灼眼のシャナ0
高橋弥七郎
少女に名前はなかった。
ただ「贄殿遮那《にえとののしゃな》のフレイムヘイズ」と呼ばれていた。
少女が目指すは、紅世《ぐぜ》の徒《ともがら》%「滅のみ。
いまはまだ、少女の隣にあのミステス≠フ姿はなかった――。
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天道宮から巣立ち、あのミステス≠ニ出会う以前の少女を描いた外伝「オーバーチュア」、通販本収録の特別編「しゃくがんのしゃな」「しんでれらのしゃな」を加筆修正した計三編+特別掌編収録。
いとうのいぢオール描き下ろしのカラーイラストで贈る、「灼眼のシャナ」初の短編集登場!
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高橋弥七郎《たかはしやしちろう》(たかはし・やしちろう)
断固として大阪人。豆ちしきその7─。今回の巻数表記だけアラビア数字になっとるんは、いつものローマ数字にゼロ表記がないからなんや一。]巻以降についても、担当さんは今から頭抱えとるんよー。こんなに巻数重ねるとは、作者も担当さんも思っとらんかったからなー(無計画)。
イラスト:いとうのいぢ
今年は桜の季節を逃してしまい、気が付いたらまた体重が増えていました……やっぱアレですか、花よりだんごorzでもね、今年は違う、違うんですッ(毎年のこと)。
カバー/加藤製版印刷
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高橋弥七郎
イラスト/いとうのいぢ
灼眼のシャナ|0《zero》
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「どうしたの、悠ちゃん?」
悠二の母――坂井千草
「ハッピーエンド、だったらいいな……」
クラスメイト――吉田一美
「あ〜ら、あんたたち程度で、なんのサービスになるっての?」
フレイムヘイズ弔詞《ちょうし》の詠《よ》み手《て》=\―マージョリー・ドー
「だいたい、なんでいきなりプールで水着なわけ?」
フレイムヘイズ炎髪灼眼《えんぱつしゃくがん》の討《う》ち手《て》=\―シャナ
「王子様と一緒に、生きていきたいんです」
不遇の少女――|ヨシダ《サンドリヨン》
「ユウジ王子! 私と結婚しなさい!!」
不遇の少女――|シャナ《シンデレラ》
ユウジ王子の母――チグサ王妃
「もう、ユウちゃんったら」
「でもあの、つまり……ええと」
アラストール王の息子――ユウジ王子
「――誰?」とある高校生――大上準子《おおがみじゅんこ》
「フレイムヘイズ」
謎の少女――贄殿遮那《にえとののしゃな》のフレイムヘイズ
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しゃくがんのしゃな……11
しんでれらのしゃな……49
灼眼のシャナ オーバーチュア……131
1 大上準子……133
2 濱口幸雄……171
3 ウコバク……205
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灼眼のシャナ|0《zero》
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しゃくがんのしゃな
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※この番外編は、W巻(二〇〇三年八月発売)時点の設定でお送りいたします。
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1 はずれたせかい
そこは、機能|概念《がいねん》の上でウェットゾーンと呼ばれる区域《くいき》である。オーバーフローという消波《しょうは》設備と排水|溝《こう》、防水を施《ほどこ》された床面に囲まれた、広大な遊水《ゆうすい》施設――
「いつものことだけど、まだるっこしい表現ね。なんで『ここはプールだ』って簡単に言えないのかしら」
シャナが、地の文の辿《たど》り着こうとしていた結論を先取りして言った。
ストレートの黒髪《くろかみ》を背に払い、プールサイドに屹立《きつりつ》するその姿は、輝く陽光に照り映えて、小柄《こがら》さを感じさせない存在感を周囲に振りまいている。
ただ、黒に紅蓮《ぐれん》の柄《がら》をあしらったセパレートの水着が、デザインの洒脱《しゃだつ》さを空《むな》しくするほどの、あまりに無残《むざん》な平面を顕《あらわ》にしていた。
「なっ!? なによ、その表現は!?」
コキュートス≠かけていない首から足元まで、ストン、と目線《めせん》を流し落とす、それはいわば一枚の板だった。
「ちょっと! T巻のときと言ってることが違うじゃない!? 『流麗《りゆうれい》な曲線』とか『清冽《せいれつ》の姿』とかはどーしたのよ!」
「もしかして、まだるっこしいとか言われたことに、遠回しな仕返ししてるのかも」
その傍《かたわ》ら、スタート台に腰掛けた吉田一美《よしだかずみ》が正鵠《せいこく》を射た。
こちらは白いワンピースの水着の上にパーカーを羽織《はお》っている。普段の控えめな印象《いんしょう》とは裏腹《うらはら》な起伏《きふく》に富んだラインが、残酷《ざんこく》なまでに覆《おお》い隠《かく》されている。それはまるで夢を奪う力の具現だった。
「……こ、これってセクハラだと思う……」
頬《ほお》を染め縮込まった吉田の胸の谷間と自分のそれを一瞬だけ見比べてから、シャナは本作に八つ当たりする。
「だいたい、なんでいきなりプールで水着なわけ? 夏の特別編だからって、ちょっと企画として安直《あんちょく》過ぎ――ん?」
舌鋒《ぜっぽう》鋭く言うシャナは、プールの真ん中に浮かべられたフロートに目を留めた。
その上では、競泳用ゴーグルと水着でメガネマン・アクアとなった池速人《いけはやと》が、なにか書かれたボードを頭上に掲げている。
『さて本作は、痛快娯楽《つうかいごらく》アクション小説……ではありません。「本格お色気サービス小説を」という担当さんの要望も冒頭から裏切りまくっている、ノリだけの好き勝手《かって》小説です。』
面倒《めんどう》だからと、あとがきテンプレートを使った作者の物言いに、シャナはこめかみに指を当てて唸《うな》った。
「さては、水着さえ着せとけば、担当氏《たんとうし》への言い訳になると思ってるわね」
吉田も、こっちはおどおどしながら言う。
「だ、だって、お色気サービスなんて、できないし……」
悩み悩み、なんとか面白いことを言って場を盛り上げようとしてみる。
「えーと、そうだ、皆さん、知っていますか? 某《ぼう》町内の巨人のモットーは、実は海外でも『|君のものは私のもの、私のものは私のもの《ワッツユアーイズマイン・アンド・ワッツマインズマイン》』って慣用句《かんようく》として存在しているそうですよ」
「なにつまんないマメ知識なんか披露《ひろう》してんのよ。こういうときは、『なまむぎなまごめなまたまごなまむぎなまごめなまたまごなまむぎなまごめまなたまごなまむぎなまごめなまたまごなまむぎなまごめなまたまご――さて、私は言い間違えたでしょうか。[#ぴよこ注「・・・」]五秒以内に答えなさい。』みたいな、活字ならではの芸じゃないと。あ、解答は次ページの欄外《らんがい》ね」
自分と大して変わらないと思える一発芸《いっぱつげい》に、吉田は頬を膨《ふく》らませつつも抗議《こうぎ》を控える。
と、その視線の先で、メガネマン・アクアがボードを裏返した。
『テーマは、描写《びょうしゃ》的には「半端《はんぱ》に華麗《かれい》な豆腐《とうふ》」、内容的には「これはいんぼうじゃよ」です。なお、このメッセージは自動的に消滅《しょうめつ》しないので、各自《かくじ》適切に処分してください。』
「なんだか、すごくなげやり……」
「サービスものだからって過剰《かじょう》にいやらしいことされるよりは、放っぽっといてくれる方が気楽でいいじゃない。どーせ本編とは全く関連性のない番外編《ばんがいへん》なわけだし」
「そ、それはそうだけど」
「さ、次行って、次。その間に泳いでみよーっと。遊びで泳ぐのって初めて!」
ひらひらと手を振ると、シャナは光る水面に向けて、獲物《えもの》を狙う水鳥のように飛び込んだ。
[#欄外「答え:一箇所違う所があるわよ。私が二度同じ答え用意するわけないでしょ。」]
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2 ゆうじ
どことも知れぬ大海原《おおうなばら》のど真ん中に、それは浮かんでいた。
お椀《わん》を伏せたような小さな半球の上半分は緑の芝、中心に突っ立つ椰子《やし》の木という、典型的《てんけいてき》なフィクション風の孤島《ことう》である。
「……」
その椰子の木の下に、難しい顔をした坂井悠二《さかいゆうじ》が正座していた。炎天下《えんてんか》の水着|姿《すがた》が、どことなく痛々しい雰囲気《ふんいき》を醸《かも》し出している。
彼の対面には、和《なご》やに微笑《ほほえ》む坂井|千草《ちぐさ》が、同じく正座している。こちらは布《ぬの》面積の大きなワンピースにパレオと、行楽《こうらく》の付き添い風。
やがて、片方にとってのみ重苦しい沈黙《ちんもく》を、悠二が破った。
「……母さん」
強い日差しの下、その頬《ほお》を脂汗《あぶらあせ》が伝う。
「なに、悠ちゃん?」
対する千草《ちぐさ》は、涼しげな表情で答える。傍《かたわ》らにあった麦藁《むぎわら》帽子を取り上げ、頭に載せた。
「なんで僕らだけ、こんな所に隔離《かくり》されてるんだろう」
「ああ、そのこと。なんでも悠《ゆう》ちゃんを扱う一連のコーナーは、保護者|面談《めんだん》っぽく弾劾《だんがい》や糾弾《きゅうだん》を行う、って趣旨《しゅし》らしいわよ?」
「なんなんだよそれ!? せっかく今回は水着――いや、まあ、みんな遊んでるのに、なんで僕だけ……」
悠二《ゆうじ》は微妙《びみょう》に本音を覗《のぞ》かせつつ、母に不平をぶつける。
もちろん千草はびくともしない。
「そうねえ、あんまり本編でモテモテ過ぎるから、せめて番外編《ばんがいへん》くらいは酷《ひど》い目に遭《あ》わせよう、ってことじゃないかしら?」
「む、無茶苦茶《むちゃくちゃ》だ!」
「そういう意見が出るのは当然かも。W巻じゃ、純情なシャナちゃんにつけこんで、キスを迫ったり抱きつこうとしたり、相当いやらしいことしてるって聞いたわよ?」
悠二はぎくりと肩を跳ね上げる。
「……聞いたって、誰に……?」
千草はさらりと答える。
「アラストオルさん」
「そそ、それは誇張《こちょう》だって!」
後ろ暗いところのある人間|特有《とくゆう》の焦りと勢いを表して、悠二は抗弁《こうべん》する。
「あのときは迫ったんじゃなくて、そんな雰囲気《ふんいき》じゃないかって思ったから、なんとなくできればいいかもって期待して、ついフラッと前に出かけただけで――」
「そういうのを迫ってるって言うの」
「ううう……」
それが若さだ、というまでに開き直れない半端《はんぱ》者としては呻《うめ》くしかない。
「V巻で、注意しなきゃって思った矢先《やさき》にこれだもの。悠ちゃんも案外《あんがい》、油断《ゆだん》できないわね。アラストオルさんに請合《うけあ》ったこともあるし、監視《かんし》の目を厳《きび》しくする必要があるかも」
「………………はあ」
母の小言《こごと》に打ちのめされつつ、悠二は自分と全く関係のない場所で繰り広げられているであろう、素晴らしき光景に思いを馳《は》せ、深く慨嘆《がいたん》の溜息《ためいき》を漏らした。
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3 あいぜんのつい
色紙の切り貼《ば》りによる大雑把《おおざっぱ》な山と空を背景に置く、画面|下《した》三分の一を覆《おお》う衝立《ついたて》。
と、その衝立の向こうに、線の細い美男子《びなんし》が上半身を現した。
「灼《=》眼《=》の《=》シ《=》ャ《=》ナ《=》[#=は取消線]狩人《かりうど》のフリアグネ!」
その隣《となり》に、衝立を地面のように踏んで、粗末《そまつ》な女の子の人形が飛び出す。
「なんでも質問箱――!」
コミカルな音楽とともに、二人の言った通りのタイトルロゴが、メルヘンチックな書体で画面いっぱいを埋めた。それは数秒で消え、あとには人形劇のような場景《じょうけい》が残される。
「ああ、まさか再《さい》出演できるなんて……夢みたいですね、ご主人様!」
人形が、縫《ぬ》い付けられた表情ではなく、手足をパタパタ動かして喜びを表す。
美男子は出番にではなく、人形の仕草《しぐさ》に向けて満面の笑みを浮かべる。
「全くだね、私の可愛《かわい》いマリアンヌ。作者も、いとうのいぢさんお気に入りだった私を完膚《かんぷ》なきまでに討滅《とうめつ》したりしたものだから、これはいわば、苦肉《くにく》の策というところだろうね。ああ、それと、マリアンヌ」
美男子《びなんし》は急に厳《きび》しい顔を作り、白い手袋の指を一本立てた。人形は首を傾《かし》げる。
「はい?」
「ご主人様、ではなくて、フ・リ・ア・グ・ネ、だろう?」
「あ……はい、フ……フリアグネ、様」
言われて、また急に美男子・フリアグネの表情がだらしなく恵比寿《えびす》顔に緩んだ。人形・マリアンヌを抱き締めて頬擦《ほおず》りする。
「そう、それでいいんだよ、マリアンヌ……ああ、なんて可愛《かわい》いんだ!!」
「ご……フリアグネ様、そ、そろそろ話を進めませんか?」
「ん? ああ、そうか、そうだね」
フリアグネは露骨《ろこつ》に残念そうな顔になって、愛《いと》しい人形を離した。
マリアンヌは指もない手を口元に当てる。
「コホン、ええと、本コーナーでは、作品における疑問《ぎもん》質問に答えていくわけですが……それにしても、なんだか計ったように、私たちにぴったりなシチュエーションですね」
「ははは、それはそうさ、マリアンヌ。なにせ私たちのモチーフは、教○テレビ番組の『司会のお姉さんと相方《あいかた》の人形』だそうだから」
「では、私はタ○プ君ですか」
「あれの相方は、たしかお兄さんだったはず……って、お互い年がバレるよ、マリアンヌ。とにかく、質問のお手紙を読んでみよう」
フリアグネは手首を鋭く払い、袖《そで》の内から飛び出たはがきを二本の指で挟んだ。
「なになに……『シャナはいつもメロンパン始め、お菓子をいっぱい買っていますが、そのおカネはどうやって稼いでいるんですか?』……なんとも世知辛《せちがら》い質問だね」
「そういえば彼女、V巻では千草《ちぐさ》お母さんに分厚《ぶあつ》い封筒を渡したりしてましたね。マンションに一人暮らしというからには、家賃も払ってるんでしょうし」
腕を組むマリアンヌに、フリアグネは微苦笑《びくしょう》で返した。
「封筒の中身は万札《まんさつ》の束だそうだよ。W巻では制服一着に一万円を軽く出したりもしているし、かなりお金には無頓着《むとんちゃく》だね」
「というわけで、彼女にインタビユーしてみました。VTRスタート!」
画面が切り替わり、マイクを向けられたシャナが映し出される。
『え、お金? 日本円は……麻薬《まやく》取引を襲《おそ》ってぶん取ったんだっけ、アラストール?』
『それは香港《ほんこん》ドルのときではなかったか? たしか日本円は、海路《かいろ》不正ルートの流出金を頂戴《ちょうだい》したはずだが』
再び、画面がフリアグネとマリアンヌに切り替わる。
「う〜ん。なんとも原始的というか、分かりやすいというか」
「本当、野蛮《やばん》ですねえ。参考に、もう一人のフレイムヘイズのVTRもどうぞ」
今度は、眼鏡《めがね》にスーツ、ストレートポニーという妙齢《みょうれい》の美女が映し出された。
『えーっと……今持ってる分の大元《おおもと》は、神聖《しんせい》同盟の手打ち金をかっぱらったものだったかしら。ここ百年ほどは、その一部でめぼしい株を買い込んで人任せ。ときどき運用《うんよう》方針に口出すくらいかな』
また画面は戻る。
「こっちは意外《いがい》に手堅《てがた》いね。普段の言動からすれば、逆でもおかしくないくらいだ」
「どっちも強奪《ごうだつ》から始めてますけど……」
「フレイムヘイズは存在の性質上、直情径行《ちょくじょうけいこう》タイプが多くなるからしょうがないよ。ちなみに、私たち紅世《ぐぜ》の徒《ともがら》≠フ場合は、『奪ってから喰らう』というやり方が主流かな。もっとも、私たちには存在の力≠喰らうという共通|項《こう》があるだけで、普通に働く者、賭博師《とばくし》から芸術家まで、物を得る手段における例外は、数多くいるわけだけれど」
「人それぞれ[#「人それぞれ」に傍点]、ということですね……さて、読者の皆さん、納得《なっとく》してもらえましたか?」
二人はオーバーアクション気味に両手を広げて肩を寄せ、朗らかな声を合わせる。
「それでは、次回をお楽しみに〜〜!!」
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4 ちぢのこうろ
一泳《ひとおよ》ぎしたシャナはプールの縁《ふち》に腰掛けて、足でバシャバシャと水を叩《たた》く。
その視線の先、プール中央のフロートでは、メガネマン・アクアがまたボードを裏返して、新しい文を掲げていた。
『担当《たんとう》の三木《みき》さんはサービス精神|旺盛《おうせい》な人です。その筋の場面は完成版になると、だいたい初稿《しょこう》の倍は確実に増量されています。|これからも、担当さんの活躍にご期待ください《スクールみずぎはほんぺんでガッチリやります》。』
「でも、この番外編《ばんがいへん》の題名、危うくその担当|氏《し》の提案する『常夏《とこなつ》のシャナ』になるところだったのよね〜」
言うシャナの横、肩まで水に|浸《つ》かる吉田《よしだ》が、頬《ほお》を伝う水滴に冷や汗を一筋《ひとすじ》加えた。
「そ、それは、ちょっと、アレかも……」
「まあ、サービス企画だから、分かりやすい題名にするってのも、あながち間違った手法じゃないんだけど」
と、その二人の頭上、プールサイドに新たな影が陽光を背負って立つ。
「あ〜ら、あんたたち程度で、なんのサービスになるっての?」
「むっ」
「あっ」
二人が振り向いた先に、モデル裸足《はだし》の豪勢《ごうせい》なプロポーションを備えた長身が聾《そび》えていた。
媚《こび》も売らず科《しな》も作らず、ただ堂々と立つ美女、マージョリー・ドーの大登場だった。
鮮やかな群青《ぐんじょう》色のビキニで大胆《だいたん》にスタイルを誇示《こじ》し、優雅《ゆうが》に後ろでくくった髪を払うその姿には、表面の煌《きら》びやかさだけでない、深さ強さを感じさせる美女の貫禄《かんろく》があった。
そして、例によってと言うべきか、彼女の後ろには子分が二人、水着にアロハシャツという浮かれた格好《かっこう》で付き従っている。
「なんつーか、ありきたりな感想だが……生きてて良かった」
トロピカルドリンクを載せたトレイを持つ佐藤啓作《さとうけいさく》が、感極《かんきわ》まった表情で言った。
「うんうん、生きてるって、むやみやたらと素晴らしい――!」
ドでかい本型の神器《じんぎ》グリモア≠抱えた田中栄太《たなかえいた》も、滂沱《ぼうだ》の涙を流す。
「いーねえいーねえ、青春だねえ! 大・中・小と花盛りってか!? ヒャッヒャッヒャ!」
そのグリモア≠ゥらあがったマルコシアスのキンキン声に、シャナはピクリと眉《まゆ》を跳ね上げた。
「……小?」
「身長のことじゃないわよ〜、念のため。オホホのホ」
マージョリーは口に手を当てて、わざとらしく笑う。ついでに大きく、見せ付けるように胸も反《そ》らした。
それを仰ぎ見るシャナの、手をかけていたプールの縁《ふち》が、ミシ、と不穏《ふおん》な音を立てた。吉田《よしだ》のときのように、自分の[#「自分の」に傍点]と見比べるのを辛《かろ》うじて堪《こら》え、挑戦《ちょうせん》的な低い声で返す。
「ブクブクでかくなってるのが、そんなに得意なわけ?」
ビシ、とマージョリーの額《ひたい》に青筋《あおすじ》が浮く。
「ブク……ふふん、お子様には、ここら辺の良さを分かれという方が無理かしら」
「お子……まあ、百年|単位《たんい》で生きてる婆《ばあ》さんからすれば、誰でもお子様だとは思うけど」
「あーら、稚拙《ちせつ》な挑発《ちょうはつ》。やっぱり貧相《ひんそう》な見かけ同様、中身もガキってわけね」
「そういうネチネチしたところが、いかにも年寄りの意地悪《いじわる》っぽいってこと、気付いてる?」
「……」
「……」
いつしか互いの間に、群青《ぐんじょう》と紅蓮《ぐれん》の火《ひ》の粉《こ》が漂い始めている。
「な、なんかヤバ気な雰囲気《ふんいき》……」
他人事《ひとごと》のようにゲタゲタ笑うグリモア≠抱える田中は、ゆっくりと下がる。
佐藤《さとう》も、水の中でオドオドしている吉田に、睨《にら》み合う二人のフレイムヘイズを刺激《しげき》しないよう、小さく声をかける。
「おほーい、吉田ちゃん……早く上がった方がいいと思うよー?」
「はは、はい――あっ、で、でも池《いけ》君がプールの真ん中に……」
「事において犠牲《ぎせい》は付き物だ、諦《あきら》めよう」
「つーか、俺たちも危ないし、っどはっ!?」
言う田中《たなか》と佐藤の前、
「ひゃっ!?」
プールから上がりかけた吉田の背後、
「はくじょーものわーっ!?」
そして中央のフロート上にいたメガネマン・アクアの周囲で、プールの水面が立て続けに爆発した。
「ほーらほら、当たらないわよ! 老眼鏡《ろうがんきょう》でもかけたらー!?」
広い水面を滑るように、紅蓮の双翼《そうよく》を煌《きらめ》かせて飛ぶ炎髪灼眼《えんぱつしゃくがん》・黒衣《こくい》のシャナを、
「こーのガキガキガキガキガキ!!」
群青の炎《ほのお》でできたずんぐりむっくりの獣《けもの》が、太い腕の先から炎弾《えんだん》を連射《れんしゃ》しながら追う。
メガネマン・アクアの形見《かたみ》のように、膨《ふく》れ上がる水煙《みずけむり》の中、ボードがクルクルと宙を舞う。
『挿絵《さしえ》のいとうのいぢさんは、とても柔らかな絵を描かれる方です。シャナの照れた顔や、吉田さんの微笑《ほほえ》みは、まさに絶品《ぜっぴん》の可愛《かわい》らしさです。この度《たび》も拙作《せっさく》の、しかもお遊び企画にまでご助力いただけたことに、深く深く感謝いたします。』
その騒動《そうどう》を遠く眺《なが》めるオープンカフェの一席で、ダークスーツにサングラスという暑苦《あつくる》しい格好《かっこう》をした男が、できるだけさりげない風を装って切り出す。
「オホン……あ〜、ヘカテー」
差し向かいに座った、大きな帽子とマントで全身をガッチリ固めた小柄《こがら》な少女は、男の邪《よこしま》な思いを一言の元、切り捨てる。
「着ません[#「着ません」に傍点]。他に、なにかありますか?」
「……ドリンクのおかわりでも、どうかな」
「いただきましょう」
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5 あゆみはすべてげきとつへ
「てなわけで、みんな酷《ひど》いんだよ、師匠《ししょう》」
悠二《ゆうじ》は正座のまま、己《おのれ》の不遇《ふぐう》を訴えた。
「誰が師匠だ」
彼の前でデッキチェアに深く腰掛け、渋く枯《か》れた声で答えたのはラミーである。ご丁寧《ていねい》にも、肘《ひじ》と膝《ひざ》までのレトロな縞柄《しまがら》水着に水泳|帽《ぼう》という、企画《きかく》内容と老人の容姿《ようし》、双方《そうほう》に合わせた(全く有《あ》り難《がた》くない)出で立ちだった。
「いや、つい、なんとなく……」
「そもそも、なぜ私が君の愚痴《ぐち》なぞ聞かされねばならんのだ」
呆《あき》れ顔を作る老人に、悠二は食い下がる。
「でも、言いたくもなると思わないか? 実際になにかしたってのなら、文句《もんく》言われてもしょうがないけどさ」
「その場合は、文句だけでは済まんような気もするが……」
まあいい、とラミーは腕を組んで、自称《じしょう》・弟子《でし》に問いかける。
「それで、シャナ嬢《じょう》との間柄《あいだがら》は、あれから幾分《いくぶん》かでも進展したのか」
「進展もなにも……今言ったとおり、周りが騒いでいるだけで、実際には全然」
その、大いに真剣かつ率直《そっちょく》な自己|申告《しんこく》に、ラミーはため息を吐《つ》いた。
「そうだった。君は、自覚《じかく》症状がない上に相手の気持ちに鈍感《どんかん》、という非常に傍迷惑《はためいわく》なタイプだったな。なにが起こっていても、気付くのは以前のように、のっぴきならない決定的な状況になってからか」
「……なんか今、すごい侮辱《ぶじょく》を受けた気がするんだけど」
「反論は随時《ずいじ》受け付けている。違うというなら、感情なり論理《ろんり》なりで抗《あらが》ってみてはどうだ」
「……」
今度こそ悠二《ゆうじ》は完璧《かんぺき》に黙らされた。
ラミーはそれならと、初手《しょて》の初手から聞き直してみる。
「では、君の目から見て、シャナ嬢は今、どんな感じだ」
「どんなって、相変わらずブレーキの壊れたダンプカーみたいだけど」
「……」
「……なんだよ、変な顔して」
「いや、やはり君は、とりあえず痛い目に遭《あ》うべきだな。誰のためにも」
「な、なんで皆が皆、そういう結論に行き着くんだ――!?」
同情の余地《よち》のない自業自得《じごうじとく》な絶叫《ぜっきょう》が、海と空に響《ひび》き渡った。
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6 かいこうめいあん
フリアグネが、再び衝立《ついたて》から上半身を現す。
「狩人《かりうど》のフリアグネ!」
同じくマリアンヌも、ピョンと飛び出した。
「なんでも質問箱――!」
題字《だいじ》テロップが画面から消えるのを待って、フリアグネはマリアンヌに言う。
「さて、中身のない番外編《ばんがいへん》、唯一《ゆいいつ》の良心たるこのコーナーも二回目だ」
「っていうか、これで最終回ですけど」
「まあ、穴埋《あなう》め企画だし、再《さい》出演があっただけでもいいじゃないか。さっそく質問のお手紙を読んでみよう……『用語がややこしいので解説してください』…やっぱり来たね」
「なんと言ってもこの作者、最初存在の力≠窿tレイムヘイズの黒衣《こくい》にも固有《こゆう》名詞つけようとして、担当《たんとう》さんに『これ以上は分かりにくくなるからやめてください』って制止されたりしてますから」
「某《ぼう》シリーズで散々《さんざん》指摘されたのに、進歩がないというか、懲《こ》りない奴《やつ》だね」
「では、順を追って、分かりやすく整理していきましょう。まずは基本の世界編から」
■紅世《ぐぜ》=。 = 異《い》世界
■紅世の徒《ともがら》=。 = 徒《ともがら》=@= 異世界人
■紅世《ぐぜ》の王=。 = 王=@= すごく強い徒《ともがら》
「私も、その王≠フ一人だけれど……なんだか身も蓋《ふた》もない例えだね」
「これくらい平易《へいい》にしないと解説の意味がありませんし。次に名前編を。個人的にはちょっと[#「ちょっと」に傍点]癪《しゃく》ですが、皆さんに一番|馴染《なじ》みのある連中《れんちゅう》を例に取ってみました」
■天壌《てんじょう》の劫火《ごうか》=。
真名《まな》。紅世《ぐぜ》≠ナの本名。『全てを焼き尽くす』というような意味。
■ アラストール ■
通称《つうしょう》。この世でつけた呼び名。各々が好き勝手につけているので、由来《ゆらい》は多種|多様《たよう》。
■ フレイムヘイズ ■
王≠ニの契約で異能《いのう》を得《え》、この世のバランスを守るため徒《ともがら》≠討滅《とうめつ》する人間の総称《そうしょう》。
■『炎髪灼眼《えんぱつしゃくがん》の討《う》ち手《て》』■
フレイムヘイズとしての称号《しょうごう》。契約した王≠ノよって、称号も能力も変わる。
■ シャナ ■
契約者の通称。普通は、人間だったときの名前をそのまま使っている。シャナは例外。
「連中は、U巻236pのように、これら五つを繋《つな》げて名乗るわけだ。まるで中世の侍《さむらい》だね」
「名乗るだけで一行《いちぎょう》使っちゃいますし……ちなみに前二つの項は、『狩人《かりうど》<tリアグネ』様を始め、紅世《ぐぜ》の徒《ともがら》≠燗ッじです」
「彼ら、フレイムヘイズと契約する王≠スちとは、存在の力≠フ取り扱いに対する見解と主張が違うだけ[#「だけ」に傍点]の同胞《どうほう》だから当然だよ。昔はどっちの陣営《じんえい》にも、その違いを整合させようと試行|錯誤《さくご》していた連中がいたんだけど、今では双方《そうほう》、単なる敵としてしか相手を見ていないようだ」
「概《おおむ》ね、真名は徒《ともがら》%ッ士の会話で、通称は私のように……コホン、近しい間柄《あいだがら》の者が使います、っあ!」
嬉《うれ》しいことを言われたフリアグネは、またマリアンヌを抱き締めた。うっとり声で補足する。
「真名は畏《かしこ》まって使う『姓《せい》』、通称は気安く呼ぶ『名』……といったニュアンスかな」
「〜で、では次に、不思議《ふしぎ》の力《ちから》編です〜」
■存在の力=。
この世に存在するための根源の力。これを人から得ることで徒《ともがら》≠ヘ顕現《けんげん》する。
■ 自在法《じざいほう》 ■
存在の力≠繰ることで『在り得ないこと』をこの世に現出させる術。
■ 自在式 ■
自在法の発動を表す紋様《もんよう》で、力の結晶。効果を増幅《ぞうふく》する機能を持つものもある。
■ 封絶《ふうぜつ》 ■
自在法の一つ。隔離《かくり》と隠蔽《いんぺい》のための空間。原則的に徒《ともがら》≠ニフレイムヘイズしか動けない。
■ 自在師 ■
自在法を得意とする者。明確な規定はない。
■ 宝具《ほうぐ》 ■
徒《ともがら》≠ェ持つ、様々な効果を秘めた道具。
「細かい条件や事項を除いて簡単に解説すると、こんなところでしょうか〜〜んにゅにゅ」
主《あるじ》に頬擦《ほおず》りされて、マリアンヌの毛糸の髪がクシャクシャになる。
「そうだね、マリアンヌ。私たちは宝具が主力で、自在法はあくまで補助的に使うタイプだ。目的が、まさに自在法の起動だったわけだけれど……ごめんよ、マリアンヌ」
「ああ、フリアグネ様――」
と、しつこくバカップル振りをひけらかそうとする二人を押しのけて、画面|脇《わき》から金髪の美少女と美少年が――正確には美少年の手を引いた美少女が――現れる。
「うふふふふ、私たちは逆ですわね、お兄様。自在法による有利な戦場の構築《こうちく》が主で、宝具はそのサポートに使うというタイプですもの」
「うん、『オルゴール』とか、そうだよね!」
美少女・ティリエルは最愛の兄である美少年・ソラトを胸元に抱き寄せる。
「お兄様の『吸血鬼《きゅうけつき》』も含まれますわ。勿論《もちろん》、行動|指針《ししん》はお兄様の意向によるのですけれど」
「ふうん、そうなんだ?」
ええ、とティリエルは頷《うなず》くと、兄をより強く抱き締めて解説を続ける。
「自在法には決まりきった形式というものはなく、徒《ともがら》′ツ々人の本質に応じた現象《げんしょう》が発現されます。ポピュラーなものでは攻撃的な精神の具現化である炎弾《えんだん》、特殊なものでは他者に愛情を注ぎ守る私の『|揺りかごの園《クレイドル・ガーデン》』などがありますわね」
ヒョイ、と横からマリアンヌが顔を出す。
「っていうか、なんであなたが解説|役《やく》を代行してるんですかムギュ」
ティリエルは軽く彼女を画面|外《がい》に押し返す。
「まあ中には、どこかの小さなお嬢《じょう》ちゃんみたいに、使えて封絶程度《ふうぜつていど》なんていう、王≠フ力を持て余している自在法音痴《じざいほうおんち》なフレイムヘイズもいるようですけれど――っ!?」
今度はマリアンヌを抱いたフリアグネが出てきて、兄妹と押し合い圧《へ》し合いする。
「あそこまで身の内に収める王≠フ力が大きいと、行使するための感覚を容易には把握できないのさ。常時、他のフレイムヘイズにおける暴走《ぼうそう》状態でいるようなものだから、いざ力を使ったときの規模も、消耗《しょうもう》の度合いも無茶苦茶《むちゃくちゃ》になるんだよ」
「ちょ、押さないでくださいな!」
「わーい、おしくらまんじゅうだ!」
「で、では最後に、その他|編《へん》をご覧《らん》ください!」
■ トーチ ■
徒《ともがら》≠ノ喰われた人間の代替物《だいたいぶつ》。周囲との関わりを徐々になくしながら消える。
■ミステス=。
宝具《ほうぐ》を身の内に宿したトーチ。トーチが消滅《しょうめつ》すると、他のトーチへと宝具は転移《てんい》する。
■燐子《りんね》=。
徒《ともがら》≠フ下僕《げぼく》。その能力の程度は、製作者の技量や使われた力の規模によって変わる。
「つまり私のように、宝具まで使える燐子《りんね》≠ヘ、そうはいないんでっ!?」
またマリアンヌは押しのけられた。
「まあ燐子《りんね》≠ネんて所詮《しょせん》、存在の力≠集めるための道具に過ぎませんしヒヤッ!?」
今度はティリエルの眼前に、フリアグネが顔を突き出した。
「ふっ……君のように不器用《ぶきよう》で無粋《ぶすい》な者には、私の愛を受けるに足る、心ある芸術品・マリアンヌの素晴らしさは分からないだろうね」
「ふん! 人形なんかに愛を注ぐなんて、変態《へんたい》趣味もいいところですわ」
「おや? 兄妹でネチネチベタベタくっついているのは、変態とは言わないのかな?」
双方《そうほう》、互いに愛する者を抱いて睨《にら》み合う。
「……うふ、ふ、ふ、ふ……私たちの愛の在り様《よう》を侮辱《ぶじょく》してくれましたわね?」
「したらどうだと?」
「こうよ!」
「わっ、ティ――」
突然ティリエルはソラトに[#「ソラトに」に傍点]口付けした。たっぷり十秒は絡み合ってから、唇を離す。
「――ぷはっ! どう? あなたのお人形にこんなことできまして?」
「そんな破廉恥《はれんち》な真似《まね》をしなくても、私たちの繋《つな》がりは強固そのものさ」
「そ、そうです〜」
フリアグネは緩みきった顔で、マリアンヌを力いっぱいに抱き締めた。
「ふふん、負け惜しみを! こんなことはどうです? こんなことも、こんなことも!」
「ティリエル、くすぐったいよ」
兄妹は、とても描写できない愛の証《あかし》たる痴態《ちたい》を、狩人《かりうど》℃蜿]《しゅじゅう》に見せ付ける。
「私たちの愛は、安直《あんちょく》な肉欲《にくよく》なんかに惑《まど》わされない……髪を撫《な》でたり一緒に踊ったり、いや、そこにいるだけで満ち足りるのが、プラトニックな愛の真髄《しんずい》というもの……だろう? 私の可愛《かわい》いマリアンヌ」
「は……はい、フリアグネ様……」
二人はその場でうっとりと見詰め合う。しかしティリエルは、それを笑い飛ばした。
「は! お笑い種《ぐさ》ですわ。愛し合っていれば、もっと深く交わり合いたいと欲するのは自然なこと! こんな風に、こんな感じで!」
「ティリエル、このかっこうはつかれるよ〜」
フリアグネは動じない。どころか、狭い画面の中、マリアンヌの手を引き、華麗《かれい》なステップで踊り始めた。
「ははは、交わり合いを体に求める時点で、心の薄弱《はくじゃく》を露呈《ろてい》しているようなものさ。純粋な気持ちのやり取りに、そんな行為は不要だよ」
「なんだか無茶苦茶《むちゃくちゃ》ですが、ッキャー! あんなことまで!? と、とにかく、このあたりでお別れです、またお会いできる日のありますように〜〜〜〜!!」
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7 もつれるいま
プール中央のフロートに、元の状態に戻ったシャナとマージョリーが、力なく背中を付けて座っている。
「……疲れた……」
「なーんで、こんなことしてたのかしら」
「あなたが……」
シャナは後ろを見ようとして、やめた。
「……ま、いいわ。せっかくこういうとこに来たんだし」
マージョリーも適当に相槌《あいづち》を打つ。
「そーね、無駄《むだ》に暴《あば》れるのも野暮《やぼ》ってもんか」
その二人に、水面から首だけを出した佐藤《さとう》と田中《たなか》が渋い顔で言う。
「……最初からそう考えてくれませんか」
「危うくこっちは丸焦《まるこ》げになるところですよ」
プールサイドのそこかしこには、黒い焦《こ》げ目や破孔《はこう》が、二人の騒いだ跡として残されている。その中に焼け焦げたパラソルや砕けたテーブルセットも散らばって、全体はほとんど廃墟《はいきょ》の体《てい》をなしていた。
「そのくせ、プールだけ無事って辺りが……」
「なんか、悪ふざけの匂《にお》いがプンプンするんですけどね」
「い、池《いけ》君も、のびちゃったし……」
彼女らのすぐ脇で、吉田《よしだ》が言う。
ついているのかいないのか、台詞《せりふ》一言でKOされたメガネマン・アクアは今、フロートの上で吉田の介抱《かいほう》を受けていた。
「はんせーしてるわよ」
「後ろに同じ」
いま三つほど誠意《せいい》の感じられない声が返る。無駄《むだ》なところでは息の合う二人である。
シャナがとぼけるように目線《めせん》を逸《そ》らす、未だきれいな水面を、持ち主から離れたボードがプカプカと漂っていた。
『今回は、本編|執筆《しっぴつ》直前に、我がパソコン君が四年の酷使《こくし》の前にクラッシュするという大ハプニングもありました。新《しん》機種への迅速《じんそく》な換装《かんそう》に尽力《じんりょく》してくれた我が友・火中《かちゅう》の栗《くり》を鷲掴《わしづか》みするシステム傭兵《ようへい》Y中《なか》君に深く感謝します。』
それを拾い上げると、文面が変わっている。
「……?」
『担当《たんとう》さんから、「別にオチなしでもいいですよ」との大阪人に対する最大の挑戦《ちょうせん》がありましたので、意地《いじ》でもオチをつけます。
それでは、本文を読んでくださった読者の皆様に、無上《むじょう》の感謝を、変わらず。
また皆様のお目にかかれる日がありますように。
[#地付き]二〇〇三年五月 高橋弥七郎《たかはしやしちろう》』
シャナは呆《あき》れ顔でこのボードを皆に示す。
「そろそろオチだってさ」
今ここにいない人物が、ソレに使われることは容易に想像できる。
「番外編《ばんがいへん》で何でもありだから、あいつが宇宙に旅立って終わり、とかになんのかね」
と佐藤《さとう》が投げやりに言う。
「やり残しの敵に向けて『次はお前だ!』台詞《せりふ》と『熱い応援ありがとう!』テロップ付き〜」
とマニアックな田中《たなか》。
マージョリーは鼻で笑って、
「あー、あの坊やね。せいぜい、ヘナチョコなギャグのずっこけオチ辺りじゃないの?」
「あなたの背後にもサカイユウジが、てな怪談《かいだん》で締め〜、なんてな、ヒヤッヒヤッヒャ!」
その傍《かたわ》らのグリモア≠ゥら、いい加減《かげん》な調子のマルコシアス。
まともな答えのない中、吉田《よしだ》が小さく、予想ではなく希望として呟《つぶや》く。
「……(私と)ハッピーエンド、だったらいいな……」
彼女の()内を読心《どくしん》術もなしに察したシャナが、平静を装って――しかし眉《まゆ》をピクピクさせつつ――自信|満々《まんまん》に言う。
「ふん、正解なんか、分かりきってるわよ。ほら、ない[#「ない」に傍点]でしょ?」
自分に向けて、指を差す。
マージョリーが怪訝《けげん》な顔で平坦《へいたん》なそこ[#「そこ」に傍点]を見る。
「なに、今さら」
「胸じゃなくて!!」
言われて、
「ああ」
と全員が納得《なっとく》し、
そして同時に、坂井悠二《さかいゆうじ》のせいぜいの冥福《めいふく》を(一名のみ無事を)祈った。
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8 ぐれんのせんせい
凄《すさ》まじい熱量が孤島《ことう》の芝をジリジリと焦《こ》がし、周囲の海面からは海底《かいてい》火山の噴火《ふんか》の如《ごと》き水蒸気が絶え間なく巻き上がっている。
その中、引きつった声と笑顔で悠二が言う。
「え〜、と……アラストール……?」
重く低く、腹の底を震わせる遠雷《えんらい》のような轟《とどろ》きが答える。
「なんだ、坂井悠二」
「どうして、そんなに大きいのかな?」
孤島を圧するように、漆黒《しっこく》の塊《かたまり》を奥に秘め、灼熱《しゃくねつ》の炎《ほのお》を纏《まと》った紅世《ぐぜ》の王≠ェ、海面からそそり立っていた。
「番外編《ばんがいへん》は、なんでもありだからだ」
「どうして、そんなに翼《つばさ》を広げてるのかな?」
