TITLE : できる社員は「やり過ごす」
〈底 本〉ネスコ 平成八年十月十日刊
(C) Nobuo Takahashi 2003
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目 次
ま え が き
第1章「やり過ごし」の効能
やり過ごしてますか
やや、こんなにやり過ごしている
上司の指示は「打ちあげ花火」
有能な部下は「やり過ごす」!?
上司の「バカ殿状況」にいかに対処すべきか
「やり過ごし」上手な部下を育てる
第2章「尻ぬぐい」で組織はまわる
「真夜中のラーメン屋は大繁昌」のワケ
だれがいちばん忙しいのか?
「よけいなこと」が多すぎる
係長の「尻ぬぐい」の実態
他人の不始末に押しつぶされそうだ
「尻ぬぐい度」と業務の量の関係とは
うすうす気づいていた「尻ぬぐい」の重要性
管理者たる者の仕事
第3章「泥をかぶる」係長
係長にもっと光を
●実録「ある中堅社員の一日」
年功賃金はきびしいシステム
係長の仕事の範囲とは
管理職とヒラを結ぶ係長の役割
第4章「見通し」がほしい
仕事の満足はどこからくるのか
なぜ会社を辞めたくなるのか
社内転職で救われる
「結果オーライ」の崩壊
「見通し」ってなんだ?
発見! 「見通し」で説明できる退出願望
会社を辞めないほんとうの理由
第5章「未来傾斜原理」とは何か
敵同士が協力しあう不思議
裏切りがもたらす「囚人のジレンマ」
共倒れしない囚人たちもいる!?
「お返し」の強さ
協調行動が生きのこりの秘訣
「今後ともよろしく」の気持ちが大切
未来傾斜原理とは何か
未来傾斜型システムの日本企業
共に栄える条件
「見通し」と「未来係数」のちがい
“石のうえにも三年”は未来傾斜型
未来傾斜型人間は見通しの高い企業を選ぶ
第6章 経営者がゆらいでどうする
日本企業だけが特殊なのか
企業とは「文化」を作りだす現場である
絵に描いたようなホンダの「成功物語」
ほんとうはメタメタだったホンダの「成功物語」
プロフェッショナル・マネジメントの幻想
あなたの「組織」はほんとうに組織か
経営は集団の管理にあらず
経営者がゆらいでどうする
システムこそ企業の強さの源泉
旗は高く揚げるべし
「見通し」をあたえることの大切さ
第7章「未来傾斜」の意味するもの
未来はかならずやってくる
未来に何をのこすのか
会社はつづいていくもの
すごいヤツに会いたい
未来をこの手に感じとる力
未来がくるのはあたりまえ!?
「未来を割り引く」のほんとうの意味
日本人はなぜ預金するのか
つぎの世代に未来を手渡すのが仕事だ
あ と が き
参 考 文 献
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できる社員は「やり過ごす」
ま え が き
組織現象という言葉を使うと堅苦しいが、わたし自身は企業の「ぬるま湯的体質」を手はじめに、ここ一〇年ほどは「やり過ごし」「尻ぬぐい」といった日本企業の日常をテーマにした調査研究をおこなうことを心がけてきた。いずれも、われわれの日常生活のなかではマイナスのイメージをもたれているキー・ワードだ。
おもしろいことに、いずれもかなり使いなれたというか、使い古され、手あかのついたキー・ワードなのに、きちんとした研究なり考察がなされてきた形跡がない。もっともそれも無理はない。
なにしろ、わたしが最初、こうした一連のテーマに着手したときに、尊敬する諸先生方から、「それはアカデミックなテーマにはならないだろう?」「こんなキー・ワードを論文のタイトルに使っちゃだめですよ!」「冗談で調査してはいけません!」とご親切なアドバイスを頂戴しているほどなのだ。
そして極めつきは「研究者としての姿勢に疑問を感じる」という、ありがたいコメントまで頂戴したことがある。
しかし、性格がひねくれているのか、そういわれればいわれるほど、わたしには前人未到の金の鉱脈にみえてしかたなかった。
実際、調べれば調べるほど、こうしたマイナスのイメージにまとわりついたキー・ワードに、わたしをふくめて、われわれ日本人が心から愛着をもって接していることがわかってきたし、そして何よりおどろいたことには、じつは、積極的なプラスの役割が秘められていることが明らかになってきたのである。
一経営学者としての率直な感想をいわせてもらえば、「やり過ごし」「尻ぬぐい」などという一見、しょうもない現象にこそ、調子のよい日本企業のほんとうの強さの秘密がかくされていると確信している。この本は、そんなわたしの「大発見」をつたえたくて書いたものなのだ。
もっとも、日本企業に勤める一般の読者の大部分は、読みはじめには、
「そうそうそのとおり。でも、それってあたりまえの話だよね」
と、思うかもしれない。ところがどっこい、経営学者、経済学者にとっては、まったく非常識きわまりない話なのだ。そして読みすすむうちに、「やり過ごし」「尻ぬぐい」などという現象に、思いもかけない効能がかくれていて、しかも、それがわれわれの心の奥底に潜んでいる価値観・世界観をみごとに体現しているものなのだということがわかってくるだろう。
この本のベースになっているもともとの調査研究自体は堅苦しいが、この本ではできるだけやわらかく、そんな調査のなかで垣間みえてきた日本企業の論理、会社人間の論理を、わたしなりに紹介してみたい。まずは「やり過ごし」の現象からはじめてみることにしよう。
第1章「やり過ごし」の効能
■やり過ごしてますか
あなたは職場で、こんな体験をしたことはないだろうか──。
ある日突然、上司(かりに営業部長としよう)があなた(第一営業課長)に、「おおざっぱな案でいいから、営業区域割りの統廃合と各地区に必要な人員数をだしておいてくれないか。時期をみて営業部門の強化案として部長会議にだしたいんだ」といってきた。
営業所への電話連絡に忙殺されていたあなたは「はい、わかりました」と、とりあえず返事をし、ふたたび営業所への連絡のため電話にとびつく。夕刻一段落して、あなたは部長の言葉を思いだし、内容の確認もしないで簡単に返事をしてしまったことを後悔しはじめる。
・はたして「強化案」はいつまでに書きあげればいいのだろうか?
・営業区域割りは営業部全体の問題なので、本来は一課長の独断ではきめられない問題だ。ほかの課長と相談して考えろというのか、あるいはほかの営業区域の実情にくわしい自分に独断で素案をつくれというのか、どちらなのだろうか?
・管理部門をスリムにして営業部門に人員をふりむけるという社内のうわさを聞いたが、営業部門の増員を前提にした案を考えるべきなのだろうか? 下手をすると社内で悪者にされる危険があるのだが……。
・どうも部長のスタンドプレーのにおいがするのだが、本気で強化案を提出するつもりなのだろうか?
あなたは自分のうかつさを悔いながらも、心のなかで小さな決断をした。部長に「アレはどうなっているのかね」ときかれるまでは知らないふりをしていよう──と。わたしは、こうしたケースを「やり過ごし」とよんでいる。
「やり過ごし」は何も企業や組織のなかでだけ見られるものではなく、家庭のなかや一対一の人間関係のなかでもしばしば遭遇する。
たとえば、妻から「わたしは出かける用事があるので、午前のうちに燃えないゴミをだしておいてね」といわれたのに、「ま、いいか」とゴルフ練習場にいってしまった、というのも「やり過ごし」の一種だ(ちなみにわたしはゴルフをしないので、これはわたしの話ではありません。念のため)。
こうした「やり過ごし」のもつ意味や機能については、これまであまり注目されることがなかった。ひょんなことから、わたしは「やり過ごし」に興味をもつようになったのだが、注意深く観察するとなかなかおもしろいテーマであることがわかってきた。
■やや、こんなにやり過ごしている
以前、企業の部課長クラスを対象としたセミナーのあとの雑談で、上司の指示命令を部下がやり過ごしてしまうこともあるんじゃないですか? と水をむけてみたことがある。
そのとたん、ある大企業の部長からお叱りをうけた。いわく、
「組織のなかにあって、上司からだされた命令や指示をやり過ごしてしまうなどということはあってはならないことである」
ひらたくいえば、そういう社員はわが社にはいない(いらない?)、とんでもない社員だというわけだ。いっぽう、あとになって、もっと話が聞きたいという人もやってきた。おどろいたことに、やり過ごしのできない部下は無能である、とまでいい切る部長さえ現われたのである。
はたして両者のいいぶんは、どちらが企業の実態をうつしだしているのだろうか。
これまで「やり過ごし」は、やり過ごしをしてしまう者が悪い、やり過ごしをさせてしまう上司が悪い、といった個人のキャラクターやパーソナリティーの問題として片づけられがちであった。たしかにそういった側面はだれもが感じていることで、そこから「やり過ごし」にたいする悪い印象も生まれてくると考えられる。
しかし「やり過ごし」がどういうときに発生するかを注意深く観察すると、こうした個人の側だけではなく、どうやら企業の内にひそむなんらかの条件《ヽヽヽヽヽヽヽ》が関係していることがわかってきた。
たとえば、組織のなかにあって「課題がむずかしすぎて、どう考えればよいのか糸口さえ思いつかない」「仕事が多すぎてどこから手をつけていいのかわからない」というような状況下で「やり過ごし」が発生するらしいのだ。
「やり過ごし」には、研究者にとっても企業人にとっても、まだよくわかっていない発生メカニズムや機能がかくされているようだが、一般に考えられている悪いイメージと反対に、積極的に評価すべきすぐれた効能をもっていることもしだいにわかってきた。
とまあ、話は展開していくのだが、話をすすめるまえに、とにもかくにも、「やり過ごし」が存在するということだけは、はっきりさせておかねば。
上司の指示を部下がやり過ごしてしまうという「やり過ごし」現象にたいする評価が、前述の部長諸氏の意見にみられるとおり、企業の現場でも分かれていることは認める。しかし「やり過ごし」現象そのものは、たしかに存在するはずなのだ。
こうなってくると、白黒つけるためにも、「やり過ごし」にかんするアンケート調査をして、実際の企業における「やり過ごし」現象の存在を確認してみたくなる。わたしはアンケート調査が好きで、しかもその統計数字をひっさげて組織のヒアリング調査をするのはもっと好きなので、それなりのノウハウの蓄積もある。
ところが予想はしていたが、「やり過ごし」実態調査にたいする拒絶反応はかなりのものだった。「そんな質問を入れたアンケートを社内でおこなうわけにはいかない」といわれつづけて五年が過ぎた。が、チャンスはやってきた。
天の助けか、「やり過ごし」現象を調べたいという会社が現われたのである。その加勢もえて、ほかの数社もなだめすかし、なんとか一問だけ質問をもぐりこませることに成功したのだ。数字をまとめ終わって、わたしはおどろいた。
「指示がだされても、やり過ごしているうちに、立ち消えになることがある」と答えた人が、じつに六六・三%もいるではないか。どの会社でも、五〇%を超える人が「やり過ごし」の存在を認めていた。
この調査がうまくいって以来、「やり過ごし」にかんする質問は市民権をえて、調査項目に入れられるようになった。これまで調べた三十数社数千人のデータでは、「やり過ごし」の存在を認める人が、その約六割にものぼっている。もうすこし正確にいうと、一九九一年から一九九五年までの五年間に、三三九五人につぎの質問をぶつけてみた。
「指示がだされても、やり過ごしているうちに、立ち消えになることがありますか」
この質問に、六三・一%の人が、「はい」と答えている。「はい」と答えた比率を「やり過ごし比率」とよぶことにするが、このやり過ごし比率は、企業によっては、なんと約九割に達するところもあったのだ。
■上司の指示は「打ちあげ花火」
ところで、最初に「やり過ごし」の調査をした年に、「やり過ごし」を調べたいという会社が現われ救われたといったが、それは流通業A社だった。案の定(?)、A社のやり過ごし比率は八一・一%にもなり、その年の調査では、もっとも「やり過ごし比率」の高い会社になった。
調査の窓口になってくれたA社の能力開発部の人は、みずからが直面したつぎのような事例をあげてくれた。
あるとき、部長が新しい能力開発プログラムを作るようにと指示してきたので、「それでは補佐してくれる人間をつけてほしい」と頼みこんだ。しかし部長は人はつけられないから自分ひとりで新プログラムを作れという。
これは土台無理な話で、自分はルーチンの仕事だけでも残業に追われる毎日なのだ。もしこのルーチンの手を抜けば、とたんに会社の日常的な能力開発業務は停滞するだろう。それだけは避けなければならない。もし新プログラムを作ることがそれほど重要で緊急を要することならば、自分に要員をつけるべきではないか。部長が要員をつけてくれないから、自分は新プログラム作りの仕事を「やり過ごし」ているのだ。それに自分の読みでは、たぶん部長は、このことをしばらくしたら忘れると思う。現に、いまにいたるまでに、部長は何もいってこない。
じつは、このA社についてはフォローアップ(追跡調査)のヒアリング調査による結果がでている。窓口になってくれた担当者が、おもしろがって実際に何人もの従業員に面接して話を聞き、やり過ごしの発生原因をあげてもらったものである。それらは、企業内におけるやり過ごしの実態を描写していてじつに興味深い。
わたしはこれをつぎのように「上司の(態度の)あいまい性」「仕事(指示内容)のあいまい性」のふたつの要因に整理してみた。
上司のあいまい性
・上司が知識不足(調査対象者は、ほんとうは「無能」といったらしい)であるため、まちがった内容や状況認識が多く、また人間性を無視した対応が多い。
・指示の目標が明示されていない。
・指示とはいっても、たんなる思いつきや、独りよがりの域をでていない。
・上司はいつも指示のだしっぱなしで、打ちあげ花火と同じ。指示は華々しく打ちあげられるが、いつしか立ち消えになってしまう。
・指示・命令されたことを実施してもしなくても、勤務評価に影響がない。
・指示を実施しなくても、ほかの者もやっていないといえばすむような雰囲気がある。
・上司はその仕事を実行すると摩擦が起きることを知っているので、上司自身が自分でやるべき仕事を部下へ押しつけている。
仕事のあいまい性
・複数の部署からほぼ同時に指示されることが多く、しかも部署によって指示内容がまちまちで、どの指示にしたがったらいいのかわからない。
・直接の上司以外からの指示や、自分の担当外と思われる指示にたいしては、当事者としての意識が薄く、メモもとらないので、そのうち忘れてしまう。
・あたえられた指示命令が、内容からみて優先順位が低いと判断した。
・期日が指示されない仕事はあとまわしにしてしまう。また、無理な期限で要求される仕事も「こんなスケジュールでできるわけない」とハナからあきらめてしまうため、これもあとまわしになる。
・実施の趣旨や目的が不明確である。
・課題が大きすぎて、とても全部はできないうえに、どこまでやるか処理の基準も不明確である。
・あたえられた課題が大きかったり、内容がむずかしいうえに実施するスタッフがいない場合、処理できないと判断してしまう。
・現在かかえている業務(課題)量が多すぎることから、指示がだされても、処理をする時間がない。
こう書きだしてみると、A社の社員の不満が一気に噴きだしたようにみえるかもしれない。
しかし、考えてみると、自分の会社の人間に、それも能力開発部の人間に、面とむかってこれだけのことを話せるなんて、なかなか開けた自由な雰囲気の会社ではないか。わたしはこの会社が気にいるとともに、大いに興味をもった。
それで調査直後に、この会社の課長研修での講演をついつい引きうけてしまった(わたしは企業研修の講演は原則として引きうけないことにしている)。そのとき会場にいた二〇人ほどの課長さんに、会社名を伏せた六社の「やり過ごし比率」をみせて、どの会社が自分の会社かわかりますかと聞いてみた。全員が一致して、「やり過ごし比率・約八割」の会社をさし、これがわが社であろう、と答えた。正解である。
なぜわかったのか理由をきいたところ、課長さん自身が日ごろから「やり過ごし」の多さを実感しているという。やはり数字は正直なものだ。
■有能な部下は「やり過ごす」!?
ところで、こうした話はA社だけではない。電気通信関係のB社でも、窓口になってくれた人がおもしろがって、実際に何人もの同僚に話を聞き、やり過ごしの発生原因とその機能をあげてくれた。
たとえば、B社の本社ソフト開発部門は、業務量と要員のバランスを欠いており、慢性的にオーバーロード(過重負荷)の状態で仕事をしていた。あまりの人手不足に、二〜三年でいいからと説得して、地方支社から優秀な開発要員を集めてきて仕事をさせているような状態だった。
ちなみに、東京の本社社員の感覚では、地方の支社や子会社の社員を本社勤務にすることは「栄転」であり、みな、よろこんで上京すると思っていた時期もあったらしい。だが、いまでは東京の本社中心の発想がまちがいであったことに気がついてきたという。なにしろこの手の「栄転」話がしばしばことわられてしまうのである。
地元には親も親戚もいるし、友人も多い。家もある。ほかにも理由はあるだろうが、とにかく地元をはなれたがらない。そこで、二〜三年でもいいからという期限つきで、東京の本社へきていただくこととなるのだ。
話はそれたが、とにかくこのようなオーバーロード状況では、上司の指示命令のすべてに応えることは不可能である。それでは部下はどうしているのか。
ここで登場するのが「やり過ごし」である。部下は上司の指示・命令を上手にやり過ごすことで、時間と労力を節約し、日常の業務をこなしている。つまり、やり過ごすことによって、少なくともルーチンの必要な仕事は滞ることなくすすめられるわけだ。それができない部下は「いわれたことをやるだけで、自分の仕事を管理する能力がない」「上からの指示に優先順位をつけられない」というマイナス評価をされることになる。B社では、つぎのような評価基準を明かしてくれた。
A評価…やり過ごしもふくめて上司の指示・命令をみずからの判断で優先順位をつけて遂行し、必要に応じて指示されないことまで自主的におこなって、つねに時機に応じた解決策を提示する部下。
B評価…上司からいわれた順番に仕事に着手し、上司が指示した範囲で確実に仕事を遂行するが、上司の指示が多すぎたような場合には、時機をのがすこともある部下。
C評価…やり過ごしもふくめてまちがった優先順位で勝手におこない、その結果やらなくてもいいことを先にやり、やるべきことをあとまわしにして時機をのがす部下。
D評価…自分で優先順位をつける能力もなく、かといって、上司から指示されたことも遂行できない部下。
ここであげられた評価基準は、はたしてB社だけにあてはまる特殊なものだろうか。たぶん、どこの企業でも、事情は大差ないのではあるまいか。
かつて「指示待ち人間」なる言葉が話題になり、指示されるまで自分では動こうとしない若者が批判されたことがあった。指示待ち人間にたいする批判が世間の共感をえていたということを考えると、裏をかえせば、世間一般の「上司」にとってやはりB社同様、A評価の部下が理想像なのではないだろうか。
■上司の「バカ殿状況」にいかに対処すべきか
こんなB社のもうひとつの特徴は人事異動が頻繁におこなわれるということだ。B社では、ほぼ三年で定期異動が、しかもまったくちがう職場への定期異動がおこなわれている。このため支社・支店では自分の責任分野の専門知識を十分もちあわせていない管理者も多い。
ある叩きあげの課長はこんなふうにいっていた。
「部長が異動してくると、最初の一年はわたしの天下ですね。何しろ部長はこの職場のことをなんにも知らないんだから。ああしろこうしろといわれても、『部長、この職場ではこうなっているんですから……』と説明すると、多少理屈に無理があっても、ああそうかってことになるんですよ。でも二年目になるとだんだん怪しくなってきて、『〇〇君、君はこのあいだはあんなこといってたけど、やっぱりわたしのいったとおりだったんじゃないのか』なんてよびつけられるようになる。ああ、そろそろまずいなあと思っていると、そのうち自分が異動になっちゃう。部長もわたしも三年で定期異動してたら、同じ人とは長くとも二年、短いと一年しか重ならないわけですからね」
これだけ聞いていると、なんだか無茶苦茶な感じもするが、「職場の事情を把握するまでは部下の意見を尊重し、事情がわかってくるにしたがって、自分らしさをだそうとする」と翻訳すると、じつは、これはよい上司にめぐまれたケースだったことがわかる。だからこそユーモラスな感じさえするのだ。
ところが、上司のなかには、深刻な事態を引きおこしかねない人物も多いという。着任したとたん、よく事情もわからぬまま、部下の意見も聞かずに、自分らしい「業績」をのこそうと矢つぎばやに指示をだしまくる人もいるらしい。これでは洒落にならない。
こうしたケースでは、その業務に長年従事し「職人」としての専門知識をもつ部下にとっては、反論するのもばかばかしい指示が雨あられと降ってくることになる。こんなとき、面とむかって上司の指示がいかにナンセンスなものであるかを部下が立証しても、それを受けいれる度量の広さを上司がもちあわせていない場合、職場の人間関係はぎくしゃくするだけなのだ。
部下の反対意見を聞いているうちにヒステリーをおこして、「殿様が白といったらカラスも白いんだ」と叫んだ上司もいたそうだ。これを称して、B社の担当者は「バカ殿状況」とよんだ。言いえて妙である。
もうこうなってしまうと、上司が部下の意見をとりいれて、自分の指示を修正したうえであらためて指示をだしなおすなんてことは、とうてい期待できなくなる。しかし、このままでは、おかしな指示が職場全体にいきわたることになり、大きなトラブルが発生するか、あるいは組織機能が麻痺することになってしまう。
そこでこうした場合、B社では、的はずれな指示は部下のやり過ごしによって濾過され、上司に恥をかかせることなく正当な指示だけがラインに流れることになる。頭のよい上司であれば、その様子をみて、自分の誤りに気がつくというのである。
この「職場」が支社・支店の場合はまだいいが、本社・本店の場合には、事態はいっそう深刻さをます。本社のめだとう精神旺盛な管理者の気まぐれ指示が全国の支社・支店をかけめぐると、それがわずかの変更であっても、大きく現場を振りまわすことになるからだ。
そこまで考えると、このような困った指示をだしたがる上司につかえる部下としては、指示をやり過ごすことで、リーダーの異質性・低信頼性が現場に噴きだしてしまうのを抑え、組織行動を安定化させようとしているともいえる。
つまり、B社においては、部下の意見に耳を貸そうとしない上司が出現すると、それに対処する部下の手段として、「やり過ごし」が発生する。指示内容をいったんフィルターにかけて《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、おかしな指示はその段階でとりのぞいているのだ。
さあ、ここまでくると、やり過ごしの効能のひとつが見えてきたのではないだろうか。もし、やり過ごしがきびしくとがめられることになったら、仕事の量がやたらにふえたり、上司の指示・命令が現場の実情にあわなかったときには、組織は完全にロックしてしまう。つまり、まったく動かなくなってしまうのだ。現場で処理できないようなとてつもなく大きな課題や、実情を無視した無理難題がひとつ詰まっただけでも、組織の流れと動きは完全に止まってしまうはずだ。
それでは、なぜわれわれの組織は動いているのだろうか。われわれの組織が巨大な課題や無理難題にさらされていないわけではない。それでも組織がロックしないですんでいるのは、部下の「やり過ごし」によって、このロック状態が回避され、最低レベルの日常業務が保障されているからにほかならない。いまはやりの、自動車のABS(アンチロック・ブレーキ・システム…制動時横すべり防止装置)と同じ原理である。
われわれは、知らず知らずのうちに「やり過ごし」を行使し、組織の機能的な破綻を回避することに成功してきたのだ。ここにやり過ごしの効能の代表的な一面がある。
■「やり過ごし」上手な部下を育てる
「やり過ごし」には、もうひとつ重要な機能があることを強調しておきたい。それは人材育成という側面である。
経済学的な発想からすると、社員の「やり過ごし」はコントロール・ロス(組織運営上の損失)やコスト(経費というよりは損失の意味に近い)にほかならない。つまり、上司の指示どおりに動かないということは、それ自体が「組織」の機能不全であり、企業の全体的な効率を低下させ、(損失としての)コストが発生するはずだ、と考えるのである。「経営者」や「組織」をあつかった経済学のモデルでは、いまのところ、こんなシナリオだけが大手を振っている。
事実、経済学者のまえで、「やり過ごし」の話をすると、きまって「やり過ごしを許容する企業があるなんて信じられない」という流れになってしまう。あげく「どうして、やり過ごしを放置するのだ。やり過ごしを駆逐して、コストを削減するのが合理的というものだ」ということになる。経済学的にはまったく非合理的で、ナンセンスな行動を日本企業はとっていることになる。しかし、これは現在の経済学の発想のほうがまちがっている。
たしかに一般的には、部下よりも上司のほうが優秀で経験も豊富だろう。逆にいえば、だからこそ上司になっている。したがって、優秀な上司の指示にきちんとしたがったほうが効率的という議論にも一理あるように思える。しかし、この発想には決定的な誤りがある。
それは、上司、部下をたんなる組織上のポジションでしか考えていないということである。実際には、上司、部下はたんなるポジションではなく、生身の人間なのだ。そして重要なことは、今日の部下は一〇年後にはなんらかの形で上司を務めることになる、ということなのだ。いま、上司の指示をただ忠実に、やり過ごすこともなく黙々とこなすだけの部下が、はたして一〇年後に良い上司となりうるのだろうか。
経験を積んだすぐれた上司が、部下の力量を判断して、詳細な指示のもと、もっとも生産性が高くなるように《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》仕事に従事させるとどうなるだろうか。つぎに例をあげてみよう。
ある大手の流通企業は、四年制大学を卒業した幹部候補社員に、七年間も同じ売り場で単調な食品加工の仕事をさせていた。というのも、店長が短期的な人件費、コスト削減圧力のなかで、「熟練した職人」となった彼を担当からはずす決心がつかなかったからだ。その結果、ずるずると七年間が経過してしまったらしい。
その間、七年間も加工作業をつづけさせたくらいであるから、たしかにその社員の生産性は高かったにはちがいない。しかし、そうした環境におかれつづけた社員が、はたして幹部として成長しうるであろうか。彼の将来はいったいどうなるのか。そして、彼を幹部候補の大卒社員として採用したがために、高い給料を現場の熟練職人に支払いつづける会社はどうなるのだろうか。
短期的には多少非効率なことがあっても、部署間でのローテーションをおこなって、さまざまな経験を積ませるべきだったのではないだろうか。そのためには、目先のコストだけに注意をうばわれてはだめだったのだ。長期的な展望のもとに人材育成をおこなうべきだったのだ。
幹部候補にはいろいろな仕事につかせたうえで、上級職には不可欠な「自分で考える」という姿勢を身につけさせるようにすることが肝要だ。当然、「やり過ごし」を完全に排除してしまってはいけない。
そのために発生する短期的コストなどは、高い給料の幹部候補社員をずっと食品加工につかせておく長期的コストにくらべれば微々たるものなのだ。成長を願う企業にとっては、当然、覚悟すべきものなのである。実際、トレーニング的な意味合いをこめて、上司は部下がこなし切れないほどの量の仕事をあたえることがある。
ある大手のコンピュータ・メーカーの部長は、女子従業員の戦力化にからんで、こんなおもしろい話をしてくれた。その会社のソフトウェア開発部隊はかなり大規模なもので、最近は、いわゆるSE(システム・エンジニアのことだが、最近は、こんなおおざっぱないい方はしないそうだ)にもかなりの数の大卒女子が採用されているという。その部長さんいわく、
「若いSEをみていると、男の子がわりといいかげんなのにくらべると女の子はまじめで、あたえられた仕事をきちんとこなして仕上げようとするんです。最初はそれでいいし、助かるのですが、しばらくすると、それではこちらが不安になってくるんですねェ。そこで女子SEには、仕事になれてくるころを見計らって、こなしきれないほどの仕事をどっとあたえてみるんです。
こうなると、ただ黙々とこなしていたのでは、納期にまにあわなくなってしまう。当然、仕事に優先順位をつけて、取捨選択をしなくてはいけなくなるはずなんです。そのときに、仕事のきた順番どおりにこなすだけで、納期までに重要な仕事をいくつかやりのこしてしまうようだと見込みがない。どうでもいいような仕事まで全部やる必要なんてないんですよ。それこそ、やり過ごしてくれればいいんです。もし、自分で優先順位をつけて、大事な仕事から順にやっていき、しかもその優先順位が、わたしの考えていたものと同じだったら、これは見込みがある。わたしも鍛え甲斐があります」
ようするに、部下のやり過ごしをわざと誘発させているのである。そんなとき部下は、自分で仕事に優先順位をつけ、優先順位の低い仕事をやり過ごしながら、自分で仕事を管理することを期待されている。やり過ごしの発生する状況をわざとあたえ、部下に実際にやり過ごしをさせることで、個々の仕事にたいする優先順位のつけ方や、やり過ごしの判断の仕方をチェックして部下の力量を推しはかっているのだ。
いずれ管理者になれば、自分の責任で仕事に優先順位をつけ、自分の責任でやり過ごさなければならない。こうして、女性のSEのなかからも将来の幹部候補が選ばれて、「鍛えられて」いくという。うまくやり過ごしができるようにならなければ優秀な上司にはなれないのだ。
「やり過ごし」てしまうことはたしかに「(損失としての)コスト」になるにはちがいない。しかしそれはたんなるむだを意味するのではなく、将来の管理者や経営者を育てるためのトレーニング・コストあるいは選別コストとして暗黙のうちに容認されているケースが多いのだ。このことは注目に値する。
だからこそ、長期雇用を前提としている日本企業においては、やり過ごしの現象をかならずしも「悪い」現象としてきめつけないという現実があるのである。
ところで、部下の「やり過ごし」を許容したとして、それが原因となって、仕事が不首尾に終わったときには、いったいどうしたらよいのだろうか。これについての妙案はない。はっきりしているのは、だれかが「尻ぬぐい」や「泥かぶり」をしなくてはいけないということである。こうして、「尻ぬぐい」や「泥かぶり」が登場してくることになる。
第2章「尻ぬぐい」で組織はまわる
■「真夜中のラーメン屋は大繁昌」のワケ
ヒマをもてあましているよりは、忙しい忙しいといっているほうが幸せなのだろうが、ほんとうにそんなに忙しいのだろうか。
かつて、電気通信関係の会社の調査をしていたころの話。担当者と電話でアポイントメントをとろうと思ったが、日中はまったくつかまらない。というより勤務時間内は全然だめなのだ。ようやく電話が通じたので「連絡がとりやすいのは何時ごろですか」と聞いたら、夜の八時過ぎにしてくれという。さらに「九時を過ぎれば確実です」という。「えっ、九時過ぎでいいんですか」とわたしが聞きかえすと、夜中の一時までなら会社にいるという返事がもどってきた。
あとで知ったのだが、この会社では、以前は退社時刻が午前〇時を過ぎるとタクシー・チケットをだしたのだという。ところが経費節減のため、午前一時を過ぎないとタクシー・チケットをださないことにした。その結果どうなったかというと、残業の常連組の退社時刻は結局、午前一時過ぎになってしまった。ただし、わたしが相手をしてもらっていたのは、当時、課長クラスの人たちばかりだったので、もちろん残業手当はつかない。
しかし、ほかの会社の社員もこうした事情を笑えまい。あるとき、セミナーの帰りでいつものように飲み屋に立ち寄ってみると、何やら盛りあがっている。わたしも話の輪に入ろうとしたのだが、なんの話をしているのかよくわからない。そのうち話の全容がわかって、ちょっとおどろいた。彼らは、丸の内から霞が関界隈にかけて、真夜中に営業している屋台のラーメン屋の話で盛りあがっていたのである。あそこのビルの横の屋台はうまいとか、どこそこのラーメン屋は何時にいっても開いているからいいだの……わたしは半信半疑で聞いていた。
何が半信半疑かといえば、夜には人っ子ひとりいなくなるはずの東京のど真ん中のオフィス街で、夜中も延々とラーメン屋の屋台が営業している、ということではない。一見、さほど猛烈社員にはみえない(申し訳ありません)、どちらかといえば淡々と仕事をこなしているようにみえるふつうのおじさんたちが、夜中までオフィスにいて、しかも、その屋台のラーメン屋で夜食(夕食ではない)をとったあと、また会社にもどって仕事をしているという事実。しかもほとんどの人が、もちろん毎日ではないだろうが、共通の体験としてもっているという事実である。
どうやらほんとうに忙しいらしい。そこで、実際に東京に本社のある大企業の本社のホワイトカラーを調査をしてみることにした。一九九四年八月三〇日(火曜日)の勤務パターンと出社時刻、退社時刻を調べ、これから勤務時間をもとめてみたのだ。
ちなみに、こうした勤務時間調査では、火曜日、木曜日をねらうのがコツである。週の初めと最後、そして真ん中は、あまり平均的な一日とは考えられないからである。こうして、火曜日のデータが集められた。
このうち、通常の勤務パターンであると答えた六六二人を、勤務時間別にみると、
・「八時間未満」 三・五%( 二三人)
・「八時間台」 一五・七%(一〇四人)
・「九時間台」 二七・〇%(一七九人)
・「一〇時間台」 二一・六%(一四三人)
・「一一時間台」 一三・三%( 八八人)
・「一二時間以上」 一八・九%(一二五人)
といった分布となった。
真夜中のラーメン屋が繁昌するわけである。不景気のさなかでさえこのありさまなのだ。これがバブル最盛期であったらどのような数字になっていたか、想像しただけでも恐ろしい。
■だれがいちばん忙しいのか?
