TITLE : 永遠のことば
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永遠のことば      三浦綾子
この本におさめられた「ことば」は、一九九九年秋に亡くなられた作家三浦綾子さんの講演、対談の中から選び出したものです。
生前の三浦さんは執筆活動とともに対談や講演をされ、特に日本全国はもとより海外でも数多く行った講演では、多くの人々に深い感銘を与えました。それらの中からこれまで活字とならなかった講演記録も含め再構成、整理してまとめました。
目次
一 生命をめぐって
二 さまざまな愛のかたち
三 人生について
四 病との共生
五 神と信仰
解説――三浦綾子の絶望と平安 榎本栄次
採録資料一覧
一 生命《いのち》をめぐって
元気な人でも病人でも若い人でも赤ちゃんでも、だれも今日の夕日の沈むまで生きているという保証のある人はいないはずなんです。絶対この人は死なないという保証はどこにもない。今、元気でどこかで一杯飲んでいる人でも、自動車に乗って鼻うた歌っている人でも、世界じゅう一人も欠けずに、明日の朝まで生きているなんていう保証はないと思うんです。
今日は自分の命日かもしれないということを考えるというと、いかにもわたしがすごく緊張に満ちた充実した生活をしているなんていうふうに、お思いかもしれません。でも、そういうのとは違うんです。死ぬ日であっても神様が見てくださるという、一つの安心感がだんだん定着していって、死ぬということを考えることに慣れてゆくんです。そういうことって、わたしは生きてゆくことに大事なことだと思うんです。
人がとてもいやなことをわたしに言ったとしても、今日一日でわたしは死んでしまうかもしれないし、相手も死んでしまうかもしれないと思うと、単に、今までなにげなしにつきあっていた人でも味濃くつきあうことができる。寛大になれるっていいますか、生きるのが少し楽になるような気がするんです。
死を考えることを与えられたということは、自分の生活を暗くするものでは決してないとわたしは思う。むしろ考えていって光にありつくかもしれない。たどりつくかもしれないということは申し上げていいと思います。
死が今すぐのことでないと思っても、生きてることはやがて死ぬことですから、ほんとうはやはりたいへんなことなんです。でもそのことを本気で考えて生きていったときに、だれしもちゃんとした生き方ができるわけです。
わたしたちが命のことを考えるときに、ただ健康でありさえすればいいというあり方、ただ生きていればいいという動物的な考え方もありますけれども、この命をどのように生きてゆくかという生き方もあるんです。そして、このほうが人間として非常に大事なことだと思うんです。
人間というものは、ほんとうに一人では生きることができないものです。お互いに支え合って人という字ができてるわけです。人間という字は「人」の「間」と書きます。人の間にいなくては人間は生きられないのに、自分がいかにも一人で大きくなったように思ってしまう、そういうところがあります。わたしも情けない人間ですけど、感謝するということが人間はほんとうに少ないと思います。
人間が人間として生きるというときにいちばん大事なものは何かというと、お金ですとは言いたくないんです。大の男が一生の究極の目的に、金もうけだなんていうこと言ってほしくないです。お金はたくさんもうけてください、しかしそのお金はほんとうによく使われなければならないと思うんです。
わたし自身何もできないし何もしないけれども、このごろつくづく思うのは、人間として生まれてきた以上いろんなことやらなくてはいけないと思います。できないだけに、せめて祈りだけでもしなければいけないと思うのです。これがまた簡単なようでたいへんだなあと感じます。
「すみません」「すみません」と下を向きながら、自分のような愚かな者が、自分のような者がと控えめに生きていたら、どれほど実は人の心をうるおすかわからない。わたしたちが命が尊いと思うことはそういうことなのだ、命を尊ぶとはそういうことなのだということなのですね。
われわれが死んであとに残るもの、それはわれわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものだという、ジェラール・シャンドリーの言葉がありますが、この生き方を学ぶのが、われわれ人間が神から教えられる生き方ではないかと思います。
わたしたちがたいへんな目にあったりしているときに、どうしてあなただけがそんな苦労をしているのですか? このわたしじゃなくて、あなたは苦労を担ってくださっているんですね、という気持ちを持って人の苦労話を聞くことができたら、これは素晴らしいことです。
世の中には、ほんとうに不幸つづきの人がいます。いろんな人に対して、わたしたちが心から人間の生命《いのち》をいとおしむならば、尊いと思うならば、それは素晴らしいことだと思います。人間の尊厳死が問題とされる世の中ならばなおさらのこと、わたしたちはどうして人間を尊厳の対象として見ないのでしょう。
幼いころはよくお寺の本堂でかくれんぼをしたんですが、わたしはいつも本堂の裏にまぎれ込みました。そこには骨箱がずらりと並んでいて、わたしはなぜかこの無気味さに心惹《ひ》かれていて、そこに何度も足を運びました。そして「みんな死んだんだ」「人は死ぬ。人は死ぬ」と心の中でつぶやきながら、骨箱を眺めたりしていました。ここだけは、キリスト教の日曜学校にはない暗くよどんだ世界でしたが、現在のわたしにとって、この場所から受けた影響はとても大きかったような気がします。
人間というのはほんとうに恐ろしい存在です。赤ちゃんを平気で堕《お》ろす人がいるでしょう。自分のおなかの中に宿っている子を殺したというのに、これで三人目だなんて電車の中で平気でしゃべっていられる現代では、何の罪悪感もないんです。日本は「堕胎天国」などという、とんでもない呼び名を与えられた国になってしまった。もしほんとうに赤ちゃんの命のたいせつさを考えることができるのなら、戦争で失われる人の命の尊さもわかるはずだと思うんですね。
そもそも小さい命を奪うことが、悪いことなんだとわからなければ、ほんとうの意味で人間の命を尊重するということもわからないと思います。
前川(正)さんも、かつてわたしにこんなことを言っていました。「人間は手がなくとも、足がなくとも、人間であることに変わりはない。だけど、もし、五体が満足に備わっていても、美しいものを美しいと思う心が失われ、人の痛みを痛む心を失ったら、それは人間ではない」って。美しいものを美しい、素晴らしいものを素晴らしいとわかること、こういうことを知らずに生きているのがわたしたちなんですね。
蝉の脱皮する時期とか鳴く時期というのはちゃんと決まっていますね。いろいろなものが季節が来たらちゃんとそれを忘れていない。それを不思議と感じることは、わたしも非常に大事なことだと思います。
葉っぱを見ると、みんな広がっていますでしょう。タンポポにしても何にしても、みんな葉っぱが広がっています。みんなで同じ光を受けようね、雨を受けようね――という感じで広がっています。それこそ弱肉強食なんかじゃないですよね。
人間として生まれた以上、どのように生き、どのように死んでいくかということの間に、一本筋の通った生き方があるほうがよいことはわかります。しかしそれが、現実に他人の生命を奪うことにつながるような生き方だとしたら、わたしは絶対反対です。
自分の小ささ、いたらなさをはっきり自覚する一方で、われわれをはるかに超えた存在、われわれの知恵など及ぶべくもない、素晴らしい真理を備えた存在を目ざしていなければ、危ないということでしょうね。
人に死なれたあとというのは、どの人に対しても愛が足りなかったという反省がありますね。その人がそこに存在する、それだけで周囲にどれほど大きな影響を与えているか……。生きているのと死んでいるのとでは大違いというところがありますね。
わたしが死ぬときは結局、周囲のすべての人々に対して「いろいろありがとう」ということと「許してくださいね」ということと、この二つしかないような気がします。ほかにもさがせばいろいろあるけれど、この二つの言葉だけは素直に、本心から言って死にたいですね。でも実際になると「なんじゃ、おまえ」とか(笑)、何を言い出すかわかりませんけれど。
