ濟《ナ》セルハ此《コ》レ我カ國《コク》體《タイ》ノ精《セイ》華《クワ》ニシテ教育ノ淵《エン》源《ゲン》亦《マタ》實《ジツ》ニ此《ココ》ニ存ス……」
竜太は驚いた。振仮名があるので読めるものの、習ったことのない字ばかりが、次々に並んでいる。「朕」の字も知らない。「惟フ」の字も習っていない。「皇皇宗」が何であるかもわからない。「國ヲ肇ムル」が、国を始めるということかどうかもわからない。「肇ムル」と「始むる」が、どうしてちがう字なのかもわからない。
何もかもわからないが、これが修身の第一頁に書かれてあるということは、四年生に教えるためなのだろうと思う。自分の習う教科書の中に、こんなにむずかしい言葉がたくさんあるのが気にかかる。どうせ習うのなら、早く覚えてしまいたい。
坂部先生は、この間の修身の時間に、教育勅語の頁を開かせて、
「教育勅語は、四年生はまだ無理して覚えなくてもいい」
と言った。覚えなくてもいいものなら、どうして教科書にのせるのか。竜太は理屈を言ってみたくなる。姉の美千代は、
「教育勅語なんか、覚える気になれば簡単よ。言葉の意味だって、字だって、大したことないわ。わたしはなんにも苦労しなかった。女学校の試験に、教育勅語を書かされたけど、すらすら書けたわ」
と威張っていた。だから竜太も負けずに覚えたいと思ったのだ。覚えるには、書いて覚えるのが一番いいような気がする。竜太は鉛筆を持ち直した。
「爾《ナンジ》臣民父母ニ孝ニ兄《ケイ》弟《テイ》ニ友ニ夫婦相和シ……」
そこまで書いた時、店の格子戸がからりと開いた。菅井刑事がさっと片《かた》膝《ひざ》を立てた。女の細い声がした。菅井刑事は立てた膝を崩して、
「お、おどろいた」
と、低く言った。何となくみんなが笑った。菅井刑事の笑い声が一番大きかった。
三
その朝、四年二組は国語の勉強をしていた。黒板には、「第三 横浜」と白墨で書かれてある。今、生徒たちは声を揃《そろ》えて斉読していた。
「横浜は東京の西南八里半の所にある一大貿易港にして、商船の出入り絶ゆる時なし……」
一大貿易港と読むところで、みんなの語調が乱れた。今日初めて習う字なのだ。
「よし、うまいぞ。もう一度繰り返して読もうか」
坂部先生が言った。と、その時、先生は何を思ったか、大《おお》股《また》で教壇を降りると教室の戸を開けて、廊下に顔を出した。みんなは何ごとかと、一斉に廊下のほうを見た。が、廊下側の窓は下の二段がくもりガラスになっていて、廊下の様子がわからない。
「入んなさい。何も遠慮することはない」
そう言う先生の声が聞えたかと思うと、先生に背を押されて入ってきた女の子がいた。地味な花模様の綿入の袖《そで》なしを着た女の子のお下げ髪がかすかに揺れている。女の子は顔を両手で覆ってしゃくり上げていた。
「なあんだ、遅れて来たのか」
誰かが言った。坂部先生は不意に厳しい顔をして、声のしたほうを見た。みんながしゅんとした。竜太は、女の子が泣きながら入ってきたのを見て、動《どう》悸《き》した。
(あ、中原芳子だ)
と思った。中原芳子は、始業式の次の日に炭鉱の街夕《ゆう》張《ばり》から転校してきたばかりの生徒だった。転校の時は、たいてい親がついて来るものだが、芳子は一人で学校に来た。先生の話では、父親が病気になり、母が忙しくて芳子一人でやって来たと言い、
「どうだ、偉いだろう」
と、芳子の頭を撫でたのだった。それから半月と経《た》っていない。竜太は、女生徒とは余り口を利《き》かなかったから、芳子のことなど何も知らなかった。ところが今朝こんなことがあった。洗面所で歯を磨いている時、裏口で聞き馴《な》れない声がした。すぐ傍にいた竜太が戸を開けると、何とそこに芳子が立っていて、藁《わら》苞《づと》の納豆を幾本か入れた竹《たけ》籠《かご》を下げていた。
「納豆いりませんか」
芳子は顔を上げずに言った。竜太はあわてて、
「お母さん、納豆だと」
と、台所の母を呼んだ。白いカッポウ着でぬれた手を拭《ふ》きながら、キクエは顔を出して、
「あら、かわいい納豆屋さんね。あなた何年生?」
「四年生」
「まあ! 四年生! どこの学校?」
「大栄小学校」
「じゃ、うちの竜太と同じ学校ね。うちは納豆が好きだから、三つもらうわ。また来てね」
と、やさしく応対したのだった。納豆を三本キクエに渡す時、芳子は初めて顔を上げて、にっと笑った。その目と竜太の視線が合った。竜太はあわててうつむいた。それが今朝のことだった。あの時竜太は起きたばかりだったから、確か六時半頃だった。
あんなに早く起きていたのに、芳子はなぜ遅刻したのか。納豆売りをしていて、八時までに来ることができなかったのではないか。竜太はなぜか、芳子の遅刻が自分の責任のような気がした。
坂部先生は前から四番目の芳子の席に坐らせ、教壇に戻ると、みんなを見まわして言った。
「今、なんだおくれて来たのか、と言った者がいるな」
みんなは互いに顔を見合わせた。
「そう言った者は、遅れることは悪いと思って言ったんだな。みんなに言っておくがな、遅刻は悪いと誰が決めたんだ? 芳子が一体朝何時に起きるか、知ってるか。知ってる者手を上げろ」
誰も手を上げない。
「じゃ聞く。楠夫、お前は何時に起きる?」
「はい、七時……ぐらいです」
「七時に起きる者、手を上げろ」
七、八人の手が上がった。
「浅田なんか、学校のすぐ傍だから、七時半に起きるって、この間威張ってたな」
浅田はがばと机に伏せ、額を打って、
「あ、痛え!」
と叫んだ。みんなが笑った。先生もちょっと笑って、
「ま、そこが浅田のいいところだ。ところで芳子は、毎朝五時前に起きるんだ。起きたら顔を洗って、ご飯の用意をして、働きに行くお母さんに手伝って、弁当をつくって、病気のお父さんの顔を拭いて、それから前の日に仕入れておいた納豆を手籠に入れて、売りに行くんだ。納豆をなるべく全部売って帰らないと、芳子は心配なんだ。納豆は売れる日もある、売れない日もある。早く売れるとご飯を食べる暇があるが、売れない日は腹を空かしたまま学校に来る……」
坂部先生の声が途切れた。みんな先生のほうを見つめている。竜太も息を殺して見つめている。先生の口がひくひくとふるえていた。
「芳子は……芳子は……」
先生の声が遂に泣き声になった。何人かがうつむいた。先生はそのまま突っ立っていたが、
「芳子、納豆売りとはいい仕事だな。納豆は畠《はたけ》の肉といわれる大豆で作った栄養品だ。これを食べると、体ががっちりと大きくなり、頭もよくなるそうだ。みんな芳子の納豆を食べようじゃないか」
「はーい」
男子も女子もまじめに答えた。
「あのな、みんな。先生の小学校の時の友だちにも、納豆売りの親孝行な少年がいた。その子は今、ある大学でむずかしい研究をしている。二級上にも納豆売りの少年がいた。これもまた小学校の先生になって、生徒たちに好かれている立派な先生になった。どういうわけか昔から、納豆売りをした子は大人になって、尊敬される人間になるんだなあ」
すかさず浅田が言った。
「じゃ、坂部先生も納豆売りしたの?」
またまたみんなが笑った。先生も笑った。芳子も笑った。竜太だけがうつむいていた。
(坂部先生って、すごい!)
どうしてこんなにあたたかいのか、竜太は泣きたくなっていた。竜太には不思議だった。芳子はついこの間転校して来たばかりなのだ。それなのに坂部先生は、芳子が五時前に起きること、ご飯を炊いたり、病気の父親の面倒を見たりして、それから納豆を売りに出ること、それをちゃんと知っているのだ。
竜太は本を読むのが好きで、講談なども読む。だから「孝女白菊」とか、継母にいじめられながら、孝養を尽くした刀工正宗の話を感激して読んでいる。だが実際には心を打たれるような大人には、まだ会ってはいない。大人はたいてい金の話をする。人さし指と親指で丸を作り、
「この世はこれだよ。金だよ。金がものをいう」
などと、竜太の家の茶の間でよくうなずき合っている。
(よし、おれも大きくなったら、学校の先生になろう)
竜太はこの時初めて、そう思った。
「それはそれとして……」
坂部先生がいつもの語調に戻って話をつづけた。
「遅刻っていうのは、みんな悪いと思うよな。だけど、何でもいいとか悪いとか、簡単に決めるのは、あやまちのもとだと先生は思うよ」
生徒たちはちょっと怪《け》訝《げん》な顔をした。
「人間はね、人間なんだ。神さまじゃないんだ。だから、ぼくたちは、人が遅れて来ても、どんな理由で遅れて来たか、よくよく思いやらなきゃならん。朝急に、お母さんが赤ん坊を生むことだってある。産婆さんを呼んで来いと言われたらどうする? 学校が遅れるから呼びにいけないって言うか?」
みんなはまた笑った。
「自分が急に腹が痛くなって、便所に行きたくなることだってあるだろ」
「ある、ある」
誰かが相槌を打った。
「学校が先だ、便所はあとまわしだと、家を出て、途中でもぐしたらどうする?」
今度はみなげらげらと笑った。
「な、みんな、学校に遅れるということでさえ、一概にいいとか悪いとか簡単には決められない。遅れて悪いのは、途中で道草したり、わざと朝寝坊をしたりした時だな。芳子が時々遅れるのも父さんの病気が治るまでだ。みんなわかったな」
「はーい」
竜太はやはり学校の先生になろうと思った。
教育勅語 一八九〇(明治二十三)年十月三十日、天皇が国民道徳の根源、教育の基本理念を示すために下した勅語。第二次大戦後廃止。
朕 天子、帝王の自称。古代中国では一般に「われ」の意味に用いたが、秦の始皇帝のときに天子に限定されたという。
夏の雲
一
昨日から夏休みに入った。
今朝、目が覚めた時、竜太は、
(これから一カ月も夏休みがあるんだ)
と、改めて思った。急に体中に力が漲《みなぎ》るようで、飛び起きるとすぐに蚊《か》帳《や》をたたみ始めた。緑色の蚊帳の中から、蚊が一匹弱々と逃げて行くのを見た時、
(だけど……一カ月も坂部先生の顔を見れないのか)
と、ふっと淋《さび》しくなった。夏休みの間、先生は旭川にいないと言っていた。先生の実家のある稚内《わつかない》に帰っていると言った。晴れた日には樺《から》太《ふと》が見えるという稚内は、竜太にはずいぶんと遠い地に思われた。
蚊帳をたたんでから、東の窓を竜太は思いきり大きくあけた。大雪山がこの二階の窓からくっきりと見える。大雪山の上には雲ひとつない。今日もまた、じりじりと暑い一日になるのだろう。まだ六時を過ぎたばかりだというのに、日射しが頭に暑かった。
竜太は暑くならないうちに、夏休み帳の宿題をしてしまおうと机に向かった。洗面も歯磨きもあとまわしだ。寝巻姿のまま、竜太は夏休み帳をひらいた。昨日、楠夫が、
「竜ちゃん、夏休み帳の競争をやらんか」
と言った。
「競争?」
「うん、どっちが先に書き上げるか、ヨーイドンで始めるんだ。おれんちか竜ちゃんちでさ。どうだ、おもしろいだろ」
「一気に書いてしまうのか。そうだな、おもしろそうだな」
「な、おもしろいだろ。半日もしないでできるぞ。したら、夏休みの間何もしないで、遊んでいられるんだ」
「そうだな……」
竜太はちょっと考えてから言った。
「いや、やめとく」
「どうして? 競争するの、おもしろいじゃないか」
「うん、おもしろい。でもさ、先生がよくいうじゃないか。おもしろい時は気をつけれよって。それに、夏休み帳を渡してくれた時、これは一カ月かかって、毎日一頁ずつやるんだぞって、先生がいったじゃないか」
楠夫はちょっと気を悪くして、
「へえー、先生そんなこといったかな。おれ、聞えんかった。いいよ、したらおれ一人で書き上げっちゃうから。竜ちゃんは毎日だらだらやるといいさ」
と、せせら笑う口調になった。
そのことを思い出しながら、竜太は鉛筆を握りしめた。「毎日だらだらやるといいさ」と楠夫は言ったが、夏休み帳は一頁十分もかければ充分な程度の宿題だった。毎朝十分位起きがけに勉強するのは、竜太には何の負担にもならなかった。夏休み帳を一気に仕上げるより、竜太には向いていた。
夏休み帳の宿題はすぐに終った。階下に洗面に降りて行くと、赤飯をふかす甘い匂いが漂っていた。
「お母さん、今日何の日だった?」
赤いたすきをして、大根をとんとんと千切りにしていたキクエがふり返って、
「三人きょうだいでしょ。きょうだいの誕生日位、全部覚えておきなさい」
「そうか、保志の誕生日か」
「できあがったら、保志と一緒に、真野の家に持ってってちょうだいよ」
一呼吸おいてから、竜太は「はい」と答えた。いやだったからではない。うれしいからなのだ。いや、うれしいのともちょっとちがう。何か説明のつかないもやもやとした気持なのだ。
竜太と楠夫の家は二百メートル程離れていて、いってみればほんのひとっ走りの所にある。竜太の父親と楠夫の母親は、兄妹ということもあって、小さい時からよく行き来していた。一週間に一度も、お互いの家に顔を出さないということは先《ま》ずない。学校に行く時も、楠夫が通りがかりの竜太の家に寄って誘って行く。
竜太の家のすぐ傍《そば》に、錦《にしき》座《ざ》通りという目抜き通りがある。錦座というのは映画館だが、時折東京からの芝居もかかる。客席が桝《ます》仕切りになっていて、芝居の時など、みんな重箱にすしなど持って芝居を見に行く。その錦座があるので、錦座通りという。呉服屋、薬屋、八百屋、菓子屋、かまぼこ屋、金物屋などがずらりと並んでいて、大きな市場もある。この通りを北に四百メートル程行ったらもう学校だ。
それはともかく、竜太の家と楠夫の家は、ほんの目と鼻の先なのだ。それでも楠夫の家に使いに行くのは、何となくうれしい。楠夫の父真野惣《そう》介《すけ》は会社勤めで、滅多に笑顔を見せない。いつもにこにこしている竜太の父に比べると、とっつきづらい。惣介は甥《おい》の竜太にも余り言葉をかけない。それでも気が向いて何かいう時は、
「これからは大学位は出ておかないと……」
という言葉が飛び出してくる。惣介は商家の息子と生まれて、大学に行った。そして会社に勤めた。中学だけで家業を継いだ義兄の政太郎に対して、少なからぬ優越感を抱いているのだ。
「いいか、竜太。お前はうちの楠夫と一緒に、帝大にぐらい行ってもらわにゃ困る」
惣介がそう言う時は、機嫌のよい時だった。竜太はこの叔父を見て、大学に行くことがそれほど幸せなことに思えない。いつも何か不満がありそうに思われて、父のほうがずっと幸せそうに見えるのだ。
楠夫の家に行けといわれる時、近頃竜太は、あの納豆売りの中原芳子をちらと頭に浮かべる。というのは、竜太の家と楠夫の家の真ん中あたりに、浪人長屋がある。この浪人長屋の一軒に中原芳子が父母や弟と共に住んでいるのだ。浪人長屋は一棟五軒の棟割長屋で、二間幅程の路地を挟んで向かい合っている。その路地の中には釣《つる》瓶《べ》井戸があって、井戸の傍らには木で作った流し場があった。ここで十軒の長屋の人たちが、米をといだり、野菜を洗ったり、洗濯をしたりする。流す水が多いと、浅い流し樋《どい》から水があふれて、米混じりの水がちょろちょろと路地をぬらしていることがある。そこには鍼《しん》灸《きゆう》師《し》や占い師、板前や、市場の店員等、独身者と世帯持が半々、けっこう小ぎれいに住んでいた。
この浪人長屋を、竜太はついこの間まで老人長屋と思いこんでいた。浪人とは武士の失業者だと父から教えられたが、武士などどこにもいないのにと、不思議でもあった。気位の高い者たちが住んでいたこともあって、自ら浪人長屋と呼んでいたのかも知れない。
ここに芳子の家があると知らせてくれたのは楠夫だった。三カ月程前、二人でここを歩いていた時、不意に楠夫が立ちどまって、竜太の脇《わき》腹《ばら》を突ついた。見ると、三歳位の男の子の手を引いて、芳子が自分の家に入るところだった。
「竜ちゃんの好きな奴《やつ》だ」
楠夫がささやいた。
「おれの好きな!? そんな……」
竜太は驚いた。
「赤くなった、赤くなった」
楠夫が手を叩《たた》いて囃《はや》した。
「赤くなんかならん」
言いながら竜太は、自分でも赤くなっていくのがわかった。
竜太の家では毎朝のように芳子から納豆を買ってやった。幸い家族の全部が納豆好きだったからよいものの、それでも、
(たまに休んでもいいのにな)
と竜太が思うほどに、よく買った。不思議なもので、毎朝決まった時間に芳子が現れるとなると、つい心待ちになる。雨が降ると心配になるし、風が吹くと気にかかる。毎朝芳子が胸に存在する。稀《まれ》に来ない日があると、心淋しい。学校に行って元気な芳子を見、
「どうして今朝は来なかった?」
と、言いたいような気持になる。只それだけのことなのに、楠夫に「竜ちゃんの好きな奴」と言われて、急に頬がほてったのだ。七月に入ってからは納豆売りはやめ、芳子は長屋の走り使いをして、一銭二銭と駄《だ》賃《ちん》を稼いでいるということだった。
芳子がその納豆売りをつづけている頃だった。一緒に歩いていた楠夫が、
「ちょっとのぞいて行こうか」
と、芳子の家をあごでしゃくった。
「のぞく?」
楠夫には妙な癖があって、どこでものぞきたがる。学校の廊下を歩いていて、他の教室をのぞきたがったり、衛生室をのぞきたがったり、理科の教材室をのぞきたがったりする。時には女子の便所をのぞきたがって、この時は竜太に叱《しか》られた。錦座通りを歩いていても、ちょこちょこと錦座の入口から中をさしのぞいて、
「小父《おじ》さん、元気かい」
などと下足番に声をかけ、たまには、
「ちょっと見て行きな」
と言われて、二、三分程尾上松之助のちゃんばらなどを見せてもらって、得意になったりする。芳子の家をのぞこうとするのも、その癖の現れだとは思いながら、
「やめれよ、ひとの家をのぞくのなんか」
たしなめた竜太に、
「今日な、美千代ちゃんが来てるんだ」
と、楠夫は首をすくめて見せた。
美千代は毎朝のように自分の家に来る芳子をかわいがって、時々納豆売りを手伝ってやろうかなどと言って、
「お前になんかできるか」
と、父に言われたりしていたのを、竜太も知っている。だが、どうして今日ここに、美千代が来ているのを楠夫が知っているのだろう、と怪《け》訝《げん》に思う間もなく、楠夫は玄関からそっと芳子の家の中をのぞきこんだ。途端に、
「誰!? うちん中をのぞくのは!」
と、首根っこをつかまえて、大声で怒鳴ったのは美千代だった。
「なあんだ、楠夫ちゃんか。空巣狙ねらいかと思った」
けっこう長屋を狙う空巣狙《ねら》いがいることを、質屋の娘である美千代は知っていた。
「さ、これから納豆売りに行くんだよ。わたしが『納豆!』っていうんだから」
美千代が得意げにいうと、ちょろちょろついて来ていた保志が、
「ナットーって、さけぶ位のこと、おれだってできる」
と威張った。楠夫も首根っこをおさえられた照れ隠しに、
「おれだってその位できるよ」
と笑った。
芳子の流す「納豆」「納豆」の声は妙に哀切を帯びていて、しかもよく透《とお》る声だ。納豆を買ってやりたくなる声だ。芳子がいつものように籠《かご》に藁《わら》苞《づと》納豆を入れ、外に出て来た。
「さ、保志、叫んでごらん」
美千代が姐《あね》御《ご》のように命じた。
「かんたんだーい」
保志は答えたが、
「ナッ……あれ……ナットウ」
と、低い声でぼそぼそ言った。みんなが笑った。
「何さ、蚊の鳴くような声で。口ほどでもないわね」
美千代が言い、芳子がにこにこ笑っていた。
「じゃ、楠夫ちゃんやってみな」
たった今、威張った手前、楠夫はいやとは言えない。楠夫はむやみと咳《せき》払《ばら》いをして、
「あ、向こうから隣の小母さんが来た」
「いいじゃないの、誰が来たって」
「そうもいかん。あ、また人が来たわ」
「人が来たから叫ぶのよ。なんだ、何もできないねえ。保志より悪いわね」
楠夫も笑われた。今度は竜太の番になった。竜太は頭を掻きながら、
「おれ、できんな」
と言ったが、それでも頑張って、
「ナットー」
と声に出してみた。とても大きな声は出ない。納豆という字を読んだような、そんな声だった。その時、初めて竜太は、「納豆っ」と叫ぶだけでも、決してたやすいことではないことを知った。人のやっていることはたやすく見える。多分芳子だって、あの透きとおるような声で叫ぶようになるまで、どんなに勇気を要したことだろうと思った。人のしていることを見て、何でもたやすく思ってはならぬと、バナナの叩き売り一つを見ても、竜太は思うようになったのだった。
赤飯の入ったあたたかい重箱をぶら下げて、今、竜太はぐんぐん歩いて行く。溝の傍らに咲いた葵《あおい》の花が、夏の日を弾《はじ》く。大きな揚《あげ》羽《は》蝶《ちよう》がその葵の花から飛びたった。
(芳子はいるだろうか、いないだろうか)
芳子の家が近づくにつれて、何となく胸が弾む。
「保志」
と声をかけた途端に、保志が叫んだ。
「あ、芳子ちゃんだ!」
朝顔模様の浴衣《ゆかた》を短く着た芳子が、井戸端で茶碗を洗っているのが見えた。竜太は見なかったような顔をして、真っすぐに楠夫の家のほうに歩いて行った。
二
八月二十五日、二学期が始まった。一カ月ぶりに坂部先生や級友に会うのが、竜太は何か気恥ずかしいような気がした。が、始業式が終り、教室に入って夏休み帳と通知箋《せん》(通知簿)を先生に差し出すと、もう気恥ずかしさは消えた。
「みんな元気だったか。先生も元気だった。今日は夏休みの中で、一番心に残っていることを、一人ずつ話してもらう。それが終ったら、第四列の男子が残って、奉《*ほう》安《あん》殿《でん》の掃除をしてもらう」
何となくみんながざわめいた。奉安殿の掃除でざわめいたのではない。一人ずつ夏休みの思い出を語るということで、ざわめいたのだ。
「海や山に行った者」
と先生が聞いたが、手をあげた者は一人しかいなかった。夏休みに海や山に行く習慣は、まだ旭川の小学生にはほとんどなかった。一列の一番前から始まって、順々に生徒たちは話し出した。墓参りに行って蛇に遇《あ》った者、盆踊りの夜、一家で見に行って泥棒に入られた者、親戚の家に行って、寝ぼけて他の部屋に入って眠った者、けっこうおもしろい話が次々に出た。
(困ったな、何を話したらいいかな)
竜太は考えた。竜太の心に残ったことは幾つかある。が、どれも人に聞かせておもしろい話のような気がしなかった。その一つは、夜店のバナナの叩き売りの小父さんが、バナナを売りながら言っていた言葉である。
「いいか、お客さん。これだけは覚えておいてほしい。女を泣かす男は一番下《げ》司《す》だ。どんなことがあっても、男は女を泣かしちゃいかん」
この言葉が、竜太にはなぜかひどく身に沁《し》みたのだった。だが、こんなことをみんなの前で言えるだろうか。こんなことが一番強い思い出だなどと言えるだろうか。もう一つは、楠夫と自分が、お互いの家に幾度も泊まり合ったことだった。蚊帳の中に入ったり出たりして、只それだけでも楽しかったが、美千代も佳世子も保志も、竜太たちと蚊帳の中に入り、部屋を真っ暗にして、ノッペラボーの話を聞いたのもおもしろかった。が、心に残ることといえば、父の言った言葉だった。番頭の良吉が、店が終って、銚《ちよう》子《し》を傾けながら、
「あの納豆売りの芳子ちゃんね、貧乏人の娘だが、頭はいいね。賢い子だね」
とほめた。竜太は何となくうれしかった。ところが父の政太郎が言った。
「お前たち、今の番頭さんの言ったこと、何とも思わなかったかい」
いつもの声だった。が、どこか強い声だった。みんなは顔を見合わせた。その時も楠夫が泊まりに来ていて、一番先に、
「別に、何とも思わんよ、伯父さん」
と答えた。竜太もうなずいた。美千代でさえ、
「お父さん、何が?」
と尋ねた。
「わかった。やっぱりそうなんだよなあ」
政太郎が言って、
「いいかい、番頭さんはこう言ったんだよ。あの芳子ちゃん、家は貧乏だが頭はいいねとね。どっかおかしいと思わないかい。人はこういうかい?あいつは金持の家の息子だが頭がいいねとね」
「ああそうか」
竜太はやっと得心した。「あいつは金持だが頭はいい」とは人々は言わない。が、「あいつは貧乏な家の子だが頭はいい」というかも知れない。自分だってそう思ってきた。「あいつは貧乏だが勉強はできる」。それが普通の考え方だった。貧乏と、頭はいいという言葉はつながらなくて、貧乏と頭の悪いことが、密接な関係のように思ってしまう。一体どうしてだろうと、竜太は思った。貧乏人は何もかも劣っていると、勝手に思いこんでいる。だから、「あの子は貧乏だが頭がいい」という言葉が、少しも気にならなかったのだ。これも竜太には強烈な思い出だった。
が、そんなことが思い出になるだろうか。と思っているうちに、楠夫の番がきた。一体楠夫は何を言うだろうと聞いていると、
「芳子ちゃんの泳ぐのを見ました。女があんなに上手に泳げるのかと、たまげました」
と言った。竜太も芳子のその泳ぎは見ていた。真実はこうだった。忠《ちゆう》別《べつ》川の鉄橋の下に、川遊びに行った時のことだった。美千代や佳世子と足先だけぬらして遊んでいた芳子たちの所に来て、楠夫が言ったのだ。
「何だ女たちは、なんも泳げないんだな」
芳子がきっとして、
「泳げるわよ。楠夫ちゃん競争しよう」
言ったかと思うと、着物を脱ぎ捨て、実に見事に泳いだのだ。もしかしたら、楠夫は、上手に泳いだことよりも、みんなの前で素っ裸になったことに驚いたのかも知れなかった。が、さすがに裸のことには全くふれなかった。
とうとう竜太の番になった。竜太は芳子の名前は出さなかったが、「貧乏だが頭がいい」という言葉について、ぼそぼそと語った。
「うん、竜太の思い出が、先生も一番感じたぞ。みんなそれぞれにいいが、竜太の言ったこと、みんなでもう一度考えてみよう」
坂部先生はそう言って、話合いに取り上げてくれた。
話合いが終って、四列目の男子が奉安殿の掃除に行くことになった。
四年生になった時、教頭先生が屋内運動場に四年生全員を集めて、奉安殿について話をした。教頭先生は小黒板に「奉安殿」と書き、
「読める者」
と、みんなを見まわした。大方の者が読めなかった。教頭先生は仮名をふり、みんなで声を揃《そろ》えて読んだ。
「何のことか、わかるか」
今度は半分以上の者が手を上げた。職員玄関に向かう正門の左手に、赤い煉《れん》瓦《が》造りの小さな祠《ほこら》とも宮とも小屋ともつかぬ建物がある。
「この奉安殿には何が入っているか、知っているか」
「ご真《しん》影《えい》」
という声が、あちこちにした。
「ご真影とは何か、わかる者」
指された者が答えた。
「天皇陛下と皇后陛下の写真です」
「そうだ。そのとおりだ。奉安殿にはご真影と教育勅語が入っている。共に、国から預かった大事な大事な宝物である」
教頭先生はおごそかな顔をした。
「どうしてその宝物を学校の中に置かず、そこに置くか、わかる者手を上げなさい」
誰も手を上げない。
「ここが大事なところだ。宝物ですから、焼けては困るのです。万一教室のストーブから火が出て学校が焼ければ、畏《おそ》れ多くもご真影が燃えてしまう。さあこうなったら大変」
教頭先生はちょっと厳しい顔になった。
「ある小学校の校長先生は、ご真影が焼けたため、申し訳なさに、どうしたと思う?」
生徒たちは首を傾けた。四年生にわかるわけがない。
「その校長先生は腹を切って死にました」
声を上げる者がいた。吐息をする者がいた。
「決して粗末にしてはいけない。その宝物が入っているのが奉安殿です。ほかの学校では、奉安殿の掃除は、用務員さんがしてくれておりますが、この学校では、四年生五年生に掃除をしてもらうことになっています。四年生は、もう充分に先生の話を聞く力がある。真《ま》面《じ》目《め》だ。生意気ではない。一生懸命に掃除してくれると思う。これが高等二年になると、少しふざける、ということもある。ま、それはともかく、君たち四年生に、この大事なお掃除をやってもらうことになっている」
そう言って教頭先生は掃除の仕方を、事こまかに教えてくれた。そして、
「絶対にしてはならぬこと、それはお尻《しり》を奉安殿に向けてはならないことです。草を取る時も、箒《ほうき》を使う時も、このようにして後《あと》退《ずさ》りをするのです」
そう言って、教頭先生はもう少しで壇から落ちるところだった。
教頭先生からそのように教えられはしたが、四年二組にまわってきたのは今回が初めてだった。
「みんな、教頭先生のお話、覚えているか」
坂部先生が、奉安殿の掃除に行く生徒たちに尋ねた。
「尻を向けなきゃいいんでしょう」
浅田が答えた。
「まあそうだ。監督は教頭先生がなさる。叱られないように気をつけるがよい」
「はーい」
みんなはさほど固くならずに答えて、教室を出て行った。
奉安殿の前に行くと、教頭先生が来ると思っていたが、前の受持の河地先生が肩を怒らしてみんなの来るのを待っていた。竜太は何となくいやな気がした。とにかく奉安殿に背を向けてはならないのだから、神経が要《い》る。先ず草取りから始めた。みんな無言だ。口の軽い浅田も、楠夫も、神妙に草をむしっている。草を取りながら、みんな少しずつ後退りして行く。何となく竜太は不自然な気がした。手を動かしながら、竜太は楠夫の家にある天皇と皇后の写真を目に浮かべた。婦人雑誌の新年号には、毎年天皇皇后の写真が載る。それを楠夫の父母は大切に額に入れて飾っている。が、考えてみるとどうも妙だ。竜太たちが泊まる部屋にそれは飾ってあるのだが、竜太たちはいつもその写真のほうに足を向けて寝る。つまり床の中から見上げると、ちょうどいい場所に写真は飾られているわけだ。
(あの写真と、この奉安殿の中にある写真とは、同じ写真ではないのか。楠夫ちゃんの家が火事になって、あの写真が燃えたら、叔父さん叔母さん腹を切ってお詫《わ》びするのだろうか)
そんなことをつい考えてしまう。竜太の父は、もったいないからと言って、天皇の写真を飾ろうとはしない。
(それにしても、ご真影というのは特別なのかなあ……)
写真を焼くことが悪いのなら、どの家にも奉安殿が必要となる筈である。そのあたりが竜太にはどうも納得がいかない。納得がいかないと言えば、納得のいかないことはまだある。奉安殿の前や横を通る時、最敬礼をするようにと、厳しく言われている。きちんと「気をつけ」の姿勢をし、九十度まで頭を下げて、うやうやしく礼をしなければならない。檜《ひ》葉《ば》の生垣の外を歩いている時でも、そのように礼をしなければならない。だから生徒たちは、そこを通る時、駆けっこをしている時も、鬼ごっこをしている時も、きちんと立ちどまって礼をし、そして追いかけたり、追いかけられたりしている。
だが、竜太の観察によれば、奉安殿に礼をするのは、ほとんどは生徒ばかりだ。今もこうして草を取りながら眺めているが、大人はほとんど、奉安殿の所在も知らぬげに、すたすたと歩き去っている。学校の先生だって、生垣の外からお辞儀をしている姿は、先ず見かけたことがない。教頭先生や河地先生はともかく、他の先生たちは、奉安殿の真正面を通る時以外はお辞儀をしない。生徒にだけお辞儀させて、大人はお辞儀をしない。これがどうも妙だ。今度ゆっくり、このことについて坂部先生に聞いてみたいと思う。
(そうだ。浅田も妙なことを言っていた)
と、更に竜太は思い出す。
浅田の家は学校の正面玄関の真向かいにある。
「な、竜ちゃん、おれんちの便所な、奉安殿のほうに向いているんだぞ。それでも罰当らんべか」
一大発見をしたように、浅田がささやいたことがあった。その時は浅田と二人で、坂部先生に聞きに行った。坂部先生は二人の頭を撫《な》でて、
「心配するな。家の中のことは家の中のことだ。安心して小便せ」
と、大きな声で笑った。
草取りがすんだ。背丈より高い竹箒で、またまた後退りしながら、抜いた草を掃き寄せた。八月も二十日を過ぎると、旭川も凌《しの》ぎやすい。涼しい日だったが、みんな小鼻に汗をかいていた。四年生なりに神経を使ったのだ。ゴミを捨てて帰ってくると、河地先生が、
「竜太」
と、いきなり呼んだ。思わずびくりとした。先生のほうを向こうとして、ひやりとした。奉安殿に背を向けることになる。気をつけて竜太は先生の顔を見た。
「掃除をしながら、何を考えていた?」
「…………」
一瞬言葉が出なかった。
「……何って、別に……」
「別に? 何も考えないって?」
「はい」
竜太が答えた時、不意に怒声が飛んだ。
「こらっ! 浅田! 何をする!」
みんなは驚いて浅田のほうを見た。浅田は掃除し終えた竹箒を股《また》に挟んで、のんびりした顔をしていたのだ。浅田がきょとんとし、みんなもきょとんとした。河地先生がすっ飛んで行って、浅田の頬を殴った。
「お前! 畏れ多くも、畏《かしこ》くも、奉安殿を掃除する竹箒を股に挟んだな!」
もう一度浅田の頬が鳴った。その時、
「河地先生! 浅田がどうかしましたか」
坂部先生の声がした。竜太はほっとした。
「この浅田のザマを見ろ、浅田の」
河地先生が浅田を指さした。
「それがどうしました、河地先生。天皇は生徒たちの恐れの対象ですか、敬慕の対象ですか。河地先生の教育方針は、わたしには理解ができない」
河地先生は唇をふるわせて何か言おうとした。
「河地先生、天皇は、浅田の今の姿を見て、不快に思われるお方ですか、頬《ほほ》笑《え》ましく思われるお方ですか。奉安殿に背を向けるなとは、天皇が欲し給うた教育ですか。よもや天皇は、こんな小さな子供たちが、神経を使って掃除することをお喜びにはなりますまい。皇室と国民の間に、垣根を作ってはなりません」
竜太たちは、帰っていいのか悪いのかわからず、そこに突っ立っていた。奉安殿の傍にいることは疲れるのだ。背を向けまいとするのは疲れるのだ。どこかの学校の女生徒たちが、校庭の写生をしていて、うっかり奉安殿に背を向けたという。それを見つけた教師が、思いっきり彼女たちの尻を殴りつけたとか、そんな話を聞いたこともあった。
「みんな帰ってよろしい。先生がついていてやらなくて悪かった。河地先生、わたしの責任です。罰するのなら、わたしを罰してください」
生徒たちは一目散に帰って行った。河地先生が叫んだ。
「小生意気な! 必ず必ず、後悔する時がやってくるぞ」
言うなりみんなに背を向けて、河地先生は正面玄関に入っていった。浅田がまだ同じ所に立ち尽くしていた。竜太も動けなかった。河地先生より、坂部先生のほうが若い。坂部先生は、河地先生にいやな目に遇わされるのではあるまいか。第一、ふだんでも評判のいい坂部先生を、河地先生は嫌っているかも知れないのだ。
坂部先生は、まだしゃくり上げている浅田と、竜太をつれて教室に戻った。
「あんな浅田、必ずしも河地先生が悪いんじゃないんだ。世の中が少しおかしくなっているんだ。ご真影が燃えて切腹したり、教育勅語を読みまちがえたそれだけのことで、長年立派に勤めてきながら校長を辞めて行く、そんな世の中だから河地先生は……」
坂部先生の目がきらりと光った。
奉安殿 第二次大戦前、学校内に天皇、皇后の御真影(写真)と教育勅語を安置するため、校舎と別に設置された神殿型式の建物。
神楽《かぐら》岡《おか》
一
(いい天気でよかったな)
と、竜太は行く手の丘に目をやった。九月の空に白い雲が、ゆっくりと流れていく。
今日は竜太たち六年二組の炊事遠足なのだ。坂部先生は四年生の時も、五年生の時も、炊事遠足につれて行ってくれた。銘々が握り飯を持ち、馬《ば》鈴《れい》薯《しよ》や人参にんじん、牛《ご》蒡《ぼう》などを少しずつ持って行く。豚肉は先生が買って行く。もう三年目なので、みんな炊事遠足の要領をよくのみこんでいる。この炊事遠足は六年生では坂部先生の受持だけで、ほかの組の生徒は羨《うらや》ましがっていた。六年一組の先生は、若い師《*》範学校出の男の先生で、ズボンが破れそうなほどに、ぴちぴちにふとっている。浅黒い顔に真っ白い歯がいかにも健康そうであった。が、六年一組の生徒たちが炊事遠足に行きたいと言っても、
「おれは男だ。炊事は女の子のするもんだ」
と、にべもなく断るという。三組の先生は四十も半ばを過ぎた先生で、いつもうつむいてとぼとぼと廊下を歩く。声も小さい。にこにこはしているが妙に生気がない。炊事遠足など、頼んでも無駄なような先生だった。四組の受持は女の先生で、いつも紫の矢《や》絣《がすり》の銘《めい》仙《せん》の着物を着、紫の袴《はかま》を穿《は》いている。
「それは無理よ」
という言葉が口癖だとかで、この先生もまた、日曜日を潰《つぶ》してまで、一人で自分の生徒たちを炊事遠足につれて行くだけの元気はないようであった。
先頭に立って歩いているのは楠夫だ。楠夫は六年生とは思えぬ背の高さだ。腰に握り飯の風呂敷包みを括《くく》りつけ、網に入ったドッチボールを紺絣の着物の肩にかけ、上機嫌で歩いて行く。
竜太は一番うしろだ。楠夫と肩を並べて歩いて行く坂部先生の姿を見ながら、竜太は、
(どうしようか)
と、胸の中で繰り返した。昨日先生に、竜太は残された。何のことかと不安だった。坂部先生は、誰もいないがらんとした教室で、竜太の席の隣に竜太と並んで言った。
「お前、ほんとに中学に行かないのか」
先生は、ちょっと心配そうな顔をして、竜太を見た。何で残されたのかと思っていた竜太はほっと安心した。六年生も九月に入ると受験のための補習授業が始まるのだ。
「進学を希望する者は手を上げて」
先生が聞いた時、クラスの三分の一程が手を上げた。楠夫が、誰よりも大きな声で、「ハイッ」と答えた。思いがけなく中原芳子も手を上げた。竜太はうれしかった。芳子の父は、芳子が四年生の十月頃から勤めに出ることができるようになった。近くの造り酒屋「北の松」という会社だった。姉の美千代が家じゅうの者に知らせた時から二年経《た》つ。あの時父の政太郎が言った。
「『北の松』か。堅い店で、よかったなあ」
「北の松」は、名の知られた会社だった。旭川は川の街で、石《いし》狩《かり》川とそれに注ぐ牛《う》朱《しゆ》別《べつ》川、忠別川、美《び》瑛《えい》川と四つの川が流れている。水量も豊富で、水も清かった。また旭川を取り囲む上《かみ》川《かわ》盆地は、上川百万石といわれる米所であったから、竜太の家を中心に、半径五百メートル以内だけでも、六つ七つの造り酒屋があった。その中でも一、二を争う大きな酒屋に勤めたというわけだから、竜太たちも喜んだ。もう治らないだろうと思われていたほどの病気が、同じ長屋の鍼《しん》灸《きゆう》師の鍼《はり》が効《き》いたか灸が効いたか、とにかく芳子の父親は見事に健康を回復することができた。芳子はもう納豆売りをしなくてもすんだし、母親も働きに出る必要がなくなった。
坂部先生に、中学に行かないのかと問われた竜太は、大きくうなずいた。
「どうして? 高等科を出てすぐに質屋を手伝うつもりか」
「ぼく……質屋はやりません」
「じゃ、何をしたいんだ」
坂部先生は竜太の顔をのぞきこむように言った。
「先生、ぼく、高等科を出て師範に行きたいんです」
「師範?」
びっくりして先生は声高になった。
「はい。ぼくは先生になりたいんです。坂部先生のような先生になるのが、ぼくの理想なんです」
「竜太!」
先生はまじまじと竜太を見た。
「ぼく、坂部先生を一番尊敬しています。先生に受持たれて、みんな楽しいんです。何かわからないけど、毎日がとっても楽しいんです。ぼくは、これは……とても凄《すご》いことだと思うんです」
「…………」
「ぼく、先生のような立派な先生にはなれないけれど、でも、なりたいんです。だから中学に行かないで、高等二年を出て師範学校に入るんです」
坂部先生は机の上に両《りよう》肱《ひじ》をつき、頭を抱えこむようにして、
「参ったな。参った、参った」
と呟《つぶや》くように言った。少し語尾がふるえていた。
「だめですか、先生」
竜太は真剣だった。二、三日前父に決意を伝えたら、
「そうか、お前も大学に行かないわけか」
と言った。少し落胆した言い方のようでもあり、ちょっと感心したような言い方でもあった。その言葉を竜太は坂部先生に伝えた。
「竜太」
坂部先生は椅《い》子《す》から立ち上がって、窓のほうを見ながら言った。
「先生はうれしいよ。今までの七年間の教師生活の中で、こんなにうれしいことは、あまりなかった。先生みたいな者のすることを見ていて、同じ道を選ぼうとしてくれる、そう聞いただけで……」
先生は腕を組んだまま天井を見上げた。そしてくるりと竜太をふり返ると、
「なあ、竜太。日本の教育界に、竜太のような人間が先生になるのは、うれしいと思う。大事なことだと思う。けどなあ、先生をしていると、いろんなことで涙がこみ上げてくることがたくさんある。たとえばだ。竜太も新聞で読んだろう。二カ月程前、高等二年の生徒が自殺しただろう。宮城県でな」
竜太はうなずいた。その話なら竜太も知っている。高等二年の生徒が父親に命ぜられて、田んぼに水を入れに行った。が、旱《ひでり》つづきで水は一滴もなかった。田んぼの稲はみな枯れかけていた。その子は絶望のあまり、自殺してしまった。農家の暗い将来を思って生きる力を失ってしまったのだ。そんな少年の苦しみを、坂部先生はみんなにも聞かせてくれたのだった。
「あの時先生も言ったよな。詳しいことはともかく、今でも死んだ子が可哀《かわい》相《そう》でねえ。もしその子が自分の受持だったら、と思うと何ともやり切れなかった。子供心にも、大人たちの話に胸を痛めていたんだろう。といって、先生が受持だったとしても、いったい何をしてやれただろう」
竜太はうなずいた。
(そうか、先生は、遠く宮城県で起きた事件でも、そんなにも心を痛めていたのか)
竜太はますます先生になりたいと思った。
「竜太、貧しい家の娘たちが、身売りする話も聞いているだろう。不景気だ不景気だという話も聞いているだろう」
「聞いています。ぼくんちの近所に、糸屋銀行にお金を預けていて、銀行がだめになって、頭がおかしくなった人を知っています」
「ああ、あれは大正十五年の時のことだな。先生はな、竜太、自分の生徒たち五十人に、教科書を教えていればいいなんて、思えなくなっているんだ。芳子が納豆を売っていた時、先生は辛《つら》かったぞ。先生は何のために生徒を教えるか。自分の足でひとり立ちして、がっちりと歩いて行ける人間を育てるんだって、そうは思うけど、丸沢のように、突然おやじが逃げて行ったとか、いろいろ生徒たちが辛い目に遇《あ》うのを見ると……考えるんだよ先生も」
坂部先生はまた竜太の傍《そば》の椅子に坐って、
「竜太、竜太にはこの社会全体を幸せにする道を選んで欲しいんだな。何も金持にならんでもいい。有名にならんでもいい。誠実に、一人の男になって、社会に影響を及ぼして欲しいんだ。教師の道より、もっとお前に合う道がお前にあるかも知れない」
竜太は坂部先生を見た。先生が自分を信頼して、対等に話してくれているのがよくわかった。
「まあ、将来の道を決めるのに、六年生では少し早いかも知れん。今は一応中学に進んで、二、三年勉強してみて、それでもなお教師の道を選びたいのなら、そこで師範の二部に入っても遅くはない」
坂部先生は、竜太が教師になるより、もっとちがう道を選んで欲しいと思っているようであった。
水のきれいな忠別川に、長さ百メートル程の古い橋がかかっていた。ところどころ、小さな穴があいている。先頭を歩いていた坂部先生が立ちどまって生徒たちをふり返り、大声で言った。
「足もとに注意せよ。この川の名を知っているか。そうだ、忠別川だ。大雪山の右手から流れてきている。もう少し経つと、魚がのぼってくる。何という魚か知ってるか」
すかさず浅田が答えた。
「塩《しお》引《びき》!」
みんなが笑った。
「そうだ」
坂部先生はにやにやしながら言った。
「塩引は鮭《さけ》に塩したものだ」
みんなが再び笑った。上川神社の緑の森は、もう目の前だった。
二
神楽《かぐら》岡《おか》と呼ばれる丘には上川神社がある。この神社の境内の森は五十ヘクタールからあって、原生林であった。太い針葉樹や、ニレ、ドロノキ、ナラ、センノキ等の大木が茂っている。丘の下は桜の名所で、広いグランドがあった。忠別川はこの丘に沿って流れており、遥か東に大雪山の秀《しゆう》嶺《れい》が姿を見せていた。川の流れとグランドの間に川原が広がっている。一帯は静かな美しい公園であった。日曜日だというのに、ほとんど人影もない。いつ来てもひっそりとしている。
坂部先生はグランドの真ん中に立って、生徒たちに言った。
「今、ちょうど十時だ。一時間はドッチボールをする。男子はドッチボールのコートを描け。白線を引く粉は、男子が用意してきているな」
「ハイ」「ハイ」「ハイ」と声が上がった。
「ドッチボールが終ったら、男子は川原にかまどを二つ作る。そして先生と一緒に、あそこの店から鉄《てつ》鍋《なべ》を二つ借りてくる。女子は店先のポンプでいもや野菜を洗ったり、皮を剥《む》いたり、刻んだりする。ドッチボールの責任者は楠夫だ。炊事の責任者は、男子は竜太、女子は芳子だ。一人残らず何かを手伝うんだぞ。いいな」
みんなうれしそうに、声を揃《そろ》えて「ハーイ」と答えた。グランドに白い粉でコートが引かれ、先生が全員を二列横隊に並べた。
「番号!」
楠夫が号令をかけた。元気のよい声が丘の木立に谺《こだま》する。休んだ者は一人もいない。竜太はほっとした。去年、休んだ者が一人いた。親戚の葬式のためだった。日曜日だから出欠は自由なのだ。
紅白に分れたところで、応援歌をうたうことになった。紅組の応援歌と白組の応援歌はちがう。ジャンケンで勝った白組から応援歌がうたわれた。
待ちに待ちたる 時は今
日頃鍛《きた》えし わが腕を
今日こそ振るわん この晴の場に……
白組が終ると紅組だ。竜太は紅組だ。紅組の歌のほうが竜太は好きだ。
天は晴れたり 地は緑
秀嶺高く輝きて
太陽空を駈《か》くる時
わが健脚は 地に躍る……
うたいながら、竜太はちらっと芳子を見た。いや、見るつもりではなかった。視線の行った白組の中に芳子がいたのだ。芳子がじっと竜太を見つめていた。竜太はあわてて視線を逸《そ》らした。
「ふれ紅、ふれ紅、ふれ、ふれ、ふれーっ」
と、そこまでうたった時、竜太は再び芳子を見た。芳子はまだ竜太を見つめていた。白組の中に楠夫はいなかった。楠夫も紅組なのだ。男子も女子も、三分の二は着物を着ている。膝《ひざ》から少し下までの短い袷《あわせ》だ。洋服を着ているのは、医者や弁護士や呉服屋の子供だった。竜太も時々服は着る。が、楠夫のように始終服を着ることは少ない。今日は珍しく楠夫が着物を着ている。竜太があまり服を着ない理由は、洋服の子が少ないからだ。目立つのがいやなのだ。というより、服を持っていない友だちのことが、気にかかるのだ。
笛が鳴った。ドッチボールが始まった。紅組の浅田が意外に強い。球がきついのだ。楠夫もドッチボールは得意だ。先《ま》ず敵の球を外すことはない。が、受けとめてから、すぐに打ち返すことをしない。敵陣に打ちこむか、味方の外野に送ろうか、ちょっと迷うのだ。その間に敵は陣容を整える。が、敵陣に打ちこむ時は、たいてい女子に狙《ねら》いをつける。女子が弱いからだ。それでみんなに、「楠夫の女好き」とか言ってからかわれる。
竜太はちがう。竜太はボールを受けるや否や、間《かん》髪《ぱつ》を容《い》れず、一番前にいる敵の足もとに打ちこむ。竜太の鋭い打ちこみを避け得る者は滅多にいない。一人だけ竜太に匹敵する敏《びん》捷《しよう》な子がいる。それが芳子なのだ。竜太が芳子の足もとを狙っても、素早く屈《かが》んで受けてしまう。芳子の打ちこむボールも激しい。が、何となく竜太も芳子も、お互いを狙わぬように用心している。誰も気づかぬが、お互いは気づいているのだ。楠夫のように、竜太も無邪気に芳子を狙いたいと思う。だが、それができない。
納豆を売っていた頃の芳子は、何となく気弱そうに見えた。が、てきぱきと明るいのだ。父親の病気が治ってから、ぐっと明るくなったのだ。四年生の二学期、芳子は「よいとまけのお母さん」という綴《つづ》り方《かた》を書いた。芳子はそれをみんなの前で読んだ。先生に言われて読んだのだ。
「わたしのお母さんは、お父さんが病気の時、よいとまけの仕事に出ました。手《て》拭《ぬぐい》で頬《ほお》かむりをし、親方が貸してくれた青い半てんを着、もんぺをはき、地《じ》下《か》足《た》袋《び》をはいて出かけました。よいとまけというのは、家を建てる土地の、地ならしをする仕事です。大勢で、エンヤーコラヤーと大声で叫んで、綱をひっぱるのです。そして太い丸太ん棒をどすんと落すのです。おとなりのおじさんが、
『あんたのおっかさん、どこに働きに行っている』と聞いたので、
『よいとまけにいっています』
と答えたら、びっくりして、
『あんなべっぴんが、よいとまけなんて、もったいねえ。料理屋にでもつとめれば、もっとぜにになるのに』
と、馬鹿にしたように笑いました。先生、よいとまけは、馬鹿にされる仕事ですか。力いっぱいせい出して、おなかをすかして働く仕事は、わたしはいい仕事だと思います。先生、教えてください」
堂々とした綴り方だった。それを芳子は悪びれもせず、素直な声で読んだ。みんなは何となくしゅんとした。竜太もしゅんとした。というより、舌を巻いたといったほうがいいかも知れない。
(もしぼくの母さんがよいとまけに働きに行ったら……)
きっと恥ずかしいだろうと思った。何が恥ずかしいのか、芳子の綴り方を聞いているとわからなくなるのだが、それでも何だか恥ずかしいと思う。とても綴り方に書いたり、人前で読んだりはできないと思う。なぜ恥ずかしいのか。なぜ内緒にしたいのか。よくはわからないが、そういう気持になることは確かだと思う。心の底に、女のする仕事ではないという気があるのだろう。貧しい家の女たちのする仕事だという気持が、あるのだろう。
「貧しいのは悪いことではない」と、幾度も坂部先生に聞いてはいる。それはそれでわかるのだが、腹の底ではわかってはいない。だから芳子のように書かれると、凄く偉いと思うのだ。多分他の者も同じ思いだったのだろう。あの頃から何となく、芳子に対するみんなの目がちがってきたような気がする。
竜太の打ちこんだボールを珍しく受けそこねて、芳子が外野に出て行った時、ちらとその綴り方のことが竜太の頭をかすめた。
ドッチボールは一時間で終った。竜太たち紅組が八対六で勝った。竜太のいる組が、いままでもたいてい勝っている。試合終了の礼を交わした時、竜太はまた芳子を見た。芳子は真っすぐ前を見て、竜太には目もくれなかった。
十分程休憩してから、みんなは一目散に川原のほうに駆けて行った。鍋を借りてくる者、ポンプの水で野菜を洗う者、漬物石ほどの大きな石を運んできてかまどを作る者、みんな賑《にぎ》やかだ。
「おれ、カレーライス食いたいな」
と言う者もいるかと思えば、
「いや、豚汁がいい」
と言う者もいる。
「おれ、三《さん》平《ぺい》汁が好きだ」
と言い出す者もいる。三平汁は塩鮭に、人参、牛蒡、大根、馬鈴薯、それにキャベツなどを入れて作るのだ。炊事係の芳子は、馴《な》れた手つきで大根をうす切りにしたり、皮を剥いた馬鈴薯を厚手に切ったりしている。手のあいた者たちがその辺の藪《やぶ》から拾い集めてきた枯枝を堆《うずたか》く積み上げた。材料を入れた大きな鉄鍋が二つのかまどにしっかりと据えられ、枯枝に火が点《つ》いた。煮え上がるまで、みんなはぐるりと二つのかまどを囲んで腰をおろした。坂部先生が買ってきた二キロの豚肉がみんなの眼《まな》裏《うら》に残っている。とにかく出来あがるまで、歌をうたうことにした。
夕やけ小やけの 赤とんぼ……
坂部先生の柔らかい声が流れる。つづいてみんながうたう。竜太はやさしい気持になった。赤とんぼの群れ飛ぶ秋の空が目の前にあるようだ。「赤とんぼ」が終ると、坂部先生がつづいてうたう。
うさぎ追いし かの山……
とうたって、
「いいか、みんな、うさぎ追いしというのは、うさぎがおいしいということじゃないぞ。うさぎを追いかけたことだぞ」
と注意した。
「あれ、おれ、うさぎがおいしいのかと思ってた」
浅田が言い、二、三人が、「おれも」「おれも」と言い出して笑った。
村の鎮守の神さまの
きょうはめでたい お祭り日
うたいながらみんなは、興に乗って笛を吹く真《ま》似《ね》をしたり、太鼓を叩く真似をした。楠夫の盆太鼓を叩くような大仰な身ぶりに拍手が起きた。氏神を祀《まつ》る上川神社の公園でうたう「村祭り」は、一同に何か懐かしい思いを抱かせたのだ。
「われは海の子」もうたった。「荒城の月」もうたった。「ここはお国を何百里」もうたった。ひとしきりうたったところで、坂部先生が言った。
「竜太、『鎌倉』をうたえ」
竜太が頭を掻《か》いた。みんなが手を叩いた。浅田が立ち上がって手を叩いた。竜太は頭を掻き掻き立ち上がって遠くに見える大雪山を眺めた。「鎌倉」は竜太の好きな歌なのだ。
七里ヶ浜の いそ伝い
稲村ヶ崎 名将の
竜太は二番までうたって坐った。澄んだ竜太の声に耳を傾けていたみんなは、
「もっとうたえよ、最後までうたえよ」
と言ったが、先生が豚汁の味を見て、
「うまい! 歌もうまいが豚汁もうまい」
と言ったので、みんなは握り飯をひろげ始めた。芳子たち女子が四、五人で配った豚汁を食べながら、みんなはうまいうまいと喜んでいる。
「どうだうまいだろう」
坂部先生も満足そうだ。味つけは先生なのだ。
「先生、こんなに上手なら、お嫁さんいらんね」
薬屋の娘が言った。
「ほんとだ、ほんとだ」
浅田が相《あい》槌《づち》を打った。
「いや、先生は嫁さんをもらう」
坂部先生が言ったので、みんなは冗談かと思った。
「先生も女が好きなのかい」
楠夫が口一杯に握り飯を頬《ほお》張《ば》ったまま言った。坂部先生は大きくうなずいて、
「みんなよく聞いておけ。この世には男と女の二種類の人間しかいない。男にとって女は仲間だ。女にとって男は仲間だ。生きていく仲間だ。それが嫌いじゃ、世の中は成り立たん。みんなだって、お母さんが好きだろ。お姉さんが好きだろ。妹が好きだろ。女子だって、お父さんや男のきょうだいが好きだろ。男が女を好きなのは自然なことで、大事なことなんだ」
竜太は聞きながら、坂部先生が今、重要なことを教えようとしていることに気づいた。
「いいか、みんな。自分が一緒に暮らしていく相手を、尊敬したり、好きになったり出来なけりゃ、こりゃ一大事だぞ。先生は来月、嫁さんをもらう」
みんなは呻《うめ》くような声を上げた。
「ほんとう!?」
「ほんとうですか」
「誰をもらうの」
「うへーっ」
「参った」
様々な言葉がぶつかりあった。
「みんなも知ってる谷川冴子先生だ」
女生徒たちは、キャーッと叫び、男子たちは「うおーっ」と声を上げた。坂部先生の顔が少し赤くなっていたが、きりりとしまったいい顔をしていた。
(よかったな、谷川先生で)
気軽に遊びに行けると竜太は思った。
三
帰りにみんなは神社の境内のほうに散策に行った。丘の中腹の鳥居の前に来ると木立越しに旭川の街が見えた。九月の空の下に、トタン屋根があちこちに光って見えた。近くの鉄橋を渡る汽車の汽笛が間近に聞えた。黒い煙をもくもくと上げ、汽車はみんなの立っている丘の横を、富《ふ》良《ら》野《の》のほうに向かって走り去って行った。
汽車が過ぎると、鳥居に向かって浅田が柏《かしわ》手《で》を打ち、ていねいにお辞儀をした。女生徒が七、八人、男生徒が五、六人、浅田にならって手を打った。竜太も深々と頭を下げた。楠夫はドッチボールを肩に下げて、ぶらぶらと先に歩いて行く。しばらく行くと、雑木林を伐《き》り開いた空き地があった。草原だった。
「少し休んでいくか」
坂部先生が言い、みんなは草原に腰をおろした。丘につづいて野菜畠《ばたけ》がひろがり、色づいた田んぼが見え、その向こうに黒ぐろと茂る針葉樹の林が九月の光の下にけぶるように見える。林は外国樹種の見本林である。
「いい景色だわあ」
米屋の娘の咲子が言った。
「ほんとだあ」
誰かが相槌を打った。
「山と田んぼが見えるだけでないか。どうっつことないな、おれ」
誰かがつまらなそうに言った。みんなが笑った。ふと坂部先生が言った。
「な、みんな。みんなはもう六年生だ。今、神社の前で手を合わせてきた者もいるが、神さまって、どんなふうに考えてるか、話し合ってみないか」
「神さまかあ。先生ほんとに、神さまっているのかなあ」
楠夫が真っ先に言った。みんなが、いないとかいるとか、口々に言った。
「うちの父さん、いつも、神も仏もあるものかって、言うよ」
誰かが言うと、女子の一人が言った。
「ああ、うちでも言うわ」
「大人はよくいうよな」
男子たちも幾人か同じことを言った。
「なるほど。神も仏もあるものかか。よほど辛いことがあるんだな。大人は」
「わたし、神さまっていると思うよ、先生」
芳子がきっぱりと言った。
「いると思う者、手を上げて」
ほとんどの者が手を上げた。
「君たちの考えている神さまって、どんな神さまだ?」
坂部先生の言葉に、誰かがすかさず言った。
「白い着物を着て、幽霊みたいさ。どこにでも現れてさ」
「幽霊とちがうぞ」
思わず竜太が言った。幽霊に手を合わせるなんて、おかしな話だと竜太は思う。と、先生が言った。
「そうだ。幽霊とはちがうな。幽霊を拝む者は先ずいないからな」
「でも、姿が見えなくて、どこの家の神棚にもいるなんて……おれ、よくわかんない」
女生徒たちは男子の言葉に耳を傾けながら、こそこそ何かささやき合っている。楠夫が言った。
「おれもよくわからんけど、神さまがいるとしたら、人間でないことは確かだよね。人間よりもずっと偉いはずだよね」
「先生、天罰てきめんって、よく言うけどさ、神さまって、祟《たた》ったり罰《ばち》を当てたりするもんじゃない?」
と、女子の一人が足もとの草をむしった。
「祟るのは仏さんだって祟るんだぞ。ね、先生。仏罰っていうよね」
「そうよ、そうよ。仏さんだっておっかないのよ。先祖の祟りってのがあるんだから」
「あるある。うちのおばあちゃんがね、飯こぼしたらすぐ目つぶれる、仏罰が当るっていうわ」
「先生、人が死んで神さまになるのが神道で、仏さまになるのが仏教じゃないの?」
生徒たちは口々に、様々なことを言う。坂部先生はその一つ一つに、にこにこしながら聞き入っている。と、セーラー服を着た宿屋の娘の駒《こま》子《こ》が言った。
「あのね、神さまにも、いろいろ位があるんでないの。大きな神社に祀られる神さまやさ、小さな小屋に祀られる神さまやさ」
駒子のほうを向いて楠夫が言った。
「駒子、神さまの位?その位を誰がつけるのよ。人間のほうが偉いみたいだな」
浅田の声がして、
「何だかわからんけど、うちの近くのお稲荷さんは、狐を祀ってるんだよな。すると狐も神さまかあ。みんなよくお詣《まい》りするけどさ、位は低いのかな、高いのかな」
「先生」
駒子が、そうだというように手を打って、
「うちの隣の人がね、先生、時々四国の金《こん》比《ぴ》羅《ら》さんにお詣りに行くの。金比羅さんに何祀ってるの、先生。日本中からたくさんお詣りに行くけどさ」
坂部先生は腕組みをしてちょっと考えていたが、
「金比羅さんにはね、ええと……崇《す》徳《とく》天皇が祀られてるそうだけどね。実はね、金比羅というのは、クンピーラという梵《ぼん》語《ご》なんだそうだ。梵語っていうのは……先生もよくわからんけど、簡単にいえば古いインド語らしい。その梵語でな、クンピーラというのは、鰐《わに》のことだそうだ」
「へえーっ、わにが神さま?」
みんなが驚いた。
「そうだ、鰐が神さまだ。狐も神さまだし、鰐も神さまだ。それにはいろいろないきさつや伝説があって、人でも動物でも、神格化されると神さま扱いになる」
「神格化あ?」
みんなが顔を見合わせた。竜太が言った。
「先生、ここの神社の境内にも、しめ縄張った木があるよね。ご神木に手を合わせる大人もいるよね。あれも木が神格化されたんですか」
「ああ、そうか。それが神格化かあ」
二、三人がうなずいた。坂部先生が言った。
「な、みんな、人はいろいろなものを拝んでいる。人間として何を拝むべきか、これは大変な問題だ。しかしな、人が信じているものをやめれとか、信じたくないものを無理に信じれとは、決して言ってはならんのだ」
竜太は今まで聞いたことのない世界を聞かされたような気がした。
師範学校 一八七二(明治五)年に設立された小学校、国民学校の教員を養成した学校。第二次大戦後廃止され、大学の学芸学部、教育学部の母体となった。
新居
一
「坂部久哉」と書かれた真新しい表札を見上げて、みんなは思わず顔を見合わせた。
「先生いるかな」
楠夫が言い、玄関の素ガラスの引戸に額をつけて、中をのぞきこんだ。男物の皮靴が、女物の日《*ひ》和《より》下《げ》駄《た》と並んで、きちんと揃《そろ》えられている。
「ごめんください」
保志が大きな声で言い、玄関の戸を引いた。が、錠がかかっていた。
「あれえー、錠がかかっているぞ」
「どら」
楠夫もあけようとしたが、あかなかった。大きな重箱を三重ね、風呂敷に下げた美千代が、
「あら、竜太、あんた坂部先生に、遊びに行くって言わなかったの?」
「だって、楠夫ちゃんが、突然行って驚かしてやろうって……ぼくもそれがいいと思ったんだもの」
「馬鹿ねえあんたたち。こんな秋晴れのいい天気だもの。しかも日曜日だもの。うちにじっとしてるもんですか」
竜太と楠夫はしょぼんとした。
「なあんだ、留守か」
保志は腹立たしそうに小石を蹴《け》って、
「ああ急に腹へった」
と、玄関前にへたりこんだ。今しがた正午のサイレンが鳴ったところだ。
「しようがない、少し待ってみようか」
美千代も風呂敷を抱えながら、屈《かが》みこんだ。竜太と楠夫は立ったまま、辺りを見まわした。佳世子は早速スカートのポケットから、蝋《ろう》石《せき》を出して、地面に女の子を描き始めた。左手にはお祝いに持って来た、金と銀の折鶴の入っている紙袋を大事そうに抱えている。
二、三日前のことだった。坂部先生の家に結婚祝いに行こうと姉の美千代が言い出した。竜太は「行く行く」と賛成し、受持たれたことのない弟の保志までが、「ぼくも行く」と騒ぎ立てた。聞きつけた楠夫とその妹の佳世子も、ついて行くということになった。母のキクエが大きな重箱に、いなりずしをぎっしり詰めて、持たせてくれることになった。
「先生の家で、お嫁さんと一緒に、いなりずしを食べてきたらいいさ」
キクエはそう言って、今日いなりずしを作ってくれたのだ。
坂部先生は谷川冴子先生と、半月程前に結婚した。竜太たち六年二組の者は、結婚式の次の日、学校に出て来た坂部先生のために、「先生、結婚おめでとう」と、赤いチョークで黒板に大きく書き、みんなが寄書きのように、思い思いにひとこと宛《ずつ》祝辞を書いた。坂部先生はそれを見て、しばらく黙っていたが、
「ありがたいもんだなあ。写真機を持っていたら、写しておきたいところだが……」
そう言って教卓から画用紙を取り、みんなの言葉をさらさらと書き写した。竜太は、
「先生、これからもぼくたちの先生でいて下さい」
と書いた。あとから、馬鹿なことを書いたなと思った。竜太はちょっと淋しかったのだ。それだけに、美千代が先生の家に行こうと言った時は、叫び出したいほどうれしかった。
竜太は、自分の小遣いで、先生に何か贈り物をしたいと思った。さんざん考えた末、トランプを贈ることにした。何となく坂部先生はまだトランプを持っていないような気がした。そのトランプを買いに、わざわざ師団通りに出かけて行った。旭川には七師団がある。駅前から北に向かって、その師団に通ずる一粁《キロメートル》程の商店街があり、師団通りと呼ばれていた。両側の舗道に鈴《すず》蘭《らん》の形をした街灯が並んでいて、それがいかにもモダンだった。この師団通りの一角に、勧《かん》工《こう》場《ば》と呼ばれている子供向きの店があった。ラッパや、刀などが天井から束になって吊《つ》るされ、様々な玩具や、セルロイドや千代紙の箱等が所狭しとひしめいていた。ここで何かを買ってもらうのが子供たちの夢でもあり、誇りでもあった。
「これ、勧工場で買ったんだぞ」
と言えば、ビー玉ひとつでも、サイコロひとつでも、みんなの羨《せん》望《ぼう》の的となるのだ。その勧工場まで、竜太は自分の小遣いを握りしめて、トランプを買いに行ったのだ。
保志のお土産《みやげ》は、今来る時に錦座前の屋台で、五銭値《あたい》買ったカルメ焼だ。楠夫が、
「ぼくの土産は秘密だぞ。先生に見せるまでは内緒だ」
と言って、大事そうに持っているのが、竜太には気になった。楠夫は画用紙を丸めて輪ゴムをかけていた。多分それに絵か字を書いているのだろう。何だかそのほうが心がこもっているようで、竜太は落ちつかなかった。
みんなそれぞれにお土産を用意して来たこともあって、坂部先生の留守には落胆した。先生の家の隣は、木の塀をめぐらし、広い前庭を持つ一戸建の家だった。庭木の一本は、実も葉も真っ赤に色づいたナナカマドだった。仲通りを隔てた向かいは、土木現業所の官舎で、所長か部長の官舎でもあろうか、これまた塀に囲まれ、ペンキ塗りのモダンな家だった。旭川では塀をめぐらす家ははなはだ少なく、一町内に一軒か二軒あればいいほうだった。坂部先生の家は二戸建で、もちろん塀などなく、格子戸の出窓がそれでも一応小ぎれいな住宅に見せていた。
「竜太、あの原っぱのあたりが、旭川測候所よ」
百メートル程向こうの空き地を美千代が指さした時だった。土木現業所の官舎の横の通りから、不意に坂部先生と、谷川冴子先生が現れた。
「うわあっ! 坂部先生だあっ!」
思わず一同が叫び、楠夫が駆け出した。竜太も保志もあとを追った。グリーンのスーツを着た冴子先生と、紺の背広を着た坂部先生が、何か別人のようにピカピカ光って見えた。いつもの黒い詰《つめ》襟《えり》姿の坂部先生とはちがうのだ。美千代だけが家の前に突っ立ったまま、じっと坂部先生と冴子先生を見つめていた。
「やあ、君たち来ていたの。すまんすまん、教会に行っていてね」
坂部先生の声を聞いた時、竜太は泣きたくなった。もし、今日先生に会えなければ、先生が不幸になるような、そんな変な気がしていたのだ。
坂部先生に背を押されるようにして、みんなは家に入った。冴子先生は素早く白いセーターに着替えてカッポウ着をつけ、薪《まき》ストーブに火をつけてくれた。
「いやあ君たち、今日はみんな洋服だね。うん、伸び盛りだから、服もせいぜい着ておかないと、すぐ小さくなるだろう。みんなよく似合うね。もっと着るといいね」
みんなはほめられて、ちょっとかしこまった。と、美千代が、
「先生」
と呼んだ。つづいてみんなが打合わせどおり、
「坂部先生、冴子先生、ご結婚、おめでとうございます」
と声を合わせ、改まって頭を下げた。
「やあ、ありがとう。うれしいなあ、わざわざお祝いにきてくれて。な、冴子先生」
「ほんと、わたしたちのうれしいのは、こういう生徒さんのお祝いよね」
冴子先生は快活に言った。学校にいても明るいが、この家の中でも冴子先生は明るい。八畳の茶の間に、六畳ふた間の小ぢんまりとした家だが、いかにも結婚したばかりの感じだ。
「あのう……母からのお土産です。みんなで食べなさいって……これを言い忘れると大変なの」
笑いながら美千代は、重箱の蓋《ふた》をあけた。つやつやとしたいなりずしが、見るからにうまそうに並んでいる。
「いやあ、うれしいな。これは先生の大好物だ」
坂部先生が大声で言うと、冴子先生が手を叩《たた》いて、
「わたしも大好き」
と言った。じっとおとなしくしていた佳世子までが、
「わたしも大好き」
と手を叩いたので、みんなが笑った。
「先生、これ、ぼく、勧工場で買ってきたトランプです」
竜太は坂部先生が何と言うかと、ちょっと不安になりながらトランプを差し出すと、
「えっ? 勧工場までわざわざ買いに言ってくれたの?これなら大人でも子供でも遊べるからねえ」
坂部先生の言葉に竜太はほっとした。佳世子が持っていた紙袋から、そろそろと二羽の折鶴を取り出した。小学四年生の佳世子が、考えた末の折鶴なのだ。坂部先生と冴子先生が同時に声を上げた。
「うわあ、かわいい!」
二人は一羽宛《ずつ》手にのせ、
「これがぼくで、これが君だ。早速飾っておこう」
坂部先生はすぐに立ち上がって、茶の間の窓辺の柱に画《が》鋲《びよう》でとめた。
「これ、佳世子ちゃんが折ってくれたのかい」
「はい」
佳世子はうれしさに顔を真っ赤にして、おかっぱ頭を大きくふった。
保志が頭を掻《か》き掻き、
「ぼくのはびりけつだ」
と、五銭値《あたい》買って来たカルメ焼を、新聞紙の袋のまま、坂部先生の前においた。先生は袋からカルメ焼を出して、
「や、不思議だなあ。今朝、ぼくがカルメ焼を食べてみたいなあって、冴子先生に言ったばかりなんだよ。な、冴子先生」
冴子先生もうなずいて答えた。
「そう、あなた今朝言ったばかりよね」
保志は鼻の先に拳《こぶし》を重ねて、天《てん》狗《ぐ》の真《ま》似《ね》をした。竜太は保志のカルメ焼を、坂部先生たちがどう受け取ってくれるかと、心配していただけに、保志のうれしそうな顔を見て、胸が詰まった。
「さて、お立ち合い」
楠夫は立ち上がって、丸めていた画用紙を右手に高く頭上に掲げた。
「先生、これ、何だと思いますか」
「はてな。君は絵がうまいから、花の絵かな。描かれた花なら枯れる心配はないからなあ」
「当りィ、と言いたいところだが、さにあらず。いとも尊きものでありますぞ」
楠夫はもったいぶって言った。竜太が叫んだ。
「あ、わかった! 天皇陛下に関係あるだろ」
時折楠夫は、教育勅語や、自分の家に飾ってある天皇皇后の写真を見て、「いとも尊き」という言葉を使うのだ。三年生までの受持だった河地先生の口真似なのだ。
「さすが竜ちゃんだ。先生、ぼくね、これでも先生のお祝い、何にしようかと、ひと晩悩んだんだよ。佳世子が金銀の折鶴なんて、しゃれたことを考え出したもんだから」
「それはそれは、ありがたいなあ。ところでいったい何だね」
「ひと晩考えた末、これ以上すばらしい贈り物はない、と考えたのが、先生、教育勅語の中のお言葉です」
「えっ!? 教育勅語の?」
「そうです。竜ちゃん、何というお言葉か、わかるだろう」
竜太はちょっと考えて、
「ぼくが教育勅語の中で一番好きなのは、『博愛衆ニ及ボシ』だけどな」
「ちがう!」
楠夫はもったいをつけ、両手でうやうやしく画用紙を広げて、みんなに見せた。そこには「夫婦相和シ」の五文字が元気に躍っていた。
「参ったなあ、楠夫には、いや、参った参った」
坂部先生は頭を掻き、冴子先生はきれいな声で笑った。坂部先生は楠夫から手渡された「夫婦相和シ」の字を眺めながら、
「うん、これは大事な言葉だ。先生たちは何年もつきあっていて、すごく仲がよかったから、この言葉は必要ないと思っていたが、そうでもないな。夫婦はどんなに仲よくても、仲がよすぎることはないからな」
楠夫は得意げに竜太を見た。坂部先生は言葉をつづけて、
「日本中の夫婦がみんな仲がよかったら、日本はもっと幸福になる。夫婦というのは、社会の大事な一単位だ。ね、冴子先生」
「そうよ。だからユダヤでは、結婚したら一年間は、その花婿を戦場に駆り出さない法律があるのよね。日清や日露の戦争では、お嫁さんをもらって三日目に召集令状がきた人もいるって、聞いたわね」
冴子先生はお茶を淹《い》れる手をとめて言った。この昭和四年、日本共産党員が何百名となく検挙された。昨年の三月にも、千六百人も検挙されたばかりだ。去年、張《*ちよう》作《さく》霖《りん》が乗った列車が京奉線で爆破された。関《*かん》東《とう》軍の謀略だということだった。日本軍は昨年五月、済《さい》南《なん》で蒋《*しよう》介《かい》石《せき》の軍と衝突、済南を占領した。それにつづくかのように特《*》高警察が新設され、憲兵隊にも思想係が設置された。今、冴子先生の言った言葉には、それらの背景があった。が、竜太たちにとっては、満州や中国での局地的な小《こ》競《ぜ》り合《あ》いは、遠い異国での出来事だった。美千代が、
「せいぜい仲よくしてくださいよ」
と切口上に言って、
「わたしね、先生、大きくなったら、先生のお嫁さんにしてもらおうと思っていたのに」
と、いなりずしを小皿に取りながら、ちょっとすねたように言った。
「おやおや、そうと知っていたら、美千代ちゃんの大きくなるのを待っていたんだがなあ」
冴子先生が竜太の前にお茶を置いた。置きながらまたきれいな声で笑った。冴子先生特有のいい匂《にお》いが、ほのかに漂った。つづいて楠夫の前にも冴子先生がお茶を置いた。と、楠夫が、
「ぼくだって、大きくなったら、冴子先生をお嫁さんに欲しいと、思ってたんだけどな」
と、番茶をひと口啜《すす》った。途端に佳世子が言った。
「うそよ! お兄ちゃんはね、先生、芳子ちゃんがぼくの未来のお嫁さんだって、いつも言ってるのよ」
みんながどっと笑った。
「うそだよ。そんなこと言ったかな」
楠夫の顔が赤くなった。
「言ってるよね、保志ちゃん」
保志がにやにやした。竜太は、みんなのようには笑えなかった。胸の辺りを、ひんやりとしたものが流れていくのを感じた。楠夫がいたたまれずに厠《かわや》に立つと、またひとしきりみんなが笑った。
「うまいいなりずしだなあ。北森のお母さんは料理がうまいんだなあ。飯の詰め方も上手だな」
「あら先生、わたしも詰めるのは半分は手伝ったのよ」
「そうか、そうか。美千代ちゃんもさぞいいお嫁さんになるだろう。お嫁さんと言えば、美千代ちゃんはもう女学校三年だもな。女学校を卒業してすぐに結婚する人もいるからな。そうか、もうそんな年になるのか」
二
笑いのおさまったところに楠夫が戻って来て、
「先生、先生のうち、稚内だよね」
と尋ねた。
「うん、そうだよ」
「先生のお父さん何してるんだっけ?」
「鉄道員さ。父も母も、その親たちも秋田生まれでね。先生にはこれも鉄道員をしている弟と、稚内の魚の加工場に嫁に行った妹と、それだけがきょうだいさ。ほら、このそぼろなんかも、妹のところでも作ってるんだよ。こんな鱈《たら》のすき身もね」
美千代がすしをつまんだ手をとめて、
「秋田と言ったら、今評判の『蟹《かに》工《こう》船《せん》』を書いた小《*》林多《た》喜《き》二《じ》は、秋田県出身でしょ?」
「美千代ちゃん、君、多喜二なんか読むのかい?」
「うん、友だちから借りてね。『戦旗』とかいう雑誌に載ってたけど、××があちこちにあって、伏《ふせ》字《じ》になってたわ」
「ふうーん」
坂部先生は黙って何かを考えていた。共産党が大量検挙される風潮の中で、共産主義にかかわる雑誌を読むことは危険だった。
「でも、お父さんに見つかって、こんな本すぐ返してこい!って叱《しか》られたけど、どうして評判の小説を読んだら、悪いんだろう」
ひたすらすしを食べていた保志が顔を上げて、
「悪いから悪いのさ」
と、けろりとして言った。坂部先生の壁に貼《は》った「夫婦相和シ」の字を、満足そうに見ていた楠夫が不思議そうな声を出した。
「あれえ? 先生のうちに、神棚ないのかい」
佳世子も保志も美千代も、ぐるりと頭をまわして部屋を見た。竜太は内心ひやりとした。たいていの家には、茶の間に神棚がある。竜太の家でも楠夫の家でも、神棚には紫の幕をめぐらして、毎朝、水や、ご飯や塩を上げる。三年生の時、河地先生が言ったのだ。
「みんなの家で、神棚のない家があるか。ない家の者は手を上げろ」
一人の男子が、そっと手を上げた。朗読のうまい高橋篤だった。菓子屋の息子だった。
「何だ! お前の家には神棚もないのか。日本人でありながら、神棚も祀《まつ》らんとは、日本国民とは言えないぞ。二条通りに行けば、二円も出してみろ、立派な神棚が手に入る。家に返ったらそう言え」
河地先生はがんがんと大声で言った。高橋篤は大きな涙をぽろぽろこぼしていたが、二、三日後には神棚を買ってもらったと、明るい顔になっていた。
そんなことがあったので、竜太は坂部先生の家に入って、小ぎれいに片づいた部屋の中を見まわした時、神棚のないことにすぐに気づいた。ストーブの火で部屋が暖かくなると、他の二部屋も開け放した。どうやらその二部屋にも神棚はないようだった。だが、竜太は黙っていた。言っては悪いような気がした。それを今、楠夫がぽろりと言ってしまった。
「ああ、神棚? うちは冴子先生がキリスト信者だからね」
坂部先生はさらりと言った。
「へえー? そうか。そうだよね。教会で結婚式挙げたって、みんな言ってたもね。したら坂部先生もキリストなの?」
「いや、ぼくは勉強中だ」
先生は明るい顔をしていた。竜太は黙って、鱈のすき身を噛《か》んでいた。そういえば、冴子先生は師団通りにある有名な谷川時計店の娘だと聞いていた。冴子先生の両親もキリスト信者で、二人の兄は家業を手伝い、よく繁昌していることを、父から聞いたことがあった。質入に来る客が、
「せっかく谷川時計店から買ったいい品だが」
と、鎖のついた懐中時計や腕時計を差し出す話も父はしていた。この谷川時計店は、あちこちの施設に寄付しているらしく、そんな記事を新聞で見て竜太も知っていた。
楠夫が頭をかしげながら、
「でもさ、先生。キリスト信者でも、神棚を祀ってもいいんでしょ?」
「うーん、これは難問だな。大人でも、こういう問題はすぐに納得できないところがあってね」
坂部先生は腕組みをした。冴子先生がお茶を飲みながら、楠夫に笑顔を向けた。
「あのね、真野さん、どんな神さまを信ずるかということは、一人一人の自由なの。この町に生まれた者はこの神さまを拝まなければならないとか、この村にいる者はこの神さまの信者になれなどと、決められないものなの。信仰というものは、自分の魂を導いてくださいと、おねがいすることだから、今日こっちの神さまによろしくおねがいしますとか、明日はあっちの神さまに頼みますとか、毎日信ずる神を簡単に変えることはできないものなの。それはね、旦《だん》那《な》さんがいるのに、ほかの人が好きになったり、また別の人が好きになったりしたら、おかしいのとおんなじよ。ね、坂部先生」
「そうだよ。先月神楽岡へ行った時に、先生がみんなに言ったこと、覚えてるかなあ」
楠夫が頭を横にふり、竜太がうなずいた。
「あのう……人はいろいろなものを拝んでいる。人間として何を拝むべきか、とっても大変な問題だって言ったでしょう」
「うん、よく覚えてるな。それからもう一つ大事なことを言ったぞ」
「はい。人が信じているものをやめれとか、信じたくないものを信じれとか、そんなことは絶対言ってはならんって、先生言いましたよね」
「へえー、竜ちゃんよく忘れんで、覚えてるな」
傍らの土びんから、楠夫は自分の茶《ちや》碗《わん》に番茶を注ぎながら、素直に感心した。美千代が言った。
「わたしもさあ、小説なんか読むとね、キリスト教のことがよく出てくるでしょう。時々神さまって何かって思うの」
大人っぽい語調だった。
「うん、それで」
五年生の保志も、四年生の佳世子も、わかるのかわからないのか、うなずきうなずき聞いている。
「そしてねえ、思うのは、もし神さまというものがあるのなら、その神さまは絶対に公平だと思うの。としたら、一つの国しか守らない神さまというものがあるかなあと、考えちゃうのよ。公平なら、どの国の人々も可愛がる。おんなじようにきびしくなる。こっちの国で悪いことは、あっちの国でも悪い。そんなもんじゃないかと思うんだけど……」
「まあ、そうだなあ。先生の考えてる神さまも、そんな神さまだなあ」
その時、ちんまりと坐っていた佳世子が言った。
「あのね、神さまというのはね、手を叩くと出てくるの。そしてね、家内安全、商売繁昌っておいのりしたら、いうこと聞いてくれるの。それで、おいのり終ったら、また手をたたくの。きっと、白いひげを長くたらした、やさしいおじいさんだと思うの」
「なるほど」
坂部先生はうなずいて、
「これが佳世子ちゃんの信仰だ。大きくなるにつれて、また変るだろうけど。保志はどうだ」
「ぼくは母さんに叱られるから神棚拝むけどさ、神さまはいないと思ってるよ。だって、見たことないもの。見ないものを、いるいるって思ってるの、ちょっとおかしいと思うんだ。これ、楠夫ちゃんの受売りだけどな」
「なるほど、見たこともなければ、声も聞いたこともないか。信ずるという字はね、人の言と書くんだ。見たことも聞いたこともないけど、神さまってこういう方だよって教えてくれた言葉を信ずるのが、信仰なんだな」
保志は笑って、
「そんなの、無理だよ。ぼく、神さまだって、幽霊だって、信じないな。お兄ちゃん信じてるけど。神さまがいないほうが、ぼく楽だな。あれをしてはだめだ、これをしてはだめだって、見張っていられたら、かなわんもん。そんなひと、父さん母さんだけでたくさんだもな」
ひょうきんな保志の言い方にみんなは笑った。美千代だけは笑わずに、
「わたしやっぱり神さまがいたほうがいい。神さまがいないと、わたし、何するかわかんないところがあるもの」
「美千代ちゃん、何か仕出かしたら、そこの監獄にぶちこまれるよ」
楠夫が、監獄のある方をあごでしゃくった。旭川刑務所のコンクリートの高い塀は、坂部先生の家から四、五十メートルの所にあった。
竜太たちは坂部先生の家に来る途中、その刑務所の前を通って来たのだ。みんな、刑務所の塀の下を通ることは、滅多になかった。五人は何となく足音をひそませ、声さえひそめて、
「この中に、泥棒や人殺しが入っているんかな」
「どんな顔してるのかな。柿色の服は青色の服より罪が重いってな」
「監獄の中、見たいなあ、な、やっちゃん」
「悪いことしたら、かんたんに見れるよ」
保志がそう言った時だった。不意に行く手西口の大門がひらいた。
「あっ、開いたっ!」
真っ先に楠夫が走り出し、保志がつづいた。竜太も駆け出した。中から荷物を積んだ馬車が出てくるところだった。五人は目を丸くして塀の中を見た。木造の平屋があちこちに見え、花壇らしきものや、青い囚人服を着た数人の男たちも見えた。が、男に手綱を取られた馬が門を出てしまうと、すぐに門はきしみながら閉ざされた。
それを思い出して、みんなは坂部先生と冴子先生に口々に告げた。楠夫が言った。
「先生、監獄に入れられる奴《やつ》って、やっぱり極悪人だよね」
坂部先生はちょっと黙ってから、
「あのなあ、刑務所に入っている者が、全部悪人とは限らんよ」
「へえーっ」
みんなが声を上げた。
「みんな『巖《がん》窟《くつ》王《おう》』って本、読んだことあるだろう」
「あるある。お兄ちゃん持ってる」
保志が言った。
「あんなこともあるしな」
「先生、あれ、お話じゃないの?」
「いや、罪もないのに、罪人と決めつけられて、監獄に入れられるのは、日本にだって外国にだって、何件もある話じゃないかな」
「悪くなくても入るのか。それはかなわんな。ね、先生」
と言った竜太に目を注《と》めて、坂部先生は大きくうなずいた。坂部先生はこの時、去年と今年、捕えられた多くの共産党員のことを考えていたのだ。今問題になっている小林多喜二の「蟹工船」の小説が、多喜二を暗い淵《ふち》に引きずりこむような、そんな感じを抱いていたのだ。
「じゃ、先生、悪い人も入っているけど、何の罪もない人も、入っているわけね。そこまでは考えたことはなかったわ」
美千代が考えこむ語調になった。
「悪いことをしたか、しないかはともかく、人間って、そんなに変らないものだよ。神さまからみれば、みんなおんなじ人間さ。だからね、先生は時々、夜なんか、あの監獄の傍《そば》を通る時、ハーモニカを吹くんだ」
「えーっ? ハーモニカ?」
保志が驚いた。
「うん、『荒城の月』や『赤とんぼ』なんかね」
美千代がじっと坂部先生を見つめて、
「先生、そのハーモニカを聞いて、監獄に入っている人たち、何を思うかしらね。子供の時のことや、自分の子供たちのことを思うかも知れないわね」
声がしめった。竜太は、あの高いコンクリートの塀の下を、囚人たちを慰めようとして、ハーモニカを吹いて行く坂部先生の姿を思い浮かべた。
「君たちも帰りに、『われは海の子』でもうたったら」
みんなは大きくうなずいた。竜太は尋ねた。
「先生、先生のお母さんって、どんな人なんですか」
「うん、平凡な人だ。優しくて、滅多に怒ったことのない人だ。一度だけ、がっちり叱られたことがある。いや、叱られたというより、泣かれたというほうがいいかな」
「どうして?」
佳世子は冴子先生の出してくれた玉チョコの銀紙をむきながら言った。
「ぼくの弟はね、今、稚内で父親と一緒に鉄道に勤めているけど、小さい時、よく寝小便をたれてね。毎朝、母はその布団を干すんだ。なんにも言わずにね。あれは弟が三年生になる頃だったかな。やい、寝小便たれって、よく笑ったんだよ。そしたらある日、母がぼくを奥の部屋に呼んでね。
『久哉、お前ね、毎日寝小便たれる勝哉の気持、考えてみたことあるかい。勝哉はたれたくてたれるんじゃなくて、病気なんだよ。どんなに恥ずかしいか、口《く》惜《や》しいか、勝哉の身になって、考えてやったことあるかい』
そう言って母は、エプロンを顔に押し当てて、声を上げて泣いてね」
坂部先生の声がうるみ、みんなはしんと静まった。
日和下駄 おもに晴れた日にはく、歯の低い下駄。
張作霖 一八七五〜一九二八。中国の軍人・政治家。馬賊の出身。日清戦争、辛亥革命で功を挙げ、満州の自治を主張する奉天派のリーダーとなったが、日本軍によって暗殺される。
関東軍 中国遼東半島の西南にあった日本の租借地関東州と満州にあった日本陸軍諸部隊の総称。日本の満州支配の中核であったが、一九四五年八月、ソ連軍の満州侵攻により壊滅した。
蒋介石 一八八七〜一九七五。中国の政治家。反共独裁の国民党指導者(総統)として、米英の援助を得て抗日戦争を指導。第二次大戦後、毛沢東らの共産勢力との内戦に敗れ、台湾に退いた。
特高警察 特別高等警察のこと。内務省直轄の警察で、思想犯罪に対処する目的で、一九一一(明治四十四)年設置された。共産主義、社会運動の弾圧で悪名高い。第二次大戦後、一九四五年十月廃止。
小林多喜二 一九〇三〜三三(明治三十六〜昭和八)年。秋田県生まれ。小樽高等商業在学中より文学活動を始め、北海道拓殖銀行就職後は同人雑誌を創刊するなど文学への志を保ちつづけた。一九二六年、小樽の労働運動に参加、一九二九年発表した「蟹工船」でプロレタリア作家として認められた。同年、「不在地主」発表後、銀行を解雇され、翌年上京。すぐに治安維持法違反で起訴、収監された。三一年保釈後、プロレタリア作家同盟書記長となり、日本共産党に入党。三三年逮捕され、築地警察署で拷問の上、虐殺された。死後発表された「党生活者」はプロレタリア文学の記念碑的代表作とされる。
お別れ会
一
柱の日めくりをめくるのは、たいてい父親の政太郎の仕事だった。が、時に竜太もめくることがある。朝早く起きた時だ。葉書二枚分程の大きな日めくりの裏は、メモ代りに使われる。「昭和五年三月二十二日土曜日」と、大きな活字で右側に印刷され、左側には「泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生」と書いてある。その日その日によって、川柳だったり諺《ことわざ》だったりするのが竜太にはおもしろい。そのまん中には「22」の大きな数字が印刷されている。竜太は、今日の諺を声に出して言ってみた。本当にそうだなと思う。明後日《あさつて》は卒業式だ。今日は竜太のクラスだけでお別れの会が持たれるのだ。坂部先生と勉強した三年間は、笑ってばかりいたような気がする。三年生まで習った河地先生も熱心だったが、熱心のあまり、すぐに生徒を殴りつけたり、怒鳴りつけたりした。昨夜父にそう言ったら、
「そんな先生に習ったのも、ひとつの経験さ。なあ母さん」
と笑っていた。今日の日めくりの諺を見たら、河地先生もいい先生であったような気がしてくるから不思議だ。
台所から飯の炊き上がる仄《ほの》かな甘い匂いが漂ってきて、竜太は平和な気持だった。
窓から見える空は、北国特有の鰊《にしん》ぐもりだ。弟の保志も、二階の部屋を掃除していた美千代も下りて来た。みんなが飯台を前に、箸《はし》を取ろうとした時だった。
「お早うございます。朝っぱらからすみません」
と、私服の佐上刑事が茶の間に入ってきた。まだ独身の、気のいい刑事だ。昨夜何か事件があったのだろう。刑事が朝早く来ることにも、夜遅く来ることにもみんなは馴《な》れている。佐上刑事は愛想よく声をかけ、鼠《ねずみ》色《いろ》のオーバーコートを脱いだ。美千代が素早く立ってそのコートをコート掛けにかけた。佐上刑事はちょっと頭に手をやって、
「やあ、どうも」
と、照れくさそうな声を出した。保志が竜太の脇《わき》腹《ばら》を突ついた。竜太は黙って豆腐のみそ汁をすすった。佐上刑事はここ一年程、この辺りの質屋の担当をしていた。今年四月から六年生になる保志は、時々竜太に、
「佐上刑事さん、うちのお姉ちゃんに、ホの字だぞ」
と、ませたことを言う。竜太は初め「ホの字」という言葉を知らなかった。保志は楠夫から「ホの字」という言葉を聞いたらしい。
「竜ちゃんは芳子にホの字だぞ」
と、楠夫は言ったそうだ。竜太はいつもより食事を急いだ。店で政太郎と何か小声で話していた佐上刑事が、十分程して再び茶の間に入って来、ストーブの傍《そば》に坐った。母の出しておいた茶を一口飲んで膝《ひざ》を崩し、
「やあ、奥さん、どっちを見ても、ひでえ不景気ですね」
と、いかにも応《こた》えたように言った。
昨年の昭和四年(一九二九)、浜口内閣はきびしい緊縮政策を取った。先ず、官吏の俸給を一割減俸しようとする大胆な措置に出たのである。それから半月と経《た》たない十月二十四日、ニューヨーク・ウォール街で株式の大暴落が起こり、たちまち全世界を大恐慌に追いこんだ。以来この日は「暗黒の木曜日」と呼ばれている。この大恐慌は、昭和八年(一九三三)まで、実に四年間に及んだのだった。
「ほんとうにねえ、佐上さん。この近所でも、娘さんを売らねばならぬ家があるんですよ」
キクエは声をひそめた。
「娘を売るのは、農家だけではなくなりましたか、奥さん。ところで、竜太君、中学に入ったんだってね」
佐上刑事は竜太のほうを見た。竜太は恥ずかしそうにうなずいた。
「しかも一番で入ったんだってな。大したものだよ」
と、佐上刑事はタバコに火をつけながら、
「しかし、この不景気じゃ、中学から大学に進むのも考えもんですよ」
政太郎が店から戻ってきて、
「大学は出たけれど、という言葉がはやっているくらいだからね。全くの話、あっちでもこっちでも、大学は出たけれど、働き口がなくてボヤいている人が多い。どこまでつづく不景気ですかなあ」
竜太は飯《めし》茶《ぢや》碗《わん》に白《さ》湯《ゆ》を注ぎながら、耳を傾けている。
「おっと危ない。北森さん、こんなことを言っているところを、特高さんに聞かれたら、たちまち手がうしろにまわりますよ」
刑事の佐上が冗談めかして言ったので、みんなが声を合わせて笑った。竜太も思わず笑った。つい先月の二月二十六日、共産党員等の大々的検挙があったばかりだ。これは昭和三年(一九二八)の千六百人の検挙、昨年四月の八百人を超える検挙につづく大検挙であった。
「全くだねえ。いつ、誰がうしろに手がまわるかわからない。わたしの知っている十七の男の子は、兄貴の使いで友だちの家に泊まっていたところを、挙げられたというからねえ」
政太郎が言うと、
「それはそうと、質屋さんはいいんじゃないんですか、不景気のほうが」
と、佐上刑事が真顔で言った。と、美千代がきつい目で佐上刑事を見つめ、さっと食卓を離れ、足音荒く二階に上がって行った。竜太と保志は思わず顔を見合わせ、美千代の勢いに煽《あお》られるように立ち上がり、大急ぎで玄関に出た。竜太は、何か胸にずしりと重いものが詰まったような感じだった。鰊ぐもりの外は生あたたかかった。雪どけ道を二人は長靴で蹴《け》散《ち》らすようにして歩いて行く。路上の雪どけ水が、至る所に細い筋を作り側溝に流れこんでいる。
(そうか、質屋は不景気のほうがいいのか)
不景気は質屋にも同様に襲ってくることを、竜太はまだ知らなかった。
二
卒業式は明後日の月曜日だ。今日は大掃除のあと、竜太たちのクラスでは、お別れ会をすることになっていた。みんないつもより心をこめて掃除をした。竜太も力一杯床を拭いた。もうこの学校を掃除することもないのだ。そう思うと胸が熱くなった。
お別れ会の机はロの字型に並べることにした。みんながみんなの顔を見られるようにということで、そう決めたのだ。竜太が黒板に、みんなが決めたプログラムを書いた。司会は楠夫がすることになっていた。プログラムを書いた黒板には、女生徒たちが白いちり紙で作ったバラの花や、五色のテープが飾られた。机の上に白い西洋紙が配られ、錦座前のお焼屋から買ってきたお焼きが二つずつ配られた。それに塩煎《せん》餅《べい》が二枚、中指程もある太いカリントが三本置かれた。会費は五銭だ。これが六年間学んだ別離の会の菓子だった。
用意万端が整って、芳子が坂部先生を呼びに職員室に行った。間もなく、坂部先生の足音が近づいて来た。
「起立!」
竜太が号令をかけた。先生はいつもの黒い詰《つめ》襟《えり》の服を着て入って来た。すかさずみんなが、
「先生、ありがとうございました」
と、声を揃《そろ》えた。坂部先生はいつもよりももっと明るい笑顔で、
「やあ、こっちこそどうもありがとう」
と言って、黒板を背にした先生の席についた。みんなもそれぞれ椅《い》子《す》に坐った。楠夫が立ち上がって言った。
「これから、ぼくたちのお別れ会をします。お別れの言葉は、北森竜太君に言ってもらいます」
竜太が立った。
「先生、坂部先生には、四年生、五年生、六年生と三年習いました。先生はその三年の間、ほんとうに……」
竜太はちょっと言葉に詰まった。親切だったでもおかしいし、優しかったというのともちがう。思い切って竜太は言葉をつづけた。
「先生は明るくて、あたたかくて、やさしくて……頼りになって、何でも言えて、励ましてくれて、時には叱《しか》ってくれて、その叱り方もあたたかくて……」
「わかったよう。みんなわかってるよう」
浅田が言った。
「黙れ、浅田」
二、三人が声を上げた。そして何となくみんなが笑った。竜太はまた言葉をつづけた。
「ぼくは、先生を何時間でもほめつづけていたいほど、感謝しています。みんなもきっとそうだろうと思います。これから先生へのお礼と、ぼくたちの友情の思いをこめて、お別れ会をしたいと思います。プログラムにあるように、歌や手品や、踊りや、いろいろやりますが、先生どうか見てください。それから、みんなも、ここに全員がそろうのは明後日だけになるわけだから、先生の姿も、友だちの姿も、しっかりと胸に焼きつけて欲しいと思います」
竜太が腰をおろした。みんなは大きく拍手をした。坂部先生も力強く拍手をした。楠夫も手を叩《たた》いてから、
「では、余興の前に、みんなでちょっと話し合って欲しいことがあります。この学校を出たら先生と本当にお別れなのか、お別れでないのか、話し合ってみたいと思います」
すぐに二、三人の手が上がった。女子ばかりだった。指された一人が立ち上がって答えた。
「あのね、時々先生の顔を見にきたらいいと思う」
「賛成」「さんせい」
大方の者が賛成した。竜太が言った。
「ぼくは不賛成というわけじゃないけど、ぼくたちが卒業したら、先生はどこかの組を受持つに決まってる。そしたら、家庭訪問にもよく出かける先生だし、綴《つづ》り方《かた》や図画も、一人一人にていねいに評を書いてくれる先生だから、ずいぶん忙しいと思う、会いに来てもいいんですか、先生」
「考えるなあ、北森の奴《やつ》」
誰かが言った。坂部先生が答えた。
「会いに来てもいいがね。卒業のことを巣立つというだろう。子鳥が育つのは、親鳥を離れて行くことだ。先生だって、情《じよう》としては君たちが遊びに来て、いろいろ話してくれたらうれしいけど、君たちには君たちの新しい先生もできるし、仕事につく者もいる。職場には主人も先輩もいる。特に、高等科に残る生徒は、もとの先生にばかりべたべたしていては、次の先生との間がうまくいかない。別れる時は別れる、という一線があって、その上でたまに顔を見にくるのはいいと思う」
五十一人の生徒のうち、中等学校に進むのは、女子は七人、男子は十九人だった。高等科に進む者は二十人、あとの五人が家業や、勤めにつくのだ。だから、別離の思いは、子供たちの胸の中にもおもたく沈んでいた。
「わかった。邪魔にならん程度に、先生の顔を見に来てもいいということだ。諸君、安心し給え」
相変らずひょうきんに言ったのは商業学校に進学する浅田だった。芳子が手を上げて、
「先生、年賀状は出してもいいですね」
「ありがとう。待ってるよ」
生徒たちは喜んで手を叩いた。
「あのさあ……」
司会者の楠夫が言った。
「高等科に進む人も、中等学校に行く奴も、通知箋《せん》(通知簿)は必ず見せにくることにしようや」
途端に「ウヘーッ」「ヒャーッ」「それは困るよう」と、みんなは口々に騒ぎ立てた。誰かが大声で言った。
「楠夫は勉強ができるからいいさ。おれは恥ずかしく持ってこれんな」
そうだそうだとみんなが言った。と一人が、
「おれはもう一生通知箋なんかもらわんからいいよ」
竜太はどきりとした。小学校六年でどこかの給仕に行くと言っていた生徒だ。淋《さび》しい顔をしていた。楠夫は気がついたのかどうか、
「そのほか何かありますか」
と、一同を見まわした。
「あのう……坂部先生の死んだ時、みんなお葬式に行くといいと思います」
いつもおとなしい飯田が、おずおずと言った。
「バーカ、先生が死ぬかい」
浅田が叫んだ。みんなも、
「死ぬわけないよ」
「そうだよ、死ぬわけないよ」
「あほいうな」
と怒った声になった。
「いやー、待ってくれよ」
と、坂部先生は坐ったまま、みんなを制するように両手で静めながら、
「飯田はいいこと言ってくれた。飯田のいうとおりだ。先生だって死ぬことあるさ。世界にどれほど多くの人が生まれてきたかわからんが、みんな死んでいった。今生きている人間だって、一人残らず死ぬんだ。百パーセント死ぬんだ。いい人だろうと悪い人だろうと、金持だろうと貧乏な人だろうと、人間はみんな死ぬんだ」
「そう言えば、ぼくたち三年生の時、天皇陛下さんも死んだもな」
誰かが感じ入ったように言った。みんなはちょっと、しゅんとした。
「飯田はぼくの死んだ時のことまで心配してくれた。ありがとう」
坂部先生はうれしそうに、にこにことして言った。飯田は安心したように頭を掻《か》いた。竜太は、
(そうか、坂部先生も死んでしまうことがあるんだ)
と思って、不意に淋しくなった。坂部先生はいつまでもいつまでも生きていてくれるような気がしていたのだ。
プログラムは、忘れられない思い出話に入った。誰も手を上げる者がなかった。みんなお互いにお互いの顔を見ていた。楠夫の指名で芳子が立った。
「わたしは四年生の時転校してきたけど、お父さんが病気で大変でした。納豆売りして、みんなにも買ってもらったけど、坂部先生が、朝早く何度もお父さんの様子を見に来てくれたり、『今日は全部売れたか、頑張れな』と、毎日のように励ましてくれたこと、一生忘れません。絶対忘れません」
一同は大きくうなずいた。みんなも坂部先生の言葉で、芳子から納豆を買ってやった思い出がある。それはクラスの者が心を一つにするきっかけにもなったのだった。
次に米屋の青木咲子が指名された。誰かが言った。
「楠夫の奴、女子にばっかり……」
みんなが笑った。楠夫は赤くなって、
「この次はお前だ」
と、今声を上げた生徒を睨《にら》んだ。再びみんなが笑った。
「わたしは、去年の十二月の、確か十日頃……河地先生に怒鳴られたことが、忘れられません」
咲子の言葉に、
「おれも……」
「わたしも……」
「全くおどろいたよなあ」
次々に声が上がった。竜太も、
(あの声のことは誰だって忘れられないよなあ)
と、心の中で呟《つぶや》いた。
三
去年の十月頃から、中等学校に行く生徒たちに補習が始まった。それは、六年生のどのクラスも同じだった。男子も女子も、真剣に勉強した。放課後の二時間程の時間だった。坂部先生はその補習授業を始める時、クラスの一同にこう言った。
「中等学校に行く友だちのために、明日から補習授業を始めるが、もし高等科に進む者たちや、六年生で学校を卒《お》える者たちの中に、補習授業を受けたい者がいたら、残って勉強してもいいぞ。先生はこのクラス全員の者に力をつけてやりたいと思っている。だから遠慮せずに残ってもいいぞ」
高等科へ進む五、六人が残ることになった。しかし他の者は、
「勉強しても、上の学校に行けないしなあ」
と言ったり、受験志望者への気兼ねから、仲間に入らない者がたくさんいた。
旭川の冬の日は短い。あの日は確か十二月の十日前後だった。太陽は四時前に沈んでしまうので、三時を少し過ぎると教室はもう薄暗く、みんなは家から持ってきたロウソクを銘々の机の上に点《とも》す。ロウソクを点すと、みんなの影が天井や壁に映って、何か無気味だった。だがそんな不自由な中で共に勉強すると、昼とちがった親しみが湧《わ》いた。一つの連帯感が生まれるからだ。
竜太の前は芳子の席だった。芳子は時にうしろをふり向いて、竜太に笑いかけた。その度に竜太も笑おうと思うのだが、なぜかちょっと怒った顔になる。昼とちがって、補習の時はみんなが机に一人ずつ並ぶ。楠夫は竜太の右手の列の一番うしろに坐っていた。竜太はうしろから二番目で、芳子はその前だから、楠夫からはまる見えだ。竜太は絶えずそのことを気にしていた。だから芳子が話しかけてきたり、笑いかけてくると、無視する態度に出てしまうのだ。が、何となく心の中では、芳子と自分の間に、目に見えない太い絆《きずな》があるようで、竜太は満足だった。
補習授業が終ると、もう日はとっぷり暮れている。教室にも廊下にも電灯がない。みんなは教室の中で長靴を履く。外は雪の道だから靴は汚れていない。上靴を靴袋に入れ、鞄《かばん》を肩にかけ、一団となってどたどたと暗い廊下に出る。先ず、みんなは便所に寄って帰る。
用心深く階段を下りると、雪明りでほのかに窓が明るい。職員室にはまだ電灯が点《つ》いていて、女教師の笑い声が聞えた。竜太たちは二十メートル程の渡り廊下を歩いて、広い屋内運動場に出た。屋内運動場にも電灯はなく、巨大な洞《どう》窟《くつ》のような無気味さだった。この運動場を斜めに横切ると便所がある。みんな肩を寄せ合うようにして便所に行った。何しろ四十学級を超す学校だから便所も広い。妙にしんと静まっている。一人置き去りにされては恐ろしいので、「待っててよ」とか、「先に行くなよ」とか、女子は女子同士、男子は男子同士、声をかけながら用を足す。
みんな揃って再び運動場を横切る時に、誰かが言った。
「暗いなあ、あやめもわかぬ闇《やみ》路《じ》ゆくって、こんなのかなあ」
その声に、誰うたうとなくうたい出した。
地にひれ伏して 天地《あめつち》に
祈りしまこと いれられず
日出《い》づる国の 国《くに》民《たみ》は
あやめもわかぬ 闇路ゆく
三年前にうたった歌だが、猛練習をして覚えた歌だ。みんな一字一句間違わずに覚えている。竜太は、足《た》袋《び》が雪に濡《ぬ》れて冷たかったあの大葬の日を思い浮かべた。みんなは声を合わせてうたいながら、廊下にさしかかった。突如行く手の右手宿直室の戸ががらりと開いた。光がさっと廊下に流れた。黒い人影が廊下の真ん中にあった。人影は仁王立ちになったかと思うと、
「何年何組か!」
と怒鳴った。一同は首をすくめた。一、二、三年と担任だった河地先生だった。
「六年二組です」
竜太がよく透《とお》る声で答えた。
「六年二組? 坂部先生のクラスだな!」
「はい、坂部先生のクラスです」
どんな悪いことをしたのかと思いながら、竜太たちは声をかけられた場所に突っ立ったまま、足が前に出ない。
「全員ここまで来い!」
みんなは恐る恐る河地先生の傍まで来た。河地先生の目がぎょろりと光っている。
「お前たち、今、歌をうたっていたな」
「はい。うたっていました」
なんだ歌のことかと思いながら、竜太ははきはきと答えた。
「お前たち、何の歌をうたっていた?」
「大正天皇陛下のご大葬の歌です」
「なにいっ! そうと知ってうたっていたのだな」
みんなは口をつぐんだ。
「わしはあの歌を教えた時、言った筈だ。厳重に注意した筈だ。この歌は一度っきりの歌だ。二度とうたってはいけないと言った筈だ。この歌はおもしろ半分にうたえる歌か。鼻歌まじりにうたえる歌か。畏《おそ》れ多くも、今上天皇陛下は御健やかにあらせられる。然《しか》るにだ、今、その歌をうたうとは何事だ」
「…………」
「六年生にもなりながら、尊い皇室のことを何と心得ている。全員ここに、これから一時間立っていろ。そして先生のいうことが間違っているか、それともお前たちが悪いか、よっく胸に手を当てて考えてみろ」
竜太は、なるほど河地先生の言った言葉に一理あると思った。しかし、うたった自分たちの気持の中には、何の悪意もないのだ。確かに言われてみれば、不謹慎なことではあった。なるほど日本人たる者、河地先生のように、皇室を尊ぶ忠義の民でなければならないのだ。竜太は素直にそう思った。が、河地先生の憎々しげな語調が腹立たしかった。しかも、坂部先生の名を言う時の河地先生の語調には、仇《かたき》の名でも口に出すような底意地の悪さが感じられた。それがいやだった。
と、そこに、二階から坂部先生が下りて来た。竜太たちははっとした。おそらく、河地先生のびんびんとひびく大声は、二階の教室まで聞えたにちがいない。
「河地先生、生徒たちが悪いのではありません。わたしの指導が悪いのです。明日、よく言って聞かせますので、今日は帰して上げて下さい。ここでは寒いですし、それでなくても今日は、帰宅時間が遅れています。河地先生、父兄も心配すると思います」
河地先生は答えない。と、坂部先生はいきなり河地先生の前に土下座して、
「おねがいします」
と言った。思わず竜太も床に両手をついた。みんなもあわてて両手をついた。坂部先生だけに土下座させるわけにはいかなかった。
「わかった。今日のことはみんな絶対忘れるな。坂部先生、あんたのクラスは成績がいいかも知れないが、日本精神がなっとらん。わしにはそれが残念だ」
そう言ったかと思うと、河地先生はさっと宿直室に戻って行った。
あの日のことと咲子が言ったのは、このことだった。あの翌日、なぜか坂部先生は、このことについて触れなかった。いや、あの翌日ばかりではない。あれからずっと今日まで、何も言わない。だから本当のところ、坂部先生がどう考えているのか、竜太にはわからなかった。生徒たちのために、下げたくない頭を先生は下げたのではないか。そう思うと竜太は辛《つら》くなる。竜太たちは知らなかったのだ。坂部先生はあのあと、当直室に改めて河地先生に詫《わ》びに行った時、河地先生に、
「君、キリスト教会に行ってるそうじゃないか。日本精神とキリスト教とは、相容《い》れないのじゃないのかね」
と言われたのだ。坂部先生は答えた。
「日本精神とは何を指すのかわかりませんが、明治天皇の御《*ぎよ》製《せい》に、
四方の海皆同胞《はらから》と思ふ世に
など波風の立ち騒ぐらん
とあります。聖書には『汝《なんじ》の敵を愛せよ』とあります。どこの国の人をも愛するキリスト教の精神と、明治天皇の御製の精神とは、同じではないでしょうか」
河地先生は腕を組んで坂部先生を見据えていたが、
「なるほど、人に聞かれたら、そう答えよと教会では言っているわけだ」
と、皮肉を浴びせたのだった。このことを知っているのは、冴子先生だけだから、竜太たちが知るわけはない。
思い出が三つ四つ語られてから、余興になった。剣道を習っている医者の子が、稽古着をつけ、剣道の型を見せた。三年も習っているだけあって、形がきれいだった。竜太は自分も習っておけばよかったと目を瞠《みは》った。女子組が全員で「美しき天然」の歌をうたいながら、踊り始めた。
空に囀《さえず》る 鳥の声
峯《みね》より落つる 滝の音
大波小波 ……
声は揃っていて美しかったが、踊りのふりつけは一人一人全くちがう。小鳥が飛ぶ仕《し》種《ぐさ》、滝の水が落下する仕種、みんなのびのびと踊っているのが、うまいというよりおもしろかった。その中でも芳子の取るポーズが大胆で、動きが大きかった。竜太はほかの子を見るような顔をしながら、絶えず芳子の姿を追っていた。途中で楠夫のほうを見ると、楠夫は口を半分あけたまま芳子に見ほれている。
調べ自在に 弾き給う
神の御手の 尊しや
そこで初めて一同は上を仰ぎ、手を合わせて祈る仕種となった。それがよかった。
「うまい! 女子もなかなかやるじゃないか」
坂部先生が言い、手を叩いた。みんなも手を叩いた。「美しき天然」が終ると、浅田が手品をした。トランプの手品だ。いつもこっけいなことを言って人を笑わせる浅田だが、意外に器用だった。トランプを切る手つきも鮮やかだった。その浅田を見ながら、竜太は次第に淋しくなった。浅田は商業学校に行く。二度と同じ教室で学ぶことがないのだ。芳子たちにしても同じことだ。芳子は女学校に行く。もう快活な芳子の笑い声を聞くこともできない。きらりと輝くつぶらな瞳《ひとみ》を見ることも滅多にないだろう。楠夫とは同じ中学だが、一緒のクラスになるかどうかわからない。坂部先生との別れは尚更のこと淋しい。
「いい返事は幸せを呼ぶ」
という懐かしい言葉も聞けなくなる。失敗をしても、
「この世に失敗をしない人間があるものか」
と、肩に手を置いて励ましてくれた先生なのだ。
男子、女子、男子、女子と、替わる替わるにうたったり寸劇をしたりして、プログラムが進めば進むほど、竜太は淋しかった。
やがて竜太が指名された。竜太が立ち上がるとみんなが拍手した。みんなが竜太の歌が好きなのだ。
「『桜井の別れ』をうたいます」
竜太がいうと、
「待ってましたあーっ!」
と、幾人かが声を上げた。この歌は、戦いに赴く楠木《*くすのき》正《まさ》成《しげ》が、まだ少年のわが子正《まさ》行《つら》を桜井の駅に呼び寄せて、別れを告げる歌だ。親子の最後の別れの歌だ。
青葉茂れる 桜井の
里のわたりの 夕まぐれ
木《こ》の下《した》蔭《かげ》に 駒《こま》とめて
世の行く末を つくづくと
…………
そこまでうたっただけで、不意に竜太の声が詰まりそうになった。今日の別れと、正成親子の別れが重なって、竜太は深く感動したのだ。竜太の目にきらりと涙が光った。竜太は声を励ましてうたいつづけた。
忍ぶ鎧《よろい》の 袖《そで》の上《え》に
散るは涙か はた露か
子供ながら哀切を極めるうたい方だった。みんなしんとした。竜太は二番をうたい始めた。
正成涙を 打ち払い
…………
二番をうたい終って腰をおろした時、鼻をすすり上げる者が幾人かいた。
余興は竜太で終り、坂部先生の話になった。生徒たちの姿を、坂部先生は心の底におさめるように順々に見つめてから言った。
「いよいよ明後日は卒業だなあ。お目《め》出《で》とう。この三年間、先生は君たちのお陰で幸せだった。会うは別れの始めといってね。我々人間は、生きている間に、どれほど多くの人と会い、どれほど多くの人と別れるかわからない。その一つ一つに、心をこめて別れていく。それができたら幸せだよ。今日のお別れの会ありがとう。
いつもいろんなことを君たちにいってきたから、今、改めていうことはないが、でも一《ひと》言《こと》だけ言わせてもらう。人間はね、みんな人間だ。上も下もない。人間は平等なのだ。慶応大学を創立した福沢諭吉も、『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と言った。君たちは中等学校に行く者、高等科に残る者、六年生限りでやめる者、道はちがうが、みんな友だちだ。将来金持になろうと大将になろうと、貧乏になろうと病人になろうと、偉い偉くないの差別はない。みんな友だちだ。そのことを忘れないでほしい」
みんなは大きくうなずいた。みんなの心が一つになったようだった。
御製 天皇の作った和歌や詩文のこと。
