大江戸妖怪かわら版
異界から落ち来る者あり 上
香月日輪
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)大江戸《おおえど》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|団《だん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)三つの目玉[#「三つの目玉」に傍点]
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〈帯〉
化け物だらけの楽園だ
痛快大江戸ファンタジー
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大江戸妖怪かわら版
異界から落ち来る者あり 上
香月日輪
理論社
大江戸妖怪かわら版 異界から落ち来る者あり◆上◆
もくじ
プロローグ
雀、蜃気楼に永遠を見る
異界より落ち来る者あり
天空の庵にて思う
童女、異界を見聞す
桜貝の海に遊ぶ
月下に白菊咲く
風かわりて夏きたる
[#地から1字上げ]装画 橋 賢亀
[#地から1字上げ]装幀 郷坪浩子
[#改ページ]
大江戸《おおえど》八百八町―――。
夜の帳《とばり》が降《お》りても、なお賑《にぎ》やかだった飲み屋や茶屋の軒先《のきさき》も、ようよう灯《ひ》が落ちた。
町木戸が閉められ、通りにはおだやかな静けさが満ちる。
煌々《こうこう》と照る月明かりの中に、町は群青色《ぐんじょういろ》に浮かび上がり、甍《いらか》の波に星が降った。
「火の用心、しゃっしゃりましょう〜」
拍子木《ひょうしぎ》を打ち鳴らしながら夜番が練り歩く。
と、道の向こうからカランコロンと下駄《げた》の音をたて、下半身だけの着物姿がやってきた。腰から下だけの姿は、薄闇《うすやみ》の中にぶい赤色の炎に包まれてボ〜ッとゆらめいている。
夜番は三つの目玉[#「三つの目玉」に傍点]をキロリとむいた。
「家屋敷《いえやしき》に近づきすぎねぇよう気をつけなせぇ、姐《あね》サン。移り火も火付け同様、御法度《ごはっと》だゼ」
夜番が声をかけると、見えない上半身が口をきいた。
「アレサ、イヤだよ。わっちの火はそんなヤボなもんじゃないわいな。炎蛇《えんじゃ》じゃあるまいし」
「え、炎蛇!?」
夜番はギョッとした。その時、遠くの夜空がパアッと赤く光った。
「火事だ、火事だあ――っ!!」
出火を知らせる半鐘《はんしょう》が鳴り響《ひび》く。
「炎蛇が出たぞ―――!!」
紅蓮《ぐれん》の炎が夜闇《よるやみ》を焦《こ》がす。
早や幾棟《いくむね》もの家屋を呑《の》み込んで、轟々《ごうごう》とのたくる真っ赤な炎の中に蠢《うごめ》く、大きな長い影。
「炎蛇だ!」
「炎蛇だよぅ――!!」
業火《ごうか》の中で、メキメキバキバキと恐《おそ》ろしい悲鳴を上げる家々。焦げる臭《にお》いと真っ黒の煙《けむり》が渦巻《うずま》く中で、恐れおののき逃《に》げまどう者たち。
その向こうから、水神《すいじん》の火消しどもが駆《か》けて来た。揃《そろ》いの青い法被《はっぴ》に捩《ねじ》り鉢巻《はちまき》。腕《うで》には水龍《すいりゅう》の彫《ほ》り物《もの》。
「どけどけどけ――っ!!」
「妖火《ようび》の火事なら、水神の火消しに任《まか》せとけ! 町火消しはすっこんでな! 結界《けっかい》張れ―――っ!!」
「おお―――っ!!」
注連縄《しめなわ》を手に手に屋根に飛び乗ってゆく水神の火消したちに、まわりの者たちからワッと歓声《かんせい》が上がる。
その火事場を望む坂の上の寺を目指し、闇《やみ》の中を駆《か》ける者がいた。
「雀《すずめ》、こっちだ!」
寺の門の上から声がかかった。
「桜丸《さくらまる》!」
雀は天水桶《てんすいおけ》に足をかけ、ヒョイと塀《へい》へ登った。
「ここぁ、ドンピシャだ。いっそよく見えるぜ! いくぜ?」
「おう、頼《たの》まぁ!」
桜丸は、雀を背負《せお》うと寺の屋根をヒョイヒョイと飛ぶように駆け上がり、たちまち屋根のてっぺんへ飛び乗った。そこからは、火事場が手に取るようによく見えた。
「うわあ、すげえ!」
燃《も》え盛《さか》る大火の中に長い影《かげ》が禍々《まがまが》しく浮《う》かび上がる。焼け落ちた家、にげまどう者。半鐘《はんしょう》の音と飛び交う怒号《どごう》や悲鳴。そして、注連縄《しめなわ》を掲《かか》げ、迫《せま》り来る炎《ほのお》に仁王立《におうだ》ちの火消したち。
「水神《すいじん》の火消しどもが結界《けっかい》を張《は》ったんで、火が行き場をなくしてる」
桜丸の言うことを聞きながら、雀は紙に筆を走らせた。
まだほンの少年のような顔をした雀は、これでも歴《れき》としたかわら版屋。事件を追って大江戸八百八町を東奔西走《とうほんせいそう》。子どもだガキだと文句《もんく》を言わせぬ仕事ぶりが評判である。
その雀をいつも手助けしてくれるのが桜丸。自分のちょうど兄貴《あにき》ぐらいのこの若者を、雀は「良き連れ」として慕《した》っている。
今夜はその桜丸と一緒《いっしょ》に遊んでいた所へ「炎蛇《えんじゃ》が出た」との一報が飛び込《こ》んできた。それっとばかりに取材[#「取材」に傍点]に飛び出した雀である。
行く手を阻《はば》まれた妖火《ようび》は、忌々《いまいま》しげにまた苦しげに身をよじり、その中で真っ黒い蛇《へび》の姿《すがた》は、まるで激《はげ》しく踊《おど》っているようだった。
「炎蛇といっても、あれぁ蛇の化身《けしん》じゃねぇ。そう見えるだけサ」
「妖火《ようび》はなんで起こるんだ?」
「陰《いん》の気が溜《た》まるとこにゃあ、いろんな魔《ま》が生まれるもんだ。たまたま生まれた魔が、たまたま何かの火種を吸《す》ったんだろうぜ」
「怖《お》っかねぇ」
「妖火《ようび》は普通《ふつう》の水じゃ消せねぇからな。水神の聖水《せいすい》を使うのサ」
「それを扱《あつか》えるのが、水神の火消しってわけだな」
結界《けっかい》で足止めをした妖火に、水神の聖水が浴《あ》びせられる。それは遠目からもわかる美しい青色をしていた。
桜丸《さくらまる》が空の彼方《かなた》を指差した。
「来たぜ、水神《すいじん》の空火消《そらひけ》し≠セ!」
妖火に赤々と焦《こ》がされる大江戸《おおえど》の夜空の彼方。赤黒く染《そ》められた禍々《まがまが》しい闇《やみ》を切り裂《さ》いて、薄青《うすあお》い翼《つばさ》を広げた一|団《だん》が颯爽《さっそう》と現《あらわ》れた。地上からすごい歓声《かんせい》が上がる。
「空火消しは、火消しの花形だからなあ」
桜丸は苦笑いした。
空火消したちは、妖火に向って次々と急降下《きゅうこうか》すると、抱《かか》えた布袋《ぬのぶくろ》から聖水を振《ふ》り撒《ま》いた。
「カッチョイイ――! さすが、花形!」
雀《すずめ》は興奮《こうふん》した。
「もっと近くへ行くぜ、雀!」
再び雀を背負《せお》うと、桜丸は寺の屋根をトンと蹴《け》った。たちまち二人は高々と夜空へ舞《ま》い上がり、ビョオと風を切って空火消しの一団へとぐんぐん近づいていく。
「すげえ――っ! さすが風の桜丸≠セ!!」
空火消しは、地上にいる仲間と同じく揃《そろ》いの青い法被姿《はっぴすがた》に、腕《うで》には龍《りゅう》の彫《ほ》り物《もの》をしていた。その青い翼は身体《からだ》から生えているのではなく、背に負った骨《ほね》のようなものに付いているのだった。
「ありゃあ、水龍の背骨さ! だが、あれを付けたら誰《だれ》でも空を飛べるってわけじゃねぇ。空を飛ぶにゃあ、才能《さいのう》と修行《しゅぎょう》がいるのサ。だから連中は花形≠ネのさあ!」
「こんなとこで何してやがる、小僧《こぞう》ども! 仕事の邪魔《じゃま》だ!」
空火消しの一人《ひとり》が怒鳴《どな》った。
「かわら版屋だ! 取材だよ!!」
雀は怒鳴り返した。
「お前……魔人《まじん》か!?」
空火消しは、雀を背負っている桜丸の身体の彫り物を見て顔を歪《ゆが》ませた。
「風を乱《みだ》すんじゃねえ! もっと離《はな》れろ!」
捨《す》てゼリフのようにそう言うと、空火消しは飛んで行った。
「花形はいいが、あの上《あ》げ煙管《ぎせる》はとっけもねえ。選《え》り抜《ぬ》きだからって鼻にかけやがって」
桜丸《さくらまる》は舌打《したう》ちした。
「エリートってやつだな」
「はあ? なんだソリャ?」
「ア、イヤ。なんでもねぇ」
雀《すずめ》は頭を掻《か》いた。
地上に降《お》りると、もはや燃《も》やすものもなく、燃える力もなくして、炎蛇《えんじゃ》の妖火《ようび》はすっかり小さく衰《おとろ》えていた。雀は、その様子を書き留《と》めた。
「これで明日《あした》のかわら版はバッチリだ! ありがとうよ、桜丸。おかげで空火消しを間近で見られたぜ。キュー太に挿絵《さしえ》も描《か》いてもらえる!」
「俺《おれ》ぁ、お前《め》ぇの読売《よみうり》が気に入ってんだ、雀。面白《おもしれ》ぇもんを期待してるゼ」
ズゥゥンと、焼けた家が崩《くず》れ落ちると同時に妖火《ようび》も力|尽《つ》きた。熱い風がワッと渦巻《うずま》く。見物人から、ひときわ大きな歓声《かんせい》が上がった。
「火事と喧嘩《けんか》は、江戸《えど》の華《はな》だなぁー」
雀は笑った。
「オンヤ、雀じゃねぇか」
塀《へい》の上から声をかけられた。飾《かざ》り職人《しょくにん》の辰《たつ》だった。
「辰っあんも火事見物かイ?」
「こン屋根の上でな。俺ぁこンくらい離れてても充分《じゅうぶん》よく見えっからヨ」
と、辰は大きな一ツ目をギョロリと動かした。
「アハハハ! 違《ちげ》ぇねえ!」
せかせかと後始末《あとしまつ》に動き回る火消したちも、三々五々《さんさんごご》散り行く見物人たちも、鬼面《おにづら》あり獣面《けものづら》あり、三ツ目やら三本足やら六本|腕《うで》やら、大きかったり小さかったりと奇々怪々《ききかいかい》な風貌揃《ふうぼうぞろ》い。人型もいればそうでないのもいる。形にすらなっていないものもいる。だが、ここではそれがふつう。
魔都《まと》 大江戸《おおえど》―――。
昼空を龍《りゅう》が飛び、夜空を大蝙蝠《おおこうもり》が飛び、隅田川《すみだがわ》には大蛟《おおみずち》、飛鳥山《あすかやま》には化《ば》け狐《ぎつね》。大江戸|城《じょう》には巨大な骸骨《がいこつ》がしゃどくろ≠ェ棲《す》む妖怪《ようかい》都市である。
とはいえ、町は天下泰平《てんかたいへい》の空の下。複雑怪奇《ふくざつかいき》な住人たちも、いたって平和に暮《く》らしている。