わたしたちは今しか生きられないわけです。過去を生きることはできないんです。昨日確かに生きていたんですけども、昨日をもう一回生きてみるというわけにはいかない。今日しか生きられない。明日を生きるわけじゃなくて今を生きるしかない。
考えてみると、万年も前の過去も昨日の過去も取り戻すことができないという、この手に握ることができないという意味では同じだと思います。さっきわたしがこの会場に入ってきたわけですが、来たとたん、すでに過去になったんですね、瞬間瞬間が。しかしそういう瞬間瞬間に永遠を見るというか、自分の人生を完全燃焼して生きようとしたときに、不思議な力と平安が与えられるんです。
わたしたちは、なぜ生きねばならないか……という問いを発しがちですが、生きるとか死ぬとかという人生の一大事の「なぜ」は、だれにもわからないですものね。それよりもわたしたちは、だれも「生きる」のではなく「生かされている」と考えると、おのずから生き方も変わってくると思うんです。
二 さまざまな愛のかたち
愛する対象が愛らしいから愛を感ずるとは限らないわけでしょう。光世さんの歌に「着《き》膨《ぶく》れてわが前を行く姿だに しみじみ愛《かな》しわが妻なれば」という歌があるでしょう。着膨れているというのは決して美しい姿ではないけれども、自分の妻だからそれが愛を感じさせるというのは、やはり対象の問題ではなくて、自分の問題ですよね。
結婚生活というものが二、三日ならともかく、一年ぐらいならともかく、何年つづくかわからないのに、こんな自分と一年三百六十五日、一日二十四時間びっしり、何十年にわたっていっしょに暮らしていくのに、「いつまでも愛する」と誓うことほど傲慢なことはないんじゃないかしら。
あまりにも親が子どもに期待しすぎるということがあるから、むずかしいですね。子どもも親に多くのものを期待している。しかも生みの親にとって、わが子はおのれ自身でもある。でも、子どもにとって親はおのれ自身ではないですよね。親がいくら子をほめても、力を認めても、それが子どもにとってわずらわしいことだってありますよね。
キリスト教の愛は、厳密にいうと「神ご一任」のことであって、神の愛だけなんです。神の愛と人間の愛とは比較にならないものですね。「神は愛なり」と言いますけれど、ほかのものを愛なりとは『聖書』には書かれていない。「互いに愛し合いなさい」と説いてあっても、それは神の愛を学ぶことだろうと思うんですね。
『聖書』には「愛とは耐えることであり、忍ぶことだ」と書いてあります。また、寛容でねたむことをしない。でも、こうした愛は本来、私たちにはないものなんです。
神の愛と男女の情欲の愛とは全く相反するものだと思いますね。神の愛は「アガペー」といって、直訳すれば「聖愛」といえるかもしれません。わたしたちがほんとうの愛を考えるときは、この聖愛をさしているのでしょう。ところが男女の愛は、同じ音でも「性愛」。これが一般的だと思いますね。
「あなたのためを思って」と言いますが、「ためを思って」というのは、ためになっていないことが多いんですね。善意の行動はすべて、相手のためによかれと思ってなされていますから、つい断定的で押しつけにさえなってしまいますよね。こちらがいいと思っていることが、はたして相手もいいと思っているかどうかわからない。ですから、善意というものを、わたしも怪しむようになっているんですよ。
自分がしてほしいことを相手にしてあげなさい――というキリストの言葉も、いざ行うとなるとむずかしいですね。こちらだけの考えでしてあげるというのではなくて、相手の立場に立てということでしょうか。
わたしたちは「ありがとうございました。このご恩は忘れません」と言うことがありますけれども、恩を返したと思ったときに、受けた恩をすっかり忘れてしまって、忘恩の徒になってしまいますね。
人間というのは自分に返してほしいんですね。だれをいちばん愛するかといったら「神を愛します」なんて言いながら、神様には返さなくてもいいから自分に返してくださいと心の中で思っているんですね。
この世は自分の都合だけで動くものではない、といった人生の真実を、ここ一番というときに学校の教師が教えることも大事だけれど、親がしっかりと教えるというのはたいせつなことだと思います。これはいつの時代でも、学校だけでは限界がありますからね。
今、いちばんたいせつなものは何かとか、何を愛すべきなのかとか、人間とは何かとかいう問題を考えるときに、親たちが「いい学校へ行きなさい」「一流の企業に勤めなさい」と言うよりは、「いい学校へ行くよりも、一流企業に勤めるよりも、もっと人間として大事なものがあるんだよ」と子どもたちに言って聞かせてほしいんですね。
わたしは、相手が自分のだんなだって赤の他人だと思っています。赤の他人だと思えばね、ほんとうに感謝できることたくさんあるわけでしょう。(牧師の)川谷先生がおっしゃったことですが、どんな人間関係であっても、危機をはらんでいない人間関係はないという……。職場でも、夫婦でも親子でも、きょうだいでも、友人でも。いつ永遠の別れになるかもわからないという危機をはらんでいない関係はないんですね。
人間の関係というのは、どのような関係でもとにかく危機をはらんでいる同士の関係だということです。
人間というのは心は変わりやすいし、不真実にできているし、裏切りとかいうのは普通の状態だと思います。
どうしてこの人と顔を見合わせて生きていかなきゃならないかっていうような人がときどきあります。職場にいても、あー、この人さえいなければと思う人がいるかもしれません。近所でも、家族の中でも。しかし神が与えた妻である。神が与えた夫である。神が与えた子どもである。神が与えた親である。神が与えた生死である。神が与えた牧師である。神が与えた友である。舅《しゆうと》である。小姑である。いろいろそのように考えていったときに、わたしたちはその隣人にもっと深い意味を持って、愛を持って接することはできるかもしれません。
真剣にかかわるということは、なかなかできない。いい加減にしかわたしは、かかわっていないということを考えたんですけれども。真剣にかかわるということは……ほんとうの意味の愛だと思いますし、愛というのは育てるんですね。けれどもわたしたちはほんとうに育てていないと思いますね。目の前にあるその人の姿が、永久にこの姿だと思う。すぐ「どうしようもないね」っていうんですね。「あんなやつしようがないから」というふうにわたしたちはすぐ、見限ってしまう。
この先生(小説『愛の鬼才』の主人公西村久蔵のこと)に接した人はですね、不思議なことに、自分だけが特別に愛されていると思う。でもそう思わせること、これが愛なんですね。
わたしたちは「しかたがない」という言葉をよく使います。しかし、もしですね、自分の愛する子どもが危篤になって、お医者さんが「しかたがない。もうこの人は命がない。なすすべがない」と言ったときにわたしたちは「ああ、そうですか」とは言わないんです。「しかたがない」というのは愛がないんですね。しかたがないと知りながら、しかたがあるんではないかと必死になるのが、ほんとうの愛なんですね。
物を持っている、持っていない。自分で食べていく、食べていかないの問題じゃなくて、謙遜がほんとうの心の余裕というか、愛を生むんじゃないかと思うんです。
わが家だけが大事であれば、わが家だけが幸福であれば平和であればそれでいいというあり方は、社会の一般人としての家庭のあり方としてはどういうものか、これは意外と恐ろしいことではないかと思います。口はばったいようですが、わたしたちは結婚したときに、二人で話し合った大事なことは、わたしたち二人がただ仲よくするだけの家庭ではないように、他の人をも受け入れて、他の人とともに生きる家庭であるようにということを心がけました。
(わたしたちの結婚式でも)「病めるときも健やかなるときも、汝これを愛するか」と言われたでしょう。ほんとうに病めるときも健やかなるときもこれを愛するというのは、ただ好きだよとか、ちょっとあの人、足が長い、素敵だなとか、横顔がいいから結婚したとかというようなことではなく、ほんとうに全身的な、全人格的な問題だと思う。
