TITLE : 〜恋と寄宿舎とガイ・フォークス・デイ〜
◆第3話◆
ホームでは一日中お祭りさわぎになるところのこのガイ・フォークス・デイも、インドではただの日である。
その日の午前の授業を終えたわたし、シャーロット=シンクレアと、ルームメイトで親友のカーリーガード=アリソンは、いつものように仲良く肩を並べて寮へ戻ってきていた。
このオルガ女学院に伝わる、ガイ・フォークスの風習、『恐怖のガイ・フォークス人形まわしあい』を、インドに来たばかりのわたしは知らなかった。
ただ、
(そういえば、なんだか今日はみんな、ソワソワ落ち着かない雰囲気だなあ)
と、まわりを様子を見て、なんとなく不思議には思っていたのだった。
「やっぱり部屋は落ち着くなあー」
わたしは、靴をはいたまま、ベッドの上に思いっきりダイビングした。
なにもない日なら、おやつや友だちとのおしゃべりを求めて談話室や自習室へ向かうところだったが、今日はちょっとした用事がある。
「さて」
わたしは教科書を縛っていた紐をほどいて、机の前に座った。
「シャーロット。今日は、なんの勉強をするの?」
オニキスのような綺麗な黒い目が、わたしをじっと見返してくる。
「ヒンディ語? それとも、。インド史の勉強かしら」
「ええと、今度は勉強はお休みにしようと思うの」
カーリーの問いかけに答えながら、わたしは机の引き出しをさぐる。すると、ほわんと良い匂いが漂った。
わたしは机の中から、綺麗にたたんでとっておいた、ペアーズブランドの石けんの包み紙を取り出した。
包み紙にはまだ石けんの匂いが残っていて、すっと息を吸いこむと、お風呂上がりのような心地よさが胸一杯にひろがる。
いま、ハウス生たちの間では、ビスケットやせっけんの箱。そして包装紙を大事にとっておくことがはやっているのだ。(あのヴェロニカなんは、「貧乏人みたいでみっともない」と馬鹿にしていたが)
「ほら、だって今日はガイ・フォークス・デイだし、ちょっとくらい勉強をお休みしたっていいでしょ。それにわたし、作りたいものがあるの」
「作りたいもの?」
「うん。この紙でね、教科書のカバーを作るの」
わたしのすぐ目の前の席の子がそうしはじめて以来、この試みはあっというまにクラス中に広まった。いまでは他の学年のハウス生たちも、かわいさを競うようにカバーを作っているし、ただ捨ててしまうよりもずっと素敵に思える。
それに、こうしておけば嫌いな教科書でも開くたびに良い香りがして、すこしはましな気分になるというものだ。
「教科書の、カバー…」
カーリーは、なんだか呆れたような感心したような顔でわたしを見ていたが、ふいにふっと顔をくずすと、
「いいよ」
とわたしの意見に賛同してくれた。
「まったく、女の子ってほんとうに、つぎつぎに流行を作り出すのがうまいね」
「あら、カーリーだって女の子のくせに」
なにげない返事だったが、カーリーは急に言葉をにごしてしまった。
「…?」
わたしは、怪訝そうにテーブルの向かい側に座っているカーリーの顔を見た。
(どうしたんだろ。ヘンなカーリー)
わたしは、机の引き出しからはさみと糊を取り出すと、糊用の刷毛の先に少し水をふくませた。
そうして、とびきり綺麗な薔薇がプリントされた包装紙を選び出すと、しわをのばしながらサイズを測っていく。
カーリーは、なぜか教科書のカバーを作らず、大きな箱のようなものを作っていた。
(いったいなにを作る気なんだろう)
ふと、ベッドの上におきっぱなしになっていた、あの不審なきんちゃくが目に入った。
「そうだ、ねえカーリー」
わたしは、おもむろにカバーを作る手を止めて振り返った。
「どうしたの?」
「あのね、今日の授業中にみんなでたらい回しにしていたものがあるでしょう?」
カーリーにつられて笑みを浮かべながら言うと、彼女もカバーを作る手を止めて、顔をあげた。
「ああ……、あれ」
気のせいか、彼女の顔には苦笑が浮かんだ。
「これって何? ずいぶんと古い人形みたいだけど」
「ちょっとまって、シャーロット」
カーリーの顔が、ほんのすこしだけ強ばる。
「これ?」
「うん、”これ”」
