ダーティペアの大冒険
高千穂 遙
目次
ダーティペアの大冒険
1 突っこむなんて、ひどいじゃない!
2 ガタガタ言うと、ぶちのめすよ!
3 休暇なんて、あにサ!
4 馬鹿にしないで、これでも超能力よ!
5 邪魔をするやつは、チョメッ!
6 なめんじゃないよ、ダーティペアを!
酒場にて
田舎者殺人事件
1 ざけんじゃないよ、このくそゲーム!
2 殺人事件……? ぺッ!
3 燃える! いい女が……
4 黒幕が、どうだってのよ!
5 見て見て! あたしのカーチェイス
6 でたっ! これがうちらのスーパー能力
7 あに言うだ、この女!
8 観念おしよ、じたばたしないで!
9 死なばもろとも、大爆発!
10 涙のエピローグ
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ダーティペアの大冒険
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1 突っこむなんて、ひどいじゃない!
惑星ダングルの衛星軌道にのった。
すかさず地上の管制塔が誰何してくる。珍しいことだ。たいていの場合、このての手続きは、やはり衛星軌道上にある中継ステーションによっておこなわれる。地上からでは、対応が遅くなるからだ。
事前に調べた資料によると、ダングルの衛星軌道をめぐる宇宙ステーションは五基で、そのどれもがグラバース財団の研究用ステーションだった。管制業務のための公共ステーションはひとつもないのだ。
ささいな人工衛星と異なり、巨大なステーションは衛星軌道上でその数を限定される。五基はほぼ、そのリミットである。事実上、グラバース財団の支配下にある惑星国家ダングルとしては、ステーションの設置権をグラバース財団に譲るほかはなかったのだろう。
あたしは管制官の紋切り型の呼び出しに応じて、オレンヂパールに輝く右手の人差指の爪で、スイッチキーのひとつを軽く弾いた。――通信スクリーンに、すうっと映像がはいった。
現われたのは、あたし好みの若い美形である。うっく! 思わず、よだれがあふれそうになった。あわてて口もとに左手をやる。そして、にっこりと、とろけるように微笑んでみせた。若い管制官はよほど生《ウブ》だったらしく、たちまち耳たぶまで真っ赤に染まった。かわゆいんだわァ。
あたしはちょっと鼻にかかった、これ以上ないほどに甘ったるい声をだして、言った。
「あたしに、なにか、御用?」
「あ、あ、あ、あのその……あの……」案の定、管制官はドギマギし、うろたえてどもった。
「えと……その、あの、せ、船籍と、船体コード、コード、コード番号と、その、乗、乗、乗員のおな、お名前を――」
「まっ、名前!」
あたしは目を瞠り、両のこぶしをそろえて口を覆った。その、しぐさに管制官はまた、動転した。「あっ、い、いえ、これ、これは、き、規則でして、その、要するに、わたくしが知りたいわけじゃなく、あ……と……」
「わかってるわ……」
あたしはポツリと言って、管制官のセリフをさえぎった。あくまでもはにかみを忘れず、さらには口調もしっかり抑えて。
「すぐに申告しますわ。でも――」絶妙の間《ま》。「そのあとで、あなたのお名前と電話番号も教えて下さいね」
「ひ……!」
管制官は喉を詰まらせた。のぼせあがって絶句している。ここまでくれば、もう完全にあたしのペースだ。あたしはスクリーンのすぐ上にはめこまれているカメラに唇を寄せ(当然、相手のスクリーンでは、これがアップになる)、囁くように言った。
「あたしの名前はケイ。まだ十九よ。――あたしのお宇宙船《ふね》は八十メートル級の垂直型。〈ラブリーエンゼル〉っていうの。船籍はアモール。|WWWA《スリーダブリュエイ》に所属していて――」
「ダ、ダーティペア……!」
あたしの申告は、途中でぶっちぎられた。だしぬけに管制官が、悲鳴にも似た呼び声をあげたからだ。あせって身を引き、スクリーンを見ると、つい今しがたまで紅潮して湯気をたてていた管制官の顔が、すっかり蒼ざめてしまっている。目をみひらいて硬直し、唇までもワナワナと震わせているのだ。
しまった!
まだてぬるかったかと、あたしはホゾをかんだが、それはもう遅かった。錯乱した管制官はとてつもない早口で、
「し、申告完了、これでけっこうです!」
と、喚き、次の瞬間にはもう通信を切っていた。あとに残るは、暗くなった通信スクリーンを茫然と見つめている、あたし――。
「ホーッ、ホッホッホッ……」
とつぜん、あたしの右横で、いやらしい笑い声がまきおこった。主操縦席のユリである。あたしはキッとなって首をめぐらした。ニタニタとこっちを見ているユリの目と、怒りに燃えたあたしの目が、正面から激突した。
「ホーッ、ホッホッホッ!」
ユリはまたひとしきり嘲笑った。
「あによォ!」
その|いやし目《ヽヽヽヽ》、|いやし笑い《ヽヽヽヽヽ》に耐えきれず、あたしは怒鳴った。
「また、ふられた」
目を細め勝ち誇ったように、ユリは言った。
「うっさいわねェ……」あたしは言い返した。「ちょっと、からかってやっただけじゃない!」
「また、ふられた」
人の感情をあからさまに逆なでにする口調で、ユリは同じセリフを繰り返した。あたしの血が団体で頭に昇る。
「ペッペッペッ!」あたしは喚いた。「ふられたふられたって言うけど、あたしひとりのことじゃないのよ! あにサ、あんたと組んで仕事してて、こうなったんじゃない。それをようまあ、こんなに馬鹿にして……」
ユリはあたしの剣幕に、しばし黙った。そして、ややあってぶすっと言った。
「ひとのせいにした――」
あたしのどっかで、何かが切れた。
あたしはふくれっ面でコンソールに向き直り、横目でユリを睨んだ。
「ぐじゃぐじゃ言ってないで、操縦の方はいいの? 気ィばっか、取られてると地べたにぶち落ちるわよっ!」
「ううん、いいの」ユリはあたしのヒステリックな叫びを、やんわりと受けた。「もうとっくにビーコンにのせちゃって、自動操縦になってるわ。寝てても着陸できるのよ」
「う!」
ソフト口調で一本とられて、あたしは唸った。やり返そうにも、ネタがない。きょうは厄日だ。シートをリクライニングさせ、くやしさに身をよじった。太もものつけ根いっぱいで浅いV字形にカットしたホットパンツからすらりと伸びた両脚がコンソールの上にくる。それを見て、あたしは当たる相手をさっきの管制官に変えた。
だいたい、こんなステキな女の子を前にして、だらしなく逃げ出すやつが、いけないんだ。そりゃ、ちっとは芳しくない風評だってあるかもしれないわよ! でも、それはみィんなWWWAの仕事の上でのことであって、あたしたちの魅力には、なんも関係ないことじゃない。
ちなみにあたしは身長百七十一センチ、体重は五十四キロ。サイズは上から九十一、五十五、九十一。理想的といっていいプロポーションだわ。髪は赤毛でちょっと縮れてるけど、それも短かめのウルフカットにしたから、むしろあたしに似合ったものになっている。目はブラウンで、肌色もそれに近い小麦色。自分で言うのもなんだけど、キュートですこしボーイッシュな美人よ。
一方、ユリはといえば、身長百六十八センチ、体重五十一キロ。サイズは八十八、五十四、九十と、あたしよりわずかに小柄だけど、漆黒で、肩までまっすぐにのびた髭がとても美しい子なの。おまけにそれと対照的に肌の色が真っ白だから、まるでお人形さんみたい。同性のあたしがみても、時おりハッとさせられるわ。
しかも二人の服装といえば、衿つきとはいえ、からだにピッタリとフィットした、おヘソが丸だしになるブラジャーの親戚のような丈の短い上着とホットパンツ、それに膝までのブーツだけ。上から下までギンギンの銀色できめて、めいっぱいセクシーなのよ。銀河系のどこを捜しても、これだけ魅力あるコンビはいないわ。
それをあの管制官のガキときたら、あたしたちがダーティペアと知っただけで泡くって失せちゃうんだからァ。最低のくずよ!
「そうよ、絶対あいつがアホなのよ!」
あたしは思わず憤りを声にだしていた。いきなり大声で言ったのだから驚いてもよさそうなものだが、馴れているのかユリはこっちを見ようともしない。かわりに背後から、
「ミギャ?」
という啼き声がした。そしてあたしの肩をちょんちょんとつつく感触。
「ムギね?」
そう言って振り向くと、やはりムギだった。うしろの二つならんだ予備シートのひとつに、どてっと坐り込んでいる。〈ラブリーエンゼル〉は八十メートル級の小型外洋宇宙船だが、戦闘及び航行能力は、実に二百メートル級駆逐艦なみにアップしてある。そのために操縦室にシートは四つしかなく、しかもそのうちの二つは予備にすぎないのだ。うー、一度でいいから、この予備シートにハンサムな男をはべらして宇宙を駆けめぐりたいよォ。
あたしは眉をひそめ、じっとムギを睨みつけた。あたしたちが操縦室にいるときは、ムギは一階層下の休息室にいなければいけないのである。どうせまたあたしがヒスったのを心配してこっそりやってきたのだろうが、原則はまげられない。ムギはしょぼんとなって、身を丸めた。あたしの肩にのせていた、先が吸盤になったムチのような触手もだらりと下げてしまっている。黒い丸い目も伏せて、あたしと目を合わそうとしない。
ムギはクァール族の生き残りである。
クァールは、なんとかという惑星で発見された、先史文明の実験動物だ。地球産の猫に似た大きな頭を持ち、真っ黒なからだはあたしよりもまだひとまわり大きい。太い四肢にはかみそりのように鋭い爪が生え、両の肩からは先ほどあたしの肩をつっついた長い触手が二本、伸びている。この触手は先端が吸盤状になっているので、およそ人間の腕でできる作業なら、何でもこなすことができた。もっともそうするには、触手のほかに相当の知能を要求されるのだが、それもクァールはちゃんと有していた。クァールの知能は、人間なみか、ひょっとするとそれ以上なのである。
クァールにはもうひとつ特技があった。耳のかわりにある細かい毛のような巻きひげである。クァールはこれを震わすことで、電波、電流を自在に操ることができるのだ。機械に弱いあたしたちは、〈ラブリーエンゼル〉の修理や改造は、もっぱらムギにやってもらっている。
クァール族は滅亡寸前で、個体数がきわめて少ない。だからもちろん保護動物に指定されている。それをひょんなことであたしたちは手に入れたのだ。そのいきさつはまた別の機会に譲るので、今は省かせてもらう。とにかくあたしたちがぺットにしたのは、さらに人間によっておとなしい性質につくりかえられたクァールで、それを個人で所有しているのは銀河広しといえども、あたしたちだけなのである。一日に一個、特製のカリウムカプセルを与えねばならないのでエサ代はかさむが、ムギは、そんなことまるで気にならない最高のぺットであった。
「ムギっ!」あたしはきつい声で言った。「休息室に戻りなさい」
ムギははじめ、イヤイヤというように首を振っていたが、やがてあたしが本気で怒っていると悟ったらしく、ゆっくりとシートから降りた。
「ミギァア……」
悲し気に一声啼き、足どり重く操縦室を出ていく。だまされてはいけない。これはみな演技なのだ。頭のいいクァールは、どうすれば人間の同情を得ることができるか、はっきりと承知している。あたしは黙ってムギを見送った。
「やれやれ――」
ため息をついて、前に向き直った。
「ケイ、進入許可がでたわ。着陸するわよ」
それを待っていたかのように、ユリが言った。
「なんでも勝手におしっ!」
あたしは冷たく言い放った。執念深いあたしとしては、まだ先ほどユリに受けた仕打ちを忘れていないのだ。
〈ラブリーエンゼル〉は、ダングルをめぐる螺旋軌道を描きながら、徐々に高度を下げていった。
ダングルは、人間の居住する惑星のほとんどすべてがそうであるように、青い球に白い雲の斑《まだら》が浮く美しい惑星であった。海と陸地の比は、ほぼ五対五。大陸は、大洋を隔てて二つ。陸地の面積のほとんどは、その二つの大陸――エルカとタナスト――に集約されていた。
エルカは北半球の赤道よりに位置し、タナストはその反対側、南半球の赤道よりにある。エルカの方がタナストより広いが、気候的にはどちらも最高に恵まれていることは確かだ。さすがは銀河系一の資本を誇るグラバース財団、一級品の惑星に目をつけている。
〈ラブリーエンゼル〉が向かっているのは、南半球のタナストの方だった。そこに、あたしたちの依頼主、グラバース財団の一企業部門、グラバース重工業の本部がある。そう、あの大企業――宇宙船から都市建設まで、手がけない分野はないと豪語している重工業界の雄、グラバース重工業だ。グラバース重工業には営業本部と生産本部があり、ダングルにあるのは、研究、操業を担当する生産本部だった。
指定された宇宙港は、タナスト大陸のほぼ中央にあるクルトミ宇宙港だった。あたしたちはどっちかといえば海が好きだったから内陸の宇宙港なんぞに降りたくはなかったが、クルトミがグラバース重工業の本部にもっとも近い宇宙港とあっては、やむを得ない。何といっても遊びにきたのでは、ないのだ。
高度は二万メートルにまでさがっていた。
タナスト大陸は、どんな魔法を使ったのか、一面あますところなく鮮やかな緑で覆われていた。その中にところどころ、銀色に輝く都市があるのは、まるで白玉を転がしたビリヤードの台だ。大規模な惑星改造をおこなって、地表のすべてを草原か樹林で埋めつくしたのだろう。グラバース財団なら、そのくらいのことはやりかねない。しかし、手段や経過は別として、どこまでも続く緑の園が、ただひたすらに美しく感じられるのは、確かだった。
あたしはメインスクリーンに映るその光景に見とれて、しばし、すべてを忘れていた。
――そこへ、襲撃があったのだった。
「ケイ!」
ユリが硬い声で、鋭く言った。異常事態だ! あたしはすぐにピンときて、いじけているのを中断した。ユリは言葉を継いだ。
「管制塔の指示に従わない機体がいるわ!」
「どんなやつ? 何機?」
訊きながら、あたしはコンソールにレーザーとミサイルのトリガーを起こした。なんでもないことかもしれないが、WWWAの犯罪トラコンとしては、このくらいの用心が必要だ。もっとも、いつもこれが行きすぎて、ダーティペアなどと呼ばれるようになったのだが――。
「機数は五。二十メートル級の円盤機よ! まっすぐ、こっちに向かってくるわ!」
ユリの答えが返ってきた。
「映像で見られる?」
「メインスクリーンにいれるわ」
円錐台形をしている〈ラブリーエンゼル〉の操縦室には非常用以外、窓はない。壁のパネルに大小何十両と並んだ各種スクリーンの映像で、ありとあらゆる状況を見てとるのだ。その中で、主操縦席と副操縦席のちょうど正面にしつらえられた一番大きいスクリーンが、メインスクリーンである。エックス線映像から増感映像まで、どんな種類の映像でも、ここには映し出すことができる。
メインスクリーンに、迫りつつある五機の円盤機が映った。眼のさめるような蒼穹を背景に、銀色の点が、遠く輝いている。
「一機、拡大して見せて!」
言い終わらないうちに、映像が変わった。ユリもそうしようとしていたのだろう。円盤機が一機、画面いっぱいに広がった。見たことのない型だ。市販のものではない。もちろん、軍が制式採用している機体でもない。前縁部に、明らかに何かエネルギー兵器の一種と思われる砲身が二本、突きでている。どこに所属する円盤機であれ、戦闘用で、かつ、この〈ラブリーエンゼル〉に敵意を持っていることだけは、確実だった。
「距離二万八千メートル。マッハ十二」ユリが言った。「ほどなく射程内よ」
「うん!」
トリガーを握る両の手の挙が、緊張でじっとりと汗ばんだ。レーザーは、これが宇宙空間なら、有効射程は、二百キロ近い。しかし、今は惑星ダングルの高度一万五千メートル。大気圏内だ。大気圏内にあっては、レーザーの減衰ははなはだしい。相手に有効な損害を与えるには、距離一万メートルであっても、むずかしいだろう。といって、ミサイルを使うにも、あっさりと射落とされるのは目にみえていた。
「距離一万九千!」
照準スクリーンをオンにした。円盤機が白い光点で示される。大気密度等、測定された諸データにより、有効射程内にはいったとなると、これが赤に変わる。それが攻撃開始のときだった。だが、その前に確認することがある。
「やっぱり応答がないわ」
ユリがその確認をしていた。星間共通信号『貴船ノ所属ヲ明ラカニセヨ』を送ったのである。通信機の故障でない限り、WWWAの宇宙船に対してこれを無視した場合は、そのまま敵対行動とみなすことができる。これで〈ラブリーエンゼル〉は、円盤機をいつ攻撃してもよいことになりたのだ。
「距離一万――あっ!」カウントするユリの声が変わった。「円盤機、展開!」
それは予想された動きだった。二十メートル級の円盤機は、エネルギー総量ではるかに〈ラブリーエンゼル〉に劣る。火器の性能も、〈ラブリーエンゼル〉のそれに遠く及ばないだろう。にもかかわらず、のうのうと編隊を組んで正面から突っこんだのでは、闘いにならない。ここは展開して、四方から包みこむように攻撃するのがセオリーだった。
「距離八千!」
ユリがそう言うのとほぼ同時である。照準スクリーンの光点が赤くなった。円盤機にまだ攻撃のきざしはない。先手をとれる。あたしはユリに怒鳴った。
「コース四〇三!」
勝てる、と確信しての転針だった。やるならもっとも近いやつから、一機ずつである。
〈ラブリーエンゼル〉は獲物に挑む猛禽のように、その優美なスカーレットの船体をよじった。
レーザーのトリガーを絞る。
光条が一閃、円盤機を切り裂いた。
巨大なオレンヂ色の火球が蒼天を彩る。
「四B一一二――」
間を置かず、ぐうんと反転した。むろん、敵も反転して、再び包囲を狙ってきている。だが、動きはこっちの方が素早かった。
レーザー発射。
また一機が爆発した。同時にミサイル発射。――これは牽制用である。二機に向けて、三発ずつ放った。一機は意に介さずかわしたが、もう一機がひっかかった。正面にひょいとでてくる。これもレーザーで仕留めた。
残るは二機。しかし、距離が詰まっている。向こうも射ってきた。貧弱なエネルギー線が〈ラブリーエンゼル〉の外鈑を擦過する。なでられてるようなものだ。性能にこれほど差があっては二対一では格闘《ドッグファイト》にならない。
無造作に射抜いて、もう一機を燃える砕片に変えた。これであと一機。
――が、そのとき、あたしたちは決定的な過ちをおかしていた。油断である。敵にかまけて、周囲に対する気配りを忘れていたのだ。
最初にそれに気づいたのは、やはりレーダーを見ていたユリだった。
「ふみっ!」
ユリが悲鳴とも何ともつかない声をあげた。
「あによ?」
「円盤機の進路に……」ユリは喘ぐように言った。「民間の大型船がいるわ!」
「ひえ!」
円盤機は、かなわぬとみたか逃げにかかっている。その進路にほこほこと一般船舶が現われたとあっては、えらいことである。一般船舶は鈍重な上に、身を守るすべを持たないのだ。
「加速して円盤服の前にでるのよ!」
あたしはあせって喚いた。
「無理よ!」操縦するユリが反駁した。「ここは大気圏内よ! 加速にも限界があるわ」
「なら、あっちの船に通信を送って避けるように言ってよ!」
「あんたやって!」ユリもキンキンと響く喚き声になった。「あたし、こっちで手いっぱいよ!」
「いいわ」
あたしは通信機をオンにして、民間船舶の通信域で、連絡をとった。相手はすぐにでた。三百メートル級の客船、〈ガラパゴス〉だった。地上発進型としては最大の客船である。ちょうどクルトミ宇宙港に着陸しようというところだ。高度は四千メートルを切っている。
〈ガラパゴス〉のゲルニカ船長は、あたしがいくら必死で説明しても、なかなか事態を理解しようと、しなかった。こうしている間にも、円盤機はどんどん高度を下げ、〈ガラパゴス〉に接近している。
結局、〈ガラパゴス〉よりも、クルトミ宇宙港の管制塔が、事態の異常さを重視した。さっそく勧告が〈ガラパゴス〉に発せられる。それを受けて、ようやく〈ガラパゴス〉はのたのたと転針にとりかかった。
だが、それはもう遅かった。
「あ、あによ、あれ!」ユリが目を丸くして、叫んだ。「攻撃どこじゃないわよ、あいつ! 特攻する気よ」
「くっ!」
あたしは思いきってレーザーのトリガーを引いた。こうなっては撃墜以外に阻止する方法はない。しかし、さっさと逃走に移っていた円盤機との距離は大きい。光線は命中しているらしいが、もう一撃必殺の威力はないのだ。
円盤磯が、よたよたと旋回している〈ガラパゴス〉に追いついた。
船尾のメインエンジン部に、もろに突っこんだ。
大爆発がおこった。
「あちゃー……」
あたしとユリはたまらず、顔を覆った。
〈ガラパゴス〉は真っ二つになり、地上へと墜ちていった。
むろん、助かりっこない。
「あン畜生! とても戦闘ではかなわないからってンで、あたしたちを窮地に追い込む手をとったんだ」
ユリが憤然として言った。固く握ったこぶしが、ブルブルと震えている。
そのとおり。あたしたちは本当に窮地に立ったのだった。
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2 ガタガタ言うと、ぶちのめすよ!
あたしの名前はケイ。二一二一年十一月二十七日、惑星ニオーギに生まれる。十九歳。三年前に惑星メズイルの総合大学を卒業、ユリと一緒にWWWAにはいった、まだうら若き乙女である。
相棒のユリは二一二二年三月十八日が誕生日で、惑星ヨーチャ出身。やはり十九歳。
メズイルの総合大学で、同じ講座の同じ研究グループに所属したことから、あたしたちは知り合い、親友になった。性格も趣味もまるで違う二人だが、あたしたちはなぜか出会ったその瞬間から互いに魅かれ、妙にウマが合った(それには理由があり、そのことはWWWAにはいってから明らかになった)。
以来七年、あたしたち二人は、一度として離ればなれになったことはない。
卒業を間近に控えたある日、あたしたちは担当教授に呼ばれ、一人の紳士を紹介された。四十歳くらいの、決して名前を言おうとしなかった上品な学者タイプのその人は、噂にだけ聞いたことのあるWWWAのスカウトマンだった。
|WWWA《スリーダブリュエイ》は、正式の名称を世界福祉事業協会(WORLDS WELFARE WORK ASSOCIATION)という。――銀河連合に付属する公共事業機関のひとつだ。
銀河連合《ユナイテッド・ギャラクティア》はまあ、知らぬ人はないだろう。銀河系三千の惑星国家が参加して二一三四年に設立した、汎銀河系平和協力機構である。
二一一一年に、人類の宿願ともいうべきワープ航法が完成してから、ちょうど三十年。その間に人類は、植民と称して着々と宇宙に進出し、銀河系全域にあまねく行き渡っていった。今では、三千以上の太陽系に、それとほぼ同数の惑星国家――惑星ひとつが行政単位となった国家――が形成されている。あたしの生まれたニオーギも、ユリのヨーチャも、十年ほど前に地球連邦から独立した、銀河連合に加盟している惑星国家である。
それにしても、宇宙に乗りだして、わずか三十年で人類はここまできたのだ。恐るべき勢いといわざるを得ない。この勢いは人類という種、それ自体が持っているエネルギーの勢いだろう。最近では惑星改造技術が飛躍的に向上し、過去に居住不適当として放棄された惑星までが人為的に改造されて、植民可能になっている。中には、ひとつの太陽系の惑星をすべて改造しようと計画している惑星国家もある。このままいけば、数年後にはほとんどの惑星国家が、太陽系国家とでもいうべき形態に発展してしまうのは、まず間違いのないところであろう。
三十年。――たった三十年で、これである。まるで宇宙が人類の進出を祝福し、みずから喜んで門戸を開いたような感すら与えるではないか。
しかし、果してそうなのだろうか?
あたしは、そうは思わない。宇宙は人類に支配されたわけではないし、屈服してもいないのだ。ただほんの少し、人類に機会《チャンス》を与えてくれただけなのである(これだけでも、あたしには宇宙の大盤振舞いをいった気がする)。
人類は、なんとかその機会を生かすことができた。――これまでのところは、である。もちろん楽な道ではなかった。なぜなら、宇宙がくれたこの機会《チャンス》には、当然のように試練《トライアル》がくっついてきたからだ。それは、さまざまなかたちをとって、人類の前に立ち塞った。あるときは原因不明の熱病、またあるときは広域宇宙気流やブラックホールなどの抑制《コントロール》できない自然現象として――。ときには、人類同士の争いまでが、その試練になっていた。
それでも、はじめのうちは、それらはたいしたことではなかった。たとえ被害を蒙ったとしてもその規模は小さく、人類全体の運命を左右する災厄とはならなかったからだ。銀河連合を震撼させた、あのクラレッタ三重星事件が起きるまでは――。
クラレッタ三重星事件についてここで語るのは、何の意味もないことだからやめておこう。知りたければ図書館に行けばいい。発端から解決までの真の裏まで、マイクロフィルムに記録されている。概要だけなら、百科事典でも充分である。それよりも重要なことは、この事件をきっかけにして、どんなささいなトラブルであっても、対処を誤れば人類の破滅につながるおそれがあるという認識が、各惑星国家の首脳の間に叩きこまれたということだ。
WWWAは、六年前にこういった背景をもとにして設立された。人類に関して発生した|あらゆる《ヽヽヽヽ》トラブルに対処し、これをみずから解決、あるいはそれに至るまで助言を与えられる能力を有した人材を確保し、養成し、派遣することを目的とする、銀河連合内ではきわめて特殊な組織である。
そして、WWWAにはその目的を遂行するために、絶大な権限が銀河連合によって与えられている。WWWAから派遣された係官――トラブル・コンサルタントと呼ばれる――は連合に加入している惑星国家においては、出入国はいっさい自由で、完全に独立した捜査権も認められているのだ。特に犯罪担当のトラブル・コンサルタントは、武器の使用すらも無制限である。
しかし、ここで誤解をうけやすいのだが、WWWAは決して国際警察や特殊軍隊などというものではない。警察も軍隊も各惑星国家がそれぞれ独自に保有しているし、銀河連合には連合宇宙軍がある。なにも今さら新たにその類《たぐい》のものを組織する必要はないのだ。WWWAはあくまでも人類全体の利益のために機能しており、その理念は『生命の繁栄』、すなわち福祉《ウエルフェア》である。これはぜひ知っておいてもらいたいことだ。
WWWAのトラブル・コンサルタント(略してトラコン)になるのは、ひじょうにむずかしい。――いや、むずかしいというのとは、ちょっと違う。なぜなら希望してなれるものではないからだ。WWWAは、必要な人材をスカウトによって集めている。基準はよく知らないが、銀河連合の中央コンピュータが銀河系全域からWWWAのトラコンになりうる素質、能力を持った者を選び出し、スカウトマンを送ってくるのである。スカウトされた人間は一年間の訓練を受け、それぞれの能力に適したトラコンとして任務につくことになる。
卒業を前にしたあたしたちの前に現われたWWWAのスカウトマンは、なんとあたしたちを、犯罪トラコンとしてスカウトにきたのだった。
あたしたちはゲッとなった。もう、息がとまるほどの衡撃だった。ユリなんか本当にとまってしまって、あやうく窒息するところだった。そんなあたしたちの有り様を見て、立ち合ったチバン教授が、うー、と唸ったきり両手で頭を抱えてしまったのをなぜか鮮明に覚えている。
でも、それは無理もない反応だったとあたしは思う。
あたしたちにはとりたててめだつ能力もなかったし(そのときは、そう信じていた)、成績だって、あからさまにいえば、誉めようのないクラスだったのだから。人より秀れたところなんて、ま、自分で言うのもなんだけど、二人ともちょっと美人だったのと、スタイルが良かったことぐらいだったのである。(そう言われていたのよ!)
しかし、そんなことがWWWAの採用選考基準とは無関係なことは、あまりにも明白だった。あたしたちは何かの手違いだと思って、しつこくなぜあたしたちがスカウトされるのかをスカウトマンに問いただした。――が、スカウトマンは、その質問にはいっさい答えようとはしなかった。あとで知ったのだが、スカウトマンは答えようにもそんなことはまったく知らないのだ。
結局、あたしたちはWWWAのスカウトに応じた。トラコンは現代の最尖端をゆくエリートだったし、何よりも魅力的だったのは、あたしとユリを一組《ペア》にしてスカウトにきたからだった。あたしたちは実社会にでても二人で離れずにやっていこうと決めていた(レズじゃないわよっ!)。でも、世間はそんなに甘くないから、本当にそれが可能なのかと、不安だったのだ。そこへ、この話である。これが、あたしだけかユリだけか、というスカウトだったら、きっとあたしたちは断っていただろう。
あたしとユリは、大学を卒業すると同時に、惑星シモーグにあるWWWAの養成所にはいった。そこは、宇宙船の操縦法やら武器の扱い方やら犯罪捜査のセオリーやらを、新入りにみっちりと叩きこむところである。学校をでてすぐにまた学校かとうんざりしたが、それでも歯をくいしばって、あたしたちは堪えた。
そして一年後、あたしたちは正式にWWWAの犯罪担当トラブル・コンサルタントの資格《ライセンス》をもらい、その任務についたのである。
だが、トラコンになってからのあたしたちの成績については、あまり人には話したくない。悪いからじゃあ、ない。担当した事件は、すべてみごとに解決している。――ただ、それがあまり|きれいな《ビューティフル》解決法ではないのだ。
解決というのには、どうも二とおりあるらしい。平和的手段で鮮やかに八方丸くおさめるのと、強制的手段でムリヤリ始末をつけてしまうやり方だ。経済担当のトラコンならいざ知らず、あたしたちのような分野では、どうしても後者の血なまぐさい方になってしまう。にしても、あたしたちの事件は、どうも派手すぎた。あっちが爆発し、こっちが燃えあがり、あげくの果ては山のように死人がでて一件落着するのである。
あたしたちに言わせれば、たまたま誰が担当してもそうなる要素を秘めた事件ばかりにあたったことになるのだが、世間はそうは見てくれない。とうとうあたしたちが派遣されると、針の先ほどのささいな事件が大戦争に発展するという噂がたつようになってしまった。――これが事実なら、あたしたちのライセンスは、とっくに召しあげられているはずだ!
トラブル・コンサルタントは、その本人が使用する宇宙船の名称がコードネームになっている。あたしたちの宇宙船は〈ラブリーエンゼル〉という愛らしい名前で、当然、あたしたちもそう呼ばれるはずであった。そして、当初はたしかにそう呼ばれた。
ところが、今では誰もあたしたちのことをそんなかわゆい名前では呼んでくれない。あたしたちはその仕事っぷりから、いつの間にかダーティペア≠ニ呼ばれるようになっていたのである。
幸いにも――というとおかしいが――依頼者にトラコンを選ぶ権利はない。トラブルの内容を詳細に検討して、中央コンピュータがもっとも適していると判断したトラコンを派遣するからだ。もし、選択権を与えたとしたら、あたしたちの仕事はなくなってしまうことだろう。
――で、あたしたちが到着すると、事前に誰が行くかは通知してあるから、待っているのはお定まりの迷惑顔である。あたしたちはカッとなり、心の中で、ガタガタするな! ちゃんときれいに解決してやる、と叫ぶのだが、ほとんどの場合、意に反して例のごとき状況になってしまうのは周知のことだ。
しかし、いかにひどいとはいえ、今度のダングルのように、捜査の端緒から四十人の乗客と十五人の乗員ごと民間宇宙船を巻きぞえにしてしまったのは、悪名高いあたしたちにして初めてのことであった。
「あによ、あのクソどてかぼちゃ!」
発進するなり、あたしはありったけの大声で喚いた。黒塗りの|大型エアカー《リムジン》の車内である。後部座席であたしの横に坐るユリと、助手席のメルトナンが、いやみったらしく耳をおさえた。運転しているのはアンドロイドだから、気にもとめない。みんな、かれをみならえばいいんだ!
「ケイったら、うっさいわねェ!」
ユリが怒った。
「なにがうっさいよ!」あたしは即、逆襲した。「あんな目にあって、あんたよく平然としてられるわねェ」
「してちゃ、いけないの?」
「いけないもなにも!」あたしはムキになった。「あんた神経、あんの?」
「あるわよッ!」ユリは頬をふくらませて言った。「たくさん――」
「あ……」
あたしは死んだ。
――そもそもは、あたしたちが〈ラブリーエンゼル〉から、下船してのことだった。
〈ガラパゴス〉の遭難ですっかり意気消沈していたあたしたちは、綿のように疲れ果てて、クルトミ宇宙港の離着床のひとつに着陸した〈ラブリーエンゼル〉のタラップを、とぼとぼとくだった。何をするのも億却で、口すらききたくなく、できれば〈ラブリーエンゼル〉の寝室でふて寝していたかったが、仕事で来たとあっては、そうも言ってられない。それに、〈ガラパゴス〉の始末もつけねばならなかった。正体不明機が勝手に襲撃してきて、勝手に逃走し、勝手に突っこんだ結果なのだが、WWWAの犯罪トラコンとしては、そうなる前に撃墜する義務があったという責任感から免がれることはできないのだ。
暗澹たる思いで地下に降り、宇宙港ビルに向かう自動走路に乗った。あたしもユリも手ぶらで、バッグひとつ待だない。ムギは〈ラブリーエンゼル〉に残してきた。
入国カウンターにでた。
WWWAの人間は、もちろんフリーバスである。I・Dカードを見せて、すんなりと通過した。係官が、あたしたちのことを化物でも見るような目つきで見たのが気にくわなかった。あンなろ、街で会ったらただおかない。
エレベータで一階のロビーに昇った。
そこに、一群の男たちが待ち構えていた。
人数は約二十人。どれも背が高くて、目つきの鋭い連中だ。みな黒いコートを着ている。サングラスをかけているやつも何人かいた。やくざかしら、そう思って近づくのをためらった。別に怖かったからではない。先走った判断で大立ち回りを演じるのを恐れたのだ。前に一度、あれは惑星べロースだったか、ロケ中の役者をギャングと間違えて叩きのめしたことがある。そんな失敗を、二度と繰り返したくはなかった。
あたしたちがエレベータからでると、二十人の男たちは、一斉にあたしたちに視線を移した。あたしは、いやな予感がした。
と、一人の男がすうっと前に進んだ。
その男はコートを着てはいなかった。黒地に細い白のストライプ模様の三ツ揃いをピシッと、モデルのようにきめていた。しかも、とてつもないハンサムである。
年齢《とし》はそう、三十四、五ってとこだろうか。鼻すじのよく通った精悍な顔つきで、ダークブラウンの前髪が額にパラリ、とかかって、ぞくぞくするほどセクシーである。それにまた深いアクアマリンの瞳が、まるで高価な宝石のように輝き、じっとそれに見つめられていると、全身に震えが走って、うずくまりたくなる衝動にかられる。
身長は、のっぽ連中の中にあって、さらに高い。百九十センチを軽く越す。少しやせた印象を与えるが、そのキビキビとした動きから、それがひきしまった筋肉のせいだということがすぐにわかる。
男は純白の歯をほのかに見せて、甘く微笑んだ。
あっ、もうだめ! 足が地につかない。いっちゃう!
男は、低い、男性的な、それでいて柔い声で言った。
「そんな恰好で寒くないかい?」
一発で我に返った。えーい、いらんお世話じゃあ。ひとがいい気分でいるときにぶち壊しを言いやがってからに。どだい、うっさいんだよ。素肌が露出してるように見えるところも生地の上も、透明の極薄強化ポリマーで覆われていて完全に保護されてるんだ。WWWAの付属研究所が開発した素材で、ある程度の耐熱防弾機能も備えてるんだぞ。てめェみたいな田舎ハンサムに、わかってたまるか!
あたしは一気にそれだけ心の中でまくしたて、男をキッと睨みすえた。ユリも反応は同じだったらしい。やはり親の敵でも見るような目つきになっている。
男はそれでまずいことを言ったと気づいたらしく、少しうろたえて、また口を開いた。
「や、どうも失礼。ところで、お嬢さん方は、WWWAのトラブル・コンサルタントじゃありませんか?」
そう! 最初からそう言えばよかったのだ。あたしはかすかに表情をやわらげ、答えた。
「そおよォ。あなたたちはグラバース財団のほうから?」
「いえ――」
ハンサムはゆっくりとかぶりを振った。どこまでもキザなポーズだ。ちっと鼻についてきた。男は口の端でニヤリと笑った。また、いやな予感が背筋を走る。
「わたしの名はベイリーフ」男は意味ありげにニヤついたまま、一語一語くぎるように言った。「ダングル中央警察の警部です」
ひぇ!
あたしは声にならない叫びをあげた。一瞬だが、全身が硬直する。何がウマが合わないといって、あたしたちと地元警察くらいウマが合わない組合せも珍しい。あたしはいつもながら予感が的中したのを四方八方に呪った。
「犯罪トラコンのケイとユリ。――いや、ここは手っとり早く、ダーティペアと呼ぼう」
あたしたちが呆気にとられているのをいいことにベイリーフ警部はカサにかかって、言を続けた。畜生、手っとり早く呼ぶんなら、ラブリーエンゼルっていう正規のコードネームがあるんだぞ。
「ダーティペア!」ベイリーフ警部の声が、一段と鋭くなった。「おれたちがきょう、この宇宙港に出向いたのは、きさまらを追い返すためだった。
きさまらが依頼を受けたグラバース重工業の爆発炎上事件は、おれが担当し、事故と断定したものだ。むろん調査は徹底的にやった。事故は、その上での結論だ。どう見ても疑う余地はない。
それをグラバース財団の阿呆は、何をトチ狂ったか、WWWAに再調査を依頼した。しかも、しかもだ! そのために派遣されてくるのが、あのダーティペアときた。
これが我慢できるか?