この家(三浦夫妻の自宅)はわたしたち二人だけが仲よくそこに住むんじゃなくて、いろんな方がいらしたとき、打ち合わせにいらしたときには、その方を快く迎えて、あるいはキリスト教の集会を開く、そのような公の場として使っていく、そういう家として与えられたと思っています。
隣人がわたしたちに与えられているのは、隣人を愛するために与えられている。やはりそのような考え方をしないと、わたしたちの人間性というものは落ち込むんじゃないかと思います。
生まれた赤ちゃんは、「おぎゃあおぎゃあ」としか泣きません。おっぱい飲みたいとき「おぎゃあおぎゃあ」、眠たいときも「おぎゃあおぎゃあ」、いつも「おぎゃあ、おぎゃあ」ですね。でもなんて言っているのかわからないけれども、なんて言ってるのかなぁと一生懸命、その子の顔を見ながら泣き声を聞きながら思いやるわけですね。つまり思いやるということのちっともなかった若い娘が、いきなり思いやらなきゃならない母親になるんですから。
これは、若いお父さんになる方も、よく覚えてください。ほんとうにこれはたいへんなことなんだと……
赤ちゃんはどこであろうと泣き出します。絶対、相手のことなんて考えない。相手のことを考えない代表が赤ちゃんです。場所も考えません。そこでわたしは思います。神様という方はほんとうに思慮深い方だと。
どういうことかというと、たいていの人は子ども時代わがままに育つことが多いでしょう。そういうわがままいっぱいに育ってきた女性が母親になる、そして生まれてきて言葉が言えない赤ちゃんのめんどうを見る。そうした経験を経て、自分を育ててくれた親たちの愛を知り、わが子への愛の尊さもまたさらに知る…… これはほんとうに神様の知恵だと思います。
赤ちゃんというのは、自分からは要求一本だけで、今日はお母さんのためにおとなしくしていましょうなんてことは一日もない。そんな相手と暮らさなきゃいけないのが子育てなんですね。母親だって眠いときもあるでしょうし、疲れてるときもある。でも赤ちゃんにおっぱいを飲ませなければいけない、抱いてあげなければならないんです。もっともわたしは子どもを持ったことがないので実感はありませんが……
子どもはね、自分をかわいがってくれる親の気持ちはわかっていると思うんです。しかし自分をかわいがっても母親が父を軽蔑しているとしたらこれは耐えられない。また、父親がいくら自分をかわいがってくれても、母親に乱暴な言葉を使っているとしたらこれは耐えられない。僕には優しくしてくれなくてもいいからお母さんを大事にしてほしいという気持ちがあると思う。そういうものが子どもの中に積もって、積もって、積もっていくことがあると思う。
わたしはね、妻として夫に望む愛のあり方というのは、たぶんわたしと年代がいっしょの女性にしてみると、肉体的な愛撫というんじゃなくて、精神的な愛撫というもののほうが、指一本さわらなくてもそのまなざしが優しかったり、言葉づかいが優しかったりしたらうれしいけど、乱暴な言葉で扱われるのはいちばんいやよね。それから、おそろしい目をしたりされたりするのは。
いっしょに聖書を読んで、いっしょにお祈りをするという、そういう生活が自分たちの土台にあるということは、わたしには何よりも愛の証《あかし》であるように思うのね。それがまったくなくなったら、わたしたち夫婦はどんなになっちゃうかな、わかんないなと思う。
いたわり合うというのは、小さな叫びでも耳にとめてくれるということだと思うの。わたしは体が弱いからね。朝、胃が痛いとか言って、あとになってもう自分で忘れてても光世さんが、寝るときにさあ胃に手を当ててあげるって言って、わたしの胃にじっと手を当ててくれたりするでしょ。こっちが忘れるぐらいのことでも覚えていてくれるというのは、やっぱりすごい。感謝ですよね。
(結婚している男性が)「今日は妻の誕生日でね、皆さん失礼」ぐらい言える、そして言わせられる社会でなきゃならない。結婚というのはなまなかな覚悟でされちゃ困るんで、やっぱり命がけの問題だと思う。
夫婦は一体である、人はこれを離してはならないという「聖書」の言葉があって、キリスト教の結婚式では必ずこれを言われるわけです。
だれでもないこのような罪深いわたしに、神様はこのような形で結婚をさせてくださった。それはほんとうに感謝でした。
「一日一伝」。一日に一度伝える一日一伝、ということで、トラクトをまずお友達にさし上げるということをやりました。これがわたしたちの家庭の始まりで、これが小説を書くことにつながったわけです。ですからわたしは何と言われようと、わたしは小説を書いてるんじゃない、わたしは伝道してるんだと言い切っています。
三 人生について
わたしは理想主義者のように、小説に理想的な人物を書いていますけれど、内心は「こんな人はいないや」と思っている。(笑)「こんな人がいたらいいなぁ」とか、「こんな話があったらいいなぁ」とか思いつつ書いている。
とうとうたる弁舌で自信満々に論理を展開する人を見ると、かえって、欠陥のある論理を述べていると思ってしまいます。神様を人間よりちょっとばかり偉い人のように思うのは、とんでもないことじゃないかと思うんですね。
「今よりあとのことは神様の領分だ」と言った人がいますが、わたし自身けっこう自分の知恵に依り頼んでいることもありますよね。
(小説「銃口」にふれて)いいか悪いかは判断できないけれども、わたしはあなたがたのしていることに対して仲間になりませんよ――というはっきりした態度はとらなければいけないと思うんです。そんなこと話し合ったところで、戦争になったら殺されるだけかもしれませんけれども、命をかけてでもそうしなくてはならないときもある。ですからわたしは「『銃口』を書き終わったら殺されるかもしれない」と言っている。
人間はどこから来てどこへ行くものなのか、わたしたちはどんなにむなしく生まれてきたか、わたしたちはどんなにむなしく生きてきたか。やはり人間を書く以上、そういうことを考えてしまうわけですね。そして、どんな人間を書くにしても、書く以上、だれもがその問いかけをせざるをえないと思います。わたしの場合、人間のとらえ方がちょっと、他の方とは違うかもしれませんが、でも、違うとおっしゃる方のほうが違っているかもしれないし……。それぞれ書き手によって違わなかったらおもしろくないと思うんです。
神様がいいところを選んでくださって、いい道を歩かせてくださっても、人間は驚くほどには感謝していないものですよね。わたしは歩くのが不自由になってきていますが、自分の足でトイレへ立っていって、汚い話ですが自分で自分のおしりをふくことができます。こんな幸いなことはありません。この行為を寝たきりの人に一日でも味わわせてあげたら、随喜の涙を流すだろうと思います。
ほんとうはそういうお金にかえられない毎日を生きていながら、存外、大いに喜ぶということはないんですね。ちょっとは喜ぶけれども、それにまた御託がついてきて、いろいろ文句を言ったりするんです。
十のうち九まで満ち足りて一つしか不満がないときでさえ、人間はまずその不満を真っ先に口に出し、文句を言いつづけるものなんですよね。
大学に入学して一時は喜んでも、あとで五月病になって自殺したりする学生がいるでしょう。常にある喜びを喜びとして受け止める力が人間、特に現代人にはないんですね。
自分の犯した過失や罪は非常に小さなことにしかすぎない。でも、同じことを自分の嫌いな人がした場合は「たいへんに悪いこと」になってしまうんですね。いちばん陥りやすくて恐ろしいことは、「この世の憲法は自分である」ということですよ。
お金を百円持ってきて物を買う人に、ある人にはたくさんあげるし、ある人には少ししかあげない。ちょうどそういう不公平な、実に悪徳商人みたいなことをやって生きているのがわたしたちだと思います。自己中心的なところがあるんですね。わたしたちが毎日つきあっている人たちは、みんなこうしたいくつかのものさしを持って生きている。
完全にその日の自分の機嫌や気持ちの持ち方で、昨日したことは悪いことでも、今日したことはたいして咎めないとか……。でも、忘れてならないのは、ほんとうにたいせつなこととして、そういう人たちの一人が自分自身だということですよね。いいことだって同じです。他人のやったことなら「あんなことは、人間ならだれでもすることだ。たいしたことはない」と過小評価しますね。