楠木正成 一二九四〜一三三六(永仁二〜建武三)年。南北朝時代の武将。一三三一年、鎌倉幕府に抗した後醍醐天皇に応じて挙兵、畿内を中心に活躍し、鎌倉幕府打倒、建武中興の最大の功労者となる。後醍醐天皇に最後まで忠実で、天皇を守るために戦死したため、第二次大戦前までは忠君愛国の象徴的存在であった。現在も皇居前広場にその銅像がある。
縁《えにし》 (一)
一
九月の末の土曜日の午後――。
開け放った窓際の机に向かって、竜太は英語の教科書を読んでいた。出窓の敷居にトンボが三つ四つ、秋日に翅《はね》を光らせたまま、じっと動かない。
「下《げ》駄《た》の歯入れ―― 下駄の歯入れ――」
流す声が近くでとまった。竜太は何となく微笑した。この声の主は、欠けた下駄の歯を入れ替えたり、切れた鼻緒をすげ替えたりする仕事をしていて、竜太が小学校に入る前から、もう十年以上もつづけている。
竜太は、下駄の歯を入れ替えたり、鼻緒をすげ替えたりするのを見るのが好きで、小学校三、四年頃までは、必ずといってもよい程、弟の保志と一緒に駆けて行って見たものだった。ごま塩頭の、肩幅の広い男の様子は、以前と少しも変ってはいない。車をとめる場所も同じなら、幾人かの子供たちが珍しそうにその大きな屋台を取り囲む様子も変らない。男がその屋台をとめるのは、二、三軒向こうのちょっとした空き地であった。月に一度はまわって来ると知っているから、どこの家でも、歯の折れた足《あし》駄《だ》や、緒の切れた下駄などを一からげにしておく。下駄をきれいに洗って持って行く家もあれば、泥だらけのまま持って行く者もある。
大八車は屋台が動かぬように、梶《かじ》棒《ぼう》を鉄棒で固定する。そして男は、その屋台に上がりこみ、真ん中に敷かれた薄い座布団にどっかとあぐらをかく。元の地色もわからないような帆前掛をきりっと締め直し、男は並べた下駄を手に取って順に直していく。男の傍《そば》にはペンチや鉋《かんな》、小ぶりの金《かな》槌《づち》、そして中小様々の釘《くぎ》の入った缶などが、整然と並べられてある。男は太い指で、器用にペンチや鉋を使いながら、一心に下駄の歯を入れたり、爪《つま》皮《かわ》をかけたり、鼻緒をすげたりする。屋台の内側には、赤、青、紫、黒等々の色様々な爪皮が、吊《つ》り下げられている。そんな中に、新品の下駄も何足か下げられてある。
「下駄の歯入れ屋」と呼ばれるその男は、太い眉《まゆ》根《ね》を寄せながら仕事をするので、あまり愛想よくは見えないが、まなざしが不思議にあたたかかった。下駄の歯を水にしめして、しっかと台に入れる時の男の顔が、竜太には立派に見えた。
その顔を思い出して、竜太は何か会いたい気がした。と、誰かが階段を上がってくる足音がした。足に力の入った音だ。
「いるかい竜ちゃん」
声がして、襖《ふすま》がさらりとあいた。楠夫だった。同じ中学三年とは思えないほどに、楠夫の体は大きかった。
「ああ、楠夫ちゃんか」
竜太は机を背にして、楠夫を見た。
「下駄直しが来たからさ。おふくろに頼まれて、鼻緒の切れたのを二、三足持ってきたんだ」
言いながら机の上を見て、
「なんだ、こんないい天気の日に、英語の勉強か」
感心したような、揶《や》揄《ゆ》しているような楠夫の語調だった。
「ぼくにとっては、勉強も趣味のうちなのかなあ」
「勉強も趣味のうち? ちょっと気《き》障《ざ》だなあ」
「そうかなあ。きざかなあ」
竜太は首をひねった。竜太は勉強を辛《つら》いと思ったことはない。数学でも国語でも、歴史でも地理でも、物理でも化学でも、それぞれの楽しさがある。昨日まで知らなかった世界が、今日は目の前に広がっていく。それはあたかも小説を読むような楽しさに似ていた。が、いわれてみれば確かに、勉強も趣味だなどと言ってはならないのかも知れない。勉強の嫌いな者にとっては、それはいや味にしか響かないにちがいないのだ。
楠夫は盛り上がるような太い脚《あし》をあぐらにしながら、
「そういえば竜ちゃんには、のめりこむような趣味はないようだな。魚釣りに誘っても、あまり感激したような顔はしないし、将棋を指しても、負けて口《く》惜《や》しがるわけでもないし、まあせいぜい読書くらいが趣味といえば趣味のようなもんで……こりゃあ余りいい傾向じゃないぞ、竜ちゃん」
楠夫は血色のいい唇をちょっと尖《とが》らして舌をなめた。
「そういわれれば、あんまりいい傾向じゃないのかなあ」
「あんまりよくないよ、当り前じゃないか。ぼくなんぞ、野球を見に常磐《ときわ》公園まで出かけたり、釣りをしに朝早くおやじさんと竿《さお》をかついで行ったり……けっこう活動写真も見に行くしさ」
「えっ? 活動写真も見に行くの?」
映画館に入るのは、たとえ父兄同伴でも厳しく禁止されているのだ。時に楠夫から誘われたことはあったが、竜太がにべもなく断ったので、楠夫も誘ってこなくなった。が、楠夫は楠夫なりに、父親のオーバーなどを着、社会人に見せかけて映画館に出入りしていたのだ。
「何も驚くことはないさ、竜ちゃん」
「だって、停学処分受けたらどうするの」
「その時はその時さ。中学生がチャンバラ映画を見に行ったくらいで停学になるんなら、なったっていいよ。大笑いだよ」
楠夫は本当に声を立てて笑った。竜太は自分がひどく幼稚に思われて、恥ずかしかった。なるほど中学三年といえば、小学校の高等科二年を出て働いている級友もいる年齢なのだ。社会人として、一応の分別がつく年なのだと、今更のように思った。竜太がそういうと、楠夫はまたもや声を上げて笑った。
「竜ちゃんは純でいいよ」
「純?」
「そうさ、学校の先生たちが映画館への出入りを心配するのは、映画の内容なんかじゃないとぼくは思うよ。映画館に入って女の子の手を握ったり、体にさわったりしやしないかと、そっちのほうが心配なのさ」
「へえー、ほんとかい」
「ほんとも何も、映画館に入ってうしろのほうに立っていてみな。大のおとなが、女の帯のあたりに手をやったり、着物の腋《わき》の下から胸のほうに手をすべらせたり、こりゃあ映画を見るより興奮するんだぜ」
竜太は何と答えてよいかわからなかった。それを聞いただけで、頭がくらくらするようだった。
上気したような竜太の顔を見て、楠夫は言った。
「学校の先生たちだって、映画館の暗《くら》闇《やみ》の中で、何をしてるかわかったもんじゃないよ。だから、父兄同伴でも映画館に入っちゃならんなどと、くだらん規則を作ったんじゃないかな。そんなことを勘ぐりたくなるくらいだよ」
「まさか……」
またしても楠夫にからかわれているような気がした。
「それはそうと、竜ちゃん、お前、青春の悩みというやつが、何もないわけじゃあるまいね」
楠夫がまじめな顔をした。楠夫の額に大きなニキビが二つ三つ吹き出ている。
「青春の悩み? 人間如何に生きるべきかとかいう悩みかい?」
「馬鹿かよ、竜ちゃん、お前布団の中に入って、すぐすやすやと眠ってしまうのかよ。女のことなど、何ひとつ胸に浮かばないのかよ」
「それは……」
「浮かぶだろうが。おれはな竜ちゃん、この青春時代を、何ひとつまちがいなく生きていくというのは、大変な難儀なことだと、毎日それが悩みでよ、涼しい顔して生きている竜ちゃんを見ると、時々この野郎! この偽善者奴《め》! と怒鳴りたくなるんだ」
竜太はうなずいた。言葉は乱暴だが、楠夫は意外とまじめな気持で、自分に話しているのではないかと思った。
「ぼく、偽善者かも知れないね。あんまり自分のこと、楠夫ちゃんのような気持で、眺めたことないんだ。勇気がないというのかな。自己凝視が恐ろしいんだ。藤村操は十七歳で、あの『巌頭の感』を書き、『人生不可解』の言葉を残して自殺したよね」
「うん、国語の先生は哲学的な自殺だと言ったけど、おれは失恋じゃないかと思ってんだ」
「へえーっ? 哲学的な死じゃないのか、あれは」
「十六や十七で、哲学の死もくそもあるもんか。ふられたんだよ、ふられたんだ」
言ってから楠夫は、両腕を組んで竜太の顔をじっと見つめた。竜太は机の上の塩煎《せん》餅《べい》の缶を取り、
「食べるかい」
と、楠夫の前に差し出した。
「三時のおやつか」
と、楠夫は缶に手を突っこんだ。そして言った。
「竜ちゃん、お前、女に惚《ほ》れたことあるか」
「惚れる?」
芳子の顔がすぐに浮かんだ。
「そう。惚れたことがあるか」
問い詰める語調だった。
「好きなのと、惚れることはおんなじかい、楠夫ちゃん」
「好きと惚れるは大ちがいさ。惚れるというのは、ぼおっとなっている状態さ。その女以外何も見えない状態さ。呆《ほ》ける、見惚れる、どっちもほれるということだ」
「おとなだなあ、楠夫ちゃんは」
「なあに、講談本の受売りさ。根がちゃらんぽらんだから、おれのいうことなど、まちがいだらけかもしれないよ」
そんなことをいう楠夫に、竜太は自分にはない一種の知恵を感じた。学校の成績は自分のほうがいい。小説だって自分のほうが読んでいる筈《はず》だと竜太は思う。だがそれだけなのだ。実生活では楠夫のほうが、万事何歩も先を行っている感じなのだ。この差は一体何によるのだろう。
ちょっと黙りこんだ竜太に楠夫が言った。
「あんな竜ちゃん、おれ、今度、教会に行ってみようと思ってさ」
「教会?」
驚く竜太に、楠夫はすまして言った。
「芳子がこの頃、坂部先生の行っている教会に、通ってるって聞いたんだ」
にやっと笑って、楠夫は立ち上がった。
「下駄の歯も入った頃だ。また来るわ」
片手を上げて楠夫は出て行った。
二
楠夫が出て行くと、竜太は畳の上にごろりと仰《あお》向《む》けに寝た。杉板の天井が今日は高く見えた。
(まさか、楠夫の奴《やつ》、本気で教会に行くつもりじゃないだろうな)
竜太は冗談だと思いたかった。が一方、楠夫のことだから、教会に行くことなど大した決意もなく、やすやすとやってのけそうにも思われた。
竜太はふっと、今年の春のことを思い出した。ある日曜日、今日のように下駄直し屋が、雪の消えた空き地に屋台を据えた。萌《も》え出た緑が目に沁《し》みるような午後だった。母に言われて雪下駄や日和《ひより》下駄をぶら下げ、竜太は直しを頼みに持って行った。近所の子供たちが四、五人、鼻緒をすげる男の手もとに見とれていた。竜太も子供たちのうしろに立って見入っていた。と、誰かに背中に突つかれた。ふり返るとお下げ髪の芳子が、にこっと笑っていた。その途端、竜太の全身はこわばった。故知らぬ快感が背筋を走った。竜太は、なぜか怒った顔になって、その場を離れた。
あの時のセーラー服姿の芳子を、竜太は幾度も思い出す。なぜあの時、ぷいとあの場を離れたのか。楠夫なら自分も笑顔を見せて、挨《あい》拶《さつ》ぐらいは交わしたにちがいない。が竜太は、たとえ路上でも異性と言葉を交わしてはならぬという校則に怯《おび》えてもいたのだ。
(いや、それだけではない)
自分は心の底から芳子が好きなのだと思う。芳子の前では、何となく身も心もぎくしゃくとなるのだ。自然にふるまえないのだ。
姉の美千代が芳子を可愛がっていて、時折家に呼ぶことがある。食事を一緒にすることもある。そんな時でも、竜太は気軽に口を利《き》けないのだ。伏し目になって食事をしたり、弟の保志とばかり話をしたりする。しかし楠夫はちがう。時折芳子の来ている所へ楠夫も来合わせることがある。そんな時、楠夫は正直に喜んで、
「やあ、芳子ちゃん、来てたのか。道理で今朝の夢見がよかったわけだ」
などとうれしそうにいう。芳子も快活に、
「道理で、わたしの夢見は悪かったわ」
などと冗談をいう。また楠夫は、
「芳子ちゃん、おれな、女学生の教科書って見てみたいな。今度見せてくれんか」
と気軽に言ったりする。そんな二人を見ると、いかにも親しげで、竜太は取り残されたような思いにもなるのだが、芳子の前ではどうしても口が重くなるのだ。
(あいつ、本当に教会にいくつもりだな)
一週間に一度日曜日がやってくる。教会の席は男女別になっていないというから、楠夫と芳子が並んで席を取ることがあるかも知れない。
寝ころんでいた竜太は、むっくりと起き上がった。何か気分が冴《さ》えないので、勉強をつづける気にもなれない。錦座通りでもぶらついてこようかと思った。
制服のボタンをはめながら階下に降りてゆくと、母のキクエと美千代が茶を飲んでいた。今日は店が休みで、番頭の姿はなく、父の政太郎も業者の寄合いで、午後から出たままだ。降りて来た竜太に美千代が言った。
「あら、どこかへ行くの? ちょっと付《つけ》札《ふだ》を染めたいと思うんだけど、竜太手伝ってくれない?」
「付札?」
竜太は浮かない顔をした。付札というのは、言ってみれば質物につける荷札のようなものである。但《ただ》し荷札のような厚い紙や針金などは使わない。仙《せん》花《か》紙《し》を縦二十センチ、横三センチ程に切り、そこに客の名、入質月日、貸した金高、入質番号などを筆で二行に書いておく。この付札を、出し入れに便利なように、十二カ月別に色分けしておく。つまり、一月は黄色、二月は紫、三月は緑、四月は赤というように、十二色に染め分けるのだ。みやこ染めの色粉を皿に溶かし、水でしめした札先を色につけると、まことにたやすく染め上げることができた。といっても、何しろ北森質店は客が多い。一日に三十人来るとして、一カ月で九百枚、一年ではぼう大な数になる。一年分を一度に染めたり乾かしたりはできないから、暇を見ては二カ月分位宛《ずつ》染めておく。
去年美千代が女学校を卒業してから、この色染めは美千代の仕事になっていた。竜太はその単純な仕事をあまり好まなかったが、言われれば三度に二度は手伝っている。だが、今日は何をする気にもなれないのだ。
浮かぬ返事に、美千代は意味ありげに笑って言った。
「いいわよ、勉強が忙しければ。芳子ちゃんも手伝ってくれるっていってたから」
竜太はしまったと思った。
(そうか、芳子が来るのか)
「いいよ、ぼくも手伝うよ」
少し赤くなっている竜太に、キクエと美千代が顔を見合わせてかすかに笑った。
四時までには帰るといった政太郎が帰って来たのは五時を過ぎていた。竜太は、美千代と芳子の三人で、付札の色染めをしていた。保志は友だちの家に遊びに行って、まだ帰らない。台所からカレーを作る匂いが漂ってくる。
「お帰んなさい」
と、台所から顔を出したキクエに、政太郎が言った。
「キクエ、おれ、ちょっと良吉のおやじさんを見舞いに行ってくるよ、やっぱり。今日の寄合いでな、思いがけない人がばたばたと死んだ話を聞いた。年寄は秋口を気いつけなきゃならんそうだ」
「あら、今からですか。帰りが暗くなりますよ」
「なあに、自転車でひとっ走りだ。竜太をつれて行くから、大丈夫だ。なあ竜太、番頭の家に一緒に行くべ」
竜太は驚いた。今日は何となく、芳子ともっと親しくなれそうな予感がしていたのだ。芳子の顔を見るのは眩《まぶ》しくはあっても、楽しかった。向かいあって仕事をしているだけで、充分に満ち足りた思いがあった。それが何を思ってか、竜太をつれて、番頭の父親石田兵吉を見舞いに行くという。兵吉は寝たきりになって一カ月程になる。もともと政太郎の父の代から親しかったこともあって、政太郎は兵吉が倒れたと聞いた時、すぐに駆けつけたが、その後見舞わぬままに一カ月が過ぎた。それが今日、質屋の寄合いで、人の世の儚《はかな》さを語る人に出会った。それで急に心配になったというわけだ。根が親切な政太郎である。思い立ってすぐに人を見舞うなどということは、そう珍しくはなかったから、キクエも気軽に送り出した。
竜太はむっつりと、父のあとについてペダルを踏んだ。何としても自分と芳子は、縁がうすいのではないかと思う。もしかして、自分が出かけたあと、また楠夫が遊びに来るのではないかと思いもした。
番頭の家は上川神社のある神楽岡の丘つづきにあった。もともと神楽岡は天皇離宮の予定地であった。それにつづく約八粁《キロメートル》におよぶ丘陵地帯は、元帝室御料地で一般に聖台と呼ばれていた。この聖台では大正十一年(一九二二)から大正十三年(一九二四)にわたって激しい小作争議が起き、宮内省にこの土地の開放を迫って、未《いま》だかつてない紛争を惹《ひ》き起こすに至った。その結果、御料地は神楽村に払い下げられ、その後転借人七百三名に、一戸当り五町歩内外を神楽村は分譲したのである。
が、何しろ台地のこととて水利の便が悪く、この台地に水を引く土功組合が設立され、昭和七年(一九三二)のこの年四月に、土木工事が起工されたのである。政太郎の番頭の家は、この台地の外れの神楽岡公園に近い一角にあった。
忠別川にかかった木の橋は、二人共自転車を押して渡った。薄雲のかかった夕映えの空を、西の森に帰るカラスが、五つ、七つ、八つと群れをなして飛んでいく。中に、ぽつんと一羽離れて懸命に翔《か》けていくカラスもいる。竜太は、なぜあのカラスは一羽はぐれて行くのだろうと、妙に淋しい気持になった。
橋を渡ると坂道にかかった。ここも自転車は押して上らねばならない。ようやく上りつめた左手に、神社の鳥居があった。六年生の時、炊事遠足のあと、坂部先生たちと通った所だ。政太郎が鳥居の前で自転車を立てて、ていねいに一礼した。竜太もそれを真《ま》似《ね》たが、自転車のハンドルから手を放さなかった。
その先の森の間に馬車道がつづいていた。再びペダルを踏みながら、うしろをついて行く竜太に、政太郎が言った。
「楠夫がキリスト教の教会に行くって話だが、お前も誘われたか」
竜太は驚いた。竜太は楠夫から今日聞いたばかりなのだ。それを一体、父はどこから聞いて来たのだろう。
「誘われてなんかいないよ」
「そうか」
そのまま黙って政太郎は自転車を速めた。道の両側は原生林で、昼なお暗いという形容のとおりだった。竜太は、この森のどこかに人が死んでいても、誰も気づかずに終るのではないかと、ふとそんなことを思った。そう思っただけで、その辺の笹《ささ》むらの中に、男か女の死体が横たわっているようで、鳥肌が立った。
しばらく自転車を走らせると森を出た。広い畠《はた》作《さく》地帯が目の前に広がる。その道を左に折れ二百メートル程行った所に、番頭の家はあった。トドマツの針葉樹や、こぶし、桜など太い雑木に囲まれた農家だった。家の向かいに納屋があり、その隣に厩《うまや》があった。馬が厩の窓から顔を出して、静かに頭を上げ下げした。二人に気づいて、良吉が飛び出して来た。
竜太は自転車を納屋の前に置いた。納屋の戸はあいていて、薄暗い中にスコップや鍬《くわ》などが壁にかけてあり、馬《ば》鈴《れい》薯《しよ》でも入っているのか、叺《かます》が幾つか積んであるのが見えた。そしてその時、竜太は納屋の中で、何か音がしたように思った。が、鼠《ねずみ》でも走ったのだろうと、それほど気にもとめずに、父のあとについて良吉の家に入った。今しがた野良から上がって来たらしい良吉の妻の花代が、野良着のままでストーブに薪《まき》を入れているところだった。
父親の兵吉は、奥の間に、妻のミサに看取られて寝ていたが、政太郎を見ると、顔をくしゃくしゃにさせて泣いた。竜太は目を逸《そ》らせて、吊り下げられている石油ランプの灯に目をやった。
兵吉は平生声が大きく、絶えずのどの奥まで見せて笑う元気な男だったから、顔をくしゃくしゃにして泣く姿を見ると、竜太はひどく辛い思いがした。人間がこんなふうになることに、納得のいかない気がした。
「やあ、思ったより元気だ元気だ。ちょっと顔を見たくて来たんだが、よかった、よかった」
そう言って、政太郎はパイナップルの缶詰を幾つか、その枕もとに置いた。良吉から聞いていた話では、兵吉の脳《のう》溢《いつ》血《けつ》はそう簡単に治るものではないと医者が言ったということだった。が、竜太の目には顔の色《いろ》艶《つや》もよく、その気になれば幾日も経ずに元気になれる感じでもあった。
良吉が、折角来たのだから、うどんでも食べて行かぬかと勧めたが、竜太は気が気ではなかった。家に帰れば竜太の好きなカレーライスがある。いやそれどころか、芳子と一緒に食事が出来るのだ。ひと月に一度とない折角の機会を失ってはたまらないと、竜太は腰が落ちつかなかった。が、政太郎は、
「いやいや、うちでも飯の用意をして待っているから」
と言いながら、今年の農作物がどうの、不景気はいつまでつづくの、満州事変はどうなるのと、良吉の末の子春江を膝《ひざ》に乗せながら、病人には向かぬ話を次々と語っていく。土産《みやげ》にキャラメルをもらった二人の男の子が、滅多に来ない客を喜んで、茶の間と奥の間を行ったり来たり駆けまわる。たまりかねて竜太が政太郎の背広の裾《すそ》を引っ張り、
「父さん、すっかり暗くなったよ。家でもみんな待ってるから……」
と小声で言うと、やっと兵吉の自由なほうの左手を握って、
「おやじさん、また来るよ。まだ六十だ。若いんだからね。すぐにその辺を歩けるようになるよ。うちの近所でも、この病気でけっこう元気になった人たちがいる」
と、ようやく立ち上がった。竜太は飛び上がる思いで、挨拶もそこそこに立ち上がった。
「もう帰るの?」
と、子供たちが、その竜太を追いかけようとして、祖母にとめられた。
「おっかない者が来るぞ。暗くなって子供が外に出るもんじゃねえよ」
竜太は何となく、この子たちをまた訪ねて来たいような気がした。政太郎と話しながら良吉は玄関の戸をうしろ手に閉めて外に出た。納屋の前にあった自転車につけてある懐中電灯に、竜太はスイッチを入れた。と、明るい光が納屋の奥深くまで照らした。途端に竜太はぞっとした。一瞬だが、確かにそこに人影を見たような気がしたのだ。良吉の家は、良吉夫婦とその子が三人、そして兵吉夫婦の七人家族である。ちょっど傍に来た政太郎と良吉に、竜太は小声で言った。
「納屋ん中に、誰かいるよ」
「誰かいる? まさか。また竜ちゃんの臆《おく》病《びよう》風《かぜ》が始まった」
良吉は笑った。が、
「待てよ。そう言えば今朝方、聖台土功の工事現場から、朝鮮人のタコが逃げたと捜しに来ていましたな」
良吉は不意に緊張した顔になった。竜太はぎくりとした。タコの話は小学生の頃から、学校でも、大人たちの話ででも、幾度も聞いてきた。タコとは、前借して土木工事に従事する労働者のことだ。が、タコ部屋は監獄部屋ともいわれる恐ろしい所で、いつも鞭《むち》や棒がうなり、時には水責め、生き埋めにまでされると聞いている。北海道の道路や鉄道線路の下には、多くの労働者の白骨が横たわっているという。橋《はし》桁《げた》に人柱として生きているまま埋められたという話も聞いた。
聖台土功の工事は、タコや囚人が大勢入りこんでの大工事と聞いた。今年の春以来の工事だが、これまでにもタコが逃げた話を、良吉から二、三度聞いている。見つかったら最後、命の保障はないらしい。
竜太の足が震えた。もしかして、この納屋の中に、そのタコが逃げこんでいるかも知れないのだ。と、政太郎が納屋の戸口に立って、落ちついた声で呼びかけた。
「誰かいるのか。いるのなら出て来なさい」
中はひっそりとして何の音もしない。三人はしばし耳を傾けた。
「出て来なさい。心配せずに出て来なさい!」
政太郎が再び声をかけた。が、やはり何の答もない。良吉は歯の根が合わない。
「だ、誰もいませんよ。旦《だん》那《な》。竜ちゃんの見まちがいでしょう」
良吉は言ったが、声が上ずっていた。その時だった。奥の叺の陰からのっそりと立ち上がった者がいた。思わず竜太は後ずさりした。日焼けして真っ黒になった顔に、怯えた目が光っていた。男はどこでどうしたのか、薄汚いシャツを着、よれよれのズボンを穿《は》いていた。竜太は咄《とつ》嗟《さ》に逃げ出そうとした。男は地べたに両手をついて呻《うめ》くように言った。
「助けてください、旦那さん」
竜太はこんな惨めな男の姿を、未だかつて見たこともなかった。乞食よりももっと悲惨な姿だった。
「お前さん、タコ部屋から逃げて来たのかね」
確認するように政太郎は言った。男はへたりこんだままうなずいた。
「良吉君、お前の納屋に逃げこんだ男だ。どうする?」
良吉は手を横にふって、
「旦那さん、わしにはどうしていいか……」
「わかった。猟師もふところに飛びこんだ窮鳥は撃たぬという。おれはこの男を助ける。いいな、良吉君」
「えっ!? 助ける?」
もし現場の棒頭に見つかったら、助けた者もどんな目に遭《あ》わされるかわからないのだ。
「心配するな。何とかしてみよう」
「何とかするって、旦那さん……」
「わしにまかせておけ、良吉君。先ず、納屋に入って戸を閉めよう。竜太も懐中電灯を持って中に入れ」
政太郎はてきぱきと指示した。
「良吉君、その着ている作業衣を明日まで貸してやれ」
「はっ」
良吉は男のほうをじっと見ながら、まだ小刻みに震える手でボタンを外し、胸のポケットをあらためてから、作業衣を脱いだ。
「この人に渡しなさい」
良吉は屁《へ》っぴり腰になって、男のほうに作業衣を投げた。
「投げる奴があるか」
「でも、こいつは朝鮮人で……」
良吉は関東大震災の時の事件を忘れていないのだ。朝鮮人が大震災の騒ぎに乗じて、井戸に毒を入れたとか、襲撃したというデマを、いまだに信じている節があった。
「馬鹿をいうんじゃない。たとい朝鮮人でも同じ人間だ」
凛《りん》と言い放った政太郎の言葉に、男の顔に安《あん》堵《ど》の色がみなぎった。男は床に落ちた作業衣を拾って素早く着た。
一同は外に出た。自転車に乗れるというその男に竜太の自転車を貸し、荷台に竜太が股《また》がった。政太郎が先に立ち、強くペダルを踏んだ。
「旦那さん、竜ちゃん、くれぐれも気いつけて」
良吉が不安そうに見送った。まもなく真っ暗な森を両側に見ながら、二台の自転車は走る。懐中電灯の光が、前方を右に左に明るく照らす。竜太は見知らぬ男の腰にしっかりとつかまりながら、動《どう》悸《き》していた。昨夜逃げ出したというこの男はタコなのだ。見つかったら殴り殺されるかも知れないのだ。男の体温が竜太の手にあたたかく感じられた。不意に竜太は、どんなことがあってもこの男を無事に逃がしてやりたいと思った。男はまだ二十二、三の若者に見えた。おそらく父母もきょうだいもいるにちがいない。政太郎が言った「同じ人間だ」という言葉が、改めて竜太の胸を打った。
この男がのちに竜太の危機を救うことになろうとは、むろん知る由もなかった。
縁《えにし》 (二)
一
夜汽車の汽笛が長く尾を引いて過ぎた。竜太は布団の中で幾度目かの寝返りを打った。今、階下の部屋に泊まっている朝鮮人金俊明のことが、気になってならないのだ。
(大丈夫だろうか)
金俊明は、父たちの寝室と廊下を隔てた六畳間に寝ているのだ。そのすぐ隣には台所がある。光った出刃包丁や刺身包丁が目に浮かぶ。
(包丁だけはしまっておけばよかったな)
今からでも遅くはない。台所に降りて行ってみようかと、竜太は首を抬《もた》げた。が、寝る時に言った父の言葉が思い出された。竜太が、「大丈夫かい」と声をひそめた時、政太郎は言ったのだ。
「大丈夫? 竜太、びくびくするな。お父さんは毎日店で多くの人間に会っている。少しは人を見る目があるつもりだ。金という男は目が澄んでいる」
竜太は父の言葉を信じようと思った。竜太はまた枕に頭を当てた。隣でかすかな寝息を立てていた保志が、くるりと竜太のほうを向いた。保志が目を覚ましたのかと思った。
「保志も起きているのか」
と言ったが、保志はすやすやと寝入っていた。
(保志は偉いな。平気で寝ている)
通りを流してゆくチャルメラの音が聞えてきた。聞く度に、ものがなしくなる音だ。その音がとまった。客がついたのだろう。まだ起きている人々がいるのだと思うと、竜太は少し安心した。
やや経《た》って、再びチャルメラの音が流れ、次第に遠ざかっていった。
番頭の家から、政太郎と竜太と、金俊明の三人で自転車で帰って来たことがまたしても目に浮かぶ。
(あれには驚いた)
竜太は胸の中で呟《つぶや》いた。あと百メートル程でわが家だと思った時、不意に小路から、制服姿の巡査がサーベルをカチャカチャ鳴らしながら出て来たのだ。思わず竜太はぎくりとした。金俊明の腰にしがみついていた手が硬直した。と、先を行く政太郎が、
「やあ、山田さん、ご苦労さんですな」
と声をかけた。山田巡査も、
「やあ、お晩です」
と片手を上げた。竜太はほっとして、
「お晩です」
と、自分も声をかけて通り過ぎた。山田巡査は竜太の家から百メートル程離れた交番に、半年程前から勤務している若い警官だった。何かの時には世話になるからと、月に一度は饅《まん》頭《じゆう》や煎《せん》餠《べい》などを届けることがあって、北森質屋とは顔《かお》馴《な》じみになっていた。
(あれはあれですんだけど、これからが大変だぞ)
竜太は布団の中で腕組みをした。毎日とは限らぬが、近頃は週に二度位は私服の刑事が張りこみにやって来る。朝からのこともあれば、夕刻頃からのこともある。金俊明の部屋は幸い台所にも便所にも近く、茶の間に来る客と顔を合わさずにすむ間取りにはなっているが、いつひょっと顔を合わさぬものでもない。あまり見かけぬ日焼けした男に、出合い頭に顔を合わせたとしたら、私服刑事の鋭い勘で、たちまち見破られてしまうかも知れない。もっともタコが逃亡するのは、過酷な取扱いのためであったから、大っぴらに警察に届け出ることはないとも聞いた。が、安心してばかりもいられないのだ。
竜太の気持は次第に、金俊明の側に立っていく。金俊明は政太郎に名前を聞かれた時、一瞬黙したが、
「日本式で読めば、金《きん》俊《しゆん》明《めい》と申します」
と、おずおずと言った。政太郎が、
「日本式で?」
と聞き返して、ちょっと考える顔になったが、
「今日からはしばらくコントシアキと呼ぶことにしよう。君は訛《なまり》もほとんどないし、日本人で通るだろう」
と言った。
竜太の思いはあちこちに飛ぶ。玄関で金俊明と初めて顔を合わせた時の、姉の美千代の驚いた顔、大きな目が瞬《まばた》きもしなかった。そのうしろから顔を出した保志が、美千代以上に驚いた表情で、不《ぶ》躾《しつけ》なほどまじまじと、金俊明の頭から足もとまで見上げ見おろした。何《いず》れも尋常ではなかった。それほどに常人の日焼けとはちがった黒さだった。
最後に出て来た母のキクエは、さすがに質屋の女主だった。どんな風《ふう》体《てい》にも驚きはしない。政太郎をちらりと見て、
「さあさあ、お上がんなさい」
と、明るく声をかけた。その一言で、驚きの目を瞠《みは》っていた美千代も保志も、ほっとした様子で茶の間に戻った。茶の間には芳子がまだいて、テーブルの上に食器を並べているところだった。が、竜太は、その芳子と言葉を交わす暇もなく、政太郎に言われて、台所の隣の六畳間に金俊明を案内したのだった。体は汚れていたが、政太郎が、
「さぞ腹が空いたろう。風呂はあとまわしで、先ず飯だな」
と、すぐに食事の用意を命じた。政太郎と竜太が、金俊明と一緒に六畳間で夕食を取った。遂に芳子と共に食べる楽しみはお流れになった。
竜太はそんなことを思い出しながら、今度は何も案ずるようなことは起きないような気がした。と、その時、階段がみしりと軋《きし》んだ。はっと竜太は体を固くした。もう一度階段の軋みは聞えた。階下には父母がいる。父や母は滅多に夜二階に上がってくることはない。父母の寝室は、金俊明の部屋を隔てて筋向かいにある。
(もしかして!?……)
金俊明が父や母を襲うつもりではあるまいか。その前に二階の様子を窺《うかが》ったのではあるまいか。そう思うと、不意にそんなこともあり得ると思われた。
今年の正月、桜田門外で天皇の行列に手《しゆ》榴《りゆう》弾《だん》が投げつけられた。天皇暗殺は未遂に終ったが竜太は大きな衝撃を受けた。犯人は朝鮮人ということであった。天皇の暗殺を朝鮮人が企てたからといって、朝鮮人がすべて人に危害を加えるとは限らない。そうは思う。が、理屈にならぬ恐怖が竜太を怯《おび》えさせた。
階段の軋みは二度だけで、何の音もしない。その音のしないのがまた無気味だった。二階をうかがっている俊明の姿が見えるような気がする。いつか、強盗に襲われたどこかの質屋の老夫婦のように、新聞の第三面に、
「夫婦を惨殺! 凶悪殺人!」
などと、でかでかと大見出しの記事が出るような気がする。その活字が、あたかも目の前にあるように竜太に迫るのだ。
(殺したって、あの男にとって、一銭の得にはならんけど……)
考えてみれば確かにそうなのだ。俊明は少なくとも半月はこの家に身をひそめていなければなるまい。そうすれば異様な日焼けはうすれる筈《はず》だ。余り目立たなくなれば、親がいるという大阪に帰って行くことも出来る。しかし今殺人を犯したら、どこにどう逃げて行けばよいのか。
(そうだ。何も起こりやしない)
不意に心配が馬鹿馬鹿しくなった。階段は時に軋むこともあるのだ。
(ぼくはやっぱり臆《おく》病《びよう》者《もの》だ)
そう思うと、何となく自分が情けなくなってきた。ちょっとのことにふり廻《まわ》されて、おどおどと生きる人間のような気がした。
(やっぱりぼくは、楠夫みたいな度胸はないな)
楠夫なら、俊明と同じ部屋に、平気で一緒に寝ることができるような気がした。
(それはそうと……)
またもや不安が頭を抬げた。赤の他人ならともかく、従兄弟《いとこ》の楠夫なら、この家のどこでも歩きまわる。たちまち俊明の存在に気づくにちがいない。楠夫は根掘り葉掘りこの自分に聞くにちがいないと、竜太は思った。どう答えるにしても、楠夫は釈然としないにちがいない。そしてもしかしたら、妙な奴《やつ》が北森の家にいると、両親や友だちに言いふらすかも知れないのだ。あるいはタコに関する知識があって、たちまち見破るかも知れないのだ。
(どうしよう)
竜太は憂《ゆう》鬱《うつ》になった。
(父さんはどこまで考えて、あの人を自分の家につれて来たのだろう)
刑事の来ることも、楠夫兄妹の来ることも、芳子が時折出入りすることも、全部考えた上での人助けだったのだろうか。
(いくらお祖父《じい》ちゃん似の親切者だって……)
竜太は恨めしいような気がした。祖父は困っている人を、決して見過ごしにできない人だったと聞いてきたが、父は正にその祖父に似ているのだ。それをよくよく知らされたような気がした。
(ぼくは、父親似ではない。こんな心配だらけの出来事には巻きこまれたくない。けど……)
竜太は再び寝返りを打った。按《あん》摩《ま》の笛が聞えてきた。夜の夜中に聞く音は、夜汽車の汽笛にしても、チャルメラの音にしても、按摩の笛にしても、なぜか妙に淋しく、妙にもの哀しい。ふっと、坂部先生の顔が目に浮かんだ。
(坂部先生なら、どうするだろう)
小学校を卒業して、坂部先生の担任を離れて三年目になったというのに、竜太は何か事があると、坂部先生ならどうするだろう、と考えてしまう。坂部先生はよく、
「先生も人間だよ」
と言ったものだが、竜太にとっては、坂部先生が行動の規範なのだ。坂部先生と冴子先生との間に女の赤ん坊が生まれて、ちょうど一年になる。美千代と二人で、去年の今頃、その赤ん坊の顔を見に行った。美千代はその真樹子と名づけられた赤児を抱いて、「かわいいかわいい」と言って放さなかった。坂部先生が、
「美千代は情《じよう》が深いんだな。美千代もそろそろお嫁に行って、赤ちゃんを生むといいよ」
と言うと、美千代はにっこり笑って、
「そうね。わたし、女学生時代は坂部先生にお熱を上げていたけど、今はもう好きな人が早く目の前に出てこないかなあって、そんな平々凡々な思いで生きています」
と、軽い声を立てて笑った。その時竜太は何となくほっとした。姉はひょっとしたら、心の中で坂部先生を思いつづけて一生を終るのではないかと思っていたが、その時の言葉の調子では、美千代の言葉どおり、坂部先生は若い一時期の憧《あこが》れの対象に過ぎなかったような気がした。そして、それでいいと思った。
そこまで考えたところで、思いは再び金俊明の上に戻った。
(坂部先生なら、やっぱりおやじと同じことをしただろうな)
万が一にも、あの男を見捨てたり、突き出したりはしまいと竜太は思った。そう言えば坂部先生は、こう言ったことがある。
「竜太、どうしたらいいかわからん時は、自分の損になるほうを選ぶといい。大体それがまちがいないと思うよ」
そう言ったあとで、またこうも言った。
「自分が得をするようなことに出会った時は、人間試される時だと思う。得をしたと思って喜んでいたら、大いに誤るということがある。人間、利には目がくらむものだ」
坂部先生の言葉を思い出して、竜太は少し心が安らかになった。
(やっぱりおやじは、いいことをしたんだな)
家の横を、
「火の用心、火の用心」
と呼ばわる声と共に、錫《しやく》杖《じよう》を突く音が響いた。
二
金俊明が来て、一週間があっという間に過ぎた。
案じていた私服刑事も一度は来たが、一時間程ですぐに帰ったし、楠夫も訪ねては来なかった。楠夫の母が、錦座前のお焼きを買って来て、お茶を飲んで行ったぐらいで、不思議なほどに静かな一週間であった。店のほうは、寒さに向かうということもあって、質物の出入りが激しく、それが幸いして、番頭の良吉も、俊明を恐れる暇もなかった。
金俊明が来た翌日、学校から帰って来た竜太は、俊明の部屋をのぞいて驚いた。そこに付《つけ》札《ふだ》の色染めをしていた和服姿の男がいた。青いセルの着物に角帯をしめ、正座したまま、付札を紫に染めている。それが俊明と納得できたのは、顔から首筋にかけての黒さと、手の黒さを見てからだった。おそらく器用なキクエの手で、頭髪を刈ってもらったのだろう、さっぱりとした五分刈りに整えられた頭は、昨日までの汚れた長髪の俊明とは、全く別人に見えた。しかも、父の着物と帯を借りたのか、それとも質流れに出す品物を与えられたのか、着こなしが実に身についていた。日焼けさえなければ、けっこう店に働く手《て》代《だい》位には見えるのだ。無《ぶ》精《しよう》髭《ひげ》もきれいに剃《そ》そられた俊明は、眉《まゆ》の秀でた、整った顔立ちの青年だった。
驚いて突っ立つ竜太を見て、
「お帰りなさい。昨日は大変おせわになりました」
と、俊明はていねいに頭を下げた。
「やあ」
と、頭を掻《か》きながら、竜太はあぐらをかいて、
「驚いたなあ、どこの人かと思った」
と、まじまじと俊明を見つめた。竜太の警戒の思いが、いつの間にか消えていた。昨日の姿は、俊明の仮の姿で、今の姿が本当の姿なのだと思った。俊明も、
「別の人です」
と言って、控え目に笑った。その笑顔がさわやかだった。もう俊明の目に恐怖のいろはない。竜太は思わず口笛を吹きながら、自分の部屋に上がって行った。
その日から、次第に俊明は北森家の人々に親しみを見せるようになった。両親と共に、幼い頃に日本に来たこと、商売をしていた父親が昨年死んだこと、北海道にいい働き口があると聞いて、うかうかと口車に乗せられ、タコ部屋に叩《たた》きこまれたこと、棒頭の一人に、朝鮮人ということで悉《ことごと》く目の仇《かたき》にされたこと、毎日のように棍《こん》棒《ぼう》で殴られたり皮靴で蹴《け》られたりして、危険を感ずるようになったこと、遂にタコ部屋を逃げ出したこと等々を、ぽつりぽつりと言葉少なに語ったのだった。
政太郎はそんな俊明の言葉を、深くうなずきながら聞いてはいたが、自分から質問を発して、身の上だの、タコ部屋の様子を聞こうとはしなかった。政太郎は常々、
「人間は誰《だれ》でも、尋ねられたくないものをもっているもんだ。隠しておきたいことは、聞いても語らんだろうし、聞いて欲しいことは、聞かんでも自分で語るもんだ」
と言っている。店に来る客たちの中にも、その生活がひどく気になる貧しい風体の者もあれば、持物すべてに派手なものを身につけていて、妙に心配な者もいる。だが政太郎は、客が語る時はよく聞いてやるが、そうでない時は、下手に尋ねたりはしない。金俊明に対しても、同じ態度であった。
竜太にはそんな父が偉いとも思われ、もの足りなくも思われた。
俊明のすることには真実味があった。俊明は、朝誰よりも早く起きて、ひそやかに廊下を拭《ふ》き清めたり、庭の掃除をしたりした。黒塀に囲まれた庭仕事は、人に顔を見られる心配はなかったし、早朝の廊下の掃除も、足音をひそめる心遣いを忘れなかったから、政太郎夫婦の睡眠を妨げることもなかった。人の出入りする昼間は、辛抱強く自分の部屋に閉じこもって、頼まれた仕事を忠実にやり遂げた。預かった質草の衣類などの汚点《しみ》を検《あらた》めたり、アイロンをかけてきちんと畳み、用意の畳《たとう》紙《がみ》にていねいに収めるのだった。一週間が経った今では、
「このまま、しばらく家で手伝って欲しいような人だよ」
と、キクエが家族の誰彼に言うようになった。北森家の誰もが、俊明との生活に馴れていった。
金俊明が来て十日が過ぎた頃、楠夫が遊びに来た。遊びというより、竜太に数学の問題を教えてもらいにやってきたのだ。二、三題やっているうちに、楠夫はすぐにのみこんで、
「ああそうか、そういうことか。竜ちゃんは先生より教え方がうまいや」
と、感心して言った。
「駄目だよ、おだてても」
竜太は、わかったらすぐに帰って欲しい気がした。今しばらくは、俊明の存在を悟られたくはなかった。そんな竜太の気持を知る筈もなく、楠夫は言った。
「竜ちゃんはやっぱり、学校の先生が向くのかな。しかし何だぜ。これからは何だかんだいっても、大学出が幅を利《き》かす時代だぜ。もうそろそろ、坂部先生崇拝も消えていいんじゃないのかな」
楠夫はまじめだった。
「幅を利かすって何だい? 収入が多くなるっていうことかい。発言権を強力に持てるということかい」
「ま、そうだな」
楠夫は大人っぽくうなずいて、
「人間生まれてきた以上、自分の言葉が無視されるなんて、つまらないじゃないか」
「そうかな。ぼくは別に幅を利かさんくてもいいな。自分で自分の信じたことを、黙々とやっていくほうが、本当の人間のようでいいと思うな」
「と思っているのはいいさ。しかしな、いつかも言ったと思うんだが、竜ちゃん、おれは大学に行くよ。そしたら、竜ちゃんはおれみたいな奴の命令に、従わんきゃならんということになるんだぞ。それでもいいのか」
「誰のいうことでも、筋が通ってることなら従うよ、ぼくは。しかし、どんな偉い奴のいうことでも、筋が通っていなきゃ、抵抗するよ」
「そうか、抵抗するか。けど、抵抗できるかなあ。うちのおやじは、人間なんて、簡単にしっぽを巻いてしまうもんだって、よく言ってるよ」
「そうかい。しかしぼくは、子供相手の仕事だからね。大人相手じゃないんだ。純真な子供相手に生きるんだ。楽しいと思うよ」
「なるほど。しかし、竜ちゃん……」
楠夫はまじまじと竜太の顔を見て、
「小学校の先生って、子供だけ相手にするのかなあ。職員室には上司もいるよ。先輩もいるよ。教頭もいれば校長もいるよ。父兄でつくっている保護者会もあるよ。保護者会の会長ってのは、たいていボスだよ。そして文部省があるじゃないか」
竜太はちょっと黙ったが、
「どうしてそんなふうに大人の考え方ができるんだろ、楠夫ちゃんは」
と頭をかしげた。
「竜ちゃん、たとえばだよ、おれが政治家になるとするか。おれは満州で戦争することは賛成だということにするか。ところが、学校の先生の竜ちゃんは戦争に疑問を持っているとするな。それが目《め》障《ざわ》りな存在だとしたら、おれは道庁の視《*》学なり、市の視学なりに、あいつはどこかへ飛ばしてしまえだの、馘《くび》にしてしまえだのと、命令することができるんだ。おれがやったような顔をしないでな」
「そんなに権力って理不尽なものか、楠夫ちゃん」
「多分な。うちのおやじのな、会社の偉い奴の悪口を聞いているとな、おれはこの世は理不尽なものだと思っている」
そう言ったかと思うと、楠夫は「しょんべん、しょんべん」と体をひとゆすりして階下に降りて行った。
が、三分経っても五分経っても戻らない。竜太は不意に不安になった。楠夫は小さい時から、数え切れないほど竜太の家に遊びに来ているが、便所に行ってこんなに長く時間がかかったことはなかった。
(もしかしたら……)
楠夫のことだ、金俊明の部屋をひょいとのぞいたのではあるまいか。別に悪気があるわけではないのだが、部屋の戸が細目にあいてなどいようものなら、必ずのぞき見する癖がある。今も、俊明の部屋の襖《ふすま》が開かれていたか、隙《すき》間《ま》があったか、とにかく俊明の存在に気づいたのではないかと思った。見たことのない人間がこの家にいたとわかれば、どこから、いつ来たか、などと根掘り葉掘り聞くにちがいない。
これは困ったことになったと思った時、階段を上る足音が聞えて、楠夫が戻って来た。部屋の戸を開けるや否《いな》や、
「竜ちゃん、見馴れん男がいるな」
楠夫は好奇心を丸出しにして竜太の前にあぐらをかいた。案の定楠夫は俊明を見たのだ。
「見馴れん男?」
竜太はさりげなく答えた。
「そうだよ、おれは初めてだよ、あの男」
楠夫は肉づきのいい大きな手で、竜太の膝《ひざ》を軽く押し、
「おれさ、便所から出て、何とはなしに六畳間の襖をあけたら、中にでっかい男がいてよ。おれは一瞬、昼間の幽霊かと思ったよ。その男切り出しナイフで、付紙を裁断してるんだ。おれを見て、にこっと笑ってさ、手を休めずに仕事をつづけてんのよ」
「ふーん」
「あいつ、ここんちの番頭になるのかい?」
「そんなこと知らん」
竜太はそっけなく答えた。
「今まで何をしていたんだい」
どきりとしたが、竜太は、
「さあ、農家らしいな」
「農家か。もともとからの知合いか?」
「父さんがつれて来た人だから、そんなこと知らんよ。いやに楠夫ちゃん、あの人に関心があるんだな」
「そりゃあ、大ありだよ。だってさあ、あいつ何を聞いても、にこにこするばかりで、ろくな返事をしないもな。あいつ、耳が遠いのか」
「そんなことないけどさ。切り出しナイフで何枚も重ねた和紙を切るって、神経の要《い》る仕事なんだ」
「ああそうか、それで相手にならんかったのか。おれはまた、聞かれて困る何かがあるのかと、勘ぐったわけだけどね」
と、深く腕組みをしてから、楠夫は言った。
「竜ちゃん、あいつ将来、美千代ちゃんと一緒になる人かい?」
思いもかけぬ楠夫の言葉に、竜太は思わず、
「一緒になる!? まさか!」
と、大声になった。その声に楠夫のほうが驚いて、
「何だ、そうでないのか」
と言った。
「そうであってたまるもんか」
答えてから、竜太は気になって、
「なんでそんなこと言うのよ、失敬だな」
「だってさ、おれがいたら、すぐに美千代ちゃんが入って来て、『としあきさん、あんまり根《こん》を詰めないでね』といやに優しい声を出してさあ。美千代姉貴は、おれたちにあんな声でもの言ったことあるかなあ。いつもきびきびと、そりゃあ明るくて親切だけどさ。あんなしおらしげな声は出さないぜ」
言われてみれば、そうかも知れないと竜太は思った。俊明は食事も六畳間で一人取るのだが、膳を運ぶのも、ほとんど美千代だ。日焼けした顔も見馴れたせいか、スポーツマンの日焼けに似たように、凛《り》々《り》しく見えてくるから不思議なものだ。それに口数の少なさが、それを気にかけさせないほど、俊明は静かなのだ。もしかしたら、美千代は同じ屋根の下に起き臥《ふ》しする俊明に、心を惹ひかれはじめたのかも知れない。そこまで考えて、竜太は再び、
(まさか! 民族がちがうんだ)
と、強く否定した。
(しかし……待てよ)
美千代のことだ。何を思うかわからない。美千代は政太郎の影響を受けて、人間は皆同じだ、と時折言う。
「愛には国境がない」
ナイチンゲールの好きな美千代は、女学校時代からこの言葉をよくいう。美千代はもしかして金俊明に対して、戦場における傷病兵への看病に心尽くすナイチンゲールの精神をもって、俊明に親切を尽くしているのかも知れない。しかしその同情が、まさか恋に変っていくとは、竜太には到底信じられなかった。
ちょっと黙りこんだ竜太に、楠夫は囁《ささや》くように言った。
「竜ちゃん、あの男の肩に、白い糸《いと》屑《くず》がついていたんだ。したらさ、美千代ちゃんはそっと手を伸ばして、それをつまんで取ってやがんの。あの感じ、どうもふつうじゃなかったと思うよ」
竜太はちょっといら立って、
「楠夫ちゃん、当てずっぽうでものをいうなよな。うちのお姉ちゃんは、誰にでも親切なんだ。ぼくや保志の汚い足を、洗ってくれるくらい親切なんだ。肩の糸屑を取るくらい、どうだっていうんだよ。畳の上のゴミを拾うのと、お姉ちゃんには同じことなんだよ」
「お! 竜ちゃん怒ったな」
楠夫がおもしろそうに笑った。
「そりゃ怒るよ。お姉ちゃんはまだ嫁入り前なんだ。変な噂《うわさ》を立てられたらかなわんよ。出たらめ言うなよ」
「出たらめか」
組んでいた腕をほぐして、楠夫は呟くように言った。竜太はやや声を高めて、
「そうさ、出たらめさ、お姉ちゃんが、あの人を好きだと言ったわけではないだろ。只楠夫ちゃんが勝手に想像しただけだろ」
「…………」
楠夫はにやりと笑った。
「大体楠夫ちゃんはな、不良臭いものの考え方をするんだよ。特に男と女のこととなると、変に勘ぐる癖があるんだよ」
ちらりと芳子の顔が浮かんだ。
「不良臭いか。餓鬼だなあ竜ちゃんは」
楠夫は見下すように言った。
「餓鬼でけっこうだよ」
気《け》色《しき》ばんだ竜太に、
「そう怒るなってことよ。竜ちゃん、よく考えてみれ。美千代ちゃんは、おれの大事な従姉《いとこ》だぜ。その大事な従姉のことを、そう出たらめには言いはしないよ。しかしね、男と女というのはね、見ていて何かわかるんだなあ。ほら、よく言うだろう。目は口ほどにものを言い、ってな。男だって女だって、好きな人を見る時の目には艶《つや》があってさ。うるんだり、光ったり、するものなんだぜ。この目の艶というか、光というか、うるみというか、これが自分でも抑えられないものなのさ。おれのいうことが間違いかどうか、竜ちゃん自分でよく注意して見れ。その点、おれはませてるんだから」
自信あり気な楠夫の言葉に、竜太は心の中で、
(楠夫はあの人が、どこから逃げて来たかを知ったとしたら、こうは言うまいな)
と呟いていた。
その日以来竜太は、美千代と金俊明に細かく注意を払っていた。夜の食事を運ぶ時など、
「いいよ、おれが持って行くよ」
と言うことがあったが、美千代は、
「いいわよ、わたしの仕事だから」
と、決して竜太に委《まか》せようとはしなかった。しかし竜太は、何とか二人の間に割りこもうとした。
楠夫が来て四、五日経ったある日、学校から帰った竜太は、鞄《かばん》をおろさぬまま、すぐに俊明の部屋に行った。俊明は珍しく何の仕事もしていなかった。
「俊《とし》明《あき》さん、お土産《みやげ》」
竜太は鞄から、まだあたたかいお焼きを出して俊明の前に置いた。俊明は思いがけない竜太の厚意に、
「ありがとう、ありがとう」
と声を詰まらせた。が、視線はお焼きの包みよりも、開いたままになっている竜太の鞄に強く注がれていた。
「竜太君、教科書を見せて下さい」
「どうぞ」
竜太が答えると、いち早く手を伸ばして俊明は教科書を開いた。
「懐かしいなあ」
手に取った英語の本を開いて、
「イ《*》ノック・アーデンか」
と、低い声で読み出した。竜太は驚いた。なぜか俊明は本には縁の遠い人間かと思っていたのだ。そこへ美千代が入って来た。流《りゆう》暢《ちよう》に英語を読む俊明に、美千代の目が輝いた。
そんなことがあってから数日後、楠夫の父親が、政太郎と何かひそひそ語り合っていた。金俊明の姿が北森質店から消えたのは、その二日後の早朝のことだった。美千代が縁側にうずくまって、いつまでもぼんやりしているのを竜太は見た。
視学 旧教育制度教育現場の視察、指導監督、教師の任免などを司った地方教育行政官。
イノック・アーデン イギリスの詩人テニスン(一八〇九〜九二)作の物語詩。
宿直室
一
竜太は、母から坂部先生へと持たされた羊《よう》羹《かん》を、机の上で器用に切っている。
今夜は坂部先生の宿直だということで、楠夫と共に、大栄小学校の宿直室へ遊びに来たのだ。電灯の下に、羊羹がつややかに光っている。坂部先生は腕組みをしたまま竜太の手もとを見つめていたが、
「竜太、美千代がいなくなって、淋しくなったな」
と、慰めるように言った。竜太は羊羹を切る手をちょっととめ、
「別に」
と答え、またナイフを持ち直した。楠夫がその竜太をちらりと見て、
「おれは淋しくなったな。竜ちゃんの家に行ってよ、美千代ちゃんがいないと、何だか火が消えたような気がするもんな。美千代ちゃんって、時々『楠夫ちゃん、先生に隠れてタバコ喫《の》んでいるんじゃないの?』なんて、ぼくの服を嗅《か》ぐ真《ま》似《ね》をしたり、『ちゃんと勉強してるの』とか、きついことを言ったりすることはあるけど、何か頼りになったんだよなあ」
と、あぐらの片《かた》膝《ひざ》を立てた。竜太も内心楠夫と同じ気持なのだ。朝起きて階下に降りて行くと、
「竜太、いつまで寝てんのよ」
などと、美千代の声が飛んできたものだ。それが今は、母が一人でことことと大根などを刻んでいたりするのを見ると、何となくわびしい。
美千代はつい先月の末、市内の呉服屋の長男坊に嫁いで行った。昨年九月、聖台土功の現場から逃げ出した金俊明が、二十日余り、竜太の家に匿《かくま》われていた。その金俊明が、九月の末のある日、突如竜太の家から姿を消した。以来美千代は、誰の目にもわかる程、無口になっていった。年が明け、春になるにつれて、見た目には以前の美千代に返りはしたが、竜太には、美千代の横顔がふっと淋しく見えることが多くなった。
その美千代に、同じ質屋仲間の夫婦から縁談が持ちこまれたのは、今年五月の節句も過ぎた頃だった。それまでにも美千代には幾つかの縁談があった。が、美千代は、差し出された写真も見ずに、
「わたしのお婿さんぐらい、自分で探すわよ。わたし、見合結婚なんか、絶対しないから」
と、ことわりつづけてきた。
ところが、どうした風の吹きまわしか、市内の呉服屋の長男と見合をしてみると言い出した。父の政太郎も母のキクエも、美千代が素直に見合に応ずるということで、却《かえ》って戸惑いを感じた。
「美千代、お前無理をしなくてもいいんだよ。気が進まなければ、ことわってもいいんだから」
政太郎は言ったが、美千代は久しぶりに声高く笑って、
「人間と人間の出会いなんて、どこにあるかわからないものね。見合の相手がつまらないと決まっているわけじゃなし、恋愛の相手が一番いいと決まっているわけでもなし……」
と言った。こうして話は思わぬ方向に向き、縁談は目出たく決まった。先方では、できたら来年の正月あたりに挙式したいということだったが、なぜか美千代は、九月にならぬうちがいいと言い張って、願いどおりに八月の末、美しい花嫁姿となって、家から数丁離れた大原呉服店の長男に嫁いだのである。
竜太は、なぜ美千代が八月の末になど嫁入りする気になったのか、わかるような気がした。九月は金俊明が北森家に匿われた月である。そして、去って行った月でもある。その一年前の思い出を、ふり捨てようと美千代は思ったのかも知れない。つまりそれだけ、美千代の金俊明に対する想いは真剣だったのだと、竜太は思うのである。
花婿の大原樹《き》一《いち》は、誠実な感じの男で、商売熱心でもあった。嫁いで七日目、美千代は樹一と共に里帰りをした。その時の美千代の顔には、幸せそうな笑みがあふれていて、いささかの翳《かげ》りもなかった。竜太は何か裏切られたような気がした。美千代が幸せであって欲しいと願いながら、しかしなぜか納得できなかった。竜太の見た限りでは、確かに美千代は、あの金俊明に強く心惹《ひ》かれていたように思われてならなかった。金俊明が去ってからの幾月かを、暗い表情で耐えていたのは一体何であったのかと、美千代の幸せそうな姿に、竜太は素直に喜べないものを感じたのだった。
「うまい羊羹だなあ」
坂部先生は、美千代のことを口にして悪かったかと、竜太の顔を見つめながら思っていた。
大原呉服店との縁談が持ちこまれた頃、坂部先生の家に美千代が一人で行ったことがあった。
「春になって折角道がきれいになったと思ったのに、また雪が降ってきて……」
そんなことを言いながら、美千代は坂部先生夫婦の前に手をついて、
「先生、わたし、結婚します……」
と言ったかと思うと、ほろほろと涙をこぼした。坂部先生も、冴子先生もその涙に驚いて、お目出とうとは言えなかった。と、美千代はすぐに笑って、
「うれし涙です。心配しないでください」
と、また涙をこぼした。美千代のような勝気な娘が結婚するといって涙をこぼす。何を聞かずとも、坂部先生は胸が締めつけられるような愛《いと》しさを感じた。その時美千代は、金俊明のことを初めて明かしたのだった。坂部先生はその美千代に言った。
「美千代、想う人と結婚できる人は、この世にどれだけいると思う? 大ていの人は、何がしかの辛《つら》い思いを抱いて結婚するんじゃないか」
すると美千代は、
「先生、わたしね、あの人を只、好きというだけで結婚したいと思ったんじゃないの。あの人は朝鮮の人なの。わたしね、あの人が朝鮮の人というだけで、タコ部屋で棒頭に苛《いじ》められ、仲間のタコからも馬鹿にされた話を聞いた時、わたしこの人と結婚したいって、噴き出るような思いで、そう思ったの。先生、人間って、どこの国に生まれたからといって、皆人間であることに変りはないんじゃない? 人間は皆同等じゃないの。日本人だけが特に偉いという、そんな考え、わたし……それに、偉いんならどうして弱い者を苛めたりするの。わたし、あの人と本当に結婚したかったのよ」
坂部先生と冴子先生は、只黙って幾度もうなずいた。教え子の美千代が、教師の自分の教えていたことを実によく弁《わきま》えて生きていると、坂部先生はその時改めて思った。
「しかしなあ、美千代。どうしても諦《あきら》められなかったら、結婚は見合わせたらどうだ?」
美千代はうなずいて、
「そうも思ったの。でもね、樹一さんって人、誠実そうな人だから、わたし、この人に賭《か》けてみようと思って……」
「なるほど。結婚は一生の一大事だということ、美千代にはよくわかっているんだね。やけのやんぱちで結婚するというのなら、先生は許さん。自分の人生を生きるということは、いわば真っ白な布の上を歩いて行くようなもんだ。そこに記された自分の足跡が乱れるのも乱れないのも、自分の責任だ、と先生も思うよ。美千代、結婚というものは、相手の人生の幸、不幸にも関わることだ。よく考えるんだな」
美千代は深くうなずいていた。そして言った。
「好きな人の思い出を、忘れられないままに結婚してもいいのかしら?」
「そうだなあ……美千代、ぼくたちは人間なんだよ。誰だって、過去に愛した人の思い出が、全くないとは言えないじゃないか。そんなことは飲みこんで、みんな結婚してるんじゃないか。結婚ってねえ、どこか、裏切りを伴っているところがあると、先生は思うんだよ。誰にでもねえ」
美千代の表情が少し柔らかくなり、
「先生、人間が人間として生きるって、これから少しずつ、わかるだろうと思います。神さまが許してくれるものなら、わたし、安心して結婚します。もし金さんが現れても、多分大丈夫だろうと思いますから……」
そう言って玄関を出る時、
「先生、先生たちはお幸せですね」
と、じっと坂部先生と冴子先生を見つめ、
「でもわたし、チェーホフのあの有名な、『孤独が恐ろしかったら結婚するな』という言葉に、結婚への甘い夢はふり捨てます。甘いだけが幸せとは限りませんから。孤独に徹する生き方って、一生かかってもできないとは思うけど、でも素敵だとは思いません?」
美千代はそう言って帰って行った。
その時の美千代の言葉を思いながら、坂部先生は竜太と楠夫に言った。
「美千代って、不幸にはならん人間だと思う。人間としての大事な姿勢をきちんとつかんで、生きていく人間だと思うな」
竜太は坂部先生のいうことが、わかるような気がした。楠夫がちょっと頭をひねった。坂部先生が言葉をつづけた。
「たとえばさ、不幸ということと、不運ということとは、ちょっとちがうんだよな。今、誰もが恐ろしがっている病気は、肺病だろう。しかし、肺病になったからといって、必ずしも不幸にならない人間がいる。教会の信者に、土屋君という青年がいて、相当重い肺病だけど、いつも顔が光り輝いているよ。見舞いに行った人が逆に励まされて帰って行く。と思うと、土屋君よりずっと軽い肺病患者で、何でこんな病気になったんだと、朝から晩まで愚痴って、遂には自殺未遂を惹き起こしたりした例がある。美千代は土屋君のほうのタイプだと、先生は信じているよ」
「あ、そうか。そうかも知れんね、先生」
楠夫は思い当るところがあるというようにうなずいた。竜太は、里帰りの時の美千代の笑顔を、改めて思い出していた。
二
「話は変るけどねえ、先生」
楠夫が羊羹を口に入れたまま、もぐもぐと言う。
「こないだの日曜日、牧師さんがさあ、『神天地を造り給えり』の話をしていたよね。おれ、何となく、ちょっとちがうなあって思ったんだけどねえ」
竜太はちらりと楠夫を見た。楠夫は一年以上も前から教会に行くと言っていた。教会に行けば、芳子に会えるからだと言っていたが、あれは楠夫独特の冗談であって、楠夫は楠夫なりに、教会に行きたい求道心のようなものがあったのかも知れないと思う。むろん、芳子や坂部先生の通っている教会に、行ってみたいという気持も本当だろうが、それだけでずっと通いつづけているとも、竜太には思われない。楠夫は、相変らず本気か冗談かわからぬことばかり言って、竜太を教会へ誘うわけでもなかった。竜太としても、誘われれば行ったかも知れないが、芳子のいる教会に自分から進んで顔を出す気にはなれなかった。その点、
「おれ、芳子に会いたいから、教会に行くんだ」
などと、あっさり言える楠夫が羨《うらや》ましかった。
「そうか。楠夫は神天地を造り給えり、が引っかかるか。この言葉はね、竜太」
坂部先生は羊羹に爪《つま》楊《よう》枝《じ》を突き刺しながら言う。
「……旧約聖書の第一頁の冒頭の言葉なんだ。この一行を解した者は、聖書の全体を解したと言われるほど、重要な言葉なんだよ。それで、楠夫はどう引っかかるんだ。というところで、楠夫の話を聞こうか」
「おれはさあ、先生。神が天地を造ったってことは、どうも信じられん。やっぱりうちの無神論者のおやじがいうように、この世はすべて偶然の成り立ちだと思うんだ」
楠夫の父の真野惣介は、大学生の珍しい明治の終りに大学に入っただけあって、とにかく「大学出」であることが、唯一の誇りだった。自然それは楠夫にも伝わって、学校を出ずに質屋をしている伯父の北森政太郎より、自分の父が数段上だと思いこんでいる節が楠夫にはある。牧師や小学校の教師よりも、上等の大学を出ているという思いもある。で、父親のいうことに、かなり影響されているのだった。自分の意見を述べる時に、楠夫はともすると、「おやじもこう言っていた」と、一言付け加える癖がついていた。坂部先生は、その辺りを万事心得ていて、
「つまり、この世は必然か偶然かということだろう」
「そうです。おれが生まれたのはね、神の御《み》心《こころ》による必然などではない。おやじとおふくろが偶然に出会って、ある夜の偶然の結果、生まれてきたのが、偶然このおれだった。これは納得がいきますよ」
「それで」
「うん。第一、先生、神さまはたったひとりでしょう。唯一なる神は。人間はこの地球上に、毎日どれぐらい生まれますか。何万、何十万の赤ん坊が、みな神の御心だなんて。しかも中には、丈夫なのもいれば弱いのもいる。目の見えないのもいれば、知能の低いのもいる。おれさまみたいな秀才もいれば、先生みたいな、心のあったかい人間もいる。これ全部、神の御心ですか」
「なるほど」
「御心なら、御心である以上神が責任を取ってくれるんですよね。人間として誕生させた責任を、神はどう取ってくれるんですか。まあ、これはおやじの受売りですけどね」
愉快そうに楠夫は笑った。坂部先生も笑って、
「しかし楠夫、君の心の中では、その偶然説もまた、すんなりと受入れるわけにはいかんのだろう」
「そうなんですよ、先生。おれはどちらかといえば、この世を斜めに見て暮らすタイプじゃないかと思うんだよね。おいしそうなところだけ、ちょぼちょぼ突ついて、まずそうなところは箸《はし》もつけない。だからおれは、学校の先生はいいなあとは思っても、いやだいやだ、給料が安い、とすぐソロバンを弾《はじ》くんだなあ。竜ちゃんのように、坂部先生のあとにつづけなんて、単純なことはいえないんですよ」
竜太は、自分が楠夫とくらべて、ひどく子供に見えるようで苦笑した。
「楠夫ちゃん、人生って、よくわからないけど、おいしいところと、まずいところが別々になってるもんだろうか。ねえ、先生」
「そうだなあ、おいしいと思ったものが、実は何の栄養価のないものだったり、まずいと思ったものが、自分の心を養ってくれることもあるだろうな」
「なるほど、そうか」
楠夫は素直にうなずいて、
「得ばかりしようとする姿勢そのもので、もう勝負がついているわけか」
「楠夫、なかなかいいこというじゃないか。それもまさかおやじの受売りじゃあるまいな」
「うちのおやじは、まちがってもそんなこという人間じゃないですよ」
「すると、楠夫だって、相当に『神天地を造り給えり』のほうに、傾いてもいるわけだね」
「それがさ、先生。そう見られるのが、妙に癪《しやく》なんだなあ。おやじがダーウィンの進化論をふりまわすと、やっぱりそれが現代人のような気がするんですよ」
「ダーウィンの進化論ねえ」
坂部先生はちょっと考える顔になり、
「進化論だけで、愛の問題、罪の問題がすべて片づくかなあ」
深い声だった。竜太は二人のやり取りを聞きながら、少なからず羨ましい気がした。坂部先生がまた言った。
「な、楠夫、竜太。先生はここで軽々しく結論を出そうとは思わんよ。だがね、君たちの齢《とし》ごろに、神とは何かを考える生活を持つことは、これは決して無駄なことじゃないと思う。創造主なる神を信ずるか否《いな》かは、それぞれの自由だ。しかし信じなくても、神を求めるという精神生活だけはあって欲しいな」
竜太は深くうなずいた。竜太は今日まで、ほとんど神について考えたことはなかった。神を求めるということがなかった。神というものは一生かかっても求められないかも知れない。が、求められないものを求めつづける生活が、あってもいいような気がした。楠夫が腕を組んで言った。
「そうだなあ、先生。おれもそう思う。おれは当分の間、進化論と天地創造の間を、行ったり来たりするかも知れないなあ」
「まあいいさ。神を信ずるにしても、信じないにしても、人間いろいろなプロセスもあるわけだろうからね。只、求めもしないで、頭から神を否定するのは、先生にはちょっと残念な気がする」
竜太は坂部先生が、現代の青年たちをどう考えているか、わかるような気がした。坂部先生は言葉をつづけて、
「神と自然、神と戦争、神と平和、神と芸術、神と政治、いろいろな命題があるよ、竜太。子供を教えていくのに、そして生徒の一人一人を大切に考えていくのに、神を考えることは、必要なことだよ」
「はい、わかりました」
竜太はうれしかった。楠夫は何かを考えているようだった。
「うちの冴子先生はね、親の代から信者だから、神がこの大自然をも人間をも造られたことを、固く信じているよ。でね、夕焼けのきれいな時など、台所からぼくを呼んでね、一緒に見ましょうよってね。ぼくは急いで立って行って、彼女と肩を並べて、その真っ赤な夕日を眺めるんだ。沈むまでのほんの僅《わず》かな時間だけれど、妻と肩を並べて見る夕日というのは、実に神秘的なんだなあ。再び繰り返すことのできない今日の、太陽が沈んで行く。荘厳に美しく沈んで行く。今日も命があって、夫婦でそれを眺めている。これはね、やっぱり神に造られた者の感動だよ、感謝だよ。単なる偶然とはどうしても考えられないんだよ。そうは思わないか」
竜太はなるほどと思った。天地創造の信仰からは、神への感謝が生まれる。しかしダーウィンの進化論からは、どうなるのだろう。竜太は、自分は何も読んでいないながらも、その二つの差が、少しわかったような気がした。楠夫は赤い下唇をぺろりとなめて、
「わかるような気がするけれど、でも、何せうちのおやじがね、毎度のように『何々? 神天地を造り給えり? げらげらだ。そんなこと信じてると出世が出来んぞ、出世が』とくるんですよ。するとおれも、あっそうか、と思ってしまう。いるかいないかわからぬ神を信じていては、生存競争の激しいこの世から、取り残されると言われれば、そうだとも思うし……」
「楠夫ちゃん。そうかなあ」
竜太は遠慮勝ちに言った。
「だけど楠夫ちゃん、冴子先生のお父さんは、旭川でも指折りの時計屋だよ。旭川の商店の中では出世頭だって、うちの父さんがよくいっているよ。医者にも、大学の先生にも、けっこうクリスチャンはいるしなあ」
坂部先生が言った。
「ちょっと話がそれて行ったようだけど、結論は急がなくていいんじゃないかな。進化論に立って、虐げられている人を命がけで助けようとしている人もいるし、天地創造論に立って、隣人愛に身を挺《てい》している人もいるし……」
竜太はふっと、今年の二月に死んだ小林多喜二のことを思った。多喜二は名作「蟹工船」などで有名になった小説家である。多喜二は二月二十日午後一時、路上で逮捕され、その日の午後七時半に絶命したと聞く。警察では心臓麻《ま》痺《ひ》と発表したが、以来七カ月、様々な噂《うわさ》が飛んだ。国民の多くは拷問による死だと信じていた。その死に驚いて駆けつけた通夜の客も葬式の客も、その多くは警察に連行されたとも聞いた。多喜二は小《お》樽《たる》で育ち、小樽の学校を出ている。旭川に住む竜太にとって、身近に感ずる小説家だけに、衝撃は大きかった。しかも警官の拷問による死ということで、更に竜太を驚かせた。信じ難いことだった。質屋である竜太の家には、竜太の幼い時から、私服刑事が週に一度や二度は、張り込みにやって来た。時には、竜太や保志を相手に将棋を指したり、おもしろい話を聞かせてくれたり、腕相撲で遊んでくれたり、一般の人たちと何ら変ることのない人たちであった。
その刑事たちと同じ警察官が、死ぬほどの拷問をしたなどとは、竜太にはどうにも信じられなかった。
(思想が悪い者は捕まるとは聞いてはいたけど……)
たとえ、どんな悪人でも、取調べ中に殺されるなどということは、あり得ない筈《はず》だと思っていた。
「先生、二月に死んだ小林多喜二のことですけど、あれは殺されたんですよね」
「うん、そうらしいね。警察では死因は心臓麻痺と発表したけど……」
「それじゃ嘘《うそ》じゃないですか。ぼく、警察が嘘をつくなんて、思いもしませんでした」
竜太の一《いち》途《ず》な表情に、坂部先生が黙った。楠夫が声を低めて言った。
「竜ちゃん、うちのおやじはね、小林多喜二の話なんか、決して人前でするなって、言ってるよ。多喜二は凄《すご》い親孝行だったとか、きょうだい思いだったとか、ほめて書いている人もいるけど、ほめちゃいけないって」
「どうしてさ。いいところはいいって、ほめたってかまわないんじゃないの」
「知らんけどな、世の中というもんは、そういうもんらしいよ。ね、先生」
楠夫は坂部先生を見た。
「ああ、何だか、いやな世の中になってきたね。満州事変のことを批判したりしても、当局の忌《き》諱《い》に触れる。だから国民は、前後左右を見ながら、何か言いたくても、何も言わずに生きていく。治《*》安維持法というのは、なるほど悪法だ。恐ろしいもんだ」
「治安維持法か。しかしね、先生。うちのおやじみたいに、会社と国家のいうことに賛成して生きていれば、どうっていうことないんだとさ。長いものには巻かれろっていうのが、うちのおやじの本音だな」
楠夫はにやにやした。坂部先生の顔に複雑な影が走った。
「とにかくね、竜太にしても楠夫にしても、日記やノートに、ものを書くことも、友だちとこんな話をすることも、だんだんむずかしい世の中になっていくことは、確かだよ」
「えー!? 先生、日記に書くことも危ないの? いやだなあ、なあ楠夫ちゃん」
楠夫は大人っぽく笑って、
「竜ちゃん、君んちに始終私服が来てるだろ。その割に何も知っちゃいないんだな。うちのおやじなんか、どこで聞いてくるのか、いろんなことを知ってるぞ」
「例えば?」
「うん、例えば、古本屋の進学堂に近づくな、あの店に出入りする者は、警察のブラック・リストに上がっているぞ、なんてさ」
「えっ? 進学堂? ぼくはあの本屋に時々古雑誌を売りに行ってるよ」
竜太は驚いた。進学堂は竜太の家から三丁程の所にある古書店である。竜太は生来神経質で、古本を書いこむということは滅多にない。本は新刊を売る書店で買う。古書店には古雑誌を売る時だけ行くのだ。それを知っている楠夫はにやにやして、
「大丈夫大丈夫。警察は竜ちゃんみたいな学生には、目をつけやしないよ」
「それもそうだ。竜太より楠夫のほうが、とうに目をつけられているんじゃないか。何しろ、ダーウィンにかなり傾いているからな」
坂部先生は笑った。
と、その時、廊下に何か音がした。楠夫が訝《いぶか》り、
「あれ? 何の音だろ?」
用務員さんの足音なら、重いゴムのスリッパをばたりばたりと音を立てながら歩くからすぐわかる。竜太と楠夫は顔を見合わせた。と、軽いノックがした。
「はい」
楠夫は固い声で応じた。静かに引戸が開いた。
「なあんだ、お前たちか」
入って来たのは、芳子と佳世子の二人だった。竜太と楠夫は安心して、思わず笑った。
「いやだわ、何を笑ってるのよ」
佳世子が楠夫に言い、
「先生、お晩です」
と、芳子が頭を下げた。
「おお、よく来たな。ま、上がんなさい」
坂部先生が勧めた。佳世子が言った。
「わたしは早く帰らなきゃ駄目なの。お兄ちゃん、お隣の小母さんが死んだの」
「え!? お隣の小母さんが? おれ、今日の午後に会ったばかりだぞ」
楠夫は直ちに立ち上がった。竜太もそのお隣の小母さんなる人を知っている。いつもミシンを踏んでいて、いかにも働き者という感じの人だった。あちこちから服の仕立を頼まれているのだと、聞いたことがあった。楠夫はその出来上がった品を届けて歩いて、時には小遣いをもらっているとも聞いていた。一人暮らしのその人と、楠夫の母トシ子とは、同じ齢頃で、姉妹のように仲よくしているらしかった。その人が突然死んだ。竜太とは直接関わりはないが、佳世子の言った、心臓麻痺という言葉に衝撃を覚えた。たった今、小林多喜二の心臓麻痺を、あれこれ言っていたばかりなのだ。
竜太が呆《ぼう》然《ぜん》としているうちに、楠夫と佳世子は飛び出して行った。二人の足音が長い廊下に消えた時、坂部先生が言った。
「芳子は帰らなくてもいいのか?」
「いいの。わたし、よく知らない人だから。只、佳世ちゃんに、一緒についてってと、言われただけなの」
芳子はそう言って、坂部先生の前に坐った。竜太はちょっと困ったような気がした。自分もこのまま帰ったほうがいいのではないか、とも思った。まだ八時半だ。このまま先生と話しこんでいると、一時間位はすぐに経《た》つ。芳子と竜太は同じ方向だから、送って行く形になる。しかし、中学生と女学生は、お互い路上で話をすることさえ禁止されているのだ。
(まあいい。芳子を半丁程先に歩かせて、あとから見守って行けば、問題はない)
素早くそんなことを胸の中に巡らせながら、竜太は落ちつかぬ思いで芳子を見た。姉の美千代が結婚するまで、芳子は時折竜太の家に遊びに来ていた。が、美千代の結婚以来一カ月、竜太は一度も芳子の姿を見かけていない。その芳子が、今不意に、目の前に坐っている。竜太はふっと吐息が出た。
あの長いお下げ髪をぷっつりと肩の辺りで切って、芳子はクレオパトラのような髪型に変っていた。前髪が眉《まゆ》に迫る程長く切り揃《そろ》えられていて、芳子が身じろぎする度に、かすかに揺れるのだ。思いなしか、目が以前よりひときわ大きくなったように見えた。もともと強い光を放つ黒い瞳《ひとみ》だったが、それにどこか妖《あや》しさが加わった。竜太は、思うともなく、納豆売りをしていた頃の可《か》憐《れん》な芳子の姿を思い浮かべた。遅刻して泣きじゃくっていた芳子のお下げ髪が目に浮かんだ。
息をのんでいる竜太の様子を、坂部先生は微笑を浮かべて眺めていたが、
「芳子、お前、四年生だよな」
と、しみじみと言った。芳子は坂部先生の前にある急須にお湯を注《そそ》ぎながら、
「竜太さんや楠夫さんが四年生なら、わたしだって四年生よ」
と、にっこり笑った。その目の輝きに、竜太は映画女優にも似た強烈な何かを感じて、どぎまぎした。
(参ったなあ)
と思いながらも、その横顔から視線をそらすことができないのだ。
「すると、芳子は来年卒業だね」
北海道の女学校は四年制なのだ。芳子は首を横にふって、
「いいえ、先生、そのことでご相談したかったんだけど、わたしね、補習科に行きたいんです。二学期になって、急にそう思ったんです」
「補習科? じゃ、小学校の先生になるつもりかね」
女学校を卒業して補習科に進む者は、そのほとんどが小学校教師の資格を取って、教員になるのだ。
「そうか。芳子も先生になるのか。いい先生になるだろうなあ」
坂部先生は楽しそうに腕組みをして、二度三度うなずいて見せた。竜太は、自分も何か言わなければならないと思いながらも、何と言っていいかわからなかった。と、芳子が言った。
「わたしどうして先生になりたいか、竜太さんわかる?」
「さあ……」
「わたし、竜太さんと同じ仕事をしてみたかったの」
「えっ? まさか」
生まじめな竜太は芳子の言葉をまともに受けた。芳子は声を上げて笑い、
「あら、いやだわ、竜太さんったら。わたしだって竜太さんと同じように、坂部先生のような先生になりたいと思うのよ」
竜太はからかわれたと思いながらも、しかしうれしかった。
治安維持法 国体の変革、私有財産の否定などを目的とした結社活動や個人的行為を取り締まる法律。一九二五(大正十四)年に公布され、二八(昭和三)年改正、さらに四一年に大幅に改正され、共産主義活動に対する抑圧策として、違反者には極刑が課せられ、言論、思想の蹂躙をほしいままにする根拠となった法律。一九四五年十月廃止。
炭塵
一
昭和十二年(一九三七)九月五日、この日竜太は、その赴任地、空《そら》知《ち》郡幌《ほろ》志《し》内《ない》に着いた。九月初旬とも思えぬ日射しの暑い日曜日であった。
今、竜太は、布団袋から夜具を出して、押入の上段に入れ、柳《やなぎ》行《ごう》李《り》をその下段に入れた。そして中学校時代以来使い馴《な》れた小さな座机を窓際に据え、あまり大きくない本棚に五、六十冊の本を並べると、それですべてが片付いた。階下から下宿屋の娘の秋子のうたう声が聞えてくる。
男いのちの、純情は
燃えてかがやく 金の星
去年から流行している「男の純情」だ。明るいいい声だ。秋子の歌を聞きながら、竜太は窓から裏庭を見おろした。風にかすかに揺れるコスモスの花群や、赤や青のトマト、濃紺の茄《な》子《す》、葉の繁った枝豆等、十五、六坪の野菜畠《ばたけ》が見え、その向こうには炭《たん》塵《じん》に黒く濁った小川が流れている。向こう岸はいきなり高い崖《がけ》で、崖の上には炭鉱会社の社宅があると聞いたが、竜太の部屋からは何も見えない。
「そうそう、忘れるところだった」
竜太は独り言を言い、今入れたばかりの柳行李を押入から引きずり出した。行李の中に入れてきた目覚まし時計と座布団を取り出すと、時計の捩《ね》子《じ》を巻いて腕時計に合わせ、机の上に置いた。まだ三時をまわったばかりだった。
竜太は目覚まし時計を何となくなでた。芳子が就職祝いにくれたものだ。芳子は女学校の補習科を出て、既に市内の啓成小学校に勤めていた。教師としては、竜太の二年先輩なのだ。
「竜太さん、この目覚ましはね、朝起きのためにだけ上げるのではないのよ」
芳子はちょっと目に微笑を含んで、
「わかる?」
と竜太を見つめた。竜太は軽く頭を傾けた。
「あのね、あなたの生活の目覚まし時計なの」
芳子はくすくすと笑った。
「ぼくの生活の目覚まし時計?」
「いいの、わからなきゃ」
芳子はそう言い、さっと北森家の玄関から出て行った。
その時の芳子を思い出して、竜太は何度も(馬鹿だなあ、おれは)と、胸の中で呟《つぶや》いてきた。つまり芳子は、芳子のことを忘れるなと言いたかったのだ。「お互いにいい教師になろうね」と言いたかったのだ。
芳子と竜太は、小学校四年生の時からの友だちだ。竜太にとって芳子は、小学校時代から気になる存在だった。そして今も同じだ。
師範学校在学中の二年間は全寮制だったから、同じ市内にありながら竜太も家を離れて寮生活をしていた。師範学校の生活は五年間の中学校のそれとは、全くちがった雰囲気であった。全寮制であることも、上級生下級生のけじめがきびしいことも、学校というより軍隊に似ていた。朝は鐘の音で一斉に飛び起きる。そしてあわただしく洗面、乾布摩擦、体操、掃除、朝食と、朝はとりわけ目まぐるしかった。つづいて登校。寮の門限は午後四時半、夕食は五時、夕食後は黙学の時間があって、消灯は九時半と決められていた。むろん僅《わず》かながら自由時間はあっても、芳子に会う時間などある筈はなかった。
師範学校には一部と二部があった。小学校の高等科を出て、五年間師範学校に学ぶ生徒を一部の生徒と言い、五年間中学で学んだのち、二年間師範に学ぶ者を二部の生徒と言った。
寮は一部屋に四、五人、上級生下級生が組み合わされていた。この上級生の走り使いに下級生は追いまわされ、入浴の時も下級生は上級生の背中を流さねばならなかった。その封建的なあり方に抵抗して、三年生のある生徒は学校をやめようと決意した。が、彼はやめなかった。師範生は学費も被服費も貸与されていて、退学する者は、全額学費も被服費も返還しなければならなかったからだ。
師範生のほとんどは秀才であったが、家の貧しい者が大方だった。何百円もの学資の返還など負担できる父兄は皆無といってもよかった。竜太はその点異色の生徒でもあった。学校をやめようと思ったその生徒が、
「一旦入学したら、やめる自由もこの学校にはないんだよ」
と嘆いていたのを、竜太も聞いていた。しかしその生徒がやめたかった本当の理由は、配《*》属将校がきびしい軍事教練の中で、常に言っていた言葉にあった。配属将校は、
「君らは畏《おそ》れ多くも天皇陛下の訓《くん》導《どう》になる身であるぞ」
と、絶えず口うるさく言っていたのだ。とにかく竜太は、芳子とは文通さえ許されぬ生活の中にあった。
そしてこの三月、竜太は二年間の学びを終えた。終えるや否《いな》や、卒業生たちは勤務地に赴任する前に、旭川師団に入隊した。四月一日から八月三十一日までの入隊期間であった。その総仕上げの第一期検閲が終って、初めて教壇に立つことが許されたのだ。
(明日からこの炭鉱の町で暮らすのか。どんなことになるやら)
思いながら竜太は、母のキクエから持たされた菓子折を持って下宿を出た。下宿といっても、階下には生命保険の代理店を営む元小学校長の夫婦と、その娘が、学校から頼まれて、二人の下宿人を置いているだけだった。その一人が転任したあと、三カ月程空いていた部屋を竜太が借りることになった。隣室には札幌師範出の教師がいるという。三年先輩と聞いた。親戚の法事で、実家の小樽に帰省中というその教師は、今日の終列車で帰ってくるらしかった。
今日、午後の一時過ぎに竜太が幌志内の駅に着いた時、迎えに来ていたのは下宿の主《あるじ》宮川勇治とその娘秋子、そして同学年を担当する若い男女教師二人の四人だった。荷物はリヤカー一つで運べる程度のものだったから、迎えに来てくれた教師たちが、二、三度階段を上り下りしただけで、すべてが終った。
それからまだ二時間しか経《た》っていないのに、竜太にはひどく長い時間のようにも思われた。白いハイヒールを履いた女教師が、歩く度に左右に揺れる襞《ひだ》スカートを、形よくゆらゆらさせながら、若い男性教師に三メートル程遅れて歩いて行く姿を見送ったのも、今日の出来事ではないような気がする。
男性教師は堀松雄と言い、女教師は小山光子と言った。二人共屈託なくよく笑って、何となく明日からの教師生活が楽しいような気がした。
(人生って、不思議なものだなあ)
竜太は駅前の橋を渡り、看護婦が窓から所在なげに外を眺めている炭鉱病院の前を歩いて行く。昨日までは、見たことも聞いたこともない人間が知合いとなる。そう竜太は考える。職員室の自分の前にはどんな人間が坐るのか、横には誰が坐るのか。校長は権力的な男か、それとも紳士的な人間か、それもわからない。教頭というのは恐ろしい存在だとよく聞くが……などと思いながら、気がつくと竜太は、大きな呉服屋の前を通り過ぎようとしていた。その隣に駐在所があった。巡査の姿が、重いがけなく懐かしかった。
そこからしばらくは、家並が途切れて、低く唸《うな》りを立てて廻《まわ》る機械音が聞える洗炭場が左手に見える。右手の鉄道線路の向こうの、ひな壇のように整地された山腹に、ハーモニカ長屋が整然と十棟程建っていた。その家の前を子供たちが駆けまわっていた。子供たちの澄んだ声が聞えた。
この炭鉱の町は狭い山《やま》間《あい》にあって、両側から低い山が迫っていた。この町を東西に縦断する道は只一本で、その道の所々から、両側の山腹に細い道が這《は》い上がっている。まるで葉脈のような具合だ。
(旭川から、三時間と汽車に乗らぬ所に、こんな炭鉱街があったのか)
竜太は知らなかったことが、何かすまないような気がした。旭川から滝沢駅まで、汽車で二時間程かかる。そこで、乗り替えて、四十分程沢に入ると、もう幌志内だ。今まで幾度函《はこ》館《だて》本線に乗り、滝沢駅を通過していたことか。しかし竜太は、一度としてこの山間に、水浴びもできない真っ黒な川が流れていることも、山腹には貧しい長屋がたくさん建っていることも、思い見たことはなかったのだ。
再び道は市街地に入った。黒い詰《つめ》襟《えり》の服を着、新しい皮靴を履いた竜太の姿を、街の人々は小学校の教師と察してか、時折人のいい笑顔を見せて頭を下げて行く。本屋、荒物屋、食料品屋、米屋、郵便局、消防署などが建ち並ぶ市街地を行くと、子供たちが四、五人駆け寄って来て、
「先生だべさ」
「何という名前さ」
「何年生の先生さ」
と、矢つぎ早に質問を浴びせかけた。
「うん、明日からここの学校の先生だ。名前は北森竜太」
と言うと、何がおかしいのか、子供たちはわっと笑った。
「おい、竜太だとさ、竜太だと。似合わん名前だなあ」
と、言いながら素早く竜太と手をつなぐ子もいる。ふと気づくと、ちょっと離れた所に、少し背の高い五、六年生と見える青白い男の子の姿があった。目鼻立ちははっきりしているが、赤い唇がぽかんとあいていた。竜太が笑うと、この子も笑って近づいて来た。
子供たちの輝く目を見ると、竜太はふっと胸の熱くなるのを覚えた。旭川の子供たちとはまたちがった素朴なものが、この炭鉱の町の子供たちにはあるような気がした。
左手に大きな学校が見えてきた。汽車の窓から見た校庭の広いあの学校だ。が、校庭には遊具はほとんどなかった。竜太たちの学んだ旭川の小学校の校庭にあったブランコも、遊動円木も、回旋塔もなかった。器械体操の低い鉄棒だけが幾つかあった。
子供たちは校庭を横切ろうとする竜太に、「さいなら」と言い、
「ここまっすぐに行ったら、先生たちの住宅があるよ」
「校長先生の住宅が一番大きいから、すぐわかるよ」
と言って、駆け去って行った。竜太は校庭を横切りながら、不意に不審な思いに駆られた。日曜日だというのに、校庭に子供たちの影が一つも見えない。しかも、校庭は舐《な》めたように掃き清められている。その一画に、煉《れん》瓦《が》造りの御真影の奉安殿が、五葉松やアララギなどの針葉樹に囲まれて、初秋の青空の下に粛然と建っていた。
不意に河地先生の顔が浮かんだ。この学校に幾人もの河地先生がいるような気がした。
校長の住宅は、屋根のある釣《つる》瓶《べ》井戸のすぐ傍らに、小ぎれいに建っていた。竜太は恐る恐る格子を開け、
「ごめん下さい」
と案内を乞《こ》うた。が、何の物音もない。もう一度、竜太は声をかけた。と、目の前の閉ざされていた障子が、五センチ程開いた。竜太は障子の向こうに子供がいるのかと思った。
「お父さんはいらっしゃいますか」
危うく竜太は声を出すところだった。と、障子の向こうで女の声がした。
「どなたさまですか」
竜太は驚いた。僅か五センチしか障子を開けずに、客にものを言う人間がこの世にいようとは思わなかった。
(もしかしたら、人に顔を見られたくない、何か理由があるのかも知れない)
素早く竜太はそう思い巡らして言った。
「はい。今度お世話になります旭川の北森竜太です」
「北森さん? あなた、何《なん》時《じ》の汽車でお着きになりましたか?」
「はい、一時です」
そのまま声が途絶えた。
(着いたらすぐ、挨《あい》拶《さつ》に来なければならなかったのだろうか)
竜太はしかし、荷物を片付けてから来たとしても、そう咎《とが》められることではないような気がした。
「少しお待ち下さい」
障子の向こうで、女は言った。
「あの……これ、つまらないものですが」
竜太は風呂敷包みから菓子折を出した。その折は旭川の一心庵のもので、桃山と栗《くり》饅《まん》頭《じゆう》が入っている筈だった。竜太が上がりがまちの上に菓子折を置くと、ようやく障子が、半分開いた。血色の悪い、しかし眉のきれいな女が静かに微笑していた。竜太は再び、
「北森です」
と頭を下げた。妙な女だが、不思議に竜太はいやな感じはしなかった。
「ちょっとお待ち下さいませ」
と、女が菓子折を持って奥に姿を消すと、家の中はまたしんと静まった。とその時、
「やあ、こんにちは」
と、竜太のうしろで声がした。ふり返ると、小《こ》肥《ぶと》りの中背の男がにこにこと立っていた。あちこちに継ぎの当った作業服を着、手には竹《たけ》箒《ぼうき》を持っている。竜太は用務員かと思って、
「ああ、小父さん。旭川から来た北森です。よろしくおねがいいたします」
と、ぺこんと頭を下げた。男は大きく笑って、
「いや、こちらこそよろしく。まあ上がり給え」
と、あごで奥を指し示した。竜太は飛び上がらんばかりに驚いた。校長の沢本庄平であったのだ。
「すみません! 失礼しました! 校長先生でありますか」
つい先日までいた軍隊の語調になって、不動の姿勢を取った。
「いや、こんな汚い格好をしていては、校長だとは思わんのが当然だ」
沢本校長は笑いながら、裏口に廻ったようだった。
二
客間に通された竜太は、また驚いた。竜太の母親のキクエもかなりのきれい好きであったが、この家のきれいさは段ちがいであった。開け放った廊下は、鏡のように陽を弾《はじ》き返し、床の間の柱も板も、未《いま》だかつて見たこともないほどに、ぴかぴかに磨きこまれている。今、僅かに五センチほどしか障子を開けなかったのは、外の埃《ほこり》が舞いこむのを恐れたためか、と思うほどだった。
この時竜太はまだ、校長の妻が、二十数名の教師たちに恐れられている存在であることを知らなかった。
「あなたの好きな桃山です」
校長の妻は言いながら、にっこりと竜太に笑みを見せ、
「あなたも召し上がれ」
と、竜太の前にも、自分の前にも銘々皿にのせた桃山と栗饅頭を置いた。
「それはありがたい」
と、太い指で校長は桃山をつまみ、ほとんどひと口でのみこんだ。のどぼとけが大きく動くのを見ながら、竜太は思わず息をとめた。
「うまい! なるほど、うまい! 一心庵の桃山だけのことはある。な、北森君、信用というものは恐ろしいもんじゃ。誰かが言った、人間信用を失っては、死んだも同然じゃとな」
「はあ」
沢本校長は端然と正座している。竜太も膝《ひざ》を崩すわけにはいかない。
(人間、信用を失ったら死んだも同然か)
竜太には何か恐ろしい言葉に思われた。
「ま、あぐらをかきなさい」
校長は、肉体労働者のようながっしりした手を伸べてそう言い、自分もあぐらをかいて、
「君、この、継ぎの当った上着やズボンに、驚いただろう。わしはね、こういう格好が何より好きだ。ばりっとした背広を着ている時より、モーニングを着こんでいる時より、この継ぎはぎ姿が、一番心が安らぐ。日本男児だという思いが漲《みなぎ》る」
「はあ」
日本男児という言葉がいきなり飛び出したので、竜太は飲もうとして持った茶《ちや》碗《わん》を、茶《ちや》托《たく》に戻した。校長は、驚く竜太には頓《とん》着《ちやく》なく言葉をつづけた。
「ところで、君の成績はなかなかのものだ。旭中時代も、師範の二部時代も、ほとんど首席じゃないか。わしには子供がないので、君が次男ならもらいたいほどだ」
「どうも……」
竜太は頭を掻《か》いた。
「ところが、聞くところによるとだね、旭川市内の二、三の校長から、君を欲しいと話が出たにもかかわらず、君は炭鉱の小学校を希望したそうだね。一体どうしてだね」
「はあ……」
竜太は、当然来る質問だと覚悟はしていた。だがうまく説明できるかどうか不安だった。縁側から紛れこんだカラストンボが、校長の肩にとまった。継ぎの当った作業衣のままの校長が、竜太には不意に親しく思われた。
「……実は、自分は炭鉱の町をよく知らないものですから、勉強させてもらおうと思って、希望しました」
竜太は、ちらっと坂部先生の顔を思い浮かべながら言った。師範学校に入ったばかりの頃《ころ》、坂部先生は言ったのだ。
「竜太、お前、旭川の先生で一生を終るのか」
竜太は、坂部先生のいう意味がよくわからなかった。旭川で終るより、東京へでも出て行けというのかと思った。中学時代の教師たちの中にも、竜太に東京の高等師範学校を受けるように勧めた二、三人がいた。が、坂部先生は深く腕組みをして、
「ぼくはねえ、竜太、自分が町の教師になったことを、少し後悔しているんだ。時々、親の住んでいる稚内に、帰ろうと思うことがある。そして、稚内の漁師たちの子供を教えてみたいと思うことがある。漁師たちは板《いた》子《ご》一枚の下は地獄といわれる危険な海で仕事をしている。そんな親たちを持っている子供と、仲よしになってみたいんだ」
竜太には坂部先生の心がよくわかった。旭川にはない危険が、漁師たちには毎日あるのだ。坂部先生は、そんな家の子供たちと共に重荷を背負いたいと思っているのだ。そう思った時、坂部先生は竜太に言った。
「しかしこの頃はね、炭鉱街に心が動いているんだよ。炭鉱はいつ落盤事故があるか、ガス爆発事故があるか、わからん所だ。日本中、事故のない炭鉱など、ないんじゃないか。しかしね、炭鉱の子は、父親が事故で死んでも小学校を出ると、炭鉱で働くという話も聞いた。そんな炭鉱の子供たちと、じっくり話し合える教師になってみたいと、時々思うんだよ」
竜太はなるほどと思った。坂部先生は、東京の高等師範に行けとか、もっと大きな都会の教師になれとは、決して思っていないのだ。出来れば竜太にも、炭鉱街の子供たちを心から抱き寄せる教師になって欲しいと願っているのだ。そしてこの言葉が、師範学校に入った自分への祝いの言葉だと、竜太は思ったのだった。
それから一年経って、竜太は旭川市内の小学校に教生として学んだ。その時の松田校長が竜太をひどく可愛がって、鮨《すし》屋《や》に連れて行ってくれた。その時竜太は、将来は炭鉱街の小学校に勤めたいと洩《も》らしたのだった。真剣な竜太の言葉に、松田校長はしきりにうなずきながら聞いていたが、この校長が間もなく市の学務課長になったのである。この学務課長の好意が、竜太を幌志内の教師として送り出してくれたわけである。
が、竜太は、今、坂部先生の話も、学務課長の話も、沢本校長には告げなかった。
「そうかね。只、炭鉱のことを知らないから、炭鉱の小学校を選んだというだけかね」
やや疑わしげな語調になって、沢本校長はお茶を一息に飲んだ。
「はい。それだけです」
竜太はくもりのない声で言った。
「ふーん」
沢本校長は、じっと竜太の顔を見つめ、
「君は小説を読むのは好きかね」
「好きというほど、読んではいませんが」
「哲学はどうかね」
「自分は、幼稚で、教科書以外のことは……哲学など全く知らないのと同じです」
竜太は、下宿の本棚に並べた数十冊の中の名を思い浮かべながら答えた。事実、夏目漱石、芥川龍之介、森鴎外、志賀直哉等の何冊かと、西田幾多郎、倉田百《ひやく》三《ぞう》等の何冊かでは、小説が好きだの、哲学を読んだだのとは、言えないと思った。
「そうかね。驚いたなあ。大きな声じゃ言えないがね、わしは実は、『貧乏物語』も読んだ、『資本論』も読んだ。社会主義研究の雑誌も読んだ。むろん『女工哀史』も読めば、『聖書』も読んだ。中野重治や小林多喜二も読んだ。それがわしらの青春であり、壮年時代だった。ま、今もまだ壮年だがね」
竜太は何と相《あい》槌《づち》を打つべきかわからずに、只まじまじと校長の顔を見つめていた。
「しかるにだ、君は小説も哲学も読まずに、どんな青春時代を送るつもりなのかねえ。今、君は二十《はたち》を超えたばかりだろう。青春の真っ只中にいて、只教科書ばかり勉強してきたのかね」
「はあ」
竜太は頭を掻いた。まだ軍隊を出たばかりの坊主頭だが、三《さん》分《ぶ》程は伸びている。その坊主頭を眺めながら、沢本校長は言った。
「ところでな君、わしは今や『国体の本義』の猛烈な愛読者だ。君は『国体の本義』を読んだかね」
「いえ、まだです」
「何? まだ読んでおらんのか。それはいかんな。今や日本は支那大陸に本格的に戦火を拡大しようとしている。日本は、天皇陛下を中心に一致団結せねばならん。時代は大きく変りつつある。ま、こんな話は、いやでも応でも毎朝修養の時間に聞かせることにして……君、饅頭を食べ給え。うん、この栗饅頭もなかなかうまい」
竜太は自分が持って来た栗饅頭を、「頂きます」と言って、二つに割った。
「わしはね、君が秀才との評判を聞いたもんだから、てっきり左翼かと思ったよ。むろん、秀才イコール左翼とは限らんがね。この炭鉱会社には、時々マルキストの若者が紛れこんで、共産党の宣伝にこれ努めているという噂《うわさ》がある。炭鉱という所は、住所を聞いただけで、会社の職員か、鉱夫か、見当がつく。何しろハーモニカ長屋は鉱夫たち、二戸建や一戸建は職員の家と、相場が決まっている。階級闘争を唆《そそのか》すには、実にやりやすく出来ている街だ。君もその一人かと思ったが、どうやらそうじゃなさそうだね」
沢本校長は小肥りの肩をゆすって笑った。
「ところで、君のお父さんは、何の仕事だったっけね?」
竜太は一瞬ためらってから言った。
「質屋です」
「何? 質屋? まさか因《いん》業《ごう》質屋じゃあるまいね。いや、これは冗談冗談」
沢本校長はまたひとしきり笑ってから声をひそめ、
「しかしね、貧しい者を相手の商売では、君の若い魂は、もしかしたら疼《うず》いているんじゃないのかね。まだ注意人物だな」
竜太は栗饅頭の甘みが舌にあるうちに、校長宅を辞した。校長夫人が、ひっそりと押し黙ったまま畳に両手をついて、竜太を見送った。青い静脈の浮いている白い手であった。
幌志内に着いて初めての食事を、竜太は今取ろうとしていた。真《ま》鰈《がれい》の煮付に茄子の油炒め、馬《ば》鈴《れい》薯《しよ》の唐揚げと、輪切りのトマト、それにしじみ貝の味《み》噌《そ》汁《しる》が、膳《ぜん》に並べられていた。これが、絶えず歌をうたっているこの家の娘秋子の手になる料理かと、竜太はひとまず安心した。
食事は二人の下宿人が、銘々の部屋で取ることになっているらしい。
秋子は膳を竜太の前に置くと、
「沖島先生は終列車で帰って来られるから、先に召し上がっていて下さい」
と、はきはきと言った。度の強い眼鏡の底に、細い目が柔和だった。
「おいしそうですね」
竜太はお世辞でなく言った。
「おいしそうでしょう。見たところはね」
親しみ深い笑顔を残して、秋子は階段を降りて行った。と、すぐに、
あなたと呼べば あなたと答える
山のこだまの ……
と、透《とお》る声で歌い始めた。明るいひとだと思いながら、竜太は先《ま》ずしじみの味噌汁をひと口すすった。わが家の味に似たいい味だった。
食事を終えて二時間近く経った頃、階下で秋子の、
「お帰りなさい、沖島先生」
という声がした。どこかに出かけていた父親と母親の声もぼそぼそとする。が、沖島という教師の声は聞き取れなかった。竜太は迎えに降りて行くべきかどうか迷ったが、そのまま机に向かって、読むともなしに漱石の「こころ」を開いてみた。もう幾度も読んだ本だ。親友を裏切った男の苦痛が、心に沁《し》みてくる小説なのだ。
(沖島先生って、どんな人だろう?)
竜太は本を閉じた。と、階段が軋《きし》んで、ゆっくりと上がってくる足音がした。竜太は思わず身を固くした。隣室の住人である、すぐに自分の部屋に入るだろうと思った。そこへ自分が挨拶に行けばいいだろう。竜太は正座をしたまま考えた。と、襖《ふすま》の向こうで、
「入りますよ」
と、低い声がした。いや、低いというより寝《ね》惚《ぼ》けたような、妙に重量感のない声だった。竜太はあわてて、
「はっ、どうぞ」
と、襖のほうをふり返った。襖が開き、背の高い男が、のっそりと背を屈《かが》めて入って来た。
「沖島です」
立ったままちょっと一礼してから、畳の上にあぐらをかいた。
「北森竜太です。よろしくおねがいいたします」
竜太は固くなって両手をついた。沖島は、
「いやあ、悪かったなあ。あんたが来るって聞いていたけど、法事があってね。それもさ、法事だけじゃないんだよ。親戚の者が見合の相手をつれて来ていてね、いや参ったよ」
竜太は驚いて沖島の顔を見た。鼻筋の通った、髪のやや縮れた沖島は、笑うと片頬に長い笑くぼができた。竜太は今まで、初対面でこんなにざっくばらんな男に会ったことはなかった。いや、ざっくばらんともちがう。威圧感が全くない。何年もつきあっているような親しさがあった。竜太は、何と返事をしてよいか、言葉を探しながら、しかし内心ほっとしていた。この人と一つ釜《かま》の飯を食う間柄となるのだ。
「すみません。ぼく、お先に食事をしました」
沖島はきょとんとしたが、すぐに、ああという顔をして、
「飯ぐらい、好きな時に食おうや。ここは師範学校とはちがうんだ」
と、垂れ下がる髪を掻き上げ、
「北森さん、あんた、むろん校長の家に挨拶に行ったでしょう」
と、竜太を見つめた。
「はい、行って来ました」
「校長の奥さん、障子を何センチ開けたかね」
沖島は再びにやりとした。竜太も思わず笑って、
「五センチぐらいです」
「五センチ開けてもらえば、いいほうだ。みんなやられているんだから、何も気にする必要はないよ」
「えっ? みんな五センチですか」
「三センチの人もいれば、全く開けてもらえない人もいるよ。給料を届けに行っても、給料袋が出入りできる程度しか、開けないこともあるそうだ。決して気にしないほうがいいよ。結果があれば原因があるんだ。それなりの理由があるんだろうさ」
沖島はおだやかな語調だった。
「はあ、それなりの理由ですか」
竜太は正《まさ》しく新しい世界に入ったのを感じた。
「それで、玄関払いかね」
「いえ、ぼく失敗して……校長を用務員さんかと思って、小父さんとか言っちゃって……」
沖島は思わず膝を叩いて笑った。
「そして、座敷に上がって、栗饅頭をごちそうになってきました」
「ええっ!? あんた、そりゃあ前代未聞だよ。上がりがまちに坐らせられて、お茶でも出ればいいほうだ」
「あ、この栗饅頭……」
竜太は机の下にあった菓子折を沖島の前に置いた。
「や、これはどうも。それで、思想調査はなかったのかねえ」
沖島は片頬に笑くぼを浮かべた。
配属将校 学校配属将校の略称。第二次大戦前の日本で、学校における軍事教育のため配属された尉官以上の軍人のこと。
初出勤
一
まだ五時を過ぎたばかりだというのに、竜太は沖島先生と揃《そろ》って下宿を出た。下宿の娘の秋子が、
「行ってらっしゃい」
と、少し眠そうな声で言い、
「北森先生、初出勤ね。頑張って」
と、励ましてくれた。
「はい、ありがとう」
竜太の声も眠そうだ。
昨夜、沖島先生から竜太は出勤時間について聞かされた。校長は、職員朝礼が七時半から始まると言っていたので、それまでに出勤すればよいのかと思っていた。ところが沖島先生の話では、
「ここの学校の噂《うわさ》を聞いて来なかったのかねえ。もっとも聞かされていたら、自分から進んで希望する者なんか、いないけどねえ。五時に家を出たって、もうほとんどの先生は、出勤しているよ」
とのことだった。
「五時!?」
竜太は仰天した。五時は、竜太にとってまだ眠りの時間なのだ。
「ほんとですか!」
驚く竜太に、
「嘘《うそ》かほんとか、明日行ってみたらわかるよ」
沖島先生は苦笑を浮かべた。
「五時に行って、何をするんですか」
「つまらんことさ。教室を掃除したり、広い校庭を清掃したりするんですよ。特に奉安殿の周りはていねいにね」
竜太は、あの紙《かみ》屑《くず》ひとつ落ちていなかった、そして遊具すらほとんどなかった広い校庭を思い出した。
「掃除するために? そんなこと、放課後にでも、生徒たちにさせたらいいんじゃないですか」
「そういうことですよ。しかし、朝早く、教師たちに清掃させるというのは、校長にとっては意義あることなんですな」
沖島先生は、人ごとのようにおもしろそうに言った。竜太は不安な思いに駆られた。朝の五時から教師たちを出勤させて、校庭を清掃させる。そんなことに生《いき》甲《が》斐《い》を感じている校長に、易々として従っている教師たちの学校。何か想像もつかぬ世界が、そこに待っているような気がした。
「沖島先生も毎朝五時に行かれるんですか」
沖島先生はうなずいて、
「情けない奴《やつ》ですよ、わたしは。ま、みんなそう思っていますよ。腹ん中じゃ、この校長さん、一日も早くどっかの学校に行ってくれないかなとか、病気になって寝こんでくれないかなとか、中には死んでくれないかなと思っている人間もいる筈です。でも、それだけのことです。みんな従順なもんです」
自《じ》嘲《ちよう》的な語調だった。
今朝起きたのは、四時四十分だった。布団を押入に押しこみ、洗面もそこそこに、朝食は、五、六分ですませた。便所に行く暇などはない。朝飯の仕度をする秋子は何時に起きるのだろうと、竜太は気の毒だった。
朝日の差し始めたまだ静かな街を、竜太は背の高い沖島先生と並んで、足早に歩いた。
「そう急ぐことはないですよ。こっちは職員住宅の先生たちより、遠くから通うわけですからね」
沖島先生は落ちついている。
校門を入って、竜太は思わず足をとめた。十二、三人の男女の教師たちが、声もなく黙々と竹《たけ》箒《ぼうき》を動かしているのだ。箒目の立った校庭に足跡をつけて行くのは、何か気のひける思いだった。
奉安殿の前に立つと、沖島先生は、七、八メートル離れた奉安殿に向かって最敬礼をした。竜太も最敬礼をした。奉安殿に最敬礼をすることは、竜太には何の抵抗もなかった。小学校に入学以来、中学校、師範学校と最敬礼しつづけて来たからだ。沖島先生は同僚たちに、
「お早うございます」
と、低い声で挨《あい》拶《さつ》をした。同僚たちも低い声で挨拶を返した。が、竜太は大きな声で挨拶をした。教師たちはちょっと驚いたように竜太を見、やはり低く挨拶を返した。その様はあたかも、何か秘密結社のような奇妙な雰囲気であった。
「いやあ、よう朝早く起きてこれたねえ」
どこにいたのか、校長が近づいて来て言葉をかけた。竜太は校長にも元気よく挨拶をした。校長はにこにこしながら言った。
「北森君、朝は静寂をもって貴しとするんだ。もっと低い声でもいいよ」
竜太は思わず顔を赤らめた。そして悟った。この早朝の職員の清掃が、ひとつの精神的な行《ぎよう》であることを。
「はい、わかりました」
竜太は低い声で答え、沖島先生のあとに従って、職員玄関の前に立った。
山の中腹に建てられたこの学校は、一階が校庭より三メートルも高く、二階のように見えた。玄関の前に立つと、高い壇上から全校庭を見おろすかたちに造られていた。校庭に生徒を集める時、職員たちは多分この職員玄関前で号令をかけるのであろう。
竜太は玄関に一歩入ろうとしてまた驚いた。二人の女教師が、ひざまずくようにして玄関の床を雑《ぞう》巾《きん》で拭《ふ》いていたのだ。玄関の床は板張りだった。板張りだが、職員たちが、土足で上がる所だ。その土足で上がる所が、すべすべに拭きこまれているのだ。
「お早うございます」
竜太は固くなって挨拶した。二人が立ち上がって挨拶を返してくれた。その一人が、昨日駅に迎えに来てくれ、荷物を二階まで運んでくれた小山光子先生であった。
「や、昨日はどうもおせわになりました」
小山先生は片目を軽くつぶって、
「どういたしまして」
と、かすかな声で言った。
(なるほど、静寂をもって貴しとなす、か)
玄関のすぐ傍《そば》に、教室を二つ繋《つな》いだような職員室があった。職員室にも床を磨いている男女の教師が数人いた。沖島先生が大きな声で、
「お早うございます」
と言い、掃除をしていた教師たちは、普通の声で挨拶を返した。
「新任の北森竜太先生です。ぼくと同じ下宿だからよろしく」
「よろしく」
と、また普通の声が返ってきた。
「沖島先生、ここでは大きい声を出しても、かまわないんですか」
沖島先生はささやいた。
「校長一人だけ静寂だと信じていればいいんですよ。臨機応変、臨機応変」
竜太はうなずいた。何だかひどく疲れるような気がした。
竜太もすぐに雑巾を与えられて、教師たちの机を拭き始めた。机を拭く雑巾は、雑巾というより、布《ふ》巾《きん》のようであった。白い晒《さら》しを四枚重ね、緑色の木綿糸で、糸目も美しく刺されてあった。どの机にも、花瓶などはなかった。いや、花瓶どころか、本一冊も上がっていない。本を読む時だけ、担当箱か風呂敷包みから取り出すのかも知れない。どの担当箱の上にも、風呂敷包みか革《かわ》鞄《かばん》が置かれてあった。それでも校長の大きな机にだけは、ガラスの粗末な一輪挿しがおかれてあり、コスモスの花が挿されてあった。
職員の机は部屋の両側に向かい合って並べられ、校長と教頭の机は、その教師たちを監督するかのように、職員室の正面に据えられてある。小学校には、校長室や事務室などはない。事務員もいない。給仕もいない。お茶汲《く》みは女教師たちの仕事で、これは竜太の卒業した大栄小学校も同じであった。
校長と反対側の片隅に、紙切り台や、謄写版などがあり、画用紙、西洋紙、各種の罫紙などを入れたガラス戸棚が、壁面を背に置かれてあった。竜太は二十幾つかの机を拭きながら、ちらちらと職員室の様子をうかがった。職員室の壁には、行事予定表が巧みな白墨の字で書かれてあった。九月六日月曜日の行事予定として、「北森竜太先生ご着任」と書かれてある。
竜太は机をぐいぐい拭きながら、
(ご着任か、これが……)
と、思わず胸の中で呟《つぶや》いた。
(そうか、これがぼくの教師生活の第一歩か)
何かは知らないが、「静寂をもって貴しとなす」の言葉が妙に重苦しく迫るのを感じた。
その後教師たちは、銘々の教室を見廻り、拭き清めているようだったが、竜太はまだ校長から、何年の何組を頼むとは言われていない。沖島先生のあとに従って、沖島先生の教室に行ってみた。沖島先生は三年男子の受持だった。教室のうしろの壁に貼《は》ってある図画や習字のうまさに、竜太は目を瞠《みは》った。それらの作品をひと目見ただけで、沖島先生の優れた指導力がわかるような気がした。
図画はどうやら遠足の絵のようだった。ある生徒は二列に並んで山道を行く様子を、実にていねいに描いていた。草も、木も、人間も、ひとつひとつが細かい点まで描きこまれていて、三年生の作品とは信じられなかった。その隣の図画は、黒い川に渡した橋の上から、下をのぞきこんでいる二人の子が描かれ、他の何人かの子が、とうに山道にさしかかっている様子が、楽しく描かれていた。先に行く生徒の一人が、手招ぎしているのも竜太を微笑させた。と思うと、大きなおにぎりを持った男の子の手と、それを食べようとしている男の子のうれしそうな顔だけを描いた遠足の絵もあった。
(なるほど!)