渦巻《うずま》く炎と黒い皮膜《ひまく》のようなものが、視界《しかい》一面を塞《ふさ》いでいる。
「好き勝手やってもいい、とのことだからだ」
「どうして、腕をこっちに向けてるのかな?」
巨大な、鋭い鉤爪《かぎづめ》を先端に伸ばした掌《てのひら》が、眼前にある。前髪《まえがみ》が縮《ちぢ》れるのが分かる。眼球の表面が乾いて、瞬《まばた》きをせずにいられない。
「たまには我も、シャナのことでの鬱憤《うっぷん》を晴らしたいからだ……っ!!」
「わっ! し、死にオチか――――!?」
孤島《ことう》が、天壌《てんじょう》の劫火《ごうか》¢S力|一撃《いちげき》の下《もと》、いっそ天晴《あっぱ》れなまでに吹き飛んだ。
どっとはらい。
[#地付き]終わり。
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しんでれらのしゃな
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※この番外編は、Z巻(二〇〇四年七月発売)時点の設定でお送りいたします。
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昔々、一つの王国がありました。
産業|基盤《きばん》は主に農業からなっており、以下|略《りゃく》。いちおう大陸でも屈指《くっし》の大国ではありましたが、周りを油断《ゆだん》ならぬ強国が取り囲み、虎視眈々《こしたんたん》とその領土を、以下略。時の風潮《ふうちょう》は未だ封建制、王族と貴族による統治《とうち》が、以下略。
とにかく、一つの王国がありました。
1 王家の儀式
王様の城では今、一つ会議の真《ま》っ最中《さいちゅう》。
「――『さて本作は、痛快娯楽《つうかいごらく》アクション小説……でしょうか? 本来は学園祭でやるかどうか話していたネタが、変な感じに化けました。なんというか、非常に大人気《おとなげ》ない内容になっています。』――」
高い天井と鏡のように磨かれた床、それらを一直線に繋《つな》ぐ三廊《さんろう》式の列柱、長く細く敷かれた赤絨毯《あかじゅうたん》など、いかにもそれっぽい謁見《えつけん》の間に、王様と王妃《おうひ》と王子、重臣《じゅうしん》三人と侍従《じじゅう》長だけが集った、国家|枢要《すうよう》の会議です。
玉座《ぎょくざ》に座った……というより置かれたアラストール王が、遠雷《えんらい》のような声を重々しく響《ひび》かせます。
「かつて、困窮《こんきゅう》苦難の境遇《きょうぐう》にありながら、王子の妃《きさき》の座を掴《つか》み取った伝説の姫《ひめ》がいた」
その王様はなぜか、黒い宝石をはめた王冠《おうかん》の姿をしていますが、ここは深く突っ込むところではありません。
「その故事《こじ》に倣《なら》い、代々|執《と》り行われてきた王位|継承《けいしょう》者の妃を選定する『舞踏会』の時節《じせつ》が、いよいよ当代においてもやってきた」
「……あの〜」
玉座の脇に立たされている[#「立たされている」に傍点]風情《ふぜい》の若者が、恐る恐る口を開きました。
この国の王子でユウジ、続けて呼ぶと『ユウジ王子』という、なんだか語呂《ごろ》の悪い名前の若者です。どことなく軟弱っぽい物腰《ものごし》て貫禄《かんろく》もないため、王様より一回り小さな冠《かんむり》や豪華な衣装が、まるで似合《にあ》っていません。
「なんだ、息子よ[#「息子よ」に傍点]」
アラストール王の、言葉と正反対な、忌々《いまいま》しげで剣呑《けんのん》な声に思わず腰を引きつつも、ユウジ王子は質問します。
「そのー、もし、そこに気に入った子がいなかったら、どう、なるん、でしょ……」
場に満ちた気まずい雰囲気《ふんいき》に、声が尻すぼみに消えてしまいました。
「――『テーマは、描写的には「山葵《わさび》と回復|呪文《じゅもん》の迎撃《げいげき》」、内容的には「なんじゃとう?」です。いつにもまして適当に決めた題材を、作者が好き勝手に料理してしまっています。』――」
「もう、ユウちゃんったら」
その雰囲気とは無縁《むえん》の和《なご》やかな声と笑顔で、チグサ王妃が言います。
「この『舞踏会』は、あなた個人のために催されるわけじゃないのよ?」
その和やかな声が、かえって発言《はつげん》内容の恐さを強調してしまっていますが、本人は気にしていません。
「でも、僕のお妃を決めるって……」
その疑問には重臣の一人、軍師《ぐんし》を務めるベルペオルが、薄い唇を吊《つ》り上げて嫌味一杯《いやみいっぱい》に答えます。
「いかにも左様《さよう》。ですがこの式典《しきてん》の本義《ほんぎ》は、外戚《がいせき》の影響《えいきょう》を可能な限り排除《はいじょ》し、かつ有能な人材と血を王家に入れることにあるのでございます。元より王子の一存《いちぞん》にて妃が決定される性格のものではありませんぞ」
要するに、お嫁《よめ》さんの実家からの余計《よけい》な口出しを抑えて、同時にすごい人もゲットしよう、という非常に調子のいい式典《しきてん》なわけです。
「――『担当《たんとう》の三木《みき》さんは、読者《どくしゃ》第一主義のサービスマンです。今回も、本編の進行上なかなか出せない人気キャラを出演させています。作者も意気に感じて、要望のないキャラまで(以下|略《りゃく》)。』――」
「じゃあ、僕はなんのためにいるわけ?」
自分の存在|意義《いぎ》について深刻《しんこく》な疑問を抱くユウジ王子に、将軍を務めるシュドナイが興薄《きょううす》げに答えます。
「そりゃあ、最後の選択のためですな」
「選択?」
舞台|設定《せってい》を強調するため、戦時でもないのに鎧《よろい》を着せられたシュドナイ将軍は、ミスマッチなサングラス越しに王子を見て笑います。
「厳《きび》しい試練を潜《くぐ》り抜けて最後に残った候補の中から、王子が本当に王家のために必要と思われる人材を選ぶんですよ」
「はあ……なる、ほど……」
舞踏会という華麗《かれい》な字面《じづら》とは裏腹《うらはら》に、やけにシビアな話になってきました。
さらに、アラストール王が言葉による追い討ちをかけます。
「選定の各《かく》段階における騒動《そうどう》、対する我らの挙動《きょどう》から最終的な選択の手順まで、全てをつぶさに見て、世の理を学ぶのだ。同時に我らも、貴様《きさま》がどんな選択を最後に行うのか、とくと見せてもらう……この意味が分かるな?」
実の息子《むすこ》も貴様|呼《よ》ばわりです。
ユウジ王子は助けを求めるように最後の重臣《じゅうしん》、巫女《みこ》を務めるヘカテーに目をやりました。
ところが、その白装束《しろしょうぞく》の少女は、
「――『挿絵《さしえ》のいとうのいぢさんは、可愛《かわい》らしい絵を描かれる方です。初出時に頂けた様々なサービスカットは、まさに眼福《がんぷく》というべき仕上がりでした。この度《たび》も拙作《せっさく》のお遊び企画への、再びの甚大《じんだい》なる御《ご》助力をいただけたことに、深く深く感謝いたします。』――」
などと、さっきからどこぞの禍《まが》つ神《かみ》を下ろしていて、虚《うつ》ろな目線《めせん》を宙にやったまま、淡々《たんたん》と独り言を呟《つぶや》いています。
「……」
もはや孤立|無援《むえん》、言葉を失う息子に、王妃《おうひ》はやはり和《なご》やか、かつ救いのない励《はげ》ましの言葉を贈ります。
「ユウちゃん、頑張《がんば》ってね」
「……はい」
その落とされた肩を、侍従《じじゅう》長のイケが気遣《きづか》わしげに叩《たた》きました。
「どこでもこういう役回り[#「こういう役回り」に傍点]なのは、僕……私も同じです。気を落とされませんよう」
「……ああ、ありがと」
王子という職業も楽ではありません。
せめて才知容貌《さいちようぼう》に優れた気立ての良い人(さすがに王子は贅沢者《ぜいたくもの》です)が『舞踏会』に参加してくれることを願って待つ、逆シンデレラ・シンドローム患者《かんじゃ》なユウジ王子でした。
「――『今回はさらに暴走《ぼうそう》気味、元ネタがほとんど原形を留めないまでに改変《かいへん》されてしまっていますが、まあお遊び企画ということでご容赦《ようしゃ》のほどを。それでは、本文を読んでくださった読者の皆様に、無上《むじょう》の感謝を、変わらず。また皆様のお目にかかれる日がありますように。
[#地付き]二〇〇四年四月|高橋弥七郎《たかはしやしちろう》』――」
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2 二人の灰かぶり
国の片隅《かたすみ》に、変わり者の一家がおりました。
女だけのこの一家は、とある目的のために着々《ちゃくちゃく》準備を……具体的には、先妻《せんさい》の忘《わす》れ形見《がたみ》たる一人の少女に、英才《えいさい》教育を施《ほどこ》していました。
少女の名前を、シンデレラといいます。
これは、灰かぶり、という意味を持つ言葉の英語読みです。
後段で、同じ言葉の仏語《ふつご》読みの名前が登場して紛《まぎ》らわしいので、読者の皆さんに分かりやすいよう、ここでは『シャナ』と書いて『シンデレラ』と読んでもらうことにしましょう。シ繋《つな》がりです。
さてこの|シャナ《シンデレラ》、あどけなく可燐《かれん》な容姿《ようし》とは裏腹《うらはら》に、文武《ぶんぶ》両道|胆略無双《たんりゃくむそう》という、当時としてはかなり女性の理想像からズレた『王者の中の王者』として育てられておりました。
なぜなら、
「――王者――」
彼女の継母《ままはは》たるテンモクイッコの価値観《かちかん》が、鎧《よろい》に隻眼鬼面《せきがんきめん》という容姿《ようし》同様、少々[#「少々」に傍点]変だったからです。
それは、彼女の連れ子である二人の姉妹も同じでした。
台所、その継母の見つめる前で、
「何年同じ鍛錬《たんれん》を行っている!?」
長女のメリヒムが、篭《かご》の中のカラス豆(皮が黒い大豆《だいず》の一種です)を、ボロを纏《まと》ったシャナに向かって、まるで節分《せつぶん》の鬼でも追い払うかのような勢いでぶちまけます。
「全てかわすのだ! でなければ叩《たた》き落せ!」
「くっ!」
少女は燃えるような紅蓮《ぐれん》の瞳に全ての豆を捉《とら》え、手にしたハシバミの枝による見事な太刀捌《たちさば》きで次々と、これを打ち払います。
しかし、いかんせん豆の数が多すぎました。すぐに幾つかが体に当たってしまいます。
「愚鈍《ぐどん》な奴《やつ》め、晩飯は抜きだ! 落ちた豆だけ食ってよし!」
「……はい」
義姉《あね》の叱咤《しった》に、悔《くや》しげな顔を伏せてシャナは答えました。
「――王者――」
「見よ、母者《ははじゃ》は貴様《きさま》の無能ぶりに失望しておられる! 今日もここで寝ろ!」
二人はそう言い捨てて、台所から出て行きました。
残されたシャナは、床に落ちたカラス豆を淡々《たんたん》と拾います。一応は妙《い》ってあるこれが、彼女の今晩のご飯なのでした。
彼女は、こうすることが初めてではありません。苛酷《かこく》な環境|下《か》での生存性を高める鍛錬として、また今日のようにヘマをしたときなど、台所で寝かされることも日常|茶飯事《さはんじ》でした。
豆を拾っている内に、暖炉《だんろ》の灰で、腰まである鮮やかな紅蓮の髪は灰だらけになってしまいます。文字通りの灰かぶりでした。
その背中に、
「また今日も、ここでの寝泊まりでありますか」
と、平坦《へいたん》な声がかけられます。
連れ子の次女・ヴィルヘルミナでした。使用人でもないのに、丈長《たけなが》のワンピース、白いエプロンとヘッドドレスなる奇妙《きみょう》な装いです。その両脇には、分厚《ぶあつ》い革張りの本を何冊も抱え込んでいます。
「今日はこれらを全て訳すのであります。間違い一つにつき、豆一つ没収《ぼっしゅう》であります」
「即時《そくじ》開始」
彼女と一心同体《いっしんどうたい》なので同じく次女|扱《あつか》いのティアマトーが急《せ》かします。
「はい」
シャナは答えて、せっかく集めたカラス豆を彼女が置いた篭《かご》の中に入れました。
休む間もなく勉強が始まります。分厚《ぶあつ》い本を訳す内に、少しずつ豆は減っていきます。
「その単語の訳は誤りであります」
「没収《ぼっしゅう》」
「はい」
そうして朝も程近《ほどちか》い時刻まで勉強は続き、
「その文の用法は誤りであります」
「没収」
「はい」
最後、クタクタになったシャナの前には、一掴《ひとつか》みのカラス豆だけが残されていました。
それでも彼女は文句《もんく》一つ言わず、寝る前にこれを頬張《ほおば》って、明日という日に備えます。王者として自分が羽ばたくときを目指して、ただ黙々と苦難の鍛錬《たんれん》に立ち向かう、逞《たくま》しくしぶとい少女なのでした。
国の、また別の片隅《かたすみ》に、一人の女の子がおりました。
その名を、サンドリヨンといいます。
シンデレラと同じく、灰かぶり、と言う意味の名です。
これも明確に区別するため『ヨシダ』と書いて『サンドリヨン』と読んでもらうことにしましょう。こっちはヨ繋《つな》がりです。
|ヨシダ《サンドリヨン》は貴族の娘でしたが、まず最愛の母を病で、数年後には父も事故で失ってしまいました。結果、家には、彼女と亡き父が貰《もら》った後添《のちぞ》え、その連れ子の姉妹が残されました。
ところが、この後添え一家……正確には後添えの次女が、ことあるごとに彼女に意地悪《いじわる》をします。元いた部屋から追い出して屋根|裏《うら》に住まわせたり、きれいな服を取り上げてネズミ色の服と木靴《きぐつ》を投げ与えたりしました。
おまけに、水汲みから火起こし、炊事洗濯《すいじせんたく》掃除にお使い、なんでもかんでも押し付け扱《こ》き使い、彼女を苛《いじ》めました。なかなかのハードラック人生と言えましょう。
おかげで、控えめな印象《いんしょう》ながら整っていた顔立ちも苦労の中でやつれ果て、後れ毛の似合《にあ》う薄幸《はっこう》の姿に変わってしまいました。
そんな、今日も台所の隅《すみ》て灰や埃《ほこり》にまみれて一生|懸命《けんめい》働く彼女に、
「あーら、なんですの、この埃は?」
窓枠《まどわく》に指をツイ、と流してから突き付けるのは、件《くだん》の継母《ままはは》の次女・ティリエルです。等身大《とうしんだい》のフランス人形のように華麗《かれい》な様相《ようそう》をしていますが、中身はかなりのサディストです。
彼女の指先には、見える見えないギリギリの埃が僅《わず》かに付着しているだけでした。しかし、苛《いじ》めるのが目的なので、これで十分です。
「まったく、どこに目をつけてお掃除しているのかしら。あなたが手を抜くと、私のお姉様が汚れてしまいますのよ? 困ったものですわねえ、お姉様?」
「うん、よごれるのはやだよ、ティリエル!」
ティリエルのもう片方の腕を首に絡められているのは、彼女と瓜《うり》二つの顔をした継母《ままはは》の長女・ソラトです。彼女は妹の言いなりで、主体性というものがまるでありません。
「お料理も下手《へた》な上に、お掃除もこんなでは、家に置くことも考え直さなくてはいけませんわね。お母様も、そうお思いにならない?」
突然ティリエルに話を振られた継母のオガタは、驚き慌《あわ》てて答えます。
「えっ、そう、かな? お料理はすごく美味《おい》しいし、お掃除、だっ、て……」
普段は『格好《かっこう》よい』と評される凛々《りり》しい顔立ちが、次女からの鋭い視線を受けて弱気にしぼみます。
「ううう……なんでも、ありません、はい」
ティリエルは、青い瞳で睨《にら》みを利かせる対象を再び、ヨシダに転じます。
「お掃除はやり直しですわ。私がよしと認めるまで、何度でもやり直させますから。それが終わったら庭の方も。その後は食事の用意に繕《つくろ》い物お仕事は山ほどありますわよ」
実質《じっしつ》家を仕切っている、この義理《ぎり》の姉に、ヨシダは大人《おとな》しく従います。押しが弱く従順《じゅうじゅん》な質《たち》というのもありますが、他に行く当てもない女の子が一人で生きていくにはまだまだ辛《つら》い、というより無理な時代なのでした。
夜、いつものようにヘトヘトになるまで扱《こ》き使われたヨシダは、自分の部屋である薄暗い屋根|裏《うら》の、粗末《そまつ》な藁蒲団《わらぶとん》に倒れ込みました。
「……はあ」
深く溜息《ためいき》を吐《つ》いて、しかし泣かずに、彼女は汚れたエプロンのポケットを探ります。
「さあ、出ておいで」
言って、ポケットから出したパンくずを床に置きました。
不幸な境遇《きょうぐう》にある彼女の楽しみは、屋根裏に住んでいるネズミたちとのお話(なんだか寂しい楽しみですが、それくらい他になにもないのです)、そして、
「今日も、お城は明るいね……」
屋根裏の窓から、遠く王様のお城を眺《なが》めることでした。
程《ほど》なく、部屋の隅から、二匹のネズミがカサコソと出てきました。
着ぐるみをかぶった小さな人間のように見えますが、あくまでこれはネズミです。
「チュー(こりゃ、あんまりだよな〉」
一匹は結構《けっこう》美形で線の細いネズミ、
「チュー(言うな。出番があるだけマシだ)」
一匹は大作りな容姿《ようし》の大柄《おおがら》なネズミです。
ヨシダは、美形ネズミをサトウ、大柄ネズミをタナカと呼んで可愛《かわい》がっていました。
「街じゃ、そろそろ王子様のお妃《きさき》を決める舞踏会が開かれるって噂《うわさ》だけど……」
少女は窓枠《まどわく》に頬杖《ほおづえ》を突いて、ネズミたちに話しかけます。
「私みたいにみすぼらしい娘は、やっぱり出られないよね」
溜息《ためいき》に乗る切ない声に、サトゥとタナカは精一杯《せいいっぱい》の励《はげ》ましで答えます。
「チュー(んなことないって。旦那《だんな》様が生きてた頃には歴《れっき》としたお嬢《じょう》様だったろ?)」
「チュー(そーそ、ヨシダちゃんは磨けば光るよ。どうやって磨くかが問題だけどさ)」
彼らの思いが届いたのか、ヨシダは微笑《ほほえ》みで返しました。
「ふふ、文句《もんく》言っててもしょうがないね。さ、もう寝よ……明日も、早くから――水、汲《く》み……」
体を寝床に預けるや、少女は疲労から、すぐさま眠りに落ちてしまいます。
ネズミたちは彼女を起こさないよう、静かにパンくずを食べ始めました。
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3 いざ王城
これまで噂《うわさ》だけ流れていた『舞踏会』の開催が、遂《つい》に国中に布告《ふこく》されました。
「当代における王太子妃《おうたいしひ》選定の式典《しきてん》『舞踏会』が、今宵《こよい》、王城にて執《と》り行われる!」
町の大通り、村の広場、街道|筋《すじ》の宿にまで、お城からの使者が黒い馬に乗って疾風《しっぷう》のように駆け、雷鳴《らいめい》のように触れ回ります。
「我こそはと思わん者は、月の山に架《か》かる刻《とき》、各々《おのおの》着飾りて王城に集え!」
なんだか舞踏会と言うよりは戦《いくさ》への参陣要請《さんじんようせい》のようなお触れですが、このウィネという使者は元々、軍師《ぐんし》ベルペオルの下で働いている斥候《せっこう》なのでしょうがありません。
舞台設定に合っていないヘルメットに描かれた大きな一つ目は、彼が張り切っている証《あかし》です。
「身の貴賎《きせん》は問わぬ! ただ己《おの》が器量《きりょう》、王侯《おうこう》の分に相応《ふさわ》しきかを胸に問い、応《おう》との答えを得た者のみ馳《は》せ参じよ!!」
代々《だいだい》執り行われてきたとはいえ、人々は式典の詳細《しょうさい》を知りません(もし秘密を外部に漏らせば、一族|郎党《ろうとう》皆殺しになるからです)。
その華麗《かれい》な字面《じづら》に惹《ひ》かれる者、王侯《おうこう》の身分による利を得ようと目論《もくろ》む者、単純な好奇心《こうきしん》から赴《おもむ》く者――様々な思惑《おもわく》の元、国中が一夜の夢を追って動き出しました。
変わり者一家も当然、この式典《しきてん》に参加しようとしていました。
しかし、自分も出たい、と迂闊《うかつ》にも求めたシャナを、
「――王者――」
「母者《ははじゃ》は、恵みをただ求める者に王者たるの資格などない、畢竟貴様《ひっきょうきさま》のためのドレスも靴もない、と仰《おお》せだ!」
継母《ままはは》テンモクイッコと長女メリヒムは、最後の仕上げとして[#「最後の仕上げとして」に傍点]一喝《いっかつ》します。
「う……」
押し黙る少女に、ヴィルヘルミナもことさらに冷たく命じました。
「さあ、グズグズせず、我々の髪を梳《と》かし、靴を磨くのであります」
薄汚《うすよご》れた少女は黙々と、ときおり厳《きび》しい注意や指摘を受けながら、義姉《あね》たちのおめかしを手伝いました。
メリヒムはマントと剣帯付《けんたいつ》きのドレス、ヴィルヘルミナは常の使用人|服《ふく》をグレードアップさせたようなワンピースと、それぞれ変な格好《かっこう》でしたが、テンモクイッコの、梳く髪もなく纏《まと》うドレスも不要なために素《す》の鎧《よろい》のまま、というのよりは遥かにマシです。
やがて身なりを整え終わると、三人は連れ立ってお城へと出かけていきました。
その最後にメリヒムは、ご丁寧《ていねい》に課題まで言い残していました。
「財《ざい》の意を問い、ひたすらにこれを打て。得られたものを離さず、生かす道を探せ。決して疎《おろそ》かにせず励《はげ》め」
ほとんど謎掛《なぞか》けで、しかも鍛錬《たんれん》の強要《きょうよう》とも思えるこの課題の意味を、シャナは悔《くや》しさと自分の迂闊《うかつ》さへの怒りの中、必死に知恵を絞《しぼ》って考えます。考えつつ、いつもの習慣として鍛錬用のハシバミの枝を取った瞬間、
閃《ひらめ》きました。
(――「財の意を問い」――)
シャナは家の裏口を出て、走りました。
寂しい道の先にあるのは、亡き実母のお墓です。
そこには、この枝を取ったハシバミの木が植えられています。ハシバミは、この地方で財産の象徴《しょうちょう》とされる木なのでした。
少女は、家族が自分を真に王者として育て上げようとしていることを、表面上の厳しさ冷たさに騙《だま》されず、知っていました。だから、その仕打ちを恨《うら》んだりはしていません。彼女らの本意が、自分の舞踏会|参加《さんか》にあることも察していました。
そしてなにより、彼女らが自分を王者として育てようとしていた理由が、今は亡き実母との誓《ちか》いにあることも知っていました。
そこに植わっているのが、ハシバミの木。
これが、偶然であろうはずがありません。
これも、自分に課せられた試練なのです。
もちろん、『舞踏会』参加のための。
(――「ひたすらにこれを打て」――)
「――っは!」
シャナはその根元に辿《たど》り着くや、メリヒムの言いつけどおり、必殺の勢いでこの幹を打ちました。何度も、何度も。
積み重なった打撃は、次第にハシバミの木を大きく揺らしてゆきます。やがて、
ドサッ、
と、揺れた木の上から厳重《げんじゅう》に梱包《こんぽう》された箱が落ちてきました。
「……」
見れば、箱には一切《ひとき》れの紙片が挟んであります。そこに書かれた短文|一行《いちぎょう》に曰《いわ》く、
『舞踏会にて勝利せよ』
「……」
シャナの胸の奥に、熱い炎《ほのお》が湧《わ》き上がりました。開けずとも中身の分かる箱を、あえて今、開けます。
中にはやはり、輝く純白のドレスと靴が収められていました。
(――『得られたものを離さず、生かす道を探せ。決して疎《おろそ》かにせず励《はげ》め』――)
「……はい」
言いつけどおり、シャナは箱を胸に抱きます。
恨《うら》みに囚《とら》われず精進《しょうじん》に励み、
狙いを定めてこれを誤らず、
恵まれるのではなく勝ち得、
少女はいよいよ、この国の王座《おうざ》を掴《つか》み取るための戦いを始めるのです。
別の場所で、もう一人の少女は途方《とほう》に暮れていました。
「ねえ、はやくいこうよティリエル!」
「はいはい、今すぐ参りますわ」
ティリエルが、姉のソラトに甘く優しく答えてから豹変《ひょうへん》、
「ほおら、私たちの支度《したく》が終わったら、さっさと仕事に取り掛かりなさい。帰るまでに家の全てを掃き清めておくのですよ?」
声とともに投げつけられた箒《ほうき》を手に、ヨシダは玄関|先《さき》で立ち尽くしていました。
「せっかくだからお休みにしてあげ……いえ、なんでも、ありません……ううう」
次女の視線に震え上がる継母《ままはは》オガタが、二人を伴ってお城に出かけてから何分か何十分か、彼女は突っ立ったまま、夜の彼方《かなた》に浮かぶお城を眺《なが》めていました。
「王子様……」
実は彼女は、ユウジ王子と面識《めんしき》がありました。
お使いに出かけた行き慣れぬ城下町で道に迷った際、お忍《しの》びでうろついていた彼に案内してもらったことがあったのです(最後に彼は、イケ侍従《じじゅう》長|率《ひき》いる手勢《てぜい》に引っ捕えられ、連れ戻されました)。
それ以来、身分の割に親切で優しい少年を、彼女は慕《した》い続けていました。案内される際に王子としての苦労話……つまり愚痴《ぐち》を聞かされたことで、自分がそれを幾分《いくぶん》かでも軽減《けいげん》できれば、とも願ってきました。
とはいえ、所詮《しょせん》は非力な少女一人。なにをどうすればいいのか分かりません。
とうとう舞踏会が開催される、そこで彼の妃《きさき》が決定する、という段になっても、ただ立ち尽くすしかありませんでした。
「行きたいな……」
ポツリと、想いを口にするくらいが関《せき》の山でした。
と、そのとき、
「――ヒーッヒッヒッヒ!」
どこからか、軽薄《けいはく》な笑い声が不気味《ぶきみ》に響《ひび》き渡りました。
「ホントーに、行きてえか?」
「だ、誰ですか?」
ヨシダは振り向いて辺りを見回しましたが、どこにも人の姿は見えません。
「なあーに、魂《たましい》一つでなんでも願いを叶《かな》える、言ってみりゃあボランティアな悪魔《あくま》ブッ!?」
いきなり不気味な声が途切《とぎ》れて、代わりにハッキリした女性の声が、
「バカマルコ、なーにデタラメ言って一般人ビビらせてんのよ」
ヨシダのすぐ前で、ボワン、と白い煙が立ち昇りました。
「ひゃっ!?」
彼女は驚いて飛び退《の》きます。
煙が薄れると、そこには群青《ぐんじょう》色のマントに群青色の鍔広《つばひろ》トンガリ帽子、星飾りのついた杖《つえ》という、見るからにそれもの[#「それもの」に傍点]の格好《かっこう》をした魔女《まじょ》が、長身を反《そ》らして傲然《ごうぜん》と立っていました。
意外《いがい》に若くて、眼鏡《めがね》までかけています。右脇にはドでかい本を抱えていました。
「あ、あなたは……?」
恐る恐るヨシダが訊《き》くと、魔女《まじょ》は大きな胸を張って、堂々と名乗りを上げます。
「私は魔女のマージョリー・ドー。別に洒落《しゃれ》じゃないわよ」
訊いてないことにも答えます。
「実は私、あんたの名付け親なの。仮にも名前を授《さず》けた娘が、社会の片隅《かたすみ》で灰かぶって朽《く》ちてくのが面白くないから、助けに来たってわけ」
「ヒャヒャヒャ! 灰かぶりって付けたのぁ、自分だろーにブッ!?」
魔女は、馬鹿|笑《わら》いする右脇の本を叩《たた》いて黙らせました。魔法使いなのでこの程度はアリだろうか、とヨシダも深く追及はしません。
「とにかく、今日は運命を一発逆転できるチャンスの日でしょ。道を開くから、ちゃっちゃと玉《たま》の輿《こし》を分捕《ぶんど》りなさい」
なんとも直裁《ちょくさい》な物言いです。
ヨシダはおずおずと、もう一度訊きます。
「えっ、そ、それって、もしかして私を、舞踏会に連れて行ってくれるってことですか?」
「それ以外のなんに聞こえたってのよ」
「でも私、ドレスもないし、お城にも入れるかどうか、王子様だって私なんか選んだり……」
怯《ひる》む女の子に、マージョリーは帽子|越《ご》しに頭をガシガシ掻《か》いて怒鳴《どな》ります。
「あーもー、グジグジ言わない! 私がなんなのかお分かり? 魔女よ、魔・女!」
「面倒《めんどう》くせえ。やっちまえ、我が万能の魔女、マージョリー・ドー」
「そーね。やるわよ、マルコシアスお姫様は、なんでできてる?」
問答無用《もんどうむよう》で彼女らは呪文《じゅもん》を唱《とな》え始めました。
[#ここからフォント……が違う]「ほいきた、お憾様は、なんでできてる?」
「お砂糖とスパイスと!」
「すてきななにもかも!」
「そんなもので、できてる――っは!!」[#ここまでフォント……が違う]
魔女が掛け声とともに杖《つえ》をヨシダに突き出すと、ボワン、と白い煙が立ち昇って、少女の身を包み隠《かく》しました。
「ゴホ、ゴホ、な、なにが――あっ!?」
煙が薄れた途端《とたん》、ヨシダは驚きました。
口元にやった手が、白い絹《きぬ》の手袋に包まれていたからです。体を見下ろすと、同じく純白の素晴らしいドレスを纏《まと》っています(少し胸元が開きすぎではないだろうか、とも思いました)。靴も銀糸《ぎんし》で編まれた立派《りっぱ》なものでした。
後れ毛の目立った髪は綺麗《きれい》に整えられた上、金のティアラを頂いています。疲労にやつれた頬《ほお》は柔らかさを取り戻し、朱《しゅ》を帯びてさえいました。
「ふん、まあまあかしら」
「結構《けっこう》結構、素材がいいと、なに着ても映えるねえ、ヒヒヒ」
自分たちの仕事の感想を言い合う二人に、しかし辛酸《しんさん》を嘗《な》めてきたヨシダは、所帯染《しょたいじ》みた危惧《きぐ》で返します。
「でも、あの、私、お金とか、なにもお返しできないんですけど……」
マージョリーは思わずガクッと肩を落としました。
「あのね……私は魔女《まじょ》なの。偉くて凄《すご》くて強くてなんでもできるわけ。当然ロハよ、ロハ」
ついでとばかり、素直に感激しない少女にズイと詰め寄ります。
「それより、あんた」
「は、はい?」
「こうやって助けるからには、お礼なんかよりも重要なことがあんの。つまりは『助け甲斐《がい》』ってやつ。どういう意味か、分かる?」
「えっ?」
戸惑《とまど》う彼女に、マルコシアスが助け舟を出します。
「よーするにだな、嬢《じょう》ちゃんが『夢見る』だけじゃなく、望みの中に飛びこんで、それを掴《つか》み取るほどに『欲してる』かどーかってことよ」
「あ……わ、私……」
ヨシダは、自分が本当に舞踏会に行ける[#「本当に舞踏会に行ける」に傍点]という事実を、ようやく呑み込みました。呑み込んで、そのとんでもなさに身震いしました。
なんだか急に、あの夜空に光るお城が、恐い所のように思えてきます。夢見る気楽さではない、欲することの覚悟《かくご》を、自分が今まさに求められている、と気付いたのでした。
いつの間にか足元にやって来ていたネズミのサトウとタナカが、彼女に向かってネズミなりの大声で叫びます。
「チュー(なにを躊躇《ためら》ってるんだよ!)」
「チュー(やらなきゃ、一生|後悔《こうかい》するぞ!)」
「……」
ヨシダには、ネズミたちの言っていることが、なんとなく分かりました。
改めて自分の気持ち、王子が好きだという気持ちを確かめます。行って想いが破れることの覚悟、それを超えて、ただただ王子を想う自分の気持ちを、確かめます。
答えは、やはり決まっていました。
静かに、それを口にします。
「はい。お城に行きます。私、王子様が好きなんです。あの方を助けたいんです!」
マルコシアスが弾《はじ》けるように答えました。
「ヒーッヒヒヒ、決まりだ!」
マージョリーも頷《うなず》て、彼女に言います。
「オーケー。じゃ、カボチャを用意して」
「カボチャ?」
「いいから」
ヨシダは言われるまま、家の裏の畑から、手袋を汚さないよう気をつけて、いちばん立派《りっぱ》なカボチャを取ってきました。
「御者《ぎょしゃ》は私がやるからいいとして、馬が――」
マージョリーは地面を……正確には、そこにいる小さな動物に目を留めました。
「チュー(嫌な)」
「チュー(予感)」
言い合うネズミたちとヨシダが置いたカボチャに向けて、再び魔女《まじょ》は杖《つえ》を振りかざし、呪文《じゅもん》を唱《とな》えます。
[#ここからフォント……が違う]「四番は豚、三番はロバ!」[#ここまでフォント……が違う]
マルコシアスが続けます。
[#ここからフォント……が違う]「二番は二輪馬車、一番は四輪馬車!!」[#ここまでフォント……が違う]
ボフッとまた白煙が上がって、カボチャとネズミがその中に包まれました。
やがてそれが薄れ、
「ヒヒーン(なんつーか、今回……)」
「ヒヒーン(扱いが酷《ひど》すぎるよな……)」
「わあー!」
ヨシダの前に、カボチャを象《かたど》った豪奢《ごうしゃ》な六頭立ての馬車が現れていました。
ちなみに馬は、やはりというか半端《はんぱ》な着ぐるみ風です。先頭の二頭、サトウ馬とタナカ馬の足から棒が伸びていて、後ろに二頭ずつ、動作がシンクロする仕掛けになっています。
その出来に満足したマージョリーは、ヒラリと御者の席に飛び乗りました。鞭《むち》を取って、呆気《あっけ》に取られているヨシダを急《せ》かします。
「さあ、ボーっとしてないで乗んなさい!」
「グーズグズしてっと、王子サマが他の女に取られっちまうぜえー? ヒヒヒ」
「は、はい!」
今や、どこかの国のお姫様と称しても通るほどの美しさを得たヨシダは、しずしずと馬車に乗り込みました。実の父母が健在《けんざい》な頃に、その筋の教育は受けていたので、付《つ》け焼刃《やきば》ではない気品《きひん》が、あらゆる挙措《きょそ》に漂っています。
(なるほど、たしかに助け甲斐《がい》はありそうね)
マージョリーはニヤリと笑い、今度は前に向かって叫びます。
「それじゃあ、出発! 鞭《むち》で引っ叩《ぱた》かれたくなかったら、急いで慌《あわ》てず行進《こうしん》開始!!」
「ヒヒーン(はいー!)」
「ヒヒーン(よいしょっ――と!)」
六頭にして二頭の嘶《いななき》き[#底本「嘶《いななき》き」ママ]を先触《さきぶ》れに、カボチャの馬車は一路《いちろ》、お城に向けて走り出しました。
メリヒムとヴィルヘルミナの支度《したく》を手伝ったため、シャナは一人での身《み》支度に苦労はしませんでした。
純白のドレスは絢爛《けんらん》な花のように広がり、シルクの靴は鋭く高く地を打ちます。白に映えて煌《きらめ》く紅蓮《ぐれん》の髪に小さな冠型《かんむりがた》の飾りを頂く、その姿に漂うは、まさに王者の風格《ふうかく》。
「よし」
鏡の中の自分に一声かけて、表《おもて》に出ます。
彼方《かなた》を見れば、月は山から僅《わず》かな位置。少し急がなければなりません。
ドレスにも構わず走り出そうとする彼女に、
「おぉ――待ちなさいぃ!!」
「!?」
ぎよっとするほどハイテンションな声が、どこからか降りかかってきました。
「んーんんん、んーふふふ」
妙《みょう》な、笑っているらしい声を辿《たど》ると、それは家の屋根の天辺《てっぺん》に。
星散る夜空を背景に、ひょろ長い影とまん丸な影が、並んで立っています。
「あぁーるときは影、まぁたあるときは影」
「影ばかりですね|ひ《い》は《た》は《た》は《た》は《た》」
ひょろ長の手が伸びて、まん丸のほっぺ(?)をつねり上げました。
「なにか用? 私、今急いでるんだけど」
非常に嫌な予感を背筋《せすじ》に走らせつつも、シャナはいちおう、尋《たず》ねました。
ひょろ長の影が、バシン、と額《ひたい》を叩《たた》いて背を逸《そ》らします。
「のぉーう! そぉーれはあまりな言葉! 我らは君の実の母上より、君を守るよぉーう託された、ェエークセレントな鳥の人!!」
まん丸が、両手に付けた小さな翼《つばさ》らしきものをバサバサと羽ばたかせ、
「ほら、ちょっと不細工《ぶさいく》だけど、鳥の羽根もあるでしょ|ひ《い》は《た》ひ《い》ひ《い》は《た》ひ《い》」
またひょろ長につねられました。
「ドォーミノォー、私の作った『我学《ががく》の結晶エクセレント番外0001─小さな翼』に、なぁーにか文句でもあぁーるんですかぁー?」
「じゃあ、私そろそろ――」
「ストォ――ップ・ザ・タイム・時よ止まれ! 今からおぉー城に走っても、舞踏会には間ぁーに合いませんよぉ?」
シャナはようやく、本気で彼らの言葉に耳を傾ける気になりました。
「馬車かなにか、用意してあるの?」
なぜか、ひょろ長は肩を大げさに竦《すく》めて見せます。
「んーんんん、馬車? 馬ぁー車ぁ? なぁーんてナァーンセンスにして原始的!」
イライラしつつ、また嫌な予感が膨《ふく》れ上がるのを感じつつ、シャナはお城に辿《たど》り着くために辛抱《しんぼう》強く、ひょろ長《なが》に訊《き》きます。
「他に、乗り物が?」
「んーふふふ、私たぁーちは鳥の人なぁーのですよ? となれば、その答えはおのずから分かりはしぃーませんかねえ?」
「……まさか」
得意|絶頂《ぜっちょう》、ひょろ長が叫びます。
「そぉう! そのまぁーさかを追求することこそが、まさにェエーキサイティング! こぉーんなこともあろうかと密《ひそ》かに開発しておいた『我学《ががく》の結晶エクセレント番外0002─大きな翼《つばさ》』――ぃいーでませい!!」
ガゴン、と彼らを乗せた屋根が……というより家が、二つに三つに四つに分かれ、全体を丸ごと変形させます。おとぎ話とはいえ、あんまりな展開でした。
「……」
言葉を失うシャナの眼前で、彼女の家が大きく横に広がってゆきます。
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4 決戦、舞踏会
お城の正門から程近《ほどちか》く、馬出《うまだ》しという広場の前に、舞踏会の会場たるホールはありました。
この広場に次々と馬車がつけられ、着飾《きかざ》った娘とその親たちが参集《さんしゅう》してきます。
明るく広いホールには、壮麗優雅《そうれいゆうが》なワルツが流れ、娘たちによる軽やかなステップとターンが、そこここでドレスの花を咲かせています。パートナーは主に貴族の子弟ですが、この舞踏会の場合、男は唯一《ゆいいつ》の例外を除いてオマケ・つけあわせ・ステーキにおけるパセリです。
その唯一の例外たるユウジ王子が、ようやくダンスを求める娘たちから解放されて、三段高い王様たちの席まで戻ってきました。
「どうだ、息子よ[#「息子よ」に傍点]。せめて鑑賞《かんしょう》する楽しみ程度は堪能《たんのう》できたか」
相変わらず刺々《とげとげ》しい声で、アラストール王が訊《き》きます。
「は、はひ……」
ユウジ王子は、肩で息をしています。無理もありません。国中の美しい娘たちが一堂《いちどう》に会しているのですから、その人数も半端《はんぱ》ではありません。ほとんどダンスの耐久レース状態でした。
「後のこともあるんだし、今くらいはちゃんと楽しませてあげなくちゃね?」
チグサ王妃《おうひ》が和《なご》やかに恐いことを言います。
そう、王妃の言う通り、今《いま》行われているダンスは、実は本当の式典《しきてん》を行うための準備体操に過ぎないのでした。
「よさそうな子[#「よさそうな子」に傍点]はいた?」
「というか……あ、サンキュ」
イケ侍従《じじゅう》長からおしぼりを受け取りつつ、ユウジ王子はゲンナリした顔で答えます。
「変な人ばっかだよ。長身の剣吊《けんつ》った人に振り回されて鼻で笑われたり、白いヒラヒラ付けた人に値踏《ねぶ》みされるみたいに見つめられたり、双子《ふたご》っぽい姉妹に一方的に踊るところ見物させられたり、その母親らしい人に愚痴《ぐち》を聞かされたり……なんか恐い鎧《よろい》も端《はし》っこに立ってるし」
「あらあら、個性的な子が揃《そろ》ってるのね。楽しみだわ」
「……」
ゲンナリからドヨンに顔色を変えるユウジ王子の耳に、ウィネの鋭い声が届きます。
「新たな来会者のおなり――!」
もう何度となく聞いたその通達《つうたつ》に、なぜか王子は期待のようなものを覚えました。
入り口を見れば、どういうわけか、その周囲のダンスが止まっています。人垣《ひとがき》が静まり、ゆっくりと自然に、下がってゆきます。
「……?」
王子が見る先に、美《び》少年と大柄《おおがら》、二人の立派《りっぱ》な従僕《じゅうぼく》が先触《さきぶ》れとして入室し、主《あるじ》を迎えるため入り口の左右で向き合います。
人々が、息を呑みました。
純白のドレスを纏《まと》った、一人の女の子がホールに入ってきたのです。柔らかな微笑《ほほえ》みに、まるで周りが薄っすらと輝いているかのよう。
嘆息《たんそく》のみが、人々の間に満ちました。
ティリエルとソラト、オガタでさえも、この何方《いずかた》の姫君《ひめぎみ》かとも思える女の子が誰なのか、気付けませんでした。まさに見違えるとはこのことです。
(あの子は、もしかして……?)
