タイム・リープ(TIME LEAP) あしたはきのう[上]
高畑京一郎
[#た―5―1 電撃文庫 500]
鹿島翔香。高校2年生の平凡な少女。ある日、彼女は昨日の記憶を喪失している事に気づく。そして、彼女の日記には、自分の筆跡で書かれた見覚えの無い文章があった。“あなたは今、混乱している。若松くんに相談なさい……”
若松和彦。校内でもトップクラスの秀才。半信半疑ながらも、彼は翔香の記憶を分析する。そして、彼が導き出したのは、謎めいた時間移動現象であった。“タイム・リープ――今の君は、意識と体が一致した時間の流れの中にいない……”
第1回電撃ゲーム小説大賞で〈金賞〉を受賞した高畑京一郎が組み上げる時間パズル。遂に、文庫に跳躍《リ−プ》!!
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
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(例)[#ここから目次]
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タイム・リープ(上)
あしたはきのう
高畑京一郎
Kyoichiro Takahata
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序章 はじまりとおわり 11
第一章 最初は火曜日 19
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第二章 水曜から木曜 47
第三章 二度目の水曜 85
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第四章 金曜から木曜 117
第五章 月曜への往復 153
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■カバー・口絵デザイン…………………鎌部善彦 Yodhihiko Kamabe
■イラスト…………………………………衣谷 遊 Yu Kinutani
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タイム・リープ
TIME LEAP
………………………あしたはきのう………………………
高畑京一郎
Kyoichiro Takahata
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序章 はじまりとおわり
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あたたかく、やわらかい感触。
それを唇《くちぴる》に感じ、翔香《しょうか》は目を開いた。
顔だ。
目の焦点が合わないほど間近に、誰《だれ》かの顔があった。男の顔だ。そして、その男の手が、翔香の両肩を掴《つか》んでいる……。
状況の把握《はあく》に、しばらくかかった。
そして把握した瞬間《しゅんかん》。
ぱちーん。と、見事な音とともに、翔香は、男から飛び離れていた。
「なにするのよ! いきなり!」
翔香は叫び、左手の甲で口元を、ごしごしとこすった。
「痛いな……」
平手打ちを浴びて、顔を真横に向かされた男が、赤い手形の残る頬《ほお》をさすりながら、翔香を見た。
「いきなりなにするんだ。鹿島《かしま》」
怒る、というより、きょとんとした表情を見せるその男を、翔香は知っていた。
鋭角的な顔立ち。切れ長の眼《め》。
「……若松《わかまつ》くん?」
クラスメートの若松|和彦《かずひこ》だった。
意外感が強くある。
和彦は、女嫌いで通っていたからだ。必要がなければ女子とは口をきかず、それどころか近寄ろうともしない。クラスの女子の間では、ひょっとすると、あっちの趣味の人じゃないかしら、とまで噂《うわさ》されている男だった。
その若松くんが、私にキスを……?
憤慨《ふんがい》するより先に、不審と疑問とが湧《わ》き上がった。
「……なんで、若松くんがこんなところにいるのよ」
和彦は眉《まゆ》を寄せ、僅《わず》かに首を傾《かし》げた。
「なに言ってるんだ? 鹿島《かしま》?」
「なにって事ないでしょ! いきなり人に……」
翔香《しょうか》は唇《くちびる》を噛《か》んだ。
和彦の事は嫌いではなかった。あまり話した事はないけれども、どちらかといえば、好きなタイプである。だが、それとこれとは問題が別だ。
和彦の不審と困惑《こんわく》は、ますます強まったようだった。
「こんなところと言われても……ここは俺《おれ》の部屋だぜ?」
「え……?」
その言葉に、翔香はあたりを見回した。
大きな勉強机。ぎっしりと本の詰まった本棚。部屋の端に置かれたベッド。カーテンや絨毯《じゅうたん》なども含め、調度品の一切がモノトーンで統一された、すっきりした感じの部屋である。
見覚えのない部屋だった。勿論《もちろん》、翔香の部屋ではない。
「それに、今のは君の……」
そう言い掛けた和彦の口が、『あ』という形に開いた。
「そ……そうか……そういう事か……」
和彦の声が震《ふる》えている。笑っているのだ。
きょとんとするのは、今度は翔香の番だった。
「……なにがおかしいのよ」
「す、すまん……」
そう言いながら、まだ和彦は笑いやまない。身を折るようにして、声と体を震わせている。
なにがそんなにおかしいのだろう。普段《ふだん》の和彦が、こんな馬鹿《ばか》笑いをするキャラクターではないだけに、翔香にはそれが不思議だった。
「ちょっと、若松《わかまつ》くん?」
詰め寄ろうとして踏み出した足が、小テーブルにぶつかり、かちゃんと硬質の音を立てた。部屋のほぼ中央に置かれたその小テーブルの上には、大きなガラスのボウルが置かれていたのだ。ボウルには、呆《あき》れるほど大量の果物が山盛りにされてあった。パイナップルや蜜柑《みかん》や桃、そのいずれも綺麗《きれい》に皮がむかれているところを見ると、罐詰の果物らしい。
こんなにいっぱい誰《だれ》が食べるのかと、ちらりと思ったが、その脇《わき》に二人分の器とフォークが並べられているのに気付いた。そういえば、勉強机の上にも、二組のコーヒーカップが置かれている。すると……これは自分と和彦《かずひこ》の分なのだろうか。和彦の家に、翔香《しょうか》が客として訪れている、そういう状況なのだろうか。
だが、おかしい。
翔香は、和彦の家になど来た覚えはない。互いの家を訪れるような親密な仲ではないし、第一、和彦の家がどこにあるのかさえ、翔香は知らないのだ。
なぜ自分はこんなところにいるんだろう? いったい、いつ来たのだろう?
「……」
思い出せない。分からない。
分からない事は分かっている人間に訊《き》くのが一番だが、翔香の疑問を解いてくれそうな人物は、いまだに笑い続けていた。
「は……腹が痛い……」
和彦は、右手で脇腹を押さえ、目には涙さえ滲《にじ》ませている。
幾《いく》らなんでも笑い過ぎである。
翔香は、だんだん腹が立ってきた。事情が今一つはっきりしないが、和彦が翔香にキスした事は間違いないのだ。それなのに、この態度はあまりに失礼ではないだろうか。
「……ちょっと、若松くん?」口調が険悪になっているのが、自分でも分かった。「いい加減に笑うのやめて、説明してよ」
和彦は、なんとか、笑い、というより、体の痙攣《けいれん》を抑え、深呼吸した。
「か……鹿島《かしま》……」まだ、声が震《ふる》えている。「それは駄目だよ、鹿島。君には、今はまだ、教えられない」
「どういう事……?」
「そのうち分かる。そ……それにしても……」
和彦の言葉が途切れた。また発作《ほっさ》が始まったらしい。和彦は背中を丸め、ほとんど絨毯《じゅうたん》の上に這《は》いつくばるようにして、体中を震わせている。
駄目だ、こりゃ。翔香は、大きく息を吐いた。
笑い病患者に構うのはやめて、翔香《しょうか》は部屋を出た。
板張りの廊下だった。正面に窓。右手の突き当たりにドアがあり、『KNOCK PLEASE』と書かれた札が掛かっている。メルヘンチックな絵柄が描かれていて、可愛《かわい》らしい感じだ。左手には、下への階段があった。
やはり、見覚えのない場所である。
窓から見える外の景色は、もう夜だった。
なにがなんだか、さっぱり分からないが、早く帰らないと親が心配するだろう。
「鹿島《かしま》……」
翔香が階段を降りかけた時、和彦《かずひこ》が這うようにして、部屋から出て来た。相変わらず脇腹《わきばら》を押さえている。そして、苦しげな表情に笑みを浮かべて言った。
「頑張れよ」
「なによ、それ?」
妙な事を言う、と、和彦に向き直ろうとした時、ソックスを履いた足が、つるっと滑った。
「きゃあ!」
悲鳴を上げる間もあればこそ、翔香は、仰向《あおむ》けに階段を転げ落ちた。
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第一章 最初は火曜日
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1
翔香《しょうか》は転げ落ちた。
どたっ、と、思いっきり強く、お尻《しり》を打ち付ける。
「いったぁい」
翔香は顔をしかめたが、覚悟したほどの痛みではない。絨毯《じゅうたん》がクッションになってくれたようだ。
絨毯?
翔香は、きょろきょろと、まわりを見回した。
ライトグリーンの絨毯。同じくライトグリーンのベッド。そして机、本棚、ワードローブにステレオ。壁のハンガーには、紺のブレザーが下げられている。
「あれ……?」
ここは、翔香の部屋だった。
翔香は、絨毯の上に、ぺたりと座り込んだまま、自分の服を見下ろした。パジャマだ。
「……夢?」
翔香《しょうか》は、ベッドに目を向けた。眠っていながらも体を支えようと咄嗟《とっさ》にしがみついたのだろう、シーツや掛《か》け布団《ぶとん》が、ベッドの下に、ずり落ちていた。
「なんだ……夢だったのか……」
翔香は、自分の寝ぼけ加減に苦笑し、それから、なんとなく、指先を唇《くちぴる》に当てた。
随分とリアルな夢だった。まだ感触が残っているような気がする。
「やだな……なんで、あんな夢見たんだろ」
若松《わかまつ》和彦《かずひこ》とはクラスメートだし、毎日顔を合わせてはいるのだが、少なくとも恋愛の対象として意識した事はない。ない筈《はず》だが、夢に出て来るというのは、意識のどこかに、そんな願望があるからだろうか。
「やだな……」
翔香は、ひとり赤面しながら、もう一度|呟《つぷや》いた。
その時、
「翔香!」階下から若子《わかこ》の声が聞こえた。「起きなさい! 学校、遅れるわよ!」
机の上の時計を見ると、八時三分を示している。
「きゃ」
翔香は、飛び上がった。一時間目は八時半から始まる。あと三〇分もない。
大急ぎでパジャマを脱ぎ捨て、制服に着替える。ネクタイを締めながら、鏡を覗《のぞ》き込んだ。幸い、目につくような寝癖《ねぐせ》はない。手早くブラッシングする。
身支度《みじたく》を終えると、翔香は鞄《かばん》を掴《つか》んで、部屋を飛び出した。鞄の中身は、前夜のうちに揃《そろ》えておくのが翔香の習慣である。もっとも、それも、起きてから家を出るまでの時間短縮の必要に迫られて、いつしか身に付いたものなのだが。
しかしながら、何事も慌《あわ》てるのはよくない。階段を二段飛ばしに駆け降りようとした翔香は、途中で足を滑らせてしまった。
「きゃあ?」
ずだだだ、と、翔香は、お尻《しり》で弾《はず》みながら、階段を降りる事になった。階段が途中で九〇度曲がっていなかったら、一気に廊下まで転げ落ちていた事だろう。
「いたたた……」翔香は顔をしかめながら呟いた。「……正夢だったかしら」
「翔香?」
台所から顔を出した若子が、スカートの上からお尻をさすっている翔香を見て、呆《あき》れたように溜息《ためいき》をついた。
「また落ちたの? 気をつけなさいって、いつも言ってるでしょ?」
「そんな、毎日落ちてるみたいに言わないでよ。……年に二、三回だけじゃないの」
「それだけ落ちてれば充分です」
翔香《しょうか》は言い返す言葉を探したが、そんな場合ではない事に気付いた。跳ね起きる。
「お母さん、お弁当は?」
「テーブルの上よ。……たまには自分で作ったらどうなの?」
そちらの点に関しては返す言葉が最初からないので黙殺《もくさつ》する事にし、翔香は台所に飛び込んだ。
「おはよう、お父さん」
新聞を広げていた父親の英介《えいすけ》に声をかけながら、テーブルの上の弁当箱を掻《か》っさらう。英介が呆《あき》れたように翔香を見たが、これも黙殺し、玄関に出る。
「朝ごはんは?」
「時間がないの!」
翔香は、若子《わかこ》に叫ぶように答えて、慌《あわ》ただしく、家を出た。
翔香の家から東高までは、橋を渡って、商店街を抜け、ざっと二キロというところである。
2
翔香の通う東高は、県立である。その創立は古く、大正年間にまで遡《さかのぼ》る。県内有数の進学校だが、一方、スポーツでもなかなかの成果を上げていて、中でもサッカーでは全国レベルの実力を誇っていた。もともとが男子高だったため、共学になった今も、男子の数が多い。女子生徒との割合は、三対一というところである。
学校内の設備も、かなり充実している。グラウンドも二つ、体育館も二つ、勿論《もちろん》プールもあるし、弓道場や天文台もある。合宿所まであるのだ。もっとも、そのうちの幾《いく》つかは老朽化を見せている。歴史があるというのも、いい事ばかりではないようだ。
翔香が二二HRの教室に駆け込んだのは、本鈴《ほんれい》と同時だった。
既《すで》に教壇には地学の藤岡《ふじおか》貢《みつぐ》が立っていて、息も絶え絶えな翔香に、呆れたような視線を向けたが、口に出しては何も言わなかった。
「起立」
級長の香坂《こうさか》賢一《けんいち》の号令で、生徒たちは一斉に立ち上がった。椅子《いす》の音が響《ひび》く中、前の席の水森《みずもり》優子《ゆうこ》が、ちらりと翔香を振り返った。翔香とは一年の時から同じクラスであり、しっとりと落ち着いた感じのする、なかなかの美人だ。
「ぎりぎりセーフ、ね」
「コースレコードを……樹立して……しまったわ……」
翔香《しょうか》が荒い息の下で答えると、優子《ゆうこ》は微笑《びしょう》した。
「そのうち、陸上部からお誘いがかかるかもね」
「礼。着席」
生徒たちが腰をおろすと、藤岡《ふじおか》はいつもの、妙にもごもごした声で言った。
「今日は確か七二|頁《ページ》からだったな。教科書を開いて」
藤岡は、まだ四五才の筈《はず》だが、その喋《しゃべ》り方と、軽い猫背のせいで、十ほど老《ふ》けて見える。
翔香は、鞄《かばん》を開きかけ、そこで妙な事に気付いた。
「……なんでビビがいるの?」
『ビビ』というのは藤岡のあだ名だ。『こんなのは微々たるもんだ』という口癖《くちぐせ》が、その由来である。
「なんでって……なんで?」
優子が小声で訊《き》き返してきた。
「だって、一時間目は英文読解《リーダー》の筈でしょ?」
「なに言ってんのよ。火曜日の一時間目は地学じゃない」
「火曜日? だって……」翔香は曖昧《あいまい》な笑いを浮かべた。「日曜日の次は、月曜日でしょう?」
「そうよ。そして、月曜日の次は火曜日。だから、今日は火曜日。……翔香、ちゃんと目、覚めてる?」
「……覚めてるわよ」
「教科書忘れたんだったら、私のを」優子は、にっと笑った。「貸しましょうか?」
物心ついた頃《ころ》から、何百回となく聞かされてきた語呂《ごろ》合わせである。翔香は溜息《ためいき》をつき、首を振った。
「いいわ。村木《むらき》くんに見せて貰《もら》うから」
翔香が答えると、それが聞こえたのだろう、隣の席の村木|良雄《よしお》が、さりげなく教科書を滑らせてくれた。
「ありがと」
小声で礼を言いながら、翔香は鞄から筆記用具を出した。翔香はノートではなく、ルーズリーフを愛用しているから、こういう時には便利である。
「あれ?」
翔香は思わず声をあげてしまった。鞄の中に、地学の教科書がちゃんと入っていたからだ。
いつ入れたのだろう。いや、それは分かっている。昨夜だ。昨夜|揃《そろ》えたに決まっているのだが、月曜日の時間割にない地学の教科書を、なぜ用意してあったのだろう?
藤岡《ふじおか》が咳払いをして、翔香《しょうか》を、じろりと睨《にら》んだ。翔香は身を縮めたが、手遅れだった。
「ここの練習問題だが、鹿島《かしま》、君にやって貰《もら》おうかな」
「……はい」
困った。数学といわず地学といわず、計算式の出てくる科目の苦手な翔香である。まして、予習もしていないし、当てられて答えられるわけがない。
途方に暮れていると、良雄《よしお》が、今度はノートを滑らせてくれた。練習問題もちゃんと解いてある。
翔香は、つくづく、良雄に感謝した。
3
一時間目は藤岡に睨まれてしまったため勉強に集中しなければならず、余分な事を考えている暇がなかったが、休み時間になると、改めて疑問が湧《わ》き上がってきた。
なぜ、今日が火曜日なのだろう。昨日は日曜日だったのだから、今日は月曜日である筈《はず》なのに。
「ねえ、知佐子《ちさこ》、今日は何曜日だったっけ?」
「火曜日でしょ」
「幹代《みきよ》、今日は、月曜日よね?」
「なに言ってるのよ。月曜は昨日でしょ」
仲の良い女友達である三原《みはら》知佐子や矢内《やない》幹代にも訊《たず》ねてみたが、埒《らち》があかない。
「ねえ、村木《むらき》くん」
「火曜日」
一時間目にあんなに親切だった良雄までが、そう答えるのだった。
私の思い違いかしら。みんながみんな火曜日だと言うので、ふと、そんな気になりもするのだが、やはり、どう考えてもおかしい。
昨日は日曜日だった。間違いなくそうなのだ。平日の昼にやっているバラエティ番組の総集編を見た事だって覚えている。今日が火曜日だと言うなら、月曜日はどこへ消えてしまったのだろうか。いくら寝ぼけていようと、『昨日』の出来事を、すっかり忘れてしまうわけがない。
クラスの人間が示し合わせて悪戯《いたずら》しているのかもしれない、とも思ったが、そんな事をされる覚えもないし、第一、教師である藤岡がそんな悪戯に乗るわけもない。
翔香《しょうか》は首を捻《ひね》るばかりだった。
二時間目の授業にやってきたのは、地理の担当教師、横山《よこやま》清史《きよし》だった。これまた火曜日の時間割通りである。
やはり、今日は火曜日なのか……。
それを認めてしまうのが、一番すっきりする。ただ一つ、翔香に月曜日の記憶がないという説明がつけば、だが。
三時間目は、時間割(火曜日の)に従えば英文読解《リーダー》の筈《はず》だったが、担当教師の中田《なかた》輝雄《てるお》が風邪《かぜ》で休んだそうで、自習となった。
中田は東高の教師陣の中では若い方で、まだ二七才。独身である。顔立ちが整っていて、スタイルも良く、服装のセンスもいいから、女子生徒の受けがいい。翔香もその例に漏れないのだが、この日ばかりは、中田の休みも歓迎だった。わけの分からない事態に頭が混乱していたし、もう一つ、こちらはもっと俗な事だが、朝食抜きの胃袋に食べ物を詰め込む時間が得られたからである。
東高の授業は、六五分が六時間である。その配分は、やや変則的で、午前に三時間、午後三時間となっている。つまり、三時間目のあとは昼休みなのだ。少しくらい融通《ゆうずう》を利かせても構うまい。
もっとも、他の生徒たちが真面目《まじめ》に自習している中で、早弁を、しかも女子生徒がする事については、多少引け目もある。だが、腹が減っては戦はできないし、頭も働かない。そう理由をつけて、翔香は敢行する事にした。
東高は、伝統的に生徒の自主性を重んじる校風で、校則も緩やかだし、自習時間に監督の教師が来る事もない。そのお陰で、翔香は悠々と腹を満たす事ができた。食後に何か飲み物が欲しいところだったが、さすがにそれは我慢する。
腹が落ち着いたところで、ふと思いついた事があった。
まさかとも思うが、ひょっとしたら、昨日一日を寝過ごした、という事も考えられる。それだったら、月曜日の事を覚えていなくても当然なわけだ。『寝過ごす』というのが不自然だったら、『寝込む』でもいい。熱でも出して丸一日寝込んだとしたら……。
いや、それも無理があるような気がする。もしそうだとしたら、今朝方《けさがた》、母親が、もう少し、翔香を気遣ってくれた筈だからだ。
「ねえ……」
それでも一応、訊《き》いてみようと、翔香は、優子《ゆうこ》の背中をつついた。
「なあに?」
優子《ゆうこ》が体をねじって、翔香《しょうか》に顔を向ける。
「変な事、訊《き》いていい?」
翔香の言い方に、優子は微笑《ほほえ》んだ。
「変な事って?」
「昨日、私……学校に来た?」
傍《はた》から見れば、随分間抜けな質問だろうな、と、自分でも思う。果たして、優子は、目を、ぱちぱちとさせた。
「……来たわよ。勿論《もちろん》」
「ほんとに?」
「ええ」
優子は頷《うなず》いた。嘘《うそ》をついているような表情ではない。
記憶喪失? ふと、そんな単語が思い浮かんだ。しかし、ほかの記憶はしっかりしているのに、昨日の記憶だけが、すっぽり抜け落ちるなどという事があるのだろうか。どこかで頭でも打ったというならまだしも、そんな覚えもないのに。……まあ、夢と現実とで、二度階段から落ちはしたけれども。
と、そこまで考えて、翔香は内心で苦笑した。記憶喪失だとしたら、『覚えがない』のも無理はない事になる。
ほんとに、どこかで、頭をぶつけたのかしら? 翔香のその思いは、今度は幾分《いくぶん》真剣味を帯びていた。そういえば、なんとなく、後頭部のあたりが鈍く痛むような気もする。
しかし、だとしたなら、どこでそんな目に遭ったのだろう。昨日の私は何をしていたのだろう。それが気になって、翔香はもう一度|訊《たず》ねてみた。
「……昨日、私がどんな事したか、覚えてる?」
「ほんとに変な事、訊くのね?」優子は首を傾げたが、ふと何かに気付いた風で、にっこりとし、「そうか、なるほどね」と、感心したように頷きながら、答えた。「別に大した事はしなかったわよ。いつも通り」
その言い方と表情の変化に、翔香は見覚えがあった。これと良く似た態度を、ごく最近見た。あれは、どこでだったか……。
不意に思い出し、そして翔香は赤面した。和彦《かずひこ》だ。夢の中の和彦が見せた態度が、ちょうどこんな感じだった。
夢……。
本当にあれは夢だったのだろうか。ひょっとしたら、あれは本当にあった事で、あの階段から落ちた時に、頭を打って気絶、そのあと家に運ばれたが、その衝撃《しょうげき》で一日分の記憶をなくした……。ありそうな気もする。
翔香《しょうか》の目は、半ば無意識的に、和彦《かずひこ》を探していた。
4
若松《わかまつ》和彦は、進学校として有名なこの東高でも、トップクラスの秀才である。定期試験の順位も、一〇番以下になった事がない。
顔立ちは、まあハンサムの部類に入れられる方だ。かなり鋭角的で、一重《ひとえ》だが切れ長の目とあいまって、シャープな印象を人に与える。身長も、一八〇の大台には僅《わず》かに足りないようだが、高い方だ。痩型《やせがた》だから、尚更《なおさら》そう見える。
運動部には入っていないが、スポーツもそこそここなし、学期末の球技大会などでは、かなり活躍している。
ひと言でいって、和彦は、女性にもてる要件を、かなりの水準でクリアしているのだ。
しかしながら、その割りには、和彦には浮いた噂《うわさ》がなかった。
和彦には、近付きがたい雰囲気がある。より正確にいうと、近付く者を拒もうとする意志のようなものを感じるのだ。ことに、女性が相手である場合に、それが顕著《けんちょ》である。特に無愛想というわけでも、無口というわけでも、ましてや根暗《ねくら》というわけでもないのだが、いつも一定の距離を置いて、人に対しているのだ。
「あいつの座右《ざゆう》の銘は『我関せず』に違いない」
と、以前に誰《だれ》かが評した事があった。
しかしながら、和彦は、集団生活不適合者というわけではなかった。余計な事には口も手も出さないが、やらなければならない事は、誰にも文句を言わせないほど完璧《かんぺき》にやってのけるのだ。
こんな事があった。一学期の球技大会の時の事だ。
東高では、期末試験が終わると、四日間ほどかけてクラス対抗の球技大会が行われる。種目は、ソフトボール、バレー、バスケット、卓球、サッカーなどで、各人、少なくとも一つには出なければならないし、専門の競技には、つまり、『サッカー部員はサッカーには出てはならない』というような規約もある。
その種目決定の時に、ひと悶着《もんちゃく》あったのだ。級長の香坂賢一《こうさかけんいち》が議長になって、選手の決定をしようとしたのだが、皆口々に勝手な事を言い出したのである。
俺《おれ》はサッカーなら自信があるとか、バレーかバスケットならやるとか、比較的建設的な意見ならばまだ良かったのだが、走り回るやつは嫌だだの、誰々と一緒《いっしょ》ならやってもいいだの、我がままの言い放題だった。
皆、その混乱を楽しんでいるような部分があっての事だったのだが、いずれにせよ、そのお陰で、種目決定は大幅に遅れ、下校時刻にまでずれ込んでしまったのである。
