ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯
目次

ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯

まえおき
第一話
第二話
第三話
第四話
第五話
第六話
第七話

にせの伯母さん
解説
ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯

まえおき

まことに際立った、おそらくはこれまで耳にしたことも、目に見たこともないことどもが、大勢の方々のお耳にはいって、忘却の墓場に埋もれてしまわないということは、結構なことと、わたくしは思うのでございます。それと申すのも、そういうことどもをお読みあそばした方のうちには、何かたのしいとお思いになるところもございましょうし、またさして深く詮索(せんさく)なさらない方々にも面白いとお思いになることもあろうかと思うからでございます。されば、プリニウス〔ローマの博物学者〕も「いかに悪い書物であろうと、何かよいところのない書物はない」と申しているのも、このへんのところを指したのでございます。
わけても、人の好みと申すものは、すべて一様ではございません。一人が食べないものでも、他の者はそれが無性(むしょう)に食べたいという始末でございます。だからある方にとって、取るにたらぬことがらが、他の方々には、けっしてそうでないということが見うけられるのでございます。それだからこそ、よしんば見たところ、ひどくいとわしいものでも、これを破いたり、くだらないとなげうったりしてはならない、いや、それどころか、むしろ害にならないばかりか、その中から、何かしら有益なものを引き出すことさえ出来るのですから、すべての方々に伝わってほしいものでございます。それと申すのも、さもないとしてごらんなさいまし、たった一人の人のために、ものを書く人なんぞ、いくらもございますまい。それに、何の造作もなく出来るものではなし、また、せっかく骨を折るからには、それだけの報いを得たい、と申しても、けっして金銭ではございません、おのれの作品をごらんになって、読んでいただき、もしそれだけのものがあったら、褒めていただきたいと思っているのでございます。さればこそ、キケロが「名誉は芸術をつくる」と申しているのも、それを指したのでございます。
序列表の一番目に乗っている兵士というものが、生きてゆくことをいやがっているなどと誰がいったい考えるでしょうか? いや、けっしてそんなことはございません。それどころか、ほめられたいという欲望がその男を危険に身をさらさせるので、これは芸術や文学の世界でも同じことでございます。神学教授候補の先生と申すものは、説教がお上手で、それにまた、すべての人々の魂の向上をひとえにお望みの方でございます。しかしその方に、「ああ、まあ何とおみごとにあそばしたことでしょう、お上人(しょうにん)さまは!」と、人々が申すとき、悪い気持がなさるかどうか、お訊ねになってごらんあそばせ。
何の某(なにがし)の殿様も、それこそ命を的(まと)に馬上試合をなすって、道化師に鎖かたびらをお与えになりましたが、それというのも、なかなかおみごとな槍さばきをなさいましたねと、道化師がお褒めしたからでございました。しかしもし道化師がありのままを申したら、殿様はどうあそばしたものでございましょう?
ところで、何ごともすべてかような次第でございます。だから、わたくしも打ちあけた話、ひとさまより聖人君子ではございませんから、かくも拙(つたな)い文体で綴(つづ)りましたこのよしなしごとでも、これを読んで何かお気に召す個所を見つけ、こういう幸運や危険や逆境の中に生きている男がいるということをごらんになるすべての方方が、これに好意をよせて、たのしんでくださるとしたら、けっして悪い気持はいたしますまい。
どうか旦那さま、もしも技倆と希望が一致いたしていましたら、もう少しましなものを作ったかもしれない男の、この貧しい手すさび(ヽヽヽヽ)をお受けあそばすようにお願いいたします。それに、旦那さまがこの件を詳細にわたってしたため、物語れとお書きつかわされましたので、わたくしという人間の身のうえを、余すところなく知っていただくのには、話の途中から申すより、そもそも始まりからとり上げるのがよろしいと思われたのでございます。それにまた、生まれながらに貴いご身分の方々も、運命の神がひいきにして下さるからのことであって、ご自分の力量に負うところなぞいかに取るに足りないか、一方、運命の神にそっぽを向かれながらも、努力と才覚で漕(こ)いだおかげで、幸運の港にはいることの出来た連中が、どれだけのことを成しとげたものか、考えていただきたいからでございます。

第一話

ラーサロが身の上と、何者の子であったかを物語る

さて、何はさておき、旦那さまに知っていただきたいことは、わたくしはトルメスのラーサロと呼ばれ、サラマンカの村、テハーレス生まれのトメ・ゴンサーレスとアントーナ・ペレスの一子だということでございます。わたくしの生まれたのがトルメス河のまん中だったので、そのおかげで右のような渾名(あだな)がついた、という次第でございます。わたくしの父は――どうか神様あの人をお許しなすって下さいまし――あの河の河岸(かし)にある水車の粉ひきが仕事で、およそ十五年の上、あの水車の水車番をいたしていました。そうして、ちょうどわたくしをお腹に宿していたお袋が、一夜水車小屋にいるときに産気づいて、その場でわたくしを産みおとしました。こういう次第で、まったくわたくしは、河のまん中で生まれたと申してもよろしいのでございます。
それから、わたくしが八歳の子供のころ、なんでも父親が、あそこへ粉を挽(ひ)いてもらいにやって来る人々の大袋に、ふとどきにも流出口をあけて中身を失敬したという罪に問われて、そのために捕えられ、かくすところなく告白して、お上のお仕置に服しました。しかし、わたくしは、父がただいま天国にいるものだと、神様をおたよりにいたしております。と申すのも、そういう人々を幸いなりと、福音書〔マタイ伝、第五章十節の「正しきことのため責められる者は幸いなり……」をもじったもの〕も呼んでいるからでございます。
ちょうどその頃、モーロ人に対する遠征隊が派遣されましたが、当時さきに述べました災難で追放されていた父親も、あちらへ従軍なすった、さる騎士の荷運びらば(ヽヽ)の口取りとして、軍隊に加わりました。そうして、忠実な従僕として、ご主君といっしょに命を落としたのでございます。
後家になったお袋は、夫もなくて、よるべない身になりましたので、立派な方々のところへ身をよせて、自分もそういう立派な方々の一人になろうと思いさだめて、市(まち)へ出て住むことになりました。そうして小さな家を一軒借りて、数人の学生たちの食事の世話を引きうけたり、マグダレーナ教区の騎士団長の馬丁連の下着の洗いすすぎをしたりしましたので、自然、うまやにもちょくちょく出入りするようになったのでございました。
ところで、お袋が、馬の世話をしている男たちの一人である、黒ん坊と仲よくなったのでございます。この男はどうかすると、わたくしどもの家へやってまいって、朝方帰って行くこともありました。また時によると昼間も、卵を買いに来たなどと言って、戸口のところへやって来て、家の中へはいり込んだりいたしました。この男がやって来るようになった最初のころは、その肌の色やら、いやな顔つきだのを見て、わたくしはいやでならず、恐ろしかったものでした。しかし、彼が来るようになって、家の食べものがよくなって来たのに気づいて、いつかわたくしも、この男が好きになってまいりました。何しろ、いつもパンや肉の切れを持って来てくれるし、冬には薪をもって来てくれるので、おかげでわたくしたちは暖をとることが出来たからでございます。
こうやって泊ったり、睦言(むつごと)を交したりしているうちに、お袋はわたくしに、とても可愛い黒ん坊の赤子を生んでくれました。わたくしはこの子に高い高い(ヽヽヽヽ)をしてやったり、温かくしてやろうとしたものでした。
ところで今でも覚えておりますが、ある時わたくしの義父の黒ん坊が、赤ん坊とふざけている時、子供はお袋とわたくしは色が白いのに、父親はそうでないということに気がついたので、急にこわくなってお袋のところへ逃げて行き、彼を指さしながら、こう申しました。
「かあちゃん、お化け!」
すると、彼は笑いながら答えました。「父(てて)なし児め!」と。
わたくしは、まだほんの子供ではございましたが、わたくしの幼い弟のこの言葉が肝に銘じられて、ひとりごとを申しました。「ただ自分の姿を見ないばかりで、他の者から逃げる奴が、この世の中にはさぞかし大勢いるこったろうよ!」
ところで、運命とは申しながら、このサイデ、というのが奴の名前でございますが、この男の密通が執事の耳にはいって、探索が行なわれて、馬に食わせるために与えられていた大麦を半分がたくすねているばかりか、その上ふすま(ヽヽヽ)だの、薪だの、馬櫛だの、馬布だの、馬の毛布だの、掛け布だのを、なくなったように見せかけたり、ほかに品物がないと、馬の蹄鉄まではずして、わたくしの幼い弟を育てるために、こういうものを持っては、お袋のところへ通いつめていたことが、発覚してしまったのでございます。なにしろこういう取るに足らぬ奴隷風情(ふぜい)でも、色恋のためにはこれほど大それた勇気を起こすところを見れば、坊さんだの修道士だのという方が、ご自分の女の信徒や、そのほかこれに類した方々を援助しようと、貧乏人からものを取りあげたり、檀家からものを盗んだりなすったにしたところで、驚かないことにいたしたいものでございます。
それで、わたくしが今申したことどころか、さらに多くのことが明白になりました。それと申すのも、わたくしはみなさんから脅(おど)かされて詰問(きつもん)されましたので、何しろこちらはまだ子供のことですから、こわいばかりに、知っていることは残らず、それこそ、お袋の言いつけで鍛冶屋に売りに行った蹄鉄のことまで、洗いざらいぶちまけて白状に及んだからでございます。
可愛そうなわたくしの義父は笞(むち)打たれ、油責めの刑に服しますし、お袋はお定まりの百叩きの刑のほかに、先に申しあげた騎士団長のお邸の出入りを差し止められ、気の毒なサイデを家に入れることまかりならぬというお上のお裁きを受けたのでございました。
「鍋を落として綱まで失くす」ことになってはと、お袋は悲しいながらも、気力をふるい立たせて、宣告通りにいたしました。そこで災難を避け、うるさい人の口からのがれようと、その頃ラ・ソラーナという宿屋へ奉公に行きました。そうやって、ここで、数々の苦労をしながら、ようやく弟も歩けるようになり、わたくしもひとかどの少年になって、泊り客の言いつけで、ぶどう酒だのろうそくだの、そのほかいろんな使い走りをしたりするまでに育てあげたのでございました。
ちょうどその頃、たまたまこの宿に、一人の盲人が投宿にやってまいりまして、これがわたくしを手引きにもってこいと考えて、お袋にわたくしをくれと申しこみますと、お袋も、この子はキリスト教の宣揚のために、ロス・ヘルベス島〔チュニスのガベス湾にある島〕で戦死をとげた、まともな男の息子だという次第を物語り、さらによもや父親に劣るような人間になることはあるまいと、かたく神様に信頼申しあげている、それにこの子は父親のない子なのだから、くれぐれも大切に扱って、何くれと面倒を見てくれるようにと言って、わたくしを彼の手にゆだねたのでございます。
彼のほうでも、きっとその通りにしよう、それに引きとるにしても、従僕としてではない、実の子供として引き受けようと答えました。で、こういう次第で、わたくしはこのわたくしの新しい、しかも年老いた主人にかしずき、手引き役をつとめることになりました。
わたくしたちはいく日かサラマンカにいたのですが、どうやら満足のゆくような儲(もう)けもなさそうだったので、わたくしの主人はこの土地を立ち去る決心をいたしました。そして、いよいよ出発しようという時になると、わたくしはお袋に会いに出かけましたが、二人とも涙にくれながらも、お袋はわたくしを祝福してくれて、こう申しました。
倅(せがれ)や、もう二度と再び、お前には会えないことは、あたしにもようくわかっているんだよ。いいかい、正直な人間になるようにつとめて、そうやって神様に導いていただくのだよ。お前はこれまでわたしが育てて来たのだし、いいご主人を見つけてやったんだ。これからはせいぜい自分の力でやってゆくんだよ」と。
こうして、わたくしは、わたくしを待っていてくれた主人のところへ帰ってまいりました。
わたくしたちがサラマンカを出て、ちょうど橋のところへさしかかりますと、その橋の渡り口のところに、どうやら牡牛(おうし)の形をした石の動物像がありました。すると盲(めくら)はわたくしにその動物像のそばへ行けと命じ、わたくしがそこへ行くと、こう申しました。
「おい、ラーサロ、この牛に耳をあててみな、中でどえらい音が聞こえるから」
そこで、わたくしは、ごく無邪気に、そうかなと思って耳を近づけました。すると、奴はわたくしがいよいよ石のそばに頭を持っていったなと感じとると、手にぐいと力をこめて、その牛の畜生に向かって、わたくしの頭をがあんと一つ、思いきりぶっつけたものです。おかげでそれから三日の上も、その頭突きが痛みつづけたほどでしたが、それでわたくしにこう言ったものです。
「馬鹿野郎、覚えておくがいい。盲の手引き小僧ってものは、悪魔よりかちょっとばかり利口でなくっちゃならんのだぞ」
そうして、この冗談を大いに笑ったものでございます。
これまで子供のように眠りこんでいた無邪気さから、わたくしがはじめて目を覚ましたのは、正にあの瞬間だったように、わたくしには思われました。
そこでわたくしはひそかに、心の中で申しました。
「こいつの言うのは本当のことだ。つまりおれは、目を見開いて、何ごとにもよく気を配っていることだ。何をするにもおれは一人ぼっちなんだからな、だから自分でどうやっていったらよいかも考えることだ」
それからわたくしたちは旅路にのぼりましたが、そのほんの数日のあいだに、奴はわたくしに、隠語を教えてくれました。そうして、わたくしがなかなか利口なことを知って、ひどく喜んで、こう申しました。
「わしは、金とか銀とかいうものは、お前にやることは出来ないがね、しかし生きるうえに必要な知恵なら、いくらでも貴様に教えてやろう〔新約聖書の使徒行伝、第三章六節の「ペテロいいけるは、金銀はわれになし、ただわれにあるものを汝に与う」を踏まえた皮肉〕」
これはまったくその通りでございました。この男は神様についでわたくしに生活というものを与えてくれ、盲でありながら、わたくしの目を開いてくれ、人生行路の手引きをしてくれたのですから。
わたくしが旦那さまに、こういうくだらないことを、得意になってお話し申しますのも、低い身分のものどもが上に浮かびあがれるということが、いかほど結構なことで、一方、高い身分の方々が、いつか卑しい身分に落ちておしまいになると申すことが、いかほどいけないことかをお教えいたしたいからでございます。
さてわたくしの親切な盲人のことにもどって、彼のくさぐさのことをお話しいたしますと、神様がこの世の中をお創りあそばして以来、これほどまで奸智にたけ、これほどまで機敏な男は、一人としておつくりあそばしたことはないと言うことを、旦那さまに知っていただきたいと存じます。何にしろ仕事にかけては鷲(わし)みたいな男でございました。お祈りは百通りの上そらで(ヽヽヽ)覚えている。低い、ゆったりした、そのくせひどく響きのいい声で、奴が唱えていると、教会じゅうを響きわたらせたもので、それに唱えている時の様子がまた、実におだやかなもので、いかにも殊勝(しゅしょう)げな、敬虔(けいけん)な顔つきをして、ほかの連中がよくやるように、口や眼をゆがめて、しかめ面をしたり、へんてこな顔をするようなことはございません。
それに加えて、お金をつくり出す手段や方法を数かぎりなく身につけていました。お祈りにしても、子供の出来ない女のためのだとか、妊婦のためのだとか、不幸な結婚をした女を亭主が愛するようになるためのだとか、数かぎりない、いろんな効き目のある祈祷を知っていると、自分でよく申しておりました。妊婦に向かって、今度生まれる子供が、男の子か女の子かという占いもやったものでございます。
そんなわけで、医術ということになると、歯痛、失神、女の血の道などでは、いにしえのガレーノス〔有名なギリシアの医学・解剖学の大家。マルクス・アウレリウス治下のローマに住んで名声があった〕も、わしの半分も知っちゃいなかったと、常々申していました。つまるところ、彼にどこそこが悪いとうったえて、即座にこうと、彼から答えてもらわなかった者は一人もございませんでした。
「こうさっしゃい、ああさっしゃい。これこれの草を摘まっしゃい。こういう木の根を掘らっしゃい」と。
こういうふうですから、どこへいっても、誰もかれも彼のあとを追っかけまわしましたが、中でも女連はたいへんで、彼のいうことなら、一から十まで信じこむありさまでした。だからこういう女連から、今申しあげたすばらしい腕前で、どえらいみいり(ヽヽヽ)をせしめたもので、百人も盲人がたばになって一年かせぐよりも、この男のひと月のかせぎのほうが多いくらいでございました。
それにしても、これほど稼いで、相当握っているくせに、まずこのくらい欲のふかい、しみったれな男は、ついぞこれまで見たことがなかったということも、旦那さまに知っていただきたいと存じます。何にしろそれはわたくしを、今にも飢え死にさせんばかりのすさまじさで、事実、必要なものの半分もろくろく食べさせてはくれませんでした。まったくの話でございますよ。これでわたくしが、持ち前の早業と、巧みな策略で、埋め合わせをつけることが出来なかったら、これまで何度空腹であえなくなっていたかわかりません。しかし、あの男のすばらしい知恵と抜目なさにもかかわらず、いつでも、いや多くの場合、わたくしの分け前がたくさんに、しかもいちばんいいものになるような具合に、彼の裏をかいてやったものでございます。そのためには、彼に対して、ずいぶん性(たち)の悪いわるさもやったものでございますが、その中のいくつかを、これからお話し申しましょう。もっとも全部が全部、痛い目も見ずうまくいったわけではございませんが。
いつも彼はパンやそのほか一切合財(いっさいがっさい)を、麻布の頭陀袋(ずだぶくろ)にいれて持ち運んでいましたが、それは南京錠と鍵のついた鉄のしめがねで袋の口を締めてありました。ところで、いざ全財産を出し入れするというときには、たいへんな警戒ぶりで、一つずつしか出し入れしないという用心ぶかさでしたから、よしんば世界中のどんな男がかかっても、そこからパン屑ひとつくすねることも出来ないくらいでございました。しかし、わたしは彼が与えてくれる、あのごくわずかなものを食べていたのですが、これがせいぜいふた口足らずで、あっけなく片づいたものでした。
彼が南京錠をかけおわって、わたくしは何かほかのことに気をとられているんだろうと思って、すっかり気をゆるしている時、これまで何度も糸をほどいては、また元のように縫いなおした頭陀袋の片がわの、わずかばかりの縫い目から、パンを小きざみに取り出すどころか、でっかいパン切れ、揚げた塩豚、腸づめなどを取り出しては、この強欲な頭陀袋から抜きとったものでした。こうやってわたくしは、球戯(ペロータ)の球の打ち返しじゃなくって、この悪者の盲人めがわたくしにすかせっぱなしにした、地獄ざたのすきっ腹の埋め合わせをつける好機をねらっていたのでございました。
ところで、わたくしは何とかしてちょろまかしたり、盗んだりしたものを、残らず半ブランカ銅貨に換えて持ち歩いていましたが、みなさんが彼にお祈りをお頼みになって、ブランカ銅貨でお礼をなさるとき、相手は目が見えないというのに、その銅貨をそぶりででもあらかじめ知らせてお渡しになる方は一人としてございませんでした。そのときわたくしは、その銅貨を口の中へほうりこみましたが、口の中には半ブランカ銅貨をちゃんと用意して置きましたから、いくら彼が素早く手をさし出したところで、もうこの時は、わたくしの両替のおかげで、それは元の値段の半額になっていたのでございます。そこで盲人の悪党は、手ざわりで、そいつがまるまるの一ブランカ銅貨ではないと、すぐさま感じとったものだから、わたくしに向かって、ぶつくさ不平を鳴らしたものでございました。
「ちくしょう、こりゃいったいなんてこった、貴様がわしといっしょにいるようになってからってもの、半ブランカ銅貨しかくれやしねえ。先(せん)にゃブランカ銅貨だ、マラベティ銀貨だと、ちょいちょい払ってくれたもんだ。このしけ(ヽヽ)はどうあっても貴様のせいにちがいないわい」と。
そこで彼のほうでもお祈りをちぢめたり、祈祷の文句の半分も唱え終わらないこともあるようになりました。それというのが、お祈りの頼み主が行ってしまうが早いか、彼の長外套(カプース)のはしを引っぱるように、わたくしにちゃんと言いつけておいたからでございます。もちろん、わたくしはその通りにいたしました。すると彼は再び声をはりあげて、こう申すのでした。
「さあさあ、お望みしだい、ご祈祷の注文はありませんかね?」と、よくこういう連中が申すようにです。
わたくしたちが食事をするときには、彼はきまってぶどう酒の壺を自分のすぐ近くに置いたものでございますが、わたくしは目にもとまらぬ早わざでそいつを引きよせて、音を立てないで二、三回それに口づけしては、元の場所へもどしておきました。しかし、これも永くは続きませんでした。というのが、ぐびりぐびり飲むうちに酒の不足に気づいたので、自分の酒を安全に保存しようというところから、その時以来、決して壺を放置しなくなったどころか、壺の取っ手をずっと握りしめているのでございました。しかしいくら磁石でも、わたくしがその目的でこしらえておいた、ライ麦の長い茎でやったようには、ものを自分の方へ引きつけることは出来るものではございません。そいつを壺の口へ差しこんで、ぶどう酒をちゅうちゅう吸って、相手を途方にくれさせたのでございますから。しかし何といっても相手はあの通りの抜け目のない不逞(ふてい)な奴ですから、こっちのやり口を感づいたものと見えて、それからこっちは、すっかり遣(や)り口を変え、壺を両脚のあいだにすえて、おまけに片手で壺のふたをして、こうやってゆうゆうと飲んでいたものでした。