ささいとはチト言いがたいが、それでも間違いのない事故だ。それを厄病神につっつかれ、いじくられ、でっちあげられ、騒動をおこされ、治安を乱され、殺人を誘発され、都市を破壊され、国土を汚され――」
「お黙りっ!」
ついにあたしは怒鳴って、相手のセリフをムリヤリさえぎった。ほっておくと、このベイリーフという警部、衆人の前で際限なく悪口を連ねていく。
「おとなしく聞いてりゃ、男のくせにベラベラと。――いったいあたしたちがいつ、そんなマネをしたっていうのよ!」
「知れたこと!」ベイリーフ警部はせせら笑って、指を折り始めた。「惑星オリアスのゲポロ城事件、テビアスのキタローク男爵殺し、ケルバットの幼児誘拐、ガイドルの……」
あかん。あたしは頭を抱えた。敵はこっちを研究しつくしている。なまなかなことでは撃破できない。――しかし、ここでめげて帰ったんでは、あたしたちはWWWAをクビになってしまう。ここはひとつ、ガツンとかまさねばだめだ。
「あにサ……」あたしは平静を装って、さり気なく言った。「それみんな、事故じゃなく事件《ヽヽ》で、おまけにあたしたちが、ちゃんと解決をつけたやつばっかりじゃない」
「ちゃんと解決だと!」ベイリーフ警部は歯がみし、唸るように言った。「よう吹いたわ! どれもこれも血と破壊の見本市だぞ。それを|ちゃんと解決《ヽヽヽヽヽヽ》などとは片腹痛い。いいか、惑星オリアスに至っては、あのあと住む者もなく、今やゴースト・プラネットと化してしまったのだぞ!」
ひえ!
また、声にならない叫びがでた。オリアスはあたしも派手にやりすぎたと思ったのだが、まさかそんなになってるなどとは予想だにしていなかった。――が、まだまだその程度ではめげておられない。
「だから、なんだっちゅうねん!」あたしはヤケクンで反撃した。若いうまそーな坊やが驚いてこっちを振り返っている。ええい、また男が寄りつかなくなる。「どれも、なるべくしてなった解決よ! あたしらの責任でそうなったわけじゃないでしょっ!」
「ほー……」
ベイリーフ警部は顎をあげ、目を細めてあたしたちを見下した。あからさまな軽蔑の態度である。
「すると、このクルトミ宇宙港の真上で空中戦《ドンパチ》をやらかして何の罪もない五十五人の一般市民の命ごと〈ガラパゴス〉を巻きぞえにしたのも、あたしらの責任でそうなったのではない、と主張するんだな」
ぐさっ!
音をたててベイリーフ警部の言葉がわたしの胸に突きささった。くっそゥ、ひとが今、一番気にかけていることを利用しやがって……。
「まあ、どう主張しようとも絶大な権限を持つWWWAのトラコンだ。それはよかろう」絶句するあたしたちを尻目に、ベイリーフ警部は勝ち誇ったように続けた。「しかし、この後始末だけはつけてもらわねばならん。そうだろう。でなければ、死んだ五十五人が浮かばれん」
「それァ、あたしもそう思っているわ……」
あたしは感傷的になっていたので、ついうっかりとベイリーフ警部に同意してしまった。だが、それは警部の罠だった。警部のいう後始末とは、あたしの考えていたものとはまったく異っていたのだ。
「賛同に感謝する」ベイリーフ警部は口もとに陰険な笑みをたたえた。「それでは、今から本庁にきてもらい――そうさな、四十日ばかりも泊まって、事情聴取につき合ってもらおうか」
「えーっ!」
あたしは仰天した。そんなべらぼうな話はない。
「何を驚いている」冷酷な表情でベイリーフ警部は言った。「きさまは、後始末をつけることを了承したのではなかったか?」
「ちゃうわよォ!」あたしは必死で喚いた。「あたしの後始末は、そんな意味じゃないわ!」
「ほー……」また軽蔑目。「では、WWWAのトラコンには死を悼む、ひとの心がないと言うのだな」
「よっくもそんなこと……」ベイリーフ警部の言種に、あたしは逆上した。「じゃ、言わしてもらうけどねェ、あたしたちが、正体不明の円盤機に襲われてる間、あんたたち警察は、いったい、何してたの? 指くわえて、あれよあれよと見てたの? それともあたしたちが何か失敗をしでかさないかと、期待して見物してたの? どうなのよ? ダングルじゃ、自分とこの領空でドンパチしてても警察は出動しないことになってんの?」
「なんだとォ……」
ベイリーフ警部の顔色が真っ赤になり、次に蒼白になり、そしてドス黒くなった。
「おれたちは、筋を通してきさまらに失せてもらおうと、ここで待っていた。そこへ〈ガラバブス〉の大惨事だ。これだけでもおれたちは堪忍袋の緒が切れかかったのに、さらにその上の侮辱だ。
――よかろう!
こうなったらWWWAも銀河連合もない。徹底的にやるまでだ」
「ふんっ! やれるもんなら、やってごらん!」
「ぬおーっ……!」
あたしとベイリーフ警部は、火花を散らして睨み合った。一触即発、大抗争は目前だ。もう口ではすまないところまできた。
――と、そのときだった。
「な、何をしてるんですかっ!」
一人の男が泡を食ってロビーに飛びこんできた。背は低いが五十五、六の、なかなか貫禄のある重役タイプのおっさんだ。
「ちっ!」
それを見て、ベイリーフ警部が舌打ちした。
「どうもやけに検問が多いので、もしやと思っていたら、この有り様だ。警部、これはいったい何ごとですか?」
おっさんはベイリーフ警部に向かって、早口でまくしたてた。
「メルトナンさん、見てのとおりですよ」ベイリーフ警部は、いまいましげに言った。おっさんは、あたしたちの依頼主、グラバース財団のメルトナン専務理事だった。「宇宙船の大惨事がありましてね、重要参考人に任意出頭をお願いしてたところです」
「ものは言いようですな」メルトナンはぴしゃりと言った。「しかし、それはグラバース財団の名で拒否します。このお二人はグラバース財団が招いたのだ」
「メルトナンさん」ベイリーフ警部は硬い声で応じた。「たしかにグラバース財団は、ダングルを半ば支配している。しかし、そうであっても、中央警察を敵に回すのは得策じゃないと思いますよ」
「なんとでも言いたまえ」メルトナンはにべもなかった。「正当な権利のもとに、わたしはこのお二人を連れていく」
「そうですか!」メルトナンの強い態度に、ベイリーフ警部は折れた。「ならば勝手になさるがいい」
そして二十人の部下をひきつれ、その場を渋々ながら、立ち去っていった。
「さて……」
メルトナンは、あたしたちに向き直った。みごとなハゲ頭が汗で|てらてら《ヽヽヽヽ》と光っている。メルトナンは言い争いの名残りの早口で言った。
「遅れて申し訳ありませんでした。すぐにグラバース重工業の本部に行きましょう」
あたしたちは、宇宙港ビルの外で待っていた黒塗りの|大型エアカー《リムジン》に乗せられた。リムジンは発進し、ハイウェイを一路、南へと向かった。
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3 休暇なんて、あにサ!
「だいたい、ユリは鈍いのよ!」
気を必死に取り直して、あたしはののしった。ユリはといえば、どうだろう、絵に描いたようなキョトンとした表情《かお》をして、こっちを見ている。かまととめ!
「あんたはねェ――」あたしはさらに言ってやった。「いつでも、そうやって知らんぷりをするんだからァ!」
「だってェ……」ユリはシートの上で、身をよじった。「ケイひとりでさっさと警察とやり合うんだもん。あたしの出る幕、ないじゃない」
「ぐ――!」
あたしは絶句した。言い返してやりたいことは山ほどあった。――なに言ってンのよ。あんたが黙ってボケッとしてるから、あたしがひとりで、あたしたちの名誉を守ったンじゃない。それをなにサ、よりもまあぬけぬけと……。フンフン、ペッペッペッ!
しかし、ユリがいったんああいった態度をとったら、何を言っても無駄なのだ。のらりくらりと逃げられて、結局とぼけきってしまう。あたしはユリにヒスるのを断念して、矛先を前の助手席に坐る、メルトナンに移した。
「ねえ、メルトナンさん……」あたしはまず、穏やかに、なまめかしく迫った。「あなた、ずいぶんごゆっくりと、宇宙港にこられましたわねェ?」
「は、はあ……」メルトナンはシートの背もたれごしに振り返った。その表情には、ありありと困惑がある。「ロビーでも言いましたように、警察がハイウェイのそこかしこで検問をしていたのです。それも一台一台念入りにチェックするやつを――」
「はーん、警察が妨害したっていうのね」
「わたしが目あてかどうかは知りませんが、不審に思って社の連中に確かめさせたら、わたしが通過すると同時に、それぞれの検問は解散していたそうです」
「あからさまねェ……」あたしは眉をひそめた。「あなたが到着する前にあたしたちをつかまえて、追い返すかどうかしようと企んでいたんだわ」
「警察は、グラバース財団が今度の事件をWWWAに提訴したと知って、ひどく立腹していました。さらにはダーティ……いや、ラブリーエンゼルがくると聞いて、あからさまに圧力をかけてきました」
「へえ……」
「しかし、われわれも天下のグラバーズ財団です。とくにダングルは、グラバース重工業がその本部を設置したことで、開発、発展してきた惑星です。ダングル行政府に対する発言力は、絶大なものがあります。たかが警察の圧力、あっさりとはね返してやりました」
「それで、強制的手段に訴えたってわけね――」あたしは小さくうなずき、そしてすぐに訊いた。
「でも、なんだってそんなにあたしたちを毛嫌いしてるの? まさか警察が今度の件にからんでるっていうんじゃないでしょうね?」
「それは、ありますまい」メルトナンは、すかさずキッパリと言った。「激しやすいのが玉にキズですが、ベイリーフ警部は有能で公正な警察官です。かれがでてきている以上、裏はないと思われます。それに――」
「それに?」
「グラバース財団に付属している調査機関の報告でも警察はシロと判定されています」
「調査機関!」
メルトナンの言葉に、あたしは思わず大声で叫んだ。ユリがまた、ざーとらしく耳を覆う。何でもやりな。
「どうかされましたか?」
とまどって、メルトナンが尋ねた。
「調査機関よ――!」あたしは言った。「グラバース財団ほどの大資本組織ともなれば、いろんな意味での調査機関の十や二十は抱えているわよね? 現にいま、あなたもその報告のことを口にしたわ」
「それは、もちろんそうです」
メルトナンは首を傾げながらも肯定した。
「そこでひとつ伺いたいんだけど、巷の噂によると、グラバース財団の調査機関の情報収集能力は、連合宇宙軍情報部第二課のそれを軽く凌駕しているっていうの――それ、ホントかしら」
「絶対とは言いきれませんが、まず事実ですね」メルトナンは、いとも無造作に認めた。「ことに経済の分野では優秀です」
「すると、それだけの調査機関が動いた上で、さらにWWWAに提訴した、その真意はどこいらにあるの?」
WWWAへの提訴は、各国政府からだされるケースが圧倒的に多い。図式にすると、
事件発生――警察の出動――手に負えない――政府に報告――WWWAに提訴
と、なる。
しかし、中にはこういう形をとらないで、民間から直接、提訴される場合もある。たとえば、警察が一応の決着をつけてしまい、通報者がそれを不満としているときだ。今回グラバース財団がとった措置がそうである。
「真意というと大げさですが……」メルトナンはおもむろに答えた。「提訴した最大の理由は、警察の結論と、わたしどもの調査機関の最終報告の内容とが、食い違っていたからです」
「警察の結論は事故。――じゃあ、そちらの結論は?」
「原因不明です」
「え……?」
あたしは虚をつかれて、くるっと目を丸くした。メルトナンはそれを気にせず、言葉を継いだ。
「調査機関は、事故、内部のものによる犯罪、外部のものによる犯罪。――この三点の見地から捜査を進め、一か月かかっても、ついにこの事件の原因を、そのどれとも特定することができなかったのです。ところが警察はどうでしょう。わずか二週間の検証で、これを事故と断定しました。われわれはこのギャップに疑念を持ち、WWWAに提訴したのです」
「なるほどねェ」
筋ははっきりと通っている。あたしは納得した。
「われわれの疑念に根拠があることは――」メルトナンはさらにつけ加えた。「WWWAがこの提訴を認めたことで、証明されたんじゃ、ありませんか?」
これもメルトナンの言うとおりだった。
民間提訴の場合、WWWAはすぐにトラコンを派遣したりはしないのだ。
まず、提訴者および警察の双方から、事件に関係したすべてのデータを提出させ、それを銀河連合の中央コンピュータにインブットする。そして、警察のだした結論に、針の先ほどの矛盾でもあろうものなら、それがどんなにささいな事件であっても、トラコンを現地に派遣するのである。
あたしたちがダングルに派遣されたということは、とりも直さず、この事件は単純な事故ではないと、物語っているようなものだった。そして、この判定により、捜査にミスがあったと、警察は痛い烙印を押されるのだ。地元警察とあたしたちのウマが合わないのは、このせいである。だが、それにしてもベイリーフ警部の、あたしたちに対する憎悪は、あまりにも極端であった。
「しかし、いろいろと質問されましたが……」あたしとの会話がふっと跡切れたので、間をつなぐためか、メルトナンは紳士らしく控えめに訊いた。「いまわたしがお答えしたような事情は、あなたがたにはまったく伝わってなかったのですか?」
「そこよ!」
それまで、まったく沈黙していたユリが、いきなり大声で言った。あきれたことに、身まで乗りだしている。あたしとメルトナンはギョッとなってユリを見た。
「そこ、なのよ!」ユリは続けた。「あたしたちは、そんな余裕もない有り様でひっぱりだされたのよ!」
そこまで聞いて、ユリの言いたいことがわかった。それはもちろん、あたしの言いたいことでもあった。
中央コンピュータがあたしたちを呼集したのは、あたしたちがF級待機状態《クラススタンバイ》――つまり、休暇をとっていたときだったのだ。
あたしたちは惑星ヴァニールの、サノバビーチにいた。
ヴァニールは銀河系に名高い、海洋リゾート惑星である。サノバビーチはそのヴァニールの赤道一帯に広がるサヴッレア大陸の西海岸にあって、一キロに及ぶ遠浅と純白の星砂を敷きつめた砂浜が売り物の海水浴場であった。
澄みきった水、おだやかな波、爽やかな風、刺激的な強い陽射し。――そんな環境の中でF級特機状態《クラススタンバイ》を過しているあたしたちに、緊急呼集がかかったのである。これはどうなるか? むろん修羅場である。とても十や二十の悪態ではおさまらない。
ところが、今回に限っては、事情が違った。なにしろ、こんどのF級待機状態《クラススタンバイ》ときたら、ロクなことがなかったのだ。ユリは足がつって溺れかけるし、あたしはハイドロジェットボートにひかれそうになるし、いい男と思って声をかければホモだし……。一言でいえば、『最悪』の休暇であった。
そこへ本部から緊急呼集がきた。
やることもなくふてくされ、トップレスで砂浜にひっくりかえっていたあたしたちは、これを天の助けとばかりにヴァニールを飛び出し、本部の指示するまま、あわただしくダングルにやってきたのだった。
しかし、とはいえ、この呼集はまったく異例のことであった。たまたまあたしたちは最低の状況にあったから応じたのだが、これは規約でいう拒否し得る任務≠ノ相当していた。あたしたちが行きたくないと思えば、ペナルティなしに断ることができたのだ。
WWWAはトラコンの派遣を決定すると、その事件の性質と内容を詳細に検討して、A、B、C級《クラス》のいずれかの待機状態《スタンバイ》にあるものの中から、最適任と推定されるトラコンを選定する。D、E、F級の方は最初からチェックしない。まず何よりもローテーションが優先されるのである。
一口に犯罪トラコンといっても、内容は多岐を極めている。当然、人によって向き、不向きがあるだろう。そこで何千人といるトラコンは、その能力、性格を細かく分類され、似たような傾向を持ったもののグループにリスト・アップされている。スケジュールはその範囲内で決められるのだ。
もちろん、そのやり方だと、ある事件に対して、適性で次善、あるいは三善のものが派遣されることがある。――いや、どちらかといえば、そういったケースの方が多いのではないだろうか。が、それはほとんどの場合、推定誤差の中に含まれてしまう程度の差にすぎないのだ。また、たとえそうでなくとも、D級、F級の、前の任務を終えて百時間も経っていないトラコンを派遣するよりは、たっぷり休養をとって鋭気を養ったものをおくった方が良い結果をうむとみなされていた。
だが、にもかかわらず、あたしたちはF級待機状態《クラススタンバイ》にあって、呼集されたのである。
理由はひとつしかない。この事件を解決しうるのはあたしたちだけだと中央コンピュータが判断したからだ。しかも、早急な着手が必要とされていた。
あたしたちはロクすっぽ資料に目を通す時間も与えられずに、〈ラブリーエンゼル〉を駆って、惑星ダングルへと急いだのだった。
――いつの間にか、エアカーの車内は静謐に満ちていた。
せいいっぱい喚き散らしていたあたしも今は口を閉じ、窓外を流れるダングルの風景に目をやっている。
一面、緑の草原。そしてその中をうねうねとどこまでも続く、白いハイウェイの線。単調で変わりばえのしない景色だ。
ふっと、前方右手に何やら銀色に輝くものが見えてきた。多角形の塔屋《タワー》である。そして、それに続いてさまざまなかたちの建物が、いちどきにせり上がってきた。
「あれです」メルトナンが、指さして言った。「あれが、グラバース重工業の本部です」
四十八階、つまり最上階にある理事専用の応接室に通された。
最初に視野にはいった、あの多角形の高層ビルである。メルトナンの話によると、断面は正四十八角形なのだそうだ。四十八角形で四十八階建て、つまらん一致をさせたものである。
最高級の応接室ということで、期待してドアをくぐった。しかし、中は意外にシンプルな造りであった。壮麗なロココ調あたりを期待していたのだが、拍子抜けである。広さもさほどではない。トータルカラーは、渋みのあるグレーっぽい銀色。
茶の革で縁どりされた直線的なデザインのソファを勧められた。ユリと並んで、遠慮なく腰をおろす。絨毯の毛足が長く、一足ごとにからだがストンと沈んで、気分が悪かった。メルトナンは、あたしの真向かいに坐った。ほかには誰もいない。
「これから、何が始まるの?」
あたしは訊いた。
「事件の概略を説明します」メルトナンは、はげ頭をツルリとなでた。「――研究所の統括責任者であるテッペウス博士も、おっつけくるでしょう」
言いながら、メルトナンはテーブルの端に並ぶスイッチキーをいくつか押した。テーブルの中央がゆっくりと開き、そこからさまざまな飲み物が現われる。どうやら装飾や風格よりも、ここは機能を重視しているらしい。
「何にされますか?」
あたしはミルクティにした。ユリはホットチョコレート。太るぞ!
「事件がおこったのは、標準暦でおよそひと月前。ダングルの暦で五十二日前のことです……」
あたしたちが一息つくのを待って、メルトナンは話を始めた。テッペウス博士は、まだこない。
「時刻も正確に記録されています。――〇四:〇二です。まだ、夜明けにはいくらかある頃でした。
何がおきたかは、もう報告書で読まれたことと思います。このビルの東三キロにある、A−二四研究所が爆発、炎上したのです。
凄まじい爆発でした。A−二四研究所は敷地二百四十万平方メートルの中で、つごう七つの建物にわかれていましたが、そのすべてが連鎖爆発と火炎で失われてしまったのです。
――各建物の設備と、主たる研究内容は、あまりにも複雑ですから、いまは省きます。のちほど報告書の方を見て下さい。ただ、これは警察にも念入りに訊かれたことですが、あれだけの爆発を誘引する何かが――化学物質でも装置でも――A−二四研究所に存在したのか、という点については話しておきましょう。
それは、ありました。
ですから、この件は、不自然な爆発ではない、とまではいいませんが、決してありえない爆発ではなかったのです」
「そこで、事故説、犯罪説の両観点から、調査をしたってわけね」
あたしは言った。
「そうです」メルトナンは肯定し、コーヒーを一口すすって、また言葉を続けた。「しかし、その前に、もうひとつ論議を呼んだことがあります。
この事件の犠牲者です。
検証の結果、現場からアンガロン博士の遺骸――と、いうか、肉片が発見されたのです。細胞培養《クローンニング》でそれはたしかにアンガロン博士のものと鑑定され、この事件にはひとりの死者があったことが確認されました」
「たしかにおかしいわね」あたしは小さくうなずいた。「これだけの大爆発で、死者がたったひとりだったなんて……」
「いや――」メルトナンは、右手を軽く振った。「ひとりでもいたから、論議の的になったのです」
「え?」
「研究所は、一九:〇〇以降、完全に閉鎖されます。保安管理や労働協定など、いろいろな理由がありますが、それはさておいて、閉鎖されたのちは〇七:〇〇まで十二時間、ただのひとりも残ることは許されませんし、また来所してゲートをくぐることも不可能です。
しかも、さらに不可解なことに、アンガロン博士はA−二四研究所に属する研究員ではないのです」
「じゃあ、どこの……?」
「A−二四研究所から南へ八キロ離れた、A−一八研究所の所長です」
「はーん……」
あたしは唸った。なるほど問題になるわけである。あたしは訊いた。
「それで、なぜアンガロン博士がそんな時刻、関係もないのにA−二四研究所にいたのかは、わかったのかしら?」
「関係がなかったわけではありません」メルトナンは、やんわりとあたしの発言を訂正した。「最近、ある種の実験に関して、A−二四とA−一八は相互交流を開始していたのだそうです。
――これは、もうすぐこちらへくることになっている本研究所の統括責任者であり、かつ、A−二四研究所の所長でもあるテッペウス博士の証言ですがね。アンガロン博士はこの実験に大変な熱意を示していて、それであえて規則を破ってA−二四に残り、事故に巻き込まれたのではないかと言われているのです」
「テッペウス博士は、事故説なの?」
あたしは、それがなぜか、ずいぶん意外なことに思われた。
「テッペウス博士は、終始、事故と見ておられました」メルトナンは淡々と言った。「警察が事故と断定したのも、それがあったからでしょう」
「でも、おっかしいわァ」ユリが横から口をはさんだ。「状況の方は、そんなにあっさりと割りきれるように見えないわよ」
「なにしろ現場検証の陣頭指揮をとられた上での見解でしたからね……」メルトナンはコーヒーカップを干した。「しかし、うちの調査機関が、それを納得しなかったのはたしかです。理由はまあ何やらあったんでしょうが、やはり何といっても、アンガロン博士の行動が尋常ではなさすぎたのです」
「と、いうと、ほかにも?」
「身の回りのものが、ほとんど処分されていました。
遺品として見つかったのは、愛用のコートとカバン、それに熱心なクリスチャンでしたから聖書が一冊――それだけです。あとは何もありませんでした」
「ヘンなンだわァ!」
「まあ、とにかくそういったいきさつがあって、わたしどもはWWWAへの提訴に踏みきったのです」メルトナンは、わずかに身を乗りだした。「あとはあなたがたが直接、見聞きして真相を導きだして下さい。そのためにも、テッペウス博士を呼んだのですし……」
そこまで言ったときだった。軽やかな電子音が流れた。
「お――」メルトナンはドアを見やった。「いらしたようです」
またスイッチキーを押した。
ドアがすっと開いた。
長身で、いかつい顔をした鷲鼻の男が、つかつかとはいってきた。年齢は見たところ五十四、五歳。総銀髪で、眼光炯炯。頬がそげていて、おっそろしく、怖い表情をしている。
メルトナンが立って、これを迎えた。
テッペウス博士は、あたしたちの前にきた。しばし睥睨する。そして、おもむろに口を開いた。
「こんな露出狂の小娘に何を話せというのだ!」
それが、テッペウス博士の第一声だった。
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4 馬鹿にしないで、これでも超能力よ!
あたしたちはカーテンを開け、窓から外を見ていた。
四十八階からは、本部ビルを取り巻いて存在する各研究所が、ほとんど一望のもとである。大部分は芝生か森になっており、研究所の建物はその中に点在しているのだった。
A−二四研究所はすぐにわかった。そこだけが、ひと月後のいまになっても、真っ黒に炭化したままで、しかも残骸が片付けられもせず、山になっていたからだ。
テッペウス博士は十分ほど言いたい放題、喚くと、実験の途中と称して、すぐに去った。えらい偏屈な人物ではある。メルトナンがかえってオロオロしてあたしたちに謝ったが、テッペウス博士の発言内容はあれは事故だ≠ニこんな小娘≠フ一点――いや、二点張りだったので、あたしたちは特に気にしてもいなかった。
「メルトナンさん……」
振り返り、ふっとあたしは言った。
「は――?」
またソファに坐りこんでいたメルトナンは、あわてて立ち上がった。
「A−二四研究所を見に行くから、案内してちょうだい」
「?」
「そろそろ、なんかでてきそうなのよ!」
あたしはウインクしてみせた。
「あ、いや……」メルトナンは少し赤くなった。「それでしたら、すぐにまいりましょう」
あたしたちは本部ビルを出て、こんどはずっと小型のエアカーに乗った。運転はメルトナン自身である。どうやら、理事という重職にありながら、メルトナンは一切、部下を使う気はないようだ。そういえばリムジンのときも運転手は人間でなく、アンドロイドだった。グラバース財団の幹部は、この事件を相当に深刻なものと考えているのだろう。
さほどの時間もかからず、A−二四研究所のあった、黒焦げ地帯に着いた。エアカーからは、さっさと降りる。
それは、無惨としか言いようのない光景だった。
なまじ広大な土地だけに、見渡す限り一面が焦土と化したように見えるのだ。そして廃墟となった建物の瓦礫が、ポツポツとあるのも、さらにその感を強くさせる。
「ひっどいわねェ……」
ユリが絞り出すように言った。あたしも口にだしたら、そうとしか言えない。
「これでも被害は最小限に押えたんですよ」
メルトナンが説明した。
各研究所は、こういった大規模な事故を想定して、それぞれ必要以上に広い敷地をその周囲に与えられている。敷地はさらに、挙動不審者や産業スパイの侵入防止を兼ねた高さ二十メートルの防火フェンスによって囲まれており、有事の際には少なくとも、この区画以上の類焼は免がれるようにできていた。今度の事件も、横なぐりの凄まじい爆風でフェンスは倒れこそしたが、所期の目的だけは、確実に遂げていたのである。
「で、どうします?」
メルトナンは訊いた。
「なにが?」
「研究所は、この焼け野原の中央です。――そこまで行くんですか?」
「もちろんよ」あたしは何をいまさらとばかりに、あっさりと答えた。「でないとキッカケが得られないわ」
「キッカケ?」
メルトナンには、あたしの言った意味がわからないようだった。それは、そうだろう。しかし、いちいち話す気にはなれない。どうせ、そのときになれば理解できる。
またエアカーに乗った。
「爆心地へ行きますか?」
「アンガロン博士は、どこで死んだの?」
「肉片が発見されたのは、爆心地と特定されたパブロッサ記念研究所です」
「じゃ、そこやって」
エアカーは、黒く焼けただれた地帯に進入した。灰をまきあげるのでは、と予想していたが違った。もう一と月も経っているのだ。固まってしまっている。メルトナンの言うには、グラバース重工業がその気になれば、標準暦の十日でこれだけの面積を、旧に復することができるのだそうだ。それをしなかったのは、かかって原因究明のためである。聞いて、あたしたちの責任がいよいよ重くなったような気がした。うっとうしいわァ。
パブロッサ記念研究所のあった場所というのは、要するに直径五百メートル以上のクレーターだった。
「すご……!」
目のあたりにして、ユリともども息を呑んだ。
「こんなとこで、よく肉片が見つかったわねェ」
「警察にはできませんでした。発見したのは、うちの調査機関です」
メルトナンは、どことなく自慢気に言った。このおっさん、まともなようでいて、そんなとこがかわゆい。
「ユリ、おいで」
あたしはユリを呼んだ。二人で手をつなぐ。別に散歩をするためではない。先ほどから熱っぽい感覚が、しきりに背筋を走っている。だから、つないだのだ。それは、いよいよ|あれ《ヽヽ》が始まるというときの予兆である。
「クレーターの中央に行った方が良さそうね」
ユリが言った。あたしは黙ってうなずき、歩き出した。メルトナンが怪訝そうな表情《かお》で、こっちを見ている。心配するなというつもりで、手を振ってやった。
五分ほどで中央に達した。すり鉢状に周囲はせりあがっている。その上は、抜けるような青空だ。
熱っぽさが全身を覆い始めた。
あたしとユリは立ったまま向かい合い、両の掌をピタリと合わせた。目を静かに閉じる。ゆっくりとバンザイするように両腕が宙空に伸べられていった。いつもながら、何かに操られているような気分だ。両掌は、離れない。
目の奥が光った。
真っ白な閃光である。そして、めくるめく浮遊惑。それに続く痺れるようなエクスタシー。すべてが純白になった。
映像が出現した。
無垢のキャンバスに絵が描かれるようにそれは現われた。そのかたちは――。
ふっと消えた。
意識にみるみる色彩が戻る。同時に湛えがたい虚脱状態が襲ってきた。腰がへなへなと崩れそうになる。これは訓練でものにした意志力で持ちこたえた。じわじわと力が回復する。
目を開いた。一瞬、くらっとめまいがする。が、すぐに失せた。
――もう、すべてはもとのままになっていた。
あたしたちが、WWWAにスカウトされた理由は、この能力にあった。何の能力もないと思っていたあたしたちには、実はすばらしい能力が隠されていたのである。
千里眼《クレアボワイヤンス》。――その能力は、超心理学《パラサイコロジー》ではそう呼ばれていた。
はじめてこの体験をしたのは、大学二年のときだった。多くのエスパーたちがそうであったように、あたしたちの力の発現もまた、偶然の所産であった。
友人の宝石が、キャンパスで紛失したのである。珍しいことではなかった。よくある話だ。ただし、その宝石が、百二十カラットのプラズマストーンだったことを除けば、である。
当然、大騒ぎになった。なぜ、そんな高価なものを大学に持ってきていたのか、むろん理由はあったが、長くなるので省く。とにかく、持ってきて、失くなったのだ。警察が出動し、キャンバス内の大捜索がおこなわれた。
そのさ中、あたしたちは、寮の自室でトランス状態に陥った。たまたま手をつないだときだった。
よぎるように、映像を見た。
それは、赤い鳥の映像だった。いうまでもなく、何のことだかさっぱりわからなかった。――いや、それ以前に、あたしたちには何がおきたのかすら、わかっていなかったのである。
宝石は盗難にあっていたものと判明した。犯人は、すぐに捕まった。なんと同級の女子学生であった。連行される彼女を見てあたしたちはショックを受けたが、それよりももっとショックだったのは、彼女の髪に赤い鳥の髪飾りがとまっていることを知ったときだった。――その烏は、たしかにあたしたちがトランス状態で見たそれだったのだ。
しかし、この話を聞いた仲間たちは、誰一人としてこれを信じようとしなかった。あたしたちはくやしい思いをしたが、事後の話とあっては、いかんともしがたい。逆の立場だったら、あたしたちも信じなかったろう。それほどこれは、とっぴな出来事であった。
そこであたしとユリは、次に同じ現象を体験したら、必ずや友人知己の間で発表し、名誉を回復しようと誓い合ったのだった。
そして、その機会は意外と早くめぐってきた。
あたしたちの担当教授の事故であった。暴走エアカーにはねられたのだ。宝石事件から二週間後。轢き逃げである。幸い軽傷ですんだが、それだけに手がかりがなく、犯人はなかなか割り出されなかった。
あたしたちは、こういっちゃあ悪いが、好機到来とばかりに自室に閉じ籠った。さっそくこの前と同じように手をつなぎ、トランス状態を待つ。――ところが、いっかなそうはならない。時間ばかりが、ほこほこと過ぎていく。焦れて、あたしたちはどこが先回と違うのか、考えてみた。すぐに思いあたることがあった。こないだは、あたしたちを含めた同級生全員が、容疑者にされて、みんなカリカリきていたのである。憤怒――それが今回は欠けていた。と、いうよりも、むしろ喜び勇んでいたという方が近かった。
そこで、あたしたちは必死で憤り始めた。人間というのはいい加減なもので、あン畜生、あたしたもの先生をよくも、などと叫び合っていると、本当に腹が立ち始めてきた。二十分も続けていたろうか、あたしたちはいつの間にか怒り心頭に発するようになっていた。
そして、トランス状態にはいったのである。
見えた映像は、判然としなかったが、何か人形のようだった。ああだ、こうだと話し合い、つば広の帽子をかぶった、色の黒い少年の人形だと、二人の意見は一致した。あたしたちは、さっそくそれを絵に描きあげた。
翌日。その絵をあたしたちは同級生に見せた。みんなはあまりの稚拙さにゲラゲラと笑ったが、中にひとりだけ表情を強張らせた者がいた。かれはこの人形をコンソールのフックに吊したエアカーを知っていると述べた。全員――なんとあたしたちまで、まさかと驚いたが、調べてみると、それは本当だった。
その日の午後、犯人は逮捕された。
チバン教授はこのことを耳にし、あたしたちを病院に呼んだ。何があったのかをあたしたちは詳しく、チバン教授に語った。教授はこれをコンビュータに記録した。
それがWWWAの情報網につながったのである。
二年後、WWWAのスカウトマンが、あたしたちを訪ねてきた。その後、クレアボワイヤンスを使う機会もなく、あたしたちがそれをすっかり忘れきっていた頃のことであった。
「どうしたんですか?」
だしぬけに声をかけられ、あたしたちはビクッとからだを震わした。振り返ると、メルトナンが心配そうな表情で立っていた。
「何があったんです。いったい?」
重ねて訊かれた。
あたしは、あたしたもの能力のことをざっと説明した。
「二人で一組のエスパーですか……」
メルトナンはあきれたのか、感心したのか、しきりに首を左右に振った。
「WWWAではずいぶん厳しい訓練を受けたんだけど――」あたしは声を落として、つけ加えた。「二人がかりでも、千里眼どころか、百里眼……ううん、一里眼くらいにしかならないの」
「なんですか、それは……?」
「ヒントの断片しか、でてこないのよ。もっと具体的な映像が浮かべばいいんだけど、そうはならなくって――」
「はあ、なるほどねェ」メルトナンは、あいまいに笑った。「――で、いまはどんな映像を見たんですか?」
「それよ!」あたしの声のボリュームがあがった。「ユリ、あれなんだと思う?」
「あれねェ……」ユリは小首を傾げた。「あれ、バツ印かしら」
「まさか」あたしは言った。「一本がちょっと長かったわよ」
「じゃ、十字架だ!」
「十字架ねェ……」こんどはあたしが小首を煩げた。「そういえば、そうだけど……」
「もうひとつ見えたでしょ」
「うん」あたしはうなずいた。「でも、あれはさっぱりわかンない」
「あたしも同じ」ユリも同意した。「ありゃ、見当がつかないわ」
「なんて映像でした?」
好奇心を刺激されたか、メルトナンが口をだした。
「こんなのよ……」
あたしは、炭化した灰の上に図を描いた。それは途中でぶつぶつと何カ所も切断された、ある程度の幅を持つ直線だった。
「うーん……これは……!」
一瞥して、メルトナンは眉根を寄せた。
「心あたりがあるの?」
半信半疑であたしはそんなメルトナンに声をかけた。――と、そのときである。
「ふみっ!」
ユリが叫び声をあげた。
「どうしたのっ?」
「囲まれてるわ!」
ユリはもう身構え、油断なく周囲を見回していた。あたしも、それにならった。クレーターの縁に、ポツポツと人影が見える。おおむね、十人ほどか――。
「何者か、わかる?」
メルトナンに訊いた。
「いえ……」メルトナンはかぶりを振った。「どだい不審な輩が、グラバース重工業の敷地に侵入できるはずはないのです」
「そんなこと、現実の前じゃ、建前にすぎないわ!」
あたしはピシャリと言った。
「それは、そうです」メルトナンはあっさりと認め、ポケットから何やら取りだした。
「これを使って下さい。昨今、テロが横行してるので、わたしも一丁くらいは持ってるのです」
あたしに渡されたのは、大型のレイガンだった。かなり強力なやつである。
「助かるわ。でも、あなたはいいの?」
「どうせ、わたしには使えません」
メルトナンは肩をすくめた。
十人の男たちは身をかがめ、ジリジリとこちらに接近しつつあった。あたしたちは真っ黒けの地面に腹這いになり、相手の様子を伺った。
「連中も、レイガンしか持ってないみたいね」
ユリが言った。
「わりと、せこいわネ。ヘリでも使えば、絵になるのに……」
と、あたし。
「敷地内には、いろんな防御機構が備えてありますから、あまり派手なマネはできんのでしょう」
「ここは、丸焼けでできた穴場ってわけね」
「残念だが、そのようです」
男たちは、百メートルほどまでに近づいていた。もう、はっきりとその姿が見てとれる。全身を真っ黒なスペースジャケットで包み、頭もすっぽりとヘルメット様のもので覆っている。手にはもちろん一人残らずレイガンがある。
「どうします?」
おどおどと訊いたのは、メルトナンだった。
「闘うに決まってるでしょ!」
「でも、敵は大勢ですよ」
「|血まみれ《ブラッディ》カードがあるわ」あたしはユリに顔を向けた。「メルトナンさんに見せてあげて」
「いいわ!」
ユリは右手に持ったブラッディカードをメルトナンに示した.
