ダーティペアの大逆転
高千穂 遙
目次
プロローグ
第一章 あれー、本部がやばいんだってば!
第二章 あたし、ハンサムの味方です
第三章 ちょっとォ、話がややこいじゃない!
第四章 揺れる。崩れる。また揺れる!
第五章 異次元なんて、どわいっ嫌い!
エピローグ
[#改ページ]
プロローグ
闇が割れた。
その闇に向かってひれ伏していた〈絶対の申し子〉たちは、異様な気配を感じて一斉におもてをあげ、目をみひらいた。
がらんとした広間だった。しかし、どれほどの規模なのかは、判然としない。申し子たちのいるあたりの床だけが薄くぼんやりと輝いており、あとは深い闇のベールに覆われているからだ。申し子たちは、全部で四十人あまり。かれらの正面に広がる闇はことに濃く、ねっとりとしている。
割れたのは、正面の濃密な闇だった。
だしぬけに光の細い筋があらわれ、それが一瞬にして横に開いた。
白い光の帯が面になり、四散して闇を裂き、輻《や》のように光条を走らす。
光の中から、盟主が出現した。
盟主は、光そのものだった。光のローブを身にまとい、光の仮面で顔を覆っている。
割れた闇が、もとに戻った。漆黒の宇宙よりもまだ深い闇の前に、光り輝く盟主が立っている。
つと、盟主が両の手を挙げた。光がこぼれ、闇に舞った。
「我が子らよ……」
盟主が言った。低い、詠《うた》うような声だった。
「恐るべきお告げがボーラルーラよりもたらされた」
おお、というどよめきが、申し子のあいだからあがった。盟主はしばし間を置き、申し子たちを見渡した。
「破壊神が来る!」
ややあって、語調を強め、盟主は言った。
「破壊神」
申し子たちの唱和が、それにつづく。
「二体の破壊神が、チャクラを襲う。選ばれし我らに災いを運んでくる。──ボーラルーラは、そのように告げられた」
「盟主よ、どうすればいいのですか?」
申し子たちの最前列中央に位置する男が、胸元で合掌し、盟主に問うた。
「先手を打つのじゃ!」
盟主は芝居がかったしぐさで身をよじり、男に向かって言った。
「チャクラに来る前にこちらから破壊神のもとへ出向き、かれらを亡きものにする。それがボーラルーラの御意志だ」
「破壊神を討つ!」
「ゲフ! ジラ! ズマ!」
盟主は三人の名を呼んだ。それは三人の本名ではなく、申し子としての洗礼名だった。
「はっ!」
最前列に控える三人が、声を返した。三人はひざまずいたまま肩を前にだし、身構えた。先ほど問いを発した中央の男が、ゲフだった。
「お前たちに使命を与え、ボーラルーラの力を授ける」盟主は言った。
「破壊神を消せ。行って、その生命を奪え!」
「はっ!」
三人の申し子は、頭を下げた。
「して、破壊神はいずこに?」
ゲフが訊いた。
「おひつじ座宙域……」
盟主は右手を高く挙げた。
「惑星リオネス」
[#改ページ]
第一章 あれー、本部がやばいんだってば!
1
「きみたちにファンレターが届いている」
ソラナカ部長が、磁気ディスクの束をどさりとデスクの上に投げだした。ハイパーウェーブで送られてきた通信文を記録したディスクだ。しかし、すごい枚数である。ざっと見積っても百枚はくだりそうにない。一枚に少なくとも五十通の手紙が記録されているはずだから、うーむ、恐ろしい。これを全部チェックしていたら、あたしの人生はなくなってしまうじゃないか。
「どうだ、ここで二、三通、覗いていかないかね?」
いかにも興味津々といった顔つきで、部長があたしたちを見た。両手の指を組んでデスクの真ん中に置き、首をわずかに左に傾げている。口もとにはいかにも善良そうな微笑。だけど目は笑っていない。知らない人が見れば、そろそろ頭が寂しくなってきた五十代のおっさんだが、WWWAの設立以来、六年に渡って犯罪トラコンを仕切ってきた鬼のソラナカ部長だ。こんな溶けかかったバタークリームみたいな表情にだまされてはいけない。裏で何を考えているかは、銀河連合の中央コンピュータにだってわかりゃしないのである。
「ええ、でもけっこうです」あたしは、ちょっと澄ましながら答えてやった。こんなもの、部長と一緒に聞ける代物じゃないんだ。
「あとで部屋に戻ってゆっくりとチェックします」
「あらァ、いいじゃない」
横から、あたしの配慮をぶち壊す声が響いた。ユリだ。ユリがほっぺたをてのひらでくるんで、黒い大きな瞳をくるくると動かしている。
「あたし一つくらいすぐに聞いてみたいわあ。若くてハンサムそうな男の人のを選んで……」
「あ──」
あたしは死にかけた。椅子から転げ落ちそうになり、必死でデスクの端にしがみついて、からだを支えた。だいたいこの椅子は床が丸くせり上がっただけの背もたれもないただの円筒なんだ。場所をわきまえてアホを言え!
「ユリ!」あたしはデスクでからだを支えたまま、ユリを睨みつけた。
「あたしたちは仕事の話で部長に呼ばれたんだよ。ディスクチェックに来たんじゃないんだ」
「だってえ」
ユリは細い椅子の上で、もじもじと上体をよじった。器用なやっちゃ。
「まあまあ、いいじゃないか」部長が割ってはいった。
「見るのは構わんよ。ハンサムな若い子だね。わかった、わたしが選んであげよう」
あっ、いいです。やめて下さい。──などと言うひまもなかった(言う気もなかったけど)。部長は、まるで前から、それに決めてあったとでもいうような早さで一枚のディスクを取りあげ、傍らのドライブの中に放りこんだ。
「ちっ!」
あたしは舌打ちしてユリを横目で見た。ユリはキョトンとしている。部長はといえば、そっぽを向いて口笛など吹いている。
部長のうしろの壁が巨大なスクリーンになり、そこに映像がはいった。
あたしは呪いの言葉をつぶやいた。
たしかにハンサムで、若い子だった。しかも金髪、細おもて。ただし重点の置き方に問題があった。ハンサムよりも若さにウェイトが置かれているのだ。年齢はせいぜい十歳。とくにサービスしても十二歳より上ではない。これはよーするにガキではないか!
「部長!」
あたしは頬を赤く染め、腰を浮かせた。なんだかんだ言っても、若いハンサムには期待していたのだ。
「やあ、失敗しちゃったかな。これはというのを選んだつもりだったのに」
部長はしゃあしゃあとそう言い、ざーとらしく頭などを掻いている。
「かあいいわァ、この子」
ユリがうっとりとして言った。あたしはまた死にかけた。今度は腰を浮かせていたので、マジにひっくりかえりそうになった。
「ダーティペアのおねえさん」
スクリーンの中のガキが口を開いた。
「なあに、坊や?」
ユリが応対している。アホ! 答えたって返事はせえへんで。
「このたびは宇宙の危機を救っていただき、本当にありがとうございました」
あれ……と、思った。こいつはまともなファンレターではないか。何かを読んでいるような棒読み口調と、アタマのダーティペアというのが気に入らんが、それでもちゃんと御礼を言っている。さては部長の嫌がらせかと睨んだのは要らぬ邪推であったか。
──と、反省したのは、やはり早計であった。このガキの便りには、御立派な本文があったのである。
「おかげで、ぼくたちの惑星から悪いやつは一人もいなくなりました。でも良い人たちもいなくなりました。ぼくも住むところをなくしました。今は親戚を頼って、あちこちの惑星を転々としています。ダーティペアのおねえさん、お願いです。家を返して下さい。学校を返して下さい。友だちを返して下さい。遊園地を返して下さい。まちを返しで下さい。海を返して下さい。山を返して下さい。自然を返し……」
もう我慢できなかった。あたしは立ち上がり、部長のコンソールに腕を伸ばして、ディスクドライブのスイッチを叩き切った。スクリーンの画面がブラックアウトした。
「あーん、ケイったら、かあいかったのにィー」
ユリが不満の声をあげた。こいつはなに考えて生きとるんじゃ?
「悲しいねえ、辛いねえ」
部長がこれ見よがしにハンカチを取りだして鼻をかんだ。
「部長、何をおっしゃりたいんですか?」
あたしは声をとがらせた。
「別に」部長は、とぼけた表情であたしを見た。
「ただ、かわいそうでかわいそうで──」
「だーら、なんですの?」
あたしは詰め寄った。
「思えば、ノグロスの事件は悲惨のきわみであった」部長はソファにからだを預け、嘆ずるように言った。
「発端はささいな交通事故だったが、それがWWWAに提訴された結果、中央コンピュータがきみたちの派遣を決定し、そのために事件は解決したものの、まちは焼け、大陸は海に没し、大気は有毒ガスで汚染された」
「うぐぐ」
あたしは喉の奥でうなった。できない。反論ができない。ノグロスの一件は、たしかに部長の言うとおりなのだ。
「うっうっうっ」
ユリが両手で顔を覆った。
「かーいそうだわ、ノグロスの人たち。うっうっうっ」
肩を震わせて泣いている(ように見える)。役者はあたしよりもユリの方が上である。
「わたしは、中央コンピュータがきみたちを指定するたびに寿命が縮む」部長はうんざりしたようにため息をつき、言を継いだ。
「何のためにトラコンを派遣するのか、つい考えてしまうのだよ」
「でも部長!」
あたしは口を開いた。ようやく反論しようという気になった。
「まあ待て」
そんなあたしを部長はやんわりと制した。
2
「言いたいことはわかっとる」部長はゆっくりと首を振りながら言った。
「つまりは誰がやっても、そうなる事件だったと」
「そうです」
あたしはうなずいた。
「今度の事件は、ノグロスのときよりもささいだ」
部長はもう一度ため息をつき、デスクの上に置いてあったぶ厚いプラスチックファイルを取り上げた。
「──なのに、中央コンピュータはあまたの犯罪トラコンの中からきみたちを選びだした。正直言って、わたしは怯えている。誰が担当してもああなる事件に必ずきみたちが指名されるということは、この事件もそうなるおそれが多分にあるということなのだ」
うげげ。あたしは呻いた。部長の危惧は杞憂ではない。ほとんど事実だ。
「くすんくすん」
ユリはまだ泣き声をあげている。
「もういい、おやめ」
あたしは左の肘でユリの脇腹をこづいた。
「うん」
ユリは小さくうなずき、両手を膝に戻してにっこりと笑った。ちくしょうめ。目は充血してないし、化粧も崩れていない。部長は、がっくりと肩を落とした。
「で……」気をとりなおして、あたしは言った。
「どうされるんです。コンピュータの選択を無視して、あたしたちを任務から外すんですか?」
「それは、できない」部長は弱々しくかぶりを振った。
「だから、こうやって、きみらと話しているんだ。きみたちは、この事件の解決にもっとも適した人材だと判断された。願わくば、すんなりと、平穏無事に片付けて帰ってきてほしいのだよ」
「それでガキの哀れっぽい嘆願ディスクですか?」
「まあ、そういうことだな」
「あの子、かあいかったわあ」
ユリが言った。今度は、あたしと部長が一緒に死んだ。
「それで、今回の事件なんだが──」
ややあって正気に戻り、部長は本題にはいった。
「場所は、惑星チャクラだ」
「チャクラ?」
あたしとユリは合唱して首をひねった。WWWAの養成所でたっぷりと叩きこまれたから、あたしたちはほとんどの惑星国家の名を諳《そら》んじている。でも、チャクラなんてけったいな名前の惑星は初耳だった。
「知らないのも無理はない」あたしたちの反応を見て、部長は静かに言った。
「チャクラはマンダーラが保有している鉱業惑星だ」
「かに座宙域の……」
「そうだ」
惑星国家マンダーラなら、あたしたちもよく知っていた。鉱業惑星をいくつも保有している、いわゆる大国の一つだ。
二一一一年。人類はワープ航法を手に入れた。それは爆発的な人口の増加で飽和状態にあった人類にとって最高の福音であった。人類は宇宙に乗りだし、地球型の惑星を捜して植民を開始した。
そして、三十年。人類は銀河系のほぼ全域に進出し、三千以上の太陽系に植民星を得て、あらたな国家を形成した。地球から独立した植民星は、惑星一つを行政の単位としているので惑星国家と呼ばれている。惑星国家のうちでも資源に富み、国家予算に余裕のある国はさらに別の惑星に移民を送り、独自の統治領を持った。統治領の多くは貴重な鉱物や元素を産出する鉱業惑星である。
かくて富める国はいよいよ富み、地球連邦もかくやという大国へと発展していくのである。チャクラを保有するマンダーラは、いわばそういった惑星国家の代表のようなものであった。
「チャクラは開発をはじめてから、まだ日が浅い」部長は言葉をつづけた。
「みなみのうお座宙域という辺境にあるので、なかなか発見されなかったのだ」
「銀河系の|へり《ヽヽ》じゃない」
ユリが言った。ようやくまともなことを話すようになった。たしかに、みなみのうお座宙域は銀河系の一番端っこにあり、このWWWA本部のある惑星リオネスからはなんと十一万光年以上も離れている。
「人口はおよそ一万五千。まちは大陸の真ん中に一つきりだ。しかし、一応、都会らしい外観は整っていて、人口の大半は、そのまち──アスラヴィルに集中している」
「鉱山町なんて、遊ぶとこもないし、いい男もいないのよ」
ユリがあたしの耳もとで囁いた。だめだ。まだ、まともじゃない。
「事件は、標準時間で十二日前に、アスラヴィルで発生した」
部長は言いながら、あたしとユリを交互にじろりと睨んだ。どーやらユリの軽口が聞こえたらしい。あたしはごまかそうと、せいいっぱい愛らしく微《ほほ》笑《え》んだ。部長は顔をしかめて、それに応じた。
「実に他愛のない事件だ」軽く咳払いしてから、部長は言った。
「鉱山技師の一人が、正体不明の動物に足を噛まれたのだ」
「へ?」
あたしは耳を疑った。
「噛まれたんだ。足をがぶりと」
部長は一語一語くぎりながら、ゆっくりと繰り返した。
「生命は?」
あたしは訊いた。
「無事だ」
「足がもげたとか?」
今度はユリ。
「ちゃんと、くっついている」
「じゃあ、すごい重傷」
「全治三日だ。歯型が残ったが、それも一週間で消えた」
「そんなの事件にもなってないじゃない!」
あたしは叫んだ。たしかにどんなにチンケな事件であろうと中央コンピュータが派遣を決定したら現地に飛んでいくのがWWWAの犯罪トラコンである。しかし、とはいえ、これはあんまりだ。こんなの、あたしたちの任務じゃない。現地のハンターか、警察の兄《あん》ちゃんが処理することだ。
「驚くのも無理はないが……」
しかつめらしい表情で部長が言った。ぺっ、驚いてるんじゃないやい。怒っているんだ。
「中央コンピュータが判断をくだすにあたっては、二つの根拠が示された。一つは、被害者の脛に残された歯型だ。この歯型は未知の生命体、それも銀河系におけるすべての生物のどのパターンにも該当しないものだった」
「もう一つは?」
あたしは硬い声で尋ねた。
「事件の状況だ。発生したのは正午の少し前。真昼間だ。現場はアスラヴィルのダウンタウン。街路は行き交う人々であふれていた。噛まれた男──ランディスという中年のエンジニアだが、かれの周囲五メートル以内には、少なくとも十人以上の市民が存在していた。これは当局の調査で確認されている」
「それで?」
「その誰もが、むろんランディス自身も、襲ってきたはずの生物をまったく目撃していない」
「どういうこと?」
あたしは思わず身をのりだした。
「報告書を信ずるならば、ダウンタウンの五丁目を歩いていたランディスの右足の脛に、いきなり見えない牙がくいこんだ、ということになる」
「かまいたちだ!」ユリが甲高い声で叫んだ。
「かまいたちよ、それ!」
「結論は現地でだしてもらうと助かるね」
わめくユリを部長はうまくあしらった。
「出発は〇九:三〇だ」腕時計にちらりと視線を走らせた。
「〈ラブリーエンゼル〉は、すでに宇宙港の離着床でスタンバイしている」
部長は立ち上がった。
「くれぐれも先ほどの坊やの訴えを忘れずに行動してくれたまえ」
一言、付け加えた。
ちっ、やっぱりこれが言いたくてあんなあざといマネを。
あたしは無言の仏頂面で、それに応えた。
ユリが椅子から降りた。椅子は床の中へと沈んでいく。胸だけをかろうじて覆っている襟付きの短上着と、太ももの付け根で浅くV字形にカットされたホットパンツ、それに膝までの編みあげブーツに照明が反射し、銀色に眩しく輝く。腰のベルトには大型のレイガン。あたしも同じ服装だが、ホルスターにはヒートガンをぶちこんでいる。
「とにかく、わたしを長生きさせてくれ」
部長は握手を求めて右手をあたしたちの方に伸ばしてきた。あんなお説教のあとである。あたしは気がすすまなかったが、やむなくそれに応じようとした。
そのときだった。
あたしたちは気≠察知した。
3
とっさにあたしは部長の手を握り、力いっぱい手前に引いた。完全に虚を衝かれた部長はデスクを飛びこえ、悲鳴をあげて、こちら側へと頭から転がりこんできた。あたしは部長の首に腕をまわし、そのまま身を沈めた。
と、同時である。
デスクがずたずたに裂けた。
カーボン樹脂の巨大なデスクがなますのように分断され、ばらばらになった。部長のソファも弾けて革とクッションのすだれと化し、あえなく崩れた。
あたしは部長を床に押しつけ、その上にかぶさって四方に目をやった。あたしの背後では、ユリがレイガンを抜き、腰を低く落として身構えている。あたしも素速くヒートガンを抜いた。
視線を前方に戻した。部長の執務室の窓側だ。窓は本部の中庭に面していて、一面が大きなガラス張りになっている。もちろん、ガラスといっても頭に超が三つくらいつくほど頑丈な防弾ガラスだ。銃弾、砲弾を弾き返すことはいうまでもなく、屈折率が微妙に調整してあり、レーザーで狙われても照準を狂わせてしまうようにできている。
あたしとユリは、その窓に向かって銃を構え、様子を窺った。デスクとソファをスクラップに変えたのが誰であれ、この窓越しに攻撃してきたのは間違いないのだ。どんな武器を使用したのかは見当もつかないが、それ以外には考えられない。
その読みは、すぐに証明された。
窓が砕けたのだ。
だしぬけに透明なガラスが赤く染まった。──と、みる間にぐにゃりと変形し、ついで耳をつんざく轟音とともに破裂し、砕け散った。
どろどろに溶けたガラスの破片が、あたしたちの方へと飛んできた。
あたしは飛びすさった。ユリも身をひるがえした。
「あちちちち!」
部長がのたうち、転げまわった。
やばい。部長をかばっていたのを忘れていた。
部長は溶けたガラス片の直撃を背中に受け、上着から灰色の煙を立ち昇らせて、床の上でじたばたともがいている。
あたしとユリは部長を助けようときびすを返し、窓から目をそらした。
その一瞬の隙を衝かれた。
ハッとしたときには、もう遅い。三体の黒い影が、破れた窓から部屋の中に躍りこんでいた。
あたしは床を蹴り、部長から離れた。部長には悪いが、固まっていては動きがとれない。あたしがドアの方、ユリが奥の壁の方に移動した。
宙を舞いながら、レイガンとヒートガンのトリガーを絞る。
レーザーの光条とオレンジ色の熱線が、ちょうど部長の頭上で交差した。わざとじゃないんだ。そこにやつらがいたんだ。
デスクの窓寄りの脇には、旗立てがあった。銀河連合とWWWAの旗が、二本立ててある。レーザーはその旗のポールを断ち切り、熱線は、さらにその奥の壁を灼いた。
壁が燃えあがり、炎が旗に移った。燃える旗はポールを断たれているので、炎の尾を引いて、ゆっくりと倒れた。
そこに、運悪く部長が来ていた。
部長は溶けたガラス片をようようのことで払い落とし、あらたな難を避けようと、壁際まで這い進んでいたところだった。
燃える旗が、部長の背中にのしかかった。
「うぎゃあ!」
部長はナイスミドルの威厳を捨て、恥も外聞もない悲鳴を発した。手と足が痙攣するように上下し、床を激しく叩く。
あたた。
あたしは頭を抱えたが、これはどうしようもない。
「ケイっ、上!」
ユリが叫んだ。
考えるより先にからだが反応した。
前に転がり、一回転して銃口を天井に向ける。そのままトリガーを引く。
熱線のあいだを縫って疾《はし》る影が視野を横切った。は、速い。敵は瞬時に部屋の端から端へと移動する。
ユリが闇雲にレイガンを乱射した。影を狙わず、影の先、先へと照準を合わせる。理屈にはかなっているが、迷惑だ。
あたしの左脇腹を光線が擦過した。じゅん、と音をたてて白い蒸気があがる。上着とパンツがセパレートになっているのでお腹は一見、素肌むきだしになっているが、実はそうではない。服ごと極薄の透明強化ポリマーで覆われているのだ。音と蒸気は、それが光線の熱で蒸発した証だ。このポリマーはWWWAの付属研究所が開発したもので、耐熱防弾機能を備えている。──しかし、それもある程度だ。このままユリの盲撃ちを何発もくらったら、強化ポリマーだって音をあげる。
あたしは盾を求めて、部屋の中を駆け抜けた。この何もない執務室で唯一身を隠せるものといったら、さっきスクラップにされたデスクの残骸しかない。
あたしは残骸の蔭に飛びこんだ。すぐ横では、旗の火を床で揉み消した部長が、仰向けになってひくひくとうごめいている。
左右から、二体の影が、あたしを襲った。
あたしは右から左へとトリガーを絞ったままヒートガンを流した。
影が、熱線をかいくぐる。
もの凄いショックが来た。
残骸が爆発したように吹き飛び、粉々になった。
あたしは弾き飛ばされ、さっきまでデスクだった破片の山と一緒に、壁に叩きつけられた。
バウンドして床に落ちる。
落ちたところに部長がいた。
「!」
部長はもう声もでない。
影が来る。
部長、ごめん!
あたしはデスクの破片を払いのけ、部長を踏台にして前に飛び、スライディングした。部長のお腹はぐにゃりとしていて、踏みごたえが悪い。
上体をひねり、ヒートガンを後方に向けた。
影が二方向から迫る。
ヒートガンをやけくそで撃ちまくった。
熱線が影をかすめた。影がいったん左右に散る。今だ。あたしは右手の薬指にはめている指輪を左手で強く握った。指輪がカチリと小さな音をたてた。
「ケイっ!」
ユリが来た。あたしに腕を貸す。あたしは立ちあがった。うええ。ユリはあちこちずたずただ。強化ポリマーでかなり助かっているのだろうが、それでも腕やら足やらは傷だらけだ。真白な雪のような肌のそこかしこに血が溶んでいる。上着も襟のあたりが裂け、ブーツも少しだけど甲が口を開けている。
「ムギを呼んだわ」あたしは言った。
「来たら三対三よ!」
影が突っこんできた。目の前で床が割れ、盛り上がった。ばりばりと音をたてて裂けていく。
なんだ、これは? いったいやつらの武器はなんなんだ!
ユリが、あたしをつきとばした。あたしの頬を何かがかすめて後方に抜けた。風? 熱? いや、力《パワー》だ。生《なま》のエネルギーが不可視のパワーとなってあたしを襲う。
右半身が痺れた。耳が鳴る。目の端で何かが舞っている。赤い。髪の毛だ。あたしの! やろう。女の命を! せっかくきのう、きれいなウルフカットにセットしたばかりなのに。くせっ毛だけど大事にしてんだぞ。それを……それを、ぶち切りやがって!
あたしはヒートガンで壁を狙った。壁は瞬時に燃えあがり、凄まじい炎を噴き出した。影がわずかにたじろいだ。炎の中をユリのレイガンの光条が間断なく走る。
「ケイ……ユリ……」
声がした。か細い声だった。
あたしはふり返った。
部長だ。部長があれだけのダメージにもかかわらず、立ちあがろうとしている。だめ、部長。動いたら影が!
「火事だ。何をしている」
周囲に目をやり、部長は弱々しくつぶやいた。頭を打っているらしい。状況を把握できてない。
「ちいっ!」
ユリが舌打ちした。影が部長に向かっている。
あたしはヒートガンを構え直した。
しかし。
撃てない。撃てば、部長を灼いてしまう。
ずずん。
重い音が響いた。かすかに床が揺れた。
正面の壁がびりびりと振動している。あの巨大なスクリーンがはめこまれている壁だ。その振動につれて、スイッチが切られているはずのスクリーンが青く発光し、またたいている。
これは。この感じは。
スクリーンにひびが走った。ばらばらと破片が落ちてくる。
影がうろたえた。うろたえて部長に手がだせない。
ひびが広がる。
砕けた。
壁材とプラスチックとスクリーンのパーツが、団体となってこちら側に崩れ落ちてきた。あっ、だめ。そこには部長が!
部長が消えた。なだれが鎮まり、灰色の煙がおさまると、部長が立っていたところには、大きな瓦礫の山ができていた。よく見ると、その山の中腹あたりに人間の腕が一本突きでている。あれは確かに部長の腕。
壁には大きな穴があいていた。スクリーンはもうどこにもない。コードやパイプが何本も露出し、それが穴のまわりで断ち切られている。
穴から第四の影があらわれた。
今度の影は、これまでのと違う。動きは互角だが、ひとまわり大きい。そして、さらに黒い。まるで闇そのものだ。
真っ黒な影。宇宙の深淵よりもまだ黒い影。
影は空を裂き、床にひらりと舞い降りる。
ムギだ。ムギが来た!
4
|黒い破壊者《ブラックデストロイヤー》≠るいは恐怖の殺戮獣=B──クァールは剣呑な異名を数多く与えられている。地球連邦が派遣した学術探険隊により、ある惑星(名称、座標は極秘とされ、発表されていない)で発見されたクァールは、学会の常識を破る驚異の生物であった。探険に参加した高名な学者の一人などは、クァールを完全生物と称したほどである。真空中でも生存が可能で、知能は人間なみかもしくはそれ以上。外見は地球産の猫によく似ているが、体長は二メートルを越えている。漆黒のからだは頑強にしてしなやか。丸太のように太い四肢には鋭く長い爪を備えており、厚さ三センチくらいの鋼板だったら、まるで紙のように切り裂いてしまう。しかも、足のほかに両肩から二本の長い触手が生えていて、その先端が吸盤状になっているので、およそ人間の腕に可能な作業ならば、すべて完璧にやってのけることができる。また耳は細かい毛が密集して巻きひげのようになっているのだが、クァールは、その巻きひげを振動させることで電波や電流を思いのままに操るという恐るべき能力を持っているのだ。
クァールは個体数がきわめて少ない。一ダースはいないだろうといわれている。ほとんど絶滅寸前なのだ。そのクァールの何頭かを実験的におとなしく改造したうちの一頭がムギである。
ムギはひょんないきさつからあたしたちがペットとして預かることになった(その話はまた別の機会に教えたげるわ)。一日に一回、特製のくそ高いカリウムカプセルを与えなくてはいけないが、何といっても有能無比のクァールである。そんなことはちっとも気にならない。だいたいムギはもうペットではないのだ。あたしたちの立派なパートナーである。
ムギは、本部の六十二階にあるあたしたちの部屋にいた。あたしが、部長に呼ばれたから一緒にこない? と訊いたら、そのままソファの下にもぐりこんでしまったのだ。さすがはムギ。部長に呼びだされることの意味をよく承知している。
あたしは指輪にしこんだ発振器をONにして緊急信号を流した。ムギはそれを察知し、壁を破り、床を砕いて十五階のこの部屋へと駆けつけてきた。
三体の影は、ムギを見て激しく動揺した。自分たちと同じスピードで行動する何かが出現したからだ。
影はあたしたちを後まわしにして、クァールに挑んだ。
三方から囲み、渦を巻いて接近した。そのさまは、まるで黒い旋風《つむじかぜ》だ。
ムギが咆えた。低く抑えた怒りの響き。巻きひげが小刻みに震え、触手がうねうねと波打つ。長い尻尾が膨らんで太くなり、肩の筋肉が山のように盛り上がった。
ムギが跳んだ。
同時に影が包囲の輪をせばめた。
触手が、背後にまわった影と右横にきた影とを捉えた。左前方からきた相手は前肢で応じた。触手がムチのようにしなり、影を打つ。
二体の影が、弾かれるようにムギから離れた。跳ぶムギのあとを追うように、床がずたずたに裂けていく。
前肢に抱えこまれた影が失速した。
右前肢の爪が影を貫く。そのまま手前に引いた。火花が散り、影はとんぼを切るようにくるりと一回転した。爪が外れた。
床に落ちた。
瞬時、動きが止まる。
ムギが着地した。影が逃げる。再び、黒い幻となった。
しかし、あたしたちは見た。しっかりと見た。影は人間だった。少なくともプロポーションは人間のそれだった。怪しげな──そう、中世の甲冑のようなものを身につけている。その腰のあたりが、ムギの爪で切り裂かれているのも見逃がさなかった。あれは見た目は重そうな甲冑だが、どうやら金属でつくられているのではなさそうだ。何か特殊な柔らかい素材でできている。どんな機能を持っているのかはよくわからないけれど、あの動き、あのスピードだ。パワード・スーツの一種じゃないだろうか。でも、パワード・スーツなら、あんなにスマートなわけないし……。
──などと考えているうちに、影が方向を転じた。ムギには歯が立たないと悟ったのか、またあたしたちに向かってきた。
あたしとユリは、部屋の一番端っこ、通路につづくドアの前にいた。ムギと影との戦いに巻きこまれたくなかったからだ。部長は、生死すらはっきりしないけど、瓦礫の下に埋まってしまっているので、狙われる心配は当面ない(冷たいかな、わはは)。
ムギが、また跳んだ。あたしたちも銃を構え直した。
細長い三角形をつくって、影がまっしぐらにあたしたちをめざし、突進してきた。ムギは追いつけない。
あたしたちは、それぞれの銃を、撃って撃って、撃ちまくった。とにかく撃った。ひたすら撃った。それしかやることがないのだ。
影は螺旋を描いて熱線とレーザーの光条をかわす。当たらない。ちくしょう、動きが速すぎる!
あたしたちはギリギリまで我慢した。
影がぐうんと迫る。
まさにコンマ一秒のタイミングだった。
あたしたちは床に身を投げだした。別に打ち合わせもしてなかったが、あたしもユリも同じように動いた。みんな訓練所での特訓の成果である。
凄まじい〈パワー〉が、あたしたちのすぐ脇、紙一重のところを抜けていった。
ものすごい爆発が起こった。
轟音が空気を震わし、突きあげるような衝撃が本部ビルを揺るがした。耳がじいんと痺れた。爆風があたしたちを床に強くおしつけた。呼吸《いき》ができない。からだが熱い。
必死で上体をひねり、顔をあげた。ドアが全部と、壁のあらかたが吹き飛んでいる。大穴が開き、ここから通路が丸見えだ。よく見ると、通路をはさんだ向かいの壁もぐちゃぐちゃになっている。
ムギが、あたしとユリのあいだをすり抜けた。猛烈な勢いで影を追って部屋の外へと飛び出す。
あたしとユリは顔を見合わせた。
これはもう追いかけるっきゃない!
立ちあがり、ダッシュして通路に出た。
5
出たとたんに、あっと声をあげた。
嵐のあと──いや、そんな月並みな言い方では表現できない。第一、それでは生やさしい。
とにかく滅茶苦茶なのだ。壁は粉砕され、床は穴だらけ。通路のほとんどは瓦礫の展示場である。ひどいとこでは、壁にぽっかりと開いた穴の向こうに青空が見える。あー、きょうもいい天気だ。こんな日は彼氏と郊外でデート。んでもって、高原のホテルで二人っきりの甘い時間……。
「ケイっ!」
ユリが叫んだ。我に返る。目の前に黒い影が四つ。やつらとムギだ。
どかん!
底が抜けた。足もとが大波小波。寄せては返している。とてもビルの通路にいるとは思えない。グラリと景色が揺らいだ。誰かがあたしの手首を掴む。床が砂のように崩れて流れていく。足が宙に浮いた。
何がどうなったのかは、あとで知った。ムギと影の軍団(なんじゃ、これ)が激突し、あふれたエネルギーが渦を巻いて本部のビルにぶちあたったのだ。
ビルは表通りに面した壁がすべて崩壊した。つまり真っ二つになっちゃったってわけだ。あたしはユリが腕を掴んでくれなかったら、そのまま地上に叩きつけられていた。ありがとユリ。これで、この前あたしのキルシュトルテを無断で食べちゃったこと許したげるわ。
「ケイ!」
あたしを、かろうじて残った通路の一部分に引きずりあげてから、ユリは言った。
「屋上へ行こう。あそこにはシューターが置いてある」
シューター──そうか、シューターがあるのか!
シューターは簡単にいえば、一人乗りの高機動小型戦闘機である。対パワード・スーツ戦用にWWWAの技術研究所で開発されたもので、やたらめったら速く、操縦性がいい。まだ試作段階だけど、あたしたちもモニターとして一度使わせてもらったことがある。そんときは、あたしとユリで二機のシューターをヘリポートごとぶち壊してしまった。
そのシューターが、屋上に置いてあるのだ。あれなら、影どものスピードと|ため《ヽヽ》を張れる。ただし、ビルがこの有様である。シューターが無事かどうかは、いってみなきゃわからない。
あたしとユリは本部ビルの残っている方の奥へと走った。屋上ならば、直通エレベータがある。もっとも、それが生きているという保証はどこにもない。まあいいさ。だめなら、その横に階段がある。それで八十五階まで駆け昇りゃいいんだ。途中で死ぬかもしれないけど。
直通エレベータは奇跡的に動いていた。このエレベータはもともと非常用である。地震や火災でほかのエレベータが停止してしまっても、これだけはギリギリまで作動するように設計されている。それで、あんな凄まじいショックのあとでも生きているのだろう。
あたしとユリはエレベータに飛び乗った。影は追ってこない。ムギとどっかで派手にやりあっているらしい。なんとなく嫌な予感がしたが、心の中で揉み消した。
屋上に着いた。ヘリポートに出る。
あちゃあ、これはすごい。ヘリポートが半分になっている。格納庫は、その切断面すれすれのとこにある。端のあたりが少し崩れかけているが、全体としてはセーフだ。
ユリが格納庫の扉を開けようとした。しかし、だめ。まったく開かない。格納庫そのものが歪んでしまったらしい。ユリはレイガンで扉を灼き切った。
シューターは三機あった。実験試作機なので各機体が目も醒めるような色で塗り分けられている。スカーレットにイエローにライムグリーンときた。それも一色じゃない。それぞれ別の華やかな色彩が加えられてツートンカラーの縞模様になっている。ペンキ屋の看板だね、こいつは。
十八秒ばかり迷って、あたしはスカーレットの機体を選んだ。ユリはイエローのシューターにもぐりこんだ。シューターのコクピットは狭い。あたしのサイズは身長が百七十一センチで、体重が五十四キロ。BWHは九十一、五十五、九十一。ユリの方は百六十八センチ、五十一キロで、八十八、五十四、九十。腹這いになってエアークッションでからだをサポートするのだが、これが実に苦しい。胸とお尻はぐしゃっとおしつぶされるし、脚は長さが足りなくて膝が痛くなる。ウェストはガバガバ。テスト・パイロットは、きっとガリガリのチビで短足胴長だったに違いない。
燃料計をチェックし、あたしはシューターを発進させた。大丈夫。これなら三十分は飛びまわれる。ユリもあとにつづいた。
シューターは、尾ひれを断ち落とした鮫のような格好をしている。翼らしい翼はない。腹んところが微妙なカーブを描いており、その曲線で得た揚力と垂直噴射とで上昇する。方向転換は、すべて機体のあちこちに付いている高機動バーニヤでおこなう。Gさえ我慢すれば、マッハ五で飛行しながら百八十度ターンだってできる。武器は小型のブラスターが二門。小型といっても出力はかなりのもので、小さなビルだったら、一撃で粉々にしてしまう。あたしたちは、その辺をよく知らなかったから、モニター飛行のとき、ブラスターの斉射とソニックブームでヘリポートを一つ消してしまったのだ。
蒼空に躍りでた。
高度を低くとり、三体の影とムギを捜す。
かれらの移動ルートは、すぐにわかった。わざわざ捜すまでもない。通ったところは炎と煙に覆われているからだ。そこだけ建物がかき消え、道路が抉りとられ、エアカーやバス、トラックがひっくりかえっている。燃えているのは、おもにそういった乗物のたぐいだ。ビルはほぼ完全に崩れているので、あえて火災を免れている。たまに半分ほど残った建物が火を噴いていたりするが、それは少ない。まちは緊急車両のサイレンと野次馬の喧噪とでかまびすしい。その合間合間に爆発音がびりびりと響く。
あたしは呪いの声をあげた。先ほどの嫌な予感は、実にこのことを指していたのだ。一つだけ救われることがあるとすれば、それはまったくの民間人に被害を与えていないことである。
リオネスはWWWAの惑星だ。大陸は目立ったのが三つほどあるが、そのどれもにWWWAの主要な施設が置かれている。ことに最大の大陸アラーディアには、この本部のある都市、ダンプ・ユウ(いまあたしたちの眼下に広がっているまち)が存在し、もっとも重要な活動を日夜、繰り広げている。
WWWA──世界福祉事業協会(WORLDS WELFARE WORK ASSOCIATION)は民間の私的な企業ではない。また財団でもない。全銀河系で三千余に及ぶ惑星国家が加盟している銀河連合に付属するれっきとした公共事業機関の一つだ。したがってWWWAの惑星であるリオネスには、いわゆる民間人というのは一人もいない。みんな銀河連合の職員なのである。ドラッグストアの店長も、ハンバーガーショップの売り子も、一人残らず、各惑星国家から銀河連合に出向してきているか、直接、連合に採用された人ばかりなのだ。
しかし、だからといって、これはひじょうにやばかった。とにかくやばかった。あたしたちは犯罪トラコンだから、同じ銀河連合の職員でも、いってみれば戦闘員である。だが、このまちに住んでいる職員の大部分は、非戦闘員である。かれらをこんな危険にさらしていいという理屈はあり得ない。なんとしても早急に影どもを捕捉し、その戦闘力を奪わねばならなかった。
「いた!」
通信機にユリの声が飛びこんできた。キャノピー越しにユリの機体を見ると、降下にかかっている。右三十度の方角だ。あたしも遅れじとレバーを操作した。
マッハ二で地上に突っこむ。
いきなり、前方に聳え立っていた高層ビルが砕けた。部長のデスクがばらばらになったのと同じような感じだ。ビルの中央よりちょっと上のところが、細かく裂けて破裂した。ビルは、そこで二つに折れる。
あれだ!
崩れ落ちるビルの向こうっかわからやつらがあらわれた。いびつな三角形の編隊を組む三つの邪悪な影。
まっすぐに、こちらに向かってくる。
6
あたしは迫りくるやつらに注視しながらもムギの姿を求めた。まさかとは思ったが、やつらが矛先をこっちに変えたのだ。では、いままで戦っていたムギはどうなってしまったのか。
ムギは無事だった。崩れたビルの一番てっぺんにしゃがみこんでいた。いかに完全生物とはいえ、ムギは空を飛ぶことはできない(飛行機や宇宙船の操縦はできる。ありていにいって、あたしたちよりうまい)。あたしたちが来るまではビルからビルへとジャンプして影どもを追いまわしていたのだ。それがあの惨状につながったのは、まあ、しょうがないじゃない。ほこほこ。
影の編隊が接近する。センサーがブザーを鳴らし、照準スクリーンのLEDが激しく明滅した。あたしはレバーを握りしめ、ブラスターのトリガーボタンに指を置いた。ユリがあたしよりもわずかに高度を下げる。向こうの速度はマッハ一・二。こちらはマッハ二を維持。
と、そのとき──。あたしの背すじをだしぬけに悪寒が走った。反射的にレバーを前に倒した。機体が瞬時に向きを変える。
キャノピーが共鳴音を発した。悲鳴のような音だった。耳鳴りが頭を貫き、一瞬、目の前が暗くなった。〈パワー〉だ。間一髪、シューターをかすめた。
あたしは転針しながらも、照準を外さなかった。狙いを固定し、トリガーボタンを押した。
ブラスターの赤い火球が影を襲う。先頭の影が跳ねるように移動した。すかさずそこをユリが一撃。しかし、それもかわされた。あたしはユリを追って高度を落とした。こうなったら二人で一斉に下からぶち抜いてやる。
だが、向こうもさるもの、逆にこっちの背後に回りこみにかかった。こっちはこっちで絶対に譲らない。譲ったら、殺されちまうじゃないか。
しばらくはぐるぐる回るだけになった。ときおり、こっちがブラスター、あっちが〈パワー〉を撃ち合うが、これは牽制以外のなにものでもない。
そうこうするうちに、あたしは閃いた。ムギだ。ムギが下にいるんだ。力を借りなきゃ嘘だよ。
あたしはスピードを落とし、やつらを誘いだしにかかった。ユリには通信を使わないで、キャノピー越しに指を一本立てて合図した。ユリは、それだけであたしが何をしようとしているのか察知した。
あたしが降下し、ユリが上昇する。
向こうは二対一に分かれた。ちょっと目論見が違う。ユリが二体ひきずったのだ。まあ、いいさ。しっかり逃げるんだよ。
あたしはムギがいたビルの残骸めがけてまっすぐ飛んだ。影はしっかりとついてくる。たくもう、あいつどうやって飛んでるんだ。
ムギの姿はどこにも見えない。見えないが、いる。それは確かだ。
さらに高度を下げた。地上まで五百メートル。速度もめいっぱい殺した。シューターの弱点は、あまり遅く飛べないことだ。
半分に折れたビルに、手が届きそうになった。影が撃ってきた。ビルがまた裂けた。壁がぐずぐずに崩れ、なだれ落ちていく。ビルは銀河連合の情報センターの一つだ。うげっ。そうすると、この下はダンプ・ユウ随一の規模を誇るハインセット・ショッピングプラザ。や、やばい。この界隈でいっちゃん賑ってる場所だ。
あたしは情報センタービルを巻くように回りこんだ。ここでドンパチはまずい。ちょっと離れよう、そう思った。
しかし、思うのがちょとばかし遅かった。
絶妙のタイミングだった。ビルを回りこむあたしのシューターを追って、影が一直線にビルをぶち抜き、突っきろうとした。
その真正面に、瓦礫の山をはね散らしてムギが出現した。
影はかわしようがない。必死で逃れようとするが、ムギの方が速い。〈パワー〉も空振りだ。
ムギの爪と牙が、影を捉えた。
引き裂き、壁に叩きつける。影は、影ではなくなった。動きが止まり、甲冑姿があらわになった。甲冑は胸から腹にかけて大きく裂け、鮮血が噴出している。右腕も変なふうによじれている。かろうじてビルの残骸の端に立っているが、もう抵抗する力はない。
あたしは、そいつの背後に回りこんだ。接近し、ムギとはさみ打ちにして捕まえちまおうと思ったのだ。
ところが、そいつは最後の抵抗を試みた。
ビルの上からジャンプしたのだ。
たっぷりと飛んだ。残った体力のすべてを振り絞ったのだろう。水平距離で八十メートルくらいは楽に飛んだ。
落ちたところはショッピングプラザのど真ん中だった。
それでも、そのまま静かに息絶えてくれれば、さほど問題ではなかった。
問題は、そいつが爆発したことだ。
大爆発だった。甲冑に、その手の仕掛けがしてあったに違いない。
ショッピングプラザが吹き飛んだ。数千人の客がいたはずのショッピングプラザが。跡形もない。大地が鳴轟し、炎と黒煙が一キロもの高さに立ち昇った。そのあとには、直径三百メートルのクレーターと、阿鼻叫喚の光景が残されているのみ。
ふ、ふみゃあああ。めまいが、めまいがする。
しばらくは真っ白になっていた。シューターで、その近辺を飛んでいたのは確かだが、操縦していたのかどうかも覚えてはいない。爆発の衝撃波で墜落しなかったのは、はっきりいって奇跡だ。
我に返ったのは、ユリからの通信がはいったからだった。
「ケイっ! ケイっ! ケイっ」
ユリの切迫した甲高い声が、何度もスピーカーを通じて、あたしを呼んだ。あたしは返事すらできない有様だった。
「もうだめ! 捕まる! 逃げきれない!」
そこまで聞いて、ようやくハッとなった。そうだ。ユリは一人で影二体を相手にしている。
あたしは、あわててレーダーをチェックした。ユリの機影に二体の影がほとんど重なっている。
「ユリっ!」あたしはマイクをONにして叫んだ。
「郊外にお逃げ! 人のいないとこ! すぐに飛んでくから!」
あたしはレバーを握り直した。ムギも今のやりとりを聞いてたはずだ。レーダーの情報もムギには筒抜けになっている。
あたしはシューターのメインノズルを全開にした。
シューターは、文字どおりぶっ飛んだ。
7
ユリはなんとかあたしの指示に従おうとした。しかし、逃げながら場所を選ぼうというのだ。思いどおりにはいかない。それでも郊外に出ることは出た。
ダンプ・ユウの北東である。
ダンプ・ユウにはリオネス最大の宇宙港が隣接している。まちの郊外、北東側である。
レーダーを見ながら、あたしは歯噛みしていた。どーして、こう厄介な方に行っちまうんだ。まわりにはいくらでもひと気のないところがあるっちゅうのに。
それでも、なんとか、あたしは宇宙港に着く前にユリに追いついた。燃料をちいっとばかし浪費したが、背に腹は変えられない。
「下へ! とにかく下に行って!」
もう一度、ユリに指示を発した。二体の影にバックをとられてしまって、ただひたすら逃げる以外にないユリのシューターは、速いピッチでジグザグに飛びまわっている。
あたしは影を攻撃した。当たったらうれしいけど、当たんなくてもいい。これは援護射撃だ。
案の定、みんなかわされた。
それでもユリは集中攻撃が中断された分、余裕ができた。
一気に高度を下げる。
影が左右に分かれた。一体はユリを追い、一体は、あたしに向かってくる。けっこうじゃない。狙いどおりよ!