ところが、ユウジ王子だけは、この女の子の正体を見抜《みぬ》いていました。いつだったか、城下へお忍《しの》びで出かけたとき案内してあげた、心優《こころやさ》しい女の子です。
(たしか、|ヨシダ《サンドリヨン》って言ったっけ……あの子が、来てくれたんだ)
彼女が自分へと向ける、打算《ださん》を感じさせない真摯《しんし》な微笑《ほほえ》みを、ユウジ王子はとても温かく感じました。
「……月は」
アラストール王が、彼女の到来を待っていたかのように(そしてなぜか不機嫌《ふきげん》そうに)、イケ侍従《じじゅう》長に尋《たず》ねました。
「は、既に山に懸《か》かっております」
「うむ。では、これより――」
「な、なんだっ!?」
王様が本当の式典《しきてん》開催を告げようとした声を、先《さっき》と同じくウィネが、今度は驚愕《きょうがく》の叫びで切りました。
人々はその叫びの意味を、他でもない王様が尋ねた月の中に見ます。
王様の正面、つまり入り口の上に大きく付けられた明かり取りの窓に光る月――そこに一点、黒く影が映っています。
両翼《りょうよく》を優美《ゆうび》に広げて近付いてくるそれは、まるで鳥。しかし明らかに、遠さの実感と目に映るサイズの間に齟齬《そご》がありました。
つまり、とても大きいように思えるのです。
「――?」
その影を見たユウジ王子は、さっきの到来とは逆に、戦慄《せんりつ》のようなものを覚えました。
鳥の影はどんどん大きくなります。目的地がこの城なのは明白でした。
城壁《じょうへき》の上では、衛兵《えいへい》隊長のオルゴンがペラペラの兵隊たちに矢を射掛《いか》けさせ槍《やり》を立てさせして、この侵入を食い止めようと試みています。
しかし、飛来《ひらい》したそれ[#「それ」に傍点]は兵隊たちの抵抗を強引《ごういん》に突き破りました。城壁の上部を打ち砕いて(ついでにオルゴンと兵隊たちを「あーれー」とぶっ飛ばして)一気に馬出しの中央に着弾《ちゃくだん》、もとい着陸、もとい墜落《ついらく》しました。
ものすごい轟音《ごうおん》と土煙《つちけむり》がホールの中に吹き込んで、人々の間に叫喚《きょうかん》が湧《わ》き上がります。
その破片も飛び散る土煙の中から、ゴロン、と大きなまん丸の物体が転がり出ました。どうやら、鳥の中に入っていた物のようです。
まん丸の天辺《てっぺん》には、人の顔に見えなくもない発条《ばね》と歯車の細工《さいく》があります。それが、扉の脇で驚きに描いた一つ目を見開いているウィネに、グルン、と向き直って言います。
「掛け声、お願い致しますんでございます」
「……?」
なんのことか計りかねるウィネの前で、まん丸はガバッと、体の前を開きました。
カツン、
とシルクの靴を小気味《こきみ》よく鳴らして、一人の少女がその中から歩み出ます。
テンモクイッコ、メリヒム、ヴィルヘルミナらが、それぞれにでき得る限りの強い笑顔で、真打《しんうち》の到来を迎えます。
破片と土煙をさえ、己《おのれ》を飾り引き立てる舞台として、巨大な存在感と貫禄《かんろく》を漲《みなぎ》らせる、真紅《しんく》の瞳と髪の、少女でした。
呆気《あっけ》に取られていたウィネは慌《あわ》てて、あらん限りの大声で叫びます。
「新たな来会者の、おなり――!!」
少女は小さく頷《うなず》て答えると、今度は自ら朗々《ろうろう》と、ホールの群衆に向けて告げます。
「|シャナ《シンデレラ》、お召しに応えて只今参上《ただいまさんじょう》!!」
「んんー、でぇは、グゥーッド・ラック」
「頑張《がんば》ってくださいねー」
黒焦《くろこ》げアフロになって倒れているヒョロ長《なが》を引き摺《ず》ってまん丸が退場し、
「うん、ありがとう」
少女がお礼を言うと、ホールを俄《にわ》かな静寂《せいじゃく》が支配します。彼女の到着こそが、全てへの区切りであるかのように。
それを感じてか――本来なら立ち上がるところを、王冠《おうかん》なので仕方なくチグサ王妃《おうひ》に掲げられる――アラストール王が、厳《おごそ》かに宣言します。
「聴《き》きて銘《めい》じよ、参《さん》じた諸衆《しょしゅう》! これより、ユウジ王子が妃《きさき》を決定する『舞踏会』を開催する!!」
破片を大急ぎで片付けるペラペラ兵士らを背景に、参加者たちがどよめきます。当然といえば当然でした。彼女らは、今まで踊っていた舞踏会こそが、まさにそれ[#「それ」に傍点]だと思い込んでいたのですから。
しかし現に、王の声に呼応して、片付けをするのとは別のペラペラの兵隊たちが、入り口や窓の前に立ち、ホールから逃げられないよう、その場を固めています。
不安と恐れの漂い始める中、アラストール王は玉座《ぎょくざ》の傍《かたわ》らに立つ小柄《こがら》な影に声をかけます。
「では長老《ちょうろう》、あとを頼む」
「ああ、わかりました」
「ふむ、では始めるかの」
脇から進み出たのは、小さな子供のように見える、あくまで見えるだけという王家の長老、カムシンとベヘモットです。
ぶかぶかの、フード付きローブを纏《まと》った長老は、群衆の前に立ちます。
「ああ、皆さんも、王家へ迎え入れるに相応《ふさわ》しい女性を探す材料が、まさか外見とダンスだけとは思っていないでしょう?」
フードの奥から丁寧《ていねい》な言葉|遣《づか》いの、しかし笑みを含んだ声がホールに響《ひび》きました。
娘たちは元より、その親たちも露骨《ろこつ》な言いように怯《ひる》みます。彼らとしては、もっと搦《から》め手から……要するにずるい手段でそれを勝ち取ろうとしていたのですが、王家《おうけ》の方が、より強引《ごういん》で乱暴だったようです。
ベヘモットがぬけぬけと続けます。
「ふむ、もちろん、その期待には沿うつもりじゃ。妃《きさき》たる者に課せられる試練は三つ。徐々に人数を絞《しぼ》り込み、最終的に王子が花嫁《はなよめ》を選択する。儂《わし》らは進行を担当し、審査は――」
彼らと、玉座《ぎょくざ》の二人を挟んだ反対側から、三人の重臣《じゅうしん》が入ってきました。
「このお三方《さんかた》、将軍、軍師《ぐんし》、巫女《みこ》によって行われる。ではまず、将軍より第一の試練を」
頷《うなず》き、シュドナイ将軍が進み出ました。
「では、『舞踏会』、第一の試練を与える。王家という泥沼《どろぬま》に踏み込む、最も基礎的な力である、先見《せんけん》の明《めい》と実行力、運《うん》を見極める」
嫌な予感が聴衆《ちょうしゅう》の間に満ちます。
「多人数から選別する、一番手っ取り早い方法だ。平たく言うと……いい感じに減るまで、腕っ節《ぷし》でやり合ってく――」
「ぎゃあっ!?」
れ、とシュドナイ将軍が言葉を結ぶ前に、ウィネがドでかい大剣《たいけん》で斬《き》り倒されました。
「ほら、ひとりやったよ、ティリエル!」
「素晴らしい抜きつけですわ、お姉様」
カムシンとベヘモットが呆《あき》れ、
「ああ、失格です」
「ふむ、退場じゃ」
包囲《ほうい》の一角にいるオルゴンに命じます。
ペラペラの兵隊が、せっかちなソラトとティリエルを取り囲みました。
「あれっ、ボク、おきさきになれないの?」
「誰が、誰の、お妃ですって、お姉様?」
「うぐぐ、ぐ……ご、ごめディリ、エ……」
結局なにしに来たのか分からないまま、もつれ合う二人は引っ立てられてゆきました。ついでに可哀相《かわいそう》なウィネも医務室に運ばれます。
「はぁ……ついでに私も帰るわ」
疲れきった顔でオガタも退場しました。
群衆のざわめきが去ってから、ゴホン、とシュドナイは咳払《せきばら》いして仕切りなおします。
「ただし、だ。よく聞いてくれよ。命に関わるような真似《まね》は、失・格・だ。暴力の加減《かげん》もできない奴《やつ》に支配者の一員たる資格はないからな。じゃあ、始めてくれ」
現金なもので、言われた途端《とたん》、踊りのパートナーや参加者そのものとして手勢《てぜい》を潜入《せんにゅう》させていた一部《いちぶ》有力者が、周囲の娘たちへの攻撃を開始しました。腰に帯びていたり、スカートの中から取り出したりした剣でポカリと殴《なぐ》って(さすがに刃《は》は落としてあるようです)、次々と失格者を増やしてゆきます。
たちまちホールは、逃げる者と追う者、戦う者や抗《あらが》う者による阿鼻叫喚《あびきょうかん》の巷《ちまた》と化しました。
段上にあるアラストール王|始《はじ》め王家の面々《めんめん》は、これを平然と眺《なが》めます。
ただ、事の仔細《しさい》を初めて知ったユウジ王子だけが、欲望恐怖|野心興奮《やしんこうふん》、全てが入り乱れる人間の狂態《きょうたい》を、蒼白《そうはく》な顔で見つめていました。
とりわけ心配なのは――
「あっ!」
思ったとおり、ヨシダが十人からの刺客《しかく》に取り囲まれています。彼女を守るのは非《ひ》武装の従僕《じゅうぼく》二人だけ。多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》と見えました。
「かかれっ!」
どこぞの貴族らしき壮齢《そうれい》の男(傍《かたわ》らに立つ娘は、王子の好みにあまり合致《がっち》しません)の号令《ごうれい》で、刺客たちが飛び掛かりました。
ヨシダは覚悟《かくご》からの落ち着きとともに、それらを迎えます。
瞬間、
彼女と従僕を囲む竜巻《たつまき》のように、群青《ぐんじょう》色の炎《ほのお》が渦《うず》となって噴《ふ》き上がりました。
炎に巻かれた刺客たちは悲鳴を上げて転がりますが、なぜか火傷《やけど》は負っていません。代わりに、燃え移った炎がまるで縄《なわ》のように体をグルグル巻きにしてしまいました。
「ブチッ殺さない手加減《てかげん》って難しいのよねー」
「ヒヒ、ぼやくなぼやくな」
いつの間にか、ヨシダの背後にトンガリ帽子とマント姿に星飾りの杖《つえ》を振りかざす、一見して魔女《まじょ》と分かる女性が立っていました。
「そうだ、あんたたちも手伝いなさい」
「はいっ、マージョリーさん!」
「へへっ、番外編《ばんがいへん》の役得《やくとく》だよな!」
従僕たちの手に、群青色の炎からなる剣が生まれ、刺客たちを次々と打ち据《す》え、炎で捕らえてゆきます。
(よかった)
ほっとするユウジ王子は、もう一人、別の意味で気になっていた……心配ではなく、興味と期待を抱かされる少女の姿を探しました。
シャナと名乗った、真紅《しんく》の髪と瞳の少女です。
(――いた!)
彼女も同じく、別の貴族らしき連中《れんちゅう》に追われています。と、その進む先に、隻眼鬼面《せきがんきめん》の鎧武者《よろいむしゃ》がゆらりと現れました。
(……置き物じゃなかったのか)
王子が思う間に、鎧武者はどこからか抜き身の大太刀《おおだち》を手に取りました。
「危ないっ!」
つい叫んだ王子でしたが、シャナの方はとっくに気付いています。その継母《ままはは》の仕草《しぐさ》に、殺気が全くないことにも。
「――王者よ――」
継母テンモクイッコは無造作《むぞうさ》に、義理《ぎり》の娘に向けて大太刀《おおだち》を投擲《とうてき》しました。
自分の全てを込めた大太刀の離れるとともに、彼女の姿はまるで霞《かすみ》のように掻《か》き消えます。
「!!」
それでもシャナは笑い返して、この継母そのものでさえある大太刀の柄《つか》を過《あやま》たず掴《つか》みます。
投擲の勢いを殺さず靴先《くつさき》を回し、輝くドレスを翻《ひるがえ》し、背後から迫る刺客《しかく》たちに振り向くや、
一跳《ひとっと》び、
どんなワルツよりも華麗《かれい》に、その間を突き抜けていました。
振り抜いた大太刀に残る動作の余韻《よいん》に、少女が充実の笑みを浮かべると、まるで舞踏の共演者のように、刺客たちが一斉《いっせい》に倒れました。もちろん全て峰打《みねう》ちで、死んではいません。
(すごい……!!)
ユウジ王子は、少女の絶技《ぜつぎ》に感動を覚えました。彼女が自分の妃《きさき》候補であるということは、すっかり忘れています。
と、その少女の前に一人、サーベルを手にした長身の女性が立ちました。
「見事だ、シャナ。二人の母も喜んでいよう」
「……メリヒム義姉《ねえ》さん」
強烈な、燃え上がるような嬉《うれ》しさで、少女は自分の師を迎えました。
「次は俺の番、王者に課す最後の試練だ」
叫喚《きょうかん》乱闘の満ちる中、二人は静かに向き合い、
「来い、シャナ」
「うん」
そして互いに踏み込みます。
この後二人による五、六ページになんなんとする激闘《げきとう》が繰り広げられるのですが、これはあくまで、あくまでファンタジーでメルヒェンなおとぎ話なので、割愛《かつあい》します。
とにかく激闘が終わり、シャナが勝利しました。
その煽《あお》りを食ってか、すっかり会場には人気《ひとけ》がなくなっています。というより、彼女らの他にはヨシダ一党が残っているだけで、後は全員、医務室|送《おく》りになるか棄権《きけん》して退場するかしていました。
試練を早々に棄権していたヴィルヘルミナが、長い戦いの末、紙一重《かみひとえ》で敗れたメリヒムを、白いフリルの端《はし》から伸ばしたリボンでグルグル巻きにします。
「な、なにをする」
彼女はいけしゃあしゃあと答えます。
「急ぎ手当てする必要があるのであります」
「便乗《びんじょう》」
もう一人の声に、彼女は自分の頭をゴン、と殴《なぐ》りつけました。そうしてから、ドレスも未だ無垢《むく》なる白を保つ義妹《ぎまい》へと、優しい視線を向けます。
「存分《ぞんぶん》の活躍《かつやく》を」
「当確《とうかく》」
シャナは大きく頷《うなず》きました。
「うん」
「待て、俺にもまだ話すことがフガ」
「絶対|安静《あんせい》であります」
「護送《ごそう》」
グルグル巻きにした姉を小脇に抱えて、ヴィルヘルミナは恬淡《てんたん》と立ち去りました。
残されたシャナは周囲を見渡し、残った唯一《ゆいいつ》の敵、二人の従僕《じゅうぼく》と魔女《まじょ》に守られた女の子に目を留めます。
「……」
「……」
真紅《しんく》の瞳に対して、ヨシダも負けず強い視線を送り返します。
その後ろで、興深《きょうぶか》げにこれを見ていたマージョリーが、段上《だんじょう》の長老《ちょうろう》カムシンに言います。
「もう次に行ってもいいんじゃない? ちょっと減りすぎたくらいだし」
長老は傍《かたわ》らのシュドナイ将軍に、フードの下から目を向けます。
将軍は肩をすくめることで、諒解《りょうかい》の答えを返しました。
「ああ、いいでしょう。では次に、軍師《ぐんし》より第二の試練を」
長老に促《うなが》されて、軍師ベルペオルがシュドナイ将軍と位置を換わります。
薄い唇の端《はし》を吊《つ》り上げる独特の笑みをそのままに、ベルペオルは言います。
「では、見事|残《のこ》りし両者に、『舞踏会』、第二の試練を与えるとしようかの。と言うても、先の試練が如《ごと》き野蛮《やばん》な真似《まね》はせずとも良いぞ」
シュドナイ将軍が、ムッと眉根《まゆね》を寄せます。同意を欲して傍らの巫女《みこ》ヘカテーにサングラスを向けますが、白装束《しろしょうぞく》の少女は全くの無表情。どこぞの神を身の内に下ろしていないだけ、まだマシと言えるでしょう。
そちらを無視して、軍師は続けます。
「私の質問に答え、この三重臣《さんじゅうしん》から評点《ひょうてん》を得るという、容易《たやす》い試練さね。よろしいかな?」
シャナ、ヨシダ双方《そうほう》、深く頷《うなず》きます。
その後ろで、サトウがマージョリーにこっそり訊《き》きます。
「俺たち、手助けしていいんでしょうか」
「やめときなさい。他人の助力を得られるかどうかの試験は今、終わったとこよ。中身の方は取り繕《つくろ》っても意味がないわ。あとは本人の適性に委《ゆだ》ねるだけ……」
タナカは祈るように、自分たちのお姫《ひめ》様を見守ります。
「ヨシダちゃん、頑張《がんば》れ。なんか相手は手強《てごわ》そうだぞ」
両者、促《うなが》されるでもなくゆっくりと段の下へと進み出て、上に立つ軍師《ぐんし》に向き合います。
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5 王子の選択
「作麼生《そもさん》!」
と古臭《ふるくさ》い言い回しで、軍師《ぐんし》ベルペオルは問答を始めます。
「王たる夫の病に倒れ伏したるとき、まずいかなる対処《たいしょ》にて当たらんとするか?」
「……それが妃《きさき》を決める席でする質問か?」
ユウジ王子が、あんまりな言い様《ざま》に抗議しますが、無論《むろん》誰からもフォローは入りません。イケ侍従《じじゅう》長も黙って肩を辣《すく》めるだけです。
質問を受けた二人は、互いに横目で相手の出方を伺い、やがてシャナが先に答えました。
「説破《せっぱ》! 遂行《すいこう》中の政戦両略《せいせんりょうりゃく》を第一の命題《めいだい》として、私が王に代わり対処に当たる!」
ベルペオルは、ふむ、と顎《あご》に手をやって宙を三分の二の瞳で見やります。
程《ほど》なく、どこからか取り出した、小さな丸板《まるいた》に棒を付けた得点ボード(十点満点です)を上げました。
『三点』――[配偶《はいぐう》者とて不用意な独断専行《どくだんせんこう》は不可《ふか》]
と、それにはコメント付さで書いてあります。
「なっ!?」
シャナが思いもよらぬ低い評点《ひょうてん》に驚きます。
しかし、シュドナイ将軍が同時に、
『八点』――[非常時には確固《かっこ》たる立場を持った指導者が必要]
の高得点を上げていました。
いつの間にか巫女《みこ》ヘカテーも、
『五点』――[ ]
のボードを手にしています。
長老《ちょうろう》カムシンが集計します。
「ああ、十六点ですね」
「ふむ、ではもう一人のお嬢《じょう》ちゃんの答えを聞こうかの」
もう一人の長老たるベヘモットに促《うなが》され、なんとか考えをまとめ終わったヨシダが、おずおずと口を開きます。
「まず倒れた……その、夫を、看病《かんびょう》して、快方《かいほう》に向かうよう、お医者さんと努力します」
シャナの際と同じ方式で、しかし軍師《ぐんし》は、
『九点』――[王の危難《きなん》に乗じぬ姿勢こそ好《よ》し]
と対照《たいしょう》的な高得点。
一方の将軍は、
『一点』――[庶民《しょみん》の美質《びしつ》と王族の義務は違う]
とまた対照的に低い得点。
巫女は変わらず、
『五点』――[ ]
と平均点。どうでもよさそうです。
今度はベヘモットによる集計。
「ふむ、十五点じゃな」
シャナが、横目《よこめ》でニヤリと笑います。
ヨシダは、グッと唇を引き結びます。
軍師が次なる問いを発します。
「作麼生《そもさん》! 無能なる実子《じっし》、有能なる庶子《しょし》、いずれに王位《おうい》を継承《けいしょう》させるべきか?」
シャナは先手《せんて》必勝と、間髪《かんぱつ》入れず答えます。
「説破《せっぱ》! 有能なる庶子なり! 王の無能は国を危うきに導く!」
軍師、
『七点』――[王者はまず器量《きりょう》あってこそ]
将軍、
『二点』――[正統なる血筋《ちすじ》を乱せば国も乱れる]
巫女《みこ》、
『五点』――[ ]
長老《ちょうろう》による集計。
「ああ、十四点、計三十点です」
続いてヨシダが、あくまで自分のペースを保ち、考えながら言います。
「やっぱり、無能と言われようと……いえ、自分の子供ならなおさら、守り立てていくべきだと思います」
軍師《ぐんし》、
『二点』――[王|足《た》り得《え》ぬ王はあまりに危険]
将軍、
『八点』――[王家の秩序の基は血筋にこそある]
巫女、
『五点』――[ ]
もう一人の長老による集計。
「ふむ、十五点で、これも計三十点じゃな」
今度はヨシダが、どうだと言わんばかりに横を向きます。
シャナは目を合わせず、怒気《どき》も顕《あらわ》に求めます。
「早く次を!」
「そう急《せ》かすでないわ。これで最後なのだしな」
両者に再び緊張《きんちょう》が走ります。
「作麼生《そもさん》! 夫たる王、淫蕩《いんとう》に走った際の対処心象《たいしょしんしょう》は如何《いか》に?」
ブッ、と思わずユウジ王子が吹き出しました。これは要するに、彼が浮気しまくったらどうするか、という意味だからです。
「ぼ、僕はそんな――」
「男の言い訳は、どうぞ御無用に」
軍師ベルペオルの妖艶《ようえん》な金の瞳で見つめられて、ユウジ王子は沈黙《ちんもく》します。
シャナはその様子《ようす》を見て、即答《そくとう》できないモヤモヤを胸に抱きました。
その間に、ヨシダが答えます。
「まず話し合って、お互いの理解を求めます。聞いてくれなくても、できる限り……」
「ヨシダさん――!」
感動する王子を他所《よそ》に、軍師は、
『六点』――[無駄《むだ》な波風を立てぬことは評価]
将軍はサングラスの中で横に目をやりつつ、
『九点』――[やはり家内円満《かないえんまん》こそ国家|安泰《あんたい》の礎《いしずえ》]
巫女《みこ》はやはり無表情に、
『五点』――[ ]
長老《ちょうろう》による集計。
「ああ、二十点で、計五十点……これはなかなか、高得点ですね」
シャナは自分の不利を感じて歯軋《はぎし》りをします。
似たような答えでは、二番|煎《せん》じと取られて高得点は見込めないでしょう。といって、断固《だんこ》たる答えでは、将軍への心象《しんしょう》が低そうに思えます。
(もし……)
改めて答えを探しつつ、段の上で自分の答えを待っている王子を見ます。初めて会ったわけですが、とりあえずそんなことは関係ありません[#「とりあえずそんなことは関係ありません」に傍点]。
(もし、浮気なんかしたら……)
そう思った瞬間、胸の奥から炎《ほのお》が湧《わ》き起こりました。戦意《せんい》とも、前進への意欲とも違う、ひどく向かっ腹の立つ、それは怒りでした。
全く制御できないその感情は、抱いた瞬間、口から怒声《どせい》として吐き出されていました。
「絶対に! 許さない!!」
「わっ! ゴ、ゴメンなさい!!」
「……なに謝ってるんです?」
「え、いや、つい」
イケ侍従《じじゅう》長に言われて初めて、ユウジ王子は自分の不思議《ふしぎ》な反応に気付きました。
一方のシャナは、
(……しまった)
後悔《こうかい》しても、後の祭りです。
軍師《ぐんし》はやや呆《あき》れ気味に、
『五点』――[状況|次第《しだい》]
将軍は微妙《びみょう》にオドオドしつつ、
『五点』――[そういう考え方もある]
それぞれボードを上げます。
二人で計十点。
巫女は、これまでのように五点を出すでしょう。そうなれば合計で十五点。シャナの負けは決定です。
全員ともに、そう確定的に思う注視の中、巫女がゆっくり得点ボードを上げました。
『十点』
ベルペオルやカムシンも例外ではない全員が数秒、ポカンとその数字を眺《なが》め、我に返ってから間違いが無いか、改めて確認し直します。
『十点』
やはり、間違いはありません。
ベヘモットが、いちおう集計します。
「ふむ、二十点で、計五十点……つまり、最後の問いも同点なわけ、じゃが……?」
怪訝《けげん》な皆の視線(心底からの恐怖に震え上がる隣《となり》の男含む)を受けるヘカテーは、当然のように怒っていました[#「怒っていました」に傍点]。
「――『当たり前でしょうが。心を結び合わせた夫婦の絆《きずな》に泥かけるような真似《まね》されたら、まずぶっ叩《たた》いて反省させるべきなのよ。あなたもそう思うわよね、アラストール[#「アラストール」に傍点]?』――」
玉座《ぎょくざ》の上でアラストール王の王冠《おうかん》が、ビクンと飛び上がりました。
「なっ!? なな、ななななななななななな」
「――あっ、お母さん?」
アラストール王とシャナは、巫女《みこ》の内に下りた[#「下りた」に傍点]女性が誰なのか気付きました。押しが強くて理屈《りくつ》っぽくて、しかし見事に強くて華麗《かれい》な、真紅《しんく》の髪と瞳を持つ、とある一人の女性です。
驚く人間の種類から、なにやら複雑な背後《はいご》関係のあることが推察《すいさつ》されますが、これはメロドラマではなく、あくまで、あくまで、あくまでファンタジーでメルヒェンなおとぎ話なので、詳しい追及は避けます。
「――『うんうん、二人とも[#「二人とも」に傍点]立派《りっぱ》になったとこを見られたし、もう満足かな。じゃね』――」
巫女ヘカテーの首がカクン、と力を失って、再び顔が上がります。
そこにはもう、先刻《せんこく》までの豊かで鮮やかな情動《じょうどう》は欠片《かけら》も見られませんでした。
長老《ちょうろう》カムシンが、裁定《さいてい》を下します。
「ああ、ええと……因果《いんが》を引き寄せる強運《きょううん》も、王家の人間には必須《ひっす》ということで。両者同点、決着は最終|試練《しれん》に持ち越しますが……よろしいですな」
「構わん」
まるで異議《いぎ》を差し挟む隙《すき》を与えねかのように、アラストール王が即答しました。
その隣《となり》で、チグサ王妃《おうひ》が和《なご》やかに笑います。
「あらあら、うふふふふふふふふふふ」
「は、は、ふははははははははははは」
夫婦の笑い合う恐ろしげな声で、一同の体感《たいかん》温度が三度ほど下がりました。
「ふむ、それではいよいよ、巫女《みこ》よりの第三、最終|試練《しれん》を」
長老《ちょうろう》ベヘモットに小さく頷《うなず》て、巫女ヘカテーが、段下《だんか》の候補者二人に言い渡します。
「では、『舞踏会』最終試練……王子に求愛し、妃《きさき》となるを認めさせよ」
以上、と声を切って、彼女は脇に下がります。
シャナとヨシダは言葉の意味を噛《か》み締め、理解し、そして王子を見つめました。
「えっ!? そ、そういえばこれは、ああ、そうか、そうだっけ」
自分の立場の重さに今さら気付いた王子は、驚き慌《あわ》てて周りを見回します。
しかし男の正念場《しょうねんば》に、助けなどあろうはずもありません。イケ侍従《じじゅう》長でさえも、観念《かんねん》しろ、とばかりに首を振っています。
「……」
とうとう二人と向き合うこととなったユウジ王子は、その四つの瞳から放射される強烈な視線によって金縛《かなしば》りになりました。
(求愛)
(王子様に)
迷い戸惑《とまど》い躊躇《ちゅうちょ》する二人の姿は、微笑《ほほえ》ましくも激しく美しく……しかし、求められる男にとっては、爆弾《ばくだん》を眼前に置かれたような気持ちを抱かされます。
口火《くちび》を切ったのは、やはりシャナでした。
「ユウジ王子!」
「はいっ!」
王子は背筋《せすじ》を伸ばして断罪《だんざい》を待ちます。
「楽させたげるから、結婚しなさい!!」
「はいっ!!」
返事をしてから、彼は自分のあまりな情《なさ》けなさにゲンナリとなりました。
反対にシャナは、勝利を高らかに宣言します。
「決まりだわ!」
「そんな、ずるい!」
ヨシダが文句を言って、キッと王子に目を向けます。
「私、ずっと好きでした。王子様と一緒に、生きていきたいんです!」
「……」
胸の温かくなる、素晴らしい求愛でした。公園の恋人同士なら、お互い満足して笑い合える言葉でしょう。
しかし今のヨシダは、告白だけで済ませる気はありませんでした。さらに求めます。
「お返事を、王子様!!」
「はい!!」
もはやどっちが上の立場か分かりません。
今度はシャナが噛《か》み付きました。
「さっき私が承諾《しょうだく》を得たのに、なんで後から割って入るのよ!?」
ヨシダも譲《ゆず》る気は全くありません。
「割って入るって、あんなの、勢いで言わせただけじゃない!」
「もし嫌いなら返事なんかされない!」
「ちゃんと訊《き》いた私の方が正しい!」
「私が正しい!」
「私の方が!」
「私よ!!」
「私!!」
額《ひたい》をこすり付けるように二人は睨《にら》み合い、全く同時に首を標的《ひょうてき》へと振り向けました。
気圧《けお》された王子はあとずさろうとしますが、長老《ちょうろう》カムシンがその肩に手を置き、往生際《おうじょうぎわ》の悪い若者を問答無用《もんどうむよう》に押し留めます。
「ユウジ王子! 私を選んだのよね? はっきり言って!」
「私の方に、ちゃんとした返事をしてくれましたよね!?」
「でもあの、つまり……ええと」
まずはお友達から、という返答は、こういう儀式《ぎしき》の結論としては通用しません。本当に気が合うかどうかを確かめる期間も用意されません。
一発勝負の丁半博打《ちょうはんばくち》です。
(好きか嫌いかっていえば、すごく可愛《かわい》いし、強いところにも憧《あこが》れるし、一緒にいられたらと思うし、ちゃんとしたって言っても、さっきのも同じような感じで、でも前から好きだったって言ってくれて、こっちも違うタイプだけど可愛いし、優しそうだし、熱いのと温かいのってことで、桜と鈴蘭《すずらん》というか花と花を比べるなど野暮《やぼ》なことだし、ちょっと待って欲しいんだけどそもそもほとんど今日会ったばかりのようなもんでまあそういう儀式《ぎしき》なんだけど一生|懸命頑張《けんめいがんば》ってここまで来たのにどっちかを断ったりしたらすごく可哀相《かわいそう》だしああ僕ってハッキリしない奴《やつ》だなもう)
脂汗《あぶらあせ》と冷や汗と嫌な汗を同時にかきながら苦悩《くのう》する息子《むすこ》に、チグサ王妃《おうひ》が和《なご》やかかつ無情《むじょう》に告げます。
「ユウちゃん、悩めるのは若者の特権《とっけん》だけど、今日に限って言えば、のんびりできる時間はそんなにないわよ?」
「えっ? ど、どういうこと」
軍師《ぐんし》ベルペオルが、薄く笑って補足します。
「この式典《しきてん》には、王子の決断力と判断力を試す意味合いから、制限時間が設けてございます。すなわち、伝説の姫の退出《たいしゅつ》時間……午前零時[#「午前零時」に傍点]」
バッ、とユウジ王子が後ろを翻《ひるがえ》って見れば、イケ侍従《じじゅう》長が用意よく、敷物の上に大きな時計を載せて立っています。
時刻は午後の十一時五五分。
まさに進退|窮《きわ》まるとはこのことでした。
軍師はさらに、意地悪《いじわる》く付け加えます。
「ちなみに、制限時間を過ぎますと、王子の継承《けいしょう》者としての資質《ししつ》に疑いありと見倣《みな》され、立太子《りったいし》の件は再検討を余儀《よぎ》なくされます。また、この両者のどちらを王家に迎えるかについても、王子を除いた我らの協議によって決定されることとなります。あしからずご了承《りょうしょう》のほどを」
「ううう」
そして、とどめが来ました。
「御免《ごめん》」
ホールの入り口から、渋く枯《か》れた老人の声がかかったのです。
「靴《くつ》職人にして硝子細工師《ガラスざいくし》ラミー、『舞踏会』の結末を見届けに参上仕《さんじょうつかまつ》りました」
「靴――?」
「――硝子《ガラス》?」
シャナとヨシダは事の仕上げを告げる来訪者に振り向きました。
一人の清《きよ》げな老人が、ホールの入り口に立っています。
この国の住人なら、誰でも知っています。
彼が作るのは、伝説の姫《ひめ》が履《は》いて以来《いらい》伝統となった、王太子《おうたいし》の妃《きさき》が婚儀《こんぎ》の大典《たいてん》で用いる履き物です。つまりその名を、
硝子の靴。
全ての娘たちの憧《あこが》れの的、
シャナにとっては王者たるの証《あかし》、
ヨシダにとっては夢の成就《じょうじゅ》の形、
それが今、手の届く所にまでやって来たのです。
二人は振り向けた体をもう一度返して、段上の王子に、最後|通牒《つうちょう》を突きつけました。
「「――さあ――!!」」
「…………〜〜〜〜」
気絶|寸前《すんぜん》の精神状態で、王子はいずれ劣らぬ二人の少女から、究極の決断を強いられます。
背後の時計が、カ、コ、カ、コ、と容赦《ようしゃ》なく時の過ぎる様《さま》を音として彼に伝えます。
「あと十秒」
長老《ちょうろう》カムシンが、おたつく間すら与えず、式典《しきてん》の残り時間を読み上げてゆきます。
ゆっくりと歩いてくるラミー、自分を見つめるシャナとヨシダ、背後で無言の圧力を加えてくる王と王妃《おうひ》、家臣《かしん》たち、零時《れいじ》へと無常無情《むじょうむじょう》に進む時計の音――それらに囲まれて、
