高橋章子
アッコです、ドモ。
目 次
●ビックリハウスは私の解放区
●アッコの青春
アッシは昔はボクだった
煮干の怨念
高校2年のある夜
インケンきわまりない奴
動機不純な花の旅人
A君のうなじ
「僕、ヒロシっていいます」
隠れタバコで大きくなっタ
●ちょっとヘンな話
私はコレが嫌いだ!
私には私のマナーがあるのだ
蚊よけ≠フ話
長ネギ療法
同病相憐れむべき人々
非模範的編集者のサイフ
ワワ〜ン、ワォンワン!! キャイン、キャイ〜ン
ヒトデ人間とイソギンチャク人間
夢の中で男のヒトと……
夢のつづき
●スーパー・クッキング
聡明な女は料理が上手い!?
新年をド〜ンと飾る豚耳、豚足入りおぞう煮
お悔みの日=月曜日のメニュー
寒さを楽しむオトトの姿
雨降りの日を心豊かに過ごす為に
ビールをおいしく飲もう!! 魚を使わない経済的なサカナ
太陽に挑むさわやか栄養料理3種
涼しさを呼ぶアツアツ料理
秋の枯葉にサメザメ泣く日のサメ料理
寒さを耐えぬくための冷菓
●街はバクハツだ!
喫茶店は都会のエアポケット
喫茶店でドラマを観る
キツネとタヌキ
クサルほどラブホテル
ビニール本の部屋へ行った
ヤケ買いのコート
おもい通り、公園通り?
ポリネックの私
グァムで寝まくる
入学歓迎コンパ泥酔後の空白
インポになったノドチンコ
スカートでなくてよかった
ゴキブリ友達の輪っ!
ミバのいい男
巨匠ヒビノとの夜
●マトモな視線
わたしの教育改革論
マジメな就職講座
トンでる女≠ノなりたい女
たくさんのいい男=Aそしてアホ
ホオにあたる風はつめたい
会社のセンスは社会のセンス
A子の不満
産み月の女
Kのユウーツ
ギャラはいくらでもいいのですが……
講演会なんて、もうヤーメタ
●あとがき
●文庫版あとがき
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いや実に、誠に突然ではあるが、うっア、アガッてしまうのだ。ビ、ビックリハウスは、今月号をもって終了しますっ! キャ〜、書いてしまった! 書いてしまった! わるいな。勝手言っちゃって。オイラのことは忘れてくれぃ。しょせん一つ所には落ち着けない流れ者サ。幸せになれよ。
[#地付き](『ビックリハウス』終刊号より)
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ビックリハウスは私の解放区
現実からいつも逃げてたネ
ほーんと、長いよね。編集長になったのはね、あんまりよく聞かれたんで覚えちゃったけど、1977年の秋あたり。8年ぐらいたつ。すごいねー。飽きないかって? いやー、ほとんど初めの日から飽きてるからさ、私なんか。ワハハ。毎日毎日いつやめようかって思い続けの10年間って感じだね。やっぱり、こんなに才能のある人は、編集雑務のようなことをしていてはいけないと思って。
みんな編集者になりたいとか言うでしょ。いろんな有名人に会えて、かっこいい知的な商売じゃないかと思ってるみたいだけどさ、その実生活たるや悲惨なもんじゃない。仕事の80パーセントぐらいが雑務でしょう。いろんな原稿の整理だったり、誰を立てる立てないでストレスは多いし、失礼があっちゃいけないと思えば神経もピリピリするしさ。
「ビックリ」で仕事始めて「こんなの私のやることじゃない」と思ったとき、「あ、やっぱり油絵やってた人間だな」って自分で思ったね。絵なんか描いてる人って、ある程度、自分は他人と違うっていう強烈な信念があるし、なおかつ自分はダメなんじゃないかって、いつも思ってるでしょ。
学校は武蔵美《むさび》(武蔵野美術大学)。ちゃんと卒業しましたよ。別に油絵じゃなくてもよかったんだけど、ようするに自分が知りたかったの。気持ちよく生きたい、そのためには自分を知らなきゃなんない。ボーッとしててもわからないわけだよね。結局何かをすることによって自分を知っていくしかないわけで、じゃ、その何か≠ヘ16〜17の自分にとってなんだろうと考えたわけ。でもそんなのわかんないよねー。そのとき自分はこれをやるために生まれてきた≠ネんてわかる人はほとんどいないだろう、それを探しながら生きてくのが人生なんだろうなって思ったの。じゃあ、自分の肌に合うことを考えよう。そうすると、結構絵が好きだってことだったの。
町内のお絵描き大会で一等賞もらったりしててさ。近所のおばさんに「まー、章子ちゃんは絵がお上手ねー」なんて言われたの思い出して、「もしかして私には絵の才能があるのかもしれない」とか、大いなるカン違いをしてしまったわけ。「ちょっと絵でもやってみようかな」って。だから、とりあえず自分を知るための鏡として、絵で試してみようと思ったわけね。
それで武蔵美に行ったんだけど、やっぱり絵をやろうなんて人はみんな強いよー。自分で納得しないものは許さないし。だからずいぶんつるし上げくったりしたよ。「君がアトリエで描いてるとこ見ると、真剣に絵と取り組んでる感じがしない」なんて。もうオタオタしちゃったけどね。そういうのってクサイけどさ、「へー、そんな話もあるかもね」って思ってるのと、自分がそんな目にあうのとじゃ相当な違いがあって。実際に自分が傷つけられることによって、そういう人間の愚かしさと真剣に生きてるっていう暖かさ――そんなのヤダよ、ヤダけどそういう血みたいなもの感じたし、そういう意味でものすごい目にいっぱいあったのね。
大学の前? 普通の高校生。文学少女というか、まあ志向はあったね。嫌いじゃなかった。印象的なシーンというのがあるんだけど、中学校の頃、階段が斜めになったボロ校舎の2階の図書室で、授業が終わったあと夕日のさし込む中で、私、SF読んでたの、毎日。メルヘンみたいなSF。お庭でコロちゃんと遊んでたら、穴ぼこがあって、入ってみたら火星に着いてた、とかさ。ハハハ。そういうのよく読んでた時期があるんだけど、あれは明らかに逃避なのね。はっきり言える。
あのね、現実がヤだったの。小学校のときから。親の言うことはよくわからないし、ダメだと言われることがどうしてダメかわからない。何がホントなのかわからないし、教師や友達とのコミュニケーションもどう取っていいかわからない。でも学校サボったり反抗したりするとオフクロに叩かれるから、ヤダヤダと思いながら表面はおとなしくしてたわけ。
それは私が一人っ子で、大人の中で育ってきたからかもしれない。圧倒的に一人遊びが多かったの。うちは両親ともに、なまじ学校の先生なんかやってるからうるさいしさあ。ちょっと反抗するとほっぺたつねって引っぱるしさあ。だから下ぶくれになったんですよ、私。母も気が強くて気合いが入ってましたからね。「なんで引き算できないの」って、30センチのものさしでぶたれたの、いまだに覚えてるもん。ワハハ。もう苦節十数年だった。
それが中1のとき、国語の講師ですごく面白い先生が一人いて、私たちに『異邦人』を読ませたの、カミュの。で、もう、ぞっこん。いまでもすごく好き。こういう世界を書いちゃった人間が一人存在するっていうことと、あそこに出てくるムルソーみたいな人物がいるってことが、すごくうれしかったの。「私も生きてていいんだ」と思って。でも『異邦人』読んでも救われなかったんだろうね。そのあとSFのお子様シリーズを乱読するようになったんだから。
でも、『異邦人』読んだ頃に、一ぺん死にたい≠ニ思ったことがある。子供のレベルでだけどね。すごくお茶目なの。地球がボカーンといっちゃえば同じなのに、なんのために人間生きなきゃなんないんだー、なんて。で、手首の辺ピッと切っちゃえば死ぬんだなーと。でも人間が持ってる自由ってのは自分を殺すことだと思ったら、ちょっと感動したのね。ただ痛いだろうな、なんて思って、そこがお茶目なんだけど。ハハ。でもヘンに死んじゃって読売新聞とか載るとカッコ悪いし。じゃあ自分で生きてみて、やっぱりバカな人間でしかなくてバカなまま死んでいくのか、ちょっと試してみようかなー、なんて思ったという伏線があって、また日常は相も変わらずダラダラと繰り広げられていくんだよね。
逆療法でビックリハウスに入った
武蔵美は短大と3年制と4年制とあるのね。短大は割と趣味っぽいの。4年制は絵の先生を養成する感じ。で、私の行ってた3年制は、画家を養成する所だったの。だからみんな理屈っぽいんだよ。気合いが入ってるから。土方して学費稼いでるのなんていたけど、ファッションでやってるんじゃなくて、ホントに生活が苦しい。冗談抜きで、学食でごはんだけ買って食卓のソースをかけて食べてる。10日ぶりに銭湯に行ったらば、栄養失調で貧血起こしたなんてのがいるようなさ。めちゃめちゃ青春してたわけ。
そんな中でも私は醒《さ》めててね、相当引いて見てたんだよね、そんな中にいる自分というのを。いつもサボっちゃ芝生で空眺めて、「やっぱ、絵を描いてもなかなかめっかんないな、自分は」とか思ってね。わかりそうな気がするのに、またスーッとわかんなくなるのは脳ミソのできが悪いからだ、あー頭が良くなりたい、とか思ってたのね。
ただ、いまにして思うと、わかんなかったのはやっぱり大学の中にいたからだと思う。あれは刑務所とか病院とほとんど同じでね、その中でどれだけ揉《も》まれても、外の社会ってのはすごくシビアだよね。だからわかんなかったんだけど、わかりたい気持ちがものすごく強くて、そんなふうにしてるうち、大学の終わりかけの頃にでっかいウツが来ちゃったんだよねえ。
ウツはちっちゃいのはよく来るの。そういうときは一人こもってモダエてる。ワハハ。いまはウツの時間は短くなったね。だって、やってらんないの、仕事があるから。お給料もらって共同作業やってるときに、てめえ一人のそういう生理的な問題でもって共同作業に支障をきたすってのは、許せないのよね。他人に対しても、もちろん自分に対しても。だから、ものすごいエネルギーで自分を持ち上げるのね。土日とかお正月の長い休みにウツして、休み明けには張りきっちゃうの。
まあそれで大ウツになっちゃって、卒業してからしばらく家にこもってたの。友だちから電話かかってきても居留守使っていたくらい、全然ダメなの。対人恐怖症になっちゃってね。外になんか全然出ない。生ゴミ回収の日に、ナミザキさん家《ち》の角まで、ゴミを持ってくという手伝いができなかったの。隣のおばさんなんかに会って「章子ちゃんおはよう」なんて笑いながら声かけられると、この笑ってるカゲで「この子はなんて生き方してるんだ」って批判してるんじゃないか、とか思っちゃうわけ。見も知らぬOLなんか通ると、「この人、私のこと批判してるに違いない」なんて、通り過ぎるまで門のカゲでかくれたり。相当おかしかった。そのままやってたら、きっと違う世界に行っちゃってた。
だけど私、ノイローゼなんていうのは自分をキチンと把握できないバカがなるもんだと思ってるのね。だからノイローゼになったりするのは自分が心底バカだったと世間的に公表することになるから、そんな恥ずかしいことはできない! と思ったの。人間てのは結局親も自分を助けることはできない、自分でなんとか治さなきゃいけないわけだよね。だからまず、何かを考えるのは一切休もうと思ったの。で、人と接触できる自分に持ってくことを第一段階としてやろうと思って、逆療法で、とにかく人としゃべる場所というのを探したわけ。それがたまたま「ビックリ」だったの。
武蔵美のときにちょっと接触した女の人がいたんだけど、卒業したら声かけてって言ってくれてたのね。それを思い出して、あの人顔広そうだから、と思って電話したの。そしたら、「ビックリハウス」という雑誌をやってるんだけど、手が足りないから来てくれって言うの。私、編集なんて興味ないし、なんにもできないしって言ったら「編集なんて誰でもできるわよ」って言うのね。で、「人たくさん来ますか?」「いっぱい来るわよー」「じゃあ1ヵ月だけ手伝わせてもらいます」ってことで……来たわけ。
そしたらまあ確かに人がいっぱい来てね。電話をとるためのバイトに来てるのに、もう緊張のあまり電話が鳴ると、「すいません、で、で、電話が鳴ってます」なんて言ってさ。家に帰っても「ビックリハウスです」なんて電話とってんの。もうあまりの緊張のために一日2〜3時間しか寝られなかったの。秋口に正社員になったんだけど、年明けるまで眠れなかった。半年それやってたわけだから、すごいつらかったね。
私、足の裏は実にきれいな人だったんだけど、当時炎天下で原稿取りに歩きまわってたら、マメだらけになっちゃって、いまや悲惨な足の裏ね。歩いたことなかったから。よくセックスのシーンで足なめたりするでしょ。一ぺんやってみたかったけど、イボなめてもらってもしようがないしさー、あの夢は断たれたよ、ホント。ワハハハ。
当時は4人ですよ、私を入れて。辞めたいけど、いま辞めると他の人が困るだろうから、代わりの人が来るまでと思ってて、それが一月一月延びて、正社員になっちゃったのね。萩原朔美《はぎわらさくみ》が編集長で、榎本了壱《えのもとりよういち》がADやってて、もう一人高橋克己という、その時点でもう十数年編集をやってたパキパキの編集者がいたんですよ。だから私は編集の基本的なことは高橋から教わったの。この3人が、いま30人にふくれあがったエンジンルームのトップですけどね。
面白くなったのはずいぶん経ってからだと思う。その前に一過程あって、年が明けたころに、たいしたこともやってないのにこの仕事は自分に合わないなんて、エラソーなこと言ってる自分が、ヤダなと思ったの。これだけの具体的なことをした結果、合わないと思ったって言うんならいい、だけど1ヵ月や2ヵ月でそんなことよく言うわ、と思ったわけ。それから腰すえてやり始めたんですよ。定期も6ヵ月分買って。――それでもう、あっという間の10年ね。やってもやってもわかんないし、仕事はいっぱいあるしね。
編集長になるのも、ヤだったのよお。突然萩原が、「もう僕やめるから、編集長やって」って。私なんかホント小娘で、とてもじゃないけどできないって言ったら、「別にすごくあなたに期待してやらせるわけじゃないのよ」って言われてさ。それで結構、楽だったね。彼のウマサだと思うけど。まあ、私みたいのにやらせるのも面白いと思ったんじゃないかなあ。
私が初めて雑誌の販売部数というものが気になったのはそのとき。売れなかったらどうしようって。「萩原さんが作ったものが見たかったのに、なんであなたになっちゃうの」なんて言われるのは覚悟してたしね。でもどうせ言われるんなら、やるだけのことやって言ってもらおうじゃないって思ったの。ある意味で居直ったんだと思う。それからコツコツとした地味な毎日が繰り広げられて……1年ぐらい経ったときに、やっと少し自信がついたみたい。おかげさまで、売り上げが落ちなかったもので。
毎日ちょっとずつ強くなった
こんな雑誌にしたいっていうイメージはあんまりなくて、ただ昔から考え方が変わってないの。萩原たちは「世の中で決められたことに納得できないんだったら、自分で正しいと思うことをやってみたら?」という人たちなのね。雑誌もそうでしょ。教えられた笑いじゃなくて、自分でそんなにおかしいと思うんならちょっと言ってみな、聞いてあげるから。1+1=2と教えられたけど、もしかしたら3かもしれない、そのへんをちょっと遊ぼうよっていう姿勢でしょ。私は前からそのへんを悩んでたわけだから、すごく生きられる場だったわけですよ。だからやってこれたんだと思うね。
企画はね、ちゃんと編集会議なんてやると出ない。毎日自分が感じてること、面白いと思ったことが企画の一番の源でしょ。出社したときに、人間て面白いことは言いたくてしようがないから言ってしまうものでね、そういうのを「それ面白いじゃない、メモしといて」みたいにやってるの。そうやってヒントは拾うようにしてる。
「ビックリハウス」ってのはだから、私にとっても解放区。それに、私と一緒に生きてきたよ。私の精神的な成長、自立と一緒に。ほとんど自閉症の人だったわけだから。それが企画たてたり、毎日毎日地味な……もう何べんも言っちゃうけど、ほんとに毎日って地味なんだよね。でも自分が他人に言いたいことがあって、それをメッセージするための表現なんだから、恥ずかしがったり臆病《おくびよう》にならないようにしよう、というところに自分を持ってくる毎日だったね。もう思ってることを、どうにも言えない人間だったんだから。
これは画期的な荒療治だったね。仕事やりながら「きのうよりちょっと強くなった気がする」っていう毎日だった。10年前といまのこのダンチの差って、当時著者だった人なんかに久々に会うと、信じられないって言われる。あの電話を取れなかったアッコちゃんが、「もしもし、今日便秘でさー」なんて言ってんのは信じられないって。ハハハ。そう言われてみればそうだけど。
もう毎日が針のむしろね。そうやってちょっとずつ強くなってった。私、人間が成長するなんてクサイ言葉だと思うけど、ホントに成長するということがあるなら、自分のことをちょっと引いて見ることができるようになることだと思うのね。精神が幼くて状況の中に巻き込まれちゃうと、自分が見えなくなって判断力が鈍るでしょ。そのとき渦の中から一歩足を引いて外に出ることさえできれば、その状況が見えて、手の打ちようもあるわけ。で、それってのはいっぱい痛い目に会わなくちゃダメだと思うの。これさえ乗り越えれば、次に同じような状況のときに、引いてものが見えるだろう。そしたらもっと違う発見ができるかもしれない。毎日そうやって自分の臆病さとの闘いね。いまでもそう。
たぶんいまでも、同じ人間なんだと思うの、基本的には。でも人としゃべりたい、そのために人と接触してて不都合な部分を自分で改善しただけの話なのね。ほんとに自分のギリギリのところまでさらけ出してる。人間が変なこだわりや自意識で頭の中で考えたものって、やっぱりそれだけでしかないの。でもギリギリまで露出した先の仕事とか表現になると、ものすごい意外性が出てきて面白いでしょ。せっかくいろんなものを見られる立場にいるんだから、そこまで踏みこみたいのね、私は。それで結局、自分をさらけ出すということは、他人をもさらけ出させられるんだよね。
そうね、私ぶきっちょね。だから自閉から全開へ行っちゃうのかもしれない。白黒はっきりさせるの好きだし。まあそれは方法論で、人がどう思おうと自分の納得いくアピールの仕方、生き方をし続けるしかない。そのためには絶対飾ることはやめようと決めたわけ。根性だね、もう10年もそれやってんだから。
私、油絵を選んだときに初めて自分で生きてると思ったの。選んで歩み始めた自分てものに、ものすごく陶酔感があった。そのかわり、親とか親戚なんかは、もう「アホー」という感じ。女の子が絵なんかやって何やってんだって感じでさ。すごいちゃんとしたお家だったから。もう保守的な、自民党のような家庭ね。「ビックリハウス」に入ったときも大変よ。「なんなのそのいかがわしい会社は。普通の女の子は朝8時に出かけて5時頃帰ってくるのに、あんたは11時ぐらいに起きて夜8時過ぎないと帰ってこない」って。まだその頃なんか早く帰ってたのにね。で、言ったのよ。それが間違いだというのはあなたにとっての間違いであって、それがホントに人生の大変なペケマークなことかどうか、私が判断してやってることをまず見てくれって。それで「ビックリ」に入って3年目ぐらいね、やっと親が「こういう生き方もあるかもしれない」って思ったのは。
もう、うるさかったよお。でもここで折れたら自分が生きてる意味がなくなる。いまにつながる強さっていうのは、あの頃つちかわれたのかもしれないね。自分がやりたいことは誰が何と言ってもやる! という強さは。家は3回ぐらい出てる。そのときどきでいろんな事件があって家にもどったんだけど、1回目は他愛ないことだったよ。武蔵美のときだけど、お金がやっていけなかったの。ハハハ。あの頃から自分の考えを親にぶつけ始めてるのね。で、これだけ自分を主張するんなら、経済的にも自立しないとおかしいと思ったの。で、家を出たいと言ったら「男を引き入れるんだろう」なんてバカなこと言われてね。腹立っちゃったね、そのときは。潔癖症なのね、私って。
自分へのこだわり? あるねー、すごいある。というのは、私、わかんないの。世の中も、人間が生きてるということも何もかも。そうすると一番確かなものって自分でしょ。自分だけが手応えがある。そこから発していかないと何にもできないの、私は。物はすべて自分から発してる。逆に言えば自分しかいないわけ。でも同時に人のことがすごく好きだから、人と一緒にいまを生きてることもすごく楽しいの。だからしゃべりたくてしようがない。
その私のメッセージの仕方は、武蔵美のときは絵だったし、いまはひとつの手段として雑誌が手元にある。頼まれてエッセイや雑文書くのも楽しいし、ラジオやテレビに出ることも、そういう媒体を通じてメッセージしてるわけね。もう、表現方法というのはなんでもいいの、私。女優になったっていいなと思う。そうやって私が人に伝えてるもの、表現してるのは、すごく大好きな人とお酒飲みながらしゃべってるのと同じレベルなんだよね、ある意味で。じゃあなぜそれだけで終わんないかと言うと、酒飲んでしゃべってるのと、メディアを通じてやるのと、来るリアクションのすごい違いを知ってしまったからなんだと思う。
それが楽しいの。たぶん、味しめたんだね。酒飲んでんのはやっぱりマスターベーションよ。メディアを通じて表現して、考えもしなかったようなリアクションが膨大《ぼうだい》にやってきたとき、それが鏡になって、また自分がビカーッと映っちゃうわけ。そうやって気づいてなかった自分のいろんなところをまた発見したり。ホント、生きてるっていうトキメキがありますね。
日常生活がメッセージよ
「ビックリ」は別に「若い子だけおいで」って言ってるわけじゃないんだよね。面白いよっていうボールは相手の年齢を問わず投げてるつもりだけど、たまたま時間を持ってるもんだから、若い子が投げ返してくるのね。そうするとついつい、その子たちが志向してるような方向に、人選なんかでもサービス精神発揮しちゃう。やっぱり相当プロになってきたからさ、なんちゃって。購買層に媚《こ》びてるように見えるかもしれないけど、ボールはいろんな年齢層に投げてるつもり。
私が「メッセージ」という言葉をよく使うのはねえ、例えばおばあさんが老人会に通い続けてしまうのは、家庭が淋しい、それを社会がフォローしてないっていうひとつのメッセージなのね、行為そのものが。乞食をするのもひとつのメッセージだと思う。酒屋のおやじが子供たちをインテリに育てようと思って塾にやるのも、彼のメッセージだと思うの。そういう意味で、すべての人がやる行為そのものが全部メッセージだと思うわけ。それをくくる言葉がなくて、こういう言葉を使ってるんだけど。
そう、ごたいそうな意見をカクカクシカジカと世の中に送り届けるという意味ではないね。それこそクサイ言い方で言うと、生きざま≠ニいうものでございますが。そういうもんじゃないかな。だから表現以前の日常生活の中にも、というか生活すべてがメッセージだと思うわけ。ただ、それを意識して生きるのとそうでないのとじゃ、ダンチの差がある。小市民のレベルでもって、メッセージし続けて生きてくことを自覚してる人は、ホントにすばらしいと思う。そのレベルできちんと生きてる人は、ヘンにメディアに乗って表現してるつもりになってる、あまり根っこも生えてないのにイキがってるだけの人種よりは、はるかにすばらしいと思うの。
そういう私の嗅覚《きゆうかく》で、「ビックリハウス」に来る投書を選ぶのね。教わったことじゃなくて、ホントに自分で感じた、だから言いたくてしようがなくて言っちゃったっていうのは、出ちゃうのね、投書に。ホントに面白いと思ってないのに「こんなの書いたら載るかなー」なんて送ってきたのは、もうクサくてどうしようもない。
その基準を教えて下さいって言われても、言えないね。やっぱり読んで感じるわけ、私が。学校の作文に書いたら1つけられちゃうようなことでも、すごく素直に感じたことを書いてあったら、みんなにも「こんなに感じたことを素直に言ってる子がいるよー」って教えてあげたくなっちゃうじゃない。そういうのを嗅覚で選んでるわけ。それが「既成概念にとらわれない枠《わく》作り」に通じてったと思うけど、自分がそういうの好きだったから、そこは絶対に崩さなかった。だからPTAなんかでは面白がられるようなものを、相当な量ボツにしてるんじゃないかな。
投書はいま、中っくらいのダンボール箱に一杯来るよ、一日に。読むの大変だよー。投書がいっぱいあるから編集ラクでしょ、なんて言われるけど、とんでもハップンよ。心意気としては一緒に遊んでる気持ちだけど、こっちは編集者だから、仕事なのよね。しかもしっかり方向を定めてやらないと、企画がどんどんあらぬほうへ走っちゃうし。ちょっと目を離すと全然つまんない基準から作品作ってきちゃうし、ちょっと気ィゆるめると離れていくでしょ。もう相当エネルギー費やしてるよ。肉体的にも精神的にも。こういう言い方をすると読者は怒るかもしれないけど、ものすごく労力のいるお守って感じ。
ホント、こっちも真剣に四つに組んでるから。編集者も面白がりながら一緒に遊びたいし、なおかつ自分たちがこんなカタチで遊びたいと思ってる枠を相当守る。しかもあまり甘えられないようにしながら、個人のレベルでは面白いことがあったら勝手に言いなっていう……そのレベルを保つのは、ものすごい闘いね。相当疲れる。