「大首《おおくび》のかわら版屋」の記者[#「記者」に傍点]|雀《すずめ》は、そんな世界にいるただ一人《ひとり》のただの人間。
西に、犬も喰《く》わぬ夫婦喧嘩《ふうふげんか》で毒煙《どくけむり》を吹き合うガマの夫婦がいれば、飛んで行って仲裁《ちゅうさい》し、ついでに毒煙を吸《す》って目を回し、東に、湿気《しっけ》と汚《よご》れを生む『毛羽毛現《けうけげん》』が出たと聞けば一|匹《ぴき》もらってきて、変なものを飼《か》うなと大家に叱《しか》られる。
ただの人間の雀にとっちゃあ、見るもの聞くものすべてが面白話《おもしろばなし》。自分の見聞録が、それすなわち、『大江戸妖怪かわら版』なのである。
「そィじゃあ、桜丸《さくらまる》。俺《おれ》ぁこれから親方んちへ行って、版下《はんした》書くよ」
「今からじゃあ、徹夜《てつや》だな」
「忘《わす》れねぇうちに書かねぇとな。今日のお返しに、深川《ふかがわ》のキャフェー[#「キャフェー」に傍点]でなんかおごるぜ」
「お前《め》ぇ、キャフェーなんかへ行くのかェ、雀《すずめ》?」
「ポーが薦《すす》めてくれたんだよ。若人《わこうど》はキャフェーでソォダ[#「ソォダ」に傍点]を飲むのが最新の流行なんだってな」
桜丸は大袈裟《おおげさ》に肩《かた》をすくめた。
「あのキザ猫《ねこ》が言いそうなこった。キャフェーなんざ、お前ぇ、こっ恥《ぱ》ずかしかねぇか?」
「いっぺんぐれぇ行ってみようぜ? ここ[#「ここ」に傍点]のキャフェーがどんなもんなのか興味《きょうみ》があンだ、俺《おれ》」
堂々《どうどう》と引き上げてゆく水神《すいじん》の火消したちを見送る拍手《はくしゅ》が聞こえてきた。
空火消したちも去った夜空に、火事の煙《けむり》に染《そ》まった月が赤黒く浮《う》かんでいた。
妖火《ようび》の熱気と興奮《こうふん》が冷《さ》めやらぬ、大江戸《おおえど》の夜が更《ふ》けてゆく―――。
[#改ページ]
[#挿絵(img/01_017.png)入る]
雀《すずめ》、蜃気楼《しんきろう》に永遠《えいえん》を見る
「ヤイ、雀《すずめ》! 起きゃあがれ!!」
雷鳴《らいめい》のごとき大声に、雀はウワッと起き上がった。
目の前に壁《かべ》一面の真《ま》っ赤《か》な大首《おおくび》が、大皿のような金の目をむき、大穴《おおあな》のような口をあけて鎮座《ちんざ》ましましていた。
「あ、親方! ウハヨ――ッス!」
ここは、大首のかわら版屋の奥座敷《おくざしき》。雀たちかわら版屋の職場《しょくば》である。
昨夜は徹夜《てつや》で版下《はんした》を作り、雀はそのまま寝《ね》てしまったらしい。親方の手下ども――チョロチョロ動き回る煮卵《にたまご》のような赤黒い丸いものたち――が、畳《たたみ》に大の字の雀《すずめ》にちゃんと布団《ふとん》をかけてくれていた。
「てめぇ、また徹夜《てつや》しやがったな。風邪《かぜ》でもひかれちゃ面倒《めんどう》だと何度言わせる。ちゃんと布団に入って寝《ね》やがれ!」
親方の口のまン前で怒鳴《どな》られると、体重の軽い雀などは吹《ふ》き飛《と》びそうだった。
「すんまっせん! 昨夜の炎蛇《えんじゃ》の記事を書いてたんだ。版下《はんした》は全部できたよ。あとはキュー太に挿絵《さしえ》を描《か》いてもらうだけだ」
眠《ねむ》い目をこすりながら雀は言った。
「顔|洗《あら》って目ェ覚まして来い。そィから朝飯だ!」
「ヘイ、承知《しょうち》!」
雀の書き散らしたものを、手下どもがテキパキと片付《かたづ》けていた。
「布団をありがとうよ、タマゴっち[#「タマゴっち」に傍点]!」
手下どもに声をかけて出てゆく雀の後ろから、
「勝手な名前で呼《よ》ぶな!」
と、親方が怒鳴った。
裏庭《うらにわ》の井戸《いど》で顔を洗ってウーンと伸《の》びをすれば、五色の朝空を天女《てんにょ》が連なって飛んでいるのが見えた。
「わぁ〜、ありゃあ富士参拝《ふじさんぱい》からの帰りだな。なんの精《せい》かなあ。キレイだなあ」
昼間は、よくからっ風が吹《ふ》き砂塵《さじん》が舞《ま》い飛ぶ大江戸《おおえど》の町だが、朝は風もなくキーンと空気が澄《す》んで、普段《ふだん》は見えない精霊《せいれい》たちが姿《すがた》を現《あらわ》したりした。それは大抵《たいてい》とても美しい姿をしていた。
「朝も昼も夜も、この世界[#「この世界」に傍点]は面白《おもしれ》ェなあ」
薄紫《うすむらさき》や薄|紅《べに》の羽衣《はごろも》をなびかせて、とびきり優雅《ゆうが》で美しい金魚のような天女たちが、泳ぐように空をゆく。
熱く見つめる地上の者たちのことなど知らぬふりで。ちょっと顎《あご》をツンと上げ、金の朝陽に祝福されるが如《ごと》く包まれて。
天女たちが、朝陽の中に溶《と》けるように見えなくなると、表通りからぷ〜んといい匂《にお》いが漂《ただよ》ってきた。かつおダシの匂いだ。とたんに雀《すずめ》の腹《はら》の虫がグゥと鳴る。
「そうだった、朝飯朝飯!」
大首のかわら版屋の向かいに、飯処《めしどころ》「うさ屋」がある。飯のうまさにかけちゃあ、ここいら随一《ずいいち》の味処。雀も、もちろん常連《じょうれん》である。
「ウハヨ―――ッス! 卵《たまご》かけご飯おくれ―――っ!!」
雀は、飛《と》び込《こ》むように暖簾《のれん》をくぐった。
「おう、雀。今朝はまた、バカに気のきいたカラスだの」
うさ屋の主人の大兎《おおうさぎ》が、相撲取《すもうと》りのような図体をゆさゆさゆすって笑った。
「徹夜《てつや》で版下《はんした》書いてたんだ。昨夜、炎蛇《えんじゃ》が出ただろ」
「オウサ。昨夜なぁ、でかかったなあ」
「あれを取材してたんだ。桜丸《さくらまる》に乗っけてもらって空火消しも見たゼ!」
「そいつぁ、豪儀《ごうぎ》な見ものだったろう!」
うさ屋は、またゆさゆさと笑った。
「オハヨ、雀ちゃん」
一ツ目のお節《せつ》が、朝飯を運んできた。炊《た》きたての飯に卵が一|個《こ》。大根の味噌汁《みそしる》と胡瓜《きゅうり》のヌカ漬《づ》け。うさ屋|自慢《じまん》の朝定食の|※[#丸イ、1-12-60]《イ》。
「これは、板サンから」
お節がそう言って定食に付けたのは、めざしが一|匹《ぴき》。
「オッ、やったあ! ありがとヨ、お節っちゃん、板サン」
雀は、板場に向って手をあげた。それに応《おう》じる板前の歳三《としぞう》は、川|小僧《こぞう》。魚を料理させたら天下一品の腕前《うでまえ》である。
熱々の卵飯《たまごめし》をかっこみ大根汁をすすると、醤油《しょうゆ》やダシの旨味《うまみ》が五臓六腑《ごぞうろっぷ》にしみわたる。
「あ〜〜〜っ、うめ〜〜〜イ!」
ぷりぷり焼きたてのめざしが、また飯に合う。
そうしているうちに、うさ屋には朝の常連がやってきはじめた。
「ごめんよ」
「おはようさんで」
「おはようサンで」
「アイ。今朝《けさ》もすべっと良《え》え天気だねェ」
お多福やひょっとこの面を付けた者たちがゾロゾロと入ってくる。天井《てんじょう》には蝙蝠《こうもり》男。窓《まど》の外から手だけ差し入れてくるのは、身体《からだ》が大きくて店に入らない者だ。
「朝飯の|※[#丸ロ、1-12-79]《ロ》をおくれな」
「朝定の|※[#丸ハ、1-12-80]《ハ》だ。飯は大盛《おおも》りで」
「アイアイ。お待ちを〜」
お節《せつ》が忙《いそが》しく立ち回る。
朝の大江戸に活気が満ち始めた。
大通りに面した商家が次々に店を開けると、道はあっという間に通り行きの者たちで溢《あふ》れた。行商人やら遊び人やら旅の者やら。
ちりんちりんと涼《すず》しげな音をたて、風鈴《ふうりん》を売り歩くのは化け狸《たぬき》。
「お。そろそろ夏だの」
と、商家の二階から首をのぞかせる大店《おおだな》のおぼっちゃんはろくろっ首。
路上をただコロコロと転がってゆく正体不明のモノとか、ぞろぞろ連なって歩く、同じ装束《しょうぞく》で顔を布《ぬの》で隠《かく》した正体不明の旅の者とか。
「妖怪《ようかい》のくせに、みんな朝から元気だよなあ……って思うけど、ここじゃこれがフツーなんだよなあ」
それぞれ種族は相当に違《ちが》えども、皆《みな》天下のある国に暮《く》らす者たち。己《おのれ》の能力《のうりょく》をどう使おうが自由だが、それによって他者に迷惑《めいわく》をかければ罰《ばっ》せられるのだ。
「ヤァ、おはよう。雀《すずめ》」
木戸を開けたところに、銀色|猫《ねこ》のポーがいた。
美しい銀の毛並《けな》みに緑の瞳《ひとみ》。ハンチング帽《ぼう》と揃《そろ》いの柄《がら》のチョッキ姿《すがた》が今日も決まっている。ポーは「大首のかわら版屋」の文芸|担当《たんとう》記者である。
「いい朝だね。生まれ変わった気分だよ」
ポーはそう言って、パイプの紫煙《しえん》をくゆらせた。
「それ毎朝言ってるゼ、ポー」
かわら版屋の前|座敷《ざしき》には、もう近所のヒマ人どもがたむろしていた。
十|畳《じょう》ほどの畳《たたみ》の間はいつでも開放されていて、囲碁《いご》や将棋《しょうぎ》を打つ者、壁一面の本棚《ほんだな》からかわら版や草子《そうし》を抜《ぬ》き出《だ》して読む者などが入《い》り浸《びた》っている。このヨタ者たちのヨタ話が、時にかわら版のネタになったりする。親方の手下どもが、客の間をチョロチョロと動き回り、茶を出したり片付《かたづ》けや掃除《そうじ》をしたり、まめまめしく働いている。
「よう、雀」
「ゆンベの炎蛇《えんじゃ》は見たかェ?」
「おう、見たともサ! 桜丸《さくらまる》と一緒《いっしょ》に空火消しを取材してきたんだ。徹夜《てつや》で版下《はんした》を書いたんだぜ」
「そりゃあ、刷り上りが楽しみだ」
「そうだ、キュー太に絵を描《か》いてもらわねぇと……キュー太! 来てるかい?」
奥《おく》の作業場から、白いかたまりがスルスルと出てきた。大首のかわら版屋の絵師《えし》キュー太である。
酒樽《さかだる》に白い布をかぶせたようなノッペラボーのキュー太だったが、雀がたわむれに目と口を描いたところ、なんとしゃべれるようになった。
『お早ウ、雀』
と、キュー太は口から、そう書かれた[#「書かれた」に傍点]細長い紙をべろべろと吐《は》いた。これがキュー太の「しゃべり方」である。ちなみに「キュー太」というのも雀の命名である。
「野郎《やろう》ども! 今日もキリキリ働きやがれ!」
大首の親方の怒鳴《どな》り声が奥から響《ひび》いた。
「ヤダヤダ。朝から無粋《ぶすい》な声だヨ」
ポーは大きく肩《かた》をすくめた。
キュー太に挿絵《さしえ》を描《か》いてもらった雀《すずめ》は、版下《はんした》を持って彫《ほ》り師《し》のもとへ走った。
留吉《とめきち》と末蔵《すえぞう》は兄弟。留吉が彫《ほ》り師《し》で末蔵が刷り師を分業している。