その時に、和彦《かずひこ》が立ち上がって言ったのだ。
「香坂《こうさか》、もういいだろう。早いとこ決めちまえよ。時間の無駄だ」
いつもは余り感情を表に出さない和彦も、この時は、終わりの見えない議論に相当いらついていたらしい。舌打ちせんばかりの口調だった。
「だけど、若松《わかまつ》、この調子じゃ……」
賢一《けんいち》が溜息《ためいき》をつくと、和彦は、クラスメートたちを一瞥《いちべつ》して、つかつかと黒板に向かった。
「要するに、こうすればいいんだろ」
和彦はチョークを握《にぎ》って、競技名だけ書かれていた黒板に、次々に名前を書いていった。
どの競技に誰《だれ》の名前を書いたか、今となっては、翔香《しょうか》は正確には覚えていない。ただ、はっきり覚えているのは、その組み合わせが、皆が勝手に口にした諸条件を、すべてクリアしていたという事である。
「これで、誰か、まだ文句があるか?」
すべての名前を記入し終えた和彦が、クラスメートたちを振り返った時、一瞬《いっしゅん》、教室は静まり、そして、おおっと感嘆のどよめきが起こった。
和彦が、四〇余名の生徒たちがそれぞれに出した条件を、誰がなにを言ったのかを、すべて把握《はあく》しており、かつ、その諸々《もろもろ》の主張の整合点を、的確に見い出したのだという事を、皆が理解したからである。
誰にも文句はなかった。というより、和彦の示した離れ業に、半ば呆《あき》れ、半ば圧倒されてしまったのである。
結局、球技大会は、和彦の決定通りに行われる事になった。
以来、和彦には、あだ名がついた。『厩戸皇子《うまやどのおうじ》』である。素直に『聖徳太子』としないあたりが、進学校生の嫌みといえばいえる。
さて、その若松『厩戸皇子』和彦だが、鉛筆片手に、参考書のような物に見入っていた。鉛筆の先で、こつこつ机を叩《たた》きながら、時折、ひとり頷《うなず》きながら、参考書に書き込みを加えていく。
銀縁眼鏡《ぎんぶちめがね》をかけたその横顔は、いかにも知性の塊《かたまり》といった観があった。
が。
なんの勉強をしているのかと、その参考書に目を凝らした翔香は、呆れてしまった。
その参考書には、黒と白の正方形が無数に並んでいたのである。和彦は、その脇に並んだ短い文章を読みながら、あるいは縦に、あるいは横に、文字を書いていく……。要するにクロスワードパズルを解いていたのである。
真面目《まじめ》に勉強してるかと思えば……。
自分が早弁していた事など、すっかり棚に上げて、翔香《しょうか》は思った。
和彦は真剣だった。時折、眉間《みけん》に皺《しわ》が寄るのが、なにやら思索家めいているが、やっているのがクロスワードパズルだと思うと、なにか微笑《ほほえ》ましい。
「な・あ・にを見てるのかな?」
翔香は、こつんと、頭を小突かれた。優子《ゆうこ》が、からかうような目付きで、翔香を眺めている。
「……別になにも」
「そうお?」優子は微笑《びしょう》し、ちらりと和彦の方を見てから、翔香に目を戻した。「ふうん?」
「な、なによ……」
「別になにも」
優子は、翔香の口真似《くちまね》をしたが、その表情は、明瞭《めいりょう》に、『なにもかもお見通しよ』と語っていた。
変な気を回さないでよ。
そう言いたかったが、昨日の記憶がないだけに、はっきりとは言い切れなかった。
果たして、あれは本当に夢だったのだろうか。それとも、僅《わず》かに残された記憶の一部なのだろうか。
本人に確かめてみるのが一番なのだろうが、どう切り出せばいいのか、迷ってしまう。
『昨日、私、あなたのうちへ行かなかった?』
などという間抜けな質問は、さすがに、ちょっとできないし、キス云々《うんぬん》はなおさらだ。
やっぱり、夢よね。
翔香は、そう結論付けた。第一に、いくらあの和彦でも、昨日そんな事があったなら、少しはいつもと様子が違う筈《はず》だし、第二に、あの和彦が腹を抱えるほどの大笑いをする筈がないからだ。勿論《もちろん》、和彦とて人間だから、笑う事はあるし、翔香も何度か目にしていたが、それはいつも、
「ふ……」
という、冷笑に近いものだったのである。
「まだ見てる」
優子が、翔香を冷やかした。
5
六時間目の授業は、四時二五分に終わる。それから帰りのホームルームがあって、そのあとは掃除だ。
私立の学校には、専門の業者に掃除を任せているところもあるようだが、東高ではそんな事はしてくれない。自分たちの教室は勿論《もちろん》、体育館や各種の特殊教室なども、当番制で生徒が掃除する事になっている。
翔香《しょうか》は、今週、英語教官室の掃除当番だったらしい。
らしい、というのは、月曜日の記憶がないからで、
「ちょっと、翔香、掃除をすっぽかさないでよ」
と、優子《ゆうこ》に言われるまで、気付かなかったからである。
「あ、ごめんなさい」
翔香は謝って、英語教官室に向かった。
一般に教官室というのは、資料置き場兼控室のようなもので、そう広くはないのだが、英語教官室にはラボが、理科教官室には理科室が付属しているので、結構大変である。当番の生徒は、翔香と優子の他には、良雄を始めとする男子四人だった。
広いラボの方を男子に任せ、翔香たちは教官室の掃除にかかった。
東高には英語教師が六人いるので、当然机も六つあった。どの机も、参考書やプリントで、ひどくごった返している。一つだけ比較的すっきりした机があったが、それは中田《なかた》の机だった。休みだから、荷物が少ないだけなのだろう。
「昨日も掃除したのに、一日でこうだものね、もう少し考えて欲しいわ」
優子は、ぼやいた。
「……そうね」
「なんて事言ってても仕様がないわね……やるか」
「……そうね」
翔香は、半ば上《うわ》の空《そら》だった。
この頃《ころ》には、翔香は、不承不承《ふしょうぶしょう》ではあったが、『今日は火曜日』と認めていた。認めざるをえない。誰《だれ》に訊《き》いてもそう言うし、第一、図書館で今日の新聞を調べても、その日付は火曜日だったのである。
だから、それはもういい。問題は、では、なぜ昨日の事を覚えていないのか、である。
昨日、なにがあったのだろうか。昨日、自分はなにをしたのだろうか。それが分からないのが、不安でもあり、恐ろしくもある。
とはいえ、ではどうするかとなると、そこで翔香《しょうか》の思考は停まってしまうのであった。
翔香が家路についたのは、もう五時を回ろうとする時刻だった。
冬も間近なこの時期、太陽は既《すで》に沈んでいた。茜色《あかねいろ》の残照だけが、西の空を染めている。
商店街を抜け、川沿いの土手を歩いて行くと、川面《かわも》を滑って吹き付けてくる風が冷たく、そろそろ防寒具の必要を感じさせる。
翔香は立ち止まり、その冷たい風を思いっきり吸い込んだ。そして、
「ま、いっか」
吐く息とともに、翔香は呟《つぶや》いた。
気持ちの悪い事は悪いが、一日分の記憶ぐらいなくたって、そう支障があるとは思えない。
せいぜい、優子《ゆうこ》たちと話が合わない点が出てくるとか、昨日の分の授業内容が頭に入っていないとか、その程度のものである。
悩めば解決できるというならまだしも、そうではないのだから、悩むだけ損だ。
そう思い切ってしまうと、少し気が楽になった。
6
家に帰って、夕食をとり、見たいテレビ番組を見る。それから、翔香は自分の部屋に戻った。明日の予習をしておかなければならない。
別に勉強好きなわけではないが、これでも中学の頃《ころ》までは優等生で通っていたのである。それに第一、ちゃんと予習をしておかないと、今日の地学の時間のように、ひどい目に遭いかねない。
「そういえば、昨日の分のノートを借りないとならないんだっけ……」
月曜日の時間割を見ながら、翔香は嘆息した。現国などなら一時間程度抜かしてもなんとかなるが、数学を始めとする理系科目はそうはいかない。
「でも……」
翔香は首を捻《ひね》った。優子の言葉を信用すれば、翔香は昨日も学校に来ていた事になる。とすると……。
翔香は、バインダーを広げてみた。数学と英文読解《リーダー》の分のノートはとってなかったが、あとは、現国も、生物も、ちゃんと月曜日の授業内容が記録してあった。
「……」
翔香《しょうか》は、その内容を読み返してみたが、記憶に蘇《よみがえ》るものがなかった。書いてある筆跡は、確かに翔香のものなのだが、書いた記憶も、この授業を受けた記憶もないのだ。
今更《いまさら》ながらに、翔香はうそ寒いものを覚えた。
こうも完璧《かんぺき》に、記憶が、しかもたった一日前の記憶が消えるものだろうか。なにか度忘れする事があっても、なんらかのきっかけがあれば、思い出せる筈《はず》だ。はっきりとは思い出せなくても、何かひっかかるものが、ああそうだっけと思うものが、ある筈なのだ。
それなのに、今、こうして、自分の筆跡で書かれたルーズリーフを見ても、何も感じるものがない。他人のノートを見ているような気しかしないのである。
そう、まるで、別の自分がいて、昨日を過ごしたかのような……。
その思いつきに、翔香は、ぶるっと身を震《ふる》わせた。
二重人格。
もし、そうだったら、どうしよう……。
自分のこの体を、自分でない自分が動かしたのだとしたら……。
気にしないと決めた翔香ではあったが、一度浮かんだ妄想《もうそう》は、なかなか消えてはくれなかった。
やはり、誰《だれ》かに相談するべきだろうか。
「そうだ、日記……」
翔香は、ふと思いついた。
翔香は、日記をつける習慣をもっている。毎日ではないが、印象に残る事、思いついた事がある時は、欠かさずつけるようにしている。
ひょっとしたら、昨日の自分が、何か書き残しているかもしれない。
翔香は、筆立てを引っ繰り返して、そこに入れてあった鍵《かぎ》を取り出した。机の、一番下の引き出しの鍵である。人に見られたくない物は、全部そこにしまってあるのだ。
翔香は、引き出しを開けた。
中には、色々な物が入っている。小学校の時に隣のクラスの男子とやり取りした交換日記やら、中学時代に文通していた時の手紙の束やら、アイドルのサイン色紙なども、ここにはしまってあった。
やはりここにしまってあった筈のレターセットが見当たらず、翔香は首を傾《かし》げた。落ち着いた絵柄で、翔香は気に入っていたのである。確かまだ、六セットくらいは残っていた筈だ。
「て、そんな事はあとでいいのよ」
脱線しがちな自分に自分で突っ込んで、翔香は、手紙の束の底から、日記を取り出した。
革張りの日記帳である。結構豪華な装丁《そうてい》で、値段もかなり高かった事を覚えている。翔香《しょうか》の懐《ふところ》には少し痛かったが、自分の想《おも》いを書き記す物なのだからと、奮発《ふんぱつ》したのだ。
日記帳の最初の日付は、高校の合格発表の時のものだった。ぱらぱらと頁《ページ》をめくると、書いてあるのは、まだ半分くらいのものだ。この調子だと、高校の三年間が、この一冊ですみそうである。
それはともかく、翔香は、記述のある、最後の頁を探し出した。
昨日の日付だった。
筆跡も、翔香のものだった。
そして、こう書いてあった。
『あなたは今、混乱している。あなたの身になにが起こったのか、これからなにが起こるのか、それはまだ教えられない。だけど、記憶喪失ではないし、気が狂ったわけでもないから、心配しないで。だけど、他人には、その事を話さないでね。あなたが相談していいのは、若松《わかまつ》くんだけよ。若松くんに相談なさい。最初は冷たい人だと思うかもしれないけど、彼は頼りになる人だから。』
翔香は、息をするのも忘れて、何度も何度も、その文章を読み返した。
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第二章 水曜から木曜
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1
水曜日の朝。
学校へ向かう翔香《しょうか》の足は、ともすれば駆け足になりがちだった。遅刻しそうだったからではない。気が急《せ》いていたのである。
和彦《かずひこ》を問い詰める。
翔香は、そう決意していた。
あの日記……。いや、むしろ『手紙』というべきかもしれない。その謎《なぞ》が、翔香の中に重くのしかかっていた。内容もさる事ながら、その存在自体が。
翔香の日記帳に、翔香の筆跡で書かれた『手紙』……。それも、翔香に対して書かれた『手紙』である。
誓ってもいい。翔香は、あんな文章を書いてはいない。覚えがない。
だが、確かに『手紙』はある。しかも、その『手紙』を書いた『翔香』は、翔香が月曜日の記憶をなくしている事を知っているのだ。
記憶喪失の類《たぐ》いでない事は明らかだった。だが……では、なんなのだ? いったい、なにが起こっているというのだろうか。
鍵《かぎ》を握《にぎ》るのは、ただ一人、若松和彦《わかまつかずひこ》である。勝手に人の夢に出演してきた和彦。そして『手紙』に、相談相手として指定されていた和彦。
いったい、和彦はなにを知っているのだろうか。
2
翔香《しょうか》の決意は堅かったが、即実行というわけにはいかなかった。
和彦は今日もちゃんと登校していた。同じ教室の中、すぐ近くに和彦はいるのだ。話しかける機会など幾《いく》らでもあるのだが、話の内容が内容である。他人の聞いている所では、ちょっとできはしない。
和彦がどこか人気《ひとけ》のない場所に行くようなら、そこで話をしようと、狙《ねら》ってはいるのだが、なかなかいい機会がない。
「よっぽど若松くんの事が気になってるのね」
優子《ゆうこ》が、からかうように言った。和彦から目を離さない翔香を見て、誤解したらしい。
「そんなんじゃないわよ」
翔香は、むきになって否定したが、
「どうだか」
と、優子はまったく信用していない様子だった。
和彦は、いつも通りの和彦だった。授業には集中して取り組み、休み時間も、もの静かに過ごしている。
ひょっとすると、あの人、友達いないんじゃないかしら、と、翔香は、ふと思った。
結局、機会が見付けられぬまま、ずるずると時は過ぎ、ついに昼休みに入ってしまった。
いつものように、翔香は、優子や幹代《みきよ》、知佐子《さちこ》の三人と、弁当を食べた。空いている机を四つ集めてきて、食卓代わりにするのである。どちらかといえば、食べるよりだべるのが主なため、翔香たちの食事時間は長くかかるのだが、この日ばかりは、手早くすませたかった。和彦が昼休みをどんな風に過ごすのか分からないが、話しかけるのに都合のいい場所へ行くかもしれない。その機会を逃したくなかったからである。
翔香は、窓際の席で黙々《もくもく》と食事している和彦を常に意識しながら、手早く自分の弁当を片付けた。優子あたりにまた変な目で見られるかとも思ったが、今日は珍しく、三人が三人とも、お喋《しゃべ》りより食事を優先していた。
「ごちそうさま」
一番早く平らげた幹代《みきよ》が、プラスチックのカップに入れた緑茶を、くいっと飲み干した。東高では、昼食時になると、熱いお茶を入れた薬罐《やかん》が、給湯室から各クラスに配られる事になっているのだ。
幹代は、弁当箱を片付けると、立ち上がりながら翔香《しょうか》に言った。
「じゃ、行ってくるわね」
「なにか用事でもあるの?」
翔香は、和彦《かずひこ》を気にしながらも、幹代を見上げた。
「なにって……」
幹代は、ぱちぱちと瞬《まばた》きした。
「ほらほら、幹代。忘れちゃ駄目よ」
優子《ゆうこ》が、微笑《びしょう》しながら、軽く窘《たしな》めるような目を、幹代に向けた。
「あ、そうか。そうだったわね」
幹代は、丸っこい顔に苦笑めいた笑いを浮かべ、ちろっと舌を出した。
「?」
「ちょっとした野暮用《やぼよう》よ」
首を傾《かし》げる翔香に、そう言い残して、幹代は教室を出て行った。
「野暮用って、なんなの?」
幹代の意味ありげな態度が気になって、翔香は優子に訊《たず》ねてみた。
「さあ、なにかしらね」
優子は、はっきりとは答えず、知佐子《さちこ》と目配せを交わし合った。
「なによ、私だけ仲間外れなの?」
翔香が言うと、優子と知佐子は、顔を見合わせて、また笑った。
「? ?」
「さて、と」優子が、弁当箱を片付けて、立ち上がった。「私も出掛けてくるわね」
「私も。机、もとに戻しといてね、翔香」
知佐子も、席を立った。
「あなたたちもなの? なんなのよ、いったい」
すると優子と知佐子は三度《みたび》顔を見合わせ、同時に翔香を振り返って言った。
「ちょっとした野暮用」
「ほんとに、なんなのかしら、いったい」
一人残されて、憮然《ぶぜん》としていた翔香《しょうか》だったが、いつまでもそうしてはいられなかった。和彦《かずひこ》が席を立ったのだ。ハードカバーの本を一冊、手に掴《つか》んでいる。
「いけない」
翔香は、急いで弁当箱を片付け、机をもとに戻した。
教室を出た和彦は、ゆっくりとした歩き方で、廊下を進んで行く。
翔香は、物陰に身を潜めながら、そのあとを尾《つ》けた。別にそんな探偵の真似事《まねごと》などしなくてもいいのだが、なんとなく、そんな気になってしまったのである。人に知られてはならないという意識が、そうさせたのかもしれない。
和彦が、角を曲がった。
小走りに廊下を駆けていき、同じく角を曲がろうとした翔香は、そこで、なにかに突き当たった。
「おわっ」
と、声を上げたのは、英語教師の中田《なかた》輝雄《てるお》だった。昨日は風邪《かぜ》で休んでいた筈《はず》だが、どうやら体調が回復したらしい。それはいいのだが、いきなり胸元に飛び込んできた翔香によほど驚《おどろ》いたらしく、中田は手にしていたプリントの束を、廊下にぶちまけてしまった。
「あっ、すみません。うっかりして」
翔香は、急いで、廊下にしゃがみ、散らばったプリントを集め始めた。
「い、いや、いい。自分で拾うよ」
「いえ」
翔香は首を振って、さっさとプリントを拾い集めた。
「はい、これ。どうも、すみませんでした」
翔香が、プリントの束を渡すと、
「ありがとう」
中田は、短く礼を言った。いつもながら、ちょっと気取った口ぶりだが、今日の中田は、その鼻頭《はながしら》が、少し赤くなっていた。どうやら洟《はな》のかみ過ぎらしい。端正な顔立ちをしているだけに、却《かえ》って滑稽《こっけい》感《かん》が強く漂っている。翔香は笑いを噛《か》み殺しながら言った。
「お体は、もう大丈夫なんですか?」
「……え?」
中田は、怪訝《けげん》な表情を見せた。
「だって、お鼻が赤いから」
「……」
中田は顔を顰《しか》めた。思わず片手で鼻を覆ったところを見ると、自分でも気にしているらしい。翔香《しょうか》は、くすくすと笑ってしまった。
気を取り直すように、一つ空咳《からせき》をした中田《なかた》は、翔香を見詰めるようにして言った。
「……ところで、君は、どこへ行くところだったんだ? そんなに急いで」
「図書館です。……多分」
翔香は答えた。本を持っていた事と、歩いて行った方角からして、和彦《かずひこ》の行く先は、おそらくそこだろう。
「多分……?」
妙な言い方をすると思ったのだろう。中田は苦笑を浮かべ、それから、ちらりと腕時計に目をやった。
「図書館で勉強も結構だが、授業には遅れるなよ」
「はい」
翔香は、一礼して、中田のそばを離れた。
3
図書館。図書室ではない。東高では、図書館が独立して建てられているのである。OBの寄付によって、一〇年ほど前に建てられたものだ。赤煉瓦《あかれんが》造りの、なかなか洒落《しゃれ》た造りであり、生徒たちにも評判がいい。開館時間は、午前の八時から、午後の五時半まで。授業時間中も開いているのは、三年になると選択授業が入るからで、空き時間の出来た三年生がここを利用する事があるからである。
図書館へは、第二棟校舎から第一体育館まで抜け、そこから渡り廊下を伝って行くのが正式な行き方なのだが、かなり遠回りになるので、翔香は近道をする事にした。中庭を横切って行ったのである。本当は上覆きで中庭を通ってはいけない事になっているのだが、中庭といっても芝生《しばふ》が敷き詰めてあるし、上覆きが汚れるわけではないから、見付かっても咎《とが》められる事はほとんどないのだ。
どこの学校でもそうだろうが、図書館は静まり返っていた。時折聞こえる話し声も、囁《ささや》きに近い。
入ってすぐの所に貸し出しカウンターがあり、床面の手前半分ほどに長机が、奥半分に本棚が列をなしている。
翔香は、図書館の中を見渡してみた。
机に向かって本やノートを広げている者や、カウンターで借り出しや返却の手続きをしている者など、二〇名ほどの生徒がいたが、和彦《かずひこ》の姿はその中にはなかった。
本棚の方かしら……。
翔香《しょうか》は、林立する本棚の間を探索してみた。
やはり、いた。
和彦の姿は、図書館の奥の方、自然科学関係の本棚の前にあった。重そうなハードカバーの本を左手に開き、右手で頁《ページ》を繰っている。教室を出る時に持っていた本ではない。あちらはもう返してしまったのだろう。
翔香は、深呼吸をひとつして、和彦の方に近寄って行った。
「あの……若松《わかまつ》くん……」
一メートルほど離れた所から、翔香は声をかけた。
和彦が顔を上げた。銀縁《ぎんぶち》の眼鏡《めがね》越しに、その切れ長の目を、翔香に当てる。
「俺《おれ》に何か用か?」
僅《わず》かに怪訝《けげん》そうな色があるほかは、別段変わった様子は見られない。いつも通りの、冷静沈着を絵に描《か》いたような和彦だった。
「えっと……訊《き》きたい事があるんだけど……」
「なんだ」
「あのね……あの……」
さすがに、ちょっと言い出しづらい。
「早く言えよ」
和彦に促されて、翔香は覚悟を決めた。
「一昨日《おととい》、私、あなたの家に行かなかった?」
「なんだって?」
和彦は、翔香に向き直り、ぱたんと本を閉じた。表紙の文字は『最新宇宙構造論』と読めた。
「だから、一昨日、私、あなたの家に行かなかった?」
翔香は繰り返した。
「……来なかったよ」
和彦は、軽く眉《まゆ》をひそめながら答えた。その顔付きは『なに寝ぼけてるんだ、この女は』と如実《にょじつ》に語っている。少なくても、翔香には、そう見えた。
「ほんとに?」
「嘘《うそ》ついてどうする。……大体、来たか来ないか、自分の事なら自分で分かる筈《はず》だろ」
「それが分からないから、訊いてるんじゃないの」
「あん?」
和彦《かずひこ》は、眉《まゆ》を寄せた。
「なぜか分からないけど私……」翔香《しょうか》は声を潜めた。「月曜日の事、全然覚えてないの」
「おいおい……」
和彦は笑った。冗談だと思っているらしい。
「嘘《うそ》じゃないの。本当に、全然、覚えてないの。月曜日の記憶が、丸一日分、全然ないのよ。だから、若松くんに訊《き》けば、なにか分かるんじゃないかと思って……」
「ちょっと待て」和彦は、翔香を遮《さえぎ》った。「覚えてないなら、なぜ、そんな事を俺《おれ》に訊くんだ?」
「え?」
「だから、なにも覚えてないなら、俺の家に来たなんて発想が、いったい、どこから出て来たんだ?」
言われてみれば、その通りである。
「だって……」
翔香は、夢の事を持ち出そうとして、やめた。人に話せるような内容ではなかったからだ。
「日記に……そう書いてあったんだもの」
「日記?」和彦は、わけが分からないという表情を、あらわに見せた。「誰の?」
「私の」
和彦は、困惑《こんわく》の表情をますます強くした。
「……なんて?」
「あなたに相談しろって」
「なにをだ」
「それが分からないから、こうして訊いてるんじゃないの」
和彦は、脱力感に襲《おそ》われたらしい。大きく息を吐いた。
「なにを相談したいのか分からないのに、相談したいのか?」
「多分、月曜の事だと思うけど……」
「だから、一昨日《おととい》、君は、うちに、来なかったよ」和彦は、一語一語区切るように言った。いい加減にしてくれと言いたいところであったろう。「……大体、君は俺の住所なんか知りやしないだろう?」
「そうなのよねえ……」
翔香は頷《うなず》くしかない。
和彦は、やれやれと首を振り、一度は閉じた本を、再び開いた。
「話がそれだけなら、もう行ってくれ。俺《おれ》も暇《ひま》じゃないんでね」
「そんな……」
「なあ、鹿島《かしま》」和彦《かずひこ》は、翔香《しょうか》を見た。「どうしてもって言うんなら、その相談とやらに乗ってやってもいい。だけど、なにを相談したいのか分からないんじゃ、話にならん。夢の内容が分からなけりゃ、夢判断はできないからな」
翔香は、どきりとした。『夢』という単語が、和彦の口から飛び出したからだ。
「……どういう意味? それ」
和彦は、事もなげに答えた。
「旧約聖書にそういう話があるのさ。夢の内容を忘れちまった癖《くせ》に、夢判断を頼む困った王様の話がね。興味があるんなら、調べてみたらどうだ?」
和彦は、右手の親指で本棚の列を示して、調べ物に戻った。言外《げんがい》に、この話はこれで終わりと、はっきり言っている。
「……」
翔香は唇《くちびる》を噛《か》んだ。自分がわけの分からない事を言っているとは分かっている。だが、実際にわけが分からないのだから、仕方がないのだ。わけが分からないから相談に乗って欲しいのに、幾《いく》らなんでも、和彦の態度は冷た過ぎる。
これが『頼りになる人』ですって?