投書は、面白いのはすごく面白い。ただ、私たちに刺激になるとこまでくるのは、ホントに少ないね。ヒットメーカーは少しは出てくるんだけど、そういう面白さは「♪チャンチャン」で終わっちゃうわけ。コンスタントにあるレベルのものを出せるのが、その人間が面白いってことだよね。そういうのを商売にしちゃった人間は、10年間やってきた中で3人ぐらいしかいないけどね。
「ビックリハウス」に投稿するのも、もちろん一つの表現方法だと思う。でも、ちょっとひねった作品書いてきて、よく載ってるような子っていうのは、たいてい普通の価値観でいうと学校じゃ浮いてるような子なんだよ。そういう作品を書けるっていうのはやっぱり、先生の言うことはどうもヘンだ、おちょくりたくてウズウズしてる、みたいな子でしょ。まあ、相当浮いてると思うね。第二のファンというのもいるんだよ。あんまり投書しないけど、ファンというのが。私最初、買ってる子はみんな投書してると思ってたの。で、アンケートカードくれた子たちに抜きうちで電話したら、ほとんど投書してないんだよね。「だってアンケートカードくれたじゃない」「あれは頭使わなくていいから」って。投稿しないで面白いのって聞くと、載ってるものが面白いんだって。そういう子のほうが多いって、そのとき初めて知ったね。どうも失礼しましたって感じよ。
編集部に直接遊びに来ちゃう子というのも、意外と投稿してないの。そういう行為でコミュニケーションしてるから、家でシコシコ葉書に書く必要がないわけ。ヒットメーカーに限って来ないね。来ても暗い。スミのほうに座って、話しかけてもうまく答えられなくて、赤くなったりしてんの。で、帰って何日かして、すごーく長い手紙をくれて、「あのときはしゃべれなくてごめんなさい。意図があってしゃべんなかったんじゃなくて、アガってただけですから誤解しないで下さい」みたいなこと書いてたりね。そんな日常があるから、そういうのイメージしながら、「メッセージ」という言葉を使っちゃうのかもしれない。彼らもRCのコンサートでキャーッて言ったり、明るく編集部に来て話したい、でもできない、だけど自分≠ェいて、みんなと話したがってるのね。
自意識過剰なんてやめちゃおう
リードしてることを感じさせてないってこと? そうね、だってそれやったらば、宗教になっちゃって、クサイじゃない。宗教嫌いだから。呼びかけて集めるよ、面白いから来いって。そいで布教もしちゃうけど、そのあと離しちゃうから。宗教の人たちが答≠教えてる、あれはうちは絶対ナシでやってるから。自分の思ったことを言えという一点でやり続けてる。それが、それこそこちら側のメッセージだね。こっちが面白いと思うことを言い、君たちが面白いと答えてきたものをくくって一緒に遊ぶけど、そこから先は面倒みないから、また自分の感覚で面白いもの見つけてきなさい、じゃあね、バイバイって感じ。それはきわどいとこだけどね。決められたことに対して聞く耳は持つけど、私たちの言いたいことも聞いてくれっていうことだけやってきたつもりなの。
よく「新しい日本語を生んだ」とか、逆に「日本語を乱した」なんて言われることあるよ。でもそんなの意識してたこと、ない。時は流れてて、社会の現象も変われば、言葉も変わると思う。だから、いま10歳の子と70歳の人の言葉は、明らかに違うと思うよ。
いまの若い子の流行語を、お父さんたちが「わからない」で切り捨てちゃうのと同じように、彼らも昔の言いまわしを知らない、あるいは教えられ方がつまんなくて覚えるチャンスがなかったのよね。こういう言葉を知ってると、君の言いたいことはこんなによく伝わるよということを、もっと楽しく教えなきゃダメなのよ。それをやらないで「若い子は言葉を知らない」って言って落ちこぼれ扱いするのはどういうことだって言いたいね。
ただ、何かをやることによって、気づいてく子もいるみたい。うちの「エンピツ賞」なんて10枚も書くわけでしょ。あれも、文章は稚拙でも君のホントに言いたかった世界が垣間見られればマル!! という基準なのね。そうすると、文章は稚拙だけどすごく面白い発想してる子というのが、1作目が入賞して、2回目、3回目を書くときに、ジレンマにおちいってくことがわかるの。ボクのボキャブラリーではここまでしか表現できない。そうすると、どうやら本を読み始めるみたいでね、次の応募作に、いろんな作家の模写が見られるの。そういうのはオリジナリティがないからボツになっちゃうけど、次に期待しちゃうのね。ちょっと頭のいい子は模写から抜けて、また自分の言葉を見つけて、うまくミックスさせたいいのを書いてくるんだよね。
もちろん、新しい言葉というのは、すごく持ってると思うよ。でもそれだけでは人を笑わせられないと思うのね。視線、目というものがまずないと。それは昔の人もいまも同じだよ、きっと。ただ、いまは独り言や友達としゃべるレベルのものが陽の目を見る媒体があるんだよね。雑誌はもちろん、テレビもラジオもあるし。だから、まず何かをおちょくってみたり疑ってみたりしたくなった若いひとつの価値観が、それを表現するために言葉遊びを選んだり、あるいは音楽に走ったりするんだろうね。
「ビックリハウス」やってたこと? 自分のためになったよお、すごく。とにかく世の中にハラ立ってしようがないからさ。それを真っ向から言うと全学連になっちゃうじゃん。遊びで言いたかったの、「世の中ヘン!」ていうのを。もう最初からそう。
私は女だったことでトクしたと思ってる。それは私だけじゃないと思うんだけど、同じことできる人間なんて、いくらでもいるのよ、男でも女でも。ただ、場とチャンスは限られてて、行きつく人も限られてる。もう、卵子めがけて行く精子みたいなもんだよね。ハハハ、いま絵がバーッとイメージできちゃった。
で、そのときに、やっぱり女だと目立つんだよね。同じことやってても、これが男の人だったら当たり前。女だから「お、やるじゃん」という評価をもらえるの。そういうこと言われるのは頭くるけど、そういうふうに言われることで場を与えてもらえるんだよね。場さえ手に入れれば、男だ女だっていう以前のものを見せてやれる。もうひとつは、たまたま私が足を踏み入れた、萩原朔美って人がやってたこの集団が、男も女も関係なくて、出るクイも打たず、大いにおやりなさいという場だったの。だからものすごく恵まれた環境の中で、苦労知らずでやってきたと思う。
女ゆえの苦労というのがたまさかあっても、それはクヤシイのでいい仕事してギャフンと言わせてやれっていう、次へのエネルギーに転化してきちゃった。ただ、世の中には女だから損したとか、ヤな目にあった人がすごくいるだろうね。私、そういう人の話を聞きたいぐらい。勉強のために。そこから何かを垣間見られると思うから。ホントに自分は甘ちゃんだと思うけど、でも状況がそうだったからしようがないね。
だけどそういうのがあるってことは、私、世の中ってホントにバカだと思う。くだらないことにとらわれて、ものすごくいい芽もたくさん摘んじゃってるんだもん。20年間ロクでもない編集やってきた男を、キャリアがあるからって編集長にするよりも、1年しか経験のない人でも、すごくいい芽があるんならやらせてみればいいじゃない。逆に、ちょっと小ザカシクてやり手に見える女より、地道にいい仕事やってきた人に任せればいいんだよ。ホントにキチッと自分の目で見るということを、どこもかしこもやれば、すごく楽しめる世の中になると思う。
いまはヘンに、余計なルールを作りすぎてるね。それに気づいた人間だけが生きのびられて自分を表現できる。気づかないと、ひとつの玉として消費されちゃう、みたいな。だから私は編集長になったとき、宣伝のためにいろんなとこに出たのね。それが引いては出たがり≠ニいう印象を世の中に与えてしまったみたいだけど。ワハハ。自意識過剰はやめて、こんなカッコ悪いことでもいいからやっちまいな、みたいなノリですよ。ほとんど学級委員の心意気ね。私がまずヤなことやってあげるから、あんたたちもやりなって感じだった。
私、昔からそうなんだけど、雑誌をずっとやっていこうと決めてるわけじゃないのね。ただ、せっかくこういういい媒体を持っていながら、まだやれてないことがあるんじゃないかという気持で続いてるの。いまは共同作業が結構面白い。そんなの全然だめで、一人でシコシコ絵を描いてた人間だったはずが、共同作業が好きになってるってのも不思議なんだけど。やっぱり、何人かのいいもの持った人が集まると、自分じゃ想像もつかなかったところに走って行くというのがすごく面白いの。あるいは人からの刺激で、気づいてなかったものが自分から出てくるのも面白い。
でも、ある種のミキリというか区切りを自分でつけたときには、またほかのやり方、表現手段をさがすと思う。派手に売れてるメディアじゃなくてもいいわけ。ただ、たくさんの人に聞いてもらいたいという気持ちはあり続けると思うの。それがうまく転がらなくて、すごくマイナーに終わってしまっても、メジャーになりたいなりたいと思いながら、きっとやっていくだろうと思うね。味しめちゃったし。
ホントに、楽しい仲間とコツコツ楽しい仕事をしていきたい。それが世の中に認められたらうれしい。認められなくても、楽しい仕事をしたい。こういう人間だから、きっとババアになってもずーっと何か言い続けてるんだろうね、私。
[#地付き](インタビュアー 島森路子)
[#改ページ]
アッコの青春
アッシは昔はボクだった
ボクは、ボクのことをボク≠ニ呼んでいたことがある。
「この口紅、ダレのぉー?」「ハイッ、ハイッ! ボクの!」
「この花、生けてくれたのダ〜レ〜?」
「ハイッ、ハイッ! ボクどぇ〜す」
という具合にである。
なんでこーなっちゃったかというと、あんまり各地の女の人達が赤い口紅で「アタシ、アタシ」と女っぽいもんだから、あーふーになるのが恐くって、んで、私はアタシじゃなくてボクなんだ、と思うことにしたんである。
14歳の夏の日のこと。と、書ければよいのだが、これが、25歳ぐらいのことなのだ、思春期の話なら正常に近い出来事だが、しっかりした胸と腰して目尻にシワ寄せて「ボク」だもんね、ほとんどオカマなのだ。
よく、自我に目ざめてしまった若い子らが、ママのことをママと呼ばずに「あのヒト」と言ったりすることがある。はたまた、ママに向かって「アンタ」と呼んだりすることもある。「あたしゃ、アンタとは違う。一個の人格だぎゃー」と必死にアピールしているわけである。私も自我に目ざめてしまった頃、かつて、やった。
で、「ボク」だが、こちらもやっぱり、同じように必死に自分をアピールしてるんである。――「あたしゃ、男の性欲処理機じゃないぎゃー。君らと同じ一個の人格だぎゃー」
ほら私は美しいのでモテルため、前述の気持ち悪い少女趣味的おびえに加えて、このようなフェイントをかけずにはおれなかったのである。
現在、私は私のことを「私」と呼んでいる。ボクと呼ばなくなったのは、性欲処理機になったからではない。自分のことをボクと呼ぶ女性が増えたので、はずかしながら単にヤンなっただけのことである。
ちなみに「私」と言う時の発音は、「アタシ」だったり「ワタシ」だったりマチマチだが、早口なので「アッシ」となることが多い。
アッシはね、でも、木枯し紋次郎じゃないです。
煮干の怨念
すばらしい先生との出会いは、その人のジンセーを左右する。てなふうなコトを昔の人は、言ったようである。昔の人ってナメてると時々いいこと言ったりするから、キット、ホントなんだと思う。私は、経験ないが。
先だって『ビックリハウス』に、こんな投書がきた。
「産休あけの保健の小田切先生が、授業中にボウルに母乳をしぼり出し生徒に飲ませたので、大変に驚いた」
さぞかし大変に驚いたことと思う。投稿者は、17歳のフクちゃん。ビックラゲーション(=最近驚いた出来事、を掲載)のページへ送られてきたものである。
私が中学に行ってた頃、家庭科の先生に毎時間煮干≠フ話ばっかりする先生がいた。先の小田切先生と同じく一児の母なのだったが、煮干が如何《いか》に妊娠中の母体にいいかということを授業の度に、私ら女子中学生に熱っぽく、うったえるのであった。
「あたくしは、もう、おやつ代りに妊娠中ずーっと煮干を食べてましたのよ。ですから本当に骨のしっかりした子供が産まれて。これだけは覚えておいてください。煮干はダシを取るだけじゃモッタイないんですっ。妊娠したら煮干を食べてくださいっ!」
煮干、煮干って、るせぇーんだよっ! ったく。関係ねえーことばっかり喋りやがって。と思ったが、しかし、人間とはおそろしいものである。他にどんなことを習ったかは覚えてないのに、このことだけ忘れない。煮干の怨念といったよーなものさえ感じるのである。
が、この煮干先生は、煮干の食べ過ぎか、2学期の途中でやめた。代りにやって来たのは、神経の張りが体に脂肪を付けることを許さないヤセギスの時間講師だった。この人は、煮干ならず、また違った強い信念を持った人だった。
どういう信念か?! それは、料理とはあとかたづけ≠ワで含めてを料理と呼ぶ。という信念である。したがって、調理実習のあとは、障子《しようじ》の桟《さん》のホコリを拭き取るシュウトメのように、すべての調理台を下水のくだまで覗《のぞ》いてチェックして回るのだった。
この一件は、のちに私に大きな影響を与えることになる。原稿書きの際も、マス目を埋め終わったからといって、終了したぁ〜♪ とは思わない。机の上の消しゴムのカスを寄せ集めてゴミ箱に捨て、飲みかけのコーヒーカップを洗う。
まだ、あんのだ。それからタバコでけむった部屋に香を焚《た》き、窓を開けはなつ。で、やっと、原稿書きが終わったぁ〜♪ とスッキリ喜ぶ次第である。
特に好きな先生だったということではない。が、星飛雄馬のように全身をメラメラと燃やしつつ下水を覗く様《さま》は、13〜14歳の私には相当キョーレツな印象だったのに違いない。
いい先生(人)かどうか云々。そんなことは、ある意味では、どーでもいいことなのだ。ヒトは自分をとりまく様々な事象を目にして何かに気づき、イロイロと思いをめぐらす。でも、だから、そんな中で、心は育つ。
前述の母乳試飲事件≠ノしても、それを機に、お乳の商売化に目ざめてしまったフクちゃんかもしれないではないかっ?!
はカンケーねーやい。すべては、自分を育むココロの鑑《カガミ》なのである。このことに気がつかない奴は、ダメだ。断言する。煮干先生の、ノリで断言する。
人の話は聞くもんだというテーマに話は移る。そうなのだ。ったく、心の育ってないやろーが、よーけ、いるわけなんである。ヒトが、ヒトと一緒にまーるい地球で生きてて、何がイヤかって、無視されることほど不快なことはない。単純な結論を、オーバーな言い回しをして誠に申し訳ない。
いや、最近、フトこー、知り合って間もない若い人々と話をしてて孤独といったよーなモンを続けて感じたりした次第である。もちろん私は優秀な人間だからこの感情は一体なんだろうということを考える。そして、ひとつの崇高なる見解に達した!! やつらは、あいづちの打ち方が、ヘタだ。んん〜なんと味わい深い見解であろうか。
ヒトが、喋る。これはもう、そりゃあスバラシーイことなのである。あったかいことなんである。それを思えば相手がどんなアホでも「私は今、あなたが言ったこと聞いてましたよ。くっだらねーと思ったけど」とか、それなりのリアクションってもんを、したくなくても思わずしてしまうのが正常なる心というもんである。
それが、ねえんだよなー。最近の若けぇもんには。自分の興のノルことは、しこたま喋るくせに、あれは自分一人が生きてるという意識が異常にツオイからなのでは? と私はニランでいる。(自分が主役じゃない)耳を通り過ぎていったことに関しては、すこぶる冷たい。
誰もがヒトリ。そんなこたぁ教えてもらわなくても知ってるやい。でも蠢く個≠ニ蠢く個≠ェ交わるからこそ、わぁ人と人とが生きてるってすてき 嬉しいなあコミュニケーション♪ キャイのキャイの♪ と、なるのだ。
交わるって言えばSEXのことしきゃ考えないんだから、PTAの会長に言いつけるよ、ったく。そんなに個≠セけが大事なら、山奥行ってタロイモでも掘ってればいい。タロイモばかり食べてると、太るんだぞ。ブタだぞ。
聞くところによると、ますます一人っ子が増え続けている1985年の日本。人が交わる社会生活の営み方が分かんないお子たちが急増しているというではありませんか。
例えば、家庭科ひとつ取って言うならば、裁縫のテクニックを修得するのも良い。料理の作り方を知るのも良い。自分で自分のことが出来るようになれるのは、嬉しいことである。
けれど、作ってあげたら楽しい。作ってもらったら嬉しい、ありがたい。人が暮らす、生活するっつーことは、むしろそーゆーことなのであって、だから毎日≠チてもんは、こんなにもキュートなんだ! ってことをだね、あんたら何年学校通ってんの、たくさんの人と一緒に暮らしてる嬉しさをガチッと感じ取らなきゃイカンでしょっ。なのである。
ちなみに、私は、一人っ子である。協調性のない一人っ子であり、協調性のないA型であり、協調性のない辰年生まれだ。こんなに協調性がないとは知らなかった。
家庭科のゆかたも毛糸の手袋作りも、途中でサジをなげた。だが、価値観を表面のみに置かず、人ってキュートだわ という相互関係のぬくみの美学をクサがらずにガッチリ感じ取ったのは、実にリッパな感受性と言わざるを得ない。
要するに、私がここで一番言いたいことは……私を仲間に入れろ! わ、わ、私だって生きてんだぞ! ムシすんな! あいづちぐらい打て! いいじゃないのさ、減るもんじゃなし。
とまあ、そういったことである。自分だけが生きてんじゃナイっていうエチケットぐらい身につけたって、ソンはないと思うのだがね。
お針セットを男が持つ。これは、いいことだ。でも持ってなくても、別にそれはそれで、いい。女も、しかり。持ってても、持ってなくても、あんなものどっちでもいい。それこそ個人の好きでよい。
男がお針セットを持ち歩くなんて変態ですわ。男子、厨房に近よらず! って昔から言うじゃありません? 女ですもの、人に言われなくても、お針セットぐらい持ってるの当たり前ですわ。という世間の常識≠烽る。あれはヘンである。しかし、ヘンだからといって女性差別反対とか言ってプラカードなどかついだりしないところが私のエライところである。めんどくさいのだ。
だいたい、アレでよしとする二人がいるのなら、私には関係ないことだ。割って入って、間違っている! なぞと誰が言うことが出来ましょう。それはそれできっと正しいのだ。世の中、すべて需要と供給の関係である。
ただ、お針セットを携帯したいタチなのに、男だからヤバイと思い込んで悩んでいる方。あなたはハッキリ間違っている。さっそく今日から持ち歩きましょう。隠れホモのよーなマネして生きるなんて、おろかなことだ。
すべては、もっと、おおらかに考えたいものである。好きこそものの上手なれ、とは、昔の人はいいことを言う。得意な分野はバシバシ開発した方がいいに決まってる。
女らしさ、男らしさ――らしさ≠ヨのこだわりというのも、よく世間では話題にのぼる。
らしさ≠ネんてもんは、放っておいてもジワ〜とにじみ出てくるもんだ。そんならしさ≠みがくヒマがあったら、人間らしさをみがいた方がずっと有効だと私は思う。
オカマにだってオカマなりの男らしさがある。レズにだってレズなりの女らしさがあるではないかっ。そう思っているのは、私だけだろーか。
しつこいようだが、イヤでも男と女はらしさ≠フ色香を死ぬまで出し続ける生きものなのだ。
したがって、現在技術・家庭≠ェ男女とりまぜた上での選択になっていると聞き及ぶに、よろこばしくて涙が出る。私が幼少のみぎりは女は家庭科、男は技術と決められていた。と書くと、まるで明治生まれのようだが、私は、つい最近の生まれ、だ。ほんと、ごく最近だ。
料理ギライだがノコギリ持たすと一日中でも木を切ってるという女の子だっているだろう。カンナは重くて持てないが針は持ってると心が落ちつくという男子だっているだろう。男だから女だからと振りわけていくのは横暴である。人間性をまったくもって無視してる。先でも述べたように、ムシだけは、しないでもらいたい。
突然だが、上野動物園のハイエナ夫婦には子供がいない。飼育係の人が何度も挑戦したが、どうしてもメスにオスがやらしていただけない。メスは毛並み良く体格もよろしい。オスは色ツヤ悪く、貧弱で見るからにヤセっぽち。ヤツらは良い子孫、つまりは強い生命力を持った子を産み出すべくSEXする。故に、メスがミバの悪いオスハイエナを拒否するのだ、という記事をずいぶん前に読んだように思う。
人間は、ハイエナじゃないのだ。毛のツヤが悪くたって、毛皮の下をも感じて評価出来る心がある。昨今は、背丈・学歴・月給・将来性・家族構成等々だけをおもんじる花嫁予備軍の存在もあきらかにされてはいるが……。上野の山のハイエナが笑う時、どうやって笑うのだろうか。なさけないことである。
男、女、はコッチにひとまず置いておく。そうして自分はどれが気に入っているのかを考える。そういう単純な素直さみたいなもん、大事にしたい。
私は料理は、好きです。でも洗濯と掃除は嫌いです。特に掃除は大っ嫌いです。だからなるべく汚さないようにする。でも私は結構いい奴です。一人が好きで、でも人といるのも大好きです。人はこわいけど、でも大好きです。
あらゆる人が鏡です。どれだけも、どれだけも人間らしい心を育ててゆきたいと思いまっっす。接触した人々との一瞬を大事に楽しみたいと思いまっっす。これからおソバを食べます。お腹がすきました。おツユは、もちろん煮干でダシを取りました。そしてもちろん、あとかたづけもバッチシです。
では……いっただきま〜す♪ 暮らしと生活を見つめる目で、社会に棲息する者としてのエチケットを学んでいくことを、ちっかいま〜す♪
できる、かな?
高校2年のある夜
もうじき、可愛いおヨメさんだね、アコちゃんも。
と、言われて、ゾォーっとした。が、気を取り直して、ひとこと「トンデモナイッ!」と絶叫したのは、高校2年の、とある深夜のこと。近くに住む、仲良しのオバの家に泊まりがけで遊びに行った日の夜のことである。
オバは、当時65〜66歳で、元教師。一人息子の出産と時を前後して教職を退き、以後、専業主婦。昔、モガ。いわゆるインテリ。
オジは国文学者にて、かつ、人望あつき教育者。短歌・雑文等々の著書多数。絵画も手がける、いわば、これまたいわゆるインテリ。
類は類を呼ぶ。とでもいうのだろうか。知性を隠しきれないインテリの私は、この二人が大好きで、小さな頃から、よくフラフラと遊びに通っていたのだった。その日、オバは、オジたちが寝静まると私を居間にさそって、あつい紅茶を入れてくれた。そして先の会話。そして会話は続く。
「トンデモナイ、って、じゃあアナタ一生結婚しないの?」
「いやスル、しないとかいうんじゃなくて、あたしホラ、自分は何をすべきか?!≠ンたいなトルストイみたいなこと言ったりしてんの、スキだからぁー、ハハッ」
高校2年生は自分のセリフのクサさに「ハハッ」とテレ笑いしながら言葉を続ける。
「だから、自分のことが知りたーいとか、ろくでもないことばっか考えてて、結婚云々とかヨメが云々とかにまで、気がまわんない、っつーか……」
オバはフーンと言ってから、何かを考えてるような顔して、そして一気に、こう喋った。
「あたくしだって、結婚なんて、ぜんぜん興味なかった。自由に気ままに、一人でやっていこうと思っていることが、たくさんあった。でもね、パパ(オジです)と知りあって、パパの方があたくしより、ずっと才能がある、と思った。それで、パパの才能の為に、あたくしの人生を使う、それも一つの悪くない人生の使い方だ、と考えた。だからまよわず教師をやめたし……あたくし、中途半端は嫌いですからね」
フーン。今度は、私が「フーン」を言う番だ。オバは「でもアナタ、がんばりなさい!!」と話を結んで、紅茶をひとくち飲んだ。
ゴクリ。私もひとくち飲んだ。カップの中で、輪切りのレモンがふやけてプカーっと浮いている。
いろんな自分の表わし方ってもんがある。
ハタから見てると、どれも同じに見えるものなんて、いっくらでもある。でも、すべては中身。自己の認識がなされているか否かで、その人の生き方は、○(イキイキ)か×(ゲンナリ)か、大きく別れていくものなのダ。
その夜、そーゆーコトを、私は学んだ。
インケンきわまりない奴
インケンきわまりない奴だった。私が、だ。現在のこの温和な人柄からは想像も出来ないがホントーなのだ。
トイレに行こう! と友人を誘ったら「今、行きたくないわ」とことわられたもんだから腹を立てて、その友人、果てはその友人の友人にまで3ヵ月間、ひと言も口をきかなかった。16歳春のことであった。
友人は、なんでこの美貌の親友が(私のことだ)急に口をきかなくなったのかワケが分からず、尋ねてくる。
「私、何か気にさわるようなこと言った?」
「…………」
「ねえ、もしそうだったらあやまるワ。聞かせてよ、ネ」
「……。自分のムネに聞いてみれば?」
やだねー、いるんである。どこ行っても、こういうのが。よもや便所の誘い≠ェコトの発端だとは、んなこと誰も知るよしもない。万事がすべてこの調子で、実にワガママなインケン高校2年生だったのである。
そんなある日、クラスメイトのB子(とりたてて仲が良いわけでもない)が傍にツツツと寄ってくる。彼女は親しげに私の肩に手を回すと裏庭へと連れ出し優しそうに微笑しながらこう言うのだった。
「イイカゲンニシタラ?」
そうなのだ。いいかげんにしたら? と言われたのだった。誰にでも通用するわけじゃないよ、ワガママなんて。アタシ、アナタとトモダチだと思うから言うんだけど、イイカゲンニシタラ?