ブラッディカードは、トランプほどの大きさの、文字どおりカードである。テグノイド鋼でできていて、四辺は鋭いエッヂ状になっている。投げると、これがイオン原理で二時間くらいは楽に飛行し、さらに手もとの送信機で自在に操ることができる。
「なんといっても切れ味が抜群でね」あたしは言った。「厚さ二ミリのKZ合金を、すっぱり切断するわよ」
「はあーっ……」
メルトナンの口からは、ため息のような声しかでない。あたしは言葉を継いだ。
「だから、ついた名前がブラッディカードってわけ。わかった?」
「はあーっ……」
「これと、あなたのレイガンがあれば、十人くらい片付けるのに、五分とかからないはずよ」
「くるわっ!」
ユリが言った。
説明をやめ、まわりに目をやった。十人が一斉にレイガンを突き出して駆けてくる。
「お投げっ!」
あたしが叫ぶと同時に、ユリの手からブラッディカードが飛んだ。
弧を描き、銀色のかすかな尾を引いて、宙空を走る。その速い動きに、相手はまったく気がつかない。
「ぐあっ!」
「げっ!」
魂《たま》消《ぎ》る悲鳴があがった。そして、蒼空をいろどる真っ赤な血の噴出。
たちまち三人が絶命して、転がった。
残りの者の動きが一瞬、凍ったように止まった。――あたしの出番だ。
パッと立ちあがり、レイガンを乱射した。
二人の胸を射抜いた。すぐにまた伏せる。あたしの占めていた空間を、幾条もの光線がむなしく切り裂いた。あと五人。
そのうちの三人が、新たなブラッディカードの餌食になった。たちまちにして、敵勢はたった二人となる。が、最後まで生き伸びただけに、その二人が曲者であった。予想外に素早く動いて、あたしたちの眼前にまできたのだ。
手にしたレイガンから、パパッと光条が走った。あたしとユリは転がって、これをかわした。
「ギャッ!」
メルトナンの声が聞こえた。見ると、すねを抱えて苦悶している。光線が擦過したのだろう。あたしはギリッと歯を鳴らして反撃にでた。まず、一人、撃ち倒す。さらに後転してあとひとり。――だが、そいつはブラッディカードでもう、真っ二つになっていた。
ブラッディカードが、その名のとおり血まみれになって、ユリの手に戻った。
あたしはメルトナンのもとに駆け寄った。戦闘開始から二分四十秒しか経っていなかった。
「おお……神よ。わたしはもうだめです」
メルトナンは大げさなことを言っていた。どう見ても、かすり傷にすぎないのにだ。あたしは苦笑いして顔を覗きこみ、からかってやろうと思って、とつぜんハッとなった。
「メルトナン、あんた……」あたしはかすれた声で言った。「今、なんて言った?」
「もう、だめです……」
「その前だよ!」
「お、おお……神よ……」
「それだ!」
あたしはメルトナンの傷のことなぞすっかり忘れて立ち上がった。
「それだよ、ユリ!」
ユリを呼んだ。
「どしたのよ?」
「十字架だ!」あたしは叫んだ。「あれ、アンガロンの遺品の聖書のことだよ!」
「あ……!」ユリの表情《かお》がバッと輝いた。「そーかァ……」
「それで、わかった」
うしろから、興奮した声が響いた。つい今しがたまで呻いていたメルトナンである。傷のことなんぞ、もうどっかに失せてしまった声だ。
「なにが……?」
あたしは訊いた。
「もうひとつの映像です」メルトナンは言った。「あれはバー・コードです」
「バー・コード?」
「一見ぶつ切りの線ですが、光学的に見ると、信号になっている情報コードですよ」
「そんなものがアンガロン博士の聖書には書いてあるの?」
「いや――」メルトナンは否定した。「ひととおり調べましたが、何もありませんでした」
「じゃあ……」
「しかし、不可視インクのことまでは考慮してないのです。ある種の磁気インク等を使えば、コンピュータにかけない限り、読みとれません」
「すると、可能性があると?」
「あなたがたのクレアボワイヤンスが正確ならば、おそらく――」
「聖書はどこに?」
「本部ビルに保存してあります」
「すぐに、行こう!」
あたしとユリは、メルトナンに肩を貸した。中年ぶとりでメルトナンはクソ重い。ひいひい言って、エアカーに運んだ。
あたしが操縦席に着き、非常識な猛スピードで、本部ビルに飛ばした。途中で二度、森に突っこんだ。
[#改ページ]
5 邪魔をするやつは、チョメッ!
本部ビルの四十八階、例の応接室で、待っていた。
ややあって、あわただしくドアが開き、メルトナンが黒い表紙の聖書をしっかと胸に抱えてドタドタとはいってきた。ドアがまたあわただしく、ピタリと閉じる。
「ここで、やるの?」
ユリが目を丸くした。
「設備が整っている上に、ダンダルでここより安全なところは、ほかにありませんからね」
メルトナンは早口で言った。
「そりゃいいけど、どうすンのよ?」
今度は、あたし。
「まあ、黙って見てて下さい」
メルトナンはテーブルのスイッチキーをポンポンと軽やかに操作した。
グーン、と低い、重々しい音が鳴り響いた。ドキッとして目を右往左往させた。
突きあたりの壁一面が、唸りをあげて床に吸い込まれていくところだった。その向こうは、おびただしい数のメーターとスクリーンと表示ランプで埋めつくされた大コンソールパネルになっている。なるほど、こうなっていたのか。
壁が完全に床の中に消え、パネルの全貌が露わになった。
「さてと……」
メルトナンは聖書を手に、パネルの前に立った。スイッチのひとつを、ひょいと押す。五十センチ四方ほどの面が手前に、エアダンバーでショックを軽減されてすうっと倒れ、そこに口がぱっくりと開いた。
「この中に聖書をいれれば、こっちの希望に応じて分析がなされ、その結果がスクリーンに表示されるという寸法です」
言いながらメルトナンは、まるでダスターシュートにゴミを投げ入れる気楽さで、聖書を開いた口の中へと落とした。と、同時に口が閉まる。
ランプが激しい点滅を繰り返し始めた。メーターのLED表示が行きつ戻りつする。
だしぬけに一番大きい一・五メートル×二メートルのスクリーンに、細かい文字と記号が次々と映し出された。
「うーん……」
唸りながら、メルトナンがそこに視線を走らせた。ときおり、強くうなずく。
「ありましたよ!」弾んだ声で言った。「やはり、磁気インクです。二十四頁の欄外余白でした」
「二十四頁……」あたしはつぶやいた。「A−二四研究所にひっかけてあったのね」
おそらく……と、あたしは思った。アンガロン博士は、このメッセージを読んでもらうために身命を投げうって、A−二四研究所を爆破したのだろう。もちろん、爆破したことには、またそれなりの理由があるはずだが、その究極の目的は、このメッセージを読んでもらう点にあったに違いない。では、それほどのメッセージとは、いったい何か?
あたしは抑えがたい好奇心を必死でなだめて、メルトナンが解読されたメッセージを読みあげるのを待った。
スクリーンに表示される文字を素早く目で追っていたメルトナンの全身が、いきなり硬直した。動きがピタッと止まり、ただ唇だけが、ひどくわなないている。言葉がでない。
やがて、掴み出すように震える声を発した。
「な……なんということだ……」
「早く読んでよ!」
あたしは我慢できず、強くメルトナンを促した。
「ああ……」メルトナンはうつろに言った。「――わたし、アンガロンは、命を捨てて人類のために警告を遺す。いま、グラバース重工業所属の研究員、テッペウス博士の指揮のもと、銀河系の平和をおびやかす恐るべき陰謀が進行しつつある。わたしは脅迫され、これに協力を余儀なくさせられた。わたしはこの罪をあがなうためにも、一死をもって、ここにこのメッセージを記した。神よ、その子に慈悲と力を……。
以上、が全文です――」
メルトナンが読み終えると、部屋の中が、しん、と静まり返った。しばし、三人の間に声がなかった。
「テッペウス!」ややあって、あたしは燃える怒りとともに、言葉を吐き出した。「あンにゃろっ、事故だ、事故だとほざきやがって……!」
「すぐに逮捕しなきゃ」
ユリが言った。そのとおりだ。
パネルの上をメルトナシの手がめまぐるしく走った。左すみの小さなスクリーンに男の顔がはいる。ガードマンの制帽をかぶった男だ。
「保安隊長のテイラーを!」
メルトナンが鋭く言った。一転して、声が硬い。スクリーンの男が変わった。
「テイラーです」
「テッペウス博士はどこにいる」
返答は即座にあった。
「研究員十一名とともに三十分ほど前、シャトルで研究ステーション〈バルカン〉に向かわれました」
「なにっ!」
メルトナンの顔色が変わった。
「逃げたんだわ!」ユリが吟んだ。「あたしたちを襲った連中がやられたのを知って!」
間違いない! と、あたしも思った。
「どういうことでしょうか?」
スクリーンの中のテイラーが、当惑顔で訊いた。
「おって、指示を与える」メルトナンの声音が、さらに厳しいものになっていた。「A級非常態勢にはいってくれ!」
「はっ!」
テイラーの表情に緊張がみなぎって、通話は切れた。
「エアカーを貸して!」
メルトナンの背中ごしに、あたしは言った。
「え?」
メルトナンは振り返った。
「エアカーを貸して! 〈ラブリーエンゼル〉で〈バルカン〉に行くの」
「そんな!」メルトナンは仰天した。「ムチャです!」
「その、ムチャを仕事にしてるのが、WWWAの犯罪トラコンよ」
あたしは、サラリと言ってのけた。
メルトナンは、むーんと唸って、額にしわを寄せた。
「急いで! 時間がないわ!」
「やむを得ませんな……」おもてをあげ、ポケットからキーを取り出した。「しかし、わたしは警察にも出動を要請しますよ。――こうなっては……」
「好きにして!」
キーをひったくるようにして受け取り、あたしとユリはドアに走った。
「もうひとつ言っておきます」うしろからメルトナンの声が追っかけてきた。「エアカーの運転は、さっきよりまともにやって下さいよ!」
それが、いらんお世話なのだ。
追い越しを三度誤り、四台のエアカーをクラッシュさせて、クルトミ宇宙港のゲートに滑りこんだ。不思議にあたしたちのエアカーは無傷だった。これならメルトナンも文句を言うまい。
ロビーを走り抜け、エレベータの中で駆け足して、〈ラブリーエンゼル〉の待つ離着床に飛び込んだ。もう、とうに陽は落ちて、宇宙港は眩いばかりの人工照明の洪水である。〈ラブリーエンゼル〉も十数条の白色光を四方八方から浴びて、その優美なスカーレットの船体を淡く宙空に浮かびあがらせている。
全長は八十メートルで、最大直径は十八メートル。先の尖った細長い砲弾をさらに引き伸ばして、そのウエストをキュッとくびれさせ、船尾に四基のロケットノズルと、フィンを大二枚小二枚交互につける。――これが大まかに表現した〈ラブリーエンゼル〉のフォルムだ。実際はもちろん、もっと微妙な曲線で形成されている。
船内にはいると、さっそくムギが出迎えた。よほど嬉しいのか、ミギャミギャとあたり構わず跳び弾ねている。半日の留守番、御苦労。しかし、遊びにつき合ってやるヒマは、今はない。無情に押しのけ、操縦室に急いだ。
ユリが主操縦席に、あたしが副操縦席に着き、発進する。〈ラブリーエンゼル〉は大気を唸りをあげて切り裂き、はるかなる虚空の高みへと舞い上がった。
いったん大雑把にダンダルの衛星軌道にのり、次に宇宙港の管制塔から〈バルカン〉に関する数字をもらって、軌道を修正する。通信の際、スクリーンにでたのは、また、あの坊やだったが、今度はからかっている余裕はない。
〈バルカン〉は、直径五百メートル、全長三千メートルの円筒を主軸とした、巨大なT字形ステーションだった。特に研究用ステーションとしては破格の大きさである。最大級の軍事用ステーションと大して変わらないのだ。もし、これが丸ごと敵のものだったとしたら、攻略は連合宇宙軍の大艦隊でも呼ばない限り、不可能であろう。
〈ラブリーエンゼル〉は、三四二〇秒後に〈バルカン〉と交差する軌道をとった。
「ずいぶん厄介な相手だけど、あんた何か勝算があるの?」
いきなり、ユリに訊かれた。実をいうと何もないのだが、ユリにそう答えるのは、あたしの矜持が許さない。
「ひとつあるわ……」あたしはしゃあしゃあと言った。「通信を送って進入許可をとり、ドッキングするの」
「ふえ!」ユリはこれ見よがしに驚いた。「あんた裸で宇宙遊泳してみたら?」
「ほっとけ!」
「本気でやるつもり?」
「本気だよ」
「じゃ、しゃーないね」ユリは肩をすくめた。「めちゃ悪《わる》のアイデアではなし。案外、こんな正攻法がいいのかもしれないわ」
「そお! そう、なのよ!」
内心、うまくいいくるめたと汗をかきながら、あたしは鷹揚にうなずいてみせた。
〈バルカン〉からの返答は、『ドッキング、了解』だった。
意外、といえば意外だし、当然、といえば当然のような気がした。――どっちにしろこんな凄いステーション、外部からどうこうできるわけでなし、いずれにしろ内部にはいらなければ、どうしようもないのである。先様が、いれてやるというのなら、それはそれで結構なことであった。
「要は、どうはいるかよ」
ユリが言った。これは当り前のことである。
「待ち構えてるだろうなァ……」
これも間違いのないところだった。はじめは〈バルカン〉がテッペウス博士の一時のしのぎ場所かも、という可能性もあったが、今となってはそうとは思われない。おそらく〈バルカン〉こそが、アンガロン博士のメッセージにあった『銀河の平和をおびやかす恐るべき陰謀』の本拠地なのだろう。〈バルカン〉ほどの規模のステーションなら、ちょっと手を入れれば、すぐに要塞とすることができる。
「〈バルカン〉まで一千キロ!」
ユリがカウントした。ドッキングまで、もういくばくもない。
「派手にやるしかないわね」あたしは言った。「宇宙服を着た方がいいわ」
あたしたちは、ふだんの服の上に、メタライト合金製の透明宇宙服を着こんだ。薄く伸ばしたメタライト合金は、しなやかだがとても強靭で、しかも軽い。直撃となると厳しいが、ちょいやそいのエネルギー線による攻撃なら、かなりの耐性が期待できる。
武器はヒートガンを用意した。これならば、拡散させることで、多人数を相手にしても充分、闘えるだろう。
〈バルカン〉が、ぐうんと迫った。
しきりにドッキングに関する指示を送ってくる。ユリはもう、操船に必死だ。データ処理は、あたしが一手に引き受けた。
〈バルカン〉の外鈑の一画が割れ、繋留コネクターがゆっくりと伸びてきた。〈バルカン〉と速度《ベクトル》を合致させ、〈ラブリーエンゼル〉のハッチをあのコネクターに接続すれば、ドッキングは完了する。
ユリは何十本とある姿勢制御ノズルを巧みに噴かして、ジリジリと〈ラブリーエンゼル〉を〈バルカン〉に寄せた。メインスクリーンに相対位置がスキャニングによる模式映像で略図になって表示されている。
――あと一メートル……五十センチ……十センチ……一センチ……。
軽いショックが、さざ波のように操縦室の床を走った。そして、それはじきにおさまり、そのあとには耳が痛くなるような静寂が――。
「ふう……」
ユリが大きなため息をついた。
「いよいよね」
あたしは言った。
「行きますか……」
ユリはヘルメットを把り、かぶった。長い黒髪は、白い帽子《キャップ》の中におさめられてしまっている。もちろん、あたしの赤毛もだ。
エレベータで、下に降り、エアロックにはいった。
銀色に鈍く光るハッチの向こう側は、敵地である。あたしたちは、右手に握るヒートガンのチェックをした。エネルギーチューブはたしかに封を切りたての新品だ。
ハッチが、するっと開いた。
文字どおり、大活劇の幕開きだ。――ちら、とそんなことを思った。
ヒートガンを構え、ハッチを飛び出した。繋留コネクターの丸い筒の中を、ぴょんぴょんと銚ねた。繋留コネクターの内壁には、宇宙船やステーションの床のように〇・二Gの人工重力が働いていない。
あっという間にステーション側のハッチに達した。これも、いいタイミングでさっと開く。
〈バルカン〉の中にはいった。
エアロックから通路にでた。油断なく周囲を見回したが人影はまったくない。しかし、監視下にあるのは間違いなかった。でなければ、ハッチやエアロックが、これほどうまく開くはずがないのだ。
壁にピタッとへばりつき、左右に伸びる通路の左に進んだ。めざすは〈バルカン〉の主管制室。クルトミ宇宙港の管制塔を経由してグラバース財団から送ってもらった情報で、〈バルカン〉の構造はすでに熟知している。さすがに主管側室から、もっとも離れた繋留コネクターを指定されたので、道のりはやたらと遠いが、どんなコースを辿っても、迷うことはない。
エアロックから、三十メートルほど離れた。まだ、通路は無人のままである。壁それ自体が発光してる上、通路はまっすぐに続いているので、見通しはとびぬけていい。しかし、直交する通路が無数といっていいほどある。したがって、安心は全然できない。
「あっ!」
だしぬけにヘルメットの通話装置を通して、ユリの叫び声が届いた。あせって振り向くと、通路の隔壁が凄い勢いで閉じるのが見えた。事故の際、被害部分を遮断し、閉鎖する隔壁だ。
「ちいっ!」
舌打ちして向き直ると、前方のそれも降りようとしている。閉じこめる気だ! あたしはヒートガンを構え、トリガーを絞った。
オレンヂ色の熱線がほとばしり、壁を真っ赤に灼いた。その一帯の発光が消え、壁がどろっと溶け出す。そして、コブ状に脹れあがった。
そこへ隔壁が落ちてきた。
異常な振動が通路に響く。
隔壁はコブに激突して止まっていた。
あたしたちは転がるようにして、その下を抜けた。――すぐのところに右へ折れる通路の口がある。一も二もなく、そこにユリともども滑りこんだ。
その通路も、前のそれと似たようなものだった。少し、狭くなったくらいか。壁にからだを密着させ、腰をおとしてうずくまった。ユリも向かいの壁で、同様にしている。
「連中、あたしらを捕まえるつもりだ」
あたしは言った。
「それで。誰もでてこないのね……」
「このままじゃ、いつか追いつめられる。通路を行ってちゃ、だめだ」
「通路でなきゃ、どこを行くのよ?」
ユリは、あたしがアホを言っていると思ったらしい。あたしは無言で、左手前方の壁を指さした。
「あそこが、あによ?」
ぴんとこなかったらしく、ユリは声荒く訊いた。あたしは説明してやった。
「グラバース財団の情報どおりなら、あの壁の中は空洞になってるの。ステーションの骨組み部分よ。そこは複雑にからみあって、〈バルカン〉のどこへでもつながっているわ」
「要するに、あそこに穴をあけて、はいりこもうってわけね」
「当ったり、ドンドン!」
「それ、いいアイデアよ。ヒートガンでぶち抜いてやるわ」
言うなり、ユリはさっさと進み、あたしが示した位置に至ると、無造作にヒートガンを向けて発射した。あたしもすぐにあとを追って、壁を灼いた。
みるみるうちに壁は溶け、二メートルほどの穴になった。
と、そのとき、床を伝わってくる何人もの足音があった。
「くるわよ!」
ユリが言った。
「やばいと見て、あわてたのね」あたしはユリを促した。「先にはいってて。片付けてから行くわ」
「オーケー!」
ユリは穴に飛びこんだ。あたしは穴の前に立ち、通路に敵が現われるのを待った。
ブルーのスペースジャケットを着た屈強な七人の男が、レイガンを片手に、通路の角から勢いよく出できた。あたしはすかさずヒートガンの熱線をそいつらにふりまいた。先頭を切っていた三人が炎に包まれ、のたうちまわって床に倒れた。ざまをみ! あなどるンじゃないよ!
残る四人はうろたえて、また、やってきた通路に戻った。腕だけ突きだし、こちらに向けてレイガンを乱射する。狙いが定まらないのと、メタライト合金の宇宙服のせいで、あたしに被害はない。しかし、このままにしていては、不利になるばかりだ。あたしは穴に身を投じ、溶けて固まった縁に、ひょいとつかまった。敵を誘ったのである。
案の定、敵はこれにのった。あたしたちを小娘と思ってなめてかかっているからだ。
十歩ばかり前に出たところで、あたしは穴から身を乗りだし、ヒートガンで四人を撃った。四人は火だるまになり、壁に弾きとばされて、転がった。オールヒット!
あたしは、くるりとからだをめぐらせ、穴の奥へと進んだ。
穴の内側は、重力がほとんどなかった。かすかにあるのは、通路の人工重力がここまで影響を与えているためだろう。明りも同様である。壁の発光が反対側にも、わずかながら、あるようだった。そのせいで、視界には特に不自由しない。
あたしは骨組みから骨組みへ、反動を利用して宙を飛び、移動した。
「ケイ!」ユリが呼んでいる。「こっちよ!」
通信をたよりに、ユリに追いついた。
「うまく始末したみたいね」
ユリが言う。
「ホッホッ、とーぜんよ」
つい、自慢してしまった。
かなりの時間を費したが、目的とする地点に到達するまで、邪魔はまったくはいらなかった。いささか、あっけない気分である。
「ぜんぜん、追っ手がかからないわねェ……」
ユリも同意見らしい。
「こんなに入り組んでちゃ、ちょっと無理よ。追跡しようにもヘタなやつなら、方向すらわかンなくなるわよ」
「それも、そーね……」
あたしたちは複雑に構築されたトラスの間を、まるでニンフのように優雅に飛んだ。あたしたちの美貌とスタイル、そして、あのきわどい衣装の上にメタライト合金の透明宇宙服である。美しく見えるという絶対の自信が湧いてくる。それでわかった。あっけない気分というよりも、つまりは、あたしたちは、それを見物する人間がいないのが不満だったのだ。
「ここよ、ここ」
左手首の計器を見ながら、あたしは言った。ユリが、すうっと寄ってくる。
「こっちから、はいるの?」
「そー!」あたしは答えた。「ここは主管制室のひとつ上にある階層の配電室の壁のはずよ」
「じゃ、ここの真下が――」
「主管制室ってわけ」
「しかも配電室とくれば、いろいろ手が打てることは確実だし!」
「そーなのよ、ほこほこ」
「なら、さっそく穴をあけますか」
ユリはヒートガンを壁に向けた。
「急がなくっちゃ、時間がない」
あたしも狙いを定めた。
二丁のヒートガンから炎が、まっすぐ噴出した。
壁が灼熱し、溶け、崩れ落ちた。
空気が渦を巻いて流出してくる感覚がある。それがおさまるのを待って、あたしたちは穴をくぐった。
中は真っ暗だった。
ふっと、いやな予感がした。
とつぜん、電撃が上下左右に走った。
何千何万の火花が一瞬のうちに空間を満たす。
「ぎゃん!」
バラバラに引き裂かれるような痛みが全身を覆った。脳の奥が痺れ、手足が硬直する。からだの髄からめちゃくちゃになる苦痛だ。目をあけて、何があったのか知ろうとしたが、もうその力もなくなっている。
「ユリ!」
そんな叫びが口をついたような気がしたが、声は発せられていないはずだった。さらに火花がその数を増したらしく、まぶたを透かして、激しい明滅がわかる。
電磁放電網だ……。罠が仕掛けてあったんだ……。
そう思ったとたん、何かが切れた。
意識が、闇になった。
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6 なめんじゃないよ、ダーティペアを!
気がつくと、宇宙服を着ていなかった。
むろん、|あの《ヽヽ》服装はそのままである。誰ひとりとして、強化ポリマーで覆われた服を脱がすことはできないのだ。
ユリも、あたしと前後して、意識を取り戻した。
「ここ、どこよ?」
がば、と跳ね起きて、そう訊いた。
「〈バルカン〉の一室でしょ!」
あたしは投げやりに答えた。両手をうしろ手にされ、枷がはめられている。この土壇場にきて、捕まっちまったのだ。くやしいったらありゃしない。
「殺風景な部屋ねェ……」
ユリはまだ部屋にこだわっていた。それは、たしかにつまらない部屋である。グレイのブラスチック張りの四角い、何もない部屋だ。しかし、そんなこと、どうだっていいじゃないか。それより考えることがほかに山ほどあるだろ。ユリのアホ!
鋭い金属音がした。
あたしたちは反射的に、その音源を捜した。
それは、ドアが開いた音だった。
ブルーのスペースジャケットを着た、若い男が立っていた。右手にレイガンをしっかり構えている。
「お前たち――」男は言った。「外へ出ろ」
あたしたちは――特にユリが嬉々として、その指示に従った。ユリにしてみれば、どんな運命が待っていようと、こんな鏡ひとつない部屋にいるよりもマシなのだろう。
通路には、さらに三人の男が待機していた。一人くらいなら蹴たおして、と思っていたが、その目論見はあっさりとついえた。
四人の男に囲まれて(これが、かしずかれてなら、どんなに嬉しいことか)、あたしたちはなかなか立派な扉の前に、連れてこられた。
扉が左右に割れて、開いた。
まず、目に映ったのは、幅十五メートルはあろうかという、巨大なスクリーンだった。次にその下を帯のようにいろどるコンソールパネル群、そして、それに向かって着いている何十人という人々、その間を忙しく動きまわるロボット――などなどが、一団となって視野に飛びこんできた。
主管側室である。
「やあ、また会えたね」
いきなり、上から声が降ってきた。聞き覚えのある声だ。急いで頭上を振り仰いだ。クレーンの先にシートが取り付けられ、そこに人がひとり坐っている。
シートがおりてきた。
のっていたのは、テッペウス博士だった。
「さきの御対面では、失礼をした」テッペウス博士の口調は、さいぜん会ったときよりも、はるかにくつろいでいた。いかつい顔も、心なしかやわらいだ感じである。「あの場では、ああいった態度しか、とりようがなかったのでね」
「よくわかりますわ」
あたしは、澄まし顔で応じた。
「きみらをここへ呼んだのは……」テッペウス博士は、さっさと言を続けた。「おもしろいものを見せてやろうと思ったからだ」
「あによ、それ?」
「メインスクリーンを見たまえ」
テッペウス博士は、顎をしゃくった。
「ひええ!」
一瞥して、あたしとユリは叫び声をデュエットした。
そこに繰り広げられていた光景は、何十隻という宇宙船と、宇宙ステーション〈バルカン〉との戦争のそれであった。
「メルトナンが通報したのだろう」テッペウスは淡々と言った。「警察がぞくぞくと来おったわ」
そこでひとしきり、テッペウス博士は乾いた笑い声をたてた。ゾッとするほど陰惨な響きである。あたしは、この男の荒廃しきった精神をわずかながら垣間見た思いがした。
「しかし、状況は見てのとおりだ。――ダーティペア。きみらにも、どちらが優勢に闘っているか、よくわかるだろう」
それは、テッペウス博士の言うとおりだった。この攻防には、はっきりとした差があった。衆を頼んだダングル警察軍が、あからさまに不利な展開を強いられているのだ。
百五十メートル級の駆逐艦を主軸としたダングル警察軍は、しつようなまでに波状攻撃を繰り返している。だが、それは相手に対して、何の傷をも与えていない見せかけの攻撃だ。かえって、接近のたびに〈バルカン〉のレーザー砲と熱線砲を主体にした対空砲火を容赦なく浴びて、警察軍は二隻、三隻とその戦力を失っている。
どだい、そんな小規模の艦隊で〈バルカン〉を外部から攻略しようというのが、大きな過ちだった。現状のままでは、ダングル警察軍はさほどの刻を経ず、全滅してしまうことだろう。
「総司令!」
コンソールパネルに着いているうちのひとりが、テッペウス博士を呼んだ。
「ダングル警察軍から通信がはいっています。どういたしましょう?」
「降伏かな」テッペウス博士はニヤリと笑った。「しかし、それには少し早すぎる。――よかろう。映像をメインスクリーンに入れろ!」
メインスクリーンの画像がかわった。
あたしたちはまた揃って、あっ、と声をあげた。映ったのは、忘れもしない、にっくきどハンサム、ベイリーフ警部だった。
「テッペウス博士!」
メインスクリーンの中のバカでかいベイリーフ警部は凛と響く声で言った。あれだけのハンサムをここまで引き伸ばすと、これはもう凄絶としかいいようがない。毛嫌いしながらも、結局、見とれてしまった。
「わたしは、ダングル中央警察のベイリーフだ。〈バルカン〉は、われわれが五十隻を越える宇宙船で包囲した。こうなっては、そちらに勝ち目はない。にもかかわらず、戦闘を続行するのは無意味だ。今すぐ、無条件降伏したまえ」
あたしはベイリーフ警部が戦況を見てとれない人物だとは思っていない。おそらくこれは、味方が不利だからこそ打った、大バクチなのだろう。――が、それにしてもいささかこの降伏勧告は噴飯ものにすぎた。
テッペウス博士は、その言葉がみなまで終わらないうちに、シートの上で腹を抱えてゲラゲラと笑いだしてしまったのである。
「バハハハハ……」笑いながら、苦しげにテッペウス博士は言った。「切っちまえ!」
メインスクリーンの映像はまた、宇宙船と〈バルカン〉の攻防戦に戻った。ユリが身をくねらせて、あーん、ハンサム惜しいと言った。アホ!
「テッペウス博士……」あたしは自分でもそれとわかるほど、硬い声で言った。「笑っていても、いいの?」
「どういうことだ」テッペウス博士は余裕綽々である。「ベイリーフの間抜けの言うことを信じたのか?」
「そうじゃないわ――ただ、警察を退ぞけても、すぐに連合宇宙軍がくるってことを教えてあげたかったのよ」
「なんだ――」テッペウス博士は肩を軽くそびやかした。「そんなことか」
「そんなことかって……」予期せぬ反応にあたしはうろたえた。「連合宇宙軍相手に〈バルカン〉では勝てないわ!」
「それは、そのとおりだろう」テッペウス博士は認めた。「しかし、連合宇宙軍が来るころには、すべてが終わっとるのだ。ダングルは、わし――いや、組織のものになっておって、グラバース重工業の生産本部の全機能が、こちらの手中に落ちているのだよ。
そんなときに〈バルカン〉を攻撃したところで徒労にすぎんのじゃないかね」
「それ、どーいうことよ」
あたしの顔色は蒼白になっていた。それは傍らに立つ、ユリも同じだった。
「どうせ慰み物になった上で殺される運命だ……」テッペウス博士は残忍な笑いを口の端に浮かべた。「ここでひとつ全貌を聞かせてやろう」
そしてテッペウス博士は、あたしたちに向かって、得々と陰謀のすべてを語り始めた。それは、次のような計画だった。
テッペウス博士は、血縁を重視した、ある犯罪組織に所属していた。
その名を『ルーシファ』(LUCIFER)という組織だった。
『ルーシファ』は、重工業部門で銀河系第一位、総合で第四位の資本規模を誇るグラバース重工業に眼を着けた。――その生産本部を、惑星ダングルごと乗っとろうと画策したのである。グラバース重工業を手に入れれば、いかなる勢力とも拮抗しうる。
立案された計画は、冷酷かつ残忍きわまりないものだった。
ダングル全土を毒ガス、ガルクロン|Σ《シグマ》でまんべんなく覆ってしまおうというのだ。
ガルクロンΣは、前頭葉を完全に麻痺させるガスだ。いわば化学的ロボトミーである。これに侵された人間は、みずからの意思を失い、無気力、無抵抗の存在となる。
こうなれば、行政府ごとダンダルを乗っとるのは、いともたやすい。大統領の前に行って、ダングルを寄こせ、と言えばいいのである。大統領も、奴隷とされる住民自身も確実に反対なんぞしない。
一夜にして、ダングルとグラバース重工業の生産本部は、『ルーシファ』のものとなるはずであった。
「ところが、どういったわけか、計算違いというのはあるものだ……」
テッペウス博士は、ぼやくような口調になった。
「われわれの場合はアンガロンだ。
アンガロンは『ルーシファ』と血の絆を結ぶ者ではない。計画遂行のため、やむなく掟を曲げて引き入れたやつだ。それが重大な失錯となった。
あやつは地上においた唯一の司令センターを跡かたもなく破壊し、さらにその上、われらの計画を暴くメッセージを残しおったのだ。これは致命的ともいえる重大な反逆だった。
しかし、計画はまだ挫折してはおらん。
司令センターには、この〈バルカン〉が使えた。地上できめ細かくガスの量をコントロールすることはできなくなったが、計画遂行自体は〈バルカン〉だけで、不可能ではない。一応の線でいったんかたをつけておき、あとでゆっくりと不備を補えばいいのだ」そして、テッペウス博士は、コンソールパネルの一画を指さした。「あれを見ろ。スクリーンに数字が表示されているだろう。一四四二秒。――あれが、ダングル全土にくまなく置かれた。ガルクロンΣのタンクが開かれるまでの時間だ。もう一四一一秒になった。
お前らが嗅ぎつけたために、計画実施を旱めねばならなくなったが、それもまた、自然の成り行きよ……」
テッペウス博士の長広舌は、まだまだ続くようだったが、あたしはもう、その先を聞いてはいなかった。聞きたいことはすべて聞き終えたからだ。特に、このステーションだけが唯一の司令センターということが重要だった。なぜなら、それはここを叩くだけで、この計画が完全に蹉跌することを意味しているからだ。あたしは、今こそ行動にでるときと、判断した。
目くばせで、それをユリに伝えた。ユりはすぐに了解した。なにげない動きで、あたしのうしろへと移動してくる。
「きゃん!」
悲鳴をあげてユリが転んだ。主管制室のすべての視線が、あたしたちに集中する。テッペウス博士も口をつぐみ、その鋭い目であたしたちを見た。
「なに蹴つまずいてんのよ、バカ! ドジ踏むのも、いい加減にしたらどう?」
あたしはしゃがみこみ、うしろ手にされ、電磁手錠という枷をはめられた両手でユリの肩を掴んだ。ユリはそれに引っぱってもらう恰好で、さりげなくあたしの右手薬指にはめられている指輪を、カチリと音がするまで噛んだ。
ユリが立ち上がった。
「あんた、こんどやったら見捨てるわよ!」
あたしは、さらに大声で喚いた。が、もうあたしたちを見ている者は、誰ひとりとしていなかった。
打てる手は、これで打ち終えた。
あとは待つだけであった。
しかし、その待ち時間は、苦痛以外のなにものでもなかった。――スクリーンの中で警察の宇宙船は次々とはたき落とされ、策謀のゼロアワーへと進むコンソールの数字は無情にも止まることなく減っていく。
気が気ではなかった。
あたしの切り札は、まだ何の動きも感じさせていない。
あと、四一〇秒。
あと、四〇〇秒。
あと……。
だしぬけに、扉が開いた。そして、その向こうから、凄まじい悲鳴と聞き慣れた咆哮が――。
「きた!」
ユリの顔がパッと輝き、声をあげた。
呻き声とともに、四、五人の男が血まみれになって、主管制室に転げこんできた。
「な、なんだ?」
テッペウスの表情《かお》が驚愕でひきつった。ざまをみ!