それでは、会社のなかで、だれがいちばん忙しいのだろうか。企業の人と飲みにいくと、会社でだれがいちばん忙しそうにしているか、だれがいちばんヒマそうにしているか、なんていうテーマでけっこう盛りあがったりする。わたしと同世代の人、つまり課長とか係長クラスと話していると、「自分はこんなに忙しくしているのに、部長はヒマそうにしている」などという話をよく聞く。わたしが実際に接している課長さん、係長さんをみると、たしかに忙しそうだ。
でも、そのいっぽうで「部長はヒマ」は、よくある上司の悪口ではないかと思っていた。部下からみればそうかもしれないが、上の職位になればなるほど、責任も重くなり、気の休まるいとまもないと思うからだ。
それでは、ほんとうは、だれがいちばん忙しいのだろうか。自分自身の業務の量について、どのように自己評価しているのだろうか。読者の方も、業務の量をどの程度多いと感じているのか、ためしに、つぎの項目で、「はい」がいくつつくかやってみてほしい。
いまの仕事は正直いって、きついと感じることがある。
(はい いいえ)
自分の業務量は社内の平均と比較して多いほうだと思う。
(はい いいえ)
残業している同僚や部下の仕事を手伝うことがある。
(はい いいえ)
隣のグループ(課や係など)の仕事を手伝うことがある。
(はい いいえ)
会議が多過ぎると思う。
(はい いいえ)
先月は休日出勤したことがある。
(はい いいえ)
仕事に追われている、と感じることがよくある。
(はい いいえ)
さて、いくつ「はい」があっただろうか。
これらの質問にたいする答えにはある共通した傾向のあることがわかっている。それは「ヒラ」「係長クラス」「課長クラス」「部長クラス」の四つの職位カテゴリーで、それぞれ「はい」と答えた人の比率をみてみると、図表1のように逆U字型をしていたのだ。逆U字型ということは、つまり、自己評価でみると、「ヒラ」と「部長クラス」は「はい」と答える比率は低く、「係長クラス」「課長クラス」がいちばん忙しいと感じているということになる。
さきほどもふれたように、わたしなどは、業務の量や多忙感というものは、職位が上がるにつれて、どんどん増加していくものではないかと思っていた(あるいは職位が上がるにしたがって減少すると考えた人もいるかもしれない)。しかし、実際には、こういう単調な傾向はみられず、課長クラスと係長クラスでピークをむかえることがわかったのだ。早い話が、「部長クラス」はかえって業務の量が減少したと感じている、というわけだ。
図表1 職位別にみた業務の量
(図表1 解説)
業務の量について、〜の7つの質問にたいする答えには、ある共通した傾向のあることが一見してわかる。自己評価ではあるが、「ヒラ」「部長クラス」とくらべて、「係長クラス」「課長クラス」で「はい」と答える比率が高いのだ。つまり、「係長クラス」「課長クラス」がいちばん忙しいと感じているということになる。「部長クラス」ではかえって業務の量は減少したと感じている。
■「よけいなこと」が多すぎる
それでは、どうしてそんなに忙しいと感じるのだろうか。多忙感の実態とはなんなのだろうか。
企業の人と、会社、職場で多忙感をもたらす要因となっているものについて話し合ってみると、多忙感をおぼえるのは、たんに勤務時間が長いとか作業量が多いという量的な多さだけではなく、仕事の質によっても、その多忙感は左右されるものだという。
とくに、本来の仕事だけではなく、「よけいなことをやらされている」と感じる場合に、より多忙感が強くなるものだという。
そこで、さきほどと同じように、自分自身の業務の質について、どのように自己評価しているのかを調べてみた。読者の方も、業務の質をどの程度に感じているのか、つぎの項目で「はい」がいくつつくかやってみてほしい。
他人のミス、情報不足などにより、仕事が二度手間になることがよくある。
(はい いいえ)
指示命令、方針の変更により、仕事が二度手間になることがよくある。
(はい いいえ)
突発的な仕事の発生で、自分のペースで仕事ができないことがよくある。
(はい いいえ)
作業が中断し、手待ちになることがよくある。
(はい いいえ)
各部署ごとに人員がバランスよく配置されていないと思う。
(はい いいえ)
さて、みなさんは五問中いくつ「はい」があっただろうか。のちほど、ちょっと使うので、何個「はい」があったか、覚えておいてほしい。
わたしの調査では、「はい」と答えた人の比率をとってみると、図表2のように、やはり逆U字型をしていた。しかも今度はいずれの質問でも、「係長クラス」でピークとなっている。
つまり「係長クラス」がいちばん○○なのだ(?)。
はて? ○○の部分にどんな言葉を入れたらよいのだろう。質問を読みなおしてみるとわかるが、「忙しい」でもないし「よく働いている」でもない。
さあ大変だ。この業務の質にかんする五つの質問は、いったい何を表わしているのだろう。各社の職場のなかでは具体的には、どのような現象を表わしているのであろうか。
わたしの考えだした答えは「尻ぬぐいをしている」である。この答え、「尻ぬぐい」が気に入るかどうか……。つぎの調査レポートを読んでみてほしい。読者の方もイメージが湧いてくるのではないだろうか。
図表2 職位別にみた業務の質
(図表2 解説)
多忙感を覚えるのは、たんに勤務時間が長いとか、作業量が多いとかいう量的な多さだけではなく、仕事の質によってもその多忙感は左右される。とくに「よけいなことをやらされている」と感じる場合には、多忙感は強くなるという。ここでの5つの質問にたいする「はい」と答える比率は、いずれも「係長クラス」でピークとなっていることがわかる。わたしはこれを、「係長クラス」がいちばん「尻ぬぐい」をしているとよぶことにした。
■係長の「尻ぬぐい」の実態
わたしは、組織のなかにおける係長クラスのはたしている役割は「尻ぬぐい」をキー・ワードにして明らかにできるのではないかと思ったわけだが、企業内の当事者たちもおもしろがってくれたので、もう一度調査をやってみることができた。
さきほどの調査と同じ調査対象企業八社の今度は係長クラスに対象をしぼって、一九九四年一一月後半に、尻ぬぐいの状況が発生したときの具体的状況を事例として記述してもらうことにしたのだ。
面接調査をやった会社もあれば、アンケート調査にした会社もある。とにかく、五つの質問項目について、具体的に書きだしてもらったのである。その結果、でるわでるわ……。わたし自身思いあたるふしもあり、また、わたしの気持ちを代弁してくれているような気もしたので、多少穏便な表現にはしたが、できるだけそのまま回答を列挙してみることにした(文面に見えかくれしている憤懣《ふんまん》やるかたない気持ちを察してください)。
他人のミス、情報不足などにより、仕事が二度手間になることがよくある。
A社
・設計工数の削減のために具体的な仕様を営業部員が顧客からヒアリングしてくるのだが、それが不十分なことが多く、設計担当の自分が再度訪問しなければならなくなる。
・部門内のメンバーが大幅に入れかわった当座は、トラブルシュート(各事業部に謝りにいって善後策を講じること)がむしろ日常業務である。
B社
・報告書の不備で、月次要因分析資料を再編集しなければならなくなった。
・給与システム構築過程の調査において、各部門がはっきりと情報提供をしないために、システムができてしまったあとで、一からシステムを構築しなおす羽目に陥った。
・給与システムの端末での操作マニュアル・画面など必要事項を提示しているにもかかわらず、それらをろくに読まずに作業をする人がいて、やむをえず自分があとでやり直しをしている。とくに、担当部長のなかには、悪びれることもなく平然と自分にやり直しを要求する人までいる。
・関連部署から提出してもらった資料をもとに作業をするとき、期日がとっくに過ぎてから資料の差し替えがあって、あわててやり直す羽目になった。
・倉庫や金庫の鍵のかけ忘れなどの単純作業ほど、きちんとできるかどうか人によって差があり、結局、自分が再確認しないといけない。
C社
・事業計画調査について、要求元が、途中で一方的に要求を変更してきた。
・規程が変更されていたにもかかわらず、周知されていなかったために、作業をやり直すことになった。
・同じ部署から、同じ資料の要求が何度もある。まえにわたした資料はどうなったのだ。
D社
・暫定的なオーダーのままつぎの部署に依頼したら、途中で仕様が変更になり、結局最初からやり直しになった。
・営業部員の聞きだし不足によって、顧客の要望に沿っていないケースが目立ち、自分が再度話を固めざるをえなくなる。こうした場合、プラン、見積り、依頼と、すべてが二度手間になる。
E社
・上司によっていうことがちがったり、同じ上司でもいうことが途中で変わったりするので、作業が二度手間になる。
・担当である自分を経由せずに、他部署と勝手に折衝してきめてきてしまう人がいる。そんな場合は、結局、自分がフォローしてまわることになる。
F社
・同じ問題が複数の顧客のところで発生している場合、すでにどこかで解決ずみになっているのに、伝達不足のためにその解決策を知らず、各担当がそれぞれの顧客ごとに個別に一から問題解決をせまられていることがある。
・顧客の要求が正確に伝えられていなかったり、あるいは営業と顧客との間での口約束が作業がはじまってしまってから発覚し、あとになって、根本的な変更をもとめられる。
・他部署からの社内情報が課長で止まっていることがある。そうした場合、納期がせまっていると、情報のないまま見込みで作業をはじめることになるのだが、多くの場合、あとで本当の情報が伝わると、結局、作業をやり直すことになる。
・上司の指示が「とにかくやってくれ」では話にならない。何をすべきか明確な指示もだせないくせに、結果にたいしては「俺はこんなものを指示していない」などとわけのわからないことをいって、やり直しを命じられる。
G社
・補助者に依頼したデータ・チェックや入力のミスが資料分析の段階になって発見され、結局、データ段階までもどって、一から自分でやり直すことになった。
・自分とまったく同じ作業をしている人がほかにもいることに、途中で気がついた。
H社
・資料の取りまとめの際、ほかの課の数値記載ミスにより、数値がすべて変わってしまった。
指示命令、方針の変更により、仕事が二度手間になることがよくある。
A社
・事業部の予算が上層部でひっくり返って、それまで購入を考えていたものが調達不能になり、計画全体を見直す羽目に陥った。
・作業がある程度すすんでしまってから、顧客が急に延期話をもってくることがある。
・各種会議用の資料の承認を受ける回覧先が多過ぎるうえに、上司それぞれに見解がことなり、そのつど細かい修正をもとめられる。手間もかかるが、内容を修正すればするほど、かえって不自然になるケースが多い。
B社
・上司の指示によって作成した資料をもっていったら、そのまた上の上司の気分で前提条件が変わってしまい、作成し直した。
・昇給・賞与業務、人事異動など人事業務一般で、事務局長たる人事部長と、それを監督する立場の専務と、さらに決定をくだす社長とのあいだで、意思の疎通ならびに統一がまったくなく、各段階ごとにいつもそれまでの方針・方向性が否定され、白紙撤回となり、そのたびに何度も何度もシミュレーションを実行しなくてはならない。社長の決定ですら、グループ会社の社長の顔色をうかがって翻ることもある。
・給与システム改定の決定時期が社長段階で数カ月おくれているあいだに、給与システムの開発のほうは当初の計画どおり順調にすすんでしまった。そのため旧体系での開発が終わったとたんに、今度は新体系に合わせるための改造作業が発生した。
・上司の考えがいつのまにか変わっていて、上司の指示のもとに動いている自分としては、そのつど交渉相手にたいして、その場しのぎの説明を考えることになってしまう。
C社
・上司の思いつきに振りまわされる。
D社
・まさしく朝令暮改。
・きちんと設計のコンセプトにもとづいてプレゼンテーションしているのに、その段階ではなんの意見もださず、当然、その方針でいくと思っていたが、実際にできあがった物をみて上司の気が変わってしまい、いとも簡単に変更の指示をだされる。
F社
・上司が顧客の理不尽な要求にいいなりになってしまうために、営業部員も自分たちも顧客に反論ができず、納得できない。
・上司からの指示は締め切り間際のものが多い。そのため、どうしても目先の忙しさだけでいろいろな作業を割りあてられることになってしまうが、本来業務とは関係のない作業なので、そのあいだにえられた経験と知識は、もとの作業にもどると、そのたびにむだになってしまう。
G社
・上司の指示どおりにつくりあげた資料を見せにいったら、上司から「これが何に使えるか考えてみよう」といわれた。
H社
・役所の都合で方針が変更になると、反論もできない。
突発的な仕事の発生で、自分のペースで仕事ができないことがよくある。
A社
・大きな仕事の受注が減ってくると、小物を受注しようと努力するのはわかる。しかし、小物だからといって、急ぎの引きあいが突然くると、ペースが乱れる。
・事業部から急いで見積もりをとってくれと要求がくるのは、調達部門では常態。
・突然の来客、しかも社内の来客が日常茶飯事で、立場上対応せざるをえない。といって、これをいやがっていては商売にならない。
B社
・急な会議の資料作成、経理部からの伝票の数字確認などの仕事は、担当者が休みもしくは外出中のときに、ほかの担当者にまわってくることが多い。
・頻繁に電話が鳴り、来客も多く、対応に追われているうちに、気がつくと終業時間になっていたことがある。
・会議用の資料作成で、既定の資料のほかに、直前になって、上司用の手元資料をすぐに作成しろといわれることがある。
・上司が指示をだし忘れていたことに直前になって気がつき、通常は丸一日かかる資料の作成を、本来の仕事を放りだし、係員全員が手分けして、二時間で完成させたことがある。
C社
・ほかの部門からの早急な調査・資料要求が多い。
・対役所業務は、往々にして急用で、本来的に自分のペースでは仕事ができない。
D社
・顧客からのクレーム処理やトラブル発生で至急の依頼が入ると、現在着手している仕事にしわ寄せがくる。
・こちらの手持ちの仕事も考えずに、本日依頼で締め切りが「今日中」という仕事が多い。
・突発の仕事は月末に集中することが多く、月末は自分の予定が立たない。
・突然来店した顧客の要望に振りまわされることがある。
・事故がつづいた時期があった。
F社
・当日になって急に会議が招集され、しかもそれが長引く。
・担当者が不在のとき、顧客から急な依頼があって不在部署の支援に駆りだされると、自分の仕事ができなくなる。突発的な仕事がまわりに波及する。
・部長、課長からの割りこみ指示がよくある。
作業が中断し、手待ちになることがよくある。
B社
・ほかの部署に依頼した業務が集まってからこちらの作業に入るのに、依頼部署の作業のおくれのため、手待ちになる。
・上司が席を空けて不在のために指示待ちになる。
D社
・相手方の出張予定を知らなかったために、打ち合わせができなくなる。
・営業部門と管理部門で休日カレンダーがちがうために、手待ちになる。
・上司が役員の顔色をみてから決裁を仰ぐので、タイミングを計って時間ばかりがかかる。
E社
・決裁者の出張などによって、上層部承認手続きが遅延した。
F社
・会議で参加者がそろうのを待っていたり、ミーティング中にキー・パーソンが電話の応対にでて中断したりする。
各部署ごとに人員がバランスよく配置されていないと思う。
B社
・各部署では作業が集中する時期があるが、同じ時期、ほかの部署まで忙しいわけではない。たとえば、月末に業務が集中する部署では、月末は多忙を極めるが、ほかの部署では月末だからといってもなんの変化もなく、のんびりとしたムードを感じる。
・仕事量にくらべて人員が多過ぎる部署では、しなくてもよい仕事まで自分たちで生みだして仕事をさせているようにみえる。
C社
・各年の採用人数が大きくちがっているせいもあるのだろうが、部署によって年齢構成にかたよりがある。なかには同年齢が固まっている部署もある。
E社
・経験を要する仕事でありながらベテランが少なく、その配置も均等ではない。
F社
・同じ部署内でも、業務の知識・経験などにより、特定の人間だけが多忙になっている。
・部内に若手が少ない。
G社
・こちらは忙しいのに、社内のヒマな部署の人間が訪ねてきて、つまらない話にだらだらとつきあわされることがある。
・毎晩のように残業している部署と毎日のように定時退社する部署がある。
・忙しい部署はいつまでも忙しく、ヒマな部署はいつまでもヒマである。
H社
・いつも残業する課、人がきまっている。
■他人の不始末に押しつぶされそうだ
わたしなどは、こうした文章を読んでいると、末尾に「俺にどうしろっていうんだ」「えらそうにいうんじゃない」「なんとかならんのか(なんとかしてくださいよ)」「勘弁してくださいよ」といったフレーズを入れたくなってしまう。そういえばこのごろ、わたしもこうしたセリフをときどき口にしている。
まあ、わたしの話はともかく、この結果をもとにして、係長クラスの面々とディスカッションをしてみたが、その結果、これらの質問はやはり「尻ぬぐい」もしくは「泥をかぶる」ような内容の仕事をさしているという点で一致した。
もうすこしスマートに整理すると、いずれもその原因は自分の不手際や不始末などではない、ということのようだ。はっきりいえば、上司や部下といった他人のせいなのである。しかも、困ったことに、この原因をもちこんだ上司や部下は基本的に自己責任で原因を解決してくれない。つまり、係長クラスにたいして、泥をかぶって、尻ぬぐいすることをもとめているのである。
そしてもう一点、ここで注目されるのは、こういった「尻ぬぐい感」が、じつは「係長クラス」でもっとも高くなっているという事実である。このことについては、どの企業でもよくある現象である、という結論に達した。そう、どの企業でも、係長クラスの仕事とは、まさに尻ぬぐい的な仕事になっているというのである。みなさんの会社ではどうだろう。
■「尻ぬぐい度」と業務の量の関係とは
そこで、この五つの質問をもとにして「尻ぬぐい」の程度を表わす指標をつくることを考えてみよう。
わたしはこうした指標をつくるのが大好きなのだが、今回は簡単である。五つの質問で「はい」と答えた質問の数を「尻ぬぐい度」と定義しよう。したがって、尻ぬぐい度は各個人で〇点、一点、二点、三点、四点、五点の値をとることになる(学術書であれば、ほんとうは、ここで格好よく、統計学的分析だの多変量解析だのをやってみせるのだが、ここではやめておきましょう。指標にとって重要なのは、直観的に納得できるかどうかであり、いかに「分析」を厚く塗り重ねても、直観的な納得性の足しにはならないのです)。
こうして定義された「尻ぬぐい度」と業務の量とのあいだには、どのような関係があるのだろうか。
いちばん気になるのは、勤務時間との関係である。勤務時間ごとに尻ぬぐい度の平均をもとめてみると、図表3のようになり、勤務時間が長くなるほど尻ぬぐい度が増加する傾向にあることがわかる。
図表3 1994年8月30日火曜日の勤務時間(出社から退社までの時間)と尻ぬぐい度
(図表3 解説)
尻ぬぐいの程度を表わす指標として「尻ぬぐい度」をつくってみた。勤務時間ごとに尻ぬぐい度の平均をもとめてみると、勤務時間が長くなるほど尻ぬぐい度が増加する傾向にあることがひと目でわかる。これは、残業が尻ぬぐい的な業務によるものであることをしめしている。たんに量的に勤務時間が長かったわけではないのである。
これはいわゆる残業が尻ぬぐい的な業務によるものであることをしめしていると考えられる。「たんに量的に勤務時間が長かったというだけではなかったのですね」というのがわたしの正直な感想である。
じつは、さきほど「他人のミス、情報不足などにより、仕事が二度手間になることがよくある」のところで、B社の「倉庫や金庫の鍵のかけ忘れなどの単純作業ほど、きちんとできるかどうか人によって差があり、結局、自分が再確認しないといけない」という話があったが、この文章を読んだある係長が、ため息まじりにこういっていた。
「ほんとうにそうなんですよねえ。職場の若い人に仕事を覚えてもらうのは大変なんですよ。たしかに金庫の鍵をかけるだけなら、だれでもできると思うじゃないですか。ところがそうじゃない。金庫の鍵をかけて帰れよといっておいても、ほんとうに忘れてしまうんですよ。それであとで何かあったら大変でしょう。だから、金庫の鍵かけて帰れよと指示した以上、そいつが帰るまで自分はじっと待ってなきゃいけないんですよ。そいつが金庫の鍵をかけるのを自分で確認してから帰るんです。そこまでしなくてもと思ったこともありましたが、ときどきほんとうに鍵をかけ忘れて帰るやつがいて……」
係長クラスの勤務時間がどんどん長くなるわけである。実際、職位別に尻ぬぐい度の平均をもとめると図表4のようになる。当然だといえば当然だが、尻ぬぐい度も逆U字型で、「係長クラス」でピークになることがわかる。
図表4 職位別の尻ぬぐい度
(図表4 解説)
「尻ぬぐい度」を計算するもとになっていた質問は、図表1でもしめされていたように、いずれも「係長クラス」で「はい」の比率がピークになっていた。したがって、あたりまえといえばあたりまえだが、「尻ぬぐい度」も「係長クラス」でピークとなる。
■うすうす気づいていた「尻ぬぐい」の重要性
じつは調査がおこなわれた前年の一九九三年末に、マイケル・ハマー(元MIT教授)とジェームズ・チャンピー(コンサルティング会社会長)共著の有名な『リエンジニアリング革命』の翻訳が出版されている。調査当時もまだリエンジニアリングのブームがつづいていた。
業務の多忙感を調べるという課題を設けたこともそうであるが、調査対象企業がこのようなしつこい調査にも熱心に応じてくれたのは、こうした時代の雰囲気と無縁ではない。ところがおどろいたことに、調査対象企業の担当者は、このような調査結果を事実として認めたうえでなお、こうした尻ぬぐい的状況を解消するために、仕事のプロセスをリエンジニアリングするということにはまったく否定的であった。あれほど彼らを苦しめている尻ぬぐい的状況を変えようとしないのだ。
たしかに、システムやプロセスの不備を指摘し、改善をのぞむ「もう少しなんとかならないのか」という感想も散見された。しかし、より重要なことは、こうした係長たちの尻ぬぐい的行動のおかげで、組織的行動やシステムが破綻をきたさずにすんでいるという事実である。
となると、問題なのは尻ぬぐい的行動がとられることではなく、だれも尻ぬぐいをしなくなったときなのだ。尻ぬぐいをする人間がいなくなったとたん、日常業務の遅滞は一部署から全社におよび、システムは停止してしまう。
そして、何を隠そう、こうした「尻ぬぐい」の重要性について、日本企業の経営者も従業員も、ともにうすうす気がついている。だからこそ、こうした尻ぬぐい的状況がもたらすコストを無意識に計算に入れて、システムやプロセスが作られているのである。
しかし、結局は、だれかが尻ぬぐいをしなければ、組織は動かない。自分でかたづけたほうが速くて正確であるようなルーチンの仕事さえ、とりあえずは部下にまかせてやらせてみて、仕事を覚えてもらう。それで結果的にうまくいかなかった場合には、覚悟をきめて自分が尻ぬぐいにまわるわけだ。
■管理者たる者の仕事
ところで、管理者の仕事を、経営学がどのようにあつかってきたかご存じだろうか。一九六〇年代までは、組織内でも比較的現場に近い階層を中心に、従業員の動機づけやリーダーシップのあり方についての研究がさかんにおこなわれていた。同時に、経営者の仕事についての教科書的な解説もくりかえしおこなわれていたのだ。
読者のなかには、かつてそのたぐいの勉強をした人もいるはずだ。管理職たる者は予測し、計画を立て、現場従業員に「やる気」を起こさせることが重要で、そのためには……などという管理者像が語られたものである。
しかし経営者や管理者はほんとうにそんな仕事をしているのだろうか。そう思ったのは経営学者も同じで、経営者・管理者の行動の実態について調べてみようと、管理者行動論なる分野まで登場してきた。そして、現実のトップまたはミドルのマネジャーの日常的行動の実態についての地道な調査がもたらした結果は、管理者の行動が、一見すると、いかに非能率的で、支離滅裂であるかということだった。
管理者は大半の時間を他の人々との接触に費やしており、ひとりでデスクワークをしている時間はきわめて少ない。
対人接触におけるコミュニケーション手段としては、対面接触や電話による口頭コミュニケーションのウェイトが高い。
部下との接触ばかりではなく、他部門同僚との水平的接触、上司・経営上層部、さらには社外の人々との接触にもかなりの時間を費やしている。
活動の流れがおどろくほど小刻みに断片化されており、しかも個々の活動がきわめて多様で、一見すると相互に脈絡がない。
このうちはとくに「断片化」とよばれるが、断片化の原因は、管理者がつぎつぎと生じる日常的事象や対人接触機会にたいして、受動的に反応する行動様式をとっているからだとされる。まるで管理者は多くの人々に糸で引かれて動かされているということで、操り人形とまでたとえられている。
もうひとつの経営学の流れとしては、望ましい経営者像・管理者像を提示する、あるいはベスト・プラクティスとしての実例を提示するというタイプのアプローチがある。一九七〇年代に入ってさかんになった経営戦略論においては、トップ・マネジメントのあり方がかなり論じられていたし、一九八〇年代になると、ミドル・マネジメントについても、革新者としての、あるいは社内企業家としてのミドル・マネジメント像がひとつの望ましい姿として描かれるようになってきた。
ところが、日本企業を研究対象として考えた場合、こうしたミドル・マネジメント論や管理者行動論の研究のなかでも、すっぽりと空白になってしまっている領域がある。それがいわゆるホワイト・カラーの「係長」の話なのだ。