んまあ! おナマイキ! クサイこと言いやがって、と私は当然思う。んで、この時もB子をはじめ、B子の友人全部と3ヵ月間ひと言も口をきかなかった。根性である。
が、しかし、私もまんざらバカではない。「ハッ、こんなことしてて一番ソンするのは私だ」と損得でソロバンをはじき「今日からアナタたちとフツーに喋ることにしたから」とB子らにつげると、このケンカはいつしか自然消滅したのである。それぞれのムネに、それぞれの思いを残して。
B子のおかげで自分勝手≠ナイッパイの頭をコツンとやられたことは確かだった。理想的な友人関係は、互いにまったく別個の人格であることを認めあうことからスタートする。例えば、そんなことを反芻するキッカケにもなった。
B子の示した行為が友情≠セったかと聞かれると、返事に困る。けれどもイヤをイヤと言えずに話をあわせることだけが友情だと勘違いしているある種の友人たちの優しいひと言≠謔閧ヘ、はるかに私にとって情のあるひと言だったわけだ。
私が、女からも男からも、いつもホンネの情を欲しがる理由は、こんなところにある。
動機不純な花の旅人
私の初めてのバイトの体験は、まんじゅう屋の店員だった。
夜になると決まって店主を始め娘、嫁……と、入れ替わり立ち替わり、空を見上げに外へ出る。『じょんがら天気予報』じゃないけれど、翌日の天気の具合によって、その夜にしこむアンコの量を加減するのだ。
取りそこねて落とした饅頭は布きんでゴミをはらって、お客が帰ったあとで再びショーケースにもどしておくよう教えられたことも忘れがたい。高校の3年間が終った18歳の春のこと。心配性の母が、どうせやらせるなら目の届く所でと、家から20分くらいの品行方正な和菓子屋を探して来たのだ。「バイトをやったら不良になる」というような偏見家庭に起きた事件としては画期的な出来事だったのだ。
その日を境に23の初夏になるまで、親泣かせの腰かけバイト≠フ造反は続けられる。
国分寺で暴力スナックの女のコ≠やった時のことは、その中でも印象の強いモンである。暴力スナックの右隣にはネグリジェ・バーがあって、足りなくなったネギを買いに使い走りに外へ出ると、時々、客引きのためにオネーサンたちがバーの入口でウロついているのが見えた。オネーサンたちは、たいがいが50前後のオバサンだ。もも色に近いピンクやら紫色のスケスケ・ナイロンを着て、私と目が合うと、サッと隠れてしまうのだった。
住み馴れた生活≠ナはない生活≠鏡に、自分を映して見てみたい――バイトをやる時の、常にこれがモクテキだった。動機が不純なのだ。金かせぎという、バイトの誇りを完全に、ムシしてる。バイトは通りすがりの旅人と似ていて、雇用側は旅人を受け入れる土地の住人たちに似ている。ワタシたちは責任なく通り抜けるだけで、基本的には、だいたいワカルとそこにある生活≠ェ鼻についてくる。いつだって、なさけないほどセツナクなって、私は数ヵ月たらずでカッコよく立ち去って行くのだ。
そうして、時々、あの人たちのことを思い出す。続けられているはずの生活≠思い出す。ところで23歳の初夏、最後にやったバイトだけれど、なぜか鼻につかずに、そのまま編集者をやって今日になった。
A君のうなじ
あの男《ひと》、ブスだけどキメててカツコイイなあー。とは思ったことはあっても、美しいなあーとは、あまり思ったことがない。
生まれつきひどく美形な男というのも世間には居るが、アレは友だちとしては私はつまらない。そのまま美形が目に入って「あ、美形だ」と脳が思って、それでなんの感動もよばずに終わってしまうことが多いからだ。ああいう美形はパルコのポスターでもやっていればいいのダ。見てるぶんには楽しくて、ありがたい。
それよか、やっぱ、美形であれブスであれ見た目≠ニ中身≠ェ共にキマっている男が心地がよろしい。なにせ、日常的な問題なのである。中身も外身も一緒くたになって、何がしかのポリシィってもんが感じられるぐらいじゃなくちゃツマらん。これは、コーフンする。「美しい!」ではなく「カッコイイ!」と、コーフンするのである。
男性が美しく見える時――コイツをみつけることが、どうも私はヘタらしい。無理して思い浮かべようとすると、オカマだ! 歌舞伎だ! 芸能界だ! ということになってしまうんである。美しく見せようとする側と、美しさを見ようとする側――という関係がサンゼンと輝いているのだから当たり前だ。安心して虚構の世界に遊ぶわけだ。
で、片や、現実。女は、男から美しさ≠感じとることには馴れていない。フトサとか、肝っ玉のフトサだが、或いは包容力とか、そんなものが気になるように教育されてきた。美しくなんかなくっても給料さえ運んでくればイイワであり、こういった間違った常識の中には、他に、女はアホでも美形であればイイワというのもある。
とは言え、夜な夜なパックして寝る男なんか見たくもないが。男のくせして、ハダをキメ細かくしてウケよーなんざ、根性がセコイのだ。
そんなわけで、異性が美しく見える時≠ノは縁遠い私の日常なのである。あたしゃ、毎日キメてる精神≠ノ出逢うことに忙しい。
だがシツコク話をおし進めてみる。と、男性が美しく見えてしまうなんて色魔のような現象は、ごく個人的なレベルでのみ存在しているのだ。おそらく。つまり≠オてる時、恋してる時でございますね。おそらく。
どーいうコトか? 例えば18の春、A君のうなじは何て美しい と胸ときめかせた私だった。予備校の階段をかけ下りて行ったら一番下の段にA君がコチラに背を向けて座っていたのだ。私は階段があと3段で終る時、チロッとA君のうなじに目をやった。そこしかハダの出てる所がなかったからだ。
ウ、ウツクシイ……。が、今思うと、A君はブスだった。
≠ノは、気をつけたい。
「僕、ヒロシっていいます」
「僕、ヒロシっていいます。僕……受験生なんです」
という電話が、編集部で仕事中の私の所にかかってきた。カセットにとるから「ヒロシ君、がんばって!」と3回言ってくれと、彼は暗くて重い声でポツポツと言うのだった。
なに寝ボケてんだ、こいつ。カンケーねえーよ。と思ったが、私は人がいいので次の瞬間には受話器に向かって「ヒロシ君、がんばって!」と、3回言っていた。
ヒロシ君は、思わず何か言ってあげたくなるような、痛々しげで、誠実そうな、いい奴だったのだ。
私が受験生だった時は、なかなかインケンな奴だった。心の中のイロンな葛藤が上手く表現できなくて、ふてくされていたのだ。
絵をやるんだ! と一人で盛り上がっていたが、それでも落ち込んだ。落ち込んで、無い頭しぼって(謙遜です)考えて考えて……で、いつもこうつぶやきながら寝ていった。
「時間が経てば、なるようになる」
少しだけ、気が楽になった。そうして、なるべくいい方向≠ノなるようになろう≠ニ、そのことだけを考えた。これは当然、今日の自分、次第である。
私は、すべてのヒロシ君≠ノ、いくらだってガンバッテ! と言いたい。でも私は、カンケーねえーよ。
どうにでもなる自分≠あやつっているのは、素敵なことに、自分自身なのである。
隠れタバコで大きくなっタ
タバコの煙を消すには、ぬれたタオルを部屋でヤタラめったら振り回すといいらしい。タオルの水気が煙を吸い取るんだそうだ。
私は、かつて、冬でも『金鳥かとり線香』をたいて臭いをごまかしていた。まだ親に内緒で吸っていた19ぐらいの頃の事だ。部屋を出る時は、歩くと髪が揺れて髪の間から臭いがもれるので、カッキリ輪ゴムでたばねてから素早く親の脇を通り抜けた。
仲間うちの隠れタバコ℃梠繧フケム消し法といえば、例えば、ハエ殺しのスプレーを部屋中にスプレーする/レコード用スプレーを部屋に撒《ま》いたのち髪にもすり込む/風呂桶《ふろおけ》の中で吸って湯気にとけ込ます/窓ぎわで半身のり出して吸う、等がある。
この窓ぎわで半身のり出すやつは、よくあるパターンだが、親が急に入って来た時の為に「窓の下で何か起きたらしいんだ」というヤジ馬をよそおう偽装セリフをノドまで用意して吸うところがミソだ。今じゃ鼻の穴をオッピロゲてモックモク煙幕はってるこの人達にも、親を相手取った暗ーい過去があったのかと思うとイジラシくて泣けてくる。
私が親に初めて具体的な造反をしたのは高3の夏だった。反対する親を無視して美大受験を一人で決行した時だ。それまでには、口答えをしたり家を飛び出したりはしても、生産的な動きをすることはなかった。天秤《てんびん》にかけると親の方が勝っていたからだ。目に見えぬナニカにしばられている自分が情けなくて、食卓の皿を振り落としたりテーブルをゲンコで叩いて、せめてものウサをはらすばかりだった。
だからこそ、ちょっとしたフンバリをしてみたその日、自分のやり方次第でどうにでも自分を生きられるという発見に、目の前はバラ色に輝いた。(ここんとこ、少女マンガの☆目になってる美少女のイメージ、よろしくお願いします)しばられている≠フではなく自分でしばっていた≠フだと気づいて嬉《うれ》しかったのだ。
もちろん天秤計りは、そう簡単には逆転しない。世の中そう甘くはない。19にもなって隠れタバコ≠やっていたことがそれをもの語っている。親の前で平然とタバコをくゆらせてみせる事を幾度となく目論見《もくろみ》ながら土壇場でコケた。
つまりは、自信なのだと思う。自分を認めさせるには何にしても時間がかかるのだ。私が隠れタバコ≠しなくなったのは、一つの価値観をもって我を通し続けたという、自分の中での確認が取れた20代半ばの事だった。
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ちょっとヘンな話
私はコレが嫌いだ!
お願いだから、ハナクソを落とすのだけは、やめてほしい。
車中におけるハナクソほじり≠フ件である。気持ち良くウツラウツラしながら座っていると、ン?! と感じるあの殺気だ。はっと思って顔を上げると、こんちくしょうめ、ほりほりしているのだ。
片手で輪ッカにつかまり電車のゆれに身をゆだねつつ、だいたいが、もう片方の手の人差し指か、小指である。私は東横線で親指をつっ込んでいる黒ぶちメガネの中年男を見たこともある。
こいつでもって気持ち良さそうに、ほじる。で、ほじった産物≠セが、指先で器用にまーるくまとめると、ポトと下に落とす。
ポトと落とすと、どーなるか。トーゼン、目の前に座っているわたくしたち善良な小市民のヒザの上、もしくは頭上に落下するのである。
ハナクソほじりにもいろいろあるが、私は特にこの輪ッカにつかまり立った状態で下に落とすというやつが、一番ヒキョーだと思う。まるめて前にはじき飛ばす等は、よけることも出来るけれど、落とす≠竄ツは気がつかないでそのまま寝てたら頭がハナクソでいっぱいになってしまうではないか。おそろしいことである。
ハナクソ、タン、ゲロ――日本人の公衆道徳はなっとらん! と言われて久しい。どっこにでも吐いてまわる。これらは外人には奇異にうつるということになっていて、この話はヨソにも書いたのだが、外人の弁論大会でこんな話をした外人サンがいたのだそうだ。
「私は電車に乗りました。そしたら男の人が倒れていました。どぉしてぇ、日本人、男の人を助けないンだろぉ。私は男の人を助けました。そしたら男の人は私の顔にゲぇロぉ、吐きかけました。どぉしてぇ、日本人、私の顔にゲぇロぉ、吐きかけたンだろぉ」
まぁ、なんとゆうか、ゲロに関しては、わたくしとしてもずいぶんゴメイワクおかけしちゃったりしてるわけでして。はい。顔にはひっかけないように充分に注意したい、とまあ、こう思いよります。はい。
で、タンである。これは、いけない。私はコレは嫌いだ。ゲロは、まあ、いい。ハナクソとタンとどっちか? と聞かれたら、タンだ。タンはよくない。
人が初夏の風にふかれて気分よく信号待ちしたりしてると、隣に並んだオジサンなんかが、ゲゲゲ――ッとノドを鳴らしたかと思うとペェッと青タンをコッチの足元すれすれの所に吐いてよこす。更に、そのタンをクツで道路にのばす人がいるに至っては、私はもうガマン出来ない。タンのついたクツで頭、ひっぱたきたくなる。
いや実に、青タン島≠ニいう夢の島みたいなのを作って、みんなそこへタンを吐きに行くというのはどーか、と提案してやまない私である。
とんだ話でした。ども。かしこ。
私には私のマナーがあるのだ
ああ、ああ、私は確かに肉用のナイフでホタテを切りましたよ。でもしゃもじで切ったわけじゃないんだからさぁー、そーゆー白い目で見んの、やめてくんない? そのあとちゃんと魚用のでステーキ食べたもん。いいじゃん、それで。文句ある?
何がキンチョーするって、一流ホテルのフルコースほどキンチョーするもんはない。給仕が妙にプライド高いのダ。客の粗相《そそう》をチェックする為に黒い背広着てつっ立ってるわけじゃねーだろーが。いちいち横目でチラチラ見んなっつーの。
そりゃあ、マナーをよく知らずに出かける私も悪い。でも毎日、箸で納豆食ってる国民なんだぞぉ、わしらは。ウチなんかは家がいいから、よく家族でお食事に出るが、三吉寿司とかさ、サウサリートとか太鼓橋鰻とかさ……知らないかなあ、美味しんだけど。
で、かくのごとくリッチな我が家である。おっ、じゃ、しょっ中、マキシム通いしているのでは? と思われても無理はない。
ところがしてないのよねー。ついこないだマデ鎖国していた島国ですもの、日本は。やっぱ、フランスは遠い。ちょっと千葉まで行ってくるわ、つーのとは根本的にノリってもんが違う。
さほど、フォーク、ナイフは基本的には遠く異国の人々のモノなのである。朝起きて、ナイフで納豆切って食ってるバカがどこにいるか?!
したがって、フランス料理を前にした私のマナーを語る時にだな、パリジェンヌのそれと比較すんなっつーの。そのキュートさに思わず比較したくなる気持ちは分かるが。
アメリカ野郎が、ぎこちなく箸を持つと、カーイーと言ったりするではないか。箸野郎がフォークを持つ時にだってハンデってもんを考えてほしい。
それをまー、ちょっとギコチなくするたんびに宇宙人′ゥるみたい目つきしやがって、ですわ。劣等民族′ゥるみたい目つきしやがって、ですわ。ハッキリ言って、バカにすんなよなぁー。よくクシの通った頭しやがって、顔は冷静そうにしてるけど、心の中じゃ笑ってることぐらい、ちゃーんとお見通しだい。ふん。
アタシだって、芦田淳のドレスぐらい持って……ないけど買えるやい。あの日は、タマタマ時間がなくて、昔、東急百貨店で買ったワンピースがそこにあったから着て行っただけだ。一瞬のうちに頭のテッペンからツマ先まで盗み見しちゃってさ、ビンボったらしいィ〜とか思ったでしょ! このやろ。通帳見せるぞ。
スープの一気飲みしたのは、途中でスプーンをどこに置くのかを忘れたからだい。お塩とコショウ戴けますか? って聞いたのは、おめぇらの昧つけが薄かったからだい。
「コショウ、おかけにならない方がよろしいかと」
なんて言っちゃって、私はコショウが好きなんだぁ〜。
も、行ってやんないっ。バイバイ。
蚊よけ≠フ話
長方形のソレに単三1本入れてスイッチオンするとイイイ〜ンと、音がする。スーパーの一角に蚊よけ≠ニ称して山積みされていたのを買ってきた。低周波だか超音波だか、とにかく蚊の嫌いな音(?)が出るらしい。480円也。
ソレは、ハッキリ言ってウソっぽい物品ではあった。なにしろ注意書きってやつがフルっていて、私は、その注意書きにホレて購入してしまったのだった。
「蚊のいる所では使用しないで下さい」
↑これが、その注意書きである。蚊のいない所でイイイ〜ンと使用し「窓を閉めておいて下さい」そうすれば「蚊は入ってきません」というのである。
んなバカなっ! 蚊のいない所で窓を閉めておけば、イイイ〜ンなんか使用しなくても蚊なぞ入って来るわけがない。あんまり、ごもっともなので「なるほどねー」と一瞬カンシンしてしまったほどだ。
で、先日、美しい姿態を投げうって、私はバクのよーにモッコリ寝ていた。夜中の2時。なんかカユイ。と、夢うつつの耳もとで蚊のブィーンと飛ぶ音だ。起きて殺すほどの根性は疲労の極致で、ナイ。タオルケットを頭からかぶるのは暑すぎる。蚊取り線香も、キレている。
「……そうだ。アレを使おう」
私は眠いものだから、注意書きのことを忘れていた。蚊のいる所で<Cイイ〜ンのスイッチをオンにしたのだ。おそれ多いことである。蚊は、どこかへ行くこともなく、たっぷりの献血をしたことは言うまでもない。
それにしても、イイイ〜ンはウルサイ! 脳天にキリキリくる音だ。なんかの陰謀で、蚊よけにかこつけて洗脳されてるんじゃないかと不安になるよーな、ヤラシィ〜音なのだ。
私はアレルギー体質で、昔から夏になると蚊にさされた所が化膿してヒサンな目にあっている。ニオイが強いんじゃないの? などと失礼なことを言う人もいるが、私のデータによると、色白でポチャッとしたいい女に蚊に弱い人が多いように思う。
夏だ。私は結構本気で蚊をいやがっている。しかし、今年の夏はアノ注意書き≠心のささえにして笑ってガンバリたいと思う。
長ネギ療法
親ゆびと人指しゆびで5センチ≠作って、女優のMさんは言った。
「長ネギを、これくらいに切って入れるといいんですって」
入れる≠フは肛門へで、何にいい≠フかといえば熱を下げるのにキクというのである。その一時的な解熱効果は絶大! と一部で密かに言い伝えられているらしい。
11PMの控室で本番待ちをしていた時のことだ。放送作家の景山民夫氏が「風邪ひいちゃって」と嘆く、受けてMさんが「私も1ヵ月なおらなかった、今度の風邪は長いですよ。ところで高熱が出たらね。長ネギを……」というところから先の話は始まった。
緊張感あふれる本番前にふさわしい話題ではある。ヤリ方は約5センチに切った長ネギを「太すぎるから」1枚ほど皮をむき、適度なサイズ、及び、ぬめぬめ状態になったヤツを肛門に押し込む。ただこれだけ。驚くべき作用が現われたあかつきには「ウンチをするように」リキんで排泄すればいい、とのことである。
昨年の春、私はギックリ首≠ノ見舞われ、生まれて初めての痛み止め座薬体験ってやつを、した。毎晩、寝る前に直径1センチ、長さ2センチ位のロケット型のロウのかたまりのようなソレを肛門にねじ込むのだ。あれはむずかしい。相当に、むずかしい。
でも今度は5センチだ。2センチより長い。しかも太い! 想像を絶するものがある。高熱を発したら、一度試してみようと思う。「けど……そのあと2週間ほど痛いんですって。ヒリヒリして」
薬の高いソ連では風邪の初期治療として煮込んだ玉ねぎをよく食べる、という記事を以前、新聞で読んだことがある。玉ねぎの発汗作用を利用して一晩、汗を出しまくって自ら根性でなおしてしまうという力の入った話である。最近は見かけないけれど、ノドにネギを巻くなんていうおばあちゃんのチエ≠烽った。核家族の私は様々なチエを耳にする度に、目頭が熱くなる。人間くさくて、よい。
司会の江本(孟紀)サンが入って来る。長ネギ座薬≠フ話を説明したら、そりゃいいね、ハハハと笑って、こう言った。
「長ネギの代りにニンニクなんかもよさそうね。しょうゆ漬けのニンニクだったりして」
PM11・25。本番前の控室は、ネギとニンニクの匂いに満ちあふれた。
同病相憐れむべき人々
「アラ! それほどじゃナイじゃありませんか(笑)」
「そーですかぁ。ヤー、大っきんですよぉ(笑)」
――と、私たちは会話し、笑いあうのだった。過日、栗本慎一郎氏のパーティーにて、氏の奥サマに初めてお会いした折のことである。奥サマは「アラ!」とおっしゃり、いきなりニコニコと、こう切り出されるのだった。
私は、顔が大きい。話せば長くなるのだが、顔の大きい人の連盟である『大顔連《だいがんれん》』の、何故か加盟員ということになっているんである。奥サマは『大顔連』のわりには、そんな大きくないじゃないのフフフ(笑)とホメてくださったのだった。
大きな顔で悩む人は、意外に多い。私などは『象足《ぞうあし》』と呼ばれているフトモモと同じぐらい太いフクラハギ≠フ悩みもあるから、大変な二重苦だ。逆に悩みが分散して、大顔だけに悩む人より、悩みが軽くなるという利点もあるが。
『大顔連』はあのねのね≠フ原田伸郎を会長とし、村田英雄氏や漫才の西川のりお氏らを会員に持つ成長株の連盟である。ビルを建て直す際など鉄の玉の代りに頭部を使って古いビルを壊す、などの活動案が出ている。が、まだ、実行に移されたことはない。
この会に何故、私のような美女面《びじよめん》が誘われてしまったのか? かいつまんで話せば、某ラジオ番組に出演したのが悪かった。その番組のパーソナリティが大顔連だったのだ。
この人、名をつかたんくろうという。初めて会う私の顔を見るなり、いきなり嬉しそうに、
「タカハシさん、大顔連に入りませんか(笑)」
淡谷のり子氏を! という動きもあるのだが今のところ一人も女性会員がいないのだ、という。女性会員第1号!
第1号! 1号! 1番!! イチバン!!
1≠チてのは、なんか知らんがカッコイイ。気づいた時には、つか氏の誘いに「いいヨ。入る、入る(笑)」と答えていた私なのであった。こまったもんだ(笑)。
非模範的編集者のサイフ
クレジットカード作っとケ。と、言われた。私はビンボーだからだ。いや、銀行へ行けばお金などうなるほど持っているのだが、持ち歩く習慣が、あまりない。
「グーゼン著者の先生と飲みに行くことになって、編集者がお金持ってませーん、じゃどうしようもないでしょ。みっともないからね、だから……」
だから作っとケ、と、いうのである。
確かに右記の件は、この業界では、ゆるぎない常識、礼儀、エチケットとなっている。
ところがタカハシというバカは、私は会ったことはないが、グーゼンえらい著者の人と飲みに行くことになってサイフを開けると2千円ぐらいしか入ってなくても通常どおり気分よく酔って、「お金、持ってませーん」とか言って「悪いですねぇ」とか言ってメチャメチャおかわりとかしてシッカリおごってもらって帰ってきたりするのである。たびたび。
しかし、このタカハシという人間は育ちがいい。したがって翌日かならず礼の電話をちゃんとに入れる。
「もしもし、また、おごってください」と。
この電話を職場のボスに聞かれて、
「○○センセにオ、オ、オゴッてもらったのか?! あのね、作っとケ」ということになったわけである。
思えば初めて原稿取り≠ニいうものを体験した22歳の初夏。このルーズな金銭感覚は芽ばえていた、といえる。イラストレーターの秋山育氏に原稿を頂戴しに都立大の某喫茶まで出かけたその日、紅茶を飲んで、話が終わっても秋山さんが伝票を手に取るまで席をたとうとしないタカハシだった。
小娘に紅茶代などオゴッてもらっちゃ秋山さんの顔がツブれると、ひたすら思った。伝票を前に時計の針が、いたずらに時をきざむのを見守る二人だった。
先のクレジットカードだが、毎日、いつだって私と一緒だ。で、一緒なのだが、ただ一緒なだけだったりする。
せーんせぇー。ごっつぉさあんでしたあ。ドモ。
ワワ〜ン、ワォンワン!! キャイン、キャイ〜ン
TVは、おくれてる!
私らは言葉にビンカンである。ホーフに使い、創作し、日常をリズミカルに楽しんでいる。「カッワイ〜」「るんるん」などは言うまでもなく、一世を風靡《ふうび》した「それなりに」だって、あんなもん、あんなもん、TVで流行《はや》るそのずーっと昔から、私らは、つ、つ、使っていた。ハン、お茶の間は、一歩おくれているのだ。いや、別にいいのだ。が、ジミに言葉遊びを楽しんできた我々の存在! を、センス! を、誰も認めてくれない場合は、自分でアッピールするにかぎる。
TVからのイタダキ遊びも、ある。例えば「ワが三っつ」。気分がふさいできたら声高らかに「♪ワッワッワァ〜♪」と叫んでみる。聞きつけた者は「♪ア、ワッが三っつゥ〜♪」と即座に続ける。ミツワ石鹸のCMソングから取った現代版「山!/川!」だ。無視された時はツライが、逆に反応があった時のヨロコビは、ひとしおである。
ビールのCMで、1組のニンゲンの夫婦が犬の鳴き声でワンワンと会話するのがあった。自慢だがアレなども私らの仲間うちでは、もう50年も前からというのはウソだが、だいぶ前から使って遊んでいた。同時に流行ったニャンニャン言葉も忘れられない一ツだ。
編集者である私は「もしもし」と著者に電話する。ワンワン? と言っても原稿は取れない。そこで「お原稿をお願いしたいのですが」と会話する。ところが気心の知れた、ここら辺のビミョウな「仲間言葉遊び」の神髄が分かってるセンセも中にはおいでだ。
「もしもし、先日はどーも。次回の締切は……」。と、いきなり「ワワ〜〜ン、ワン!」とセンセは遠吠えして私はビックリして次に嬉しくなって「キャンキャン」と鳴いて、やっぱ、この人、私、好きだぁ、と、仕事の合間に、めっきりワクワクしてしまうのだ。お目にかかってしばらくたった、今から何年か前の糸井ジュリー氏への電話である。台詞なきコミュニケーション、好っきだ。
ヒトデ人間とイソギンチャク人間
象足のヒマワリ娘でございます!
というキャッチフレーズ≠言うハメになるのだった。所ジョージさんのラジオ番組におじゃました折のことだ。「ゲストはみんなひと言キメて登場するキマリになっているから」と、そう言われてその場で咄嗟に口をついて出たのがコレだった。
象足は、私の足がダイコンを軽く越えて象のよーだからで、周辺じゃ有名だ。ヒマワリは人から言われたことを思い出して、ほとんど自嘲的に発言した。あんなもん、イモ臭くて嫌だ。もっとデリカシィがあって可憐で清楚な花の方がピッタリくる。
ところで〜のような人≠ニいう形容については、私は、かねがね人類に対して次のような分類をしてきた。人にはヒトデ人間とイソギンチャク人間がいる、と。
ヒトデ人間は自ら活発に動きまわって餌を探す、なかなかの行動派だ。編集者の鑑《カガミ》≠ニして言われているイメージとダブる。
片や、イソギンチャク人間は岩にへばりつき、頭上を通りすぎる餌を吸い込み腹を満たす怠惰《たいだ》な奴なのだ。私など、まるっきりコレで、なるったけ動かなくてすむことばかり考えている。テリトリィ内に入ったものにのみチラリと目をやり、オイシそうだとスゥと取り込み消化し、マズイとペッと吐き出す。
もちろん私は、まぎれもない職業婦人だ。行動力も不可欠である。するってぇと私は、反動で、やたらにタタタッ! と動きまわって早くコトをすませようとする。その結果、友人にパキパキしてて、いつも元気ねーとホメられることになる。
このイソギンチャクは「何も知らない」ということでも、先の象足と同じくらいに有名である。知性はあるのだが、知識というものがないのだ。早い話が勉強不足である。ところが「勉強なぞキライだ」と居直って一向に反省する姿勢が見られないとこが、私の立派なところだ。
この件に関しては、次のような相談を橋本治さんにしたことがある。
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Q:私は編集者です。著者の先生と打ち合わせをしている時、知らない固有名詞がたくさん飛び交うので困ります。それらは、みなジョーシキらしいのですが、その度に「知らなーい」と言うもんだから、先生はハリ合いがなくなって、口をアングリします。どーしたらいいでしょう。
[#地付き](東京都 ヒマワリ娘)
A:そーゆー時は、すばやく相手の眉間の辺りを見つめましょう。何か考えているように見えます。出された固有名詞から派生した世界に入ってしまったよーな、哲学してしまっているよーな、そんな雰囲気がかもし出されます。一度、試してみてください。
[#地付き](作家・橋本治)
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なるほどねー。と思って、やってみたら「寝不足? 焦点が合ってないよ。ボケーっとしてるようね」と某先生に言われたんで、やめた。「顔にゴミ付いてる?」と聞いてからツメでカキカキと額をかいた先生もいた。
もしも私が読者だったら――ということを私はいつも考える。作業のチェックポイントは、そこから始まり、そこにもどる。自分のムキ出しの神経にからみついてきたものだけをチョイスする。なんか、分かったような分からないような、ひどく感覚的な話ではある。
で、そのひどく感覚的にキャッチしたものを、あとから理論(理屈に近いか?!)でおさえて修正する。と続くと、ますます分かったような分からないような話になってくるので、ここでヤメにする。
『ビックリハウス』には5人のスタッフがいるが、私はよく自分のコメカミをゆびでグリグリしながら「ココどお? 最近」と彼らに聞く。モノは、イコールヒトが作っているのだ。ヒトの精神状態は、表現されたモノの状態だ。だから私はなるべく、一個一個がいい状態の集団でありたいと考えているのである。そのことが一番気になるのである。したがって体の調子まで、田舎の母ちゃんのように心配して、うるさがられている。
私は編集長なのでエライのだが、若いもんにイロイロ聞く≠アとでも有名だ。本当はエライから簡単に聞いたりしちゃいけないのだが、すーぐ聞く。自分とは違う感性や見方、そして情報やら知識やらが、世間にはオソロシーほどあると思っているからだ。そうして私はジブンしかいない編集長≠チてやつをヤリ続ける。
夢の中で男のヒトと……
戸塚の夢をみたら、戸塚は歯医者で、戸塚とディープキスをしてしまった。
戸塚とは「戸塚ヨットスクール」の戸塚宏だ。その日、私は、私の御出生地である世田谷区下馬3丁目にある「ひぐらし」というお菓子屋の近くを歩いていたら、戸塚にバッタリと出会うのだった。で、フツーに喋っているのに笑っているようにみえる、あの大きな両端の上がった裂け口で戸塚は自信に満ちあふれた様子でいきなりこう切り出すのだった。
「その前のトコのさし歯≠セが、私なら30万円で治す!」
私は実際さし歯≠ナ治療中の身だが、とっさに30万円は高い! と思い「オヤマツ先生(主治医)とこじゃ150円ぐらいだ」と抗議する。で、なぜか150円で仮に治療してもらう話は成立し、「ひぐらし」の隣が戸塚歯科ということに夢ではなっているから、医院の中にふたり仲良く連れだって入っていくのだった。
コチラへ――と促されて治療台の所へ進むと、治療台は、コタツだった。不思議に思いつつもコタツに足を入れ前歯をムキ出すと戸塚は歯に向かって歩み寄り治療する、と思いきやムギュッウ! と、せ、せっぷんをしやがった。で、ベロなんか入れよーとすんのだ。
「あ、このままだと恍惚の世界へいってしまう」。経験ホーフそうに私は余裕でそう思い「やめてください!」と毅然と黒のTシャツ姿の戸塚の腕を振りはらい、あなたがこのようにムラムラするのは、このコタツ=治療台が悪いのだ。一刻も早く治療台をかえるよーに!! と、こんこんと諭《さと》し、「では」と言って帰ってくるのだった。
ただそれだけの夢だった。欲求不満だったとしても相手が戸塚だったっつーとこがねー、こー、妙にひっかかるのである。あんまし気持ち悪いから知人に話したら「アコちゃん、戸塚のこと、好きなの?」とマジメに聞かれた。バッキャロー、好きなわけないだろ、あんな半ハゲ!