「わあっ!」
扉のまわりにあった人波が割れた。なだれのように壁へと突進していく。恐怖で逃げているのだ。
その中心から、巨大な黒い影が、宙空に隠りあがった。
猫に似たからだ。両の肩からあたかもムチのように伸びる太い触手。耳のかわりにある毛のような巻きひげ。
「ムギっ!」
あたしはそのクァールを呼んだ。ムギはあたしとかれとの間にいた十数人の人間を血祭りにあげて、あたしのもとへと駆けてきた。
「ムギ! あたしたちの手錠をはずして」
言うなり、カチリと音をたてて枷は開いた。電波、電流を自在に操るクァールにとって、電磁錠をはずす程度のこと、何の負担もいりゃしないのだ。
「いいこと、ムギ!」あたしは早口で喚いた。「この部屋をメチャタチャにするのよ。やりたい放題、したい放題していいわ。邪魔するやつはみんな蹴散らしておしまい。この部屋を何の役にも立たないガラクタに変えるのよ!」
ムギはくるりと身を翻し、殺戮と破壊に走った。――それは、恐るべき凶暴さであった。無理もない。きょうはまだ、カリウムカプセルを与えられてないのだ。いかに人間向きに再改造されたとはいえ、空腹時のクァールは、どんな猛獣よりも始末におえないものとなる。前肢の一撃は岩をも砕き、鋭い矛は鋼鉄をも切り裂く。さらに肩の触手は、ありとあらゆる武器を操る。
主管側室は、パニック状態に陥った。
――ムギは、じっと耐えていたのだ。
指輪が発信する非常電波で、あたしたちに呼ばれるまで。〈ラブリーエンゼル〉の休息室で空腹を抑えて、ただひたすら待ち、耐えていたのである。電波を感じると同時に、ムギは弾かれるように活動を開始していたに違いない。その能力のすべてをフルに使って、ドアを開け、エアロックを開け、ハッチを開け、隔壁を破り、立ち阻かる人間を屠って、前進したのだろう。
ただ、あたしたちを救わんがために……。
コンソールの数字は三二秒でストップした。もう、この主管制室は機能しない。
「ケイ!」ユリが両手にいっぱいレイガンを抱えてやってきた。「テッペウス博士がいないわ!」
「ちっ!」あたしは舌打ちした。「逃げたのね」
「出口はひとつよ」ユリはレイガンを二丁、あたしにくれた。「追っかけよう!」
「うん!」
ムギをそのままに、あたしたちは主管制室の外に出た。ムギは必要とあれば、いつでも指輪で呼べる。それまでは自由に振る舞わせておこう。
通路にはいると、すぐにテッペウス博士は見つかった。まっすぐで見通しがきくからだ。あたしたちは豆粒のように見えるテッペウス博士のうしろ姿を追った。
テッペウス博士がどこに向かっているかは、すぐに知れた。小型宇宙艇の格納庫である。〈バルカン〉を捨てて、脱出する気なのだ。もちろん部下は全員、見捨てるつもりだ。幹部の風上にもおけないやつである。
「逃げられちゃうわ!」
ユリが叫んだ。差はあまり詰まっていない。ユリの言うとおり、このままだと宇宙艇で逃げられてしまうだろう。
テッペウス博士が格納庫の前に着いた。
「ユリ!」あたしは怒鳴った。「ブラッディカードを投げて! 格納庫に暴れこませるのよ!」
あたしの狙いはこうだ。ブラッディカードは厚さ二ミリのKZ合金を切り裂く能力を持つ。盲めっぽうながら格納庫に乱入させれば、ひょっとしたら宇宙艇のどこかを叩き切って、使用不能にできるのではないか。いや、もっとうまくいけば、テッペウス博士をバッサリ片付けてくれるかもしれない。
ユリはそんなあたしの意図を即座に理解した。ポケットからブラッディカードを取り出し、力いっぱい投げた。
ブラッディカードはテッペウス博士に遅れること一、二秒で格納庫の中に飛びこんだ。
そして、さらに数十秒後、あたしが格納庫にはいった。
広い格納庫の向こう端に、テッペウス博士が茫然として、つっ立っていた。格納庫にある宇宙艇は全部で三機。そのどれもがブラッディカードで致命的な損傷をこうむったのだろう。テッペウス博士は三機とも試したらしく、そのみごとな銀髪はひどく乱れ、肩でハアハアと息をしていた。
「やってくれたな……」
あたしを見て、テッペウス博士は唸るように言った。
「自業自得とお思い!」
あたしはピシャリと言い返してやった。そのままスタスタと近づいていく。
「この辺で観念したら。男は往生際が肝心よ」
そう降伏も勧めはした。
とつぜん、テッペウス博士は笑い出した。宙を仰いでの哄笑だった。気がふれたのか、と思ったが、違っていたようだ。多分、自分のさまを嘲笑ったのだろう。
ふっと笑いがおさまった。
「このあまーっ!」
あたしに飛びかかってきた。
あたしはレイガンのトリガーを絞った。
胸を黒焦げにしてテッペウスは床に転倒した。ユリがゼイゼイと喘ぎながら、ようやくあたしに追いついた。
〈ラブリーエンゼル〉に戻った。ムギも黒いからだを血に染めて、満足気に帰ってきた。まったく、なんてペットだろう。
やりたくなかったが、ベイリーフ警部と連絡をとり、〈バルカン〉がその機能を停止したことを伝えた。ベイリーフ警部は何も言わず、ただフンと鼻を嗚らしただけだった。
ドッキングを解除し、〈バルカン〉から離脱した。みるみる〈バルカン〉が遠のいていく。
「いい仕事だったわァ……」あたしは言った。「これでダーティペアなんて呼ばれ方、しなくなるわよ」
「そーかね――」
ユリはなぜかブスッとしている。
「そうに決まってるじゃない!」あたしはボリュームをあげた。「そりゃ、いささかドンパチにはなったけど、民間の犠牲は、最初の〈ガラパゴス〉だけにとどまったのよ。こんなこと初めてなんだからァ」
「あれ見て」
ユリはひょいとメインスクリーンを示した。〈バルカン〉がまだ映っている。特にこれといって、かわったところは……。
「あっ!」
あたしの血が凍った。
「噴……射……して……る」
どのノズルかはよくわからない。が、とにかく〈バルカン〉のノズルが何本か生きていて、それが〈バルカン〉を地上へと落下させているのだ。
「誰かバカが誤って点火したんだよ、ありゃ……」
ユリの声は、まるで地獄から聞こえてくるようだった。
「と……止めらンないの?」
「無理だね、あの質量じゃあ……」
「た、大気圏で燃えつきるよね?」
「無理だね、あの質量じゃあ……」
「せ、せめて海に落ちてよ!」あたしは逆上して叫んだ。「さもなくば、地上でも人のいないとこへ落ちてよ! 砂漠とか、原野とか、極点とか! いろいろあるでしょ!
お願い! 人里だけには落ちないでっ!」
しかし……。その願いもむなしかった。
〈バルカン〉は、その質量のほとんどを失わないまま、地上に――それもエルカ大陸のタスコポリスという都市のど真ん中に落下していた。
目撃者の話によると、凄まじいキノコ雲が、高度数千メートルまで立ち昇ったそうである。衝撃波の被害はエルカ大陸の全土に及び、大陸は、ほぼ完全に潰滅した。
死者、百二十六万四千三百二十八人。
ダーティペアの名は、また銀河系全域に、華々しく轟いたのだった。
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酒場にて
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「おかわりよっ! ピムのソーダ割り!」
あたしは空になったグラスを、カウンターの上に叩きつけるように置いた。グラスがピーンと悲鳴をあげる。ちくしょう! 砕けないじゃないの! しっぶといわねェ!
「ケイったら、グラスに当たるのは、よしなよ――」
右どなりのスツールに腰かけているユリが言った。こやつは、ウイスキーの水割り一杯を三時間もかけて、ちびちびとなめているのだ。ピム酒のボトルを四本も転がしたあたしとは、えらい違いである。雲泥の差だ。おかげで、ユリはちっとも酔っちゃあいない。えらそーな口ききやがって、酒場へきて酔わないやつァ、あほだ!
「お前、くやしくないの? いじゃけないの? 頭《たま》にこないの? 激怒ンないの?」
あたしは指を突きつけ、畳みこむようにユリめがけて言葉を投げつけた。グラスを片手に、ユリはくりくりと目を動かしている。
「そりゃあ、あたしたちはWWWAの犯罪トラコンだ。考えられる限りの事態に対処して、これを未然に防ぐのがうちらの務めよ。そいつァ、わかってるわ」あたしは呂律も怪しく、大声で喚いた。「でもねェ、あいつは不可抗力よ。百二十六万人が死んでも不可抗力よ。何がステーション落下だ。あたしたちのせいじゃないわ! どだい、あの混乱の中でエンジンの点火を阻止できるって思う方がムチャなのよ!」
「わあってるわ、ケイ……」
いかにも面倒くさそうに、ユリが同調した。だめだ、こいつは本質的に鈍い! あたしは一段とボリュームを上げた。
「だいたい部長が悪いのよ! 事情も知らんと、のうのうとして本部にいすわり、うちらばっかを非難しとるんだ。あいつが悪い。中央コンピュータは、うちらに非はなかったと結論してる。なのに、それでもまだゴチャゴチャぬかす部長がみな悪いのだ!」
「わあった。わあったわよ、ケイ……」ぶんぶんと振り回すあたしの両腕を押さえながら、ユリは言った。「わあったから、少し静かにしてよ。客はほかにもいるのよ」
「バーテン!」ユリの制止をいさい構わず、あたしはさらに怒鳴った。「酒はまだかよ! はよ持ってこんか! ぐずぐずしてると、ヒートガンでいてまうど!」
「はっ、はい……」
あわててバーテンが、グラスになみなみと注がれたピムソーダを、こっちによこしてきた。野郎、どーいうつもりか、マニピュレータを使ってやがる。自分でここまで運んでこようとしないのだ。ちいっとハンサムだからって目ェかけてやればこの体たらくだ。冗談じゃねェ、あたしは客だよ!
「なめるのは、およしっ!」
あたしはグラスを把り、中身のピムソーダを三メートル先のバーテンめがけて、派手にぶちまけた。狙い違わず、ピムソーダはバーテンの頭を直撃する。
「ひい!」
アルコールを目に入れて、バーテンはうろたえ、泣き声をあげた。
「ざーとらしいマネすんじゃないよ!」あたしはすかさずぴしゃりと言った。「さっさとピムソーダをつくり直して、ちゃんと自分の手でここまで持っといで! 自分の手でだよ! 今度いじこいことしたら、首から上がなくなるかンね。覚えておおき!」
「はい……」
消え入りそうな声をだしてバーテンはうなずき、小さくなって新しいピムソーダをつくりはじめた。よしよし。最初《はな》っからそうすりゃあ、あたしだって熱くはならないんだ。
ピムソーダのおかわりがきた。受けとりざまあたしがひとにらみすると、バーテンはますますオドオドとなり、あたしの前から立ち去ろうとしなくなった。身がすくんだのである。結構結構。こうでなくてはあかん。男をめでながら飲む酒が最高にうまいのだ。
「ぐふふふ、やるもんだねえ……」
いきなり、あたしの左横で声がした。どことなく間のびした、えらくかったるいしゃべり方だった。あたしは口へ運ぼうとするグラスの手を止め、首をめぐらした。ひとりの男が、スツールに腰をおろして、こっちを見ている。あたしと目が合うと、男は手を叩いて言った。
「カッコいいとこ見ちゃった。すごいすごい……」
年齢のよくわからない男だった。若いのか年くってンのか、はっきりしないのだ。どっちかといえば若く見える。髪の長さは、まあ普通で、器量も並だ。いや、ちっとはマシかな? 痩せていて面長である。目はわずかに垂れ目。具体的に描写すると、蛙を引き伸ばしたような顔だ。正体不明のあいまいなニタニタ笑いを、ずっと浮かべている。ありていにいって、気持ちが悪い。
「あんた誰よ?」
それでなくても荒んでいるきょうのあたしは、いっそう気分を害して、トゲトゲしく訊いた。
「あ、悪い悪い、紹介を忘れてた。ボク、『ハイセンスマガジン』編集長のドテオカです。どうぞ、宜しく……」
ドテオカは、グリーンのジャケットのポケットから名刺を取り出し、あたしの前に置いた。なるほど。たしかに名刺にも『ハイセンスマガジン』編集長ヤン・ドテオカと刷ってある。しかしまあ、なんと下品な名前だろう。
「――で、その編集長が、何の用なのよ?」
あたしは冷ややかな口調を変えず、さらに訊いた。
「あなたがた、WWWAで今をときめく、ダーティペアでしょ?」ドテオカはニヤニヤ笑いのまま、ズケズケと言った。「ボク、大ファンなンですよ、ぐふふふ……」
「ちょいと、お待ち――」あたしは、燃える目でドテオカを睨みつけた。「今、あたしたちのことを、何て呼んだの?」
「だから、ダーティ……」そこまで言って、ドテオカはようやく気がついたらしく、少し絶句した。「……い、いやラブリーエンゼルのおふたかた……」
そう、それでいい。あたしは、うなずいた。それがあたしたちの正式なコードネームだ。あたしはついでに、硬くなっていた表情をわずかにほぐした。ドテオカは安心したのか、一息ついて、またしゃべりだした。
「ぼくね、次の号でダー……じゃなかった、ラブリーエンゼルの特集をやろーって思ってるの。ぐふふ……おもしろいでしょ」
ドテオカは、手にしていた水割りのグラスを、ぐいと干した。あたしはまた、カッとなった。なーにが、おもしろいだ、アホ! よりによってWWWAのトラコンがカストリ雑誌の特集だって? なめんじゃないよ、ボケ! スカ!
「あんだれ!」激昂して青筋を額にたて、あたしは爆発した。「WWWAを何とこころえとるんじゃ、われ、このインポ!」
「イ、インポ……」
さすがにドテオカも目を剥いた。自分の口で言うのも何だが、|これほどの美人から《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》こんなことを言われたのは初めてなのだろう。顔色が蒼ざめている。ひょっとしたらトラウマったかもしれない。ざまをみ! なんたって、あたしゃ酔ってるンだ。気にしない。
「インポで悪けりゃ、胃穿孔!」あたしは、さして意味のないことを喚きまくった。「あたしたちが部長にいたぶられて落ちこんでンのがわかんないの! にぶっ!」
「部長の悪口を言ったら、|ぶちよう《ヽヽヽヽ》――」
「あ……」
なんというアホな駄ジャレだ。あたしは、ユリともども死んだ。こいつは、ちっともめげてない。
「あなたたち、そのカッコウで、そのスタイルでしょ、ぐふふ……」目を剥いていたのも束の間、ドテオカはしゃあしゃあと言った。「ヌードになってグラビアを飾ったらうけるよお」
「ほざけ、バカ!」
あたしはスツールを蹴って、立ち上がった。ドテオカの好色そのものの目が、あたしたちの銀色上着とホットパンツをすみからすみまで、なめるように見つめている。冗談じゃない。こいつは根本的にドスケベなんだ。
「そんなに裸が好きなら、自分でおなりっ!」あたしは酒場中に響き渡る大声で、キンキンと叫んだ。「うちらに声なんてかけずに、てめェでストリップやるのよ!」
「あ、それはいい……」
ドテオカは手を打った。ぬわに?
「ストリップやってみせるよ。ぼくって、わりとそーいうの好きなんだよね」
そしてドテオカは、いきなり立ち上がると、ズボンを脱ぎはじめた。なっ、なっ、なんじゃあ、こいつは? 変態か! バーテンから、まわりの客から、びっくりしてその|さま《ヽヽ》を眺めている。
「バカよせ、おやめっ!」
あたしはあせった。止めようとして、ドテオカのからだに手をかけた。それが、なぜか、ドテオカを押すことになった。
ドテオカの足は、ずり落ちたズボンで動けなくなっている。そこを押してしまったのだ。たまらずドテオカは、スツールの向こうに、くるりとひっくり返った。
ドテオカが落ちたのは、そのうしろにあったテーブルの真上だった。場末の酒場である。ひどく狭いうえにテーブルはひしめきあっている。床に落ちる方が、どっちかといえば奇跡だ。
「ぎえ……」
あやしげな悲鳴をあげて、ドテオカの細っこいからだはテーブルを、ぐしゃりとおしつぶした。テーブルについていた四人の客がはずみで床に投げ出され、ドテオカの下敷きになる。四人の客は、どれもみなゴツい体格の、いかにもその筋という感じの荒くれ男ばかりだ。ドデオカにとっては、最悪の状況である。
「やろ、このてめェ!」
案の定、その中でも、もっともバカでかいやつが、テーブルをはねのけ、激怒して立ち上がった。けったいなつば広の帽子を目深にかぶっているので表情はまったくわからないが、全身をわなわなと震わせているから、そうとう腹を立てていることだけは、はっきりとわかる。あかん。このままでは、ドテオカは首と胴が生き別れだ。
あたしは、ドテオカを助けようと動きかけた。――ところが。
ふらふらと立ったドテオカは、目の前の怒り狂った巨漢を見て、こう言ったのだ。
「あ、頭突きに適した頭!」
そして、巨漢の帽子をぴょんと跳んでむしり取り、さらにもう一度ぴょんと跳んで、本当にその額に頭突きをかませたのである。
「ぎゃっ!」
ぼさぼさ髪でひげもじゃの巨漢は、頭を抱えてふっとんだ。どうでもいいが、どっか見覚えのある顔だ。
「おれって頭突きに自信あるんだよね」
ドテオカが、ケロリとして言った。ム、ムチャクチャだ、こいつは!
巨漢の仲間とおぼしき三人が、ドテオカに一斉に飛びかかった。ドテオカは、そいつらにも頭突きで応じた。
「や、やめて下さい。困ります!」
バーテンが呼んだのだろう。酒場のマネージャーらしき男がすっとんできた。黒いスーツで、ぴしっと決めている。うしろにはガードマンなのだろう、制服姿の屈強な大男が三人、続いている。
ズカッ!
マネージャーの頭が鈍い音をたてた。誤って、ドテオカの頭突きをくらったのだ。マネージャーは失神した。三人のガードマンが色めきたつ。そこへ、何をとちくるったか、ドテオカの頭突きで呻いていた例の巨漢が突進してきた。巨漢はいきなり、ガードマンを掴まえ、その顎にすごいパンチを叩きこんだ。どうやら頭突きのショックで、見境がつかなくなってしまったらしい。パンチを受けて転がったガードマンが、別の客の塊の中にどてどてとつっこんだ。と、たちまちそのあおりを受けて、そこでもケンカが始まる。まるで伝染病だ。ケンカは、あっという間に酒場全体に蔓延した。
「あっ!」
だしぬけに、それまで一言も口をきかずに水割りをちびちびとなめていたユリが小さな呼び声をあげた。
「あによ?」
振り返って、あたしは訊いた。
「思い出した!」ユリは興奮して言った。「あのもじゃ頭の巨漢! A級指名手配の殺し屋、カーリーだ!」
「げっ!」
あたしはぶったまげた。殺し屋カーリーといえば、その名も高い八十四人殺しではないか。なんたって、百万クレジットの賞金までかかってるやつだ。そんなのが、こんなチンケな酒場にいたのかよ!
あたしはあせって、カーリーの姿を、もうグチャグチャに人間が入り乱れているケンカの雑踏の中に求めた。
カーリーはいた。数人の男と凄まじいとっくみあいをやらかしている。あたしたちはWWWAの犯罪トラコンだ。警察官ではないが、A級指名手配犯なら、そのときの任務に関わりなく逮捕する義務がある。しかし、とてもじゃないが、まわりは肉の壁だ。何十人という人間があいだにいて、どうあがこうが、そこまでは近づけそうにない。
ピピピピピ……。
あたしのホットパンツのポケットから、かわいい電子音が流れ出した。
「げっ!」
あたしはまた呻いた。
「よ、呼び出し音だ……」
「また事件なの?」ユリがうんざりしたように言った。「さんざん叱っておいて、すぐにこき使うなんて、ひどいじゃない!」
あたしたちの右手の方が、パアッと明るくなった。ちろちろと炎が見える。誰か何かして火がついたのだろう。カーテンと壁の一部が燃えている。
「か、火事になっちゃったよ」
ユリが言った。客もバーテンもガードマンも殴り合い、つかみ合いに夢中で、誰も火事には気がついていない。
「呼び出し、どーしよう?」
あたしはユリに訊いた。
「行くしかないでしょ!」ユリは頭のてっぺんから声をだした。「それより、このケンカとカーリーと火事はどーすンのよ?」
「本部へ出頭するのか……」
あたしはうつろに言った。
「この酒場、メチャクチャよ!」
「行こーか、ユリ……」
「行くわよ、もう! あたし、何も知らないかンね!」
ケンカの渦の中を泳いでいくと、ドテオカがいた。ドテオカは、あたしたちを見つけたのか、手近なやつに頭突きをかませながら、手を振った。
あたしたちは、ドアに辿り着いた。悲鳴と怒号と熱気がもの凄い。振り返って酒場全体を見渡すが、見えるのはすぐ近くの殴り合いだけだった。それと、遠くの壁をめらめらと伝う炎もなんとか見えた。火は、もう天井にまで移っている。こいつァ、あかんわ。この酒場も永くはない。あたしはしばらく茫然として、その有り様を見つめていた。
「どしたの、ケイ?」
ユリが訊いた。
「部長が待ってるよ……」
「ああ……」
あたしは向き直り、ドアを開いた。あたしたちは、酒場をあとにした。
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田舎者殺人事件
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1 ざけんじゃないよ、このくそゲーム!
「ふみっ、ふみっ! ふっふっふっ、ふみっ!」
あたしは真っ赤になっていた。目は吊り上がって血走り、全身はワナワナと痙攣するように震えていた。
「ちくしょう! このこのこの……!」
嘆き、叫び、汗とつばが四方に飛び散った。無理な力が加わって、あたしの取り付いている機械が、ギシギシと悲鳴をあげる。
「おやめよ、ケイ……」ユリが言った。「もうアラベルが来るころだし、殺人事件の捜査中にカジノでゲーム・ジェノサイド≠やってたと知れたら、部長がうっさいよ!」
「うっさいのは、あんたよ!」横がらゴチャゴチャ言われてカッとなり、あたしは怒鳴った。
「あと四体でかたァつくンだから、ちょっと黙ってな!」
「だってェ、ケイ!」
「くそっ、くそっ! ちくしょう、くそっ! お前が! お前が! お前が悪い!」
原住民《BEM》を示す3D映像が三体になった。動きがますます早くなる。こいつらをレーザーで撃ちつくして全滅させれば満点――つまり、十万クレジットが金貨でジャラジャラとゲーム機械の下の口からでてくるのだ。
あたしは燃えた。ここで負けてたまるか! いかれたら、すべてがパーだ。三時間もねばってここまできた努力が水泡に帰す。レバーとトリガーを握るあたしの指に一段と力がこもった。
「このこのこの! 死ね! くそ! お前だ! お前が死ね! 死ぬんだ!」
バッ、と七色の尖光をほとばしらせて、一体のBEMが砕け散った。あと二体だ。
「ケイったらァ!」
横手から、またユリの声。
「じゃかァし! どアホ! 去ねい!」
罵倒を浴びせて、気をすべてBEMに集中させる。レーザー発射! ズガーン……! つくりものの爆発音が心地よく響いた。あと一体! ついにあと一体だ!
「ケイっ!」
だしぬけに、業を煮やしたユリが、あたしの耳もとで大声を発した。それはもう普段のユリからはとても信じられないような大音声で、さしもゲームに熱中していたあたしの魂も、あまりのことにでんぐり返った。さすがに大学で声楽の単位をとっただけのことはある。百二十デシベルはあったろうか……。発狂レベルだ。
あたしの動きが、一瞬、止まった。それが命取りだった。
こなごなになって、あたしの攻撃機が画面の中から消えた。華やかにGAMEOVER≠フ文字がその上をいろどる。九九九九点……。あと一点だ! あと一点というところであたしは十万クレジットを失ったのだ。
「ギャアアアアア……」
あたしの長い尾を引く悲鳴が、二千三百平方メートルの規模を誇るアルタネラ・ラメールホテルのカジノ全域にこだました。すべての客が一斉にゲームの手を休め、あたしの顔を見る。みんなあきれきった表情だ。高級ホテルだから、金持ちの色男ばっかりだっちゅうのに、あたしは奇異な目でかれらに見られている。
ええい、男がなんだ! 十万クレジット……。
あたしは燃える憤怒のまなざしで、ユリに向き直った。
「ユリ……」
地獄の鬼もかくやという声が、あたしの口から静かに漏れた。
「あ、あによ……」
震える声で、それでもユリは強がった。
「ユリ……」
あたしは、もう一度、言った。
「や、やめようよ……」
ユリの額に、どっと汗が噴き出した。銀色のホットパンツからすらりと伸びたかたちのいい足はガクガクと小刻みに揺れ、顔は笑おうとしているが、あわれにその甲斐なく、ひきつっている。
「ちょ、ちょうどいい時間じゃない……」ユリは続けた。「これも摂理よ。潮どきなのよ。賭けごとにはよくあるでしょ? こんなときにはやめちゃうのが一番だわ」
「言うわね……」
あたしはユリを睨《ね》めつけた。ユリの抜けるように白い肌が、なおいっそう白くなる。血の気はもう、ないに等しい。あたしは、ぐいと一歩進んだ。
「この決着《おとしまえ》、どうつけるの?」
「お、おとしまえって、そんなァ……」ユリは身をよじった。しかし、そんな甘えた態度は、あたしの眼力が許さない。「だからもうやめよって……。あのその……充分に堪能したでしょ? 三時にはアラベルさんが来るんだし、ここはもう……」
「おだし!」
あたしは右手を前に突き出した。
「え?」
ユリはとまどう。
「おだし!」あたしは繰り返した。「あんたの持ってるゲーム用チップを全部!」
「ぜ、全部って、まだやる気なの?」
ユリはくるっと目を剥いた。黒い、黒曜石のように艶やかな瞳だ。
「やる気もくそも、おだし!」
そろそろあたしの口調が荒くなった。
「ケイ! もう二百ゲーム六時間もぶっ通しでやり続けてるのよ!」ユリも必死になって言い返した。「ここらでひとまずやめるべきよ!」
「おだし!」
「だめ!」ユリの頬が、ほのかに紅潮した。「あたしたち、なにしにこのラメールにきたか、知ってるでしょ!」
「ゲームをするため!」
あたしは迷うことなく、言った。
「あ……」
ユリはのけぞった。
その隙にあたしはユリのホットパンツのポケットからチップをひと握り、もぎとった。
「だめ、ケイ!」
あわててユリが止めようとするが、もう遅い。あたしはチップをゲーム機械の投入口に投げこみ、レバーとトリガーをしっかと握っていた。
ズキューン、ズキューン。気色のよい電子音が背筋をゾクゾクとさせる。ああっ、この感触。これよ! これ、なのよ! あたしもういきそう!
眼前の3Dスクリーンに、緑の惑星があらわれた。あたしの操る攻撃機は、ゆっくりとその惑星に近づいていく。惑星にはびこるBEMをあたしの攻撃機が一体ずつ撃ち倒し、すべてを滅すまで戦うのだ。ゲームとはいえ賭博だから偶然の要素がたっぷりと盛りこんであり、満点はほとんどとれない。恐ろしくむずかしいゲームだ。集中力と体力がその勝負のポイントである。あたしの意識はずぶずふとゲーム・ジェノサイド≠フ中へと埋没していった。
あきらめたのか、ユリはもう何も言わない。
――そーよ! ユリは何かとうっさすぎるのよ。
まだ醒めているあたしの意識の一部分が、BEMを追う合い間に嘆きだした。
――あたしだって、ちゃんと任務くらい覚えてンのよ! だけど休暇だって、ロクにもらえないあたしたちじゃない! せっかくカジノへ来たんだから、目一杯遊んだって、バチなんかあたンないわよ!
ズキューン、ズキューン。
――殺人事件があにサ! 捜査があにサ! マリーネからの|おのぼり《ヽヽヽヽ》が死んだって、あにサ! そんなもの、すぐ片づくわよ! このこのこの! 死ねっ、死ねっ!
ズキューン、ズキューン。
「ケンカだっ!」声がした。
――あたしだって若い女の子よ! まだ十九よ。美人よ! そりゃちょっと髪の毛は縮れて赤いけど、バストは九十一よ! ウェストは五十五よ! ヒップは九十一よ! 任務があにサ!
「ケンカだぞ!」また、声がした。
――うっさいわょ! アラベルがあによ! 監察官が何様だってのよ! ケンカがあにサ! あたし十九よ! ケンカ……?
「ケンカ!」
あたしは一声叫んで、振り返った。そのとたんに、えらく派手な音が轟いてあたしの攻撃機が吹っとび、GAMEOVERになった。あたしは、それを無視した。そんなことはもうどうでもよいのだ。ケンカなのだ! どっかでケンカをやっているのだ! う、血が騒ぐ。
あたしはゲーム・ジェノサイド≠フとりこだったが、それ以上にケンカの中毒だった。ケンカが見られるなら、もう他のものは何にもいらない。ゲームなんか、二の次なのだ。
「ケンカ、どこ?」
あたしは血相を変えて、ユリに訊いた。ユリは、またかという表情で、
「あっち……」
と、カジノの奥を指さした。
あたしはせかせかと首をめぐらした。カジノのどんづまりに近いところ、セシウム・ルーレットのあるあたりに、もうかなりの人垣ができている。
「やっちまえ!」
「どうした?」
「がんばれ!」
「とめろよ!」などの声が、そこから断片的に聞こえてくる。くっそう……いまや|たけなわ《ヽヽヽヽ》ではないか! あたしとしたことが、出遅れたのだ。
「ええい、おどき!」
逆上して、あたしは人垣の中に頭からつっこんだ。銀色に輝くブラジャーまがいの上着に太ももいっぱいで浅いV字形にカットしたホットバンツ、そしてやはり銀色の膝までのブーツというセクシールックで身をかためたうら若い美女が、傍若無人な男どもにもみくちゃにされようとしているのよ。おどき! おどきったら!
二人に脇腹へのエルボースマッシュ、三人に急所膝蹴り、六人に背骨へのへッドバットをかまして、あたしは前に進みでた。
「ヒュン……!」
自分で擬音を発して、ひとりの男がふっとんできた。色の白い典型的なつっぱり風あンちゃんだ。この格式あるカジノにどうやって潜りこんだのか、けばけばしい衿高のシャツにスリムな黒の革パンツという崩れたスタイルである。あたしたちのようにWWWAの公式メンバーならいざ知らず、一般の人間は正装でぴしっときめてない限り、このカジノには一歩だってはいれない。
「ぶきゃっ!」
またひとり、似たようなあンちゃんが、メチャクチャな悲鳴をあげてとんできた。とんできたあンちゃんは、ふたりともあたしの足もとに叩きつけられ、ひっくり返っている。
「なァに? こいつら」
遅れて人垣をかきわけてきたユリが、あたしの背中ごしに言った。そんなこと、あたしにわかるもんか!
セシウム・ルーレットの特大マシーンのまわりで派手なケンカを繰り広げているのは、五人の男女だった。男が四人、女が一人である。もとは七人だったのだろうが、二人はあたしの足もとでのびてしまっている。四人の男のうちの三人は、つっぱりのあンちゃんと同じ恰好をしていた。――ということはつまり、ケンカは三対二になっているのだ。二人の方は言うまでもなく男女の混合ダブルスだ。そうとう訓練を積んでいるらしく、ケンカがうまい。コンビネーションも、みごとだ。
あンちゃんのひとりが、そおっと二人の背後に回った。右手に細いナイフを握っている。アンフェアだが、誰もとめようとはしない。ちょっと遠いが、あたしが出ようと思ったとき、そのあンちゃんは二人のうちの男の方に飛びかかった。男は二十三、四歳くらいで陽焼けした肌が浅黒い、うわ背のある精悍な感じのハンサムだ。いくら女がついてるとはいえ、あんなハンサムを殺されたら人類の損失である。もしかしてあの女とケンカし、あたしのとこにめぐってくる可能性だってないわけじゃない。
「うしろ!」
と、あたしは叫んだ。ハンサムは、それが聞こえたのか聞こえないのか、あたしが叫ぶのとほとんど同時に、行動をおこしていた。
からだを回して、ひょいとナイフをよけ、あンちゃんの顎をみごとなタイミングで蹴上げたのである。――ぐしゃっ、耳障りで不快な音がして、あンちゃんはくたくたと床にくずおれた。顔面の下半分が口と鼻からの出血で朱に染まうている。
「野郎っ!」
残る二人が、逆上し、ハンサムめがけて突進した。女の方は眼中にない。それが命取りになった。たまご色のパンタロンスーツに身を包んだ、一見とてもしとやかそうな女が、からだを低くして足を目いっぱい伸ばし、二人のあンちゃんのむこうずねを思いきりなぎ払ったのである。
勢いがついていたから、たまらない。二人は一メートルほど宙に浮き、それからカエルのような腹這いの姿勢で、床にびったんと落下した。気絶には至らないが、しばらくぐえぐえと呻く。間違いない。この二人は、ある種の訓練を受けている。
「失礼! ちょっと失礼……!」
およそ言葉の内容とはかけはなれた胴間声を響かせて、カジノのガードマンが三人、人垣をかきわけながらやってきた。ガードマンと言うと聞こえはいいが、要するに用心棒である。人相はどれもゲッソリするほど悪辣で、そのからだときたら、タテもヨコもゴリラなみにバカでかいやつらだ。
ガードマンは驚いたことに倒れている三人に手を貸し、かれらを助け起こした。そして、濃いグリーンのサングラス越しに、二人の男女を睨めつける。黒で統一された制服の威圧感は、かなりのものだ。
ガードマンのひとりが、右手に握った衝撃警棒をちらつかせながら、太いドスのきいた声で言った。
「困るね、ここでこういうことをされちゃあ……」
ハンサムの頬が、さっと紅潮した。
「どういう意味だ!」かれは言い返した。顔だけかと思ったら、声も素敵なテノールだ。「もとはといえば、こいつらがいきなり殴りかかってきたんだぞ。ここのガードマンなら、こんな正装もしていない無頼の輩を放り出すことこそ、役目じゃないのか」
そうだそうだ、という声が人垣の中から飛んだ。ティラノザウルスの親戚みたいな顔つきのガードマンが、その声の方にギロリと目を剥く。とたんに人垣は、しんと静まり返った。
「おれたちの仕事を、わざわざ教えてもらう必要はない」衝撃警棒のガードマンが冷ややかに言った。「事情がどうあろうと、ところ構わず暴れまわったのは、あんたらだ。ここじゃなんだから、ちょいとこっちへ来てもらおう」
あたしは唖然とした。こんな無茶な話はない。誰が見たって、ぶちのめされた五人組が悪いのだ。カジノにはいる際の服装規定すら守ってない連中だ。本来なら、こんなヨタ者をカジノにいれてしまったことを反省し、二人に迷惑をかけたとガードマンの方が謝るケースではないか! それを何だ、こんな威丈高な態度にでて──。本末転倒だぞ!
「……」
ハンサムもあまりの理不尽さに激昂してか、おし黙って蒼白な顔のまま、唇をキッと噛んでいる。
あたしの堪忍袋の緒がことここに至って、ついに切れた。こうなりゃあたしもWWWAの犯罪トラブル・コンサルタントである。この始末、あたしがつけてやろうじゃないの!
そう思って、前にでようとしたときだった。
「ちょっと! あんたら、どーいうつもりよ!」
いきなり耳もとでそう喚かれ、あたしは横に、ぐいと突きとばされた。
ユリである。あたしより一瞬早く、ユリがしゃしゃりでたのだ。たくもう、ふだんは虫も殺さないって顔をしてるのに、なんて子よ! これじゃ、あたしがでらンないじゃない。ぺッ!
「その二人こそ被害者よ!」ユリはさらにキンキン声で言った。ソプラノは、こういうときに耳にこたえる。「あんたら、どこに目ェつけてンの! そんな判断もつかないなんて、ガードマン失格じゃない!」
身長は百六十八センチ、サイズは上から八十八、五十四、九十とあたしより少し小柄なユリだが、透きとおるような白い肌をほんのりと薔薇色に染め、黒い瞳をらんらんと輝かせて怒鳴り散らすその姿にはいいしれぬ迫力があった。三人のガードマンも気を呑まれ、しばし、呆気にとられてしまっている。
が、すぐに我に返ったか、衝撃警棒のガードマンが四十センチも上からユリを見くだし、せせら笑いながら言った。
「こりゃまたどこのお偉いさんかと思ったら、銀ピカのバニーガールかい? おれたちを叱りとばすのは――」
「お黙りっ!」
ユリはピシャリと言った。凛と響く、有無を言わせない声だ。こうなるとユリは怖い。容赦がないのだ。さすがのこわもてガードマンも、口を閉ざす。そこへすかさず、ユリがたたみこむように続けた。
「あたしは|WWWA《スリーダブリュエイ》のユリよ! コード名はラブリーエンゼル=B聞いたことがあったら、口のきき方に気ィつけた方がいいわよ!」
「げっ、……!」
三人のガードマンは目を丸くした。
「ダ、ダーティペア……」
「そおよォ……」
やっと、あたしの出番がきた。一度でそこなうと、次のタイミングが回ってくるまで動けやしない。あたしは今までの失地を回復すべく、いかにも真打ち登場のようにゆうゆうと前に進みでた。
「犯罪トラコンを相手にする勇気があるなら、いつだって遊んだげるわよ」と、あたしは言った。「その汚ないツラを、消し炭に変えてあげるわ」
「う……ぐ……」
三人のガードマンは、額に脂汗を浮かべて絶句した。今までの威勢はどこへやら、すっかりおびえてしまって表情をこわばらせている。
「どうすンの?」
ユリが目を細め、いかにも面倒くさそうに訊いた。右の手が、もう腰に下げたレイガンのグリップにかかっている。ごちゃごちゃ押し問答しているよりも、ぶっ放した方が早いという風情だ。
「わっ、わかりました……」
ガードマンは後退り、くるりときびすを返した。意識を取り戻したあンちゃんたちも同様である。あたふたと人垣の中にもぐりこみ、まるでいたずらの現場をおさえられた子供のように、だらしなく消えてしまった。
「ざまをみ!」
あたしは一言、吐き捨て、つぎにとろけるような微笑を浮かべて、しとやかに後ろを振り返った。もちろん、あのハンサムを籠絡させるためである。いいとこをだいぶユリにさらわれたが、ラストの|決め《ヽヽ》はあたしが取った。ハンサムも、そこら辺を印象に残しているだろう。
「あのう……」
あたしは、びっくりした表情《かお》でこちらを見つめているハンサムにそそっと近づいた。ハンサムはパッと両の目を輝かせた。う、みゃ、脈がある。あたしは期待した。そのとたんにハンサムは言った。
「ユリ! ユリじゃないか……!」
「あ――!」
あたしは死にかけた。
ユ、ユリだってェ……! なんのこっちゃ。ハンサムの視線はあたしを通りこして、ユリのところに行っていたのだ。むごい! あたしはあやういところで踏みとどまり、ユリの方を見た。ユリは長い黒髪に片手をおき、くりっと目を見ひらいている。
そして、ハンサムは仰天したことに、ガラリと口調を変えて、その先を続けた。
「忘れただか? おらだ!」
なんじゃあ、この|なまり《ヽヽヽ》は!
「ユリ、しっかり思い出すだ! おらだよ。おらア、サンダーだ!」
「サンダー……」
ユリはポカンと口を開け、信じられないものを見る目つきになった。
「ホントに、サンダーなの……?」
「ンだ!」ハンサムはうなずいた。「サンダーだ。ンでもって、あっちがルチアだぞ」
ハンサム――いや、サンダーが指し示したのは、ずっと一緒にいた例の楚々たる美人だった。「サンダー! ルチア!」
ユリは叫んだ。ナポリの守護神かよ、こいつらは……。あたしは肩をすくめた。だが、そんなことでめげているバヤイではなかった。あたしは、そのあとのユリのセリフで、たまらず悲鳴をあげたのである。
「あンれェ、なっつかしいだ……! マリーネのみんなは、元気かね?」
「ひ、ひえー!」
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2 殺人事件……? ぺッ!