ところで、こっちはいつか酒を飲みおぼえてしまい、無性に飲みたくて仕方なかったのですが、しかもあの麦藁の方法も、今となっては何の役にもたたないとわかったものですから、壺の底に小さな飲み口の小孔をあけて、これをごく薄い蝋(ろう)のかたまりで、巧みにふさいでおこうと思いつきました。そうしていよいよ食事時になると、寒くて仕方がないようなふりをして、わたくしたちが焚いた、貧弱なたき火に温まろうと、このしがない盲人の両脚の間に這いこんだものでございます。すると間もなく、火の熱気で、ごく少量だっただけに蝋が溶けて来て、例の小さな泉がわたくしの口の中へしたたり始めましたが、その滴(しずく)が一滴もなくなってしまうまで、わたくしは口をあてがっていたのでございました。だから、この気の毒な男が、いざ飲もうとした時には、もう何にもございませんでした。
彼は驚きあわてて、自分自身を呪うやら、壺とぶどう酒を悪魔のせいにしてけなすやらで、いったいどうなっているかも分らないていたらくでございました。
「おじさん、おいらが飲んだなんて言っちゃいけないよ」とわたくしは申しました。「だって、あんたはそいつから手を離さないのだからね」
何度も何度も壺をぐるぐるなで回したり、さわって見たりして、ついに例の飲み口を見つけ出し、こっちのいたずらを読みとったのですが、そのくせまるっきりそれには気がつかなかったかのように白ばっくれていました。
さて、その翌日のこと、わたくしがいつものように、わたくしの壺から少しずつ酒をしたたらせながら、わが身のうえに仕組まれている災難のことも、まして盲の悪党がわたくしの仕業を感づいていることも、てんで思い浮かべもしないで、顔を仰向けにして、おいしい液体の風味を心ゆくまで味わおうと、目を細めて、あの芳醇なひと口、ひと口を頂戴しながら、いつものように坐っていたのでございます。すると、むかっ腹を立てた盲め、かたきを討つのはこの時と見てとって、全身の力をこめて、この甘味な、同時に苦々しい壺を両手でさし上げると、今申しましたように、これに全身の力をこめて、わたくしの口のうえへ落っことしたものでした。何しろ、哀れなラーサロめは、こんなことがあろうなどとは、ついぞ思ってもいなかったどころか、これまでの時と同様に、すっかり油断して、うっとりといい心持になっていたのですから、まったくのはなし、この時は大空が、大空にある一切合財もろともに、わたくしの上へ落ちかかって来たかとも思われたほどでございました。
このちょいとした打撃がなかなかなまやさしいものではなかったので、気が遠くなって失神したほどでしたが、おまけに壺の当たり方のはげしかったことといったら、粉々に砕けた破片がまともに顔にぶつかって、ところきらわず傷つけられるわ、前歯は折れるわで、おかげで今日にいたるまで、歯っかけになってしまいました。あの時以来、わたくしはこの悪者の盲がきらいになりました。なるほど、あの男はわたくしを愛してくれ、いたわってくれ、面倒を見てはくれましたけれど、あの男がこの残虐きわまる折檻(せっかん)を大いに興がっていたと申すことを、この目でしかと見てとったからでございます。彼は壺の破片で、わたくしに加えた裂傷を、ぶどう酒で洗ってくれ、にやにやほくそ笑みながら申しました。
「どう思うかね、ラーサロ。お前を傷つけたぶどう酒が、今度はお前を直して、元どおりのからだにするんだからな」
そのほかいろいろと冗談を申しましたが、わたくしにはいっこうに冗談には思えませんでした。
さて、このあさましい傷や紫色のあざが、半分ほどなおりかけるやいなや、この残虐な盲めはいつなんどき、こういう手ひどい打撃をもう少し加えて、わたくしをおさらば(ヽヽヽヽ)にしないものでもないと考えましたので、いっそのこと、こっちのほうでこの男から、おさらば(ヽヽヽヽ)してやれという気になりました。もっとも、どうせやらかすなら、こっちの身はつつがなく、おまけに損をしないようにやっつけようと、それほど事を急がなかったのでございます。むしろわたくしははやる心をとりしずめて、この壺なぐりの件さえ目をつぶってやろうと思ったのでしたが、何の原因も理由もないのに、やたらとわたくしの頭をなぐったり、髪の毛を引っこ抜いたりして、わたくしを痛めつけるというように、あれからこっち、この盲の悪者がわたくしに加えた、ひどい仕打ちでは、しょせんそういう余地はございませんでした。
そこで、もし誰かがどういうわけでその子をそんなにひどくいじめるんだねと、彼にたずねると、さっそく彼はこういう前置きをして、例の壺の話をして聞かせるのでした。
「わしのこの小僧がいくらかでも無邪気だなんてお思いになりますでしょうかね? それじゃ話を聞いてくださいよ、よしんば悪魔だって、こういう大それたことをやってみる勇気があるかどうかをね」
彼の話を聞いた人々は、十字を切りながらこう申したものでございます。
「どうだい見ろよ、こんな小さい小僧っ子のくせに、そんなことをやらかそうなんて、誰だって考えるものかね!」と。
それから例の策略のことをさんざん笑ったあげく、口をそろえて人々は彼に申しました。
「こいつに罰を加えなさいよ、罰しておやんさいよ。さもないと、あんたが神様から罰を受けますよ」
それに、彼もやはりこのことでは、罰を加える以外のことは決していたしませんでした。
そんなわけで、わたくしは奴をひどい目に会わせてやろうと、いつも、しかも故意に、なるべく悪い道を連れて歩かせたものでした。石がごろごろしていればその石ころ道を、ぬかるみがあれば、なるべくいちばん深いぬかるみをというふうにして。もっともわたくし自身も、決して特別に乾燥したところばかり歩いていたわけではありませんでしたが、しかしわたくしは、相手の目を二つつぶすためになら、と申しても相手は両目のない男ではございましたけれど、喜んで自分の目を一つつぶしたにちがいありませんでした。こんなところから、彼はしょっちゅう、さぐり杖の石突きでわたくしの後頭部に探りを入れて小突くものですから、おかげでそこはいつも瘤(こぶ)だらけ、おまけに彼の手で毛をむしり取られていました。それに、いくらわたくしが、これは悪意があってやったことじゃない、もっといい道が見つからないからだと誓っても、わたくしに好意をよせるどころか、てんで信じてもくれませんでした。まったくこのしたたか者の勘のよさと、頭のすばらしいことは、ざっとこんなものでございました。
そこで、この悪がしこい盲人の知恵がどのくらいすばらしいものだったか、旦那さまに納得していただくために、わたくしが彼といっしょの頃出会わしたたくさんの出来事の中から一つだけお話し申しましょう。それというのも、その出来事は、彼の並はずれた狡猾(こうかつ)な面目を如実に伝えていると思われるからでございます。わたくしどもがサラマンカを出発いたしました時、彼の目指すところはトレードの地へまいろうというのでございました。何でもあそこの人々はあまり施し好きではないが、ずっとお金持だという話だったからでございました。つまり「情け深い文なしより、財布のひもの固い金持」ということわざを頼りにしていたのでした。
そうして、われわれはなかなか結構な村々を通って、この道中を続けました。喜んで迎えてくれ、おもらいもたくさんあるところでは逗留しましたし、そうでないところでは、三日目には、われわれはサン・フワンの日〔サン・フワン(聖ヨハネ)は奉公人の守護者とされていて、六月二十四日の聖ヨハネの祭日に奉公人は暇をとったり、新しく雇われるのが習慣になっていた〕の召使よろしく、さっさとおいとまいたしました。
ちょうどぶどうを穫り入れている時期に、アルモロックスという村へさしかかった時、たまたまぶどう摘みの一人の男が、ぶどうのひと房を彼に施してくれました。ところで、ぶどうの籠(かご)というものは、とかく乱暴に扱われるものだし、かてて加えて、その時期のぶどうはすっかり熟してもいましたので、房は彼の手の中でたちまちばらばらに離れてしまいました。それを頭陀袋の中へ入れようものなら、たちまちぶどう汁になってしまって、これが頭陀袋にべとべとへばりつくこと請合(うけあ)いでした。
そこで彼は一つ大ぶるまいをやることに決めましたが、それは持って行くことが出来なかったからでもあれば、わたくしを喜ばしてやりたかったからでもございました。それというのも、その日さんざんにわたくしをひざがしらで突きのめしたり、なぐったりしていたからでした。さてわれわれが柵に腰をおろすと、彼が申しました。
「さあこれから貴様と無礼講でやることにしよう。つまり、このぶどうの房を二人で食べることにするが、貴様もおれと同じだけ食べてもよいということよ。こいつをこういうふうに分けるとしよう。貴様が一度つまむ、するとおれが一度つまむ。ただし決して一度に一つぶしか取らんと約束をするならばだ。おれもおしまいになるまで、その通りにしよう、こうやったらごまかしも起こらないだろうよ」
こういう具合に協定が成立すると、わたくしたちは食べはじめました。しかし早くも、二回目の攻撃に、この裏切り者は方針を変えて、きっとわたくしもその通りにやるにちがいないと思ったものですから、二つずつ食べ始めました。わたくしは、彼が契約を破ったのを見たものですから、相手に歩調を合わせるだけでは満足できなくなりました、いやそれどころか、その先をとりました。つまり、二つずつ、三つずつと、食べられるだけ食べつづけたのでした。やがて房がおしまいになると、しばらく彼は残骸となったぶどうの房を手にしていましたが、やがて頭をうち振ると、こう申しました。
「ラーサロ、貴様おれを欺(だま)したな。貴様がぶどうを三つずつ三つずつ食ったってことは、おれは神様に誓ってもいいぞ」
「食べやしませんよ」と、わたくしは申しました。「しかし、どうしてそんなことを疑うんです?」
すると、この才気煥発(かんぱつ)たる盲人が答えました。
「貴様が三つずつ食べたってことを、何でおれが覚(さと)ったかわかるかね? つまり、おれが二つずつ食っていたのに、貴様が黙っていたからさ」
わたくしもはひそかに笑いました。そして、子供ながらも、この盲の抜け目のない思慮深さに、ひどく感銘したものでございます。
しかし、あまり冗漫にわたらないように、わたくしがこの最初の主人といっしょにいたときに起こった、愉快なばかりか、傾聴に価いするたくさんの出来事を述べることは割愛するとして、彼との別れのいきさつを申しあげて、彼のことはこれでおしまいにいたしたいと存じます。
ちょうどその頃わたくしたちは、同名の公爵さまの御城下エスカローナの、とある宿屋にいたのでございますが、主人はわたくしに、火にあぶるようにと、腸詰をひとつ渡しました。いよいよ腸詰から脂がポタポタとにじみ出して来て、その脂でこんがり焼けたパンの切れを食べてしまうと、彼は財布から一マラベディの銅貨を取りだして、わたくしにこのお金だけのぶどう酒を居酒屋へ買いに行ってこいと言いつけました。このとき、そらよく世間で申すじゃございませんか、「機会は泥棒をつくる」って、その機会をわたくしの目の前に悪魔の奴が置いてくれました。というのが、小さくて、長っ細い、貧弱な、おまけにとても煮込み料理には使えそうにもないんで、そこへうち捨てられたものに違いないというような、大根が一本、火のそばにあったという次第でございます。
それに、その時は彼とわたくし二人を除いては誰一人いませんでしたし、おまけに、腸詰のうまそうな匂いに食い気をそそられて、のどから手が出るくらいの食欲を覚え、どんなことになるかなどという前後の考えもなく、ただ何としてもこの食欲を満たさねばならぬという一念にかられていましたから、この欲望を満たそうと、あらゆる危惧(きぐ)をはらいのけて、ちょうど盲が財布からお金を出しているすきに、わたくしは腸詰を抜きとって、そのかわりに先にお話しした大根をすばやく鉄串にさしました。わたくしの主人は、ぶどう酒の代金をわたくしに渡すと、鉄串を手に取りあげ、これまで煮たり焼いたりされずに来た例のしろものを串焼きにしようと、火にあててぐるぐる回しはじめたものでございました。
わたくしはぶどう酒を買いに出かけましたが、それと同時に腸詰を片づけるのに手間どりはいたしませんでした。そこでわたくしが帰ってまいりました時は、ちょうど罰あたりの盲めが、二切れのパンの間にはさんだ大根を手にしているところでしたが、まだ手でさわって見なかったので、いっこうにそれと気づいてはいなかったのでございます。いよいよ二切れのパンを取りあげ、それにかじりついても、やはりその中に腸詰の一部分がはいっているものと考えていただけに、冷えきった大根にぶつかって、思わず冷たさにひやりとしたのでした。彼はあわをくって申しました。
「こりゃいったい、何だ、ラサリーリョ?」
「おいらも苦労するよ!」と、わたくしは申しました。「また何かおいらのせいにしようっていうんですね? おいらは、たった今ぶどう酒をとって帰って来たところじゃありませんか? 誰かそこにいて、冗談にこんなことをやったに違いありませんよ」
「いやそんなことはない」と、彼が申しました。「わしはずっと鉄串から手を離さなかったんだから、そんなはずはない」
わたくしは今度のすりかえの件は身に覚えがないとくり返し誓い、またにせの誓いを立てましたが、何のききめもありませんでした。何しろこのいまいましい盲の狡猾(こうかつ)さにあっては、かくしごとなど何ひとつ出来なかったからでございます。彼は立ちあがると、わたくしの頭をしっかととらえ、わたくしの臭いをかごうと身をすりよせてまいりました。おそらく、俊敏な猟犬か何ぞのように、わたくしの息のにおいを嗅ぎつけたからでございましょうか、真実をはっきり突きとめようと、内心の焦慮にせき立てられて、両手でわたくしをしっかと捕え、むりやりに口をおし開き、無作法にも奴の鼻をつっこんだのでございます。この鼻は、もともと、長くとんがっていたのですが、何しろあの時は、かんかんに怒っていましたので、一パルモがたは寸法がのびていました。彼はこの鼻の先端を、わたくしの食道の入口までとどかせました。
ところで、このことと、わたくしがそのとき抱いた恐怖と、いくらも時間がたっていなかったので、例のろくでもない腸詰が、まだ胃ぶくろにしっかとおさまっていなかったこと、いやそんなことより、最も肝腎(かんじん)なことは、ほとんど半分までわたくしの息の根をとめようとした、あの円満具足の鼻に不意打ちをくらったこと、こういうすべてのことがいっしょになり、これが悪事とごちそうをさらけ出し、持物はもとの持主へ返されるという原因になったのでございます。そこで、盲の悪党がわたくしの口から、ラッパのようなでか鼻を引き抜きもしないうちに、わたくしの胃袋は大恐慌を来たしたものですから、盗んだものをこのでか鼻にぶつけたものです。そこで、奴の鼻とろくすっぽ噛みもしなかったいまいましい腸詰とが、一時にわたくしの口からとび出したのでございました。
おお、全能の神様、あの時お墓へ埋められていたら、どれだけ仕合せだったことでございましょう。それと申すのも、わたくしはとうに死んで、埋められていたにちがいないからでございます! その時のこの根性曲りの盲の腹立ちはすさまじいものでしたから、もし物音を聞きつけて人々が駈けつけてくれなかったなら、おそらくわたくしを、このまま生かしてはおかなかったろうと、今になって思うのでございます。人々は彼の両手の間からわたくしを引きはなしてくれましたが、その時奴の手の中には、わたくしのなけなしの髪の毛がしこたま残りましたし、顔は引っかかれる、ぼんのくぼ(ヽヽヽヽヽ)やのど(ヽヽ)はかきむしられるていたらくでした。しかし、何をいうにもわたくしののど(ヽヽ)の悪事から、こういう痛い目にも会ったのですから、これもまた自業自得だったのでございます。
この盲の悪党はその場へやって来た人々に残らず、わたくしの失敗の数々を物語りました。そうしてあるいは酒壺の件、あるいはぶどうの房の件、さてはさっきの件と、あの時この時と、人々に説明したのでございます。ところで、みんなの笑い声があんまり大きかったので、おりから道を通りかかった人々も残らず、このにぎやかな騒ぎを見ようとはいってまいりました。それにしても、盲がわたくしの数々の武勇伝を、面白おかしく言葉たくみに、繰り返し話すものですから、わたくしはあれほど痛めつけられ、まだ泣きやんではいなかったのですが、何か悪いことをしているような気がいたしたほどでございました。
さて、この出来事が一段落ついたとたんに、あの男からあびせられた悪口雑言(ぞうごん)のせいで、つい自分で犯してしまった卑怯と弱気のふるまいが、わたくしの記憶によみがえって来ました。それはあいつを鼻かけ男にしてしまわなかったということでございました。なぜならそれには時間も十二分にあったし、それに道の半ばまですでに到達していたのでございます。と申すのも、ただちょいと歯をかみしめるだけで、そいつは自家薬籠中のものになっていたに違いないからでございます。それにいくらあの人非人の持物だからといって、おそらくわたくしの胃袋も、腸詰をしまいこんだ時よりさらにしっかとこいつをしまいこんだことでしょうし、それに鼻が外へ現われてこないかぎり、いくら返せと請求されても、ことわることが出来たに違いございません。こいつさえやっていたら、どんなに神様の思召(おぼしめ)しにかなったことでございましょうし、そうやったところで、どうってこともなかったろうじゃございませんか!
宿のおかみさん始め、その場に居合わせた人々が、わたくしたちの間を丸くおさめて、主人の飲みしろにわたくしが買ってまいったぶどう酒で、わたくしの顔やのど(ヽヽ)を洗ってくれましたが、それに向かって悪者の盲は冗談半分の毒舌をあびせかけました。
「本当によ、この小僧と来たひ(ヽ)にゃ、ぶどう酒を一年のうちに、おれが二年かかって飲むより、傷洗いに使いやがる。なあ、ラーサロ、貴様は少なくとも、生みの父親(てておや)よりも、ぶどう酒の恩になっているぞ。そりゃ父親は一ぺんだけ貴様をこの世の中へ生んでくれたかも知れんが、ぶどう酒ときたら、千べんも貴様のいのちを助けてくれたんだからな」
それから彼はこれまで何回となく、わたくしの頭をたたき割ったり顔をかきむしったりしては、ぶどう酒で、たちまちなおしてやったんだということを物語ったものでした。
「わしが貴様に言いたいことはだね」と、彼が申しました。「もし世の中に酒さえありゃ、めでたしめでたしってやつがいるとしたら、そいつは貴様だろうよ」
すると、わたくしの傷を洗っていた人々が、これでどっとばかり笑い出しました。もっともわたくしも思いきり悪態をつきはいたしましたけれど。けれども、この盲の予言は決してでたらめにはなりませんでしたから、あれからこっちは何度となくあの男を思い出すのでございます。彼は疑いもなく、予言の霊感をそなえていたに違いありません。だから、あの日彼がわたくしに申したことが、いずれ先へ行って旦那さまもお聞きあそばすように、まったくわが身に的中いたしたことを考えますと、そりゃなるほどこちらもしっぺい返しを食って、つぐないをいたしましたものの、わたくしが彼に対して行った数々の悪ふざけが、今さらながらくやまれるのでございます。
今度のことや、これまで盲がわたくしを愚弄したあくどいからかいようなどを考えたあげく、わたくしはきっぱりと彼から離れようと決心いたしましたが、これはかねて考え続けていたことでもあれば、きっとそうしようときめていたことなので、今度彼がわたくしにしかけて来た最後の悪ふざけによって、さらにそうしようと決意のほぞ(ヽヽ)を固めたのでございました。
そして次のようなことになったのでございました。さてその翌日のこと、わたくしどもは町へ物乞いに出かけましたが、その前夜はたいへんな雨降りだったのでございました。ところが、その日も雨が降っていましたので、その町のあちこちにある軒下道(ポルタール)を、祈祷を誦(じゅ)しながら歩いていましたが、そこなら二人とも濡れないですんだのです。しかし夜になっても、雨が降り止まないので、盲がわたくしに声をかけました。
「ラーサロ、この雨はちょっとやそっとじゃ止みそうにないぞ、夜がふけるほど、はげしくなるばかりじゃ。ころ合いを見て、宿へ引きとるとしようぞ」
宿の方へ行くには、われわれはどうしても、小流れを一つ越さなければなりませんでしたが、それは雨水で水かさがふえて流れていました。
そこでわたくしは申しました。
「おじさん、小流れがひどく広くなっていますよ。だけど、お望みならぬれないで、楽に渡れるところを探しますよ。だってあっちの方はとても狭くなっているんだから、足をぬらさないでわけなく跳びこせますよ」
これが彼に気のきいた忠告だと思われたので、こう申しました。
「貴様なかなか気がきくな。だからわしは貴様が好きなんだ。ひとつ、その流れの狭くなったという所へ、連れてってくれ、何しろ冬のことだから、水はごめんだ、まして足をぬらしたまんまいるのは気色(きしょく)が悪いよ」
わたくしは万事こっちの思う壺に運んでいると見てとったので、彼を軒屋根の下から連れ出して、広場にある標石、つまり石の柱、これやほかの柱の上に家々の張り出した部分がのっかっているのですが、これの正面に連れて行って、こう申しました。
「小父さん、ここが流れの中でいちばんせまくなっている渡り場所だよ」
激しく雨が降っていて、この気の毒な先生はずぶぬれになっていたし、それにわれわれの頭の上から降ってくる雨を、逃れようと急いでいたこともさることながら、最も主要なことは、(これは正に神様がわたくしへ、彼に対する復讐をとげさせ給わんがために)この時彼の炯眼(けいがん)を盲目にして下さったということで、わたくしの申すことを手もなく信じて、こう申しました。
「わしを正しい位置に据えて、それから貴様流れを跳ぶがいい」
わたくしは石柱の真正面に彼を立たせて、こっちはぴょんとひと跳びして、あたかも牛のつっかけを待ちかまえている男のように、石柱のうしろに身をかくして、彼に申しました。
「それ行け! 流れのこっち側へとびつくように力いっぱい跳んだり跳んだり!」
こうわたくしが言いおわるかおわらないうちに、哀れや盲は出来るだけ大きく跳ぼうと、走り出す前に一歩後へ退き、まるで牡山羊のようにまっしぐらに、しかも渾身(こんしん)の力をふりしぼって突進いたしました。そうしてたちまち石の柱に頭をぶっつけましたが、まるででっかい南瓜(かぼちゃ)でもぶっつけたかのような、すさまじい音をたて、それから半死半生の体(てい)で、頭をわって、たちまちうしろざまに昏倒(こんとう)いたしました。
「どうだい、どうだい? 腸詰はちゃんと嗅ぎつけたが、石の柱はだめだったのか? ざまあ見ろい!」と、わたくしは彼に申したのです。
そこで、彼を助けにやって来た、たくさんの人々の手に彼をゆだね、わたくしはまるっきり足にまかせてつっ走るように町の城門に達して、夜になってしまう前に、わたくしは、トリーホスの町にいたのでございます。あの盲人については、神様が彼をどうあそばしたか、全然知らないばかりか、別に知りたいと思ったこともございません。