あれ以来、戸塚のこと意識しちゃって……。なんか知らんが、実に恐い、夢だった。
夢のつづき
風間杜夫《かざまもりお》が私に「スキだ」って言うのだ。
夢というのは、なかなか気分のいいものである。なんかよく分かんないのだが、いきなり私たちは盛り上がっているということになっている。奥サンより私の方がいい、とまで言われてしまうのだった。
風間杜夫は嫌いじゃナイ。好きだ。けど、特に大ファンということもない。ダレカと不倫の恋が進行中! ということもない。身辺は自慢じゃないがパサパサしたもんだ。なんで奥サン≠ワでが出てこなきゃならんのか?! 多分、どっかの雑誌で風間杜夫の妻≠ニゆー人が載っていたのを見たせいだ。私という人間は、本当に単純な奴なのだ。
夢はよく見る方で、概してコワイものが多い。死体の転がっている道路をどうしても通過しなければならない。或いは、人を殺して隠していたら見る見る青銅色になっていく。はたまた、ナゾの人物に追いかけられ、迷路のような工場を入口さがしてにげる。といった、まあ言わば『太陽にほえろ』とか『奥様サスペンス劇場』とかみたいなもんである。
他に、日常篇というのがあって、予定していた編集室の机の移動を夢の中でしたり、スタッフを集めて連絡事項を述べたり、原稿を書いて担当者に渡したりもする。昼間、仕事で疲れて、寝ながらまた疲れているのだ。それを思うと、更にドッと疲労感におそわれる次第だ。
先の風間杜夫のようないい夢は、めったに見ない。もっと、見たい。もっと見たい! と霊感のつよい友人M子に言ったら、彼女は夢の操作が出来るという。例えばジュリーの夢を見ようと念じて寝るとジュリーの夢。次の日、その続きを見ることまで出来るというのだ。
「カンタンよ、体をリラックスして神経を集中させるの。息をはきながら心臓に遠い所から一つずつ力をぬいていくワケ。精神的な疲れも取れて頭がピュアになっていくのよね」
最近、以前はまったく縁がなかった週刊マンガ本を買うことがある。疲れて疲れて、一瞬間アホのよーにラクになりたくなる。それにはアレは他の世界へ行けて都合がいい。
で、私は向上心のあるインテリだ。ふとM子の方法でラクになることを試みようと考えた。自分で作った夢のマンガを毎日みられるなんて、ちょっとステキだ。風間杜夫の夢の続きも気がかりだ。
ヤッてみる。心臓に一番遠い所から……ってドコだ?! キンチョーの余り全身がコッて疲れ果てて寝ていったのは、私だけだろーか。
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スーパー・クッキング
聡明な女は料理が上手い!?
お料理を作ることが、私は、ヒジョーに好きであります。
そう言うと、いつもガマガエルのようにモタピョン飛び回っている私を知っている人は(聡明な女と言われたいが為に言っていると取る性格の悪いスルドイ人も中には居ますが)、まるで仕事している女は料理が好きでいちゃいけないみたいな顔をして「エ〜〜?! ホントォ〜」と、トォ〜の所を、こう、グイッと上げて、好奇の目で信じられない、という風をするのです。
そんな時は一瞬サーカスに売り飛ばされるのではないかとたじろぐのですが、私は、美食家ではないけれど食いしん坊なので、ひたすら誰《だれ》気がねなくシコタマ食べたいが故に料理好きなのです。
忙しいとなかなか作っている暇がないのだけれど、結構、息抜きになるので、これで意外とマメな私はゴキブリ亭主のごとくチョコマカと台所を徘徊しております。
以前、脚本家の向田邦子さんにインタヴューに行った時、営業用の冷蔵庫を持っているくらいお料理が好きだと聞いて「聡明な女は料理が上手い」というこのフレーズが連想され、全然関係ないのに「ん、やっぱネ」と、自分も料理好きだったことを思い出し、思わず胸が3センチ後ろに反《そ》り返り、30秒ほどいい気でした。誰でも、自分のことをアホだと確認するよりは、つかの間でも聡明だと思い込む方が心地良いわけで、もし私がお料理嫌いだったら「聡明な女は〜〜」と言った桐島洋子さんは、今頃、私に首をしめられて死んでいると思われます。
私は、この本を読んだことはないのですが、要するに、料理が得意か得意じゃないかは、そう大した問題ではないのですよね。食べるというのは非常に日常的な行為です。自己管理の出来る女は、生活の楽しみ方を知っているという一つの例なのだという風にこの言葉を取ると、なかなか言い得てるところがあると、私は納得します。
料理が嫌いなら、やらなきゃいい。死ぬほど暇なのに、料理以外のものも含めた何ものもやらないというのは、あれは怠惰といって、別モノです。要は、それぞれが着手していることがスムーズに遂行出来るのが一番に大切なことのはずで、その為の自分の生活サイクル、状況を考えて必然にあわせて決定すればよいことです。
セコイ例ですが、朝だけは作れるけど夜は店屋物っていうのがあってもいい。それもキビシイので1週間に一度だけ作るっていう形があってもいい。私のようにイヤシクて好きなものを食べたいし台所も嫌いじゃないからチョコチョコ作って、たまに凝ったやつを楽しむっていう形があってもいい。好きでやりたきゃ、毎日それなりに作ればいい。
作れば、よほどの天性的ヘタッカスでなければ上手くなるだろうし、逆に調理する回数が少なければ腕が落ちるだろうけど、自分の生活の中で、どこが自分には重要なポイントなのかがつかめていれば、それはそれでよいのです。何はともあれ、生《なま》煮えゴハンよりは、おいしく炊けてる方が楽しいわけで、聡明な女も聡明でない女も、料理が上手いにこしたことはない。私はおよばれに行きたい気持ちでいっぱいです。
で、とりあえず、聞きたくないことはですね、「才能のある女は料理なんてゲビたこといたしませんの」ってヤツでして、あれだけはどうも、オゾマシくて、泣けてきます。
ところで、創刊時の『ビックリハウス』に『マドワセル・アキコのスーパー・クッキング』という幻の名企画がありました。言うなれば、パターン化された従来の料理コーナーのパロディです。
「押しつけがましい料理だけが料理ではない!」と、調理のウデを駆使し、料理の何たるかを提示し続けたブキミな連載に、当時の国民は驚愕したものです。一介の美少女タカハシは、その腹の底からわき起こるパワーと凡人とは思えぬ豊かな発想をもって、のちに編集長に成り上がったとさえ言われています。
このむせかえるまでにセンスフルな名企画から、今回は四季折々のまったりとした味を幾つかご紹介します。心ゆくまで食≠遊び、イマジネーションをお楽しみください。
新年をド〜ンと飾る豚耳、豚足入りおぞう煮
サテサテ、新しい年もいよいよしっかとスタート。確かに、刻々と時は経っているのです。マドワセル・アキコとしては新年をドーンと豚鼻、豚尾で飾りたかったのだけど、残念ながら材料が間にあいませんでした。そこで今まで使った素材の中で一番迫力のあった豚耳、豚足に再びご登場願うことにし、酒カスなど加えておぞう煮を作ってみました。ぞう煮の中に、耳が入ってたっていいじゃないか! 岡本太郎画伯の精神でガンバッテまいりましょう。
材料(3人分)
豚耳2〜3枚、豚足3本程、大根2分の1本、もち6コ、白味噌、酒カス、砂糖、みりん、土しょうが、みつ葉各適量
作り方
この料理は下拵えに多少時間がかかるが、それさえ完璧にしておけば後は動かずにすむのでお正月料理としてふさわしいものであると思われる。
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@ 豚耳、豚足には、嬉しくるしくもウブ毛及び硬毛がかなり残っているので、まずは必死にこれを取り除く。直火で焼き取る、またはカミソリを使って剃り落とす。前者の場合、毛と皮膚の燃える独特の悪臭をはっするので股を、いや窓を大びらきにすることが望まれる。(注=私はすこぶる親切な人間である。しかるに、食した時ベロに毛があたる感触を是非一度体験したいという向きには、あえて取れとは言わない)
A @に熱湯をまんべんなくかけた後、沸騰した大鍋に入れて20〜30分ゆでこぼす。この時、包丁を横に使ってぶっつぶした土しょうがを共に入れ、多少なりとも豚サンの臭みをやわらげてやる。(注=ここでも@と同様、窓を開け放って調理することをお勧めする。皮膚の煮えるムワッ! としたニオイが遠慮なく襲ってくるのだ)
B Aの耳と足を取り出し@で取り残したウブ毛や汚れをここで完全に排除する。特に一番オイシイ耳の付け根♪と穴の中は念入りに。また、足のツメの間にはさまっている細かいのにも注意する。一旦煮てあるので、竹ぐしを使ってツツクと予想以上に簡単に取れる。
C Bの耳を、観賞用として1枚よけた後、残りを一口大に包丁する。先にも記したが、耳の付け根の部分はコリコリした軟骨とトロリとした脂肪がマッチして誠に美味なので、できたら一人1枚あて準備したいものである。また、豚足も来たるべき入試に備え手も足も出ない≠アとにならぬよう縁起をかつぎ、鍋にめいっぱい入れ手も足も出して≠ィくことが好まれる。
D Aのゆで汁を気分的な問題により捨て、あらたに鍋に湯をわかす。味噌汁程度の濃さに調味し、ここに水洗いしたCを入れ強めの中火で気長に煮込む。途中、好みの量の砂糖とみりんを加える。あまめの方が、豚サンが喜ぶ。
E 大根は厚めのタンザク切り、みつ葉は3センチ長さに包丁。もちは好みで焼もちにするか、または固めにゆでておく。酒カスは味噌の2分の1〜同量を湯でといて用意する。
F ここまでが下拵え。いよいよテーブルを囲む時が近づいてきたら、Dの鍋をストーブの上にでもかけEの大根を加える。柔らかく煮えてきたらEのもちと酒カスを入れ、更に味噌をつぎたして味を調える。ひと煮たちさせ、火からおろしてみつ葉をちらす。
G 鍋を中央に置き、豚耳、豚足のリアリスティックな美を誉めたたえる言葉をかわしながら深皿に取りわけて頂く。味噌味のきいたあま酒風の煮汁も共にズズーッと品良くすすると、いつしか鼻水などタレてきて体が温まってきたことを知るのである。柔らかく煮えた大根やもちも、豚耳、豚足のだし汁で煮えているかと思うと、なお一層いとおしさが増すのであるのダ、ちょんわ。
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お悔みの日=月曜日のメニュー
年が明けてしばらくの間は、お正月ボケと申しましょうか、気分がチャキッとせず、毎朝起きるのがつろうございますね。特に、こう寒さが厳しいと、床を離れるのに苦労いたします。それに加えて月曜日となりますと、憂鬱な気分におそわれ、なおさらのこと。さりとてそうも言っておれず、家を出なければならぬ俗人のつらさ……。お悔みを申し上げたい想いでいっぱいでございます。月曜日は、1週間の始まりの日、始めよければ終りよしとも申します。床に残る未練を振り切り、テキパキと朝の仕度をしていただきたいものです。
近頃では、お寝坊やらスタイルを気になさったりで、朝をぬいていらっしゃる方が増えているようですが、良い傾向ではありませんね。朝食がおいしいのは健康な証拠、一日の始まりである朝食は、是非きちんととっていただきたいと思います。
今日は、特に月曜日ということで、昨夜の疲れが甚だしいことを考え、スピーディ、安価に加え、栄養面に重点をおいたメニュウをお話してゆきたいと思います。
朝の食事というと、そうですね、卵があげられますが、これはオールマイティ食品の筆頭と言えましょう。1コにつき、熱量が80キロカロリー、タンパク質65、脂肪55と質の高い栄養に富み、消化吸収も良く、更に安価で、幼児からお年寄りまで幅広く好まれているのが又なによりです。たいへん単純な食品にみえますが、主役としたもの、ワキ役としたもの等数多くの調理方法があり、立派な御馳走になるのですから、覚えておくとなにかと重宝いたします。
朝は手のこんだものはできませんから、調理時間を少しでも短くする為に主食≠ニおかず≠一緒にしてしまう、これをおやりになってもいいですね。ここでご紹介するのは、ごちゃまぜオムレツとでも申しましょうか、一見面倒臭いようですが、15分位しかかかりません。主な材料は卵とパン、チーズ、バター、マヨネーズ、ケチャップ、ベーコン、若しくは缶詰の肉類、コンビーフ等。もちろん、残り物の肉類やカツ、天ぷら、コロッケでもよろしいですよ。プレスハムや白身魚では、昨夜のことを考えると、ちょっとカロリーが軽すぎるような気がしますね。
作り方
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@ 一人分で卵3コを用意します。これに牛乳大サジ3、かたくり粉大サジ1、塩少々、好みの香辛料、調味料いずれも適量、もしあれば粉チーズ大サジ1と2分の1を加え、混ぜ合わします。上下に切るようにかき混ぜますと、卵の中に空気が入ってフワフワになり、口あたりが良くなりよろしいですね。
A バター適量をぬった食パン1枚弱を、サイコロ型に切っておきます。好みによって、ジャム等ぬってもおいしいものですよ。残り物のロールパンや菓子パンでも、一向にかまいません。
B チーズはメルティタイプのものが良いのですが、なければプロセスチーズでもいいでしょう。これもまた、サイコロ型に切っておきます。量は、(こだわるようですが)昨夜のことを考え、少なくとも40グラムは用意したいものです。
C 強火のフライパンにバター大サジ2分の1と、サラダ油大サジ1を熱し、とき合わした卵の半量を一度に入れ大きくかき混ぜます。弱めの中火にし、用意しておいたパン、チーズを素早く置き、2〜3センチに切ったカツなり、ほぐしたコンビーフなりをタップリとのせます。蓋をして焼きますが、フライパンは絶えずゆすっていないと卵がこげてしまいますので、気をつけていただきたいところです。もしこげつきそうになったらフライがえしで卵を少し持ち上げ、サラダ油を補充いたしましょう。
D 半熟程度になりましたら、残りのとき卵をハシなどでかき混ぜながら、まんべんなくかけます。少しずつやるとうまくいくようです。再び蓋をし、少しむらします。
E ここで上の面を焼くわけですが、まず別に大皿を用意しましょう。そこに、フライパンをゆすりながら、そのままスッとすべり込ませるようにして移します。難しいようですが、卵がこげていなければ、思わぬ程簡単に出来るものです。次に、あいたフライパンを、皿に蓋をするような気持ちでかぶせ、ひといきに上下をひっくり返します。大胆に、なに気なくやってしまうのがコツと申せましょうか。あとは、フライパンをゆすって、卵がフライパンから離れるようになりましたら、出来上がりです。なんとも言えない良いキツネ色に焼けて、食欲をそそりますよ。
これを、初めに焼いた面が上になるようにして皿にとり、ソースをかけ、ナイフとフォークで頂きます。ソースは、マヨネーズとケチャップを2対1の割合で混ぜ合わしたものです。アップルソースやトマトソースだと、更においしいのですが、手間がかかってしまうので、とても朝は作っていられません。時間がある時に用意しておくと良いですね。オムレツだけだとビタミンが不足しておりますので、できたらパセリのみじん切りとレモンの輪切りを添えていただきたいと思います。
[#ここで字下げ終わり]
飲み物は、紅茶だけミルクだけというのではなく、ビタミンCを豊富に含むまっ茶を使ったものにしてみては如何でしょう。まっ茶小サジ2分の1を熱湯大サジ2程度でときホットミルクを注ぎ、砂糖を加えます。まっ茶が嫌いだという方は他に何でも結構ですが、レモネード、ベジタブルジュース等、ビタミンの豊富なものを選んでいただきたいと思います。
今日は、月曜日です。休みたいと思う気持ち、かったるさも食欲が満たされればなんとか克服できましょう。栄養をとり、いつ何時でもお誘いに応じられるよう万端を整え、この1週間をがんばりぬきましょう。
寒さを楽しむオトトの姿
冬もさ中、と言うことはシタタカ寒さも増してきた今日この頃、皆さんガンバッテますか? 何を? って、ガンバルと言ったら一つしかありません。深く考えてください。おせち料理は去り、シンシンと冷えこむ今日、お料理研究家の諸先生方は口から泡を飛ばして「鍋もの! 鍋もの!」と言っておられます。先生達、いいこと言うねえ。で、スーパー・クッキング≠ナも今回はドーンと鍋ものをやることに……しないでアハハ、マッシュポテトの台になまこや白子を乗せたカナッペ風。これを魚の姿に盛りつけ、今年もどーか一つ、スイスイ難事を切り抜けられますように、と祈るのだ! 鼻水たらして、冬のいとおかしさを満喫してください。
材料(3人分)
インスタント・マッシュポテト100グラム(じゃがいも中6コ分にあたる)、牛乳2合弱(70〜80度C)、卵3コ、ドジョウ6匹、白子70グラム、なまこ小1匹、たにし50グラム、マヨネーズ、バター、砂糖、酒、しょうゆ、塩、酢、かたくり粉、サワークリーム、ケチャップ、サラダ油、しょうが各適量
作り方
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@ ダダダッーと買い物から帰って来たら、すぐなまことドジョウを水に放し、生あるものへの燃えたぎる愛を誇示する。ドジョウは、できたら泥をはかす為、一晩位水に放しておく。なまこは紙等が付着するとそこから潰れてしまうので注意し、形を美しく保つ為に酢を数滴落とす。
A マッシュポテトは、時間があればじゃがいもから作るのが好ましい。が、私もデートで多忙な毎日なので、ここではインスタントを使用。ボールにポテトとあたためた牛乳を入れ、バター、マヨネーズ、塩各適量と共によく練りこみ、蓋をして2〜3分むらすムレムレ。ポテトが冷めたら大サジ山盛1杯位(約30グラム)ずつすくい、台の上でウロコ風に潰し、魚の姿に形づくる(約14コ位)。これに好みでとき卵をぬり、天火、もしくはガスレンジについているグリルで両面焼く。注=ポテトはかために/ウロコの中央は深めに/オッパイ感触のポテトで遊ばない。
B 鍋に、あまがらい汁を作りドジョウを入れ、しっかり蓋をして火にかける。次第にドジョウさん達が騒ぎだすので、ツメアカなぞ取って気をまぎらわす。
C なまこは両端を切り取ると、まるっぽちい穴が美しく出現するのでティッシュを薄く巻いた竹ぐしをつっこんで、チョウの中のばっちい物を取ってチョウだい。塩水で洗った後、5ミリ程に小口切りし、酢じょうゆにつけこむ。
D たにしは、あまがらく煮ておく。
E 白子はザルに入れサッと酢洗いし、砂糖、しょうが汁、酒、塩を入れた鍋にて火を通す。
F 卵をときほぐし、かたくり粉、牛乳、砂糖各適量で調味。油を熱したフライパンに、まずその3分の1量を流し入れ、フライ返しを駆使して尾の形にもっていく。尾の流れにそって、Bのドジョウ3匹を上に乗せ皿にとる。次に、残りの卵を流し入れオムレツをする要領で残りのドジョウ3匹を包みこみ、三角頭の形にもっていく。これを、下が上になるようにして皿に取り、口から3分の1のあたりに切り込みを入れてドジョウの頭1コを引っぱり出し、目とする。
G Aの内側にバターをぬり、C〜Eをそれぞれ盛りつける。
H 大皿の上で、FとGを上手に配置して魚姿作りをする。テーブルにマヨネーズ、ケチャップ、サワークリームなど、たくさんのソースを用意し、好みでまぜ合わしてウロコにたっぷり添えて頂く。
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コリコリしたなまこ+サワークリーム、あま〜いたにし+ホワイトソース♪もヨイが、白子にタルタルソースをつけた時のあのトローッとしたおいしさは格別。まろやかな白子に、下煮した時のあまみとマヨネーズの酸味がよくマッチするから火の用心。(わさびじょうゆとマヨネーズを合わせたソースも白子によくあう)尚、柳川風の頭と尾も、残さず頂こう。お菓子っぽくてグーなのダ……と、思う。
雨降りの日を心豊かに過ごす為に
ザア〜! 吹き込む雨に窓を開けることも出来ない梅雨の日の満員バス。ムンムンムレムレ! っつー感じで嫌ですね。でも、このムンムレにバイバイする明日の空には、カッ〜と真夏の太陽が待ち受けています。
ここで是が非でも連想してもらいたいのが、ニワトリ! そうしないと話が繋がんないのよねアハハ。体温調節が出来ない鳥は、暑さにごっつう弱い。夏、まっ先にバテる横綱格。
そこで今回は、鶏の姿に無理にでも夏の到来を予感させるべく、テーブルの上を鶏ゼメにしてみました。メインはヌメヌメ、コリンコリンしたトサカ♪詰めの、鶏姿・パン細工。
ところが、ジャスト、マッテ モーメント。最近のニワトリには、殆どトサカが無いのダ。肉に栄養を回す為、無駄な所は作らないソウサをしているそうさ。誰が無駄と決めたのだ、あんなオイシイ所 であるからして、ちっこいトサカをかき集めるにはチョイと時間と陰湿さを伴うが、ナウなヤングはガッツ・フィーリングでトライいたしましょう! ブルーなハートもハピィよ♪
〈揚げパン鶏姿のトサカ詰め〉
作り方(2〜3人分)
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@ 鶏屋のにーちゃんの好奇と軽蔑の目線にチビルことなく「鶏の頭1キログラムくださいっ」と、元気よく言えるように夜な夜な練習しておく。手に入れた鶏の頭(1キログラム=100円位)は流水で洗った後、大鍋にて愛をこめてゆがく。湯の勢いで瞼がピラピラ動くので、負けじとこっちもウインクをしかえしてやるとよい。これをザルに取り、ちびたトサカを執念深く切り集める(約50グラム程)。残骸は、クチバシを取り除いてから福田サンちのバカ犬にくれてやる。
A バナナ2分の1本は5ミリ厚さの輪切りにし、塩水につけてザルに取る。「つまみ食いよ♪」などと立ったまま、口の奥深く入れるような下品なマネはしてはいけない。後でするように。
B コンニャク枚はトサカと同じ位の大きさに切り揃え、熱湯に通しておく。
C ホーロー鍋にバター小サジ1をとかし、同量の小麦粉を振り込んで炒める。これを牛乳カップ2分の1でのばし、トマトピュレカップ2分の1/月桂樹の葉1枚/みりん/塩/コショウ各適量で調味し、弱火でこがさぬよう煮込んでオーロラソースとする。
D フライパンにサラダ油を熱し@、A、Bをザッと炒め、Cの鍋に加えて弱火で煮込む。具にソースがからまる程度で火からおろすが、味のしみ具合をみながらトマトケチャップ、牛乳、塩、コショウにて味とソースの分量を調節する。
E パン(スライスしてないもの約1斤半)は耳を切り取り、鶏の胴体、頭部、羽(2枚)、尾、くちばしの、計6コに刻み分ける。背の部分には、詰め物用の穴を深めにえぐっておく。このパン細工の際は、「わしゃ、ロダンじゃ!」位のつよ気でいかないと失敗する。これをタップリめのサラダ油にて、ひっくり返しながら全面コンガリと揚げ、油を切る。くずパンはこの時一緒に揚げて、熱いうちに砂糖+シナモンをまぶすと文明堂よりオイシイ3時のおやつがシッカリ出来る。保存、可。
F Eの胴体部分に竹串、つま楊子を使って首、尾、羽を取り付け、背の穴にDを盛る。彩りにグリンピースをちらし、目ン玉として頭部の両側に開けた穴にもマメをハメ込み食卓に運ぶ。トサカもさることながら、ガサ増やしに入れたバナナとコンニャクにオーロラソースがよく合い、また、解体しながら頂く揚げパンもコウバシクてなかなか美味である。
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〈鶏レバーの鶏〉
作り方(2〜3人分)
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@ 鶏レバー200グラムは塩水につけて血抜きをし、一口大に切ってぶどう酒大サジ2を振りかける。
A セロリ2分の1本強、土しょうが小1かけ、玉ねぎ小1コはせん切りにし、牛ひき100グラム、カレー粉小サジ2分の1強、塩、コショウ各少々をあわせる。ここに@をしばらくつけた後、フライパンで炒め、ゆで卵小1コのみじん切り+ウィスキー大サジ2に少しずつ加えながらミキサーにかける。ペースト状になったら、泡だてた生クリーム50tとマヨネーズカップ2分の1を加え練り混ぜる。
B 卵2コをほぐし牛乳、かたくり粉、塩、コショウ各少々で調味し、やや厚めの薄焼き卵を6〜8枚程作る。
C BでAをクルリと巻き込み、大皿に並べてトマトケチャップ(細いクチの付いたチューブ入りを用意)で格子模様を描く。その横に絞り器を使ってマッシュポテト適量を飾り、輪切りトマトとパセリを添えて仕上げる。時間がない時は市販のレバーペーストに、水にさらしたみじん切りの玉ねぎとマヨネーズを加え代用してもよい。ご飯にもパンにも合う、ねっとり食べごたえのある一品である。
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ビールをおいしく飲もう!! 魚を使わない経済的なサカナ
ビールのおいしい季節になりました。照りつける太陽の下、サバの味噌煮缶詰の骨! の部分とか、シャケの目ン玉の裏っかた! とかをサカナに飲むなんて、サイコーにしみるなあ〜。
でも、ソ連さんが友好的な態度に出てくれたおかげで、ささやかな庶民の楽しみも今や息もたえだえになってまいりました。いや、まいりました。
そこで今回は、安いオカラとゴミ箱行きの野菜くずを、ほんの冗談で魚姿にまとめ、更にピーナッツ風味のマヨネーズで化粧してビールのサカナにしてみちゃったりいたしましょう。こいつをポテトチップスにつけて食べると、何バイでも飲めちゃうのダ。
そしてもう一品は、バター味に煮上げたカボチャにアイスクリームを添えた山かけ風=iホレ、マグロのぶつ切りにトロロがかかってるアレね)。この夏、ビールっぱらになって私、妊婦さんに差をつけますっ!!