「あんた、マリーネにいたなんて、あたしに一言も言わなかったわね!」
三十九階に向かうエレベータの中で、あたしは爆発した。ユリはざーとらしく、そっぽをむいている。ほかには誰もいない。少々荒れても、あたしたち二人だけだ。
「おまけに、あんなハンサムと幼ななじみだったなんて、ちょっとやることがえぐいンじゃない」
「だってェ……」
ユリは泣きそうな表情《かお》をして、身をよじった。ええい、ワンパターンめ! そんなみえすいた手でいつもいつもごまかせると思ってか。いい加減におしっ!
「マリーネにいたのは、たったの四年間なのよ」ユリは言った。「うちの都合で、おばさんとこに預けられたンじゃない。――八歳のときよ! ハンサムもへったくれもないわ!」
「ほー……」あたしは目を細め、顎をつきだした。「ハンサムもへったくれもないンですって?」
「あによォ……」
ユリの目の中を、おびえが走った。あたしは、カサにかかってガミガミと続けた。
「あんた、言ってくれる割には、ニヤニヤ笑ってユリちゃん素敵になっただ∞やんだァ、サンダーこそォ――∞あに言うだ、妹のルチアなンぞ、足もとにも寄れねェ美人だァ=c…なんて会話、あたしの横でポンポンとやりとりってくれたじゃないの!」
「だって、それは……」
「だってじゃないよ!」
あたしはフンフンと鼻を鳴らした。目が吊り上がっていくのが、自分でわかる。
「でも、七年ぶりに仲のよかったお友だちと偶然出会ったのよ!」ユリの口調も、ヒスりぎみになってきた。「どんな会話交そうが、あたしたちの自由でしょ!」
「自由いいわよ。自由!」あたしはもう、ヤケくそだった。「でもねェ、自由に名を借りて相棒のあたしを無視するなンて、少しばかりひどいンじゃない。男よ! ハンサムな男! せっかく連れの女が妹とわかって、独身ならいてこましたろかと思ってたのに、一言の紹介もなしよ。こんな水くさい話って、ある?」
「はーん……」
ユリの相好が、ニタリと崩れた。やばい! あたしは心の中で叫んだ。背筋を冷たいものがすうっと走る。いい気になって、つ、ついうっかりと……。
「本音がでたわね……」
ユリが、勝ち誇ったように言った。うぐぐ……。
「どうせ、そんなことだと思っていたわ……」
うぐぐ……。
「むなしいのよねェ、あんたって……」
うぐぐ、言いたい放題言ってるではないか――。
「だーら、あによ!」あたしは必死の反撃にでた。「だーら、あによ! うまそーな男に目ェつけて、どこが悪いってのよ!」
「ほーっほっほっほっ」ユリは|いやし笑い《ヽヽヽヽヽ》で対抗した。「なんとでも、おあがき! どうせあたしとサンダーとは昔っからの知り合い。おまけにルチアと三人で毎日遊びまわった仲。しょせん手をだそうというのが無謀なのよ! ほーっほっほっ……」
「うぐぐ……」
あたしは絶句した。勝てない! このまま舌戦をやっていたのでは勝てない! かくなる上は「シャー……」
あたしは息を長く吐き、ユリを威嚇した。こうなれば実力でユリを叩きのめすしか、あたしの名誉を守る道はないのだ(う、いじましい名誉!)。
あたしとユリは狭いエレベータの箱の中で、束の間、睨み合った。この一戦、負けたらもうユリなんかと組むもんか。一瞬だったが、あたしはそう思った。もしもユリがサンダーみたいなハンサムとくっついたら、残されたあたしはみじめ極まりない存在になる。あたしのような|たおやめ《ヽヽヽヽ》には、それが耐えらンないのだ。
――しかし、この危機一髪の事態は、実にあっさりと回避された。
エレベータが三十九階に着いたのである。
いくらダーティペアと異名をとるあたしたちでも、人通りのあるホテルの廊下で格闘技銀河一戦をやる気はなかった。
「運がいいわね!」
捨てゼリフを吐いて、あたしはエレベータを降りた。むろんユリも一緒である。十二歳で基礎教育を終えて大学に入り、そこでペアを組んでから七年。その間、一日として離れたことはない。本当はマジにケンカなんぞできやしないのだ。
約束していた三九〇七号室は、エレベータのすぐ脇にあった。
ドアの前に立ち、ノックする。すぐに太い声で、返事があった。時刻は午後三時十八分。ケンカとそのあとのゴタゴタで、十八分の遅刻だ。
ドアが、そおっと開いた。何だか、えらく神経質な素振りである。
あたしたちは部屋の中にはいった。いい部屋だ。高級ホテルで有名なアルタネラ・ラメールの客室のうちでも上等の部類にはいるだろう。三間続きで、広々としている。あたしたちの泊まっている四〇一一号室とほぼ同程度の格であった。
「よく来てくださいました……」
あたしたちを迎え入れたのは、ひとりの紳士だった。四十四、五歳といったところだろうか。茶系統のスーツをステキに着こなした、しゃれた感じのロマンスグレイである。サンダーのような若いハンサムもいいが、こんなおじさまもあたしの好みだ。よいわァ、独り身かしら?
「ケイ、よだれ!」
ユリが、耳もとで囁いた。わかっとるわい! う、ズルズル。
「こちらへ、どうぞ――」
応接セットがしつらえられた次の間に案内された。ソファを勧められ、ユリと並んで腰をおろす。豪華なつくりのテーブルをはさんで、紳士はあたしたちの正面に座った。この紳士が、WWWAにトラブル・コンサルタント(略してトラコン)の派遣を依頼した地球連邦の駐ラメール首席監察官アラベルである。地元警察によって一度決着がついた事件をわざわざWWWAに提訴した男だ。いかにも切れ者らしい雰囲気を備えている。
「まずは、冷たいものでも飲みましょう」
アラベルはそう言って、テーブルの横についている制御卓のスイッチキーをポンポンと押した。あたしの注文はアイスティ。ユリはアイスココアである。
奥の間から、一辺一メートルくちいの白い箱がシャリシャリと絨毯の上を移動してきた。このホテル自慢の調理用ロボットだ。ロボットは腹から(といっても、頭、胸、腹の区別はつきゃしない)コーヒーとアイスティ、アイスココアを取りだし、テーブルの上にカッブとグラスを並べた。そしてまたひょこひょこと奥の間に帰っていく。
「さて……」頃合いを見はからって、アラベルは言った。「そろそろ始めませんか?」
「いーわよ」
あたしはうなずいた。
「もう、わたしの提出したレボートをお読みになられたと思いますが、念のためにわたし自身がひととおり、この事件の経過を説明いたします。よろしいですね……」
そう前置きして、アラベルはゆっくりと話しはじめた。それは、次のような内容だった。
ことは標準暦で、今から九十四日前にさかのぼる。
その日の早朝、ここ惑星ラメールのトパーズシティ郊外に広がるリゾート海岸として名高いエメラルドビーチに、ひとりの男の水死体が打ち上げられた。
ラメールは、おうし座宙域に属する恒星デルリッタスの第四惑星で、一般に大宇宙の宝石≠ニ呼びならわされている美しい星だ。実際、暗黒の宇宙空間に浮かぶ青緑色のラメールをひと目見れば、誰もがその形容を、むしろ控え目なものと思うのである。
なぜ、ラメールはこれほどに鮮烈な輝きを持つのか? そのカギは海にあった。ラメールには数千にのぼる細かい島々をのぞくと、大陸と呼べるほどの広い陸地は、ただのひとつしかないのだ。海陸比は、実に十七対一。この、世にも美しいラメールの輝きは、海によって、つくりだされているのだった。
そして、その唯一の大陸――ボロホス大陸の西海岸に、トパーズシティはあった。人口百二十八万五千。ラメール最大の都市である。あたしたちの泊まっているアルタネラ・ラメールホテルがあるのも、トパーズシティのダウンタウンだ。
ラメールは独立した惑星国家ではない。地球連邦の委任統治領ということになっている。一応、自治権を持ち、行政府もあるが、議会はなく、むろんそれに付随する立法権も与えられてはいない。いってみれば、半人前の国家というところだろうか――。
理由はラメールが、賭博の惑星として開発されたからである。公営私営を問わず、全土に設けられたカジノは、その数約五万。もぐりの店も含めれば、軽く十万台にのってしまうだろう。いうまでもなく、それらカジノが一年間に観光客から吸い上げるかねは、莫大なものになる。地球連邦は、これをラメール六に対し、連邦四の割合で徴収している。えらく率のいい稼ぎだ。連邦にとって、ラメールはドル箱なのである。ドル箱をむざむざ手放す政府はない。これはどこの惑星国家でも同じだ。現在、銀河系全域には三千をこえる惑星国家が形成されているが、そのうちの二百余の国家が委任統治領としてギャンブル惑星を管理し、六百四十余の国家が各種の鉱業惑星を保有している。この立場は、カジノがかねを生みつづけ、鉱山が貴重な鉱物を産出する限り、永久に変わらないことであろう。
――話が少し横道にそれてしまった。元に戻そう。浜辺に打ち上げられた水死体だ。
水死体は、五十五から六十歳くらいの老人だった。肩と腰に裂傷があり、からだの右半分に打撲のあとがあった。人為的なものではない。船遊びをしていてヨットから落ちたのか、それとも小型の航空機で不時着し、脱出に失敗したのか、類推はいろいろできたが、いずれにせよ事故により遭難したことは、まず間違いのないところだった。そして、当然のようにトパーズシティ市警も、そう判断した。
老人の名は、ベイヤー。五十八歳。老人と呼ぶには、まだ少し若い。国籍は辺境星団五〇五二のマリーネであった。事故の際に失われたのだろう。パスポートなど身元を知る手がかりは一切みつからなかったが、ホテルに残された宿泊カードによって、それが判明したのである。
ベイヤーは死体となって発見される三日前、レンタルのジェット機を借りて南に飛び、そのまま行方不明になっていた。これは状況と、よく合致する。目撃者はいなかったが、洋上に墜落し、遺体だけが三日かかってエメラルドビーチまで漂着したと考えて、何の不自然もなかった。海流のコースも、トパーズシティから南五百キロあまりの地点に着水したとすれば、時間的にも合った。
トパーズシティ市警はこの一件をベイヤーの操縦ミスによる事故として処理し、遺体の引き取り人をマリーネに照会した。が、マリーネ当局からの返答は否だった。ベイヤーには、ひとりとして身寄りの者がいなかったのである。やむをえない。トパーズシティの役所は、市の共同墓地にベイヤーを無縁仏として埋葬した。費用は、ベイヤーの所持金で精算した。ベイヤーの財産は、ちょっとしたものだった。残金はすべて市の条例の適用により、慈善基金に寄付された。
こうしてこの事件はたいした波乱もなく、すみやかに幕を閉じたのであった。
「しかし……」と、アラベルは言った。「わたしにはそれがどうしても納得できなかったのです」
「どーしてよ?」あたしは訊いた。「どーして、あなたが納得できないのよ。監察官宛に|たれこみ《ヽヽヽヽ》でもあったの? あれは事故じゃないって――」
「まさか……!」アラベルは苦笑して、手を振った。「地球連邦の監察官なんて、飾りみたいなものです。何の権限もありゃしません。そんなとこへ密告が、ありますか。委任統治といっても|たてまえ《ヽヽヽヽ》だけで、結局はここの人間が力を持っているんです。たとえばカジノの総元締である全ラメール遊戯振興会理事長のスタンダルフ。かれなんか、一声発すれば、ラメールの全国民が動きますよ」
「ふえ!」
ユリが感心した。えーい、つくづく単純なやつだ。アホめ! この程度のことでいちいち驚いては、世の中センス・オブ・ワンダーの連続になってしまう。たいがいにおし!
「じゃあ……」と、あたしはアラベルに重ねて訊いた。「どーして納得できないなんて言うのよ? まさか、あんたが殺《や》ったンじゃないでしょうね?」
「いい加減にしてください」アラベルは、うんざりしたような表情で言った。「どっから、そんな発想がでてくるんですか?」
「わはは、冗談よ!」
あたしは笑ってごまかした。
「わたしが納得できないのは、この事件を個人的に調べてみて、いくつか不審な点がみつかったからです」
アラベルは少しムッとしたらしく、わずかに声のポリュームをあげた。まずい。ちいっとばかりふざけすぎたらしい。
「個人的にって、あの、どういうこと? 連邦の監察官には、犯罪捜査の職務なンて、ないンでしょ?」
すかさずユリが訊いた。こういうとき、いかにも真面目そうなしぐさのできるユリは便利だ。見た目だけは、しとやかそうだから、立った角も、すぐに取れる。
「もちろんです」機嫌を直したか、アラベルは重々しくこたえた。「監察官という立場とは、まったく関係ありません。あくまでも個人的に調べたのです」
「でも、なんでそンなこと?」
「実は……」と、アラベルは身をのりだした。「死体の第一発見者は、わたしなんです」
ひえ!
あたしは、あんぐりと口を開けた。うぐぐ、最初からそれを言えば話が早かったものを、このくそアホ、もったいをつけやがってからに――!
「浜辺を散策している途中でみつけ、警察に通報したのです」アラベルは得意気にしゃあしゃあと続けた。「こんなことは生まれて初めてですからね、むらむらと興味が湧いてきて、さっそく個人的に調査してみたというわけです。監察官なんて名ばかりの閑職で、時間だけはたっぷりとあるんです。ま、おかげで、じっくりと調べをつけることができましたよ」
「ふーん……」
あたしは少々ふて気味で聞いていた。くそったれ、ヒマをもてあまして素人探偵だと! あたしは休暇もロクすっぽないプロだってのに! う、ブツブツ……。
「で、あなたの調査では、これは事故ではなく、殺人事件だったって、結論がでたのね?」
ユリがまた訊いた。彼女もあたしと似たような気分だったらしく、しゃべり方がいささかつっけんどんだ。
「そうです」
アラベルは、うなずいた。
「そして、捜査権を持たないあなたとしては、その推理をどこにももっていきようがないので、やむなくWWWAに提訴した、とこういうわけなのね?」
今度は、あたしが訊いた。
「そうです」
アラベルは、もう一度うなずいた。
「ふう……」
あたしは、ため息をついた。やれやれ、こんな提訴でWWWAが動いたとはね……。あたしは地球連邦の首席監察官の提訴というから、もっとちゃんとした調査の結果だと思っていたのだ。でも、これじゃあまるで中年探偵団ごっこよ。しかし、これが通ったということは……。
|WWWA《スリーダブリュエイ》――世界福祉事業協会(WORLDS WELFARE WORK ASSOCIATION)は、銀河連合に付属する公共事業機関のひとつである。国籍を問わず、銀河系全域の人類に関して発生したトラブルを対象に、これをみずから解決する、あるいは他の者に解決に至るまでの助言を与えられる能力を有した人材を確保し、養成し、派遣することを目的として、二一三六年に設立された。
WWWAが派遣する係官――トラブル・コンサルタントには、経済、医療、組織工学など、さまざまな分野のエキスパートがいる。それぞれのトラブルに応じて、派遣されるのだ。あたしたちは、犯罪捜査のトラコンで、主として凶悪事件の可能性がある場合に限って、かりだされる。トラコンは各人が専用の宇宙船を持ち、銀河連合に加盟している国家なら、いついかなるときでも出入国はフリーパスである。トラコンの権限は、絶大なのだ。完全に独立した捜査権も認められており、あたしたち犯罪トラコンに至っては武器の使用も制限がない。
しかし、だからといって、トラコンは警察や軍隊と同様のものでは、けっしてない。警察や軍隊なら、どの惑星国家にも必ず存在しているし、銀河連合にも、宇宙船の護衛や国際犯罪者の捜査にあたる連合宇宙軍がある。銀河連合が付属機関として、そのたぐいの組織を新設する必要性は、どこにもないのだ。
WWWAは、人類の利益のためにある。名称のとおり、福祉《ウエルフェア》――『生命の繁栄』が、その理念。だからこそ、WWWAの係官は、トラブルの相談員《コンサルタント》なのである。
WWWAには、銀河系のすみずみから、いろんなルートで、トラブルの提訴が届く。もっとも多いのは、各惑星国家の政府からのものだ。発生したトラブルを政府で処理しきれず、WWWAに持ちこむケースである。また、民間からの訴えも、少なくはない。特に犯罪関係と経済問題の提訴は多い。当事者が、警察や裁判所の決定を不服として提訴してくるからだろう。こうしたとき、WWWAは、政府提訴のケースのように、即座にトラコンを派遣したりはしない。提訴者及び警察、裁判所の両者から事件に関するすべてのデータを提出させ、充分に吟味した上で、ほんの少しでも不可解な部分があったら、いかにとるに足らない小事件であっても、トラコンを現地に派遣するのである。
あたしたちは今の今まで、アラベル監察官の提訴が、政府扱いになっていると思っていた。いくら形式的存在とはいえ、地球連邦の高官だったからだ。しかし、実際は民間提訴だった。素人探偵の疑念は徹底的にチェックされ、銀河連合の中央コンピュータに根拠ありと判断されていたのである。
「不審に感じたことの第一は……」とアラベルは言った。「ベイヤーがマリーネからきた観光客でありながら、まったくカジノに出入りしていなかったことです」
「それが変なの?」
ユリが小首を傾げた。
「変です!」アラベルは、きっぱりと言いきった。「たしかにラメールは美しい星です。海もきれいで、海水浴場の整備もよく行き届いています。けれども、ここへ来る人間は、それだけが目あてで来るわけではないのです。ただ観光や海水浴だけだったら、それにふさわしい星はマリーネから百光年以内にいくらでも転がっています。わざわざ高い運賃を費して、四千三百光年もの旅をしてこなくてもいいのです。ギャンブルをやる気がないのなら――。ここはギャンブルの星。人はギャンブルをやるためにここへ来るのです」
「……」
「わたしは監察官としてここに赴任してから四年になります。四年の間ここに住んで、まだ一度もギャンブルに手をださなかった観光客を目にしたことがありません」
「あら……」
ユリがなにごとか言おうとした。もちろん、自分はギャンブルに手を出していないと言いたかったのだろう。あたしは素早く、それを止めた。そんなこと言いだされた日には、話がよけいややこしくなる。
「ホテルのボーイの証言ですが……」あたしとユリの密かな闘いに気づかず、アラベルは先を続けた。「ベイヤーは毎日、ホテルを留守にしたそうです。行方不明になるまで十一日、滞在しましたが、一日も欠かさず、外出したのです。――行き先はホテルのカジノでもなければ、外のカジノでもない。トパーズシティ郊外の飛行場です。レンタルのジェット機を借りて、連日どこやらへ飛んでいたのです」
「……」
「わたしは飛行場へ行きました。そして、そこのレンタルサービスで、第二の謎にゆきあたりました」アラベルは軽く唇をなめた。「――それは、ベイヤーのジェット機操縦の腕前です」
「ヘタだったの?」
つい引きこまれて、あたしは訊いた。
「いや……」アラベルはゆっくりとかぶりを振った。のってきたらしく、いささか芝居がかっている。「その逆でした。レンタルサービスでは初めての客には操縦能力の確認のため、専属パイロットを同乗させて、試験飛行させます。ベイヤーの腕は超一流で、ややもすると専属パイロットよりも優秀だったそうです」
「ふえ!」ユリが、また感心した。「そんな人が操縦ミスで墜落したのね……」
「おかしいと思いませんか?」
「ベイヤーは毎日、どこを飛び回っていたの?」
アラベルの問いを無視して、あたしは訊いた。
「わかりません」アラベルは、さも残念そうにこたえた。「ただ……」
「ただ……?」
「一日の飛行距離は、ほぼ九千キロでした。これは記録に残っています。時間にして七、八時間くらいですか……」
「借りた機体は?」
「エアロ・グラバース社のE−九〇一〈パイソン〉。ニュータイブの方で、増槽付きです」
「垂直離着機《VTOL》になってるやつだわ。燃料を満タンにして、目一杯飛んだみたいね」
航空機に詳しいユリが言った。
「ちょっと遊覧飛行にしては大ゲサね……」
と、あたし。
「腕が一級品で目的不明の飛行を毎日続けていた男の墜落。疑念を持つな、というのが無理じゃありませんか?」
「そうねェ――」あたしは興味を覚えた。たしかにどっか不自然だ。「ほかにはないの? 不審なところ」
「あとひとつ、真打ちがあります」
アラベルは、いかにも意味ありげに言った。えらい役者や!
「聞かせてちょーだい」
せかすように、あたしは言った。
「ベイヤーの身元です」
アラベルは意外と無造作に言った。
「身元……? 身元って、あによ?」
「ベイヤーのことを詳細に知ろうと思って、マリーネに資料を請求したんです。普通は外にださないんですが、わたしが監察官だったので、特例として届きました。ここにその抜き書きを持ってます。ベイヤーの身体的特徴のところです。読みあげましょう」
アラベルは上着のポケットから、一枚の紙片を取り出した。声をあげて、それを読む。
「……身長一メートル七十六センチ。体重八十二キロ。頭髪ブラウンで、豊富。目はアンバー。額に約三センチのキズあと。人種、主としてコーカノイド云々……と、あります」
「で――?」
「あとは浜辺に漂着した死体の検死記録を見れば、明らかです」アラベルは言った。「身長一メートル六十一センチ。体重五十四キロ。頭髪僅少で、赤みのあるブロンド。目はグレイ……」
「全然、別人じゃない!」
みなまで聞かず、あたしは喚いた。
「そうです」アラベルは強くうなずいた。「死体のベイヤーは、ベイヤーではないのです」
「じゃ、じゃあ、いったい誰なの?」
「それは、わかりませんでした。こちらのベイヤーの身体的特徴をマリーネに送ったのですが、照合不可能という返事がかえっできまして……」
「おかしいわよ! 絶対、それおかしいわ!」
あたしは何だかむやみに興奮し、床の絨毯に向かってしきりに大声を発した。
「でも……」と、アラベルは静かに言った。「もっとおかしいことがあるんですよ」
「え?」
意表を衝かれて、あたしはハッとおもてを上げた。
「トパーズシティ市警です」アラベルは、まっすぐあたしを見ていた。「わたしが入手した程度の情報は、すべて連中も手に入れているという事実を忘れてはいけません」
「あっ!」
あたしは小さく叫んだ。そのとおりだ。トパーズシティ市警が、知らないはずがないのだ。
「にもかかわらず、当局は死体のベイヤーをベイヤーと認め、この一件を事故として処理した……」
「大きな裏のある殺人事件……」
「それが、わたしのだした結論です」
「言えるわよ、それ! 言えるわ! ねェ、ユリ?」
あたしはうわ言のように言った。が、ユリに反応はない。あたしはユリの方に首をめぐらした。「ユリ……?」
ユリはあらぬ方角を見ていた。廊下に通じるドアのあたりである。
「ユリ……!」
少し強い声で重ねて呼ぶと、ユリは夢から醒めたようにピクンと動き、あたしを見た。
「ケイ!」ユリは言った。「なんか、キナ臭い匂いがしない?」
「え?」
あたしは一瞬キョトンとし、それから鼻をヒクヒクさせて言った。
「別に何も……ン? そーいえば……コゲ臭いような……」
「ケイ、見て!」とつぜん、ユリがドアを指さした。「煙が、はいってくる――!」
「げっ!」
ユリの示す先を見て、あたしは息を呑んだ。
ユリの言うとおりだった。白い煙が何十本もの糸のようにドアの隙き間から漏れてくるのだ。
あたしとユリとアラベルは、だっとばかりにドアに駆け寄った。ユリがノブを掴み、ドアを勢いよく手前に引く。
とたんに、塊のような煙が、一団となって部屋の中へとなだれこんできた。
「火事よっ!」ユリが叫んだ。「廊下が燃えてるわ!」
「そんな……!」あたしも負けずに怒鳴った。「非常ベルだって、鳴ってないし、スプリンクラーも作動してないわよ!」
しかし、そんな泣きごとを言っている時ではなかった。荒れ狂う竜の舌のような炎は、もうほんの目の前にまで迫っていたのである。
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3 燃える! いい女が……
鼻がツーンとし、目から涙がボロボロとでた。これはあかん。窒息してしまう!
「ゴホ、グホ、ガホ、ゲホ――」
アラベルが、ひどく咳きこんだ。モロに煙を吸ったらしい。あたしはあわててドアを閉めた。どうせ廊下側に逃げ道はないのだ。とりあえず新鮮な空気を確保しておくことが先決である。
「どうしよう?」
ゼイゼイと喘ぐアラベルの背中をさすりながら、ユリが訊いた。このドアでは、煙を完全にシャットアウトすることはできない。現に、あるかなきかの隙き間を伝って、こちらに煙が噴出している。三間とも廊下に通じるドアがあるから、この部屋が煙で充満するのも、時間の問題だろう。
「換気装置は働いてないの?」
「だめみたい。空気が動いてないわ!」
「ちっ!」
あたしは腰のヒートガンをひっこ抜いた。そのまま窓に狙いを定め、トリガーを絞る。ぶ厚い特殊ガラスは二、三秒でドロドロに溶けて蒸発した。ひんやりとした空気が音をたててはいってきてテーブルの上のグラスを一息になぎ倒す。地上三十九階の風は強い。
「もうドアを開けちゃだめよ」あたしは二人に言った。「フラッシュ・オーバーで爆発するわ!」
「ふみっ!」
ユリがうなずいた。
「だめですっ!」アラベルが悲鳴のような声で言った。「ドアが熱くなってます。このままでは焼け落ちて、どのみちフラッシュ・オーバーです!」
「くっそォ……」
あたしは周囲を見回した。これといって、役に立ちそうなものはない。しかも、照明がみな消えてしまっている。どうやら電気配線がやられたらしい。これでは電話も使えない。
あたしは、窓際に駆け寄った。ヒートガンでぶち抜いた大穴から、そおっと外を見る。風に巻きこまれそうで、いささか怖い。
陽はかなり傾いていたが、空はまだ蒼かった。本当なら夕暮れ前ののどかな昼下りである。いわば、デートタイムだ。こんなみじめに修羅場ってる時間じゃない!
いきなり、あたしの左手で鈍い爆発音がした。
びくっとして首をめぐらすと、十メートルほど離れた同じ階の窓が吹き飛び、そこから炎の柱が五メートルほど伸びて、渦を巻いていた。まるで巨大な火炎放射器だ。誰か宿泊客が不用意にドアを開け、フラッシュ・オーバーをくらったに違いない。
身をのりだして階下の方を窺う。あたしたちのいる三九〇七号室は表通りに面した部屋ではなかった。眼下にあるのは中庭である。その中庭に、あたかもアリの大群を思わせる無数の黒点がぞろぞろとうごめき、広がっていた。逃げまどうホテルの客だ。気がつくと、二十階あたりまでの部屋の窓は、ほとんどすべてが激しい煙の帯を吐き出しているではないか。どうやら、火は下からまわってきたようだ。と、なると、下へは脱出できないのである。窓から飛び降りてしまえば楽だが、三十九階では、いくら反重力を利用した救助用ショックアブソーバネットを用いても、助かりゃしないだろう。
「屋上にはヘリポートがあるわ。あそこまで行けば、ヘリかVTOLが釣り上げにきてくれるよ」
いつの間にかあたしの横にきていたユリが言った。そいつァ、そのとおりだ。しかし、廊下が火の海だってのに、どうやって五十四階の屋上に行くんだよ。このままじゃあ、非常階段にだって、行きつけやしない。
「非常装置が、ひとつも働いていないのは、どう考えてもおかしい!」動転して部屋の中をうろうろと動き回っていたアラベルがようやく落ち着いたらしく、あたしたちのところにやってきて言った。「なにが偶発事故じゃないような気がする」
「言えるよ!」あたしは言った。「あんたの勘はよく当たるしね――」
窓の外には救急隊や警察、それに報道関係のヘリが、ブンブンと飛び回りはじめていた。ちくしょう、あんなにいても、この部屋にいる限り、あたしたちを回収することはできないのだ。ええい、せめて宇宙服でもここにあったらなァ。四十階のあたしたちの部屋には置いてあるというのに……。
あたしたちの部屋!
とつぜん、あたしは閃いた。そして、それはユリも同じだったらしい。あたしとユリは顔を見合わせ、同時に叫んだ。
「ムギっ!」
四〇一一号室には、ムギがいたのだ。あそこまでは、まだ火は回っていないだろう。だとすれば、ムギは必ず来る!
「指輪を……!」
ユリがうながした。あたしは返事する間も惜しく、右手薬指にはめた指輪を左手で掴み、強く握った。指輪はカチリと小さな音をたてた。
「何ですか? それは……」
首を捻りながら、アラベルが訊いた。
「すぐわかるわよ、待ってて!」
ムギがいるという安心感で余裕ができたあたしは、わざと焦らすようにあいまいに答えた。事情のわからないアラベルは、ちょっと不安気である。
指輪のスイッチをオンにしたあたしは、じっと耳を澄ませていた。ムギはどっから来るか、わからない。とにかく常識が通用する子じゃあないのだ。
――四十秒が、すぎた。
「来たわ……」
抑えた声で、ユリが言った。さすがに耳が聡い。
ガリッ、と何かひっかくような音が聞こえた。ユリは上を見ている。天井だ! あたしはユリの視線を追った。
天井には、発光パネルが張ってあった。今は光を失い、ただのグレイのプラスチック板だ。その発光パネルの表面に、いきなり細かいヒビが走った。破片がパラパラと降ってくる。あたしたちは部屋の隅に移動した。アラベルはなかば硬直し、今にも泣きだしそうな表情《かお》をしている。かわゆいわァ。
ヒビが限界点に達した。
凄まじい音とともに天井が崩れ落ちた。真下にあったテーブルが、みごとにひしゃげた。上等のソファもめちゃくちゃだ。
天井にぽっかりと穴があいた。そのギザギザの穴から、黒い影がだしぬけに飛びだした。
「わっ!」
アラベルが驚く。
コンクリートとプラスチックと鉄骨がないまぜになった瓦礫の上に、ひらりと黒い影は舞い降りた。
「わ、わっ!」
アラベルは、ついに腰を技かした。
黒い影は、あたしたちのぺットのムギ――|黒い破壊者《ブラック・デストロイヤー》≠フ異名を持つ先史文明の実験動物、クァールだった。指輪が発信する電波に導かれて、すっとんできたのだ。
クァールを御存知だろうか? 顔は地球産の猫によく似ている。宇宙空間のように黒いからだは、人間よりもひとまわり大きい。両の肩から、先端が吸盤状になった長い触手を二本生やし、耳は絹かい毛のような巻きひげになっている。触手はおよそ人間の腕に可能な作業ならすべてこなせ、巻きひげはこれを震わせることで電波、電流を自由に操ることができる。黒い丸い目は、けっこう愛らしいが、太い四肢に生えているかみそりのように鋭く長い爪は、そういった印象からはほど遠い剣呑さだ。知能もほぼ人間なみかそれ以上で、機能、体力、知力ともに、ほとんど完全に近い生物なのである。
クァールは地球連邦が派遣した学術探険隊によって、ある惑星で発見された。個体数がきわめて少なく、滅亡寸前のところだった。地球連邦はクァールを保護動物に指定し、同時に数頭を地球人にも扱えるよう、おとなしい性質に再改造した。ムギはそのうちの一頭である。ひょんなことがキッカケで、あたしたちにぺットとして預けられたのだ。たぶんクァールを個人的に(といってもユリと二人だが)ぺットにしているのは、銀河系でもあたしたちだけだろう。エサは一日に一個、特製のカリウムカプセルを与える。カリウムカプセルはちょっと高いが、ムギには機械の操作、修理に強いという秀れた能力がある。この能力を借りられることだけでも、カリウムカプセル代くらいの価値は、充分にあるのだった。
「ミギャ……」
短く啼いて、ムギはあたしたちの前に歩いてきた。考えてみると、朝からもう八時間以上も放っておいたのだ。う、さみしがりやのムギに、悪いことをしてしまった。これもみな、ゲーム・ジェノサイド≠ェおもろいからいけないんだ。ぶち、ぶち、ぶち!
ムギはゴロゴロと喉を鳴らして、あたしとユリの足に、そのバカでかいからだをすり寄せてきた。何度も何度も、甘えてこすりつける。
「な、馴れているんですか?」
ショックから立ち直ったのか、アラベルが近づいてきて、おどおどと訊いた。
「馴れてるですって!」あたしは、ざーとらしく眉をひそめた。「ムギはあたしたちのチームメイトよ! そんな言い方しないで!」
「あ……こ、こりゃどうも……」
アラベルはびっくりして、すぐに謝った。
「ちょっとォ……」ユリが口をはさんだ。「そんな呑気なやりとりしてるバヤイとちゃうでしょ。ドアを見てよ。もういかれかかってるのよ!」
うえ! あたしはあせって振り返った。まさしくユリの指摘するとおりである。特殊金属製の壮麗にデザインされたドアが、熱で真っ赤に灼け、今や溶け落ちる寸前なのだ。こいっァ、あと五分ともたない。
「とにかく上へ行こう!」あたしは言った。「もう火が回っちゃったかもしれないけど、四〇一一に行けば宇宙服がある。それ使えば、何とかなるわよ」
「わあった!」
ユリはうなずき、アラベルに向き直った。
「アラベルさん!」ユリはきびきびと言った。「ムギにまたがって!」
「げげ……!」
アラベルは風体に似合わない変な声をあげた。また、硬直が始まっている。えーい、|だらない《ヽヽヽヽ》やっちゃ!
「さっさとお乗り!」
あたしは激怒って、喚いた。もう超弩級のヒスだ。アラベルはバネじかけの人形のようにぴょんと弾け、ムギの背中に飛び乗った。そう! 最初《はな》っからそうすりゃええんじゃ。
「ふり落とされないように、しっかりムギの首にかじりついてるのよ!」
ユリがアラベルに注意した。アラベルは蒼白な顔でギクシャクとうなずき、両の手で力いっぱいムギの首を抱えこんだ。
「上へ行って、アラベルを置いてきて!」
あたしはムギに言った。ムギは、
「ナーゴ……」
と、一声啼き、アラベルを乗っけたまま、軽々と床を蹴った。ひょいと天井の穴の向こうに消える。そして、すぐに空《から》身《み》で戻ってきた。
次はユリだ。銀色ブーツをひるがえし、ムギにまたがる。ムギは、さっと消え、さっと戻ってきた。アラベルよりも、ずっと早い。どうせアラベルは、降りるときも|もたもた《ヽヽヽヽ》しくさっていたのだろう。
あたしはムギをまたぎ、かたちのいいお尻をその背中にそっと乗せた。ムギの全身がぐっとたわむ。跳躍力を貯めているのだ。
と、そのときだった。
ドアが悲鳴に似た嫌な音をたてはじめた。やばい! いよいよ、いかれたのだ。
「急いで、ムギ!」
かくなる上は、ムギをせかせるしかなかった。ムギは跳んだ。直線距離にして、六、七メートルだ。
階上の部屋にでた。四〇〇七号室ということになる。ユリとアラベルが、ボサッとつっ立っていた。突き当たりの壁がぐずぐずに崩れ、直径三メートルくらいの穴を開けている。ムギがこっちへ向かうときに開けた穴だろう。四〇一一号室に続いているはずだ。
「その穴に飛びこむのよ、早く!」
ムギの四肢が床に着くやいなや、あたしは叫んだ。ピンとこないのか、ユリとアラベルは動かない。あたしはもう一度怒鳴った。
「フラッシュ・オーバーよ! 逃げなきゃ、巻きこまれるわ!」
「ひえ!」
まずユリが事態を悟り、壁の穴をくぐった。一拍遅れたが、アラベルもあとを追う。あたしもムギに乗ったまま、この部屋から逃げた。
耳をつんざく爆発音と、床を揺るがす凄い振動がきた。
床の穴から、炎が柱のように立ち昇った。あたしたちは次の間で床に突っ伏していたが、抉るような熱風はそんなあたしたちのからだを容赦なく引きはがし、呼吸を困難なものにした。くすぶっていた廊下の炎が、ドアを破ったことにより新たな酸素の供給を受け、爆発的に燃えあがって炎の奔流となり、ここまで昇ってきたのである。フラッシュ・オーバーと呼ばれる現象だ。
「は、早く、もっと向こうの部屋へ……」
あたしは窒息しかけながらも、二人にハッパをかけた。ムギが三人を縦に並べ、うしろから押してくれる。そのおかげで、あたしたちはやっと進むことができた。それがなかったら、あたしたちはとうに広がりだした炎に呑まれていたのだ。
四〇一一号室に、よたよたと着いた。
さっそくトランクに入れておいたメタライト合金製の透明宇宙服をひっぱりだし、着用に及んだ。
「あのう……」恐る恐るアラベルが言った。「わたしの分はないんでしょうか?」
「ないよ」
ユリがニベもなくこたえた。かわいそうに、アラベルは血の気を失って、ヘタヘタと床に崩れた。
「大丈夫だよ」あたしが助け船をだした。「一・八メートルもあるあんたには、どうせこの宇宙服は着られやしないンだ。でも、別の手段があるから、悲観するンじゃないよ」
「べ、別の手段というと……」
アラベルは、おもてをあげた。
「ムギに掴まって、外の壁を屋上まで登ってもらうンだよ――」
「あ……」
どっかが切れたらしく、アラベルはまた絨毯の上にひっくり返った。
「いい加減におし!」あたしは業を煮やした。「ムギは垂直の壁を登るくらい何でもないのよ。信頼して、命をお預け!」
「し、しかし……」アラベルは、世にも情けない表情《かお》をして言った。「わたしは高所恐怖症なんです」
「お黙り!」あたしは有無を言わせなかった。「高所恐怖症で死んだやつはいないわ! でも、ここでためらってると、確実に死ぬのよ!」
「……」
「さっさとお掴まり!」
「は、はい……」
観念したか、アラベルは固く目を閉じ、またムギの背中に乗った。
「お行き、ムギ!」
ムギは、だっと窓のガラスに突っこんだ。ガラスは微塵に砕け、ムギはホテルの外へと飛び出した。アラベルの長い悲鳴が、いつまでも尾を引いた。
「さて……」あたしは言った。「うちらの番だよ」
「ここもフラッシュ・オーバーが、ありそうだね」
「ドアを爆破して、爆風で対抗しよう。そうしといて廊下にでれば、あとは宇宙服が何とかしてくれる」
「ひどい案じゃ!」
ユリはあきれた。が、すぐに賛成した。ほかに打つ手はないのである。
プラスチック爆弾を、もうかなり熱くなっているドアにセットし、べッドを横倒しにして、その蔭にもぐりこんだ。起爆ボタンを押す。ドアは大音響とともに吹きとび、炎がだっと流れこんできた。しかし、爆風のあおりで、その勢いは猛烈なものではない。
「行くよっ!」
あたしとユリは火炎地獄の廊下に、宇宙服で包んだ身をのたのたと躍らせた。ごうごうと燃えさかる炎の音が、ヘルメットの集音マイクを通して、生々しく聞こえてくる。透明になるほど薄く伸ばしたメタライト合金は、軽く、しなやかで、強靭、しかも耐熱性にも秀れていて、このくらいの火災なんぞへでもないが、それでもこうやって溶鉱炉の親戚みたいなとこを歩いていくのは、決して気持ちのいいことではなかった。
屋上までは、非常階段を使って、十五分ほどかかった。ヘリポートにはムギと、ひどく消耗して目のおちくぼんだアラベルとが、待っていた。手を振り、上空を舞う救急隊のヘリを呼ぶ。ヘリはヘリポートに着陸し、あたしたちを収容した。あらためて客観的に見ると、ホテルは四十一、二階あたりまで文字どおり火だるまである。いやァ、もうホントによく助かったものだ。
パイロットに話をつけ、ホテルから、あまり遠くない空地に降ろしてもらった。火災の詳報を関係者から訊くためである。非常装置が作動しなかったことといい、火事のタイミングといい、アラベルの言うように、これが偶発事故とはとても思えなかったからだ。
「あれ?」
消火隊の本部へ行く途中で、ユリが変な声をあげた。
「どしだの?」
「サンダーとルチアだ!」ユリは一台のエアカーを指し示した。「あれに乗ってるよ」
「ホントだ」
あたしも認めた。野次馬でごった返すメインストリートを、アルタネラ・ラメールホテルとは逆の方角へ進むエアカーが一台いる。それに乗っているのが、例のサンダーとルチアの兄妹だった。サンダーが運転して、妹は助手席に座っている。二人とも、ずいぶん煤けた顔だ。
「あの二人、ずっとカジノにいつづけたのかしら?」
ユリが自問するように言った。
「みたいよ……」
あたしは、ぶっきらぼうに応じた。また深入りしてユリにバカにされたくないのだ。
「ガードマンと悶着おこしてから粘るなんて、いい度胸だわ」
「いーじゃない、そんなこと……」あたしは言った。「それより、早く本部に行こうよ」
「そうね」
あたしとユリは、いずこかへ去っていくサンダーとルチアのエアカーを見送り、それから右手のアルタネラ・ラメールホテルに向き直った。
アルタネラ・ラメールホテルは、壮大な炎の塔と化していた。
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4 黒幕が、どうだってのよ!