あたしは、ゆっくりとシューターを旋回させた。そのまま弧を描きながら降下する。眼下にはライムグリーンの海。広大な草原がどこまでもつづいている。よく手入れされていて、まるで公園みたい。ハイウェイさえ外せば、ここには誰もいないはずだ。
と、安心したとたんである。
無茶苦茶な衝撃が、あたしのシューターをひっぱたいた。大気がぶ厚い壁となってシューターを真横からどつく。──そんな感じだった。シューターは左に五百メートルくらい弾き飛ばされた。あたしの目の前では緑の海が波打っている。草原がずっぱりと裂け、茶色の地肌が剥きだしになっていく。下生えやら灌木やらが、バラバラになって宙に舞った。まるで見えないはさみがグリーンのフェルトを無造作に断ち切っていくかのような光景だ。
あたしは耐えた。けなげに耐えた。ここで転針して、影に逆襲するのはたやすい。なにも一方的に攻撃をくらって、あたふたと逃げまわるいわれはないのだ。しかし、あの草原のどっかには、ムギがいる。あたしのシューターと、あの影とが空中戦をやったら互角だ。よくて相討ち、悪けりゃ負ける。だけどムギがいれば、ムギが加われば話は別だ。分はこっちにある。
大地がすごい勢いで迫ってきた。あたしはゆっくりと機首を起こした。シューターはきりもみ状態みたいになり、あたしの目がぐるぐる回る。青空、草原、青空、草原……。めまぐるしく景色が入れ替わる。高度百メートル。八十メートル。七十メートル。ときおり、後方視界スクリーンに影の姿が映る。すぐそこだ。手を伸ばしたら届きそう。
計器のLEDが、いきなり激しく明滅した。何の前触れもない。とつぜんの異常である。一瞬、あたしは故障かと思った。しかし、そうではない。この異常明滅には理由がある。
ムギだ。ムギは電波電流を自在に操る。ちょっとくらいなら、離れていても平気だ。間違いない。この異常は、ムギからのメッセージだ。
あたしはレバーを手前に引いた。
急上昇。これがムギのメッセージに対するあたしの返事だ。
シューターが垂直に立った。メインエンジンは全開である。Gが、あたしを圧しつぶす。からだじゅうの筋肉が震える。胸が苦しい。ああ、あたしの美しいバストが、プロポーションが……。
シューターが反転した。巨大な円を描いて、シューターは後方へと回りこんだ。
影がいた。スクリーンの真ん中に小さな光点となって映っている。
その影が揺らいだ。動きが速いうえに影と位置が重なっていたから判りにくかったけど、あたしは見逃さなかった。
ムギが草原から影めがけて飛んだのだ。あたしにくっついて高度を落としていた影は、ムギの射程距離にはいっていた。メッセージを送ってあたしを追い払ったムギは、シューターに気をとられている影を真下から急襲した。
思いもがけない攻撃に、影はなすすべもない。
ただもう必死で、ムギの爪と牙から逃れようとする。
ムギの光点が、影の光点から離れた。
影は、よろよろと上昇する。さっきまでのスピードと勢いは、もうどこにもない。
あたしの真正面に来た。
照準スクリーンにばっちりはいる。影は甲冑を切り裂かれ、うっすらとだが、煙の尾も引いている。
LEDがHITを指示した。あたしはトリガーボタンを押した。
二門のブラスターが火を噴いた。
赤い炎が影に叩きこまれる。影は、かわせない。わずかに動く気配を見せたが、火球の速度とは較ぶべくもなかった。
影が炎に包まれた。あたしは容赦しない。トリガーボタンを押しつづける。
だしぬけに眼前が真っ白になった。そして、シューターを揺さぶる衝撃。つぎに音。キャノピー越しでさえ、鼓膜がびりびりと痺れる凄まじい爆発音。
光があたしの視力を奪った。あわてて目をつぶる。でも、暗くならない。まぶたの裏が真っ赤に光ってる。キャノピーの色が変化してサングラスのようになっているはずだが、まるで効果がない。
あたしは目をつぶったまま高度を上げた。光が、すうっと失せた。まだちかちかしてるけど、そおっと目を開けてみた。
群青色の青空があった。あっ、まだ眩しいと一瞬思ったが、それは正面に太陽があるからだった。
レバーを操り、シューターをさっきまで影がいたあたりに戻す。しかし、その辺の空間には、もう何もない。破片も炎も、一条の煙すらも残っちゃいない。
それにしても、すごい爆発だった。また甲冑の自爆装置かなんかが爆発したんだろうが、さすがにショッピングプラザを跡形もなく吹き飛ばすだけのことはある。あれ、近かったら、シューターも巻きこまれてた。ホントに郊外の野原の上で良かった。
あたしは、もう一体の影を捜した。あいつもこのあたりで片付けちゃわないとだめだ。宇宙港なんかに行かれたら、何が起きるかわかったもんじゃない。
レーダースクリーンを四秒ばかり睨んだ。
めまぐるしく動く二つの光点があった。あまり遠くない。ただ、意外に上空である。どうやらユリってば、反撃にでて、高度を上げちゃったらしい。
「これで決着《きめ》よ!」
あたしはつぶやき、レバーを力いっぱい手前に引いた。
8
シューターは上昇を再開した。
高度二千くらいで、ユリのシューターと影の最後の一体はからみあっていた。
あたしの予想どおり、シューターと影の一騎打ちは五分五分である。ちょっぴしユリが押され気味か。影に後方へと回りこまれている。シューターはどっちかといえば逃げの体勢だ。
あたしは下の方からまっしぐら。影のバックを狙った。うまくいけば、ユリとあたしとで影をはさみ撃ちにできる。
ブラスターを撃ちまくって牽制し、一気に同じ高度に躍りでた。
目論見はばっちり的中した。いきなり、あらわれたあたしを見て、影は明らかにうろたえている。仲間がぶっ飛んだのは、ぜんぜん知らなかったらしい。あわてて、あたしのシューターを振り切ろうと、上昇しはじめた。ざけんじゃない。観念おし! もう逃がしゃしないよ。
ユリのシューターが反転した。あたしと逆の方向から影を追っかける。これで完璧。どうあがいたって、おしまい。
あたしとユリは、じりじりと影を追いつめた。相対する二方向から、螺旋を描いて距離を詰め、接近していく。
仕留めるのは、もう時間の問題だ。
できれば生捕りにしたい。そんなことを考える余裕まででてきた。
ところが。
とんだところに、足をひっぱるやつがいた。
「ケイ!」
ユリから通信がはいった。やけに切迫した声だ。
「下からごちゃごちゃ上がってくる!」ユリは叫ぶように言った。
「ダンプ・ユウの防空隊よ!」
ぬわに!
あたしは目を剥いた。じょ、冗談じゃない。こんなときに防空隊だって?
あたしはあせり狂ってレーダーを見た。
「!」
声を失った。
上がってくる。たしかに防空隊とおぼしき一群が下からのたのたと。光点の数は二十──いや三十か。ばかあ、お前らが団体でやってきたら、撃てるブラスターも撃てないじゃないか。
リオネスはWWWAの惑星だから、警察にあたる組織が存在しない。代わりに連合宇宙軍が防空隊として、主要な宇宙港に駐屯している。リオネスで何かことがあったら、WWWAの本部付のトラコンか、この防空隊が動くのだ。どうやらダンプ・ユウの防空隊は、本部からの通報を受けて状況をこっちにたしかめずに出動してきたらしい。たくもう迷惑な話だ。防空隊のとろい戦闘機じゃ、影のかけらだって見らんないぞ。あっという間に目の前を横切られて、それっきりだ。運が悪けりゃ、何が何だかわかんないうちにスクラップにされてしまう。
あたしは、通信機で防空隊の隊長を呼びだし、さっさと帰れ、とわめこうとした。
しかし、そんなヒマはなかった。
影が防空隊に気がついたのだ。
ジグザグに逃げまわっていたのをやめ、いきなり急降下に移った。
影がすうっとあたしの視界から消える。
ちいっ、あいつ防空隊の利用法を知ってやがる。
あたしとユリは何はさておきレバーをぐいと倒しこんだ。こうなってはもう防空隊に文句つけるどころではない。とにかく影を追うんだ。
たった今まで緩慢な上昇状態にあったシューターが、瞬時にして機首を真下に向けた。
逆落としで影を追尾する。あたしの方が、ユリよりもちょっと影に近い。照準チェックもそこそこに、トリガーボタンを押す。のんびりなんてしてらんない。影が防空隊を盾にする前に仕留めなければ、絶対に逃げられる。
ブラスターの赤い火球が、いくつも影をかすめた。しかし、有効打にはならない。まだ距離があるうえに、照準が甘いからだ。偶然を期待してたんだけど、だめ。影にそんなのは通用しない。
防空隊が、影に接近した。やばい。もうすぐ撃つこともできなくなる。
「おどき! 邪魔よ。帰れ!」
ユリの怒りの声が通信機から響いた。ブラスターの連射に忙しいあたしに代わって、ユリが防空隊を怒鳴りつけたのだ。
だけど防空隊は知らん顔。それどころか、影に対して展開し、包囲網をとろうとしている。のったりと。ええい、遅い、たるい、のろい!
それでも、影のスピードが滅茶苦茶速いから、影は見る間に防空隊の射程内にはいった。
同時に、ほとんど直角に曲がった。
防空隊の戦闘機では、その動きを追いきれない。
するりとかわされ、反対側に抜けられた。影はそのまま、ゆうゆうと高度を下げる。あたしは、もう撃てない。撃てば、防空隊の戦闘機を撃墜してしまう。そうしてやりたい気分だったが、必死でこらえた。
と、どうだろう。防空隊がUターンしやがった。
あたしとユリが無線でがなりたてても無視。どこうとせずに影のあとを追っかけようとする。邪魔だってのが、わかんねえのか!
影が速度を緩めた。防空隊が追ってくるのを知ったのだ。高度もあまり下げず、防空隊を誘う。ちくしょう、あくまでも防空隊を盾に使う気なんだ。地上まではまだ結構あるし、これではムギの手も借りらんない。
「ケイっ!」
ユリがあたしを呼んだ。
「五キロ先に宇宙港の燃料基地がある!」
ひええ!
あたしの全身の毛が逆立った。誘ってるのは、もしかして、そこへ。
「あいつ、結局は逃げきれないのを悟ってるよ」
ユリが言った。やけに冷静な口調だ。こやつが、こんな言い方をするときは、ろくなことがない。
「ユリ……」あたしは言った。
「燃料がほとんどない。でも、あたしはやるよ。全開で防空隊をぶち抜いて、体当たりしてでも、あいつをつぶす。あとは頼んだよ」
「ケイ!」
ユリの声が悲鳴になった。
あたしはメインエンジンのパワーをMAXにした。
シューターは石弓で弾かれたみたいに加速した。
9
頭に、巨大なハンマーを叩きつけられたような衝撃がきた。火花が散り、くらっとして意識が薄れた。そこをふんばって、計器を睨む。
またたく間に防空隊を追い抜いた。抜くときにぶつかんなかったのは奇跡だ。
スクリーンの真ん中に影が映った。その向こうには、燃料基地のタンクが見える。
あたしはトリガーレバーを握りしめた。チャンスは一回。外したら、一巻の終わり。てのひらに汗がにじむ。かすむ目で照準スクリーンを凝視する。燃料の警告灯が派手に点滅し、電子音がピコピコ鳴っている。この加速ではあと三十秒と飛べない。
高度が八百を切った。照準スクリーンの映像が中央の白枠の中に収斂していく。あとちょいだ。もう少しで必中の位置にくる。
あたしの肩に力がはいった。
そのとき──。
とつぜん計器が狂った。どの計器だなんて特定できない。もう全部でたらめ。ありとあらゆる計器が、みんな狂った。照準スクリーンもホワイトノイズに覆われて、役に立たない。高度も飛んでる方角もわかんなくなった。
繰縦レバーが手応えを失った。加速がみるみる落ちる。
シューターが勝手に反転した。腰から下に強烈なG。地平線が視界から消える。蒼空が眼前にきた。
「あいつ!」
あたしの血が逆流した。これはムギだ。ムギがやっている。こんなマネはあいつにしかできない。
と、悟ったとたん。
影が爆発した。
白光が、あたしを包んだ。爆発音が耳をつんざく。シューターがバランスを崩し、きりもみ状態になった。機体をコントロールできない。失速する。
またショック・ウェーブがきた。それも一つじゃない。二つ三つと連続する。つづいてさっきの百万倍くらいのすごい爆発音。
何だ。何がいったい……。
思う間もなくシューターが墜ちる。
全力でレバーを起こし、バーニヤを噴かした。
瞬間、シューターが立ち直った。今だ! 一気に水平飛行に持ちこむ。
わっ!
仰天した。緑の草原が手の届きそうなとこにある。目をつぶってバーニヤを操作した。
突きあげるようなショックがきた。シューターが跳ねる。腹が接地したのだ。一応、不時着だが、むしろ緩やかな墜落に近い。
シューターは一キロ以上、草原を滑走した。エンジンがもぎとられ、バラバラになっていく。うまいことに燃料が空だから、火を噴かない。
機体のほとんどを失って、シューターは停止した。残っているのは、コクピットだけといっても大袈裟ではない。
しばらく、あたしは身動きできなかった。全身の力が抜け、意識が朦朧としていた。
あたしのシューターの横にユリのシューターが滑りこんできた。ユリのは完全な不時着である。機体に大きな損傷はない。
「ケイ!」
通信機から声。どうやら通信機は予備バッテリーで生きているらしい。
「無事だよ」
あたしは応答した。ついでにキャノピーを跳ね上げた。
上体を起こし、伸びをするようにからだをひねる。
そのまま動きが止まった。
血が凍っていく。
燃えていた。燃料基地が巨大な紅蓮の炎に包まれて! 地平線の半分が真っ赤。そこかしこで新たな爆発も起こっている。
「防空隊の戦闘機が何機か巻きこまれて墜ちたのよ」ユリが通信機経由で解説した。
「編隊組んでたから、ショックで互いにぶち当たったの。影が防空隊とあたしたちを誘ったのも、その狙いがあったからだわ」
よーするに、自分を犠牲にしてでも、あたしたちを消そうってしたわけか。ムギは、それを察知してあたしのシューターを回避させたんだ。でも、あたしのうしろで密集していた防空隊は逃げきれなかった。
「どーしよう?」
ユリが訊いた。どーしようたって、燃料基地が一つおしゃかだよ。こんな大惨事、どーしようもないじゃんか。
「部長に訊いてみるさ」
あたしは言った。
「部長、生きてるの?」
「呼びだしゃ、わかるんじゃない」
あたしは通信機に手を伸ばし、呼びだしコードを部長のそれに合わせた。
「──ソラナカだ」
驚いたことに部長がでた。なんというしぶとさ。なんというしたたかさ! あんだけの目にあって無事だったなんて!
「ケイです」
あたしは名乗った。この通信機にはスクリーンがない。
「きさまら!」部長の声が一変した。甲高いうわずった声が響く。
「何をした。いったい何をやらかした?」
口ばやに訊いた。
「何も……」あたしは言った。
「影が勝手に自爆したんです」
「それでダンプ・ユウが壊滅し、燃料基地が爆発炎上したというのか?」
「そうです」
「もういい!」部長は通信機が壊れよとばかりにわめいた。
「失せろ! 今すぐに。宇宙港は閉鎖されているが、〈ラブリーエンゼル〉だけは飛びたたせてやる。とっととチャクラに行け。帰ってくるな! リオネスから消えろ!」
ぷつり。
通信が切れた。
「ぶちょー」
呼んでみても返事はない。
「ケイ……」
横から声がした。ユリだった。キャノピーを開けて、こっちを見ている。
「言われたとおりにしようよ」
肩をすくめた。あたしも、その意見に賛成だった。チャクラへ行って、ほとぼりをさませば、部長の怒りも和らぐだろう。
「ミギャア」
どっからかムギがあらわれた。いきなりあたしのシューターに前肢をひっかけ、真っ黒くてでかい顔をぬうっと突きだし、一声啼いた。
「よくやったよ、お前も」
あたしはムギの首をなでてやった。ムギは嬉しそうに喉を鳴らし、触手をだらりと垂らしてあたしにすり寄ってきた。
「宇宙港はあっちだよ」
ユリがシューターから飛びおり、北の方を指差した。激しく燃えさかる燃料基地のさらに向こうである。
「ムギに乗ってこーよ」あたしは言った。
「エアカー呼んだって、来やしないよ」
「だろうね」
ユリはうなずいた。
あたしたちはムギにまたがった。ったく、気が滅入るような幕開きだった。
[#改ページ]
第二章 あたし、ハンサムの味方です
1
ワープアウトした。
そのままチャクラをめざして通常航行をつづける。
思えば、宇宙港ではひどい目にあった。大混乱の中、カウンターに行ってコードネームのラブリーエンゼルを告げると、正規の係員のほかに、三十人あまりの職員がすっ飛んできた。そいつらが、みんな手続きをしているあいた何も言わずにあたしたちのことを憎悪に満ちた目つきで睨みつけている。どうやら燃料補給関係の職員らしいんだけど、燃料基地が爆発したのは、全部あたしたちのせいだと聞かされているようだ。冗談じゃない。
そっから離着床まで行くときもひどかった。足止めを喰らったパイロットやスチュワード、果ては旅行会社の社員に乗客までが、あたしたちを非難する。誰だ。無茶苦茶なガセネタを流したやつは! あたしたちのか弱い神経は、ずたずたになりかけたんだぞ。ユリなんか泣きだしそうになるし(例によって泣かなかったけど)、あたしは必死になって怒りを抑えたんで胃が痛くなってしまった(二、三人、張り倒したけど)。たくもう、あの影ども、正体がわかったら容赦しないかんね!
──などと激怒っているうちにチャクラが近づいた。
チャクラは夜のない惑星だった。太陽が二つあるからだ。赤色巨星と青白色矮星の二重星のまわりをめぐっているので、空には終始いずれかの恒星が輝いている。ときには、その両方が地表を照らす。本来ならば、こういった特殊な環境にある太陽系には植民がおこなわれないのだが、チャクラはラダカイトや稀元素ブッデイジウムを産する重要な鉱業惑星である。マンダーラが統治領とし、その関係者だけをとりあえず移民させている。手もとのデータによると、そういった事情の星だから、自治のやり方も独得のものになっているらしい。特別立法で、武器の携帯が自由などと記されている。うーむ、いやな予感がする。
〈ラブリーエンゼル〉がチャクラの衛星軌道にのった。見るからに小さな星だ。直径はおよそ七千八百キロ。標準重力は〇・八七G。海陸比は五対一で陸地が少ない。
チャクラには中継ステーションが一基もないので、入国審査は、地上の管制塔がおこなった。あたしは審査官に若くてうまそーな坊やを期待したが、残念、審査はコンピュータ・システムになっていた。そりゃまあ、基本的には独立国家じゃなくて統治領、場末の鉱山だもんね。合理化されているのは当然だろう。
つまんないから、さっさと申告を済ませ、〈ラブリーエンゼル〉は地上への降下体勢にはいった。〈ラブリーエンゼル〉はあたしたち専用の宇宙船で、名称はそのままあたしたちのコードネームになっている。もっとも、あたしたちが通常、正規のコードネームではなく、忌まわしいニックネームであるダーティペア≠フ名で呼ばれているのは周知のことだ。
〈ラブリーエンゼル〉は全長八十メートル、細長い紡錘形の垂直型宇宙船である。大きいフィンが二枚と小さいのが二枚ついており、ウェストのあたりがぎゅっとくびれている。船体の色は鮮やかなスカーレット。誰が見てもあたしたちの船だと、すぐにわかる。だから宇宙港では誰も近寄ろうとしない。不愉快な話である。
成層圏を抜け、薄い雲の層をぶち抜いて、〈ラブリーエンゼル〉は降下をつづけた。操縦はユリの担当なので、入国審査を終えたら、あたしは何もしなくてもいい。シートに寝そべってムギの触手をもてあそんでいる。
「もーすぐよ」
ユリが言った。
大気圏突入でブラックアウトしていたメインスクリーンに映像が戻った。円錐台形の〈ラブリーエンゼル〉の操継室には窓が一つもない。壁のパネルに大小さまざまなスクリーンが何十面と並んでおり、それが外の状況をすべて映しだしている。
メインスクリーンに映しだされたのは、チャクラで一番大きい大陸、バッサラの通常映像だった。今は赤色巨星の太陽、インドラに照らされているので、バッサラ大陸は赤茶けた色に染まっている。アスラヴィルは、バッサラ大陸のほぼ中央部にある。宇宙港が隣接しており、あたしたちは、そこに降りることになっている。
ユリが〈ラブリーエンゼル〉を慎重に操り、降下を続行させた。あたしも、くつろぎながらも警戒を怠らない。リオネスであんな目に遭ったのだ。チャクラでは何があるか、わかったもんじゃない。
しかし、結局は何ごとも起こらなかった。
〈ラブリーエンゼル〉は無事にアスラヴィル宇宙港に着陸した。いかにも辺境の貨物積み出し港らしく、小ぢんまりとしたほこりっぽい宇宙港である。離着床に停泊している船も、大型のコンテナ船ばかりだ。
港に船を預け、車を借りた。これ全部自動である。人間の係員はほとんどいない。味けないが、おっさんばかり出てくるよりはマシだ。我慢する。
我慢できないのは、車の方だった。なんとエアカーじゃないのだ。車輪なんてものがついている。それも六つも! ボディは頑丈なだけで優美さなどカケラもない。武骨な実用車だ。おまけに遅い。どんなにスピードをだしても、せいぜい二百キロが限度だ。たしかにハイウェイが整備されていない鉱業惑星。こんな車が必要なのだろう。エアカーじゃ路面の凹凸にひっかかって吹っ飛んでしまう。でも、あたしはもっと速くてスマートな車がいい。
アスラヴィル市内まで、あたしが運転して、たったの四十キロに十分以上もかかった。これ記録だね。ちゃんとハイウェイがあって、この有様。先が思いやられるわ。
市内にはいったら、助手席のユリがオートマップをオンにした。データを打ちこんで目的地をサーチするタイプだ。
ユリがあたしに訊いた。
「どこに行くんだっけ?」
あたしは死んだ。死んでから思い出した。まだ、どこに行くか決めてない。
ユリとムギも死んだ。
とにかく目に見えない牙に噛まれたランディスって技師の話を聞きたいのだが、WWWAが渡してくれたデータに、肝腎のランディスの居場所がはいっていないのだ。本部に電話して文句を言ってやりたいが、さすがにまだ部長と顔を合わせる気力は湧いてこない。
とりあえず、市内を流してアスラヴィルをひととおり見てまわることにした。呑気な捜査だが、たまにはこんなアプローチもいいさ。早く片付けて早く帰っても、ほとぼりはさめてない。
しばらく走ると、繁華街とおぼしき通りにでた。繁華街といってもダウンタウンの方だ。けばけばしい店が立ち並び、胡散臭そうな連中が群れをつくってうろうろしている。もしかしたら、ランディスが足を噛まれたのは、このあたりじゃないだろうか。
あたしは車をトロトロと走らせながら、周囲の様子を窺った。太陽がでてるから昼か夜かよくわかんないが、時間で見る限りは、今は宵の口ということになる。そろそろこういう所が鉱山の荒くれどもで賑っちゃう頃だ。でも、明るすぎてぜんぜん気分がでない。
「その辺に停めて歩いてみようか」
あたしはユリに提案した。
「いいんじゃない」
ユリも賛意を示す。
道の端に車を停め、ドアを開けた。
──と、同時である。
一条の光線が、あたしを襲った。
とっさにあたしは身を投げだし、道路に伏せた。ホルスターからヒートガンを抜く。ユリもレイガンを構えて車から飛びだした。ムギが、そのあとにつづいた。光線はドアの付け根あたりをかすめて灼いた。
通りの反対側に、人だかりができていた。その真ん中にレイガンを構えた男が立っている。あいつだ。あいつが犯人だ。
あたしはヒートガンを前に突きだし、男に向かって駆けだした。人だかりを掻き分け、男に迫る。
「待った!」
誰かに肩を掴まれた。あたしは身をよじって、その手を振り払った。ヒートガンを構え、肩を掴んだ相手の顔を見る。
息が詰まった。頭の中で星が散った。
し、信じられない。あたしは目を疑った。全身から力が失せる。あたしの前にいるのは、アポロかアドニスか……。いーや、何でもいい。とにかく夢のようなハンサムだ!
精悍な顔つき。男らしい太い眉。高くまっすぐな鼻すじ。ひきしまった口もと。すずやかな瞳。淡いグレイのテンガロンハットから額にかけてパラリと一房垂れているのは、透きとおったブロンドの髪。ど、どれをとっても極上品。
「止めないでほしいな」
二本の指でテンガロンハットのつばをぐいと押しあげ、ハンサムは言った。歯切れのいい低い声。微笑からこぼれた白い歯が真珠の輝きを放つ。
「あれは正当な決闘なんだ」
いい。あたしは我を忘れた。何でもいい。言うこと聞いちゃう!
2
ハンサムはジェフといった。年齢は二十五。驚いたことに、アスラヴィルのシェリフである。警察官ではない。いってみれば自警団の隊長である。行政組織がまだ不完全なアスラヴィルでは、市民ひとりひとりが自分で自分の身を守らねばならない。だから武器の携帯が自由なのであり、かれらをいざというときに束ねるのがシェリフの仕事というわけだ。市民はかれらの中からジェフをシェリフに最適な人物として選んだ。当然だろう。これだけのハンサムが無能なわけがない。あたしだってジェフをシェリフに選ぶ。とくに根拠はないけど。
ジェフは、あたしたちがWWWAの犯罪トラコンと知ると、シェリフの事務所に案内してくれた。本当はあたし一人が行きたかったのだが、やはりユリとムギをその辺にほっぽっとくわけにもいかない。やむなく同行させた。むろん、ユリに釘を剌すのは忘れなかった。ジェフは、あたしんだ。あたしが先につばつけた。
ユリは黙って肩をすくめた。
事務所は小さなビルの一階にあった。造りは安っぽいが、さすがにドアなど頑丈そうだ。道路に面した窓も一つもない。それなりにシェリフの事務所になっている。
車をすぐ前に停め、ジェフを先頭に事務所の中にはいった。狭い事務所は、ジェフのデスク、接客用のソファ、ガンロッカー、データ・コンソールなどでぎっしりと埋まっている。しかし、雑然とした感じはない。ジェフの性格だろう。きちんと片付いている。
つきあたりの壁は透明だった。その向こうはベッド付きの小部屋で、ベッドには赭ら顔のじいさんが一人、大いびきをかいて眠っている。
「あそこは留置場なんだ」
ジェフが言った。じいさんは昼間から泥酔して事務所の前に転がっていたんで、やむを得ず収容したのだそうだ。ジェフってば、やさしい。透明な壁は、厚さ十センチの防弾ガラスだった。もちろん留置場にも窓はない。
ジェフがあたしたちにソファを勧めた。自分はデスクの前の椅子に腰をおろし、さりげなく長い足を組んだ。いいわあ。何をやってもサマになる。ほんとにムービースターみたい。
「さっきは、びっくりしちゃった」あたしは慎重に言葉を選んで言った。
「あたしが狙われたのかと思ったのよ」
ユリが吹いた。あたしは座る位置を変えるふりをしてユリの脇腹にエルボーを叩きこんだ。ユリはおとなしくなった。
「悪いことをした」ジェフは言った。
「このまちでは決闘が許されてるんだ。シェリフの立ち合いのもとにね。あんな流れ光線がないようにするのも、ぼくの役目なんだけど、きょうは失敗してしまった。済まない。このとおりだ」
ジェフは頭を下げた。あたしは、あわててかぶりを振った。
「ううん、いいのよ。ケガなんかなかったし、それに、そのおかげで、こうやって知り合えたんだもん。かえって幸運だったくらいよ」
「そう言ってもらえると、ホッとする」
ジェフは、さわやかに笑った。ああ、いい。その笑顔があたしをうずかせる。
「──で、ランディスって人だけど、どこにいるかわかります?」
ユリが口をだした。ばっ、ばかめ。あたしが、つばつけたの忘れたか。訊くのはあたし。一緒にいるのもあたし。みつめ合うのもあたしなんだ。たわけ者!
あたしは、もう一発エルボーをユリに叩きこもうとした。だが、さすがにユリも素人ではない。今度はみごとにかわされた。あたしはバランスを崩して大きく上体を泳がせる。うっ、みっともない。
しかし、ジェフは考えこんでいて、そんなあたしを見ていなかった。良かった。恥をさらさずにすんだ。
「WWWAに提訴されたくらいだから、よっぽど有名な事件だったんだろうけど、残念ながら、ぼくはその一件を知らないんだ」ややあっておもてを上げ、ジェフは言った。
「だから、ランディスって人には心当たりはない。でも、調べれば、すぐにわかるはずだ。夜のパトロールから戻ったら、データをチェックしてみるよ」
「そんなァ、お忙しいんでしょ」
あたしは両の拳を口もとにあて、目を大きく見ひらいた。背後でユリが声を殺し、肩を震わせている気配が伝わってくる。覚えておいで、二人っきりになったら、始末つけたげる。
「いいんだ」ジェフは指を二本立て、軽く振った。
「さっき迷惑をかけたお詫びだよ」
ジェフってば、義理固い!
「それよりも、誰がWWWAに、こんな不思議な事件を提訴したのかな?」ジェフは首を傾げ、言を継いだ。
「それがわかれば、ランディスのことも簡単にわかるかもしれない」
「提訴したのは、アスラヴィルの市長《メイヤー》よ」別に秘密事項ではないので、あたしは提訴者をジェフに教えた。
「だから、この件は民間提訴ではなく、政府提訴扱いになってるわ」
WWWAは国際警察ではない。むろん連合宇宙軍の特殊部隊でもない。その係官は、トラブル・コンサルタントである。銀河連合に所属している惑星国家においては出入国は一切自由で、しかも独立した捜査権も認められており、さらには武器の所持、使用も無制限だが、任務は、あくまでも依頼されたトラブルを解決する、あるいは、それに至るまでの助言を現地の関係者に与えることにある。その機能は人類の利益のために存在し、その理念は宇宙における生命の繁栄、つまりは福祉《ウエルファ》である。それゆえにWWWAは世界福祉事業協会なのだ。
WWWAへの提訴は、主として各国の政府からなされる。事件が起きて、そこの警察が手に負えなかったり、迷宮入りしそうになったりしたときにお鉢がまわってくるのだ。
提訴があると、WWWAはその事件を銀河連合の中央コンピュータで徹底的に洗う。調べて調べて調べ抜いて、なおかつ疑わしい部分があったら、その事件にふさわしいトラコンを選んで現地に派遣する。経済関係なら経済トラコン、医療関係なら医学トラコン、そして今回のような刑事事件なら、あたしたち犯罪トラコンである。でも、今度の事件はとても刑事事件とは思えない。こんなのエクソシストの領域だ。
「メイヤーが提訴したとなると、たしかにぼくが知り得ない事件だったかもしれないね」
ジェフは言った。
「どういうこと?」
あたしには、その意味がわからない。
「このまちでは、メイヤーと市民が直接つながっていないんだ」
ジェフは、わずかに口調を強めた。
3
「現にぼくがそうなんだ」ジェフは自分を指差した。
「ぼくは市民に選ばれたシェリフだけど、民間人だ。メイヤーに任命された公務員じゃない。メイヤーは自分で自分のための捜査機関を持っている。でも、それは市民とは何の関係もないんだ」
「ずいぶん複雑なとこなのねえ」
ユリがため息をついた。相変わらずさしでがましいが、これはまあ許そう。あたしもそう思ったのだ。
「特別立法で市民に武器の携帯を許可したときから、この乖離は必然だったんだ」
ジェフは表情を曇らせた。そのときだった。デスクの上のタイマーが軽やかな音を響かせた。
「時間だ」タイマーを止め、ジェフは立ち上がった。
「ちょっとパトロールに行ってくるよ。一時間くらいで戻ってくるから、待っててもらえないかな」
「あたし、御一緒したいわ」
すかさず、あたしも立ち上がった。
「申し訳ない。できれば、一人で行かせてもらいたいな。いろいろと身軽でないと困るんだ」
あっさりと断られた。これでは食い下がれない。ちょっと……とか、うーむとか、返答に悩んでくれれば、絶対にオーケイさせちゃうんだが、こんなふうに言われては諦めるほかない。
ジェフは身支度して事務所からでていった。あとに残るのは、あたしとユリとムギと大いびきのじいさん。こうなると事務所は最悪に退屈なとこになる。
あたしは置いてある雑誌でも読もうとした。ところが、ここにある本ときたら、法律の専門書ばかり。表紙見ただけで頭痛がはじまった。ジェフはハンサムだけど、これは考えもんだ。
仕方がないから、あたしはムギをまくらにソファで一寝入りしようとした。
そんなときである。
「お嬢さんがた……」
陰陰滅滅たる声が、どこやらから響いてきた。
あたしはギョッとして飛び起きた。リーダーでニュースを見ていたユリもびっくりして頭をきょろきょろ動かしている。
「わしじゃよ、こっちじゃよ」
奥の方からつづきがきた。
見ると、いつの間にか寝ていたはずのじいさんが防弾ガラスにへばりついてこちらを凝視している。
じいさんが、あたしたちに声を掛けたのだ。
「あによォ。驚くじゃない」
あたしは口をとがらし、文句を言った。しかし、じいさんは、そんな抗議など意に介さなかった。
「あんたたち、WWWAのトラコンだと言ってたな」
平気でしゃべりつづける。
「寝てると思ったら、盗み聞きしてたの?」
あたしは一歩前にでた。
「聞く気はなかったんだが、聞こえてしまったんじゃ」じいさんは言った。
「それよりも、ランディスのこととか、いろいろと知りたいんじゃろ。わしに任せろ。メイヤーのことも、オーナーのことも、マスターのことも、何だって教えてやる」
「知ってるの? あなたランディスのこと」
「もちろんじゃ」
「聞かせて!」
あたしは防弾ガラスのすぐ前まで進んだ。
「条件がある」
「なんなの?」
「わしを守ってほしいんじゃ」
「守る? 誰から?」
「すべてからだ。わしは何でも知っている。だから、みんな、わしを煙たく思っとるんじゃ。いいかね。わしは三日前まで、酒なんか呑んだことがなかったんじゃよ。それが今は呑んだくれてこんなとこにはいっている。何のためだ?」
「危険から逃がれるため?」
「わかっとるなら、よろしい」
「あなたの言うことが酔っぱらいの戯言じゃなかったら、いくらでも気のすむまで守ったげるわ」あたしは言った。
「それ、証明できるの?」
「しょうがないな」じいさんはかぶりを振った。
「そうなると、とっておきを一つ教えてやらねばならん。こっちに耳を寄せな」
じいさんは手まねきした。あたしはガラスに耳をつけようとした。
でも、とっておきの情報は聞こえてこなかった。
代わりに、凄まじい爆発音が耳をつんざいた。
同時にすごいショックが事務所の床を突きあげた。
あたしは跳ね飛ばされ、床の上にひっくりかえった。
「ケイっ、外!」
ソファにしがみついてショックをかわしたユリが大声で叫んだ。ムギが耳の巻きひげを震わせた。ドアが開いた。炎と煙が、事務所の中にどっと流れこんできた。ムギがダッシュして外に飛びだす。ユリが、それにつづく。置いてかれちゃかなわない。あたしもあせって立ち上がり、走りだした。
外にでた。
目の前に巨大なスクラップがあった。あたしは激突しそうになり、危ういところで足を止めた。車だ。あたしたちが宇宙港から乗ってきたいまいましい車が爆破されてスクラップになっている。
「誰が、こんな……」
ユリがつぶやいた。ほんとに、いったいこれは──。
悲鳴があがった。かすれた老人の悲鳴だった。事務所の中からだ!
「しまった!」
あたしは身をひるがえした。
事務所の中に戻った。
「うっ!」
立ち尽くす。
「あ」
ユリの動きも凍った。
留置場の床が血の海だった。真っ赤な鮮血がべったりと広がり、その中央にあのじいさんが突っ伏している。
ムギが前にでた。また巻きひげを震わせた。音もなく留置場の防弾ガラスがせり上がった。
あたしとユリはじいさんのもとに駆け寄った。
「喉が……」ユリが言った。
「喉が噛み裂かれている」
ユリの判断は正しかった。訓練を受けた目で傷口を見れば、それはわかる。じいさんは銃や刃物で殺されたんじゃない。何か正体不明の動物に喉を噛まれ、引き裂かれたのだ。
「だけど」と、周囲を見回して、あたしは言った。
「ここ、完全に密室よ」
壁にも天井にも窓はない。穴ひとつ開いてない。それに動物だって……。
動物なんて、ムギ以外にいやしないのだ。
4
誰かが知らせたのだろう。爆発から十分と経たないうちにジェフは事務所に帰ってきた。ちょうどあたしたちが密室殺人のショックから立ち直り、とりあえず爆破されたエアカーを調べにいこうと思いたったときだった。
事務所は何十人というやじ馬で、厚く囲まれている。その人垣を強引に掻き分けて、ジェフは事務所の中へとはいってきた。帽子が歪み、青いチェックのシャツも襟のあたりがよじれて大きくはだけている。端正な顔は緊張でわずかに頬が白っぽくなっており、表情が険しい。でも、瞳は鋭い光を帯び、口もとはきりりと引き締まっている。はっきし言って、凛凛しいという表現は、いまのジェフのためにあるようなものだ。あたしは、しばし事件のことを忘れて、ジェフをうっとりと眺めていた。
「何があったんだ、いったい?」
爆風と衝撃で滅茶苦茶になった事務所を見回して、ジェフが訊いた。すぐ前の床には直径一メートルもの血溜りができており、その真ん中には喉を噛み裂かれたじいさんが倒れ伏している。
「爆発が……」
ユリがしゃしゃりでた。あたしがジェフを見とれていて間を置いたものだから、また余計な口をだそうとしたのだ。
すかさず、あたしは動いた。
「ジェフ──」
まるで舞うように、典雅によろめいた。血腥い事件に神経を掻き乱された手弱女《たおやめ》を装ったのだ。いや違う。本当に手弱女なのだ、あたしは!
よろめきつつユリをどつき倒し、あたしはジェフに手を伸ばした。
「危ない!」
がっしりと力強いジェフの腕が、あたしの肩を支えた。よろしい。予定どおりだ。ユリの方は、ムギが支えた。けっこう。これもよく似合っている。
「ごめんなさい。あまりひどい事件なので、あたし……」
あたしは、消え入りそうな声でジェフに言った。
「横になって、そこのソファに」
ジェフはあたしを抱きかかえるようにしてソファまで運んだ。あたしはもう目一杯からだをジェフに預けた。
「休むんだ。しばらく」
ジェフがあたしの目を覗きこんで言った。ああ、いい! これよ。こうでなくっちゃ!
「さて」
ジェフがくるりと身を回した。ユリの方に向き直る。
「話を聞こう。起こったことを、すべて」
あ、それ違う。予定にない! あたしは叫ぼうとした。けど、間に合わなかった。ソファに寝かされたばかりの身では手の打ちようがない。ジェフはユリの前に立った。
およそ十八センチの距離を置いて、二人は話をはじめた。ちっ、近すぎる、それは!