第二話

ラーサロが一人の聖職者に仕えることになった次第と、その男と共に遭遇したことどもについて

この土地にも安心していられないような気がいたしましたので、翌日、わたくしはマケーダと申す村へやってまいりました。この村でわたくしの罪業の導きか、一人の坊さんにひょっこり出会いました。わたくしが物乞いをしようと近づいて行きますと、相手は弥撒(ミサ)の手伝いが出来るかどうかを訊ねました。わたくしは事実ありのままに、出来ますと答えました。それというのも、あの罰あたりの盲めは、ずいぶんひとを虐待こそいたしましたけれど、なかなか役に立つことも数多くわたくしに教えてくれたからで、これなぞもその中の一つだったのでございました。結局、坊さんはわたくしを小僧として引き受けてくれました。
だが、わたくしは雷鳴をのがれて、稲妻に出会わしたのでございました。それと申すのが、あの盲はさきにお話いたしましたように、まるっきりけち(ヽヽ)の権化(ごんげ)みたいではございましたが、今度の坊さんにくらべれば、正にアレクサンドロス大帝〔当時、アレクサンドロス大帝は気前よさの象徴と見なされていた〕でございました。およそ世の中のありとあらゆるしみったれ(ヽヽヽヽヽ)根性がこの男のうちに閉じこめられていたと申すだけで、そのうえ申すことはございません。もっとも、これがこの男の生来の性質にもとづくものか、それとも彼がまとっている僧服によって習い性となったものか、わたくしには判然(はっきり)いたしません。
彼は古びた、しかもいつも鍵をかけた箱を持っていましたが、その鍵は袖なし外套のさきに金具のついた革紐で結(ゆわ)えつけていたのですが、それで、教会からお供物(くもつ)のパンが来ようものなら、あっという間にそれは彼の手で投げこまれたかと思うと、箱は再び元どおりがちゃりと鍵がかけられているのでございます。家の中にはどこをさがしても食べるものなぞ、何一つございません。よそ様の家では、たとえば煙出しに吊した塩豚だとか、台の上だの戸棚の中に置いてあるチーズだとか、食卓で残ったいくつかのパンの切れを入れた籠だとか、よくあるものでございますが。それと申すのも、たとえそういうものがわたくしにとって、何ら役に立たないとしても、そんなものをただ眺めるだけでも、さぞかし慰められたことでございましょう。
ただあるものといえば、たまねぎひと束だけ、それだってちゃんと鍵をかけた屋根裏部屋に置いてあるのでございます。このたまねぎの束から、わたくしは食糧として、四日ごとに一個ずつあてがわれておりましたが、そのくせ、わたくしがそれを取りに行こうと、彼に鍵を貸してもらう時、誰かそこに人がいたりすると、彼は内かくしに手をつっこんで、おそろしくもったいぶって鍵をはずして、それをわたくしに渡しながら、こう申したものでございます。
「さあお取り、しかしすぐ返すんだよ。何はともあれ、うまいものだけは、たらふく食うんだね」
まるでこの鍵のもとにバレンシアの珍味佳肴(ちんみかこう)でも保管してあるようでございますが、その実、先にお話しいたしましたように、例の屋根裏部屋には、釘に吊したたまねぎのほかには、それこそ何ひとつございませんでした。このまたたまねぎを彼はちゃんと数をかぞえていましたから、もしわたくしの罪深さから、決められた量を侵(おか)しでもしようものなら、ただじゃすまなかったに違いございません。
しまいには、わたくしは空腹でいまにも死にそうでございました。それというのが、彼はわたくしに対しては爪のあかほどのなさけ(ヽヽヽ)も抱いていなかったくせに、自分のことになるとずっと物惜みいたしませんでした。五ブランカだけの肉が、昼食と夕食のいつもの食事でございました。なるほど、スープをわたくしと分け合ったことは本当でございますが、肉ときたら、ちらとお目にかかったこともございません、はいっているのは少量のパンだけ。だからせめて必要な量の半分でも与えてもらえたらと願わずにはいられませんでした。
この地方では土曜日には羊の頭を食べるのでございます。わたくしも主人の言いつけでそれを買いにまいったものでしたが、値段は三マラベティいたしました。そいつを煮て、眼、舌、頸筋(くびすじ)、脳髄、それに顎骨(あごぼね)についている肉は彼が食べて、さんざんかじった骨をみんなわたくしにくれましたが、しかもその骨を皿に入れてわたくしにくれながら、こう申すのでございました。
「さあお取り、お食べ、どしどしおやり、世界はお前の思いのままだからね。お前は法皇様より豪気(ごうき)な暮らしだよ」
「お前さんこそそんな暮らしが出来りゃよかったろうにさ!」と、わたくしはこっそり低い声で呟(つぶや)きました。
彼といっしょの生活をして、三週間のおわりには、極度の空腹で、両脚で立っていることもおぼつかなくなったくらい、わたくしはすっかり衰弱してしまいました。だから、もしも神様とわたくしの才覚が、わたくしを救ってくれなかったといたしたら、明らかにわたくしは墓場へ行くはめに陥(おちい)っていたのでございます。なにしろわたくしの得意の策略を用いようにも、何を目ざして襲うべきかその目的がないので、そのきっかけがございません。たとえ何かきっかけがあったにしたところで、あの盲の男、さよう、もしもあの節、頭を強く打ってあえなくなったといたしましたら、神様があの男の魂をお許し下さるようにお願い申しますが、あの男に対してわたくしがいたしましたように、今度の男の目をくらますことは、とうてい出来なかったからでございます。それと申すのも、あの男は悪がしこい奴ではございましたが、何と申してもあれほどたいせつな視覚という感覚を失っていましたから、さすがにわたくしのすることに気づかないこともございました。ところが、もう一人の今度の男のときては、彼が具(そな)えているようにこれほど鋭い視覚をそなえた者は、まずほかには一人もないくらいでございました。
わたくしたちが聖体奉献をやっているとき、献金用の貝殻に投げいれられるブランカ銅貨で、彼の監視をまぬがれる銅貨は一枚だってございませんでした。彼は一方の目を信徒たちのうえに注ぎ、片方の目をわたくしの手に注いでいました。だから、まるで水銀玉ででもあるかのように、彼の両眼は眼窩(がんか)の中で、ぐるぐると踊りまわっていました。人々が献金してくれたブランカ銅貨は、すべてちゃんと計算しておきましたが、そうやってお供えの儀式がおわると、彼はすぐとわたくしから貝殻を取りあげて、それを祭壇のうえに置いたものでございます。
そんなわけで、わたくしがあの男のもとで生きていた、いや、死にかけていたというほうがよいかもしれませんが、その期間を通じて、彼からただの一ブランカ銅貨でも、くすねることは出来ませんでした。彼の言いつけで、居酒屋から一ブランカのぶどう酒を買ってまいったことすら一度もございません。それどころか、例の大箱にしまい込んだお供物のごくわずかなものも、一週間は優にもったくらい、しまつして用いていました。
そうして、このたいへんな吝嗇(りんしょく)さをかくすために、わたくしには、こんなことを申していました。
「よいかな、小僧、そもそも僧侶というものはの、飲み食いは大いに控え目にせねばならん。そこで愚僧はほかの連中のように戒律は破らんのじゃよ」
しかしこのけちん坊は、見えすいた嘘をついていたので、それが証拠には、信徒の寄り合いや、お葬いなどで、わたくしたちが祈祷をつとめるようなときだと、他人持ちのご馳走を、まるで狼のようにがつがつくらい、いかがわしい呪師(まじないし)に負けないほど、がぶがぶ飲んだからでございます。
ついお葬いのことを申しましたけれど、どうか神様わたくしめをおゆるし下さいまし。それと申すのも、わたくしは決して人を憎んでいたわけではございません。ただあの頃だけのことでございます。それも、お葬いではうまいものが食える、しかも、たらふく食べさせてくれたからでございました。だから、わたくしはあの頃、神様が毎日一人ずつ下僕(しもべ)をお召しになりますようにと、望んでいましたし、神様へお願いすらいたしたものでした。そしてわたくしたちが、ご病気の方々に聖体をお授けいたすとき、そのなかでも終油式を行ないますときには、坊主がその場にいあわせておいでの方々に向かって、どうぞお祈り下さい申すのですが、たしかにわたくしは、お祈りでは後塵(こうじん)を拝する男ではございませんでしたから、誠心誠意、神様に祈願をこめたのでございました。もっとも、人様(ひとさま)がよくお唱えなさるように、このお祈りを最も神慮にかなうように、ご嘉納(かのう)下さいましというのではございません。それよりも、この病人をどうぞこの世からお連れ去り下さいましというのでございました。
それで、もしこういう瀕死(ひんし)の病人のなかで、九死に一生を得た者がありますと、神様、どうかわたくしをお許し下さいまし、わたくしはその男を悪魔にくわれろと千遍も呪(のろ)いましたが、幸いに死んだ男には、わたくしの口からこれまた千遍もの祝福の言葉をかけられたものでございます。
それと申すのが、わたくしがあそこにおりました時期を通じて、それはおよそ六カ月ぐらいでございましたでしょうか、わずか二十人の方がお亡くなりになったに過ぎないからでございます。しかもこの方々はわたくしがお殺しいたしたんだ、いや、もっと正しく言えば、わたくしの請願によってお亡くなりになったんだと、信じている次第でございます。なぜかといえば、天主がわたくしの激しい絶えることのない死の苦しみをみそなわし(ヽヽヽヽヽ)て、わたくしをよみがえらせようと、あの方々を喜んで亡き者となし給うたに違いないとわたくしは思っているからでございます。
それに致しましても、あの当時の日々堪えていたわたくしのひどい苦しみを、緩和する方法はわたくしには何ひとつ見つかりませんでした。それと申すのも、わたくしたちが埋葬式に立ち会ったりする日はともかくわたくしもほっと息をつくことが出来たといたしましても、まったく死人がないという日々がやってまいると、なまじ飽食になれたおかげで、それがもう一度これまでの日々の空腹へ帰るのですから、そのつらさはひとしお身にしみて感じられたからでございました。したがって、わたくしは死をほかにしては、どこにも息のつける場所を見つけることは出来ませんでしたから、わたくしは人様のそれを願ったように、わたくし自身のためにも、いく度か死を願ったものでございます。死は絶えずわたくしの身内に宿っていたのですが、それでいて一度も姿を見たことはございませんでした。
いく度かわたくしは、このしみったれの主人からおさらば(ヽヽヽヽ)しようと考えましたけれど、しかし次の二つの理由で思いとどまったのでございます。まず第一に、わたくしはとうてい、自分の二本の脚に自分を托する勇気がなかったこと、つまりまじりっ気なしの空腹から来たからだの衰弱を危惧(きぐ)いたしたからでございます。もう一つの理由は、それを考えながら、こう独りごとを申しました。
「おれはこれまで二人の主人に仕えて来た。最初の先生はすきっ腹で半死半生の目にあわせやがった。そこでこいつをすて去ったかと思うと、今度の先生にひょっこり出っくわしたんだが、これになると、もはやすきっ腹をかかえて、おれをお墓ん中へ閉じこめてやがるんだ。そこで、もしおれがこの男をすて去って、これよりさらに悪い先生にぶっつかろうもんなら、いったいどうなるんだろう、そうなったら死ぬだけじゃないか?」
そんなわけで、わたくしはせかせかと腰をあげるのを控えたのでございます。それと申すのも、すべてこれからぶつかる階段は、いっそう低くなるばかりだと、固く信じていたからでございました。これで、もう一段さがったら、それこそラーサロ、うんともすんとも言わなくなるばかりか、この世の中から消息さえとだえてしまうことでございましょう。
そんなわけですべて忠実なキリスト教徒であれば誰だろうと、神様に救っていただきたいとひたすらに願うにちがいない、そういう悲しい境遇に身を置きながら、それでいてどうしろという考えをつけることも出来ないままに、事態は悪い方へ悪い方へと落ちて行くばかりだったのでございます。ところがちょうど、心の狭い、さもしい、けちん坊のわたくしの主人が、たまたま村の外へ出かけていたある日のこと、一人のいかけ屋がひょっこり家の戸口へやってまいりましたが、今だにわたくしは、このいかけ屋を、神様の御手によっていかけ屋の服に変装させて、わたくしのところへおつかわしあそばした、天使だったと信じているのでございます。この男は何か直しものはないかとわたくしに訊ねました。
「おいらのことなら、やるこたあいくらでもあるぜ、それにおいらを修繕しようっていうんなら、ちょっとやそっとの仕事じゃなかろうよ」と、わたくしがこっそり申しましたので、彼には聞こえませんでした。
しかし、こういう冗談を言って、無駄に費すべき時間ではございませんでしたから、聖霊(エスピリトウ・サント)の啓示によって、彼に申しました。
「おじさん、おれはこの木箱の鍵を失くしちまったんだ。それで主人になぐられやしないかとびくびくしているんだよ。後生だから、おじさんがそこへ持って来た鍵のなかで、どれかこれに合うやつがあるかどうか、探しておくれよ、きっとお礼はするんだからさ」
すると天使のいかけ屋は、持参した大きな束にした鍵を次から次と試しはじめましたので、わたくしもおぼつかないお祈りを唱えながら手伝いはじめたのでございました。そうやって、まったく思いがけない時に、木箱の中にわたくしはパンの姿をした、世間でよく言うように、神様のお顔を見ましたので、木箱が開いたとたんに、彼に申しました。
「おいらは鍵のお礼にあげるお金は持ってないがね、だからこの中からお代を取っておくれよ」
彼はいくつかのパンのなかで、いちばん気に入ったお供物(くもつ)のパンを選び出し、わたくしには鍵を渡して、大満足で帰って行きましたが、後に残ったわたくしもそれに劣らぬ大満足でございました。
しかし、今のところ、わたくしは何にも手をつけませんでしたが、これはすぐになくなったことを感づかれたくなかったからでございますが、いやそれよりも、こういう宝の山がいざ手にはいってみると、もう空腹なんかおいそれとやって来るもんかと、そんな気がいたしたからでございました。けちん坊の主人が帰ってまいりましたが、ありがたいことに、あの天使が持ち去ったお供物のパンには気づきませんでした。
そこで翌日、主人が家を出て行きますと、すぐさまわたくしは、パンの天国の扉を開いて、お供物のパンを一つ、両手と歯で取りあげて、お題目(クレード)を二度唱える間にそいつの影も形もなくしてしまいましたが、もとより木箱を開けたまま忘れるようなことはいたしませんでした。この手だてがあれば、これからさきのわびしい生活も埋め合わせがつけられるとわたくしには思われましたので、すっかりはしゃいで、家の中をほうきで掃きはじめたものでございます。だから、こんな具合に、そんなことで、その日もその翌日もうきうきしていたのでございました。しかしこの安らぎがいつまでも続くほど、わたくしは幸運にめぐまれてはいなかったのでございます。なぜなら三日目には、早くもまさしく三日熱に襲われたからでございました。
つまりそれは、これまでわたくしを死ぬほど空腹なめにあわせて来た男が、時ならぬ時に、われらの木箱をのぞきこんで、パンをひっくり返し、またひっくり返し、数を数え、また数えなおしている姿を目にいたした次第でございます。わたくしはなにくわぬ顔をして、ひそかなお祈りと、勤行(ごんぎょう)をこめて申したものです。
「サン・フワン様、この男を盲にして下さいまし!」と。
ずいぶん長いこと、日数を数えたり、指折り数えたりして計算してみた後で、彼は申しました。
「この箱がこんなに用心堅固に出来ていなかったら、誰かここからパンを盗んでいったと言うところだがな。しかし、今日以後は、そういう疑問をぴたりと閉ざすためにも、正確に数をかぞえておくことにしよう。残っているのは九つとかけらが一つだな」
「畜生、九つの苦(く)でもくらうがいいや!」と、わたくしは心の内で申しました。
このとき彼の言ったことが、わたくしには投げ槍で心臓を刺しつらぬかれたようにも思われて、いよいよ過ぎし日の絶食療法を受けることになったので、胃袋は空腹をかきたてはじめたのでございました。彼は外出いたしました。そこでわたくしはおのれを慰めるつもりで、木箱を開きました。そうしてパンを見ますと、これをいただくことははばかられましたので、それを礼讃しはじめたのでございます。何かの拍子(ひょうし)で、あのしまり屋が数え違いしてやぁしないかと、もしやにひかされて、それらのパンを数えたのですが、わたくしの思わくより、はるかに正確に数えてあることを発見いたしました。わたくしに出来る精一杯のことが、パンどもに何度も何度も口づけをするということでございましたが、そこでわたくしは出来るかぎりの細心さで、前の切り口にそってほんのわずかばかり裂き取りました。こんなことで、前日のようにあれほど愉(たの)しくもないその日を過ごしたのでございます。
しかしこのうえ空腹がはげしくなったら、どんな悲惨な死をとげるやらわからないくらい。さきにお話いたしました二日か三日に、わたくしの胃袋がおそろしいほどにも、パンを食べる習慣がついてしまいましたので、一人っきりでいようものなら、木箱を開けて見たり閉めて見たり、また、子供たちがそう呼んでいる、あの神様のお顔を眺めて見たりする以外には、何ひとつほかのことは手がつかないほどだったのでございます。しかし、さすがに、悩める者どもを救い給う神様は、こういう窮地に陥(おちい)ったわたくしめをみそなわせて、ちょいとした手段をわたくしの頭に思い浮かばせて下さったのでございました。そこで心の内で考えをめぐらせながら申しました。
「この木箱と来たら、古くて、ばかでかくて、もっともごく小さな穴だけれど、あちこちこわれている。そこで、鼠どもがこの中へ入りこんで、このパンにわるさをするってことは考えられそうだ。もっともまるまる一つ取り出すってことは上策ではない。それこそ、おれにあれほど不足がちの生活をさせて来たこの野郎が、すぐにもパンの不足を見つけだすにきまっているんだからな。これなら何とかやっていけそうだぞ」
そこでわたくしは、手近にあった、あんまり上等でもないテーブル掛けの上で、パンをこまかにくだきはじめました。そして一つ取っては一つ置くという具合にして、三つか四つのパンからそれぞれ、ほんの少量ずつを粉にくだきました。それから、まるで粉菓子でも食べるように、それを食べて、いくらかみずから慰めたのでございます。しかし、あの男は、パンを食べようと木箱を開けて、この狼藉(ろうぜき)を見つけたのでございますが、てっきりこういう悪さをはたらいたのは、鼠どもだと信じこみました。なぜなら、よく鼠どもがやるのとそっくりに、真似てあったからでございます。彼は箱の中を、隅から隅まで仔細(しさい)にしらべて、いくつかの穴を見つけると、ここから鼠どもがはいって来たのだろうと思ったのでございます。そこでわたくしを呼びつけて、こう申しました。
「ラーサロ、ごらんよ、ごらんよ。昨夜わしらのパンに、何というひどい迫害が及んだかをさ!」
わたくしは、ひどく驚いた様子をよそおって、いったいどうしたんでしょうと、彼に訊ねました。
「どうもこうもあるものかね!」と、彼が申しました。「鼠どもさ、彼奴(かやつ)どもは何ひとつ満足に残しておきゃしねえ」
わたくしたちは食事にとりかかりましたが、しかも神様はこのことでも、わたくしによくして下さいました。なぜなら、これまでわたくしに与えてくれたけちくささよりも、はるかにたくさんのパンをわたくしに与えてくれたからでございます。それと申すのも、鼠にかじられたなと思ったところは、残らず小刀で削りとって、こう申したからでございます。
「さあ、それをおあがり、鼠なんてきれいなものだからね」
そこで、こうしてその日は、いつもの分量にわたくしの手のはたらき、いやもっと正確に言えばわたくしの爪のはたらきの分を加えて、食べ終えたのでございます。もっともわたくしは、ついぞこれまで、食べ始めたなんて気のしたことは一度もございませんが。
それから間もなく、また別のはた(ヽヽ)と困った出来ごとが起こりました。それは、見ていると、主人が懸命に壁の釘をぬいたり、板切れを探したりして行ったり来たりして、そういう釘や板切れで、例の古ぼけた木箱の穴という穴に打ちつけるやら、とざすやらしていたことでございました。
「おお、神様!」と、その時わたくしは申しました。「わたくしども生ある者は、どこまで不幸や不運や災難にさらされているのでございましょう、そしてこの苦しみに充ちたこのわたくしどもの人生の喜びのはかなさはどうでございましょう! わたくしめをご覧下さいまし。わたくしはこの貧しい悲しい対策で、惨めな境遇をやわらげ、何とか堪えぬこうと考えていたのでございます。そうして幾分か心も晴れやかになり、幸運にもめぐまれはじめていたところでございました。しかし、わたくしの不運はこれを許してくれませんでした。なぜなら、わたくしのこのけちん坊の主人の目をさまさせ、彼奴が持って生まれた抜け目なさ(それと申すのが、こういうしみったれた連中の大部分が抜け目なさに欠けることは決してないからでございますが)、それに倍かけた抜け目なさを、あの男に与えておき、今度はまた木箱の穴という穴を閉じさせて、こうやってわたくしの慰めにぴたりと戸を閉ざし、わたくしの災難の戸を開けるようにしたのでございますから」
こういうふうに、わたくしが悲嘆にくれている間にも、一方わが熱心な大工さんは、たくさんの釘やら板切れで、仕事を片づけて、こう申しました。
「やい、油断もすきもないチュウ助どん、今度からは、やり方を変えるがよいぞ、もうこの家じゃ、そうそう甘い汁は吸わせないからな」
さて、彼が家から出て行くとすぐ、わたくしは仕事を検分に行きましたが、穴どころか、蚊一匹はいるすき間も残してはいないことがわかりました。そこで、わたくしは、もはや役に立たなくなった鍵で、別に役に立てようという望みもなく、そいつを開けました。するとそこには、わたくしの主人が鼠がかじったのだなと思いこんだ、二つか三つのわたくしが手をつけたパンがありましたので、まるで老練な剣客のようなやり方で、いとも鮮(あざや)かにそいつらに触れて、今度もまたそのいくつかのパンから、ほんのちょっぴり削り取りました。必要ほどすばらしい先生はないと申しますのですが、しかもわたくしは終始必要にせまられている身でありながら、夜となく昼となく、どうやって自分のいのちをつないだらよいかという方法を考えていたものでございました。そこで、こういう惨めな手段を思いつくのには、何といっても空腹がわたくしにとっての光明だったと今でも考えるのでございます。と申すのも、才気は空腹といっしょにいるとますます冴(さ)えるが、飽食といっしょではその反対だと世間でよく申しているからでございますが、わたくしにとっては、これは正にその通りでございました。
そんなわけで、ある晩こんなことを考えてまじまじと眠られないままに、どうやったらあの木箱を役立て、何とか利用することが出来るかと思い耽(ふけ)っていましたとき、わたくしの主人の眠っていることに気がついたのでございました。それと申すのも、いびきや、彼が眠っているときに出す、いやに大きな息づかいがそれを示していたからでございました。わたくしは、音をたてないようにそっと起きあがりましたが、それに、昼間のうちに、どうすべきかをちゃんと考えていましたし、そこらにごろごろしていた一ふりの小刀も、あらかじめすぐに見つかりそうなところへちゃんと残しておきましたので、わたくしは例の惨めな木箱のところへいって、どこがいちばん抵抗が弱いかをしらべたあげく、まるで穿孔器(せんこうき)でも使っているかのように、小刀で木箱に攻撃を加えたのでございます。この実に古くさい木箱は、何といっても時代ものだっただけに、もう堅固さもはり(ヽヽ)もなかったばかりか、むしろぼろぼろに柔かく、むしばまれていたので、わたくしの思いのままになってくれ、そのうえわたくしの空腹のおぎないになる、かなり大きな穴を、その脇腹に承諾してくれたのでございました。さてここまでやりとげると、わたくしはきわめてひそやかに、傷ついた木箱を開いて、手さぐりで、裂けたパンに対して、先に申しあげた通りのことをいたしたのでございます。そして、これで少しは慰められましたので、箱も元のようにしめて、わたくしの寝藁(ねわら)へ帰り、藁の中で横になって、いくらか眠りましたが、どうもぐっすりとは眠れませんでした。これはものを食べていないせいだと思いました。いや、それに違いありますまい、なぜかといえば、夜中のこんな時刻では、たとえフランスの王様のご所望でも、わたくしを眠りからさますなんて出来るはずがなかったからでございます。
翌日になって、パンにしろ穴にしろ、わたくしが加えた手痛い損害が、わたくしのご主人さまの目にとまりました。すると彼は鼠どもに悪魔にくわれてしまえと悪態をはきちらして、こう申しました。
「こいつはいったい、なんと言ったらよいか、わからんじゃないか? これまでついぞこの家にゃ鼠の気配もなかったというのに、今度が初めてだ!」
ところで、まったくのところ、彼は真実を申していたに違いございません。なぜかといえば、もしわが国にまさしく鼠どもから敬遠されている家がなければならないとしたら、当然この家こそ、その家のはずであったからでございます。それと申すのも、鼠というものは、食べもののないところには棲(す)まないのが普通でございますから。ところで、主人はまたもや、家の中やら、そこらの壁から、釘や板切れを探して来て、そいつで穴を塞(ふさ)ぎました。やがて夜が来て、彼に睡眠がおとずれると、さっそくわたくしは道具を持って起きあがって、彼が昼間ふさいだ個所を、夜は夜でわたくしが片っぱしから剥(は)がしたものでございます。
こういうやり方で、またお互いに大いそがしだったのですから、「一方の戸がしまると片方の戸が開く」というのは、疑いもなくこんなことを申したに違いございますまい。つまり、わたくしたちはお互いに、せっせとペネローペの布〔ギリシア神話で夫のオデュッセウスがトロイア出征中、多くの求婚者に対し、女神アルテミスの祭壇に捧げる誓いを立てた布を織り終えるまでは、求婚に応じられぬと称し、昼間織った布を夜ひそかにほどいたという〕を織っているようなありさまでした。なにしろ昼のうちに彼が織ったところを、夜になるとわたくしがほどいたのでございますから。だから、ほんの数日数夜で、わたくしたちはこの気の毒な貯蔵箱を、無残な姿にしてしまいましたので、そのものずばりとおっしゃろうという方なら、なにしろ箱の表面に釘だの鋲(びょう)だのくっつけているのですから、まずこれを木箱などと呼ぶよりも、大昔の古ぼけた鎧(よろい)の胴とでもお呼びになったに違いございません。
せっかくの自分の修繕が、いっこうに役にたたないことを認めると、すぐに彼はこう申しました。
「この箱もまったくひどいことになったもんだ。このとおり古くてもろい板で出来ているんだから、どんな鼠だろうとこれじゃ防ぎきれるもんじゃない。それに、すでにこの通りのありさまなんだから、このさきこいつを使っていたら、いまにまったく防ぐ力もなくなるだろう。防ぐ力がなくなるならまだしも、いちばん困るのは、全然役に立たなくなって、こっちが不自由するってことだ。おまけに、三レアルか四レアルは散財せにゃならなくなることだ。そうだ、うまい手段(てだて)を見つけたぞ、何しろこれまでの手段じゃ何の役にも立たなかったのだからな。この箱の内側へ、あのいまいましい鼠どもにわな(ヽヽ)をしかけることにしよう」
さっそくたずね回って鼠捕りを貸してもらい、近所の人々にもらったチーズの耳で、こうして絶えず木箱の内部に鼠捕りがしかけられることになりました。これはわたくしにとってはもっけの幸いでございました。もとよりわたくしはものを食べるのにそうむやみと調味料は必要ではございませんでしたけれど、それでも鼠捕りから失敬したチーズの耳はやはりわたくしにはありがたかったからでございます。それに、よしんばそんなことがなかったとしても、わたくしは決してお供物のパンの鼠かじりはやめたりはいたしませんでした。
パンは鼠にかじられ、チーズは食われ、しかもそれを食った鼠はかかっていないことを発見しますと、まるで火のようにいきり立って、それから隣り近所の人々に訊ねたものでございます。チーズは食べる、しかもちゃんと鼠捕りから引き出している、それに当の鼠はかかってもいなければ内部に残ってもいない、しかも鼠捕りの落し戸はちゃんと降りている、こりゃいったいどうしたことでしょうかね、と。
すると近所の人々は、その悪さをはたらいたやつは鼠じゃない、鼠なら一遍ぐらいかからないはずはないと、口をそろえて申すのでございました。するとそのなかの一人が申しました。
「あんたの家では、ちょいちょい蛇が出たことを、わたしゃ覚えていますが、きっとこの蛇にちがいありませんよ。つまり、からだが長いものだから、えさ(ヽヽ)をとることも造作なく出来る、それに落し戸がそいつを上から抑えつけても、内側へからだ全部を入れてさえいなかったら、平気で外へ出て行ける、これが何よりの証拠でさあ」
この男の言ったことには、そこにいたすべての人々にいかにももっともだと受けいれられましたし、少なからずわたくしの主人をあわてさせましたので、それからと申すもの、落ち着いて眠ることは絶えてなくなりました。だから木材の中にいる何かの虫が夜中に音を立てたりすると、彼の木箱をかじっている蛇だと思いこんだものでございます。するとすぐに起き上がって、人々から例の件をきかされて以来、いつも枕元においている棍棒をとって、蛇をおどかそうと思って、あの罪深い木箱を棍棒で力いっぱいなぐりつけるのでございました。この彼の立てた騒々しい物音で、近所の人々は目をさまさせられるし、わたくしもおちおち眠らせてはくれません。彼はわたくしの寝藁のところへ来て、藁を引っかき回し、藁といっしょにわたくしまで引っかき回しましたが、これは蛇がわたくしのところへやって来て、わたくしの寝藁の中か、わたくしの衣服の中へまぎれこんでいるに違いないと思ったからでございました。それと申すのも、こういう動物には、夜になると、温かさをもとめて、幼児の寝ているゆりかごへ行き、そのうえ幼児に噛みついたり、危険におとしいれたりすることがあるものだと、人々にきかされていたからでございます。
多くの場合、わたくしは眠ったふりをしていました。すると翌朝彼はわたくしに申すのでした。
「おい小僧、昨夜はなんにも聞こえなかったかね? 何しろ、わしは蛇のあとを追っかけ回したが、わしは今でも蛇のやつお前の寝床へはいりに行ったに違いないとにらんでいる。やつらはひどく寒がりで温かさをさがすんだからな」
「何とかして噛みつかれたくないもんだ」と、わたくしが申しました。「おいらは怖くてしようがないよ!」
こういうふうに、彼が夢中になって、眠ろうともしないので、まったくの話が、蛇は、いやもっと正確にいえば、わたくしという頭の黒い蛇は、夜になってかじるどころか、木箱のところへ行くことすら出来にくかったのでございます。しかし昼間、彼が教会か村の方へ行っている間に、わたくしは例の攻撃をやっつけたものでございました。そういう被害を見、それをくい止める手段もほとんどないということを見きわめると、夜になると彼は、さきにわたくしがお話したとおりに、妖怪みたいになって歩き回っていたのでございます。
何しろ、あのとおりの熱心さでは、藁の下にかくしている鍵を、いつなんどき見つけ出されるかもしれないという惧(おそ)れをわたくしは抱いていました。そこでいちばん安心できるのは、夜は口の中へくわえていることだと思われたのでございます。それと申すのが、さきの盲(めくら)と暮らして以来、すっかり口をもの入れにする癖がついていたおかげで、どうかすると、十二から十五マラベディもすべて半ブランカ銅貨で、口の中へ入れていて、それでものを食べるのに少しも邪魔にならなかったからでございました。しかし、もしわたくしがそうでもしなかったなら、あのいまいましい盲に見つからないで、一ブランカ銅貨だって自分のものに出来なかったことでございましょう。何しろわたくしの衣服の縫い目だろうと、継ぎ布だろうと、うるさいほど頻繁に探さないでおいた試しがないのですから。
そこで、いま申しましたように、わたくしは夜ごとに鍵を口の中にくわえて、これならさしもの妖術師まがいの主人にも見つかるおそれはあるまいと、安心して眠りました。しかし、不運というものがいざ来るとなったら、ちょっとやそっとの用心なぞ、無駄なものでございます。これもわたくしの宿世(すくせ)の因縁と罪業のいたすところとは申せ、一夜わたくしが眠っていましたとき、おそらく口は開けていたものと見えますが、その口にくわえた鍵の、くわえ方やら位置の具合で、眠りながら吐き出す空気やら寝息が、中がうつろになった鍵の孔から出て、ひゅうひゅうと笛のような音をたてていたばかりでなく、これまたわたくしの悪運の思いのままに、それがとても強く鳴りひびいたので、びくびくもののわたくしの主人がこれを聞きつけ、てっきりこれは蛇のしゅうしゅういう声にちがいないと思いこんだのですが、これは確かに、そう聞こえたのも無理はございません。
彼は手に例の棍棒をにぎりしめて、音を立てないようにこっそり起き上がって、手さぐりに、蛇のしゅうしゅういう声をたよりに、蛇に感づかれないようにと、静かに静かに、わたくしへ近づきました。そして、いよいよ間近にせまった時、蛇はわたくしが横になっている、そこの藁の中に、わたくしの温かさをしたって、やって来ているなと彼はかんがえたのでございます。そこで棍棒を高々とふりあげて、蛇はこの下にいるに違いない、一撃のもとにたたき殺すくらい力いっぱいなぐりつけてやれとばかりに、ありったけの力をこめて、強烈な一撃をわたくしの頭に加えたのですから、おかげでわたくしは、まったく気を失い、おまけに頭には無残な大怪我(おおけが)を負っていました。
きっとわたくしが、この猛烈な一撃で、ただならぬ苦しみ方をしたからでございましょう、これはわたくしをなぐりつけたなと感づいた時には、彼はすでにわたくしのそばに寄りそっていて、大きな声を出して、わたくしの名を呼んで、わたくしを正気にかえらせようと努めたんだと、主人は話してくれました。しかし、わたくしのからだに手を触れた時、多量の血が流れ出していることを手さぐりで知って、はじめてわたくしに加えた危害に気がついたのでございます。そこで、大急ぎで灯をとりに行き、やがて灯を持って帰って来て見ると、わたくしは苦痛を訴えているところでしたが、しかも口には、これまで一度でも口から離したことのなかった鍵を、半分は外に出したまま、なおもくわえていたのでございました。あの鍵をひゅうひゅう鳴らしていた時も、大いにこういうふうにしていたことでございましょう。
この蛇殺しは驚きあきれて、この鍵はいったいどうしたんだろうと、わたくしの口からすっかり引っぱり出して、仔細(しさい)にそれを眺めて、その正体を見つけたのでございます。それと申すのも、鍵の先端のつくりまで、自分の鍵と寸分の違いもなかったからでございました。そこで早速、この鍵を試しに行って、これでからくり(ヽヽヽヽ)をすっかりあばいたのでございました。
この時、この残忍な狩人はこう申したことでございましょう。
「おれをさんざんさわがせて、おまけにおれの貯えを盗み食いしおった鼠と蛇が見つかったわい!」と。
それからの三日間にどんなことが起こったのか、何ひとつお話しするわけにまいりません。それというのが、わたくしはその三日間を鯨のお腹の中で〔旧約聖書にある、預言者ヨナが三日間鯨の腹の中にいて、奇蹟的に助かった故事による〕過ごしていたからでございますが、しかしこれこれだったと、これまでわたくしが申しあげましたことは、わたくしが正気を取り戻した後で、主人の口から聞いたものでございます。というのが主人はあそこへやって来た人々に誰彼となく、詳細にこの件を話して聞かせていたからでございます。
それから三日後に、わたくしは正気に戻りましたが、見ると頭には所きらわずべたべた膏薬をはり、オリーブ油や油薬だらけになって、藁の中に寝ているではございませんか。そこでびっくりして、申しました。
「こりゃどうしたんだろう?」
すると、残忍な坊主が答えました。
「何ね、わしにひどいことをしおった鼠と蛇どもを、わしがすっかり退治したところよ」
そこで自分の身のまわりを見まわし、ひどい目に会ったことを知り、間もなくわたしの不幸を察したのでございます。
ちょうどこの時、祈祷で治してくれるお婆さんと、近所の人々がはいってまいりました。それから人々はわたくしの頭のぼろ布をほどいて、棍棒の打ち傷の手当にかかりました。そうして、わたくしがすっかり正気を取りもどしている姿を目にしたので、ひどく喜んでくれて、口々にこんなことを申しました。
「これで正気を取りもどしたことだから、後は何でもなく治ってくれるといいんだがね」
そこで彼らは、再びわたくしの数々の不幸を話し出しては、それにいちいち笑い興じ、罪深いわたくしは、それに涙を流したのでございます。それでも、人々はわたくしに食べものを与えてもくれましたが、何しろ空腹で苦しんでいたものですから、そんなことでひもじさを癒(いや)すことはほとんど出来ませんでした。で、そうやって、少しずつ少しずつ回復してまいり、二週間目には起き上がって、やっと危険を脱しましたが、空腹のほうは相変わらずでしたから、半分だけ健康に帰ったのでございます。
ところで、わたくしが起き上がった翌日、わたくしの主人はわたくしの手を取ると、わたくしを戸口の外の道路へ突き出して、こう申したのでございます。
「ラーサロ、今日かぎり、お前はお前さんのもので、わしの小僧じゃない。主人をお探し、神様のお導きで行くがいい。わしはお前のような、すばしっこい召使といっしょにいるなぁ、まっぴらだ。お前は前に座頭(ざとう)の手引きをしていたってこった、さもありなんだな」
そう言って、わたくしに悪魔でも憑(つ)いているかのように、わたくしに向かって十字を切ると、再び家の中へはいって、扉を閉ざしたのでございました。