聞きこみを終えて、あたしたちはアラベル監察官の官邸に、よれよれになって転げこんだ。一足先に帰っていたアラベルが、あたたかく迎えてくれた。少々荒っぽかったが、あたしたちの働きでアラベルは命永らえたのだ。手厚いもてなしは、当然のことである。ずいぶん粘ってみたものの聞きこみは不調で、あたしたちは芯から疲れ果てていた。それだけに、この歓迎はしみじみ身に泌みた。
「ふぎゃっ!」
客用の寝室に案内され、べッドを前にしたユリは、ブーツを脱ぐのももどかしく、ダイビングして仰向けにひっくり返った。気持ちよさそうに、目を閉じる。べッドからはみだした足の指を、床に寝そべったムギがペロリとなめた。
「キャハハ……」
ユリは笑いだす。たくもう、これがさっきまで猛火の中を逃げまどってた女かね。
「あたしゃ、シャワーを浴びてくるよ」
首から下をバッチシ覆っていた透明の極薄強化ポリマーを専用のクリームで洗いおとしながら、あたしは言った。これで保護されているから、あたしたちはあんなきわどい服装で外を歩いていられるのだ。でなきゃ、商売が商売だから傷だらけになっちまう。
下着から何からみんな脱ぎ捨て、素っ裸になってバスルームにはいった。うんと熱いのとうんと冷たいのを交互に浴び、たっぷりと汗を流してからタオルを巻きつけ、外に出る。小麦色の肌が上気して、ムフフ、色っぽいのだ。きょう一日、酷使したわりにはピチピチと、艶がよい。今ここに男がいたら、一発でメロメロなのだが、残念、いるのはムギと無粋なユリだけだ。
ユリはうつ伏せになって、ベッドの脇のテレビを見ていた。いつのまにか服を脱ぎ、ピンクのスキャンティ一枚というはしたない姿である。ムギはベッドの下で腹に頭をつっこんで丸まり、スヤスヤと寝入っていた。
「シャワー、あいたよ」
あたしはスツールに腰をおろし、声をかけた。
「うん……」
ユリは生返事だ。テレビから目をそらさない。
「熱心に、何見てんのよ?」
どこぞの色男でもでてるのかと思って、あたしは訊いた。それなら、あたしも見る。
「何だ、ニュースじゃん……」
横から覗いてガックリきた。スクリーンに映っているのは、およそ野暮天の中年ニュースキャスターである。うえ! ユリのアホめ、なんちゅう趣味じゃ!
「あーひど! よう見るわ」
そう言って、またスツールに戻ろうとすると、ユリが振り返った。
「うっさいわねェ、ゴチャゴチャと――。例の空間破砕爆弾が、また使用されたのよ! ウェールディの首都がメチャクチャなんだからァ。静かに聞かせてよ!」
「げっ!」あたしは目を剥いた、「ス、スペース・スマッシャーがまた……?」
空間破砕爆弾――通称をスペース・スマッシャー、もしくはSS爆弾ともいう。水素爆弾、分子爆弾、素粒子爆弾など、人類がつくりだした恐るべき性能の爆弾は数々あるが、銀河連合の決議で、その製造及び使用が禁じられているのは、この空間破砕爆弾ただひとつである。
スペース・スマッシャーは、空間構造の次元的根源を破壊するのだ。
ちょっとむずかしくなるが、WWWAのトラコン用のアンチョコの一部を引き写そう。でないと、説明なんてできやしない。
――スペース・スマッシャーは爆弾と呼ばれているが、実際はある種の発振装置とみるのが正しい。多次元存在確率の共鳴波をつくりだして、物質だけではなく、空間そのものを破砕するからだ(なんのこっちゃわからんだろう。ワハハ、あたしもだ)。とにかく、平たく言うと、スペース・スマッシャーは無制御に使われたら、我々の住んでいるこの宇宙まで破壊してしまう凄まじい爆弾なのである。もちろん、その可能性があるということだが……。というのは、スペース・スマッシャーは十一年前、十六基が試作された段階でそういった危険性が指摘され、それ以上の研究と製造が禁止されてしまったからである。当時のレベルでは、まだ惑星の地殻のように物質的不安定要素の強いものにしか多大の効果を持たなかったのだが、それでもこの改良が続けられたら、とりかえしのつかないところまで進むと予測されたのだ。試作品の十六基は凍結され、いずことも知れぬ場所に格納された。どこにあるかを知っているのは銀河連合の中央コンピュータのみである。しかも、その記憶を引き出せるのは、連合の首席だけだ。製造法に関するデータは抹消された。
そのスペース・スマッシャーが、何者かによって使用されたのである。
最初に被害をこうむったのは、惑星国家デルデスの首都デムデンだった。デムデンは一瞬にして消滅し、二百四十万人もの人命が同時に損われた。破壊は直径百五十キロ、深さ八十キロという広範囲に達し、首都とともに政府首脳のほとんどをも失ったデルデスは、国家の存亡すら危うくなるなどの大打撃を受けた。
そして、その戦慄のテロは、一度では済まなかった。
アロールのダル、エクセタスのマカルシティ、ゲルトターラのセコットと、わずか半年ばかりの間に三つの惑星国家の首都が、スペース・スマッシャーによって、地上からその姿を消したのである。死者も一千万人をこえた。ゲルトターラでは地殻の構造がもろかったのだろう、爆発が暴走し、大陸ひとつがズタズタに引き裂かれた。
銀河連合は事態を憂慮し、連合宇宙軍に特別部隊を設けて専任で捜査にあたらせる一方、十六基の凍結した試作品のスペース・スマッシャーに異常がないかをチェックした。だが、十六基のスペース・スマッシャーは、ひとつ残らず格納場所に存在していた。
テロに使われたスペース・スマッシャーは、新たに造られたものだったのだ。しかし、製造法が抹消された今、いったい誰がどうやって、あの恐怖の爆弾を完成させたというのか――。
連合幹部には、焦燥の色が濃くなった。たしかに現在のところ犯人はテロのみを繰り返すだけで、当局には何の要求もしてきてはいない。しかし、もしもこれまでの破壊を背景にして途方もない要求をだしてきたとしたら、銀河連合はそれにいったいどう対処すればいいのだろう。すべての人類に暗い影をおとす巨大な不安が、銀河系全域にじわじわと広がりはじめていた。
ウェルディの首都ロアンダの消滅は、そんな矢先のことだったのである。
「これで五ヵ所か……。連合宇宙軍は、面目丸つぶれだね」
あたしは言った。
「宇宙軍もそうだけどサ……」と、ユリ。「アッサンもきっとあせってるよ」
「とーぜんだろうね。これであせンなかったら、ウソよ」
アッサンはあたしたちと同じ犯罪トラコンで、このスペース・スマッシャー事件に派遣されている男だ。
「ここだけの話だけどサ……」あたしは言葉を継いだ。「あたし、この事件《ヤマ》をやりたかったンよ。すっごい規模だからやりがいがありそうだし、それに、解決すれば、あたしたちの汚名も吹き飛ばせると思ったンだ」
あたしたちの汚名とは、てがけた事件が、すべて血なまぐさい破壊的な様相を帯びてくるということだった。ラブリーエンゼルという愛らしいコードネームがあるのに、ダーティペアなんてひどいあだ名がついたのも、みんなその汚名のせいなのだ。WWWAが派遣するトラコンは事件の性質、内容によって銀河連合の中央コンピュータが選びだす。トラコン自身にも提訴した依頼者にも、選択の自由はない。もしそうでなかったら悪名高いあたしたちは、とっくに引退をよぎなくされているだろう。そのくらい、あたしたちは評判が悪かった。
「それが、あにサ……」と、あたしはさらにボヤいた。「まわってきたのは大事件どころか、チンケな田舎者の殺人事件ときた」
「ちょっと!」ユリが柳眉を逆だてた。「アリーネは田舎じゃないわ! 訂正して! たまたま辺境星団に属しているだけよ」
「わあった、わあった!」
それを田舎って言うんじゃないか、と内心でつぶやきながら、あたしは前言を撤回した。ユリが本気で怒ると、手がつけらンないんだ。もっとも撤回できない部分だってある。
「でもサ、仕事がチンケってのは認めるだろ?」
そう言うと、ユリは渋い表情ながらも、うなずいた。
「そりゃ、まあ、そうね……」
落胆の沈黙が、部屋に満ちた。テレビから流れるニュースキャスターの乾いた声だけがボンボンと響く。
電話が鳴った。
受話器を把ると、アラベルの甘いバリトンが、耳に飛びこんできた。官邸の客室には、テレビ電話は置いてない。
「やあ、おくつろぎのところ申し訳ないが、夕食のしたくができました。階下《した》の食堂にきて下さい。すごい情報を仕入れましたから、それがデザートですよ」
アラベルは一気にそれだけ言った。
「いいわ、十五分待ってね」
あたしは電話を切った。ユリがさっそくシャワーを浴びに行く。夕食と聞いて、ムギも目を醒ました。カリウムカプセルなんてどこででも食えるのに、こいつは形式を重んじるのだ。
トランクを失って、用意してきたドレスがパアになったので、またいつもの銀色の服とブーツを身につけて、食堂にはいった。食堂は、さすがに地球連邦高官の官邸だけあって、ゴシック風の擬った造りである。
白いテーブルクロスが目にしみるバカでかい食卓に、ユリと並んでついた。アラベルは正面にいる。ほかには誰もいない。給仕はアンドロイドだ。おかげで食卓は、片方の端しか使われないこととなった。
食事は豪勢なフランス料理だった。ゲブレ産のぶどう酒もうまい。目一杯、食べて飲んだ。小食のユリが、がっつくなという目つきでこちらを睨むが、気にしない。別に無理してつめこんでいるわけではないのだ。
食事が終わり、デザートもすんで、お茶になった。頃合いである。
「もうひとつデザートがあるんでしょ?」
あたしは言った。
「すっごい情報なンですって?」
ユリも期待に目を輝かせている。
「まあ、そうせかさないで――」アラベルは悠然と葉巻をくゆらせながら言った。これがあのムギの背で悲鳴をあげてた人とは、とでも思えない。「実は、わたしも今夜のことで本気になりましてね……」
葉巻を灰皿の上に置いた。
「個人的に調査していたのをやめて、情報部《サーカス》の駐在員《エージェント》を動かしたんですよ」
「やるわねェ……」
ユリがまぜっかえした。
「さすがにプロは違いますな」気にせず、アラベルは続けた。「あっさりと、警察に干渉していた大黒幕を見つけだしてきましたよ」
「誰なの?」
もったいをつけてるのか、また葉巻きを一服吸って、それから言う。
「全ラメール遊戯振興会理事長のスタンダルフです」
「えっ?」
あたしとユリは、あまりのことに仰天して、腰を浮かせた。スタンダルフといえば、一声かければ全国民が動くという、ラメールきっての大物ではないか!
「どーして、そんな実力者が、たかだかマリーネからのおのぼりさんの事故死に関わってくるのよ?」
横でユリが、|たかだか《ヽヽヽヽ》とか|おのぼりさん《ヽヽヽヽヽヽ》だとかの言葉に白い頬をビクビクと震わせていたが、あたしは構わず言った。
「残念ながら……」アラベルはしかめ面になった。「いかに優秀なエージェントといえども、三、四時間ではとてもそこまでの調査はすませられません。あと数日の時間は必要でしょう」
「待てないわ!」ナプキンをテーブルの上に叩きつけ、あたしはきっぱりと言った。「数日なんて待てないわよ」
「し、しかし……」
「しかしじゃないでしょ!」
「で、ですが……」
「ですがじゃないでしょ!」
「ど、どうしようというんですか?」
「スタンダルフは、いつもどこにいるの?」
「に、二十五丁目の全遊振ビルです。三十一階が、かれの執務室になってまして……」
「今から行くわ! 連れてってよ――」
あたしは立ち上がった。
「ちょちょちょっと……!」アラベルは真っ青になった。「もう真夜中ですよ。そんなムチャな……」
「忍びこむのは真夜中が相場よ!」あたしは速射砲のように喚いた。「思いたったら吉日っていうじゃない。ムギ連れていくから、エアカーを用意してよ!」
「ほ、本気ですか……?」
「あたしはいつだって本気よ!」胸をはってみせた。「ねェ、ユリ!」
「そっ」ユリは言った。「本気のアホよ」
ぬかせ!
アラベルはしばらく逡巡していたが、やがてあたしたちの決心が変わらないとわかると、首を振り肩をすくめて食堂をでていった。エアカーを車庫からひっぱりだすためである。その間にあたしたちは二階の客間に戻り、ヒートガン、レイガンをぶちこんだホルスターを腰に下げてきた。
玄関にでて、アラベルみずからが操縦する大型のエアカーに乗りこむ。
さすがにギャンブルの惑星。深夜だというのにネオンやらレーザーサインやらが派手にきらめく市中を時速百二十キロでひた走り、二十分ほどで全遊振ビルのそびえたつ二十五丁目に到着した。
「気をつけて下さいよ……」
アラベルは、いかにも心配そうだ。ムギが不快気にガルルルと喉を鳴らす。信用されてないと知ると、ムギは機嫌が悪くなる。
エアカーを降りて、全遊振ビルの正面玄関に向かった。アラベルの大型エアカーは、すぐに闇の中に消えた。
「さて……」低い声で、あたしは言った。「どっからはいろうか?」
「正面玄関でいいよ」ユリで面倒くさそうに応じた。こいつはいつもこうだ!「この辺、人通りも少ないし……」
結局、ユリの意見が通った。ホントウにこのあたりは人通りがなかったからだ。それに裏口の方がガードマンのいる可能性は高い。
あたしたちは正面玄関を覆うシャッターの前に立った。ムギの出番である。
ムギの、耳のかわりについている絹かい毛の巻きひげが、夜目にもそれとわかるほど激しく震えた。クァールは、これによって電波電流を自在に操ることができるのだ。シャッターのロックは電磁錠である。そのほかの鍵も似たようなものだ。ムギにしてみれば、無防備も同然であろう。
シャッターは、あっけなく開いた。むろん、ムギは非常ベルのスイッチも切っている。誰もあたしたちの侵入には気がつかない。監視用のTVカメラもあるはずだが、今頃、その画面はぐしゃぐしゃに乱れていることだろう。
見とがめる者もなく、あたしたちはエレベータに乗った。三十一階までは、あっという間である。運転はされていなかったが、これもムギが動かした。
三十一階は、他の階と違って、煌々と発光パネルが輝いていた。
「どっち?」
ユリがあたしの耳もとに唇を寄せ、囁いた。そんなこと、わかるもんか!
「あっちだろ――」
でたらめ言って、歩きだした。驚いたことに、ユリもムギも素直についてくる。
長い廊下沿いに、何の表示もないドアが、ずらりと続いていた。どうなってンのか、見当もつかないので、とにかく前に進む。と、いくつめかのドアの前に立ったとき、かすかに男の声が聞こえてきた。ここには人がいる。
「ムギ……」
あたしは小声でムギを呼んだ。ムギはすぐにきた。
「このドア、二センチばかり開けて」
ムギの巻きひげが震えた。ドアはかっきり二センチ、音もなく開いた。あたしはそおっと中を覗きこんだ。
「!」
あたしの血が沸騰した。あわててユリを掴まえ、隙き間に顔をつけさせる。ユリの背中が、びくっと痙攣した。悲鳴をあげそうになるのを、必死でこらえたのだろう。
隙き間から、前よりもいっそうはっきりと会話が聞こえてくる。
「……ロチョロできるのも、今夜限りだ。じきに始末して、海に叩っこんでやる。覚悟してな……」
ごつい黒人が、手かせ足かせをはめられて床に転がる男女に向かって言っているのだ。
顔面をひどく腫らして倒れている男女は、サンダーとルチア。そして黒人は、アルタネラ・ラメールホテルのカジノのガードマンのひとりだった。
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5 見て見て! あたしのカーチェイス
「どっ、どーしよう……?」
ユリが訊いた。顔がひきつっている。幼ななじみの危機を目のあたりにして、気が動転してしまったらしい。だらないわね、何のためにWWWAで一年も辛い訓練を受けてきたのよ。
「ブラッディカードをおだし!」
あたしは言った。ユリはハッとして、こちらを見る。
「助けたいンだろ? だったら、コソコソとはできないよ」
「うん……」
あたしのセリフにユリは小さくうなずき、ポケットからトランブほどの大きさの銀色のカードを一枚、取りだした。|血まみれ《ブラッディ》カードである。厚さ〇・六ミリのテグノイド鋼でできており、四辺は鋭く研がれて、エッヂ状になっている。投げればイオン原理により二時間くらいはゆうゆうと飛行し、また、手もとの送信機を使って操縦することもできる。特徽はなんといってもその切れ味で、速度が充分なら、厚さ二ミリのKZ合金すら、すっぱりと切り裂く。単純だが、効果的な武器なのだ。
あたしは続けて言った。
「こんな隙き間からじゃ、ほかに誰がいるのかまではわかンない。だから高度一メートルで、部屋中を駆けめぐらせンのよ! 二人は横になってるから巻きぞえはくわないわ」
「わあった……!」
ユリの顔のひきつりがおさまった。どうやらいつもの調子が戻ってきたらしい。あたしは、ムギにも言った。
「あんたは、ここで見張ってンのよ。誰かきたら遠慮はなし、ぐっちゃぐちゃにしてやって!」
「ガルルルル……」
ムギは低く唸って、返事にした。つまらん役だが、しょーがねェや、という感じに聞こえる。まったく血の気が多いンだからァ……。
あたしは視線を隙き間の向こうに戻した。
どらから持ってきたのか、黒人はレイガンを手にしていた。狙いをサンダーの額につけている。ヤバい! いよいよ殺る気だ。
「お投げ!」
タイミングもなにもない。動くのが先だった。
ユリは思いっきり手首のスナップを利かせて、ブラッディカードを部屋の中に弾き飛ばした。と、同時に、ムギがドアを全開にする。あたしとユリは、すべりこむような体勢で、部屋の中央へと一気に躍りこんだ。
「ぐわっ!」
「がっ!」
凄まじい悲鳴があたしたちの頭上でいくつも交差した。上体をおこすと、目の前は飛び散る鮮血で真っ赤だ。黒人の男はまだ立っているが、首から上がない。サンダーたちにレイガンを向けるため、からだを低くしていたからだろう。
ブラッディカードに切り裂かれてのたうちまねる男は、ほかに三人いた。いずれも胸か、その周辺を朱に染めている。うち一人は心臓を抉られて即死だ。あとの二人も反撃にでられるほど軽傷ではない。
「サンダー!」
ブラッディカードを回収する間もあらばこそ、ユリがサンダーのもとに駆け寄った。な、な、なんだ! 抜け駆けではないか! 負けじとあたしも走った。
「サンダー……!」
ユリがサンダーを抱きおこした。うっく、完全に先をこされた。残っているのはぐったりと倒れているルチアだが、むろん女なんぞ助けおこす気はない。ほっとく。いささかぶざまだが、ユリの横に並んで、サンダーの顔を覗きこんだ。い、いじましい!
「ユリ……」
うつろな目を開けて、サンダーがポツリと言った。ユ、ユリですって――! どーして、ケイって言わないのよ! そう思って逆上したが、よく考えてみると、サンダーはあたしの名前を知らないんだった。うげげ。
「サンダー……!」
ユリはサンダーの手を把り、目にいっぱい涙を浮かべていた。雪のように白い肌を情熱の涙が、幾筋も幾筋も伝う。うるわしい光景だが、憎たらしい。こんなマネをいつまでもさせておくわけにはいかない。ひきはがすに限る。
「急いだ方がいいわよ」あたしはいかにも心配しているように、しかし、容赦なく言った。「もうバレてる恐れがあるわ!」
強引にサンダーの手とユリの手を離させ、サンダーの肩にあたしの手を回した。
「ユリはルチアの方をお願い! あたしはサンダーを運ぶわ」
あたかも成り行きでそうなったものとみせかけて、あたしはユリに命じた。あせっているユリは、何も疑わない。せかせかとルチアの様子を見に行く。
あたしはサンダーを抱えて立ち上がった。う、男じゃ男じゃ。伝わってくる体温がぬくい!
「ユリ……」
サンダーが、またつぶやいた。こりゃ、あかん。これを言わせてはだめだ。あたしはサンダーに、そっと囁いた。
「ユリはいないわよ。非情にも、あっちに行っちゃったの。あたしはケイ。あたしがついてるわ。ユリよりステキよ! ユリよりきれいよ! ユリより美人よ!」
トントン、と誰かが背中をつっついてきた。ええい、うっさい! 今いいとこなのよ! そう言おうとして、パッと振り返ると、ユリが凄い形相でそこに立っていた。や、やば! ニタッと笑うと、ユリは喚いた。
「あンた、何てこと言うの! ちょっとひどいンじゃない!」
理屈はユリの言うとおりだが、あたしゃ理屈より感情が先に立つ。負けるもんか泣くもんか! キンキン声で言い返した。
「お黙り!――」
だが、現実は、そんなアホなことをやっている場合ではなかった。ひょうたんから駒ではないが、本当にあたしたちの侵入は気づかれ、廊下では少し前からムギを相手にドンパチが始まっていたのである。
「ミギャオ……!」
レイガンに追われて、ムギがこちらへと飛びこんできた。いかに超生物のクァールとはいえ、レイガンの挾み撃ちをくらってはたまらない。
「ユリ!」
あたしは目で、ユリに合図をした。ユリはこっくりとうなずく。やってきたムギの背中にサンダーとルチアをのっけた。ちと重いだろうが、ムギに運んでもらわなくては闘いようがない。
あたしとユリは腰のレイガン、ヒートガンをぶっこ抜き、壁にからだを密着させて、ドアの両側に立った。カンカンと足音が響き、それがこちらに迫ってくるのがわかる。右だ。ユリが、またブラッディカードを取り出し、構えた。ピッと指先で、右に投げる。
「ギャッ」
と、叫び声があがった。魂消る悲鳴だ。それが号砲一発になった。あたしとユリは、ダイビングするように廊下へ飛びだし、左に向けて、レイガンとヒートガンとを闇雲に乱射した。
糸みたいに絹い光条と、オレンヂ色の熱線が、そこに集まっていたごつい男どもを、灼き、貫いた。男どもは断末魔の絶叫をはなって、次々と床に倒れた。このビルのガードマンだ。手にレイガンを握っている。肉の焦げる臭気がひどい。
ブラッディカードがたっぷりと血を吸って戻ってきた。廊下の反対側は、まるで肉屋の倉庫だった。ムギが、サンダーとルチアを背負ったまま、のっそりと部屋からでてきた。
「エレベータへ!」あたしは怒鳴った。「とにかく逃げるのよ!」
しかし、エレベータのまわりは、すでに|ドイツ機甲師団《パンツァー・ディヴィジォン》を迎え撃つマジノ線のようになっていた。二十人近くはいるだろう。ズラリと並んで、大型のレーザーガンを腰だめに構えているのだ。ガードマンの服装をしているが、雰囲気はまったく違う。ガードマンなんかじゃなく、連中はヤクザだ。
連中はあたしたちを見つけ、発砲してきた。強力なレーザー光線が、壁を灼き、擦過する。あわてて、あたしたちは、通路に設けられたくぼみに身を隠した。反撃するが、三十メートルも距離があっては効果なんてありゃしない。このままでは、だめだ。
「ガルルルル……」
ムギが唸って、巻きひげを宸わせた。
ふっと、発光パネルが消えた。
ムギが回路を切ったのだ。とつぜんのことで目が慣れていない。周囲はほとんど真の闇になった。チャンスである。
「行くわよ!」
壁にぴったりとからだを張りつけ、あたしたちは全速で走った。ときおり連中の発射するレーザーガンの光条が闇を切り裂くが、どれもこれもとんだ見当違いの方向に進む。距離は一気につまった。そろそろ、目が慣れはじめている。
あたしたちは勢いよく床に身を伏せ、腹這いのまま数メートル滑走した。摩擦熱は強化ポリマーがカットする。ムギは先ほどのくぼみから動いていない。
だしぬけに、発光パネルが点灯した。消えたときとまったく同じ唐突さだ。
「わっ!」
ガードマンの恰好をした連中は目をくらまされ、うろたえた。距離は五メートルとない。二十人近くいても、烏合の衆だ。
レイガンとヒートガンが、文字どおり火を噴いた。悲鳴と怒号が渦巻き、炎と光線が左右を飛び交う。連中は、みるみるその数を減じた。十人、……五人……四人……二人……。
最後のひとりが、黒焦げになった。
すかさずムギが走ってきて、エレベータの扉を開けた。と、同時にあたしたちは乗りこんだ。エレベータが動きだす――。
「待ってけれ……」
今にも消え入りそうな声で、サンダーが言った。
「待ってけれ! 下へ行くでねェだ。上へ行くだ。上に――屋上に、おらたちが乗ってきたエアカーが置いてある。短時間なら高々度を飛べる強力なやつだ。やつらはまだ、そのことを知らねェだ。下に行くと逃げきれねえ。上に行くだ……」
サンダーの声が細くなり、そして跡切れた。気絶したのである。残るすべての気力を振り絞って、これだけ言ったのだろう。|なまり《ヽヽヽ》さえなければ、感動的な場面だ。
「どうしよう?」
ユリが訊いた。エレベータは、とりあえず停まっている。
「サンダーの言うとおりだね」あたしは言った。「エアカーがあるなら、上に行った方がいい」
「そうよね。そうした方がいいわよね」
ユリも賛成した。エレベータは、上に向かって動きはじめた。発声器官の違いで、ムギは人間の言葉をしゃべることはできない。しかし、こちらが話すことの意味は、完全に理解している。
屋上に着いた。
エアカーは、すぐに見つかった。非常階段の脇にカバーをかけてカモフラージュしてあった。さっそくカバーをはがす。昼間、アルタネラ・ラメールホテルの近くで、二人が乗っていたエアカーだ。どこへ行くのかと思っていたら、ここへ来ていたとはねェ。まったく世の中、何があるかわかったもんじゃない。
搭乗して、発進させた。操縦者は、あたしだ。ユリの表情がちっとばかし曇ったが、じゃかァし、任しとけ!
夜はまだ明けていなかった。そりゃそうだろう。このビルに侵入してから、まだ一時間と経っちゃあいない。もっとも空は真っ暗だったが、下はギンギラギンの照明で、昼間のように明るかった。
あたしはエアカーをいったん闇の中に舞い上がらせ、それから手近なビルを巻くようにして降下させた。エンジンはさすがに強力なやつを積んでいるらしく、出力には充分な余裕がある。高度警告装置は取りはずしてあるのだろう。ハイウェイ基準高度の十五センチをはるかにオーバーしているのに、警告ブザーはまったく鳴らない。
高度三十メートルでビルから離れ、エアカー用のハイウェイに向かった。あからさまな交通違反だが、誰も見とがめるものはいない。しかし、いたところであたしたちはWWWAのトラコンなのだ。問題はない。
ハイウェイにのった。とりあえず、行き先はアラベルの官邸だ。お荷物を二人も連れて、アラベルには迷惑な話だろうが、ほかにあてがないのだ。勘弁してもらおう。
「ケイ……」助手席のユリがポツリと言った。声が硬い。「追ってくるのが、いるよ」
「まさか……!」
そんな馬鹿な、と思いながら、あたしは後方視界スクリーンを見た。ヘッドライトの強い光芒が、すうっとスクリーンの上をよぎる。うしろに一台くっついていることだけは確かだ。けれど、それが尾行車とは断定できない。
「あいつ、ハイウェイの上からはいってきたんだよ」
ユリは顎をしゃくった。なるほどそれが事実なら、はっきり怪しいと言える。エアカー専用のハイウェイにバイパスからでなく、上からはいってくるなんて、あたしたちでなければ、あとやりそうな人種は決まっている。犯罪者か、そのたぐいの連中だ。
「速度を上げてみよう」あたしは言った。「このエンジン凄いから、五百キロは楽にでる。これでついてきたら、そうとうの覚悟を持ってるってことになるわよ」
「冗談じゃないわ」ユリが色をなした。「あんたの五百キロにつきあう覚悟は、まずあたしが持ってなきゃなンないのよ! 上げるんだったら、それを聞いてからにして!」
「わはは、無視する!」
あたしはエアカーの後尾噴射をマキシマムにもっていった。スピードメーターが、ぐうんと昇っていく。かなりの加速だ。Gがあたしのからだをバケットシートに、じわじわと押しつける。
時速五百キロに達した。
ハイウェイに沿った照明やネオンサインが、まるでワープ時の星々のように、ビュンビュンと後方へ尾を引いて流れていく。気、気持ちがいい! 運転はこうでなくっちゃ……。
「見なよ、ケイ」ユリが言った。「しっかり、ついてくるよ」
あたしは、ちらっと視線をスクリーンに走らせた。頬がピクンと動く。映っているのは、たしかにさっきと同じへッドライトだ。御ていねいに、車間距離もほとんど一定を保っている。
「わかったら速度を落として!」ユリは皮肉たっぷりにつけ加えた。「そろそろあたしの神経が限界に達するわよ」
フン、ぺッ! あたしは鼻を鳴らして、後方噴射を絞った。臆病者め! お前なんかにエアカーに乗る資格があるもんか!
エアカーの速度が三百キロ台に落ちた。せいぜい通常のクルージングなみである。うまらん。つまらん。
「野郎……」ユリがつぶやいた。また何かあったな、と思って、あたしはスクリーンを見る。
「ちょっかいをだしてくる気だ」
へッドライトの光が、急速に大きくなりつつあった。画面全体がハレーションをおこしかけている。やつは、さっきまでの速度をまったく落としていないのだ。
「に、逃げた方がええだ……」
ふいに、うしろから声がした。サンダーの声だった。ユリがあわてて首を捻り、シートごしに振り返った。
「サンダー……」
いかにも心配そうに言う。ぐ、ぐやじ! あたしだって操縦さえしてなければ……!
「逃げた方がええンだ!」サンダーは言った。どうやらルチアともども意識を取り戻したらしい。
「あいつらは人殺しなんぞ、何とも思っていない連中だ。捕まったら、どんな目にあうかわからねェだ……」
「なに言ってンのよ!」あたしは笑って言った。「あたしたちはWWWAの犯罪トラコンよ! 見損なわないで! あんな連中、スクラップにしてやるわ!」
「そうか……」サンダーも、かすかに笑った。「あんたらは、ダーティペアだっただな――」
「ぐ――!」
あたしは絶句した。む、むごい。サンダーみたいなハンサムに、それだけは言ってもらいたくなかった。そんな呪われた、おぞましい、悪夢のような蛇蝎の名を……。やめて! 口にしないで! あたしたちのコードネームは、ラブリーエンゼルよ!
後続のエアカーとの距離が、ほとんどなくなった。いよいよ修羅場になる……。
あたしは下面噴射を全開にした。
上から圧しつぶされるようなショックとともに、エアカーの高度が、ぐんと上昇した。と、赤いレーザー光条が、うしろのエアカーから、パパパ……と放たれる。輻のような光線は、エアカーのはるか下方にそれた。ざまをみ! なめんじゃないよ!
あたしはエアカーを反転させた。殺られる前に殺れ! 逆襲してやるのだ。
「おやめ! ケイ」
攻撃にでる気配を敏感に察したか、ユリが叫んだ。えーい、遅いのじゃあ! 逃げてばかりでは、勝てんわい。
敵のエアカーの屋根めがけて、逆落としになった。もろうたぞ! これでこの勝負はいただきよ。
「ユリ、窓あけて、レーザーをお射ち!」
あたしは怒鳴った。エンジンだろうが操縦席だろうが、ぶち抜けば終わりだ。ぶうたれていたユリも、この指示には、すぐ従った。
――ところが。敵もさるもの、なかなかやる。絶好の位置からの必殺の一撃をひらりとかわしたのだ。
「あっあっあっ……」
みごとな加速と操縦能力である。声にならない声をあげているうちに、あたしたちは、あっさりとバックを取り返されてしまっていた。うじゃあ、万事休す! たちまちレーザーが車体のあちこちを擦過しはじめる。
「こんなことになると思ったよ」
ユリがあからさまに軽蔑して言った。じゃかァし! これからじゃ!
あたしはまた速度を限界まであげた。しかも、その上に、ハイウェイをはずれてビルとビルの谷間につっこんだ。
「ひ、ひえ……!」
ユリがかすれた悲鳴をあげた。度胸なし! こんなンが、怖いの?
つっこんだのは、かなりの高層ビル街だった。トパーズシティの行政区だろうか。それでもしっかりカジノの看板があるのは、さすがにラメールである。
あたしはもう、メチャクチャ、ガタペチョ、闇雲にエアカーを走らせた。――いや、飛ばせたというべきか。方向なんて、ない。右に左に上に下に、もうヤケクソになってぶっとぱした。――なのに、敵のエアカーのやつ、しっかりくっついて、おまけにレーザーまで射つのをやめない。なんちゅうやっちゃ!