読書に没頭する和彦の横顔を睨《にら》みつけ、翔香は憤然《ふんぜん》と踵《きびす》を返した。
冷血漢、気取り屋、ガリ勉、無感動男、思いつく限りの単語で和彦をこき下ろしながら、翔香は図書館を出た。
あんな男を頼れなどとは、あの日記を書いた『翔香』もいい加減である。
翔香は、来た時と同じように、中庭を横切って、校舎に向かった。
それにしても、これからどうしたらいいのだろうか。
一日分の記憶ぐらい、ないままでも困りはしない。そう思い切る事はできる。現に一度は思い切った。だが、あの日記の謎《なぞ》だけは、なんとかはっきりさせないと気が収まらない。気味が悪くて仕方がない。
「おい、鹿島」
呼ぶ声が聞こえた。和彦の声だ。図書館から追いかけてきたらしい。少しは気が咎《とが》めたのだろうか。
翔香《しょうか》は、芝生の上に立ち止まり、和彦を振り返った。
「なにか用?」
その反感を剥《む》き出しにした言葉に、和彦《かずひこ》は苦笑を浮かべた。
「わけが分からんってのが、気持ち悪くてな。もう少し、分かりやすい説明を……」
そう言いかけた和彦の表情が、その時、一変した。
「危ない!」
その声に、翔香《しょうか》は、反射的に頭上を仰《あお》いだ。音か、風圧か、第六感によるものか、とにかく、『上だ』と直感したのである。
黒い影《かげ》。なにかが、翔香の頭上に落下してくるのだった。アドレナリンの分泌によるものなのだろうか、時の流れが遅くなったように感じる。
逃げなければ。そう思うが、体が動かない。
ぶつかる!
目を閉じた翔香は、体に強い衝撃《しょうげき》を感じた。
4
「きゃあっ」
翔香は跳び起きた。
全身に冷や汗をかいていた。心臓が、どきどきしている。翔香は胸元を押さえ、そして目を疑った。
ライトグリーンのベッド、そして絨毯《じゅうたん》、そして……。
自分の体を見下ろす。パジャマだ。翔香はパジャマ姿で、ベッドの中に横たわっていたのである。
まさか……また、夢……?
「嘘《うそ》でしょ……」
翔香は呟《つぶや》いた。声がかすれているのが、自分でも分かった。
机の上の時計を見る。七時半……それも、朝の七時半だった。
夢とはとても思えなかった。すると、意識を失っていたのだろうか。あの上から落ちて来たものがぶつかって、それで……。
翔香はベッドを降りた。頭から肩から背中から、あちこちさすってみたが、別に怪我《けが》をした様子はない。
「……やっぱり夢……?」
翔香は呟き、すぐに首を振った。別に、怪我をしなかったからといって、気絶しなかった事にはならない。
「確かめてみるのが一番ね」
翔香《しょうか》は、パジャマ姿のまま、階段を降りた。
「おはよう、翔香」
「おう、今日は余裕だな」
若子《わかこ》は台所の流しの前、英介はテーブルで新聞。いつもの朝の光景だった。
「おはよう、お父さん、お母さん。……ちょっと、いい?」
翔香は、英介の背中に回り込んで、新聞を見た。
『高速道路で七台玉突き』『連続婦女暴行事件』『政界再々編成』……。そんな見出しが目についたが、記事などどうでもいい。翔香が知りたかったのは、日付である。
木曜日だった。
「……」
やはり、夢ではなさそうである。と、すれば、やはり気絶だろうか。気絶して、家まで運ばれたのだろうか。
しかし、それにしては……。
「どうした、翔香? なにか気になる記事でもあるのか?」
それにしては、英介も若子も、変わりなさ過ぎる。
一人娘が意識もなく運ばれて来たなら、たとえ無事に目を覚ましたとはいえ、
『体、大丈夫か?』
とか、
『気持ち悪くない?』
とか、訊《き》くのではないだろうか。
「翔香?」
返事をしない翔香が気になったのだろう。英介が、身をねじるようにして、翔香を見上げた。
「う、ううん、別に……。……ねえ、お母さん」
「なあに?」
「昨日……私……いつ帰ってきたっけ……?」
「なに言ってるの」
若子は笑っている。
「お願い……教えて……」
「いつもと同じよ。五時半くらいかしら」
「それで……」翔香は深呼吸した。「私……ちゃんと、一人で帰ってきた?」
「翔香?」
若子《わかこ》と英介《えいすけ》は、妙な顔付きで翔香を見た。
「答えて」
若子は、心配そうな表情になりながら、答えた。
「……そうよ。一人で、ちゃんと歩いて帰ってきたわよ。……それがいったいどうしたっていうの?」
「やっぱり……そうなのね……」
翔香は、両手で額を押さえた。
二度目だ……。二度目が起こったのだ。また、別の『翔香』が現れて、この体を勝手に動かしたのだ。
「翔香? どうしたの? 顔が青いわよ?」
これは、これからも起こるのだろうか。繰り返し起こる現象なのだろうか。そして繰り返すうちに、もう一人の『翔香』が、この体を乗っ取ってしまうのだろうか。
「おい、翔香? 翔香!」
英介が立ち上がった。
翔香は、自分の体を抱き締めるようにして、ぶるぶる震えていた。
5
翔香は、ベッドの中で伏せっていた。
「あの子は私が看《み》てますから、あなたは会社へ行って下さい」
階下から、若子の声が、漏れ聞こえてくる。
「そうもいかんだろう」
「だって、今日は大切な商談があるって、おっしゃってたじゃありませんか」
「一人娘と引き換えにできるか。なにかあったに違いない。最近、物騒《ぶっそう》だからな……新聞にもあったが、まさか、暴行されたなんて事はないだろうな」
英介の心配は見当外れのものだったが、仕事と娘を引き換えにできるかと言い切ってくれた父親が、翔香には嬉《うれ》しくもあり誇らしくもあった。
「わざわざ、そんな悪い事ばかり考える事ないじゃありませんか」
「しかしな」
「とにかく、娘の事は女親に任せて下さいな。男親のいるところではできない話があるかもしれないでしょう?」
英介《えいすけ》は、若子《わかこ》に説得されて、しぶしぶながら出社して行った。
心配かけてごめんなさい……。
翔香《しょうか》は思った。
それにしても、なぜ、こんな風になってしまったのだろうか。なぜこんな目に遭わなければならないのだろうか。翔香がなにをしたというのだろうか。
二重人格。自分が自分でなくなってしまう。それは恐ろしい事だった。とても一人で抱えきれる問題ではなかった。
若子や英介に打ち明けるべきだろうか。いや、一人娘が精神異常者だなどと知ったら、どんなに悲しがるか、それを思うと、とても言い出せはしない。
『あなたが相談していいのは、若松《わかまつ》くんだけよ』
不意に、その言葉が思い出された。
なぜ、もう一人の『翔香』は、あんな事を書き残したのだろうか。文章を読んだ限りでは、もう一人の『翔香』は、翔香に敵意を持っていないように思える。むしろ、親切に助言してくれているのだ。ひょっとすると、もう一人の『翔香』も、翔香が元に戻る事を願っているのかもしれない。
しかし、なぜ、和彦《かずひこ》のなのだろうか。和彦になにがあるというのだろうか。なにを知っているというのだろうか。この現象に、和彦は一役かっているのだろうか。
だが、それにしては、和彦の態度が解せない。知っているとか知っていないとかの以前に、呆気《あっけ》にとられていたではないか。あれが芝居《しばい》とは思えなかった。
それに、相談しろなどと言っても、あの冷血漢は、むげなく翔香を追い払ったのである。まあ、すぐに、あとを追って来てはくれたけれども。
「あ!」
翔香は、がばっと起き上がった。
昨日の和彦はなにも知らなかったかもしれない。だが、今日の和彦なら。
二度目の『記憶喪失』が起こったのは、昨日の昼休みの、あの瞬間《しゅんかん》である。そして、その場に、和彦は立ち会っていたのだ。
夢だの日記だのという曖昧《あいまい》な根拠ではなく、今度は、確実に、和彦はなにかを知っているといえる。あの瞬間になにが起こったのか、翔香にどんな現象が起きたのか、和彦に訊《き》けば分かる筈《はず》なのだ。
もう一度、和彦に会わなければならない。会って、それを訊き出さねばならない。
翔香はパジャマを脱ぎ捨て、制服に着替えた。
6
「今日は休みなさい」
「大丈夫よ、ちょっと貧血を起こしただけなんだから。心配しないで」
引き留める若子《わかこ》を振り切って、翔香《しょうか》は登校した。
教室に入ると、生物の授業の途中だった。時間割で言えば、木曜日の二時間目である。
「すみません。体調が優れなかったもので」
翔香が頭を下げると、生物教師の羽村《はむら》誠太郎《せいたろう》は頷《うなず》き、気遣わしげに言った。
「あまり無理するなよ」
傍目《はため》から見ても、翔香の顔色は芳《かんば》しくなかったらしい。
席に着いた翔香は、筆記用具と教科書を取り出し、それから、和彦《かずひこ》を窺《うかが》った。
目が合った。和彦の方でも、翔香を見詰めていたのである。
やっぱり、なにか見たんだわ……。
翔香は確信した。
「よし、じゃあ、次へ進むぞ」
翔香が席に着くのを待っていた羽村が教科書を持ち直し、それで和彦も黒板に向き直った。
二時間目は終わった。三時間目は体育である。移動と着替えが必要になるため、五分間の休み時間は、いつもより慌《あわ》ただしい。
「今日も見学するの?」
優子《ゆうこ》が訊《たず》ねてくるのに、
「うん……」
上《うわ》の空《そら》で答えつつ、翔香は立ち上がった。昨日のように機会を選ぶような余裕は、時間的にも精神的にも、今の翔香にはない。和彦が教室を出る前に、昨日の事を訊《き》き出すつもりだった。
だが、その和彦の方から先に、翔香の前にやってきたのである。
「やあ、鹿島《かしま》。いつから来た?」
「……二時間目の途中からよ。見てた癖《くせ》に」
和彦は、片方の眉《まゆ》を跳ね上げ、それから苦笑した。
「なるほど……そういう答え方になるわけか」
「そんな事より、若松《わかまつ》くん。どうしても訊きたい事があるの」
「まだ駄目だよ、鹿島」和彦は首を振った。「それは五時間目が終わってからだ」
「五時間目?」
翔香《しょうか》は首を捻《ひね》った。時間がないからあとで、という意味にしては、妙だった。なぜ、昼休みとか放課後とかではなく、五時間目が終わったあとで、なのだろうか。
「五時間目になにがあるの?」
「数学の授業がある」
「だから、それがなんなのよ」
すると、和彦は、なんともいえない笑い方をした。
「まったく、感心するよ、鹿島。演技としたら、まさにアカデミー賞もんだ」
「???」
「とにかく、話はそれからだ」
そう言って、和彦は、翔香のそばを離れた。
7
翔香は、体育の授業を見学した。別に体の具合が悪いわけではないのだから、ずる休みといえばいえるが、こんな精神状態では、スポーツなどする気にはなれない。
和彦のあの話し振り、あの態度。確かに、なにかを知っているらしい。だが、それはいったい、なんなのだろう。五時間目にいったい、なにがあるというのだろう。『演技』とはなんの事なのだろう。
そんな事が頭に引っ掛かっていたため、昼食もほとんど喉《のど》を通らなかった。
「大丈夫? 翔香? このところ、具合が悪いんじゃないの?」
優子《ゆうこ》たちが、心配そうな表情をするので、
「ううん、大丈夫よ」
翔香は、無理にも笑顔を作らねばならなかった。
翔香には、五時間目が始まるのが待ち遠しかった。数学の授業が待ち遠しいなど、翔香にとっては初めての体験である。
時計の針はなかなか進まなかったが、それでも着実に時間は過ぎていき、待ち侘《わび》びていた五時間目が始まった。
翔香のクラスの数学担当教師は、海野《うんの》久子《ひさこ》である。年齢は五一才。東高の教師陣でも最年長の部類に入る。ひどく小柄で、廊下を歩いていても、教室からはそれが分からない。窓の上に頭が出ないのだ。そのため、一部では『潜水艦《せんすいかん》』と呼ぶ者もいるが、一般的には『ばあさん』で通る。
教室に入って来た海野《うんの》は、両手にプリントの束を抱えていた。
「この間のテストを返すわね」
開口一番の海野の台詞《せりふ》に、翔香《しょうか》は首を傾《かし》げた。
『この間』っていつかしら?
二度目の『記憶喪失』を経て、翔香の時間感覚は、少なからず信頼性を欠いていたのである。
「阿野《あの》くん。はい、六七点。飯田《いいだ》くん。はい、五二点」
海野はいつものように、点数を読み上げながら、テストを生徒たちに返し始めた。数学の得意な者はいいだろうが、翔香のような者にとっては、少し嫌な、海野のやり方であった。
今回のテストはかなり難しかったらしく、押しなべて点数は低かった。平均点は七〇点というところだろう。
出席番号は五〇音順だから、『若松和彦《わかまつかずひこ》』の名前は、男子の中では最後に読み上げられた。
「若松くん、はい、九七点」
おお、と、微《かす》かなどよめきが教室に満ちた。
「……どうも」
和彦は、特に喜ぶ風もなく、答案用紙を受け取った。
「さすがね、若松くん」
海野がそう評したのは、数学の成横において、このクラスでは和彦に並ぶ者がいないからである。翔香の記憶にある限り、和彦は数学のテストで九〇点より下を取った事がない。
だが、今日の海野は、面白《おもしろ》そうに、こう付け加えた。
「でも、今回は、あなたより上手《うわて》がいるわよ」
教室にざわめきが生じた。男子は和彦で最後だから、その殊勲者は女子の中にいるという事になる。
しかし、和彦は、軽く目礼しただけで、そのまま席に戻った。相変わらず、感情の起伏が分かりにくい男である。
「伊藤さん、五七点。大畑さん、七〇点……」
海野の読み上げが読いた。そして、
「鹿島《かしま》さん」
「はい」
翔香が立ち上がって、答案を受け取りに行くと、海野は、にっこり笑った。
「頑張ったわね。私が受け持ってる三クラスの中で、ただ一人満点よ」
おおおお……。和彦《かずひこ》の時に数倍するどよめきが湧《わ》き起こった。
嘘《うそ》でしょ。翔香《しょうか》は耳を疑った。算数が数学と名前を変えてこの方、満点どころか平均点を取る事さえ稀《まれ》だった翔香なのである。
だが、手渡された答案には、確かに赤い字で一〇〇と点数が記されていた。記名欄にあるのも、鹿島《かしま》翔香の文字である。
翔香は、席に戻ると、答案用紙に見入った。翔香の名前が、翔香の筆跡で書かれている。一面に書かれた数式も、翔香の筆跡だ。だが、このテストを受けた覚えが、翔香にはなかった。
「ねえ、優子《ゆうこ》」翔香は、前の席の優子をつついた。「このテスト、いつやったっけ?」
「月曜日よ」
やっぱり。
覚えがないのは当然だった。これは、翔香が翔香でない時に受けたテストなのだ。
それにしても、もう一人の『翔香』は、大した能力の持ち主であるらしい。翔香本人には逆立ちしたってこんな点数は取れはしない。
「それにしても、凄《すご》いじゃない、翔香」
優子は、無邪気に感心している。
「……まぐれよ」
とりあえず、その程度しか言える言葉がなかった。
「それにしても、あなたが数学で満点取るなんてね。台風でも来るんじゃないの? ほら、若松《わかまつ》くんも、驚《おどろ》いてるみたいよ」
優子の言う通りだった。和彦は、腕組みをして、じっと翔香の方を見ていたのである。
確かに、和彦は驚いているようだった。だが、違う。その驚きは、優子が言っているような単純な驚きではない。それが翔香には分かった。和彦は言っていたではないか。『五時間目が終わってから』と。和彦は、この事を予想していたに違いないのだ。
いや……予想していたなら、驚きはしないだろう。では、なんらかの示唆《しさ》を、あるいは予言のようなものを与えられていたのだろうか。それが的中した事に驚いているのかもしれない。
「さ、それじゃあ、答え合わせをするわね。みんな、問題用紙を出して」
海野《うんの》が言った。
8
五時間目が終わると、和彦《かずひこ》が立ち上がり、翔香《しょうか》の方へやってきた。
「君の勝ちだな」
などと言われても、実力で取った点数ではないので、忸怩《じくじ》たるものがある。
「……どうだっていいわよ、そんな事」
「なに言ってんのよ、翔香」
優子《ゆうこ》が笑った。また変な気を回しているのかもしれない。
「なるほど……そう来るか。確かに、昨日の君の話からすれば、そういう答え方になるのかもしれないな」
「昨日の……『私』?」
その言葉が、翔香の頭に引っ掛かった。
やはり知っている。和彦は、もう一人の『翔香』の存在を、知っているのだ。
「若松くん。お願い、教えて。昨日の昼休みにいったい」
勢い込んで訊《たず》ねる翔香の前に、和彦は右手を広げた。
「まあ、待てよ、鹿島《かしま》」
「なんでよ。五時間目が終わったら、説明してくれるって言ったでしょう?」
「言った。だけど、それは、俺《おれ》が態度を決めるのに必要だったという意味だ。すぐに六時間目が始まる。話は放課後にしよう」
「でも……」
「それに、君から聞かされた話を、そのまま君に聞かせるのも馬鹿馬鹿《ばかばか》しい。時間の」和彦は、そこで薄く笑った。「無駄だ。文字通りの意味でな。君に聞いた話から判断すると、おそらく、今日の放課後の君なら、俺の言ってる事が理解できる筈《はず》だ」
「ちょっと待ってよ。あなたの言ってる『私』は、私じゃない『私』でしょ? そうじゃなくて、私に説明してよ。そうじゃないと私、頭がおかしくなりそうだもの」
「同じ事だよ、鹿島。君も、君の言う君じゃない『君』も、結局のところ同じ君なんだ」
「……え?」
それは、どういう意味なのだろうか。同じ体を共有しているから、という意味にしては、少しおかしい。
翔香は首を傾《かし》げたが、優子の方は、あからさまに『理解不能』の文字を顔に浮かべている。
「ねえ……いったい、なにを話してるの、あなたたち?」
「単なる言葉選びだよ」和彦《かずひこ》は、軽くあしらって、翔香《しょうか》に視線を戻した。「とにかく、鹿島《かしま》。約束は守る。君に付き合ってやるよ。だから、放課後まで待て。話はそれからだ」
和彦はそう言うと、さっさと自分の席に戻ってしまった。
「ねえ……翔香。なんなの、いったい?」
優子《ゆうこ》に問われたが、翔香も首を振るほかない。なにがなんだか、さっぱり分からないのだ。
ただ一つ確かな事は、和彦が、翔香の身に起きた事を、ただ知っているというだけでなく、かなり明確な形で把握《はあく》しているらしいという事である。
「放課後……か……」
随分勿体《もったい》をつけられたが、放課後になれば、なにもかも、明らかになるのだろうか。
「それにしても、良かったじゃない」
優子が、とんっと、翔香に肩をぶつけてきた。
「? なにが?」
「若松《わかまつ》くんと付き合えて、よ。嬉《うれ》しいでしょ?」
翔香は気付いた。優子は勘違いしているのだ。和彦は、『君に付き合う』と言ったのであって、『君と付き合う』と言ったのではないのだから。
「嬉しくなんかないわよ」
「そんな事言っちゃって」優子は笑い、それから声を潜めるようにして言った。「今度、詳しくやり方教えてね」
「?」
「なんか、効果抜群みたいだから」
「? ?」
いったい、もう一人の『翔香』は、どこでなにをしていたのだろう。お陰で分からない事ばかりが増えていく。
早いとこ、なんとかしなくちゃ。
翔香は、心底《しんそこ》そう思った。
9
六時間目が終わった。
帰りのホームルーム。そして、掃除。
今日は忘れずに、翔香は英語教官室とラボの掃除に向かった。
ラボの方は男子に任せて、翔香は優子と二人、教官室の清掃を始めた。
「おっ、やってるな」
英語の教師の一人である魚住《うおずみ》俊一《しゅんいち》が、教官室に入って来た。まだ三四才だが、この東高では十年近く勤務している古株の一人である。
「すまんが、君」魚住が、翔香《しょうか》を手招いた。「このごみを捨てて来てくれないか?」
魚住が持ち上げたプラスチックのごみ箱には、紙くずがぎゅうぎゅう詰めに押し込まれていた。
「分かりました」
翔香は、ごみ箱を受け取って、教官室を出た。
校内で出る廃棄物《はいきぶつ》は、すべて、校舎裏に運ぶ事になっている。可燃物はそこにある焼却炉に放り込むし、危険物なども専用の籠《かご》が用意されているので、そこに溜《た》めておくのだ。
ごみ箱を抱えて、とんとんと、軽快に階段を駆け降りた翔香は、踊り場から、更《さら》に下へ降りようとしたところで、足を滑らせた。
「あ!」
このところ、つくづく階段にはたたられる。頭の隅で、ちらっとそんな事を考えながら、翔香は、勢いよく、階段を転がり落ちた。
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第三章 二度目の水曜
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1
「きゃん!」
背中から地面に叩《たた》き付けられ、翔香《しょうか》は悲鳴を上げた。
「大丈夫か?」
気遣うような声が、すぐそばに聞こえた。和彦《かずひこ》の声だ。
目を開けると、驚くほど近くに、和彦の顔があった。翔香の上に覆いかぶさるようにしていたのである。
「わ、若松《わかまつ》くん……?」
翔香は真っ赤になりながらも、頭の端で、ちらりと思った。どうして若松くんが、ここにいるのかしら?
「怪我《けが》は?」
和彦が、体を起こしながら、もう一度訊《たず》ねた。
「うん……大丈夫……」
少しお尻《しり》がひりひりするが、怪我というほどのものではない。
「立ってみろ」
翔香《しょうか》は、和彦《かずひこ》が差し出した右手にすがって、立ち上がった。
「肩とか腰とか、ぶつけなかったか?」
「大丈夫だって。……意外と心配性《しんぱいしょう》なのね?」
翔香は答えながらも、一応、体の各部をさすってみる。痛みはない。だが、かさかさする物が手に触れた。枯れ葉が服にくっついていたのだ。半ば無意識的に、それを払い落とした翔香だったが、その手が、ぴたりと止まった。
枯れ葉?
「芝生《しばふ》の上とはいえ、思いっきり突き飛ばしちまったからな」
和彦は微《び》苦笑《くしょう》を浮かべた。
芝生?
翔香は、慌《あわ》てて周囲を見回した。
階段でもなければ、校舎の中でもなかった。翔香がいたのは、中庭の芝生の上だったのである。
……どういう……事……?
「それにしても……」
和彦が、やや離れた芝生の上に視線を落として、舌打ちをした。
その視線を追った翔香は、そこに素焼《すや》きの植木鉢を見付けた。真っ二つに割れ、中の草花と土がこぼれている。
和彦が、上方を見上げて、怒鳴《どな》った。
「おい、一年! 気をつけろ! 下手したら、ひと一人、死んでたところだぞ!」
その和彦の声に驚《おどろ》いたように、二階の窓に、一年生の顔が並んだ。割れた植木鉢のある位置の真上にあるのは、一二HRの教室である。
「うちの教室じゃありませんよ」
一人の男子生徒が、懸命《けんめい》に無罪を主張した。
「本当か?」
「だって」その男子生徒は、首を引っ込め、しばらくして再び顔を見せた。「うちのクラスの鉢植えは、十個全部ありますからね。もっと上の教室じゃないですか?」
この十月から新しい生徒会長となった二六HRの石田《いしだ》健児《けんじ》が、新生徒会の最初の仕事として行ったのが、校内緑化運動であった。それにより、どの教室にも、十個ずつの鉢植えの花が分配されたのだ。その鉢植えが全部揃《そろ》っている以上、一二HRから落ちた物ではないと、その男子生徒は主張しているらしい。
だが、そんな和彦《かずひこ》と一年生のやり取りを、翔香《しょうか》はほとんど聞いてはいなかった。
翔香は、割れた植木鉢から、目が離せないでいた。
自分は階段から落ちたのではなかったか。それがなぜ、中庭にいるのだ?
中庭……。上から落ちてきた植木鉢……。
「ねえ……若松《わかまつ》くん……」
声が震《ふる》えていた。いや、声だけではない。翔香の体は、細かく震え始めていた。
「どうした、鹿島《かしま》?」和彦は、翔香に目に戻し、そして小さく笑った。「無事と分かってから震えるなよ」
「違う……そうじゃない……そうじゃないのよ……」
翔香は、ぶるぶると首を振った。
「? ……じゃ、なんだ?」
「今日……今日は、何曜日なの?」
和彦は、軽く眉《まゆ》を寄せた。
「……水曜だが?」
「……水曜日の……昼休み……なのね……?」
「そうだよ」
和彦は、分かり切った事を、とでも言いたげに、頷《うなず》いた。
時間が……戻った……?
