しゃくがんのしゃな
著:高橋弥七郎
1  はずれたせかい
そこは、機能概念の上でウェットゾーンと呼ばれる区域である。
オーバーフローという消波設備と排水溝、防水を施された床面に囲まれた、広大な遊水設備――
「いつもの事だけど、まだるっこしい表現ね。なんで『ここはプールだ』って簡単に言えないのかしら」
シャナが、地の分の辿り着こうとしていた結論を先取りして言った。
ストレートの黒髪を背に払い、プールサイドに屹立するその姿は、輝く陽光に照り映えて、小柄さを感じさせない存在感を周囲に振りまいている。
ただ、黒に紅蓮の柄をあしらったセパレートの水着が、デザインの洒脱さを空しくするほどの、あまりに無残な平面を顕わにしていた。
「なっ!? 何よ、その表現は!?」
“コキュートス”をかけていない首から足下まで、ストン、止め戦を流し落とす、それはいわば一枚の板だった。
「ちょっと! 一巻のときと言ってる事が違うじゃない!? 『流麗な曲線』とか『清冽の姿』とかはどーしたのよ!」
「もしかして、まだるっこしいとか言われたことに、遠まわしな仕返ししてるのかも」
その傍ら、スタート台に腰掛けた吉田一美が正鵠を射た。
こちらは白いワンピースの水着の上にパーカーを羽織っている。普段の控えめな印象とは裏腹な起伏に富んだラインが、残酷なまでに覆い隠されている。それはまるで夢を奪う力の具現だった。
「……こ、これってセクハラだと思う……」
頬を染め縮こまった吉田の胸の谷間と自分のそれを一瞬だけ見比べてから、シャナは本作に八つ当たりする。
「だいたい、なんでいきなりプールで水着なわけ? 夏の特別編だからって、ちょっと企画として安直過ぎ――ん?」
舌鋒鋭く言うシャナは、プールの真ん中に浮かべられたフロートに目を留めた。
その上では、競泳用の二つに分かれた水中眼鏡と水着でメガネマン…アクアとなった池速人が、なにか書かれたボードを頭上に掲げている。
『さて本作は、痛快娯楽アクション小説……ではありません。本格お色気サービス小説を、という担当さんの要望も冒頭から裏切りまくっている、ノリだけの好き勝手小説です。』
面倒だからと、あとがきテンプレートを使った作者の物言いに、シャナはこめかみに指を当てて唸った。
「さては、水着を着せときゃ、担当への言い訳になると思ってるわね」
吉田も、こっちはおどおどしながら言う。
「だ、だって、お色気サービスなんて、できないし……」
悩み悩み、なんとか面白い事を言って場を盛り上げようとしてみる。
「えーと、そうだ、皆さん、知ってますか? 某町内の巨人のモットーは、実は海外でも『ワッツユアーイズマイン・アンド・ワッツマインズマイン(君のものは私のもの、私のものは私のもの)』って慣用句として存在してるそうですよ」
「なーにつまんないマメ知識なんか披露してんのよ。こういうときは、『なまむぎなまごめなまたまごなまむぎなまごめなまたまごなまむぎなまごめなまたまごなまむぎなまごめなまたまご――さて、私は言い間違えたでしょうか。五秒以内答えなさい。』みたいな、活字ならではの芸じゃないと。あ、回答は後でね。」
大して自分と変わらないと思える一発芸に、吉田は頬をふくらませつつも抗議を控える。
と、その視線の先でメガネマン・アクアがボードを裏返した。
『テーマは、描写的には「半端に華麗な豆腐」、内容的には「これはいんぼうじゃよ」です。なお、このメッセージは自動的に消滅しないので、各自適切に処分してください。』
「なんだか、すごくなげやり……」
「サービスものだからって過剰にいやらしいことされるよりは、放っぽっといてくれるほうが気楽でいいじゃない。どーせ本編とは全く関連性のない番外編なわけだし」
「そ、それはそうだけど」
「さ、次行って、次。その間に泳いでみよーっと。遊びで泳ぐのって初めて!」