わたしはさっきミチルから借りた巾着袋を手にとると、そのしぼってある口を開いた。
巾着袋の中には、少しくたびれた様子の人形が入っていた。それも、おせじにもあまりいいできとは言えそうにない。
「なんだか、汚い人形よね」
人形をかかげて問うと、カーリーはぱかんと口を開けたまま固まってしまった。
「カーリー、どうしたの?」
思わず、まじまじと人形を見る。
カーリーはそのまま暫く黙り込んだあと、がっくりと片手で額を抑えて深いため息を吐いた。
「シャーロット、あなた……」
「え?」
「それ、どうしたの…」
呆れたようなカーリーの様子にどきまぎしつつ、わたしはありのままを答えた。
「え、えっとね。授業終わりに、ミチルに尋ねたのよ。そうしたら、カーリーなら詳しいことを教えてくれるって言って、貸してくれたの」
「……………」
カーリーはまるで頭痛を抑えるみたいに、こめかみに手をやった。
「ど、どうしたの。もらっちゃ、いけないものだったの?」
「もらっちゃ、いけないものだったの」
「えええっ」
かんねんしたとばかりに、カーリーはすっくと顔をあげ、わたしに全てを話した。
「シャーロット、その人形はね。ガイ・フォークス人形なの」
「うん、そうみたいね」
わたしは言った。それ以外のなにものにも見えそうにない。
「実は、この学校独特の遊びなんだけれど…」
そうしてカーリーは、このオルガ女学院で行われているガイ・フォークス・ディに行われるゲームのことをわたしに教えてくれたのだった。
わたしは、雄叫びをあげた。
「ええええ!! うそおおお!!」
ぼたっ。
そのガイ・フォークス・ディのむごい内容を教えて貰ったわたしは、半泣きになって人形を取り落とした。
「そそんな、消灯までこれを持ってたら、床磨き…」
「それに、持っているおやつも没収よ。その上服をむかれて、落書きされて、寮中をひきずり回されることになるわ」
「服をむかれる!?」
わたしは、無意識のうちに自分で自分をだきしめるしぐさをした。
裸にされるなんて、とんでもない。この貧弱な体をみんなの前にさらけだすなんて、あとでいい笑い者だ。
わたしは、本気でわめいた。
「いやああ! そんなのいやーっ」
「…先に教えておけばよかったわね」
(うう、ミチルってばひどい)
わたしは、わたしが物知らずなのを知って人形を回してきたミチルのことを、とっても恨んだ。
けれど今は恨み言を言っている暇などない。
ゲームの終了は、初級クラスの消灯時間だというから、それまでに誰かに回してしまわなければいけない。
「ど、ど、ど、どうしよう、これ。だだだだだれかに…」
わたしは、急いで部屋を飛び出した。
しかし…
「シャーロットが、部屋から出てきたわ!」
わたしが部屋から出てきたとたん、ほかの部屋の前でわたしの様子をうかがっていたハウス生たちが、ぎょっとしたように口にした。
「例のブツを持っているわよ!」
「危険、部屋内に退避。それぞれの部屋は、ドアの内側に長持ちを積みあげよ!」
バタンバタン!と、勢いよくドアがしまっていく。まるで、ハウス内に戦車でも乗り込んできたかのような、たいへんな警戒ぶりである。
「うう…」
と、わたしは諦めて部屋の中にひっこんだ。
この様子では、他の誰かに素知らぬ顔をして人形をわたすことは難しいのではないだろうか。
「ああ、どうしよう」
わたしは、にっくきガイ・フォークス人形を腕に抱いたまま、きょろきょろと辺りを見渡した。
だれか…、ほかにだれか、この人形をもらってくれそうな人はいないものか。
わたしは、ちらりとカーリーを見やった。
カーリーが、うん?とわたしを見上げる。
(いけないわ!)
すぐさま、わたしはその考えを改めた。
(カ、カーリーに押しつけるなんて、そんなこと出来るわけないじゃない。そんなこと…)
たしかにこの状況で、一番人形をもらってくれそうなのはカーリーだろう。けれど、だからといって彼女に人形を押しつけるわけにもいかない。
なぜなら、そんなことになったら、わたしのカーリーが、みんなの見せ物になってしまうからだ。
(カーリーの綺麗なシュミーズ姿は、ルームメイトのわたししか見られない特権なんだから!)