子どもが喧嘩をしても仲直りが早いのは、自分が主義主張を持たないからですね。これは絶対許せない、一生許せない、殺してやる――みたいな気持ちをまさか子どもは持ちませんけれども、大人は「あの言葉は絶対に一生忘れない」などと自分で心に刻みつけてしまうから、許せなくなるんです。忘れるということも、許しの一つかもしれませんね。
幸せになりたい――と思って生きているはずの人間ですが、幸せそうな顔をしている人はなかなかいないです。
「ほんとうにありがとう」と言って何かお返しをして、それでもうすんだんだというような生き方を世間では割合しているんじゃないですか。
あのときお世話になった分は花瓶を買ってさしあげたし、卒業祝いにはワイシャツの券をさしあげたとか。それではなんの優しさもない、形式上の返礼だけです。
日本には古くから、「恩知らず」という言葉がありますね。『聖書』にも「恩を知らぬもの」という言葉が書かれてあります。「恩を知る」と「恩を返す」とでは格段の相違です。わたしたちは毎日の幕らしの中で、知恩はないけれども返恩ばっかり。でも、恩とはもともと返すことのできない性質のものですよね。
恩を感じるときはいろいろありますが、わたし、「恩を受けた」としみじみ思うときの自分の心の状態が好きです。
一人の人が洗礼を受けるまでの道筋にはどれだけ多くの人がかかわっているのかなと、よく思わされるんです。
普通の人生もそうだと思います。あのとき、この人に出会わなかったら……ということをしょっちゅう思いますよね。そういうのもみんな備えられていたかのように、わたしなどはほんとうに不思議な出会いが多いんです。みんな気をつけていれば、それぞれに不思議な出会いを感じると思います。
真理において一つであるということをお互いに確認し合うことができれば、宗教や宗派が違っていても、仲よくできる、お友だちになれると思うんです。
その半面で、遊んだりスポーツしたりするときに気が合った楽しいお友だちも、一線を画するところはきっちりと画す必要はあります。そのあたりが日本人はあいまいですね。おつきあいがよすぎて、神様も八百万になってしまったんじゃないですか。
自分と同じ人間はこの地球始まって以来、地球が終わるまで、ただの一人も出てきません。自分はたった一人です。たった一人しか生まれなかったということの意味を、わたしは深く考えたいと思います。
わたしたちは、だれに会うこともない一日というのを暮らすことがありますけれど、だれに会うことのないそのときの自分を大事にしないで、真実に生きるということはないんじゃないかと思います。
雑事という言葉がありますけれども、雑にやれば雑事なんですね。ここにこれを置くということも、これをここに持ってきて置くということも、雑にやれば雑事になります。わたしたちは、どんなに立派なことをやっていても、それが心のこもらない雑な心でやったことなら雑事です。今日一日雑事で終わり。次の一日も雑事で終わり。一生終わって雑事で終わったっていう、一生になりかねない。恐ろしいものを一人のときというものは、持っていると思います。
人間は、すべて何物かに縛りつけられて生きていると思います。皆さんもそうだと思います。自分は自由だと思っていらっしゃるかもしれないけれど、ずいぶんと不自由に生きているんです。
毎日をほんとうに本気になって自分の中に求めつづけていっていただきたいと思うんです。今何を求めるか、求めて生きるのかということを、皆さんご自身の宿題としてもっていていただきたいと思います。
人生には選択というのがあるわけです。それをたいせつにしなければならない。なぜなら、わたしたちは自分の人生を自由に選ぶことはむずかしいということなんですね。
たとえば生まれること一つとってもそうでしょう。お金持ちの家に生まれること、美人に生まれること、健康に生まれること、頭がよく生まれること、これらを選ぶことはわたしたちにはできない。むしろ逆のことが多いかもしれません。
仕事があれば気がまぎれてそのまま生きていける、それでいいのかっていうことに気づいたんです。これはその日暮らしということじゃないだろうか。精神的にその日暮らしじゃないだろうか。その日一日何かやることがあれば、そのままでなしくずしにわたしの一生は毎日が終わっていく。これはたいへんだと思いました。
神はいると思って生きたほうがいいのか、いないと思って生きたほうがいいのか。いないと思って生きたらどんな人生になるのか、わたしはわたし自身を知っていました。しかし、神はいると思って生き始めたときに、たとえいなくてもわたしの人生は充実したものになるんじゃないか、そう思いました。
皆さんのこれからの人生は何年つづくかわかりませんけれども、まだまだ自分の目の前には足跡のついていない白い布がずっと長くつづいていると思ってください。そのまっ白い布の上に、どのような足跡をつけるかは皆さんの自由です。どんなふうに歩まれていくか、わたしは願わくは聖書にふれていただきたい、神を信じていただきたい、と心から祈ります。
人の悪口というのはつい出てくるものです。努めて言わないように気をつけていても、かなり出てくるものですが、これは罪深いことです。悪口ぐらいたいしたことはないじゃないかと思いますけれども、わたしたちの牧師がこう言ったことがあります。
「悪口を言うことと、泥棒とどちらが悪いか? ……泥棒に入られたために自殺した人、というのは聞いたことがないけれども、悪口を言われたために自殺した人というのはいる。人の心を傷つけるという意味では、もう泥棒とは比較にならない罪なのだ」ということを聞かされて、はぁーと思いましたですね。
わたしは、お金を稼ぐことができるということは、自立の精神があるということとはまた、ちょっと違うと思います。問題は、そのお金をどのように使えるかということだと思う。それから、何も働くことができなくてもいい。ほんとうに精神的な貯金のある人はですね、じたばたしないんですね。
ほんとうの大きな仕事をする人を見ていますとね、周囲に必ず協力者がいます。その人の尊敬する先生がそばにいます。自分の周りに尊敬する人がいない人というのは、協力もしてもらえなければ、導いてももらえませんから、ほんとうの意味の自立ということは、わたしは、できないと思う。ほんとうに自立している人こそ、頭を低くして、どうぞよろしく協力してください。どうぞよろしく導いてください。どうぞわたしに教えてください。と、いろいろな人の力をいただくことができる人だと思います。
自分のほうに非を認めることができる人間になったときに、ほんとうは自立しているといえるんじゃないかと思うんですね。で、そういうときにはですね、力まないですね。
わたしたちはともすれば、砂の上とか海の上とかに立っているところがあるような気がします。船の上のグラグラするところとか。しょっちゅうグラグラする。ほんとうに自分の足で立つということには、限界がありますから、立つ場所ということは、まず大事なんです。その立つ場所は、皆さんでさがしていただければいいと思うわけですけれども。自分の立つ地盤を自分で選ぶということ。それが自立の始めであり、終わりであるというふうにわたしは思います。
ご自分の自立の度合いを調べるのには、どれだけ人を許しているかというのも一つの目安だと思いますし、どれだけ真剣にかかわっているか、どれだけ人を受け入れているかですね。
自分で立っているだけで精いっぱい、というのはこれは自立じゃないですね。他の人も生かすということができて初めて、その人は立っているというんじゃないかなぁというふうに思います。
わたしたちが、ほんとうに自立するとは何かと、真剣に考えたときに、「あ、それはね、○○さんは特別なのよ。わたしには真似できない、とっても」と言うのは、これは傲慢です。ほんとうに謙遜であれば、一つでもどこか真似する気持ちになろうという、そういう謙虚な気持ちが自立の始めだというふうにわたしは思うわけですね。
ほんとうに自分の立つところがどこであるべきか。つまり、人生に対する姿勢ということも含めて、それはお一人お一人、自由だと思います。けれど、その自由に何を選びとるか……というところに問題があるように思います。