と竜太はうなずいた。沖島先生は、生徒たちが最も心に残った遠足の様子を、実に自由に描かせている。図画を見ただけで、沖島先生の生徒に対する愛情が豊かに伝わってくるようだった。竜太は思わず声を上げた。
「先生! すばらしいですね」
沖島先生は何やら小黒板に書いていたが、顔を上げて、
「北森さんも絵が好きですか」
と、例の茫《ぼう》洋《よう》とした言い方で尋ねた。
「ぼくはまだ、好きと言えるほどのものを持っていませんけど、この図画を見ていたら、ぼくも生徒に早く図画を教えたいような気がしました」
沖島先生は竜太の言葉に、
「あんたは素直な人だなあ」
と、細い目をいっそう細くして竜太を見た。
二
六時半近くになると、沖島先生が言った。
「これから職員室で、修養の時間というのがあるんです」
「へえー、修養の時間ですか。どんなことをするんですか」
「みんな、自分の好きな本を黙読するんです」
「へえー、好きな本を黙読するんですか?」
思いがけないことだった。
「そうです」
沖島先生は書き上げた小黒板を、黒板の脇に吊《つる》した。のびのびとした字で、
「今週の目標
友情を考える」
と書いてあった。沖島先生は自分の椅子に坐ると、
「実は、北森さんに本のことを言うのを忘れたんですよ。でも、ぼく二冊持って来ましたから、一冊貸しますよ。今日はこれを読んでいてください。多分この本は無難ですから」
沖島先生は、文庫本の「三太郎の日記」を服のポケットから出して、かざして見せた。
「あ、すみません」
竜太は沖島先生が、本のことを言うのを忘れたのではなく、自分のためにちょうどよい本を選んで、持って来てくれたのではないかと思った。
「北森さん、修養の時間に三十分本の黙読しますとね、次に七時半まで職員朝礼があります。その時、当番の人が読んだ本について、感想を述べるんです。校長がそれを聞いて批評します。『君、その考え方は危険だね』とか、『その本は二度と手にしないほうがいいね』とか言うわけです。しかし、気にすることはありませんよ。意地悪で校長はそう言っているつもりはないんですから。いち早く赤化思想の芽を摘み取って、善導してやっているつもりですからね。ありがたく思わねばなりませんよ」
沖島先生は冗談めかして言い、愉快そうに笑った。
「若い先生の中には、わざと、二度と持って来てはなりませんと言われる本を持って来たり、洋書をべらべら読んで、煙《けむ》に巻いたりする先生もいましたがね、近頃はみなおとなしいもんです。ぼくと同様にね。今日の朝礼で、北森さんはみんなに紹介されると思います。あんたが読んだ本も紹介される筈です」
竜太は容易ならぬ学校に赴任したことを、いやでも認めざるを得なかった。そして、しみじみと沖島先生の行き届いた配慮を感じた。こんなことを昨夜のうちに聞いたら、竜太はどの本を持って行こうかと悩んだり、この学校に来たのを後悔して、眠れなかったのではないかと思った。
竜太は少し早目に、沖島先生につれられて職員室に行った。校長はどっしりと、大きい焦茶色の机に片ひじをつき、隣の教頭席にいる青い背広を来た万田教頭と、何かひそひそと話をしていたが、沖島先生とつれだった竜太が近づくと、にこにこと竜太を見た。竜太は改めて、
「旭川から参りました北森竜太です。よろしくおねがいいたします」
と、ていねいに頭を下げた。
「なるほど、礼の仕方がよろしい。いい教師になるだろう。頑張ってください」
と、校長は温かい語調で言い、隣の教頭万田忠一を紹介してくれた。
「万田教頭先生だ。可愛がってもらいなさい」
教頭はちょっと声高に笑って、
「万田です。ま、頑張ってください。仲よくやりましょう」
と言ったが、その目は笑っていなかった。教頭はすぐに笑顔を引きしめて言った。
「北森先生、あなたに高等一年を受持ってもらいますが、よろしいですな」
語調が変にていねいだった。竜太もつい、ていねいな言葉になり、
「わかりました。高等一年ですね。ぼくには力もありませんが、一生懸命やらせて頂きます」
と、深く一礼した。
受持が決まったところで、初めて同学年の教師たち全員に紹介された。高等一年の受持教師は、竜太を入れて四人だった。その中の二人は、昨日駅に迎えに来てくれた堀松雄と、小山光子だった。もう一人は学年主任の崎谷吉文といって、そのダブダブの黒いズボンと、ぎょろりとした大きな目が、ちょっとチャップリンを思わせる印象だった。堀松雄先生と小山光子先生は昨日と同じ明るい微笑を見せて、
「どうぞよろしく」
と、気軽に挨拶してくれたし、チャップリン先生も、
「ま、あんまり張り切らんで、ぼちぼちやりましょうや」
と、竜太に顔を近づけて言った。竜太の席は、堀先生の隣で、すぐ目の前は小山光子先生だった。
竜太が席に坐って一、二分した頃、すぐに修養の時間が始まった。竜太は先程沖島先生から借りたばかりの、「三太郎の日記」の第一頁を開いた。誰《だれ》もが静かに本を読んでいる。三十人近い教師たちは、私語も交わさず、咳《せき》ひとつしない。時々頁を繰る音が聞えるばかりだった。
五分十分と時が進むにつれ、竜太は一種の感動を覚えた。
(もしかしたら、ここはすばらしい学校かも知れない)
学校の教師が、始業時間何時間も前に出勤してくる。行のように清掃をし、修養時間と称して読書をする。これは決して悪いことではないような気がした。教育者には、このような緊張した時間を朝毎に持つのも、必要なことのように思われた。只《ただ》、出勤時間が早過ぎる。
竜太は活字がなかなか目に入らなかった。
もし出勤時間が七時で、隔日に清掃の日と読書の日を交互に持つとしたら……さほど苦痛ではないような気がした。
ちょっと目を上げると、向かい側の五十過ぎの男性教師が、こっくりこっくりと居眠りしているのが目に入った。竜太は複雑な思いになった。柱時計が七時を知らせた。と、職員たちは一斉にその場に起立して、校長のほうを見た。校長はみんなに背を向けて立った。校長のうしろには、日の丸の旗を入れた額が掲げてあった。教頭が大きな声で言った。
「小学校教師ニ賜ワリタル勅語」
職員たちは声を揃えて勅語を唱え始めた。
「国民道徳ヲ振作シ以テ国運ノ隆昌ヲ致スハ其ノ淵源スル所実ニ小学教育ニ在リ事ニ其ノ局ニ当ルモノ夙《シユク》夜《ヤ》奮励努力セヨ……」
一同がよどみなく明《めい》晰《せき》に唱和した。つづいて幌志内小学校教師の歌がうたわれた。
わが大君の赤《せき》子《し》なる
子らを育てん今日の日も
わが光栄の勤めかな
美しい曲だが、竜太の知らない歌だった。歌い終ると、
「一同着席」
との教頭の号令で、教師たちは着席した。
「小山先生、今朝の感想をお聞かせください」
目の前の小山先生が指名されので、竜太は思わず、はっとした。朝の三十分の読書のあと、何か感想を述べるのだと沖島先生は言っていたが、僅《わず》か三十分間の読書で、そんな感想を述べ得るものかと、竜太は危ぶんだ。小山先生は立ち上がって口をひらいた。
「わたくしは、今朝、斎藤茂吉の『赤《しやつ》光《こう》』に目を通しました。わたくしの目を惹《ひ》いたのは、
隣室に人は死ねどもひたぶるに
箒《ははき》ぐさの実《み》食ひたかりけり
の歌でした。隣の部屋で人が死んだというのに、斎藤茂吉にとって大切なことは、箒草の実を食べたいということでした。おそらくこの隣室の人は、肉親ではないと思います。肉親ではないにしても、人が死ぬということは人生の一大事です。その人生の一大事より、茂吉は箒草の実を食べたかった。茂吉はその自分の、人に対する冷たさを思って歌にしたのだと思います。あるいは人間は皆、人の死に対してこのように冷淡だと言いたかったのかもしれません。これは、ひとつの人間の姿を描いていると思います。『赤光』には有名な、母親を悼《いた》む歌が何首もあります。例えば、
我が母よ死に給ひゆく我が母よ
我を生まし乳《ち》足らひし母よ
ひとり来て蠶《かふこ》のへやに立ちたれば
我が寂しさは極まりにけり
などの歌です。母の死には、茂吉も泣いているのです。でもこの茂吉の悲しみを知りながら、他の人もまた何かを食べたいと、自分勝手なことを思うのかも知れません。わたくしは少なくとも教師として、生徒たちの悲しみは自分の悲しみでありたいと思いました」
小山先生は一礼して椅子に坐った。竜太は感服した。小山先生は竜太の一つか二つ年上のようであった。が、人々の前でよどみなく自分の考えを述べるその話し方は、実に馴《な》れたものだった。校長が言った。
「小山先生、だいぶ勉強してきましたな。立派なものです。小山先生も確か歌を作るんでしたな。いい趣味をお持ちで何よりです」
ひょいと校長の視線が竜太にとまった。
「北森先生、ちょっとこちらへお出でください」
竜太はびくりとした。校長の傍に行くと、校長が言った。
「先生がた。新任の北森竜太先生です。旭川のご出身です。旭川師範を抜群の成績で出られましたが、なにぶんにもここが初めてです。よろしく導いて上げてください。じゃ、北森君、ご挨拶を」
竜太はあわててぺこりと頭を下げ、
「全く何もわからぬ者です。何《なに》卒《とぞ》よろしくおねがいいたします」
もっと挨拶の言葉を考えていた筈だった。だが、言葉を失った者のように、何の言葉も浮かばないのだ。今朝の五時から驚きの連続で、竜太は肝を奪われていたのだ。
と、その時、玄関に近い入口から、一人の男が、「お早うございます」と大声で言いながら職員室に入って来た。ほとんどの男子教師と同じように、彼も黒い詰《つめ》襟《えり》の服を着ていた。みんなが、
「お早うございます」
と、彼に礼を返した。ややあから顔の、肩幅の広い教師だった。彼は中央の席に着いた。沖島先生の隣の席だ。竜太の隣の堀松雄先生が低い声で竜太に言った。
「木下悟先生ですよ」
その語調には特別の意味がこもっているように思われた。敬意がこめられているように竜太には思われた。木下先生が入って来たのを境に、急に職員室が賑《にぎ》やかになった。「静寂をもって貴しとなす」の時間が、これで終ったのだと竜太は思った。腕時計はまだ七時二十五分だが、どうやら朝礼は終ったらしい。職員室を出て行く者、廊下で生徒に呼びかける者、タバコを喫《の》む者、談笑する者、それはどの学校にも見られる、普通の光景であった。
こうして、竜太の教師生活の第一日の幕があけた。
三
生徒たちの朝礼は、八時から屋内運動場で行われるという。竜太は手《て》持《もち》無《ぶ》沙《さ》汰《た》のまま、廊下を歩く生徒たちの姿を見た。素ガラスの職員室の窓から、廊下の様子がよく見える。と、竜太は、妙なことに気づいた。職員室の傍を通る生徒たちは、誰もがぴったりと手を両ももにつけ、頭を垂れて行く。誰一人、手をふったり、走ったり、職員室をのぞきこんだりする者はない。
「どうして生徒たちは、頭を垂れて行くんですか」
竜太は小山先生に聞いてみた。今日の小山先生は黒い襞《ひだ》スカートを穿《は》き、白いブラウスに、黒いチョッキを着ていた。小山先生は、
「ね、そう思うでしょう。あれはね、生徒たちが職員室をのぞかないようにするための、お作法なの」
「なぜ、のぞいちゃいけないんですか」
「多分、股《また》火《ひ》鉢《ばち》をして、タバコを喫んでいる姿など、見られたくないんでしょう」
小山先生は低い声で言い、高い声で笑った。
「変った学校ですね」
竜太はまじめな顔で言った。
「変ってるなんてもんじゃないわよ」
小山先生は親しみをこめて言い、
「ちょっとお見せしたいものがあるわ」
と、竜太を廊下につれて行った。校庭には、八時の朝礼に間に合うべく、生徒用玄関に急ぐ生徒たちの列があった。高等科らしい生徒に引率されて、右と左の通用門からきちんと二列に並んでやって来る。そして奉安殿の前で二列横隊に並び、最敬礼をすると、そこで初めて、自分たちの玄関に向かって走った。
「毎日、こんなふうに並んで来るのですか?」
「そうよ。冬も夏もないわ。雪の日も雨の日もよ」
「どうしてですか?」
あれほどにきちんと整列して登校しなければならないものなのか、何か楽しみがないような気がした。登校下校の途中、喧《けん》嘩《か》をしたり、追っかけっこをしたり、ふざけたり、しゃがみこんだりして、勝手なことをするのが楽しいものなのだ。
「ここの生徒はね、号令一下、機敏に動くように訓練されているのよ」
「ほう、そうですか」
「ご不満のようね」
「いや、ぼくはよくわかりませんけど……」
この時、教頭が向こうの戸口から、
「小山先生、ちょっと」
と呼びたてた。小山先生はちょっと肩をすくめて、
「男女の教師が肩を並べて話すのは、ご法《はつ》度《と》なのよ。そんな規制はどこにもないけど。でも仲よくしましょうね」
と、にっこり笑った。
朝礼の時間が来た。校長のあとについて、竜太は屋内運動場に入った。入って、はっと息をのんだ。千二百人に及ぶ生徒が、しんと静まり返ってそこに立っているのだ。尋常科一年生から、高等科二年生まで、一様に、かすかな身じろぎさえしない。目も、前の子の頭を見つめて動かない。教師たちはその生徒たちの前に並んで立っていた。
小さな壇上に校長が上がった。と、壇の前に立っていた高等科の生徒らしい男子が、しっかりと校長の顔を見つめた。絵に描かれたような、きりりとした黒い眉の下に、つぶらな目が、大きくひらかれている。その生徒は急に廻れ右をした。つまり校長に背を向けた形になった。とすぐに、
「宮《きゆう》城《じよう》に対し奉り、遥《よう》拝《はい》いたしましょう」
千二百名の生徒は、一斉に廻れ右をした。
「最敬礼!」
生徒たちは一糸乱れず最敬礼をした。どの子の指の先も、膝《ひざ》まで達している。正に一直角、九十度の礼だ。
「なおれ!」
「廻れ右!」
生徒たちが元の向きに戻った。
「校長先生に、朝のご挨拶をいたしましょう」
澄んだ声が屋内運動場にひびき渡る。
「校長先生、お早うございます」
「お早うございます」
千二百人の声が揃った。
「お早うございます」
壇上の校長が、満足そうに挨拶を返した。校長は口をひらいた。
「今日も兵隊さんたちは、遠い支那でお国のために戦っています。わたしたちも、一生懸命勉強しましょう。お国に役立つ生徒になりましょう」
つづいて竜太が紹介された。壇上に立った竜太は言った。
「ぼくは新米の先生です。新米だが元気だけはあります。一緒に仲よく、勉強したり、遊んだりしましょう。ぼくは一年生の時、『よく学び、よく遊べ』と習いました。勉強をすることも大事ですが、遊ぶことも大事です。遊ぶ時は大いに遊びましょう」
生徒たちは大きくうなずいた。竜太が壇を下りると、校長がじろりと竜太と見た。不機嫌に見えた。
竜太は、高等一年の、自分の受持「光組」のあとについて教室に行った。教室は二階だった。五十二名の生徒たちが、起立したまま、竜太が教壇に立つのを待った。
型通りに級長が、「礼」と号令をかけ、みんな一斉に、角度四十五度の礼をした。着席した生徒たちが、竜太をじっと見つめている。
「校長先生がぼくの名前を言ったけど、おぼえているかな」
四、五人の手が上がった。
「はい、北村竜太先生」
他の生徒が言った。
「北森良太先生」
他の者の手が下がった。竜太は黒板に北森竜太と書き、「きたもりりゅうた」と仮名をふった。竜太は不意に、坂部久哉先生を思い出した。坂部先生には、四年生の時に初めて受持たれた。
「返事がいいと幸せがくる」
坂部先生がそう言いながら、出席をとった。自分も坂部先生の真《ま》似《ね》をしようと思った。坂部先生のような先生になりたかった。
出席簿をひらいて、竜太は名前を読み上げた。
「浅野博君」
大きな返事がした。
「よし、返事がいいと幸せがくる」
坂部先生の真似をしながら、竜太は何とも言えぬ喜びを感じた。生徒たちが声を立てて笑った。
五十二人の名前をひととおり読み上げると、竜太は言った。
「ぼくはね、小学生の時、とてもいい先生に受持たれたんだ。それで、その先生のようになりたくて先生になったけど、いい先生になれるように、君たちも助けてくれよね」
「ウォーター!」
生徒たちが一斉に叫んだ。
「ウォーター? ウォーターって何だい? 英語では水のことだけどな」
生徒たちは再び、
「ウォーター!」
と叫んで笑った。どうやらこの学校では、うれしい叫び声は「ウォーター」であるらしかった。
「先生はね、君たちの相談に、どんなことでも乗ってやりたいんだ。何か困ったことがあったら、兄貴だと思って相談に来いよな。悪いことをしたくなった時なども、相談に来てくれるといいな」
生徒たちはまた「ウォーター」と叫んだ。
手紙
一
竜太が幌志内の小学校に赴任して、やがて一カ月になろうとしていた。明日は十月三日、日曜日だ。このあたりで一度は旭川に帰ってみたかったが、そんな暇はとてもなかった。旭川に帰るどころか、風呂に行く時間も充分とはいえない。今も、夕食を終えた沖島先生が、
「風呂に行きませんか」
と誘ってくれたが、
「すみません。手紙の返事がたまって」
と、断ったばかりなのだ。
幌志内には銭湯はない。四社程ある炭鉱会社が、それぞれに浴場を設けている。そこに会社の者も、一般の者も無料で入ることができた。浴場は会社によって大きさがちがったが、どの浴場も、その浴槽はあふれるばかり湯を湛《たた》えている。
竜太たちの行く浴場は、下宿の裏を流れる川の向こうの崖《がけ》の上にある。竜太の下宿を出て東に五十メートル程行くと、右手に急な坂がある。正に文字どおりの急坂で、若い竜太たちでも喘《あえ》ぐほどの坂なのだ。この三十メートル余りの坂が、けっこう応《こた》える。
坂を登りきったところに社宅が散在し、大きな浴場があった。入口が男女別になっているのは旭川の銭湯と同じだが、番台はいない。炭鉱街の子供たちが、
「今日はこれで三度目だ」
「おれだって三度目だぞ」
などとよく言い合っているところを見ると、日に幾度も行くらしい。
幌志内の子供たちは人なつこくて、竜太が入って行くと、みんなが寄って来て、
「先生、嫁さんいないの」
「こんど遊びに行ってもいい?」
「先生、どこから来たの?」
などと話しかける。竜太が浴槽に入ると、子供たちも入る。竜太が洗い場に上がるとみんなも上がる。楽しくはあるが、いちいち応対していると真《ま》面《じ》目《め》な竜太は疲れてしまう。その点沖島先生などは、生徒の頭を湯の中にぐいと沈めたり、湯に浸りながら大声で唱歌をうたったり、扱い馴《な》れたものだ。
こんなわけで、風呂に行くのも竜太は週二回が精一杯であった。
沖島先生が風呂に出かけたあと、竜太は電気スタンドの灯《あかり》を入れて、机の引出から手紙を取り出した。母のキクエ、姉の美千代、弟の保志、従兄弟《いとこ》の楠夫、それに坂部先生、そして芳子の手紙など、尚《なお》二、三通があった。
一応は着任挨《あい》拶《さつ》と、餞《せん》別《べつ》をもらったお礼は葉書ですませてあったが、何人かがその葉書に対して返事をくれた。それを何となく気にしながらも忙しいままに書きそびれていた。竜太は便《びん》箋《せん》をひらいて、
「母上様」
と書いた。書いてからしまったと思った。「父上様」と先に書くべきだったと思う。初めから訂正しては礼に反すると思って、改めて「父上様、母上様」と書いた。そう書いて、竜太は自分の五十二名の教え子の中に、父親のいない者が三人、母親のいない者が二人いることを思った。その父親の一人は今年の夏の大召集で、中国大陸に渡って行ったという。その息子左藤学は綴《つづ》り方《かた》の時間に、「父の出征」という題で書いていた。
〈父はこの夏四十にもなって出征した。母が、「日本には若い男はいないんだべか」と言って泣いた。父はしばらく旭川の民家に泊まっていた。母とぼくは、父に面会するために旭川に行った。父はカーキー色の戦闘帽をかぶり、カーキー色の軍服を着ていた。
たずねて行ったぼくたちを見ると、父はうれしそうに笑ったが、不意に目《め》尻《じり》から涙が流れた。ぼくは、父は本当に戦争に行くのだと思った。母もハンカチを目に当てていた。その時驚いたことが起きた。同宿の若い兵隊が、急に床の間の柱にしがみついて、
「恐ろしいーっ! 助けてくれーっ!」
と叫び出したのだ。父や、そこの人がなだめても、叫び声は大きくなるばかりで、遂には泣き声になった。近所に泊まっている上官らしい人が、急いでやって来た。それからその若い兵隊は、何人かの兵隊たちに引きずられるようにして、どこかへ連れて行かれた。一体どこに連れて行かれたのだろう。旭川の街の中は、民宿している兵隊たちでいっぱいだった。あんなにたくさんの兵隊が戦地に行く。父も行く。ぼくは、父が天皇陛下のために、男らしく戦って欲しいと、心から思った〉
竜太はその綴り方を思い出して、父母への言葉を失った。毎朝、朝礼の度に、教師たちは「小学校教師に賜わりたる勅語」を唱えて、「夙《しゆく》夜《や》奮励努力せよ」と結ぶ。夙夜というのは、朝早くから夜遅くまでということだ。校長はにこにこしながら、朝の五時から日の暮れるまで、教師たちを学校にとどめたがっている。五時の退庁時間になって、
「お先に失礼します」
と、すぐ帰ろうとする者がいると、校長か教頭が必ず、
「君、今日は何かあるのかね?」
と、不審な顔を向けるのだ。生徒の朝礼の時には、校長は判で押したように、
「今日も兵隊さんは、お国のために戦っています。わたしたちも一生懸命に勉強して、お国に役立つ生徒になりましょう」
と、訓辞を垂れるのだ。
その綴り方を書いた左藤学は、父が無事に帰って欲しいとは書けなかった。書けない事情が周りに満ちていた。
竜太はペンを取り直して書き始めた。
〈拝啓
父上様、母上様、ご無沙汰申し訳もございません。お二人共、お変りなくお過ごしのことと存じます。私は、自分などが教師になっていてよいのかと、近頃しきりに思います。まだ年端も行かぬ生徒たちが、それぞれ大きな重荷を背負って、しかし極めて明るく生きている姿を見ると、その健《けな》気《げ》さに心打たれるものがあります。人生において、どんな教師に習ったかということは、非常に重大なことであると思います。私が坂部先生に受けた影響を思うと、改めて身の引きしまるのを覚えます。
とか何とか、ちょっと偉そうなことを書いてみましたが、母さんの作った味《み》噌《そ》汁《しる》が食べたい、カレーライスが食べたい、という食欲旺盛な毎日ですから、ご安心下さい。
番頭さんによろしく。番頭さんのお父さんが亡くなって、一年が過ぎました。お見舞いに行った夜、タコ部屋から逃げ出して来た金俊明さんに出会ったこと、忘れられません。
お父さん、お母さん、くれぐれもお大事に。
敬具
十月二日
竜太
父上様
母上様
追伸
初給料を五十五円頂きました。すぐにお送りするつもりでしたが、なかなかその暇を見出せず、今日に至ったことをお許し下さい。金十六円也を小為替に組みましたが、そのうち十円はご両親様、三円は姉上様、二円は真野のトシ子叔母様、一円は保志に上げて下さい。坂部先生には金五円也、こちらからお送りします。今後もご両親様には、十円ずつお送りする所存です。僅少ですがお礼のしるしとしてお受取り下さい〉
小為替を手紙に入れて、封をした。次はためらわずに坂部先生に書き始めた。
〈坂部先生
ずいぶんと長い間お目にかかっていないような気がします。しかし考えてみますと、こちらに来る直前にご挨拶に伺ったのですから、まだ一カ月しか経《た》っていないのですね。ぼくは果たして、教え子にこんなにも懐かしく思い出してもらえる教師になり得るでしょうか。教壇に立つようになって、改めて坂部先生を身近に感じます。道を歩いていて、ふっと、
「ね、坂部先生」
と、口に出したい思いに駆られることがあります。先生がもしこの学校の教師であったなら、どのように生きていかれるのでしょうか。そうです、ぼくは絶えず、
(もし坂部先生だったら……)
と、先生を思い浮かべます。そんなことでは自立した教師ではない、とのお叱《しか》りを受けるかも知れません。でも先生、ぼくは今当分の間、先生にまねぶ道を辿《たど》りたいと思います。しかし、学ぼうとすればするほど、人格の差というものを思い知らされるのです。先生のように明るく、優しく、厳しくあり得ることは、ぼくには至難の業です。先生のお手紙にもありましたが、
「時代をしっかりと見つめなさい」
ということが、ぼくにはよくわからないのです。日本は戦っている、というこの事実をどのように見つめていいのか。この学校に一日一日馴れてくると、ここの校長も大したものだという親近感が湧《わ》いて来るのです。「葉《は》隠《がくれ》」の、「武士道とは死ぬことと見つけたり」は、ぼくの好きな言葉です。いや、ぼくのみならず、日本人の多くがこの言葉に心惹《ひ》かれているのではないでしょうか。
その反対の思いもあります。ぼくたちの学校は、先にもちょっとお知らせしましたが、朝五時に出勤し、夕方は少なくとも六時を過ぎなければ帰ることができません。この厳然たる巌《いわお》のような不文律を破っている一人の教師がいます。彼は七時半ぎりぎりに出勤し、五時には素早く帰って行きます。三十人近い全教師のうち、授業の巧《うま》さにおいてその右に出ずる者はないそうです。木下悟という教師です。年度始めに受持教師が木下先生と決まるや、父兄も生徒たちも大変な喜び様をするそうです。彼の同僚が、ぼくに向かってこう言いました。
「この春から、私の娘が木下先生に受持たれることになってね。これはなかなか得られない喜びの一つだよ」
この木下先生は、童話を作ることも話すことも、人に追随を許さぬ力を持っているそうです。どこからこんな力が出るのでしょう。ぼくはまだ、この先生に近づく勇気がありません。遠くからちらちらと見ている程度です。
先生、初給料の中から、僅かばかり送らせて頂きます。本代にでもして下さればうれしく思います。いや、冴子先生にも、何かごちそうして上げて下さい。
くれぐれもお体お大事に。
冴子先生にやまやまよろしく〉
竜太は坂部先生への手紙を読み返し、封筒へ入れながら木下先生のことを思った。木下先生は廊下を歩く時でも、職員室の中を歩く時でも、背筋をぴんと伸ばし、常にゆっくりと歩いている。といって、堂々としているのでもない。少しも肩を張っていない。いつも落ち着いて歩いている。決してこせこせと足早に歩いたり、小走りになったりはしない。その歩き方がいかにも木下先生の人生を生きる姿に思われた。竜太とすれちがう時など、ていねいに会釈をしてくれる。それが、いかにも心に注《と》めるように、竜太の視線と自分の視線をきっちり合わす。そしてにっこりと笑う。ほとんど立ち話などしたことはない。が、一度だけ正面玄関への階段を上がっていて、うしろから声をかけられたことがある。
「北森先生、おいくつですか」
竜太はちょっと緊張して、二十一歳だと答えた。
「二十一歳ですか。若いなあ。若さが肩から立ち昇っているようです」
竜太が頭を掻《か》くと、
「ぼくは二十一歳の頃、何を考えて生きていただろう。十三年経った今は、すっかり薄汚くなってしまいましたよ」
心からそう思っている声だった。竜太はその時、木下先生が三十四歳であることを知った。そして竜太は思った。自分が三十四歳になった時、若い新任教師の肩を見て、やはりつくづくと、若さが肩から立ち昇っているようだと思うかも知れない。そして自分は一体、二十一歳の時何を思っていたであろうかと、つくづくと思うのかも知れない。二十一歳という今の自分の年齢は、年輩の者たちにそのような考えを抱かせる、貴重な年齢なのだと思った。あだやおろそかに、二十一歳の年齢を生きてはならぬと、竜太は自戒したのだった。
木下先生は独身だと聞いた。竜太の下宿は、学校から東に数百メートルの所にあったが、木下先生の下宿は反対に西側に、数百メートル程行った下《げ》駄《た》屋《や》だった。木下先生はどうして朝の清掃に加わろうとしないのか、一度聞いてみたいと思ってきた。が、一方、聞かなくてもわかるような気もする。
先週の職員会議で、生徒の校外指導が議題になった。その時の訓育主任に言った木下先生の言葉を、竜太は覚えている。
幌志内小学校では、子供の買食いをきびしく禁じていた。そのきびしさは、今年の三月のある優等生をめぐっての、ささやかな事件にも現れていた。その生徒は、卒業生総代として答辞を読むことに既に決定していた。が、ある教師が、この生徒が餅《もち》屋《や》の店先で餅を食べていた、と指摘した。受持教師ははなはだ恐縮して、その生徒を総代として答辞を読ませることを取り消した。そんないきさつを竜太は、沖島先生から聞いて知っていた。沖島先生はその時竜太に、
「だから北森先生、先生も店先などで、アンパンなどをかじっていると、生徒たちに買食い先生とやられますよ」
と、半ば冗談に笑ったのだった。
先週の職員会議で、何かのことから、この買食い問題が話題に上った。訓育主任は、
「最近、転入者が増えていて、本校のこの買食い禁止の良風が乱される心配があります。先生方には一層のご協力をおねがいしたいと思います」
前々から禁じられていたことなので、誰《だれ》もが軽くうなずいて、議題は次に移るかに見えた。その時だった。木下先生が発言した。
「買食い、買食いって、そんなに買食いって悪いもんですかね」
言葉はおだやかだが、みんなはぎくりとしたようだった。
「そりゃあいけませんよ、木下先生」
訓育主任は少し顔を紅潮させて言った。
「なぜですかねえ」
「なぜって先生、買食いをしてはならないという校則がありますからね」
「どうしてその校則が必要なんですか」
「つまりですね、食べたいからといって、自分勝手に親の財布から金をくすねて、こそこそと物を買う。これは不良化の第一歩です」
「そうですかなあ。私にはそうは思えない。炭鉱の家庭の中には、父は坑内に入り、母は選炭場で働いている家庭がたくさんあります。子供はご飯炊きをしたり、薪《まき》を割ったりして家事を手伝う。そんな子供たちに、親は時として、一銭または二銭の駄賃をくれる。これで煎《せん》餅《べい》を買って食べなさいとか、大福餅を買って食べなさいとか、いわないことはないと思います。いや、そんな家庭が次第に増えていくと思う。そうなると、買食い禁止のために、こそこそと買わねばならぬことになる。親から命ぜられた買物さえ、悪いことをするような気持にさせられる。別に金をくすねるわけではないでしょう」
教師たちは黙った。木下先生はつづけた。
「ぼくは父親を早くに亡くして、母一人子一人の生活でしたから、よく買食いをしましたよ。菓子屋の小母さんによく可愛がられてね。あんまり上等の人間には育たなかったが、それ程人を手《て》古《こ》ずらすこともなかったようです。この辺で買食いの校則なんぞ取り払ってはいかがでしょうか。教育はすべての面で生徒を自立に導くことだと思います。従って校則はなるべくないほうがよろしい」
大方の教師たちは、木下先生の発言を喜んでいるようではあったが、進んで賛成する者もいなかった。沖島先生だけがのっそりと立って、
「買食い、かまわないんじゃないですか。つまらん校則です。自立賛成」
と、のんびりした語調で言った。
今、その時のことを竜太は思い出して、なぜ、朝五時に出勤しないのか、などと尋ねるのは余りにも愚かしい気がした。要するに木下先生は、正しいと思うことを、只《ただ》一人ででも、やり遂げる勇気のある人間だということなのだ。
二
竜太は机の上の楠夫からの手紙を手に取った。十日程前に来た手紙だった。
〈竜ちゃん
とうとう先生になったのかい。ぼくは竜ちゃんが、何か可哀相でならんのだよ。小学校の頃から、教師になる教師になると言って、その望みどおりの教師になった。坂部先生がいつか言ったよね。
「成功ということは、有名になることでも、金持になることでもない。なろうと思う者になれたら、それも一つの成功だ」
この言葉覚えてるかい。そしたらあのひょうきん者の浅田が、
「乞食になろうと思って乞食になったら成功かい」
って言ったもんだから、みんな笑っちゃったけど、ぼくはこれでも、あの時の言葉をよく覚えているつもりだよ。だから、君がなりたかった小学校教師になったということ、心からお目出とうと言いたい気持で一杯だ。
だがね、正直な話、ぼくは君に対して、今はっきりと優越感を持っている。人間って、馬鹿なもんだね。人より長く学校に学ぶこと、北海道の田舎都市より、日本最大の都市東京に住むこと、それだけで充分に自分が偉くなったように思うんだからね。上に立ったように思うんだからね。
今、ぼくはね、つくづく青春というものを感じている。ぼくの住んでいる所は、封筒にも書いてあるとおり、本郷の小さな下宿だが、ここでの生活はまあ置くとして、銀座なんかに出かけると、むやみやたらと女が目に飛びこんでくる。それがまた、どれもこれもきれいに見えるんだ。
旭川にいた時は、柄にもなく教会に通ったりして、
「色情をもって女を見る者は、心のうち既に姦《かん》淫《いん》したるなり」
なんて聖書の、「姦淫」という言葉に、心ひそかに興奮したこともあったものだが、ぼくは今や、東京のど真ん中で、若き野獣の如く、興奮のしっ放しだ。体中の末端という末端が、電気を帯びて、女を見るだけで、その末端がぴりりとくる。時に処置の仕様もないかの末端は、所かまわず興奮する。
こんなことを書くと、君に軽《けい》蔑《べつ》されるであろうことはよくわかるが、竜ちゃん、これが青春だよ。君から見たら愚劣かも知れないが、ぼくにとっては、これでも立派な青春さ。
時に、どこへ行くのか、兵士たちの一団を見かけることがある。若い兵士たちは、おれと同じような青春時代にありながら、命を失ってしまうのだろうか。戦争って無惨だな。無惨だと思うからこそ、おれの体は電《でん》気《き》鰻《うなぎ》のように、びりびりと欲情するのだ。
竜ちゃん。ぼくは久しぶりに、君と南部煎餅を食べながら、君の部屋で寝ころんでいる心地になったよ。女といえば、おれたちのあこがれは、芳子だったな。「だったな」という過去形をおれはあえて使う。旭川にいた時は、絶えず芳子が目の前にちらついていた。あれはあれで、ぼくの一つの青春だった。竜ちゃんにとっては、彼女はまだ過去の人ではないだろうね。
しかし、学校には若い女教師もいるだろうし、いつしか竜ちゃんの胸から芳子の姿が消える日が来るかも知れない。みんな流れ去って行く。一つ所にとどまって生きている者は誰もいない。それが人生じゃないのか。
竜ちゃん、奉安殿にはていねいに頭を下げているかい。
ま、元気でやってくれ。ぼくは卒業と同時に、嫁さんと一緒に子供の一人位、連れて帰るかも知れないよ。いや、冗談々々。
楠夫
竜太君へ〉
(東京か)
中学の修学旅行で、一度だけだが東京には竜太も行っている。二重橋を背に、学年の生徒一同で、記念写真を撮っている。
読み返すと、楠夫も思ったより懐かしい存在に思えてくる。従兄弟というのは、きょうだいとはまた一味ちがった間柄だ。肉親のようでもあり、他人のようでもある。
(そうか、芳子は過去形になったか)
胸の中で呟《つぶや》きながら、しかし竜太は必ずしもそうとは信じられなかった。楠夫は自分とちがって、欲しいものは必ず手に入れる性格のように思われた。一旦は芳子から心が離れたようであっても、少しも離れてはいないということになるかも知れない。
竜太は、朝、目覚まし時計が鳴る度に、いやでも芳子のことが目に浮かぶ。芳子は、竜太の発《た》つ前の日、目覚まし時計を餞別に持って来て竜太に言ったのだ。
「あのね、あなたの生活の目覚まし時計なの」
そう言って芳子は、何がおかしいのか、うつむいてくすくす笑った。
「ぼくの生活の目覚まし時計?」
聞き返す竜太に、
「いいの、わからなきゃ」
芳子はそう言って、北森家の玄関からさっと出て行ったのだ。
毎朝思い出す度に、
(あれがもしかしたら、芳子の想いを伝える言葉ではなかったろうか)
と、言い様もない気持になってしまうのだ。芳子が、「生活の目覚まし時計」といったその言葉の意味は広く、深いものだったのかも知れないのだ。何も気づかぬ竜太に、芳子は羞《しゆう》恥《ち》を覚えて、身をひるがえすように、さっと玄関を出て行ったのだと想う。いわば自分は、芳子に恥をかかせたのかも知れないと竜太は想う。
(鈍いなあ、おれは……)
鈍いといえば、沖島先生も鈍いと思う。先程の夕食の時だった。沖島先生と竜太は、いつとはなしに夕食を共にするようになっていた。秋子がいつものように歌をうたいながら、膳《ぜん》を持って部屋に入って来た。
籠《かご》の鳥でも 知恵ある鳥は
人目忍んで 逢《あ》いに来る
いつもながらのいい声だ。膳を二人の前に並べている時、沖島先生がいつもの茫《ぼう》洋《よう》とした語調で言った。
「ああ、北森先生、あの見合の話ね、断られました」
不意のことで、竜太はぽかんとした。そして思い出した。竜太が初めて沖島先生に会ったのは、沖島先生が小樽の法事から帰って来た夜だった。沖島先生は竜太に、
「いやあ、悪かったなあ。あんたが来るって聞いていたけど、法事があってね。それもさ、法事だけじゃないんだよ。親戚の者が見合の相手をつれて来ていてね、いや参ったよ」
と言ったのだった。見合をしたとなれば、当然その結果がある筈だった。が、その後一度も見合の話を聞いていなかったから、竜太は忘れるともなく忘れていた。それを不意にぽいと、
「あの見合の話、断られたよ」
と沖島先生は言ったのだ。竜太が何か言うより先に、秋子が悲鳴のような声を上げた。
「えー!? 沖島先生見合をしたの? いつ? 誰と?」
詰め寄るような言い方だった。沖島先生は悠揚たる様子で、
「北森先生がここへ来られた日、ぼく、小樽へ帰ったでしょう。あの日、法事の席で会わされたんだよ」
秋子は黙ったまま、じっと沖島先生の顔を見た。
「どうしたの、秋ちゃん、ぼくの顔に何かついてる?」
そう言ってから竜太のほうを見て、
「ぼくどうして断られたか、わかる? ぼくはね、その娘の前に坐っている間中、盛んに鼻《はな》糞《くそ》をほじっていたんだって」
と、愉快そうに笑った。秋子は何も言わずに部屋を出て行った。沖島先生は竜太に言った。
「どうしたんですかねえ、今日の秋ちゃん。いつもの秋ちゃんとちがいますね」
竜太は沖島先生の言葉に驚いた。自分より鈍い人間がいることを、竜太は初めて知ったような気がした。
竜太は楠夫に返事を書くつもりで、楠夫からの手紙を読み返したのだが、芳子への手紙を先に書きたくなった。が、ペンを持つと何と書き出してよいか少し迷った。階下から秋子の歌声が聞えてくる。どうやら機嫌がなおったらしい。そう思った瞬間言葉が出た。
〈芳子さん
今、ぼくの目の前に、あなたから頂いた目覚まし時計があります。ぼくの一日は、実にこの目覚まし時計と共に始まります。どんなに眠くても、芳子さんが起こしてくれているのだと思うと、機嫌よく起きることができます。
一日の始まりが機嫌がよいというのは、実に大切なことです。ぼくは改めて芳子さんに、この時計のお礼を申し上げなければならないと思います。
それにしても芳子さん、ぼくはこんなにもあなたに従順な人間とは思いませんでした。この前お知らせしたように、何せ出勤時間が早いので、この目覚まし時計の働きは、実に抜群です。
この時計を下さった時、芳子さんはぼくに言いましたね。
「あなたの生活の目覚まし時計よ」って。
ぼくはその言葉の意味を、あれ以来ずっと考えつづけているのです。ぼくが自分の生活の中で、怠惰になったり、誠実さを失ったり、清潔なあり方を忘れたりするようなことがあれば、この目覚まし時計は多分、
「さあ、今日は誠実に生きて下さいね」
とか、
「何を怠けているんです」
という警告を発してくれるにちがいない。こう書くと何だか、芳子さんという存在は、ぼくにとって姉のような、おふくろのような、ちょっとおっかない存在に思われますね……〉
竜太のペンの動きがとまった。読み返してみて、少し恋文めいているような気がした。
(恋文だっていいじゃないか)
という思いがする。が、一方、まだ幼なじみであるべきだという抑制が働く。ちょっと考えてから、竜太はまたペンを走らせた。
〈ぼくと同学年を受持つ教師に、小山光子という先生がいます。快活な彼女の特技は、軽くウインクすることです。長いまつ毛をそっと合わせて、軽く片目をつぶると、女教師という感じより、お嬢さんという感じに変ります。ぼくのちょうど真向かいに坐っていますので、一日に一度や二度はこのウインクを送られます。短歌を作っていて、多くの人の前で意見を述べる才能を持ったひとです。このひとの歩き方とか、ちょっとうしろをふり返る仕《し》種《ぐさ》とかに、ぼくは芳子さんを感じます。
自分のことばかり話しましたが、芳子さんは今年、二年生の受持でしたね。小学校教師の醍《だい》醐《ご》味《み》は、低学年を受持つことにあると思います。ぼくは高等一年の男子を受持っているわけですが、この間の放課後、左藤学という子供からこう聞かれました。
「先生、戦争って、いいことなんですか、悪いことなんですか」
ぼくは答に窮しました。左藤学の父親は、今年の夏の大召集で、北支に行きました。その背景があっての彼の質問ですから、ぼくは慎重にならざるを得ませんでした。しかも彼は、面会に行った旭川の、父の宿泊先で、戦争の恐怖に気の狂った若い兵隊を目撃しているんです。いい加減な返事をしてはならないのです。ぼくは咄《とつ》嗟《さ》には答えられず、
「簡単には言えない問題なので、もう少し考えさせて欲しい」
と言いました。芳子さん、芳子さんならどう答えますか。高等科の生徒には様々な問題があるのです。今教えている生徒は高等二年で卒業するのです。つまりあと一年半しか、学ぶ期間がないのです。そう思うとぼくは、教科書にはないことでも、何でも教えてやりたいのです。
ぼくはさりげなくアルファベットやローマ字を教えています。音楽の時間にしても、日本や世界の名曲も、できる限りたくさん教えてやろうと思っています。ある教師が、本当の教育とは、自立とは何かを教えることだと言いました。ぼくはそれに賛成です。……〉
こんな手紙でよいのだろうか。芳子は喜んでくれるだろうか。読み返しながら、竜太はそう思った。異性への手紙の書き方など、考えてみると、誰も教わっていないことなのだと、竜太は苦笑した。
裏山
一
水曜日の五時間目は、綴《つづ》り方《かた》の時間だった。竜太は少し複雑な思いで教壇に立った。先週の綴り方の時間はお流れとなっていた。その時のことが、どうしても胸にわだかまっている。
先週の水曜日は、一度降った初雪が消えて二、三日経《た》ったあとだった。雲ひとつない晴れた日だった。竜太は、こんないい天気の日に、生徒たちはどんな綴り方を書くのだろうと思いながら、昼休みのひと時、職員室の自分の席にくつろいでいた。と、職員室に入って来た教頭が、
「北森先生、ちょっと……」
と手まねぎをした。満面に笑みを浮かべていた。どちらかといえば、ふだん笑顔の少ない教頭なのだ。竜太は教頭の傍《そば》に近寄って行った。教頭が言った。
「五時間目は、北森先生の組は何ですか」
いやに優しい声だった。
「はい、綴り方です」
「ああ、綴り方ですか。じゃあ、潰《つぶ》してもそう大勢に影響はありませんな」
「え? 潰す?」
竜太は聞き返した。
「いや、綴り方の時間なら、算術や国語の時間とちがって、ほかの作業に振替えてもらっても、あまり影響がないですな、ということですよ」
竜太に答える暇も与えず、教頭はつづけて言った。
「実は兎《うさぎ》小屋と鶏小屋の周りが、ちょっとの雨でもぬかるもんで、ぼた山のぼたを運んで埋めようかということになったんですがね、協力してもらえますね」
「……あのう……綴り方の時間を潰してですか」
「早く言えばそうだね」
「…………」
竜太は、簡単に綴り方の時間を作業に振向けようとする教頭の態度に、抵抗を感じた。確か竜太が赴任して何日か目にも、同じようなことがあった。やはり高等科一年のクラスを受持つ小山光子先生に、教頭は綴り方の時間を潰させて、花壇の手入れを強要したのだ。小山先生はその時、何か口の中でつぶやいていたが、結局は奉安殿の周りの花壇の整備に、生徒たちと共に黙々と働いていた。
竜太が答をしぶっているのを見ると、教頭は言った。
「北森先生、学校というのは、ひとつの生きものですからね。自分の考えだけを通すわけには、いかないこともあるのですよ。ま、不満もあろうが、次の時間は用務員さんと相談しながら、ぼた山のぼたを運んでください。春の雪どけ頃《ごろ》になっては、どろんこ道になってしまって……」
語尾を濁して、教頭は声を立てて笑った。竜太は、自分にはわからぬ学校経営の方針があるのだろうと、いたし方なくうなずいた。
「あ、やってくれますか。こっちにはこっちの都合もあるんでね。これからも言われた時は、わたしの言葉に従っていただきますよ」
そういう教頭の顔には、もはや笑いはなかった。
「はい、わかりました」
一礼して竜太が立ち去ろうとすると、
「生徒たちには、今日の作業の感想でも宿題にしたらいいでしょう。そうすれば綴り方の時間を潰したことにはなりませんからね」
竜太はしかし不愉快だった。教室は教師にとって王国だと聞かされてきた。教師が思いのままに学級を経営できると、幾人かの先輩から聞かされてきた。が、この教頭のように時間割無視の干渉もあるわけなのだ。
(それにしても、どうして綴り方の時間の始まる寸前に、教頭は作業を命じたのか。せめて一週間前に予告してくれておいても、よいのではないか。作業といえども教育である。生徒たちと、作業の要領や役割分担について予《あらかじ》め話し合う必要もあるのではないか)
竜太は、心の中に沸《ふつ》々《ふつ》と不快な思いが湧《わ》くのを、どうしようもなかった。
あの夜、下宿に帰ってから、竜太は同宿の沖島先生に、教頭に言われた一部始終を話してみた。沖島先生には何を言っても、そのまますんなりと受けいれてもらえるようで、言いやすかった。沖島先生は、
「ハハハハハ」
と愉快そうに笑った。竜太はぎょっとした。自分の不満は笑い飛ばされるようなものかと思った。
「沖島先生、おかしいことなんですか、これが」
「いや、笑って悪かったね」
沖島先生は、なおも笑いながら、
「北森先生、ぼくも綴り方の時間を、去年は五、六回潰されましたよ」
と言い、ようやく真顔になった。
「え? 五、六回も? どうして……お断りにならなかったんですか。自分が断れずにいて、こんなことを言うの、ちょっとおかしいですが」
「北森先生、教師というのはね、鳥ですよ、鳥。辞令一本で、どこにでも飛ばされる鳥ですよ。今やこの学校の校長の権威は、多分後世の人が神話のように語りつぐかも知れないほど、強力なもんです」
竜太はまだ腑《ふ》に落ちなかった。綴り方の時間を、他の作業に振替えよとの要請を受けても、黙って引き下がるより仕方のないということがわからなかった。そして、なぜ教頭は綴り方をそれほどまでに嫌うのか、それがのみこめなかった。
「ぼくはどうも鈍くて……沖島先生、その校長の強力な権威と、綴り方振替作業と、どんな関係があるんですか。ぼくには、教頭が、綴り方をあってもなくてもいい教科のように、思っているとしか考えられないんですけどねえ」
二人の影が、電灯の下に二人が動く度に動く。
「そうか、そうですか。北森先生は、綴り方にあまり関心を持っていないようですね」
「でも、教頭よりは持っているつもりです」
竜太は冗談めかして言った。沖島先生は例の茫《ぼう》洋《よう》とした表情を引きしめて、
「いやいや、教頭の最も関心を持っている教科は、綴り方ですよ」
沖島先生の細い目が、笑わずに竜太を見つめた。
「え!?」
竜太にはその意味がわからなかった。
「いや、北森先生が教頭と綴り方について聞いていないんなら、それでいいんです。おそらくこの幌志内の小学校教師のうち、それを正確に感じ取っているのは、例の遅く来て早く帰る木下先生ぐらいです。それに高等一年の学年主任、ミスター・チャップリンこと崎谷先生、そしてこのぼくぐらいじゃないですか。いや小山先生もご存じかな」
「教頭と綴り方に、何か意味がありそうですね、沖島先生」
「実はですねえ、一昨年、北海道に『北海道綴り方教育連盟』というのが結成されましてね。国語教育の向上に熱心な教師たちが、自主的な共同研究組織をつくったんですよ。参加者はどれもこれも、全身これ教育愛というような、熱心な奴《やつ》ばかりでね。特に綴り方に力を入れているわけです。そのこと自体、何の問題もないわけですが、文部省の小うるさい人間の中には、それを胡《う》散《さん》臭《くさ》く思っている向きも、あるとかないとか、時々囁《ささや》かれている節があるんですよ。その小うるさい一人と、うちの校長とが深い繋《つな》がりがあるらしいんです。校長は元左翼でしてね。大正十四年に治安維持法ができて、まもなく転向した人間です。日本の教育は、天皇の少国民をつくるにあると、今や固く信じて、われわれにもその道を行かせようと、朝の五時から必死になってやっている。校長の経験によれば、たいていの結社は治安維持法に触れるにちがいない、というのが持論らしい。で、この『北海道綴り方教育連盟』には、ひどく神経を尖《とが》らせているんですよ」
「ははあ、なるほど、わかりました!」
「わかったでしょう、北森先生」
「わかりました。それで校長は教頭に、綴り方の時間を潰させて、他の作業をさせるなどという奇妙なことを……」
「そうですよ。あいつは『綴り方教育連盟』に入会するんじゃないか、と思うと、きっと心配で心配でたまらんのですよ」
「なるほど」
竜太は初めて校長に会った日、思想調査らしき質問をされたことをちらりと思い浮かべた。
「ですからね、校長や教頭に何か反論でもしようものなら、どこへ飛ばされるか、わからないわけですよ。飛ばされたくなけりゃあ、適当に、ぼくのように歩調を合わすわけです」
「でも、教師たちのためを思って、綴り方から目をそらさせようとしているとも言えるわけですね、校長、教頭は」
「さあてね。自分の学校から治安維持法に引っかかるのが出たらと、ひやひやなんじゃないですか。わが身がかわいいんですよ。誰《だれ》しもね」
竜太はうなずいた。が、誰しもという言葉に、ふと坂部先生だけは自分自身よりも他を愛する人間のように思われた。
(坂部先生は、綴り方連盟に関係していないだろうな)
竜太はふっと気になった。確か一度、こんな話を聞いたことがある。
「竜太、いいか。信念を持つということは大事なことだ。だが、その信念を持つに当って、考えなしに仲間を増やすなよ。不思議にその信念は、一致しなくなっていくものだ。それでも一致させようとすると、妥協しなければならなくなっていく。自分の信念の純粋性が揺らぐことになる」
師範学校に入った頃のことだから、もう三年も前のことになる。
(坂部先生がもし綴り方連盟に関心があるとすれば、ぼくに誘いをかけてくるにちがいない。先生は教会に行っていても、洗礼は受けていない。きっとわが道を行く先生なのだ)
なぜか、しきりに坂部先生のことが思われた。
二
教頭に呼ばれて、そんなことがあった水曜日から一週間が過ぎての今日である。その一週間の間に、竜太の気持は微妙に変化していた。それまで格別の関心を持たなかった綴り方の指導に、意欲が湧いたのだ。できたら綴り方連盟とやらに加盟して、勉強してみたいという思いさえ湧いた。竜太は、校長や教頭の案じているような治安維持法の嫌疑が、綴り方連盟に及ぶとは、どう考えても信じられなかった。教師たちの多くは、天皇の少国民を育成するという姿勢を基本に持っていた。優秀な教師ほど、その傾向が強いように竜太は思う。教育界に限って言えば、思想問題を危《き》惧《ぐ》する兆しはないといってよいような気がした。綴り方連盟のことは詳しくはわからぬが、その連盟に近づくことに、竜太にはためらう思いはなかった。
とは言っても、教師になって僅《わず》か三カ月足らずの竜太である。じっくりと教師としての力を蓄えねば、どんな運動に加わっても、身にはつかない。竜太はそんな気持のままに、あの水曜日から一週間を経たのであった。
兎小屋と鶏小屋の周りの整地を材料にした綴り方は、土曜日までに提出されていた。その五十余冊の綴り方練習帳を、竜太は教卓の上に積み上げた。その練習帳の山を見て、生徒たちの間にかすかな囁きが広がった。
「君たちの綴り方を読んだよ。先生はみんな読んだ。そして君たちからいろいろなことを教えられた。先《まず》、玉田三樹夫の綴り方から読んでみようか。先生が読むのを、みんなは聞きながら、感ずることを心の中にとどめておいて欲しい」
玉田三樹夫は四列目の一番目の席で、
「いやあ、参った」
と頭を掻《か》いた。みんなは笑った。玉田の父は炭鉱の支柱夫であった。三人きょうだいの一番上で、五年生と三年生の、二人の妹がいた。
「いいか、読むぞ。『今週の水曜日』という題だ。
〈ぼくは水曜日が嫌いです。日曜日が過ぎて、水曜日が近づくと、ぼくは段々憂《ゆう》鬱《うつ》になります。水曜日の五時間目には綴り方があるからです。……〉」
みんなどっと笑った。
「おれも水曜日は嫌いだ」
「おれも」
「おれも」
幾人かが同意した。竜太はつづけて読み進めた。
「〈なぜ綴り方が嫌いかというと、何を書いていいか、わからないからです。『お母さん』という題を出されても、あまり本当のことを書くと、母に殴られるし、褒めて書くとうそになります。自分で題を選ぶとなると、もっと大変です。
ぼくは健次君とよく喧《けん》嘩《か》をしますが、昨日も喧嘩をしました。ぼくは三つ殴られましたが、四つ殴り返してやりました。いい気持でした。なんてそんなことばかり書くわけにもいきません。
ところが今週は、綴り方の時間をつぶして、鶏小屋の整地作業をすることになりました。綴り方がお流れと聞いて、みんなは『ウォーター』と叫びました。その代り、綴り方は宿題となって、少しがっかりしましたが、それでも綴り方の時間が潰れたことは、うれしいことでした。窪田も左藤も、『なあ、よかったな』『よかったな』と喜んでいました。おわり〉」
「いらんこと書くな」
名前を書かれた窪田と左藤が言い、みんながげらげらと笑った。竜太も笑った。そして笑いながら言った。
「おんなじことを書いた者が、ほかにも三人いる。お前たち、綴り方あまり好きじゃないようだな。先生も嫌いだった」
竜太は綴り方は嫌いではなかったが、一応そう言って、みんなの顔をしっかりと見渡した。
「ところできょうは、綴り方について考えてみよう」
と言いながら、「綴り方について考えてみよう」と、竜太は黒板にきれいな字で書いた。竜太の字は坂部先生に、
「賞状を書かしてもいい字だな」
と言われたほどうまい字だ。
「綴り方を好きな者、手を上げて」
竜太が言うと、三人の手が上がった。その中に「父の出征」という綴り方を書いた左藤学がいた。
「嫌いな者、手を上げて」
大方の者が、さっと手を上げた。
「好きでも嫌いでもない者、手を上げて」
七、八人がためらうように手を上げた。
「よし、わかった。この組の大半が、綴り方が嫌いとわかった。なぜ嫌いなんだろう?」
生徒たちはお互いに顔を見合わせたが、ばらばらと手が上がった。
「やっぱり、玉田が書いていたように、何を書いていいか、わからんからだと思います」
また一人手を上げた。
「題が決まっても、ぼくはどんなふうに書いていいか、わからんです」
一同がうなずいた。
「そうだ。みんなのいうとおりだ」
竜太もうなずいて、
「しかしな、君たち、もしかしてわれわれは、一番大事なことを忘れているんじゃないだろうか。先生が一番大事なことというのは、綴り方をどんなふうに思っているかということだ。みんなも、先生も、親たちも、綴り方という学科は、そう大切な学科ではないと、軽く考えているところがないだろうか」
「あると思います」
玉田が大きな目をくるりと動かして言った。他の生徒たちも、
「そうです」
「そうです」
と、活発に答えた。
「そうだよな。その証拠に、綴り方の点数が乙でも、そうがっかりしないよな。算術の試験や国語の試験の時と、どこかちがうだろ」
「ちがいまーす」
「ちがいまーす」
「親たちだって、綴り方で乙をもらっても、あんまり文句は言わないよな。先週の綴り方の時間が作業に変った時も、もしかしたら、綴り方なんてなくてもいいよというのんきな気持が、働いていなかったろうか」
生徒たちは一斉にうなずいた。
「これはね、あながち生徒たちだけの責任とは言えないんだ。先生たちの責任でもある。綴り方という学科が、君たち一人一人にとって、どんなに大事なものかということは、まだ叩《たた》きこまれていなかった。先生はそのことにちょっと気がついた」
みんながしんとなった。一同の視線がまっすぐに竜太に注がれている。
「例えばね、算術だと、十五掛ける八は、百二十という答が正解だ。百十九とか、百二十一という答は、いくら正解と一しかちがわないといっても、それは×点になる。国語も、漢字の点が一つ落ちていても、これはまちがいだ。まちがいが実にはっきりしている。しかし綴り方はどうだろう」
竜太は、自分の言葉への手《て》応《ごた》えを感じながら、言葉をつづけた。
「算術や国語はね、自分一人ぐらい少しちがっていてもいい、というわけにはいかん。しかしね、綴り方は、君たち一人一人が、君たちの見たこと、聞いたこと、話したこと、したこと、思ったことを書けばいいんだ。ほかの人と同じである必要はないのだ。例えばね、時々道で先生に会うことがあるね。それを綴り方に書こうとするか。君たちならどう書く? 大竹、どうだね?」
一列目の一番うしろの大竹が立って、ちょっと頭を掻きながら、
「ええとー、急に言われても困るけど……、会った先生が北森先生の場合ですか、小山先生の場合ですか?」
生徒たちは声を立てて笑った。
「うん、まあどっちでもいい」
竜太は大竹の選択に委《まか》せた。
「小山先生のことをいうと、差支えがあるので、北森先生にします。
〈北森先生が向こうからやって来ました。ぼくは、しめたと思いました〉」
「えーっ? ほんとかあ」
やじる声がした。
「〈どうしてかというと、ぼくは北森先生の唱歌が好きで、『鎌倉』というあの唱歌を聞きたかったからです。先生はいつか、道を歩きながらでも歌をうたう、と言いました。だから、ぼくはうたってもらおうと思ったんです〉」
「よし。では、関川、君ならどう書く。関川もこの間先生に会ったな」
「はい。〈……ぼくは向こうから来る先生を見て、しまったと思った。ぼくは先生に命じられた防火週間のポスターを、まだ描いていなかったからだ。それでぼくは、廻《まわ》れ右をして戻ろうかと思ったが、それも卑《ひ》怯《きよう》なような気がして、少しのろのろと歩いて行った。内心、先生がポスターのことを思い出さないでくれればいいと、神に願いながら、ぼくは道の端をこそこそと歩いた〉」
生徒たちから声が上がった。
「へえー、うまいもんだな、二人共」
「ほんとだ」
「いつのまにうまくなったんだ?」
生徒たちは興にのって言った。みんなの声が静まったところで竜太が言った。
「どうだ、おもしろいだろう。大竹と関川は、『道で先生に会った時』という同じ題の綴り方を作ろうとした。しかし題は一つでも、内容は全くちがっていた。ここがね、綴り方の重要なところなんだ。君たちね、『遠足』という題でみんなが書いても、書かれたものは一人一人みなちがうよね。ということは、綴り方というものは、本来人《ひと》真《ま》似《ね》のできないものだということだ。誰にも真似のできないことを、自分が書くということだ。世界中の誰だって、真似はできない。つまり、一人一人の人間が、いろいろの生活を、様々に感じたり、様々に見つめて生きているということだ。君たち、この世界にたった一つのものを生み出すことって、すばらしいと思わないか。それが綴り方だ。まあ図画や工作の場合も一人一人ちがうことはちがうがね」
うしろをふり向いて、黒板に貼《は》られている図画を眺めた生徒が幾人かいた。
「先生は、算術や国語の試験問題には×点をつけることができても、綴り方には×点はつけられないと思うよ。少しぐらい下手であろうと、みんなが見たり聞いたり思ったりしていることを書いているわけだからね、×点などつけるわけないよ。だから先生は、綴り方には一重丸から五重丸をつける。決して×点をもらわないのが綴り方なんだ。おもしろい勉強だと思わないか」
「思いまーす」
「思うけど、やっぱりむずかしい」
声が上がって、すぐまた静かになった。
「あのね、ついでに言っておくが、先生は一人一人の人間の心がちがうということ、自分の考えを持って生きるということ、これは実に大切なことだと思う。誰かの言ったことを、そのまま鵜《う》呑《の》みにして生きてはいけないんだ。自分の生き方は、自分でしっかり考えて、自分の足で歩いて行く。これはむずかしいことだぞ。大人だってなかなかできない。今なあ、先生は相当重要なことを君たちに言っているつもりだ。それが君たちに伝わっているだろうか」
首をひねる幾人かがいた。
「つまりなあ、先生はな、お前たち一人一人が大切なんだぞと言っているんだ。だから、自分が生まれて来たことを大切にしろ。おれもあんな家に生まれてきたらよかったとか、あいつみたいに頭がよければよかったとか、くだくだ言うな。みんなは自分をどう思ってるかわからんが、先生はこの教壇からみんなを見ていて、一人一人が本当に尊い命を持っているのだと思う。みんなとおんなじ人間は、地球始まって以来、地球がなくなるまで、二度と生まれてこないんだ。綴り方は、そんな尊い自分の思うことを、誰にも遠慮せずに、全部吐き出すことだ。何でも言える世の中、それが最高の世の中だ。人の真似なんかせずに、自分の言葉で書け。どう書いていいかわからなかったら、何でもかんでも、じっと見つめてみろ。そして感じてみろ。書いているうちに、書き方は次第にわかってくる」
竜太は話しているうちに、心が熱くなるのを覚えた。話をしながら、自分で自分にうなずいていた。玉田が手を上げた。
「先生、本当に何でも書いていいんですか?」
「ああいいとも」
「先生に叱《しか》られたことを書いてもいいんですか」
「いいとも。その時先生が憎かったら憎かったと書け。先生が悪ければ、先生が謝る」
「ウォーター!」
喜びの声が上がった。つづいて、幾人かの手が上がった。
「父さんと母さんの喧嘩の話でもいいんですか」
「ま……いいだろう」
竜太はちょっと頭をひねってから答えた。
「ぼくさあ、盗みもしてないのに、盗んだって言われたことあるんだ。それも書いていいんですか」
生徒たちの心の中に、書きたいものが湧き上がってくるようであった。
「むろん、安心して書け。発表して悪いものは、先生は刷ったりしないからな。今日はだいぶ時間を取られたが、この話合いの感想を書くぐらいの時間はあるかも知れない」
竜太は、級長と副級長に手伝わせて、綴り方練習帳を生徒たちに返した。玉田が立って十《じゆう》能《のう》に二杯ほど、大きなストーブに石炭を入れた。窓越しに見える裏山の木々は、ほとんど葉を落しているが、麓《ふもと》のアカシヤの木立はまだ青い。旭川より雪は遅いようだと、竜太はふと思った。
水曜日は五時間の授業で放課となる。綴り方を書き上げた者はほとんどいなかったが、それでも二、三人は竜太に差し出した。他の者は、明日までに家で書いてくることになった。
竜太は掃除当番の生徒たちと共に、教室の掃除をしながら、当番長の左藤学の表情が気になっていた。綴り方の時間中、生徒たちのほとんどは明るい表情を見せていた。が、左藤学だけは妙に暗い顔をしていたのだ。もともと学は明るい子ではない。父親が戦地に行ったためか、それとも生来なのか、いつも何か考える顔をしていた。
掃除が終って、当番の生徒たち八人が、教壇を前に横隊に整列した。
「掃除終りました」
当番長の学が言った。教師たちの中には、窓の桟の埃《ほこり》の有無を指で撫《な》でて調べたりする者もあるが、竜太はそんなことをしたことがない。小学校の時、河地先生がいつもそんなことをしていた。しかし坂部先生はしなかった。その坂部先生のしたとおりに、竜太はしようとしているのだ。
「みんなご苦労。気をつけて帰れな」
そう言ってから、
「学、五分や十分、時間があるかな」
竜太はさりげなく尋ねた。学はちらりと竜太の顔を見て、しっかりとうなずいた。生徒たちは気にとめずに帰って行った。
「ちょっと聞くけど、お父さんから便りがあるかい」
ストーブの傍に椅子を二つ置いて、竜太は左藤学と並んで坐った。
「はい、時々」
「元気かい」
「葉書に、いつも必ず、元気だと書いてあります。母さんが、これが軍隊の葉書の書き方なんだろうか、ということがあるぐらい……」
「なるほど、兵隊は辛《つら》いとか、弱っているとか、書いちゃならんのか」
「軍事郵便には必ず、検閲の判が押してあるんです」
左藤学の目の中に、暗いかげがちらりと動いた。竜太は学が自分より大人のような気がした。
「先生、実はぼくも先生に、ちょっと聞きたいことがあったんです」
学がちょっと顔を伏せた。
「聞きたいこと?」
「はい」
「何でも聞き給え」
「でも、気を悪くされるかも知れません」
語調も十四歳のそれとは思えなかった。
「気を悪くするかも知らんが、しないかも知らん。どんなことか、遠慮なく言ったらいいよ」
「今日のね、先生の綴り方の勉強、ぼくとってもよかった。綴り方が×点をつけられない科目だとか、自分と同じ人間は、地球始まってから終るまで、一人もいないというのも、凄《すご》いと思ったんです。でも……」
学はちょっと頭を掻いた。しばらくバリカンの入らない頭だと、竜太は学の頭を見た。竜太の髪も、八月末軍隊から帰って以来、伸ばしかけているので、かなり伸びてはいるが、きれいに裾《すそ》刈《が》りされている。竜太はふっと、学の家にバリカンはないのかも知れないと思った。
「でも?」
「先生は、何でもかんでも心の中に思っていることを書けと言ったよね。でもね、ぼく、父さんの葉書を見ているから、先生のいうこと正しいのかなあって、思っちゃって……」
「なるほどなあ。そうか、そうか」
「でも、軍事郵便には書けなくても、綴り方には書けるもんかなあって思ったり……」
「うーん。いや、参ったなあ」
「うちの母さんはさあ、言っていいことと、悪いことがあるって、よくいうよ。もしぼくたち子供が、隣の人の悪口書いたら、長屋から追い出されるもんね」
「なるほどなあ。何でも言える世の中が最高だと思うが、それは理想に過ぎないか」
竜太は黙りこんだ。
「ぼく、やっぱり悪いこと言ったかなあ、先生」
「いや、いいこと言ってくれたよ」
言いながら竜太は、自分の思っているよりも、ずっとずっと左藤学は厳しい社会に生きているのだと思った。一応裕福な質屋に生まれて、苦労らしい苦労をせずに育った竜太には、現実を見る目は、まだ育ってはいなかった。
「先生、うちの母さんね、選炭場で働いていたけど、今度会社の寮の賄い婦になるんです」
「ほう、それはよかった!」
が、学は首を横にふって言った。
「でもね、先生。うちの母さんが器量よしだからなんて、変なことをいう奴がいるんです」
竜太は何と答えていいかわからなかった。
汚れた雪
一
職員室の窓から見える軒下の積雪が、めっきりと減った。二月中旬以来ここ幾日か、雪が降らないので、煤《すす》をかぶった雪はうす黒く汚れている。
竜太は北海道のこの雪の汚れた光景に、なぜか心が惹《ひ》かれる。雪の消える春が近づいているためかもしれない。
「木下先生、校長先生の俸給、奥さんに無事届けて参りました」
竜太は木下先生の傍《そば》に近寄って、小さな声で報告した。
今年の一月から、竜太は経理の担当者となった。教師たちは受持児童の担任の外に、庶務係だの整備係だの、何らかの事務職を兼ねることになっていた。竜太は、赴任して四カ月間は、何の係にもついていなかったが、今年の一月、経理事務の担当者が胸を病んで休職したため、そのあとにまわされたのである。
「無事? そうですか。障子は何センチ開けてくれましたかね」
木下先生も小声で言った。
竜太が経理係になった時、木下先生はこう言った。
「俸給の請求だの、俸給袋に金を入れるのは、わたしと小山さんが二人でやりますからね。北森先生は、校長先生の俸給を校長宅まで届けて下さればいい」
「校長先生の家に俸給を届けるだけですか」
竜太は少し驚いた。
「届けるだけと言っても、ね、北森先生、その届けるのが大変なんですよ。下手な口のきき方をしたら、受けとってくれない。障子の隙《すき》間《ま》を二センチか三センチ開けるだけで、何やらくだらん話を、くだくだと三十分も聞かされる。それを聞かされるのがいやで、神経衰弱になった人がいる位なんです」
一月の第一回目は校長夫人は留守だった。その一時間あとにまた訪ねると、障子は一センチ程開けられた。一センチ開けられる位なら、むしろ閉め切ったまま対応されるほうが気持がよいと思った。
「あのう、今月から経理係になった北森です」
「ああそうですか」
障子の向こうでかすかに返事があった。
「中をお調べ下さって、まちがいがなければ、印鑑をおねがいします」
「…………」
しばらくの沈黙のあとに、ようやく返事があった。
「北森さん、このご挨《あい》拶《さつ》は、あなたがお考えになったのですか。それとも木下先生がおっしゃったのですか」
竜太は、はっとした。木下先生から言われたとおりの言葉だったが、
「ぼくの言葉です」
竜太はさりげなく答えた。
「そう。だんだんご挨拶も上手になるでしょうけど、子供のお使いじゃないんですからね」
細い隙間から、空になった袋が返された。
そして今日は二回目の俸給日だった。竜太は大きな声で、
「こんにちは。北森竜太です。俸給をお届けに参りました」
と、さわやかに言った。するとまるで障子の陰に待ち構えてでもいたように、障子がさっと開けられた。思わず竜太は一歩引きさがった。茶色に黒の縦《たて》縞《じま》の銘《めい》仙《せん》を着た校長夫人は、若々しく見えた。口には薄い紅が差してあった。
「今日はあたたかですね。どうもご苦労さま」
にこやかに微笑して金を数え、印鑑を押して俸給袋を返しながら、
「北森先生、少しは学校に馴なれましたか」
と優しく言った。その校長夫人の言葉を思いながら、竜太は奇妙な心地で職員室に戻った。
(どうしていつも今日のようにしていないのだろう)
人嫌いの病気かと思いながら、ふっと校長夫人が憐《あわ》れにも思われた。竜太が今、木下先生に「無事」という言葉を使ったのはこうしたわけだった。様子を聞いて木下先生は天井を見て豪快に笑い、再び声をひそめて、
「そうですか。ご機嫌でしたか。しかし、今日の校長さんのほうが、どうやらご機嫌斜めのようですな」
と、竜太の手から校長の俸給袋を受取った。竜太はちらりと校長のほうを見た。むずかしい顔をして校長と万田教頭が額を寄せ合って、何か話し合っているのが見えた。
竜太が自分の席に戻った時、やおら万田教頭が大声で言った。
「皆さん、これから臨時職員会議を行いますが、よろしいですな」
押しかぶせるような言い方だった。今の今まで、職員室は毎月の給料日と同様、和やかな空気が流れていた。そこに不意の臨時職員会議の知らせである。教師たちは一瞬ざわめいたが、すぐに静粛になった。教頭のうしろの柱時計は、今まさに午後四時を打とうとしていた。
「全員お揃《そろ》いですな」
午後四時には教師たちは職員室に戻ることになっている。入口の戸を開けて、沖島先生がのっそりと入って来た。ハンカチで手を拭《ふ》きながら、彼はいち早く職員室の空気を見て取ったようであった。万田教頭が言った。
「沖島先生、臨時職員会議です」
「は、はあ……何事ですか、また」
沖島先生がのんびりした語調で言った。何となく教師たちが笑った。どんな時でも茫《ぼう》洋《よう》とした語調になる沖島先生を、竜太は尊敬している。沖島先生が自分の席に坐ると、万田教頭が開会を告げた。
「これから職員会議を始めます。まず校長先生が問題をお話しされますから、そのあと真剣に討議していただきます。発言者はいつものとおり、起立して発言してください」
竜太は目の前の小山先生を見た。小山先生は白いセーターの上に濃紺のスーツが似合っていた。竜太の視線を捉《とら》えた小山先生は、軽くウインクした。小山先生の席は、校長の席からも教頭の席からも見えない角度にあるので、時にはペロリと舌を出したり、大胆な表情を見せる。その度に竜太はひやりとする。校長が坐ったまま言った。
「皆さんは、今朝の生徒たちの朝礼を、どのように思われましたか」
教師たちのほとんどは、キョトンとして顔を見合わせた。思いもかけぬところから職員会議は始まったからである。沢本校長は月に一度か二度、朝礼の時全校生徒に質問を発するのを例としていた。そして数名の生徒たちに答えさせる。たいていの場合、「五年一組の級長」とか、「高等科二年一組の級長」とか、クラスの代表的生徒に答を迫る。
今日の朝礼の場合もそうであった。宮城遥《よう》拝《はい》が終り、校長に対して「お早うございます」と全校生徒が一斉に朝の挨拶を終えた時、
「皆さん、今日は昭和十三年二月二十一日の月曜日ですね」
生徒は声を揃えて「はい」と答えた。
「この昭和十三年二月二十一日月曜日は、二度と繰り返すことのできぬ只一度限りの日です。わかりますか」
「はい」
また声が揃った。
「よろしい。ところで皆さんは、あと一カ月と少しすると、一年生は二年生になる。五年生は六年生になる。高等一年生は高等二年生になる。みんな一年ずつ進級します。去年の四月から今日までに、どんなことが一番心に残っていますか。つまり三年生の子は、三年生の時の一番強く心に残っている思い出、五年生の子は五年生の時の一番強い思い出をわたしに聞かせて欲しい。ちょっと目をつぶって、この一年間を思い出してください」
生徒たちは言われたとおりに目をつぶって、何かを思い出していた。一、二年の低学年の子は、薄目を開けたり閉じたりしながら、頭をひねっていた。二、三分の時が過ぎた。
「はい、目を開けなさい。わたしに聞かれた生徒は、大きな声ではっきり答えなさい。三年四組級長!」
「はい」
女生徒の声がひびいた。三年四組は女子組である。
「夏休みに、小樽のおばあちゃんの家に遊びに行って、海を見たことです」
「なるほど。では、五年一組級長」
今度は男子組だ。
「はい、運動会の徒競走で一等を取ったことです」
「なるほど。では高等二年二組の副級長!」
「はい! ぼくの家の猫が死んだことです」
校長はちょっと黙った。
「六年三組の副級長」
「はい。算術の試験が全部百点取れたことです」
校長は次々に指名していった。二十人もの生徒たちが、友だちと喧《けん》嘩《か》したことだの、先生に叱《しか》られたことだの、転校して行った友だちとの別れの辛《つら》さなどを告げた。最後に高等一年の竜太の受持の副級長が指名された。左藤学だった。学は少し暗い声で答えた。
「はい。ぼくは、去年の八月、父が戦争に行ったことが、一番心に残っています」
校長は大きくうなずいて、名前を尋ね、
「そうか、左藤学君か。お父さんからは手紙があるかね」
と言った。
「この頃《ごろ》はありません」
学はぶっきらぼうに答えた。
今、教師たちは、この今朝の朝礼の模様を忙しく思い出していた。校長はその教師たちの、ややとまどった様子をじっと見つめていたが、再び尋ねた。
「今朝の朝礼について、それぞれに感想をもったと思いますが……」
校長は先《ま》ず三年受持の女教師の名を呼んだ。教師になってまだ一年と経《た》っていないその女教師は、真っ先に名前を呼ばれて、どぎまぎしながら立ち上がった。
「あのう、みんな大きな声でちゃんと答えたと思います」
女教師が坐った。
「それだけの感想かね」
「はい」
女教師は首まで真っ赤にしてうなずいた。校長は次々に、容赦なく感想を述べさせた。自分の体験を通して正直に答えたのがいい、という感想や、みんなの前で急に聞かれながら、あれだけきちんと答えられれば、なかなか優秀ではないかとか、指名されなかった生徒たちも、それぞれまたちがった思い出を持っている筈だとか、似たような感想が次々に述べられていった。十人余りの教師に感想を聞いたところで、
「情けない。実に情けない」
と、校長は深刻な顔になった。教頭がうなずいた。
「わたしが指名したのは、各組の級長か副級長をしている生徒ばかりです。しかるに何ですか、猫が死んだだの、友だちと喧嘩しただの、それがこの一年間で最も印象に残った事件だとは。しかもですな、先生方の感想を尋ねたところ、誰一人情けないという感想を持っていなかった。これがわたしには一層情けない。弱将のもとに弱卒ありです」
木下先生がにやりと笑うのを竜太は見た。校長は気づかずに言葉をつづけた。
「まさか、先生方も、この一年間に最も印象的なことが、猫の死であったり、喧嘩したことぐらいではありますまいな」
再び木下先生がにやりと笑うのを竜太は見た。木下先生の席は竜太の席から四つ程下手のほうで、竜太の目の注《と》まりやすい位置にある。
「こう言っても、わたしが何を嘆かわしく思っているか、気づいている先生がここに何人おられますかな。気づいた方は手を上げて欲しい」
おずおずと手を上げた者が五、六人いた。その中に沖島先生も木下先生もいなかった。竜太は上げかけた手をおろした。と、木下先生が椅子に坐ったまま言った。
「かんにんしてくださいよ、校長先生」
静かだが力強い語調だった。上げていた教師たちの手が下がった。
「木下先生、かんにんですか」
校長の声も静かだった。それが竜太には無気味だった。
小山光子先生が、くるりと首をまわして校長のほうを見、またもや大胆に竜太にウインクを送った。
「今日は先生方に少し聞いていただきましょう。皆さん、去年は日本にとって、どんな年であったか、わたしの口から言うまでもない。ここには新聞もあまり読まない先生方もいることとて、軍部と政党が対立して、広田内閣が退陣したことさえ、ご存じない方もいるかも知れない。その後、林内閣が立った。しかし、何と四カ月間の短命内閣だった」
竜太は聞きながら、確かにこの学校の教師たちは、新聞など読んでいる暇はないと思った。朝の五時から出勤し、夕方は六時過ぎでなければ、帰りにくい空気になっている。休み時間にタバコを喫《の》む教師たちは職員室に戻ってくるが、他の教師たちは、職員室に備えつけの新聞をひらく余裕などなかった。新聞は、担任のない校長が、最も時間をかけて隅から隅までていねいに読み漁《あさ》るだけだ。
校長が言葉をつづけた。
「そのあとを受けて出たのが近衛内閣。近衛内閣は挙国一致を旗印とした。この内閣が成立したのが六月早々。ところが挙国一致の旗印に国民がほっとしたのも束の間、七月七日にはかの蘆《ろ》溝《こう》橋《きよう》事件が勃発した。日本は支那に対して、この事件の不拡大方針の覚書を交わしましたな。国民はそこで、大した事変になるまいと安心しましたが、翌月八月には上海事変が起きたのはご存じのとおり。そして八月十五日、緊急閣議がひらかれた。ここにおいてわが大日本帝国は、不拡大方針を決然として放棄し、断固膺《*よう》懲《ちよう》すべしとの決意を固め、遂に全面戦争に、国民一丸となって突入したわけであります」
ややしばらく校長は黙然としていたが、
「わたしは、あの時、この小さな日本が、その何倍もの広い領土を有する支那と戦う決意を定めたことを思うと、身ぶるいするような感動を覚えたものです。畏《おそ》れ多くも畏《かしこ》くも、あの時の大元師陛下の御胸中を……」
校長の声が詰まった。教師たちのほとんどはうつむいたままだ。校長が再び口をひらいた。
「先生がた、今私たちが、ここにこうして、無事でいる時も、わが陸軍の将兵は、東洋平和のために戦っておられるのですぞ。そのことにわれわれ国民は何の感謝も持ってはいない。持っているならば、生徒たちは、この一年間の思い出の中に、兵隊さんを駅に送った思い出の一つや二つ、あって然《しか》るべきだと思います」
訓育主任が深くうなずくのを竜太は見た。校長の片腕ともいうべき訓育主任のこの教師は、天皇という言葉を口にする時、よく絶句するのだ。その大きくうなずく訓育主任に校長の目が注まったのか、
「そしてまた、南《ナン》京《キン》入城の際の全国民の感激、各地で提《ちよう》灯《ちん》行列が行われたこの事実が、生徒たちの口から出てもいい筈じゃありませんか。先生がたは、一体全体戦争を何と心得ておられるのですか。教室で生徒と共に弁当を食べる時、戦争の話をしてやらんのですか。兵隊さんへの感謝を述べてやらんのですか。畏きあたりの大御心を、諄《じゆん》々《じゆん》と語り聞かせてやらんのですか。きょうの生徒たちの、一年間の最も印象に残った話を聞きながら、わたしは情けなくて情けなくて……いや、それにもまして、先ほどの先生がたの発言は、一体何事ですか。戦争をしている国の教師の言葉ですか」
教師たちは互いに顔を見合わせ、その視線を机の上に落した。沈黙がつづく。と、訓育主任が立ち上がり、
「申し訳もありません。校長先生のお怒りは、もっともだと思います。まことにまことに申し訳ありません」
と言って、深々と頭を下げた。竜太はこの訓育主任が嫌いではない。どんな若い教師にもていねいに頭を下げる。言葉遣いも丁重だ。経理係の竜太に、用紙を棚から出してくれるように頼む時も、若い教師たちのような、
「北森先生、西洋紙六十枚」
などという頼み方はしない。
「北森先生、お忙しいところをすみませんが、西洋紙六十枚おねがいできますでしょうか」
と、頭が低い。だが職員会議の時、今日のように、校長から何か指摘されると、真っ先に立って謝ってしまう。そこが竜太には納得がいかない。偉い人のようだが、そうでもないような気がする。
二
そう思った時だった。木下先生がゆっくりと立ち上がった。みんなの視線が木下先生に注がれた。小山先生が両手の人指し指で拍手をして見せた。彼女が名づけるところの「万雷の拍手」である。木下先生は、ちょうど職員室の中央に席がある。片手を腰において、
「校長先生」
と、彼は鋭く呼んだ。呼んでからちらりと笑って、
「わたしは何もこんな大きな声で呼ばねばならんほど、校長先生を憎んでいるわけではありません。否《いな》むしろわたしは校長先生を偉い人だと思うことがあります。しかし、どうもどこかがわたしとちがう。朝の出勤時間がちがうだけではありません」
思わず小山先生がくすりと笑った。
「校長先生、わたしは今朝の生徒たちの感想は、なかなかちゃんとしたものだと思いますよ。子供というものは具体的に生きているものだと思います。長年飼っていた猫が死んだ。悲しかった。一番忘れられない思い出となった。そのどこが悪いんですか? 人間にはそういう情が必要です。おそらく家族の一員のように可愛がっていたのでしょう。それよりも兵隊さんのことを思えと、校長先生はおっしゃる。あえてここで申し上げますが、子供たちは日本が戦争をしていることぐらいは、知っているかもしれません。が、正直の話、あの駅から汽車に乗って出征して行った兵士たちが、鉄砲担いで、背《はい》嚢《のう》背負って、大陸でばんばんばんばん銃を撃っている姿など、想像することのできる生徒など、ほとんどいませんよ」
校長は何か言おうとしたが黙った。
「いや、子供たちばかりではない。われわれ大人だって、敵の飛行機一機飛んで来るわけでもない青い空を眺めながら、戦争を肌身に実感した経験はないのじゃないですか。わたしの弟が大陸に出征しましたが、そこで初めて、生きていてくれよという切実な気持になった程度です。校長先生のようにはなれないのです。人間という者は、自分に火の粉がふりかかってこなければ、わからないことがたくさんあります。生徒たちにとって、戦争が身近なものにならないというのは無理もない。ニュース映画はむろんのこと、ラジオさえ、ほとんどの子供たちには無縁なんですから」
思わず竜太はうなずいた。ラジオのある家は、竜太の受持にも皆無に近かった。再び沈黙が流れた。校長が自分を抑えるような語調で言った。
「では木下先生、あんたは戦争など、どうでもいいと言われるのかね」
「そんなことは申し上げておりません。只ですね、校長先生が感じられるほどに、わたしたち教師たちも生徒たちも、まだひしひしと戦争をこの身に感じてはいないという、この現実を述べたままです」
「それでいいというわけですかね、木下君」
「いいとは思いません。戦争が早く終って、わたしの弟も、大陸にいる兵隊たちも、無事に帰って欲しいと、朝に夕に祈っています。只わたしが申し上げたいのは、みんなが校長先生と同じ感じ方をしていなくても、もう少し長い目で育てて頂きたいということです。生徒たちの忘れられない思い出の中に、戦争に関する言葉が出てこなかったとしても、子供たちだって、戦争の話をすれば、みんな真剣にうなずいてくれるのですから」
教師の多くが、うなずき合った。沖島先生が立ち上がった。
「校長先生、今日校長先生が指名なさった生徒は、千何百人のうちの僅《わず》か十数人に過ぎません。他の生徒たちに聞いたら、また他の答があろうかと思います」
沖島先生が話し始めると、少し雰囲気が変った。緊張感がほぐれた。沖島先生は言葉をつづけ、
「また、生徒というのは、質問のしかたでその答も変ります。もし、『戦地に行っている兵隊さんのこと、みんなも一生懸命祈っているな。弾丸に撃たれても、あたりには医者も看護婦もいないんだ、大変だろうなあ』と言えば、四年生でも身を乗り出します。校長先生のご質問は、この一年で一番印象に残ったことという、小学生にはやや高尚な質問でありました。ひとこと、戦争のことでも何でもいい、と付け加えて下されば、また引き出されるものがあったのではないでしょうか。校長先生のご心配になるほど、日本人は忠君愛国の念を忘れて生きているわけではないと、わたしは思います」
教頭が沖島先生に言った。
「何だかそれじゃ、校長先生の質問が悪かったように聞えますな」
「そうは聞えませんよ、教頭先生」
木下先生がすかさず言った。訓育主任が立ち上がった。
「とにかく、今日の校長先生のお話は、まことに重要なお話で、われわれ学校教育に当る者の、責任の重さを改めて痛感させられたものであります。ついては校長先生、わが校でも、宿直室にラジオを一つ備えつけて頂けませんでしょうか」
「賛成、賛成」という声があちこちで上がった。訓育主任はつづけて、
「もう一つおねがいがございますが、せめて一学期に一度は全校生徒を引率して、ニュース映画を観覧させるというのは、いかがでしょうか」
校長は少し苦い顔をして教頭を見、それから職員たちのほうを見て言った。
「授業を潰《つぶ》して、ニュース映画を見せに行くのかね。ま、少し考えてみましょう。映画料金の問題もある。ニュース映画だけというわけにはいくまいから、変な映画と抱き合わせにならぬよう、映画館とも打合わせを必要とする。幌志内には只一軒の小屋しかないから、一回に三百人入ると見て、何度に分けねばならないか、これも宿題ですな」
誰かが言った。
「一年生に見せてもわかりますかね。一、二年は無理じゃありませんかね」
教師たちは互いに話し合い始めた。
緊急職員会議は、訓育主任のお陰で、事が険悪に傾くのをまぬがれて終ることができた。と、校長が、
「北森先生」
と手まねぎをした。竜太はぎくりとした。校長の傍に行くと、校長は意外に機嫌のいい顔で言った。
「今朝の朝礼で、父親が戦争に行っていると言ったのは、君の受持の子だそうだね。あの子の答のお陰で、ちょっと助かったよ。ありがとう」
竜太はあわてて、
「あの、それは、わたしの教育のせいではありません。父親が出征したという事実が答えさせたわけですから……」
と、手を横にふった。
「なるほど。ま、それはどうでもいい。君はあの子の家庭訪問をしたことがあるかね」
「いえ、一度は行きましたが、留守でした。何でも母親が選炭場で働いているとかで……でも今は寮の寮母に入ったと聞きましたので、また行ってみます」
竜太は、出征兵の家族をまだ一度も訪ねていないことを咎《とが》められているのかと、弁解の語調になった、左藤学は言ったのだ。
「うちの母さんが器量よしだから、寮の賄い婦にまわされたって、変なこという奴がいるんです」
あわてる竜太に、校長はちょっと声をひそめた。
「いや、訪問すれというわけじゃないよ。むしろ訪問は遠慮したほうがいいね」
竜太は驚いて、
「なぜですか?」
と、率直に尋ねた。
「いや、なぜということはないが、出征兵の家族について、いろいろな噂《うわさ》が飛んでいるのでね。今日、昼に、教頭先生から聞いた話によると、左藤学の母親は、ちょっと目を惹く器量よしだそうだね」
「さあ、それは知りませんが……」
つい、口が尖《とが》りそうになった。
その日の帰途は、いつものように沖島先生と一緒だった。
「沖島先生、先生の発言は、いつもみんなの緊張を解きほぐしていいですね」
日は暮れて、行き交う人の顔もおぼろだ。道路の雪がざくざくとザラメ雪になっている。雑貨屋の前で、三、四人走りまわっていた男の子たちが二人を見て、きちんと姿勢を正し、
「先生、さようなら」
と頭を下げた。ここの炭鉱街の子供たちは、ほとんどの子が同じ角度でお辞儀をする。宮城遥拝の時の礼と、奉安殿への礼は共に九十度、教師たちには四十五度だ。これは訓育主任の決めた角度である。
「おお、さようなら。暗くなったから、もうそろそろ帰れよ」
竜太は快活に答えた。
「はーい」
驚くほど素直に答えるや否や、子供たちは自分の家のほうに駆けて行った。沖島先生がにやにやしながら、
「北森先生、子供というのはね、ちょっとぐらい遅くまで、外で遊んでいるほうが、逞《たくま》しく育つんだよ。黙って遊ばせておくのが、ぼくの主義だ」
「そうですか。それで先生は、あまり命令形でものを言わないわけですか」
竜太は感銘して言った。
「今、あの子たち、実に素直に家に帰って行ったでしょう。大人はああいうのをいいと思うが、ぼくはむしろ危険だと思う。何でも右へならえじゃねえ」
「なるほど」
竜太はうなずいて、
「そのこと、ぼく、よくわかるような気がします」
「北森君も、少し素直過ぎますな」
「そうかも知れません。だから、今の言葉、とても大事だと思いました」
「困るんだなあ、そう素直に出られると」
ちょっと笑ってから、
「今日の職員会議、校長さんあせってるな。軍国主義でびしびし鍛えないと、後れを取るとでも思っているのかね」
向こうから、ライトを額につけた坑内夫がやって来た。肉体労働をしているという逞しさの何もない男だ。歳《とし》の頃は二十七、八だろうか。もう幾度もすれちがっているので、顔見知りだ。男にしてはまつ毛の長い、彫りの深い顔が街灯に照らされた。
「お疲れさんです」
竜太も沖島先生も声をかけた。
「ご苦労さんです」
いつもの声が返って来た。他の坑内夫とちがって、彼の勤務は六時に終るらしい。三交替勤務には組み入れられていないらしい。その男とすれちがってしばらく行き、
「しかし、北森君、木下先生は偉い先生だなあ。今の時代に、あんなふうに生きていけるなんて、こりゃあ大変なことだよ。去年十二月、山川均《ひとし》たち四百人が検挙されたでしょう。つづいて日本無産党が解散させられたでしょう。正直の話、ぼくはひやひやして生きていますよ。あいつはへらへらして生きていると思われたほうが、身の安全ですからねえ。なにか世の中がなだれを打って流されているような……」
沖島先生は口をつぐんだ。線路のすぐ傍の番屋から、巡査部長が出て来たのだ。
「やあ、今お帰りですか、沖島先生」
巡査部長が片手を上げた。駐在所は下宿の近所なので、将棋の好きな沖島先生は、時にこの部長の将棋の相手をすることがある。
「いやあ、今日うちの子が、運動場で何か答えたそうで。ハッハッハ」
巡査部長は愉快そうに笑い、
「ところで、その時校長先生は、家族か親《しん》戚《せき》に、戦地に行っている人があれば手を上げろと言ったそうだが、わたしんとこの親戚に戦地に行っているのがいるのに、うちの倅《せがれ》は手を上げなかったって気にしてました」
巡査部長はまた大きく笑い、
「校長先生に、このことよろしくお詫《わ》びしておいて下さい」
と、炭鉱病院のほうに歩いて行った。竜太には、その言葉に特に深い意味があるとは思われなかった。
膺懲 こらしめること。
訪問者
一
宿直を終えて下宿に帰って来た竜太は、用意されていた朝食をそそくさと摂《と》った。今日の午後の汽車で旭川に帰るつもりだったが、気持が沈んで、何をする気にもなれない。竜太はごろりと畳の上に横になった。窓ガラス越しに見る空がどんよりと曇っている。
昨日から学校は春休みに入って、沖島先生は昨日の終列車でさっさと小樽に帰って行った。そんな沖島先生の姿に、竜太は秋子が気の毒な気がした。が、今朝の竜太はそれどころではなかった。
昨夜八時頃、姉の美千代から宿直中の竜太に電話がきた。
「竜ちゃん、明日帰って来るってほんと?」
美千代の声がいつもより優しかった。
「ああ、こっちを一時の汽車で発つよ」
竜太は美千代の声を懐かしみながら答えた。
「そう、そしていつまでいるの?」
「三十一日には学校に戻っていなければならないから……」
「じゃ、明日は二十四日だから、四、五、六……」
美千代は電話の向こうで指を折るふうだったが、
「ま、六日はまるまるいるのね」
と、何か案ずる様子だった。黙りこんだ美千代に、
「何か用事だった?」
と竜太が尋ねると、
「いいえ……あんた、明日のお土産《みやげ》も深川のうろこ団子でしょ。あれおいしいから、上げたい人がいるの。三箱程余分に買ってきてくれる?」
「何だ、そんなことか。おやすいご用だ」
竜太は笑った。が、美千代は何も言わない。
「姉さん、何かあったの?」
竜太は少し不安になった。いつもの美千代なら、もっと単刀直入にものをいう。少々言葉がきつくても、高飛車でも、そのからりとした性格は、竜太には好ましかった。が、今夜の美千代はちがう。そう思った時、
「竜ちゃん、芳子ちゃんがお嫁に行くかも知れないわよ」
いつもの語調に戻って、美千代は突き放すような言い方をした。
「え!? なんだって?」
竜太は耳を疑った。受話器を取りつけた柱に、頭をもたれるようにして、竜太は呆《ぼう》然《ぜん》とした。
(芳子が嫁に行く?)
美千代は、「行くかも知れない」と言ったのだが、竜太には「行く」と決定したかのように強くひびいた。青天の霹《へき》靂《れき》だった。芳子と竜太は、小学校四年の時からの幼《おさな》馴《な》じみだった。姉の美千代や従兄弟《いとこ》の楠夫が、芳子と親しくしていて、竜太はその二人の肩越しに、おずおずと芳子を見つめているような関わり方をしてきた。にもかかわらず、竜太にとって芳子は、いつも自分を支えてくれる存在のようであった。幌志内に赴任する前の日も、芳子は目覚まし時計を餞《せん》別《べつ》に手渡してくれた。その時芳子はこう言ったのだ。
「竜太さん、この目覚ましは、朝起きのためにだけ上げるのじゃないのよ。あなたの生活の目覚まし時計なの」
時が経《た》つにつれて、その言葉は竜太には重いものとなっていった。竜太は時計の礼に書いた芳子への自分の言葉を覚えている。
〈この時計を下さった時、芳子さんはぼくに言いましたね。
「あなたの生活の目覚し時計よ」って。
ぼくはその言葉の意味を、あれ以来ずっと考えつづけているのです。ぼくが自分の生活の中で、怠惰になったり、誠実さを失ったり、清潔なあり方を忘れたりするようなことがあれば、この目覚まし時計は多分、「さあ、今日は誠実に生きて下さいね」とか、「何を怠けているんです」という警告を発してくれるにちがいないと。こう書くと何だか、芳子さんという存在は、ぼくにとって姉のような、おふくろのような、ちょっとおっかない存在に思われますね……〉
あの時竜太は、「おふくろ」という言葉の代りに、「恋人」と書きたい思いだったのだ。そして多分その思いは、芳子にも通じたのではないかと竜太は思っていた。なぜなら、その手紙に対して返事をくれた芳子の手紙の末尾には、「おっかない姉より」と冗談めかして書かれていたからだ。少なくとも目覚まし時計は、二人を只の友達以上に、もっと密着した関係をつくり出してくれたような気がする。しかし、はっきりと恋人といえなかったのは、竜太の引っこみ思案からであった。言葉に出して、「結婚」とか、「愛する」とかを言うには、もっと慎重でなければならないと竜太は考えていた。男が女を愛するということは、生涯にそう幾度も言うべき言葉には思われなかった。坂部先生が言ったことがある。
「恋愛は男性にとって一エピソードだが、女性にとってはオール・ヒストリーだと誰かが言ったね」
と。一人の女性の全生涯を背負いこむということは、まだ二十二歳の竜太には重荷に過ぎた。
とはいいながら、竜太にとって芳子は、断じて他の女性と同列にはなかった。一カ月にせいぜい一、二通の手紙か葉書を書き、冬休みに帰った時も、二度程一緒に映画を見、寒い雪道を歩きながら、生徒のことを話し合った。そんな程度ではあっても、芳子は動かし難い存在なのだ。
その芳子が、他の男に嫁ぐかも知れないというのだ。竜太は体から力が抜けるような思いで受話器を握っていた。そんな竜太に、美千代は言った。
「竜ちゃん、あんた聞いてるの」
「ああ」
竜太は声にならない声を出した。
「何よ、ぼんやりした声を出して。竜ちゃん、芳子ちゃんってね、生徒にも父兄にも、とても評判のいい先生なのよ。家庭訪問に行くと、そこの長男のお嫁に来て欲しいとか、親戚の誰かの嫁になって欲しいとか、よく本気で言われるらしいの。でもね、正式に仲人を立てるほどの話はまだなかったの。……聞いている? 竜ちゃん」
美千代は焦《じ》れったそうに言った。
「ああ、聞いているよ」
「それがね、この間、うちの近所の仏壇屋さんから相談があってね、お宅に時々来ている女の先生、うちの息子に世話してもらえないだろうかっていうのよ。わたし、もうびっくりした……」
「…………」
「芳子ちゃんって、わたし、子供の時から好きなのよ。あの子が傍《そば》にいると、こっちの気持があったかくなるのよ。それでね、滅多なところにお嫁に行って欲しくない。できたら、うちの竜太のお嫁さんになってくれないかなって、ずーっと思いつづけていたの。でもその息子さんってね、近頃になく珍しい青年でね、やっぱり小学校の先生してるのよ」
竜太は、仏壇屋の息子というその青年が、薄黒い影になって、自分の行く道に立ちはだかっているような気がした。
「竜ちゃん、今ねえ、お嫁にやるんなら学校の先生って、どこの親も思ってるらしいわよ。なぜだかわかる?」
「さあ」
「何だか頼りない返事ね。去年の夏、動員兵で、旭川の町があふれるぐらいになったでしょ。そして、南京が陥落して、戦火は広がるばかりじゃない? まだまだ戦地に行く人がたくさんいるわ。でも師範出の先生は、あとまわしになるとかで、嫁にやるなら先生がいいと、みんな話し合っているわよ」
「うーん」
「だからね、公平に考えると、仏壇屋さんが財産家だっていうことは別にしても、この話芳子ちゃんにとって、決して悪い話じゃないと思うの」
竜太は思わず吐息をついた。
「あのね、竜ちゃん、年頃の息子を持つ親たちは、今一番何を考えてると思う? いつ召集令状が来るかわからない息子たちのために、一日も早くいいお嫁さんを持たせたいってことなのよ。戦争に行ったら、命の保障がないじゃない? 一人息子を持ってる親なんか、そのことで頭がいっぱいみたい。息子の子供を生んでくれる女がいないかと、内心どんなに焦ってるかわからないのよ。男の人は男の人で、ぐずぐずしていたら、赤紙一枚で戦地にやられてしまう。子供一人さえ残さずに、自分の人生は終りだと、これまた辛《つら》い思いをしてるのよ。今、日本は、そんな中にあるのよ。目ぼしい女の子は、みんな人の奥さんになってしまうわ」
「それで……」
「それでね、芳子ちゃんがお嫁に行ってもいいのかって、聞いてるのよ。行かれて困らないかって聞いているのよ。竜ちゃんがいいんなら、わたし仏壇屋さんにお世話するわよ」
きっぱりと言った美千代の声が、一夜明けた今も竜太の耳に残っている。
(芳子は誰にもやらない!)
寝ころんで天井を見たまま、昨夜の電話を思い出していた竜太は、体を起こしてあぐらをかくなり、そう思った。一刻も早く旭川に帰らねば、芳子がその男と見合をしてしまいそうな気がした。
そう思うと、少し落ちついた。それにしても教師の世界は、別世界のようにのんきな気がした。沖島先生にしても木下先生にしても、結婚のことであくせくしているようには見えなかった。それはやはり、教師には兵役が免除されているということに発しているのかも知れなかった。沖島先生は結婚のことより、帝大の矢《*や》内《ない》原《はら》教授の辞職事件に関心があるようだった。矢内原教授の「中央公論」に載せた「国家の理想」なる論文は、日本の大陸政策を強く批判し、思想統制に傾く政策に抵抗していた。これを検閲当局が部分削除の処分に付した。更に帝大の教授会が、その論文を不穏として激しく非難、昨年十二月一日、矢内原教授は辞職に追いやられたのである。
沖島先生は言っていた。
「こういう時の仲間が、おっかないよなあ。人間、いろいろな思想を持つって大事なことだ。そのことを一番知っていなきゃならないのが、大学の教授たちでないのかねえ」
十二月十五日には更に、山川均、加藤勘十、鈴木茂三郎、荒畑寒《かん》村《そん》等、日本無産党や労農派の人たち四百人が思想を問われて挙げられた。この時も沖島先生は憂《ゆう》鬱《うつ》な顔をしていた。
「日本はどこにいくんかなあ。矢内原教授は、北森先生、講演会でね、『日本は理想を失った。こういう日本は一度葬って下さい。再び新しい国として生まれ変ってくるために』と言ったんだとさ。こりゃあ愛国心だよね。戦争をおっぱじめるだけが、愛国心じゃないんだ。みんなそれぞれの考え方の中で、国を思っているんだよ。燃えるような思いでね。自分の生まれ育った国を、愛さない人間がいるもんか。おれは泣きたくなるよ」
食後、画架に向かって、青い壺《つぼ》を描きながら、沖島先生はそんなことを言っていた。それを思い出すと、芳子のことを考えていてよいのだろうかとも思う。いや、男が女を愛することは、人間としてかなり重要なことなのだと、竜太は思い直した。一つの家庭が、いや、どの家庭も、揺るぎのないものであることが、日本という国を揺るぎのないものにするような気もする。
(それにしても……ぼくはまだ二十二だ)
結婚するにはいかにも早過ぎるような気がした。竜太の気持はまた萎《な》えた。竜太は再び畳の上に仰《あお》向《む》けになった。ストーブがほのかに暖かい。
(ぼくが二十二だということは、同じ齢《とし》の芳子も二十二だということだ)
竜太は、今初めてそのことに気づいたように、ぎょっとした。芳子はまだ二十二の自分となど、結婚する気はないのではないか。只小学校時代からの心惹《ひ》かれる友人に過ぎないのではないか。仏壇屋の息子は二十七歳だと、美千代が言っていた。二十七歳のその息子と自分を並べて、自分はいかにも頼りなく見えるのではないか。竜太の心はかげるばかりだった。もし、勢いづいて旭川に帰ったとしても、芳子が、
「竜太さん、わたし、お見合するの。そしてお嫁に行くの。喜んでね」
などと、さばさばと言うのではなかろうか。自分の気持を伝えたところで、
「あら、竜太さん、そんな気持でいたの?」
と芳子は声を上げて笑うかも知れないのだ。笑わないまでも、
「竜太さん、竜太さんは少し若過ぎるわ。あなたまだ二十二よ。一家の主人が二十二だなんて……やっぱり、わたし、二十七、八の人がいいわ」
などと、軽くいなされるような気もする。自分が二十七、八になるまで待っていてくれと言ったら、
「駄目よ。わたしも二十七、八になってしまうじゃないの。赤ちゃんを生むのが遅くなるわ」
と言われるかも知れない。どう考えてみても、芳子を誰にもやりたくないなどと考える自分が、滑《こつ》稽《けい》な気がした。竜太は自分を笑おうとして、目《め》尻《じり》がぬれた。
竜太はふっと、何年か前の美千代の姿を思い出した。竜太の家にかくまわれていた金俊明が突如家から姿を消した翌日、廊下に坐りこんで、じっと庭を見つめていた美千代のうしろ姿だった。あの時、美千代の肩が小刻みにふるえていたのを竜太は覚えている。
もし芳子がきれいな花嫁姿になって、よその男に嫁いで行ったとしたら、自分はどのように耐えていけるのだろう。姉の美千代はしばらく誰とも口を利《き》かない状態がつづいた。そして、まるで身投げでもするように、人の勧めるままに、呉服屋の息子と結婚してしまった。
(そうか。姉さんは、ぼくの気持をよくわかっているのか)
美千代は、自分の味わったあの悲しみを、弟の竜太には味わわせまいとして、昨夜あんな電話をかけてきたのではないか。竜太は、泣きたくなった。そしてまた笑おうとした。竜太はしばらく身じろぎもせず天井を見つめていた。
二
(旭川に帰るのはやめよう)
竜太は札幌や小樽に行って、ぶらぶらと春休みの一週間をつぶしてみようと思った。芳子の幸せのためにも、自分の気持は押し隠して通そうと思った。もう手紙を書くまい。芳子に手紙を書く時の、あの甘い優しい気持は、今日限り忘れてしまおう。
(それとも……結婚前の芳子の顔を一度だけ見ておこうか)
竜太はたまらなく旭川が恋しかった。竜太はまだ、芳子の手を握ったこともない。せめて別れの前に、一度だけ芳子の手を握ってみたいと思った。が、今はそれだけのことも許されないような気がした。竜太は今更のように、電話をくれた美千代の親切が恨めしかった。
(芳子も芳子だ。何であんな思わせぶりなことを言って、目覚まし時計などを贈ってくれたのだろう)
竜太は机の上の目覚まし時計を見た。秒針の音が、いつもより大きく、そしてせっかちにひびいた。
「ああ」
竜太は声を出して吐息をついた。
階下から秋子の歌声が、いつものように聞えてきた。近頃はやっている「露営の唄」だ。
勝って来るぞと 勇ましく
誓って故郷《くに》を 出たからは
手柄たてずに 死なりょうか
…………
東洋平和の ためならば
なんで命が 惜しかろう
三つ四つの子供でも、みんな「勝ってくるぞと勇ましく」をうたっている。自分で作った日の丸を箸《はし》に貼《は》りつけて、出征兵士を送る真《ま》似《ね》をして遊んでいる子供もいる。一節うたっては、「万歳万歳」と声を張り上げる。
秋子の声はよく透《とお》り、純一無雑なところがある。秋子は沖島先生をどう思ってうたっているのか。何か哀れに思われた。
(それにしても今ごろ芳子は何をしているのだろう。自分がこんな思いをしていることなど、夢にも思わぬにちがいない)
いや、今日あたり、仏壇屋との縁談に心を動かしているかも知れない。しかし、自分と結婚の約束をしたわけではない。それどころか、お互いの気持を話し合ったこともない。映画を見たら、映画の感想が中心になる。喫茶店に行けば、流れてくる音楽の話が中心になる。そんな過ごし方をしてきた自分に、芳子の結婚を阻む資格も権利もない。
(人は一体、どんなふうに女性とつき合うのだろう)
竜太は不意に、見知らぬ世界があることに気づいたような気がした。抱擁という活字を見ただけで、竜太の胸は動《どう》悸《き》する。接《せつ》吻《ぷん》という字を見ただけで、顔の赤らむ思いになる。そんな稚《おさ》ない自分に、生身の女を愛することなど、できるのだろうか。いつか来た楠夫の手紙を竜太は思い出す。楠夫は書いていた。
〈……今、ぼくはね、つくづく青春というものを感じている。……銀座なんかに出かけると、むやみやたらと女が目に飛びこんでくる。……ぼくは今や、東京のど真ん中で、若き野獣の如く、興奮のしっ放しだ。体中の末端という末端が、電気を帯びて、女を見るだけで、その末端がびりりとくる。特に処置の仕様もないかの末端は、所かまわず興奮する〉
本質的には自分も同じかも知れないと思う。だが、楠夫のようにその青春を謳《おう》歌《か》できないのだ。楠夫は少年の頃から、平気で女生徒の肩に手をかけたり、背中を突ついたりしていた。だが竜太は、どうしてもその真似ができない。同性に手をかけるように、気楽に手をかけたいと思いながら、女の子が近づいてくるだけで、身を避けてしまう。
(これがぼくの青春だ)
芳子が結婚しても仕方がない、と竜太は自分に言い聞かせるように、くり返し思った。
秋子の歌は「愛国行進曲」に変っている。
見よ東海の 空明けて
旭《きよく》日《じつ》高く 輝けば
……
秋子はまだポンプの音を立てている。その歌とポンプの音が同時にやんだ。
「ハーイ」
大きな声がし、玄関に走る足音がした。竜太はまだ天井を見たままだった。と、
「北森先生、お客さまですよ!」
秋子の声が、階下から聞えてきた。
(客?)
竜太は眉《まゆ》をしかめた。多分生徒の父兄であろうと思った。独身の竜太の下宿には、時折手作りの饅《まん》頭《じゆう》だの、水《みず》飴《あめ》などが父兄から届けられる。今竜太は誰にも会いたくなかった。が、仕方なく起き上がって、壁に吊《つる》した詰《つめ》襟《えり》の服に腕を通すと、竜太は階段をゆっくりと降りかけた。玄関に立つ客の腰から下が見えた。女だった。茶色のオーバー・コートに見覚えがあった。
(まさか!?)
竜太はあわてて階段を駆け降りた。
「芳子さん!」
まさしく客は中原芳子だった。少し大きな黒いバッグを提げ、コートと同じ茶色のベレー帽を、形よくかぶった芳子がにっこり笑って立っていた。
「驚いた?」
絶句したまま突っ立った竜太を見て、芳子はおかしそうに笑った。そこに芳子が立っていることを、竜太は信じられなかった。昨夜から今の今まで、竜太は芳子のことで頭がいっぱいだったのだ。その芳子が目の前に立っている。それは竜太にとって、あり得ないことだった。
「竜太さん、どうしてそんなおっかない顔をしているの? わたし、来て悪かった?」
竜太は強く首を横にふり、
「驚いた! あんまり驚いて……」
竜太の声がかすれた。
「そう、そんなに驚いた? 人を驚かすって、楽しいものね」
竜太は苦笑しながら、
「とにかく上がってください」
と、声がまだうわずっていた。
先に立って竜太は部屋に入った。うしろをふり返ったなら、芳子の姿が消えているのではないかとさえ思われて、竜太はふり返らずに部屋の中に入ったが、不意に激しく動悸した。
(一体何のために芳子は来たのだ? もしかしたら……)
別れに来たのではないかと思った。そんな竜太の思いには頓《とん》着《ちやく》なく、芳子は竜太の部屋をぐるりと見廻して言った。
「何となく想像していたとおりよ。おんなじだわ。わたし、毎日竜太さんの部屋を想像してたのよ。あーら、目覚まし時計、ちゃんと机の真ん中に置いてくれている。うれしいわ」
芳子は少しはにかんで言った。芳子はきちんとたたんだコートを畳の上に置くと、両手をついてていねいに頭を下げた。
「竜太さん、こんにちは。突然お邪魔してごめんなさい」
あぐらをかいていた竜太は、あわてて正座し、ぺこりと頭を下げた。
「芳子さんは、ずいぶんお行儀がいいんだなあ」
芳子はくすりと笑って、
「わたしね、竜太さんの下宿を訪ねて、きちんとお辞儀をしてみたいって、時々思っていたの。女ってね、竜太さん、大好きな人の前には、頭を下げてみたいものなのよ」
芳子の口からすらりと、「大好きな人」という言葉が出て、竜太はどきりとしたが、その言い方があまりにさらりとしていて、どんな顔をしていいのかわからなかった。芳子の言葉には触れず、竜太は別のことを言った。
「そんな隅にいないで、ストーブの傍に寄ったら?」
芳子は素直にうなずいて、ストーブににじり寄った。黒い豊かな髪が内巻きにまかれているのが、ひどくモダンに見えた。幌志内の女教師たちは皆、束《そく》髪《はつ》なのだ。ちょっとうつむいた芳子の顔が、驚くほど美しく見えた。芳子がちらっと目を上げた。芳子は時々ひたむきなまなざしを見せる。それが竜太を胸苦しくさせる。芳子のまなざしはいつも生き生きとしている。視線を上げる度、視線を伏せる度、視線を横に流す度、芳子の顔は人の心を捉《とら》える。やさしい眉も、通った鼻筋も、形のいい唇も、どちらかと言えばやや淋《さび》しげに見えるのだが、そのつぶらな目が、芳子を華やかに見せる。それがまた不思議な魅力だった。そして、ややアルトの声が妙に肉感的で、時には凄《すご》みを帯びてひびくことさえある。納豆売りをしていた頃は、もっとかぼそい声を出していたように思うのだが、今は立派な若い女性の声だった。
「竜太さん、何となく今日の竜太さん、いつもとちがうわ」
「そうかな……いや、そうかも知れない。昨日ね、実は……」
美千代から電話がきたことを言おうとして、竜太は別のことを言った。
「ぼくの受持にね、左藤学って子がいてね。昨日母親と一緒に、卒業後の進路について相談に来たんです」
言いながら、竜太は自分を馬鹿な奴《やつ》だと思った。折角芳子が、わざわざ訪ねて来てくれて、今この部屋にたった二人でいるというのに、何も学の話をする必要はないのだ。そうは思いながらも、竜太はつづけて言った。
「その母親はね、学を師範学校にやりたいんだって。父親が去年の大動員で、戦地へ行ってしまった。母親は寮母になって働いている。金がないから、学資も、寮費も、被服費も官費の、師範で勉強させたいんだって」
芳子は情《じよう》のある目で、うなずきながら聞いている。
「その時ね、学がぼくに詰問した。母さんはね、師範出の男は戦争に取られないっていうから……それでぼくを師範にやりたいんだって。先生、みんなが命懸けで国のために戦う時に、そんな考えでいいんですか。先生も、そんなつもりで師範を選んだんですか、ってね」
「なるほど。竜太さんは、その生徒の言葉を、しっかりと受けとめて上げようとしたわけね」
芳子は今年で教師三年目だ。生徒の話になると身を乗り出してくる。
「ぼくはねえ、学に言ってやった。ぼくが師範を受けたのは、自分の習った坂部先生のように、あったかい先生になりたかったからだって。それに、その頃まだ召集令などなかったからね。軍隊を避けて師範に入ったわけじゃないと言ったら、師範に行くかどうか、もう少し考えてみますって、学は言ってました」
「そう、それで、その子のことで、頭がいっぱいだったわけ?」
芳子の目がかすかに笑った。竜太は思わず頭を掻《か》いて、
「芳子さん、ぼくって、どうしてこう間抜けなんだろう。ぼくの言いたいことは別なんです。実は昨夜、姉から電話があって、仏壇屋さんのことを聞きました」
「仏壇屋さん? ああ、わたしをお嫁に欲しいってこと?」
こともなげに芳子は言った。
「芳子さん、やっぱり聞いていたんですね」
「聞いているわ」
「そして、お嫁に行く気になっていたんでしょう」
竜太は押しかぶせるように言った。
「どうして? どうしてわたしが仏壇屋さんにお嫁にいくの?」
「どうしてって……年は二十七だっていうし……」
「どうして相手が二十七なら、わたしがお嫁にいくの」
芳子が笑った。笑われてみると、なぜ自分が、芳子は仏壇屋に嫁ぐにちがいないと思いこんだのか、自分でもわからなくなった。急に竜太は笑いたくなった。
「馬鹿だなあ、ぼくって」
竜太の顔に、ようやく笑いが戻った。
「じゃ、芳子さんは、今のところ、誰のお嫁さんにもならないわけだ」
安心したように言う竜太を、芳子はひたむきなまなざしで見つめたが、
「そうか、竜太さんは、わたしがどこかにお嫁に行くと思って、憂鬱になっていたのか。それがほんとうならうれしいわ」
竜太は芳子の言葉を聞きながら、今自分たちはお互いの気持を、さりげなく伝え合っているのだと思った。そして竜太は残念な気がした。もっとちがう形で、自分の気持を披《ひ》瀝《れき》したかったような気がした。もっと燃えるものがあっていいような気がした。が、とにかく芳子は誰のものにもならないのだ。そう思うと、叫び出したいような気持でもあった。
「芳子さん! ぼく、芳子さんの今の言葉、真に受けていいんですか」
竜太は正座して言った。
「わたしの言葉、いつだって、真に受けてくれていいのよ。わたし、竜太さん以外の誰かのお嫁さんになど、決してならないわ」
「ありがとう、芳子さん。ぼく、その言葉、信じます」
竜太と芳子の視線が絡み合った。竜太は芳子を抱きしめたいと思った。が、何か聖なるものに手を触れるようで、それが竜太にはできなかった。二人の間にはストーブがあった。二人は押し黙った。芳子が竜太の何かを待っているように思われた。身じろぎさえしない芳子を見つめながら、しかし竜太は動けなかった。
階段を上がる音がして、秋子がお盆にお茶とカステラを運んで来た。秋子は挨《あい》拶《さつ》してから、
「素敵な方ですねえ、北森先生」
と、竜太の膝《ひざ》を突ついた。竜太は首を撫《な》でた。秋子が去ってから、竜太は言った。
「芳子さん、どうして今日ここに来てくれたんですか。ぼく、もう今日は、旭川に帰らずに、札幌に行こうかと考えていた。芳子さんにも、一生会わないかと思っていた」
「あら、そんなこと考えていたの? わたしもね、札幌へ行くつもりで、出て来たのよ。七月の綴《つづ》り方《かた》の研究授業が、わたしと決まったの。そしたら校長先生がね、今日の夕方から、札幌のパーラー江戸屋で、綴り方連盟の先生が何人か集まる筈だから、行ってみなさいって勧めてくれたのよ。で、思いきって出かけて来たの。それは竜太さんの下宿を訪ねるいい口実にもなると思って……」
竜太は思わず立ち上がって、芳子の傍に寄り、その手を強く握りしめた。
矢内原教授 大正、昭和期の経済学者、矢内原忠雄(一八九三〜一九六一=明治二十六〜昭和三十六)。東大卒業後、住友別子銅山に勤務、一九二〇年、東大助教授、二三年教授となり、植民政策を講義した。辞職の翌年、三八年より個人雑誌「嘉信」を発行、自宅に土曜学校を開き、キリスト教信仰を通じて平和と真理を説きつづけた。著書に全二九巻の全集、『帝国主義研究』『イエス伝』など。
猫柳
一
芳子の手を強く握りしめた瞬間、竜太は電気に打たれたような思いがした。
「ごめんなさい、ぼく……」
竜太は思わず手を放した。激情に流されそうな危険を感じたのだ。芳子がかすかに唇に微笑を浮かべた。
「わたし、そんな竜太さんって好き!」
芳子は今握られた手を膝《ひざ》においてじっと見つめた。竜太も、芳子の手に触れた自分の手を、改めて見つめた。
(とうとう……)
芳子の手を握りしめたと思った。小学生の時から、幾度触れてみたいと思った芳子の手であったことか。竜太は、今のこの握手を大切に覚えていたいと思った。握手ぐらいと軽々しく扱うことはできないと思った。芳子が言った。
「今日は三月二十四日ね。忘れないわ」
「芳子さんも、ぼくと同じことを考えてくれたんですね」
「竜太さんとの握手ですもの」
二人の視線が絡み合って、竜太は胸苦しさを感じた。芳子の光る瞳《ひとみ》が蠱《こ》惑《わく》的に過ぎるのだ。そう思った時、階段を上る音がして、秋子が顔を出した。
「北森先生、一時の汽車で旭川へお帰りになるって、おっしゃってましたけど、四時の汽車になさいますか」
「いや、ちょっと五時までに札幌に出ることにしたので、やっぱり一時の汽車に乗ります」
「そうですか。じゃ、お二人でうどんでも召し上がって行って下さい」
秋子は眼鏡越しに、優しいまなざしを芳子に向けた。
「ありがとうございます」
芳子はていねいに頭を下げた。
竜太は時計を見た。まだ十一時前だ。これから二時間もの間、芳子と二人っきりでこの部屋にいられるのだ。こんなに長い間、芳子と二人っきりで一つ部屋にいたことは、一度もない。せいぜい五分も二人でいたことがあるだろうか。一体、二時間もの間をどう過ごしたらいいのかと、竜太は芳子を見た。芳子は窓の傍《そば》に立って、裏を流れる川を見ながら、
「まあ! 黒い川なのね」
と驚きの声を上げ、
「雪《ゆき》融《ど》けで水が増えているのね。川がふくれ上がったり、よじれたりして、勢いよく流れて行くわ。まあ! 猫柳も見える。そうだ、これが綴《つづ》り方《かた》になるのよね。旭川の子は、川の水が黒いなんて、思ったこともないわ。人はそれぞれの生活の中で、思ったこともないことにぶつかって生きているのよね」
「そのとおりですよ。ぼくね、南《なん》京《きん》虫《むし》なんて知らなかった。ここの家も南京虫はいないけど、鉱夫たちの住む長屋には、南京虫がいるんですよ。夜電気を消すと、落下傘部隊みたいに天井から南京虫が降って来て、もの凄く素早く刺すんだって。眠りが妨げられますよね。初めて炭鉱に住んだ人は、みんな南京虫に負けて、膿《う》んだりするんだそうですよ」
「まあ! それは大変ね」
「でもね、何年も長屋に住んでいる子供たちは、先生、南京虫なんて、へっちゃらだよ、可愛いもんだよ、なんて言うんですからね。いろいろ考えさせられますよ」
「そうなの。わたし、少しこの町を歩いてみたい。案内してくださる?」
芳子は小首をかしげた。内巻きの髪が柔らかく揺れた。
「困ったなあ芳子さん、ぼく、生徒たちの話はよくしたけど、この学校の話はしてませんよね。ぼくの勤めている学校では、男と女の先生が、廊下で立話するんでも、三分以内とか、二分以内とか、制限されてるんですよ」
「えーっ? なんですって?」
「驚いたでしょう。ましてや教師が、異性と肩を並べて、二人っきりで歩くのは、ご法《はつ》度《と》なんですよ」
「まあ! どういうことかしら?」
「男の先生たちの中には、酒を飲みたい先生だっていますよ。しかし、教師は街の飲屋で飲んではならないことになっています」
「じゃ、どこで飲むの?」
「自分の家ですね。送別会や歓迎会にしても、学校の中の、一番奥まった室《へや》でするんです。飲んでどんちゃん騒ぎが父兄に聞えないように」
「いやだなあ。もっとも旭川の場合も、歓迎会や送別会は、女教師の手料理で裁縫室ですることもあるけれど。でも飲屋にも行っちゃいけないっていうのは……竜太さん、そんなところにいらっしゃるの」
「まだまだ驚くのは早いですよ。何せ、朝の五時には出勤ですよ。冬はちょっと遅いですけどね」
「え!? 五時に? 竜太さん、一度もそんなこと言わなかったわね」
「おそらく誰も言わないんじゃないんですかね。恥ずかしくて」
「そんなに早く出勤してどうなさるの?」
竜太は、校庭の掃除から、廊下、玄関、職員室に至るまでのことを話し、更に修養時間と称して、読書、瞑《めい》想《そう》、感想発表があるのだと、話して聞かせた。生徒たちは整列登校をすること、朝礼の時間には千数百名の生徒たちが微動だにせず、あたかも置物のように整列し、宮城遥《よう》拝《はい》ようはいをすることなどなどを竜太は告げた。
芳子は軽く手を組んで、うなずきうなずき聞いていたが、
「つまり、軍国主義教育なのね。わたしの勤めている学校ときたら、およそ正反対よ。朝八時にね、生徒の朝礼があるの。でも、ベル一つ鳴らないのよ、朝礼が始まるというのに。生徒たちはね、八時近くになると、鬼ごっこなどをやめて、みんなだらだらと屋内運動場に集まって来るの。そして自分の並ぶ場所に突っ立つのよ。先生たちは、その生徒のうしろに立って、『前へならえ』も『気をつけ』の号令もかけないから、当然列は曲るわね。でもそのまま朝礼が始まって……宮城遥拝なんてないのよ。第一ね、ご真影の奉安殿なんてないのよ」
「え!? 奉安殿がない?」
竜太は思わず声を上げた。幌志内の学校では、毎日奉安殿の周りを清掃し、先生も生徒も九十度の礼をすることになっている。
「奉安殿が全くないと言ったら嘘《うそ》になるけど、屋内運動場の正面に壇があって、その壇の背後の壁の中に、ご真影が安置されているというわけ。その厚い壁の向こう側が廊下になっていて、先生も生徒も屋内運動場に入るには、その壁のうしろを通って来るけど、誰も最敬礼なんてしないわ」
竜太は信じられなかった。
「そしたら、芳子さん。河地先生のように、後《あと》退《ずさ》りしながら掃除をすれなどという先生はいないわけだ」
「いないわよ。それに、朝礼や体操の時間に、先生はそのご真影にお尻《しり》を向けて、大きな舞台のような壇に立つんですもの。何せ屋内運動場でしょ。そこで生徒はふざけたり、遊んだりするのよ。後退りなんかしてたら、遊べないわよ」
「なるほど、それが本当の、天皇と国民の関係であるべきだな」
「天皇の赤《せき》子《し》ですものね、国民は」
「赤子か」
竜太は言いながらも、号令一下馳《は》せ参ずることのない学校生活が、果たしてこの非常時に合っているのかどうか、という疑問も湧《わ》いた。芳子は秋子の置いていった急須に湯を注ぎながら、
「ここの校長先生、どんな方かわからないけど、朝の五時から先生がたを集めるとは、ま、それなりに忠臣なのでしょうね。わたしの学校の校長は、自由主義が一番いいと言っているわ。学校が新しくて、二代目なんだけど、その初代の校長が傑物だったらしいの」
「傑物? どんなふうにですか」
「これは絶対に真《ま》似《ね》ができないんだけど、千人を超える生徒の名前を、校長は一人残らず覚えていたというのよ」
「え!? 一人残らず?」
「そうなの。その一人一人の、子供の名も親の名も、家族関係も、全部頭に入っていたんですって。そしてね、道で生徒に会っても、『おい、お前の父さん、怪《け》我《が》した足、もうなおったか』とか、『お前の兄さん、退院したか』と聞いて、頭をくるりと撫《な》でるんですって。受持の教師だって、校長ほどに生徒の家庭のことに詳しくはなくて、初めからシャッポを脱いでいたんですって」
「凄い校長ですね、それはまた」
「先生がたも大変よね。『何々先生』って職員室で呼ばれて、『この頃《ごろ》、〇〇の家庭を訪問したかい』なんて聞かれて、嘘を言ったりすると、『そうかい、あそこの家の溝《どぶ》板《いた》外れてたの、なおってたかな』なんて言われたりしたんですって。この校長は、全校生徒の図画や綴り方を全部見たんですって。特に綴り方が好きでね、声を上げて笑ったり、涙ぐんだりして読んだそうよ」
竜太は、まだ会ったことのないその校長の温顔が、目に見えるような気がした。
「いいなあ、校長先生が生徒たちの綴り方にいちいち目を通すなんて……しかも涙ぐんだり笑ったりしながら、読んでくれる校長なんて、ぼく聞いたことも見たこともありませんよ」
竜太の言葉に芳子は大きくうなずいて、
「ね、聞いたことないでしょう。わたしもびっくりした。ね、竜太さん。綴り方って、本当に大変だってこと、その校長先生は、全部の教師によくよくわからせてくれたと思うの。それはともかく、わたしたちの啓成小学校では、運動会にお寿司を持って来る子なんか、ひとりもいないのよ」
竜太は芳子のいうことがよくわからなかった。
「お寿司を持ってくる子がいない?」
「そう、わたしたち小学生の時、運動会といったら、お父さんやお母さんが、重箱にのり巻きや、ゆで卵や、ぎっしり詰めて持ってきてくれたじゃない。そしてお昼のお弁当の時間になったら、みんな生徒の席から飛び出して、親の傍に行って、お寿司だのバナナだの食べたじゃない?」
「ああ、それが運動会の一番の楽しみだったよね」
「そうよ。その楽しみが、旭川の啓成小学校にはないの。わたし、初めて勤めた時、それを聞いてびっくりした。どうしてだか、わかる? 竜太さん」
芳子の目がまっすぐに竜太に注がれた。
「ううん、どうしてかわからない」
「それは、やっぱり初代校長の発案なの。校長は勤めて二年目に、運動会のお弁当は、全校生徒一人残らずおにぎりと決めたんですって。そしてそのおにぎりを、みんな教室に集まって食べることにしたんですって」
「どうしてだろう」
竜太は、もしかしたら校長が全校生徒の綴り方をいちいち念を入れて読むことと、何か関わりがあるのかと感じながら言った。
「それはね、さっきも言ったように、その校長は全校生徒の名前を全部覚えていた、しかもその一人一人の家の経済状態も、ずいぶんと詳しく知っていた」
「なるほど」
「その時の職員会議では、先生たちは大反対をしたんですって。生徒の年に一度の楽しみを奪うのですかって」
「したら?」
「校長が、君たち寿司の用意をするために、前の日に質屋に金を借りに行く親たちのいることを知ってるかって、教師たちに言ったんですって」
竜太は黙ってうなずいた。竜太の家は質屋だ。そういえば、運動会の頃になると、羽《は》織《おり》などを風呂敷に包んで、おどおどと金を借りに来る貧しい家の者たちのことを、父の政太郎から聞いたことがある。政太郎は、
「可哀《かわい》相《そう》になあ。明日の運動会の用意だな」
と言っていたこともある。質屋の息子の自分が忘れていたことを、その校長は決して忘れてはいなかった。芳子が言葉をつづけた。
「そしてねえ竜太さん、校長はこうも言ったんですって。弁当の時間になって、生徒たちが喜んで親と一緒にお寿司をつまんでいる時、たった一人で、校舎の陰でにぎり飯を淋《さび》しく食べている生徒のいることを、君たちは知っているのか。たった一人の生徒にでも、そんな淋しい思いをさせてはならない。たった一人の親でも、悲しませてはならない。それがおれの教育だって、校長は泣いたんですって……」
芳子の声もうるんだ。子供の運動会だからといっても、日《ひ》雇《やとい》で一日何がしかの金で働いている親は、その仕事を休むことができないのだ。校長がこの子供たちのことを知ったきっかけは、綴り方を読んだことにあるとのことだった。校長の涙に誰一人反対意見を述べる者はなかったという。以来数年、啓成小学校では、一番貧しい子供に合わせてものごとを考える傾向にあるということだった。
「大変な校長さんだなあ。しかし、そうなると、綴り方という科目は、ぼくたち教師にとっても重要な科目というわけだ。芳子さん、七月の研究授業は大変ですね」
竜太は自分の勤めている学校と、芳子の勤めている学校の差を、改めて思いながら言った。
「ありがとう、頑張るわ」
「しかし幌志内の校長と、その初代校長さんとは、ずいぶんとちがうねえ。ここの校長は、ともすれば綴り方の時間を潰《つぶ》して、作業に振替えたがるんですよ」
「え? 綴り方の時間を潰して?」
「そう。綴り方に熱心な先生を、あまり歓迎しないそうですよ。全校生徒の綴り方を読む校長とは、全く正反対。その代り、生徒たちの一挙手一投足は実に鮮やかに揃《そろ》っていますよ。朝礼や体操の時間など、全く見事なもんです」
「そうなの。軍国調なのね。あのね、わたしたちの学校では、人間を号令だけで動かすなっていう不文律があるの」
「ふーん。なるほど。号令だけで人間を動かすなかれか」
呟《つぶや》きながら竜太は、ふっと気づいて、
「そうか、芳子さん、芳子さんの学校の生徒たちは、奉安殿を知らないわけだね」
「そうよ。奉安殿と名づけるものがないから」
「すると、啓成小学校の生徒たちは、一年から六年まで、只《ただ》の一度も奉安殿に敬礼することがなくて終るわけですか」
「あら、ほんと! 言われてみればそうなのよね。わたし気づかなかったわ」
「ぼくも芳子さんも、旭川の大栄小学校卒業だけど、奉安殿には毎日最敬礼をしていたよね。同じ旭川でも啓成は特別だね」
「ほんとうね。大栄小学校じゃ、河地先生が張り切って、ほら、奉安殿の周りの掃除をする時は、奉安殿にお尻を向けてはいけないって、後退りさせたり……」
「そうそう、ひょうきん者の浅田が、奉安殿の掃除のあと、竹《たけ》箒《ぼうき》に股《また》がったら、すっ飛んで来た河地先生に、物凄くぶん殴られたっけね」
「ああ、そんなこと聞いたわね。啓成小学校では考えられない話よね」
「しかし、この幌志内の学校は、やっぱりご真影中心ですよ。何しろ奉安殿に向かって、九十度の礼をしなければ、怒声が飛びますからね」
「わたし、啓成小学校に勤めていて、よかったわ」
芳子はしみじみと言った。竜太はストーブに石炭を入れながら、つい二、三日前のことをふと思い出した。
二
その日は給料日で、竜太は例のごとく木下先生に言われて、校長宅に給料を届けに行った。旭川とちがって、幌志内の雪融けは早い。あちこちに土が出、校長宅の前の庭などは蕗《ふき》のとうが顔を出していた。青い空に真綿をのばしたような薄く白い雲があった。
(今日は校長の奥さん、障子を何センチ位あけてくれるかな)
思いながら足音をしのばせて、竜太は玄関の戸をそろりと開けた。いつものように、
「ごめんください」
と声をかけようとした時だった。中から校長の声が聞えた。
「何ですって、部長さん。わたしがスパイですって?」
思わぬ言葉に、竜太ははっと息をのんだ。見ると三和土《たたき》には大きな皮靴が脱いである。小柄な校長の履く靴ではない。
「いやいや、ま、落ちついて聞いてください、校長さん」
男の声に聞き覚えがあった。巡査部長の声だった。朝夕、竜太は巡査駐在所の前を通って学校に通っているから、お互いに気軽に挨《あい》拶《さつ》を交わす。巡査部長の声と知って、一旦外に出ようかと思った。が、給料日に給料を届けるのは、ごく普通の仕事なのだ。巡査部長の声がつづいた。
「校長さんが全校生徒たちに、家族に出征した者がいたら手を上げろ、と言ったのは、何ら他意はないということぐらい、わたしにもわかります。しかしですな、この非常時です。当局はいろいろと神経を尖《とが》らしていましてな。兵の動員数など、これはいわば国家の機密ですわな。その数を故なく探ろうとする者があれば、これは大変なことになるのは必定です」
何か校長の答える声がした。
「そうです」
部長の大きな声がして、
「校長さんも、数日中に国《*》家総動員法が可決されるということは、ご存じでしょう。その国家総動員法の中には、言論の統制という一項目がある……」
竜太はそこまで聞いたところで、足音をしのばせて外に出た。が、給料袋を持ち帰るわけにもいかない。再び廻れ右をして、
「ごめんください!」
と勢いよく声をかけて、入って行った。
従ってあの後のやりとりがどうなったかはわからないが、巡査部長の言ったことが妙に気にかかった。校長が生徒たちに、出征した家族を持っている者は手を上げよ、と言った程度のことでさえ何らかの疑いの目を向けられるとすれば、迂《う》闊《かつ》に口を開け得ない時代になっていくのではないか。そうでなくとも、幌志内小学校の職員室には重苦しい空気が流れている。木下先生を共産党だと陰口をきいていた教師もいる。共産党員と疑われることは、大変なことなのだ。いつか沖島先生が、
「治安維持法って、知ってるかい」
と、竜太に言っていた。竜太は政治的な問題には、余り興味がなかった。政治をやっている人間と自分とは、住む世界がちがうと最初から思っていた。竜太の家が質屋で、始終刑事が出入りしていたこともあって、時に共産党員の話を聞いたとしても、身を乗り出して聞きたいと思う話題ではなかった。沖島先生は、
「共産党はね、ぼくにもわからんが、党員だと睨《にら》まれたら最後、刑事の尾行はつくしね、万一何かのことで捕まったら、死刑または無期、もしくは五年以上の懲役なんていう恐ろしいことになるらしいからねえ」
と言っていた。
「何でも『国体の変革』と『私有財産制度の否認』ってのが、当局の一番恐れているところらしい。治安維持法はね、これは確か、関東大震災が起きて、世情が不安定になった時に、急いで作った法律らしいんだな。そして流言飛語を飛ばす者を厳罰に処したり、ま、いろんなことをしたらしいよ。よくはわからんがね。何せ、こんなことを喋《しやべ》ってるのも危ない世の中なわけだからさ。木下先生なんか、普通のことを言っているんだが、普通のことをいう人間が余りいないもんだから、妙な陰口を言われるんだよね」
そんなことを、沖島先生はぼそぼそと話してくれたあと、
「もしさ、まあこんなことはないだろうけど、もしあんたが思想問題で捕まることがあっても、ぼくはあんたのために証言するなんてことは、しないかも知れないよ。なぜならね、お前も同じ仲間だな、ということになってさ、ぶち込まれでもしたら、かなわないからね。ぼくは殴られたり、逆さ吊《づ》りにされたりするような拷問には、弱いんでね」
沖島先生は、そんな冗談を言って、珍しく大声で笑ったものだった。
「何を考えていらっしゃるの、竜太さん。おっかない顔をして」
芳子が優しく微笑した。
「いや、国家総動員法って、どんな内容なんだろうね。ろくろく新聞も読まないもんだから……」
「なあんだ。そんなこと考えていたの。わたしの綴り方の研究授業のことでも考えてくださっているのかと思ったら……」
芳子は軽く睨むようにして、
「わたしも新聞あまり読んでいないのよね。教師にとって、今、時代がどのように流れているかを把握することは、凄く大事なことなんだけど、教師って仕事は、少し忙し過ぎるわね。五十人からの生徒たちの綴り方や図画には、いちいち評を書かなければならないし、生徒が休めば家庭訪問しなければならないし、毎日の教案は作らなければならないし……」
「そうか、芳子さんも新聞読む暇がないわけですか」
「そうよ。ちらっちらっと、見出しを読むくらい。でもね、日曜日毎に教会で坂部先生に会うでしょう。そんな時、たまに話してくれるのよ。国家総動員法って、ちょっと大変なものらしいわね。要するに、戦争中だから、資源も工場も、資本も労働力も通信も、運輸も軍需物資も、何もかもみんな国家の統制のもとに置くという法律らしいの。国民の都合などお構いなしに、徴用はどしどしする。すべてのストライキ、争議は禁止、そして言論の統制。戦争なんていやだって言ったら、引っ張られるんですって。とにかく何から何まで統制する法律らしいわ」
「へえー、それじゃ食物も着る物も、統制されるわけ?」
「それだけならまだしも、言論の統制っていやねえ。いちいち自分のいう言葉、法律に引っかからないかって、考えながら喋らなければならないわけでしょう。議会でも反対はあったらしいけど。右翼が政党の本部を乗っ取ったりしたでしょう。武器を持って」
「そうですかあ、そうだったのかあ。いやあ知らないって呑《のん》気《き》なもんだなあ。凄いなあ、芳子さん、よくつかんでるねえ」
「これみんな、坂部先生の受売りよ。先生の話では、教会も当局に睨まれてるんですってね。どうしてかしら。あなたの隣人を愛せよ、あなたの敵を愛せよって、すばらしい教えだと思うんだけど。教会の教えが、国体の変革を狙《ねら》ってると思われるのかしらね。キリスト教って、そんな政治団体じゃないわよね」
「教会のことは、ぼくはよくわからないけど政治団体だとは思わない。とにかく、国家総動員っていうのは、つまりこういうことかな。今、日本は国運を懸けて戦っている。だから国民は、物質も精神も労力も、すべてを国に捧《ささ》げて戦争に協力し、勝ち抜かねばならない。国家総動員法というのは、そのための法律だということかなあ」
「そうだと思うわ。戦争をするのに、国中の人の気持がばらばらになっていたら、困るわけよね。でも日本人は、天皇陛下のためや、国のために死ぬことは、最高の名誉だと思っているから……この法律は戦争に勝つための法律だといわれれば、たいていのことはおとなしく我慢するのよね」
「そうだなあ。まだそんな法律のできないうちから、ぼくらの職員室じゃあ、みんな何となく黙り込んでいる。本音を吐かない」
「わたしたちの学校もそうよ。学校だけじゃなく、教会もそうよ。日曜学校の生徒が、日本には神さまが二人いるんですか、キリストさまと、天皇陛下さんと、ってある先生に聞いたんですって。先生は答えられなかったそうよ」
「ふーん。ここの学校でも、高等二年の生徒が、歴史の時間に、天皇陛下は本当に神さまですかって、質問したそうですよ」
「そしたら? その先生どう答えたのかしら?」
「教科書に書いてあるとおりだ。『神の御《み》裔《すえ》の天皇陛下』と書いてある。神のご子孫だから神だろうって」
「そうお。それは賢い答ねえ」
芳子はちょっと笑いながら、お茶をひと口飲んだ。
「竜太さん、今度国家総動員法が布《し》かれて、言論の統制がうるさくなると、もっともっと大変ね」
「そうだねえ。ぼくらの中学の先生が、皇族の話をした時、敬語を使わなかったということで、警察に呼ばれたとか言ってましたからねえ」
「ああ、その話、わたしも聞いたわ。わたしなんか育ちが悪いから、敬語の使い方がよくわからないの。ああ来た来た、なんて言ったら、引っ張られるわけね」
芳子は憂《ゆう》鬱《うつ》そうに竜太を見つめながら、
「竜太さん、言論といえば、綴り方だって大変よねえ」
「ああ、ぼくも今それを考えていたところですよ」
竜太は急須の茶を自分の茶《ちや》碗《わん》に注いでから、芳子の茶碗にも注いだ。そして、あの巡査部長と校長との会話を芳子に話した。芳子は驚いて、
「あら!? もうそんなことがあったの? いくら戦争のためとはいいながら、当局の神経の尖らせ方、それは異常よね。校長先生が朝礼の時間に、出征しているお父さんやお兄さんのいる人手を上げよと言ったからって……」
「そうですよ。まあ、話の様子では、巡査部長は好意で忠告に来たようですがね。部長の息子が四年生ですしね、校長は朝の五時から竹箒を持って奉安殿の周りを清める、有名な日本精神の持主ですからね。巡査部長だって、疑いはしなかったでしょう。でも、忠告せずにはいられない世情だということに、気がつきましたよ」
ひと所をじっと見つめながら、竜太の話を聞いていた芳子は、身を乗り出すようにして言った。
「竜太さん。坂部先生がこの間の日曜、何かのことから言ってたんだけど、国家総動員法が布かれると、言論の統制がある。スパイの嫌疑もきびしくなるんじゃないかって。例えばね、旅行をして、旅先から誰かに葉書を出すとするでしょう。右手の飛行場から、ちょうど飛行機が飛び立ちました、なんて書いたら、国家の機密を侵すことになるかも知れないそうよ」
「へーえ! そんなことぐらいで?」
「ええ、そんなことぐらいで。だから、生徒がもしそんな綴り方を書いたとしら、飛行場というところを消して、『広い空き地』とでも訂正しなければならないかも知れないって」
竜太には納得がいなかった。飛行場など、地下に造れるわけではなし、絶えず人の目にさらされているわけだ。飛行場がどこにあるかぐらいは、国家の機密に属するわけはない。そんな飛行場のことを葉書に書いたぐらいで、咎《とが》められるなどと思うのは、いくら坂部先生の言葉であっても、少々極端に過ぎるような気がした。芳子も同じ思いらしく、
「ねえ、竜太さん、坂部先生はいろいろ勉強なさっている方だから、物ごとを深く考えるのよね。もしかしたら、坂部先生の恐れているようなことが、いつの間にかくるかも知れないけれど……」
「なるほど、時代がどんなふうに変っていくか、ぼくたちにはよくわからない。しかし、わかっている人には、わかってるんだろうなあ。ところで、その言論も統制するっていう国家総動員法って、いつ決まるんですかねえ」
「今日は三月二十四日よね。あらいやだ。もしかしたら、今日決まるんじゃなかった?」
「え!? 今日? ほんとですか」
「はっきりはわからないけど、確か今日明日だと思ったわ。坂部先生の話によるとね」
「でも、反対も強いんでしょう」
「反対してる人は反対してるらしいわよ。でもね、軍が強いから……それに、国民たちの中には、命を懸けて戦っている兵隊さんがいるんだ、銃後の者に、何の文句があるかっていう空気も、流れているんですって。これも坂部先生の言ってたことよ」
竜太はうなずいた。
若い男女の、二人っきりの会話にしては、いささか気の重くなるような話題だった。が、竜太は、まだ自分の住む世界のこととしては、実感できなかった。戦争は海を渡った向こうの大陸で行われていること、敵機がまだ一度も日本の領空に現れないこと、そして日ならずして、戦いは日本の勝利に帰するであろうこと、漠然と感じているそれらのことが竜太を呑気にさせていた。今は只、芳子と二人で同じ部屋にいることが、竜太には楽しかった。
国家総動員法 一九三八年四月一日に公布された戦時統制法。戦争に全力を集中するため、人的、物的資源の統制運用を目的とし、その実施のための権限を政府に与えた。四一年に改正され、統制権限はよりいっそう強化された。四六年廃止。
研究授業
一
四月に入って間もないある日の放課後、竜太は教頭に呼ばれた。竜太は生徒たちの習字に、朱で添削をしていた。他の教師たちも、それぞれ机に向かって教材を調べたり、図画や綴《つづ》り方《かた》の採点をしていた。
何ごとかと近づいて行くと、校長と教頭が、自分の席のうしろにある衝《つい》立《たて》の陰に竜太を誘った。衝立の陰には小さな椅《い》子《す》が三つある。竜太の坐るのを待って、教頭が口をひらいた。
「早速ですがね、北森先生」
教頭は竜太の顔を見据えるように見た。
「はい、何でしょうか」
竜太はいささか不安だった。心なしか衝立の向こうの教師たちのざわめきが、俄《にわ》かに静かになったような気がする。教頭は声をひそめて切り出した。
「実は、ちょっと小耳に挟んだことですがね。君は三月の春休みに、若い女性と二人っきりで、札幌まで旅行したそうですな」
校長は何も言わない。竜太は悪びれずに答えた。
「はい、いたしました」
竜太の言葉に、校長と教頭は顔を見合わせ、校長が尋ねた。
「どんな関係の人かね」
二人の視線が竜太に注がれる。
「はい……」
竜太はちょっと間を置いて、
「将来、結婚する予定のひとです」
と答えた。竜太はこの言葉に偽りはないと思った。
あの日二人は、幌志内駅から一緒に汽車に乗った。函館本線で札幌行に乗り替えた。混んでいると思ったが、幸い空いていて、向かい合って窓側に坐った。
二人は汽車の中で、生徒たちの話や、綴り方の授業の話などをしていた。時々黙って、目を合わせていた時間もあった。が、言ってみればうしろめたいことは何もなかった。只、札幌に着いた時のことだった。先に改札口を出た竜太は、後につづく芳子をふり返って、不意に言ったのだ。
「芳子さん、ぼくが一人前になるまで、待っていてくれるだろうか」
芳子は答えずに竜太の先に立った。竜太も芳子も、人の流れに押されるようにして駅を出た。
「怒った? 芳子さん」
雪《ゆき》融《ど》けの早い札幌の道は乾いていた。芳子は肩を並べて言う竜太の顔を見て、
「わたしね、竜太さん、喫茶店などでコーヒーを飲みながら、今の言葉を聞くより、改札口を出た途端に言ってくれた竜太さんに、凄《すご》く真実を感じたわ。汽車ん中で、竜太さんが言いたいと思っていた言葉は、この言葉だったんだって、わたしそう思った。そんなぶきっちょな竜太さんが、わたし大好き」
と、笑顔を見せた。その目がうるんでいるのを竜太は見た。
「じゃ、待っていてくれるんですね」
竜太は不器用に念を押した。芳子は大きくうなずいて、
「そんな……念を押すなんて……待たせていただくに決まってるわ。でも、竜太さんはもう立派に一人前じゃなくて?」
「いや……ぼくはまだまだ一人前じゃない。ほんのひよこです。むろん人間なんて、いつになったら一人前といえるか、わからないけど、ぼくのつもりじゃ、あと三年待ってもらえたら、と思うんです」
「三年? うれしいわ。あと三年というと、昭和十六年ね」
芳子の顔が輝いた。
「そう、十六年までの、あと三年間、ぼくはぼくなりに、芳子さんは芳子さんなりに、一生懸命生きて行こうね」
「ええ。一生懸命生きるわ」
曇り空の下の札幌の街は、風もなく暖かかった。二人はちょっとの間、押し黙って歩いた。楽しい沈黙だった。しばらく歩いて芳子が言った。
「ね、竜太さん、わたしが納豆売りをしていた頃のこと、覚えていて?」
「覚えているとも」
芳子の可《か》憐《れん》な納豆売りの姿を思い浮かべながら、竜太は優しく答えた。
「あの頃、竜太さんの家では、毎日のように納豆を買ってくれたわね。あの時からわたし、大きくなったら竜太さんのお嫁さんになりたいと思っていたの。竜太さんのお父さんもお母さんも、美千代お姉さんも、保志ちゃんも、みんなあったかい人ばかりで……」
芳子が目頭をおさえた。
二人の話はそこで途切れた。綴り方連盟の会合がある「パーラー江戸屋」の看板が見えて来たからだ。
校長と教頭に咎《とが》められるようなことは、何もない筈《はず》だった。教頭が言った。
「北森君、その女性と君との間は、ご両親も知っていることかね」
「……知っています」
竜太は一呼吸おいてから答えた。竜太の気持は、父も母も、姉も保志も、小学生の時から知っている筈なのだ。従兄弟《いとこ》の楠夫だって知っている。校長がおもむろに口をひらいた。
「北森先生、教師という職業は、常に人の師《し》表《ひよう》でなければならない。いかなる場合にもうしろ指を指されるようなことがあってはならんのです。君も知ってのとおり、校内においても、男女の教師が三分以上立話をすることは、禁じられている。たとえ、親の許した仲でも、気をつけて欲しいですな。何しろ人の口には、戸は立てられませんからな」
つづいて教頭が身を乗り出すようにして、
「北森君、札幌には何しに行かれましたかな。私事旅行願には、旭川に帰ることしか書いていなかったねえ」
「あ、それはすっかり忘れていました」
「忘れていた?」
「はい。急に札幌に行く用事ができまして。そのことに気を取られていて、まことに申し訳ありません」
「札幌に急に用事が出来た? 何の用事です?」
教頭の語調が険しくなった。校長や教頭から見れば、偽りの私事旅行願を出して、女性と勝手に札幌に行ったことになる。むろん教師という者は、生徒を預かっている以上、公休中といえども常に出処進退を明らかにしておかねばならぬことは、竜太も知っていた。ひたすら謝るより仕方がない。
「は、実は、彼女は旭川の啓成小学校の教師ですが、七月に綴り方の研究授業が当っています。啓成の校長が、綴り方連盟の教師たちと親しくしていて、あの日の札幌での会合に出るように、彼女に勧めてくれたのです。それでぼくも、出席してみたいと思って、札幌に出たわけです」
校長と教頭は、またもや顔を見合わせた。
「綴り方連盟か」
苦々しげに校長が言い、教頭も吐息を洩《も》らした。校長が言った。
「北森君、これはわたしの勘だがね、綴り方連盟には近づかんほうがいいよ。わたしは行って欲しくはなかったな」
「お言葉ですが、ぼくの小学校時代の受持の教師坂部久哉先生は、類《たぐ》い稀《まれ》なる熱心な先生です。この先生が入会している会なら、信用できるとぼくは思うのですが……」
「なるほど、君の純粋な気持はよくわかるよ」
校長は急に穏やかな語調になり、
「しかしね、この戦時下に、人々が集会を持つ時、それは往々にして不平分子の集まりと見なされやすい。頼むから、わたしが校長をしている間は、あまりあの連中に近づかないで欲しいんだがね」
竜太は返事に窮した。と、教頭が言った。
「君ね、私事旅行願を偽って、その会に出たとなれば、そう小さな問題ではなくなるよ。特に女性同伴とあれば。その夜の宿はどうしたのかね」
竜太はさすがにむっとした。
「ぼくは夜行で旭川に帰り、彼女は札幌の叔母の家に泊まりました。申し上げておきますが、ぼくと彼女は、まだ握手を一度しか交わしておりません。教頭先生がご想像なさるようなことは、一切ありません」
竜太と芳子が「パーラー江戸屋」に着いた時、綴り方連盟の会合は終りに近づいていた。啓成の校長は連盟の会員ではなかった。が、個人的には幾人かと親しくしていて、その活動に注目していた。校長は旭川在住の連盟の会員から、その日の札幌での会合のことを聞いたのだが、集合時間を誤って聞いたらしいのである。しかも全道の会員の集まりではなく、いわば数人の寄合いであった。それでも新来の芳子と竜太を歓迎して、二、三十分は綴り方教育について話してくれたが、それぞれの都合もあって、コーヒーを一杯飲んだだけで散会となった。その時誰かが、
「北森さんと言いましたね」
と、竜太の名前を尋ね、
「一応出席者として、ここに名前を書いておいていいですか」
「よろしいです」
竜太はためわらずに答えた。芳子を竜太の同伴者とでも思ったのか、女性の会員のいないこともあって、その名は記されなかった。
二、三十分ではあっても、竜太は来た甲《か》斐《い》があったと思った。どの教師も、生徒のことで頭が一杯になっている。そんな感じだった。
現代において、綴り方教育が、いかに生徒の人間性を育てる上に重要なものか、竜太は改めて知らされた思いだった。教師という仕事は、意欲があれば、いくらでもすることがあった。しかし、やる気を失っても、何とか生徒に知識を伝達することだけはできた。あちこちでやる気を失っている教師の話を幾度も聞いた。授業が終れば、マージャンや囲碁にうつつをぬかす教師たちの話も聞いた。毎日のように泥酔する教師の話も聞いていた。そんな中で、綴り方連盟の人たちの輝く目は、竜太には得難いもののように思われてならなかった。
竜太の弁解に、校長は安《あん》堵《ど》したようにうなずいて言った。
「なるほど、まだ連盟に入会したわけではない。女性とも旅館に泊まったわけではない。教育熱心が、その会合に興味を持たせたというだけですな。私事旅行願も虚偽ではなく、旭川へ行くのに、札幌まで道草をしたということですな。ね、教頭先生」
この事件はそれで終った。いや、終ったかに見えた。が、それから十日程して、竜太は教頭に、音楽の研究授業をするように命じられた。竜太はこれを罰と受取った。なぜなら、三十二学級の幌志内小学校に、オルガンは只の二台しかなかったからである。他に何の楽器もない。ピアノは「そのうちに来るかも知れない」ということであった。音楽室もなかった。二台のオルガンでは、教師たちはオルガンの練習さえ満足に出来なかった。しかもオルガンの練習をするのは、オルガンのうまい教師たちだけであって、何時間も練習しなければならぬ教師は、その機会を与えられなかった。
小学校教師は、全科目を教えなければならない。専任の音楽教師などはいない。時間割では音楽の時間であっても、音楽は教えず、算術や国語を教える教師が幾人もいた。また、音楽の時間にオルガンを獲得するのも容易ではなかった。二階から下に運んだり、下から二階に運んだりする労力と時間は、ますます音楽の時間を侵蝕した。半数の教師たちは、自分の知っている歌を、口写しに生徒を教えることで、その場を糊《こ》塗《と》していた。
そんな状況の中で、音楽の研究授業をせよというのは、どういうことか。授業がうまくいっても、下手にいっても、教師たちの好感を得られないような気がした。この難問を竜太に与えたのは、竜太を綴り方から遠ざけるためかも知れない。
(罰だ、罰だ)
竜太はそう思った。
その日、夕食の時、
「てへーっ! 音楽の研究授業だって!」
沖島先生は竜太から話を聞いて、呆《あき》れたように言った。
「参りましたよ、沖島先生」
竜太は率直に言った。
「そりゃあそうだ。音楽教室はない。がたがたオルガンが二台しかない。オルガンにさわったこともない教師がいる。そんな現状を、校長たちは何と心得ているのかな」
沖島先生は、たくあん漬をぽりぽりかじりながら言い、ぽんと手を叩《たた》いて、
「そうだ、かまうことないよ。何にもない学校で、音楽の授業ができるものか、できないものか、見せつけてやるといい」
と笑った。
「そうですねえ。しかし、当のぼくとしては、そうひらき直るわけにもいかないし、ま、考えてみます」
竜太は沖島先生に慰められながら、ふと思いついたことがあった。
竜太は音楽は好きだった。師範学校に進むと決まってからは、父にオルガンを買ってもらって、中学時代から少しは練習もしていた。小学生の時、学芸会で独唱させられたこともあり、歌うことも嫌いではなかった。
(そうだ、これを機会に、恵まれない環境の中での音楽教育というものを考えてみよう)
竜太は心ひそかに決意した。その決意を促した陰に、芳子の綴り方研究授業があった。偶然同じ年度に、二人が研究授業をすることになったのは、何か縁起のよいような気もした。
そして五カ月が過ぎた。
二
遂に竜太の研究授業の日が来た。間に一カ月の夏休みがあったから、生徒を訓練したのは、正味四カ月に過ぎない。
竜太はさすがに緊張していた。研究授業は午後から始まった。教師たち全員三十数名が集まるのだ。
始業のベルが鳴ると同時に、教師たちがぞろぞろと竜太の教室に入って来た。二、三分のうちに、教師たちは生徒たちをコの字型に囲んで立ち並んだ。一応揃《そろ》ったところで、竜太はオルガンに向かい、「礼」の合図を弾いた。生徒たちがさっと立ち上がって、きびきびと礼をし、そして腰をおろした。
竜太は教壇に立って、用意してあった謄写版刷りの西洋紙を配った。それには「故《ふる》郷《さと》」の歌詞と譜が刷られてあった。教師たちが怪《け》訝《げん》な顔をした。竜太の受持は高等二年生である。「故郷」は尋常六年生の教材である。ざわめく教師たちには頓《とん》着《ちやく》なく、竜太は生徒たちに言った。
「みんなでこの『故《ふる》郷《さと》』を読んでみよう。『故《こ》郷《きよう》』と書いて『ふるさと』と読む。先ず一番を読んでみよう」
兎《うさぎ》追いし かの山
小《こ》鮒《ぶな》釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき 故郷
生徒たちは声を揃えて読んだ。漢字にはすべて仮名がふってあるので、読めない者はいない。
「よし、みんなはこの歌を知ってるな」
「はーい」
半数以上の者が手を上げた。
「なんだ、知らない者もいるのか。知らない者、手を上げて」
十七、八名の手が上がった。再び教師たちがざわめいた。
「そうか。これは六年生で習った筈なんだ。こんなにたくさんの者が習っていなかったとは知らんかった」
竜太は言い、
「しかし、歌えなくても、歌の意味はわかるだろうね。
兎追いし かの山
はわかるね」
「はーい」
多数の者が手を上げた。一番前の者が指名された。
「はい、兎がおいしいあの山ということです」
教師たちと生徒たちの大方が笑った。が、笑わぬ十人程がいた。
「これはよく間違うんだなあ。先生も間違って覚えていたことがある。兎を追っかけたあの懐かしい山、というところを、うまい兎がいるあの山、と思っていたことがある」
竜太は間違った覚えはなかったが、そう言い、
「先生と同じように間違っていた者、手を上げて」
と言うと、十数人が手を上げた。歌詞をろくに読まされず、口写しにうたわされた生徒たちにちがいない。
「歌というのはね、みんな、節も大事、拍子も大事、だが、歌詞に何が書かれているかを知ることが、一番の基本なんだよ」
竜太はそう言い、
「兎を追いかけた懐かしい山を思い浮かべているのと、うまいうまいと食べた兎の味を思い出しているのとでは、ずいぶんちがうだろう?」
竜太はそこで、「朧《おぼろ》月《づき》夜《よ》」の一節、
菜の花畠《ばたけ》に 入日薄れ……
と、つづいて「我は海の子」の一節をうたった。
「春の夕暮の歌と、広い海べの歌では、ずいぶんと感じがちがうだろう。この、歌の気持を味わうことが大事なんだ。それで、先生は宿題を出しておいたな。何でもいいから、詩を作って来いって。みんな作って来たか……」
言いかけた時、それを遮るように、左藤学が言った。
「先生、この『故《ふる》郷《さと》』の歌詞だけど、この幌志内には、兎を追って遊ぶ山もなければ、小鮒を釣って遊ぶ川もありません。真っ黒いあんこ汁みたいな川では、幌志内は……」
思いがけぬ発言だった。
「なるほどな。いいとこに気がついたな。人間それぞれに、いろんな故《ふる》郷《さと》がある。伊豆の大島のように、海の真ん中の島が故郷の人もいれば、賑《にぎ》やかな東京の街が故郷の人もいる。雪の降る北海道が故郷の人もいれば、雪のない南の国が故郷の人もいる。しかしな、そこに住んでいれば、『住めば都よ ふるさとよ』と言ってな、どこよりも忘れられないところになる。そして、そこのそれぞれの故郷の歌ができるわけだ。
さ、みんな持って来た詩を、机の上に出しなさい。それを先生が、うまくはないが、節をつけるのが好きだから、ちょっとつけてみよう。節をつけて欲しい者は、その詩を読んでみなさい」
誰も手を上げない。頭を掻いて、隣の生徒と顔を見合わせているばかりだ。
「何だ、誰も手を上げる者はいないのか」
竜太はがっかりしたように言った。と、一列目の前から三番目の生徒が手を上げた。
「ほう、勝広か。どんな詩ができた?」
竜太は微笑した。
「はい、子守歌です。
眠れ 眠れ
眠れったら 眠れよ
お前が寝ないと
あんちゃん 宿題が
できないんだ
頼むから 寝てくれよ
なあ 寝てくれよ」
生徒たちも教師たちも笑った。が、竜太は笑わなかった。日野勝広の母は、今年の春、風邪がもとで死んでしまった。勝広の家は、炭鉱で働く父親と、四年生になる弟と、三歳になる弟の、男ばかりの四人暮らしなのだ。三歳の弟は、日中は同じ長屋の叔母の所に預けてある。が、勝広が学校から帰ると、勝広が世話をする。
「うん、いい詩だ。先生は、涙が出そうだぞ。なあみんな、勝広の母さんは、今年の春死んだろう。だから勝広は、母さんの代りに飯も炊けば、洗濯もする。子守唄もうたってやる。そんな中で宿題をちゃんとやって来たんだ」
みんなはしんとなった。
「先生は胸が一杯で、うまく節をつけられないかも知れないが、うたってみようか。その詩をここに持って来てくれ」
勝広はにこにこ笑いながら、宿題の詩を竜太に手渡した。竜太は大きな声でその詩を読み、オルガンの前に坐ってうたい出した。どこか「五木の子守唄」に似た節だった。じっとうつむいて聞いている生徒、首をふりふり聞いている生徒の中で、勝広は天井の一角を睨《にら》むようにして聞いていた。その目から、涙がころげ落ちるのを竜太は見た。女教師の中にも、ハンカチを目に当てる者がいた。
竜太がうたい終ると、教師たちも生徒たちも拍手した。
「勝広の詩は、今度の音楽の時間に、みんなで練習しよう。さて、もう一人、誰か発表する者はいないかな」
生徒たちは、首を曲げたりすくめたりして、いっこうに手を上げない。と、さっと一人の手が上がった。先程発言した左藤学だ。竜太は学の名を呼んだ。学は立ち上がって、詩を読み始めた。
「 父
父が出征して行って
早一年が過ぎ去った
夜昼弾雨の中くぐり
戦う父を思う時
父の笑顔が目に浮かぶ
前進前進どこまでも
雄々しく進めわが父よ
東洋平和の戦いを
戦いぬいて元気よく
生きて帰って来て欲しい」
「うん、学もよくできた。学は先生に言われたように、うたいやすいように歌詞を整えたね。いいかみんな、これは大事な父親を、戦地に送った学が、その親を思う心をうたったんだ。学の気持を味わって欲しい」
竜太は学の詩を持って再びオルガンの前に行き、即興の節でうたった。
再び教室に拍手が鳴りひびいた。竜太の声がいいのだ。作曲も素人離れしている。気むずかしい教頭でさえ、竜太の歌声にうなずきうなずき聞き入っていた。
「先生はね、音楽というものは、悲しい心、うれしい心、苦しい心、淋《さび》しい心などから生まれるものだと思う。誰か有名な人の歌を聞くのもよい。有名な人が作曲したのをうたうのもいい。けれども、自分の歌を自分でうたうことがあってもいいと思うんだ。それには、さっきも言ったように、第一に歌詞の心を味わう力を養うことだ。次に、やはり、音楽の世界の約束である楽譜を読めなければならない。楽譜を読む練習は、高等一年の時からやって来たね。ではみんな、オルガニストになったつもりで、一番易しい『さくら さくら』を弾こうではないか」
生徒たちはにこにこして、机の中から画用紙を取り出した。画用紙には二オクターブのオルガンの鍵《けん》盤《ばん》が書かれている。
「みんなでうたいながら、『さくら さくら』を弾いてみよう。これは易しいから、弾ける筈だ」
竜太がオルガンを弾き、生徒たちは各自の画用紙の鍵盤を弾く真《ま》似《ね》をし始めた。教師たちは呆《あつ》気《け》にとられた。ほとんどの子が間違わずに指を動かす。
それが終ると竜太が言った。
「誰か、このオルガンで弾いてみないか」
一斉に手が上がった。竜太は、常日頃余り目立たない生徒、中村一夫の名を呼んだ。一夫は掘《くつ》進《しん》夫《ふ》の息子である。家には楽器らしいものはない。ハーモニカも何もない。だが、「さくら」の曲を間違わずに弾いた。竜太は紙のオルガンで教えた時から、すべての生徒たちにオルガンの弾き方、足で空気を送ることなどを実習させていたのだ。
中村一夫が弾き終ると、生徒たちはすぐさま手を上げて、弾くことを望んだ。三人の生徒たちが「さくら」を弾いた。「さくら」ならどの生徒も弾けるのだ。竜太はハ調の「春の小川」を生徒の一人に弾かせ、更にハーモニカを持ってきた者を、教壇の上に立たせた。七、八人が並んだ。
「よし、始めるぞ。うたう者は手拍子を取りながらうたうことにする。四拍子だぞ」
生徒たちは先にもらってあった「春の小川」の譜を見ながらうたい始めた。オルガンを弾く生徒も、ハーモニカを吹く生徒も、手拍子を取りながら、皆きらきらと目を輝かせている。
研究授業はこうして終った。
教師たちは、がやがや話し合いながら、教室を出て行った。一番最後まで残っていた木下先生が、黙って竜太の傍《そば》に寄り、手を伸べてしっかりと握手をしてくれた。そして一語も発せずに教室を出て行った。
引きつづいて、直ちに批評会が職員室で持たれた。開口一番、教頭が言った。
「いや、驚きましたな。高等二年の音楽の教材は何も使わずに、尋常科の教材などで、高等二年の研究授業をやってのけた。これについて、皆さんのご意見はいかがですか」
うなずきうなずき竜太の歌を聞いていた時の教頭の顔を竜太は思った。教頭は明らかに、常日頃の教頭とはちがっていた。訓育主任が立ち上がって言った。
「やあ、北森先生の生徒たちは、姿勢がよろしいですな」
二、三人の笑う声がした。
「いや、姿勢がよいということは、実に大切なことですぞ」
訓育主任がオルガンを弾いている姿を見た者はない。彼は音楽について語りたくはない。と言って黙ってはいられなかったのだ。そんなふうに人々は思った。沖島先生が立ち上がった。
「脱帽です。高等科二年の生徒ではあっても、あれほど楽譜が身についていて、全員が読めるというのは、立派なものです。実は、ぼくはこんなピアノもない、タンバリンもない、メトロノームさえない、オルガン二台っきりの学校では、どんなに頑張ってみたって、大した授業はできないと思っていたんです。おそらく、そう思われた先生方が多かったんじゃないですか。初めから音楽を投げ出している先生が、少なくとも十人はいるんじゃないですか。しかし北森先生は、やる気になれば、こんなに楽しい授業ができることを、ぼくたちに示してくれました。これは単に音楽のみならず、他の教科にも言えることです。北森先生、ありがとう」
沖島先生につづいて、似たような感想が次々に述べられた。中には、
「北森先生は大変な美声だ。先生の歌声を聞くだけで、立派な音楽教育になりますね」
という発言もあって、笑いを誘った。
批評会は、和やかに終ろうとしていた。と、今までじっと一同の話を聞いていた校長が口をひらいた。
「わたしも、北森先生はなかなかの努力家だと思った。その点は大いに買うが、ちゃんと与えられた教科書、つまり、高等科二年には高等科二年の教科書で教えてくれなければ困る。教科書にない『さくら』や、四年生の『春の小川』などで、お茶を濁されては困るのです。更に言えばですな、生徒たちに詩を作らせたのは、綴り方の授業と音楽の授業がごっちゃになっているようで、どうもぱっとしませんな。音楽の時間は音楽、綴り方の時間は綴り方、と明確に一線を画して欲しいものですな」
不意に、ひんやりとした空気が流れていくのを竜太は感じた。教師たちは低くささやき合った。その時木下先生が静かに立ち上がった。
「校長先生、わたしはこれまでの教員生活の中で、今日ほど感動的な音楽の授業を見せてもらったことはありません。がたがたのオンボロオルガン二台だけの学校で、何ができる、そう思っていた自分の不明を恥じました。北森先生は、音楽教育の根本に、一番重要なのは、優しさ、美しさ、悲しさ、辛《つら》さを知る心であるという確信のもとに、授業をされた。兎がおいしい山というのと、兎を追いかけた山というのとでは大変なちがいです。その、歌詞の重要さを認識させるために、北森先生は詩を作らせた。そしてその詩に見事な節をつけた。先生が低学年の歌を、高等科二年に徹底的に教えようとしたのは、算術の時間に九九を叩きこむのと同じです。日本の現代の音楽教育には、北森先生のように一からやり直さねばならぬところがあると思うのです。校長先生、今日の授業は教育の根本に関わるのではないですか。それがおわかりにならないとは不思議です」
校長が何かを言おうとする前に、木下先生は言葉をつづけた。
「第一ですね、国語、算術、歴史というように教科が分かれているのは、いわば便宜上のことであって、音楽の時間に歴史に触れざるを得ないこともある。例えば『鎌倉』がある。これはいい例でしょう。本来、教育は全人格的であるべきだと思います」
木下先生はぴしりと言った。
そして半年後、突如木下先生は僻《へき》地《ち》に左《さ》遷《せん》された。
足音(一)
一
竜太の音楽研究授業が終った翌日であった。
職員朝礼の時、校長は昨日とは打って変った語調で教師たちの前で言った。
「やあ北森先生、昨日の授業は見事でしたな。わたしはつくづくと思うのに、実に国策に適《かな》った授業であると思いました」
一瞬教師たちはきょとんとした顔になった。竜太も思わず首をかしげた。
「政府はこの昭和十三年に入って、国家総動員法、電力国家管理法などを、反対を押し切って制定しましたな。つまりこの法案を制定することによって、物的人的資源の運用は、議会の協賛を経ずともよいこととなった。すなわち、勅令一本で事は決定されることとなった。ここにおいてわれわれ国民は、実に耐乏生活を覚悟せねばなりません。教育の面においても然《しか》りであります。耐乏生活といえば、誰《だれ》しも自ら歯を食いしばり、あるいは首をうなだれて、この耐乏生活を乗り切ろうとするわけですが、北森先生の授業は、僅《わず》かにオルガン二台の、いわば何もないような中でなされた授業であります。なんとも明るく、楽しくわれわれを驚かすような研究授業を発表してくれました。これこそ国策に沿った模範的な授業であると、わたしは絶賛してやまないのであります」
職員たちは互いに顔を見合わせた。が、あえて発言する者はなかった。生徒たちの登校が始まっていたせいもある。が、それよりも、昨日と打って変った校長の態度に、少なからぬ疑問を抱いたためだった。教師たちは何となく木下先生のほうを見たが、木下先生も口をひらかなかった。校長はそんな職員たちの空気を感じてか、感じないでか、一層機嫌のよい表情になって言った。
「ところで昨日の木下先生のご意見にも、いろいろ教えられましたな。北森先生、どうもご苦労さまでした」
竜太の前に坐《すわ》っている小山光子先生が、小さな赤い舌を、蛇のようにちらちらと口からのぞかせて笑っていた。しかし、校長の機嫌のよさが何によるものか、誰も知る者はなかった。
何《いず》れにせよ、竜太の研究授業は、職員たちに一石を投じたようであった。ともすれば無気力に、無感動に、廊下をうつむいて歩いていたような中年の教師たちも、どこか表情が生き生きとしてきた。国家の要望によって、夜を日につぐ石炭増産に伴い、生徒たちが毎日のように転校して来、その数が増える一方であることに只手を拱《こまね》いていた教師たちに、活気が取り戻されたようであった。
それから二、三日経《た》って、竜太は夕食の時に沖島先生の誘いを受けた。
「あのねえ、北森先生、何人かの先生がね、木下先生の家に、今度の日曜日にでも、一度集まろうという話が出たんだよ。行ってみますか」
何の目的でどんな人が集まるのか、という思いより、木下先生の家ということが、竜太の心を動かした。
「むろん、仲間に入れて欲しいです」
竜太は快活に言った。
「そうですか。あんたが行ってくれると、みんなが喜ぶと思うよ。じゃ、次の日曜日、昼食を食べたら、二時頃《ごろ》から集まることにしようか」
その話のそぶりでは、どうやら沖島先生が中心にいるらしかった。
次の日曜日、竜太は沖島先生と一緒に下宿を出た。学校の正門の前にさしかかった時、万田教頭がうしろ手に組んで、沖島先生と竜太のほうを見つめているのに気づいた。
「やあ、どこまで?」
「はあ、ちょっとそこまで」
沖島先生はちょっととぼけたいつもの調子で答えた。少し行ってからふり返ると、万田教頭は二人の姿を見送っていた。
「まだ見てますよ、沖島先生」
「見てたってかまいやしませんよ。泥棒に行くわけじゃなし」
沖島先生は冗談を言った。
「それにしても日本語は便利ですね、沖島先生。どこまでと言われても、そこまでと言えばいいんですからねえ。こんな時英語だと、どう言うんでしょうか」
「さあ、英語はさっぱりで……」
竜太は気になって、またふり返った。もう教頭の姿はなかった。
木下先生の下宿は学校から数百メートル離れた下《げ》駄《た》屋《や》だった。木下先生は八畳と六畳の二《ふた》間《ま》を、只一人で使っていた。二十代の教師三名と、三十代四十代の教師がそれぞれ二名宛《ずつ》集まった。男ばかりの中に一人小山光子先生がいた。小山先生はひだのついた白いエプロンをつけて、甲《か》斐《い》甲《が》斐《い》しく茶菓の用意をしていた。
「いやあ、ずいぶん集まったなあ、四十七士が」
誰かが言い、みんなが笑った。
「四十七士は主君の仇《あだ》討《う》ちだよ。ぼくたちはそんな不穏な分子ではない」
沖島先生がにやにやしながら言った。木下先生が答えて、
「いやいや、どうしてどうして、不穏な分子だよ。こうして集まっているのを校長さんや教頭さんが見たら、肝っ玉潰《つぶ》すんじゃないかなあ」
と言うと、誰かが言った。
「なるほど。人が三、四人集まっても、不穏にみえる世の中か。つまり人が信じられない時世ということだ」
その日は、とりとめもない愚痴や、要望が述べられたが、すべて教育に関する話ばかりだった。誰一人、五月の「徐州占領」や、政府が国際連盟事務局の招請を拒絶したなどのニュースについては、触れようとしない。戦いはまだまだ遠い場所での出来事のように思われた。
その日はそれで終ったが、月に一度は木下先生を中心に「教授法を学ぶ会」をつくろうということになった。学校の一室で持ってもよい会であったが、いちいち教頭や校長の許可がなければ、自由に集会は持てなかった。校長や教頭がその会に顔を出して、要《い》らざる差出口を挟まれるのも愉快ではない。
第一回の研究会は、昭和十四年(一九三九)の冬休みが終って間もなくの、雪の日だった。沖島先生も竜太も、心の弾む思いで下宿を出た。集まった人数は最初の集まりの日と同じだったが、一人が減って、一人が増えた。中年の教師の代りに三十代の教師が加わった。木下先生が講師の形で会は始まった。この日も小山光子先生がお茶を淹《い》れたり菓子を出したりしていた。木下先生の文机の上には、分厚い本が一冊置かれてあるだけだ。聖書だった。
(へえー、先生はキリスト信者だったのかなあ)
ふっと竜太は坂部久哉先生の顔を思い浮かべた。どこか共通の印象が二人にはあった。
木下先生はいきなり本題に入った。
「ぼくはですねえ、不勉強で、なんにもわかりませんが、ま、今までやっているやり方の一部をご披露したいと思います。実はですね、去年北森君が実におもしろい音楽の授業をしてくれた。あの時わたしは批評会で、教育は全人格的でなければならないと、まあ極めて平凡なことを、生意気にも校長さんに言ったわけですが、わたしは基本的に、北森君と同様小学校教育は国語力に負うところが大きいというのが持論です。読むこと、書くこと、理解すること、言葉を綴《つづ》ること、つまり綴り方ですね、これらをいろいろ興味を持てるように教えていくのです。たとえば……わたしは今五年生を受持っていますが、この五年生に、一年生の国語の教科書をノートに書かせます。たとえばわたしたちの習った国語読本でいうと、
ハナ ハト マメ マス
ミノ カサ カラカサ
でしたね。これを五年生の生徒に、漢字に書き直させるわけです。すると、
花 鳩 豆 升
蓑 傘 唐傘
と書くわけですが、たいていの五年生は蓑がわからない。するとおもしろいものです。蓑という字を絶対に覚えてやろうという気になるんです。教えてくれ、教えてくれと、男子も女子も甚《はなは》だ積極的になる。ま、言ってみれば一年生の教材ですよね。それだからおもしろい。五年生が一年生の勉強をするところがおもしろい。たとえば、猿《さる》蟹《かに》合戦の猿蟹の字がわからない。すると五年生の沽《こ》券《けん》に関わると思うんですね。一年生と五年生の間に、道がつくわけです。と同時に、わたしは、花、鳩、豆、升の絵を描かせる。鳩一羽でもいい。花の一輪でもいい。それがまたうれしいんですね。一年生の時に習ったことが、懐かしさと共に思い出される。それが授業の中で、声になって出る。『ぼく、一年の時、夕張の炭鉱だった』と言い出す子がいる。一年生の時の先生は女の先生で、緑色の傘をさした女の姿を描いたりする。たまにこんな授業があってもいいんじゃないですかねえ」
うなずきうなずき聞いていた沖島先生が、
「人間には懐かしさを呼び起こすということが、大事なんですね。北森先生の授業の中でも、懐かしいということが出ていたが、生徒の胸に懐かしさを感じさせることは、これは重要なことですね。それから、ぼくは、歴史の本は徹底的に読ませます。たとえば、読めなければ、藤原鎌《かま》足《たり》が、『ふじわらかまあし』になってしまいますからね」
みんなは笑った。木下先生がつづけた。
「そうなんです。『誅《ちゆう》する』という字が出てくる。これが読みも書きもできなければ、ちんぷんかんぷんですよ。刺したんだか、叩《たた》いたんだか、笑ったんだか、泣いたんだか、わけがわからない。歴史の本には、ぼくは一字残らず仮名をふらせます。よく、仮名をふっちゃいけないという先生がいますが、ぼくは国語読本にも、算術の本にも、わからなければ仮名をふらせます」
なるほどと、竜太は思った。頁をひらく度に、わからない字があっちにもこっちにもあるよりは、全部読めるほうがいい。教科書がずっと親しみを帯びてくる。家で勉強する時も、いちいち父親や母親に尋ねなくても、事がすむ。父親や母親にしても、過去においてしっかり勉強してくる余裕のなかった者には、子供に字を訊《き》かれることほど辛《つら》いことはない、と家庭訪問で聞いたことがある。
「そしてですね、わたしは国史を教える時には、講談でも聞かせるように話をする。後《ご》醍《だい》醐《ご》天皇がどうなるか、楠木《くすのき》正《まさ》成《しげ》がどうなるか、みんな固《かた》唾《ず》をのんで聞いている。目がきらきら輝いている。ベルが鳴ると、『なあんだもう終ったのか』と、必ず生徒たちはがっかりする。そして言うのです。『先生、この次どうなるの』。おもしろいから教科書を読むのもいやがらない。『四十七士、早く始まらんかなあ』なんて待ち侘《わ》びる生徒もいる。
ある時、生徒が、『これ、劇でやったら、おもしろいべな』って言ったんで、一列宛《ずつ》に組んで、好きな所を劇にさせた。生徒たちは喜びましたねえ。わたしは小学校の歴史は、特に現代編集された歴史は、こんな教え方でいいのではないかと思う。
しかし歴史というのは、教師たちがしっかりと踏まえていて、また変るかも知れない歴史教育というものを、それぞれの腹の中で、しっかりとつかんでおく必要があると、わたしは思う。生徒たちが大きくなった時、自分が小さい時に何を習ったか、はっきりと覚えておいて欲しいとわたしは思うんです」
若い一人が、熱心に木下先生の話を聞いていたが、
「その歴史の話、ちょっと危険じゃありませんか」
と口を挟んだ。みんなは、はっとしたように顔を見合わせた。竜太も、木下先生が何と答えるかと思った。木下先生は笑って、
「どこが危険かわからないけど、世間では危険だと言われるかも知れませんね」
と、みんなを見渡して、
「わたしは仏教徒じゃないけれど、無常という言葉は、深い言葉だと思います。史観についてはあとでゆっくり話し合いましょうや。それはそうと、算術の問題にいきましょうか。わたしは算術の問題を解く第一の鍵《かぎ》は、問題をどれだけ正確に、どれだけ早く理解できるかということだと思います。だから、算術にも国語力は絶対必要です。特に五年生になると、鶴《つる》亀《かめ》算《ざん》だの、植木算だのに取組まねばなりませんよね。問題の意味がわからないと、解き様がないわけです。で、一年生を受持っても、数式を言葉に直す訓練をしてきました。一足す一は二、なんていうのは、子供の世界にはない感じ方です。これを言葉に直させる。お母さんから飴《あめ》玉《だま》を一つもらいました。お姉さんからも飴玉を一つもらいました。合わせていくつもらったでしょう? これなら子供の世界です。言葉に直したところから、本当の『一足す一』が始まる」
みんなは思わずうなずいた。しかし、一人が言った。
「一年生に、そんな作文ができますかねえ」
「わたしも最初はそう思いました。一年生に問題を作らせるなんて、無理じゃないかとね。でもおもしろいですよ。少し訓練すると、子供らしい文で、問題を作ります。たとえばね、こんなのがありました。
『ぼくはお父さんに二つなぐられました。お兄さんに三つなぐられました。合わせてぼくは、なんぼなぐられたでしょう』」
またもや一同が笑った。沖島先生が一番大きな声で笑った。木下先生の授業のうまさは定評がある。子供に弁当を届けに来た母親が、余りにおもしろくて、二時間びっしり見ていったという話もあった。竜太も、木下先生の授業を見学してみたいと思った。
木下先生が言った。
「今日のわたしの話は以上で終りますが、わたしの授業は平凡です。只、わたしは一人一人の生徒が、なんとか力をつけてくれるようにという思いだけは持っているんです。その思いが授業に表れているかどうか、大事なのはそのことです。教師が生徒をかわいく思っているか、生徒が先生に心をひらいてなついているか、結局教育はそういうことではないでしょうか。生徒はみんな、誰かが腹を痛めて生んだ子です。こんなにかわいい子はいないと思って、育てている子です。その親の心になって育てることはできなくても、その親の気持を察する教師になりたいのです。いつも心の中で、
(なあ、貧乏は大変だなあ)
とか、
(風邪ひくなよ、父ちゃん母ちゃん心配するからな)
とか、呼びかけていたいのです。ああ、そうそう、単純なことですが忘れてました。みなさんやっておられると思いますが、算術の始まる前には、二年生であろうと、五年生であろうと、高等科であろうと、九九は必ず二回は暗《あん》誦《しよう》させてください。九九もわからんで卒業したらみじめです。九九を馬鹿にしないで、時々九九の試験をして下さい。思いもよらないことですが、九九を間違えて覚えている生徒がいるものです。それともう一つ。わたしは歴史教育の一環としてというわけではないですが、弁当の時間などに、この聖書の中にある『ノアの箱舟』だの大魚の腹に入ったヨナの話などを聞かせています。生徒たちの関心が他の国にも及ぶようにと、願ってのことです」
竜太は木下先生が、今まで思っていたより更に偉大な教師に思われた。話合いは日の暮れるまでつづいた。
二
竜太が幌志内に来て、二度目の融雪期となった。
一週間前の宿直の夜、旭川の芳子から電話がきた。
「竜太さん、わたし今度、一年生を受持つのよ」
弾んだ声だった。芳子は小さい子が好きだ。芳子は言った。
「小さい子供って、まだ言葉の数をたくさんは知らないでしょう? 自分の気持を表現することが、上手じゃないでしょう? だから、すぐに泣いたり怒ったりすることがあるけど、教師はちゃんと察してやらなければならないと思うの」
弾んだ声のままに芳子は言っていた。
(芳子さんも、大したもんだ。木下先生と同じように、察する、という言葉を使っている)
竜太は感服してそう思った。教師は教室の中で独裁者に陥りやすい。生徒同士の喧《けん》嘩《か》を見ても、どちらが悪いと簡単に決めてしまう。が、そこには真の洞察力が必要なのだ。察知することが必要なのだ。特に一年生のような幼い子供は、生徒たちそれぞれの立場に立って察することが必要なのだ。竜太は改めて、教師と洞察について考えてみなければならないと思った。
芳子からのうれしそうな声が、まだ竜太の耳に残っていながら、しかし竜太の心は必ずしも弾んではいなかった。幌志内に赴任以来の受持生徒であった左藤学たちのクラスがあと何日かで卒業して行く。卒業式の練習として、数日前から毎朝卒業式の歌を、竜太は全校生徒に指導していた。小山光子先生がピアノを弾く。竜太の音楽研究授業によって、「ピアノ購入」の意見が通ったのである。ピアノがこの幌志内小学校に届いたのは、つい先日、雛《ひな》祭《まつ》りの前日の三月二日であった。
仰げば尊し わが師の恩……
竜太は生徒たちに歌詞の意味をよく説き聞かせながら、歌唱の指導をした。歌わせながら、竜太は時々声が詰まることがある。今まで、こんなにも辛い別れの感情がこみ上げたことはなかった。受持のほとんどの生徒が、高等二年を限りに、職場に出て行く。二度と学校という所で学べない者がほとんどである。左藤学は師範学校に進みたいと言っていたが、戦地の父からの手紙が途絶えているということで、その進学の希望を諦《あきら》めた。
(学、お前のぶっきら棒なものの言い方を、かわいいと思ってくれる先輩がいればいいな)
(玉田、お前のひょうきんな笑顔を、もうここの教室で見ることができないんだな)
竜太はこの頃、床の中に入ってからも、道を歩きながらも、ひょいひょいと思うことがある。そして涙が、おかしいほど溢《あふ》れてくることがある。
(みんな他人の子じゃないか。なぜ泣くんだ)
竜太はわざとそう思ってみる。だが他人の子である生徒たち一人一人が、本当にいとしくてならないのだ。十五や十六で大人と同じ職場で働き、怒鳴られて過ごすかも知れない何年かを思うと、何とも辛くてならなくなる。
(そうか。教師にとって、三月というのは、こんなにも辛い月だったのか)
しみじみと竜太はそう思う。一年生の受持が決まって喜んでいる芳子だって、今までの受持生徒との別れは辛いにちがいないのだ。
(だが、四月がある。おれはいったい、今度は何年生を受持つことになるのかな)
そう思うと少し元気になる。ここの校長は、受持の希望を一切聞かないことにしていると聞いた。
「何年生であろうと、どの子も天皇陛下の大事な生徒ですからな」
校長はそう言うのだそうだ。
今日も竜太は生徒のことを考えたり、芳子のことを考えたりしながら、職員室に入って行った。冬の間は、さすがに朝五時からの清掃奉仕はなく、六時半出勤で、職員朝礼が七時から七時半まで持たれることになっていた。
戸を開けた瞬間、竜太はぎくりとした。何か雰囲気がちがうのだ。妙にざわめいていた。誰もが明らかに興奮していた。しかし喜びの表情ではない。
竜太はいつものとおりに校長に挨《あい》拶《さつ》をして、出勤簿に判を押した。と、万田教頭が言った。
「異動がありましたので、辞令簿にも捺《なつ》印《いん》して下さい」
「異動!? どなたですか」
「辞令簿を見たらわかります」
万田教頭は乾いた声で言った。開かれた辞令簿には、木下先生の名前があった。竜太は思わず息をのんだ。その竜太の表情をじっと見守る校長の目と、竜太の視線が合った。竜太は呆《ぼう》然《ぜん》として席についた。木下先生はまだ出勤していない。先週の土曜日、幾人かの仲間と、木下先生の家に行った。その時先生は何も言ってはいなかった。
そう思った時だった。がらりと戸が開いて、木下先生が入って来た。
「お早うございます」
いつもの朗らかな声がひびき渡った。みんなは黙ったままだ。木下先生は落ちついた足取りで校長の前に行った。みんなは息を殺して、木下先生の一挙一動に注目している。竜太は何か叫び出したい気がした。と、校長が立ち上がって、
「木下先生の辞令が出ています」
と、辞令を両手で差出した。
「辞令? 辞令ですか」
すぐには合点がいかず、不審そうに問い返す木下先生に、万田教頭が言った。
「そうです。木下先生、お名残惜しいですな」
教師たちの間に低いざわめきが走った。
(木下先生は知らなかったのだ!)