「あなたが、パトロールに出て、すぐのことだったわ……」
あたしの方をちらりと見やり、勝ち誇ったような微笑を浮かべて、ユリは口を開いた。うぐぐ。あたしは薔薇のつぼみのような唇を噛んで、ユリのこの冷酷な仕打ちに耐えなければならなくなった。悲劇のヒロインだわ、あたしってば。
苦悶の時間は五分あまりもつづいた。要領の悪いユリは、ものごとを簡単にまとめるってことができない。同じことをくどくどと繰り返す。ああ、じれったい。あんな話しかたじゃ、ジェフにわかりゃしないわよ!
「なるほど、よくわかった」
ユリが話しおえると、ジェフがうなずいて言った。ばかあ、なんでわかるんだ。ユリの説明じゃよくわかんなくって、あたしに訊き直すのが礼儀ってもんだろ。
「つまり、車が爆発したのは、きみたちを外に誘いだすためだったんだな」
「それは間違いないわ」ユリが言った。
「どんなトリックがあるのかしれないけど、とにかく、この老人を殺害する瞬間をあたしたちに見られたくなかったのよ」
「あるいは、絶対に失敗したくなかった」
「ええ」
ユリとジェフが互いに見つめ合った。な、なんだ、これは! 冗談じゃない。そんなのなしだ。
あたしは我慢できずに上体を起こした。もういい。手弱女はやめだ。
「ジェフ!」
あたしは声をかけた。多少、語尾が尖ったが気にしない。
「ケイ」ジェフは振り返った。
「大丈夫かい? 気分はどう?」
やさしく問う。そうよ。そうでなくっちゃ、だめなのよ。世の中のやさしい言葉は、みんなあたしのためだけにあるのよ。
「もう平気」
あたしは立ちあがり、ユリとジェフとの間にさりげなく割ってはいった。とはいえ、十八センチの隙間である。肩とお尻とで強引にユリを押しのけたのはいうまでもない。
「ねえ」あたしは甘える感じでジェフに訊いた。
「あのおじいさん、いったい誰? オーナーとかマスターとか言ってたけど、それもよくわかんない。わざと呑んだくれて留置場にはいったというのは本当なの?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
あたしの矢継ぎ早の質問に、ジェフは音をあげた。
「そんなに一度に訊かれたって答えられないよ。一つずつにしてくれないかな」
「ごめんなさい」あたしは、しおらしく謝った。
「まだ少し|どーてん《ヽヽヽヽ》してて……」
怯えたように首を小刻みに振る。
「あ、いや、いいんだよ」
顔を赤らめ、ジェフがどぎまぎした。かあいいじゃない、反応が。
「じゃあ、一つだけ──」
あたしは両の拳を揃えて口もとにあて、右手の方の人差指を愛らしくちょこんと立てた。
「あのおじいさんは、誰なの?」
「かれは……」
ジェフは床に倒れている屍体の方に目をやった。こらこら、あたしから視線をそらすんじゃない。
「かれは、鉱山の技師で、この間まで第十六鉱の監督をやっていたガルメルディだ」
「じゃ、ランディスと同じ……」
謎の牙に噛まれた人間に共通点がある。あたしは思わず身をのりだした。あ、ジェフのうるわしい顔がすぐそこに。ついでにキスでもしてこましたろか。
「ここの人間は、五人に四人が鉱山の技師さ。そうでない人を捜す方がむずかしいくらいだよ」
ジェフは肩をすくめた。なるほど言われてみれば、たしかにそうだ。チャクラは鉱業惑星なのである。
「ガルバルディじいさんは、このまちの名物人間だった」ジェフは言葉を継いだ。
「好奇心のやたらに強いじいさんで、何にだって首をつっこむ。また、そうやって知ったことを往来の真ん中で大声でわめく。アスラヴィルでじいさんのことを知らないやつは、もぐりだと言われていたね」
「酒を呑みはじめたのは、ここ二、三日のことだって言ってたわ」
あたしの肩越しにユリが言った。いい度胸じゃない。ジェフの目が動いてユリの方を向こうとする。あたしは首を横に寝かせて、それを遮った。
「よく知らないけど、そうかもしれない」ユリを見ようとするのを諦めてあたしに視線を戻し、ジェフは言った。
「一晩に三、四人くらい、ここに保護するけど、じいさんは昨夜がはじめてだった」
「誰かに狙われてるって話だったわ」
あたしが言った。
「そんな徴候はまったくなかった」ジェフはきっぱりと否定した。
「だから、こんなことになって驚いているんだ」
事務所のドアが開いた。グレイの制服に身を包んだ初老の男性がはいってきた。制服の胸には検視官のマークがプリントされている。ついさっき、電話でジェフが呼んだのだ。ガルバルディの屍体はこれから病院に運ばれて解剖される。アスラヴィルには検視局なんてしゃれたものはない。
自走タイプの担架がしゃりしゃりとキャタピラの音を響かせて事務所の中に進んできた。あたしたちは端に寄って場所をあけた。むろん、あたしはジェフにぴったりと寄り添っている。
「ところで……」ジェフがあたしの耳に囁いた。
「特報が一つあるんだけど」
「特報?」
あたしはジェフを振り仰いだ。特報って、あたしだけを食事に誘ってくれるとか。あたしのためにドレスを用意したとか。あたしにだけダイヤの指輪をプレゼントしてくれるとか……。
「ランディスに会えるんだ」
ジェフは言った。
「ホント!」
あたしとユリは合唱した。予想とはちょっと違うけど、これは本当に特報だ。
「さっき、偶然、ランディスを知っている人に会ったんだ。かれは毎晩、ここに顔をだしている」
ジェフは一枚のカードをあたしたちに見せた。カードはナイトクラブのものだった。そこで毎晩おこなわれているのは──
「プロレス?」
カードの文字を読んで、あたしとユリは顔を見合わせた。
プロレスどわってェ!
5
事務所の片付けを済ませてナイトクラブ〈サルバトーレ〉に行くと、試合はもうはじまっていた。
ナイトクラブなんてしゃれてはいるが、しょせんは場末の鉱山町、よーするに酒場のでかいやつである。客は、そのほとんどが鉱山の技師。あとはレストランの経営者とか役所の職員くらい。とーぜん高級なんて文字は頭にはつかない。だだっ広いフロアのど真ん中に七メートル四方のリングがこさえてあって、その周りをぎっしりとテーブルが取り囲んでいる。フロアの端っこ、向かい合う二面の壁に巨大なスクリーンがしつらえられているのは、あちこちの体育館なんかと同じやり方で、観客の死角をなくすための工夫だろう。内装や調度は安物だが、こういったところには金をかけている。今も腕と首の関節をきめられて苦悶しているレスラーの表情が大写しになっているが、もちろん、これは試合の細部を純粋に観客に見てもらいたいからではない。観客は、この映像を参考にして、レスラーに金を賭けるのである。耐え抜くかギブアップするか。一瞬にして判断し、カードをテーブルの中央にあるスリットに入れてボタンを押す。当たれば現金が届き、外れれば口座から賭金を引き落とされる。重要なのは、貰う金は現金、取られる金は口座ということである。このシステムのおかげで観客はとめどなく熱くなり、やがてすってんてんにされてしまう。
フロアにはいると、すぐにマネージャーがやってきて、あたしたちをあいているテーブルに案内した。ムギを見ると嫌な顔をしたが、ジェフが何やら耳打ちすると両手を大袈裟に広げて、追い出すのを諦めた。ジェフの口の動きはダーティなんとかというふうに読めたが、あたしは見て見ぬふりをした。あたしはとにかくハンサムには寛容なのだ。
〈サルバトーレ〉は混んでいた。ほぼ満員である。それでも待たされることなくテーブルに案内してもらえたのは、ジェフがついていたからだろう。マネージャーがまちのシェリフに敬意を表しているのである。ただし、最高の席というわけではない。フロアの中ほどといったあたり。リングからはけっこう離れている。
あたしとユリは、席につく前にぐるりとフロア全体を見回した。とくにリングサイドを念入りに見た。常連客は、そこにテーブルを持っている。
「どうだった?」
腰をおろすと、さっそくジェフが訊いた。ジェフはランディスの顔を知らない。あたしたちは本部で写真を見てきた。
「右手、一番リングに近いテーブルの手前の男が、それらしい人相だったわ」
あたしは言った。
「あたしもそうだと思う」ユリが同意した。
「髪はグレイ、眉毛が細くって、瞳はグリーン、薄い口髭をはやしてて、左の頬に小さな傷痕があったわ」
ユリは右の指先にはさんだビノキュラーを振ってみせた。やけに観察が鋭いと思ったら、これだ。なかなか抜け目がない。
「試合が全部終わるのを待って、帰ろうとしたところを捕まえるのが得策かな」
ジェフが言った。
「そんなヒマないわ」あたしはかぶりを振った。
「今すぐ外に引っぱりだしちゃう」
「それは、まずい」ジェフが表情を変えた。
「メインエベントがはじまる。試合の最中にごたごたすると、面倒だ」
「大丈夫よ。逮捕するわけじゃなし。ただ話を聞かせてもらおうというのよ。逃げたり騒いだりするはずないわ」
「しかし……」
そのあとのジェフの言葉は、すさまじいボリュームの音楽と歓声とで、完全に掻き消された。びっくりしてリングを見ると、セミファイナルが終わって、次の試合がはじまろうとしている。セミファイナルで負けたレスラーは、結局、肩の関節を砕かれたらしい。大金が動く試合だから、けっこう真剣勝負なのである。
白いタキシードを着こんだリングアナが、メインエベントの選手の名を呼んだ。
と、同時にリングサイドの床に丸い穴が開き、そこからけばけばしいマントに身を包んだレスラーが、生意気そうに胸を張り、腕を組んでゆっくりとせり上がってきた。音楽と歓声は、いよいよかまびすしい。
レスラーがせり上がった床から、ひらりとリングの上に飛んだ。マントをひるがえし、コーナーポストのてっぺんに立つ。右手を高く頭上に挙げ、指を一本突き出した。まだ若いレスラーだ。大型レスラーではないが、筋肉質で引き締まった体格をしている。
「かあいい! ねえ、あの子だれ?」
ユリがジェフにレスラーの名を訊いた。リングアナの声は、歓声でまるっきり聞こえない。
「サミー・リー。今夜の挑戦者!」
ジェフが大声を張りあげて答えた。
リングアナが、いまひとりのレスラーを紹介した。
サミー・リーとは反対側の床から、チャンピオンがせり上がってくる。
でかい。あたしは思わず目を剥いた。とにかくでかい。二メートル五十はあるね、あいつは。サミー・リーの頭はチャンピオンのへそのあたりというと大袈裟だが、どう見たって肩まではない。
「ザ・ゴーレム。不敗のチャンピオンだ」
訊かれる前に、ジェフが説明した。不敗ねえ。そうだろう。あの巨体じゃ、倒しようがない。体重なんて三百キロくらいありそう。人類の範疇に入れたくないね。あたしが生物学者だったら、あいつのために種だか目だか科だかを新設してやるよ。
のっそりとチャンピオンのゴーレムがリングの上に降り立った。冗談じゃない。リングがきしんでる。
リングアナに代わって、レフェリーがリングに昇った。
両者を呼び、注意を与える。
「だめよ。こんなんじゃ賭けにならないわ。大人と子供の試合じゃない」
ユリが言った。
「だから、ゴーレムにはハンディが与えられている」ジェフが言った。
「賭け率は十対一だし、サミー・リーはゴーレムの目を狙ってもいい。首を絞めることも許されている。ゴーレムが同じことをしたら反則になる」
なるほど。でも、それぽっちのハンディじゃ、あんな怪物どうにもならないだろう。あたしなら、ハンドブラスターの使用を許可してもらう。
歓声がひときわ大きくなり、フロアー内の緊張がたかまった。二人のレスラーが、それぞれのコーナーに分かれて睨み合う。
ゴーレムの瞳の色は赤みがかった黄金色。それがまるで燃えあがる炎のようだ。
ゴングが鳴った。
6
サミー・リーが素早く間を詰めた。コーナーからコーナーへリングを対角線状に走り、いきなり高く跳んだ。
そのまま空中でくるりと向きを変え、長く伸ばした足を鋭く振る。
コーナーで棒立ちになっていたゴーレムは両手で唸りをあげて顔面に迫ってくるサミー・リーの右足を払った。
サミー・リーの蹴りはフェイントだった。かわされることは承知で放っている。払われたその勢いで最上段のロープを掴み、左足の蹴りをゴーレムのこめかみに叩きこもうとしたのだ。
しかし、その読みには計算違いがあった。
ゴーレムの人間ばなれした力だ。普通のレスラーならば、思わず払いのけただけの動きが、サミー・リーをリングに向かって弾き飛ばした。
サミー・リーが頭からマットに落ちる。バウンドしない。めりこむ。
ゴーレムが飛んだ。
コーナーの端から、倒れたサミー・リーめがけて、その巨体を浴びせかけた。
文字どおり肉弾重爆撃である。三百キロの肉塊が三メートルくらいの高さから降ってくるのだ。まともに受けたら、内臓破裂どころではない。骨も肉もつぶれて、平たくなってしまう。
サミー・リーがマットの上で転がった。
その数センチ脇をかすめて、ゴーレムが落下する。
地響きが轟き、リングがぐらぐらと揺れた。間一髪、サミー・リーはゴーレムの圧殺を免れた。
すかさず身をひるがえし、自分の胴ほどもあるゴーレムの両足を押さえる。
脛と脛を交差させ、そこに自分の足をこじいれて膝と股間の関節をロックする。そして、全体重をそのロックした関節にかける。
これは怪物といえども痛い。まるで猛獣の咆哮のような悲鳴をあげて手近なロープにしがみついた。
サミー・リーは、それにかまわず絞りあげる。レフェリーは止めない。
「ロープよ?」
ユリがジェフを見た。
「あれもハンディなんだ。ゴーレムにはロープ・ブレイクがない」
ジェフが早口で答えた。
観客が総立ちになった。わあんと喚声が響き、耳をつんざいた。周りのテーブルに目をやると、何人かが興奮してカードをスリットに差しこみ、サミー・リーのボタンを押している。甘い。そんなんじゃ、カモにされちゃうよ。どう見たって、試合はこれからなんだ。
ゴーレムがロープを利用して、関節をきめられたままの膝を無理矢理立てた。サミー・リーのからだが、ずるずると引きずられる。なんという膂力だろう。サミー・リーが顔を真っ赤にしてふんばっているのに、まるで役に立たない。これで関節が砕けないなんて、ゴーレムってばスーパーセラミックスを使ったサイボーグじゃないの? 非常識よ、これ。
膝と腰を曲げたので、ゴーレムの腕がサミー・リーに届くようになった。ゴーレムは右手をロープから離し、上体をねじ曲げてサミー・リーの頭を鷲掴みにした。髪の毛じゃない。サミー・リーの頭を丸ごと掴んだのだ。ゴーレムの掌は、二十インチのスクリーンくらいある。サミー・リーにしてみれば、巨大な袋をすっぽりかぶせられて、そのまま絞めあげられたようなものだ。
ゴーレムがサミー・リーを自分の足から引きはがした。レフェリーが反則カウントを数える。ゴーレムとサミー・リーがからんで、ロープにもたれたからだ。サミー・リーにはロープ・ブレイクが与えられている。
ゴーレムが面倒臭そうにサミー・リーを投げ捨てた。ぶ厚い筋肉に鎧われたサミー・リーのからだがマットの中央に飛ぶ。
肩口から落ちて、大きく跳ねた。
「きゃーん!」
ユリが口を両手で覆い、悲鳴をあげる。そこかしこのテーブルでは、カードをスリットに運ぶ手が忙しい。
あたしは腰を浮かして、ランディスの様子を見た。ランディスは悠然と試合を眺めている。どうやら、まだ金を賭けてないらしい。よく見ると、リングサイドのテーブルでは、誰ひとりとしてスリットにカードを差し入れていない。さすがに常連。試合の流れというのをよく心得ている。
あたしは視線をリングに戻した。
ちょっと目を離しているスキに、またサミー・リーが攻撃にでていた。サミー・リーは活きがいい。スピードと技の切れで、パワーと体重の差を補っている。それにダメージから回復するのも早いようだ。
サミー・リーはゴーレムの大振りパンチをかいくぐり、一抱えはありそうな怪物の太ももに、連続して蹴りを叩きこんでいた。ゴーレムはなんとかしてサミー・リーを捕まえたいが、パワーショベルのようにぎくしゃく動くその腕では、どうしてもサミー・リーのスピードについていけない。
サミー・リーの十何発目かの蹴りが、ゴーレムの太ももの神径を抉った。
怪物は苦悶の絶叫をほとばしらせて、膝を折った。右の太ももの裏側が腫れあがり、皮膚がどす黒く変色している。
ゴーレムの頭とサミー・リーの頭が並んだ。絶好の位置だ。サミー・リーの肉体が、しなやかにしなった。
凄まじい進撃がはじまった。キック、キック、キック。ゴーレムの後頭部、こめかみ、顔面をサミー・リーは容赦なく蹴りまくる。サミー・リーは本物のファイターだ。蹴りやパンチで相手のスタミナを奪い、最後は関節技か絞技で決める。この試合は賭けの対象になっているんだから、曖昧な終わらせ方はできない。どちらかがKOされてはじめて観客は納得する。あたしには、この小柄なレスラーが、どうしてきょうチャレンジャーに選ばれたかがはっきりわかった。これは、こんな場末のナイトクラブでやるにはもったいない試合だ。
ゴーレムの上体が揺らいだ。両膝をがっくりとつき、まったく反撃しようとしない。サミー・リーにいいように蹴られている。目がうつろだ。
とつぜん、スリットの横にあるランプが赤くともった。賭けをいったんストップする合図だ。これがついたら、もうカードは受けつけてもらえない。どうやら胴元の方も、この試合をこれまでと見たか……。
しかし、ゴーレムはサミー・リーを欺いていた。観客や胴元もだましていた。ダメージは見せかけだった。
サミー・リーの蹴りの切れ味が、わずかに鈍ったときだった。たてつづけに何十発も蹴りこんで、さしものサミー・リーも攻め疲れたのだろう。ふっとテンポが狂い、威力が弱まった。
その一瞬をゴーレムは見逃さなかった。太い腕をすうっと伸ばし、サミー・リーの肩を抑えた。
がっくりと垂らしていた頭を弾みをつけて起こし、サミー・リーの額に思いっきり叩きつけた。
ハンマーがコンクリートの壁を砕くような音が響き、サミー・リーのからだが宙に舞った。
7
サミー・リーが大きく泳いでマットに落ちた。糸の切れた操り人形のように、くたくたとくずおれる。
鮮血が飛んだ。
紅の花が、白いマットを華やかに彩る。
サミー・リーの額だ。ゴーレムの頭突き一発で、サミー・リーの額が割れた。
賭けのストップランプが消えた。攻守の立場が入れ代わる。
勝ち誇った笑いを浮かべて、リングの中央でうずくまっていたゴーレムが立ち上がった。
そのさまは、まさに伝説や神話なんかに登場する巨人そのものである。
サミー・リーが逃げた。マットを転がり、エプロンからリング外に出た。
ゴーレムが怒りの雄叫びをあげた。腕を高く振りあげ、サミー・リーを追ってロープ際に進んだ。
あたかも、その雄叫びに応えるかのように、リングサイドのテーブルの間から、屈強な男が数人、わらわらと飛びだした。男たちはみな、黒っぽい制服を着ている。
コーナーポストの下で頭を抱えながら呻いているサミー・リーに駆け寄った。
一斉に手を伸ばし、サミー・リーをリングの上に押し上げようとする。
「ランバージャック・デスマッチだ。レスラーがリング外に出たら、カウントせずにクラブの用心棒が中に入れることになっている」
ジェフが言った。
ランバージャック・デスマッチ──大昔、何十人もの|木こり《ランバージャック》が並んで輪をつくり、その中にケンカする二人を閉じこめて決着がつくまで戦わせたことからはじまった、逃亡を許さない地獄のルールだ。
サミー・リーは逃げだそうとしたわけではない。そうではないが、しかし、すぐにリングに上がることは拒んだ。少しでも休みをとって、出血のダメージを癒そうとしたのだ。
押し上げようとする用心棒たちと揉み合いになった。
まとわりつく用心棒の腕を巧みにかわし、サミー・リーが時間を稼ぐ。
ゴーレムは激昂した。せっかく優位に立ったのに、このままずるずると休まれたのでは、試合がまたふりだしに戻ってしまう。
一声咆えて、ゴーレムはロープをくぐり、リング下に降りた。
来ないなら、こっちから行くまでだ。フロアでKOしてリングの中に放りこんでも、試合は成立する。ルール上、問題はない。──ゴーレムはそんな決断をくだしたらしい。
サミー・リーに襲いかかった。レフェリーと用心棒が止めにはいるが、ゴーレムが相手では、素手で暴走するブルドーザに立ち向かうようなものだ。止められっこない。逆に跳ね飛ばされて大ケガをする。
レフェリーも用心棒も払いのけて、ゴーレムがサミー・リーに追いついた。
こうなると、サミー・リーも逃げてはいられない。向き直り、正面からゴーレムを迎え討った。
両者が四つに組み合う。サミー・リーは、突進してくるゴーレムを抑えきれない。組み合ったまま、ずるずると後退する。
リングサイドのテーブルになだれこんだ。
テーブルが吹っとび、椅子が砕ける。二人のレスラーは、そこで、からんだまま殴り合いをはじめた。観客がまきこまれ、悲鳴と怒号が激しく飛び交った。
「やばい!」
ユリが立ち上がった。
「ランディスのテーブルだ!」
あたしも腰を浮かせた。間違いない。レスラー二人が乱入したのは、ランディスとおぼしき人物がついていたテーブルである。ここでランディスにケガされたり、行方不明になられたのではかなわない。とにかく何はさておき、保護しなきゃだめだ。
あたしとユリは椅子を蹴ってフロアに出た。テーブルとテーブルの間をすり抜け、前に進もうとした。
ところが、それを禁止している連中がいた。
「どこへ行かれます?」
黒っぽい制服の用心棒が二人、あたしとユリの正面に立ちはだかった。
「リングサイド」あたしは言った。
「そこ、どいてよ!」
「恐れいりますが、レスラーに近づくことは不正防止のため禁止されています。御自分の席にお戻りください」
用心棒が応じた。慇懃無礼の見本みたいなしゃべり方である。
「不正なんかじゃないわ。乱闘に知り合いがまきこまれてるのよ。助けに行くのは当然でしょ!」
「規則です。お戻りください。お客さまは、われわれがお守りします」
「ケイ!」ユリが叫んだ。
「ぐちゃぐちゃになってるわ、リングサイド!」
あたしは視界をふさいでいる用心棒の肩越しに首を覗かせた。
あちゃあ、こりゃひどい。ゴーレムは客も用心棒もみさかいなく投げ飛ばしている。リングサイドは大混乱で、人もテーブルも区別がつかない。
「そこ、おどき!」あたしは目の前の用心棒に向かって言った。
「どかないと、一発かますわよ」
「こりゃ、威勢がいい」用心棒は、せせら笑った。
「で、どんなふうにかましていただけるんで?」
「こんなふうよ!」
あたしはヒートガンを技いた。抜くと同時に、その用心棒の足もとめがけて、一発ぶっ放した。
オレンジ色の熱線が、床を灼いた。
ついでに用心棒の靴も少しだけど灼いた。
「!」
用心棒は声もない。顔をひきつらせ、髪を逆立てて二メートルくらい真上に飛び上がった。
「てめえ!」
もう一人の用心棒が血相を変えてあたしに飛びかかってくる。
そっちの方は、ユリが引き受けた。
銀色のホットパンツから伸びたすらりと長い足を真横に蹴上げた。
そこにちょうど用心棒の顔がくる。
編上げブーツの七センチのヒールが用心棒の顎をカウンターで蹴り砕いた。
悲鳴をあげて用心棒は、すっ飛ぶ。落ちたところにテーブルがあった。天板が真っ二つに割れ、食器やグラスがけたたましい音を響かせて散乱した。
足を灼かれた用心棒は、ぴょんぴょん跳ねながらフロアを踊り回っている。
邪魔者は排除した。あたしとユリはリングサイドに向かって再スタートを切った。
8
阿鼻叫喚のるつぼに到着した。
レスラーに客が近づくもへったくれもない。リングサイドでは、客とレスラーと用心棒が、いっしょくたになって転げまわっている。客は用心棒を殴り、用心棒はレスラーとやり合う。レスラーは誰でもいい。手当たり次第に蹴散らす。さすがにサミー・リーは相手を選んでいるようだが、額から吹きだす血で視界を失っているらしく、結果は手当たり次第と大差はない。ゴーレムに至っては、本当に手当たり次第だから、まるで荒れ狂うハリケーンである。人も調度も食器もおかまいなく空中に舞い散らす。
とりあえず、あたしはこの騒ぎを鎮めることにした。ランディスを捜すのは、それからだ。生きているといいけど、この有様じゃ、どうだかわかんない。
あたしはヒートガンの狙いをリングにつけた。そう。やるのはショック療法だ。いうまでもなく、ショックは大きいほど効果がある。
マットの中央に照準を定め、熱線のゲージも最大にして、あたしはトリガーを引き絞った。
次の瞬間。
マットが爆発的に燃えあがった。大音響が耳を聾し、目もくらむ炎が火球となって天井に届かんばかりに丸く広がった。
やったあたしが、びびったくらいだから、ホントそれはすごかった。
零コンマ数秒で、リングが灰になった。
すかさずユリが消化カプセルを炎の中に投げこみ、ついでに天井の熱センサーをレイガンでぶち抜いた。鎮火したあとに消火剤をかぶるのは、美容によくないもんね。
火が消え、煙が薄れたあとには、リングを支えていた四本の鉄柱だけが黒焦げになって残るのみ。
ナイトクラブ全体が静まり返った。
しんとしすぎて、かえって耳が痛いくらい。
レスラーも客も用心棒も、動きを止めて茫然とあたしたちを見つめている。あたしたちが、あまり美しいので目をそらすことができないのだ。──というのが冗談だってことは、すぐに明らかになった。
最初に我に返ったのは、用心棒の一人だった。
「きさま、なんてえマネを!」
大声でわめいて、あたしに詰め寄ってきた。あたしはヒートガンで応対した。用心棒は泣き声をあげて、どっかに失せた。
「ふざけたねえちゃんだ」
太い声が、あたしのすぐ横で響いた。恐竜の咆哮が言葉になったら、今みたいに聞こえるのだろうか。ざらついた、石と石とをこすり合わせるような、耳に障る声だった。
テーブルやら椅子やらの残骸を押しのけて、恐竜の声の主──ザ・ゴーレムが、あたしの前にやってきた。
「ふざけてんのは、そっちじゃない」あたしはゴーレムに言い返した。
「プロレスはリングの上でやるもんよ!」
「なにい!」
ゴーレムの顔がどす黒くなった。怒りで形相が歪み、それはもう凄絶な表情になった。
あたしはヒートガンを下に向け、トリガーから指をはずした。こんな怪物、いくら足を灼いたってひるみゃしない。かといって殺しちゃうわけにもいかない。と、なれば、相手ができるのはただ一人。いや一頭か……。
「やめろっ!」
あたしとゴーレムの間に飛びこんできた。
あたた。あたしは頭を抱えた。あんたじゃない。ジェフってば、だめだよ。
ばきっ。
鈍い音がした。ゴーレムが軽く腕を上から下に振りおろしたのだ。
ジェフがひっくり返った。テンガロンハットが吹っとび、ジェフのからだがフロアに叩きつけられた。
「ジェフ!」
あたしは倒れたジェフに駆け寄った。アスラヴィルのシェリフは白目を向いて失神している。まずいよ。ハンサム台無しだよ。
「やったわね!」
あたしはゴーレムを睨みつけた。
「だから、どうなんだ?」
ゴーレムは胸を張る。近くで見ると、本当にでかい。象だって、こいつに較べたら、もう少し控えめだ。
黒い影が宙に躍った。
ひらりと舞い降りて、あたしの斜め前に音もなく立った。
怪物レスラーが、うっとたじろいだ。
揺れ動く触手。剥きだしになった鋭い牙。KZ合金ですらすっぱりと切り裂く長い爪。漆黒のからだは深い艶を帯び、火と燃える双眸は嵐の激しさをその奥に秘めている。いかな化物、魑魅魍魎といえども、立ち向かうには、それなりの覚悟がいる。
黒い破壊者、クァール。
ムギが低く構え、静かに歩を進めた。ゴーレムの真正面である。距離は約三メートル。眼光が洞々と燦き、全身からは敵意が噴き出している。まさに殺気の塊だ。ゴーレムにしてみれば、抜き身の剣を喉もとに突きつけられている気分だろう。血の気を失い、身じろぎひとつできないでいる。
「ランディスはどこ? 生きてるの?」
ユリがあたしの横にきて凝然と立ち尽くしている客たちをひとわたり眺め、凛とした声で言った。レイガンはまだ右手に携えたままだ。ホルスターに戻していない。
「お、俺のことかな?」
あたしのすぐ左脇に、テーブルやら椅子やらの残骸がうず高く山になった一角があった。その山の中から返事があった。
山が盛りあがり、崩れた。
上着をずたずたに引き裂かれ、顔のあちこちに青あざをこしらえたランディスが、うっそりとあらわれた。どうやら二、三発、殴られたところで、この残骸の中に逃げこんだらしい。常連だけに、修羅場には慣れているみたい。
「あんたがランディス?」
あたしは訊いた。
「十一鉱のランディスです」
とまどいの表情を浮かべ、ランディスはぼそぼそと答えた。
フロア全体にざわめきが広がった。一時の緊張がほぐれ、客の間に好奇心がめばえだしたのだ。
あたしは少し声を大きくした。
「あたしたちはWWWAのケイとユリ」歯切れよく言った。
「あなたに伺いたいことがあって、ここに来たわ」
一瞬、ざわめきが失せた。いあわせたすべての人間が息を呑む気配が伝わってきた。あのザ・ゴーレムですら頬をひきつらせ、目を丸くした。
「ダーティペア……」
誰かが、つぶやいた。
それがきっかけになった。
またフロアが甲高い喧噪に包まれた。
そのときだった。
「お静かに、みなさん……」
穏やかだが、有無を言わせない重々しい声が、クラブハウス全体に響き渡った。
たちまち喧噪が消えた。
あたしは振り返った。
巨大な二面のスクリーンだ。試合の様子をアップで映していた、あのスクリーンの映像が、いつの間にか変わっている。
スクリーンには、男の顔が映っていた。年齢は五十代といったところか。でっぷりと太っており、顎が三重になっている。目は小さくて丸く、まるで小さな褐色の木の実のようだ。髪は銀髪で薄い。
「わしは、オーナーのテレストファネス」スクリーンの男は言った。
「WWWAのお嬢さん方には失礼をした。なにしろそこは殺気立ったプロレス会場。穏やかに話し合うにはちと不向きだ。つづきは、わしの部屋でいかがだろう? ここなら、レスラーも不粋な用心棒もいない」
「けっこうね」あたしは言った。
「ランディスも連れてくわよ」
「もちろん、かまわない」
テレストファネスは右手を軽く振った。
「それから救急車を一台呼んで」ユリがつけ加えた。
「シェリフが殴られて、のびてるわ」
「すぐに手配する」
大きくうなずき、太ったオーナーは濃い三角形の眉毛をはねあげた。
スクリーンがブラックアウトした。
「失礼の段、平にお詫びします」
マネージャーがやってきた。
「──どうぞ、こちらへ。オーナーの部屋に御案内いたします」
うやうやしく頭を下げた。
9
細身でひょろっと背の高いマネージャーに案内されて、あたしとユリ、それにランディスはクラブハウスの奥へと進んだ。ランディスはきょろきょろと周囲を見回して、態度が落ち着かない。鉱山の仕事を終えてから、そのまま〈サルバトーレ〉に来たのだろう。暗緑色の作業着を身につけている。身長は並で、別に太っているわけでもないが、技師などというイメージからはほど遠い。ただの風采のあがらないおじさんである。
「試合は、どうなったかなァ」
ランディスが、つぶやいた。このおじさん、なによりもプロレス賭博のことが気にかかっているらしい。
「リングが消えちまっては、試合はできない。お客さんには帰っていただきましたよ」
マネージャーが答えた。
「来週は大丈夫かい?」
試合ができないと聞いて、ランディスはあわてた。
「ちゃんと、やりますよ」
「そうか……」
ホッとしたようにため息をついた。これは、かなり重症のギャンブル中毒である。
薄暗い通路をえんえんと歩き、ばかでかいエレベータで少し昇ると、オーナーの執務室とおぼしきドアの前に到達した。なかなか高そうなドアである。木製で、純金の象眼細工が施してある。
マネージャーがドアの正面に立つと、ドアは自然に開いた。
マネージャーは最敬礼した。
「お客さまを、お連れしました」
さっと横に移って、中にはいるよう、あたしたちをうながす。
あたしが先に立った。そのつぎがユリ、最後がランディス。かーいそうに、あんまりものものしいから、ランディスってば、ぶるっちゃってる。マネージャーはついてこない。
「これは、これは」
中へはいるとすぐに、部屋の主が両手を大きく広げて、椅子から立ち上がった。おもしろい体型だ。身長が横巾と大差ない。といって滅茶苦茶小柄というわけではないから、とにかく横巾というか直径というか、そっちの方がものすごいのだ。さすがに三重顎は伊達ではない。
「噂以上にお美しい」
デスクの前にでてきて、握手を求めた。握手ったって、すぐには応じられない。なんたって部屋がだだっ広いのだ。執務用のデスクと椅子しか置いてないくせに。あたしは部長の部屋を思いだした。調度の数は同じで、広さは十倍近い。
ちょっとした散歩ののちに、あたしとユリはテレストファネスと握手を交わした。なぜか、ランディスは無視された。ランディスの方もおどおどしていて、オーナーに近づこうとしない。ドアとデスクの真ん中あたりで立ち止まり、肩を丸めている。
「とにかくまあ、くつろいでもらおう」
床の一部がせり上がって、ソファになった。豪華なソファで、サイドボードまでくっついている。その中にはお酒がぎっしり。移動式のバーだね、こいつは。
あたしとユリは腰をおろした。ランディスはやはり距離を置いたまま。〈サルバトーレ〉のオーナーが相手なら客の立場のはずなのに、なぜかひどく遠慮している。
「何か飲むかね?」
テレストファネスが訊いた。テレストファネスも、ランディスなど存在しないようにふるまっている。
あたしはスロー・ジンフィズ、ユリはワインのロゼを注文した。テレストファネスはスコッチのストレート。ランディスは無視。
軽くグラスを掲げて乾杯した。あたしたち二人が楽に腰かけられるソファに、テレストファネスがすわると、一人でもお尻がはみだしそうになる。
「さて……」
いかにも形式的に一口つけると、テレストファネスはグラスを置いた。
「話を聞かせてもらおうかな。WWWAの犯罪トラコンが、どうしてこんな辺境の鉱山にあらわれたのか。別に目立った事件も、ここでは起きていない。それなのに、ダーティペアがやってきて、わしのリングを灰にした。はっきりした理由を知りたいね」
「思い違いが一つあるわ」
あたしは応じた。
「どういうことだ?」
「WWWAが動くのは目立った事件に限らないってこと。平穏無事なまちだからって、何も起きてないとはいえないわ」
あたしは、ランディスの一件をテレストファネスに話した。提訴したのがメイヤーであることも隠さなかった。どーでもいいけど、シェリフがハンサムで有能だというのも忘れなかった。
「見えない牙か……」
テレストファネスは眉根にしわを寄せて考えこんだ。
「ランディス、おめえ、そんなひどいケガだったのか?」
びくついて及び腰になっている技師の方を振り向き、いきなりぞんざいな口調で訊いた。
「いいえ、とんでもありません。ありゃ、ほんのかすり傷でした」
ランディスは硬直し、顔を小刻みに横に震わせた。
「すると、てめえは、ほんのかすり傷のことをあちこちに吹聴してまわったというんだな」
テレストファネスの声が鋭くなった。丸い目がすうっと細くなり、技師を冷たく睨みつける。ランディスは血の気を失った。
「ちょっと、いいかしら」
見かねて、あたしは二人の間に割ってはいった。
「テレストファネスさん、あなた、ナイトクラブのオーナーでしょ。だったら、ランディスはお客さまじゃない。どうして、そんなに威丈高な態度をとるの? ちょっと、ひどすぎるわ。いいかげんにしてよ」
「客? ランディスが……」
テレストファネスの表情が変わった。きょとんとした感じになった。
「あんたたち、何も知らないで、ここに来たのか?」
あきれたように訊いた。
「知らないって?」
今度は、あたしがきょとんとする番。
「わしはオーナーと呼ばれているが、それはこのナイトクラブのオーナーだからではない」
テレストファネスは口調をあらためて言った。
「っていうと」
「わしはチャクラにあるすべての鉱山《やま》のオーナーなのだ」
ひええ!
あたしは心の中で声にならない声をあげた。じゃ、じゃあ、オーナーってのは……。
鉱山主って意味!
10
「でも、チャクラはマンダーラの統治領でしょ?」
あたしに代わって、ユリが訊いた。あたしは動転して口だけを動かしている。言葉がでてこない。ユリ、頼む。
「──なのに、どうして、あなたがそこのオーナーになれるの?」
「政府から、開発を委託されたのだ」テレストファネスは言った。
「わしが出資して、そのための会社を興し、ここに技師やら機材やらを送りこんだ。早い話が、アスラヴィルも、わしの会社が建設したのだ。したがって、ランディスはわしの客ではない。わしの部下だ。なめてもらっては困る。わしが、こんなちっぽけなナイトクラブのオーナーにすぎんと思ったら、大間違いだよ」
大間違いだっつーたって、そう思うよ。ここにいるんだもん。
「雇い主であるわしが、自分の会社の人間が関わっている事件のことを他人から聞かされる。こんな不快な話はない」
テレストファネスは言を継いだ。そりゃまあ、そうだろうね。でも、よく考えると、これはえげつないやり方だなあ。鉱山、経営して社員に給料を払い、その金を今度は酒と賭博でまきあげる。儲かる一方だよ。
「申しわけありません、オーナー」
ランディスがいきなり蛙のように這いつくばった。
「しかし、わたしはあのケガのことを吹聴なんかしていません。ケガの手当ては鉱山の診療所でやりましたし、どうしてこれがメイヤーの耳にはいったのか、まるでわからないのです」
「経過はどうでもいい」テレストファネスは吐き捨てるように言った。
「問題は面倒を引き起こしたことだ」
「だけど、ランディスには責任ないわよ」
あたしは言った。
「ふむ……」
テレストファネスは鼻を鳴らした。
「──どうだろう」
ちょっと間を置いてから、あたしの方に向き直った。
「金を払ったら、おとなしく帰ってくれるか?」
「あたしたちが? まさか。ノウよ!」即座に拒否した。
「何を嫌がってるか知らないけど、そんな取引はできないわ。あたしたちが帰るのは任務が完了したとき。買収しようなんて、冗談じゃないわ」
「わしが恐れているのは、事件の真相ではなく、あんたたちの実績だ」テレストファネスは、ずばりと言った。
「チャクラの事業は軌道に乗ったばかりだ。そこへ、あんたたちが来た。わしとしては、被害はリング一つでとどめたい」
うぐぐ。あたしは口をつぐんだ。なんという説得力のある発言。言い返そうにも言葉がない。
「あたしたちに帰ってほしかったら、捜査に進んで協力することね」ユリが言った。いいぞ。負けるな。
「あたしたちは何か有力なヒントが得られれば──完全でなくてもいいのよ。その断片でも手に入れられれば、そこから結論を導きだせるように特殊な訓練を受けてるわ。だから、捜査官じゃなくて、トラブル・コンサルタントと呼ばれているの。なんでもいいわ。思いあたることがあったら教えて。そうしたら事件にかたをつけて、さっさと本部に帰ってあげる」
「ヒントねえ……」
テレストファネスは三重顎に手をやり、首をひねった。
「ここは平和な星なのだ」
「あのう」
ランディスが、おどおどと口をはさんだ。
「ちょっと、お話ししてもいいでしょうか?」
「構わんぞ」テレストファネスが横柄に言った。
「たねはお前がまいたんだ。しっかり協力しろ」
「盟主がいるのですが」
「ちっ!」
テレストファネスは舌打ちした。
「あれは、ただの狂人だ。問題にはならん」
「盟主って?」
あたしは訊いた。
「最近、鉱山《やま》にあらわれたおかしな男だ」テレストファネスが説明した。
「もとはうちの技師だったが、ある日いきなり裁きの時が近い、などとわめきだして宗教活動をはじめたのだ。今は〈絶対の申し子〉などと称している信者が何人かいるらしいが、ほとんどの人間は眉つばだとせせら笑っている」
「あなたは、それを、どうだと思うの?」
あたしはランディスを見た。
「どうだとかではなく、ただ近ごろ起きた変なことなので、そちらの捜査のヒントにはならないかと……」
ランディスの声は途中で細くなり、やがて消えた。
「ヒントといわれても、それすら乏しいということだ」
テレストファネスが肩をすくめた。
話は、それから二十分ほどつづいた。
しかし、結局、なんの進展もないまま、曖昧に終わった。
テレストファネスは、あたしたちをチャクラから追い払えなかったし、あたしたちは新事実やヒントを丸っきり入手できなかった。
要するに、無駄足だったのである。
ランディスを〈サルバトーレ〉に残し、あたしたちは帰路についた。もっとも、帰路といっても、どこに帰っていいのか、それすら決まっていない。〈ラブリーエンゼル〉に戻るか、適当なホテルを捜すか、それとも爆風に痛めつけられたジェフの事務所に顔をだすか。ジェフといえば、ケガのほう、どうなったのだろう。顔に傷が残んなきゃいいけど。
──なんて思考が千々に乱れているうちにマネージャーに送りだされ、クラブの外に出てしまった。
明るいから昼間みたいだが、〈サルバトーレ〉の面しているメインストリートには人通りがまったくない。ということは、今は深夜なのだ。車だって、ぜんぜん走ってない。
「かったるいなァ」
あたしは大きくのびをした。ムギも、うんざりしたように舗道に寝そべっている。
「あーあ、誰かいい男がやってきて、しゃれた車でどっかに誘ってくれないかしら」
ユリが夢のようなことを言った。
「なに言ってんのよ」
あたしは鼻先で笑った。
エアカーが一台、滑るように走ってきた。大型のリムジーンだ。アスラヴィルではついぞ見かけない高級車である。
それが、あたしたちの前で止まった。
ドアが重々しく開く。誰ぞ降りるのかと思って場所を譲ろうとしたら、そうではなかった。
助手席の窓があき、初老の紳士が顔をのぞかせた。
「ラブリーエンゼルのおふたかたですね」
あたしたちのコードネームを正しく言った。えらい。誰だが知らないけど立派な人だ。
「そうですが、そちらは?」
愛らしい笑顔で訊き返す。うーむ、細部が少し違うけど、ユリの妄想が本当になりそうじゃない!
