TITLE : 〜恋と寄宿舎とガイ・フォークス・デイ〜
◆第1話◆
オンナノコって、不思議。
だれに教えてもらったわけでもないのに、いつのまにか心の中に特等席を作っていて、綺麗な服や、とっておきの景色や、詩やおいしい食べ物なんかを、その場所にしまっている。
たとえば、ママから貰った指輪や、
おさがりはいやだと、裾にレースをつけたしてもらったワンピース。
とっておきのリボン。
特別なお洋服、
特別な笑顔、
それから、“特別な友だち”
「ねえ、ミチル。もうすぐガイ・フォークス・デイね。ああ、今年はだれがガイ・フォークスになっちゃうのかしら」
ヘンリエッタが、うきうきと言う。
うち、ミチル=マーマデューク=モナリにとって、彼女ヘンリエッタ=モーガンは、そういう“特別な”友だちだった。
――寄宿舎(ハウス)暮らしなんて、楽じゃない。
きゅうくつで、不便で、なんでもかんでも規則だらけ。
眠るのは寝室、本を読むのは読書室。食事をするのはダイニングルーム、はては会話をするための談話室、刺繍をするための刺繍室なんてのもある。
まるで、鳥籠の中の小鳥のよう。
うちら、オルガ女学院のハウス生たちも、例にもれず、そのような堅苦しい毎日を過ごしていた。
それでも、押しつけられた決まりさえも楽しんでしまえるのが、子供の特権だとうちは思う。
――がららん、がららん!
「ぐわっ!」
メトロンの鳴らす鐘の音が、部屋のすぐ先から聞こえてくる。
うち、ミチル=マーマデューク=モナリは、いまのいままで抱えていた枕を投げ出して、急いでベッドから飛び起きた。
「うわっ、遅刻。遅刻や!」
すぐにナイトガウンを脱いで、ベッドパットをまきあげる。あった! バターミルク色のシャツに、ホームのよく手入れをされた芝色の制服。昨日の夜に雨に濡れたので、寝押ししておいたのだ。
(なんでかヴェルヴェット生地って、アイロンをかけるとテカテカになってまうんよなあ)
うちは、見事にプレスされしわの伸びた制服を頭からかぶり、あっというまに身支度を整えた。
ハウス生の朝は早い。メトロンの鳴らす鐘を聞いたらすぐに身支度をととのえ、起きたことを知らせるために部屋のドアを開けておく。こうしておかないと、まだ寝ていると思った寮母が憤怒の顔つきで部屋にのりこんでくるのだ。
「8年生、モナリ・モーガン、起きました!」
ドアを押し開け、そこに用意してあったボウルと水差しを部屋の中に運び入れる。各部屋に流しはあっても水道は引かれていない。朝身支度をするのに使うお湯は、メトロンが配ってくれるこれだけでしなければならないのだ。
「あっ、しもた!」
ハッとあることに気づいて、うちはまだすやすやと気持ちよさげにヒュブノスの愛撫に身をゆだねているルームメイトを、慌てて起こしにかかった。
「ヘンリエッタ! ヘンリエーッタ! 今日から監督生やろ、30分起床が早いねんで!」
言うが早いか、彼女の体からシーツをむりやりはぎ取る。これくらいしないと、寝汚いヘンリエッタはなかなか起きようとしない。
けれど、そんなうちの乱暴な攻撃にも、ヘンリエッタはふわふわのウエーブの髪に顔を埋もれさせながら、気持ちよさげに寝息をたてるだけだ。
「くうくう…」
(あー、あかん)
困った、とうちはため息をついた。残された時間は、あと10分しかない。今日のうちらの仕事は、手のかかる4年生以下の見回りをすることなのに……
(こ、こうなったら仕方がない!)