竜太の胸に怒りがたぎった。
「校長先生、理由は何ですか」
木下先生は落ちついて言った。
「さあ、わたしも驚いているところです」
校長の声がややうわずっていた。
「全校生徒三十人のあの学校ですね。これは栄転ですね」
鋭い皮肉だった。木下先生は、三十二学級の幌志内小学校から、教師只一人の小学校に飛ばされたのである。それは明らかに左《さ》遷《せん》だった。
若い教師たちが二、三人校長の前に来て、おずおずと言った。
「校長先生、内示も相談もないままに、発令されたのでしょうか」
校長は絶対的な権力者である。教師たちには組合もなかった。団体交渉など思いもよらぬことであった。このように校長に問うことさえ許されてはいなかった。若い教師たちの足がかすかに震えていた。校長は三人をじろりと見て言った。
「わたしも知らないことだからね。しかし、人事とは、もともとこうした厳しいものなんでね」
「そんな……せめて内示位あったって……」
若い教師たちがぶつぶつと言いながら引下がった。竜太はじっと自分の席に坐っている自分自身が恥ずかしかった。明らかに報復人事に思われた。木下先生は、竜太の研究授業の批評会において、竜太をかばった発言をした。それが今日の人事となって返されたのである。何か言わねばと思いながらも、竜太は何も言えなかった。なぜ木下先生が、二里《り》の山道を行かねばならぬ単級の学校に飛ばされねばならないのか。全校で三十人も生徒がいるだろうか。竜太は、ずるずると暗い穴に引きずりこまれるような恐怖すら覚えた。
三
昭和十六年(一九四一)元旦――
竜太は四《し》方《ほう》拝《はい》の儀式を終えて、学校から下宿に戻って来た。玄関の戸を開けると、秋子の朗らかな歌声がひびいている。
……紀元は 二千六百年
あゝ一億の 胸はなる
去年流行した「紀元二千六百年の歌」である。
「只今!」
竜太の声に、秋子は茶の間の障子を開けて、
「あら、うちのひとは?」
と尋ねた。秋子は去年の正月、沖島先生と結婚したのである。
「職員の親睦かるた会があるとかで、二時間位、遅くなるとか言っていました」
「まあ! 初めての元旦なのに」
怒ったように言ったが、秋子の顔は笑っていた。
「北森先生、先生は一時の汽車でしょう。昼食に何がいいかしら。またお雑煮じゃ……」
「ぼく、餅《もち》が好きだから、あべかわがいいです」
そう言った竜太の手に、秋子は郵便物を手渡して、
「はい、わかりました」
と答えた。そして、
「先生も、今年芳子さんと結婚なさるんでしょう。いい年ですね、今年は」
と、楽しそうな笑顔を見せた。竜太は年賀状の束を持って、二階に上がって行った。昭和十六年に結婚しようという約束を、竜太も芳子も大事に覚えてきた。十六年という字が、きらきらと空中にきらめいて見えることがあるほどだった。年末に旭川に帰った時、
「竜太さん、来年は昭和何年か、知っていて?」
と、雪道を歩きながら芳子は竜太の顔を見て言った。その顔が幸せそうに見えて、竜太は胸が詰まりそうであった。自分のような男との結婚を、こんなに幸せそうに待っている女性がいる。それが胸に応《こた》えた。本当に幸せにしてやれるだろうか。竜太には、男と女がひとつ屋根の下に暮らす日々というものを、具体的に見極めることが出来なかった。しかし同じ部屋に、来る日も来る日も、あの芳子がいると思えば、それだけで竜太も幸せな思いになるのだった。
部屋に入って、オーバーを着たまま竜太はストーブを突ついた。貯炭式のストーブは、灰を掻《か》き落すと、ごーっと音を立てて燃え始めた。竜太は年賀状を読み始めた。四、五十枚の束の一番上に、木下先生の年賀状があった。
「明けましておめでとう
と、単純に言える時代ではなくなったね。当方、けっこう楽しくやっています。光子は、いやわれわれは、今年の六月頃、人の子の親になります」
竜太は微笑した。二年前の三月のことが思い出された。左遷と決まった木下先生の送別会は異様な雰囲気だった。教師たちは次から次へと歌をうたった。校舎の片隅の裁縫室に、女教師たちの手作りの料理が並んだ。男の教師たちは、いつもの歓迎会や送別会とちがって、酒量が過ぎた。父兄たちの、木下先生への惜別の情《じよう》が、たくさんの酒となって、会場に運びこまれた。若手の教師たちが五、六人、真ん中の畳の上を、オットセイのように、ぱたりぱたりと這《は》い始めた。
「木下先生ありがとう」
「木下先生ありがとう」
二年前に流行《はや》った「兵隊さんよありがとう」の替え歌だった。いや、替え歌というより、只「木下先生ありがとう」だけが、くり返し教師たちの口から流れ出た。その声に合わせて、オットセイのように這いずりまわる教師たちの目に、いつしか涙があふれていた。
その席で、突如小山光子先生が立ち上がって叫んだ。
「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます」
透《とお》る声に、みんなはしんとした。
「本日只今、わたくし小山光子は、辞職願を校長先生にお渡ししたいと思います」
みんなは冗談だと思った。小山先生はつづけた。
「独身の木下先生が山の奥の単級の学校に赴任されるわけですが、そこの女生徒に裁縫を教える人がいるでしょうか。男ではできない細ごまとした指導をすることは、いかに優秀な木下先生であろうと、ご無理かと思います。それでわたしは、木下先生の妻として、共に山奥に従《つ》いて行く決意をしました。どうせ校長の妻には、一銭の報酬も出ないことはわかっておりますが、わたしは木下先生に協力するだけで、光栄な思いで一杯でおります。臨時ニュースを終ります」
何も知らなかった校長も、万田教頭も狼《ろう》狽《ばい》した。今、新学年を目の前に控えて、突然の辞職は困ると説得にかかったが、小山先生は間もなく幌志内駅から発《た》って行った。結婚式は出発の直前に、滝川の教会で簡素に挙げられ、婚姻届の手続きも、きちんと踏まれてあった。
今、その時のことを思い出しながら、竜太は再び木下先生の年賀状に目をやった。木下先生の単級経営が、早くもあちこちで話題になっていることを、竜太も聞いていた。
竜太は、あとの年賀状は旭川に帰ってから読むつもりで鞄《かばん》に入れた。鞄に入れてから、生徒たちの年賀状がきていないかと、もう一度取り出して見た。左藤学の年賀状は、去年は来ていなかった。今年はもしや来てはいまいかと思ったのである。と、見覚えのある学の字が目に飛びこんできた。
「先生、お変りありませんか。ぼくは母と夕張の炭鉱に来ています。ぼくは掘《くつ》進《しん》夫《ふ》の一員として、毎日坑内にもぐっています。ぼくの父は、一年半前に戦死の通知が入りました。それで昨年、年賀状は出しませんでした。でも今年は坑内で、先生に明けましておめでとうを申し上げます」
竜太は思わず拳《こぶし》で涙を拭《ぬぐ》った。この時まだ竜太は、自分自身の背後に恐ろしい足音が近づいていることに気がつかなかった。
足音(二)
一
(静かな正月だ)
竜太はそう思い、
(いや、静かというより、淋しい正月だ)
と、茶の間から門の外を見る。
北森質店は商店街のすぐ傍《そば》にあったから、竜太の少年の頃には、その買物客の賑《にぎ》わいは、通りをちょっと入った竜太の家にも、一日中聞えていたものだ。
(昭和十六年正月三日か)
質屋はまだ休店である。もうそろそろ芳子の来る時間だと、竜太は腕時計を見た。三時になろうとしている。今日は竜太の家の奥座敷に、東京から帰省している真野楠夫と、その妹の佳世子、竜太の姉の美千代、弟の保志、そして竜太と芳子が集まる筈《はず》だった。少し遅れて五時すぎには坂部先生も来ることになっている。その場で竜太は、今年芳子と結婚することをみんなに告げるつもりだった。むろん坂部先生夫妻に仲人に立ってもらうことは、去年のうちに頼んである。それだけに、芳子の来るのがひどく遅く思われた。約束は三時半なのだから、決して遅くはないのだと気づいて、竜太は苦笑した。
と、その時、いつの間に来たのか、楠夫が竜太の傍に立った。竜太はその楠夫を見た。楠夫は竜太の脇《わき》腹《ばら》を突ついて、
「来たぞ」
と、門の方を指さした。竜太は思わず息をのんだ。島田に結った芳子が、黒い角《かく》巻《まき》を形よく着て、ちょうど門を入って来るところだった。竜太には芳子の日本髪姿は初めてだった。そのつややかな黒い髪と、蠱《こ》惑《わく》的な黒い瞳《ひとみ》と、黒い角巻との調和が、得《え》も言われぬほどに美しかった。ふつう若い娘たちは、煉《れん》瓦《が》色か、えんじ色の角巻を着るのだが、着こなしのうまい娘たちの中には、黒い角巻をシックに着こなすものもいると、話には聞いていた。しかし今見る芳子ほどに、黒の角巻の似合う若い女性を、竜太はまだ見たことがなかった。竜太は強い電流が背筋を走ったような衝撃を覚えた。楠夫が、
「竜ちゃん、芳子の奴《やつ》、凄《すご》いいい女になったなあ」
と、気をのまれたように言った。
芳子が政太郎とキクエに新年の挨《あい》拶《さつ》をして、みんなのいる奥座敷に入って行くと、思わずみんなが歓声を上げた。
「うわあ、きれい!」
佳世子が声を上げると、
「芳子ちゃんって、こんなに日本髪が似合うと思わなかった」
と、美千代も讃嘆した。竜太も保志も黙って何も言わない。
「驚いたなあ、芳子ちゃんには。なあ竜ちゃん」
楠夫が言いながら、竜太の肩を叩いた。竜太はどんな顔をしていいか、わからなかった。いつも芳子はスーツを着ている。それはどこの学校の教師たちも着ているグレーか紺か薄茶の、地味な服装だった。それがいきなり日本髪姿で着物を着ているのだ。そしてそれが心憎いほど似合うのだ。竜太は何か気《け》圧《お》される思いだった。今年この芳子が、花嫁姿となって自分の横に坐るのかと思うと、俄《にわ》かに結婚が目前に迫ったような、切迫した気持になった。
佳世子がみかんを盆に盛って台所から運んで来た。楠夫がすっと手を伸ばしてみかんを一つ取った。と、そのみかんを、楠夫は向かい側に坐っている美千代に差し出した。つづいて取った一つを芳子に差し出した。竜太はちょっといやな顔をしてうつむいた。
そんな竜太にはそ知らぬ顔で、楠夫は明るい声で言った。
「人生五十年って言うけどさ、ぼくは今年、その五十年の半分の、二十五歳になったわけだよ、美千代さん」
「あら、そう。そうね、あんた竜太とおんなじ齢《とし》だから……ということは保志が二十四、佳世子ちゃんが二十三になったということね。みんな結婚適齢期じゃないの」
「ぼくはまだ早いよ」
保志がニヤニヤした。楠夫がみかんの皮を剥《む》きながら、
「けど、二十五は男の厄だよな」
と、竜太の顔を見た。竜太は、楠夫が何を言い出すのか見当がつきかねて、曖《あい》昧《まい》に相づちを打った。楠夫は平気な顔で、
「美千代さん、ぼくねえ、今日ここの家に来る途中、つくづくと何を考えて来たかわかるかい?」
と尋ねた。
「さあね、今年お嫁さんをもらいたいなあなんて、考えてきたんじゃない? あんたの会社、この頃景気がよくなっているって聞いたから……」
「そりゃあ嫁さんももらいたいけどさ。芳子ちゃんみたいなひとをね。でもぼくが考えてきたのは、ぼくと佳世子にとって、北森家ってのは、実にありがたい存在だということだよ」
「へえー、北森家がありがたい存在だって?」
美千代は怪《け》訝《げん》な顔をして、
「いったい何がありがたいのよ?」
と楠夫を見た。
「おれたちと君たちとはいとこだろう。年齢も近いし、家も近い。いつも行ったり来たりしてさ。遊んだり、喧《けん》嘩《か》したり、勉強したり、泊まったり泊められたり、まるできょうだいみたいなもんだった。もし北森家がなかったら、ぼくと佳世子のたった二人っきりさ」
言われてみれば、竜太にしても、楠夫と佳世子がいつも家に出入りしていてくれたことは楽しいことだった。
「ぼくね、本当のこと打ち明けようか。ぼくの小さい時からのあこがれの人は、美千代さんだった」
楠夫は真っすぐに美千代を見た。美千代は弾《はじ》けるように笑った。が、竜太は笑わなかった。
「楠夫ちゃん、あんた、まさか、昼間からお酒飲んで来たわけじゃないでしょうね」
美千代が遠慮なく言った。楠夫が、
「な、この言い方、本当のお姉さんみたいだろ。そういうものの言い方をする姉さんみたいな存在って、こりゃあ竜ちゃんにはわからんだろう」
「わからんこともないが……」
竜太は姉のような存在と、姉という存在の差を思った。姉のような存在のほうに、甘い青春が隠されているような気がした。楠夫は二つ目のみかんに手をつけて、
「美千代さんって、学校でも目立つ存在だったよな。級長をしていて、きれいな声で号令をかけたりして。学芸会で踊ったりして、人気があった。おれ、あのひとの親戚だぞって、心の中で誇らしく思ったもんだ。だから、嫁に行かれた時は淋しかった。『誰か故郷を想《おも》わざる』の、
ひとりの姉が 嫁ぐ夜に
小川の岸で さみしさに
泣いた涙の なつかしさ
っていう奴さ。あれ? ぼく、なんでこんなこと話し始めたんだ」
それまで何も言わずにいた芳子が言った。
「とってもいいお話ね。楠夫さんらしくない、って言ったら失礼かしら。ちょっとしみじみした話だから、二十五歳の厄年に気をつけてよ」
楠夫に向けられていた芳子の目が、竜太に向けられた。妖《あや》しく光る目だった。竜太は言い知れぬ幸せを感じた。ひとしきり話をしたあと、みんなはかるたをして遊んだ。竜太と楠夫は、小学校時代からかるたの好敵手だった。保志も素早い。芳子は保志より更に鋭かった。まず美千代が読み手となった。竜太、楠夫、保志、佳世子、芳子の五人に、政太郎が入ったり、キクエが加わったりして、しばらく賑やかな時間が過ぎた。その間、楠夫は幾度芳子の手の上に自分の手を重ねたことか。それは誰が見ても不自然なほどだった。
かるたの札を片づけた頃、坂部先生が入って来た。坂部先生は大きなマスクを外しながら、
「十二月の半ば頃に引いた風邪が長びいてね。用心のために、こんな大きなマスクをかけているんですよ」
と笑った。竜太は、先生が少し痩《や》せたようだと気にかかった。坂部先生はストーブの傍にいる美千代から順に、一人一人の顔に目を注《と》めてから、
「いや、みんな元気だね。おめでとう」
と、ストーブの近くに坐った。竜太は自分が生徒であった時、坂部先生が毎朝生徒たちの顔をしっかりと見つめてから、「お早う」と挨拶をしたことを思い出した。坂部先生に一度も顔を見られずに一日が終るということは、誰にもなかった。竜太は懐かしかった。
「やっぱり坂部先生はいいな。な、竜ちゃん」
楠夫が快活に言う。
「うん。坂部先生はいい」
竜太が不器用に答えた。芳子はくすりと笑って、
「竜太さんったら、いつも坂部先生は日本一だってほめているのに、なぜそう言わないの」
竜太は頭を掻《か》いた。美千代は坂部先生にお茶を差し出しながら、
「芳子ちゃん、竜太のそんなところが、好きになったんじゃないの」
と、さらりと言った。楠夫は驚いて、
「おいおい、そんなおおっぴらな仲なのか」
と言ったので、みんなが笑った。坂部先生が、
「今年はいい年になりそうだよ。な、竜太、芳子」
情《じよう》のこもるまなざしだった。竜太と芳子は顔を見合わせ、芳子が目顔で竜太を促した。
「実はね、楠夫君、坂部先生に仲人をして頂いて、今年中には式を挙げたいと思ってるんだ」
と、また頭を掻いた。
「なあんだ、がっかりだな。今日の芳子ちゃんのきれいだこと。おれは一度下りたけど、大いにハッスルしていたところなんだ。そうか、竜ちゃんにしてやられたか」
本当にしょげたような顔をしたので、みんなはもう一度笑い、当の楠夫も誰よりも大きな声で笑った。
「やっぱり、二十五は男の厄年だよ、先生。まあ、いいや、竜ちゃんも厄年だ。竜ちゃんの厄年は、おれがまとめて背負ってやるよ。いい亭主になるんだぞ」
真《ま》面《じ》目《め》な声だった。竜太はちょっと胸が詰まった。
「ありがとう。これもみんな、坂部先生や、美千代姉さんや、楠夫君などのおかげです。芳子さんの両親も、ぼくの両親も理解してくれたし……」
「じゃ、景気よく今日は歌でもうたって、祝うことにするか。残念無念だけど……」
楠夫はひょうきんな表情で言った。一番先に坂部先生がみんなに乞《こ》われて立った。
「風邪が治ったばかりで声の調子は悪いけど、ではご所望の三《み》木《き》露《ろ》風《ふう》の『ふるさとの』をうたおうか。竜太にはかなわんけどね」
みんなが大きく手を叩いた。美千代が言った。
「お酒も入らないうちに?」
「お酒ったって美千代さん、飲むのはおれと保志だけだよ。伯父さんもほとんど飲まんしな。坂部先生はアーメンだし……まあ先生、頼みます」
ふるさとの 小野の木立に
ふえの音《ね》の うるむ月夜や
坂部先生の声はいつもより小さかったが、切々たる哀感がこめられていた。過ぎし日の恋人を恋うる想いが、聞く者の胸に沁《し》みた。
…………
十《と》年《とせ》経《へ》ぬ おなじ心に
君なくや 母となりても
坂部先生がうたい終ると、美千代が袂《たもと》から白いハンカチを出して目に押し当てた。
「涙が出るわ、いつ聞いても」
「ほんとうに。わたしもよ」
芳子もやさしく言った。坂部先生は首を撫《な》でて、
「こりゃあすまんことをしたね、お祝いにうたって泣かせるとは」
と、竜太と芳子の顔を半々に見た。いたわり深いそのまなざしが竜太にはうれしかった。佳世子が言った。
「でもね先生、花嫁さんの歌って、どうして悲しいのが多いのかしら」
と、子供の頃と変らぬ愛らしい口をひらいて、
「『きんらんどんすの帯しめながら、花嫁ごりょうはなぜ泣くのだろ』だって、『雨ふりお月さん』だって、『一人で傘《からかさ》さして行く』だって、あんまり楽しくないわ」
と、歌をまじえながら言った。
「それはなあ佳世子、たとえばこういうことよ」
と、楠夫がうたい出した。
きんらんどんすの 帯しめながら
花嫁御寮は なぜ泣くのだろ
あんまりうれしくて
泣くのでござる
美千代も芳子も佳世子もふき出した。
(楠夫って、いい男だな)
と竜太は思った。竜太も促されて立ち上がった。
「去年の歌ですが『紀元二千六百年の歌』をうたいます」
昨年昭和十五年は、日本の紀元二千六百年を祝う年であった。その記念の歌として作られた歌を、全国の小学校、中学校を始め、国民がみなうたった。
金《きん》鵄《し》輝く 日本の
栄《はえ》ある光 身にうけて
いまこそ祝え この朝《あした》
紀元は 二千六百年
あゝ一億の 胸はなる
いつしかみんなも声を揃《そろ》えてうたっていた。
荒《すさ》ぶ世界に 唯一つ
揺がぬ御代に 生い立ちし
感謝は清き 火と燃えて
紀元は 二千六百年
あゝ報国の 血は勇む
活気が部屋の中に満ち満ちた。が、この歌を坂部先生だけはうたわなかった。坂部先生の風邪が充分に治っていないのだと竜太は思った。歌は次々に出た。「湖畔の宿」が出た。「蘇《そ》州《しゆう》夜曲」がうたわれた。「上海《シヤンハイ》の花売娘」がうたわれ、「愛馬進軍歌」がうたわれた。
次の間《ま》の襖《ふすま》がひらかれた。そこには皿に盛られたちらしずしが用意されていた。米が配給制になってから、油臭い外米が配給されていた。今夜のように白米を豊かに使ってのちらしずしは、実に豪華だった。番頭の家が農家で、時々自家用米を運んで来てくれるのだった。
「ま、今日は目出たい日だから……」
みんなが大盛りのちらしずしに驚いていると、キクエがそう言って勧めた。
「うまい!」
保志がひと口食べて大声を上げた。「うまい、うまい」と誰もが言った。と、楠夫が、
「いや、伯母さん、複雑な味だじゃ」
と言ってみんなを笑わせた。遠慮なくお代りなどして食事が終ると、政太郎とキクエは茶の間に引き上げ、女たちが後始末に台所に立って行った。楠夫が言った。
「坂部先生、ところで戦争はどうなるんですか」
床の間の柱に背をもたせた坂部先生は、
「さあ、よくはわからないが、何しろ昨年の八月にはキリスト教の各派は一つにされてしまってね。純正日本キリスト教会として進むように政府から勧告されたからね。思想を一つに方向づけるというのは、これはやはり戦争に本腰が入ってきたということじゃないかな。あんまり大きな声では言えないがね」
「大丈夫です。な、楠夫君、保志」
「もちろん。うっかりしたことを言うと、言論の統制にひっかかりますからね。ぼくたちも用心深いですよ」
「それは信じているよ」
坂部先生は笑って、
「去年、政党が次々に解党しただろう? そして十月には大《*》政翼賛会が発足した。政党政治の国家が、政党を解党するということは、これも国力を一本に絞るための、大変な変革だ。国民の生活もだんだん苦しくなるんじゃないか。去年の四月には石炭の統制が始まっただろう。米はむろん配給だし……」
「ああそうだったかなあ」
保志はのんきに言った。竜太も下宿住まいの身では、その点敏感ではなかった。特に幌志内では炭鉱会社の子弟をあずかる教師たちには、米の配給もゆるかったし、石炭一トン一円などと、ほとんど只のような価格で手に入れていた。しかし砂糖が配給制になったのは、甘いものの好きな竜太には痛かった。菓子屋の店頭に常時菓子が並んでいることはなくなった。重曹臭い南瓜《かぼちや》入りのパンなどが手に入れば運のよいほうだった。
戦争というものは、あっという間に品物が店頭から消えてゆくものだと竜太は実感したが、しかしまだまだ日本が世界の中で、どのように動いていくのかわからなかった。むしろ東京にいる楠夫のほうが、生活のきびしさに敏感だった。町内会が組織され、町内会長に強い権限が与えられ始めていた。
「これも大きな声じゃ言えないが、物資の配給制を取るということは、つまり日本に物資が不足してきている証拠でね」
竜太は坂部先生の言葉を聞きながら、自分に呆《あき》れていた。新聞もろくに読まず、自ら食糧を手に入れるということもなく、世の移り変りに、何とのんきに対していたことか。
「バスの燃料だって、ガソリンを減らして、木炭で走らせているだろう」
炭火を長い筒に入れ、ガスを発生させてバスを走らせていたのだ。
「木炭バスか」
竜太は腕を組んで、今更のように呟《つぶや》いた。バスを走らせるガソリンにも事欠くということは、戦闘機を飛ばすガソリンが不足しているということではないのか。にもかかわらず、木炭バスとは新しい発明のようにさえ、一般には受けとられていた。それを竜太が言うと、坂部先生は深くうなずいて、
「そうなんだよなあ。みんなそんな程度に思ってるんだよ。竜太ばかりじゃない。日本人のどれほどが、日本の姿に切実に心を痛めているか。となるとこれまたのんきなんだ。何しろ戦争だ戦争だと言っても、敵機がまだ一機も日本の上空に現れているわけではないんだからねえ。わたしが心配してるのはね、去年の九月に、日、独、伊の三国同盟の調印がなされたろう。以来、アメリカとの間がどうもうまくない。このアメリカが今後どう出てくるか、心配なことだよ」
坂部先生の表情は深刻だった。
二
正月九日の午後、竜太は幌志内の下宿に戻って来た。その夜は当直だったからだ。
「当直などぼくが代ってやるよ。わざわざ旭川から出て来ることはないですよ」
と、沖島先生が言っていたが、竜太の教え子の一人が風邪をこじらせて近くの炭鉱病院に入院していた。その子を見舞ってやりたい思いもあった。それに第一、教え子たちの住む町を一カ月近くも離れていることに、竜太は耐えられなかったのだ。それは幼子を人に托《たく》して、旅する母親の気持に似ていた。たとえ学校は冬休みでも、すぐに飛んで行ってやれる距離に自分を置きたかった。だから九日の夜が当直であることは、竜太には幌志内に帰ることのできる正当な口実でもあった。
夕食を早めに終えて、竜太はストーブの傍にあたためておいた丹前を、唐草模様の風呂敷に包むと、それを抱えて下宿を出た。珍しく秋子の父母たちが顔を揃えて、玄関まで送って来た。青年学校の教師をしている秋子の母親は、いつも勤務時間が夕刻だったから、ゆっくり顔を合わせる機会が少なかった。しかし秋子と同様朗らかな秋子の母は、
「来年の正月は、奥さんと一緒ですね」
と、竜太の背中を軽く叩いた。茶の間で酒を飲んでいた沖島先生が、
「そうだそうだ。あの別ぴんさんが、来年の今頃は家の外まで出て、手をふってくれるさ」
と、のんびりと言った。竜太は誰へともなく、
「どうも……」
と口ごもり、
「じゃ、行って来ます」
と、風呂敷包みを持ち直した。
今日幌志内に着いて、駅からまっすぐに、竜太は教え子の渡部愛子を見舞った。愛子の容態は思ったよりよくなっていて、肉親の付添いはいなかった。
「今度来る時、折り紙持って来て、先生」
と甘えて言った。
「よし、折り紙か。そうだ、先生の下宿に、珍しい折り紙があるから、明日持って来てやるからな」
明日と聞いて、愛子は目を輝かして言った。
「あした!? わあ、うれしい。ほんとにあしたなのね」
「うん。旭川に帰る前に必ず届けるからな。元気出して頑張れよ」
愛子は、一年から持ち上がりの、人なつっこい生徒だった。
「先生、指切り。うそいったらぜっこうだよ」
「絶交か。おっかないな」
竜太はうれしそうに笑い、病室を出て来たのだった。
竜太は道を急いだ。日直教師との交替時間は五時半なのだ。一日中人けのない広い学校で、留守を守らねばならない日直も大変な仕事だ。学校に着くとすぐ、当直者は日直者と共に全校を巡視して廻《まわ》る。それが終った頃、芳子から電話がかかってくることになっている。自然に足が速くなる。寒気が強くなって、踏む雪がきしきしと軋《きし》む。まるで澱《でん》粉《ぷん》を踏むような音だ。
竜太はふと立ちどまった。うしろから誰かが従《つ》いて来るような気がした。ふり返ると、いつも見《み》馴《な》れた人々の往来があるだけだった。タコ帽子をかぶった男の子が一人、竜太の傍を素早く駆けぬけ、街灯の下を走り去った。低学年を受持つようになってから、どうしても同じ年齢の子につい目がいってしまう。
竜太は再び風呂敷包みを持ち直して歩き出した。竜太はこの軋むような雪の音が好きなのだ。ようやく幌志内小学校の校門にさしかかった。裏山を背に校舎が黒々と夕《ゆう》闇《やみ》の中に建っていた。ひとところ職員室の窓だけが灯《あかり》を点《とも》して明るい。冬休みのさ中とはいえ、奉安殿のまわりだけは整然と除雪されている。竜太はきちっと姿勢を正し、生徒に教えるとおり、九十度の最敬礼をした。と、その時だった。
「やあ、お晩です、北森先生」
聞き覚えのある男の声がした。ふり返った竜太は、
「ああ部長さん、お晩です」
さわやかに答えた。下宿に近い駐在所の巡査部長だった。朝に夕にその駐在所の前を通って、竜太は学校に通っていた。
「寒いですね、お仕事ですか部長さん」
竜太はいつもの語調で問いかけた。
「はあ、仕事です」
巡査部長はややそっけなく言って、雪明りの中に竜太を見据えた。
「それはご苦労さんです。わたしもこれから当直です。それで丹前と枕カバーを持ってやってきたところです」
竜太は軽く笑った。巡査部長の目が光った。
「お忙しいところをすみません。実はちょっと駐在所までお越し願えませんか。先生にお聞きしたいと、本署から署員が来ているもんですから」
「え? 本署から? しかし、わたしは今夜宿直でして……日直の先生も待っておりますし」
竜太は内心無礼だと思った。
「いえ、ほんのちょっとの時間です。お手間は取らせません」
巡査部長はていねいに頭を下げた。
「じゃあ、この丹前を宿直室に置いて来ます。日直の先生に断ってこなければなりませんし……」
行きかける竜太の手を、巡査部長は意外に強い力でおさえ、
「今は只、わたしと共に来て下さればいいんです。すぐですから」
「しかしですね、そんなちょっとしたことなら、丹前を宿直室に置いて来るぐらい、何でもないじゃありませんか。それに、旭川から電話がかかってくることにもなっているんです」
「わかります、わかります。しかしまあ、今日は本官と共に、急いで頂きたい」
俄《にわ》かに威圧的な声になった。その時初めて竜太は、自分が警察にとっておもしろからぬ人物と見なされているのではないかと気づいた。
「必ずすぐに終るんですね」
竜太は念を押さずにはいられなかった。
「終る筈です」
いつもの顔馴じみの巡査部長とは思えぬ声だった。
いたし方なく竜太は、巡査部長と肩を並べて駐在所に向かって歩き出した。
駐在所までの一キロ近い道が、竜太にはひどく遠く思われた。何を調べられるのかも心配だが、日直の教師が時計を見い見い、自分を待っている姿が思われて、気が気でなかった。なぜ一、二分ですむ日直者への連絡を、この巡査部長は許してくれないのか。もし許してくれれば、芳子への言《こと》伝《づて》も頼み得る筈なのだ。日直者を何分待たせることになるのか。竜太は自然無口になって歩いて行った。
ようやく駐在所に着くと、竜太は奥の四畳半の部屋に入れられた。本署の署員が待っていると聞かされたが、意外に若い私服の男が二人その小部屋の中にあぐらをかいていた。
「北森竜太をつれて来ました」
巡査部長が言った。
「ご苦労」
上席らしい刑事がよく光る目で、竜太をじろりと一《いち》瞥《べつ》した。竜太はいやな気がした。今まで、このような目で人を見る人間に、竜太は会ったことはない。
「あのう……」
おずおずと竜太は口をひらいて、
「何かお尋ねになりたいことがおありとか……」
その刑事はあごのあたりを二、三度撫でてから、
「話は本署に行ってから聞く」
と、宣言するように言った。
「本署!?」
幌志内には駐在所しかない。本署といえば、滝《たき》川《かわ》か砂《すな》川《がわ》か、それとも深《ふか》川《がわ》か、あるいは岩《いわ》見《み》沢《ざわ》かと、竜太は頭の中で忙しく思いめぐらせながら、
「でも、わたしは今夜当直なのですが……」
「そんなことは、言われなくてもわかっている!」
刑事は声を低くした。その低い声が無気味だった。
「北森さん、わたしは刑事だよ。今日あなたが当直か当直でないかぐらい、知った上でお出《い》で頂いたんだ。あんたには女教師の婚約者がいることも、よくわかっておる。まあ、悪いようにはしないですよ。おとなしくご同行願います。そこで聞かれたことを、正直に答えて下されば、すぐに帰して上げますよ」
「じゃ、わたしは、その本署とやらに行かねばならないんですか?」
「あ、終列車でね。わたしたちと友だちのような顔をして乗ってくれればいいんだ。わたしが警察の者であること、あなたが警察に連行される途中であることなどは、人に知られないほうがいい」
三十五、六と見えた顔が、俄かに四十七、八とも見えた。
「刑事さん、本署に行くのはかまいません。しかし病院に入院している生徒と約束したんです。明日必ず折り紙を持って来てやると」
「折り紙?」
刑事の口が歪《ゆが》んだ。
「はい。指切りしたんです。必ず持って来ると。うそを言ったら絶交だとその子は言いました。炭鉱病院はすぐ傍です。これから届けてやるわけにはいきませんか」
「いかんね」
「しかし、あの子は折り紙をわたしが持って行くことを、それは楽しみに待っているんです。子供との約束は破れません」
渡部愛子の小豆のような小さな目を思い浮かべて、竜太は泣きたくなった。
その夜竜太は、誰に別れを告げる暇もなく、幌志内駅から私服刑事と共に発《た》って行った。
大政翼賛会 近衛文麿を中心に主導された新体制運動から生まれた国民統制組織。大日本婦人会、隣組などを末端組織として、国民生活のすべてを統制した。一九四〇年十月に結成され、既成政党は解党して参加した。
特高室
一
竜太が二人の刑事に連行されて、岩《いわ》見《み》沢《ざわ》本署の、「取調室」と小さな木札を掲げた一室に入ったのは、もう九時半になろうとする頃だった。八畳程の特高室の片隅に頑丈な机が据えられてい、その上に一人の警官が、林《りん》檎《ご》箱から本を出して積み上げているところだった。
椅《い》子《す》に坐らされた竜太はそれをぼんやりと眺めた。来る途中の汽車の中で、竜太は只、
(何のために警察に挙げられたのか)
と、繰り返し思っていた。今夜は宿直勤務のために、あの幌《ほろ》志《し》内《ない》小学校の宿直室に、一人静かな夜を過ごす筈であった。それが急転直下、いかなる理由からか、無理矢理岩見沢の本署まで引っ張られて来たのだ。
(芳子からは約束どおり電話がきたにちがいない)
芳子は約束の時間を必ず守るのだ。自分が電話に出ないことを知ったら、どんなに心配することか。何か事故があったと察して、急《きゆう》遽《きよ》姉の美千代に告げるにちがいない。芳子の家には電話がないから、美千代の店の電話を芳子はいつも借りることにしている。美千代と芳子の不安な顔が目に浮かぶ。とりあえず居場所だけでも知らせてやりたいと思いながら、
(しかし、ここまで送って来た刑事たちは、すぐに帰すと言っていたわけだから……)
と、思いなおす。竜太は人の言葉を、そのまま真っすぐに受入れる性格である。まして警官が口に出して言った言葉だ。守らぬわけはないとも思った。
(それにしても、どうしてこんなに仰々しく事を運ばねばならぬのか)
竜太には不思議でならなかった。すぐに帰してくれるものなら、学校の宿直室で尋問してくれてもいいではないか。なぜ本署まで連行されねばならないのか。さすがに不安だった。
竜太の家は質店である。小学校に入る前から、竜太の家には始終張りこみの刑事が来ていた。どこかに盗難事件が起きると、犯人は必ずと言ってもよいほど、古着屋や質屋に現れる。その現れるのを待つ間、刑事たちは幼い竜太や保《やす》志《し》を相手に、おもしろい昔話を聞かせてくれたり、将棋を教えてくれたりしたものだった。
そんなふうに刑事に馴《な》れていた竜太だが、岩見沢まで竜太を連行した特高刑事たちは、竜太の知っている刑事たちとは、全くといってもいいほどちがっていた。竜太を見る目が鋭い、というより冷たい。言葉が嵩《かさ》にかかっている。全然ちがうのだ。
(まさか、三学期が始まっても帰さない、などということはないだろうな)
黙りこくっている二人の刑事を見ながら、竜太の胸を新たな不安がよぎった。そしてその不安が、俄《にわ》かに大きな黒い塊のように、じりじりと竜太に迫るのを感じた。
(おれは何も悪いことをしてはいない。恐れる必要はない)
そうは思ったが、却《かえ》って不安は大きくなった。そんなことを繰り返し思う竜太の頭の中は、今何かが一杯詰められているようでもあり、また全く空白でもあるようだった。その竜太が、机の上に積み上げられた本を見てはっとした。それが自分の本であることに気づいたからだ。
(なぜおれの本が!?)
証拠物件として押収されたと知るまでに、ちょっと時間がかかった。身に覚えのない竜太にとって、まだ自分が被疑者として扱われていることに馴れてはいなかった。
呆《ぼう》然《ぜん》と机の上の本の山を見ている竜太に、
「やあ、待たせましたな」
と声をかけ、取調室に入って来たのは、五十近い男だった。ぱりっとした茶色の背広を着ている。笑うと目《め》尻《じり》に皺《しわ》が寄って優しく見えた。
「わたしは特高主任の海《かい》堂《どう》です」
竜太は椅子から立ち上がって礼をした。その優しい笑顔に、竜太は幾分気持がほぐれて言った。
「すみませんが、お電話を拝借できませんか」
海堂も、竜太を連行して来た二人の刑事も、竜太の本を机に並べていた若い警官も、思わず顔を見合わせた。連行して来た若い刑事が、
「電話ぁ?」
「はい。うちにちょっと連絡したいことがありまして……」
「この馬鹿野郎!」
みなまで言わせず、その刑事は床を蹴《け》った。竜太はきょとんとした。特高主任はその若い刑事を抑えるようにして、
「実はあなたは、上司の命令によって検挙された被疑者です」
と、一通の書類を胸のポケットから取り出した。竜太の目に、
「北森竜太、右の者治安維持法被疑事件被疑者として拘引す」
の文字が飛びこんだ。わけても、「治安維持法違反」の文字が、竜太に大きく迫った。竜太は足もとから血が引くのを感じた。
つい一週間前の一月三日、竜太の家に坂《さか》部《べ》先生や芳子、楠《くす》夫《お》兄妹などが集まって、楽しいひと時を持った。その時何かのことで、保志が坂部先生に尋ねた。
「先生、治安維持法って、何ですか?」
この治安維持法という語は、誰もが時折聞いてきた言葉だった。しかし竜太は、自分と特別関わりのあるものとも思えないので、心にとめて聞いたことはなかった。新聞さえめったに読む暇のない竜太には、
「治安維持法で何人検挙」
などという記事などを時に目にしたとしても、それは別世界のことだった。治安維持法のみならず、特高という言葉も、竜太の生活には何の関わりもなかった。何か思想を取締る係らしいと知るだけで、それがどのように恐ろしいものかということは、何も知らなかった。それは竜太と同じ時代に生きる若者たちのごく普通の感覚であって、竜太だけが世事にうといということではなかった。
保志の問いに坂部先生はちょっとむずかしい顔になったが、
「ぼくも詳しくはわからないけどね、要するに思想の統制だね。日本の治安を維持していくために、当局が最も神経質になっているのは、国民の思想だと思う。人間は本来、どんな思想を持っても、咎《とが》められてはならないんだよ。人間はそれぞれの思想を持つところに、人間の尊さがあるとぼくは思うよ。
しかし政府としては、他国と戦争をするのに、そんなのんきなことは言っていられない。治安維持法で最もきびしく……というか、重点的に力を入れているのは、私有財産と国体の護持だろうね。つまり天皇制と私有財産を否定する思想には、とても神経質になっている。むろん治安維持法には、その他いろいろな決まりがあるだろうけど、当局が特に目を光らせているのは、この二つだろうね。ま、そんなぐらいは知っていてもいいかも知れないな」
保志は大きくうなずいたが、竜太は軽い気持で聞き流した。竜太は教師である。教室の壁には、
「皇国民の錬成」
と刷られたポスターが貼《は》られてあって、竜太は何の疑いもなく、自分は皇国民を教え育てているのだという思いに燃えていた。日本人として、到底天皇制の否定などという思想に賛成するわけにはいかないと信じている。これは竜太のみならず、ほとんどの教師もそう信じて生徒たちを教えているのだ。時には校長、教頭の強引なやり方に批判の目を向けることがあったり、不満の陰口をきくことがあるにせよ、それを問題にするような、そんな空気はそうたやすく生まれるものではなかった。現に多くの男たちが兵隊に行く。そして多くの男たちが遺骨となって帰って来る。そうした現実を、誰もが心をひきしめて見つめていた。
「日本の軍隊は天皇陛下の軍隊であります」
とか、
「日本の国土は、たとえ一坪でも陛下の土地であります」
と、校長の説く言葉に、反発する者は誰もいなかった。
だから坂部先生から治安維持法がどのようなものであるかを説かれても、現実にそんな思想と関わる心配はないように思われた。
坂部先生の言葉に、保志はその時更に尋ねた。
「なあんだ、そういうことですか。けどね先生、もしその法律に引っかかったら、どんな罰をくらうんですか」
「うん。それがきびしいんだ。確か、死刑または無期あるいは五年以上の懲役だと聞いたな」
「へえー、死刑!? そんな……思想を持っただけで死刑?」
保志はびっくりして目を剥《む》いた。竜太もさすがにどきりとした。
「ああ、そういう思想を持っただけでも死刑になるかも知れないんだ。そういう思想の会に加入しただけでも、同様の厳罰をくらうらしい」
坂部先生は珍しく暗い顔をした。
そのことを竜太は今、鮮やかに思い出したが、特高主任の海堂は顔色を変えた竜太を見て言った。
「まあこれからぼちぼち調べさせていただきましょう。その前に、まず腕時計、ポケットに入っている物いっさい、そしてズボンのバンドをお渡しねがいますか」
「え? ズボンのバンドもですか?」
特高主任の言葉に、竜太は聞き返した。と、若い刑事がやにわに大きな声を出した。
「いちいち聞き返すな! 言われたとおりにすりゃあいいんだ、言われたとおりに!」
と、テーブルを叩いた。主任が笑って、
「いや、ご不審はもっともです。留置場内で、時に自殺などの事故が起きることがありましてね。それでズボンのバンドを預かる定めになっております」
竜太はうなずいてバンドを外し、若い刑事の前に丸めておいた。
「畜生! 鰐《わに》皮《がわ》のバンドなどをしやがって」
姉の美千代から、この間新年の挨《あい》拶《さつ》に行った時、「使ってちょうだい」と言われてもらった上等のバンドだった。その「使ってちょうだい」と美千代の言った言葉が、見事に無になろうとは、つい今の今まで思いも寄らなかった。
バンドを外された竜太は、両手でズボンを持ち上げながら椅子に腰をおろした。バンド一本取り上げられただけで、不意に竜太は自分が思いもかけない惨めな立場に立たされたことを思い知らされたような気がした。
(何もバンドまで取り上げる必要はあるまいに……)
これは取調べる側が一挙に有利に立つための心理作戦だと、竜太は気づいた。
特高主任は、ズボンを両手でおさえている竜太の様子を、ゆったりと腕を組んで眺めていたが、
「ま、そういうわけで、ここから家に電話をかけることなども許されておりません。いや、電話のみならず、手紙を書くことも、また手紙をもらうことも、当分の間禁止ですな」
「え? 手紙をもらうことも出すことも、いけないんですか。どうしてですか」
途端に、またしても若い刑事が大声で言った。
「そういう決まりになっているんだ! 退屈だからって女に手紙を書こうたって、そうはさせんぞ」
竜太は黙ってその刑事の顔を見た。
(どうしてこの男は、いちいち意地の悪い言い方をするのだろう。ふだんの生活の中でもこんなものの言い方をするのだろうか。それとも、大声を出すのがこの男の役なのか)
ちらりとそんな思いが胸をよぎった。そういえば、竜太の店に詰めていた刑事たちが、拳《げん》骨《こつ》係と飴《あめ》玉《だま》係があると話していたことがあった。一人が怒鳴り、一人が優しげな声を出す。取調べは、それが交互になされて進んでいくのだと聞いたことがあった。
特高主任が言った。
「あ、それから、しばらくは接見も禁止です。当分娑《しや》婆《ば》の風にあたることはできませんな」
優しい声だが恐ろしいことを言った。竜太は自分が、人々と絶縁状態に置かれねばならぬほどの罪人とは思えなかった。竜太は尋ねた。
「いったいぼくは、何日ぐらいここにいるのですか」
若い男がいち早く答えた。
「そんなことは調べてみなけりゃわからん。尋問に協力的に答えれば三日で帰れる者もあるし、協力的でなければ検事局送りになるかも知れん」
検事局が何か、竜太にはよくわからなかった。特高主任は、
「まあ、そう案ずるには及びませんよ。警察だって、人間の世界です。鬼などはおりません。なあ寒崎君」
と笑った。寒崎と呼ばれた若い刑事は頭を掻《か》いて、
「しかし主任、相手の出方によっては、蛇《じや》にもなれば鬼にもなりますよ。ま、これは極端な話ですがね」
と、竜太をじろりと見た。竜太を連行して来たもう一人の発《はつ》田《た》刑事は、積み上げられた竜太の本の背表紙を点検していたが、
「蛇にもなれば鬼にもなるか」
と、自嘲的な口調になって寒崎を見た。寒崎は発田の言葉を無視して、相変らず突っけんどんな言葉で竜太に言った。
「おい、北森、あんた外では先生だったが、ここじゃもう先生でも何でもないんだ。疑いの目で見られている危険人物だ。それをよく腹に据えて、われわれとつきあってみるんだな。主任、今夜は遅いから、型通り、本籍、住所、氏名を確認して、それで終りですね」
「まあそうだね」
主任は小さくあくびをしながらうなずいた。部屋の片隅にある貯炭式のストーブが、今になってゴーッと音を立てて燃え出した。
ひと通りの確認が終ると寒崎は、
「じゃ今から別荘に案内するか」
と、立ち上がった。竜太はズボンを両手でおさえたまま、誰へともなく、
「では、おねがいします」
と軽く頭を下げた。と、特高主任の海堂は、ふと気づいたように竜太に訊《き》いた。
「ああ、あのね北森君、あんた昭和十三年三月二十四日は、どこにいて、誰と何をしていたか、記憶しているかね」
と、やや厳しい表情を見せた。
「昭和十三年三月二十四日ですか?」
竜太はちょっと頭を傾けた。いきなり三年前のことを聞かれて、竜太はすぐには答えられなかった。が、寒崎が、せせら笑うような語調で、
「あんたその日、別ぴんさんと札《さつ》幌《ぽろ》まで旅行したんじゃなかったのか」
「札幌まで?」
竜太ははっと思い出した。
「あ、思い出しました」
「あんた女性同伴で、札幌に何しに行った?」
竜太はその日のことをはっきりと覚えている。芳子が綴《つづ》り方《かた》の研究授業をその夏にすることになっていた。芳子の勤める学校の校長の勧めで、芳子は初めて綴り方連盟の会合に出たのである。その芳子と共に、竜太もその会に顔を出したのである。が、会はほとんど終りに近づいていて、少し話を聞いただけで散会になったのだった。
竜太はその日のことを思い出すままに正直に答えた。特高主任が、
「そうかね、それだけだったのかね」
と、竜太をじっと見つめた。その目が竜太を震え上がらせた。今の今まで微笑を湛《たた》えていた特高主任の顔とは、似ても似つかぬ顔であった。主任は立っている竜太に坐れとも言わずにつづけて尋問した。
「あんたはその時、出席者として名前をつらねているね」
竜太は胸がとどろいた。あの時誰かに勧められて記名した。いや、誰かが代りに記名してくれたような気もする。何《いず》れにせよ自分の名が残っていることだけは確かである。しかし、その綴り方連盟と治安維持法と、どんな関わりがあるのだろう。しかも竜太は、あの時以外綴り方連盟とは何の関わりもなく今日まで過ごしてきた。
幌志内小学校は、戦局と共に日に日に転入生徒が増えて、綴り方連盟の熱心な教師と歩調を合わせる時間は全くなかった。竜太は内心ほっとした。
(なんだ、ぼくとは全然何の関係もないことだ)
説明すればすぐにわかってもらえると、竜太は胸を撫《な》でおろした。その竜太の様子を、再び穏やかな顔に戻って見つめていた特高主任は、
「や、今夜はこれまで。寒いから風邪をひかぬように注意して寝て下さい」
と、いたわるように言った。声は優しいが、竜太は先程の別人のような顔が、特高主任の本来の顔のように思われて、薄気味悪く取調室を出た。
二
踏む度にぎしぎしと音を立てる階段を上って、竜太は発田刑事と寒崎刑事に挟まれるようにして二階の留置場の看守室に来た。四十半ばと思われるひょろりと背の高い看守に、竜太を引継いで二人の刑事は帰って行った。
「寒いけど我慢して寝るしかないね」
看守はぶっきら棒に言ったが、竜太には刑事たちとはちがうあたたかさが感じられた。
「丹《たん》前《ぜん》も毛布もないけど、毛布の差入れは何枚でも許されているから、家に連絡するんなら、おれに言うがいい。弁当でも果物でも差入れてもらえるよ」
竜太は不意に涙がこぼれそうになった。ぶっきら棒の中にこもる看守のあたたかさに、胸が衝《つ》かれたのだ。
「いろいろありがとう」
看守は竜太の涙に詰まった声にちょっと驚いたが、
「小便は近いほうかい。便所に行きたい時は、一号の北森、と言っておれを呼ぶとよい。便所さ連れてってやっから」
竜太は看守に連れられて、七つ八つ程並んだ小部屋の一つに入れられた。字の読めないほどの薄暗い裸電灯が天井に点《とも》っていた。洗面所も便所もなく、汚い薄い布団が部屋の隅にあった。椅子も座布団も机もない。幸い床は板敷だったが、両側の壁はコンクリートだった。
「洗面の水は明日の朝持って来てやっから、まあ眠れや。何も考えんと」
人間の声だった。
ドアの上下に小さな窓がついていた。が、これも中からは開けられないようになっている。竜太は幼い時、叱《しか》られて質蔵の中に一度押しこめられたことがあった。その時のことがふっと思い出されて、たまらなく家が恋しかった。
煎《せん》餅《べい》布《ぶ》団《とん》を板敷の床に敷き、同じく薄い布団を掛け、竜太は着のみ着のままで仰《あお》向《む》けに寝た。多くの男たちの、汗とも涙とも、脂ともつかぬ匂いが布団に沁《し》みこんでいた。
(とんだことになったもんだ)
こうなった以上、覚悟を決めるより仕方がないと思いながらも、何とも言い知れぬ情けなさと憤りに、竜太は体を震わせた。
(おれのどこが治安維持法に触れるというのだ。おれが天皇陛下の写真に、子供の時から一度でも欠礼したことがあったか)
(天皇陛下以外の誰かに、日本を治めて欲しいとねがったことがあったか)
(むろん質屋に貧しい者が来た時は、何とかたくさん金を貸してやればいいと思ったりはしたが、それは何も政治的なことではなく、人間なら誰しも抱く、人の情けというものではないか)
(生徒の中には、貧乏人の子も金持の子もいた。だがそんなことで差別をせず、一様に可愛がった。それが悪かったというのか)
寝返りを打つと、薄い敷布団を通して、固い床の感触が、若い竜太の体にも耐え難く痛かった。
(それにしても、手紙を出せない、もらうこともできない。いったいそれはどういうことなのか)
文通もできない立場に立たされようとは、夢にも思わぬことだった。いや、文通どころか、竜太の常に持ち歩いていた手帳さえ取り上げられた。一人メモすることさえ許されぬとは、何と恐ろしい生活であることか。竜太はメモすることが好きだった。メモには常に昨日があり、明日があった。向こう一週間の予定が書きこまれてあった。予定を書きこむという作業は楽しいものだ。そしてその予定表の中には、来たる一月十五日に、芳子と竜太との結納の日として赤丸印がつけられていたのだ。
それを思うと、竜太の胸は痛んだ。手帳と共に、自分の未来もすっぽり取り上げられたような恐怖を覚えた。
(まさか結納の日までここに置かれることはあるまいな)
今夜の特高主任の質問によると、自分は綴り方連盟との関わりがあるとの見込によって、被疑者とさせられたらしい。
(ということは、綴り方連盟なるものが、狙《ねら》われているということだ)
竜太は、はっと思い起こすことがあった。確か去年の十一月頃、綴り方連盟の主要メンバーである幾人かが検挙されたという噂《うわさ》が流れた。が、綴り方連盟に関わる坂部先生でさえ、先日会った時、何も言っていなかった。坂部先生にしても、それは自分とは無関係と思っているためかも知れない、と竜太は思った。なぜなら、流された噂では、十一月に挙げられた数人の教師たちは、共産主義者であるらしいとのことだったからである。綴り方連盟の会員と、共産主義者とは全く無縁の筈だった。
それが今、不意に竜太に、
(本当に無縁なのか?)
との疑念を抱かせた。
(坂部先生は綴り方連盟の会員だ。ぼくの知る限り、あの先生は絶対に共産主義者ではない。キリスト信者だ)
竜太は思わず布団の上に起き上がった。
(もし当局が綴り方連盟を、共産主義者の集まりとの疑いを持ったとしたら……)
自分の捕えられた理由が何となくわかるような気がした。つまり、綴り方連盟の会員でないにも関わらず、その会合に出席し、出席者名簿に名を残している。それを動かぬ証拠として検挙されることもあり得るわけだ。あの後竜太は、連盟とは何の連絡も取っていなかった。だから、二、三日もすれば帰れるかも知れない。が、一旦共産主義者として疑われた以上、事件はどんなふうに展開するかわからない。
(このおれでさえ検挙された以上、坂部先生もいつ捕えられるかわからない)
竜太は、電話というものを、今直ちにこの手に欲しいと思った。
(そうか。あの十一月の事件は、恐ろしい前兆だったのかも知れない)
だが数人しか挙げられなかった。ほとんど新聞にも出なかった。連盟の会員たちも、自分とは関わりのないことと思って、全く安心していたのかも知れない。竜太はそう思った。
竜太は再び布団の中にもぐりこんだ。寒い。ひどく寒い。ふと気がつくと、隣や向かいの房《ぼう》から、大きないびきが聞えていた。こんな寒さの中に、大いびきをかいている人間が、ひどく逞《たくま》しく思われた。
(だけど、おれなんか引っ張って、どうするのだろう)
(こんな愛国心の塊を、こんな所にぶちこむなんて、一晩どころか一時間でも無礼だ)
折り紙を約束した愛子の、黒い瞳《ひとみ》が目に浮かんだ。沢本校長の除雪をしている姿、教頭のせかせかと廊下を歩くきびしいうしろ姿、沖島先生の優しい目、そして芳子のふり仰いで笑う明るい笑顔、次々に目に浮かんでは消えた。窓下を行く馬《ば》橇《そり》の鈴の音がリンリンと聞えてきた。
「ああ、馬橇の鈴の音だ」
竜太はその音を聞くと、自分が数日のうちに自由になれるような気持にもなった。少し心が安らいだ。それでも、あれを思いこれを思い、竜太がようやくまどろみ始めたのは、やがて夜も白みかける頃だった。
ちょうどその頃、旭川の坂部先生の家では、坂部先生と冴《さえ》子《こ》先生が布団の中で、ぽつりぽつり話し合っていた。
「どうやらぼくの風邪もすっかり治ったらしい」
坂部先生は片手を伸ばして、冴子先生の髪に優しく手を触れた。
「そう、それはよかったわ。昨夜は、わたしもあなたもぐっすり熟睡したみたい」
「うん、よく眠った。よく眠ると、一日いいことがあるようで……。人間って不思議だね。ほんのちょっとしたことで、いいことがあるように思ったり、悪いことがあるように思ったり、人間って結局は弱いものだね」
「どうして今日は、こんなに早く目が覚めたのかしら。いつもは六時過ぎなのに」
「ま、そんなこともあるさ。ところで、竜太と芳子の結納は十五日だったね」
冴子先生が立って電灯を点《つ》けながら、
「ええ、あたたかいといいわね」
「本当だね。あの二人が一緒になるんだもんなあ」
竜太も芳子も、坂部先生が受持った生徒なのだ。坂部先生と冴子先生は顔を見合わせて微笑した。
「少し早いけど、ストーブを燃やしましょうか」
冴子先生が茶の間のフクロクストーブの傍《そば》に行った。デレッキで灰を落すと、ストーブはたちまちゴーッと音を立てて燃え始めた。坂部先生が布団から起き上がって身仕度を始めた。
と、その時だった。不意に玄関の戸が激しく打ち叩かれた。二人は思わず顔を見合わせた。
「誰だろう、こんなに早く?」
坂部先生は手早くズボンのバンドをしめながら、
「冴子、私が出てみる」
と、急いで玄関に出て行った。せっかちに戸を打ち叩く音がした。坂部先生は白いカーテンを十センチ程引いて、薄暗い外をうかがった。戸を叩いている男のうしろに、幾人かの男の影が見えた。戸を叩く男の手がとまった。
「開けろ! 坂部久《きゆう》哉《や》だな」
嵩にかかった若い男の声だった。坂部先生ははっとしてうしろをふり返った。冴子先生が不安げに丹前姿で立っていた。
「冴子、警察らしい! 君も子供たちも急いで着替えなさい」
「開けろ!」
再び戸が打ち叩かれた。
「少々お待ち下さい。妻と二人の娘たちが、今着替えますから、ほんの一、二分……」
さすがに戸を叩く手がとまった。
坂部先生がゆっくりしんばり棒を外し、戸を開けるや否《いな》や、待ちかねたように刑事たちがなだれこんで来た。先頭に立つ年輩の男が言った。
「いやあ早朝から相すみませんな。あんたが大《だい》栄《えい》小学校の坂部久哉先生ですか。ちょっとお尋ねしなければならんので、本署までご同行ねがいます。その前に家宅捜索をさせてもらいます」
坂部先生が返事をする間もなく、数人の刑事たちがばらばらと茶の間から、各部屋に踏みこんだ。大きな本棚にずらりと並んだ本が、見る見るうちに畳の上に乱暴に投げ出される。出窓に並べられた雑誌類、机の上のノート類、日記、メモ帳、茶の間の状差しの手紙類、これとおぼしきものは次々に放り出されて行く。
三年生の真樹子と、今年一年生になる喜志子が、冴子先生の背にかくれるようにして、震えながらじっとその様子を見ていた。冴子先生も青ざめていた。が、ストーブの傍に坐って、両手をしっかりと組み合わせ、目をつむっていた。祈っているのだと坂部先生は思った。
投げ出された本や雑誌は、刑事たちの持って来た木箱の中に素早く納められていった。それらの木箱を大きな橇に積み上げ、刑事たちは坂部先生を囲むようにして家を出て行った。
坂部先生は家を出る時、真樹子と喜志子の頭を撫で、
「何も心配することはないよ。お父さんは只熱心に生徒のためを思って、教えてきただけだからね。お母さんのいうことをよく聞いてね」
いつもの優しい声だった。
坂部先生の姿が雪道を曲って見えなくなるまで、三人は息を殺して見送った。
一九四一年一月十日早朝、このようにして、良心的な、勤勉な教師たちが教壇から姿を消した。その数、六十人とも八十人ともいう。これが北海道綴り方連盟事件の始まりであった。
慟哭
一
竜太が留置場に入って十日が過ぎていた。
竜太は頬に冷たいものを覚えて目を覚ました。掛布団の襟《えり》に、自分の吐く息が凍っていたのだ。
「今日はこの冬一番の寒さだな」
竜太は独りごとを言った。誰とも言葉を交わさぬ毎日の中で、つとめて独りごとを言うように自分を躾《しつ》けていた。自分の口から声が出る、言葉が出る、ということは人間にとって実に大切なものであることを、竜太はこの十日間で身に沁《し》みて感じていた。
竜太は掛布団の襟の霜を払い落しながら、昨日差入れられたばかりの布団を改めてしみじみと見た。白んだ窓を見上げて、多分六時は過ぎていると思った。部屋の中をぼんやりと照らす薄暗い電灯の下に、茶色と黄色の縦《たて》縞《じま》模様の分厚い布団が、竜太の心を慰めた。この布団が届いた昨日、竜太は思わず布団を抱きしめて、涙をこぼした。肉親を抱きしめる思いだった。
「おれは一人ぼっちじゃない。おれは一人ぼっちじゃない」
竜太は一緒に差入れられた温かい二枚の毛布にも頬ずりしながら、呟《つぶや》いたのだった。誰からも手紙もこない、何の差入れもない昨日までの毎日は、孤島に捨てられたような淋しさだった。
「もしこの寒さに布団が差入れられなかったら、どうなっていたことか」
竜太はこのうれしさ、この淋しさを、すぐにも家に書いてやりたかった。が、鉛筆一本、紙の一枚も与えられていないのだ。
十五日の日は辛《つら》かった。一月十五日こそ、竜太と芳子が待ちに待っていた結納を交わす日だったのだ。坂部先生がこの日を選んでくれて、仲人の労を取ってくれる筈だった。しかし、突如自分は検挙された。竜太は自分の立場を、芳子や芳子の両親、そして坂部先生に何としてでも知って欲しかった。外界と何の連絡も取ることのできない竜太には、自分の置かれた立場が自分でも見当がつかなかった。
(おれのことが新聞に出たのだろうか)
生徒たちがその記事を、親から聞かされたとしたら、何と思っていることだろう。父兄たちも同僚たちも、どんなふうに自分を見ていることだろう。生徒たちの次に心配なのは、何よりも堅物の芳子の父親だった。職人気質で生まじめな芳子の父親は、大きな酒造店の番頭であった。警察に引っ張られるような男のところに、娘を嫁にはやれぬ、と言い出しかねない父親だった。
が、竜太は知らなかった。北海道中の警察署に六十名から八十名に及ぶ教師たちが、一月十日の朝、その温かい寝床から強引に連行されて、今留置場にあるということを。そしてその事件は、只の一行も新聞には出ていないということも、竜太は知らなかった。
北海道の小学校は、まだ冬休みの中にあった。何も気づいていない同僚たちがほとんどだった。あるいは気づいていても、同僚たちは、自分の見たこと聞いたことを、人に告げようとはしなかった。関わり合いになることを恐れたのだ。
近所の者も同様だった。朝早く、ものものしい一団がある家から出て来たのを見ても、それを他に言いふらすことはなかった。誰しも警察が恐ろしかった。これは北海道に住む者だけの気質ではなかった。日本中がそういう精神状態にあった。
この度の竜太のことが、家の者にそれと知られたのは、坂部先生の妻冴子先生から、坂部先生の検挙の事実を聞かされてからであった。しかし竜太への差入れが遅くなったのは、竜太がどこに留置されているかを、警察側が明らかにしなかったからであることも、竜太は知らなかった。
検挙された教師たちへの扱いも、まちまちであった。竜太は、翌日から早速尋問が始まると覚悟していたが、未《いま》だに一度も取調べを受けていなかった。その反対に、坂部先生には、連行されたその日の夜から厳しい取調べが始まっていた。坂部先生の場合、旭川の警察署に留置されたが、その夜は早々に眠るように言われて布団に入り、眠られぬながらもうとうとしかけた頃に、叩き起こされて取調べられた。取調べは十二時から一時二時に及ぶ。翌日も、その翌日も、夜の取調べが続行された。
他の教師たちへの取調べ方も、さまざまであった。柔道着を着た刑事に、
「いっちょう稽《けい》古《こ》をつけてやるか。少しはあったかくなるだろう」
とばかりに、氷のように冷たい畳の上に、いいだけ投げ飛ばされた教師たちもいた。
寒さのきびしいこの日、竜太はようやく取調室に呼び出された。取調室は別世界のようにあたたかかった。あの夜の特高主任が機嫌のいい顔を向けて、
「や、今朝は寒かったでしょう。ま、あたって下さい」
と、ストーブの傍《そば》の椅子を勧めた。久しぶりのストーブのあたたかさに、竜太は人心地のついた思いであった。竜太と特高主任の間に、古びた、しかしがっちりとした机があって、発田刑事が分厚い罫紙を前に万年筆を持っていた。あの小意地の悪い寒崎刑事の姿が見えないだけ、竜太は気持が明るくなった。
「君は生まれはどこですか」
世間話をするような口調で、特高主任の海堂は尋ねた。
「旭川生まれです」
竜太も警戒をせずに答えた。
「ああ、旭川。あそこは寒いですなあ。私も軍隊は旭川の七師団でしてね。旭川の寒さには泣かされた。窓ガラスも壁も真っ白に凍りましたなあ。今朝の岩見沢みたいな日が連日だった」
「はあ」
竜太は相《あい》槌《づち》の打ち方がわからない。
「君も軍隊に行きましたか」
「はい。師範を出ると、半年足らずの短期現役に服する決まりですから」
「あ、なるほど。師範出の人は、次に召集された時、もう下士官ですからな。いいご身分ですわな」
「はあ……」
竜太は主任の言葉に何か底意を感じて、曖《あい》昧《まい》に答えた。
「おや、たいしてありがたそうでもありませんな。しかし、気をつけて下さいよ、北森先生。その恩典は、この度の事件で、下手をすると剥《はく》奪《だつ》されるかも知れませんからね」
「え? 恩典の剥奪ですか」
事情はよくわからずに、竜太は戸惑った。発田刑事は何やら罫紙の上にさらさらと書いていく。その発田刑事の手もとを見つめる竜太に、特高主任は言った。
「あんたの言った言葉は、逐一書きとめられています。協力さえしてくれれば、何もかも無事に終りますからな。それはそうと、君は小学校は旭川の大栄でしたね。三年生の時、受持は何という先生でしたか」
「ええと、河《かわ》地《ち》三《さん》造《ぞう》という先生です」
「卒業の時は何先生でしたか?」
「はい、坂部久哉先生です」
「君は、どちらの先生が好きでしたかな」
竜太は坂部先生と答えようとしたが、
「それぞれに立派な先生でした」
と答えた。特高主任はにやりと笑って、
「そんな筈はないでしょう。君は日本精神の塊のような河地三造先生を今も快くは思わず、キリスト教会などに通っている坂部先生に傾倒しているという話ではありませんか」
「坂部先生は、生徒たちの誰もが尊敬していました。それはわたしだけではありません」
「それならそうと、最初から正直に答えてくれなければ困る。坂部のどこが尊敬できるのかね」
「はい、坂部先生は、生徒のいうことによく耳を傾けてくれますし、授業は熱心ですし、その上優しくて、いうことはありません。心があたたかいんです」
「心があたたかい? キリスト教の隣人愛という奴《やつ》か」
不意に特高主任は、せせら笑うように言った。竜太はひやりとした。
「君は、坂部の第一の子分だということだが、その点はどうかね」
「先生は依《え》怙《こ》贔《ひい》屓《き》する方ではありません」
「いやに肩を持つんだな。キリスト教などを信じている教師を、どうして君は尊敬できたのかねえ」
「あのう、キリスト教って、そんなに悪い宗教でしょうか。ドイツにもイギリスにもキリスト教はあると思いますが……」
特高主任はじっと竜太を見つめた。一分程の時が流れた。特高主任は口をひらいた。
「ところで天《あま》照《てらす》大神《おおみかみ》と、キリストと、どっちが偉いのかね」
竜太はちょっと首をかしげて、
「さあ、ぼくは教会へ全然行っていませんし、よく勉強していないので、わかりません」
「何? 教会に行っていない?」
特高主任は疑わしそうに竜太を見た。
「はい、行っていません」
特高主任はもとの穏やかな顔に戻って、
「君、坂部に本を借りたりしたことがあるかね?」
「借りたことは何度もあります」
「例えばどんな本かね?」
「ドストエフスキーのものとか、トルストイやヘッセのものとか、シェイクスピアとか、夏目漱石とか、そんな本です」
「マルクスは?」
「マルクスって、ぼくはよくわかりません。固い本を読む暇はなかったもんですから」
「じゃ、これは何だね?」
発田刑事が机の引出をあけて、竜太の前に置いた。「共産主義読本」という題の薄い本だった。竜太の本棚の中に、いつからか紛れこむようにして入った本だ。確か楠夫が、「一度読んでおくといいよ」と言って置いて行ったような気がする。読もう読もうと思いながら、目次にさえ目をやっていなかった本だ。楠夫の名は出さずに、竜太は誰かが置いて行った本だと言った。途端に発田刑事が立ち上がった。机がばんと大きく叩かれた。
「この野郎! なめるな! なめると承知せんぞ」
竜太は嘘《うそ》を言ったつもりはない。
「こんなに古びるまで読んでいながら、北森、お前相当の狸《たぬき》だな」
竜太は答えようがなかった。困惑する竜太の顔を、特高主任も発田刑事も、鋭いまなざしで見つめていたが、特高主任が言った。
「ま、よかろう。それじゃあしばらくここで、この本をみっちりと読んでもらうんだな。ここに赤鉛筆がある。感ずるところがあったら、遠慮なく傍線を引いていくがいい」
特高主任は穏やかな表情に戻っていた。竜太はほっとした。竜太は早速渡された本を読み始めた。特高主任が部屋を出て行き、発田刑事がタバコを吸いながら、その竜太を見るともなく見ていた。竜太は知らなかった。自分が感じた箇所に朱線を引くということが、どんなことであるかを。のちに、この薄い古びた一冊の本が、竜太が左翼の本を熟読していた証拠物件になろうとは、夢にも思わぬことだった。
その日、旭川の警察署においては、またもや坂部先生の取調べが進められていた。いや、坂部先生のみならず、綴《つづ》り方《かた》連盟の熱心な推進者であった坂本、小坂、酒《さ》匂《こう》、松田、土《ど》橋《ばし》、大森、中井、小《こ》鮒《ぶな》、横山、長谷川、小田中等の教師たちも、各警察署で、あるいは拷問をもって、あるいは詐術、あるいは脅しなどによって、強引に取調べがなされていた。この事件の弁護士高田富《とみ》與《よ》氏は、のちにその記録の中において、次のような言葉を残している。
〈……このような初等教育における実践が、どうして治安維持法違反という大それた嫌疑となったのか。いかに時代とはいえ、私には今もって到底理解しかねるものである。(中略)
されば生活教育の理論に共鳴し、生活綴り方教育をひたすら児童のために実践しきたった小学校の教師にとって、この犯罪の嫌疑――そして大掛かりな検挙の嵐《あらし》は、全く青天の霹《へき》靂《れき》であったに相違ない〉
〈……北海道各地の小学校教師五十数名を同様の容疑で一斉に検挙し、図書や雑誌や児童文集など山をなすほどの、いわゆる証拠物を押収した〉
〈……札幌警察署を始め各地の警察署に留置して取調べたが、その間、警察署間のいわゆる盥《たらい》廻《まわ》しをも行い、一人一人引出しては、あるいは多数の警察官が取囲んで暴行を敢てし、あるいは譎《けつ》詐《さ》を弄《ろう》して自白を強要し、その自白に基く聴取書を作成して、身柄と共に検事局に送ったのである。その検挙の無謀はもとよりであるが、その取調は、見る人をして目を覆わしめるようなものであったらしい〉
〈……この事件の捜査なり検挙なりの端緒がどうであったか、私のよく知るところではないが(中略)中央検察庁の何人かが、生活教育や生活綴り方教育、殊にその研究などの団体に対して、治安維持法違反の疑いを持ち、これを地方に指令したのではないかとも思われ、この指令によって先ず北海道綴方教育連盟に着目したのが、容疑の発端でないかと思う。
ところが中央の指令に誤られたらしく、指揮に当った検事なり、取調に当った警察官なりは、時代の主張なり、時代の教育思想なり、教育実践そのものなりに理解が乏しいなりに――と言うよりは理解すべき努力を欠いて、中央の指令に盲目的に追従し、自己の不勉強を顧みず、独断的に、そして無反省にこの被疑者たちを治安維持法違反の犯罪者とすべく、ひたすら努力を傾けるの愚を敢てすることとなったと言ってよい〉
坂部先生の取調べは、その夜も真夜中になされていた。
姿勢正しく椅子に坐っている坂部先生を、数人の特高刑事たちが取囲んで、ものものしい雰囲気だった。旭川署の特高主任は、がっしりした体格の、一見岩のような、いかつい印象の男だった。
「あんたねえ、北森竜太っていう幌志内の教師を知ってるだろう」
顔に似合わず言葉にはぬくもりがあった。絹のような肌ざわりではなく、木綿のようなごつごつしたあたたかさだった。
北森竜太と聞いて、坂部先生の肩がぴくりと動いた。坂部先生も竜太と同様、検挙されたのが自分だけか、仲間がいるのか、全く知らされていなかった。坂部先生は綴り方連盟の熱心な会員であった。が、今、竜太の名を聞いて、坂部先生は肌の粟《あわ》立《だ》つ思いだった。
「あの……まさか北森が警察に……」
と言いかける坂部先生の言葉を遮って、刑事の一人が坂部先生の胸を小突き、
「言われたことに答えりゃいいんだ!」
と、噛《か》みつくように言った。
「はい。北森を知っております」
坂部先生はていねいな語調で答えた。
「知らんわけはないわな。教え子なんだから」
特高主任は一人うなずきながら、
「あんた、北森をかなりひいきにしていたらしいね。その理由は何かね?」
「格別に彼だけを可愛がったつもりはありません」
途端にまたもや他の一人が、
「嘘をつけっ!」
と怒鳴った。竜太は級長だった。何かと坂部先生を助けての行動は、自ずと際立って見えた。号令をかけたり、生徒たちの図画や綴り方の作品を職員室に運んだりするだけだが、二人が廊下を並んで歩く姿は、他の生徒より多かったことは否《いな》めない。他の刑事が言った。
「坂部先生、北森の家には時々刑事が現れるんで、警察に特別の興味を持ってたんじゃないの? 逆に探りを入れるとか……」
いかにも馬鹿にしたような言い方だった。坂部先生は一瞬唖《あ》然《ぜん》とした。そんな考え方があることなど、思ってもみなかった。特高主任が口をひらいた。
「ま、それはともかくとして、あんたはキリスト教会に行って、何年になるんですかね」
「さあ、行ってみたり、休んでみたりで、それでも十年にはなるでしょうか」
「十年! そりゃあもう立派な信者だ」
特高主任がにやりと笑った。
「いえ、それが……妻は洗礼を受けていますが、私はまだ受洗しておりません」
刑事の一人が、
「へえー、十年も通って、まだ洗礼も受けていない。いったい、どういうわけかね」
と、呆《あき》れたように言い、他の刑事たちも何やら囁《ささや》き合った。特高主任が、
「何やら、いわく因縁がありそうですな、坂部先生」
と、からかう語調になった。
「いや、信仰が定まらないのです。つまり、不信仰なのです」
坂部先生は謙《けん》遜《そん》に言ったが、特高主任は、
「不信仰? そんな単純な理由じゃないだろう。北森竜太は、坂部先生は本当は共産党員なので、洗礼などは受けないと、係の刑事に言っていたようだがね」
坂部先生は屹《きつ》と顔を上げて、
「嘘です! 北森はそんな嘘をいう男ではありません。わたしが共産党員などではないことを、北森はよく知っている筈ですから」
と、さすがに気《け》色《しき》ばんだ声になった。たちまち二、三人の声が上がった。
「なにいっ! 北森は嘘をつかない? じゃおれたちが嘘をついていると言うのか」
一人は坂部先生の両耳を引っ張り上げた。しかし坂部先生はきっぱりと言った。
「北森はそんな出たらめを言う男ではありません」
二、三人の刑事が坂部先生の頭を拳《こぶし》で打った。
「出たらめ!? 出たらめとは何だ! 出たらめとは」
更に二つ三つ拳が飛んだ。が、坂部先生はひるまずに言った。
「しかし、わたしは共産党員とは何の交流もありませんし、党員だから洗礼を受けなかったなどと言ったことは、全くありません」
誰かが、
「こいつ!」
と大声を上げたが、特高主任が刑事たちをなだめ、
「まあ何《いず》れ真実はわかるわけだから、今は言いたいことを言わせておくがいい」
と剛《ごう》腹《ふく》そうに笑った。そして主任は言葉をつづけた。
「な、坂部さん。北森はこうも言っているのですぞ。坂部先生は、始終あの本を読めこの本を読めと言っていたとね。特に左翼めいた本を何冊も貸してくれた。それで自分の思想も左がかって、綴り方連盟にも加入したとね」
坂部先生は大きく吐息をついて、両腕を組んだ。
「何だ、その態度は!」
またしても誰かが怒鳴った。坂部先生は腕組みを解いてもとの姿勢に戻った。坂部先生は竜太という人間を知っていた。まちがってもそんなことを口にする若者ではない。刑事たちは明らかに竜太を利用しようとしていると思った。この十日間のきびしい取調べで、坂部先生は特高刑事のやり方が、次第に飲みこめてきていた。竜太のためにも、「然《しか》りは然り、否は否」と言うべきだと、改めて思った。それにしても今頃竜太がどんな目に遭《あ》っているかと思うと、いても立ってもいられぬ辛い思いだった。
坂部先生は少し軽い咳《せき》をした。体の芯《しん》がひどく疲れていた。それほどにこの十日間の取調べは身に応《こた》えた。夜、ようやく眠りに入ろうとすると、
「起きろ! 取調べだ」
と連れ出される。そしてその取調べは十二時一時に及んだ。数人の特高刑事で威圧的に調べる日もあれば、時には世間話のように、特高主任と二人の刑事だけが調べに当ることもあった。何れにせよ、調べが終れば刑事たちはそのあとあたたかい風呂に入り、あたたかい布団の中に、のうのうと足を伸ばして眠ることができる。が、坂部先生のほうは、冷えた布団が待っているだけだ。日中は布団を敷いて寝ることはできなかったから、寝不足がずっとつづいていることになる。さすがの坂部先生も、この深い疲労には耐え難かった。
坂部先生の疲労に気づく者は誰もなく、更に取調べはつづけられた。
「自分の好ましいと思う本を人に貸すのは、言ってみれば自分の信奉する思想の宣伝ということになるな」
「はあ?」
「とぼけた返事をするな。どうだ、宣伝のつもりだろう」
一人の刑事が嵩《かさ》にかかって言った。
「いいえ、そんなつもりでは……相手が幼児ならおとぎ話や童話の本を貸します。教え子たちに本を貸すのは、それと同じ気持です」
「それで左翼の本を貸したのか」
刑事たちは食い下がる。坂部先生はふと、自分の精神状態が弱くなっているのを感じた。取調べがつづいて疲労がたまっていることもむろんその一因だった。が、何よりも教え子の北森竜太の上に、思いがけない災難がふりかかっていることに、ひどく動揺させられたのだ。坂部先生は、いつか誰かに聞いたことを思い出した。
「警察は強引に自白させようとすることが多い。まともにつきあっていたら、体がたまらん。事の真実は、検事の取調べの時に、明らかにしたほうが得策だ」
その言葉が今、坂部先生の胸をかすめた。
(そうだ、検事の取調べが希望だ)
心が明るむような気がした。が、坂部先生の性格としては、刑事の取調べに対しても、いい加減に答えることはむずかしかった。坂部先生が立てつづけに咳をした。特高主任が言った。
「何だ、変な咳をするな。風邪でも引いたか。今夜はこれで終りとしよう」
いつもより短い時間で、取調べは終った。
坂部先生が取調室を出ようとした時、特高主任がまた言った。
「あんたには、近く帯《おび》広《ひろ》に行ってもらうかも知れない。あんたのあとには北森が来ることになっている」
坂部先生は黙って一礼して部屋を出た。
二
旭川署の特高主任は、坂部先生を帯広に移し、竜太を旭川に連れてくると言ったが、その言葉を忘れたかのようであった。いっかなそんな気配はなかった。
一月が過ぎた。竜太は自分の受持の生徒が、三学期から誰に受持たれているのかを考えると、言い難い苛《いら》立《だ》ちを覚えた。一年生に入学した時から、一人一人にどんなに心を尽くして教え育ててきたことか。しかしそれでも竜太は、教壇に帰る希望は捨ててはいなかった。
竜太は、裁判は公正になされると確信していた。裁判の日が来れば、すべて明らかになる。そう思いながらも、二月が過ぎ、三月に入ると、竜太は新たな不安に苛《さいな》まれた。
竜太の生活は、朝から晩まで正に孤独そのものであった。朝目が覚めると先ず布団を片隅にたたんでおく。洗面も、歯を磨くことも、ひげを剃《そ》ることもなく、点呼のあといきなり朝食となる。他の署だと、ほとんど便器が部屋に常置されているので、何とも言えない異臭が留置場一帯に漂っている。坂部先生などは、毎朝自分の便器を持って、便所に捨てに行く。この点竜太の場合はまだましと言えた。
弁当は四角い木製の弁当箱に入っている。麦三割の飯と漬物が添えられているだけだ。味《み》噌《そ》汁《しる》にはほとんど実が入っていることはない。只冷たく塩辛い味噌汁なのだ。食後のお茶もなければお湯もない。それでも、竜太の居場所が家に知られてからは、かなりしばしば弁当の差入れがあった。塩《しお》鮭《ざけ》が入っていることがある。卵焼きが入っていることがある。てんぷらが添えられていることがある。それらは竜太には信じられないほどにうまかった。一日中、ただつくねんと部屋の中に正座しているだけの竜太にとって、弁当や果物の差入れは何よりありがたかった。
が、もう二カ月にもなろうというのに、文通は許されず、面会も厳禁だった。筆記具も持たされず、部屋の中を歩いたり、体操をしたりすることさえ、よほどの寒い日でない限り、許してはくれぬという不思議な扱いだった。看守に付添われて便所に行くだけが、せめてもの楽しみであった。取調べを受ける以外何をすることもない竜太の毎日は、言い様のない苦痛であった。これも一つの拷問かも知れなかった。
こんな日々がつづいて三月も二十日を過ぎた。寒さもかなり凌《しの》ぎやすくなって、小さな窓にうつる雲も春めいていた。
(もうじき四月になる)
竜太はこの頃絶えずそのことを思う。教師不足で、女学校出の若い代用教員が増えているこの二、三年、自分のような師範学校出が、再び教壇に立てないわけはないと思った。
竜太の取調べは、ほとんど坂部先生に関することばかりであった。そのほかは調べることもないのか、竜太は放っておかれることが多かったが、その日の午後看守に連れられて、取調室に入った。
竜太は椅子に坐らされ、書記係の刑事と向かい合った。机の上に罫紙に書かれた調書が五センチほどの厚さになって重ねられていた。竜太の印鑑は常に刑事が預かっていて、幾つもの書類に竜太の判が押されていた。何げないやり取りの間にも「生活」とか、「意欲」とか、「労働」などという言葉が出ると、これは特筆すべき一大事として記録されていることを、竜太は知らなかった。
今日は何を尋ねられるのか、と思っている竜太の前に、一枚の罫紙が置かれた。鉛筆で薄く文案が書かれてあった。竜太に細い筆が与えられ、
「書いてあるとおりに、なぞりなさい」
あまり見かけたことのない背の高い刑事が竜太の傍に立って言った。入所以来今まで、そんな文書を書かされたことはない。竜太は渡された罫紙を手に取った。そしてその第一行を見てはっと目を疑った。そこには「退職願」と書いてあるではないか。
(誰が退職するのか!?)
竜太は叫び出したい思いだった。竜太は罫紙に目を走らせた。
〈 退 職 願
私 儀
今般一身上ノ都合ニヨリ退職サセテ頂キタク御願イタシマス
昭和十六年四月一日
北森竜太
幌志内小学校長
沢本庄平殿
〉
「なぜです!? なぜ退職願を書かなければならないんですか!」
竜太は叫んだ。冗談ではないと思った。竜太は小学生の時から、坂部先生のような誠実な教師になりたくて、小学校教師の道を選んだのだ。人々から大学に行くことを勧められたが、竜太は師範学校への道を選んだ。教師になってからの毎日は楽しかった。生徒たちが可愛くてならなかった。成績のいい子も悪い子も、金持の子も貧しい家の子も、一様に可愛かった。高等科の子も尋常科の低学年の子も、ひとしく可愛かった。学校の裏山で、知っている限りの唱歌を共にうたったり、放課後は、生徒たちをつれて一緒に風呂にも入った。自分の持っているすべてを与えようと、竜太は夢中だった。その自分が、まだ四年も勤めぬうちに、警察に検挙され、なぜ退職願を書かされなければならないのか。
「なにいっ、なぜだとお?」
背の高い刑事は、やにわに竜太の頬を打った。が、竜太はひるまずに言った。
「まだ裁判にかけられてもいないのに、なぜ退職なのですか」
「この野郎! てめえらは一体何だ。日本中が国運を賭《と》して戦争をしているというのに、日本精神に悖《もと》る生き方を生徒に教えようとしていやがる。そんな非国民に、大事な生徒を預けられるか。ばっさり馘《くび》にしてもいいところを、お情けで退職願を書かしてやるというんだ。ありがたいと思え! ありがたいと!」
しかし竜太は納得できなかった。と、またその刑事が言った。
「今度挙げられた六十人の教師たちは、ほとんどがお前と同じ退職願を書かされるんだ」
竜太の胸に坂部先生のあたたかい顔が大きく浮かんだ。竜太は小筆を机の上に投げつけて、声を上げて泣き伏した。激しい慟《どう》哭《こく》であった。その竜太を二人の刑事が、にやにやしながら見下ろしていた。
最敬礼
一
竜太は二人の刑事に挟まれて、すっかり日の暮れた旭川駅に降り立った。
一月九日の夜に突如捕えられて以来、三カ月ぶりに見る旭川である。竜太の生まれ育った旭川である。父母姉弟の住む旭川である。芳子の住む旭川である。だが竜太は、目を上げて夜の旭川の街を眺めようともせず、かたくななほどに目を伏せたまま、只足もとを見つめていた。汽車の中でも竜太は、窓外に目を向けようともせず、車内の人々の様子に注意を払うわけでもなかった。
竜太は以前の竜太ではなくなっていた。無理矢理に退職願を書かされた日から、竜太はほとんど口をひらこうとはしなかった。退職願を書かされたその日、竜太は泣いた。声を上げて泣いた。拳《こぶし》で壁を打ち叩いて泣いた。刑事たちが脅してもすかしても、竜太は泣くことをやめなかった。それはもはや、正常な人間とは異なった姿であった。
が、それは竜太にとって、正常な反応であった。小学生の時から竜太は、自分の一生を小学校教師として、坂部先生のように捧《ささ》げたいという願いで生きてきた。
坂部先生のまなざしは常に公平であった。坂部先生が生徒たちの能力のあるなしにとらわれることは一度もなかった。成績のいい子も悪い子も、坂部先生にとってはあたたかい愛の対象であった。貧しい家の子も金持の子も、先生にとっては同じことだった。そこに差別を生む理由は何もなかった。生徒たちは、坂部先生と過ごす毎日が楽しかった。坂部先生のいるその場は、只あたたかく、生徒たちを自由に、快活に、伸び伸びとさせてくれた。
竜太にとって、坂部先生の生き方は人間としての真に尊い生き方に思われてならなかった。竜太はいわゆる立身出世など、ちらりとも思い浮かべたことはなかった。そして願いどおりに教師となった。来る日も来る日も竜太は、心をこめて生徒のために授業をした。授業時間に自分を見つめる生徒たちの輝く瞳《ひとみ》を見ることは、何ものにも替え難く幸せだった。竜太は只、生徒たちのためによかれと願う毎日を生きてきたつもりだった。もらった給料の中から、幾《いく》何《ばく》かを割いて、童話や少年少女雑誌を買って、生徒たちに読ませた。
そんな自分が、教壇からなぜ追われなければならないのか。それほどに自分は生徒たちに害毒を流す教師だったのか。留置場に何カ月もぶちこまれなければならぬ教師だったのか。竜太は、二日程は食事も取らなかった。生きている甲《か》斐《い》がなかった。この自分から教師という仕事を取り上げて、何をして生きていけというのか。竜太は口《く》惜《や》しさに身をよじった。これが自分に与えられた報酬なのか。竜太は地《じ》団《だん》太《だ》踏みたい思いだった。
しかも竜太は、取調べを受けねばならないほどの、思想的な偏見は何一つ持ってはいないつもりだった。只一度、芳子と共に綴《つづ》り方《かた》連盟の小さな集まりに顔を出しただけではないか。しかもそれは思想団体ではないのだ。竜太ばかりか、竜太の生涯の目標である坂部先生まで捕えられているらしい。それは竜太にとって、自分の全生涯を否定されたような辛《つら》さだった。
竜太は退職願を書かされた時点で、ようやくおぼろげに自分の立場がわかったように思った。竜太はあの瞬間まで、法というものを神聖で厳正なものと信じていた。国民の生活の安全を図る警察の働きに、何の疑いも持ったことはなかった。だが、只素直にそう信じてきた竜太にも、どこかがおかしいということがわかってきた。
竜太は退職など夢にも思っていなかった。にもかかわらず、刑事たちは依願退職の形を強硬に竜太に取らせたのである。岩見沢署に連行された夜、オーバーや服のポケットを隈《くま》なく調べて、刑事たちは手帳から印鑑まで取り上げてしまった。
「ハンコは大事なものだから、預かっておくからね。書類にハンコを押す時は、必ずあんたに押してもらうからね」
と、特高主任は言ったが、それが守られたのは最初の二、三度で、あとはいつの間にやら、竜太の述べなかった言葉を記録した調書にさえ印鑑は使われていたのだった。とにかく竜太は、その生甲斐である教師としての職を奪われたのだ。まだ取調べも終らぬうちに有罪の扱いを受けたのだ。竜太は何も信じられなくなった。一切の言葉に耳をふさぎたかった。何を見ようとする意欲もなくなった。まじめに、真剣に生徒を愛した結果が、こんなことになる世の中なら、もはや生きている甲斐はないと思った。
刑事たちは最初から竜太を罪人として扱っていた。何をしたからとて罪人なのか。生徒たちとの四年間の自分の姿を、竜太は見て欲しいと思った。が、もはや何を望むべくもないような、深い虚無感に竜太はおちいっていた。そしてこの頃は涙さえこぼれなくなった。涙の流れるうちはまだ竜太だった。そんな竜太を、特高主任は旭川署に転送したのである。
竜太が旭川に護送された一九四一年四月十三日、「日ソ中立条約」が成立し、満州国と外蒙の領土の保全と不可侵の声明が発表された。この時点において日米交渉に光が見えてきたのも束の間、六月二十二日独ソ戦が勃発、七月近衛内閣総辞職、その十日後米英は日本在外資産の凍結令を発令するに至る。つづいてその三日後、日本軍は仏印に上陸を開始し、これが十二月八日の太平洋戦争勃発へと雪崩《なだれ》を打つ先発となったのだ。この非常事態の中で綴り方連盟の罪なき教師たちを、無実と知りながら、不当にも罪人に仕立て上げようと、汲《きゆう》々《きゆう》としていた一群があったのである。
この年、文芸作品の多くが発禁となり、映画の統制も始まっていた。綴り方連盟事件と同じ流れの動きであった。
竜太は駅から数百メートルの所にある旭川警察署の玄関に入った。そしてすぐに取調室に連れて行かれた。取調室には誰もいなかった。ここにも部屋の中央にテーブルがあり、粗末な椅子が数脚置かれていた。ストーブがあたたかく燃えているのも、岩見沢署の取調室と同じだった。
「やれやれ、護送は気骨が折れるよ」
同行の刑事の一人が言った。その時、ドアが開き、体の大きな特高主任を先頭に、三十代と見える刑事が二人入って来た。
「やあ、ご苦労さん。護送は疲れただろう」
特高主任は竜太を護送して来た二人の刑事をねぎらい、
「もう八時も過ぎた。わたしの室《へや》でそばでも食べていって下さい。用意していますから」
と、顔に似合わぬ優しい語調で言った。二人が出て行くと、特高主任はその視線を竜太に移して、
「やあ、君が北森君か、君も疲れたろう。まあかけなさい」
と言葉をかけた。竜太はぼんやりと突っ立っていた。途端に刑事の一人が怒鳴った。
「返事をせい! 返事を」
竜太はあらぬ方を見ていた。誰をも信じられなくなった今、まじめに返事をする気にもなれなかった。
「こらっ! 返事をせいと言ってるんだ」
刑事は竜太の肩を小突いた。と、年長の刑事が、
「掘木君、北森は病気なんだよ」
となだめた。特高主任がうなずいて、
「掘木君、三津野君のいうとおりだ。北森はひどく疲れている。下手をすると病院に入れなければならんかも知れん。岩見沢からはそう言って来ている。北森君、この気の短い男は掘木といってね、こっちが三津野、この二人があんたの係だ。わたしが特高主任の多《た》加《か》梨《なし》だ。まあ仲よくやろうじゃないか」
竜太は黙って時計を見上げた。食事は汽車の中ですませて来ている。が、竜太は珍しく空腹を感じた。食事をすませたといっても、署で用意してくれた塩けのきつい握り飯二つだけだった。特高主任が言った。
「ま、われわれも、そばでも食べながら、北森君の歓迎会としようか」
「はい、冷めないうちに食べるとしますか」
先程大声を出した掘木刑事が、出て行ったかと思うと、かけそばを四つ載せた盆を運んで来た。この三カ月、竜太はそばなど食べたことはなかった。竜太は一礼して箸《はし》を取った。その竜太の様子を、三人の男たちは興深げに眺めながら、それぞれがそばを掻《か》きこんだ。三分もしないうちに、みんなの丼は空になった。そばを食べ終ったところで、特高主任の多加梨が、
「北森君、君に会わせたい人がいる」
と、掘木刑事に目顔で合図をした。
(会わせたい人?)
掘木刑事が丼を持って室を出た。
(会わせたい人?)
父母かと思った。まさか芳子ではあるまい。無表情だった竜太の顔に、かすかな動きが出た。と、待つ間もなくドアがあいて、ズボンをずり上げながら入って来た男がいた。髪が伸び、無《ぶ》精《しよう》髭《ひげ》に覆われた顔が青白い。竜太は目を瞠《みは》った。
(まさか!? 坂部先生では……)
まなざしだけは決して忘れることのできない坂部先生のそれだった。思わず立ち上がった竜太に、
「坂部君だ。十分だけ、二人に時間をやる。三津野君も掘木君も、別室で待っていてもらおう」
そう言うと、特高主任が先に室を出た。
(これが、坂部先生!)
先生の名を呼ぼうとして、竜太の口がわなわなと震えた。これがあの坂部先生なのか。竜太は駆け寄った。
「先生!」
「竜太!」
二人は手を取り合った。
「先生! どうしてそんなに痩《や》せたんですか」
「ぼくが意気地がないからだろう。竜太も逆さ吊りに遭《あ》ったか」
「逆さ吊り!? 先生はそんな目に遭ったんですか?」
坂部先生はじっと竜太を見つめた。そして言った。
「竜太、与えられた時間は十分しかない。大事なことを話そう」
坂部先生は再び竜太の手を取って椅子に坐らせた。
「先生!」
竜太の目からぼたぼたと涙が落ちた。小学校時代の坂部先生の姿が、竜太の目にはっきりと浮かんだ。
「竜太、人間が人間として生きるというのは、実に大変なことだなあ」
竜太は涙をこぼしながらも、先生の言葉にしっかりとうなずいた。
「竜太、人間はいつでも人間でなければならない。獣になったり、卑《ひ》怯《きよう》者《もの》になったりしてはならない。わたしはこの度ほどそう思ったことはないよ。竜太、苦しくても人間として生きるんだぞ。人間としての良心を失わずに生きるんだぞ。竜太のこと、わたしは忘れたことはない。いつも心配している。わたしは竜太を信じているし、竜太もまた、わたしを信じていると思う。竜太が何を言った、かにを言ったと、刑事たちは出たらめをいう。おそらく竜太にも、同じ出たらめを言っているにちがいない」
竜太は壁の時計を見上げた。大きな秒針がぐんぐんと進む。
「先生! ぼくたち、どうなるんですか。先生も退職願を書かされたんですか」
「そうか、竜太も書かされたのか。辛かったろうな、竜太」
坂部先生の声が泣いていた。
「しかしな竜太、どんな時にも絶望しちゃいけない。四方に逃げ道がなくても、天に向かっての一方だけは、常にひらかれている。やがて検事が調べ出すと、われわれの無実がわかる筈だ。裁判長は必ず公正な裁判をしてくれるに決まっている。わたしたちの生まれた日本の国は、信頼できる筈なのだ。まさか無実の者を有罪とするわけはない。わたしは一度だって、政治的な意図を持って君たちを唆《そそのか》したこともなければ、実践させたこともない。わたしが無実な以上、君が無実なのはむろんのことだ。頑張ろうな、竜太。絶望してもいい。しかし、必ず光だけは見失うな」
憑《つ》かれたように坂部先生は竜太に言った。それは正に、今言わねばならぬことを今言っているのだという、坂部先生の覚悟のほどがうかがわれる語調だった。
(これが坂部先生だ)
竜太は坂部先生の目をじっと見つめて、深くうなずいた。坂部先生が軽い咳《せき》をした。
「先生、先生は逆さ吊りにされたのですね。それでも先生は、自分を投げ出すことをしなかった。ぼくは恥ずかしい。ぼくは自分を投げ出していたんです。もう何もかも、いやになっていたんです」
「同じだよ、竜太。自分がこんなに弱い人間であったかと、何度自分に愛想が尽きたことか。しかしね竜太、自分にとって最も大事なこの自分を、自分が投げ出したら、いったい誰が拾ってくれるんだ。自分を人間らしくあらしめるのは、この自分しかないんだよ」
「はい。でも、いったい何時《いつ》までつづくんでしょう? こんなこと」
「日本の歴史を見ただけでも、わかるだろう。日に日に世の中は変っていくものだ。よくても悪くても、いつまでも今日の状態がつづくと思うな。そして希望を持つんだ。きっといい人生が待っているとな」
「先生、先生は強いですね。そんなに痩せるほど拷問を受けて……」
「いや、弱いから竜太にこんなことを言っているに過ぎない。人間は弱いものだよ。弱くて卑怯なものだよ。しかし、その故に、人々が節を曲げることがあっても、責めてはいかん。自分をも責め過ぎないことだ」
竜太は時計を見た。約束の時間は既に過ぎている。そう思った時だった。三津野刑事と掘木刑事が入って来た。
「一晩でも話させてやりたいが……北森はこのまま留置場入りだ」
三津野は気の毒そうに竜太を促した。
「先生!」
竜太は声を上げて坂部先生を呼んだ。坂部先生は下唇を噛《か》んで、じっと竜太を見た。目に涙が盛り上がっている。掘木が言った。
「坂部はこれからほかの署に移されるんだ」
署の名は言わなかった。
「えっ? ほかの署に?」
竜太は問い返した。坂部先生と同じ署の中にいられるかと思っていたのだ。
「そうだ、今夜の夜行でな」
どうやら坂部先生は、この場から旭川署を出て行くらしかった。
「夜行で!? 先生、お体大丈夫ですか」
竜太の言葉の半分は、掘木にドアを閉められて、廊下に消えた。
竜太は自分を見つめていた坂部先生の、涙にあふれていた目を、その後幾度思い出したことであったろう。
二
竜太が旭川に来て一カ月が過ぎた。教職を追われて異常な精神状態になっていた竜太を、坂部先生と会わせるように取計らったのは、旭川署の多加梨特高主任であった。そしてその効果は、刑事たちが予期した以上の成果を得た。それは一つのショック療法であった。竜太は次第に自分を取戻していった。
しかし旭川署に来て竜太を辟《へき》易《えき》させたのは、房《ぼう》の中に便器が置かれてあることだった。便器はそれぞれの房にあるわけだから、その異臭は話の外であった。六時に起床のブザーが鳴り、係の警官が一号室から次々と扉を開けて廻《まわ》る。第一の仕事は、布団を布団部屋に運ぶことであり、次に洗面所で洗面をすることだった。便器の始末もする。部屋の掃除を終えると、茣《ご》蓙《ざ》の上に坐って食事を待つ。食事当番は、近く釈放になる容疑者が選ばれて、その任に当っていた。
八時になると、当直主任と、留置場勤務の警官が点呼をする。取調べがある場合は、まずその時点で名前を呼ばれる。取調べを受けた者以上に、取調べを受けぬ者にとっての一日は長かった。
昼食は十二時、夕食は五時、就寝は七時と、来る日も来る日も夜の時間が長かった。旭川署に来て竜太は、どうやら自分と同じ容疑の教師がいるらしいことに気づいた。房での私語は厳しく禁じられていたが、しかし勤務の警官によっては、問わず語りに何かと口をすべらせる者がいる。二日か三日で、早くも帰宅を許された者もいたらしい。その教師は親一人子一人で、母親が心配だと愚痴っていたという。また、ある教師は拘禁性痴呆症で、夜となく昼となく騒ぎ立て、これまた釈放されたが、その症状は家に帰るとすぐさまおさまったということだった。仮病ではなかったかとその話を聞いて竜太は思ったものだが、拘禁性痴呆症とは、そんな症状を呈するものであるらしいことが次第に理解できた。
旭川署における取調べは、おおむね夜間であった。夜の九時十時に叩き起こされる者が少なくなかった。そしてそんな夜は、取調室のほうから、「ギャーッ」と獣のような声が聞えることがあった。眠っている竜太もその声で起こされ、何時間もその声に眠られぬ夜を過ごすこともあった。
(坂部先生は逆さ吊りにされた。先生もあんな声を上げたのだろうか)
その声を上げる番が、いつ自分に廻ってくるかわからぬと、竜太は次第に恐怖に苛《さいな》まれていくのだった。
旭川に帰って来たとはいえ、相も変らず面会も許されず、文通も依然として許可してもらえない。毎日のように母の作った弁当や、姉の美千代や芳子から差入れられたと思われる果物や菓子などが、竜太の心を慰めてはいた。が、慰められれば慰められるで、なぜ同じ旭川に住みながら、せめてひと目会わせることができぬものかという恨みもつのった。家までは僅《わず》か一キロ足らずの距離である。姉の美千代の家は更に二、三百メートル近い。北森の家から百メートル程遠くなる芳子の家だって、歩いて十数分の所にある。肉親の者も芳子も、もしかしたら夜幾度となくこの警察署の周りを、うろついているかも知れないと思う。差入れに来るだけでは、決して満足してはいないだろう。
窓の外を通る人の声や足音を布団の中で聞きながら、留置場の中の者たちは何を考えているのか。毎夜のように、すすり泣く男たちの声がする。一人が泣くと、誘われて他の者も泣く。竜太も歯を食いしばって泣く。無邪気な子供の声が聞こえてくると、みんなたまらなくなって呻《うめ》くように泣く。
竜太は独房だが、二人三人と一つの房に入っている者たちは、ひそひそと身の上話などを語り出す。私語は禁止されているから、見つかると頬が腫《は》れるほど殴られる。こそどろや、万引などの罪を犯した者は、すぐに検事局に廻される。が、竜太に対する取調べの回数はなぜか少なく、いっこうに埒《らち》があかなかった。この先どうなるか不安は深まるばかりだった。
その日は、五月晴れの暖かい日であった。昼食後、竜太は刑事に呼び出された。二、三日前に届いたばかりの詰《つめ》襟《えり》の服を着て、竜太は取調室に入った。取調室には三津野刑事と掘木刑事がいた。掘木が言った。
「なあ、北森、いい天気じゃないか。ひとつ街でも散歩して来ないか」
思いがけない言葉に驚いて、竜太は掘木の顔を見た。旭川に来てから一カ月のうちに、四、五回取調べを受けたが、それは常に竜太が持っていた「共産主義読本」についての尋問だった。人々の寝静まった夜、掘木はいつまでも同じことをねちねちと尋ねた。掘木はどうかするとすぐに目を三角にする男だった。
「この本に朱線を引いたのはお前だろう」
「はい、わたしです。岩見沢署におりました時、感じた所に傍線を引くように言われて、つけました」
「そんな言い逃れが通ると思うのか」
掘木が大きな声を上げた。三津野はそんなやり取りを黙って見ていた。
「とにかくこの本は、お前の持物であることは確かなんだ。共産主義の勉強をしましたと、ひとこと素直に言えば、それで取調べは終るんだ。よし、そんなにいつまでも強情を張るんなら、今晩は吐かせて見せる」
何日か掘木はそう言って、竜太の手を出させ、中指と薬指との間に鉛筆を挟んで、その指を力一杯握りしめた。
「うっ!」
思わず呻いた。強烈な痛みだった。が、竜太は坂部先生の言葉を思って耐えた。人間はいつでも人間であるべきことを、坂部先生は言った。坂部先生は逆さ吊りにされて殴られたのだ。その先生の言葉なのだ。
声を上げる竜太を見て三津野刑事が言った。
「北森はまだ病人だ。掘木君、今夜はそのぐらいでいいだろう」
いつもはおとなしい三津野刑事だが、その声に上司としての威厳があった。
「しかしですねえ……」
言いかける掘木の言葉を奪って、
「やめとけ。今日はやめとけ」
と厳しかった。
それ以来、取調べに呼び出されることがなかった。放り出されている感じだった。それが今日呼び出されて、街でも散歩しないかと言われたのだ。竜太は喜ぶより、無気味だった。何か罠《わな》が仕掛けられているような気がした。
「四カ月も床屋に行ってませんから、髭も髪もボウボウで……」
毎朝洗面所で見る自分の顔を思い浮かべて竜太は言った。
「なあに、色はちっとばかりなまっちろいが、応援団長の格好だよ。大しておかしくはないさ」
掘木の言葉に、三津野もうなずいて、
「さして頬の肉が落ちていないから、それほど奇異な感じはないよ。なあ、掘木君」
「そうです。そのとおり。まさか留置場から散歩に来たとは、誰も思うめえ」
二人は愉快そうに笑った。竜太は苦笑しながら、心が浮かなかった。掘木から手渡された自分のバンドをしっかりと締めながら、このまま逃亡したい思いが胸をかすめた。
「一時間ぐらいは時間をもらっているから、その時間内で行って来れる所を言うがよい」
署を出る時、三津野刑事が言った。紺の背広を着た三津野と、薄茶色の背広を着た掘木が、二、三歩竜太に遅れて従《つ》いて来る。竜太は一目散に自分の家に戻りたいのを怺《こら》えながら、卒業した大栄小学校の傍《そば》を通り、常磐《ときわ》公園に行ってみたいと言った。
「学校か。今日は土曜日で、生徒たちは帰ったがね。それでもいいのかね」
竜太は自分が六年間通った校舎を、たまらなく見たいと思った。うまく行くと、知っている教師に会えるかも知れないとも思った。人々が自分をどう思っているのか、竜太には見当もつかない。誰かに会えば、その手がかりをつかめるような気がした。
校舎は懐かしい坂部先生に学んだ所だ。美千代も自分も、弟の保志も、そして芳子も卒業した学校だ。敷地の木々の一本一本にも思い出がある。
三津野と掘木は、竜太とは無縁の者のように、談笑しながら従いて来る。竜太は四カ月ぶりに見る戸外を食い入るように見た。人々は竜太の上に起きた災難などは知る筈もない。街角で立話をしている女たちの姿も、店先で買物をしている男も、その辺を駆けまわっている子供たちの声も、少しも変ることがない。電車が大人や子供を乗せて、音を立てて走って行く。停留所にその電車を待っている人たちがいる。かつて見《み》馴《な》れた大きな邸宅の前に差しかかった時、竜太は思わず立ちどまった。樹木の匂《にお》いがしたのだ。七分咲きの桜が初々しく、新芽の美しい木立の香りが五月の風にかおっていた。竜太は自分の家の庭の枝《し》垂《だ》れ柳が、青く芽吹いている頃だと、胸が詰まりそうだった。
竜太とすれちがう人たちは、誰も彼も竜太をじろじろと見た。長く病んでいる者のようにも見える。新しい服を着ているが、何しろ伸びたままの髪や髭が異様に見えるのだ。四条通りを左に折れると、二百メートル程先に大栄小学校の校舎が見えた。ポプラの木が数本、晴れた空の下にそびえ立っていた。
(変っていない!)