わたしたちの自己中心的な思い、常に自分はよいけれども、人は悪いという考えを持って生きていくというあり方を、教会では最も大きな、というより根本的な罪と言っています。自分中心ではなく、神中心にならなければ、わたしたちは罪から解放されることはないわけですけれども、自己中心のものさしを持っている人間が、毎日どこかで罪を犯していないわけはないんですけれども、これに気がつかない。
自己中心のものさしをいくつも持っているいい加減な人間が、どんなに頼りになるものでしょうか。もっと自分というものを疑ってかかっていいと思うんです。(自分が自分で)思っているよりも恐ろしいものを持っているという、絶望感を持たないということのほうが人間は恐ろしいと思うんです。
神様は、人間というものをおつくりになった。金がないというだけぐらいのことで不幸になるようなものをおつくりにならなかったということですね。人間というものは、金がないというだけでは不幸にならないという存在だということだと、わたしは思います。
わたしたちは、心のどこかにもうちょっとお金があればなあ、お金があれば幸福になるんだけどなというような気分的なものを持っています。しかしその気分的な面で考える幸福というものは、幸福そうかもしれないけれども幸福じゃないとわたしは思う。
わたしは驚くということは大事だと思います。わたしの好きな「今日という日にはだれもが素人だ」(五十嵐広三氏)という言葉。だれだって今日を生きたことがあるよっていう人はいないわけで、今まで何十年も生きてきても、今日という日は確かに初めてなのですね。
何に出会うかわからない人生だから、相手に驚くということはいろいろなさまざまの花でも虫でも空でも風でも、そういうものに驚くということもあるわけです。他の人の言葉でも読書でも。やっぱりわたしは「驚く」という気持ちをずっと持っていたいと思いますね。
わたしはSさんという死刑囚のことをときどき講演でお話しします。この方は三十歳でいい歌を残して、亡くなりました。彼がいよいよ処刑が近くなって、自分の人生を考えてみたときに、小さいときからほめられたことが一度もないことに気がついた。
わたしはSさんの歌を読んで考えました。どうしてこの人が、両親や先生、近所の人にほめられなかったのかと思いました。それは彼が悪かったからなのでしょうか。そして私は気がついたんです。ほんとうは、みんなが、「かわいいね」とか「いい子だね」とか声をかけていてくれたら、Sさんは人生をまだまだ楽しんでいたかもしれないと思いました。
四 病との共生
病気になってほんとうに何もできなくても、それでわたしはかまわないと思います。一人の人が病気になって、みんながたいへんだと思っても病気の人が与えられるということは、これは大きな神様の思し召しであることが、しばしばあると思うんです。一つの十字架なんですね。
近所の人が病気だというときに、皆さんは早く治ればいいなあ、とは思っても、風邪をひいたぐらいでお祈りしますでしょうか。どんな思いで人が生きているのかわからない、というような鈍感さでわたしたちは生きている。
わたしたち患者と医療に従事する人との、一つのはっきりした違いというものについて、あるときから考え始めました。それはわたしのように十一回も入院した人間は別として、入院ということがその人にとって生まれて初めての出来事であるというこの事実に、幾度もぶつかったからです。
検査の結果を心配している患者さんに、
「あんたの場合は、この前の数値とは同じだけども、顔色を見てもよくなっているから、次はよくなると思うよ」
と言葉を添えるお医者さんもいらっしゃる。
言葉を添える――お薬(を患者に渡すとき)でも言葉を添えるというのは大事ですね。「これは何日かすると必ず熱が下がるから、それまであせらないで飲んでくださいよ」などと言われると、その一言で安心して、ゆっくりと待っていられる。薬を飲んでも、すぐに効かないといらいらしてくるのが、生まれて初めての入院生活をする患者さんたちの気持ちなんですね。
旭川日赤病院の菱山四郎治先生は、(わたしの)小学校の同期の方でした。この方に手術をしていただいたときに、 ……菱山先生は神様を信じている方、カトリックの方ですが……。
「ぼくもあなたも同じ神を信じていて、ほんとうにこのたびの手術はうれしかった。神様のおはからいがあったということを思います」
先生が神様に栄光を帰し、ご自分に誇りを持たずにただ感謝して、そうおっしゃったとき、わたしはすごい方だなあと思いました。
お医者さんというのは、ほんとうにたいへんな影響力を持っていらっしゃると思うんです。わたしは札幌医大に入院しているとき、まだ洗礼を受ける前で、こんな人間生きていていいんだろうか? 死んでもいいんではないだろうかと、自分という人間がいやでいやでたまりませんでした。人間、病気すると、そう思うんです。
柴田淳一先生は今(一九九一年現在)、旭川市立病院の院長さんですが、わたしが札幌医大に入院しておりましたとき、もし旭川に帰って医者にかかるようなことがあったら、忘れないでこの先生にかかりなさいよと言ってくださった方がありました。
この柴田先生は、まず患者さんのそばに椅子を持っていって、患者さんと同じ目線になるようなところにおすわりになって、じっくりとお話を聞いてあげたというのです。
この、人を人間として、人間が人間を扱うのだということを、よくお気持ちの中にしっかりと持っていらしてのことだったと思います。人間が人間を愛するということはすごく大事なことだと思います。
病気になって初めてほんとうの人の姿が見えてくる。これは得がたい体験です。
あるお医者さんが脊髄にビールスが入って、もう今の医学では治りようのない病気になってしまったので、それならお好きな仕事をしていただこうと研究の用意をしてあげたそうです。お医者さんたちというのは勉強家なんですね。(笑)夢中になって研究していらっしゃるうちに、その先生の脊髄からビールスを発見することができなくなって治ってしまったというんです。わたしね、病気って何だろうと思うんです。
粉ミルク療法というのをしているセンターがありまして、いろんな大きい病院から、そこに療養しに来ています。ある人は初めは自分はがんではないと思っていたのにがんだったとわかり、大きな病院であと何カ月、何週間とか言われて、しかたなしにやってきた。ところが、そこにいる他の人が明るいのですね。そうすると人間、その治りつつある姿を見て希望を持つんです。
(わたし自身)多くの、もう父や母や兄弟たちの、いろいろな犠牲の上で療養生活をしながら、自分は一人で生きているかのように思っていた、ということは非常に恥ずかしく思いました。
がんだと言われたときはほんとうにショックで泣いた人も、みながんの現実に慣れてゆきます。落ち着いてゆきます。がんの告知のショックでどうにもならなくて、自殺したという人をわたしは知りません。
人間は絶望的な状態であっても一筋の光が見えたら、ぐーっと顔が変わっていくんですね。
治すのは何か別のもの、(医療の)諸技術も大事でしょうし、薬も大事でしょうけど、希望を与える言葉とか、希望を与える情景とか、何かわれを忘れさせるということがすごく大事なのではないでしょうか。
もし神様のようにわたしたちの未来を正確に知ることができるとしたら、みずからの運命をほんとうに知りたいと願うでしょうか。わたしは、かつて十数年にわたって療養したことがありますが、もし発病した時点で今後十数年も寝なければならないと知ったら、闘病する気にはなれなかっただろうと思うのです。今年は治るだろう、来年は立ち上がれるかもしれないと思っていたからこそ、十何年も闘病して立ち上がることができたんです。
わたしは、ものすごく長いことたくさん病気をしています。肺結核もカリエスも、それから帯状疱疹も、がんも、いろんなことをやって来てまして、今もあんまり調子はよろしくはありませんけれど。人の顔を見て、「あー、あんた疲れてるねえ」って…… まあ同情して言ってくれる人なんだろうと思うけれども…… それから「顔色悪いねえ」とか、「このごろやせたようだね」とかね。顔さえ見ればいいこと言わない人がいるんですね。そのときね、淋しいですよ。
あげるに時あり、食べるに時ありで、時を選んでくださる神様を信じているのなら、いつになったらもらえるのかというような心配はしなくなるはずです。