極めて不純な理由から、わたしはそのカーリーに押しつけ案を翻した。
ふいに、カーリーが言った。
「ね、シャーロット。その人形わたしに貸してくれない?」
「ええっ」
まるで、わたしの心を見抜いたかのようなカーリーの言葉には、わたしは思わず飛び上がった。
「そ、そそそんなこと考えてないわ! カーリーに押しつけるなんて、そんな酷いこと全然。そう、全然思ってなかったわよ!」
嘘である。
カーリーは驚いたように目を見張り、次の瞬間ふっと、
「違うわ、わたしに考えがあるの」
「か、考え?」
「そう、考え」
そしてなぜだか彼女は、にやりと意味ありげに笑ったのだった。
「いいから、ここは私にまかせてちょうだい。きっとおもしろいことになると思うから」
「で、でも…。それじゃあカーリーが」
「いいから」
いったいどうする気だろうと思うわたしの手から、ガイ・フォークス人形を受け取ると、彼女はおもむろにわたしの頬に顔をよせ、
「これで、貸しひとつね。シャーロット」
わたしの頬に、そっとキスをしたのだった。
*
そして、ガイ・フォークス・デイも後半にはいると、ハウス生たちの緊張はいよいよ酷くなっていた。
なんとしてもガイ・フォークスの侵入を阻止するべく、自習室や談話室はもちろん、友だちの部屋に入るときでさえボディチェックがおこなわれるありさまだ。
「カーリー。みんな警戒してるけど、大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫」
わたしから人形を受け取ったカーリーは、結局あのあと一度郵便物を見に行くと部屋を出て行ってからは一歩も部屋から動かず、もくもくと本のカバーをつくっていた。
(カーリーは大丈夫って言うけど…)
わたしは、カーリーのことが心配でしかたがなかった。
なぜなら、ガイ・フォークス人形は、その中途半端な大きさも手伝って、制服の中やポケットに隠すことは難しい。持ち歩いていれば、すぐにばれてしまう。
(ああ、もう夕食の時間になっちゃうじゃない!)
案の定、腰にガイ・フォークス人形の入った巾着をぶらさげているカーリーは、いやおうにも警戒され、歩くと同時に人が逃げていった。
「やだ、カーリーが人形を持ってる!」
「あの巾着の中だわ、気をつけなきゃ」
「あら、ミチルがシャーロットに押しつけたんじゃなかったの?」
「きっと、あの子がカーリーに泣いてひきとってもらったのよ。カーリーはあの子に甘いから」
わたしは、がっくりした。
悲しいかな、その予想は、当たらずとも遠からずである。
(ふ、ふんだ。どーせわたしは、カーリーに頼りっきりですよーだ)
わたしは、なにか言いたいのをぐっと堪えて、ひたすらスープをすすることに集中した。
その日の食事は、しーんとしていた。
湯気をあげたポテトが運ばれてきても、みんな恐ろしいほどに無言で、
カーリーが右を向けば、右隣の子が。
カーリーが左を向けば左隣の子が。
すぐさま、ささっとナイフとフォークを置いて、腰の巾着を凝視する。
まるで、珍獣扱いだ。
「カ、カーリー…」
わたしは青くなった。こんな状態では、さすがのカーリーでも誰かに人形をおしつけるなんて、できっこないのではないだろうか。
けれどその後も、カーリーはいっこうにそのガイ・フォークス人形を、誰かに押しつけようとはしなかった。
「ねえ、カーリー。あとちょっとしか時間がないわよ」
「大丈夫、まかせて」
と、返ってくる返事といえば、これ一本調子。
いつものように食事を終えて談話室に移動しても、相変わらずその腰にはくたびれた巾着がある。
(ど、どうしよう。どうするつもりなのかしら)
わたしがはらはらしながらカーリーの後を追うと、カーリーの動向が気になるのか、みんなもぞろぞろと後をついてきた。みな、人形をだれがもっているのか、目にしておかないと心配なのだろう。
その証拠に、ついてきはするけれど、決して一定距離以内からは近づいてこようとはしない。
その様子を見ていたミチルが、からかうように言った。