竜太は思わず足を速めた。痩せた坂部先生が瞼《まぶた》に浮かんだ。あの夜取調室で自分の肩を抱いてくれた先生を思った。早足で歩きながら、涙があふれそうになった。
(先生! 坂部先生!)
竜太は心の中で叫んでいた。急ぎ足になった竜太に気づいて、刑事たちも足を速めた。竜太はようやく大栄小学校の角に来た。そして二階建の校舎を見た。
(坂部先生のようになりたい)
そう思って、希望に燃えて学んでいた少年の日の自分の姿が思い出された。
(あの角の教室で、坂部先生に習ったのだ)
竜太はのろのろと正面玄関の方に向かって道を歩いた。敷地の中に、数本の落葉《から》松《まつ》に囲まれた奉安殿があった。通りから垣根越しに見えるその奉安殿に向かって、竜太は道端に立ち不動の姿勢を取った。小学生の時から、今年の一月幌志内小学校の校庭で巡査部長に連行を求められた時まで、常にそうしていたように、今、竜太は奉安殿に向かって深々と最敬礼をした。竜太のうしろから少し離れて従いて来ていた三津野刑事と掘木刑事は、その竜太の姿をじっと見つめた。
奉安殿に最敬礼をした竜太は、正面の門に向かって歩を移した。と、その時、風呂敷包みを抱えた一人の男が門から出て来た。竜太ははっと足をとめたが、すぐに駆け寄って、
「河地先生、河地先生」
と大声で呼びかけた。異様な風《ふう》体《てい》の竜太に呼びかけられて、河地三造はぎょっとしたように足をとめた。
「誰だ君は?」
咎《とが》めるような声だった。
「先生、ぼく、北森竜太です」
「何? 北森竜太?」
河地三造は汚いものでもふり払うように大きく手をふって、
「近寄らんでくれ! おれが迷惑する。共産党と仲がよいと思われては一大事だ。今後決して声などかけんでくれ。君といい坂部君といい、恥さらしな、全く困ったもんだ」
言ったかと思うと、くるりと背を向けて河地三造はそそくさと立ち去って行った。竜太は呆《ぼう》然《ぜん》とした。「近寄らんでくれ」「今後決して声などかけんでくれ」「君といい坂部君といい、恥さらしな……」
次々と矢のように射こまれた河地三造の言葉が、竜太の頭の中に鳴りひびいた。
(おれが何をしたというのか)
(仮にも受持教師だった男ではないか)
(せめて、頑張れよのひとことぐらい、言えなかったのか)
竜太はへたへたとその場に坐りこみたい思いだった。河地三造の言葉はこの世の人々の声なのだ。他の誰に会ったとしても、誰もが河地三造と同じ思いで自分を見るにちがいない。あるいは親もきょうだいも、そして芳子も、同じ思いなのではないか。としたら、おれはこの世から捨てられたのも同然だ。竜太は坐りこみたい思いに耐えながら、しばらく突っ立っていたが、やがてのろのろと歩き出した。
(そうだ、坂部先生の家を見て行こう)
そこだけが今の竜太にとって、この世でたった一つの憩いの場に思われた。坂部先生の家は、ここから三百メートル程の所にある。
悄《しよう》然《ぜん》とうつむいている竜太のうしろから、三津野刑事と掘木刑事は小声で何か話しながら従いて行く。旭川刑務所の高い塀の下を、竜太は複雑な思いで歩いた。塀の下の柔らかい草原の中にタンポポが群れ咲いている。
(もしかしたらこの塀の中に、おれも坂部先生も入れられるのかも知れない)
竜太はコンクリートの刑務所の塀に背をもたせて、空を見上げた。澄んだ空だった。この空を塀の中で仰いでいる人が、今現実にいるのだ。その現実がやがては自分の現実になるかも知れないのだ。竜太は視線を空から道の上に移した。そしてはっとした。広い道路の向こう側を、今、若い男女が歩いて行く。
(あ! あれは、芳子と楠夫……)
大声で呼びとめようとした時、楠夫が芳子の肩を軽くぽんと叩くのが見えた。それがひどく親しげに見えた。芳子が何か熱心に話しているようだった。竜太は刑務所の塀に背をもたせたまま、二人が坂部先生の家のほうに曲って行くのを、呆然と見つめた。
二人は自分とは全く別世界の人間に見えた。竜太は屈《かが》みこんで、足もとのタンポポに手をふれた。柔らかいその感触が、竜太の胸を衝《つ》いた。涙がぽとぽと、タンポポの上に落ちた。竜太は声を殺して泣いた。芳子と楠夫は坂部先生の家を、堂々と訪ねて行ける。が、竜太は、その二人に声をかけることさえ許されない。
(いったい、おれが何をしたのだ! いったい何の罰なのだ!)
竜太のふるえる肩を、何の故とも知らず二人の刑事は眺めていた。
晩夏
一
その日、一九四一年八月二十一日――。
竜太は消灯時間と同時に床に入った。消灯時間といっても午後七時である。まだ日は暮れなずんでいる。窓のすぐ下の歩道を通る下《げ》駄《た》や靴の音が、賑《にぎ》やかに入りまじって響く。と、突如大きな歌声が聞えた。七、八十人の声だ。出征兵士を送る者たちの歌声だ。
天に代りて 不義を討つ
忠勇無双の わが兵は
歓呼の声に 送られて
今ぞ出で立つ 父母の国
声が次第に駅の方に向かって遠ざかって行った。
(天に代りて、不義を討つか)
竜太は皮肉な微笑を浮かべた。
竜太が三津野と掘木の二人の刑事に連れられて、初めて散歩に出た五月から、もう三カ月になる。あのあとも、二人の刑事は何を思ってか、時折竜太を外に連れ出した。慰めるつもりかも知れなかった。励ますつもりかも知れなかった。常磐公園の千鳥ヶ池にボートを漕《こ》ぎ出してくれたこともあった。小学校の運動会の見物に連れ出されたこともあった。だが、ボートに遊ぶ若い兵士とその母親らしい女性の姿などを見ると、自分の母が思われて、のどがひりつくような思いだった。運動会で赤や白の鉢巻を愛らしく締め、懸命に走る子供たちの姿を見ると、ひとことも別れの言葉を告げずに別れてしまった生徒たちを思って、涙がとめどなく流れた。外の空気にふれることも、自由の身ならぬ竜太にとっては一つの拷問のように辛かった。
竜太は一日も早く決着をつけて欲しかった。調べ得ることはすべて調べて欲しかった。坂部先生を共産党員であろうと、執《しつ》拗《よう》に尋問を繰り返されるのはやりきれなかった。坂部先生の教え子として、坂部先生を罪人扱いにされることは、耐え難かった。
ともすればふさぎこみそうになる竜太の扱いに、警察側もやや手こずっている気味があった。竜太には何をするかわからぬ一《いち》途《ず》さがあった。取調べ中、いきなり机を叩いて大声を上げる、手の指に鉛筆を挟んで捩《ね》じ上げる、そんなありふれたやり方は、竜太には効果がないと知ってか、余り使わぬようになった。
再び歌声が窓の外を過ぎて行った。他の一団の声だった。
勝って来るぞと 勇ましく
誓って故郷《くに》を 出たからは
手柄立てずに 死なりょうか
…………
どうやら兵士たちの戦地への動きが激しくなっているようだった。
(戦争か)
戦争に行って手柄を立てるとは、どういうことか。人を殺すことではないのか。天皇の少国民を育てるということは、人を殺せということではないのか。竜太らしからぬ考えであった。竜太はあらぬ疑いをかけられてから、すべてに懐疑的になっていた。病院に入院している愛子に、只ひとことの連絡も取らせてくれなかった駐在所の巡査部長の顔が目に浮かぶ。愛子はとうに病が癒《い》えて元気に遊びまわっていることだろう。しかし、
「必ず寄るからね」
との約束を反《ほ》古《ご》にされた痛みは、愛子の胸に残っているのではなかろうか。子供の心を一顧だにしない警察のあり方に、教師である竜太は怒りを鎮めることができなかった。
(八月二十一日か。今日はいったい何の日だったんだろう?)
竜太は、夕食時に差入れられた赤飯と煮しめをまたしても思った。夕食の時から気になっているのだ。明らかに母の味である赤飯とあの煮しめは、わが家からの差入れだ。とすれば、わが家の誰かの誕生日か。いやしかし、わが家には八月生まれはいない筈だ。
(もしかしたら!?)
保志に赤紙が来たのではあるまいか。竜太はぞっとした。保志は竜太の一つ年下だ。市内の製紙会社に勤めている。徴兵検査では片方の目が少し視力が弱く、第一乙種になっていた。
そんなことを考えているうちに、少しはまどろんだようだった。そのまどろみの中で、竜太は夢を見ていた。
なだらかな坂を竜太はゆっくり登って行く。大勢の群衆がその坂を降りて来る。男や女の顔が通り過ぎて行く。が、不思議なことに知っている顔には出会わない。
(ここはいったいどこなのだろう?)
竜太は思った。と、その時、房《ぼう》を開ける音がして、竜太は目が覚めた。暗い中に、蚊《か》の鳴く声と蝿《はえ》の飛ぶ音がした。
「北森、荷物をまとめて、取調室に行こう」
留置場係の巡査が言った。
「転送ですか」
竜太は、坂部先生が夜行でどこかの警察署に廻されて行った夜のことを思い出した。巡査は答えず、
「急ぎなさい。みんなが待っているから」
と、竜太を促した。
取調室には特高主任の多加梨と、掘木刑事、三津野刑事の三人がいた。竜太の顔を見るなり、特高主任が言った。
「やあ、北森、おめでとう。君は釈放だ」
竜太は耳を疑った。事のなりゆきがのみこめなかった。
「釈放……ですか?」
「そうだ。釈放だよ。うれしいだろう」
「釈放ということは、無罪ということですね、無罪ならば、あの退職願は無効になりますね」
竜太の言葉に掘木が苦々しげに言った。
「無罪? 無罪じゃないよ、君。嫌疑は晴れているわけじゃないんだ。保護観察扱として釈放するだけだ。つまり、旅行も自由にはできない。いちいち届を出さなきゃ旅行もできないんだ。無罪なんかではない」
「教師をしてはならんのですか」
竜太はがっくりと、暗い表情になった。
「なんだ、釈放が気にいらんようだな」
掘木が意地悪く言った。
「何なら、釈放しなくてもいいんだよ、こっちでは」
特高主任が両手で掘木をおさえるような仕《し》種《ぐさ》をして、
「まあまあ、そんなに苛《いじ》めるなよ。ま、掘木君が今言ったとおり、疑いが全く晴れたわけじゃないが、君の人となりもおおよそ見当がついたし、三津野君など、君の御真影に対する恭しい拝礼ぶりに、いたく感動したんだ。あれは本心からの忠義の心がなければ、できないお辞儀だとね。ま、今後共一生懸命にご奉公に励むことだね。しばらくは尾行もされるだろう。七カ月余りの間、ま、ご苦労だったな」
そう言っているところにドアが開き、若い特高刑事のあとから、竜太の父母と、保志、そして姉の美千代、芳子が入って来た。
「じゃあ、確かに息子さんをお渡しします。先程も申し上げたとおり、嫌疑が全く晴れたわけではないから、保護観察の身として慎んで行動するように、家人も注意して下さい。息子さんは赤化思想に毒されておりますからな」
美千代が何かを言おうとし、父の政太郎にぐいと手を引かれた。
「赤化思想って何ですか?」
保志がとぼけた声を出した。それには答えずに特高主任が言った。
「夜分、ご苦労さんでした。お気をつけてお帰り下さい」
母のキクエが、ハンカチで目をおさえ、芳子の目からも涙が盛り上がっていた。竜太はしかし喜びきれない鬱《うつ》屈《くつ》した思いにとらわれていた。取調べられるべき何ものも持たない自分が、八カ月近くも独房の中に苦しんでいた。ご苦労さまの一言で帰されてよいものか、そう叫び出したい思いに耐えて、竜太はわざと深々と一礼した。
二
竜太たちが取調室を出ようとした時、掘木が言った。
「あ、そうそう。言うまでもないことだがね、綴《つづ》り方《かた》連盟の人たちとつき合うのは、やめたほうがいい。もし釈放されても、綴り方連盟の人間やその家族と行き来をするようだと、また入ってもらうことになるかも知れないからな」
「わかりました」
政太郎が静かに返事をした。竜太はその言葉を聞いて、明日真っ先に坂部先生の家を訪ねてみようと決意した。
警察署を出た竜太は、ちょっとふり返って庁舎を見上げた。ここでどんなことがなされたか、生涯決して忘れまいと思った。竜太は黙って歩き出した。家族や芳子に会ったなら、あれも言おう、これも言おうと思っていた。が、いざ会ってみると言葉が出ない。
「すまなかった」
とは口が裂けても言えなかった。竜太が警察に挙げられたのは、竜太のせいではなかった。むろん家族たちのせいでもなかった。すまなかったなどと言える感情ではなかった。五、六十歩、皆黙々として歩いていたが、保志が言った。
「兄さん、ひでえ目に遭《あ》ったなあ」
語尾がかすれた。竜太の胸が熱くなった。
「全くよ。竜ちゃん、ほんとに大変だったわね」
美千代の声も震えた。芳子が言った。
「でも、ご無事で何よりだったわ」
芳子の声が別人のように弱々しかった。みんなはまたうなだれて黙々と歩く。通りの所々に街灯が辺りをぼんやりと照らしていた。母親のキクエが言った。
「髪もぼうぼうにして。風呂にもろくに入れてくれなかったんだろ。うちでは風呂を沸かして待ってるからね」
竜太ははっと差入れの赤飯を思い出した。
「母さんたちは、ぼくが今日出てくるのを、知ってたのかい」
「知ってたともさ。今朝電話があって、午後九時に迎えに来るようにと聞かされてね。お祝いの赤飯、食べなかったのかい?」
いっさいの情報は何も聞かされていない。
「食べたよ。何のお祝いだろうかと思いながら食べた。夜の九時まで、ぼくは床の中だったんだ」
美千代が鋭い語調で言った。
「まあ、自分の出所祝いも知らされずにいたなんて!」
(なぜ、一分でも早く知らせて、喜ばせてくれなかったのか)
竜太は出所の喜びよりも、深い憤りに襲われた。警察から家までの数百メートルの道を、みんな黙りがちに歩いた。どこで、誰が、聞いているかもわからない。それがみんなの胸の裡《うち》にあった。
家に入って初めて、竜太は両手をついて、
「心配をかけました。いろいろの差入れ、ありが……とう……ございました」
涙でくもった竜太の声に、一同の目からも涙がころげ落ちた。
「お父さん、お母さん、ぼくは只熱心に生徒たちを教え、可愛がった。それなのにこんな目に遭った。しかも退職願まで書かされた。いったいぼくのこと新聞はどんなふうに書いていたんですか」
政太郎が組んでいた両手を解いて、
「あのなあ、竜太。それが一行も新聞には書かれていないんだよ」
「えっ!? 本当ですか、それ」
「ほんとうよ」
美千代が乗り出すようにして、
「だからね、うちの店に来るお客さんだって、竜ちゃんは幌志内で元気にやってますかなんて、全然知っていないの。だから、気は楽と言えば楽なの。自分は留置場帰りだなんて、誰にも言うことはないのよ」
キクエがうなずいて言った。
「それは安心していいよ、竜太。けどね、人の口には戸を立てられんと、よく言ったものだ。スパイだとか、アカだとか陰口言う人もいるらしいからね」
キクエの言葉に芳子が言った。
「本当にいやな世の中になったわ。わたしの学校でもね、捜索を受けた先生がいるの。わたしが日直の時、刑事たちが校長先生の机の中まで調べようとしたけど、鍵がかかっていて、そのまま帰ってしまったわ。でも、そんなことも、うっかり誰にも言えないのよ。尾ひれがつくと怖いから。とにかく竜太さんに会ったら詳しいことがわかるかと思ったけど、竜太さんも何も知らなかったのね」
美千代が手早くみんなの前にお茶を出し、手作りの田舎《いなか》饅《まん》頭《じゆう》をお茶に添えた。
「ところで、今日出所したのは、ぼくだけなのだろうか」
「竜太さん、それは誰にもわからないのよ。引っ張られた先生たちは、釧《くし》路《ろ》やら、帯広やら、札幌やら、函《はこ》館《だて》やら、いろいろな所に入れられているらしいもの」
「なるほど。警察って、こんなにもわからないようにやるんだなあ。それはそうと、ぼく、四月に坂部先生に会ったよ。坂部先生、お元気なんだろうか」
みんなは黙ってうつむいた。
「ああそうか。自分の息子の様子さえわからないんだもんね。誰がどこでどうしているか、わかる筈はないよね」
言って竜太は饅頭を手に取り、ひと口食べて、
「うまい!」
と声を上げた。が、誰も一言も発しない。竜太は久しぶりにわが家に帰って来た自分の様子に、一同がそれぞれ深い感慨に浸って黙っているのかと思った。
「芳子さん、一月十五日に結納を入れる筈だったよね。坂部先生が仲人になって下さって……」
その言葉に、芳子はたまりかねたように顔を覆った。
「いや、泣かしてしまってごめん。芳子さんのお父さんお母さんに、明日にも挨《あい》拶《さつ》をしに行かなきゃね。それにしても芳子さん、少し痩《や》せたようだね。まさか病気じゃないだろうね」
芳子は顔を覆ったまま、返事もできない。政太郎がちょっと目をつむっていたが、静かに目をあけると竜太に言った。
「竜太、いいか。今日はお前の出所祝いだ。わしは何も言うまいと心に決めていたが……あのな……あのな……」
睨《にら》むように天井を見上げてから、
「竜太、心を落ちつけて聞くんだぞ」
「何だい? 何があったんだい? もうたいていのことは驚かないよ。ぼく何を言われても大丈夫だよ、お父さん」
竜太は姿勢を正して政太郎を見た。
「心を落ちつけて聞くんだぞ。坂部先生はもうこの世にはおられない!」
みんなは息をのんで竜太を見つめた。
「な、何だって!? 何だってお父さん!?」
竜太の口がわなないた。
「坂部先生は、七月の初めに警察から戻って来た。衰弱した体でな。一カ月余り生きておられたが、今月亡くなってしまわれたんだ」
聞くなり竜太はすっくと立ち上がった。
「竜太! どこへ行く!?」
「ぼく、坂部先生に会いに行く!」
言うなり竜太は玄関から飛び出して行った。
竜太は走った。
(坂部先生が死んだ! 坂部先生が死んだ!)
四月に別れた時の坂部先生の顔が大写しに浮かぶ。あの時の話では、先生は逆さ吊《づ》りにされたと言っていた。先生の体は半分に痩せておられた。軽い咳をしておられたが、あれはもしや肺結核の咳ではなかったか。
(先生が何をしたというのだ!)
竜太は走った。真っ暗な大栄小学校の傍《そば》を通り、刑務所のコンクリートの塀の下を走る。温かい声、懐かしい笑顔、竜太に生きる希望を与えてくれた先生、その先生が死んだ。
「なぜ!?」
「なぜ!?」
「なぜ!?」
自分の声が自分の胸の中に大きく響く。
坂部先生の家の前に立った竜太は、体を二つに折って、
「坂部先生ーっ!」
と叫んだ。中から冴子先生が出て来て戸を開けた。その横をすりぬけるように、竜太は靴を脱ぎちらして、家の中に上がった。床の間に骨箱が一つ静かに置かれてあった。
竜太は呆《ぼう》然《ぜん》と立ちすくんだが、再び大声で、
「坂部先生! 坂部先生!」
と呼びかけ、畳の上に突っ伏して激しく号泣した。
三
竜太が警察から帰って十日ほどが過ぎた。釈放は喜ぶべきことの筈だった。が、坂部先生の死は竜太にとって、あまりにも強烈な衝撃だった。
今も竜太は、二階の自分の部屋に閉じこもって、窓から外をぼんやりと眺めていた。半年以上も警察に捕えられていたことも、坂部先生の死も、自分の人生の中に、決してあってはならないことだった。竜太は思考が停止したように、
(なぜ坂部先生が……)
と、ひとつことを心の裡に思いつづけた。帰宅した日から今日まで、竜太の思うことは只それだけだった。そんな竜太の心の裡を思いやって、親もきょうだいも芳子も、そっと見守るしかなかった。
北森家の前の道路を、数人の子供たちが、小さな日の丸をかざしながら、
兵隊さんよ ありがとう
兵隊さんよ ありがとう
とうたいながら駆けて行くのが見えた。幼い子供たちの姿を見ると、竜太は胸が締めつけられる思いだった。受持だった幌志内の生徒たちは、今は三年生になっている。
(会いたい!)
竜太は胸の中で呟《つぶや》く。
「先生は帰って来たぞ」
教壇に立って生徒たちに呼びかけたい思いになる。が、竜太にはもはや帰って行くべき職場がなかった。立つべき教壇がなかった。教えるべき生徒たちがなかった。
竜太は窓から外を見ながら、深く吐息をついた。竜太は知らなかったが、北海道視学の飯《いい》田《だ》廣《こう》太《た》郎《ろう》でさえ、石《いし》附《づき》忠《ちゆう》平《へい》の「北海道文選」誌を監修したというだけのことで、取調べを受けた。たった一人の飯田視学を、十人の刑事たちが取囲んで、きびしく追及したという。二、三日の取調べで嫌疑は晴れたものの、只それだけのことで飯田廣太郎は北海道視学の地位から追放されたのだった。
同質の事件に自分自身が巻きこまれた経緯を、詳細にはつかめぬ竜太にも、しかし当局の扱いには肯《うべな》いかねるものが多々あった。坂部先生の死にしても、死なせずにすむ道はあったと思う。結核という病を負っている人間が、仮にも逆さ吊りなどにされてはかなわない。体力気力がたちまち消耗することは、当然予想される筈であった。
だが、何をどう思ったところで、納得のできる返事はどこからも返ってきはしない。
(この髪だって……)
竜太は自分の頭髪に手を触れながら思う。何日留置されていようと、容疑者たちは理髪師にかかる自由さえなかった。剃刀《かみそり》や鋏《はさみ》などの刃物を使う理髪師に、容疑者を預ける危険がわからぬではないが、髭《ひげ》も髪もぼうぼうのまま、竜太は釈放されたのだった。
翌日政太郎が、知合いの理髪師を連れて来て竜太の整髪を頼んだ時、その五十近い理髪師は驚いて竜太の顔を見ながら、
「どうなさいました!? 長いこと大病でもなさってましたか?」
と尋ねた。政太郎は、
「いや、病気じゃないが、ま、ちょっとした怪《け》我《が》のようなもんだな」
と、苦笑した。その言葉に、竜太は父の政太郎の口《く》惜《や》しさを感じ取ったものだった。
階段の下で声がした。
「竜太さん、芳子です」
ひどく澄んだ声だった。
竜太が釈放された日、芳子は半病人に見えた。声が弱々しく、顔色も悪かった。が、それは坂部先生の病気を献身的に看病した疲れと、その死に遭っての悲しみの故だった。芳子は二、三日前に来た時言っていた。
「竜太さん、わたしね、坂部先生が重態に陥って帰って来られた時、ぞっとしたわ。もしや竜太さんも拷問されたり、無理をさせられて病人になっているかも知れないって、そう思ったの。竜太さんと坂部先生は、わたしにとって切り離せない存在でしょう。竜太さん痩せたけど、元気で帰って下さって、ほんとうにほっとしたわ」
芳子の言葉に、その時竜太は芳子の変らぬ真実を感じたのだった。
「ああ、芳子さん? どうぞ」
竜太は窓に背を向けて、ズボンの膝《ひざ》小《こ》僧《ぞう》を抱えた。黒と白のチェックのスーツを着た芳子が、形のよい足をそっと横坐りにして竜太を眺めたが、
「竜太さん、今日の竜太さん、いい顔してる」
と、にっこり笑った。
「そうかなあ」
竜太は照れたように頬を撫《な》でた。
「わたしねえ、毎日竜太さんどんな顔してるかなあと、朝目が覚めるといつも思うの。いつ来ても目に光がないんですもの。むろん当然だとは思うの。だって、仕事を奪われ、坂部先生を奪われたんですものね」
「…………」
竜太は相《あい》槌《づち》も打てなかった。芳子の家には、帰って来た翌日、整髪のあと直ちに政太郎に連れられて挨拶に行った。芳子の父親は竜太を見ると、
「坂部先生と同じ所に、竜太君も行っていたそうですな。ご苦労なこっちゃ」
と、しっかりした声で言った。竜太は黙って頭を下げた。
「わしは明治の男ですからな、いっこく者だが、お上《かみ》というものは無理なことを言うもんじゃと思って育ちましたわい。わしの祖父《じい》さんは幕末の江戸で、ちっちゃなそば屋をしてましたが、何の理由もなしに、役人にいきなりばっさりやられて死んだそうです。ま、生きて帰って何よりじゃ。誰が何と言おうと、生きているに限る。なあ、北森のお父さん」
と、欠けた前歯を見せて笑った。竜太は意外だった。芳子の父親には、「警察に挙げられるような者に、うちの娘をやるわけにはいかん」と言われそうな気がしていたのだ。芳子の父はやはり芳子の父であった。
そんなわけで、芳子との間は決して不安定ではなかったが、竜太はこの十日間、毎日のように訪ねて来る芳子に、会わない日もあった。それが今日は、子供たちのうたう姿を見たためか、竜太の表情にいつもの虚《うつ》ろな影はなかった。
「竜太さん、竜太さんの受けた苦しみは、竜太さんでなければわからないと、わたし思ってるわ。だから、いつ来ても浮かぬ顔をしていたり、会いたくないと追い返されることがあっても、当然のことだと思っていたわ」
「いや、それは悪かった」
「いいえ、そうなるのは当り前よ。うちの校長は、どういうわけか今度の事件に意外と詳しくてね、そして同情的なの。その校長が、竜太さんのことも、坂部先生のことも知っていて、この間、日直の日、わたしにちょっと詳しく教えてくれたことがあるの」
竜太はその校長の名前を忘れてはいなかった。竜太は、芳子が綴り方の研究授業をすることになった時、その校長の勧めで、札幌の綴り方連盟の集いに、芳子と共に出席したのだった。そしてその時の記名が、綴り方連盟と竜太とのつながりの深さを物語る証拠とみなされたのであった。その署名をきびしく追及されたことについては、竜太はまだ芳子には言ってはいなかった。しばらくは言うつもりもなかった。
「あのね、竜太さん。引っ張られた人は、正確には数はわからないけど、八十人は下るまいって」
「八十人!?」
刑事は六十人とか言っていたが、自分と同じ目に遭った者が八十人もいたのかと改めて思った。
「でもね、それを救うために立ち上がる先生たちは、残念ながらほとんどいなかったのよね。それは飯田視学の例でもわかるように、いつ自分の上に火の粉が飛んでくるかわからないことなの。誰だって、理由もなく警察に引っ張られたいと思う人はいないわ。弁護に立つ人さえなかったのよ」
「なるほど」
竜太は膝小僧を抱くのをやめて、あぐらをかいた。
「ところがね、『北海道文選』を出している石附忠平さんは、この度の裁判にかかる費用を一切自分が持つと言って、大変な工面をしたらしいのよ」
石附忠平の名は、教師の間に知れ渡っていた。
「それで?」
「それでねえ、とてもいい弁護士さんが決まったんですって。高田富與という人ね。校長先生は立派な人物だってほめていたわ」
「そうか、立派な人物か」
この高田富與が、戦後札幌市長三選を果たし、衆議院議員として国会に活躍するようになろうなどとは、むろん竜太も芳子も知る筈はなかった。
「校長先生の話ではね、今度の事件に巻きこまれて、取調べが一カ月か二カ月で終った人の中にも、離婚があったり、一家四散した例があるんですって。そんな悲劇があちこちに起きているらしいわよ」
「うーん、そうかあ。坂部先生はその悲劇の最たるものだな」
竜太は沈んだ声になった。母のキクエが煎《せん》餅《べい》と茶を持って上がって来た。しかし竜太は、顔も上げずに何か考えこんでいるようだった。その竜太を見て、芳子が言った。
「あのね、竜太さん。わたし竜太さんが立ち直るまで、一年でも、二年でも待つわよ。でもね、竜太さん、こんな目に遭ったから、もう生きるに値《あたい》しない人生だなんて、自分まで駄目にしてしまうのは、やめましょうよ」
竜太は、坂部先生が、「自分を投げ出してはいけない」と言った言葉を思い出した。あれがこの世で、先生から聞いた最後の言葉だった。
「竜太さん、ひどい目に遭った時に、『ひどい目に遭った、ひどい目に遭った』って、何万回言ってみても、何にもならないと思うの」
竜太は強くうなずいて、
「芳子さんの言うとおりだ。ひどい目に遭えば遭うだけ、それを乗り越えて行かなくちゃね。向こうはひどい目に遭わせたつもりかも知れないが、こっちは決して参っちゃいないという生き方を示さなきゃね」
「あらよかった。こんなこと言っちゃ、生意気だって叱《しか》られるかと思ったんだけど、ひどい目に遭って、それにくじけて、魂も抜き去られたような時を過ごすなんて、残念じゃないの」
「そうだね。その通りだ。坂部先生の死を無駄にしないためにも、自分の今までの人生を無駄にしないためにも、新しく一歩を踏み出さなくちゃならないね。しかし……」
「そうよ、竜太さん、新しく一歩を踏み出すのよ。理不尽な事件に巻きこまれた傷手を、少しでも小さくするのは自分だわ。やけになったからって、誰の得になるかしら」
「しかしね……」
竜太は深い吐息をついた。
「運命っていったい何なのだろう? 神っていったい何なのだ? 芳子さん、教えてくれないか。坂部先生のお葬式は、親戚と隣近所の人たちと、教会の人が少しと、それでも三十人は集まったかなって聞いたけど、ぼくは、あんなにすばらしい先生が、そんな淋しい葬式を、と思うと、神はいるのかって、誰彼なしに問いたくなる。芳子さん、君は教会へ行ってるんだろう。神さまを信じているんだろ? 神さまっていったい、何なんだ。助けてくれるもんじゃないのかい? かばってくれるもんじゃないのかい? 一生懸命生きた人間の、味方になってくれるもんじゃないのかい?」
芳子は黙って窓の外を見た。そして、静かに竜太を見て言った。
「神は、絶対者、なの。この天地を創造して、私たち人間を創って、命を与えて下さった絶対者――」
自分に言いきかせるような声だった。
「その絶対者なる神の深さはわたしたち人間の想像を超えているわ。人間の物指では計ろうとしても計ることができないの。竜太さん、おわかりになる?」
竜太は激しく首を横にふった。
「わからない。絶対者など、ぼくにはわからない、そんなもの」
明日から九月になる午後のひと時だった。
曇天
一
また雪の来そうな空だと思いながら、竜太は芳子と肩を並べて、ゆっくりと通りを歩いて行く。低い家並がつづく。まだ散り尽くさない一本の柳の下に、子供たちが、
「突撃ーっ!」
などと叫びながら、竹の棒を鉄砲に擬して戦争ごっこをしている。二、三日前に降った雪が少し残っていて、うすら寒い日曜日の午後だ。
二人は今、芳子の勤務先、啓《けい》成《せい》小学校の校長宅を訪ねて行くところだった。
「早いものねえ、竜太さん。あなたが帰られてから、もう三カ月になるのよねえ」
竜太を見上げる芳子の眉《まゆ》がやさしい。明るい表情だ。
「三カ月か……」
竜太はオーバーのポケットに両手を突っこんだ。竜太の目に、釈放されたあの八月二十一日の夜の警察署が浮かんだ。あれ以来、なぜか時々黒い影のように、あの夜の庁舎が無気味に目に浮かぶのだ。
この三カ月は竜太にとって、決して楽しいものではなかった。捕われている間は、もし自由の身になったら、どれほど楽しいことだろうと、あれこれ思い描いていたのだった。が、竜太を待っていた現実は生やさしいものではなかった。
その第一は、釈放当夜、坂部先生の死を知らされたことであった。竜太は、自分の家から先生の家まで、駆けに駆けて、文字どおり飛んで行った。悪夢を見ているようだった。あの夜のことは、決して一生忘れ得ないであろうと竜太は思う。
坂部先生の死は、竜太に人生というものを新たに問い直させずにはおかなかった。誠実に生きるとはどういうことなのか。まじめに生きるとはどういうことなのか。人々を愛して生きるとはどういうことなのか。人間の行為と、それに対する報酬とは、かくも一致しないものなのか。神はいるのか。いるとしたら、なぜ坂部先生のような人に、あのような不幸が襲いかかるのか。竜太は同じことを幾度も幾度も繰り返し思ってきた。考える度に、胸にあいた大きな穴はひろがるばかりだった。竜太は一時生きる力を全く失った。そんな竜太を力づける芳子がもしいなかったとしたら、竜太はそのまま絶望の淵《ふち》に沈んでしまったかも知れない。芳子の励ましと共に、
「自分の人生を投げ出してはならない」
と言った坂部先生の言葉が、ともすればくずおれそうな竜太を支えてきたのだった。
(坂部先生の最後にはあの無残な死があった。おれの人生の最後には何が待っているのか。とにかく生き直してみよう)
竜太がようやくそう思い始めたのは、釈放後四十日を過ぎてのことだった。
しかし竜太は、思いがけない自分の立場にいやでも気づかねばならなかった。父の政太郎が、生気のない竜太に言った。
「家でぶらぶらしているから元気が出ないのではないか。どうだ、どこかに勤めてみる気はないか」
竜太にはどこかに勤める気などなかった。竜太は教壇に立つ以外、自分の働くべき場所のないことをよく知っていた。時折散歩に出かける時、竜太の足は小学校のある方向に向けられていた。そして校舎から流れてくる生徒たちの唱歌の斉唱や、国語読本の朗読を聞いて、辛い思いに浸るのだった。こんな竜太に、教師以外の仕事など、心が動く筈はなかった。が、竜太は、父の勧めをあえて受入れることにした。
若い男たちが戦争に取られて、職場はどこも人手不足だった。父の昵《じつ》懇《こん》の、旭川市内では大きな印刷会社が、喜んで竜太を迎え入れてくれることになった。が、勤めに出て幾日も経《た》たぬうちに、自分が尾行されていることに気づいた。
(今更何のために?)
警察とは既に縁が切れているつもりだった。が、切れてはいないのだ。再びあらぬ嫌疑をかけられて、連行されるのではあるまいか。竜太は不安だった。
その尾行がぴたりと止《や》んで、竜太がひと安心したある日の昼休み、刑事が二人で社長を訪ねて来た。帰り際に刑事たちは竜太の傍《そば》に来、
「や、元気でやっているかね」
と肩を叩《たた》いて帰って行った。
職場の空気が変ったのはその翌日からであった。竜太が挨《あい》拶《さつ》をしても口をきかぬ者がいた。四、五人でひそひそ囁《ささや》きながら、竜太のほうをちらちらと見ている動きがあった。廊下で、すれちがいざまに、「スパイ」という言葉が竜太の耳に入るようになった。いたたまれぬ思いになった竜太を、社長は部屋に呼んだ。
「北森君、印刷会社というのは、いろいろな注文があってねえ。秘密を守らねばならないケースもある。近頃、君のうわさを聞いて、わたしも参っている。どうしたものかねえ」
竜太はその日、印刷会社を辞めた。僅《わず》か半月ばかりの勤務であった。
この一件は竜太を腹の底から怒らせた。あらぬ嫌疑をかけられて、七カ月も留置場に入れられたばかりか、せっかく勤めた職場にまで警察は介入してきた。許せないと思った。竜太はすぐに次の職場を探した。製粉工場の経理だった。が、竜太が気負って入ったその職場も同じだった。ここにはなぜか憲兵が訪ねて来た。「憲兵」と書いた腕章が、誰の目にも強烈な印象を与えた。女工が二十人、男子職員数人のその職場には、明るくて楽しい雰囲気があった。女工たちは昼休みになると、みんなで軍歌をうたった。竜太も独唱させられた。
ここはお国を 何百里
離れて遠き 満州の
赤い夕日に てらされて
友は野末の 石の下
そんな歌を竜太はうたって拍手を浴びた。久しぶりに竜太は楽しいという感情を味わうことができた。が、憲兵が工場長を訪ねて来た翌日から、ここでも職場の空気はこわばっていった。
「まあ、ほんと!?」
「ここだけの話よ」
などというひそひそ声が竜太の耳に入った。竜太はその職場もやはり去らざるを得なかった。おそらくこの分では、どこに勤めたとしても、刑事や憲兵が竜太の行く手を阻むだろう。何一つ罪を犯していない自分を指弾する社会に、竜太は怒らずにはいられなかった。
竜太は職を探すことをやめた。幸い竜太の家は質屋だった。二年程前に、番頭の良吉は農家である自分の家業に専念するために北森質店を辞めていた。そのあと父の政太郎と母のキクエが店を切り盛りしてきたが、キクエは家事に時間を取られる。竜太が店に坐ることには、政太郎もキクエも大賛成であった。しかし二つの職場からいびり出された経験は、竜太の心を深く傷つけていた。
そしてもう一つ、竜太の心を重くしていたのは、芳子との結婚問題であった。今年の三月、竜太と芳子は坂部先生の媒酌で夫婦になっている筈であった。が、思いもかけず警察に挙げられ、坂部先生は死に、そのうえ職が定まらなかった。
こうした状態の中で、竜太は結婚する気にはなれなかった。本来なら婚約解消を申し入れるのが筋かも知れなかった。が、芳子を手放す気には何としてもなれない。といってすぐに結婚することは不可能だった。このことが竜太を絶えず悩ませていた。釈放されて以来三カ月の竜太の毎日は、今日の曇天のように重苦しいものであった。
そんな竜太の心を知ってか知らずか、芳子の態度は以前と少しも変らなかった。時折、暇を見ては竜太の部屋にさりげなく遊びに来るのだった。竜太も芳子も結婚問題には触れずにいた。だがある日、芳子が竜太の部屋に入って来た時、竜太は胸を衝《つ》かれる思いがした。淡いグリーンのセーターを着たその日の芳子は、いつもの芳子にまさって美しかった。やや淋しい顔立ちだが、笑うとぱっと華やかな表情に変る芳子の、その日の笑顔ははっとするほどあでやかだった。形のいい胸、畳の上にちょっと足を崩して坐った股《もも》の肉づきのよさ、竜太は初めて見るもののように、芳子を見た。
「あら、何をそんなに見ているの?」
芳子は明るく笑った。
「うん、今日の芳子さんはひときわきれいに見える。ぼくは君に謝らなければ、と思ってね」
「謝る? 何を謝るの、竜太さん」
竜太はちょっと黙った。こんなに身も心も健やかで成熟した女性を、自分は不当に取扱っているのではないかと思った。結婚するなら結婚する、結婚できなければ婚約を取消す、何とか態度をはっきりさせるべきだと思った。それを釈放以来今日まで、竜太は坂部先生の死を悼《いた》み、自分を受入れぬ社会を罵《ののし》り、ただ自分だけの思いの中にこもっていて、芳子のために何かしてやろうという心遣いがなかったと思う。むろん職を探したのは、芳子との結婚を考えてのことだったが、しかし竜太は口に出して具体的には何も言わなかった。しかも、竜太の部屋で二人っきりになっていながら、芳子を胸に抱きしめる思いにもなれなかった。心の底では抱きしめたいと思いながら、竜太は芳子との結婚に恐れを抱いていた。会ってもただ芳子と話をするだけだった。
「謝らなければならないことは、たくさんあるよ芳子さん。第一ぼくは不誠実だ、卑《ひ》怯《きよう》者《もの》だ」
「どうして?」
「今のぼくには結婚する資格がない。それは百も承知だ。だから本当は結婚の約束は取消さなければいけないんだ」
「結婚の約束を取消す!?」
芳子のアルトの声がかすれて、
「竜太さん、わたしを嫌いになったの?」
「いや、ぼくは君と結婚したいと思った時、教師だった。が今では警察から釈放されたばかりの、ろくに職にもつけない、いわば失業者だ」
芳子はにっこり笑って、
「警察に連れられて行ったのも、世間から白い眼で見られるのも、竜太さんの責任じゃないわ。竜太さんは以前と同じ竜太さんだわ」
と、きっぱりと言った。
「しかし、ぼくは教師じゃない」
「わたしね、あなたが教師だから結婚したいと思ったわけじゃないわ。あなたがあなただから結婚したいの」
竜太の口がふるえた。あなたがあなただから結婚したい! なんという思いやりの深い言葉であろう。
「芳子さん!」
「竜太さん、教会ではね、結婚式の時、病める時も健やかなる時も、汝《なんじ》妻を愛するか、または夫を愛するかって、牧師が尋ねるのよ。人を愛することは、結婚していようといまいと、本当にそういうことだと思うの。健やかなる時も病める時も……」
芳子はちょっと言葉を途切らせた。竜太は、今の自分は「病める時」にあるのだと思った。その病める時の中にある自分を愛してくれる芳子の想いの深さが、竜太の心を揺り動かした。
「芳子さん」
竜太はにじり寄って芳子の手を取った。崩れるように芳子は竜太の胸に頬を寄せた。竜太は自分の胸に顔を埋めた芳子を抱きしめた。芳子の目から涙があふれた。竜太の心が疼《うず》いた。警察から釈放されて以来、初めての抱擁だった。芳子の涙がいじらしかった。
「幸せだわ、とっても」
話は自然、結婚の話になった。
「竜太さん、今度こそお嫁さんにしてくれるのね」
「こんなぼくでよかったら」
二人は来年の三月に式を挙げようと話し合った。
「媒酌人を誰に頼もうかな、芳子さん」
「そうね、わたしの学校の校長先生はどうかしら?」
「校長先生?」
芳子に綴《つづ》り方《かた》連盟の会に出席することを勧めた校長だと、竜太はちらりと思ったが、芳子は言った。
「あのね、竜太さん、どういうわけかうちの校長先生は、竜太さんのことも、坂部先生のことも、かなり詳しく知っていらっしゃるらしいわ。すごく同情的だわ」
竜太の心が動いた。誰からも爪《つま》弾《はじ》きされているような現在の自分に、そんな人間は珍しかった。その竜太の気持の変らぬうちに、一度二人で校長を訪ねてみようということになった。
こうして今日、二人は啓成小学校の横尾校長を訪ねて行くところだった。
二
横尾校長は、油気のない黒々とした髪を掻き上げながら、
「やあ、あなたが北森竜太さんですか。お噂《うわさ》は坂部君から時折聞いていました」
親しみ深い微笑を浮かべて、横尾校長は竜太を見た。大島紬《つむぎ》のよく似合う、一見文学者ふうの雰囲気があった。竜太はていねいに畳に手をついて、初対面の挨拶をした。いい人に会えたと思った。
「坂部君は全く気の毒なことをしましたね。ところで今度の事件の内容は、巻きこまれた北森さんもよくつかめていないでしょう」
張りのある声をひそめて、
「わたしの知っている範囲では、八十人を超える教師たちが検挙されましたよ」
「はあ、このひとからも聞いていました。しかしその八十人の人たちは、わたしと同じく身に覚えのない人ばかりなんでしょうね」
「多分そうでしょう。赤化思想を持っているという嫌疑だそうですが、マルクスのマの字も知らない者ばかりの筈ですよ。とにかく共産主義の思想を持っただけで、下手をすると死刑ですからね」
竜太は今更のように、恐るべき事件に巻きこまれたものだと思った。
「綴り方連盟って、北森さんも既にご存じでしょう?」
竜太はちょっとためらってから言った。
「ええ、まあ……」
この校長の勧めで、芳子が札幌の綴り方連盟の会合に出た。その時の出席者名簿に何げなく記した竜太の名前が、動かぬ証拠と見なされた。今そのことを言ったところで、校長も芳子も困惑するばかりだろう。第一この二人は、事件とは何の関係もない者なのだ。
「その綴り方連盟なる団体が、共産主義によるものであると、当局は一方的に断定したのでしょうな」
「何の取調べもしないうちに、綴り方連盟は共産主義であると決めたわけですね」
「多分そうでしょう。ひどいもんです。このことによって、人の一生がどんなふうに踏み潰《つぶ》され、葬られていくか、想像もできないんですかねえ。取調べはきつかったでしょう」
「ええ、でも、わたしの場合はせいぜい鉛筆を指の間に入れて、捩《ねじ》り上げる位でしたが、誰とも葉書一枚の文通も許されないということは、ひどい苦痛でした」
「それも一つの拷問ですね」
「はい。しばらくは差入れも何もなく、一日一日が全く孤独でした。ひどい話ですが、家族の者も、友人も、このひとも、わたしのことなど、きれいさっぱり忘れてしまっているのではないかと、幾度思ったかわかりません」
「うーん、精神そのものを破壊されたようなものですね。人間は煙い所と愛のない所には生きてはいられない、という諺《ことわざ》がありますが、正にそのとおりですね。しかしあなたは、辛くても七、八カ月で釈放されて出て来られたからよかったですよ。未《いま》だに何十人かの人たちが、誰とも文通も許されず、毎日きつい取調べに耐えているんですからね。全く何とかしてやれないものですかなあ」
横尾校長は両腕を深く組んだ。芳子は黙って二人の話を聞いていたが、突如として、はっと胸が轟《とどろ》いた。もしかしたら竜太が捕えられたのは、自分のせいではなかったかと、初めて気づいたのだ。確か綴り方連盟の会合に出席した時、竜太はその名を記した。なぜそのことに気がつかなかったのだろうと、いても立ってもいられぬ思いになった。校長がつづけた。
「北森さん、何しろ国が一丸となって戦っている現在、当局は思想問題に一番神経を使っています。他への見せしめのために、無実とわかっていながら、検挙することだって、ないわけではないでしょう」
「無実とわかっていてですか」
竜太の声が大きくなった。校長は思わず窓の外を見た。竜太はその様子にふっと、今日の自分をまさか刑事が尾行してはいないだろうなと思った。
「あのう……」
芳子がおずおずと口をひらいた。
「何です、中原さん」
「あのう……わたし、札幌の綴り方連盟の会合に一度出たことがありました」
「ああ、そうだったねえ。わたしが勧めて、中原さんは早速飛んで行った。それがどうかしましたか?」
「その時、わたし、この竜太さんについて行ってもらったんです。そして出席者名簿に名前を書いて……もしかしたら、あれが竜太さんを不利な立場に立たせたのではないかと思って……竜太さん、わたし、どうしてそのことに気がつかなかったんでしょう。ほんの三十分位しか顔を出さなかったから、気にもとめていなかったんですけど……。わたし、どうしましょう」
「そんなこと、芳子さん、何も責任を感ずることはありませんよ」
横尾校長も身を乗り出すようにして言った。
「うーん、そうか、記名したのか。それは紹介したわたしにも責任がある。大変な目に遭《あ》わせてしまった」
竜太は手を大きく横にふった。
「全然関係のないことです。あの時、こんな事件に巻きこまれるなんて、誰も予想もできなかったことですから。校長先生にも芳子さんにも、何の責任もありません。それを混同なさっては困ります。本当に責任を取るべき人は、ほかにいるわけですから」
「それもそうですがねえ……」
と、校長はじっと竜太を見つめ、視線を芳子に移して、
「中原さん、北森さんが札幌で記名したことについては、あなたにも北森さんは一度も何も言わなかったのですね」
「ええ、全く何も触れませんでした」
芳子はきっぱりと言った。
「そうですか。こういうことは人は言いたいものですよ。横尾校長が綴り方連盟に行けと言ったばっかりにとか、あんな所に連れて行かれたために、ひどい目に遭ったとか、必ず言いたいものです。しかし北森さんは一言も言わなかった。これはそうそうできることではありませんよ。中原先生、あなたはいい人を生涯の伴侶として見つけましたね」
横尾校長は少なからず感銘したようであった。竜太は頭を掻いて言った。
「そんな、当然のことですから」
「いやいや、人間というものは、都合のわるいことはみな、人のせいにしたがるものです。たとえ自分の失敗でも誰かのせいにしたいものですよ。お二人の媒酌、わたしでよければ、喜んでお引受けしましょう」
事前に芳子から大方のことを聞いていた横尾校長は、坐り直して言った。竜太もあわてて坐り直した。うれしかった。自分という愚直な人間を、横尾校長はあたたかい目で見てくれている。
「ありがとうございます。よろしくおねがいいたします」
竜太はていねいに畳に手をついた。芳子も深々と頭を下げた。
「ところで、式の日取りは大体いつ頃と考えておられますか」
再びあぐらをかいて横尾校長が尋ねた。芳子が答えた。
「三月の春休みの頃を予定しているのですが……」
「なるほど」
「式は教会で挙げたいと思っております」
「ああなるほど教会ね」
横尾校長はちょっと考える顔になった。
「校長先生、キリスト教会で式を挙げるのは、何か差支えでも……」
芳子が不安そうに尋ねた。横尾校長は、
「いや」
と、声を落して、
「キリスト信者が今の時代を生きていくのは、大変だなあと、ふと思ったものですから……。そうですね、今の時代を少し確認しておきましょうか」
「はあ」
竜太も芳子もうなずいた。
「確か去年の八月には、政府の方針でキリスト教は各派が一つにさせられましたよね。純正日本キリスト教会とかいう名称だったと思うが……ということはキリスト教は野放しにできないということでしょう」
「…………」
「それと、私が妙に気になっているのは、今年の二月、一部に報道された記事です」
「どんな記事ですか?」
「教員の身元調査を慎重にせよ。特にキリスト教信者の教員は厳重なる調査を要する。神社参拝を拒否するような教員は罷免もあえて辞さずという通達がある県庁で発せられたのです。これがどうも気になります。北海道内ではそうした通達は出されていないのですが、このような動きは確かに見られます。わたしの見るところでは、今年は綴り方連盟で教師が狙《ねら》われた。今度は宗教者、特にキリスト教が狙われるような気がしましてね」
横尾校長は少し憂《ゆう》鬱《うつ》な顔を見せた。竜太は大きくうなずいた。
「そうですか。世の中はそんなふうに流れていますか」
竜太は自分の留置場での暗い生活を思い浮かべながら、ぞっとした。芳子が言った。
「すると校長先生、わたしがキリスト教会で式を挙げるということは、ずいぶんと目立ちますのね。しかも相手は綴り方連盟事件に巻きこまれ、保護観察中の身である竜太さんということになると、これは警察の神経を逆《さか》撫《な》でするかも知れませんわね」
「そうだよ、芳子さん。そんなぼくたちが、校長先生に媒酌をおねがいするのは、ご迷惑だよ。そうですよね、校長先生」
横尾校長は苦笑して言った。
「わたしは胆《きも》っ玉《たま》の小さい男でね、何にでもびくびくしているが、君たちの媒酌はやらせていただくよ。そのぐらいの度胸は、わたしにもありますよ」
竜太は思わず頭を下げた。何の関わりもない自分が七カ月も拘禁された。横尾校長も、当局の忌《き》諱《い》に触れれば、どんな名目で拘引されるかわからない。しかもキリスト教に厳しい目が注がれている現時点で、自分たちの媒酌人となってくれるのは、どんなに大変なことか、竜太にはよくわかった。竜太の不安そうな顔を見ると、横尾校長はお茶をひと口飲んで言った。
「まあ、そんなに心配しなくてもいいでしょう。今に始まったことじゃないですからね。そう、大正十四年に治安維持法ができて以来、どれだけ多くの人間が、暗い流れに放りこまれたことか。昭和三年の、例の三・一五では、日共の人たちが千六百人も挙げられている。つづいて昭和四年には八百人以上が起訴されている。そうです、共産主義者です。昭和六年には千五百人、とまあわたしの覚えているだけでも、こんなものですよ。小林多《た》喜《き》二《じ》が虐殺されたのは、あなたがたも知ってのとおり、昭和八年の二月だ。それでも共産主義者は絶え果ててはいないからね。人間の思想は縛れないものですよ。わたしがあなたがたの媒酌をしたら、アカの思想だという者が出るかも知れない。すぐに人をスパイだとか、アカだという悪い癖が、まだまだ残っているからね。そんなこといちいち気にしていては、校長は務まりませんよ」
横尾校長は淡々と言った。
三
次の日曜日、竜太は考えに考えた末、教会に出かける気になった。自分と生涯を共にする芳子の信仰を、竜太も少しは学んでおきたかった。と同時に、狙われているキリスト教と聞くと、何か反《はん》撥《ぱつ》する思いが頭を抬《もた》げたのだった。
竜太は芳子にも知らせずに家を出た。教会は竜太の家から数百メートルの所にあった。小ぢんまりとした教会堂のドアを開けて、そっと入った竜太を、当番で受付にいた芳子がいち早く見つけた。
「まあ! 竜太さん!」
芳子が目を瞠《みは》った。竜太は照れてちょっとうなずいたが、黙って受付の前に立ち、芳子の手渡す聖書と讃美歌を受取った。芳子もあえて何も尋ねなかった。が、芳子の顔が喜びにあふれていた。
礼拝堂は階下にあった。一歩礼拝堂に入った竜太は思わずどきりとした。右手の席にカーキー色の二人の軍人の姿があったからである。
(信者だろうか? それとも偵察だろうか)
思いながら竜太は一番うしろの椅子に坐った。竜太の坐るのを待っていたかのように、オルガンが前奏を奏で始めた。あご髭《ひげ》の白い老人の弾くオルガンの音色は、驚くほどに美しかった。前奏が終ると司会者が、
「起立してうしろのほうをお向き下さい」
と言った。
(うしろを? 何のために?)
竜太が思った時、「最敬礼」の号令が静かにひびいた。
(なるほど)
今や日本で行われるすべての集会は、その開会に先立って宮城遥《よう》拝《はい》が実行されていた。教会でもその定めに服従していたのである。
讃美歌がうたわれ、聖書が朗読され、牧師の祈りが捧《ささ》げられた。三十人程の信者たちは、それでも生き生きと礼拝を守っている。竜太はそのことに感動した。
説教が始まった。小柄だが、明るいまなざしが印象的な牧師だった。
「……昨日、ある求道者の方が見えられて、神も仏もあるものかと近頃しきりに思いますと言われた。理由を聞くと、町内中で誰よりも人々に親切な薬屋さんが、人の喧《けん》嘩《か》の仲裁に入って殴られ、大《おお》怪《け》我《が》をしました。親切な人が大怪我をして、喧嘩をした人が無事でいる。こんな理屈に合わないことはない。本当に神がいるなら、仲裁に入った人にあんな重傷を負わせなくてもいいではないですか、とこうおっしゃる。そして、神がいるなら、良いことをした人が良い報いを受け、悪いことをした人が悪い報いを受けるべきだというんですね」
竜太は、自分と同じような考えの人もいるものだと、耳をそばだてた。
「しかしですね、皆さん。皆さんはよいことをする時に、よい報いを期待して善行をなすでありましょうか。人がおぼれているのを見て、助けたらよい報いがくる、などと思うでしょうか。私たちによいことをさせる力は、そんなところから出てくるのではありません。人間としてすべきことだからする、いや、しないではいられないからする、というのが本当でありましょう。それに対して、どんな報いを下さるかは、神の決めることです。
皆さん、われらの救い主イエス・キリストは罪を一つも犯しませんでした。人々を愛し、福音を宣《の》べ伝えました。しかしそのキリストに与えられた最後は、王の地位であったでしょうか。巨万の富でしょうか。キリストに与えられたものは、最も残虐である磔《はりつけ》による刑でありました。キリストを信ずるわれわれは、このキリストの死を仰いで、神も仏もないなどとは、決して思いません。それはなぜでありますか。ひとつ、よく考えていただきたい。
ある人は、自分の人生が悲惨な死で終るとしても、その最後の日まで、誠実に自分の人生を歩んでいくとします。しかし他の一人は自分の最後が悲惨なら、誠実になど生きてやるものかと、考えるとしましょう。この二人の人生は、明らかに全く違った意味を持ちます。誰も自分の人生の最後を知るものはありません。ただ今生きているこの人生を、より真実に生きることしか、わたしたちのなすべきことはないと思います」
竜太は、心の底に納得するものを感じた。
(そうだ。坂部先生があんな悲惨な死を遂げたとしても、先生はぼくたちの心をこんなに捉《とら》えてやまなかった。その人間の最後の姿が、その人に対する神の評価ではないのだ)
竜太は教会に来てよかったと思った。牧師は説教をつづけていく。
「人間の死は、肉体の死で終るのではありません。シェイクスピアは、ハムレットにこう言わせています。『死が最後ならいいのだが』と。死後に神の裁きのあることを、ハムレットは恐れていたのです」
(なるほど、死は最後ではないのか)
竜太は大きくうなずいた。そしてふと、二人の軍人のうしろ姿に目をやった。
影
一
三つ重ねの、黒塗りの重箱を質草に、一円借りた女客が店を出て行くと、竜太は柱時計を見上げた。まだ八時半である。閉店までまだ三十分ある。今朝ほど父の政太郎に、
「師走に入ると物騒だから気をつけろよ。客をよそおって、強盗を働く奴《やつ》がいるからな」
と言われたことを思い出しながら、少し早いがのれんを入れようかと思った時だった。店の引戸がそろそろと開いた。中を窺《うかが》いながら開けているような、妙な気配だった。竜太は思わず身構えた。と、黒いオーバーを着た背の高い男が、
「お晩です」
と言いながら、のっそりと入って来た。竜太は驚いて声を上げた。
「沖島先生!」
入って来たのは幌志内の下宿で一緒だった沖島二郎であった。
「北森先生、お元気でしたか。よかった、よかった」
沖島は大きな声で言った。竜太は何と言葉をつづけるべきかわからなかった。
早速沖島を奥の間に招じ入れ、薪《まき》ストーブに火を点《つ》けた。父や母が沖島に挨《あい》拶《さつ》している間に、竜太はようやく吾《われ》を取り戻した。八月に釈放されて以来、旧知の人間に会うことはほとんどなかった。それが今、沖島に会えたのだ。竜太は懐かしさに胸が一杯になりながら、
「沖島先生、先生はぼくのこと、どの位ご存じなんですか」
と率直に尋ねた。沖島も教師である。保護観察の身である竜太を訪ねるのは、危険な筈であった。刑事がどこにひそんで竜太を監視しているかわからないのだ。沖島は長い足を大きくあぐらに組みながら、
「それがね、北森先生、ほとんど何も知らないと言って、いいんですよ。ほら、先生が風呂敷に包んだ丹《たん》前《ぜん》を抱えて、当直に出かけたでしょう。言ってみれば、そのことしか確かなことはわからなかった」
「ほんとですか」
「ほんとうですよ。只ね、北森先生が学校に出かけたのと入れ違いに、二人の刑事がやって来てね」
「刑事が!?」
「ええ。いきなり『北森竜太の部屋に案内しろ』って言うんですよ。びっくりしてね、ま、とにかく二階に案内すると、本棚を見て、『何だ、これっぽっちか』と言いながら、それでも十冊も引抜きましたかね。ぼんぼん畳に放り出しましてね。持って来たみかん箱にその本を詰めて、風のように立ち去りましたよ」
「なるほど」
その中に楠夫が貸してくれた筈の「共産主義読本」の薄い一冊があったのだと、竜太は改めて納得した。そしてその頃、自分は奉安殿の前で最敬礼をし、頭を上げた途端に、巡査部長に声をかけられたのだと、あの夜のことが、ありありと思い出された。
「北森先生、ぼくは刑事たちの様子を見て、あ、これは思想問題で引っかかったな、とすぐに思いましたよ。しかしぼくは、先生がどんな人か知っている。何かの誤解だなと思いました。でもあの時北森先生が、警察に引っ張られて行ったとは、思ってもみなかった」
「なるほど、ぼくが思想らしい思想を持っていないことは、誰だって知っていますからね」
「いや、特定の思想は持っていなくても、教師としての信念はもっている。それはそうと、ぼくはあの時ぐらい、自分が情けない人間だと思ったことはありませんね。荒々しく本を放り出す刑事たちに、すっかり気が動転して何も言えやしない。それでも一言、『北森先生が何かしたんですか。あの人は熱心な、まじめな先生ですよ』、とだけは言った。そしたら、『貴様に何がわかる!』と怒鳴りつけられましたよ」
竜太はうなずいた。
「刑事はね、『余計な口出しをすると只ではおかんぞ。われわれがここに来たことを、絶対に口外するな。口外したら大変なことになるぞ!』と凄《すご》みましてね、縮み上がりました。全く情けない話です」
「沖島先生、先生もとんだ災難でしたね」
竜太は沖島の持つ盃《さかずき》に、酒を注《つ》いだ。
(そうか、沖島先生も縮み上がったのか)
沖島は飄《ひよう》々《ひよう》としていて、職員会議の空気が険悪になりかけたりする時、すっと立ち上がって何か言う。すると不思議にその空気が和らげられたものだった。沖島は決して物事に動じないように見えた。その沖島でさえ官憲の前で縮み上がるのだ。竜太は、釈放の夜ふり返って見たあの黒い庁舎の影を、今また見たような気がした。
今夜沖島は、親戚の婚礼で旭川に来た。隣に坐っていた男が、何かのことで北森質店の名を口にした。沖島はすぐに竜太の家と気づき、北森質店の住所を尋ねた。男は、この料亭の隣の町内にあると教えてくれた。沖島は宴が果てるやいなや、早々に竜太を訪ねて来たということだった。食事は終って来たという沖島の前に、酒と烏賊《いか》の塩辛、鰊《にしん》漬《づけ》などを、キクエがいそいそと運んで来た。竜太の釈放後、竜太をわざわざ訪ねて来てくれた者はほとんどいなかった。従兄弟《いとこ》の楠夫でさえ、一度顔を出しただけだった。
「北森先生、先生が警察に連れ去られたことを、校長や教頭でさえ知らなかったのは事実のようです」
「へえー、校長も教頭も知らなかった? そうか」
予告して来る筈はないと、竜太は苦笑した。外部とは一切音信を絶たれたあの七カ月余の辛い生活を、竜太は改めて思った。竜太の勤めていた学校自体には、捜索の手は伸びなかったようだ。宿直との交替を待っていた日直の女教師が、竜太の来るのを待っていた。が、交替時間がとうに過ぎても、竜太は姿を見せない。一時間余りも過ぎた頃、彼女は苛《いら》立《だ》って、学校の隣の公宅に教頭を訪ねた。
「何!? 一時間以上も? それは少し変だな」
教頭は、竜太が校庭の辺りに倒れていないかと、先ず思ったようだった。が、雪の上に人の倒れている影はどこにもなかった。竜太の下宿にはまだ電話がなかった。教頭は、下宿の隣の食品店に呼出しを頼んだ。沖島が電話に出た。
「君、北森君を知らないか。彼は今夜宿直だが、まだ来ていないんだ。いったいどうしたんだい。まさか忘れたわけじゃあるまいね」
怒気を含んだ声だった。沖島はこの時初めて、竜太が警察に連れ去られたことに気づいた。沖島は店先の電話で、刑事が来たことを告げるわけにもいかず、
「教頭先生、ぼく心当りがありますから、これからすぐ学校に参ります」
と言って、家を飛び出した。待ちかねていた教頭に、沖島は、刑事が二人家宅捜索に来たこと、十冊ほど本を持ってすぐに引揚げたこと、この捜索を絶対口外するなと厳しく命じられたことなどを告げた。たちまち教頭の顔は蒼《そう》白《はく》になった。事の次第は直ちに校長に報告された。校長は妻のいる公宅を避けて、宿直室にやって来た。日直の女教師は沖島が来ると同時に帰されていた。宿直は急《きゆう》遽《きよ》沖島が替わることとなった。校長が言った。
「とにかくこの件は、絶対にわれわれ三人の胸にだけおさめておこう。沖島先生、家人の口からも洩《も》れないように頼みますぞ。幸い冬休み中のことだ。三学期までには事の次第がわかるにちがいない。ところで北森君は、どこに消えてしまったのかね」
「多分警察でしょう」
沖島は言った。
「そうだろうね。巡査部長に電話をかけてみようか」
教頭が直ちに電話をかけたが、駐在所の電話は話し中であった。
「沖島先生、北森君はアカだったのかね」
校長が声をひそめて言った。沖島は即座に答えた。
「彼に赤化思想はありません。彼の本棚を見たらわかります。彼はマルクス主義がどんなものかさえ、知らないんじゃないですか」
「ほほう」
校長は安心したようにうなずいて、
「誰かの中傷があったのかも知れんな。事実無根となれば、まあ一晩位泊められて、明日にでも帰ってくるんじゃないかな。ねえ教頭先生」
「はあ、あまり右往左往せずに、静観しているほうが利口かも知れませんな」
教頭も同意した。
「それがいい。そういうことにしましょう。しかし、あの生徒一筋の教育熱心な男が、警察に引っ張られるなんてねえ、思ってもみなかった」
校長は両腕を組んだ。教頭はうなずきながら、
「校長先生、全く残念ですな。仮に彼が明日帰って来るにしてもですね、わが校に司直の手が入ったなどというのは、心外です」
「そうだ。そのとおりだ。全職員、一年中朝早くから、奉安殿のまわりをなめるように清掃してきた。ご真影に対する最敬礼の仕方も、生徒たちに徹底的に躾《しつ》けてきた。これは空《そら》知《ち》管内でも、かなり評判になっている筈です。本校の教育方針が、生徒たちの皇室尊崇の念を育てるのに、どんなに力があったか。この努力が、当局の目にも耳にも、入っていなかったんですかな。残念だ。実に残念至極だ!」
校長は大きく吐息をついた。
「全くです。口《く》惜《や》しいです」
こうして竜太の連行された夜は過ぎていったのだった。
沖島は竜太に言った。
「校長も教頭も、そしてぼくも、その時君が何カ月も留置場にぶちこまれるなどとは、夢にも思わなかった。だって北森先生は疑いようのない穏健な思想の持主だからね。ぼくから見ると、ちょっと歯がゆい位そっちの方面に、関心が薄かった。とにかく、冬休みが終るまでには、帰ってくると思いましたよ。三学期までに二週間はありましたからね」
竜太はちょっと頭を掻いた。
「ぼくは、天皇陛下に忠誠な少国民を作ることに、熱中していたようなものですからね」
「まあそれはともかく、三学期が始まっても、二月になっても、三月になっても、北森先生は、影も形も現さない。葉書一通よこさない」
「それはね沖島先生、警察の方針だったんですよ。家にも手紙を出させてくれないし、家人からの手紙もぼくの手には渡らない。まるで絶海の孤島にいるようなもんでしたよ。面会も許されていない。電報のような短文さえ手にすることができない。これは辛かった」
「へえー、それは知らなかった。全く誰からも手紙がこなかったんですか」
「きてたかも知れないけど、ぼくの手には渡らなかった。何か書きたくても筆記用具さえないんですよ」
「そうでしたか。そりゃあ、大変な苦痛だ。知らんかったなあ。ぼくは、葉書の一枚ぐらいよこして、居所を知らせてくれればと、恨んだこともある。悪かったなあ」
「過ぎたことですよ」
言いながら竜太は、まだ多くの教師が残っている筈だと思った。あの辛い日々を、今も留置場の中で送っている教師たちのことを思った。沖島が盃をあおってから、
「とにかくね、北森先生。ぼくは先生と同じ屋根の下に住んでいたわけでしょう。校長や教頭と口裏を合わせて、北森先生は病気だと言い言いしてきた。病名は? と聞かれて、医者にも病名は不明だと、苦しい嘘《うそ》をつづけてね。内心どんなに心配したか、わかりゃしない」
「病名不明ですか」
竜太は笑った。
「生徒たちにも、北森先生は病気だと言って聞かせた。すると、可愛いもんですねえ。何度も何度も見舞いに来るんですよ。まだ帰って来ないのかってね。そこに北森先生の退職の辞令が出た。依願退職となっている」
竜太は取調室で筆を持たされ、退職願を書かされた夜のことを思った。
「退職の辞令には驚いたなあ。北森先生が自分から教師をやめたなんて、絶対に考えられない。これは嵌《は》められたなと、鳥肌が立った。辛かったでしょう、どんなにか」
沖島の言葉に、竜太は胸が熱くなった。一緒に暮らし、一緒に働いていた沖島の慰めの言葉が、かえって竜太の悲しみを誘った。
「つ、辛かった……ですよ。そりゃあもう……辛いのは今も、同じです……」
竜太はたまらなくなって、拳《こぶし》で涙を拭《ふ》いた。沖島の眼鏡もくもった。
「北森先生、こんなこと言っていいか悪いか、わからないけど、先生が教えた二年生の子供たちね、三年生になってからぼくが受持っているんです」
竜太は、はっとして沖島を見た。
「もう三カ月もすると、四年生になります。みんな元気ですよ」
羨《せん》望《ぼう》の思いを抑えて竜太は尋ねた。
「そうですか。沖島先生が受持と知って安心しました。ところで、渡部愛子の肺炎は治ったんでしょうか」
折り紙を持っていくと約束をしたのだった。
「すっかり治りましたよ。元気ですよ。五月の運動会にも出たぐらいですから」
「そうですか、それはよかった」
「愛子も退院後、北森先生の見舞いに来ていますよ」
「えっ!? 愛子が?」
竜太は、捕えられた夜、愛子との約束を守れなかったいきさつを話した。そして岩見沢警察署に連行されたこと、孤独な毎日であったこと、旭川署に移されたこと、旭川で坂部先生に会ったこと等々、竜太の出《で》遭《あ》った苦難を逐一話して聞かせた。沖島は、「それはひどい!」とか「畜生!」とか、短く言葉を発し、膝を乗り出しながら聞いてくれたが、
「ひどい目に遭ったんですねえ。知らぬこととは言いながら、何もして上げられなくて、申し訳ない。お父さんに電話をかけて尋ねてもよかったのに、かえって迷惑をかけるようで遠慮していた。しかし本音は、やはり関わり合いになることを恐れていたということだと思う。すまん、すまなかった」
沖島は膝を正して竜太の前に両手をついた。
その夜沖島は竜太の家に一泊して、朝早く幌志内に帰って行った。
二
沖島が訪ねて来てから三日目――。
竜太は朝目を覚ますと、服に着替えて階下に降りて行った。茶の間のストーブの傍らには政太郎があぐらをかいて新聞を読んでおり、台所からはキクエの何か刻む音がトントンと軽快に聞えていた。
「父さんお早う」
竜太はいつものようにラジオのスイッチをひねった。
と、途端に緊張した声が流れてきた。
「臨時ニュースを申し上げます」
竜太と政太郎は思わず顔を見合わせた。日米間の空気は、八月以来とみに険悪になっていた。在米邦人の資産は既に凍結され、対日本の石油輸出が禁止されていた。アメリカでは野村大使と来《くる》栖《す》大使が日米交渉に当っていた。開戦か否《いな》か、国民の多くがその重苦しい空気に不安を抱いていた。その矢先の臨時ニュースである。はっと身を固くした二人の耳に、歯切れのいい言葉がひびいた。
「大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表。帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」
政太郎が膝の上の新聞を鷲《わし》づかみにして、
「やったか!」
と立ち上がった。竜太も思わず声を上げた。台所から障子を開けてキクエが顔を出した。
「何ですか、あなた?」
「とうとう戦争が始まった。アメリカとイギリスを敵にまわしての戦争だ!」
「まあ! 大丈夫なんですか。あんな大きな国を相手にして。勝てるのでしょうか?」
「うーむ、むずかしいだろう。何しろ日本には石油の備蓄が二年分しかない。戦争が始まれば、石油の消費はぐんと増える。石油はたちまち底をつく。石油がなくては戦は勝てない。飛行機も飛ばないし、軍艦も動かん。それをどうするかだ」
「へえー、それっぽっちの石油で、戦争に踏み切ったわけですか」
竜太は政太郎の顔を見た。
「竜太、こんなこと、人には決して言うな。軍部としては、少しでも石油のあるうちに打って出て、勝負を決めたいと思ったのかもしれん……」
竜太はニュースを聞いた興奮がややおさまると、胸の底に何か黒い雲が広がるような不安を感じた。
「竜太にも召集令状がくるかも知れんな。この夏も多くの兵隊が戦地に行った。若者の姿が街から次第に消えていくなあ」
政太郎は暗い顔をした。竜太はふと芳子を思った。遠からず自分に召集令状がくるとすれば、芳子を置いて戦争に行かねばならない。それが結婚前か結婚後か、全く予想もつかない。竜太は黙って洗面所に立って行った。歯を磨きながら、自分が出征したら、芳子は一人で生きなければならない。もし結婚してすぐに一人にされては、芳子は明らかに不幸になるのではないか。再び元気で帰って来る保証はないのだ。短い縁と知りつつ、結婚してよいものか。竜太には、今のニュースが一転して現実のものとなった。
三人の朝食が始まった。製紙会社に勤める保志は、出張で二日前から留守だった。キクエが言った。
「保志も今のニュース、聞いたでしょうかねえ」
「さあ、あいつ寝坊だから」
竜太が答えた。
「竜太と保志は一つちがいか。保志に先に召集令状がくるかも知れんな」
味《み》噌《そ》汁《しる》の馬《ば》鈴《れい》薯《しよ》を口に入れながら、政太郎が言う。
「どうして? 父さん」
竜太が箸をとめた。
「いや、やっぱり赤紙を出すほうも、少しは考えているらしいよ。長男と次男がいれば次男が先とか、一人息子の場合はあとに廻すとか……」
「いやですねえ、竜太も保志も、戦争になんかやりたくない。戦争にやるために、わたし子供を生んだんじゃないですからね」
珍しくキクエが腹立たしげに言った。
「おいおい、そんなこと人前で言ったら大変だぞ」
「言いませんよ、人前では。でも、息子の出征を家の名誉だとか、誇りだとか、そんなことは言いたくありませんよ」
「それはそうと、竜太、お前は師範学校を卒業したあと、軍隊に行って来たよな」
「ええ、短期現役でね」
「すると、召集されても伍長だな」
竜太は黙って首を横にふった。
「何だ、伍長じゃないのか」
「一つ星になるんです。伍長じゃありません」
竜太は鰊漬の大根を音を立てて噛《か》み、
「父さん、あまり耳に入れたくないことだから黙ってたけど、師範を出て八年以内に教壇から去る者は、その恩典は消えてしまうんです」
不意に口惜しさがこみ上げてきた。
「何い? どこまでお前の事件は祟《たた》るんだ?」
竜太は早々に朝食を終えて店に出て行った。
正午、宣戦の詔書が、ラジオで流された。詔書には、米英が蒋《しよう》介《かい》石《せき》政権を助けて東洋制覇をはかり、日本の生存を脅かしている。このままでは日本の東亜安定のための努力は水泡に帰し、日本の存立も危うくされる。ここに自存自衛のためにやむを得ず立つ、という主旨が述べられていた。それにつづく東條首相の演説は「一億一心、必勝の信念をもって戦おう」というものであった。
が、それらにもまして日本国民を奮起させたのは、夜に入ってのハワイにおける戦果のニュースであった。ニュースによれば、アメリカの戦艦撃沈五隻、ほかに多種の艦艇を撃沈または撃破、更に航空機数百機に致命的な打撃を与え、二千名を超える敵軍に損傷を与えたということであった。これに対し、日本側の損害として航空機二十九機、二人乗り特殊潜航艇五隻、戦死者百名以内と発表された。特に人々を感奮させたのは、特殊潜航艇五隻による真珠湾内攻撃であった。
竜太もこのニュースには心を突き動かされた。二人乗りの特殊潜航艇に乗りこんだ若い将校が、アメリカの艦艇に体当り同様の攻撃をしたというニュースは、あまりにも悲壮に過ぎた。戦争賛成も反対もなかった。彼らの後につづくべきだとの思いが、竜太の胸にも湧《わ》き上がったのである。
翌々日十二月十日の夜、北森質店では同業者の寄合いが持たれていた。毎月廻り当番で開かれ、集まる数はたいてい七、八人であった。茶菓だけの質素な会だが、何年もつづいている会であった。が、今夜はいつもより少ない数だった。五、六人でやや淋しい会であった。それでもこの夜、一応情報伝達が終ったあと、開戦の話に花が咲いた。
「やりますなあ、日本も」
と、街の中央で大きな質屋を営む五十がらみの男が口火を切った。
「いや、全く凄いもんだ」
二、三人が口々に応じた。
「街を行く人の顔が変りましたな」
「そうそう。みんな目が輝いている。肩で風を切っていますよ」
いつもは借りて来た猫のように、隅のほうでおとなしくしている男が、珍しく大きな声で言った。一同はちょっと驚いたふうだったが、一人が受けて、
「そりゃあそうですとも。日本は地図で見たらどこにあるのかわからんような、小さな国ですよ。それがアメリカのような大国を相手に、最初っからあんな大きな戦果を上げたんですからね」
「そうですよ。日本は神髄を発揮しましたよ。日本という国の底力に、敵も震え上がったんじゃないですかね」
「震え上がりましたとも。何しろ日本という国は、ちょんまげを切ったか切らんうちに、支那という大きな国と戦った。その十年後には大ロシアに勝った。そして今度の赫《かつ》赫《かく》たる戦果ですからな」
借りて来た猫のような男が、またも大声で語る。一同は大きくうなずいた。タバコの煙が漂い、酒席のような盛り上がった雰囲気となった。
「うちに来た刑事の話ではねえ、開戦に不安がっていた人々が、緒戦の戦果を聞いてからは、一様に日本の勝利を確信するようになったようですよ」
「日本人の精神力には測り難いものがありますね。二人乗りの潜航艇の活躍が凄かった。いわば体当りですよ。これには泣かされましたね」
「全くだ。戦争反対なんて、とても言えやしない」
人々はやたらと饒《じよう》舌《ぜつ》だった。竜太は同業者の一人としてその場にあったが、特殊潜航艇に乗ることを命ぜられた若者の胸中を思って、興奮をおさえることができなかった。
「小学生の時、歴史の時間に楠木《くすのき》正《まさ》成《しげ》を習いましたな。次から次と奇策をもって敵を悩ました。日本はあの正成のやり方で、米英を悩ますんじゃありませんかね」
「なるほど、楠木正成ねえ。とにかく痛快至極ですよ。われわれも神社参拝などをして、協力しなければいかんですな」
「とにかくこうなりゃあ、勝利は日本のもんですよ。やっぱり日本は神国だ。八《や》百《お》万《よろず》の神がついている。いざとなれば神風が吹く。国民は誰しも天《てん》佑《ゆう》神《しん》助《じよ》を信じている。仮にどんな苦境におちいっても大丈夫です」
大きな質屋の主人が説教調で言った。と、今まで黙って聞いていた政太郎が口を挟んだ。
「そうありたいもんですがねえ。戦争は今始まったばかりですからねえ」
「えーっ? 北森さんはえらく冷静ですなあ」
ふだんおとなしい男が、やや咎《とが》めるように言った。
「いや、勝って欲しいからこそ、勝って兜《かぶと》の緒を締めよ、と思いましてね」
「勝つに決まってるじゃないですか」
誰かが声を上げて言った。
「ええ、それはそうだろうと思いますが、ここでぐっとわれわれ国民も、腰を落さなければ……」
何となく政太郎の発言が、みんなに水を差した感じになった。誰かが言った。
「北森さん、あんたいやに怖《お》じ気《け》づいてますなあ。臆《おく》病《びよう》は禁物ですぞ。一億一心、心を合わせて喜ぶ時は喜ばなきゃあ」
「そうですよ、北森さん。世間にはいろいろな奴がいますからね。ちょっと異を立てると、すぐに非国民だの、スパイだのと、陰口を叩かれますからねえ」
スパイという時、その男はじろりと竜太を一《いち》瞥《べつ》した。冷たい目であった。
一同が帰ってからも、その冷たい目を思い出して、竜太はその夜なかなか寝つかれなかった。竜太は父の発言は当然だと思った。みんなが浮かれている時には、冷静に振舞うことも必要だ。絶望している時には、希望を与えることが必要だ。だがその政太郎に向けたスパイ云《うん》々《ぬん》の言葉は、竜太の事件を知った上での言葉のように思われた。竜太の事件を知る者は少ないとしても、どんな形で、どんなふうに伝わっているかわからないのだ。小さい時から仲のよかった従兄弟の楠夫でさえ、竜太の釈放後一度顔を見せただけである。楠夫は大学を出たあと、一年程東京の商事会社に勤めていたが、「戦争が長引けば、旭川のほうが安全だ」と言って、そこをやめ、旭川の大手の酒造会社に勤めていた。機を見るに敏な楠夫は、竜太に近寄らぬほうが安全だと思っているのかも知れなかった。
安全と言えば、今日の寄合いに集まった人数はいつもより三人ほど少なかった。それはあるいは自分に原因があるのではないかと、眠れぬままに竜太は思った。当局の恐ろしさを、人々は竜太以上に鋭敏に嗅《か》ぎ取っているかも知れないのだ。
(もしかして、自分が教会に行くことは……教会員たちの迷惑になるのではないか)
ただでさえキリスト教徒は、いつ捕えられるか計り知れない状況にあるのだ。竜太は今までに教会を二度までも訪ねた自分の軽率が、悔やまれてならなかった。
(やはり、教会で式を挙げることは冒険かも知れない)
信者でもない自分が、教会で式を挙げては、何らかの咎めが牧師に対して必ずあるような気がした。
(ぼくがいま芳子と結婚することは、果たして芳子を幸せにする道であろうか)
竜太は先程の、「スパイ」ということを口から出したあの男の冷たい目を、再び思い浮かべた。しかも戦火は明らかに広がっている。召集されても、自分が捕えられた履歴は当局に報告されているにちがいない。竜太は改めて、人間が人間を疑うことの恐ろしさをつくづくと感じた。自分の未来に待っているのは、人的資源と呼ばれる消耗品の如き兵隊の姿であった。
竜太は訪ねて来た沖島が、翌朝竜太の手を握りながら言った言葉を思った。
「北森先生、先生の話を聞いて、ぼくは何とも日本が息苦しくなってきた。満州にでも行きたいような気がする。新天新地の満州にこそ、生きる道があるように思うんです」
酔った上での話ではない。朝、洗面をすませてからの言葉だった。
(満州か……)
竜太の目に、広大な満州の野が浮かんだ。赤い夕日が静かに沈んでいく。一望すべて人の影も馬の影もない。そんな所に芳子と二人で、開拓の鍬《くわ》をふるいたいような気がした。
(そうだ! 満州に行こう)
つい先日、弟の保志は竜太にぽつりと言った。
「兄さん、おれ、召集で引っ張られる前に、志願兵になって行きたいよ」
驚く竜太をじっと見つめて、保志は自分の部屋に戻って行った。今思えば、兄である自分の故に辛い思いをしているのではないかと思った。心ない者の口から、聞えよがしにスパイなどと言われては、耐えられないにちがいない。竜太は自分の居場所がないことを思い知らされたような気がした。
吹雪
一
雲の切れ間から北斗七星がはっきりと見える。竜太はふっと溜《ため》息《いき》をついて、道の真ん中に立ちどまった。傍らの芳子も足を止めた。その芳子の視線を感じて、竜太はまた歩き出す。
正月も一週間が過ぎたが、まだ家々には門松が立ててあって、街は新年らしい華やぎを見せている。
「どうなさったの、竜太さん?」
さっきから幾度も立ちどまっては吐息をつく竜太に、芳子は微笑しながら言った。
「ううん、何でもない。お茶でも飲みにあの店に入ろうか」
竜太はさりげなく角の喫茶店を指差した。
「うれしいわ」
芳子はうなずいて、いそいそと歩いて行く。結婚式はあと二カ月余りのちと決まった。三月の春休みが、媒酌の横尾校長にも芳子たちにも都合がよかった。北森質店の近い所に家を借りる約束もできた。芳子の家も目と鼻の先だから、時々両親を慰めることもできると、芳子は素直に喜んでいた。その芳子に竜太は、
「満州に一緒に行ってくれないか」
と、言い出そうとしているのだ。十二月八日、大東亜戦争が始まって以来、気のせいか竜太は人々の目が一段と気になった。特にスパイという言葉が誰かの口から洩《も》れる時、人々が一斉に自分を見るような、そんな不安さえ感ずる。今の日本に、自分が安んじて生きていける場所など、ないような気がしてならない。沖島先生が幌志内から訪ねて来て、帰る時に、
「満州にでも行きたい」
と言った言葉が、妙に竜太の心を唆《そそ》る。しかし芳子自身に、満州行きを望む理由などあるわけがない。あまりにも唐突にひびくかも知れない。満州のことなど言い出して、「話がちがう」と婚約解消を迫られるかも知れない。しかし竜太には、満州は今一番行ってみたい所だった。
喫茶店の片隅に向かいあって、竜太と芳子は顔を見合わせた。
「何かお話がありそうね」
「いや、話っていうか……話っていうより夢ですね」
「夢? どんな夢?」
「うん。保護観察などという小うるさいものから、逃げられる道はないかと思ってね」
芳子は黙って竜太を見た。保護司が役目柄とは言え、十日に一度は訪ねて来る。当り障りのない話をして帰るのだが、時には、
「まじめにやってるね。関係者と行き来はしていないね」
などと念を押される。それは竜太にとって屈辱だった。何の罪を犯したわけではない。当然のごとくやってくる保護司に対して、竜太は次第にうとましくなっていた。
「竜太さん」
芳子の声が改まった。店内には三組ほどの若い男女が、静かにコーヒーを飲んでいた。芳子は声をひそめて、
「竜太さん、ごめんなさいね。わたし、竜太さんと一緒に住む日が近くなって、只うきうき喜んでいたの。でも、竜太さんは、人には言えない辛い思いを、何度もしているんでしょうね。気がつかないでごめんなさい」
「いえ……芳子さんにそんなことを言われては……」
竜太は頭を掻《か》いた。
「竜太さん、竜太さん今、保護観察などから逃れたいって、おっしゃったわね。でも、日本中どこに行っても、同じ扱いを受けるわけでしょう? 満州かどこかなら別でしょうけど」
竜太は深くうなずいた。
「あ、そうか。竜太さん、満州に行きたいのね」
芳子は竜太の目を真っすぐに見た。竜太も芳子の顔を見た。芳子の口に微笑が浮かんだ。
「竜太さん、いいじゃない。わたしも実はね、ちょっとそんなことを考えたことがあるのよ」
「満州へ行きたいって?」
「そう」
「ほんと!? 芳子さんほんとですか」
「ほんとうよ。実はね、わたしの女学校時代のクラスメートにばったりと出会ったのよ。ついクリスマスのちょっと前。彼女とわたし、割合親しかったのに、何年も音沙汰なくて、いったいどこへ行ったんだろうって、みんなで言っていたの。そしたら彼女、満州のハルピンに行ってたんですって。女学校卒業してすぐに、彼女はたった一人でハルピンまで行ったっていうじゃない、それにはそれなりの深い理由があったらしいの。あとで、いつか話せる時がきたら話してあげるって、理由は教えてはくれなかったけど……」
「へえー、十七、八の娘がたった一人で、満州まで出かけたなんてねえ……」
「そうよねえ。旭川から汽車に乗って、下関まで行って、そして朝鮮半島を縦断して、満州に入って、ハルピンまで、よく行ったと思うわ」
「ほんとうになあ。それで、芳子さんも行ってみたいと思ったの?」
「ううん。行ってみたいというより、あなたと一緒に満州に行きたいと思ったの」
「まさか! どうして?」
思わぬ言葉に、竜太は目を瞠《みは》った。
「それはね……彼女ハルピンで何をしてたと思う?」
「さあ、喫茶店か何かに勤めていた?」
「ちがうの。彼女、小学校の教師をしてたのよ。免許を持っていないのに」
「小学校の先生!?」
竜太の目が輝いた。
「そう。それを聞いたからわたし、免許状を持っているあなたに、満州で教壇に立ってもらえたらと思ったのよ。でも、それこそ夢だと思ったの」
「芳子さん! そんなにまでぼくのことを考えてくれていたんですか」
竜太は思わず声を詰まらせた。
「でも、竜太さんが保護司のことで、そんなに辛い思いをしていらっしゃるって、わたし知らなかったのよ。只わたし、竜太さんに、もう一度教壇に立って欲しいという思いが強くて……。今満州には、日本からどんどん人が行っているというわね。大人が行けば、自然に子供も増えるわけでしょ? 日本人の学校が必要になる。現職の教師はなかなか満州にまでは出て行かない。だから今、満州では教師が足りなくて大変らしいの」
「なるほどねえ。戦争が進めば、今に教師たちも召集されるかも知れないしね。国内だけでも、女教師がどんどん増えている」
「だから今のうちに満州で先生になるのよ。わたしもあなたも。資格と経験があるんですもの」
「ほんとうだねえ、芳子さん!」
竜太の顔は、思いもかけぬ芳子の話に輝いた。
「しかし芳子さん、満州は遠いよ」
「遠いと言えば遠いわ。でもアメリカよりずっと近いわ。ただ、実現させるには、いろいろと問題があるわ。第一に親の承諾を得ることね。親のことを思うと、わたし竜太さんにこの話言いづらかったのよ。でも、竜太さんがほんとうの意味で、元の竜太さんに戻るためには、どうしても教師になって欲しいのよ」
「ありがとう、芳子さん。君がそんなに考えてくれているのに、ぼくは君のことを、いったいどれだけ考えて上げていただろう。芳子さんはほんとうに真実なひとなんだな」
竜太の声には深い感動がこもっていた。
その日以来、竜太の顔には張りが出てきた。動作もきびきびしてきた。明らかに竜太の中に、大きな変化の起きたことを、親たちも感じ取ったのだった。そんなある日の昼食後、食器を片づけながらキクエが言った。
「竜太、お前、この頃、元気で明るくなったじゃないか。やっぱりお嫁さんのくる日が近づいてきたからかな」
その場にいた政太郎が言った。
「よかったよ。とにかく元気になってくれて」
そこで、竜太は思いきって満州行きの希望を告げた。竜太の話を聞くにつれて、政太郎とキクエの顔が次第にかげっていった。
「わたしは反対ですよ、竜太」
話を聞き終るや否《いな》や、キクエは切り捨てるように言った。
(やっぱり……)
竜太は黙ってうなずいた。じっと自分の膝《ひざ》頭《がしら》を見ていた政太郎が、
「お前がどんなにひどい目に遭《あ》ったか、父さんも腹に応《こた》えている。わしでさえ、こん畜生と怒鳴りたくなる時もある。満州に高飛びしたい思いは、わからんわけではない。だがなあ竜太、こんな世の中がいつまでもつづくわけがないと、わしは思う。大きい声じゃ言えんが、日本はいつか、へらからい目に遭う日がくるんじゃないか。その時になって必要なのは教師だ。人間だ。それまでじっと辛抱して、時を待つ気にはなれんかね」
そういうこともあるかもしれないと竜太は思った。だがその気になれば、結婚後何カ月も経《た》たぬうちに教壇に立てるのだ。子供たちとまた毎日生活ができるのだ。そう思っただけで、もう竜太の気持は満州に飛んでいる。竜太の気持が動かぬと見たキクエは、却《かえ》って依《い》怙《こ》地《じ》に言った。
「満州って、零下四十度にもなるっていうじゃないの。馬賊や匪《ひ》賊《ぞく》が出て危険だともいうじゃないの。そんな所へ行くの、母さんは絶対反対ですよ」
キクエは必死だった。竜太は黙ってうつむいた。満州は見知らぬ異国なのだ。母の心配は当然過ぎるほど当然だった。その上父の政太郎も反対である。だが竜太は、教師になる道があることに根強い執着を感じた。黙りこんだ竜太の様子を見て政太郎が言った。
「満州に行って、もしも戦争に負けるようなことにでもなれば、どうなるかわからんぞ。風呂敷包み一つで帰って来れれば、いいほうだ。命の保障だってないんだから。戦争に負けた経験のない日本人は、その恐ろしさがわからないんだ」
それでも竜太は黙ったままだった。他の多くの日本人同様、竜太も日本が戦争に負けるなどとは思えなかった。満州が楽土に思われた。頭を上げようともしない竜太に、政太郎が大きく吐息をついて言った。
「お前も可哀そうな奴だな。そんなに満州に行きたいのか。いや、教壇に戻りたいのか。無理もない。どこに勤めようにも刑事が来る。憲兵が来る。それは辛いことだよな」
優しく言われて、竜太の肩がかすかにふるえた。
「わかった。警察に連れられて行ったあの時、お前は死んだと思えば諦《あきら》めもつく。そんなに行きたければ、行ってもいい」
「ほんとうですか!」
竜太は思わず顔を上げた。キクエは黙って、カッポウ着の袖口で涙を拭《ふ》いた。
「但し、竜太、二年間だそ。二年後には必ず帰って来い。それを約束できるか。できるなら許してやってもいい。なあ母さん」
キクエは顔を覆った。
「はい! 二年で帰ります」
満州に渡ることさえ許してくれるなら、たとえ二年でも、竜太は約束していいような気がした。
こうして竜太は一応両親の許しを得ることができた。
一方芳子の父親と母親は、意外な意見を述べた。
「よそさまでは、大事な息子が、一軒の家から三人も兵隊に取られた例もある。戦死させた息子を持つ親たちもたくさんいる。だのに、うちの高雄は目が悪くて兵隊検査ではねられた。強ときたら、やれ肋膜だ貧血だと、蚊《か》トンボみたいに貧弱な体をしている。誰一人、お国のために役立つ者はいない。それをなんぼおれは嘆いていたかわからない。なのに、女の子のお前が満州で先生をする。なんとありがたいことを言ってくれたもんだか。おれは誰がなんと言おうと、賛成するよ。芳子、中原家の代表として頑張ってくれ」
涙声にさえなって、許すどころか喜んでくれたのだった。
竜太たちの媒酌人の横尾校長は、原則的には反対はしたが、
「わたしには見えているものが、君たちには見えていない。もうちょっと高く登れば見える筈のものが、今はまだ見えないってこともあるんだな。まあ、いいでしょう。そういう青春の時があっても……」
と、諦めたように言った。
竜太と芳子の家は、二百メートルと離れていない。満州行きが決まってからは、二人はそれぞれに忙しくなった。芳子は退職願を出さなければならなかった。生徒たちとの別れの準備も要《い》る。
竜太は満州の教育関係者に渡りもつけなければならない。すべてが思いがけなく、手順よく処理されていった。竜太の過去は、履歴書に記されなければならないものではなかったから、賞罰の項には「なし」と書き入れた。
二人は、満州でさえあれば、新京や奉天のような都市であろうと僻《へき》地《ち》であろうと、喜んで赴任しようと心に決めた。遠いと言っても、その気になれば一週間とかからずに帰ってくることのできる地なのだ。二人にとって新しい国満州は、胸をふくらますに充分な異国であった。
二
二月初めだというのに、今にも雨が降るかと思うほどの暖かい午後である。きょうは店は休みで、政太郎とキクエはそれぞれの用事で出かけていた。保志も勤めに出ていて、竜太一人が留守番をしていた。
ストーブのとろとろと燃える傍らで、竜太はぼんやりともの思いにふけっていた。たった一人で、しんと静まり帰った家の中にいると、妙に人恋しさを感じさせられた。
(あと二カ月余りで、芳子はぼくの妻となるのか)
満州行きが決まる以前には味わえなかった結婚への期待が、今初めて充実感を伴った喜びとなった。
(坂部先生が生きておられたらなあ……)
(冴子先生はお元気だろうか)
冴子先生は市内の大きな時計屋の娘である。経済的には何の苦労もないと聞いているが、人間には金に替えられない大切なものがある。それは愛だ。人並優れて仲のよかった坂部先生と冴子先生のことを思うと、竜太はたまらなくなる。
(もし、自分が芳子を失うことがあるとしたら……)
想像するだけでぞっとする思いだった。芳子は今、元気で午後の授業をつづけているにちがいない。芳子の伸びやかな肢体が妙に目に浮かぶ。昼間から悩ましい思いで芳子を思い浮かべるなどというのは、この静まり返った家《や》内《ぬち》のせいだと思う。竜太は頭をふって、芳子の姿を払いのけるように独り言を言った。
「坂部先生が生きておられたら、先生は二人の満州行きを許してくれただろうか」
とその時、玄関の引戸を開ける音がした。つづいて、
「ごめんください」
と訪《おとな》う声は、思いがけず芳子の声だった。竜太はちょっと顔を赤らめながら立って行った。
「芳子さん、どうしたの? 学校は?」
芳子は茶の間に上がると、
「早退したの。さっき、学校に知らせがあって……わたし、北《きた》見《み》枝《え》幸《さし》に髪結をしている伯母がいると、いつか言ったでしょう?」
「ああ、お父さんのお姉さんだったね」
「その伯母が亡くなったんですって」
「亡くなった? それは大変だ。それで芳子さん、北見枝幸へ行くわけ?」
「そう。その電報を見て、わたし、父と一緒にお葬式に行くことになったの」
「芳子さんの小さい時、子供に欲しいって可愛がって下さった伯母さんでしたよね」
「そうなの。父が病気の時に、この伯母が一生懸命働いたお金を時々送ってくれて、助けてくれたのよ」
「それは淋《さび》しくなったねえ。それで何時の汽車で行くの? 北見枝幸にはぼくも一度行ったけど、オホーツク海が見えて、きれいな所だった。しかし遠いよねえ。名《や》寄《よろ》を過ぎて音《おと》威《い》子《ねつ》府《ぷ》で北見線に乗り替えて、浜《はま》頓《とん》別《べつ》でまた乗り替えるわけだろうけど、間に合うのかなあ」
「もし間に合わなければ、浜頓別で一泊してもいいの。夏だと小《しよう》頓《とん》別《べつ》からバスの便があるんだけど……」
「とにかく大変だなあ。お父さんと二人だけで行くって? 何だか心配だなあ」
竜太は自分も従《つ》いて行ってやりたいような気がした。
「大丈夫よ、三日経ったら帰ってくるわ。わたし、ちょっと竜太さんと、お父さんお母さんにご挨《あい》拶《さつ》して行こうと思ったんだけど、お父さんお母さんお留守なのね。でも竜太さんの顔を見れてよかった。よろしくおっしゃって」
芳子は立ち上がった。
「なんだ、もう帰るの? そうだ急がなきゃならないからねえ」
「あら、竜太さんったら、子供みたいね。淋しそうな顔して。そんな竜太さんが、わたしたまらなく好きなの」
芳子は年上のような語調で言った。
「そんなに淋しい顔をしているかなあ。確かにきょう、正直に言うと、ぼく、妙に芳子さんのことばかり考えていたんだ。あと二カ月余りで、芳子さんはぼくの妻になる。そんなことを思ったりしてね」
「竜太さん!」
芳子の黒い目がきらりと光った。竜太は思わず芳子の手を取った。芳子は白い顔を竜太に向けて目をつむった。その唇がふるえていた。
外に出て、竜太は去って行く芳子のうしろ姿を見つめた。芳子は雪道を急ぎ足で歩いて行く。時折竜太をふり返って手を振った。竜太も手を振った。芳子が走り出した。子供のようにひたすらな走り方だ。愛《いと》しいと思った。
翌朝竜太は、いつもより早く目を覚ました。
(不思議なもんだなあ)
妙に心もとない気持なのだ。僅《わず》か二、三日旭川を離れるというだけなのに、芳子が同じ街にいないということが、こんなにも自分の気持をうつろにするものなのだろうか。竜太は寝返りを打った。
(なるほど、これが張り合いがないっていうやつだな)
毎日会っているわけではない。しかし、同じ土地に芳子がいるというだけで、近頃の竜太はどんなに大きな力を与えられているか計り知れないのだ。
(まあいいや。もう少しの辛抱だ)
芳子の花嫁姿を思い描いてみる。花嫁姿といえは、日本髪の角隠しの姿を想像していたのだが、芳子はウエディングドレスを着るという。どっちにしても、美しい花嫁姿であろうと、まだ見ぬ芳子の花嫁姿を竜太は想像してみた。
(いまごろ芳子は、浜頓別の宿でまだ眠っているだろうか)
竜太は芳子の寝顔を見たことはない。結婚したなら、毎朝自分の傍らに芳子の寝顔を見ることができるのだ。芳子の寝顔はきっと、子供のように無邪気な、清らかな、そしてあたたかな寝顔にちがいない。
(ところで、おれの寝顔はどうなのだろう)
淫《みだ》らな顔だけは見せたくないと思う。聖書には、〈寝床を汚すな〉と夫婦のあり方が書いてあると芳子が言っていた。深い言葉だと思う。
(そうだ、毎日の生活の中で、信者である芳子は祈るだろう。聖書も読むだろう)
その芳子の夫になる自分は、聖書に何が書いてあるかぐらい、本気になって読んでおくべきだ。満州にも多分教会があるにちがいない。満州は独立国家だといっても、日本の権力にそのすべてを握られている。もしかしたら満州には、教会はないかも知れない。あっても憲兵がわがもの顔に出入りしているかも知れない。
ここまで考えて竜太は起き上がった。
(しかし保護観察の身でなくなることは、確かなのだ)
今の竜太にはそれだけで充分であった。満州の教会に、自分と肩を並べて出かけて行く芳子の姿を思って、竜太は満足だった。芳子が今旭川にいない淋しさが、ようやくうすらいでいくようだった。
朝食が終って、竜太は雪掻きのために外に出た。昨夜降った新雪が、太陽の光を乱反射して目に眩《まばゆ》かった。
(明日は葬式だから帰れなくても、明後日には帰って来る)
思いはつい芳子の上に落ちていく。
(満州でも除雪をするのかな)
満州という所は、あまりに寒くて雪が少ないような気がした。思わず竜太の口に微笑が浮かぶ。
店の前の雪掻きをして、玄関前に戻った時だった。見かけぬ男が近づいて来た。
「北森竜太さんのお宅ですね」
またしても警察関係の誰かかと思って、ややぶっきらぼうに、
「そうです」
と言うと、男は、
「北森竜太さんですか」
と念を押し、それから愛想よく、
「おめでとうございます。わたしは市役所の兵事係の者ですが、召集令状を届けに参りました」
と、封書を差し出した。
「えっ!? 召集令状……」
竜太は呆《ぼう》然《ぜん》とした。
「武運長久を祈ります。立派に戦って下さい」
男は頭を下げて去って行った。
竜太は玄関の前に突っ立ったまま、召集令状に目を走らせた。薄赤い紙に充員召集令状の字が真っ先に飛びこんできた。入隊の日時は昭和十七年二月十三日午前九時とある。竜太は再び召集令状を読み返し、大きく吐息をついて家の中に入った。父は店に、母は台所に立っていた。
「父さん! 母さん! 赤紙がきましたよ、赤紙が」
竜太は大声で言った。
「何!? 赤紙だと?」
政太郎が叫び、キクエが、
「ほんと!? 誰に?」
と言ったのが同時だった。
茶の間のストーブのそばにどっかとあぐらをかいて、政太郎は召集令状を黙々と読んだ。竜太は自分の胸から、満州で教壇に立つ自分の姿も、芳子の花嫁姿も遠く去って行くのを感じた。日本中にこの赤紙一枚で、妻子と別れ、親と別れ、職場と別れて、もぎ取られるように戦地に行った数多くの人々のいることを、竜太は今更のように身に沁《し》みて思った。
読み終った政太郎が、
「十三日の午後九時、七師団に集合だそうだ、キクエ」
と憮《ぶ》然《ぜん》とした声になり、
「普通は次男三男が先に召集されているのに、うちでは竜太が先だ。やはりあの事件が崇《たた》っているんだな」
と言った。キクエが言った。
「竜太が先ですか。今結婚するというのに。結婚はどうするの」
竜太は答えなかった。政太郎もキクエも黙りこんだ。ややしばらく沈黙がつづいた。召集令状がやがては来ることを、竜太も、政太郎もキクエも覚悟はしていた。が、なぜか竜太は芳子との結婚は、今度こそ無事に挙げ得ると信じていた。その結婚を目前に召集令状がきたのだ。竜太は不意にうしろから切りつけられたような思いだった。
「竜太も可哀そうな奴だなあ」
政太郎の声がしめった。満州で教師になれるということで、生き生きと甦《よみがえ》ったような竜太を見ていただけに、政太郎は辛かった。竜太は喚《わめ》きたい思いだった。兵事係は、「おめでとうございます」と言った。召集令状が本当に目出たいのか、問い返したい思いだった。戦場に行くことは、もしかしたら命を失うことかも知れないのだ。もっと他に挨拶の仕方があってよいような気がした。病気の子供がいようと、妊娠中の妻がいようと、寝たっきりの老人がいようと、翌日からの生活に困ろうと、ただこの一枚の赤紙で家をあとにしなければならないのだ。一筋に、国のためによい教師になろうとしてきた竜太は、兵隊に取られることも止《や》むを得ぬことと思ってきた。が、それが現実に自分の身にふりかかった時、その召集令状に無気味な圧力を感じないではいられなかった。
「竜太、芳子さんにすぐ知らせなくていいの」
「いや、明後日には帰って来るんだから、知らせないほうがいいよ」
キクエの言葉に竜太は答えた。伯母の葬儀に出かけた旅先に、応召を知らせるのはあまりにも酷な気がした。政太郎が竜太の顔をじっと見つめて言った。
「入隊前に仮祝言をするという手もあるんだぞ」
「お父さん、ぼくは戦地に行くんです。ぼくが戦死したら、芳子さんはどうなるんですか。下手をすると、一生未亡人のまま暮らすなんてことに、なるかも知れません。結婚は諦めます。芳子さんを自由にしてやりたいんです」
竜太は涙があふれそうになった。もう芳子との縁は、入隊と共に切れる。そう思うと、すぐにでも電報を打って呼び帰したかった。キクエは急いで台所に立った。泣きに行ったのだ。政太郎はじっとストーブの小窓にゆらめく炎を見つめていた。
あっという間に芳子の帰る日が来た。竜太は、妙にがたがたと窓の鳴る音に目が覚めた。まだ外も家の中も暗い。
(風だな。吹雪かな)
風の少ない旭川には珍しい強風だった。
(下手をすると、芳子さんは帰れなくなるんじゃないか)
竜太は不安になって飛び起きた。芳子の伯母の家には電話はない。
(そうだ。北見枝幸の役場に電話をして、気象状況を問い合わせてみよう)
それにしてもまだ早過ぎる。当直員の寝ている時間だ。竜太はいらいらと今見たばかりの時計を見上げた。六時を少し過ぎたばかりだ。
竜太が電話局に長距離電話を申しこんだのは八時だった。それから十分経つか経たぬうちに電話のベルが鳴った。長距離電話は申しこんで一時間かかることは珍しくない。早くもつながったのかと、竜太は驚いて受話器を耳に当てた。
「もしもし、北見枝幸からです」
先ず交換手の声が聞えた。つづいて聞えた声に竜太はびっくりした。芳子の声だった。
「あ! 芳子さん! ぼく今、北見枝幸の役場に、長距離電話を申しこんだばかりです。旭川が吹雪いているんで、そっちのこと心配になって……」
「あら、心配して下さってありがとう。わたしもそれでお電話したの。浜頓別までは何とか行けるけど、北見線は不通ですって。残念ながらきょうは帰れないけど、多分明日かあさっては、大丈夫じゃないかと思うの」
「明日か、あさって?」
「ええ」
何も知らない芳子の声は、いつものように澄んでいた。芳子は葬式は無事に終ったと言い、
「北見線は、冬にはしょっちゅう汽車が不通になるんですって。わたし、学校は忌引は三日いただいてきたけど、二、三日遅れてしまうの。困ってしまったわ」
「…………」
「竜太さん。どうしたの? 元気ないみたいね」
竜太は召集令状の来たことを、告げるべきか否かと迷った。
「そうですか。元気がないですか。とにかくね、一刻も早く帰って来て欲しいんです」
「わたしが旭川にいないと、そんなに淋しい?」
「…………」
「もちろん、早く帰りますよ。わたしだって淋しいもの」
「実はね、芳子さん。実は……」
「実はどうしたの?」
「うん、実は……」
「何かあったのね。また保護司関係のこと?」
「いや、ぼく、芳子さん、ぼくに赤紙が来たんです」
「え!? 赤紙が? ほんと竜太さん!」
芳子の声が悲鳴に近かった。
「そう。ぼくたちの結婚は、またしばらくお預けだね」
「…………」
芳子の返事はなかった。泣いているようだった。
鎧戸
一
(どうしたのだろう?)