「ヘンリエッタ!」
うちは、ヘンリエッタの体の上に乗っかると、おもむろに彼女の豊かな胸をつかみあげた。
「きゃああっ」
「あ、起きた。はよしいや。今日は4年以下の見回りやで!」
「み、見回り…」
まだぼんやりしている彼女は、しばらくうちの言った意味を理解できていないようだったが、
「そ、そうよ、わたし、監督生になったんだったわ!」
ようやく、自分が2人部屋にいることに気づいて、メトロンの鐘よりも大きい悲鳴をあげる。
「悪いけど、先行ってるで!」
「あっ、ちょっと待ってよ。ミチル!」
まだメガネすらかけられていないヘンリエッタを部屋に置いて、うちは1人さっさと部屋を飛び出した。
ごめんやっしゃヘンリエッタ。せやけど、今日の総監督生は鬼のベリンダお姉様やねん。ハウス生の代表たるプリーフェクトが、時間までに食堂にいないことがわかったら、あとでなに言われるかわからん。
(それに、今日はガイ・フォークス・デイやしな)
うちは、心の中でヘンリエッタに謝りながら、一目さんで食堂に向かった。
友情より、規則。
ああ、監督生になんて、ほんとうになるもんじゃない。
ハウスのプリーフェクト、つまり監督生というのは、各学年につき1人選ばれる、寮生の代表のようなものだ。たいていは素行がよく、成績がよく、家柄もそこそこで容姿のよいものが選ばれる。
いままで目立ちはしていたものの、たいして素行がよいわけでもなかったうちとヘンリエッタが選ばれたのは、ほかでもない、いままで監督生をしていた生徒が退寮したからだった。
9月3日に、ドイツがポーランドに宣戦布告をしてからというもの、世界は徐々に不穏なほうへ向かっている。
英国領であるこのインドも例に漏れず、生徒の中には安全なスイスやアメリカへ帰る生徒も多くいたのだ。
「お、遅くなってもうしわけありませんっ!」
あと5分で監督生の食事が終了というときになって、我がルームメイトのヘンリエッタ=モーガンが朝食室に飛び込んできた。
(お、間に合ったんや)
ヘンリエッタはうちのことを軽く睨みながら、隣の席に腰をおろしてナプキンを敷いた。ずいぶん急いだのか、トレードマークの三つ編みがいつもよりひとつ少ない。
「遅いですね、ミス・モーガン」
年長者からの凄みのある視線で睨まれて、ヘンリエッタは震えあがった。
「も、申し訳ありません、ハウス長」
「明日は、かならず時間通りに来るように」
「わ、わかりました。ハウス長」
ハウス長というのは、全ハウス生の頂点に立つ、最上級生のプリーフェクトのことだ。中でもこのベリンダ=シュミットは、3人いる上級生プリーフェクトの中でも特に厳しい先輩として知られていた。
彼女は父親が高名な学者、母親が革命時にイギリスに亡命したフランス貴族というだけあって、素行・生まれ・頭の中身・容姿となにをとっても完璧な上級生なのだ。あのオルガ女学院の“女王様”ヴェロニカ=トッド=チェンバースですら、このベリンダには一目おいている。
「さて、ミーティングをはじめます」
と、彼女は厳かに言った。
朝、外の生徒より30分も早い監督生たちの朝食は、主にミーティングの時間でもある。ここで、ハウス長はそれぞれの学年の監督生に、これからの行事や寮での問題、素行についての徹底的な指導を行う。
「これから、特に4年生以下の部屋の見回りを行います。寒くなってきましたので、風邪をひいている子がいないか、注意して見てください」
「はい、ハウス長」
「それから、下級生の中には地下の衣装箱の中に洗濯物をためこんでいる生徒がいると聞きました。各自、持ち物点検をよろしくおねがいします」
「はい、ミス=シュミット」
「中級プリーフェクトからは、なにか報告はありますか」
(うぐ)