ひらひらと手を振ると、シャナは光る水面に向けて、獲物を狙う水鳥のように飛び込んだ。
答え:私が間違えるわけないでしょ
2  ゆうじ
どこともしれぬ大海原のど真ん中に、それは浮かんでいた。
お椀を伏せたような小さな半球の上半分は緑の芝、中心に突っ立つ椰子の木という、典型的なフィクション風の孤島である。
「……」
その椰子の木の下に、難しい顔をした坂井悠二が正座していた。炎天下の水着姿が、どことなく痛々しい雰囲気を醸し出している。
彼の対面には、和やかな表情の坂井千草が、同じく正座している。こちらは布面積の大きなワンピースにパレオと、行楽の付き添い風。
やがて、片方にとってのみ重苦しい沈黙を、悠二が破った。
「……母さん」
強い日差しの下、その頬を脂汗が伝う。
「何、悠ちゃん?」
対する千草は、涼しげな表情で答える。傍らにあった麦藁帽子を取り上げ、頭に載せた。「なんで僕らだけ、こんな所に隔離されてるんだろう」
「ああ、そのこと。何でも悠ちゃんを扱う一連のコーナーは、保護者面談っぽく弾劾や糾弾を行う、って趣旨らしいけど」
「なんなんだよそれ!? せっかく今回は水着――いや、まあ、みんな遊んでるのに、なんで僕だけ……」
悠二は微妙に本音を覗かせつつ、母に不平をぶつける。もちろん千草はびくともしない。
「そうねえ、あんまり本編でモテモテ過ぎるから、せめて番外編くらいは酷い目に遭わせよう、っていうことじゃないかしら?」
「む、無茶苦茶だ!」
「そういう意見が出るのは当然かも。Wじゃ、純情なシャナちゃんにつけこんで、キスを迫ったり抱きつこうとしたり、相当いやらしいことしてるって聞いたわよ?」
悠二はぎくりと肩を跳ね上げる。
「……聞いたって、誰に……?」
千草はさらりと答える。
「アラストオルさん」
「そそ、それは誇張だって!」
後ろ暗いところのある人間特有の焦りの勢いを表して、悠二は抗弁する。
「あのときは迫ったんじゃなくて、そんな雰囲気じゃないかって思ったから、なんとなくできればいいかもって期待して、ついフラッと前に出かけただけで――」
「そういうのを迫ってるって言うの」
「ううう……」
それが若さだ、というまでに開き直れない半端者としては呻くしかない。
「Vで、注意しなきゃって思った矢先にこれだもの。悠ちゃんも案外、油断できないわね。アラストオルさんに請け合った事もあるし、監視の目を厳しくする必要があるかも」
「………………はあ」
母の小言に打ちのめされつつ、悠二は自分と全く関係ない場所で繰り広げられているであろう、素晴らしき光景に思いを馳せ、深く慨嘆のため息を漏らした。
3  あいぜんのつい
色紙の切り貼りによる大雑把な山と空を背景に置く、画面下三分の一を覆う衝立。
と、その衝立の向こうに、線の細い美男子が上半身を表した。
「灼眼のシャナ(間違い)“狩人”のフリアグネ!」
その隣に、衝立を地面のように踏んで、粗末な女の子の人形が飛び出す。
「なぜなに質問箱――!」
コミカルな音楽とともに、二人の言った通りのタイトルロゴが、メルヘンチックな書体で画面いっぱいを埋めた。それは数秒で消え、後には人形劇のような場景が残される。
「ああ、まさか再出演できるなんて……夢みたいですね、ご主人様!」
人形が、縫い付けられた表情ではなく、手足をパタパタ動かして喜びを表す。
美男子は出番にではなく、人形の仕草に向けて満面の笑みを浮かべる。
「全くだね、私の可愛いマリアンヌ。作者も、いとうのいぢさんお気に入りだった私を完膚なきまでに討滅したりしたものだから、これはいわば、苦肉の策というところだろうね。ああ、それと、マリアンヌ」
美男子は急に厳しい顔を作り、白い手袋の指を一本立てた。人形は首を傾げる。
「はい?」
「ご主人様、ではなくて、フ・リ・ア・グ・ネ、だろう?」
「あ……はい、ふ……フリアグネ、様」