竜太は自分を見送りに来ている大勢の人々の中に、芳子の姿を求めた。が、人一倍体の大きい楠夫が邪魔になって、楠夫のうしろの何人かの顔が見えない。竜太はいらいらした。芳子は吹雪のために、竜太の入隊までには帰って来ることはできなかったのだ。
町内会長が竜太の応召を祝して、何か言っているのだが、竜太には聞きとれない。町内会長の送別の辞が終れば、ここを発《た》って行かねばならぬ。二度と再びこの地に立てるかどうかわからないのに、芳子の顔を遂に見ることができないのか。
竜太は腕時計を見た。が、文字盤が見えない。寒さのためにガラスがくもっているのだ。そう思った時だった。汽車の汽笛が長く響いた。竜太ははっと目が覚めた。向かいの座席に二人の古年兵が眠りこけていた。
(ああ、夢か)
竜太は今戦地に向かう汽車の中にあった。
竜太が召集令状を受けてから既に四カ月になろうとしていた。にもかかわらず、竜太はこれに似た夢を幾度か見た。それほどあの時の不安が、竜太の心の底に深く彫りつけられているのかも知れない。
二月六日、芳子は北《きた》見《み》枝《え》幸《さし》へ伯母の葬儀で父親と共に出かけた。翌七日、竜太に召集令状がきた。葬儀が終り次第帰って来る芳子に、わざわざ知らせるのは何かためらわれて、竜太は電報も打たなかった。芳子の伯母の家には電話もなかった。芳子の帰る予定の日、北見枝幸一帯は大吹雪に見舞われた。汽車は不通となって、芳子はすぐには帰れなくなった。日時はたちまち過ぎて、竜太の入隊の期限まで二日を残すのみとなった。芳子とは三月に結婚の予定だった。その芳子を置いて、竜太は家を出なければならぬ。話し合いたいことはたくさんあった。生きて帰るという保証はどこにもない。
昨年十二月日本軍がハワイを急襲して以来、戦火はいっそう拡大されつつあった。一月二日にはマニラを占領、軍政が布告された。一月三十日にはマレー半島ジョホールバルを占領、つづいて二月四日にはジャワ沖に大海戦があった。刻々戦火の広がる情勢の中にあって、無事帰還を確信することなど竜太にはできなかった。
入隊の日を前に、一分でも二分でも時間が欲しかった。せめて一晩、心ゆくまで芳子と語り明かしたかった。自分の腕の中に、芳子を抱きしめたかった。「さようなら」のひとことを、万感こめて言いたかった。にもかかわらず、芳子は大吹雪という自然の猛威の前に身動きがとれなかったのだ。万一会えぬ時のことを思って、竜太は芳子に手紙を書いた。入隊を前にしてのあわただしい手紙だった。
〈芳子さん
こんなにも君との別れの日が早くやって来ようとは、夢にも思わなかった。めめしいようだが、ぼくは君の顔をひと目見て発ちたかった。でなければ、力の限りに戦うなどということは、できないような気がする。小学校の四年生の時から、ぼくたちは同じ教室で学んだ。尊敬する坂部先生に受持たれた共通の思い出が、ぼくらの愛を育ててくれた。今、出立に際して、ぼくが君に言う言葉は、
「長い間、本当にありがとう」
という平凡なひとことだ。君はぼくの妻になる筈の人だった。ぼくは無事に帰って来るかどうかわからない。いったいぼくは、君に何と言うべきなのだろう。ただ幸せになって欲しいと思う。人間という者は、死ぬまでにいろいろな人に巡り合って生きていくものだ。ぼくにとらわれて、歩むべき道を誤らないように。君にふさわしい人に巡り合った時は、素直にその人を受入れて下さい。ぼくと君の間は清かった。それがせめてもの、ぼくの君への贈り物だ。君の美しい体を、君の美しい心のように大事にして、よい一生を生きぬいて下さい。
万一無事帰還する日があるならば、そして君がまだ独身でいるならば、ぼくは改めて君にプロポーズさせてもらう。
さようなら
元気で、しっかりと生きていって下さい。
さようなら〉
書きたいことがたくさんあるのに、何も書けなかったこの手紙を、竜太が書き上げた二月十一日の夜十一時過ぎ、玄関の戸を強く叩《たた》く者がいた。茶の間のストーブの傍らで手紙を読み返していた竜太は、はっと胸をとどろかせて部屋を出た。
玄関の戸を開けると芳子が立っていた。芳子の大きな目から涙があふれ落ちた。
「芳子さん! よく帰って来てくれた」
芳子は笑おうとしたが、しゃくりあげた。
翌日十二日、芳子は休暇を取って竜太のそばから離れなかった。明日の入隊を前に、祝いに来る客の出入りがはげしかった。しばらく顔を見せなかった楠夫も、この三日ばかりは毎日のように顔を見せた。
「竜ちゃん、軍隊ってところは大変なところだっていうけどな、人間が住んでいるんだ。びくしゃくすんな。要領よくやれよ、要領よく。一つ軍人は要領を本分とすべしだぞ」
楠夫は大声で笑った。楠夫の会社は東京に本社を持つ陸軍の管理会社であった。以前は酒造専門であったが近頃は、航空機燃料の研究で、トウモロコシからイソオクタンを作り出していた。高射砲二基を据えた高射砲部隊が常時ものものしく工場を守っていた。社員工員合わせて六百名からの、旭川でも有数の大きな会社であった。この会社に勤めている者は、戦地に行くことはないという話で、楠夫もそれを見越して東京から帰って来たと言ってもよかった。そんな楠夫から見ると、竜太の愚直とも言える生き方は、歯がゆいばかりであった。
「しかし竜ちゃん、戦争に行くってのは、いやなもんだよな。こんなことなら、もっと暇を見つけて、おれ遊びに来るんだった。でもな、何しろ日本にはガソリンがないので、イソオクタンの仕事が忙しくてね。工場の人たちなんか、夜もろくろく寝ないで頑張ってるんだ。したがっておれたち事務の者も、けっこう暇がなかったんだ。来れなかった理由は、ほかにまだ幾つもあるけど、悪く思うなよな。芳子ちゃんのことは、及ばずながらおれが見守っててやるから、安心して行けよ。万一のことがあったら、おれが芳子ちゃんをもらってやるぞ」
楠夫は冗談めかして笑い声を上げた。軍の管理工場に勤めている者として、思想犯とみなされる竜太のもとに、しばしば顔を出すわけにはいかなかったのだが、さすがに楠夫はそれにはふれなかった。
十二日の夜だけは芳子と二人っきりになりたかった。だが、父や母や保志や、姉の美千代が別れを惜しみ、いつまでも話しこんでいてその機会は遂に持てなかった。ストーブを囲んでみんなが話しこんでいるうちに、時計は十二時を過ぎた。竜太は、言葉もなく美千代の傍らに坐っている芳子に目顔で合図をすると、そっと廊下に出た。芳子が追って来て階段の下に立った。薄暗い廊下の電灯の下に、二人は黙って顔を見合わせた。二人に与えられた時間はもはやない。この一、二分だけが二人だけでいられる時間なのだ。
「竜太さん、必ず帰って来てね。死んでは駄目よ」
芳子は竜太の胸に取りすがった。竜太は芳子の肩を抱いて、
「帰って来たい。しかし帰って来れなかったら許して欲しい」
と言って、顔をそむけた。竜太は唇を重ねようとしてためらった。もはや芳子を婚約者と呼ぶ資格は、自分にはないと思った。が、芳子は、
「竜太さん」
と、竜太の首に両手をかけて目をつむった。竜太は貴重な宝にふれるように、静かに唇を重ねた。
茶の間のほうから、美千代の、
「じゃあ、わたしもやっぱり今夜は泊まるわね」
と言う声がした。竜太と芳子は離れ難い思いで茶の間に戻った。
そして翌朝、親戚や町内の人たちに見送られて家を出、旭川第七師団に入隊したのだった。
天に代りて 不義を討つ
忠勇無双の わが兵は
歓呼の声に 送られて
今ぞ出で立つ 父母の国
…………
みんな大通りまで歌をうたいながら送ってきてくれた。そこから先は父母と美千代夫婦、保志、芳子の母、そして芳子が師団の営門まで、電車で送って来たのだった。
竜太の属する中隊と、もう一個中隊の六百名が乗っているこの臨時列車が、旭川を出発してから既に五時間を経過していた。腕時計は四時半を指していた。北国の朝は早い。鎧《よろい》戸《ど》の隙《すき》間《ま》から光が射しこんでいる。大方の兵士たちは、まだぐっすりと眠っているようだ。竜太は何か悲しい気がした。この眠りこけている兵士一人一人の家庭には、どんな生活があるのだろう。今、自分の父が、夫が、戦地に向かう汽車の中で眠っているなどとは、夢にも思わぬにちがいない。
(うちの親たちや、芳子だって……)
もう一度会いたかったと竜太は思う。入隊後一度も面会は許されてはいなかった。せめて旭川を離れる時だけでも、両親や芳子の顔を見たかった。と思わず鎧戸に手をかけた。どの辺りを走っているか知りたかった。が、竜太ははっとして手を引いた。鎧戸を開けることは固く禁じられていた。
(全員無事で帰って来ることはあり得まい)
それは誰もが感じているのだろう。
昨夜、師団から旭川駅までの数キロ、背《はい》嚢《のう》を背負った兵士たちは、只黙々と歩いていた。ほとんどの家はもう寝入っていて、街は静まりかえっていた。薄暗い街灯が、その兵士たちをぼんやりと照らしていた。竜太の横に並んでいた三十半ばの兵士が、時折洟《はな》をすすり上げていた。戦地に向かう夜の兵士たちの気持が、竜太の胸に沁《し》み入るようであった。そんなことを思いながら、すっかり目の覚めてしまった竜太は、周囲の兵士たちの寝顔を、やさしい目で眺めやった。
その竜太の視線が、目の前の近堂弘一等兵の上に戻った時、近堂一等兵はぽっかりと目をあけた。
「なんだ北森。もう目が覚めたのか」
小声で言ったかと思うと、近堂は再び眠りに入った。
近堂一等兵は内務班(宿舎)で竜太に戦友として与えられた古年兵であった。軍隊には、初めて軍隊生活をする初年兵一人一人に対して、直接細やかにその指導をする古年兵がついていた。ドアの開閉、軍隊用語、毛布のたたみ方から掃除の仕方等々、事細かに指導していた。この二人の関係を特に戦友といっていた。
竜太は既に師範学校卒業後、五カ月の短期現役の体験があった。そして現役が終って軍隊を出る時、伍長になっていた。俗に「営門伍長」と言われたが、教師を重んずる国家の特典であった。本来なら、この度召集された時、伍長の位にある筈だったが、綴《つづ》り方《かた》事件にまきこまれて退職願を書かされ、その特典が剥《はく》奪《だつ》されたため、竜太は一つ星、即ち最下位の二等兵として甘んじなければならなかった。
竜太たちの事件は未だに新聞記事にもならず、人々には知られていなかった。竜太が伍長であったこと、即ち軍隊経験があったことが、どのように引継がれたか当の竜太にはわからなかったが、とにかく軍隊生活初体験者として扱われたのである。
近堂一等兵が教えてくれる毛布のたたみ方も、掃除の仕方も、竜太の知っていることばかりだった。が、竜太は近堂一等兵の言葉に素直に従って、どこまでも上官として彼を立てていた。
竜太は入隊の日に初めて近堂に会ったのだが、その時の印象が忘れられなかった。近堂は雪焼けした丸顔一杯に微笑を湛《たた》えて竜太を迎えた。それはあたかも久しぶりに肉親にでも出会ったような、あたたかい笑顔だった。竜太も、自分より四つ五つ若い近堂一等兵に、言い知れぬ親しさを感じた。その笑顔は最初の日だけかと思ったが、来る日も来る日も笑顔は変らなかった。
竜太が教えられたように素早く毛布をたたみ、ベッドを整えるのを見て、近堂は、
「ふーん、俺《おれ》よりもうまい。器用なんだな」
と、しきりに感心した。竜太は、
「いいえ、近堂一等兵殿の教え方が上手だからであります」
と、真実をこめて答えると、近堂は一層うれしそうに笑うのだった。
そのうちに、竜太が師範学校出であり、字もうまければ、ソロバンもでき、万事に秀でていることを知った近堂一等兵は、
「北森のほうが俺の先生だな。一日にひとつでいい、漢字を教えてくれんか」
と言うようになった。他の戦友の関係を見ていると、古年兵が内務班での様々な仕事を教える代りに、初年兵たちは古年兵の洗濯などをしてやっていた。中にはスリッパで初年兵を殴る古年兵もいた。が、近堂の場合はちがっていた。竜太が、
「近堂一等兵殿、洗濯物を出してください。北森二等兵洗濯をいたします」
と申し出ても、
「いや、そんな暇があったら、少しでも多く歩兵操典や軍人勅諭を勉強するがいい」
と、あくまで親切だった。
ある日、駆け足訓練を終えて内務班に兵隊たちが戻った時のことであった。雪中とは言え、駆け足で汗みどろになった下着を竜太が着替えた時、近堂が低い声で言った。
「北森二等兵、さあ、早く下士官室に行って、班長殿の下着を預かって来い」
竜太は一瞬解せない顔をした。
「班長殿も汗だくになっている。その班長殿の下着を洗濯するのだ」
近堂は単なる一等兵といえども、竜太には上官である。何事も服従しなければならない。竜太は急いで下士官室に行き、内務班の班長である島《しま》戸《と》軍曹の前に立つと、
「北森二等兵、班長殿の下着を頂きに参りました。北森二等兵、洗濯させて頂きます」
「ほう」
いつもは苦虫を噛《か》み潰《つぶ》したような顔をしている島戸軍曹の頬がゆるんだ。竜太は洗濯物を受取ると、急いで内務班に戻った。と、待ち構えていた近堂が引ったくるようにそれを取り上げて廊下に出た。あわててあとを追う竜太に、
「心配するな、北森は自分のものを洗うがいい」
近堂は、にこっと笑ってその場を立ち去ったが、まもなくきれいに洗った下着を持って帰って来、部屋の中央にある大きなストーブの傍《そば》にそれを干した。やがて干し上がると、きちんとたたんで近堂は竜太に言った。
「北森二等兵、これを班長殿の所に届けて来い」
「近堂一等兵殿、それでは自分が洗ったように思われるではありませんか」
竜太が言うと、
「つべこべ言うな。上官の命令は朕《ちん》の命令と心得よだ」
と近堂はまじめな顔をした。竜太は納得できなかったが、言われるままに下士官室に行った。島戸軍曹は珍しく笑顔を見せて、
「ほう、こんなに早くできたのか」
と、いかにも満足そうに言った。下士官室には幾人かの下士官が談笑していた。竜太は悪いことでもしたように、近堂の前に戻って、島戸軍曹の言葉を伝えた。
それ以来、同じようなことが時々あった。竜太はある日の夕食後、
「近堂一等兵殿、近堂一等兵殿の命令であれば、自分はいかなる命令にも服します。が、自分が洗濯したものでないものを、あたかも自分が洗ったかのように振舞うのは、耐えられないであります。自分の良心が許さないであります。何とかなりませんか」
竜太は真剣に言ってみた。すると近堂はまじまじと竜太の顔を見つめて、
「そうか。それは悪かった。自分が今まで見てきた大人たちは、人の手柄も自分の手柄とするのを当然としていた。北森二等兵はそんな人間じゃなかったわけだ。では北森が班長殿の下着を洗え。俺が北森の下着を洗ってやる」
「冗談ではありません。自分の下着を近堂一等兵殿に洗って頂くなど、到底できないことであります。両方共、自分で洗うであります」
「よし、わかった。実を言うとな、古兵の自分のほうが、初年兵より時間がたくさんある。だから北森二等兵の時間を、あまり取らせたくなかったのだ」
近堂はそう言って笑った。
以来竜太が下士官室に度々出入りするので、その名は下士官たちに知られ、時には声をかけられるようになった。三百人の中隊の一人一人の名を全部覚えている中隊長はむろんのこと、誰の目にも竜太は従順かつ勤勉な兵卒と見られるようになった。
二
ある日の夕食後、竜太は中隊長に呼ばれて、事務室に行った。二等兵が直接中隊長に呼ばれることは滅多にない。内心、何の話かと不安だった。中隊長は常々訓示の中で、
「皇《こう》軍《ぐん》の兵士たる誇りを忘れるな。戦地に行ったなら、あくまで日本人として恥ずかしくない行動をせよ。まちがっても抵抗をしない一般人を射殺したり、女を犯したりの蛮行はするな。さんざん悪いことをして、そのあとを宣《せん》撫《ぶ》班が飴《あめ》だの菓子だの持って歩いたところで、何で宣撫になどなるものか」
と、説いていた。その声音、表情の中に、中隊長の人格を感じたものであった。近堂一等兵と言い、この中隊長と言い、竜太には好ましい人格に思われた。が、中隊長と今、一対一で向かい合うとなると、さすがに緊張せざるを得なかった。人事係の准尉は既に帰宅していて、週番下士官も竜太と入れちがいに廊下に出て行き、事務室には中隊長一人が室《へや》の隅の机に向かっているだけであった。中隊長は戸口で来意を告げた竜太に、手まねぎをした。竜太が近づいて行って敬礼をすると、軽く礼を返して、
「北森二等兵、まあ掛け給え。君の名前は時々聞くよ。内務班の成績もなかなかいいではないか。骨惜しみをせず、他の者にも親切で、さすがの島戸軍曹も、まだ君を殴ったことがないとぼやいていた」
冗談を交えて中隊長は笑った。竜太は、次に何を尋ねられるかと、いっそう体を固くした。竜太の念頭には常に綴り方事件があった。
「実は君の身上書を見た時、ちょっと考えさせられてね。送られてきた記録には、『赤化思想の恐れありて、留置所に七カ月余勾《こう》留《りゆう》されしことあり』などと簡単に書いてあってね、内容がよくわからない。赤化思想というのは、政府を転覆させる恐ろしい思想だ。しかし監獄にぶちこまれたわけではないところを見ると、それほど深入りしていたとも思えんし……」
「はっ」
竜太はようやく声を出した。
「しかし、われわれは共に戦地に行く身だ。その中に政府の転覆を謀る者がいるということは、由々しき一大事だ。だがこの隊長の見るところ、君はあまり危険人物ではなさそうだ。いったい、どういうことで検挙されたのかね。それを直接君に聞いてみたいと思ってね」
三十半ばを過ぎた正本という中隊長はおだやかに言った。竜太は思いがけなく弁明の場を与えられたことに、俄《にわ》かに心が弾んだ。なるべく平静に竜太は述べた。
「中隊長殿、全くのぬれぎぬであります」
「何? ぬれぎぬ?」
竜太はうなずいて、去年の一月、当直の夜、突如として逮捕されたことから、順序を立てて話し始めた。一部始終を語り終えた時、正本中隊長は同情に満ちたまなざしを見せて、深くうなずいた。
「それは災難だったなあ。しかし、それだけの事件が、なぜ新聞にも出なかったのかなあ」
「わかりません。とにかく今も捕えられたままの人がいるやに聞いております。北森二等兵の恩師坂部久哉先生は、この事件に巻きこまれて亡くなりました」
「君! 今、誰と言ったかね?」
「はい。坂部久哉先生であります」
「ほう! 坂部久哉?」
中隊長は驚きの目を瞠《みは》った。
「中隊長殿、坂部先生をご存じでありますか」
「知っているどころではない。軍務が忙しくて、この二、三年顔を合わせる暇もなかったが、彼の妻君の冴子は、わたしの従妹《いとこ》でね」
「えっ!? 中隊長殿の……」
「そうだよ。死んだこともあとで聞かされたんだが、警察に挙げられた話は初耳だ。冴子の両親も、冴子も何も言わなかった。ひた隠しにしていたのかねえ」
「多分そうだと思います。自分の場合も、警察から帰ってきたなどとは、人には言いませんでした。言ったところで、何も悪くない者が何カ月も留置場にぶちこまれていたとは、誰も信ずる筈がありませんから。坂部先生はひどい拷問を受けたようであります。坂部先生はすばらしい先生でありました。自分は坂部先生のような先生になりたくて、教師の道を選びました。しかし退職願を無理矢理書かされたのであります」
「そうか。なるほどその上伍長も取消しになったわけか。うーむ。いや、よくわかった。いろいろ人事係とも相談してみたい。裁判のことはわれわれの手の及ぶところではないが、今後、隊長は君を心にかけていよう。しかし、一旦そういう立場に立たされると、あとあとまで尾を引いて大変だろう。家族との面会も許されんが、ま、我慢してくれ給え」
今も竜太は、その時のことを思い出しながら、
(中隊長と話し合うきっかけをつくってくれたのも、この近堂一等兵殿だ)
と、その寝顔に目をやった。
近堂は、一期検閲が終るまでの三カ月の間、実によく竜太を支えてくれた。内務班の掃除から、銃の手入れまで、先に先にと、竜太のなすべきことを何くれとなく助けてくれた。竜太は短期現役の軍隊生活で、既にいろいろな上官のいることを聞いていた。行軍のあと疲れきっている兵士たちを営庭に並べて長々と訓示をする中隊長もいれば、
「本日はこれより、一時間の午睡をする」
と、あたたかく部下をねぎらう中隊長がいるとも聞いた。夜、兵隊たちがベッドに入ってから、見廻りに来た週番下士官が、窓の桟を指で撫《な》で、埃《ほこり》がついていたと言って内務班全員を廊下に整列させ、整列ビンタを取ることもあった。
「こんな掃除の仕方で、皇《こう》国《こく》の軍人精神が養われると思うのか。不届き千万である」
というのである。と思えば、スルメの匂いを嗅《か》ぎながら、
「おお、うまそうな匂いがするな」
と言っただけで、室を出て行く週番下士官もいた。内務班でものを口に入れることは、きびしく禁じられていたのだ。
様々な姿を見てきた竜太にも、近堂一等兵のような人間は見たことがなかった。よくくるくると働き、ひたすら戦友である竜太の面倒を見る姿は、あたかも子供を守る母親の姿にも似ていた。
いったい、なぜそうできるのか。なぜ、自分のことは後まわしにしてまで、他者のことを先にしてくれるのか。なぜ、自分が損をしても他の者に損をさせまいとするのか。なぜ、先輩として威を張ることがないのか。竜太は一度、当の近堂一等兵に尋ねてみたいと思っていた。
入隊後、無事に三カ月が過ぎて一期検閲が終り、竜太は一等兵に昇進した。近堂はわが事のように喜んで、二つ星になった竜太の肩を幾度も撫でた。その近堂に竜太が言った。
「これもみな、近堂一等兵のおかげであります」
三カ月で昇進した者は少なかった。そして竜太は思い切って、彼に尋ねてみた。
「近堂一等兵殿、どうしてこんなにも自分に対して、毎日親切にして下さったのでありますか」
真正面から言われて、近堂はちょっと照れたように笑った。
「そうかね。俺はそんなに親切だったかね」
「はい、近堂一等兵殿は、毎日北森のために、実によくしてくれました。こんなに親切な人を、今まで自分は見たことがありません。ありがとうございました」
竜太は心から感動していた。
「そんなに言われるほどのことはしていないが、喜んでもらってありがたい」
近堂はそれでもうれしそうに笑ったが、ちょっと黙ってから、言った。
「あのな、北森一等兵。君の家は質屋だと言ったね。何も質に入れる物がなくて、赤ん坊のおしめを質に持って来た貧しい主婦の話をしていたことがあるね」
竜太は何かの時に、祖父の代にあったというそんなことを話したのだった。
「俺の家は、そのおしめも持って行けるかどうか、わからんぐらい貧乏だった。雨が降っても長靴なんか履いたことはなかった。弁当など持って行けないから、校庭の井戸水ですませた。家には戸もなくて、玄関に筵《むしろ》を下げていた」
竜太は静かにうなずいた。
「学校に行くと、『筵、筵、筵の正面だあれ』なんて、友達に馬鹿にされた」
近堂は苦笑した。
「そんな俺に、友達になってくれる者は誰もいなかった。俺はいつも一人で遊ぶようになった。家の前の小川で魚を取ったり、裏の山で木登りをしたり、いつも一人遊びをしていたものだよ」
竜太は聞くのが辛くなった。
「しかし、一人って淋しくてね。どうかして、ただの一人でも友達になってくれないものかと、思ったこともある」
竜太の目に、筵を垂らした農家の家が浮かんだ。更に近堂の話はつづいた。
小学校を卒業すると、夏は野良仕事、冬は造材仕事につくようになった。そのうちに、造材飯場で一人の人夫頭に出会った。その人夫頭は、どういうわけか弘少年を可愛がってくれた。よく干《ほし》芋《いも》やアンパンを買って来ては、一番先に弘少年に分けてくれた。そしてある時、
「おれのお下がりだ」
と言って、兎《うさぎ》の毛皮のチョッキを弘少年に着せてくれた。人から親切にしてもらったことのない弘少年は、声をかけられるだけでもうれしかったのに、兎の毛皮のチョッキまでもらった時には、思わず声を上げて泣いた。人に優しくするということが、どんなに人を力づけるものかを、身に沁みて感じたのだった。たった一人でもいい、友達が欲しいと思った弘少年の一番最初の友達が、自分の父親程の齢《とし》である人夫頭であった。
弘少年は明るくなった。そして成長し、やがて甲種合格で軍隊に入った。軍隊はうわさのとおり厳しい所であった。整列ビンタも幾度となく経験した。怒鳴りまくられ、寒夜廊下に立たされもした。その度に近堂は、もし自分に部下ができたら、自分にできる限りの親切を尽くしてやりたいと思うようになった。
そして今年、一等兵になり、自分の下に一人の輩下が戦友として与えられることになったのだ。
「それを聞いた時、どんなにうれしかったことか。北森一等兵、その時の俺の気持がわかるか。俺は生まれてはじめて、人の上に立つという経験をするわけだ。絶対に俺は下の者に威張ったり、殴ったりはしまい。喜ぶようなことばかりしてやりたい。そう思って待っていたのが、北森一等兵、君だった。長年、人夫頭以外心をゆるせる人間がいなかった俺に戦友ができた。うれしかったなあ。毎日毎日俺と口を利《き》いてくれる人間がいた。うれしかったなあ」
近堂一等兵はそう言って、大きな吐息をついた。竜太は何と答えていいか、わからなかった。話を聞いて、竜太は改めて近堂一等兵に対する敬愛の念が深まったのであった。
汽車は時々汽笛を鳴らしながら走っている。旭川を出た時の方向から推し測ると、どうやら南へ向かって走っているようだった。もし南に向かっているとすれば、札幌も小《お》樽《たる》もとうに過ぎている筈だ。もし眠っていた間に、汽車が滝川から左に方向を変えたとすれば、北千島を目指しているかも知れない。
(デッキに立てば、外の様子がわかるのではないか)
竜太はそう思いながら、ぼつぼつ父や母や芳子の起き出す時間だ、と再び腕時計に目をやった。
鍵
一
竜太たちが満州の東部、安陽に降り立ったのは、旭川を出てから実に十二日ぶりであった。旭川からは軍用列車であったが、途中何《ど》処《こ》ともわからぬ港から輸送船に乗船した。数日波に揺られて港に着いた。誰かが低い声で、「釜山らしいな」というのを耳にしたが、さだかではなかった。再び汽車の旅となったが、この汽車もまた鎧《よろい》戸《ど》を固くおろした軍用列車だった。
安陽につくまでに辛《つら》いことは幾つもあった。その第一はやはり鎧戸だった。いかにも押しこめられているという気分が、心を重くした。しかもデッキには憲兵が厳重に警戒していて、竜太は警察に捕えられていた時の気持を思い出させられた。
車中、歯を磨くことも、洗面もできなかった。洗面所はあっても、水の補給はなかったのだ。用便後手を洗うこともできなかった。
二人掛けの椅子に二人ずつ、四人が向かい合っていた。足を伸ばす場のないことも苦しかった。車内を歩くのはむろんのこと、通路に立つことさえ憚《はばか》られるような窮屈さの中では、大きくのびを打つことさえためらわれた。椅子にかけたまま眠り、椅子にかけたまま食事をし、椅子にかけたまま終日同じ姿勢でいるということは、大きな苦痛であった。
しかも軍用列車は、ある時は丸一日も同じ所に停車し、他の汽車の合間を縫ってまた走っているようだった。二時間や三時間動かぬことは珍しくはなかった。何よりも行く先がわからぬということが、竜太を不安にした。とにかく満州までの十二日は、一カ月にも感じられる長さだった。
安陽はソ満国境にそう遠くない小都市だった。駅から兵舎への道筋には、商店街もあり、映画館もあり、銀行もあった。その街の中の所々に、暖かい午後の陽《ひ》を受けてアカシアの花が咲きかけていた。久しぶりに大地を踏んで歩く足もとが、妙に心もとなかった。兵舎へ向かう道々、満州人の子供たちの走りまわる姿が竜太の心を慰めた。日本人の子供もいた。ひと目で、服装に貧富の差のあるのを竜太は知った。しかし、この安陽の街のたたずまいは、竜太が想像していた戦地のそれではなかった。いかにも平和に見えた。日本の小都市を歩いている雰囲気と異なるところがなかった。竜太は深い安《あん》堵《ど》を覚えた。
竜太たちの兵舎は、さすがに百万の兵力を誇る関東軍の一師団にふさわしい、がっちりとした建物であった。玄関の前で近堂一等兵が竜太にささやいた。
「ここは第一線ではないな。せいぜい警備ぐらいの任務かな」
竜太は、戦地に赴く以上、露営も覚悟しなければならぬと思って来た。着くや否《いな》や、戦場に銃声を聞くのではないかと思っていただけに、拍子抜けの思いもあった。が、中隊長は営庭に整列した兵隊たちに、訓話の中でこう言った。
「……満州の治安は、関東軍の威力で保たれてはいるが、油断は禁物である。いまだに便衣隊(ゲリラ)が各地に出没している事実を知っておかねばならん。ここは日本ではない。いかに平和に見えようと、内地ではない。満州国独立に対する反感や、抗日感情を根強く抱いている者が少なからずいることを、よくよく肝に銘じておけ。たとえ日曜日の外出許可が出ても、一人だけの外出は絶対に避けねばならん。また街を離れて郊外に行くことは、たとえ十人といえども危険である」
竜太の胸に、「ここは日本ではない」と言った中隊長の言葉が妙に身に沁《し》みた。そもそも中国領土の中に、満州という国家をつくったのは日本であった。日本が皇帝を立て、満州を事実上日本の支配下に置いた。独立国とは名ばかりで、明らかに一つの属国であった。一見平和に見える安陽の街のたたずまいを思いながら、何か落ちつかぬ思いだった。
安陽に着いた翌日、竜太は人事係の立松准尉に呼ばれて、事務の手伝いを命じられた。事務室には中隊長の机もあり、将校や下士官が随時出入りしていた。立松准尉は単刀直入にものをいうが、言葉に棘《とげ》がなかった。
第一日目の竜太の仕事は、軍隊手《て》牒《ちよう》の異動の記入であった。軍隊手牒は縦十一センチ、幅八センチ弱の小型の手牒であった。第一頁《ページ》には軍人勅諭が赤字で刷りこまれていた。それは、
〈我国の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にぞある……〉から始まり、十六頁に及ぶ長い文章であった。勅語は軍人勅諭だけではなく、短いものも幾つかあった。それにつづいて戦陣訓が黒い活字で印刷されてあり、兵士たちはこの勅諭も戦陣訓も、すべて暗《あん》誦《しよう》しなければならなかった。竜太は短期現役中にそれらを暗記していたが、満州に向かう車中、改めて胸に刻みつけられた言葉があった。
〈生きて虜囚の辱《はずかし》めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿《なか》れ〉
の言葉であった。そして更に次の言葉も新たに心にとまった。
〈戦陣苟《いやしく》も酒色に心奪はれ、又は欲情に駆られて本心を失ひ、皇軍の威信を損じ、奉公の身を過《あやま》るが如きことあるべからず〉
竜太は日本の兵士に、こんな教えは不要ではないかと思っていた頃があった。竜太も男である。しかし自分の欲情のために女性を犯すなどという事態におちいることなど、日本軍に限ってあり得ないことと信じていた。他の一般日本国民と同様、竜太はまだ日本の軍隊を知らなかった。いや、それ以上に人間を知らなかった。
これら勅諭や戦陣訓の載っているあとの何頁かに、この手牒の持主の姓名、生年月日、入隊前の履歴の欄や、褒賞等の欄があり、つづいて軍隊における履歴を書きこむ欄があった。この履歴を書きこむのが事務の仕事の一つだった。この小型の手牒の一頁には、黒インクで一行二十三字、十三行の細かい字がびっしりと埋められてある。これを見ると、いつ新兵として入隊し、いつ昇進し、いつ召集されたか、いつ除隊したか、すべてがわかるようになっている。これが兵士たちの唯一の身分証明書でもあった。
竜太は机に向かうと、先ず与えられた記入事項を読んだ。一読して竜太は驚いた。行く先を知らされず、鎧戸をおろしたままの軍用列車に乗せられた自分たちが、いつ旭川を発《た》ち、いつどこの港から船に乗り、更にどこを経由して満州の安陽に着いたかが、詳しく書かれていたからである。
(そうか。旭川を出た汽車は函館港に着いたのか。小樽ではなかったんだ。函館から船で釜山に到着したんだ。なるほど、なるほど。それにしても、あれほど秘密にしなければならないのが、軍隊というものなのか)
思いながら竜太は、警察に挙げられた時、肉親にさえ文通を許されなかったことを、改めて思い出した。綴《つづ》り方《かた》事件に関わった者たち同士の交わりを、今なお厳禁しているあり方に、竜太は苦々しい思いを抱いた。
だが竜太は、積み上げた軍隊手牒の一冊一冊に注意深く書きこんでいった。思ったより気を遣う仕事だった。が、字を書くことは楽しかった。教師時代、職員室で学籍簿に、生徒たちの行動を記録していたような楽しさにどこか似ていた。竜太の仕事は正確で、字もうまく、かつ速かった。
「おお、もうこんなにできたのか」
正午近くなって、立松准尉は竜太の机の前に立って、驚きの声を上げた。もう一人、旭川師団にいた時から、よく事務の手伝いをしていた古《こ》賀《が》上等兵が、少しいやな顔をした。准尉は竜太の字を見て、
「うーん、大したもんだ」
と唸《うな》るように言った。
「中隊長殿は、事務なら北森一等兵にやらせたらどうだと言われたが……さすがは中隊長殿だ」
隣の机の上等兵が再びいやな顔をした。
こうして、満州における竜太の新しい生活が始まった。竜太は骨惜しみなく働いた。特別な演習でもない限り、竜太は演習を免除された。もともと器用でもあり、教師時代の経験もあって、竜太はガリ切りも巧みだった。算《そろ》盤《ばん》にも秀でていた。人事係の立松准尉はそんな竜太を、幾日も経《た》たぬうちにすっかり信用するようになった。竜太は仕事が正確で、どんな仕事でもよくこなした。しかも気軽で、かつ従順であった。
そんな幾日かの後に、竜太にとって驚くべきことが起きた。ある日の午後、外出する立松准尉が竜太の傍《そば》に来た。竜太は立ち上がった。その竜太に、立松准尉は鍵を差し出した。竜太は、はっとした。金庫の鍵だったからだ。新参者の自分に鍵を預けるなどということがあろうとは、夢にも思わなかった。金庫には、〓の判が赤く押された書類が幾つも入っているのを、竜太は知っている。
「准尉殿、この鍵を自分が預かるのでありますか」
竜太の頬が紅潮した。
「そうだ。北森一等兵に預ける」
そんな竜太を中隊長は自分の席からちらりと見た。
竜太は鍵を大事に軍服の右ポケットに入れた。立松准尉が出て行くと、
「北森一等兵なら、誰からも信用される」
と古賀上等兵が言った。竜太は頭を掻いた。
「いや、おれだって、北森なら信用するぞ。張り合うには実力がちがい過ぎる」
古賀は笑った。竜太は、古賀上等兵も意外に心の広い男なのだとうれしかった。
「いびってやろうと思ったが、北森一等兵にはいびる隙《すき》がない」
古賀は再び笑い、
「北森一等兵の仕事が速いんで、おれも大助かりだ」
と、もはやこだわるところはなかった。
それから幾日も経たぬ日曜日のことだった。いつも賑《にぎ》やかな事務室は閑散としていた。竜太は一人、昨日遅く准尉から頼まれた仕事をしていた。日曜日の午前中に仕上げる約束だった。竜太は時計を見ながら仕事をしていた。そこに立松准尉が入ってきた。
「いや、ご苦労。日曜日なのにすまんな」
「いいえ、光栄であります。あと一、二分で出来上がります」
竜太は一礼した。准尉は自分の席の椅子に腰をおろして、窓から外の景色を眺めていたが、竜太が仕上げた仕事を差し出すと、
「うん、相変らずうまい字だ。こよりの綴《と》じ方《かた》もうまいもんだ」
とほめた。竜太は黙って頭を下げた。
「ところで、またこの鍵を預かってくれ。一時間程したら取りに来る」
立松准尉は例の金庫の鍵を竜太に預け、そしてじっと竜太を見つめたまま言った。
「北森一等兵、鍵を預けたということは、金庫の開閉を君に委《まか》せるということだ。中には身上調書という重要な書類もある。君も一度、事務を補助する者の一人として、ちょっと目を通しておいてもいいのではないかな」
そう言うなり、准尉は事務室を出て行った。竜太は、准尉の言葉をどう受けとめるべきかと、少し迷った。が、准尉の好意を信じたかった。立松准尉は、身上調書の中の何かを見せたいにちがいないのだ。竜太は思い切って立ち上がった。金庫は容易に開いた。身上調書は金庫の中の右手奥にあった。
固い表紙の、身上調書はかなり分厚いものだった。調書には、頁のところどころに赤い付《ふ》箋《せん》が付けられていた。その最初の付箋に目をやって、竜太は思わずぎくりとした。付箋には「傷害犯」と書かれてあった。その付箋のついた身上調書には、傷害を働いた時と場所、犯罪の内容などが書かれてある。竜太の鼓動が速くなった。「詐欺犯」「窃盗犯」等三、四枚の付箋の中に、「思想犯」と書かれた一枚があった。その頁を開いて、さすがに竜太は衝撃を受けた。自分が、傷害犯や窃盗犯と共に、同じ犯罪人扱いされていたことを、あまりにもはっきりと知らされたからだ。竜太はすぐ自分の調書に目をやった。
〈元小学校教師、赤化思想の恐れありて、留置場に七カ月余勾《こう》留《りゆう》されしことあり。通信、行動に充分注意を払うこと〉
竜太は吐息をついた。あの事件はどこまで尾を引いていくのか。が、そのあとに書かれた文字に、竜太は目を瞠《みは》った。
〈中隊長所感
軍隊における行動を見るに、果たして思想犯たりしとも認められず、従順、穏健、勤勉にして優秀なる兵なりと見らる〉
最後に中隊長の名と年月日が記されていた。その月日は僅《わず》か三日前のものだった。竜太の体を言い知れぬ感動が走った。あの検挙された夜以来、いったい誰がこのように言ってくれたことがあったか。芳子や親きょうだいたちを除いて、誰がこれほど自分を信じてくれただろうか。
竜太は、自分が検挙された経緯を、中隊長に告白した日のことを思った。竜太はあの日、中隊長に問われるままに、事の顛《てん》末《まつ》を順序立てて話した。決して長々と弁解したり、くどくどと嘆いたりもせず、事実を事実として話しただけであった。それだけで中隊長は事の真相を見て取ってくれたのだ。それは、正本中隊長が坂部先生の縁つづきであるということとは、全く関わりのない時点での理解であった。
しかも正本中隊長は、一旦赤化思想を疑われた竜太を、確かに無実であったものと断定的に書いている。果たして中隊長の権限がどこまで及ぶかはともかく、この中隊長の記録は自分を救い出すのに、大きな力となっていくにちがいないと竜太は思った。とにかく正本中隊長という人物は、危険を顧みずに部下を庇《かば》う大きな器であると、竜太は胸の熱くなるのを覚えた。
竜太はつづけて身上調書に目をやった。そして自分の立場がいかに特殊なものであるかを、今更のように思った。竜太は師範学校を卒業して、すぐに五カ月の短期現役を終え、伍長に昇進している。しかし、思想犯としてマークされ、退職させられた結果、伍長昇進の履歴は消滅した。そんな経過が身上調書にも簡単に記録されていた。
確かに前例のない存在であった。扱い難い部下である。その自分を正本中隊長は公平に見てくれているのだ。竜太は前途が明るくなったような気がした。
竜太は預けられた鍵を掌《てのひら》にのせ、じっと見つめていた。
二
次の日曜日の午後だった。近堂一等兵に誘われて竜太は共に外出した。七月も下旬の陽ざしが、竜太の目に眩《まぶ》しかった。さすがに満州も暑かった。この幾日か暑い日がつづいていた。
街角に、まくわ瓜《うり》を売る満人の男がいた。大きな籠《かご》に盛られたまくわ瓜を、竜太と近堂一等兵は、ちょっと立ちどまって見たが、買わずに過ぎた。
「北森一等兵、喫茶店に入ってみるか」
「喫茶店でありますか」
竜太は暑い陽ざしの中を歩くことを思い、喫茶店にでも入って、冷たいものを飲むのもよいとうなずいた。
近堂一等兵は安陽に着いて間もなく、自動車隊に組み入れられていた。トラックの運転歴を買われてのことだった。冬は造材飯場で働き、入隊二年前からは、夏季はトラックによる材木輸送に従事していたのだ。近堂を可愛がってくれた人夫頭が、
「若いうちに自動車の運転免許ぐらい取っておけ」
と勧めたからだった。この人夫頭自身、運転免許を取っており、夏の間はトラックを運転していたのだった。
近堂一等兵は自動車隊に入って以来、各地への糧《りよう》秣《まつ》や、衣類、医療品等の輸送に忙しかった。時にはトラックの中に一泊する遠距離輸送もあった。トラックは十台が一団となって走るのが常であった。ソ満国境近くに駐屯する部隊に物資を輸送するのだ。
「馬賊や匪《ひ》賊《ぞく》に襲われる危険もあるから、一台では走れない。助手台に一人、うしろの荷台に三人は乗って、万一に備えている。おれはまだ経験はないが、馬賊や匪賊より恐ろしいものがあるそうだ。北森一等兵、何だと思う?」
いつか近堂が竜太に言ったことがあった。
「地雷でありますか?」
「いや、地雷ではない。狼《おおかみ》だよ、狼」
「えっ!? 狼! でありますか」
「そうだ、狼だ。それが十頭や二十頭ではない。百頭も二百頭もの狼が群をなして、トラックの荷台を飛び越える。目をぎらぎら光らせてな。これには生きた心地もないそうだ」
そんな話を、いま竜太は思い出しながら、近堂に聞いてみた。
「近堂一等兵殿。その後、狼には出会わないでありますか」
「会わない、会わない」
近堂は笑いながら手を横にふって、とある喫茶店に先に入って行った。
「いらっしゃいませ」
蓄音機の傍にいて、レコードの針を取り替えていた若い女が、背中を見せて言った。竜太はどきりとした。芳子かと思った。声があまりにも芳子に似ていた。竜太は一瞬棒立ちになって、その女のうしろ姿を見た。芳子よりほっそりとしたチャイナ服姿は、芳子の豊かなそれとは明らかに別人のものだった。
「どうした北森一等兵?」
近堂が訝《いぶか》しげに言った。
「いや、明るい外から入ったので……」
竜太は言葉を濁した。
店の中には、十脚程のテーブルがあって、その大半はカーキー色の軍服を着た日本兵に占められていた。その中には憲兵の姿もあった。竜太たちはあいていた中ほどの席に、向かいあって坐った。声が芳子に似たウエイトレスの外に、もう二人ウエイトレスがいた。レコードが「蘇《そ》州《しゆう》夜曲」を奏で始めた。竜太たちのテーブルに、声が芳子に似た女性が、盆の上に水の入ったコップをのせて近づいて来た。面長な、どこか淋しい顔をした女だった。彼女は少し腹でも立てているように、音を立ててコップを二人の前に置き、黙って注文を待った。
「自分は氷水。北森一等兵は?」
「自分も同じにいたします」
竜太は女の顔を見ながら言った。
「氷水二つね」
答えた声が、確かに芳子の声に似ていた。カウンターの方に去って行くその背を見ながら、竜太は妙な気持がした。声以外はどこも似ていないのだ。その女性が芳子の声を出す。実に不思議な気分だった。店の片隅のテーブルに紅茶を運んできたウエイトレスがふり返ると、
「マリ子さーん、ちょっと来て」
と大きな声で呼んだ。
「はーい」
芳子に似た声が、素直にひびいた。
(そうか、あのひとはマリ子という名前か)
名前を知って竜太は、なぜか気持が落ちついた。
「北森一等兵、この頃はもうコーヒーを飲ませる店が少なくなったな」
近堂一等兵は、竜太の今の心の波立ちに気がつかないようであった。竜太はたまらなく芳子が恋しかった。今頃芳子は何をしているだろうか。教会の礼拝に、きょうも出たのだろうか。それとも夏休みで、何かの講習会に駆り出されているだろうか。芳子の華やかな笑顔が、竜太の胸に大きく迫るようであった。竜太は腕時計を見た。三時だった。芳子は言っていた。
「朝起きた時と、夜寝る前と、午後の三時には、必ず竜太さんのために祈っているわ」
(そうか、芳子はいま、おれのために祈ってくれているか)
一瞬、竜太の胸に温かいものが流れる。マリ子がガラスの器に氷水を入れて運んできた。竜太はその顔をじっと見つめた。その視線を感じてか、見返したマリ子の目は咎《とが》め立てするようにきびしかった。竜太は微笑を返した。マリ子はぷいと顔をそむけてテーブルを離れた。
「近堂一等兵殿、あの娘《こ》は何を怒っていると思われますか」
「うん、自分にもわからんが、この間藤田古年兵と来た時も、同じだったな。藤田古年兵の推測によれば、要するに抗日派ではないかということだった」
「抗日派?」
「そうだ。北森一等兵もわかるだろう。あの娘の訛《なまり》は朝鮮訛だ。まあ、何か事情もあるんだろうな」
「なるほど」
竜太はふっと、タコ部屋から脱走した金俊明のことを思った。近堂一等兵が言った。
「不思議なもんでねえ、あのつんけんしているマリ子が、意外と人気があるらしい。どこに行っても商人はぺこぺこ頭を下げる。そんな中にあって、マリ子のような存在は、一つの魅力かも知れんな。どこか憎めないんだ」
トラック輸送をしている近堂一等兵は、平日でも喫茶店やうどん屋に顔を出すことがあるらしかった。
その夜竜太は、ベッドに入ってからも、マリ子の声が、芳子の声となって耳について離れなかった。またあの声を聞きに行きたいような気がした。マリ子に惹《ひ》かれたからではない。声が芳子に似ているからだ。芳子の声を聞きたいからだ。竜太は繰り返しそう思った。
翌日竜太は事務室に詰めた。その日多くの郵便物が到着した。日本を離れて初めての郵便物だった。その中には、もしかしたら自分宛《あて》のものもあるかも知れないという期待が、竜太の一日を楽しくさせた。
いつもは不味《まず》く思われるコーリャン七分、米三分の飯も、きょうは苦にならなかった。夕食後、内務班長島戸軍曹がたくさんの郵便物を抱えて、内務班に入って来た。みんなの目がその郵便物に注がれる。竜太はそれらの顔を見ながら、自分も同じ顔をしているのだろうと思った。誰もがいじらしく見えた。誰も彼もが、ある日不意に、無理矢理に家族と別れて来たのだ。軍服は着ていても、家族恋しさの思いは、いつも胸の中にある。
名前を呼ばれた者は、足取りも軽く手紙や葉書をもらいに行く。竜太の名はなかなか呼ばれない。竜太は次第に不安になった。
(まさか、一通もないということはないだろうが……)
そう思った時だった。
「北森一等兵!」
呼ばれて竜太はほっとした。おどる心をおさえ、竜太は急いで班長の前に立った。入隊以来、竜太はこの班長にビンタを取られたことはなかった。近堂一等兵の協力で、竜太の内務班における成績は抜群であった。竜太に対しては、班長島戸軍曹は常に表情が柔らかかった。が、今日の班長はいつになく苦い顔を竜太に向けていた。
「北森一等兵、お前に封書が二通と葉書が三通来ている。そしてこの慰問袋が来ている。慰問袋の差出人は女だ。北森一等兵! 貴様まだ娑《しや》婆《ば》とは縁が切れんのか」
班長はきつい語調で言った。とっさに竜太は返事ができなかった。「娑婆とは縁が切れんのか」という言葉は、いつまでも女に恋々としているという意味なのであろう。これが夫婦の間であれば、まさか班長もそうは怒るまい。男女の交際を何かふしだらなことのように、この班長は思っているのではないか。竜太は答えようがなかった。
「何とか言え! 北森一等兵。黙っていてはわからん」
「はっ! 北森一等兵は娑婆とは縁が切れております。一命を御国に捧《ささ》げる覚悟であります」
「そうか、ではいったい、この女性は北森一等兵とどういう関係か」
班長は慰問袋の差出人の名前を、竜太の目の前に突きつけて言った。室内はしんと静まり返っている。いち早く手紙を読み始めていた者も、成行き如《い》何《か》にと息を殺している。
「はい!」
竜太は大きく息をしてから答えた。
「班長殿、差出人は北森一等兵の婚約者であります。今年の三月、結婚式を挙げる予定になっていたのであります。しかし、応召するに当り、自分のことは忘れるようにと、きっぱりと宣言して参りました」
「そうか。そういうことか。よろしい、わかった」
班長島戸軍曹は、それ以上は何も言わずに慰問袋と封書、葉書を竜太に手渡すと、竜太の肩を叩いて、
「ま、頑張れ」
と、部屋を出て行った。幾人かが竜太の傍に寄って来て、
「そうか、結婚寸前に赤紙が舞いこんだのか」
「おれは、もうすぐ初子が生まれるという時に令状がきてよ。その後男の子が生まれたと知らせはあったが、顔も見ていない」
などと慰めた。一人が言った。
「島戸班長、きょうはいやに気合が入っていたな。てっきりビンタが飛ぶかと思ったよ」
「もしかしたら、班長には手紙も葉書もこなかったんじゃないか」
「そうかも知れん。妬《や》けたんだ」
みんながどっと笑った。竜太が早速慰問袋を開け始めると、他の兵たちもそれぞれ自分にきた手紙を読み始めた。
慰問袋の中には、千人針と日本手《て》拭《ぬぐい》や、キャラメル、キビダンゴ等の日本では既に入手困難になっている甘味品、そしてハトロン紙の袋の中には、芳子の手紙と共に、生徒たちの手紙や図画が入れられてあった。竜太は微笑した。たとい内務班長に人前で怒鳴られようと、竜太にはありがたかった。
竜太は先ず芳子の手紙から読み始めた。満州からの手紙を受取ったこと、日本とちがって水が悪いであろうから、生水にはくれぐれも注意して欲しいこと、二人で満州に行きたいと願っていたのに、竜太が一人で行ってしまったこと、旭川の家族は変りがないこと等々が、ユーモアを交えて明るく書かれてあった。そして追伸として、次のように記されてあった。
〈竜太さんは、きっと子供たちの綴り方や絵が見たいだろうと思ったので、私の受持の三年生の生徒四、五人に書いてもらいました。それから千人針、これはあまり喜ばれないのではないかと思っています。千人の女の人たちが、一《ひと》針《はり》一針心をこめてつくったものです。母が竜太さんのために、近所の家を一軒一軒頼んで歩きました。錦《にしき》座《ざ》通りにも立って、通行人にも協力してもらいました。無事を祈る気持をお汲《く》み取り下さい〉
竜太は芳子の手紙を二度繰り返して読んだ。芳子も大変だと憐《あわ》れに思った。去年の今頃は、自分はまだ警察の留置場で辛い毎日を送っていた。この一年のうちに、いろいろなことが、自分と芳子の身に起きたことを、改めて感じた。
次に竜太は生徒の手紙を読んだ。太い鉛筆で、綴り方用紙の桝《ます》目《め》からはみ出した大きな字であった。
(子供の字だ)
竜太は懐かしかった。幌志内の教え子たちの顔が目に浮かんだ。
〈兵隊さん
お元気ですか。ぼくも元気ですから、ごあんしん下さい。
兵隊さん、戦地ではたくさんごはんを食べられないのですか。うちのお母さんはいつも、どろ水すすり草をかみ、のうたをうたっています。うちのお父さんも戦地に行っているので、お母さんは毎日、大へんだ大へんだと心配しています。
では元気でがんばって下さい〉
竜太はふっと笑いそうになったが笑えなかった。幌志内の下宿で、台所の仕事をしながら、秋子がよくうたっているのを思い出した。沖島先生と結婚してからも、秋子はこの歌をうたっているだろうかと思いながら、竜太は口ずさんだ。
父よあなたは 強かった
兜《かぶと》も焦がす 炎熱を
敵の屍《かばね》と ともに寝て
泥水すすり 草を噛《か》み
荒れた山《さん》河《が》を 幾千里
よくこそ撃って 下さった
うたっているうちに、この生徒の母の姿が目に浮かぶような気がした。出征した夫を思いながら、毎日この歌をうたうというその妻の気持が、身に沁みるようであった。
竜太はこの子に返事を書いてやりたいような気がした。竜太自身、日本を出たら直ちに戦場に着くのかと思っていた。まさか日曜日に街をぶらついたり、喫茶店に入ったり、うどん屋をのぞいたりする生活があろうとは、思わなかった。「敵の屍とともに寝る」などとは程遠い毎日である。が、「泥水すすり」には、身近なものを覚えた。安陽には滅多に井戸はない。飲料水はクリークの汚い水を濾《ろ》過《か》器《き》で漉《こ》して飲む。最初は異様な臭気がして、とても口に入れる気がしなかったものだ。
もし無事に帰ったら、そんな話をこの子たちに語ってやりたい気がした。
声
一
竜太は胃のあたりに痛みを感じて目がさめた。どこかに月が出ているのか、内務班の中は仄《ほの》かに明るい。竜太は、かつて経験したことのない底深い痛みに、ふと不安を感じた。ちょっとした痛みなら、少しの間手を当てているだけで和らぐ筈だ。竜太は着ていた襦《じゆ》袢《ばん》のボタンを外して、じかに手を当てた。五分経《た》ち、十分が過ぎた。が、痛みは和らぐことなく、じりじりと増してくる。
(いったい何時頃だろう?)
九時の消灯ラッパと共にベッドに入ってから、四、五時間は眠った感じだった。室内には二十人を超える兵隊たちが眠っていた。大きないびきは班付上等兵のいびきだ。歯ぎしりをする者もいる。竜太のすぐ隣には、規則正しく寝息を立てている近堂一等兵がいた。室内はいかにも真夜中の静けさの中にあった。
竜太は次第に募ってくる痛みに、またしても不安を感じた。昨日の夕食は、妙に食欲がなかった。食後、銃の手入れをしている時も、体が熱っぽくけだるかった。
(何か悪いものでも食ったのかなあ)
竜太は薄明りの中に、大きく目を見ひらいた。満州に来てからすでに二カ月は過ぎている。水にも食物にも馴《な》れた筈だ。二、三日前風邪気味だったが、気になるほどのことはなかった。竜太は昨日の夕食を思い浮かべた。いつものとおり米が少し交じったコーリャン飯と、味《み》噌《そ》汁《しる》と、ちょっとした野菜の煮物だった。もし悪いものが出たとしたら、他の兵隊たちにも異常が出る。
(ひと寝入りしたら、治るかも知れない)
竜太は、気軽にそう思おうとした。と、痛みは更に強まったような気がした。班付上等兵のいびきがぴたりと止まった。班内は一段と静寂を深めた。竜太はふっと、故国のわが家を思い浮かべた。竜太は滅多に病気をしたことがなかった。それでも扁《へん》桃《とう》腺《せん》炎《えん》で高い熱を出したり、下痢をしたこともあった。そんな時、母のキクエは枕もとに坐って、寝ずの看護をしてくれたものだ。母の顔と共に、父の政太郎、弟の保志、姉の美千代の姿が浮かんでくる。竜太はしみじみと懐かしかった。芳子の華やかな笑顔も大きく浮かぶ。無気味な腹痛に怯《おび》える竜太にとって、それら一人一人の顔や姿は、言い難いまでに尊く慕わしいものだった。毎日顔を合わせていた時には、想像もできなかった懐かしさだった。竜太は胸のしめつけられる思いがした。
(もう一度会えるだろうか)
われながら心細いことを考えると竜太は思ったが、満州にあって思い浮かべる日本はあまりにも遠かった。
ここはお国を 何百里
離れて遠き 満州の
…………
という歌の文句が、いかにも現実味を帯びて竜太の胸に迫った。
目をさましてから、一時間は過ぎただろうか。痛みは次第に下腹部へ移っていくようであった。
(何の病気だろう)
竜太は痛みに耐えながら、しきりに気になった。と、こつこつと廊下に足音が近づいて来た。
(不寝番だ)
竜太はほっとした。この際誰でもいい、人の顔が見たかった。隣の班を見まわった不寝番は、竜太の班に入って来た。足音をしのばせ、懐中電灯を注意深く照らしながら、不寝番は一人一人を見まわっている。時には乱れた毛布をそっと直してやったり、顔をのぞきこむようにしている。竜太は自分より若いその不寝番を、頼もしいと思った。不寝番は竜太のベッドのそばで足をとめた。何か異常を感じたのかも知れない。竜太はよほど痛みを訴えようかと思った。が、竜太は思いとどまった。この真夜中に腹痛を訴えたとしても、医務室には軍医はいない。衛生兵の二、三人はいても、誤った応急手当をされては、かえって危険かも知れない。
不寝番はちょっとの間竜太を見守っていたが、すぐに立ち去って行った。と、痛みは不寝番の立ち去るのを待っていたかのように、一段と強まった。
(もしかしたら、チフスか赤痢では……)
不意に竜太は背筋の寒くなる思いがした。万一伝染病であれば、班内はむろんのこと、迷惑は中隊から大隊にまで及ぶ。熱が出てきたらしく、体が少し熱いのも無気味だった。伝染病ではないかとの疑いが、たちまち現実のもののように、竜太をおびやかした。竜太は起き上がった。便所にでも行ってみようと思ったのだ。竜太は襦袢と袴《こ》下《した》の姿で、ベッドを降りようとした。と、その気配に気づいてか、隣に寝ていた近堂一等兵が、竜太に低く声をかけた。
「どうした北森一等兵? 厠《かわや》か?」
その声のあたたかさが、今の竜太にとっては深く身に沁みた。
「はい」
「腹の具合でも悪いのか?」
「何に当ったのか、腹が痛んで……」
「何? 腹が痛い? ひどく痛むか?」
「はい。こんな痛みは初めてであります」
「どのあたりだ?……そうか、右か。右腹の痛みは危険だぞ。おれも一緒に従《つ》いて行く」
「大丈夫です、近堂一等兵殿」
竜太は近堂一等兵の声音に、再び胸が熱くなった。
「近堂一等兵殿、まさか、腸チフスや、伝染性のものではないと思うのでありますが……」
「……そんな心配はするな」
近堂一等兵はひと呼吸おいて言った。
「北森一等兵、何があろうと君は大丈夫だ。あれこれ考えるな」
ベッドから降り立った竜太の背を、近堂一等兵の大きな手が支えた。あたたかい手だった。足音をしのばせて廊下に出たとたん、竜太は「うっ」と口をおさえて立ちどまった。ひどい吐き気がしたのだ。竜太の不安は更に高まった。と、どこかで鶏の声がした。間もなく夜は明けるのだろう。
二
竜太はベッドの上に坐って、窓越しに病院の庭を見ていた。庭と言っても、なつめの木が二本あって、水色のベンチが四、五脚置かれてある草原だった。そのベンチの一つには、白衣姿の若い兵隊が将棋盤を挟んでい、また別のベンチには中年の傷病兵が一人、ぼんやりと九月の空を見上げていた。草原の小道を時折急ぎ足に看護婦が過ぎて行く。
竜太が入院してから十一日目になる。竜太はチフスでも赤痢でもなかった。急性虫垂炎であった。抜糸は昨日無事に終った。あとは四日後の退院を待つばかりである。
竜太の病室には二十人程の傷病兵が入っていたが、何《いず》れも軽症者がほとんどだった。病室には見舞客が多かった。市内及び近郊の愛国婦人会の会員たちを始め、女学生、女子青年団員などが、誘い合って慰問に来る。長い入院患者には顔馴《な》染《じ》みの見舞客もあって、その女たちの姿を見るのは、傷病兵たちの大きな慰めだった。時には唱歌や軍歌をうたってくれる女学生たちもいた。二、三日前もおかっぱ頭の小学生が「故郷の空」をうたった。
夕空晴れて 秋風吹き
月影落ちて 鈴虫鳴く
思えば遠し 故郷の空
ああわが父母 いかにおわす
その少女が頬を赤くして、無邪気に首をふりながら、力一杯にうたった時、竜太は思わず胸が熱くなった。他の傷病兵たちも静かに耳を傾けた。隣のベッドの中年の兵が、枕に頭をつけたまま、目《め》尻《じり》に涙を滲《にじ》ませていた。竜太は、遠い北海道の家族や教え子たちを思い出して胸が痛んだ。わけても幌志内の生徒たちが思い出されて辛かった。
今、竜太は庭を眺めながら、故郷というものの不思議さを思った。人間に故郷のあることは、何と幸せなことだろうと思った。ふるさとを思う時、人間は不思議に心素直になるのだ。自分という命がそこに生まれて、そこに育つ。それは人間にとって、決して小さなことではない。それにしても、いったいその命はどこから来て、どこに行くのだろうか。この命は果たして自分自身だけのものなのだろうか。ぞんざいに扱ってよいものなのだろうか。自分の命には負わされた使命というものがあるのではないのか。竜太はふっと、死んだ坂部先生を思い出した。先生は、あの旭川の警察署で、最後の別れとなった時にも言われたのだ。
「竜太、自分にとって最も大事なこの自分を、自分が投げ出したら、いったい誰が拾ってくれるんだ」
その声が、今また鮮やかに竜太の胸に甦《よみがえ》った。竜太は大きな力を坂部先生から与えられたような気がした。留置場に入れられていた時も、出所後も、軍隊に入ってからも、竜太はしばしばむなしさに襲われた。幾度か自分を投げ出したい思いに駆られた。が、その度に先生のその声が、竜太を我に返らせたのだった。先生の声こそ、竜太にとってふるさとの声でもあった。
いよいよ退院が明日に迫った。二週間の入院中、見舞いに来たのは、正本中隊長と班長の二人だけだった。毎日演習に駆り立てられて、誰もが忙しいことを知っている。大変な軍務の中で、竜太の盲腸炎が忘れられても仕方のないことだった。言ってみれば、重い風邪よりも軽いようなものなのだ。見舞いに来る者が少ないことで、かえって自分の安全が保障されているような気がした。とにかく静かな二週間は、竜太にとって自分を取り戻すよいひと時でもあった。
(しかし、明日で入院生活も終りだ)
竜太はもう少し入院生活をつづけてみたいような気もした。
その日の午後、竜太は病院の事務室に呼ばれた。看護婦に案内されて、竜太は長い廊下を歩いて行った。
「北森一等兵、入ります」
竜太は一歩室内に入って、挙手の礼をした。
「こっちだ、こっちだ」
事務長らしい男が手を上げた。その傍《そば》に四十近い准尉が椅子に腰をおろしていた。竜太は勧められて二人の前の椅子に坐った。
「星部隊の北森一等兵だな」
「はい。北森一等兵であります」
竜太は見かけたことのない准尉の前に緊張して答えた。
「うん。盲腸炎と聞いたが、経過はどうか」
既に軍医から聞いていて、自明のことを准尉は尋ねた。そして竜太が答える前に、
「たかが盲腸の手術だ。心配はあるまい」
と、にやりと笑い、
「わしは山部隊の磯川中隊の人事係橋口准尉だ」
「はっ、橋口准尉殿でありますか」
「そうだ。まだ貴様には何の知らせもなかったろうが、貴様の属していた星部隊は急に動員令が下り、既に某方面に向かって出発した」
「はっ!? 動員令でありますか」
竜太はすぐには話がのみこめなかった。
「そのとおり。貴様の部隊に替わって、われわれの部隊があとに入った。その磯川中隊の人事係がこの橋口だ」
やっと事情が竜太にものみこめた。自分の属していた中隊は、部隊もろとも何れの地にか、立ち去って行ったのだ。
「では……」
竜太は絶句した。自分が所属していた部隊は、もはやこの安陽にはないのだ。ということは、あの近堂一等兵も、正本中隊長もいないということではないか。竜太は暗《あん》澹《たん》とした。竜太の心の中を察しているのかいないのか、橋口准尉は淡々と言った。
「驚くには及ばん。日本は今戦争の最《さ》中《なか》だ。一旦動員令が下れば、早い時には一日、遅くとも三、四日のうちに出発する。そんな時に入院している者は、置き去りにされる。それが軍隊の現実だ。わかるか」
「はい! 北森一等兵、よくわかるであります」
竜太は動揺のいろを隠して答えた。
「うん。それで明日の午後一時、わしが迎えに来る。準備をして待っておれ」
准尉の連絡は終った。竜太は再び挙手の礼をして事務室を出た。窓越しに見える庭の緑が、沈んで見えた。妙に現実感がなかった。風呂敷包みを下げた面会人が四、五人、竜太を追い越して、足早に廊下を去って行った。竜太は屈《かが》みこみたくなった。
(近堂一等兵、もう君にも会えないのか)
竜太は上履のまま、非常口から庭に出て、ベンチにくずおれるように腰をおろした。初めて会った日以来、近堂一等兵はあたかも竜太の肉親のようであった。今度の入院の時にも、竜太が病院に連れ去られるまで、傍にぴったりと寄りそって、腹に手を当ててくれたり、背をなでてくれたりした。いつもの笑顔は消えて、心配そうなその顔は竜太の心を打った。
「必ず見舞いに行くからな。しかし、勤務の都合で行けなくても、心は見舞いに行ってるからな。必ず治る。決して悪い病気ではない」
近堂一等兵はくり返し言った。黙っていると、自分自身が不安に耐えられなかったのかも知れない。その近堂一等兵が、もはやこの安陽にはいない。同じ班には、喧《けん》嘩《か》っぱやい兵隊や、事あるごとに体罰を加える古年兵もいるにはいた。が、二度と会えないと思うと、そんな男たちにさえ名残が惜しまれてならなかった。部隊の中でも、竜太の属していた中隊は明るい中隊として評判が高かった。正本中隊長の人柄が作り上げた気風かも知れなかった。
(二度と、正本中隊長のような上官には会えないかも知れない)
竜太の受けた嫌疑を、身上調書にはっきりと否定の意見を述べてくれた勇気と温情も忘れ難い。そのあたたかさから、いきなり放り出された感じだった。別れの言葉一つ交わすことなく、別れたことがひどく淋しかった。
この部隊が南方に向かったことを、竜太は知らなかった。いや、そればかりか、この部隊全員が一名残らず死に至ることも、知る筈はなかった。
竜太は一時間余り経ってから、のろのろと立ち上がった。明日退院だという浮き立つような喜びは少しもない。明日から自分がどんな部隊に所属するのか、それも不安だった。正本中隊長もいない。近堂一等兵もいない。そんな軍隊生活は考えられないような気がした。
廊下の曲り角で、竜太は出合いがしらに女性にぶつかるところであった。
「あ、ごめんなさい」
女が言った。竜太ははっとした。あの芳子の声だった。
「いや、失礼しました」
竜太は、口の中でもごもごと言った。
「あら、ここに入院していたの?」
金田マリ子は思いがけない所で会ったためか、思わず親しげに言った。二、三度しか会っていない竜太に、親しげに声をかけたことで、その自分自身に驚き、マリ子は声を立てて笑った。竜太も笑った。が、マリ子はぷいと顔をそむけて去って行った。竜太はぼんやりと、そのうしろ姿を見送った。今や竜太は、この安陽で誰一人知る者もない身となった。その竜太にとって、単なる顔見知りではあっても、今その名を知っているのは、この金田マリ子だけであった。竜太はマリ子の姿が玄関を出て行くまで見送っていた。
三
昭和十七年(一九四二)のこの年、日本軍は昨年十二月の太平洋戦争開戦以来、着々と戦果を上げていた。国民はそのニュースの流れる度に興奮していた。即ち、
一月二日 マニラ占領
一月三十一日 マレー半島ジョホールバル占領
二月十五日 シンガポール攻略
三月一日 ジャワ島に上陸
三月八日 ラングーン占領
三月九日 蘭印軍全面的無条件降伏
三月十七日 米軍の将マッカーサー、フィリピンよりオーストラリアに脱出
三月二十七日 スマトラ全島占領
三月三十一日 クリスマス島占領
四月十一日 バターン半島占領(捕虜に死の行進を強要)
五月七日 コレヒドール島占領
等々正に破竹の勢いであった。これらの占領地は、西太平洋における日本の資源基地として、重要な働きをする筈であった。何れにせよ短時日の間に、次々と発表されたこのニュースに、国民は沸き返っていた。そしてこの戦争遂行のため、多くの男たちが召集されて行ったのである。
しかし六月五日のミッドウェイの海戦では、日本が大敗した。つづいて八月七日には、米軍のガダルカナル島への上陸がなされ、次第に日本は苦戦に喘《あえ》ぐことになるのだが、これら敗け戦は、すぐには報道されなかった。国内ではまだ日本が敗けると危ぶむ者はほとんどなかった。神国日本には天《てん》佑《ゆう》神《しん》助《じよ》があると固く信じて疑わなかったのである。
竜太を待っていた内務班は、以前の内務班のすぐ左の部屋であった。ちょうど昼食後で、その跡始末の終ったあとだった。部屋に一歩入っただけで、竜太は思わず立ちどまった。どこかひどく陽気なのだ。いや、陽気というより雑然としているのだ。毛布もきちんとたたまれ、ベッドも一線に並んできちんと整頓されている。だが並みいる兵隊たちのかもし出す雰囲気のためか、妙な熱気があった。
その理由はすぐにわかった。竜太が一人一人に内務班入りの申告をし終るのを待ちかねたように、古年兵らしき一人がベッドの上に大あぐらをかいたまま、
「さあて話のつづきだ」
と、ぐるりと兵隊たちを見まわした。兵長の肩章だった。竜太は驚いた。竜太の知る限りでは、ベッドの上に坐ったり、横になったりすることは、休日か消灯後でなければ許されない筈であった。だか、その男を誰も咎《とが》めようとはしない。本人も平気な顔をしている。
話のつづきが始まった。
「ところでだ。誰でも軍隊という檻《おり》の中に繋《つな》がれて、朝から晩まで野郎共の顔ばかり見ていると、女が恋しくなる。女の裸が目の前にちらついてくる。そうだろうが。なあ貴様」
古年兵は、すぐ傍の床にあぐらをかいている若い兵隊を見て言った。若い兵隊は頭を掻《か》いた。その様子が子供のようでみんなが笑った。
「だからさ、一、二回外出許可が延ばされると、外に出た途端、会う女会う女の顔が輝いて見える。シャンもブスもない。若いも年増もない。みんながトテシャンだ」
「そのとおり」
誰かが応じた。みんながまたどっと笑った。
「しかし貴様らは、本当の女の味など知らんじゃろう」
うなずく兵と、うなずかぬ兵と半々だった。
「貴様らのいいという女は、たかが知れている。せいぜい慰安所の、お静がどうの、お八重がどうのと騒いでいるだけでな」
顔を見合わせる兵隊がいた。
「おれが中支で先ず忘れられんのは、ある農家の女房だな。一盗二婢《ひ》と言ってな、昔から人の女房は一番と相場が決まっている。しかしそれは、知人の女房を寝取る楽しみだろう。だがおれの場合はちがう。泣き叫ぶ子供を柱に縛りつけて、そこのおやじもぐるぐる巻きだ」
一同は声をのんだ。
「悲鳴を上げる女を引っぱたいて裸にさせる。あの女の悲鳴が、ぞくぞくするほどいいんだ」
大きく吐息をつく者がいた。
「悲鳴も聞かずに、只こっちの言うなりになる女など、ものにしたからと言って、味もそっけもありゃしない。全身をこわばらせて逃げまわる女を、その亭主と子供の前で犯す。こりゃあ一度味をしめたら、忘れられん。言い忘れたが、これを見ていて拍手喝《かつ》采《さい》を送るのが、中隊長や下士官たちだった。どうだ、おれの女修行は」
兵隊たちは手を叩いた。竜太は、自分がどこに迷いこんだのかと、度肝を抜かれる思いだった。が、話はここで終らなかった。
「これがしかし最上と思うなよ。最上は……何だと思う?」
兵長の太い指が、先程の若い兵隊に突きつけられた。
「わかりません」
幼顔の残っている若い兵隊が、赤くなって答えた。
「じゃ、貴様は?」
若い兵の隣の上等兵に指が突きつけられた。
「輪姦かな」
「ご名答、と言いたいが、ちがう。死姦だ、死姦」
呻《うめ》くような声が上がった。とんだ所に舞いこんだと竜太は思った。師範学校の寄宿舎でも、かなり露骨な話を聞いたことはある。以前の内務班でも猥《わい》談《だん》を好む者はいた。だが、このような話には至らなかった。考えこむ竜太に、不意に兵長が言った。
「おい、新米一等兵、いやにまじめくさった顔をしていやがるな。何かい、貴様寺の坊主か、ヤソの坊主か」
一同が笑った。竜太は苦笑して答えなかった。
「お前さんにはお気にいらねえ話かも知れねえが……」
と、兵長は竜太の顔を見つめ、
「おれはな、中支で弾丸の下を何度もくぐってきた男だ。女は分捕品だ。焼いて食おうが、煮て食おうが、遠慮することはない。おれの見るのに、今の兵隊たちはたるんどる。元の皇《こう》軍《ぐん》に叩き直さにゃならん。貴様、人を殺したことがあるか。おれは数え切れんほど殺してきた。追々、人の殺し方も教えてやる」
ぐるりと一同を見まわし、再び竜太に視線をとめ、
「まず新米一等兵の貴様からな」
大変な歓迎の言葉であった。その兵長はこうも言った。
「一人の敵も殺さずに、おめおめ日本に帰っていけるか。手柄とは人を殺すことだ。子供でもかまわん。何? なぜ子供を殺すか?」
誰かの問いに答えて、
「考えるまでもないだろう。今七歳の子供も十年経てば十七だ。十歳の子供は二十だ。みな屈強な若者になる。これは恐ろしい。だから昔の大名を見てみろ。一つ二つの赤ん坊から、ちゃんと殺されている。目の前にいるのは赤ん坊だが、その実体は一人前の人間なんだ」
一同はうなずきうなずき聞いている。竜太は鉛を飲んだような思いだった。
四
竜太は術後ということで、退院してすぐに重い使役や演習に駆り出されることはなかった。以前患者の中に、術後十日程で使役に出て死んだ者があり。軍医は慎重だった。竜太は内務班の留守を命ぜられた。これはけっこう気骨の折れる任務であった。いくら気をつけていても、干していた襦袢が盗《と》られたとか、ベッドの下のスリッパがなくなっていたとか、中には敷布を横取りされたという者がいた。員数さえ合っていれば、何とかその場の検査は通るのだが、検査の時に員数が合わなければビンタを食らう。ビンタだけではすまぬこともある。
部屋に巡らされた針金には、たくさんの洗濯物が干されることが多いので、他の班の者がしのびこんで来ても、気づかないことがある。そんなある日、廊下に低い足音が聞えた。
(誰か?)
竜太は、はっとしながらも、さり気なく部屋の中央にある長い机の上を拭《ふ》いていた。足音が入口でとまった。ドアが静かに開いた。竜太は静かにふり向いた。
「あっ!?」
竜太は思わず声を上げた。何とそれは近堂一等兵であった。変らぬ笑顔がそこにあった。竜太と近堂一等兵が同時に駆けよった。二人は思わず抱き合った。
「近堂一等兵殿! ど、どうして、ここに?」
竜太の目に涙が盛り上がった。思いもよらぬことだった。二度と再び会えないものと心ひそかに嘆いていたのだ。その近堂一等兵が今目の前にいる。
「いや、すまん。おれも取り残された一人だ。いつもより長い一週間程の出張で、帰ってみたら原隊はなかったというわけだ。すぐにも君を訪ねたかったが、自動車隊に入れられて、翌日からまた輸送に出た。そしてまた地方に出るといった調子でねえ。心配しながら今日まで連絡できなかった。今日はようやく時間が取れてね」
二人はひとしきり一別以来の話をした。
「それにしても二人が揃って置き去りにされたとはねえ。ところで、君が退院してもう十日になるね」
「十日です。十日になります。しかし近堂一等兵殿、この度ほど近堂一等兵殿が自分にとって、いかに重要な人か、思い知らされたことはありません。淋しかったであります」
「え? 北森一等兵、今何と言った?」
「淋しかったと言いました」
「淋しかった? うーん、この自分がいなくて淋しかったと言ってくれる人間が、この世にいたということか。自分など他の者から見たら、ゴミ屑《くず》のようなものだ。死んでも生きても、誰も何とも思う筈がないと決めこんでいた。それを北森一等兵、君は淋しかったと言ってくれた。ありがとう北森一等兵、ありがとう」
近堂一等兵は竜太の手をしっかと握った。
「近堂一等兵殿、もう二度と会えないかと思った時、自分は一時間余り、身動きもできないほどの衝撃を受けました。淋しいばかりでなく、まことに不安でありました。支えてくれる人が失われたようで、実に不安でした」
「ありがとう。そんなに思ってくれる者が、一人でもいたということは、自分にとって生涯の宝だと思う。しかも自分よりたくさんの勉強をし、学校を出て、先生になっていた人が、豊かな家に育った人が……」
「近堂一等兵殿、人間にとって一番大事なもの、それは真実であると思います。あたたかい心であります。金を持っていることも、学校を出たということも、それほど尊敬に足ることとは考えられません。近堂一等兵殿のように、まだ見ぬ部下に、一生懸命親切をつくそうとして、待ちかまえていた人こそ、最も尊ぶべき存在と思います。この自分の一生の友人になって頂きたく思うものであります」
二人はじっとお互いの目を見つめ合った。竜太は、近堂一等兵の黒く輝く目の中に、数多くの純真な生徒たちの顔を見たような気がした。
一九四二年(昭和十七)も暮れ、やがて一九四三年となるが、当時の戦況を、再び追ってみたいと思う。
一九四二年八月二十一日 ガダルカナル島の一木支隊全滅
同年十二月八日 ニューギニアのバサブアで日本軍玉砕 八百人戦死
同じく十二月十日 重《じゆう》慶《けい》進攻作戦中止を指示
一九四三年一月二日 ニューギニアのブナで日本軍玉砕
二月一日〜八日 ガダルカナル島の兵員一万二千五百人撤退(既に戦死・餓死した者二万四千人)
三月二日〜四日 ビスマルク海戦において輸送船八隻、駆逐艦四隻失う
四月十八日 連合艦隊司令長官山本五《い》十《そ》六《ろく》ソロモン群島上空で戦死
五月二十九日 アッツ島の日本軍守備隊二千六百三十八人玉砕(生還二十七人)
十月二日 ソロモン群島中部のコロンバンガラ島の日本軍一万二千人撤退
十月二十二日 大本営、満州から第二方面軍と第二軍を太平洋戦線へ転用命令
十一月二十五日 タラワ島の日本軍四千五百人全員戦死
こうした記録を見れば、日本の戦況は日増しに敗色を濃くしていったことがよくわかる。戦況の悪化に伴って、国内の生活もますます耐乏を余儀なくされていった。
一方、日本人にとって満州はなお新天新地であり、希望の地であった。開拓を目指して、あるいは満州の中に自由を夢みて、日本を脱出して来る者も絶えなかった。その中に、元小学校教師の港《みなと》江《え》勝《かつ》之《ゆき》がいた。彼は竜太と同じく綴り方事件に巻きこまれ、公判で有罪の判決を受け、執行猶予で出所したが、出所後、特高警察の尾行に堪えかねて、満州に渡ったのであった。
命
一
その日は十月下旬にしては妙に生あたたかい日であった。厚い雲が重く垂れこめて、風もなかった。演習も半日で終り、午後からは臨時の休みだった。休みといっても外出は許されなかったから、娯楽室に碁将棋をしに行く者、洗濯をする者、故郷に手紙を書くものなど様々で、内務班には兵隊たちの出入りが絶えなかった。
竜太は、床にしゃがみこんで自分の靴を磨いていた。靴を磨いていると、ともすれば旭川の家の玄関先が思い出された。
(いつこの靴で旭川の土を踏めるものやら)
竜太は郷愁に胸が疼《うず》いた。
と、大きくスリッパの音を立てながら、矢須崎兵長が部屋に入って来た。そして両手をズボンのポケットに突っこんだまま、じろりと室内を見まわし、
「二、四、六、八……十五人か。まあ、よかろう。おい、みんな、きょうはみっちり軍談語りをしてやるからな。耳の穴をかっぽじって、ようく聞け」
と、ベッドの上に大あぐらをかいた。何人かが顔を見合わせ、何人かが大きな拍手をした。竜太は黙って靴を磨いていた。
矢須崎兵長が自分の体験だと称して語る、いわゆる軍談は竜太にとってこれで三度目になる。竜太はうんざりした。竜太は、現地人をいかにして殺したか、などという残虐な話は、聞きたくはなかった。竜太のそんな思いには関わりなく、矢須崎兵長は、
「さーてと、何から始めるかな」
と、舌なめずりするような顔で話し始めた。人の話では、矢須崎兵長は一度目は現役で入隊、中支で実戦を経験し、その後北支に転属、ここでも幾度か弾丸の下をくぐり、除隊して日本に戻り、三カ月を経ずしてまた召集されてきた歴戦の古兵ということだった。ドスの利《き》いた大声は、不思議な威圧感をもって人を制し、班長さえ一目も二目も置いている存在だという。下士官、将校たちにすら、矢須崎の存在は恐れられていた。ましてや同室の兵隊たちが、一も二もなく矢須崎の言葉に従うことは、いたし方のないことかも知れなかった。
手紙を書いていた者は書くペンを止め、洗濯物をバケツに入れてきた者はそれをベッドの下に押しこめ、話し始めた矢須崎のほうをしっかりと見つめた。
「あれはな、小さな村で三人の百姓を殺《や》った時だ。ちょうどきょうみたいな陰気な日でな。班から一人ずつ選ばれた新兵が、小隊長や中隊長、班長などに連れられて、臨時処刑所へ車で行った。むろん新兵たちはトラックだ。連れられて行った所には、中年の百姓男三人が、既に木に縛りつけられていてよ、準備は万端調《ととの》えられていた。傍《そば》には掘ったばかりの穴が、大きく口を開けていた。何せこれが初めてだ。新兵共はみんな青くなってがたがた震えていやがる。おれだけだ。平気な顔をしていたのは」
竜太は磨いた靴をベッドの下に置きながら、よほど部屋を出て行こうかと思った。が、竜太も日頃の兵長を見ていて、その腕力に恐れをなしていた。いたし方なく、竜太は床に腰をおろして矢須崎兵長を見つめた。
「だがな、青くなっているのは新兵ばかりよ。中隊長始め、下士官たちは、みんな血走った目で興奮している。一番前にいる新兵は、銃剣を構えたまま、震えるあまり腰がふらついていた。早くやれと下士官たちがけしかける。一人目も二人目も、縛られた男を目がけて走って行くが、その近くに行くと、ぱたりと足が止まってな。下士官の一人が、『何だ、だらしがねえ。いくら新兵といっても、そのざまは何だ。戦争とはな、命を取るか取られるかだ。どっちが多く人間を殺すかだ。そんなへなへなが何千人集まっても、何の力にもならん』」
聞いている兵隊たちがうなずいた。
「新兵はみなへなへなかと言われて、おれは頭にきた。そこで『自分がやります』と言うや否《いな》や、駆けて行っていきなり体当りした。下士官たちが、『うおーっ!』と声を上げた。何とおれの銃剣は、腹から背中に突き通していた」
竜太の目に、噴き出たであろう血の色が映るようだった。
「しかし人間という者は、簡単に死なんもんだな。それから次々に下士官たちが、鼻を削《そ》ぎ、耳を削ぎ、腕を切り落しても、まだ死なん。ありゃあ気味の悪いもんだ。それ以来だな、おれの名を中隊で知らんものはなくなった。『あいつは矢須崎じゃない、ヤツザキだ』などと言われてな」
息をのんで聞いていた兵たちが、声を立てずに笑った。矢須崎兵長はなおも手柄話を語りつづけた。妊婦の腹を掻き割《さ》いたら、赤児がおぎゃあと泣き、それも一緒に殺しただの、日本兵の襲撃を恐れて、家の中に隠れていた女たちを、周囲から火をつけて焼き殺しただの、熱さに堪えかねて飛び出して来た男の子を銃剣で突き刺しただの、女の乳房を切り取っただの、聞くに堪えぬ話が次から次と出る。
矢須崎兵長は言葉をつづけた。
「お前ら、敵に弾丸《たま》を撃ったことがあるか。一人でも殺して、血を見たことがあるか。弾丸も撃たず、一人の血も見たことがなくては、戦争に行って来たとは言えんだろな。人間死んだ気になれば、人の五人や十人いくらでも殺せる。血を見るのがいやなら、水を飲ますんだ。薬《や》缶《かん》に入れた水を、口から注ぎこむのよ。腹がぱんぱんになって苦しんでも、水が口からあふれて出てきても、かまわずに飲ますんだ。そしたら死ぬ。焼《やけ》火《ひ》箸《ばし》で、腹といわず、手といわず、どこもかしこも、じゅっと焼いていく。豚肉や牛肉の焼けるにおいはうまいにおいだが、人間の焼けるにおい、こいつは何ともいやなにおいだ」
話は一時間半もつづいたろうか。兵長の話し終ったあと、兵隊たちは深い吐息をついた。
「何か聞きたいことがあるか」
「はい」
一人の初年兵が素早く手を上げた。
「相手を突けなかった者は、何か処分を受けたのでありますか」
「ああ、受けた。猛烈なビンタと、血だらけになって死んだ奴《やつ》の体を、木から穴に投げこむ作業だ」
かすかなどよめきが起きた。誰かが言った。
「その百姓はどんな罪を犯したのでありますか」
「罪?」
矢須崎はいやな顔をして、尋ねた者のほうを見、
「どうせスパイか便衣隊だろう」
と吐き捨てるように言った。
「では、もし、どうしても殺すことのできなかった者は、上官の命令に従わなかったということで、罪に問われるのでありますか」
「そりゃあ問われるだろう。いつも言うように、上官の命令は朕《ちん》の命令、畏《おそ》れ多くも大元帥陛下のご命令である」
矢須崎は一同を見まわした。と、竜太は坐り直して言った。
「兵長殿、いかなる場合も、まことにしかとそうでありますか」
言うまい言うまいと制してきたのに、思わず口をついて言葉が出た。
「いかなる場合もだと? 北森一等兵、それはいったいどういう意味だ」
矢須崎兵長は鼻先で笑った。竜太はもはや自分を抑えることができなかった。
「日本には百数十に及ぶ師団があると聞きます。その師団には、上官と呼ばれる地位にある人が、数え得ないほど多くあります。その地位ある人の命令が、すべて陛下のご命令でありますか」
「そりゃあ何人いようと、上官は上官だ」
矢須崎は余裕を見せて、声を荒げない。
「ではお尋ねいたしますが、丸腰の農民を、幾人もの兵で刺し殺し、鼻を削ぎ、耳を切り落す。罪なき妊婦が血祭りに上げられる。老人が薪《まき》のように頭を割られる。そのような状態をごらんになられて、陛下はよしとせられるのでありますか。それは陛下の御《み》心《こころ》に叶《かな》うことでありますか」
途端に矢須崎の形相が変った。
「北森っ! 黙れーっ!」
「いいえ、黙りません。われわれは皇《こう》軍《ぐん》であります。天皇陛下の軍隊であります。大《おお》御《み》心《こころ》に沿った命令には従わねばなりませんが……」
「北森っ! 黙れったら黙らんか!」
「兵長殿、もうひとこと言わせて下さい。陛下は、『四《よ》方《も》の海みな同《はら》胞《から》と思ふ世になど波風の立ち騒ぐらん』とうたわれました。罪なき女、子供まで殺すことを陛下がお喜びになるとは、到底考えられないのであります」
「貴様あーっ! おれたちのしてきたことにいちゃもんつける気か!」
「はい、行き過ぎであったと思います」
竜太の顔も引きつっていた。
「この野郎!」
矢須崎兵長の大きな体が、竜太を目がけて飛んできた。竜太の顎《あご》を兵長が思い切り拳《げん》骨《こつ》で突き上げた。竜太が仰《あお》向《む》けに倒れた。その竜太の胸ぐらを取って引き起こした兵長は、幾度も激しい往復ビンタを食らわせた。竜太は奥歯を噛《か》みしめていた。兵長はその竜太の頭を、机の角に幾度も打ちつけた。兵隊たちはなす術《すべ》もなく、呆《ぼう》然《ぜん》と二人を見守っていた。竜太は矢須崎のなすがままに委《まか》せていた。心は静かだった。机の角に頭を打ちつける音だけが、がつがつと部屋に響いた。竜太の左耳から、たらたらと血が流れ出た。
竜太は今、二年余り前のその日のことを思い出しながら、聴力を失った左の耳に手をやった。酒《しゆ》保《ほ》(軍隊の売店)の事務室の電灯が明るかった。
あの時、騒ぎを聞いた磯川中隊長は、その竜太を医務室に運びこませ、手当をさせた。そして、竜太が矢須崎に言った言葉を聞いた。
「なるほど、そういうことであったか。北森一等兵、お前の身上調書に、前任中隊長の意見が書かれてあった。今の話を聞いて、本官も同感だ。軍にも人はいる。まあ大事にするんだな。頑張れよ」
竜太は医務室に三日いた。中隊長と班長の心遣いであった。そして四日目、班長がにこにこと医務室にやって来た。
「どうだ痛みは。矢須崎兵長も悪い奴ではないんだが、何せ乱暴者でおれも辟《へき》易《えき》している。もし北森一等兵の思想犯云《うん》々《ぬん》を聞いたなら、スパイの何のと騒ぎ立てるにちがいない。それはそうとな、最近酒保に異動があった。しかしその新任者はソロバンも経理も下手で、何の役にも立たんということになった。ところが自動車隊の近堂一等兵が、君の噂《うわさ》話をしていた。何でもよく出来る人間で、四桁《けた》の暗算をすらすらできるとも言っていた。それで急《きゆう》遽《きよ》北森一等兵を酒保係とすることになった。いいな」
いいも悪いもなかった。竜太は驚いた。竜太も、あの男のいる内務班で、一緒に顔を合わせていくことを思うと、憂《ゆう》鬱《うつ》でならなかった。安陽の酒保は、専任者が二人いて、その長が下士官、相棒は上等兵と決まっていた。竜太は上等兵ではない。それを中隊長は人事係と相談して、異例の昇任をさせようと決めたのである。実はこれには最初人事係が難色を示した。思想犯を一等兵以上に昇格させてはならない、という内規の一項があったからである。だが中隊長は、彼は思想犯と疑われただけで、その疑いは解かれていると説き伏せた。中隊長は、竜太があの乱暴者の矢須崎兵長に言うべきことをきちんと言い、殴られても殴り返さなかった態度に、親身な情愛を感じたのだった。酒保係となれば、酒保の二階にある寝室に、下士官と二人で寝起きする規程である。騒然たる喧《けん》嘩《か》もなければ、介入もない。願ってもない部署を与えられた竜太は、畏れのようなものを感じた。
あの日、班長はしみじみとこうも言った。
「これはな、北森一等兵、磯川中隊長や橋口准尉殿のお陰でもあるが、あの近堂一等兵が口を極めてお前をほめていなければ、この日は来なかったとおれは思う。幸せな奴だな、北森一等兵は」
竜太は近堂一等兵に手を合わせたい思いだった。
その話があってから間もなく、竜太は上等兵になると共に、酒保係となった。思わぬ道がひらかれたのだ。想像もしない道だった。もう演習に出ることもなかった。朝、酒保の戸を開け、出入りの商人や、客である兵隊たちに品物を売る。酒保長の山田軍曹は竜太に言った。
「北森上等兵、君は全く酒保係として適任だ。金や品物をくすねる面《つら》つきは全然ない。酒保は客商売だが、君の顔は感じがいい。変に愛想がいいわけではないが、あったかいいいものを持っている。おまけにソロバンは抜群、字はきれいときた。ま、他の人間の何倍もの働きをしてくれるだろうな」
さわやかな言葉だった。
「だが、あんまり正直でも実は困るんだ。たまには配給の酒を二人分廻してくれてもいいんだぞ」
血色のいい顔を天井に向けて、山田軍曹は豪快に笑った。竜太は安心した。
酒保は炊事場の棟つづきで、赤い煉《れん》瓦《が》造りだった。中隊の建物より、むしろがっちりとして暖かかった。竜太も旭川育ちで、零下三十度を超える寒さを知っている。息をすれば鼻毛が凍り、鼻がこわばる。まつ毛と前髪は吐く息で真っ白に凍りつく。家の内壁一面に、厚い霜がべったりと覆う。
だが満州の冬は、旭川とは比較にならない寒さだった。しばしば零下四十度に下がる。下手をすれば鼻の先はたちまち凍傷となるのだ。そんな厳しい冬に向かって、竜太は酒保勤務を命じられたのだった。
何もかもありがたいと喜んでいるところに、戦友の近堂がやってきた。近堂の肩章も星が三つ、すなわち上等兵となっていた。
「いや、よかった、よかった。北森上等兵、少しは馴《な》れたか」
「全くありがたいであります。すべては近堂上等兵殿のお陰であります」
「いや、おれは物資の輸送をしているから、各地の酒保や病院等も廻って歩く。そしていろいろな顔見知りができた。そうするうちに、北森一等兵も、酒保かどこかに配属になれば、もっと度々顔を合わせることができるのにと、思うようになってな。安陽の酒保で適任者を探している話を耳にしたんで、大いに宣伝はしたがな。ま、要するに自分のためさ。それに、部隊にいれば、いつかは前線に廻される。おれは君を死なせたくない。酒保にいれば、滅多に動かずにすむ。そんな悪いことも考えてね」
近堂上等兵は人なつっこい笑顔で竜太を見た。竜太はそんなにまで自分のことを案じていてくれたかと思うと、礼の言い様もなかった。
それから二カ月後、竜太の属していた山部隊は前線に転属して行った。当時日本では、各地で召集され入隊した兵士たちが、満州に集められ、編成され、北に南に動員されるというケースが多かった。
二
竜太は一人、またもの思いにふけりながら、記帳をつづけた。
(早いもんだなあ。もうすぐ昭和十九年も終るのか。満州に来て、今度で三度目の正月か)
またしても竜太は左の耳に手をやった。矢須崎兵長との一件以来、いつしか左の耳に手をやる癖がついたのだ。二階から階段を降りる足音が聞えて、山田曹長が部屋に入って来た。山田軍曹は昨年曹長に昇格していた。
「いや、ご苦労。よく精が出るな」
感心したように山田曹長は言い、柱時計を見上げた。八時五分前だった。竜太は残業の記帳が終ったところだった。
「曹長殿、来年はどんな年になると思われますか」
竜太の言葉に山田曹長が言った。
「まあ、そろそろ戦争も終りに近づいてきたかも知れんな」
「そうですか、やっぱり」
「酒保の仕事などしていると、日に日に物資の不足しているのを痛感させられるからなあ」
「本当にそう思います」
竜太が酒保係になった二年前は、まだ客である兵隊たちで賑《にぎ》わっていたものだった。羊《よう》羹《かん》や餡《あん》パンなどを、時折配給することもできた。酒ももっとしばしば兵隊たちに配給された。が、近頃は飯《はん》盒《ごう》を持って酒の配給を待つ兵隊たちの行列は見られなくなった。
「しかしこれでも、内地よりは満州のほうが、食糧は潤沢だそうだ。内地はひどいらしい」
「曹長殿、近頃出入りの満人たちの態度が、少しずつ変ってきたように思うのでありますが……」
酒保の一角には、腕時計や、文房具、日用品を売る満人の商人たちがいた。竜太たちの売る物品売場とは仕切りがあった。竜太たちの売場には使役の兵たちが常時二、三人は販売を手伝っていて、葉書や切手を始め、酒、タバコ、甘味品、その他の品が売られていたが、次第にその品数が減っていたのである。兵隊たちが満人の売場をひやかしに来ても、以前はもっと卑屈なほどに頭が低かったものだが、近頃はその表情に微妙な変化が感じられるようになっていた。
時折顔を見せる近堂上等兵の話によれば、百万の精鋭を誇った関東軍も、その数が激減し、物資の需要も減少しているという。軍は次々と兵隊を召集し、戦地に送り出してはいるが、ところによっては竹光の剣に替わっていることが、囁《ささや》かれていた。近堂上等兵のトラックは、ソ満国境の守備隊にまで足を延ばしていた。が、そこからはソ連軍の動きがよく見えて、数が次第に増えているとのことだった。この関東軍の勢力や、ソ連軍の動きが口伝えに広がっているらしく、それが満人の態度にも表れているのではないかと、竜太は不安に思うのだった。竜太は近堂上等兵に聞いてみた。
「ソ連と日本は不可侵条約を締結しているから、まさかソ連軍が侵入してくることは、ないでしょうね」
「さあね、人間と人間との約束だ。ご都合次第で、簡単に裏切ることもあるかも知れんよ。大きな声では言えんが」
「そうですか。しかし国家間の条約ですからね」
竜太の言葉に、近堂上等兵はちょっと笑って言ったのだ。
「人間みんな、北森上等兵のようにありたいものだな」
竜太はそんな近堂上等兵の言葉を思い合わせながら、それとなく情勢を山田曹長に尋ねたのだった。
「曹長殿、日本は勝つのですね」
山田曹長はじっと竜太の顔を見返して、にやりと笑った。
「北森上等兵、君は勝てると思っているのか。アメリカだのイギリスだのを相手に、本当に勝てると思っているのかね」
「はい。日本国民の大半は勝つと思っているのではないですか」
竜太は日本が負けるとは、想像することもできなかった。明治時代に日清戦争に勝ち、日露戦争に勝った日本である。元《げん》冦《こう》の時神風が吹いたように、いざとなれば日本には神風が吹くような気がした。何の理屈もなかった。幼い時から聞かされてきたことが、竜太の心にも意外に根強く刻みつけられていた。
「そうかねえ。そんな君が思想犯の嫌疑で臭い飯を食ったとはねえ」
山田曹長は笑った。
「では、曹長殿は、負けると思っているのでありますか」
「負けて欲しいとは思わんが、先ず十中八九負けるだろうな」
「負けたらどうするのでありますか」
「負けたら逃げる。しかしここからは逃げ切れまいな。逃げてどこへ行く? 何に乗って逃げても食糧はない。飢え死にするだけだ。潔く捕虜になるか」
「え! 捕虜でありますか!?」
竜太の声が大きくなった。戦陣訓には、
〈生きて虜囚の辱《はずかし》めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿《なか》れ〉
と書いてある。いったいこれを山田曹長は何と思うのか。
「曹長殿、戦陣訓には……」
「ああ、生きて虜囚の辱めを受けず、と書いてあるな。それは、捕虜にならずに死ねということだが、そう簡単には死ねまいな」
竜太はまじまじと山田曹長を見つめた。曹長は言葉を継いで、
「それにな、おれは捕虜になることをそれほど恥ずかしいことだとは思わない。戦うだけ戦って、生き残ったから捕えられただけだ」
「恥ずかしくないのでありますか」
「北森上等兵、おれはね、恥ということは、捕虜になることなどではないと思う。人間として自分に不誠実なこと、人に不誠実なこと、自分を裏切ること、人を裏切ること、強欲であること、特に自分を何か偉い者のように思うこと、まあそんなことぐらいかな」
山田曹長はさらりと言った。それは、今改めて考えたという言い方ではなく、とうに身についているような言い方だった。
竜太は、自分はいったい何を恥として生きてきたことだろうと思った。何か人の前で失敗をした時、人より自分が劣っていると思う時、嘘《うそ》がばれた時、あらぬ妄想を女性に対して抱いた時、そんな時のことがちらちらと胸に浮かんで消えた。山田曹長のように、自分が何か偉い者のように思うことが恥ずかしい、などとは考えたことがなかった。それは、小学生時代ずっと級長をしていたこともあって、いつも成績がよいとか、頭がよいとか、歌がうまいとか、陰日向《ひなた》がないとか、ほめられることになれてきたからかも知れない。それはともかく、酒保での二年間、来る日も来る日も忙しいだけで、山田曹長とはこの種の話を語り合う機会はほとんどなかった。
ちょっと黙りこんだ竜太を見て、
「本当は生きているということは、恥多いことなんだろうな。何をしたとしても」
山田曹長はタバコをくわえ、火をつけた。
「お茶を淹《い》れますか」
竜太は椅子から立ち上がった。
「ああ、ありがとう」
山田曹長の語調がいつもより柔らかかった。山田曹長はタバコを深く吸いこんでから言った。
「北森上等兵、話を戻すが、たとい捕虜になってもいい、自決などするなよ。命というものは、君が考えているより、はるかに厳粛なものなんだ」
「はい。命が大事なことはわかります」
竜太は深くうなずいた。
「よく人間は、自分一人ぐらい死んでもいいとか、どうなってもいいとか、思ったり言ったりするよな」
「はい、そのとおりであります」
警察に捕えられていた時の自分を思いながら、竜太は再びうなずいた。
「しかし北森上等兵、この自分がこの世に生を受けるためには、どの位の年数がかかっていると思うかね」
竜太は曹長の言葉がよく飲みこめなかった。
「どの位の年数……でありますか」
「そうだ。よく思うんだが、おれのこの血の中には、いったい何万人の血が流れているんだろうとね」
「はあ?」
「つまりだな、おれが生まれるためには、父と母の二人が必要だ。その父母が生まれるためにもそれぞれの父母が必要だ」
「なるほどわかりました。二、四、八、十六、三十二、六十四、百二十八、二百五十六と、僅《わず》か何代か先まで数えただけでも、大変な数になりますね」
「そうだよ。北森上等兵、人間は何万年か何十万年か知らないが、生まれ替わり死に替わり、また生まれ替わり死に替わりして、ようやくこの自分がある。それを思うと、おれは自分一人の命などとは、おこがましくて言えない気がするんだ」
「なるほど」
竜太は、じっと自分の手を見つめた。この自分が生まれるためには、無数の人々の人生があった。幸せに生きた人もいようが、死にたいほどの苦しみを、歯を食いしばって堪え忍んだ人もいたにちがいない。もし父が結婚もせず少年の時に死んでいたら、この自分はいなかった。同様に、何代か前の女性が若死にしていても、自分はこの世に生を受けることはなかった。これは大変なことだと、竜太は思った。
「な、北森上等兵、命って厳粛なもんだろう? 様々な人生があって、様々な汗や涙があって、ようやくわれわれがいるというのに、自分一人の命を軽んじて自決などしたらどうなるか。今後何万年もつづくであろうたくさんの人々の人生をも奪うことになる。生まれたいと熱望している君の子孫の願いを断ち切ることにもなる。一人の死は、何千万人の死となるかも知れないのだ」
「なるほど曹長殿、自分は今まで考えたこともありませんでした。そう考えてみると、確かに命は尊いといってよいか、神秘といってよいか……」
「そうだろう。人間がここに一人生きている陰に、子孫の繁栄を願って、懸命に生きてきた祖先の人生があったのだ」
「わかりました。これからはそのことを踏まえて生きていきたいと思います」
「戦局は必ずしも日本が有利とは言えん。これからが正念場かも知れん。しかしお互い生きられるだけ、生きて行こう。死ぬほど辛くてもな」
竜太はしっかりとうなずいた。
「戦争なんて……するもんじゃないなあ。な、北森上等兵」
竜太はふっと不吉な影が胸をかすめるような感じがした。が、それをふり払うように言った。
「曹長殿、曹長殿の宗教は何でありますか」
「宗教か。無宗教だ。いや、無宗教とはちがうな。おれはね、おやじがおれの五つの時に死んで、貧乏で育ったから学校には行けなかった。だが、生《せい》物《ぶつ》が好きでね。一人で生物の勉強を始めたんだ。そして思ったことは、神はいる。この世を造った神はいる、ということだ」
「なるほど神は創造者ということでありますか」
「そうだ。神が創造者であれば、造られたものの一つ一つに意味がある筈だ。おれの神さまはそんなところだな」
曹長は再び、柱時計を見上げた。九時になろうとしていた。
「もうすぐ消灯ラッパだ。寝るとしようか」
たった二人の酒保まで点呼にくる者はいなかった。竜太は戸締まりを点検して、階下の電灯を消した。満州東部のこの地にも、近頃便衣隊の出没が増えているという噂が多くなった。兵舎そのものが狙《ねら》われることは考えられないが、それでも多くの食糧、酒、タバコなどを倉庫に持つ酒保は、棟つづきの炊事場同様、便衣隊の標的になりやすいようで、竜太は用心深く、店と事務室の間の扉にも鍵をかけた。
消灯ラッパが今夜は妙にもの悲しく聞えて消えた。
その十日後、竜太は久しぶりに故郷からの手紙を二通受け取った。父の政太郎と、そして芳子からの封書であった。竜太はその二通の手紙の、何《いず》れから読もうかと一瞬戸惑ったが、先ず芳子からの手紙の封を切って、事務室の机に向かった。月に一、二通はきていた芳子の手紙が、このところ間遠になっていて、竜太は心にかかっていた。
〈竜太さん
この手紙が着くのは、順調にいけば年内だと思いながらペンを取りました。竜太さんはお元気ですか。酒保の仕事ということで安心はしてますけど、とにもかくにも満州は外地です。日本とはちがいます。厳しい冬を充分気をつけてお過ごし下さいね。
私はこの手紙を書こうか、書くまいかと、実は迷っていました。書くべきではないという私と、書くべきだという私が、私の心の中で戦っています〉
竜太は不意に動《どう》悸《き》の高まるのを覚えた。
(何があったのだ?)
竜太は便箋に目を走らせた。
〈竜太さん、実は保志さんが戦死をなさったのです〉
竜太はぎくりとした。
(保志が戦死!?)
今年三月に召集されたことは知っていた。が、まだ旭川にいるような気がしていた。ところが芳子の手紙によると、保志も竜太と同様、家族には何の知らせもなく旭川の地を離れ、一旦満州に集結し、そのまま直ちに南方に向かったらしい。保志の死は七月だったが、遺族に戦死の公報が渡されたのは十一月の中旬であったという。竜太の目に、幼い頃共に雪掻きをしたり、スキーに乗ったり、馬《ば》橇《そり》の後を追っかけたりした敏《びん》捷《しよう》で茶目っ気のある保志の顔が、ありありと浮かんだ。
砲声
一
一九四五年八月――。
夕食を終えた竜太は、酒保の裏に出て思わず息をのんだ。真っ赤な太陽が、果てしなくつづくコーリャン畠《ばたけ》の彼方に沈もうとしていた。いま、初めて満州の夕日を見たかのように、胸を衝《つ》かれる真赤な夕日だった。竜太はふっと、去年戦死した弟の保志の屈託のない笑顔を思い浮かべた。何か声を上げて泣きたいような、熱い想いがこみあげてきた。営庭の草むらに輪を作り、あぐらをかいている兵士たちの歌声が聞えてくる。
天に代りて 不義を討つ
忠勇無双の 我が兵は
歓呼の声に 送られて
今ぞ出で立つ 父母の国
勝たずば生きて 帰らじと
…………
死んだ保志も、この歌を声張り上げてよくうたっていたものだった。竜太は、いつも自分より明るくひょうきんだった保志の顔を思いながら、兵士たちの歌を聞くともなく聞いていたが、ふとあの兵士たちの輪の中に、保志もいるような気がした。
(しかし、保志はいない)
保志の死を知らされて以来、幾度も繰り返し思った言葉を、竜太はいまも胸の中で呟《つぶや》いていた。この満州に、保志も一旦は集結させられたという。この広い満州の、どの地に保志は足跡をしるしたのであろうか。
この真っ赤な太陽を保志も見たのかと思うと、竜太はたまらなかった。満州の夕日はゆっくり沈む。気品と威厳に満ちた沈み方だ。この夕日を見ながら、保志は何を考えていたかと思う。
いまうたっている兵士たちも、やがてはどこかでその命を散らすことになるのか。だが、彼らの内務班の日々は、古参兵たちの故なきリンチに怯《おび》える毎日なのだ。
みんな初々しい気持で、国に命を捧げようと覚悟して来ているのに、そしていつ死ぬかわからぬ命であるのに、なぜ故なき制裁を加える人間が絶えないのか。うっかり敬礼を忘れたとか、靴のひもがほどけていたとか、不動の姿勢の時に目が動いたとか、そんな些《さ》細《さい》なことで、狂ったように怒る古参兵が、どの内務班にもいた。いったい皮バンドでしたたか殴られねばならないほどのことなのか。靴の底を舐《な》めさせられなければならないほどのことなのか。歯がぐらつくほどビンタを取られなければならないほどのことなのか。
竜太は、元気に軍歌を歌っている兵隊たちに、改めて強い同情を覚えた。保志も死ぬまでに、どんな目に遭《あ》ったものやらと、つくづくと思う。いやでも父や母の顔が目に浮かぶ。母はあの茶の間の窓から、ぼんやりと空を眺めて、死んだ保志を思っているのではあるまいか。この自分の帰りを堪え難い思いで待っているのではないか。
ようやく夕日が沈んだ。兵舎を、ポプラ並木を、草原を、赤く染めていた夕日は沈んだ。軍歌が終った。たちまち兵士たちの輪が崩れた。兵士たちは営舎を目がけて、ばらばらと駆けて行った。
(みんな生きて帰って行けよな)
竜太は兵士たちの父を母を、妻や子供たちを思った。
(おれも生きて帰らねばならん。保志が死んだ以上、何としてでもわが家に帰り着かねばならん)
保志の死を知って以来、それは繰り返し思ってきたことであった。
夕焼け空が次第にその赤さを増してくるようだった。
「芳子」
大事にしまってあったあの宝石を取り出すように、竜太は芳子の名を声に出して呼んだ。
数日が過ぎた。八月九日未明である。
「北森! 起きろ!」
寝入って四時間も経った頃であろうか。山田曹長に激しく肩をゆさぶられた竜太ははっと飛び起きた。
「戦闘だ! 戦闘が始まった!」
「えっ!? 戦闘でありますか?」
竜太は思わず身ぶるいした。
「うん。いま中隊長から電話が入った。ソ連軍が越境してきたらしい」
さすがの山田曹長も緊張した声だった。竜太は耳を傾けた。豪雨の音しか聞こえない。竜太は矢須崎兵長に殴られて以来、左耳の聴力を失っていた。と、窓に稲妻が走り、雷鳴がとどろいた。
「曹長殿、大砲の音では……」
竜太の頬が引きつった。
「いや、わからん。雷かもしれん。砲声がここまで聞える筈はない」
山田曹長は手に持っていた懐中電灯を竜太のベッドの枕もとに置いた。竜太はあわてて軍服を着た。ボタンをかける手が震えた。山田曹長は落ちついて身支度をしている。さすがに実戦の体験者である。またもや稲妻がひらめき、雷鳴がとどろいた。
「曹長殿! 自分はいったい何をしたらよいのでありますか」
酒保係として、いま何をすべきか、竜太にはわからなかった。
「うむ、おれもいま考えていたところだ。焼却するほどの重要書類があるとも思えんが。ま、落ちつけ。司令部に行ってみる」
「では、自分一人になるのでありますか」
「心配するな、すぐ戻って来る。もしソ連軍が来るとしても、ここに来るまでにはまだ少し時間があるだろう」
山田曹長は雨具を着けて出て行った。竜太はベッドに腰をおろしたり、立ったり、歩いたり、落ちつかなかった。不安をかき立てるように、遠く近く雷鳴が響きわたる。雨の音がいくらか衰えたようであった。
竜太はつくづくと自分が情けなかった。まだ胸が動《どう》悸《き》している。ソ満国境からそんなに遠くないこの安陽の街に三年も住んできた竜太は、こういう日がいつかは来ることを幾度も想像し、覚悟もしているつもりだった。去年あたりまでは、日ソ不可侵条約に期待してはいた。が、次第に情勢が悲観的に見えてくるのを、どうすることもできなかった。
特にこの半年というもの、竜太の耳に入ってくるニュースは、不吉な成行きを感じさせるものばかりだった。三月十日の大空襲で、東京は焼け野原となったという。三月十七日硫《い》黄《おう》島の日本軍玉砕、イタリア、ドイツの無条件降伏、沖縄地上部隊全滅等々、どれ一つを取っても暗いニュースばかりである。
その上、身近に見聞きしている不安もあった。満州における日本軍の状態である。現地召集された兵士たちの群を見ても、軍服を支給されない兵が半分にも及んでいる。軍服が既に底をついている証拠だった。それらの兵は私服の国民服を着ていた。彼らには腰に下げる剣もなく、肩に担ぐ銃もなかった。自宅に武器のある者は、猟銃でも刀でも、それを持って応召させられたとの風聞もあった。確かに酒保に来る兵士たちの姿は、竜太たちの目にさえはっきりわかる貧弱さであった。
だが竜太は知らなかった。関東軍とソ連軍との武力の差が如《い》何《か》に甚だしかったかを。
当時の関東軍は数だけは二十四個師団、九個独立混成旅団、二個独立戦車旅団、一個機動旅団、一個航空軍の、総計七十万を数えたという。一方極東ソ連軍は、その数百七十四万、地上八十個師団、四十個戦車・機械化旅団、それに加えて三十二個飛行師団の兵力であったといわれる。更に極東ソ連軍の飛行機は五千百余機で、関東軍の飛行機は二百機、戦車がソ連軍四千輛に対して、二百輛という実態であった。
幸か不幸か、この数字を知っていた一般兵士は全くなかったにちがいない。訓練だけは毎日厳しく、ある将校は匍《ほ》匐《ふく》前進を三キロもさせたり、また大八車を戦車に見立てて、それに斬《き》りこむ激しい演習を日々繰り返していた。勝敗は始まる前に定まっていたようなものだった。が、こんな中でも日本国民の多くはなお戦意を失ってはいなかった。それは、神国日本には必ず天《てん》佑《ゆう》神《しん》助《じよ》があると信じ、最後には神風が吹いて日本は勝利に終ると信じていたからである。そして竜太もまた、日本の敗北を容易に信じ難い一人であった。
竜太は山田曹長の帰りを、いまかいまかと祈る思いで待っていた。山田曹長は二時間程して戻って来た。
「いやはや、不《ぶ》様《ざま》なもんだ。直ちに兵を牡丹江方面に集結させよと言う者もあれば、いままで時々あった国境の小《こ》競《ぜ》り合《あ》いだ、二、三日静観していようと言う奴《やつ》や、論議が分れたそうだ」
山田曹長は中隊長から聞いたという言葉を伝えた。
「まるで喧《けん》嘩《か》腰《ごし》、というより殺気立って、いまにも軍刀を抜かんばかりだったとも言っていたな」
「そうでありましたか」
竜太は大声の飛び交う将校たちの論争を思いながら相《あい》槌《づち》を打った。
「大体において、ソ連軍の戦車がずらりと国境にひしめいているというのに、こっちは全員に外出許可を与えたりな、なっとらん。いかに大詔奉戴日で日曜とは言えな」
「…………」
竜太も昨日八日の日中、外出した一人だった。そしてあの喫茶店に行き、芳子の声によく似たマリ子の声を聞いて、そぞろ懐かしい思いに浸って来たのだった。
「本来ならばだ、大詔奉戴日を期して、迎撃の姿勢に転じていても、決して早くはなかった筈だ。それを何だ。敵が侵入してから夜中に駆け集まって、ああだこうだと目の色変えての大騒ぎだ。おれは腹が立ってな」
「はっ、もっともであります」
「確かに、ここまで兵力を低下させてしまっては、迎撃などの余裕もないかも知れん。この安陽の師団兵力は通常の二十パーセントもあるのか。全満州の男たちを根こそぎ召集したはいいが、軍服はない。帯剣はない、銃はない。召集されたばかりで、訓練もろくに受けていない。これではなあ」
竜太は答えようがなかった。山田曹長はベッドに腰をかけたまま言った。竜太は立ったままだ。雨脚が衰えたようだ。雷鳴も間遠になった。竜太はふと、いつか近堂上等兵が言っていた言葉を思い出した。
「国境ではな、鉄条網のすぐ前で、ソ連兵がアコーデオンを奏でながらうたったり、若い娘が踊ったりして、日本軍の警備兵を時折慰問してくれるそうだ。しかし、それがいつ敵となっておれたちを殺すかわからん」
そしてまた近堂上等兵は、不可侵条約は破られまいと言う竜太に答えて、
「さあてね、人間と人間との約束だ。ご都合次第で簡単に裏切ることがあるかも知れん」
とも言ったのだった。
ちょっと黙って何かを考えていた山田曹長が顔を上げた。
「それでわれわれ酒保係は何をするか、ということだが、中隊長の言うにはだ、まず直ちに書類を完全に焼却し、食糧倉庫、馬糧、及び酒保の物資を、炊事係たちと協力し、保全に当れということだ。但し状況の如何《いかん》によっては、臨機応変の処置を取れ、とも言っていた」
「ではわれわれを除いて師団の全員が国境に向かうわけでありますか」
「いや、そうではない。一部の兵力を国境方面に、その他は牡丹江に向けて、できるだけ早く出発せよとの方針だ」
山田曹長は、ほっと吐息をついて、
「どうやら上部には、今度の戦いを国境の小競り合いと見ている向きも少なくないらしいな。われわれ二十名そこそこの要員を、ここに置いておくというところを見るとな」
竜太は不安な思いで山田曹長の言葉を聞いた。何か上層部の判断に、重大な誤算があるように思われてならなかった。
二
夜が明けた。雲一つない晴天であった。昨夜の豪雨は嘘《うそ》のようであった。全軍が出払って、兵舎はすべてがらんどうであった。
「すっかり静かになったなあ」
留守班の二十名が、炊事場のテーブルを囲んでいた。昼食を終えたところであった。
「うん、全くだ。馬のいななきひとつ聞えなくなった」
「どうだ。静かになったところで、交替で午睡を取らないか」
山田曹長が言った。
「そうだな、昨夜はろくろく眠っていないからな」
炊事班長が答え、歩《ほ》哨《しよう》の二人を残して、一同は午睡を取ることとした。兵たちはすぐにテーブルにもたれたまま、まどろみ始めた。竜太は、暑い日差しの下を発《た》って行った兵士たちのことを思っていたが、たちまち寝入ってしまった。
目を覚ましたのは二時間後であった。竜太の歩哨に立つ番であった。二時間の午睡で意外に頭がすっきりした。竜太は営門に立った。営門の傍《そば》を、野菜を積んだ満人の馬車が、からからと音を立てて過ぎて行った。人通りはいつもよりも少ないが、のどかだった。どこからか、鶏の声も聞える。国境近くで戦いが起きているとは思えなかった。
(近堂上等兵は、いま頃どこにいるのか)
おそらく自動車隊の一員として、将校をトラックに乗せ、牡丹江に向けて発って行ったにちがいない。思いながらも、竜太の目と耳は絶えず辺りの動きに注意を払っていた。六、七歳の女の子が四人、縄飛びをしながら営門に近づいて来た。満人の子供たちだった。竜太は思わず、にこっと笑った。子供たちは立ちどまって竜太を見て笑顔になった。そしてまた縄飛びをしながら、左手のほうに去って言った。無邪気なその四つの顔が、竜太を深く慰めた。
(子供はどこの国の子供でも、みな可愛いものだ)
幌志内の炭鉱街の子供たちの顔が幾つも目に浮かんだ。
九日の日も暮れた。時計は八時を廻っていた。もはや点呼も消灯時間もなかった。留守班の一同は、営舎から藁《わら》布団と毛布を運んで来て炊事場につづく一室に寝ることにした。広い営舎をたった二十人で守り切れるものではない。営門に歩哨に立つことは無意味だと炊事班が言った。それは誰もが抱いていた思いだった。
幸い、馬糧倉庫、食糧倉庫、炊事場、酒保の物品倉庫は同じ一角にあるから管理の目は届きやすかった。一同二十人は、炊事場の入口に歩哨をたてることにした。
一同は窓の暗幕を垂らし、軍服のまま藁布団の上に横になった。さすがに疲れて早くも大きないびきを立てる者もいた。電灯は広い寝室に一つだけ点《とも》してある。
竜太は脈絡もなく、ふっと陸軍病院の患者たちのことを思った。忙しさにまぎれて、今の今まで竜太は陸軍病院のことなど、全く思い出さずにいた。陸軍病院はここから一キロ程の所にある。
(軍医や看護婦たちは残留しているのか)
(寝たっきりの重症者はどうなっているのか)
竜太は自分が一度、盲腸炎で入院した病院の様子を思い出した。竜太は隣に寝ている兵隊にそっと尋ねてみた。
「陸軍病院の患者たちは、どうしていると思う?」
「さあ、午後の汽車でかなりどこかへ移したと聞いたが……」
「あ、それならよかった。しかし重症者はどうしたのかな」
「噂《うわさ》によれば、重症者には青酸カリを渡したということだが……」
いつ耳に挟んだのか、彼はそんなことを言った。
「青酸カリ!?」
竜太は唖《あ》然《ぜん》とした。
(なぜ死なねばならないのか)
竜太は戦陣訓の〈生きて虜囚の辱《はずかし》めを受けず〉を思った。
「何で……」
再び隣の兵に声をかけようとした時、安らかな寝息が聞えた。
(戦争とは、かくも無惨なものなのか)
そう思った時だった。室《へや》の戸ががらりと開いて、
「敵機来襲! 敵機来襲!」
と、緊張した歩哨の声がした。と、
「起きろ! 敵機来襲だ!」
山田曹長の凛《りん》とした声が響いた。一同が飛び起きた。再び歩哨の声がした。
「街の北方二、三箇所に火の手が上がっております。この師団も狙《ねら》われていると思われます!」
「よし! 焼《しよう》夷《い》弾《だん》だな。営舎から少しでも遠くの防空壕に飛びこめ!」
「小銃はどうするのでありますか」
怯えた声がした。途端に山田曹長が言った。
「小銃はむろん手放すな! 当り前だ! あわてるな! 落ちついて行動せよ!」
竜太は無我夢中で室から飛び出した。と、司令部の辺りに焼夷弾の炸《さく》裂《れつ》するのが見えた。
「来たあっ!」
竜太は素早く防空壕に飛び込んだ。同時に前方の営舎の屋根にも焼夷弾が炸裂した。と見る間に営舎の各所から火が噴いた。
いつの間にか竜太たちは防空壕を飛び出していた。営舎の幾つかが炎上している。食糧倉庫、酒保の倉庫の屋根からも煙と火が噴いている。消火しようにも施す術《すべ》はなかった。それでも山田曹長の機敏な指揮で、炊事場と、酒保への延焼は、からくも食いとめた。全市の消防班の出動もあって、さしもの各営舎の火の手が衰えたのは、夜の明ける頃であった。市街地にはさほどの被害はなかったが、街全体がざわめいていた。
三
山田曹長を中心に、朝食を終えた一同は炊事場のテーブルに向かっていた。炊事班長も曹長であったが、いつのまにか先輩の山田曹長が留守班の長のような形になっていた。声も表情も明るく、言葉の一つ一つに不思議な説得力があった。山田曹長は一同の顔を見渡しながら、
「まず戦闘第一日目は終った。小銃と焼夷弾では残念ながら勝負にならん。しかし、われわれに一人の死傷者もなかったことは幸いだった。みんなよく頑張ったおかげで、この炊事場と酒保は無傷で終った。だが、みんな一昼夜で汚れてしまったなあ」
一同は顔を見合わせて苦笑した。焼夷弾を落されて、却《かえ》って心にゆとりができたようであった。竜太はぼんやりと、これが戦争かと思っていた。戦争とは、銃で撃ち合ったり、白《はく》兵《へい》戦で斬り合ったり、戦車に追われたりするものかとばかり思っていた。あのまま壕の中で死んでも名誉の戦死になるのかと、竜太は妙なことを考えていた。
山田曹長が言葉をつづけた。
「それでは、今後どうするか、それぞれよく考えて欲しい。中隊長は情勢によって臨機応変に身を処するがいいと言ったが、それは原隊が解体された時のことであろう。まだわれらが部隊は健在である」
一同は大きくうなずいた。
「一部は国境方面に、他は牡丹江に向かったまでのことだ。君たちはどちらを選ぶか。どちらに向かっても、激戦はまぬがれないだろう。さりとて、ここに留まっている意味合いはもはやなくなってしまった。食糧倉庫も水浸しとなってしまってはな。一日も早く家に帰りたいところだが、戦闘は始まったばかりだ」
山田曹長はちょっと笑った。確かにソ連軍との戦いはまだ二日と経ってはいないのだ。どちらにすべきか、情勢が如《い》何《か》になっていくか、全く予想のつかない兵隊たちには答えようがない。誰かが尋ねた。
「山田曹長殿は、どちらに行かれますか」
「ああおれか。おれは近い方を選ぶ」
一同は顔を見合わせた。炊事班長の草越曹長が言った。
「山田曹長殿、軍隊は命令で動かすところ、みんなの意見など聞く必要はないと思うが」
みんなはうなずいた。山田曹長は、
「命令か」
と、やや投げやりに答えて、
「人間を命令で動かすところが確かに軍隊だが、大本営でも、師団司令部でも、協議はしている。われわれは留守隊本部だ。一人一人がそのつもりで答を出してもらいたい」
竜太は山田曹長が、ひどく頼もしく見えた。山田曹長には坂部先生や近堂上等兵に似たあたたかさが感じられた。
衆議は一決して、国境方面に向かって出かけることになった。僅《わず》か二十人が援軍になったとしても、どれほどの力にもなるまい。ただ死傷者の数を増やすだけかも知れない。しかしそれでも戦わねばならぬというのが、戦争なのだろうか。竜太は死んだ保志のことを思った。死ぬと知っていても、拒むことはできない。多くの男たちが、そうと知りつつ、召集令状がくれば、国の命令に従って戦場に赴いたのだ。
竜太はいつのまにか自分が厭《えん》戦《せん》思想に冒されているような気がした。一方竜太の心には、天皇のために死ぬということを誇りとする思いもあった。それは日本人の大方が持っている誇りでもあった。「皇《こう》軍《ぐん》」という言葉が竜太は好きだった。「天皇の軍隊」という言葉ほど、品位に満ちたものはないとも思っていた。
だが満州に来てから、その思いがかなり形を変えてきた。
(なぜ人を殺すのか)
人を殺すことが竜太には不思議だった。多数の命を死なしめて遂行する戦争は、いつたい何なのか。戦争をしなければ、国と国は納得し合えないのか。人間はそんなにもわけのわからぬ者なのか。近頃つくづくと竜太はそう思う。昨夜の空襲にしてもそうだ。どこの誰ともわからぬソ連の兵士は、どこの誰ともわからぬ日本の兵士たちを殺す。竜太には何としても不思議だった。兵隊がいなければ戦争はできない。
その兵隊がむやみやたらと殴られたり、蹴《け》られたりする。その矛盾にどうして男たちは怒らないのだろう。竜太は、中国人の農家の新妻を犯し、死姦を最高だとうそぶいた矢須崎兵長の顔を苦い思いで思い起こす。
こんな気持で戦地に向かって、何の役に立つのだろう。何の意味があるのだろう。いま、山田曹長は、国境方面に援軍に行くと言った。山田曹長だって死にたくはない。負けたら捕虜になると言っていたのだ。どんな思いで二十人の兵を連れて行くのかと、竜太は胸が痛かった。
「ところで昨日の午後は午睡を取ったとは言え、二晩寝不足を重ねている。よく体を休めて、明朝早々出発することにしよう」
山田曹長の言葉に一同は賛成した。草越曹長は渋い顔をした。草越曹長は牡丹江に親戚がいるのだ。
十日の夜になった。何の変ったこともなかった。あるいは、匪《ひ》賊《ぞく》が酒保の倉庫を荒らしに来るかと思ったが、昨夜の火事で見切りをつけたのか、襲っては来なかった。ソ連軍来襲の噂も飛んだが、安陽にはその気配がなかった。飛来した爆撃機は、もしかして米軍機ではなかったか、と言い出す者もあったりしたが、いずれにしても、ここがすでに戦場であることは疑うべくもなかった。夕食時、一同は酒を酌み交わすことにした。ささやかな最後の宴であった。誰かが手拍子を取りながらうたい出した。「佐渡おけさ」だった。
佐渡へ佐渡へと 草木もなびくよ
佐渡はいよいか 住みよいか
他の声が加わった。
満州へ満州へと 草木もなびくよ
満州はいよいか 住みよいか
「ソ連がいなけりゃ住みよいよ」
誰かが叫んで、幾人かが笑い声を上げた。一人が「佐渡おけさ」で思い出したのか、寿《す》々《ず》木《き》米《よね》若《わか》の浪曲「佐渡情話」のさわりをうなった。みんなが手を叩いた。
ひとしきり軍歌がうたわれたあと、山田曹長が、
「おい、北森上等兵、ひとつ生徒に教えた唱歌でもうたわんか」
ろくに酒も飲まず、さっきからうつむきがちにしている竜太に山田曹長が言った。竜太はちょっと頭を掻いた。
「やれよ、北森上等兵。どんな声か聞かせてくれよ」
酒保に三年近くもいる竜太は、兵隊たちに親しまれていた。竜太は椅《い》子《す》から立ち上がって、
「では『荒城の月』をうたいます」
と一礼してからうたい出した。
春高楼の 花の宴
めぐる盃《さかずき》 かげさして
…………
澄んだ憂いを含んだ声だった。竜太は二番までうたって腰をおろした。しんみりとして聞いていた一同は、大きく手を叩いた。
「うまいぞっ」とはやす者もあれば、さりげなく涙を拭《ぬぐ》っている者もいた。
そろそろ宴も終りかと思う頃、炊事班の一人が、
ここはお国を 何百里
離れて遠き 満州の
赤い夕日に 照らされて
友は野末の 石の下
歌はいつしか合唱になっていた。軍隊では禁じられている軍歌であった。と、六番の、
…………
永の別れと なったのか
まできた時、突如怒声が起きた。草越曹長だった。
「やめろっ! やめろっ!」
草越曹長の声が詰まった。みんながはっと歌を止《や》めた。
「貴様ら、戦友を死なせた経験がないのか。この歌は軍歌とは言えん。弔歌だ。それを酒を飲みながら、手を叩いてうたうとは何事だ」
竜太はその言葉を聞いて、草越曹長にも好感を持った。ふだんその草越曹長を偏屈という者もいて、あまり人に親しまれていなかった。
(心のあたたかい人なんだ)
竜太は、どの人も心の底はあたたかいのかも知れぬと思った。明日は戦場に命を散らすかも知れないのだ。そう思うと、いっそう一人一人が愛《いと》しい者に思われるのだった。
翌十一日も美しい空だった。竜太たちは完全装備をして、早朝営門を出た。営門を出る時、竜太は振り返った。三年近く勤務した酒保の建物、営庭のポプラの木、一つ一つを心に刻みつけるようにして、竜太は歩き出した。山道に詳しい満人李《リー》が一人、百メートル程先を行く。
竜太の見るところは、満人の多くは心根の優しい人間たちに思われた。日本人は満州国を造り上げた時に、満人の土地をただ同様に取り上げ、そのために満人の恨みを買っているとも聞いていた。だが接する限り、満人は卑屈なほどに日本人に頭を下げ、軍隊の肥《こえ》汲《く》みや溝《どぶ》掃除などを嫌な顔もせずに引き受けた。本心は見せぬというが、竜太にはそれが本心に思われた。
確かにここ一年、満人たちの態度に微妙な変化は起きていた。が、満人を二重の性格に思うのは、満人に対する扱いを粗略にし、傲《ごう》慢《まん》にふるまう日本人の側にあるように、竜太には思われた。きょう案内人として雇った李も、時々営舎の肥汲みに来ていて、竜太とも顔《かお》馴《な》染《じ》みになっていた。竜太はこの李に会うと必ず、
「ご苦労さん、大変な仕事だね」
などと、ねぎらいの声をかけていたから、李は竜太を見ると優しい笑顔を見せて、頭を低くお辞儀をするのだった。
しかし、二十人の中には、この李を信用できない者として、決めつけている者もいた。満人に道を聞いて、
「右の道を行け」
と言われたら、左の道に入ればまちがいはないとさえ言う兵もいた。その兵が、そっと竜太にささやいた。
「あの男、果たして信用できるのかね」
「できるだろう」
竜太は答えた。
「北森上等兵は、人がいいからな」
同じ上等兵のその男は偉そうに言い、
「万一、連れて行く所が匪賊の隠れ家だったり、ソ連軍の陣地だとしたら、こりゃあ大変なことになるぜ」
傍にいた者がそれを聞いて不安な顔をした。
「大丈夫だよ」
不安げにしている一つ星の男に、竜太は笑顔で言った。
一隊は満人李の案内のもとに、足早に安陽の街を離れた。行く手に何が待っているかは、誰にもわからなかった。
逃避行
一
山田曹長を始め一行二十名が、人目を避けてコーリャン畠《ばたけ》の間を進み、やがて樹林の茂る低い丘陵地帯に入ったのは、安陽の街をあとにして三時間後であった。
細い山道はなだらかに上りになり、また下りになった。針葉樹と広葉樹の混合林は、しばしば日を遮るほどに鬱《うつ》蒼《そう》と茂っていた。一行は一列となって黙々と進んでいた。先頭に山田曹長、次に竜太がつづいていた。満人李は相変らず百メートル程先を、馴《な》れた足取りで歩いて行く。その李が突然立ちどまった。山田曹長が立ちどまり、一行が歩みをとめた。李がふり返って手まねぎをしている。
(何だ!?)
竜太は、はっと緊張した。敵かと思った。山田曹長が急ぎ足になった。一隊の足並が速くなる。
道から少し離れたニレの根方に、二人の日本兵が倒れていた。
「戦死者か!」
山田曹長は大《おお》股《また》に下草を踏み分けて二人の傍《そば》に寄って行った。曹長は直ちに二人の額に手を触れ、
「うん、二人共生きている」
と、一行をふり返った。襟《えり》章《しよう》は上等兵と一等兵であった。と、人声に気づいた二人が、はっと飛び起き、山田曹長の襟章を見るや否《いな》や、立ち上がって挙手の礼をした。
「お前たちはどこから来た?」
山田曹長の問いに、上等兵が答えた。
「ハッ! 国境戦線から退却して参りました!」
「退却? ほかにも退却した者はいるか」
「はい。よくはわかりませんが、かなりいると思います。しかし大部分は戦死したと思われます」
「そうか、激戦であったな」
「はい、激戦も最たるものでありました。何しろ戦車に対して、素手で立ち向かうような状況でありました」
一行はしんとした。上等兵が言った。
「曹長殿たちは、これからどちらに向かわれるのでありますか」
「うん、われわれは友軍のあとを追って、安陽から来た。所属中隊に合流するつもりである」
「曹長殿、それは全く無理であります。自分たち二人、運よく逃げ出すことができましたが、大方は潰《かい》滅《めつ》状態であります」
「そうか、想像以上だな。まだ一日二日は持ち堪《こた》え得るのではないかと思ったが……」
一同がざわめいた。一人が声を上げた。
「何ということだ。こんなことなら、牡丹江方面に向かえばよかった。わざわざ敵中に飛びこむような道を選ぶとは!」
「まあ落ちつけ! 先ず腰をおろせ」
山田曹長はあわてなかった。一同は二人の敗走兵を仲間に入れる形で、草むらに腰をおろした。
「おれがこの道を選んだ理由を説明する。九日未明、ソ連軍は満州に侵入した。そしてあっと言う間に進撃を開始した。この時点で、最も安全なところはどこか。牡丹江に強力な兵力が結集しているとはいえ、到底防ぎ切れないだろうとおれは見た。ソ連軍は全満州どこまでも手をゆるめないにちがいない。しかしこの辺りは爆撃も終った。空っぽの師団を敵は知っている筈《はず》だ。それで『灯台もと暗し』、おれはこっちの道を取った。相談したとおりだ。それに、いざとなれば朝鮮への道を辿《たど》ることもできる。おれは二十名といえども、一人も死なせたくはない。できるだけ逃げて逃げて逃げまくる。これがおれの考えだ」
そう言った時、敗走兵の上等兵が言った。
「実は自分たちも同じ考えであります。何とか朝鮮へ脱出したいと考えたのであります」
一同は再びしんとなった。銘々何か考えているようであった。竜太は山田曹長と行を共にしたいと思った。その時、まだ誰も知らなかった。その日関東軍が総司令部を新京から鮮満国境近くの通化なる街に移すことを決定、皇帝溥《ふ》儀《ぎ》をも移動させようと計画していたことを。つまりこの日一九四五年八月十一日、関東軍の使命は皇土朝鮮の保衛に変り、満州国放棄の方針を取ったのであった。しかし、四日後の八月十五日、日本が敗戦に終ることは、関東軍の総司令部も知らぬことであった。
折から、頭上に爆音が聞えてきた。一同は思わず空を仰いだ。ソ連の爆撃機が一機、西南に向かって飛んでゆくのが梢《こずえ》越しに見えた。爆音が消えると、草越曹長が言った。
「山田曹長殿、いろいろ考えてもらってありがたいが、こっちの原隊が潰滅したとなると牡丹江へ向かってもいいわけだね」
「おれがいいとか悪いとか言う立場ではないが、それは自由ではないかな」
「自由か。しかし朝鮮越えするのも自由かなあ。脱走ということにならんかな。帝国軍人として脱走の罪は重いが……」
「罪は重いか。もしおれを捕まえに来る憲兵がいて、このおれを軍法会議にまわす人間がいて、おれの入る牢《ろう》があって、警備する兵隊がいるなら、喜んで捕まってもいい」
言い終るや否や、突如激怒した一人の古年兵が立ち上がった。
「山田曹長殿! それが畏《おそ》れ多くも天皇陛下の軍人の言う言葉でありますか。場合によっては、自分が天に代って、曹長殿の命をもらう!」
古参兵は銃口を山田曹長に向けた。一同が息をのんだ。竜太は思わずあとずさった。山田曹長が言った。
「命だけは勘弁して欲しいな。中隊長は臨機応変の処置を取れと言った。おれは何も、いわゆる脱走を企てているのではない。皇軍に背を向けるのではなくて、敵から身を避けることだ。今や満州はどこへ行っても、ソ連軍の手から逃れることができない。要するに、身を立て直す最善の道を考えているわけだ。それが悪いというなら、即刻このおれを撃ち取ってもよい」
古参兵の隣にいた草越曹長が立ち上がって、古参兵の肩を叩いた。
「まあ、待て。ソ連兵がどこにいるかわからん。下手に銃の音を立ててはいかん。山田曹長殿の言うことにも一理ある」
竜太を始め、一同がほっとした。
こうして相談の結果、二十人はそれぞれ思う方向に足を向けることにした。やはり大兵団を抱える牡丹江が大きな魅力であるらしく、大半が草越曹長に従った。山田曹長に従ったのは、竜太と、二人の敗走兵、そしてもう一人は高根一等兵であった。満人李は途中まで同行すると言って、山田曹長についた。
草越曹長が出発してから、三十分程して竜太たちもゲートルを巻き直した。李の話では、もし日本軍の道案内をしたことがわかれば、仲間に命を狙《ねら》われることもあるらしい。竜太はひどく心を打たれた。命を賭《と》しての案内だったのか。山田曹長が言った。
「それも懸念はしていた。よく案内してくれた。ありがとう」
「わたし、山田曹長さんと、北森上等兵さん、尊敬します。好きです。だから来ました。日本人、いやな人、きらいな人、たくさんいます。でも、とてもいい人、なんにんか知っています。満人と日本人、いい友だちになれます」
李は懸命に言った。竜太は思った。東洋平和のための戦いだとよく言われたものだが、個人同士がお互い信頼し合っている限り、真に平和な世界がくるような気がした。
「山歩き、むずかしいです」
李は語り始めた。一本の道しかないわけではない。幾本もの道が、枝葉のように分れている。馴れている者でも、一旦間違うと、目指す場所に出られないことがよくある。人に尋ねても、教えるほうもわからぬことがある。そんなことをくどくどと言って、李は途中で竜太たちと別れたのは、太陽が西の空に間もなく沈む頃であった。李は別れる時竜太の顔をじっと見つめて、
「また会えたら、うれしいです。戦争ないといいです。戦争いやです」
と、低い声で言った。竜太は胸が熱くなった。どこか近堂上等兵に似た雰囲気の李を、竜太は祈る思いで見送った。真っ赤な夕《ゆう》陽《ひ》が李を照らし、五人を照らしていた。
二
つとめて夜間を歩き、昼は野宿するほうが安全であると李に勧められて、竜太たちは腹拵《ごしら》えをし、日暮を待った。敗走して来た上等兵は味田と言い、一等兵は月坂と言った。味田上等兵と月坂一等兵は、かなり疲労していた。戦場から逃れて、歩きづめに歩いたからだろう。それでも、竜太たち三人から握り飯と甘味品を分けてもらって、かなり元気を回復した。
夜の山道は驚くほどに暗かった。闇《やみ》が手に触れそうな感じだった。竜太は演習で一、二度夜の山道を歩いたことはあるが、その時と比較にならぬほどの闇だった。空の星のきらめきが唯一の光で、月光も全くない。先頭を命じられた竜太は、演習の時に習ったように、腰に日本手《て》拭《ぬぐい》を下げた。うしろの者が一歩先を行く姿さえ、容易に捉《とら》えられぬ闇だったからである。全員もそれぞれの腰に手拭を下げた。竜太は山田曹長から渡された枯枝を杖にして、一歩一歩まさぐるように歩く。小石混じりの道の感触と、両側の草の感触はちがうので、辛《かろ》うじて歩くことはできたが、何か底知れない沼にでも歩いて行くような不安感が先に立った。時に、何かぐにゃりとしたものを踏んづけることがあった。それが何かと確かめる余裕もなく、竜太は黙々と歩く。他の者も皆、黙々と従《つ》いて来る。
竜太はふと思った。
(ふり返ってみたら誰もいなかった、なんてことにはなるまいな)
思っただけで、背筋が寒くなるような気がした。
足さぐり、手さぐりで歩くことに、少し馴れた。見えない道を歩いて行くことのむずかしさに、竜太は何か人生の暗示を見たような気がした。実は、自分たちの人生は、この暗い闇路のように、何も見えていないのかも知れない。それをあたかも、幾年も先まで見えるかのように、錯覚していたのではないか。教師になった時、敗残兵として、僅《わず》か数人の男たちと共に、満州のこんな山道を逃げまわらねばならぬと、誰が思ったであろう。誰一人として、そんな想像をしたことはない筈だ。ひたすら一歩前を行く者の腰に揺れる白い手拭を目標に、歩いて行くこの姿の何と象徴的なことか。
しかし、自分の導き手は、断じて白い手拭であってはならない。最も確かなもの、安心して自分のすべてを委《まか》せ得るものを、持たねばならぬ。歩き泥《なず》みながら、竜太は今更のように、自分が確たるものを何も持たずに生きていることを思った。
芳子の顔が闇の中に浮かんだ。胸が締めつけられるようであった。父と母の、向かい合って食事をしている姿が目に浮かんだ。幸せとは、芳子と父母の待っているあの旭川に、帰りつくことではないか。金も要《い》らない、地位も要らない。ただ、愛する者と共にいるのがいい。そして、安らかにその生活を営む基礎に、人間を導く光を見出さねばならない。この闇の中に、小さくともいい、もしろうそくがあったとしたら……月の光でもいい、もし互いを識別できる光があったら……ああ、太陽の光ならどんなにいいだろう。その太陽を造られた創造主なる神を、芳子の口から幾度か聞いていたことを、いま竜太は思い出していた。
(とにかく、太陽の光を恐れて、闇路を歩まねばならないとは……)
竜太は自分がひどく愚かしく思われた。
竜太はゆっくりと大股で歩く。一歩一歩確かめるように歩く。夜鳥が鋭く鳴いて飛んだ。竜太は、きょう山田曹長に銃口を向けた古参兵の精《せい》悍《かん》な顔を思い出した。太い眉がきりりと上がって、
「命をもらう!」
と、山田曹長に向かって言った時、山田曹長の傍にいた竜太は、思わず恐れおののいて、あとずさりしたのだった。目の眩《くら》みそうな恐ろしさだった。爆撃機の襲来よりもずっと恐ろしかった。
竜太は山田曹長を敬愛していた。この人のためには、いざという時、代って死ねると思ったことが幾度かあった。そしてそれが自分の本心だと思っていた。山田曹長のためなら、敵の銃口の前に仁王立ちにさえなることも、可能のように思っていた。
だが古年兵が、獣めいた目で銃を構えた時、竜太は思わずあとずさりしてしまったのである。竜太は、自分がそんな人間に過ぎなかったのかと、情けなかった。芳子や、家族や、生徒たちを愛してきたつもりだったが、それはつもりだけにしか過ぎなかったのではあるまいか。竜太は自分の真実のなさに呻《うめ》きたい思いであった。人を愛する資格など、ないような気がした。
「北森上等兵、休もう」
うしろで、山田曹長のあたたかくねぎらう声がした。
五人がひと所に集まった時だった。不意に近くの藪《やぶ》に何ものかの動く音がした。
(匪《ひ》賊《ぞく》か!?)
竜太の胸がとどろいた。この一帯には、抗日分子がひそかに蠢《しゆん》動《どう》しているとも聞いた。日本軍の戦況が不利になったのに乗じて、どんな目に遭《あ》わされるかもわからぬと、安陽を出た時怯《おび》えていた者もいた。
「勝手に銃を構えるな」
山田曹長が声低く言った。藪の中の音は大きかった。みんなは息を殺して音のしたほうを見つめた。真っ暗闇の中に誰が立っていても見分けはつかない。
一分程の長さだったが、竜太にはひどく長かった。
「誰か!」
山田曹長が大声で誰《すい》何《か》した。と、素早く藪原を駆け去る音がした。狐でもいたのだろう。
「何だ、人間かと思った」
誰かが言い、一同が笑った。
「匪賊でなくてよかった」
味田上等兵が言った。竜太も同じ思いだった。五人は道端の草むらに腰をおろした。
「汚い! 何かの糞だ」
「何!? 糞! 人間の糞なら危険だぞ」
中支の戦場にいたことのある山田曹長が、月坂一等兵に言った。伝染病を恐れたのだ。
「いや、大丈夫であります。兎《うさぎ》か何か、動物の糞が手に触れただけであります」
「そうか。それはそれとして、匪賊に出遭っても、すぐに銃を構えるな。おれが命令するまで、銃には手を触れるな」
暗闇の中に五人の姿がかすかにうごめく。
「僅か五人では、戦っても勝ち目はない。死ぬのは目に見えている。おれたち五人が匪賊五人を倒したところで、日本の戦局が変るわけでもない。無駄な殺生はやめて、ひとまず命を預けることだ。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある」
「山田曹長殿。一発も撃たずに死ねというのでありますか」
「死ねとは言っておらん。そのほうが生き延びられると、おれは思うのだ。丸腰のままで命《いのち》乞《ご》いをしたら、あるいは助けてやろうという気にならんでもない。しかし、銃を構えている者には、向こうも銃を構えてくるだろう」
竜太は体が震える思いだった。丸腰になる勇気も竜太にはなかった。
一行はそこで少しの間、仮眠を取ることにした。真っ暗闇の中では、やはりはかばかしく進むことはできない。
一行が目を覚ましたのは、明け方の三時頃であった。今度は山田曹長が先頭に立った。足もとはまだ仄《ほの》暗《ぐら》いが、深い闇の中とはちがって、足並が速い。しばらく行くと夜は全く明けて、道は下り坂となった。と、山田曹長がふっと立ちどまった。竜太も何げなく立ちどまった。道の前方左手に広葉樹の疎林があった。その一帯は丈の低い草原だった。竜太ははっと目を凝らした。草原の中ほどに、赤、黄、白、カーキー色等々、様々な色が散乱していた。人が倒れていたのだ。
「あっ! あれは!?」
同時に四人が叫んだ。竜太は山田曹長を見た。曹長は黙って突っ立っていた。曹長はひと目で、そこに何が起きていたかを察知したようであった。山田曹長は黙って草原に入って行った。竜太たちもあとにつづいた。竜太は体が硬直した。カーキー色の服を着た男が一人、銃を抱えてうつぶせに倒れて死んでい、その前面に目隠しをされた四、五歳から十二、三歳までの男児や女児が倒れていた。その右や左に乳《ち》呑《のみ》児《ご》を抱いた母親や、白髪の老人夫婦、年配の男三、四人、総勢二十数人が銃で撃たれて死んでいた。何《いず》れも日本人であった。
山田曹長始め、しばらくは誰も言葉が出なかった。やがて山田曹長が口を開いた。
「開拓団の集団自決だな。女、子供、年寄りを抱えては逃げ切れないと見たか」
一同はうなずいた。味田上等兵が吐息まじりに言った。
「集団自決は、まだあちこちにあると思われますが……」
「うむ、あるだろう。開拓団を守る筈のわれわれ軍隊が、敗退しているわけだからなあ。われわれには、今、何をしてやることもできない。せめて、遺体を仰《あお》向《む》けにして、楽な姿勢にしてやろう。目隠しは取ってやれ」
曹長の言葉に四人はそれぞれの死体を抱き起こし、仰向けに臥せてやった。恐怖に引きつった顔もあった。無表情に目を大きく開けている少年もいた、笑っているような女の子の、あどけない顔もあった。乳呑児も死んでいた。この一人一人に銃口を向けて、一人また一人と射殺し、最後に自分ののどもとを射抜いた男の気持はどんなであったろうと、竜太は思いやった。誰の胸も大きく血が滲《にじ》んでいた。自決は昨日、陽が沈んでからのことであったろうか。女児の傍にオカッパ頭の日本人形がころがっているのを見た時、竜太は堪《こら》えられなくなって、声をしのばせて泣いた。死体を整えると、草原に咲く名も知らぬ小さな花を手折って、一人一人の胸の上に置いた。
一同は黙《もく》祷《とう》し敬礼をして、ようやくその場を去った。誰も何も言わない。誰もが、故国に住む肉親に思いを馳《は》せているのだろう。日本内地の状況をつかみ得ない竜太たちであったが、国内にも米軍の攻撃によって、同様の悲劇が起きているのかも知れないと、想像せずにはいられなかった。
(おれも芳子と共に、満州の開拓に入るつもりだった……)
竜太と芳子にとって、満州は夢の大地であった。今見た開拓団の人たちも、同じ思いを持って満州に渡って来たにちがいない。それがまさかこんな悲劇で終ろうとは、誰一人想像しなかったであろう。
坂道を竜太たちは黙々と下りて行った。
記録によると、集団自決の例は決して少なくなかったようである。特に開拓団の悲劇が多かった。ソ連軍の進撃に対して、開拓団の人たちは、どこへ、どうして逃れたらよいか、決断する術《すべ》を失った。与えられている土地が広大な上に、家畜もいた。一家の働き手はほとんど「根こそぎ召集」によって兵隊に取られ、残された者は女、子供と年老いた親たちであった。当時の避難指示によれば、
「最低限度の生活必需品を携帯し、移殖日本馬を曳《ひ》き避難すべし」
となっているが、身一つで逃げるのさえ大変な時に、牛馬や生活に必要な用具を携えて逃げよという指示である。開拓者たちは途方にくれたにちがいない。この指示に、当時の混乱の極みを垣《かい》間《ま》見《み》る思いがする。そしてその混乱の中に巻き込まれて行く女、子供たちの困惑を見る思いがする。何はともあれ、身一つで命を全《まつと》うせよと、指導者たちは言うべきであった。命を全うせよと言う代りに、指導者たちは、万一の時に備えて手《しゆ》榴《りゆう》弾《だん》や、青酸カリを与えているのである。つまり「生きて虜囚の辱《はずかし》めを受けず」の戦陣訓を、一般人にまで及ぼしていたのであると、記録にも述べられてある。
開拓団は、ソ連軍の侵入に呼応して立ち上がった中国人の襲撃も受けて、生きる望みを失った。当時のソ連軍の女性への凌《りよう》辱《じよく》は、想像を超えるものであったと言われる。都市の住宅街では、施錠を銃撃によって破壊し、ソ連軍は女性を犯してまわった。そのすさまじさは、聞くだに身の毛のよだつ思いがする。集団自決はこうした背景の中に生じた。
ある所では四十三名の男女、ある所では婦女子、老人合わせて七十余名、更にまたある所では婦女子ばかり八十余名の自決の記録を見るが、記録に残らぬ悲劇がどれほどあったことであろう。
三
竜太たちが草原に二十数名の痛ましい自決の現場を見てから、三日が過ぎた。すなわち十五日の朝であった。珍しく深い眠りに引きずりこまれていた竜太は、いつものように銃に手をやろうとして、はっとした。
(銃がない!)