「〜〜〜〜――――」
「五、四、三」
「――ッ」
「二、一」
「どっちもだ!!」
王子は破れかぶれの叫びを上げました。
唐突《とうとつ》な空白、そして時計の音が、今までの緊張《きんちょう》がなかったかのように戻ってきます。
「……」
この期《ご》に及んで、なんという優柔不断《ゆうじゅうふだん》。
自分に絶望し、こんな自分を求めてくれた少女たちの今後を慮《おもんばか》るユウジ王子に、
「そうか、分かった」
あっさり、アラストール王が答えました。
軍師《ぐんし》ベルペオルも言います。
「結構《けっこう》、ではこのご令嬢方《れいじょうがた》の背後関係を洗い、シロと出|次第《しだい》、城にお迎えしましょう」
「ああ、三重臣《さんじゅうしん》、各々|異存《いぞん》はありませんね?」
長老《ちょうろう》カムシンが尋《たず》ねて、シュドナイ将軍と巫女《みこ》ヘカテーが揃《そろ》って頷《うなず》きます。
「ふむ。ではラミー、そのお嬢《じょう》ちゃんたちの姿を目に焼き付けておいてもらおうかの。両者、創作|意欲《いよく》をかきたてる、見事な素材じゃろう?」
ベヘモットの求めに、ラミーは選ばれた二人を見つめ、腰を折って一礼します。
「たしかに」
ユウジ王子とシャナ、ヨシダだけが、事態から取り残されていました。
「……え、いい、の?」
王子はイケ侍従《じじゅう》長に恐る恐る尋ねます。
「人数の制限は、元からございません。皆して申し上げたはずです。『王家に受け入れる新たな人間を選ぶ』ことが、この式典《しきてん》における本義《ほんぎ》だと」
「は、は、ははは」
極度の緊張《きんちょう》から解放されて、王子はヘタッと膝《ひざ》をつきました。
それに反応しつつも躊躇《ためら》う二人の可愛《かわい》い新入《しんい》りさんたちに、チグサ王妃《おうひ》が声をかけました。
「遠慮《えんりょ》せずに上がって来ていいのよ? もうお二人とも、私たちの一員なんだから」
「「!」」
二人はまた競うように、一緒に段を駆け上がって、両脇から王子を包み込みました。
「ちょっと離れなさい、ベタベタとくっつきすぎよ!」
「そっちこそ、そんなに強くしたら王子様が痛いでしょう?」
「はは、ははははははは」
ユウジ王子は喜ぶべきか困るべきか、さっぱり見当《けんとう》がつかなかったので、とりあえず笑ってみることにしました。
段の下、マージョリーとマルコシアスが曰《いわ》く言い難《がた》い声を交わし、
「これで良かったのかしら?」
「ま、笑えるんなら、まだ幸せだろ」
その傍《かたわ》ら、サトゥとタナカが同情と羨望《せんぼう》を微妙《びみょう》に混ぜて答えます。
「幸せね……そうは見えないけど」
「笑うしかない、って感じだよな」
また窓の外、木の枝に止まって式典を見届けたヒョロ長《なが》とまん丸な鳥の人が、
「んーんんん、ェエークセレントでェエーキサイティングな展開でぇーしたねえぇ。私たちの尽力《じんりょく》の甲斐《かい》あって、あの子も晴れて王家の一員というわぁーけですねぇ?」
「まあ我々は、ぶっ飛んで落ちただけですけど|へ《ね》ひ《い》は《た》ひ《い》ひ《い》は《た》ひ《い》ひ《い》は《た》ひ《い》」
つねったりつねられたり。
そして、チグサ王妃《おうひ》が締めとばかり、ユウジ王子に言いました。
「でもユウちゃん、その内《うち》ちゃんと決めなきゃ駄目《だめ》よ?」
「へ?」
「実際に婚儀《こんぎ》を挙げるとなったら、正室《せいしつ》が二人ってわけにはいかないでしょう?」
「つまり、今の状況は……」
イケ侍従《じじゅう》長が溜息《ためいき》に声を乗せて、的確に表現します。
「はい、問題の先送り、という奴《やつ》です」
「負けない」
「私だって」
眼前で再び飛び散り始める火花を感じ、ユウジ王子は改めて、力なく笑いました。
「はは、はは、はははは……」
その後、即位《そくい》したユウジ王は、外に無敵《むてき》の、内に穏《おだ》やかな二人の妃《きさき》を持ったことで人生は順風満帆《じゅんぷうまんぱん》、大陸に覇《は》を唱《とな》え、王国に栄耀栄華《えいようえいが》の一時代を築くことができたということです。
どちらが正室で、どちらが側室《そくしつ》かを決めるについては、さらなる一波乱《ひとはらん》も二波乱も(中略)二十波乱もあったりしたのですが、それはまた別のお話。
ともあれ今は、めでたしめでたし。
[#地付き]終わり。
[#改ページ]
灼《=》眼《=》の《=》シ《=》ャ《=》ナ《=》[#=は取消線]狩人《かりうど》のフリアグネ なんでも質問箱
「フリアグネ様、このコーナー、またあるみたいですよ?」
「ああ、しかも独立|枠《わく》だね。いずれは短編一つ丸々せしめてやろうじゃないか、私の可愛《かわい》いマリアンヌ」
「それは……さすがにどうでしょう」
「言っておけば伏線《ふくせん》にもなるさ。この小さなコーナーも、いずれ私たち二人の愛の巣として花開く日が来ると思えば、やり甲斐《がい》も出てくるだろう?」
「そうですね。そう言われると、なんだかやる気がムギュ」
「うんうん、そうとも、その日まで一緒に頑張《がんば》ろう、マリアンヌ!!」
「ギュー、そ、それでは今回の一枚目を〜」
[#ここから0字下げ、折り返して4字下げ]
Q――『どうして担当の三木《みき》さんは「この頃には暇《ひま》になってるはずですから」と言ってた期間に、平然と仕事を入れるんですか? おかげでこの半年、まともに休んでません』
[#ここで字下げ終わり]
「……今回は内輪《うちわ》ネタなのかい、マリアンヌ」
「……はい、たぶん」
「見苦しい男だなあ、まったく。電撃《でんげき》にはUおさんとかN田さんとか、もっと速筆《そくひつ》の人がたくさんいるのに」
「質問にはどう答えましょう? キャラクターの身ではなんとも言いようがありませんけど」
「ここは素直に、その担当|氏《し》に尋《たず》ねてみるのが一番だね」
[#ここから0字下げ、折り返して4字下げ]
A――『やだなあ、休みなしに仕事がある≠チてのはむしろ良いことじゃないですか。嬉《うれ》しい悲鳴なんですよ、きっとそれは。ハハハハハ』
[#ここで字下げ終わり]
「……ここは、深く追及すべきではないのかもしれないね、マリアンヌ。次に行こう」
「……はい。え〜、次、次」
[#ここから0字下げ、折り返して4字下げ]
Q――『どうして高橋《たかはし》さんは、普通なら誤字《ごじ》脱字の修正だけという著者校《ちょしゃこう》を、まるで全面|改稿《かいこう》のような規模で直すんですか? おかげで校閲《こうえつ》さんに目を付けられてしまいました』
[#ここで字下げ終わり]
「……」
「……フリアグネ様、あの、解説を……」
「あ〜、著者校というのは、いったん完成させた原稿データを元に印刷所が出してくる、文庫の体裁《ていさい》・形式で印刷し直された原稿のことだよ。その著者校を作家が修正|加筆《かひつ》して、校閲さんという『入稿したものがきちんと印刷されているかチェックする人たち』に渡すんだ。表記揺《ひょうきゆ》れや誤字脱字《ごじだつじ》の指摘なんかもしてくれる、縁《えん》の下の力持ちさんなんだよ。その校閲さんから、最終的に印刷所に戻すという仕組みになっている」
「……いったん完成した原稿[#「いったん完成した原稿」に傍点]なんですよね?」
「ところが、我らが作者は、これを修正しないページがないくらいに直すらしい。おかげで校閲さんに『あの[#「あの」に傍点]高橋』とか思われてるらしいよ」
「とりあえず、作者の言い訳も聞いてみましょうか」
[#ここから0字下げ、折り返して4字下げ]
A――『人様《ひとさま》から金を取るんだから、限界まで直さないと気が済まないんです』
[#ここで字下げ終わり]
「立派《りっぱ》に聞こえるけど、個人的な志向と、契約を果たす社会人としての資質《ししつ》を取り違えているな。期日の内に完成品を納入するというのは、プロとして最低限の資格だろうにね」
「わあ、フリアグネ様、カッコイイです。まるで鬼《おに》編集みたい!」
「ふふふ、そうかい……というか、それは嬉《うれ》しがることなのかな、私の可愛《かわい》いマリアンヌ」
『そのおかげで、毎度毎度、校閲《こうえつ》さんに頭を下げる僕の身にもなってくださいよ』
「……はがき、読んだかい、マリアンヌ?」
「いいえ?」
『あんな恥ずかしい文章を人様《ひとさま》に見せて、あまつさえ金を取るなんてできませんよ』
「ということは」
「あ、あのー」
『だいたい著者校《ちょしゃこう》前と後で、まるで違う文章になってるってのはプロとしてどーなんです?』
『後の方が良くなってるんだからいいじゃないですか。結果的に今まで上手《うま》くいってますし』
「ちょっと、君たち」
「せっかくの独立コーナーなのに、私たちの方が台詞《せりふ》少ないですー!」
『修正|箇所《かしょ》が多すぎて校閲さんから突き返されるようなのは上手くいってるとは言いません』
『二ヶ月連続刊行とかこの番外編とかでスケジュールが押してたからしょうがないでしょう』
「もしかして今回は、独立コーナーの形を取ったガチンコバトル中継だったのだろうか?」
「フリアグネ様ー、このままじゃ、なし崩し的に枚数が尽きちゃいますよ」
『だから、今度はちゃんと余裕《よゆう》を持って書いてください、って言っといたのに』
『覚悟《かくご》だけで物理的な時間が稼げるようなら、誰も苦労はしませんよ』
『あっ、開き直りましたね!?』
『事実を言ったまでです!』
「もうここにしか出番のない私たちは気楽だけど、まだ生きてる連中《れんちゅう》は、こんな状態の中で死命を握られているかと思うと、ちょっと同情してしまうな」
「まったくです……このコーナーも、本当に次があるんでしょうか」
『だいたい高橋《たかはし》さんは大阪人を名乗ってるくせに阪神《はんしん》ファンじゃないなんて、変ですよ!』
『それは偏見《へんけん》だ! 三木《みき》さんこそ徳島《とくしま》人なのに虎《とら》キチなんて変です! 海挟《うみはさ》んでるし!』
『関係な――!』
『だって――!』
『……!』
『……!』
「どうだろう。年に一回くらいのペースでよければ、読者の皆も本コーナーに質問のはがきを送ってくれたまえ」
「でないと、またこんな虚《むな》しいバトルが――」
『はあ、はあ……高橋《たかはし》さん、やはり口論《こうろん》だけでは駄目《だめ》ですね。いつもので決着つけますか』
『い、いいですとも、受けて立ちましょう。今日の得物《えもの》は?』
『ここはシンデレラらしく[#「シンデレラらしく」に傍点]、小刀《こがたな》でいきましょう……うぉおお――! 命殺《タマと》ったるぁ!!』
『ナマ言ってんじゃねぇ! お好み焼の焦《こ》げた臭いがワシの狂気を火の玉にするぜ!!』
「……頑張《がんば》ろう、私の可愛《かわい》いマリアンヌ。今度こそ、こんな奴《やつ》らに私たちの愛の巣を荒らさせたりはしない」
「はい、頑張りましょう、フリアグネ様!」
「「それでは皆さん、(あれば)次回をお楽しみに――!!」」
[#地付き]完?
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※ここからはシリアスな、本編の外伝が始まります。
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灼眼のシャナ オーバーチェア
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1 大上準子
毎週木曜日、近所のケーキ屋『ラ・ルゥーカス』で苺《いちご》ショートケーキを買って帰るのが、大上準子《おおがみじゅんこ》の習慣だった。木曜日はサービスデーで、一ピース五十円ずつ安くなるのである。
「――「高校二年生にもなって、子供みたい」――」
とよく自分のことを笑う母に、
(大人びたこと[#「大人びたこと」に傍点]したら怒るくせに、調子いいんだから)
準子は僅《わず》かな反発を混ぜて、笑い返していた。
緩い坂を上がる本来のそれと違って、『ラ・ルゥーカス』経由の帰り道は、長い階段を一息に昇《のぼ》ることになる。少々|億劫《おっくう》ではあるものの、これを昇りきった場所から町並みを眺《なが》めるのも、ケーキを買って帰るのと同じ、彼女の楽しみの一つだった。
下校時間は夕暮れに重なることも多い。半端《はんぱ》に古くて半端に新しい、ゴチャゴチャした田舎《いなか》町でも、暮れなずむ様《さま》には、それなりの風情《ふぜい》があった。
そんな、いつもの夕日の中、右手に学校の鞄《かばん》を、左手にケーキを入れた箱を提《さ》げて、準子は階段を昇《のぼ》る。我ながら贅肉《ぜいにく》のないスマートな体つき、と思ってはいるが、代わりに筋肉もない。
この階段を前にするときだけは、自分が帰宅部であることを悔やむ。
「はー、疲れた……」
長い階段、最後の踊り場で、深く吐息《といき》を漏らす。そして、最後にもう一踏《ひとふ》ん張り、と上を見上げた彼女は、そこに、階段の頂から自分を見下ろす少女、という形で、自分の、
「……――」
終焉《しゅうえん》を見つけた。
「――誰?」
夕日の赤に染まるその姿に、準子《じゅんこ》は不吉《ふきつ》な思いをもって訊《き》いていた。
少女は、たった一語で、自分の全存在を言い表す。
「フレイムヘイズ」
大上《おおがみ》準子が『ラ・ルゥーカス』を訪《おとな》うことは、二度となかった。
春の風が一陣《いちじん》、二人の間を過《よ》ぎった。
階段の上に立つ少女の、長く艶《つや》やかな黒髪《くろかみ》が風にさらわれ、広がる。
その内には幼くも凛々《りり》しい、厳格《げんかく》の気を漂わせる平淡《へいたん》な表情があった。
準子はその表情だけでなく、少女という存在そのものに、恐怖を抱いた。
「フレ、イ……なに?」
意味不明な言葉を鸚鵡《おうむ》返しに呟《つぶや》いて、あとずさろうとする。
しかし、足が言うことをきいてくれない。黒髪の少女が持つ、異様《いよう》なまでの貫禄《かんろく》に圧倒されて、射竦《いすく》められたように動けなくなっていた。
実際目に映っている少女は、幼い。せいぜいが十一、二|歳《さい》というところである。小柄《こがら》な体躯《たいく》にフィットした革のジャケットにズボンという、やや厳《いか》めしい身形を含めても、本来ならば『可愛《かわい》らしい』と表現すべき様態《ようたい》、そのはずだった。
だったが、少女は、明らかに外見ままの存在ではなかった[#「明らかに外見ままの存在ではなかった」に傍点]。
トン、と、
その少女が一段、階段を降りる。
「っ――」
突然の動きに、準子はビクリと肩を弾《はず》ませる。そうすることしかできない。
どれだけ恐れても、動き出した状況は止まらなかった。
トン、と、
少女はもう一段、降りる。
「―――」
準子《じゅんこ》は、恐怖の中に予感を得ていた。
途方《とほう》もなく暗く深い、とりかえしのつかないことが起きる、そんな予感を。
トン、と、
さらにもう一段降りた少女は、小さな口を開いた。彼女が、『この世の本当のこと』を知らない人間に名乗るときの符丁《ふちょう》、総称《そうしょう》にして自身の名、全存在たる一語を、繰り返す。
「私は、フレイムヘイズ」
トン、と、
言う間に、また一段、降りる。
「『贄殿遮那《にえとののしゃな》』の、フレイムヘイズ」
その降りる度《たび》に、準子の中で予感が膨《ふく》れ上がってゆく。
「―――い、いや」
拒否は声だけで、体は動かない。
迫る少女の存在感が、まるで周りの空気まで重く固めてしまったかのように、動く猶予《ゆうよ》を与えてくれない。夕暮れの中、夕闇《ゆうやみ》を連れて、少女はまた、
トン、と、
降りてくる、その小さくも断固たる姿に、準子は僅《わず》かに首を振る動作だけで拒絶を示す。
「来ないで」
「……」
少女は、今度は答えなかった。
黒い冷淡《れいたん》な相貌《そうぼう》が、いつしか準子の正面にある。
あと、二段で自分と同じ踊り場に、少女が降り立つ。
そのときが、自分の終焉《しゅうえん》。
準子の予感は既に、確信へと変わっていた。
絞《しぼ》り出すような掠《かす》れ声で、嘆願《たんがん》する。
「お願い」
トン、と、
少女は容赦《ようしゃ》なく、一段降りた。
「おまえは、もう存在していない」
恬淡《てんたん》と告げる。
「本物の『人間だったおまえ』は、紅世《ぐぜ》の徒《ともがら》≠ノ存在を喰われて、とっくに死んでいる。おまえはトーチ=B死者の残り澤《かす》から作られた、代替《だいたい》物」
準子には、説明の半分も意味が分からない。分かるのは、本物の自分、死んでいる、死者、残り澤《かす》、作られた代替《だいたい》物……それらの言葉から漂ってくる、ぞっとするような、冷たく寂しい感触《かんしょく》だけ。なぜかはっきりと分かる、消滅《しょうめつ》の感触だけだった。
「来な――」
トン、と、
少女は一片の躊躇《ちゅうちょ》も見せず、最後の一段を降りた。踊り場に達した小柄《こがら》な、しかし巨大な存在は、相手の拒絶を考慮《こうりょ》の内に入れない、ただの宣告を行う。
「おまえを喰らった徒《ともがら》≠討滅《とうめつ》するため……存在を、借りる」
少女の細くたおやかな指が、絶望の端《はし》のように、準子《じゅんこ》へと伸びる。
「やめ、て」
「……」
少女の瞳の奥、感情の色が僅《わず》かに揺れて、
しかし伸ばされる指は全く揺らがず、
立ち竦《すく》む準子の胸に触れた。
そして一瞬、
大上《おおがみ》準子は、風に煙の散るよりも早く、掻《か》き消えた。
中身を失った着衣《ちゃくい》が崩れて落ち、鞄《かばん》が重く、ケーキの箱が軽く、踊り場の床を打った。
少女は差し出していた手を握り、得た何事かを確かめるために目を瞑《つぶ》る。
日は暮れて、宵闇《よいやみ》が来る。
世界の日に影に跋扈《ばっこ》する人喰《ひとく》いたちがいる。
この世の歩いてゆけない隣《となり》≠ゥら渡り来た、異《い》世界の住人たち……紅世《ぐぜ》の徒《ともがら》≠ナある。
彼らは、人がこの世に存在するための根源の力たる存在の力≠喰らうことで顕現《けんげん》し、在り得ない事象《じしょう》を自在に起こす。恣《ほしいまま》に、自らの意志と欲望のみを由《よし》として。
行為の是非《ぜひ》を問える者は無数にあったが、掣肘《せいちゅう》できる者はなかった。
彼ら徒《ともがら》≠ヘ、この世の者には決して押し止められない存在だった。
しかしやがて、他でもない徒《ともがら》≠轤フ中に、気付く者が現れ始めた。
人間を喰らうことで生まれた欠落が、世界に歪《ゆが》みを生じさせている、と。
歪みの蓄積《ちくせき》が、この世と紅世《ぐぜ》≠ノ大災厄《だいさいやく》をもたらす可能性がある、と。
その大災厄への危惧《きぐ》を抱いた一部の、強大な力を持つ徒《ともがら》=c…紅世《ぐぜ》の王≠轤ヘ、一つの、苦渋《くじゅう》の、決断を下した。この世に侵入して無道《むどう》を働く同胞《どうほう》を討滅《とうめつ》する、という決断を。
とはいえ、彼らは強大な存在であるがゆえに、自身を顕現させるために莫大《ばくだい》な存在の力≠必要とした。世界の歪みを抑えるために無数の人間を喰らうのでは本末転倒《ほんまつてんとう》である。そんな彼らは、難題を解決するための長い試行|錯誤《さくご》を経てようやく、一つの手段を編み出した。
この世に生きる人間の中から、徒《ともがら》≠ノよって家族、恋人、友人らを奪われた者を選び出し、その時空《じくう》に広げる全存在を器《うつわ》として捧げさせ、己《おの》が身を容《い》れるという、手段である。
結果、王≠轤ヘ己《おのれ》を顕現させぬまま、世を乱す同胞を討《う》つことが可能となり、人間たちは、それまで持っていた繋《つな》がりを全て失う代わりに、復讐《ふくしゅう》の牙《きば》を手に入れた。
この、互いの協力と変質を、同じく互いの意志の元に行う『契約』により生まれた、異能《いのう》の討ち手たちの総称《そうしょう》をフレイムヘイズ≠ニいう。
少女も、その一人だった。
この町に現れた目的は無論《むろん》、紅世《ぐぜ》の徒《ともがら》≠フ討滅である。
大上準子《おおがみじゅんこ》の遺品[#「遺品」に傍点]を両手に抱えた少女は、同じ苗字《みょうじ》の書かれた表札《ひょうさつ》の前に立った。
見上げる先にあるのは、街灯も疎《まば》らな山手《やまて》通りに面した一戸建てである。古風《こふう》な門構えから両隣《りょうどなり》にかけて、溶け合うような高い生垣《いけがき》を茂らせ、静かに佇《たたず》んでいる。
「ここか」
少女の胸にある、黒い宝石に金の輪を意匠《いしょう》されたペンダントから、重く深い声が響《ひび》いた。
声の主は、天壌《てんじょう》の劫火《ごうか》<Aラストール。
契約の元、少女に異能の力を与える紅世《ぐぜ》の王≠ナある。彼は、魔神《まじん》たる本体を彼女の身の内に眠らせ、意志のみをペンダント型の神器《じんぎ》コキュートス≠ノ表出《ひょうしゅつ》させている。
その遠雷《えんらい》のような声に、少女は、
「うん」
と頷《うなず》くのみで返す。遣《や》り取りの短さに、深い意味はない。互いに使命《しめい》以外での会話を、ほとんど求めないためである。
門を潜《くぐ》り、幾《いく》つかの敷石《しきいし》を踏んで玄関《げんかん》前に立つ。古びた引き戸に手をかけたが、動かない。
鍵《かぎ》が閉まっていた。
「……」
少女は何事か探すように周囲を見回し、やがて玄関の傍《かたわ》ら、幾つも伏せて並べてある植木|鉢《ばち》の一つをひっくり返す。
そこに、鍵があった。初めて訪れた場所であるにもかかわらず、当然のように。
素早くこれを取って、引き戸に差し込むが、鍵も古いので、なかなか開かない。
しばらくガチャガチャ悪戦《あくせん》苦闘していると、右手の庭から、
「帰ったの、準子《じゅんこ》?」
と女性の声がかけられた。
夕闇《ゆうやみ》に負けそうな薄暗い街灯の元、半《なか》ば土に埋まった敷石を踏んで、ふっくらした四十過ぎの女性が現れた。庭の手入れをしていたらしく、軍手《ぐんて》にビニールエプロンという格好《かっこう》である。
大上《おおがみ》準子の母だろう、と少女は見当《けんとう》をつけた。
その彼女がなぜか、少女の姿を確認してから、
「――あ、……」
と、声をかけるのを躊躇《ためら》った。
奇妙《きみょう》な緊張《きんちょう》が、一瞬、互いの間に生まれる。
(おかしいな)
フレイムヘイズの少女は、この反応に疑問を抱いた。少女は、大上準子のトーチに存在を割り込ませることで、生前の彼女に偽装《ぎそう》している。
(絶対に疑われるわけはないのに[#「絶対に疑われるわけはないのに」に傍点])
トーチは、喰われた人間の残り澤《かす》から作られる。
自儘《じまま》に生きるはずの紅世《ぐぜ》の徒《ともがら》≠ェ、襲《おそ》った人間の存在の力¢Sてを喰らわず、手間隙《てまひま》かけて代替物《だいたいぶつ》を作ったりするのは、偏《ひとえ》にフレイムヘイズの追跡から逃れるためだった。
全てを喰らう……つまり、全存在を性急《せいきゅう》に抹消《まっしょう》してしまうと、世界に『違和《いわ》感』という形の大きな歪《ゆが》みが生まれてしまう。この世を跋扈《ばっこ》する徒《ともがら》≠フ大多数は、自分たちの作り出した歪みが及ぼすだろう災厄《さいやく》自体には、ほとんど興味もなく、危機感も抱いていない。
それでも、討滅《とうめつ》者・フレイムヘイズたちが、この歪みを頼りに自分たちを追ってくるとなれば、話は別だった。無計画に喰い散らかしていると、生じた歪みは大きく広がる波紋《はもん》となって、フレイムヘイズたちの感知《かんち》するところとなる。
その危険性を抑える工夫《くふう》こそが、トーチだった。
故人《こじん》の残り滓《かす》から作られた、この紛《まが》い物は、ゆっくりと時間をかけて消滅《しょうめつ》する。故人が本来持っていた存在感や居《い》場所を、残された存在の力≠フ消耗《しょうもう》とともに失ってゆく。
なんとなく[#「なんとなく」に傍点]気に留められなくなり、居たことを忘れられがちになり、やがて……とあるなんとなく[#「なんとなく」に傍点]を超えたとき、人々の意識から零《こぼ》れ落ちる。他者の記憶《きおく》の中から、全ての記録の中から、いなくなる。同時にトーチ自身も、ひっそりと、気付かれぬまま、消えている。
元となった人間がかつて持っていた存在=世界との繋《つな》がり=『絆《きずな》』が次第に痩《や》せ細り、いつしか糸の風に解《まど》けるように途切《とぎ》れる。これが、トーチによる存在消滅の姿なのだった。
(でも)
少女が存在を割り込ませたその一つ……『喰われて死んだ大上準子《おおがみじゅんこ》のトーチ』は、まだ存在の力≠さほど消耗していなかった。意志|総体《そうたい》も常人《じょうじん》並みに維持していたのが、その証拠《しょうこ》である。おかげで少女は、割り込んだことによって得られる『大上準子の持つ絆』をも、かなり鮮明な感覚として得ている。
もしこれが、周囲に存在を忘れられかけている程《ほど》に消耗したトーチだったら、人や物に繋がる『絆』が掠《かす》れたり途切れたりで、甚《はなは》だ面倒《めんどう》なことになる――偽装《ぎそう》するために必要な情報や周囲との関係を、改めて作り直さねばならない――ところだった。
潜伏《せんぷく》した徒《ともがら》≠捜索《そうさく》する上で、当地に根を張る『絆』から得られる情報は、極めて重要である。大上家の位置|特定《とくてい》、鍵《かぎ》の隠《かく》し場所、目の前に立つ女性の正体|判別《はんべつ》など、日常生活における大概《たいがい》の状況は、この『絆』によって把握できた。逆に、『絆』で結ばれた他者も、同様の強さで自分を大上準子として捉《とら》えるはず――
(――なのに、どうして)
大上準子の母は、自分に対して戸惑《とまど》いを見せたのか。
その疑念《ぎねん》を質《ただ》すように、少女は自分から口を開く。
「……ただいま」
言われた大上準子の母は、明らかにほっとした。
「おかえり」
あっさり答えて、ようやく娘の抱えた大上準子の遺品[#「娘の抱えた大上準子の遺品」に傍点](存在の割り込みは、故人の繋がりを肩代わりすることになるため、トーチは肉体のみを消滅させる)に気付く。
「なに、その格好《かっこう》?」
「うん、ちょっと」
説明する意欲を欠片《かけら》も見せず、少女は短く返した。
仮の母は、訝《いぶか》しげというだけでなく、どこか心配そうな顔色も見せる。
(やっぱり着替えて帰ってきた方が良かったかな)
少女は僅《わず》かに後悔《こうかい》した。
日本における学業|修得《しゅうとく》施設『学校』は概《おおむ》ね、制服着用を義務付けている。そこから帰ってきたように見せかけるのなら、やはり制服を着用しておくべきだったろう。着替える場所を見つけるのが面倒《めんどう》だったのと、『絆《きずな》』から家が近いことを感じて、その手間を省いたのだが。
とまで思って、しかしすぐに割り切る。
(まあ、どうでもいい)
瑣末《さまつ》なことを慮《おもんばか》るより、自分が得た『絆』の鮮明さ、存在を割り込ませた大上準子《おおがみじゅんこ》のトーチに存在の力≠ェ相当な量|残《のこ》されていた事実への検証の方が先だった。
この事実こそ、『本物の大上準子』を喰らった紅世《ぐぜ》の徒《ともがら》≠ェ付近にいるという、危険の証明に他ならないからである。
(たしかに、気配が僅かに感じられるし)
フレイムヘイズと徒《ともがら》≠ヘ、互いの存在を、薄ぼんやりと感じ取ることができる。
通常のケース、その順序は、
まず、徒《ともがら》≠フ潜《ひそ》む地にフレイムヘイズがやってくる、
次に、気配の察知《さっち》によって徒《ともがら》¢、の襲撃《しゅうげき》や逃走というアクションが起きる、
そして、フレイムヘイズ側も応戦や追跡というリアクションで応える、
というものである。
今のように、フレイムヘイズの到来、および捜索《そうさく》という危機的《ききてき》状況を迎えてなお、徒《ともがら》≠ェアクションを起こさないまま潜伏《せんぷく》するケースも、ないではない。
(でも、それにしては、変……)
不審《ふしん》を抱きつつ、少女は固い鍵《かぎ》をガリガリと回して開ける。
「……」
「……」
そうしてまた一瞬、二人ともが、お互いの行動を待った。
この妙《みょう》な間を、母が破る。引き戸をガラリと開けて中に入った。
「それじゃ、晩《ばん》御飯の支度《したく》しようか」
「……?」
なんらかの答えを求められているらしい、それだけは感じられたが、少女には持ち合わせがない。
彼女がトーチへの割り込みによって行えるのは、生前に持っていた存在の繋《つな》がり……『絆』の把握《はあく》程度である。周囲の人間との間柄《あいだがら》や物との関わりを漠然《ばくぜん》と感じる以上の情報、個々の関係者と共有していた事項を交えた会話までは対処《たいしょ》の範囲外《はんいがい》だった。
フレイムヘイズの中には、トーチの記憶《きおく》をかなり詳細《しょうさい》に吸い出せる者がいる、とアラストールから聞かされたこともあったが、あいにくと彼女はそういう細かい自在法《じざいほう》――存在の力≠繰《く》ることで事象《じしょう》を思うがままに起こす技術、あるいは能力――が不得手《ふえて》だった。
(別に、構わない)
どうせ徒《ともがら》≠発見するまでの数日という、ごく短い滞在なのである。そのために必要な情報を聞き出す以上の関わりは必要ない。
結局答えなかった少女を、チラリと返り見た母は、
「……ふう」
傍《かたわ》らの靴箱に外した軍手《ぐんて》を置く、その仕草《しぐさ》に隠《かく》して、僅《わず》かに溜息《ためいき》を吐《つ》いた。草履《ぞうり》を脱いで、奥に入っていく傍ら、家の明かりを点《つ》けてゆく。
少女は、仮の母からの解放に安堵《あんど》の息を吐いた。
と、その緩みを引き締めるように鋭く息を吸い直し、
(よし)
さっそく自分の果たすべき使命へと気持ちを集中させる。大上準子《おおがみじゅんこ》が生前、家に抱いていたイメージ……『絆《きずな》』を捉《とら》える。
秘密、拒絶、眠たさ、うざったさなどの漂う自室――
解放、嫌悪《けんお》、苦痛、切迫した危機感などを混ぜたトイレ――
くつろぎ、清々《すがすが》しさ、清潔《せいけつ》さ、温かさなどで満たされた風呂《ふろ》場――
面倒《めんどう》くささと面白さ、空腹と満腹、冷たさと熱さなどが鬩《せめ》ぎ合う台所――
(あるとすれば、ここかな)
それらの中から、家族、テレビ、喜怒哀楽《きどあいらく》の弾《はず》みなどで満ちた場所を選び出す。黒光りする板敷き廊下のすぐ脇にある、広い和室……いわゆる居間に踏み込んだ。『絆』を辿《たど》って、すぐ横の壁にある電気のスイッチに手を伸ばす。
白い瞬《またた》きを経て、部屋に明かりが点《とも》った。中央に鎮座《ちんざ》する丸い卓袱台《ちゃぶだい》や、食器類の置かれた古い茶箪笥《ちゃだんす》など、年季《ねんき》の入った家具類が照らし出される。床は、日に焼けた古畳《ふるだたみ》を畳カーペットで覆《おお》ってあった。
それらを見た少女は、家人の物持ちのよさや工夫《くふう》ではなく、
(やっぱり、家族の談話室か)
と自分の感覚に狂いがないことだけを確認し、満足する。部屋を見回して、
(あった)
これだけは新しいテレビとビデオの脇、編み篭《かご》の中に、目当ての物がまとめて入っているのを見つけた。
新聞である。
この、時系列《じけいれつ》を整理するのに便利な情報|媒体《ばいたい》の使い方を、少女はとある人物から詳しく教わっていた。久々にそれを試すべく、彼女はケーキの箱を卓袱台の上に、他の荷物を篭の脇に置くと、乱暴に突っ込まれたそれらを取り出して、日付に目をやる。
(昨日、水曜日の新聞……)
程《ほど》なく、目当ての事件が載っているだろう一部を見つけた。さらに探る。
(念のため、もう二日ほど遡《さかのぼ》った分と……あれ、今日の分がない?)