第三話

ラーサロが一人の従士につかえた次第と、主人と共に遭遇したことについて

こうしてわたくしは弱り切ったからだから力をふりしぼることを無理強いされましたが、ぼつぼつとあわてず急がずに親切な方々のお助力を受けながら、この音に聞くトレードの都へと行きついたのでございますが、この土地へまいってから二週間目には、神様のお慈悲によって、傷口もふさがりました。まだ傷が癒えない間は、皆さんが始終、何かしら恵んでくだすったものでございますが、しかし、わたくしがすっかり元気になってからは、どなたもわたくしに、こうおっしゃるのでございました。
「おい、お前ってやつはごろつきの怠け者だよ。さあさあ、いいご主人を探したり、探したり、その方におつかえするんだ」
「しかし、そいつは、どこへ行ったら見つかりますかね?」と、わたくしは心の中で申したものです。「大昔、神様がこの世をおつくりになったように、今改めてそいつをつくってくださらなかったらね?」
そこでわたくしは、お恵みなんぞ雀の涙くらいしかないのに、人様の戸口から戸口と渡り歩いておりましたが、何しろ慈悲というものは、もはや地をはらって天上へ昇っていたのですから仕方はございません。そうやって歩いているとき、神様のお引き合せで、はからずも一人の従士にめぐり合いましたが、これは一応ととのったみなりをし、身だしなみもきちんとし、ととのったゆったりした歩調で町を歩いていたのでございました。相手がわたくしを見ましたので、わたくしも相手の顔を見ますと、向こうで声をかけました。
「おい、小僧、主人を探しているのかね?」
そこでわたくしが申しました。
「そうです、旦那」
「それなら、わしの後をついて来るがいい」と、答えました。「わしに出会うとは、神様もお前にお慈悲をかけて下すったものだ。お前、今日は何かいいお祈りをしたんだな」
そこでわたくしはこの人の後についてまいりましたが、ついて行きながらも、今さきこの人から聞いた言葉もさることながら、その服装と風采からおして、これこそわたくしが求めていた人物だと思われたということで、神様に感謝をささげたものでございます。
わたくしがこの三度目の主人に出会ったのは、まだ朝のことでございました。彼はわたくしをうしろに従えて、この都の大部分を連れて歩きました。パンをはじめ、その他いろんな食糧品を売っている市場もいくつか、その中を通りすぎました。わたくしはその都度、そこで売っているものを買って、わたくしに背負わせる気になってくれないものか、と考えましたし、望みもいたしました。なぜなら、それは一般に必要なものを買いととのえるのに、もってこいの時刻だったからでございました。しかし彼はどんどん大股で、そういう物のところを、さっさと通り過ぎて行きました。
「きっとここには、気に入ったものが見あたらないんだろう」と、わたくしはひそかに申しました。「そこで、別の場所で買うことになるんだな」
こうやって、わたくしたちは十一時を打つまで歩きつづけました。その時、彼が大寺院にはいってゆきましたので、わたくしもその後に従いました。見ていると、実に熱心に弥撒(ミサ)やそのほかの勤行(ごんぎょう)を、何もかも終了して、信者たちがみんな行ってしまうまで、拝聴していたのでございます。その時、わたくしたちは寺院から出てまいりましたが、相変わらず、ずかずかと大股で、ある通りを下の方へ降りかけました。
だが、われわれは別に食べものを探すのに、あくせく心をわずらわすことはないんだと思いつくと、歩いて行きながらも、わたくしは上機嫌でございました。今度のおれの主人は、きっと食糧なぞは大量に買いこんでいて、食事などはもうちゃんと用意が出来ているばかりか、それもおれがかねがね望んでいたばかりか、必要だったようなご馳走にちがいなかろうと、気持ちよく考えたのでございます。
ちょうどこのとき、時計は午後一時を打ち、そしてわたくしたちが一軒の家に着きますと、その前で主人が立ち止りましたので、わたくしもいっしょに立ち止りました。すると彼は合羽(かっぱ)のはじを左がわへはねのけて、胴着の袖から鍵をとり出し、扉を開けましたので、わたくしどもは中へはいりました。その家の入口というのが、あんまり暗くて妙に陰気でございましたので、誰でもこの家へはいって来る者に、恐怖心を起こさせはしないかと、そんな気がいたしたくらいでございました。それでも、家の内部には、小さいながら中庭もあれば、なかなかちゃんとした部屋もいくつかございました。
われわれが家へはいるやいなや、主人は着ていた合羽を脱いで、わたくしに手はきれいだろうねと訊ねたうえで、わたくしたちは二人がかりで、合羽のほこりをはらい、きれいに折りたたんで、そこへ置いてあった腰かけ台を、ひどく注意ぶかくふうふう吹いておいて、それから合羽をその上に置いたものでございます。さて、これが終わると、主人は合羽のわきへ腰をおろして、わたくしはどこの生まれで、またどういうふうにして、この都へやって来たのだということを、根ほり葉ほりたずねるのでございました。
そこでわたくしは、心ならずも、彼によぎなく詳しい話をいたしたのでございます。なぜなら、わたくしに、こんなことを話させたりいたすよりも、食事の用意をしろとか、煮込料理(オーリヤ)を盛りわけろとか、命じたほうが、はるかにふさわしい時刻だという気がいたしたからでございました。
それでもわたくしは、わたくしの身の上について、出来るだけの嘘八百で、彼を満足させたのでございます。つまり具合のいいことは話しましたが、あまりお上品向きではないように思いましたので、そのほかのことはいっさい言わずにおいたのでございます。さて、話が一段落したのに、彼はしばらく、そうやってそこにおりました。ところでもうそろそろ二時になるというのに、彼が死んだ人間よりも、何か食べようというきざし(ヽヽヽ)も見せないところから、わたくしも間もなく、さいさきの悪いことに気がついたのでございます。
その後でわたくしは、彼があの通りの家の扉に鍵をかけて締めていたこと、それに階上にも階下にも、家の中には生きた人間の足音ひとつ聞こえないということに思いあたりました。わたくしの目にふれたものといえば、ただむき出しの壁ばかり、家の中にはそれこそ小さい椅子も、椅子代りの切り株も、長椅子も、食卓も、それどころかこの前の主人が持っていたような木箱さえ見あたりません。つまりこの家は化物屋敷のようでございました。そうやっているうちに、彼が口を開きました。
「おい、小僧、お前食事はすんだのか?」
「いいえ、旦那」と、わたくしが申しました。「だってまだ八時も打たない時、旦那とひょっこりお会いしたんですよ」
「ところがわしは、まだ朝のうちだったが、昼飯をすましていたもんだからね。それにこういうふうに何か食うと、こりゃお前も知っていてもらいたいが、わしは夜になるまで、こうやっているんだ。だから、お前も何とか好きなようにしていてくれ、いずれ後で夕食を食べるんだからね」
この言葉を聞いた時には、わたしはもう少しのことで気を失って卒倒いたすところでございました。旦那さま、決して嘘ではございませんよ。と申しても、これはただ空腹だったからと申すよりも、運命がこうも何から何まで、わたくしに背を向けているのかと、しみじみ思いあたったからでございます。その時、わたくしのこれまでの苦労が、再び、ありありとわたくしの胸の中に現れ、再び、自分の数々の苦難を思って涙をおとしました。その時ふと、この前の坊主のところから逃げ出そうと思っていた時、なるほどこの男はさもしい、けちけちした奴に違いないが、しかし間が悪いと、これよりもっと下等な奴に会わないものでもないと考えた、あのわたくしの反省が、わたくしの記憶にあざやかによみがえってまいりました。要するに、わたくしは過ぎし日の苦難に充ちた生活と、もはや間近に迫った、わたくしの未来の飢え死にを思ってその場で悲しんだのでございました。
それでも、そういうことはひた隠しにして、彼に申しました。
「旦那、おいらは神様のおかげで、そんなに食うことにがつがつしない小僧なんです。このことじゃ、おいらとおない齢ぐらいの奴らの間じゃ、自慢してもいいんです、口いやしくないってことではね。それだから今日(きょう)の日までつかえて来た主人たちに、そのことではほめられてもいたんですよ」
「うん、それは立派なことじゃ」と、彼が申しました。「それだけでも、わしはいっそうお前が好きになりそうだ。たらふく食うなんてことは、豚のすることで、腹八分に食うのが、ちゃんとした人々のすることだからな」
「いや、あんたのおっしゃるこたあ、ようくわかってますよ!」と、わたくしは心の内で申しました。「おれがこれまで会った主人どもが、空腹の中にこそあるなどとぬかしやがった、そんな健康法だ、美徳だ、なんてくそっくらえだ!」
わたくしは玄関の片隅へ行って物乞いをしてもらったパンの残りのいく片かを、ふところから取り出しました。彼は、それを見ると、わたくしに声をかけました。
「小僧、ここへおいで。お前、何を食べているんだい?」
わたくしは主人のところへ行って、パンを示しました。すると彼は、三つあったなかで、いちばんみごとで大きいひときれを、わたくしから取りあげて、こう申したものです。
「いや、実にこのパンはうまそうじゃないか!」
「そりゃね、旦那、今はまた別格ですよね」と、わたくしが申しました。
「いや、ちがいない」と、彼が申しました。「どこで手に入れたんだね? きれいな手で捏(こ)ねたものだろうな?」
「そいつはどうだか存じませんがね」と、わたくしが答えた。「しかし、わたしにゃ、それでもって、味がおかしくなるなんてこたぁありませんね」
「それだといんだがね」と、気の毒なわたくしの主人が申しました。
そう言って、パンを口へもって行き、わたくしが自分のパンに加えたやつに負けず劣らずの猛烈な勢いで、それを食いちぎり始めました。
「いや、こりゃ実にうまいパンだ、すごい!」と、彼が申しました。
ところで、わたくしは彼のどっちの足がびっこだか、つまり彼の弱点をちゃんと承知していましたので、食べるのを急ぐことにしました。それと申すのも、彼がもしわたくしより先に食べ終えたら、わたくしの手に残っているやつも、手伝ってやろうと、待ちかまえていることを、様子で見てとったからでございます。おかげで、わたくしたちは、ほとんど同時に食べ終えました。すると主人は、胸のあたりにこぼれていた、ごく細かなパンくずを、両手で払い落としはじめました。それから手近にある小部屋にはいり、口の欠けた、あんまり新しくもない水差しを持ち出して、飲み終わるが早いか、わたくしに水差しを差し出して飲むようにすすめました。
わたくしは、節制家ぶりを見せようと、こう答えました。
「旦那、わたくしはお酒はいただかないんです」
「これは水だよ」と、彼が答えました。「これなら飲んだってかまわんだろう」
そこでわたくしは壺を受け取って飲みましたけれど、たくさん飲んだわけではございません。わたくしが苦しんでいるのは、咽(のど)のかわきではなかったからでございます。
こんなふうにして夜になるまで、主人がわたくしに訊ねるいろんなことに、出来るかぎり上手に答えて、わたくしたちはいろんなことを話していたのでございます。夜になった時、主人はさっき水を飲んだ水差しの置いてある部屋へわたくしを連れて行って、こう申しました。
「小僧、そこに立っているんだ。そしてどんな具合にこの寝床をつくるか見といてもらおう、いずれこれから、お前一人で作れるようにな」
一方にわたくしが、向う側に主人が立って、そうやってわたくしたちはそのみじめったらしい寝床をこしらえましたが、別に手数がかかったわけではございません。なぜなら寝床というのが、二つ三つの長椅子の上に、葦(あし)のすのこが一枚敷いてあって、その上に布をひろげて覆った、みじめな敷蒲団が乗っかっているだけだったからです。それでも敷蒲団の役をはたしてはいたのですが、まず敷蒲団とは義理にも見えないしろものでございました。わたくしたちは、これを引きのばして、いくらかでも柔らかにしようと試みましたが、これは出来ない相談でございました。なぜなら、固いものを、柔かくすることは出来にくいものでございますから。何しろ中身はなんにもない、このいまいましい敷蒲団のことですから、こいつを葦のすのこの上に置くと、すのこを編んだ葦が残らずはっきり現われて、どう見ても痩せ細った豚の背骨そっくりに見えるのでございました。それに、この腹ぺこの敷蒲団の上に、これまた同じような掛蒲団がありましたが、その色ときたら、わたしには何色だか見当もつきませんでした。
さて寝床が出来あがって、夜が来ると、彼が申しました。
「おいラーサロ、もうだいぶおそいうえに、ここから市場までは、かなりの道程だ。それに、この都市でもやはりたくさんの盗賊が出没しているが、これが夜になると追剥(おいは)ぎをやるんだ。そこでここはひとつ、お互いに何とか我慢しようじゃないか。そして明日、昼になったら、神様が何とか救いの手をのばして下さろうというもんだ。何しろわしは独り者だったから、別に食糧の買いおきなんぞしてやしない。それどころか、この頃では外で食事をしていたものだ。しかし、これからはこいつは変えることにしよう」
「旦那、わたくしのことでしたら」と、わたくしが申しました。「何にも苦になさらないで下さいよ、もし必要なら、一晩はおろか、その上でも、何にも食わずに過ごすことだって出来ますよ」
「それでこそ、お前は長生きするぞ、ますます元気でな」と、主人が答えました。「それが証拠には、この頃よく言われていることだが、この世で長生きするには、少食におよぶものなしだからね」
「そいつが本当なら」と、わたくしは心の中で申しました。「おいらは決して死ぬことはないだろうよ。何しろこれまで絶えず、おいらは否応なしにその規則を守って来たんだ、いやそれどころか、運のないおいらのことだ、死ぬまで一生、その規則を守ることだろうよ」と。
そうして主人は、枕もとに半ズボンや胴着をおいて、寝台に横になりましたが、わたくしには彼の足もとへ寝ろと言いつけましたので、そのとおりにいたしたのでございます。
それにしても、それこそ一晩中わたくしはまんじりともいたしませんでした! 何しろ、すのこの葦と、わたくしのごつごつして飛び出した骨とが、一晩中ひっきりなしに、せめぎ合い、怒りに燃えあがる始末でしたから、この時のわたくしの苦役や苦痛や空腹のおかげで、わたくしのからだには、一リブラの肉もなくなってしまったんだと、わたくしは思っています。それにまた、あの日はほとんど何にも食べていなかったのですから、空腹で今にも気が狂いそうなくらいでしたが、この空腹がまた、睡眠に対して、いっかな仲よくしてはくれませんでした。神様、わたくしめをお許し下さい! しかし、わたくしは、わたくし自身と、わたくしのつたない運とを、ほとんど夜中(よなか)じゅう、あの床の上で、何千回と、呪い続けでございました。それに、もっといけないことは、主人を起こすまいと思って寝返りもうかつに出来なかったことで、わたくしは神様に何度となく死なせて下さるようにお願いいたしました。
朝になって、わたくしたちは起き上がりました。すると主人はおのれの半ズボン、胴着、上着(サーヨ)、それに合羽のちりを払ったり、ふったりし始めましたが、わたくしはほんの申しわけに彼の手伝いをいたしました。それから主人は、自分で満足いくまで、ゆっくりと服を着けました。わたくしは主人の両手に水をかけてやりました。すると彼は髪に櫛を入れ、革帯に剣を吊って、それを腰におびるときになって、わたくしに申しました。
「だがなあ、小僧、これがどのくらいの業物(わざもの)か、貴様が知っていたらなあ! まず、わしがこれを手離してもかまわんという黄金はこの世の中にはないと思え。いや、アントニオが鍛えた剣〔十五世紀のトレードの有名な刀剣師〕が何ふりあろうと、これだけのすばらしい切れ味のものはついぞ作れなかったんだからな」
そうして鞘(さや)から抜き放って、刃を指で触りながら申しました。
「そら、ここが見えるかね? わしはこの剣でなら、羊毛の塊でもまっ二つにして見せるぞ」
そこで、わたくしは心の内でつぶやきました。
「そんなら、別においらの歯は鋼(はがね)じゃないが、四リブラのパンでもわけはないよ」
彼は再びそれを鞘におさめ、粒の大きな数珠(じゅず)といっしょに、革帯から吊して、それを腰に佩(お)びました。それから悠揚(ゆうよう)せまらざる歩調で、からだをしゃんと立て、からだと頭とを恐ろしく気取ってゆすりゆすり、合羽の裾を肩の上へぱっとかけたり、また時としては、腕の下にかかえこみ、それに右手を脇にあてがいながら、こんなことを言って、戸口から出て行ったのでございます。
「おい、ラーサロ、わしが弥撒(ミサ)を拝聴に行っている留守の間は、家の中をようく気をつけるんだぞ。それから寝床をととのえて、それがすんだら川へ行って容器に水をくんで来るんだ、川はこのすぐ下だ。入口は鍵をかけて締めておくんだ、何を盗まれても困るからな。それから鍵はここの戸の蝶番(ちょうつがい)のところにかくしておくがいい、そのうちにわしが帰って来て、家へはいれるようにな」
それから主人は、おそろしくお上品な容貌風采で、それこそ知らない者でしたら、アラルコス伯爵のごくごく近いお身内か、少なくとも伯爵に服装をととのえてさしあげた御用掛りくらいには思いそうな様子で、坂道を上へ登って行ったのでございます。
「神様もたいしたお方でございます」と、わたくしはあとに残って独りごとを申しました。「なにしろあなたさまは病気をおつかわしになって、一方ではちゃんと治すお薬もお授けなさるんですからねえ! 例えば、あのわたくしの主人に出会って、いかにも自分自身に満足しきった様子からおして、昨夜はさぞかしうまい夕食を食って、ふかふかした寝床で眠ったことだろうと、こう思わない者がございますでしょうか、それに今はまだ朝になったばかりだが、もううまい昼飯を食ったんだろうと、こう考えない者がございますでしょうか? 神様、あなたさまがお創りあそばした者どもの、しかも人間にはうかがい知ることの出来ない神秘の広大さはどうでございましょう! あの立派な風采だの、一応もったいぶった合羽やら上着やらに、いっぱい食わされない者がございますでしょうか? それに、あのお上品な人物が、昨日は一日中、何ひとつ食わず、ただあの男の小僧のラーサロめが、それもたいしてきれいにして置くことも出来なかったふところ(ヽヽヽヽ)という貯蔵箱に、一日一晩しまっておいた、あの固いパンのかけらだけでしのぎ、今日は今日で、手や顔を洗ったが、手拭いがないものだから、上着の裾で間に合わせていたなどと、考える者が一人でもございますでしょうか? いいえ、誰一人そんなことを疑う者のないことは間違いございません。それにしましても、神様、あなたさまのためならとてもしのびそうにないことを、いわゆる面目とやら申すろく(ヽヽ)でもないことのためとあれば、平然として堪えしのぶような、こういう輩(やから)を、何とまたたくさんこの世の中にうようよと、お撒(ま)きちらしになったことでございましょう!」
こうやってわたくしは、やがてわたくしの主人が、長くて狭い街路を通り過ぎて見えなくなるまで、以上のようなことや、そのほかたくさんのことを、あれこれと思いめぐらしていたのでございました。そして主人の姿が見えなくなりましたので、わたくしは再び家にとって返し、ほんのちょっとの間に、家中を上から下まで、隅なく歩きまわりましたが、別に立ちどまりもしなければ、これといって見つけ出したものもございませんでした。例の惨(みじ)めなこちこちの寝床をしつらえ、ついで水差しをかかえて、川へまいりましたが、その川近くのとある果樹園で、二人のベールで顔をおおった女を、しきりに口説いている、わたくしの主人の姿を見たのでございます。ところが、この女たちというのが、一見してこういう場所になくてはならぬ女たちでございました。いや、そればかりでなく、こういう女たちの多くは、夏は朝まだきから涼をもとめて出かけて行くばかりか、こういう涼しい川岸へ、自分たちは一文のお金も持たないで、誰かしらご馳走をして下さる殿方にはことかくまいという期待をいだいて朝食をしたために出かけて行くことをならわしにしているのでございましたが、これとてもこの土地の好きものの殿方が、こういう女たちにそういう風習をおつけになったからのことでございます。
ところで、さきに申しあげましたように、彼は二人の女の間にはさまれて、いわばマシーアス〔カスティーリャのフワン二世時代の宮廷詩人。恋人の夫に殺害された恋愛事件の主人公として伝説的に有名で『恋人マシーアス』と呼ばれる〕気取りで、オウィディウス〔ローマの大詩人。「恋の手ほどき」の作者〕が書いたものよりはるかに甘ったるいことを女たちに言っているところでございました。しかし、相手の男がいい加減うつつを抜かしているなと見てとったものですから、女たちのほうはいつものお返しで、彼に朝食をご馳走してくださいなと恥ずかしげもなく申し出たのでございました。
あいにくなことに、彼の身内は欲望でかっかと燃えたっているのにひきかえ、ふところのほうは、北風吹きすさむお寒さでしたから、烈(はげ)しい悪寒(おかん)にとりつかれ、はては顔色も蒼ざめて、言うこともしどろもどろになり、何とも間の悪い言いわけを始めたものでございました。
一方女たちのほうは、こんなことはとっくに経験ずみだったのでございましょう、相手のこの病状を見きわめるが早いか、それがあんたの分相応よとばかり、さっさと彼を棄て去ってしまいました。
わたくしのほうは、その時ちょうどキャベツのしんのいくつかを食べていましたので、これで朝食をすましたことにして、いかにも雇われたばかりの小僧らしい几帳面(きちょうめん)さで、わたくしの主人に見とがめられることもなく、家に帰ってまいりました。家に帰ると、そこいらを少し掃こうかなという気になりましたが、それは実際大いにその必要があったからでございます。しかし、何で掃いたものか、掃くものが見あたりません。そこで何をしたものだろうと考え始めましたが、そうだ、正午になって、ひょっとすると主人が帰って来るかもしれない、いや、ことによると二人で食べるものを何か持って来てくれるかもしれない、それまで主人を待ったほうがよさそうだと思いついたのでございます。もっともこのわたくしの期待はもののみごとにはずれはいたしましたけれど。
もう二時だなとわかったのですが、主人はいっこうに帰ってまいりませんし、それに腹の虫がわたくしをそろそろ攻めたて始めますので、戸口をしめて、鍵を言いつけどおりの場所にかくして、わたくしは再び手馴れた本職にもどりました。いかにも病人めいた低い声を出し、殊勝げに両手を胸へおろし、目の前に神様を描き、口にはその御名をとなえ、こうしてうち見たところいちばん大きそうな門口(かどぐち)、家々を訪れて、パンンのおもらいをはじめたのでございます。それにしても、さすがにわたくしはこの職業をおっぱいといっしょに飲みこんだのでございますから、つまり、わたくしの申すのは、あのお盲(めくら)大先生について習い覚え、しかも師の名をはずかしめない弟子となったのでございますから、よしんばこの町には慈悲心は地を払い、しかもその年は決して豊年ではございませんでしたけれど、わたくしが大いに腕をふるいましたので、時計が四時を打つまでには、すでにわたくしはパンを四斤ばかりは、お腹のお倉の中にしまいこみ、さらに二斤の上のパンを袖とふところへしまいこんでいたのでございます。やがて家へ帰って来ましたが、臓物屋の前を通りかかりましたので、そこにいた女たちの一人に物乞いをいたしますと、その女の人は牛の蹄(つめ)一きれと、臓物の煮込みを少しばかりくれました。
わたくしが家へ帰り着いた時には、好人物の主人はすでに帰っていて、もう合羽もたたんで、台の上に置いて、中庭をぶらついていました。わたくしがはいって行きますと、つかつかとわたくしのところへ近づいて来ましたので、てっきり帰りが遅くなったのを叱るつもりかなと考えましたが、しかし神様のおかげで万事うまい具合になったのでございます。
主人はどこへ行っていたんだと訊ねました。そこでわたくしはこう答えました。
「旦那、わたくしは二時打つまでここにいたんですが、お前様がいっこうにお帰りにならないもんですから、そこの町なかへ出かけて行って親切の方々のおなさけにおすがりしたんですが、そらこの通り、これだけわたくしに下すったんですよ」
わたくしは、着物の裾のはじに入れて来た、パンと臓物を主人に披露(ひろう)いたしますと、これに対して機嫌のいい顔を見せて、こう申しました。
「そうか、わしはまた貴様が帰ってから食べるつもりで待っていたんだが、お前がいっこうに帰って来ないもんだから、食べちまったよ。しかし、貴様もなかなか正直な人間にふさわしいことをやったもんだね、今度のことでは。そりゃ、盗むよりも、神様のお恵みがございますようにと言って物乞いした方がいいのだからね。それに、わしもお前の物乞いを結構なことだと思うことにしたら、神様もわしをまんざらお見すてにはならないかも知れんて。だがね、貴様がわしといっしょに暮らしているということだけは、世間に知られないように願いたいね、何しろこいつは、わしの面目にかかわることだからな。もっとも、この町ではわしはいくらも知られちゃいないとこから考えれば大丈夫、人に知られずにすむとは思っているんだがね。どうかわしの身に、そんなことが起こりませんように!」
「そのことなら旦那、ご心配はいりませんよ」と、わたくしが申しました。「そんなことを話してくれって奴もいなけりゃ、ましてわたしがしゃべるはずもありませんからね」
「さあ、そんならこれから食べるがいい、仕方のない奴だ! しかし神様の思召しさえあれば、おれたちも近いうちにはこう不如意じゃなくなるだろうよ。もっとも、はっきりことわっておくが、この家に住みついてからというもの、何一つうまくいったためしがない。どうやら地相が悪いらしい、つまり悪運の家だの縁起のわるい家があるもので、そういう家に住んでいる者には、不運がついて回るんだな。この家が間違いなく、そういう家の一つらしい。しかし、わしは貴様に約束するが、たとえこの家をただでくれるといわれても、この月いっぱいで、ここにはいないつもりだ」
わたくしは腰かけ台のはじへ腰をおろしました。そしてわたくしを大食いと主人に思われたくはございませんでしたから、外で食べたおやつのことは一言も言わないで、臓物やパンにかじりつきながら夕食をはじめました。そうして何くわぬ顔で、それとなく不景気な主人の様子をうかがいますと、彼はわき目もふらず、ちょうどそのとき皿のかわりをつとめていた、わたくしの着物の裾を、まじまじと見守っていました。それにしても、せめてあの時、わたくしが主人を憐れと思ったくらい、神様がわたくしを憐れんで下さらないものでございましょうか! なぜと申して、わたくしはまるで自分のことのように、この時の主人の気持がわかったからでございます。それにわたくし自身、これまで何度となく、いや、それどころか、来る日も来る日も、同じ苦しみを耐えしのんでまいったからでございます。そこでわたくしも、彼にいっしょに食べるようにとこちらから言い出したほうがよくないだろうかと考えました。しかし、わたくしに、もう食事はすましたと言っている手前、この誘いに応じないかもしれぬというおそれがございました。要するにわたくしはあの気の毒な男が、わたくしの苦心のみすぼらしい成果で、いくらかでもおのれの苦しさを軽くして、昨日と同じように食事をしてくれたらと思ったのでございました。なぜなら、飛びきりのご馳走はあることだし、それにわたくしのお腹もそれほど減ってもいなかったというように、すべて条件がそろっていたからでございました。ところが神様はわたくしの望みを遂げさせてやろうと思召されたばかりか、どうやら主人のそれも遂げさせてやろうと思召されたのだと、今になってわたくしは思いあたるのでございます。それと申すのが、わたくしが食べはじめますと、それまでそこいらをぶらぶらと歩き回っていました主人が、ひょいとわたくしのところへ近づいて来て、こうわたくしに声をかけたからでございます。
「いいかね、ラーサロ、わしはこれまで会った者の中で、お前ぐらい鮮(あざや)かな食べっぷりをするやつは、これまで一度も見たことがないよ。誰だってお前の食べているところを見て、別に食欲がなくっても、つい食い気を催さない者はいないだろうな」
「あんたのすばらしい食い気さね」と、わたくしは心のうちで申しました。「おいらの食べっぷりを鮮かにあんたに思わせるのはね」
しかしながら、向うでああやってみずからたすけているんだし、わたくしのために道もつけてくれたことだから、こっちで助けてやったほうがよいと思われましたので、こう申したのでございます。
「旦那、道具がよければ職人の腕もあがると申しますよ。このパンのうまいことといったら、それに牛の蹄(つめ)の煮方の上手なこと、味つけのすばらしいことといったら、誰にだってこいつに食欲をそそられない者はありませんよ」
「なに、牛の蹄だって?」
「そうですよ、旦那」
「わしはあえていうが、まずこいつは、世界中でいちばんの珍味だよ、雉子(きじ)だって、これほどわしがうまいと思うやつはないな」
「それじゃひとつ、旦那、やってごらんなさいよ。そうすりゃ、どんなにうまいかおわかりになりますよ」
そこでわたくしは、相手の爪の間へ、牛の蹄一つと、中でもとびきり白い三つか四つのパンを入れてやりました。主人はわたくしの隣に腰をおろして、いかにもそれを食べたくってたまらなかった人のように、食べはじめましたが、もし彼の飼い犬の猟犬ならかくやと思うように、牛の蹄の一つ一つの小骨までかじったものでございます。
「こいつに蒜(にんにく)ソースをそえたら、それこそすばらしいご馳走だぞ」と、彼が申しました。