急に話をふられて、うちは口の中に入れていたフォークを噛みそうになる。
「い、いえ。特に」
「そうですか」
ミス=シュミットはなにか言いたそうに視線を投げてきたが、やがて何事もなかったかのようにパンをちぎりはじめた。
この寮で暮らす生徒たちにとって、ハウス長は神に等しい存在だ。その彼女になにかものもうせる下級生は、そうそう存在しない。
うちの真横で、席についたばかりのヘンリエッタがものすごい勢いでスプーンを口と皿の間で往復させている。そらそうだ。起床の鐘がなって見回りに出るまで、あと2分ちょっとしかない。
(がんばれ、ヘンリエッタ)
ベリンダが言った。
「ああ、それから、今日のガイ・フォークス・デイことですが」
彼女の口から、ガイ・フォークス・デイの言葉が出ると、さすがに下級生の子たちの間から、歓声に似た声があがった。
「ガイ・フォークス・デイ!」
副ハウス長のミス・フォックスが言った。
「じゃあ、今年もあれをするのですね、ハウス長」
「しかたがありません。寮生の少ない楽しみのひとつですから」
クロワッサンをなんとかしっぽまで喉に押し込んだらしいヘンリエッタが、うちのほうを見てにこっと笑った。
「聞いた、ミチル。今年もガイ・フォークス・デイやるんですって!」
「う、うん…。そうみたいやねえ」
“ガイ・フォークス・デイ”というのは、たとえていうなら英国版ハロウィンのお祭りのことだ。
イギリス本国では、子供たちはかぼちゃの中身をくりぬき、目鼻口をくりぬいたちょうちん(Jack-o'-lantern)を作ったり、怪物の格好をして、近所の家を訪ね歩き、「Trick or treat?」などと言ってまわったりはしない。
かわりに、罪人ガイ・フォークス人形を作って、これを引きずり回したり焼いたりする。ハロウィンはもともとケルトのお祭りだったため、いつのまにか日付の近いこのガイ・フォークス・デイに吸収されてしまったのだ。
そして、11月5日のこのガイ・フォークス・デイには、ここオルガ女学院の寮では、ある特殊なゲームが行われる。
その特殊なゲームとは……
「ゲームに使用する人形は、私のほうで修理しておきました。人形の回しあいは消灯の時間まで。その後、例の×ゲームをするために、特別に一時間消灯を遅らせることを許可します」
テーブルの周囲から、わっと歓声があがる。
いまベリンダが手にしているガイ・フォークスの人形、これはもうとっくに卒業した先輩のだれかがつくったものらしい。
ゲームのルールは簡単だ。この人形が、もし自分の部屋や持ち物の中に入っているのを見つけたら、すぐに友だちの持ち物の中に入れてしまわなければならない。人形をもっていてはいけないのだ。
タイムリミットは10時の消灯の鐘がなるまで。つまり、最後にこの人形を持っていたものが負け、というわけである。
もちろん授業は通常どおり行われるから、授業中もこのガイ・フォークスの人形が教室中を飛び交うことになる。
休み時間も、お風呂の間も、食事のときすら気がぬけない。勝ってに部屋に入って、クローゼットの中に入れられるなんてことはあたりまえ。酷い隠しようになると、枕の中に入れられたりするのだ。
そして、10時の消灯の鐘が鳴ったときに、この人形を持っていた人間こそが、今年のガイ・フォークス。
ガイ・フォークスには罰ゲームが与えられる。10日間の床磨きと、持っているお菓子をぜんぶ談話室に寄付しなければいけないこと。
そして、これがいちばん酷いのだが、ハウス生中から服をひんむかれ、体にインクで落書きをされ、ガイ・フォークスよろしく寮中をひきずり回されてしまう。
(うわー、ぜったいいやや。なんとしてもガイ・フォークスにはお目にかかりたくないわ!)