わたしはよく病気をします。病気をするのは精神状態に原因があるとか、いろいろ言われていますけれど、神様は何をお考えかということがわからないのに、人間がわかろうとするのは傲慢だと思うの。人間のあさはかな知恵ぐらいで、神様のなさることがわかったように言うわけにはいかないと思うんです。
寝たきりの、何も自分の言葉でものの言えない人も、思っていることの心の中はすばらしいですね。(一方)口に出して言えるわたしたちが「ありがとう」という言葉を出さずに生きております。わたしたちはこの口で何かを言う義務があると思います。
直腸がんになったときに、わたしは今まで味わったことのないような平安を与えられました。高いものには高いお金を払わなくてはならないように、この素晴らしい平安はやはり何かにならないと得られないのかなあと思うような平安を与えられました。
でもわたしは、病気というのはマイナスばかりじゃない、いや長い病気であっても病気は病気なりにプラスの生活があるんじゃないか、と思います。病気で失ったものはいったい何だろう、と考えたら健康だけだったんですね。健康は確かに失われたかもしれないけれども、その代わりに得たものは真実の友でした。
お友だちは病気のわたしに何をしてくれたでしょう。「ねえ綾子さん、わたしね、うちのだんながこうでね、ああでね、娘がこうでね、どうしたらいいの」などという相談に来たものです。わたしは病気ですからいつでも家にいるわけでしょう。夜の夜中だってやって来られるわけです。家出をしたい、もう夫婦別れをしたいなどという人は、わたしの家に来てそこで泣けるわけです。わたしはあれがいちばんの見舞いの方法だと思います。
空気を吸えることがどんなにありがたいことかということは、空気を吸えない状態になったことがある人はわかるわけです。トイレに毎日行っている人はそんなことあたりまえ、行ってスッと出して、パッと飛び出してきても何も気にならない。わたしなんか直腸がんでしょう、三年前に再発してから粉ミルク療法でとてもよくなったんですけれども、つづけざまに六回もトイレに入るときがあるんです。紳士、淑女の前でこういう話をして申しわけないけれど、トイレに入って一分以内に出てこられたらありがたいですよ。わたしにそんなこと一年に一回もないんです。だからそういうときはすごく感謝します。
五 神と信仰
わたしは朝起きたときにまず何を考えるか。ああ今日はわたしの命日かもしれない、でも神様が今日の一日を見守っていてくださいます。神様どうぞおまかせしますからよろしくお願いします、という祈りをつづけています。
わたしたちは、生きている限りいろいろなものに縛りつけられています。何に縛られているかは、人によってさまざまでしょう。しかしどんなに縛りつけられていても、神様は地獄じゃなくて、天国で暮らすことのできるものを与えてくださっている。
神様は、不要なものはこの世にお造りにならなかったとわたしは信じております。
わたしのような役立たずでも、いくらか役に立たせていただいております。
しかし、役に立つか立たないかで人間を見てはいけないという言葉を忘れてはいけないと思います。役に立っていると思っている人間がどれほどこの世の中で害毒を流していることでしょう。その事実を、皆さんは心に思い当たるのではないでしょうか?
神が人間とこの世をお造りになった以上、この世はそもそも宗教的な世界なんですね。その場所で、それこそでたらめをやっている人間も、そのままで宗教的な存在だと言えるのではないでしょうか。常に神を信じ、神にあいさつをし、お祈りをして、教会に通って讃美歌を歌って、外から見ればいかにもクリスチャンらしくふるまっている人よりも、女をうまくだまし込んだり、会社のお金をちょろまかしたりする人間の存在のほうが、ずっと宗教的だと言えることもあると思うのですが……。
『聖書』には、「人はパンのみにて生くるにあらず、神の口から出づる一つ一つの言葉によって生きる」と書いてありますけれども、ほんとうにわたしたちはパンだけで生きてはいられません。パンさえ投げ与えてもらえれば、それをありがたく思って、生きてゆくというわけにはいきません。パンは投げ与えられるものではないんです。パンを超えたもの、ほんとうに人間を生かすものを求めて生きたいと思います。
いつ裏切られるかわからないという不安を乗り越えるには、どうしても信仰が必要なんです。神を信じていれば、もし裏切られても、そのとき神は何かを備えてくださるという安心があるはずですけれどね。信仰でたいせつなのは、徹底的に信じることですよ。
「わたしは神様にこんなに祈っている」と思っていても、神様に届かない祈りばかりしていることもある。もっと大きい声で、もっと心底から、もっとしばしば祈っていれば、神様にも聞こえるけれど、「あんたは何をやってるのかわからない」と神様に言われそうな祈りしかしていない。それで「神様を信じます」と言っても、ほんとうは何も信じてはいないんですね。
光世さんのお母さんがとても信仰の篤《あつ》い人だったんですね。彼が急性肺炎という大病に冒されて死にそうになったとき、わたしが「お母さん、お祈りしてください」と頼んだらお祈りしてくださったのです。お祈りが終わったとたん、わたしが「ねえお母さん、光世さんは治るでしょうか」と言ったら、キッとした表情をして「あなたは、それでもクリスチャンですか。今、祈ったばかりで何ですか」と叱られました。(笑)そういうものなのですね。祈りながらも信じてはいなかったんです。
水野源三さん(一九三七〜一九八四。詩人、歌人)は十一歳のときに熱病がもとで、寝たきりの体になりました。けれどもこの人は、短歌、俳句、詩と四万にものぼる多くの作品を生み、本を出版された。水野さんはキリストを信じたときに、イエス様の素晴らしさを人々に訴えたい、という思いがフツフツと湧いてきたというんですね。そして、自宅療養のまま伝道をして、多くの人たちを力づけました。わたしも水野さんに力づけられた一人です。このように、人々に訴えたい、という思いを与えてくださるのが神様なんです。わたしはこれは奇蹟だと思っている。
『旧約聖書』にしても『新約聖書』にしても、この「約」の意味は約束の「約」なんですね。ですから、『聖書』を神様と人間との「約束の書物」と定義することもできます。この約束を人間が少しでも確認する限り、神様は履行してくださるのです。でも、人間同士となると、頼りなくなりますね。
神様ならすべてお見通しでしょう。毎日お見通しだもの。だからなるべく、たびたびは祈らないようにしています。神様がわたしのことを思い出されて、見通されても困るから。(笑)うちのだんなさんはよくお祈りしてくれますけれどね。わたしは直接神様に「病気を治してください」というお祈りは、ほとんどしたことないですね。ただ、「わたしに何かすべき使命があるなら、それを与えてください」と祈ることはあります。ほんとうに思い出されちゃ困るのに、そのためだったら思い出してくださらなければ困る存在なんです。
わたしをキリスト教にひきつけた最初の言葉は、イエス様の福音書に出てくる「律法は人間のためにつくられたのであって、人間が律法のためにつくられたんじゃない」というところです。すごい言葉だなと思ったの。法治国だから何がなんでも法律を守らなくてはならない。その意味で、悪法も法であるとはいえるでしょう。でも、わたしは、悪法は法ではないと思うのです。法律というものは、人間のつくったものでしょう。人間のつくったものである限り、完全とはいえませんからね。
わたしたちに裁く権利はありません。だけど神様はまちがいなく裁ける方だから、結局は裁きをなさってくださるだろうと思っています。『聖書』に出てくる預言者の言葉は神からの言葉で、その神からの言葉である預言は、驚くほど正確に成就されています。
預言者に「今、あなたが悔い改めねば、敵の手によって死を与えられるだろう」と言われた王たちは、どんなに強大な権力を誇っていても、結局は敵に殺されて死に絶えておりますし、「必ず滅びる」と言われた国はいかに繁栄を謳《うた》っていても滅びています。反対に、「栄える」と言われた国はそのとおりに栄えているのです。