「それどころか、空(すき)っ腹(ぱら)っていう、とびきり上等のソースをかけてめしあがっているんですぜ!」と、わたくしは胸の中で申しました。
「いやどうも、まるっきり今日はひと口も食わなかったとでもいうように、わしにゃうまかったよ」
「これが真実だったように、豊年つづきならいいんだがね」と、わたくしは、心の中でつぶやきました。
主人は水のはいった例の壺を持ってこいと申しましたので、川から汲んで来たまんまを彼に渡しました。つまりこれは、何しろこれまで一度だって食事がありあまるようなことは一度だってなかったのですから、したがってこれまで水が欲しいなどということは一度もなかったという証拠でございます。わたくしたちは、ともどもに水を飲み、それからひどく満足して、昨夜とおんなじように、眠りにまいったのでございました。
ところで、あまり冗漫にならないように申しあげますが、穀(ごく)つぶしの主人は朝になると、あの満足しきった様子と、悠々たる歩調で、何をするということもなく、町々をぶらついて、しかもあわれなラーサロを、いわば狼の頭〔昔狼を殺すと、その狼の頭をかかげて、あちこちの村を回り、狼の害からのがれた地主などから謝礼をもらい歩く風習があった。そこから物や金品をもらうための手段をさすようになった〕にしたてて、こうして八日か十日ぐらいを過ごしたのでございました。
わたくしは、これまで仕えたさもしい主人どものもとをのがれて、もっとましな主人を求めていたというのに、たまたま出会った主人というのが、わたくしを食べさせてくれないばかりか、わたくしのほうでその男を養っていかなければならないという、わたくしの不運を、今さらながら何度も考えたことでございました。とはいうものの、彼が何にも持っていないばかりか、何ひとつ出来ないことを見ているうちに、この男がむしろ好きになってまいりました。敵意よりも、気の毒なという気持を抱きましたので、この男の身すぎの糧を、家まで運んで行くために、わたくしのほうは何度つらい思いをいたしたかわかりません。
ある朝のこと、この気の毒な男が、襯衣(シャツ)ひとつで起きあがって、屋根裏部屋へ用便にあがってゆきましたので、その間にわたくしは、かねてからの疑念を晴らそうと、彼が枕もとにおいていった、胴着や半ズボンをあけひろげて、やっと見つけ出したのは、それこそ折目だらけで、鐚一文(びたいちもん)はいっていない、それどころか、もう長いことお金を入れた痕跡すらない、すっかり擦り切れた、びろうどの財布でございました。
「この男もかわいそうなやつだ」と、わたくしは独りごとを申しました。「この男の持っていない肝腎(かんじん)なものを、与えてくれる者は誰ひとりないのだからな。そこへいくと、あのがりがり亡者の盲と、あの煮ても焼いても食えないちょこざいな坊主ときたら、一人はのうのう(ヽヽヽヽ)と手に接吻をうけ、もう一人は得意の舌三寸で、神様からお恵みを受けていながら、そろいもそろって二人とも、おいらを干乾(ひぼし)にして殺すところだったんだから、あの二人は当然憎んでもかまわないが、しかしこの人には同情をよせるのが本当だ」と。
今日このごろでは、あの歩きぶりとか、あの乙な気取りようとか、何かしらこの男の癖にぶつかりますと、ああやって痩せ我慢しているのは、見ていてさぞかし自分もつらかろうと、わたくしはついほろりと同情して、いくら彼が貧しかろうと、先に申しあげた理由からも、これまでの主人どもよりも、心から喜んでこの人に仕えたいなと、そんな気になっていたことは、神様が何よりの証人でございます。ただ、ほんの少しだけ、わたくしはこの男に不満を抱いていました。それはあんなにまで自惚(うぬぼれ)を持たなくてもよさそうなものだということでございました。何しろあの人の不如意がますますもって、のしあがってまいったことから考えても、あの男の思い上りを、もうちょいと、低目にしてくれたらということでございました。しかしながら、わたくしの見るところによりますと、これはこういった連中の間では、もはや使い古された、しかも厳格に守られている規則なのでございます。つまり、ふところには、穴あき銭ひとつなくっても、ビレーテ帽子だけはちゃんと所定の位置にかぶっていようというのでございます。だからどうあっても、これだけは神様の御手によって直していただかないことには、こういう手合いはそのうちには、この病気で死んでしまうにきまっているのでございますから。
さて、わたくしはこういう状態で、今申しあげたような生活をいたしていたのでございますが、わたくしを迫害して倦(う)むことをしらないわたくしの不幸な宿命は、あの苦難にみちた恥ずかしい生き方の中で、このままわたくしが続けていくことを好まなかったのでございます。それは次のような次第でございました。その年のこの土地では、麦が不作でございましたので、市会で貧しい他国者(よそもの)はすべてこの市から退去すべきということが決議され、今後発見された者は笞刑(ちけい)に処せられるべしと布告が出たのでございました。そして、そのようにこの法律が履行されましたので、布告が出されてから四日目に、この市の四つの大通りを、貧乏人の行列を笞打ちながら引っ張って行くのを、わたくしは見ましたので、これにすっかり度胆(どぎも)をぬかれて、法にそむいておもらいに出かける勇気をなくしてしまいました。
その後のわが家の物断ちと、この家の居住者の失意と沈黙は、どなたでもごらんになることさえお出来になったら、ありありとおわかりになると思いますが、そんなわけで、わたくしどもは二日も三日も、ただのひと口も食べもしなければ、話しもしないでいる事態にたちいたりました。この頃、木綿の糸とり女工さんたちが、わたくしの露命をつないでくれました。彼女たちはわたくしどもの近くに住んでいて、箱型帽子をこしらえていましたが、わたくしはこの女たちと近所づきあいで、よく知っていたのでございます。だから、女たちが受けとっていた、ごくわずかのものの中から、何かしらわずかながら恵んでくれましたので、おかげでまるでほしぶどうのようにやつれがならも、持ちこたえていたのでございます。
わたくし自身哀れと思いはいたしましたが、しかしわたくしの気の毒な主人を哀れに思ったのに比べれば、ものの数ではございませんでした。何しろ彼は一週間、何ひとつ口にしなかったからでございますが、少なくともわたくしたちは、何も食べないで、ともかくも家にいたのでございます。もっともその間彼が、どうやって、どこをうろついていたかも、何を食べていたかも、わたくしは存じません。それよりも、純粋種のグレイハウンドよりもすんなりした、気取ったからだつきで、あの男が真っ昼間、坂道をこちらへくだってやって来る様子を見ていただきたいものでございます! それに、面目とやら申すろく(ヽヽ)でもないことではどうかと申しますと、これもだいぶ家では少なくなっていた藁(わら)から、藁しべを一つ抜きとって、別に何にもつまっているわけでもないのに、歯の間をせせくりながら、相も変わらず例の地相の不吉なことをこぼしながら、こんなことを申したものでございます。
「この家の不吉がわしを不運にしていることは、まったく残念だよ。ごらんのごとく、この家は陰気で、不景気で、暗い。だから、おれたちがここにいるかぎり、いやでも苦労をしなけりゃならないんだ。だからこうなったら、この家から出て行くためにも、早くこの月が終わればいいと思うだけだよ」と。
こうして、わたくしたちはこういう悲痛な、しかも腹ぺこの迫害の中にいたのでございますが、ある日のこと、どういう風の吹きまわしか存じませんが、わたくしの主人の恵まれない手の中に一レアルの金が舞いこんで来たのでございます。それを主人は、まるでヴェネツィアの財宝でも手に入れたかのように、大得意でそれを持って家へ帰って来て、とても嬉しそうに、ニコニコしながら、それをわたくしに渡して、申したのでございます。
「さあおとり、ラーサロ、そろそろ、神様がお手をお開きになったようだよ。だから、市場へ行って、パンとぶどう酒と、肉を買っておいでよ、ひとつ悪魔の目を回させてやろうじゃないか! それにお前によろこんでもらいたいと思うんで知らせるんだがね、実は別の家を借りたんだよ。だから、この不吉な家には、この月いっぱいしかいることはないのさ。この家も、この家に最初に瓦(かわら)をおいた野郎も悪魔にくわれちまうがいい、おかげでおれもこの家にはいってひどい目に会ったんだ! まったくでございますよ、神様、この家に住みついて以来というもの、一滴のぶどう酒も、ひと口の肉も口に入れたこともなければ、一度だって心の安まったことすらない。おまけに、この家の外見はどうだ、この暗さ、このわびしさはどうだ! さあ、行って、早々に帰っておいで、今日はひとつお互いに、伯爵様みたいに食べようぜ」
わたしはそのレアル銀貨と壺とを手にして、足をはずませて、道を上へと登りはじめたのでございます。いとも満足して、心も浮き浮きと、市場へと足を運んでまいったのでございます。しかし、これとても、わたくしの悲しい宿命で、どんな喜びであろうと、何かしらけち(ヽヽ)がつかずにはやって来ないということに、ちゃんと決まっているといたしましたら、所詮は呆気(あっけ)なく無駄に終わるのではございますまいか? 事実、これはそういうことになったのでございます。と申しますのは、登り坂になった通りを歩いて行きながら、わたくしはこのレアル銀貨を、なるべく上手に、いっそう効果的に使うには、どういうふうに使ったらよかろうかと、あれこれと見計ったり、さてはわたくしの主人にお金をおつかわしになるという恩寵に対して、神様に何度も何度も感謝をささげたりいたしておりましたが、そこへ、まるで降って湧いたように、坂道を、たくさんの坊さんや人々が、死人を担架に乗せて降りて来るのに、ばったり出っくわしたからでございます。
わたくしは彼らに道をあけるために、壁にぴったり身を寄せました。すると、死体が通り過ぎるやいなや、すぐに吊り台に付きそって一人の女がやって来ましたが、喪章をつけているのでこれはきっと故人の妻女にちがいございません。この女といっしょに他の女連も大勢やってまいりましたが、その女は大声をあげて泣きながら、こんなことを申しておりました。
「あなた、わたくしのたいせつな方! いったいこの人たちは、あんたを、わたしから取りあげてどこへ運んで行くのかしら? そうだ、きっと悲しい、不吉で、陰気な、うす暗い家にだわ、誰も食べもしなければ飲みもしない家にだわ!」
これを聞いたわたくしは、天がわたくしのいる地面へ一時に落ちかかって来たような気がして、申しました。
「ああ、どこまで不幸なのだ、おいらは! おいらの家へこの死人をかつぎこむなんて!」
わたくしはこれまで歩いて来た道をすてて、大勢の人々の中をくぐり抜け、力の続くかぎりの早さで走りながら坂道を家に向かって降りて行き、そして家の中へはいるやいなや、大急ぎで戸をしめて、彼にしがみついて、わたくしに力を貸してくれ、そしてこの入口を守ってくれと、主人の助力をもとめたのでございました。主人はいくらか顔色を変えて、もちろん何か別のことだろうと思って、わたくしに訊ねました。
「なにごとだ、小僧、そんなにわめいて? どうしたんだ? 何だってそんなに、やっきになって戸を締めるんだ?」
「ああ、旦那様!」と、わたくしが申しました。
「早くここへ来てください、こっちへ、わっしたちのところへ、死人をかつぎ込んでくるんですよ!」
「なんでそういうことになったんだ?」と、彼が答えました。
「その坂んとこで出会ったんです。そいつのかみさんが、こんなことを歩きながら、言っていたんですよ。
『あなた、わたくしのたいせつな方! いったいこの人たちは、あんたを、わたしからとり上げて、どこへ運んで行くのかしら? そうだ、きっと悲しい、不吉で、陰気な、うす暗い家にだわ、誰も食べもしなければ飲みもしない家にだわ!』って。だから、ここへ、わしたちのところへ、運んでくるんですよ」
まったくのところ、それを聞いた時に、わたくしの主人が嬉しそうににこにこしている理由なぞ、あるはずがございませんでしたのに、彼は大笑いに笑い、ややしばらくの間はものも言えないくらいだったのでございます。この時は、わたくしはもう扉に、しんばり棒をかって、その上にも防備を固くしようと、一方の肩をあてがっていたのでございます。人々は死人を運んで通り過ぎて行きましたが、それでもなお、きっとわたくしたちの家の中へ死体を持ち込んで来るのではないかと危ぶんでいました。すると、好人物のわたくしの主人は、すでに食べることよりも笑うことで、満腹したと見えて、わたくしに、こう申しました。
「まったくだよ、ラーサロ、あの後家が言っていたことを聞いて、お前が思ったように、受けとったのも無理のない話だ。しかし、神様がうまい具合にして下すったおかげで、あの連中もどんどん先へ通りすぎて行ったんだ、さあ、開けた、開けた。そして食べものを買いに行くがいい」
「旦那、あの連中にこの通りを向うまで通らせてしまいましょうよ」と、わたくしが申しました。
とうとうわたくしの主人は、通りに面した戸口のところへやって来て戸を開き、一方、わたくしに大丈夫だと元気づけてくれましたが、わたくしの抱いた恐怖と驚きからいっても、これは大いに必要なことでございました。それからわたくしは再び出かけました。それにしましても、あの日わたくしたちは、なかなか結構なものを食べたのでございましたけれども、いっこうにそれで美味(うま)いとは感じませんでしたばかりか、あの前後三日間は顔色も元にかえらなかったのでございます。そのくせわたくしの主人のほうは、あの時のわたくしの思い違いを思い出しては、そのたびごとにニヤニヤいたしておりました。
こういうふうにして、わたくしはこの三度目の素寒貧(すかんぴん)の主人、つまりこの従士と何日か暮らしていましたが、そのあいだじゅう、どういうつもりで彼がこの土地へやって来て、とどまっているのか、その動機を知りたいものだと思っていたのでございます。なぜなら、この男に仕えることになった最初の日から、彼が土地の人々をほとんど知らないし交際もしていないところから、他国者(よそもの)だということを察していたからでございました。
やがて、わたくしの望みが充たされて、思いどおりのことを知ったのでございました。というのは、一応のご馳走を食べて、いくらか気持ちもゆったりしていたある日のこと、主人がわたくしに、おのれの身の上話を聞かせてくれたからでございました。何でも彼は旧カスティーリャの者で、生国(しょうごく)を後にいたしましたのは、ただ、彼が近所のさるお侍に対して、帽子をとりたくなかったからだと、わたくしに話してくれました。
「ねえ、旦那」と、わたくしが申しました。「もし向こうが、おっしゃるようにお侍さんで、しかもあなたさまよりお金持でしたら、あなたさまがさきに帽子をおとりになっても、よろしいじゃありませんか? だって向こうでも、やはりあなたさまに帽子をとったとおっしゃるんですから」
「そうよ、れっきとした騎士だし、金もある。それにわしに帽子をとったことも間違いない。しかしいつもいつも、わしがさきにあいつに帽子をとっているんだから、一度くらいは向こうもそれに答えて、わしより先にとったって、悪くはなかろうじゃないか」
「わたくしに言わせると」と、わたくしが申しました、「そんなことは少しも気にならないだろうと思いますがね。ことにそれが、わたくしより偉い方で、おまけにお金持だったらなおさらですよ」
「お前はまだ子供だよ」と、主人が答えました。「まだお前には、きょうび(ヽヽヽヽ)では信頼に価いする人々のいのちにも代えがたい大事としている面目という事柄がぴんと来ないんだよ。それではひとつ、お前に教えてやろう。なるほど、わしはごらんのごとく、一介の従士に過ぎん。しかし、わしは神にかけてお前に誓ってもいいが、もしわしが往来で伯爵に出会って、わしに対して帽子をちゃんと文字通りとらなかったとしたら、その次に相手がやって来たら、さもそこへ何か用件があるという様子をしてどっかの家の中へ入りこむか、あるいは、もし次の通りがあれば、相手がわしのところまでやって来る前に、その次の通りを横切るくらいのことはわきまえているのさ。それもやつのために帽子をとりたくないばかりにだ。そもそも郷士(イダルゴ)というものは神と国王以外の者には何の義務もないものだからね。また、信頼に価いする誠実の士にして、一瞬でもおのれを持(じ)することを怠るなど決して正しいことじゃない。わしは今でも覚えているが、わしの故郷である役人を面罵(めんば)して、すんでのことに腕力沙汰におよぶところだったんだ。それというのが、わしがそいつに途中で顔を合わせるたびごとに、『神様があなたさまをお守りくださいますように』と言いやがったからだ。『やい、この碌(ろく)でなしの素町人め』と、そう言ってやったんだ。『なんだって貴様はそう育ちが悪いんだ? だが、まるでおれがそんじょそこらのあっても無くてもいい男みたいに、おれに向かって[神様があなたさまをお守りくださいますように]と言わなきゃならないんだ?』とね。するとその時以来というもの、ずっと遠くの方から、わしに帽子をとって、ちゃんと言うべきことをのべるようになったものだ」
「そんなら、お互いに挨拶するのに、あんまりいいやり方じゃないんですが、『神様があんたをお守り下さいますように』というやつは?」と、わたくしが訊ねました。
「気をつけろ、とんでもない話しだ!」と、主人が申しました。「取るに足らん相手にならそう言ってもかまわないが、もっと身分の高い、例えばおれのような人間に対しては、『あなたさまの御手に接吻いたします』ぐらいは、せめて言わなければならない。で、そんなことで、わしの郷里で、『神様がお守り下さいますように』で、おれをうんざりさせやがったあの男が、絶対に我慢したくなかったように、これからは相手がどんな男だろうと、決して我慢しないつもりだし、今後も我慢しないつもりでいる。ただ、『神の守護がそなたの上にあらんことを』とわしに言える王様おひとかたを除いてはだ」
「あきれたもんだ」と、わたくしはないしょで申しました。「道理でこの男は、自分を守っていくってことに、てんで気をとめないのだな。何しろ、他人がそんなことを神にお願いすることすら、我慢できないのだからな」
「そのうえに」と、主人が申しました。「わしはそれほど貧乏じゃないんだ。故郷には家屋敷のある地所も持っていないわけじゃないんだ。きっと二十万マラビディの上の値打ちはあったことだろうよ。それに、鳩舎(きゅうしゃ)も一つ持っていたが、これも現在のように崩壊してさえいなかったら、年に二百羽以上の小鳩を生産していたことだろう。それに、わしはいちいち言いはしないが、そのほかのいろんな財産を、すべてわしの体面に関することで、見すてて来たんだ。そして、何かいい職はないかと思ってこの市(まち)へやって来たのだが、しかし何ひとつわしの思いどおりにならなかったというわけだ。役僧だの教会のお偉方だのにも大勢会ったがこういう連中はそろいもそろって、しみったれで、世界中の人間がかかったところで、彼らをこれまでの因襲から抜け出させることは出来やしない。中流の騎士連中もやはりわしに仕えてもらいたがったが、しかしこういうう連中に仕えることはたいへんな仕事だ。なにしろそのためには、人間(オンブン)から切札(マリーリヤ)に、つまり好きなように使える便利屋に変らなくっちゃならないんだよ。もしそれがいやなら、「出て行け」と言われるだけさ。それに多くの場合、報酬は長期の分割払いだが、それよりももっと多い、しかも確かなのは、こき使った報酬が食べさせるだけというやつだ。あるいは、こういう連中がいくらかでも心を入れかえて、お前さんの汗に報いようと殊勝な気持をいだいたところで、せいぜいのところ、衣裳部屋の、汗だらけの胴着だとか、使い古して毛のすり切れた合羽なり上着を下しおかれるぐらいが関の山だ。あるいはまた、爵位のある殿様に仕えることになったとしても、やはり苦労がなくなるわけじゃない。こうなると、ひょっとすると、わしには、こういう連中に仕えて、やつらを満足させるだけの腕が、おれの能力にはないのではなかろうかと、そう思うだろうな? ところがどうして、神に誓ってもいいが、もしおれがそういう連中の一人にめぐり会ったとして見るがいい、おれは必ずその男の最大のお気に入りになって、かゆいところへ手の届くような御用を相務めることだろうと思うよ。なぜなら、おれだってほかのやつに負けないぐらいの嘘をつくことだって、相手をいともあざやかに嬉しがらせることだって、出来ようじゃないか。それに、その男の洒落(しゃれ)だの十八番(おはこ)が、世にもすぐれた秀逸なものではないにしても、大いにおかしそうに笑ってやる。たとえそのことが相手のためになることであろうと、その男の気にさわることは決して言わない。またその男の言うことなすことに細心の注意を払う。相手の目には決してふれないとわかっている事柄だったら、それをうまく片づけようと精を出すにはおよばない。それに、相手が聞いているところでは、彼のことに関するあらゆることに、細心の注意を払っているなと思われるように、召使の連中と口争いを始める。もしまた、彼が召使の誰かを叱りつけていたら、彼の怒りをあおり立てるような、しかもお叱りをこうむっている男をかばっているように見えるような、刺(とげ)のある気にさわる言葉をちょいちょい入れてやる。主人のお気に召していることだったら、自分もなるべくよく言うようにするが、その反対にお気に召さないことだったら、たちまち意地の悪い毒舌家になり、家の中の連中も他家の連中も見境なく、彼らをこっぴどくあばき立ててやるんだ。それから後で主人に話してきかせるためには、他人のいろんな生活をせんさくしたり、飽くまで内情を知ろうとつとめるんだ。そのほかこれに類した忠義だてをやるくらいはおれだって出来るつもりだが、こういうことはきょうび(ヽヽヽヽ)宮廷では日常茶飯事だし、宮廷やお邸の殿様方には大いにお気に召しているんだよ。それにこういう連中は、自分たちの邸に有徳の士のいることは、あまりお好きではないどころか、そういう人々を忌(い)み嫌い、軽視して、こともあろうに馬鹿呼ばわりして、こういう有徳の人物を、仕事の出来る男じゃないとか、この男では主人として安心して委せておけないとか言っているんだ。そんなわけで、こういう主人たちに対して、いまさっきおれが話したように、狡猾(こうかつ)なやつどもが、きょうび(ヽヽヽヽ)では、おれ自身つかって見たいなと思っているあの手この手を使っているんだ。だが、いかんせん、吾輩の宿命はそういう主人をおれが見つけ出すことを望まんのだ」
こんな具合に、わたくしの主人は相変らず、おのれの悲運をかこちながらも、わたくしにおのれの有能な身のうえを、こと細かに物語ってくれたのでございます。
さて、わたくしたちがこうやっているところへ、ひょっこり戸口から、一人の男と一人の婆さんがはいってまいりました。男は家賃を、婆さんは寝台の損料を、それぞれ主人に請求いたしました。二人は金額を計算いたしましたが、二カ月で、それは彼がまるまる一年かかっても、とうてい手に入れられそうにもない金高に到達していたのでございます。たしか、十二、三レアルだったかと思いますが、主人は二人にまことに調子のよい返事をいたしました。それは、これから二ドブロンの金貨をこわしに市場へ出かけるつもりだから、夕方またここへ引き返しておいでなさいというのでございました。しかしこのときの彼の外出は、帰りなしの出たっきりでございました。
したがって、夕方になって、さきの二人が再びやってまいりましたが、しかし遅かりし由良之助でございました。わたくしは二人に、主人はまだ帰って来ないと申しました。夜がやって来ても、主人は帰って来ないので、わたくしは一人っきりで家に残っているのがこわかったので、近所の女たちの家へ出かけて行き、彼女たちに事情を話してきかせて、そこに泊ったのでございました。
朝になると、例の債権者二人がまたやって来て、借家人のことを訊ねましたけれど、お門(かど)ちがいでございました。女たちが二人に答えました。
「ほら、ここにあの方の小僧さんがいますよ、戸口の鍵もありますわ」
彼らはわたくしに主人のことをたずねましたので、主人が現在どこにいるか知らない、お金を両替に出て行ったきり、まだ家へも帰って来ないので、両替したお金を握って、わたしからも、あんた方からも逃げて行ってしまったんだろうと考えていると、そんなことを二人に申したのでございます。
わたくしの話を聞くが早いか、二人は警吏と公証人とを連れに行きましたが、たちまちその場へ警吏と公証人を連れて帰って来ると、鍵を取りあげ、わたくしを呼びつけ、立会い人を呼びあつめ、それから扉を開けて、彼ら二人への負債が返済されるまで、わたくしの主人の財産を差し押えんものと、踏みこんだのでございます。彼らは家中をのこるくまなく探し回ったのですが、さきにお話し申したように、家の中には塵(ちり)一つないというありさまを見て、わたくしにこう申して訊ねました。
「おいこら、貴様の主人の箱だとか、壁かけ布だとか、家具類だとかいう、家財道具はいったいどうなったんだ?」
「おいらはそんなこと知りませんよ」と、わたくしは彼らに答えました。
「きっとゆうべのうちに、そんなものは持ち上げて、どっかへ運んで行ったんですぜ。お役人、この小僧を召捕って下さいよ、こいつは、あの男がどこにいるんだか知ってるんですから」
これを聞くと、お役人がやって来て、わたくしの胴着の襟頸(えりくび)を手で抑えつけて、こう申しました。
「こら小僧、貴様の主(あるじ)の家財道具のありかを、ありていに申しあげぬとあれば、貴様を召捕るぞ」
わたくしもこういう羽目に陥ったことはこれまで一度もございませんでしたので、(と申すのは、襟頸を捉(つか)まえられたことは、数えきれないくらいでございましたけれど、それだって目の見えない男がわたくしから道を教えてもらおうと、あの男にもの柔かに捉まえられていたのですから)わたくしはすっかりこわくなって、泣く泣く、あんた方の訊ねることなら何でもしゃべると約束いたしました。
「よろしい」と、彼らが申しました。「それなら貴様の知っていることを逐一(ちくいち)申すがよい、何もこわがることはない」
公証人は財産目録を書きしるすために、腰かけ台に腰をおろして、彼がどんなものを持っているかわたくしに訊ねました。
「皆さん」と、わたくしが口をきりました。「このわたくしの主人の持っているものは、主人がわたくしに話してくれたところによると、家屋の建っているかなりの敷地と、倒れた鳩舎であります」
「いいぞ、いいぞ」と、彼らが申しました。「たとえ、それが幾らにもならない代物でも、わしらの貸し金のつぐないだけのものはあるよ。しかし、そいつを、この市(まち)のどこに持っているんだね?」と、彼らが訊ねました。
「あの人の郷里にです」と、わたくしが答えました。
「畜生、これでこの件も目出たく片付くぜ!」
と、彼らは申しました。「で、あの男の郷里はどこなんだね?」
「なんでも旧カスティーリャの者だって言っていましたがね」と、わたくしは彼らに申しました。
すると、警吏と公証人は面白そうにげらげら笑いながら、こう申しました。
「大した話だよこれは、その方どもの貸しを回収するにはな、いや、ちとばかりよすぎるかも知れんて」
この時、そこに居合わせた近所の女連が口々にこう申しました。
「お役人様、これは別に何の罪もない子ですわ。それにあの従士さんといっしょになったのも、ついこの間からのことですから、あの男についても、旦那方より余計に知っているわけじゃありませんよ。それどころか、この気の毒な小僧っ子が、このあたしたちの家へやって来るたんびに、せいぜい出来るだけの食べものを恵んでやったもんです。しかし夜だけはあの人のところへ寝に行きましたわ」
無実がわかったので、警吏はわたくしを放して自由の身にしてくれました。すると警吏と公証人は、例の男と婆さんに、手数料をよこせと要求いたしましたが、そのことから、たいへんな喧嘩騒ぎが持ちあがったのでございます。それと申すのも、払いたくても払うものがないばかりか、差し押さえも実際には行なわれなかったのだから、わしらには払う義理はないんだと二人が申し立てたからでございました。すると相手方の二人の言い分は、この事件にやって来るために、自分たちにははるかに金になる事件に行きそこねたのだと申すのでございました。結局、さんざんお互いわめき合ったあげく、とうとう一人の警吏が、婆さんの古ぼけた赤毛布をかついで行くことになりましたが、この総勢五人は大声でわめきながら、あちらへ行ってしまいました。これがどう落着したかわたくしも存じません。ただわたくしはあのきたならしい赤毛布が皆の者に代ってつぐないをしたんだと信じております。何しろこれまで苦労を重ねて来たのですから、いよいよ休養しなければならないという時になって、これから賃貸しされようというのですから、なかなかよい使い道を得たものでございました。
すでにお話しいたしましたように、こうしてわたくしの貧乏な三度目の主人はわたくしを捨て去ったのでございますが、事ここに至って、わたくしはおのれのなさけない運命を今さらながら、はっきり思い知ったのでございました。なぜなら、あらゆることがわたくしの不利になろうと、はっきり敵意を現わして来て、わたくしのすることなすことを、わたくしのつたない運命が、もののみごとにさかさまにいたすからでございます。それが証拠には、主人なんてものは、使われている小僧から棄てられるというのが世間のしきたりだと申すのに、わたくしの場合はそうはならないで、むしろわたくしの主人のほうで、わたくしを棄てさり、わたくしから逃げ出したのでございますから。