人事・労務関係の部署の係長を除いて、ほとんどの場合、係長は労働組合の組合員となっており、管理職としてはあつかわれない。通常、「マネジメント」がつく場合には管理職を意味しているので、ミドル・マネジメントとよぶ場合は、係長よりは上の職位、課長、部長をさすと理解するのがふつうである。かといって、係長はいわゆるヒラの社員と同じなのかというとそうではない。しっかりと管理的な仕事をまかされているのである。
実際には、課長がけっこう陽のあたる職位であるのにくらべ、係長はほとんど課長の黒子役に徹するような職位なのだ。「これからはミドルの時代」などといわれながら、不思議なことに、係長の話はどこにもでてこないのである。
実際のところ、「係長の仕事」は、その量だけを考えても、ほとんど体力まかせの感がある。その質をとっても、まさに尻ぬぐい、泥かぶりのたぐいの仕事である。当の係長自身が、そのうち異動があるからという「見通し」にすがって、その日その日をしのいでいるような節がある。
「見通し」については、のちほどくわしく述べるが、たしかに、会社倒産前夜の光景を想像してみるとわかるように、明日のことがわからないというのに、ほかの部署のミスや不手際を残業してまでも解決しようとする者などいるわけはない。
つまり、尻ぬぐい的行動は、企業が将来にむかって発展してゆくことを暗黙の前提に、「今日をしのぐ」行動なのだ。そして、「係長の仕事」は、日本企業の業務遂行と、人材育成のシステムのまさに要《かなめ》をなす仕事なのである。
管理者行動論で論じられる管理者像は、じつは管理者にかぎらず、係長やヒラの社員にもそのままあてはまるはずで、こうした一見、いかにも非能率的で支離滅裂である現象が職位によって程度の差こそあれどこでもみられる現象であることに、もっと注目することが必要である。
しかも、侮蔑的とでもいうべき、この尻ぬぐい的な仕事が、すべて無意味なものなのではなく、それを係長クラスが中心となってこなしていることにも、じつは、理由と意義が存在するのだ。
第3章「泥をかぶる」係長
■係長にもっと光を
現在、多くの日本企業では「係長」という役職名は死語になりつつある。ひと昔まえは「掛長」とも書いていた(国立大学ではいまでもこう書く)。最近では「主事」「主任」「課長代理」「グループ長」「チーフ」などとよび名が変わり、わたしが企業の人からもらう名刺にも「係長」と書いてあるものはほとんどない。そのせいかどうか、これまで係長の仕事には陽があたってこなかったようにも思える。
ならば光をあててみましょう! ということで、係長みずからが立ちあがった。といえば、ややおおげさだが、典型的と思われる係長の一日を描いた秀逸な作品がある。「ある中堅社員の一日」と題されたこの作品は、部分的にはフィクションとなっているが、かぎりなく事実に近いものだ。わたしの友人たちの手によるもので、わたしは大いに気に入っている。読者のみなさんにもぜひご一読いただきたい。
●実録「ある中堅社員の一日」
畑耕作君は三二歳。業界では五本の指にはいるA工業の人事部企画グループに勤務している。彼は岡山市に生まれ育ち、一浪ののち、東京のZ大学法学部に入学、そこそこの学生生活をそこそこに送ったのち、希望していたA工業マンになった。
入社後営業部に配属され、「われわれの製品を世に多くだして社会に貢献できる」との喜びにあふれて会社生活のスタートを切った。はじめは先輩に手とり足とり教えられながらやっていたが、四年目に入ってすぐ、自分ひとりで大口商談をまとめあげることができた。入社後九年を経過した今日でも、そのときのことを気分の高揚なしには思いだすことができない、という。
そんな彼に異動の話が突然舞いこんできたのは三年前。営業部長に別室によばれ、
「これからのきびしい時代をわが社が生きぬくためには受注拡大が大切だ。しかし、わが社の人事制度ははたして営業マンのやる気をださせるような制度だろうか。こんな疑問をつねづね人事部長と話しあっていたところ、それじゃ営業の実態がよくわかる男を人事部によこしてくれという話になった。君は組合の役員活動でも人事制度にかんして立派な意見を述べていたね。そのことは人事部長の耳にも入っていて、畑君なら最適だというんだ。営業部として今君を失うことは痛いが、君なら人事制度の構築もきっとやり遂げてもっと大きな花を咲かせてくれると思う。ぜひ人事部に移ってもらいたい」
と異動の内示を受けたのである。もちろんびっくりはしたが、現実の人事制度には矛盾を感じていただけに、その場で「がんばります」と答えたのだった。
人事部に異動してからは、新しいことの連続であった。しかし営業部時代の商談で身につけた折衝力やもちまえのファイトでどんどん力を発揮し、今年四月には順調に「主事」に昇格した。もっとも同期と同時昇進ではあるが。
もちろん人事制度の見直しは人事部の大きな課題である。彼も、異動後、社会経済生産性本部のセミナーに通ったり専門書を読むなどしてその面の知識を蓄え、部内の会議にも参加して発言してきたが、先月やっと人事部内で人事制度改革案がまとまったところである。
そんな彼の一二月一四日水曜日をちょっとのぞいてみよう。
*
畑耕作宅は、郊外のニュータウンにある会社の社宅である。通勤に一時間半かかるから、起床は毎朝六時三〇分。四年前に結婚した妻のみどりも同時に起きだして、畑家の一日がはじまる。三歳のみのるは近所の幼稚園通い。土日以外に起きているみのるに会うことはほとんどない。今朝もまだすやすやと寝ている。
みどりは台所でみのるの弁当をせっせと作っている。洗面をすませて出勤スタイルを整えた耕作は、よぶんに作ってある弁当のおかずをつつきながら味噌汁とご飯をかきこむ。
七時一五分。
「今日は早く帰れるんですか? みのるがおとうさんと遊びたいといっているわよ」
「ウーン、今日は何もないからおそくならないと思うよ。いってきます」
耕作はほんとうは、今日も大変な一日だから早く帰れないかもしれないといいたかったが、みのるの話を持ちだされると弱い。なんとかなるだろう、今日こそ早く帰ろうと決意をして、いつもの通勤経路を急ぐのであった。
A工業は伝統的に九時始業である。最近フレックスタイム制度を導入したが、いったん身についた出社のリズムは変えがたい。若手社員はゆっくり出社したり、早めに帰って映画をみにいくという話をしているが、耕作クラスになるとそうはいかない。おれも古いかなと思うものの、出社して机のうえが電話メモで埋まっているようすを考えるだけでもいやになる。その場で片づく話もややこしくなる、などと考え、昔からなじんだ出勤時刻を守っている。
課長は八時には出社している。「朝はいろいろな書類に目をとおすのにいいぞ、君もそうすればいいよ」とアドバイスしてくれたこともあるが、耕作はどちらかというと夜型である。「そのうちに考えます」といったまま自分のリズムを保っている。
八時五五分。耕作は人事部の部屋に到着した。彼の定刻である。いつもどおり課長はもう席に着いている。
耕作はみんなにあいさつをして席に着いた。そのとき電話が鳴った。企画グループ紅一点の浅田やよいからである。
「具合が悪くて出社できそうにありません。今日の会議の資料は昨日のうちにワープロを打って机のうえにおいてあります。畑さんすみません」
「大丈夫かい。無理はしなくていいけど……。ちょっと待って、課長にかわるから」
そういって課長席をみると、課長は部長室で何やら密談中である。
「課長は手が離せないようだから、ぼくから伝えておくよ、お大事にね」
といって受話器をおいた。
席にもどってきた課長に浅田やよいの件を報告した。
「そりゃしかたがないね、彼女はよくがんばってくれるけど、体力はもうひとつだからね。昨日は何をしてたかな」
「今日午後の会議資料のワープロを頼みました。そのあと、わたしも外出しましたが、資料はきちんとできているそうです。これから確認するところです」
「そうか。あの原稿を打つのにどれくらいかかったかな」
「四時間くらいでしょう」
「この前VDT(ビジュアル・ディスプレイ・ターミナル。コンピュータやワープロなどの表示装置のこと)作業についての通達がまわっていただろ。彼女にもそれをきちんといっておいてくれよ。今日の会議の資料はわたしも最終確認しておきたいから、部課長会議が終わったら見せてくれ」(注…VDT作業基準では、健康管理のためワープロなどの作業を一時間に一回中断することになっている。しかし、緊急の仕事ではそうもいかない場合が多い。耕作自身も夕方から深夜にかけて八時間ぶっとおしで画面にむかうことがよくある。もちろん肩こりがひどくなることもあるが、その程度である)
耕作はやよいが作ってくれた書類の確認をはじめようとした。しかし、二、三本電話がかかってきて対応したりするうちに三〇分が過ぎていた。部課長会議は毎週一回水曜日の朝実施される。一時間強かかるというのが相場である。耕作はちょっとあせりはじめた。
そのとき、となりの席の橋本孝夫が話しかけてきた。彼は入社四年目で、人事部には入社と同時に配属されている。当時は営業から移ったばかりの耕作だったが、課長から、橋本の面倒は君がみてくれという話になって、それ以来耕作がいろいろ世話をやいてきた。しかし、耕作からみてもまだまだである。というのも、橋本は社内のキーパーソンを十分には知らない。同期とはよく飲みにいっているようだが、部課長クラスには気おくれしている。耕作が彼と同じ入社期のころには、客先にもひとりでいっていたし、設計部長ともやりあっていたものだが、それをいってもはじまらない。
「畑さん、さっき経理部から経費についての問いあわせがありました。企画グループ発行の伝票2356の負担部門は5642でよいか、とのことですが……」
経費の諸手続きはやよいの担当である。耕作は営業出身だけに、基本的な経理の仕組みは叩きこまれてきたが、人事部勤務だけの橋本にはその面の知識がほとんどない。橋本にすれば、やよいが休暇だから耕作にきくしかないとの判断であろう。伝票控えを調査して負担番号表をみて予算表をチェックすればこの照会にはメドがつく。しかし、橋本にそれを調べさせるとかえって手間がかかるかもしれない。いまは時間がない。
「わかった。そのメモをくれよ」と耕作は答えた。メモを耕作にわたした橋本は、はればれとした顔になった。どうすればよいのですか、とでもいえよ、と耕作は心のなかで思った。
会議資料の確認はなんとか課長が帰るまでに終わった。二、三点のミスタイプを発見したが、そこは手書きで修正して課長に提出した。
課長はそのあと自分で確認をして部長室にむかった。部長に資料を確認してもらうらしい。すぐにもどってきた課長は「ミスタイプは打ちなおしておいてくれよ」とだけ耕作に告げた。
ミスタイプの修正作業、そのコピーが終わった一一時ごろ、部長からよびだされた。部長室に入った耕作に、部長は「この図表はタテ用紙にしてもらえないか。書類を縦横にみるのはややこしいよ」という。「わかりました」と答えて耕作は席にもどった。どちらでもよいとも思うが、そんなつまらないところで会議の結果がうまくいかなくても困る。ここは先輩の意見を容れておこう。
となりの橋本は何やら先週の会議録を作成している。もう一週間にもなるのにまだできていないのか。図表の縦横変換はパソコンを使えばすぐできる。橋本はパソコンが得意だからすぐやってくれるだろうけど、それを頼むとまた会議録の作成がおくれてしまう。もうそろそろ課長が怒りだすタイミングだな。結局、耕作は資料の修正にみずからとりくむこととした。
一一時五〇分。耕作は午後の会議資料を完成させ、出席人数分のコピーも自分の手でやり終えた。やよいがいないと大変だ。耕作はやっと席に着いたが、橋本は依然として会議録を作成している。やれやれ。
机のうえには課長からまわってきた書類がおいてある。「主事任用者の集合教育実施通知」「組織活性化のためのアンケート協力依頼」「請求書」だ。最後の請求書には課長の書いたメモがついている。「予算残高を確認して処理のこと」だ。ほかの二通は急ぐことはないか、と思いながらもざっと目をとおす。主事任用者教育は二泊三日の合宿で一月中旬実施、えっ、事前準備がこんなにあるのか! もうひとつのアンケートは東大の高橋助教授の調査だ。趣旨文もあるが、斜め読みをして、早速記入する。「すぐ終わりそうなことはすぐに終わらせる」というのが、これまでの経験でつちかった耕作の行動指針だ。「あなたの組織はぬるま湯か?」だと、なかなかおもしろい設問だ、けれどもこれで何がわかるのかな、などと思いながら○をつけ終えようとしたとき、正午を告げるチャイムがひびいた。
書類を処理し終えた机をみると、さきほど橋本から受けとったメモが下からでてきた。経理部には早く答えなきゃまずいな。耕作は、経費のファイルを繰りはじめた。
一二時二〇分。昼食にむかう。この時刻だと食堂の混雑もやや収まってはいるが、まだまだかきいれ時である。午後から会議をまえにしている耕作は、カレーライスを発注し、席に着いた。牛丼も早いけれどやはり耕作はカレーが好きだ。短い昼休みだから、週に三回はカレーを食べている。
一二時四五分。執務室にもどった耕作は、課長といっしょに会議室にむかう。これまで勉強し、部内で議論してきた人事制度の改革案をついに各部門のトップに説明する会議だ。耕作は、自分が人事部に異動した理由でもあったこの改革案がついに陽の目をみ、身が引きしまる思いであった。
一二時五九分。定刻間近になった。しかし、技術部長がこない。耕作は別室の電話に飛びつく。技術部長は「えっ、連絡がきてないよ、いまならなんとかなるからすぐいく」とご機嫌斜めである。廊下でむかえる耕作は、平謝りであった。
じつは、今日の会議の開催通知は二週間前に発行した。起案は耕作がおこなったが、コピーと配付作業はやよいに頼んでおいたものだ。いつも仕事は正確なやよいだが、こんなこともあるのか。やはり午前中に再確認すべきだった……。
一三時三分。会議はスタートした。部長からの挨拶、課長からの骨子説明につづいて、いよいよ耕作の出番だ。制度の内容をわかりやすく説明していく。
一三時四五分。すべての説明を終えて、意見交換に移ったが、各部門からは前向きな修正意見がでたのみですんだ。
一三時五五分閉会。退室するとき、かつての上司だった営業部長が耕作に「よくやったな」と耳打ちしてくれた。人事部長も上機嫌である。部長は耕作に「さあ、社長の了解がとれれば、いよいよ実施だな。ますます忙しくなるぞ」と声をかけた。そのとき、耕作の頭のなかに妻のみどりとみのるの顔がちょっと浮かんだ。
執務室にもどった耕作は、さっそく会議録の作成と会議結果をふまえた改革案の修正に着手した。社長への説明は金曜日だ。明日の午前中には修正案とその実施日程を完成しておかなければならない。
さあやるぞ、と意気込む耕作の机の電話が鳴った。経理部からの督促である。「これくらいの調査は、すぐやってもらわなければ困ります」とすごい剣幕である。電話で説明しようとした耕作に経理部員は「文書ですぐにください」とにべもない。
メモを急いで作って、耕作は経理部に走った。
修正案が完成したのは、二一時三〇分であった。人事部内には耕作しかいない。かなりの空腹を感じる。明日の朝、課長と打ちあわせれば十分だな。耕作は帰宅の準備をはじめた。そのとき人事部のドアが開いて営業部の宮田浩志が顔をだした。宮田は耕作と同期である。
「やっぱりおまえか。いつもおそいなあ」
「おまえこそ、いまごろどうしたんだ」
「一九時に客先からもどって報告書作りさ。ところでもうメシ食ったか」
「いや」
「ちょっとやっていくか」
「おう」
ふたりは駅ビルの焼鳥屋に席をとり、ビールを飲みはじめた。すきっ腹にしみわたる。「今日、教育通知がきてたな。読んだか」と宮田。耕作と宮田は今年主事になったばかりだ。
「事前準備は正月休みにやるしかないぞ」
「えっ、そんなに大変か。おまえは帰省するんじゃないのか」
「もって帰るしかないよ」
「やれやれ、盆も正月もないな」
「あの教育は課長昇進への第一次関門らしいからな」
「フーン」
「ところで営業部の若手はどうだい」
「四年目のやつでも、まだひとりで客先にはだせないよ」
「なぜだい」
「サーフィンの話ならすごいけど、景気動向の話になるとからっきしだからな」
「営業部じゃ自主勉強会をしてただろう」
「あれも夕方飲みながらというのがいやがられたのか、いまじゃそれぞれ“自己啓発”さ」
「経済白書くらい読ませていないのかい」
「買ったことは買ったらしいけどな」
「ところで、今日江戸銀行へいったら、大学の同期とあったよ。やつの名刺には“部長代理”と肩書が入っているんだ。おれたちの“主事”とはえらいちがいだな」
「そんなにちがうわけじゃないよ。給料はちがうかもしれないけど組織のなかでの位置づけはおれたちと同じで、上司は課長のはずだよ。きっと組合費だって払ってるよ」
「それでも部下はいるんだろう」
「どうかな。おれたちだって、正式に部下をもっているわけではないだろう。けど、いろいろ面倒はみているし、仕事をたのめる立場にある。同じようなものだと思うよ」
「どこにも同じようなやつはいるんだな」
二三時。耕作は帰途についた。乗り継ぎが悪いから二時間近くかかってしまう。ただし、途中ですわれるからひと眠りはできる(ふた眠りすると小遣いがなくなる)。
木曜日になった午前〇時四五分。ようやく耕作は自宅にたどりついた。みどりが起きだしてきて「早いおかえりですこと」と嫌みをいう。こんなときはだんまりがよい。「すまん」といって、耕作は着がえはじめた。テレビをつけたが、スポーツニュースももう終わっている。
「岡山のおかあさんから年末はいつ帰ってくるのか、と電話があったわよ。列車は予約したの?」
「いや」
「どうするの」
「なんとかなるだろう」
「明日予約しておいてよ」
「うん」
「みのるのお遊戯会が一二月二二日にあるのよ。初めてなんだから休んでくれるわよね」
「……」
……すでにうとうとしている耕作であった。
*
これは社会経済生産性本部経営アカデミー「組織革新コース」の一九九四年度グループ研究報告書からの抜粋である。そのグループのひとつを、わたしは「指導」したことになっているが、これは建前であって、せいぜいこうした友人たちの共同研究者、ほんとうは居候といったところである。なにしろ当時、いちばんヒマそうにしていたのはわたしであった。
この作品のモデルと思われる人などは、あんまり忙しくて、わたしが一週間、時間帯をいろいろかえて電話してもつかまらない。とうとう、電話のとりつぎにでた人に「それじゃあ、何時に電話すれば連絡がつくんですか?」とやや不機嫌そうに問いただしたほどだ。答えは「明日は朝の八時五五分から九時一〇分のあいだでしたらつかまる可能性がありますが、それ以外は社内にはおりますが連絡はつきません」だった。
たった一五分のチャンス。ということは一日会社にいても自分のデスクには、たった一五分しかいないということか……。もちろん、その時間に電話したものの、やっぱりつかまらなかった。
そこで、彼らほどには忙しくない学者が、机にむかってどのようなことを考えめぐらせてきたのかをすこし振りかえっておこう。
■年功賃金はきびしいシステム
経済学者のなかには、熟練が賃金をきめるのであって、それは経済的に説明がつくと考えている人が多いらしい。
この考え方は、単純な例を思いうかべるとわかりやすい。たとえば、造花づくりをはじめたばかりの人は苦労して一日数十本の花を完成させるのがやっとだが、ベテランは軽く数百本をこなす。技術や経験をつむにしたがって時間あたりの生産量がふえるので、それにふさわしい賃金がきまるというわけだ。
ところが、今回の調査対象企業もふくめて、少なくとも、これまでわたしが接してきた日本の大企業については、この考え方をとっているようにはみえなかった。というより、大企業では、賃金をきめる際に熟練なるものを考慮している形跡がほとんど見出せないのだ。
むしろ、もうひとつの定説がもっともらしい。日本の大企業では、戦後すぐの労働組合による「経営民主化」「身分制撤廃」運動の結果として、ホワイトカラーとブルーカラーに、基本的に同じ賃金制度が適用されるようになった。
準戦時体制、戦時体制のもとで確立した大企業の賃金カーブは、終戦の直後、「電産型賃金」といわれる生活給的賃金制度に受けつがれた。さらに春闘方式のもとで「年齢別生活費保障型」の賃金カーブが定着したように思える。これらは「経済的」条件というより、戦後の労働運動という「政治的」な条件に大きく影響をうけながら定着した賃金体系である。
歴史的にこみいった話になってきたが、それでは、熟練の話はどこへ飛んでいったのだろう。
一九五〇年代に東北地方に進出した大手家電メーカーの工場に、一九九一年にヒアリング調査にでかけたことがある。
当時は急激な円高と人件費上昇が進行し、かつては直接作業員として雇っていたはずの従業員であっても、もはや直接作業員として働かせていてはまったくペイしない状況に陥っていた。その結果、生産設備は協力会社に移され、そこの従業員によって生産がおこなわれるようになる。かつての直接作業員は、その高い賃金に見合うだけの働きをするために、いまはみずから直接作業をすることはやめさせられ、協力会社の従業員の管理業務にあたらざるをえなくなっていたのだ。
しかし、生産現場における技能とはことなり、管理業務に必要な能力の育成はいたって心もとない。実際には、管理業務に耐えられずに辞めていく人があとを絶たないという。「以前より賃金があがったのに、どうして辞めるんだ」と不審がる人事の担当者に「わたしは体を使ってものを作るのが好きなので、工員の仕事は性に合っていた。それなのにこの年になって管理だ人間関係だと煩わしいことはやりたくない。それくらいだったら、農作業だけやってたほうがましだ」と、いったという。
そう、彼は兼業農家だったのである。「片足田んぼ」とよばれることもある。そして、こうした状況は、同時期に調査に訪れた東北地方の数社の工場でも同じように聞くことができた。
わたしは、年功賃金制度というのは、非常にきびしいシステムなのではないかと思っている。もし賃金が仕事の質と量できまるものだったら、仕事に見合った分だけ給料をもらえばすむ話で、それが安くてもいいならべつに問題はない。
ところが、賃金が年齢とともに上昇する、となるとそうはいかない。賃金が年齢とともに上昇するために、その上昇したコストに見合ったパフォーマンスを従業員にもとめることになる。
ニワトリか先が卵が先かでいえば、賃金が先にきまり、その賃金に見合った成果をもとめられるという順になる。熟練したから、あるいはパフォーマンスがあがったから高い給料を支払うのではないのだ。逆に、高い給料を払うからには、その分のパフォーマンスをあげてもらわなければ困ると考えているのである。
かつて、日本のメーカーでは、大卒の技術者でもかならず工場の生産現場に配属され、現場を知ってから技術者としてのキャリアを歩みはじめるのが定石だった。もちろん、研修期間だけにかぎられるケースのほうが多いのだろうが、一種の通過儀礼だったのだろう。
ところが、一九九〇年代に入って、円高が急速にすすんだのちは、こうした生産現場の経験のまったくない若い技術者がふえているといわれる。大手電機メーカーでは、彼らを「手配師型技術者」とよぶ人もいた。つまり、現場の工程や製品には触れることなく、入社の最初の段階から、手配書や仕様書しかさわったことがないというのである。
これぞ新しいタイプの技術者の登場と感じる人もいたが、企業側の意図は切実である。「ドル・ベースでこれだけ高額の給料を払っている以上、いかに大卒の新人とはいえ、彼らに単価の安い部品を作ってもらっていては、ペイしないんですよ」ということになる(そんな余裕も企業にはないのか、とわたしなら思ってしまうが……)。
これと同じ論理がブルーカラーについても顔をだしているのにすぎない。直接作業員にとっても、いずれはホワイトカラーとして、より高い職位について、より管理的、経営的な仕事をすることによってしか、パフォーマンス向上は達成されないのである。
そこになんらかの「技能」「熟練」のようなものがあり、その育成が可能だとしても、育成に役立つ Off-JT(off the job training; 職場外訓練。仕事の現場以外のところで、見学や講義を経験して業務訓練をおこなうこと)の方法を開発することにはいまだだれひとりとして成功していない。だから消去法的にOJT(on the job training; 仕事の現場で業務に必要な知識や技術を習得する教育)しかのこされていないのである。
このように、加齢とともに賃金があがるという賃金カーブは保証できても、管理職としての人材育成は保証できないという現実を背景にして、もうひとつの経済的に合理的な企業行動が生まれる。
それが、日本の大企業ならばどこででもおこなわれているといっていいような職能資格制度の導入である。これによって、賃金に連動した資格等級から職位を分離したのである。職能資格制度では、原則的に対応職位は等級の下限でセットされる。
たとえば、課長は資格等級○級以上の者から選ばれるというようにきめられるのである。もちろんその等級に昇格したからといって、課長に昇進するとはかぎらない。これによって、管理職への昇進には昇格とはべつの選別をおこなうことにしたのである。
これは従業員規模一〇〇〇人以上の企業に占める大卒者の比重が、一九七〇年代前半には二〇%だったものが、一九八〇年代後半には三〇%となり、若い二〇歳代後半ではじつに五〇%を超えているという現実を目のまえにして、より重要な意味をもつ。
管理職候補の大卒ホワイトカラーは、人数がふえようとも、とにかくOJTで育てて(ほかに方法がない)、賃金分は働いてもらえるようにしなければならない。しかし、全員が管理職になれるほどポストはないし、その能力もないだろうから、管理職になる段階で選別しなくてはならない。そう、係長クラスこそが、この選別をうける職位にあたるというわけだ。これが、係長クラスが尻ぬぐい的仕事に忙殺される構造的な要因なのである。
■係長の仕事の範囲とは
ところで現在、多くの日本企業では「係長」は死語になりつつあるといったが、調査対象企業八社でも、係長という肩書を使っている企業は皆無であった。
たとえば、B社の職務権限規程では、係長クラスに相当する「主任」の職務はつぎのように「公式」に定められている。