「ちは―――っす! 版下持ってきたゼ、留さん、末さん」
「おぅ、雀」
「昨夜の炎蛇《えんじゃ》だろう」
兄弟は大きな顎《あご》をカクカクしながら笑った。
あちこちのかわら版や草紙《そうし》の印刷を引き受けている兄弟は、今日も大忙《おおいそが》しだった。それぞれの八本の腕《うで》をフル回転。次々と彫っては次々と刷り上げてゆく。たちまち本の山積みができてゆく。
「相変わらず忙しそうだなぁー。俺《おれ》の、すぐにできる?」
「案じなさんなぁ、湯屋《ゆうや》の煙《けむ》だぁ」
「昼前にゃあ、そっちィ届《とど》けてみせるゼ」
兄弟は胸《むね》を張《は》った。
「お頼《たの》みあげ豆腐《どうふ》!」
雀はパンパンと手を打った。
さて。お天道《てんとう》さんはズンズンと晴天を昇《のぼ》り、初夏の青空は透《す》き通《とお》るように美しい。
吹《ふ》く風はさわやかで、こんな日は風に吹かれるままどこまでも歩きたい気分になる。
「一仕事終わったし。かわら版が刷り上るまで、ちょっくら散歩でもしてくるか」
と、雀は歩き出した。
醤油《しょうゆ》味の羽二重団子《はぶたえだんご》をもぐもぐしながら、浅草|界隈《かいわい》をさまよう。
油問屋に呉服屋《ごふくや》、米屋に酒屋、菓子屋《かしや》、細工屋《さいくや》……雀の知っている江戸の町[#「雀の知っている江戸の町」に傍点]と変わりない町並《まちな》み。行き交《か》う者。店の雰囲気《ふんいき》。ひときわ賑《にぎ》やかな店先は絵草子屋《えぞうしや》。ズラリ並《なら》んだ美女絵の華《はな》やかなこと。
朝見た天女《てんにょ》がそうであるように、そして桜丸《さくらまる》がそうであるように、人型をした者たちも、案外多い大江戸《おおえど》の町である。
「え〜冷ゃっこい〜、冷ゃっこい〜」
という冷水売りの売り声が、夏の訪《おとず》れを感じさせた。
「一|杯《ぱい》おくれ」
雀《すずめ》は、白玉入りの砂糖水《さとうみず》を買った。
「ヘイ、まいど」
ほんのり甘《あま》い冷水の冷たさと、白玉がつるんと喉《のど》を下っていく感触《かんしょく》がたまらない。
「んん! 確《たし》かに冷ゃっこい。うまいよ、コレ!」
「ありがとうござんす」
蓑笠《みのかさ》姿の冷水売りは、そばに寄《よ》ると冷んやりした。蓑の上で氷の粒《つぶ》がキラキラ光っている。「冷ゃっこい、冷ゃっこい」と遠ざかる冷水売りを見送って雀は、
「雪男?」
と、首をかしげた。
「雀ちゃん」
雀は、後ろからポンと団扇《うちわ》で叩《たた》かれた。
「あ、松葉のおねィさん」
松葉茶屋の看板娘《かんばんむすめ》お泉《せん》は、人のように見えるけれど黄色くてふさふさの尻尾《しっぽ》がある。お泉はその尻尾を雀の身体《からだ》に巻《ま》きつけた。
「ねぇん、雀ちゃん。今日は? 鬼火《おにび》の旦那《だんな》は?」
「知らねぇよ。どっかで呑《の》んでんじゃねぇの?」
「この頃《ごろ》ちっとも来てくれなくてさぁ、あのおたんちん。ねぇ、雀ちゃん。旦那を連れてお店に来てよぅ」
「旦那《だんな》は、茶屋で呑《の》むより飯屋で呑む方が好きなんだよ」
お泉《せん》は、雀《すずめ》をキュッと抱《だ》き寄《よ》せた。粋《いき》な三|筋立《すじだ》ての襟元《えりもと》から、豊《ゆた》かな胸《むね》の谷間がのぞく。
「旦那を連れてきてくれたらサァ、菊屋《きくや》の大福をウンとおごっちゃうからサァ」
雀はお泉の胸よりも、菊屋の大福にクラリときた。
「わかった。旦那に会ったら言っとくよ」
「頼《たの》んだヨ」
お泉は去り際《ぎわ》、その尻尾の先で雀の鼻をくすぐった。
「いい男がモテるのは、どこでも一緒、か」
雀は大袈裟《おおげさ》にため息した。
水神の神宮前は、今日も商売人や参拝《さんぱい》の者たちで賑《にぎ》わっていた。
金魚や朝顔の出店がチラホラ出始めている。色とりどりの風車《かざぐるま》が初夏の風に躍《おど》っている。水神の火消しの詰《つ》め所《しょ》前には、いつものように侠《いなせ》な火消したちを一目見ようと人垣《ひとがき》ができていた。
「♪トントンとん辛子《がらし》、ヒリリと辛《から》いは山椒《さんしょう》の粉、スイスイ辛いは胡椒《こしょう》の粉〜!」
と、巨大《きょだい》な赤いハリボテ唐辛子《とうがらし》を背負《せお》った、自分も全身|真《ま》っ赤《か》な辛子売りが通《とお》り過《す》ぎていった。
「アハハハ!」
通り行きの者たちが、笑って辛子を買っている。別に辛子を買いたいわけでもないが、この辛子売りは大道芸を兼《か》ねた商売なのである。
「お、見ねェ!」
客の一人《ひとり》が空を指さした。
デン、デン、デンという太鼓《たいこ》の音とともに、四|匹《ひき》の鬼《おに》にかつがれたりっぱな輿《こし》が空を横切っていった。覆《おお》いが薄絹《うすぎぬ》のところを見ると、乗っているのは若《わか》い女のようだ。
「ありゃあ、水神の客だな」
「どこのご令嬢《れいじょう》かねぇ」
「水神の息子《むすこ》に結婚話《けっこんばなし》がすすんでるそうじゃねぇか」
「もうそんな年かネ」
噂話《うわさばなし》に聞き耳をたてながら、雀《すずめ》は空を見ていた。高貴《こうき》なお方の空飛ぶ輿《こし》から、空火消しやら魔人《まじん》やら精霊《せいれい》やら化け鳥やら、大江戸《おおえど》の空を飛ぶものは多い。
蕎麦《そば》をすすって昼飯をすませ、雀は大首のかわら版屋へ帰ってきた。
ちょうどそこへ、刷り上った雀のかわら版が届《とど》いた。
「ちはーっ、飛鳥狐《あすかぎつね》の飛脚《ひきゃく》でござイ!」
飛脚狐が、墨《すみ》の香《かお》りも真新しい、できたてホヤホヤのかわら版の束を雀に渡《わた》した。
「さっすが留《とめ》さん末さん、仕事が早ぇ!」
「見せろ見せろ」
前座敷《まえざしき》にたむろっていたヨタ者たちがたかってきた。すると、
「てめぇら、今すぐ見たきゃ金|払《はら》いやがれ! 古版《ふるばん》じゃねえんだぞ!」
と、大首の親方の怒鳴《どな》り声が奥から轟《とどろ》いた。全員、キャッとちぢこまる。
「ヘイヘイ、おっしゃる通り――!」
ヨタ者の一人《ひとり》が金を出し、雀のかわら版を買った。
「へへ。まいどあり」
雀は誇《ほこ》らしげに金を受け取った。自分の作ったものが売れ、それを喜んで読んでくれる……嬉《うれ》しい瞬間《しゅんかん》だった。
できあがったかわら版を、あらためて親方に見てもらう。キュー太の描いた炎蛇《えんじゃ》と空火消しの絵も見事に刷り上っている。
「血湧《ちわ》き肉躍《にくおど》る、とはこのことだねぇ。群青《ぐんじょう》の闇《やみ》と紅蓮《ぐれん》の炎《ほのお》……ドラマチックな色彩《しきさい》のコントラストが目に浮《う》かぶよ」
ポーはため息をついた。キュー太も、自分の絵の出来《でき》に満足そうにうなずいている。
「いい出来だ」
親方もうなずいた。
「よし。売ってきな、雀《すずめ》」
「ヘイ!」
雀はかわら版を小脇《こわき》に、大江戸《おおえど》の町へ飛び出した。
大首のかわら版屋からちょいと離《はな》れた、大通りが交錯《こうさく》するいつもの辻《つじ》へやって来《く》ると、雀は大きく一つ深呼吸《しんこきゅう》。この瞬間《しゅんかん》が一番ドキドキする。それを振《ふ》り払《はら》うように大声を張《は》り上《あ》げる。
「さァて、大変だ! 炎蛇《えんじゃ》が出たよ! それもとびきりでけぇやつだ! となったら水神サマの火消しの出番! 空からは空火消しもやってきた! 後は読んでのお楽しみ。上下|揃《そろ》って事明細《ことめいさい》ぃ!!」
雀の呼《よ》び声《ごえ》に誘《さそ》われて、通り行きの者たちが集まってくる。
「おゥ、昨夜は俺《おれ》も見物に行ったぜ! 一|枚《まい》くんな」
「ヘイ、まいどあり――!」
雀は、伸《の》びてくる手に手にかわら版を渡していった。
妖火退治《ようびたいじ》は水神の火消しの花道
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八日|亥《い》の刻《こく》発生した妖火は、たちまち炎蛇《えんじゃ》となって荒《あ》れ狂《くる》い、その姿は夜闇《よるやみ》に踊《おど》るようで色は真っ赤な芥子《けし》の花。
その毒花《どくばな》を散らさんと登場するは、水神の火消しども。待ってましたとヤンヤの喝采《かっさい》を浴びながら、注連縄《しめなわ》もって屋根を飛び渡《わた》り、結界《けっかい》を張《は》り巡《めぐ》らして炎蛇を封《ふう》じ込《こ》める。
足止めを喰《く》らって悶《もだ》える妖火に止《とど》めを刺《さ》すべく、颯爽《さっそう》と現《あらわ》れたるは、我《われ》らが水神の空火消し。いよっ、花形。
揃《そろ》いの法被《はっぴ》に鉢巻姿《はちまきすがた》。腕《うで》の水龍《すいりゅう》の彫《ほ》り物も侠《いなせ》な、皆《みな》の憧《あこが》れの|選り抜き《エリート》たち。ちょイと上《あ》げ煙管《ぎせる》なのはご愛嬌《あいきょう》だ。背《せ》に負った水龍《すいりゅう》の骨《ほね》から生えた青い翼《つばさ》を自在《じざい》に操《あやつ》り、空を駆《か》ける姿は、さすが圧巻《あっかん》。
炎蛇は、上から下から聖水《せいすい》をぶっかけられて、たちまちシュシュシュと衰《おとろ》えてゆく。
かくして妖火は、お陀仏《だぶつ》ほうちんたん。焼け出された方々はお気の毒サマだが、死人が出なかったのが有難《ありがた》山のほととぎすだ。しめておきましょ、シャンシャンシャン。
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「ワハハハハ! ホンにお前《め》ぇの読売《よみうり》は面白《おもしれ》ェや、雀《すずめ》! ちょいと上げ煙管≠チてとこが、いっそたまんねえ!!」
「絵もよく描《か》けてらあ。本物を見るようだぜ」
「エヘヘー。ありがとうよ」
「わっちにも一枚おくれな」
「こっちィ、二枚だ」
「ヘイヘイ、まいどありー」
用意していたかわら版の束は、たちまち売り切れた。
「まいどありやとやんした。またご贔屓《ひいき》にー!」
雀《すずめ》のかわら版を読みながら、笑いながら散ってゆく者たちに雀は深々と頭を下げた。
「ふぅっ」
また胸《むね》がドキドキした。今度は嬉《うれ》しいドキドキだ。この町で、こうして生きている自分をあらためて実感する。
かわら版屋へ帰る雀に、通り行きの者たちが声をかけてきた。
「雀ちゃん、もうかわら版売っちゃったの?」
「ヤ、もう売り切れたのかェ。コリャ出遅《でおく》れた」
「次のが刷り上ったら、また買っておくれな!」
こう返す言葉が軽やかに空へと舞《ま》い上《あ》がってゆくようで、足取りもいっそ軽くなる。雀は、飛ぶようにかわら版屋へ帰ってきた。