「まるでカーリーツアーご一行さまやな」
「ミ、ミチル!!」
わたしは慌てて彼女に飛びついた。
「酷いわ、ミチル。わたしがガイ・フォークス・ディのゲームを知らないからって」
「悪いのはうちやないって。こんなゲームを考えた卒業生や」
ミチルは、自分が難をのがれたからか、あっけらかんと笑った。
「それに、シャーロット。あんたかて、カーリーに押しつけたんやろ?」
わたしは、ぎょっとして反論した。
「ち、ちがわい!」
「ほー、それにしちゃ、妙に顔が強ばってますなあ」
わたしの頬を、つんつんつっつく。
すると、ミチルの横から、ひょいとヘンリエッタが顔を覗かせた。ミドルクラスの監督生になって同じ部屋になってから、この二人はなにをするにもいつも一緒にいることが多い。
「あら、じゃ、カーリーがシャーロットをかばったんじゃないの?」
「そ、そうかもしれないけど、カーリーが、考えがあるから任せてって…」
「考えかあ」
ミチルは、ううむと腕を組んだ。
「まあ、カーリーやったら、何とかしてまいそうやけど。でも…」
と言って、柱の影にずらーりと並んで遠巻きに見ているハウス生たちを見やった。
「この警戒じゃあ、難しくない?」
「そ、そうなの。それで心配で」
「だよねえ」
わたしは、ミチルにしがみついたたまうなだれた。
あれから刻一刻と時間が迫ってきているのに、カーリーときたら慌てるそぶりひとつ見せず、ゆったりとソファで本なんて開いてしまっている。
(本当に大丈夫なのかしら?)
わたしは、心配でたまらなくなった。
うふ、と頬を染めて、ヘンリエッタがとんでもないことを言った。
「でも、カーリーが罰ゲームなんてことになったら……、ちょっと裸とか見てみたいかも」
「ヘンリエッタ!」
「だってー。カーリーみたいな美少女がみんなに剥かれるなんて、ゾクゾクするじゃないー」
「あのなあ…」
そんな他愛もない会話をつづけているうちに、あっというまに時間はすぎ…。
(ああ、もう消灯の時間!)
無情にも、ハウス生に消灯を告げる寮の鐘が鳴り響いてしまったのだった!
「さあ、ゲームオーバーの時間よ!」
わたしがいよいよパニックになり始めたその時、輪のなかから誰かが歩み出てきてそう宣言した。
「げ…」
わたしは、はしたなくそう呻いた。
「ガイ・フォークスの人形を持っているのは、いったいどなたなのかしら」
いつのまにガイ・フォークスは彼女のしきりになったのか、そう高らかに言いはなったのは、あのオルガ女学院の『女王様』ヴェロニカだった。
わたしは、慌てて廊下の壁にぶら下がっている時計を見た。時計の針はちょうど、ミドルクラスの消灯時間である十時を指していた。
わたしは、すうっと血の気がひいていくのを感じた。
ああ、なんてことだろう。これからあと一時間、カーリーが罰ゲームをさせられてしまうなんて!
「カ、カーリー!」
わたしは慌てて彼女に走り寄った。
するとカーリーは、本を閉じて手をあげ、すっと手でわたしを制した。
「何のことです? プリンセス」
そして、ヴェロニカに向かって、にっこりと微笑みかける。
(カ、カーリー?)
わたしは、不審に思った。
いったいどうして、彼女はこんなに落ち着きを払っていられるのだろう。
わたしは、はっと手で口を覆った。
(まさか、剥かれたいのかしら!?)
そんなはずはない。
そのあまりの毅然とした態度に、思わずヴェロニカもたじろいで後ずさったが、すぐに気を持ち直して、その腰にひっかかっている巾着袋を指さした。
「何ってそれ、そこにあるガイ・フォークスの人形に決まっているでしょう!」
カーリーは、いつものすました表情に戻って、腰の巾着を取り上げた。そして、
「ああ、これは」
と、カーリーは、なにかを巾着から取り出した。
「ああっ!?」
その手にもっているものを見るなり、その場にいた全員があっと声をあげた。
わたしも、思わず声をあげそうになった。
それもそのはず。彼女が手にしていたのは、なんと今日の夕食に出てきたパンだったのである!