主任は上位者の命を受け所管業務を処理する。主任の主なる職務はつぎのとおりとする。
一 所管業務にかんし、計画の立案に参加し、上位者を補佐し、助言すること。
二 計画および予算にもとづき業務の割当、日程計画を決定し、上位者の承認を受け、その実行を命じ監督すること。
三 経費、資材および時間の節減について指導監督すること。
四 所属員の苦情を処理し、職場士気を高めること。
五 業務報告その他の業務に必要な資料を上位者に提出すること。
六 施設および備品の保全ならびに火気取扱を監督すること。
B社をふくめた調査対象企業八社の係長クラスを平均的にみれば、係長クラスは、
対外的には、主任、課長代理などの肩書をもっており(もちろん他社では係長という肩書をもっている場合もあるだろう)
年齢的には三〇歳代で
人事評定権はないが、課長を代理・補佐し、下級者の指導育成をおこなっている
組合員である
というようにまとめて一般的にはまちがいはないだろう。
それでも、これら八社の係長クラスは、労働組合の組合員になっているという共通点については、たしかにもってはいるものの、そのほかのからの項目については、企業によってかなりのバラツキと多様性をもっていた。
このように多様性があるのは、日本企業において、
係長クラスまではある程度、年功(入社歴)で昇進している。
課長になると管理職となり、非組合員になるということで、課長昇進時には選別がおこなわれる。
という事情を反映しているためである。このことから課長の一歩手前の役職という点では一致しているものの、課長になるまでは資格等が入社時から連続性をもってなだらかに設定され、係長クラスがそれより下のクラスから明確に区別されていない。
しかも、課の仕事が成功した場合、失敗した場合、高い評価をえたり、責任をとらされたりするのは主に課長であり、係長クラスは黒子として活動するのみで、表面的にはみえてこない存在なのである。
またでもしめしたように、ほとんどの社員は、長期欠勤、体調不良、業務遂行能力の著しい欠如のようなはっきりした理由のないかぎり、昇進時期に多少の差はあっても、ほぼ年齢(または入社歴)に応じて係長クラスに登用されることになっており、また経験しなくてはならないことにもなっているのだ。
たとえばE社では、係長クラスは年齢的には二七〜三五歳のあいだ、事務系では「主事」、技術系では「技師」と資格上よばれる。この「主事・技師」資格は、標準的滞留期間八年で、若いほうから順に三級、二級、一級に分けられていて、それぞれの標準滞留期間は三年、三年、二年とされている。
係長的な役割は主事・技師二級者以上が担っているといえるが、対外的に肩書があたえられるのは、同一級者になってからで、それが「課長代理」なのである。このクラスの「主事」は直接の上司として課長がいて、みずからも小グループを率いてリーダーとしての役割を担っている。事務系の主事の場合には、具体的には、つぎのような代表的職務があげられている。
・単位業務の企画・調査・予算算定にもとづく企画書・報告書の作成。
・課長職者との連携による単位業務担当グループの業務分担決定と労務管理。
・単位業務にかんする他部門との連絡・折衝・調整。
・社内委員会活動の事務局業務。
・事業計画・予想決算業務の基礎資料作成。
・労働組合活動。
■管理職とヒラを結ぶ係長の役割
これまで、組織のうえでの係長がどのように位置づけられているかをみてきた。では、係長は実際の現場で、どのような仕事をしているのだろうか。調査に協力してくれた八社の課長・係長クラスの人の話をまとめると、つぎのような内容になる。
・実務部隊のまとめ役
・実務における実質的指導者
・係員の相談相手
・課長以上の管理職との間のクッション役
・管理者グループにとっての兵長的存在
・実務とマネジメントの兼務者
・一個人としての成長段階では、組織的、社会的、私生活的に変態時期
つまり、簡単に図式化してしまうと、図表5のように、管理者グループと実務者グループの連結ピンとしての役割をはたしていることになる。
図表5 連結ピンとしての係長クラス
(図表5 解説)
実務者グループと管理者グループの両方に属していて、両グループの連結ピンとしての役割をはたしているのが、係長クラスということを表わしている。連結ピンのアイデアはもともとは心理学者リッカートによるもので、いろいろな含意をこめて提唱されているが、ここでは繁雑になるのでふれない。
係長は実務者グループの一員として、実務もこなしながら、同時に管理者グループの一員として、係員の指導と育成をもおこなうのである。
もっとも、実際の負担を考えると、連結ピン以上に負担が大きいと考えられる。なにしろ係長クラスは人事評定権ないしは人事考課権はもっていないのだ。にもかかわらず、課長の代理・補佐として若手に指示命令をくだし業務を遂行することをもとめられているわけで、人事評定権の後ろ盾なしでリーダーシップを発揮することをもとめられていることになる。
リーダーシップを発揮せよ、と号令をかけられても、これではつらいわけだ。だが、見方を変えれば、人事評定権がない以上、係長は自分自身の豊富な職務上の知識、判断力、人間的な魅力などに頼るしかない、といえる。いわば、真の意味でのリーダーシップが要求されているのである。
そのうえ、一係員としては、もっとも高度な業務を分担するだけではない。未熟練係員の教育・指導もおこなわなくてはならない。係長は人材育成の要なのである。しかも、たんなる教育・指導ではなくOJTである。係長は、自分でやったほうが簡単だと思われるような仕事についても、とりあえずは係員にやり方を教えて仕事をまかせる。実務をとおして下級者と日常的にもっとも接しているのが係長クラスであり、課長などの管理職の業務方針をきちんと理解しているのも係長なのである。
コピー、ファックスのとり方から、各種連絡事務のリコンファーム(再確認)、さらには業務方針の徹底、営業推進のアドバイスにいたるまで、係長は下級者の面倒をみなければならない。これがOJTの実態である。
しかし、いかにトレーニングとはいえ、仕事は仕事である。教えるとメキメキ腕をあげる社員ばかりなら問題はないが、どの職場にも、いくら教えてもドローンとした社員がまざっているものである。そのような社員に仕事をまかせたらどうなるのか。そしてもしできなかったらどうなるのか。係員が仕事を期日までに完遂する保証はどこにもないのである。
実際、仕事がうまくいかなかったときには、結局は係長が尻ぬぐいをするしかない。この尻ぬぐいなしには、組織は動かないのである。
また特徴的なのは、係長クラスへの登用はほぼ年齢(または社歴)対応とする企業が多かったのにたいして、課長職への登用については、選別をおこなうか(これは当然、昇進できない人がでてくる)、もしくは昇進時期に差をつけるということである。つまり、企業にとって、係長クラスというのは、管理職登用への一種の試験期間でもあるのだ。
このOJT方式は、係長クラスに集中的に「尻ぬぐい」という過大な負担を要求する“教育”システムになっている。しかも大変な教育コストを要するだけでなく、教育する側の係長にもストレスをあたえることになる。そのストレスは、課長になれるかなれないかという、自分自身の処遇にかかわる選別プロセスのなかでいっそう加圧されることになる。
しかし、もし係長がそれをしなかったら、係員はいつまでたっても育たず、一人前には仕事ができないことになる。そのうえ、係長は課長以上の管理職から降ってくる例外的な仕事についてもこなさなくてはならない。ここに係長を悩ます多忙感の根本的な原因がある。
つまり、忙しくなる原因は自分の不手際でも不始末でもない、どう客観的に見ても上司や部下といった他人のせいなのである。しかも、上司であれ、部下であれ、忙しさをもちこむ人びとには、基本的に自己責任をとらせることができない。結局は、係長クラスが泥をかぶり、尻ぬぐいをしてまわるしかないのである。
こうして、徒労感とでもいうべき多忙感が発生する。これは大いなるストレスをもたらす。しかも、下級者に不手際があった場合、課長が注意をあたえる対象は、不手際をしでかした本人ではなく、係長クラスなのだ。
そのうえ、こうしたストレスにネをあげるわけにはいかない。ストレスに耐えられることも優れた管理職になるための必須条件だと考えられているからだ。そのことを端的に表わしているのが、「ストレス耐性」とよばれるものかもしれない。はっきり「ストレス耐性」を資格要件とする企業もある。
G社の資格要件では、係長クラスに相当する副主事は、一般職層と管理職層とに挟まれたリーダー職層と位置づけられている。G社の資格別分析評価項目では、その副主事にたいして、
・思考判断(問題意識・課題設定、実態把握・判断、創意企画)
・課題実現(業務処理・行動、交渉、ストレス耐性)
・補佐指導(上司補佐、指導率先)
・知識
のような能力要素が評価項目とされている。注目されるのは、課題実現のなかの「ストレス耐性」で、「むずかしい事態に遭遇しても回避せずに粘り強く取りくんでいるか」どうかをみているというのである。
しかし、いかに試されているとはいえ、こうしたストレスに半永久的にさらされるのでは、とても身がもたない。したがって、一般的に、大卒社員の場合には、係長クラスにはある程度限定された滞留期間が設定されている。それも、気力、体力ともに充実している(というより、多少なりとも無理のきく)三〇歳代に設定されている。
係長クラスにいるあいだに選別がおこなわれるために、その結果によって滞留期間の長さにはちがいがでるだろうが、課長などの職位に抜けていくことを予定することで、半永久的に尻ぬぐいをさせることのないような配慮がなされているのである。つまり、三〇歳代の“試練の時期”をうまく通過できれば課長になれるという「見通し」があればこそ、係長はストレスに耐えていられるのだ。こうして「見通し」がキー・ワードとして登場してくる。
第4章「見通し」がほしい
■仕事の満足はどこからくるのか
経営学者のはしくれとして、ワーク・モティベーション(仕事への動機づけ)のような分野もいちおうは勉強するのだが、学生時代からどうも好きになれなかった。「動機づけ」というとむずかしそうだが、ようするに「どうして人は働くのか」あるいは「仕事をしていて満足はどこからくるのか」を考えようということだ。
当時(一九七〇年代)の主流は、給料や昇進といった「外的な報酬」による動機づけの理論だった。昇給や昇進がうれしいという話自体は、とくに不思議はない。ところが「理論」としてつきつめて考えていくと、早い話が、馬の鼻先にニンジンをぶら下げ、食いたかったら走ってみろといわんばかりの理論なのだ。どうもわたしの性にあわない。ほんとうに「仕事」ってそんなものなのだろうか。人はカネと出世だけがほしくて働くのだろうか?
「しかし先生、世の中には大金でも積まれないとやってられないような仕事だってあるんですよ」
「大金でも積まれないとやってられないような仕事を選ぶんじゃない」
一生とはいわない、たとえ数年でも、損得勘定ぬきで夢中になれる仕事とめぐりあえることは、同様の異性とめぐりあえることと同じくらい幸せなことである。
選択するのはあなたである。
これはわたしの著書『経営の再生』の「まえがき」の裏に書いた〈バブル期 学生との会話〉を再現した文章なのだが、いまでもわたしの正直な気持ちである。
「大金を積まれないとできないような仕事を選んではいけない」とわたしはいまもいいつづけている。
最近はワーク・モティベーションの分野でも、「仕事はやっぱりおもしろくなきゃ」「仕事自体がおもしろいから仕事をしているんだよね」といった仕事のおもしろさに回帰していく傾向もあり(これをむずかしくいうと「内発的動機づけの理論」ということになる)、多少は救われる。しかしいまでも主流は変わらない。
それじゃあ、仕事をしていて、満足はいったいどこからくるというんだ? 読者の方もそう思うだろうし、わたし自身がずーっとそう疑問に思ってきた。
わたしは企業へのアンケート調査を趣味にしているので、よく調査をするのだが、「ワーク・モティベーションは嫌いだ」といいながら、じつはこっそり「現在の職務に満足感をおぼえる」かどうかを質問のなかに入れつづけてきた。
そしてあるとき、わたしは思いもかけない、そしておどろくべき「説明変数」(つまり、満足感を説明してくれるべつの要因)を見つけたのだ。それが「見通し」だった。
■なぜ会社を辞めたくなるのか
「見通し」の話に入るまえに、説明の見通しをよくするために、「会社を辞める」意思決定の話をしておこう。
組織論の世界では、組織に参加しつづけるか、あるいは組織を離れるか、という意思決定は「参加の意思決定」とよばれる。もっともこれは誤解をまねくネーミングだ。実際には「これから新規に、ある組織に参加するか否か」というよりは「すでに参加している組織にさらに参加しつづけるか否か」というものなので、「退出の意思決定」とよんだほうが正確だろう。事実、わたしはそうよんでいる。「退出」という言葉が耳新しいかもしれないが、退出は「会社を辞める」離職をふくむだけでなく、欠勤やサボリなどもふくまれる、とご理解いただきたい。
米国では、かつて職務満足と退出の意思決定との関係を調べた調査研究がさかんにおこなわれていた。それだけ離職率が高くて大変だったのだ。なにしろ、かつて、有名なT型フォードで一九一〇年代の米国の自動車市場を席巻し、一世を風靡していたころの米国フォード社でさえも、工場での月間の離職率が四〇%もあったというのである(念のためくりかえすが、この離職率は、年間ではなく、月間である)。それだけ切実な問題だったのだ。
しかし、こうした研究努力のかいあって、一九六〇年代には、職務満足と離職率、欠勤との間には一貫した関係があり、職務にたいする不満足が離職や欠勤という退出の意思決定と結びつくことがわかってきた。つまり、仕事に不満があれば、会社を辞めたり、サボったりするというわけだ。
なーんだつまらないと思ってはいけない。あたりまえのようなたったこれだけのことを調べるのに、いったいどれだけの労力を費やしたことか(労力を費やせばいいという問題ではないけど……。ただし、不思議なことに、職務満足と生産性との間には関係がないこともわかっている。だから学問はおもしろい。それに、この一見「あたりまえ」のことが、日本では成立しないこともこれからわかる)。
日本でも、「会社を辞めたい」という退出願望について調べるのであれば、比較的簡単に調べることができる。それには、職務満足、退出願望について、それぞれつぎのような質問を使って調べればよい。
・職務満足についての質問……現在の職務に満足感を感じていますか。
(はい いいえ)
・退出願望についての質問……チャンスがあれば転職または独立したいと思いますか。
(はい いいえ)
たとえば、一九九二年から一九九五年にわたしがおこなった調査のデータを使って、表をつくってみると表6のようになる。
表6 職務満足と退出願望(1992〜1995年)
1・現在の職務に満足を感じる
はい 1813(100)
いいえ 1935(100)
(全体3748)
2・チャンスがあれば転職または独立したいと思う
はい 1806
いいえ 1942
(全体3748)
(1・2ともに「はい」と答えた人)
636(35.08)
(1に「はい」、2に「いいえ」と答えた人)
1177(64.92)
(1に「いいえ」、2に「はい」と答えた人)
1170(60.47)
(1・2ともに「いいえ」と答えた人)
765(39.53)
( )内は比率%
相関係数 Cramer's =0.254(=241.59 p<0.001)
(表6 解説)
職務に満足感をおぼえていない人は、その約60%がチャンスがあれば転職または独立したいと思っていて、逆に、満足感をおぼえている人は、約65%が転職も独立も考えていないということがわかる。余談だが、このような表はクロス表といって、いわゆる相関係数(この場合は Cramer's )も計算できる。この場合は 0.254 で、統計的には意味がある水準(0.1%水準)の相関係数の大きさになっている(本文参照)。
すぐにわかるように、職務満足を感じていない人はその約六〇%が転職を考えているが、職務満足を感じている人で転職を考えている人は約三五%しかいない。日本でも、仕事に不満があれば、会社を辞めようと思うらしい(実際に辞めたわけではない。あくまでも思っただけ)。
もっとも、表6の内容をもうすこし正確にいえば、仕事に不満がある人全員が会社を辞めようと思うわけでもないし、逆に、満足している人のなかにも会社を辞めようと思っている人がいるので、かならずしも強い関係があるわけではない(ただし、統計学的には意味のある結果ということになっている)。これはどうしてなのか? それに、実際に、この退出願望は行動に移されるのだろうか?
■社内転職で救われる
そこで、わたしは一九九三年の調査のときに、調査対象となってくれたA社、B社……F社の六社にお願いをしてみた。各社で、実際にアンケートに答えてくれた職場を調べて、過去数年間に自己都合で実際に何人が退職したのかを教えてくれないでしょうかと。
わたしも、退出「願望」ではなく、米国の研究なみに、退出「行動」を調べてみたかったのだ。なかには渋る企業もあったが、他方では自己都合の中身まで調べてくれた担当者もいて、わたしには大いに勉強になった。この自己都合退職者数を年平均でもとめ、それをその職場の構成人員総数で割ったものが離職率となる。
その結果は表7にしめされているが、おどろいたことに、離職率と「満足比率」(その職場で職務に満足していると答えた人の割合)、「退出願望比率」(その職場で退出願望があると答えた人の割合)との間にはたしかな関係は見出せなかったのだ。
表7 実際の離職率と他の要因(1993年)
(満足比率)/(退出願望比率)/(実際の年間離職率*)
A社 60.9%(110) / 25.7%(109) / 5%程度
B社 31.2%(109) / 59.8%(107) / 20%程度
C社 62.2%(143) / 28.7%(143) / 1%以下
D社 48.1%(27) / 59.2%(27) / 5%程度
E社 41.8%(553) / 54.1%(549) / 1%以下
F社 60.1%(213) / 40.3%(211) / 5%程度
( )内は比率(%)の基数。
*各社の調査対象とした組織における最近数年間の実際の自己都合による退職者数をもとにして、年間退職者数の平均をもとめ、それを当該組織の構成人員数で割ってもとめたもの。
(表7 解説)
なんといっても目をひくのはB社の年間離職率20%の群を抜く高さだろう。B社は満足比率が31.2%と低く、退出願望比率は59.8%と高い。これから満足比率が低いと退出願望比率が高くなり、実際の離職率も高くなるのだ、と早計に判断してはいけない。A社とE社を比較してみるとわかるように、E社の満足比率は41.8%しかなく、退出願望比率は54.1%もあって、A社とは対照的な数字なのに、実際の離職率はA社が5%程度にたいして、E社は1%以下になっている(ほんとうは0.2%もないらしい……本文を参照のこと)。なぜE社は離職率が低いのか。ここで社内転職がキー・ワードになってくる。
表7のB社をみていただきたい。B社は、職場や職務にたいする満足比率は六社のなかで最低の三一・二%、退出願望比率が六社中で最高の五九・八%、案の定、実際の離職率は六社でダントツの二〇%──となると、満足比率が低いほど離職率が高い、あるいは退出願望比率が高いと離職率が高い、という関係が成立すると思われるかもしれない。
ところが、その関係が一般的には成立しないことが、A社とE社とを比較すれば容易にわかる。A社は満足比率が六社中いちばん高く、退出願望比率が六社中最低なのにもかかわらず、E社より離職率が高いのだ。
だいたいE社は、満足比率が四割そこそこしかなくて、退出願望比率が五四・一%もあるのに、実際の年間離職率は一%もない。いやいや、じつは、表7では離職率「一%以下」としているが、ほんとうはもっと低かったのだ。この五〇〇人以上の規模の支店で、過去三年間に二、三人しか辞めていないというのだ。わたしは思わず「ほんとうですか?」と聞き返してしまった。そう聞くと人事担当者が「支店長にたずねたら、あいつとあいつとあいつ、と実名をだして答えてくれた」というではないか。これは大変、一%どころか〇・二%もない。この事実はどのように説明したらいいのだろう。
じつはE社の離職率の低さの秘密は、「定期的な人事異動」にあったのだ。これは同じように離職率のとくに低かったC社でも、「社内転職」とでもいうべき、会社内での他部門への大規模な、しかも三年前後という比較的短いサイクルでの定期的な人事異動がおこなわれていた。
ちなみに、E社の人事担当者は、「もし、わたしが入社したときの上司と、そのまま一〇年、上司・部下関係がつづいていたら、わたしはもうとっくにこの会社を辞めてます」と苦笑していた。
企業の人と話していてよくわかるのは、その人にとっての最大の社内環境は「直属上司」ということだ。しかも、この「直属上司」には、かなりのあたりはずれがある。
勤続二〇年近い人が話しあっているのを横で聞いていても、二〇年もその会社にいて、「この人のためなら……」という直属上司にひとりでもめぐり会っている人は、幸せというほかない。逆にいうと、そんな幸せな人でさえ、のこりの数人もしくは一〇人近い直属上司には、そんな感情を抱かなかったということである。
だとすると、嫌な上司とはできるだけ早くすれちがってしまったほうがよいということになる。さもなくば自分が辞めるしかない。実際、C社やE社のように、ほぼ三年で定期異動があり、しかもまったくちがう「遠い」職場へ異動になってしまえば、同じ上司とは長くとも二年、短いと一年しか重ならないことになる。
じつは、離職率一%以下のC社と離職率五%程度のA社は、両方とも鉄道業を営む会社の、それも本社部門と、条件はいっしょなのだが、A社の異動の仕方は、それほど大規模なものでも頻繁なものでもないという。したがってA社ではC社にくらべれば、同じ上司とのつきあいも長目のものになる。五%という離職率自体は低いとは思うが、同業種で比較すると、そんな事情もみえてくるのだ。
いずれにせよ、「社内転職」の見通しが立っていれば、「会社を辞めたい」もしくは「転職したい」という願望は実行には移されないようだ。つまり、たとえ現在、仕事にたいして不満があり、退出願望があったとしても、「社内転職」の見通しさえ立っていれば、退出の意思決定、そして退出「行動」にはいたらないのだ。
事実、実際の離職率が二〇%程度と高いB社では、事情はちがっていた。調査の際に、B社の人にお願いして、B社のなかでもとくに離職率の高い部門を選んでもらっていたので、離職率が高いこと自体は想像がついていたが、事前には、離職率の高い理由はわからなかった。しかし調査のあとで聞いてみると、そこの部門では、こうした定期的な部門間あるいは職場間の異動はほとんどおこなわれてこなかったという。少なくとも、働いている人々のレベルでは、異動する見通しは立たないのがふつうだったのだ。
■「結果オーライ」の崩壊
さて、読者の皆さんも、「見通し」という言葉が頻繁に登場してくるようになったのに気がついたのではないだろうか。現に、アンケート調査のあと、企業の人の話を聞いているわたしにも、「見通し」という言葉が耳障りなほど聞こえてきた。
しかも、「社内転職」の見通しだけではなく、自分と会社とのかかわりについてのあらゆる意味での社内での見通しが重要である、ということを多くの企業の人が主張している。それどころか、退出願望だけではなく、職務満足、やりがいそれ自体にも、未来の自分と会社とのかかわりにたいする見通しが決定的に重要だという意見が多くだされてきたのである。
それでは、「見通し」とはいったいどんな概念なのだろう。この調査をする前の年、つまり一九九二年に、わたしはべつの理由から「見通し」の概念について考えさせられていた。一九九二年というのは、バブル崩壊の年である。
人間というのは現金なもので、会社の調子がいいときには、社内に矛盾や問題が横たわっていても疑問も不満も感じないらしい。何しろ、カネの回りも人の回りもすこぶる好調で、毎日が変化に富んでいて楽しい。会社もどんどん大きくなるし、ポストもどんどんふえる。転勤、異動も日常的で、出張だってあたりまえ。
ところが、世の中が不景気になると、こうした動きがぴたりと止まる。毎日が同じ仕事、同じ出来事の連続になる。会社にカネがなくなってくると、転勤、異動はおろか、出張までもなくなるので、毎日同じ顔ぶれと顔を合わせることになる。
こうなってくると不満と不安が鬱積してくる。いったい、会社の方針はどうなっているのだ。経営戦略をきちんと立てているのか。そして、われわれの将来の見通しは……。
何を隠そう、実際には、調子のよかったときも、会社にはとりたてていうほどの方針なんてなかったのだ。経営戦略なんて、ここ何年も聞いたことがないという人のほうが多い。なくても気にならなかっただけなのだ。
日本の企業でよく耳にする言葉、「結果オーライ」の世界だったのだ。ようするに、理由はともあれ、結果さえうまくいけば、方針も戦略も気にする必要はなかった。適否はおろか、存在すら気にする必要はなかったのだ。漠然とした明るい未来を感じていられたからこそ、「見通し」があると思いこんでいただけなのである。
しかし、会社の調子が悪くなってくると、そんなことはいってられない。社員一同、経営者の一挙一動に注目をすることになる。なんらかの方針や戦略があるはずだと。いや、あってほしいのだ。
調子のいいときには、そんなものがなくたって、自分の見通しは立っていた。だって、会社全体のことは知らないが、自分のまわりはきちんと動いていたわけだから。ところが、会社の調子が悪くなってきたら、そうはいかない。自分のまわりが動かなくなった分だけ、そのかわりに、自分の見通しが立つ何かがほしくなるのである。
■「見通し」ってなんだ?
それでは再度、「見通し」っていったいなんなのだろう?