「ただいまー、全部売り切れたよ、親方ー!」
「おう、そいつぁ重畳《ちょうじょう》。夕方|頃《ごろ》にゃあ次のが刷り上るだろうから、また売ってこい」
「ヘイ!」
手下がいれてくれたお茶を飲んで、雀は一息ついた。そこへ、
「雀、ちょっと付き合わないか?」
と、ポーが声をかけてきた。
「何?」
「蜃気楼《しんきろう》を見に行こう」
「蜃気楼!」
「条件《じょうけん》からいって今日あたり出そうだからね」
大通りで、ポーは力車《りきしゃ》を拾《ひろ》った。
「力車で行くのかい?」
驚《おどろ》く雀《すずめ》に、ポーはしれっと返した。
「歩くのはごめんだヨ」
そういえばポーは、出勤《しゅっきん》も自転車だ。
「ぜーたくモン」
「ボクがお金を払《はら》うンだから、怒《おこ》るんじゃないヨ。さあ、お乗りな」
力車の上におさまると、ポーは優雅《ゆうが》にパイプに火を入れてから言った。
「深川《ふかがわ》へ」
「ヘイ」
「キザ猫《ねこ》」と言った桜丸《さくらまる》の言葉を思い出して、雀はプッと笑った。
化け猪《いのしし》の逞《たくま》しい腕《うで》に引かれた力車に揺《ゆ》られ、隅田川沿《すみだがわぞ》いを走る。
文句《もんく》を言った雀だが、初夏の風を切って力車で走るのは大そう心地《ここち》良かった。
新緑の匂《にお》いがする。ぬるんだ水の匂いがする。それは爽《さわ》やかな風に乗り、雀の体の中を優《やさ》しく駆《か》け抜《ぬ》けていった。そして、閉《と》じた瞼《まぶた》の裏《うら》に、鼻の奥に、両手の掌《てのひら》に、夏の欠片《かけら》を落としてゆく。
深く深く深呼吸をしてゆっくりと目を開けると、午後の陽射《ひざ》しにキラキラと輝《かがや》く水面を、猪牙船《ちょきぶね》やウロ船の影《かげ》が揺《ゆ》らめいていた。
バシャッと、一抱《ひとかか》えもありそうな大きな魚が跳《は》ねた。川べりでは、河童《かっぱ》やら川|小僧《こぞう》やら化け亀《がめ》やらが、相撲《すもう》をとったり甲羅干《こうらぼ》しをしている。
「水魔《すいま》たちが元気になってくる季節だネ」
ポーが、パイプをくゆらせながら言った。
雀は、ふと思いついて訊《たず》ねた。
「夏になると、冬の妖怪《ようかい》はいなくなっちまうのかな? あの冷水売りとか」
「ああ、雪|坊主《ぼうず》≠セね。彼《かれ》の商売はこれからが本番サ」
と、ポーは笑った。
「季節が変るとまったく見なくなる者もいるね。それは、やっぱり力≠フ弱い者なのサ」
「ああ、そうかー」
海が見えてきた。
初夏の真っ青な空を映《うつ》した青い宝石《ほうせき》のような海。そこに、まるで真珠《しんじゅ》をばら撒《ま》いたように見えるのは、帆《ほ》を張ったたくさんの船だった。
「うわー、キレイだー!」
深川の先で力車《りきしゃ》を降《お》りた。
松林を歩いて行くと、海にせり出した崖《がけ》に出た。
「やあ、もうだいぶ見物人が集まっているね」
松の木陰《こかげ》やら石垣《いしがき》の上やらに腰《こし》をかけ寄《よ》り添《そ》う男女もいれば、将棋《しょうぎ》を指す者、酒盛《さかも》りをしている者たち、ぐぅぐぅ寝《ね》こけている者もいる。女たちはピーチクパーチクとしゃべり合い、シャボン売りを囲んで子どもたちがハシャギ回っている。
「みんなホントに蜃気楼《しんきろう》を見に来てるのかイ?」
「ま、ついでに[#「ついでに」に傍点]蜃気楼でも見物するかのヒマ人たちだよ」
そのヒマ人どもを目当ての茶屋の呼《よ》び込《こ》みや、行商人の売り声が飛び交っていた。
「兄《あに》サン、寄《よ》ってらっしゃいな。お茶でも御《お》一つ、ネ!」
「カリントゥー、深川《ふかがわ》名物カリントゥー」
「てんやぁ〜、てんやぁ〜」
「こっちも甘酒《あまざけ》でも飲みながらノンビリ待つとしよう、雀《すずめ》」
ポーは茶屋へ入った。
「俺《おれ》は揚《あ》げ饅頭《まんじゅう》がいいな」
ずいぶん風が凪《な》いで、気温が上がってきたようだ。陽射《ひざ》しが強く感じられる。茶屋の軒先《のきさき》で煌《きらめ》く海を見ながら、雀は揚げ饅頭をほおばった。
「気持ちのいい日だなー。まわりは賑《にぎ》やかだけど、なんかすごくおだやかで静かだし、景色《けしき》はキラキラしてるし……。こう、遠くまで見えるような……」
青い空。青い海。陽射しは透き通って、波間で煌《きらめ》く。
風は音を呑《の》みこんで止《や》み、時間が少し遅《おそ》くたつような昼下がり。
なんだか、このゆるゆるとした時間と空間の中に、両手を広げて身体《からだ》を放り出したいような気持ちになる。
「永遠《えいえん》って、こんな感じなのかなぁ」
「詩人だね、雀《すずめ》」
ポーは、フッと鼻を鳴らした。
その時、オオッと歓声《かんせい》が上がった。
「ほら、雀。蜃気楼が出たよ!」
ポーが海を指さした。
沖《おき》のあちこちから、まるで湯気か煙《けむり》のように、フワーッと七色の光が立ち昇《のぼ》った。それは太陽の光を受けてさまざまに輝《かがや》きを変え、漂《ただよ》い、揺《ゆ》らめき、海の上に何|層《そう》もの極彩色《ごくさいしき》の帯を作り上げていった。
「あれが……蜃気楼《しんきろう》! キ、キレイだあー!」
万華鏡《まんげきょう》のような光と色の競演《きょうえん》に、雀は吸《す》い込《こ》まれそうになった。見物人たちも歓声《かんせい》やらため息やらでどよめいている。
「雀はさっき、今日は気持ちのいい日だと言ったね。沖に住む大蛤《おおはまぐり》たちが、あんまり気持ちがよくて欠伸《あくび》して吐く息――それが蜃気楼なんだよ」
「へえっ、そうなんだ! なんてキレイな欠伸だ」
「蛤たちは、きっとうっとりと永遠を夢《ゆめ》見ているのだろうね」
煌《きらめ》く太陽の下、紺碧《こんぺき》の海に浮かんだ七色の光は、陽炎《かげろう》のようにゆらゆらと立ち昇っては消え、漂《ただよ》っては霧散《むさん》した。
海の青と空の青の狭間《はざま》にかかる虹《にじ》。それは、おだやかな昼下がりの「永遠」を象徴《しょうちょう》するかのようだった。目に見え、形にはなっても、手が触《ふ》れる間もなく散りゆくからこそ、こんなにも美しく心をとらえるのだとわかる。
「そう思うのは、君の心の中にも永遠があるからサ、雀《すずめ》」
と、ポーが囁《ささや》いた。
「詩人だな、ポー」
雀とポーは笑い合った。
ほどなく、大蛤たちの美しい吐息《といき》は静かに消え去った。時間は短かったが、雀は充分《じゅうぶん》に満足した。
「うん。今日はよく見えたね。欠伸《あくび》した大蛤が多かったんだね」
蜃気楼《しんきろう》見物を終えてポーと雀は帰ろうとしたが、他の見物人たちは立ち去ろうともせず、相変わらず将棋《しょうぎ》やおしゃべりに興《きょう》じていたり酒を呑《の》んでいたり寝《ね》こけていたりした。
「やっぱりヒマ人ばっかりなんだ!」
雀は可笑《おか》しくなった。こんな、仕事は何してんだ? というような連中でも、充分《じゅうぶん》のんびりやっていけるのが、この世界[#「この世界」に傍点]の良いところだと雀は思った。
かわら版屋に戻《もど》ってきてかわら版の二刷目も完売し、雀は早めに長屋へ帰ってきた。
井戸端会議《いどばたかいぎ》中のおかみさんたちが、笑顔《えがお》で雀を迎《むか》えてくれる。
「おかえり、雀ちゃん!」
「おかえり。仕事ご苦労さま」
「ただいまあ! これ、今日のかわら版だよ」
雀は、いつも四、五枚を長屋の連中のために持ってくる。
「ありがとよ、雀ちゃん。いつもこれが楽しみでねェ」
蛇面《へびづら》のおかみさんは、嬉《うれ》しそうに赤い舌《した》をチロチロ動かした。
「ちょイとお待ちよ。大根の煮《に》たやつがあるから」
そう言っていつものように、おかみさんたちも雀に何やかやと分けてくれる。雀が飯のおかずに不自由したことはなかった。
路地裏《ろじうら》の貧乏《びんぼう》長屋の一番|端《はし》。四|畳《じょう》半|一間《ひとま》に縁側《えんがわ》、小さな庭付き。壁薄《かべうす》し。それが雀《すずめ》の住まい。
小さな釜《かま》で飯さえ炊《た》けば、おかずは誰《だれ》かがなんとかしてくれる。これまた小さな火鉢《ひばち》の小さな茶瓶《ちゃびん》で茶を沸《わ》かし、小さなお膳《ぜん》の上に並《なら》べた本日の夕飯は、炊きたて麦飯に大根の煮物《にもの》。味噌漬豆腐《みそづけどうふ》とたくあん。
「いっただきます!」
よくダシのしみた大根と、味噌に漬け込んだ豆腐が飯に合う。
「うめ―――イ!!」
「雀、いるかイ?」
「あ、伊佐《いさ》さん」
「かわら版をありがとヨ。面白《おもしろ》かったぜ。ほれ、土産《みやげ》だ。今日は棟上《むねあげ》の祝儀《しゅうぎ》が出てな」
伊佐は、戸口からにゅ〜んと腕《うで》を伸《の》ばしてきた。甘辛《あまから》い香《こう》ばしい匂《にお》いが鼻をくすぐる。雀は飛び上がった。
「鰻《うなぎ》だあ! こいつぁ、ありがタイの浜焼《はまや》き…じゃなくて、蒲焼《かばやき》――っ!」
鰻《うなぎ》で飯を腹いっぱい食って、少々|寝不足《ねぶそく》気味の雀はたちまちグースカ眠《ねむ》った。
深夜。カタリと障子《しょうじ》が開き、通い猫《ねこ》が入ってきて雀に寄《よ》り添《そ》って眠った。
雀は、蜃気楼《しんきろう》の夢《ゆめ》を見た。
初夏の陽射《ひざ》しを浴びて虹色《にじいろ》に輝く粒子《りゅうし》の中を飛ぶように漂《ただよ》いながら、雀はかわら版を売っていた。大蛤《おおはまぐり》たちが、我《われ》も我もと雀のかわら版を欲《ほ》しがり、愉快《ゆかい》そうに読みふけっては蜃気楼を吐《は》く。
雀は、まるで七色の海の中にいるようで、見上げれば天上で太陽は揺《ゆ》らめくように輝き、黄金の光の筋《すじ》がいくつも射《さ》しこみ、雀の身体《からだ》の上で光の粒《つぶ》が星のように煌《きらめ》いた。
こんなにも胸《むね》が躍《おど》る美しさなのに、心は不思議とおだやかで、すべてがゆったりと、どこからかやってきて、またどこかへ流れてゆくのを感じた。
「ああ、永遠《えいえん》だ。俺《おれ》は今、永遠の中にいるんだ……」
光の粒子《りゅうし》が、どこまでもどこまでも広がってゆく。
気の遠くなるような広がりの中で、心もとなく漂いながらも、雀《すずめ》は満たされていた。永遠の広がりのそこここで、大蛤たちが雀のかわら版を読んで笑っていた。
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[#挿絵(img/01_050.png)入る]
異界《いかい》より落ち来る者あり
あくる日。昼から雨になった。
「ちは〜。あ〜、腹《はら》へった」