言われて、また美男子・フリアグネの表情がだらしなく恵比寿顔に緩んだ。人形・マリアンヌを抱きしめて頬摺りする。
「そう、それでいいんだよ、マリアンヌ……ああ。なんて可愛いんだ!!」
「ご……フリアグネ様、そ、そろそろ話を進めませんか?」
「ん? ああ、そうか、そうだね」
フリアグネは露骨に残念そうな顔になって、愛しい人形を話した。
マリアンヌは指もない手を口元に当てる。
「こほん、ええと、本コーナーでは、作品における疑問質問に答えていくわけですが……それにしても、なんだか計ったように、私たちにぴったりなシチュエーションですね」
「ははは、それはそうさ、マリアンヌ。なにせ私たちのモチーフは、教○テレビ番組の『司会のお姉さんと相方の人形』だそうだから」
「では、私はタ○プ君ですか」
「あれの相方は、たしかお兄さんだったはず……って、お互い年がバレるよ、マリアンヌ。とにかく、質問のはがきを読んでみよう」
フリアグネは手首を鋭く払い、袖の内から飛び出たはがきを二本の指で挟んだ。
「なになに……『シャナはいつもメロンパン始め、お菓子をいっぱい買っていますが、そのおカネはどうやって稼いでいるんですか?』……何とも世知辛い質問だね」
「そういえば彼女、Vでは千草お母さんに分厚い封筒を渡したりしていましたね。マンションに一人暮らしというからには、家賃もはらってるんでしょうし」
腕を組むマリアンヌに、フリアグネは微苦笑で返した。
「封筒の中身は万札の束だそうだよ。Wでは制服一着に一万円を軽く出したりもしてるし、かなりおカネには無頓着だね」
「というわけで、彼女にインタビューしてみました。VTRスタート!」
画面が切り替わり、マイクを向けられたシャナが映し出される。
『え、お金? 日本円は……麻薬取引を襲ってぶん取ったんだっけ、アラストール』
『それは香港ドルのときではなかったか? たしか日本円は、海路不正ルートの流出金を頂戴したはずだが』
再び、画面がフリアグネとマリアンヌに切り替わる。
「う〜ん。何とも原始的というか、分かりやすいというか」
「本当、野蛮ですねえ。参考に、もう一人のフレイムヘイズのVTRもどうぞ」
今度は、眼鏡にスーツ、ストレートポニーという妙齢の美女が映し出された。
『え〜っと……今持ってる分の大元は、神聖同盟の手打ち金をかっぱらったものだったかしら。ここ百年ほどは、その一部でめぼしい株を買い込んで人任せ。ときどき運用方針に口出すくらいかな』
また画面は戻る。
「こっちは意外に手堅いね。普段の言動からすれば、逆でもおかしくないくらいだ」
「どっちも強奪から始めてますけど……」
「フレイムヘイズは存在の性質上、直情径行タイプが多くなるから仕様がないよ。ちなみに、私たち“紅世の徒”の場合は、『奪ってから喰らう』というやり方が主流かな。もっとも、私たちには“存在の力”を喰らうという共通項があるだけで、普通に働くもの、賭博師から芸術家まで、物を得る手段における例外は、数多くいるわけだけれど」
「人それぞれ、ということですね……さて、読者の皆さん、納得してもらえましたか?」
二人はオーバーアクション気味に両手を広げて肩を寄せ、朗らかな声を合わせる。
「それでは次回をお楽しみに〜〜!!」
4  ちぢのこうろ
一泳ぎしたシャナはプールの縁に腰掛けて、足でバシャバシャと水を叩く。
その視線の先、プールの中央のフロートでは、メガネマン・アクアがまたボードを裏返して、新しい文を掲げていた。
『担当の三木さんはサービス精神旺盛な人です。その筋の場面は完成版になると、だいたい初稿の倍は確実に増量されています。これからも、担当さんの活躍にご期待下さい(スクールみずぎはほんぺんでガッチリやります)。』
「でもこの番外編の題名、危うくその担当氏の提案する『常夏のシャナ』になるところだったのよね〜」