実際に、わたしが企業の人の話を聞いているかぎりでは、「見通し」という言葉を使って何かを語ろうとしている場合、未来における自分と会社とのかかわり方、そしてその程度にたいする一種の思いいれ(正確には重みづけ)がおこなわれているように思える。具体的にしめしてしまったほうがわかりやすいだろう。たとえば、一九九二年におこなわれた調査で用いられた質問項目では、つぎのような五つの質問項目が「見通し」に関係があると考えている。
二一世紀の自分の会社のあるべき姿を認識している。
(はい いいえ)
日々の仕事を消化するだけになっている。
(はい いいえ)
上司から仕事上の目標をはっきりしめされている。
(はい いいえ)
長期的展望に立った仕事というより、短期的な数字合わせになりがちである。
(はい いいえ)
この会社にいて、自分の一〇年後の未来の姿にある程度期待がもてる。
(はい いいえ)
これらの質問に「はい」「いいえ」で答えてもらうと、このうちについては「はい」と答えたほうが見通しがよいと考えられ、については「いいえ」と答えたほうが見通しがよいと考えられる。あなたはどのように答えただろうか。
一九九二年のデータでは、「二一世紀の自分の会社のあるべき姿を認識している」と答えたのは四〇%、「日々の仕事を消化するだけになっている」と答えたのは四三%、「上司から仕事上の目標をはっきりしめされている」と答えたのは五六%だった。
ここまではまあ半々といっていえなくもない。ところが、「長期的展望に立った仕事というより、短期的な数字合わせになりがちである」と答えた人が七五%もいたし、「この会社にいて、自分の一〇年後の未来の姿にある程度期待がもてる」と答えたのは、たったの二九%しかいなかった。調査の対象企業が日本を代表する大企業であったことを考えると、当時、バブル崩壊直後の日本は、まさに「見通し」の立たない社員で満ちあふれていたことになる。
そこで、例のごとく、わたしは指標づくりに挑戦してみた。については、それぞれ「はい」ならば一点、「いいえ」ならば〇点をあたえ、逆にについては、それぞれ「はい」ならば〇点、「いいえ」ならば一点をあたえる。そして、この五問の合計点を「見通し指数」と定義したのである。これによって、組織のなかでの見通しのよさをみることができるはずだ。定義から、見通し指数は〇、一、二、三、四、五のうちどれかの値をとることになる。さて、あなたの見通し指数はいくつになっただろうか。
■発見! 「見通し」で説明できる退出願望
もうおわかりのように、当初、見通し指数は、まったくべつの目的のために作られた指数だった。ところが、職務満足や退出願望、離職率を調べているうちに、企業の人たちが「見通し」「見通し」と耳にタコができるほど口にするので、それじゃあ「見通し」という言葉をキー・ワードにして分析してみましょうということになったのだ。でも、ほんとうにうまくいくのだろうか。
ところが、これがまたじつにうまく説明できるのである。最初のころは、あまりうまくいき過ぎるので、わたし自身が疑って、学会などで報告することをためらったほどなのだ。さっそく、一九九二年から一九九五年までの四年分の調査データを使って、その成果をしめしてみよう。表8、表9を作成してみた。やっていることは簡単である。
まず、見通し指数は〇、一、二、三、四、五のうちどれかひとつの値しかとらないので「見通し指数が〇の人のグループ」、「見通し指数が一の人のグループ」、……、「見通し指数が五の人のグループ」の六つのグループに分ける。
これら六つのグループのそれぞれで、表8ならば職務満足を感じている人の割合を満足比率としてもとめる。表9ならば、退出願望を感じている人の割合を退出願望比率としてもとめる。
見通し指数を横軸にとり、縦軸に満足比率、または退出願望比率をとったものが表8、表9のグラフで、これでできあがり。
表8 見通し指数の値ごとの満足比率(1992〜1995年)
※見通し指数(0)(1)(2)(3)(4)(5)〈全体〉の順
現在の職務に満足を感じる
はい (84) (247) (406) (420) (378) (249)〈1784〉
いいえ (357) (561) (460) (312) (168) (51)〈1909〉
全体 (441) (808) (866) (732) (546) (300)〈3693〉
満足比率% (19.05) (30.57) (46.88) (57.38) (69.23) (83.00)〈48.31〉
(表8 解説)
見通し指数が高くなるほど満足比率があがるという、きれいなほぼ完全な線形の関係のあることがわかる。見通し指数0で満足比率は19%、あとは見通し指数が1ふえるごとにほぼ13ポイントずつ満足比率があがっていく。べつに気にする必要はないが、線形性の強さを表わす決定係数は 0.9973 というおどろくべき高さになる。気になる人は、高橋伸夫著『経営統計入門』などの統計学の教科書に解説がある。
表9 見通し指数の値ごとの退出願望比率(1992〜1995年)
※見通し指数(0)(1)(2)(3)(4)(5)〈全体〉の順
チャンスがあれば転職または独立したいと思う
はい (321) (529) (434) (292) (151) (50)〈1777〉
いいえ (150) (358) (460) (409) (327) (190)〈1894〉
全体 (471) (887) (894) (701) (478) (240)〈3671〉
退出願望比率% (68.15) (59.64) (48.55) (41.65) (31.59) (20.83)〈48.41〉
(表9 解説)
見通し指数が高くなるほど退出願望比率はさがるという、きれいなほぼ完全な線形の関係のあることがわかる。見通し指数0で退出願望比率は68%、あとは見通し指数が1ふえるごとにほぼ9ポイントずつ退出願望比率がさがっていく。前の図表同様、べつに気にする必要はないが、線形性の強さを表わす決定係数は 0.9971 というおどろくべき高さになる。
これらの図表から、この見通し指数が高くなるほど、満足比率が上がり、退出願望比率が低下するという、きれいな、ほぼ完全な線形の関係のあることがわかる(線形性がどの程度強いのかをみるのに、決定係数とよばれるものが使われるが、決定係数はそれぞれ、〇・九九七三、〇・九九七一というおどろくべき高さだった。ちなみに、すべての点が一直線上にのったとき、決定係数の値は一となる)。
■会社を辞めないほんとうの理由
しかし、おどろくのはまだ早い。さらにわかったことがあるのだ。じつは、「見通し指数が〇の人のグループ」、「見通し指数が一の人のグループ」……「見通し指数が五の人のグループ」の六つのグループで、それぞれ、前掲の表6でみたような職務満足と退出願望の関係を調べてみた。
こういった関係の強さは「相関係数」というもので計ることができるのだが、関係が弱くなるほど相関係数は〇に近づき、無関係になると相関係数は〇になることがわかっている。ちなみに、表6の相関係数は〇・二五四だった。
こうした職務満足と退出願望の関係は、見通し指数の値の小さいとき(見通しの悪いとき)にはたしかにみられるのだが、見通し指数の値が大きくなると、なんと関係が消失するのである。つまり、職務満足と退出願望とは関係がなくなることがわかった。
図表10でもしめされるように、職務に満足している人にくらべて、満足していない人は、見通し指数が大きくなると急速に退出願望が低下する傾向がある。そして、見通し指数が五にいたると、両者の差はほとんどなくなり、職務満足と退出願望の間の関係は消失し、ほとんど〇となるのである。つまり、見通し指数が大きければ、現在の職務満足は退出願望に影響しなくなる。このことは一見奇妙に思えるかもしれないが、次章で述べる「未来傾斜原理」にのっとって考えれば当然のことなのである。
図表10 見通し指数・職務満足ごとの退出願望比率(1992〜1995年)
(図表10 解説)
見通し指数の各値で、職務に満足しているグループと満足していないグループに分けて、それぞれ退出願望比率をもとめて棒グラフにしたもの。職務に満足しているグループにくらべて、職務に満足していないグループの退出願望比率が、見通し指数があがるにつれて、急速に低下する傾向がある。折れ線グラフで表わしている Cramer's というのは職務満足と退出願望の相関係数である。相関係数の意味については、ここではべつに気にする必要はないが、これを見ると、見通し指数があがるにしたがって、職務満足と退出願望の相関係数は急速に低下し、見通し指数5ではほとんど消失していることがわかる。つまり、ひらたくいうと、見通し指数が高ければ、職務不満足は退出願望に結びつかなくなるのだ。相関係数について、どうしても気になる人は、高橋伸夫著『経営統計入門』などの統計学の教科書に解説がある。
ここまできて、わたしはあることを思いだした。職務満足の話をするときにかならずといっていいほど異口同音にでてくるあの感想、
「しかし、いまの仕事に満足してしまっていいんですかねえ。やっぱり、現状に満足せずに、つねにチャレンジする気持ちがないとね」
そうなのだ。企業の人のまえで職務満足の話をするときに、わたし自身も引きずっているあの後ろめたい感じ。ワーク・モティベーションの専門家はどのように反論しているのかわからないが、わたしには反論のしようもないようなあの違和感。じつは、日本では職務満足の比率は高くなく、むしろ外国のほうが高いといわれているのだが、その理由はこんなところにもあるのかもしれない。どうも諸手を挙げて職務満足を積極的に評価できないのだ。
しかし、職務満足が退出行動に結びついているという学問的定説から(もっとも日本企業の場合は、さきほどのデータで崩れてしまったが……)、職務満足をそこまでこきおろすこともできなかった。
ところが、見通し指数が高ければ、もはや職務満足は退出願望に影響しないということがはっきりわかった。見通しさえしっかり立っていれば、いまの仕事に満足していない人でも、会社を辞めたりしないのだ。現状に満足していてはチャレンジ精神がうしなわれるというのであるならば、会社にとどまってチャレンジすることを確保するためには「見通し」こそが重要ということになる(もっとも、見通し指数が高いと職務満足も高くなってしまうので、見通しが立っているのに不満をもっているという人が、もともと変わり者ということになる。だけど、その変わり者が口にするさっきのようなひとこと「しかし、いまの仕事に満足してしまっていいんですかねえ……」に、妙に説得力があって、わたしのような真面目な研究者を悩ませるのです)。
第5章「未来傾斜原理」とは何か
■敵同士が協力しあう不思議
「見通し」が重要だという“発見”は、意外な展開をみせる。
わたしの頭のなかで、「見通し」のアイデアが以前から知っていたある理論と結びついた。
「見通しさえ立てば、敵同士でも協力しあえるのだ」
荒唐無稽とも思える、こんなことを最初に主張したのはわたしではない。一九八〇年代の初めに、政治学者ロバート・アクセルロッドが、「戦争のような極端な敵対状況でさえ、敵同士でも協調関係が生まれ、維持される」と主張したのだ。理屈はあとまわしにして、ともかくアクセルロッドもとりあげている興味深い事例をのぞいてみよう。ここに、日本企業におけるキー・ワード「見通し」が隠されているからだ。
第一次世界大戦の初めのころ、フランスとベルギーにまたがる八〇〇キロの西部戦線の前線でドイツ軍対フランス軍・イギリス軍の激しい戦闘がつづいていた。
そして、まもなく戦線は膠着状態に陥った。ところが、膠着状態が長びくにつれ、不思議なことに、両陣営が無人地帯をはさんで同時刻に食事をとるようになった。しかも、その食事時間中は、たがいに攻撃をやめていたのである。たとえば、イギリス軍の陣営では、補給部隊が食料をはこんでくると、兵士たちは歓声をあげながら食事をとるようになった。その間、ドイツ軍からの攻撃はもちろんない。どうやらドイツ軍側も同様に、無警戒に食事をとっていたらしい。
敵同士であるにもかかわらず、打ちとけあいはさらにすすんだ。その年のクリスマスのころには、こともあろうに、敵同士が親しくなってしまっていた。もちろん軍規に反して、だ。何かの合図で、いきなり「停戦」に入ることもあったという。由々しき事態に、司令部は数名の兵士を軍法会議にかけた。なかには歩兵大隊全体が罰せられることまであったという。司令部は、兵士たちによる勝手な停戦がおこなわれないよう、取り締まりをきびしくした。
ところが、悪天候がつづいたとき、これまでとはちがった方法で「停戦」が成立することになった。「ひどい雨のときには、大規模な攻撃行動をとることは不可能なのだから、そんなときにはたがいに撃ちあいはやめましょう」という、暗黙の了解ができたのだ。
以来、司令部の命令のないまま雨天停戦がしばしばおこなわれ、さらには天候が回復しても、停戦状態がそのままつづけられるようになったという。
こうして、膠着した塹壕戦において、敵同士のあいだにも協調関係が生まれたのだった。前線でむかいあう兵士たちは「おたがいさま」ということで相手を狙撃するのをしばしば控えたという。そのあげく迎えるこんな印象的なシーン。
「(イギリス軍の参謀将校が塹壕を視察してまわると)おどろいたことに、よくみると、ドイツ軍兵士たちは、彼らの陣内とはいえ、こちらのライフルの射程距離内を歩きまわっているではないか。わが軍の兵士は、それについて気にしていない様子であった」
「(ドイツ軍の)標的の選び方、砲撃する時刻、回数があまりにも規則的だったために、ジョーンズ連隊長は前線に一日二日いるだけで、そのシステムがわかってしまい、つぎに砲弾がどこに着弾するのかまで正確に知っていた。彼の計算は非常に正確で、砲撃されている場所にたどりつくまでには砲撃が終わることがわかっていたので、不慣れな参謀将校には非常に危険と思えることもすることができた」
「(あるイギリス軍将校が)歩兵中隊と一緒に紅茶を飲んでいると、大勢の叫び声が聞こえてきたので、調べに外に出てみた。すると、味方の兵士とドイツ軍の兵士が、それぞれの胸墻《きようしよう》(=敵の射弾を防ぎながら射撃できるように、人の胸の高さに築いた堆土)の上に立っていた。突然、砲弾が着弾したが、被害はなかった。両者は胸墻を降りると、イギリス軍兵士がドイツ軍兵士を罵りはじめた。そのとき、すぐにひとりの勇敢なドイツ軍兵士が胸墻に登り、叫んだ。『ほんとうにすまない。あんた方はだれも怪我しなかっただろうね。これは俺たちのせいじゃないんだ。あの忌まわしいプロシアの砲兵隊のせいなんだ』」
(以上、社会学者、トニー・アシュワースの研究による)
■裏切りがもたらす「囚人のジレンマ」
アクセルロッドによれば、イギリス軍とドイツ軍のこのケースは、「囚人のジレンマ状況」にあったという。「囚人のジレンマ」についてはご存じの方もいるかもしれないが、簡単に述べておこう。
いま重犯罪を犯したふたり組の容疑者が逮捕されたとしよう。ふたりは分離されたうえで、べつべつの部屋で尋問を受けることになった。もし、ふたりがともに自白した場合には、ふたりは懲役八年の刑になるはずの重犯罪だ。しかし、ふたりとも自白しなければ、検察側も現在の手もちの証拠だけではごく軽い犯罪しか立証できないので、懲役一年の刑ですむことになってしまう。
そこで検察側は、ふたりの容疑者の自白をうながすために、司法取引をもちだすことにした(もともと米国で考えられた話なので、司法取引が許される)。つまり、「どちらかひとりだけが自白した場合には、その自白した者には、検察に協力したということで執行猶予をつけて、懲役はなしにしてやろう。しかし、自白しなかったもう一方はこうはいかない。この罪での最高刑の懲役一〇年を求刑することになる」
さてふたりの囚人(正確には、まだ容疑者)は、どのような行動をとるのだろうか。どちらの容疑者も、
・「自白する」
・「自白しない」
というふたつの選択肢からひとつを選ばなくてはならない。これは共犯の相手を、
・「裏切る」
・「協調する」
といいかえてもいい。
じつはこの場合、相棒がどうでようと、自分は協調するよりも裏切ったほうがかならず得になる。なぜなら、
相棒が律義にも自白しなかった場合、自分が相棒をだしぬいて自白してしまえば、自分は執行猶予がついて、懲役はなくなる。
相棒が裏切って自白してしまった場合にも、自分が自白しなかったら懲役一〇年になってしまうので、自白して懲役八年を覚悟するほうがましだ。
ゲームの理論とよばれる理論では、いずれにせよ自白するのがいちばんよい方法だということになっている。ではいったい、どこが囚人の「ジレンマ」なのだろう?
じつは、このままいくと、容疑者はふたりとも自白することになってしまうのだが、よく考えてみると、これすなわち、いわゆる「共倒れ」ではないか。ふたりとも裏切りあって自白しあうと、懲役八年になる。しかし、もしふたりが協調してたがいに自白しなければ、懲役一年ですむはずだったのだ。これぞまさしく今流行の「共生」というやつだ。
■共倒れしない囚人たちもいる!?
ゲームの理論によれば、「共倒れ」が論理的に正しいとされている。となると、現実の共犯者たちも、自白して裏切ることになってしまうのだろうか? ほんとうに共倒れになるのだろうか?
こうした疑問に、多くの心理学者がその研究意欲をかきたてられ、一九五九年に囚人のジレンマにかんする最初の実験結果が発表されてから、二〇年間に、じつに約一〇〇〇点もの論文、著書が発表されたといわれる(ということは、平均すると二〇年間毎週一点ずつ発表されていたことになる)。すさまじいというか、よく飽きもせずというか……。
もっとも、こうした熱烈な研究のおかげで、いろいろなことがわかってきた。その成果として、「反復囚人のジレンマ」を紹介しておこう。
「囚人のジレンマ」にただ「反復」がついただけだが、このジレンマは、かならずしも裏切りあいにはならないといわれる。むしろ協調はかなりの頻度で出現する。もちろん、実験条件の設定によっては、協調行動がふえたり減ったりするのだが、大事なことは、「囚人のジレンマ」状況でも共倒れに終わるケースばかりでない、ということだ。むしろ協調しあう共生状態で安定してゲームを終了していたことがわかった。
しかし、「囚人のジレンマ」のまえに「反復」がついただけで、いったい何が変わったのだろう。
「反復囚人のジレンマ・ゲーム」は、同じ相手とのあいだで「囚人のジレンマ・ゲーム」を何回も反復しておこなうだけのことである。しかし、「反復」するのであるから、囚人の経験は、つぎのゲームにひきつがれることになる。ここが、重要なのだ。
各回、それまでの試合結果を観察して(つまり、相手が裏切るか協調するかの選択パターンを研究しながら)、次回、自分が協調するか裏切るかを選択することになる。そのとき重要な働きをするのが「つきあいの長さ」なのだ。「つきあい」といっても、これまでの過去のつきあいの長さではなく、これから未来にむけてのつきあいの長さこそが、決定的に重要になってくる。
一度きりの対戦だったら、裏切ってうまく相手をだしぬいて、利益をあげ、勝ち逃げすることができるかもしれない。しかし、考えてみればすぐにわかることだが、その一度の裏切りが、相手の裏切りを誘発する可能性がある。将来も末長くつきあおうというのであれば、一度の裏切りが、その後の協調関係を築くことをむずかしくさせる。実験でも、前回、相手が「協調」してくれた場合には「協調」で恩返しするが、前回、相手が「裏切り」にでた場合には「裏切り」で仕返しして、報復するという行動をとる人が多いこともわかっている。
報復の応酬で裏切りあいがつづけば、まさに共倒れ。最初はともかく、あとはお先真っ暗ということになる。それにくらべれば、協調しあうほうが、まさに共生の字のごとく、生かし生かされ未来は明るい。相手の協調には協調でお返しし、ともに繁栄の道を歩むほうが、これからの長いつきあいを考えると、ずっとお得ということになる。
■「お返し」の強さ
アクセルロッドは、このことをコンピュータ選手権によって再現してみせた。彼は、「反復囚人のジレンマ」ゲームのコンピュータ選手権を企画し、心理学、経済学、政治学、数学、社会学の五つの分野のゲーム理論の専門家一四人を競技参加者として招待した。彼らの手によって、各回ごとに「協調」か「裏切り」のどちらかを選択するコンピュータ・プログラムを作ってもらい、それぞれプログラム同士によるコンピュータ上での総当たりのリーグ戦をおこなったのだ。
その結果、優勝したのが“お返し”と名づけられたプログラムだった。このプログラムは最初は「協調」、その後は、前回相手がとったものと同じ行動をとるというものだ。“お返し”の原語は tit for tat で、ふつう“しっぺ返し”と訳され、これが学界の定訳となっている。しかし、やっかいなのは、“しっぺ返し”という日本語から、われわれは報復を連想してしまうということだ。ここでいう tit for tat は、もちろん「裏切り」にたいしては「裏切り」でお返しし、報復するのだが、「協調」にたいしては「協調」でお返しして、恩返しするように設計されたプログラムなのである。正しい日本語としては、中立的な「お返し」を訳語にあてるべきだろう。いまさら学界の定訳を変えることはできないが、この本では tit for tat を“お返し”とよぶことにする。
名前のいわれはともかく、“お返し”プログラムはこの競技に参加したプログラムのなかでもっとも短いプログラムであり、フォートラン言語でたった四行しかなかったという。こんな単純なプログラムがいちばん強かったのだ。
さらにアクセルロッドは好成績をもたらしたプログラムの特徴を分析して、おもしろいことに気がついた。まずおどろいたことに、高得点のプログラムと低得点のプログラムを分けていたのは、たったひとつの性質だったことだ。それは、
上品であること。つまり姑息でないこと。自分からはけっして裏切らないこと。
成績上位八位までのプログラムは、どれもが自分からは裏切ることのない上品なプログラムだった。そして、そのほかのプログラムは、どれもすきあらば裏切るように作られていた。しかも上品なプログラムと上品でないプログラムのあいだにはかなりの得点上のギャップがあったのだ。
つまり、相手を試したり、ときおりつまみ食いをしたりして一時の利益をもとめると、それからあとの協調関係が崩れてしまい、結局は長期間協調関係を維持しつづけるよりも得点が低くなってしまったのだった。
こうして、上品なプログラム同士は、相手がたがいに裏切らないかぎりは協調しつづけるので、得点を高めあったのだが、問題となるのは裏切られたときの対応である。その対応の仕方によって、それぞれの上品なプログラムの全体的な得点がきまっていた。上品なプログラムのなかでも、好成績をあげたプログラムがもっていた性質とは、
容赦すること。つまり根にもたないこと。相手が裏切ったあとでも、ふたたび協調すること。
教訓風にいえば、過去の裏切りをいつまでも根にもたずに水に流し、将来の協調関係を選択すべし。さもなくば、相手の一度の裏切りがはてしない報復合戦をよびおこしてしまい、長期間その泥沼から抜けだせなくなって共倒れになってしまう。
つまり、が示唆していることは、目先の利益や過去の裏切りへの復讐を選択してはいけないということである。これからの将来の協調関係をこそ選択すべきなのだ。たんに「目には目を、歯には歯を」的なやり方が功を奏したわけではない。
■協調行動が生きのこりの秘訣
アクセルロッドというのは、しつこい人である。コンピュータ選手権の結果とその分析をフィードバックしたうえで、今度は第二回のコンピュータ選手権を企画した。第一回のコンピュータ選手権への参加者にくわえ、パソコン・ユーザーむけの雑誌に案内をだして一般からも参加者を募集し、今度は六カ国から六二人もがコンピュータ選手権に参加することになった。優勝は、またしても“お返し”プログラムであった。
しかも、ほんとうのしつこさはこれから先である。アクセルロッドは、この大会をさらにつづけていくとどうなるかと考えた。成績の悪かったプログラムは挑戦をやめ、成績のよかったプログラムはさらに挑戦をつづけるにちがいないと考えたのだ。人間だったら学習もするし、もっともよいと思われるプログラムを模倣するかもしれない。それに、うまくいかないプログラムは淘汰されるだろう。
そこで、各プログラムの総得点で、次世代の参加プログラムのシェアがきまるようにして、順々に世代をかさねていく、いわば「進化」のシミュレーションがおこなわれることになった。
このシミュレーションの結果、五〇世代を経過すると下位三分の一のプログラムはほぼ消滅し、中位三分の一のプログラムは衰退をはじめていた。そのいっぽうで上位三分の一のプログラムのシェアは増大していた。
おもしろいことに、まんまと裏切りに成功して相手から搾取するようなプログラムは、しばらくは調子がよいようにみえていても、そのうちみずからが食い物にしてきたプログラムが絶滅してくると消えていった。まさに「上品であること」こそが、生きのこる鉄則だったのだ。
ちなみに、シミュレーションをつづけた一〇〇〇世代のあいだ、“お返し”プログラムはずっといちばんの成績をあげつづけ、最後まで最大の増加率をしめしてシェア一位を守ったという。
■「今後ともよろしく」の気持ちが大切
ところで、このシミュレーションには、ある秘密がかくされている。それは、つきあいの長ーいシミュレーションだったということだ。このつきあいの長さをアクセルロッドは「未来係数」という言葉で表現している。
これまで考えていたくりかえしゲームのような状況でいえば、未来係数は次回の対戦がおこなわれる確率を表わしている。未来係数が大きいということは、未来はかならずやってくると考える傾向が強いことを意味している。
欧米人の考え方では、未来は現在ほどには重要ではないと思っているようだ。未来はこないかもしれないし、未来のことがらは実現しないかもしれない。
この点は、多くの日本人にとっては理解しがたい部分で、わたしなども現在よりも未来のほうが重要だと思ってしまう。とりあえずここでは、欧米人は日本人とは逆に、未来は現在ほどには重要だと思っていない、と知っておいてほしい。
そしてじつは、この未来係数の大きいことが協調行動の生まれる条件のひとつになっているのだ。“お返し”プログラムにかぎらず、上品なプログラムあるいは協調関係は、高い未来係数によってささえられることで初めて生きのこっていられることが、アクセルロッドによって数学的にも証明されている。
それでは、高い未来係数の世界とは、どのような世界だろうか?
すこし想像力をたくましくしてみよう。つきあいがいつまでもつづく世界。未来がかならずくる世界。未来が割り引かれず、現在におとらず重要な世界。そこでは、未来のことをしっかりと考えたプログラムやシステムが生きのこることになる。囚人のジレンマ状況でいえば、裏切りよりも協調することが多くの利益をもたらす。
■未来傾斜原理とは何か
わたしはこうした理論的エッセンスを「未来傾斜原理」とよぶことにしている。この本でとりあげてきた「やり過ごし」も「尻ぬぐい」も「泥かぶり」も、そして日本企業で観察される多くの経営現象も、この未来傾斜原理によって説明することができる。
未来傾斜原理とは、わかりやすくいえば、過去の実績や現在の力関係よりも、未来の実現への期待に寄りかかって現在の意思決定をおこなうという原理である。
高い未来係数の世界で、しごく当然にみられる意思決定原理が「未来傾斜原理」なのである。現在の刹那主義的な快楽、充実感よりも、将来のことを考え、いまは多少我慢しても未来をのこすことを選択する意思決定原理のことである。
このことは、われわれ日本人の多くにとっては、まったくあたりまえの話なのだ。したがって、のちほど本書でもくりかえしでてくるが、われわれの多くは、じつは未来係数のそれほど大きくない状況にあってさえ、未来傾斜原理にのっとって、意思決定をしようとする。これは宇宙観のちがいといってもよいほどの差異なのである(くわしくは最終章を読んでください)。
だから、実際には未来係数が高いとはいえないような企業でさえ、われわれ日本人の多くは未来傾斜原理にのっとって、「やり過ごし」「尻ぬぐい」のような行動をあえて選ぼうとする。自分が定年を迎えるまで、会社そのものが安泰でありつづける保証などないような状況にあってさえ……。
未来が現在ほどには重要ではないという欧米的な発想から出発しては、未来傾斜原理を理解することはむずかしい。未来傾斜原理は、未来の出来事をこれまでに得られたデータや確率にもとづいて現在価値に換算したうえで現時点での意思決定をおこなうという欧米的な意思決定原理とは、本質的にことなる。経済学をかじった方なら、一度は耳にしたことのあるであろう期待効用原理ともまったくことなるのである。
つまり、こうした欧米流の考え方に、わたしをふくめた多くの日本人が、試験問題に解答できる程度には表面的に理解していても、納得できず、違和感を感じていることは、当然の現象なのだ。なぜなら、こうした発想をどこまで拡張していったとしても、われわれ日本人の住む未来傾斜原理の世界とのあいだには、質的な断層が存在しているからなのだ。
日本の企業システムのいたるところに、この未来傾斜原理が顔をだしているのである。
■未来傾斜型システムの日本企業
日本企業のもつ強い成長志向、つまり、いまは多少我慢してでも利益をあげ、賃金や株主への配当を抑えてでも利益を確保し、何に使うかはっきりしていない場合でさえ、とりあえずこつこつと内部留保の形で将来の拡大投資のために貯えることも、未来傾斜原理の典型的な発露である。
さらに、よく知られている例をあげれば、日本企業で広くいきわたっている年功賃金制度もその例になる。これは会社側にとっては従業員の将来の能力への期待、従業員側にとっては会社側が用意する将来の収入・処遇への期待にもとづいて現時点での給料・処遇を決定する賃金システムである。これは労使双方がともに未来傾斜原理にのっとって意思決定をして、はじめて成立する賃金システムなのだ。
かりに、どちらかが未来傾斜原理ではない、べつの意思決定原理にしたがえば、年俸制をはじめとする業績主義や能力主義の賃金システムをとらざるをえない。こちらのほうは原則として過去の実績によって給料を決定する賃金システムなのだ。
これまでは、欧米的な意思決定原理にのっとり、年功賃金制度を「合理的」だとする根拠を見出せなかったために、年功賃金制度を非合理的で後進性の表われとみなす傾向が強かった。しかし、そうではなく、年功賃金制度は現代の欧米式とはべつの意思決定原理によるシステムであると考えたほうがわかりやすい。
アクセルロッドの理論研究が導いたのは、生きのこるのは未来傾斜原理にのっとったシステムだ、ということである。将来にわたっての長いつきあいを重視する上品な“お返し”プログラムが勝ちのこったように、短期的には変異や変動があったとしても、長期的には、上品でない意思決定原理にのっとったシステムは淘汰され、やがて未来傾斜原理にのっとった上品なシステムが繁栄するようになる。日本企業における“未来傾斜”型システムの繁栄はこの理論的予想がほぼそのとおり実現しているのにすぎない。
しかし、よく考えてみると、これはあまりにもあたりまえのことではないか。シミュレーションなどやってみるまでもない。もし、
刹那主義的に、その場かぎりの「いま」の充実感、快楽をもとめる刹那主義型システムと、
一〇年後、二〇年後、あるいはもっと先を考えて、いまは多少我慢してでもしのいで、未来をのこすことを考えた未来傾斜型システム
とが競争すれば、短期的には「刹那主義型システム」が羽振りをきかせる時期があったとしても、結局、何十年後かをみてみると、生きのこっているのは「未来傾斜型システム」にちがいないからである。
■共に栄える条件
読者の方へ参考までに、アクセルロッドがあげている共生、協調関係を促進させる方法をまとめておこう。
自分からはけっして裏切らないこと。
相手が裏切ったあとでも、ふたたび協調すること。
相手の最初の裏切りにたいしては怒らなくてはならないこと。
未来がかならずくることを前提に物事を考えておくこと(正確にいえば未来係数が十分に大きいこと)。
、、はともかく、の未来係数を大きくすることは可能なのだろうか?