少し遅《おそ》めの昼飯を食うべく、雀は「うさ屋」の暖簾《のれん》をくぐった。盛《さか》りの時間の過《す》ぎた「うさ屋」はすいていた。
「いらっしゃい、雀ちゃん。今日は遅いのね」
「今日は朝からポーの動きが鈍《にぶ》くてサー。文芸かわら版もそろそろ仕上げなきゃなんねぇのに」
座敷《ざしき》に座《すわ》って煙管《きせる》を吹《ふ》かしていたうさ屋が笑った。
「猫《ねこ》は雨が嫌《きれ》ェだからなァ。酒でも飲ませてやンな」
「酒ったって、ポーが呑《の》みたがンのはワイン[#「ワイン」に傍点]とかウィスキー[#「ウィスキー」に傍点]だもんよ。高くて買えねー。吉原《よしわら》に行かなきゃ売ってねぇし。あ、お節《せつ》ちゃん。肉じゃが定食ね。卵のふわふわ付けて」
雀がそう言うと、お節は一ツ目をクリッと上へ動かした。
「旦那《だんな》が来てるわよ」
「えっ、ホント!? あ、それ旦那の? 持ってくよ」
雀は、お節の持っていた盆《ぼん》を受け取って階段《かいだん》を上がっていった。盆には、冷やと肴《さかな》――イカと枝豆《えだまめ》の落とし揚《あ》げと、オクラとまぐろの山かけがのっている。落とし揚げの香《こう》ばしい香《かお》りがぷぅんと立ち昇《のぼ》る。
「うまそ〜〜〜っ」
「うさ屋」の二階は、畳《たたみ》の広間になっている。夜はここで酒盛《さかも》りをする者もいるが、昼間は、たまに飯を食った者が昼寝《ひるね》をするぐらい。そこによく、旦那が現《あらわ》れる。
「鬼火《おにび》の旦那!」
開け放した窓際《まどぎわ》。青い畳の上に、墨絵《すみえ》の鬼火|柄《がら》の着流し姿《すがた》が長々と寝《ね》そべっていた。
「おう、雀。かわら版、面白《おもしろ》かったゼ」
肩《かた》にかかるざんばらの黒髪《くろかみ》。黒い色付き眼鏡《めがね》の向こうの目が笑う。
「うん。へへ」
はだけた襟元《えりもと》に、チラリと青黒い彫《ほ》り物《もの》がのぞく。これが「魔人《まじん》」の証《あかし》。人のように見えてもその正体は不明。時に尊敬《そんけい》され、時に恐《おそ》れられる不思議な存在《そんざい》。
雀は、この黒髪の魔人と知り合えたことを、どこかにいるやも知れぬ運命の神サマとやらに感謝《かんしゃ》していた。
鬼火の旦那は、その広い広い懐《ふところ》に、兄のように、父のように雀を包んでくれる。旦那の存在あるなしでは、この世界[#「この世界」に傍点]の自分というものが、ずいぶん違《ちが》っただろうと、雀は思っていた。
旦那《だんな》は、雀《すずめ》のついだ酒をゆっくりと呑《の》みほして、窓《まど》の方へ顔をやった。
「見ねぇ。いい雨|模様《もよい》じゃねェか」
静かに、雨が降《ふ》っていた。
「うん」
小さな川に架《か》かる赤い橋。神社の鳥居《とりい》。岸辺に咲《さ》き乱《みだ》れる花も柳《やなぎ》の緑も、すべてがしっとりと濡《ぬ》れて、鮮《あざ》やかに色を増《ま》している。
「うん……キレイだ」
緑は緑。赤は赤。皆《みな》きちんとその色をしている。美しく清らかなまま目に飛び込んで、心に響《ひび》いてくる。ここでは、皆ありのまま、素直《すなお》なまま生きているのだと思う。
この世界に、雀は一人《ひとり》きり―――。
でも、淋《さび》しくない。雨が優《やさ》しく町に降《ふ》りそそぐように、雀もいろんな優しいものに包まれている。この不思議で美しい世界の空気を吸《す》い、水を飲み、生きて、暮《く》らしている。あの川辺の花が、優しい雨をあまさず吸い上げ、鮮やかに赤々と咲《さ》き誇《ほこ》っているように。
グゥと、雀の腹《はら》の虫が鳴った。
「あ」
「物思いより腹具合か」
旦那《だんな》がクックと笑った。
「いいゼ。食いねぇな」
旦那は、肴《さかな》ののった皿を煙管《きせる》でツイと雀の方へ押《お》しやった。
「いいの? もー、この落とし揚《あ》げがうまそうで……」
「まあ、雀ちゃんたら」
お節《せつ》が肉じゃが定食を運んできた時には、雀は落とし揚げを食い終わり、オクラとマグロの山かけをズルズルすすっている最中だった。
定食も平らげてお茶を飲みながら、雀《すずめ》が桜丸《さくらまる》に担《かつ》いでもらって空を飛んだ話を旦那《だんな》にしている時、その桜丸が現れた。
「オーイ、雀」
「あ、桜丸!」
「おっ、旦那も一緒《いっしょ》かヨ。丁度《ちょうど》いい」
「どうしたイ?」
「んん〜。まあとりあえず、まずは雀に見せなきゃヨと思ってな」
「何を?」
「こんなの拾《ひろ》った」
桜丸の後ろに、小さな童女《どうじょ》が立っていた。
「!」
雀《すずめ》は、胸《むね》をドンッと殴《なぐ》られたような気がした。
おかっぱ頭に振袖《ふりそで》。大きな丸い瞳《ひとみ》が可愛《かわい》らしいが、子どもらしくない無表情《むひょうじょう》な顔をしている。
「人間……」
雀は身を乗り出した。
「旦那《だんな》」
と、お伺《うかが》いをたてると、旦那もうなずいた。
「人間の子だな」
「だろ!?」
桜丸《さくらまる》は、どっかりと座《すわ》り込《こ》んだ。
「どこでこの子を?」
「飛鳥山《あすかやま》下の田んぼさ。あぜ道ンとこにポッツリ立っていやがった」
「あ、濡《ぬ》れてる……」
雀が身体《からだ》に触《さわ》っても、童女《どうじょ》は騒《さわ》ぐことなく大きな目で雀たちを見るばかりだった。
「お前《め》ぇ、名前は? 口がきけるかイ?」
着物を脱《ぬ》がせながら雀が問うても、童女は答えなかった。なんだか少しボンヤリしているようだ。桜丸は肩《かた》をすくめた。
「ハナっからこれでなあ。なんでここにいるって訊《き》いても、一緒《いっしょ》に来なっつっても、なァんも言わねぇ。騒《さわ》ぎもしねぇから助かるけどよ」
雀は、できるだけ優《やさ》しい声で言った。
「何も怖《こわ》くねぇよ。誰《だれ》も何もしねぇよ。大丈夫《だいじょうぶ》だから。心配しなくていいからな」
童女は、目を伏《ふ》せたままだった。
鬼火《おにび》の旦那《だんな》が、おもむろに起き上がった。
童女の目の前に手をかざすと、その指の間に小さな赤い玉が現《あらわ》れた。
「飴玉《あめだま》だ。アーンしな」
ポコッと開いた童女の口に、旦那はそっと飴玉を入れた。童女は夢中《むちゅう》で飴玉をしゃぶった。
「腹《はら》が北山だ。気分が悪かったんだヨ」
旦那《だんな》は笑った。
「ハ、なるほど! それにしても腹が減《へ》ってんなら、腹が減ったの一言ぐれぇ」
桜丸《さくらまる》は笑った。
雀《すずめ》は、大きなため息をついた。それからバッと立ち上がった。
「俺《おれ》、下でなんかもらってくる!」
童女《どうじょ》は、卵《たまご》のふわふわ入り味噌汁《みそしる》をうまそうに飲《の》み干《ほ》した。
「ふぅっ」
と、ため息をつくそのほっぺに赤みが差し、瞳《ひとみ》にも表情《ひょうじょう》が出てきた。
「人心地《ひとごこち》ついたかィ?」
と言う旦那の顔を不思議そうに見て、童女は言った。
「お目目が真っ黒」
皆《みな》が笑った。
「こりゃあ黒メガネだヨ、お嬢《じょう》ちゃん。おまィ、名はなんというのだえ?」
「小枝《さえ》」
「お小枝ちゃんは、いくつ?」
雀《すずめ》が訊《たず》ねた。お小枝は、んーと考えて、
「六つ」
と答えた。
「お小枝ちゃんは、どこにいたか覚えてるかイ?」
「…………押入《おしい》れ」
お小枝は、母親に叱《しか》られるのが恐《おそ》ろしくて押入れに逃《に》げ込《こ》み、泣いていた。そして気がついたら、田んぼのあぜ道に立っていたというのだ。
「ああ、だから履物《はきもの》を履《は》いてなかったのか」
桜丸《さくらまる》はウンウンとうなずいた。
「落ちてきたか[#「落ちてきたか」に傍点]……」
旦那《だんな》が言った。
「やっぱり!? でも、なんで?」
「さァて。偶然《ぐうぜん》通った何かに引《ひ》っ掛《か》けられたか、何かが戯《たわむ》れに攫《さら》ったか、その時その場に開いた道に落ちたか」
旦那は、懐《ふところ》から出した手で顎《あご》をこすった。
「でも、帰せるんだろう、旦那?」
雀《すずめ》がそう言うと、お小枝《さえ》は小さく頭を振《ふ》った。
「おうちに帰りたくない」
「なんでだい、お小枝ちゃん?」
お小枝は、唇《くちびる》を噛《か》んで言った。
「父《とと》さまも母《かか》さまもキライ! 怖《こわ》い」
雀は、桜丸と顔を見合わせた。
「そう言やぁ、おっ母《か》さんに叱《しか》られるのが怖《こわ》くて押《お》し入《い》れに逃《に》げたんだと言ったなァ。なんかやらかしたのかェ?」
桜丸にそう問われると、お小枝の表情が一気に暗くなった。
「……飾《かざ》っていたお皿を壊《こわ》したの」
「割《わ》っちまったか」
「ううん。ちょっと壊れたの。端《はし》っこの方……」
「なら母《かか》さんだって許《ゆる》してくれるさあ」
と、雀が頭を撫《な》でても、お小枝はイヤイヤと首を振《ふ》った。
「お小枝が何しても、父さまも母さまも怒《おこ》るんだもん。キライ! キライ、キライ!! わああ―――っ!」
子どもに泣かれちゃあ、かなわぬ。雀たちは黙《だま》って肩《かた》をすくめるしかなかった。
「ちょィと! 子どもを泣かさないでおくれな!」
階段《かいだん》からお節《せつ》が睨《にら》んでいる。その一ツ目を見て、お小枝《さえ》はピタリと泣きやんだ。そしてアハハッと、面白《おもしろ》そうに笑った。
「雀《すずめ》、お小枝の面倒《めんどう》みてやんな」
旦那《だんな》は、煙管《きせる》の煙《けむり》を長々と吐《は》いた。
「え? そりゃいいけど……でも」
「お小枝の気のすむようにしてやるがいいサ。そイから、話ィ聞いてやりな」
その声に含《ふく》まれたものを、雀は理解《りかい》した。
「…………わかった」
雀は、お節の顔を見てニコニコと笑っているお小枝に言った。
「じゃあ、お小枝ちゃん。俺《おれ》たちといるかイ? どっかへ遊びに行く?」
お小枝の顔が、パッと輝《かがや》いた。
「うん!」
「頃合《ころあい》良く、雨も上がったぜ」
桜丸は空を仰《あお》いだ。
「あ、でも着物がまだ乾《かわ》いてないんだけど」
と、お節が言った。
お小枝は、桜丸《さくらまる》の着物をじっと見つめた。
「きれい……」
白地に鮮《あざ》やかな桜|柄《がら》の桜丸の着物に比《くら》べ……
「そういやあ、お前《め》ぇの着物……地味だったなあ」
お小枝の着物は、銀ねずに鉄色の格子縞《こうしじま》。
「でも、生地《きじ》はすごく上等のものよ、アレ。女の子に着せるにはちょっとアレだけど、その……。綺麗《きれい》なおベベ着たい? お小枝ちゃん」
お小枝は、こっくりとうなずいた。
「女の子だもんねぇ」