思う少女の傍《かたわ》ら、洗面所と続きだったらしい台所から、
「準子《じゅんこ》、なに新聞なんか見てるの?」
母が不審《ふしん》気な顔で居間に入ってきた。
「なんでも」
少女はとぼけつつ、必要なことは直裁《ちょくさい》に質問する。
「今日の新聞はどこ?」
「……卓袱台《ちゃぶだい》の下。父さんがいつも入れてるでしょ」
「そう」
他の、薄い絆《きずな》の中に紛《まぎ》れていた今日の新聞(大上《おおがみ》準子は生前、新聞をあまり利用していなかったらしい)を卓袱台の下から取り、選《え》り分けた数日分と荷物をまとめて持った。訝《いぶか》しむ母を置き捨てて、ギシギシ唸《うな》る階段の上、大上準子の自室へと駆け上がる。
背後、
「準子、ケーキ忘れてるわよ!?」
という母の声に、
「あげる!」
少女は投げやりに答えた。
襖《ふすま》を閉めると、少女は荷物を床の上に一旦《いったん》置いた。
大上準子の部屋は、黒ずんだ柱にあまり似合《にあ》わない、真新しい壁紙の貼《は》ってある和室である。ベッドはなく、畳《たたみ》の上に敷いたカーペット、机と椅子《いす》にクローゼットが二揃《ふたそろ》い。部屋の隅《すみ》には色とりどりのクッションが山積みになっていた。
しかし少女は、それら生活の部位《ぶい》には全く目を向けない。自分が持ってきた荷物から新聞を取って、月、火、水、木、と今日までの分を順に並べてゆく。
「……」
その中から、まず最初に見つけた、事件当日……水曜日の新聞を取り上げ、広げた。捜査《そうさ》に必要のない、また興味もない政治や経済、スポーツや地方|欄《らん》は飛ばして、教わったとおりに時事、事件の載った面を見つけて目を通す。その中に、
「あった」
「うむ」
アラストールが、胸元のペンダントから答える。
二人が目を落とす記事は、事件欄の大版《おおばん》広告の上にある、数行だけのもの。
『不明|米人《べいじん》、十年振り発見』
と僅《わず》かに太い文字で見出しがついている。
その内容は――十年前、ニューヨークで行方《ゆくえ》不明になったアメリカ人男性が、今《いま》彼女らのいる町で発見された――当人には行方を晦《くら》ましていた間の記憶《きおく》もない――服装は不明になった当時のものを着ていた――という、奇怪《きかい》極まるものだった。
保護された男性は現在、警察署に保護され、送還《そうかん》の時期などを大使館と協議している云々《うんぬん》、短い記事を読み終わると、次に事件前日の火曜日、次に前々日の月曜日へと遡《さかのぼ》り、最後に今日、木曜日の新聞に目を通す。
結果、いずれにも、その行方不明、および発見に関する記事はなし。
事件の前日、前々日に載っていないのは当然として、今日の新聞がその続報や関連記事さえ載せていないというのは、事件の奇怪さからすれば妙《みょう》……以上に不自然とさえいえた。
「ふん」
少女は一人|頷《うなず》き、自分がこの町にやってくるきっかけとなった、昨日のことを思い出す。
(結果的には、ここに来て当たりだったけど)
とある警察署の前に通りかかった際、彼女は偶然、一つのトーチを見かけたのだった。
大勢《おおぜい》の報道|陣《じん》に囲まれ、また呆然《ぼうぜん》とした面持《おもも》ちで係官に手を引かれて歩く、そのトーチとは……言うまでもない、『十年ぶりに現れたアメリカ人男性』である。
人間社会における騒動《そうどう》の中心に、本来その存在を注目されるはずのないトーチがある。
少女は、そのおかしさ以上に、フレイムヘイズとしての勘《かん》から、この件に興味と関心を持った。ほどなく男の身の上が報道されることで、勘は確信に変わった。
十年という、人間にとって決して短くはない歳月《さいげつ》、その間の出来事を、男はなにも覚えていないという。もちろん、本人の証言が虚偽《きょぎ》であったり、失踪《しっそう》事件に紅世《ぐぜ》の徒《ともがら》≠ェ無関係であったりする可能性も、決して低くはない。別の犯罪に巻き込まれた人間を、たまたま通りかかった徒《ともがら》≠ェ喰らっただけかもしれない。
(でも、男がトーチになっていたのは事実)
そして、その事実は徒《ともがら》≠ェ関わらないと、絶対に起こり得ない。
(どこかに徒《ともがら》≠ヘ、いる)
少女が、男の発見されたこの町にやってきたのは、今《こん》早朝である。
彼女は最初、この田舎《いなか》町で紅世《ぐぜ》の徒《ともがら》≠ェ起こしただろう事件の痕跡[#「痕跡」に傍点]を、詳しく調査するつもりだった。%k《ともがら》≠ヘ通常、討滅《とうめつ》の追手たるフレイムヘイズとの交戦を避けるため、人を喰らった土地からすぐに出て行く(トーチは喰らった痕跡《こんせき》の感知《かんち》を遅らせるための道具である)。
ゆえに今回も、大多数の例に倣《なら》って、残された事象《じしょう》から逃げた方向なりを割り出すことになるだろう……少女は、そう思っていた。
ところが、いざ町にやってきてみると、そこにはまだ徒《ともがら》≠フ気配が漂っていた。普通は在り得ない事態である。戸惑《とまど》いながらも始めた調査の中、少女とアラストールは、奇妙《きみょう》な点を三つ、見出した。
一つ目は、先述のように、トーチを作った場所に徒《ともがら》≠ェ留まり続けていること、
二つ目は、徒《ともがら》≠フ存在の規模、強さを示す気配が非常に小さい、ということ、
三つ目は、この町に残されたトーチが極端に少ない、ということである。
フレイムヘイズの気配に気付かない徒《ともがら》≠ヘまずいない。感じてなお、留まり続けるというのなら、容易に討滅《とうめつ》されない実力や自信を持っているはずで、そのような存在であるためには、必然的に多くの人間の存在の力≠喰らっていなければならない。
しかし、実際に感じた気配は薄く、人が喰われた痕跡《こんせき》もほぼ見られなかった。
朝から夕方まで半日を費やして、この町の付近で発見できたトーチはようやく一人、この大上準子《おおがみじゅんこ》のみである。人間が多く喰われた痕跡たる世界の歪《ゆが》みも、全く感じられなかった。
とすると、先のアメリカ人男性と合わせて、犠牲《ぎせい》者は僅《わず》かに二人、ということになる。フレイムヘイズが来たと分かってなお留まり続けるだけの実力の持ち主が喰う量にしては、いくらなんでも少なすぎた。
(なにか、ここに留まる特別な理由があるんだ)
少女が、大上準子の存在に割り込み、現地人として情報を収集《しゅうしゅう》しようと決めたのは、これらの事情があったためである。
外部からの来訪者として、喰われた人間の周囲に状況を聞いて回ると、どうしても余計《よけい》な警戒《けいかい》をされてしまう。そうでなくとも、フレイムヘイズには常識知らず、あるいは常識を無視する輩《やから》が多いので、調査に伴うトラブルは日常|茶飯事《さはんじ》である。その処置にいちいち手間を取られていては、使命の遂行《すいこう》もままならない(と、この手法を教わった人物から聞かされた)。
対して、そこに居場所を持っていた人間、つまりトーチの存在に割り込む方法を取ると、多少変わった言動があっても、まず警戒はされない。捜査《そうさ》の拠点《きょてん》たるベースキャンプも自動的に手に入る。逗留地《とうりゅうち》を出る際に割り込んだトーチを消すことで、家族や知友《ちゆう》等、関わった周囲全ての痕跡や記憶《きおく》を、起きた騒動もろとも抹消《まっしょう》できる等、メリットも多い。フレイムヘイズが編み出した、これは比較的穏当な[#「比較的穏当な」に傍点]手法と言えた。
少女もそれは十分理解しているし、実際今もそうしている。
が、それでも、
(人間と交わるの、面倒《めんどう》だな)
と思っていた。
彼女は他のフレイムヘイズのように、人間との関わりに安らぎや価値《かち》を認めていない。使命感が強い、というより、それのみに特化したメンタリティを持っていた。
通常、フレイムヘイズというのは復讐《ふくしゅう》者である。
紅世《ぐぜ》の王≠轤ェ、徒《ともがら》≠ノよって愛する者、親しい者を喰われた人間……戦う理由のある者を器《うつわ》として選んでいるのだから当然だった。討《う》ち手らは一様《いちよう》に徒《ともがら》≠ヨの激しい敵意と憎しみを抱いている。
しかし、それは逆に言えば、通常のフレイムヘイズにとって、使命は復讐《ふくしゅう》以上のものではない、あくまでベースとなっているのは普通の、どこにでもいる人間ということでもあった。
人間とは、あらゆる事象《じしょう》に慣れる生き物である。敵意や憎しみを、ただそれだけで長く維持していくことは困難だった。当初は抱いていた激しい感情が、時とともに減衰《げんすい》するのは、宿命とさえ言えた。しかも、フレイムヘイズは不老《ふろう》である。過ごす年月の長さに、普通の人間[#「普通の人間」に傍点]が、そうそう耐えられるはずもなかった。
戦意を喪失《そうしつ》し、契約の破棄《はき》による消滅《しょうめつ》を迎える者もいた。果て無き戦いに倦《う》み疲れ、半《なか》ば自殺のように討たれる者もいた。活動期間に極端な長短の差こそあれ、フレイムヘイズという存在は、常にこれらドロップアウトの危険性を孕《はら》んでいるものなのだった。
仮にそうならずとも、運良く復讐を果たした者は抜け殻《がら》となり、最も多くは戦いに敗れて死んでいく。いずれにせよ彼らの歩む道は、甲斐《かい》なき死屍累々《ししるいるい》の修羅道《しゅらどう》なのだった。
これを踏み越え、燃え盛る感情の熱さを維持し続ける超人、感情の域《いき》を脱却《だっきゃく》して純粋な使命感を抱ける聖人《せいじん》など、百人に一人もいなかった。紅世《ぐぜ》の徒《ともがら》≠ェ、彼らを『討滅《とうめつ》の道具』と揶揄《やゆ》するのも、故《ゆえ》ないことではなかったのである。
一人の人間ゆえに抱く怒りと憎しみを力とし、
この世を自儘《じまま》に荒らし回る徒《ともがら》≠追って討ち、
戦いの中に斃《たお》れるまで心身を消耗《しょうもう》し続ける復讐者。
フレイムヘイズという存在は、そういうものだった。
ところが少女は、この範疇《はんちゅう》に入らない、数少ない例外だった。
彼女は常のフレイムヘイズ……人としてのなにかを徒《ともがら》≠ノ奪われた復讐者ではなかった。
赤ん坊の頃から、使命|遂行《すいこう》のみに全てを捧げる『完全なるフレイムヘイズ』として、閉鎖《へいさ》された環境《かんきょう》で英才《えいさい》教育を受けてきた、特別な人間だった。
使命のみによって形作られ、ゆえに疑問もなければ倦《う》み疲れることもない。
息をするように徒《ともがら》≠追い、歩くように徒《ともがら》≠ニ戦う。
名さえ持たない、それが『フレイムヘイズの少女』なのだった。
反面、まさにそうであるがために、彼女はかつて人間だったフレイムヘイズたちと違って、人との関わりに興味がない。むしろ人から遠ざかろうとしてさえいた。
育った閉鎖環境の内で彼女と接し得たのは三人の師のみ。しかも、並の人間としての様態《ようたい》を持っていたのは一人きり。とどめに、その一人がとんでもなく無愛想《ぶあいそう》で、使命遂行に必要な事項以外、なにも教えなかったのだから、まともな対人|折衝《せっしょう》能力など醸成《じょうせい》されようはずもない。
フレイムヘイズとしての英才教育の成果は、非常に高度なレベルで結実していたが、世間《せけん》慣れしていない分、彼女は捜査《そうさ》を直裁《ちょくさい》な聞き込みと力のみでごり押しする傾向にあった。これまで特別困った状況に突き当たることもなかったため、本人には改善するつもりもない。かつて、この存在を割り込ませる等の便利な自在法《じざいほう》を教えてくれた人物に向かって、
(――「フレイムヘイズは徒《ともがら》≠追って世を流離《さすら》う宿命にある。一つ所に長く逗留《とうりゅう》することは在り得ないんだから、必要以上の接触なんかに意味はない」――)
と、自分の信条を告げたこともある。告げられた相手は悲しそうな顔で黙ってしまったが、少女の方はその意味を深く受け止めなかった。
今も、当座《とうざ》の立場に居《い》心地の悪さしか感じていない。
(早く徒《ともがら》≠捕捉《ほそく》して出て行こう)
そう思うことは、彼女にとって当たり前のことだった。使命の他には、疑問も展望も存在しない。未だ悩みに突き当たったことのない生き様《ざま》は、危ういほどに真っ直ぐだった。
「記事、やっぱりこの一つだけみたい」
少女は新聞を畳みつつ、胸元のペンダントに言う。
「うむ」
この奇妙《きみょう》極まる事件がここまで小さな扱いになっているのは、発見されたトーチの存在の力≠ェ、かなり消耗《しょうもう》しているためである。程《ほど》なく当人の消滅《しょうめつ》とともに、記事も新聞から失《う》せ、人々も忘れ去ってしまうことだろう。
対して、彼女が存在を割り込ませたもう一人のトーチ・大上準子《おおがみじゅんこ》には、まだ常人《じょうじん》並みの意志総体を保てるほどに存在の力≠ェ残されていた。
これら二つのトーチの差異《さい》がなにを意味するのか
「――?」
ふと、少女は何者かの近付く気配を感じて、閉じられた襖《ふすま》の向こうに目を向けた。
徒《ともがら》≠ナはない。
人間の、仮の母のものである。
階段をこっそりと昇《のぼ》ってくる。
「……」
しかし、どういうわけか、母は途中で立ち止まった。数秒、階段の中ほどに戸惑《とまど》い、あるいは躊躇《ちゅうちょ》の気配とともに佇《たたず》んで、また降りていく。
少女は、この人間との関わりに再びウンザリし、
(勘繰《かんぐ》られるほどに、挙動《きょどう》が不審《ふしん》だったかな?)
と自分の行動を省みた。が、すぐに、無意味なこと、と考えるのを止める。彼女は、見破られる類《たぐい》の変装をしているのではない。自分が何をしようと、それは『大上準子の不審な行動』なのである。怪しまれることはあり得ない。
ただ、少しだけ気になることがあった。
(なんだろう……さっき)
大上準子《おおがみじゅんこ》の母は、手になにかを持っていたのである。
このトーチと、強く大きな『絆《きずな》』で繋《つな》がっている、なにかを。
その『絆』は、嬉《うれ》しさのようであり、喜びのようであり、また驚き、あるいは悲しみ、さらには怒りのようでもある……あまりに複雑な感情の色合いを帯びていた。
が、少女は、
(まあ、別にどうでもいい)
と、また考えを打ち切った。自分の使命と関係ないだろう事柄に興味はない。興味があるのは、この大上準子の喰われた場所と日時である。
「明日から、このトーチの行動|範囲《はんい》を回ってみるつもりだけど……学校での聞き込みもやってみる?」
この町を捜査《そうさ》して回った際、一つだけしかない高校の位置は確認してある。大上準子の着ていた制服が、同校のものであることも。
アラストールにも異存《いぞん》はない。
「うむ、家とともに、繋がりの深い場所であろうからな。同僚《どうりょう》――」
と彼はクラスメイトのことを、そう言い表す。
「――からも一通り、このトーチの周囲に不審《ふしん》な現象《げんしょう》、あるいは行動があったかどうか、問い質《ただ》すべきだろう」
「分かった」
頷《うなず》て、少女は自分が持ち帰った大上準子の遺品《いひん》の一つ、着衣《ちゃくい》に手を伸ばす。紺色の、柔らかなデザインラインの上下だが、広げて体に合わせると、
「……」
かなりサイズが大きい。元の持ち主は特別太っていたわけでも大柄《おおがら》なわけでもない……つまり少女が小柄《こがら》なのだった。
「今夜、学校に行って、着衣のありそうな場所から取ってこようか」
「よかろう」
二人は超《ちょう》法規的な会話を、至極《しごく》当然のように交わす。
「あとは……」
少女は時間的な遊びを好まない。さっそく鞄《かばん》を開けて、大上準子の持ち物の中に徒《ともがら》≠ニの接触の手がかりがないか、チェックを始めた。
数時間後。夕飯にかこつけた、仮の家族からの情報|収集《しゅうしゅう》を行うため居間に降りた少女は、そこに一人の男の姿を発見した。
少々|白髪《しらが》が多いという他には、これといって特徴《とくちょう》のない、ごく普通の中年男性である。母のときと同様、強い『絆《きずな》』の感覚から、父であることが察せられた(なぜか微妙《びみょう》な距離感や軽度の忌避《きひ》感があった)。
少女はそういう近しい感覚を、仮のものであっても息苦しく感じる。使命という以前に、自分というものに立ち入らせることを、そもそも好まない性格だった。
父の方は、なんということもなく声をかけてくる。
「ただいま」
「……おかえり」
ややの間を置いて短く答え、少女は卓袱台《ちゃぶだい》に並べられた食器の前に座る。
「そこ、母さんのだろ。いいのか、テレビ見なくて」
「あ、うん」
立ち上がり、もう一つの食器の前、テレビの正面に当たる場所に座りなおす。
仮の父はその姿をじっと見て、
「どうかしたのか」
短く尋《たず》ねた。瞳に心配の色も濃いが、言葉は多く費やさない。普段からそうなのか、詳しく訊《き》くことを躊躇《ためら》っているのかは分からなかった。
が、少女としてはどっちでもいい。簡単に首を振る。
「別に」
多少の違和《いわ》感や不自然さは、大抵《たいてい》この一言で片がつく。
果たして父も、
「そうか」
の一言で黙った。テレビのリモコンを取って、チャンネルを順番に変えていく。まるで、間を持たせるように、何度も同じチャンネルを行ったり来たりする。
いろいろ面倒《めんどう》になってきた少女は、なんの工夫《くふう》もない単刀直入《たんとうちょくにゅう》さで尋ねた。
「最近、私、なにか変わったことはなかった?」
「!?」
あまりに奇妙《きみょう》な質問ではあったが、だとしても大袈裟《おおげさ》に、父はギョッとした。むしろ質問した少女の方が驚くほどの動揺《どうよう》が顔に表れる。
(やっぱり、不審《ふしん》な出来事があったのかな)
少女は見当《けんとう》を付けて、もう一度尋ねようとするが、父はテレビのリモコンを適当に弄《いじ》る手元だけを見て、目線《めせん》を合わせようとしない。
「……?」
「あ、ああ、ニュースの時間だな」
明らかな誤魔化《ごまか》しとして父は言い、チャンネルを変えた。
さらに食い下がって訊《き》き出すべきかどうか、考える少女の前、テレビ画面で番宣《ばんせん》が終わり、ちょうど午後七時のニュースが始まった。一旦《いったん》父を見るが、やはり首を固定したかのように、こっちを見ようとしない。
「……」
なんだか馬鹿らしくなった少女は、とりあえず追及を取り止めた。あのアメリカ人|男性《だんせい》発見についての続報、あるいは関連した報道があるか確かめようと、テレビに目線をやる。父の安堵《あんど》が感じられたが、今は無視した。
テレビは、これまでにも歩きながら街頭のものを見たり、立ち寄った場所で眺《なが》めたりしたことはあったが、このように落ち着いた状態で見ることは滅多《めった》になかった。なんとなく新鮮な気持ちで、番組|冒頭《ぼうとう》の主要ニュースのピックアップを注視する。が、
(ない、か)
あの事件は、やはり冒頭では採り上げられなかった。大きな事件として扱われていないか、全く無視されるか……いずれにせよ、男性のトーチの消耗《しょうもう》振りから予想はしていたので、特に落胆《らくたん》も驚きもない。画面を見るでもなく見ながら、方針を再《さい》確認する。
(あっちがほとんど消滅《しょうめつ》寸前《すんぜん》である以上、大上準子《おおがみじゅんこ》の線から当たるしかないな)
思う少女の後ろ、台所から顔を覗《のぞ》かせた母が、少し抑え目の声をかけた。
「準子、女の子が待ってるだけってのはないでしょ」
「?」
少女は、一体なにを言われているのか分からない。キョトンとした顔で見返す。
「……ま、いいわ」
母はまた、少女にとって意味|不明《ふめい》な溜息《ためいき》を吐《つ》いて、顔を引っ込めた。
少女は首を僅《わず》かに傾《かし》げ、テレビに視線を戻そうとする。
と、今度は父が彼女を見詰めていた。
その表情には、覚悟《かくご》にも似た真剣な色がある。
「……?」
沈黙《ちんもく》の数秒を経て、
「母さん、悪気はなかったんだ。許してやれ」
「え?」
父まで、訳の分からないことを言う。
さっぱり心当たりのない少女はしばらく不審のまま考えて、ふと、自分以外のこと[#「自分以外のこと」に傍点]では、と勘付《かんづ》いた。
(もしかすると、自分が存在を割り込ませる前の、大上準子がなにかしたのかも)
弾《はず》みがついた連想から、
(そういえば、大上準子の母は、帰ってきたときから様子《ようす》がおかしかった)
とも思い当たるが、
(なら、私には関係ないし、対処《たいしょ》もできない)
またすぐ、深入りするのを避ける。
(どうせすぐ出て行く場所の同居人《どうきょにん》だし、どう思われようと問題ない)
他人への演技を面倒《めんどう》に思う少女と、娘に声をかけるべきかどうか迷う父、お互いに手詰まり感が漂い、会話が途絶《とだ》えた。
居間にはニュースを読み上げるアナウンサーの平淡《へいたん》な声だけが残される。
そんな、ややの間を置いて、
「……あー」
父が重たげに口を開いた。
「父さんとしても、濱口《はまぐち》君の第一|印象《いんしょう》が悪……うん、少し[#「少し」に傍点]悪かったのは、たしかに認める」
「?」
またまた訳が分からない。
「だがな、母さんが嫌がらせをしたというのは誤解《ごかい》だ」
「??」
父はもどかしげに、少し早口になって言う。
「だから、そうツンケンして遠回しな仕返しをするのは止めてやれ。母さん、あれでかなりシヨゲてるんだぞ」
「誰がショゲてるんですか?」
母が、鍋《なべ》を持って居間に入ってきた。
驚いた父は、慌《あわ》ててはぐらかすように卓袱台《ちゃぶだい》の下を見たが、
「あれ、新聞――」
「……」
少女は、ふと状況の意味することに気が付いた。テレビ脇の編み篭《かご》から新聞を一部取り、四つ折りのまま、テーブルの中央に置く。
(鍋敷《なべし》き、だっけ)
かつて自分の養育係が熱された鍋を持ってきた際(中身は決まって湯豆腐《ゆどうふ》だった)、羊皮紙《ようひし》張りの本を咄嗟《とっさ》に置いて怒られたことを思い出す。思い出して、ふと微笑《ほほえ》みが漏れた。
その行為と微笑みで、急に場の空気が融《と》ける。
「ありがと、準子《じゅんこ》」
母はあからさまな喜びの表情で鍋をその上に置いた。
父はわざとらしく明るい歓声を上げる。
「おお、豪勢《ごうせい》だな。何|鍋《なべ》だ?」
「分からないのに豪勢ってなんです?」
「ああ、そりゃそうか」
夫婦して笑う。
少女は、それら安堵《あんど》のような笑顔に釣《つ》られたのか――それとも微笑みの残滓《ざんし》が呼び水になったのか――そうすることによる使命へのメリットを見出せないまま――しかし、どこかに満足感を感じて、行為に声を付け加えていた。
「今日は――」
仮の両親の僅《わず》かな緊張《きんちょう》が、はっきりと感じられる。
そんな二人に、言う。
「――別に怒ったりしてない。機嫌《きげん》は良かった」
ぶっきら棒に、無愛想《ぶあいそう》に、少し目線《めせん》を反《そ》らして、呟《つぶや》くように。
嘘《うそ》ではない。自分が存在を割り込ませた大上《おおがみ》準子の感情には、恨《うら》みつらみ、怒りや憎しみの色などはなかった。どころか、その気色《きしょく》はむしろ明るいものだった。なのに、なぜそこまで二人が気にするのか、少女には分からなかった。
今となってはどうでもいいことではあるが。
思う前で、すっかり機嫌を直した仮の両親が、鍋を突付き始めていた。母はニコニコと茶碗《ちゃわん》にご飯をよそい、父は頼んでもいないのに彼女の取り皿に肉を入れている。
それらの様子《ようす》に少女は安堵し、
「それで、もう一度|訊《き》くけど、」
再び自分の使命を果たすべく尋《たず》ねる。
「最近、私が[#「私が」に傍点]呆然《ぼうぜん》と立ち尽くしてたり、私が居ることをうっかり忘れてたりするようなことはなかった? どこか変わった場所とか、遠くに出かけたりしたことは?」
少女はあくまで、実直なフレイムヘイズなのだった。
[#改ページ]
2 濱口幸雄
フレイムヘイズの少女は真新しいセーラー服を纏《まと》って、高校へと向かう。
自分が存在を割り込ませ偽装《ぎそう》した、大上準子《おおがみじゅんこ》として。
今着ている制服は、夜半に学校の一室へと忍び込んで得たものである。壊した鍵《かぎ》の分も代金を置いてきたから問題ない、と法律とは全く異なる次元で、勝手に納得《なっとく》していた。
朝の通学路、緩い坂道を、沈思黙考《ちんしもっこう》しながら下ってゆく。
(結局、両親からは有用な情報を得られなかったし……学校で聞き込みするしかないか)
少女は昨晩の聴取《ちょうしゅ》で、両親、特に母親の奇妙《きみょう》な態度の訳を、ようやく知った。
大上準子はこの近日中、少なくとも両親の知る限りでは、旅行などしていないという。
大上準子は、濱口幸雄《はまぐちゆきお》というクラスメートの少年と、非常に仲が良いらしい。
大上準子と濱口幸雄は三日前の火曜日、公園にいたところを両親に目撃《もくげき》されたという。
大上準子と濱口幸雄はその際、両親にとって不愉快《ふゆかい》な行為をしていたらしい。
大上準子は一昨日《おととい》、濱口幸雄に贈られた物品を、母に誤って壊されてしまったという。
大上準子《おおがみじゅんこ》は大いに怒り、また悲しみ、一昨日《おととい》の晩は両親と大|喧嘩《げんか》したらしい。
要するに両親は、少女の態度を、前日の大喧嘩の続きと勘違《かんちが》いしていたのだった。
(濱口幸雄《はまぐちゆきお》、か……)
その少年が大上準子となにをして両親を不機嫌《ふきげん》にさせたのかは知らない。別に知りたいとも思わないが(大声での人格《じんかく》攻撃や教育方針の不備など、悪口でも言っていたのだろう、と少女は推測する)、その存在|自体《じたい》は極めて重要である。
詳しく聞けば、この二人は日頃《ひごろ》からよく行動を共にしていたという。濱口幸雄なる少年が、両親からは得られなかった大上準子の行動|範囲《はんい》について、引いては彼女が喰われた前後の経緯《けいい》について、なんらかの情報を持っている可能性は非常に高かった。彼から事情を聴取《ちょうしゅ》し、徒《ともがら》≠フ狙いについての手がかり、せめて糸口でも見出す。それが当面の方針だった。
学校という、大上準子が日常の大半《たいはん》を過ごしていた場所での情報|収集《しゅうしゅう》を行うべく、フレイムヘイズの少女は朝の通学路を恬淡《てんたん》と歩いてゆく。
なにを感じるでもない、それは単なる使命の一環《いっかん》だった。
学校に辿《たど》り着いた少女は、その騒がしさに心中《しんちゅう》で閉口《へいこう》していた。
(なにをそんなに、話すことがあるんだろう)
類《るい》する施設に幾度《いくど》か入り込んだことはあったが、それらの機会は全て夜半の潜入《せんにゅう》、あるいは昼間であっても己《おの》が姿を見せない隠密《おんみつ》行動だった。年代も近い少年少女たちのみで構成される喧騒《けんそう》の真っ只《ただ》中へ、トーチに成り代わって飛び込んだのは、今日が初めてだった。
周囲を流れ過ぎる、見かけ上では少々|年齢《ねんれい》の高い少年少女たちは、とにかく五月蝿《うるさ》い。意味不明な単語を並べ立て、理解不能な態度を見せ付ける。誰もが、ほとんど目の色を変えるほどムキになって悲喜《ひき》こもごもの声を発していた。
まるで限られた時を必死に消費しているかのような、これら異常な熱意と焦りの中、
(ええ、と)
少女はようやく雑踏《ざっとう》を潜《くぐ》り抜け、感じられる『絆《きずな》』で自分の靴箱を見つけると、周囲の真似《まね》をしてスリッパのような上履《うわば》きを引っ掛ける。
ほとんど存在の力≠消耗《しょうもう》していなかった大上準子のトーチは、かなり明確な『絆』で少女を導いていた。靴箱だけでなく、学校において彼女と繋《つな》がりの深い場所……つまり彼女が学業を習得していた教室の位置も、容易《たやす》く察知《さっち》することができた。
(二年三組、出席番号二番、大上準子、と)
頭の中、生徒手帳に書かれていた情報と照らし合わせてから、少女は初めての教室に入ろうとして、
「おーっす、大上《おおがみ》!」
「お先!」
バタバタと、脇から割り込んで駆け込む少年たちを避ける。そうしてから、ようやく教室に足を踏み入れた。
初めて当事者としての視点で眺《なが》めるそこは、教科書を広げる者、ノートを二冊並べてなにかを写している者、黒板に落書きしている者、窓から外を指差して笑う者、走り回って、もたれ合って、固まって……ほとんど息苦しいまでのエネルギーに満ち溢《あふ》れた空間だった。
どちらかといえば静寂《せいじゃく》を好む少女は、それら全ての様《さま》に眩暈《めまい》さえ覚える。
そんな彼女に、
「おはよー、準子《じゅんこ》」
「お、来たね」
「ラブラブ女の登場〜」
と、大上準子の机の脇で固まっていた三人ほどの女子生徒らが、声をかけてきた。机|同様《どうよう》、彼女らにも強い『絆《きずな》』を感じる。おそらく親しい同僚《どうりょう》=友人というものなのだろう、と当たりをつける。
その友人らは少女をじっと見つめ、急に緩んだ笑顔を見せた。胡散《うさん》臭《くさ》いとも、意地の悪そうとも、親しげとも違う、不気味《ぶきみ》で不審《ふしん》な、しかし悪気や害意《がいい》の全くない、奇妙《きみょう》な笑顔である。
どうも、大上準子のトーチに残された存在の力≠ェ大きかったためか、少女は本来の『フレイムヘイズ』としてではなく、『友人・大上準子』として捉《とら》えられる向きが強いようだった。本気で凄《すご》んで見せたり、気迫を顕《あらわ》にしたりするのならばともかく、今の状態では親しい友人として扱われてしまう。無論《むろん》、事情|聴取《ちょうしゅ》を行うのだから、相手を無闇《むやみ》に怯《おび》えさせるよりは、その方がやりやすくはある。
(まあ、しょうがない)
入って早々、諦観《ていかん》を抱く少女は、
(これも使命|遂行《すいこう》のため)
と自分に言い聞かせ、大上準子の席に着いた。
(どうやって話を切り出――!?)
考える間に、友人らの方から凄《すご》い勢いで群がってきた。
「昨日は逃げられちゃったけど、今日こそは聞かせてもらうわよ」
「で、結局どうだったんだよ?」
「そうそう、隠《かく》れてコッソリなんて許せません」
取り囲まれただけでなく、そうそう入られることのない間合いに顔を近付けられたことに、少女はびっくりする。殺意が全くないと油断《ゆだん》して、一気に距離を詰められてしまった。
「え、なに……」
つい声も詰まってしまう。
友人らは、そんな少女の戸惑《とまど》いを韜晦《とうかい》と誤解《ごかい》したらしい。先の奇妙《きみょう》な笑いをさらに深くして詰め寄る。
「もう、とぼけちゃって、この」
「さあ、吐くのよ」
「さすが、余裕《よゆう》がありますねー」
その異様《いよう》な迫力に、少女は思わず背筋《せすじ》を反《そ》らして、僅《わず》かに距離を取る。本当はこっちが訊《き》かねばならないというのに、そうさせる隙《すき》が相手の側に全くない。
「だから、なんのこと……?」
「そりゃ当然」
「濱口《はまぐち》とのことに決まってるでしょ」
「隠《かく》し立てはずるいですよ」
(濱口……? 濱口|幸雄《ゆきお》とのこと?)