「お迎えにまいりました」紳士は丁重に言った。
「メイヤーが御招侍申しあげたいといっております」
なるほど。あたしは納得した。オーナーの次はメイヤーなのか。
[#改ページ]
第三章 ちょっとォ、話がややこいじゃない!
1
「アスラヴィルのメイヤー、ボナシスです。──本当はマンダーラから派遣されたチャクラの知事なのですが、御存知のように、ここには都市がアスラヴィルしかない。しかも、鉱山はオーナーが管理している。だからみんな市長《メイヤー》としか呼んでくれないのです」
葉巻きをくゆらせながら、メイヤーは甲高い声で、ホホホと笑った。その笑い声をやわらかい波の音が穏やかに消す。エンジン音は低くて、耳を澄まさないと聞こえてはこない。もう、かなり沖合にきているはずなのだが、揺れもほとんどなく、航行している船の上とはとても思えないほど快適だ。
〈サルバトーレ〉の前であたしたちを乗せたリムジーンはアスラヴィルの市街を突き抜け、ハイウェイをひた走った。まちが一つしかないチャクラにどうしてこんなハイウェイがあるのだろう。つい、そんなことを考えてしまう。向かっている方角は、宇宙港とは逆である。まさか鉱山にでも連れてかれるのかな。でも、それも変だ。リムジーンなんかで鉱山に行ったら、山道で車体がつっかえて、身動きとれなくなってしまう。助手席のおじさんにいろいろ訊きたいけど、前席と後席はスモークドガラスで遮られていて、コミュニケーションが成立しない。喜んでほこほこと乗ったものの、体のいい護送車じゃないか、こいつは。お酒が飲み放題で、好みのBGMが選べるってとこがまあ、サービスといえばサービスか。もっとも横にいるのがユリとムギだけでは、いくら上等な酒が揃っていても、つのるのは侘しさだけだ。ぐすん。ジェフが欲しいよう。
小一時間はリムジーンに乗っていた。推定時速三百五十キロくらいだから、けっこう遠くまで運ばれたってことになる。
リムジーンが停まった。助手席のおじさんが降りる。ドアが開いた。新鮮な水のかおりが、風にのって車内に流れこんできた。
「わあ!」
ユリが目をみはった。
ヨットハーバーだった。あたしたちの目の前には瀟洒な波止場がある。大型のクルーザーが何艘も錨泊し、その向こうには、水平線のかなたまで水面が広がっている。空と水との間はぼんやりと霞み、どこが境目か判然としない。
「海じゃないわね」
あたしは水の匂いをかいだ。
「オータナ湖。海のように広うございますが、立派な淡水湖でございます」
おじさんが言った。この人、メイヤーの秘書だって言ってたけど、ツアー・コンダクターの方が向いてそうね。実にみごとな標準語《ガラクト》でしゃべる。
「こんなとこに来ちゃって、どうするの? 今から船遊び?」
ユリが訊いた。さっきのハイウェイは、この湖とアスラヴィルを結ぶためだけに建設されたものらしい。贅沢な話である。
「さようでございます」ユリの問いに、おじさんはうなずいた。
「あちらの船に御乗船ください」
右手を伸ばして波止場の真ん中を指し示した。
そこには、ひときわでかいクルーザーが浮かんでいた。船体は純白に輝いており、その姿はあくまでも優美。波止場のほかの船には人影がないが、この船だけは甲板の上を数人の船員が行ったり来たりしている。
「あそこでメイヤーに会うの?」
あたしは、おじさんに訊いた。
「お待ちかねのはずです」
「勿体のつけすぎよ」
ユリが言った。ユリはメイヤーの趣向を気に入ってない。
「いろいろと事情がありまして」おじさんは淡々と応じた。
「そのこともメイヤーが説明なさるでしょう」
おじさんに案内され、短いタラップを昇った。船腹に船の名が描いてある。〈エル・サント〉──聖者って意味だ。
甲板にあがると、船長がやってきた。背が高くってスマートな人だ。これで若かったら、ジェフみたいにつばつけちゃうんだが、惜しい。しっかり中年である。船長は、あたしたちの案内役をおじさんから引き継いだ。
こぢんまりとしたキャビンに通された。船体だけでなく、キャビンの中も真っ白。調度にしろ壁にしろ、しみ一つない。ベッドは二つで、左右の壁の中に折り畳まれている。ムギがさっさと一つ引っぱりだして、そこに寝そべった。
「食事の用意ができましたら、お呼びします」船長が言った。
「それまで、ここでお休みください」
敬礼して、いなくなった。
しばらくすると、船が動きだした。
岸壁から離れ、波止揚がみるみる遠去かっていく。
「オーナーも変わってたけど、メイヤーもいい勝負みたいね」
ユリが言った。
「めまっちゃうよ。マジにつき合ってたら」
ムギを壁際に押しやり、あたしはベッドに腰をおろした。ついでに、そのまま横になる。ムギの背中が枕だ。
「おなかすいた」
あたしは、ため息をついた。
あたしたちは、それから二時間、待たされた。
きっかり二時間後に、パーサーがあたしたちを迎えにきた。あたしは餓死寸前で、立ちあがるのさえ手助けがいる。ユリがムギを同席させていいか、訊く。構わないという返事だった。話のわかる船である。狭いベッドで、あたしの枕にされてふてていたムギの機嫌が、目に見えてよくなった。
ダイニングルームは、甲板よりも、さらに一層上がったところに設けられていた。窓が大きく、部屋もひろびろとしている。そこに巨大な楕円形のテーブルが一つしつらえられ、椅子がその端っこの方に三脚だけセットされている。あたしたちと、それからメイヤーのだろう。ちょっと間伸びする配置である。メイヤーはまだ来ていない。
パーサーに椅子を勧められた。あたしとユリが互いに向かい合う形である。優雅な身のこなしで椅子を引き、パーサーはあたしたちを席につかせた。ムギはあたしの右横だ。もちろん椅子はない。床に直接、座りこむ。
「わざわざ、御苦労様でした」
席につくと同時に、声がした。首をめぐらすと、入口に葉巻きをくわえた銀髪のほっそりとした男性が立っていた。
年齢は四十代後半か五十代前半か──。そんなに年寄りではない。明るい色と柄のスーツを着ている。背の高さは、まあ普通。でも、ガリガリに痩せているから、少し高めに見える。からだは、とにかく細い。スーツの色で、細身が強調されているのかもしれないが、それを考慮にいれてもちょっと細すぎる。しかし、けっして病的ではない。顔の色つやは、なかなかのものだ。灰色の瞳も光が強い。髪はふさふさしている。皮膚のたるみや、しわも少ない。
「WWWAから派遣されたトラブル・コンサルタントのおふたりですな」
銀髪の男は、葉巻きをくゆらせながら、ゆっくりとあたしたちの方へと歩を進めた。しぐさや雰囲気が、どことなく女性的である。
きんきんとする声で、男は言った。
「わたしが、アスラヴィルのメイヤー、ボナシスです」
2
パーサーがメイヤーを席につかせ、姿を消した。入れ違いに、五人のウェイターが料理の皿を運んできた。メイヤーは葉巻きをテーブル脇の処理ポットに投げ入れた。食事は、正式のフルコースである。マンダーラの自慢のメニューです、とメイヤーが説明した。なるほど、あまり見かけない料理である。材料もワインも、わざわざマンダーラから取り寄せたらしい。オードブルなども、わりとこってりしている。逆にワインはあっさりとした風味で、料理とうまく調和している。メイヤーはミイラのように痩せているくせに大食漢《グルマン》で食通《グルメ》だ。カロリーはいったいどこに失せてしまうのだろう。あたしは、その秘密をぜひ知りたい!
食事の間は、あたりさわりのない世間話をかわした。チャクラの開発秘話とか、マンダーラの政界ゴシップとか、そんな話である。ユリがウェイターから銀の皿を一つもらい、その上にカリウムのカプセルを載せて、床に寝そべっているムギの前に置いた。ムギはうやうやしく、そのカプセルを一口で呑みこんだ。これでムギのきょうの食事はおしまい。カリウムカプセルは高価だけど簡単でいい。
やがて、デザートもすみ、食後のお茶となった。これもマンダーラのお茶だという。香りが強く、ちょっと甘い。ウェイターが食器を片付け、テーブルの上に燭台を置き、花を飾った。カーテンをおろし、ろうそくに火をともす。それから五人のウェイターは、一礼して引きさがった。
ダイニングルームは、あたしたちとメイヤーの三人だけになった。
「さて……」
気取ったポーズでお茶の香りをすいこみ、うっとりとした表情をつくって、メイヤーが口を開いた。この人、カップを持つときに小指を立てる。
「そろそろ本題にはいりましょうかな」
味をたしかめるように、一口だけ含んだ。
「訊きたいことがいっぱいあるわ」
あたしは言った。
「それは、こちらも同じです」上目づかいに、メイヤーはあたしを見た。
「どうして、この一件の提訴者であるわたしのところへ最初に来なかったのですか?」
おっとォ、なかなか鋭い質問だ。
「いってみれば、成行ね」あたしは軽く答えた。
「ここに着いて車に乗ったら、まちにはいった。そーしたら、ハンサムなシェリフと知り合った。とたんに見えない牙で殺人事件。ランディスに話を聞きに行けば、オーナーがあらわれる。──ほら、あなたの出番、ないじゃない」
「大雑把ねえ」
ユリが盾をひそめた。うっさい。こんな説明は大雑把でいいんだ。
「わたしは、ここに来てから、あなたたちが何をして何を見たか、すべて承知しています」薄い笑いを口の端に浮かべ、メイヤーは言った。
「あの事件をわたしは気まぐれや冗談でWWWAに提訴したのではない。マンダーラ政府からチャクラを預かる者として、これは重大事だと感じたからこそ、捜査をお願いしたのです。そのことを忘れないでいただきたい」
「別に、あなたをないがしろにしたわけじゃないわ」ユリが言った。「あたしたちには、あたしたちの捜査の手順があるの。何も提訴者から真っ先に会う必要はないわ。とにかく事件の中心人物であるランディスからは話を聞いたんだし……」
「それで成果は?」
「今んとこなし」
あたしは肩をすぼめ、両手を広げた。メイヤーは右の眉をぴょこぴょこと上下させた。
「きょうは、じっくりと話し合いましょう。せっかくWWWAの犯罪トラコンにチャクラまで来ていただいたのに、アスラヴィルでもぶち壊されて帰られたのでは、わたしの立場も危うくなりますからね」
ぐっさあ! あたしの胸に激痛が走った。なんという皮肉。なんという嫌味。
「一つ、お訊きしてもいい?」
ユリが小首を傾げてメイヤーの顔を覗きこんだ。口もとには、いかにも愛らしい微笑。こいつは、こういうときにこんなマネができるから、つおい。あたしみたいな繊細な神経の持ち主では、こーはいかない。
「あなた、どうしてランディスの事件をお知りになったの?」ユリは白くて細い指を軽く組み、そのうえに|おとがい《ヽヽヽヽ》をちょこんとのせた。
「雇い主であるオーナーだって知らなかったことなのよ」
「そのことですか」メイヤーは内ポケットから葉巻きを取りだした。あたしたちに許可を得て火をつける。
「わたしはただの飾りではない。正式にはチャクラの知事です。それはたしかに、経済の実権はオーナーが握っている。しかし、行政のトップは、あくまでもわたしだ。住民の自治を認めていても、それなりの権限はわたしのもとにある」
「情報だけは掴んでおくってわけね」
あたしは言った。
「一種のたしなみです」
メイヤーは悠然といなす。
「シェリフとは別の公安組織を持ってらっしゃるんですってね?」
ユリが重ねて訊いた。
「それほど大袈裟なものではありません」メイヤーの眉が、またはねあがった。どうも、これがこの人の癖みたい。
「専任スタッフも十人とはいませんし、強制捜査は禁じてある。ささやかなものですよ」
「かれらに情報を集めさせて、あなたはそれをチェックしている。ランディスの件もそうやって、あなたのアンテナに引っかかってきたのね」
「わたしには、それをおこなう義務がある」
「どういうこと?」
「オーナーです」
メイヤーは声をひそめ、わずかに身をのりだした。
「オーナー?」
「かれは『ルーシファ』です」
げっ!
息が止まった。思わず椅子の上に飛びのって、踊りだしそうになった。ユリなんか、飲みかけていたお茶を喉に詰まらせて激しくむせている。
ばっ、馬鹿な。かりにも国家から一つの惑星の開発を任されている人物が、あの『ルーシファ』のメンバーだって!
『ルーシファ』は全銀河系にその勢力を広げている巨大犯罪組織だ。極端な血縁主義が特徴で、活動は残虐非道、大胆不敵、悪辣無比。とにかくひどい。宇宙海賊と並んで人類最大の敵に、銀河連合から指定されている。あたしたちが扱う犯罪の蔭にも『ルーシファ』がひそんでいることが少なくない。──というよりも、やたらと多い。
「そ、それ確証があることなの?」
何度も息を吸いこんで、ようやく声がでるようになったあたしは、喘ぎながらメイヤーに訊いた。
「いや」メイヤーはかぶりを振った。
「そんなものがあったら、とうに逮捕してますよ。情報は入手したものの、証拠がみつからないから、わたしは手をこまねいていたのです。そんな矢先に、あの不可解な事件だ。わたしはチャンスだと思いました。この事件をきっかけにチャクラで捜査がおこなわれれば、オーナーが馬脚をあらわす。そう睨んでWWWAに提訴したのです」
「うーむ」
あたしは唸った。
うーむ。いったい、なんてことなのだ。
3
しばらくは声がなかった。これが事実なら、大変な話である。チャクラで産している鉱石や元素の価値を考えると、ことはマンダーラ一国の非常事ではすまなくなる。とくにブッデイジウムはまずい。あの稀元素の供給を『ルーシファ』に握られたら、各国の化学産業は大打撃を受ける。
「わたしが、あなたがたと会うのに、まわりくどいやり方をしたので。さぞかしあきれたことでしょうな」長い沈黙を破り、メイヤーが言った。
「しかし、身の安全を配慮すると、ああするしかなかったのです。あなたがたは、オーナーのもとにおられた。オーナーは隠されていた事件のことを知り、さらには、わたしが、その事件をWWWAに提訴したことまでも耳に入れた。事態は深刻です。わたしは、もはや安閑としてはいられない。何をするにも、それなりの手配が要る。常に周囲に気を配い、隙を見せてはならない」
「それで、わざわざ湖上に船をだした」
「そうです」メイヤーは、あたしを見た。
「この船は武器など一つも装備していない普通のクルーザーです。けれども、防備は怠っていない。静止衛星軌道上には大出力のレーザー衛星があり、この船を中心に、その照準を定めてある。また、水中には潜水艦がひそんでおり、接近する艦船のチェックをおこなっている。もちろん、攻撃があれば、即座に対処できます」
「戦争状態ね、まるで……」
ユリが言った。
「相手が『ルーシファ』となれば、この備えも大仰でないと思いますが?」
「うん」
あたしはうなずいた。ホントに、そのとおりだ。オーナーがまぎれもなく『ルーシファ』の幹部で、メイヤーが、その正体に勘づいたことを知ったというのなら、大仰でもなんでもない。むしろ、手ぬるいくらいだ。連合宇宙軍に出動要請をだしても、おかしくはない。
「これで、わかっていただけたでしょう」メイヤーは言を継いだ。「あなたがたは、最初にわたしと会うべきだったのです」
んなこと言ったってえ。あたしは心の中で反論した。こっちはリオネスのゴタゴタであせってたしィ、宇宙港に迎えはなかったしィ、ジェフはハンサムだったしィ、あによォ、どれも反論にならないじゃない。
ズズン。
どこかで音が響いた。爆発音に似た太い音だったが、くさっていたあたしは、それを、あまり気にしなかった。
ところが。
ズズン。
音はさらに大きくなって、床から足に強く響いてくる。
「これは!」
メイヤーが顔色を変え、立ち上がった。
そのとたんである。
船が飛び跳ねた。
本当は、盛り上がった海面に勢いよく持ち上げられたのだが、あたしには、そうは思えなかった。いきなり、船が二十メートルくらいジャンプしたように感じられた。
慣性の法則が恨めしい。
まず床に叩きつけられ、つぎに天井にはね飛ばされた。
あたしたちだけじゃない。巨大な食卓も一緒だ。椅子もおまけに付いてくる。
必死で逃げた。頭は打つし、腰は痛いしで、気を失いそうだったが、それでも逃げた。あんなのに、ぶちあたられたら痛いじゃすまない。からだがバラバラになる。
奇跡のように、あたしもユリもメイヤーもテーブルと椅子をかわした。ムギはいうまでもない。テーブルは真っ二つになり、椅子は粉々に砕けた。メイヤーは破片で顔を切った。しかし、気丈だ。血を見ても平然としている。
船の上下動は、しばらくつづいた。だんだん収まっていくが、途中から横揺れも加わり、立つに立てない。揺れに合わせてテーブルの天板が転がってくるので、それを足で蹴とばす必要もある。
「メイヤー!」
壁の一角がとつぜんスクリーンになった。奥の隅の方だ。そこに船長の顔が映った。船長の顔は蒼醒め、額に血がにじんでいる。飛ばされちゃったのだろう。帽子もかぶってない。
「どうした? 何があった?」
メイヤーが口ばやに訊いた。少し震えているが、しっかりした声だ。負傷はダメージになっていない。
「潜水艦が……」船長は言った。
「爆発しました。原因は不明です」
「やられた? あれが!」
メイヤーの双眸が吊り上がる。
「はい。あっ!」
スクリーンの中で、船長が後ろを振り返った
「なんだ? おい。わっ!」
声が悲鳴になる。
「うわあ!」
逃げだした。
「キャプテン!」
メイヤーが叫ぶ。船長が逃げたので、スクリーンには誰も映ってない。ブリッジのそれとおぼしき壁だけが見える。
魂消る悲鳴が、スクリーンのスピーカーから飛びだした。
と、同時に。
スクリーンが真っ白になった。光の粒子が砂嵐のように画面を覆った。
「何が、いったい……」
頬を鮮血で染めたメイヤーが、あたしたちの方に向き直った。目が焦点を結んでいない。
しかし。
茫然としているヒマもなかった。
突き上げるようなショックがきた。
さっきのほど大きくはない。だが、鋭さが違う。さっきのが、ぐうんという感じなら、今度のは、ぐん! というやつだ。
気を抜いていたメイヤーが吹っ飛ばされた。あたしとユリは仰向けになってコーナーで手足を突っぱらせていたが、それもまるで役に立たなかった。
斜めに飛んで、壁に激突する。火花が散り、息が詰まる。全身が痺れ、苦痛で意識がふうっと薄れる。
床に落ちた。後頭部から。首の骨が嫌な音をたててきしむ。手でかばったけど、かばった腕にも激痛が走った。
一回転して、平たくなった。うつ伏せである。耳に、何かこすれるような音が響いてくる。
朦朧となって、目を開けた。目は床すれすれのところにある。首をもたげたつもりだが、ぜんぜん動いていない。
「!」
音の正体が見えた。テーブルだ。船が傾いているのだろう。脚を失って天板だけになったテーブルが、あたしの方にまっすぐ滑ってくる。あれにぶつかったら、あたしの頭は華やかに砕け散る。
逃げたい。でも、逃げられない。からだが、まったく反応しないのだ。まるで金縛り。動けない。
テーブルが迫った。視野が天板だけになった。だめ。死ぬ。いや!
4
がん。
テーブルが飛んだ。宙を舞い、あたしのすぐ横の壁にぶちあたって細かく割れた。
あたしは目を真ん丸に見開いていたので、その一部始終を目撃した。でも、何がどうなったのか、ぜんぜんわかんない。はっきりしてるのは、まだ頭があたしのからだにくっついてるってこと。
「みぎゃあ」
どっかでムギが啼いた。近い。そうか、お前か。あたしは、ぼんやりとした頭で事態を理解した。ムギが助けてくれたんだ。うん。よくやった。すごい。
なんとかムギを見ようと、必死の思いで首を持ちあげた。首はちぎれそうに痛い。それを根性で我慢する。
顔を起こした。しかし、誰の姿もない。見えるのは、ホワイトアウトしたままのスクリーンだけ。みんな、どこ。もうこれ以上、首をめぐらせらんない。
つぎの瞬間。
想像を絶する光景をあたしは見た。
ダイニングルームが裂けたのだ。
コンマ数秒の出来事である。ダイニングルームの一番奥。スクリーンのあるとこだ。
そこが、いきなり消えた。板の割れる音、プラスチックの砕ける音、金属が引きちぎられる音。それらの音が一つになって、あたしの耳をつんざき、そして、ばっさりと部屋の突きあたりが断ち落とされた。
光が四方に走り、青空が広がった。空には明るい太陽。目が眩しい。さっきまで壁があったとこにはぱっくりと口があき、外の景色がきれいに見える。
ええい、くそ。これを何に譬えよう。そうだ、ワニだ。ワニが木箱の端を齧った感じ。木箱はダイニングルーム。ワニの顎は透明だ。目に見えない。切れ目はぐしゃぐしゃになっている。部屋そのものも斜めに歪んだ。
またショックがきた。
床ごとからだが浮き、落下する。
ひええ!
絶叫した。砕ける。船が。バラバラに。
噛んでるんだ。見えない顎が、ダイニングルームを! いや、船を丸ごと真横から。めきめきと構造材がきしむ。部屋全体が細かく震え、歪みがいっそうひどくなる。床がさらに傾き、あたしは壁の隅へと滑り落ちていく。
手が何かにあたった。首が曲がんないから、何かたしかめられない。握ってみる。やわらかい。ユリの手だ。間違いない。ユリ、あたしよ。ケイよ。
からだが熱くなった。光が顛の奥で弾ける。これは、この感覚は。でも、なんだって、こんなときに!
光が爆発した。白い。何もかもが白い。ああっ、エクスタシーが。あたしを包み。広がって。からだが浮く。あれは? 光の上に見えるのは?
また爆発。暗くなる。闇がきた。痺れる。意識が。呑みこまれて。渦が。落ちる。
そして。
何もわからなくなった。
…………
気がついたのは、あたしが最初だった。
激痛が、あたしを目覚めさせた。
誰かが、あたしの顔をなでている。濡れた手? ううん、もっとふにゃふにゃしてる。やめてよ。くすぐったいよ。起きるよ。やめて!
目があいた。
でも、真っ暗だった。違う。暗いんじゃない。黒いんだ。
「みぎゃあ」
目の前の黒い塊が啼いた。啼くと、赤い舌と白い牙が見えた。お前はムギ。するとさっき、あたしの顔をなでていたのは、その赤い舌。要するに舐めまわしていたのだね。ええい、くすぐったいはずだ。
あたしは手を伸ばしてムギの肩から生えている触手を掴み、上体を起こそうとした。
とたんに、ぐらりとくる。めまいかと思って動きを止めたが、そうではなさそうだ。息をひそめ、視線を一点に定めても、からだ全体がゆらりゆらりと揺れつづけている。これは、つまり、めまいじゃなくって、あたしが寝ているところが不安定でぐらぐらしているのだ。
いったい、どこよ。ここ。
からだをひねって、周囲を見回す。
あらら。
あきれてしまった。これは、せいいっぱい品よく表現しても。
板切れ。
としかいいようがない。だいたい五メートル四方くらいの板だ。正方形じゃないけど、まあ、それに近い。〈エル・サント〉の天井か、甲板の一部だろう。材質はプラスチック。厚くて丈夫そうだ。
その板切れに、あたしは寝ていた。あたしだけじゃない。ユリもメイヤーもいる。そして、もちろんムギ。きっとムギが、あたしたちを拾い集め、この板の上に運びこんだに違いない。でなきゃ、あの惨事だ。こんなふうには助かりっこない。
板切れは、湖の真ん中に浮かんでいた。本当は真ん中じゃないと思うけど、三百六十度、どちらを見渡しても、岸が見えない。これは、結果として真ん中にいるのと同じことだ。板切れを漕いで進めるにしても、どっちへ行ったらいいのか、さっぱりわからない。
「う、うーん」
唸り声がした。ユリだ。
あたしが悩んでいる間にムギがユリの顔を舐めまわした。それでユリも意識を取り戻したらしい。
「起きなよ、ほれ、ペチペチ」
あたしは覚醒を急がせようと、ムギを手伝った。ユリの頬っぺを平手で軽く叩いてやったのだ。
「たいわねえ!」
ユリは怒りながら目を覚ました。
「漂流中だぜ、あたしたち」
状況を手早く認識させてあげた。
「えーっ!」
びっくりして、跳ね起きる。
まわりは水。どこまでいっても水。陸地は島影一つ見えない。
「どうなったの、船?」
不安そうに、あたしを見る。ユリは事態の把握が遅い。
「沈んだか、バラバラになったか。よくわかんないけど、これが最後の残骸だってことだけはたしかよ」
あたしは真下を指差した。ユリの目が、その先を追う。
「これって、板切れじゃない」
「だから漂流中」
「エンジンは?」
「あるか、そんなもの!」
「わっ、なんだ、これは!」
また場違いな叫びがあがった。今度はメイヤーの声である。ムギはメイヤーの顔を舐めようとしなかったから、メイヤーは独自の生命力で蘇生したらしい。立派なものである。
あたしはユリとメイヤーに、船が見えない牙に破壊されたこと、ムギが助けてくれたこと、板切れ一枚で漂流していることを、じっくりと話して聞かせた。
「見えない牙というのは間違いないのか?」
話が終わると、メイヤーが身をのりだして訊いた。
「証拠といわれると困るけど、状況は、まさにそうだったわ」あたしは言った。
「それにこれを見てよ」
板切れのヘリを指し示した。
「この切り口、いかにも噛み裂きましたって感じになってない?」
「これは、なんとも……」
メイヤーは首をひねった。
「ユリ、殺されたおじいさんの喉の傷を思いだすんだ。あれが大きくなると──」
「これだ!」ユリが指を鳴らした。
「十倍以上の大きさだけど、間違いないわ。これ、見えない牙の歯型と同じよ」
「成長しているというのか?」
メイヤーはまだ首をひねっている。
「ランディスの歯型とおじいさんの歯型を較べたときもそうだったわ。あのときも倍くらいに成長していた。でも、細かい特徴はまったく同じ。すぐにわかったわ。こんな変なの、銀河系に二つとないもの」
「メイヤーがオーナーに狙われたとしたら、この見えない牙は、オーナーが操っているのかしら」
ユリが言った。
「それは考えられん」メイヤーはかぶりを振った。
「そうだとすれば、わたしの情報網に引っかかっているはずだ。オーナーに関する限り、わたしの情報網は完璧といっていい」
「じゃあ、誰が、この牙を……」
「みぎゃあ」
ムギが啼いた。なにごとか、と思って振り向くと、ムギは空を仰ぎ、触手をくねらせている。いや、触手だけではない。耳の巻ぎひげも振動している。どうやらこのクァール、何かしようと画策しているらしい。
それは、いったい。
「見て!」
ユリが叫び、空を指差した。太陽とは逆の方角だ。ムギの視線も、そっちを向いている。
「何か、こっちに飛んでくるわ。飛行機みたいよ!」
「本当か!」
メイヤーが立ち上がろうとした。板切れがぐらりと揺れる。ばかあ。状況をわきまえてよ。ぶないじゃない。
「ヘリよ! ヘリだわ!」
ユリがビノキュラーで確認した。あたしには、まだ黒い点にしか見えない。ヘリだとしたら、ムギが電波を操って位置を教えたのだ。巻きひげが振動していたのは、そのためである。
「あっ!」
ユリが驚きの声を発した。ビノキュラーを手に、激しく興奮している。いったい何を見つけたというの? また何か飛んできたの?
「ジェフよ! ジェフが操縦してるわ!」
ユリが叫んだ。ぬわんですって! ジェフですって?
あたしはユリの手からビノキュラーをもぎ取った。ヘリを捜し、あせってピントを合わす。
んまあ、そうよ。ヘリに乗ってるのジェフじゃない。
「どうしてジェフが……」
ユリがつぶやいた。
たわけ。そんなの決まってるだろ。
あたしを追ってきたんだよ。
5
「わたしの山荘にやってくれ。場所は知っているな。急ぐんだ。こうなったら見せたいものがある」
ロープでヘリに救助され、座席に着くやいなや、シートベルトを締める間もなく、メイヤーは早口でまくしたてた。
「見せたいものって?」
あたしは訊いた。
「着いてのお楽しみです」
また勿体をつける。
ムギが上がってきた。これでみんなヘリに移乗した。トビラを閉め、ジェフが操縦桿を鮮やかに操る。
機体が、ゆっくりと旋回した。
ジェフがここへ来たのは、くやしいことに、あたしのためではなかった。純粋にシェリフの仕事としてやってきたのだった。
ザ・ゴーレムに殴られて病院に運ばれたジェフは、治療を受けてすぐに意識を回復し、三時間ほど休んでから事務所に戻った。あたしたちが〈エル・サント〉に乗船した頃だ。そして、事務所の片付けをはじめた。その途中で緊急通報があったのだ。通報者は、ヨットハーバーの管理人で、オータナ湖に周遊にでたクルーザーからメーデーが発せられたというものだった。メーデーは船舶救難信号である。この信号は船のコンピュータが、非常時に自動的に発信する。おそらく、爆発した潜水艦による最初の衝撃をくらった時点で発せられたに違いない。
ジェフはただちに出動した。ヘリはシェリフ専用のものが、近くのビルの屋上に常備されている。
オータナ湖の上空に来ると、レーダーに反応があった。数値が正しければ、水面から一メートルのところに何かが浮かんでいるということになる。
ジェフは、そこへ急行してみた。すると、あたしたちが板切れに乗って漂流していたのである。
事情がわかってしまえば、この偶然も、なあんだという話だ。むしろ必然といった方がいい。事件や事故があれば、シェリフが出動するのは当り前である。
山荘は、アスラヴィルの郊外、小高い丘の中腹にあった。オータナ糊から、ヘリで十分ほどの距離だった。
飛行中の襲撃をちょっと心配したが、なんということもなく、ヘリはメイヤーの山荘に到着した。ジェフはあたしたちとメイヤーを山荘の庭に降ろした。
「では、また事務所で……」
あたしたちに手を振り、すぐに飛びたとうとする。
「寄っていかないのか?」
驚いてメイヤーが訊いた。あれだけ機内で勿体をつけたのだ。いくら関係なくても、シェリフの権限をひけらかして話に加わろうとするのが普通である。
「いいのよ、遠慮しなくても」
あたしはあたしで、別の理由でジェフを引き止めようとした。しかし、ジェフは丁寧にかつきっぱりと、その誘いを断わった。
「シェリフは、むやみに事務所から離れてはいけません。市民が迷惑します」
涙のでるようなセリフである。冗談ならいざしらず、マジにこんなこと言う人、あたしはじめて。でも、そこが、いかにもジェフらしくて素敵。吹かないで納得しちゃう。
ヘリが舞い上がり、蒼空に姿を消した。
「まったく変わり者だな、あいつは」
メイヤーが肩をすくめた。真面目な好青年というのは、メイヤーには理解できない存在らしい。
山荘の中にはいった。山荘は目つきの鋭い男たちで、要所要所が固められていた。かれらが、噂の公安スタッフだろう。私服だが、身のこなしが一般市民とぜんぜん違う。
居間に通された。広い部屋だ。主にパーティに使われているらしい。低いテーブルがいくつか造りつけになっており、カーペットの上にクッションがやたらと転がしてある。はいって右手にはバーとカウンター。百人くらいなら楽にもてなすことができそうだ。
「適当にくつろいでください」
メイヤーが言った。あたしたちは念のために窓際を避け、真ん中のテーブルの前に腰をおろした。脚を揃えて横に投げだし、クッションにからだを預ける。ああ、気持ちがいい。船で痛めつけられた首やら腰やらがすうっと楽になる。ムギが、あたしとユリの間にもぐりこんで、長々と寝そべった。
「行きますよ」
バーでごそごそ動いていたメイヤーが、こっちに向かって言った。
テーブルの中央が丸く開いた。中からカクテルの満たされたグラスがしずしずと上がってくる。何がくるかと思ったら、お酒ではないか。なるほど、客をいっぱい呼んだときには、こういう仕掛けは便利である。
「無事を祝って、乾杯」
メイヤーがやってきて、グラスを捧げた。
「ムギの活躍に」
あたしは最大の功労者に乾杯した。ムギは大あくびで、それに応えた。
「それで……」一息にグラスを干し、ユリが言った。
「見せたいものって、なに?」
「これです」
メイヤーはテーブル脇のパネルに並ぶ数字のボタンをいくつか押した。
またテーブルの中央が開いた。しかし、今度、せり上がってきたのは、グラスではない。なにやら、石のカケラのようなものである。細長くて、丸っこい。幅は二センチくらい。長さは十センチ弱といったところか。
「なに、これ?」
あたしは訊いた。
「一か月ほど前に、ここの鉱山で発掘されたものです」
「何かの像みたいね」
ユリが言った。
「わたしはチャクラの天使≠ニ呼んでいる。人類外文明の産物です」
「人類外? まさか」
あたしの表情がこわばった。人類外文明とはただごとではない。たしかに、そういったものは稀に存在する。だが、その実体はほとんど明らかになっていない。ムギがそうだ。クァール族は先史文明の実験動物だといわれている。けれども、その証明は未だなされていない。だから、クァールはあくまでも、その可能性がある保護動物なのだ。
「この像の材質は、なんだと思います?」
メイヤーが逆にあたしたちに訊いた。
「石……に見えるけど」
ユリが答えた。
「金属です」メイヤーはかぶりを振った。「KZ合金よりも高硬度の。それが、機械的に加工されています」
「えっ!」
あたしたちは息を呑んだ。KZ合金よりも硬い金属が存在し、それが機械的に加工できるなんて聞いたことがない。あたしたちの持っているブラッディカードはKZ合金よりも硬いテグノイド鋼でできているが、これは熱的加工でしか成型できない。それも、ものすごい設備が要る。
「わたしが人類外文明の産物だと述べた理由が、おわかりいただけましたか?」
「わかったけど、それ、どうしたの? 誰かが掘りだしたのを貰ったんでしょ」
ユリが言った。
「さすがに鋭い」メイヤーは手を打った。
「掘りだしたのは、ガルバルディという技師です」
「ガルバルディ!」あたしは目を剥いた。
「それってば、ジェフの事務所で牙に殺された……」
「そのガルバルディです」
「オーナーは、像のことを知ってるの?」
ユリが訊いた。
「もちろん。それどころか、もっとすごいコレクションを隠しているようです。かれは、この発見を『ルーシファ』のために役立てるつもりでいるのでしょう」
「それ、やばいわ。ちょっと──」
あたしはテーブルの上の像を見た。天使とはとても思えないけど、たしかに何か未知の生物をモデルに造られた像だ。この像が、あの見えない牙となんらかの形でつながっているのだろうか。それともまったく無関係なのか。うーむ、ややこい。頭で考えていたのでは、まるっきしわかんなくなる。
あたしは悩みだした。あたしは、ややこいのが苦手だ。話は、もっと単純な方がいい。
と、そのとたんである。あたしはあれのことを思いだした。そうだ。〈エル・サント〉で牙にやられかけたときだ。あのとき、あたしたちは、あれを見たんだ。あれのことさえわかれば、話は一気に単純になる。
あたしは、あれのことをメイヤーに訊こうとした。
ところが、そこに邪魔がはいった。
非常警報がけたたましく鳴りだしたのだ。
なんの前触れもなし。とつぜんである。心の準備ができてなかったあたしは、びっくりして一メートルくらい飛びあがった。
「なんだ。いったい?」
メイヤーがボタンを操作した。例によって壁の一角がスクリーンに変わった。そこに先ほど玄関で見た、目つきの鋭い公安スタッフの一人が映った。
「マスターです」スクリーンの男は言った。
「また三十人ほど引き連れてきて、門の前で騒いでいます」
「マスターって誰?」
あたしはメイヤーに訊いた。
「お見せしましょう」
メイヤーは映像を切り換えた。画面が、山荘の門前の映像に変わった。山荘は高い屏と、金属製のゲートに囲まれている。そのゲートの前に、白いローブをまとった異様な風体の集団が詰めかけていた。
「かれらの真ん中に、輿に乗った仮面の男がいます」
メイヤーは映像をズームさせた。銀色ののっぺりとした仮面をかぶった男が、スクリーンに大写しになった。
「こいつが、マスター、あるいは盟主と呼ばれている男です」
盟主! それなら知っている。ランディスの話にでてきた。
集団は大声で叫んでいた。その声を門に取りつけられているマイクが拾った。
「異教徒は、聖なる地から去れ!」
かれらは、そう言っていた。
マスター。
オーナー、メイヤーに引きつづいて、またもや、変な人物の出現である。困った。話がさらに、ややこくなってしまった。
6
真暗闇。
なーんにも見えない、みごとな闇。すぐ横にユリがいるはずだけど、ぜんぜん見えない。それどころか、目の前で広げたあたしのてのひらだって、あるのかないのか、よくわかんない。ためしに顔にくっつけてみたら、ちゃんとあった。ううむ。恐ろしいことに、指で触っただけでも、あたしの美しさがひしひしと伝わってくる。感動的な新発見だ。しばらくナルシスってしまう。
「なにしてんのよ?」ユリが尖った声で言った。
「ちゃんと張ってるんでしょうね」
あたしは、ちょっとびびった。なんという勘の鋭さ。ふだんは鈍いくせに、こういうときだけひとの気配を察知する。迷惑な話だ。
あたしは心の中でぶつくさ言いながら、ヒートガンを構え直した。もっとも、構えるといったって、闇に覆われているんだから、目標なんてない。ベッドの上に肘を置き、だいたいのとこに狙いを定めておく。どうせ、そんときになったら、向こうのベッドでシーツをひっかぶっているムギが、どこを撃てばいいか教えてくれるはずなのだ。
ああ、それにしても眠い。あくびがでそうだ。それを必死でこらえる。考えてみれば、もう標準時間で三十時間くらい寝てないんだ。くすりでなんとかもたしているけど、そろそろ限界に近い。このままベッドに這い登って、くたりと眠ることができたら、どんなに気持がいいだろう。
──なんてことを思っていたら、真剣に眠くなってきた。
いかん。これは、やばい。馬鹿。眠るな!
叱咤した。
けど、効かなかった。
「ぐるるるる」
ムギの唸り声が、頭の芯にガンガンと響いてきた。
それで目が醒めた。
いつのまにか、しっかり眠っていたのだ。
ベッドのマットに上体がもたれかかっていて、ヒートガンも指の間からこぼれ落ちている。
あわててグリップを握りしめ、体勢を元に戻した。
「ぐふ、うるる」
ムギは、さらに凶暴に唸る。姿は闇の奥に溶けこんでいて、まるっきり見えないけど、あたしにはムギが何をしているのか、はっきりとわかる。
ムギはシーツの中で背中を丸め、じっと相手の気≠窺っているのだ。唸りだしたということは、相手がもうすぐそこまで来ているということだ。もっとも、来ているといったって、ドアを開けて『こんにちは』と入ってくるわけではない。天井だが壁だが床だが、とにかくそこいらへんから、いきなりあらわれて襲いかかってくる。つまりは、来ているのも、来ていないのも、状況としては同じことなのだ。その違いが見分けられるのは、あたしの知っている限りムギしかいない。
「うるるるる」
ムギは低く唸りつづける。あたしとユリは息をこらし、その一瞬を待つ。
頭がくらくらするような緊張の時間。あ、あかん。なのに、また眠気が──。
「ぎゃおん!」
ムギが一声咆えた。
と同時に、シーツが裂ける甲高い音。四肢の爪がマットを蹴った。
牙が鳴る。ムギのじゃない。あいつのだ!
ベッドが砕けた。たった今までムギがひそんでいたベッドだ。見えないけど、音でわかった。爆発音みたいなすさまじい音だ。鼓膜がキーンと痺れた。耳鳴りで目が回る。破片も飛んできた。かーいそうなベッド。一噛みされてバラバラだ。
指がうずいた。左手の薬指である。見ると、指輪がかすかな燐光を放っている。
ムギの合図だ。
あたしは構えていたヒートガンのトリガーを、思いきり引き絞った。
オレンジ色の熱線が、闇の中で渦を巻いた。
そのまま横に走らせる。
つづいて、もう一条。これはユリのヒートガンだ。レイガンだけでは心細いので、メイヤーから借りてきたのだ。
二条の熱線が乱れ飛び、からみ合って、壁や床を縦横に灼く。
部屋が明るくなった。といっても、闇が少し薄まっただけなのだが。炎と熱線で、ものが赤くぼんやりと浮かぶ。砕片と化したベッド。焼け焦げた壁。黒い影となって、見えない牙と格闘するムギ。
ムギがターンした。すごい急旋回だ。まっすぐに、こっちへ向かってくる。
ってえことは。
牙もこっちへ!
冗談じゃないわよ。
滅茶苦茶に撃ちまくった。なんにもない目の前の空間をヤケクソになって撃ちまくる。
ドーンとショックがきた。
牙が齧ったのだ。あたしたちが盾にしていたベッドを。
ベッドの半分がスクラップになった。あとの半分は、齧られた勢いで押しだされ、あたしたちを直撃した。
あたしたちはベッドを抱えた格好で、壁際に弾き飛ばされた。
床と壁の境目にぶち当たった。
ひっくり返ったところにベッドが落ちてくる。
ぐしゃ。
二人揃って下敷きになった。
幸いにも、ベッド本体じゃなくマットの方が下である。重いが、ダメージは少ない。
うかつに起きあがると危険なので、下敷きになったままヒートガンを撃った。人目がないからいいけど、見てるやつがいたら、そいつも射殺だね。恥ずかしいったらありゃしない。まるで双頭の亀だよ、これじゃ。
ムギが床に寝そべっているあたしたちの上を通過した。壁に脚をつき、その反動でひらりと舞い降りる。
あかりがついた。
眩しい!