「さいきん夜中にお腹がすくので、夕食のパンを隠し持っていたんです」
一番の当事者であるカーリーは、さらっと言い放った。
「――で、これが何か?」
と言って、おもむろにその堅くなったパンにかぶりつく。
談話室は、一泊置いて息を吹き返したわたしたちの驚きで、たちまちざわめきに溢れた。
口をぱくぱくさせながら、ヴェロニカがよろめく。
「な……、じゃ、じゃあ人形は」
「そうよ。人形はどこ?」
「ガイ・フォークス・デイの罰ゲーム者はだれなの!?」
みんな、慌てて自分のとこかに人形を隠されていないか、ぱんぱんと服を叩き始めたり、はしたなくもスカートをめくったりしはじめる。
そのとき、唐突に談話室の扉が開け放たれた。
「みなさん!」
慌ててそちらに視線をやると、なんとそこには額に青筋を浮かべた、学院長ことイザベラ・オルガが立っていた。
「い、院長先生…?」
思わぬ人物の乱入に、みなが唖然としていると、おもむろに彼女は、
「こんないたずらをしたのは誰です?」
と、綺麗にラッピングされたプレゼントの箱をかかげた。
わたしは、その箱にどこか見覚えがあるように思えて、首をひねった。
「あっ」
思わずわたしは、声をあげた。
(あれって、まさか!)
「わたくしへの郵便物の中に、こんなものを混ぜていたずらをするなんて!」
そう言って学院長先生が箱の中からとりだしたのは、あの薄汚れたガイ・フォークスの人形だったのである。
それをぽかんと見つめたまま、状況を理解できないでいるわたしに、カーリーがこっそり耳打ちしてきた。
「ほら、ね。大丈夫でしょう」
「あ、あ、あ…」
わたしは、言葉もなく彼女を見つめた。
ガイ・フォークス人形を押しつけられたあと、カーリーがつくっていた石けんの包装紙を貼り付けた箱――
いったいなにを作っているのだろうと不思議に思っていたあの箱を使って、カーリーはさも外部から届けものがあったかのようにして、ガイ・フォークス人形を院長におしつけてしまったのである!
(カーリーったら!)
「やるなあ、カーリー」
「よく考えついたわねえ」
ミチルも、ヘンリエッタも感心したように頷き、ハウス生たちに取り囲まれている学院長先生を見やって、手を合わせた。
「じゃあ…、ことしのガイ・フォークスは」
「院長先生!!」
ミセス・オルガの持っている人形がガイ・フォークスだと気づいた生徒が口々に言い始める。
じり、と近づいてきた生徒たちに、ぎょっとしたようにミセス・ウイッチは後ずさった。
「お、おやめなさい。みなさん、い、いったいなにをするつもりですか!」
しかし、生徒たちの顔には、これ以上なくやる気満々な色でみちあふれている。
誰かが言った。
「ことしのガイフォークスは、いんちょうせんせーい」
すると、ほかの誰かがそれに続いた。
「いけない罪人は、いんちょうせんせーい」
一度ガイフォークスを味わったことのあるミドルクラス以上の生徒たちが、いっせいに音頭をとりはじめる。
それにつられるようにして、今年がはじめの初級生たちも、同じように声を合わせはじめた。
「ガイ・フォークスは、ざいにんでーす」
「ざいにんは、こらしめなければ、いけませーん」
「あ……」
みんなの本気を感じ取ったのか、ミセス・ウイッチは救いを求めて、ハウス長を探し始めた。
「ミ、ミス・シュミット、ハウス長はどこです! これをなんとかなさい!」
すると、人だかりの談話室の端でだれかがすっくと立ち上がった。
いままで、我関せずといったふうに刺繍をしていた、ハウス長のベリンダ=シュミットだった。
ミセス・ウイッチは血相を変えて言った。
「ミス・シュミット。みんなをやめさせなさい!」
「残念ですが、院長先生」
と、彼女はリングを傍らにおいて、うす微笑んだ。
「これは、わが校に伝わる伝統的な行事です。オルガ女学院の名誉と誇りにかけて、今年のガイ・フォークスには悔い改めてもらわなくてはなりません」
ミス・シュミットは、いつもミセス・ウイッチがやっているように、ぱん!と手のひらを会わせた。
わたしたちを厳しくしかりつけるのと同じ調子で、彼女は言った。
「ガイ・フォークスを、懲らしめろーっ!」
すると、その場にいた全ハウス生が、いっせいにミス・シュミットに唱和した。
「ガイ・フォークスを、懲らしめろーっ!」
「ガイ・フォークスを、やっつけろーっ!」