その横で、肩まで水に浸かる吉田が、頬を伝う水滴に冷や汗を一筋加えた。
「そ、それはちょっとアレかも……」
「まあ、サービス企画だから分かりやすい題名にするってのも、あながち間違った手法じゃないんだけど」
と、その二人の頭上、プールサイドに新たな影が陽光を背負って立つ。
「あ〜ら、あんたたち程度で、なんのサービスになるっての?」
「むっ」
「あっ」
二人が振り向いた先に、モデル裸足の豪華なプロポーションを供えた長身が聳えていた。
媚も売らず科も作らず、ただ堂々と立つ美女、マージョリー・ドーの大登場だった。
鮮やかな群青色のビキニで大胆にスタイルを誇示し、優雅に後ろでくくった髪を払うその姿には、表面の煌びやかさだけでない、深さ強さを感じさせる美女の貫禄があった。
そして、例によってと言うべきか、彼女の後ろには子分が二人、水着にアロハシャツという浮かれた格好で付き従っている。
「なんつーか、ありきたりな感想だが……生きてて良かった……」
トロピカルドリンクを載せたトレイを持った佐藤啓作が、感極まった表情で言った。
「うんうん、生きてるって、むやみやたらと素晴らしい――!」
ドでかい本の神器“グリモア”を抱えた田中栄太も、滂沱の涙を流す。
「いーねえいーねえ、青春だねえ! 大・中・小と花盛りってか!? ヒャッヒャッヒャ!」
その“グリモア”からあがったマルコシアスのキンキン声に、シャナはピクリと眉を跳ね上げた。
「……小?」
「身長のことじゃないわよ〜、念のため。オホホのホ」
マージョリーは口に手を当てて、わざとらしく笑う。ついでに大きく、見せ付けるように胸も反らした。
それを仰ぎ見るシャナの、手をかけていたプールの縁が、ミシ、と不穏な音を立てた。吉田のときのように、自分のと見比べるのを辛うじてこらえ、挑戦的な低い声で返す。
「ブクブクでかくなってるのが、そんなに得意なわけ?」
ビシ、とマージョリーの額に青筋が浮く。
「ブク……ふふん、お子様には、ここら辺の良さを分かれという方が無理かしら」
「お子……まあ、百年単位で生きてる婆さんからすれば、誰でもお子様だとは思うけど」
「あーら、稚拙な挑発。やっぱり貧相な見かけ同様、中身もガキってわけね」
「そういうネチネチしたところが、いかにも年寄りの意地悪っぽいってこと、気付いてる?」
「……」
「……」
いつしか互いの間に、群青と紅蓮の火の粉が漂い始めている。
「な、なんかヤバ気な雰囲気……」
他人事のようにゲタゲタ笑う“グリモア”を抱える田中は、ゆっくりと下がる。
佐藤も、水の中でオドオドしている吉田に、睨み合う二人のフレイムヘイズを刺激しないよう、小さく声をかける。
「おほーい、吉田ちゃん……早く上がった方がいいと思うよー?」
「はは、はい――っあ、で、でも池君がプールの真ん中に……」
「事において犠牲は付き物だ、諦めよう」
「つーか、俺たちも危ないし、っどは!?」
言う田中と佐藤の前、
「ひゃっ!?」
プールから上がりかけた吉田の背後、
「はくじょーものわーっ!?」
そして中央のフロートの上にいたメガネマン・アクアの周囲で、
プールの水面が立て続けに爆発した。
「ほーらほら、当たらないわよ! 老眼鏡でもかけたらー!?」
広い水面を滑るように、紅蓮の双翼を煌めかせて飛ぶ炎髪灼眼・黒衣のシャナを、
「こーのガキガキガキガキガキ!!」
群青の炎でできたずんぐりむっくりの獣が、太い腕の先から炎弾を連射しながら追う。
メガネマン・アクアの形見のように、膨れ上がる水煙の中、ボードがくるくると宙を舞う。
『挿絵のいとうのいぢさんは、とても柔らかな絵を描かれる方です。シャナの照れた顔や、吉田さんの微笑みは、まさに絶品の可愛らしさです。このたびも拙作の、しかもお遊び企画にまでご助力いただけたことに、深く深く感謝いたします。』