翔香は、木曜日の掃除時間から水曜日の昼休みへ、時を遡《さかのぼ》ってしまったのだ。
「鹿島? どうした? 顔が真《ま》っ青《さお》だぞ?」
「こ……わい……私……怖い……」
震えが止まらない。翔香は、両腕で自分の体を抱き締めるようにしたが、それでも震えは止まってくれなかった。
2
「どうしたの? いったい」
保健室に入ると、養護教諭の西田《にしだ》昌代《まさよ》が訊ねてきた。
西田は二七才。小柄な女性である。愛嬌《あいきょう》のある顔立ちと、そのさっぱりした性格で、男子生徒にも女子生徒にも人気がある。
「中庭を歩いていたら、上から植木鉢が降ってきましてね。もう少しで当たるところだったんです」
和彦《かずひこ》が説明した。
「危ないわねえ……」西田《にしだ》は眉《まゆ》を寄せた。「で、怪我《けが》はなかったのね?」
「ええ、運よく。ただ、よっぽど怖かったらしくて、この有《あ》り様《さま》です」
和彦は、苦笑を浮かべつつ、傍らの翔香《しょうか》に目を向けた。翔香は、さっきからずっと、和彦の左腕にしがみついていたのである。
「しばらく、休ませてやって貰《もら》えますか?」
「そうね。薬をあげるわ。少し眠くなるけど、落ち着く筈《はず》よ。あ、君、水を持ってきてくれる?」
「はい。……そろそろ手を離してくれよ、鹿島《かしま》」
和彦は、翔香をベッドに座らせ、保健室の隅にある水道から、水を汲んで戻ってきた。
「はい、これ。噛《か》まないで飲んでね」
西田がピンク色の錠剤を二粒、翔香の掌《てのひら》に載せた。もう一方の手に、和彦が、プラスティックのコップを持たせる。
言われるままに、翔香は薬を飲み込んだが、体の震えは一向におさまらなかった。
タイムトラベル。
映画や小説などでよく目にする言葉である。このテーマの映画でお気に入りの作品もあって、翔香は、度々《たびたび》ビデオで見返したりもしていた。本当に過去や未来を行き来できたら面白《おもしろ》いなとも思い、もし自分にあんな能力があったらどう使おうかと考えてみる事もあった。
だが、それが現実に翔香の身に起きた今、面白がる余裕などなかった。あるのは恐怖だった。正常な時間の流れからこぼれ落ちてしまった恐怖、これから自分がどうなってしまうのか、『いつ』へ行ってしまうのか、予想もつかない事への恐怖である。今回はたかだか三〇時間足らずを遡《さかのぼ》ったに過ぎないが、これが三〇年だったら、あるいは三〇〇年だったら?
翔香の両手は、コップを掴《つか》んだまま、かたかたと震えていた。
予鈴《よれい》が鳴った。午後の授業が始まるまで、あと五分である。
和彦は、翔香から西田へ視線を移した。
「じゃ、あとは頼みます」
「駄目!」教室に戻ろうとする和彦の学生服に、翔香はしがみついた。「私を一人にしないで! お願い!」
「鹿島……?」一瞬《いっしゅん》、困惑《こんわく》を見せた和彦だったが、すぐに幼い子供を宥《なだ》めるような口調になって言った。「大丈夫だ。もう怖い事はないんだから。落ち着けよ。な?」
「違う……違うの」翔香は、激しく首を振った。「お願いだから、ここにいて」
「無理言うなよ。すぐ授業が始まるんだぜ」
和彦《かずひこ》が、学生服の裾《すそ》から翔香《しょうか》の手を外そうとすると、
「こら」と、西田《にしだ》が、和彦の頭を軽く小突いた。「男の癖《くせ》に、そんな薄情《はくじょう》な事を言いなさんな」
「先生……?」
「確かに、学業は学生の本分だけどね、自分を頼りにしてる女の子を振り捨てるなんて、男のする事じゃないわよ」
「そうはおっしゃいますけどね……」
和彦は反論しようとしたらしいが、西田に睨《にら》まれて、溜息《ためいき》をついた。
「……分かりました。しばらく、そばについてやりますよ」
「よろしい」西田は満足そうに頷《うなず》いた。「ところで、ええっと、……あなたたちは、鹿島《かしま》さんと……?」
「若松《わかまつ》です。若松和彦」
「クラスは?」
「二二HRです」
「二人とも?」
「はい」
「じゃ、私、これから行って、さぼりじゃないって事、言ってきてあげるわね」
「いえ、そんな事、わざわざして貰《もら》わなくても……」
「いいから」西田は、にっこり笑って、付け加えた。「気を利かせてやってるのよ。うまくやりなさいな」
3
「困った先生だな」
西田が保健室を出て行くと、和彦は、小さく舌打ちをした。妙な誤解をされてしまったのが、面白《おもしろ》くないのだろう。
それから、和彦は、学生服の裾を掴《つか》んだままの翔香を振り返った。
「聞いた通りだ。もう逃げないから、手を離してくれ」
翔香は、ぶるぶると首を振った。この手を離した途端《とたん》にまた『跳んで』しまったらと、それが怖かったのである。
そんな翔香を、和彦は見下ろし、もう一度言った。
「離してくれ」
翔香《しょうか》は、また首を振った。
すると、和彦《かずひこ》は、翔香の予想外の行動に出た。あろうことか、力ずくで、翔香の手を引き剥《は》がしたのである。和彦が、いわゆるフェミニストなどではない事は知っていたが、それにしてもひどい仕打ちである。
「これで、落ち着いて話せる」
和彦は、乱れた裾《すそ》を軽くはたいて直し、それから、もう一つのベッドに、翔香と向き合うように腰を降ろした。
「で……」和彦は、足を組んだ。「なにをそんなに怖がってる?」
和彦の無情さに唖然《あぜん》としてしまった翔香だが、謎《なぞ》めいたこの事態を解決する糸口になりそうな存在はこの男だけである。意を決して、口を開いた。
「相談に……乗ってくれる?」
和彦は、僅《わず》かに口元を緩めた。
「相談事の内容が分かればな」
「やっと分かったの。『私』が、なにをあなたに相談しろって言ってたのか、やっと分かったの」
「相変わらず、聞いてるこっちの頭が混乱するような事をおっしゃる」
「お願いだから、真面目《まじめ》に聞いて!」
「分かったよ。だから、そんなに興奮《こうふん》するな」
和彦は、翔香を押しとどめるように、両手を開いた。
「これから私が言う事……多分、信じられないと思うけど、信じてくれる?」
「君は、もう少し現代国語を勉強した方が良さそうだな」和彦は苦笑し、ひょいと両腕を開くような仕草《しぐさ》をした。「信じられるような事なら、信じましょう」
和彦のその態度は、誠意に満ちたものとは、とてもいえなかったが、これ以上は期待できそうもなかった。なにしろ『我関せず』を信条としているような和彦である。話を聞く気になってくれただけでも、よしとすべきであろう。
翔香は、どう話したものかと迷ったが、結局最初から話す事にした。
「……事の起こりは、一昨日《おととい》……昨日? ……とにかく、火曜日なの」
「火曜日なら昨日だ」
和彦が、短く口を挟んだ。
「……昨日、起きた時、私、今日は月曜日だと思ったの。だって、私にとっての『昨日の前の日』は日曜だったんだもの」
「分かりにくいな」和彦は顔をしかめた。「用語を統一してくれないか? 昨日だの今日だの前の日だのじゃなくて、曜日で言ってくれ」
「だから、火曜日に、私は『今日は月曜日だ』と思って起きたのよ。だって、前の日の……月曜日の記憶がなかったから。火曜日の私にとって昨日は日曜日だったのよ。……分かりにくい?」
「思いっきりな。だが、まあいい。なんとか分かる。つまり、火曜日の朝、君は、月曜日の記憶がすっぽりなくなっている事に気付いたんだな」
「正確には、朝すぐ気付いたわけじゃなくて、授業が始まってから、時間割で火曜日って分かったんだけど。それで、おかしいとは思ったんだけど、とにかく、火曜日の日課は無事に終えて、家に帰ったの。で、家に着いた時、ふと思いついた事があったのね。日記を見てみようって」
「そしたら、俺《おれ》に相談しろと書いてあったんだろう? さっきも聞いたよ」
「さっき……?」
和彦《かずひこ》は、苦笑いをしながら、言い直した。
「水曜日の昼休みに、君は、俺に、日記に書いてあったからとか言って、相談を持ちかけただろう? なんの相談だと訊《き》いたら、それが分かりゃ苦労しないとかなんとか言ってたじゃないか」
「そうか……あれは、今日の事になるのね……?」
「それも、ほんの二〇分ほど前だ。……それで?」
和彦が、先を促した。
「水曜日の昼休み……あなたから見れば『さっき』ね」
そう言い直す翔香《しょうか》を、和彦は興味深そうな目で見詰めたが、口に出してはなにも言わなかった。
「『さっき』、校舎に戻ろうとして、中庭を横切ったら、あなたに呼び止められて」
和彦は肩を竦《すく》めた。
「あそこで声を掛けなけりゃ、却《かえ》って安全だったかもしれんな」
「とにかく、その時、何かが上から落ちてくるのに気付いたの。それで、あっと思ったら……」
「思ったら?」
「……目が、覚めたの」
翔香を見詰める和彦の眉間《みけん》に、僅《わず》かに皺《しわ》が寄った。
「……どういう意味だ?」
「目が覚めたのよ。ベッドの中で。私の家の、私の部屋の、私のベッドの中に、私はいたのよ」
「……」
「また、記憶が飛んだと思った。それで、それを確かめるために、新聞を、新聞の日付を見たの。……木曜日だったわ」
和彦《かずひこ》は、片眉《かたまゆ》を跳ね上げた。
「なんだって?」
「木曜日だったの。『今』から見れば、明日だったのよ」
和彦は、つくづくと翔香《しょうか》を眺め、それから、小さく息を吐きながら、首を振った。
「……それはそれは」
「気味が悪かったわ。ひょっとしたら、二重人格者にでもなったんじゃないかと思った。でも、まさかそれが……」
「それで……その……『明日』か、明日の君は何をするんだ?」
「気分が悪くて……休もうかと思ったけど、結局登校する事にしたわ。もし二重人格者になったんだとしたら、私の記憶が途切れた時、あなたはすぐそばにいたんだから、あなたに訊《き》けば、私がどうなったか、分かると思ったの」
「論理的だね」和彦は、感心したように頷《うなず》いた。「だけど、別に変わった事はなかったぜ」
「でも……明日のあなたは、なにか知ってるみたいだった。知ってる事があるなら教えてって頼んだら、放課後になれば分かるって」
「俺《おれ》が、そんな事を言うのか?」
「『言った』のよ」
「……で、放課後になったら分かったのか?」
「分からなかった」
「なんだ。俺は嘘《うそ》をつくのか……いや、ついたのか?」
翔香は首を振った。
「そうじゃなくて、放課後にならなかったの。放課後になるまで、私は『明日』にいなかったのよ」
「……というと?」
「階段から落ちて、あっと思ったら、中庭に……今日に……戻ってたの」
「ちょっと待てよ、鹿島《かしま》。階段から落ちたのは一昨日《おととい》だろ?」
和彦が口を挟んだ。
「え?」翔香は、少し考えて、首を振った。「違うわよ。昨日というか、明日というか……要するに木曜日の事だもの」
「ふむ?」和彦《かずひこ》は首を傾《かし》げたが、すぐに、ひょいっと肩を竦《すく》めた。「まあ、いいか。で……木曜日の何時|頃《ごろ》に階段から落ちたって?」
「掃除の時。英語教官室からごみ箱を持って階段を降りようとしてたら……」
「すると、第一棟の東の階段か?」
「ええ」
「何階から?」
「一番下よ。一階に降りようとして、踊り場から足を滑らせたの」
「ふむ……?」
「若松《わかまつ》くん……私……怖いの……自分が、なんでこんな風になっちゃったのか……今度、『いつ』に跳ばされるのか……」
「なるほどね……」和彦は、ふんふんと、軽く何度も頷《うなず》きながら、言った。「なぜか知らないが、突然タイムトラベラーになっちまったってわけだ」
4
「で」和彦は、足を組み替えた。「いったい、君は、どこでラベンダーの匂《にお》いを嗅《か》いだんだ?」
翔香《しょうか》には、その言葉の意味が、すぐには分からなかった。そして分かると同時に、失望と憤懣《ふんまん》が湧《わ》いてきた。
「……信じてくれないのね?」
「悪いけど」
和彦は、翔香の非難に満ちた視線を、平然と受け止めて答えた。
「じゃあ、私が、嘘《うそ》ついてるっていうの?」
「まさか、そんな失礼な事は言いません」和彦は肩を竦めた。「だけどね、そんな突飛《とっぴ》な事を考えるよりは、さっきの一瞬《いっしゅん》に『明日へ行った夢』でも見たんだと考える方が自然だよ」
「……だけど、あんなに長い間、『明日』にいたのよ?」
「『邯鄲《かんたん》の夢』って知ってるか? 人間はね、夢の中なら、一秒の間に一生分の経験だってできるんだよ」和彦は、にべもない。「……大体、時間旅行なんてものは、お話として聞く分には面白《おもしろ》いが、本当にあったら、矛盾の嵐《あらし》が吹き荒れると思うね」
「じゃ……私が言ってる事は、間違いだっていうの? 思い違いだって」
「多分ね」
「だから、どうでもいいって言うのね? 私の妄想《もうそう》だから」
「……」
「放っておいてもいいって言うのね? 私が勝手に騒いでいるだけだから!」
「……」
「私が、どうなったって、若松《わかまつ》くんの知った事じゃないって言うのね!」
翔香《しょうか》は、自分がヒステリックになっている事に気付いていたが、跳ね上がる声の調子を抑える事ができなかった。
「なにが、『頼りになる人』よ! 大嘘《おおうそ》つき!」
「ちょっと、待て」
次第に激していく翔香を、持て余したように眺めていた和彦《かずひこ》が、そこで口を挟んだ。
「誰《だれ》が、そんな事を言ったんだ? 俺《おれ》が頼りになるなんてさ」
「『私』よ!」
「……」
和彦は、長々と翔香を眺めていたが、やがて大きく溜息《ためいき》をついた。
「鹿島《かしま》……。とにかく、ひと眠りしろよ。落ち着いてから、もう一度話そう」
「眠れるもんですか!」
翔香は、ほとんど叫んでいた。ここで眠ったりしたら、またどこかへ跳んでしまうかもしれないのだ。
和彦は、やれやれと首を振った。
「OK、分かった。じゃ、君がタイムトラベラーだって事にしてもいい。それで……俺になにをしろって言うんだ?」
「私を元に戻して欲しいの。助けて欲しいのよ」
「そんな事が、俺にできるわけがないだろう? せいし……超心理学の専門家にでも頼んだ方がいいと思うよ」
言いかけてやめた言葉が、『精神科の医者』である事は間違いなかった。
「でも……だけど……」
日記には、和彦に相談しろとあったのだ。未来の翔香が書いたと思われる日記に。
「はっきり言って、俺には、タイムトラベルなんてものが本当に起こり得るとは思えない。悪いが、君の助けにはなれないね」
それは、最後|通牒《つうちょう》にも等しかった。和彦は協力を拒んだのだ。
「私の言う事、信じてくれないのね……」
「『信じる』って、言うだけでいいなら、幾《いく》らでも言ってやるよ。嘘でもいいならな」和彦は、やや強い口調で言った。「君がどう思っているかは知らないがな、鹿島。信じるって事は、大変な事なんだぜ。信じたくても信じられないという事もあるし、信じたくなくても信じざるを得ないという事もある。自分の意志だけで決定できるような事じゃないんだ。ましてや、強制されてできるような事じゃない」
「……」
翔香《しょうか》は、膝《ひざ》のあたりに視線を落とした。スカートの裾《すそ》を、ぎゅっと握《にぎ》り締める。
「ま、もう少し、気楽に構えたらどうだ」和彦《かずひこ》は、声を和《やわ》らげた。「時間旅行ができるってなら、滅多《めった》にできない体験だ、折角《せっかく》だから、楽しめばいいじゃないか。宝くじなり競馬なりでひと儲《もう》けする事もできるだろうし」
タイムトラベルなんて俺《おれ》は信じない。だが、君が信じるのは勝手だ。和彦はそう言っているのだった。信じるのはいいが、そのためにノイローゼにでもなっては救いがないぜ、とも。
翔香は、顔を上げた。今の和彦の言葉で、思いついた事があったのだ。
「……じゃあ、若松《わかまつ》くん。もし、私が、明日の出来事を予言したら、私の言う事を信じてくれる?」
「ほおう?」和彦は、ちょっとした驚《おどろ》きの表情を見せ、それから、にやりと笑った。「なかなか面白《おもしろ》い事をおっしゃる」
「どうなの? 信じてくれる?」
「そうだな……もし君の予言が当たったら……」和彦は、少し考えてから答えた。「信じたつもりになってあげよう」
「『信じたつもり』?」
「ああ」和彦は頷《うなず》いた。「俺は、時間旅行なんてものが有り得るとは思わない。だから、信じるとは言えない。だけど、もし、まぐれにせよ、君の予言が当たったら、それに敬意を表して、相談に乗ってやるよ。時間旅行があるかどうか、その判断はひとまずおいといて、『時間旅行がある』事を前提にして、対応策を考えてやる。真剣に、本気でね」
「……ほんとに?」
「嘘《うそ》は言わない」和彦は頷き、付け加えて言った。「もっとも、それも、君の話の中に、どうしようもない矛盾点が出てくるまでだ。どんな屁理屈《へりくつ》をこねても説明できないような矛盾点が出てきた場合、俺は手を引かせて貰《もら》う。……それでいいか?」
「それは……嘘だって分かったらって事?」
「いいや。俺の手に負えない事がはっきりしたらって事だ」
無条件で協力してくれるわけではないのが不満ではあったが、和彦にしてみれば、これでも精一杯の譲歩《じょうほ》をしてくれているのだろう。
「……いいわ」
翔香《しょうか》は、頷《うなず》いた。
「それじゃ、その予言とやらを聞かせて貰《もら》おうか。……言っておくが、明日の天気予報なんてのじゃ駄目だぜ。晴れか曇りか雨か、あてずっぽうでも、三分の一の確率であたるからな」
「……雹《ひょう》とか台風とかもあるんじゃないの?」
「それを入れても五分の一だ。足りないよ。ま、竜巻だの大地震《だいじしん》だのってなら、話は別だけどね」
「……随分、疑《うたぐ》り深いのね?」
「俺《おれ》の『本気』を賭《か》けるんだ。それなりのオッズを示して欲しいね」
「……分かったわよ」
予言になり得るような事柄が何かあっただろうか。翔香は考えた。
明日の朝刊を読んでいるのだから、その中の記事を言えばいいわけだが、あの時は日付に注意がいっていたから、記事の内容などおぼろげにしか覚えていない。翔香は懸命に記憶を探った。
「確か……政界再編成とかって記事があったわ」
「再編成? 再々編成じゃなくてか?」
そう訊《き》き返されて、翔香は思わず和彦《かずひこ》の顔を見返してしまった。
「そういえば、そうだったけど……、けど、なんで分かるの?」
これではまるで、和彦の方が予言者のようだ。
「そんな事は、新聞読んでりゃ分かる。政権を奪い返された諸野党が横の繋《つな》がりを密にして、捲土《けんど》重来《ちょうらい》をはかってるってのは、有名だからな」和彦は、事もなげに言った。「確かに、そりゃ、明日の新聞にも載るだろうが、予言にはならないぜ」
「じゃあ、えっと……あっ、交通事故!」
「何時に、どこで、どの程度の?」
和彦は、鋭く追及した。
「そこまでは、ちょっと……」
「じゃ、それも駄目だな。今日び、交通事故なんざ、毎日どこかで必ずある」
「……」
翔香は、唇《くちびる》を噛《か》んだ。和彦の求める基準は余りに厳しすぎる。しかし、ここをクリアしなければ、和彦は手を貸してはくれない。折角《せっかく》、明日の和彦は、『君に付き合う』と言ってくれたのに。
と、そこで翔香は、ぽんと手を叩《たた》いた。
「私って馬鹿《ばか》」
考えるまでもなかったのだ。明日の和彦《かずひこ》の言動を思い出せば、『予言』すべき内容は明白だったのである。
「それじゃあ、数学のテストはどう?」
「いきなり俗な事柄になったな」和彦は笑った。「テストがどうしたって?」
「数学のテストが、明日返ってくるのよ。その点数を、私、覚えてる」
「ほう……?」
「若松《わかまつ》くんは、九七点だったわ」
自信たっぷりな翔香《しょうか》に、和彦は興味深そうな表情を見せたが、ややあって首を振った。
「今までのよりはましだが、五分の一程度の確率じゃ足りないって言ったろ?」
「? 何が五分の一なの?」
「俺《おれ》は、数学で九五点以下は取った事がないし、これからも取らないだろうからな」
「……」
翔香は呆《あき》れた。自信過剰も、そこまでいけば立派である。
「じゃ、次の『予言』をどうぞ」
「待って。それじゃ、私の点数を予言するわ。私は九五点以下だって取ってるし、一〇〇点から零点まで一〇〇分の一の確率なら、『信じたつもり』になるのに充分でしょう?」
「一〇一分の一」
「え?」
「ゼロから一〇〇までなら、確率は一〇一分の一だよ。偏差を無視すれば、だけどな」
いちいち細かい男である。
「……で、何点だったんだ?」
「満点」
和彦は、長々と翔香を見詰めた。
「君が一〇〇点満点を取ったって言うのかい? 数学で?」
「そうよ」
「そいつは凄《すご》い。こう言っちゃなんだが、君の数学的才能を考慮《こうりょ》すると、天文学的な確率になるな」
これは、喜んでいいのだろうか。翔香は、いささか複雑な思いである。
「……とにかく、明日返ってくるテストが、私の言った通りの点数だったら……」
「いいだろう。充分だよ」
和彦は頷《うなず》いた。
明日になって、どんな顔をするか楽しみだわ。翔香はほくそ笑み、そしてすぐに、自分が既《すで》にその顔を見ているのだという事に気付いて、妙な気持ちになった。
「もっとも、一つ、前提条件があるがな」
「なに?」
「海野《うんの》のばあさんが、採点結果を誰《だれ》にも漏らしていないという条件だ。それが揃《そろ》っていないと、君の『予言』も何の意味もない事になる」
翔香は溜息《ためいき》をついた。
「あなたって……、ほんっとに疑《うたぐ》り深いのね」
和彦《かずひこ》は、澄まして答えた。
「科学的検証という奴《やつ》は、他の可能性をすべて否定してからするものだよ」
5
四時間目が終わる頃《ころ》、西田《にしだ》が戻って来た。
「彼女、落ち着いた?」
西田は、翔香に目を向けながら、和彦に訊《たず》ねた。
「大体は」
和彦が答え、翔香は、西田に頷《うなず》いて見せた。
西田は、翔香の顔を覗《のぞ》き込むようにしながら、
「……大丈夫そうね。どうする? しばらく眠っていってもいいし、早退するなら、そう先生に伝えておくけど」
「いえ、五時間目からは出ます。……若松《わかまつ》くんのお勉強をこれ以上邪魔《じゃま》しちゃ、悪いですから」
翔香が、ちらっと横目を使うと、和彦は平然と答えた。
「そう願いたいね」
皮肉の通じない男である。
西田は、そんな翔香と和彦を、興味深そうに見比べた。
「それじゃ、先生、失礼します」
「お世話になりました」
和彦と翔香は、西田に一礼すると、連れ立って保健室を出た。
「教官室に寄ってくぜ」
和彦は言った。勿論《もちろん》、数学教官室の事である。早速確かめに行くつもりなのだ。
翔香《しょうか》は、少し不安になった。例えば、海野《うんの》が、
『月曜日のテストの結果が気になるの? 明日返すつもりだったけど、いいわよ、教えてあげる』
などと気軽に採点結果を公表するようだと、『予言』が成り立たなくなってしまうからである。
『明日にならなければ分からない事柄』でなければならないのだ。
だが、それは杞憂《きゆう》だった。
廊下に翔香を待たせ、一人で教官室に入って行った和彦《かずひこ》は、戻って来るとこう言ったのである。
「今夜採点するそうだ」
「と、いう事は……」
ほっとする翔香に、和彦は頷《うなず》いて寄越した。
「賭《か》けは成立した。まだ採点もしていない答案の点数を君が知る筈《はず》がないからな。明日の数学の時間にテストが返ってきて、かつ、その点数が君の言う通りだったら、しばらくの間、君の『冒険』に付き合ってやるよ」
相変わらず偉そうな和彦だったが、翔香には、もう気にならなかった。明日になれば、和彦は味方になってくれる。それが分かっていたからである。
「ところで……、これは参考までに訊《き》いておきたいんだがな、鹿島《かしま》」
和彦が、ふと気付いたように言った。
「なあに?」
「君は、今、水曜日にいるな?」
「そうよ」
「このまま時間が経《た》ったとする。夕方になり、夜になり、やがて朝が来る。木曜日の朝が」
「ええ……」
翔香は、首を傾《かし》げた。和彦が何を言おうとしているのか、よく分からなかったのだ。
「今の君が、木曜日に行くわけだ。しかし君の話によると、君は既《すで》に木曜日をやっている。木曜日に、君が二人存在する事にならないか?」
「あ……」
これまで気付かなかったが、そう言われてみればそうである。
「明日、俺《おれ》が会う君は、どっちの君なんだろうな?」
「……分からないわ」
和彦の指摘はもっともだった。本当に、どうなるのだろう。
「事程《ことほど》左様《さよう》に、時間旅行に矛盾は付き物だ。意外に早く、手を引かせて貰《もら》えるかもしれないな」和彦《かずひこ》は笑いながら続けた。「とりあえず、これからは、君に会ったら、まず最初に、どこから、いや『いつ』からかな、いつから来たか、訊《たず》ねる事にするよ」
「あ」
それでか……。
翔香《しょうか》は、パズルの一片が嵌《はま》ったのを感じた。
今のやりとりがあったからこそ、明日の和彦は、遅刻してきた翔香に向かって言ったのだ。
『いつから来た?』と。
いずれにせよ、木曜日になれば、和彦は協力してくれる。それが分かっていたから、その夜の翔香は、安心して眠りに就《つ》く事ができた。
もう、翔香は、一人で悩まなくてもいいのだ。
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第四章 金曜から木曜
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1
翌朝。
ベッドから起き出した翔香《しょうか》は、制服に着替えて、階下に降りた。
なにはさておき、まずは『今日』がいつなのかを確かめなければならない。
台所に入ると、若子《わかこ》がいつものごとく朝食の支度をしており、英介《えいすけ》もいつものごとく朝刊を読んでいた。
「おはよ」
朝の挨拶《あいさつ》をしながら、翔香は、英介の肩越しに、朝刊を覗《のぞ》き込んだ。
金曜日だった。
また一日『跳んだ』わけね……。
自分でも意外なほど、驚《おどろ》きは少なかった。こんな異常極まる現象でも、三度目ともなれば、少しは慣れてくるものらしい。
「翔香、今日は、体は大丈夫なの?」
そう若子が問いかけてきたのは、木曜日の朝の事があったからだろう。
英介《えいすけ》も、気遣わしげな視線を、翔香《しょうか》に向けていたが、
「うん。大丈夫よ」
翔香が、明るく答えてみせると、何も言わずに新聞に目を戻した。なぜかしら憮然《ぶぜん》としたような感じがするのは、気のせいだろうか。
「今朝《けさ》はトーストにしたけど、いいかしら?」
「うん」
若子《わかこ》に答えながら、翔香は、冷蔵庫から紙パックの牛乳を取り出した。コップについで、ひと口飲む。
「ところで、若松《わかまつ》くんって、結構|素敵《すてき》ね」
いきなり妙な事を言われて、翔香はむせた。
「あらあら」
若子がおかしげに笑う。
「な、なんで、お母さんが、若松くんの事、知ってるのよ」
気管に逆流した牛乳に苦しむ翔香に、若子は妙な目を向けた。
「なんでって、昨日、うちに連れて来たじゃないの、あなたが」
なによ、それ?