「着物を買ってやれっての? でも俺《おれ》、懐《ふところ》が薄雪《うすゆき》せんべいなんだけど……」
と、雀《すずめ》は旦那《だんな》を上目遣《うわめづか》いで見た。黒|眼鏡《めがね》の向こうが、やれやれという顔をする。
「しょうがねぇの」
そう言いつつ、旦那は掌《てのひら》で畳《たたみ》をスゥッと撫《な》でた。そこに現《あらわ》れたのは、黄金《こがね》色の小判《こばん》が五枚。
「うおっ、五両も!?」
雀は五両を鷲掴《わしづか》んだ。
「よっしゃあ、お小枝《さえ》ちゃん! いっぱいいっぱい遊ぼうぜー!!」
「わぁい!」
「まずは着物だ。おいで!」
雀とお小枝は、連れ立って下へ降《お》りていった。
「桜丸《さくらまる》、お前《め》ぇも一緒《いっしょ》に行きな」
と、旦那は顎《あご》をしゃくった。桜丸は面倒臭《めんどうくさ》そうに立ち上がった。
「ヘイヘイ」
大通りに出たところで、雀《すずめ》たちは大道芸《だいどうげい》の一行に出くわした。
顔のついた大きな茶釜《ちゃがま》のハリボテを着たり、全身色とりどりの色紙をくっ付けていたり、空火消《そらひけ》しを真似《まね》た青い羽を付けていたりの、まあ派手《はで》な衣装《いしょう》の五、六人が、太鼓《たいこ》や割《わ》れ竹をドンドンジャリジャリ打ち鳴らしながら道を闊歩《かっぽ》する。
「♪ちゃんちきちゃんちき、すっちゃんちゃん。麻疹《はしか》も軽けりゃ疱瘡《ほうそう》も軽い、尾張《おわり》のあねさん、糸取り上手〜!」
通り行きの者たちが、笑って小銭《こぜに》を投げている。その様子を、雀に抱《だ》かれたお小枝は身を乗り出して見ていた。
「こういうのを見ちゃダメって母《かか》さまに言われたの。えと……はしたないって」
「ふぅん……。お小枝ちゃんの家は商人かい?」
「うん。お着物を売ってるの」
「呉服屋《ごふくや》か。お店《たな》は大きい?」
「うん。大きい」
「兄弟は?」
お小枝《さえ》は首を振《ふ》った。
「ふ〜ん……」
雀《すずめ》は、アレやコレや推理《すいり》した。
(お小枝ちゃんは、人間の[#「人間の」に傍点]江戸《えど》の町から落っこちてきた[#「落っこちてきた」に傍点]んだ。大きな呉服屋の一人娘《ひとりむすめ》で、両親は躾《しつけ》に厳《きび》しい……大奥《おおおく》へ奉公《ほうこう》させるためなんだろう。それで、いいところへ嫁《とつ》がせて、店をもっと大きくするつもりなんだな)
芸人たちが目の前に来て、桜丸《さくらまる》が小銭《こぜに》を投げた。芸人たちはいよいよ踊《おど》り、歌い、お小枝は手を叩《たた》いて大喜びした。
お小枝から見れば、芸人たちは顔付き茶釜のハリボテをかぶらずとも、本人がもう充分獣面《じゅうぶんけものづら》の化け物なのだが、お小枝は恐《おそ》れなかった。そういえば、「うさ屋」のお節《せつ》の一ツ目を見て笑っていた。
「お小枝ちゃん、怖《こわ》くねぇのかイ?」
「何が?」
「ここの人たちは、みんな変な顔や恰好《かっこう》をしているだろう?」
「ここは、そういう所なのでしょう?」
「!!」
雀《すずめ》と桜丸《さくらまる》は顔を見合わせた。
「お米《よね》がね、母《かか》さまに内緒《ないしょ》でとても面白《おもしろ》いご本を読んでくれるの。遠いお山の中とか、海の向こうには、仙人《せんにん》や仙女《せんにょ》が住んでいるのよ。押入《おしい》れの中で、お小枝は一生|懸命《けんめい》そこへ行けますようにって、神サマにお願いしたの。そしたら、広い広い田んぼの中にいて、空から仙女が降りてきたの。お小枝は、仙女のお国に来られたんだって思ったの」
雀は、
(この子は、すごく頭がいいんだ)
と、感心した。
お小枝《さえ》は、好奇心《こうきしん》が強く、広い視野《しや》で物事を考えられる子なのだ。この子にとって、大店《おおだな》の堅苦《かたくる》しい暮《く》らしは窮屈《きゅうくつ》で仕方ないのだろう。
(初めに見た、お小枝ちゃんの無表情《むひょうじょう》……。あれはきっと、腹《はら》が減《へ》って気分が悪いだけじゃなかったんだ。お小枝ちゃんは、子どもらしい顔がどんなものか忘《わす》れてたんだ)
「ちょイ待ちねぇ。仙女《せんにょ》って俺《おれ》のことかぇ!?」
桜丸がお小枝に言った。
「だって、赤い長い髪《かみ》と綺麗《きれい》な着物をひらひらさせて、お空から降《お》りてきたんだもの。仙女なのでしょう!?」
「ブハッ、ハハハハッ!!」
雀は吹《ふ》き出《だ》した。つられてお小枝も笑いだした。
「せめて、仙人って言えよ」
桜丸は口をとがらせた。
「さあ、お小枝ちゃん。まずは仙女みてぇな、キレイな着物と履物《はきもの》を買いに行こう!」
浅草《あさくさ》の呉服屋《ごふくや》で、鮮《あざ》やかな茜色《あかねいろ》に花と蝶《ちょう》と手毬《てまり》の柄《がら》も可愛《かわい》らしい着物を誂《あつら》えた。揃《そろ》いの柄の帯は薄《うす》い朱鷺《とき》色地。下駄《げた》の鼻緒《はなお》は鹿《か》の子《こ》。
着物を仕立ててもらっている間にポーを呼《よ》んだ。
ハンチング帽《ぼう》にチョッキ姿《すがた》の銀色|猫《ねこ》を見て、お小枝は飛び上がった。
「うわあ、大きい猫! 大きい猫だ――っ!!」
お小枝はポーに抱《だ》きついて離《はな》れようとしなかった。ポーの大きな緑の目が、驚《おどろ》いてキュッと縮《ちぢ》まった。
「…………何、この子?」
「仙女に、しゃべる大きな猫……女の子にとっちゃ、まさに夢《ゆめ》の世界だなあ。なぁ、桜丸《さくらまる》」
雀《すずめ》は笑った。
「仙女《せんにょ》って言うな」
呉服屋《ごふくや》の奥《おく》で、十何本もの手を持つ縫《ぬ》い子《こ》たちが、あっという間に反物《たんもの》を着物へと縫《ぬ》い上《あ》げていく間、お小枝はポーの膝《ひざ》に座《すわ》り、ふわふわの銀の毛を楽しみながら桜餅《さくらもち》を頬張《ほおば》っていた。
「ふぅん……彼女《かのじょ》は夢でも見ているつもりなのだネ」
話を聞いて、ポーはため息をついた。
「夢見る童女か……ロマンチックだねぇ。ああ、何か一|編《ぺん》できそうだよ」
「そらそら、それを仕上げて記事にしようぜ」
お小枝《さえ》は、できあがった着物を大そう喜んだ。
「可愛《かわい》い! 綺麗《きれい》! こんなの着たの初めて!!」
お小枝がくるくると回ると、振袖《ふりそで》も軽やかに舞《ま》った。
「やァ、可愛いのゥ。まるで蝶々《ちょうちょう》のようだワ」
通り行きの者が声をかけていった。お小枝は、ますます嬉《うれ》しそうにヒラヒラと舞った。
ポーの案内で、深川《ふかがわ》のキャフェーに行くことにした。
深川は、大江戸《おおえど》で最も新しいものが集まる新しもの好きの町であり、粋《いき》な遊びと通人《つうじん》の町でもある。
機巧的《からくりまと》や輪投げなどの遊び場や芝居《しばい》小屋が立《た》ち並《なら》んだ通りを、ちょいとカブいた若者《わかもの》や、手をつなぎあった男女が多く行き交《か》っていた。ここは通り行きの者たちからして華《はな》やかだ。
「こーいうところが、もゥこっ恥《ぱ》ずかしいんだよなぁ」
と、桜丸《さくらまる》は言うが。
「ソラ、ぽこぽんだ。吹《ふ》いてみな」
ガラスの笛《ふえ》をぷぅと吹くと「ぽこん」と音がした。
「可愛い音!」
お小枝《さえ》は、ぽこぽんをすっかり気に入った。
機巧的《からくりまと》では、桜丸が吹《ふ》き矢《や》で当てた木彫《きぼ》りの人形をもらって大喜びした。
「ぽこぽんや機巧的は、お小枝ちゃんの世界にもあるはずなのに……。本当に遊ばせてもらってないんだなあ」
ここが自分の夢見たおとぎの世界だと信じて疑《うたが》わず、他愛《たあい》もないことで大喜びするお小枝を見て、雀《すずめ》は鬼火《おにび》の旦那《だんな》の言葉を思い出した。
『お小枝の気のすむようにしてやるがいいサ。そイから話ィ聞いてやりな』
色|硝子《がらす》の飾《かざ》り物《もの》を見て、お小枝の瞳《ひとみ》はその色硝子よりもキラキラと輝《かがや》いた。売り子の狐女《きつねおんな》におかっぱ頭をちょいと結《ゆ》ってもらい色硝子の簪《かんざし》をさしてもらうと、それはもう嬉《うれ》しくて大騒《おおさわ》ぎした。
背広《せびろ》に黒マント、シルクハット姿《すがた》で歩く者を見て、お小枝は「大きな蝙蝠《こうもり》」と言って雀たちを笑わせた。
「あれはああいう着物なのサ。ぼくの|チョッキ《これ》と同じでね」
お小枝は、ポーを見て大きくうなずいた。
「これもそうなのね、ポー。ポーのあんよは黒いのねって思ったけど違《ちが》うのね。これは、こういう履物《はきもの》なのね」
「そうさ、お小枝ちゃんは賢《かしこ》いなあ。これはブーツという履物だよ」
「いろんな変ったものがたくさんあって楽しいね!」
単純《たんじゅん》だが素直《すなお》なその横顔を、雀はしみじみと見た。
キャフェー[#「キャフェー」に傍点]は、どの店も若者で賑《にぎ》わっていた。
テーブルやガラスの窓《まど》やカーテンを見るのも初めてのお小枝は、大きな目をまん丸にした。
店内の客たちは、ただの人間の雀やお小枝よりも桜丸《さくらまる》に注目した。
「魔人《まじん》だ」
「若い……」
「アレサ、風の桜丸《さくらまる》だよぅ。可愛《かわい》い」
テーブルについて、お小枝《さえ》は不思議そうに言った。
「ここは? 何をするところ?」
「お茶屋さんだよ。お茶を飲んだりお菓子《かし》を食べたりする場所さ」
土壁《つちかべ》や梁《はり》といった建物の造《つく》りは茶屋と同じでも、一面に花|模様《もよう》の描《か》かれた壁に大きなガラス窓《まど》、板張《いたば》りの床《ゆか》に履物のまま入ることや、テーブルやイスの形などにお小枝は目を見張《みは》った。
「綺麗《きれい》なお茶屋さん……ピカピカしてる。お花畑にいるみたい」
「詩人だね、お小枝ちゃん」
ポーが、フフッと笑った。
「コゥ、いかにもカブキもんやあまっちょう向けに作ってるとこが気に入らねぇ」
「桜丸って、派手《はで》ななりの割《わ》りには地味好きだよネ」
品書きを見てポーが言った。
「ぼくたちも若者《わかもの》らしく、ここは流行《はや》りのソォダ[#「ソォダ」に傍点]を飲もうかね。それと、お小枝ちゃんにはケェキ[#「ケェキ」に傍点]を頼《たの》もう」
「お前《め》ぇって若ェのかヨ、ポー?」
桜丸《さくらまる》がニヤニヤした。
「お互《たが》いサマ」
ポーはフフンと鼻を鳴らした。
「ケーキ!? ケーキがあんの! この龍茶《りゅうちゃ》ってのは何?」
品書きを見て興奮《こうふん》する雀《すずめ》に、ポーは大袈裟《おおげさ》に首を振《ふ》った。
「みっともないから騒《さわ》がないでおくれヨ、雀」