その騒動を遠く眺めるオープンカフェの一席で、ダークスーツにサングラスという暑苦しい格好をした男が、できるだけさりげない風を装って切り出す。
「オホン……あ〜、ヘカテー」
差し向かいに座った、大きな帽子とマントで全身をガッチリ固めた小柄な少女は、男の邪な思いを一言の元、切り捨てる。
「着ません。他に、なにかありますか?」
「…………ドリンクのおかわりでも、どうかな」
「いただきましょう」
5  あゆみはすべてげきとつへ
「――てなわけで、みんな酷いんだよ、師匠」
悠二は正座のまま、己の不遇を訴えた。
「誰が師匠だ」
彼の前でデッキチェアに深く腰掛け、渋く枯れた声で答えたのはラミーである。ご丁寧にも、肘と膝までのレトロな縞柄水着に水泳帽という、企画内容と老人の容姿、双方合わせた(全く有り難くない)出で立ちだった。
「いや、つい、なんとなく……」
「そもそも、なぜ私が君の愚痴なぞを聞かされねばならんのだ」
あきれる顔を作る老人に、悠二は食い下がる。
「でも、言いたくなると思わないか? 実際になにかしたってのなら、文句言われても仕様がないけどさ」
「その場合は、文句だけでは済まんような気もするが……」
まあいい、とラミーは腕を組んで、自称・弟子に問いかける。
「それで、シャナ嬢との間柄は、あれから幾分かでも進展したのか」
「進展もなにも……今言ったとおり、周りが騒いでいるだけで、実際には全然」
その、大いに真剣かつ率直な自己申告に、ラミーはため息をついた。
「そうだった。君は、自覚症状がない上に相手の気持ちに鈍感という、非常に傍迷惑なタイプだったな。なにが起こっていても、気付くのは以前のように、のっぴきならない決定的な状況になってからか」
「……なんか今、すごい侮辱を受けた気がするんだけど」
「反論は随時受け付けている。違うというなら、感情なり論理なりで抗ってみてはどうだ」
「……」
今度こそ悠二は完璧に黙らされた。
ラミーはそれならと、初手の初手から聞き直してみる。
「では、君の目から見て、シャナ嬢は今、どんな感じだ」
「どんなって、相変わらずブレーキの壊れたダンプカーみたいだけど」
「……」
「……なんだよ、変な顔して」
「いや、やはり君は、とりあえず痛い目に遭うべきだな。誰のためにも。」
「な、なんで皆が皆、そういう結論に行き着くんだ――!?」
同情の余地のない自業自得の絶叫が、海と空に響き渡った。
6  かいこうめいあん
フリアグネが、再び衝立から上半身を現す。
「“狩人”のフリアグネ!」
同じくマリアンヌも、ピョンと跳び出した。
「なぜなに質問箱――!」
題字テロップが画面から消えるのを待って、フリアグネはマリアンヌに言う。
「さて、中身のない番外編、唯一の良心たるこのコーナーも二回目だ」
「ていうか、これで最終回ですけど」
「まあ、穴埋め企画だし、再出演があっただけでもいいじゃないか。さっそく質問のおはがきを読んでみよう……『用語がややこしいので解説してください』……やっぱり来たね」
「なんと言ってもこの作者、最初“存在の力“やフレイムヘイズの黒衣にも固有名詞つけようとして、担当さんに『これ以上は分かりにくくなるからやめてください』って制止されたりしてますから」
「某シリーズで散々指摘されたのに、進歩がないというか、懲りない奴だね」
「では、順を追って、分かりやすく整理していきましょう。まずは基本の世界編から」
■“紅世”■=異世界
■“紅世の徒”■=“徒”=異世界人
■“紅世の王”■=“王”=すごく強い“徒”
「私も、その“王”の一人……なんだけれど、なんだか身も蓋もない例えだね」
「これぐらい平易にしないと解説の意味がありませんし。次に名前編を。個人的にはちょっと嫌ですが、皆さんに一番馴染みのある連中を例に取ってみました」
■“天壌の劫火”■