キリスト教を広めるつもりで小説を書くのはよくないとか、教義的なものを入れる小説は悪いとか、親切のつもりでわたしに言ってくださる方がおります。そんなとき「わたしにとって、信仰は絶対のものです。書くことはやめても、信ずることをやめるわけにはいかないのです。ですから、キリストを信じながら小説を書いていて、一向に良心の呵責を感じません」とわたしは言っているんです。
小説を書く人は、みんな自分の胸の中にそれぞれの主人を持っていると思うんですね。そして、神様を信じない、神様の「か」の字も出ない小説を書いていて、それだけの理由で宗教的なものは含んでいないと思っていたら、大いなる誤解だと思うんです。わたしは、人間は宗教的なところなどありえない――とは絶対に言えないと思うんです。
キリスト教では、人間は神との関係において命を与えられていると説きます。イエス・キリストは人類の罪のあがないとして十字架を負ってくださったわけですから、馬とか犬の罪というのはないんでしょうね。人間たちの罪を負って亡くなってくださった方がいるんです。神との関係から見てなぜ命が尊いかというと、人間が神のひとり子の命を犠牲にして生きているからだとわたしは思っています。
動物は神がつくられたとおりの法則や、自然の法則に従って生きていますね。たとえば性の交わりも神の決められた期間に、春なら春とか、夏なら夏とか決まっていますね。人間は朝も昼も、夏も秋もなくめちゃくちゃでしょう。(笑)そのように人間は、神の決められた法則を乗り越えてしまうわけです。その乗り越えた分が罪なんですよね。人間には素直な「神への従い」がない。
(日本では)清い人でなければクリスチャンになれないとか、もっと高い倫理道徳を持たなければクリスチャンになれないとかいう誤解を生んでいます。そうであれば、わたしも毎日そういう罪を犯していることになりますね。(笑)
わたしが何かつまらないことでも言おうものなら、「クリスチャンのくせに、そんなことをおっしゃるんですか」と、とがめてくださる人もいます。このことによって、わたしはどれほど自分を反省させられ、守られているかはかり知れないのです。
どうやって恩に報いるべきかといったら、ほんとうはお祈りするよりほかはないんでしょうね。「あの方はこういうことをしてくださいました、神様ごらんくださいましたか」と言って……。
返しても返しても返せないのが恩なんですね。相手は神様なんですね。目に見える人間の恩をすらなかなか感ずることができないのに、目に見えない神の恩を知るということはなおさらむずかしい。
一人の人間、自分が生かされている陰に、多くの方のお心があるということですね。わたしは自分が造られたものだということを年をとるに従って思います。神様の被造物だ、と。神様は造る方であり、わたしは造られたものであって同じ世界ではない。質から何から全部違うわけです。
見るものすべて、みな神が造られたものだとして見ていますから、散歩していても、よくだんなと二人で声をあげるんですね。あるとき、だんなが「綾子、これをただで見ていいんだろうか」と言ったんです。いい言葉だと思いましたね。そういう驚きをもって神様をたたえる。
神様は、わたしたち人間に、金とか健康とかよい頭というものを持たなくても幸せに生きるように、造っていらっしゃるってことだと思います。
(心が)からっぽになっているというのがですね、人の言葉に耳を傾けようとして、からっぽになっているのが(聖書が説く)心の貧しい人たちなんです。いっぱいになっている人は、心は貧しくないんですね。とにかく心の貧しい人たちは幸いである。
人間にとってなくてはならぬものは何か。いろいろありますけれども、ほんとにちょっとした一言の「みことば」というのは、なくてはならぬものなんです。この世にもし、今、イエス様がいらっしゃってどこそこでお話しなさるって言ったら、わたしたちは何をおいてもそこへ駆けつけると思う。
宗教の地盤の上に、信仰の地盤の上に立つのが美術であり、文学であり、あるいは政治であり、教育であると思っています。決して対立するものじゃなくて、その地盤のないところに書いたものを、神は用いたもうかどうか、わたしはわからないと思っています。
わたしたちは根本的に生きているというだけで罪を持っているんです。イエス・キリストがかけられた、あの十字架というのは、言ってみれば、人間に対する神の絶望を意味しているとわたしは聞いたことがあります。十字架にかけられるのは、実はわたしたちなんですが、罪のない方、すなわちイエス様がわたしたちに代わって十字架にかけられたということです。イエスの死というのは、人間に対する神の絶望と神の愛が示されているということなのです。
わたしたち人間は、自己中心に生きているんです。自己中心に生きてるから、徹底的に自分を神の前に問題にするなんていうことはしない。徹底的に人を問題にするという生き方をやっているんです。悪いところばっかりつついている。いいところを数え上げるということをしなければ、これは神のほうを見ることはできないんです。
いろんな祈りもあってもいいけれども、しかしいちばん大事な祈りというのは神様に、わたしのすることを教えてくださいという祈りだと思います。
神の前に一人一人がまず自分のことを問題にするということをやらないで、神に本気で祈るということをやらないで、世界の平和を叫んだって駄目だと思います。
一人一人が本気で生きたときに、本気で神様も答えてくださるということだけは申し上げたいと思います。
解説――三浦綾子の絶望と平安  榎本栄次
三浦文学には単純なまでの神への信仰による楽観主義と、逆に深い現実の闇を見つめる悲観主義の目とがある。どの作品にも光と闇、絶望と平安の弁証法が織りなしている。だから多くの人の心を捉え、揺り動かすのであろう。
本書に収録した言葉からも彼女の息のようなものが伝わってくる。
「人間として生まれてきた以上いろんなことやらなくてはいけないと思います。できないだけに、せめて祈りだけでもしなければいけないと思うのです。これがまた簡単なようでたいへんだなあと感じます」(15ページ)。
そのように言いながら、自分の体を神からの預かりものとして、その死の最後まで大事につき合っている。自分の命と同じように他人の命もまた神の贈り物として見る。どんなことにもどんな人にも、その背後にある神の意志を見ようとする。独善ではなく、徹底して神の前に謙遜であろうとする彼女の息吹が人を生かす言葉として伝わってくる。
えこひいき
私ごとになるが二十数年前、私は札幌市の郊外で小さな教会の牧師をしていた。招いてくれる教会がなかったので、仕方なく始めた開拓伝道であった。教会といっても、小さな住宅に十字架を掲げただけの伝道所である。八畳の居間で、四、五人の礼拝をしていた。どんな人でもいい、泥棒さんでもいい、一人でも礼拝に参加して欲しいと思っていたものだ。そんなある日曜日の朝、電話が鳴った。
「榎本栄次先生ですか。私は旭川の三浦綾子ですけれど、今朝はそちらの教会の礼拝に出席したいのですが、どのように行ったらいいでしょうか」
札幌の中心には大きな教会がいくつもあるのに、あの有名な作家の三浦綾子さんがこんな不便な小さな教会の礼拝に来てくださる、本当かしら。そんな思いでお待ちしていたら、間もなくご夫妻で来てくださった。テレビ台が説教台、会衆(?)は座布団に座って私の話を聞くという礼拝である。三浦ご夫妻は私のすぐ前で背筋をしゃんと伸ばして座り、熱心に聞いておられた。
当時の私の心意気としては、私たちの礼拝は今ここに来ている人たちだけのものではない。この地域全体のための礼拝をしている。また、教会は小さくても使命は大きく日本の救いにあるというものであった。たとえ礼拝の相手が妻一人であっても一〇〇人の会衆を相手に話すつもりで準備していた。だからその日の説教要旨を書いたガリ版刷りの週報は千部印刷した。それを毎週一週間かかって地域に配布していた。これは十四年間私の基本活動になった。
礼拝が終わると、綾子さんが、
「たいへんいい礼拝説教でした。何百人を前にしても劣らないような内容でした」
と誉めてくださった。
そんな出会いから、以来何かと応援していただき、札幌北部教会創立三周年の時も、一〇周年の時も記念講演をしていただいた。お陰で三浦綾子さんに導かれたという人が何人も教会に来るようになった。