天井の発光パネルの生き残っている何面かが白く輝いたのだ。
とつぜんの光に、闇に慣れきっていた目がくらんで、激しく痛んだ。
スイッチをオンにしたのは、ムギである。
牙が去ったのだ。あたしたちが叩きつけられた壁を抜けていったのだろう。もう闇にまぎれて身を隠す必要はない。
惨状が、あらわになった。
壁はほとんどが真っ黒。天井もかなり焦げており、ひどいところはどろりと溶けて大穴があいている。難燃性の素材を使っているから燃え広がりはしなかったけど、火事の現場だといっても充分に通用するむごさである。床は床でベッドの残骸が散らばり、こちらは暴風のあとといった感じだ。カーペットもずたずた。テーブルや椅子は影も形もない。
「みぎゃあ」
ムギがやってきて、あたしとユリの顔を交互に舐めた。あほ! そんなヒマがあったら、早くあたしたちに乗っかっているベッドをおどけ。胸が平たくなったら、どーしてくれんのよ。
「ばっちし決まると思ったのにィ」ユリが言った。
「結局、逃げられちゃった」
「しょーがないわね」あたしは転がったまま肩をすくめた。
「見えないやつが相手じゃ」
「みぎゃあ」
ムギが同感というように、首をたてに振った。それから、のそのそと動いてベッドをどかそうと端をくわえた。たくもう、こういうことになると、とたんにとろくなる。さっきまでの機敏さはどこにいったんじゃ。
あたしは毒づいた。
そのときである。
だしぬけに、ドアがノックされた。
誰か来た。
あたしたちは、びっくりして飛び起きた。その勢いで、ベッドが跳ね上がった。ベッドの脚がムギの顎をカウンターで捉えた。
「ぶぎゃ!」
ムギが呻く。
ドアが開いた。
ホテルの支配人が入ってきた。後ろにボーイを五人ほど引き連れている。どーやら、あまりの騒ぎに様子を見にきたらしい。
支配人は、部屋の中を見回して、声を失った。
目を大きくみひらき、全身をわなわなと震わせている。
「こっ、これは、いったい……」
二分くらいかけて、声を絞りだした。
「見てのとおりよ」あたしは両手を左右に広げた。
「損害はメイヤーにつけといて。間違っても、WWWAに請求しちゃだめよ」
こんなのの請求書がまわってきたら、きっと部長はあたしたちを絞め殺す。
「壁が……。床が……」
支配人は貧血を起こした。
「だらないわねェ」
あたしは支配人を外に押しだし、ドアを閉めた。
あんたなんか運がいいのよ。いかれたのは部屋ひとつだけで、ホテルそのものは無事なんだもん。
7
マスターの一群が引き揚げたあと、あたしたちはメイヤーの山荘から、アスラヴィル市内のホテルに移った。
牙がまた襲ってくるような気がしたからだ。今度、攻撃されたら、受けにはまわらない。徹底的に反撃してやる。
そう言ったら、メイヤーってば、さっそくホテルを紹介してくれた。
何があっても責任は負う、とメイヤーは胸を張る。どーせ税金を使うつもりでしょ。いばることないじゃない。
それでも、責任を持ってくれるというのは嬉しい話だ。あたしたちはメイヤーから車を借りて、市内へと向かった。
ホテルはまちの中心ではなく、郊外に近い外れの方にあった。ハイブリッド・ロイヤルホテル。名前だけは立派の極致だ。メイヤーはアスラヴィルではトップクラスのホテルだと言っていたが、ふつうの都市だと中の上といったランクの造りと格である。でも、そんなことはどうだっていい。どうせ建てたのはオーナーなんだろうし、あの男の性格からして、サービスやら設備やらにお金をかけるとは、とても思えない。それに牙を倒すためのおとりにもなるのだから、あんまり上等なのも問題だ。
部屋に通された。これも中の上くらいの部屋。でも、わりと広いところが気に入った。
お茶を飲み、一息ついてから、牙さんをお迎えする準備に取りかかった。食事とシャワーは山荘で済ませてきたので、とりあえずはパス。とにかく、まず部屋を真っ暗にしなきゃならない。チャクラは夜がないから、これが意外に大変なのだ。ドアなんかは密閉度が高いからほっといてもいいけど、窓には苦労した。目張りくらいじゃ、どうにもなんない。最後は、市内で仕入れてきたスプレーパテを全面に吹きつけて、固めてしまった。これで牙のやつ、夜目が効くなんていったら、本気で怒るかんね。
──とまあ、そんなこんなで、あたしたちは部屋の中を完璧な闇で包み、ベッドの影にひそんで、牙の襲来をじっくりと待ったのだ。
しかるに、その結果はというと、部屋の惨状を見れば、実にもう歴然と明らかである。
逃げられちゃったのだ。
再度の襲撃を予想したまでは大正解だったのだが、やはり倒す決め手がなかったのが失敗につながった。それにしても、あの牙ってば、目に見えず手応えもないのに、どーして船やベッドをああもあっさりと噛み砕けるのだろう。あったく、わけのわからん相手である。しかし、どうやらムギを苦手にしていることだけは確かなようだ。ムギに飛びかかられると、立ち向かわずに、かわそうとする傾向にある。そのあたりに、あいつを始末する鍵がありそうだ。
「ケイったらァ」
ユリが言った。ユリは、喰いちぎられて半分になったマットに腰をおろし、膝を胸もとに抱えこんで首を斜めにかしげている。
「これから、どうすんの? あんな目にあったんだもん。牙はもう当分、来ないわよ」
「牙がだめなら、つぎは|あれ《ヽヽ》だね」あたしは答えた。
「|あれ《ヽヽ》が、なんなのか調べちゃおうよ」
|あれ《ヽヽ》とは、船が牙にやられたときに見た映像である。
あたしたちは、こうみえてもエスパーなのだ。といっても、能力は二人でやっと一人前でしかない。
千里眼《クレアボワイヤンス》。
これが、あたしたちの超能力である。ある程度の情報が蓄積されると、あたしたちはトランス状態に陥る。そして深いエクスタシーとともに、映像が意識の底に浮かびあがってくるのだ。
その映像こそ、事件の核心に触れる何かである。
しかし、あたしたちの能力は、完璧なものではない。むしろ、不完全もいいとこである。千里眼などというよりも、半里眼といった方が、しっくりする。映像は見えることは見えるのだが、それがヒントのまたヒント。かすかな断片でしかないのだ。
だから、あたしたちの超能力は、それが起きてからが勝負になる。その映像の謎解きが、もっとも重要な課題となるのである。
あたしたちがあのとき見た映像は、真っ黒な卵だった。
大きさは、ぜんぜんわからない。生きものの卵なのか、卵形の何かなのかも、わからない。ただ黒い卵の映像が、真っ白になったあたしたちの頭の中に、ぽっかりと浮かびあがったのだ。
いつもながら、しみじみと役に立たない超能力である。
「あんなの、誰か知ってそうな人、いるかしら?」
ユリが天井を振り仰ぎ、考えこんだ。
「ジェフだね、やっぱし」あたしは、きっぱりと言った。
「さっき訊きそびれたのが、痛かったわよ。こういうこと訊くとしたら、シェリフしかいないんじゃないの」
「あの人、何も知らないわよ」ユリは、かぶりを振った。
「ランディスのことでわかったでしょ」
「でも、ちゃんと捜しだしてくれたわ」
あたしは反論した。ジェフのとこに行けるのなら、理由は何だっていいのだ。あたしは譲らない。
「知らなくても、かれならきっと調べてくれるわ。それで突破口が開ければ、言うことないじゃない」
「あたしはオーナーを突っついた方が実りあると思うわ」ユリは頑固に抵抗した。
「本当に『ルーシファ』だったら、突っつけば、それなりに動くから、それを追えば自然に馬脚をあらわすはずよ」
「オーナーねェ」あたしは首をひねった。
「それ、よっぽど慎重にやらないとまずいわよ。ネタくれたメイヤーの立場もあるし、もうちょい様子を見た方がうまくいくような気がするわ」
「うーん」
口を尖らし、ユリは唸った。
「うーん」
腕を組み、あたしも唸る。打つ手の乏しい事件は、これだから始末に困る。
しばらく睨み合った末、ユリが折れた。
ジェフの事務所に行くことになったのだ。あたしとしては、満足のいく状況である。
さっそくメイヤーに借りた車で、ダウンタウンに向かった。
ところが。
ジェフは事務所にいなかった。
まだ修理が完了していない事務所には、応対用の不細工なロボットが一台、残されているきり。
「がうたま地区デ事故ガ発生シ、しぇりふハ緊急出動シマシタ。十七分二十秒前カラ連絡モ不能ニナッテイマス。急用ノ方ハ、ワタクシニめっせーじヲ託シテクダサイ。交信可能ニナリ次第、しぇりふニ伝エマス」
抑揚のない子供じみた声で、ロボットはそう繰り返す。しかし、メッセージったって、真っ黒な卵のことなんか伝言できるわけない。
すごすごと車に戻った。
「ガウタマ地区。どこにあるんだろう」
あたしはつぶやいた。
「この車、オートマップがついてないのよ」助手席のユリが、コンソールを調べながら言った。
「これじゃ、知らないとこは、どこへも行けないわ!」
「だったら、知ってるとこに行こう」
「どこ?」
「オーナーんとこ」
「あ──」
ユリはコンソールに突っ伏した。
「慎重にやるって話はどーしたのよ!」
電光石火立ち直り、噛みつくように言う。
「第一案がだめなら、第二案。これが常識ね」
あたしは動じない。
またも、ユリを押し切った。
8
〈サルバトーレ〉ではなく、チャクラ・デヴェロップメント・カンパニー、略してCDCの本社に乗りこんだ。これがオーナーの本拠地である。メイヤーが教えてくれたのだ。夜は〈サルバトーレ〉で執務しているが、ふだんは本社ビルのオーナーズルームにテレストファネスはいすわっているらしい。メイヤーに言わせれば、そここそが『ルーシファ』のチャクラ支部ということになる。
本社ビルは、アスラヴィルのほぼ中心にあった。
ダウンタウンからさほど遠くはない。といって、近いわけでもない。なかなかにくい場所にある。周囲はよく整備された公園になっており、半径一キロ以内には、ほかの建物は存在しない。芝生と木々の緑に取り囲まれ、環境は抜群の状態に保たれている。とにかくメイヤーの公邸や、マンダーラのチャクラ政庁よりも立地条件がいいのだ。
「きれいねェ」
公園のあまりの美しさに、ユリがため息をもらした。
「あんなデブに似合ってないわよ」
ジェフに会いそこなって、あたしは機嫌が良くない。公園の、CDC本社ビルにつづく道を走らせながら、運転席であたしは悪態をついた。本社ビルは正面に|でん《ヽヽ》と聳え立ち、あたりを睥睨している。八階建ての円筒形のビルだ。アスラヴィルには高層建築が一つもない。理由は、はっきりしている。地盤が弱いのだ。一応アスラヴィルだけは造成の際に樹脂で固めたらしいが、それでもチャクラは絶対的に地殻がもろい。鉱物の採掘には都合いいのだが、人が住むにはあまり適していない星なのである。といって、一万五千の人間が、簡易ハウスで向こう何十年も仮住まいするわけにもいかない。そこで、なんとか開発したのだが、そのために建築物にはさまざまな制約が加えられた。その一つが、厳しい高度制限である。
「そこ右」
ユリが言った。
道が左右に分かれていた。本社ビルの玄関前が巨大なロータリーになっているのだ。
ロータリーを半周して、車を玄関の真正面につけた。
降りて、灰白色の幅広いが短い石段を昇る。ジェフの事務所では車の中に残しておいたムギも、ここでは降ろした。
ロビーにはいった。
吹き抜けの壮麗なホールである。真ん中に直径五メートルはあろうかという切子ガラスのみごとなシャンデリアが下がっており、壁には鮮やかな柄のタペストリがずらりと飾られている。まるで、どっかの宮殿みたい。規模はさすがにちょっと小さいけど。
左手に、インフォメーションの窓口があった。このボックスにも、擬った細工の木彫素材が使用されている。食べごろの坊やがいないかと思って覗いてみたら、とりすましたレディが二人、つくり笑いを浮かべて、こっちを見ていた。二人とも、あたしたちより少し年上にみえる。あたしたちが十九だから、二十一、二ってとこか。あたしほどじゃないけど、スタイルも顔もモデルなみの美人である。こんな辺境の勤務についているのだ。相当の高給取りであることは間違いない。それとも『ルーシファ』のメンバーなのかな。ま、どっちでもいいや。いずれにせよ、あたしたちとムギを歓迎していないことだけはたしかだ。笑顔がぴくぴくとひきつっている
あたしたちは窓口の前に立った。
「オーナーは在社されているかしら?」
WWWAのIDカードを提示して、穏やかに訊いた。
「お待ちください」
窓口レディが、デスクのキーをいくつか、滑らかに押した。
「不在でございます」
ややあって、返事がきた。
「急いでお会いしたいの」あたしの横からユリが言った。
「どちらにおいでか教えてもらえる?」
「訊いてみます」
またキーボードを操作した。手元にスクリーンがあるらしく、キーを打ちこんで、なにごとかやりとりしている。
顔をあげた。
「恐れ入りますが、あちらで係の者とお話しください」
窓口の脇を示した。そこは壁がスクリーンになっている。
スクリーンに映像がはいった。
いかにも横柄そうな中年のおっさんの顔が映った。
「WWWAのトラコンだって……」顔だけでなく、たしかに態度も横柄だった。
「オーナーの所在は教えられないね。そんな義務はないんだ。さっさと帰ってくれ」
模範的な言葉遣いである。いくら本社ビルが着飾っていても、これじゃあ程度が知れようってもんだ。
スクリーンがブラックアウトした。
「ねえ、ユリ」あたしは振り返った。
「ちょっと、もったいないかなァ」
ちらと、五メートルのシャンデリアに目をやる。
「もったいないわよォ」
ユリは瞳をくりくりと動かした。
そして、二人、声を揃えて言う。
「でも、しょーがないわね」
そうなのだ。『ルーシファ』が相手なら、しょーがないのだ。
あたしたちはホットパンツのポケットから、小さなカプセルを取りだした。
「からだ、かがめて、頭をデスクの下に入れといた方がいいわよ」
ユリが窓口レディに親切に忠告した。
窓口レディは、何のことかわからず、きょとんとしている。
あたしとユリは、カプセルをホールの真ん中めがけて、指先で勢いよく弾いた。
爆発した。
真っ赤な火球が派手に広がり、爆発音が耳をつんざいた。爆風が逆巻き、衝撃波が壁を揺るがした。
シャンデリアが粉々に砕け散った。
床に落ちて破片が散乱する。
「きゃあっ!」
窓口レディは、悲鳴をあげてひっくり返った。
あたしたちは、むろん壁のへこみに避難している。
天井にひびが走り、壁が崩れた。ガラスというガラスはみんな割れた。タペストリーは壁と一緒にずたずたになった。
「なんだ。いったい……!」
エレベータの扉が開き、黒いスーツを着た屈強そうな男が十人ほど、血相を変えて飛びだしてきた。その中には、さっきスクリーンで、あたしたちの応対をした横柄なおっさんもいる。
ホールの有様を見て、男たちは息を呑んだ。
すかさず、あたしたちが前にでた。
「てめえらが、やったのか!」
男の一人が、あたしたちに気がつき、大声で叫んだ。まっ、なんてお下品ないいぐさ。
あたしは返事のかわりにヒートガンを抜いて、軽くトリガーを絞った。
熱線が床を灼く。
男は、そのまま立ちすくんだ。
「WWWAのケイとユリが、オーナーの行先を訊いてるのよ」あたしは言った。
「隠してないで、さっさとお言い!」
そして、もう一発ヒートガン。だめ押しで、ムギがやさしく咆えた。
「や、やめてくれ」
たまらず、おっさんが手を振った。表情が、半ベソになっている。
「オーナーは事故処理のため、ガウタマ地区に行かれた。向こうで指揮を取っておられるはずだ。現地は通信が途絶している。呼びだすことはできない」
「事故ぉ」
「ガウタマ地区ぅ」
あたしとユリは顔を見合わせた。それってば、ジェフが行ってるやつ。
「事故って、なんなの?」
あたしは、おっさんに訊いた。
「崖崩れらしいが、詳細はわからない。とにかく第一報と同時にオーナーは飛んでいかれたのだ」
「なるほどね」
あたしは、うなずいた。そーなると、つぎの舞台はガウタマ地区か。
「もう一つ教えてよ」
ユリが鋭い声で言った。
「なんでしょう」
おっさんは首をすくめる。
「ガウタマ地区って、どこにあるの?」
うん、いい質問だね。
9
おっさんにガウタマ地区までの詳しい道順を教えてもらってから、あたしたちは車に戻った。ちょっと荒療治だったけど、おっさんの横柄な態度はすっかり矯正された。やはりなんにだって、教育というのは必要なのだ。
ロータリーをぐるりと回って、CDCの本社ビルをあとにした。
公園を抜け、郊外に向かうハイウェイに乗る。オートマップがないから、インターチェンジを見逃さないようにするのが一苦労だ。ナヴィゲータを務めているユリなんて、目を吊りあげて黒髪を掻きむしっている。
そんなときだった。
いきなり、通信機に声が飛びこんできた。
呼びだし音もなにもない。唐突に声である。
「こちら、メイヤー。ケイ、ユリ、聞こえるか?」
雑音がひどいうえに、かなりうわずっているけど、これはまさしくメイヤーの声。
びっくりしてハンドルを切り、蛇行運転してしまった。
「ぶないじゃない!」
ユリが怒る。しかし、ののしり合ってる場合じゃない。
「こちらケイ。メイヤー、どうしたの?」
とにかく応答した。スクリーンに映像は入らない。
「おお、通じましたか」
メイヤーの声が、ホッとした感じになった。
「メイヤー、どっから呼びかけてんのよ。雑音がひどくて、内容がはっきりしないわ」
あたしは言を継いだ。
「いま、ガウタマ地区に向かっているのです」メイヤーは言った。
「第四鉱で事故が発生しました。かなりの惨事らしい」
第四鉱! 事故!
じゃあ、ガウタマ地区って鉱山のことなんだ。そういえば、おっさんから道順は聞いたけど、そこがなんなのかは聞きそびれた。
「わたしは飛行機なので、もうすぐ現地に着きます。そっちもすぐに向かってください。ひょっとしたら、例の件がからんでいるかもしれない」
「向かっているわよ。こっちも!」
あたしは手短かにCDC本社ビルのいきさつを話した。あのホールを廃墟にしたといったら、さすがのメイヤーも絶句した。
「でも、こっちはかなり遅れるわよ」あたしは言った。
「車はとろい六輪車だし、オートマップも装備してない。ハイウェイを降りたら保証付きで道に迷っちゃう」
「心配いりません」メイヤーは言った。
「その車は通信機がオートマップのかわりをします。サテライトから、直接、情報をもらうようにできているがです。チャンネル18にセットして、コード28291を打ちこみなさい。そうすれば、スクリーンに地上の映像が入るから、あとは音声でチェックすればいい」
「わあったわ。でも、そんな便利なこと、どうして最初に教えてくれなかったの」
「すみません。忘れてました」
メイヤーは謝る。
さっそくユリが通信機をナヴィゲーション・モードにセットした。
「では、現地で会いましょう。たぶん、その……なら来れ……はずです」
「たぶん?」
「……が……で……ない」
雑音がひどくなった。
「メイヤー、ちょっと!」
「…………」
まったく聞きとれない。ボリュームをあげても、ノイズばかりがけたたましい。
「だめだ、こりゃ」
あたしは諦めた。
「急いで行くしかなさそうね」
ユリが言った。まったく、その通りだ。地図もセットしたし、あとはアクセルさえ全開にして固定すれば、車はガウタマ地区まで勝手にぶっ飛んでいく。
あたしは、ペダルをめいっぱい踏みこんだ。
しかし──。
さすがはチャクラである。
なかなか、すんなりと事は運んでくれない。
思わぬ障害が、あたしたちの行手を阻んだ。
ガウタマ地区というのは、すごいとこだったのだ。メイヤーは飛行機で向かっていたが、ジェフはきっとシェリフ専用のヘリ、オーナーも航空機を使ったに違いない。でなきゃ、行く気になんかなるものか。
道なんて名ばかり。垂直の崖に、幅三メートルくらいの溝ができている。
そこに、この車はひょこひょこと進入していくのだ。自動走行にセットしてあったから止めるひまなんてありゃしない。あれよあれよという間に入っていく。
だいたいハイウェイを降りてから、おかしいなあと思ってはいたのだ。道はラフロードだし、だんだん狭くなる。
そのうちに急坂を登りはじめて、さらにひどくなった。一木一草とてない岩山を上下にぐちゃぐちゃ揺れながら、車は進む。
ふと見ると、眼下は崖だ。それも十メートルとか二十メートルとか、そんな生やさしいものではない。まっすぐ数百メートルは切り立っている。
そんな道を、この車は時速百キロ以上で驀進しているのだ。
あわてて自動走行をオフにしようとダッシュボードに指を伸ばしたが、その指がスイッチの直前で止まった。
はたして、ここでマニュアルに戻したとして、あたしにちゃんと走らせられるだろうか。
答は否である。
結局、スピードだけを三十キロくらいに落としてセットしなおした。
あとは、すべて車まかせ。
のろのろと這うように山道を進む。
あたしとユリは、あえて外を見ない。シートを倒し、互いに向かい合って過ごした。できれば眠りたかったが、先ほどまで猛威を揮っていた睡魔がとつぜん行方不明になったらしく、ちっとも眠くならない。ムギだけが気持よさそうに寝息をたてている。
一山登るのに、果てしなく時間を費やした。
峠の頂上に着いた。
そこで車が停止した。見たくないが、こうなると車外の様子を窺わねばならない。
ユリと二人で、恐る恐る窓を開け、首を突きだした。
崖はなかった。
というより見えなかった。道ではなく、広場のようなところに車は停まっていた。左っかわは端まで行けば崖のようだが、右の方は大きく削られた岩山そのものである。その削られた岩肌に坑道がぽっかりと口を開けている。ちょっとめには不出来なトンネルといった感じだ。穴の上にプレートがはめこまれており、そこに数字の1が刻まれている。
第一鉱という意味らしい。
では、ここは鉱山だ。
要するに、ガウタマ地区に着いたのである。だから車は停止したのだ。
しかし、事故現場は第四鉱だとメイヤーは言っていた。
目的地は、ここではない。もっと先である。恐怖の崖っぷちを今度は下るのだ。
想像しただけで身の毛がよたった。
速度を五キロくらいにセットしたい。だが、それでは着くまでに車中で五泊はすることになる。
「どーしよう」
あたしはユリを見た。
「どーしよう」ユリもげっそりしている。
「──四鉱って、あっちの方かなあ」
首をめぐらして、山の彼方に目をやる。
と、同時に。
その顔が、真っ白に光った。
「あっ!」
あたしは声をあげた。
光ったのは、ユリの顔ではない。窓の外だ。
山の向こうに、閃光が走った。
閃光は丸く広がり、光の輪となる。
真っ白な光が、むくむくと脹れあがって青い空を埋め尽くした。眩しい。直視できない。
すうっと失せた。
一瞬の出来事だった。
光は瞬時にして散り、蒼空は元に戻った。
「いまの……」ユリがあたしの方を振り向いた。
「いまのいったい、なんだったの?」
訊いて、どーする。
そんなの、あたしにわかるわけないじゃない!
[#改ページ]
第四章 揺れる。崩れる。また揺れる!
1
「がるるる」
いきなりムギが唸った。うっそりと後部シートから身を起こし、耳をそばだてる(厳密にいうと耳じゃないらしいんだけど、格好が似てるから、そう呼んじゃう)。
左側の窓に顔を寄せ、視線を走らせている。
一点に釘付けになった。
「にゃぎゃう」
今度は啼いた。右前肢を持ちあげ、上下に振っている。
見ろ、というのだ。
「あによォ」
あたしは狭っくるしいシートの中で上体をひねり、ムギの横に顔を並べた。
「!」
見たとたんに、マジになった。
ちょうど真正面。空の群青が地平線に近づいて少し白っぽくなるあたりだ。そこに銀色に輝く小さな十字架がある。
十字架は徐々に大きくなり、それにつれて、はっきりとした形を取りはじめる。
飛行機だ。そんなに遠くない。翼が短く、ずんぐりした胴体の小型飛行機だ。
まっすぐ、こっちに向かって飛んでくる。
「ユリ、あれ!」
あたしは助手席のユリを呼んだ。
「え?」
ユリが振り返る。
「あっ!」
あたしを押しのけて、窓から首を突きだした。
「ペガサスV‐U……」
それが飛行機の機種らしい。そういえば、カタログだか雑誌だかで見たことがある。あたしの記憶に間違いなければ、ペガサスV‐Uは八人乗りの垂直離着陸機《VTOL》だ。
「あのペガサス、どっかおかしい」ユリは言った。
「ひどく、よたってる」
そのことは、あたしも気がついていた。はじめは旋回しているのかと思ったが、そうではない。機体に損傷でも受けたらしく、上下左右に大きく揺れながら飛行している。
あたしたちのいる山の頂上を左へと巻くようにペガサスは接近してきた。今のところ、よたっていても、墜落寸前というほどではない。ただ、高度はあまり上げられないようだ。
「どうする気だろう」あたしは言った。
「まさか、ここに降りてくるんじゃないだろうね」
「不可能じゃないわ」ユリが素早く広場の大きさを目で測った。
「この車に翼をひっかけるか、あるいは谷底に突き落としてしまえば、ギリギリだけど、なんとか着陸できそうよ」
嬉しくない予想である。
ぐうんとペガサスが迫ってきた。もう、機体の細部まで見てとれる。機体番号。ブルーとレッドのライン。MANDALAとCAKRAの文字。
「うぐるるる」
また、ムギが唸りだした。
ペガサスを睨み、牙を剥きだしている。
びくん、と首の筋肉が跳ねた。黒い体毛が逆立ち、肩の触手が激しくうねる。
耳の巻きひげが震えた。例の電波、電流を自在に操る巻きひげだ。それが、猛烈なスピードで振動している。
「!」
ユリが、からだをこわばらせた。
あたしも、びっくりした。
いきなり、ペガサスが急旋回したのだ。
ほとんど一八〇度ターン。とても、あのよたったVTOLにできる技ではない。
山肌をかすめて、ペガサスは降下する。
そのつぎの一瞬。
山が崩れた。
自然現象ではない。爆発でもない。
山が齧られたのだ。
巨大な見えない顎に、真横から。
牙だ!
牙がペガサスを狙っていた。それを察知したムギがペガサスを操り、反転させたのだ。牙は空振りし、岩山を噛み砕いた。
ムギもすごいが、牙もすごい。
「ふみっ!」
ユリが車のドアを蹴り開けた。
ホルスターのベルトからヒートガンを抜き、岩山に向かって構えた。
もちろん、あたしも負けてはいない。地面に体を投げだし、腹這いになって、ヒートガンのトリガーを引いた。
二人で山肌を灼きまくる。
その間にも、ムギはペガサスを操る。
相手の姿が見えないから、あたしとユリは、ここぞと思う空間をヒートガンの熱線で埋め尽くした。
白茶けた山肌が、消し炭のように黒くなった。
牙は、攻撃を仕掛けてこない。
ムギの誘導で、ペガサスが広場に着陸した。翼が車の上に乗っかった。しかし、ムギが操ったおかげで、被害は軽微である。屋根の上に軽く置かれたという程度だ。
あたしたちは撃つのをやめた。どうやら、あの一噛みで、牙は退散してしまったらしい。ムギの存在に気がついて、敬遠したのかもしれない。
あたしは立ちあがった。ユリは着陸したペガサスを凝視している。ヒートガンは構えてこそいないが、指はトリガーに掛けたままだ。
ペガサスの乗降ハッチが開いた。
ゆっくりとタラップがせりだしてくる。
あたしは、少し腰を落とした。
タラップの上に人影が立った。
降りてきた。
あらら。
力が抜けた。
ぬわなんと。
メイヤーではないか。
「いや、助かりましたよ。ホホホ」
メイヤーは手近なとこにいたユリを大袈裟に抱きしめた。それから手を握り、派手に振った。あたしは車の蔭に逃げた。冗談じゃない。あんな、かまっぽいおじさんに頬ずりされたら、ジンマシンがでてしまう。
「機体が急旋回しはじめたときは、なにごとかと思いましたが、いや驚いた。また、あの牙が襲ってきたとは……」
両手を広げ、メイヤーは大声で言った。
ペガサスからはメイヤーのほかに、目つきの悪い公安スタッフが五人、列をつくって降りてきた。そのうちの一人はパイロットも兼ねていたらしい。上着を脱いでいる。
「あなた、とうに第四鉱に着いてたんじゃないの?」
あたしはメイヤーに訊いた。
「そうです」メイヤーはうなずいた。
「三時間前に到着しました。そうしたら事故のあった第四鉱は、オーナーによって、さっさと封鎖されていたのです」
「封鎖?」
「誰も入れようとしません。シェリフも閉めだされてました」
「ジェフも……」
あたしはオーナーの意図を推察してみた。でも、情報が足りなくて、まるでわからなかった。
「しばらく押し問答しましたが、埓があかない。そこで空から調べてやろうと、もう一度、飛びたったのです」
「そうしたら、鉱山が真っ白な光に包まれた」
ユリが口をはさんだ。
「そうです。なぜ、それを?」
メイヤーは眉をひそめ、目をしばたたかせた。
「見えたのよ」ユリは言った。
「山の向こうっかわ。白光が盛りあがり、すうっと消えたわ」
「あれ、なんだったの?」
あたしは訊いた。
「知りたいのは、わたしも同じです」メイヤーは、かぶりを振った。
「高度五百メートルくらいで、あれをくらったのですが、すごい衝撃でした。巨大な壁にぶち当たったような。墜落しなかったのは奇跡でしょう。どこか壊れたようでしたが、それでも、こいつは立派に飛んでくれました」
「爆発?」
「……の一種かも」
「だけど、音も煙もなかったわ」ユリが言った。
「ただ、光が丸く広がっただけ」
「そのあとで、わたしは見ました」メイヤーは唇を噛み、それから吐き捨てるように言った。
「上空から鉱山を」
「どうなってたの?」
あたしは身をのりだす。
「何もなかった」
メイヤーの声は、地獄の底から響いてくるように聞こえた。
「──鉱山もビルも繋岩装置も岩山も。そこには、何一つとして残ってはいなかった」
「人は誰がいたの? シェリフは? 一緒に脱出した?」
あたしの声がうわずっていく。
「シェリフも、オーナーもいました。それと数百人の鉱山技師」
「ムギ!」
あたしはクァールを呼んだ。
「みぎゃ?」
横に来た。
「あたしを乗っけてって。その岩山のてっぺんまで。すぐに。今すぐに!」
あたしはムギに向かって言った。言いおえたときには、もう背中にまたがっていた。
太い首にしがみつく。
ムギがダッシュした。
すさまじい勢いで垂直の崖を駆け登る。
岩を蹴り、土を跳ね飛ばして進み、あたしとクァールは一、二分で頂上に着いた。
あたしは、ムギの背中から降りた。
足がガクガクして、立ってらんない。
へたりこむように、丸い岩礁に腰をおろした。
眼下には、おぞましい光景が広がっている。
メイヤーは嘘をついていなかった。たしかにそのとおりだった。
かつては、うねうねとつづく山なみであったはずのそこには、一つのものを除いて、何もない。
一つのものとは。
巨大なクレーターだ。
直径は、五キロ。いや六キロ。いや、もっとある。
底が鏡のように滑らかだ。赤銅色に光っている。とても地面とは思えない。まるで、おとぎ話にでてくる巨人かなんかが大地を丸いシャベルですくいとり、そのあとに薄い金属箔を敷きつめたかのようだ。
クレーターの周辺は、ぼんやりと霞んでいる。靄がかかっているのだろうか。境目が曖昧で判然としない。原野か山脈が広がっているらしいが、はっきりとは見てとれないのだ。
「ジェフ」
あたしの口から言葉がもれた。
「ジェフ……」
それしか言えなかった。
あのハンサムなシェリフは、もういない。
2
岩山の頂上で、あたしは凝然と立ち尽くしていた。
坐りこむこともできなかったし、泣き叫ぶこともできなかった。頭がぼんやりして、思考が働かないのだ。ただ立っているだけ。目はクレーターに向けられているけど、見てなんかいない。失神ってほどじゃないが、ほぼ、それに似た状態だ。
朦朧としている。景色も意識も、果てしなく白い。純白の世界の中にいる失神一歩手前のあ・た・し。
──そんな状態が、どれくらいつづいたのだろう。
ものすごく長かったように思うけど、実際はほんの十数秒だったらしい。
空白が、いきなり破られた。
突き上げるようなショックがきた。
地面が跳ね、Gがあたしを圧しつぶそうとする。
どーんという音が響いた。
つぎの瞬間、あたしは宙に浮いていた。
仰向けになって岩の上にお尻から落ちた。
尾てい骨をしたたかに打った。
「!」
声もない。足の先から頭のてっぺんまで、激痛が走った。
これはもう、あからさまな悶絶シーンである。
のたうち、喘ぐ。
そこへ──。
ショックの第二波がきた。
また浮いた。今度は岩山の斜面の方に飛んだ。
頭からガレ場に突っこむ。
これじゃ、即死コースだ。あたしは必死でからだを丸めた。
背中から叩きつけられた。
呼吸が停まった。
骨がきしむ嫌な音。思わずつぶった目の奥で火花が散り、全身がじいんと痺れる。
ああ、いい。
苦痛も、ここまでくると、もはや快感である。あたしって、その気《け》があったのかしら。
なんて、馬腹なことを思う間もなく、からだがずるずると滑りはじめた。頭を下にして急斜面を。腕か足が、ガレ場のどっかにひっかかっているはずだが、地面がひっきりなしに跳ねるので、止まるものも止まらない。ゆっくりと、しかし確実にあたしは滑落していく。
そこで、ようやくあたしは状況を悟った。
これは地震じゃないか!
揺れている。岩山がぐらぐらと。いや、ずんずんと。そう表現したほうが正しい。すさまじい縦揺れだ。からだを起こして滑落を止めたいが、立つに立てない。それどころか、岩という岩がみんな躍っているので、手頃なやつに掴まり、身を支えることすらできない。このままだと、山肌を転がり落ちていくのは時間の問題だ。
「ぎゃおん!」
ムギが咆えた。あたしは首をめぐらした。目の端に、ムギの黒い姿が映った。
助けにくる。こっちに向かって。揺れ動く大地にうまくリズムを合わせ、ひっくり返りもせず、鮮やかな足取りであたしの方へと疾駆してくる。
ぱか。
岩が割れた。あたしのからだの真下だ。
山が裂ける。ひええ! 地割れだ。地割れが、あたしを吸いこもうとする。
あたしは両手両足を広げて地割れにあらがった。けど、だめ。力を加えると、岩がもろくも崩れてしまう。
いやだ。こんなのに呑みこまれたくない。
ムギが飛んだ。
あたしの背中と地割れとの間に、するりともぐりこんだ。
長いしっぽが、あたしの腕に届いた。あたしはムギのしっぽを掴み、からだを横にひねった。
あたしを乗せて、ムギがジャンプする。
その勢いで、あたしはうつ伏せになった。両手を胴にまわし、ムギの背中にまたがって必死でしがみつく。
大岩小岩が、跳ねて飛んできた。
いくつかがムギの腹を直撃した。
しかし、ムギは意に介さない。平然と岩山を駆け降りる。
車とVTOLで満杯になっている広場まで、あたしを背負ったムギが下るのに、まばたきするほどの時間もかからなかった。
気がつくと、正面にトンネルがあった。トンネルの入口のまわりには、落ちてきた岩が散乱している。なかには、直径二メートルなんてのも転がっている。だが、地震はもうおさまったのだろう。地面は揺れてないし、新たに落下してくる岩もない。
あたしは安堵のため息をついて、顔を伏せた。
ムギのしっぽの付け根があった。
ムギの顔は、どこにもない。
念のために首を伸ばしてみると、しっぽの向こうは、ムギのお尻だ。
要するに、これは後ろ前ではないか。あきれたことに、あたしは前後逆になってムギの背中にまたがっていたのだ。
こーいう乗り方は、あたしの美意識にそぐわない。
あわてて、降りようとした。
それが、いけなかった。
足がもつれた。
バランスを崩して、肩口から落っこった。
再び、火花が散る。今度は快感までいかない。ただ痛いだけだ。
「あたたたた」
呻きながら、起き上がろうとした。なぜか、ムギは助けてくれない。
肩を押さえ、顔をしかめて、視線を前にやった。
足が見えた。おかしな足だった。
厚手のタイツみたいなズボンを履いている。靴はといえば、これが金属製だ。
こんな人、いたかしら?
と、視線を上に辿っていって、ぎょっとなった。
その人ってば、中世の騎士のような甲冑を着て腰に剣を佩き、手には細身の銃を携えている。
この姿、この格好!
忌まわしや。ダンプ・ユウを壊滅させた、あの影≠ノそっくりではないか。
「ケイっ!」
どっかで、ユリが叫んだ。
「ユリ?」
あたしは、あせって首を左右上下に振る。
「うあっ」
ちょうど見上げたときだった。上から別の甲冑兵が降ってきた。
それが、あたしの前にいた甲冑兵と激突した。
からみ合って、どちらも平たくつぶれる。
金属音は響かない。ということは、やはり、この甲冑も影≠フそれと同じで金属によく似た特殊素材でできている。でも、こいつらは影≠謔閧燻繧「。
「ケイ!」
また、ユリが呼んだ。あたしは、もう一度頭上を振り仰いだ。
いた。
ペガサスの翼の上。ヒートガンを構え、白い方の太陽を背にして、すっくと立っている。
ひらりと飛んだ。
軽やかに、あたしの脇に舞い降りる。
う……。ずっこい。これは、ずっこい。なんで、あたしはムギから落っこちて、こいつは翼から、ひらりなんだ!
「ケイ、うしろ!」
いじけるあたしの背後を、ユリは指差した。
「え?」
振り返ると同時に。
「でえいっ!」
剣をかざした甲冑兵が、あたしに向かって突っこんできた。
すかさずユリがヒートガンで、そいつの腹をぶち抜く。
「なっ、なっ、なっ」
あたしは目を白黒させるだけ。
「襲ってきたのよ、こいつら。地震がおさまりかけたとき!」ユリが早口で言った。
「二人やられたけど、メイヤーは無事。ぼおっとしてないで、応戦して。でないと全滅よ!」
くうーん。あによォ!
ホルスターからヒートガンを引き抜きながら、あたしはいきどおった。
これじゃ、しおらしく感傷にふけってるヒマもないじゃない。
3
甲胃兵の残りは、全部で八人だった。ユリの話だと、あたしがくるまでに六人ほど片付けたらしいから、けっこうな人数が、いきなりこの広場にあらわれたことになる。
パルス状の光線が、束になって降ってきた。
あたしとユリは、転がってその光線をかわし、車の蔭に飛びこんだ。甲冑兵の手にしているレーザーガンは、トリガーを引くと光線が断続的に発射される長射程タイプだ。こういった接近戦には、あまり向いていない。剣を持っているのは、そのためだろう。それとも、あの剣は電磁サーベルのような特殊武器なのだろうか。
あたしは車の後輪の横にへばりついた。甲冑兵は、広場をぐるりと取り囲んでいるらしい。さっき、あたしとムギが降りてきたあたりが、その包囲網のちょっと外側だったのだ。ムギは異常を察知すると同時に包囲の内側にもぐりこみ、そのまま何人かの甲冑兵と睨み合っている。ばかあ、なんで、あたしをサポートしてから動かないんだ。おかげで、あたしは危うかったんだぞ。
「公安の連中は苦戦してるわよ」
あたしの脇にきて、ユリが囁いた。
「ヒートガンは正面からヒットしたら効くんだけど、レイガンはまるでだめ。関節なんかに命中したときだけ、ちょっとたじろぐみたい。でも、ダメージにはならないわ。影≠ルどじゃないって侮ってたら、やばくなるわよ」
なるほど、公安スタッフはレイガンしか持ってない。考えてみれば、ユリのヒートガンはメイヤーに借りたものなのに、不幸な話である。
バババッと大量に光条が走った。
あたしの眼前を光の糸が華やかに往復した。どれもレイガンの光線だ。公安スタッフは、不利を承知で果敢に応戦しているらしい。
あたしは頭を半分ほど車の蔭から突きだして、そっちの様子を見ようとした。
とたんにパルス状の光線が、あたしめがけて殺到した。
その一筋が、あたしの頬をかすめる。甲高い音をたてて、ポリマーが蒸発した。
「うわっち!」
あたしは、あわてて首をひっこめた。
ぶない、ぶない。思えば、さっきは呑気であった。ぼやっと立っていても、すぐには撃たれなかった。いきなり山のてっぺんから、変な獣にまたがって予告なしに降ってきたので、向こうも度肝を抜かれていたのだろう。いやあ、ほんとによく助かったものだ。
あたしは一人で、しきりに感心した。
「うがお!」
どこかで、ムギが凄まじい雄叫びをあげた。
あの声は。
怒りの咆哮だ。それも、かなりの。激怒ってやつだ。甲冑兵の誰かがレーザーガンでムギを撃ったに違いない。知らないかんね、原形留めぬ肉片にされたって。ムギは人為的に性格を穏やかにしたクァールだけど、怒ると本性が戻ってしまうのだ。そうなったら、連合宇宙軍の精鋭が百人かかったって、かなやしない。
「わ、すっごい!」
あたしの頭上で、ユリの嬉しそうな声が響いた。
見上げると、あやつ、いつの間にか車のボディによじのぼって、屋根越しに車の向こうを窺っている。うーむ、はしっこい。おまけにヒートガンもしっかり構えているではないか。あそこなら眺めも良さそうだし、相手の動向も掴みやすそうだ。
負けじと、あたしもボディのでっぱりに指を掛けた。
すらりと長い足を振りあげ、上に登ろうとする。
そのときだった。
「あっ!」
ユリが小さく叫んだ。
「来るわよ。そっちへ!」
あたしの方を指差す。
来る? なにが?