じつは未来係数を大きくすることは可能である。未来への重みづけとは、本来、一定時間(たとえば三年)たったあとの、未来と現在の重みの比較を意味しているのだが、それにたいして、アクセルロッドが、くりかえしゲームの状況で考えていた未来係数は、次回と今回の重みの比較である。
つまり、対戦を頻繁にすることで、一定時間内の対戦回数をふやすことができれば、次回と今回の時間間隔は短くなり、未来係数は向上させることができる。わかりやすくいえば、
つきあいをより頻繁にすること。
このことで、協調行動を安定させることができるのだ。
■「見通し」と「未来係数」のちがい
日本企業のなかで、未来への期待によりかかった格好で現在をしのいでいこうという発想から生じた行動の典型が、「やり過ごし」「尻ぬぐい」「泥かぶり」だったということに、読者も気がついたのではないだろうか。いずれも、そうした行動がおこなわれているときには、非合理的で、手間とコストばかりがかかってどうしようもないことなのに、そうして現在をしのいでいかないと、未来は真っ暗になってしまうという共通の特徴をもっている。
そこに「見通し」があってこそ、はじめて現在をしのいでいくことができるのだ。それができないということは、自分が会社を辞めるか、会社がつぶれるかのどちらかを意味している。
この章の冒頭で述べたわたしの頭にひらめいたことというのは、「見通し指数」が未来係数の一種だということだ。高い未来係数が協調行動をささえるように、高い見通し指数は、会社での仕事への満足感や、会社への参加をつづけるという気持ちをささえることで、協調行動をささえてきたのだろう。
ただし、見通し指数と未来係数とのあいだには、ちがいがあるということも考えておかねばならない。それは、見通し指数が、会社とのかかわりのなかで比較的変動しやすい変数として考えられているのにたいして、アクセルロッドの考えた未来係数は変数ではなくて定数だということである。
「変数?」「定数?」と疑問に思われるかもしれないので、少し解説しておこう。見通し指数は、そのもとになっている質問からもわかるように、同じ人間であっても、企業側の戦略、政策の内容や業績の浮沈につれて変動していくものだと考えられる。たとえば、経営者が一五年後の企業ビジョンを打ちだして、全社がそれにむかって走りだしているような状況にあれば、見通し指数は当然高くなるはずである(なぜなら「二一世紀の自分の会社のあるべき姿を認識している」はずだから)。
そして、将来の企業ビジョンが明確になっているなかで、上司によって目標のブレークダウン(目標をより具体的なものに噛みくだいてあたえること)がおこなわれ、自分の日々の仕事の位置づけが明らかになれば、ただ刹那的に日々の仕事に追われるということではなく、長期的な展望に立った仕事ができ、見通し指数は当然高くなるはずだ(なぜなら「上司から仕事上の目標をはっきりしめされている」なかで、「長期的展望に立った仕事というより、短期的な数字合わせになりがちである」ことや「日々の仕事を消化するだけになっている」ことを回避しているはずだから)。
こうして、企業の将来ビジョンのなかに、自分の仕事や自分自身の存在意義を見出すことができれば、自分の未来の姿にも期待がもて、見通し指数はさらに高まっているはずだ(なぜなら「この会社にいて、自分の一〇年後の未来の姿にある程度期待がもてる」から)。
つまり、個人個人の見通し指数であっても、企業と経営者が高く誘導しようと思ったら、高くすることが可能なのである。だから変動可能なものということで「変数」とよんでいる。
それにたいして、個人個人の未来係数は、置かれた状況に影響されて変動することはなく、ほぼ一定の値をとりつづけるものと、アクセルロッドの理論モデル上は考えられているので、「定数」とよんでいる。より具体的にいえば、未来係数が定数だということは、おそらく性格、パーソナリティのようなものということになるだろう。そして、理論モデル的には、このパーソナリティに近い性質をもった未来係数でも、見通し指数同様に、職務満足や退出願望を説明できる可能性がある。
見通し指数のように、未来係数で職務満足や退出願望を説明できるとすれば、仕事に満足するのも、会社を辞めたいと思うのも、その人の性格の問題だということになる。ほんとうだろうか?
■“石のうえにも三年”は未来傾斜型
そこで、社会経済生産性本部のメンタル・ヘルス研究所が実施している『JMI(Japan Mental Health Inventory)心の健康診断』の調査で収集されたデータを使って、検討してみたい。
JMI調査は五九六項目もの質問から構成される質問調査票に従業員個人が答える入念な調査で、歴史も実績もある。これまでのすべてのデータということになると一〇〇万人分を優に超えることになるので、今回利用したのは、もちろんその一部である。もっとも一部といっても二三万人分もある。
見通し指数と調査時点、調査対象をそろえる意味もあって、一九九二年から一九九四年にJMI調査を受けた企業のうち、大企業に限定した六七社の全従業員(ただし、非常に規模の大きな企業については一事業所のみとなっている企業もある)のデータを使わせてもらった。
JMI調査では個人ごとに五九六項目の質問から職場領域、精神領域、性格領域、身体領域の四領域の五五尺度がもとめられる。今回はこうしたJMI調査の既存の尺度とはべつに、未来傾斜原理の概念的吟味にもとづいて、性格領域のパーソナリティに分類されている項目のなかから、つぎの五項目を選びだした。
こうときめたらどんなむずかしいことでもやっていける。
(はい いいえ)
石のうえにも三年という格言が好きだ。
(はい いいえ)
将来のことを思えばどんな苦しみにも耐えられる。
(はい いいえ)
将来の生活に期待と希望をもっている。
(はい いいえ)
わたしには人生の目標がある。
(はい いいえ)
それぞれの質問は「はい」または「いいえ」で答えるようになっていた。いずれも、まさに性格・パーソナリティーといった感じの質問ではないか。このうちかろうじてだけが、会社との関係をにおわせているが、などはまさに未来傾斜そのものといった感じの質問である。そこで、それぞれの質問で「はい」ならば一点、「いいえ」ならば〇点をあたえて、五項目の合計点数をもとめ、それを「未来傾斜指数」とよぶことにした。
そこで、つぎの質問。
いまの仕事に生きがいを感じている。
(はい いいえ)
わたしは今後ともこの会社で働きつづけたい。
(はい いいえ)
で「はい」と答えた比率をそれぞれ「生きがい比率」「勤続願望比率」と定義することにし、見通し指数のときと同様に、未来傾斜指数の各点数で、生きがい比率、勤続願望比率をもとめてみた。その結果、それぞれ、表11、表12がえられた。
表11 未来傾斜指数の値ごとの生きがい比率(JMI調査)
※未来傾斜指数(0)(1)(2)(3)(4)(5)〈全体〉の順
いまの仕事に生きがいを感じている
はい (4489) (12307) (18868) (21434) (19702) (13857)〈90657〉
いいえ (28699) (37631) (34567) (23877) (12810) (4716)〈142300〉
全体 (33188) (49938) (53435) (45311) (32512) (18573)〈232957〉
生きがい比率% (13.53) (24.64) (35.31) (47.30) (60.60) (74.61)〈38.92〉
(表11 解説)
未来傾斜指数が高くなるほど生きがい比率があがるという、きれいなほぼ完全な線形の関係のあることがわかる。未来傾斜指数0で生きがい比率は12%、あとは未来傾斜指数が1ふえるごとにほぼ12ポイントずつ生きがい比率があがっていく。べつに気にする必要はないが、線形性の強さを表わす決定係数は 0.9970 というおどろくべき高さになる。
表12 未来傾斜指数の値ごとの勤続願望比率(JMI調査)
※未来傾斜指数(0)(1)(2)(3)(4)(5)〈全体〉の順
わたしは今後ともこの会社で働きつづけたい
はい (19361) (34590) (39557) (35537) (27060) (16387)〈172492〉
いいえ (13827) (15348) (13878) (9774) (5452) (2186)〈60465〉
全体 (33188) (49938) (53435) (45311) (32512) (18573)〈232957〉
勤続願望比率% (58.34) (69.27) (74.03) (78.43) (83.23) (88.23)〈74.04〉
(表12 解説)
未来傾斜指数が高くなるほど勤続願望比率が上がるという、線形の関係のあることがわかる。未来傾斜指数0で勤続願望比率は61%、あとは未来傾斜指数が1ふえるごとにほぼ5〜6ポイントずつ勤続願望比率はあがっていく。前の図表同様、線形性の強さを表わす決定係数は0.9678という高さになる。
これらの図表から、未来傾斜指数が高くなるほど、生きがい比率があがり、勤続願望比率があがるという見事な線形の関係のあることがわかった。決定係数は、見通し指数のときと同様に、なんと〇・九九七〇、〇・九六七八という高さだ。二三万人分ものデータを使って、これだけの驚異的な線形性。もう疑う余地はない。これから、未来傾斜指数は見通し指数と同様の性質をもっているといっていいだろう。これはたいへんなことになってきた。やっぱり、パーソナリティーでも説明ができるのだ。
念のため確認しておくと、未来傾斜指数の五項目は、いずれもJMI調査のパーソナリティー項目にふくまれているものばかりだ。実際、今回の利用データでは、未来傾斜指数とJMI調査の「目標遂行性」との相関係数は〇・八七六〇と高い。そして、この目標遂行性はJMI調査では性格領域のパーソナリティーと位置づけられているものなのだ。
■未来傾斜型人間は見通しの高い企業を選ぶ
ところで、読者は、少し不思議な感じがするかもしれない。見通し指数だ、未来傾斜指数だ、あるいは変数だ定数だ、と分けて考えないで、全部まとめて、たとえば「未来志向」といってはいけないのか……と。じつは、そんな大ざっぱないいかたをしては、わかることもわからなくなってしまうのだ。分けて考えることによって、初めていろいろなことがわかってくる。
たとえば、「未来志向」型の組織といった場合、いったい何が未来志向なのだろうか? 組織は人によって構成されているものだから、どんどん細かく分けていけば、結局は組織メンバーの未来志向性の話になるにちがいない。でも、組織の未来志向性は変わりそうだけど、個々のメンバーの未来志向性は、そう変わりそうにない。組織全体のもっている未来志向性とは、たんなる個々のメンバーのもっている未来志向性の総和になるだろうか? 総和にはなりそうもない。もし総和でないとしたら、個々のメンバーの未来志向性と組織全体の未来志向性の関係はどうなっていて、たがいにどんな影響をおよぼしあっているのだろう?
あれあれ? と思っているうちにまあどうでもよくなってしまう。しかし、これをきちんと区別して議論すると、つぎのようにすっきりする。
職務満足や退出願望は、見通し指数という変数で説明ができるというだけではなく、長期にわたって安定しているはずの定数、パーソナリティとしての未来傾斜指数でも説明ができるという事実をふまえて、わたしは見通しと未来傾斜性の関係をつぎのように考えた。
きっと未来傾斜性の高い人間は見通しの高い組織をめざすにちがいない。従業員としても、そして潜在従業員としても。ようするに、つぎのふたつの関係が考えられる。
変数としての「見通し指数」を高くしようと努めているような組織が、パーソナリティとしての未来傾斜指数の高い人を引きつける。
パーソナリティとしての未来傾斜指数の高い人の多く集まった組織では、見通し指数を高く導くような経営施策やビジョンが選択される。
いずれにせよ、こうして考えると、変数としての見通し指数も、定数としての未来傾斜指数も同様の説明力をもっていることを矛盾なく説明できる。パーソナリティとしての未来傾斜指数の高い人は、すでに従業員として働いているときでも、これから新たに従業員になろうとする場合でも、変数としての「見通し指数」を高くするような経営をつね日ごろから選ぼうとしているのだろう。
企業の内側に入っているのか、それともまだ外側にいるのかのちがいはあっても、両者は表裏一体というわけだ。
じつは、見通し指数だ、未来傾斜指数だと分けて考えないで、全部まとめて、たとえば「未来志向」などといってはいけないのか……と思える人は、自分の未来傾斜性と組織のもたらす見通しがかなりマッチしている幸せな人なのである。
実際には、未来傾斜性の低い人が、見通しの非常に高い組織に所属してしまって、苦しんでいるケースもあるだろう。「泥をかぶる係長」のところでとりあげたような、直接作業員から管理業務にまわされて、耐えられずに辞めていく人のケースなどは、おそらくそうした一例だと思われる。
われわれが、そうした例を、比較的まれなケースだと考えているのは、じつは就職の際に、慎重に企業の境界をまたぎながら、徐々に連続的に組織のネットワークのなかに入っていくという通過儀礼が、うまく機能しているからである。
たとえば、大学生。彼らは親からはかなりの独立性をもって一消費者、一顧客として行動している。同時に、大学の四年生ともなると、企業を就職の対象として考えはじめる。そして卒業すると、今度は企業という境界を踏みこえて内側に入り、従業員となって組織に参加するわけだ。が、そのまえの就職活動の段階で、
一消費者、一顧客としての好意度が就職先の選択に影響している。
すでに、就職しようとしている組織の参加者として行動していることがみてとれる。
の二点のように、一消費者としての行動と組織の一員としての行動とがオーバーラップしていることが観察される。顧客満足と従業員満足もオーバーラップしているにちがいない。
従業員満足、つまり職務満足は、企業という境界の内と外のちがいはあっても、消費者である顧客の満足と本質的に同じものをあつかっている可能性がある。
たとえば、生命保険の外勤職員や家電の販売店、さらにはガソリンスタンド(のアルバイト店員)といったインナー対策として、企業の力をしめすことを意図した広告が製作されることがあるが、これなども従業員ではないものの、企業という境界の外側に位置している組織の参加者にたいして、「見通し」を向上させるためのコミュニケーションを広告という媒体をとおしておこなっていると考えることができる。
また、リピート購入するような消費者の場合には、その企業の行動にたいして、ある種の「見通し」をもっていると考えられる。パーソナル・コンピュータの機種の選定や、ソフトの選定にしても、消費者は現在の製品の品質、価格だけをもとにして選んでいるわけではない。むしろ、今後もより高機能の新機種をだしつづけ、ソフトのバージョン・アップをしつづけるという「見通し」の高い企業のものを選んでいると考えられる。
その後の調査で、見通し指数と退出願望比率のあいだの相関関係などは、内定者も従業員もほぼ同じことがわかっている。しかもここでいう内定者とは、例年一〇月におこなわれる内定式当日の内定者のことなのだからおどろく。まだまだ調べてみないとわからないが、どうやら見通し指数は企業の境界を超えて使えるもののようだ。
かくして、見通し指数の高くなるような組織がパーソナリティとしての未来傾斜指数の高い人を引きつける。従業員として、そして顧客として。
それでは見通し指数が高くなるような組織の条件とは何か?
なんといっても経営者のはたす役割をあげなくてはならないだろう。
第6章 経営者がゆらいでどうする
■日本企業だけが特殊なのか
これまで「やり過ごし」や「尻ぬぐい」「泥かぶり」といった現象を、日本企業の課長・係長を主役に企業での実例を中心にみてきた。しかし、見通し指数が高くなるような組織を作るには、なんといっても経営者のはたす役割が大きい。これについては、幸いなことに経営学の蓄積がある。そこで、ここでは経営学のトピックスから、見通しの高くなるような経営者の姿をさぐってみよう。
ある大学を卒業したてのエンジニアの卵が、真新しい計算尺をもって、新調のスーツを着て、初出社したときのことである。出迎えた無愛想な年配の上司は、いきなりほうきを彼にわたし、「床を掃け」という。しばしぽかんと口をあけてつっ立っていたものの、新入社員ということもあり、いわれたとおりにしたが、「あれは自分の人生でまたとない最良の教訓だった……」と、のちになって彼はつぶやく。
このたぐいの話は日本の企業ではよく聞かされる。しかし、この例は、一九八二年に出版されたテレンス・ディール(当時ハーバード大学の教育社会学の教授)とアレン・ケネディ(当時、マッキンゼーのコンサルタント)の共著による『企業文化』(邦訳書名は『シンボリック・マネジャー』)に登場する話で(原著六五頁、邦訳一〇七−一〇八頁)、企業は米国を代表する巨大企業、ゼネラル・エレクトリック社(GE)。「ある大学」とはマサチューセッツ工科大学(MIT)のことなのだ。日本式「新入社員のしつけ」に似たことは、アメリカの大企業でもやっていたのである。
ただし「計算尺」がでてくるほどなので、ずいぶんと昔のことなのがわかる(注…計算尺とは、簡単な操作で乗・除ほか計算ができるものさし型の器械)。これから考えると、一九五〇年代からせいぜい一九六〇年代初めのころの米国企業の話なのである。
ところが、ディール/ケネディの本がでた一九八〇年代初頭になると、米国では米国企業の生産性の低下を嘆く論調がめだつようになっていた。それにくらべると、当時、日本企業はうまくやっているようにみえたために、日本の経営を見習えと主張する本も何冊か出版された。
しかし、ほんとうはそんな必要はなかったのだ。日本企業を見習わなくとも、一九四〇年代から一九五〇年代にかけてのGEをはじめとする米国の偉大な会社を見習えばいい。
彼らの本に書かれた話の多くは、一九八〇年代当時の米国企業には目新しい話だったようだが、現在までの日本企業、そして一九四〇年代から一九五〇年代にかけての米国企業にとってはあたりまえの話だったのだ。「日本に倣え」ではなく「かつてのアメリカに倣え」で十分だったことになる。
■企業とは「文化」を作りだす現場である
このディール/ケネディの『企業文化』は全編が興味深い逸話に満ちた逸話集のような本である。この本は、レジで有名なナショナル・キャッシュ・レジスター社(NCR)の元会長エリンが好んで話したというつぎのような印象的な話からはじまる(原著三−四頁、邦訳一四−一五頁)。
エリンは一九四五年八月、第二次世界大戦終戦後初めてドイツを訪れた連合国側の民間人のひとりとして、戦争直前に建てられたNCRの工場を見にいったという。焼け落ちたビル、瓦礫、廃墟を抜けて工場跡までたどりつき、煉瓦、セメント、木材をかきわけていくと、そこにはふたりのNCR社員がいるではないか。
六年ぶりに再会した彼らは、服はぼろぼろ、顔は煙ですすけて真っ黒だったが、瓦礫のあとかたづけにはげんでいる。エリンが近づくと、ひとりが顔を見あげてこういった。
「きっとくると思ってました」
エリンも彼らにくわわり、三人でいっしょにあとかたづけをはじめた数日後、今度は米軍の戦車が轟音をとどろかせてやってきた。運転席のGIが笑顔でいった。
「やあ、ぼくはオマハのNCRだ。君たちは今月のノルマをはたしたかい」
工場の建物は破壊され、あらゆるものが荒廃を極めていても、会社はこうした社員たちによって生きのこり、NCRの強烈な販売志向はそこなわれなかった。
ディール/ケネディはこういう。
ビジネスは豪華な建物でも、ボトムラインでも、戦略的分析でも、五カ年計画でもない。「会社」というものがほんとうに存在したのは従業員の心のなかなのだ。NCRは過去においても、現在においても、ひとつの企業文化なのである。そこで働く人びとにとって大きな意味をもつ価値、神話、英雄、象徴の凝集なのだ。
しかし、一九六〇年代になるとコングロマリットの時代となり、シャープペンシルを手にした財務部門の人たちが昇進した。一九七〇年代は戦略的計画の時代で、戦略論で武装したMBA(経営学修士)たちが出世した。その危険性は明白である。経営者は一時的流行につられてMBA組を安易に昇進させるのをやめる必要がある。成功するためには、そのかわりに企業の中心的な価値を体現している人びとを昇進させなければならない(原著四九頁、邦訳八四頁)。
そしてすでにふれたように、一九八〇年代初頭、米国では米国企業の生産性の低下を嘆く論調がめだつようになっていた。八〇年に先立つ、六〇年代から七〇年代に隆盛を誇ったMBAの分析、ポートフォリオ理論、費用曲線、計量経済学モデルでは、こうした問題を解決できなかったのだ。
こうした時代のなか、ディール/ケネディによってとなえられた解決方法は、じつに明解だった(原著五頁、邦訳一六−一七頁)。
米国企業はNCR、GE、IBM、P&G、3Mといった米国の偉大な会社を作りあげたオリジナルの概念やアイデアに帰る必要がある。人びとが企業を動かしていることを思いだす必要がある。そして、文化がいかにして人びとを結びつけ、日々の生活に意味と目的をあたえているかについて、先人の教訓を学びなおす必要がある。
米国企業の創立者たちは強い文化が成功をもたらすと信じ、従業員の生活と生産性は彼らの働く場によってきまると信じていた。従業員が生活の不安を感じることなく、それゆえ事業の成功に必要な仕事ができるような環境、つまり「文化」を社内に作りだすことが経営者の役割であると考えていた。
これら初期のリーダーたちの教訓は社内で代々の経営者に受け継がれ、彼らが注意深く築き、はぐくんだ文化が、景気の浮沈を乗りこえて、組織を維持してきたのである。
こうして、一九八〇年代になって、日本企業の躍進を背景に、文化という言葉がキー・ワードになり、組織文化、企業文化の発見に触発されるかたちで、経営者の本来はたすべき役割が再発見されてくることになった。組織、企業における「経営の再生」である。
■絵に描いたようなホンダの「成功物語」
じつは「経営する」ことは、「投資する」ことでもないし、「所有する」ことでもない。それどころか、組織を「管理する」ことでもない。それ以上の何か《ヽヽ》なのである。
それ以上の何か、などというと禅問答めいていて「経営する」ことのイメージがはっきりしない。そこで、「管理する」ことと「経営する」ことを事例をとおしてくらべてみることで、経営者の経営者たる役割をあぶりだしてみよう。
英国企業は一九五九年に米国のオートバイ市場の四九%のシェアを誇っていたが、一九六六年までに日本企業、とくに本田技研工業(以下「ホンダ」と略称する)が英国企業にとってかわり、ホンダ一社で市場の六三%を占めるまでになっていた。このとき、ヤマハ、スズキもそれぞれ一一%のシェアであったから、日本企業三社でなんと八五%のシェアに達していたことになる。
事態を重くみた英国政府は経営コンサルタント会社として名声の高いボストン・コンサルティング・グループ(以下BCG)を雇い、その理由を知ろうとした。
一九七五年、BCGにより一二〇頁の報告書がだされた。それによると、
・日本のオートバイ産業、とくに業界リーダーのホンダは首尾一貫した基本哲学をもっており、それは一車種あたりの生産量を大きくすることで、資本集約的かつ高度にオートメ化された技術を使って高生産性が可能になるということである。
・ホンダのマーケティング戦略は車種ごとの量産達成にむけられ、成長と市場シェアに関心がむけられているのが観察される。
・ホンダの場合、低コストに徹し、これまでオートバイを買っていた中心層ではない“中流”にターゲットをしぼり、彼らむけの小型オートバイの販売を推しすすめることによって、米国市場に攻撃を仕掛けた。
このBCGの報告書は、あまりにもみごとな戦略論的分析を展開していたので、すぐに要約されてハーバード大学、UCLA、ヴァージニア大学といった米国の大学のビジネス・スクールで「ケース」(MBAをめざす学生たちへの研究課題)として使われるようになったほどだといわれる。
ここまでは、戦略論の分野では有名な話である。日本で出版されている戦略論のテキストにも引用されているようなので、ご記憶の方もあるかもしれない。
しかし、実際の日本の企業人にすれば、「へーっほんとうかなあ」と思うのではないだろうか。ホンダはBCGの報告どおりに綿密な戦略を立て、アメリカで成功したのだろうか?
また、そんなに緻密で合理的な戦略が考えたとおりにうまくあたるものなのだろうか? そもそも入念に考え抜かれた戦略なんてあったのだろうか?