作り方(2〜3人分)
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@ とうふのカスあるカスら? と、しっかりナマってオカラを10円ほど買い求める。店頭のオカラだるにて刻々とチリにさらされていることを考えるに、なるべく朝早く行くことが望まれる。はずむ心でこの新鮮なオカラを持ち帰ったら、できたら新鮮なふきんで包み湯で洗っておく。
A ありあわせの野菜くず(人参のしっぽ、ねぎの青い部分、しいたけの軸など)と、ハムのくず(チャーハン用として市販)はみじん切りにする。ハムの代りに安いオイル・サーディン缶、前日の残り物の魚肉類を使っても、また一風変った味が楽しめる。
B フライパンにサラダ油を熱しAを炒め、ここに@を加えて更に炒める。好みの量の砂糖、白味噌、酢、みりん、しょうゆにてあまめの酢味噌味に調味し、いりつけて火からおろす。これをつめたく冷やした後、約半量を皿に取り、かたく絞ったふきんをかけた上から上手に手を動かして(ここ勘違いしないように)2〜3センチ厚さの魚型に整える。(残り半量のオカラは後でこの上からサンドするので、大切にとっておく)
C ピーナッツ適量はみじんにし、すり鉢であたっておく。ゼラチン5グラムは少量の水でふやかしておく。
D マヨネーズカップ2分の1に熱い牛乳大サジ2分の1をまぜ、Cを加えてよくまぜ合わす。
E Bの魚型の中央をややヘコませDの半量を流し込み、残しておいたBのオカラでサンドする。最後の形整えをした後、頭と尾をのぞいたウロコ部分に残りのソースをなめらかにかける。(Dのソースは固まり易いので、サンド分と化粧分とに分けて間ぎわに作った方が上手くゆく)化粧ソースがやや固まりかけたら、色鮮やかにゆでたサヤエンドウのせん切りで格子模様を描いて仕上げる。
F カボチャは目方の重い肩の充分張ったもの、縮面の縮んだものを選ぶ。鏡に向かって「くださいっ!」と言っても、手には入らないので注意する。これを4センチ角に切って皮と種子を除いて面取りし、鍋に入れて同量位の水を注ぎ強火にかける。煮立ったら火を弱めて塩、コショウし、かくし味のみりん少々とたっぷりのバターを入れて汁けがなくなるまで煮ふくめる。
G あつあつのFを皿に取り、バニラアイスクリームを上にもってり添える。更にその上から少量のしょうゆと好みのふりかけをおしみなくかける。
H ポテトチップスを別器に盛り、E、Gと共にテーブルに運ぶ。Gはアイスクリームがとけきらないうちに、Eはスプーンですくってポテトチップスにのせて頂く。美味!! 過ぎて思わずビールがすすみ、でんばらになってしまうのダ。
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太陽に挑むさわやか栄養料理3種
♪まっ赤にも〜えたア 太陽だ〜からア♪ と、ツイ古い歌をうたってしまいましたが、今年も恒例の食欲減退の季節がシッカリとやってまいりました。ここで、食卓を涼しげに演出するところがチクショウと人間の違うところでありまして、となると、当スーパー・クッキングはその美的・味覚両感覚において誠にふさわしいものと思われます。
今回は、こうばしいサワガニ/冷たい挽肉スイトン入りポンチ/爽やかなニンニク風味の生卵サラダ♪ 特に、口あたりの良さと、油をたっぷり使い少量でも栄養が取れるように考慮しましたの。(デザートにまで肉が使ってあるのだ。エライ!!)
メインのサワガニは中々手に入りにくいけれど魚がしに行くか、または近くの魚屋さんに「お宅、お安いって評判よ」と、ほんの冗談でセマって取り寄せてもらいましょう。
〈アーメン風いきサワガニのソーメン揚げ〉
作り方
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@ サワグニイ〜(注=騒ぐな〜)サワガニーと、怯えるカニ達に歯をムキ出して脅威を与える。水洗いした後ボールに移し、ヒタヒタ程度の酒をそそいで無理矢理酔わせる。(こうすると当然ながらポッと赤みが増す)
A 小麦粉、卵、牛乳、塩、コショウ、ガーリックパウダーを混ぜ合わせて固めに天ぷら種を作る。ソーメンは、約3センチの長さにプチプチおっておく。
B @のカニ達に充分酔いが回って恐怖がやわらいだところで、一匹ずつ布きんに取ってAの衣→ソーメンをつけ中火の油でカラ揚げする。火が強すぎると中まで火が通らないうちにソーメンがコゲてしまうので注意。入れた順からドンドン上げて油を切り、塩少々をふりかけアツアツのうちに食すとコウバシくて誠に美味♪ カリカリした殻と中身のグニュグニュとの兼ね合いがまたなんとも言えないのだが、ハサミで口の中を痛めぬよう上手に噛み噛みすること。出来あいの味付けサワガニ(市販)を代用してもよいが、やはり生きているサワガニをダイナミックに揚げ、新鮮なものを頂くのが夏の太陽にふさわしい!!!
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〈豚挽入スイトンのサイダー・フルーツポンチ〉
作り方
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@ メロンは2ツ切りにする。この時、温和な人間には大変やりにくいのだが、先の尖った包丁をジグザグに差し込んで一周し、切り口を三角お山のトゲトゲにする。トーゼン私は苦労した。
A @の果肉をスプーンでえぐって皿に取り、白ブドー酒をふりかけておく。皮は器として使用。
B ありあわせのくだもの(バナナ、スイカ、缶詰等)はAの果肉にあわせて切り、同じく白ブドー酒をふりかける。
C ボールに小麦粉、卵、牛乳を入れ、やわらかめのスイトン種を作る。ここに豚挽、シナモン、塩を加え、沸騰している鍋におたま(別におたまでなくとも良いが個人的趣味によりおたま)を使って一口大分ずつ流し入れ、上がってきたらすくって水に取る。水を切った後白ブドー酒に漬けておく。
D @のメロンの器の中にAの果肉、B、Cを入れサイダーをそそぎ入れる。ここに好みで白ブドー酒、ハチミツを加え冷た〜くひやす。器ごとお皿にのせ、回りに氷をグルリとおく。しら玉を彷彿とさせるヌルンヌルンしたスイトンが、冷たくひえたくだものやサイダーの味によくあい、豚肉味が爽やかにオクチに拡がる♪ 涼しげなメロン、白ブドー酒の香りもオトナの味って感じでグー。
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〈ニンニク風味の生卵サラダ〉
作り方
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@ サラダ菜は冷たい水でパリっとさせてよく水を切る。トマトは大きめのザク切り。
A サラダボールはヒンヤリひやした後、内側にニンニクの切り口をこすりつけて香りをつけておく。
B キューリとニンニクはすり金でおろし、サラダ油、酢、レモン汁、ハチミツ、塩、ブラックペッパーを混ぜ合わせてドレッシングを作る。
C Aに@を盛りつけ、Bをかけた上に卵黄をのせる。
D 食卓に運び上下よくかき混ぜて、卵黄とドレッシングをサラダによくからめて頂く。ニンニクの香りのサッパリしたサラダに卵黄のコクが加わって、味に深みを感じるが深みにはまるのはよくないことだ。
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涼しさを呼ぶアツアツ料理
緑の陰を落とす木だちが一層恋しい夏もたけなわ、いかがお過しでしょうか。世の常にならい、どうでもいいけど暑中お見舞い申し上げます。右を見ても左を見ても涼しげな夏料理特集にシカと対抗心を起こし、今回はアツアツ料理2品でこの夏をGO! 汗をダクダク流して調理し、マッカになって口に運ぶ。生きている実感を感じます。そして、なればこそ1杯のビールがおいしい。サア、暑い時にこそ熱き料理で熱き快感をわかちあいましょう。ああ、ノボセて鼻血出そう……。
〈白玉エビ団子のあけぼのソースかけ〉
材料(1人分)
芝エビ70〜80グラム、白玉粉80グラム、チェリー(ケーキ飾り用・グリーン)4〜5個、トマトピュレ大サジ5、バター、小麦粉各大サジ1、固型スープの素1コ、からし、サラダ油、玉ねぎ、ニンジン、ベーコン、塩、コショウ、砂糖、ケチャップ、レモン汁、白ブドー酒各少量
作り方
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@ 芝エビは少量の熱湯でサッとゆで、鍋から取り出しゆで汁はとっておく。エビは適当に包丁し、すり鉢でゴマすり運動を展開します。塩と練りがらしで薄あじに調味。
A 手を石鹸でよく洗う。(これは参考。つまり汚れていてもかまわない)次に、ボールに白玉粉を入れ水カップをそそぎ入れる。手でキュッキュッとまんべんなく練り込むが、そのやわい心地よさが為に遊びすぎるとエビ団子でなくアセ団子になってしまう。
B Aを5コ位の団子にまるめ、この中に@をあんにして包み入れる。おにぎりのつもりで手をぬらしたりすると、白玉粉がとろけてくる。何でもかんでもぬらせばいいと言うものではない。これにチェリーを1コずつ飾りにつける。オッパイのような感触が嬉しくていじくりまわしているとヘンに変形してくるので、大変残念ではあるが手早くすること。また、でっぱりの好みにより、チェリーは2つに切って使ってもかまわない。
C 沸騰した鍋にBを入れころがすようにしてゆで、ザルにあげておく。
D 鍋にバター大サジ1を溶かし小麦粉大サジ1をふり込み、ややウンチ色になるまで炒め、トマトピュレ、スープの素、@でとっておいたゆで汁カップ1〜1と2分の1を加えてよく煮とかす。
E 玉ねぎ、ニンジン、ベーコン各少量は2センチ角に切り、サラダ油でこうばしく炒めDの鍋に加える。よく煮こんだら裏漉しし、塩、コショウ、砂糖、ケチャップ、レモン汁、白ブドー酒各適量で好みに調味。あけぼのソースとする。
F Cを皿に美的に盛りEをかける。アツアツ白玉のリアリィティとホカホカあけぼのソースのこの語感……母なる大地の夜明けを彷彿とさせる。
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〈サバのあずき味噌煮込み〉
材料(1人分)
サバ2分の1匹、じゃがいも中2コ、玉ねぎ3分の1コ、キャベツ1葉、ニンジン2p、トマト中1コ、あずき缶詰約大サジ6、味噌大サジ1と2分の1、酒、サワークリーム、しょうが、サラダ油、バター各適量
作り方
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@ サバは2〜3センチの厚さの筒切りにする。サバ以外ならイワシ等、特にクサミのある魚をほんの好みから推薦。すりおろしたしょうが少々と味噌大サジ2分の1を酒適量でのばし、そのお汁にサバをつけ込み味をなじませる。
A じゃがいもは小さめの乱切りにし、水に放してアクをぬく。玉ねぎ、キャベツ、ニンジンはせん切りに、トマトは適当に包丁しておく。
B ホーロー鍋を強火にかけ、適量のサラダ油とバター(各同量ずつ)を熱しAを炒める。野菜がしんなりしたら酒カップ2分の1と水カップ2と2分の1をジュッーとそそぎ入れ沸騰したら中火にする。
C Bの鍋は、じゃがいもが煮くずれする寸前まで、暑さにメゲながら煮続ける。冬の気分でコトコト気長に涼し気な顔でやるとミジメな感じで一層ヨイ。
D 少量の酒でといた味噌大サジ1にあずきの缶詰大サジ6を混ぜ合わす。これを煮つまったCに加えるが、好みで分量と割合は加減する。ただし、あくまでもあずき味が主体であることを忘れてはならない。
E @のサバに付いているしょうがを取り除き、両面網焼きする。
F EをDの鍋にうつし、イキイキと奥におし込む。この時@のお汁も漉して加え、そのまま汁けがなくなるまで煮こむ。
G 頂く時は別にサワークリームを用意し、小皿に取った煮込みの上からぶっかけながら食する。香りの高いあずきのあまさが他の材料によくマッチしていて、なんとも言えず……だからなんとも言わない。一つ言えるのは汗の吹き出そうな煮込みにマッ白なサワークリームが涼しげでついビールに手が出てしまう。
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秋の枯葉にサメザメ泣く日のサメ料理
♪枯葉よォ〜♪ あ、まだチョット早いか。私ったら文学志向が強いもんで、秋を待ち望む余り、ツイ早まってしまいました。
あっ、電報が入りました。「イツモ ツクッテ タベテイル――スティーブ・マックィーン」。やー、感動しちゃうなあぁ、どうもありがとうございます。
そこで今回は、映画評論家のオスギこと杉浦孝昭氏を、渋谷のとある旅館にお招きし、サメ料理に舌つづみを打ち合いつつおいわい≠しました。
作り方
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@ サメの切身を皿に取り、裏表、塩コショウする。強火にかけたフライパンにバターを熱し、サメの表面にコゲめがついたら火をおとして酒(オチョコ2杯程)をジュワッ!とそそぎ、フタをして蒸し焼きする。裏返して焼き上げたら火からおろし、カビカビしいブルーチーズをのせて、再びフタをして香りをしませる。ブルーチーズは多すぎるとニガミが出るので、サメ一切れあたり15グラム程度が適量。
A 別のフライパンにサラダ油を熱し、ニンニクとしょうがのみじん切りを炒め、キツネ色になったら玉ねぎのみじん切りを加え、すきとおるまで弱火で炒める。
B 赤く熟したトマトは湯むきし、ザク切りにしてベイリーフと共にAに加え、ザッと炒めたらクリームタイプのコーン缶詰を入れてトマトソースとする。
C @をフライ返しなどを使って大きめにつぶし、フライパンにコビリついた汁と一緒にBに移し、軽くまぜて火からおろす。
D ソーメンは弱火にかけたタップリめのサラダ油で、ぐるぐるかきまぜながらカラッと揚げる。
E 大皿にDを取り、上からCをかけて出来上がり。
F 次に、なしの皮と種を取りのぞき適当な大きさに切る。ヒタヒタの水でしんなり煮た後、好みの量の砂糖を加え甘みを煮含ませる。ボールに小麦粉、砂糖、卵、すり黒ゴマ、牛乳、ふくらまし粉少々を入れてまぜ、衣を作る。
G Fのなしの甘煮に衣をからめ、中火にかけたサラダ油で揚げ、油を切ってグラニュー糖をふりかける。
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トマトの酸味のきいたサメ入りトマトソースは「オセジじゃなくてホント、おいしいわ〜」でしたから、粘膜の弱い方はゆでうどんやスパゲティにかけたらよろしい。けれどカメラマンのケンちゃんも撮影後、一緒に食卓を囲みましたがオイシイオイシイとお代りしてくれて、ソーメンが刺さった! のは、何故かオスギだけでした。
おほもだちにお料理作ってあげるの大好き♪っていうオスギ……「ゲテモノって言うんじゃなくて、新しい味の発見って言うか、好みの味に作り上げてゆくって、アタシとても楽しいコトだと思うの。タコを薄く薄く切って、レモンのスライスをサンドして、サッと生じょうゆを付けて食べると、そりゃあアナタおいしいわヨ、みた目も奇麗だし。大皿にタコ、レモン、タコ、タコ、レモン、タコってグルッと並べるのネ」。
政治論と紙一重の会話が続くうちに、お料理が大分さめてきましたが、なしのお菓子はさめてもまたオツな味♪ ジョーズの方は?
オスギ「ブルーチーズじゃなくて、普通のチーズを使った方がいいわネ。さめると固まってニオイが鼻につくワ」
アキコ「でもサメのクサミをとろうと思って使ったのダ」
オスギ「だったらイイコト教えてあげる。セロリの汁かけるとクサミが消えるわヨ」
ムムム……サスガ料理ずき。いや、まいりました。
楽しい試食会も大盛況のうちに終わり、アタシ正露丸のまなくてヘーキかしらと不安がりつつ、オスギは街のざわめきの中に消えて行くのでした。
寒さを耐えぬくための冷菓
寒い夜、たまにはこたつに入ってゲームに興じてみてはどうだろう。傍にスナック類を用意して、ポーカーに火花を散らすなんてまさにグー。
そんな夜の為に、簡単に作れるドジョウを使ったパイを紹介しよう。ドジョウは夏のものなので冬は生きたものが手に入りにくいが、輸入物の開いた物なら一年中買う事ができる。ロウチパイを食べ、相手の陰謀をヌメッとすり抜け、ストレートフラッシュでキメテみよう!
泥鰌《どじよう》――特徴は口辺にある10本のヒゲ。淡水産硬骨魚で溝、池、沼等の泥深い所に生息。最近は養殖が盛ん。ドジョウが「鳴く」というのは腸呼吸の為。ビタミンAが多く、表皮に浸出する精液は「ひょうそ」や「丹毒」に効く。
材料(2〜3人分)
ドジョウ6匹、ビスケット60グラム、卵黄1コ分、粉末ゼライス5グラム、砂糖約100グラム、バター50グラム、牛乳とエバミルク各カップ2分の1、コーンスターチ15グラム、生クリームカップ2分の1、バニラエッセンスと酒各適量、チェリー少々
作り方
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@ 好運にも生きたドジョウが手に入った場合――水に一晩はなし泥をはかせる。ヒタヒタの水を入れた小鍋にドジョウを移し、酒適量を加えて恐怖感を和らげてやる。別鍋に水カップ1、砂糖30グラムを沸騰させ、酔っぱらったドジョウをぶち込む。この際フタをしておかないと、熱湯をひっかけられるハメにおちいる。ドジョウたちに火が通ったら弱めの中火にし、こげつかぬように煮詰める。器量の良いのを2〜3匹よけて、その他のはぶつ切りにしてすり鉢でよくすりつぶす。この時、あまりに堅い部分は取り除いておく。
不運にも開いたドジョウしか手に入らなかった場合――酒少量を入れた水で洗った後、水カップ2分の1、砂糖30グラムとともに火にかける。沸騰したら、弱めの中火にし煮詰める。形の良いのを縦に切り、尾のついている方2〜3枚を残し他はすりつぶす。
A あり合せのビスケットをビニール袋に入れ布を巻いたトンカチでひっぱたき、適度にくずす。
B バターを湯煎にて溶かし、Aと砂糖10グラム(ビスケットのあまさにより加減する)を加え混ぜ合わす。これをアルミホイルをひいたパイ型に敷きつめ、指でよく押え付け冷蔵庫に入れる。バターを使っているので、冷やすと城壁のごとく固まる。ここに紹介した分量だと幼児用弁当箱位が丁度良い。
C 器に水大サジ1強を入れ粉末ゼライス5グラムを浸しておく。
D ボールを用意し、卵黄、牛乳大サジ1、砂糖40グラム、コーンスターチの順に加え混ぜ、あたためた牛乳とエバミルクを注ぎ込みよく混ぜる。牛乳が熱すぎると卵が分離してしまうので気をつける事。
E Dを鍋に移し弱火にかけ、ヘラでかき混ぜながら煮込む。こげつきやすいので注意。温度が上がってきたらCを加えてとかす。更に@ですりつぶしておいたドジョウ、そのシロップを加えねり上げる。コーンスターチのきなくささがぬけたら火からおろして少しさまし、バニラエッセンスを加える。さましすぎると鍋の型に固まってしまう。何事も適度が肝心。Bに、@でとっておいたドジョウをカッコヨク飾り、再び冷蔵庫に入れ冷やし固める。
F ボールに生クリームと砂糖20グラム、バニラエッセンスを入れ、氷水で冷やしながら静かに泡立てる。これを絞り袋に入れEにホイップしチェリーを添える。ドジョウを引き立てるよう、美的カンカクをもってする事。
[#ここで字下げ終わり]
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街はバクハツだ!
喫茶店は都会のエアポケット
私は街中にある喫茶店が好きだ。
排気ガスで少し汚れたガラス窓の向こうはコンクリートのビルで、行きかう人たちは目的地めざして背中をまるめ、ピンク色のバンやアイボリーのセリカやらがキラリ車体を光らせホコリを残すと、コーヒーカップの周りには、また店内のケイハクなイージーリスニングがかえってくる。
中学生の頃は、あんなにもオトナたちが見とがめるその場所に、わたし≠ェ行くなんて、なんだかオネーサンみたく思えてトキメいた。そして今、喫茶店はわたし≠取りもどせる唯一のスペースとして、セカセカ仕事顔《シゴトガオ》した私に重宝がられている。
雑誌の編集を始めて何年かが経って、渋谷にあるビルの7階の編集室で、私はずいぶんと仕事する。
「追われるように一日が過ぎる」という表現は、まさに私のために生まれてきたに違いないと確信したり、ひょっとして私はタカハシアキコではなくて、美しさが似ていることでもあるしヤマグチモモエだったのではないかと錯覚してしまうほど、毎日が忙しい。そうして夜中まで仕事が続いたその夜、フト気がつくと18時間余にわたって我が4人のスタッフとずーっと顔をつき合わせていたことに気づいてゾッとするのだ。わずか数十センチのそこには常に人がいる、仕事がある。無意識のうちに目先のコトに夢中になる頃、そろそろヒステリー状態がやってきて、それが生理日にかさなろうものなら机でもひっくりかえさんばかり、イラだちのなかで、時≠ノ振りまわされ始めるのだ。
私は仕事を、自分を、日常をちゃんと管理したいから、だから、忙し台風の目≠ノ入った自分をポコンと圏外に出してやる。ビルの谷間で一番てっとり早い近くの喫茶店に、大海に出る船が小さな港に寄ってひと休みするように、私もまたひと休みする。
最近は住宅街の中にポツンとできた喫茶店がなかなかナウかったり、田舎のカスれたそのダサさがたまんない店もあるけれど、私は感受性がひどーく強いものだから、そういう所だとズバリ店の存在そのものを楽しみたくなってしまうので、ウィークデイの私にはふさわしくない。周りが気にならないほど日常でなくてはいけなくて、私が街中の喫茶店にこだわるのはそういうことだ。
渋谷の街にはいろんな色あいの喫茶店がある。トロピカルっぽいヤツ、穴ぐら、アンティック、テクノポップいヤツ、光がいっぱいの、もろシティ〜ってヤツ……人それぞれ肌にあうあわないってことがあるわけで、私はノドをうるおすためならそのどれもが好きで、仕事のあい間の数十分を過ごすにはそのどれもが嫌いだ。
店の隅々にまで無関心≠チてやつがよどんでいる所が、いい。心臓の鼓動とおんなじニオイのするダークグレーの空気が流れている所がいい。ガラスの窓がくすんでいる所がいい。
排気ガスで少し汚れたガラス窓の向こうはコンクリートのビルで、行きかう人たちは目的地めざして背中をまるめ……そう、なぜもあんなに背中をまるめ、その通り過ぎて行く人の流れに、私は自分を見に行くのだ。喫茶店は都会のエアポケット。喫茶店は今の私には不可欠な寄港のようだ。
よく、スケジュールがハードであればあるほど、そんな日、お昼に近い朝、事務所に入る前に喫茶店に立ち寄る。思えば、ここのところ朝の一パイのコーヒーを忘れていたことに気づく。
あしたの朝は、大きな窓のあるサテンへ、久しぶりに寄ってみようか。
喫茶店でドラマを観る
編集者は、よく待つ。
原稿受け取りだ、打ち合わせだ、と、よく待つ。で、これは喫茶店を使うケースが多い。
私などは気分に余裕のない人なので、次の仕事に近けりゃどこでもいい、みたいなとこがあるから、よくない。1パイ何十円かのコーヒーを400円近くも払って飲むのだ。差し引き300円ぐらい分の楽しみがなくちゃおかしい。
友人の中にはナウイ≠ニいわれている喫茶店に行ってナウイ≠ニいわれている人間を見ることを楽しみにしているヒトもいる。
コノ、友人N氏の場合は、イタトマこと『イタリアントマト』なんかは、ナウギャルがウジャウジャいてサイコーらしい。例えばTシャツとGパンに皮ジャンひっかけて、黒ブチのメガネなんぞをかけてズーッとズーッと、ズゥーッと3時間ぐらい見てるらしいのだ、そのコらのいろんな行動を。
で、私はこういうのは、客にしてみれば気持ち悪いと思うが、あとで「アタシなんかぁ、ほんでぇー、こう風《ふう》になるわけえー」とか、マネしてくれるから、嬉しい。
同じ場面に出会っても、何にカンジて、何を拾ってくるかは人のセンスだからして、その人の感受性がボッキしなくちゃ意味がない。ノーパン喫茶のロリコン版でイタトマ行くなんて人の話も聞きたいものだ。
人を見る面白さは、小説を読むよりもドラマだ。インパクトがつおい。人を見ている自分という人≠ェ浮び上がってもきて、哲学できるとこもヨイ。路上、タクシー乗り場、いろんな所があるが喫茶店はドラマが箱ン中(店)に、たまってるとこがまたいい。観察する時、座ってられるから疲れなくて便利だ。
私の喫茶店の使い方は、最初に書いた反省点をベースに、あとは自閉する為とか、時間のある時は人間探訪。それからお便所を見るっていうのもそういやあった。
お便所を見ることは、結構好きである。
店がまえやインテリアが立派でも、トイレを見れば、オーナーが見栄はりかどうかが、だいたい分かる。
水の流れはどーかも、大切だ。お便所に力《りき》が入っていると、私は、オーナーのおおらかさに、一人、トイレの中で感動に打ちふるえてしまうのだ。
初めて行った店では、必ず試しドイレ≠する私だが、今んとこ、いいトイレはごく少ない。今後が、楽しみだ。
差額300円の楽しみ方がニューウエイヴかどうか――それは、その人の楽しみ方のボッキ度による。
キツネとタヌキ
フランス語で路地裏≠ニいう意味の喫茶店に行った。フリルの似合いそうなカワユイ室内は、中世の豪農風たたずまい。NHKとファイヤー通りの間に位置する。
小ぢんまりとした部屋を見回す。と、女の子ばっか。ブスだが、各人が静かに夢みる目つき男を受けつけない、女の子だけの昼下がり……。打ち合わせのために同席していた男3人がヨダレを流す。
「今度、女の子、連れてこよ。評価、高まるよ。こりゃ」と。何考えてんだろーね、男ってのは。
先だってOLのイライラ≠フ第1位は「同僚OLへのイラ立ち」で、2位は「上司への不満」だという話を聞いた。後者の理由「責任を押しつけ過ぎるから」はさて置き、続く「スケベだから」には、おそれ入った。そういえば、知り合いのM子(OL・21歳)も同じようなことを言っていた。
「下心ミエミエでサテン行くでしょ。ゴルフの話と子供の話しかしないのヨ。そんな貧困な話題で女ひっかけられるって思ってるだけで、やね。この間なんか、コーヒーおごるって言って、販売機の60円コーヒーよ! 生活が見えちゃう。もうサイテー」
ど、ど、どっちがサイテーだかよく分からないが、キツネとタヌキの化かし合いとは、よく言った。目の前の男3人のニヤケヅラと、窓ぎわのテニス帰りの女の子の顔――オシャレな日の光の中で両者にチラチラ目線をおくってから、ドンブリ鉢みたいなフランス風カフェ・オ・レをズズズーッと、私は、すすった。
クサルほどラブホテル
そんな、朝っぱらから嬉しそうな顔して入って行くなっ! と私は言いたいワケだ。
それこそ、さっきまで仕事してて、2時間ほどの仮眠のあと、再び仕事場へ向かおうとしている私は、どーなるのだ。士気を失うではないか。
ラブホテルの話である。大学生ぐらいの若いモンが、朝の10時、ブランドものの袋を片手にニコヤカに連れだってホテルへと入って行く。それから出てきたりもする。住むわけにいかないから当たり前だ。
別に私も行きたい、というのではない。私だってあんなとこ、3回行った。一度は取材で行って、一度は会議で使って、一度はアソコで対談をした。
おもしろいのは出てきた2人、である。男は寝グセがついている。女のストッキングはたるんでいる。二度はくと、のびてシマリがなくなるのだ。ブラウスはヨレっとしていて、そして必ず、寄りそう女を引っぱる形で男は風を切って歩いていく。
「だって、親もいるのに自宅に連れてくわけにもいかないでしょ」とは、知り合いの男の子の発言である。いいね、いいね、ヒマとお金のあるもんは、いいねーだっ! なのだ。
よく行く喫茶店の前に、このテのホテルがあった。ガラスばりの客席に面して、出入口がドデンとこちらを向いている。今度、つぶれて、そこにはシアターが出来るらしい。でもまだ、ホテルはクサルほど、ある。
ビニール本の部屋へ行った
ビニール本の部屋≠ヨ、行った。なんてことはない、早い話が、今をときめくエロ本屋へ行ってきたのだ。
その事件は、偶然に起こった。3人の悪友(男)と連れだって歩いていた仕事帰り。私達は、一パイ飲《や》るつもりで渋谷の夜を歩いていたのだ。
途中、壁のハゲたビルの前を通りかかった時、突然Aクンが言った。
「ね、最近、出来たんですよ、アレが。ビニール本屋が、ココに。チョット立ち寄ってみません?」
狭いドアのついた6畳ばかりの空間には、ずらり大股開きの女達が喘ぎまくっていた。私はこの日、初めてビニール本というものを見たのだが、中が見えないように透明のセロハン(?)でくるまれたエロ本は、エッチな表紙をこちらに見せて、店内にビッシリと並べられている。
何が「チョット」だ。何が「立ち寄る」だ。私達は、かれこれ20分間ぐらいもいた。店内にはデップリ太った店番のオジサンと、20代のサラリーマン風の客が一人、異様に静かだ。しかも敵は、ニンジンをつっ込んだり、でんぐり返しの姿勢で口を半開きにしたり、器用な人達ばかりときている。私も嫌いなほうじゃないけど、とりたてて趣味にしている訳でもない。あんなもん、黙って見ていたら、自分が本当のスケベになったような気がして、悲しくなってくる。
私はバツが悪くて、たて続けに「わっ! マンマン見え見えじゃん!」とか「このモデルはブスでヤル気がしない」などとバカなことを喚き続けるのだった。そうでもしなけりゃ、たまったもんじゃない。
ところが、これが裏目に出て、そのオジサンに「なかなか明るい活発なヤングだ」と、気に入られてしまったのだ。
オジサンはいきなり、オ〜イ、△△! と隣の部屋のもう一人のオジサンを呼ぶと、どうだこの子、と言ってそのオジサンに見せたのだ、私を。そして、こう言ったのだった。
「ねぇ、ねーちゃん、モデルやんないか?」
私は、ドーしたらヨイのだ。3人の悪友はと見れば、一かたまりになって目はウツロ、私のことなど、とうの昔に忘れている。オジサンは続ける。ねーちゃん、17歳ぐらい?