他に同名の人物がいるとは考えにくい。つまり、大上準子《おおがみじゅんこ》と仲の良かった彼とのことを尋《たず》ねられているらしかった。しかし、そうと分かりはしたものの、あいにく答えは持ち合わせていない。むしろ、それを彼女らに訊きたかったのだが。
(濱口幸雄と共同した行為、行動といえば……)
昨晩、聞き出したことくらいしか思い当たらない。
二人して公園にいたところを両親に目撃《もくげき》された、という件である。
なにを目撃されたのかは今のところ不明だが(両親は結局、この件に関して口を割らなかった……非常に言いにくそうにしていたため、また所在地《しょざいち》以外は徒《ともがら》≠フ件とは直接関係がないだろうと思ったため、少女も強いての追及を避けた)、人を不快がらせるような行為である。いずれろくなことではないだろう。
(でも、友人たちにも秘密だったとすると……酷《ひど》いことだったのと同時に、重要なことでもあったのかもしれない)
もし両親の陰口を叩《たた》いたりしていたのだとすれば、それは確かに誉《ほ》められたことではないし、友人に言えるようなことでもない。しかし、とにかく、秘密は秘密である。
(濱口幸雄《はまぐちゆきお》との間に、何らかの秘密がある、というのは間違いないか……)
大上準子《おおがみじゅんこ》の両親、そして友人たちも、彼女について特別な情報を持っていない。トーチとなったのが最近であることからも、この近日にある秘密、隠《かく》された行動をともにしていた濱口幸雄という少年に、徒《ともがら》≠見つけ出す手掛かりがある、と少女には思えた。
「――濱口幸雄はどこ?」
早速、その姿を求めて、キョロキョロと教室を見回す。
秘密を共有するくらいだから、それなりに強力な『絆《きずな》』を持っているだろう、と推測するが、今のところ、この三人以上の繋《つな》がりは感じられない。
「まだ来てない?」
訊《き》くや、ニターッと三人が笑う。
「おやおや、さっそく助けをお求めですか?」
「くそー、見せ付けてくれるじゃない」
「悔《くや》しいですー」
結局答えを貰《もら》えなかったので、もう一度訊き直す。
「……来てるの、来てないの?」
「念を押さなくても、これ以上はご当人の前《まえ》以外じゃ訊かないって!」
「あー、もー、いいよなチクショー」
「残念ながら来てませんよー」
最後の最後で、やっと答えが来た。
(なんだか、疲れる……)
どうもこの三人とは冷静な話ができない。少女は、徒労《とろう》のような遣《や》り取りを打ち切って、強引《ごういん》に話を進めることにした。鞄《かばん》を開けて、中から新聞を取り出す。
「これ見て」
「え、なになに?」
最初は、先刻の質問への答えと思ったのか、飛びつくように見た三人だったが、
「んー? なんだ、新聞じゃん」
「これがどうかしましたー?」
すぐ拍子《ひょうし》抜けした顔になった。
少女は質問|攻《ぜ》めに遭《あ》う前にと、自分からの質問をぶつける。
「この事件、この町であったんでしょ」
指差すのは無論《むろん》、例の行方《ゆくえ》不明|男性《だんせい》発見の記事である。
「なにか気付いたり、知ってることとかない?」
怪訝《けげん》な顔をした三人は、ともかく記事に目を落とす。
事件性の割に、また事件が起きた当地での出来事でありながら、しばらく思い出すための時間が空《あ》くのは、もはや男性のトーチに存在の力≠ェほとんど残っていないためである。
「……ああ、一昨日《おととい》、ニュースでやってたね」
「うん、そういや、ちょっとした騒ぎになってたかな」
「知ってるといっても、直接見たわけじゃありませんし」
それでも、一旦《いったん》思い出せば次々と話は繋《つな》がる。
「あ、たしか、けっこうカッコイイんだよね、この人」
「そうそう、パリコレ関係のモデルだったんだろ?」
「失踪《しっそう》当時は愛人と逃避行《とうひこう》してた、って噂《うわさ》も出てたらしいですね」
もちろん、話が繋がったからといって、必ずしも有益な情報が引き出されるというわけでもなかった。
「どっか、失踪《しっそう》する前のグラビアまで載せてなかったっけ?」「あんたが持ってきたんじゃない」「かなり売れたらしいですよ」「うんうん、でも、かっこよかったって言っても、あくまで十年前の話なのよね」「まあねー、見つかったら四十男になってたんじゃ意味ないよな」「私、ああいうオジ様も、割と好きですけど」「えー」「うげー、なんだ、オッサン趣味?」「趣味とかじゃなくて、どこかを十年も放浪《ほうろう》した末に見つかった、ってシチュエーションが、なにかかき立てられるんじゃないですか」「そうかしら?」「そうかー?」「そうですよ」
全く、よく話が続く。ほとんど内容のないことばかり、やたらと楽しげに……まるで、ただ話をすること、それ自体が至上の娯楽《ごらく》であるかのように。
少女は、戦いとは全く別次元の気後れを感じつつ、
「……私」
使命感の後押しを受けて、なんとか口を挟んだ。
案《あん》の定《じょう》、一気に注目が集まる。
「この件に、なにか関わったり、感想を述べたりしてなかった?」
三人は、少女の意図を確かめるような間を空けてから、
「はあ? どういうこと?」
「カンソーヲノベルって、どういう言い回しだよ」
「濱口《はまぐち》君のことと関係がありますの?」
一秒も間を空《あ》けない三連撃《さんれんげき》に、さすがの少女も、眩暈《めまい》以上の頭痛を覚えそうになる。
そんな少女に答える間を与えず、友人らはまるで畳《たた》み掛けるように続ける。
「別に準子《じゅんこ》が関係してるわけないと思うけど」
「だよな。こんなオッサンに浮気するほど飢えてるわけじゃないだろ」
「あ、噂《うわさ》をすれば……ふふふ」
一人が口元に手をやって、まさに『ほくそ笑む』の表現どおりに笑う。
疲労|困憊《こんぱい》の少女は、友人らの視線を重く追って、
「!?」
驚きに体を硬直させた。
かつて大上《おおがみ》準子と呼ばれた少女、今はその内にフレイムヘイズを秘めるトーチ、
(な――)
そこから伸びる繋《つな》がりが、ほとんど一直線の道路のような明確さで感じられたのだった。
(――なに、これ)
驚き見た先に、一人の少年が立っていた。
鮮烈《せんれつ》な衝撃《しょうげき》の次に、少女は、
(締まりのない顔)
という第一|印象《いんしょう》を抱《いだ》く。
大きく無邪気《むじゃき》っぽい瞳と線の細さが特徴の美少年である。背は高く、日本人にしては足も長いが、全体に肉付きは薄い。
もちろん、少女はそれら外見を重視するわけでもない。ただ、今感じている繋がり、大上準子が感じていた繋がりの強力さに目を見張っていた。ふと、声が漏れる。
「……濱口|幸雄《ゆきお》?」
なぜか、そうだと分かった。
小さく名を呼ばれた少年は、口元を微笑で緩めた。
「おはよー」
その明るい空気に絆《ほだ》されたように、少女三人が騒ぎ出す。
「おやおや、朝からお熱い視線交わしちゃってー」
「すっかり骨抜きだねえ、濱口も」
「うらやましいー」
また、さっきのような会話が始まりそうな気配を感じた少女は、
「今日は急病につき退出する。施設の教官……教師には、そう通達しておいて」
分かりにくい説明を言い置くと、鞄《かばん》を持って立った。新聞もついでに詰め込む。
「はあ?」「なっ?」「ええー?」
呆気《あっけ》に取られる友人らを尻目《しりめ》に、少女はズカズカと大股《おおまた》に、濱口幸雄《はまぐちゆきお》へと歩み寄る。
「な、どしたんだい、準子《じゅんこ》」
戸惑《とまど》う背の高い少年を見上げ、
「おまえが一番、大上《おおがみ》準子の行動について熟知《じゅくち》してるのね」
「へ?」
その返事を待たずに手を取る。
「どこいくの!?」「ちょ、おい、授業始まるぞ!」「大上さーん?」
三人を始めとする、教室にいた全員の注視を背に、強く少年を引っ張って廊下に出た。
「な、なんだ、どうしたんだよ?」
「いいから来る!」
予鈴《よれい》も近い、微妙《びみょう》な慌《あわただ》しさの中、二人は引いて引かれて歩いていった。
「――はあ、はあ――な、なんでこんなこと……?」
二人は、予鈴とともに校門を閉めようとしていた教師たちの制止を無視、妨害を突破《とっぱ》、追跡を撹乱《かくらん》、という三段階の無法な行為を経て、目立たない小道にあるコンビニの駐車場で一息ついていた。
もっとも、走り通しの状況にバテているのは濱口幸雄だけで、少女の方は平気の平左《へいざ》、息を乱すどころか、汗の一粒《ひとつぶ》さえかいていない。フレイムヘイズなのだから、当然ではある。
「いろいろと、訊《き》きたいことがあったの」
「改まって、なに?」
「……」
どう切り出そうか、一瞬だけ考えた少女は、それすら余計《よけい》なことと思い直す。どうも、さっきの強力な繋《つな》がりに驚いてから、目の前の少年に一段、躊躇《ちゅうちょ》や遠慮《えんりょ》に似たものを覚えているような気がした。馬鹿《ばか》馬鹿しい、と心中《しんちゅう》それを斬《き》り捨てて質問する。
「ここ数日の、私の行動を詳しく教えて」
「え?」
当然のこと、濱口幸雄は怪訝《けげん》な顔になった。が、不意に得心《とくしん》したように神妙《しんみょう》な顔になって訊き返してくる。
「……やっぱり、問い詰められたのか?」
(問い詰められた?)
少女は、とりあえず話を合わせるために頷《うなず》た。
「うん、まあ」
「また、ケンカとか、した?」
少年は、恐る恐るという風に、また尋《たず》ねてくる。
「え、と……」
少女はつい頷《うなず》きかけて、どう答えたものか迷った。実際にはケンカなどしていないが、この場合は同意した方が、いろいろ重要な話を聞けるかもしれない。
その迷う様《さま》をどう解釈《かいしゃく》したものか、濱口幸雄《はまぐちゆきお》は神妙《しんみょう》さに深刻さを加えて、呟《つぶや》いた。
「……昨日の、お節介《せっかい》だった、かな?」
(お節介?)
意味の分からない会話の流れに少女が戸惑《とまど》う間にも、懺悔《ざんげ》のような声は続く。
「仲直りしな、って人の家のことを偉そうにさ……いや、別に立ち入ったこと、言うつもりじゃ、なかったんだけど……」
少年の大きな瞳に、僅《わず》かな翳《かげ》りが見える。
「……でも、やっぱり俺のせいで両親と喧嘩《けんか》するのは、よくないよ」
(例の、秘密の悪口の件かな)
両親から聴取《ちょうしゅ》したことと合わせて、少女は見当《けんとう》を付けるが、明確な答えは持っていない。持っていた方の少女は、もう、いなかった。
濱口幸雄は、言いにくそうに、口を開く。
「その、いろいろ聞かれたんだろ、俺たちがどういう付き合い、してたか」
どうやら濱口幸雄は、大上準子《おおがみじゅんこ》が両親から、過去の素行《そこう》について問い詰められたものと思い込んでいるらしい。言わせるままにしていれば、何か貴重な……二人だけが知っていた秘密について訊《き》き出せるかもしれなかった。
騙《だま》している引け目は、元より使命の前では些細《ささい》なことに過ぎない。少女は当面黙って、濱口幸雄の話を聞く。
「そう言われても、実際のところ遊び歩いてたわけじゃないから、問い詰められても答えようがないよな……城址《じょうし》公園のときだって、あのときが初めてだったし、ね、はは」
言って、濱口幸雄は照れた笑いを見せた。その表情に、悪意の類《たぐい》は欠片《かけら》も見られない。他人の陰口を叩くような人物には、とても見えなかった。
(じゃあ、なにしてたんだろ)
この明るい少年が、なぜ両親を不愉快《ふゆかい》にさせたのか、常人《じょうじん》の人生経験に乏しい――というより全く持たない――少女には、ちっとも分からなかった。両親ら個人に関係のない、公序良俗《こうじょりょうぞく》に反するような行為だとすると、器物破損《きぶつはそん》あたりだろうか……
(……ん?)
少女は、さっきの話の中で現れた地名に気を留めた。たしか、行方《ゆくえ》不明だったアメリカ人が発見されたのは――
(――城址《じょうし》公園?)
ほんの一瞬、
(大上準子《おおがみじゅんこ》が、濱口幸雄《はまぐちゆきお》と一緒になにかしていたのも同じく城址公園で、三日前)
考えを過《よ》ぎらせてから、
(あのアメリカ人のトーチが発見されたのは、城址公園……その翌日《よくじつ》)
まさか、と思う。
(まともな徒《ともがら》≠ネら、こんな危険な真似《まね》はしない)
なぜ双方の存在の力≠フ量に差があるのか? なぜフレイムヘイズに手がかりを与える機会を増やすだけでしかない、別の日に、同じ場所で、しかも一人ずつ人間を喰らうような真似をしたのか? もしや双方のトーチを作った時期に、よほどの差があったのか? あの十年の空白はどこにどう関係しているのか? そもそも、気配も微弱《びじゃく》な徒《ともがら》≠ェ、なぜフレイムヘイズの到来にも拘《かかわ》らず、町に留まり続けているのか?
どうにも状況が特異《とくい》過ぎて、思考《しこう》の整理が進まない。
(特異さの意味、その手がかりは……)
少女はフレイムヘイズとしての勘《かん》に従い、訊《き》いてみる。
「その三日前の火曜日、公園に二人でいたとき」
「えっ?」
「なにか変わったことはなかった?」
「変わったこと? なんで?」
自分が懺悔《ざんげ》していた中での不意な質問に、濱口幸雄は戸惑《とまど》う。
「いいから、できるだけ詳細《しょうさい》に教えて」
有無《うむ》を言わせない要請《ようせい》に、少年は思いを巡らす。
「え、ええと、そうだな……」
学校からの寄り道にしちゃ、随分《ずいぶん》健康的じゃない、とか言って笑ってたな。
入り口でいきなり風船なんか貰《もら》ったりしてさ、結局ずっと俺が持たされて。
公園に桜がないのには、ちゃんと理由があるって、色々|話《はな》してくれたよな。
柵《さく》を越えて芝生《しばふ》に入るのって、もう誰も気にしてないって大笑いしたっけ。
アイスを買ったらコーンの中が空《から》っぽで、二人して文句を言い合ってたね。
売店に着いたら着いたで、さっきのアイスがボッた値段だったって一騒《ひとさわ》ぎ。
化粧《けしょう》直しが長いのに文句を言ったら、ちょっと不満な顔をされて焦ったよ。
堀の前に座ってたとき、写真家のオッサンにしつこく迫られて困ったんだ。
あんまり遅いから探しに行ったら、すぐ近くでボーッとしてるんだもんな。
あの時間帯に人通りが少なくなるのは、結構《けっこう》、狙ったり、してたんだけど。
まあ、よりにもよって、そんな所を見られるとは、思ってなかったわけで。
「覚えてるのは、こんなところかな」
「……」
少女は、これら情報の羅列《られつ》の中に、重要な手掛かりを一つ、見つける。
「……ボーッとしてた[#「ボーッとしてた」に傍点]?」
その問いを、少女が馬鹿にされて怒ったものと思い、濱口幸雄《はまぐちゆきお》は焦る。
「いや、だって、自分でそう言ってただろ? 滅多《めった》にないけど貧血《ひんけつ》かも、とかさ」
「そのとき、おまえはなにをしてたの?」
単なる事情|聴取《ちょうしゅ》も、責められているように感じる少年である。
「なにって、だから、化粧《けしょう》直しにしちゃ遅すぎるから探しに……あ、別に、写真撮られてて遅くなったってわけじゃないよ? オッサンが引き止めるのを断ったんだし――」
「引き止める……? さっきも写真がどうとか言ってたけど、なんのこと?」
「ああ、うん」
濱口幸雄は、躊躇《ちゅうちょ》と照れの混じった微笑とともに告白する。
「なんだか自慢みたいだからさ、あんまり言いたくなかったんだけど」
「なに」
少女は事情よりも事実を求める。
「準子《じゅんこ》がその、化粧直し[#「化粧直し」に傍点]に行ったとき、いきなり変なオッサンが『写真撮らせてくれ』って、しつこく絡んできたんだ」
(……徒《ともがら》≠ゥな……でも)
とりあえず習慣として疑ってみるが、大した確信があるわけでもない。
写真とまで行くと、さすがに『恣《ほしいまま》に人を喰らい世の裏を跋扈《ばっこ》する』紅世《ぐぜ》の徒《ともがら》≠フ仕業《しわざ》としても、趣味的傾向の度が過ぎるように思えた。しかし一方で、アラストールから、
(――「絵画を生き甲斐《がい》とし、優れた弟子《でし》を遺《のこ》した徒《ともがら》≠烽「る」――)
という話を聞いたことを思い出しもする。そういう特異な、人間|臭《くさ》い趣味を持った徒《ともがら》≠ェ今度の敵である可能性も、ないとは言い切れない。
「もっとそのときの状況を詳しく教えて」
「えっ? でも……」
自慢《じまん》話を躊躇する濱口幸雄に、真剣な顔で求める。
「お願い」
「……? 分かった」
不審《ふしん》げな顔をしながらも、彼はそのときの光景を思い出しては言葉にしていく。
「顔をサングラスとマフラーで隠《かく》してたり、アブなそうな奴《やつ》だったな。本当は構うの嫌だったんだけど、写真家って自称《じしょう》するだけあって、すごく高そうなカメラ持っててさ。なんだっけ、あの白い傘《かさ》みたいなのとか、光反射させる板とかまで助手に持たせて、思いっきりプロっぽかったんだ。それで、つい」
少女はようやく、興味以上の疑いを、その写真家に対して抱く。
(顔を隠《かく》してた?)
「準子《じゅんこ》が、ほら……長かっただろ? 退屈《たいくつ》だったし、周りに人も多くて変な真似《まね》されそうになかったから、モデル気分でいろんなポーズとかして、撮ってもらったんだ。正直、いい気分だったかも」
(でも、写真と大上《おおがみ》準子が喰われたことに、どんな関係が?)
「まあ、その、言わなかったのは謝るけどさ。でも、準子の方こそ、人を待たせすぎ……いや、おなか壊してたのかも、って思ったから、ずっと待ってたんだし」
(あのアメリカ人が、翌日《よくじつ》に喰われたことにも)
「だからあのとき、すぐ横にいるのに気が付かずに通り過ぎかけた[#「すぐ横にいるのに気が付かずに通り過ぎかけた」に傍点]のは、そういうことの嫌味《いやみ》じゃなくって」
(第一、なぜ、この濱口幸雄《はまぐちゆきお》が喰われていない?)
「道端にボーッと立ってた[#「道端にボーッと立ってた」に傍点]から、走ってたこっちの目に、たまたま入らなかったってだけのことで。今だから言うけど、かなり探し回って疲れてたから」
(とにかく、大上準子がそのときに喰われた可能性は、高い)
その場にいた写真家とやらも、とりあえず探してみるべきだろう、と少女は思う。
「……それでさ」
濱口幸雄は、複雑な思考《しこう》を巡らせる少女の内心には全く気付かず、話を続ける。
「あんときは最後に、お父さんお母さんに見つかってウヤムヤになっただろ……だからってわけじゃないけど、どう、もう一回? その二人も納得《なっとく》する、清く正しい男女交際でさ」
「うん、今すぐ行こう」
手掛かりへと一直線に向かおうとする少女の快諾《かいだく》に、少年も笑って、
「よし、決まり――って今!?」
答えかけ、仰天《ぎょうてん》した。
「だめ?」
少女は首を傾《かし》げる。
無自覚なその可愛《かわい》らしさに、濱口幸雄はつい同意しそうになった。
「あ、いや、だめとかじゃ、なくて……」
それでも、とある一つの理由から、何とか言い抜けようと試みる。
「……でもほら、今日は平日で補導《ほどう》員もウロウロしてるし、持ち合わせもないから、ろくな所にいけないだろ?」
よく分からないが、障害は全部自分が排除する――と少女が言おうとしたとき、
「あのさ、実は」
少年が、躊躇《ためら》いがちに白状《はくじょう》した。
「明日、あの時の写真、貰《もら》える約束してるんだ。『今度、もっと美しい服を着ている姿を撮らせてくれたら、写真代はタダでいい』なんて言われて……割とオイシイ話だろ?」
(漫然《まんぜん》と、その写真家を探すよりは、確実に接触できる日を選んだ方がいいだろうか)
と少女は思う。
「で、良かったら、まあ同じ場所なんだけど、城址《じょうし》公園に行かないか? ちょうど明日は土曜だし。実は今日、誘おうと思ってたんだ。今度は二人で、思いっきり決めたカッコを撮ってもらって――」
「明日、そいつが来るのね?」
少女は念押《ねんお》しするように言う。
「えっ、ああ……つまり、オーケー、でいいの?」
「うん」
あっさり答えた少女に、濱口幸雄《はまぐちゆきお》は無邪気《むじゃき》な笑顔を見せた。
「やった! 前も準子《じゅんこ》と一緒に撮ろうって思ったのに、なかなか帰ってこないし、探してる内にオッサンも消えて、タイミング悪かったからさ」
「……」
その表情を見た少女は、
(どうして、こんなに喜んでいるんだろう)
と今さらながらに思った。
(公園に行くのが、そんなに嬉《うれ》しいのかな)
と目的を取り違えもする。
(彼が本当に誘おうとしていた大上《おおがみ》準子は、もういないけど)
そう、事実を平静に捉《とら》え、
(せめて、この禍害《かがい》の元凶《げんきょう》を討《う》とう、僅《わず》かでも世を平《たい》らげよう)
常の如《ごと》く、誓《ちか》う。
フレイムヘイズの少女は、結局その後も学校には戻らなかった。
「はむ」
必要と思われる情報は濱口幸雄から収集《しゅうしゅう》済みだったし、明日合流する時間と場所も了解《りょうかい》し合っていたので、理屈《りくつ》の面からは戻る理由がなかった。それ以外の面からも、あのたまらなく騒がしい環境《かんきょう》を避けたいと思っていたので丁度《ちょうど》いい。
割り込んだトーチに残った存在の力≠ェ多いと、『絆《きずな》』の把握は容易《たやす》く、使命|遂行《すいこう》の助けにもなるが、その代わり、少女と大上準子《おおがみじゅんこ》を同一視する度合いが強くなる……つまり、あの三人の友人たちのような、非常に馴《な》れ馴れしい態度を取られてしまう。全く全て、便利と不便は一長一短《いっちょういったん》なのだった。
「ほむ」
一人で学校に戻るよう言われた濱口《はまぐち》少年とその嘆《なげ》きを後に置いて、少女はもう一度、この町全体の地勢《ちせい》を把握するための巡回を行った。実見する光景を、既に入手済みの地図と照らし合わせ、敵の気配の在《あ》り処《か》を慎重《しんちょう》に探り、明日起こり得る事態に備える。
「んむ」
「……」
そうして、下校《げこう》時刻を見計らい帰宅した彼女を、仮の母が待っていた。大上準子行きつけのケーキ屋『ラ・ルゥーカス』で買ってきた苺《いちご》ショートケーキを用意して。
「昨日、準子がいつも買ってくる分を、私が食べちゃったからね」
との母の弁である。
その数は、生前の大上準子が買って帰っていた量の三倍。一ピースが三ピースになっただけとも言うが、それでも少女は素直に喜んだ。
彼女は大の甘党《あまとう》で、ケーキは好物の一つだった(一番の好物はメロンパンで、町の巡回に際しても、何度か買い食いしている)。昨日は、早く捜査《そうさ》の基底と方針を確認したかった、面倒《めんどう》な話に付き合わされたくなかった、などの理由からケーキを母に進呈《しんてい》したが、実は心中《しんちゅう》、それなりに惜しんでいたのである。
そんな彼女だから、今日の三ピースによる不意討《ふいう》ちは効果|絶大《ぜつだい》だった。幸福そのものといった緩んだ笑顔で、ケーキを頬張《ほおば》る。
「あむ」
「……ふふ」
母が、自分の湯飲みにお茶を注《つ》ぎながら笑った。
少女は受け答えしてもボロが出るだけ、と分かっているため、今はただ食べることのみに専念《せんねん》する……という言い訳で、がっつく行為を正当化している。ちなみに、その前に置かれているのは、コップに入ったグレープジュースである。
母は注いだお茶をすぐには飲まず、卓袱台《ちゃぶだい》に頬杖《ほおづえ》を突いて少女を見つめた。昨日までのケンカと仲直りを思って、目を細めている。その相手が入れ替わっていることを、本当の娘が二度と戻らないことを知らずに。
「大きくなったと思ったけど、やっぱりまだまだ子供なのねえ」
「……」
母の複雑な微笑《ほほえ》みに、少女はあえて目を向けず、ただ食べる。
「そうやって、ケーキを食べ散らかしてるところなんか、ちっちゃい頃のまま」
「……そうかな」
少女は、自分でない者に向けられた言葉への疑問として、つい答えていた。ちっちゃい、という言葉に少し反発を覚えたためでもある。
仮の母は自信満々、娘に偽装《ぎそう》したフレイムヘイズに言う。
「ええ。お兄ちゃんが家を出て、上の部屋を貰《もら》う前なんか、恐いことがあったら、すぐ襖《ふすま》を開けて私の布団《ふとん》に潜《もぐ》り込んできたでしょ?」
「そう、だっけ」
曖昧《あいまい》な答えを照れと受け取って、母はまた笑う。
「そうよ。雷《かみなり》とか、大雨とか、恐いテレビ見た夜だって」
「恐いと、一緒の布団に入るの?」
そんな選択のあることを、不思議《ふしぎ》に思う少女である。
「ええ。お兄ちゃんが出て行って寂しかったときも、そうしてたわね」
「寂しい……」
フレイムヘイズとして一人立ちしたばかりの僅《わず》かな期間、感じてはいた。温かな時と温かな人たちへの、切ない想いを。しかしそれも、アラストールが胸元のペンダントから見守ってくれている、と気付いてからは、すっかり忘れていた。
フレイムヘイズは強い。
そんな自己規定を、心身の力押しで事実と同一視《どういつし》している少女は、在り得ない選択|肢《し》について、もう一度|尋《たず》ねる。
「寂しいときも、逃げ込むの?」
「んんー、どっちも、逃げ込むのとは、ちょっと違うかも。そう……一緒にいようとする[#「一緒にいようとする」に傍点]、かな。それだけで、なんとなく気持ちが休まるのよ。ここで、こうしてるみたいに」
「……」
「今、寂しいのは、私の方かな」
言って、母は笑う。
その、喜びではない笑顔を、つい見てしまった少女は、
「あむ、ん……」
最後の一口を食べ終わって、しかし立ち去り難《がた》いものを感じていた。
今、母が語りかけているのは、その思い出の中にいる少女ではない。
本来、語りかけられるべき少女は、とうの昔に死んでしまっている。
自分がトーチへの割り込みを解除すれば、この世から大上準子《おおがみじゅんこ》という存在は、消える。
皆が、忘れる。
最初からいなかったことになる。
仮の母も、仮の父も、濱口幸雄《はまぐちゆきお》も、騒がしかった三人の友人も、他の大上準子に関わった全ての人間たちの記憶《きおく》から……世界そのものから、彼女は零《こぼ》れ落ちて、消える。
それが、紅世《ぐぜ》の徒《ともがら》≠ノ存在の力≠喰われた人間の辿《たど》る末路《まつろ》。
トーチは、その零れ落ちる時を先延ばしにするだけのモノ[#「モノ」に傍点]でしかない。
悔《く》やんで、悲しんで、怒って、苦しんで、惜しんでも、覆《くつがえ》ることのない事実。
しかし、幸いだろう、人間がこの事実を知らされることは、まずない。
今、目の前にいる仮の母は、なにも知らをいままに、娘を亡くす。
否、もう亡くした、と言うべきだった。自分がこうして存在に割り込んでいる時間は、忘却《ぼうきゃく》を前提とした余事《よじ》。大上準子《おおがみじゅんこ》は死んで還《かえ》らない、そんな事実の、ほんの尻尾《しっぽ》。
だから、なにも気にすることはない。
だから、なにを知らせることもない。
その方が、幸せなのである。どうせトーチの消滅《しょうめつ》とともに、全てを忘れるのだから。感じる悲しみは、その分ただの無駄《むだ》になる。喜びには無駄があってもいい。しかし、悲しみはそうではない。寂しさも……そうだろう。
感じて、知って、全てを持ち去っていくのも、フレイムヘイズの使命の一つだった。
自分が今、それらの感情を抱いているかどうかは、よく分からない。
胸の奥を探って吟味《ぎんみ》すれば、あるいははっきりと分かるのかもしれなかったが、あいにくとそこまで深く、自分の感情について分析《ぶんせき》や解析《かいせき》をしようという意欲は湧《わ》かない。一個のフレイムヘイズとして、意味を見出せない。
自分の使命|遂行《すいこう》に、それらが益するというのなら話は別だが、そんなケースには、過去一度たりと遭《あ》ったことがなかった。未来においても遭うことはないだろう。むしろ非《ひ》合理的であるという、その一点のみにおいて、感情は邪魔《じゃま》である、とさえ思っていた。
そうでなくとも、感情の持つ抗《あらが》い方の分からない揺らぎは、どこか――
(――ふん、馬鹿《ばか》馬鹿しい)
ふと、『恐い』という観念《かんねん》を思い浮かべかけて、少女は不愉快《ふゆかい》になった。その観念こそ、フレイムヘイズにとって最も忌むべきものだった。気持ちを強く、どこまでも強く、持ち直す。
(フレイムヘイズとして、ただ在ればいい)
と、そう誓《ちか》い直す少女の前、卓袱台《ちゃぶだい》の上に、
「はい」
「え?」
いつの間にか、仮の母が一包《ひとつつ》みの袱紗《ふくさ》を置いていた。
フレイムヘイズの少女は、そこに強烈、複雑な『絆《きずな》』を感じる。
この感覚には、覚えがあった。昨日、自分が部屋に籠《こも》って新聞を広げていたとき、母が持ってこようとしていた物……渡そうとして、しかし渡せなかった物だった。
「今、開けていい?」
少女は、目の前の一人と、自分に重なるもう一人に、断った。
「どうぞ」
一人は頷《うなず》き、もう一人は答えなかった。
「……」
少女は、袱紗《ふくさ》を開ける。
中から現れたのは、淡い桃色《ももいろ》に光る、大小の石を混ぜたブレスレット。
それは、母がうっかり千切《ちぎ》ってしまった、濱口幸雄《はまぐちゆきお》からのプレゼント。
散らばった石を集めて、もう一度|繋《つな》ぎ直した、大上準子《おおがみじゅんこ》の大切な宝物。
「……」
フレイムヘイズの少女は、大上準子|当人《とうにん》ではない、ただ存在を割り込ませただけの他人でありながら、その『絆《きずな》』の強さ、母の行為の意味、想いを感じて、声を失っていた。
母が、ゆっくりと、言う。
「ごめんね、準子」
「……うん」
偽《いつわ》りの、本当に答えるべき相手ではない声しか返せない。
それでも少女は答えていた。必要以上の、一言を付けて。
「全然、気にしてない」
「よかった」
仮の母は、笑っていた。
少女も、笑い返していた。
母の抱く寂しさが、とても――
母の見せる喜びは、もっと――
少女は今、忌避《きひ》していた感情を、一つ、抱いていた。
しかし少女は笑う。
フレイムヘイズとして、大上準子に偽装《ぎそう》するためには当然、笑うべきだったからである。
それを不自然とは思っていない。そういうもの[#「そういうもの」に傍点]なのである。それを選んだのは他でもない自分で、そうすることに意味も意義も見出していた。そうすることを自ら望み、誓《ちか》ってもいた。
そうすることが、フレイムヘイズなのである。
だから、フレイムヘイズの少女は笑っていた。
心の中は、問題ではない。
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3 ウコバク
城址《じょうし》公園は、町の中ほどに広い敷地《しきち》を持つ、町民|憩《いこ》いの場である。
戦国末期に築《きず》かれた平城《ひらじろ》の遺構《いこう》が、ほぼそのまま公園として使われており、小《しょう》規模ながら歴史資料館も構内に設置されている。道は玉|砂利《じゃり》、柵《さく》は投げやりな杭《くい》とロープのみ。ところどころに残る低い石垣《いしがき》と広がる薄緑《うすみどり》の芝が、長閑《のどか》かつ鮮やかな春の光景を見せていた。
周囲に遊興《ゆうきょう》施設もない田舎《いなか》町である。休日ともなれば、犬の散歩からジョギング、デートから家族によるピクニックまで、人の往来《おうらい》もそれなりに盛んになる。露店《ろてん》もパラパラと立って、光景の彩《いろど》りに一役買っていた。
そんな穏《おだ》やかな陽光の下、緑と風がともに薫《かお》る中を、一組の少年少女が歩いている。
濱口幸雄《はまぐちゆきお》と、大上準子《おおがみじゅんこ》の存在を借りたフレイムヘイズの少女である。腕を組むなどの特別|親密《しんみつ》な様子《ようす》こそないものの、互いの距離は、並ぶというには、やや近い。
濱口幸雄は、カジュアルなジャケットにスリムパンツ、薄地のマフラーを巻いている。
少女の方は、大き目のロングスリーブシャツに、やはり大き目のジーンズという出で立ち。
スタイリッシュな少年、さっぱりした格好《かっこう》の少女、という二人は、一見ミスマッチなようで、しかし妙《みょう》に嵌《はま》った組み合わせであるように見えた。派手《はで》さの似合《にあ》う美少年と、飾らずとも貫禄《かんろく》と存在感で耳目《じもく》を惹《ひ》き付ける少女、双方が引き立て合った結果である。
二人に行き逢《あ》う人々は、さすがに振り返るまではいかないものの、必ず目を留める。
濱口幸雄《はまぐちゆきお》の方は、そういう自分たちの外見についてよく理解し、そんな状況に遊び、またなにより二人でそうなっていることを喜んでいた。
元々、目立つのが嫌いではない……どころか、好きでさえある。本人たちにとっては最高の場面での邪魔《じゃま》、両親にとっては非常に気まずい瞬間《しゅんかん》の目撃《もくげき》、という結末で終わってしまった火曜日のデートのやり直しということもあって、彼は精一杯《せいいっぱい》サービスしよう、と張り切っていた。特に、今日もあるだろう写真|撮影《さつえい》では、少女に頼み込んででもツーショットを撮ろう、と楽しみにしている。
今日が、大上準子《おおがみじゅんこ》と過ごす最後の時間であるとも知らず。
少女の方は、ただ敵が現れるのを、フレイムヘイズとして待ち構えていた。
少女は、濱口幸雄と連れ立って、件《くだん》の写真家との待ち合わせ場所に向かう。その平静な表情の下では、注意深く周囲の状況に変化がないか、気を張って探っていた。
(昨日から、特に変化はないけど……)
まだ正体の片鱗《へんりん》さえ見せない紅世《ぐぜ》の徒《ともがら》≠ヘ、依然《いぜん》この町に留まっている。それだけは分かるが、それ以上の行動は、やはり起こしていない。逃げるつもりがないくせに、戦いを挑《いど》んでくるでもない。何かよからぬ企《くわだ》てをしているにしては、人を喰らうこともしない。正直、狙いがさっぱり分からなかった。
少女が今、大上準子の喰われただろう場所と時間に居合わせた写真家とやらに接触を図ろうとしているのは、そんな閉塞《へいそく》状況を打開するためである。
(今度のような、一箇所に潜《ひそ》んだままというケースなら、トーチとなった人間の近くに痕跡《こんせき》が残っているか、その徒《ともがら》%鱒lがいるはず)
などと思ってはいたが、今日の件にそれほどの期待はかけていない。せいぜい半信半疑《はんしんはんぎ》がいいところだった。
(大上準子、それに可能性としてはアメリカ人の男、この二人を喰らったとして、他にはなにもしていない……もし徒《ともがら》≠ェそこにいたのなら、なぜ濱口幸雄を喰らわなかった?)
少女が未だに写真家を徒《ともがら》≠セと断定できない、それが理由だった。
通常の徒《ともがら》≠ネら、特定の人間に目を付ければ、すぐに喰らうはずなのである。別になにを我慢《がまん》する必要もない。フレイムヘイズが近くにいるというのなら、なおさら獲物《えもの》を喰らって逐電《ちくでん》すべき……というより、徒《ともがら》≠フ常識的には[#「常識的には」に傍点]、するのが当然だった。
彼らの目的と存在意義は、自らの欲望を実現させることであって、人を喰らうことは手段の一環《いっかん》、フレイムヘイズとの諍《いさか》いは無用な副産物でしかない。
紅世《ぐぜ》の徒《ともがら》≠ヘ普通、戦闘を避けようとするのである。
もちろん、中には『戦闘そのもの』を嗜好《しこう》する徒《ともがら》≠熨ス々《たた》存在するが、その手の連中《れんちゅう》は無駄《むだ》な引っ掛けや策謀《さくぼう》に手を染めたりはしない。真っ向から挑《いど》みかかってくる。そうするだけの強大な力がなければ、その嗜好は実現できず、存在も維持し得ないからである。
つまり、今感じているような、微弱《びじゃく》な気配しか持たない徒《ともがら》≠ナあれば、採り得る選択は逃走のみのはずなのである。
(なのに、なぜ留まっているんだろう?)
人間の持つ存在の力≠ヘ、実際に喰らってみないと個々人の総量は計れないし、質の違いもほとんどない(昔は存在の力≠フ美食家を気取る者も大勢《おおぜい》いたというが、そのほとんどは単なる見栄《みえ》っぱりの空論《くうろん》家であったらしい……だいたい『喰らう』という表現は例えであって、実際の行為は力への変換と吸収である)。特定個人に執着《しゅうちゃく》する理由などないはずだった。
少女が徒《ともがら》≠フ関与《かんよ》している可能性のある危地《きち》に少年を帯同《たいどう》しているのは、それら通常のケースとは状況が違いすぎるためだった。
(とりあえず、風体《ふうてい》の怪しい写真家とやらを見てから考えよう)
そう心に決める少女と、気楽に歩く少年の傍《かたわ》ら、芝山《しばやま》には家族連れが座って弁当を広げ、玉砂利《たまじゃり》の道を年寄りが散歩し、石垣《いしがき》の上を子供たちが駆け回っている。
これら、どこにでもある休日の光景を、少女はなんどなく眺《なが》める。
「……?」
と、濱口幸雄《はまぐちゆきお》が自分をチラチラ見ていることに気が付いて、少女は傍らに顔を上げた。
「なに」
少年は驚き、しどろもどろに答える。
「う、ううん、さっきから難しい顔してるし……楽しくないのかな、って」
(楽しい?)