いきなりユリに言われて、あたしはうろたえた。敵が来るというなら、こんな格好してらんない。無防備もいいとこである。
あせって、手を離した。
あらら、足を振り上げたままではないか。
視界が、くるりと回った。地面までは一メートル弱。
また、尾てい骨から落ちた。
激痛。悲鳴。
泣きながら身を起こし、それでも歯を喰いしばって、ヒートガンを突きだした。
「撃っちゃ、だめ!」
ユリが、あたしを止めた。あたしは頭上を振り仰いだ。そういうユリは、ヒートガンを派手に撃ちまくっている。
「うみぎゃあ!」
黒い塊が、あたしの前に転がりこんできた。あたしは飛びすさって、その突進をかわした。
黒い槐が、あたしをかすめてUターンする。
ムギだ。来たのはムギである。それも自分一頭じゃない。背中に人を乗せている。グレイのスーツを着た痩せた男が、うつ伏せになり、ムギの首にしがみついている。
メイヤーだ。
こわごわとしたしぐさで、メイヤーはおもてを上げた。顔が真っ青だ。髪は乱れ、目も血走っている。
「どうしたの?」
あたしはメイヤーに訊いた。
「だめだ」メイヤーはかぶりを振った。
「敵に新手が加わった。二十人近い。こっちはバミスをやられて、リーガンも負傷した。歯が立たない」
「ちっ」
あたしは舌打ちした。甲冑兵に援軍。最悪のパターンだ。しかも、こっちにはメイヤーというお荷物までいる。こんな枯木みたいなからだの素人さんでは、守ってやるだけでも大仕事になる。
公安スタッフはともかく、メイヤーだけでも何とかしなければ。
あたしはメイヤーに目をやり、つぎにペガサスを見た。このVTOLは不調だけど、でも、まったく飛べないわけではない。
「メイヤー」あたしは言った。
「あなた、ペガサスの操縦ってできる?」
「飛ばすだけなら免許はある。しかし……」
「オーケイ!」
あたしは、すかさず言葉をかぶせた。免許があれば、経験もくそもない。あとは運だ。
「ムギ、メイヤーをペガサスにお乗せ!」
「ちょ、ちょっと……」
否も応もない。
メイヤーを背負ったまま、ムギがジャンプした。あたしとユリがヒートガンで援護する。
車の屋根からペガサスの翼に移り、そっから、触手を使ってメイヤーを持ち上げ、その細っこいからだをムギは乗降ハッチめがけて投げこんだ。
「ぎゃっ!」
悲鳴とけたたましい音を響かせて、メイヤーはペガサスに搭乗した。
と、同時にタラップが収納され、ハッチの扉が閉まった。
ムギが身をひるがえして、あたしの横に戻ってきた。ペガサスを見つめ、巻きひげを震わせている。
ペガサスのエンジンが始動した。ユリが車のボディから飛び降りた。あたしと一緒に地面にからだを伏せる。
エンジン音が、急激に高まった。ジェットの排気が、熱風となって渦を巻く。
「ユリ!」
あたしはユリに向かって怒鳴った。ユリの顔はすぐ目の前にあるが、とにかく凄まじいエンジン音だ。大声でわめきゃなきゃ、何も聞こえやしない。
「ペガサスが飛んだら、坑道に走るよ。あんなかで迎え討てば、一対一くらいで闘える!」
「わかった!」
ユリがキンキンと答えた。
ペガサスが浮いた。ランディング・ギヤが、地べたからふわりと離れる。砂ぼこりがすごい勢いで舞い上がり、周囲が一瞬にして真っ白になった。さながら砂漠の砂あらしだ。目を開けているのも大変。何も見えない。ペガサスの姿も掻き消えた。
エンジン音が急速に甲高くなった。
耳を聾する金属音に変わった。
それが、すうっと小さくなっていく。
上昇を開始したのだ。排気の風も横からではなく、上から吹き降ろしてくる。
今だ!
あたしはユリの肩を叩き、立ち上がった。
まだ視界は開けてないが、坑道は近い。だいたいの位置は勘でわかる。
広場を全力疾走した。
ペガサスが去った。風がおさまり、砂ぼこりが散る。坑道の入口が目に見えるようになった。
と、いうことは。
あたしたちの姿も、甲冑兵に丸見え。
坑道に飛びこんだ。体をひねり、壁にへばりついた。
ほとんどタッチの差だった。へばりついて身を隠したとたんに、レーザーの集中砲火が坑道の入口を滅茶苦茶に灼いた。
暗い坑道が白く光った。地震で崩れかけていた入口の岩が真っ赤になって熔けはじめた。
4
横なぐりの豪雨みたいなレーザー攻撃は、一、二分つづいた。
その間、あたしたちはただ我慢するだけ。動くことも反撃することもできない。壁にへばりついたまま横にいざっていけば、一応、移動できるけど、そんなのやっても意味はない。それよりも我慢して、相手が不用意に動くのを待った方が得策だ。なんたって、外には怒り狂ったムギがいる。
だしぬけに、攻撃が熄んだ。一瞬、誘っているのかと思ったが、そうではないようだ。なんとなく騒がしい。ざわついている。
そろそろと入口に近づき、赤く熔けて、まだ高熱を放っている岩越しに外の状況を窺ってみた。
最初に目に映ったのは、真紅の炎に包まれた、あたしたちの六輪車だった。甲冑兵が火を放ったに違いない。ごうごうと燃えさかっている。
そして、その手前にムギがいた。
ムギは、甲冑兵に取り囲まれている。逆立った黒い体毛に炎が赤く照り返し、鬼神もかくやという恐ろしい形相だ。ムギの足もとに四人ほど転がっているのは、すでに片づけられてしまった甲冑兵だろう。ぴくりとも動かない。それでも、無傷の甲冑兵はまだ優に二十人以上いる。みんなやられてしまったのか、あるいは車の向こうにいるのか、公安スタッフの姿はどこにもなかった。
包囲網の中から、三人の甲胃兵が前にでた。三人ともレーザーガンではなく、剣を手にしている。この近距離だ。レーザーガンではムギのスピードに振り回されるだけだということを、ようやく悟ったらしい。
二メートルくらいの距離を置き、甲冑兵が歩を止めた。
短い間。
一斉に跳んだ。
ムギが後肢だけで立ち上がる。
ムギと三人の甲冑兵の影が、一つに重なった。
と、思ったら。
ムギの鋭い爪でズタズタに切り裂かれた甲冑兵が、地面に叩きつけられた。
まるで相手にならない。大人と子供のケンカである。いや、あっちの方が、もう少し歯応えがあるかな。これじゃ、人間がアリを踏みつぶすのと大差ない。
あたしとユリは、ヒートガンを構えた。甲冑兵はムギの強さに圧倒されて、なすすべもなく突っ立っている。形勢を逆転するには、今がチャンスだ。
あたしたちは甲冑兵を撃った。手当たり次第に撃ちまくった。
甲冑兵は、うろたえた。ムギとやり合っていたら、いきなり狙い撃ちされたのだ。あたしたちが坑道の中にいるのを承知していながら、パニック状態になって逃げまどった。
ちょうどいい機会とばかりに、ムギが身をひるがえす。
坑道の中に飛びこんできた。
「あん!」
ユリが声をあげた。五人ほど撃ち倒したときだ。トリガーボタンをしきりに押している。熱線が発射されない。エネルギーが切れたのだ。予備のチューブはない。メイヤーに借りたやつだから、あたしのヒートガンとはメーカーが違う。ホルスターにはレイガンが収っているが、それが甲冑兵相手には何の役にも立たないことは、ユリ自身がいちばんよく知っている。
こっちの戦闘力が半分になった。間の悪いことに、ムギがあたしたちのとこに来てしまっている。
あたしのヒートガンだけじゃ、甲冑兵を追い回せない。
ユリがブラッディカードを投げた。トランプほどの大きさの、テグノイド鋼でできた強力な武器だ。四辺が鋭いエッジ状になっており、イオン原理で飛行して敵を切り裂く。手もとの送信機で操縦できるので、狙った目標は、絶対に逃さない。
だが、ブラッディカードは、甲冑兵に対して、あまり有効な武器ではなかった。レイガンと同じだ。関節部分にヒットすれば甲冑兵は血しぶきをあげて倒れるが、それ以外の場所では、はね返されてしまう。甲冑は裂けているのだが、厚くて、刃が通らない。
あたしたちの攻撃力が弱まったので、甲冑兵は勢いを盛り返した。
体勢を立て直し、また坑道めがけて派手に撃ってきた。ムギのばか。あんなに強いんだから、広場にとどまって、総崩れになった甲冑兵を一人残らず始末しちゃえばいいものを、どーして、こっちに来ちゃうんだ。
しかし、悪態をついても、一度失った優勢はもう取り戻せない。これだけ離れると、レーザーガンもムギにとって脅威となる。さしものクァールも、坑道からは飛びだせない。釘づけだ。
こうなったら、やることは一つである。
逃げるっきゃない。
ユリがブラッディカードを回収した。
「奥へ! 急いで!」
あたしは怒鳴った。ヒートガンで甲冑兵の足を止めているので、うしろを振り返れない。それでも、気配でユリとムギが走りだすのがわかった。
あたしは左手でヒートガンを保持し、右手でポケットからカプセルを取りだした。CDCの本社で使ったやつだ。
そいつを坑道の外に弾き飛ばした。
カプセルは空中で爆発し、火球になる。
と同時に、あたしはくるりと向きを変えた。
そのままダッシュ。レーザーガンの斉射がくる前に、できるだけ入口から離れたい。必死で走る。
坑道の奥は真っ暗だった。ほとんど何も見えない。おまけに地面はでこぼこ。大きな穴なんかがあいていて、足をとられる。それでも、なんとかバランスを保って、あたしは暗い坑道を走りつづけた。
肩が壁に触れた。坑道がカーブしている。へたすると激突だ。あたしは両腕を伸ばし、手探りで前進した。
深いカーブだった。しかも下り坂になっている。闇が濃くなった。ほぼ完全な闇だ。濃密で、ねっとりとした闇。わずかに入口から届いていた光が、曲がりくねった壁にさえぎられたらしい。暗視ゴーグルでもあれば楽なのだが、あいにくと、そんなものはどこにもない。となれば、勘で走るまでだ。
そう決意したとたんに、でっぱりにつまずいた。斜め前につんのめり、額から壁にぶち当たった。伸ばしていた手がクッションになり、ダメージは少なかったが、それでも、けっこう痛い。もう走るのは無理だ。歩くしかない。突きだしていた両腕を左右に広げ、壁にさわりながら、足を一歩ずつ慎重に踏みだすようにした。
ぐにゃり。
何か、やわらかいものを踏んづけた。
あわてて足をひっこめる。
「うみぎゃ!」
ムギが啼いた。
どうやら、今のはムギのしっぽだったらしい。たしかに、そんな感じがしたんだ。でも、なんで先に行ったはずのムギが、こんなところに……。
「ムギなの?」
あたしは訊いた。
「ケイね」
闇のどっかから、ムギではなく、ユリの言葉が返ってきた。
「なあんも見えない」あたしは言った。
「これじゃ、あいつらに追いつかれちゃうよ」
甲冑兵はライトか熱探知機か、そのたぐいのものを必ず用意しているはずだ。もしかしたら、暗視ゴーグルだって持っているかもしれない。となると、手探りでのたくら歩くこっちは、このペースである。追いつかれるのは、時間の問題だ。
「ムギに乗せてってもらえばいいわ」
ユリが言った。
「ムギもいちいち気をつかいたくないから、それを望んでいるみたい。だから、ここでケイを待ってたのよ」
そうであったか。あたしは感動した。えらい、ユリ。えらい、ムギ。相棒の鑑《かがみ》。心のともしび。世界のアイドル。
「早く、あたしのうしろに……」
ユリの手が伸びてきて、あたしの肩に触れた。あたしは、その手を握った。ユリがひっぱる。ムギのからだがあった。これが、しっぼ。これが背中。うん、ユリのお尻もある。あたしはムギの背にまたがった。ユリのウェストに腕を回し、指を組む。
「行くわよ。頭は目いっぱい下げてて」
ユリが言った。坑道には、天井からいろんなものが垂れ下がっている。壁から突きでている支柱なんて剣呑なものもある。そんなのに引っかかったり、激突したりしたら、即死はまず間違いない。
あたしは腰を深く折り、ユリの背中に頬をべたりと押しあてた。
ムギが走りだした。
音もなく、揺れも少ない。でも、滅茶苦茶速い。見えなくとも、風でわかる。ユリの黒髪なんか、うしろに長くなびいちゃって、あたしの左肩がこそばゆいったらない。それに、風切り音もすごい。耳もとで、びゅんびゅん唸ってる。
これで一安心。と、あたしは思った。この坑道がどれくらいの長さで、どこにつづいているかはよくわかんないけど、それでも、ひとまず甲冑兵の襲撃はかわした。あとはなんとか地上にでて、クレーターを調べるんだ。あそこにはきっと何か手懸りがある。
だが。
安堵するのはまだ早すぎた。
甲冑兵は、先回りしていたのだ。
5
走りだして、二十分あまりが経過した。
坑道は、まだつづいている。距離にしたら、六キロ。いや、七キロは越えているはずだ。なのに、出口はぜんぜん見えない。
ムギは、とにかくすごい。真っ暗で路面の荒れた坑道。しかも、人間を二人も背負っている。いくら疲れ知らずのクァールといえども、楽ではないはずだ。しかし、ここまでムギはまったくペースを落としていない。たんたんと、その鼻づらで闇を切り裂いている。
「これってば、迷路なんじゃない?」
肩から耳に向かって唇を突きだし、あたしはユリに言った。
「ぐるぐると同じとこ回って、永久に外にでられなかったりして……」
「首すじに息かけないでよ」
ユリが、あたしの言葉をさえぎった。冷たい口調だった。肩をうねらせ、マジに嫌がっている。ちっちっ、あによォ。あたしは、ユリの首の付け根を噛んでやった。
「やん!」
ユリは、からだをよじらせる。あたしは、しつこく噛みつづける。
じたばた。ばたじた。
要するに、退屈してたのだ。いつまでもムギの背中にまたがっているのに。それでも、素敵な景色が広がってたりしてたら気もまぎれたのだが、まずいことに周囲は闇である。景色どころか、自分の姿すら見えない。これで三十分近くもじっとしてたら、幼児でなくても、飽きるのは当然ではないか。
したがって、他愛ないふざけ合いがはじまる。
もっとも、人間を二人も乗せて真暗闇の中をひた走っているムギにしてみれば、こんな迷惑な話はない。
いくら、飼主にしても、やることにほどがある。
──とでも、思ったのだろうか。
だしぬけに、ムギが止まった。
さらには、低く唸っている。
「やば……」
あたしは、うろたえた。
「ケイがいけないのよ」すかさず、ユリがあたしを非難した。
「変なちょっかいだすんだからァ」
「ユリだって、けっこうのってたじゃない」
あたしは言い返す。あたし一人のせいにされたら、たまんない。ユリだって、大袈裟によがってみせたりして遊んでたんだ。
「うぐるるる」
ムギの唸り声が大きくなった。
「ちょっとォ、なすりつけ合ってる場合じゃないわよ」その声を聞いて、ユリがあせった。
「本気になってるわ」
「あやまろう」あたしは言った。
「こんなとこに捨てられたりしたら、絶対にのたれ死にだよ」
「のたれ死になんて、や!」
あやまることに決めた。
「ごめんね、ムギ」
「度がすぎたよ。悪かった」
二人で口ぐちにあやまった。
ところが。
ムギは、あたしたちの謝罪を無視した。
「ぐおるるる」
まだ唸っている。
「ぎゃおん!」
それどころか、いきなり咆えた。咆えて、一メートルほど後方に飛びすさった。
光条が断続的にほとばしり、火花を散らして坑道の壁を抉った。
レーザーガンだ。
眩しい白光が、あたしたちを照射した。
目がくらみ、頭が痛くなる。
なんと、すべては誤解だったのだ。ムギはあたしたちに怒っていたんじゃない。怪しい気配を感じとり、警戒して足を止めたのだ。
闇に慣れた目が、強いハンドライトの光を予告なしに浴びて、ずきずきとうずいている。しかし、たじろいではいられない。あたしたちは顔を腕で覆い、転がるようにムギの背中から降りた。
そのまま壁にへばりつく。ヒートガンは降りるときにホルスターから抜いた。
「うおん!」
身軽になったムギが、一気に敵の懐へと飛びこんだ。
そのせつな、光が消えた。
また真っ暗になった。光の残像が、あたしの瞳の中で忙しく跳ねている。パルス状に走るレーザーの光条が、その残像と重なった。闇は何もかも覆い隠すが、レーザー光線の源だけは別だ。それだけは、はっきりとわかる。そして、いうまでもなく、そこには敵がいる。
あたしは照準を定め、ヒートガンのトリガーを引いた。
熱線が、壁と敵とを一緒に灼いた。
炎があがり、坑道の中が瞬時、明るくなった。
敵が見えた。炎に赤く照り映える甲冑。やはり、あいつらだ。それと、ぽっかりと開いた横穴も視認できた。あれが近道なんだ。あれで先回りして、あたしたちを待ち伏せていたんだ。
ムギが、数人の甲冑兵を蹴散らした。ユリがブラッディカードを投げる。甲冑兵は意外に少ない。広場にいたのが、みんなまわってきたんじゃなさそうだ。十人くらいか。もしかしたら、別働隊かもしれない。
炎が消えた。
あたしは二撃、三撃と熱線を放った。
光条と熱線の間をかいくぐって、ムギが疾《はし》る。ユリもブラッディカードを操る。ユリの目標は、レーザーガンを構えた甲冑兵の腕だ。致命傷は無理でも、腕の関節をカードで裂けば、レーザーガンをはたき落とすことはできる。それだけで、こちらは、ずっと有利になるのだ。
戦闘は、わずか数分でかたがついた。
あたしたちの圧勝である。
わりにあっけない闘いだった。やはり人数が少なく、場所が狭かったのが、あたしたちに幸いしたのだろう。
ふっと撃ってこなくなり、つぎに鈍い爆発音が轟いて、それでおしまいだった。
坑道は、しんと静まりかえる。
あたしたちは、しばらく様子を見てから、そろそろと前に進んだ。
ユリが甲冑兵のハンドライトを拾った。なんでも拾ったり、もらったりするのが得意なお子だ。ライトは消えていたので使えるかどうかわからなかったが、スイッチを捜しだしてオンにすると、白い光芒が、闇を一閃した。
光の輪の中に、倒れて動かない甲冑兵のからだが黒く浮かびあがる。
全部で六体を数えた。
あとの甲冑兵は撤退したらしい。その際、横穴を破壊したのだろう。土砂が、その大部分をふさいでいる。さっきの爆発音は、これだったのだ。なかなか周到じゃない。
あたしとユリは、倒れている甲冑兵を調べてみた。いずれも絶命している。ヒートガンで二人、ムギで四人といったところだ。そのうちの三人は、ブラッディカードで、腕をやられている。
「ぐるるるる」
ムギが来た。変にこもった唸り声だ。ユリがライトをそっちに向けた。
びっくりした。
ライトの光が眩しいのか、そっぽを向いて目をそらしているムギの口には、甲冑兵が一人、だらんとぶらさがっている。(正確にいうと、首根っ子をくわえてからだをひきずっているのだが、まあ細かいことは、どーでもいい。とにかく、ぶらさがっているのだ)。
「うが」
ムギは顎を開いた。甲冑兵が、どさりと地上に落ちた。
「う、う、う……」
仰向けになり、低く唸る。
と、いうことは──。
生きているのだ。この甲冑兵は。
やったね、ムギ。これ最高の手懸りよ!
6
あたしとユリは、ムギがくわえてきた甲冑兵に駆け寄った。
抱き起こし、マスクをはがす。マスクは暗視ゴーグルを兼ねたやつで、鏡筒が深海魚の目玉みたいに前方に大きく突きだしている。
さらに、冑もぬがせた。これで、素顔があらわになった。
ユリがライトで顔を照らす。
予想よりも、年輩の男だった。もっとも、年輩といったって、せいぜい四十歳くらいである。額にしわが深い。髪は淡いブラウンで、瞳の色はアンバー。そのアンバーの瞳が、うつろで、ぼんやりとしている。瞳孔は開ききってないけど、生気はひどく乏しい。
「あんた、誰?」
あたしは男に訊いた。
反応はない。半開きになった口から、呻き声がかすかに漏れるだけ。
えーい、じれったい。あたしは男の頬を平手で往復五回ほど張りとばした。
その強引なショック療法が功を奏したのか、男の瞳に、ほんのかすかだが、光が宿った。
チャンスとばかりに、重ねて訊く。
「あんた、誰なの。どーして、こんなものを着ているの?」
「う、うああ、うう……」
男は苦しげに呻く。
「答えてよ!」
あたしも、しつこい。
「うああ、ボ、ボーラルーラ……」
「へ?」
あたしは、きょとんとなった。ボーラルーラ? あによ、それ。まともな名前じゃないじゃない。
「絶対の……絶対の……」
男はそのあとも、怯えたように言葉を吐きだした。これは、少しわかる。絶対の、とくれば、あとは申し子とつづくはずだ。ランディスが言っていたマスターの信者のことである。
「ケイ、これ!」
ユリが言った。見ると、男の首すじを指差している。
「これったら、認識票よ」
ユリが示しているのは、男の首に巻かれたペンダントだった。ペンダントヘッドは小さな金色のプレートである。その表面には、名前や血液型、それに所属鉱の数字が刻まれている。そして、チャクラ・デヴェロップメント・カンパニーの名も──。
男の名前は、ペトロヴィッチ。十一鉱の技師だ。
CDCの技師が、甲冑兵の正体!
「この人、外に運びだそう」あたしは言った。
「意識が戻れば、きっと何かしゃべってくれるよ」
「ムギに三人、乗るの?」ユリが訊いた。
「この人、とくに重そうよ」
「甲冑、剥いじゃおう。そうしたら、ずっと軽くなる」
「そーかなァ」
ユリは信じない。たしかに特殊素材の甲冑は、金属と違って、やたらと軽い。脱がせたって、二キロとは変わんないだろう。
「ムギに訊いてみようか」あたしは言った。
「ハンドライトも手に入ったんだし、いざとなれば、あたしたちは歩くか、交替でムギのお世話になればいいのよ」
「そーねェ」
ユリは、まだ決めかねている。やばい。この優柔不断のねえちゃんは、考えはじめると、まず二日は迷っている。ほっといたら、当分、こっから動けない。
あたしはユリの返事を待たずに、ムギの御機嫌を伺うことにした。どこまでつづいているか、よくわかんない坑道だ。歩いてもいいけど、みんな乗っかっても構わないというなら、あたしは楽したい。
「ムギ……」
首をめぐらし、声をかけた。
あらら。
あたしの横にいたはずなのに、いない。
「ムギ、どこへ行ったの?」
まだ眉間にしわ寄せて一点を見つめ、どーしようかと真剣に悩んでいるユリの手からハンドライトをひったくり、あたしは坑道のそこかしこを照らしだした。
左右に、丸い光の輪が移動する。
いた。ちょっと離れたところにムギはいた。壁に向かって身を低く構え、牙を剥きだして全身の毛を逆立てている。声は聞こえてこないが、その猛々しい形相からみて、激しく唸っているのは間違いない。
あたしの背中を冷たいものが一筋、すうっと流れた。
ムギのこの雰囲気、この挙動。
甲冑兵の逆襲。
まず、それが頭に浮かんだ。
あたしは、あわててライトをムギの正面の壁に向けた。甲冑兵があらわれたのなら、そこに横穴か通路か、そんなものがあるはずだ。
が、何もない。ただの壁だ。ムギは、ただの壁に対峙し、それを威嚇している。まるで、そこから、いかにも恐ろしい怪物でも出現するかのように。
もう一筋、冷たいものが、あたしの背中を這った。
甲冑兵でないとすれば、それ以上にたちの悪い相手ということになる。壁だろうが床だろうが、通り抜けて襲いかかってくる見えない敵。
あいつだ。あいつしかいない!
「ぎゃおん」
ムギが跳んだ。大地を蹴り、高く跳んだ。
あいつが来た。
「ユリ、牙だ!」
あたしは抱えていたペトロヴィッチを下におろし、立ち上がった。ついでに、考えこんでなんにも気がついていないユリも、力いっぱい突き飛ばした。
そして、ライトのスイッチを切る。
斜め前に身を躍らせた。
闇が厚く沈殿している坑道を、あたしはくるくると転がった。
壁に張りつき、ヒートガンを胸もとに構える。
風とも気配ともつかぬ何かが、坑道の中を吹き抜けた。ものすごい圧力を感じる。獰猛な血に餓えた、目に見えぬ凶獣の肉体。
「ぎゃわう!」
ムギが咆えた。咆えて、牙のあとを追う。
こんなとこに、とつぜんあらわれた牙の狙いは? あたしたちか。それとも……。
「ひいっ!」
悲鳴があがった。闇の奥。さっきまであたしがいたあたりだ。あの声は、ユリのじゃない。男の断末魔の叫び。
すると、狙いは。
意を決して、ライトをつけた。ペトロヴィッチを素早く捜す。
いた。ユリと一緒だ。ムギの姿はない。牙を追いかけて闇の向こうに消えたみたい。
「ケイ!」
ユリが、あたしを呼んだ。あたしはヒートガンを片手に周囲を窺い、ユリのもとに走り寄った。
「やられちゃったよ」
ユリはペトロヴィッチの上体を起こした。
ペトログィッチは血まみれだった。横から一噛み。顔、首、胸、腹。甲冑ごとざっくりと抉られている。成長して顎が大きくなったものだから、牙が二本くらいしか喰いこんでいない。それでも、ペトロヴィッチのからだはぐちゃぐちゃだ。噛みちぎられなかったのは、ムギに追われて、牙があせっていたからだろう。
「みぎゃう。ふっ、ほっ、ふっ」
鼻息荒く、ムギが戻ってきた。どーやら、またもや逃げきられたらしい。
あたしとユリ、それにムギはこときれたペトログィッチを囲んで、悄然と立った。せっかく有力な証人を得たと思ったら、あっという間にこのざまである。しみじみと情ない。
「置いてくしかないね」
ユリが言った。ペトロヴィッチのなきがらのことだ。気のりはしないが、たしかに、そうするほかに手段はない。
「行こうか」
短いため息をついてから、あたしはムギに言った。ムギは膝を折り、あたしたちが乗りやすいようにからだを低くしてくれた。
ユリが先にまたがった。つぎに、あたしが足を振り上げようとした。
そのとたんに。
ぐらっときた。
一瞬、めまったかと思った。睡眠不足で体力が尽きた。そんな感じだった。
でも、そうじゃなかった。
さらに、ぐらぐらくる。
猛烈な縦揺れだ。
その揺れ方でめまいでないことが、わかった。こりゃ地震だ。めまいなんかで、こんなふうになるもんか。
あたしはムギに掴まって、からだを支えようとした。
しかし、失敗した。伸ばした手が空を切った。目測を誤ったのだ。
あたしは、つんのめるようにバランスを崩した。
ああ。これが本当のめまい……。
7
どーしても、立ってらんなかった。
バランスを崩したうえ、足を揺れにすくわれているのだ。もう転倒を食い止める手だては、あたしにはない。
ふわりと宙に浮いた。
みごとに、もんどりうった。
地面に激突。
そこへ、また実にタイミングよくユリが落ちてきた。
ぐえ。
ユリのでかいお尻が、あたしのスマートなおなかをつぶす。
「余震よ。さっきの!」
あたしの上でユリがわめいた。そんなの、どーでもいい。わめく前にどけ!
岩が割れ、山が崩れる音がした。地震はいよいよ激しい。大地そのものが、まるでエンジンのピストンのように上下する。
土砂が滝のように降ってきた。
そこで、ようやく気がついた。
ここは、坑道の中だ。その坑道が掘られている山が崩壊し、坑道に土砂が落下してくるということは……
生き埋め。
落ちてきた岩が、あたしの手首にあたった。ハンドライトをもぎとられた。
指から離れた瞬間に、ライトの光が消えた。岩塊におしつぶされたらしい。
またもや、真っ暗だ。これでは、どこにも逃げようがない。どだい、一本道の坑道の中で崩れ落ちてくる土砂を避けようという発想が無茶なんだけど。
諦めた。なるようになれ。岩なだれが相手じゃ、すべては運まかせだ。さあ、殺せ。
などと、ヤケクソになっていると、何やらやわらかいものが、あたしとユリの上にかぶさってきた。手探りで感触を見る。
大きくて、やわらかくて、あったかい。
なんだ。ムギじゃないか。ムギが、落ちてくる土砂やら岩やらから、あたしたちをかばおうとしているのだ。
でも、坑道全体がつぶれたら、いくらムギでもカバーしきれないな。
と、すっかりペシミスティックになってしまったあたしは、冷静に思う。
地震は、さらに十数秒つづいた。
その間、ひっきりなしに、土砂崩れや岩なだれの音が暗闇に響く。遠いのもあれば、近いのもある。一度なんか、すぐそこで、ものすごい地鳴りが轟いた。あたしは間違いなくこれで坑道がいかれると思い、完璧に観念してしまった。ユリなんか、どっかがぶち切れて、寝ころがったまま一人でグラン・パ・ド・ドゥしている。
そうこうしているうちに、地震は次第におさまっていった。
ムギが、あたしたもの上からどく。
「みぎゃ」
固く目を閉じ、両腕で頭を抱えているあたしに向かって、起きろ、というふうに啼いた。まだ、ときおり揺り返しがくるが、ピークは明らかに過ぎたみたいだ。
あたしは、そろそろと頭をもたげた。
やーよ。ここでまた、どーんなんてこないでよ。
──などと、つぶやきつつ、ゆっくりと目を開けた。
眩しい。目がちがちかする。大きく開けらんない。
細めた目で、まわりを眺めてみた。となりにユリがいる。ユリはからだをひねり、目を丸くしてうしろの方を茫然と見つめている。
え?
眩しい? ユリの姿が見える?
じゃあ、明るいんじゃないか!
あわてて、ユリの視線を追った。
目が点になった。口なんか、ひとりでに開いちゃって、閉まってくれない。
あいている。大穴が。坑道の壁に、ぽっかりと。
いまの地震で崩れたのだ。この世の最後かと思ったさっきの地鳴りの源は、こいつだったのだ。まいったなァ。あたしたちがうずくまっていたとこから、十メートルと離れていない。もうちょいこっちまで崩れていたら、エンドタイトルがでてたことはまず間違いない。たくもう、いまんなって冷汗がどっと噴きでてくるわ。
「ぐるるるる」
ムギが低く唸りながら、とっとっとっ、と穴のふちまで歩いていった。穴の直径は五メートルくらい。ほとんど坑道の直径そのものである。穴の外は光にあふれ、ながらく坑道暮しをしていた身には、その明るさが涙がでるほど辛い。でも、我慢してよおく見ると、ちょっと変な明るさだ。やけに白っぽい。光が射しこんでくるというよりも、散乱した光が闇の中に溶んでくるような感じだ。
「にゃがう」
ムギが首をめぐらして、啼いた。どうやら、こっちに来いと言っているらしい。
あたしとユリは、顔を見合わせた。
「おもしろいものが、ありそうね」
あたしは言った。
「なに見たって、驚かないわよ」
ユリは強がりを言っている。
二人一緒に立ち上がって、穴の手前まで進んだ。
端からそおっと首だけ突きだし、外を見る。
「あっ!」
「ああっ!」
二人とも、最大級で驚いた。ちいっ。こんなことなら、ユリと賭けをしておけば良かった。
驚くはずである。
穴の外に見えているのは。
巨大な黒い卵。
あのクレアボワイヤンスで見た、黒い卵そのものではないか!
黒い卵が、あたしたちのいる場所から、どのくらい離れているのかは、よくわからない。たぶん一キロ前後だろう。ここから切り立った崖や荒々しい岩場が黒い卵までずうっとつづき、その岩場が、あたかも壮大なモニュメントの置き台のようになって、卵を支えている。
空は灰白色の靄に厚く覆われ、蒼空は覗いていない。むろん、太陽も見えない。靄は、その一部が地上にまで漂い、山肌や岩場から色という色をすべて奪いとっている。
冷ややかな無彩色《モノトーン》の世界。
その光景は、あたかも水墨画のそれのようだ。
卵は大きい。本当に大きい。比較するものがないから判然としないけど、高さは三百メートル以上は優にある。これ、実際になにか未知の動物の卵だとしたら、あたしは、その親に会いたくない。
「ケイ……」
しばらく絶句していたユリが、喘ぐように言った。
「あたしたもの見たあれが、この卵だとしたら、あたしたちは事件の鍵を眺めてるってことになるのよ」
「眺めてるだけで、充分って気がするわ」
「でも、いつまでも、ここにくすぶってるわけにはいかないでしょ」
ユリはレイガンを抜いた。
「甲冑兵が、あたしたちを待ち伏せてた横穴は、ここのすぐそばだったわ」
「それに、牙があらわれた壁もね」
あたしもヒートガンを構え直した。
「うぐるるる」
ムギが身を低くし、触手をうねうねと振りまわす。
それは、まるで出陣前の武者震いのよう。
つまりは、行ってみるしかないのだ。
8
穴が、山腹のどのあたりにあいているか、身をのりだして、たしかめてみた。
ユリにからだを支えてもらい、こわごわと崖の底を覗きこむ。
なんだ。
ホッとした。
想像してたよりも、ずっとたいしたことない。崖と呼ぶのも、はばかられるくらいの段差である。急角度で落ちこんでいるのは、せいぜい四、五メートルってとこ。ちょっと下れば、すぐに卵のある岩山へとつづく尾根へと渡ることができる。尾根は剣の刃みたいに細くないから、つたっていくのは、そんなにむずかしくはなさそうだ。問題なのは、そこへ辿りつくまでの体力だが、いいさ、いざとなったらムギがいる。
あたしはユリに合図してひっぱってもらい、坑道の奥に戻った。状況をユリに話す。
「尾根づたいに行くことになるのね」
ユリはうなずいた。
「厄介なのは、あの靄よ」あたしは言った。
「尾根であれに視界を奪われたら、動きがとれなくなるわ。いくら幅があるといっても尾根は尾根。へたに進むと、足を踏みはずして谷底に転落しちゃう」
「わっ、痛そ」
ユリが両の拳を口もとに揃えて、怯えたような表情をつくった。えーい、ユリのアホ。痛いですむか!
「とにかく行くわよ」ユリのしぐさを無視して、あたしは言を継いだ。
「あんな低い崖で転げ落ちないでね」
きびすを返し、穴の端に立った。
下りようと崖に対して半身になり、腰をかがめる。
と、それを待っていたかのように。
いきなり、首が飛びだした。
甲冑兵の灰色の首。
一つ二つではない。穴の端にずらりと七つ。崖の下から、あたしの目の前へぴょんとでてきた。
まるで、びっくり箱だ。
マジに仰天した。
「ひ、ひええ!」
悲鳴をあげて飛びすさる。腰を抜かさなかったのが奇跡だ。
甲冑兵が躍りでた。レーザーガンを構え、ひらりと穴のこっち側に舞い降りる。
「がるるる」
すかさずムギがあたしたちの前に立った。牙を剥きだし、怒りに燃える双眸で、甲冑兵を睨みつける。あたしも、ヒートガンを突きだした。ユリはレイガンをホルスターに戻し、ブラッディカードを指にさりげなくはさんでいる。体勢は、けっして悪くない。向こうは崖を背にしているし、人数も一桁だ。
ところが。
「これまでだな。破壊神……」
あたしたちの背後で声がした。
あたしたちは振り返った。
坑道のさらに奥から、しみだすように人影があらわれた。
その散は、軽く十人。いや、その倍くらいかな。
先頭の一人を除いて、すべて甲冑兵だ。
先頭の人物は、甲冑を着ていない。代わりに、ゆったりとした白いローブを身にまとっている。そして、顔には薄気味悪い銀色の仮面。仮面は、のっぺりとしていて表情がない。
マスターだ。
甲冑兵が、足早に動いて、あたしたちを取り囲んだ。
マスターが、ゆっくりとあたしたちに近づく。歩くというよりも、地面の上を滑るような進み方だ。見たい。ローブの内側を見たい。いったい、どんなふうに足を運んでいるんだろう。でも、マスターの全身は、完全にローブに覆われていて、まったく見ることができない。
「どうやら、あんたが、この事件の主役のようね」あたしは、マスターに向かって言った。
「見えない牙を操り、信者の技師を甲冑兵に仕立てあげ、さらには、鉱山をクレーターに変えてシェリフとオーナーを亡きものにした。──いいえ、それだけじゃないわ。あたしたちが、ここに来ることを察知して刺客をリオネスに送りこんだのも、あんたでしょ。おかげで、あたしたちはいわれなき非難を一身に浴び、追われるように、このチャクラへとやってきたのよ」
「…………」
「教えてちょうだい。あんたの狙いを。お金なの? 権力なの? それともブッデイジウム?」
「…………」
返事はない。
「黙ってちゃ、わかんないわ」
ヒートガンの照準をマスターの胸もとに合わせ、あたしはぐいと前にでた。もちろん、これはブラフである。いくらあたしたちでも、こんなふうに包囲されちゃっては、脱出のしようがない。だから、逆に強気で押してみたのだ。
「威勢がいいな、破壊神」
マスターが静かに言った。仮面で口が見えないから、本当にマスターの声かどうか、はっきりしないが、感じとしては、マスターがしゃべっているように思える。声は、さっき背後から掛けられたそれと同じだ。
「しかし、威勢だけでは、もはや身動きかなわぬ」マスターはつづけた。
「茶番は、これで終わりだ。われわれは、お前たちをボーラルーラに捧げる。光栄に思うが良い」
ボーラルーラ! ペトロヴィッチが牙に噛み殺される直前につぶやいた名前だ。
「勝手なことを、ほざいてくれるわね」ユリが言った。ユリは両手の指にはさんだ二枚のブラッディカードを、いつでも投げられるように肩の高さに構えている。
「あんたの命は、あたしたちが握っているのよ。ケイのヒートガンに、あたしのブラッディカード。刺し違えたって、あたしたちは、あんたを殺すわ」
まっ、ユリってば、かあいい顔してシビアなことを。
「おもしろいな」マスターは泰然としている。
「試してみるがいい。その益体《やくたい》もないカードとやら」
「言ったわね!」
ユリの頬が紅潮した。
一歩踏みだし、同時にマスターめがけて二枚、ブラッディカードを投げ放った。
マスターのローブが、左右に大きく脹れあがった。ローブの中で両腕を広げたらしい。
カードが弧を描き、やや上方から急角度でマスターに迫る。
マスターは逃げない。二方向から唸りをあげて接近する必殺のカードを前にして、白い影のように、その場に立ち尽くしている。かわそうという気など、毫もないのだ。
甲冑兵も、かれらの盟主の危機を目のあたりにしながら、一人として動こうとしない。
ブラッディカードが、ローブを断ち、マスターの肉体をずたずたに切り裂く。
──と、思ったその寸前。
マスターが光った。
9
正確にいうと、光ったのはマスターが身につけている仮面とローブだった。でも、そう見えたのは、ほんの一瞬で、あとは眩しくって眩しくって、もう何がなんだかぜんぜんわかんなくなった。
ものすごい光だ。真っ白で、光そのものに力がある。
光のローブに、光の仮面。しかし、もう見えるのは、白い光の乱舞のみ。視界は全面、白、白、白。
爆発の際に飛び散る破片が、すべて光の粒子だといったら説明になるんだろうか。
光に照らされてるんじゃなくって、光を全身に叩きつけられてるって感じ。
目がくらみ、肌がちくちくして、身動きがとれなくなっていく。光のパワーに圧倒されているのだ。肉体に苦痛らしい苦痛はない。だけど、目だけはだめ。固く閉じ、左腕を眼前にかざしてかばっているのだが、そんなことはお構いなしに光が飛びこんでくる。荒れ狂う光は、あたしたちを容赦なくいたぶり、翻弄する。
悲鳴があがった。あたしがあげたつもりだったが、もしかしたらユリかもしれない。そんなことすら、定かではなくなっている。
限界だ。もう。
き、気が狂いそう。
糸が──精神の糸が切れる。
ふっ、と光が熄んだ。
あれ。
拍子抜けする。
なんだ? このあっけないタイミングは。
嵐の絶頂期に目≠フ中へ突然はいったみたいじゃないか。
目をつぶっていて、あたしには何も見えてなかったのだが、光の暴風がだしぬけに鎮まったのは、からだ全体ではっきりとわかった。全身をくまなく叩いていた光の圧力が、すうっと緩んだからだ。それほどに、光のパワーは凄まじかったのである。
あたしは腕をおろし、そろそろと目を開けた。
筋肉がこわばっていて、関節がぎくしゃくする。
マスターは、先ほどと同じ位置に、先ほどと同じ格好で立っていた。ローブは裂けておらず、マスターも負傷した様子はない。
ブラッディカードは、どこかに消えていた。マスターが無傷ということは、カードがヒットしなかったということだ。
あたしは坑道のそこかしこに目を走らせた。カードが、その辺を飛んでいないか、あるいは地面に落ちていないか、ちょっと捜してみたのだ。
その目が、あたし自身の右手に釘付けになった。
マスターに向かって突きだしていたヒートガンだ。
ヒートガンが半分になっている。
トリガーガードと本体の一部、そしてグリップは原形を留めている。しかし、銃身は、きれいさっぱりどこにもない。熔けちゃったのだ。あの光を浴びているうちに。
白い光。それを浴びた物質が熔けて蒸発する。
あたしはハッとなった。
クレーターだ。あのクレーターとそっくりだ。丸く広がった白い光が岩山を熔かし、大地を赤銅色の鏡面みたいなクレーターに変えた。
マスターは、それと同じ力を、あたしたちの目の前で揮ってみせたのだ。
あたしはスクラップと化したヒートガンを投げ捨てた。ユリもブラッディカードを失ったから、もう武器らしい武器は、ユリのホルスターに収っているレイガンしかない。
「がるるるる」
ムギが、うっそりと進みでた。
マスターの正面に立ちはだかり、低く唸る。
「お前がいたか」
マスターは静かに言った。嘲るような声だった。
そのトーンをムギは聞きわける。
「がう」
怒った。牙を剥きだし、全身をぶるぶると震わせた。肩の筋肉が、小山のように盛り上がった。
四肢に力をためる。
地面を蹴った。蹴って、マスターに飛びかかった。
マスターの右手が動いた。ほとんど目に止まらなかったけど、ローブの中じゃなく、横から外にでて、動いた。
電撃がほとばしった。
長い尾を引く激しい火花。
四方に散った。
枝分かれして、さらに伸びる。
火花がムギのからだを包んだ。
電撃の網となった。
「ぎゃん!」
ムギが悲鳴を発した。
信じられない。ムギのこんな情ない悲鳴。
電撃の網に覆われたまま、地上に落ちた。電撃が、バチバチと音をたてる。ムギは網の中でのたうっているが、網は破れず、消えることもない。
「無駄なあがきだ」マスターはせせら笑った。
「この網は、クァールの肉体から、その維持エネルギーを得ている。電波、電流を自在に操るクァールの能力が、逆に、これを存在させているのだ」
げげっ。こいつってば、ムギの正体を知っている。知ってて、クァールにぴったしの武器を用意したんだ。
「破壊神といえども、わたしの前では無力だ」
マスターは、かすかに顎をしゃくった。
甲冑兵が、あたしたちを囲む輪をせばめた。
「寄らないで!」
ユリがレイガンを抜く。
「おろかな」
マスターが、つぶやくように言った。
甲冑兵が、あたしたちに向かって一斉に手を伸ばした。
しゅっと音がする。
甘い薫りが鼻をついた。
くらっときた。
ガスだ。そう思った。
思ったときには、もう効いていた。
世界が回る。ぐるぐる回る。
意識を失った。
…………
目覚めは、意外にさわやかだった。
吐き気もなければ、頭痛もない。
すっきり、きっぱりと覚醒した。ずいぶん上質の催眠ガスだったのね、と感心する。記憶もぜんぜん欠落していない。ひさかたぶりに、よく寝た。気持ちがいい。
目覚めついでに、のびをしようとした。
できなかった。腕も足も動いてくれない。
首をめぐらしてみると、状況を把握できた。縛りつけられているのだ。十字架みたいな形の軽合金製の柱に。電磁手錠で。柱の形状が十字架とちょっと違っているのは、縦棒の下の方だ。二股に分かれている。だから、縛りつけられているあたしの足は、左右に四十度くらい、ぱかっと開いてしまっている。
まっ、なんてはしたない格好。顔が赭らんじゃうわ。
あたしの右横にはユリがいた。ユリも起きていて、しきりに周囲を見回している。
ユリのさらに向こうには、真っ黒な壁があった。でも、あれは壁じゃない。例の巨大な卵がおっ立っているのだ。あんまり大きいから、壁に見えてしまう。どうやら、あたしたちは坑道からここまで〈絶対の申し子〉に運ばれてきたらしい。
黒い卵の手前には、石造りのように見える建造物が、でんと立っている。柱が剥きだしになった、いかめしいデザインの建物で、学生時代に美術の映像で見た古代遺跡の神殿にそっくりだ。たぶん、これもそうなんだろう。遺跡ではないと思うけど。
神殿は、卵に隣接しているか、その一部が卵の表面に喰いこんでいるかのように見える。あたしたちがいるのは、神殿の玄関(っていうのかな?)から五十メートルほど離れたところで、十字架が神殿に対して直角に立てられているために、実際はどうなのか、細かいことまではよくわからない。
神殿の正面には、石畳の広場が広がっている。十字架が立っているのも、その広場の神殿から見て左側の端っこで、広場は、あたしの十字架のすぐ左横で終わっている。広場の向こうは、地面である。地面の方が、広場よりも、四、五十センチ低い。
地面には〈絶対の申し子〉たちが、ずらりと並んでいた。
横に五十人、縦に十列ってとこか。なんと総勢五百人である。オーナーは、信者はせいぜい数人なんて言ってたけど、冗談じゃない。技師のほとんどが信者だったんじゃないの。それとも、あれから急激に増えたのかな。
申し子は、みんなマスターのそれによく似たブルーのローブを身にまとっていた。ただし、最後列の五十人だけは、武装した甲冑兵である。
申し子は一人残らず地面にひれ伏し、おうおうと何かを讃える歌を低い声で詠していた。何かとは、はっきり聞きとれないが、ボーラルーラのことらしい。
「ケイ……」ユリが、あたしに声をかけた。
「空、見てよ」
「ん?」
あたしは頭上を振り仰いだ。
空は、灰白色の靄で完全に覆われている。さっき坑道から見た光景とまったく同じだ。
「この靄、きっと、一度も晴れたことってないのよ」ユリは言った。
「だから、メイヤー自慢のサテライトにも発見されなかったんだわ」
「なるほどね」
あたしは、うなずいた。なんたって、こんなに巨大な卵だ。地上探査衛星じゃなくても、すぐに見つけられる。軽飛行機でも充分だ。それなのに、今まで話題にもなんなかったのは、やはり、この白い靄が、その存在を隠していたからだろう。おそらく、この靄も人為的なものに違いない。でなきゃ、こう都合よく事が運ぶもんか。
「あっ」
あたしの方を見ていたユリが小さく叫んだ。
「申し子が顔をあげた」
「えっ?」
あわてて首を振る。
ユリの言うとおりだった。ひれ伏していた申し子が、一斉におもてを上げ、神殿に向かって合掌している。
さては。
神殿から、誰かのおでましじゃないかな。
また、あせって首を振った。体操だね、これじゃ。
予感は的中した。
神殿の奥から玄関に向かって、粛然と進んでくる人影がある。あたしたちは高いところにぶら下がっているから、よく見えるのだ。
人影は、一つではなかった。二つ。肩を並べている。一人はマスターだと思うけど、もう一人は誰だろう。まだ、ほかに黒幕がいるのかな。
影が、玄関をでた。
姿が、はっきりと見えた。
「うぎゃあ!」
ぶっ飛んだ。
一人は、予想どおりマスターだった。白いローブを着て、滑るように広場へとでてくる。
そして、もう一人。──もう一人の方が大変だった。
マスターの横に並んでいる。
背が高い。肩幅が広い。足が長い。青いチェックのシャツ。ブリーチアウトのストレート・ジーンズ。透きとおったブロンドの髪。んでもって、最後に端正な顔。
あれは……。あれはジェフ。
ジェフじゃないか!