一瞬鳥肌立った。が、
(なあんだ、銃はもうないんだ)
竜太は心の中で思った。傍らに山田曹長が軽い寝息を立てている。針葉樹の倒木の枝条の中に、もぐりこむようにして寝ていたのだ。昨日、一昨日と雨が降ったが、幸い竜太たちの寝た場所は、やや小高い丘の上で、土はさほど濡《ぬ》れていなかった。この場所を見つけた時山田曹長は、
「おい、北森上等兵、なんと凄《すご》いダブルベッドじゃないか」
と、冗談を言った。今までは樹木の深い下草や、コーリャン畠の片隅に、落ちつかぬ眠りの時を持ったのだった。しかし昨日までは味田上等兵、月坂、高根各一等兵の三人が行を共にしていた。だが三人共、昨日の午後、竜太たちと袂《たもと》を分ったのである。原因は山田曹長の言葉にあった。山田曹長は一行に、銃を捨てて丸腰になることを勧めたのだった。
「銃を捨てる!? 山田曹長殿! いったいどういうことでありますか!」
味田上等兵が顔色を変えて言った。
「うん。状況は悪化の一途を辿っている。それはお前たちにも感じられるだろう」
言われて竜太もうなずいた。途中、敗走して来る日本兵にも、一再ならず出遭った。遠く樹間からも、ソ連軍の戦車隊が進撃して行くのが望見された。この辺り一帯も、いつソ連兵の襲撃するところとなるかわからない。そんな危機感がひしひしと感じられた。その上、はかばかしく鮮満国境に近づけなかった。丘陵地帯の道は、確かに満人李が言ったように、迷路であった。五人で分け合った乾パンも昨日の朝でなくなり、のどをうるおす水もなかった。折よくさしかかった畑地に、胡瓜《きゆうり》やトマトを見つけた時は、誰もが雑《ざつ》嚢《のう》をひらいてそれを詰めこんだ。山田曹長だけは、見えぬ持主に片手で拝む格好をし、頭を下げて口に放りこんだ。しかしこの三日、米も雑穀も既に口に入れていない。行軍につぐ行軍で、さすがに足の動きも鈍い。しかも寝不足だ。起きていても、寝ていても、少しの物音に緊張し、気の休まる時がない。そんな中で、銃は一つの拠《よ》りどころであった。それを山田曹長は突如捨てよと言ったのだ。味田上等兵が言った。
「山田曹長殿。銃は絶対に必要だと思うのであります。銃は、畏れ多くも大元帥陛下に賜りしもの、銃身に僅かな傷をつけただけでも、責任を問われて参りました。ましてや銃を捨てたとあっては、重営倉は当然であります。曹長殿、血迷わないで下さい」
竜太はその時少し迷った。山田曹長につくならば、反乱の汚名は必至である。それはいかにも残念だった。しかし山田曹長は言ったのだ。
「生きることだ。この状況では、銃を捨てたほうがいい。なまじ銃を持っていることで、危険は倍加する。われらは敗走者なのだ。丸腰になっていれば、むしろこっちの意志は通ずる筈だ」
だが、この言葉に耳を傾けたのは竜太だけであった。こうして三人もまた別れて行ったのであった。
竜太は今朝、口をきくのもおっくうになっていた。時々頭の働きが停止しているような感じがした。が、竜太の気配に目を覚ました山田曹長はいきなり言った。
「なあ、北森。おれはたった今夢を見た。正夢か逆夢か知らないが、軍服姿のおれが、銃を持って、もう一人のおれに銃を向けた。銃口がおれのすぐ目の前にあった。あ、殺《や》られる! と思ったとき、その銃は小さな骨箱になった。謎《なぞ》めいた夢だと思わないか」
「山田曹長殿、そんな夢は見ないで下さい」
竜太は不吉な夢だと思った。たった一人の同行者山田曹長を失うのは、堪えられなかった。しかも山田曹長は単なる同行者ではなかった。竜太にとって豊かな人間性を持つ大事な指導者であった。
「な、北森。おれもお前も、きょう死ぬか明日死ぬかわからぬ身だ。もし、どちらかが生き残って故国に帰ることがあったなら、お互いの様子を、お互いの家族に知らせることにしようではないか」
「曹長殿、そんな縁起の悪いことは、ごめんであります」
竜太は怒ったように言った。山田曹長に死なれてたまるものかと思った。
「北森、きょうが自分の命日と、毎日思って生きている人間がいる。生きているということは、やがて死ぬということだ。その死ぬ間際になって、改めて死とは何ぞや、生とは何ぞやと問うたところで仕方がない。まあ、きょう八月十五日がお互いの命日と思って、きょうを生きようじゃないか」
竜太は黙った。山田曹長が明らかに死を覚悟しているのを感じた。竜太の顔が歪《ゆが》んだ。山田曹長が笑って言った。
「もしお互い生き延びたら、五十年前は満州の倒れ木の陰で、そんな話をしたこともあったっけと、七十、八十のおれたちが話し合うかも知れんぞ」
二人は夜のすっかり明けきらぬうちにと、朝鮮を目指して、道を歩き出した。朝の風はさわやかだった。いくらも行かぬうちに、不意に長く延びる谷《たに》間《あい》に出た。その谷間の下の水田のあちこちに数軒の農家が見え、すぐ目の下の農家を囲んで少し高い土塀があった。土塀の中には、野菜畠や花畠もあり、母屋の近くに、二棟の石蔵もあった。土塀は一町四方の屋敷を取り囲んでいた。二人は顔を見合わせた。整然としたその農家の様子には、深い知恵のようなものが感じられた。
と、蔵の向こうから、体格のいい青年たちが四、五人、銃を持って現れた。竜太たち二人は、ゆるやかな斜面の藪の中に身を隠して、息を殺した。青年たちは六人に増えた。そのうちの背の高い一人が、蔵を背にして青年たちを見た。青年たちは不動の姿勢で、背の高い男の言葉を聞いているようだった。
やがて話が終って、青年たちは指揮官らしい男に向かって敬礼した。指揮官の号令で、青年たちは一列になって駆け足をした。きびきびとして、よく統制が取れている。
「北森! あれが時々聞く抗日分子だな。よく訓練されている。みんな朝鮮人らしい。満人は水田を作らぬと聞いたからな。こりゃあ手《て》強《ごわ》いところに来合わせたぞ」
竜太はうなずいた。
(もしかして、あの青年たちの誰かに、きょう、おれの命は奪われるのではないか)
竜太は捨ててきた銃身の感触を思い出しながら、全身が震えた。山田曹長が言った。
「こりゃあもう逃げ切れんな。下に下りればたちまち見つかる。と言って、下手に道に戻るわけにもいくまい。夜になるまでひそんでいるか」
竜太は答えようがなかった。ただ小刻みに体が震えた。両親の顔と芳子の顔が並んで浮かんだ。保志のうしろ姿が見えた。近堂上等兵と、死んだ坂部先生の笑顔が浮かんだ。
(神よ!)
思わず竜太は、心の中で神を呼んだ。
山田曹長は目を大きく見ひらいて、下の青年たちの動きを見つめている。駆け足をしていた青年たちが並足となり、指揮官の台の前に集まった。
「強そうな連中だな」
竜太は答えようにも声にならなかった。その竜太の顔を見ながら山田曹長がまた囁《ささや》いた。
「隊長は実力者だな。みんなが心服しているようだ。ああいうのが一番恐ろしい。鶴の一声だ」
何か言っていないと、さすがの山田曹長も落ちつかないらしかった。
「連中は抗日分子だから、日本人だけを敵にしている。うーむ」
その時だった。不意にばさっと鳥の羽《は》搏《ばた》く音がした。竜太の胸がとどろいた。つづいて烏《からす》の異様な鳴き声がした。
「しまった! 感づかれたな」
一隊がばらばらと、土塀の裏口から、竜太たちのいる斜面へと駆け上がって来た。驚くべき速さだった。思わず立ち上がった竜太と山田曹長に、ぴたりと銃口が向けられた。
邂《かい》逅《こう》
一
山田曹長と竜太は、うしろ手に縛られ、銃を突きつけられながら、蔵の前に引き立てられて行った。辺りに餌を漁《あさ》っていた数羽の鶏が驚いて散って行った。
蔵の前には、あのリーダー格と見た男が椅子に腰をおろしたまま、じっと二人の様子を見つめていた。鋭い目だ。竜太は生きた心地がしなかった。竜太の聞いた限りでは、日本軍は捕えた農民を、その日のうちに、あるいは幾日かの後に、ほとんど処刑しているのだ。それが、今は逆にわが身の上に起きようとしているのだ。
二人は地面に突き飛ばされるように坐らされた。リーダー格の男は、
「縄を解いてやれ」
と言った。少し訛《なまり》はあるが、明《めい》晰《せき》な日本語だった。手に食い入っていた縄が解かれた。
「わたしは抗日派の民兵で、この辺りの隊長である。お前たちは日本兵だな」
「はい、日本兵であります」
山田曹長が答えた。隊長の左右に、銃を持った若者が二人、油断なく控えている。
「銃はどうした? 帯剣はどうした?」
隊長が咎《とが》めるように言った。
「はい。思うところあって、昨日捨てました」
「何? 捨てた? なぜだ」
「はい、武器を持っているほうが却《かえ》って危険だと考えたからであります」
「なるほど、それも一理ある。銃を持っていたら、たちまちお前たちの体は蜂《はち》の巣のようになっていただろう」
「…………」
「しかし関東軍の兵が銃を捨てるということは、脱走兵と見なされることを覚悟しなければ、できない筈だ。ちょっと腑《ふ》に落ちないな」
隊長は疑わしい顔になって言葉をつづけた。
「これからわたしの尋問に、正直に答えよ。答の如何《いかん》によっては、命の覚悟もしてもらわねばならない。先ずお前から尋ねる。姓名、略歴、出身地、家族関係から聞く」
厳しい声だった。鼻下に髭《ひげ》を蓄えた隊長を、竜太はちらりと見て目を伏せた。ふっと、故なく捕えられた時の留置場暮らしが思い出された。山田曹長もさすがに緊張した顔になって答えた。
「山田佐《さ》登《と》志《し》、三十一歳、陸軍曹長、家族は母一人、出身地は広島であります」
「何!? 広島?」
隊長は眉をひそめた。その表情が何を物語るのか、竜太にはわからなかった。広島には九日前の八月六日、原子爆弾が投下され、只の一発で数万からの命が瞬時に奪われ、未《み》曾《ぞ》有《う》の惨害を蒙《こうむ》っていたのだ。
「そうか、広島か」
隊長はそう言って、しばらく何かを考えているようだった。が、語調を変えて、軍歴やこの地に至るまでの様子を詳しく尋ねた。
「なるほど、大体のところはわかった。丸腰になった次第もわかった。いかにも穏健そうだが、それだけに油断ができないな。お前は、この辺りが満州の中でも、朝鮮人、満人、中国人の雑居地帯であり、関東軍がスパイの巣《そう》窟《くつ》地帯と呼んでいることを、よもや知らぬ筈はないだろう」
隊長の問いに、山田曹長は落ちついて答えた。
「いいえ、そんな話は初めて聞きました」
「いや、そうは思えない。泣く子も黙る関東軍の兵士が、二人揃《そろ》って丸腰になり、理由なくこの辺りをうろつくとは考えられない。何《いず》れにせよ、お前たちの背後には、三十人や五十人の仲間が従《つ》いて来ているにちがいない」
「そんな……」
山田曹長はあわてて手を横にふった。
「第一、山田とやら。お前の態度は、余裕綽《しやく》々《しやく》というか、大胆不敵というか、あまりにも落ちつき払っている。ただの鼠《ねずみ》とは思えない」
「困りましたな、これは。恥を承知で申しますならば、自分とこの上等兵とは、只一《ひと》碗《わん》の粥《かゆ》なりを恵んで欲しいと思い立ち、銃を捨てたわけであります。恵みを乞《こ》う者が銃を持っていたのでは、押込強盗と思われてもいたしかたのないこと……」
「いやいや、そうではあるまい。この命の瀬戸際に、まだ口もとが笑っている。こんな男に、わたしは会ったことがない。お前たちはやはりスパイであろう。な、そうであろう」
隊長はそう言って、山田曹長を睨《にら》みつけた。山田曹長が竜太を見て言った。
「おい、北森。おれはスパイだそうだ。となると、北森もスパイの一味ということになる。どうだ北森、おれとお前はスパイだろうか」
「山田曹長殿は、決して、決して……」
竜太の口が震えた。その竜太を見ていた隊長が竜太に言った。
「お前の姓名、出身地、家族は?」
竜太は必死になって答えた。
「北森竜太。北海道旭川出身。家族は父と母の二人。ただ一人の弟は昨年、南方で戦死。実家の近くには嫁いだ姉が一人……」
言い終るや否《いな》や、竜太は庭土の上に突っ伏した。惨めとも何とも言い様のない思いだった。と、その時、隊長が飛び上がらんばかりに椅子から立ち上がったかと思うと、ころがるように竜太の傍《そば》に屈《かが》みこみ、竜太を抱き起こして叫んだ。
「君は……君は……竜太君かーっ!」
竜太は動転した。満州のこの地で、自分の肩を抱いて、「竜太君か」と叫んでくれる人がいようとは、夢にも思わぬことであった。訝《いぶか》しげに竜太は隊長の顔を見上げた。
「竜太君! わたしだ。金《きん》俊《しゆん》明《めい》だ。覚えていますか!」
「金俊明?」
「そうだ。君がまだ中学生時代、わたしはタコ部屋から逃げ出して……」
「あっ! あの時の……」
竜太の目に、真っ黒に日焼けした土工夫金俊明の姿が甦《よみがえ》った。竜太の父の政太郎が二十日余りも家にかくまい、無事に逃がしてやったのだった。
あの夜、竜太の自転車に金俊明が乗り、そのうしろの荷台に竜太が乗って、金俊明の腰にしっかりとしがみつき、家に連れて来たのだった。途中、巡査に会い、あわてたこともついこの間のことのように思い出された。
「美千代さんはお元気か」
隊長は声低く言った。竜太はその声に、十余年前の、姉の美千代の姿を思った。美千代は、金俊明をかくまっている間に、金俊明に心を寄せ、並々ならぬ愛を抱いたのだった。
「そうですか。美千代さんは元気ですか」
金俊明の目から、涙がぽろりと落ちた。竜太の目にも涙があふれた。懐かしかっただけではない。命が助かったというだけではない。もっと、それらを超えた不思議な感動が湧《わ》き上がったのだった。それは人間の持つ尊さに触れたような深い感動であった。
美千代が元気と聞いて、金俊明は黙ったまま二、三度大きくうなずき、
「よかった。それはよかった」
と言い、
「しかし、あの明るい保志君が戦死したとはなあ。竜太君、君は這《は》ってでも、ずってでも、お父さんお母さんのもとへ帰りつかなければならないよ」
言ったかと思うと、金俊明は竜太の肩を抱いた。竜太は嗚《お》咽《えつ》を怺《こら》えかねた。俊明の目から再び大粒の涙が落ちた。一部始終を見ていた山田曹長も、拳《こぶし》で目《め》尻《じり》を拭《ぬぐ》っていた。
金俊明は傍らに控えていた隊員に何かを言いつけ、竜太を見て言った。
「心配要《い》りません。いま全員を集めて、竜太君たちのことを紹介します。皆訓練された隊員たちです。秘密は厳守する筈です。ただ、抗日隊員ばかりですから、お二人をこのままかくまうかどうかを決めるまで、ちょっと時間がかかるかも知れません」
待つ間もなく、様々な服装の隊員たちが、緊張しきった顔で敷地のあちこちから集まって来た。おそらく課せられた朝の作業に、それぞれ励んでいたにちがいない。二十名程の隊員であった。一同は蔵の前に整列した。四人ずつ五列に並び、一番前の中央の隊員が胸を張って、
「第五班全員揃いました」
と告げた。金俊明は竜太と山田曹長を自分の傍に立たせ、
「諸君、朝食前に話しておきたいことがある。ここにいる二人は、見てのとおり関東軍の兵士である。いや、あったと言ったほうがいい。二人は勇をふるって丸腰になり、戦場を離れた。そして辿《たど》りついた所がわれらのアジトだった」
隊員たちの顔に複雑な表情が浮かんだ。
「ところが取調べていくうちに、意外なことがわかった」
一同がうなずいた。
「君たちは皆、わたしが日本のタコ部屋から脱走し、農家の納屋に隠れていたところを助けられた話を知っているな」
再び一同がうなずいた。
「それが奇遇にも、その家族がここにいる。この北森竜太君だ」
隊員たちがどよめいた。
「きょうは、この北森君と、その上官である山田曹長に、われわれの気持も聞いてもらうために、日本語で話をしよう。諒《りよう》承《しよう》して欲しい」
何かささやき合っていた隊員たちが静まった。
「あの日本において、朝鮮人であり、タコ部屋脱走者であるわたしをかくまうことは、それだけで命懸けのことであった。北森君の父親は、それを承知の上で二十日以上もわたしをかくまってくれ、無事に朝鮮に帰らせてくれた。この命の恩人の息子さんを、わたしも、何とかして日本に帰してやりたいと思う。わたしの一存で帰すことも可能かも知れないが、大事な同志である君たちの諒解も得ておきたい」
張りつめた空気の中に、金俊明は一息ついた。誰もが俄《にわ》かには答え得なかった。あまりにも突然のことだった。
「わたしに賛成の者は手を上げて欲しい」
ばらばらと五、六人の手が上がった。
「そうか。なるほど。日本人を許せないというわけか」
竜太はぞっとした。事と次第によっては、やはり命はないかも知れないと思った。
「いままで何年間か、同志の君たちと共に、日本軍や官憲の目をくぐり、ひそかに抗日運動をつづけてきた。その間、わたしの意見に反対する者は、一人もいないと言っていいほど、わたしを理解してくれた。しかしきょうはちがう。賛成者は五、六人に過ぎない。わたしは間違ったことを言ったのだろうか」
沁《し》みとおるような語調だった。一人の隊員が手を上げて言った。
「隊長。わたしは誰よりも隊長を信じてきました。尊敬してきました。その気持はいまも変りありません。しかし隊長、隊長は忘れたのですか、日本がわれわれ朝鮮の同胞にしてきた数々のひどい仕打を」
「むろん、忘れはしない」
「いいえ。忘れています。日本の非道は限りもありません。村々を焼打し、教会に人々を押しこめて焼き殺し、神社参拝は押しつける、国語は取り上げる、名前は変えさせる、強制連行された男たちは苛《か》酷《こく》な扱いによって、どれほど非業の死を遂げたか。日本の道路、ダムの下には、殺された同胞の骨が数多く埋もれていると聞いています。彼らは女性を凌《りよう》辱《じよく》し、街を歩いていた女や、赤ん坊に乳を飲ませている若い母親、老人の手を引く孫娘を遮二無二連れ去って、軍の慰安所にぶちこんだではないですか。隊長、隊長の従妹《いとこ》も私の姉も、日本軍によって慰安所へ連行されたではありませんか。それを忘れたんですか。やすやすとこれらの日本人を故国に帰すなど、隊長の抗日の意識は、そんなにもいいかげんなものだったのですか」
その隊員は、顔面を引きつらせ、声を震わせて言った。竜太も山田曹長も、日本の犯した過去に、顔の上げられぬ思いであった。他の一人が手を上げ、
「隊長、この二人をソ連軍にでも引渡してはいかがですか」
と言った。大方がうなずいた。金俊明は両腕を組んで目をつむった。
「隊長。日本人がわれわれにしたことを思えば、ソ連軍の手に渡すくらい、寛容に過ぎます。われわれが家業のかたわら、ひそかに隊を組んで苦しい運動をつづけてきたのは、いったい誰のためだったのですか」
「そうか。なるほど。君たちの気持はよくわかる。しかし君たちは、猟師のふところに窮鳥が飛びこんだ時、猟師もこれを撃たない、という言葉を聞いたことがないか。君たちは、ふところに飛びこんできた鳥にも似た者を殺すことを望んでいるのか。しかも、北森君は只の鳥ではない。わたしのたったひとつしかない命を助けてくれた恩人の息子さんだ。寝る時起きる時、わたしは北森一家の無事を祈らぬことはなかった。君たちは、自分の命を助けた家族をも、殺す隊長であって欲しいとねがうのか。わたしもむろん日本の暴虐の数々を知っている。彼らは、関東大震災の時に、何の罪もないわれわれの同胞を流言飛語をまきちらして六千人も殺した。わたしの従妹も、路上から、犬が引立てられるように連れ去られた。しかし、北森一家は、命懸けでわたしをかばい、肉親も及ばぬ愛を注いでくれたのだ。わたしが思うに、もし北森一家のような人が、日本にもっといたなら、朝鮮と日本の国民は兄弟のように愛し合うことができたと思う。日本人のすべてが極悪非道なのではない。わたしは、北森家のような心温かい家庭を、日本の中に、一軒でも増やしていきたいと思う。わたしは北森家から受けた好意を思うと、涙がこぼれる。ただの一度も、北森家の人から見下すような態度をされたことはない。中学生であったこの竜太君も、あたたかい目で、わたしを見守ってくれた」
隊員たちの目の光が変った。
「自分の命の恩人を処刑するような隊長が、君たちは本当に欲しいのか。それとも、命にかけても助けようとする隊長を欲しいのか」
再びざわめきが起きた。
「諸君、おねがいだ。ここで一つの成長をして欲しい。抗日義勇軍というのは、人間一人一人の幸せを願って行動する集まりの筈だ。恩義に対しては十倍にもして報いようとする者の集まりの筈だ。諸君、わたしを恩義に報いる者として欲しい」
言ったかと思うと、金俊明はやにわに土下座し、
「諸君、この北森竜太君と山田曹長を、どうか助けてやって欲しい。もしそれが許されなければ、わたしが代って撃たれてもよい!」
と言った。一語一語に熱誠を傾けて金俊明は言った。その声は隊員たちの心をゆさぶらずにはおかなかった。しばらくは誰一人声もなかった。が、やがて、最初に反対意見を述べた若者が声を上げた。
「隊長! わかりました。前言を撤回いたします!」
つづいて、次々に声が上がった。
「隊長! わかりました」
「わかりました」
全員が金俊明の意見に賛成した。金俊明が立ち上がって言った。
「ありがとう! ありがとう。ほんとうにありがとう」
一同に大きな感動が沁みわたっていくようであった。竜太と山田曹長の肩が小刻みに震えていた。谷間の空に昇った朝の太陽が、一同を明るく照らしていた。
二
竜太と山田曹長は、案内された蔵の一隅の板の間で運ばれてきた朝食を摂《と》っていた。薄暗い大きな蔵の中に、特有の臭気が漂っていた。半分はがら空きで、半分は穀物や乾物が堆《うずたか》く積まれてあった。が、二人はいま、朝食を摂るのに夢中であった。米七分麦三分の炊き立ての飯など、絶えて口にしたことがない。特にこの三日程は飯らしい飯にありついていなかった。二人は大きな丼《どんぶり》に盛られた飯に、生卵を落し、醤《しよう》油《ゆ》をかけ、泡立つほどに掻きまぜ、がつがつと飲みこんだ。金俊明の土下座姿が目に焼きついていながら、飯はやすやすとのどを通った。ほどよく塩の利《き》いた胡瓜《きゆうり》の浅漬、トマトと茄《な》子《す》の油いためと共に、この朝飯の味を竜太は生涯忘れることがないだろうと思った。
食事を終えた二人は、八畳程のその板の間にごろりと横になった。しばらく休憩するようにとのことで横にはなったが、竜太はさすがに興奮してすぐには眠れなかった。だが山田曹長はたちまち寝息を立て始めた。いつしか次第に竜太も眠りに誘われていった。
久しぶりの安眠であり、熟睡であった。銃を持って警戒している隊員が戸口の向こうにいることも、竜太を安心させていた。どの位眠った頃か、戸外に大勢の者の歓声とも叫び声ともつかぬ声を聞いたように思ったが、竜太はそのまままた深い眠りにひきずりこまれていった。
それから一時間も経《た》った頃、竜太と山田曹長は、肩を激しくゆさぶられた。竜太ははっと飛び起きた。山田曹長も飛び起きた。金俊明が二人の枕もとに坐って顔をのぞきこんでいた。
「よく眠っているところを起こしてしまいましたが、実は大変なことが起きました」
「大変なこと?」
山田曹長が問い返した。
「大変なことです。気を落ち着けて聞いて下さい。戦争が終りました」
「えっ!? 戦争が終った?」
二人が同時に叫んだ。
「そうです。正午に天皇の放送がありました。放送は何か妨害があったのか、雑音がひどくて、何を言っているか言葉がよく聞き取れませんでした。隊員たちの中にも、日本国民への激励の言葉ではないかと言う者もいましたが、あれはまちがいなく戦争終結の放送です」
二人は顔を見合わせた。金俊明は言葉をつづけた。
「実は、戦争が近く終るらしいという情報は、われわれの仲間には、流されていました。今朝から、天皇の重大放送が正午にあるということをラジオで言っていましたが、それは無条件降伏であるという情報も入ってきていました」
「無条件降伏? 日本が負けた? まさか!」
竜太は信じられなかった。
「そうですか、竜太君でも信じられませんか」
「負け戦だということは、よく聞いてはいましたが……」
竜太の言葉に山田曹長が言った。
「北森は、最後には神風が吹いて、勝利に終ると、まじめに考えていたようです」
「竜太君までそう思っていたとは……日本の精神教育は恐ろしいばかりですね。そんなあり得ないことも、子供の頃からくり返し聞かされると、いつのまにか信じきってしまうのですね。ところで至急相談があるのですが……。あ、もう二時を過ぎましたね。握り飯でも運ばせましょう」
金俊明は戸外にいる隊員を呼んで、何か命じた。
「いま、二時間程の間に考えたのですが、まあ聞いて下さい。日本が負けたとなると、中国人、朝鮮人の喜びは大変なものです。長い間ひどい目に遭《あ》ってきたわけですから。興奮のあまり、日本人に対してどんな仕返しをするかわかりません。既にソ連軍が満州に全面的に侵入して来て、大混乱は始まっているわけですが、日本人にとって、敗戦は大変なことです。九日以来、一般日本人の集団自決の情報は少なからず聞いています。日本軍将校の自決もかなりあるようです。その上の戦争終結です」
竜太も山田曹長も、相《あい》槌《づち》の打ちようもなかった。
「うわさでは、ソ連軍は満州に住む日本人を、根こそぎシベリアに引立てて行くということですし、婦女への暴行も目に余るらしい。満州から朝鮮を通って日本へ逃げようにも、交通機関は大混乱だし、これは容易ならざる事態です」
竜太たちは深い吐息をついた。やっと命が助かったと思ったのに、いつソ連軍に引立てられるかわからない。つまり、敗戦によって、危険は一段と深刻になったことを、二人は認めざるを得なかった。
「いろいろ考えますと、心配ですが、ま、安心して下さい。とにかくここから速やかに脱出することが先決です。汽車に乗りこめるとよいのですが、釜山行の汽車は動いていないということです。それで、考えついたのが海路です。幸い、わたしの叔父が羅《ら》津《しん》で、何隻かの漁船を持っています。この叔父に頼みこんで、羅津で漁船に乗せてもらう。そして、下関辺りまで送ってもらうという手です」
どうなることかと息をつめて聞いていた竜太は少しほっとした。
「しかし問題は、船に乗るまでに、ソ連軍に捕まらないかということです。ソ連軍が相当数ウラジオストックから、十一日頃既に船で朝鮮北部に入って来ています。これに捕えられないようにするには、どうしたらよいかということになりますが、わたしに委《まか》せて下さい」
金俊明は思慮深いまなざしで二人を見、
「ま、ひとつ食べて下さい」
と、運ばれて来た握り飯を勧め、言葉を継いだ。
「羅津までは、わたしと隊員の一人が同行します」
「そんなご迷惑を……」
山田曹長があわてて言った。
「いや、ちょうどわたしも、二、三日中に隊の用事で羅津にいる同志に会う約束になっています。供の隊員もその予定がありました。わざわざではありませんから、ご安心下さい」
二人に心配をかけさせまいとしてか、金俊明はさりげなく言った。
「それはありがとうございます」
「豆《と》満《まん》江《こう》を渡るにも、それに、山林を抜けるにも、われわれだけが知っている間道がありますから。人に会う危険は少ないと言えます。場合によっては自転車を使ってもよいでしょう。われわれの同志は、あなたがたの考えているより、それはそれは多いのです。この辺りにはむろんのこと、朝鮮には更に多くの同志が至る所にいるのです。まだ一部には日本の官憲のきびしい目がありますし、大混乱の中で何が起こるかわかりませんので、下手には動けませんが、心と心は固く結ばれています。ここからさほど遠くない延吉の町は、朝鮮の町とも言われて、同志もまた多くいます。数人一組の単位で動いているのですが、かなりの実力は持っています」
竜太は、そのような抗日義勇軍の支部の隊長である金俊明が、自分たちを日本に帰してくれるということの大変さを身に沁みて思った。山田曹長が両手をついて言った。
「お礼の申し上げようもありません。無事に国に帰ることができましたら、できる限りご恩に報いたいと思います」
竜太もあわてて両手をついて、頭を下げた。
「では従いて来てくれますね」
「よろしくおねがいいたします」
「そうと決まれば、明日の払《ふつ》暁《ぎよう》、ここを出発しましょう。途中まで自転車で行きましょう。自転車といえば竜太君、わたしもタコ部屋から逃げた時、君のお父さんがわたしに自転車を貸してくれ、君がわたしの荷台に乗ったことを思い出すねえ。途中巡査に会ってひやひやしたが、まさかタコ部屋の逃亡者が、君のお父さんや君と一緒とは見なかったようで、疑われもしなかった」
竜太も、そのことを思い出したところだった。
「あの聖台土功の貯水池の工事は、無事完成したのですかね」
「いや、たくさんの人が死んだということですから、無事とは言えませんが、いい貯水池になっています。景色がよくて、大雪山が映って、学校の生徒がよく遠足に行きます。水が引けるようになったおかげで、長い丘に水田ができ、南瓜《かぼちや》や、メロン、西瓜《すいか》もおいしいと評判です。でも金さんや多くの人のご苦労を思うと、いまは辛い気持です。申し訳ありません」
竜太は金俊明との、あたたかい心のふれ合いをしみじみと感じた。
「そうですか。きれいな貯水池になりましたか。しかしあそこは大変でした。鞭《むち》で叩かれ、棒で殴られる労働も辛かったが、もっと辛かったのは『チョーセン、チョーセン』と、同じタコにも馬鹿にされることでした。民族がちがうというだけで、なぜこんなに馬鹿にされなければならないのかと。しかし竜太君のお父さんは、『人間に変りはない。人間は皆同じ人間だ』と、あの夜言ってくれましてねえ。それがどんなにうれしかったか……」
竜太はあの夜の自分をはっきり覚えている。見も知らぬ、日焼けで真っ黒になった男が、同じ屋根の下に寝る、それだけで竜太は恐ろしくて仕方がなかった。台所の出刃包丁をしまっておかねばと思ったことまで、ありありと思い出された。
「お父さんだけではない、お母さんも優しかった。保志君も人なつっこかったし、竜太君も、わたしと一緒にご飯を食べたり、英語の教科書を見せてくれたりして、うれしかったなあ」
「あの……姉をどう思いましたか」
思い切って竜太は尋ねた。
「美千代さんですか」
金俊明は白い歯を見せて笑い、
「あんなすばらしい女性には、その後一度も会ったことがありませんね。実に驚くほど、わたしをよく理解してくれた。タコ部屋から逃げ出した、真っ黒な一文なしのわたしを、差別するどころか、逆に励ましてさえくれた。それまで日本人に馬鹿にされてきた屈辱感が、ふっ飛ぶほどにやさしくしてくれた。旭川にずっといるように、とも言ってくれた。それがどんなにうれしかったか。わたしは引きとめられるのをきかずに、予定より早く帰って来てしまったのですが……。ま、美千代さんの話はこれ位にして……このあと体を洗ったり、髭《ひげ》を剃《そ》ったりして、明日の出発に備えて下さい。あ、そうそう、その軍服も国民服に着替えてもらいましょう。一見して日本兵とわかることは、一番危険です。旅に必要なものは、夜までに用意させます。わたしも明日の準備や所用に当りますので」
金俊明が出て行くと、二人は何となく顔を見合わせた。
「大した人物だなあ。おれと齢《とし》はそう変らんのだが」
「いや、曹長殿だって、大したものですよ。立場が替われば、同じことをすると思います」
「いや、あの人の人格は実に稀《まれ》に見る大きさだ」
しばらくして隊員が一人、風呂の用意ができたと迎えに来た。今朝見た顔と打って変った明るい顔だった。心の底から微笑が湧いてくるというような明るさだった。
一歩蔵の外に出た二人は、はっとした。蔵の戸口に、母屋の軒先に、塀のあちこちに赤旗と太《*》極旗がひるがえっていたのだ。塀越しに見える近くの農家にも、更にその向こうの農家にも、それらの旗が立てられていた。この日のあるのを信じて用意してあったにちがいない。その旗にこもる思いを、二人はいやでも思い知らされた。
竜太たちは案内された母屋の風呂場で、垢《あか》にまみれた体を洗い、ゆっくり湯に浸った。湯船の木の匂いが懐かしかった。明日からまたどんな旅が待っているかわからない。あるいは今夜が最後かも知れないのだ。まだまだ思わぬ危険が待ち受けているような気がして、竜太は久しぶりにていねいに髭を剃った。少し頬がこけたような気がした。山田曹長も同様、肉が落ちて鼻《び》梁《りよう》が険しく見えた。
風呂から上がると、脱いだ軍服や下着の横に、洗いざらしながら清潔な肌着や靴下がきちんと畳んで置いてあり、更に国民服が並べられてあった。一つ一つに金俊明の細やかな心遣いが感じられた。泥まみれの軍服や、臭くなった軍足を身につけていた竜太たちにとって、それは錦《にしき》にもまさる衣服であった。
早目の夕食を二人は、蔵の中で摂った。鶏のスープ、鶏の唐揚、野菜のクレープ包み、そしてチャーハンとキムチ、竜太には目も眩《くら》むようなご馳《ち》走《そう》だった。山田曹長が言った。
「複雑だなあ北森、日本が負けて、おれたちがご馳走にありつく。何だか悲しくなるよ」
夕食を終えたところに金俊明が入って来た。両手にリュックサックを下げていた。
「きょうは何かと人の出入りも多いものですから、人目につかぬようにこんな所で辛抱していただきました。ところでこの古ぼけたリュックサックですが、日用品と携行食を少し用意してあります。握り飯は明日お渡しします。それから、これは僅《わず》かですが日本円です。日本に着いてからお家に帰るまでの旅費にして下さい。途中、宿に泊まるぐらいのことはできると思います」
金俊明は二人の手に、ハトロン紙の封筒をのせた。二人が恐縮すると、
「竜太君のお父さんがわたしにしてくれたことを、ちょっと真《ま》似《ね》しただけです」
と、金俊明は笑った。
太極旗 韓国の国旗で「テグッキ」という。一八八三年、国旗として公布され、日本の統治時代には韓国国民の熱い思いが、この旗に寄せられ、独立運動のシンボルとなった。一九四八年、大韓民国建国後、正式に国旗として継承された。中央の円の赤い部分は「陽」、青の部分は「陰」で、万物創成の宇宙を表現している。ちなみに、赤と青は朝鮮民族の伝統色である。
羅《ら》津《しん》まで
一
遥《はる》か長《ちよう》白《はく》山脈とおぼしき方向に、雲が低く垂れ込めていた。
先頭の自転車は若い隊員の李大成、次に金俊明、竜太、そして山田曹長がつづく。しばらく広々とした平地を両側に見て、やがて一行は間道に入った。
梢《こずえ》を飛び交う小鳥の声に、竜太の心は少し明るくなった。間道はゆるやかに右に折れ、左に曲り、林の中をどこまでも延びていた。
今朝、竜太と山田曹長は四時前に金俊明に起こされた。床の上に起き上がった二人に金俊明は言った。
「昨日、国民服をお渡ししましたね。すみません、この作業服を着て下さい。日本兵とわかることが一番危険と申しましたが、日本人とわかること自体が危険です。国民服の兵隊も近頃は増えていたわけですから、国民服はリュックサックに入れて、日本に着いてから着替えて下さい。この作業服は朝鮮人の労働者がふだん着ているものです」
更に金俊明は付け加えた。
「十三日に清《せい》津《しん》に上陸したソ連軍は、日本兵を一人残らず殺したという情報も入っています」
身のひきしまる話であった。
こうして山田曹長も竜太も、朝鮮の作業服を着、出て来たのだった。誰もが黙ってペダルを踏みつづけていた。いつソ連兵が立ち現れるかわからないと思うと、声高に話を交わすわけにはいかなかった。
一般人のほとんど通らぬ道とは聞いていたが、時に荷馬車の轍《わだち》がくっきりとついていた。その轍と轍の間の細い道を、自転車は走る。林が次第に深くなって、辺りはうす暗くなった。虎杖《いたどり》や丈高く伸びた雑草の茂みが、どこまでも道の両側につづいていた。
一行が出発してから、既に六時間は過ぎた。
「さて、少し早いですが、この辺で昼食としますか」
金俊明が片足を地につけて声をかけた。一行は道端の草の上に腰をおろし、弁当の包みを開いた。塩味の程よく利《き》いた握り飯が、竜太には涙の出るほどにうまかった。母のキクエの時折作ってくれた握り飯が思い出された。白いカッポウ着をつけた母の姿が、たとえようもなく懐かしかった。母の傍《そば》で新聞を広げながら茶を飲んでいる父の姿が目に浮かぶ。そして芳子の教壇に立っている姿が、いとしく思われた。
「何を考えている、北森?」
山田曹長が言った。
「…………」
竜太はちょっと顔を赤らめた。金俊明が言った。
「早く帰りたい、只それだけですよね、竜太君」
立てつづけに握り飯を三つ平らげた竜太を見て、金俊明は優しい笑顔になった。その笑顔に、あるいはこの人が姉の美千代と結ばれ、兄と呼ぶようになったかも知れないことを竜太は思った。
「俊明さん、ところで奥さんは?……」
ちょっとためらってから竜太が尋ねた。
「ああ、奥さんですか……隊のことで走りまわっているうちに、結婚のチャンスを失ったようですね。いつ死ぬかわからぬ身では、結婚する気にもなりませんでしたしね」
抗日義勇軍の同志で、日本の官憲に捕えられ、処刑された者も事実少なくなかったのだ。金俊明の言葉はあまりにも重い一言であった。綴《つづ》り方《かた》事件で捕えられた自分とは、比較にならぬ苦難の道を歩んできたのだと、竜太は身を切られる思いで聞いた。ひどく辛い気持だった。
「さ、出かけますか」
今度は金俊明が先頭になった。
道はゆるやかな下り坂がつづくかと思えば、また上り坂となる。時に森が途切れ、高粱《コーリヤン》畠《ばたけ》が広がり、煙草《たばこ》畠に出たかと思えば、また林に入る。急な上り坂では自転車を押して歩かねばならない。息切れもする。汗もかく。自転車といえども決して楽な道ばかりではない。しかし今の竜太には苦しくはなかった。歩む一歩一歩が日本に近づくと思えば、かなたに光を見る思いだった。
早い昼食を終えてから、二時間も進んだ頃だった。間道がゆるやかに左折した前方百メートル程の所から、甘《かん》藍《らん》畠の遠くまでつづくのが林の間に見えた。
と、先頭を走っていた金俊明が、不意に自転車をとめて、片手を上げ、制止を合図した。つづいてその手が傍の藪《やぶ》を指し、
「隠れよう!」
と、素早く自転車を抱えて藪の中に身を隠した。三人が直ちに金俊明にならった。金俊明が数秒耳を傾けていたが、
「右手に何か気配を感じませんか?」
と息をひそめた。三人は耳を澄ませた。山田曹長がすぐに答えた。
「人の気配です。かなりの人数です」
片耳の聴力を失っている竜太には、それらしき物音を捉《とら》え得なかった。
(ソ連軍か!?)
竜太の胸がとどろいた。今や朝鮮人にとって、満人もソ連人も敵ではなかった。しかし竜太と山田曹長は日本兵なのだ。日本兵が朝鮮人になりすまして、今ひそかに満州を脱出しようとしているのだ。それを知られたとしたら、ただではすまない筈だった。
金俊明も山田曹長も緊張した面持で、林の向こうの何かの動きを察知しようと、全身を耳にしていた。一分……二分……その短い時間がたとえようもなく長かった。やや経《た》って、金俊明が立ち上がった。
「失礼しました。ソ連軍ではないようです。難民の一行です」
金俊明は自転車を押しながら先に立った。林が尽きた所に、道幅の広い一般街道が間道と交叉していた。その広い道幅いっぱいに難民の行列が通りかかった。金俊明の言ったとおりであった。四人は街道の手前で、難民の行き過ぎるのを待った。
どこから来てどこへ行くのか、すべて日本人だった。およそ三百人はいるかと思われた。四人に気づいても、何の反応も示さず、無気力にのろのろ歩いている。大人も子供も、男も女も疲れ切った歩き方だ。朝から歩きづめなのか、空腹なのか、足を土に擦《す》るようにして歩いている。
その中に、四、五歳の男の子が、片方の靴をどこかで失ったのであろう、足を引き引き道の端を歩いて来た。置き去りになった子供かもしれない。誰もその子の手を引く者はいない。竜太はたまらなくなった。乾パンの一袋でもやりたいような気がした。
「坊や、どこへ行くの?」
竜太が思わず声をかけた途端、子供の傍を歩いていた若い女が、さっと顔を引きつらせて子供を群の中に引き入れた。辺りに波のように恐怖が広がった。その様子を見ていた金俊明が言った。
「皆さん、頑張って下さい。無事に目的地に着きますように祈ります」
心のこもったあたたかい言葉であった。人々から恐怖が去った。
四人は再びペダルを踏んで間道を進んだ。甘藍畠のそこここに、赤やピンクのコスモスの花が風にゆれていた。
二
その夜竜太たちは、金俊明の輩下である孫時銅、丁秀順夫妻の家に泊まった。八畳間程の部屋が二つあるだけの家である。竜太は、こんな狭い家に、男が四人も泊まれるのかと危ぶんだ。アンペラを敷いただけの床の上で、竜太たちは人のよさそうな孫時銅夫妻のもてなしを受けた。夫妻は既に小びんに白いものが見え、五十歳は過ぎているようだった。
「竜太君、このご夫婦はね、古くからの隊員でね、二人揃《そろ》って射撃の名手なんですよ」
金俊明が言ったが、信じられぬほどに穏やかな笑顔の二人だった。
食事が終って、ひとしきり歓談したあと、主人の孫時銅が立ち上がった。
「さあ、そろそろお寝《やす》みいただきますか」
そう言いながら押入の戸を開け、中から朱塗りの長持を引っ張り出した。何をするのかと竜太と山田曹長が見つめていると、孫時銅は静かに床板を滑らせるように開けた。そこからすぐに階段となっている。妻の丁秀順の差し出したランプを孫時銅は手に取ると先に階段を下り始めた。何か息をのむ思いで山田曹長と竜太は、促されるままに下りて行った。
「わたしたち二人は、一階に泊まります。ごゆっくりお寝み下さい」
金俊明の声が追いかけて来た。
階段を下りると、地下にも部屋は二つあった。一階よりも広い部屋だった。その一つの部屋には既に夜具が用意されてあった。二人は何となく部屋を見まわしながら、
「驚いたなあ、北森」
「全くです、曹長殿」
と、感嘆した。ここにどんな人が泊まったことだろう。あるいは匿《かくま》われたことだろう。二人はそんなことを思いながら、毛布をかけて横になった。一階とは全然ちがった雰囲気の、やや厳粛ともいえる書院風の部屋だった。
「北森、ここでどんな話合いが持たれたか、わかるような気がするな」
上を向いたまま山田曹長が言った。入ろうと思えば二十人は入れるこの部屋で、命をかけた人々がさまざまな思いをこめて話し合ったであろうことを思えば、身が引き締まるのを覚えた。二人はちょっと沈黙した。やがて竜太が言った。
「曹長殿」
「北森、もうその曹長殿はやめろよ。下手をすると命取りになるぞ」
「ああ、ほんとですね。曹長は少尉の次の次ですからね。関東軍の陸軍曹長と聞いただけで、人は震え上がりますよ。しかし、何と呼んだらいいのでしょう?」
「山田さんでいいよ。それが言いにくかったら、山田主任でどうだ。元酒《しゆ》保《ほ》係主任だったんだからな」
「そうですね。山田主任がいいですね。これでひと安心しました、山田主任」
竜太は少しくつろいだ気持になった。竜太も毛布を腹までかけて仰《あお》向《む》けに寝たが、ふと吐息を洩《も》らした。
「どうした北森?」
「山田曹……いや、山田主任、きょうは応《こた》えました」
竜太は、きょう交叉点で出会ったあの難民たちから受けた衝撃を、忘れることはできなかった。竜太は、日本人たちが疲労し切った姿で歩いて来るのに、胸の押しつぶされる思いがしたのだ。そしてつい幼《おさな》児《ご》に声をかけたのだった。しかし人々の顔に恐怖が走った。同胞に恐れられたことに、竜太は心が痛んだ。たまらぬ愛《いと》しさを感じて近づいたのに、その思いは通じなかった。それが服装の故とわかってはいても、自分が不意に日本の国籍を失ったかのような淋しさを感じたのだった。
「ああ、あの難民のことか」
「はい、日本に捨てられたような気がしました」
「わかるよ、おれも辛かった。追いかけて行きたい気持だったな」
「そうなんです。一人でも自転車のうしろに乗せてやりたいと思いました」
「ま、それはそうだが、それを言い出しては切りがない。難民だけではない。戦死した者、集団自決した者、空襲で家も命も失った者、目茶苦茶だ。おれの故郷の広島だって、新型爆弾で、影も形もなくふっ飛んだということだ。考え出したら切りがない」
「はい、そうですね」
「目茶苦茶だが北森、金俊明という途《と》轍《てつ》もない人間が、まだまだこの世には存在する。そう思うとおれは、ほんとうに生きてみせるという気になるよ。元気を出そうじゃないか。な、北森」
「わかりました。山田曹……いや山田主任」
複雑な思いの一夜が明けた。短い眠りではあったが、二人はよく眠った。
朝食を終えて、竜太たちは家の前に出た。昨日この家に着いた時は、もう暗くなっていて辺りの様子は見えなかった。が、家は平らな低い丘の上に建っていた。昨日登って来たと思われる方を見ると、ゆるやかな斜面に僅《わず》かに色づいた稲田が、曇った空の下に幾段にもなって広がっていた。辺りには十軒余りの朝鮮人の藁《わら》葺《ぶき》の家屋が、肩を寄せ合うように建っていた。どうやらどの家も義勇軍に関わりのある家らしい。見送りに出た妻の丁秀順が言った。
「あんたがたは幸運ですよ。隊長さんのような人に会えたということは、ほんとうに幸運でしたよ。きっとご無事に親御さんのもとに帰れると思います。どうかこれからも朝鮮の人と仲よくして下さい……。実はうちの息子も関東軍に召集されて行っているんですよ」
山田曹長が言った。
「そうですか。それはご心配ですね。でも、お宅の息子さんも、ご無事にお帰りになるでしょう、きっと」
礼を述べた一行は、孫時銅を先頭に、丘の木立の中を河に向かって下りて行った。長白山脈を源とする豆満江だった。水量豊かに流れているのが木立越しに見えた。岸辺には楊《よう》柳《りゆう》が立ち並び、その下には小舟が引き上げられていた。孫時銅が馴《な》れた手つきで艫《とも》綱《づな》を解いた。四人が次々に乗りこむと、舟はたちまち流れに出た。金俊明が竜太たちに言った。
「この豆満江流域には、以前二、三キロメートル毎に日本軍の監視が立ってましてね、それは厳しいものでしたが、ここしばらく、そんな姿は見かけなくなりました。手がまわりかねるようになっていたのでしょう」
舟はようやく対岸に着いた。
「さあ、ここが朝鮮です」
金俊明の言葉に山田曹長が、
「ありがとうございます。ほんとうにありがとうございます」
と、深々と頭を下げた。竜太も言った。
「そうですか。もうここは満州じゃないんですね。何とお礼を……」
絶句する竜太に、金俊明が答えて言った。
「いや、これからが問題です。羅津の住民の大半は避難して、街はひっそりとしているそうです。それでも、逃げずに残った人や、ぼつぼつ帰って来る者もいるという情報も聞きました。まあ、安心して下さい」
竜太は舌を巻いた。どうしてこれから行こうとする羅津の様子が金俊明にはわかるのだろう。想像を超える情報網を持っているのではないかと思われた。満人の情報伝達の素早さに、幾度か驚かされたことがあったが、金俊明の持つ情報網は、竜太には驚異であった。
豆満江を渡ると、前方の低い山に向かって、ここにも段々畠がなだらかにつづいていた。その低い山を指さしながら、金俊明が竜太たちに言った。
「ここからしばらく歩いていただきます。ごらんのとおり大した険しい山ではありませんが、山を越えます。少し距離もありますが、我慢して下さい」
四人は、向こう岸に戻る孫時銅を見送ってから、山に向かって歩き出した。
昨日の旅は自転車だった。四人の乗って来た自転車は孫時銅の家に置いて来たのだ。そんなふうに、随時隊員たちは利用し合っているようであった。
両側に稲田を見ながら農道をしばらく行くと、田畠は尽きて山にさしかかった。急に道が細くなった。が、共に歩いて行くだけで、昨日以上に金俊明と李大成に竜太は親しみを抱いた。
時折、草むらで何か虫のすだく声がした。雨が近いのか雲が低い。
(近堂上等兵は無事でいるだろうか)
一日に幾度かは思い出す近堂上等兵のことが、今なぜか竜太は急に気になってならなかった。近堂上等兵の上に、何かが起きたのではないか。ソ連軍の機銃掃射を受けて、運転台に死んでいる姿が目に浮かぶ。なぜ不吉な顔ばかり思い浮かぶのかと、その思いをふり払うように、竜太は山道を踏みしめながら歩いて行った。
山を越え、林の中の道を三時間程歩いた頃、また一つの村落に出た。同じような藁屋根の家がひしめくように並んでいた。一昨日、金俊明の部下に捕えられた山《やま》間《あい》のそれよりも、はるかに広々とした地形であった。朝鮮人たちも満人たちと同じく、自衛のために何軒か固まって家を建てているようだった。金俊明の住む辺りには、なぜか子供の声を聞かなかったが、ここでは子供の駆けまわる声や、牛の声がのどかだった。誰が見ても、義勇軍と関わりのある地域とは思えなかった。
抗日義勇軍の数は、義勇軍自体でさえつかみ得ぬほどに多かった。隊員のほかに、シンパと呼ばれる人々が、精神的に物質的に義勇軍を支えていた。シンパの中には医者があり、大商人があり、教授があり、会社の社長があり、満鉄の社員があり、学校の教師があり、さまざまだった。
四人が一番手前の庭の広い家に入った時、雨が降り出した。ここにも前もって連絡があったのか、たちまち昼食の用意がなされ、四人の前に大盛りの焼肉どんぶりとキムチが並べられた。昨夜のギョーザに勝るとも劣らぬ味であった。添えられたウーロン茶も、竜太にはこよなくうまかった。
しばらく激しかった雨が小降りになった。四人は持参の雨《あま》合《がつ》羽《ぱ》をリュックサックから取り出した。と、家の前にはもう四頭の馬が鞍《くら》をつけて待っていた。朝鮮の馬は道《ど》産《さん》子《こ》(北海道産の馬)に似て体の小さいのが特徴だった。どの馬も性質が穏やかそうに見えた。
「ここまで来て馬に乗れるとは思わなかったなあ」
雨合羽を着て、ひとまわり大きく見える山田曹長が元気な声で言った。昨夜、金俊明に馬に乗れるかと尋ねられた時、少年時代から騎《き》手《しゆ》になりたいほどだったと山田曹長は答えた。確かに見事な手綱さばきであった。竜太も番頭の家に遊びに行っては、幾度も裸馬に乗って遊んだことがあって、乗馬は人並以上に巧みだった。
そぼ降る雨の中を、四頭の馬は軽快に間道を走りつづけた。どれほど走った頃だろうか、小高い丘にさしかかった時、眼下の街道に長々とつづく人々の列が見えた。四人は馬を休ませて、その列を見た。またしても日本人難民の姿であった。
「一旦は満州から朝鮮に、いち早く逃げた人たちもいるようです。南下できずに、朝鮮各地から満州へと戻って行くのでしょう。しかし大変だなあ、あの歩き方では羅津、会《かい》寧《ねい》間だけでも四、五日はかかりますよ」
「野宿ですか」
「そうでしょうね、気の毒だが……」
金俊明は心から同情した顔を見せた。竜太の目に、昨日のあの一団の頼りなげなありさまがまざまざと浮かんだ。指先で押しただけで頽《くずお》れそうな老人もいた。いかにも喘《あえ》ぐように腹を突き出して歩いていた妊婦もいた。今、満州の各地に、そして朝鮮の各地に、当てどもなく逃れさまよう人々のどれほどいることか。竜太の胸はまたしても痛んだ。
三
翌、八月十八日、竜太たちは二泊目の家を朝早く出た。一行は隊員の家に馬を預け、再び自転車を走らせ、羅津に着いたのはその日の午後二時であった。
人口四、五万と聞いていたが、羅津は思ったより大きな街であった。が、無残にも埠《ふ》頭《とう》や港湾の施設、艦船などが爆撃によって破壊され、醜い残《ざん》骸《がい》を曝《さら》していた。それでも街の中は比較的被害が少なく、その中に金俊明の叔父金秋日の大きな家も焼け残っていた。金俊明が玄関に入るや否《いな》や、中から恰《かつ》幅《ぷく》のいい金秋日が出て来て、
「やあ、無事だったか。途中機銃掃射にでも遭《あ》いはしないかと、心配していた」
と大声で言った。そして、竜太と山田曹長を見ると、既に事情を聞いてあったらしく、
「この方たちだな」
と金俊明を見た。
「そうです。この方たちです。こちら山田さん、こちらがわたしを助けてくれた北森家の息子さん、竜太君です」
「わたしたちは隊長さんから言葉に尽くせないご尽力をいただきました。ありがとうございました。北森だけでなく、わたしまでおせわになりました」
山田曹長の丁重なものの言い様に、金秋日は満足そうにうなずいて、
「さ、疲れたでしょう。上がって一服して下さい」
座敷へ通されると、金秋日の妻の車《しや》海《かい》姫《き》が茶を持って現れ、
「まあ! この人のお父さんが、俊明を助けて下さった。ああ、ありがたい、ありがたい。あなたがたも、ぜひぜひ無事にお帰り下さいよ」
と両手をついた。金俊明が部屋をぐるりと見まわしながら言った。
「叔父さん、叔母さん、この大きな家が、よくまあ無事に焼け残りましたねえ。よかったですねえ」
「俊明、ここはお前の息のかかった家だ。爆弾も避けて落ちるよ」
金秋日は冗談を言って声高に笑った。
「しかし、大変だったぞ」
金秋日は七日以来の経緯を四人に語った。羅津地区に初めて米軍機B29の焼《しよう》夷《い》弾《だん》が落されたのは八月七日であった。そして九日午前八時にソ連機の埠頭及び艦船への爆撃、更に翌十日にはソ連機の機銃掃射があった。住民に緊急避難命令が出たのがその日の午後、その上十一日には艦船五隻によってソ連軍が上陸して来たのだった。
「ところで叔父さん、これからソ連軍の本部に、ちょっと顔を出して来ます」
(ソ連軍の!?)
竜太はぎくりとした。ソ連軍に自分たちを引渡すのかと思った。叔父が答えた。
「本部?」
「はい、ソ連軍の本部です」
「どんな話をするつもりだ?」
「やはり正直に言うべきだと思います」
「正直に?」
「はい。わたしの恩人たちの命を保障してくれないかと、事情を充分に話して、わかってもらうつもりです」
「うーむ」
金秋日が腕組みをして首をひねった。叔母の車海姫が言った。
「俊明、およしなさいよ、そんな危ないこと。この間清津に上陸したソ連軍は、日本兵を一人残らず銃殺したというもっぱらの評判ですよ。この二人が日本兵だなどと正直に話したら、その場でズドンですよ」
竜太は金俊明の顔を見た。
「しかし義勇軍の働きはソ連軍も充分わかっている筈です。その義勇軍の幹部である私の恩人の命《いのち》乞《ご》いを拒むほど、ソ連軍がわからず屋とは思えません」
「しかし……そう簡単に事が運ぶかなあ」
「運ばないかも知れません。しかしわたしは、言わば同志でもあるソ連軍の良心に訴えます。人間の真実は国境を超えて通ずるものがあると思います」
「…………」
竜太は全身を固くして、金俊明の言葉に耳を傾けた。
「わたしは自分の命の危険を冒してでも、話し合いたいと思います。それはこれからの義勇軍のあり方にも関わることです。ソ連軍が満州で掠《りやく》奪《だつ》や婦女子を手当り次第に犯したことも聞いています。しかしわたしは、今までに幾度か会議で顔を合わせた人たちを知っています。その人たちは何《いず》れも明るく、ユーモアがあって、人の話を理解しようと努めてくれました。わたしは一人の同志、一人の人間として話してみるつもりです」
「そうか。お前がそこまで考えているのなら、おれはもう何も言うまい。国がちがっても、あちらさんも人間だ。ま、気をつけて行って来い」
「ではちょっと行って来ます。山田さん、竜太君、心配しないで待っていて下さい」
金俊明は静かな微笑を浮かべて、竜太と山田曹長を見た。竜太が叫んだ。
「そこまで……そこまで……お考えいただいたら……もうここで死んでも、思い残すことはありません。これ以上のご迷惑は……」
「ありがとう。却《かえ》って心配をかけてすみません。しかしこれは、お二人のためにだけしようとしているのではありません。どんな人間にも真心が通ずると思って生きて来たわたしは、ここでも同じことをしたいのです」
山田曹長は頭を深く下げたまま、微動だにしなかった。部屋を出ようとする金俊明に、
「俊明、それにしても、多少のお土産《みやげ》は、持って行ったほうがいいんじゃないか」
と、金秋日が太い指で丸を作って見せた。金俊明がふり返って言った。
「とんでもない。金や物で人を動かそうとするのは、わたしの流儀ではありません。人の心を打つのは、真心以外にありません。叔父さん、わたしも少しは名の知られた義勇軍の一人です。義勇軍としてなら、戦後の保安など、進駐軍に何かと便宜を計らう手だてもありましょう。とにかくわたしの下手なロシア語が役に立つかどうか、ま、行って来ます」
竜太も山田曹長も、金俊明をとどめる術《すべ》を知らなかった。
「叔母さん、二時間後には帰って来るつもりです。何かおいしいものを作って、待っていて下さい」
金俊明は穏やかに言い、隊員の李大成を連れて出かけて行った。
玄関から部屋に戻った一同は、しばらくは重苦しい沈黙に閉ざされた。竜太も山田曹長も、時折深い吐息をつくばかりだった。竜太の胸は不安で押し潰《つぶ》されそうであった。戦争が終ったとはいえ、ついこの間まで日本軍の兵士であった者を、敵陣の目の前から日本に脱出させようという交渉に出かけたのだ。これまでの日本軍に対するソ連軍の仮借のない攻撃を思えば、正に藪を突ついて蛇を出すの愚に似ていた。それを命を賭《と》してでも成し遂げようとするとは、何たる人物であろうか。考えてみると、自分は一度として金俊明に命乞いはしていないのだと、竜太は思う。確かにすべては金俊明の親切から出たことであった。
一時間が過ぎた。誰もが幾度も柱時計を見上げる。黒の漆《うるし》塗《ぬ》りの柱時計が、いやに重々しく感じられる。剛《ごう》腹《ふく》そうな叔父の金秋日が、幾度となく咳《せき》払《ばら》いをする。ややあって、金秋日が言った。
「船に乗りゃあ、こっちのもんなんですがねえ」
「しかし機雷が浮遊しているとか聞きましたが……」
「なあに、北森さん、わたしたちの持っている漁船の大方は、僅か二十トン級の船でね。長さ二十メートル程度の木造船です。機雷は水深三メートルから四メートルの深さに、錨《いかり》で設置してあるのですよ。木造船は二メートル程の深さで航行しますから、大丈夫ですよ」
「へえー、ぼくはまた、機雷がぽかぽか海の上に浮かんでいるのかと思っていました」
金秋日はちょっと笑ったが、
「機雷は、われわれ焼玉エンジンで走る者たちには、恐ろしくも何ともないが、ソ連軍に脱出が見つかると、これは大変だ。いきなりぱくられる場合はいい。すぐさま銃口から火が噴くこともあるでしょう。そんな話をこのところ何度か聞いていますよ。それもこれも承知の上で、俊明は動いているんですが……」
再び一同は沈黙した。
時間はたちまち過ぎていく。金俊明が戻って来る筈の二時間もとうに過ぎた。いつの間にか叔父の金秋日も、叔母の車海姫も席を立って、山田曹長と竜太の二人だけになった。竜太の目に、銃弾に倒れた金俊明の姿が浮かんだ。生々しい血まみれの姿だった。山田曹長はと見ると、じっと両手を組んで目をつむっている。必死に何者かに祈っているようだ。竜太も先程から一心に祈っていた。
(どうか金隊長の命を助けて下さい。どうか無事に、この家に帰して下さい)
同じことを繰り返し祈る。祈りながら、何の神に祈ってよいのか、頭が空白になる。竜太は、毎日、朝の六時と、午後の三時と九時には祈っているという芳子の祈りに縋《すが》りたくなっては祈った。
(神さま、わたくしの命は差し上げます。金隊長だけはお助け下さい)
竜太も山田曹長も息づまる思いだった。もし芳子の信ずる神がいるなら、とにかく助けて欲しい。竜太は幾度も幾度もそう祈りつづけていた。と、玄関の戸の開く音がして、
「只今!」
と大声で叫ぶ金俊明の声がした。
祖国の土(一)
一
規則正しい焼玉エンジンの音が、先ほどから甲板に立ちつくす竜太と山田曹長の体に伝わってくる。
いま、二人を乗せた二十トン級の漁船オリオン号は、次第に速度を増していた。黒ぐろと横たわる朝鮮半島を右手に、オリオン号は快調に夜の海を走っていた。雲の切れ間に星が二つ三つ瞬くのが、竜太には妙に印象的だった。
「北森、とうとう……」
沈黙を破って、山田曹長は何か言おうとしたが、言葉を途切らせた。竜太は並び立つ山田曹長の顔を見た。山田曹長は、いましがた出て来た陸地に、じっと視線を向けていた。竜太には、山田曹長の気持が痛いほどよくわかった。
昨日午後、金俊明は二人のために、正に命懸けでソ連軍の本部に特別旅行許可証発行の交渉に行ってくれた。金俊明は二時間後には帰って来ることができるだろうと言って、李大成と共に出て行ったが、予定の時間には戻らなかった。三十分過ぎても、五十分過ぎても戻らない。が、一同の心配が極まった頃、金俊明の朗らかな声がしたのだった。
「案ずるより生むが易しとは、よくぞ言ったものです。本部には、以前共同の学習会で、顔見知りとなった将校もおり、すべてはスムーズにいきました。他にもわたしの名を知っている者も何人かいましてね、とにかく助かりましたよ」
予定の時刻より遅れたのは、出帆に必要な準備や連絡を、できる限りしてきたためだと金俊明は言って、一同を安心させた。そして直ちに金俊明と叔父との協議がなされ、現状から見て、一刻も早く出帆したほうがいいとの結論に達し、午前三時に出帆したのであった。
別れる時、金俊明は固く竜太の手を握りしめ、
「ご両親にお伝え下さい。ご恩のほどは一生忘れません。くれぐれもよろしく」
と、言葉少なに言った。その言葉の少なさに、金俊明の思いの深さが却《かえ》って表れているようであった。竜太も手を固く握り返し、
「まことに、まことに……」
と繰り返すのみで言葉にならなかった。
いま竜太は、甲板に立って、その別れの感動を言い難い思いで噛《か》みしめていた。
下関まではおよそ二昼夜を要するが、夏の海は波も穏やかで、船旅には楽な季節だという。気さくな船長と、船長よりやや年上の、肩幅のがっしりした機関士と、そして小まめに働く若者の三人が、乗務員のすべてであった。何《いず》れも朝鮮人で、日本海の航行には熟練していると、船主の金秋日からも聞かされてきたとおり、頼もしい男たちであった。
船は陸地に沿って走る。その陸地には、二つ三つ、また四つ五つと、灯火の瞬くのが見える。
(電灯が点《つ》いている!)
ついこの間までは戦いのさなかで、街も田舎も灯火管制の下にあった。かすかな灯火も洩《も》らすことが許されなかった。ただ真っ暗な闇《やみ》が陸地を覆っていた筈だった。それがいま灯火が見えるのだ。竜太は山田曹長に言った。
「曹長殿」
「なんだ、また曹長殿か」
「はい、すみません。でもここでは大丈夫です。ところで曹長殿、灯《あかり》が点々とついていますね。戦争が終ったんですね」
「……そうだなあ。あの灯を見ると、そういう気もするが……全く終ったという気持にもなれんな」
「…………」
「戦争は終ったかなあ。おれにはまだその実感がない」
「そうですね。自分たち自身が脱出のさなかですからね」
「そうだよ。それになあ、北森、戦争というものは、カーンと鐘を鳴らして、ハイこれで一巻の終りというわけにはいかない。特にあの広い満州のことだ、山で、原野で、林で、戦っていた将兵に、終戦の詔勅が誤りなく伝わったか、どうか。伝わったとしても、何しろ生きて虜囚の辱《はずかし》めを受けず、と叩きこまれた日本軍だ。中には最後の一兵までもとまだ戦っている者もいる筈だ」
「そう言えばそうですね」
「それにだ。戦争の傷は深いぞ。北森、先程会った金田マリ子のことをどう思う?」
竜太もいま、金田マリ子のことを言おうとしたところだった。竜太たちが金秋日とその妻車海姫たち一同に挨《あい》拶《さつ》を終え、玄関に下り立った時だった。金秋日の背に隠れるようにして、うしろからさしのぞいた女性がいた。竜太を見た途端、女は叫んだ。
「北森さん!」
芳子の声に似たあの金田マリ子の声だった。
マリ子は抗日義勇軍のシンパだった。しかも義勇軍の父は戦死し、ただ一人の姉は、白昼日本軍に連行された。慰安婦にするためであった。以来マリ子の日本人への憎悪は凄《すさ》まじいものとなった。
金俊明は波止場への途中、そんな金田マリ子の身の上を話した。マリ子は、ソ連軍の満州侵入直後、いち早く安陽を逃れて知人金秋日の家に来たということだった。その金田マリ子のことを、いま山田曹長は言ったのだ。
「北森、敵も味方も受けた傷は深いぞ。一生かかっても癒《いや》されることはないな」
潮風が二人の頬に冷たかった。
二人は与えられた船倉の一室に下りて行った。室《へや》にはようやく人一人が横になれるほどのベッドが中段に取りつけられてあり、その下の床に何とかもう一人寝る場所があった。同じような室が他に二つほどあるようだった。この狭い室にも、ニンニクや魚の臭《にお》いが沁《し》みこんでいて、少し気になったが、山田曹長がベッドに入り、竜太が床の上に横になった。電灯を消して山田曹長が言った。
「ところで北森、おれたちこのまま眠ってもいいのかな」
「え? このまま?」
竜太は問い返した。
「うん。おれはいまふと、このまま眠っても罰《ばち》が当らんのかなあと、思ったんだ。誰かにお礼を申し上げなくちゃならんような、妙に神妙な気持になってな」
「ああ」
竜太は思わず声を上げた。さすがは山田曹長だと思った。竜太は、故国に帰ったら、必ずこのお礼を金俊明にしなければならぬと思ってはいた。が、山田曹長のように、「誰かにお礼を申し上げねばならぬ神妙な気持」にまでは、至っていなかった。
「な、北森、お前はどう思う?」
「曹長殿、それはお祈りということですね」
「お祈り? なるほど、祈るという手があったか」
山田曹長は真顔で言い、
「人間、辛《つら》さも苦しさも、喜びも感謝も、極まれば何かに手を合わせて、祈りたくなるものなんだな。祈らずにはいられなくなるものなんだな」
しみじみとした語調だった。竜太は身の引きしまる思いだった。
二人が寝についたのは午前三時半で、目を覚ましたのは、午前十一時半を過ぎていた。船長が船倉をのぞきこみ、
「よく眠れましたか。狭苦しくて大変だったでしょう。一人一人別の室に寝てもらえばよかったですかな」
と、声をかけた。山田曹長が答えた。
「いや、けっこうな寝心地でした。一流の旅館より、ずっといい寝心地でした。二人共意気地なしで、一室に一人眠るなんて、できませんよ」
身も心も疲れていた二人にとって、焼玉エンジンの響きがよい子守歌となり、船の揺れもそれほど気にならなかった。
「それはよかった。実はわたしのほうも、ソ連の警備艇がいつ来るか、いつ来るかと心配していました。もし来れば船内隈《くま》なく点検されて、腕時計だの万年筆だの持ち去られるということですし……どうやら隊長さんの名前が利《き》いたようですね。多分、もう来ませんよ」
船長の機嫌のよいのは、そんなこともあってのことに思われた。竜太たちもほっとした。甲板に出た二人に船長が言った。
「どうぞ食事をして下さい」
二人は、甲板の片隅にしつらえられた大きな七輪の傍《そば》に行った。待つ間もなく、若い水夫が大どんぶりに飯を盛り、焼いた鰯《いわし》をキムチと共に目の前に置いてくれた。煮炊きはすべて、赤《あか》煉《れん》瓦《が》の枠に固定させたその七輪で、なされていた。それが竜太には珍しかった。海を見ながら食事をすることも珍しかった。濃紺の海は時に鉄色を帯びるかと思えば、緑色にうねった。くもっていながら、しかし海の色は明るかった。ふり返ると鴎《かもめ》の群が陸地を目指して飛んでいた。その向こうに灰褐色の山並がつらなって見えた。
食事を終えた二人は、自分たちの食器を洗い、甲板の掃除を手伝ったりした。久しぶりに体を動かしたという実感が、二人を満足させた。そんな二人に、船長も水夫たちも、あたたかいまなざしを向けていた。二人はやがて船倉に戻った。アンペラの上にあぐらをかくと、竜太が声を低めて言った。
「曹長殿、この船のチャーター料は、どのぐらいでしょうか。金俊明さんの勧めてくれるままに、こうして乗せてもらっていますが……」
「チャーター料か。そうだなあ、おれも考えてはいたが、生なかの金額ではないな」
山田曹長は腕を組んで、
「何しろ仕事を休んでの船の提供だからなあ。船長はじめ乗組員の人件費、燃料、食料、諸雑費を入れると……ちょっとした家一軒買えるぐらいの額になるんじゃないか」
「とすると、三百円や四百円にはなりますね」
「そうだな。危険料を考えると、四百円でも高いとは言えまい」
「それを全部、俊明さんが負担するんですか」
「さあてな、船主は叔父さんだが、どんな話合いになっているのかな。とにかく大変なことだ。誰にでもできることじゃないよ」
「ほんとうですね。金があるからできるとか、できないという問題ではありませんよね。あの人は万事、スパッスパッと、思い切ったことをする人ですよね」
「うん、稀《まれ》に見る人だ。人間は、金を持たせたらその真価がわかるとか、権力を持たせたら正体がわかるとか、よく聞くが、あの隊長はどんな場に立たされても、決して尊大にならず、金に汚くもならず、誰にも真《ま》似《ね》のできん人だ」
二人は顔を見合わせて吐息をついた。竜太は言った。
「父がこの話を聞いたら、すぐさまチャーター料に見合う金額を送ってくれるかも知れません。しかし、受けた親切は、金を返したことで帳消しになるものではありませんよね」
「そうだ。北森の言うとおりだ。人間恩返しをしたと思ったら、途端に恩を忘れたことになる」
「あ、その言葉、自分の父も時々言う言葉です。恩を返したと思うことが最大の忘恩だと、父はよく言うんです」
「そうか、北森も聞いていた言葉か。おれのおやじも、恩は返せぬものだ、恩を返した気にはなっちゃいかんと、よく言ったもんだよ」
二人は顔を見合わせ、うなずき合った。
漁船オリオン号が羅津を出帆して二昼夜になろうとしていた。さすがに竜太の眠りは浅かった。幾度も、はっとして目を覚ます。船はもう日本に着いたのではないかと、思わず飛び起きるのだ。昨夜船長は、船が日本に着くのは、明朝五時頃だと言っていた。昼間であれば、日本が見えるのはふつう到着四時間程前とのことでもあった。
「北森、また目を覚ましたか」
山田曹長がベッドの上から声をかけた。
「はい、すみません。どうもじっとしていられなくて」
「無理もない。しかし、お前が飛び起きても船足が速くなるわけではない。一時間や二時間のずれも当然あるだろう。船長がちょうどいい時間に起こしてくれると言ったんだ。それまでゆっくり寝て英気を養えよ」
「わかりました」
竜太はうなずいてまた横になる。しかし目が冴《さ》えて眠れない。こんなにも祖国は懐かしいものなのか。竜太の心は昂《たか》ぶるばかりだった。ようやくまどろみかけた時、船長の声がした。
「日本の灯《ひ》が見えますよ」
二人はがばと起き上がった。竜太は昨夜のうちに、金俊明にもらった国民服に着替えていた。山田曹長もベッドから下りるや否《いな》や、一瞬のうちに身仕度して、竜太と共に戦闘帽をかむり、甲板に出た。まだ闇は日本の国土を覆っている。その闇の中に点々と灯火が瞬いていた。竜太は息をのんだ。
(日本の灯だ!)
大声で叫び出したかった。この時をどんなに待ち侘《わ》びてきたことであろう。デッキの手すりを両手で固くつかまえながら、竜太は灯火を凝視していた。
その灯火が二つ三つと消えるにしたがって、次第に闇がうすらいでいく。濁った水が澄んでいくように、洋上が少しずつ明るさを増し、雲一つない空に曙《しよ》光《こう》がひろがっていく。と、薄明の空の下に山並が影絵のように姿を見せ始め、港には幾台ものクレーンが、生き物のように並び立つのが視界に入ってきた。
こうして、八月二十一日午前五時、オリオン号は下関港に到着したのだった。
二
竜太と山田曹長がようやく下関の駅を発《た》ったのは、翌二十二日の朝であった。
昨日早朝、駅舎に一歩足を踏み入れた二人は思わず息をのんだ。隅から隅まで人で埋められていた。誰もが床にへたりこんでいるのだ。抱えた荷物にもたれて眠り呆《ほう》けている者、膝《ひざ》小《こ》僧《ぞう》に顔を伏せて動かぬ者、誰もが乗車の時を待って一夜を過ごした姿だった。二人は大きく吐息をつき、群のうしろに加わった。山田曹長が言った。
「北森、こりゃあ何日待たされるかわからんぞ。とにかく一歩でも二歩でも、出札口のほうに近づくように、坐りこんで待とう」
竜太はうなずいて、
「そうですね。ここは日本ですから、腰を落ちつけて待つことにしましょうか」
祖国の土を踏みしめた感動が一瞬に消し飛び、またしても容易ならざる状況に放り出されたような気がしたが、竜太は笑顔を見せた。
次第に人々が目を覚まし始めた。大きく手を伸ばして、欠伸《あくび》をする者、何やら話し合う男や女の声、泣きむずかる赤児の声、人々を掻き分けて駅舎の外に用を足しに行く者、全体にざわめきが広がっていく。
「いまのうちに握り飯を食っておこうか」
「そうですね、曹長殿」
二人はリュックサックを開けて、一つ一つ新聞紙に包んだ握り飯を取り出した。オリオン号の若者が充分に火を通してくれたゴマ塩の握り飯であった。二人が人目を憚《はばか》って、新聞紙に包んだままの握り飯を二口三口頬張った時、六、七歳の男の子が二人、もの欲しそうに竜太たちの前に立った。竜太は、子供たちのまなざしに胸を衝《つ》かれた。握り飯を分けてやらねばと思った。が、次の瞬間道中の自分の食い分がひらめいて、分けてやることをためらった。と、山田曹長は、
「お握りが欲しいか。欲しいわなあ。みんな腹が空いているもんな」
と言いながら、別の包みを出して与えた。誘われるように竜太も一つを差し出した。と、年上の子が言った。
「妹もいる」
竜太はその言葉に複雑なものを感じた。が、山田曹長がまた言った。
「そうかそうか。お前は妹思いのいい兄貴だなあ。けどなあ、小父さんたちも、これから先、握り飯が要《い》る。お前の分を二つに分けて、妹にやれな。な」
優しい言葉だった。子供たちは大きくうなずいてその場を去った。
そんなことがあってから一昼夜が過ぎ、いま二人は幸運にも列車の中にあった。しかも二人共座席に腰をおろすことができた。
列車の中は、駅舎以上に混雑していた。座席と座席の間にも人が立ち、通路は一歩も歩けぬほど混み合っていた。汽車は時ならぬ駅で長時間停車した。竜太はあの動員の時を思った。何処《いずこ》へとも知らずに鎧《よろい》戸《ど》をおろした列車に幾日も閉じこめられ、着いた所が満州であった。いかに混雑していても、いまはあの時よりははるかにいいのだと思った。
青く晴れた夏空の下に、瀬戸内海が悲しいまでに美しかった。「国破れて山河あり」の言葉を、竜太はしみじみと思った。こんな美しい自然の中に生まれ育って、なぜ人間は人を殺すことを学ぶのだろうか、と竜太は思う。
向かいの座席に坐っていた男が、山田曹長が広島に帰って行くと聞いて言った。五十年輩の、作業服を着た男だった。
「広島かね。そりゃあ大変だ。あの広島は、もう影も形もないよ。幾つかのビルが、骸《がい》骨《こつ》のように骨を曝《さら》しているだけだ。何せね、見たことも聞いたこともない爆弾だよ、この新型爆弾というやつは。おれは直接見たわけではないが、アメリカの飛行機が来て爆弾を落し、そいつがぴかっと光ったかと思うと、何もかも吹っ飛んだ。光に当った木造家屋はたちまち火を噴き、コンクリート建の家もがらがらと崩れ落ちたというから、ひどいもんだ。この光に当った何万という人が死んだ。顔から背中から、皮膚がべろりと剥《は》げ落ちたそうだ。垂れ下がった片目を掌《て》に受けながら、歩いている女もいたと聞いた。聞いただけでもぞっとする。被災者はおれも何人も見たが、呉《くれ》の駅に行った時は、ごろごろと人がころがっていて、それを係の者が時々棒で突つくんだ。ぴくっと動くと、まだ生きていると言って放って置き、動かない者は死体として運び出されて行った。大人もいれば子供もいた。その場を見て、気絶した女性もいた。爆弾に遭《あ》うまでは、家族と共に暮らしていたふつうの人間だ。なんであんな目に遭わねばならんのか。いや、とにかくひどいもんですよ。気の毒だが、あんたもよくよく覚悟して広島へ帰って下さいよ」
背筋の冷たくなるような話だった。むろんこの原子爆弾の被害が、この後何十年もの間多くの人々をいかに苦しめるかは、まだ誰も知らぬことであった。
列車がどこかの駅にとまった。およそ二十分の停車と聞いて、幾人もの乗客がプラットホームに降りて放尿し、ある者は線路に下りて排便した。男女の別がなかった。辛い姿だった。竜太は敗戦という言葉を噛みしめる思いだった。満州で、中国で、南方で、朝鮮で、樺太で、日本本土で、人々は様々な形で敗戦の日を迎えたことを竜太は思った。と同時に、戦勝国の多くの犠牲をも決して忘れてはならないと思った。その男は何か任務を帯びているのか、そこで下りて行った。竜太は言った。
「曹長殿、一発で何万人も殺す兵器など、どんな人間が考え出したのでしょうか」
「うん……どんなに科学が発達しても、それが大量殺人のために利用されるとはな。殺す数が多ければ多いほど、人間の堕落だな」
広島出身の山田曹長の言葉だけに、身に沁みた。
「曹長殿、この分ですと明るいうちに広島に着きますね。自分も一緒に汽車を下りて、お母さんの行方を捜させて下さい」
「ありがとう。しかしな、北森、おれ一人にさせておいてくれ。おれが帰りたいとねがっていた故郷がふっ飛んでしまったというんだ。瓦《が》礫《れき》の山になってしまったそうだ。おれは大地を叩いて号泣するかも知れん。思う存分、おれを泣かせてくれ」
珍しく山田曹長は淋しい笑顔を見せた。竜太は黙ってうなずいた。語ることが多くあるようでいて、いざ語ろうとすると言葉が出ない。山田曹長も同じ思いか、視線は瀬戸内海の島々に向けられていた。
広島への時間は長いようでいて、竜太には短かった。太陽が西に傾いた頃、眠っているかに見えた山田曹長が不意に立ち上がった。
「北森、じゃ、ここで失敬するよ」
膝の上のリュックサックを抱えて、山田曹長は竜太を見た。竜太はあわてて言った。
「もうそんな時間ですか」
気がつくと幾人かが、人を掻き分け掻き分け、戸口のほうに近づいて行く。
「うん、ぼつぼつ……広島の街も見えてくる筈だし」
「そうですか。いろいろお世話になりました」
「いやいや、世話になったのはおれのほうだ。何《いず》れ手紙は出すが……元気でな」
山田曹長は戸口に向かう乗客のうしろに従《つ》いた。突如竜太の胸に熱いものがこみ上げた。肉親に別れるような辛い思いだった。山田曹長はちょっとふり返り、デッキに出て行った。と、その時、誰かが叫んだ。
「広島だーっ!」
俄《にわ》かに社内が騒然とした。人々の指さす向こうに、廃《はい》墟《きよ》が広がっていた。一望ただ瓦礫の原であった。焼けただれたビルディングが、あちこちに骨組みだけを曝しているのが、ひときわ凄《せい》惨《さん》であった。これがただ一発の新型爆弾のもたらした惨害かと、竜太は呆《ぼう》然《ぜん》として、どこまでもつづく廃墟を見守るばかりだった。その無残な姿を、夕日が白じらと照らしていた。
汽車が広島駅に着き、幾十人かが下り、また乗った。プラットホームに出た山田曹長の姿を窓越しに探したが、既に見えなかった。多分、この広島を見た山田曹長は、竜太と顔を合わせることさえ辛かったのかも知れない。この瓦礫の街に、母を尋ねて行かねばならない山田曹長の心を思いながら、発車の合図の長い汽笛を竜太は聞いていた。
三
金俊明に出会ってから半月とは経《た》っていなかったが、あまりにも目まぐるしく、そして長い旅であった。竜太はいま、遂に旭川駅のプラットホームに下り立った。時計は夜の十二時半を過ぎてい、雨が静かに降っていた。家族と芳子には、下関に着いた時に、
「ニホンニツイタ、アンシンヲコウ」
と電報を打っただけで、電話もかけてはいなかった。ごった返すあの混雑の中では、電話をかけることは決してたやすいことではなかった。電話局か郵便局に行き、相手の電話番号を告げて申し込み、つながると申込者が呼ばれ、初めて通話が可能となる。長距離電話は申し込んでから、四時間も五時間もかかることは珍しくない。列車の待ち合わせの間では、到底できることではなかった。
下関から旭川までの数日間、竜太はろくに食事を取ってはいなかった。オリオン号でもらった握り飯は、子供たちに一つ分けてやり、二日目には残っていなかった。それでもリュックサックの中には、乾パン、干《ほし》飯《いい》の幾袋かと干魚があった。水の代りにともらった胡瓜《きゆうり》とトマトで幾度か渇きをいやしたが、それが尽きたあとは、駅のホームの水飲場に走るのだった。途中、眠るともなく眠り、まどろむともなくまどろみ、駅舎の床にたむろし、上野からは座席もなく、立ちっ放しのまま眠りもした。飢えようと、渇こうと、いかに辛かろうと、どんなに苦しい思いをしようと、愛する者のいる所までは、何としてでも帰り着きたかった。そんな思いの深さを、竜太は初めて知ったような気がした。
旭川のプラットホームも、下りる者、乗りこむ者で真夜中ながら混み合っていた。竜太は人々にもまれながら改札口を出た。右手の改札口では幾人かが駅員と何かもめて、怒鳴り合っていた。
竜太は駅舎を背に、懐かしい旭川の街を眺めた。そぼふる雨の中に街灯がうるんでいた。旭川の街は無事であった。竜太が満州に発つ時と、寸分違《たが》わぬたたずまいを見せていた。竜太はちょっと夜空を見上げた。出迎える者がいないとは思っていたが、少し淋しかった。金俊明からもらった雨《あま》合《がつ》羽《ぱ》を羽織ると、竜太は駅前の広場に向かって一歩足を踏み出した。
と、その時、うしろのほうで誰か女の声がした。竜太ははっとした。
(芳子だ!)
片時も忘れたことがない懐かしい声だった。ふり返った竜太を目がけて、芳子が駆け寄って来た。芳子は若草色のレインコートを着、手に二本の傘を持っている。
「やっぱり竜太さんね!」
芳子は目を大きく見ひらいて竜太を見た。その顔が、一瞬泣き出しそうな幼い表情になった。
「芳子さん、只今」
竜太ののどに痰《たん》が絡んだ。
(会えた! とうとう会えた!)
竜太は叫び出したい思いだった。が、二人はじっとお互いを見つめ合った。
「お帰んなさい。大変だったでしょう。竜太さん」
芳子は美しい指で涙を弾《はじ》くようにし、明るく言った。
「いやだわ、わたしったら。竜太さんを見逃したなんて。わたし、目を皿のようにして、軍服姿、軍服姿と待っていたのに、軍服じゃなかったのね。がっかりして、こっちのほうを見たら、竜太さんのうしろ姿が見えたわ。髭《ひげ》武《む》者《しや》だとは思っていたけど……」
竜太は何か咎《とが》められたような気した。
「いや、自分こそ不注意で悪かった。まさか芳子さんが、こんな夜中に迎えに来ているとは思わなかったものだから……」
芳子はくすくす笑って、
「あのね、わたし、電報を受取ってから、いつ竜太さんが着くか、いろいろ考えてね、この時間には一昨日から出ていたの。勘が当たってうれしいわ」
「ええっ!? 三晩も?」
「竜太さんたちのご苦労を思ったら、幾晩でも帰るまで迎えに出ようと思っていたわ。昼は日直やら、新学期の準備でなかなか時間は取れなかったけど……」
二人はいつしか肩を並べて、深夜の街を歩いていた。竜太はうれしかった。生きて帰って来てよかったと思った。もし自分が死んでいたら、この芳子はどのように生きていくことか。
倉庫の立ち並ぶ暗い通りに来ると、竜太は芳子を抱き寄せたい思いに駆られた。が、二人はまだ手を取り合うことさえしていない。横通りに、石造の小さい交番が見えた。そこから三百メートル程で、竜太の家だ。竜太の心が弾んだ。二人が交番の前にさしかかった時、玄関前に立っていた巡査が、
「おい、そこの二人、ちょっと来い」
と呼びとめた。竜太は、幌志内小学校の当直の夜のことを思い出した、その時呼びとめられた竜太は、そのまま思想犯の被疑者として、警察署をたらい廻しにされたのだった。
中年の巡査は二人を交番の中に入れると、明るい灯の下で二人をじろじろと見ていたが、横柄に言った。
「こんな時刻にどこへ行く?」
竜太は少しむっとしたが、
「いま、満州から復員して、家へ帰るところです」
「何? 復員? ちょっと合羽を脱いでみろ。……何だ軍服を着ていないじゃないか」
「はい。満州では関東軍も物資が底を尽き、応召兵の大方はほとんど私服でした」
「何だって? 泣く子も黙る関東軍に、国民服の兵隊がいたあ? 出たらめもいい加減にせい」
「出たらめじゃありません。関東軍には担ぐ銃もなく、吊《つる》す剣もない兵隊がたくさんいたんですよ」
巡査はますます疑わしそうに、
「いま、闇屋が横行しているんだ。お前たちも闇屋でひと儲《もう》けして、その辺の宿で、これからよろしくやるんじゃないのか」
さすがに竜太は気《け》色《しき》ばんだ。
「冗談もほどほどにして下さい。ここに軍隊手牒があります。見て下さい」
「軍隊手牒? そんなものは、兵隊に行けば誰でも持ってるだろう。持っていたからと言って、闇屋じゃないという証拠にもなるまい」
「いいかげんにしてくれませんか。あんたに満州での苦労はわからんでしょうが、やっと帰って来たところなんですよ」
竜太は声を荒げた。
「まあ、とにかく、そのリュックサックの中を見せてもらおうか」
その時、事のなりゆきを傍で見ていた芳子が言った。
「お巡りさん、北森質店をご存じでしょう。時々何かと交番には協力しているあの質屋さんよ。この人はそこの息子さんよ」
途端に巡査の態度が変った。何かを思い出すような感じで竜太の顔を窺《うかが》い、それから顎《あご》で行くように示した。
外に出た竜太は、まだ自分の背後に銃口が向けられているような、いやな気持だった。
祖国の土(二)
一
行く手右手に、竜太の家の黒い塀が見えて来た。その塀の角の、「質屋」と書いた行《あん》燈《どん》の淡い光が懐かしかった。竜太は思わず足を速めた。
「もう寝てるだろうね」
「いいえ、起きていらっしゃるわ。この頃お父さんもお母さんも、午前二時頃まで目を覚ましていらっしゃるんですって。竜太さんの帰りを待っていらっしゃるのよ」
竜太の目に、通りを行く足音に耳を澄まして、固《かた》唾《ず》を呑《の》んでいる父と母の姿が浮かんだ。芳子も足を速めて言った。
「竜太さん、わたし、お父さんお母さんにご挨《あい》拶《さつ》して、少しお手伝いもして行くわ。どうせ、すぐ帰っても眠れませんもの」
竜太は思わず立ちどまって芳子を見た。竜太を見上げる芳子の顔が、街灯の下にひどく可《か》憐《れん》だった。竜太は遂に家の前に立った。
「あ、やっぱり起きていますね。電灯が点《つ》いている」
竜太の胸が動《どう》悸《き》した。竜太は玄関のガラス戸を大きく叩いた。ガラス戸の向こうに白い木綿のカーテンが引かれてある。茶の間の戸が開いて、さっと電灯の光が廊下に流れた。
「どなたですか」
まさしく父政太郎のあたたかい声であった。
「はい、竜太です。お父さん、只今」
「おお、竜太か、待っていた」
白いカーテンの向こうで、二つの影がもつれた。ガラス戸ががらりと開いて、政太郎とキクエが目の前に立っていた。
「竜太! よくまあ……」
言いながら、キクエが竜太の胸にすがった。茶の間に入ると竜太はすぐに両手をつき、改めて政太郎とキクエに挨拶をした。
「いやいや、お前こそご苦労だった。敗け戦では大変だったろう」
竜太がうなずいて、
「大変だったけど、不思議なことばかりあって……」
キクエが言った。
「竜太、お前、腹が空いているだろう。お茶漬でも食べないかい」
芳子が素早く台所から飯びつを抱えて来た。いかにもこの家に馴《な》染《じ》んでいる感じだった。それが竜太にはうれしかった。そしてこれがわが家だと思った。保志もどんなにこの家に帰って来たかったことかと、竜太は胸が熱くなった。政太郎が繰り返し言った。
「竜太、よく帰って来た。よく帰って来た。ほんとによく帰って来た」
その言葉に、保志を失った父の悲しみを感じた。が、竜太はあえて保志のことには触れなかった。口に出せば誰もが号泣しそうな気がしたからだ。
「お父さん、ぼくが家に帰って来られたのは、お父さんのお陰ですよ。そしてお母さんや美千代姉さんのお陰ですよ。よそには話せないことですが」
竜太は八月九日から、朝鮮の民兵に取り囲まれた時までのいきさつと恐怖を手短に告げ、
「お父さん、そこで死を覚悟したのですが、不思議に助かったんです。その隊長が助けてくれたんです。この隊長、いったい誰だと思いますか」
「さてな……心当りもないが」
「お父さん、あの金俊明さんですよ」
「ええっ!? 金俊明! あのタコ部屋から逃げて来た……」
「そうです。あの人がみんなに尊敬される隊長になっていたんです」
竜太は金俊明が隊員の前に両手をついて、自分と山田曹長を助けてくれたことを、声を詰まらせて話して聞かせた。
「……そうか、あの金俊明がそんな男になっていたか」
想いの深い声であった。
その夜竜太が床に入ったのは三時を過ぎていた。が、眠りについて間もなく目が覚めた。時計は五時半を過ぎていた。明るくなった庭に雀《すずめ》の声が聞えている。のどかだと思った。もう少し眠ろうと思ったが、少しも眠くはない。竜太は昨夜母のキクエが言った言葉を思い出した。
「竜太、竜太の部屋もね、保志の部屋もね、お前たちが出て行った時のままにしているのよ。何も手をつけていないの」
その言葉に竜太は、キクエの母親らしい深い情愛を感じた。不意に竜太は、むっくりと起き上がった。急に保志の部屋を見たくなったのだ。せめて保志の生きていた日の姿を、その部屋の中に感じたかったのだ。そんな形でしか、今の竜太には保志に触れ得ないのだ。竜太は寝巻のまま、隣の保志の部屋の襖《ふすま》を開けた。日焼けした畳の匂いがこもっていた。竜太の部屋より二畳狭い六畳間だった。向かって左の窓べに和机が置かれ、その机の上に小さな本立があった。本立には「のらくろ」「冒険ダン吉」「タンクタンクロー」などの漫画の本が並べられていた。竜太がいた頃は、漫画の本など一冊も置いていなかった筈だ。夏目漱石や芥川龍之介のものが無造作に並んでいたものだった。たまたま持っていた本によって、あらぬ嫌疑をかけた官憲への保志の抗議を竜太は感じた。
竜太はちょっと考えて、鴨《かも》居《い》に掲げてある保志の写真を見上げた。この写真だけが以前にはなかったものだと竜太は思った。釘《くぎ》にかけた草色の国民服、その横によれよれになった黒皮のバンドが一本ぶら下がっていた。このバンドに竜太は見覚えがあった。竜太の締めていたバンドだった。ある時保志に、
「兄ちゃん、それ、締めやすそうなバンドだな。おれにくれないか」
と言われて、保志にやったものだった。確か芳子との結納の日取りが決まった頃ではなかったか。保志が、このバンドを、入隊の日まで締めていたのだと言っているようで、竜太はたまらなくなった。その思いをふり切るように、竜太は机の前にあぐらをかいて引出を開けた。その中に一冊の大学ノートがあった。表紙には「うたかたの記」と書かれてある。ぱらぱらとノートをめくると、次のような記録があった。
〈畜生! 今日も町内会の防空演習だ。防空演習は消火訓練しかないように思っているのか、今日もわが家の蔵に、遠慮会釈なく水をぶっかけてくれる。今月に入って、もう三回もわが家の蔵は標的にされている。蔵は質屋にとって重要な商売道具だ。たとえ水は入らなくても気分が悪い。親父にぶつくさ言ったら、竜太がスパイだと信じこんでいる奴《やつ》が二、三人いるらしいと、笑っていた〉
またある頁には、大きな字でやや乱暴に、
〈おれは目が悪くて、召集令状が来ない。志願すれば採ってくれるだろうという人がいた。よし、兄貴の汚名を雪《すす》ぐためにも、おれは志願してやろう。そう思っている矢先に、何と召集令状が来た〉
と書かれていた。最後の頁にあったのは次の言葉だった。
〈兄貴を無実の罪に陥れたのは誰だ! 兄貴を教壇から引きずりおろしたのは誰だ! もしあの罪に問われなければ、兄貴は子供たちのいい教師として、毎日教壇に立っていた筈なのだ。兄貴、征《い》って来るからな。お互い、無事で帰って来ような〉
「無事」という字に二重丸がついていた。
「保志!」
竜太は思わずノートを固く握りしめた。
(あのひょうきんな保志がこんなノートを書いていたのか!)
竜太はしばし身じろぎもしなかった。
二
さわやかな十月の日曜日の午後だった。
オルガニストの弾くウエディングマーチが、教会堂の中にひびきわたった。マーチに合わせて、三つ揃いの黒い背広を着た竜太と、純白のウエディングドレスを着た芳子が、開かれた入口から姿を現した。男女合わせて五十人程の参会者たちが、声にならぬ声を上げて二人を見守った。竜太の苦労と芳子の忍耐がどんなものであったかを、詳しくは知らなかったとしても、一同は多分に察することができていた。親戚の者と教会員、そして職場の代表と町内の代表等、参会者は多くはなかったが、初めからあたたかい雰囲気が堂に満ちていた。
竜太は少し眉《まゆ》をくもらせていた。その表情が却《かえ》って青年らしい誠実さを感じさせ、人々に好意を抱かせた。そして微笑を湛《たた》えた芳子の匂うような美しさに、人々は目を瞠《みは》っていた。
竜太が戦地から帰って、まだ二カ月と経《た》っていなかった。竜太は、こんなに早く結婚するようになろうとは思っていなかった。死んだ保志のことを思うと、竜太はもっと期間を置きたかった。芳子も、帰ったばかりの竜太の気持を思いやって、自分からは何も言わなかった。竜太の親たちにしても、芳子の親たちにしても、結婚の話をいつ持ち出していいものやら、迷っていた。しかし姉の美千代だけはちがっていた。無事に帰った竜太を抱きしめるなり、美千代は言った。
「竜ちゃん、あんた、今度こそさっさと結婚なさいよ」
決めつけるような言い方だった。美千代は小学生時代から、きょうだいや従兄妹《いとこ》たちに、時折きつい語調でものを言ったが、そんな時に限って美千代のあたたかさが胸に伝わってくるのだった。
「結婚だなんて……帰って来たばかりで」
答える竜太に美千代は、
「何を言ってるのよ。芳子ちゃんはどんな思いであんたを待っていたと思うのよ。ぐずぐずしていたらわたし、芳子ちゃんにさっさといいお婿さんを世話するから」
と声高に笑い、そして目尻から涙をこぼした、竜太は当惑した。日本は負けたばかりだ。食糧不足はその極みに達していた。それは下関から旭川までの汽車の中で、いやというほど見せつけられた。乗客たちの話では、衣類が不足していて、金を持って行っても、農家では食糧を売ってはくれず、着物との交換なら、米や豆を分けてくれるということだった。そうして手に入れた食糧さえも食糧管理法に触れるということで、警察に取り上げられるのがしばしばだった。そんな事情の中で、結婚披露宴など出来るわけはないと思ったが、美千代は、こんな時代だからこそ、牛乳一杯、塩《しお》煎《せん》餅《べい》二枚もあれば、結構素敵な披露宴になると言い張るのだった。
「竜ちゃん、芳子ちゃんはね、あんたとの結婚が決まった時、ウエディングドレスを用意したのよ。もう何年も箪《たん》笥《す》の中に寝かせてあるのよ」
そんな次第で、仲人は前回頼んであった横尾校長夫妻、式は芳子の所属教会、披露宴は教会付属幼稚園のホールということで、ばたばたと決まってしまったのだ。母のキクエが、
「いくら何でも、北森家の長男が、牛乳と煎餅では……」
と渋ったが、美千代は言った。
「お母さん、それで充分なのよ。それでなくてもスパイの息子がいるだの、質屋の看板で闇《やみ》屋《や》をしているだの、陰口を叩いている人がいるんだから」
そんな美千代の強い勧めで、今日の結婚式の運びとなったのだった。
新郎新婦の入場につづいて、讃美歌四九四番がうたわれ、祈りが捧《ささ》げられ、誓約が交わされ、聖書の交換へと式は滞りなく進んでいく。竜太は身の引きしまるのを覚えた。今ここに立ち得た陰に、どれほど多くの忍耐と愛があったかを竜太は思った。
プログラムは牧師の式辞となった。四十代半ばの痩《そう》身《しん》の牧師であった。竜太も顔見知りの牧師だった。牧師は親しみをこめた表情で竜太と芳子を見、二人にひとこと祝辞を述べ、すぐに本論に入った。
「……お二人のご経歴、結婚までの経緯は、のちほど媒酌人からご紹介があるとは思いますが、実はお二人は、昭和十七年三月に結婚される筈でありました。日取りも決まって、万事万端整っていたのであります。ところが、結婚の日も間近になって、突如召集令状が来たのであります。それを聞いた時の驚きを、私は忘れることができません。ましてご本人たちの胸中は、いかばかりであったことでしょう……」
竜太は思わずうなずいた。あの時芳子は、伯母の葬式で北《きた》見《み》枝《え》幸《さし》に行っていた。その芳子に電話の中で、竜太は召集令状が来たことを思い切って告げた。絶句した芳子が、電話の向こうで泣いているらしい気配に、竜太も声を上げたい思いであった。
「……この度の戦争では、多くの若い命が無残にも失われました。幸い新郎は、生きて再び、愛する人々の前に帰って来ることができたのであります。命の尊さを思う時、無事帰還されただけでも大きな感動を覚えずにはいられません。しかも、幾年も待ちつづけた婚約者と、今日ここに、この式を挙げるに至ったのであります。
さて、聖書には、創造者は初めから人間を男性と女性に造られたこと、それ故に人は父母を離れ、その妻に会い、二人は一体となるべしと書かれてあります。考えてみますと、これはまことに重大な結婚観であると共に、人間観の土台とも言うべき言葉ではないでしょうか。要するに、私たち人間は、創造者によって造られた者であり、結婚によって貴重な命を受けつぐ存在であると申せましょう。ですから、結婚は実に厳粛な事柄であり、重大な使命であると思います。何億の中の一人の男性と一人の女性が結ばれるということ、このことに大きな驚きと感動を持っていただきたい。この地球が創造されて以来、幾億組のカップルが誕生したことでしょう。それによって命は引継がれてきたのであります。
先程、お二人は神の前に誓約を交わされました。『健やかなる時も、病める時も、汝《なんじ》妻を愛するか、また夫を愛するか』との問いにお二人はそれぞれ、愛することを誓われました。人間にとって『病める時』とは、いかなる状態を指すのでしょうか。単に病気の時のみを指すのでしょうか。『病める時』という言葉には、広く深い意味があると思います。職を失った時、人間関係がうまくいかない時、苦労が実らない時、思わぬ事件に直面した時等々、言ってみれば、マイナスの状況を指すのではないかと、私は思うものであります。何《いず》れにせよ、そうした状況に必要なのはお互いの愛であることを、よくよくお考えいただきたいと思います。
ところで『愛』とは何でしょうか。愛は人間を幸せにする意志とも言われています。しかし私たち人間は、本来極めて小さな愛しか持っていない者であると言えないでしょうか。では、先程の誓約は何のためでしょう。人間はたやすくは愛し得ない者であるとの自覚を促すものである、と言えるのであります。
そこでもう一度聖書の言葉を考えてみましょう。使徒パウロは『愛を追い求めよ』と書きました。愛は労せずして、自然に自分の中に湧《わ》き出てくるものではありません。愛は祈り求むべきものです。『神は愛なり』、愛は愛の本源である創造者にこそ、祈り求むべきものであります。
既に新婦は、朝の六時、午後の三時、夜の九時に、婚約者の身心の無事を……単に命の無事だけではなく、体と心の無事を祈って、その帰りを祈って待ちつづけていたと聞いております。
ここで私は新郎におねがいしたい。この新婦の信仰を尊び、いつの日かお二人が共に祈りを合わせる日を望んで欲しいということであります……」
牧師の言葉は次第に熱を帯びていく。会衆は真剣に耳を傾けていた。その中に坂部先生の妻冴子先生の深くうなずく姿や、楠夫のやや憮《ぶ》然《ぜん》とした顔があった。
式後、棟つづきの幼稚園のホールで、茶話会形式の簡素な祝賀が持たれた。米も麦も豆も粉もいっさいが食糧の統制下にあって、自由に手に入れることはできなかったが、それでも教会員が持ち寄った配給のザラメで作ったカルメ焼、ぶどう園を持つ教会員の提供した紫のつややかなぶどう、コーヒーカップに注がれたあたたかい牛乳、それに美千代の言っていた塩煎餅が二枚、それぞれの席に置かれてあって、人々の目を瞠らせた。しかもその皿の上には、金色の折鶴が添えられてあるのも微笑を誘った。楠夫の妹佳世子の折った折鶴であった。楠夫が言った。
「こりゃあいい。いかにも幸せな結婚という感じがあふれている」
先程とはちがった楠夫の明るい顔だった。
三
竜太たちが結婚して半月が過ぎた。竜太たちの新居は、北森家の二階の八畳二《ふた》間《ま》だった。芳子は小さい時から北森家に出入りしていて、政太郎たちと同居することに、何の違和感もなかった。朝から芳子の明るい声が聞えることは、北森家の誰にとっても救いだった。
が、竜太は、なぜか浮かない顔を、時折親たちにも芳子にも見せることがあった。政太郎が、
「疲れてるんだろう。何かとなあ」
と、竜太をかばい、キクエは、
「でも、新婚早々ですよ。あんなに待ちこがれていた芳子ちゃんとの結婚に、もっと喜んでもいいじゃないですか。どこか病気かも知れませんよ、竜太は」
と言う。芳子の気持を思いやっての言葉だった。が芳子は、
「竜太さんって、優しいから、幸せな分だけ、まだ帰って来ない近堂上等兵のことなど、気に病んでいらっしゃるのよ。それに第一、保志さんのことがあるでしょう」
と舅《しゆうと》姑《しゆうとめ》を慰めた。
この二、三日、竜太は眠りが浅かった。今夜も激しくトタン屋根を叩く雨の音に目を覚ました。枕もとの電気スタンドの淡い光に、芳子の軽く口をあけた寝顔がいじらしかった。竜太はそっと手を伸ばして、芳子の白い肩を丹《たん》前《ぜん》の襟《えり》で覆ってやった。肉づきのいい芳子の肩は、すべすべとしてたまらなく愛《いと》しく思われた。
(すまないなあ、芳子)
竜太は口の中で言ってみた。新婚生活はもっと楽しくあらねばならぬことを、竜太も知っている。が、なぜか気が晴れないのだ。
珍しく稲妻が走った。何秒かあとに雷鳴が響いた。竜太はソ満国境をソ連軍が突破して来たあの夜のことを思い出した。山田曹長が土砂降りの中を、一人司令部へ駆けて行った。それが昨日のことのように思われた。あれからが命懸けの逃避行だった。絶えず死の影に脅かされながら逃げまわっていたあの自分が、今もまだ満州の山野を彷《ほう》徨《こう》しているような気がした。そんな自分が、念願叶《かな》って芳子と結婚式を挙げることができた。幸せであればあるほど、
(こんなに幸せであってよいのか)
という思いが、絶えず頭をもたげる。もう一つ、竜太には絶えず自分を責める思いがある。それは、まだ職業が定まっていないということだった。竜太は当分政太郎の店を手伝うということで、一応の仕事はあった。職業を問われれば、「質屋業」と答えるのに何の憚《はばか》りも要《い》らなかった。だが竜太は、これが自分に与えられた男子一生の仕事とは思えなかった。父の接客態度を見ていると、あたたかい血の通っている人格の持主でなければ、できる仕事ではないと思う。竜太は、自分自身にはもっと肌に合う仕事があると思う。それはやはり小学校の教師だった。そのことは周囲の者も心得ていた。
竜太が帰還して間もなく、芳子の勤めている学校の横尾校長が、市内の学校に勤めてはどうか、との話を持ってきてくれた。ところが意外にも、
「折角のご好意ですが……」
と、竜太は断ってしまった。その理由を聞かれても、竜太は只、
「ぼくには教師の資格がないような……第一、ぼくは退職願を出した人間ですから」
と言い、校長が、
「北森君、綴《つづ》り方《かた》事件に巻きこまれた先生たちも、ぼつぼつ教壇に戻る気配がありますよ。この敗戦国日本に、これからもっとも必要なのは、綴り方連盟事件で苛《か》酷《こく》な政府のあり方を身に沁《し》みて感じたような人たちです」
と熱心に説いたが、竜太は淋しく笑って、うなずかなかった。
雷鳴はいつしか止《や》み、雨の音も絶えた。竜太は横尾校長の言葉を今また思い返していた。竜太には更に人に言えない一つの痛みがあった。それは、山田曹長と下関駅の待合室で握り飯を食べていた時のことだった。二人の男の子が、いかにも物欲しげに、竜太たちの握り飯を見つめていた。それに気づいた山田曹長は、直ちに一つを分け与えたが、竜太はためらった。自分の都合を先に考えたのだ。惜しむ心が働いたのだ。ばかりか、握り飯を与えられた子が、「妹もいる」と言った時、本当に妹がいるのかという疑念がかすめた。嫌悪に似た感情が湧いた。山田曹長のように、妹思いのいい兄だとほめ、その妹に半分分けることを教えるなど、竜太にはできなかった。
このことを竜太は今日まで、幾度も思い出してきた。竜太は自分を、もっとあたたかい人間だと思ってきた。少なくとも、子供に握り飯を分けてやるのをためらうようなことが、自分にあろうなどとは想像したこともなかった。
(もしあの子たちが自分の教え子なら……)
思って竜太は愕《がく》然《ぜん》としたのだった。自分の教え子に対する優しさは、恵まれた環境にあっての優しさだ。竜太はそこに気づいた。坂部先生ならどうするか。竜太は自分を恥じた。その竜太の気持を知る筈もなく、竜太の教壇復帰を人々は願っていた。竜太は、自分には生徒を教える資格がないと、次第に本気で思うようになった。それは芳子に対しても、たやすく打ち明け得ないことであった。
竜太は眠ろうとして、また芳子の顔を見た。唇の間にのぞく前歯が愛らしかった。竜太はそっと唇を寄せた。が、芳子の唇には触れずに離れた。ふっと、姉の美千代のことを思ったのだ。
金俊明によって助けられた一部始終を美千代に話した時、美千代は声も立てず、涙も拭《ぬぐ》わずに泣いた。が、以来、ただの一度も美千代の口から金俊明の名は出なかった。その美千代を思い、今日もまた隊長としての多忙な日を送ったであろう金俊明を、竜太は思ったのである。
竜太にとって、帰還して二カ月も経ずして結婚したのは大きな生活の変化だったが、敗戦後の短い間に、日本もまた急激な変化に直面しつづけていた。八月十八日に満州国は早くも解消され、傀《かい》儡《らい》皇帝溥《*ふ》儀《ぎ》は、その地位から退位せしめられていた。八月三十日、マ《*》ッカーサーは厚《あつ》木《ぎ》に進駐し、九月二日にミズーリ艦上において降伏文書が調印された。同じ九月二日、日本帝国陸海軍は解体され、軍需工場はその営業停止の命令を受けた。
九月十一日、東條英機を始め、三十九人が戦犯として逮捕された。九月二十七日、天皇はマッカーサー元帥を訪問した。天皇が自ら宮城を出て、他国の要人を訪ねることなど、歴史始まって以来のことであった。
十月四日、GHQ(連合軍総司令部)より治安維持法、国防保安法の廃止、政治犯即時釈放、特高警察の廃止、天皇制批判の自由等が指令された。十月十日には政治犯三千人が出獄した。
十月十一日、GHQは男女同権、労働組合結成奨励、教育の自由主義化、専制政治からの解放、経済の民主化の五大改革を示唆した。かくて十月十五日には、治安維持法、思想犯保護観察法が廃止された。
ろくに新聞も読まず、鬱《うつ》々《うつ》として楽しまぬ竜太のために、芳子はこれらの記事をまとめてスクラップ帳を作り、ある朝、
「とっても大事な記事ばかりよ」
と、学校への出勤を前に、竜太に手渡した。竜太は目を通す気にもならなかったが、忙しい芳子が、自分に何を読ませたいのかと、頁をめくってみた。最初の頁に、紙片が挟まれていた。
〈竜太さん、今、日本は大きく動いています。わたしたちが目をつむっていようと、目を開けていようと、おかまいなく確実に動いています。祈りと愛をこめて〉
と、書かれた紙片だった。竜太はスクラップ帳を読み進むうちに、目を瞠った。自分が日本に帰ってから今日までの間に、こんなにも世の中は大きく動いていたのか。わけても治安維持法の解消、政治犯釈放には心を躍らせられたし、特高警察の廃止には、坂部先生と抱き合ったあの夜を、思い出さずにはいられなかった。また思想犯保護観察法の廃止には、一気に肩の荷が下りたような心地だった。勤める職場、勤める職場に、特高や憲兵が現れたあの暗い日々を、竜太は思った。軍隊にまで思想犯の嫌疑はついてまわっていた。どこにいても、誰かに尾行されているような、いやな心地だった。あの綴り方事件に巻きこまれた多くの人々は、今、どうしているか。横尾校長の話では、一昨年昭和十八年に判決は終っていたとのことであった。
「全員有罪、全員執行猶予」
の判決は、一身を犠牲にして弁護を引受けた高田富與の堂々たる弁護によって、勝ち得たものであったと聞かされた。しかし、もし司法当局側に真実を認める目があれば、
「全員無罪、全員即時釈放」
の判決になって然《しか》るべきであった。弁護費用は「北海道文選」主宰者の石附忠平の、その私財をなげうっての調達によって賄われたという。ひそかに捕えられ、ひそかに留置場で拷問を受けていた教師たちに、多くの人々は気づかなかった。気づいていたとしても、同志として疑われることを恐れて、そのカンパを申し出る者はほとんどなかった。
その話を竜太は改めて思い出しながら、特高警察の解体と、治安維持法の廃止に、心の明るむのをおさえられなかった。
その日、芳子が勤めから帰るなり、竜太に言った。
「竜太さん、少しは元気になって?」
内巻きに巻いた肩までの髪が柔らかく揺れて、芳子の言葉が優しかった。竜太は頭を掻いて言った。
「全く、魔法のようによく効いたよ」
竜太は明るい顔を芳子に向けた。しかし、愛する祖国の敗北に改めて涙したことには触れなかった。台所から、キクエが顔を出した。
「只今、お母さん。竜太さん今日元気ですよね」
「ええ、とっても元気。芳子さんにいいものを見せてもらったって言ってましたけど、なあに? いいものって?」
キクエもうれしそうな笑顔だった。芳子は店の政太郎にも挨拶をして、直ちに花模様のエプロンを着けた。エプロンがたちまち芳子を新妻にさせた。
「だけど芳子さん、どうしてあんな重大なニュースを、今日まで黙っていたの」
竜太は不思議そうに聞いた。
「あら、ごめんなさい。わたしね、竜太さんが毎日新聞を読んでいたとばかり思っていたのよ。で、今日の新聞ごらんになった? とか、凄《すご》いニュースだったわねえ、と話しかけても、竜太さんは何かを考えているふうで、ちっともわたしの話に乗って下さらなかったでしょう? ごめんなさいね、わたし、竜太さんの気持がわからなくて。新聞も読みたくない状況だなんて、思ってもみなかったわ」
「すまないのは、ぼくのほうさ。ほんとにぼく、どうかしてたんだ」
「いいえ、竜太さんは戦地から帰って来たばかりなんですもの。死んだ人の臭《にお》いや、姿が、いろんな形で染《し》みついていると思うの。そんな所から帰って来て、すぐに笑えって言われても、笑えっていうほうが無理よね。戦争って恐ろしいものね。人をとことん傷つけてしまう」
「…………」
「わたしねえ、戦争から帰って来て、憂鬱な気分にとざされたことのない人なんて、おかしいと思う。必ず泣いていると思う。戦地にいて、自分の生きたいように生きられる人なんて、いない筈なんですもの。だからわたし、竜太さんの浮かない顔を見ると、たまらなくいとしくなってしまうの」
芳子はそう言うなり、台所に立って行った。
翌日の午後だった。珍しく竜太宛《あて》に封書がきた。綴り方事件以来、竜太はほとんど誰とも文通をしていなかった。留置場を出てからも、絶えず尾行される身では、いつ、どこで、誰に、どんな迷惑をかけるか、と思うと滅多に手紙を出す気にはなれなかった。そして召集。三年余を経て、ようやくの思いで帰って来たのだ。
竜太は差出人の名前を見た。
「おう!」
思わず喜びとも驚きともつかぬ声が出た。封書は山田曹長からであった。
溥儀 一九〇六〜六七。中国・清朝最後の皇帝(宣統帝、在位一九〇八〜一二)。満州国の傀儡皇帝(康徳帝)。三歳で清国皇帝となるが、辛亥革命で退位。二四年にはクーデターにより、住居である紫禁城を追われる。三一年、日本軍により長春に移され、三二年満州国執政、三四年に皇帝となる。日本の降伏後、満州国解体と退位を宣言。日本への亡命をはかるが、ソ連軍に逮捕される。四六年、極東軍事裁判では検事側証人として出廷。五〇年、中国に引き渡され、五九年特赦となるまで撫順収容所に抑留される。その波乱に富んだ一生は映画化もされた(「ラストエンペラー」)。
マッカーサー ダグラス。一八八〇〜一九六四。アメリカの陸軍元帥。一九三七年退役したが、第二次大戦勃発とともに現役復帰。日本との太平洋戦線では連合軍西南太平洋総司令官となり、反攻作戦を指揮。四五年大戦終結後は、日本占領連合国軍最高司令官となり、数々の民政改革を断行し、日本の民主化に貢献した。五〇年、朝鮮戦争が起こると、国連軍最高司令官となり、仁川上陸作戦などを成功させて戦果を上げたが、中国攻撃を主張し、時のアメリカ大統領トルーマンと対立、翌年解任された。
明暗
一
竜太は帳場の椅子に腰をおろすと、鋏《はさみ》を使うのももどかしく、指先で封を切った。一度使ったハトロン紙を裏返しにした封筒だった。中にザラ紙三枚がきちんと畳まれて入っていた。竜太は山田曹長の闊《かつ》達《たつ》な字に、言い様のない懐かしさを覚えながら読み始めた。
〈北森君、すっかり御無沙汰した。毎日、北森君が結婚したろうか、職は決まっただろうかなどと思わぬ日はない。そして、その節受けた言い尽くせぬ親切を思って、金隊長や君のことを考えぬ日はないというのに、手紙がこんなに遅くなった。ま、君のことだ。当方の事情を大方察してくれていることだろうと、安心はしている。
北森君、第一番に報告しなければならないこと、それは母が生きていたということだ。君、母は生きていてくれた。生きていたんだよ、君。
君と別れて、広島のプラットホームに下り立った途端、私は小学校時代からの親しい友人と、ばったり出会った。五、六年ぶりだった。君と別れたあの日は野宿をする覚悟だったが、被災者の救援活動に従事していた友人の沢井が、そんな私を泊めてくれた。思いがけぬことだった。
翌日彼は、私と行動を共にして、私の家のあった辺りを探してくれた。爆心地から一キロ程の所にあった私の家は、影も形もなかったよ。近所の市場も、銭《せん》湯《とう》も、消防署も、何もかも消え失《う》せていた。すべては瓦《が》礫《れき》の原だった。私はしばらくの間、わが家の辺りとおぼしき場所にへたりこんで、「母は死んだ」と確信した。たった一発の爆弾で、ひとつの街が消える! 何と恐ろしい知恵を人間は持ったのだろう。身動きもできずにいる私に沢井が言った。
「お前のおふくろさんが、あの時、絶対にこの場にいたとは限らない。勝手に決めて絶望するのは止《や》めろ」
ありがたい言葉だと思った。私はその時まで、母は必ず自分の家にいたと思いこんでいた。母はあまり外出を好まぬ人だったこともある。しかし、自分は外出が嫌いでも、母を訪ねて来る知人友人は割合多かったことを思い出した。母は器用な質《たち》で、あちこちの旅館の浴衣《ゆかた》などを、よく縫わされていたものだった。旅館の名は、時折聞いていて覚えているのもあった。それで、それらを尋ねようと思ったが、広島の街の大半が吹っ飛んだり焼けたりしたわけだから、たやすく尋ねることもできない。
ところが、ふと思い出した旅館があった。呉市の近くにある大きな旅館「泉屋」だった。ここのお内儀《かみ》と母は、特に気が合うらしく、母は一年に一度は招かれて、手伝いかたがた二、三日滞在して来ることがあった。この泉屋を訪ねたのが、広島に着いて三日目のことだった。この泉屋に母はいたのだ。ちょうど昼前だった。母は宿の前を竹《たけ》箒《ぼうき》で掃いていた。藁《わら》屑《くず》がたくさん落ちていた。モンペを穿《は》いて、頭に日本手《て》拭《ぬぐい》をかぶって、母は何かを考えているふうに、ゆっくりと竹箒を動かしていた。私はすぐには声が出なかった。母は私に気がついて、竹箒を放り出し、駆け寄って、
「佐登志!」
と、私の胸にしがみついた。
「よう帰って来た! よう帰って来た! よう帰って来てくれた」
うわごとのように同じ言葉を幾度も繰り返す母の肩を抱きしめて、(生きていてよかった。帰ることができてよかった)と、つくづく思った。銃を捨てたうしろめたさも、朝鮮人の服を着、闇船で逃がしてもらったことも、その時すっかり胸から消えた。子は母のもとに帰るべきだ。子は母のために生きるべきだ……そんな気持だったかも知れない。
母は泉屋のお内儀の求めで、八月五日の昼、呉に行った。海軍の将校たちや客たちでてんやわんやだったそうだ。そして翌日午前八時に、広島がやられた。
そんなわけで母は生きていたのだ。今、私は沢井と一緒に救護所で働いている。ここに働いてまだ四カ月そこそこだが、多くのことを耳にした。若い母親と嬰《みどり》児《ご》が抱き合ったまま黒焦げに焼けていた話、何十人もの勤労奉仕の中学生が工場内で一塊になって死んでいた話、親の死体にしがみついて泣く三歳の童子の話、ばらばらになった胴体、男とも女とも分からぬ焼けただれた顔、これらはみな非戦闘員なのだ。正に無差別の大殺《さつ》戮《りく》だった。北森君、東洋平和のための戦争とは、いったい何であったのか。これほどまでの惨害がなければ、戦争は止《とど》め得なかったのか。到底日本が全面降伏するとは考えられなかったと、アメリカは言うのか。いったい誰がこの責を負うのか。考えれば考えるほど胸が煮えくりかえる。私は母が生きていたことで、かえって肉親を失った人たちの悲しみが、痛恨が、よく分かってならないのだ。
私は当分この被害者救援の仕事をつづけるつもりだ。君は一時も早く教壇に復帰して、人間にとって何が最も大事かを、子供たちの心に焼きつけてくれ給え。何としても戦争はしてはならん。人間は武器を取ってはならんのだ。自分自身、武器を持っていた者として、痛感してならない。
あと一カ月で年も変る。来年はどんな年になるか。とにかくよい新年を念じてお互い頑張ろうじゃないか〉
竜太は手紙を二度読み、大きく吐息をついた。
(よかった!)
山田曹長とその母が抱き合っている姿を胸に描きながら、竜太は胸の中で叫んだ。
二
山田曹長の手紙が来て、一段と竜太の顔に生気が漲《みなぎ》った。心の憂いが全く去ったかのように誰の目にも見えた。が、十二月に入ってしばらくすると、竜太はまたふっと黙りこむようになった。治安維持法の廃止も、山田曹長の手紙も、明らかに竜太に大きな安《あん》堵《ど》と力を与えたのだったが、時間と共にうすれていくようであった。
その日は、朝からの雪がしんしんと降り積っていた。見《み》馴《な》れぬ筆跡の、未知の人から竜太に分厚い手紙が来たのは、そんな雪の日の午後だった。差出人は九州小《こ》倉《くら》市の古浜武とあった。竜太は心当りを忙しく思い出そうとしながら、便箋に目をやった。武という名に似合わぬ小さな几《き》帳《きよう》面《めん》な字がつらねられてあった。
〈拝啓
初めてお手紙差上げます。私は当地小倉市に住む古浜武と申す者で、近堂弘上等兵殿と共に満州で自動車隊にいた者であります〉
近堂上等兵の名前に、竜太の胸がとどろいた。と、同時に、何か不吉なものを感じて次の行に目を走らせた。
〈北森様には、無事復員なされたかどうか分かりませんが、近堂上等兵殿との約束により、ここにペンを取った次第であります。
北森様、近堂上等兵殿は戦死されました。八月十五日、満州の図《と》們《もん》に近い路上において、ソ連戦闘機に銃撃されたのであります。その時、私と近堂上等兵殿はトラックに軍の物資を満載し、朝鮮に向けて車を走らせておりました。晴れた日でありました。この日が日本の敗けた日になろうとは夢にも思わず、私共はただ一心に任務を遂行しておりました。ところが突然、ハンドルを握っていた近堂上等兵殿が、「古浜っ! 敵機だ。伏せろ!」と叫びながら、私の上に覆いかぶさりました。
気がついた時、上等兵殿は私をかばったまま死んでおりました〉
竜太は呆《ぼう》然《ぜん》とした。
(近堂上等兵が死んだ!?)