私は、ハッキリ言って28歳だ。「もー、こうなりゃどーでもいいや」と思い、精一杯、下品にガハハと笑って「まーね」と答えた。
気がつくと店には私達以外、客は一人もいない。3人の悪友達は大股開きにクギ付けだ。店はオジサンと私だけの世界になっていた。
オジサンは嬉しそうに本棚からエロ本を取り出すと「このモデル、松本ちえこに似てるだろ」と言って、私の鼻先まで持ってきた。私は正直者だ。嘘はつけない。「似てないと思う」などと言うものだから、ムキになって「どうだ、今度のは似てるか」と、次々と私の鼻先にエロ本を運び続けるのだった。
さて、このゲームはそろそろ終了する。
実は、店に入った時から気になってしようがなかったのだが、入口近くの1冊のエロ本の上に1本のちぢれた毛が落ちていた。私はとうとうガマン出来なくなって言ってしまった。「オジサン! 毛が落ちてるよ」
「ね―ちゃん、ヤダなぁー。毛なんて言わないでくれる? ヘアーって呼んでよ、ヘアーって」
なにが「ヘアー」だ。私は吹き出しそうになったけれど、笑っている場合ではなかった。
なぜって――なぜって、その直後には、私の腕の中には『洗漫』というタイトルの1冊のエロ本がシッカリと抱きかかえられていたのだから。コブシを作ったオジサンに「ひやかしだけで帰れると思っているのか」と、すごまれたのだ。1200円也。
店を出て後ろを振り返ると、ドアの横の一枚の貼り紙が目に入った。
〈凶悪婦女暴行犯指名手配書〉
私は桃色の目をした3人の男共を引き連れて、5分後に飲むウィスキーの味を思いながら、複雑な気持ちでエロ本の入った袋を持ち直し、トボトボと歩いていった。
渋谷の街はずれの午後9時は、満天の星の夜だった。
ヤケ買いのコート
サイフには、1000円札が5枚入っていた。
「とりあえず1000円でいいのよ」と、売場のお姉さん。「じゃあ、とりあえず3000円」と私は答えて1000円札を3枚渡すと、それでこの話は成立した。
あれは私が22〜23歳のことだから、かれこれ7〜8年も前の話だ。私には衝動買いのヘキがあるのだが、これは、そのなかでも結構デカかった。なにしろ、5000円しか持っていないのに、そのうちの3000円を手つけ金として買ってきたものは、三十ナン万円だかの巻き毛の小羊のコートだったのだ。
私はその日、すでに働く婦人であった。もちろん、安月給である。事務所は渋谷にあって、朝、職場までの道で百貨店の縦断を試みた。別に意図はなかった。開店直後の店内は、ガラガラにすいていた。私は躁鬱の鬱で落ち込み、意昧もなくイラついていた。
と、細い通路からパッと視界が開けて毛皮売場が広がった。茶色や黒や白、とにかく、フサフサが広がった。目が一ヵ所に走る。シルバーがかった薄茶色の巻き毛のラムだ。なんとなくいいと思う。ツツツと歩み寄ると、試着せずに「これお金なくても買えますか」と聞いて、先の3000円の手つけ金の話に戻る。
私は宝石とか毛皮とかに特別ほ≠フ字の人間ではない。だが、その日、鬱は私を自虐的にしていた。ヤケ食いならず、なるべくタイヘンそうなヤケ買いができれば、それでよかったのだ。
月々いくらずつだったのか、私は毛皮のローンを払い続けることになった。そうして数ヵ月後、晴れてあたしの巻き毛≠ノなってからも、私は一度もコートをはおらなかった。次の冬も、その次の冬も。理由は簡単だ。体が若くて、毛皮が歩いてるみたいで、どうにもならんかったのである。
その後もヤケ買いは続く。私の場合、所持金がないくせにドンドン買いまくることが特徴である。シルクのドレス、白木のタンス、マンションも買って、ヤケ買いはまだまだ続く。でもまあ、こんなことで精神のバランスを取り戻せるのなら安いもんだ、と、居直ってしまう。
ところでラムのコートだが、3〜4年前の雪の日からだろうか、体が熟して……。そう、体が熟してようやっと手を通しても似合うようになった。
おもい通り、公園通り?
渋谷公園通りに、人が溢れる。
ウチの隣のおばサンなんかにとっては、公園通りとパルコはナウさの象徴≠ナある。
「こんなオバサン、恥ずかしくって行けないわよぉ、ダメダメ(笑)」ということになる。
そのナウさの象徴を作り出している筆頭はといえば、あの有名な東急資本vs西武資本の戦いだ。もちろん、私らにとっては企業の争奪戦なぞ、カンケーない。遊び場が増えれば楽しくていいねーという、ただそれだけのことである。それだけのことなのだが、今度、公園通りの入口に出来た丸井のコピーにはマケタね。
≪おもい通り、公園通り≫――なんというカゲキなキャッチ。なんという、あからさま。「パルコに挑戦してるとしか思えませんねー」とツイ、通《つう》っぽい会話が飛びかってしまうわけで、おそれいった次第なのだった。
おそれいってるものの中に、例の一気ブームにのった安さが売りの酒場チェーン店の急増ってのもある。『村さ来』かなんかで安酒飲んでマッ赤に酔った学生諸君が、陽が落ちると渋谷センター街でゲーゲーやっている。若い子のこと知りたかったら、ああいう所へ行けばいいですヨ、とA大3年のK君は言う。
「人生論とか、たたかわせちゃうんだ?」
「んなワケないでしょー。酒はパーッと飲まなくちゃ。風俗的なことならバッチリ! 興味持ってるすべてが乱舞してますよ」
安酒場でパーッと一気をやってクダまいて、昼間は公園通りでデートする。学生サンはいいねー、ヒマで。おもい通り、渋谷!!
ポリネックの私
「渋谷へ行ったら、難民救済の箱を持って、くっついて来るのよ。しつこいねー、アレ。アコちゃん、なんとかしてよ」
と、父が言う。アコちゃん、なんとかしてよと言われても、困る。私は渋谷区長じゃないのだ。いくら毎日渋谷に通勤してたって、なんとかなるモンと、ならないモンがある。
で、確かにアレは、しつこい。ハチ公前のスクランブル交差点が赤信号になると、だから私はカクゴする。たかられても、ビタ一文ださねーぞ、とカクゴする。あそこは多いのだ。青にならないと動けぬ弱味につけ込んで、箱をつき出して傍を離れない。
「少しでいいンですぅ。お願いしますぅ。入れてくれませんかぁ」
ガンとして無視していると、しばしの沈黙があったのち、スッと次の人へと移る。
ここで問題なのは、このしばしの沈黙≠ニいうところである。その間、上目づかいのコビた目で見つづけられ、周囲の人からは、そこはかとない注目の気配を浴びることになる。みんな遠くを見たりカバンの中をチェックするフリはしてるが、募金するや否かをヤジ馬してんのだ。
もー、その数十秒間、自分は世界で一番の悪者のよーな錯覚に陥ってくる。一円ぐらいやったっていいのに、お前は血も涙もない冷血漢だァー、みたいな雰囲気にみまわれるのである。
昔、東横百貨店ののれん街の方の出入口には、いつもショウイ軍人が軍歌を流しながらおもらいさん≠していた。ずいぶん私がトシみたいだが、そんなことはナイ。今でも時たま見かけることがあるけど、そのノリである。
私は、そこを通るのがイヤでたまらなかった。かわいそうで、かわいそうで、イヤでたまらなかった。大きくなってお給料もらったら、いっぱいお金をあげよう! と、愛くるしくも母に手をひかれた私は心の中でつぶやきながら通りすぎたものだった。
つまり、このよーに、心優しい私なのである。けして一円がおしくて募金はしないと言っているのではない。250円ぐらいまでだったら、いつ出したっていい。セコい。
早い話、五体そろった者がお金をせびる、この根性が私は嫌いなのである。人が働いてかせいだお金を、時間をかけてもらいつづけるヒマがあるなら、自分で働いてみろ! そのお金で難民救済でもなんでもしてみろ! といったような、立派な憤りというものがあんのだ。
したがって、子供を使った募金運動もダメである。「ちぇーっ、入れてくんない。あたまくるよなぁー」などと言っているガキを見るとハッ倒してやろうかと思うが、傍に母親がいるので一度も実践したことのない私って弱い人間だ。
街を歩いていて声をかけられるのは、もちろん募金ばかりではない、わけの分からぬアンケート調査員もいれば、アルバイトの勧誘員もウヨウヨしてる。パルコ前にいるヤツなんか「ヘイ♪ カノジョ♪」と声をかけてくるしサーファーみたいでナウイのだ。
先達ては、ウチの若いスタッフの女の子がパルコ前で中年のオジサマに声をかけられた。夜の10時半。「私はジェームス三木といいますが、あなたはどんなお仕事ですか?」と聞いてくるのだそうだ。
ジェームス三木氏といえば、朝のNHKドラマ等々の執筆で有名な脚本家だ。あとで分かったことだが、このジェームス三木を名乗るナゾの男はニセ者で、現在ひそかに世間を騒がせている有名人なのだった。
「おたくの編集長とも先日、会いました」等と(実際にお会いした)やたら内情に詳しかったらしく、あんまり面白いから、編集している雑誌で5ページにわたってこのニセ者事件をとりあげてしまった。
去年のちょうど今頃は、私はよく初夏の太陽を背に受けながら外を歩いた。ヒマだったからではない。4月に突然ギックリ首≠ノみまわれ2ヵ月近くの入院。退院後の首には、あたたかい太陽光線が痛みをやわらげてくれて気持ちがよかったのだ。
ポリネックという白い首ワッカをはめて外を歩いていると「ネーチャン、ムチ打ちかい?」なぞと声をかけられる。そんな中でヘイコウしたのが、このテ↓の呼びかけだった。
「あの……お見うけしたところ、お若いのに大変そーで」
見りゃあ分かる。大変だ。
「ウチの主人もムチ打ちで苦労しましたが先生にみていただいたらウソのように治って」
先生?
「ハイ。痛くもなんともないんですよ。紹介しますよ。手をかざすだけなんです」
このテ≠ニは、このテ↑のことである。人の悩みにつけ込むハイエナに見えてくる。
なにしろ入院してから2週間は痛みでまったく寝たきりだった。家政婦のオバサンだけがたよりだ。体もふいてもらう。私のパンツはなんといっても若いギャルだから、ビキニ型だ。いくらそれでいいのだと言っても70歳のオバサンは「ゴムがウエストまでこない」と言ってグイグイ上に引っぱる。「あんた、こえすぎじゃないの? 上までこない、上までこない」と言って引っぱりつづける。
そんな悪夢のような日々がさめやらぬポリネックの私≠フあの日だったのだ。神経が過敏になっている。ソッとしといてほしかった。それなのに、それなのに、寄ってたかってチョットいいですかぁ〜≠フニイチャンにまで声をかけられたりもした。「チョットいいですかぁ〜、アナタは神を信じますかァ?」――こんな目にあってて、誰がそんなもん信じるかっつーの。
夜になるとPARCOのネオンがPから順に点滅する。渋谷の街を見おろすようにパーこ、パーこ≠ニ点滅する。
今日も、街では色んなことが起きている。
グァムで寝まくる
「あっ! ココ、いい!! ココ行きたい!」
と、仕事で一緒だった景山民夫氏が生本番中に私の隣の席で、わめく。ココ≠ニは、いわゆる南の島≠ナある。番組放送中、何度か入るCMに太陽のふりそそぐ海が出るたびに「ココ!」「ココ!」と目を血ばしらせて騒ぐわけなのだった。
そりゃ、もー、私だって行きたい。あおい海、白い砂浜……。その次に「ピチピチのギャル」と続くんでしょ、と景山さんには言っておいたが、なにしろ私らは毎日がアホのよーに忙しい。とりあえず電話のかかってこない所で、ひたすらポケーっとしていたいと思うのは、ごくフツーの欲求である。
だからと言って電話線をひっこ抜けばいいというものでもない。私の場合は長野の山荘とかいうのもダメである。セコイ奴なので、せっかくだから高山植物を見に行かなくては! なぞとツイ思ってしまうから疲れるのだ。
その点、日本から数時間で行ける程度の南の島はヨイ。海っきゃ、ねーよ!! と、ハナっから私がナメてかかっているからだ。その点が、ヨイ。ナメてかかれるということほど、人をくつろがせるものはない。いくら油断していても、なんかよく分からないが、とにかく大丈夫! という安心感があるのだ。
私は非常にコマカイ人間だから、いつも体全部でナニカを発見しようと目論んでいるフシがある。したがって、その多くは自分自身に対する発見なのだが、ドコへ行ってもドッと疲れて帰って来る。1からは10の感じるコト≠ェあるのダ、と信じて疑わないので旅に出てもキンチョーしてしまうのである。
旅は非日常で、日常がふりはらわれたところでは自分≠ニいうものが浮上する。だから、そういう意味で旅が――非日常の中に身を置く行為が――好きなのであり……ほらね、疲れそうでございましょ。
ヨーロッパめぐりは、やってみた。自分の帰る所は、自分自身の中でしかナイのだ。という立派な確認事項を胸に帰国し、1週間近く時差ボケでバカになった。
で、放っておくと私はネパールへ行きたい。ニューギニアの奥地へ行きたい。シルクロードに行ってみたい。エジプトの砂漠に行きたい。と、和泉雅子にも似たドマイナーな思想に突入する。
アフリカの草原に沈むデカイ夕陽が見たいと思ったら、ポッと見に行けるよーな自分でありたい。これが、私の夢。というか、昔からずっとの希望なンである。
それはさて置き、忙しい。今のところ時間がない。時間を作ってもドッカへ行くだけの根性がない。その場でバタリと寝るか、たまった洗たくを一日中するのがせきの山である。
となれば、せめて気合を入れて油断OKの3泊4日の南の島で寝まくるのだぁ〜! と結論する私なのである。それも、一番油断できそうなグァムが良い。っつーんで、悪いが、ちゃんとソレを実行して結構いい目にあったことだってあるのダ。
女2名・男3名の御一行様は、飲み友達のミュージシャン&エディターの計5名だ。一同は、寝た。あおい海に抱かれて寝まくった。あいつらナンだ。おらがグァムに来て寝てばっかスいて。と、ヒンシュクをかうくらい海辺で、プールサイドで、よく寝た。あれだけ怠惰な仲間が集まったのも、めずらしい。
あの日、私は「こーゆーコトは、ちょいちょい自分にしてやろう」と思った。疲れはてた体を休めたい、という私の目的の為には私がナメきっているグァムは有効だ。水着姿をいかんなく披露することもできる。世間の目の保養にも一役かえるのだ。どう思おうと、本人の勝手だ。
してやろうと思った。思ったのにィ、忙しさは増すばかりで、なかなかままならないのがクヤシイ今日この頃である。今年こそは、なんとかしたい! 夏の日本人観光客がひけた晩夏ぐらいが比較的すいていて、よろしい。特に、土産品を買いあさるハネムーンのジャパニーズを、なるたけ目にしないような時期をねらうことが肝心である。
25歳の友人O(女)「私、かならず1年に20日間は、まとめて海外旅行することにしてンですよねー」
某有名俳優M氏「今からパーッとみんなで軽井沢にテニスしに行くんだけど、一緒に行かない? 今すぐ、今すぐ!」
某有名作家A氏「1週間だけドッカ行こうと思って、人を集めてさ。今からスケジュールに入れちゃうの。ハハハ、まだ場所決めてないけど、行く?」
うーん。サラリーマンはツライ! し、仕事が……。私だって、私だって、夕陽見にポッとアフリカ行くんだぞ。ち、ち、近い将来には。
しかし今からスケジュールに入れちゃうの≠ニゆーテがあったのダ。現在の私には、この根性が必要とされている。ヤルのダ!! あおい海に抱かれに行く――この一行を、今私は予定帳に、書き込もう。
入学歓迎コンパ泥酔後の空白
私は、飲《や》ることが好きである。で、けっこう、飲む。最盛期はボトル1本半で、これは私のジマンだ。最近は、めっきり弱くなってしまって、分量なんか書くのもオゾマシイ。
酔っての醜態≠チてのがある。ムサビ(武蔵野美大)に通っていた頃のことだ。入学歓迎コンパの席で、意識不明になった。
学食の湯呑茶碗でくみかわすこのコンパ、まずは手始めにビール→二級酒→焼酎→サントリーレッド→茅台酒、と続く。このコース順になみなみとつがれたアルコールを、新入生はただひたすら飲み流していくんである。ダメになった人間は戸外へ這い出し、吐く。吐いて、また湯呑の前にもどって、飲む。
私はと言えば、ヒグマみたいな顔したキタナイ先輩に「女のクセに、いい飲みっぷりだ!」とかホメられて、その気になって飲み続け、レッドまでいって最終の茅台をひとくち口につけてゴックンしたとこまでは覚えてる。で、次の瞬間、記憶が無くなった。気づくとムサビから2時間半は離れた世田谷の自宅の布団の中で、ケイレンしながら黄色い胃液を絞り出しているのであった。急性アルコール中毒である。
あの夜、泥酔した一人娘を自宅へ連れもどした母親の話によれば、ウソかホントかあんた≠ヘ「深夜の青梅街道(ムサビの近くなのだ)をちちまる出しでフラついていた」「パンツまる見えの大股開きで道端に座ってた」等々ということになる。もう二度と飲むまいと誓ったサケだが、もちろん数日後には、またガッポガッポ飲んでいた。
やっと回復して登校したコンパ3日後の昼、私は学食の前でキッタナイ、ミジメったらしい片方だけのクツを目にする。そして通りすぎようとした瞬間ハッ! 私のクツだ!! と気づく。私は何気なくクツの傍に後戻りし、人目に注意をはらいつつ、足でクツをツンツンと草むらに追いやって、何ごとも無かったかのように、すみやかにその場を立ち去った。
茅台酒≠ゥら母親に保護≠ウれるまでの空白の数時間。あれから10年余。いまだ記憶はよみがえらず、今なお、ナゾに包まれたままなのである。
アーメン。知らぬが仏。
インポになったノドチンコ
夜遊びしてたら、声がつぶれたのだった。
実は私は、高2の時分に、ゲー大《だい》で声楽やろうかしらと思ったことだってあるのだ。音楽の時間に『菩提樹』を歌ったら先生が良い声≠セとホメたから、その気になったのだ。友人たちはシーンとしていたが。
が、あれから十数年。私は仲間うちで「ダミ声アッコ」と呼ばれている。昔から、とりたててドーということもなく、ごくフツウの声をして生きてきた。それが何年か前のことだ、書き出しの話にもどる。夜遊びしてたら、声がつぶれたのだった。
理由はハッキリしている。日参していた店のBGMだが、音がすごくてハンパじゃない。その音にマケジと、テーブルの向こうとコッチでやめときゃいいのに「え?! 聞こえなーい」とか言っちゃってビッシビシ喋り続けてた私がバカだった。サケ、タバコ、オトコのみナシ――を、朝方まで。これを何日間も繰り返すのだ。こうして私のノドチンコはインポになった。
まーなんだ。「酒ヤケ」だの「年増女のアル中」だの、聞いてトクにならんもんまで耳に入ってくることもあるわけだ。飲みすぎて顔が慢性的に赤い……等、飲んべえであることが物理的に分かっちゃうってのは、よろしくない。どんどん外野がウルさくなる。
願わくば、静かに飲んべえであることを楽しむ為にもノドから毛細血管の先まで、よーくいたわってやりたいものである。酒飲みのデカダンなんて、今どきハヤんない。健康的に飲んでても、酒なんて不健康なもんだ。
時に、3年程前、青島美幸ちゃんと某ラジオ番組を担当させてもらってたことがある。よく手紙をもらった。
「タカハシアキコさんって、新しいオカマなんですか? オスギより良い声ですネ ボク、その気《ケ》があります」――。
折しも、ニューハーフ・松原留美子嬢がマスコミに華やかにデビューを飾った頃のことである。
やっだー、アタシの声、オカマに聞こえちゃいますぅ?
スカートでなくてよかった
なんでサケばっかなんだよ、このバカ!
と、自分に自分で言ってしまうのだ。夜遊び≠ニ聞いてイザと思えど出てくる話はサケにまつわる話ばかりだ。もうちょっと気のきいた夜遊びってもんを知らんのか、このアホ! ドジ! マヌケ! と、おっと、と、と。
ま、いいや。夜な夜なワラ人形に釘を打ってるより、いい。飲《や》るのは好きだ。飲れば酔う。酔っての醜態は、ナイ。いや、覚えてナイ、多すぎて。
飲んで酔って、ひたすら眠くてベッドで横になりたくて「ねぇ寝ましょうよぉ。ホテル行って寝ましょうよぉう」と騒いで、なんか勘違いされて、その場に居あわせた人という人ぜんぶにツツツーッとサゲスミの目で見られた――なんてのは、フツーだ。
我ながらカンドーしたのは仕事仲間と我が家で打ちあげの折、大滝詠一氏のLPにあわせて即興で『おまんた音頭』なるものを御披露したことである。店でボトル1本あけた後、家にみんなを連れて帰ってシツコク飲った。
で、なんか作るわねぇとか言って2〜3品ツマミを作って、ベーコンを1切れ口に入れたところまでは覚えてる。その次の瞬間には床にあお向けになって股を閉じたり開いたりしながら♪あ、おまんた、おまんた♪ と歌っていたらしい。
むろん、そんな歌は、知らない。本人その日のことは、まったく記憶にないことだけがすくいだ。それとツナギをはいてたコト、が。
サケは美味いが恐い。気がついたら上唇にフォークがつき刺さってたっていう友達もいる。同じく気づいたら何故かヘドロの海の沖に向かって泳いでたっていう友達もいる。
サケは恐いが面白い。サケでの醜態、こいつは上手くすれば同時にサケがゆえの面白味、なんである。人間がサケ飲んで酔って何するか。こいつを見るのが私は楽しい。ヘタなTVドラマよりドラマだ。哀愁ってもんがある。サケ飲んで、酔って、つぶれて、オカシな想い出が、ふえていく。♪おまんた、おまんた♪ やー、いいネ。
ゴキブリ友達の輪っ!
アッコちゃんの映画を観に行こお!