「雀もここに来るのは初めてなの?」
「ああ。桜丸も初めてサ」
「わあ、みんな一緒《いっしょ》なんだ!」
初めてなのが自分だけじゃないことに喜ぶお小枝《さえ》に、雀《すずめ》は笑ってしまった。そんな他愛《たあい》もないところが可愛《かわい》らしかった。
「泡《あわ》がプクプクしてる!」
お小枝は、ソォダを見て声を上げた。
「これが、大江戸《おおえど》で最新流行の飲み物サ」
ポーは、笑ってソォダを飲んだ。ポーに続いてソォダを一口飲んだ桜丸《さくらまる》とお小枝だが、揃《そろ》って妙《みょう》な顔をした。それを見て、雀は吹き出しそうになった。
「……変わった舌触《したざわ》りだなぁ」
「甘い……けど、痛《いた》い」
「お小枝ちゃんには刺激《しげき》があり過《す》ぎるかもな」
雀は大笑いしたいのを堪《こら》えた。
「お前《め》ェは飲まねえのかよ、雀?」
「俺《おれ》ぁ、ソォダがどんなのか知ってるもん。もっと強いのだって全然平気さ」
雀は桜丸《さくらまる》にブイサイン[#「ブイサイン」に傍点]を出した。
ポーは、お小枝に白玉水《しらたますい》を注文し直した。
ケェキと龍茶《りゅうちゃ》がきた。ケェキは、蒸《ふ》かした饅頭《まんじゅう》の中に黄色くて甘《あま》い餡《あん》が入ったものだった。
「おいしい! 黄色い餡《あん》こがすごく甘い!」
「クリィム[#「クリィム」に傍点]というのだよ」
「これは、カスタード饅《まん》だ!」
雀は、また一人《ひとり》で興奮《こうふん》していた。
「それに龍茶《りゅうちゃ》は……ハーブティ? なんだろ……ジャスミンかな? うわー、なんか感動!」
「どうでもいいから、早く出ねぇか!?」
桜丸が、一人イライラしていた。
すっかり陽《ひ》の傾《かたむ》いた空は深い青みをおび、東の空には半月が白く浮《う》いていた。寝《ね》ぐらへと帰ってゆく鳥やその他正体不明のモノの群《む》れが、黄昏《たそがれ》の空を横切ってゆく。またそれより遥《はる》か上空を、鬼《おに》のかつぐ輿《こし》や籠《かご》、力車《りきしゃ》などが飛んでいた。
「あれは、お城《しろ》で働いているえらい人たちサ。仕事が終わって家へ帰る人と、これから働きに行く人と、今がちょうど交代の時間なんだ」
「すごーい! あんな高いところを飛んでる」
お小枝《さえ》は感心して空を見上げていたが、ハッと桜丸《さくらまる》を見た。
「桜丸もお空を飛べたよね。桜丸もすごくえらい人なのね!?」
桜丸も雀《すずめ》もポーも「う〜ん」と唸《うな》った。
「空を飛べるからエライってこたァねえけどな」
桜丸は苦笑いした。
「エライんじゃねえ? 魔人《まじん》だし」
と、雀が言った。
「魔人がエライってぇのは、思《おも》い込《こ》みがキツイせいもあるぜ」
「微妙《びみょう》だねぇ。魔人の定義《ていぎ》ってハッキリしないんだよねぇ」
ポーは顎《あご》の毛を撫《な》でながら言った。
「でもサ、殿《との》サマのまわりを固めてる要職《ようしょく》って、ほとんど魔人なんだろ!?」
「そうみたいだネ。でもねぇ、鬼火《おにび》の旦那《だんな》みたいな、どう見てもエラク見えない人もいるし」
「あいつぁエライんじゃなくて、スゴイんだよ」
「ああ、それ! まさにそんな感じだよな!」
手を打った拍子《ひょうし》に、雀《すずめ》は通りがかった者にトンとぶつかった。
「オッ、ごめんよ!」
と謝《あやま》った雀に、
「ジャマだあ、こン丸太《まるた》ん棒《ぼう》!」
と、噛《か》み付《つ》かんばかりに怒鳴《どな》ったのは、鬼面《おにづら》にさらに目張《めば》りやら頬紅《ほおべに》やらの化粧《けしょう》をし、金の鳳凰柄《ほうおうがら》の長羽織《ながばおり》に銀煙管《ぎんきせる》をくわえた大男だった。
「これはまた……派手《はで》にカブいているねぇ」
ポーは、やれやれと肩《かた》をすくめた。
傾《かぶ》き者は、個性派《こせいは》の代表。一種の通人《つうじん》ともいえる。しかし、どこにでも半可通《はんかつう》はいるもので。ただ妙《みょう》ちきりんな恰好《かっこう》をすりゃあいいと思っているヤボもいる。さらに、そんな己《おのれ》をエライと思っているバカがいる。
「ちゃんと謝《あやま》っただろ!」
と、怒《おこ》る雀《すずめ》をポーが止めた。
「いけないよ、雀。泥酔者《よたんぼう》だ」
「泥酔者だあ!?」
鬼面は、ぐわりと目玉と牙《きば》をむいた。
「酔《よ》ってて悪イか、化け猫《ねこ》があ!」
ポーと雀は、お小枝を抱《だ》いてヒョイと退《しりぞ》いた。かわりにズズイッと桜丸《さくらまる》が割《わ》り込《こ》む。
「俺《おれ》の連れだ。手ェ出されちゃあ、迷惑千万《めいわくせんばん》」
「ンだと、小僧《こぞう》〜?」
「ヒゲが多すぎやしねぇかい、お兄《にい》サン? ここいらで引いときなせえ」
面白《おもしろ》がっていた鬼面《おにづら》の連れが、桜丸《さくらまる》の様子にハッと気づいて鬼面の袖《そで》を引いた。
「いけねえ! 魔人《まじん》だぜ!」
ところが、鬼面の顔がさらにカーッと燃《も》えた。
「ヒゲが多いなァどっちでえ、赤毛|野郎《やろう》! 魔人だ上魔《じょうま》だと威張《いば》りくさりやがって、俺らぁ下魔《げま》はてめえらの太鼓《たいこ》持ちじゃねえぞ!!」
鬼面は、わめきながら桜丸に殴《なぐ》りかかってきた。
「鬼道《きどう》が使えるのがナンボのもんだってんだ! その高い面《つら》ァ、ひん曲げてやらあ!!」
「こだわってんなぁ、どっちだヨ」
桜丸は体《たい》をかわすと、鬼面の懐《ふところ》へするりともぐりこんだ。
「上魔《じょうま》だ下魔《げま》だと……しゃらくせえ!!」
桜丸《さくらまる》の拳《こぶし》が、鬼面《おにづら》を顎《あご》から吹《ふ》っ飛《と》ばした。
デェンとひっくり返った鬼面は、一発で白目をむいていた。雀《すずめ》とお小枝《さえ》は飛び上がった。
「おおーっ! アッパーカットだあ!!」
「あんな大きい人を……スゴーイ!」
拳で勝負に勝った桜丸に、喧嘩《けんか》だ喧嘩だと嬉《うれ》しそうに見物していたヤジ馬どもからヤンヤの喝采《かっさい》が飛ぶ。
鬼面を置いてスタコラ逃《に》げる仲間を見て、ポーは、
「深川《ふかがわ》といえば、老いも若きも粋《いき》な遊び人の町のはず。近頃《ちかごろ》は、ああいう生噛《なまが》みの横っ倒《たお》しが増《ふ》えたねぇ。嘆《なげ》かわしいヨ」
と、ため息をついた。
「この世界にも変化はあるんだなあ」
と言う雀に、
「何も変化のない凪《なぎ》のような世界じゃ、窒息《ちっそく》しちまうヨ!?」
と、ポーは軽く笑った。
「すごいねえ、桜丸。強いのねぇ!」
お小枝は桜丸の雄姿《ゆうし》に感激《かんげき》したようだ。桜丸もまんざらでない様子。
「やっぱ、基本《きほん》は体力だからヨ」
「どうしてそんなに強いの? 仙女《せんにょ》だから?」
「……いいかげん仙女から離《はな》れな、お小枝」
陽《ひ》が落ち始めると、深川は派手《はで》な若者《わかもの》の町から粋《いき》な遊び人、通人《つうじん》の町へと色を変える。
通り行きの者に大人《おとな》がぐっと増《ふ》え、茶屋も遊び場も芝居小屋も、品書きや出し物が替《か》わる。機巧的《からくりまと》の当て物が人形から煙草《たばこ》に替わり、芝居小屋では人情《にんじょう》芝居に替わり、エレキテルの幻燈劇《げんとうげき》がかかったりした。キャフェーも花柄《はながら》の壁《かべ》をカーテンで覆《おお》い、店内に青い火を灯《とも》して装《よそお》いを新たにする。
通りに青い灯や赤い灯が次々に点《とも》り始め、町が夜の顔へと染《そ》まっていった。
店店の軒先《のきさき》に吊《つ》るされたギヤマンの箱の中に、ふわりふわりと色とりどりの炎《ほのお》が立ち、その色がギヤマンに反射《はんしゃ》して美しく煌《きらめ》く。黄昏闇《たそがれやみ》の中に浮《う》かび上《あ》がる魔都《まと》は、青や赤の妖《あや》しい灯火に照らし出される者たちが異形《いぎょう》の者だけにいっそう幻想《げんそう》的で、夢《ゆめ》の世界を実感させた。
「綺麗《きれい》〜……!」
お小枝《さえ》は、ほっこりとした。
「妖火《ようび》使いの魔法《まほう》の炎さ。いろんな色があって、ひとりでに点《つ》いたり消えたりするんだよ」
雀《すずめ》は、軒先の灯《あかり》を指差して言った。
「ギヤマンの入れ物もいいけど、細い竹籠《たけかご》とか、模様《もよう》のついた行灯《あんどん》に入れるのもいいよネ」
ポーは、ウンウンとうなずいた。
「雀のおうちにもある?」
「貧乏人《びんぼうにん》ちには、蝋燭《ろうそく》とかふつうの行灯《あんどん》しかねぇよ」
雀は頭をかいた。
「ボクん家にも、ランプしかないなぁ」
「いいもンが来たぜ、お小枝」
桜丸《さくらまる》が通りの向こうを指差した。
ほっかむりし、狐《きつね》の面をつけた者が籠《かご》をかついでやってきた。
「妖火〜、妖火の御用《ごよう》はないかいエ〜」
「あれが妖火使い≠セ。ああやって店を回りながら、妖火を売ったり手入れをしたりしてるのサ」
お小枝にそう解説《かいせつ》してから、桜丸は妖火使いを呼《よ》びとめた。
「小っせぇ竹籠はあるかイ?」
「ヘイ。ございやす」
妖火《ようび》使いは、細い竹で編《あ》んだ両手におさまるくらいの丸い籠《かご》を取り出した。
「これなんぞ、いかがでやショ?」
「いいネ。小さい丸いやつを二ツ、入れてくんな」
「ヘイ。色はなんにいたしやショ?」
「何色が好きだ、お小枝《さえ》?」
「桃色《ももいろ》と黄色!」
「できるかイ?」
「お任《まか》せを」
妖火使いは狐の面を少しずらし、籠に顔を近づけるとふぅぅっと息を吹《ふ》き込《こ》んだ。籠の中で、妖火使いの息が渦巻《うずま》いているのが見えた。やがてその渦の中から、桃色と黄色の丸い光がふわりと現れた。
「うわあ……!」
お小枝は、籠の中を食い入るように見た。二色の光の玉は、小さな丸籠の中でゆらゆらと漂《ただよ》った。雀《すずめ》もポーも、思わず覗《のぞ》き込《こ》む。
「へえ、まるで蛍《ほたる》みたいだ」
「いいねぇ。可愛《かわい》いねぇ」
「ありがとう、桜丸《さくらまる》!」
お小枝は、丸籠《まるかご》をしっかりと胸《むね》に抱《だ》いた。
「まぁ、光は三日ぐれぇしかもたねぇけどな」
妖火を見つめるお小枝の瞳《ひとみ》の中に、桃色《ももいろ》と黄色の光が揺《ゆ》らめく。
お小枝にとっては、何もかもが夢の世界の出来事《できごと》。どんな不思議が起こっても、喜んで受け入れればいいのだ。ここでは、お小枝は見たいものを見、やりたいことをやり、ただ楽しく過《す》ごせばいい。ここではそれが許《ゆる》される。
でも、その後は―――?