竜太は思わず便箋を取り落した。その手紙を拾い上げようともせず、竜太はうつろな目をしばらく窓に向けていた。雪が小止みなく降りしきっている。その雪の中に、近堂上等兵の笑顔が鮮やかに見えるようであった。
やや経《た》って我に返った竜太は、落した便箋を拾い上げて再び読み始めた。
〈もし近堂上等兵殿が私の体の上にかぶさっていなければ、私が死んでいた筈であります。運転台に動かずにいれば、近堂上等兵殿は弾丸を受けずにすんだのです。何とも残念でなりません。
日頃から、万一自分が死んだ時は、旭川の北森竜太君に知らせて欲しいと言われておりました。住所を書いた紙も、私の手帳の中に折り畳んでしまっておきました。とりあえず近堂上等兵殿の最期の様子をお知らせいたします。何《なに》卒《とぞ》お元気でお過ごしのほど、お祈りいたします。
尚、近堂上等兵殿は、いつも北森上等兵殿と戦友になれたことを「一生の宝だ」と喜んでおられました。そして、無事に日本に帰る日が来たら、必ずお訪ねしたいと楽しみにしておられました。そしてまた、戦争が終ったら夜間中学に通って、一生懸命に勉強するのだとも、言っておられたのであります。まことに申し訳ありません。この近堂上等兵殿が死んで、自分のような者が生きて帰りました。何卒何卒お許し下さい〉
手紙はここで終っていた。竜太は歯を食いしばって手紙を読み終えた。そして思った。
(近堂上等兵殿、本当に夜間中学に学ばせて上げたかった)
竜太は羅津への途中、ふっと浮かんだ不吉な思いが、見事に的中していることに恐れを感じた。あの時竜太の目に、ソ連機の機銃掃射を受け、運転台に血を流して死んでいる近堂上等兵の姿が、一瞬ではあったがまざまざと浮かんだのだった。山道を歩きながら、その不吉な幻影をふり払おうとしても、次々と浮かんで来る幻は死顔ばかりであった。
以来、気にすまいとしながらも、近堂上等兵の安否が気遣われてならなかった。近堂上等兵は竜太にとって、生涯忘れ得ぬ真実な友であった。召集されて旭川の師団に入った時、新兵の竜太に、信じられないような親切を尽くしてくれたのが近堂上等兵であった。なぜこんなにも親切にしてくれるのか、竜太は近堂上等兵に尋ねたことがあった。近堂上等兵は言った。まだ一等兵の頃だった。
「あのな、北森一等兵。君の家は質屋だと言ったね。何も質に入れる物がなくて、赤ん坊のおしめを質に持って来た貧しい主婦の話をしてくれたことがあるね。俺の家は、そのおしめも持って行けるかどうか、わからんぐらい貧乏だった。そんな貧乏な俺に、友達になってくれる者は誰もいなかった。俺はいつも一人で遊ぶようになった」
近堂少年は、小川で魚を取ったり、裏山で木登りをして遊んでいたということだった。
「しかし、一人って淋しくてねえ。どうかして、ただの一人でも友達になってくれないものかと、思ったこともある」
その近堂少年がやがて軍隊に入り、自分に一人の輩下を戦友として与えられることになった。そうと知った時の近堂一等兵の喜びは他人には想像もできないものだった。自分に輩下が与えられる。その喜びが竜太への親切となったのであった。
その近堂上等兵が死んだ。竜太は初めて会った時から、最後に会った日までの近堂上等兵の姿が次々に思い出されてたまらなかった。なぜこの近堂上等兵が若くして死なねばならなかったのか。深い感動の一方で、竜太は言い知れぬ憤りが胸に突き上げてくるのを覚えた。
その日、夕食を終えると、竜太はきょう来た古浜武の手紙を、政太郎、キクエ、芳子の三人に読み聞かせた。近堂上等兵の名前は幾度か聞かされているので、誰もが真剣に耳を傾けた。竜太の声が時々詰まった。竜太が読み終ると、腕を深く組んで聞いていた政太郎が、
「うーん、そうかあ……近堂上等兵が死んだのか。しかも戦争の終る日になあ……」
と嘆いた。キクエは竜太が落胆して、更に力を失っていくのではないかと案じながら言った。
「いったい、今度の戦争で、どれだけの若い人が戦死したのかねえ。保志も死んだ。町内の豆腐屋さんの息子も死んだ。わたしの友達の息子さんも死んだ。戦争はむごいねえ」
竜太はそのキクエに答えて言った。
「お母さん、死んだのは兵隊だけじゃないよ。子供も、老人も、赤ん坊も、女も男も、どれほど死んだことか」
芳子が大きくうなずいて、
「特攻隊として死んだ若い人もいるわね。とにかくその一人一人の命が、みんなかけがえのない尊い命だったのよね。わたし、近堂上等兵という人に、会いたかったわ」
と、目《め》尻《じり》を拭《ふ》いた。政太郎も、
「しかし、近堂上等兵って偉い男だな。人間、とっさの言動がその人間の真価と聞いているが、竜太、お前立派な男と巡り合えて幸せだったな」
と、しみじみと言った。政太郎もまたキクエと同じように、竜太の落胆を案じているようであった。
(とっさの行動か)
竜太は下関駅で、握り飯をとっさに少年たちに分けてやれなかった自分を思った。
(あれが自分の姿だ)
竜太はなぜか素直に、それを認める思いになった。今まではそんな自分を認めることで、暗い思いに沈んでいたのが、急にふっきれた感じがした。近堂上等兵の最期が、竜太にそんな思いを与えたのかも知れなかった。
ひとしきり近堂上等兵の生家のことや、少年時代の孤独、軍隊での並外れた部下思いの行動について語ったあと、ちょっと黙っていた竜太が顔を上げて言った。
「お父さん、お母さん、芳子、いろいろ心配をかけて……すまなかったと思います。ぼく、戦争から帰って、気が沈んでばかりいた。みんなによくしてもらえばもらうほど、これでいいのか、これでいいのかという思いが頭を抬《もた》げてきてならなかった。日本が負けたっていうこと、逃げ帰ったぼくにだって、言い様もない口《く》惜《や》しさだった。もうどうでもいいようなむなしい気持になったりもした。でも、今日近堂上等兵の最期を知って、何かが自分の中で始まるのを感じた。甘ったれちゃいけない。立ち上がれ、という声を聞いたような思いになった。ぼく、やはり教壇に帰ることにする。教壇に立って、近堂上等兵のように生きた人間のいることを、生徒たちに教えてやりたいんだ」
三人の顔に驚きと喜びの表情が走った。
「ほんとう!? 竜太さん。うれしいわ。よかった」
「その言葉を、どんなに聞きたかったか……母さんも……」
「竜太、それでこそ、死んだ近堂上等兵も浮かばれるというもんだ。死んだ者は沈黙するより仕方がない。どんな思いで沈黙しているか、わかってやるのが生きている者の義務だ。頑張らなきゃな」
その夜竜太と芳子は、夜中まで久しぶりに話し合うことができた。竜太は芳子に言った。
「芳子、ぼくも心を新たにして教会という所に行ってみようと思う」
「まあ! ほんと? 竜太さん」
芳子の声が一オクターブ高くなった。
「ああ、ほんとうだよ。結婚式の時、ぼくはうしろめたい思いだった。教会には何度か足を運んだことがあるが、どこかで反発していた。反発しながら神の前に結婚の誓約をした。しかし、今は一点の反発の思いもない。キリスト教の神というのは、自分の想像を超えた、とてつもない存在のようで、すべてを委《まか》せてみたいと思うようになった。ぼくは聖書も知らない。讃美歌も知らない。罪とは何か、赦《ゆる》しとは何か、それも知らない。知らないことばかりだが、とにかく全能者なる神の前に跪《ひざまず》きたいのだ。芳子、よろしく導いてくれよな」
芳子は声も立てずに泣いた。家の横を若い男女が歌って行く声が聞えた。
赤いリンゴに 唇よせて
だまってみている 青い空
敗戦後の暗い空気をふり払うような、妙に心の浮き立つ流行歌であった。
三
日本が戦争に敗れた年も過ぎ、新しい年となった。昨年の正月は、北森家にとって淋しいものだった。前年に保志が戦死し、竜太は満州にあった。国内の経済事情は悪化するばかりで、質店の経営も客足が衰えて苦しかった。だが今年の正月は、敗戦のあととは言え、竜太が無事に帰って来ていた。そして芳子との新婚生活が始まっていた。竜太の職もほぼ決まり、ここ数年忘れていた正月気分がようやく戻っていた。
乏しいながら四人で雑煮を祝い、芳子が四《し》方《ほう》拝《はい》の式に学校へ出かけると、政太郎が出窓に置いてあった年賀状の束に目を通し始めた。キクエが政太郎の見終えた年賀状を手に取って、一枚一枚ていねいに目を通す。竜太がそのあとを受けて、注意深く差出人の名を検《あらた》めるように見ていく。教師をしている芳子宛《あて》の年賀状が一番多い。次が政太郎宛のもので、竜太宛の賀状は十枚とはなかった。辛《つら》かったのは保志への賀状が何枚かまじっていたことだった。軍隊から復員して来た同級生からのものらしかった。
政太郎とキクエが年始に出て一時間余り経った頃、芳子が学校から帰って来た。紫の袴《はかま》に紫の紋付を着た芳子が、ひどく新鮮に見えた。
「いいね、その紋付」
「あら、そう。ありがとう。すぐお昼の用意をするわね」
「いや、急がなくていいよ。それより、ちょっとこれを読んでみないか」
竜太は新聞を芳子に差し出した。第一面に「年頭、国運振興の詔書渙《かん》発《ぱつ》」「平和に徹し民生向上、思想の混乱を御《ご》軫《しん》念《ねん》」の見出しがあり、つづいて天皇の詔書が掲載されていた。
〈茲《ココ》ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初国是トシテ五箇條ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ〉
芳子は声に出して読み、不意におし黙って目を走らせた。その顔を竜太はじっと見つめている。と、芳子は目を瞠《みは》り、
「あら、ここね、大事なところね」
と、再び音読を始めた。
〈……朕《チン》ト爾《ナンジ》等《ラ》国民トノ間ノ紐《チユウ》帯《タイ》ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神《アキツミカミ》トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延《ヒイ》テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニ非ズ……〉
詔書の言葉はまだつづいていて、その次に〈天皇、現御神にあらず〉の見出しのもと、詔書に関わる記事が書かれてあった。竜太と芳子は顔を見合わせた。
「芳子、つまり天皇は国民の前に、そして世界の人々の前に、自分は人間であって、神ではないと明言されたわけだね」
「そうね。この解説にもそう書いてあるわね」
「すると、今後はもう奉安殿に頭を下げたり、集会の度に宮城遥《よう》拝《はい》をしたり、ということはなくなるわけだ」
「そういうことね」
竜太はちょっと黙ってから、
「天皇ご自身も、神として拝まれることを拒否したことになるね」
「そういうことでしょうね。人間が人間を拝むということは……」
「そうだね、問題だよね」
竜太は小学生の時に習った河地先生を思い出した。奉安殿の周囲の草取りをしたあと、一人の生徒が竹箒に股《また》がったことで、河地先生に殴られたのだった。そして軍隊ではことごとに「上官の命令は朕の命令である」という言葉が濫《らん》発《ぱつ》されたことを思った。竜太はそのことに対する疑問を発して、片耳の聴力を失ったほどに矢須崎兵長に殴られたのであった。何《いず》れも天皇の御心から発したものではなかったことを、改めて竜太は思った。
「けど、芳子、人間は神じゃないとこの間教会でも言っていたわけだが、イエス・キリストだって人間だろう。ぼくはその辺がよくわからない。どうして人間のキリストを神の子だとか、神だというんだ?」
「ほんとうね。わたしもそのことでしばらく悩んだわ。でも、何年か教会に通っているうちに、次第にわかってきたの。人間が神になったのと、神が人間になったことのちがいが、わかってきたのよ」
「……ちょっとややこしいなあ」
「ほら、ヨハネ伝に〈太初《はじめ》に言《ことば》あり、言は神と偕《とも》にあり、言は神なりき〉とあるでしょう? この言が世に降《くだ》って、人になって下さったのがイエス・キリストなんですって」
「何だか、ますますわからんな。その言《ことば》っていうの、いったい何なんだ」
「ああ、言ね。原語の意味は、真理とか、力とか、理性とか、意志とか、いろいろ含まれているらしいの。言語はロゴスと聞いているけど、日本語に訳するのに苦心したそうよ」
「その真理の権化がイエス・キリストというわけか」
「そう。それを英語で、インカーネーションというんですって。つまり、み言の受肉のことね。キリストは人間を救うために人の形を取られたということなの」
「うーん。わかったような、わからんような……とにかく時間を要するね。ま、元旦早々一つ勉強させてもらったね」
門柱にとまっていた鴉《からす》が二声啼《な》いた。
「初鴉だな」
竜太は優しいまなざしを窓に向けた。その横顔をうれしそうに芳子が見つめていた。
四
教頭が竜太を、その受持の六年一組の生徒たちに紹介して教室を出て行くと、竜太はふるえる足を踏みしめて教壇に立った。
竜太は昨夜、今日の初出勤を思ってなかなか眠れなかった。竜太の就職先は旭《きよく》栄《えい》小学校ということだったが、三月に入って急に大栄小学校に勤めることに決まった。大栄小学校は竜太の母校である。その母校大栄校の校長に、芳子の勤める啓成校の横尾校長が栄転することになった。戦時中も軍国色に染まらず、かなり自由な教育をした横尾校長の評価は高かった。戦後間もなく、軍国主義者追放の嵐《あらし》が吹き荒れ、かつて竜太の受持教師だった河地三造は教壇を去っていた。横尾校長は愛する啓成校を離れる条件として、先ず坂部冴子先生と竜太を共に連れて行くことを主張したのである。二人共綴《つづ》り方《かた》事件に巻きこまれて、思わぬ苦境をなめたことに、深い同情を抱いていたためである。と共に、思想弾圧の恐ろしさを身をもって体験したこの二人こそ、真に教育者としての熱情を傾けるであろうことが、横尾校長の思いの中にあった。坂部先生の勤めていた大栄小学校への就職を、竜太は言い難い感動をもって受けとめた。
竜太は昨夜から、初めて会う生徒たちに何を語ろうかと考えていたが、どうにも話がまとまらなかった。六年生ともなれば、子供なりに戦時中の体験を経て来ている。肉親を戦争で失った者もあれば、家業の衰退に悩まされた者もいる筈である。しかしどんなふうにして話をするのか、一晩中あれを思いこれを思い、ほとんど夜明けまで眠ることができなかった。そしてそのまま初出勤の朝を迎えたのである。
教頭が出て行ったあと、竜太はじっと教壇に立ったまま、生徒たち一人一人の顔を見つめた。竜太は一語も発しない。次第に生徒たちの中にざわめきが起き始めた。竜太の胸の中に、幌志内小学校の校庭で巡査部長にうしろから呼びとめられた昭和十六年一月九日の夜の自分の姿があった。そのまま、どこへ行くとも知らされず、何の故とも聞かされず、竜太は留置場の独房に入れられたのであった。そして忘れもしない三月、竜太は退職願を書かされた。一生を教壇に捧《ささ》げようとして師範学校に学んだ竜太に対する、これが国からの報酬であった。幸いにしてその年の八月釈放されたが、竜太はどの職場にも落ちつくことができなかった。職場の先々に現れる尾行の刑事や憲兵の看視のためだった。
やがて竜太は召集され、思想犯としてのレッテルを貼《は》られたまま戦地に追いやられた。「思想犯は危険な部署につけるように」との申し送りのあったことを知ったのは、そんな軍隊の中でのことであった。ようやくの思いで戦地を逃れ、竜太は日本に帰って来た。どれほど竜太は教壇に戻りたかったことか。しかし退職願を書かされた者には、復帰は一生絶望かと諦《あきら》めていた。それが今ここに、自分の足で教壇に立ち、自分の目で生徒たちの顔を見つめている。幌志内の校庭での逮捕以来、何と長い廻り道であったことか。
口をひらかぬ竜太に、生徒たちは次第に声をひそめた。心配げに、一人の生徒が言った。
「先生、病気かい」
心配をあらわにした声だった。竜太は頭を大きく横にふった。そして叫んだ。
「すまん! 先生はな、先生はな、この教壇に立ちたかった。どんなに立ちたかったことか、どんなに立ちたかったことか……」
教卓の上に涙がぼとぼとと落ちた。生徒たちは顔を見合わせた。
「先生はうれしくて、口がきけないんだ。どうしてこんなにうれしいのか、体中がふるえるほどだ。君たちも六年生だ。先生の話を、ひとつ聞いてやってはくれまいか」
生徒たちの二、三人が言った。
「いいよ、聞いても」
その声に救われたように、竜太は「廻り道」と題して話し始めた。竜太の教師としての再出発第一日はこうして始まった。
一九八九年二月二十四日――。
その日、昭和天皇大葬の日の東京は朝から霙《みぞれ》まじりの氷雨が降っていた。その上時折風も強く吹いて、午後の街に出た竜太と芳子は、「旭川の冬より寒い」と顔を見合わせてうなずきあった。今、竜太と芳子は、銀座のホテルを出て、五町程離れた地下鉄の駅に向かっていた。
(大正天皇の大葬の日も寒かったなあ)
竜太はまざまざと六十余年前の大葬の日のことを思い出した。竜太は小学三年生だった。受持の河地先生が、竜太たちにその大葬の日を綴り方に書かせた。大葬は二月七日だった。旭川の真冬は、屋内運動場の床板さえ凍りつくように冷たい。登校途中、雪に濡《ぬ》れた足《た》袋《び》が、その冷たさを倍加した。竜太は正直に、大葬の日は足が冷たかったことのみを書いた。河地先生は力一杯その竜太の頬《ほお》を殴りつけ、教室に残して書き直しをさせた。従兄弟《いとこ》の楠夫は「悲しくてならなかった」と、まことしやかな綴り方を書いて、河地先生にほめられた。その楠夫は、今日の昭和天皇の大葬に招かれて、新宿御苑の斎場に出た筈であった。しかしそんな楠夫をほめ、竜太を殴った河地先生も、六十余年過ぎた今では懐かしくさえあった。
街は氷雨のせいか、大葬への自粛か、思った程の人出はなかった。が、竜太はふっと、満州で見た難民の、のろのろと動く何百人もの集団を思い出した。
竜太たちの上京は、一年前から約束されていた。東京界《かい》隈《わい》に在住する教え子数人による招待であった。竜太は敗戦翌年の四月、初めて大栄小学校の教壇に立ち、しばらくは涙で言葉も出ないほどに感動したのだった。教え子たちはあの日の六年生たちであった。あの時三十歳前だった竜太も満七十一歳となり、生徒たちも五十代半ばとなっていた。その四十三年程の間に、幾度か旭川で会っていたものの、竜太夫妻をわざわざ東京に招いてくれた教え子たちの顔を見ると、昨夜の席で竜太は危うく涙があふれそうになった。教え子たちは口々に言った。
「先生の、あの『廻り道』の話、今でもよく覚えてますよ」
「ぼくも」「わたしも」と、全員が言った。
「先生がいきなり、ぼくは警察の留置場にぶちこまれていたんだ、と話し出したのには、びっくりしたなあ」
「そうだよなあ。そして『廻り道』という題で、真剣に話してくれた。こんな話、六年生にはわからないと思う者がいるかも知れない。しかしきっとわかってくれると思うって話された。あの時の先生の言葉が、子供なりに不思議によくわかって、今までの人生にずいぶんと力になりました」
生徒たちのそんな思い出話が、竜太にとっては、どんな讃辞よりも、栄誉よりもうれしかった。
「ねえ芳子、やっぱり教師をして幸せだったな」
「わたしも昨夜《ゆうべ》から、そのことを繰り返し思っていたわ。わたしはお産や子育てで、途中で退職したけど、真《ま》祈《き》史《し》も明子も幸せな家庭をつくってくれているし……とにかく教師の体験が大きかったわね」
笑うと芳子は、若い頃のように華やかな笑顔になった。明子は金俊明の一字を取ってつけた名であった。政太郎もキクエも、芳子の両親も既に世にいないが、そのあたたかさが竜太たちに受継がれていた。
芳子が肩を寄せて来て言った。
「大正天皇の御大葬の歌、覚えてる?」
「ああ、覚えているとも」
竜太は通りを歩きながら、低い声でうたった。
地にひれ伏して天地《あめつち》に
祈りしまこといれられず
日出《い》づる国の国《くに》民《たみ》は
あやめもわかぬ闇《やみ》路《じ》ゆく
うたい終った竜太に芳子が言った。
「昭和もとうとう終ったわね」
「うーん、そういうことだね。だけど、本当に終ったと言えるのかなあ。いろんなことが尾を引いているようでねえ……」
竜太が答えた時、不意に強い風が吹きつけてきた。二人は思わず風に背を向けて立ちどまった。
終
単行本あとがき
小説『銃口』は、小学館「本の窓」誌一九九〇年一月号から一九九三年八月号まで三十七回に亘って連載された。取材を開始した時期から数えると四年の歳月を要したことになる。非常に長い小説を書き終えたという思いと共に、なぜか本当に終ったという気がしない。
当初、編集者の眞杉章氏から「昭和を背景に神と人間を書いて欲しい」との新連載のテーマを提示されたのであるが、昭和の年代全般に亘ることは到底できなかった。戦時を重点に、最後は昭和天皇大葬の日をもって形を整えるにとどまった。やはりもっと書かねばならなかったという思いが残る。
ところで、この小説ほど多くの人の積極的な取材協力をいただいた例はない。その一端を記してお礼の言葉に替えたいと思う。
綴り方運動に関わったという嫌疑を受け、宿直の夜突如官憲に連行された小川文武氏には、特にその体験をつぶさに語っていただいた。氏はそれまで、ご夫人にさえその過去を一度も語ったことがないとのことであった。思い出すのも憤《いきどお》ろしい体験と知って、私は身の引きしまる思いであった。
また鏡《かがみ》栄《さかえ》氏の経験も強烈なものだった。天皇もまた人間であるという当然の発言から、氏は卒業直前に師範学校を退学させられたという。学歴の剥奪は、その後の軍隊生活にも常に不利な条件を強いられることになったというから、苦衷は想像に余りがある。
この小川文武氏、鏡栄氏を私に紹介してくださったのは、ひとつ麦書房の目《め》加《か》田《た》祐《ゆう》一《いち》氏であった。紹介されたと言えば、現在ロスアンゼルスにあって神学を学びつつある稲葉寛夫氏は、一九九一年夏までNHK旭川放送局のディレクターだったが、連載開始前から数々の資料と共に、幾人もの人を紹介して下さった。その中に土《ど》橋《ばし》明《あけ》次《じ》氏、板橋潤氏、小田切正氏、斉藤勢三氏がおられる。
土橋氏は小川氏同様、綴り方運動の容疑者としてきびしい取調べを受けた一人である。東京から来旭される度に、その体験を様々な角度から語って下さり、小説の進展を親身になって励まして下さった。板橋氏は元裁判所書記として、当局側から綴り方事件を見ておられた方であるが、後に軍隊に入り、捕虜となり、長年月中国の戦犯管理所に捕えられていたと聞く。氏は現在日中友好協会員として尽力されている。
旭川教育大教授の小田切正氏は、綴り方事件や戦時下の教育研究者として、その著書等を提供してくださった上、インタビューに応じて下さった。また斉藤勢三氏からは、タコ部屋の取材に関して、当時の貯水池工事現場における実状を伺った。
小説の主人公の家を質店と設定したことで、質店主の井上章氏には、戦中の営業の実態、刑事の出入等について詳しく伺うことができた。同じく質店について、函館の吉井民子氏にはその著『質屋の蔵』を贈られ、大変助けられた。
女性の私は当然軍隊生活を知らない。三浦も軍隊には行かなかった。この軍隊生活を調べるのが大変だったが、これまた多くの協力者を得た。三浦の義兄信一からは軍隊手牒なるものが送られて来て大いに参考になった。三浦の兄健《けん》悦《えつ》の友人伝《でん》法《ぽう》正《まさ》苗《なえ》氏には、自動車隊の体験をくわしく語っていただいた。元同僚の今《こん》野《の》雄《ゆう》仁《じ》氏は、戦時中女性の私から送った慰問袋を受取る度に、上官にビンタを取られたという。何十年後、初めて聞くこの話に驚き、私はこれをアレンジして小説の中に書いた。
舞台が満州に移ってからは、更に五里霧中の感があった。が、それだけに眞杉章氏から懇切なアドバイスと多くの示唆をいただいた。時に応じて貴重な資料を送って下さり、深夜に及ぶ電話での助言提言を与えて下さった。氏は少年時代満州におられたこともあって、その助言は常に適切であった。氏のアシスタントの鈴木直子氏にも、毎回おせわになった。中でも、書店で目に入ったと言って送って下さった「満州国最期の日」は大いに役立った。私はこの一冊の中に、はからずも北海道新聞社勤務の合田一道氏による「満州国開拓団27万人の逃避行」なる一文を見出し、作中に集団自決の一場面を挿入することができた。
さて、主人公をいかにして満州から脱出させるか、これが難問中の難問であった。私は難病パーキンソン病を抱えて一年余、いささか疲れていた。そんなこともあって、一九四五年八月十五日、すなわち日本の敗戦当日、急《きゆう》遽《きよ》主人公を汽車に乗せ、僅《わず》か五日間で満州から旭川に帰らせた。が、その日八月十五日、大混乱の中で、満州と朝鮮の国境を汽車はすでに走れる状況ではなかったという眞杉氏の指摘に、私はあわてて想を変えた。小説である以上、架空の地名もあり、あえて名称を変えた場所や建造物もある。が、限られた日に、走っていなかった汽車を走らせるわけにはいかない。連載第三十三回目、私はとにかく主人公を満州に留めておき、この失敗談を北海道新聞のリレー・エッセイに書いたのだが、時間は刻々と過ぎていく。次回でどんな道を通らせ、どんな交通機関を選ばせるか、悩みは倍加した。
ところが思いもかけぬ助け手が現れた。当時満鉄の機関士をしていたという堀内勉氏が訪ねて来られたのである。氏は私が四歳の時に隣家にいた三歳上の少年だった。中学当時は羅《ら》津《しん》におり、その後満鉄に入社、昭和二十年当時は毎日のようにその国境を走っていたとのこと。この人が私のエッセイを見て、隣り町の深川市からわざわざ救いの手を差し伸べに来てくださったのである。
結局、満州からは自転車、徒歩、乗馬ということで羅津に辿《たど》り着くわけだが、羅津からの海路がまた難関であった。私が目加田氏に電話を入れた。彼はすぐ、書房尚《しよう》古《こ》堂《どう》店主金坂吉晃氏に相談すべきことを提案してくれた。金坂氏は喜んで島根県在住の友人安達光雄氏を紹介してくださった。安達氏は戦中戦後漁船に乗って朝鮮と日本本土間を往復していたという。私は安達氏に執《しつ》拗《よう》なまでに幾度も電話をかけて漁船の説明を仰いだ。
原爆投下後の広島については吹《すい》田《た》市の友人船田早苗氏と、その友人石《いし》谷《がい》秀子氏に当時の状況を語っていただいた。
このほか、函館の松原望《みつる》牧師からは、牧師であった父上の、戦時中キリスト教弾圧によって拘束された時の、貴重な回顧録を贈られた。この手記は留置場の生活、屋外散歩等実に参考になった。戦中、絵画運動のリーダーとして綴り方事件同様の受難に遭《あ》った熊田満佐吾氏、満州開拓団慰問に赴いた元同僚内沢千恵氏にも多くの事柄を教えられた。
連載中の岩田浩昌画伯の挿絵は実に好評で、私もまた毎回感謝したことであった。また本書の装幀にご尽力くださった菊地信義氏にも深い謝意を表さずにはいられない。
昭和時代が終っても、なお終らぬものに目を外らすことなく、生きつづけるものでありたいと願いつつ、ペンを置く。
一九九四年一月
三浦綾子
創作秘話(八)
「銃口」―――
綾子最後の長篇小説
三浦光世
「銃口」――綾子最後の長篇小説三浦光世「銃口」は、綾子にとって最後の長篇小説であった。この後短篇も書いていないので、正しくは「最後の小説」というべきか。
この小説を求められたのは一九八八年秋頃のようである。綾子の日記抄「生かされてある日々」(一九八九年日本基督教団出版局刊行)の二〇〇頁を見ると、
〈〇月〇日
小学館より眞杉章氏来訪。連載小説の依頼のため。初対面なり。夕食を共にしながら、氏の半生を伺う。氏の半生は正に昭和史そのもの。いかに昭和が激動の時代であったかを改めて思う。私自身、同じくその激動の昭和を生きて来たわけだが、少年時代満州(今の中国東北部)で敗戦を迎えた眞杉氏とは比較にならず〉
と書いてある。〇月〇日とあって、何月何日かは不明だが、前後の記録から推《お》して秋も半ばを過ぎていたように推定される。
この新連載の求めを、綾子は直ちに承諾したのであろう。資料を少しずつ集め始めたようだ。初対面の時に、内容に関しても求められたと思うのだが、前記引用の日記文には書かれていない。一九八九年当時の日記抄「この病をも賜ものとして」(生かされてある日々2)二九頁を引用する。
〈〇月〇日
来年から小学館『本の窓』に連載の、小説のタイトルを三浦と二人で考える。激動の昭和を背景に、人間と神の問題を書いて欲しいとの編集者の注文。これは実にむずかしい。(中略)一応取材ノートには「黒い河の流れ」と題してはあるのだが〉
更に次の頁には、
〈〇月〇日
今日は一日、小学館の連載小説の資料調べ。戦時中には実に様々な暗黒な場面があった。……〉
とあり、つづいて次の文章がある。
〈〇月〇日
朝、床の中で、ふっと今度の連載小説の題名が浮かんだ。
「銃口」
という題である。担当者の眞杉氏が、激動の昭和を背景に、神と人間の問題を書いて欲しいと言われた。その昭和の一面を、この「銃口」は象徴してはいまいか。(中略)
起床して三浦に告げると、ズバリよい題であるとほめてくれる。
午後眞杉氏に電話する。氏も喜んでくれた。再び銃口に怯ゆる日のない全き平和を祈るものなり〉
この題名が決まったのはいつか。空白の日記には〈日照りがつづいて、今年は西瓜がうまし〉などとあるから、多分八月頃だったと思われる。
こうして「銃口」は「本の窓」誌一九九〇年一月号から一九九三年八月号に及ぶ長篇小説となった。
考えてみると、この小説は実に多くの人に助けられた。先ず、目加田祐一氏。彼は小学生時代、綾子の勤務する啓明小学校に通っていた。その通学途上、よく綾子に手を引いてもらったことがあったという。後に自衛官を退職後古書店主になった。実に博学で、綾子に多くの資料を紹介してくれた。特に歴史小説では、綾子は大いに助けられた。
「細川ガラシャ関係なら、あの本が……」
とか、
「千利休に関してなら、ぜひこの本を一読してください」
等々、的確なアドバイスをしてくれた。小説「銃口」の話がもたらされた時、綾子は彼に言った。
「昭和を背景に、今度新しい小説を書かなければならないんだけど……」
その彼女に、彼は答えてくれた。
「そうですか。昭和を背景にですか。ところで先生は、戦中、綴り方事件なるものがあったことをご存じですか」
おかげで綴り方事件を中心にして、綾子は「銃口」を書くことになったのだが、彼のこのひとことがなかったら、どんな小説になっていたであろうか。綴り方事件という歴史上の事実は大きな題材であった。
綾子は「銃口」(単行本)のあとがきに、おせわくださった方の名を挙げて、謝辞を述べている。先ず編集担当者の眞杉章氏、この方は女流作家眞杉静枝氏の甥に当たられる。その他前述の目加田祐一氏、小川文武氏、鏡栄氏、稲葉寛《ひろ》夫《お》氏、土《ど》橋《ばし》明《あけ》次《じ》氏、板橋潤氏、小田切正氏、斉藤勢三氏、井上章氏、吉井民子氏、伝《でん》法《ぽう》正《まさ》苗《なえ》氏、今《こん》野《の》雄《ゆう》仁《じ》氏、鈴木直子氏、合田一道氏、堀内勉氏、金坂吉晃氏、安達光雄氏、船田早苗氏、石《いし》谷《がい》秀子氏、松原望《みつる》牧師、熊田満佐吾氏、内沢千恵氏、そして岩田浩昌画伯、菊地信義氏まで実に二十五人の方の名が記されている。
要するに、これはこの小説「銃口」の特徴を表わしているといえる。取材に際して、綾子はかなり、現地に出向くことに労を惜しまなかったが、小説「銃口」の舞台を訪ねることは、むずかしかった。特に中国や中国東北部(満州)などへは行けるはずもなかった。専ら体験者に聞く以外に方法がなかった。
恐ろしい難病パーキンソン病がしのび寄っていた。この病気の症状が出はじめたのは一九九一年夏頃である。すなわち「銃口」連載開始の翌年である。日記抄「この病をも賜ものとして」の第五章には「新たな病気の予感の中で」とうたって、体の不調を訴える言葉が散見される。「〇月〇日」を省略して以下抄出する。
〈朝、起き上がろうとして足が立たず、ぎょっとする。ようやく立ち上がるも歩行おぼつかず。来るべきものが来たかと、温古堂に行き、温灸の治療を受く。かなり回復〉
〈夜入浴。三浦四十八キロ。私は四十一・五キロ。春から二・五キロは痩せた〉
〈朝起きて廊下に出ると、左足の第三指に今まで感じたことのない違和感あり。午後、忘れたように、その異様な感覚は消えたが、何となく気になる〉
〈昨夜、朝五時過ぎまで一睡もできず。さりとて昼寝を取る暇もなく、小説「銃口」の口述に半日集注。今回は主人公の竜太が警察に突如連行される場面。原作者の私も寝てはいられず〉
〈珍しく昨夜寝汗なし〉
〈妙に手が震える。何の故ならん〉
〈歩いていて足がもつれる。三浦曰く、
「軽い中気に当たったのではないか。すぐに治るよ」〉
〈近頃スリッパがひどく履きづらくなった。必要以上に足が緊張している。手のふるえと思い合わせて、何か不吉な感じ〉
〈久しぶりに三浦と散歩に出る。前につんのめるようにして歩いて、幾度となく三浦に注意される。が、自分でも気づかぬうちに、つい上半身が前傾している。三浦は面倒な顔もせず、
「ほら、こうやって踵から地につけるんだよ」
と、繰り返し教えてくれる〉
〈昨夜また寝汗。この頃とみに寝汗多し。何か根深い病気がひそんでいる感じ〉
〈本日十分も遅れて礼拝に。排便がいつものように意の如くならざりし故なり〉
〈このところ寝汗はつづく。寝汗は決していい徴候ではない。いったい私はどこが悪いのだろう。若い頃の肺結核の再発か。時々皮膚が粟立つような感じになるのも不快〉
〈夜、三浦美喜子さんのお招きで、今年も家庭集会のクリスマスに出席。体調がすぐれず出席をためらったが、思い切って出かける。タクシーで二十分。今年は祝会の前に七、八人の中学生たちと話し合う。
(中略)
食後トイレを拝借のため階下におりる。用をたして立ち上がろうとしたが、膝の力が抜けて容易に立ち上がれない。それでもようやくの思いで立ち上がったものの、木の根のように足がすくんで一歩も動けない。はてさて困ったことになったと思ったが、どうしても動けない。ややしばらく立ちすくんだまま。
やがて、私の部屋に戻るのが遅いのに気づいて、美喜子さんが様子を見に来てくださる。ドアをノックして、
「綾子さん、どうかしましたか?」
の声にほっとする。
「足が動かないのよ。ちょっと出してくださらない?」
と言うと、彼女は驚いて手を藉《か》してくれた。私は、自分の体の中に何かが起き始めているのを感じた。
(これが今年の、神様のクリスマス・プレゼントかも知れない)〉
以上少しく長く引用したが、一九九一年夏以来の綾子の危惧をピックアップしてみた。なお右の三浦美喜子さんというのは、同姓であるが親戚ではなく、同じ旭川六条教会員である。深い信仰の持ち主で、親戚以上に親切にしてもらってきた。
綾子がパーキンソン病と専門医に宣言されたのが、翌年一九九二年一月二十五日。その時、薬の服用も勧められ、副作用の有無を問うと、
「何百人に一人ぐらいは、幻覚が出ます」
とのことであった。その何百人の一人となるのに、綾子は一カ月とかからなかった。この幻覚は年と共に進行し、後には幻想も伴って哀れだった。
ともあれ、このような苦境に追い込まれての「銃口」連載である。よくぞ書き進めたと思う。いや、よくぞ前掲の人たちに話を聞いたと思う。島根県在住の安達光雄氏には、綾子自身「あとがき」に書いているように、執拗なまでに電話をかけた。他の方々も、時には少なからず迷惑をかけたのではないかと思われるが、どなたもあたたかく協力してくださった。
この「銃口」で忘れ得ないことがある。かつて松本清張先生に、
「あなたがたは、小説の筋を相談するのですか」
と訊かれたことがある。とてもとても、私にはその才はなかったので、相談したことはない。が、場面について二回提案したことがある。「氷点」の章で書いたとおり、小説「氷点」の中に、洞爺丸台風の場面を挿入したことがその一つである。もう一つは「銃口」の場面に注文をつけた。
綾子は、「銃口」についての失敗は、すべて自分の考えにもとづくかのように「あとがき」で書いているが、これは私の注文から出たことであった。再び綾子の文を「あとがき」から引用してみよう。
〈舞台が満州に移ってからは、更に五里霧中の感があった。が、それだけに眞杉章氏から懇切なアドバイスと多くの示唆をいただいた。時に応じて貴重な資料を送って下さり、深夜に及ぶ電話での助言提言を与えて下さった。氏は少年時代満州におられたこともあって、その助言は常に適切であった。氏のアシスタントの鈴木直子氏にも、毎回おせわになった。中でも、書店で目に入ったと言って送って下さった。「満州国最期の日」は大いに役立った。私はこの一冊の中に、はからずも北海道新聞社勤務の合田一道氏による「満州国開拓団27万人の逃避行」なる一文を見出し、作中に集団自決の一場面を挿入することができた。
さて、主人公をいかにして満州から脱出させるか、これが難問中の難問であった。私は難病パーキンソン病を抱えて一年余、いささか疲れていた。そんなこともあって、一九四五年八月十五日、すなわち日本の敗戦当日、急遽主人公を汽車に乗せ、僅か五日間で満州から旭川に帰らせた。が、その日八月十五日、大混乱の中で、満州と朝鮮を汽車は既に走れる状況ではなかったという眞杉氏の指摘に、私はあわてて想を変えた。小説である以上、架空の地名もあり、あえて名称を変えた場所や建造物もある。が、限られた日に、走っていなかった汽車を走らせるわけにはいかない。連載第三十三回目、私はとにかく主人公を満州に留めておき、この失敗談を北海道新聞のリレー・エッセイに書いたのだが、時間は刻々と過ぎていく。次回でどんな道を通らせ、どんな交通機関を選ばせるか、悩みは倍加した〉
綾子は右のように「あとがき」で書いている。これを読んだ限りでは、私が注文をつけたことは全くなかったことになる。
しかし、この主人公を早く旭川に帰してくれないかと提案したのは、ほかでもなく私であった。どうして綾子がそのことを「あとがき」に書かなかったのか。綾子のいない今となっては、確かめる術もないが、おそらく私のせいにしたのでは、私に悪いと思ったのかも知れない。綾子にはすべてにそういうところがあった。罪はすべて自分がかぶるところがあった。
確かに綾子のいうとおり、〈難病パーキンソン病を抱えて一年余、いささか疲れていた〉のは事実であったろう。介護する者より、されるほうがはるかに辛い、とは私のよくいうところである。私は、家族に難病の者がいる人に、よくそう言って励ます。当時の綾子は既にかなり病気は進行していて、苦しかったことと思う。
しかし、その綾子の介護が多くなる中で、私自身も疲れていたのであろう。とんでもない注文をつけたのである。主人公を早く旭川に帰してくれとの注文に綾子は、
「わかったわ」
と、これも従順にしたがってくれたのであった。五日程で満州から旭川へ帰したというのも、多分に私の提案によるものであった。私は地図を見ながら、
「まあ、あの当時でも、五日もあれば帰れたんじゃないか」
などと言った。無責任もいいところである。その原稿は三十三回目であったという。既に終盤といっていい。送稿して三日目であったろうか、今は亡き八《はち》柳《やなぎ》洋子秘書が、眞杉氏の電話を私に取り次いだ。眞杉氏は言われた。その声音も言葉も私は、今もはっきり覚えている。
「原稿拝見しました。これでもよいとは思いますが、当時鮮満国境を汽車は走っておりませんでした。それはまあフィクションですから、走っていたことにしてもいいのですが、しかし、まだまだ書かねばならないことがたくさんあると思います。そちらで集められた資料からも、こちらからお送りした資料から言っても、まだまだ書くべき大事なことが多々あるはずです」
私はその受話器をそのまま綾子には渡さなかった。難病による聴覚の衰えは、当時まだそれほど進行してはいなかったが、私は電話を切ってから、眞杉氏の言葉を綾子に伝えた。
「……ということだそうだ」
私にはまるっきり責任がないような言い方をしたのである。ふつうならここで綾子が一言文句を言ってもいいところである。しかし綾子は、
「冗談じゃないわよ。余計なことを横から言ったりするから、要らぬ手数をかけることになるじゃない」
などとはおくびにも出さなかった。やはり静かに、
「わかったわ」
と答えて、直ちにやり直しに取りかかった。既に夕刻であったが、直ちに資料を調べて想を練り、口述は深夜に及んだ。眞杉氏も心配して、退社せずに夜遅くまでアドバイスの電話を下さったのであった。
「氷点」に洞爺丸台風の場面を入れるように提案したのは正解だったが、「銃口」は全くバッ点であった。もし眞杉氏の指示がなかったら、竜頭蛇尾、正に失敗作に終わるところであった。もっとも、竜頭といえるほど前半が優れていたか、どうか。しかし、第三十二回まで、眞杉氏はいつも力をこめて、ほめてくださった。編集者とは、こうまでほめるものかと、おろかにも思ったことさえある。しかし、編集者――特に眞杉氏のような編集者は、批判すべき点は批判し、正すべき処は正すことを、私はその時身に沁みて痛感したことであった。綾子は常々、
「編集者は文章を書く者にとって、先生なのよ」
と言っていたが、あの時ほど恐れ入ったことはない。
「あとがき」について、もう一つ取り上げたいことがある。その一行目に、
〈小説「銃口」は、小学館「本の窓」誌一九九〇年一月号から一九九三年八月号まで三十七回に亘って連載された〉
と綾子は書いている。私はこの原稿を書くに当たって、ハテナと思った。一年分十二回として四十四回のはずである。休載でもしたのかと思った。眞杉氏に電話で確かめたところ、当時「本の窓」は、春と秋の二回、合併号を出していて、一年分は十回だったということである。一九九三年は、春に合併号が出ていて八月号までで七回ということ、きっちり計算は合っている。
「綾子先生は、お体が難病の進行で優れないにもかかわらず、一度も休載されることはありませんでした」
とも氏は言われた。綾子は大変な病気の進む中で、確かによくやったということになる。が、それもこれも、編集者眞杉氏を始め、多くの人の協力の賜であった。感謝しなければならない。
協力者の中に私の兄健悦や、私の義兄信一もいたことを綾子は書いているが、二人とも軍隊歴があったので、兵隊の生活はこの二人から、かなり綾子は聞くことができた。
また、タコ部屋の状況については、斉藤勢三氏から詳しく聞かされた。これもありがたいことであった。少年時代からタコ部屋のことはよく話に聞いていたが、実際の現場は知らなかった。但し、少年の日の記憶を詠んだ一首が私にはある。
タコ部屋より逃げ来しを祖父のかくまひき
かの夜只ならぬ遠吠聞きつ
貧しい開拓農家に預けられて育った私には、右のような思い出もある。この話はよく綾子にしたものだが、その影響か、綾子の小説に幾つかタコ部屋が出てくる。しかしこの程度では綾子の取材に協力したことにはならない。
何れにせよ、生涯最後の小説「銃口」に思うことは尽きない。尚、「銃口」の枚数は、一回三十枚、三十七回で一一一〇枚、「氷点」の長さをいくらか越える長篇であった。
年 譜
●本年譜は、『三浦綾子全集』第二十巻所収の「年譜」(村田和子編)などをもとに編集部で作成した。
●年譜中で『 』は、綾子氏の著作物をあらわす。
●文庫版と表示のある作品は単行本刊行の版元と異なる場合であり、同じ場合はそれぞれの版元の文庫名で表記してある。
●講演記録は主なものを掲載した。
◎一九二二(大正十一)年
四月二十五日、綾子、北海道上川郡旭川区四条通十六丁目左二号で誕生。
この年の八月一日、旭川は、札幌、函館、室蘭、釧路とともに市となった。
綾子が生まれた界隈は酒、みそ、しょうゆの醸造元の大店や石蔵が立ち並び、近所には一九一八(大正七)年に開設された旭川の私設市場の第一小売市場があり、下町情緒あふれるにぎやかな商業地区であった。
家族は、地元の新聞社に、営業部員として勤める父鉄治が数え年で三十三歳、母キサ二十九歳で、長男道夫十二歳を筆頭に次男菊夫十歳、三男都志夫七歳、長女百合子四歳と、鉄治の末妹スエ十三歳の七人家族である。綾子は堀田夫妻にとっては五番目の子で、次女であった。
当時、父方の祖父母はすでにこの世になく、母方の祖母エツが堀田一家の近所に住んで、毎日のように子だくさんの堀田家に手伝いに来ていた。この祖母エツは幼い綾子にたくさんの一口話やおとぎ話を聞かせてくれた。後年の回想で「自分がユーモアのある人間であると言われるようになったのは祖母の一口話の影響であり、小説に興味を持ったのも祖母のおとぎ話を聞いたから」という意味のことを綾子自身が語っている。
◎一九二四(大正十三)年 二歳
十一月九日、弟の四男鉄夫生まれる。
◎一九二七(昭和二)年 五歳
三月二十七日、弟の五男昭夫が生まれる。
◎一九二八(昭和三)年 六歳
三月、堀田家は市内九条通十二丁目右七号に転居。生家付近とくらべると閑静な住宅街で、近所にはのちに綾子が通う大成尋常高等小学校、旧制旭川中学校、測候所、官舎などがあった。
◎一九二九(昭和四)年 七歳
四月一日、大成尋常高等小学校入学。
六月二十二日、妹の三女陽子誕生。
◎一九三〇(昭和五)年 八歳
この年の春、隣家にクリスチャンの一家前川家が引っ越して来て、のちに綾子の人生に大きな影響を与えた前川正と知り合った。
この年、生まれて初めて映画を見る。このあとただちに学校の文集「芽生」に「学校の活動写真」という題で綴り方を書く。作家三浦綾子の文章が活字になった最初のものであった。
また、クリスマスの夜、正の妹美喜子に誘われ、綾子は初めてキリスト教会に行った。
◎一九三一(昭和六)年 九歳
三月、前川一家が引っ越す。
四月、三年生に進級、級長に選ばれる。このころより、菊池寛の『第二の接吻』など大人の読む恋愛小説を耽読し、級友から「本きちがい」と呼ばれるほど、早熟な文学少女だった。
五月二十七日、父鉄治がトラブルに巻き込まれ、暴漢に襲われ負傷。綾子は、そのときのことを、「切実な父への思いを生まれて初めて体験した」と『草のうた』に書いている。
夏、級友の石原寿みに誘われ、日曜学校に通い始める(約一年間)。
◎一九三二(昭和七)年 十歳
春、禅寺の日曜学校に通うようになる。綾子自身は教会の日曜学校より心ひかれたという。
堀田家、市内九条通十二丁目左三号に転居。
夏、父母の故郷苫前へ、兄都志夫、姉百合子と訪ねたとき、生まれて初めて汽車に乗り、海を見る。このときのことは、強烈な体験として『草のうた』に描かれている。
秋、長兄道夫の始めた牛乳販売店の早朝配達を手伝うことになる(その後七年間つづけた)。
◎一九三三(昭和八)年 十一歳
二月二十五日、弟の六男治夫生まれる。
五年生の新学期、無投票で級長に選ばれる。このときの感激はのちの綾子を支えた熱い体験となった。
このころ、左翼の活動家五十嵐久弥とクリスチャンの佐野文子の名前を知る。
この年、「ほととぎす鳴く頃」と題した時代小説を書く(ちなみに、綾子がこの作品を担任の渡辺ミサオ先生に提出したところ、先生は級友たちに裁縫の時間をつぶして読んで聞かせた。その後しばらく先生のもとにあったが、何度かの移転の際に失われたという)。
◎一九三四(昭和九)年 十二歳
十一月、大成小学校の恒例行事である敬老会で、ミュージカル劇仕立ての「舌切雀」に心奪われた綾子は、歌やせりふをほとんど諳んじるほどに熱中した。のちに小学校教師時代に学芸会で再びこの劇を児童たちに演じさせ、さらに作家となってから、『珍版舌切雀』という三浦綾子唯一の戯曲を書いている。
十二月、綾子たち兄妹は父鉄治から、「ねえちゃん」と慕っていたスエが姉ではなく叔母であったこと、また、そのスエが結婚することを告げられる。
同月、次兄菊夫が結婚。
◎一九三五(昭和十)年 十三歳
四月、旭川市立高等女学校入学。
六月二十四日、妹陽子が結核で死亡(享年六歳。のち『氷点』のヒロインにその名がつけられる)。
◎一九三六(昭和十一)年 十四歳
一月三日、弟の七男秀夫生まれる。
この年の二学期、歴史の課題作文「井伊大老について」が一位に選ばれ、校友会誌に掲載、評判となった。
◎一九三七(昭和十二)年 十五歳
この年、人間関係のうとましさから休学を決意し、家計の一助にもなると考えて三カ月の休学(小さいときから症状のあったリウマチという理由)をする。休学中は、トルストイ、ゲーテ、チェホフなど読書三昧の日々を送った。
◎一九三八(昭和十三)年 十六歳
この年、旭川陸軍病院へ傷病兵を慰問。その中の一人と初恋を経験している。
――これが生まれてはじめて、結婚を申しこまれた経験であった。汽車が出る時、「握手なさいよ」と女教師がいってくれたが、わたしは首を横にふって、手を出さなかった。若草色のレインコートに両手をつっこんだまま、ただじっと、彼の顔をみつめていた。こうして、指一本触れ合うこともないままに、わたしは彼と別れた。――『石ころのうた』――
◎一九三九(昭和十四)年 十七歳
三月、旭川市立高等女学校卒業。
四月、空《そら》知《ち》郡歌《うた》志《し》内《ない》町(現歌志内市)の公立神《かも》威《い》尋常高等小学校に代用教員として赴任。
◎一九四〇(昭和十五)年 十八歳
四月、代用教員から訓《くん》導《どう》(旧制小学校の正規教員のこと。現在の教諭)となる。
◎一九四一(昭和十六)年 十九歳
四月、神威小学校から同校の文珠分教場へ転任。
九月一日、旭川市立啓明国民学校(同年三月一日より尋常高等小学校を国民学校と改称)へ転勤。
◎一九四二(昭和十七)年 二十歳
四月、新入学一年生の担任となる。
夏、札幌の高等技芸学校で手芸の講習を受ける。その際にのちに婚約者となる西中一郎と知り合う。
◎一九四四(昭和十九)年 二十二歳
夏、愛国飛行場に女子青年団の指導員として動員される。
◎一九四五(昭和二十)年 二十三歳
八月十五日に日本が無条件降伏。占領軍の対日政策の一環として、さまざまな改革が行われた。教育分野も例外ではなく、戦前の偏った軍国教育、天皇中心主義の教育を一新するため、この年の九月から教科書の部分削除作業が始まった。
◎一九四六(昭和二十一)年 二十四歳
三月、啓明小学校を退職。
――昭和二十一年三月、すなわち敗戦の翌年、わたしはついに満七年の教員生活に別れを告げた。自分自身の教えることに確信を持てずに、教壇に立つことはできなかったからである。そしてまた、あるいは間違ったことを教えたかもしれないという思いは、絶えずわたしを苦しめたからであった。
全校生徒に別れを告げる時、わたしはただ淋しかった。七年間一所懸命に、全力を注いで働いたというのに、何の充実感も、無論誇りもなかった。自分はただ、間違ったことを、偉そうに教えてきたという恥ずかしさと、口惜しさで一杯であった。
教室に入ると、受け持ちの生徒たちは泣いていた。男の子も、女の子も、おいおい声をあげて泣いている。その生徒たちの顔を見ていると、わたしは再び決して教師にはなるまいと思った。――『道ありき』――
六月、肺結核を発病、市内十条十一丁目の結核療養所白雲荘に入る。四月に婚約した西中一郎がたびたび見舞いに訪れる。
十一月、炊事や掃除もできないほど衰弱したため自宅へ帰る。
◎一九四八(昭和二十三)年 二十六歳
八月、療養所白雲荘に再入所。この年の秋に発足した上川支庁管内結核療養者の会「同生会」の書記を務め、月々千円の報酬を得て、療養生活費にあてる。
十二月、同じく結核療養中の北海道大学の医学生前川正と再会する。再会した翌日十二月二十八日付の正から綾子宛の葉書は、一九五四年五月に正が死去するまでの千通にも及ぶ二人の往復書簡の第一信となる。
◎一九四九(昭和二十四)年 二十七歳
四月、病状は好転しなかったが退院する。
六月、斜《しや》里《り》に住む西中一郎を訪ねて婚約を解消、このとき自殺をはかる。
◎一九五〇(昭和二十五)年 二十八歳
六月、正とともに北大病院で診療を受ける。結果は気胸療法をつづければ治癒の見込みがあるとのことだった。
◎一九五一(昭和二十六)年 二十九歳
十月、微熱がつづき回復のきざしが見えないため、旭川市内の日赤病院に入院、このころより背中の痛みを覚える。
十二月、クリスマスに病室に牧師を招いて集会を開く。これがきっかけで翌年から定期集会を開くことになり、讃美歌の練習も始める。
◎一九五二(昭和二十七)年 三十歳
二月、脊椎カリエスの疑いが強まり、札幌医大病院に転院。
三月、前川正の紹介で、札幌の北一条教会の長老で、製菓会社を経営する西村久蔵の見舞いを受ける。西村は綾子の小説『愛の鬼才』の主人公で、翌年心臓マヒで急逝するまで一年四カ月にわたり、見舞いとキリスト者としての伝道を綾子につづけた。
五月、脊椎カリエスの診断が下る。ギプスベッドでの絶対安静の生活に入る。
七月五日、札幌北一条教会の小野村林蔵牧師により病床で受洗。
――小野村牧師の痩せた手が私の頭に置かれた時、私は深い感動に涙が噴きこぼれた。銀の洗礼盤を持った西村先生の頬にも、大粒の涙が伝わるのを見た。その席で西村先生は、私のために祈ってくださった。その祈りの言葉は嗚咽の中に幾度か途絶えた。
「この病床において……この姉妹を……神のご用にお用いください」
祈りの中のこの一言が、今も私の耳に残っている。病床においても、用いられるのだという喜びが、この一言によって湧いたのだ。癒されるにせよ、癒されないにせよ、病床が働き場であるならば、自分の生涯は充実したものになると、私の心は奮い立ったのである。西村先生の生き方にわずかでもふれた私は、キリスト者とは、すなわち、キリストの愛を伝える使命を持つ者であると、固く信ずるに至った。その信じた延長線上に、現在の小説を書く私の仕事もあることを思わずにはいられない。
――『愛の鬼才』――
十一月、前川正が肺の手術のため、一週間ほど綾子の病室に泊めてほしいと訪問する。早く回復して医者になり、綾子のためになりたいという。
十二月十七日、正、第一回目の手術。
◎一九五三(昭和二十八)年 三十一歳
三月、一月に二回目の手術をした正は、術後の回復も順調で、退院することになり、旭川に引き上げる。
七月十二日、西村久蔵急逝。
十月、札幌医大病院をギプスベッドのまま退院。自宅療養に入る。
十一月十六日、正が綾子を見舞い、手術で切除した自分の肋骨を一本綾子に渡す。これが最後の訪問となる。
◎一九五四(昭和二十九)年 三十二歳
四月二十五日、正からの手紙が届く。これが最後のたよりとなった。
五月二日、前川正死去(享年三十五歳)。こののち、約一年間ほとんど人に会わずに過ごす。
◎一九五五(昭和三十)年 三十三歳
六月十八日、三浦光世、初めて綾子を訪問。
――一九五五年六月十八日――この日がのちに、生涯忘れ得ぬ記念の日になろうとは夢にも思わず、一枚の葉書を背広のポケットに、私は勤務先の旭川営林署を出て、堀田綾子の家を訪ねていった。
さわやかに晴れた土曜日の午後であった。当時私は、営林署の経理事務を担当し、週日は八時九時まで、みんなが正午に帰る土曜日は五時頃まで残業をするのが常であった。その日六月十八日は、珍しく早目に仕事を切り上げたのであったろうか。
ポケットの葉書は、札幌の菅原豊という方からの葉書で、「どうか堀田綾子さんを見舞ってあげて下さい」と書かれてあった。菅原氏は既に故人となられたが、結核療養の傍ら、月々「いちじく」という謄写版刷りの冊子を発行しておられた。日本各地から寄せられる結核患者、牧師、死刑囚等のキリスト者の手紙、詩文等を編集、自らガリ切りをして配布しておられたのである。「いちじく」誌はいわば結核療養者やその体験者を主とした信仰の交流誌ともいえた。
「いちじく」誌を私に紹介してくれたのは、死刑囚S君であった。何かのことからS君と文通しているうちに、こんなグループがあるので入ってみてはと勧められたのである。同誌に旭川から手紙を寄せていたのは、当時堀田綾子と私だけであったと記憶する。ある時彼女の文章に注目させられ、
「同じ旭川におりながら、どこにおられるかわからぬ堀田様、どうかお大事に」
という便りを菅原氏に出した。菅原氏は光世という名の私を女性と思っていたらしく、女性は女性同士で励まし合うとよいであろうと、私に葉書を下さったわけである。(中略)
――私は離室の六畳間に案内された。そこが堀田綾子の病室であった。カラフルな装飾の何もない質素な部屋であった。クレゾールの匂いが先ず鼻をついたことを、今でも覚えている。六畳間の片側を占めて、木製のベッドがあり、その上に彼女は身を横たえていた。掛布団を胸まで掛けていたが、ギプスベッドが肩と首、そして頭の半分を覆っていた。その丸顔は痩せ衰えているふうにも見えなかった。が、むくみを帯びているようで青黒く、どこか不自然に見えた。澄んだ大きな瞳が美しく印象的であった。
ベッドの傍らに置かれてある椅子に腰をおろし、あの日私はどのくらい話をしたことだろう。肺結核を発病して既に九年、更に脊椎カリエスを併発して三年、今は寝返り一つ打てないというのに、
「寝ているだけの病気です」
と、彼女は淡々として告げた。その声も澄んでいて、弱々しい響きはなかった。それにしても大変な日々であると思った。只の一夜でも寝返りを禁じられたと仮定してみたらわかる。私は自分の体験を語って、希望を失わぬように励ましたものの、いささか言葉が空を打つような心地だった。彼女はストレプトマイシンも副作用ですぐ中止したという。
やがて、好きな聖書の箇所を読んで欲しいと言われて、私はヨハネによる福音書第十四章の中の次の言葉を読んだ。
〈あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう〉
――三浦光世『妻と共に生きる』――
――廊下を渡る静かな足音がして、白に近いグレーの背広姿の青年が、わたしの部屋に入って来た。一目見てわたしはドキリとした。何と亡き前川正によく似た人であろう。
初対面の挨拶をかわしているうちに、その静かな話しぶりまでが、実によく彼に似ているとわたしは思った。
(似ている、似ている)
と彼を見つめていた。
……清潔な表情だった。そして落ちついた静かな人だった。そのどれもが、あまりにも前川正に似ていると、わたしは何か夢をみているような気持ちだった。
――『道ありき』――
この日の夜のうちに、綾子は光世に礼状をしたため、再度の来訪を待つ旨を書くが、光世からは何の返事もなく、また訪れても来ない。義理の見舞いであったか、と日がたつにつれ淋しく思っていた綾子であったが、ふと、あれはもしかしたら、人間ではなかったのかもしれない。前川正の死を嘆く自分を神が憐れみ、正に似た人に見舞わせたのかもしれないなどと思ったりもした。
七月三日、光世、綾子を再訪。綾子、アララギに入会することを光世にすすめる。
八月二十四日、光世三度目の訪問。この日、帰りぎわに光世は、綾子のために祈る。
――帰る時、彼はわたしのために祈ってくれた。
「神様、わたしの命を堀田さんにあげてもよろしいですから、どうかなおしてあげてください」
わたしはこの祈りに、激しく感動した。この時まで、わたしのためにこのような祈りをしてくれた人は一人もいなかった。そしてまた、わたし自身も、人のために命をあげてもよいなどという祈りなど、未だかつてしたことがなかった。
(中略)神を信じる者には、祈りは大きな仕事である。祈って、もしその祈り通りになったら……一大事な祈りなどそうなかなかできるものではない。自分の命をあげてもよいと祈り得るほどの愛と真実など、容易に持つことはできないものである。しかし、そのできがたい祈りを三浦は真実こめて祈ってくれたのである。しかも、たった三度しか会わないわたしのために、このような祈りを捧げてくれたのだ。わたしは感動し、感動のあまり思わず彼に手を伸べた。そのわたしの手を、彼はしっかりと握ってくれた。思ったより肉の厚い温かい手であった。彼にとって、これが異性との初めての握手であったことを、後になってわたしは聞かされた。
――『道ありき』――
これを機に二人は手紙を交わすようになり、また光世も月に二、三度は訪問するようになった。
十二月、秋の終わりごろから発熱し、病状の悪化した綾子は面会謝絶の状態のままクリスマスを迎える。その間、幾度か訪れた光世は、玄関先で綾子の母に病状を尋ね、見舞いの金と手紙をことづけて帰ったり、部屋に通されてもほんの短い時間、聖書を語り、讃美歌を歌い、短歌の話などをしたあと、祈って帰るというふうに、綾子の病状を気づかう見舞いの仕方であった。
◎一九五六(昭和三十一)年 三十四歳
病状、次第に快方に向かう。
六月、五十嵐健治が初めて綾子を見舞う(五十嵐は白洋舎の社長で、のちに綾子が書く小説『夕あり朝あり』の主人公)。
七月、三浦光世より結婚の申し込みを受ける。
◎一九五七(昭和三十二)年 三十五歳
家の中を歩いたり、座って食事がとれるほど回復。
秋、突然、幻覚症状があらわれる。
◎一九五八(昭和三十三)年 三十六歳
七月、前年秋に起こった幻覚症状の精密検査のため北大病院へ入院。結果は脳波にも異常はなく、肺の空洞とカリエスが完治していることが確認され、二カ月後に退院した。
◎一九五九(昭和三十四)年 三十七歳
一月二十五日、日本基督教団旭川六条教会で三浦光世と婚約式を行い、聖書を交換した。
五月二十四日、旭川六条教会中嶋正昭牧師の司式により結婚式を挙げる。新居は旭川市九条十四丁目左九号。弟昭夫が以前から借りていた家で、一間きりの住居であった。
九月、層雲峡に新婚旅行。
十月、腎臓結核の既往症があった光世が発熱、翌年六月まで休職、療養することとなった。
◎一九六〇(昭和三十五)年 三十八歳
九月、借家の立ち退きを求められ、自宅の新築を計画。このとき、建築を請け負った大工の棟梁が、小説『岩に立つ』の主人公のモデルとなった鈴木新吉である。新築した家で地代捻出のため雑貨屋を営む。
十月、夫妻で光世の故郷、紋別郡滝《たきの》上《うえ》町を訪れる。
十二月二十二日、自宅に十人の子供を招き、第一回子供クリスマスを開く。
酒を飲まない光世が、忘年会を欠席して浮いた会費五百円で、近所の子供たちとクリスマスを祝おうという綾子の発案であった。
◎一九六一(昭和三十六)年 三十九歳
一月、雑誌「主婦の友」が募集した「婦人の書いた実話」に応募。ペンネーム林田律子、作品は「太陽は再び没せず」。『道ありき』の原型となる、綾子の愛と信仰の記録であった。
三月、旭川市六条十丁目の旭川六条教会牧師館に留守番として入る。当時この六条教会の牧師だった中嶋正昭氏がアメリカに留学することになり、その後任が決定するまで二人が牧師館に入ることとなったのである。
この中嶋牧師が綾子に原稿を依頼する最初の人となった。牧師が留学する五カ月ほど前、綾子に原稿を依頼したのだった。「どなたか他の方に頼んで下さい」としり込みする綾子に中嶋牧師は、「あなたは必ず書ける人ですよ、いいですね」と言って、教会の月報「声」に一年間連載するように求めた。このとき綾子が書いた原稿は「暗き旅路に迷いしを」という題で、三カ月分提出したが、好評を得たにもかかわらず、あとは書かずじまいに終わった。
六月一日、光世、盲腸炎で入院。翌日手術したが、最初の診断が誤診のため手術が遅れ、開腹したときには、盲腸が破裂しており、麻酔が効かなかった。術後の衰弱もひどく、さらに追い打ちをかけるかのように、点滴ミスによる高熱がつづいた。
光世の身を案じた綾子は、恐怖感すら覚え、彼にもしものことがあれば、医師も看護婦も一生恨み、憎みつづけずにはおかぬと激怒した。
――その時ふと、聖書の言葉が浮かんだ。
「吾らに罪を犯す者を、吾らが許すごとく、吾らの罪をも許し給え」という祈りの言葉だった。毎日、わたしたちが祈る「主の祈り」の一節であった。ふだんは何の抵抗もなくとなえていたこの言葉が、いきなりわたしの前に立ちはだかったような気がした。
わたしはその時、自分がいかにいい加減な信者であるかを、思い知らされた。自分に許さねばならぬ相手のない時は、何の問題も感じない言葉だった。……
今、三浦の苦しみを前にして、そしてあるいは死ぬかもしれないという恐怖の中で、許しという問題が、やっと自分自身の問題として迫ってきたのだった。これが、後に小説「氷点」を書く時の重大なヒントとなった。
――『この土の器をも』――
七月十五日、光世退院。東町三丁目(現豊岡二条四丁目)に完成の新居に移転。
八月一日、雑貨店開業。光世の入院中に鈴木新吉の手により完成された新居は、当時何百メートルもつづく青田の中に建てられた。ただし、百メートルほど離れたところにバスの停留所があった。その建坪十八坪の二階家の一階に、なけなしの十万円をはたいて綾子は店舖を作り、かねてから懸案の雑貨店を開店した。
十一月、風邪で光世、綾子ともに寝込んだのをきっかけに、滝上から光世の姉富美子の娘隆子が住み込みで手伝いに来ることとなった。そして彼女は、その後十二年間夫妻と同居することになる。
十二月十日、「主婦の友」応募作品、「太陽は再び没せず」が「愛の記録」に入選。年末までに返済しなくてはならない借金を苦にしていた綾子に、すばらしいプレゼントが届いた。一月に応募した手記「太陽は再び没せず」の入選通知に、綾子は躍り上がって喜ぶ。賞金二十万円の大金も手にすることができるのだ。雑貨店の毎日の売り上げが二千円であったときに、貴重なお金であった。十二月二十日ごろに発売になった「主婦の友」の新年号に、綾子の手記が掲載されると、全国各地から手紙が寄せられ、それにつづく文通を通して受洗する人も出てきた。
◎一九六二(昭和三十七)年 四十歳
一月、一日付発行(発売は前年十二月)の「主婦の友」新年号に「太陽は再び没せず」が掲載される。
◎一九六三(昭和三十八)年 四十一歳
一月一日、朝日新聞社が、大阪本社の創刊八十五年、東京本社の七十五年記念の一千万円懸賞小説を募集する。これが作家三浦綾子誕生のきっかけとなるのだが、そのへんの経緯を自伝『この土の器をも』より引用する。
――新年の挨拶をし、僅かなお年玉を進呈した後だった。母が思いついたように、
「あ、そうそう、秀夫がね、綾ちゃんが来たら、ここを見せなさいと言っていたよ」
と、折りたたんだ朝日新聞をわたしに示した。見ると、朝日新聞の社告だった。
一千万円懸賞小説募集の記事がそこにはあった。
「へえー、一千万円とは凄いわね」
秀夫は、わたしに見せよと言《こと》づてたのか。まさかわたしに応募せよということではあるまい。応募資格を見ると、既成の作家も応募できることになっている。わたしには無縁な話だと、思わず笑った。
(中略)いつも一時間や二時間、眠れぬままに一人想像をめぐらすわたしは、その夜もまたそうだった。わたしはふと、療養中に遠縁の者が殺された事件を思い出した。
「もし、自分の肉親が殺されたら?」そう思ったとたん、わたしはこれだと思った。ここから一つの物語が生まれそうだった。
(中略)わたしは社告のことも何も忘れて、その夜長編小説の粗筋を作った。
小説の書き方は何も知らない綾子だったが、手紙か日記でも書くように、書き始めていく。そしてちょうど一年が経過した一九六三年十二月三十一日午前二時、小説『氷点』を書き上げる。
◎一九六四(昭和三十九)年 四十二歳
六月十九日、朝日新聞社が応募総数七百三十一編の中から第一次候補作品二十五編を発表、『氷点』がその中に入る。
六月二十四日、朝日新聞本社からデスクの門馬義久記者が綾子を訪問。
六月三十日、第二次選考を通る。
七月六日、第一位入選の内定通知が届く。
七月十日、朝日新聞紙上に『氷点』の入選が発表される。
――遂に七月十日の朝が来た。早朝六時、家の雨戸がガンガンと叩かれた。新聞配達の人が、朝日新聞を一抱え持って来てくれた。入選の記事がデカデカと出ていた。
今日くらいは休んでくれるかと思ったが、三浦はいつものように、弁当を持って勤めに出て行った。親、兄弟、親戚、友人、知人が祝いに駆けつけてくれ、新聞社や、雑誌社の人も訪ねて来る。祝いの電話がひっきりなしにかかる。遂に夜まで祝い客は絶えなかった。
夕七時、予定どおり第一回目の第二金曜家庭集会が、川谷先生の説教によって始められた。祝いに駆けつけた木工団地の少年たち、女学校時代の友人たち、近所の奥さんたち、親戚の人たちが先生の話を聞いてくださった。この、わが家にとって、大いなる祝いの日が、教会で定められた家庭集会の第一回目にあたっていたことを、わたしたち夫婦は意味ぶかく受けとった。
かくてわたしたち夫婦の、新しい歩みがここに始まったのであった。
――『この土の器をも』――
七月二十一日、朝日新聞社東京本社講堂で授賞式。記念講演を行う。
七月二十四日大阪、二十七日名古屋、八月三日北九州市、六日旭川、七日札幌で記念講演。
八月、『氷点』連載に備え、推敲のため雑貨店閉店。
八月二十日、市の主催で綾子の入選祝賀会が行われる。
十二月九日、朝日新聞朝刊に『氷点』連載開始(〜六五年十一月十四日)。
◎一九六五(昭和四十)年 四十三歳
――小説の連載以来、多くの方達にお便りをいただいた。そのすべては、激励とおほめの言葉である。
反響は最初、ものを書く方々から多かった。生まれてはじめて書いた小説ということで、過分の讃辞を下さったのだろうが私はうれしかった。……
一番感動したのは、盲人のために「氷点」の点訳を奉仕していられる七名の方のお便りである。……
遠くは、オランダやアメリカからも便りがあって、「ザ・フリージングポイント」はいつドイツ語や、英語で出版されるかとたずねてきた。……
朝日のような大新聞に、自分の小説がのるというのは嬉《うれ》しいだろうと人に言われる。しかし、意外に嬉しさ、誇らしさはない。と言って単なる羞《しゆう》恥《ち》でもない。もっと何か「そらおそろしい」心持ちなのだ。小説を読まれるというのは、読者と何か「かかわり」を持つことである。例えばその「かかわり」を時間に限定して考えてみよう。朝日人口五百何十万人のうち百万人が私の小説を読むとする。一人一日三分として、一回延べ五年半余、三百回として何と、延べ約千七百十年間という時問が費やされることになるのだ。
時間とは何か。それは人の命でもある。私は人の命を自分の小説のために、これだけ費やさせる資格があるだろうか。前述の「そらおそろしい」という心持は、決して根拠のないことではない。何か罪深い思いがする。
――『氷点・私・このごろ』――
五月、キリスト教伝道講演会。二十二日「人間の行きつくところ」札幌市真《ま》駒《こま》内《ない》明星幼稚園、二十三日「幸福とは」同前。
六月、講演。四日「キリスト教と文学」北海道大学。十七日「『氷点』読書座談会」旭川市立図書館主催、三愛会館。
七月、講演。主婦の友社主催“お母さまのための講演会”「愛としあわせ」(十二日苫小牧市王子娯楽場、十三日旭川市公会堂)。
同月発売の「主婦の友」八月号から初の月刊小説『ひつじが丘』を連載開始(〜六六年十二月号)。
九月十六日、当年度旭川市文化賞受賞。
九月、この月発売の「オール讀物」十月号(文藝春秋社)に初の短編『井戸』を発表(のちに中短編集『病めるときも』朝日新聞社刊に収録)。
十一月、『氷点』を朝日新聞社より刊行。
年末までに七十一万部を記録する。これは朝日新聞出版局の単行本としては最高記録であり、戦後刊行された文学作品としては一九五七年刊行の原田康子の『挽歌』の七十万部を超えるものだった。
映画、テレビドラマ、ラジオドラマ、舞台化もされ、大反響を呼んだ。『氷点』ブームが全国規模で広がる。旭川では菓子「氷点」が売り出される。
十一月中句、関西各地で講演。神戸(国際会館)、京都(同志社大学)、大阪(岡本教会他)。
十二月、講演。「キリスト教入信等の自己の軌跡について」札幌市月《つき》寒《さむ》教会。「愛と人生について」同、札幌YMCA十周年記念。
◎一九六六(昭和四十一)年 四十四歳
三月、講演。十八日、品川キリスト教会。十九日「『氷点』の人物について」朝日新聞社。二十六日「『氷点』をめぐる女の生き方」福岡市電気ホール。
四月、小説『塩狩峠』を日本基督教団発行の「信徒の友」に連載開始(〜六八年十月号)。
五月、随筆「妻の茶の間から」を「週刊女性自身」(光文社)五月二十三日号から連載開始(〜七月十一日号、のちに随筆集『愛すること 信ずること』講談社刊に収録)。
八月二十八〜二十九日、講演。「人生雑感」北海道豊富町、豊富中学校。第十一回宗谷婦人大会。
九月三十日、講演。「人生について」山形県民会館。
十月一日、講演。「信仰雑感」山形市六日町教会。
十二月、この月発売の「主婦の友」六七年新年号から自伝『道ありき』を連載開始(〜六八年十二月号)。
十二月十日、小説『ひつじが丘』刊行(主婦の友社)。
この年、作家活動が本格化したのに伴い、光世が十二月に旭川営林局を退職、綾子のマネージメントに専念することとなる。
◎一九六七(昭和四十二)年 四十五歳
一月九日、TBS=HBCテレビドラマ「愛の自画像」放映開始。これは「ひつじが丘」のドラマ化。
三月、自伝『草のうた』を「女学生の友」(小学館)に連載開始(〜六八年三月号)。
四月二十四日、小説『積木の箱』を朝日新聞夕刊に連載開始(〜六八年五月十八日)。
十月、講演。三日「幸福について」福島市労働福祉会館。四日、「愛について」川俣町貿易会館。
十月三十日、随筆集『愛すること 信ずること――夫婦の幸福のために』刊行(講談社)。
◎一九六八(昭和四十三)年 四十六歳
四月一日、NET(現テレビ朝日)制作「積木の箱」放映開始(十三回連続)。
五月二十五日、小説『積木の箱』刊行(朝日新聞社)。
六月から十月にかけて東京、東北、北海道各地で講演がつづく。作家としてスタートした綾子がいかに精力的に各地を回り、多くの人々に語りかけていたかがわかる。
六月、三日「愛するということ」主婦の友社。六日「なくてはならぬもの」宮古市。二十五日、札幌光塩大学。
七月、七日「ふたつの愛」室蘭市知《ち》利《り》別《べつ》教会。二十一日「親のありかた」北海道上川町。二十五日「文学と宗教」旭川市北日本大学。三十一日、札幌市。
八月、八日、定山渓以下、十八日砂川市、十九日帯広市、二十日音《おと》更《ふけ》町、二十八〜二十九日、札幌市における教誨師大会で講演を行っている。三十日「私の小説の中から」苫前町・留萌地方教育研究大会。
九月、十九日旭川日大付属女子高校、二十八日留萌市、二十九日富良野市でそれぞれ講演。
九月二十五日、小説『塩狩峠』刊行(新潮社)。
大映映画「積木の箱」公開。
十月、六日、札幌月寒教会。十三日「私を変えた愛」仙台市宮城学院同窓会。十四日「私と小説」仙台市宮城学院女子文学会。
十一月、東京、関西方面に講演旅行。
二日「私と小説・キリストと共に歩む」青山学院大学。三日「何をみつめて生きるべきか」大阪市梅花短大。「愛するということ」神戸市岡本教会。四日「私を変えた愛」明石市上の丸教会。五日「愛と幸福について」神戸市鈴蘭台伝道所。「なくてはならぬもの」神戸市丸山教会。六日「なぜ小説を書くか」同志社大学。「人間であるということ」大阪市正雀伝道所。
◎一九六九(昭和四十四)年 四十七歳
一月三十一日、『道ありき』刊行(主婦の友社)。
四月三十日、父鉄治死去(享年七十九歳)。
――父が死んだ時、私は八人のきょうだいのうちで、誰よりも激しく泣いた。泣いても泣いても止まることのない涙だった。そして、その後三年間というもの、毎夜のように父の夢を見た。……
幼《おさな》子《ご》を撫づる如くに吾が頭《つむり》を
撫でて病室を出でて行く父
昭和三十年の歌だから、私は三十三歳だった。ギプスベッドに寝たっきりの私は、六畳間の離室を病室として、自宅療養をしていた。父はその私を毎日見舞ってくれた。そしてその日、父は私に言った。
「綾子、弱く産んで、すまなかったなあ」
父はそう言って、私の頭を撫でてくれた。それはどんな言葉よりも私の心に沁みる深い父の愛の言葉だった。結核になったのは、親のせいではない。私の不注意のせいなのだ。だが親である父は、弱く産んですまなかったと、しみじみと詫びたのだ。生涯忘れ得ぬ言葉である。……
父と娘の愛情は、心理学的に簡単に分類することはできても、それをとどめることはできない。今朝も私は「父さん、生きていたのね」と、その膝にすがって、自分の手で確かめている夢を見た。
――『父の影=白き冬日』――
六月二十九日、札幌市岩見沢教会で講演。
七月〜九月、東北、北海道各地で講演。
七月三日、札幌市札幌教会。五日「愛のもたらすもの」花巻市花巻教会。六日「私と小説」釜石市鈴子教会。七日「愛のもたらすもの」遠野市遠野教会。二十日「小説と私」深川市労働福祉会館。三十一日「北海道と文学」札幌市・全国ナース指導者会。
八月、三日「病める魂」札幌市カトリック看護学院。七日「自由ということ」旭川市ライオンズクラブ。九日「人生ということ」旭川市。十日「私と小説」北海道中富良野町。二十二日「私を変えた愛」札幌市真駒内教会。二十三日「愛すること 信ずること」札幌市ナザレン教会。二十四日「人間を生かす愛」札幌市ルーテル教会。二十七日「人生随想」美瑛町美瑛高校。二十九日「学ぶこと生きること」名寄市名寄高校。
八月、この月発売の「主婦の友」九月号に「わが結婚の記」を連載開始(〜七〇年十二月号)。
九月、六日「人間の生き方」留《る》辺《べ》蘂《しべ》町。七日「私を変えた愛」北見市北見教会。八日「なくてはならぬもの」置戸町。十七日、札幌市中の島小学校。十八日「絶望から希望へ」札幌市発《はつ》寒《さむ》教会。
九月一日、長野政雄遺徳顕彰碑除幕式に出席(和《わつ》寒《さむ》町塩狩駅)。
長野政雄は、明治四十二年二月二十八日に、塩狩峠を逆走する列車を止めるために、自らの身を投じ、転覆事故を未然に防ぎ死亡した。綾子の小説『塩狩峠』の主人公永野信夫のモデルとなった人物である。
九月〜十一月、四国、関西、北陸、東京各地で講演。
この年、綾子は七月から十一月までほとんど休む間もなく日本全国を講演旅行している。四国の講演旅行には、今治教会の創立九十周年講演会が含まれており、これは今治教会の榎本保郎牧師(本選集第六巻収録の『ちいろば先生物語』の主人公)の直接の電話依頼によるものだった。
九月、講演。二十日「小説と私」今治市明徳女子短大。二十一日「現代人の生きる道」今治教会。教会創立九十周年記念講演。二十二日「愛のもたらすもの」松山市松山教会。二十三日「愛のもたらすもの」「人生随想」西条市西条栄光教会。二十四日「愛のもたらすもの」徳島市鴨島教会。二十五日「人間性の回復」高松市高松教会。二十七日「人間、この不自由なるもの」奈良市奈良教会。二十八日「この悪しき者をも」奈良市・信徒大会。二十九日「私を変えた愛」奈良市・キリスト教連合。三十日「人間、この不自由なるもの」大和高田市聖公会。「なくてはならぬもの」四条畷市。
十月、講演。一日「私を変えた愛」近江八幡市近江八幡教会。二日「絶望より希望へ」近江八幡市サナトリウム。四日「小説と私」金沢市栗ケ崎内灘伝道所。「私を変えた愛」金沢市長町教会。十八日「私を変えた愛」北海道上士幌町上士幌教会。
十月二十日、小説『裁きの家』を「週刊ホーム」一巻一号に連載開始(〜二巻七号で、同誌休刊のため連載中止。翌年書き下ろし部分を加えて刊行)。
十月二十五日、中短編小説集『病めるときも』刊行(朝日新聞社)。
十一月、講演。十六日「愛すること 信ずること」東京洗足教会。十七日「人間、この不自由なるもの」東京女子学院。二十三日、横浜市上星川教会。二十五日「人間、この不自由なるもの」新潟市敬和学園。
◎一九七〇(昭和四十五)年 四十八歳
四月一日、HBCテレビ「三浦綾子の今日のひとこと」放映開始(毎週火、木。〜六月末日)。
四日、網走に流氷を見るため訪れる(このとき流氷を見た体験が『続氷点』の結末に生かされた)。
七日、関西テレビ制作テレビドラマ「裁きの家」放映開始(十三回連続)。
五月十二日、朝日新聞朝刊に『続氷点』を連載開始(〜七一年五月十日)。
『続氷点』執筆前に、綾子には正編『氷点』にまさる続編を書ける自信はまったくなかったという。にもかかわらず書いた理由はいくつかある。
まず、読者からの要望が数多くなったことが一つ。また六歳で死んだ綾子の妹陽子の面影を『氷点』のヒロイン陽子に見たためか、続編執筆は、一九六九年に病死した父鉄治のたっての願いであった。
だが決定的な理由は、『氷点』の連載直後に、陽子が死なないのなら、自分が死ぬと言って、ある女子高校生が自殺したというショッキングな事実であった。
「おとななんて勝手だ。死のうとする陽子を生き返らせた」と、その少女は怒ったという。そしてその父親と教師から綾子のもとに、手紙と写真が送られてきた。綾子は、終生その少女の写真を書斎の壁に貼りつけていた。
二十五日、小説『裁きの家』を刊行(集英社)。
六月、『塩狩峠』が中国語に翻訳され、香港で出版された(初の翻訳書)。
十月末、講演のために大阪を訪れるが、この際、のどを痛める。「声帯の裏に悪質な浸潤がある」との診断で、前癌状態の疑いがあるとのことだった。こののどの不調は約二年ほどつづいた。
十一月、夏《なつ》井《い》坂《ざか》裕《ゆう》子《こ》(現姓・宮嶋)が初代秘書となる。
十二月五日、自伝『この土の器をも』を刊行(主婦の友社、六九年「主婦の友」連載時の題名は『わが結婚の記』)。
十二月、この月発売の「主婦の友」七一年一月号に随筆『光あるうちに』を連載開始(〜十二月号)。
◎一九七一(昭和四十六)年 四十九歳
一月四日、TBS制作テレビドラマ「氷点」放映開始(五十回連続)。
五月二十五日、小説『続氷点』を刊行(朝日新聞社)。
綾子はこの『続氷点』執筆の動機を連載終了後、次のように書いている。
――あの小説は読者を死に誘うものでは断じてない。だが現実に一人の少女が死んだ。……万一、第二の少女があらわれないでもない。
わたしは、陽子をどうしても生かさねばならなかった理由を『続』に書こうと決意した。こうして『続』は、「人間の罪とゆるし」をテーマに書きはじめられたのである。
同日、今治教会の榎本保郎牧師の主宰する雑誌「アシュラム」にエッセイを連載開始(〜八三年。のちに随筆集『泉への招待』に収められる)。
六月、小説『帰りこぬ風』を「アイ」(主婦の友社)に連載開始(〜七二年六月号)。
八月、血小板減少症と診断される。
九月、同じ豊岡二条四丁目に新家屋を建築し、移転。旧宅は日本福音キリスト教会連合旭川めぐみ教会に献じた。
九月末〜十月、西日本各地へ講演旅行。
十月五日、NET制作テレビドラマ「続氷点」放映開始(十三回連続)。
十一月十日、弟の堀田昭夫交通事故死。
昭夫は、綾子が療養中、兄妹中で最も世話になった弟であった。さらに光世との結婚後新居となったのは、昭夫が借りていたことのある物置を改造した家であった。
十二月十五日、随筆『光あるうちに』を刊行(主婦の友社)。つづいて随筆『旭川だより』を「主婦の友」に連載開始(七二年一月号〜十二月号)。
◎一九七二(昭和四十七)年 五十歳
一月、小説『残像』を「週刊女性セブン」(小学館)に連載開始(一月一日号〜十二月二十七日号)。
六月一日、随筆集『生きること 思うこと』刊行(主婦の友社)。「信徒の友」(日本基督教団出版局)に連載した「わたしの信仰雑話」(六九年四月号〜七二年七月号)と「アシュラム」に連載した随筆(七〇年六月号〜七一年四月号)をまとめた作品。
同月、秘書夏井坂裕子が退職し、代わって元ナースの八柳洋子が秘書となる。
七月、随筆「旧約聖書入門」を「信徒の友」(日本基督教団出版局)に連載開始(七二年八月号〜七四年三月号)。
十日、小説『自我の構図』刊行(光文社。同社の「小説宝石」七〇年一月号発表の「愛の誤算」、同年五月号発表の「愛の傷痕」をもとに書き下ろした作品)。
八月一日、小説『帰りこぬ風』刊行(主婦の友社)。
九月八日、『塩狩峠』のモデル長野政雄の追悼式に出席。
十一月、初の歴史小説『細川ガラシャ夫人』の取材のため、関西を訪れる。ガラシャ夫人が幽閉された丹後半島の味《み》土《と》野《の》、細川家の大坂屋敷があった玉造教会、京都大徳寺、大津、坂本などを精力的に取材。
十一月三十日、随筆集『あさっての風』刊行(角川書店)。
十二月、この月発売の「主婦の友」七三年一月号より『細川ガラシャ夫人』を連載開始(〜七五年五月号)。
――わたしは自伝小説「道ありき」の冒頭に、次のように述べている。
――わたしはこの中で、自分の心の歴史を書いてみたいと思う。ある人は言った。「女には精神的な生活がない」と。果たしてそうであろうか。(中略)
(女にだって魂はある。思想はある。いや、あるべきはずである)
その時わたしは、そう自分自身に言い聞かせた。
いま、細川ガラシャ夫人を書くにあたって、わたしは、既に四百年もの昔に、光輝く魂を持ち、高度の精神的な生活の中に、あの壮烈な最期をとげた女性があったことを思い、改めて深い感動を憶えるのである。
もし、日本史上の人物の中で会いたいと思う人を唯一人挙げよと言われれば、わたしは多分、細川ガラシャの名を挙げるであろう。わたしの心を惹くのは、かの才気や美貌だけではない。何よりも、世界にその名を残した真実の信仰に惹かれるのだ。
既に、小説に戯曲に伝記にと著されているガラシャを、果たしてわたしの筆にまとめ得るかどうか不安でもある。はじめての歴史小説に御声援を賜わりたい。なおガラシャとは夫人の洗礼名で「恩寵」を意味する。
――「主婦の友」七二年十二月号――
◎一九七三(昭和四十八)年 五十一歳
三月三十日、小説『残像』刊行(集英社)。
四月、『細川ガラシャ夫人』の取材のため関西を再訪、また熊本、長崎も訪れる。
十二日、光世との対談集『愛に遠くあれど』刊行(講談社)。
五月二日、前川正との往復書簡集『生命《いのち》に刻《きざ》まれし愛のかたみ』を刊行(講談社)。
二十五日、初の文庫版として『塩狩峠』が刊行される(新潮社)。
九月十七日、NMC制作テレビドラマ「裁きの家」放映開始(四十回連続)。
十月一日、CBC制作テレビドラマ「残像」放映開始(六十五回連続)。
十一月十日、光世との合同歌集『共に歩めば』刊行(聖燈社)。
十二月十五日、中短篇集『死の彼方までも』刊行(光文社)。同日、三月から撮影されていた「塩狩峠」(ワールド・ワイド映画制作)が完成、この日全国公開された。十一日間上映され、観客動員約十三万、配給元の松竹の予想以上のヒットとなり、ロスアンゼルスでも上映され、好評を博した。
◎一九七四(昭和四十九)年 五十二歳
四月三十日、自伝『石ころのうた』刊行(角川書店)。
九月十六日、NHK制作テレビドラマ「自我の構図」放映開始(二十回連続)。
十一月、小説『天北原野』を「週刊朝日」に連載開始(十一月八日号〜七六年四月十六日号)。
十一月五日、光世と共著の書き下ろし随筆『太陽はいつも雲の上に』を刊行(主婦の友社)。
十二月二十日、随筆『旧約聖書入門――光と愛を求めて』を刊行(光文社)。
◎一九七五(昭和五十)年 五十三歳
一月、小説『石の森』を「月刊セブンティーン」(集英社)に連載開始(二月号〜七六年二月号)。
六月、小説『広き迷路』を「アイ」(主婦の友社)に連載開始(七月号〜七七年一月号)。
七月五日、旭川市内のボランティア・グループ「アカシア会」による綾子の既刊作品二十二点の朗読テープが完成、この日「旭川盲人センター点字図書館」に寄贈された。
八月一日、小説『細川ガラシャ夫人』刊行(主婦の友社)。
十二日、講演。「小説と登場人物」旭川市旭川市民文化会館大ホール。
九月、このころ、『塩狩峠』の英訳本が発売された(イギリス、海外宣教交友会)。
三浦文学の海外への紹介については、北海道新聞旭川版が次のように伝えている。
――「三浦さんの作品は『氷点』のフィンランド語訳、『道ありき』の英語版が出版されているほか、海賊版ながら中国語訳、韓国語訳が出回るなど、続々外国語版が登場、話題を呼んでいる」
――九月二十七日付夕刊――
二十一、二十二日、『泥流地帯』取材のため上富良野町、十勝岳を訪れる。
◎一九七六(昭和五十一)年 五十四歳
一月四日、小説『泥流地帯』を北海道新聞日曜版に連載開始(〜九月十二日付)。
十四日、小説『果て遠き丘』を「週刊女性セブン」(小学館)に連載開始(〜七七年三月十七日号)。
三月三十日、小説『天北原野』上刊行(朝日新聞社)。
四月二十五日、小説『石の森』刊行(集英社)。
五月二十日、小説『天北原野』下刊行(朝日新聞社)。
二十五日、『天北原野』出版記念パーティー出席(稚内市)。
九月、心臓発作のため、予定していたカナダ、アメリカの講演旅行を中止。
十二月、随筆『天の梯子』を「主婦の友」(七七年一月号〜十二月号)に、『新約聖書入門』を「宝石」(光文社、七七年一月号〜七八年一月号)に連載開始。
◎一九七七(昭和五十二)年 五十五歳
三月一日、小説『広き迷路』刊行(主婦の友社)。
二十五日、小説『泥流地帯』刊行(新潮社)。
四月、随筆『夢幾夜』を「短歌」(角川書店)に連載開始(七七年五月号〜七八年八月号)。
一日、この日より小説『海嶺』『千利休とその妻たち』の取材旅行を二十九日間にわたって敢行。
三日、東京羽村教会において講演。そののち香港、マカオに出発。
六日、毎日放送制作「天北原野」放映開始(二十二回連続)。
九日、香港フェローシップで講演。
十二日、『海嶺』取材のため、愛知県知多半島の小野浦を訪れる。
中旬、『千利休とその妻たち』の取材のため、滋賀、京都、神戸、堺、大阪、東京と旅行する。
京都では裏千家家元千《せん》宗《そう》室《しつ》、登《と》三《み》子《こ》夫妻に会い、夫人の点前で茶を喫しながら利休について、また茶道について貴重な示唆を得る。
また通常は非公開の大徳寺・聚《じゆ》光《こう》院《いん》(利休の墓と、利休が切腹したと伝えられる茶室が移築されてある)、西本願寺を取材。中でも聚楽第の遺構を移築したと伝えられる飛《ひ》雲《うん》閣《かく》(外壁の色は利休好みと伝えられる)の内部まで入ることができた。
また堺では利休の墓のある南《なん》宗《しゆう》寺《じ》、鉄砲屋敷などを取材した。
五月三十日、角川文庫『あさっての風』、集英社文庫『裁きの家』刊行。
六月二十五日、小説『果て遠き丘』刊行(集英社)。
七月四日、歌舞伎座制作テレビドラマ「死の彼方までも」放映開始(四十回連続)。
十六日、『泥流地帯』出版記念会および祝賀会が上富良野町で開催された。
二十七日、榎本保郎牧師(小説『ちいろば先生物語』の主人公)、ブラジルへの途次、ロスアンゼルスで急死。
十一月三十日、集英社文庫『残像』刊行。
十二月、小説『千利休とその妻たち』を「主婦の友」に連載開始(七八年一月号〜八〇年三月号)。
――日本の史上に秀れた男性は多々現われているが、千利休はその男性たちの中でも、大いに傑出した存在ではなかろうか。
茶聖といわれるこの傑出した利休像は、実のところ、わたしには、何としても捉えようがないのである。第一、利休を知るためには茶の湯はむろんのこと、活花、絵画、書、建築、作庭、陶芸、香、謡、そして禅にも詳しくなければならない。
だが恥ずかしいことに、わたしはこれら一切のことに全くの門外漢であって、何らの知識もない。
これでは、利休という大茶聖を知識として知ることさえ不可能である。しかも、その上に利休のすぐれた美的感覚や茶聖としての大器量を捉えねばならないとしたら、これはもう至難の業といわねばならない。
にもかかわらず、利休について書こうとするのは、このような秀れた男性に、一目置かせ熱愛させた女性、宗《そう》恩《おん》に興味を抱いたからである。宗恩に関する資料は少ないが、その少ない資料からでも、宗恩という女性の美しさと才と心の深さは偲《しの》ばれる。
連れ子をして利休の後妻となった家庭には長男、道安がいた。わたしはこの利休と宗恩を軸に、利休の非業の死までの家庭を描いてみたいと思っている。
――「主婦の友」七七年十二月号「新連載のお知らせ・作者の言葉」――
二十日、随筆『新約聖書入門』刊行(光文社)。
◎一九七八(昭和五十三)年 五十六歳
二月二十六日、小説『続泥流地帯』を北海道新聞日曜版に連載開始(〜十一月十二日付)。
三月二十七日、母キサ死去。享年八十六歳。
――「母」という字を見ると、私は胸がしめつけられるような気がする。それは、「妻」という字を見る時や、「祖母」という字を見る時とはちがった、何か張りつめた、耐えている女の姿が浮かんでくるからだ。それは、私自身の母の姿がそうであったからかも知れない。……
私の母は、何年も同じ着物を着ていたものだ。……着物はたいてい近くの市場で事足りた。その一生は、ほとんど二丁四方の世界で終わったように思う。母が街に出かけるなどということは、年に三度もあっただろうか。母はいつも台所にいた。
――『母の姿=白き冬日』――
綾子の母キサは、男七人女三人の子どもを産み、夫鉄治の妹を三歳で、次男の子供、五歳と二歳を、そしてさらに親戚の子を一人引きとり、合計十四人の子どもを育てた。娘一人と二人の息子に先立たれ、綾子は十三年間闘病生活を送り、長い間には貧乏もし、夫にも先立たれた。しかし、一つ一つのことに決して騒がず、常に端然として取り乱すことのない女性であった。
四月二十四日、テレビ朝日制作「果て遠き丘」放映開始。
三十日、集英社文庫『果て遠き丘』刊行。
五月二十日、朝日文庫『氷点』上・下刊行。
十六日、『海嶺』取材のため、一カ月にわたり、フランス、イギリス、カナダ、アメリカを訪れる。
――「海嶺という題名はどうかしら」
と三浦綾子さんが最初にいい出したのは、飛行機が羽田に着く何時間か前だった。この時、三浦さんは、眼下に広がる海原をじっと見つめていた。……
「広辞苑にもちゃんと出ているの。大洋底にそびえる山脈状の高まり、という意味ね。けっして人目にふれない。岩吉や音吉、久吉たちの生きざまに似ていると思わない?」……
この三週間、三浦さんは、けっして健康でない体にムチ打って、取材を続けた。たとえば、岩吉たちが漂着したアメリカ西海岸、ケープフラッタリーでは、その地点まで山越えで往復十三キロを踏破しなければならない。……
「岩吉たちの辛苦に比べれば」
行きは、やはりしんどそうだった。しかし、漂着地点の取材を終えた帰りは、実に軽快な足取りだった。
その前日、漂着地点に少しでも近づこうと荒れる海に小さな漁船を繰り出した時も、
「岩吉たちの辛苦は、こんなものではなかったはず……」
と、船を洗う大波をものともしなかった。
――『三浦綾子作品集十三・海嶺 月報』――中野晴文(『海嶺』取材旅行に同行した朝日新聞記者)。
六月二十日、朝日文庫『続氷点』上・下刊行。
七月二十日、朝日文庫『積木の箱』刊行。
八月二十日、朝日文庫『病めるときも』『天北原野』上刊行。
九月二十日、朝日文庫『天北原野』中・下刊行。
十月、小説『海嶺』を「週刊朝日」に連載開始(十月六日号〜八〇年十月十七日号)。
二十五日、中短篇集『毒麦の季』刊行(光文社)。
十一月二十三日、光世の母シゲヨ死去。享年七十八歳。
――この母が世を去った今、私はしみじみとこの母の人生こそ、「勝利の人生」といえるのではないかと思っている。
……二十七歳で夫を失い、十年もの長い間、子供たちと離れて暮らし、その後は三浦の腎結核、長男の出征と、母は心の休まる暇はなかった。が、その母が愛唱していた讃美歌は、次の讃美歌だった。
「主(神)吾を愛す、主は強ければ、吾弱くとも、恐れはあらじ……」
この歌が葬儀でうたわれた時、私は泣けて泣けて仕方がなかった。……どんなに苦労がつづいても、とにかく神は自分を愛していると信じて、この歌を母は毎日うたってきたのである。だから私は、母の生涯は「勝利」の生涯であったと思うのである。
――『姑の死に思う=それでも明日は来る』――
十二月八日、随筆『天の梯子』刊行(主婦の友社)。
◎一九七九(昭和五十四)年 五十七歳
四月十四日、松竹制作「広き迷路」放映開始。
十五日、小説『続泥流地帯』刊行(新潮社)。
三十日、随筆『孤独のとなり』刊行(角川書店)。
五月十七日、旭川市で三浦綾子・小熊秀雄文芸展開催。
小熊秀雄(一九〇一〜四〇)は、北海道小樽出身の詩人。社会派の抵抗詩人として高い評価を受けている。一九二二年、旭川新聞に入り、二八年上京するまで社会部記者として勤務。子供が好きで童話会を作ったり、中学生の文学指導をしたりした。六七年、旭川市内の常磐公園に詩碑が建てられている。
二十四日、初の書き下ろし小説『岩に立つ』を刊行(講談社)。
二十五日、集英社文庫『石の森』、角川文庫『石ころのうた』刊行。
四月から十一月にかけ、関西各地と北海道内で講演。
四月、二十七日、岡崎市岡崎教会。二十九日「パンより大事なもの」尼崎市尼崎教会。三十日、大阪市豊中教会。
五月、一日「女の生き方」京都市YMCA。十九日、札幌市北星短大。
六月、二日「人間性の回復」札幌市北部伝道所。七日「人間性の回復」札幌市、広告学会世界大会。九日「私の人生論」旭川市教育大学。十七日、旭川市東川町、仏教婦人会。
八月、十九日、旭川市、ライトハウス修養会。二十七日「人問性の回復」北海道浜頓別町町民会館。二十六日、名寄市名寄教会。三十一日「人間性の回復」旭川市旭川女子商業高校。
九月、十三日、旭川市、東ロータリークラブ。二十日、旭川市、中小企業大会。二十三日「幸福ということ」旭川市豊岡小学校。二十九日、旭川市東海大学。「人間性の回復」小樽市、運河を守る会。三十日、札幌市発寒教会。
十月二十六日、旭川市高等看護学院。
十一月十一日、「現代の幸福」旭川市、学校保健会。
十二月、小説『青い棘』を「ベルママン」(学習研究社)に連載開始(八〇年一月号〜八二年二月号)。
◎一九八〇(昭和五十五)年 五十八歳
三月二十五日、文庫版『道ありき』刊行(新潮社)。
二十六日、小説『千利休とその妻たち』刊行(主婦の友社)。
随筆『わが青春に出会った本』を「主婦の友」に連載開始(八〇年四月号〜八一年十二月号)。
三月、随筆『綾子からの手紙』を「マミイ」(小学館)に連載開始(八〇年四月号〜八三年九月号)。
三月〜四月、旭川市および関西各地で講演。
三月、旭川市。九日「自由について」わかば幼稚園。十五日「生きるということ」ホクト電子。十六日「自由について」末広公民館。
四月、十二日、「人間性の回復」鳥取市鳥取教会。十四日、「現代の危機をいかに生きるか」近江八幡市近江八幡文化会館。十五日、「何を求めて生きるべきか」大阪市天満教会。十七日、「何をみつめて生きるか」堺市大韓キリスト教会。十八日、「生きるということ」明石市上の丸教会。
四月末、重症の帯《たい》状《じよう》疱《ほう》疹《しん》(ウイルスによって起こる水疱性発疹。疼痛、かゆみ、発熱、リンパ節腫脹を伴う)のため、旭川医大病院に入院。結婚後初の入院であり、作家生活初めての休載(「週刊朝日」連載の小説『海嶺』を八〇年五月三十日号〜八月十五日号まで休載)を余儀なくされた。
八月二十五日、文庫版『生命に刻まれし愛のかたみ』刊行(新潮社)。
九月十五日、文庫版『ひつじが丘』刊行(講談社)。
十月二十日、伊豆大島にて静養(十一月中旬まで滞在)。
十一月二十六日、綾子の三兄都志夫急病で死去。
◎一九八一(昭和五十六)年 五十九歳
三月三十日、TBS=HBC制作「氷点」放映開始(六十五回連続)。
四月九日、日本テレビ=STV制作「氷点」放映。
日本文芸著作権保護同盟が二社と二重契約した結果、同時期に「氷点」がテレビドラマとなった。発表後十三年たっても「氷点」の人気は衰えないと話題となる。
四月二十日、小説『海嶺』上・下同時刊行(朝日新聞社)。
小説『水なき雲』を「婦人公論」(中央公論社)に連載開始(八一年五月号〜八三年三月号)。
五月十五日、講談社文庫『愛に遠くあれど』刊行。
同月、韓国で「氷点」二度目の映画化、大ヒットとなる。
六月十三日、中国人作家の訪問を受ける。
――「先日、中国の作家韶華氏、随筆家何為氏、並びに通訳の陳喜儒氏の三人が私の家を訪ねて下さった。三人は北海道新聞社の招待で北海道にみえたのである。(中略)
三人がわが家の客間に通られた時、私が先ず三人にしたことは、
「戦時中の日本の残虐な行為をおゆるし下さい」
と、畳に手をついて、深々と頭を下げることであった。三人は、いともにこやかに、手を横にふり、
「もう過ぎ去ったことです。わたしたちはもうそのことを考えていません」
と、私を励まして下さった。だがそのひとことで、私の心が安んじたわけではない。なぜなら、日本人のすべてが、再び戦争を起こさぬことを誓わぬ以上、詫びたことにはならないからだ。
「われはわが愆《とが》をしる。わが罪はつねにわが前にあり」
聖書のこの言葉は、私の胸に、戦争のある限り、消えることはないであろう。
――『わが罪はつねにわが前にあり=それでも明日は来る』――
八月、『氷点』の中国語翻訳許可。
北京在住で日本文学研究家の中国人女性文潔若女史が、六月に綾子を訪ねた何為氏を通して『氷点』の中国語翻訳許可を要請してきた。文女史は、自らもカトリック信者といい、「立派に訳して中国と北海道の友好にお役に立ちたい」と希望してきたのであった。綾子は早速快諾した。
二十五日、文庫版『この土の器をも』刊行(新潮社)。
十月二十二日、画文集『イエス・キリストの生涯』(書き下ろし。講談社)刊行。
十一月、初めての戯曲『珍版・舌切雀』を書き下ろしで発表。旭川市民クリスマス公演のための作品。
十二月二十五日、画文集『わたしたちのイエスさま』(書き下ろし。小学館)刊行。
随筆『泉への招待』を「淡交」(淡交社)に連載開始(八二年一月号〜八三年五月号)。
随筆『北国日記』を「主婦の友」に連載開始(八二年一月号〜八三年七月号)。
随筆『ナナカマドの街から』を「月刊ダン」(北海道新聞社)に連載開始(八二年一月号〜八五年十二月号)。
◎一九八二(昭和五十七)年 六十歳
一月三十日、文庫版『氷点』刊行(角川書店)。
二月二十二日、随筆『わが青春に出会った本』刊行(主婦の友社)。
二十五日、文庫版『光あるうちに』刊行(新潮社)。
三月十日、文庫版『続氷点』刊行(角川書店)。
四月一日、小説『青い棘』刊行(学習研究社)。
十五日、文庫版『自我の構図』刊行(講談社)。
随筆『短歌に寄せる随想』を「ベルママン」(学習研究社)に連載開始(八二年五月号〜八四年十二月号)。
五月、小説『愛の鬼才』を「小説新潮」(新潮社)に連載開始(八二年六月号〜八三年九月号)。
十七日、直腸癌手術のため、旭川日赤病院に入院(六月五日まで)。
七月二十五日、新潮文庫『泥流地帯』刊行。
八月二十日、文庫版『病めるときも』刊行(角川書店)。
二十五日、新潮文庫『続泥流地帯』刊行。
◎一九八三(昭和五十八)年 六十一歳
三月、石川県内公立高校入試の国語に、綾子の「はじめての南瓜」(随筆集『孤独のとなり』に収録)が試験問題として使用された。以来、年々学習教材として三浦作品の使用頻度が高まる。
二十五日、文庫版『帰りこぬ風』刊行(新潮社)。
四月十五日、文庫版『死の彼方までも』刊行(講談社)。
五月二十日、朝日新聞社より『三浦綾子作品集』(全十八巻)が刊行開始される。第一巻『氷点』。
――「唯一人の人にでもよい、私の思いを訴えたい」
一九六三(昭和三十八)年、朝日新聞の懸賞小説に応募する時、私はそう思って小説『氷点』を書いた。以来今日までの二十年、私はこの「唯一人の人にでも」という思いで書き続けてきた。
私は何を訴えたかったのか。それは、人間とは何か、自由とは何か、救いとは何か、そしてキリストの贖罪とは何か、ということであった。
この度朝日新聞社から、その私の作品集が出版される運びとなった。昨年直腸癌の手術をした私への、励ましと慰めのあたたかい企画にほかならないと思うのだが、これを機会に、一層心を新たにして、この世にある限り書きつづけていきたいと思う。
――「著者のことば」〈朝日新聞全面広告〉五月二十日付。
二十五日、小説『水なき雲』刊行(中央公論社)。
五月下旬、「海嶺」の映画化発表。
六月三日、講演。「聖書と私の小説」盛岡市岩手県民大ホール、新《に》渡《と》戸《べ》稲《いな》造《ぞう》没後五十周年記念講演会。
この講演会は、岩手県下プロテスタント、カトリック・ハリスト派の超教派四十一教会によるものであった。五月二十九日から二週間開催された聖書愛読特別運動の一環として、記念講演を飾ったのは、綾子の「聖書と私の小説」と、学士院会員でキリスト教海外医療協会会長などを務めていた隅谷三喜男の「新渡戸稲造と聖書」であった。
――聖書が私になくてはならぬものとなって、初めて私の生きる自標は定まったと言える。それは聖書の言葉を一人でも多くの人に伝えるということであった。……私が小説を書くという作業も、この延長線上にあった。以来今日まで、私なりに聖書にもとづいて書いて来た。私のおこがましい願いを、神は聞き入れてくださったのか、私の小説を読んで聖書を読むようになり、人生が変わったという手紙が毎日のように寄せられてくる。まことにありがたいことである。私は今後も、聖書を土台として書きつづけていきたいと思っている。
――「新刊ニュース」十二月号――
六月二十五日、『三浦綾子作品集 第九巻・塩狩峠、岩に立つ』刊行。
七月、講演。二日、旭川市、看護教諭大会。十六日「いま、自立ということ」旭川市、オリーブの会。
「オリーブの会」は、一九七八(昭和五十三)年に三浦綾子を会長に発足した女性の自立と世界平和を目ざす女性の会で、三百人の会員からなる。講演会と月一回、綾子を講師として聖書を学ぶ会を開くのが主な活動である。
大々的な講演会を催すことになったのは、一九八一(昭和五十六)年に、主婦の友社が主催となり、運営はオリーブの会が受け持つという形で始められたのがきっかけである。第一回の講師は井上ひさしと早乙女勝元であった。翌年以降の講師には、澤地久枝、山田太一、なだいなだ、はらたいら、有馬稲子、黒柳徹子、倉本聰、岡部伊都子、渡辺和子、遠藤周作とつづき、旭川市民の話題を呼んだ。
十五日、文庫版『毒麦の季』刊行(講談社)。
二十五日、文庫版『生きること 思うこと』刊行(新潮社)。『三浦綾子作品集 第十四巻・道ありき、この土の器をも』刊行。
八月二十五日、『三浦綾子作品集 第二巻・続氷点』刊行。
九月一日、随筆『泉への招待』刊行(日本基督教団出版局)。
随筆「私の心をとらえた言葉」を「マミイ」(小学館)に連載開始(八三年十月号〜八七年十一月号)。
十日、角川文庫『孤独のとなり』刊行。
二十五日、『三浦綾子作品集 第十二巻・細川ガラシャ夫人、千利休とその妻たち』刊行。
十月二十日、小説『愛の鬼才』刊行(新潮社)。朝日文庫『海嶺』上・中・下刊行。
二十五日、『三浦綾子作品集 第三巻・ひつじが丘、病めるときも』刊行。
十一月十五日、映画「海嶺」(松竹映画制作、ワールド・ワイド映画提携)完成。
二十五日、『三浦綾子作品集 第十六巻・旧約聖書入門、新約聖書入門、天の梯子』刊行。
十二月一日、随筆『藍色の便箋』(八〇年四月発表の「綾子からの手紙」を改題)刊行(小学館)。
三日、映画「海嶺」全国公開。
二十五日、『三浦綾子作品集 第五巻・裁きの家、死の彼方までも』刊行。
小説『嵐吹く時も』を「主婦の友」に連載開始(八四年一月号〜八六年六月号)。
◎一九八四(昭和五十九)年 六十一歳
一月二十五日、『三浦綾子作品集 第四巻・積木の箱』刊行。
二月二十五日、『三浦綾子作品集 第十五巻・石ころのうた、生命に刻まれし愛のかたみ』刊行。
三月二十五日、『三浦綾子作品集 第六巻・自我の構図、帰りこぬ風』刊行。
四月二十五日、『三浦綾子作品集 第十一巻・泥流地帯、続泥流地帯』刊行。
五月七日、『ちいろば先生物語』取材のため、アメリカ、イタリア、イスラエル、ギリシア各地を訪れ、六月十三日に帰国。帰途十二日にロスアンゼルスで七年越しの懸案だった講演を行う。演題は「なくてはならないもの」。
十四日、随筆『北国日記』刊行(主婦の友社)。
二十四日、「泥流地帯」文学碑除幕式。
同日、『三浦綾子作品集 第十七巻・愛すること 信ずること、生きること 思うこと、あさっての風』刊行。
六月二十五日、『三浦綾子作品集 第十巻・天北原野』刊行。
七月二十五日、『三浦綾子作品集 第十八巻・孤独のとなり、光あるうちに、年譜著作・参考文献目録』刊行。
八月二十五日、『三浦綾子作品集 第十三巻・海嶺』刊行。
九月二十五日、『三浦綾子作品集 第七巻・青い棘、毒麦の季』刊行。
十月十五日、講談社文庫『岩に立つ』刊行。
二十日、『ちいろば先生物語』取材のため、十一月初旬まで東京、京都、淡路島を訪れる。
同日、光文社文庫『新約聖書入門』刊行。
講演。二十三日「人間であるということ」松本市勤労福祉会館、松本キリスト教協議会主催。三十日「無題」淡路島南淡町福良保育園。三十一日「無題」淡路島洲本市洲本高校(ちいろば先生こと榎本保郎氏の母校)。
二十五日、『三浦綾子作品集 第八巻・水なき雲、愛の鬼才』刊行。『三浦綾子作品集』全十八巻完結。文庫版『積木の箱』刊行(新潮社)。
十二月二十日、光文社文庫『旧約聖書入門』刊行。
十二月、小説『雪のアルバム』を「エキスパート・ナース」(小学館)に連載開始(八五年一月号〜八六年六月号)。
◎一九八五(昭和六十)年 六十三歳
四月、自伝『草のうた』を「月刊カドカワ」(角川書店)に連載開始(八五年五月号〜八六年四月号)。この『草のうた』は、「女学生の友」(小学館)に連載(六七年四月号〜六八年三月号)されたものを、書き改めたもの。
二十日、随筆『白き冬日』刊行(学習研究社発行「ベルママン」八二年五月号〜八四年十二月号に連載の「短歌に寄せる随想」を改題)。
五月十五日、文庫版『太陽はいつも雲の上に』刊行(講談社)。
二十五日、文庫版『天北原野』上・下刊行(新潮社)。
五月から六月にかけ、『ちいろば先生物語』取材のため、京都、今治、東京を訪れる。帰途、大阪市鶴橋の健康再生会に入所、粉ミルク療法を受ける。
六月十日、中公文庫『水なき雲』刊行。
十二月二十日、随筆『ナナカマドの街から』刊行(北海道新聞社)。
◎一九八六(昭和六十一)年 六十四歳
一月、小説『ちいろば先生物語』を「週刊朝日」に連載開始(八六年一月三・十日号〜八七年三月二十七日号)。
三月二十五日、文庫版『細川ガラシャ夫人』刊行(新潮社)。
三十日、随筆『聖書に見る人間の罪』刊行(光文社)。
五月十五日、文庫版『青い棘』刊行(講談社)。
七月二十五日、新潮文庫『愛の鬼才』刊行。
八月三十日、小説『嵐吹く時も』刊行(主婦の友社)。
九月二十三日、小説『夕あり朝あり』を北海道新聞他で連載開始(八六年九月二十三日付〜八七年五月三日付)。
十一月二十五日、文庫版『海嶺』刊行(角川書店)。
十二月二十日、自伝『草のうた』刊行(角川書店)、小説『雪のアルバム』刊行(小学館)。
◎一九八七(昭和六十二)年 六十五歳
三月十五日、文庫版『広き迷路』刊行(新潮社)。
随筆『生かされてある日々』を「信徒の友」(日本基督教団出版局)に連載開始(八七年四月号〜九六年十月号)。
四月一日より五月末日にかけて、いのちのことば社伝道グループの主催で、三浦綾子ブックフェア実施。プログラムは次のとおりであった。
「映画と講演・三浦綾子の世界」
四月二十四日、講演「愛と祈りの三浦文学を語る」。講師水谷昭夫、映画「海嶺」上映。
五月八日、「ちいろば牧師夫人、三浦綾子を語る」。講師榎本和子、映画「塩狩峠」上映。両講演とも、お茶の水キリスト教会において開催。
五月二十三日、「三浦綾子夫妻講演会」青山学院大学講堂。演題「愛すること信ずること」。
これに前後して、五月二十二日には「東京婦人ランチョン」が六百人の参加で(東条会館)、五月二十五日には首都圏キリスト教婦人大会での講演。演題「心に愛を」(青山学院大学講堂)。
二十八日、『ちいろば先生物語』刊行(朝日新聞社)。
五月、『風はいずこより』を「百万人の福音」(いのちのことば社)に連載開始(八七年六月号〜九〇年五月号)。
五月〜九月、講演。
五月、二十八日「ちいろば先生のことなど」神戸市国際会館大ホール、榎本保郎牧師召天十周年記念。二十九日「生きるということ」大阪市ミヤコホテル。三十一日「自由ということ」大阪市日本基督教団扇町教会。
六月、二日「生きるためには」神戸市愛生園リハビリホール。三日「小説と私」明石市市民会館大ホール、明石上の丸教会二十周年記念講演。二十一日「わかちあい」札幌市藤学園大講堂、札幌地区聖体大会。二十四日「人間ということ」旭川市パークホテル、教誨師全道大会。
八月二日、「幸福について」留萌市市民文化センター。
九月、十二日、札幌市、家庭学科会。十三日「むなしさのはてに」札幌市豊平教会、新会堂建築記念。札幌市北広島福音教会。二十一日「今何を求めるか」札幌市札幌市民会館、北星学園創立百周年記念。二十六日「なくてはならぬもの」旭川市、市民聖書講座。二十八日「千利休とその妻たち」旭川市旭川文化会館、表千家全国大会。
十月、講演会と小説『母』取材のため、大阪、東京へ旅行。小林多喜二の兄三吾氏を訪ねる。
十五〜十六日、関《かん》西《せい》学院大学の秋季宗教運動のメインプログラムとして二日連続講演。十五日「苦悩について」。十六日「小説と私」西宮市関西学院大学中央講堂。
二十日、文庫版『泉への招待』刊行(光文社)。小説『夕あり朝あり』刊行(新潮社)。
十一月十五日、講談社文庫『イエス・キリストの生涯』刊行。
十二月、小説『あのポプラの上が空』を「イン・ポケット」(講談社)に連載開始(八八年一月号〜八九年八月号)。
◎一九八八(昭和六十三)年 六十六歳
一月一日、随筆『私の赤い手帖から』(「マミイ」八三年十月号〜八七年十一月号に連載の随筆『私の心をとらえた言葉』を改題)刊行(小学館)。小学館文庫『藍色の便箋』刊行。
三月、小説『われ弱ければ――矢嶋楫《かじ》子《こ》伝』を「幼児と保育」(小学館)に連載開始(八八年四月号〜八九年七月号)。
二十五日、文庫版『千利休とその妻たち』上・下刊行(新潮社)。
五月、講演および詩人星野富弘氏との対談のため、東京、群馬、埼玉を旅行。
講演。十二日「命への随想」北見市市民会館、北見市民大学講座。二十一日「なくてはならぬもの」川越市川越市民会館、川越聖書教会主催。二十三日「知恵と命」綾子、「わが生いたちと希望」光世。富士見市新丸子教会、野田市朗牧師就任三十五周年記念感謝会。
二十日、星野富弘氏と、群馬県東《あずま》村で対談。
星野富弘氏は、一九四六年、群馬県東村に生まれ。七〇年、群馬大学教育学部卒業後、四月に高崎市の中学校に体育教師として赴任。六月、クラブ活動指導中に頸椎を損傷、一命をとりとめたが、手足の自由を失う。
九年間の病院生活中に、口に筆をくわえて文字と絵を書き始める。また、この間に聖書に初めて出会い、七四年十二月、病床で受洗。七九年九月、退院。以後、東村で自宅療養のかたわら、詩画の創作活動に入る。八一年四月、結婚。著書に『愛、深き淵より』(八一年・立風書房)、『かぎりなくやさしい花々』(八六年・偕成社)、『鈴の鳴る道』(同)があり、英訳も出ている。
祈り――一九八八年五月二十日
私の一生に、このように素晴らしい日をいただけたことをありがとうございます。星野さん、お母さん、奥さん、ごきょうだいの方々、おひとりおひとりの今までの大変な日々や恵まれた日々、それらすべてが本当に素晴らしい花のように、今、神の前に捧げられていることを思って、感謝いたします。
三浦綾子
――対談集『銀色のあしあと』――
六月、小説『母』取材のため、秋田県大《おお》館《だて》市の小林セキ(小林多喜二の母)の生家および嫁ぎ先を訪問。帰途、盛岡市で講演。
講演。三日「神の備えて下さる恵」盛岡ターミナルホテル、盛岡婦人ランチョン。四日「何を求めて生きるのか」盛岡市岩手教育会館大ホール。
六月〜十月、北海道各地で講演。
六月十八日、函館市、函館オリーブの会主催。
七月、二日「何を求めて生きるか」綾子、「私の生いたちなどから」光世。四日「幸福について」札幌市東札幌教会。
八月、四日「命への随想」札幌市北海道青少年会館。五日「自由ということ」野《のつ》幌《ぽろ》町ときわの森三愛高校、野幌教会創立四十周年記念。七日「人間の幸福について」札幌市札幌キリスト福音館。十七日「愛のやさしさ厳しさ」綾子、光世。旭川市ニュー北海ホテル、信徒の友セミナー。
二十五日、随筆『小さな郵便車』刊行(角川書店)。
九月、五日、札幌市愛隣チャペル。七日「何を求めて生きるのか」苫小牧市文化会館、日本基督教団苫小牧教会創立七十周年記念。八日「愛について」苫小牧市、苫小牧高等商業学校創立三十五周年記念。
十月、十五日「病気が私に与えたもの」札幌市、札幌緑愛病院五周年記念。十六日「学ぶこと」旭川市旭川大学。
十一月十日、対談集『銀色のあしあと』刊行(いのちのことば社)。
◎一九八九(昭和六十四、平成一)年 六十七歳
一月二十日、文庫版『ナナカマドの街から』刊行(角川書店)。
二十五日、随筆『それでも明日は来る』刊行(主婦の友社)。
二月二十日、光文社文庫『聖書に見る人間の罪』刊行。
五月二十四日、結婚三十周年記念CDアルバム「結婚三十年のある日に」完成(非売品。十曲の童謡、唱歌、讃美歌などを光世が歌い、綾子がナレーションをつけたもの)。
三十日、初の自作朗読カセット「それでも明日は来る」発売(主婦の友社)。
九月二十日、随筆『生かされてある日々』刊行(日本基督教団出版局)。
二十二日、小説『あのポプラの上が空』刊行(講談社)。
二十五日、角川文庫『草のうた』刊行。
十一月〜十二月、作家生活二十五周年記念三浦綾子文学展が、札幌市、旭川市で開催される(主催、北海道文学館、北海道新聞社)。札幌市は十一月二十一日〜二十六日、旭川市は十二月七日〜十一日。会期中の入場者は両方合わせて約五千名だった。
十一月五日、随筆『あなたへの囁き――愛の名言集』刊行(角川書店)。
十二月十日、小学館文庫『雪のアルバム』刊行。
十六日、新装版『道ありき』刊行(『太陽は再び没せず』も収録)。以下二十二日、新装版『海嶺』『天北原野』『太陽はいつも雲の上に』、九〇年一月三十一日『細川ガラシャ夫人』『千利休とその妻たち』の新装版六点が主婦の友社から刊行された。
十二月、小説『銃口』を「本の窓」(小学館)に連載開始(九〇年一月号〜九三年八月号)。
二十五日、小説『われ弱ければ――矢嶋楫子伝』刊行(小学館)。
この年はのどの調子が悪く、講演はすべてキャンセルもしくは辞退した。
◎一九九〇(平成二)年 六十八歳
三月二十日、朝日文庫『ちいろば先生物語』刊行。
五月三十日、光世の単独歌集『吾が妻なれば』刊行(近代文芸社)。
光世の四十年間にわたる歌作から、叙景、生活、妻綾子を題材にした四百三十八首を選び出した、歌人三浦光世の集大成ともいうべき単独歌集が『吾が妻なれば』である。なお書名は、結婚二年目の一九五一年に病弱な妻綾子を詠んだ次の歌からつけられた。
着ぶくれて吾が前を行く姿だに
しみじみ愛し吾が妻なれば
また、この歌は綾子の没後、二〇〇〇年八月七日に旭川市観音台に建てられた「三浦光世、綾子の墓」に、碑銘とともに刻まれている。ちなみに綾子の歌、
病む吾の手を握りつつねむる夫
眠れる顔も優しと想う
も同じく刻まれている。
六月十九日、随筆『明日のあなたへ』を「週刊女性」(主婦と生活社)に連載開始(隔週連載)。
七月二十五日、文庫版『わが青春に出会った本』刊行(新潮社)。
九月一日、随筆『風はいずこより』刊行(いのちのことば社)。
十月二十五日、文庫版『北国日記』刊行(集英社)。
十一月二十五日、新潮文庫『夕あり朝あり』刊行。
十二月十二日、長兄道夫、およそ三十年の療養生活の末死去。
この年も体調悪く、講演は旭川市内で六回行ったのみ。
◎一九九一(平成三)年 六十九歳
一月二十五日、角川文庫『小さな郵便車』刊行。
二月二十八日、NHK旭川制作「光あるうちに――三浦綾子、その日々――」放映。のち六月二十六日に全国版として再編集されたものが放映され、さらに海外版 "The Light Still Shine" MICO も制作された。
三月二十五日、文庫版『天の梯子』刊行(集英社)。
四月二十六日、写真集『三浦綾子文学アルバム』が主婦の友社から刊行された。
七月、主婦の友社創業七十五周年記念企画として『三浦綾子全集全二十巻』が刊行開始。
九日、第一回配本、第一巻『氷点、ひつじが丘』を刊行。
八月七日、『三浦綾子全集 第二巻 井戸、足、塩狩峠、積木の箱』刊行。
九月十一日、『三浦綾子全集 第十五巻 太陽は再び没せず、愛すること 信ずること、生きること 思うこと、光あるうちに、旭川だより、あさっての風』刊行。
九月、写真集『祈りの風景』刊行(写真家児島昭雄氏の写真と綾子の随筆で構成。日本基督教団出版局)。
十五日、文庫版『白き冬日』を刊行(講談社)。
十月五日、『三浦綾子全集 第三巻 道ありき、病めるときも、どす黝《ぐろ》き流れの中より、羽音、裁きの家、この土の器をも』刊行。
十一月七日、『三浦綾子全集 第十六巻 生命に刻まれし愛のかたみ、旧約聖書入門、新約聖書入門』刊行。
十二月六日、『三浦綾子全集 第四巻 奈落の声、死の彼方までも、続氷点、帰りこぬ風』刊行。
十二月十日、随筆『心のある家』刊行(講談社)。
二十四日、『三浦綾子全集 第五巻 残像、石ころのうた、自我の構図』刊行。
この年、夏ごろより歩行に変調があらわれ、手足のしびれを感ずるようになる。秋以降は、体力の衰え、緩慢な動作、表情が乏しいなどが顕著となる。
◎一九九二(平成四)年 七十歳
一月、パーキンソン病の診断を受ける。
パーキンソン病は、イギリスの医師ジェームズ・パーキンソン(一七五五〜一八二四)が報告した疾患で、大脳の線条体などの病変が原因とされる。多く老年期に発症し、慢性となる。すばやい動作ができなくなり、瞬きや眼球の運動が困難となる。難病に指定されているが、対症療法は確立されている。
綾子は、投薬治療で驚異的な回復をしたものの、副作用によりしばしば幻覚を見るようになる。
二十五日、角川文庫『あなたへの囁き』刊行。
二月五日、『三浦綾子全集 第十七巻 愛に遠くあれど、共に歩めば、太陽はいつも雲の上に、天の梯子、孤独のとなり』刊行。
三月三日、『三浦綾子全集 第六巻 細川ガラシャ夫人、石の森、毒麦の季、逃亡、赤い帽子、足跡の消えた女、片隅のいのち、壁の声、尾燈』刊行。
十日、書き下ろし小説『母』刊行(角川書店)。
四月八日、『三浦綾子全集 第七巻 天北原野、広き迷路』刊行。
五月七日、『三浦綾子全集 第八巻 泥流地帯、果て遠き丘、貝殻、喪失』刊行。
六月十日、『三浦綾子全集 第十八巻 わが青春に出会った本、藍色の便箋、イエス・キリストの生涯、泉への招待』刊行。
七月八日、『三浦綾子全集 第九巻 千利休とその妻たち、続泥流地帯、岩に立つ』刊行。
九月二十五日、文庫版『生かされてある日々』刊行(新潮社)。
十月七日、『三浦綾子全集 第十九巻 北国日記、白き冬日、ナナカマドの街から、私の赤い手帖から、聖書に見る人間の罪』刊行。
十五日、講談社文庫『あのポプラの上が空』刊行。
十一月十一日、『三浦綾子全集 第十二巻 嵐吹く時も、雪のアルバム、草のうた』刊行。
十二月十二日、『三浦綾子全集 第十三巻 夕あり朝あり、ちいろば先生物語』刊行。
◎一九九三(平成五)年 七十一歳
一月、随筆『夢幾夜』を刊行(文庫版、角川書店)。
七日、『三浦綾子全集 第十一巻 青い棘、水なき雲、愛の鬼才、珍版舌切雀』刊行。
二月十七日、『三浦綾子全集 第二十巻 生かされてある日々、風はいずこより、小さな郵便車、それでも明日は来る、心のある家』刊行。
二十五日、文庫版『それでも明日は来る』刊行(新潮社)。
四月十二日、『三浦綾子全集 第十四巻 あのポプラの上が空、われ弱ければ――矢嶋楫子伝、母』刊行、『三浦綾子全集』完結。
六月二十五日、文庫版『嵐吹く時も』上・下刊行(新潮社)。
九月二十日、「三浦綾子全集完結記念文化講演会」のため、五年ぶりに上京。綾子の挨拶は十五分の予定だったが、それをはるかに超えるものだった。講師は文芸評論家尾崎秀樹、高野斗志美両氏で、それぞれの立場から三浦文学を語った(尾崎氏「三浦綾子の文学世界」、高野氏「三浦文学を通じた現代の祈り」)。会場はお茶の水のカザルスホールで定員は五一一名だったが、一〇〇〇人を超える聴衆がロビーにまであふれた。会の最後には光世の讃美歌独唱というハプニングもあり、大いに盛り上がった。
同月、札幌で行われた西村久蔵召天四十年記念会に出席。
随筆『明日のあなたへ』刊行(主婦と生活社)。
十月、文庫版『風はいずこより』刊行(集英社)。
十一月、結婚二年後に建て、雑貨店を営んだ旧宅(この家で小説『氷点』を執筆した。新居移転時にめぐみ教会へ献じた家)の解体式を行う。式後急遽保存の要請が山内亮史旭川大学教授等から提起された。
十二月、CDとテープ「神共にいまして」発行(光世の歌唱と綾子の語り)。
◎一九九四年(平成六)年 七十二歳
二月、宗教評論家ひろさちや氏との対談集『キリスト教・祈りのかたち』刊行(主婦の友社)。
三月、小説『銃口』上・下同時刊行(小学館)。
六月、前進座、『母』を旭川公会堂にて上演。
二十五日、文庫版『ちいろば先生物語』刊行(集英社)。
七月二十四日、映画監督山田洋次氏と旭川で対談を行う。この対談は北海道新聞の朝刊一面に、「希望 明日へ」と題して八月七日から十二日まで六回にわたり掲載された。
十月三十日、随筆集『この病をも賜として――生かされてある日々2』刊行(日本基督教団出版局)。
十一月、北海道新聞文化賞社会文化賞受賞。
十五日、講談社文庫『心のある家』刊行。
随筆集『小さな一歩から』刊行(講談社。北海道新聞日曜版連載のリレーエッセイ他をまとめたもの)。
二十二〜二十八日、三越札幌店で北海道新聞社主催の写真展「三浦綾子の世界」が開催された。
十二月、自伝『命ある限り』を「月刊野性時代」(角川書店)に連載開始(九五年一月号〜十二月号)。
二十六日、三十五回目の子供クリスマスを自宅で開く。
◎一九九五年(平成七)年 七十三歳
一月十九日〜二十四日、旭川丸井デパートで北海道新聞社主催の写真展「三浦綾子の世界」が開催された。
二月二十五日、対談集『希望・明日ヘ』刊行(北海道新聞社。対談相手は三浦光世、山田洋次、高野斗志美、碓田のぼる、黒古一夫、八柳鐵郎、北川日出治、水谷昭夫の各氏)。
五月三十日、初の書き下ろし随筆集『新しき鍵〈私の幸福論〉』を刊行(光文社)。
十月十日、随筆集『難病日記』を刊行(主婦の友社)。
――日本キリスト教団発行の「信徒の友」に日記抄『生かされてある日々』の連載を始めたのは一九八七年四月号で、最終回は一九九五年三月号であった。その回数は九十六回に及び、単行本として既に二巻が同教団出版部から刊行された。
本書はその三巻目で、主婦の友社から出版される運びとなった。連載最終回は一九九四年八月頃の生活がその内容となっている。そこで、昨年九月から現在までの生活や体験を二、三ここに付記しておくこととする。
タイトルは「難病日記」とした。一九九二年一月に診断されたパーキンソン病の日々が基調となっているからである。その難病であるが、下手をすると、もうとっくに寝たきりの状態になっていて不思議がなかった。幸い医師の診断と指導が的確だったので、まだ回復の望みがないわけではない。主治医の伊藤和則医師に感謝せずにはいられない。
この九カ月の病状は、本書の内容とそう変わりはない。相変わらず三浦の介助で、夜二回乃至四回トイレに立つ。時には足がしびれたり、硬直したりということもあって、六回も七回も三浦を起こし、真夜中マッサージをしてもらうこともある。
体重は遂に三十七・五キロにダウンした。何とか四十キロに戻したいというのが当面の目標である。こんなわけで、仕事はかなり減らした。北海道新聞の日曜版に月一度程度連載していたリレー・エッセイは本年二月で終わり、前述のとおり「信徒の友」の連載も三月号で中止となった。(中略)
ところで、この九カ月間に、日本の社会には様々な事件があった。先ず昨年九月と十月、二度も震度6の地震が、道東釧路に起きた。そして本年一月には阪神大震災の惨状が全国民に伝えられた。死者は五千人にも及び、私自身言い様もない思いで、被災された方々のために、神の励ましを只祈るばかりであった。
恐るべき人災もあった。言うまでもなく三月二十日に発生した東京の地下鉄サリン事件である。いったい何と言ったらいいのであろう。同時代に生きる者として、これをどのように受けとめたらいいのであろう。暗澹たる思いは尽きない。
ともあれ、一人一人の命は限りなく貴重なものである。私の難病など取るに足りないものと思うが、苦難に遭っている人に、本書がいくらかでも慰めとなれば幸いである。
――『難病日記』あとがき――
十日〜十五日、旭川西武デパートで「三浦光世、綾子夫妻の想い出箱展」が開催された。
十七日、「三浦綾子記念文学館」設立発起人会に出席。
十二月六日、「三浦綾子記念文学館」設立実行委員会に出席。
◎一九九六(平成八)年 七十四歳
三月、最後の小説『銃口』のNHKドラマ化が決まり、旭川市内ロケが始まる。
四月三十日、自伝『命ある限り』刊行(角川書店)。
五月十四日、末弟堀田秀夫急逝。
――午後一時、秀夫を見舞う。残念ながら意識なく、明らかに危篤。まだ息のある弟を置いて帰宅。間もなく秀夫の長女直子より電話。
「二時三十五分、召されました」と。
自分の家に遺体となって帰った秀夫に会いに、夕方五時三浦と二人で。
「秀夫さん、行き届かず、本当にすまなかったねえ」
と、三浦、遺体に声をかける。と、秀夫、右の眼より一筋涙を流す。死人が涙を流す話や、身内の者の前に死体が鼻血を出した話は幾度か聞いたが、現実に見たのは初めて。いったい人間の完全な死は、いつなのであろう。ともあれ、いかなる思いで涙を流したかと思うと、私もまたこみ上げてくるものをおさえきれず。まだ、六十歳、もっと生きて欲しかったが、すべては主の御旨なるべし。私に朝日新聞の懸賞募集の社告(編注…一千万円懸賞小説募集の社告。『氷点』を書くきっかけとなった)を知らせてくれたのが、この弟であった。これまた主のお取り計らいであったこと、改めて幾度も思い返す。
昏睡におちいって、僅か丸一週間で彼は召されて行った。その信仰の故に、主は必ずその御ふところに迎えてくださったことを信ず。
――『夕映えの旅人』――
六月、角川文庫『母』刊行。
二十三日、札幌医大大学祭で、「人間性の回復」と題して講演。
九月十一日、小説『銃口』に対して、第一回井原西鶴賞を受ける。自宅にて、主宰者梅花女子短期大学桝井寿郎教授よりメダルの贈呈があった。
十月二十日、光文社文庫『新しき鍵〈私の幸福論〉』刊行。
二十五日、文庫版『明日のあなたへ』刊行(集英社)。
十一月一日、北海道文化賞を受賞。
十二月八日、この日から六回にわたり、ドラマ「銃口」がNHK衛星放送で放映された。
この年、パーキンソン病の薬の副作用による幻覚が著しく増加する。
◎一九九七(平成九)年 七十五歳
一月二十七日〜六月十二日、リハビリのため札幌市柏葉脳神経外科病院に入院、このため自伝一本、随筆二本の連載を休載する。
この休載された自伝は、角川書店の「野性時代」(九六年一月号〜四月号)および「俳句研究」(九六年七月号〜九月号、十二月号〜九七年三月号)に連載されたもの。没後の一九九九年十二月二十五日、『明日をうたう――命ある限り』として角川書店より刊行された。
また随筆は、「信徒の友」(日本基督教団出版局)に「生かされてある日々」として、長年継続連載された作品であるが、この随筆も没後の二〇〇〇年十月十二日、綾子の随筆に光世の日記を合わせた形で、『夕映えの旅人――生かされてある日々』と題して、日本基督教団出版局より刊行された。
五月、講演集『愛すること生きること』刊行(光文社)。
七月、第一回アジア・キリスト教文学賞受賞。ソウルで行われた授賞式は体調不良のため欠席。
二十九日〜八月二十七日、発熱のため旭川リハビリテーション病院に入院。
九月九日、長年の文学活動に対して「北海道開発功労賞」(現・道功労賞)を受賞。札幌の北海道開拓記念館で行われた授賞式に出席。札幌に一泊。
十一月、書き下ろし随筆集『さまざまな愛のかたち』刊行(ほるぷ出版)。
十五日、講談社文庫『小さな一歩から』刊行。
◎一九九八(平成十)年 七十六歳
一月一日、小学館文庫『銃口』刊行。
三月十九日、旭川市神楽《かぐら》の見本林(『氷点』の舞台となった)に三浦綾子記念文学館落成。
六月五日、語録『言葉の花束』刊行(講談社)。
十三日、三浦綾子記念文学館オープン。式に参列。
七月十日、初期全集未収録小説集『雨はあした晴れるだろう』刊行(北海道新聞社)。
十二月、全集未収録随筆集『ひかりと愛といのち』刊行(岩波書店)。
◎一九九九(平成十一)年 七十七歳
一月一日、小学館文庫『われ弱ければ――矢嶋楫子伝』刊行。
二月一日〜三月一日、旭川リハビリテーション病院に入院。
三月一日、通算二十六年勤務した八柳洋子秘書が死去。
――三月一日、綾子の退院の日が来たが、喜ばしいはずのこの日は悲しい日であった。午前九時十二分、八柳洋子秘書が病院で息を引取ったのである。通算二十六年、実の娘のように私たちに仕えてくれた秘書であった。昨夏以来、肺癌と闘っていた。九月十月と週に三日出勤してくれたが、十二月再入院となり再起に至らなかった。
――『明日をうたう』三浦光世・あとがき――
八柳秘書急逝のショックのため三月中は体調が著しく低下したが、四月四日のイースターには光世とともに教会の礼拝に出席した。
四月三十日、小説『氷点』『塩狩峠』等、初期の作品を書いた自宅が「塩狩峠記念館」として、和寒町塩狩に復元され、その開館式に出席。
六月二十五日、文庫版『命ある限り』刊行(小学館)。
七月十四日、高熱のため旭川市進藤病院に入院、八月九日、旭川リハビリテーション病院に転院。
十月十二日、同病院にて逝去。
十月十五日、文庫版『銀色のあしあと』刊行(講談社)。
――【旭川】「氷点」「塩狩峠」などのベストセラーで知られる旭川在住の作家三浦綾子(みうら・あやこ)さんが十二日午後五時三十九分、多臓器不全のため入院中の旭川市旭神町三の旭川リハビリテーション病院で死去した。七十七歳だった。旭川市出身。自宅は同市豊岡二ノ四。葬儀の日取りは未定。三浦さんは体調を崩して七月十四日から同市内の病院に入院中だったが、九月五日朝、食事を取ろうとしたところ、突然、テーブルの上にうつぶせになって意識を失い、一時は心肺機能がほぼ停止状態となった。人工呼吸や心臓マッサージで回復を見せたが、意識不明のまま、夫の光世(みつよ)さんらにみとられ、息を引き取った。
――北海道新聞一九九九年十月十二日付「号外」――
三浦綾子小説選集8
銃《じゆう》口《こう》・年《ねん》譜《ぷ》
三《み》浦《うら》綾《あや》子《こ》
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平成13年6月8日 発行
発行者 松村邦彦
発行所 株式会社 主婦の友社
〒101-8911 東京都千代田区神田駿河台2-9
MITSUYO MIURA 2001
本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
主婦の友社『銃口・年譜』平成13年7月1日初版刊行