わたしが日本企業で働いている人の話を聞いていると、どこでも失敗やヘマの連続で、人ごとながら「よくつぶれないでやってこられたもんだ」と妙に感心してしまうことが多い。それだけ、失敗やヘマはありふれたことだともいえる。ホンダの成功がBCGの報告書どおりだとすると、当時のホンダは、計画にスキがなく、失敗のない、不思議な日本企業だったことになる。日本的経営の研究で有名な経営学者、リチャード・パスカルも、このBCGの報告書に疑いをもち、ホンダの当時の当事者たち六人にインタビューするため、一九八二年に日本に飛んできた。そして、BCGの報告書とはまったくことなる話を聞くことになる。それがこれからはじめる、もうひとつの成功物語なのだ。
■ほんとうはメタメタだったホンダの「成功物語」
一九五九年夏にホンダの米国進出がはじまるが、前年のトヨタの米国進出が惨澹《さんたん》たる結果だっただけに大蔵省は懐疑的で、二五万ドルの投資を許可したものの、現金はそのうち一一万ドルに制限されてしまった。
そこで五〇ccのスーパーカブ、一二五cc、二五〇cc、三〇五ccの四車種のオートバイを同じ台数ずつアメリカへもっていくことにした。本田宗一郎はこのうち二五〇ccと三〇五ccのオートバイについてはハンドルのかたちが仏様の眉のかたちに似ていてセールス・ポイントになると自信をもっていたという。
現金をあまりもっていけなかったために、ホンダの社員たちはロサンゼルスで安アパートを借り、床で寝る者もいるありさまだった。スラム地区にある倉庫では、費用節約のため自分たちで床をふき、設備にも金を使えなかったのでみずからの手でオートバイを積みあげた。
こうした涙ぐましい苦労を緒戦から強いられたホンダ社員であるが、米国のオートバイ・ビジネス・シーズンが四月から八月までであることを知らずに渡米したので、なんと一九五九年のシーズンがちょうど終わったときに仕事をはじめることになってしまったのである。
当時はヨーロッパのメーカーも米国のメーカー同様に大型マシンに力を入れていた。ホンダも、もともと本田宗一郎が自信をもっていた二五〇ccと三〇五ccのマシンを中心にすえ、一九六〇年の春までには四〇のディーラーに大型マシンを置いてもらえるようになった。
こうして二五〇ccと三〇五ccの大型バイクがようやく売れはじめたが、一九六〇年四月には、早くもトラブルが発生する。米国では日本よりも長距離をより高速で乗りまわすためにホンダの大型バイクは耐えられずに、つぎつぎと故障しだしたのである。
そのころ日本国内では五〇ccのスーパーカブが大成功し、生産が需要に追いつかないほどであった。しかし、何もかも大きくて贅沢な米国にはまったくむいていないと思えたので、本田宗一郎をはじめ社員の直観にしたがい、五〇ccは米国の市場にださないことにしていた。
それで自分たち用として、ロサンゼルス近辺での使い走りに五〇ccを乗りまわしていた。その光景が人目を引いて、シアーズ社のバイアー(買い手)から問い合わせもあったが、マッチョ色の強いアメリカ市場でいかにも小さいスーパーカブを前面にだすことは、自社イメージを傷つけるのではないかと恐れ、最初の八カ月はスーパーカブを市場にださなかった。
しかし大型のバイクが故障しはじめたことで選択の余地のなくなったホンダは、五〇ccのスーパーカブを市場に投入する。そして、事態は意外な展開をみせはじめた。中流階級の米国人たちがホンダに乗りはじめ、最初はスーパーカブ、のちになって大型のバイクにも乗るようになり、売り上げが急上昇したのである。
この話は失敗談ではなく成功談なのに、ホンダの経営陣のやることなすことすべてがまちがっていたようにみえる。日本人マネジャーたちのコメントにある受け身の調子もBCGの報告書とは正反対である。こちらのほうが、わたしには実感としてよく理解できるのだが、いかがだろうか?
当時のホンダの日本人マネジャーたちは「実際には、米国で何が売れるか見てみようという考え以外、戦略はもっていなかった」と話したという。ホンダのマネジャーたちは東京本社の机のうえで、答えがすベてだせるとは信じたりせずに、みずからの体験をもって答えをだすために、学習する覚悟で渡米したのである。
マネジャーたちは、米国の街をバイクで乗りまわし、自分でディーラーや顧客に会い、市場のきびしいニーズに打たれつづけて、ついにそのメッセージを読みとったのである。彼らは現場にいたのだ。
しかし、経営管理論のセオリーどおりにいけば、組織をもっぱら管理している上級マネジャーたちは現場から遠ざかり、学習できないまま、またみずから現場を知らぬまま、戦略や計画を決定し、実施担当者はいわれたとおりに実施し、そして点検のために頻繁に報告させられる(まさに、プラン→ドゥー→シーの管理サイクルで組織を管理しているのだが、何かおかしい)。
ホンダのサクセス・ストーリーがはじまる一九六〇年代初期、米国のオートバイ市場でシェアを食われるはめになる英国のある大手オートバイ・メーカーでは、親会社の重役会のメンバーたちは二輪車についての知識は何ももっていなかったといわれる。当時、経営コンサルタントたちによって「トップ・マネジメントは製品知識をできるだけもたないようにするのが理想である」ことが熱心に説かれ、そうすることで事業にかんするあらゆることが「距離を置いたとらわれない方法で効率的にあつかえる」と心から信じていたのである。
■プロフェッショナル・マネジメントの幻想
これ以上、ホンダの成功理由と英国企業の失敗理由を詮索する必要はないであろう。経営コンサルタントたちによる戦略論的な合理的分析は真の成功理由を何も解き明かさなかったのである。「経営する」ということは「投資する」「所有する」ということ以上の何か《ヽヽ》なのである。そして「管理する」ということ以上の何か《ヽヽ》なのである。
ユニークな経営学者として知られるヘンリー・ミンツバーグによると、戦略的計画がはげしく売りこみ攻勢をかけていた一九六〇から七〇年代、実際の企業が経営戦略をいかに形成するかにかんする経験的証拠はほとんどなにもなかったという。戦略のプランナーや経営コンサルタントたちは、戦略が現実にどのようにしてつくられ、実行されるかについて、ほとんど無知だったのだ。にもかかわらず、「合理的」なアプローチのほうがよいと単純に信じられていたのである。
MBAのようなプロフェッショナル・マネジメントの「プロフェッショナル」が意味しているのは、任意の手法の寄せあつめを身につけた人はなんでも経営できるという意味らしい。しかしこれでは、技術者が設計する方法を知っているというだけで、もっといえば、CAD(キャド…コンピュータを利用して機械や電気製品などの設計をおこなうこと)用のコンピュータが机のうえにあるというだけで、橋でも原子炉でも設計できると思いこむのと同じである。そんなばかな話ってあるだろうか。適用されるべき文脈から遊離し、人間のイニシアティブからも遊離して機能できると信じられているプロフェッショナル・マネジメントとは、いったいなんだったのだろう。
■あなたの「組織」はほんとうに組織か
それでは、最初から答えをだそうとせず、あるいはたとえ答えをだしていたとしても、それにはこだわらず謙虚な姿勢で対処し、学習する覚悟で現場に飛びこみ、みずから答えをだすために試行錯誤をくりかえしたホンダのマネジャーたちの例は、何を示唆しているのだろうか。
彼らがおこなったことは、投資でも所有でも管理でもない。みずから現場に飛びこみ、同僚や部下との接触をおこたらず、彼らを活気づけるようなエネルギーと情熱を注ぎこみ、学習に奔走しながら目標を定めていく。組織論的にいうと、このとき、「組織を成立させる」のに成功していたのだ。
組織といってもいろいろある。名前もつけられず、せいぜい二、三時間の命しかない組織ならば、それこそ無数にある。しかしどのような形態であれ、組織を長期にわたって成立させ、それを存続させることは、たいへんな努力と才能を要する仕事なのである。
ディール/ケネディと同じ結論に到達し、やはり同年の一九八二年に出版されてベスト・セラーとなったマッキンゼーのふたりの経営コンサルタント、トーマス・ピーターズとロバート・ウォーターマンの共著『エクセレント・カンパニー』はつぎのように述べている。
「バーナードは経営者の見地から、リーダーの役割は、組織の中の社会的な力をうまく利用して、価値を形作り、指導していくことにあると主張した。彼は組織の非公式の社会的資産に関与して、価値を形成していく者として、良い経営者を記述した。たんに公式の報酬やシステムを操り、短期的な狭義の能率しか扱わない経営者とは対照させている。バーナードの概念はサイモンがすぐに飛びついたにもかかわらず、そのことを除けば三〇年間顧みられることもなく、その間、主要な経営学の議論はその当時盛んに論じられていた戦後の成長に伴う構造の問題に焦点が当てられていた」(原著六頁、邦訳三四頁)
バーナードは二〇世紀前半の米国の経営者であり、日本の経営学者の間では超有名な近代組織論の創始者だが、米国人には忘れられていた感がある。ここで、彼の主張をふりかえってみるのは有益だろう。
■経営は集団の管理にあらず
チェスター・バーナードは一九〇九年、ハーバード大学を中退してアメリカ電話電信会社(AT&T)に入社する。彼を雇ったのは一歳年上の同じハーバード大学の先輩ギフォードなのだが、このギフォードは一九二五年には早くもAT&Tの社長になっている。それにつられてか、一九二七年には、バーナードもAT&T傘下の新設のニュージャージー・ベル電話会社の初代社長に就任している。ギフォードが一九四八年に取締役会長になると、バーナードも同年、社長を退く。
バーナードが社長在任中の一九三七年に、母校ハーバード大学のローウェル研究所でおこなった講義の内容をもとに一九三八年に出版された本が『経営者の役割』(直訳すれば『経営者の諸職能』)である。バーナードはこの主著一冊で近代組織論の創始者という評価を確立している。
バーナードのこの本は、経営実務者が書いたにもかかわらず、高度に抽象的で、全体像を正しく解説することはとてもむずかしい。そこで、ここではちょっとズルをして、説明が簡単なところだけをとりあげよう。
バーナードは組織(正確には「公式組織」)が成立する必要十分条件として、組織は、
相互に意思を伝達できる人々がおり、
それらの人々は行為を貢献しようとする意欲をもって、
共通目的の達成をめざすときに成立する。
としている。「なーんだ、あたりまえじゃないか」と思ってはいけない。この条件を満たすことがたいへんな問題なのだ。
読者の方の会社や組織でも、「組織の風通しをよくする」「ベクトル合わせをする」「モラールの向上をはかる」といった課題があがることはないだろうか。この手の話は、どこの企業でもよく耳にする。逆にいえば、どこの会社でも、部門間はいうにおよばず、上司・部下・同僚とのコミュニケーションの不足、部門間での共通目的の喪失、そして協働意欲の欠如した従業員をかかえた職場といったことが、いかに日常的なものかということになる。
しかし、これらの現象のどれひとつが発生しても、バーナードのいう組織ではありえない。じつは、われわれが日ごろ目にしているいわゆる「組織」は、もはや組織としての機能をうしなってしまっているものが少なくないのだ。
わたしなどは、このバーナードの組織の成立条件をそっくりそのまま「組織の活性化された状態」の定義として使わせてもらっているほどである。実際、調査のデータを利用して調べてみると、「活性化」のイメージはこの定義とほぼ重なっていることも確認されている。
組織論研究者であるわたしのところに日本企業や組織から持ちこまれる課題の多くが、バーナードの組織成立の必要十分条件から逸脱した状態が問題となったものである。これが多くの組織の現実なのだ。
「組織を管理する」という発想は、その管理の対象となる組織が成立・存続していることを前提にしている。しかし、バーナードのいう組織を成立・存続させること自体が、現実には非常にむずかしいことなのだ。
バーナードは、経営することは、集団を管理することではなく、組織を成立・存続させることなのだという。彼の言葉にこそ「経営する」ことが息づいていると私は考えている。たぶん、わたしのような経営学者よりも、実際の企業人のほうが、そのことを実感できるのではないだろうか。
■経営者がゆらいでどうする
かつて経営の世界で「ゆらぎ」という言葉が大流行したときに、経営者にゆらぎを起こしなさいと説く経営学者が多くいた。わたしは微力ながら異をとなえていたが、そんなわたしにも、当時、企業の方からこんな質問が何度かぶつけられたことがある。
「トップや上司がやれっていうなら、とことんやってみせますよ。それこそ二階でも三階でも登ってみせます。でもねぇ、そういいだしておきながら途中で梯子をはずされると困っちゃうんですけどねぇ。トップがゆらいだら、われわれはいったいどうしたらいいんでしょう?」
当時、安定性やシステムが目の敵にされていた。いまでもその余韻は十分すぎるほどのこっている。しかし、わたしのみるところ、現実の大多数の企業は、むしろ活動の不安定さとシステム構築のむずかしさに四苦八苦しており、放っておくと倒れそうにさえみえた。日常的に発生するトラブルと押しよせる苦情を処理することは、多くの企業人にとって精神的苦痛以外の何物でもない。しくじれば倒産するのだ。ここが税金で食っているお役所とはちがう。
民間企業に、もし安定性があるとするならば、それは無為無策のせいなどではなく、日々のたゆまざる努力の成果にちがいない。システムやルーチンはやっかいなお荷物などではなく、むしろ諸先輩の努力の結果確立した大いなる遺産である。それこそが競争力の源泉にちがいなかった。
多くの民間企業で、システムやルーチンを立ちあげ、安定的に操業するまでにこぎつけることに、いったいどれほどの時間と労力とを注ぎこんできたことか。それに成功した企業だけが生きのこってこられたのである。
問題が反復して発生するような場合に、いちいちゼロからはじめて解決策を考えることは、いかにも非効率だ。できれば、処方箋やマニュアルのようなものを用意しておいて、何度も使ったほうが、時間の節約になる。
たとえば、クレジット・カードを紛失して(こういう場合は、財布から免許証までいっさいがっさいなくして、パニックになっているケースが多い)、泣きそうになってクレジット・カード会社に電話してきた人にたいして、「とりあえず『ご安心ください』と話しかける」なんていうのもこれにあたる。このひとことで客はどれほど救われることか。
こういった処方箋・マニュアルを総称して、経営学の世界では「プログラム」とよんでいる。もともとプログラムは、コンピュータの世界から借用してきた言葉なのだが、ちょっとちがうのは、べつに文書や明示的な形になっている必要はないということだ。暗黙の習慣のようなものでもかまわない。とにかく、ある特定の問題にたいして、定型的な適応パターンがみられるとき、それをプログラムとよんでいる。
■システムこそ企業の強さの源泉
こうして人類は、反復して発生する問題にたいしては、適切な対応の仕方を、プログラムとして、組織内部で伝承し、蓄積することに成功してきた。プログラムという言葉を「導入」したノーベル経済学賞受賞者ハーバート・サイモンにいわせると、これこそまさに人類の過去幾世紀にもわたる文明の進歩なのだ。そして組織は、反復的な問題にたいする解決策と対処法をプログラムとして開発・保守し、組織内部に技術的蓄積としてたくわえるのに成功してきたのである(一九七七、原著五一頁、邦訳六九頁)。
したがって、システムやルーチンこそが、人類の進歩の証であり、強さの源泉なのである。つまり、企業がもっている強さの源泉の実態は、明示的になっていようが、暗黙的なものであろうが、プログラムの集合体であることにはちがいない。経営学では、その中核的な部分を「テクニカル・コア」とよんでいる。
経営理論の世界では、一九六〇年代までは、企業のテクニカル・コアを環境変動から保護することに注意がむけられてきた。というのは、もともとプログラムは、何度も反復して発生してくる問題にたいして作られるものなので、環境が安定しているほうが、ずっと効率的に使えるからである。毎度毎度まったくことなる問題に遭遇するようでは、プログラムを開発・保守する努力がむだになってしまう。
しかし、努力しても企業のテクニカル・コアを環境変動から守りきれないときは、いったいどうしたらよいのだろうか。「テクニカル・コア」の名づけ親、米国の社会学者ジェームス・トンプソンは、この問題にたいして、あっとおどろくような答えをだしている。
すなわち、まずは環境の変化をできるだけ予測して、まえもって準備しておきなさい。それでもだめなら、この際、環境のことなど気にせずに、自分たちで、なんらかの優先順位のシステムを作りなさい。たいせつなことは、自分たちの強みであるテクニカル・コアをいかに効率的に機能させるかです。組織内の行動がみだれてパニックになってしまえば、元も子もないんですよ、というのである。
■旗は高く揚げるべし
じつはここに、戦略を立て、もつことの意義が存在する。戦略をある程度長期にわたって変更撤回しないことによって、組織内行動のみだれを予防するのだ。それは、戦略といえるほどの立派なものでなくてもかまわない。組織メンバーにとって、目に見えるような方向性さえ指ししめしていればそれでよいのである。
企業が危機に直面した場合を想像してみるといい。激変する環境に対応して、組織のなかまで混乱の渦に飲みこまれようとしているまさにそのとき、だれかが(多分、経営者が)混乱の渦のただ中にあって、毅然と立ちあがり、すすむべき道を指ししめしてパニックを鎮めなければ、組織はそのまま崩壊にいたるのである。
それは外部環境に適応するためにパニックになって右往左往するよりは、むしろ外部環境とのあいだには一線を画して毅然としてみずから予測し、みずからの優先順位にもとづいて自律的に行動することで、みずからの能力や優位性を有効に発揮していこうという姿勢である。それは変温動物としてではなく恒温動物として、しかも服を着こむことも冷暖房をすることもできる知的動物としての生き方の延長線上にあるといっていいのではないだろうか。
そのことを経済学者フランク・ナイトは、すでに一九二〇年ごろに指摘していた。つまり、経営的能力にもっとも優れた人を経営者として立て、彼らに集団の仕事を委ね、指揮と統制を託すわけだが、それでは何をもってして「優れた」というのだろうか。ナイト(一九二一)によれば、
・他人を有効に統制する力
・何をなすべきか決定する知的能力
しかし、何より重要なことは、
・みずからの判断と力にたいする確信の程度やみずからの所信にもとづいて行動し「冒険する」気質
なのだ。この事実こそが専門化の根本的な理由なのである。
確信と冒険心に富んだ経営者が危険を引きうけ、疑い深く臆病な一般の従業員にたいして、安定的な契約的収入を保証する。その見返りとして、経営者は、変動するが、額も大きい利潤を受けとることになる。これが専門化だというのだ。
日本企業でも、確信と冒険心に富んだ経営者が危険を引きうけ、企業内の組織にたいして戦略を打ちだす。この戦略によって、激変する企業環境のなかにあってさえ、メンバーは混乱に陥ることなく、計画的で秩序ある行動をとることが可能になる。そしてメンバー間の競争状況が目にみえるようになり、組織は活性化するのである。ここに経営することの最初の一歩があるのではないだろうか。ゆらぎを起こすことではなく、確信に満ちてゆるがぬことこそが経営者の最初の仕事なのである。
■「見通し」をあたえることの大切さ
社会心理学者、カール・ワイクは、つぎのようなおもしろい事例を紹介している(一九八七)。
ある軍事演習で、ハンガリー人の小隊を率いる若い少尉は、アルプス山脈の凍てつく荒野に偵察隊を送りだした。ところが、その直後、雪が降りはじめる。雪は二日間降りつづき、送りだした偵察隊はもどってこない。安否が気づかわれたが、三日目になって偵察隊は帰ってきた。
彼らがいうには「われわれは道に迷ったとわかって、もうこれで終わりだと思いました。すると隊員のひとりがポケットに地図を見つけたのです。その地図のおかげで冷静になれました。われわれはテントを張って吹雪を耐えぬきました。それからその地図で方位、位置をたしかめながらここについたわけです」。少尉がこの命の恩人となった地図を手にとってじっくり見ると、おどろいたことに、それはアルプス山脈の地図ではなく、ピレネー山脈の地図だったのである。
つまり、道に迷ったときにはどんな地図でも役に立つ可能性があるし、混乱しているときにはどんな戦略でも役に立つ可能性があるということを示唆している。ワイクは、部下が迷い、リーダーでさえどこへ行くべきかわからないという状況に直面したら、リーダーのなすべきことは、部下に自信を植えつけ、なんらかの大まかな方向感覚で部下を動かし、どこにいたのかを知り、いまどこにいるのか、どこへ行きたいのかがもっとよくわかるように、実際に起こっていることにたいして、部下が注意深く目をむけるようにすることであるとしている。
バーナードが米国で活躍していたころの話で、藤本/ティッド(一九九三)のトヨタの事例も興味深い。
フォードやGMの日本進出は早く、一九二五年にはフォードの一〇〇%子会社、日本フォードが設立され、横浜にノックダウン組立工場を建設した。一九二七年にはGMも日本ゼネラル・モータース社を設立し、大阪でノックダウン組立工場の操業をはじめる。輸入車のノックダウン組立は一九三四年にはピークを迎え、日本の国内市場の九二%を占め、完成輸入車が五%、そして日本車は残りの三%、約一〇〇〇台というありさまだった。
この年、豊田自動織機は刈谷に自動車の試作工場の建設をはじめ、完成した一九三六年には自動車製造事業法が制定されて、米国系子会社は日本から締めだされる。しかしこのとき刈谷工場の生産能力はわずか月産一五〇台であった。
一九三七年、豊田自動織機は自動車部門を分離してトヨタ自動車工業株式会社を設立、翌一九三八年には月産二〇〇〇台規模の挙母《ころも》工場が完成したが、さあこれからというときに日中戦争が勃発し、第二次世界大戦、そして一九四五年八月の終戦を迎えることになる。
終戦の年の九月にトヨタはGHQの許可をえて、一九三〇年代に購入した古い機械を利用する形でトラックの生産を再開したが、終戦直後、米国の量産工場の生産性はトヨタの約一〇倍はあったという。
ところがこうした悪状況下で、豊田喜一郎は、三年以内に米国の生産性に追いつくという途方もない大胆な目標を打ちだした。当時、技術者のあいだでは、米国企業との力の差はもっとあると思われていた(一説には、一〇〇倍)というから、一〇倍といってしまうこと自体がホラのようなものだが、案の定、さすがに三年ではこの目標は達成できなかった。
しかしトヨタは一九五五年まで一〇年かかって米国の自動車メーカーの生産性に追いつく。この間、米国の生産性はあがっていなかった、といわれるが、ともあれ一〇年で目標は達成されたことになる。
このようになんの根拠もない、おそらく非合理的で無茶な戦略でも、しかるべき人がしかるべきときに宣言すれば、そしてある程度の長期にわたって変更撤回されなければ、戦略は人びとの迷いをとり払い、元気づけ、積極的に方向づける。まさに「見通し」が立つのだ。
そのとき、戦略が最適であるかどうかはあまり重要な問題ではないし、多くの場合、戦略の最適性と勝敗はべつの問題なのである。戦略はもっている《ヽヽヽヽヽ》こと自体に、経営的観点からはある種の意義が存在する。
戦略が最適で合理的であることは、そうでないよりはたしかに望ましいことかもしれない。しかし、このことを強調しすぎると、戦略の本来はたすべき役割、経営するというプロセスの中における重要性を見うしないかねない。つまり、戦略をもっているということは、行きあたりばったりではないということなのである。戦略が優先順位のシステムとして機能するおかげで、メンバーの「見通し」も立ち、組織内行動の混乱を排除できる。
経営者は戦略の最適性や合理性を多少犠牲にしてでも、タイミングを逸しないように経営のプロセスのなかにうまく組みこんで打ちだしていくべきなのだ。経営の成功なくしては、いかなる戦略も勝利はおぼつかないのであるから。
第7章「未来傾斜」の意味するもの
■未来はかならずやってくる
未来はかならずやってくる。
そんなこといっても、死んじゃったらおしまいじゃないかという人もいるかもしれない。しかしほんとうにそうだろうか。人類が滅びでもしないかぎり、未来はかならずやってくるのである。
ある経営学の本を書いていたときのことである。古典的業績を引用しているうちに、どうもそれにはタネ本ならぬタネ論文があるらしいことに気がついた。そこで、人気のない朝から大学の図書館の書庫に行き、お目あての論文をさがしはじめた。欧米の経済学系の学術誌にはすでに一〇〇年以上の歴史をもつものもある。ありがたいことにそうした歴史ある学術誌は年ごとに製本したうえで大学の図書館がきちんと所蔵してくれている。
わたしのさがしているものは、一九三〇年前後に掲載された論文である。棚にならんだ雑誌の背表紙を目で追いながら、ほこりをはらい、めざしている年をさがす。書架の下のほうにようやくそれを見つけて、しゃがみこんで手にとってみる。やや大判の雑誌だ。ほこりをかぶった表紙をめくり、目次を調べ、論文にたどりつく。そのページを大きく見開くと、背表紙がめりめりと音を立てる。その場で活字に目を走らせながら、ふと、私はあることに気がついて、背筋がぞくっとした。
「この論文は六五年ものあいだ、この瞬間をただひたすら待っていたんだ」
この論文はコピーをとられることはおろか、印刷されてから六五年間、一度も読まれた形跡がないのだ。おそらくこのページは開かれることもなかったらしい。米国で発行されてからじつに六五年、異国の地で、この論文は、わたしのような人間がどこからかやってくるのをただひたすら待っていたのである。著者はもう何十年もまえに亡くなっている。六五年間、人目にふれることもなかったこの論文は、時間と空間を超えて、読者であるわたしに出会うためにここで待ちつづけていたのだ。
「ああ、わたしの仕事とはこういうものだったんだ。この仕事に就いていてほんとうによかった」と感慨で胸がいっぱいになった。
この論文のように出版された当時から、世界の図書館に散らばったにもかかわらず、ほとんど読まれない論文は多くあるのだろう。存在すら忘れられていく。しかし、それでもいいのだ。
流行に背をむけて書くわたしの論文も、たぶん読まれることもなく、あちこちの大学の図書館で眠りつづけているにちがいない。欧米の一流誌であれば、それこそ多くの国の大学の図書館へ散らばっているだろうが、相かわらず眠りつづけていることだろう。
そして、いつの日か、どこからかやってきただれかの目にふれる。五〇年後かもしれないし、一〇〇年後、あるいはもっと先かもしれない。わたしにとっては手のとどかない未来。想像もつかない未来。それでも未来はかならずやってくる。そしてそのとき、その読者が数行でも読んで何かを感じてくれれば、それでいいのだ。
願わくは、「へえ、六五年も前に、こんなことを考えていたやつがいたんだ。道具も分析も古めかしいけど、このアイデアはいまでも使えそうだぞ」とわたしと同じように、だれかが感じてくれれば、もう何もいうことはない。論文をみてくれた人が、学生でも、子どもでもかまわない。そんな瞬間がくること自体に価値があるのだ。そんな瞬間を未来のだれかと分かちあうために、わたしは論文を書きつづける。
■未来に何をのこすのか
まえおきが長くなったが、わたしが論文にみたような「未来のだれかと瞬間を分かちあう」という話は、なにも学者稼業の連中にかぎったことではないだろう。
一九九〇年ごろ、バブル景気で企業は人手不足になり、労働市場は売手市場一色となった。とくに建設業は三K(きつい、汚い、危険)職場の代表格などとマスコミでさわがれ、敬遠されていた。しかし当時、ゼネコンに勤める人々の口からは、職場環境はたしかにきびしいだろうが、そんなことは大きなお世話だという声が多く聞かれた。
ある大手ゼネコンが「地図にのこる仕事」をCMのキャッチ・コピーにしたときには、ほかの建設会社の従業員からも共感をよんだといわれる。自分が参加したプロジェクトで建設されたダムを見せるために山奥に恋人をつれていくCMのシーンなどは、わたしが見ていても感動した。
──未来に何をのこすのか。しかも自分の手で何をのこすのか。自分たちがのこしたものを未来のだれかが見る場面を想像してごらん。いまの三Kなどは些細なことでしかなくなるんだよ──。ゼネコン社員の「大きなお世話」発言のうしろに、こんなささやきを聞く思いがした。
もちろん、職場環境を改善していくことが基本であることにはまちがいない。当時の三K批判によって、建設現場の職場環境は大幅に改善され、たとえば、くみ取り式トイレが水洗式トイレになったというたぐいの話もある。しかし、建設会社に勤める事務系の従業員ですら、自分が職務で携わったビルのまえを通り過ぎるときには、いつも心が何かで満たされるのを感じるという。それが仕事の原点なのではないだろうか。
■会社はつづいていくもの
防虫剤・芳香剤の大手メーカーの工場長を勤めていた方の話は印象的だった。このメーカーは、とある地方の田園地帯のなかに新しく工場を構えた。従業員の大部分は地元採用の人びとだという。
あるとき、工場からでてくる産業廃棄物の処理を部下に指示したところ、しばらくすると、その従業員が工場の敷地の一部に穴を掘って埋めようとしているではないか。「おまえ何をしているんだ」と聞くと、案の定、産業廃棄物の処理だという。工場長は血相を変えていった。
「そんなことしたら工場の敷地が産業廃棄物だらけになってしまうではないか」
すると地元採用のその従業員はこともなげに、こう平然と答えたという。
「そうしたら、まわりの土地でも山でも買って、そこに埋めればいい。ここらへんには安い土地があまっているんだから」
あっけにとられる話ではあるが、感心するのはそれから先である。工場長は従業員に説教をはじめた。
「会社というのはゴーイング・コンサーン(継続企業体)というくらいで、未来永劫につづくものなんだ……」
たしかに、経済的な合理性だけでいえば、もうすこし正確にいえば、短期的なコスト、利益だけを考えるのであれば、地元採用の従業員のいうことにも一理ある(?)かもしれない。あっけらかんとしていて、合理的といえば合理的なのである。しかし、工場長はそうは考えなかった。「未来永劫」はオーバーとしても、あくまでも長期的な観点から物事を考えようとしている。
採用まもない地元の従業員と長年会社に勤める工場長。いったい、何が工場長をそうしむけるのか。わたしには、組織のもつ力がそこにあるように感じられる。そして、建設業のような形ののこる仕事ではない産業で、事務系従業員として働いていても、組織のもつ不思議な力が人々の思いを未来に駆りたてているように思える。
■すごいヤツに会いたい
わたしが大学院生から助手になったころ、わたしのまわりには同業者(つまり、学者、研究者)で「すごい人」がたくさんいた。学内の研究会でも、発表者よりもむしろ聴衆として出席していた先生方のちょっとしたコメントに唸らされて、「うーん、あと五年、いやせめて一〇年たったら、自分もあのようなコメントのできる先生になっていたいものだ」と感心したし、学会にでも行こうものなら、すばらしい発表を聞き、その先生の書いた本が無性にほしくなって、学会会場となっている大学の生協に買いに走り、サインでもお願いしたくなるような衝動を何度も経験している(もっとも学会は土日の開催が多いので、生協は開いてなかったが)。
しかし、年齢を重ねるにしたがって、感受性が鈍くなってきたのか、「すごい人」への感動という経験からはどんどん遠ざかっていった。いつしか、学内の研究会出席はたんなるノルマと化し、学会は発表を聞かずに懇親会で旧交を温める場となってしまった。何かものたりない。こんなはずではなかった。そんな思いがつのっていった。
そんなある日、いつものように大学の教壇に立ち、いつものように講義をしていて、わたしはふと、あることに気がついた。それまで「すごい人」はどこか遠くから降ってくるものだとばかり思っていた。しかし、それはまちがいであることに気がついたのである。
まず、わたしの思っている「すごい人」のイメージは、自分よりも年長の人ということだった。だからいつも上を見あげては、降ってくるのを待っていたわけだ。しかし、これはちがう。これからわたしが出会うであろう「すごい人」は、自分よりも年下の人、しかもかなり年下の人にちがいない。
そして、もうひとつ。その「すごい人」は、どこか遠くからくるのではない。おそらく自分のすぐそば、自分の足元からやってくるにちがいないと直感したのである。
その候補者に、自分とはあまりにちがう分野にすすまれてしまっては、自分との接点もなくなり、出会うこともできないだろう。いまのうちに、学問することのおもしろさ、楽しさを伝えておこう。自分の研究分野のおもしろさ、楽しさをインスパイアしておこう。そうすれば、一〇年後から二〇年後くらいには、「すごい人」になって、わたしのまえに現われてくれるかもしれない。一〇年後から二〇年後に、なにげなく本や論文を読んでいて、
「こんなすごい本(あるいは論文)を書いているやつがいる。しかも日本人だ。会ってみたいなあ。ふだん、どんなことを考えているやつなんだろう。いまはどんな研究をしているんだろう」
そう感じたいのである。
彼もしくは彼女がわたしのことを「先生」とよんでくれなくてもかまわない。そんな「すごい人」がいるだけで、学会に行くことも研究会に行くことも楽しくてわくわくするだろう。そんな「すごい人」を同僚に迎えることができたら、大学に通勤することも楽しくて待ち遠しくなるにちがいない。いっしょに仕事ができたら、もっと楽しい心躍る瞬間が待っているはずだ。
放っておいても、運さえよければそんな経験ができるかもしれない。しかし、それではあまりにも確率が低すぎる。鮭も人工孵化させてある程度育ててから放流しなければ、歩留まりが悪くて帰ってこないではないか。そんな欲求(あるいは衝動といったほうがよいかもしれない)に突き動かされて、わたしは急に教育熱心になった。
それまで気になっていた授業や講義の人気度(履習者数や出席者数、そして単位にしか興味のないような大多数の学生もふくめた学生の評判)は些細なことに思えてきた。人気度を気にして授業することは、けっこう苦痛をともなう作業である。
いまでは、人気をとるために講義をするのではなく、講義をすること自体が、大教室のどこかにすわっているかもしれない候補者のだれかにむかって話しかけ、インスパイアすること自体が目的になった。人気度やウケを狙って話すこととはちがう、じつに楽しい希望に満ちた仕事なのだ。
「すごい人に会いたい」という欲求が、わたしを教育に駆りたてる。
■未来をこの手に感じとる力
当初、わたしはたまたま自分が大学という研究教育機関に勤めているので、仕事柄こんなことを考えるのかと思っていたが、どうもこれは勤め先の業種の問題ではないらしい。組織のもつ不思議な力が、私にそう思わせているのである。
世の中がバブル景気後の不景気のなかに沈んでいたころ、わたしはゼミの学生をつれて、ある大手精密機械メーカーの工場へ見学にいったことがある。先端技術の塊で、理工系の先生や学生に見せると企業機密が漏れると企業側が案じるほどの工場だったが、私のゼミでは、そんな心配はいらない。一同、なにやらよくわからないものの、先端技術の塊のような機械が、説明不能な職人芸にささえられているという現場にもふれられて、一種不思議な満足感にひたって見学を無事終了した。
本題はここからである。その工場からの帰り、ある財団の委員会で見知っていたその会社の方とゆっくり話す機会があった。辛口の近況を報告しあいながら、その人が、
「こんなこといってますけど、わたしもじつは、そのうちすごいヤツが現われて……」
と、話しはじめたので、おどろいてしまった。その方とわたしは業種がちがうにもかかわらず、趣旨のほとんど同じことを、まったく偶然に考えていたのだ。
つまり、組織のもつ不思議な力とは、未来を実感する力、未来をこの手に感じとる力とでもいうべきものなのだ。自分一人の一生にはかぎりがある。しかも定年までと考えると、新入社員でさえ、せいぜい三〇年ちょっとしかない。しかし、会社はそのあともつづいていく。それを自分が育てた人材が担っていく。そこまでいかなくとも、自分が知っている自分よりも年少の人材が担っていくのだ。
未来を実感するのに、とりたてて想像力や構想力にすぐれている必要はない。わたしのようなふつうのおじさんや、ふつうのおばさんであっても、「自分がいなくなっても、自分ののこしたものはつづいていく」と気がつけば、未来を実感できるのである。そして、それは未来傾斜型の組織に所属し、見通しの高さを体感することでかなえられる。
その会社の方は、つづけていった。
「いまは不景気で仕事がないんですが、いわば熟練した職人芸を継承して、後継者を育てるために、いま仕事がなくとも若い人を採用して、とにかく育てさせようと思っているんですよ。一度途切れてしまうともうおしまいですからね」
日本の、いや世界のハイテク産業の底は意外にもろい。表面的で目先の激烈な技術開発競争だけがハイテク産業をささえているのではない。見学にいった工場でも、連綿と引き継がれた職人芸によってささえられている現場を見た。こうした未来を実感する力のある人びととそれを可能にする組織がその実現をほんとうにささえているのである。
■未来がくるのはあたりまえ!?