第四話

ラーサロがメルセード会の修道僧に仕えることになった次第と、彼と共に遭遇したことについて

わたくしは四番目の主人を探さなければなりませんでしたが、これはメルセード会の修道僧で、これを取り持ってくれたのは、さっきお話しいたしました若い女連で、彼女たちは彼を親戚だと称していました。
この男は合唱と修道院の中での食事が大嫌いで、外を出歩くことにうつつを抜かしていたし、何よりも世俗間のことと、訪問が好きな男でございました。そんなわけですから、修道院の全員がたばになっても、この男のほうがよっぽどたくさんの靴を履(は)きつぶすに違いないとわたくしは思うのでございます。わたくしが生まれて最初に履きつぶした靴は、この男が与えてくれたものでございましたが、しかしそれは一週間しかもちませんでしたし、わたくし自身も、彼のひっきりなしのすたすた歩きでは、そのうえとてももたせることは出来ませんでした。このことばかりでなく、お話はいたしませんが、そのほか些細なことで、わたくしはこの修道僧のもとを出てしまったのでございます。

第五話

ラーサロが一人の免罪符売り(ブルデーロ)に仕えることになった次第と、彼とともに遭遇したことどもについて

たまたまわたくしが第五番に出会いました主人は、一人の免罪符売りでございましたが、これまでついぞ見たこともない、また見ることが出来るとはとても思われないほどの、いや、誰一人見たことはないと思われたぐらいに、およそ厚かましい、恥知らずの、おそらく最大の免罪符頒布者(はんぷしゃ)でございました。それと申すのが、この男はいろんな手段方法や、実に巧妙な思いつきを持っていたばかりか、探しもとめていたからでございます。
そこで、免罪符を頒布しようという村にはいるやいなや、彼はまず第一に、土地の聖職者やら住職に、何かしらつまらない物を、つまりあまり値(ね)のはらない、かさばるものでもない物を贈ったものでございました。たとえば、ムルシアのちさ(ヽヽ)だとか、もしその季節なら、二つか三つのレモンとか蜜柑(みかん)とか、杏子(あんず)とか、一つか二つの桃だとか、一人に一つずつの青梨といったものを。こうして、この男はおのれの商売に便宜をはかってくれ、信徒を呼び集めて、免罪符をいただかせるように、彼らをおのれの味方につけるようにつとめたのでございます。
坊さんたちがそれに対してお礼を申し陳(の)べますから、自然相手の学識のほどを彼は知ることが出来ました。もし、なかなか学識ゆたかな話しぶりだと、うっかり使って間違ったらいけないので、ラテン語は一語もまじえないことにしていました。その代りに、上品で、きれいな発音のロマンセ、つまり明快な言葉を駆使いたすのでございました。また、こういう坊さんたちが、つまり学識や允可書(いんかしょ)でというよりお金の力で品級を授けられた聖職者だということを承知していたとしたら、彼はそういう連中の間で、たちどころに聖トマス気取りになって、二時間もラテン語で、いや、実際はラテン語なんぞじゃございませんが、少なくとも、らしい言葉でまくしたてました。
人々が快く彼から免罪符を受けてくれないような時には、無理にでもそれを受けさせる方策を講じましたから、そのためには部落の人々に迷惑をかけたこともございますし、また時々は悪がしこい策略を用いたこともございました。何しろわたくしの見ているところで、彼がふるったそういう策略を、全部が全部は、お話いたそうにも、あんまり長くなりますので、いとも軽妙で、人を食ったやつを一つだけお話いたして、これで彼の辣腕(らつわん)ぶりを充分に合点していただきましょう。
トレードの主教管区のさる村で、二、三日彼は説教をしていたのですが、いつもの通り彼がいくら熱心に奔走いたしましても、彼から免罪符を受ける者はほとんどございません、いや、わたくしの見ましたところでは、受けようという気持を抱いている人すらございませんでした。彼はこのことを悪魔のせいにしてすっかり怒ってしまいましたが、しかしどうしたらよかろうと考えているうちに、翌日、朝から免罪符を頒布(はんぷ)するからといって、村の人々を残らず招いてやろうと思いつきました。
ところで夜、彼と警吏は、夕食の後で軽いつまみものを賭けて勝負を始めました。ところがこの勝負がもとで、言い争いになり、はてはお互いに口汚くののしり合うことになりました。主人はお役人を泥棒と呼べば、相手は主人をぺてん師と呼ぶ。すると、わたくしの主人は、彼らが賭け事をやっていた玄関にあった百姓槍を手に取りあげる、一方警吏は警吏で、腰に佩(は)いていた剣に手をかける始末でございました。
わたくしどもみんなが発するこういう騒音やわめき声で、宿の泊り客や隣近所の人々が駈けつけて来て、二人の間を引き離しました。しかし、双方ともすっかり、いきり立っていますので、なおも殴り合いをしようと、彼らを分け隔てている人々をはらい除けようともがいていました。しかし、このたいへんな騒ぎに人々がどっと押しよせ、家の中は人で溢れんばかりでございましたから、打ち物とって渡り合うことは不可能だとわかると、お互いに悪口の応酬をはじめましたが、その悪口の中で、警吏は主人がにせもので、配布している免罪符もにせものだと申しました。
とどのつまり、村の人々はこの二人を仲直りさせることはとても駄目だと思ったので、警吏のほうをこの宿からよそへ連れて行くことに決めました。そして、後に残った主人はまだぷんぷん怒っておりましたが、宿の泊り客や隣近所の人々が、もう腹立ちはおやめなさい、それより寝(やす)みにおいでなさいと、彼にしきりに頼みましたので、わたくしたちも横になったのでございます。
翌朝になると、主人は教会へ赴(おもむ)いて、弥撒(ミサ)と免罪符配布の説教を知らせる鐘を鳴らすようにと命じました。すると村人たちが集まって来ましたが、人々は免罪符について、それがとんだにせものであるとか、あのお役人でさえ、喧嘩をやりながら、にせものだとすっぱ抜いたじゃないかとか、ぶつぶつ申していたのでございます。そんなわけで、これまでだって彼らは免罪符を受けることに気が進まなかったのにかてて加えて、今度の一件で、すっかり免罪符に嫌気(いやけ)がさしてしまったのでございます。やがて、主人は説教壇に登って、いよいよ説教にとりかかって、この神聖な免罪符がもたらすような偉大なる至福と、免罪をむなしく入手せずにいたずらに過ごすことなかれと、人々の気を引き立てたのでございました。
ちょうど説教が佳境にはいった時、教会の入口から例の警吏がはいって来ました。そして主人がお祈りをささげ終わったとたんに立ちあがって、高い、ゆっくりした声で、いかにも考え深そうに、こんなことを話しだしたのでございました。
「善男善女の皆さん、どうか一言、わたしの申すことをお聞き下さい。その後は誰であろうと聞きたいとお思いの男の言葉をお聞きなさるがよろしい。わたしは、ただいま皆さん方に説教いたしておる、このいかさま師(ヽヽヽヽヽ)とともどもに御当地へやってまいったものですが、この男はわたしをだましおったのです。こいつはわたしにこの仕事の片棒をかついでくれ、そしたらもうけは山分けしようじゃないかと申しました。しかしただいまは、わたしの良心と皆さんの財産に及ぼす相違ない損害を思い至って、おのれの行動を後悔いたして、この男が説きすすめている免罪符はにせものである、この男の言葉をお信じなさるな、免罪符もお受けなさるな、なおまた、わたしは直接にも間接にも、そういう免罪符には関係はございません、さらにまた、わたしはただいま限り、この警棒を手放して、地面に投げすてますということを、皆さんにはっきりと公言いたすものでございます。もしいつの日か、この男が贋造(がんぞう)のとがによって罰を受けるといたしましたなら、どうか皆さん方は、わたくしはこの男の共犯者でもなければ、ましてこの件でわたくしが何らかの助力を与えたこともないという、証人になっていただきたいものでございます。いや、それどころか、わしは皆さん方の蒙(もう)を啓(ひら)き、この男の悪事をあばいて差しあげたのでございます」
これで、彼の演説を終えました。そこへいた何人かの身分の高い人々が、騒動をさけるために、立ちあがってこの警吏を教会の外へほうり出そうと思ったのですが、わたくしの主人がその方たちを押しとどめて、それから一同に向かって、彼の邪魔をしてはいけない、さもなければ破門に処すと命じ、なお彼の言いたいことを残らず言わせておくようにというのでございました。それで、彼みずからも沈黙を守ったので、その間に警吏はわたくしが先に申しあげたことをすっかり述べたのでございます。
だから彼が口を閉ざすと、わたくしの主人が、もしその上話したければ、話したらよかろうと、訊ねました。
「貴様と貴様のいかさま(ヽヽヽヽ)についちゃ、まだ言いたいことが山ほどあるんだ。しかし、今はこれでたくさんだ」
するとわが主人は、説教壇の上にひざまずいて、両手を組み合わせ、じっと天上を見つめながら、こういうふうに申しました。
「おお、何一つとして御身にとって隠るものもなく、すべてあからさまに顕われ、何一つとして不可能なことはなく、なべてに全能にまします神よ、あなたさまは真実を、すなわちいかばかりわたくしが、不当なはずかしめをこうむっているかご存知でございます。しかし、ことわたくしに関する限り、わたくしはそれを許すつもりでございます。なぜならば、主よ、あなたさまがわたくしをお許しあそばすからにほかなりません。みずから何をなし何を申しているかもわきまえていない、あの男を気になさらないで下さいまし。しかしながら、あなたさまに向かってなされた誹謗(ひぼう)は、お願いでございます、公正のためにも、お見逃しあそばさないようにお願い申します。なぜかと申せば、誰かここにある者で、たまたまこれなる神聖な免罪符を受けようと思ったといたしましても、あの男のたわごとに信をおいて、それを受けることを思い止まるやも測り知れないからでございます。これはまた、隣人を毀損(きそん)することはなはだしいことでございます故、主よ、なにとぞお見すごし給わないようにお願いいたすものでございます。いな、この場でただちに奇蹟を示し給うて、次のようになし給わんことをお願い申します。すなわち、もしもあの男の申すことが真実で、わたくしが不正と虚偽を携行いたしているといたしましたら、この説教壇をわたくしが姿を現わさないように、地面より七尋(ななひろ)下において下さいまし。もしまた、わたくしの申すことが真実で、あの男が悪魔にそそのかされて、この場にいられる人々から、かくも広大な至福を取りあげ、奪いとろうというところから、虚言を吐いたといたしましたなら、どうかあの男に天罰を下し、すべての人々にあの男の邪心を知らしめるようにおはからい下さいませ」
わたくしの敬虔(けいけん)な主人が、このお祈りを唱え終わったかと思いますと、とたんに腹黒い警吏はばったりと倒れて、教会中に響きわたるほど、ひどい地響きを立てて床にからだをたたきつけました。そしてものすごい声でうなり、口からは泡を吹き、口を痙攣(けいれん)させ、顔を苦しげにしかめ、手足をばたつかせながら、床の上をあちこちと、のたうち回り始めたのでございます。
人々の騒ぎや叫び声の騒々しいことと申したら、お互いに何を言っているのか聞こえないほどでございました。なかにはすっかり驚いて戦々兢々(きょうきょう)としている人々もありました。
こんなことを申す人もございました。「主よ、彼を救い給え」一方では、「当然の報いだ、あんないつわりの証言をしたんだから」
ついに、その場にいた何人かの人々が、わたくしの見たところでは、かなりの恐怖を抱いていないとは思えませんでしたけれど、あの男のところへ近づいて、近くにいた連中を手あたり次第になぐりつけていた、あの男の両腕を押えつけました。すると、他の連中はあの男の両脚を引っぱり、力まかせにそれを抑えつけましたが、それというのも、まずこれほど烈しく蹴とばす癖の悪い驢馬も世間にはいなかったからでございます。そうやって、かなり長い間彼を抑えつけていましたが、それと申すのも、十五人以上の男たちがあの男の上に乗っかっていても、もしうっかりしようものなら、たちまち鼻面(はなづら)を襲撃されたかもわかりませんでしたから。
こういうことが展開していても、わたくしの主人の猊下は、依然として説教壇の上にひざまずいて、両手も両眼も、空ざまにじっと差し上げたまま、聖(きよ)い存在にひたすら恍惚(こうこつ)として、そのとき寺院の中に起こっていた、泣き声も、騒ぎも、わめき声も、彼の聖い黙祷から引き離す力はとうていないのでございました。
すると、並みいる善男善女が、彼のところへ近よって来て、大きな声で彼を呼びさまして、どうかあのほとんど死にかけている哀れな男を助けてやろうという気持になっていただきたい、おまけにあの男は、その報いを存分に受けているのですから、これまでのいろんなことも、あの男の吐いた悪口雑言も、見のがしてやっていただきたい。しかしながら、現在あの男が陥っている危険や苦痛から、彼を救ってやるのに、何かあなたさまのお力をお借り出来ますなら、どうか神様の愛にかけて、お力をお貸し下さい、それはあの罪人の犯した罪も、現にあなたさまのお願いとあなたさまの復讐に対して、主が刑罰を時を移さず下し給うたことからも明白で、あなたさまが誠実で立派な方だということも、わたくしどもはわかっているのですから、などと言って、主人に頼んだのでございました。
主人猊下は、あたかも快い眠りから醒(さ)めた人のように、この人々を見まわし、あの罪人に目を止め、ついで周囲にいたすべての人々をしげしげと見渡して、それからおもむろに彼らに申しました。
「心正しい皆さん、そなた方は、かくも明々白々と、神がその御力を示し給うた男のために、祈願してはならんのです。そうは申しても、神は悪に報いるに悪をもってするなかれとも、またあらゆる侮辱を許せとも、わたくしどもにお命じあそばしているのだから、われらに命じ給うたことを、自らもなし給わんことを、かつはまた、神の聖なる信仰に邪魔だてをなして、神の怒りを買ったこの男を、容赦し給わんことを、まず安んじて、わたくしどもは神にお願いしてよろしいかと思う。さあ、みんなでいっしょにこの男のためにお願い申そう」
彼はこう言い終わると、説教壇から降りて、われらが御主(おんあるじ)キリストが、ある罪人を快く許し給い、もとの健康と分別にたち還らしめ、もしまた彼が犯した大それた罪悪ゆえに、彼の体内に悪魔が入りこむのを、神が黙認し給うたとしたら、その悪魔めをこの男の体内から追い払い給わんことを、この場でうやうやしくお願いしようと、なみいる人々に勧(すす)めたのでございます。
そこで、すべての人々はひざまずいて、坊さんたちもいっしょになって、祭壇の前で、低い声で連祷を唱和しはじめました。するとわたくしの主人が十字架と聖水を持って進み出て、警吏に向かって唱え終わると、両手を高く天に向かって差しのばし、両眼もほとんど白目がわずかに見えるくらい天上高く注いで、敬虔なばかりか、長さもそれに劣らないお祈りをとなえ始めましたが、しかもこのお祈りで、説教師も聴衆もいずれも敬虔な、キリスト御受難の説教の時と同じように、すべての聴衆を泣かせたのでございました。が、こうして彼は、わが主キリストに次のようにひたすらお願い申したのでございます。すなわち、主は罪人の死を望み給わず、ただ生きながらえて、こうして悪魔に導かれ、死と罪にそそのかされたということを悔い改めることこそ望み給うのだから、この罪人が悔い改め、おのれの犯した罪をざんげいたすためにも、なにとぞこの罪人を許して、生命と健康を与え給うようにと、天主にお祈りいたしたのでございます。
さてこれが終わると、主人は免罪符を持って来るように言いつけ、この免罪符を例の男の頭のうえに置きました。すると間もなくこの警吏の悪党は少しずつ元気をとり戻し、意識を回復してまいりました。そしてすっかり正気に復したかと思うと、いきなり彼は主人猊下の足もとに身を投げだして、相手に許しを乞い、悪魔の口車と命令に動かされて、あんなことを申しましたと告白いたしました。それというのも一つには彼に損害を与え、腹だたしさのうっぷんを晴らしたかったからで、もう一つは、しかもこれがさらに肝腎(かんじん)な理由であったが、それはここで免罪符を人々が受けるということで、成就される善行のおかげで、悪魔はたいへんな苦痛を受けることになるに違いないというところからでしたと告白いたしたのでございます。
わたくしの主人は彼を許しましたので、こうして二人は仲直りをいたしたのですが、こうなると免罪符のはけることは、驚くばかりの速やかさで、免罪符を持たない者は、夫も妻も、息子も娘も、若者も若い女も、それこそ村中にほとんどいなくなったほどでございました。
おまけにこの出来事の噂が、近在の村々一円に広まりましたので、わたくしたち一行がそういう村へまいった時には、説教をしたり、教会へ行ったりする必要はない、何しろ、ただでもらう梨かなんぞのように、先方から宿へわざわざ受け取りにやって来たのでございましたから。こういうふうで、わたくしどもが訪れました、十か十二のあそこの近在の村々で、説教一つしないで、わたくしの主人は訪れた村数の千倍ぐらいの免罪符を頒布(はんぷ)いたしました。
さてこのお芝居が演ぜられた時には、わたくし自身も度胆をぬかれたばかりか、他のたくさんの方々と同じに、あの通りの本物とばかり思いこんでいたという、わたくしの愚かさ加減を白状いたします。しかし後になって、わたくしの主人と警吏が、この事件について、笑ったりふざけたりいたしているさまを見るに及んで、これはなんとまた、器用者で着想家のわたくしの主人に、うまく仕組まれたものだということを覚(さと)ったのでございます。
そうして、子供ながらも、これがとても面白かったので、心のうちにこう申しました。
「こういう人の悪いやつどもが、どのくらい、これに類したいたずらを、単純な人々の間で、やらかしているかわかったもんじゃない!」
結局、わたくしはこの五度目の主人のもとに四カ月近くいたのですが、やはりその間も、かなりの苦しみをなめたのでございました。

第六話

ラーサロが一司祭に仕えることになった次第と、彼と共に遭遇したことについて

この後、わたくしは鈴つき太鼓の彩色を業とする親方に仕えて、絵具を磨(ね)っていましたが、やはり数かぎりない苦労をしのんだものでございました。
その頃はすでに、いい加減な若僧になっていましたが、ある日ふと大寺院にはいって行ったばかりに、その寺院の司祭の一人が、わたくしを召使に雇ってくれました。そうして、なかなか立派な驢馬一頭、水瓶(みずがめ)四個、それに鞭一本を、わたくしめにゆだねてくれましたので、市内で水売りを始めたのでございます。これが、わたくしが安楽な暮らしをするようになるために登った、第一の階段でした。と申すのは、わたくしの口は小麦はかりの枡(ます)、つまり十分に食べることができたからでございます。わたくしは毎日、稼(かせ)いだ中から三十マラベディ渡しましたが、土曜日の稼ぎと、そのほかの日の三十マラベディを除いた残金とは、すべてわたくしの所得だったのでございます。
この商売はまことにわたくしには、とんとん拍子にまいりましたので、わたくしがそれをやって四年たった後では、もうけたものを大事にしまっておいたおかげで、古着ながらも、ちゃんと恥ずかしくない着物を着るだけのものを、溜めたのでございます。そのお金でわたくしは、古い厚織木綿(フマタン)の胴着、袖(そで)に紐飾(ひもかざ)りと裂け目のついた、かなりくたびれた上衣、かつては毳(けば)を立てた合羽、それにクエリャールの初期の古刀に属する剣をひとふり買いました。こうして、ちゃんとひとかどの紳士らしい服装を身につけると、わたしは主人に、彼の驢馬をお返ししますから受け取って下さい、もうこの上、この仕事を続けたくはないのですからと申したのでございました。

第七話

ラーサロが一人の捕方(とりかた)に仕えることになった次第と、彼と共に遭遇したことについて

さきの司祭のところから暇をとって、わたくしは司直の者として、一人の捕方(とりかた)に仕えたのですが、しかしこれはあぶなっかしい仕事と思われましたので、この主人とはごくわずかしか暮らしませんでした。ことにある夜などは、数名のお尋ね者が、石を投げたり、棒をふり回して、わたくしとわたくしの主人を、追っかけて来たのでございました。わたくしの主人は手ひどい目に会わされましたが、しかしわたくしには、追いつくことは出来ませんでした。このことで、わたくしは、この仕事から御免をこうむったのでございます。
そして、少し息がつけて、おまけに老後のために何がしかのものを稼ぎ出すにはどういう暮らしをやったら、わたくしもちゃんと落ちつくことが出来るだろうかと、考えていたのですが、そのとき神様の思召しでわたくしの蒙を啓いて、はなはだみいりのある道へ、わたくしをつけて下さったのでございます。それに、友達や旦那方からお受けしたご援助で、これまで苦しんでまいった苦労も骨折りも、そのとき手に入れることの出来たもので、すっかり報いられたのでしたが、それは王室に属する勤めでございます。それというのが、王室に属した勤めを持った者でなければ、身代を肥やす者はないということを考えていたからでございます。
この職務にたずさわって、今日(こんにち)もなお、神様と旦那様にお仕えするために生活いたし、こうして住んでいるのでございます。それは、この市(まち)で売られるぶどう酒だの、競売や紛失物などのとき、これを触れまわり、お上から引き回しのお仕置を受ける者どもに随行して、彼らの罪状を大声で触れるということを職務としていたすもので、つまりわかりやすい俗語(ロマンセ)で言えば「触れ役人」というわけで。
これがまたまことに調子よくことがはこんでまいり、わたくしもこの役目をいとも易々(やすやす)と務めてまいりましたので、この役目にかかわりのある、ほとんどすべてのことがらが、わたくしの手を通じて行なわれるようになりました。したがって、この市内のどこででも、ぶどう酒なり何なり売りに出そうという者は、この場合ラーサロ・デ・トルメスがそれに関与していないとすれば、もう利益はあげられないと、覚悟いたすくらいでございます。
ちょうどこの頃、わたくしのご主人で、旦那さまの奉仕者でお友達のサン・サルバドール寺院の主席司祭さまがこの御方のぶどう酒をわたくしめが呼売りいたしましたところから、わたくしの才能やまともな生活ぶりをご覧になり、わたくしの人となりについての評判をお聞き入れあそばして、ご自分のお女中の一人とわたくしを娶(めあわ)せようとなさいました。で、わたくしの見るところでは、こういうお方の手からなら、結構なこと、ありがたいことのほかはやってまいるはずがございませんので、結婚することに決心いたしました。こうしてその女といっしょになりましたが、今日にいたるまで後悔いたしてはおりません。
それと申すのが、その娘(こ)が気立てのよい働き者で、よく世話のとどく娘だったばかりでなく、わたくし自身、首席司祭さまから、ありとあらゆるご好意とご庇護をお受けいたしていたからでもございました。それに、いつも一年の間に何度か、妻へと、およそ小麦一荷ほど下さいますし、そのほか降誕祭や復活祭などにはお祭り用の肉、ときどきはお供物のパン二つばかりか、不用になった半ズボンなどでございます。それにご自分のお邸の近くに、わたくしどもの小さい家を借りるようになさいました。いつも日曜日と祭日には、ほとんどあの方のお邸で食事いたしたものでございます。
それにしても、とかく、中傷と申すものは、昔から絶えたこともなかったし、今後も絶えることはございますまいが、わたくしの家内があの方の寝床をこしらえに行ったり、召しあがりのものの煮焚きにまいったりするところを見ては、ああでもない、こうでもないと、とやかく申し立てますので、わたくしどもを、そうっと暮らさせてはくれません。それでも、そういう連中がそんな本当のことを申すより、神様にもっと助けていただいたらよさそうなものですのに。
それと申すのが、もともと彼女はこういう悪口を気にする女ではなかったばかりでなく、わたくしの旦那さまが、これは必ずかなえて下さるにちがいないようなことを約束して下さったからでございます。それが証拠には、ある日、しかも家内のいる前で、長々と、こんなことをおっしゃって下さったからでございます。
「なあ、ラーサロ・デ・トルメス、いいかな。いったい、中傷なんぞを気にかけるやつは、決して偉い者にはならないよ。拙僧がこういうことを言うのも、つまり、そなたの妻女がわしの家にはいったり、わしの家から出て行ったりするところを見られたところで、いっこうにわしは驚きはせんからじゃ。あの女子(おなご)がはいって来るのは、お前にとっても、あの女にとっても、たいへんな名誉じゃよ。それに、このことは、貴公に約束してもよいぞ。そんなわけじゃから、あの連中が何を言い出すか、貴公は気にかけんでもらいたいのじゃ、それよりも、貴公にかかわりのあることは、いや、貴公の利益になることに、気をつけるんだぞ」
「旦那さま」と、わたくしが申しました。「あっしはね、立派な方々におたよりいたすことに決めましたよ。なるほど、あっしの友達の中には、そんなようなことを言ったり、それどころか嬶(かかあ)がまだあっしといっしょにならない前に、三度も子供を産んだなぞと、三遍以上もあっしに請け合ったやつらもいましたっけ。もっとも嬶めがちょうどここにおりますので、こんなことをあなたさまに申しあげるのですがね」
この時、わたくしの家内があくまでもきっぱりと、ものすごくわめき立てましたので、わたくしはこの家がわたくしたちもろともに陥没しやしないかと思ったくらいでございました。そしてその後で、家内はわっと泣き出して、自分をこのわたくしと娶(めあわ)せたお方に向かって、悪態を吐き散らし始めたのでございます。なにしろ、たいへんなことになったもので、わたくしはあんな言葉がうっかり口をついて、飛び出す前に、死んでいたほうがましだったと思ったくらいでございました。しかし、わたくしは一方から、わたくしの旦那さまは片方から、いろいろと、なだめすかしたり、請け合ったりいたしましたので、家内も泣きやみましたが、わたくしは今後生涯を通じて、このことについては言い出さないことにする、それに女房の貞節なことは絶対に確実なんだから、夜だろうと昼だろうと、女房がお出入りしたところで、わたくしは気にしないし、結構だと思うと、女房に堅く誓ったのでございます。こうして、わたくしたち三人の意見がまとまったのでございました。
その後、今日にいたるまで、このことに関して、わたくしたちから話を聞いたものは、誰一人ございません。それどころか、女房のことについて、誰か何か言い出そうと思っているなと、そう感じると、わたくしが相手をさえぎって、こう申すからでございます。
「いいかね、もしお前がおいらの友達だったら、おいらの苦になるようなことは言わんでくれ。おいらを苦しめるようなことをするやつは、おいらの友達とは思わねえからね。まして、おいらと女房の間を割(さ)こうと思うようなやつらは、なおさらのことだ。なんちっても、世の中でいちばん愛してるなあ、あいつだからね、おいら自身より、おいらはあいつが可愛いんだ。あいつといっしょにいるおかげで、どのくらい神様から、お慈悲をかけていただいたか、まったくおいらにゃもったいないくれえだ。あいつが、このトレードの城門という城門の中に住む、どんな女にもひけ(ヽヽ)を取らねえぐれえ、いい女だってこたあ、ご聖体にかけて誓ってもかまわねえ。もしそうでねえと言う野郎がいやがったら、ただじゃおかねえつもりだ」
こういうふうで、今ではそんなことはなんにも申しませんので、わたくしは家でしごく平穏に暮らしているのでございます。
旦那さまもおそらくお聞きおよびでございましょうが、わたくしどもの武運赫々(ぶうんかくかく)たる皇帝陛下〔カルロス一世、すなわちカール五世をさす〕が、この音に聞えたトレードの都に入御(にゅうぎょ)あらせられ、国会(コルテス)をお開きになって、上下を挙げて、祝典やお祭りの行事が行なわれたのは、正にこれと同じ年でございました。
かくて、わたくしはちょうどこの時分、富み栄えて、わたくしの幸運という幸運の、絶頂に立っていたのでございます。
にせの伯母さん

パルトーロやバルド〔どちらもイタリアの有名な法学者〕の講義よりも、仕合の剣(バルデーオ)や楯(たて)のほうが好きだという、ラ・マンチャ生まれのめちゃ年ごろの二人の学生が、サラマンカのとある通りをとおりかかって、人肉をひさぐ、店屋の窓に、目かくしのかかっているのに眼をとめた。それにしてもこういう家の人々というものは、なるべく内部が見えるように、せいぜい広告しなければ商売もしぜん繁昌しないわけだから、これはいかにもふに落ちないことに思われたので、何とかして仔細(しさい)を聞きただしたいものと思ったが、幸い壁ひとつへだてた隣の職人が、この疑問に答えて、こう説きあかしてくれた。
「旦那さま方、かれこれ一週間ばかり前から、この家には、いくらか抹香(まっこう)くさい、おそろしく厳(いかめ)しい、他国者(よそもの)のご婦人が、何でも人の噂ではご婦人の姪(めい)ごさんだと申す、眉目(みめ)かたちのひときわすぐれた娘ごといっしょにお住まいです。ご家来と二人の老女をお伴につれてお出かけになりますが、わしの見たところでは、立派な方々で、すっかり世を避けて暮らしておいでの方々のようです。これまでのところ、この市(まち)のものもよその市の者も、誰一人訪ねてきたこともなく、いったいどこからこのサラマンカへ来なすったものやら、とんと見当もつきません。ただわしに分かることは、娘ごのお美しいこと、うち見たところいかにも淑(しと)やかなこと、それと伯母ごの豪奢な見識ばったご様子から、けっしていやしい方々ではないということだけです」
この隣の職人の話をきくと、学生二人は何とかしてこの冒険をやりとげたいものという気を起こしたが、それというのも彼らはこの市のことなら、何から何までわきまえた連中だったし、化粧した羅勒(めぼうき)の花のあるなまめかしい窓という窓なら、それこそ眼をつぶっても知っている連中であったが、さすがの二人もこの市に、こういう伯母姪が巣をつくって、彼女たちの大学に聴講生を歓待しようともくろんでいることなどということも、まして、通行税をしこたませしめようためには、いつもあまりぞっとしないインチキをひさいでいた、こういう町にやって来て、居をさだめようなどということは、ついぞ思いもよらぬことだったからにほかならない。事実、サラマンカにほかの土地と同じように、媚(こび)を売る女たち、言いかえると売春婦、もしくはあそび女を、常住床の上に住まわせている、そういう家々のあったことは言うまでもない。
あたかも、それはどうやら正午頃であった。そうしてくだんの家は外からとざされていたが、このことから二人の推しはかったことは、この家の人々は家では食事をしないのであろうということ、もしくは待つほどもなく一同帰ってくるにちがいないということであった。
しかもこの推測はあやまたなかった。なぜなら、それからほんのしばらくして、雪のようにまっ白で、ポルトガルの坊さんの式服よりも長い、空気孔のついた被(かぶ)りものを、額の上に折りたたんで、首にはまるでサンティヌーフロのそれのように、帯のあたりまでとどきそうに馬鹿でかい、カラカラと鳴りひびく大きな数珠(じゅず)をかけて、絹の羊毛のマント、純白でま新しい折り返しなしの手袋、それに銀のにぎりのついた洋杖(ステッキ)というより籐(とう)の杖をもった、ひどく由々しげな貴婦人のやってくるのを眼にしたからである。今では毛のすり切れたビロードの胴衣、緋羅紗(ひらしゃ)の細ズボン、ベハール製の編み上靴、バンドつきの合羽、ミラノ風の帽子、おまけに眩(めま)いのする男と見えて編んだ頭巾をつけ、毛ばだった手袋、負い革、ナバルラ風の剣という、いかにもフェルナン・ゴンサーレス〔カスティーリャの半ば伝説的な英雄〕時代に出てきそうな家来が、この貴婦人の左手を持ちそえていた。その前を姪ごが歩いて来たが、これは見たところ年のころ十八ばかりの、ととのった、真面目な、丸ぽちゃというよりも細面(ほそおもて)の顔をして、黒い、ぱっちりした、うっとりと眠(ねむ)たげな両の眼、ひきの長いすっきりした眉、長いまつ毛、顔色はほんのりと紅をちらし、金髪はこめかみのあたりのほつれ毛から見ると手を加えてちぢらしたことを物語っている。質のよい羊毛の胴着、クルトライ出来の縮緬(ちりめん)のきっちり身にあった衣服、いぶし銀の釘と縁かざりのある黒ビロードのつっかけ靴、香りのいい手袋はうち粉ではなく竜涎香(りゅうぜんこう)をしましたものであった。態度はごくきまじめだし、まなざしもいたって淑(しとや)かで、まるで白鷺(しらさぎ)のような軽やかな足どりであった。どの点をとりあげても、非のうちどころのない娘だったが、その全体がなおいっそう立ちまさって立派であった。
二人のラ・マンチャ生まれの学生の持って生れた性質は、どんな肉のきれっぱしであろうと、さっそく舞いおりてくる年若い鳥にもひとしいものであったが、この新鮮な鷺のような餌を見るがいなや、このすばらしいあだ姿にうつつをぬかし、こいこがれて、五体もろとも舞いおりてきた。よしんばいかに粗服をまとっていようと、これが美の特権というものだ。このうしろから二人の老女がやって来たが、これこそお上品ぶりと呼ばれ、世人にいみきらわれ、彼女らと交わるものを毒し、この世に有害無益のよけいなものとして生きる連中に属する者どもであった。
こういうものものしい道ゆきで、当の貴婦人はわが家に着いた。すると例の家来が戸をひらいて、一行は家へはいった。が、一行が家にはいるちょうどそのとき二人の学生は、世にもめずらしい奇特な鄭重(ていちょう)な人物でもあるかのように、ひざをまげ、両目をふせて、親愛をこめたひどく敬虔(けいけん)なようすで帽子をとったことは間違いのないところであった。しかし、婦人の一行はすげなく戸の閂(かんぬき)をおろし、一方若者二人はぼんやりと物思いにしずみ、なかば恋心をいだいて通りへと残されて、ほんのしばしのあいだ今後どうしたらよかろうかと意見をとりかわしたが、二人の考えたところによると、彼女たちがはたして他国から来たものとすれば、それはサラマンカへ別に法律を勉強するために来たわけではないどころか、法律をないがしろにするためにやって来たのに違いないということであった。
そこで、その晩彼女のために音楽をきかせようという相談が二人のあいだでまとまった。これは貧乏学生が自分たちの恋人にささげる、まず第一の行事だったからである。その前に二人はすきっ腹をみたしに出かけたが、それはほんのちょっぴりのものでこと足りた。そこで食事がすむと、二人は友人連をかきあつめるやら、ギターやその他の楽器をあつめるやら、歌い手をたのむやらしたあげく、この市にいくらでもいる詩人連の一人のところへおもむいて、エスペランサ〔のぞみ〕という名にちなんで今夜歌う何かひとくさりを作ってくれとたのみこんだのである。これは彼らの恋しい人がそういう名前だったからで、それというのも二人はすでにあの娘を恋人のつもりでいたからにほかならない。それにしても、どんなことがあってもエスペランサの名はよみこんでもらいたいというのであった。幸い詩人はこのたのみをひきうけてくれたが、しばし、唇や爪をかむやら、こめかみや額をこするやらしたあげく、羊の毛を刈る職人風情(ふぜい)にもつくれそうな一曲をでっちあげた。そこで二人の恋する若者にその曲をあたえたが、二人の喜び一方(ひとかた)ならず、なおもそのうえに、作者みずから出向いて行って、歌い手のために歌の文句を教えることにしようということに話がきまった。それというのも、もう歌を覚えているひまがなかったからである。
そうこうするうちに夜になって、このおごそかなお祭りにはもってこいの刻限になると、ラ・マンチャ生まれの九人のあばれ者、ギターや歌の楽師連が四人、フルート一つ、竪琴(たてごと)、マンドリン、鈴が十二、それにサーモラの風笛、楯が三十、くさりかたびらがやはりそのくらい集まったが、こういういっさいのものは、同じ釜の飯を食うというよりも、正しくは飲み仲間の一群の間で、それぞれに分担された。
こういう物々しい行列で、一同は例の町の貴婦人のすまいへ近づいた。いよいよその路地にはいると、たちまち情け容赦もない鈴の音をうちならしはじめたが、時刻はすでに真夜中をすぎたころで、あたりの住民はまるで蚕(かいこ)のようにぐっすりと、二度目のねむりにはまりこんではいたものの、あまりの騒々しいもの音に、もうそのうえはねむることができなかったばかりか、近所近辺で眼をさまさないものは誰一人なく、窓へ出て来ない者はただの一人もないありさまであった。それから間もなく、サーモラの風笛が踊りの足拍子をふきならし、しまいには古風なトゥルディオンの節をならしはじめたが、このときはすでに例の夫人の家の窓の下に近づいていた。やがて、竪琴の音にあわせて詩人が口ぞえをしてやりながら、別にたのまれたわけでもない仲間の一人の歌い手が、調子の合った、なかなかつやっぽい声音(こわね)で小曲をうたったが、それは次のようなものであった――