口をついて出そうになったその言葉を、翔香は危ういところで抑え込んだ。
『昨日』、つまり木曜日は、その後半を、翔香はまだやっていない。その間に、そういう事があったのだろうと気付いたからだ。
「あ、そうか、そうだったわね」
慌《あわ》てて言い繕《つくろ》う翔香を、若子は不審そうに見詰めた。
「ほんとに、このところ、あなた変よ。頭痛やら、貧血やら……」
「ごめんなさい……でも、なんでもないのよ。心配しないで」
タイムトラベラーになったなどとは、いくらなんでも言えるわけがなかった。言ったところで信じてくれはしないだろうし、却《かえ》って、別の意味での心配が増えるだけだ。
「それとも……」若子は、からかうような表情になって続けた。「それも、若松くんのせいだったのかしら?」
「若子。コーヒーもう一杯いれてくれ」
英介が不機嫌な口調で言った。
「はいはい」若子は答え、くすくす笑いながら、翔香に囁《ささや》いた。「あなたがボーイフレンド連れて来たものだから、動揺してるのよ」
「……」
「安心なさい。お母さんは、あなたたちの味方だから」
2
「まったく、なに、変な気、回してんのかしら」
大きく溜息《ためいき》をついて、翔香《しょうか》は玄関を出た。
確かに、和彦《かずひこ》は理知的な顔立ちをしているし、スタイルもいい。なにより、いつも堂々としていて、頼りがいがあるように見える。若子が『結構|素敵《すてき》ね』と評した気持ちも分からないではない。
しかし、和彦には、その性格に難点があった。理にかって情に乏しいとでもいうか、言う事やる事が、ひどく冷たいのだ。
あれで、もっと優しかったら、言う事はないんだけどなあ……。
などと考えつつ門を出た翔香は、
「おはよう、鹿島《かしま》」
突然の和彦の声に、文字通り飛び上がってしまった。
門柱に背中をもたせかけるようにして、学生服姿の和彦が立っていたのである。
「な、ななななんで、こんなところにいるのよ!」
「なぜって」和彦は、翔香の狼狽《ろうばい》ぶりを、面白《おもしろ》そうに眺めている。「この一件の片が付くまで、君から目を離さないと決めたからさ。学校内では勿論《もちろん》、登下校の時もな」
「……ボディガードって事?」
「それもあるし、データ収集の意味もある。タイムリープはなるべく、俺《おれ》が見ているところでして欲しいんでね。さて、行こうか」
和彦は、翔香を促して、歩き出した。
「……今日は、いつから来たか訊《き》かないの?」
小走りに駈けて、和彦の左に並ぶと、翔香は、そう訊いてみた。
「水曜日からだろ」
翔香は、目を丸くした。
「……なんで知ってるのよ」
「昨日聞いた。君に」
「昨日の私に……?」
「そう。君はこれから金曜日を過ごしたあと、木曜日の掃除時間に戻る」
「掃除時間……階段から落ちた時?」
「そうだ」和彦《かずひこ》は頷《うなず》いた。「心配しなくてもいい。ちゃんと俺《おれ》が受け止めてやったからな」
「あなたが……? だって……」
「君が、木曜日の掃除時間に階段から落ちたってのは、水曜日の昼休みに聞いてたからな。一応、待機してたのさ。その証拠に、怪我《けが》なんかしてないだろう?」
「……ありがと」
翔香《しょうか》は一応礼を言ったが、これから起こる事に関して礼を言うというのも、妙なものである。
「……ところで、その……昨日の放課後? あなた、私の家に来た?」
「ああ。落ち着いて話したかったし、調べたい物もあったんでね」
「どんな話をするの?」
「それを訊《き》いてどうするんだ?」
和彦は、からかうような笑みとともに、翔香を見た。
「だって……気になるもの」
「別に今訊かなくても、昨日になれば分かるさ。ここで繰り返すのは、俺にとっても君にとっても二度手間だ」
「でも……」
「それに、必要でない時に、必要でない情報を耳にするのは、なにかと有害なんでね、聞かない方がいい。ああ、そっちじゃない。右に回ってくれ」
と、和彦は、道を指示した。
「だって、学校に行くんでしょ?」
翔香は、首を傾《かし》げた。学校までは、もう一直線であり、道のずっと先には正門が小さく見えていたのだ。
「知り合いに会うとまずい」
「……私と噂《うわさ》になるから?」
「噂?」和彦は、翔香を見て、そして苦笑した。「そうじゃない。俺も君も、午前の授業には出ないからだ」
「……どういう事?」
「いいから、右だ。裏門へ回る」
3
東高には、裏門から入ってすぐの所に、合宿所がある。もともとは校舎建て替えの際の仮校舎として建てられた物だが、建て替え工事が終わって用ずみとなったあとも、わざわざ壊《こわ》すのは勿体《もったい》ないと、少し手を加えて残されたのである。
プレハブ建築であり、一階に三教室、二階に二教室がある。当時はその程度でもなんとか用が足りたのだろう。そのうち、二階の二教室が畳敷きに改造されていた。一階の三教室はそのまま教室の形を保っていて、古い型の机や椅子《いす》が置かれている。この一階部分は、吹奏楽部や合唱部など『騒がしい』部の練習場ともなっているので、楽譜やら楽器の部品やらが目に付く。
「授業、さぼるつもりなの?」
人目を避けるようにして合宿所に滑り込む和彦《かずひこ》のあとに続きながら、翔香《しょうか》は気になって訊《たず》ねた。
「そういう事になるな」
「若松《わかまつ》くんが?」
翔香は驚《おどろ》いた。和彦は、これまで無遅刻無欠席、まさに優等生の鑑《かがみ》だったのである。
「俺《おれ》も、さぼりたくなんかないが、仕方がない。時間がないからな」
「時間がないって?」
「しっ」
和彦は黙《だま》るように指示して、壁際に寄った。翔香も、急いで身を潜める。
合宿所のドアの向こうを、何人かの生徒が談笑しながら、通り過ぎて行った。
「ねえ……」翔香は、小声で言った。「何か知らないけど、やる事があるんなら、わざわざ学校に来なくても、ほかの場所でよかったんじゃない?」
「制服着たままで、どこへ行こうってんだ? ……それに、今日は学校に来てなきゃならないんだ」
「なんで?」
「いずれ分かる」
「……今は教えてくれないの?」
「教えられない」和彦は、外の様子を窺《うかが》い、それから翔香を促した。「二階の方が見付かりにくい。上にあがろう」
「ちょっと待っててくれ。板かなんか探してくる」
畳敷きの教室に鞄《かばん》を置くと、和彦はそう言い残して、再び一階に降りて行った。
わけの分からぬまま、翔香は畳の上に正座して、和彦が戻ってくるのを待った。
なにがどうなっているのか、さっぱり分からない。和彦がなにを考えているのか、なにをしようとしているのかも、さっぱり分からない。
ただ、和彦《かずひこ》が事態を把握《はあく》し、それに対処しているらしい事だけは、なんとなく分かる。しかし、なぜ説明してくれないのだろう。それが不審でもあり不満でもある翔香《しょうか》だった。
しばらくして戻ってきた和彦は、どこから探して来たのか、画板とダンボール箱を一つずつ手にしていた。
「なんにするの? そんな物?」
「机がわりだ」
和彦は、ダンボールを畳の上に置き、その上に画板を載せた。少し安定が悪いが、机がわりに使えない事もない。
「それで? この『机』でなにをするの?」
「勉強だよ、君の」
和彦は、短く答えた。
「え?」
「数学のテスト勉強だ」
「……テスト?」
「忘れてるようだから思い出させてやるが、今週の月曜日に数学のテストがあった」
「……覚えてるわよ」
「なら、分かる筈《はず》だ。君はまだ月曜日をやっていない。君は、これから、テストを受ける事になるんだ」
「……でも……こんな事までしてテスト勉強しなくても……」
和彦は、やれやれと首を振った。
「分かってないようだな。君は、このテストで、一〇〇点満点を取らなきゃならないんだぜ?」
「……取れなかったら?」
「君の『予言』が外れる事になる。従って、俺《おれ》は君に協力しない」
「だけど……現に今、若松《わかまつ》くんはここに居るじゃない」
「だから、俺をここに居られるままにしてくれよ」
翔香は、首を傾《かし》げた。
「分からないわ。もし、満点が取れなかったら、どうなるって言うの? 『居られなくなる』って、どういう意味なの?」
「詳しい事は、昨日言う。今は、余計な事を考えずに、お勉強に集中してくれ」
「そんな事、言われたって、こんなに分からない事だらけじゃ、集中なんてできっこないじゃない」
翔香《しょうか》がむくれると、和彦《かずひこ》は小さくひとつ溜息《ためいき》をつき、それから、静かな目で翔香を見詰めた。
「意地悪で言ってるんじゃないんだよ、鹿島《かしま》。知らない方がいい事や、知っているとまずい事があるんだ」
「だけど……」
「約束通り、俺《おれ》は今、真剣に君の事を考えている。頼むから、俺を信じて、俺の言う通りにしてくれないか」
そうまで言われては、従わざるをえない。
「……分かったわよ」
翔香が不承不承《ふしょうぶしょう》に答えた時、校舎の方から、始業のベルが聞こえた。
「じゃ、次のベルが鳴るまでに、これを解いてくれ」
和彦は、鞄《かばん》から一枚のプリントを取り出し、即席の机の上に載せた。
4
「はい、そこまで」
一時間目の終了を告げるベルが聞こえると、和彦は、翔香が答案用紙がわりにしていたルーズリーフを手前に引き寄せた。右手には赤いサインペンを用意している。
ルーズリーフを一瞥《いちべつ》した和彦は、ちらりと翔香に目を向けた。翔香は思わず、目を伏せてしまった。満点どころか、半分も解けなかったのである。
「こいつは、苦労しそうだ」
採点を終えた和彦は、溜息とともに、首を振った。
「えっと……」翔香は、おずおずと提案してみた。「その……カンニングしちゃ駄目かしら。悪い事だと分かってるけど、非常事態なんだから……」
和彦は、冷ややかな目で、翔香を見た。
「このテストで最高点を取るのは君なんだぜ? 誰《だれ》の答案を覗《のぞ》くつもりなんだ?」
「だから、そうじゃなくて、カンニングペーパーを作って……」
数学は計算式も書かなければならないから、ほかの教科に比べてカンニングペーパーは作りにくいが、どんな問題が出るのか分かっているのだから、無理ではない筈《はず》である。
「なるほどね。それで、そのカンニングペーパーを、どうやって、月曜日に使うつもりなんだ?」
「え……?」
「これからカンニングペーパーを作っても、そのカンニングペーパーは、『今』、つまり金曜日以降にしか存在しないんだぜ」
「だから……持ってけばいいんじゃないの?」
「持って行けると思うのか?」
「え? だって……」
「まあ、君がそう思うのは勝手だ。が」和彦《かずひこ》は、じろりと翔香《しょうか》を睨《にら》んだ。「俺《おれ》の目が黒いうちは、そんな真似《まね》はさせない」
「だけど……満点を取らなきゃならないんでしょ? こんなの一日じゃ、無理よ」
「問題は分かってるんだぜ? そんなに心配するな。君にはできる事が、俺には分かってる」
「そんな、予言者みたいな事、言って……」
「この件に関してはそうかもしれないな。それに」和彦は、意味ありげに、翔香を見詰めた。「昔からよく言うだろう、『今日できる事を明日に延ばすな』。これ以上、今の君にぴったりの格言はないと思うよ」
確かにその通りだった。今の翔香にとって、明日が明日である保証はないのだ。月曜日がいつ来るのか分からない。まだ時間があると高《たか》をくくっていて、もし、すぐに月曜日に跳躍《ちょうやく》してしまったら、準備不足のまま、テストに臨まなければならなくなる。
「もう一度言っておくぞ。月曜日のテストで満点を取らない限り、俺は君の味方にはならない。そうなってしまったら、君は自分一人で闘《たたか》わなければならなくなるんだ」
『闘う』などとは少し大袈裟《おおげさ》だが、和彦が言おうとしている事は分かった。
「……分かったわよ。あなたの言う通りにする」
なぜそれが必要なのか、今一つ納得いかない部分が残るが、和彦に協力を頼んだのは自分である。その和彦が必要だと判断した事なら、従うべきだろう。
和彦は頷《うなず》き、それから少し表情を緩めた。
「まあ、まだ時間はある。問題の解き方を君の頭に叩《たた》き込むくらいの時間はな」
和彦は、翔香の横に座り直した。
「まず、一問目だが……」
5
和彦が翔香を解放してくれるまでには、午前中いっぱいかかった。
「ここにある問題の答えを覚えるんじゃない。解き方を覚えるんだ。そうしておけば、ちょっとやそっとじゃ忘れないからな」
と、それこそ基礎の基礎から勉強させられたからである。
和彦《かずひこ》は、教師としても優れていた。翔香《しょうか》の数学知識には、ところどころ混乱していたり、曖昧《あいまい》なままにしていた部分があったのだが、和彦はそれを引き出し、体系付け、綺麗《されい》に整理し直してくれたのである。
数学で九五点以下は取らないとの豪語《ごうご》も、今の翔香には頷《うなず》ける。和彦は、数学というものを、完全に理解しているのだ。少なくとも高校程度の数学ならば、和彦に解けない問題はないだろう。減点される事があるとすれば、ケアレスミスだけに違いない。
「じゃあ、もう一度、やって貰《もら》おうか」
再び問題用紙に目を通すと、さっきと同じ問題であるにもかかわらず、やけに簡単に思えた。
「まあ、こんなもんだろ」
採点を終えた和彦は、満足そうに頷いた。翔香は、見事に満点を取る事ができたのである。
「ご苦労様でした」
「どういたしまして。だけど、鹿島《かしま》、頼むから、ケアレスミスなんかするなよ。この努力がなんにもならなくなる」
「うん。気を付ける」
翔香が頷いた時、ちょうど三時間目終了のベルが聞こえてきた。このあとは約一時間の昼休みだ。
「どうせだから、ここで昼飯を食ってくか」
と、和彦は鞄《かばん》を引き寄せ、中から弁当箱を取り出した。
「そうね。お茶がないのが寂しいけど」
「下の水道で間に合わすさ」
和彦はそう言って座り直し、弁当箱を開けた。それを見て、翔香は笑ってしまった。和彦に似合わない、可愛《かわい》らしい弁当だったからだ。ご飯の上には、桃色の田麩《でんぶ》やいり卵、鶏肉《とりにく》のそぼろなどでニコニコマークが描かれ、リンゴの兎や《うさぎ》ウインナーのタコまで鎮座《ちんぎ》ましましている。
「随分、可愛いお弁当ね?」
翔香がからかうと、和彦は顔をしかめた。
「昨日から、親父《おやじ》とお袋が泊まりがけで出掛けててね。妹の作品なんだ」
「妹さんがいたんだ」
「ああ、うちの学校の一年だよ」
「ふうん」
相槌《あいづち》を打ちながら、こんな手の込んだ弁当が自分に作れるだろうかと、ふと考えてしまう翔香《しょうか》だった。
食事を終えてしまうと、和彦《かずひこ》は言った。
「今からなら、午後の授業には間に合う。君は行ってくれ」
「君はって……若松《わかまつ》くんは?」
「俺《おれ》は、まだ少し用事がある」
「だったら、付き合うわよ」
「いや、それじゃ困るんだ」
「なんで?」
和彦が、困ったような表情を見せたので、次の言葉が予想できた。
「それも、教えられないのね?」
「悪いが」
翔香の事なのに翔香に教えられないというのは、なぜなのだろう。それが気にはなったが、相応の理由があって判断した事なのだろう。頭の出来では和彦に敵《かな》わない事を思い知らされているので、翔香は、納得はしないまでも、受け入れる事にした。
「分かったわ。でも、その用事って、いつまでかかるの? 終わるまで待ってるから」
だが、それにも和彦は首を振った。
「いや、それも駄目だ。授業が終わったら、一人で帰ってくれ」
「え? だって、私の登下校には付き添うって言ったじゃない」
「何事にも例外はある。今日は駄目なんだ」
「だけど……あなたがいない間に、また『跳んだ』ら、どうするのよ?」
「心配しなくてもいい。なにかある時は、すっ飛んでく」
「……ほんとかしら?」
「嘘《うそ》はつかない」
和彦は、はっきりと頷《うなず》いてみせた。
6
きょろきょろと、人目を気にしながら合宿所を出た翔香は、自転車置き場の方を回って、校舎に向かった。
まだ昼休みである。そこここで出くわす生徒たちが、鞄を《かばん》持ったままの翔香《しょうか》に、妙な顔を向けたが、こういう時は、堂々としていた方が、却《かえ》って変に思われない。翔香は、悠然とした風を装って、昇降口に入った。
ところが、上履きに履き替え、教室に向かおうとしたその時、翔香は英語の中田《なかた》と出くわしてしまったのである。
「君は……確か、休みじゃなかったのか?」
中田は、翔香を軽く睨《にら》むようにした。そういえば、金曜日の午前には中田の授業があったのである。中田は、翔香がずる休みでもしたのではないかと疑っているらしい。もっとも『自習』していたとはいえ、ずる休みには違いないのだが。
それにしても、どうしてこう都合の悪い時に、中田と会うのだろう。翔香は内心で嘆きながら、慌《あわ》てて言い繕《つくろ》った。
「えっと……その……このところ、体の調子が思わしくなくて……それで、今日も休もうと思ったんですけど……少ししたら良くなってきたものですから……」
しどろもどろの翔香がおかしかったのだろう、中田は薄く笑った。
「分かったよ。別に、僕の授業を受けたくないわけじゃないと言いたいんだろ?」
「そんな事……とんでもありません」
「ならいいさ。女の子の体はデリケートだからな。健康には気を付ける事だ」
その言い方に妙に含むところがあるようなのが気になったが、ここしばらくわけの分からない事には限りなく直面している翔香である。聞き流す事にした。
「はい、そうします」
精一杯、はきはきと答えて、翔香はその場をあとにした。
「あら、翔香。重役出勤ね」
教室に入ると、弁当を食べていた優子《ゆうこ》が、目敏《めざと》く翔香を見付けた。いつものように、幹代《みきよ》と知佐子《ちさこ》もそばにいる。
「ちょっと、頭が痛かったものだから……」
「このところ、そんな事ばっかり言ってるけど、ほんとに体、大丈夫なの?」
知佐子が本気で心配してくれているのが分かって、ちくりと良心が傷んだ。
「大丈夫よ。気分的なものだったみたい」
翔香は、にっこりと笑ってみせた。
「ならいいけど……」
「そういえば、翔香。今日は珍しく若松《わかまつ》くんも休んでるのよ」
優子《ゆうこ》が、例によって、からかうような視線をよこした。
「……ふうん、そう?」
「ひょっとしたら、二人で学校さぼって、どっかへ出掛けてるんじゃないかって、今、話してたんだけど……ちょっと、がっかり」
「……なに言ってるんだか」
呆《あき》れてみせると、
「冗談よ」と、優子は軽く笑った。「でも、折角《せっかく》だから、放課後、お見舞いにでも行ったら?」
「そうそう、なんなら、私も一緒《いっしょ》に行ってあげてもいいわよ」
幹代《みきよ》が、野次馬《やじうま》根性をほの見せながら、そんな事を言い出す。
「いいわよ、そんなの」
翔香《しょうか》は、慌《あわ》てて首と手を振った。見舞いになど行かれては、和彦《かずひこ》のさぼりがばれてしまう。
「じゃ、見舞いには行かないの? 若松《わかまつ》くんが休んでるのに?」
「どうして、そうあなたたちは、私と若松くんを、くっつけようくっつけようとするのよ」
「え? だって……」
幹代と知佐子《ちさこ》が、揃《そろ》って目をぱちくりした。また何か、まずい事を言ってしまったのだろうか。
「まあまあ。まだあれが続いてるのよ、きっと」
優子が間に入ってくれたが、その口にした台詞《せりふ》が、これまたわけが分からない。
幹代は、今一つ納得しかねるというような表情を浮かべている。
「だけどさ、そんな複雑なのってある?」
「だからこそ、効果があるんでしょ」
いったい、何を話してるのよ、あなたたち。
そう口から出かかるのを、翔香はやっとの事で堪《こら》えた。
7
掃除を済ませて、校舎を出ると、五時を回っていた。
和彦は、やはり姿を見せない。
「まったく、どこでなにやってるのかしらね」
ふうっと溜息《ためいき》をつき、翔香は家路についた。
冬も間近な空は、暗くなるのも早い。住宅街を抜ける頃《ころ》には、完全な夜空となっていた。
翔香《しょうか》は、舗装された土手上の道路に出た。このまま川沿いに進み、橋を渡れば、我が家はもうすぐである。
なんか、怖いな。
翔香は、ふと思った。この川沿いの道には、街灯がない。あるのは、星明かりと付近の住宅の窓の明かりだけなのだ。
女子高生が一人で歩くには物騒《ぶっそう》な道である事は確かだが、この道を行くのが一番の近道だし、第一、今までは平気で通っていた道である。今日に限って妙に不安になってしまうのは、やはり和彦《かずひこ》がいないからだろうか。知らないうちに、自分は随分、和彦に頼り切ってしまっているらしい。
「駄目、駄目、こんな事じゃ」
自分を叱《しか》り付けてはみても、不安はなくならない。却《かえ》って、どんどん膨らんでいく。
気のせいか、尾《つ》けてくるような足音が聞こえ、翔香は背後を振り返った。
闇《やみ》を透かして見たが、よく分からない。
やっぱり、気のせいかしら……。
思い直す、というより、そう自分に言い聞かせて、翔香は再び歩きだした。
ざっ、ざっ。
微《かす》かな足音。確かに聞こえる。気のせいではなかった。
「誰《だれ》!」
翔香は振り返り、声を張り上げた。
返答は、ない。
「……ひょっとして、若松《わかまつ》くん?」
やはり、返答はなかった。だが、確かに、誰かいる。息を潜めるようにして、翔香のあとを尾けてくる者が、確かにいるのだ。
翔香は身を翻《ひるがえ》し、一目散《いちもくさん》に駆け出した。
すると、背後の足音も、駆け足に変わった。もう間違いない。翔香を追いかけているのだ。
もう、なにが、『なにかある時は、すっ飛んでく』よ! ボディガード失格だわ!
肝心《かんじん》な時にいない和彦をののしりながら、翔香は息せききって走った。
その時。
目が眩《くら》んだ。前方に、まばゆい白光が二つ、出現したのである。車のヘッドライトだった。
助かった……。
そう思った時、ぶおんとエンジン音が高まり、白光が輝きを増した。
「え……?」
事態の把握《はあく》ができず、立ちすくむ翔香《しょうか》に、その白光は突進してきた。
轢《ひ》かれる!