未来はかならずやってくるという発想は、ある意味では、画期的な発想である。
この本を書くきっかけになった日本経済新聞の「やさしい経済学」のコーナーで「未来傾斜原理」というタイトルで原稿を書いたとき、編集を担当していた記者の人が最初にいった感想が「でも、これってあたりまえの話ですよね」だった。あたりまえのことなので、このままの内容でいいのか? というニュアンスをこめての感想だったようだが、ところがどっこい経済学、経営学の世界では全然あたりまえのことではない。むしろ常識はずれなのだ。
経済学や経営学では、未来の収益を考えるときには、それを割引率というもので割り引いたうえで、現在価値に直して評価することが、ごくふつうにおこなわれている。未来の価値を現在におきかえて、くらべるのである。実際、欧米の教科書では(そして直輸入の日本の教科書でも)、投資評価の際に、投資の収益を考えるときには、現在手元にある現金は、たとえば三年後に手に入る現金よりも価値が高いという発想にもとづいて、将来の収益を現在価値に割り引いて評価する。つまり、未来に発生する収益は割り引いて考えるということがあたりまえのように書かれているのだ。
ところが、どうも日本企業は未来の収益を割り引く考えになじめず、また実際そうはしていないのではないかといわれている。だいたい、こんなことをしていたら企業が一〇年後の将来のための投資計画を考えることなどおよそ無意味になるではないかという批判もある。それでも、違和感をかかえたまま、経営学では未来は割り引かれるものだという発想自体が否定されたことはない。
■「未来を割り引く」のほんとうの意味
このあたりの話は、もともとわたしをふくめた多くの日本人の感覚では理解しがたい話なので、わたしにはわかりやすく説明する自信がない。そこで、ちょっとがまんして、つぎのエピソードを読んでみてほしい。これでピンとこなくても、そのあとの話はピンとくるはず……。
大学院時代、とある数学系の演習で理学部出身の先生にたずねられたことがある。
「高橋君、いままでずーっと不思議だったんだけど、どうして経済学や経営学の分野では割引率をモデルに入れるんですか?」
「それはたぶん、割引率を入れないと、値が発散してしまうからではないでしょうか? やっぱり何かの値に収束してくれないと、モデルを比較したりできないし、最適解もわからないし……」
「そんなテクニカルなことはわかっているけど、本質的にはどんな意味があるの?」
「経済学者は何でも均衡するのが好きなんですよ」
「……」
臨場感をだすために専門用語が飛びだしたが、わかりやすく解説するとこういうことになる。
たとえば、一日一円ずつでも毎日お金を貯めていく行為を永遠につづけていけば、この行為が終わらないかぎり、貯金額は無限大にふくれあがっていく(これを数学用語で「発散する」という)。しかし、そうなるとやっかいなのは比較をするときである。無限大対無限大の比較など、もともとできない相談なので、そうなると最適解の議論などナンセンスになってしまう。
それを回避するという技術的な(これすなわち「テクニカルな」)理由のために、割引率を入れて、ある値に落ちつく(これを数学用語で「収束する」という)ようにしたのではないかとわたしは答えたわけだ。しかし、これでは、先生の質問である「未来を割り引くことの、もっと本質的な意味」への答えにはまったくなっていない。「テクニカルなこと」と一蹴されるのも無理はない。
しかし、努力はしているが、いまだに勉強が追いつかないわたしには、いまもって本質的な意味はわからない。わかっているのは、経済学者は均衡とか収束が大好きだということと、そうでもしないと経済学では論文にならないという身も蓋もない現実だけである。
■日本人はなぜ預金するのか
もっともわたし自身は、「なぜ発散しちゃいけないの?」という疑問をずっともちつづけているのだ。ひょっとすると、発散してしまう未来のほうが本質的ではないのかとさえ思う。物理学者が宇宙を論じるときには、いま膨張をつづけている宇宙が、そのまま膨張をしつづけるのか、それともいつかは収縮をはじめるのかが問題になったりするらしい。そのうち科学的には結論のでる話なのかもしれないが、科学的事実の問題というよりも、宇宙観の問題であるようにも思える。
そしてわれわれが直面している疑問「未来は発散するのか、それとも収束するのか」もまさに宇宙観の問題なのかもしれない(ちょっとおおげさかな)。
身近な例をあげてみよう。日本では年をとって引退すると、定年後は、年金プラス預貯金の利息で生活しようとする。だから、預貯金の金利が下がると老後の生活を直撃すると大問題になるのだ。このことをあたりまえの話だと思う人は、典型的な日本人だが、経済学的な「収束する未来」観からするとおかしいのである。
なぜなら、六〇歳定年だとすると、標準的に考えて、余生は二〇年程度だろう。長くとも四〇年を超えることはめったにない。だとすると、預貯金の利息だけで暮らさなければならない必要などどこにもないのだ。四〇年で元金も使いきってしまうような計画を立てるのが合理的というものだろう。
しかし、わたしはきっとそうはしない。つまり宇宙観がことなるのだ。日本人の多くは「発散する未来」観にもとづいて行動しているのである。
「収束する未来」観のもとでは、経済学的な発想が生きる。なぜなら収束する未来から逆算することで、経済学者の大好きな「最適な」手を考えることができるからだ。もし未来がどこかに収束してくれなければ、逆算するなどという芸当はできなくなる。つまり、未来が発散してしまえば、もはや逆算の起点は存在しない。「発散する未来」にとどまっていられる方法はただひとつ、それは未来それ自体を選ぶことである。
そこには最適性もへったくれもない。あるのはつづけるのか、やめるのかという選択だけなのだ。つづけるという選択をしたときだけ、自分たちに未来がのこる。「発散する未来」に踏みとどまっていることができる。その結果、未来がかならずやってくるのであれば、もはや未来が割り引かれる理由はない。未来は発散するのが当然だ。
そこにあるのは、有限の値にとどまり収束するか、それとも無限大に発散するか、のふたつの選択肢だけである。わかりやすくいうと、どんなに一歩の歩幅が大きくとも、いつかは歩みを止めてしまえば有限の値にとどまる。しかし、どんなに歩幅の小さな一歩でも、永遠に歩みつづけるのであれば、無限大に発散するのである。童話のウサギとカメの競争そのものではないか。そして無限大に発散するのであれば、そのスピードが速かろうが遅かろうがもはや優劣はつけられない。桃源郷のような世界が出現する。
このように「発散する未来」観のもとでは、どんなに小さな一歩でも、永遠に歩みつづけることこそが唯一、無限大に発散する条件なのである。ストップせずに未来をのこすことこそが、無限大に発散する唯一の条件なのだ。
日本人に、なぜ預貯金をするのですかとたずねると、老後の貯えという答えが多いという。しかし「収束する未来」観のもとでは、これでは答えになっていない。老後にいったい何をするのかが問題なのだ。のこした預貯金で、立派な葬式をだしてもらったり、立派な墓を建ててもらったりするのだろうか。かりにそうだとして、その費用をどの程度に見積もっているのか。そして、そのことにどれだけの意味があると考えて、どれだけのお金をのこそうと考えているのか。こうしたことが問題にされるべきなのだが、「お金をのこしてどうするか」などということは、わたしもふくめて、おそらく考えていないのである。
「発散する未来」観のもとでは、わたしたちは何歳になっても、未来をのこすことこそを第一優先順位で考えておくべきであり、それが合理的な答えなのだ。たとえ自分の目では見とどけることができなくとも、未来はかならずやってくるし、未来は何が起こるかわからない「発散する」ワンダーランドなのだから。
■つぎの世代に未来を手渡すのが仕事だ
未来志向ということで、印象にのこっている本がある。トーマス・ペインが書いた『コモン・センス』である。米国独立前夜の一七七六年に出現した薄い本だが、岩波文庫からでているこの本(小松春雄訳)をマルクスとエンゲルスの『共産党宣言』を読んだ直後に手にしたので、強烈な印象がある。読んだのは高校生のころ、一九七五年前後だったが、理屈ではなく、共産圏はいずれ滅び、生きのこるのは米国だと直感した。
当時は日本でも革新政党が健在で、社会主義や共産主義がまだ光をうしなっていなかった時代である。しかも公害あり、オイル・ショックあり、ロッキード事件あり、当の米国でもウォーターゲート事件ありで、資本主義への懐疑的な雰囲気は、高校生だったわたしにも十分すぎるほど伝わっていた。にもかかわらず……である。
高校生のわたしが論理的、現実的に考えて、共産圏は滅び、生きのこるのは米国だと思ったわけではない。わたしが感じたのは「におい」だったのだ。『共産党宣言』は歴史的必然で死に絶えようとしている人類が、いかにましな滅び方をすべきかを絶望の淵に立って論じていた。当時のわたしには死臭さえ感じられ、読んでいて吐き気がした。それにたいして、『コモン・センス』は希望のにおいがした。理論的なバックボーンがあるわけでなし、哲学的な思索にささえられているわけでもなし、むしろ、高校生が読んでも、おおざっぱな印象を受けた。
しかし、このパンフレットは希望に満ちた未来を語っていた。イギリスの支配に苦しむ植民地アメリカに住む自分たちの主張には正当性があること、イギリスから分離独立することにこそ自分たちの未来があること、そして自分たちにはその力があることを説いていた。
もっとも、その根拠たるや商船につみこむ大砲の本数の計算などといった、せこい話なのだ。そのせこくて小さいところからイギリスの優位をくずして、一気に自分たちの未来の希望へと可能性を展開していってしまうのだが、それでも、二〇〇年後のわたしが読んでいても、希望のにおいが充満していた。『コモン・センス』が出版された約半年後に、アメリカ植民地は独立を宣言する。
共産圏はいずれ滅び、生きのこるのは米国だと直感したわたしの発想はいたって単純だ。歴史的絶望に支配されたシステムは、たとえそれがどんなに立派でうまく機能したとしても、未来の希望に導かれてつくられた稚拙なシステムにも優ることはできない。短期的には調子よくみえることもあるかもしれないが、しかし、いずれは自壊し、淘汰される。そんなことを当時の友人に学校帰りの喫茶店で興奮して話したことをいまでも覚えている(彼は覚えていないだろうなあ)。そしてわたしは、いまもそのように考えている。
理由は簡単だ。未来はかならずやってくる。未来を考えたシステムが生きのこるのはあたりまえではないか。これはまさにコモン・センス(常識)なのだ。
(マルクスやペインに心酔しておられる方々には失礼な表現があったかもしれないことをお詫びいたします。かつて思想史を専門にしている先生方の話をうかがっていて、大いに感心し、敬服すると同時に、私は思想史を専攻しなくてよかったと心底から思いました。研究対象としてではなく、感動の源泉として思想書に触れていたい。そう思ったのです。そしていまも、そう思っています)
「ねえ、お父さん。大学ではどんなお仕事してるの?」
「そうねえ、若い人相手にお話をしたり、相談にのったり……、うーん……、つぎの世代に未来をのこす仕事かな」
多くの日本企業で働く人びとにとって、男女を問わず、この答えがそのまま使えるものであることをわたしは知っている。恥ずかしがったり照れたりする必要はない。できれば自分の子どもたちには素直につたえるべきである。
あ と が き
わたしは、経営学のゼミや講義のときなどに、学生相手にこんな「雑談」をすることがある。
「みなさんはまだ若いので、年功序列の会社なんて時代おくれでとんでもない会社だと思っている人が多いでしょう。会社に入ったら、能力主義・業績主義でバリバリやって、年齢にもかかわらずどんどん出世していきたいなんて考えているんじゃないかと思いますが、それこそ、世間しらずのとんでもない話です。
だいたい、完全な年功序列の会社なんて、もはや日本の大企業にはほとんど存在しません。範囲をひろげて、年功序列的とよばれる会社をみても、いまやどこの会社もある程度のはばをもたせて制度を運用しているのです。そして、わたしのみるかぎり、年功序列的とよばれる会社のほうが、経営の姿勢のしっかりしたよい会社が多いと思います。
ところがそれにくらべると、多くの会社は、戦後、大学の数も大学の卒業生の数もどんどんふえるなかで、景気がよければ質にかまわず、とにかく量的に採れるだけの大卒を採用し、景気が悪くなれば、あと先を考えずに採用をほとんどゼロにしぼってしまうなどという、その場しのぎのいいかげんな人事採用政策をとってきてしまいました。
おかげで人材の年齢構成がデコボコになり、そのつけが一〇年以上たって昇進を考えるころにまわってきて、年功序列の人事制度を維持できなくなり、能力主義・業績主義の人事制度に転換してしまった会社が多いのが実態です。経営失敗のつけを従業員にまわす発想は、いま話題のリストラとそっくりおなじなのです。経営者のいっていることが、どちらもやたらと勇ましくて、そのくせ経営者としての責任感を感じさせないという点でもそっくりです。
その点、年功序列にこだわっている会社は、見通しが不透明な時代にあってさえ、将来のビジョンと人材構成を考え、景気がよくても、採用数をふやさずに質を維持し、景気が悪くても、最低限の数は採用するなど、首尾一貫した採用政策をとっていて、じつに好感がもてます。年功序列を捨てるよりも、年功序列を維持することのほうがはるかにむずかしく、かつ経営の力量が必要とされているんです。
それに、みなさんは誤解しているかもしれませんが、年功序列の会社でも、抜擢人事は昔からあったのです。ちょっと考えてみればわかるでしょうが、同期入社した全員が、経営者になるわけではないでしょう? どこかで選別がおこなわれ、どこかで上の年次の人を追いぬかないと、経営者にはたどりつかないのです。日本企業の従業員調査をしてみると、二〇歳代の若い人は年功序列だと感じているのに、四〇歳代ではほとんどの人が年功序列ではないと感じていることがわかります。年功序列と思われている会社ですらそうなのです。選別はどこかでおこなわれている。しかし、二〇歳代では、それが目に見えるかたちにはなっていないだけなのです。それではどこが年功序列的かというと、昇進の最低ラインを企業側が年功序列で維持しているということなんです。
そして、これはみなさんに是非ともいっておきたいのですが、わたしは、年功序列というのは、じつは非常にきびしいシステムだと思っています。もし賃金が仕事の質と量でのみきまるものだったら、働いた分だけ給料をもらえばすむ話です。
ところが、賃金が年齢とともに上昇していくとそうはいかない。賃金が年齢とともに上昇するために、その上昇したコストに見合ったパフォーマンスを従業員がもとめられることになります。一部の経済学者がいっているように、熟練したから、あるいはパフォーマンスがあがったからといって高い給料を払うわけではないんです。逆なんです。高い給料を払うからには、その分のパフォーマンスをあげてもらわなければならない、というシステムなんです。だから、必死になって年相応の力をつけていかないと、昇進させられたときに、自分が困ることになるんですよ」
そしてわたしは、企業の人事・労務系の人にこんな「雑談」をすることもある。
「能力重視だ、業績重視だ、裁量労働だ、というお話を聞いていると、日本企業の組織が、どんどん大学の教官組織に近づいてきているなと感じますね。大学の教官の評価は、基本的にすべて学問的な業績の評価によっているし、われわれの勤務パターンなどは裁量労働の典型ですからねえ。
でもね、大学の唯一の救いは、昇給・昇格が年功序列的だということなんですよ。とくに差をつけて早く昇進させなくったって、同業者がみれば、優秀なやつはだれがみても優秀だとわかります。そして優秀なやつには、給料やポストに関係なく、どんどん仕事が寄ってきます。それもおもしろい仕事、やりがいのある仕事が。それでいいんですよ。
だからこそ、昇給・昇格が年功序列的だということで、かろうじて秩序と人間関係が長期間安定して維持されている。年功序列を放棄して、三〇歳代の教授がいるいっぽうで、五〇歳代の講師や助手がいる大学もありますが、そうしたところでは、人の出入りが激しくなります。そして出ていくのは、だいたいが若くて優秀な、働きざかりの、ほかの大学でも引く手あまたの教官なんです」
わたしは、べつに年功序列型の制度が永遠に絶対的に正しいものだと擁護しているわけではない。わたしが主張したいのは、新しいことが、つねに正しいわけではないということなのだ。一経営学者としては、まことに残念なのだが、新しい経営理論が、古い経営理論とくらべて、つねに正しかったわけではない。経営理論の世界にも流行もあれば、景気変動で経営理論にたいするニーズが変化することもある(興味のある読者は高橋伸夫著『経営の再生』を読んでみてください)。そして、日本では、その流行のスピードがあまりにも速いのだ。
最後に、この本を書いた事情を紹介しておこう。
わたしは、企業の人の話を聞くのが大好きで、正式には「調査対象」だとか「被験者」だとかよばなくてはならない多くの企業の人と、ほとんどただの友達づきあいをさせていただいている。こうした日本のふつうの会社に勤めているふつうのおじさん・おばさんたち(失礼とは思いますが、親愛の情をこめて、こうよばせてください)をすっかり大好きになってしまったわたしには、日本の企業人を思想的に批判する資格もなければ、アジテートする気持ちにもなれそうにない。
そこで、まことに勝手ながら、わたしの大好きなおじさん・おばさんたちのために、そして、そんな人たちにまじって経営の現場に飛びこんでいこうと胸ふくらませている学生諸君のために、エールを送ることにした。それが日本経済新聞の「やさしい経済学」のコーナーに一九九六年一月一六日から一週間連載したコラムだった。したがって、この記事を書く際には、わたしがいつも書いている学術論文や学術書からくらべると、ずいぶんと冒険をして書いたつもりだった。
ところが、この記事がネスコの名女川勝彦さん・檀原夏弥さんの目にとまり、そのラインで……ということで、この本が誕生することになったのだ。最初はお引きうけしてよいものかどうか迷ったが、いったん書きはじめると、おふたりのご助力とおだてのおかげで、なりきって書くことができた。もしふだん、わたしが書いている文章とくらべて格段に読みやすくておもしろいとしたら、それはおふたりの力によるところが大きい。
でも……。読者、とくに同業者の経営学の諸先生からどんな目でみられるのかと思うと、ちょっぴり怖い。そこで、というわけではないが、同時並行的に、作業をすすめてきた同系のテーマの本格的な学術書が、私の編集で『未来傾斜原理──協調的な経営行動の進化──』として年内には出版されるので、よりアカデミックなものを望まれる方は、どうかそちらをご覧ください。
この本は、じつに多くの方々に支えられて成りたっている。すべての方のお名前をあげることはできないし、あげるとかえってご迷惑がかかることもあるので、はぶかせていただくが、第三章に報告書の文章の一部転載をご快諾いただいた、浅井浩一(帝都高速度交通営団)、粟井一樹(石川島播磨重工業)、大迫健(農林中央金庫)、小柴和之(トヨタホーム東京)、佐藤哲彦(日本ユニシス)、水越彰(日本工営)、皆川一志(北海道東北開発公庫)、矢板孝(サンケイビル)の八氏には心から感謝したい。
また本書が基礎にしているデータの大部分は、社会経済生産性本部の経営アカデミーおよびメンタル・ヘルス研究所のご協力のもとにえられたものである。とくに、同本部の原賢一、杉浦修一、新井一夫、根本忠一の各氏には感謝申しあげたい。
最後になるが、またまた休みを執筆に使いこんでしまった。ここのところ年中行事になっているので、もうなれっこになってしまったとは思うが、安心はできない。やはり謝っておかねば……。妻敦子と息子伸之には心から詫びたい。申し訳ない。
一九九六年八月
高橋伸夫
追伸 読者のみなさんへ
どうか企業のなかにあって、威勢ばかりのいい経営コンサルタントや経営評論家、そして経営学者のいうことに惑わされることなく、素朴な疑問と小さな納得をつみかさねていってください。正しいことは時代を越えて、いつの世にあっても正しいものなのです。
わたしも経営学者のひとりとして、経営の世界をいつもみつめています。経営学も曲がりなりにも科学の端くれですから、時がたち、データさえそろってくれば、そのうち何が正しくて、何がまちがっていたのかをきっと明らかにしていけるはずだと、わたしは信じています。
参 考 文 献
Ashworth, Tony (1980) Trench Warfare, 1914-1918: The Live and Let Live System. Holmes & Meier, New York.
Axelrod, Robert (1984) The Evolution of Cooperation. Basic Books, New York.(松田裕之訳『つきあい方の科学』HBJ出版局, 1987)
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文春ウェブ文庫版
できる社員は「やり過ごす」
二〇〇三年三月二十日 第一版
著 者 高橋伸夫
発行人 笹本弘一
発行所 株式会社文藝春秋
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郵便番号 一〇二─八〇〇八
電話 03─3265─1211
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