その意味が、少女には分からない。
彼女は一般的にデートと称される今の状況を、その常識はおろか、二人の間柄[#「二人の間柄」に傍点]という大前提《だいぜんてい》から理解していなかった。彼女にとっては、写真家との接触という以外に少年との行為への意味などない。双方を繋《つな》ぐ『絆《きずな》』が異常なまで強力なのだから、気を遣《つか》う手間も不要で助かる、と開き直ってさえいた。
(……)
とはいえ、同行者がしょげ込むのは都合《つごう》が悪い。
もし写真家が徒《ともがら》≠セった場合、この少年には当面の囮《おとり》として働いてもらわねばならないのである。普段と違う挙動《きょどう》や雰囲気《ふんいき》で、無用の警戒《けいかい》を受けるわけにはいかなかった。
(……大上準子《おおがみじゅんこ》なら、どうしたんだろう)
使命への必要性から考えるが、彼女は相手の機嫌《きげん》を取るという行為においては性格的に不向きで、知識経験にも乏しい。思考《しこう》の井戸《いど》は、すぐ浅い底に着いてしまう。
(まあ、いいや)
少女は投げやりな気持ちで、かつて自分が養育係の女性と連れ立って歩いたときのように、手を繋《つな》いだ。自分はそうすることで嬉《うれ》しくなった、という簡単な理由からの行いである。
しかし、そうされた方の濱口幸雄《はまぐちゆきお》は、結構《けっこう》な衝撃《しょうげき》を受けた。
「っ?」
驚いて見た傍《かたわ》らの少女、繋いだ手の少し上に、自分の贈ったブレスレットが光っているのに気付く。この、なんでもない気遣《きづか》いに(実際は大上準子の母が着けさせたのだが)、少年はオーバーなまでの感動を覚えた。
「……あ、はは」
彼はその想いを、まるで氷の融《と》けるような安堵《あんど》を込めて笑い、手を握り返す。
少女の方は、窮余《きゅうよ》の一策のもたらした意外《いがい》なまでの効果に戸惑《とまど》い、しかし相手の笑顔にほだされるように微笑《ほほえ》んだ。それは濱口幸雄の抱いた喜びとも、大上準子の持っていた気持ちとも違う、刹那《せつな》覚えた親しみの表れにすぎないものだったが。
見た目だけは自然に、二人は長閑《のどか》な日差しの中を歩いてゆく。
やがて前方、平らな城址《じょうし》公園で一箇所だけ盛り上がった、小さな丘が見え始めた。
この草木《そうもく》生い茂る丘は所謂《いわゆる》『本丸《ほんまる》』で、かつて天守閣《てんしゅかく》代わりの城館が建っていた人工の盛土《もりつち》である。現在、その低い頂《いただき》には、城全体の再現ミニチュアが案内ボード付きで置いてあった。
しかし、二人が目指しているのはそちらではなく、丘の麓《ふもと》に設けられた広場である。政庁跡《せいちょうあと》に建てられた資料館と並んで、やや大きめの売店が三つほど軒《のき》を連ねている。ベンチも多いそこは各《かく》入り口からの終点であり、のんびり歩いてきた来園者の休息所でもあった。
濱口幸雄《はまぐちゆきお》は辺りを見回す。
「えー、と……まだ来てないか」
「件《くだん》の写真家が?」
少女が、今日の標的《ひょうてき》について短く尋《たず》ねる。
「クダ……? うん、前もいきなり声をかけられたし……とりあえず、同じ場所で座って待ってようか」
言って、少年は歩き出す。
手を引かれて並ぶ少女は、周囲を警戒《けいかい》した。今のところ、敵意や殺意の類《たぐい》は感じられない。人の数に比例して、下卑《げび》た視線が多くまとわり着くのを感じたが、これはいつものことと、感覚を意識的にシヤットダウンした。そうして、再び尋ねる。
「私がボーッとしてた場所って、遠かった?」
少年は、春の日差しのように明るく笑って指差す。
「なに言ってんだよ。人にさんざん探させといて、結局あの木の下に立ってたんじゃないか」
「……」
少女が見れば、広場の端《はし》に一本、さほど大きくない楓《かえで》の木がある。あそこで大上準子《おおがみじゅんこ》は喰われたのかどうか、考える内に、二人は丘を囲む空堀《からほり》を背にしたベンチの前に立った。
濱口幸雄は手を離すと、ごく自然に、一歩先に。
「ここで待ってたら、いきなり『写真を撮らせてもらえませんか?』って言ってきてさ。あのゴツいカメラと助手がなかったら、変質《へんしつ》者と思って逃げてたところだよ」
ベンチの埃《ほこり》と落ち葉を手で払って、大上準子を導く。
「はい、どうぞ」
「うん、ありがと」
少女は素直に答えて、腰を下ろした。その視点からもう一度、それなりの面積を持つ広場を漆黒《しっこく》の相貌《そうぼう》で見渡す。
さっきの楓の木、本丸《ほんまる》の入り口に渡された短い橋、疎《まば》らに人の見える売店、子供らが飛沫《しぶき》を散らして遊ぶ水道、広場を囲む新緑の木々……町の観光案内や地図などに照らし合わせて、全体の地勢《ちせい》は既に把握してある。なにがどう、変わっているようにも見えない。
もう一度、楓《かえで》の木に視線を戻す。
あそこまでの距離は、せいぜいが+五、六メートル。
(これだけの近さ……もし、件《くだん》の写真家が徒《ともがら》≠セったとすると、広場半分ほどを覆《おお》う封絶《ふうぜつ》を張ったのかな……でも、それならなおさら、濱口幸雄《はまぐちゆきお》だけ喰われてない理由が分からない)思いつつ、その自在法《じざいほう》の発動、あるいは存在の力≠繰《く》る予兆《よちょう》に、心の焦点を合わせて警戒《けいかい》する。やはり現状でその気配はない。
(考えすぎかな……それに今日、写真家を名乗る徒《ともがら》≠ェ様子《ようす》を見に来たとして、この程度の気配しか持たない奴《やつ》なら、出るに出られないかも)
「準子《じゅんこ》、ジュース買ってくるよ。なにがいい?」
接触《せっしょく》は望み薄か、と考え始めた少女に、座らず立ったままの濱口幸雄が尋《たず》ねた。
少女は理路《りろ》整然と回答する。
「果汁《かじゅう》の名前付き飲料。甘味《かんみ》料入りで酸味のあまり含まれないもの」
「え、なんだって?」
訊《き》き返されて、もう一度、分かりやすく一言で。
「果汁の、甘いジュース」
「分かった、待ってて」
少年は、今度は苦笑《くしょう》とともに答えて背を向けた。ベンチの正面、広場の反対側にある売店に向かうらしい。その壁に自販機が見えた。
「アラストール、どうかな?」
少女は胸元のペンダントに問いかける。言葉は省いているが、大筋《おおすじ》の意図は伝わった。
「うむ、画家がいたほどだ、写真家たらんと欲する徒《ともがら》≠ェ現れたとて驚きはせぬが……あの発見されたアメリカ人との関わりが読めぬな」
二人の会話は、付近に人がいないため、ごく自然に行われる。
「そうね。それがなかったら、もっと簡単なんだけど。どうしてあっちだけ、存在の力≠ェ少なかったんだろ。十年も行方《ゆくえ》不明だったのと、関係があるのかな」
「ふむ……確実に消耗《しょうもう》し続けている以上、宝具《ほうぐ》を蔵《ぞう》したミステス≠ナもないのだろう。単なるトーチを十年も持たせるような徒《ともがら》≠ヘ聞いたことがない……たまたま他所《よそ》から流入したと考えられなくもないが」
「――『まぐれや偶然は、最初から考慮《こうりょ》の内に入れてはならない』――」
少女は教えられた心得《こころえ》を唱《とな》えてから、ふう、と溜息《ためいき》を吐《つ》く。
「本当、今度の相手はややこしいね」
「欲望の形は人毎《ひとごと》に無限だ。それを自在に現す徒《ともがら》≠ナあれば、なおさら多彩《たさい》となる」
頷《うなず》て答え、何気なく広場に巡らせていた視線を、
「やっぱり実際に遭遇《そうぐう》してみなきゃ、分からな――」
濱口幸雄《はまぐちゆきお》に戻そうとして、
「――!?」
見失った。
「な!?」
幾人《いくにん》かが間を過《よ》ぎる広場の反対側、少女の座るベンチの真正面に位置する売店、その前にある自販機。ほんの数秒、視線を僅《わず》か他所にやる前まで、そこに少年は立っていた。今、その姿は掻《か》き消すようになくなっている。
「どうして」
周囲を視線《しせん》鋭く見回しながら立ち、弾《はじ》けるような勢いで駆け出す。
抜かりなく周囲を警戒《けいかい》していた。どんな小さな存在の力≠フ発動があっても、その予兆《よちょう》とともに捉《とら》えようと、感覚を最大限に研《と》ぎ澄ましていた。
(トイレにでも行った?)
殺気や敵意の類《たぐい》が向けられた感覚はなかった。
(死角に入っただけ?)
その中で、いきなり少年が消えている。
(店の中にいる?)
心中《しんちゅう》、可能性を並べる内に、少女は自販機の前に立った。
(公衆トイレには私の視界《しかい》を過ぎらないと行けない、私が走った速度以上の移動はない、自販機から店の中に入る時間的|余裕《よゆう》はない)
早々に先の可能性は否定された。となると、
(人間以上の力が、彼を持ち去った)
素早く冷徹《れいてつ》に的確に、状況を確認する。玉砂利《たまじゃり》の上には、速力の痕跡《こんせき》らしい大きな抉《えぐ》れはない。空中に攫《さら》ったのなら見えていたはずである。自在法《じざいほう》も使われていない。
「!」
と、自販機の陰、店と店の間に、路地ともいえない隙間《すきま》があるのに気付く。人《ひと》一人、体を横にしてようやく通れそうな狭さである。そこを覗《のぞ》き込んだ少女は、ギョッとなった。
年月|相応《そうおう》の埃《ほこり》がこびり付いた壁に一線、なにかを擦《こす》ったような、
詰め込まれた泥塗《どろまみ》れの廃材の上に点々、不気味《ぶきみ》な大きさと形の、
爛《ただ》れた赤銅色《しゃくどういろ》の残り火をチラチラ燃やす、それは焦《こ》げ跡だった。
(――紅)
濱口幸雄を狙っていた者が人間ではない、
(世《ぜ》の)
決定的な証拠《しょうこ》を目の当たりにした瞬間、
(徒《ともがら》!!)
少女は痕跡《こんせき》を追い、狭い隙間《すきま》へと矢のように跳躍《ちょうやく》していた。
躍《おど》り出た売店の裏は、手入れも杜撰《ずさん》な林。その黒ずんだ地肌《じはだ》に、大きな間隔《かんかく》での足跡《あしあと》が、やはり先と同じ、爛《ただ》れた赤銅色《しゃくどういろ》の残り火として点々と穿《うが》たれている。
数十秒のタイムラグを縮めんと、これを辿《たど》って駆け出す少女は、
(なんなの、いったい?)
跳び越す眼下に見た一瞬で徒《ともがら》≠フ性質を看破《かんぱ》し、呆れていた[#「呆れていた」に傍点]。
あの埃《ほこり》っぽい隙間に残されていたものは、特殊な自在法《じざいほう》の傷痕《きずあと》などではない。
もっと稚拙《ちせつ》で、馬鹿らしく、いい加減《かげん》な行為の結果だった。
壁に一線ついていたものは体を擦《こす》った跡。
廃材《はいざい》の上に点々と残されていたものは長尺《ながじゃく》の歩幅で往復した跡。
つまり、今も前へと延びているこれは、単なる徒《ともがら》≠フ走った跡[#「走った跡」に傍点]なのである。少女が一跳《ひとっと》びで越えた隙間を、あんな無様《ぶざま》な体捌《たいさば》きでしか通り抜けられず、おまけに焦《こ》げ跡と残り火まで付けている。自在法を使ってもいないのに火が漏れている(恐らくは激しく動いたためだろう)。というのは、己《おの》が存在をこの世に実体化させる『顕現《けんげん》』が不安定ということに他ならない。
(不《ぶ》器用すぎる……でも)
だとしたら、なおさら奇妙《きみょう》だった。
(気配が微弱《びじゃく》な、それこそ眼前に現れても圧迫感さえない程度の徒《ともがら》≠ェ……)
「フレイムヘイズの至近《しきん》で、ここまで無法な真似《まね》をするとは」
アラストールが、まるで少女の内心を継ぐように、小さく呟《つぶや》いた。
「うん」
走る少女も、同感と小さく頷《うなず》く。
二人とも、まさかフレイムヘイズを前にした紅世《ぐぜ》の徒《ともがら》≠ェ、ただ人攫《ひとさら》いを行うだけとは予想だにしていなかった。なぜその場で喰わなかった、なぜ討《う》ち手を眼前にして戦わなかった、なぜその拉致《らち》を見逃してしまった……不可解《ふかかい》な疑問ばかりが降り積もってゆく。
(くそっ)
少女は己が不覚を恥じる。
(――「おはよー」――)
(――「俺のせいで両親と喧嘩《けんか》するのは、よくないよ」――)
ほんの数分前まで一緒に歩いていた濱口幸雄《はまぐちゆきお》が、囚《とら》われた。
(――「やった! なんなら、ツーショットも撮ってもらおうか」――)
(――「……あ、はは」――)
自分という者が付いていながら、みすみす。
(――「はい、どうぞ」――)
(――「準子《じゅんこ》、ジュース買ってくるよ。なにがいい?」――)
不甲斐《ふがい》ない自分への怒りを燃やす。
(なんて間抜《まぬ》けな!!)
少女はフレイムヘイズとして、感情を炎《ほのお》の嵐のように咆《ほ》え猛《たけ》らせていたが、同時に理性を厚い氷のように張り詰めさせてもいた。感情からの行動、理性からの分析《ぶんせき》、それぞれを車の両輪に、ひたすら徒《ともがら》≠フ討滅《とうめつ》を目指して邁進《まいしん》する。
(この森は、たしか――)
少女はこの町に現れてから数日、地図|等《など》の資料を綿密《めんみつ》に調べ上げ、実地での見分《けんぶん》も細かく行っている。大上《おおがみ》準子の『絆《きずな》』の力を借りるまでもない。手に取るように先が見えた。
城址《じょうし》公園は、公園となっている遺構《いこう》を広い環状《かんじょう》道路でぐるりと囲み、三箇所で各方向の幹線道路に連結される、という構造をしている。今《いま》少女が走る森の先には、環状道路沿いにやはり三箇所|設《もう》けられている、駐車場の一つがあるはずだった。
見分時《けんぶんじ》の記憶《きおく》を手繰《たぐ》り、小さく舌打《したう》ちする。
(ちっ、舗装《ほそう》された場所じゃ、足跡《あしあと》が残りにくい)
樹間《じゅかん》を抜ける疾風《しっぷう》のように駆けること数十秒。眼前に光が差し、端《はし》に落ち葉の積もった、アスファルト敷きの駐車場が広がった。飛び出た少女は、素早く周囲を見回す。
(どこだ――)
また一駆《ひとか》けして、城址公園内から幹線道路に繋《つな》がる寂しい道路の前後を確認する。
と、
「――あの大きいやつ!」
車通りのない道路の遠方、箱型コンテナを引いた大型トレーラーが、ゆっくりと巨重《きょじゅう》に速度を与えつつあるのが見えた。煤塵《ばいじん》を車体|下側部《かそくぶ》から盛大に吐き出し、全力で追跡者から逃れようとしている。
「車、だと?」
アラストールの返答は、少女への異議申し立てではない。
どうして徒《ともがら》≠ェ身軽な、隠《かく》れるも撹乱《かくらん》するも容易《たやす》い身一つで逃げないのか――しかも、逃走経路が限られる車両、明らかに取り回しの悪そうな大型トレーラーなどを使って――それら不審《ふしん》の表明である。
全く、手口といい、姿勢といい、不可解《ふかかい》なことばかり行う徒《ともがら》≠セった。
(でも、詮索《せんさく》は後)
思って、少女は息を吸い、
「……っ!」
それを胸中《きょうちゅう》で爆発させたかのように、バン、と地を蹴《け》って走り始めた。
前方を行くトレーラーは、重くガリガリとエンジンの咆哮《ほうこう》を上げて、さらに加速する。
少女も負けじと足に力を込めて、
一跳《ひとと》び、
二跳《ふたと》び、
三跳《みと》び、
まるで地面スレスレを飛翔《ひしょう》するように、壮絶《そうぜつ》な勢いで駆ける。いつしか、その走る姿には、漆黒《しっこく》の風とも見えるコートが纏《まと》われていた。
程《ほど》なく前方、トレーラーが幹線道路に連結するコーナーへと差し掛かり、速度を僅《わず》かに落とした。
(よし――)
少女は一気に距離を詰めつつ、右手をコート左の内懐《うちぶところ》、腰の辺りに差し入れる。見る見る迫るコンテナの後部、両開きの重厚《じゅうこう》な扉との距離を見切り、
「――っは!」
抜きつけに、左腰から現れた細身厚刃《ほそみあつば》の大太刀一閃《おおだちいっせん》、扉を縦向きの閂《かんぬき》として固定していたロックバーとハンドルを両断した。さらに、頭上へと振り上げた大太刀の柄先《つかさき》に左手を継ぎ、静止の間を置かず斬《き》り下げる。
バツの字に斬られた扉の中央から部品が次々と脱落し、コーナーを曲がる慣性《かんせい》を受けた扉が片方、大きく開いた。
その隙間《すきま》を狙い、少女は最後の跳躍《ちょうやく》で、
「っだ!!」
一気にコンテナの中へと躍《おど》り込む。
その奥、明かりもない暗がりの底から、
「な……なんだ、と……」
震える驚愕《きょうがく》の声が響《ひび》いた。
その何者かの瞳に、
紅蓮《ぐれん》が映る。
片膝《かたひざ》をついていた少女は、揺れるコンテナの床を踏み、ゆっくりと立ち上がる。
バタバタと巻く風に大きく翻《ひるがえ》るのは、漆黒のコートの形態をした万能の衣《ころも》『夜笠《よがさ》』。
右手に握られているのは、持ち主の身の丈《たけ》ほどはあろうかという大太刀『贄殿遮那《にえとののしゃな》』。
見る者の心を燃やすような紅蓮に煌《きらめ》き、火《ひ》の粉《こ》を舞い咲かせて長く棚引《たなび》くのは『炎髪《えんぱつ》』。
そして、ゆっくりと開かれる、やはり紅蓮に煌く相貌《そうぼう》は『灼眼《しゃくがん》』。
これぞ紅世《ぐぜ》$^正の魔神《まじん》天壌《てんじょう》の劫火《ごうか》<Aラストールの契約者。
討滅《とうめつ》者フレイムヘイズ『炎髪灼眼《えんぱつしゃくがん》の討《う》ち手《て》』、その真の姿だった。
今や、全開の力でそこに在るフレイムヘイズの少女は、自ら煌《きらめ》く。
まるで、そんな少女に対抗するかのように、
「……っ!」
爛《ただ》れた赤銅色《しゃくどういろ》の炎《ほのお》が、直下から吹き上がった。
床面に残されるのは、同色の炎で描かれた、奇怪《きかい》な紋章《もんしょう》。
少女は感じる。
このトレーラーに自在法《じざいほう》――世界の流れから内部を断絶させ、外部から隠蔽《いんぺい》する、因果《いんが》孤立空間『封絶《ふうぜつ》』――がかけられたことを。もはや、この車は人間には見えなくなっていた。所有者の恣《ほしいまま》に、どこまでも暴走を続ける。
その車体が今、速度を増し、エンジンを大きく震わせながら坂を上っている。
少女は、事前に調べた地勢と自分の追跡した方向、時間を考え合わせ、答えを導き出した。
トレーラーは、高速道路のインターチェンジに入ったのである。この車は、この車の持ち主である徒《ともがら》≠ヘ、すでに逃走を始めていたのだった。
(させない――)
思い、フレイムヘイズの少女は自分の煌《きらめ》きと封絶《ふうぜつ》の炎、双方で照らし出されたコンテナの内部を見やる。見やって、絶句《ぜっく》した。
「!?」
「む、う」
アラストールも驚愕《きょうがく》に息を呑む。
見る二人の前、コンテナの内部には、狂的な情念《じょうねん》の一つ姿が広がっていた。
写真、
シャボン玉、
写真、シャボン玉、
写真、シャボン玉、写真、シャボン玉、
写真写真、シャボン玉、写真、シャボン玉、写真、シャボン玉シャボン玉、写真……
広い直方形の内壁一面に、真新しいプリントから黒染《くろじ》みた銀板まで、様々な時代・種類の写真が、隙間《すきま》もないほど乱雑に貼《は》り付けられていた。
同様に、広い直方体の空間を一杯に埋めて、異様《いよう》に大きな、色もとりどりなシャボン玉が無数、薄暗い宙を不規則に浮遊していた。
混沌《こんとん》の暗室のように、悪夢《あくむ》の現れのように、平面が、空間が、何らかの情念で塗り固められている――肌《はだ》をゾロリと撫《な》でる怖気《おぞけ》や悪寒《おかん》を通して、少女はそれを感じた。
と、傍《かたわ》らに一つ、
(?)
シャボン玉が漂ってきたことで、気付かされる。
(なに?)
その薄く光る球体の中、反射の狭間《はざま》に、人影《ひとかげ》が見えた。
(人形……)
シャボン玉に合わせた大きさの、直立した男性である。
(……じゃ、ない)
どうやってか、身の丈《たけ》を縮ませて中に入っているのは、人間だった。
(なんだ、いったい?)
肌《はだ》にある怖気《おぞけ》と悪寒《おかん》の根源を探るように、少女は周囲に灼眼《しゃくがん》を巡らす。
(なにを、ここで、している?)
コンテナの内に広がる光景、狂的な情念の共通|項《こう》は、容易《たやす》く見つかった。
その全てに、人がある[#「人がある」に傍点]。
写真の対象《たいしょう》は全て人物、それもモデルのようなスタイルと容姿《ようし》を持っている。
シャボン玉の中に入っている人間も、同じく美男子《びなんし》と言っていい男性ばかり。
「なに、これ」
フレイムヘイズの少女は、この光景に感じた、得も言われぬ嫌悪《けんお》感をまま、口にした。
それに答えてか、
「う……」
不気味《ぶきみ》な世界の奥の奥、
「おお……」
ひときわ集まるシャボン玉の陰から、震える声が響《ひび》いた。
「え、炎髪《えんぱつ》、灼眼《しゃくがん》だ……くそ[#「くそ」に傍点]、美しい[#「美しい」に傍点]……」
それとは逆に、確信と威厳《いげん》に満ちたアラストールの声が、厳《きび》しく詰問《きつもん》する。
「何奴《なにやつ》だ、貴様《きさま》。ここでなにをしていた」
僅《わず》かに間を空《あ》けて、
「キ、ヒ、ヘヘ……」
コンテナのどん詰まり、シャボン玉に隠《かく》れて見えない何者かが、咽喉《のど》の中で掠《かす》れ果てるような笑い声を上げた。
「……大魔神《だいまじん》天壌《てんじょう》の、劫火《ごうか》=c…本《ほん》、物《もの》だ」
答えではない、なんらかの感情そのものの発露《はつろ》である、声。
その響きの不快さに、少女は眉根《まゆね》を険しく寄せる。
それを知ってか知らずか、声は続ける。
「ニ、ヒイ、ヒアハハ、いい、だろ? これ全部、俺様のだ……この纏玩《てんがん》<Eコバク様の、もの……」
真名《まな》も通称も、聞いたことのない徒《ともがら》≠セった。
ガタン、と高速道路を爆走する不可視《ふかし》のトレーラーが揺れて、ウコバクと名乗った徒《ともがら》≠ヘ言葉を切った。息をヒュウッと吸い込んで、言い直す。
「っくひ、俺様の……俺様の、『いつかこうなる俺様』の、モデルとなる、姿、だ」
俺様、俺様、としつこく繰り返す徒《ともがら》≠、少女は灼眼《しゃくがん》で見据《みす》える。感情を込めて睨《にら》みつけるのではない。どんな性質を持つ敵であるかを見定めるために、冷厳《れいげん》と見据える。
そのとき、また車体が大きく揺れて、少女も、宙にあるシャボン玉も、奥のウコバクも一緒に、加速の中で浮遊した。二、三秒で、巨大な車体が乱暴に、路面を打つ。
ドズン、と常識|外《はず》れな速度のツケが衝撃《しょうげき》になってコンテナを揺さぶる。
少女は軽く両膝《りょうひざ》を沈ませるだけで耐えたが、奥で床にうずくまっていたらしいウコバクは、体をまともに打ちつけ、
「ぐぶっ、げあ」
と気味の悪い叫びをあげた。その拍子にシャボン玉の間から、醜《みにく》く野太《のぶと》い腕がゴロリと前に倒れ落ちた。
「っ!?」
少女が驚きに灼眼を見張る間も僅《わず》か四半秒、
「ひあ、おお……」
恥辱《ちじょく》の呻《うめ》きとともに、その、人では在り得ない腕が、シャボン玉の陰に引き込まれる。不完全な顕現《けんげん》の証《あかし》である爛《ただ》れた赤銅色《しゃくどういろ》の火《ひ》が、腕を打ちつけた床にチラチラと残されていた。
アラストールが、契約者の少女とは別種の驚きを、平静な声にして奥に放る。
「本性《ほんしょう》ままの顕現とは、当節《とうせつ》珍しいことだ」
往古《おうこ》、多くの徒《ともがら》≠ヘ、己《おのれ》の意志|総体《そうたい》をそのまま特徴とした形態で顕現していた。
意志総体、つまりメンタリティの作りこそ人間と同じではあったものの、恣《ほしいまま》に己《おの》が在《あ》り様《よう》を現していた彼らは、趣向《しゅこう》・気質・個性をそのまま、外見にも表出《ひょうしゅつ》させたのである。ときにはこの世でも見られる物体や動物そのままの姿を、ときには全く見たこともない化《ば》け物《もの》の姿を、またときには混ぜ物のようにデタラメな姿を取ることもあった。
ところが近代になって、人間という種が文明文化、社会形態において目覚しい進歩を遂《と》げると、徒《ともがら》≠轤ヘ『高度で洗練《せんれん》された生物《いきもの》・人間の姿』に憧《あこが》れるようになった。その社会の中に欲望の対象《たいしょう》を見つける者が多数出たためでもある。
そうしていつしか、彼らは心の在り様そのままだった顕現を、その本性に見合った人間の形態へと変換するようになっていった。今では僅《わず》かな例外を除いた、ほぼ全ての徒《ともがら》≠ェ、この『人化《じんか》』の自在法《じざいほう》によって人間の姿を取っている。
アラストールの感想は、ウコバクがその僅かな例外であることを指《さ》していた。
「うぐ、あ、ヒ、ヒヒ」
ゴロゴロと咽喉《のど》の奥を鳴らしながら、醜《みにく》い本性のままの徒《ともがら》≠ヘ笑い声を漏らす。
「こ、こんな姿は、俺様の、望むものじゃ、ない」
やはり今度も、返答ではなかった。まるで独り言のようにブツブツと呟《つぶや》き続ける。
「だから……ここに、集めた奴《やつ》らの姿を、研究して、一番、一番、美しい、『いつかこうなる俺様』の姿を作るんだ……『人化』の、自在法だけじゃ、俺様を、俺様を現しきれない[#「俺様を現しきれない」に傍点]……満足できる俺様の姿を、作れない」
「そのような些事《さじ》のために、人間たちを捕らえているだと……?」
吐露《とろ》された、あまりにちっぽけな計画に、アラストールは不審《ふしん》の声を漏らした。
(……)
少女はアラストールの戸惑《とまど》いに、共感を覚えていた。『この世のバランスを守る』という、行為としては差し迫り、状況としては終息《しゅうそく》も見えない、遠大《えんだい》過ぎる志《こころざし》を抱く紅世《ぐぜ》の王≠フ契約者として。強大なる魔神《まじん》のフレイムヘイズとして。
逆にウコバクの、行為と気宇《きう》、ともに卑小《ひしょう》な望みには、全く共感できなかった。容姿の美しさ程度のことに、狂的な情念《じょうねん》を抱ける気持ちが、そもそも分からない。あるいは優れたる者の傲慢《ごうまん》として。故《ゆえ》にこそ優れたる者として在るように。
目の前、シャボン玉の狭間《はざま》に開いた暗がりから向けられる嫉視《しっし》の感触《かんしょく》、その情念が起こすだろう行為への警戒《けいかい》だけが、彼女にとっての纏玩《てんがん》<Eコバクの全てだった。
(……どうしてこんな奴《やつ》に、不意を討《う》たれたんだろう?)
改めて感じる。纏玩《てんがん》<Eコバクは、その持てる望み同様、あまりにちっぽけな存在だった。強大なる紅世《ぐぜ》の王≠ヌころか徒《ともがら》≠フ中でも劣弱《れつじゃく》な部類に入るだろう。その程度の存在が、たかが外見如き[#「たかが外見如き」に傍点]のために、自らの存在を、今のような危険に晒《さら》すとは。
(ん?)
と、その存在の小ささを感じ、嫉視《しっし》に当てられる内に、気付いた。
(そうか)
なぜ自分が、ウコバクの接近を感知《かんち》できなかったのか。
みすみす濱口幸雄《はまぐちゆきお》の拉致《らち》を許してしまったのか。
気付いて、ただ、哀れに感じた[#「哀れに感じた」に傍点]。
アラストールが淡々《たんたん》と、しかし重く低い声で続ける。
「自らの本性《ほんしょう》に見合わぬ外見を作る[#「作る」に傍点]のは、単なる顕現《けんげん》の変換である『人化《じんか》』とは違う。不自然であるがゆえに、常時《じょうじ》相応の存在の力≠消費することになるぞ。貴様如《きさまごと》き存在で、それを賄《まかな》いきれるとは思えぬ。理想の姿とやらも、作れたとて仮の面《めん》程度のものにしかなるまい」
「ぐ、ぐう、ぐ――」
ウコバクは事実を前に、呻《うめ》き声しか出すことができない。
(なんて、弱い)
その、なにもかもの、あまりな卑小《ひしょう》さ。
他でもない、その卑小さこそが、不意を討たれた原因なのだった。
劣弱な徒《ともがら》≠スるウコバクは、強大なるフレイムヘイズたる少女に、敵意や殺意という強い意志を、怒りや憎しみという能動的な感情を、ぶつけることができなかったのである。できたのは、暗い……しかし彼にとっては全てである、妬みを感じること[#「妬みを感じること」に傍点]、それだけ。
少女が、他者から頻繁《ひんぱん》に向けられる感情としてシャットダウンしていた類《たぐい》のもの(少女はそれを、自分の美しさではなく強さへのものと勘違《かんちが》いしていたが)、それだけしか彼は持っていなかったのである。戦意のない相手を、戦士は敵と認識できない。とんだ盲点《もうてん》だった。
そしてもう一つ、恐らくはこの徒《ともがら》≠ノとって、最も酷《こく》な事実があった。
だからこそ、少女はそれを、敵を揺さぶる手段として突き付ける。
「おまえは、弱い」
「な、ぬ、だと……」
ウコバクは突然の宣告に、呻きを止めた。
「おまえを形作る情念《じょうねん》も、おまえを支える欲望も……それらを反転させた負の感情も、全て、ただの人間たちに混じる程度にしか、感じられなかった」
「……」
沈黙《ちんもく》と物陰《ものかげ》の奥底で、ジワジワと力が集まっていく。
弱い、力が。
「おまえの全ては[#「おまえの全ては」に傍点]、それほどに、弱い。自分の望みが、届いても維持さえできない、意味のないものだと、知ってもいる」
「――」
少女はさらに辛辣《しんらつ》な、強者としての無情さで告げる。
ただの、事実を。
「全てを知って、それでも『いつか』にすがってるような奴《やつ》は、小さく弱くしかなれない」
無駄《むだ》だと分かって、それでも強い少女は、通告する。
「もう、紅世《ぐぜ》≠ノ帰りなさい。あなたのような徒《ともがら》≠ヘ、これ以上この世にいても、周りに害を及ぼすだけで、なにもできない」
その、強者ゆえのとどめに、弱者ゆえの執着《しゅうちゃく》が声となって爆発した。
「――っく、ああ、黙れぇえっ!!」
逆上《ぎゃくじょう》したウコバク……自分の卑小《ひしょう》さを知っている徒《ともがら》≠ヘ、そのありのままの右腕[#「ありのままの右腕」に傍点]を前に突き出した。手の先にかざされた金属の輪に、強烈な勢いで息を吹きかける。
「っぶがはあー!!」
途端《とたん》、無数のシャボン玉が、その輪から溢《あふ》れ出た。
(捕獲《ほかく》のための宝具《ほうぐ》か)
少女は、ウコバク程度の徒《ともがら》≠ナはさほど手の込んだ自在法《じざいほう》は構築《こうちく》できないだろう、コンテナの内部の状況と眼前の攻撃がどう結びつくのか、などの分析《ぶんせき》を刹那《せつな》の内に経て、この玉に触れた者は中に閉じ込められるのだろう、と結論|付《づ》ける。
そうして迎える、不気味《ぶきみ》な洪水《こうずい》とも見えるシャボン玉の殺到《さっとう》を、
「ふん」
少女は鼻で笑い飛ばしていた。その傍《かたわ》ら、滑《なめ》らかで、無駄に空気を斬《き》らない剣風《けんぷう》が奔《はし》っている。途中で一度、ドドン、と高速の路面で床が大きく跳ねたが、奔る剣風、描かれる刃筋《はすじ》は全く揺るがず乱れない。大太刀《おおだち》を僅《わず》かに四振《よんふ》り、五振りさせただけで、少女は迫ってきた全てのシャボン玉を破裂、消滅《しょうめつ》させていた。
ウコバクは、シャボン玉の陰で、驚きに身を竦《すく》める。
「……な、んだと」
「無駄よ。『贄殿遮那《にえとののしゃな》』に、そんな小細工《こざいく》は通用しない」
「あ、あ……う」
彼のような、世間の隅《すみ》に隠《かく》れ住む一介《いっかい》の徒《ともがら》≠ナも、その大太刀の噂《うわさ》は聞いていた。
伝説・迷信《めいしん》の類《たぐい》として語られる、恐怖の化《ば》け物《もの》天目一個《てんもくいっこ》=Bその持物《じぶつ》たる、神通無比《じんつうむひ》の大業物《おおわざもの》を、この眼前にある強大なフレイムヘイズが……否、強大なフレイムヘイズだからこそ、所持している。
その、容赦《ようしゃ》というものを全く知らない現実に突き当たって、卑小《ひしょう》な徒《ともがら》≠ヘ嫉妬《しっと》に、ようやくの怒りを混ぜる。二つの感情の表れである声を、まるで泡《あわ》のように吹く。
「ぐ、ぶぐ……、ぐ」
そして彼は、その卑小さゆえに、感情を逆転させる。
「ぐ、ふ、ぐぐふ、フ」
戦闘における劣勢《れっせい》ではなく、劣等感[#「劣等感」に傍点]を覆《くつがえ》す切り札を自分が握っている。
強敵を撃退《げきたい》するのではなく、自分を脅《おびや》かす者を、いたぶることができる。
それら、暗い喜悦《きえつ》の表れだった。
「フグ、ハ、ハ……」
彼は笑い、金属の輪をかざしたままの右腕と並べて、左腕を陰の中から突き出した。
「……これ、分かるな?」
その掌《てのひら》の上には、バスケットボール大のシャボン玉が載っている。
ほんの毛幅《けはば》ほど、少女は眉根《まゆね》を寄せる。自分へとかざされたシャボン玉の中、直立している少年には、見覚えがあった。
濱口幸雄《はまぐちゆきお》である。
大きく無邪気《むじゃき》っぽい瞳は、虚《うつ》ろに空を見つめ、全体的な線の細さは、身の丈《たけ》が縮んだことで脆《もろ》さを想起《そうき》させる。人形として見れば、その姿態《したい》はまさしく芸術品とも言える美しさ。
しかし、彼は人形ではない。生きた人間だった。
それを、醜《みにく》い徒《ともがら》≠ェ説明する。
「ヘ、ハハ、ヒヒ、こいつは、死んでない……まだ、生きてるぞ」
「フレイムヘイズに、人質《ひとじち》が通用すると思ってるの?」
少女の冷淡《れいたん》無情な反応、自身の危機ともいえる返答に、なぜかウコバクは笑って返した。
「キハ、ハ、そういう、こと、じゃ、ない……分かって、ないな」
「?」
怪訝《けげん》の色を混ぜる灼眼《しゃくがん》に、変わらず暗い嫉視《しっし》で返すウコバクは、ゆっくりと立ち上がった。
コンテナ最奥《さいおう》に伸び上がった体躯《たいく》は、天井に着くほどに大きい。その体中には大小のシャボン玉が張り付いて、本体は見えなかった。
「この、俺様の『アタランテ』は、捕縛《ほばく》の宝具《ほうぐ》……閉じ込めるだけ[#「閉じ込めるだけ」に傍点]。それだけ、しか、できない。戦いでは、さっきのが、せいぜいだ」
言う彼、そそり立つシャボン玉の塔《とう》の中から、『アタランテ』というらしい金属の輪型《わがた》の宝具をかざす右腕と、濱口幸雄を入れたシャボン玉を握る左腕だけが、突き出ている。
(なら、なぜ笑う?)