そう思った瞬間《しゅんかん》、翔香は体に激しい衝撃《しょうげき》を受けた。
8
「まさかとも思ったが、本当に落ちてきたな」
見上げると和彦《かずひこ》の顔があった。からかうような、面白《おもしろ》がるような、諦《あきら》めたような、なんとも複雑な笑みを浮かべている。
「若松《わかまつ》くん!」
翔香は、和彦の胸にしがみついた。体が、ぶるぶる震《ふる》えている。
「どうした?」
和彦が真顔になった。翔香の様子に気付いたのだ。
「く、車が……」
「車?」
「駄目……轢かれちゃう!」
「鹿島《かしま》」和彦が、押し殺した、だが、強い口調で叱《しか》り付けた。「しっかりしろ。ここは校舎の中だ。車なんか、来やしない」
「そうじゃない、そうじゃないの!」
激しく首を振る翔香の両肩を、和彦は、ぐっと掴《つか》んだ。耳元に唇《くちぴる》を寄せ、鋭く囁《ささや》く。
「分かってるよ、鹿島。また未来を見て来たんだな。だが、『今』は大丈夫だ。落ち着け。落ち着くんだ」
力強い言葉だった。
そう。『今』なら大丈夫だ。和彦がそばにいてくれる『今』なら。
「若松くん……」その安心感が、却《かえ》って翔香を気弱にさせた。「お願い……もう、一人にしないでよ……」
和彦の肩口に顔を埋めた時、ぴぅっと口笛が鳴った。和彦ではない。
驚《おどろ》いて顔を上げると、何人かの男子生徒が、冷やかすような視線を、抱き合う和彦と翔香に向けながら、通り過ぎていくところだった。
翔香は、慌《あわ》てて、和彦から身を離した。
「大丈夫か?」
和彦は、そんな周囲の状況には一顧《いっこ》もくれず、翔香を見詰めた。いつもながらの泰然自若《たいぜんじじゃく》、冷静沈着ぶりである。そんな和彦《かずひこ》が、今はひどく頼もしく思えた。
「うん……ここは……『今』は?」
「今は木曜日、掃除の時間だ。君はごみを捨てに行く途中で、階段から足を滑らせて落ちて来たところだ」
木曜日……。すると、一日余りを遡《さかのば》った事になる。そういえば、金曜日の和彦が言っていた。
『階段から落ちた君を受け止めた』
と。今は、その『時』なのだ。
「怪我《けが》はないな?」
「うん……」
和彦の手を借りて、翔香《しょうか》は立ち上がった。階段の途中である。一番下まで転落する前に、和彦が抱きとめてくれたらしい。
だが、今の翔香には怪我がないにしても、金曜日の翔香は……。
身震《みぶる》いした翔香に、和彦がもう一度言った。
「落ち着け」
「うん……大丈夫……」
翔香は恐怖の残滓《ざんし》を振り捨て、和彦に頷《うなず》いてみせた。
9
「さて。それじゃ、とりあえず、あと片付けだ。随分、派手《はで》にぶちまけてくれたからな」
和彦は、紙くずの散乱した階段一帯を示した。階段だけではない。翔香が運んでいたごみ箱は、弾《はず》みながら廊下を転がって行ったらしく、一階の廊下にまで、広く中身を振り撒《ま》いていた。
「君は階段の方を頼む」
和彦は、そう言うと、ごみ箱を拾いに、階段を降りていった。
今更《いまさら》言うまでもない事だが、相変わらずの素《そ》っ気《け》ない態度である。和彦が約束を守る事も、頼りになる男である事も分かってはいるが、もう少し、恐怖に震える女の子に対する、いたわりというか優しい心遣いを見せてくれてもいいのではないのだろうか。
「鹿島《かしま》」
ごみ箱を拾い上げ、散乱した紙くずをその中に放り込んでいた和彦が、翔香を振り返った。
「まさか、俺《おれ》に全部片付けさせるつもりじゃないだろうな?」
「……分かってるわよ」
翔香《しょうか》は、溜息《ためいき》をついた。
下の方から始めて、階段を昇りながら、紙くずを拾い上げていく。
踊り場まで上がった時、翔香は、そこの床面に水がこぼれているのに気付いた。床面はリノリウム張りだから、これでは足を滑らせても無理はない。
「危ないなあ……」
翔香が呟《つぶや》くと、それが聞こえたのか、和彦《かずひこ》が言った。
「そこのロッカーに掃除用具があるから、拭《ふ》いとけよ」
「ええ……」翔香は頷《うなず》いてから、はっと和彦を振り返った。「若松《わかまつ》くん、あなた……知ってたの?」
「そこの水だろ? さっき一年がバケツで水を運んでてな、その時にこぼれたんだ」
「それを知ってて……そのままにしてたの?」
詰問口調になる翔香を、和彦は薄い笑みを浮かべながら見上げた。
「だって、君は、そこで足を滑らせる事になってたんだろう? 昨日、そう言ってたじゃないか」
「それにしたって……」
足を滑らせた結果、大怪我《おおけが》する事だってあり得るのだ。和彦のやりようには、少し思いやりが欠けてはいないだろうか。
「だから、ちゃんと、受け止めてやっただろう? 怪我をしないように」
「……」
釈然《しゃくぜん》としないものを感じながら、翔香はロッカーから雑巾《ぞうきん》を持って来て、踊り場にこぼれた水を、綺麗《きれい》に拭き取った。
雑巾を元の場所に返してくると、ごみ箱を抱えた和彦が、翔香を促した。
「さ、焼却炉に行くか」
焼却炉は、第二棟校舎の裏手にある。
翔香と和彦は、昇降口で靴を履き替えて、外に出た。
「で、君はいつから来たんだ?」
和彦は、二人の間でしか通じない質問をした。
「金曜の……放課後。うちへ帰る途中よ」
「つまり明日か……。明日の俺《おれ》とも、なにか話したか?」
「ええ」
「どんな事を?」
「それが、よく分からないの。なにを訊《き》いても、『君は知らない方がいい』って、そればっかりなんだもの」
「なんでだ? 君の事なんだろう? 君に秘密にする意味がないじゃないか」
翔香《しょうか》は、思わず立ち止まって、和彦《かずひこ》を見上げた。
「あなたが、私に、そう言ったのよ?」
和彦は肩を竦《すく》めた。
「分からないな。なんでだろう?」
和彦は、本気で不思議がっているようだった。
金曜日の和彦と、木曜日の和彦で、なぜこう違いが出てくるのだろうか。たった一日違うだけなのに。
翔香が首を傾《かし》げていると、和彦が、ぽつんと言った。
「『三日会わざれば刮目《かつもく》して見よ』って事かな」
「え?」
「人は日々進歩するって事さ。きっと、今日の俺《おれ》より、明日の俺の方が賢いんだろうよ」
焼却炉の中は、ごうごうと燃え盛っていた。学校中の可燃性のごみがここで処理されるのである。非可燃性のものや、いわゆる危険物は、当然ながら燃やせないから、焼却炉の脇《わき》に置かれた大きな箱の中に入れておく事になっている。
焼却炉の前には、先客が何人かいたので、翔香と和彦は、しばらく待たねばならなかった。
「今日の放課後、何か用事があるか?」
和彦が、訊《たず》ねてくる。
「私の家に来るのね?」
先回りして言う翔香に、和彦は驚《おどろ》いたような表情を見せたが、すぐに、にやりと笑った。
「なるほど……明日から来たんなら、知ってて当然なわけか」
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第五章 月曜への往復
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1
「ただいま」
「おお、翔香《しょうか》か」
玄関口に現れた英介《えいすけ》に、翔香は目を丸くした。
「……なんで、お父さんが……?」
「早引けしてきたんですって」英介の後ろから、若子《わかこ》が現れた。「あなたの事が気になって仕事にならなかったらしいわ」
ええっと……。
翔香は記憶を手繰《たぐ》った。『今』は木曜日の夕方だから……。
そうだ。木曜日の朝の翔香は、ひどく取り乱していたのだった。それで、英介や若子は心配しているのだ。
「ただの貧血だってば。ほら、もうなんともないでしょ?」
翔香は、にっこりと笑ってみせた。
「ふむ……」
英介《えいすけ》は疑わしげだった。まあ、自分で思い返してみても、あの時の精神状態は不安定極まりなかったのだから、英介の様子も無理はない。
「そうみたいね」
若子《わかこ》の方は、比較的あっさり納得してくれた。このあたりが、男親と女親の違いかもしれない。
「じゃ、ドアを閉めて、早くお上がりなさい。すぐ夕飯にするから」
「うん……だけど、ちょっとその……」
「どうしたの?」
「友達を連れて来たんだけど……いい?」
「外に待たせてるの? そういう事は早く言いなさいよ……優子《ゆうこ》ちゃんたち?」
「そうじゃなくて……」
言い淀《よど》む翔香《しょうか》に、若子は怪訝《けげん》な表情を浮かべたが、驚《おどろ》くべき勘の良さで言った。
「男の子ね?」
「うん……」
翔香は、閉まりかけたドアを開け、和彦《かずひこ》を招き入れた。
「突然お邪魔《じゃま》してすみません。翔香さんのクラスメートで、若松《わかまつ》和彦と言います。今日は、ちょっと、翔香さんと相談したい事がありまして、伺《うかが》いました」
和彦は、折り目正しく挨拶《あいさつ》をした。
2
英介と若子が話している。
「いったい、誰《だれ》なんだ、ありゃ」
「言ってたでしょう? クラスメートだって」
「ただのクラスメートが、わざわざ家まで来るか?」
「さあ? でも、いい子じゃないですか。礼儀正しいし、賢そうだし。……ひょっとすると、このところ翔香の様子がおかしかったのも、あの子のせいかもしれませんよ」
「なんだとお?」
「そうじゃなくて、恋する乙女《おとめ》は気持ちが不安定って事ですよ」
たまらず翔香は部屋を飛び出して、階下に叫んだ。
「お父さん、お母さん。聞こえてるわよ!」
途端《とたん》に、話し声が、ぴたっと止《や》んだ。
「まったく……すぐ変な風に気を回すんだから……」
ぼやきながらドアを閉め直す。
「ごめんなさいね、変なとこ見せちゃって」
翔香《しょうか》は和彦《かずひこ》に謝った。
「別に気にしてないよ。……それより、早いとこ用件を済ませよう。あまり長居はしない方が良さそうだ」
例のごとくの薄い笑みを浮かべながら、和彦は言った。
「……」
「じゃ、とりあえず、日記とやらを見せて貰《もら》おうか」
「ちょっと待ってて」
翔香は、鍵《かぎ》付きの引き出しを開け、日記を取り出した。
「余計なとこ、読まないでよ」
問題の頁《ページ》を開きながら、注意しておく。
「別に、君のプライバシーには興味ない」
和彦は素《そ》っ気《け》なく答え、日記を受け取った。そして、十行足らずの、その記述に目を通す。
「『……最初は冷たい人だと思うかもしれないけど、彼は頼りになる人だから。』か」和彦は、自嘲《じちょう》めいた、それでいて面映《おもは》ゆげな笑いを、浮かべた。「これは、褒《ほ》め言葉と受け取っていいのかな?」
「知らないわよ。私が書いたんじゃないもの」
「だけど、いずれ書くんだろ?」
「それは……そう……かもしれないけど……」
翔香は口ごもってしまう。
「ところで」和彦は、日記を翔香に返しながら言った。「このすぐ前の頁の内容を知りたいんだが、教えてくれるか?」
自分で頁を繰ろうとしないのは、翔香の注意を守っての事だろう。
「……私のプライバシーには興味ないんじゃなかったの?」
「日曜日や土曜日に、似たような記述がないか、知りたいんだ」
「ないわよ」
翔香は即答した。
「やけに、はっきり言うんだな。間違いないのか?」
「だって、その前に書いたのは八月だもの」
和彦は、少し驚《おどろ》いたように、翔香を見た。
「……君は、日記を二ヶ月おきに書く習慣なのか?」
「そんな事、あるわけないでしょ。たまたま、特に書くような事がなかっただけ」
「なるほどね。すると、やっぱり、始まりは月曜日か……でも待てよ……」
和彦《かずひこ》は、じっと、翔香《しょうか》の目を見詰めた。強く鋭い視線だった。心の奥底まで見透かされてしまいそうである。
「な、なによ……。そんなに人の顔を見詰めないでよ」
頬《ほお》が赤らむのを感じながら、翔香は抗議した。
「え? なんだって?」
和彦は、訊《き》き返した。あの強い視線も、途端《とたん》に、ふわっと緩んだ。
「……あんまり見詰めないでって言ったの」
「ああ、すまん。俺《おれ》には、考え事をする時に、とりあえずそばにある物を見詰める癖《くせ》があるんだ」
「……」
翔香は、和彦を、思いっきり蹴飛《けと》ばしてやろうかと思った。
「じゃあ、鹿島《かしま》。もう一度、君が体験した事を、話してくれないか?」
「……だって、水曜日に話したでしょ?」
「あの時は、半信半疑というか、『全疑』で聞いてたからな」
「……それで、今度は、『信じたつもり』で聞いてくれるわけね?」
翔香は皮肉ったが、和彦はびくともしない。
「その通り。それに、あの時より、話す内容は増えた筈《はず》だろ?」
「……いいわ。もう一度、始めからね?」
「ちょっと待った」
和彦は鞄を《かばん》開いて、ノートと筆記用具を取り出した。
「ノートを取るの?」
「真剣に取り組むと言っただろ。机、借りるぜ?」
「え、ええ……」
和彦は、椅子《いす》に座り、ノートを広げた。胸ポケットから眼鏡《めがね》を取り出してかける。ただでさえ鋭角的な顔立ちが、一層引き締まった。
翔香は、和彦が『信じる』と言う言葉にこだわった事を、思い出した。
和彦は、言葉の意味を、かなり厳格にとらえているのだ。本当に信じていなければ『信じる』とは決して言わない。だからこその『信じたつもり』なのである。そして、和彦が『真剣に取り組む』と言った場合、それは文字通りの意味で『真剣』なのだ。
「じゃ、始めてくれ。細大《さいだい》漏らさずな」
和彦《かずひこ》は、シャープペンシルを手に、翔香《しょうか》を促した。
「えっと……始めは、だから、火曜日なのよ……」
翔香は、話し始めた。和彦は、それに耳を傾けながら、要点を書き取っていく。納得のいかない点は、何度も訊《き》き返し、重要と思われる事には、記述したあとに傍線《ばうせん》を引く。受験勉強に対するのと同じか、それ以上の熱心さで、和彦はノートを取っているのだった。
ひと通り『訊問《じんもん》』を終えると、和彦は、シャープペンシルを置いた。
「ふう……」
和彦は、凝《こ》りをほぐすように首を巡らし、酷使《こくし》した右手をマッサージした。
「ご苦労様」
「だが、お陰で、ここしばらくの君の行動は、大体把握《はあく》できたよ」
「それで……そのあとはどうするの?」
「データの分析だな。法則性を見付け出してみる。理論と言ってもいいけどね……。それから、原因究明、そして解決法の発見と、その実行だ」
「そううまくいく?」
「さあ、どうかね」
和彦は、軽い調子で言った。
「意外に無責任なのね?」
「うまくいかなくて困るのは、君であって、俺《おれ》じゃない」
その突き放すような言い方に、翔香は驚《おどろ》いた。
「間違えちゃ困るぜ、鹿島《かしま》。確かに俺は君の相談に乗るし、この問題に真剣に取り組んでやる。約束したから仕方がない。だが、解決するのは、君であるべきだ。無責任だなんて言葉は、お門《かど》違《ちが》いだね」
翔香は唇《くちぴる》を噛《か》んだ。確かに、それは正論だが、もっとほかに言いようがあるのではないだろうか。もっと優しくしてくれてもいいのではないだろうか。
翔香は、再びノートに目を戻した和彦の横顔を、じっと見詰めた。
やっぱり、女嫌いって、本当なのかしら……?
3
こんこん。
ドアがノックされた。
「ちょっといいかしら? コーヒーをいれて来たんだけど」
若子《わかこ》の声だった。英介《えいすけ》に言われて、偵察に来たのかもしれない。
「……どうぞ」
「お邪魔《じゃま》するわね……あら」
入って来た若子は、机に向かっている和彦《かずひこ》に、ちょっと驚《おどろ》いたようだった。
「あ、お構いなく」
和彦が、軽く頭を下げる。
「いいえ……お勉強してらしたの?」
若子が、コーヒーカップと受け皿を、机の上に置きながら言った。
「いえ、クラスの行事の事で、決めておかないとならない事があるんですよ」
和彦は、机の上を片付けるのに事寄せて、巧妙にノートを隠した。
「大変なのね。……ところで、若松《わかまつ》さん。もし、よろしかったら、夕飯を召しあがっていきません?」
「いえ、そんなご迷惑《めいわく》をお掛けするわけには……」
「迷惑なんてとんでもない。学校の事とか、色々伺《うかが》いたいし。ね、是非」
「ご好意は嬉《うれ》しいんですが、そう長居するつもりはありませんし、家でも用意してあると思いますので」
「そう? 残念ね……。じゃ、また、今度ね」
どうも、若子は、和彦が気に入ったらしい。
「はい。ありがとうございます」
「じゃ、ごゆっくり。翔香《しょうか》、若松さんにご迷惑かけるんじゃないわよ」
若子は、そう言い残して、部屋を出ていった。
「……随分、愛想がいいのね?」
私には冷たい癖《くせ》に、と、翔香は妙に腹が立つ。
「目上の人には礼儀正しくしないとね」
和彦は、苦笑しながら、カップを手にした。
「お砂糖は?」
「要らない」
和彦はブラックのままコーヒーをすすった。
「苦くない?」
「それがコーヒーの味だろ」
「恰好《かっこう》つけちゃって」
翔香《しょうか》は、砂糖とミルクを自分のカップに入れた。
和彦《かずひこ》は、カップを手にしたまま、世間話《せけんばなし》でもするように、話し始めた。
「これでも俺《おれ》は、タイムトラベルものの本は結構読んでいてね。ラベンダーの匂《にお》いを嗅《か》ぐ奴《やつ》も、車に乗る奴も、猫が扉を探す奴も、大抵《たいてい》のは知ってる」
「ふうん」
和彦も、勉強ばかりしているわけではないらしい。
「で、そういったタイムトラベルものには、必ずと言っていいほど出てくる言葉がある。タイムパラドックスだ」
「過去に行って、自分の先祖を殺したらどうなるかっていう、あれね?」
「そうだ。そのタイムパラドックスの扱い方は、作品によって違うが、大別すれば二つしかない」
「二つだけ?」
「大別すれば、だよ。即《すなわ》ち、『過去は変えられる』という立場に立つか、『過去は変えられない』という立場に立つか、そのどちらかだ」
翔香は頷《うなず》いた。その分け方なら、確かに二つにしか分けられない。
「『変えられない』という立場に立った作品だと、たとえば『自然の復元力』とやらが、歪《ゆが》められた過去を修正してしまう。あるいは、歪んだと思った過去が、実は正しい過去だった、なんて落ちになったりする」
「ええ」
「『変えられる』という立場だと、その『変えた時点』から、歴史、というか、『時間の流れ』が再構成されてしまうわけだ。『車に乗る奴』なんかはこっちの分野の代表だな」
「そうね……。それで、どっちが正しいと思うの? 若松《わかまつ》くんは」
「タイムトラベルが、本当にあるとするなら、『変えられる』に決まってるさ」
「そんな、断言しちゃっていいの?」
「だって、当たり前だろう? 『過去を変える』って事は、なにも先祖を殺す事だけじゃない。タイムトラベラーが過去へ来ればそれだけで、過去は変わる筈《はず》だ。一人分の質量が余分に地球に加わるし、酸素も余分に消費されるからな」
「それも『過去を変える』事になるの? そんな些細《ささい》な事で?」
「些細だろうがなんだろうが、変化は変化さ。大体、この程度なら見逃してもいいが、これ以上は駄目だなんて、誰が決めるんだ? そして、どんな力が『過去の変更』を妨げようとするんだ?」
「それこそ『自然の復元力』じゃないの?」
「そんなものが、もしあるなら、物理学者たちは統一理論を最初から組み直さなけりゃならなくなるだろうよ」
和彦《かずひこ》はにべもない。
「……じゃあ、私も、もう過去を変えちゃったわけ?」
翔香《しょうか》は既《すで》に二度ほど時間を遡《さかのぼ》っているから、和彦の説に従えば、そうなる筈《はす》だ。
だが、和彦は首を振った。
「それが、君の場合は、ちょっと違う」
「どういう事?」
「ちょっと、待ってろ」
和彦は、カップを置き、さっきのノートを開いた。それから、時折、書き取った内容を参照しながら、新しい頁《ページ》に、棒グラフのようなものを描き始めた。
「なに、それ?」
「君のタイムスケジュールだよ」
和彦は、手を休めぬまま、短く答えた。
まず、『火』と書いてそれを丸で囲み、そこから横に線分を引く。
次に『水』と書いて丸で囲み、最初のものと平行に、二本目の線分を引いた。その線分の中程に印をつけ、そこに『昼休み(植木鉢)』と書き込む。
『木』の線分は途中で切り、『放課後(階段落ち)』と書き込む。
『金』の線分は、『下校途中(車)』で切れる。
それから、『水曜 昼休み』から『木曜 朝』に矢印を引いた。同様に、『木曜 放課後』から『水曜 昼休み(植木鉢)』へ、『水曜 夜』から『金曜 朝』へ、『金曜 下校途中(車)』から『木曜 放課後(階段落ち)』へも矢印を引く。
そして、最後に、『木曜 放課後(階段落ち)』から線分を延長し、そこに『木曜 夜』と書き込んだ。
「ここが、君の『今』なわけだ」
「……ええ」
翔香は自分の記憶と照らし合わせながら、その『スケジュール表』を眺め、頷《うなず》いた。
「こうして見ると、時間旅行というには、ちょっと語弊《ごへい》があると思わないか?」
「どうして?」
翔香は首を傾《かし》げる。
「だって、見ろよ。君は、確かに、時間を前に行ったり後ろに行ったりしているが、一度やった『時』を繰り返してはいない」
「……そうね」
確かに、その『スケジュール表』には、だぶったところは一つもなかった。
「だけど……」
「それともうひとつ」和彦《かずひこ》は、口を開きかけた翔香《しょうか》を制して、続けた。「これは、君には分からないかもしれないが、君のその体は、移動していないんだよ」
「?」
「俺《おれ》は、二度……いや、三度かな? 君が『行って』『帰って来る』瞬間《しゅんかん》に立ち会っているが、君の外観に変化はなかった。君の体がかき消すように消えて、一瞬後にまた現れる、なんて事はなかったんだ」
「? どういう事?」
「つまり、君の時間旅行は、君の頭の中でだけ、起きているんだよ」
「……」
翔香は憮然《ぶぜん》とした。結局また、思い違いとか妄想《もうそう》とかで結論付けるつもりなのかと思ったのだ。
「そうじゃない」翔香の心を読み取ったように、和彦は首を振った。「俺が言いたいのは、今の君は、意識と体が、一致した時間の流れの中にいないって事だ。君の体は、正常な時間の流れの中にある。火曜日に怪我《けが》をすれば、水曜日にもその跡が残っているだろう。軽ければ、木曜日には治りかけているかもしれない。だけど、君の意識は、その順序で時間を辿《たど》らない。水曜日に、なんでこんな傷があるのかと驚《おどろ》き、火曜日に戻った時に初めて、ああこの時の傷だったのか、と気付くわけだ」
「……ふうん……?」
一応頷《うなず》いてみせたものの、今一つイメージが掴《つか》みきれない。
「どう言ったらいいかな……。たとえば、映画を見るとする。そのまま見れば、なんの苦労もなくストーリーを追える。だが、フィルムを引き出し、あっちこっちでぶった切って、順不同に入れ替えてつなぎ直したら、どうなると思う? 前後の脈絡《みゃくらく》がなくなって、わけが分からなくなるんじゃないか?」
「あ」
「君の『意識時間』……勝手にそんな言葉を作ってしまうが、その『意識時間』は、なんらかの理由で、正常な時間の流れから『剥《は》がれて』しまったんだ。結果、ランダムに明日から昨日、一昨日《おととい》から明後日《あさって》を行き来する事になった。飽《あ》くまで、君の意識だけだ。で、なければ、制服姿で学校にいた君が、一瞬後にパジャマ姿でここに」と、和彦は翔香の部屋を示した。「いるなんて事が、ある筈《はず》がない。タイムトラベル能力が瞬間移動や着替えまでこなす、っていうならともかくね」
自分の経験と照らし合わせてみても、納得のいく仮説だった。
「なんか、説得力あるわ」
そして思う。だから、なのだ。金曜日の和彦が、カンニングペーパーを作っても月曜日には持って行けないと言ったのは。
「とりあえず……そうだな、『ランダムタイムリープ』とでも名付けるかね」
「ちょっと長いネーミングね」
翔香《しょうか》が批評すると、和彦《かずひこ》は苦笑した。
「じゃあ、『タイムリープ』だけでもいいさ。とにかく、いわゆる『タイムトラベル』との区別だけ、しておきたいんだ」
「つまり……同じ時間を繰り返さないって事?」
「それは二次的な事だ。要点は、君の意識だけの時間移動という事。意識の移動先には、受け入れるべき体が必要だから、従って、同じ時間を二度繰り返せないという事になる」
「う〜ん……」
またイメージが掴《つか》めなくなってきた。
「つまり、こういう事だ。意識と、体と」和彦は、左右の人差し指を立て、それを、翔香の目の前で、寄り添わせた。「それが一つずつペアになって、『時』を過ごす。意識だけという事はなく、体だけという事もなく、体一つに意識二つという事もない。だから、同じ時間を繰り返す事はないし、何百年も前に移動するなんて事もない。そんな大昔には、君の体は存在しなかったからな。君のタイムリープは、目標『時点』に、『意識』のない体がある事を要件とする。……分かるか?」
「……要するに、このスケジュール表にある空白部分ね。『月曜日』とか」
あるいは、途中までしかやらなかった『金曜日』の後半も、含まれるかもしれない。
「その通り。だから、君の記憶が先週から日曜日まで、切れ目なく続いているとすれば、君は今週の月曜日より以前には戻れない事になる」
和彦は、補足説明をしてから、話を進めた。
「さっき、『君の場合は、ちょっと違う』と言ったのは、その意味での事だ。君の場合は、物質的な移動をしているわけじゃないから、質量も酸素の消費量も変わりはしない。だから、過去へタイムリープしたからといっても、それだけでは過去は変わらない」
4
「さて、それでだ。この仮説を正しいとして、考えを進めると」
「ちょっと待ってよ?」
翔香《しょうか》は、和彦《かずひこ》を遮《さえぎ》った。
「なんだ?」
「確かに、説得力のある仮説だけど、簡単に正しいと認めちゃっていいの? 間違ってたらどうするのよ。科学的検証をするつもりなら、実証主義でいくべきじゃないの?」
科学的検証というのは、確か水曜日に、和彦が使った言葉である。
別に和彦の仮説にけちを付けるつもりはないが、翔香にとっては死活問題である。『だろう』とか『きっと』などで話を進められてはたまったものではない。
すると、和彦は、苦笑しながら答えた。
「別に、学会で発表するわけじゃないしな。……それに、大体、この手の問題で、実証主義を貫こうってのは、最初から無理な話なんだ」
「……どうして?」