真名。“王”の“紅世”での本名のような物。『全てを焼き尽くす』くらいの意味。
■アラストール■
“王”がこの世でつけた通称。各々が好き勝手につけているので、由来は多種多様。
■フレイムヘイズ■
“王”との契約で異能を得、この世のバランスを守るため”徒”を討滅する人間の総称。
■『炎髪灼眼の討ち手』■
フレイムヘイズとしての正式名称。契約した“王”によって、呼称も能力も変わる。
■シャナ■
通称。普通は、人間だったときの名前をそのまま使っている。シャナは例外らしい。
「連中は、Uの236pのように、これら五つを繋げて名乗るわけだ。まるで中世の侍だね」
「名乗るだけで一行使っちゃいますし……ちなみに前二つの項は、『“狩人”フリアグネ』様を始め、“紅世の徒”も同じです」
「彼ら、フレイムヘイズと契約する“王”たちとは、“存在の力”の取扱いに対する見解と主張が違うだけの同胞だから当然だよ。昔はどっちの陣営にも、その違いを整合させようと試行錯誤していた連中がいたんだけど、今では双方、単なる敵としてしか相手を見ていないようだ」
「おおむね、真名は“徒”同士の会話で、通称は私のように……コホン、近しい間柄の者が使います、っあ!」
嬉しいことを言われたフリアグネは、またマリアンヌを抱き締めた。うっとり声で補足する。
「真名は畏まって使う『姓』、通称は気安く呼ぶ『名』……といったニュアンスかな」
「〜で、では次に、不思議の力編です〜」
■“存在の力”■
この世に存在するための根源の力。これを人から得ることで“徒”は顕現する。
■自在法■
“存在の力”を繰ることで『在り得ないこと』をこの世に出現させる術。
■自在式■
自在法の発動を現す紋様で、力の結晶。効果を増幅する機能を持つものもある。
■封絶■
自在法の一つ。隔離と隠蔽のための空間。原則的に“徒”とフレイムヘイズしか動けない。
■自在師■
自在法を得意とする者。明確な規定はない。
■宝具■
“徒”が持つ、様々な効果を秘めた道具。
「細かい条件や規定を除いて簡単に解説すると、こんなところでしょうか〜〜んにゅにゅ」
主に頬摺りされて、マリアンヌの毛糸の髪がクシャクシャになる。
「そうだね、マリアンヌ。私たちは宝具が主力で、自在法はあくまで補助的に使うタイプだ。目的が、まさに自在法の起動だったわけだけれど……ごめんよ、マリアンヌ」
「ああ、フリアグネ様――」
と、しつこくバカップル振りをひけらかそうとする二人を押しのけて、画面脇から金髪の美少女と美少年が――正確には美少年の手を引いた美少女が――現れる。
「うふふふふ、私たちは逆ですわね、お兄様。自在法による有利な戦場の構築が主で、宝具はそのサポートに使うというタイプですもの」
「うん、『オルゴール』とか、そうだよね!」
美少女・ティリエルは最愛の兄である美少年・ソラトを胸元に抱き寄せる。
「お兄様の『ブルートザオガー(吸血鬼)』も含まれますわ。勿論、行動方針はお兄様の意向によるのですけれど」
「ふうん、そうなんだ?」
ええ、とティリエルは頷くと、兄をより強く抱き締めて解説を続ける。
「自在法には、決まった形式や手法はなく、“徒”個々人の本質に応じた現象として発揮されます。ポピュラーなものでは攻撃的な精神の具現化である炎弾、特殊なものでは他者に愛情を注ぎ守る私の『クレイドル・ガーデン(揺りかごの園)』などがありますわね」
ヒョイ、と横からマリアンヌが顔を出す。
「っていうか、なんであなたが解説役を代行しているんですかムギュ」
ティリエルは軽く彼女を画面外に押し返す。
「まあ中には、どこかの小さなお嬢ちゃんみたいに、使えて封絶程度なんて言う、“王”の力を持て余している自在法音痴なフレイムヘイズもいるようですけれど――っ!?」
今度はマリアンヌを抱いたフリアグネが出てきて、兄妹と押し合い圧し合いする。