いきなり、目の前にビルがきた。
それはもう、本当にだしぬけのことだった。あたしは全身の毛を逆立てて、後尾上方噴射と前部下方噴射を最大にした。ユリがギョエッとかなんとか悲鳴をあげ、耳がキーンと痛くなる。軽く六Gはこえている感じだ。頭がくらくらし、吐き気がこみあげてくる。
ドカーン、とどこか遠くで爆発音がした。あたしは加速を緩め、ゆっくりと高度を下げた、爆発は遠くではなかった。Gで、耳がいかれていたのだ。あたしの、あまりに刹那的な操縦にとうとうついてこられなくて、あたしたちを追っかけていたエアカーが、さっきのビルの真ん中に、時速五百キロでぶちあたったのである。ビルにとっちゃ迷惑な話だが、夜の官庁ビルに人のいるはずもない。どうせ修理には保険がおりるだろう。
「ほーっほっほっほ……」
あたしは得意の絶頂にあった。なんたって、あんな凄まじいエアカーチェイスをやらかして、しかも圧勝したのだ。気分は最高である。ユリは恨めしげな表情で、こっちを睨んでいるが、結局なァんにも言えない。当然! あたしのこの腕前があってこそ助かった命なのである。言えるはずァないんじゃ。あたしは浮かれて、エアカーをジグザグにはねまわらせた。
その慢心が、足をひっぱった。
「ケイ、前!」
ユリが喚いた。あたしは目をみひらき、レバーをぐっと握った。しかし、もう間に合わなかった。
エアカーの行く手に、けばけばしいレーザーの広告タワーがそびえたっていた。エアカーは、そのトラスに組まれた鉄骨の中に、モロにはいりこんでいたのである。
エアカーの外鈑がはがれる音が響き、エンジンのつぶれる感触がビリビリと伝わってきた。ガグン、と高度が下がった。気がつくと広告タワーの中は抜けており、その華やかな光は、とうに後方にあった。が、それでもエアカーは、失速するのに充分な被害をすでにこうむっていた。火と煙が、車体のあちこちからもくもくと噴き出している。
「ボケ! スカ! アホ! 三流! イモ! オカメ! 土偶! 赤毛!……」
ユリのあらん限りの罵声を浴びながら、あたしは必死の思いで、ガタガタになったエアカーを、目についた公園の真ん中へと不時着させた。
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6 でたっ! これがうちらのスーパー能力
「ンでもって、どーしてあんなとこにいたのよ?」
ほうほうの態で炎に包まれかけたエアカーの中から脱出し、ぎゃいぎゃい喚ぎつづけるユリを黙らせてから、あたしたちは公園の芝生の一角に車座になって、サンダーとルチアに訊問を開始した。
「おらたちは……」と、なかなか胸襟をひらこうとしなかったサンダーが、あたしたちの熱心な説得にようやくかたくなな態度を解いて、言った。「復讐のために、このラメールさ来ただ……」
「復讐? 誰の?」
意外な答に、あたしは驚いた。
「ラッセル博士のだ」
サンダーは、あたしたちがハッとするほど真剣なまなざしで言った。
「ラッセル博士?」
あたしとユリは同時に声をあげた。ぜんぜん知らん名だ。ユリも同じらしい。あたしはともかく、幼ななじみのユリですら知らないなんて、どーいうこっちゃ。マリーネからわざわざこんな所まで、兄妹ふたりが復讐にやってくるのである。古くからの知り合いか、さもなくば、よっぽど大切な人なのだろうに……。
「ラッセル博士は……」サンダーはうつむき、声をおとして続けた。「おらたちの大恩人なんだ」
「あたし――」と、ユリが口をはさんだ。「そのラッセル博士って人のこと、記憶にないわ」
「ユリが、ヨーチャに帰った年の暮だ……」サンダーは、悲しげな目をユリに向けた。「おらたちのおとうとおっかあが、散水装置の事故で、死んだんだ」
「おじさまとおばさまが――!」
ユリが顔色を変えて、叫んだ。目を大きく見ひらき、全身をわなわなと震わせている。
「ンだ……」サンダーはかすかに顎を引いた。「おらたちは、いっぺんにみなし児になってしまっただ」
「そんな……」ユリは両の拳を並べて、口もとにあてた。目に涙が光る。「あたし、ちっとも知らなかった……」
サンダーは、ゆっくりと首を左右に振った。
「ユリがすまながることはねェだ。心配をかけたくなくって、おらたちがわざと報せなかったんだ。知らねえのが当然だら!」
「……うん……」涙をふきながら、ユリはコクンとうなずいた。「そう言ってもらえると、嬉しいだ……」
そして、互いに見かわす熱い視線。ふわふわ漂うハートの大群。――な、なんだ、これは? こんな! こんな恐ろしいことが許されるのか? 神は死んだのか? 男がユリに――!
「ちょっと……!」あたしは事務的にキビキビと言った。「時間がないわ。急いで先を続けてくれない?」
「え……あ、ああ……そうだな……」サンダーは夢から醒めたような表情《かお》になった。「ど、どこまで話したっけ……?」
「御両親が亡くなられたとこよ」
答えるあたしの声に、抑揚はほとんどない。
「ンだ。たしかにそうだ。すまねえだ」
いかにも淳朴そうに、サンダーは言った。あやまる瞳のすずやかなこと。いやっ、その目でユリなんか見ないで!
「――みなし児になって途方に暮れていたおらたちを引きとって育ててくれたのは、近所に住んでいたラッセルという博士《せんせい》だった」あたしのたぎる思いも知らず、サンダーはとつとつと話す。「ラッセル博士は、すンばらしいお人だった。いつの頃かマリーネに流れてきたよそ者の上、ずうっと独身のひとり暮しだったもんで変人扱いされとったが、根はやさしい、最高の人格者だっただ」
「なるほどねェ……」
あたしは相づちを打った。そうすると、あたしとサンダーが、二人っきりで話をしている気分になれる。……くく、むなしいなァ。
「もう標準時間で四か月近くも前になるだ。博士はとつぜん、ラメールに行ってくると言いだした。おらたちは、もちろん仰天しただ。ラメールといえば名高いギャンブルの星だ。そんなとこに、なんで博士が行かれるのか、おらたちには理由がさっぱりわからなかっただ。一時は、冗談かとも思った。でも、そうじゃなかった。博士は本気だった。
そして、おらを呼んで、こう言っただ。
サンダー、わたしはどうしてもラメールに行ってこなければならない。わたしにはその責任があるのだ。ひょっとしたら、生きては帰れないかもしれない。サンダー、わたしがラメールで死んだら、それは殺されたのだと思ってくれ……=v
「それで、亡くなられたのね?」
ユリが訊いた。黙れ下郎! 口をだすな!
「ンだ――!」サンダーは沈痛な面もちでうなずいた。「九十四日前に、死体となって、エメラルドビーチに打ち上げられただ。おらは警察に刑事として奉職していたが、すぐに辞表を叩きつけ、ルチアとともに、ここサ飛んできたんだ……」
「九十四日前? エメラルドビーチ?」まさか、という思いにかられながら、あたしは叫ぶように訊いた。「それベイヤーって人と同じ……」
「ベイヤーは……」あたしのセリフがおわらないうちに、サンダーは言った。「ラッセル博士がラメール入国の際に使われた偽名だ」
「ひ、ひえーっ!」
あたしとユリは、それこそもう最大限に度肝を抜かれた。な、なんちゅうことじゃ! あたしたちの追っていた事件《ヤマ》の裏が、こんなとこで取れるなんて!
「どうしただ?」
あたしたちの驚きようを見て、今度は逆にサンダーが訊いた。あたしたちは、ラメールに来た理由と、なぜ全遊振ビルに忍びこんだかを、かれに話した。
「やっぱり!」サンダーの双眸が燃えた。「やっぱり、あそこが怪しかっただか……」
「なぜ、あそこサ目ェつけただ?」
ユリが訊いた。しっかりマリーネなまりがでてしまっている。
「カジノで因縁つけてきた連中のあとを尾けたンだ」サンダーは、こともなげに言った。「そしたら、あのビルの中にはいった。ラメールにきて三か月。何の手がかりも掴めないでいたおらたちは、一も二もなく、暗くなるのを待って、あのビルに潜入しただ」
「はーん……」あたしは唸った。「じゃ、やはりスタンダルフが関係してたのね」
「スタンダルフ?」サンダーの表情が、けげんなものになった。「そン人のこたァ、ちらとあそこで聞いただ。何でも、一年も前に死んだとか……」
「ええっ?」
あたしたちは、また飛びあがった。ンもう! どうなってンのよ、この事件! さっぱりわかンないじゃない。
「ねェ、サンダー」ユリが気色悪い、甘ったれた声をだした。「ラッセル博士が偽名まで使ってラメールにきた理由はなんなの?」
「わりィが、知らねェだ……」サンダーはうなだれた。「博士は一言の説明なしに、マリーネを離れてしまわれただ……」
「ユリ――!」あたしは言った。「あたし、熱くなってきたわよ」
「そうみたいだ……」ユリは同意し、立ち上がった。「あたしの背筋も、さっきから熱っぽいだ」
「いよいよ、始まるようね――」
あたしも立ち上がった。
サンダーとルチアが、不可解なものを見る目であたしたちを見た。
「あたしたち、二人一組のエスパーなンだ」
ユリが教えた。
「エ、エスパー?」
サンダーの目が、丸くなった。
「千里眼《クレアボワイヤンス》っていってね、事件に関係した映像を精神で見ることができるだ。だからあたしたちは、WWWAに犯罪トラコンとしてスカウトされたンだ」
「……」
サンダーは絶句した。無理もない。エスパーといえば、もっとも得体のしれない存在のひとつである。人によっては、エスパーを人類扱いしていないほどだ。いくら幼ななじみといっても、こんなことがわかってしまっては、ユリとサンダーの百年の恋もおしまいになるほかはない。もちろん、あたしの出番もなくなった。しょせん、これがうちらの宿命なのだ。できることは、諦めることだけ。さみしいが、しようがない。
「ユリ、行こう……」
あたしはユリの手を把った。芝生の真ん中に二人で移動する。熱っぽさは、もう全身に広がっている。
あたしとユリは向かい合わせに立った。両方の掌を前に出し、ピタリと合わせる。両腕が操られるように、ゆっくりと上にあがっていく。バンザイをするようなかたちだ。両掌はぴったりとくっついたままである。そおっと目を閉じた。
バッ、と閃光が目の奥できらめいた。意識が真っ白になる。
とめどない浮遊感覚があふれ、からだがエクスタシーで痺れた。もう何もかもが白一色だ。
――そして、映像が見えた。
それは島だった。緑の、美しい島だった。中央に巨大なカルデラがある。そこだけは不毛の地だが、あとは鮮やかな緑に覆われた熱帯の島だ。
映像は唐突に消えた。
意識に色彩が戻り、浮遊感覚も急速に失せていった。かわりに、猛烈な虚脱状態が始まった。腰が重い。意志の力を全開にして、力をじょじょに回復させていく。
目を開けた。軽いめまいがあったが、たいしたこをはない。
もとに戻った。
いつのまにか、サンダーとルチアが、あたしたちのすぐそばに来ていた。こわばった表情だ。見てはいけないものを見た、とでも思っているのだろうか……。
あたしは地面に、いま見たばかりの島の絵を描いた。
「こんな島、ラメールにある?」
サンダーの眉が、ピクンと跳ねた。かれは、即座に言った。
「知らねえだ――」
「そっ!」
あたしはユリに向き直った。
「公衆電話で、アラベルを呼んでくるわ。かれなら島のことも知ってるはずよ。ここで、待ってて!」
ボックスは、公園の入り口のところにあった。アラベルは、報告が遅いので焦れていた。あたしが事情を話し、現在位置を言うと、十五分で迎えに行くと喚いた。
電話を切り、三人の待つ場所に戻った。
ユリがひとり、ポツンと立っていた。
「サンダーとルチアは?」
あたしは訊いた。
「それが……」ユリはとまどったように答えた。「ちょっとトイレへって行ったっきり、帰ってこねえだ……」
横でムギが、ミギァアと啼いた。
「なにっ!」あたしは唇を噛んだ。「アホッ! だしぬかれたんだよ! あたしらは――」
「え?」
ユリはキョトンとしている。
「サンダーの反応を見たろ! あいつら島のこと知ってたんだ。それで、あたしたちを置いて、復讐に行ったんだよ!」
「そんなァ……!」
ユリは泣きそうな表情《かお》になった。アホっ! お人好し! ボケっ! 何のためにお前を残しといたンじゃあ!
――十二分四十秒で、アラベルは来た。
島の絵を見せると、間髪を入れずに言った。
「セント・ドミナス島です。トパーズシティから南へ四千二百キロ。赤道にほど近い、洋上の孤島ですよ」
「南へ四千二百キロ!」あたしは叫んだ。「ベイヤーのジェット機の飛行距離は、ほとんどその往復分だわ!」
そして、あたしは、サンダーから聞いたラッセル博士のことをアラベルに話した。
「やっぱり!」アラベルの顔が紅潮した。「わたしの勘は正しかったんだ。ベイヤー……いや、ラッセル博士の死は、ただの事故死じゃなかったんだ……」
そこで、アラベルはハッと、何かに気がついたようになった。動きが止まり、眉をひそめる。
「ラッセル博士……」首を振って、つぶやいた。「ラッセル博士……。どっかで耳にした名前だ……」
と、とつぜん手を打った。
「ラッセル博士!」大声で喚く。「思い出したぞ! ラッセル博士だ!」
「誰なの? その人!」
あたしたちは勢いこんで尋ねた。
「凄い人です……」アラベルは言った。「空間破砕爆弾の発明者ですよ!」
「スペース・スマッシャーの!」
あたしたちは、本当に二メートルほど飛び上がった。もう、とてもじゃないが、本日何回目の仰天だろう。しかも、これがとどめだ。こんな凄まじいのをくらったら、おそらく当分の間、驚くなんてことはありゃしないだろう。
「ケイ!」ユリが言った。「すると、ラメールまでわざわざ偽名まで使って来たというのは……」
「そうよ!」あたしは興奮の極致に達した。「それ以外、考えらンないわ! このラメールが、例のスペース・スマッシャー事件に関係してるのよ!」
「え、えらいことです……」
アラベルがうろたえだした。声がうわずっている。
「アラベルさん!」
あたしは怒鳴った。
「は、はい……!」
「すぐにあたしたちを宇宙港に送ってちょうだい。そして、あなたはそのあと一秒でも早く、連合宇宙軍にこのことを通報するのよ!」
「ど、どうするんです、あなたがたは?」
「〈ラブリーエンゼル〉でセント・ドミナス島に行くわ! サンダーとルチアが向かっちゃったのよ。何が始まるか、わかったもンじゃないわ!」
「はあ……」
「わかったら、すぐお行き!」
トパーズシティ郊外のブラッドストーン宇宙港まで、四十二キロを五分で走り抜けた。たぶん、この界隈の新記録だろう。途中、パトカーがぶっとんできたが、WWWAのI・Dカードを窓越しに見せたら、宇宙港までハイウェイを先導してくれた。
あたふたと離着床に駆けこみ、〈ラブリーエンゼル〉に搭乗した。整備はとうに完了していて、いつでも発進できる状態にある。星のまたたく夜空に屹立するそのスカーレットの船体は、ただもう優美の一語に尽きるスマートさだ。
全長は八十メートル。最大直径は十八メートル。先の尖がった細長い砲弾型で、ウエストのあたりが色っぽくキュッとくびれている。船尾には四基のメインロケットノズルがあり、そこに大小四枚のフィンが交互にくっついている。本当はもっと微妙な曲線のフォルムなのだが、大まかに言えば、まあそんなものだ、船名の〈ラブリーエンゼル〉は、そのままあたしたちのコードネームにもなっている。もっとも一般に使われているのは、あだ名の方のダーティペアだということは周知のとおりだ。う、いやいや。
船首の操縦席にはいった。アラベルはそろそろ連合宇宙軍に連絡をとり終わったころだろう。
ユリが主操縦席に着き、あたしはその左どなりの副操縦席に着いた。ムギはうしろの、二脚ならんだ予備シートである。〈ラブリーエンゼル〉は小型外洋宇宙船だが、航行能力と戦闘能力は二百メートル級駆逐艦に匹敵するものをもっていて、それゆえに操縦室の容積は削られ、定員は四人しかない。しかも、うち二脚は予備シートという有り様だ。
エンジンの振動が、間断なく一定のリズムで床を突き上げはじめた。壁面のメインスクリーンには、宇宙港の全景が映しだされている。数十もの離着床には繋留中の宇宙船がずらりと立ち並び、さまざまな色の人工光が、あるいは丸く、あるいは帯になって、それらを鮮やかにいろどっている。
管制官が、発進許可を通告してきた。
「行くわよっ!」
ユリが言った。ああ、行け!
〈ラブリーエンゼル〉は発進した。
炎が離着床を灼き、切り裂かれる大気が凄まじい悲鳴をあげる。実写映像のはいっているスクリーンは、すべてブラックアウトした。〈ラブリーエンゼル〉には非常用以外の窓がない。壁のパネルに大小何十面というスクリーンがはめこまれており、それらの映像で、外の状況を見てとるのだ。したがって今は、コンピュータが作図する模擬映像以外に、外部を知る手段はない。
成層圏に達し、映像が回復した。〈ラブリーエンゼル〉は、このままさらに高度を上げて、いったんラメールの衛星軌道にのり、それからセント・ドミナス島めざして、再突入する予定になっている。所用時間は、あと六百秒とかからない。超特急だ。
再突入した。またスクリーンがブラックアウトする。ここでガクンと減速し、水平飛行に移った。高度八千メートルだ。画面に映像が戻ってくる。ちょうど夜明けになった。黄金色にきらめく海が、白い雲の合間に茫漠と広がっている。そして、その中央にセント・ドミナス島があった。
「高度六千……」
ユリがカウントした。あたしはスクリーンに表示されたスケールを読む。セント・ドミナス島まで、八十六キロだ。
「どうする?」ユリが訊いた。なまりが、とれている。「このまま一気に島の上空まで行くかい?」
「それもちょっとねェ……」あたしは、ためらった。「三十キロあたりのとこで周回して様子を窺った方が、いいかもしンないね」
「やっぱ、それが一番かなァ……」
ユリがたよりなさそうに、そう言ったときだった。
セント・ドミナス島の一角で、閃光が二つ三つ、弾けた。
コンピュータが、警報を発した。
「ケイっ!」ユリがキンキンと叫んだ。「ミサイルよっ!」
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7 あに言うだ、この女!
ミサイルは全部で六基だった。赤外線誘導とレーザー誘導の複合方式で、ECMでかわそうにも、ちょいと骨の折れそうな連中である。最善の対処は、撃墜することだろう。
あたしはコンソールにレーザーのトリガーを起こした。アンチミサイルは、あとのためにとっておく。
「距離一万一千……」
ユリのカウントがはいった。有効射程内である。宇宙船と違って、ミサイルはたやすく射落とせる。
トリガーを絞った。
パッ、パッとオレンジ色の炎の花が、明けたばかりのまだほのかにピンクがかっている蒼空に華々しく開いた。正面からバカ正直につっこんでくるミサイルは、レーザーによる迎撃に対して、まったく無力だ。どだいこのクラスでは最強無比の〈ラブリーエンゼル〉を相手にしてるってのに、こんなチャチなお出迎えですまそうってのが気にくわない。
六基のミサイルは、たちまちのうちにガスと破片になった。
「周回はやめよう!」あたしはユリに言った。「こうなったら、このまま対地攻撃をはじめた方がいいわ!」
「目標がわかンないじゃない!」ユリが反対した。「偵察抜きじゃ、無謀よ!」
「無謀、ちゃう!」あたしは自信を持って、言い切った。「あの島くらいの面積なら、無差別対地攻撃でぶっつぶすやり方がある」
「あによ、それ?」
「ゲーム・ジェノサイド=I」
「あ……!」
ユリはコンソールに、つっぷした。
その間にも〈ラブリーエンゼル〉は高度を下げ、セント・ドミナス島に接近していく。また、島の一角からミサイルが射ち出された。今度は、前にも十倍する数だ。しかも、小型ながら多弾頭ミサイルである。島にいるのが誰か知らないが、ようやくこっちの実力を理解したようだ。ふん、ペッ! 遅いわい!
ひとつのミサイルが、五つの弾頭に分かれた。合計で三百発近い。それだけの弾頭が、マッハ五でひたひたと〈ラブリーエンゼル〉をめざしてくるのだ。いや、ひたひたなんてゆっくりした感じではない。擬音でいえば、どぴゅーん、というやつだ。
「くそったれ!」
あたしはミサイルのトリガーも起こした。こうなるとアンチミサイルをぶちこんで、いったん転針するしか打てる手はない。あたしはミサイルトリガーを人差指で、ぐいと引いた。一度だけではない。二度三度と繰り返す。こちらも多弾頭ミサイルだ。誘爆を狙えるから、あっちゃの半分もあればよかろう。
「顎ひいて!」
いきなり、ユリが喚いた。いけね!――そう思ったとたんに、ガクンとショックがきた。横なぐりの五Gだ。〈ラブリーエンゼル〉が、ミサイルの爆風を避けるために回頭したのである。わかっていたが、ついミサイルに気をとられた。ううう……顎が痛い、首が痛い。
ミサイルを追っていたスクリーンが真っ白になった。弾頭と弾頭の正面からの激突だ。小型通常ミサイルとはいえ、これだけの数がまとまると、その、衝撃は凄い。
ぐきっ……!
再び首が、そら恐ろしい音をたてた。また〈ラブリーエンゼル〉が急旋回したのだ。いかん。きょうはつくづくボケてる。厄日だ。夜が明けて、まだ十数分しかたってないのに、厄日と判明するなんて、あんまりだ!
迎撃を免がれた二十発あまりの弾頭が、大きく弧を描いて、こっちにまわりこんできた。これはもうレーザーの餌食である。ジーンと痺れている顎と首を照準装置のサイトに固定し、トリガーを絞った。
弾頭は、瞬時にして砕け散った。
随分と回り道を余儀なくされたが、〈ラブリーエンゼル〉は、ほとんどセント・ドミナス島の上空に達していた。このまま直進すれば、先ほどミサイルを派手に発射してくれた、サービス精神豊かな海岸線を通ることになる。
「高度を下げて!」あたしは言った。「うんと下げるのよ! 五百メートル以下――」
「ンな、ムチャな!」ユリはあきれた。「失速しちゃうわよ!」
「失速だめ!」あたしはくいさがった。「マッハ五以上で飛ぶのよ。ありとあらゆる手を使って……! ミサイルを減らされたンだから、ゲーム・ジェノサイド≠やるには、ソニックブームの助けがいるわ」
「ソニックブーム……!」
ユリが叫び、あからさまに嫌な表情《かお》をした。無理もない。この前、仕事をしたダングルでは、落下した宇宙ステーションのソニックブームで、大陸の半分が壊滅し、百二十万人を越える死者がでたのである。ソニックブームと聞いただけでもうんざりするのは、むしろ当り前のことであった。
しかし、聞くのとやるのは別だ。今は、やるときなのだ。やったところで〈ラブリーエンゼル〉の質量では、たいした被害はでない。せいぜい飛行経路に沿って、幅百メートルくらいの土地が深さ五、六メートルほどに抉られていく程度のことだろう。本当は島ごと沈めてやりたいのだが、そんなマネは、できやしないのである。
海面の映像をスクリーンにいれてみた。近い。手を伸ばせば届きそうな距離に思える。凄い低空飛行だ。これなら……。
海面が割れた。文字どおり、真っ二つに割れた。モーゼの十戒だ。島に近くて水深が浅いので、底が見えるほどに引き裂かれている。凄まじいまでのソニックブームの威力である。多弾頭ミサイル以来、あたしたちに対する攻撃は、これといってない。今が大胆にふるまうチャンスだ。
海岸線を越えた。
砂が吹きとび、土がはがされ、岩が砕ける。〈ラブリーエンゼル〉の直下は、舞い上がる土砂のため、まるで煙幕を張ったようになった。それを映し出しているスクリーンは、黄土色一色。具体的なものは何も映らない。
たしかにミサイルの発射地点と思われる場所を通過した。記憶とも、コンピュータのデータとも合致する場所だ。一見、何の変哲もない崖である。それが弾けとぶように崩れた。表土やこなごなになった岩石とともに、銀色に光る金属塊が、流され、圧しつぶされていく。ときおり、ソニックブームによるものとは別の爆発がおきる。大当たりだ、ざまをみ!
〈ラブリーエンゼル〉は、さらに内陸部へと進入した。周囲三十キロあまりのちっぽけな島である。この速度なら、あっという間に縦断してしまうだろう。中央の巨大なカルデラを巻くように、進んだ。眼下は緑一色の熱帯原生林で、何か建築物らしきものは、ひとつとして見当らない。この島は個人所有なので、地形図以外の地図は発表されておらず、基地や居住区の存在は、まったく知られていないのだ。
だしぬけにレーザー光線が〈ラブリーエンゼル〉の腹をかすめ、その外鈑を灼いた。非常を報せる赤いLEDが、コンソールの端に次々と点灯する。対空レーザー砲だ。被害はまだ軽微である。しかし、あたしたちのお船を傷つけられたのは間違いない。
あたしは、ぐっと力をこめてトリガーを握った。対空レーザー砲は相当数が原生林の中に隠されているらしく、光条はそこかしこから激しく伸びてくる。こんな闘いに使うのは、何といってもスーパーナパームだ。
あたしは四方八方に照準をセットして、トリガーを引いた。六個所の射出孔から、小型のナパームが、それぞれの方向へと飛び出していく。うちいくつかは空中で対空レーザー砲に捉えられた。ブアッと、それが炎の塊になる。空中に咲いた天球だ。天球はそのまま弧を描いて落下する。原生林が爆発的に燃え上がった。直撃ではないが、消火されない限り、レーザー砲塔はほどなく猛火に包まれるだろう。また、ナパームに直撃された砲塔もあった。
あたしは、スーパーナパームとミサイルを、交互に発射していた。ときどき、とんでもない方向から地対空ミサイルが飛んでくるが、これはレーザーで片づけた。期待していた迎撃機は舞い上がってこない。全般として、低調な歓迎ぶりだ。空中戦《ドッグ・ファイト》抜きの地上攻撃だけとなると、これは本当にゲーム・ジェノサイド≠セ。
南の海岸から、海上にでた。だいたい島の西半分を掃討したことになる。海上で大きく旋回し、今度は島の東側を北へ抜けるべく進路をとった。島からは、黒煙が幾筋も立ち昇っている。その下では、スーパーナパームの炎が猛威を奮っているのだ。
「どうも、手ごたえがないわね」
ユリが言った。本当にそうだ。最初のミサイル攻撃に較べると、対空レーザー砲なんて歯ごたえがなさすぎる。
また、島の海岸線が近づいた。〈ラブリーエンゼル〉の高度が、じょじょに下がる。
――と、そのときだった。
通信がはいった。映像付きだ。
スクリーンをオンにした。小型の通信スクリーンに、ひとりの女性が映った。軍服に似たカーキ色の上着を身につけている中年の女性だ。三十代の半ば、もしくは後半くらいだろうか。目つきが鋭く、やせている。雰囲気は理知的で冷たい。髪は赤みがかったブロンド。目はグレイ。何となく、どこかで会ったような気がする。
「あなたたちが、あの有名なダーティペアね……」と、その女性は言った。低い冷徹な声だ。「武勇伝は、いろいろと聞いてるわ」
「そりゃ、どうも――」あたしは言い返した。「そっちは犯罪組織の『ルーシファ』(LUCIFER)でしょ」
「おやおや……」女性は、口の端に笑みを浮かべた。「得意なのは、ドンバチだけかと思っていたら、けっこう想像力もあるのね」
「ほほほっ」負けじとあたしも笑ってみせた。「ラメール一の実力者スタンダルフを殺し、その権力を手中にして、こっそりと孤島に基地をつくりあげるなんて大胆なマネのできるのは、犯罪組織数あれども、『ルーシファ』くらいのものじゃないの?」
「いい線、いってるわね。はずれてないわよ――」女性は認めた。たはっ、あてずっぽうが的中しやがった。「でも、そんなお遊びはあとまわしにして、今は、あなたたちのお船の高度を上げ、しばらく、この島を周回するようにしててもらえないかしら?」
「何ですって……!」
せっかく推理があたっていい気分になっていたのに、それをお遊びと言われて、あたしはいささかムッとなった。
あたしは甲高い声で怒鳴った。
「そんなことより、そっちこそ降伏した方がいいわよ! この船一隻だって、島ひとつくらい焼け野原にできるンだし、連合宇宙軍にだって、もう通報してあるのよ!」
「随分、勇ましいのね……」
「お黙り!」あたしは、さらに喚いた。バカにしやがって……。「今すぐ島ごと丸焦げにしてやっから、覚悟おしっ!」
「まあ、お待ちなさい――」女性は、また余裕のある笑みを浮かべた。「ここにはスペース・スマッシャーがあるのよ。早まったことをすると、そのエネルギーが、無限解放されるって可能性、考えてみた方がいいわね!」
「うぐ――!」
あたしは、つまった。汚ない! スペース・スマッシャーだなんて、そんなものを振りかざすのは、あまりにも汚ない!
「いくら事件ごとに人死にをだすダーティペアでも、まさか観光客も含めて七億人をこえる人間を巻きぞえにしたいとは、思わないでしょ?」
まるで、地の底から聞こえてくるような声で、その女性は言った。
「うぐぐ……」
「周回行動にはいったら、すぐに着陸地点の座標を送るわ!」勝ち誇ったように、女性は続けた。
「そしたら、そこに着陸してちょうだい。――申し遅れたけど、わたしの名はイサベラ。着陸したら、わたしの城に御招待させていただくわ」
「うぐぐ……」
あたしが歯がみして、なすすべもなく唸っている間に、ユリは〈ラブリーエンゼル〉を操って周回行動にもっていった。高度は三千メートル。スペース・スマッシャーを持ちだされては、こうするよりほかに仕方がない。ちくしょう! こいつは予想しておくべきだった。
レーザー通信で、座標が届いた。島の中央やや東、カルデラ火山の中腹あたりである。くっそう……さっきの攻撃は、東側を先にすればよかった!
〈ラブリーエンゼル〉を船尾から下降させ、着陸態勢にはいった。あたしはレーザーとミサイルの両トリガーをぐっと握り、何かあったらすぐ反撃できるようにしていたが、特に向こうは、何もしかけてこなかった。どうやら、本当にあたしたちを迎え入れるつもりのようである。連合宇宙軍相手の人質にでもする気だろうか。
高度が下がると、カルデラ山の中腹に、巨大な建築物が見えてきた。そこは草木が一本もない赤茶けた火山灰台地で、建築物もまた同色の石造りだった。これでは遠目にはまったく目立たない。こんなカモフラージュもあるのだ。
建築物は、イサベラが言ったとおり、壮麗な中世風の城だった。度肝を抜くスケールでそびえ立ち、もっとも高い塔は優に二百メートル以上はあるだろう。
城から一キロほど離れた平地に、離着床が五基、設けられていた。宇宙船が三隻、繋留されている。座標が示しているのは、その離着床のうちのひとつだ。
高度八百メートル。〈ラブリーエンゼル〉はじりじりと降下していく。予備シートのムギが、不快そうに|ぐるぐる《ヽヽヽヽ》と唸りはじめた。あ、あたしだって唸りたい!
スクリーンのひとつに、何か動くものが映った。小さい。拡大してみると、小型のサブマリンジェットだった。潜水艦とジェット機を兼ねているやつだ。珍しい乗物である。高度は二、三十メートル。まるで地を這っている感じだ。
ふいに城の一角が開いた。大型のレーザー砲塔が、にょきにょきと顔をたす。なっ、なにごとだ? そう思ったとたんに、レーザー砲が一斉にエネルギー線を吐き出した。目標はサブマリンジェットである。してみると、あれはイサベラの敵なのか?
レーザーが束になって、サブマリンジェットに集中した。あかん、いちころだ! あたしは目を覆いかけた。――ところが、どうだろう! レーザーがサブマリンジェットの周囲で、拡散させられているではないか。サブマリンジェットは淡いブルーに輝きながら、こともなげに前進していく。バリヤーだ。信じられないが、あのサブマリンジェットは、対レーザーバリヤーを備えているのだ。
「ユリ、ホバリング!」
あたしは言った。こいつァ、成り行き次第でおもしろいことになる。おとなしく、言われたとおり着陸する手はない。〈ラブリーエンゼル〉は高度八百メートルで、空中に停止した。
「ユリ!」
いきなり男の声がした。
「ひえっ!」
あたしたちは仰天して、うろたえた。イサベラとの交信用に開けておいた回路へ、予告なしに誰かが割りこんできたのだ。
「ユリ!」
映像もはいった。男の顔である。な、なんと、その顔はサンダー! サンダーではないか。肩ごしにルチアも見える。いやに狭い場所だ。何かのコクピット……。もしや、あのサブマリンジェットに――!
「城を攻撃するだ! ユリ」サンダーは叫ぶように言った。ユリユリとあたしをまるで無視してる。ツーン!「今ならできる! スペース・スマッシャーは、こいつに積んである装置で、無力化しただ! だども、こいつには攻撃能力がない。バリヤーがあるからやられはしねェが、攻撃することは不可能なんだ。やってけれ、ユリ! あの城を叩っこわしてけれ!」
「ンだ!」ユリは答えた。「すぐにやるだ!」
そして、あたしを振り返り、
「ミサイル、ぶちこんで!」
と喚いた。おうおう、どうせ無視されとったけど、何でもやったるよ。
ミサイルの照準を城壁と三隻の宇宙船に合わせ、残るミサイルのありったけを叩きこんだ。惜しむことはない。連合宇宙軍がじきに来るのだ。
三隻の宇宙船はこなごなに飛び散り、城壁は半分以上が崩れ落ちた。
「ユリ、着陸よ!」あたしは言った。「ハンドジェットで城ン中にのりこみ、イサベラを捕まえんのよ!」
「オーケイ!」
消火弾を射ちこみ、火を消しておいて、〈ラブリーエンゼル〉をあいている離着床に降ろした。さっきから唸りつづけだったムギが、今度はシートからでてきて跳ね回っている。こんな興奮は珍しい。
ハンドジェットを背負い、船首非常ハッチを開けた。ジェットに点火し、まずユリが、そして次にあたしが、ハッチから空中に躍り出た。――と、どうしたことか……。
「ギャオン!」
一声啼いて、ムギがハッチから飛び出した。――地上八十メートルの高さである。
「あっ!」
息を呑む間もあらばこそ、ムギは一直線に落下していく。
「ムギっ!」
ジェットを操作して、あとを追った。ムギはヒラリと着地し、脱兎のごとく地上を駆け出した。凄い速度だ。たちまち岩と岩の蔭にはいり、姿が見えなくなった。
あたしたちはムギかイサベラか、一瞬迷った。しかし、人類の危機の方がむろん優先である。やむなく方向を変え、最初の予定どおり、城壁の内側へと進入した。
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8 観念おしよ、じたばたしないで!
崩れた城壁を越えて、城の中庭に降り立った。
背負っていたハンドジェットを放り出し、腰のヒートガンをひっこ抜く。ユリは例によってレイガンだ。油断なく周囲を見回して、中庭から回廊を抜け、城の通路へと移動した。城の中は外見に似令わず近代的である。天井には発光パネルが張られ、床も壁もプラスチックでできている。
ユリとふたり、壁にからだを密着させて進んだ。人がいない。
「どっちだべ?」
ユリがつぶやいた。こいつ、ときどきなまりがでる。
「待ってて!」
あたしはポケットから、薄っぺたい板状の機械を取り出した。ブラッディカードより厚みはあるが、大きさはひとまわり小さい。エネルギー検知器である。ひょっとしたら、と思って持ってきたのだ。戦闘基地の司令室のように、大エネルギーを消費する場所に反応して、その位置を探り出すことができる。
検知器のスイッチを入れた。ピピビピ……と電子音が鳴り、LEDがゴチャゴチャと点灯した。よしよし。どこか知らないが、かなりのエネルギーを消費している。ここへ行ってみよう。
「ユリおいで!」
あたしが先に立ち、通路をほとんど這うようにして前進した。プラスチックの壁、床ともにわずかに弾力があるが、それでも七センチのヒールはカツカツと硬い音をたてる。
十字路にでた。すぐ手前の壁に、なんだかよくわからない液晶表示板がはめこまれている。通路と各室の経路を示したものらしいが、略号が多くて、どうなっているのか、ちょっと見当がつかない。ときおり赤やら黄色やらのランプがともる。しかし、これも何のことやらさっぱりだ。やはり検知器に頼るのが一番よいらしい。
無知器の指針に導かれるまま、ひょいと十字路を左に折れた。
とたんに、嵐のように凄まじいレーザー光線の猛射を浴びた。壁や床に黒焦げの穴がぶすぶすとあき、その中を通っている配線が、火花を散らして燃え上がる。待ち伏せされたのだ。二十人ばかりの武装兵士による一斉射撃である。
一条の光線があたしの肩口を擦過し、強化ポリマーの一部が、シュン、と音をたてて蒸発した。
「にゃろう!」
あたしは激怒った。今はなんともなかったけど、あたしの玉の肌にちいっとでも傷がついたら、ただおかないンだよ!
ユリがあたしのホットパンツのベルトを掴み、あたしを壁の蔭にひきずりこんだ。
「ぶないじゃない!」ユリは喚いた。「少しは、まわりを見なよ!」
なるほど周囲はレーザーで灼かれてズタズタになっていた。さっきの液晶表示板も光線に切り裂かれ、光を失ってしまっている。要するに助かったのは奇跡みたいなものだったのだ。しかし、それを認めては、ユリに借りをつくることになる。そんなの、やだ。あたしは逆に、威丈高になった。
「いちいち、うっさいわよ! ゴチャついてるヒマがあったら、ブラッディカードをお投げ! あれ片づけないと、先には行けないのよ!」
「ぶう!」
ユリはふくれた。
「あによォ」あたしは毒づいた。「果敢に攻めなきゃ、やられちゃうでしょ!」
ブシュン!
いきなり、あたしたちの足もとが真っ黒になった。強力なエネルギー線だ。あたしたちはハッとなって壁にへばりつき、身を低くして振り返った。
「うぐ……!」
唇を噛む。
十字路の向こう、あたしたちの正面の位置に新手が十人ほど迫ってきているのだ。やばい。二対三十なんて、アンバランスもいいとこじゃないか。しかも、こっちはか弱い女ふたりだぞ。いくら連合宇宙軍がくるまでの辛抱だといっても、これじゃ、ちょっと荷が重すぎる。
「角にでて、左にお投げ!」
あたしは、ユリに怒鳴った。本当に悠長に言い争ってるバヤイじゃない。
「ふみっ!」
ブラッディカードを右手の指にはさみ、ユリは、あたしと入れ変わった。正面の十人のレーザーが、ユリのからだのギリギリのところをかすめていく。楯になるものがないから辛い。とりあえず、床に伏せる。
角から身を乗り出し、ユリがブラッディカードを放った。周囲を十数条の光線が灼き、ユリはゴロゴロと転がって戻ってくる。
「ちちちちち……」
悲鳴をあげた。どっか、かすられたらしい。強化ポリマーだけでは、あまり防御の役には立たない。メタライト合金の宇宙服を着てくればよかった。
「ユリ!」あたしは言った。ユリは床に腹這いになって、送信機でブラッディカードの操縦をやっている。盲操縦なので、成果のほどはわからない。「右の通路にはいろう!」
「右?」
振り向かず、ユリは訊き返した。あたしたちが反撃しないので、正面の連中は、もう十数メートルのところまで近づいてきている。そろそろ我慢の限界だ。
「右に行くんだ」あたしはヒートガンを正面に向けて撃ちながら、再度言った。ヒートガンの有効射程は短いから、せいぜい牽制の役にしか立っていない。しかし、撃たないよりはマシだ。「右の通路の先は、〈ラブリーエンゼル〉のミサイル攻撃を受けて、つぶれてるみたいよ。あっちへはいれば、宇宙軍がくるまで、たぶんもちこたえられるわ!」
「ふみ!」
ユリは送信機のキーを、激しく叩いた。ブラッディカードが銀色の淡い尾を引いて、こちらに引き返し、反撃して正面の連中のただ中に躍りこむ。
今だ!