うちは、内心頭をかかえた。
この人形を持っていることがバレれば、みんなから警戒されてしまう。だから、持ち物の中にガイ・フォークスの人形を見つけてしまった生徒は、できるだけ持っていることを悟られないようにして、外の生徒の荷物の中に紛れこませるしかない。
ようは、トランプのジョーカーのようなものだと思えばいい。
聞くだけなら、簡単なゲームのようにも思える。しかし、これがなかなかのくせ者なのだ。このガイ・フォークスの人形はそれなりに大きく、隠すところも限られてくる……
去年は主に下級生の間で回っていたから、うちはガイ・フォークスに出会わずにすんだのだったが……
がらんがらん、とメトロンの鐘が鳴った。これが、本来の起床の鐘だ。これから寮中のドアが廊下に向かって開け放たれ、みんな顔を洗ったり身支度をしたりするので、おおわらわがはじまる。
監督生は、それをいちいちチェックして、みながちゃんと起床しているか回らなければならない。そのために、外の生徒よりも30分も早く起きるのだ。
「さあ、では行きましょうか」
ミス・シュミットが立ち上がるのと同時に、みんなが一斉に椅子を引いた。
今日のうちらの当番は、4年生以下の起床のチェックだ。まだ小さい子たちは自分ひとりで身支度ができないことが多い。毎日だれかが床にボウルの水をまき、やれボタンがとれた髪が梳けないと大騒ぎする。
特に手がかかることから、下級生の部屋回りをすることを、戦場回りとも言うのだ。
(やれやれ、今日は戦場か)
うちは、あくびをかみ殺しながらドア前に整列し、下級生たちの部屋がある二階へ、チェックノートを持って上がろうとした。
なんだか、今日は体が重いなあ。腰が重いなあ…、などと思っていた、
――そのとき。
「あら、ミチル。そのふくろはなに?」
「えっ」
ヘンリエッタに言われて、うちは嫌な予感がして、自分の後ろを振り返った。
そして、
「あああっ」
うちは、思いっきり声をあげてしまった。
いつのまに細工されていたのか、うちの腰に巾着ぶくろがまきつけられていたのだ。
「な、なんやこれ!」
うちは急いで腰からヒモをといて、広げて中を見た。
思ったとおり、中にはさっきベリンダが直したと言っていた、しかめ面のガイ・フォークス人形が入っている!
「うぎゃあああああっ、ガイ・フォークス!」
うちの悲鳴に、メトロンの鐘で起床してきたハウス生たちが、目を剥いてうちを凝視する。
「ガイ・フォークス!?」
「ってことは、今日はガイ・フォークス・デイ!?」
「やっぱり、あれをするの?」
「あの、人形のたらいまわしゲーム!」
あまりの突然のことに、ガイ・フォークスを抱きしめたまま硬直しているうちを尻目に、
「がんばれ、ミス・モナリ」
うちの腰にわざわざ巾着を結んでいったハウス長は、そう言って足早にその場を去り、
「……ど、ど、どーすればいーんや、これ」
うちは、救いの手を求めるようにヘンリエッタを見た。
ところが、ヘンリエッタはうちを見て、相談に乗ってくれるどころか、にやっと笑ったかと思うと、おもむろに階上に向かって大声でこう叫んだのだった。
「みんなー、ガイ・フォークスの人形は、中級プリーフェクトのミス・モナリが持っているわよぅぅ!」
「なっっっ!」
うちの顔と、手の中のガイ・フォークスを見るなり、みながぎょっとしたようにして、さささーっと散っていく。
うちは思わずヘンリエッタに向かって、ガイ・フォークス人形を振り上げた。
「ヘーンーリーエッター!」
「あはははっ、今日放っていったおかえしよ。じゃあね、ミチル。今日1日は近寄らないでね」
言うが早いか、自分の荷物に紛れこまされないようにと、うちの側から離れていく……
「なんてこった、やわ」
うちは、ガイ・フォークスの人形を持ったまま、呆然と立ちすくんだ。
――最悪のガイ・フォークス・デイが、始まった。
(5月29日更新予定の第2回につづく)
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