ハンサムなシェリフ。
生きていたんだ!
[#改ページ]
第五章 異次元なんて、どわいっ嫌い!
1
ジェフとマスターが、広場の中ほどまできた。
「ジェフ!」
あたしはシェリフを呼んだ。
ジェフはぴくりと反応し、視線をこっちに向けた。
足が止まる。目を大きく見ひらく。
ジェフの瞳が、あたしを捉えた。瑠璃色の、ため息がでるほど澄みきった美しい瞳。そこに映っているのは、もちろん、あたし。あたし一人だけ。
そして、ジェフは叫んだ。
「ユリ!」
あ──。
ものすごいショック。頭をいきなりハンマーでかち割られたみたい。全身から力が抜ける。気力も萎える。意識が薄れる。
「ケイ!」
すぐに、あたしの名前も呼んだ。でも、もう遅い。あたしは死んでいる。ばかあ。あほお。すかあ。一度、死んだ人間は、そう簡単には生き返らないんだぞ。
ジェフはちらりと左横のマスターを見た。それから、意を決したように、あたしたちに向かって走りだそうとした。
マスターのローブがジェフの方に広がる。
「ジェフ、だめ!」
それを見て、あたしはあっさりと甦った。マスターが何かやると思ったからだ。ジェフの危機に、死んでなんかいらんない。
ローブからマスターの指先がのぞいた。
走りだしたジェフの背中を狙って、指先が突きだされる。
火花が散った。さっきムギがやられたやつとはまた違った火花だ。甲冑兵のレーザーガンのパルスに似ている。
断続的に散った火花が大気を切り裂き、ジェフに達した。
「がっ!」
背中に青白い火花を浴びて、ジェフがのけぞった。
爪先立ちになって背筋をそらし、両腕を前に伸ばす。指が目に見えぬ何かを掴もうとするかのようにひくひくとうごめく。前腕から上腕にかけて、痙攣が激しい。
「ジェフ!」
あたしは十字架の上で身をよじった。ええい、じれったい。この手錠をひきちぎってジェフんとこに飛んでいきたい。くそっ、くそっ、どーして、こんなに丈夫なんだ。
ジェフが硬直した。痙攣も止まった。動かない。凍りついたように立ち尽くしている。苦痛に凛凛しい表情を曇らせ、あたしの方に両手を高く差しのべて。その姿は、まるで神話の戦士をテーマにした古代の彫像のよう。
マスターのローブがもとに戻った。
再び、滑るように石畳の上を進みだした。ジェフはそのままだ。ほうっておいて、目もくれない。
追い抜いた。ジェフは何もできない。ただ意識だけはあるらしく、口もとが、かすかに震えている。まばたきもする。
マスターが、広場の端にきた。あたしの真正面だ。距離は二十メートルくらい離れている。マスターは、あたしたちも無視した。あんなに騒いだのに、こっちをちらとも見ようとしない。
五百人の信者を前に、マスターがゆっくりと両の手を挙げた。
それにつれて、ローブが大きく広がる。
「我が子らよ……」
朗々と響く声で、マスターは言った。
「今や、機は熟した。われわれは、異教徒との聖なる戦いを開始した。異教徒の支配者は、われわれとの約定を違え、この聖なる地に破壊神を送りこんだ。だが、われわれは、かれらに正義の鉄鎚をくだした。忌まわしき異教徒のシンボル、ガウタマの鉱山は、この世より永遠に消えた。しかし、残念なことに、異教徒の支配者は死を免れ、破壊神も、その鉄鎚をかわした」
はーん。あたしは一人でうなずいた。なるほどね。四鉱の事放ってのは、おとりだったのか。オーナーとメイヤー、それにあたしたちもおびき寄せて、一気にかたをつけちゃおうと目論んだんだ。ところが、メイヤーは危ういところで脱出し、あたしたちは間に合わなかった。それで甲冑兵を繰りだしたってわけね。
「──しかし、見よ。いま破壊神は、われらの手のうちにある」マスターの演説は、まだ終わっていない。
「さらに、最強の悪魔すら、わたしはあのように封じこめた」
マスターは、あたしたちに向かって腕を伸ばした。申し子たちの視線が、その先を追う。どうやら、あたしたちの背後にまだ何かいるらしい。あたしも、目いっぱい首をうしろにひねってみた。
たしかに何かがいた。
真っ黒で、丸くて、その表面が稲妻によく似た細かい電光に覆われている。
これは。
ムギじゃないか。
どうも姿が見えないと思っていたら、こんなとこに転がされていたんだ。電撃の網に包まれて、ぐったりとしている。かーいそうに、自分のエネルギーで自分が閉じこめられちゃうなんて、あまりにもむごすぎる。
あたしは、見てらんなくなって、視線を戻そうとした。
その目が、視野の隅っこで何かを捉えた。
なんだろう、とあたしは瞳を凝らす。
ムギよりも、もっとずうっと向こう。荒涼とした岩山が、この台地を囲むように連なっているところだ。
そこに穴が開いている。
坑道の入口だ。
入口の上にはプレートがはめこまれている。
刻まれている数字は16。第十六鉱である。
すると、ここは鉱山の一部。じゃあ、マスターは鉱山でボーラルーラに出会い、あの変な能力を得て、ここに神殿を設けてしまったのだ。そして、技師にその力を見せて信者を増やした。死んだガルバルディじいさんは、そのときにマスターを裏切るか、なんかしたんだろう。
不幸なのは、オーナーだ。きっと自分の鉱山で、そんなことが起きてるなんて、ぜんぜん知らなかったに違いない。信者が数人だってあたしたちに言ったのも、マジに信じていたんだ。
「異教徒たちの運命は決した。かれらはみな、われわれの足下にひれ伏し、これまでの罪を恥じて泣きわめくのだ」マスターの声が、ひときわ高くなった。
「われわれが、この破壊神を生贄として捧げたとき、絶対神ボーラルーラはこの地に降臨され、申し子とボーラルーラは一つになる。さすれば、宇宙は、われわれのものだ。人類は、滅びの道を辿る。未来は、われわれが握った。われわれこそが、宇宙の絶対の支配者となるのだ!」
おお、と申し子たちが歓声をあげた。申し子たちは、口ぐちにボーラルーラの名を唱えた。
「破壊神の血をヤクシャーに!」
マスターは天を仰いで叫ぶ。
「その肉を呪われた次元獣に!」
「ユリい……」
あたしは、となりの十字架にぶら下がっている相棒を見た。二本の十字架は、ほとんど接するように立っていて、腕木の端なんか、くっついてしまっている。
「ケイい……」
ユリも、あたしを見返した。その目は、ユリもあたしと同じ結論に到達したことを物語っている。
もはや、これまでなのだ。
武器なし。ムギだめ。あたしたちは十字架に張りつけられてて、頼みの綱のシェリフは、そこで硬直。これじゃ、どうしたって助かる望みはない。
「ひどい人生だったねえ」
あたしは右手の指をせいいっぱい伸ばした。お別れの握手の代わりだ。せめて指一本だけでも、ユリの手とくっつかせたい。手錠で手首をがっちりと固められているけど、それくらいなら、なんとかなりそうだ。
「こんなことなら、ダイエットなんかするんじゃなかった」
滅茶苦茶なことを言いながら、ユリも人差指をこっちに向かって突きだしてきた。
必死で伸ばした指と指が、腕木の端でかすかに触れあった。
と、同時である。
あたしたちの全身が感電したように痺れた。
名状しがたい衝動が、あたしの裡から激しく突きあげてきた。きたと思ったら爆発した。
思わず目を閉じた。華やかな閃光が、頭の深奥できらめく。あれだ。これは、あれだ。
クレアボワイヤンス。
こんなときに、はじまっちゃうなんて。あったく、なんてことなの!
意識が白くなった。浮遊感覚がきた。エクスタシーが湧きあがり、からだのすみずみまでが燃えるように熱くなった。
白い。なにもかもが白い。
その白い世界に。
灰色の石。
不思議な形だ。人のような、動物のような。
石じゃない。石じゃなくて、これは金属だ。どっかで一度、見た。
チャクラの天使。
そうだ。チャクラの天使だ。メイヤーが山荘で、あたしたちに見せてくれた。
別の映像があらわれた。
チャクラの天使に重なった。
巨大なもの。醜い。生物だ。吐き気がするほど醜い生物。丸くて、大きくて、肌の色はぬめぬめとしたピンク。それに黒い斑点が、汚らしく飛び散っている。黒い斑点は、模様。あまりにも不潔でいやらしい模様。
醜いそいつが口をあけた。
からだの半分あまりが口である。
もっと醜くなった。
迫ってくる。大口をぱっくりとあけたそいつが、あたしたちに迫ってくる。あたしたちの前にはチャクラの天使があるのに、そいつは頓着しない。
チャクラの天使に突っこんだ。
爆発した。
白い世界に赤い炎。
炎が急速に黒ずむ。
どんどん黒くなる。
黒い炎が広がる。
意識が……。
暗黒に包まれた。
我に返った。
2
「──おしき我が子らよ。念をこめ、ボーラルーラを思え。絶対神は、お前たちの父。絶対神は、異なる世界の王……」
演説は、まだつづいていた。マスターはローブを風になびかせて、滔滔と熱弁をふるっている。
あたしとユリはため息をつき、互いに顔を見合わせた。全身がだるい。頭の芯がぼおっとしている。
「まいったわァ」ユリが弱々しく口を開いた。
「こんなの初めてよ。映像も、わけわかんなかったしィ」
本当に、そのとおりだった。初めてなのは、いろいろとある。まず、一つの事件で二回、超能力が働いたのが、初めて。それから、指先を触れあっただけでトランス状態になったのも初めて。だいたい、こんなに簡単に起きるんだったら、日常生活だってまともにおくれやしない。そうそう、ついでに言えば、こんなに映像が具体的だったのも初めてだ。たいがいは、最初のチャクラの天使くらいで終わりなのである。いや、あれでもまだ具体的すぎるかな。しかし、まあ、それはいい。問題なのは、あれほど具体的な映像なのに、今回もいつもと同じで、まったくわけがわかんなかったってことだ。これでは、ただ疲れただけではないか。
ああ、頭がぼけてる。目がかすむ。耳鳴りがする。
なかでも、耳鳴りは、ひどい。キーンという金属音が、とぎれずに響いている。それが、ぜんぜんおさまらない。いや、おさまるどころか、次第に音量が高まっていくみたいだ。
あたしは思いきり頭を振った。ユリも同じ症状らしく、長い黒髪を振り乱して、首をぐるぐる回している。ふと、見ると、どういうわけか、申し子たちもそうだ。耳をおさえたり、しきりにかぶりを振っている。こりゃ、なんだ。え。耳鳴りじゃないの? ホントに金属音が鳴り響いているの?
マスターが頭上を見上げていた。ちょっと、うろたえているらしい。視線をあちこちに移している。
あたしも空を振り仰いだ。あたしの場合は、首の自由度が少ないから、空全体を見ることができない。
空は、相変わらず灰白色の靄に隈なく覆われていた。靄は低く漂い、風に吹かれて大きな渦をゆったりと巻いている。
金属音は、いよいよかまびすしい。
でも、何も見えない。見えるのは、靄だけだ。マスターもそうらしく、いまだにきょろきょろしている。
音が、爆音そっくりになった。この音、シューターのそれにちょっと似ている。高機動の戦闘機だ。まさか……。これ、まさか。
「あっ!」
思わず声をあげた。
靄が割れた。
すぐそこの上空だ。いきなり黒い影が靄ん中に生じたかと思ったら、それが、銀色の機体になって、猛スピードで飛びだしてきた。
高機動タイプの戦闘機。シューターじゃないけど、間違いない。翼が小さくて、機体が平たくなっている。機種やマーキングは、動きが速くて見てとれない。
戦闘機は、つぎつぎにあらわれた。靄はずたずたになった。さらには、円盤機も三機、出現した。これは、司令機か、それとも何かを運んできたのか。急がしく飛び回る戦闘機とは違って、大きな螺旋を描き、のったりと降下してくる。
戦闘機が、すべてあたしの視界から消えた。ソニックブームのどーんという音が耳をつんざく。爆音は、あたしの背後で右から左へと流れた。どうやら反転しているらしい。
あたしの頭上を、つごう八機の戦闘機が通過した。
それが、すぐに戻ってきた。さっきより高度が低い。
レーザー砲で、地上を掃射した。
信者がかたまっている場所ではなく、誰もいない広場の石畳を灼く。
威嚇射撃だ。
衝撃波が、地表を叩いた。
空気の壁が、斜め上から突っこんできて、あたしにぶちあたった。
痛いなんてもんじゃない。
死にそう。
これが八回、繰り返される。
息もたえだえになった。
今度は、円盤機が飛来してきた。広場の上空で、そのうちの二機の腹が丸く開いた。
そこからオリーブドラブに塗られた戦車みたいなものが射出された。角ばっていて、ビーム砲の砲身がくっついている。しかし、よく見ると戦車ではない。噴射して減速しはじめてから、それがわかった。砲身のほかに、腕とか足とかもついているのだ。そして、手には大型のハンドブラスターを携えている。
となれば、正体は明らかだ。
あれは機動歩兵である。倍力機構をしこんだパワード・スーツを着て戦場を疾駆する無敵の人間戦車、機動歩兵。
でも。
嘘だろ。あたしは目を疑った。あんなものが、どーしてチャクラなんて辺境の鉱業惑星にあるんだ。惑星国家の正規軍だって、GNPが低かったら配備できない。ちゃんとした師団となると、連合宇宙軍にしかないんだぞ。
機動歩兵は、一機の円盤機から二体ずつ、計四体が降下した。たった四体なんて、あなどってはいけない。これで並の歩兵なら数万人の兵力に匹敵しちゃう。
「ラクシャーサよ!」
機動歩兵を見たマスターが、信者たちに向き直り、叫んだ。
「行け。異教徒を始末しろ!」
ざっと音をたてて、五十人の甲冑兵が立ち上がった。うーむ。甲冑兵《ラクシャーサ》か。ダンプ・ユウを襲った影≠フ方ならパワード・スーツを相手にしても互角かそれ以上だと思うけど、甲冑兵となると、五十対四でも考えてしまう。
甲冑兵が散開した。十人くらいずつが一組になって五方向に散る。けっこう訓練はできているらしい。鉱山の技師って暇だったのね。武装していない申し子たちは、十六鉱の坑道へと走った。ちょっと遠いけど、あそこん中ならたしかに安全だ。
「神を恐れぬ不逞の輩ども」マスターは激怒っている。
「ボーラルーラの偉大な力を思い知るがいい!」
円盤機を睨みつけ、呪いの言葉を吐く。
戦闘機が一機、マスターめがけて急降下してきた。
マスターが、その戦闘機を認めた。
おもむろにローブから指をだす。
戦闘機は、もう目の前。完全にマスターを捕捉している。
マスターが指を戦闘機に向けた。
レーザー砲から光条がほとばしった。
マスターの指先が光る。
勝負は一瞬でついた。
戦闘機が炎上した。マスターは悠然と立ったままだ。宇宙船の船体すら数秒で切り裂く光線は、マスターのとこまで届かなかった。
戦闘機は高度三百メートルくらいで爆発し、天球になった。
とてもじゃないが、戦いにならない。
パワーに差がありすぎる。
しかし、その間に一体の機動歩兵が、マスターの背後に忍び寄っていた。
降下した機動歩兵が、マスターと戦闘機が対峙している隙に素早く移動して、石畳の広場に侵入していたのだ。
あたしが、そのことに気がついたのは、ほんの偶然だった。
今の爆発で、炎に包まれた破片が四方に飛び散った。それが、ジェフにあたらないかと心配で、そっちの方に目をやったのだ。
そうしたら、そのすぐ横に機動歩兵がいた。機動歩兵は、すでにビーム砲の照準をマスターに合わせている。ハンドブラスターも構えている。戦闘機をいとも容易く屠ったマスターは、神殿の防衛に奔走する甲冑兵の動きを追っていて、機動歩兵の存在には、まったく気づいていない(少なくとも、あたしには、そう見える)。
ハンドブラスターを握る機動歩兵の指が、そのトリガーボタンに掛かった。
マスターが、くるりと回った。
ハンドブラスターが発射される直前だ。
マスターが光った。
今度は指先だけではない。全身だ。あたしたちが坑道でくらったやつだ。ローブと仮面が、真っ白に輝く。
機動歩兵がふっ飛んだ。宙に舞い、白い光の中で装甲が粉々に砕けた。ハンドブラスターやビーム砲の砲身が、あたりに転がる。
粉砕された装甲は赤く熔けて、それを着ていた戦闘員のからだを容赦なく灼いた。
光の衝撃は、ジェフにも及んだ。
硬直して棒立ちになっていたジェフが、脹れあがった光のエネルギーに、弾き飛ばされた。
あっという間の巻きぞえである。身動き自由であってもあれじゃ、逃げきれない。ましてや、ジェフは金縛りの身。
石畳に叩きつけられた。
「ジェフ!」
あたしは、もう胸がつぶれそう。
「虫ケラどもめ!」
マスターが唸った。
ローブをひるがえし、広場を滑走しはじめた。
まっすぐ神殿に向かっている。
「蹴散らしてくれるわ!」
吐き捨てるように、つぶやいた。
3
「ジェフ!」
あたしの関心は、マスターになかった。
今はただ、ハンサムなシェリフのことだけが気懸りだった。
「ジェエエエフ!」
あたしはあらん限りの声をふり絞って、広場に倒れたシェリフを呼んだ。
ジェフに何かあったら、あたし泣いちゃう(あとを追う、なんておためごかしは、恥ずかしくてとても言えない)。
あたしの、そのひたむきな願いが通じたのだろうか。何度目かに呼んだあたしの声に、ジェフは反応した。
最初に腕が動いた。
つぎに、頭。ゆっくりと、いらいらするほどゆっくりと頭が持ちあがった。
「!」
あたしは息を呑んだ。ジェフの顔が鮮血にまみれている。こめかみだか、額だかを切ったらしい。血が一筋二筋、眉間から鼻梁をつたって顎へと流れている。目はわずかにうつろだが、意識はしっかりしているようだ。
両手をつき、力をこめた。
腕立て伏せの要領で、上体を起こす。
膝を、からだと石畳との間にもぐりこませた。
反動をつけ、立ちあがった。
前後にふらふらとよろめく。しかし、危ういところで支えた。両手を左右に広げ、バランスをとった。どうやら、マスターの呪縛は完全に断ち切ることができたらしい。
頭を軽く振り、それから傷口を右手でおさえた。出血が激しい。ジェフはチェックのシャツの裾を引き裂き、それで額を縛った。
周囲を見回した。マスターがいなくなってから、この辺は比較的静かだ。戦闘は、主に申し子たちが集結した坑道の方でおこなわれている。
「ジェフ!」
それまで、黙ってジェフの動きを見つめていたあたしは、ついに我慢できなくなり、もう一度、その名を呼んだ。
ジェフは片手を挙げて、それに応えた。そして、傍らに落ちていた機動歩兵のハンドブラスターを拾いあげると、おぼつかない足取りで、こっちに向かってそろそろと歩きだした。
一歩、また一歩と足を踏みだす。
ジェフの歩みは、一歩ごとにたしかなものとなっていった。体力が確実に回復しているのだろう。残っていた硬直が、動いたことで完全に解けたのかもしれない。
最後はほとんど小走りで、ジェフは十字架の前に来た。
「目をそらしてて」
ジェフは言った。
十字架の制御パネルを捜しだし、そこにハンドブラスターの銃口を押しあてた。
トリガーボタンをプッシュする。
火球が制御パネルを灼き、破壊した。
十字架が付け根のところから後ろにもったりと倒れ、カチリという小さな音がして電磁手錠が左右に開いた。
ジェフの手を借りて、あたしたちは起きあがった。
「無事だったのね」
万感の思いをこめて、あたしはジェフに声をかけた。
「ちょっと、ごめんなさい」
ユリが割りこんできた。ほこほことジェフの手からハンドブラスターをもぎとった。そのままムギのもとに行く。ええい、なんという情緒のないやつだ。ひとがせっかくムードを盛りあげようとしてるのに。ムギを早く助けたいのはわかるけど、ものにはやりようってもんがあるだろ!
「きみたちは、どうして、こんな目に?」
あたしが憤慨してぶーたれていると、ジェフが先にあたしに向かって訊いた。
あたしはすぐに表情を明るいものに変えて応対した。
これまでのいきさつを、かいつまんで話す。
「クレーターを見たときには、絶望で目の前が真っ暗になったわ」あたしは声を震わせて言った。
「あの白い光に、あなたが呑みこまれてしまったと思ったの。よく逃げることができたわね」
「逃げたんじゃなくて、その直前に、捕まってしまったんだ」ジェフは、かぶりを振った。
「事故の第一報を聞いて、ヘリで四鉱に駆けつけたら、マスターが待っていた。そこでぼくは異端者呼ばわりされ、それからガスを顔面に吹きかけられた。あとは、もう何も覚えていない。だから、白い光のこともクレーターのことも、ぼくは知らなかったんだ。ただ、ぼくが捕まってすぐに、オーナーがVTOLで脱出したのは見ていたよ。マスターの放った光が機体のどこかに命中したんだが、ぎりぎりのところで墜落を免れ、岩山の向こうに去っていった」
「オーナー? メイヤーじゃないの?」
あたしは訊いた。機体に損傷を受けたVTOLといったら、これはもうメイヤーが乗ってたペガサスのことじゃないか。
「メイヤーはいなかった」しかし、ジェフはあたしの問いを否定した。
「四鉱にいたのは、オーナーと、そのボディガードだけだった」
「そんなァ」
「だめよ。これ!」
大声でわめきながら、ユリが戻ってきた。
「パワーが、まるで足りないわ。外からパワーを与えて電撃を過負荷の状態にしてやればなんとかなると思ったんだけど、これじゃ、とても過負荷にはできない。もっと強力なエネルギーがいるわ」
「あとはビーム砲があったが、あれはパワーユニットを失っていた」
ジェフが言った。かなり朦朧としてたみたいだけど、さすがはジェフ。見るべきとこはちゃんと見てからこっちに来たのね。あたしはうっとりとなって、そのハンサムな顔をしばし眺めまわした。
「ケイ!」
ユリが、いきなり鋭い声を発した。
うっさい。今、いいとこなんだ。
「上、見て。降りてくる!」
切迫した声で叫ぶ。
「なに?」
その声に、あたしはちょっとあわてた。
急いで首をめぐらした。
そこで初めて気がついた。いつの間にか、あたしたちのまわりが薄暗く翳っている。
あたしは、視線を真上にやった。
こいつは。
円盤機だ。
高度は、もうほんの四、五百メートル。
円盤機が一機、この広場めざして降下してくる。
4
円盤機が、広場に着陸した。長いランディング・ギアが四本、石畳に吸いこむ。ショック・アブソーバが、静かに沈みこんだ。
円盤の直径は二十メートルくらいで、大型機ではない。
腹の中央が丸く開き、タラップが降りてきた。
それとは別に、機体の側面のハッチも開いた。楕円形の扉が上方に跳ねあがる。こちらの方は、タラップがでてこない。
はじめに、機体側面の扉から機動歩兵が二体、ジェット噴射で勢いよく飛びだした。機動歩兵の一体はハンドブラスターを構えているが、もう一体はくすんだ色のばかでかい箱のようなものを右肩に担いでおり、武器は手にしていない。あの箱、なにかしら。新兵器かしら。
二体の機動歩兵は空中で弧を描き、円盤機を眺めているあたしたちの背後へと回りこんだ。
噴射を巧みに制御して、ふわりと降り立つ。
ハンドブラスターの銃口を、あたしたちに向けた。箱を担いでいる機動歩兵も、左肩に装着されているビーム砲の砲身を水平にして、こっちの方に突きだしている。牽制だが威嚇だが知らないが、感じの悪い連中である。
あたしは、ちくちくする背中への視線を無視して、円盤機のタラップの方に目を戻した。
ちょうど、ハッチの奥から、巨大な人影が、うっそりとその姿をあらわすところだった。影はタラップいっぱいに広がっていて、へたをするとはみだしてしまいそう。すごいボリュームの人影だ。あたしは機動歩兵が、わざわざタラップを使って降りてくるのかと思ってしまった。
しかし、その人影は、やはり生身のそれだった。
ベージュのジャンプスーツに包まれた巨体が、幾度もつっかえながら、ようやくハッチから出てきた。
タラップをいかにも大儀そうに下る。
もう正体は、わかった。
オーナーだ。
オーナーは、あたしたちの方へと歩を進めた。
歩きながら、小さな丸い目であたしたちをひとわたり見まわす。御自慢の三重顎が、歩行のリズムに合わせて、ゆさゆさと揺れる。
なるほどね。『ルーシファ』のメンバーなら、パワード・スーツだって調達できる。
オーナーは、肉の余った口の端に薄い笑いを浮かべた。
あたしたちの真正面で、立ち止まった。
「技師どもは、あらかた制圧した」
昂然と胸を張り、太い声を発した。あんまり背筋をそらすので、特殊素材のジャンプスーツが今にもはちきれそうだ。
「わしらの大逆転というわけだよ」
勝ち誇った目で、オーナーは機動歩兵を見た。一体がマスターにやられたけど、三体の機動歩兵が八機の高機動戦闘機と組んで、五百人の申し子を追いつめている。向こうの武装した戦闘員は、甲冑兵がたかだか五十人だ。彼我の戦力の差を考えれば、勝つのは当然である。
「よく、ここがわかったわね」
冷ややかな声で、ユリが言った。ユリはハンドブラスターを手にしているが、構えてはいない。
「このカムフラージュには、ほとほと感心したよ」オーナーは靄に覆われた空を見上げた。
「おまけに、ちょっと目を離した隙に、こんなものまで建ててしまう」
後ろを振り返り、神殿に向かって顎をしゃくった。
「人事管理が手薄なのよ。経営者としては落第ね」
ユリがシビアなことをずけずけと言った。
「そうだな」オーナーは肩をすくめた。
「しかし、まあ、最後にきちんと帳尻は合うのだ」
「あなた、『ルーシファ』でしょ」
いいタイミングだと思い、あたしはズバリと言ってみた。間を置いて反応を窺う。
「だから、なにかね」
期待外れの返事が戻ってきた。オーナーは、秘密の地位を暴露されても、平然としている。
「オーナーが『ルーシファ』。まさか……!」
かえってジェフを驚かせてしまった。
「どんな組織に属していようと、わしは、わしのために行動するだけだ」オーナーは言った。
「誰もわしのやることを止められはしない」
「やることってなに? あなたの狙いはなんなの?」
あたしは訊いた。
「マスターの得た力だ」オーナーは答えた。
「いささか剣呑すぎて並の人間の手には負いかねるようだが、わしらのものになれば、いろいろと役に立つ」
「秘密を知ってしまったあたしたちは、どうなるの?」今度はユリが訊いた。
「ハンドブラスターやビーム砲にものを言わせる気?」
「とんでもない」
オーナーは首を大袈裟に横に振った。首が顎に埋もれてしまっているから、大袈裟に振らないと相手に意志が伝わらない。
「わしは、仕事を手伝ってもらいたいと思っているのだよ。きみたちに。生命と引換えにね」
「手伝う?」
あたしとユリには、その意味がよくわからない。
「マスターは、ぶっそうな化物を飼っているらしい。あちこちから届いた報告が、それを証明している。その報告によると、ランディスの一件も、そいつのしわざだというのだ。どうも、訓練だったようだな。あれは」
「見えない牙のことね」
あたしは言った。
「そうだ。そして、報告書には、こんなことも書いてあった。見えない牙は、クァールを苦手にしている。少なくとも、そう見えるふしがある」
「──だから、ムギの力を借りたい」
「クァールは見えない牙に負けず劣らず恐ろしい生物だ。借りるとなれば、飼主ごとでなくてはならない」
「あれから、ずいぶん勉強したのね」
ユリが言った。
「おかげで、マスターの罠からも逃れられたし、こうやって、〈絶対の申し子〉の神殿にも辿りつくことができた」
オーナーは、また薄く笑った。
「ムギは電撃の網でがんじがらめにされているわ」ユリは丸くなって転がっているクァールを指差した。
「助けられる?」
「ジェレミィ!」
答えるかわりに、オーナーは右手を軽く振った。
ハンドブラスターを構えた方の機動歩兵が、ふわりとジャンプした。
二十メートルほど飛んで、ムギのすぐ横に着地する。
左肩のビーム砲を操作し、照準をセットした。
糸よりもまだ細いエネルギービームが、ムギに向かってほとばしった。
電撃の網が、ざわめく。火花を散らし、太くなる。
エネルギービームは、見た目は地味だが、パワーはハンドブラスターの数十倍に相当する。
電撃が、プロミネンスのように尾を引いて、高々と盛り上がった。網の形が崩れ、隙間が失せた。ムギの姿が見えなくなった。
電撃は激しく輝き、オレンジ色の光の球体になる。
光が炎に変わった。
突然の変化だった。炎は爆発的に膨張し、直径数メートルもの大火球に成長する。
十メートル以上離れているのに、熱気があたしたちをあぶる。
空気が熱くて、肺が苦しい。
炎が裂けた。
真二つに裂けた。と、同時に、そこから黒い影が躍りでた。
ムギだ。
ムギは空中で一回転し、音もなく石畳の上に降り立った。
「みぎゃあ」
一声啼き、何かを払い落とそうとするかのように、全身を震わせる。
本当にすごい生物だ。あれほどのエネルギーに身をさらしながら、見た目にも、しぐさにも、異常はまったくない。
「望みはかなえたぞ」オーナーが、あたしたちに向き直り、言った。
「手を貸してもらおうじゃないか」
5
「手を貸すって、どうすればいいの?」
ユリが訊いた。
「マスターは、どこへ行った?」
「神殿の中よ」
あたしが答えた。
「では、先に立って、神殿の中にはいれ」
「ぐるるるる」
ムギが唸った。オーナーの横柄な態度に、怒ったのだ。
「やめろ。美しい飼主が、黒焦げになるぞ」
オーナーがムギを脅した。いい度胸だ。しかし、あたしたちの形容が正しかったから、とりあえず許す。
「ひきょう者! 女性を盾に使うなんて、見苦しいだけだ」
なのに、ジェフが、しゃしゃりでた。ジェフってば、あくまでも生真面目。
「いいのよ、ジェフ」あたしは憤るシェリフを止めた。
「はいってあげるわ。先に立って……」
オーナーを睨みつけた。
「あたしたちだって、マスターが得たものが何か、知りたいのよ」
「それに、黒い卵の謎もね」
ユリが、つけ加えた。
神殿に向かって、歩きだした。
先頭はムギ。
これは、まあ当然だ。
そのつぎがジェフ。ジェフは自分よりも前にあたしたちが立つことを、ついに肯んじなかった。ユリからハンドブラスターを取り戻し、シェリフは胸を張って堂々と進む。
あたしたちは、ジェフの後ろ。武器は、オーナーからレイガンを一丁ずつ分けてもらった。これの光条なら、特殊素材のジャンプスーツで防げるかららしい。つまりは、そのくらいちゃちな武器ってわけだ。しかし、丸腰よりはマシだろう。
あたしたちの背後には、ハンドブラスターを持った機動歩兵がつづく。例の得体の知れない箱を担いだ機動歩兵は最後尾で、オーナーは、二体の機動歩兵にはさまれて、神殿へと向かう。剛胆のようでいて、オーナーは気が小さい。
「オーナーったら、きっと自分もパワード・スーツを着たかったのよ」
ユリが、あたしに囁いた。
「でも、あのからだだもんね」あたしは横目で、ころころと歩くオーナーを見やった。
「特注のパワード・スーツじゃなきゃ、はいんないよ」
そして、あたしたちは声を殺して笑った。オーナーは何も知らずに、いかめしい表情を保って、あたしたちのあとを神妙についてくる。それがおかしくて、あたしたちはさらに笑いころげた。
笑い狂っているうちに、神殿の玄関についてしまった。
こっから先は、ちょっとマジになんなきゃならない。
玄関は、石柱で構成されていた。何か様式があるらしいが、あたしには、ぜんぜんわからない。とにかく十本くらいの丸い石の柱がずらりと並んでいて、玄関とそれにつづく通路を形成している。
その通路を、あたしたちは慎重に進んだ。
いちいち石柱の蔭に隠れ、待ち伏せがないことを確認してはまたちょっと走って、つぎの柱の蔭に飛びこむ。
真ん中を平気でまっすぐに行くのは、ムギと機動歩兵だけだ。
なにごともなく通路が終わり、いよいよ神殿の中にはいった。
神殿の中は照明がないから、いきなり暗くなる。しかも、がらんとしていて、身を隠せそうなものが何もない。こうなると、こっちも大胆になって、あまり警戒もせずに、さっさと進んでしまう。
扉にぶちあたった。
巨大な扉だ。高さは五メートルくらい。幅は八メートル弱。中央に継ぎ目があり、ここを引くか押すかすると開くらしい。前に立っても変化がないから、少なくとも自動ドアでないことだけはたしかだ。材質は、たぶん合金だろう。そう思う。自信はないけど。
「がるるるる」
ムギが扉を睨みすえた。
盛んに巻きひげを震わす。
あたしたちは、さっと脇に身を退いた。ムギが探りを入れはじめたのだ。へたをすると、扉が唐突に開くおそれがある。扉の正面に二体の機動歩兵を立たせ、万一に備えて、武器を構えさせた。
予感は的中した。
扉が、すうっと内側に開いた。巨大な扉なのに、ずいぶん滑らかに動き、作動音一つしない。
あたしとユリはレイガンを抜いた。
ジェフも緊張し、オーナーに至っては、呼吸まで荒くなっている。
しかし。
なにも起きなかった。
電撃が飛んでくるとか、炎が走るとか、そんなことはぜんぜん起きない。
拍子抜けである。でも、何かあるよりは何もない方が、この際、楽でいい。
ムギが無造作に扉の内側に足を踏みこんだ。
ごくり、と喉を嗚らし、ジェフがあとを追う。
となると、つぎはあたしたちだ。ユリと顔を見合わせ、なるたけからだを低くして、えいとばかりに駆けこんだ。
中は、薄暗くて、規模の判然としない広間だった。一面に霧とも霞ともつかぬものがたなびいていて、それがまた全体の様子をひどく曖昧なものにしている。
オーナーが前後を機動歩兵に固めさせ、ものものしくはいってきた。
そのとたんに。
扉がぴたりと閉まった。
止める間もない。あの機動歩兵が、手を伸ばすことすらできなかったのだ。
ジェレミィがビーム砲で扉を灼き切ろうとしたので、あわてて制止した。
そんなことは、いつだってできる。今はそれよりも、状況を把握するのが先だ。
「ぐるるるる」
ムギが、また唸った。ずっと奥で足を止め、低く身構えて行手を凝視している。
霧が晴れてきた。こころなしか、明るくなってきたようだ。
広間の全体像が見えてきた。
左右に、人影のようなものがあった。
あわてて床にへばりついた。レイガンを前に突きだす。床も合金製だ。お腹がひんやりする。
機動歩兵が、額のライトを点けた。
人影らしきものを照らす。
なあんだ。
彫像じゃないか。──人のような動物のような、なんだかよくわからない奇怪な肢体。チャクラの天使である。高さは二メートル近くあるが、姿はメイヤーの山荘で見た十センチのやつと寸分違っていない。もちろん、クレアボワイヤンスで見たのとも同じだ。材質も石じゃなくてあの未知の金属なのだろう。状況が状況だから、とくにたしかめることはしない。
チャクラの天使は、一つではなかった。左右に十体ほど並んでいた。人影と思ったのは、みんなチャクラの天使だったのだ。
では、ムギが唸り、牙を剥きだして対峙している相手とは?
ムギのいる位置まで前進した。
たなびいていた霧が、完全に散った。
行手は、闇だった。
ねっとりとした、液体のように濃密な闇。
一切の光を拒絶した深い闇が、あたしたちの眼前に立ちはだかっている。
もしかしたら、これってあの卵の表面。
「ケイ、床に!」
ユリが指差して言った。あたしは瞳を凝らした。
誰かいる!
闇の前に誰かがうずくまり、あたしたちに背を向けている。身にまとった白いローブが灰色の床に溶けこんでいて、つい見逃していたのだ。
ムギが唸っていたのは、その誰か≠ノ対してであった。
誰かとは。
ローブが動いた。
身を起こし、そして、すみやかに立った。
すうっと、滑るように向きを転じた。
白いローブに銀色ののっぺりとした仮面。
やはり、マスターである。
機動歩兵のジェレミィが、あたしたちを押しのけて前にでた。殺意をあらわにして、ハンドブラスターを胸もとに構えている。
「追いつめたぞ、マスター」
ジェレミィの横に、オーナーが並んだ。
凛と響く声で言う。
「決着をつけよう」
6
「追いつめたとは笑止。滑稽ないいぐさだな。破壊神をひきずりこんで、嬉しさに狂ったか」
マスターは嗤った。
「ほざけ!」オーナーは凄んだ。
「お前の申し子とやらは蹴散らした。諦めてボーラルーラの秘密をわしに渡せ。素直に従えば、生命までは奪らん」
「ボーラルーラ!」あたしは叫んだ。
「あなた、ボーラルーラのこと、知ってるの?」
「多少はな」オーナーは言った。
「異次元からこっちの世界にコンタクトしてきた生命体だ。その姿は不定形らしいが、通常は、あの……」
チャクラの天使に向かって顎をしゃくった。
「みっともない像のような形をとっている。マスターは、ここで、そいつらと精神的にだか肉体的にだか接触し、その力を掠め取った」
「そんなこと、さっき話さなかったわ!」
あたしは抗議した。
「訊かれなかったからだ」
「どうして、それを知ったの?」
「ガルバルディがあの像をくすねて、メイヤーのもとに持ちこんだ。取引を計ろうとしたんだな。だが、ガルバルディは目腐り金でごまかされ、マスターによって生命を断たれた」
「ガルバルディは、マスターと親しかったの?」
「やつは、マスターの実の父親だ」
げげっ!