と、話はまとまるのだった。飲みかけのグラスを置いて、原宿から渋谷にむけて深夜の映画館に直行すると、やっていたのは『さよならミス・ワイコフ』だった。
オールドミスの女教師が黒人生徒に初めてヤラれ、妊娠しつつも快感を知ってしまうという、数年前に話題となったスケベ映画だ。この映画のドコがアタシ(=アッコちゃん)なのさ、ハハハ、とおこりながら再び仲間と元の店に舞いもどる。そして、また外が明るくなるまで、ずっとずっと、飲む。
夜遊びしちゃいけない! と、育てられたのだ。なにしろ、我が家は両親共にマジメな教育者なんだから。それが、こーだ。私から夜遊びをとったら、残るのは自分で言うのもナンだが美しさだけだ。風紀委員のような、あのキビシイしつけへの反動だったのだろうか、私の青春は十数年にわたりエンエン夜ひらくのだった。
私の夜遊びは、ゴキブリっぽいのだった。寝静まった外灯の街の下をチョロチョロと徘徊する。もちろんジミな私のこと。中心は、気のきいた友人と気のきいた話をしながらいつもの店で飲《や》ることだ。が、それにも飽き、その場のボルテージが上がると、やって来るのだ。先の映画ツアーやらなんやら、ゴキブリ徘徊タイムが。
数軒にわたるハシゴは序の口だ。レコーディング中の歌手をスタジオに訪れる。開店中のラーメン屋を求めて夜食ツアーを開始する。ピンポンしに行く。スポーツというのは夜やると、あれほど不健康でイイものはない。
すっかり明けてしまった大通りを、登校を急ぐ学生共とすれ違いながら家路につく。部屋に着いてパンツを取りかえて味噌汁を飲みながら1〜2時間ウトウトすると、さて、出社だ。こんなことを幾日も幾日も、続ける。
で、どれだけか経ったある日、気がつくと、ひろげようゴキブリ友達の輪っ! ってんで、たくさんのいい人達と、知りあえていた。
ミバのいい男
「ねえ! なんかクソおもしろくないから、ミバのいいオトコ連れて、どっか遊びに行かない?」
薄明りのついた夜10時45分のレストラン。先輩格らしいのが、セミロングの相棒に突然、いかにもスゴクいいこと考えた! って顔して提案する。
共に20代後半の、めくるめく美女。一瞬間前まで静かだったテーブルに身を乗り出して、いきりたって喋るものだから、魚のテリーヌの横でグラスの白ワインがチャポンチャポン揺れることになる。
セミロング≠烽キぐさまいきりたち、チャポンチャポンに参加する。
「んん! それはいい考えですね!! ミバのいいオトコ連れて≠ヒぇ……。キャハハ。行きましょ行きましょう。キャハハ」
めくるめく美女≠ニは、私のことである。美女だけでは分からなかったかもしれないがめくるめく≠ニ付いたところで、そうじゃないかと思った方も多いことと思う。セミロング≠ヘ某出版社に勤める27歳になる女友達Sで、仕事でおった傷を夕飯《ゆうめし》食いながらナメあう仲である。
私達は、このアイデアにキャハハと笑って喜びあった。そうしてSの「で、誰がいるでしょうねぇ。誰にします?!」という台詞を皮切りに男友達を思い浮かべてアレコレ勝手に物色しだすのであった。
AサンもBサンもCサンも、サイコーにいいけど……こんなプライベートなアソビへのお誘いは、ちょっと言いづらい。も少し同級生≠チぽいボーイフレンドをねらおう。
Mサン? あの人は逆にミバのいいオンナ連れて歩くタイプ≠ナしょ。いや、アタシらだって、ミバいいけどさ……。
Yクン? キバツすぎるね。私ら、浮いちゃうよ。違和感ありすぎて落ち着かん。
Tクンはカッコイイけどねー、意外と頭、コレでしょ。
あー、コレね、と言ってSはピンとのばした人差し指を頭ン所にもっていってクルクルパーをしてから「あ、言えてます。言えてます」と言っておもしろそうに、またキャハハと笑った。
私達の勝手な物色が早口で2〜3分続いたあと、突如、私はヒラメイた。
「トヨ!」(注:仮名)
「んーん?! ああ トヨさん!」
「トヨは?! トヨがいいよ! もうコレッキャないよ!!」
あとはトヨさんトヨさんと九官鳥みたく連呼しあって、夜のレストランの片隅でカンパイのグラスの音が、いたずらっぽくカッキン! と鳴って、話はまとまったのだった。
トヨさん≠ニは、元GSであるところの某大物シンガーの仕掛人として、知る人ぞ知るT・H氏のことである。イラストレーター、デザイナーなどなどの肩書を持つ30代前半のハンサムボーイだ。トヨさん≠ニ私は、よくサケを飲む。時にはSも混ざって、いろんなお喋りをエサに、サケを飲む。着ふるした皮ジャンにジーンズのよく似合う、180センチのいい人だ。デリカシィだって、バッチリだ。
行き先はヨコハマ。夜景の見えるホテルのレストランで私達は食事をしよう。その前には元町で散歩だ。深い理由はない。とにもかくにも、バカバカしくて、いい。そう決まった。
トヨさん≠ヨの誘いの電話は、早速、次の朝に私がするということに、これまた決まった。リーン、リーン。あ、トヨ?
「モシモシ。オッ、久しぶり! 来週になれば俺もアクよ。えっ、元町を散歩する? ホテルのレストランでワイン? ヤダよぉ〜俺!! 飲みに行くんなら横浜に、いいのあるヨ。案内するけど」
ダメェ〜! そんなの、ダメなのだ。
夜景見ながらビルの上の方で食事して、その前はヨコハマをブラリ散歩しなくちゃダメなのだ。この、絵に描いたような嬢ちゃんシュミ=Aこのケイハクの極致が今回のゲームの一つのポイントなのだ。これとミバのいい男≠ェあって初めてSと私のシナリオは成立する。単にサケ飲みに行くんじゃ、意味あいが違ってくる。
Sも私もリッパな職業婦人であるからして、毎日忙しい。体が疲れない程度の所まで遠征して夜景とディナー≠ナウサばらしをしようって、ワイン飲みながら決めたのだ。せっかくのゲームなら、グンと演出してその気になれる典型的な要素=∞ミバのいいオトコ連れて行く≠アとでドラマを盛り上げるなんてサイコーの効果だ、とテリーヌ食べながらケツロンしたのだ。
それなのに、それなのに。私は情けなくもトヨさん≠ノ、フラレた。私達のウサばらしゲーム≠ヘ実行に移す前に、かくして失敗に終わったのだった。
ミバのいいオトコ連れて、というのは侮蔑ではない。Sと私の連れてく男≠フ条件は、偏見と気まぐれに満ち満ちていて、なかなかキビシイものがある。このゲームの重要なポイントを担《にな》う男性は、私達の主張だ。外見も中身も、Sと私の好みの男でなければいけない。
とってつけたオシャレではなくハダになじんだ気持のいいカッコ。顔は、うわっついてなくて、ちゃんとに世界≠持ってる余裕のツラがまえ。SEXにガツガツしてないこと。更に重大なのは、食事中のお喋りに耐えうるカシコイ脳みそ。とどめは、このゲームを打ちあけられる親密度と、共犯者となりえる柔軟なハート。
Sと私は、まだ、あきらめたわけじゃない。
なんかもうクソおもしろくないから、ミバのいいオトコ連れてどっか遊びに――そう、遊びに行こうと、今夜もまた夕飯《ゆうめし》を食べながら、キャハハと計画をねるので、ある。
巨匠ヒビノとの夜
「チープにいきましょう! チープに」
と、ウチの若いモンが言う。で、養老の滝で1人2500円也でチープに盛り上がったのは、つい先日のムシ暑い夜11時のことだ。
仕事で編集部にやって来ていた若き巨匠・日比野克彦氏(イラストレーター)に「淋しいから、今夜は一緒に飲みましょーよ」とお願いされたのが、ことの始まりだ。ダメよぉ忙しくって飲んでなんかいられねーよ。と口では言ったが、手は帰りじたくをしていた次第である。
チューハイを飲みながらの、その夜のテーマはいかなる秘話をにぎっているか≠ナあった。これは「その話はポイント高い!!」という表情で評価される、ここのところ若いもんの間で流行っている話ネタである。
ヒビノ「僕の友達(芸大)がつぼ八のCMに出ている。それからペヤング・ソース焼きソバのCMでマロヤカァ〜≠チて言ってる奴も、友人だ」
ウチの若いモンI「僕は銀座ソニービルのエレベーターで草刈正雄に何階ですかァ≠ニ聞かれたことがある。それに、TV局でバイトをしてた時、大橋巨泉さんにモニターの前、通るな≠ニ言われた」
ウチの若いモンK「昔、山田隆夫と一緒に墨田区剣道クラブに習いに行っていた。ソフトクリームを食べながら山田君、TVって面白い?≠ニ聞いた」
ギャハハハ、ポイント高いの低いのとギャーギャー騒ぎまくって、さてソロソロ……と席を立とうとした時、ヒビノは言った。
「カラオケ、行きましょお!」
実は、私はカラオケが嫌いである。理屈ぬきで、すかん。えーっ、だって、もー2時だよぉ、カラオケなんざ、行きたかねーや。と口では言ったが、足が次なる店へと向かって歩いていた。
総勢6名は、学生でごったがえすカラオケパブでボトル1本半をあけてカラオケ少年・少女になった。もちろん! 私は歌わなかった。歌えない、と言った方が事実に近いが、あまりふれたくない話題である。
店を出ると、渋谷の街はシラジラと夜が明けている。そろそろ始発が走り始める。こうなると、あとへはひけない。もう一軒行こう! もう一軒! と、入った3軒目の店でビールをゴクリと飲みながら、みんなフッと心をひと休みさせる。飲み疲れってやつだ。
その朝、ヒビノは文化放送の早朝番組に出演の予定であった。その事実を、事実として放っておくテはない。一晩中、一緒だったのだ。こうなりゃ死ぬまで一緒だ。全員でくっついて行こうぜっ! トーゼン、私はそう言う。ヒビノもノッた。
パーソナリティは山本コータロー氏。以前、私が深夜番組をやっていた時の担当ディレクターの顔もある。コータローさんともディレクター氏とも、久々の再会である。
「わあ〜、お久しぶりィ〜♪来ちゃったよ〜ン♪」
「お前、何やってンだ。朝っぱらから酒の匂いプンプンさせて。トシ考えろよトシ!」
私はハッキリ言ってダミ声だ。酒ヤケである。以前は原宿の隅っこにあるカル・デ・サックという店に日参していたのだが、最近はどこにでも出没する。ご一緒≠キる人に連れられて、アチコチの店に出没する。
気のきいた大好きな人と喋りまくって楽しく飲んだくれることが、どうやら私のストレス解消法らしい。私は怠惰な人間だし、運動嫌いだし、不健康は承知で酒を飲んで遊ぶことが好きなのだ。
ずいぶん前に(三遊亭)円丈さんが、こんなことを言っていた。心身共に健康になろう! と決意した落語家サンがいて、酒とタバコをたったら逆にそれがストレスになって自殺しちゃった、と。うーむ。やっぱし、私はこれでいーのダ。
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マトモな視線
わたしの教育改革論
ちゅーワケで、めちゃくちゃ嬉しくなって、ヨーロレイヒイ〜♪
というような文章を、私は書いたりするんである。ウチの母などは「くだらない。読みにくい。ほかに、あんな風に書いてる人なんて居ない」とカンジの悪いことを言い「嫌いだわ、ママ」と、おそろしい一言でトドメをさす。
私は、別にほか≠フマネをする為に生きてるわけではない。こう見えても、けっこう私も忙しいのだ。どうせ人に喋って聞かせるのなら、稚拙でもいい、自分の言葉で、自分の感じたことをメッセージしたい。実に、ケナゲな私である。
母の台詞をかりて、ここで挙げた話は、実は私の教育≠ノ対して持つイラだちと同じ種類のものである。文章云々は、喩《たと》えの話だ。学校って所は、いや家庭ってもんも、そして世間ってものも、なんと一事が万事この調子であることか。
5は良くて1は悪いという評価に始まり、すべての良い∞悪い≠ヘ世間的常識という名の方程式にあてはめられて機械的に判断され振り分けられていく。
教育することの意義は、暗黙のうちに了解がなされているのだ。言うことをよく聞き理解し、大人しく期待通りの正確な発言をする。違うと思っても他人の意見にはさからわず、志望校めざして真面目に勉学にいそしむ。キライをキライとも言わない従順で感情表現のニガテな規格もの≠フロボットだ。
ここでは個々の思考など必要ない。黙って大きな流れに身をゆだねていれば、教育のしやすい良い生徒として日が過ごせていくのだ。
方程式にハマらないものは、当たり前のことのように否定される。自分の言葉で喋《しやべ》りたい、という気持ちは、見て見ぬフリされて、助言の一つもなされない。教える側も、自分のものさしで計れないものを見きわめるのは面倒なのだ。ひたすら規格に近づけてやることが教育だと信じて生徒≠教育しつづけている。と、私は、あえて断言してしまう。
私の仕事場には、若い連中がよく遊びにやってくる。学校は面白いか? と聞く。面白い! と答えるのは稀で、大抵が「いや、面白いわけがないでしょ」と答える。
面白い! と答えた子にしても、どんなところが面白いのか尋ねると「だって友達がいっぱい居るもん」そして、学校に友人以外の期待なんかないもーん、と言葉を続けるのだ。
面白いわけがないでしょ、と答えた大多数の連中の理由は、と言えば「十把ひとからげの発想ばかりの学校教育への失望と不満」というところ、だ。個々の欲求を醗酵させる場を学校で見つけることが出来ない。だったら学校なんてやめたらいい。でもそのふんぎりもつかない。そんな自分にジレンマする。と言いつつも、また今日も学校へ行く。面白くない……。
確かに、すべてを決めていくのは、誰でもない自分自身である。不満があるのに何もしないで文句ばかりを言っているのは人として怠惰《たいだ》だ。甘い!
けれども、自分で考えて言動させるチャンスを与えることもせず、自分らの考えに近づけることのみ教育しておきながら「今の若者は他力本願だ!」は、ないもんだ。「応用力がない! 企画力がない!」のは、あれだけの片手おち教育≠していれば当然の結果で、それに対して何の手も打たないとしたら、教育者もまた、私には怠惰に映る。
言われた通りに生きる人間。提示されたものだけをこなせば評価される世界。こんなのは、もうヤメにしたい。自分で発想し練り上げて遂行していくことこそ楽しいし、また社会にとっても本当の意味でそういう人材が必要のはずなのだ。あんなエラソーにしてきた教育≠ノ、ロボット創り以外何も出来ないなんて、言わせない。臭いものに蓋をしてると、手遅れになる。
マジメな就職講座
(1)
何をやりたいのか、自分でもまだよく分かんないンです……。
なーんて言ってるようなヤツは、ダメだ。ということに採用の際には、なっているようである。自分のドコが、この企業にどのよーにイカせるか、その一つや二つ言えないようではアホだ、ボツだ、サヨナラだ、というわけである。
となると、私は、アホだった。自分じゃ頭がいいと思っているから不本意ではあるが、就職当時、「何をやりたいか分かんないンです」とハッキリ言っていた。だいたい、就職≠ニいう2文字が吾が輩の辞書には、なかったのである。
サラリーをもらって、どこかに勤めるという発想は、一カケラも持ってないようなヤツであったのだ。企業≠フことより自分≠フことを考えるのに忙しかったわけで、これはいまだに続いているので、我ながらすごい根性だと思う。
したがって、何をしたいか分からないハタチのやんぐ≠ノ会っても、私は驚かない。むしろ、トーゼンだと思う。思うのだが、私には肩書に長≠ェ付いている。エライのである。就職試験なんてものにも立ちあったりするんである。
するってえと、面接の際などに「自分だったらココンところを、こんな企画でこのよーに変革してみたい」という、その一つや二つ言えないようなヤツはアホだ、ボツだ、サヨナラだ、と思っている自分がいたりして驚愕《きようがく》するのである。
まあ、黙って座っていられても困るわけで、分からぬなりのバイタリティーってものを感じさせてほしいと考えるのは、人情だ。
このクソ忙しい時に試験を受けるのである。その能動的な行為のですね、裏にはですね、一体、何があるのか、そのココロは? ぐらいはですね、ケチらないで発言して帰ってもソンはないと思うのである。
そうかと思うと、やたら饒舌というのもいる。一夜漬けは、お手のものだ。調べぬいた企画への、自分のかかわり方を売りに売りまくるわけである。におって、におって、クサくてたまらんのである。
こーゆーのに限って、フタをあけると口ほどにもない。どうせバレる力量である。毎日、ミエはって生きてんだろうに、面接会場にまで来てミエはんな、コノヤロ、なのである。
自分は何をやりたい人間なのか、を考える。考えると、おのずと自分という人間に根づいた、自分だけの就職≠ニいうテーマにぶちあたる。
これを、丁寧に、自分の問題としてシツコク考え続ける意欲があるか否かが、一番、大切なことなのではないか、と私は思っている。寡黙であれ饒舌であれ、この意欲のないヤツは、ふけば、とぶ。サヨナラなのだ。と、私は、あえて断言したい。
何をする為に生まれてきたのかなんて、そう簡単に答えが出るものじゃない。
(2)
なぜタカハシは、この職についたのか?
と、言うと、そもそも当時、私は対人恐怖症におちいっていたからなのである。繊細な神経が為に、大学卒業後、しばし人が怖くて人前へ出られず、自室にとじこもって悶々《もんもん》とする日々であった。
なぜタカハシは、対人恐怖症になったか? 等々は、話すと長くなるので割愛する。とにかく、私は対人恐怖症だった。
で、この状態はあまり気分のいいものではなかったので、逆療法をほどこすことになる。つまり人前に出ることで、このやっかいなものを打破することにしたのである。凡人には出来ないことだ。早速、知人に連絡をとる。
「人のたくさん来るところでバイトかなんかしたいんだけど、どこか知りません?」
「知ってるよ」
「紹介してください。ドコ?」
「ココ」
ココ≠ノ行ったらココ≠ヘ、今の職場だった。というわけで、タカハシは、この職についたわけなのであった。
だから困るのは「どうやったら編集者になれるんですか?」という手紙をもらった時だ。そういうことは、進路指導の先生に聞きなさい。私が知るワケがない。
だいたい、そういう質問をするようなヤツは、ろくなヤツじゃない。興味があるなら自分で調べて、どんどんやればいいのだ。ワクにご飯をつめて上から押すと、オニギリが出てくる道具があるが、あんな風に、一つのHOW TOで編集者が作られるとでも思っているのかアホ。
先だって、多くの部下を持つ一人の女性が、私にこう言った。
「人のやったことのないことをヤレーって、みんな(部下)に私は言うのよ」
一瞬の立ち話である。仕事をするなら、それくらいの心意気でやらなきゃダメだ、というわけだ。実に、まったく、その通りだと思う。
で、タカハシの場合、人のやったことのないことをやってやろう! と思って仕事をしたことが一度もない。けれどもタカハシの言葉で言うと、こうなる。
「自分以外に代打はいない。というのでなければ、私がやる意味はない」
な、なんとカッコのイイこと。まるでスポーツ選手のようだ。しかしコレは本気である。私はずっと、そう思ってやってきたんである。誰がやってもいいようなやり方≠ヘ、したくない、と。実に見上げた心構えである。
どんな明日がやって来るのか、明日になってみなくちゃ分からない。就職一つとっても、なにからどうなるか分からない。けれど、せっかくなのだ。どうせ、やるんだったら、自分がかかわっている≠ニキチンと言えるだけのことは、やってみるのが人の道ってもんだ。そうじゃござんせんか、旦那《だんな》衆。
(3)
先日、編集者のひとりに、こんな話を聞いた。
「ホテル関係の人が言ってたんだけどね、昔は結婚式の席で倒れるのは花嫁だったわけでしょ、何度もお色直しをしている間に」
ところが、最近は新郎の方が貧血を起こして倒れるんだそうだ。金屏風のウラで。
式の形式も「あたしテニスルックがいいわ」と新婦が言えば、テニスルック、「あたし上からワゴンで下りてきたい」と言えば、ワゴンをつるしてくれと無理を言って泣きついてくる。まったく女の言いなりで、今の男は身も心もひ弱で世も末ですよ、と、そのホテルマン氏はブーブーとこぼしたらしい。
いやはや、男のカブは、下がっております。
もちろん、男の誰もが金屏風のウラで貧血を起こして倒れているワケではない。けれど、そういった風潮は、確かにあるよーで。ここ数年、仲間うちの合言葉も「男に、いいのがいないねぇ」である。女のコのパワーの方が、男のコのおとなしさに比べ、勝っているのだ。
就職試験も、しかり、である。筆記試験はお得意のガムシャラ暗記で女がいい成績で勝ち残ってくる。面接会場では、私、ヨメにも行かずにガンバル所存です! という気合に満ち満ちて男どもを圧倒する。
なにしろ男性諸君は、「学校を出たから、次は就職らしいでーす」といったポワーンとした足取りでやって来る。いきまく女を見て、ママこわいよーと言ったかどうかは知らないが、どうかひとつ、なんとかしていただきたい。
これが、就職試験の名の下に、一直線上に並ぶのである。短い時間に人が人を選ぶ。と、「男に、いいのがいないねぇ」という発言をもらすことになる。
ただ、この女どものエネルギーの件だが、ひとつ間違うと単なるカラまわりということになりかねない。いまだに、しつこくキャリアウーマン等々、このテのものが流行っている時だけに、マスコミにのせられてホイホイしていると、自分を見失う。
このテの婦人は勘違いしてキャリアウーマンする女≠ニでも言うのだろーか。カッコばかりを追い求め、自分の足が地についていないことに気づきもしないのだ。
どうやら仕事をする自分≠フ姿にウットリしているらしい。はたまた、どうやら、希望の職種につけたことで目的を達成したと思い込んでしまっているらしい。そーゆーのと一緒に仕事をするコッチの迷惑も少しは考えてほしい。
これは女の話である。けれども同時に、女だけの話ではない。男とても、同様であります。自分を見失っていることに気づかない楽観主義は、命とりなのである。男にとっても女にとっても、命とりなのである。
そうして、この勘違いの芽≠ヘ、就職以前の誰かさんの中に、もうすでに、芽ばえているバケモノなのである。
テニスルックもワゴンもいいけどねー、ご注意を。
(4)
最近の若いヤツらってのは、もう、どーしようもないよ、まったく。
と、友人のライター・K氏・35歳が吐き捨てるように言う。どのように、どーしようもないのか。というと、このように、どーしようもないとK氏は言うのだった。
彼の出入りしている広告代理店でのことだ。優秀な成績でパスしたホヤホヤの新入社員A君が、あるアイデアを会議でポンと出す。そのポンと出した企画が、メデタク採用されるはこびとなったのだそうである。
が、なにしろA君はホヤホヤだ。キャリアもなければ、実力の程はベールに包まれている。そこで上司は、とりあえず、仕事ぶりの分かっているホヤホヤではない中堅のスタッフをその企画のチーフにつけて、A君はサブにまわし、経験をつませることにした。
した、のだが……次の日になったら、昼を過ぎても肝心のA君が出社してこない。無断欠勤だ。ガッコなら代返の出番というところだが、そうもいかない。ここは会社だ。
どうしたんだろう、体の具合でも悪くなったのか、アレもコレもやってもらいたいのにブツブツ、と言っているところに、ヒステリックに電話がかかる。
「もしもしッ。Aの母親ですが、一体、会社で何があったんですか。Aが部屋に籠って出てこないんですけど。ずっとレコード割って騒いでるんです」
話はこれで終わる。
サブにまわされたことで、スネてしまったわけだ。
あいた口がふさがらない、と言ってAの上司がKに嘆きまくって、二人の間で話が盛り上がったのは言うまでもない。私はと言えば、ウッソォー半分は作り話なんでしょーギャハハハとか言いつつ、半信半疑の心もちでKと別れたのだった。
ところが、それから幾日も経たないある日、今度は某ラジオ局のスタッフM氏もまた、声をおとして、こう耳うちしてきたのである。いや実に、今の若い連中の扱い方には悩んでいるんだよ僕は、と。
仕事のミスを指摘する。と、プイとすねて返事もしないで行ってしまう。ああ、言わなきゃよかった、もう何も言うまい、あいつらには、言えばニクまれてソンするだけだ、と最近つくづく思うとM氏は言った。
たった一つのミスを指摘されたのである。全人格を否定されたわけじゃないのであります。言われれば言われる程、新参者はモノを覚えていく。どうか言う≠フをやめないでくださいと、私はM氏にお願いするばかりだった。言われてくやしければ、みかえすだけのことをすればいい。と考える私は異常でしょーか。
こういうのを体はオトナで中身はコドモ≠ネんて世間じゃ言うんだろう。子供の純真さは良いけれど稚拙さは、よろしくない。
よーするに、これは就職云々以前の意識≠フモンダイである。自分は大丈夫かしらんという自己チェックの目は、お互い、大事にしたいものである。
トンでる女≠ノなりたい女
もちろん、商売柄、取材する側ではあるのだけれど、逆に、よく取材もされる。
若者雑誌の編集長として≠ニいうのだったり、働く婦人《おんな》として≠ニいうのだったり、取材のマトはマチマチだ。私はお喋りだから取材されることは嫌いじゃないが、それにつけても、ここンとこ増えてきた週刊誌からの内容には、いささか、閉口している。
例えば「キャリアウーマンは、人前をはばからない、ということで、タバコを吸っているドアップを撮らせて欲しい」
例えば「トンでる女の性生活、ということで、具体例を出して避妊の方法を語って欲しい」
もー、一体、どーゆー性格してんだろうと思ってしまうのだ。
前者の場合は「クリームパンみたいな手でタバコ持っても誰も見たくないと思う」と言って、後者の場合は「股間にクモの巣がはってるから分からない」と言って、丁重におことわりした。
私にお声がかかった云々というのはコッチ置いといて、「わあーバカァー」などと、誰に気がねすることなくアホになることが許されてる週刊誌ってもんは、なんてったってラクチンだし、おもしろい。覗き趣味が、るんるん♪する。けれど概して、こういったものはこれっきゃナイ≠チてな感じで、一面的な扱われ方をされるからクサイ。素直な性格が為に、言葉に踊らされてばっかりいると、ホントのアホになる。私はこういう時、雑誌側より、より受け手側を問題にする。
もう2〜3年ほど前に、これまた某女性週刊誌の人に、あなたはタンポン派ですか、ナプキン派ですか、という質問をされたことがある。まだウブだったから、うっかりナプキンだ、と答えると、先方は不服そうだ。「すでに○名のキャリアウーマンに質問しましたが、みんなタンポンでしたヨ」と言う。でもそんなこと言われても困る。その男性記者の脳裏には〈タンポン使わなきゃキャリアウーマンじゃない!〉てな、太文字のタイトルがすっかり出来上がってたわけだ。
トンでる女≠ノなりたい女は、タンポンはつっ込まずに、日夜、仕事に首をつっ込んでいるものだ。この日本ンなかに、その記事を読んで無理にタンポンつっ込んでる女のコが一人でもいるかと思うと、ジンワリそら寒い思いがするのだった。
たくさんのいい男=Aそしてアホ
ずいぶん、たくさんいい男≠ノ会った。
ボク、ナニカやってない女のヒトってニガテなんだよね、てなこと言ってホントにいろんなヤリテ女とだけいい友達してる男《ヒト》。俺、ちゃんと喋れない女《ヒト》ってダメなのね。てなこと言いつつホントにブスでも話のヨイ女《ヒト》とだけ仲良くしまくってる男《ヒト》。ワタクシ、一生懸命の女の人って好きでして、てなこと言ってホントにイッショケンメの女《ヒト》には優しい手助けする男《ヒト》。