「あそこまで身の内に収める“王”の力が大きいと、行使するための感覚を容易には把握できないのさ。常時、他のフレイムヘイズにおける暴走状態でいるようなものだから、いざ力を使ったときの規模も、消耗の度合いも無茶苦茶になるんだよ」
「ちょ、押さないでくださいな!」
「わーい、おしくらまんじゅうだ!」
「で、では最後に、その他編をご覧ください!」
■トーチ■
“徒”に喰われた人間の代替物。周囲との関わりを徐々になくしながら消える。
■“ミステス”■
宝具を内に宿したトーチ。トーチが消滅すると、他のトーチへと宝具は転移する。
■“燐子”■
“徒”の下僕。その能力の程度は、制作者の技量や使われた力の規模によって変わる。
「つまり私のように、宝具まで使える“燐子”は、そうはいないんでっ!?」
またマリアンヌは押しのけられた。
「まあ“燐子”なんて所詮、“存在の力”を集めるための道具に過ぎませんしヒャッ!?」
今度はティリエルの眼前に、フリアグネが顔を突き出した。
「ふっ……君のように不器用で無粋な者には、私の愛を受けるに足る、心ある芸術品・マリアンヌの素晴らしさは分からないだろうね」
「ふん! 人形なんかに愛情を注ぐなんて、変態趣味もいいところですわ」
「おや? 兄妹でネチネチベタベタくっついているのは、変態とは言わないのかな?」
双方、互いに愛する者を抱いて睨み合う。
「……うふ、ふ、ふ、ふ……私たちの愛の有り様を侮辱してくれましたわね?」
「したらどうだと?」
「こうよ!」
「わっ、ティ――」
突然ティリエルはソラトに口付けした。たっぷり十秒は絡み合ってから、口を離す。
「――ぷはっ! どう? あなたのお人形にこんなことできまして?」
「そんな破廉恥な真似をしなくても、私たちの繋がりは強固そのものさ」
「そ、そうです〜」
フリアグネは緩みきった顔で、マリアンヌを力いっぱいに抱き締めた。
「ふふん、負け惜しみを! こんなことはどうです? こんなことも、こんなことも!」
「ティリエル、くすぐったいよ」
兄妹は、とても描写できない愛の証たる痴態を、“狩人”主従に見せ付ける。
「私たちの愛は、安直な肉欲なんかに惑わされない……髪を撫でたり一緒に踊ったり、いや、そこにいるだけで満ち足りるのが、プラトニックな愛の真髄というもの……だろう? 私の可愛いマリアンヌ」
「は……はい、フリアグネ様……」
二人はその場でうっとりと見詰め合う。しかしティリエルは、それを笑い飛ばした。
「は! お笑い種ですわ。愛し合っていれば、もっと深く交わり合いたいと欲するのは自然なこと! こんな風に、こんな感じで!」
「ティリエル、このかっこうはつかれるよ〜」
フリアグネは動じない。どころか、狭い画面の中、マリアンヌの手を引き、華麗なステップで踊り始めた。
「ははは、交わり合いを体に求める時点で、心の薄弱を露呈しているようなものさ。純粋な気持ちのやり取りに、そんな行為は不要だよ」
「なんだか無茶苦茶ですが、ッキャー! あんなことまで!? と、とにかく、このあたりでお別れです、またお会いできる日のありますように〜〜〜〜!!」
7  もつれるいま
プール中央のフロートに、元の状態に戻ったシャナとマージョリーが、力なく背を付けて座っている。
「……疲れた……」
「なーんで、こんなことしてたのかしら」
「あなたが……」
シャナは後ろを見ようとして、やめた。
「……ま、いいわ。せっかくこういうとこに遊びに来たんだし」
マージョリーも適当に相槌を打つ。
「そーね、無駄に大暴れするのも野暮ってもんかも」
その二人に、水面から首だけを出した佐藤と田中が渋い顔で言う。
「……最初からそう考えてくれませんか」
「危うくこっちは丸焦げになるところですよ」