あまりのことに、あたしは一万光年くらいぶっ飛んだ。
「オーナー、あなた、最初から、この一件に〈絶対の申し子〉がからんでいたのを知ってたのね」
ユリが言った。
「知ってたから、ランディスの事件を聞いたときに、申し子のことをごまかしたんでしょ」
「覚えていないな。古い話だ」
オーナーは視線をそらした。
「ボーラルーラは偉大だ」
ふっと、つぶやくようにマスターが言った。
「ボーラルーラと精神《こころ》をつなぐことができるのは、選ばれた者だけだ。選ばれた者は無限の力を得る」
「それが、お前か?」
オーナーが訊いた。
「そうだ。見るがいい」
マスターは身をひるがえした。
左手を高く掲げ、背後の闇を示す。
闇が変化した。その一部が凝固し、みるみる色を失った。
そこに、映像がはいった。
闇の空間の表面が、スクリーンになったのだ。
あたしもユリもオーナーも、呆然として声がでない。
映像は、岩山のそれだった。下の方に、坑道が見える。十六鉱だ。先ほど申し子たちが避難し、結集した場所だ。オーナーの機動歩兵と戦闘機は、そこに集中攻撃を加えた。
「あっ!」
オーナーの顔色が変わった。
映像が地上に移り、残骸と化したパワード・スーツと高機動戦闘機、それに円盤機をつぎつぎと映しだしたからだ。
戦闘機やパワード・スーツは、あるものは熔け、あるものはバラバラの破片となって、荒れ果てた大地に横たわっている。
「どういうことだ、これは!」
自軍の絶対的な優勢を信じていたオーナーは、思いもよらぬ光景を目にして逆上し、全身をわなわなと震わせた。
「こういうことだ」
映像が地上から上方へと移動した。灰白色の靄を背景に、まだ無傷で飛行している戦闘機が一機、フレームの中にはいってきた。僚機をことごとく失い、戦闘行動をとれなくなったパイロットは、新たな命令が下されるのを待って、機体を戦場の上空で旋回させている。
マスターは右手を真上に伸ばし、拳を握って人差指を突き立てた。
指が光った。
同時に映像の戦闘機に電撃が落下した。
それは、落雷に似た光景だった。天を切り裂いて降ってきた稲妻が戦闘機を貫き、一瞬にして破壊した。
戦闘機はひとたまりもない。爆発し、火球となって四方に散った。
映像が消えた。
「追いつめたのは、どちらかな」
マスターが向き直った。
「お前の戦力は絶えた。望みどおり、ここで決着をつけてやろう」
「きさま……」
オーナーは、ギリッと歯噛みした。
ハンドブラスターを構えた機動歩兵が、すかさずマスターに銃口を向けた。
マスターの指先が光る。
光線が走った。
まばゆい光条が、ハンドブラスターを灼き裂いた。
機動歩兵は熔けくずれた武器を捨て、ジャンプした。めまぐるしく動き、逃げる。
「わたしは、あまたの人間の中からボーラルーラに選ばれた聖なる使徒だ。だが、いま一人、呪われた獣に選ばれた邪悪の使徒も存在する」マスターは言った。
「いでよ。ヤクシャー!」
指をからめ、マスターは目を閉じて、念をこめた。
「うあっ!」
いきなりジェフが苦しみだした。
本当に突然のことだった。
頭を抱え、床に倒れて悶絶する。
「ジェフ!」
あたしとユリはおろおろして、何もできない。
「がうううう」
ムギがのたうつジェフに向かって咆えた。形相を変え、敵意を剥きだしにして、燃える双眸でジェフを睨みつける。
ジェフが仰向けになった。手足が激しく痙攣し、床を打った。口を大きく開け、声にならない悲鳴を喉の奥から絞りだしている。
何が、いったいジェフに。
唐突にジェフの動きが止まった。背筋をそらし、口を開いたまま、ジェフは凝固した。意識は失われている。目は焦点を結んでいない。
「ぎゃおん!」
ムギが飛んだ。床を蹴り、昏倒したシェリフめがけて襲いかかった。
あたしはもう何がなんだか、わけがわかんない。
ムギがジェフに迫る。だめ。止めようがない。
「いや!」
そう叫ぶのが、せいいっぱい。
ムギの爪が、ジェフの顔面すれすれを通過した。
ジェフには触れなかった。ムギはジェフのからだを跳び越える。たしかにムギの殺気はジェフに向けられている。でも、敵はジェフじゃない。
火花が散った。
ムギが目に見えない何かと、牙を交えた。
床に倒れているジェフのすぐ真上の空間。そこで、ムギは目に見えぬ敵と遭遇した。
な、なんだって?
見えない牙を、ジェフが吐きだした?
けたたましい音とともに、チャクラの天使の一つが、砕け散った。その破片には、まぎれもない、あの歯型が残る。
嘘よ。嘘よ。ウソ! 嘘よ。
あたしは、半狂乱になった。
見えない牙の源はジェフだなんて。
そんなの嘘よ!
7
嘘ではなかった。
次元獣とも呼ばれるヤクシャーは、ジェフを媒介として、こっちの世界にやってきたのだ。マスターがボーラルーラの力を得たように、ジェフはヤクシャーの力を得た。二人とも、異次元の生命体とコンタクトできる、いわば精神のターミナルのような超能力の潜在的保有者だった。超能力の波長が、マスターはボーラルーラと合致し、ジェフはヤクシャーのそれと同調した。
ボーラルーラとヤクシャーが違うのは、ヤクシャーがより下等で、邪悪だったことだ。それは、ジェフの本性とは、なんの関わりもない。能力の質の問題だ。だから、ジェフはヤクシャーの力を発現させるときにはヤクシャーに支配され、ジェフとしての自我を失う。
ジェフはヤクシャーじゃないんだ。
あほう。どーして、マスターがヤクシャーで、ジェフがボーラルーラにならなかったんだ。そうすれば、みんなうまくまとまったんだ。平和に事が運んだんだ。邪悪なヤクシャーといえども、ボーラルーラにはかなわない。いいように操られる。ジェフさえボーラルーラになっていれば、人類は異次元の高等生命体と理想的な遭遇を果たすことができた。
それが逆になったばっかりに、この悲惨な状況だ。
あほう。ボーラルーラのあほう!
あたしはボーラルーラを罵った。
罵ってもしょうがないけど、罵らずにはいられなかった。
その間に──。
ムギとヤクシャーは凄まじい激闘を広間で繰り広げていた。
十体のチャクラの天使は、そのあらかたが砕かれてしまった。あんなに硬い金属でできているはずの彫像が、実に簡単に粉々になる。どうやら、これは儀式のためにマスターが用意したレプリカらしい。
広間は、壁も柱も破壊されていた。ヤクシャーは手当り次第に噛み砕くし、ムギは相手が見えないから、闇雲に前肢を振り回す。この二頭に暴れまわられては、どんな素材の壁や柱であっても、原形を留めることは不可能であろう。
オーナーと二体の機動歩兵は、困惑していた。
打つ手が見いだせないからだ。それどころか、ムギとヤクシャーとの闘いの嵐の中で、自分の身を守るのがやっとである。へたに巻きこまれたら、パワード・スーツといえども、ずたずたに裂かれてしまう。
しかし、ここで危険だからと、引きさがってしまうわけにはいかなかった。
なんといっても、今はチャンスなのだ。マスターは念を凝らして、ヤクシャーを操っている。
ということは。
無防備なのではないだろうか。
隙を見て、オーナーはジェレミィをうながした。
ジェレミィがジャンプした。ハンドブラスターを失ったので、左肩のビーム砲をセットする。
上方から急降下して接近を計り、ビーム砲の光線をマスターめがけて叩きこんだ。
光線がマスターを灼き貫いた。
と思った瞬間。
マスターの全身が光り輝き、ビームが跳ね返された。
エネルギーが増大し、太い光の火《か》箭《せん》となって、ビームは砲身に戻る。
ビーム砲が破裂した。
そのショックで、ジェレミィは弾き飛ばされた。
一直線に、闇の壁へと飛ぶ。
闇に激突した。
本当に壁があるわけではない。いきなりはじまっているが、それはたしかに闇なのだ。液体でもなければ、固体でもない。ねっとりしていようと、どんなに濃厚であろうと、それは、やはり闇である。
その闇にジェレミィは激突した。
パワード・スーツがぐしゃりとつぶれた。
装甲が粉砕され、ジェネレータが強い衝撃を受ける。
爆発した。
ジェレミィのからだが火だるまとなって、床に落ちた。
マスターが、カッと目を見ひらいた。
「ボーラルーラの闇は、選ばれた者しか受け入れぬ」
つぶやくように言った。
そして、鋭いまなざしをオーナーに向けた。
オーナーの足がすくむ。
ヤクシャーが来た。
ムギをかわし、オーナーに迫った。
甲高い音が響いた。
何かが裂ける音だった。何かとは、オーナーの肉体である。
ジャンプスーツの破片。皮膚や肉の一部。
そういったものが宙を舞った。
オーナーがヤクシャーに噛み裂かれたのだ。
即死。あたしもユリも、そう思った。オーナーは鮮血にまみれた肉片となって床に叩きつけられた。助からない。生きているはずがない。そう信じた。
が。
床に転がったオーナーだったものは、ゆっくりと起きあがった。
肉体が破れ、はがれている。顔も胸も腹も、ずたずただ。
しかし、血は一滴も流れていない。
飛び散った破片も、肉ではない。
立ちあがったオーナーだったものは、からだにまとわりついている皮膚≠フ残りをすべてはぎとり、投げ捨てた。
名前が変わった。
テレストファネスではない。
ボナシスだ。
オーナーはメイヤーだったのだ。
がりがりに痩せたメイヤーが、人造皮膚で変装して、巨漢のオーナーの役を演じていた。そういえば、身長は、ほとんど同じだった。横幅と厚みだけが増していたのだ。声は電気的に変えていたのだろう。
あたしは、ジェフがVTOLで罠から逃れたのはオーナーだと言っていたのを思いだした。あれは、まさしく事実だったのだ。メイヤーはオーナーとして四鉱を脱出し、あたしたちを岩山で見つけて機内でメイヤーに戻った。
読めたぞ。この事件の真相が。
『ルーシファ』の秘密幹部だったメイヤーはブッデイジウムを組織のために確保しようと策をめぐらし、マンダーラの政府高官というだけでなく、オーナーとしても、チャクラにのりこんだのだ。そして政治家としてはメイヤー、実業家としてはオーナー、と巧みに二つの顔を使い分けてチャクラを支配した。
しかし、予期せぬ事態が発生した。鉱山の技師の一人が異次元の生命体とコンタクトし、それによって得た力でメイヤーの秘密を握ったのだ。メイヤーは邪魔者を始末し、さらには、異次元生命体の謎も入手しようとしたが、おのれの秘密をマスターに握られてしまったために、うかつに動けない。やむなくマスターと手を打ち、その活動を黙認した。だが、本当は、マスターを排除すべく、メイヤーは機会を窺っていたのだ。
そこへランディスの牙事件が起きた。これがマスターがらみの事件と見当をつけたメイヤーは、事件をWWWAに提訴した。
一種の賭けだった。提訴が受け入れられれば、WWWAからトラブル・コンサルタントが派遣される。トラコンが来たら、マスターにぶつけて共倒れを狙う。万が一、失敗に終わっても、これはWWWAの介入であって、メイヤーのマスターに対する裏切り行為ではない。
一方、マスターはマスターで、メイヤーによるWWWAへの提訴を嗅ぎつけていた。そこで、事前に介入を阻止するために、刺客をWWWAの本部に送りこんだ。あの影≠フ甲冑は、鉱山技師くらいじゃ、とても使いこなせない。おそらく、マスターはメイヤーの公安スタッフも三人ばかり信者にとりこんでいたのだろう。メイヤーの情報を逐一漏らしてくれる公安スタッフは、刺客としても適任だった。
ちくしょう!
真相を知って、あたしの血は逆流した。
燃えたぎり、全身が怒りにゆであがった。
てめえらの陰謀のおかげで、WWWAでのあたしたちの栄光は地に堕ちたのだ(違うという声もあるが無視)。
許せねえ。
みんなまとめて、ぶっちらばったる!
8
「ちいっ!」
あたしたちに正体を見られて、メイヤーが舌打ちした。
指を鳴らして、残ったもう一体の機動歩兵に合図する。
機動歩兵が、担いでいた箱を降ろした。
例の正体不明の箱だ。
メイヤーが箱の前に走った。脇のボタンを押した。箱の一角が、扉のように手前に跳ね上がった。と、同時に、折り畳まれていたパーツが開き、箱のあちこちが分かれて前後左右に勢いよく飛びだした。
メイヤーが箱の中にもぐりこんだ。
扉を閉める。
箱の本体は胴。開いたパーツは、腕と足と頭部になった。
なんと、これは。
梱包されていたパワード・スーツ。なるほど、オーナーの体型では無理だが、メイヤーのからだになれば、パワード・スーツといえどもちゃんと着用できる。
動きだした。
ジェフの横に転がっていたハンドブラスターを拾った。ジェフが悶絶したときに投げだしたのだ。メイヤーは目をつけていたのだろう。もともとメイヤーのだから、文句も言えない。
広間が、しんと静まり返った。
意外な成行に、瞬時、言葉も行動も完全に途絶えた。
あたしたちはもちろん、メイヤーもマスターもムギも、ヤクシャーさえも動かない。
互いにすくんだようになり、息をひそめた。
奇妙な、闘いのエア・ポケット。
すかさず、それを利用したのが、メイヤーだった。
パワード・スーツが備えている火器は、ビーム砲とハンドブラスターだけではない。小型ミサイルやハイパー・グレネードなど、大量破壊のための兵器も多く装備している。いま組みあがったばかりのメイヤーのスーツは当然のこと、そのスーツを運んできた機動歩兵も、それらの武器をことごとく温存していた。
メイヤーは偶然生じた一瞬の虚に、すべてを賭けた。
ありったけの武器を一気に使用し、あたしたちもマスターも、神殿ごとまとめて抹殺してしまおうと企んだのだ。
特上の運があれば、勝負に勝てる。並の運ならここから脱出。運がなければ丸裸でマスターと対決することになる。
二体のパワード・スーツが、とつぜん紅蓮の炎に包まれた。
あたしはメイヤーたちが自爆したのかと思ったが、そうではなかった。
ミサイルを連続発射し、ハイパー・グレネードを四方に撒き散らし、ビーム砲からレーザーライフル、それにハンドブラスターまで、ありとあらゆる武器を照準すら定めずに、一斉に解放したのだ。
薄暗かった広間が、真っ白に光り輝いた。
まるで、その力をほとばしらせたときのマスターの姿のようだ。
ミサイルとハイパー・グレネードが、広間のそこかしこで爆発した。
虚が破れた。
ヤクシャーが動き、マスターが身をひるがえし、ムギが疾《はし》った。
あたしたちは。
あたしたちは何もできない。
目の前で、床が轟音とともに砕け、舞い上がった。
あたしとユリは手を握り合った。
なにしろ、おもちゃみたいなレイガンしか持ってないのだ。許せねえ、と大見得を切ったところで、できることってば、それしかない。
ムギが来た。
あたしたちに、からだをかぶせた。
爆風と破片が団体で押し寄せてきた。
破片はムギがカバーした。
しかし、爆風は半端じゃなかった。あちこちでたてつづけに爆発したので、互いに干渉しあって、小さな竜巻のようになっていた。
さしものムギといえども、こらえきれない。
「きゃん!」
ムギとあたしとユリが、一体となって吹き飛ばされた。
もぎとられるように、からだが浮いた。
宙を舞い、神殿のいちばん奥に突っこんでいく。
つまり、闇の領域だ。
選ばれた者しか受け入れられないボーラルーラの闇。
受け入れられなかったら、激突してぺちゃんこになる。
さっきの機動歩兵の無残な最期が、頭に浮かんだ。
やだ。助けて!
と、わめきたいが、わめいたところでもう間に合わない。
闇が迫った。
あたし一人じゃないのが、せめてもの救い。万が一にもユリだけが逃げちゃわないように、必死でその手を握りしめた。
闇が、すぐそこ、
ぶち当たった。
するり。
と、闇を抜ける。
え? なんて、いぶかしむ間もない。
真っ逆さまに落ちはじめた。
漆黒の闇の中。上も下も右も左もないが、それでも墜落する感覚は立派にある。
「ひええ」
ユリと一緒になって悲鳴をあげた。
闇には、底がない。底がなくて落下するってことは、永久に落っこちつづけるってことだ。
そんなの冗談でも願いさげ。
どこでもいいから、止まってくれ。
あらん限りの念をこめて願った。
したら、ぬわんと。
願いが通じてしまった。
それはもう、ものすごく唐突。
闇のただなかで、ぴたりと停止した。
といっても、地べたがあって、そこに降り立ったわけではない。ちょうど無重力状態の感じだ。落ちることも上昇することもなく、ふわふわと漂っている。むろん一人ではない。あたしの横には手をつないだままのユリがいて、足もとには尻尾をからませたムギがいる。
不思議なのは、闇の中なんだから、何も見えないはずなのに、ユリもムギもよく見えるってこと。自分たちが光を放ってるわけでなし、いったいどーして見えるんだろう。
──それは、肉体ではなく、精神《こころ》を見ているからです。
誰かが親切に理由を教えてくれた。
誰か?
誰かって、だれ?
あせって、あたりを見まわしてみた。でも、ユリとムギのほかには、だあれもいない。ただ果てしない闇が広がっているだけ。
──わたしたちは、ボーラルーラです。
また誰かの声が響いた。
ボーラルーラって名乗ってる!
びびった。
──恐れることは、ありません。
ボーラルーラは言った。
──あなたたちは、ボーラルーラとコンタクトしたのです。場に侵入し、コンタクト・エリアに肉体を置いているのです。
「フィールドって、黒い卵のこと?」
あたしは訊いた。
──そうです。
「じゃあ、あたしたちって、いま、あの卵ん中にいるのね」
──きわめて曖昧な表現ですが、基本的には誤っていません。
「だったら、あってるって言えばいいじゃない」
ユリが口を尖らせて言った。ばか。よせ。余計な口だしをするな。ボーラルーラが怒ったらどうする。
──わたしたちは怒りません。
ボーラルーラが言った。あらま。思ったことがみんな筒抜け。
「あなたたち、マスターと接触した異次元の生命体なんでしょ」
ユリが言った。
9
──その表現も曖昧ですが、あっていると答えておきましょう。
ボーラルーラが応じた。
「どこが曖昧なの?」
あたしが訊いた。
──異次元の生命体というところです。正しい概念は。
おびただしい量の情報が、いきなりあたしたちの脳に、直接流れこんできた。その複雑なことといったら、ちょっと類を見ない。たちまち脳細胞がパンクしそうになった。
「す、ストップ!」
あっという間に、音《ね》をあげた。
「もういいわ。曖昧な概念で話を進めましょうよ」
お手あげである。
「ボーラルーラは、なぜマスターなんかに肩入れしたの?」
ひと息ついてから、ユリが訊いた。
──かれが唯一わたしたちとコンタクトした人類だったからです。
「マスターを選んだのは、間違っていたと思うわ」あたしは言った。
「おかげで、こっちの世界は、大騒ぎよ」
──わたしたちに悪意はありません。この場合の悪意とは、むろん、人類のメンタリティにおける悪意です。
「わかるわ」
あたしは、うなずいた。ボーラルーラは、相対的に文明を測っている。だから、マスターにしてみれば、かれらが絶対神に思えたのだろう。
──わたしたちは、人類との友好関係を望んでいます。
ボーラルーラはつづけた。
──そのために、こうしてフィールドを設け、機会を得ようとしました。
「でも、コンタクトできる人間は限られていた」
──わたしたちは失敗したのですね?
「できることなら、改善してほしいわ」
──フィールドは、ここにしかつくれません。フィールドの設置には、イシャーナが必要なのです。あなたがたの宇宙でイシャーナがあるのはここだけです。それも、きわめて微量でした。
「イシャーナって、なに?」
──稀元素です。人類には知られていません。
そりゃ、そうだろうな。全宇宙で、ここにしかないものを知っているはずがない。
──ここで、新たな接触が可能ならば、わたしたちは最初からやり直したいと願っています。そうすれば、人類とボーラルーラとの協調によるすばらしい時代が築けるはずです。
そうなったら、本当に最高。
──人類の能力には、無限の可能性が秘められています。わたしたちが手を貸せば、さほどの時を経ずに、それを開花させることができるでしょう。
「ぜひ、そーしたいわ」
あたしは、うなずいた。なんたって、マスターあたりに、あれほどの能力を与えられちゃうボーラルーラだ。これが善用されたら、人類の未来は、そうとう明るいものになる。
──イシャーナのあるここでのコンタクトが、人類とボーラルーラとの最初で最後の接点となるはずです。このフィールドが失われたら、わたしたちは二度と訪れることができないでしょう。
「話はばっちりわかったわ」あたしは言った。
「すぐに神殿に戻してもらえるかしら」
──もちろんです。
「ちょっと、かたをつけてきたいの」
──意識を無にしてください。
ボーラルーラは言った。
──接触を断ちます。
言われたとおりにした。
目を閉じて、意識をリラックスさせた。これは、あまりむずかしくない。WWWAの超能力開発訓練で、さんざんやらされたからだ。あたしたちが、こんなに簡単にボーラルーラとコンタクトできたのは、このあたりに理由がありそうだ。あたしたちは二人で一組とはいえ、一応エスパーだ。マスターは、選ばれた者と言った。エスパーはたしかに、ある意味では選ばれた者なのである。
闇が逆流しはじめた。
今度は、墜落ではなく、浮遊感覚がある。
すうっと浮かんで、はるか高みに吸いこまれていく。
そんな感じだ。
速度が早まる。
そして、減速感。
軽いショックが来た。ねっとりとまとわりつく闇の肌触りが消えた。
目を開けた。
こっちの世界にいた。
ユリとは手をつないだままである。
しばし、茫然とたたずんだ。
神殿がなかった。
完璧な廃墟になっていた。後ろを振り返ると、巨大な黒い卵が剥きだしになっている。
正面には、柱やら壁やらの残骸が、ところ構わず転がっていた。神殿は、ほとんど原形を留めずに破壊されたらしい。崩れずにちゃんと残っているのは、チャクラの天使が、ただ一体だけである。これだって、十体はあったはずだ。まあ、一体残ったのだって、奇跡みたいなものだが。
チャクラの天使の傍らには、ジェフが倒れていた。ハンサムなシェリフは、まだ凝固したままだった。ヤクシャーが戻ってきていないのだ。あたしとしては早く目覚めてほしい。こんな格好じゃ、美男子がだいなしである。
ちょっと先、石畳の広場には、おもしろいものが残っていた。
メイヤーが乗ってきた円盤機だ。ユリと二人で、機体をチェックしてみた。四本のランディング・ギアのうち二本が折れて大きく傾いている。しかし、損傷は軽微だ。おそらく飛行可能だろう。
「メイヤーは、賭けに勝ったかしら」
円盤機を調べていたユリが、ふっと言った。
「姿はとりあえず見えないね」あたしは手をかざして、周囲を眺めまわした。
「ひょっとしたら逃げきってるよ。一体が身を捨てておとりになれば、不可能じゃなかった」
「ぐるるるる」
ムギが唸った。
ムギは横を見ていた。申し子たちがこもった十六鉱の方角だ。あそこでは激しい戦闘があった。申し子は全滅したか、ちりぢりになってしまったらしい。
あたしはムギの脇に並んだ。
ムギは唸りつづけている。
その声が、だんだん大きくなっていく。肩の触手が、うねうねとうごめき、耳の巻きひげが、細かく震えている。
まさか。
あたしはムギの視線を追った。
つぎの瞬間。
十六鉱が崩れた。
坑道のある岩山が、いったん丸く膨張し、そのすぐあとに落ちこむように崩壊した。
ややあって、どーんという爆発音が響いてきた。
内部で大爆発があったのだ。
坑道の空間に土砂が流れこみ、山が平たくなった。
その土砂が盛りあがった。
何かが噴出した。
小さな爆発かと思ったが、そうじゃない。岩塊や土くれが舞いあがり、その中に銀色に輝く光点がある。
光点は、すぐに具体的な輪郭を得た。
ものすごいスピードで、こっちに向かってくる。
飛行しているのではない。一定の間隔を置いてジャンプしている。
ということは。──あれはパワード・スーツだ。
「ぎゃおん!」
ムギが咆えた。
今にも走りださんばかりに身構える。
パワード・スーツが、すぐそこまで来た。メイヤーのか、それとも機動歩兵のか。
まだ、ちょっと、わからない。
あと一ジャンプで、ここまで届く。
跳んだ。
そこで、捕まった。
いきなり、左足を噛み砕かれた。
見えない牙。ヤクシャーだ。
「ぎゃうん!」
ムギがダッシュした。
ヤクシャーに再び闘いを挑むべく、飛びだしていった。
ぼろぼろになったパワード・スーツが降下してきた。バランスを完全に失っている。降下というよりも、ほとんど墜落だ。
広場の端に落ちた。
乗降ハッチが開いた。乗員が、顔を見せた。
メイヤーだ。
血の気がない。土気色の顔。パワード・スーツの左足をもぎとられたのだ。開いた乗降ハッチからは上半身しか見えないが、当然、メイヤー自身の足も負傷しているはずだ。出血は、おびただしい量にのぼったに違いない。
賭けは破れたのだ。
メイヤーが、あたしたちに向かって何か言おうとした。だが、唇がかすかに震えただけで、声はでなかった。
「ケイ!」
ユリが叫んだ。左手の上空を指差している。
あたしは首をめぐらした。
甲冑兵だった。ハンドジェットを背負った甲冑兵が一体、低い高度で、こっちに接近してくる。
「あれ、マスターだ」ユリが言った。
「冑《かぶと》とマスクのかわりに、仮面をつけている」
甲冑を身につけたマスターは、広場にひらりと舞い降りた。
あたしたちとメイヤーの、ちょうど真ん中あたりだ。
ちらりと、あたしたちを見てからメイヤーの方に向き直った。
指をメイヤーに向かって突きだした。
光った。
光条が、メイヤーの胸を灼き貫いた。
そのままパワード・スーツも灼く。
爆発炎上した。
赤黒い炎が、広場を焦がす。
「お前たちも、生きておったか」
仮面を自く輝かせて、マスターはゆっくりと振り返った。
10
あたしたちは、広場でマスターと向かい合った。
ほかには誰もいない。ジェフは意識をなくして横たわり、ムギとヤクシャーは岩山の方で死闘を繰り広げている。
とうとう三人だけになってしまった。
「最後のときがきたな」マスターが言った。
「言い残すことは何かあるか」
「なんにもないわ」あたしは応じた。
「そっちこそ、まだ吼えたりないんじゃなくって?」
「吹いたな」マスターは喘った。
「ろくな武器もないくせに、口だけは一人前だ」
「ないと思うの」ユリが言った。
「自分一人が全能だと思ったら、大間違いよ」
「なんだと?」
「こんなの、いかが?」
あたしとユリは手をつないだ。そして、あたしは左手、ユリは右手を突きだして、伸ばした人差指をマスターに向けた。
指が光った。
二本の光条が、指先から白くほとばしった。
「うあっ!」
甲冑の胸を灼がれ、マスターがのけぞった。
ハンドジェットのベルトが切れて、その主装置が背中から滑り落ちた。
おかげで傷は浅い。しかし、心理的なダメージは恐ろしく深い。
「き、きさまら……」
声が震えている。
「教えたでしょ。全能の者は一人じゃないって」
あたしは言った。
「選ばれたのか。きさまらがボーラルーラに……」
「この能力は便利だけど、卵からあまり離れちゃうと使えないってのが欠点ね」ユリが言った。
「あなたがメイヤーと妥協したのも、そのためでしょ。どこででも使えれば、あんなやつとチャクラの権力を分け合う必要もなかったんだし」
「それどころか、世界制覇にのりだしてたわよ。この人の性格なら」
あたしはつけ加えた。
「…………」
マスターは何も言えない。全身を|おこり《ヽヽヽ》のように震わせて、立ち尽くしている。
「ヤクシャーを利用したのは自分が動けなかったからなのよね」あたしは、さらに言った。
「成長を待って、殺し屋代わりに使ったのよ。あれはいってみればジェフの幽体みたいなものに重なっているんだから、どこへだって出没できちゃう」
「…………」
「あんたは、最低のくずよ。マスター!」
「ううううう」
唸りだした。
「こっから離れれば、あんたはただの人だわ。観念して、おとなしく逮捕されるのね」
「うるさい!」マスターは、わめいた。
「勝負は、まだついてない。寝言はもう終わりか」
「抵抗する気?」
あたしとユリは、また指をマスターに向けた。
「俺には、まだ切札があるのだ」マスターは言った。
「それを今、見せてやる」
マスターは言うなり、走った。
あたしたちは、光線を放った。
光条が、マスターの肩や背中を灼いた。しかし、マスターはひるまない。からだを光らせてバリアーをつくり、光線に対抗して走った。
速い。ものすごいスピードだ。マスターはエネルギーのすべてを燃焼させて広場を走り抜ける。
チャクラの天使に到達した。
きびすを返し、背中からその像にもたれかかった。
チャクラの天使が、青白く輝きだした。
まるで燐光のように淡い光だ。
それが、やわらかくマスターの肉体を包む。
あたしたちは光線を撃ちまくった。
だが、ぜんぜん効かない。燐光に吸収されてしまう。
マスターは光に覆われて、彫像と一体になった。
「破壊神よ」
マスターの声が聞こえてきた。
「きさまらは、たしか、あのぼんくらシェリフに好意を持っていたな」
何を言っているんだ。こいつは。
「では、こうなったらどうする?」
こうなるって、あによ!
あたしは訊こうとした。けど、訊けなかった。
ムギとヤクシャーが戻ってきたからだ。
正しくは、ヤクシャーが、こっちに来て、ムギがそれを追ってきたのだ。
凄まじい圧力が、あたしをかすめてふっ飛んでいく。
ムギが黒い影となって、それを追う。
ヤクシャーの行手には。
ジェフがいる。
じゃあ、ジェフの中に逃げこむのか。
そうなったら、ジェフがもとの好青年として目覚めるだけじゃないか。何が、こうなったらどーするよ!
ところが。
その判断は甘かった。
マスターは成長しおえたヤクシャーをまさしく自在に操ったのだ。あたしたちも、この場所が卵の強い影響下にあることを失念していた。
そういった条件が整うと。
ヤクシャーは実体化できる。
次元獣としてのヤクシャーが、ジェフの中に戻った。
と同時に、ジェフのからだが変化した。
まず、みるみる脹れあがった。
腹が脹れ、胸が脹れ、頭が脹れた。
衣服が裂け、裸になる。
ジェフの裸!
しかし、そのときには、もう人間の姿をしていない。
巨大な、ぶよぶよした肉の塊だ。
膨張は、留まるところを知らない。
あっという間に十メートルを越えた。
全身が、ぬめぬめ光るいやらしいピンクに染まった。手足は消え、どこが頭で、どこが腹かも判然としなくなった。丸くて、ばかでっかくて、醜い生物と化した。ピンクの肌には、黒い斑点が散っており、それがまた、さらに醜悪な印象を与える。
でも、あたし、こいつを見るの初めてじゃない。どっかで一度、見た。
それは。
クレアボワイヤンスだ。
十字架に掛けられているときに、クレアボワイヤンスがはじまって、あたしは、こいつを見た。
じゃあ、あれが、ヤクシャーの実体。
眼前に転がるヤクシャーが、口をあけた。
からだの半分が、ぽっくりと裂けた。
あの独得の歯型を残す牙が、剥きだしになった。
醜い。あまりにも醜い。けど、醜いこいつが、あのハンサムなシェリフ。
「ケイ!」
ユリが叫んだ。
「指、構えて。倒すのよ。あいつを!」
倒す? 倒すってジェフを!
「ジェフじゃないわ」ユリは言う。「あいつはヤクシャーよ!」
でも、だって、だけど。
あたしは、ユリに言われるがまま、人差指をヤクシャーに向けた。ヤクシャーは牙を振りあげ、よだれを敷き散らして、あたしたちの方に突進してくる。不格好な巨体だが、動きは不可視だったときと同じで、素速い。
「念をこめて。早く!」
ユリがあたしに向かって叫ぶ。あたしは、そうしようとする。
醜いヤクシャー。
その姿にジェフの笑顔がだぶる。
「だめ!」
あたしは狙いを外した。
「だめ! ジェフ、撃てない」
あたしは、悲鳴のように叫んだ。
11
くやしい。滅茶苦茶くやしい。マスターの術中にはまってしまった。けど、だめなんだ。わかっているけど撃てないんだ。
「ちっ!」
ユリが舌打ちした。ヤクシャーはもうすぐそこまで迫ってきている。このままじゃ、あたしたちなんか丸呑みにされてしまう。
ムギが跳んだ。
ムギはヤクシャーがジェフの中にはいった時点で追うのをやめていた。ムギだって、あたしがジェフを好いていたことを知っている。
しかし、今は状況が状況だった。遠慮はしていられない。止めなきゃ、あたしたちが食われてしまうのだ。
ムギが、ヤクシャーの顎にかぶりついた。ムギにしてみれば、実体があるだけ闘いやすい。
「ケイ、おいで!」
ユリが、あたしの手をひっぱった。
ムギがヤクシャーの動きを止めているうちに、こっから離れようというのだ。
円盤機のとこに連れてかれた。
ひんまがったタラップを駆け昇り、コクピットにはいった。
ユリが操縦レバーを操作した。
爆発ボルトで、いかれたタラップとランディング・ギアを切り離し、ハッチを閉めた。
「行くわよ」
円盤機が舞い上がった。
垂直に上昇し、高度三十メートルくらいで旋回する。
メインスクリーンに、ヤクシャーと格闘するムギが映った。
ムギは苦戦していた。実体化したヤクシャーは滅法、強かった。ぬめぬめした肌はムギの牙と爪を滑らせ、その巨体はムギをあっさりと圧しつぶそうとする。
「待っといで、ムギ!」
ユリが、円盤機を反転させた。
円盤機の武器は、出力は大きいもののレーザー砲しかない。
そのレーザー砲の光線を、エネルギーゲージを最大にセットしてユリはヤクシャーにぶちこんだ。
大きくあけた、口の中を狙った。
しかし、だめ。ヤクシャーにはまったく通じない。さすがにマスターが切札と言っただけのことはある。
ためしにユリは光線をチャクラの天使にへばりついているマスターにも浴びせてみた。しかし、これもぜんぜん効かなかった。
もはや打つ手がない。
「ぎゃん!」
ムギがやられた。あの銀河系最強の生物が、ヤクシャーの牙に背中を噛まれて、悲鳴をあげた。
必死で逃れ、ジャンプする。
円盤機のボディに飛び移った。
ちょうどコクピットの真上だ。カメラで様子を見ると、ムギは苦しそうに身をよじっている。
それを見て、あたしの肚《はら》が決まった。
これはもう、心を鬼にするしかない。
「シート、換わって」
あたしはユリを押しのけた。
操縦席に着き、レバーを握った。
「なにするの?」
ユリが訊いた。
「|あれ《ヽヽ》で見たことよ」
あたしは硬い声で答えた。
円盤機を降下させた。
チャクラの天使とヤクシャーとの間にはいり、ホバリングした。
外部スピーカーのスイッチをオンにした。
「おいでよ、化物」あたしはヤクシャーに向かって言った。
「あたしが相手したげるわ。齧りたければ、突っこんでおいで。これが最後の勝負よ。とことん、やろうじゃないの!」
必死で挑発した。
しばらく、ヤクシャーと円盤機の睨み合いになった。
「怖いの? あたしが」
あたしはレーザー砲の光線を浴びせかけた。
ヤクシャーが動いた。
動きだすと、速かった。
一直線に突進してくる。ものすごいスピード。一気に距離が詰まった。
「ムギ。しっかり、しがみついといで!」
あたしはマイクに向かって怒鳴った
ヤクシャーが来た。
大口が開きっぱなし。牙が光り、よだれが顎から尾をひいている。
わあんと迫った。
あと数メートル。
噴射をマキシマム。
レバーをぶっ叩く。
凄まじいG。
頭を視棒で殴られたみたい。
ふっ飛ぶように円盤機は上昇した。
わずか十数センチ下をヤクシャーが通過する。
ヤクシャーは、そのままチャクラの天使に突っこんだ。
あたしは最大噴射をやめない。
円盤機はひたすら上昇をつづける。
爆発した。
円盤機の直下だ。チャクラの天使と、ヤクシャーが、反応したのだ。なぜ、そうなるかは知らないが、そうなることはわかっていた。
すでに、クレアボワイヤンスで見ていたからだ。
白い閃光が広がった。第一鉱で見たのと同じ光だ。
光は丸く膨らんでいく。
円盤機は、その光に追いつかれないように急上昇する。メインスクリーンはいかれた。光が強すぎたのだ。窓から光の一部が見えるが、それだけでも眩しくてしょうがない。
|眩しさのあまり《ヽヽヽヽヽヽヽ》涙がでた。
あたしはユリに見られたくなくて、涙をこっそり拭った。
でも、涙はいっかな止まらない。
上空で、光が失せるのを待った。
広がりきった光は、寸毫の間に消えた。
消えてからも、しばらく様子を見た。
空一面を覆っていた靄が、ゆっくりと晴れていく。
それ以外に変化はない。どうやら、もう危険はなさそうだ。
降下した。
地上は、ばかでかいクレーターに変わっていた。
地表が赤銅色にてらてらと光る丸いクレーター。直径は十キロ以上あるだろう。端の方が、前にできた四鉱のクレーターに重なっている。
クレーターのほかには、何もなかった。神殿も。チャクラの天使も。そして、黒い卵も。
「たしか、イシャーナってのは、稀元素だっていってたね」
地上の光景を眺めながら、ユリが言った。
「うん」
あたしはうなずく。なんだか嫌な予感がする。
「チャクラの天使が、ボーラルーラのシンボルだったね」
「うん」
「すると、あの天使の像にイシャーナが含まれていたってことは……」
「充分に考えられるよ」
「イシャーナが失われたら、卵が消えるっていってたね」
「うん」
「消えたら、二度とコンタクトできないって聞いたような気がする」
「あたしも」
「うーむ」
ユリが唸った。
「うーむ」
あたしも唸った。
そのときだった。もう一つだめ押しが来た。
だしぬけに景色がぶれたのだ。
一瞬、エンジンの不調かと思った。
しかし、そうではなかった。
それは地震だった。
四鉱がクレーターになったときも地震はあった。チャクラのもろい地殻が、あの猛烈なエネルギーの放射に耐えられなくて、地震になるのだ。
前の地震が弩級のそれなら、今度のは超弩級の地震だった。
十分くらいつづいたし、揺れもすごかった。上から見てると山が崩れ、大地が裂け、丘が陥没するのが、はっきりとわかった。クレーターもひびだらけになった。
「ねえ、ケイ」ユリが、やけに冷静な声で言った。
「これだけの地震だと、アスラヴィルってどーなるかしらね」
「どうって、その……」
あたしは、その先を口にだして言えなかった。
事態は、予想どおりであった。
[#改ページ]
エピローグ
円盤機で、アスラヴィルに帰還した。
眼下に見えるハイウェイの惨状が、アースラヴィルの運命を予告している。
コクピットの中で、ユリが言った。
「〈ラブリーエンゼル〉に戻ったら、部長に報告しなくちゃだめね」
それは凶悪犯が自首するのと同じである。
「報告することが三つあるわ」
ユリは言った。
「なんと何?」
あまり聞きたくないけど、とりあえず、あたしは訊いてみた。
「一つは、事件が完全に解決したことでしょ」
ユリは指を折った。
それは、けっこう。
「二つ目は、好意的な異次元文明との接触が永久に絶たれたこと」
ぜんぜんけっこうじゃない。
「そして、三つ目は、大地震でチャクラが壊滅したこと」
さ、最悪じゃ。
胸が悪くなった。
アスラヴィルを上空から眺めた。
郊外から都心部まで、建物という建物は、すべて倒壊している。ダウンタウンなんかは、火の海だ。
あたしたちは市内への着陸を諦めた。降りようにも、ヘリポートがない。
まっすぐ〈ラブリーエンゼル〉に戻ることにした。
宇宙港に着いた。
そこで、あたしたちは、もっと悪い話を聞かされた。
宇宙港が、使用不能になったのだ。離着床が一つ残らずずたずたに裂け、火災も発生していた。
〈ラブリーエンゼル〉は、類焼こそ免れたが、離着床の陥没で、斜めにかしぎ、飛び立てなくなっていた。
復旧には、二か月かかるという。なにしろ辺境の鉱業惑星なのだ。機材も災害関係の専門家もいない。おまけにオーナーとメイヤーが死んでしまったものだから(同一人物なんだけど)手をつける段取りすら決まらない。
あたしたちは傾いている〈ラブリーエンゼル〉にもぐりこみ、通信機をチェックした。
幸いというか不幸というか、通信機は生きていた。
さっそく本部に連絡をとった。
通信スクリーンにソラナカ部長がでた。
いつになく険しい表情をしている。
「チャクラ事件の報告だそうだな」
にこりともしないで、部長は言った。
「あ、あのう……。ちゃんと解決しました」
あたしは三つの事項をおどおどと報告した。二つ目で部長の顔色が変わり、三つ目で髪の毛が逆立った。
「チャクラの大地震のレポートはすでに届いている」部長は言った。
「推定死傷者、一万一千。人口の三分の二だな。推定被害額、四十五兆クレジット。惑星は壊滅状態で、再開発不能……」
「はあ、そうですか」
四十五兆なんて、想像もつかない。
「あのう……」
横からユリが言った。
「なんだね。まだほかに何かやらかしたのかね」
部長の返事はひどく冷たい。
「〈ラブリーエンゼル〉が飛び立てないんです」ユリは言った。
「迎えの船、寄こしてもらえないでしょうか。このままだと二か月もここで足止めくっちゃうんです」
「足どめ。二か月だと!」
部長の顔が、気のせいかパッと明るくなった。
「わかった。わたしに任せなさい」
頼もしい声で言った。
「きみたちは休暇がたまっていたはずだ。その二か月は、特別に休暇扱いにしてやろう」
弾む声で、滅茶苦茶なことを言いたした。
「休暇って、部長、ここ何もないんです。あるのは瓦礫の山と死体安置所だけです」
ユリが必死で喰いさがった。
「すばらしい。きみたちにもってこいの休暇じゃないか」
部長は大きくうなずいた。
「部長!」
あたしとユリは声を揃えて叫び、スクリーンにしがみつく。島流しなんて、死んでも嫌だ。
「では、二か月後に……」
部長が手を振り、通信は切れた。
「ぶちょー!」
スクリーンもブラックアウトした。
あたしとユリは顔を見合わせ、シートにへたりこんだ。
「みぎゃお」
ムギが啼いた。
あたしたちは、二か月を廃墟で過ごした。