「考えてもみろよ。今、問題にしているのは、過去が変わるか変わらないかって事なんだぜ?」
「うん……だから?」
「過去の変更を実験してみても、その実験結果を、俺には分析できない」
「なんで? 若松《わかまつ》くんのおつむなら、どんな難問だって解決できるんじゃないの?」
翔香は冷やかし半分に言ったが、和彦は真面目《まじめ》な顔で首を振った。
「能力の問題じゃない。物理的に、というか、立場的に、というか、俺《おれ》には不可能なんだ。俺が正常な時間の流れの中にいる限りね」
「?」
「分からないか?」
「さっぱり」
「君が過去において、歴史を変えるような大事件を起こしたとする。たとえば、光秀《みつひで》の裏切りを信長《のぶなが》に知らせる、とか」
「そんな昔には行けないって言わなかった?」
「たとえばの話だ。そうすると本能寺《ほんのうじ》の変は起きない。時間は再構成され、日本の歴史は大幅に変わる。君が現代に戻って来ても、その『現代』には俺はいないかもしれない。仮に、俺《おれ》にそっくりな『若松和彦《わかまつかずひこ》』がいたとしても、そいつは本能寺《はんのうじ》の変があったなんて事を、最初から知らないだろう」
「……」
「つまり、君が過去を変えても、それが分かるのは、時間の流れの外にいる君だけなんだ。君のような特殊能力を持たない俺は、『変えられる前の過去』か『変えられた後の過去』か、どちらかしか知り得ない。二つを比べる事はできないし、従って分析もできない」
「私が、教えて上げたら?」
「なんだって?」
「私になら、変化が分かるんでしょ? だから、その違いを、若松くんに教えて上げる事もできるじゃない。そうすれば、若松くんにも分析できるでしょ?」
しかし、和彦は首を振った。
「できないね。俺[#「俺」に傍点]には」
「どうしてよ?」
「その場合の『若松くん』とやらは、俺[#「俺」に傍点]じゃないんだぜ?」
「……え?」
「実験のために過去を変えるんだろう? たとえば、今週の月曜日を、さ」
「え、ええ……」
「そうすると、その『時点』から時間が再構成される。君が会う事ができるのは、再構成されたあとの時間軸にいる『若松和彦』だ。今ここにいる俺じゃない」
「……どう違うの? 時間が再構成されたって、若松くんは若松くんでしょ?」
「基本的には、ね。だが、ちょっとした事で、ものの見方が変わるって事はある。そっちの『若松和彦』が、君の話に耳を傾けないって事もあり得るんだぜ?」
「……そんなに大きく変えなければいいんじゃない?」
「この程度なら大丈夫と、どこで判断するんだ? ほんの些細《ささい》な出来事が大事件を引き起こす事もある。北京《ペキン》での蝶《ちょう》の羽ばたきが、ニューヨークの天気を変える事だってあるんだぜ」
「嘘《うそ》ばっかり」
「本当さ。カオス理論という奴《やつ》がある」
和彦は真面目《まじめ》な顔で答えた。
「なに、それ?」
「複雑なシステム内における予測不可能性を考察する数学理論だよ。詳しく知りたいんなら、説明してやってもいいが」
「……遠慮《えんりょ》するわ」
翔香《しょうか》は首を振った。数学の勉強は、『明日』やったテスト勉強だけで充分である。
「要するに、過去は変えられないって事ね?」
「『変えられない』んじゃない。『変えない方がいい』と言ってるんだ。過去を変えると、それがどんな些細《ささい》な事でも、『今ここにいる俺《おれ》』が『別の俺』に変わる危険性があるからな。……要するに都合の問題さ。『今ここにいる俺』がいなくなったら、君が困るだろう? だから、なんだ。それだけの事さ」
自分たちに都合が悪いから過去を変えない。随分自分本位な言種《いいぐさ》ではあるが、それだけに納得しやすかった。
「もっとも、君が自分ですべてを処理するつもりなら、その限りじゃない。過去を変えようが、時間を再編成させようが、構わないわけだ。……本当言うと、そうしてくれた方が、俺も楽でいいんだけどな」
和彦《かずひこ》は、からかうような目を、翔香に向けた。
「……変えない事にする」
翔香は答えた。自分一人では、なにをどうしていいのかも分からない。翔香には、和彦が必要なのだ。
5
「でも……変ね」
翔香は首を傾《かし》げた。
「なにが?」
「あなたの説によると……私の場合は『タイムトラベル』じゃないんでしょ? 過ごす時間の順序が違うだけで……」
「そうだよ」
和彦は頷《うなず》いた。
「それでも『過去』なのかしら? たとえば、『今週の月曜日』を経験する私は、今より先の私なんでしょ? だったら『未来』なんじゃない?」
和彦は微笑《ぴしょう》を浮かべた。
「それが、君の『タイムリープ』の特異な点なんだ。君にとって月曜日は未来だろう。だが、俺にとって月曜日は過去だ。その反対に、金曜日は、君にとっては過去になったが、俺にとっては未来になる」
「え〜と……」翔香《しょうか》は、スケジュール表を参照した。「……そうね、そうなるわね」
翔香が頷《うなず》くのを待って、和彦《かずひこ》は続けた。
「つまり、『俺《おれ》の過去』は『君の未来』と、『君の過去』は『俺の未来』と、一体となっているわけだ。『過去を変えない方がいい』という、さっきの原則に基づき、月曜日は君にとって未来ではあるけれども、変えない方がいい」
「でも……過去ならともかく、未来を変えないようにするって、どういう事なの? まだ起こっていない事を変えるなんて……」
そもそも不可能である。そう言いかけて、翔香は気付いた。
「あ、そっか。若松《わかまつ》くんにとっては過去なんだ。若松くんは、私の『未来』を知ってるのよね」
時間跳躍能力のない和彦が『未来』を知っているというのも妙なものだが、スケジュール表を参照すれば、そうなる。
和彦は頷いた。
「それが、月曜日の事を指しているなら、知っている。もっとも、君が学校にいた間の事だけだし、それも二、三の事柄だけだ。……なにしろ、月曜日の時点では、俺は君に大した注意を払ってなかったからな」
「じゃ……今は、注意して見てくれてるわけ……?」
上目《うわめ》遣《づか》いになる翔香に、和彦は即答した。
「勿論《もちろん》。データを取る必要があるんでな」
もう少し別の反応を期待したのだったが、それは期待する方が間違いだったらしい。
翔香は諦《あきら》めて、本題に戻った。
「……じゃ、覚えている事だけでもいいから教えて。同じように行動するから」
「『月曜日にあった出来事を変えない』ためには、まず『月曜日になにがあったのか』を知らなければならない」
和彦は、面白《おもしろ》がるような表情で、翔香を見た。
「だけど、君がやった事……というか、やる事なんだぜ? 教えなくても、その場になれば、その通りの行動をするんじゃないか?」
「そう……かしら?」
「同じ人間が、同じ状況にあれば、同じ判断をして、同じ行動をするに決まってる。普通は、厳密に『同じ状況』なんてのは作れないが、この場合は、完全に『同じ状況』だ。君が君の判断で動けば、その行動が、結果として、俺の記憶と一致する筈《はず》だ」
そう言われてみると、そんなような気もする……が。
「でも……やっぱり知っておきたいわよ。『正解』を知ってれば、それを目安に動けるし、安心だわ」
「それもそうだが……ただ、ちょっと心配なんだよ。緊張し過ぎて却《かえ》って失敗するって事……も……」
和彦《かずひこ》の言葉が途切れた。
「? どうしたの?」
驚《おどろ》く翔香《しょうか》を、和彦が見詰めた。その眼光が、強く凝縮《ぎょうしゅく》する。『思考時間』に入ったのだ。
「なるほど……そうか……それでか……」
和彦は、ゆっくりと笑顔になった。
「え?」
「明日の俺《おれ》が、君に対して情報管制をしていた理由さ。……そうだ、確かに、その方がいい。その方が安全だ」
「ちょっと、自分だけ納得しないでよ」
文句を付ける翔香に、和彦は向き直った。
「つまり、こういう事だ。……さっき、『同じ人間が、同じ状況にあれば、同じ判断をして、同じ行動をとる』と言っただろう?」
「……ええ」
「時間を再構成させないためにも、君には『同じ行動』を取って貰《もら》わなければならない。ところが、予備知識は君の判断を変える可能性がある。『同じ状況』にあっても、行動が変わってくるかもしれないんだ」
「……だから、私には、『未来』の事を教えない?」
「その方が無難《ぶなん》だ」
和彦は頷《うなず》いた。
6
「そう考えてみると、予言という奴《やつ》は、基本的に『必ず間違える』性格を備えているわけだな。予言を聞かされれば、つまり『予備知識』を持てば、判断も変わるし、行動も変わる。結果が変わり、未来も変わってしまうわけだからな」
「だけど、それじゃあ、『予言』じゃなくなっちゃうんじゃない?」
和彦は笑った。
「まあね。だけど、たとえば天変《てんぺん》地異《ちい》みたいな『人間にはどうあっても変えられない』事項だったら、大丈夫だろう。あるいは、あとになって初めて『あれはそういう意味だったのか』と分かるような、抽象的な表現にとどめておくって手もある」
「なるほどね……」
それで、世の中に出回っている予言書の類《たぐ》いは、わけの分からない記述だらけなのだろうか。
和彦《かずひこ》の説明には、かなりの説得力があった。また、その説明で、明日(金曜日)の和彦の言葉の意味も理解できた。
『予言(予備知識)』は、基本的に、『違う未来』を作る。『予言された未来における自分の行動』と同じ行動を取らない限り、未来は変わってしまうのだ。『翔香《しょうか》が数学のテストで満点を取る』という『予備知識』がある以上、翔香は、なにがなんでも満点を取らなければならない。そうしなければ、『翔香の未来』が変わり、同時に『和彦の過去』が変わってしまうからだ。
だが、そこで一つ疑問が浮かんだ。
「ちょっと、待って。……じゃあ、若松《わかまつ》くんはどうなるの? 私が月曜日に『同じ行動』をとらなきゃならないとしたら、あなただって金曜日に『同じ行動』をとらなきゃならないんでしょ?」
「その通り。『金曜日の夕方まで』は、君にとっては過去だからな」
「だけど、私は、金曜日の事を、あなたに教えちゃったわ。あなたに予備知識を与えちゃったのよ。それはどうするのよ」
和彦は、満足そうに笑った。
「いい質問だ。ここまでの説明を、ちゃんと理解してくれてるらしいな」
「……」
その偉そうな言い方が癪《しゃく》に障ったが、翔香は我慢《がまん》した。
「確かに、俺《おれ》は余計な知識を持ってしまった。放っておけば、『違う行動』をとってしまうだろう。次善の策を取らざるを得ない」
「次善の策?」
「さっき君がやろうとした方法さ。知らされた事を知らされた通りに実行する。時間を再構成させる危険が伴うし、面倒《めんどう》な事でもあるが、やってみるしかない」
「……もし、失敗しちゃったら?」
「君が困るだけ」
「……」
憮然《ぶぜん》とした翔香に、和彦は笑みを見せた。
「大丈夫、うまくやるし、やれると思う」
7
和彦《かずひこ》は、翔香《しょうか》の『タイムリープ現象』の解決のため、必要条件を提示してみせた。
まず、
○過去を変えない事。
過去を変えれば、時間が再構成されてしまうから、である。
和彦は、翔香の体験を聞き、そこから得られたデータから、全体を把握《はあく》しようとしているのだが、時間の再構成は、そのデータを書き換え、更《さら》には和彦自身さえ『書き換え』てしまう恐れがある。
だからこそ、過去の変更は、なんとしても避けなければならないのだ。
もっとも、自分で『自分の過去』は変えようがない。それは過ぎ去ってしまった時間だからだ。だが、翔香は『翔香の未来』において『和彦の過去』を変えられるし、和彦は『和彦の未来』において『翔香の過去』を変えられる。
そこで、実際には、こうなる。
○未来を変えない事。
そのためには、どうすればいいのか。『同じ人間が、同じ状況にあれば、同じ判断をして、同じ行動をする』という定理から、次のような事が言える。
○『予備知識』は持たない方がいい。
それを持たなければ、『同じ判断をして、同じ行動をするから』である。
では、『予備知識』を持ってしまった場合、どうするか。
○『予備知識』と『同じ行動』を、意識してとらなければならない[#「意識してとらなければならない」に傍点]。
のである。
あまりに面倒臭《めんどうくさ》くて、うんざりしてしまうが、翔香を更にうんざりさせるのは、これが必要条件に過ぎない点だ。いってみれば『現状維持』のための作業であり、事態改善の作業ではないのである。
だが、仕方がない。翔香に『和彦の協力』が必要な以上、どれほど面倒であろうと、これらの条件は、なんとしても満たさなければならないのである。
「……ところで、鹿島《かしま》。実は、君も、既《すで》に幾《いく》つか『月曜日の予備知識』を持ってしまっている。従って、その件に関しては、厳密に再現して貰《もら》わなければならない。その日記もそうだし、なによりも」
和彦《かずひこ》の言葉に、翔香《しょうか》は頷《うなず》いた。
「数学のテストの事ね。月曜日に行った時、私は数学のテストを受けて、全問正解しなければならない」
「その通り。よく分かったな」
「その準備のために、明日、嫌ってほどしごかれたんだもの」
「そうだったな。……おかげで今日は教えなくてもいいわけだ」
和彦は、さっきのメモを見返しながら言った。
「今日できる事でも、明日に延ばせるってわけね」
和彦は笑った。
「なかなかうまい事を言う」
「あなたが言った事よ。今の私にぴったりの格言だって……あ」
翔香は慌《あわ》てて口を塞《ふさ》いだが、手遅れだった。
「そう明日の俺《おれ》は言うんだな?」和彦は渋い顔をした。「……やらなきゃならない事を増やしてくれて、どうもありがとう」
「ごめんなさい」
「まあいい。今更《いまさら》一つ二つ増えたって、大して変わらないさ」
和彦は、諦《あきら》めたように言った。
「これから気を付けるわ……でも、変ね?」
「なにが?」
「今、私が教えちゃったから、『明日』あなたが『今日できる事を明日に延ばすな』って言わなきゃならなくなるのよね?」
「ああ」
「でも、私は、『明日』あなたから聞いてたから、今、思い出したのよ。……最初に口にしたのは、どっちなのかしら?」
「それは俺さ。俺が言って、君が聞く。君が口を滑らせなければ、ただそれだけの事だった筈《はず》だからな。ところが、君は今こうして、俺に『予備知識』を与えてしまった。俺は時間を再構成させないために、意識して、『明日』その格言を口にする」
「ふうん……」
分かったような気もするが、どこか妙な気がしないでもない。だが、深く考えれば考えるほど、頭が混乱してくる。翔香は諦めた。こういうややこしい事は和彦に任せておけばいいのである。
「テストの事に話を戻すぞ」
「……ええ」
「明日、テスト勉強したそうだが、とにかく一度、その成果を見せてくれよ」
「また?」
「君にとってはまた[#「また」に傍点]かもしれないが、俺《おれ》はまだ[#「まだ」に傍点]見てないんでね」
和彦《かずひこ》は鞄《かばん》を引き寄せ、中から数学の問題用紙を取り出した。
「……わざわざ持ってきたの?」
翔香《しょうか》が、準備の良さに呆《あき》れると、和彦は苦笑した。
「テストが返ってきて、答え合わせをしたのは今日だ。持っているのは当然だろう?」
そうか。『今日』は木曜日だったんだっけ……。
翔香は肩を竦《すく》めた。自分の時間感覚が狂いまくっている事を改めて思い知らされる。
「じゃあ、時計を計るから、やってくれ」
「はいはい」
翔香は、問題用紙を受け取って、机の前に座った。
既《すで》にこのテストには熟練《じゅくれん》している翔香である。すらすらと解き終えてしまい、もう一度全部を見直し、念のため更《さら》にもう一度検算したが、それでも三〇分とはかからなかった。
「できたわ」
「早いな」
和彦は目を丸くしながら、答案用紙がわりのルーズリーフを受け取り、採点を始めた。
費やした時間と労力とを考えれば当然と言うべきだろうが、満点だった。
「大したもんだ。見直したよ、鹿島《かしま》」
「……ありがと」
和彦は手放しで褒《ほ》めてくれたが、その和彦が、明日には、翔香のあまりの出来の悪さに呆れる事を知っているので、翔香な複雑な思いである。
「なるべく早いうちに、テストをすませておいた方がいいな」
翔香としても、肩の荷は早く降ろしたいから、異存はない。
「だけど、そうしたくても、できないわよ。行きたい『時』に自由に行けるわけじゃないもの」
「まあね。だけど……君が問題を解いてる間に考えてみたんだが、君の『ランダムタイムリープ』にも、若干《じゃっかん》の規則性はあるような気がする」
8
「どういう事?」
翔香《しょうか》は驚《おどろ》いた。スケジュール表を見ても、翔香のリープは、それこそ『ランダム』で、規則性など見い出せなかったからだ。
「今から説明するが……ところで、その前に、少し妙な注文をつけてもいいか?」
そう、和彦《かずひこ》は言った。
「なあに?」
「椅子《いす》をちょっと引いて、両足を机の上に載せてくれ」
「なにそれ?」
翔香は、まじまじと和彦を見上げた。
「いいから、言う通りにしてくれ」
「だって、お行儀が悪いわよ。それにスカートだし……」
「膝《ひざ》で裾《すそ》を挟んでおけばいいだろ。頼む」
「……でも、なんで?」
「あとで説明する。さあ」
「……」
どういうつもりなのかさっぱり分からないが、和彦が真剣なので、翔香は言われた通りにした。
「それで椅子を後ろに傾ける」
「こう?」
翔香は、背もたれに体重を預けるようにして、椅子を傾けさせた。四本ある脚のうち、前二本が宙に浮いた。安定は悪いが、机の上に足を載せているから、それでバランスを取る事はできる。
「そうだ。……安楽椅子みたいで面白《おもしろ》いだろ?」
「面白いのはいいけど……これになんの意味があるの?」
「あとで教えるから、しばらく、そのままの体勢で聞いてくれよ」
「……いいわ」
和彦は、例のスケジュール表を、翔香の前に差し出した。
「こいつをよく見て答えてくれ。君がリープするのは、どんな時だ?」
翔香は、スケジュール表を受け取って、両手に広げた。
「……怖い事があった時かしら? ……でも、寝ている時にもリープしてるのよね……」
「いや、それでいいんだ。寝ている時のは、『戻る』と見るべきだろうからな」
「『戻る』?」
「これは、まだ確信があるわけじゃないんだが……。先の時間を過ごすというのは、やっぱり無理があるんじゃないかな。だから、飛ばした時間を、言い換えると、スケジュール表にできた空白を、機会があれば埋めるようにするんだろう」
「誰《だれ》が?」
「君がさ。君の無意識が、かもしれないが」
「……ふうん?」
「それでだ。今度は、『リープした直後の時間』に『戻る』時を見てみる。どんな条件が揃《そろ》った時に『戻る』のか……。どう思う?」
「一度、その翌日を経験してから……かしら?」
和彦《かずひこ》は頷《うなず》いた。
「もっと正確に言うと、『怖い事』が、君に危害を与えなかった事がはっきりしてから、だと思う」
「?」
「つまり、こういう事だ。『怖い事』があると、君は逃げる。時を先に跳んで逃げるんだ。そして、逃げなくても大丈夫だったんだと分かると、『戻る』。次のリープや、寝ていて気が緩んだりした時に、ね」
「でも……ちょっと待って。水曜日の夜に寝たら、次は金曜日の朝だったわ。別に怖い事があったわけでもないのに、先の時間に跳んだわよ?」
「それは、金曜日の朝が、最も近く『安全な』時間だったからだろう。『水曜 夜』の君には、『木曜日の階段落ち』の『時点』が怖かった。だから、『そこ』にはいけなかったんだ。だけど、明日の朝、『無事に受け止めてやった』と俺が言う……というか、『言った』から、それによって、不安が除かれ、次のリープの時には、『木曜日の階段落ち』の『時点』に来れたわけだ」
和彦の解説は理路整然としていて、翔香《しょうか》は納得させられてしまった。
「なるほどね。……それで?」
「それで、さっきの原則を少し破って、月曜日の君についての事を教えるがね、月曜日には、大した危険はない筈《はず》なんだ」
「ほんとに?」
「ああ。君は遅刻もしないで学校に来たし、いつも通りに授業を受けてた。月曜日を避ける必要はないんだよ」
「……じゃあ、なんで、今まで月曜日に行けなかったのかしら?」
「それは分からない。ただ、月曜日に危険がない事は確かなんだ。だから、君が、俺《おれ》の言葉を信じてくれるなら、今度リープする時には、君は月曜日に行ける筈《はす》だ。……俺を信用してるか?」
「さあ、どうかしら。『信じたつもり』になら、なってあげてもいいけど?」
翔香《しょうか》は、横目に、和彦《かずひこ》を見た。
「仕返しのつもりか?」
和彦が苦笑を浮かべた時。
一瞬、《いっしゅん》ふわっと体が浮いた。いや、違う。落下したのだ。バランスを崩して、翔香は椅子《いす》ごと、真後ろに倒れてしまったのである。
だから、こんな体勢は嫌だったのに、頭の隅でそう思いつつ、翔香は床への衝突《しょうとつ》に備えた。
9
頭が割れたみたいだった。後頭部が、ずきずきと痛む。
翔香は、両手で後頭部を押さえた。たん瘤《こぶ》が出来ていた。
「いったぁい……」
顔をしかめつつ、翔香は起き上がった。
ベッドの上である。
和彦はいない。
窓からは、朝の光が差し込んでいる。
「リープ……したのかしら……?」
翔香は起き上がり、パジャマ姿のまま、階下に降りた。朝刊を見に行くためである。
英介《えいすけ》はまだ寝ているらしく、朝刊は、玄関脇《わさ》の新聞受けの中にまだあった。
取り出して、広げる。
月曜日。
和彦が予測した通り、翔香は月曜日にリープできたのである。
「さすがは……」
感嘆した翔香は、そこで、遅ればせながら気付いた。
あれは、わざとだったのだ。翔香を月曜日にリープさせるために、『怖い目』に遭わせるために、和彦は、翔香にあんな体勢をとらせたのだ。おそらく、椅子が引っ繰り返ったのも、和彦《かずひこ》がやった事なのだろう。
「あいつめ……」
翔香《しょうか》は憮然《ぶぜん》とした。リープさせるのに『怖い目』が必要だったとしても、もっとほかにやりようがあったのではないだろうか。お陰で、まともに床に打ち付けた頭が、痛くてたまらない。
「あれ?」
翔香は首を傾《かし》げた。頭を打ったのは木曜日である。その痛みを、月曜日の今感じるというのはおかしい。『痛みを持つ』のは体の方であって、意識の方ではないのだから。
戻ったら、若松《わかまつ》くんに訊《き》いてみなくちゃ。
そう思いながら、翔香は朝刊を手に、台所へ入った。
そこには、いつもと同じように、若子《わかこ》がいた。どの朝とも同じように、若子は、とんとんと包丁の音を響《ひび》かせながら、朝食を作っていたのである。
「おはよう……どうしたの?」
振り返った若子が、不思議そうに翔香を見た。
翔香は思っていた。毎日早起きして、朝食と弁当を作り、夕方になれば夕食を作り、その合間には洗濯や掃除もする。それが主婦の仕事とはいえ、時にはうんざりする事もあるだろうに、それをおくびにも出さない若子は凄《すご》い、と。
これが終わったら、もっと家事の手伝いをしてあげなきゃ。
そう心に決めながら、翔香は首を振った。
「ううん……別に……」
途端《とたん》に頭がずきりと痛み、翔香は顔をしかめた。反射的に、手が頭を押さえる。
「どうしたの? 頭痛?」
「うん……ちょっとね……」
「二日酔いじゃないの?」
若子が、からかうように言った。
さあ、また分からない。翔香は思ったが、ここしばらくの経験則に従って、聞き流す事にした。
10
翔香は登校した。長らく空白であった、月曜日の学校に。
頭痛がひどく、できれば休みたいところだったが、そうもいかなかった。わざわざ月曜日にやってきた目的を果たさなければならないのだから。
空は快晴だった。秋の空気は、ひんやりと涼しく、後頭部の鈍《にぶ》い痛みさえなければ、さわやかな一日を過ごせた事だろう。
ずきずきする頭を抱えながら学校に辿《たど》り着いた翔香《しょうか》は、昇降口の所で、和彦《かずひこ》を見付けた。
いつもながら、細身の体に、学生服が良く似合っている。詰《つ》め襟《えり》のホックまで、きちんと留めているのが、いかにも和彦らしい。
「おはよ、若松《わかまつ》くん」
そう声を掛けると、和彦は、振り返って翔香を見た。
「ああ……おはよう……」
怪訝《けげん》そうに挨拶《あいさつ》を返した和彦は、そのまま立ち去ってしまった。
翔香は、自分の態度が親し過ぎた事に気付いた。
今は月曜日なのだ。木曜日、少なくとも水曜日からあとの和彦なら、もっと違った反応をしてくれただろう。だが、月曜日の和彦では、それは望めない事だったのである。
『月曜日の時点では、俺《おれ》は君に大した注意を払ってなかったからな』
和彦の言葉が思い出される。
少し、寂しかった。
問題の数学の授業は、二時間目にやってきた。
教室に入ってきた数学教師の海野久子《うんのひさこ》は、両手にプリントの束を抱えていた。
「さ、今日は、ちょっとしたテストをするわよ」
「抜き打ちですかあ?」
「それはないよなあ」
などという抗議の声を聞き流して、海野は問題用紙と解答用紙を配り始めた。
「もう少し早くに言ってくりゃ、準備のしようもあったのによ」
そんな声が聞こえるのは、一時間目の英文読解《リーダー》が、中田《なかた》の病欠で自習となっていたからである。
翔香は、深呼吸した。いよいよ、である。
このテストだけは、完璧《かんぺき》に解かねばならない。満点を取れなければ、『翔香に協力してくれる和彦』がいなくなってしまうのだから。
準備は充分以上にしてある。あとは、ケアレスミスにさえ気を付ければいいのだ。
11
「どうだった?」
テストが終わると、優子《ゆうこ》が、体をねじるようにして、翔香《しょうか》を振り返った。
「まあまあ、かしら」
翔香は答えた。翔香は疲れ切っていた。精《せい》も根《こん》も尽き果てた感じである。それだけ集中していたのだ。何度も何度も見直し、それでも不安が残って、最後には、ここの数字が読みにくいだろうか、とか、ここの式が途中で歪《ゆが》んでいる、とか、そんな所まで気になって、書き直しをしたのである。
だが、それだけの事はあったと思う。間違いなく満点を取れる筈《はす》だ。
翔香は、和彦《かずひこ》に感謝した。和彦が半日を潰《つぶ》しての徹底的な個人教授をしてくれてなかったら、逆立ちしたって満点など取れなかったに違いない。
あれ?