少女とアラストール、二人はともに疑問を抱いた。言われたとおり、既にシャボン玉の攻勢を退けてもいる。今さら宝具《ほうぐ》のことをひけらかす意図が読めなかった。
「だが、な、ヘハ、ヒヒ」
対するウコバクは、状況を支配する喜悦《きえつ》に浸《ひた》りつつ答える。
「中に、入ってる奴《やつ》は皆、動けないだけだ。皆、生きてる。死んでない。ただ、動けないだけで、生き、続けてる。おまえの、周りにいる連中《れんちゅう》、皆、みんな」
「動けないだけで[#「動けないだけで」に傍点]、生き続けてる[#「生き続けてる」に傍点]……?」
ふと少女は一つの事件――自分があの町に現れるきっかけとなった、この徒《ともがら》≠ニ関わる原因となった、一つの事件のことを思い出した。
「やっぱり、あの十年ぶりに見つかった男も、おまえが?」
ウコバクは、シャボン玉の塔《とう》に見える巨体を揺すり、愉快《ゆかい》げに笑う。
「ハ、ヘハ、そう、か、十年、だったか? 髪の色がくすんで、肌《はだ》に皺《しわ》が入った、から、喰らって、捨てた。写真は、ちゃんと残して、あるから、捨てても、いいん、だ」
「……」
少女は、非道《ひどう》への怒り以上に、
(こいつを放って置くわけにはいかない)
というフレイムヘイズの使命感から、灼眼《しゃくがん》の内に激しい闘争心《とうそうしん》を燃やす。
「すぐ消える、ように、トーチの構成に必要な量、ギリギリまで存在の力=A喰らってやったのに、まさか、消える前に見つかる、とは、な。運が悪い、ググ、ヒバ」
シャボン玉……ただ腐らせるためだけに仕舞っておく玩具箱《おもちゃばこ》の陰で、大きな目玉《めだま》がギョロリと巡り、自分の左掌《てのひら》に載せたものを指《さ》して止まる。
「この、コレクション、若い奴が、少なくなってたから、な……こいつを」
濱口幸雄《はまぐちゆきお》が、これ見よがしにかざされる。
「着飾《きかざ》らせて、から、手に、入れるため、に日を置いたのが、まずかった、か? それとも、撮影《さつえい》の、邪魔《じゃま》をしようとした、女を、喰らった方、か?」
フレイムヘイズの少女は、この挑発《ちょうはつ》にも似た長口舌《ながこうぜつ》に惑《まど》わされていない。灼眼を相手の姿に定め、焼き付けるように凝視《ぎょうし》する。
冷静に、相手の意図を看破《かんぱ》しようと、全てを張り詰めさせていた。巻き込まれた濱口幸雄の運命も、大上準子《おおがみじゅんこ》が喰われた経緯《けいい》も、その緊張《きんちょう》に何の響《ひび》きも揺らぎも生じさせない。全てが、自分と眼前の徒《ともがら》≠フ行動、それのみに向けられていた。
シャボン玉の影で、纏玩《てんがん》<Eコバクは嗤《わら》う。
「ヒフ、ハ、ヘエ、まだ、分からない、か」
小さくも強く美しいフレイムヘイズを、大きくも卑小《ひしょう》な――今は――醜《みにく》い自分が、高みから見下《みくだ》す。勝利への切り札を持って。たまらない、全く、たまらない。
「おまえ、の周りに浮かんでる、全ての泡《あわ》に、人間がいる」
フレイムヘイズの動揺と隙《すき》を、この手段[#「この手段」に傍点]で何度も生み出している。それは、世界のバランスなどという戯言《たわごと》を信奉《しんぽう》するフレイムヘイズの習性のようなものだ。
「この人間ども、全て喰らえば、どれほど、の歪《ゆが》みになる、か」
長い長い、『いつかこうなる自分』を目指す時の中で、この捕らえた少女をどう使おう。いつものように売り渡してもいい。これほどの美しさなら、傍《かたわ》らに置き、勝利の記念|碑《ひ》とするのもいい。
「見ろ――!!」
ブワッ、と、トレーラーの速度にも拘《かかわ》らず、今までコンテナの中に緩く滞空《たいくう》していたシャボン玉が、一斉《いっせい》に宙へと舞い上がった。
ウコバクと少女の間を塞《ふさ》ぐ、それは数百|単位《たんい》の、人間そのものによる盾《たて》だった。
これだけの数が一気に喰われれば、この世に与える歪みは相当な大きさになる。
といって、シャボン玉の全てを薙《な》ぎ払って突き進めば、無数の命が犠牲《ぎせい》となる。
(く、ら、え)
この錯綜《さくそう》する情況《じょうきょう》によって与えられる数秒の動揺《どうよう》、
(これ、で、終わり、だ!!)
しかし、ウコバクにとっては、それだけの間が得られれば十分だった。
「っぶごはぁ!!」
突風のような吐息《といき》が、右腕の前にかざされた『アタランテ』に吹き込まれた。
生まれるのは先の如《ごと》き、小さな無数のものではない。
大きな一つ……彼の力の大半《たいはん》を費やして生み出された、大きな一つのシャボン玉だった。
その、ほとんどコンテナの直径ほどもある球体の驀進《ばくしん》を、宙を舞う小さなシャボン玉たちは羽毛《うもう》の舞うように軽く緩く、かわしてゆく。フレイムヘイズの側から見れば、人質《ひとじち》の群れの中から、巨大な檻《おり》が突如《とつじょ》出現するのに等しい。動揺の中でこの不意討《ふいう》ちを避けられるわけがない。
そう確信するウコバクの眼前で突如《とつじょ》、
バン!
と紅蓮《ぐれん》の光が閃《ひらめ》いた。
「――ッギ、オ!?」
驚き固まる彼の前にいきなり、大きなシャボン玉がコンテナの中央を押し通った軌跡《きせき》……押しのけられた無数の小さなシャボン玉による洞穴《どうけつ》が残された。
その向こうに、彼の世界の出口が見える。
大きく一面に開け放たれたコンテナの後部と、
無茶《むちゃ》なスピードで流れ過ぎてゆく高速道路と、
トラックを中心にした封絶《ふうぜつ》の外壁である陽炎《かげろう》。
ウコバクは、自分の目を焼いた閃光《せんこう》が、少女の足裏《あしうら》から発された爆火《ばっか》であることを、それがたった一撃《いちげき》で、彼の全力を込めて放ったシャボン玉を消滅《しょうめつ》させたことを、理解できなかった。
(――なん、だ? 俺の、攻撃は、どうなっ、た――)
ただ、逃げたのか、と虚脱《きょだつ》の中で思い、そして、ようやく気付く。
(道路に、落)
眼前を、斜め上から真横《まよこ》に、『贄殿遮那《にえとののしゃな》』の細く分厚い刀身《とうしん》が通り抜けた。
(ちてない!?)
気付いたことを心に流した、そのときには既に、前方へと差し出していた両腕が、肘《ひじ》からすっ飛んでいた。
「――ッギョアああオうウあおーっ!?」
コンテナ全体を揺るがす絶叫《ぜっきょう》をすら打ち破るように、少女が――泡《あわ》を破壊する爆火《ばっか》を放ち、視覚を奪う閃光《せんこう》を発し、その噴射《ふんしゃ》の勢いでコンテナ上に飛び移っていたフレイムヘイズの少女が――天井を蹴《け》り砕いて飛び込んできた。コンテナの床に着地するまでの間に、ウコバクの両肘で、爛《ただ》れた赤銅色《しゃくどういろ》の火《ひ》の粉《こ》を撒《ま》き零《こぼ》す斬撃《ざんげき》の跡を確認する。
それは、攻撃の寸前《すんぜん》まで目に焼き付けていた位置と、ミリ単位で同じだった。
自分の技量が信頼に応えたと知り、少女は強烈な自負《じふ》の笑みを浮かべる。浮かべつつ、身を縮めた着地で溜《た》めた力によって跳ね上がり、容赦《ようしゃ》ない止《とど》めを、体中に貼《は》り付けたシャボン玉の間を縫《ぬ》った刺突《しとつ》として一撃《いちげき》、大柄《おおがら》な徒《ともがら》≠フ眉間《みけん》に入れる。
「ぼ、ホア、う」
断末魔《だんまつま》とも言えない呼気《こき》が漏れ……体中からハラリハラリと、統制を失ったシャボン玉が剥《は》がれ落ちてゆく。
本当の体が、少女の前に、晒《さら》された。
まるで、そのことだけが大事であるかのように、
「――ア、あ」
両のギョロ目に悲傷《ひしょう》の色が過《よ》ぎり、消えた。
大きな体が、大した勢いもなく火の粉となって弾《はじ》け、すぐ吹き込む風に巻かれて散る。
後に残されていたのは、所在無《しょざいな》げに漂う無数のシャボン玉と、情念《じょうねん》の残滓《ざんし》たる写真、そして金属の輪型《わがた》の宝具《ほうぐ》『アタランテ』だけだった。
それらを見た少女は、感慨《かんがい》ではなく実務上の決着として、一息|吐《つ》く。
「ふう、どうやら徒《ともがら》≠フ討滅《とうめつ》で泡が弾《はじ》けることはないみたいね」
「うむ、もしそうなって、この人数《にんずう》全てが元の大きさを取り戻していたら、大惨事《だいさんじ》となっていたところだ。宝具を破壊しなかったのは好《こう》判断だったと言えよう」
「ふふ――」
アラストールの賛辞《さんじ》に笑い返そうとした少女は、
「――っわ!?」
ガクン、
と突然起きた、急な車体の横滑りにギョッとなった。
「なに!?」
「む、しまった、運転手か――!」
「あっ!!」
ウコバクが消滅《しょうめつ》した今、周囲からトレーラーを隠蔽《いんぺい》する封絶《ふうぜつ》は、彼女が維持している。いつもの戦いと同様、それで後始末《あとしまつ》は済んだ、と思っていたのだが、今回の戦場は疾走《しっそう》する車の上だった。
トレーラーを運転していたのは、恐らくウコバクの燐子《りんね》=i人間が封絶《ふうぜつ》の中で動けるわけはないのだから、当然の消去法である)。あの程度の徒《ともがら》≠ノ高等な燐子《りんね》≠ェ作れるわけはないから、多少《たしょう》自動的に動ける操《あやつ》り人形|程度《ていど》のものに違いない。それがもし、主《あるじ》の消滅で機能を停止していたら――!
「車を止めるのだ!」
「もう、本当に最後まで!!」
ボーン、ボーン、と古い時計の時報が鳴って、
「ん、……?」
大上準子《おおがみじゅんこ》の母は、卓袱台《ちゃぶだい》にもたれかかってのうたた寝から覚めた。
「ああ……もうこんな時間」
誰に言うでもなく言い、どこを見るでもなく見、ただ、思いを馳《は》せる。
(準子、どうしてるかしら)
今日は、四日前に二人と出くわしたときのように、学校の帰りに立ち寄った、という形ではない。本格的なデートである。
(その寄り道程度であんなこと[#「あんなこと」に傍点]してたんだから、今日は……)
娘があんなことをする光景を前にしたとき、子供が子供でなくなる、そんな得も言われぬ不安と心配が、突然|湧《わ》き上がった。そして、それはすぐ悲しさと寂しさに変わり、夫ともども口汚《くちぎたな》く相手の少年を罵《ののし》っていた。
今も胸の奥にこびりついたままの、それらの感情とは別の部分で、自分たちの愚《おろ》かしい行為を激しく後悔《こうかい》する。
(でも、ねえ)
ふう、と溜息《ためいき》を一つ。
昔と今とでは、若者の恋愛に対する観念《かんねん》もかなり違う――そのことは頭では分かっている、つもりだ。しかしそれでも、親の身としては、見たものを、そこから来る感情を、そう簡単には受け入れられない。感情が、悲しさ寂しさであれば、なおのこと。
(まあ、悪い子じゃなさそうだったけれど)
渦中《かちゅう》の人、『濱口《はまぐち》君』は、見た目こそ軽薄《けいはく》そうな今時《いまどき》の少年だったが、一方的に罵《ののし》る(と、今なら自覚できる)自分たちに対しても、反抗や開き直りの色を見せるでもない、本当に済まなさそうな顔をしていた。
(そうだ)
あのときのお詫《わ》びとして、家に招待などしてあげたらどうだろうか、と思いつく。ブレスレットを誤って壊してしまったこともある。娘のことは措《お》いて、個人的にも謝罪したかった。今時の子供というのは、そういう堅苦《かたくる》しい応対を嫌うとも聞いているが、なんとなく、あの少年なら招待を受けてくれるような気がした。
(今から仲良くしておくのも、悪くはないわよね)
と先走って、未来のことまで夢想《むそう》する。
子供が子供でなくなるのと同義《どうぎ》の、
娘が一人の人間として広げる未来のことを、
今度は、明るい感情で。
(どういう口実《こうじつ》で呼べばいいか、準子《じゅんこ》と相談してみよう)
それを聞いたら、準子は喜んでくれるだろうか、それとも警戒《けいかい》されるだろうか……そのときの娘の態度を想像して、クスリと笑う。頬杖《ほおづえ》を突いて、暗くなり始めた窓の外を眺《なが》めた。
「早く、帰って来ないかしら……」
大上《おおがみ》準子の母は、全てを忘れる、そのときまで、娘のことを思っていた。
濱口|幸雄《ゆきお》が目を覚ますと、そこは高速のパーキングエリア内に設けられた臨時|救護所《きゅうごしょ》、仮設テントの中だった。
「なんだ、ここ……痛っ!?」
身を起こそうとした途端《とたん》、頭が痺《しび》れるような痛みを生む。
「あ、動かないで、君」
傍《かたわ》らから、救急隊員だか医者だか判別の付かない白衣《はくい》の男が声をかけた。
聞き分けのいい少年は、言われた通り、もう一度|寝転《ねころ》ぶ。
「あの……ここは、どこなんですか?」
せめてと質問をしてみるが、返ってきたのは、聞いたこともない地名。
(どうなってるんだ……俺は一体?)
その姿勢で周囲に目をやると、天井の高いテントの中に、幾人《いくにん》もの人々が彼と同じように寝かされていた。奇妙《きみょう》なことに、そのほとんどが外国人で、テントの中は英語その他、様々な言語からなる叫びがあがっていた。
救護《きゅうご》に当たっている人たちも、このミニ万博《ばんぱく》には難渋《なんじゅう》しているらしい。
「スペイン、いや、えーと、ブラジルか? 誰か分かる奴《やつ》いないか!?」
「こっち、イタリアの人だ!」
「英語だって分からんって!」
「分からんのなら水あげとけ、どうせ打ち身ばかりなんだ!」
「応援の方はどうなってんの!?」
まさに大わらわ、という状況である。
当然|人《ひと》の出入りも激しく、開け放されたテント出入り口の脇には、白衣《はくい》の人から話を訊《き》いている警官の姿が幾人《いくにん》か見えた。その向こうにもテントが敷設《ふせつ》されている。どうも、よほどの大事件が起きたものらしい。
(なにに、巻き込まれたんだ……?)
思い出そうとするが、こんな所に寝ている状況に至る経緯《けいい》が、どうしても思い出せない。たしか、城址《じょうし》公園に――
「!!」
唐突《とうとつ》に記憶《きおく》が戻った。
(準子《じゅんこ》!)
どんな事件かは知らない、でも自分がこんな状態だ、彼女も同じように巻き込まれているんじゃ、彼女を探さないと、早く何より誰より早く、早く、
(――!?)
いた。
あまりに呆気《あっけ》なく、濱口幸雄《はまぐちゆきお》は、探していた少女・大上《おおがみ》準子を見つけていた。
起き上がろうと首を傾けた先で、彼女はテントの柱に小柄《こがら》な背を預けていた。
(準、子)
思って、求めて、しかしなぜか、声が出ない。体も動かない。
大上準子も、なぜか黙って、静かに佇《たたず》み、見つめ返してくる。騒々《そうぞう》しいテントの中、二人の周囲だけが、まるで切り取られた異世界であるかのように、静かだった。
(準子)
思って、求めて、出したい声が出ない。駆け寄りたい体は動かない。
大上準子の方は静かに、自分を、自分だけを、見ている。
無表情に、しかし僅《わず》かに窺《うかが》うような上目遣《うわめづか》いで。
その姿に、濱口幸雄はとてつもない予感を覚えた。
いなくなる[#「いなくなる」に傍点]。
そんな、悲しみの予感。
(準子《じゅんこ》!)
やはり思っても、求めても、叫びたい声が出ない。抱き止めたい体は動かない。
為《な》す術《すべ》なく見つめる内に、大上《おおがみ》準子が、その可憐《かれん》な唇を、ゆっくりと開く。
始まる。いなくなる[#「いなくなる」に傍点]ことが、始まる。それを食い止めようと、必死に心だけで叫ぶ。
(準子!!)
一瞬、大上準子が不分明《ふぶんめい》ななにかを、表情の内に過《よ》ぎらせた。
(準、子)
それを見たとき、なぜか濱口幸雄《はまぐちゆきお》は、心が躊躇《ためら》うのを感じた。
今までの必死さとは違う、なにか大きな違和《いわ》感のようなものがあって、なにか大きな寂しさのようなものがあって、心が鈍くなり、弾《はず》みを失った。悲しみだけが、残っている。
そんな彼の全てを見ていた大上準子は、少しだけ笑って、無音《むおん》のまま、言葉を紡《つむ》いだ。
さよなら
濱口幸雄は、自分を含めた誰かに、なにかに、その言葉の広がりを波紋《はもん》のように感じた。
感じて、なにかが薄っすらと、感じられなくなっていく、そんな気がした。
一体それがなにを意味しているのか、いたのか、分からない。
ただ、
(……君は……?)
見知らね少女が自分を見ていることだけは、分かった。
静かな世界の中、二人だけで、見詰め合う。
初めて見る、その可憐な黒髪《くろかみ》の少女は、見ている彼の胸を締め付けるほどの微笑《ほほえ》みを見せて俯《うつむ》いた。まるで、顔を隠《かく》すように、俯いた。
(君は――)
その姿になにかを思い、またなにかを求めていた……不可思議《ふかしぎ》な感触《かんしょく》の残滓《ざんし》に戸惑《とまど》う彼の眼前を、救護《きゅうご》の白衣《はくい》が横切る。
(――)
再び見れば、そこに少女の姿はなかった。
まるで、最初から誰も居なかったかのように。
しかし、濱口幸雄は、感じていた。
(……)
足りない。
なにかが。
なにかが。
それを探すように首を、身をよじろうとして、
(……なんだ?)
ふと、自分が掌《てのひら》の中、なにかを握っていることに、気が付いた。
どういうわけか、むやみに固く握っていた掌を、顔の前で開ける。
救護所《きゅうごしょ》の薄い明かりの中、輝いたそれは、大小、淡い桃色《ももいろ》の石を繋《つな》いだブレスレット。
たしか、自分が大奮発《だいふんぱつ》して買った高級品だった。店も覚えている。
しかし、理由が分からない。贈るような相手は、まだいないのに。
ふと、ぶら下がるそのブレスレットに、見つける。
(……あれっ?)
石と石を繋ぐ紐《ひも》には、なぜか結び目があった。
既製品《きせいひん》にあるはずのない、しかしとても丁寧《ていねい》な、結び目が。
(どう、して……?)
視界《しかい》が急に、滲《にじ》んだ。
(どうしたん、だろう……)
「き、君! どこか痛むのか!?」
(なにが、どう、して……)
「おーい、来てくれ! どうした、どこが痛む?」
(なん……で――?)
集まる色とりどりの衆目《しゅうもく》も憚《はばか》らず、どうしてこんなに悲しいのかも分からず、濱口幸雄《はまぐちゆきお》は、ただ、大粒《おおつぶ》の涙を零《こぼ》して泣き続けた。
高速道路の脇を、少女は一人、歩いていた。
次々と自動車が傍《かたわ》らを追い越してゆく光景は、まるで自分一人が置いてけぼりを食らっているような錯覚《さっかく》さえ抱かせる……そんな気分を自覚して、それでも少女は笑う。
「ふふ、この服の色――」
トレーラーを止める際、少々ムチャをしたため、『夜笠《よがさ》』の内側は体も服も煤《すす》だらけである。体の汚れは自在法《じざいほう》『清めの炎《ほのお》』で落とせたが、替えの服はあの家[#「あの家」に傍点]に置いてきてしまった。
「――結構《けっこう》好きだったのに、ほら」
仮の母だった[#「だった」に傍点]女性が、『よく似合《にあ》うから』と見立ててくれた服は、そこかしこ無惨《むざん》に引き攣《つ》れ、焼け焦《こ》げ、破れていた。もう、元の色も分からない。
「うむ」
アラストールが短く答えた。しばらく何かしら熟考《じゅっこう》する気配があって、
「今度の徒《ともがら》≠ヘ、容易《たやす》い相手だった」
と、どうでもいいことを言った。
それが彼なりの、とても不器用《ぶきよう》な気遣《きづか》いであると分かっている少女は、寂しさに嬉《うれ》しさを加えて、また笑った。
「そうね。でも、代わりに周りの人間たちと付き合うための演技が――大変だった」
一瞬、過《よ》ぎった人々の影を、言葉の力で、吹き飛ばす。
何度も、何度も、そうしてきたように。
「人に紛《まぎ》れるのって、本当に、大変」
言った声は、もう普段の平静な、フレイムヘイズたる少女の声だった。
彼女をそのように育てた紅世《ぐぜ》≠フ魔神《まじん》は、いくらか迷いの時を置いて、答える。
「そう、か……、だが――」
「?」
怪訝《けげん》な顔をする少女に、アラストールは、
「――流離《さすら》いの果てで、いつか、そのままのおまえ[#「そのままのおまえ」に傍点]に接してくれる者も、現れよう」
「……そんなの、面倒《めんどう》なだけだと、思うけど」
僅《わず》かに怯《ひる》んだ、その気持ちを自覚した少女は、努めて強く冷徹《れいてつ》に、フレイムヘイズに課せられたる使命だけを思う。そういう自分として振る舞おうと、決める。
(私は、フレイムヘイズ)
そう念じれば、いつだって気持ちは完璧《かんぺき》に、ついてきた。
(よし)
紅世《ぐぜ》の徒《ともがら》≠追うフレイムヘイズ『炎髪灼眼《えんぱつしゃくがん》の討《う》ち手《て》』としての使命感が、
(私は、フレイムヘイズ)
いつもの自分を、固く固く、作り上げる。
「今度はもう少し手強《てごわ》い……紅世《ぐぜ》の王≠ニでも戦えるといいけど」
「うむ」
アラストールも、既に先《さっき》の話を忘れたかのように、短く深く、ただ答える。
黒い相貌の見上げた先に、標識《ひょうしき》があった。
次の降り口まで十五キロ。
「降りたら、まとめて服を買うね。動きやすそうなの」
「うむ」
春の日は、ゆっくりと暮れつつあった。
その翳《かげ》りの中に、標識が浮かんでいる。
書かれた文字を、少女はなんということもなく、口の端《は》に乗せる。
「大戸《おおと》、その先は、御崎《みさき》、か……」
[#改ページ]
フレイムヘイズの少女は知らない。
次の夕焼けの中で、待っているものを。
血色《ちいろ》の世界で果たされる、一つの出会いを。
[#改ページ]
あとがき
はじめての方、はじめまして。
久しぶりの方、む久しぶりです。
高橋弥七郎《たかはしやしちろう》です。
また皆様のお目にかかることができました。ありがたいことです。
さて本作は、痛快娯楽《つうかいごらく》アクション小説です。今回は、発表済みの番外編《ばんがいへん》二つに新作の外伝《がいでん》一つと、変則的《へんそくてき》な構成でお送りしました。次回は、あの人たちが主役の昔話になる予定です。
テーマは、描写的には「お祭りと予兆《よちょう》」、内容的には「そとがわ」です。番外編はお遊び企画として、外伝は討《う》ち手の通常業務および解説の補足編《ほそくへん》として、それぞれお楽しみください。
担当の三木《みき》さんは、誇張抜《こちょうぬ》きで働きすぎな人です。話を聞く度《たび》に、過労《かろう》について心配される大車輪《だいしゃりん》ぶりには、心底《しんそこ》頭が下がります。それでも双方《そうほう》、賽《さい》の出目《でめ》に一命《いちめい》を賭《と》し(以下略)。
挿絵《さしえ》のいとうのいぢさんは、迫力のある絵を描かれる方です。特に前巻は、欲しかった場所全てに挿絵を頂けたことで、個人的にも大満足でした。御本業の再びお忙しくなられる折にも変わらず、この度も拙作《せっさく》への甚大《じんだい》なる御《ご》助力を頂けたことに、深く深く感謝いたします。
県名五十音順に、青森のK田さん、秋田のS藤さん、茨城のF谷さん、大阪のK本さん、神奈川のSさん、京都のM林さん、埼玉のHさん、滋賀《しが》のK島さん、千葉(徳島《とくしま》?)のY村さん、栃木《とちぎ》のE根さん、新潟のS野さん、T木さん、福岡のY野目さん、福島のS木さん、F間さん(綴《つづ》りを間違ってすいません)、Y田さん、北海道のK子さん、いつも送ってくださる方、初めて送ってくださった方、いずれも大変|励《はげ》みにさせていただいております。どうもありがとうございます。アルファベット一文字は苗字《みょうじ》一文字の方です。
たまに、「ここに載っているのは自分のことか」とお尋《たず》ねの文面がありますが、今のところ、同じ苗字の方は居られません。県名とイニシャルが該当《がいとう》していれば、間違いなく貴方《あなた》です。
年賀状も頂きました。この場を借りて、御礼《おれい》申し上げます。
今回は、少々長くお待たせして、申し訳ありませんでした。進行|他《ほか》、いろいろと事情がありまして。次の本は、今度ほど間を空《あ》けずにお送りできると思います。
それでは、また何時の間にか埋まっているようなので、このあたりで。
この本を手に取ってくれた読者の皆様に、無上《むじょう》の感謝を、変わらず。
また皆様のお目にかかれる日がありますように。
[#地付き]二〇〇五年二月 高橋弥七郎
[#改ページ]
こんにちは、いとうです。
今回は短編2本と、書き下ろしの、シャナと悠二が出会う前のお話でしたね〜
「刺々(とげとげ)しいシャナを」ということでいつもと違い敵キャラぽく描まました。
一巻当初のシャナを思い出すようなシーンもあってちょっと懐かしくなってみたり。
当初のシャナといえば、電撃大王でシャナのコミックが始まりましたね!
三倍増しに可愛い、シャナや原作に負けないくらいの躍動感のある漫画版、原作共々一読者としていつも楽しみにしてます。
これからあの人やあの人が出てくるのかと思うとワクワクがとまりません! 笑
あと最期になりましたが、いつも応援メッセージおくってくれるみなさま、いつもほんとにありがとう! お返事だせなくて心苦しいですが、いつも励みに読ませてもらってます。
まとめてではありますがここにお礼を。
ではでは、また次巻にて!
のいぢ
※今回は遮那王ってことで牛若丸シャナで。
web※ http://www.fujitsubo-machine.jp/~benja
[#改ページ]
灼《=》眼《=》の《=》シ《=》ャ《=》ナ《=》[#=は取消線] 狩人《かりうど》のフリアグネ
[#改ページ]
「狩人のフリアグネ!!」
「なんでも質問箱!!」
[#ここから0字下げ、折り返して3字下げ]
マリアンヌ(以下マ)「みなさん、こんにちはー!」
フリアグネ(以下フ)「本コンテンツは、私と私の可愛《かわい》いマリアンヌが、読者の皆から寄せられた『灼眼《しゃくがん》のシャナ』に対する疑問質問に答えていく、由緒《ゆいしょ》正しきコーナーだ」
マ 「フリアグネ様、とうとうやりましたね! 短編集|内《ない》で独立|枠《わく》、しかもオリジナルのタイトルロゴやイラストまで付いた豪華《ごうか》版ですよ!?」
フ 「ああ、苦節《くせつ》二年、遂《つい》に私たちの愛の巣……いや、愛の城が完成したというわけだ。これも偏《ひとえ》に、私たちの愛の力――マリアンヌ!!」
マ 「んぎゅうう〜、フ、フリアグネ様〜嬉《うれ》しいのは、私も同じですけど、まずは、貰《もら》ったお仕事をキッチリしないと〜」
フ 「そうか、そうだね……うん、頑張《がんば》ろう、私の可愛《かわい》いマリアンヌ!」
マ 「はい! では早速、質問のお手紙を読みまーす」
Q『「存在が消える」のと「死ぬ」のって、どう違うんですか?』
A「存在の喪失《そうしつ》は死と違って、その人の居た証《あかし》が全て消えてしまうんだよ」
フ 「ただ死んだり、殺されたりしただけなら、周りの人間は故人《こじん》を悼《いた》んでくれるし、時には思い出しても貰《もら》えるだろう。しかし、『この世に存在するための根源の力』である存在の力≠無くすと、『この世における存在が消える』ことになる……つまり」
マ 「最初からいなかった[#「最初からいなかった」に傍点]ことになる?」
フ 「その通りだよ、マリアンヌ。いなくなっても、誰も悲しまない。思い出されることも絶対にない。あらゆる『存在した証』も消えてしまう、完全なる消滅《しょうめつ》だ」
マ 「でも、消えた人間が周囲に与えた影響《えいきょう》は、ある程度《ていど》残ってしまうため、いなくなったことによる矛盾《むじゅん》や不自然な現象が発生する……それを『世界の歪《ゆが》み』というんですね」
フ 「そうだ。その増大と蓄積《ちくせき》による決定的な破綻《はたん》を『大災厄《だいさいやく》』と呼んで恐れる紅世《ぐぜ》の王≠スちが、フレイムヘイズに力を与え、同胞《どうほう》を殺して回っている、というわけさ」
マ 「フリアグネ様も、その不確定な予測の犠牲《ぎせい》者なのですね……」
フ 「ああっ、そんな顔をしないでおくれ、私の可愛いマリアンヌ。次、次に行こう!」
Q『紅世《ぐぜ》≠ノついて教えてください』
A「力そのものが混じり合う世界、というとことかな」
マ 「私はこの世で生まれた燐子《りんね》≠ネので、紅世《ぐぜ》≠ノついてはなにも知りませんが……どんな場所なんですか?」
フ 「うーん、そもそも異なる物理法則によって成り立っている世界だから、的確な説明は難しいんだ。無理矢理《むりやり》こっちの概念《がいねん》で言い表すと……『あらゆるものが、現象による影響と意思による干渉《かんしょう》の元、延々《えんえん》変化し続ける世界』というところかな」
マ 「やっぱり紅世《ぐぜ》≠ニいうからには、真っ赤なんですか?」
フ 「五感が意味をなさない世界だから、その問い自体が無効と言うべきだね。本編でも幾度《いくど》か記述があったように、紅世《ぐぜ》≠ニいう名前は、とある一人の人間言葉を繰《く》る匠《たくみ》たる『詩人』によって付けられたものなんだ。詩人は、我々の故郷《こきょう》『渦巻《うずま》く伽藍《がらん》』の様子《ようす》を同胞《どうほう》から聞き出して、その印象《いんしょう》から紅世《ぐぜ》≠ニ徒《ともがら》=A双方の名前を創作したんだよ」
マ 「その『渦巻く伽藍』というのが名前では?」
フ 「いや、この世のことを『統一場《とういつば》理論の世界』と言うような、単なる一《いち》表現さ。二つの名前は、それまで故郷の固有《こゆう》名詞や自らの総称《そうしょう》を持たなかった我々の間に、瞬《またた》く間に広まったそうだ。私が渡り来た時代には、すでに古来よりの言語として馴染《なじ》んでいたよ」
Q『フレイムヘイズの器《うつわ》ってなんですか?』
A「時空《じくう》に広がる人間の存在を立体的に見た例えだよ」
マ 「読者さんの多くから、存在の力≠ニこれの違いが分からない、という話が出てます」
フ 「だろうね。文字だけだと分かり難いから、図を使って説明しよう。上を見ておくれ[#別途挿絵]」
マ 「……『運命という名の器』、ですか?」
フ 「実は、人間の持つ存在の力≠フ量は、その時々の立場や地位、状況によって、常に変化し続けているんだ。図では、器の断面積《だんめんせき》でその時点における存在の力≠フ量を示してある」
マ 「同一人物でも、赤ん坊のときと大統領に就任《しゅうにん》したときを比べれば当然、後者の方が存在は大きいでしょうね」
フ 「王族の世継《よつ》ぎなど、生まれたこと自体が大きな意味を持つ場合もあるから、一概《いちがい》に時と共に大きくなるとも言えない。ケースバイケース、ということさ」
マ 「普通は、年老《としお》いてゆくとともに、再び世界との関わりが薄まり、断面も再び小さくなっていくわけですか。確かに器《うつわ》のように見えます」
フ 「もちろん、図は典型例《てんけいれい》を単純化したものだから、実際の膨《ふく》らみ方はこんなに順当じゃない。全体も『他者への影響《えいきょう》』という器|同士《どうし》の結合や融合《ゆうごう》などで複雑な形状になっているはずだ。また、生前の事績《じせき》がさ程《ほど》でなくても、遺《のこ》した作品で後世に影響を与えたり偉人《いじん》の親になったりすれば、器は時空《じくう》の中で、さらなる広がりを見せたりもするよ」
マ 「とはいえ、そういう特別な人間でも、生きている時点での存在の力=♀の断面積《だんめんせき》が特別大きい、ということはありませんから、喰らう者たる我々には関係ありませんね」
フ 「そう、器の大きさに気を払うのは、同胞殺《どうほうごろ》しを決意した王≠スちの方だ。この器が大きければ大きいほど、内に満たされる紅世《ぐぜ》の王≠フ力の総量も多くなり、強力なフレイムヘイズが生まれるからね。ちなみに、高い地位にあった者は、自己の広がりも大きく、他との繋《つな》がりも必然的に発生するため、器は大きくなる傾向にあるようだ」
マ 「本編に出た強力な討《う》ち手に王子や姫がいたのは偶然じゃないんですね」
フ 「もっとも、いくら燃料タンクが大きくても、それを上手《うま》く使う技量や適性、経験を積む時間を得るだけの運は必須だし、実際に契約しないとその大きさも分からないそうだ。強者も楽には生まれ得ない、ということかな。さて、次は……」
Q『フリアグネさんは、どうして人形好きになったんですか?』
A「なにを訊《き》くかと思えばそんな世界の常識をあれは忘れもしない西暦《せいれき》1848年」
フ 「マリアンヌと私の出会いはまさにあらゆる神話伝承譚歌戯曲小説《しんわでんしょうたんかぎきょくしょうせつ》を超えた必然にして運命や宿命または星の定めたる巡り合わせ否《いな》必然と言うべきだろうなぜならば私は宝具《ほうぐ》の」
マ 「ええー、と……御《おん》徒《ともがら》&は、この世の人間たちがそうであるように、皆《みな》何らかの欲求を抱かれています。それは物欲であったり、知的|好奇心《こうきしん》であったり、複雑なところでは物を作り上げる個人の作業から事業を遂行《すいこう》する共同作業、果ては他者に尽くすことで満足感を得られる方までおられます」
フ 「アルチザン以外の人間にましてやその文化に興味など持ったことがなかったというのにその日に限ってたまたまトリノ馴染《なじ》みの武具《ぶぐ》収蔵庫を見物しようと騒がしい市街に足を運」
マ 「そんな、この世の人間とほぼ同じメンタリティを持たれている御徒《ともがら》&なので、己《おの》が力の許す限り、または単なる生活の一部として、様々な趣味を嗜《たしな》まれる方も多いのです」
ウィネ 「ふふふ俺のバイクを見てくれヴィンテージのステータスなどに頼らなくても共に紫《むらさき》の地平《ちへい》を追ってきた年月が分かる奴《やつ》だけに分かる色合いをカウルにエンジンにマフラーに」
フ 「んだその街角でのことだった今でも鮮明どころか目の当たりにしているかのように思い浮かべることができるどこの子供だろうか馬車から無造作《むぞうさ》に投げ落としたんだその落ちる」
マ 「一部|混線《こんせん》しました、申し訳ありません……あの〜、フリアグネ様、そろそろページも終わりに近いので、残った質問を片付けませんか?」
フ 「あまりに可憐《かれん》な姿に私の心は雷霆億撃《らいていおくげき》を受けたが如《ごと》き衝撃《しょうげき》で貫《つらぬ》かれ――ええっ、もう終わりなのかい、私の可愛《かわい》いマリアンヌ? まだほんの触りなんだけれど、残念だな……」
マ 「……また、次の機会がありますよ、きっと」
フ 「……そうだね、よし、勢い付けて一気に行こう!」
Q『シャナのスリーサイズを教えてください』
A「インタビューが即時|却下《きゃっか》されたので謎《なぞ》だ」
Q『吉田《よしだ》さんや千草《ちぐさ》母さんの得意《とくい》料理は何ですか?』
A「吉田さんは野菜を使った料理、千草母さんは妙め物を得意としているぞ」
Q『悠二《ゆうじ》は結局、シャナと吉田さん、どっちを取るんですか?』
A「本人に訊《き》いたら悩んだまま固まってしまったので、本編での進展を待ってくれ」
Q『マージョリーがお金を奪った神聖《しんせい》同盟は、十六世紀と十九世紀、どっちの方ですか?』
A「十六世紀の方だそうだ。ローマに入港する船を丸ごと乗っ取ったらしいよ」
Q『あれ以降も著者稿《ちょしゃこう》の「あの高橋《たかはし》」ぶりは治りません。どうすればいいですか?』
A「伝言があるよ……『無理です、諦《あきら》てください』……だそうだ」
[#ここで字下げ終わり]
「今回はこの辺りでお別れです〜」
「また諸君に、私とマリアンヌの愛|溢《あふ》るる日々を見せられるよう願っているよ」
「それでは、次回の『ダンタリオン教授の質問コーナー』を――」
「――ぉおーっ楽しみ、に! っ待ぁーってるんでぇーすよぉー!?」
「こら――っ!!」
[#地付き]完?
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初出一覧
「しゃくがんのしゃな」
電撃文庫編集部オフィシャル海賊本『電撃ヴんこ』収録
(2003年9月25日発行)
「しんでれらのしゃな」
電撃文庫編集部オフィシャル海賊本『電撃h』収録
(2004年9月25日発行)
「灼眼のシャナ オーバーチュア」
書き下ろし
「狩人のフリアグネ」
書き下ろし
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灼眼《しゃくがん》のシャナ0
発 行 二〇〇五年六月二十五日 初版発行
著 者 高橋弥七郎《たかはしやしちろう》(たかはし・やしちろう)
発行者 久木敏行
発行所 株式会社メディアワークス
平成十九年二月十四日 入力 校正 ぴよこ