プールサイドのそこかしこには、黒い焦げ目や破孔が、二人の騒いだ跡として残されている。その中に焼け焦げたパラソルや砕けたテーブルセットも散らばって、全体はほとんど廃墟の体をなしていた。
「そのくせ、プールだけ無事って辺りが……」
「なんか、悪ふざけの匂いがプンプンするんですけどね」
「い、池君も、のびちゃったし……」
彼女らのすぐ脇で、吉田が言う。
ついているのかいないのか、台詞一言でKOされたメガネマン・アクアは今、フロートの上で吉田の介抱を受けていた。
「はんせーしてるわよ」
「後ろに同じ」
いま三つほど誠意の感じられない声が返る。無駄なところでは息の合う二人である。
シャナがとぼけるように目線を逸らす、未だきれいな水面を、持ち主から離れたプレートがプカプカと漂っていた。
『今回は、本編執筆直前に、我がパソコン君が四年の酷使の前にクラッシュするという大ハプニングもありました。新機種への迅速な換装に尽力してくれた我が友・火中の栗を鷲掴みにするシステム傭兵Y中君に深く感謝します。』
それを拾い上げると、文面が変わっている。
「……?」
『担当さんから「オチなしでもいいですよ」との大阪人に対する最大の挑戦がありましたので、意地でもオチをつけます。それでは、本文を読んでくださった読者の皆様に、無上の感謝を、変わらず。また皆様のお目にかかれる日がありますように。二〇〇三年五月  高橋弥七郎』
シャナはあきれ顔でこのボードを皆に示す。
「そろそろオチだってさ」
今ここにいない人物が、ソレに使われることは容易に想像できる。
「番外編で何でもありだから、あいつが宇宙に旅立って終わり、とかになんのかね」
と佐藤がなげやりに言う。
「やり残しの敵に向けて『次はお前だ!』の台詞、『熱い応援ありがとう!』テロップ付き〜」
とマニアックな田中。
マージョリーは鼻で笑って、
「あ〜、あいつね。せいぜい、ヘナチョコなギャグのずっこけオチ辺りじゃないの?」
「あなたの背中にもサカイユウジが、てな怪談で締め〜、なんてな、ヒャッヒャッヒャ!」
その傍らの“グリモア”から、いい加減な調子のマルコシアス。
まともに答えない中、吉田が小さく、予想ではなく希望として呟く。
「……(私と)ハッピーエンド、だったらいいな……」
彼女の( )内を読心術もなしに察したシャナが、平静を装って――しかし眉をピクピクさせつつ――自信満々に言う。
「ふん、正解なんか、分かりきってるわよ。ほら、ないでしょ?」
自分に向けて、指を指す。
マージョリーが怪訝な顔で平坦なそこを見る。
「なに、今さら」
「胸じゃなくて!!」
言われて、
「ああ」
と全員が納得し……そして同時に、坂井悠二のせいぜいの冥福を(一名のみ無事を)祈った。
8  ぐれんのせかい
すさまじい熱量が孤島の芝をジリジリと焦がし、周囲の海面からは海底火山の噴火の如き水蒸気が絶え間なく巻き上がっている。
その中、引きつった声と笑顔で悠二が言う。
「え〜、と……アラストール……?」
それに、重く低く腹の底を震わせる遠雷のような轟きが答える。
「なんだ、坂井悠二」
「どうして、そんなに大きいのかな?」
孤島を圧するように、漆黒の固まりを奥に秘め、灼熱の炎をまとった“紅世の王”が、海面からそそり立っていた。
「番外編は、なんでもありだからだ」
「どうして、そんなに翼を広げてるのかな?」
渦巻く炎と黒い皮膜のようなものが、視界一面を塞いでいる。
「好き勝手やってもいい、とのことだからだ」
「どうして、腕をこっちに向けてるのかな?」
巨大な、鋭い鉤爪を先端に伸ばした掌が、眼前にある。前髪が縮れるのが分かる。眼球の表面が乾いて、瞬きをせずにいられない。
「たまたま我も、シャナのことでの鬱憤を晴らしたいからだ……っ!」
「わ――っ! し、死にオチか――――!?」
孤島が、“天井の劫火”の全力一撃の下、いっそ天晴れなまでに吹き飛んだ。
どっとはらい。
終わり。