血しぶきと魂消る悲鳴のあがる瞬間、あたしたちは床を蹴って飛び出した。
通路を横切り、つんのめるようにして右の通路に転げこむ。ブラッディカードがいなくなったので左の通路の生き残りが勢いを取り戻し、闇雲にレーザーを射ちこんできた。あたしはユリからレイガンを借り、応戦した。クリーンヒットは望めないが、ヒートガンよりは効果がある。
右の通路を、しばらく行くと、一台の小型電気自動車が横転していた。その向こうは瓦礫の山のようだ。つまりは、いきどまりである。と、なると、ここがあたしたちの最後の砦だ。あたしの計算では、あと最悪でも二、三十分なんとかすれば、連合宇宙軍が救援にきてくれるはずだった。一時間はちと苦しいが、その半分くらいなら、この電気自動車を楯にして持ちこたえることはできるだろう。くっそゥ……それにしても、ムギさえいてくれたら、もう少し楽な戦いができたものを――。ぐちるなァ。
ユリが、いったんブラッディカードを戻した。ブラッディカードは、文字どおり血まみれになっている。けっこう頑張ってきてくれたようだ。
「まいったなァ……」ユリが言った。「まだ十五人近くいるよ」
「こいつァ、だめかな……」
さすがのあたしも気弱になった。装備は足らん、ムギはいない、形勢は不利、ロクな状況にない。挾み撃ちになってないことだけが、せめてもの救いというひどい有り様だ。
「ケイ!」ユリがあたしの背中をつっついた。「来たわよっ!」
「うじゃあ……」
だれて電気自動車の蔭から、そっと目だけをだしてみた。ぺッ! ホントウに匍匐前進なんかしちゃって、こっちへ向かってくるではないか。ええい、服が汚れるっちゅうに。おやめ!
「やめるか、アホ!」
うしろからユリにぶたれた。つい声にだしてしまったのだ。そりゃまあ、やめんわな。
「ああ、低くちゃブラッディカードも利かない」ユリが言った。「レイガンとヒートガンで、ひとりひとり狙い撃つしかないね――」
「三十分、無理かな?」
あたしはヒートガンを構えた。
「やるだけ、やるサ!」
ユリのレイガンが、閃光を発した。あたしもトリガーボタンを押した。兵士の方も、伏せたままレーザーガンを乱射する。
凄まじい銃撃戦になった。
床が灼け、壁が溶け、電気自動車がズタズタになった。
敵はまったく無防備といっていい状態だが、そのかわり特殊な戦闘服を着ていた。熱に強いやつだ。レイガンはともかく、ヒートガンでは直撃しても戦闘能力を失わない。目算がもうひとつ狂った。
――十分ほど、激しいやりとりが続いた。敵の兵士は、十人を切った。しかし、あたしたちとの距離は、もう十メートルとない。しかも電気自動車は、ほとんど楯としての役割を果たせなくなっている。
「あかんわ……」
ユリが投げた。
「これまでだね……」
あたしも撃つのをやめた。
すぐにその様子を見てとったのだろう。兵士たちがレーザーガンを腰だめに構えて、ゆっくりと立ち上がった。いま撃てば二人くらいなら殺れるが、それだけのことだ。
のったりと近づいてきた。
天井の発光パネルが、二、三度、不安定にまたたいた。ビクッとして、兵士の動きが止まった。
だしぬけに、それはおこった。
天井が、轟音ととに崩れ落ちてきたのだ。
わっと叫んで、兵士が逃げる。が、間に合わない。六、七人が、落下するコンクリート塊に打ち倒された。残る二、三人も足をとられて、ひっくり返る。天井には大穴があいた。床はぐちゃぐちゃだ。
「な、なんだ?」
あたしとユリも動転していた。連合宇宙軍が来たにしては、唐突すぎる。
天井の穴から、二人の人影が、舞い降りた。どちらも、黒いスペースジャケットを着ている。
「サンダー! ルチア!」
ユリが弾んだ声で言った。なんと、例の二人組である。サブマリンジェットに乗っていたのに、なんでこんなとこにいるのよ? ふっと消えて、ふっと現われる。気にくわん。まるで主役ではないか!
床に降り立った二人は、生き残っていた兵士の腕に、ピストル型の無針注射器で何かを注射した。兵士はぐったりとなった。麻酔剤の一種だろう。そして、そのかたわらに落ちているレーザーガンを拾い、こちらに投げてよこした。
「あなたたち、どーして、ここへ……?」
ユリが、あきれたように訊いた。その問いに答えたのは、ルチアだった。ルチアはユリの前につかつかと歩み寄り、ユリの上着の衿を、ひょいとひっくり返した。そこには、超小型の発振器が、張りつけてあった。
「トパーズシティの公園で、よそ見しているときに張りつけさせてもらっただ」
ルチアが言った。
「ン、もう! やーよ!」
ユリはむくれた。発振器をむしりとり、ルチアに押しつけるように返した。
「ところで……」サンダーが、ふっとあたしに向かって言った。「イサベラの居場所は、わかるだか?」
「確実に作動してるかどうかは、自信ないけど、一応、エネルギー検知器をさっきから使っているわ」あたしは答えた。「イサベラがここのボスなら、たぶんこいつが示すところにいると思うよ」
「ンなら、行くだ!」サンダーは言った。「案内してけれ」
「ふ、むン……」
あたしは唇をとがらせた。
「どしただ?」
サンダーはいぶかしむ。
「案内もするし、危ういとこを助けてもらったンだから強くは言わないけどさァ……」あたしは不服そうに言った。「あンたらあたしたちにウソついたわね」
「う……」
サンダーは視線を落とし、悲しげな表情《かお》になった。やン! そんな表情《かお》しないでよ! まるで、あたしがいじめたみたいじゃない。
「すまねェだ……」サンダーは頭を下げた。「スペース・スマッシャーのことも、ラッセル博士がここで何をしようとしていたのかも、おらたちは知っていただ……」
「ラッセル博士が、やろうとしていたことって?」
あたしは訊いた。
「時間がないわ――」ユリが口をはさんだ。「検知器はあたしが見てるから、質問は歩きながらにしようよ」
ユリの言うとおりだった。あたしたちは通路につもった瓦礫を乗り越え、城の奥へと進みはじめた。
「おらがすべてを知ったのは、ラッセル博士が亡くなってからのことだった……」歩きだしてすぐ、サンダーが自分から口を開いた。「博士のおら宛の遺言状に、書かれてあったンだ」
「……」
「博士は、御自分の発明なされたスペース・スマッシャーがテロに使われ、大勢の人がその巻きぞえになったことを、ひどく気にやんでおられただ。――いンや、そもそもスペース・スマッシャーを発明されたことだけでも、博士の良心は、引き裂かれそうになっていたんだら。
それが、こともあろうに殺戮の道具に使われた。博士の悲しみは、いかばかりのことだったか……おらには痛いほど、ようわかっただ……」
サンダーの声がちょっと跡切れ、一瞬だったが、静寂の間が訪れた。
と、そのときをあたかも待っていたかのように、ドドーンと響く、遠い爆発音が聞こえた。
先頭を行くユリの首が、右、左、と跳ねるように動いた。
「連合宇宙軍よ!」ユリは言った。「きっと、そうだわ! この島に、攻撃を開始したのよ!」
事実なら、これは朗報だった。なぜなら、敵の戦闘員のほとんどが、対連合宇宙軍用にかりだされるだろうからだ。そうなれば、こっちの警備陣は、ずっと手薄になる。もっとも、ぐずぐずしていたら連合宇宙軍の総攻撃に巻きこまれる恐れもあるのだから、けっしていいことばかりではない。しかし、それでも前進を阻まれ、先ほどのような目にあうよりは、はるかにマシだった。
あたしたちは急がなくっちゃとばかりに、小走りになった。足音がカンカンと、通路にこだまする。
「ねェ、サンダー」あたしはせっせと足を送り出しながら、言った。「とにかく、ざっとでいいから、その博士の遺言状の内容を話してくれない? それが一番、早いのよ」
「ああ……」
サンダーはうなずいた。二、三秒、考えこむように黙る。そしてそれから、遺言の中身をとつとつと語りはじめた。その内容は、次のようなものだった。
ラッセル博士は、何ものかによってスペース・スマッシャーが造られ、しかも、それがテロ行為に使用されたと知るや、間髪を入れずに、行動を開始した。どこでスペース・スマッシャーが製造されたのかを、調べあげたのである。スペース・スマッシャーの製造法が中央コンピュータの記憶バンクから抹消されたいま、それができるのは、銀河系広しといえども、博士ひとりだけであった。博士は民間の調査機関に依頼して、スペース・スマッシャーに用いられる部品、電子装置、放射性物質等の流れを徹底的に追跡し、ついにそれがひとつとなって、ラメールに運びこまれている事実をつきとめた。幽霊商社、もぐりの輸送船、密輸屋などが、それらの経路の要所要所に介在していて調査は困難を極め、その結論に至るまでには、博士はなんと五か月以上もの時間を費した。その間に、スペース・スマッシャーによる被害はさらに増え、新たに三つの首都が全滅し、死者は軽く一千万人を数えた。しかし、それでもとにかく、黒い野望の根を博士はつきとめることができたのだ。
博士は即、ラメールに飛んだ。また、みずから発明したスペース・スマッシャーの無力化装置アンチ・スマッシャー≠ニ、特殊なバリヤーを装備したサブマリンジェットを一機、別便でラメールに送りこんだ。自分で播いた種子は、自分で刈り取る。――それが博士の方針だった。それゆえに、博士はよく知られた本名を名乗らず、永らく行方不明になっている知人のベイヤーの名を借りた。
「博士は……」と、サンダーは続けた。「遺言状の末尾に、こう書かれただ。
これを読んでいるサンダーに頼む。わたしは使命半ばにして仆れた。だが、この使命はどうしても果たさねばならないものなのだ。でなければ、人類は永遠に悪魔の手に支配されるようになるだろう。
サンダー、ラメールに行き、スペース・スマッシャーの製造工場を破壊してくれ! わたしが仆れたいまとなっては、これを成し遂げてくれるものは、お前しかおらん。警察でも連合宇宙軍でもだめなのだ。かれらが行けば、やつらはスペース・スマッシャーを無限解放するだろう。そうなっては人類はおしまいなのだ。
サンダー、わたしののこしたアンチ・スマッシャーを持って、お前の手でこの件の始末をつけてきてくれ。
全人類のためなどとは、わたしは言わない。わたしは、わたしのために、こんな命がけの仕事をお前に頼んでいるのだ。サンダー、どうかわたしのかわりに、この使命を果たしてきてほしい。……頼む。わたしの最後の願いだ。
我が愛する子供たち、サンダーとルチアへ。――フォン・ラッセル=v
――かすれた声でそこまで話すと、サンダーはおし黙った。唇を噛み、前をまっすぐ見つめて、もくもくと足を運んでいる。その目は涙でひどくうるみ、浅黒く陽焼けした顔は、まるで硬い岩のようだった。からだの深奥から突き上げてくる得体のしれない衝動にじっと耐えている、厳しい男の姿である。う、うるわしい……。
ふっと、サンダーはつぶやくように続けた。
「おらはさァ、こんな悲しか文章を、今まで一度も読んだことさ、なかっただ……」
そうだろう。本当に、そうなのだろう。
「サンダー……」あたしは訊いた。「なぜラッセル博士は、連合科学技術庁長官という重職を捨てて、辺境星団のマリーネに隠遁してしまったのかしら? ほとんど誰も、博士がマリーネに住んでいたなんて、知らなかったのよ」
サンダーは、涙にぬれた黒い瞳をあたしに向けた。あ、ゾク! 背筋が……だめ!
「スペース・スマッシャーという鬼っ子をこの世に産み出した博士は、すっかり御自分の技術に絶望され、美しい自然と素朴な人々――もっとも人間らしい生活に憧れて、マリーネにやってきただ」と、サンダーは言った。「マリーネは、田舎だ。そこに生きるおらたちは、田舎者だ。けどよ、今のおらたちには、田舎者の誇りがある。田舎者の意地がある。
ラッセル博士がおらたちに、そんな田舎者の誇りさァ、教えてくれただ」
「耐えがたい厭世感を抱いたラッセル博士が、ようやくのことでめぐりあった人類の真実の姿の残る土地――それが辺境星団のマリーネだったのね……」
あたしは、深いため息をついた。
「ケイ!」
ユリが呼んだ。サンダーの語る博士につい気をとられ、彼女とは知らぬ間に、十メートルもの距離が開いていた。通路には、相かわらずあたしたち以外に、誰もいない。まるで、敵のアジトの中にいるのではないみたいだ。
サンダーと離れるのは惜しかったが、あたしは駆け足になって、ユリに追いついた。ユリはエネルギー検知器を、頭上に高くかざしていた。
「どしただ?」
あたしは訊いた。う、いかん! マリーネ弁がうつってしまっているだ。なんちゅうこっちゃ!
「あそこだよ――」
ユリが左手で、斜め向かいのドアを指差した。通路は、あたしたちがいま立っているところで壁につきあたり、三叉路になっでいる。その壁の一角に仕切られている何の変哲もないドアを、ユリはあたしに示しているのだった。
「検知器、見せて――」
あたしはユリから、エネルギー検知器を受け取った。メーターの数値を確認する。間違いはない。たしかに、検知器の指針は、あのドアの向こうで莫大なエネルギーが消費されていると、語っている。
しかし……。
あたしはガッカリした。これは単なる動力室かなにかなのだ。司令室じゃあ、けっしてない。どこの世界に、警備もされていない司令室があるもんか。どうやら、ひとりの戦闘員にもでくわさなかった理由もこの辺にあるようだ。あたしたちは見当違いの方角に進んでいたのである。
「どうする?」
ユリはあたしの顔を見た。どうするったって、お前……。
「とにかく、はいってみよう」あたしは言った。「動力室なら動力室で、破壊すれば、相手のダメージにはなる」
「それが、ええだ」
サンダーが賛成した。これはもう全員、賛成も同じだ。
あたしたちは、通路を横切り、ドアの前に立った。かなり大きいドアだ。
スッ、と音もなく、ドアは開いた。
中に進んだ。背後で、ドアはぴたりと閉まる。
部屋の中を見渡した。まあまあ広い部屋だ。奥行きは二十メートル以上もあるだろう。左右はもっと広い。そして、その空間には何もなかった。机ひとつ、ソファひとつ、ありはしなかった。ただただ真っ白な床だけが、目に眩しい部屋だった。右の壁も、左の壁も、同様である。違っているのは、突きあたりの壁だけだった。突きあたりだけが、白いプラスチック製ではないのだ。なんか巨大な装置の一部分という感じのパネルになっていた。メーターやら、レバーやら、ダイアルやらにいろどられた、凶々しい黒光りするパネルだ。
だが、それよりももっとあたしたちの目をひいたのは、その前に立つ、カーキ色の軍服を身につけた、ほっそりとした女性だった。
「ようやく、ここへ来たわね……」
彼女は、複雑な表情を浮かべて、静かにそう言った。
その女性は、イサベラだった。
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9 死なばもろとも、大爆発!
「あなたがたには、わざとここまで来てもらったのよ……」
と、イサベラはさらに続けた。右手に短い乗馬ムチを持っている。見たところ、ほかに得物はない。丸腰だ。
「どういう意味なの?」
あたしは、自分でもそれとはっきりわかる、尖がった声をだした。カチンときたのだ。このクソばばァ、あたしたちを掌中のサルかなんかと間違えてやがる。
「この基地は、もうすぐ破壊されるわ」イサベラは言った。あたしの挑発にのらない。口調は、変わらず静かだ。「連合宇宙軍の攻撃は熾烈を極めているし、この城自体も、こんな荒ごとには耐えられないように、できているのよ」
「だーら、どうだってェの?」あたしは鋭く言った。「降伏するっていうの?」
「違うわ!」
イサベラの答は、凛と響いた。態度が、つおい。う、負けそ。ムチを持ってるせいかなァ。
「『ルーシファ』の人間は、降伏なんかしないのよ」イサベラは、語を継いだ。「成功か、死か、それしかないわ」
「じゃあ、あにサ!」
あたしは焦れていた。くっそう、いちいちもったいつけやがって――。
「わたしはサンダーとルチア、あなたがたに会いたかったのよ……」イサベラはムチで二人を示した。ひでェ、うちらはつけ足しか。「マリーネでラッセル博士の養子になった、元マリーネ中央警察の刑事、サンダーと婦警のルチア……。ようやくお会いすることができたわ」
「あんたは、誰だ?」
だしぬけに、不安の表情を瞑かべて、サンダーは叫んだ。妹のルチアの顔は、紙のように白い。
「わたしは、イサベラ……」と、彼女は言った。「ラッセル博士の実の娘よ――」
「う!」「えっ!」「ひえ!」「うげっ!」
あたしたちは、一斉に絶句した。
ホントにもう、息が停まるほどの衝撃だった。でも、そう言われてみれば、あの顔、あの目! いや、しかし――!
「ウソだ!」
サンダーが怒鳴った。ルチアが、その腕にしがみついている。サンダーの顔は真っ赤だ。
「ウソだ!」サンダーは言う。「きさまなんぞが、ラッセル博士の娘であるわけがねェだ。『ルーシファ』は、血の集団だら。どうして、エルキアン出身のラッセル博士の娘が、『ルーシファ』の人間になれるだ? それも、末端の三下ならいざしらず、高級幹部だら。おらが田舎者だからって、あなどるでねえ! そんなウソは、おらには通じねェだ!」
「わたしの父、ラッセルは、研究の鬼だったわ……」イサベラの目が、どこか遠くに焦点を結んだ。夢見るもののそれに似ている。「科学技術庁長官という管理職だったにもかかわらず、いつもいつも、研究所の方につめていて、家には何日も帰ってこようとはしない人だった」
「……」
あたしたちは口をつぐみ、イサベラの話を聞いた。
「そんな父だから、たまに家にいても、するのは母との口ゲンカばかり……。ふたりは互いにいがみ合い、憎み合っていたわ」
「……」
「そして、ついに破局の日が来た。スペース・スマッシャーという化物をつくりだした父は世間の非難を一身に浴び、わたしと母を捨てて、いずこかへと出奔した。あとでわかったことだけども、父はいろんな惑星を転々とさすらい、そのどこででも疎まれた揚句、マリーネになんとか安住の地を得たのよ」
「ウソだ……」
サンダーが、また言った。今度は、ポツリとつぶやくという感じだ。その声にはもう、力がない。
実はサンダーには、うすうすわかっていたのである。サンダーが、あくまでも辺境星団のマリーネの人間であり、ラッセル博士がどこまでいってもよそ者だったということが……。つまるところは、仕方がないの一言だ。それ以外に何が言えよう。人は誰だって、故郷を離れればよそ者なんだ。
「母と二人きりになったわたしは、ぐれた。夜ごと盛り場をうろつき、女だてらにケンカを売って歩いた。そんなとき、ひとりのチンピラと知り合った。チンピラは、『ルーシファ』の血族とつながっていた。わたしたちは結婚した。やがて夫は『ルーシファ』の幹部になり、その四年後に、くじら座宙域で連合宇宙軍の駆逐艦と壮烈な宇宙戦闘を繰りひろげ、爆死した。わたしは、夫の|縄張り《シマ》をひきついで、『ルーシファ』の幹部になった」
「……」
「わたしの家には、父の研究ノートがたくさん置き去りにされていたわ。お笑い草ね。中央コンピュータの記憶を抹消したところで、その原本には手もつけられていなかったのよ。わたしは、わたしのシマをしきる一方で、父のノートを読み、スペース・スマッシャーについての研究に没頭したわ。わたしひとりで、『ルーシファ』のスペース・スマッシャーは、完成させたのよ。誰の力も借りなかった。スペース・スマッシャーは、わたしと、わたしの父だけのものだった」
「……」
「スペース・スマッシャーの量産を可能にしたわたしは、ここラメールに研究所を兼ねた工場を建てることにした。ここにはお金があり、そして何よりも宇宙船の出入りに制限がなかった。どんな船でも無条件に通してくれたわ。わたしは実力者のスタンダルフを殺し、その権力をそのまま奪い取った。この島にこの城を建てたとき、わたしが最初に何と思ったか、わかるかしら……?」
「……」
「わたしは、これで父に会えると思ったのよ」
「……」
「わたしの計画は『ルーシファ』の幹部会で承認され、実行に移された。父はなかなか来なかった。五つの首都を破壊したのちに、わたしたちは銀河系の全国家にわたしたちの要求をつきつけるつもりでいたから、わたしはそれまでに父が来てくれるよう、ひたむきに願っていたわ」
「……」
「父は来た。わたしはここで父に会い、殺した。そのとき、わたしの中で、すべては終わったわ。あとは、つけたりの日々。――幻は、もういらないわ……」
「ウソだっ!」
とつぜんサンダーが嘆き、手にしていたレーザーガンをイサベラに向けて、発射した。
パッと、イサベラの眼前数メートルのところで、凄まじい火花が散った。光条はイサベラまで届かない。バリヤーだ。あたしたちと彼女の間にはバリヤーが張ってあるのだ。サンダーとルチアは、ヘタヘタと崩れるように、床に膝をついた。
「ホホホホホ……」
いきなり、イサベラが笑いだした。甲高い、常人のものとは思えぬ笑いだ。両手をあげ、ムチを振ってイサベラは笑い続ける。
「イサベラ、スペース・スマッシャーは働かないのよ!」
あたしは言った。イサベラは、ふっと笑うのをやめ、あたしを見た。
「わかっているわ……」イサベラは言った。「父のつくったアンチ・スマッシャーでしょ……。わかっているのよ。だから、ここには最初っから防衛機構なんて最小限のものしか存在しなかったし、戦闘員だって、一個中隊しか、おかなかったのよ。こんな有り様では、連合宇宙軍の総攻撃にあえば、一時間とはもたないわ。みんな、あたしと一緒に死ぬのよ――」
「ちいっ!」あたしは舌打ちした。「ハナっから、それが狙いで……! このキチガイ! ボケ! スカ! スベタ! ファザコン!」
「ホホホホホ……」
また狂ったように笑いだし、イサベラは、あたしたちに背を向けた。突きあたりの黒光りするパネルに相対し、そこに付いているレバーを、次々とオンにする。
「これは、あたしがつくった最大のスペース・スマッシャーよ!」キンキンと響く声でイサベラは叫んだ。先ほどまでの落ち着きは、もうどこにもない。「働かなくてもいいわ! これこそ、わたしと、わたしの父のモニュメントだわ!」
そのときだった。
だしぬけに、そのスペース・スマッシャーのパネル全体が発光した。パネルにはめこまれていた特殊ガラスの窓の向こうが、爆発的に光ったのだ。凄まじいまでの光量だ。正面はすべて真っ白に輝いている。イサベラがショックで弾け飛び、床に倒れた。あたしたちもめまいに襲われ、頭を抱えてうずくまった。
光は、おさまらない。それどころか、何かモーター音にも似た唸りが、どこからか伝わってくる。パネルの様子を窺いたいが、肉眼で見ることは、かなわない。しかし、何がおこったかの推理だけはただひとつついた。
スペース・スマッシャーが、機能しはじめたのだ。それ以外にない。アンチ・スマッシャーに何らかの異常が発生したに違いなかった。もう、万事休すなんて段階は、通り過ぎている。
「ユリ!」あたしはユリの手を把った。「逃げるよ! ついといで!」
「サンダー! ルチア!」
ユリは、ひざまずいたまま動かない兄妹に、必死の声をかけた。が、ふたりとも、まったく反応しようとはしない。
突き上げるような振動がきた。あたしとユリは、いったん宙に浮き、それから落ちた。床にビビビーッとヒビがはいる。いや、地割れだ! こりゃ……。振動は、さらに激しくなる。
ズズーンと、鈍い爆発音が、どっかでした。連合宇宙軍のものとは、ちょっと違う。
「ケイ、あれ!」
ユリが、スペース・スマッシッーのパネルを指差した。パネルの白光が薄れ、かわりにそこかしこから火を噴いている。爆発は、スペース・スマッシャーの中だ。
イサベラが、急によろよろと立ち上がった。
「危い!」
あたしとユリは一緒に叫んだ。
耳をつんざく大爆発が、パネルの上でおこった。炎が、パネルを突き破る。
「ギャアアア……」
イサベラの全身が、噴出した猛烈な炎に包まれた。炎は塊になって、こっちへふくれあがってくる。
「わっ!」
あたしたちは顔を伏せ、首をすくめた。が、炎は、ここまでは来ない。見ると、バリヤーがまだしぶとく生きていて、そこでさえぎっているのだ。イサベラは、もう灰になってしまったか、その姿はどこにもない。
ベキベキと音をたてて、壁が割れだした。歪み、ねじれ、壁は次々と崩れ落ちていく。バリヤーも、長くはないだろう。あたしとユリは壁の割れ目のひとつに駆け寄った。サンダーとルチアは、まだうずくまったままだ。これじゃ、助からん。
「あたし、行く!」
ふいにユリが、あたしの手をふりほどいて、二人のもとに走ろうとした。ムチャだ。あたしは逆にユリの手首をぐいと掴み、彼女を引き戻した。その勢いで壁の割れ日に転げこむ。
バリヤーがつぶれた。
炎がイサベラの部屋に満ち、あたしたちが脱出に使った割れ目からも、火炎放射器のように、ヘビの舌そっくりの火の帯が長く伸びた。
「サンダー! ルチア!」
喚くユリは半狂乱だ。泣くな、ユリ! 男はまだほかにいる!
地震は、間断なく続いていた。泣きじゃくるユリを叱咤し、瓦礫の山の間をよたよたと前進した。もう城ン中はぐちゃぐちゃだ。どっちがどっちだがさっぱりわからない。とにかく城壁の外へでようと、勘をたよりにでたらめに歩く。城の石積みが崩れ、柱が折れ、床が裂け、もうあたしゃ軽業師だ。右に左に上に下に、とにかく安全そうなところを片はしから選んで、石の塊やら鉄骨やらをかきわけていく。一度などは、数センチ横を数トンはありそうな岩が転がっていった。さすがに冷汗ものだったが、なにしろ大混乱をきたしているので、さほど怖いとも思わない。あら助かったわいくらいの気持ちで、また新たなアクロバットに挑戦した。
そして、どのくらいさすらったことだろう。唐突に、まったく唐突に、城の外に出た。
それはもう、劇的な一歩だった。ひょいと岩をまたいだら、そこはあっさりと城の外だったのである。
「ケイ……」
上空を振り仰いだユリが弱々しい声であたしを呼んだ。
「ン?」
何の気なしにそう言われて首をめぐらしたあたしの血が、一瞬にして凍った。
「ふ、噴火してる……」
あたしは茫然としたまま、つぶやいた。
例の島の中央にあった大カルデラ火口が、爆発しているのだ。真っ赤な火を吐き、巨大な岩の塊としか見えない暗灰色の噴煙をもくもくと立ち昇らせて――。
耳鳴りのような地鳴りのような、何ともつかぬゴウゴウという音が、あたしの頭の中で渦を巻いている。もうたまらない。こりゃ、地獄だ。
赤く灼けた火山弾が、どすどすと降ってきた。灰もみるみるあたしとユリのからだに積もりだす。地震は震度四くらいで、定着してしまった。今ではからだが、その振動にあわせて、リズムをとってしまっている。
「〈ラブリーエンゼル〉!」あたしは半ベンをかいて、喚き散らした。「〈ラブリーエンゼル〉どこよ!」
「あっち!」
素早く地形を見て判断したらしいユリが言った。あいつ、あたしよりしっかりしてる。どうやら、いつのまにか立ち直ったらしい。だいたいこんな未曾有の危機の中にあって、落ちこんでいるヒマなんぞないのだ。
あたしたちはタックルを避けるラガーのように、ジグザクに走った。降ってくる火山弾から逃げるためだ。今はこれが一番怖い。
「あっ!」
ユリが叫び声をあげた。な、なんじゃ、やられたか?
「ムギよっ!」ユリは言った。「ムギがいるわ!」
「ぬわにっ!」
あたしはユリの示す方角を見た。左へ百メートルほどのところだ。火山灰のおかげで、そのくらいの距離でも視界が悪い。
「ふみゃあ」
啼き声が聞こえた。間違いない。ムギだ。アホが、何しとったん。
あたしとユリは、ムギのもとへ走った。ムギは何だかよくわからないスクラップらしきものの横に、ゆうゆうと坐りこんでいた。生意気に、毛づくろいなんかしてる。アホ、アホ! 人に心配かけといて……。
「ギャ!」
またユリが悲鳴をあげた。なんじゃうるさい。もう何見ても驚かんぞ!
「ケーイ……!」
ユリの呼ぶ声だ。うんざりして近づく。スクラップらしきもののところだ。
「ケイ、これ……」蒼ざめた表情《かお》で、ユリは言った。「サンダーとルチアの乗ってたサブマリンジェットだ……」
「げっ!」
結局、おのろいた。二人の乗ってたサブマリンジェットとは、つまりアンチ・スマッシャーを搭載していたやつではないか。
「どーして、こんなバラバラに……」
あたしはうろたえて、ユリに訊いた。ユリはひょいと顎をしゃくった。
「よくみりゃ、原因はすぐわかるよ。どの破片にも、ムギの爪あとと歯型がついているから……」
「ひ、ひえ!」
あたしは、ぶっとんだ。ムギが、ぶち壊したと言うのかえ? こ、このアンチ・スマッシャーを……。
「うかつだったよ……」ユリが言った。こういうときに限って、こやつは冷静になるのだ。「アンチ・スマッシャーには電波が使われてたんだ。それも、ムギを狂わすような特殊な電波がね――」
「あ!」
あたしは手を打った。あれだ。ムギがおかしくなって〈ラブリーエンゼル〉から飛びだしたやつだ。そうか、あれは一種の電波中毒か!
「苦しさのあまり、ぶっ壊したんだよ、きっと」
ユリが言った。そのとおりだろう。しかし、そのとおりが何だ。結果は実にこの有り様なんだぞ!
「ムギっ」あたしは怒鳴り、ムギを蹴とばした。「このアホ猫! ボケ! お前が、お前が、お前が悪い!」
「よしなよ、ケイ!」ユリが止めた。「そんなことより、早く〈ラブリーエンゼル〉に行かなくっちゃ!」
「わあってるわい!」
あたしはからだを丸め、小さくなっているムギを睨みつけた。
「ムギ! あたしたちを乗せて、〈ラブリーエンゼル〉までお運び! そンくらいのバツを受けることをお前はしたんだよ!」
「ミギャ……」
ムギはうなだれ、あたしたちふたりを背中に乗せた。だっとばかりに走り出す。
数分で、スカーレットに輝く〈ラブリーエンゼル〉の美しい姿態が、前方に見えてくるようになった。さすがにムギは速い。
「よかった」ユリがうなずいた。「〈ラブリーエンゼル〉は無事だよ」
あったり前じゃい! 銀河系最高のお宇宙船《ふね》が、そう簡単にいかれて、たまるけ!
あたしたちは積もった灰で真っ白になって、〈ラブリーエンゼル〉を繋留してある離着床に飛びこんだ。
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10 涙のエピローグ
あせりにあせって〈ラブリーエンゼル〉を発進させ、高度六千メートルに至ったところで、強引に水平飛行に移った。周囲には、連合宇宙軍の大型艦がゴロゴロしている。セント・ドミナス島が、あまり急にメチャクチャになったので、自分たちの攻撃のせいかと思い、とまどっているのだ。わはは、かわゆいやっちゃ。
「おい、おかしいよ……」
じっとスクリーンに見いっていたユリが、ポツリと言った。あたしは、嫌な予感にかられる。こいつがこんな言い方をするときは、ロクなことがない。
あたしはあわてて、メインスクリーンの映像を見た。
最初に目にはいったのは、やはり高度数十キロという大噴煙を吐き出して荒れ狂う、島の中央の大カルデラ火山だった。次に、そのあおりで燃えあがる島の密林、そして最後に異様に泡だつ茶褐色に染まった海を見た。海は泡だっている上に、地震の影響で津波も発生している。しかし、どこかおかしいというほどおかしいところはない。だいたい、これ以上、おかしいことがあるのかよ!
「おかしいよ、絶対に、これ!」
ユリのやつ、またこれ見よがしにつぶやいた。ええい、我慢ならない。
「ユリ!」あたしは言った。「さっきからブツブツ言ってっけど、この画面のどこがおかしいのよ?」
「ケイは、わかンないの?」ユリはあきれたように、ざーとらしく目を剥いた。「こんなに異常なのにィ……」
そーですか、そーですか、異常ですか、そーですか!
「どこが異常なのよ!」
あたじは、ついに怒鳴った。
「よく見てよ! 海ン中!」ユリも負けじと怒鳴り返してきた。うー、耳が痛ェ。「火山の範囲がどんどん広がってンのよ! 海が茶褐色に染まってるでしょ。これがセント・ドミナス島を中心にして放射状に伸びてるわけ。わかる? 海底火山がぞくぞくと生まれてるってこと!」
「わかるよ、うん」
あたしは平然とうなずいた。
「あー、もういや!」ユリは長い黒髪をふり乱した。あたしが赤毛で、しかも縮れていることへのあてこすりである。「普通なら、こんなにならないで、もっと火山の活動が限定されてるってことに気がつかないの?」
「あっ……!」
あたしはようやく思いあたった。えーい、バカバカバカ! 何と鈍いのじゃ! そうだ、そうだよ! こりゃ異常だ!
「たしか、イサベラのやつ……」と、あたしは言った。「最大のスペース・スマッシャーだって言ってたうえに、スイッチというスイッチを全部オンにしたんじゃなかった?」
「ギク!」
ユリの背筋が、ピクンと震えた。
「火山の範囲が、異常に広がっていくってェことは、ラメールの地殻が、無制限に破砕されているってェことになるのよねェ……」と、あたしは恐る恐る続けて言った。「で、無制限に破砕されていくってことはァ、ラメールの全土がズタズタになるってェことなんだよね?」
「……」
「こいつァ、ちょいと凄いですよ……」
「うふふ……」
ユリが笑った。
「ふはは……」
あたしも笑った。
「うふふ、ふはは、ははは、あはは、えへへ、ほほほ……」
ふたり揃っての大爆笑になった。
「ひはは、きゃはは、うほほ、はへへ、ぶふふ……」
なかなかおさまらない。
「げはは、ふほほ……」
そのうちにあたしは、ユリの笑い声がおかしなものに変わっていることに気がついた。
「あはは、あはは、あはは、あは、あは、あは……」
うつろな一本調子の乾いた笑い声だ。
ふと、目と目が合った。
笑い声が、熄んだ。
結局、気も狂えないのだ。
「アラベルに!」
あたしは叫んだ。
「宇宙軍が先よ!」
ユリも叫んだ。
大あわてで、アラベルと宇宙軍に連絡をとった。
この惑星は――ラメールはもう、だめなのだ。助からないのだ。あかんのだ。スペース・スマッシャーは、地殻に対して制限を設けられないで作動し、例の共鳴波をラメールの全土に撒き散らしたのである。
その帰結は、言うまでもなかろう。惑星の地殻崩壊、マグマ層の活発化である。打てる手はただひとつ、惑星全土の住民を、ただちに他星へ避難させることだけだ。ためしに〈ラブリーエンゼル〉のコンピュータで計算したところ、標準時間で、千時間以内に避難が完了しなければ、相当の被害が予想されるという答が弾き出されてきた。
えらいことである。
地球連邦宇宙軍と連合宇宙軍、それに近在の惑星国家の宇宙軍が協力して、住民の一斉脱出が、すぐさま始められた。
歴史に残る大エクソダスになった。
あたしたちがムギに、過酷なまでの折檻を加えたことは言うまでもない。もっともそこはクァールのこと、三日の絶食以外のバツにはまったくこたえた様子もなかった。ええい、くそ! やなやつだ。
ラメールは、その後、七か月以上にわたって全土が噴火しつづけた。数千度のマグマが、なかなか冷えずに地上を埋めつくし、文字どおりの火の海になった。これはもう火山なんて生やさしいものではなく、火球である。直径一万キロの火球だ。
大宇宙の宝石≠ニ謳われ、銀河系の至宝≠ニ呼ばれた美しい惑星は、さほどの時を経ずに、煮えたぎる塊と化したのである。
幸いにも、あたしたちの機転で、脱出計画が比較的早く組まれ、死者は全土でわずかに三千六百二十一人ですんだ。
しかし、この降って湧いたような災害で、約七億二千万人の住民が帰るべき故郷《ほし》を失った。かれらは、いずこかへとさすらっていく流浪の民となったのだ。
マリーネをはじめとする辺境星団の各惑星は、これら難民のおよそ二十パーセントを受け入れてくれたという……。
[#ここから3字下げ]
作中において、クァールに関しましては、A・E・ヴァン・ヴォクト作『宇宙船ビーグル号』を参考にいたしました。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]――作者――