〜な女とだけ、なんて書くと心の狭い偏見男みたいだが、そうじゃない。これは書き方がヘタなのだ。男にも女にも、人として触発される部分をちゃんとに要求している男《ヒト》をいい男≠ニ私は言わんとしとります。
男であることにだけ一生懸命な男ってのが、私は一番キモチ悪い。女を前にして伝承されてきた女の姿≠セけしか見れない、見ようとしない男だなんて、なんか人生ヒンコンで淋しい。話をしようにも女をヒッカケル対象にしかみてない奴とはどうにも接点を見いだせないのだ。男と女の甘いあいまいさを知っていながら互角に話せる男《ヒト》が、なんてったって一番よろしい。
で、突然だが、キライの反対でスキなものに、深夜のタクシー乗り場がある。前後の人達の話を聞くのが好きなのだ。いささか悪趣味といえば悪趣味だけど、人生の吹きだまりというか、何バイかアルコールの入った人達の話は面白い。私も酔っぱらって即興で『おまんた音頭』なるものを歌って(本人、覚えてない)友人を青ざめさせたりしたこともあるが、自分のことは、人間、すぐ忘れるものだ。
実は昨晩も私は渋谷のプラザ前のタクシー乗り場に立っていた。仕事が終った深夜2時半。小雨が降る中、なぜか尋常ではない混み方で、その列は数十メートルに及んでいた。10分経っても数十センチしか進まなかったが、歩いて帰れる距離じゃない、根性で私は待つことにした。
後ろには24〜25歳と26〜27歳の2人組の男の人がいて、半分ロレツの回らぬ口で「ウチに来ればサンドイッチがあるからサ、まぁ、サンドイッチでも食ってくれよ」なんてことを言っている。先輩格の方が突然、言う。
「オレさ、こないだノーパン喫茶に行っちゃった」――私の好きな話題だ。今どきノーパン喫茶とは遅れてるなとは思ったが……「でさ、行ったことカノジョに言おうと思ってんだ。女はさ、馴らしとかなきゃ。キャバレー行ったのソープランド行ったのって時に、ギャーギャーうるさいじゃない、結婚してからさ。たまんないよ。今のうちから言っとけば女なんてカワイイもんよ。俺はさ、その方が正しいと思うんだね。だってそんなノーパン喫茶とかで騒いで壊さなくていい家庭を壊すなんてさ、バカらしいじゃない。馴らしといた方がカノジョも幸せなんだよ、絶対ネ」
なーにがゼッタイネだ、このバカが。と思ったが、もちろん言わなかった。チロッと見やると黒ブチめがねをかけたフツウのサラリーマン風のセイネン達だった。
久しくこのテのアホに接触しなかったものだから、ああいまだ世間はこんなもんなのかと思うと、疲れた体が更にズーンとメゲルのであった。
1時間と20分後、私はやっとタクシーにありつけた。列はまだ続いてる。行き先を運転手さんに言ってから、私はカノジョ≠ニいう女《ヒト》が賢い人であって欲しい、と思った。
ホオにあたる風はつめたい
「おい誰かオバサン≠ニ結婚したれよ!」ってケシカケても、誰もいねぇんだよ、候補者が。まあ、あの顔あの性格、あのフクソーだからね、オバサンも。無理ないけどさ――。
なんて、失礼なことを、本当に困ったふうに友人が言う。オバサン≠ニは、わ、わ、私のことではない。友人と同じ職場の30前半の、とある女性のことなのである。
彼らの会社は職場ケッコンが禁止されている。オフィスラブが、うかつにも実ってしまった場合は、どちらか一方が配置がえされるキマリだ。
で、そうなると、たいがい女が犠牲となって退社するケースが定着してるんだそうで、そこで冒頭の台詞となる。結婚させて、職場をおん出そうという作戦だ。アサハカというか何というか、彼は、こうも言った。
「年とった女が、事務所でチョロチョロしてても、カワイクないんだよ。ヘタに経験つんでるからウルセェしよぉ」
女の職場の古狸≠ヘ、どうも同僚どもからケムったがられる風潮があるよーで。経験者として尊重される男の職場の古狸≠ニは、えらい違いなわけで、まったく女ってやつは気の毒としか言いようがない。
もちろんキチンと評価されてる女古狸もいるけれど、それは、ごく少数だ。アメリカじゃ、年齢を理由に番組をおろされた女性アナが局を訴えた事件など、まだ耳に新しい。実力よりもビボー。女は人生の花≠ネのダ! という認識が、あまりに根強すぎるのだ。クリエイターとしてよりも心をくつろがせる対象として重宝されてしまうのである。そうなのだ。年のいった働く婦人など、多くの同僚たちにとっては目ざわり以外の何ものでもないのだ、けしからんことに。
とにかく、タメはって、いい仕事をするっきゃない、と思ってる。働く女をハーレムの女と勘違いしている、そういう人たちの鼻をあかすには、地道に仕事をつみ重ねていくしかない、と私は思っているのだ。
まあ、それとてホオにあたる風はつめたい。ヘタにかかわりあって女にマケたとあっちゃ男が下がるとでも思っているンだろーか。ガムバル女は、さらに、さらに、ケムったがられる。
でもオバサンは、マケないのだワ。ケムったいなどと言わせないだけのホントの力≠地道な仕事の中で培うコト。それから、これとても大事だと思うが人としてチャーミングであり続けるコト。これっきゃナイ。で、ホントの力≠ニか人としての魅力ってどんなものかという話だが、フッフッフッ明智くん、んなもの分かるわけないでしょうが。
分かるわけない。分かるわけないから、分かりたくて、ソレ探してガムバル働く婦人≠スちであるハズなのである。
事務所チョロチョロしますから、カワユイって言ってもらえますかぁ? ヘタに経験つんじゃってますケド。チョロチョロ……。
会社のセンスは社会のセンス
人を切ることに、なった。
いや、友人の会社の人事での話だ。いつの間にか増えてしまった準社員の人間を、少し整理しようというわけなのだった。
こういうことは、ご周知のように、案外フツーにやられていることであります。ひよこのオスメスの選別みたいに、パッパッと会社に必要な人間≠ニそうじゃない人間≠えり分けていく。パッパッと、だ。
この整理≠チてやつは、それなりに、いたしかたないワケがあったりもする。あきらかに不要と思われるケースもムロンあるが、まあ、そーゆー話はコッチに置いておく。
で、整理≠ェ決行されたとする。この場合、どういう理由で、そーゆー選別結果になったのか?! その基準となったナニガシは、結構興味のあることだったりするのだ。なにしろ会社のセンスが、もろに出る。会社のセンスは社会のセンスだ。
友人のY子は29歳で、仙台にある小さなファッション関係の会社の中堅どころである。準社員の中のどの子を残し、どの子を切るか。人員整理の話し合いには、数人の幹部に混ざってY子も参加することになる。
そうして参加したその晩、Y子はおこってプリプリと私に電話をかけてきた。
「あんまりですヨ! 綺麗だから、あの娘《コ》は残して社員にしよう――なんて言うんですよ、みんな」
みんなとは数人の幹部≠フことである。男が3人に女性が1人。決断は、この4人が下す。Y子には、決定権は、ない。
「取り引き先に連れて歩くと先方のウケがいいから、って言うんです」そりゃそうだ。私もよく連れて歩かれた。美人だからだ。などと、ジョーダンを言ってもY子の嘆きはおさまらない。
「いえね、今は仕事デキないけど、将来性あるからってんだったら、分かるんです。でもT子の場合――ああ、この娘《コ》、T子っていうんですけど――この娘の場合、綺麗だってこと以外、なんの期待もないし、見込みも感じてないって、そう豪語すんですよ、みんな」
この話は彼らの人事の話し合い≠フ片鱗であり、ただそれだけの話である。で、もう一度繰り返すと、Y子には決定権はない。これがツライところだ。不満に思ってはいてもその場を去る気のないY子には、会社に対する不信感を一つ残して、この一件は終わるしかないのだ。
Y子は、相変わらず仙台の小さなオフィスで美人なだけのT子と毎日仕事を続けてる。頭のどこかに割り切れなさは残ったけれど、そういつまでもブーたれてる暇なんかないんだ、とY子は思ってる。
で、私は、というと、T子という人のことを考える。ウラを知ったらT子は腹を立てるのかナー、立腹しろ、このヤロメ! と考えるのだ。
なんとも、モヤモヤした話ではある。またそろそろ、Y子からのグチリの電話のある頃だ。Y子は色白の、いいオンナです。
A子の不満
A子は言ったね。
「ちょっとコレ見てよ! 人と話す時の最大話題がゴシップ≠セって。ヒンコンねー」
ギクッ! と、私、いたしました。その日もA子と会う前に、ウチの近所のYさんちは奥サンが蓄膿症でヒステリィだからダンナが居つかないらしい、という話を友人のK君として「蓄膿でヒステリィ、ってトコが、いい」とか言ってヒィヒィ笑っていたのだ。
A子が見てよ≠ニ言ったコレ≠ニは、新聞広告の中にあったドッカのアンケート結果の集計記事である。「あなたの奥さん、どんなひと」という見出しで「女って、こんなこと考えてるの」というコピーと一緒に「井戸端会議は月に何回?(ちなみに5〜9回≠ェピーク)」とか「交際費はいくら欲しい?(同じく3万円=j」とか「友達になりたい人のタイプは?(同じく人生経験の豊かな人=j」といったQAが8本並ぶ。
前述ゴシップ≠フ質問は「あなたは、どんなことを話しますか?」で、以下、答えは家族のこと∞趣味∞食べ物∞ファッション=c…と続いて時事問題≠ネんていうのが最下位6パーセントと記されてる。朝起きて、いきなり極東問題とか喋り出すのも妙なもんだが、この辺りがA子の不満なところである。
確かに、記事から読み取れるのは冷静に判断して「あまり意欲的な毎日を送っているとは言えない、たっぷりと時間を持った受け身の女」の姿である。ところが、この記事は「女性の暮らしを高めるためのキャンペーン実施中のアンケート集計」となっていて、集計の結果は「豊かさの断面」というか、あくまでもプラスのニュアンスとして扱われているのが私にはブキミだった。
「なんの向上心も見られないアホ」とも受け取れるよーな女性像を良いイメージ≠ニして祭り上げといて、「女って、こんなこと考えてるの」なんつーコピーをくっつけるのは、なるほどドーモ、クサイ。
でもさ……私はA子に言う。「こーゆー質問だから、こーゆー答えしか出てこないンじゃないの? もっとあつみのある部分だってあるだろうにさ、ここには出てきてないだけでさ。一面しか出ないような質問しといて、一つが全部みたいな顔してるとこがクサイんだよ」
が、A子はぜんぜん聞いてない。で、かく語りき。「こんな怠惰なイメージで女って、こんなこと考えてるの≠ネんてやられたらさ、そーじゃない女は現にいるわけでさ、イヤじゃん一緒にされちゃって。ハラ立つじゃん」
「あっ、そういう特権意識、一番よくない! 要素的には誰にだってあるんだよ、そういう一面もさ」と私は騒ぐけど、これまたA子は聞いてなくて「ゴシップが1位ィ〜?! 他に話すことないのか、このアホ!」とか悪態ついて盛り上がってる。
あー、A子様。私は今朝、K君とゴシップやってヒンコンしてしまいました。アーメン。とつぶやき、この話は終わりをつげるのだった。
A子とは、私の中のもう一人の私≠ナす。
産み月の女
友人が、ニンシンした。
「あと3年、27ぐらいで産もうと思ってるのよネ。今は仕事にのってんのよ、私」という話をニコニコ本人から聞いた矢先だった。編集者をやってるこの友人は、何事に関してもヒジョーに計画的な人なのだけれども、いわゆる「計画が狂った」のだった。
「大きなお腹をしては仕事したくない」ため、彼女はひとまず仕事を休むことになる。しかも「体がイマイチかんばしくない」ため、3〜4日の内に休むこと≠ヘ現実のものとなって実行に移された。
友人は、向こう4年間、ひとまずは休職し、子育てに専念することになったのである。
女の体って、たわいないなあ……と、つくづく思う。知人のホンモノの現実を目のあたりにして、あらためて一層強くそう思った。
旦那≠ニ女房=A両方が同じ心イキで同じようにそれぞれのシゴトを遂行していても子供がデキた¥u間、具体的なその弊害は男には来ない、女に来る。
それが「いい」「悪い」を問題にしているのではない。これは、すてきな事実≠ナあると同時に、変則的な仕事にたずさわる女にとっては、誠にフベンな事実≠ナあるということを、とにもかくにも現在、私はつくづくと感じ入っちゃってるのである。
事実≠ヘ、意識とは無関係に、女の体にいろんな症状をもたらす。こりゃもう、どう本人がガンバったって、少なくともシゴトを縮小するぐらいのなさけない現実に直面せざるを得ないわけだ。
以前、行きつけの美容院で、産まれる前日まで仕事を続けた美容師サンがいた。私は9ヵ月目に入った彼女に髪をブローしてもらった。その時、|○《マル》と|×《バツ》の感情の内、×の方の感情を持ったことを告白する。なにしろ私は髪が多い。力を入れてウンッウンッとブローされる度に赤ん坊が出ちゃうんじゃないかとオソロシくて、そのキョーフと姿にふれたくないがために、私は二度とその店へ足をはこばなくなったのだった。本人はいくら平気でも、ま、ま、まわりが。
TVで、ニューギニアの奥地の産み月の女≠やっていたのを見たことを思いだす。山の上の産み小屋≠ノこもらされ、女は意図的に人目をさけて出産する。
これを賛美する気はモートーないのだけれど、女が子を産むという自然の摂理と、経済を核にシステム化された仕事をする社会というモノ≠ニは、あきらかに別モノなのだと、言いたい。
別モノを一体化すれば無理が生じる。生じた無理は、直接肉体の関与する女、に生じる。人為的な土俵でチャレンジするシゴト≠ヘ、自然の摂理にマカされる。
女のシゴトは、中断される。
あーあ、女の体ってたわいないなあー。
今、私は、こういったことを、そっとそのまま、モワンとした形で、受けとめている。
Kのユウーツ
女と男のお話です。
いや、女の話です。男と別れた(心は完璧に)、女の話です。とは言ってもメロドラマじゃなくって、なんであーも、女は心のふん切りの付け方がヘタなのか、という不満なのでありまして。
じゃあオマエはウマイのか、というと、これはもう、まかしておいていただきたい。少しは生きてきたから、けっこうな痛手を……なんて話はコッチ置いといて、なにやらここのところ、友人Kからの亭主の浮気(実際はホン気)のうったえ電話≠ェ、またまた繁く盛り上がっているのだ。
「私、絶対別れてやらない」「イジでもヤッ!」「一生、つきまとってやる」――どーもKは、生傷を引きずるあまりに自分をダメにしているきらいが強い。私はモヤモヤと、ひたすら聞き手にまわるばかりだ。そうしていつも、ついにガマンしきれずワンパターンで「もっと自分を大切にするってコト、考えなくちゃいけない」と言う。他人のことは軽口がたたきやすい。そうすると「そんなのドーでもいいのよ。あの人がいなくちゃ生きていけない」と、ワンワン泣きわめかれて終わってしまうのだ。
現実≠ヘチョクシする為にある。アッチ行っちゃった愛なら、しょーがない。ニクんだり、思い出だけで自分をしばり続けるのは、不健康だ。男に依存しすぎる女は、男が去ると、自己を失う。そんな自分に早く気づくべきなのだ。その方がずっと、よく生きられる。嵐の渦中の女《ヒト》が友人だから、好きだから、だから私は余計に不満がつのって、一緒にユウーツになる。
いい女をいっぱい知っている。ケッコンがうまくいってる人も、一人になった人もいる。ムロン、一人のままの人もいる。
45歳のユミさんは3人の子供と暮らしてて、ダンナと別れた日から、イラストを描き始めた。子供はゾロゾロ年子《としご》の小学生で、悪態つきのワルガキどもだ。亭主のホン気の浮気(?)≠ナサヨナラを確信した時、ユミさんは3人目の子を産む為に入院中だった。産み終わった白いベッドは冷たい。枕が涙でぬれて、もっと冷たくなる。どれくらい辛かったかと聞いたら、ユミさんは「そうだね、窓から半身、飛び降りかけた」。半分、飛び降りかけて、新生児室の方から聞こえてくる赤ン坊の声に我にもどった、と言ってクックッと笑った。
Kからの初めての電話から、もうじき、半年になる。Kは最近いつもスカーフをかぶってる。毛がぬけてしまったのだ。
Kのユウーツは、私には辛い。
ギャラはいくらでもいいのですが……
で、ギャラは、いかほどで?
と聞かれたから、思わず50万円! と叫びそうになったが「いくらでもいいです。そちらの都合で。ハイ」と答えてしまうケンキョな私なのだった。ハイ。
最近、さかんに、この質問を耳にするんである。「ギャラは、いかほどで? 言ってもらった方が、こちらもやりやすいんです」
これは――自分をいくら以下では評価しないでほしい――という、依頼された側の積極的な自己主張を促す質問だ。善処しますからドーゾ、言ってください、と言っているわけで、こんなに御親切なことはない。
いや、いくらほしいか? なんて失礼だ。いくらなら出せるが、それでもやってもらえるか? と聞くのが順当だ、と考える人もいる。けども、少なくとも、金やるからやれ! みたいな高飛車なお願いのされ方よりは、関係が明快で、いい。
のだけれど、私はホントにダメなのだ。お金なんて、どーでもいいのだ。と言ってしまう。本当にどーでもいいわけではなくて、とりあえず、どーでもいいわけで、それよか、何をやれるのかが関心ゴトなのだ。
おもしろい仕事なのか、ヤな仕事なのか――ギャラは先方が考えている金額で別によい、と。セーイがあるのが、なにより、と。
むろん、1億円あらかせぎしてんのに5円ぐらいもくれときゃいいだろうみたいのには、断固モンクを言う。そういう仕事のやり方≠ノモンクを言ったりは、する。
日本人てのはお金のことを口にするのは下品だ、と考えるクセがある。アメリカじゃ、自分にはこれだけの実力があるから報酬は○円いただきたいとハッキリ要求するそーじゃないか。行ったことないから知らないが。あまりビジネスされるのも淋しいものだけど主張≠ナきる人間が増えることは、よろこばしいことに決まっている。
のだけれど、私はホントにダメなのだ。お金なんて、どーでもいいのだ。などとゆーことをニコニコしながら再びシツコク言ってしまったりなんかするわけなのだ。
だから、叱られる。
「ダメよぉ、安いギャラで仕事を引き受けちゃ。アナタみたいのがいるから、むこうは図に乗って、どんどん女のギャラをないがしろにするのよ! 本当に低いのよ男のギャラに比べて、同じ実力をハッキしても女のギャラは。アナタはどーでもいいかもしれないけど女のギャラ≠チてことで考えてよ。自分一人のギャラの交渉っていうんじゃなくってさ」
どーも、すいませーん。リブの知人A子の発言には、なかなかの説得力がある。ぉし。地球上すべての女のために、女のギャラのために、ガ、ガ、ガンバルぞぉ。もっとお金に興味を持つぞぉ。リーン♪
「いくらでもいいです。そちらの都合で。それよか何ですか? な、な、内容は?」
うおっとぉ……。A子、地球上全部の女って、重いねー。ドモ。
講演会なんて、もうヤーメタ
秋になると、全国の高校・大学で、学園祭が華やかーに催される。と、ここで、よくかかってくるのが、講堂などで行われる講演会への出演依頼の電話だ。私ごときの青二才が人前で何を喋れるというのダ、という気持ちを押し殺し、初めのうちは何ゴトも経験≠ニ、律儀にも引き受けていたのだが、ここ2年間は、すべての依頼をことわり続けている。
一昨年のことだ。池袋からローカル線に乗りかえ、どれぐらい揺られただろうか、東京の郊外にある某女子大から、例により講演のお招きを受けた。新しい女性の生き方、みたいのがテーマだ。
講堂に入ると、腕を組み、前の方でビチッと横一列に並ぶ、5人ほどの女のコが目に入る。ひと昔前の、学生運動の女闘士くずれみたいな顔をしている。ひと通り、章子センセの話が済むと、先の横一列の中の、いかにもボス格という感じのコが、いきなりハンド・マイクを引っぱり出したかと思ったら「質問に入りたいと思います」と、スゴミのある口調で言う。「高橋サンは、女性解放などのデモに参加しているか」
「NO」
「私たちは参加している。また、週に数回、部屋に集まり、女性がいかに虐げられてきたかのミィーティングもしている!」
彼女たちは、女性解放ナントカ研究会だかなんとかの、少数派有志団体サンだったのだ。
「高橋サンはデモにも参加せず、社会に対して無関心でいるようだが、それで、女性の歴史が変えられると思っているのか」
社会に対する興味の持ち方なんて、いろんな形であらわれるもんだ。デモに出てりゃ、世の中、変わるんだったら世話ない。仕事≠セったり、なんだったり、ごく具体的な関わりを持って初めて、社会に認めさせることができる、っていうことだってアルのだ。そんなようなことを言うと、彼女は、いかにもアキレタというような顔をして、こう叫んだ。
「質問を打ち切ります。あなたのような意識の低い人とは、これ以上、話をしてもしょうがない。今後は、少しは勉強してみたら?」
対等に会話するのが私は好きで、話にならぬ話は非常に疲れる。もったいない時間の使い方をしちゃったナー。消耗するだけで何のジュージツ感もなかったナー。講演会なんて、もうヤーメタ。
もう、ヤーメタ、とつぶやきながら、池袋行きの夜の電車に私はピョコンと飛び乗り、カッタルイため息をヒトツ、ついたのだった。
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あとがき
ヤッホー。おい、どーだ、このヤロめ。充実の一冊であったろーが。ドモ。
などと書いていると、なんか『ビックリハウス』の編集後記を書いてるような気分になってくるのだった。なにしろ、10年間も飽きもしないで毎月々々、後記を書いていたのである。思えば、それがプッツリと、とだえていた。『ビックリハウス』が終刊したのが忘れもしない1985年の10月10日吉日。その後のタカハシ≠フ消息はと言えば、みなさん、ご安心くださいっ。相も変わらぬ見事なアワビ目=i註)にて、これこそ真のクリエイターとも言うべき立派なキャリアウーマン生活をつつがなく送っております。よっ、ビンボー暇ナシ!
この本は、今まで書いてきたものの中から特に才気の感じられる優れた作品を厳選し、一冊にまとめたものです。巻頭のみインタビュー。その他、駆け出しの頃『ビックリハウス』で連載していた懐かしのスーパー・クッキング≠ネぞという名企画も用意してみました。読む人を飽きさせまいとする、このプロの気配り。感動せざるを得ない次第です。
尚、そのよーなわけで、時間的に多少、話にズレがあるやも知れませぬが、ご了承いただきたい。底に流れる作者のスルドイ洞察力は、時≠ネんか超越してるもんね。幾度も読み返し、生涯のバイブルにすることが望まれます。
さて、この本に参加してくださった方々に、お礼が申し上げたい。表紙の原律子さんを始め、お忙しいところカットを描いてくださった私の大好きな赤瀬川原平さん原田治さん和田誠さん野中ユリさん鴨沢祐二さん橋本治さん。順不同。そして、デザインのAD新谷雅弘さん。「これは僕のライフワークです」と言っていたような気がするが、熱心に編集してくれた筑摩書房の松田哲夫さん豊島洋一郎さん。この本に収録させていただいた各誌紙のみなさん。そうして、読んでくださった、あなた。
ありがとうございました! また、お目にかかれる日まで、心からの、LOVE
註:多忙の余り、睡眠不足で目がアワビのようにハレぼったい状態になること。
文庫版あとがき
「ほら、タカハシさんがやってた雑誌ね、ほらあの……そうそう、マガジンハウス!!」
「い、いえ、ビ、ビックリハウスです」
*   *
雑誌が終刊されて、ハヤ7年。ついこの間のような気がするけれど、ビックリハウスも今はムカシ。最近とみに、冒頭のよーな会話が増えてまいりました。
元来、哲学しがちなタチゆえ、嬉し恥ずかしノイローゼ気味となった22歳の夏。ドーせなら皆なにノイローゼをうつしてやろうという純粋な気持ちで転がり込んだのが、当時はまだ渋谷のタウン誌として一部でのみ売られていたビックリハウスではございました。
それから間もなくして、ずーっと言い続けていて申し訳ないが、この美貌と才能が高く評価され花の編集長に。網タイツに身を包み、ムチを片手に「女王様とお呼びっ!」と狂ったよーに読者諸氏のケツをひっぱたいた、あのめくるめくようなイジョーな日々。
その甲斐あって、ビックリハウスはニッポン一《イチ》のヘンタイ雑誌に、いやもとい、日本で初めての読者投稿パロディ誌として世間の皆さんにチヤホヤされるに至ったのだったのよ。なんか懐しいねぇ、あの頃は徹夜徹夜で3Kのハシリみたいな毎日だったが、今思うとね。
髪振りみだして仕事して、これまた髪を振りみだして遊びまくり、タバコ吸って酒飲んで、たくさんの素敵な仲間たちと知り合ったビックリハウスの10年間。そんな品行方正なる清《きよ》い生活の中で書きためた原稿たちをまとめたのが、この本です。
終刊直後に筑摩書房から出版された『アッコです、ドモ。』ですが、このたび新たに原律子さんに表紙の絵を描いていただき(どもどもセンキュッ)、文庫本となって御目文字できたことが、とても嬉しい。アッチはどうだか分からんがコッチは大々ダイ好きな鴻上尚史《こうかみしようじ》さんからの解説≠フプレゼントも、とっても嬉しい。鴻上さん、本当にセンキュッ
今回あらためて読み返して思ったのだったが、おもしろいねぇ、タカハシの本は。タメになるねぇ、アッコの書いたものは。実に新鮮だったりするワケで、こりゃもしかして全然成長しとらんのでは?! とも解釈できるが、まあ難しいことは抜きにしよう。って、何書いてんのか自分でも分からんぞ。
で、まあ、そーゆーことです。本書のタカハシの根っ子に流れる血の色は、今日のタカハシの血の色マンマです。今日のタカハシは相変わらず元気に好奇心光線をシュワッチ! ビビビビッ!! いろんな発見して、気持ち良くなって、泣いたり笑ったり、ゴキゲンです。
ひとつだけ違っていることがあるとしたら、それは本書で登場するスタッフ≠ニいうのが当時の仕事仲間のことであり、現在はまた新しい仲間に囲まれてニコニコしてるってゆーこと。レズっとるわけではないのだが、アッコ事務所の現仲間たちは全員オナゴ。
むんむんするよーな女の色香に包まれ、しかし一瞬男と仕事してるようなサッカクにおちいる色香ではあるが、ビシバシお仕事してまっす。死ぬまで、こんな調子なんだろうなあ、私ってば。なんでこんなにエネルギッシュな奴なんだろねえ、見た目はスレンダーだし病気がちにうつるのにねえ。ンッ!? と思っても、聞きながしなさいね。
文庫化にあたりお世話になった原律子さん、鴻上尚史さん、そして★頁の方々にも重ねてのお礼申し上げます。講談社文庫の堀山和子さん、お手間の数々をありがとう。
そうして、もちろん、読んでくださったアナタに心からの――アリガトウ
*本書は、『広告批評』『ビックリハウス』『VOICE』『月刊アルファ』『大コラム』『スコラ』『報知新聞』『読売新聞』『新文化』『てんとう虫』『サンパテック』などに掲載されたものにより構成され、一九八三年三月、筑摩書房から刊行されました。
一九九二年六月刊行の講談社文庫版『アッコです、ドモ。』を底本としていますが、挿絵・解説は収録してありません。