わが魂(たま)も身をもささぐる
いとしエスペランサここにやすらい
命にもまして貴き「望みの君(エスペランサ)」よ
われもし君を得ば、わが幸(さち)はいかならむ
うらやまじ、フランス、インド、モーロの輩(やから)を
逸楽の使神なるクピードよ
汝(な)が色よきとりなしを願いてやまず
齢こそ二八(にはち)にみたぬ
いとけなきなれにはあれど
なれを得る者は巨人ぞ
火よ燃えよ、薪をそえよ
ああ、やさしきエスペランサよ!
君に仕うるを拒むものそも誰ならむ。

このとんでもない小曲の歌がおわったかと思うと、ちょうどその場にいあわせたin utroque(民事宗教両法の)学位をもつ、ひとりのあばれ者が、そばにいた男に向かって、かん高いひどくはっきりした声音でこう言った。
「おれは生まれてこのかた、こんな気のきいた結びの文句はついぞ聞いたことがないよ、いやまったくだよ! ねえ君、あれを聞いたかい、あの韻文の調和したところはどうだい、女の名にちなんだかけ言葉はどうだい、クピードを持って来たところなんざ渋いもんだ、それにさ、あの『色よき』ってやつが実にきい(ヽヽ)てるじゃないか、それからあの女の子の齢をもって来たところなんぞはたまらないね、おまけに『いとけなき』ってやつと『巨人ぞ』ってやつの対句(ついく)ときたらこたえられんじゃないか! そうさ、あのすばらしい、響きのよい『薪』って言葉で呪ったところなんざあ言うには及ぶだあね! まったくだぜ、こんな傑作をつくった詩人をおれが知っていたとしたら、今朝おれの田舎の馬方が持って来てくれた、腸詰の半ダースは明日にもさっそく贈りものにするところだよ!」
これを聞いた連中は、その中の腸詰というひとことで、この讃辞を呈した先生が間違いなくエストレマドゥーラの男だということをいやおうなしに推測した。これはあやまたなかった、それというのも、後でわかったことであるが、この男はハライセーホにほど近い、エストレマドゥーラ州のさる村の出だったからである。そればかりか、このとき以来、人が歌ったこのけた(ヽヽ)はずれの小曲を彼が人々の聞いているところで、こまごまと分析してみせたばかりに、なかなか詩に精通した男だという、みんなの評判をかちうることになったのである。
こういう間にも、例の家の窓という窓は、いって見ればお袋のお腹から出たまんまのていたらくで、ぴたりととざされたままであったが、これにはさすがに待ちに待った二人のマンチャっ子も大いに期待はずれであった。とはいえ、ギターの音にあわせて、三人合唱で次のロマンセをおめずおくせず再び歌いだしたのであるが、これもやはり同じ目的で、わざわざ、しかも即席に作られたものであった。

いざこれへ、エスペランサよ
君なきときは、悶えつつ
身うちの力も、消えがての
わが魂を、あわれみて

君が面(おも)の、輝きに
かかる怖れの、雲を追い
君が面の、太陽を
さえぎるかげを、呪えかし

わがかなしみの海(わた)なかに
よせくる波を、しずめませ
わがねぎごとの、くだくるを
望みたまわぬ、君ならば

よし死の神に、召さるとも
君ゆえに、命をのぞみ
極楽を、地獄の中に求むなれ
すげなき心に、あわれみを

ちょうど歌い手たちが、ロマンセをここまで歌ったとき、急に窓がひらいて、その日の昼間会った老女のうちの一人が窓から顔をだしていやに細い気取った声で言いだした。
「ねえ、あんたがた。わたしのご主人のドニャ・クラウディヤ・デ・アストゥディーリョ・イ・キニョーネスさまはね、あんた方にどっかよそへ行って、その音楽をやっていただきたいって、そう皆さん方にお願いなすっていらっしゃるんですよ、近所近辺にもとんだ迷惑をかけることだし、悪いみせしめになっちゃたいへんだし、それにお家には姪ごにあたるお嬢さまがおいでだってことも考えていただかなければ、つまりそれはやっぱりわたしのご主人のドニャ・エスペランサ・デ・トラルバ・メネーセス・イ・パチェーコさまですけど、それにあなたこんな時刻に、しかもお嬢さまのいらっしゃる門口でそんなくだらないことをなさるなんて、本当にあの方のお身分には、てんでそぐわないことなんですから。ええ、そりゃもう、別のこれとは違った、もっとおとなしやかなやり方さえなすったら、お嬢さまだって皆さん方からお受けになることは間違いありませんよ」
するとこれに対して、自称候補者の一人が、次のように答えた。
「ねえ小母(おば)さん、どうかお願いだからさ、僕のドニャ・エスペランサ・デ・トラルバ・メネーセス・イ・パチェーコさんに、その窓へ出てくださるようにおっしゃってくれませんか。ただ僕は二ことだけあの方に言いたいんだ、こいつは間違いなくあの方のためになる言葉なんだ」
「おんや、おんや! うちのドニャ・エスペランサお嬢さまにゃ、さぞかし役に立つことでしょうよ、馬鹿馬鹿しい! ねえ旦那、あの方はね、あんたのお考えになっているような女衆とは、わけが違うんですよ。だってね、うちのお嬢さまは、それこそ立派な、ごくしとやかな、めったに外にもお出ましにならない、本当につつましい、ご本もたくさんお読みになれば、文字もお上手な方なんですからね。だから、いくら浴びるほど真珠をつつんだところで、あんたのお望みのようなことなんぞなさるもんですかね」
こういう、「おんや」だの「真珠」だのでいやにごてごてと飾りたてた、この老女とのやりとりをしているところへ、おりからこの路地へ多数の一隊の人々がやって来た。すると歌い手連やその仲間の連中は、これはきっと市のその筋の者どもだと思いこんで、たちまち一同は輪をつくって、その人垣のまん中に、音楽の道具類をおっとりかこんだ。そうして、いよいよ役人の一行がやって来ると、連中は楯をうち鳴らし、鎖かたびらをきしらせはじめたのであるが、このもの音を聞くと、役人の一行はわざわざ好きこのんで、セビーリャの聖体祭にもよおす、百姓連の剣の舞いなんぞを舞おうなどとは思いもよらず、判事も刑事も捕吏もこの市(いち)はよい餌物だなどとは考えもしないで、さっさと先へ行ってしまった。
おかげで向う見ずの連中は、大いに気をよくして、せっかく始めた音楽を続けようと思った。しかし楽器の持主の一人は、ドニャ・エスペランサが窓から顔を見せないとしたら、これ以上つづけるのはいやだと言いだした。事実、窓にはいくらその後、みんなが呼ばわったところで、娘どころか例の老女さえ顔を出さない。これには一同すっかり腹を立ててしまい、家に石を投げつけたり、例の目かくしをこわしたり、悪口やら毒舌をあびせかけようと思った。これも、こういう場合に若者にごくありがちのことではあるが、しかし、憤慨はしたものの、彼らはいくつかの折り返しの歌で、結局音楽を改めてやりなおしはじめた。再び風笛が鳴り、鈴のものすごい、情け容赦もない音がはじまったが、この騒音で、さしもの彼らの小曲も終りをつげた。
この一団が解散したのは、ほとんど明けがたであったろう、もっともせっかくの音楽が何の効果もおさめなかったことを知るにつけても、二人のマンチャっ子の抱いたむしゃくしゃ腹は、なかなかもって収まりそうにもなかった。そのやり場のない忿懣(ふんまん)をいだいたまま、彼らの友達で、サラマンカでふとっぱら(ヽヽヽヽヽ)と呼ばれる連中の一人の家を訪れ、寝台がわりの長椅子の枕もとへ坐りこんだ。その友人というのは、まだ年若の、金があって、金づかいの荒い、音楽が上手で、女好き、そのうえ何よりも向う見ずの連中とうまの合う男であった。二人はこの男に、彼らの事件の一部始終から、娘の人なみすぐれた美しさ、仇っぽさ、きびきびして愛嬌のあること、同時に伯母ごのほうのおそろしく見識ばった重々しい様子までつけ加え、最後に彼ら二人にはあの娘に手を出す手だては、少ないどころか全然のぞめそうにもないということまで、こまごまと逐一(ちくいち)白状におよんだ。それというのも、二人が女のためにつくした、最初でしかも最後のとっておきの奉仕であった音楽という手段が、すでに女の気持をきずつけ、近所の評判をおとす以外には、全然何の役にもたたないでしまったからである。
ところが、相手のつわものは、百戦錬磨の古つわものだから、何の躊躇もなく、いかなる犠牲をはらっても、自分が二人にかわって、首尾よく相手の娘をうちとって見せようと断言した。そこでその日さっそく、ドニャ・クラウディヤにあてて、長文の、ひどく鄭重な手紙を送り、その中で、彼女のお役に立つことなら、人格も、いのちも、財産も、信用も、いっさいをささげるむねをしたためた。一方、抜けめのないクラウディヤは、使いの小姓からご主人の人柄や身分、その人の年収、性癖、暮らしむき、さては品行の末にいたるまで、まるで本式の婿がねを迎えでもするかのように、根ほり葉ほり訊ねた。これに対して小姓は包みかくしもなく、ありのままを、相手がどうやら納得のゆくように話してきかせた。そこでこの使いの小姓といっしょに、例の「おんや」の老女に相手のそれにも劣らない、長い、鄭重を極めた返事をもたせてやることにした。
老女がはいってくると、この貴公子はまずうやうやしく招じいれて、自分のすぐ近くの椅子に腰かけさせた、そうして相手が来る道すがら疲れたようすだったので、汗をふくようにとレースの手巾(ハンカチ)をさし出した。相手が使いの口上をのべないうちに、彼女のためにマルメロの砂糖づけの箱を持ってこさせて、わざわざ自分の手で大ぶりな切れを二つばかりちぎってやり、聖マルチンの葡萄酒を、たっぷり二杯ばかりで、のどをうるおさせてやったが、おかげで相手はぽっと赤くなって、らくでみいりの多い聖職でもさずけられたよりもいい気持になってしまった。
それから彼女は、持ち前の、いやにもって回った、空々しい言葉で、使いの口上を述べたあげく、おしまいはとんでもない嘘っぱちで結んだが、それは彼女の主人のドニャ・エスペランサ・デ・トラルバ・メネーセス・イ・パチェーコさまは、それこそ母ごのおなかから生まれたまんまのように、おぼこ娘である、しかし、それだからといって、旦那さまのためには、お嬢さまの家の戸口は、決して決してとざされてはいないというのであった。
すると相手はこれに対して、あんたの言い方に従って、いわゆるお嬢さんの、かずかずの美点や、立派なことや、美しいことや、家にひっこもりがちのことや、すぐれた点についての話は、ひとつのこらずそのとおりだと信じるが、しかしそのおぼこだっていうことだけはどうもちょいとまともには受けとれないという返事であった。そこで彼はその点に関して知っているぎりぎり本当のところを、是非ともうちあけてもらいたいものだ、もしもこの疑いをはらしてくれるなら、飛びきり上等の絹のマントをやると、貴公子の体面にかけて誓ってもよいがともちかけた。
しかし、この口先のうまい老女が真実を吐くためには、この約束だけで、この上たのみの紐をひとしめ締めることも、紐に棒をつっこんで締めあげたりする必要はさらになかった。それは、現在といよいよ末期(まつご)という時に誓って本当の話が、主人のドニャ・エスペランサ・デ・トラルバ・メネーセス・イ・パチェーコさまは、三度も取引されたというよりも、三度も売りものになったというのであったが、なおそれがどんなふうにいくらでか、いったい誰と、どこでだか、そのほかいろんなこまごました事情までつけ加えた。おかげで、ドン・フェーリクスは(というのがこの貴公子の名前であったが)、知りたいと思うことをすっかり知ることができて満足した。そうして、その夜さっそく家の中に入れてもらって、伯母ごに知られずにエスペランサと二人きりで話したいということを、老女との間でとりきめた。
それから二人のご主人へ、くれぐれもよろしくということづけを託して、彼女にいとまをつげ、なお黒いマントを買えるだけの金を与えた。彼はその夜家にはいるとき必要な合図をきめた。これで老女のほうはすっかり有頂天になって帰って行ったが、彼はこれからの計画をあれこれと考え、そうして夜になるのを待ったが、何をいうにも一刻も早くあのいやに取りすました化物どもに会いたくてうずうずしていただけに、まるで千年もの時がたったように思われた。
やがて刻限になった、もっともいつまでたってもやって来ない刻限などはあるわけのものではない。そこでドン・フェーリクスは友達も供の者もつれず聖ホルへ〔聖ゲオルギウス(二七〇頃〜三〇三頃)のこと。カッパドキアのセルビオス王の都で悪竜を退治し、王の娘を救って、この国をキリスト教に改宗させた伝説は有名〕のごとく、老女が待ちうけている場所へ出かけて行った。すると相手は家の戸を開けて、用心ぶかく物音ひとつたてず、家の中へ入れてくれた。それから彼をエスペランサの居間の、彼女の寝台のとばりのうしろへ導いて、お嬢さまのドニャ・エスペランサはもうちゃんとあなたさまがここへいらっしゃることはご存知だし、おまけにわたしが伯母さまには分らないようにおすすめ申したので、あなたさまのご満足いくようになさるつもりでおいでなのですから、ちょいとでも音をたてないように気をつけてくださいというのであった。
そうして、よござんすかそうなさるんですよ、という言葉の代りに相手の手を握って、老女は出て行った。一方、ドン・フェーリクスはエスペランサの寝台のうしろに身をかくして、この筋書が、ないしはこの色事がどういうふうに収まるかを待ちこがれた。
ドン・フェーリクスがここへはいって身をひそめたのは、おそらく夜の九時ごろであったろうか、そのときこの部屋の隣の広間には、伯母さんがよりかかりのある低い椅子にかけていて、姪ごはその真向うの台の上にかけ、二人の間には火のおこった大火鉢があって、家の中はもうしんと静まりかえって、家来の男はとっくに寝たし、もう一人の老女もひき退って眠っていた。ただこの色事のわけ知りの老女だけは起きていて、時計が九時を打ったのを十時だと言いはったり、年をとったほうの女主人に早くおやすみあそばせとせきたてたりして、自分の画いた筋書が、娘と自分との間でとりきめたとおりに、うまく運ぶようにひたすら気をもんでいたが、それはこういう相談であった。
すなわち、クラウディヤ夫人には全然知らさないで、ドン・フェーリクスがくれたものはすべて彼女たちだけのものにしよう、これについてはクラウディヤがちょいとでも嘴(くちばし)を入れたり手をつけたりしないことにしよう、というのが、あの女は実にお話にならぬほどけちで欲ばりで、おまけに彼女の姪が儲(もう)けたものは一切合財(いっさいがっさい)自分のものにしてしまうので、娘がどうしても必要なものを買うのにさえ、一文だって与えたためしがないくらいであった。だからいずれ今後もそういう機会はいくらもあろうが、その中でもせめて今度の献金者は何とか伯母ごの眼をごまかして横どりしようという考えだったのである。
ところでエスペランサはドン・フェーリクスが家の中にいることはもとより承知していたが、彼が現在かくれている秘密の場所は実のところ知らなかった。ところが、夜ふけの深い静けさと、話をするにはもってこいの時刻にさそわれて、クラウディヤは何かおしゃべりをしたくなったのであろう、低い声で姪を相手にこんなぐあいに話しはじめた。
「ねえお前、エスペランサや、いつもわたしが言いきかせている忠告だの、いましめだの、注意だのは決して忘れちゃいけないって、何度も何度もそう言ったろう、ああいうことは、もちろんまもってもらわなくっちゃならないし、お前さんも約束なすったとおりに、守りさえしたらそれこそ、世の中のあらゆることのお師匠だといわれる経験と年齢の教えにも、おさおさ劣らず、どのくらいお前さんの役にたつかわからないんだよ。いいかえ、わたしたちはお前さんがお生まれのプラセンシヤにいるんだとか、お前さんが世の中というものはこんなものかと覚えはじめたサモーラにいるんだとか、お前さんが三度目の収穫を収めた土地のトーロにいるんだ、なんて考えていたらそれこそ大きな間違いですよ。ああいった土地はね、ごく人のよい、単純な、悪意もなければ底意もない、今わたくしたちのいるこの土地みたいに、生き馬の目をぬくようなずるい、油断もすきもない悪企みやいたずら上手なんて薬にしたくもない人たちばかりが住んでいるんですからね。いいかえ、ねえお前さん、お前さんは今サラマンカにおいでなんだよ、ここは世間では学問の中心と言って、一万から一万二千の学生さんがしょっちゅう大学の講義を聴いて、ここへ住んでいるのですよ、まだ若い、でたらめな、向う見ずの、だらしのない、女ずきで、お金づかいの荒っぽい、そのくせ利口な、やんちゃで、おまけにふざけた人たちばかりさ。といっても、こりゃ総体の話なんだよ、しかしそれぞれの人について言うと、みんなのなかのほとんどが他国者(よそもの)ばかりで、諸々方々の土地やら地方から来ているんだから、みんながみんな決して同じような性質ってわけにはいかないのさ。だからさ、ビスカヤの人たちは、もっとも数はたんとはいないけど、知恵のほうはあんまり働かないほうだが、いったん女に惚(ほ)れたとなったら、お宝には糸目はつけないほうだね。そこへいくと、ラ・マンチャの人たちは向う見ずの乱暴者で、『キリスト教なんぞ糞くらえ』ってほうだから、とかく色恋が喧嘩ざたになりがちさね。それからここにはアラゴンやバレンシアやカタルーニャの人たちもだいぶ大勢いるんだがね、この人たちはまず、磨きたてた、いい香(におい)をぷんぷんさせて、育ちのよい、ひどく身だしなみよい連中だと思っていれば十分さ。だけどその上のことを望んじゃいけませんよ、もしかお前さんが、もっと深いことを知りたいっていうんなら、いいかえ、あの連中は冗談ってもののわからない人たちだから、いったん女に腹を立てたとなったら、ずいぶんひどいことも、腹黒いこともしかねないってことを覚えておおき。カスティーリャ・ヌエバの人たちは、なかなか考えが高尚で、お金を持ってさえいれば金ばなれはいいし、まあくれないまでも、むこうからよこせなんてことは言いっこない連中だと、そう思ってりゃいいのさ。エストレマドゥーラの人たちは、まるで薬屋さんみたいに何でも持っている、まるで錬金術みたいな人たちで、銀のそばに行けば銀になる、銅のそばへ行けば銅にもなるって人たちだよ。ところがアンダルシーヤの人たちにはね、いいかえ、五感どころか十五もの感覚を持ってなくっちゃ間尺(ましゃく)に合やしないのだからね。だって、すばしっこい、頭の働きの抜け目のない、ずるくって、賢くって、けちなところなんて薬にしたくもない人たちだものね。ガリーシヤの連中は別にどうっていうものはないが、それというのも別にこれぞという連中じゃないんだから。アストゥーリヤの人たちはどうかといえば、土曜日だけはいい人たちさ。何しろいつもは家の中へ、脂っこい料理だのその他ばばっちいものを、ごてごて持ちこむんだからたまったもんじゃない。ところで、おしまいにポルトガルの人たちはどうかといえば、あの人たちの性質や癖を一口に評するなんて、ちょっとやそっとのことじゃ出来そうもないほどいくらでも長くなりそうだ。だって、何しろ脳みそのひからびた連中なんだから、めいめいが自分の考えに夢中になっている。しかしほとんどみんなの抱いている考えは何かと言えば、あの人たちの中に、ただ愛情ってものだけが、素寒貧(すかんぴん)の貧しさに包まれて生きているって、そう思えばまず間違いのないところさ。だからさ、ねえ、エスペランサ、これからお前さんどのくらい種々様々に変った人たちを相手にしなくっちゃならないかおわかりだろうね、それにこういう暗礁だらけの荒海にいよいよはいって行かなくっちゃならないとすれば、どっちへ向かって進んだものかわたしが指図したり、羅針盤を示したりすることが、どのくらい必要になってくるか、ようく呑みこんでおくんだよ、でなければ、わたしたちのせっかくの希望をのせた船が暗礁に乗りあげたり、わたしの船の立派な積荷を、むざむざ海の中へほうり込むなんてことがあったら、それこそ台なしだからね。つまりさ、誰だってたちまちぽっとのぼせあがってしまいそうな、愛嬌もあれば、姿も立派だし、そのうえあだっぽい、そのお前さんの美しい色気のあるからだという積荷をさね。いいかえ、ここの大学中をさがしたって、わたしたちが本職にしているこの世間学について、わたしがお前さんに教えてあげるくらい上手に、ご自分の学問を講義のできる先生なんて、一人としていやしないんだよ。それもそのはずさね、だってわたしって女は長い年月それで生きて来たし、そのために暮らして来たばかりか、これまでなめた経験のおかげで、今じゃその道の達人になれたんだもの。そりゃね、今わたしがお前さんに言おうと思うことは、これまで何度も言ってきかした、ほんの一部分にゃ違いないさ、それでもわたしとしちゃ、お前さんにようく注意して、喜んで身を貸してもらいたいね、それというのも、船乗りってものは、そのときの風向き次第で、いつも船の帆を張りづめにもしなければ、おろしっきりということもない、これがつまり、こつ(ヽヽ)というものさね」
この間中、娘のエスペランサは、ずっと下を見つめて、小刀で火鉢をいじりながら、頭をうつむけて、相手の言うことに、見たところいかにも注意ぶかく、すなおに聞いているようであった。しかし、クラウディヤはこれが気にいらなかったので、こう言った。
「さあ、お前、顔をおあげ、そんな火なんぞいじるんではありません、わたしの眼をじっと見ているんですよ、ぼんやり眠ってちゃいけませんよ。わたしのいうことを聞こうというのには、お前さんの五感どころか、別にもう五つもの感覚を働かせなくっちゃ、とてもお前さんにゃ呑みこめやしないのだよ」
これに対してエスペランサがこう返事をした。
「ねえ伯母さま、長いこといつまでもそんなお説教をなすったりして、お疲れになったり、わたしを疲れさせたりなさらないでいただきたいわ。だってこれまでも、あんまり何度も何度も、わたしのためになること、わたしのしなくっちゃならないことを、しょっちゅうお聞きしたおかげで、わたしの頭は今にも破裂しそうですわ。だからまたぞろそんな目に会いたくはございませんわ。だってねえ伯母さま、サラマンカの男たちはよその土地の連中よりも何か違ったところがあるとでもおっしゃるんですの! どの男だってみんな、骨と肉をそなえているってわけじゃございませんの? みんな同じように、三つの能力と五つの感覚と魂とを、持っているわけじゃございませんの? いったい、他の連中よりいくらか文字が読めて、学問があるってことが、どうだっておっしゃいますの? いいえ、それどころか、そういう男たちのほうが、かえって学問のない連中より眼が見えずに、やすやすと落城すると思っていますわ、だって美貌ってものがどれほど貴いものか、判断するだけの分別があるはずですものね。小心者はそそのかす、うぶな男はたらしこむ、好色漢はごめんこうむる、意気地なしはおだてあげる、薄のろな男はあおりたてる、生意気なやつは抑えつける、眠ったような男はゆりおこす、ぼんやりした頓馬(とんま)はひきずりこむ、やって来ない男には手紙をかく、馬鹿はうんとこさ持ちあげる、気のきいた男はほめそやす、お金持ちは下にもおかず大切にして、素寒貧(すかんぴん)にはすげなくする、町なかでは天使、お寺では虫も殺さぬ聖女顔、窓からのぞけば小町娘、家にいればつつましく、寝床の中ではけだものはだしという以外に、いったいどうしろとおっしゃるんですの? ねえ、伯母さま、こういったことは何から何まで、わたしはもうすっかり空で覚えていますわ。わたしに教えて注意して下さるんでしたら、もっと別の新しいことをお願いしますわ、それに正直なところを申しますと、わたしはもう眠たくって眠たくって、とてもお聞きしていられそうにもないんですから別の機会に延ばしていただきますわ。それでも、伯母さまにようく了解していただくために、ただひとことだけ申しあげて、はっきりいたしておきたいと思うんですの、それは今後わたしの手にはいって来る収入を、あなたの手で何もかも勝手になさるのを黙って見ていたくはないということですわ。これまで、わたしはもう三度も、自分の花を咲かせました、それを三度も勝手にお売りになったんです、だから三度もおかげさまで、お話にならないひどい苦しみをなめたんです。わたしが青銅(からかね)だとでもおっしゃいますの? わたしのからだには、痛いかゆいの感覚ってものがないとでもおっしゃいますの? ほころびた着物かなんぞのように、つくろいさえすればいいとお思いですの? わたしはどんなお母さんかお顔も知りませんけれど、死んだお母さんに誓って、もうこれ以上こんなこととても我慢できませんわ! ねえ、伯母さま、もうこの上わたしという葡萄園から、残りものの葡萄までとりつくすことは、止めていただきますわ。本ものの収穫よりも、どうかすると積み残しの葡萄のほうが、かえっておいしいってことですわね。それでもし、わたしという花園をそっくり手つかずというふれこみで売りものにしようと、今でも思っていらっしゃるのでしたら、くぐり戸をとざすのには、もう少しやさしい方法を見つけていただきたいものですわ。だって、あの絹糸と針で縫うやり方は、これ以上わたしのからだには願いさげにしていただきたいと思いますわ」
「まあ、馬鹿をおっしゃい、馬鹿をおっしゃい」と、年とったクラウディヤが言った。
「まあ、お前さんったら、ああいったことは何ひとつご存知ないんだね! あのことには針と赤い絹糸に及ぶ方法なんぞありゃしませんよ。ほかのいろんなことは、それこそどっちへころんでもたいしたことはないのさ。うるし櫨(はぜ)だとか、粉にしたガラスなんぞ何の足しにもなるものかね〔すべてこういう方法は、当時女を処女にしたてるために用いたもの〕。蛭(ひる)なんぞときたら、もっと役にたちゃしない。没薬(もつやく)だってくその役にもたたないし、海葱(うみねぎ)だの、鳩の餌袋だの、そのほかいろんなとんでもないいかさまものがあるけれど、みんなそれこそ屁(へ)みたいなものさね。いくら自分のしていることさえご存知ないような、ぽっと出の田舎者でも、贋金(にせがね)に気のつかない間ぬけなんぞ、きょうびじゃいやしないんだからね。だからさ、わたしの指ぬきと針さまさまだよ、お前さんの我慢と辛抱さまさまだよ。どんな男でもどんどん来て見るがいいさ、そうすりゃみんなころりとだまされるだけさ、おかげでおまえさんは名誉、わたしはおたからと、なみはずれた収入で丸くなろうというものさ」
「そりゃわたしだって、伯母さまのおっしゃるとおりだと思いますわ」と、エスペランサがひきとった。「それはそうなんだけれど、たといそのためにわたしの損になったところで、やっぱりわたしは自分の決めたことを守るつもりですわ。それよりも肝腎(かんじん)なことは、さっそく店をひらいたらはいってくる儲けを、ぐずぐず売りおしみをしているばかりに、みすみす無駄にしているんですわ。それに、もしおっしゃるように、わたしたち船隊の到着をあてこんで、セビーリャに行かなければならないとしたら、もうそろそろ色褪(あ)せて黒ずんでしまった、わたしの四度目の生娘を売りこむのを待ちながら、べんべんとこうやって、せっかくの花盛りをむだに過ごしているなんて、およそつまらない話ですわ。さあ、伯母さま、お願いですからお寝(やす)みにいらっしゃいな、そうして、このことをとっくり考えて下さいましな。明日は一番よさそうな方法を、ちゃんときめていただきますわ、それは何といったところで、わたしは伯母さまのお言いつけに従わなけりゃならないんです、だって、わたしはあなたを母親どころか、母親より大事な方だと思っているんですもの」
この伯母と姪の対話がここまできたとき、もちろんドン・フェーリクスは少なからず驚きながらこの対話を聞いていたのであるが、ちょうどこのとき、どうにも我慢できないで、通りからも聞えるぐらいの大きさで、思わず咳(せき)ばらいが出てしまった。これに驚いて、すっかり不安にかられてドニャ・クラウディヤは立ちあがった。そうしてろうそくをかかげながら、エスペランサの寝台のある部屋へはいって来た。それからまるで教えられていたかのように、まっすぐに寝台の方へ行って、とばりをかかげると、そこには例の貴公子が、剣を握りしめ、帽子をまぶかにかぶり、ひどく顔をしかめて、今にも撃ってかかりそうな身がまえでいた。年を取った女はこれを見るやいなや、たちまち十字を切って、こう叫んだ。
「まあ、どうしましょう! 何てなさけない、あさましいことだろう! わたしの家に男の人がいるなんて、おまけにこんな場所に、しかもこんな時刻に! われながら何てなさけないことだろう! あさましいことだろう! こんなことが人に知れようもんなら、何て言われるか知れたものじゃない!」
「まあ落着いて下さいよ、ねえ、ドニャ・クラウディヤさん」と、ドン・フェーリクスが口をひらいた。「わたしは別に、あなたの名誉に傷をつけたり汚したりするつもりでまいったわけじゃないんです、それどころか、あなたの名誉と利益のためにここへまいったんですよ。わたしはこう見えても歴とした騎士です、お金もあれば、口もかたい、それよりも第一に、ドニャ・エスペランサ嬢をぞっこん思いつめている男です。わたしのあこがれと愛情の的を何とか手に入れようと、いずれはあなたもお分りになることと思いますが、ちょいとないしょの相談のおかげで、この場所へ入りこむことが出来たというわけです。と申しても別に大それた考えはありません、それどころか遠くで眺めただけで、命もいらないというほど恋いこがれたご当人を、せめて近くから眺めて心やりにしようというつもりだったのです。だから、万が一にもこの過ちが、何かの刑罰を受けなければならないとしたら、現在わたしのいる場所にしろ時間にしろ、ちょうど刑罰にはもって来いというものです。それと申すのも、あなたのお手でお下しになる刑罰でしたら、わたしにとっては願ってもない光栄と思えないものはないはずですし、わたしのこの思いを打ち砕くより厳しい極刑はあるはずがないからです」
「ああ、わたしって女はどこまで不仕合わせな女だろう!」と、再びドニャ・クラウディヤがはじめた。「わたしたちのように、力になって守ってくれる良人(おっと)や男たちもなく暮らしている女は、どのくらいたくさんの危機にさらされているか、まったく知れやしない! 今になって見ると、早くなくなった、わたしのあの可哀そうなつれあいの、ドン・フワン・デ・ブラカモンテがしみじみ惜しまれるというものだわ。だって、あなたが生きてさえいらっしゃれば、この市に今わたしが暮らしているはずもなければ、こんなひどい恥ずかしい目やひどい目に会うこともないんですから。ねえあなた、お願いいたしますから、さっきはいっていらっしゃった場所から、早々に出て行って下さいましな。で、もしかうちでわたしなり姪なりに、何か御用がおありでしたら、家の外からもっとゆっくり、もっとおだやかに、もっと利口に気持よくご相談なさることも出来ますよ」
「お宅でわたしの望みをとげるにはですな」と、ドン・フェーリクスがひきとった。「何よりいちばん大切なことは、つまりお宅の中にいるっていうことです、ねえ奥さん。ただし、わたしのせいで名誉に傷のつく憂いは万々ありません。利益のほうは手のとどくところへころがっているんです。愉快にやるってことには、何ひとつかける点はないつもりです。そこで、こいつが口先だけでなく、わたしの言葉が本当だという証拠に、この黄金の鎖をあなたにさしあげることにしましょう」
こういって、百ドゥカードは優にかかる首にかけた金鎖をはずして相手の頸(くび)へかけてやった。
そのとき、この贈りものや、こうしたいかにも礼儀正しいとりなしを見るが早いか、例のぐるになっている老女は、女主人がまだ返事もしなければ、金鎖を受けとりもしないうちに、口を出した。
「この方のような王子様が、いったいこの世の中にいらっしゃるでしょうか、法王様だって、皇帝だって、商家の会計係だって、ペルー人だって、それどころか僧正様だって、こんな鷹揚(おうよう)な殿様芸をやれる方がねえ? ねえ、ドニャ・クラウディヤ奥様、お願いですから、そういうかけひきはお止めなさいましよ、そんなことはあっさりやめにして、この旦那のお望みになるとおりになさいましな、ね」
「お前、気は確かだろうね、グリハルバ?」――というのがこの老女の名前であった。「お前気は確かかい、気が変になったのか、どうかしたのじゃないのかい?」と、ドニャ・クラウディヤが言った。「じゃ、エスペランサの純潔さを、あの娘(こ)の花のような無邪気さを、あの娘(こ)の清らかさを、あの娘(こ)の男を知らない娘らしさをさ? じゃ何かい、無考えにこんなけちな鎖につられて、あの娘(こ)を運にまかせて売らなきゃならないっていうのかい? わたしがさ、鎖の光に目が眩(くら)んだり、鎖の環に金しばりになったり、鎖のひもにとりこになるほど耄碌(もうろく)してるっていうのかい? わたしゃ死んだお父つぁんの思い出に誓って、そんなこたあしないつもりさ! さあ、あなた様はご自分の鎖をもう一度おかけなさいましな、ねえ若旦那。そして、もう少しまともな目でわたしどもを見ていただきたいものですわ。それはもう、わたしたちは女ばかりですけれど、それでも歴とした人間ですし、それにこの娘はそれこそお袋のおなかから出たまんまの生娘で、そうでないなんて言う者は、この世の中に誰一人いないんだということは、ぜひともご承知願いますわ。もし万が一にも、真実にそむいて、いい加減な嘘っぱちを言うようなことがあると、誰も彼もだまされてしまうんです、これはもうわたしは年齢と経験でようく存じているんです」
「いいえ、ねえ奥さま」と、このときグリハルバが口を出した。「もしかこの旦那さま、うちのお嬢さまのこれまでのことを、何もかもご存知でないとしたら、わたしは皆目(かいもく)何も知らないか、それとも誰かに殺されてもかまいませんです」
「何をご存知だっていうのかい、この恥知らずが、え、何をご存知だっていうのかい?」と、クラウディヤが答えた。「お前、わたしの姪の汚れのないことを知らないのかい?」
「わたしは、決して汚れてなんかいませんわ」と、このときエスペランサが答えたが、彼女は自分のからだについて取り交されるやりとりを見守りながら、半ばどうしていいか迷って、すっかり度をうしなって、この部屋の中ほどに立っていたのである。「汚れちゃいませんわ、だって、この寒いのに、きれいなじゅばんを着がえて、まだ一時間にもならないんですもの」
「そりゃあなたのおっしゃるとおりでかまいませんがね」と、ドン・フェーリクスが言った。「もっとも、わたしはただ布地の見本を見ただけで、布地をそっくり買いもしないで、店から出て行くつもりはないんです。それに、乙に気取ったり、知らなかったりで、売っていただけないといけないから、ようござんすか、ドニャ・クラウディヤさん、実は今さきあなたが姪ご相手になすったお談義というか、お説教というかを残らず拝聴しましたということを、ご承知ねがいたいんです、それからわたしはこの新しい葡萄園の実をつむというか、あるいはこの葡萄園のとり入れをする、最初の男になりたいと思うんです、もっともこの鎖の外に、黄金の耳飾りいくつかと、ダイヤモンドの腕輪をつけ加えるはずです。何しろわたしは、本当のことを裏のうらまで知っているんだし、それにこういうたしかな担保品も持っているんだから、わたしのさしあげるものにしろ、わたしの身につけているものが、よしんばお気に召さないにしろ、わたしには色よい返事をしていただきたいものですね、それが当然でもあるんです。これは、はっきり誓っておきますがね、この城壁が破れたなんてことは、どんなことがあっても、わたしの口から世間にもれることは、断じてないつもりです。それどころか反対にその純潔なこと、正しいことを吹聴(ふいちょう)してあげますよ」
「おお」と、このときグリハルバが口を出した。「さあ、お目出たい、お目出たい。まったく似合いのお二人だ。さあ、わたしがいっしょにして、お祝いを言ってさしあげますわ」
そうして、娘の手をとって、それをドン・フェーリクスのところへ連れて行った。これを見ると、伯母ごはすっかり怒って、はいていたつっかけ靴をとりあげて、まるで本当に敵同士でもあるかのように、グリハルバをめった打ちになぐりはじめた。相手は、この乱暴を見てとると、すばやくクラウディヤのかぶりものに手をかけた。すると頭には何ひとつ残らずにたちまちお婆さんは坊主の禿(はげ)より光り輝いた禿頭をむき出しにしてしまい、一方には作りものの髪毛がぶらさがって、およそ世の中でも最も醜い、いやらしい恰好(かっこう)になってしまった。
こんなぐあいに、召使の女からひどい目に会わされると、彼女は大声でわめき散らしながら、お役人を呼んだ。すると最初のわめき声に応じて、まるで魔法かなんぞのように、この市の署長さんが、お伴や刑事なぞ二十人あまりの人数をひきつれて、この広間にはいって来た。署長さんは実はこの家に住む連中のうわさを聞きこんで、その夜訪ねようと思いたって、戸口で案内を乞うたが、自分たちの話に夢中になっていたので、家の連中にはこれが聞えなかったのである。そこで刑事らは、こういう場合の用意に夜は持って歩いている梃子(てこ)を使って、戸をはずして、誰にも感づかれなかったほどこっそりと家の中へ上りこんで来た。そうして伯母ごのお談義のはじめから、グリハルバとの喧嘩にいたるまで、一つ残らず署長さんは聞いていたのである。そうして部屋にはいってくると、彼はこう言った。
「お前、ご主人に対してひどいことをするじゃないか、え、女中さん」
「ごらん下さい、このろくでなしの女ときたら何てひどいことをいたしますか、ねえ署長さま」と、クラウディヤが言った。「だってあなた、この女は神さまが、わたしをこの世の中にお投げ入れあそばして以来、これまでついぞ誰一人の手もふれなかった場所へ、手をかけるなんてだいそれたことをいたしたんですものね!」
「投げ入れるとはよくぞ言ったよ」と、署長さんが言った。「それというのが、あんたは投げ入れるにはまり役だからね。さあ、かぶりものをなさい、ええ立派な奥さん。みんなもからだを包むんだ、それから牢屋へはいるんだ」
「牢屋へですって? どうしてなんでしょう?」と、クラウディヤが言った。「わたしのような身分の、わたしのような性質の人間を、いったいこの土地じゃ、こんなふうに扱うことになっているんでしょうか?」
「もうこれ以上大きな声をなさるには及ばないんです、ねえ奥さん、おいやでもあろうが、とにかく来てもらわにゃならんのです。あんたとその女、親の遺産を使うのに、三カ国語に通じた書生さんもな」
「ああひと思いに殺してもらいたいもんだ!」と、グリハルバが口走った。「もし署長さんがすっかり聞いていらっしゃらなかったのだったら。だって残酷な刑っていうのは、きっとエスペランサのことで言いなすったんだ」
このときドン・フェーリクスが近づいて、署長さんに片わきへ行って話しかけて、彼自身女たちの保証人を買って出るからといって、連中を連れて行かないように頼みこんだ。しかし彼のこういう頼みも、約束も、何の役にもたたなかった。
しかし偶然のめぐり合わせで、署長さんについて来た連中の中に、たまたま例の二人のラ・マンチャ生まれの学生がいて、この話の一部始終を目撃していた。そうしてことの成り行きを知り、何としてもエスペランサ、クラウディヤおよびグリハルバは、牢屋に行かなければならないということを見てとると、たちまち二人の間でこれから取るべき行動の相談がまとまった。そこでさとられないように、こっそり家を抜け出して、捕まった連中が当然通る道路の角に身をひそめたが、それから間もなく幸福にも、彼ら同類の六人の仲間に会い、さっそく彼らにこの市の司直にさからう、ある重要な事件に力をかしてくれないかともちかけたのであるが、友人連はまるでどっかの宴会にでも行くよりも、もっと快く早速ひき受けてくれた。それからほんのしばらくすると、役人一行が女の囚徒を引きつれて現われたが、彼らが近づくか近づかないうちに、学生達が恐ろしい勢いで、どっとばかり襲いかかったものだから、間もなく町中どこを探しても、彼らを待ち伏せる捕吏なぞ一人もいなくなった。もっとも彼らがうばうことのできたのは、ただエスペランサ一人だった。それは捕吏の連中が、この騒ぎがはじまったと見ると、クラウディヤとグリハルバを引き連れていた連中が、他の道を通って、牢屋へ彼女たちを入れたからであった。署長さんは、すっかり立腹して、面目を失墜して自分の家へ帰り、ドン・フェーリクスもおのが家に帰り、二人の学生もやはり彼らの宿へ引き上げた。そうして、エスペランサを司直の手から奪いとった一人は、その夜彼女を自分の思いのままにしようと思ったのであるが、もう一人のほうがそれを承知しないばかりか、もしもそんなことをするならいっそ死んでしまうと言って、相手をおびやかした。
それにしても、何という恋の奇蹟であろう! 何というあこがれの強い力であろう! とわたしが書いたのはほかでもない、それというのもこの乱暴な学生はどうしても友達が、自分の女に手を出すのを、あまりにも熱心に心からとめるものだから、ほかのことは言いもせず、また彼がしようということが、いったいどういうことか深く考えもしないで、こう言ったからである。
「もうこうなれば、あれほどおれに骨の折れた女に手を出すことを、君が何としても同意してくれないし、女友達として彼女に関係するのが反対だという以上、もしも正式の妻としてだったら、おれからあの女をしりぞけることは出来もしないし、しりぞけるはずもないということは、まさか反対できまいね」
それから彼は女から手を離さなさないで、女の方を向いて次のように言った。
「ここまで、あなたの保護者として、あなたに与えていたこの手を、今、もしあなたさえおいやでなければ、正式の夫としてささげたいと思うんだけれど」
それよりもっと卑しい関係でも決していやとは思わなかったエスペランサは、この瞬間自分に提供されたものを認めて、はいと、一度ならず、何度も何度もくり返したあげく、おのが主人として、夫として男を抱きしめた。友人はこの実に奇怪な決心を見て、ただ驚きあきれて二人には何も言わず、彼らの前を立ち去って、自分の宿へ帰って行った。一方、この婚約をした男は、友人や知人連が彼の願いの成就をさまたげたり、まだ正式の手続きのすまないこの結婚を邪魔したりすることを恐れて、故郷の馬方の宿っている宿屋へその夜さっそく出かけていった。ところがエスペランサにとっては実に幸いなことに、この馬方はその翌日の朝出立することになっていた。そこで彼ら二人も、この男といっしょに出立した。そうして人の話によると、彼の父親のいる家について、ここへ彼がつれて来たこの婦人は、さる立派な騎士の娘ごで、結婚の約束をして娘の父親の家から連れ出して来たという触れこみにした。父親はもう年とっていて、息子の言うことを残らずやすやすと信じこんだ。のみならず娘の可愛い顔を見て、ひたすら満足して、息子の利口な決心を口をきわめてほめそやした。
しかしクラウディヤには、こういうことは起こらなかった。なぜなら彼女自身の白状によって、エスペランサは姪でもなければ血縁者でもなく、ある寺院の入口で拾ったということ、それから彼女やその他自分の思いのままにした他の娘たちを、処女にしたてて、なんべんもいろんな相手に売りつけたということ、またこうやって生活をし、これを職業にも商売にもしていたということが明白になったからである。なお魔法使いという証跡も明るみに出た。こういう罪状によって、署長さんは彼女に四百の笞たたきと、広場のまん中で、紙製の帽子を被って梯子(はしご)の上にさらしものになる刑罰の宣告をくだした。それはサラマンカの子供たちにとって、一年中でいちばん楽しい日であった。
その後、学生の結婚が知れわたった。そうして、何人かの者が父親にあてて、事件の真相と嫁の素性を書きおくったけれど、彼女は実に抜け目なく、利口に年とった舅(しゅうと)を喜ばせ、何くれとなく世話をやいたので、よしんば彼女についてもっとひどい中傷をしたところで、おそらく彼は彼女を自分の嫁とすることをやめなかったに違いなかった。事実、頭の働きと美しさには、こういう力がみずから備っているものである。一方クラウディヤ・デ・アストゥディーリョ・イ・キニョーネス夫人は、ああいう晩年と行末を送ったが、これに類した生き方ややり方をした女たちは、やはりそのとおりに違いない。
解説