翔香は、首を捻《ひね》った。
和彦の個人教授は、『予備知識』があったからできた事ではないのだろうか。だとすると、それは時間を再構成させる事に……。
翔香は不安になったが、よく考えると、そうではない事に気付いた。
『満点を取った過去』が最初にあったから、和彦は個人教授をしなければならなかったのだ。でなければ、翔香には満点を取る事などできなかっただろうから。つまり、『知らされた事を知らされた通りに実行する』ために、個人教授は必要だったのである。
和彦のやる事には、万事抜かりがないのだ。
が。
「あ!」
翔香は、思わず声を上げてしまった。
「ど、どうしたの? 翔香?」
優子が驚《おどろ》いたが、そんな事に構ってはいられなかった。
和彦のミスに気付いたのである。
木曜日の階段落ちの事だ。
和彦は、あの時、階段から落ちてくる翔香を受け止めてくれた。お陰で翔香は怪我《けが》をせずにすんだのだが、それがミスなのだ。
個人教授は、いい。というより、しなければならなかった事だ。
だが、『知らされた事を知らされた通りに実行する』のであれば、和彦《かずひこ》は、翔香《しょうか》を階段から落ちるままにしなければならなかった筈《はず》である。和彦は、『翔香が落ちてくる事』を知って、『受け止めてやろう』と考えた。それはつまり、予備知識のせいで判断を変えてしまった事になる。
時間は再構成されてしまったのだ。
どこがどう変わったのか、まだよく分からないが、時間の流れは再構成されてしまった筈である。
逆に、もし再構成されていないとしたら、それは、和彦の理論に誤りがある事を示している。
どちらにしても、放っておける事ではなかった。
「急いで戻らなきゃ!」
翔香は、椅子《いす》を蹴立《けた》てて立ち上がった。
「……どこに?」
優子《ゆうこ》が、驚《おどろ》いて、翔香を見上げた。
だが、どうやって、戻る?
三時間目は体育だったが、考える時間が欲しかったため、翔香は体の不調を言い立てて、見学させて貰《もら》った。もっとも、実際に頭が痛いのだから、仮病《けぴょう》というわけでもない。
バレーボールをするクラスメートたちを、体育館の隅で眺めながら、翔香は必死に考えた。
戻るためには、つまりタイムリープをするためには、『怖い目』に遭わなければならない。だが、どうやって、自分でその状況を作り出せばいいのだろうか。
屋上から飛び降りる、などという方法は使えない。確かにそうすればリープできるだろうが、リープしたあとに残された体の方が、ただではすまないからだ。
『危険』が必要だが、その『危険』が実際に翔香の身に危害を加えては困る。
相反する二つの命題を、どう両立させればいいのだろうか。
翔香は知恵を絞り、やがて、これなら、と思える方法を編み出した。
『危険』は必要である。だが、一方で、その『危険』から翔香を護ってくれるものも用意しておけばいいのだ。より正確に言えば、『護ってくれるだろう』と翔香が思えるもの、を。必ず護ってくれるものでは駄目だ。いや、護ってくれなければ困るが、翔香が安心できてしまっては困るのである。『多分、護ってくれるだろう』の、その『多分』がなければならないのだ。
「やっぱりここは、若松《わかまつ》くんに頼るしかないわね……」
この体育の時間、男子生徒はサッカーをやっていたらしい。三時間目が終わると、砂埃《すなぼこり》に塗《まみ》れた男子たちが、昇降口にやってきて、靴を履き替え始めた。
翔香《しょうか》は、階段脇《わき》に立って、和彦《かずひこ》が来るのを待った。
やがて、和彦が昇降口から上がってきた。体操服姿である。
和彦は、翔香の前を通り過ぎて、階段を上がった。二二HRの教室は二階にあるから、当然である。
今だ。
翔香は飛び出し、階段を駈け上がった。そして、和彦を追い越したところで、足を踏み外した風を装って、真後ろに倒れ込んだ。和彦なら『多分』受け止めてくれる。
受け止めてよ。
落下感覚を体に感じつつ、翔香は願った。
12
見上げると、天井《てんじょう》を背景に、和彦の顔があった。
「いつから来た?」
「……月曜日からよ」
翔香が答えると、和彦は、にやりと笑った。
「うまくいったようだな」
翔香は、自分が椅子《いす》に座ったままである事に気付いた。その椅子の背を、和彦の腕が支えている。床に倒れ込む寸前のところで、受け止めてくれていたのだ。
ちょうど翔香の思いつきと同じように、翔香に『危険』だけを与えて『危害』が加わらないよう、和彦も考えてくれていたのである。
後頭部の痛みは、綺麗《きれい》に消えていた。やはり、あれは月曜日の痛みだったのだ。
和彦は、腕に力を込めて、翔香を乗せたままの椅子を、元の位置に戻した。
「で、テストの方は、うまくいったんだろうな? ……いや、訊《き》くまでもないか。うまくいっていなければ、俺《おれ》は今、ここにいない筈《はず》だものな」
「それどころじゃないわよ、若松《わかまつ》くん! あなた、見落としてる事があるわ!」
翔香の見幕《けんまく》に、和彦はいささか面食らったようだった。
「なにをだ?」
「木曜日の事よ」
「というと、今日の事だな」
『木曜日の階段落ち』は、翔香《しょうか》にとってはかなり前の出来事なのだが、『今の和彦』にとっては、ほんの二、三時間前の事なのだ。相変わらず、ややこしい。
翔香が、自分の気付いた事を説明すると、次第に和彦の表情が険《けわ》しくなっていった。
「なるほど……言われてみれば、その通りだ。俺《おれ》は、君を階段から落ちるままにしておかなければならなかったのか……」
「でしょう?」
翔香は胸を張った。和彦をやり込めたようで、ちょっと気分がいい。
「しかし……それにしては……」和彦は翔香を見た。「さっきも言ったように、俺には分かりようがないが、君から見て、何か変化があるか? 未来というか、過去というか……要するに『この時間』に?」
「それなんだけど……よく分からないの」
あらゆる事象を把握《はあく》しているわけではなし、断言できる筈《はず》がない。
「そうか……。分からないような変化なら、構わないようなもんだが……やっぱり気になるな」
「やっぱり、『自然の復元力』みたいなものがあるんじゃないかしら?」
「そんな筈はない。もっと筋の通った説明がある筈だ……」
和彦が翔香を見詰めた。そして、その目に強い力がこもる。例によって、『思考時間』に入ったのだ。毎度の事ながら、別に自分を見ているわけではないと分かっていても、翔香は妙に落ち着かなくなってしまう。
ややあって、和彦は首を振った。
「駄目だ。はっきりしない。だが、俺の考えがまったくの間違いとも思えない」
「だけど……」
「そう、確かに矛盾がある。あるいは不完全なところが……。だが、それにも説明が付けられそうなんだ。もう少しなんだが……」
和彦は、眉間《みけん》に皺《しわ》を寄せ、揃《そろ》えた二本の指で、こんこんとこめかみのあたりを叩《たた》いた。曇りガラス越しにものを見るようなもどかしさを感じているのだろう。
「……少し時間がかかりそうだ。あと回しにしよう。とりあえず、今は、月曜日の報告を聞かせてくれ」
「いいわ」
翔香は肩を竦《すく》めた。どちらにしろ、こんな理論構築などは、翔香の手には余る。和彦に任せるしかないのだ。
和彦《かずひこ》は、またメモを取りながら、翔香《しょうか》の報告を聞いた。
後頭部の痛みに関しては、和彦は首を傾《かし》げたが、わざと階段から落ちてリープしたくだりになると、小さく笑った。
「だろうな」
「え?」
翔香は驚《おどろ》き、そして気付いた。月曜日の和彦の事を、今の和彦が知っているのは当然なのだ。そして、次に不安になった。急いで和彦に知らせようと思う余り、自分も『月曜日』を変えてしまったのではないだろうか。
だが、そうではなかった。
「昨日……つまり水曜日の昼休みの事だが……保健室でも、ちょっと言ったろう? 君が階段から落ちたのは、月曜日じゃないのかってさ」
「あ……!」
翔香は、ぱかっと口を開けてしまった。あの時は、和彦がからかっているのかと思っていたが、そうではなかったのだ。
まさに和彦の言った通りだった。翔香が自由意志でした行動が、結果として、和彦の記憶と合致したのである。やはり、和彦の理論は正しいのだろうか。
「そういうわけだから、今回はそれで良かったんだが……鹿島《かしま》」
「……なに?」
「あんな危険な事をしなくても、ゆっくり月曜日を過ごしてよかったんだぜ? 夜になって、眠れば、帰って来れた筈《はず》なんだから」
「だって……早く教えなきゃならなかったんだもの」
「だからさ」和彦は破顔《はがん》した。「三時間目の終わりから戻って来ようが、月曜日を全部終えてから戻って来ようが、戻って来る『時点』は、この『木曜日 夜』なんだから、同じじゃないか。少なくても、俺《おれ》にとっては、早いも遅いもない」
「あ……」
「分かったな? だから、今度からは、ちゃんと全部やってから戻って来な。スケジュール表に空白が残っている間は、いつまでたっても、君の時間は元通りにはならないんだから」
「……なぜ?」
「なぜって……当たり前だろ? 空白が残ってるって事は、君は『君の未来』において、その部分をやらなければならないって事なんだぜ」
「じゃ……」翔香は、スケジュール表を見て、後悔した。「私が慌《あわ》てないで月曜日を全部やってから戻ってれば……そして、今日の木曜日を全部終えれば、元に戻ってたのね?」
「それは違うよ」
「だって、そうすれば空白はなくなってたんだし……」
「違う、違う」和彦《かずひこ》は首を振った。「『空白があるうちは終わらない』からと言って、『空白がなくなれば終わる』とは言えないだろう?」
「どうして? 同じ事じゃないの?」
すると、和彦は、やれやれと溜息《ためいき》をついた。
「逆・裏・対偶《たいぐう》の説明もしなきゃならんようだな……」
13
「ところで……月曜日の朝、頭が痛かったって、言ったな?」
「ええ。たん瘤《こぶ》も出来てたみたいだったけど……。月曜日が空白になってたのは、そのせいだったのかしら?」
「かもしれないな……。ところで、どこで、ぶつけた?」
「分からない」
翔香《しょうか》は首を振った。
「じゃ、いつ、ぶつけたんだ?」
「それも……分からないわ……覚えがないの」
「……月曜日の朝は、ちゃんとベッドにいるところから始めたんだろうな?」
「ええ」
「すると……その前の日か。日曜日だ。日曜日、君はなにをしていた?」
「え?」
翔香は戸惑《とまど》った。これまで、月曜日からこっちの事しか考えていなかったからである。
「……家に……いたわよ?」
「ずっとか? 一日中、家にこもってたのか?」
「ええっと……昼間は、掃除したりテレビ見てたりしてたのよね……。あっ、夕方になってから出掛けたわ。CDを買いに行ったの。新譜が出たから……」
翔香は席を立って、CDラックから、一枚のCDを取り出した。
「ほら、これよ」
和彦は、それを一瞥《いちぺつ》しただけで、また訊《たず》ねた。
「……どこで買った?」
「螢光堂《けいこうどう》よ。ほら、市役所の前の道を」
位置を教えようとする翔香《しょうか》を、和彦《かずひこ》は遮《さえぎ》った。
「知ってるよ。うちの近くだからな」
「ふうん。若松《わかまつ》くんちって、あっちの方だったの。どの辺?」
「そんな事はいいから、教えてくれ。何時|頃《ごろ》だ?」
「だから、夕方よ。もう暗くなってたし……五時半くらい……かしら?」
「それで、どうやって帰ってきた?」
「歩いて」
「道筋を訊《き》いてるんだ」
「だから、市役所を回って、こっちへ来るでしょ? それから、八幡《はちまん》神社を裏に抜けると、土手の方に出るから……」
「日曜日も、そうやって帰ってきたのか?」
「そうよ」
「間違いないか?」
「……だって、それが近道だもの。いつもそうやってるわ」
「『いつも』は、どうでもいいんだ。日曜日にどうだったかを訊いている。……帰り道になにがあったか教えてくれ。どんな細かい事でもいい」
「えっと……」翔香は思い返した。「店を出て……市役所の方へ行ったでしょ……CDは、えっと、右手に持ってて……」
「それから?」
「ずっと、こう来て……それで……神社よね。神社の石段を上がって……」
「上がって?」
「上がって……それから……」
翔香は口をつぐんだ。
思い出せない。
必死で考えてみたが、それから先が、どうしても思い出せなかった。
「記憶がないのか?」
「ええ……。タイムリープが始まったのは、月曜日からだと思ってたけど……日曜日からだったのね?」
「多分な。だが、おかしいぞ」
和彦は、翔香の目から視線を動かさない。
「……なにが?」
「それ以前、つまり、CDを買いに行く前の事は、切れ目なく覚えているんだろう? 日曜日の昼間も、その前の土曜日、金曜日も」
「ええ」
翔香《しょうか》は頷《うなず》いた。そうでなければ、一番最初に、『今日は月曜日だ』とは思わなかった筈《はず》だ。
日曜日までの記憶があったからこそ、そう勘違いしたのだから。
「だとすると、君は、そこでなにがあったか、覚えている筈だ」
「え? だけど、タイムリープしたんだったら、記憶がないのも当然じゃないの?」
「違う」和彦《かずひこ》は首を振った。「まだ『やってない』から記憶がないってのは、タイムリープ現象が始まってからこっちなら、考えられる。だが、今、訊《き》いているのは、その前の事だ。タイムリープ現象が始まった、そもそもの原因を訊いているんだぜ?」
「……だけど……」
「君は、それを知っている筈だ」和彦は、じっと翔香の目を見詰めた。「忘れてるだけだ。思い出せ、鹿島《かしま》。思い出すんだ」
「駄目……駄目よ……」翔香は両手で頭を抱えた。「思い出せない……なんにも思い出せないのよ!」
翔香は、自分でもなぜか分からずに叫んでいた。
14
「分かった。もう、いい。無理に思い出さなくてもいいよ」
和彦が言った。びっくりするほど優しい声だった。
「だが、その日、その場所で、なにかあった事は確かだ。そして、それは、君にとって、とてつもなく恐ろしい事だった筈だ。多分、頭を打ったのもその時だろう。恐怖とその衝撃《しょうげき》で、タイムリープ現象が始まったんだ」
「……」
「そして、その恐ろしさの余り、君の無意識は、それを思い出すのを拒んでいる」
「……」
「困ったな。何があったのか分からないと、その恐怖に対する心構えを、君に与える事ができない。となると、その『時点』に『戻る』事ができない。すると、空白が埋められないから、いつまでたってもタイムリープ現象を終わらせられない」
「……ごめんなさい」
「君が謝る事じゃないよ」
和彦《かずひこ》は微笑《ほほえ》んだ。
いつも見せるような、からかいや皮肉めいた笑いではなく、あたたかくやわらかな微笑みだった。翔香《しょうか》を気遣ってくれているのかもしれない。
「……落雷かなんかなかったかしら?」
思いつきを口にしてみると、和彦は、ゆっくり首を振った。
「いかにも、超能力が目覚めるきっかけになりそうだが、十月だぜ? 雷は少し時季外れだ。それに、もしそんな目に遭ったら、君の体もただじゃすまないだろう。こうして、ここにはいられない筈《はず》だ」
「そうか……そうよね……」
とてつもなく怖い事。それでいて、怪我《けが》を(後頭部のたん瘤《こぶ》は別として)しないような事。それはいったい、なんなのだろうか。
翔香は首を振った。自分のためにも、和彦のためにも、なんとか思い出したかったが、どうしても思い出せなかった。無理に思い出そうとすると、今はない筈の後頭部の痛みが、蘇《よみがえ》ってくるような気さえするのである。
「ふむ……」和彦は、スケジュール表に目を落とし、ふと気付いたように言った。「明日の下校途中に、君は、車に轢《ひ》かれそうになるんだったな?」
「ええ」
翔香は頷《うなず》き、そして、ぶるっと震《ふる》えた。忘れかけていた、あの時の恐怖が、今の和彦の言葉で思い出されたのである。
「ナンバーを覚えてるか?」
「ううん」翔香は首を振り、言い訳がましく付け加えた。「だって、暗かったし……」
「車のナンバーってのは、暗くても見えるように作ってあるんだぜ?」
「……それに、いきなりだったし。……だけど、なんでそんな事訊《き》くの?」
「それは、偶然なのかと思ってね」
「……どういう意味?」
「君のタイムリープの回数が気になるんだ」和彦は、スケジュール表を示した。「一週間かそこいらの出来事にしては、『危ない日』が多過ぎないか? 階段落ちは、まあ除くとしてもさ」
「そういえばそうだけど……まさか、誰《だれ》かが私を狙《ねち》ってる、なんて言うんじゃないでしょうね」
翔香は冗談のつもりで言ったが、和彦は笑わなかった。
「可能性はある」
「ちょっと……やだ……やめてよ……」
翔香《しょうか》は笑おうとしたが、表情がこわばって動かなかった。
すると、和彦《かずひこ》は、それと入れ替わりのように、口元を緩めた。
「が、まあ、想像に怯《おぴ》えるのも馬鹿《ばか》らしいな。そう気にする事はないさ」
などと言われても無理である。
「だったら……最初から、そんな事、言わないでよ」
「すまん」和彦は苦笑した。「……それじゃ、今日はこのへんまでにしとこう」
「帰るの?」
「ああ、もう遅いしな。明日……金曜日の夜に、また話し合おう。それまでに、さっきの問題もなんとか解決しておく」
「だけど、金曜日は……」
鞄《かばん》を取りに行こうとする和彦の学生服を、翔香は掴《つか》んだ。
「分かってる」和彦は、翔香を力付けるように、はっきり頷《うなず》いてよこした。「下校途中に、車に轢《ひ》かれそうになるんだろ。だが、大丈夫だ。その時には、必ず俺《おれ》がついててやる。君を護《まも》ってやるよ」
「そんな恰好《かっこう》良い事言って、ついててくれなかったじゃない」
「え?」
「私を一人おいて、どっかへ行ってるのよ、あなたは!」
「ああ、そうか。君の記憶によれば、そうなんだな……」和彦は、頷いて、「だけど、俺がどこに行ってたのか、君は知らないんだろう? 君が知らないだけで、すぐ後ろにいたのかも……」
和彦は、口を閉じた。
「?」
どうしたのかしら。
首を傾《かし》げる翔香を、和彦が鋭く見詰める。『思考時間』だ。
「なるほど……」ややあって、和彦は、視線と口元とを緩めた。「そうか……それなら、別に構わないのか……」
「何か分かったの?」
「だとすると……こういう事も……うん……できそうだな……」
「若松《わかまつ》くん! 自分だけで納得してないでよ」
いらつく翔香に、和彦はやっと答えてくれた。
「君に指摘されたミスの事さ。あれはあれで良かったんだ。ミスじゃなかった」
「? どういう事?」
「つまり……いや、それも明日にしよう。もう少し煮詰めたいし、説明に時間がかかりそうだからな」
15
「遅くまでお邪魔《じゃま》して、申し訳ありませんでした。今夜は、これで失礼します」
玄関まで送りに出た若子《わかこ》に、和彦《かずひこ》は挨拶《あいさつ》した。
「いいえ。よろしかったら、またいらしてね」
若子は、愛想よく答えた。
「そこまで送るわ」
翔香《しょうか》は、靴を履いた。
「ね、若松《わかまつ》くん」
夜道を並んで歩きながら、翔香は訊《たず》ねた。
「なんだ?」
「今夜眠ったら、私はいつへ行くの? 私の『明日』は、いつになるのかしら?」
普通なら、金曜日の朝だろう。だが、その時間を、翔香は既《すで》に過ごしている。またリープする事になる筈《はず》なのだ。
「可能性としてあるのは、日曜の夜、月曜の残り、金曜の夕方……そのどれでもなければ、土曜日の朝だろうな」和彦は答えた。「その中で、一番安全だと、君の無意識が判断するところへ、リープする事になる」
「それで、一番安全なのは、『いつ』なの?」
「それを俺《おれ》に訊《き》くなよ」和彦は苦笑した。「君の判断で、どうとでも決まる事なんだぜ」
「あ、そうか……そうよね……」
「そうさ、俺の方が訊きたいくらいだ……が」和彦は、不意に真顔になって立ち止まった。
「鹿島《かしま》、頼むから、金曜日に来てくれないか?」
「え?」
「金曜日の君は、車に轢《ひ》かれる寸前だ。今の君にとって、一番避けたい『時間』だろう。だが、それを承知で頼む。金曜日に来てくれ。そうしてくれると助かるんだ」
「だけど……制御できないもの……」
「そうでもないだろう? さっき君は、ちゃんと月曜日へ往復してこれたじゃないか。全然制御できないわけじゃないんだよ」
「あの時はそうだったけど……」
「鹿島《かしま》」和彦《かずひこ》は、強く断言した。「約束する。君は車に轢《ひ》かれたりなんかしない。俺《おれ》が、必ず護《まも》ってやる。君が、心の底からそれを信じてくれれば、間違いなく金曜日に来れる」
翔香《しょうか》は、和彦を、じっと見詰めた。
「……ほんとに?」
「ああ」
「じゃ、もう一度、約束して」
「もう一度?」
和彦は、妙な顔をしたが、翔香が聞きたかった台詞《せりふ》を、繰り返してくれた。
「君は車に轢かれたりなんかしない。必ず、俺が護る」
翔香は、にっこり微笑《ほほえ》んだ。
「信じるわ。若松《わかまつ》くんは、約束は破らないものね」
「頼むぜ。……じゃ、戻ろうか」
和彦は、翔香の家の方を示した。
「え?」
「今度は俺が送るよ。帰る途中、暴漢にでも出くわして、またリープされたりしたら、余計にややこしくなるからな」
「だったら、学校への行き来も危ないんじゃない?」
翔香は、上目《うわめ》遣《づか》いに和彦を見た。
「分かってる。この一件の片が付くまでの間、俺は君から目を離さない。明日の朝も、君を迎えに来るよ。君の記憶通りに、ね」
その夜、翔香はベッドの中で、一心に念じた。
「金曜日、金曜日……若松くんは必ず来てくれる……金曜日、金曜日……」
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この作品は1995年6月に小社より単行本として刊行されました。
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◎高畑京一郎 著作リスト
「クリス・クロス混沌の魔王」 (単行本メディアワークス刊)
「タイム・リ−プあしたはきのう」 (同)
「タイム・リープあしたはきのう[下]」 (電撃文庫)
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本書に対するご意見、ご感想をお寄せください。
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あて先
〒101東京都千代田区神田駿河台1−8東京YWCA会館
メディアワークス書籍編集部気付
「高畑京一郎先生」係
「衣谷 遊先生」係
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発 行 一九九七年一月二十五日 初版発行
発行者 佐藤辰男
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〒一〇一東京都千代田区神田駿河台丁八
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電話〇三−五二八一−五二〇七(編集)
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◎1996 KYOICHIRO YAKAHATA
Printed in Japan
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高畑《たかはた》京一郎《きょういちろう》
1967年生まれ。静岡県出身。第1回電撃ゲーム小説大賞〈金賞〉受賞作『クリス・クロス』(単行本・メディアワークス刊)で作家デビュー。本作『タイム・リープ』が文庫初登場となる。最近、バイクを購入したが、新作の執筆に追われ眺めるだけの日々が続いているという。
【電撃文庫作品】
タイム・リープあしたはきのう[上][下]
イラスト:衣谷《きぬたに》 遊《ゆう》
1962年生まれ。愛媛県出身。代表作に『エンジェルアーム』(電撃コミックスEX)がある。超多忙の人気作家で良きパパで大酒呑み。“酒は浴びるが溺れない”ところがスゴイ。
9784075055808
1910193005005
ISBN4-07-305580-1
c0193 P500E
発行●メディアワークス
発売●主婦の友社
定価500円(本体485円)