そうして、おもむろに我先にとミセス・ウイッチに飛びかかる。
「お、おやめなさい。やめなさい。離しなさい、ぎゃーっ!!」
さすがの強面のミセス・ウイッチも、みなにもみくちゃにされてはたまったものではない。
「やったわ!」
わたしは、わたしの素敵な友だち、カーリーガード=アリソンに拍手を送って、思いっきり抱きついた。
「カーリー、あなたってやっぱり最高よ!」
*
世にも楽しいガイ・フォークス・デイの一夜があけた。
うちらこと、ミチル=マーマデューク=モナリとヘンリエッタ=モーガンは、院長にスコーンをぶつけるだけぶつけると、それこそ屋根裏ネズミのごとく部屋に戻った。
「あははは、やった!」
「院長め、ざまーみろ!」
手持ちのお菓子はすっかりなくなってしまったものの、心ははれやかだった。
なにせ、あの憎らしい学院長に、面持ってスコーンをぶつけることができたのである。
スコーンをぶつけたのは、なにも自分たちばかりではない。ほかのハウス生たちの攻撃っぷりもすさまじかった。
日頃のうらみとばかり、あのシャーロットにいたっては、奇声をあげながらシミになるコーヒーを頭からぶっかけていた。
さすがにミセス・ウイッチはみんなのまえで裸にされなかったが、彼女が院長室に逃げ込むまでの間、髪はもみくちゃにされ、冷めた紅茶やありとあらゆるものをぶつけられ、顔にらくがきをされていた。
よほど、みんなの恨みを買っていたのだろう。
――次の朝、うちらハウス生全員は、朝食の時間にこってりとミセス・ウイッチに絞られた。
けれど、どんなに叱られても、たとえ全ハウス生全員で床の水ぶきをするはめになっても、みんなの顔はいたずらをやり通したという喜びであふれていた。
「はあ、こんな愉快なガイ・フォークスは久しぶりやわ」
ヘンリエッタと並んで、階段のアイアン部分にブラシをかけながら、うちはほっとため息をついた。
思えば、ヘンリエッタにガイ・フォークス人形を持っているのをバラされてから、ハラハラしどおしの一日だった。
あのときは、一瞬頭に血がのぼったし、なんとかしてあの人形をヘンリエッタに押しつけてぎゃふんといわせようと思っていた。
(なのに)
なのに、いつのまにかあのときの文句も、どこかへ言ってしまっている。
最近、いつもこうだ。
とくに、ヘンリエッタと同室になってから、ずっと…
「ん、どうしたの、ミチル?」
「…いや、なんでもない」
うちは、首をふった。
(弱ったなあ)
なんとなくま、いいか。という気持ちにさせてしまう、そういう何かがヘンリエッタにはあるのかもしれない。
(これって、甘いってことなんかなあ)
カーリーがシャーロットの人形を引き受けたように、うちもヘンリエッタの尻ぬぐいをし続けることになるんやろうか。
それは、ルームメイトだから?
それとも…
(これが、特別ってこと――?)
「…困ったなあ」
うちが、思わずひとりごちると、背後から声がした。
「ミス・モナリ。手が止まっていますよ!」
いつのまにか、ハウス長のベリンダ=シュミットが、自分たちの真後ろに立っていた。
(うわわ)
うちは、心臓がとびあがるかと思うほど驚いた。
「もっとワックスを付けてこすりなさい」
「は、はい。ハウス長!」
足早に通り過ぎていったミス・シュミットの背中を身ながら、ヘンリエッタがうちに耳打ちする。
「ね、ミチル、知ってる?」
もう一度注意されないように、手を動かしながら、うちらはひそひそ言い合った。
「なにが…?」
「きのう、院長先生のほっぺたに、”バカ”って書いた人の正体」
(ああ…)
うちは、うーんと眉をよせて、昨日の様子を思い浮かべた。
たしかに、自分の部屋に逃げ帰ろうとするミセス・ウイッチのほっぺたには、”バカ”と書かれていたような気がする。
「そういや、そんなこと書いてあったよーな」
あの文字はどうやって消したんだろう、とうちが不思議に思っていると、ヘンリエッタがくすくす笑いながら言った。
「あれって、ミス・シュミット以下最上級生が、院長先生を羽交い締めにしてやったらしいわよ」
「えええっ」
うちは、思わずさっきミス・シュミットが歩いていったほうを振り返った。
――いろんな意味で、その年のガイフォークスは、忘れられない日になった。
Fin
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