一 ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯

スペインのカルロス一世、神聖ローマ帝国のカール五世が、王位を王子フェリーぺ二世にゆずろうとしていた十六世紀の中ごろに、一冊のごく短い本が、作者の名も不明のまま現われて、たちまちのうちにたいへんな人気を博した。題名は『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯、およびその幸運と不運』という。
あまり自慢にならない両親の間に生れたラーサロという少年が、めくらの乞食を手はじめに、欲の深いけちんぼの坊主、すかんぴんのくせに高い誇りを抱く気取り屋の従士など、次々に主人から主人にわたり歩いて、さんざん生活の苦労のはて、主席司祭に仕える女中と結婚し、さらにトレドの『触れ役』の職を得て、自ら「わたくしはちょうどこの時分、富み栄えて、わたくしの幸運という幸運の、絶頂に立っていた」と称するのである。
別に入りくんだ筋立てなどひとつもない。要するに主人公ラーサロをつなぎにして、次々と出来事が続くのである。この何の変哲もない小冊子は、ひとたび世に現われると、一四九九年に現われた『ラ・セレスティーナ』以来、またそれから四十五年後の一五九九年に出版されたマテオ・アレマンの『悪者グズマン・デ・アルファラーチェ』、次いで一六〇五年に現われたセルバンテスの『ドン・キホーテ』の成功に比し得るような、すばらしい成功をかち得た。知識人も一般の庶民も、貴族も商人も、兵卒も小姓も、誰も彼もが争って、この物語を読んだのである。
では、こういう成功はいったい何から出たものであろうか。やがてはスペイン文学の最も特色を発揮することになる『悪者小説』という形式の目新しさがもたらしたものであろうか。貧しい下層階級出の男が、次々に主人につかえてなめる苦労を、自伝体でのべるという形式は、なるほど目新しいものだったのに違いない。しかし、下層階級の生活を赤裸々にのべ、嘲笑的な皮肉とペシミスティックな人生観を披歴するということは、すでに中世のイータの僧正フワン・ルイスの『よき恋の書』にも、また十五世紀末のフェルナンド・デ・ローハスの『ラ・セレスティーナ』の一つの特色をなしていたものである。
また作品全体の構成も、決して均斉がとれているわけでもない。いや、これほど無造作な、また各部分の釣合いのでたらめな作品はない。挿話が次々に展開するだけで、ある部分は長くて、詳細をきわめ、ある部分はただあら筋だけという、きわめて不均衡な作品である。現に、最初の三話だけで、全体の五分の四をしめていることからも、このことは明らかであろう。なかには第六話のように、四年間の生活を扱っているのに、三十五行で終わっている。
文章も決して正確とは言えない。三人称で自分みずからに呼びかけ、いつかそれを忘れて途中から一人称になっているところさえある。しかし、何の飾り気や気取りもない、いわゆる庶民の日常用いるままの文体を、そのまま用いたというところに、この作品の成功した秘密があったのである。
なるほど、作品の主題、構成、文体などについて、上記のような欠点はあっても、われわれは今日、この作品を読んでいるうちに、力強い簡潔な描写力に、冷笑的な主人公の独白に、いつかとらえられていて、この小さい作品が真の傑作であり、今日までなお生きつづけて来た清冽な生命に脈打っていることを感じるのである。
ラーサロは、いわば馬鹿でいたずら者、bobo bellacoとスペイン語で呼ぶ、伝統的なタイプを表わしている。しかしこの伝統的なタイプが、この作品では実にすばらしい変形を示している。なるほど、ラーサロは不運なわが身を語るとき、常にlacerado(痛めつけられた者)という形容詞を使う。しかし決してあり来たりの馬鹿boboではない。彼は無邪気さをよそおってはいるが、およそそれから遠い存在である。「覚えておくがいい。めくらの手引き小僧ってものは、悪魔よりかちょっとばかり利口でなくっちゃならんのだぞ」という、盲人の最初の教訓を、さっそく実行に移した男である。
表面無邪気をよそおいながら、いつでもラーサロは自分のやることをちゃんと承知している。先きに述べたように、自分の愚かさから、とんまな悪戯をやる伝統的なタイプとはこと変わって、なかなか底意地のある、復讐心の強い、この俗世間の最もすぐれた子供であり、そのくせ同情心もかねそなえている。ひとかけらのパンをかせぐための烈しい戦いの環境に生きながら、無邪気な外面に身をかくしているのである。
そして人にだまされまい、司直の人々との不快な接触は避けたいと、巧みに身を処する術さえ心得ている。馬鹿どころか、自分の悪さを決して人に見せたりしない男である。そして自分の口から、表面壮大なスペイン帝国のあらゆる面を、アメリカの発見以来、たびかさなる戦争で、ほとんど崩壊にひんしたスペイン、しかもそのスペイン社会を最もよく代表する三つのタイプ、めくらの乞食、貪欲な坊主、すかんぴんの下級騎士によって、まざまざと描いてくれるのである。たとえばトレドの気取り屋の従士は、朝から何ひとつ口に入れないのに、さもご馳走を食ったぞというように、藁(わら)しべで歯をせせくり、ゆらりゆらりと町を歩きまわるのである。
要するに『ラサリーリョ・デ・トルメス』が何よりもわれわれを打つのは、その力強い写実主義で、われわれの心に忘れられないイメージを焼きつけてくれるからで、その風刺は実に鋭く、強烈ではあるが、しかもどぎつい非難めいた挑戦的な調子はない。いつも無邪気なにこにこした少年をよそおい、どうかすると情にほだされたような場面もないわけではない。そのくせそれさえも、無関心な調子のうちにかくしている。単純に見えて決して単純ではない。ここに多くの、後に輩出するこの作品の模倣者と異なった理由がある。
この『ラサリーリョ・デ・トルメス』の初版の年代はわからない。一五五四年にアルカラ、ブルゴス、アントウェルプで出版された三つの版が現在残っている。そのうちアルカラ版には、一五五四年二月二十六日という日付があり、「この第二版で、新たに印刷に付し、訂正し、新たに追加された」としるされているので、それより前の版のあったことを、明らかに物語っている。これには、確かに作者以外の者により追加が行なわれているが、他の二つの版にはない。
作者についても、一五五四年版と同様に、今日まで明らかになってはいない。これまで多少とも真実性をおびた仮定は行なわれたが、しかし確実には、今日まで作者が誰だかは全然わからない。異端審問を恐れたからか、あるいは他に何か動機があってのことかわからないが、十六・七世紀を通じて、作者の名を欠いたまま出版されて来たのである。
『ラサリーリョ』によって、十六・七世紀に続々と、いわゆる『悪者小説』がスペインで流行するが、文学的な角度から見ると、あまりにも理想主義に走り、陳腐になったおびただしい『騎士道物語』や『牧人小説』に対する反動と考えることが出来る。同時に、金と銀では富んでいたが、かんじんの小麦を欠いていたといわれる当時のスペインの経済的、社会的な危機を無視しては、『悪者小説』の発生と流行を裏づけることは出来ない。なるほど、スペインはカール五世を上にいただき、新大陸を領有して、世界の最強国を誇っていた。七百年に及ぶ、回教徒に対する国土回復に燃やした、十字軍的なスペイン人のエネルギーと情熱は、広大な新大陸にそのはけ口を発見したのである。しかも、カトリックの護持という旗印のもとに、ヨーロッパのあらゆるところで戦争を続けていった。のみならずスペインが国家を統一したのは一四九二年、コロンブスのアメリカ発見と同じ年だった。したがって経済的な基礎はまだかたまってはいなかったのである。貧富の差はものすごいばかりに開いてゆき、しかも誇り高いスペイン人は、労働をいやしむ傾向があった(というより、つちかわれたので)、いわゆる『ピーカロ』と称する、浮浪者、ならず者、乞食、つまり寄生虫的人々の群が都会にも、農村にも続々と発生していった。『ラサリーリョ』をはじめ、マテオ・アレマンの『グズマン・デ・アルファラーチェ』、セルバンテスの『模範小説集』の中の『リンコネーテとコルタディーリョ』と『犬の対話』、エスピネルの『従士マルコス・デ・オブレゴン伝』、およそ嫌人的な、ケベードの『放浪児の手本、悪漢の鏡なるドン・パブロスと呼ぶぺてん師の生涯物語』、さてはべーレス・デ・ゲバーラの『びっこの悪魔』など、十七世紀の半ばまで、続々と現われたのである。これらの多くがイギリス、フランス、ドイツで翻訳され、やがてフランスでは、ル・サージュの『ジル・ブラース』、イギリスのスモーレット、フィールディング、デフォーの『悪者小説』が現われることになったのである。したがって、こういう作品に影響されたディケンズやサッカレーの作品にも、明らかにその痕跡が見出されるのである。

二 にせの伯母さん

この短い作品は、アカデミア・デ・サン・フェルナンドの秘書イシドーロ・ボサルテという男が、マドリードのサン・イシドーロ図書館で、二百四十一葉の手写本を発見するまで、まったく知られなかったものである。全部で十篇の作品を収めたこの手写本の中に、セルバンテスの『模範小説集』の中に収められている『リンコネーテとコルタディーリョ』『焼きもちやきのエストレマドゥーラ男』と、この『にせの伯母さん』がはいっていたのである。
これがセル.ハンテスの作品であるかどうかは、簡単に片づけられない問題であって、フリアン・アプライスという男などは、これを文体やその他の点から、セルバンテス以外に誰がこういう作品を書けようと、スペインのアカデミアから堂々と論文を出版して賞金をもらっている。かと思うと、同じくスペインのアカデミアの紀要に、数回にわたって、「何故に『にせの伯母さん』はセルバンテスの作品に非ざるか?」という論文を発表した男もいる。そして今日にいたるまで、これがセルバンテスの作品か否か、多くの学者の間に論争がくりかえされているが、いまだに明確な結論は得られていない。積極的にセルバンテス作品とする根拠もないかわりに、積極的にこれを否定する証拠も薄弱だからである。
いわば、この『にせの伯母さん』は、過去という波が、現代の浜辺に偶然に打ちよせてくれた流木――しかも今もなお生々と枝葉をつけて、命脈を保っている流木に比すべき作品である。しかもセルバンテスの『模範小説集』、なかでも愉しい『すばらしい女中さん』の世界を思わせる作品だということは間違いのないところである。(訳者)
◆ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯◆
作者不詳/会田由訳

二〇〇四年四月二十五日 Ver1