ある時、三浦綾子さんは私のことを、
「榎本先生は神様にひいきされていますね。だって失敗、失敗しながら高くなっているんだもの」
と言ってくださった。「ひいきされている」というのは、あまりいい言葉ではないかもしれないが、「神様にひいきされている」というのは最高の励ましであった。考えてみれば、実際その通りである。私には特別優れたところなどない。欠点だらけのズルくてドジな男である。見放されても仕方のない者が、なぜかどんな状況に置かれてもどうにかうまくいく。「高くなっている」かどうかは知らないが、不幸にはなっていない。
私は高校時代から「そこそこ」でいいと思ってきた。今もそれを理想としている。完全やいちばん高いところなんて望まない。自分には不釣り合いだから。「そこそこ」でいい。ところがその「そこそこ」になれないのだ。考えてみれば、どの人も「そこそこ」の人はすごくがんばっているのだった。いい加減にしていて「そこそこ」になれるわけがなかった。なれないから仕方なく別な道を歩くことになる。するとなぜか、初め志したところより高いところに来てしまっている。
後に、いつかのテレビで彼女はご自分のことを「私は神様にひいきされているの」とおっしゃっていた。同志を得た気分だった。このようにして私は、三浦光世、綾子ご夫妻に随分えこひいきしていただいた。
訪問
十二年前から札幌を離れ、新潟の敬和学園高等学校の校長になっている。以来、毎年夏になると、三浦宅を訪ねさせていただいている。生徒を連れて行ったり、家族でお訪ねしたり、その時その時手厚いもてなしをいただいた。この日のために何日も前からスケジュールと体調を整えていてくださる。私たちが帰った後も、また何時間も休養を必要とするらしかった。
ある年の夏お訪ねした時、こんな言葉をいただいた。
絶望と平安
絶望ということは決して神の世界には存在しない
絶望している間は、神との交渉が篤く深まる可能性を残していてくれる
だから、自分が絶望していると知ったときほど平安なものはない
光世さんに支えられて、座っていることもままならない状態で、一言一言かみしめるように語ってくれた。帰ってこの言葉の意味を考え、私なりに解釈してみた。
「神の世界には絶望ということは決して存在しない」
彼女の人生の全てがかかっていると言っても過言ではなかろう。神様に対する単純にして絶対的な信頼である。ここに彼女の文学も世界観も、友情も、夫婦も、家庭も能力も名誉もかかっていたのであろう。どんなに暗く苦しくても神の世界には光があって、希望に満ちている。それは彼女の言葉に一貫した真理である。
「絶望している間は」という時、逆に人間の側の闇を見つめる。人間は絶望するということを忘れていない。この現実に対する鋭さは死の直前までしっかりしていた。社会の不義に対する鋭い感覚はゆるむことがなかった。それはまた個人の心情にも痛みとして食い込みつづけただろう。
次の年の夏お訪ねした時は、旭川の病院に入院されていた。一時は危険な状態になったが、小康を得たというので、会ってくださった。ベッドの上から質問を受けた。
「二〇代の人の愛情と私のようなおばあさんの愛と違いがあるでしょうか」
試問されているようで、どう答えていいか困ってしまった。
「二〇代の人は欲情が強くてどろどろしていますが、先生のように清らかな方は彼らとは違うでしょう」
と、私は言った。すると、あまり納得がいかないような顔をされ、
「違わない、同じよ」
と、おっしゃった。そばにいた光世さんが付け足した。
「困るのですよ。病院から家にちょっと用事に出かけるでしょう。一五分か二〇分ですよ。その間に私がいなくなるのでは、と不安がるのですよ。この前など、私が札幌へ講演に行った時、夕方帰るのに昼から、寒い玄関で何時間も待っているんですよ」
何という新鮮な強い愛の持ち主だろうと感心させられたものだ。しかし、三浦綾子も同じ人間なのだ。死を前にして愛する者との決別は避けられない。どんな慰めも届かない絶望感におそわれるのだろう。そうだ。人間はどんな人でも絶望する。親しい友、愛する者との別れ、持っているものとの断絶がやってくる。どんなに執着しても死という現実はだれにでもやってくることである。三浦綾子も決して例外ではなかったのだろう。
彼女の言うのはそれからのことである。このまさに「絶望している間」に、「神との交渉が篤く深まる可能性を残していてくれる」。
言い換えるならば、この断絶の絶望なくして神との交渉はない。しかしそれは「可能性」であり、そうなるというのではない。そこに信仰の意味がある。彼女の平安はこの神との篤く深い交渉の結果なのだろう。
「だから、自分が絶望していると知ったときほど平安なものはない」
この平安は人間が築き、蓄えてきたものではない。こちらの側にあるものではなく、それが断ち切られたところに神の側からやってきた平安である。神との交渉から得られたものである。それはだれも盗ることも裂くこともできない平安である。
昔、良寛和尚は新潟の分水に五合庵を建て、一人暮らしをしていた。ある夜そこに泥棒が入った。何か盗もうとしたが何もないので、良寛さんが寝ている布団を盗ろうとする。そのとき、良寛は腰を少し浮かせたという。何という余裕だろうか。そのときに詠んだ句がある。
盗人に盗り残されし窓の月
どんなに泥棒に盗られても、美しく輝いているお月さんはだれにも盗られない。この世の富はなくなっても、天からの平安はだれにも盗られないということだろう。
三浦綾子は底知れない闇の中で神の光にあった。向こうから来る光による平安はだれにも脅かされない。だからだれよりも自由に闇のことが受け入れられたのだろう。
(敬和学園高等学校校長)
榎本栄次氏は、一九四一年淡路島生まれ。立命館大学理工学部在学中より実兄榎本保郎牧師(三浦綾子著「ちいろば先生物語」の主人公)の生き方に影響を受け、同大学卒業後、同志社大学神学部に学び、六八年同大学大学院を卒業後、牧師となる。同年結婚、同時に日本キリスト教団札幌北光教会の伝道師として赴任。七六年札幌市太平で開拓伝道を始め、一四年間同地で奮闘。九〇年三月招かれて、新潟市の敬和学園高校第三代校長となる。同校は、一九六八年、日本キリスト教団団立として創立、祈りを通してさまざまな愛を知る、自分探しの学校という教育方針でユニークな教育実践活動を行っている。
著書に「川は曲がりながらも」(主婦の友社刊)、「自分さがしの旅」(日本基督教団出版局)、「歩く学校」(敬和学園)、「自分さがしの学校」(同)がある。
採録資料一覧
◎公刊されたもの
● 講演「命への随想」一九八八年八月四日。於札幌市北海道青少年会館。
● 講演「命・この尊きもの」一九九一年九月二十一日。第30回全国自治体病院学会特別講演。旭川市。
● 対談「生命・愛が問いかけるもの」宗教評論家 ひろさちや氏。
以上『キリスト教・祈りのかたち』(一九九四年 主婦の友社刊)に収録。
● 対談「現代の夫婦愛を語る」三浦光世氏。
カセットブック『現代の夫婦愛を語る』(一九八九年 主婦の友社刊)に収録。
『三浦綾子対話集3 夫と妻と』(一九九九年 旬報社刊)に同名で活字として収録。
◎未公刊のもの
● 講演「生きるということ」一九八〇年四月十八日。明石上ノ丸教会。教会堂落成記念講演。明石市。
● 講演「いま、自立ということ」一九八三年七月十六日。オリーブの会講演。旭川市。
● 講演「なくてはならぬもの」一九八六年九月二十六日。於旭川公会堂。
● 講演「幸福について」一九八七年八月二日。於留萌市民文化センター。
● 講演「今何を求めるか」一九八七年九月二十一日。北星学園創立一〇〇周年記念講演会。於札幌市民会館大ホール。
編集担当 渡辺 節
永《えい》遠《えん》のことば
三《み》浦《うら》綾《あや》子《こ》
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平成13年11月9日 発行
発行者  松村邦彦
発行所  株式会社 主婦の友社
〒101-8911 東京都千代田区神田駿河台2-9
MITSUYO MIURA 2001
本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
主婦の友社『永遠のことば』平成13年11月20日初版刊行