お小枝《さえ》は妖火《ようび》を見ながら、ポーに手を引かれて歩いていた。
「お小枝ちゃん、どじょうは食べたことあるかい?」
「ない! 食べたい!!」
「ハハ。じゃあ、夕食はどじょうにしよう」
「どうせなら、いいとこの座敷《ざしき》で食おうぜ。金ならあらぁな。なあ、雀」
「あ、うん」
「お小枝ちゃんはヌキでね」
「お小枝はぬきなの?」
「ヌキっていうのは、骨《ほね》を抜《ぬ》いたどじょうってことだよ」
皆《みな》笑った。
茶屋の座敷《ざしき》にどじょう料理をズラリ揃《そろ》えて、綺麗《きれい》どころも呼《よ》んでの豪華《ごうか》な夕飯とあいなった。
「アレサ、こんなかぁいいお客は初めてだよ!」
「ホンニまぁ、手毬《てまり》のようだコト」
何の化身《けしん》かわからぬが、とにかく美しい女|姿《すがた》の芸妓《げいこ》二人は、お小枝を見て大受けした。
「ガキと若造《わかぞう》が客ですまねぇな、姐《ねえ》さん方。金はキッチリ払《はら》うから、相手してやってくンな」
と、桜丸《さくらまる》が渡《わた》そうとした心付けを、芸妓はそっと押《お》し返《かえ》した。
「いらぬお世話の蒲焼《かばやき》だヨ、お兄《にい》サン。可愛《かわい》い子と若い男が客で、こっちゃあ恵方果報《えほうかほう》サ」
お小枝は、座敷の様子や三味線《しゃみせん》を持った芸妓をキョロキョロ見ている。大人《おとな》の遊び場の雰囲気《ふんいき》に、小さな胸《むね》をドキドキさせていた。
「うまそ〜〜〜!」
芸妓《げいこ》はそっちのけで、料理に目が釘付《くぎづ》けなのは雀《すずめ》。どじょうの甘露煮《かんろに》にどじょう汁《じる》、そして柳川鍋《やながわなべ》の他《ほか》、鯛《たい》のアラと焼《や》き豆腐《どうふ》と茄子《なす》の煮たもの、空豆の酒蒸《さかむ》し、そして、
「やあ、カツオだ。夏だねぇ」
と、ポーが嬉《うれ》しそうに尻尾《しっぽ》をピンと立てた。
「♪憎《にく》い憎いは可愛の裏《うら》ヨ、イヤじゃイヤじゃは又《また》その裏ヨ、泣いて脅《おど》すはソレ裏の裏、ヨイヤナエー」
三味と美声を聴《き》きながら、どじょう御膳《ごぜん》に舌鼓《したつづみ》を打つ。懐《ふところ》の憂《う》いもなし。
「どじょうサイコー! 白飯にあう〜〜〜!!」
雀《すずめ》は、どじょうをおかずに白飯をばっくばっくとかきこんだ。
「イヤ、この甘露煮はたまんねぇ。甘辛《あまから》具合がなんともエエ塩梅《あんばい》じゃねェか」
桜丸《さくらまる》は、酒を呑《の》んでやっと一息ついた思いだった。
「ヤレ助かった。ソォダやケェキじゃ、どうにもならねエ」
「割《わり》を言いなさんな。お小枝《さえ》ちゃんのおかげでご相伴《しょうばん》にあずかっているようなモンじゃないか」
ポーは苦笑いした。
お小枝は芸妓に横に付いてもらい、アレやコレや世話をしてもらった。
「どじょう、おいしいかい?」
「うん!」
「ホラ、これも。あ〜ん」
「アーン」
芸妓にあ〜んをしてもらうお小枝は本当に幸せそうで、今にもとろけやしめぇかと、雀《すずめ》は心配になるほどだった。
飯の後は、芸妓|二人《ふたり》と唄《うた》ったり踊《おど》ったり、扇《おうぎ》投げや貝合わせをして遊んだり、さんざん相手をしてもらった。
お小枝《さえ》は心から楽しそうで嬉《うれ》しそうで、その笑顔《えがお》を見ていると、雀《すずめ》はなんだか切なくなった。
「こういうことを、本当はおっ母《か》さんにしてもらいてぇんだろうなあ……」
あ〜んをしてもらうのも遊んでもらうのも、お小枝は幸せそうながらも顔を真っ赤にして、しきりに照れているのがわかる。いかにも慣《な》れていない風が不憫《ふびん》だった。その気持ちが痛《いた》いほどよくわかって、雀の心はシクシクとうずいた。
「♪ウソに小指が切らりょうか。どこに惚《ほ》れたと云《い》はんすが、姿《すがた》が良うて、気が粋《いき》で〜」
いい機嫌《きげん》で桜丸《さくらまる》が三味《しゃみ》を弾《ひ》きながら唄《うた》うのを、皆《みな》で手を打って聴《き》いているうち、お小枝は笑いながら芸妓の膝枕《ひざまくら》で眠《ねむ》ってしまった。
「アレサ、ごらんな。笑ったまま寝《ね》ちまってるよ、この子。かぁいいねえ」
奥《おく》の間に床《とこ》をのべてもらい、お小枝を寝《ね》かせた。雀はその枕元《まくらもと》に、小さな妖火《ようび》の入った竹籠《たけかご》をそっと置いた。
「今夜はありがとうよ、姐《ねえ》さん方」
「わっちらこそ楽しかったヨ」
「また呼《よ》んでおくれな」
静かになった座敷《ざしき》で、雀《すずめ》たちは呑《の》み直した。
奥《おく》の間を覗《のぞ》いて、ポーは笑った。
「夜になったらホォムシック[#「ホォムシック」に傍点]になるんじゃないかと思ってたけど、そんな間もなく寝《ね》ちゃったねぇ。よっぽど楽しかったんだネ」
ポーは、雀の横に腰《こし》をおろした。
「で、雀? あの子、どうするつもりなんだい?」
「うん……」
雀は、そこで少し口をつぐんだ。
「鬼火《おにび》の旦那《だんな》がさ、お小枝ちゃんのやりたいことをやらせてやれって言ったんだ。それから話を聞いてやれって」
「なるほど。今日は話を聞くどころじゃなかったな」
ポーはまた笑った。
「だが、あんまり時間はねェぞ、雀《すずめ》」
桜丸《さくらまる》が酒を呑《の》みながら言った。雀はうなずいた。
「うん……わかってる」
夜闇《よるやみ》ににじむように、桃色《ももいろ》と黄色の妖火《ようび》が揺《ゆ》らめく。
お小枝《さえ》の寝顔《ねがお》は、その小さな光にやわらかく照らされていた。
夜も更《ふ》けて、茶屋の庭は静かな闇に染《そ》められていた。その中を、虫の声と小さな精の放つ朧《おぼろ》な光が飛び交《か》っている。
ふと、虫の音がやみ、パラパラと小雨《こさめ》が屋根を叩《たた》いた。
部屋《へや》の中に満ちてくる雨だれの音を、雀はじっと聞いていた。
可愛《かわい》らしい妖火《ようび》の灯《あかり》に寝顔《ねがお》を照《て》らされ、お小枝はすやすやと眠《ねむ》っている。
「雨……」
闇《やみ》の中で、雀はつぶやいた。
「雨、だったな……―――」
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天空の庵《いおり》にて思う
打《う》ち捨《す》てられたボロ布のような子どもと得体《えたい》の知れない男が、しのつく雨の中で出会った。
藪《やぶ》の中にうずくまった子どもは、顔も服も血まみれで、歯をくいしばって痛《いた》みに耐《た》えているようだった。しかし、
「どうしたイ、お前《め》ぇ?」
と、雨の中に響《ひび》いた男の声に、カッと見開いた子どもの両目は、ギラギラと燃えるようだった。男が抱《だ》き上《あ》げると、子どもは痛《いた》みにうめきながらもひどく抵抗《ていこう》した。
年の頃は十四、五|歳《さい》か。抱き上げた体は、痩《や》せて軽かった。
身体中の傷は事故などで負ったものではなく、殴《なぐ》られ蹴《け》られてできたものだとわかった。何人もが寄ってたかって暴行したのに違《ちが》いなかった。
しかし、そんな目に遭《あ》っても、子どもは怯《おび》えるどころか、男を見る顔つきは牙《きば》をむいた獣《けもの》のようだった。
高い熱がひき、子どもは意識《いしき》を取《と》り戻《もど》した。
古風な和室に寝《ね》かされていた。開け放した障子《しょうじ》の向こうには庭と生垣《いけがき》が、その向こうには霧《きり》に浮《う》かぶように灰色《はいいろ》の山が見えた。どこかの山奥《やまおく》のようだった。
男が、囲炉裏《いろり》のそばで煙管《きせる》を吹《ふ》かしていた。
着流しにざんばらの黒髪《くろかみ》、そして黒い色のついた眼鏡《めがね》をかけたその姿《すがた》を、子どもはひどく奇妙《きみょう》に思った。
「どこだ、ここは?」
子どもは、怪《あや》しい男を睨《にら》みつけて言った。
「少なくとも、お前《め》ぇのいたとこじゃねぇわなぁ」
男は軽く言った。
「てめぇ、なんだよ? ガキを売るとか買うとかいう商売人とかヘンタイヤローか? 俺《おれ》は売られたのか?」
「ハ!」
男は肩《かた》をすくめた。
「こいつァまた。ガキの物言いとも思えねぇ。お里が知れるぜ?」
その瞬間《しゅんかん》、子どもは男に向って布団《ふとん》を跳《は》ね上げると、囲炉裏の火箸《ひばし》をひっつかみ男に体当たりした。布団を通して、男の体に火箸が食い込《こ》む感触《かんしょく》が伝わった。
それから子どもは縁側《えんがわ》から庭へ飛び出し、身体《からだ》がまだ痛《いた》むのもかまわず生垣《いけがき》を飛《と》び越《こ》した。しかし―――
「な、なんだ、これ……!?」
生垣の向こうは、断崖絶壁《だんがいぜっぺき》だった。目も眩《くら》むような……では言い表せないほど、崖下《がけした》は深く深く、遥《はる》か下に雲がかかり青く霞《かす》んで何も見えなかった。
子どもは、ゆっくりとあたりを見回した。
平らな崖《がけ》の上に、小さな庭と農家のような一軒家《いっけんや》があるだけ。ここ[#「ここ」に傍点]には、それだけ[#「それだけ」に傍点]で、四方はすべて垂直《すいちょく》の崖だった。
ここは、どこにも通じていない、とてつもなく高い岩山の頂上《ちょうじょう》だったのだ。
周りには霧《きり》がわき、同じような岩山が立ち並び、中国の水墨画《すいぼくが》のようだった。
子どもは本能《ほんのう》で、ここが自分の知っている世界ではないことを悟《さと》った。
「大したもんだ。日頃《ひごろ》からやってなきゃあ、ああも見事に動けねぇぜ。お前《め》ぇ、どんな暮《く》らししてやがんだ?」
子どものすぐ後ろに男が立って笑っていた。確《たし》かに火箸《ひばし》で刺《さ》したはずなのに、どこも怪我《けが》をしている様子もない。
子どもは、薄《う》っすらと笑った。
「そうか。死んだのか、俺《おれ》……」
子どもは、男の腕《うで》の中へ倒《たお》れこんだ。
激痛《げきつう》に遠のく意識の中で、男の声がおだやかに響《ひび》いた。
「痛《いて》ぇのは生きてる証拠《しょうこ》サ。しっかり感じな」
そう言って自分を抱《だ》く男の腕《うで》がとても優《やさ》しく感じられて、子どもは少し泣きたくなった。
生垣《いけがき》には色とりどりの花が咲《さ》き、蝶々《ちょうちょう》が舞《ま》っていた。
霧の向こうには青空が広がり、庭に落ちる陽《ひ》の光が金色に輝《かがや》いていた。
子どもは、庭の池を見つめていた。
池の水面には、さまざまな風景が映《うつ》った。城《しろ》や長屋や商家。祭りの様子。結婚式《けっこんしき》もあった。
しかし、花嫁《はなよめ》も花婿《はなむこ》も、祭りの神輿《みこし》の担《かつ》ぎ手も、物売りや橋の上を行き交《か》う者たちも、すべて人間ではなかった。それは動物や、子どももよく知っているような妖怪《ようかい》たちだった。
「それが、今お前《め》ぇがいる世界だヨ。お前ぇが元いた世界とは、ちょイと違《ちが》うがな」
男が縁側《えんがわ》に座《すわ》っていた。
「ソレ、向こうに城《しろ》が見えらぁ」
わずかな霧《きり》の切れ目、岩山の向こうに、甍《いらか》の波と城《しろ》が見えた。
子どもは、ゆっくりと男の方を振《ふ》り向《む》いた。
「これは夢でもないし、俺《おれ》は、死んであの世へ来てるってわけでもないんだな」
「そう思えるようになったかぇ」
男は、フーッと煙管《きせる》の煙《けむり》を吐《は》いた。
子どもは、まぶしそうに空を見上げた。
「空気が……こんなに綺麗《きれい》な、ってか、こんなうまい空気は吸《す》ったことがない。空気がうまいなんて思ったこともねぇよ。でも、すげーうまいんだ。水もうまいし、飯もうまい。あの……お多福の面をかぶった変な奴《やつ》が作ってくれる飯……すげーうまい……」
男は、ふふっと笑った。
「あんた、言ったよな。痛《いた》いって感じるのは生きてるからだって」
「ああ」
「痛いのはイヤだけど……あの時は、ああそうなのかって思った。それで、痛みがおさまって……次にうまい空気とか水とか飯を食ったら……なんか、身体《からだ》が喜んでるような感じがしたんだ。この身体が死んでるなんて思えねぇよ」
男は頷《うなず》いた。煙管の煙が、ゆるゆると流れてきた。それはあまり煙草臭《たばこくさ》くなく、どこか香《こう》のような香《かお》りがした。
子どもは、男の前に立った。
「あんたは、なんなんだ?」
男は、口《くち》の端《は》を少し歪《ゆが》ませた。
「そうさナ。お前《め》ぇの世界の言葉で一番近ぇなァ、魔法《まほう》使い≠ゥなァ」
「ハッ」
子どもはせせら笑ったが、すぐに口をつぐんだ。黒い眼鏡《めがね》の向こうの見えない表情が、何か深刻《しんこく》なことを伝えようとしているのがわかった。
「……頭がいいなぁ、お前ぇは」
「……」
「ここが、お前ぇのいた世界とは違《ちが》う世界だってぇこたァ、わかったな? 空間とか、時間とか、次元が違うってことだ。生態系《せいたいけい》も、物理の法則《ほうそく》ってやつも違う」
子どもは、ごくりと生唾《なまつば》を呑《の》んだ。
「だが、まったく違う世界なのかといやぁ、そうでもねェ。お前ぇから見りゃあバケモンだらけだろうが、暮《く》らし方はすこぶる普通《ふつう》ヨ。気のいい連中ばっかりだ。池に映《うつ》ってんのを見りゃあわかるだろう? 物を作って売って、酒を呑んで、恋《こい》をしてガキを育てて、死んでゆくのさァ。お前《め》ぇと変らねぇよ」
男は、ここで一息おいた。
「帰りたけりゃあ、帰れなくもないゼ?」
「……元の世界に?」
「ああ」
「……」
その時子どもは、なぜ自分は「じゃあ、今すぐにでも帰りたい」と思わないのだろうと不思議に思った。
「俺《おれ》は……なんでここへ来たんだ? あんたが連れてきたのか?」
「いいや。お前ぇは、落ちてきたのサ」
「落ちてきた?」
「次元の隙間《すきま》に落っこちたのヨ。隙間は、どこに繋《つな》がってンのかわからねぇ。お前ぇがここに落ちてきたなぁ、偶然《ぐうぜん》だヨ」
「……」
「何か意味があるのかも知れねぇがな」
そう言った男の声はとてもやわらかかった。子どもはふと、その意味が知りたいと思った。
「帰りたかったら帰りたいと、自分でよく考えて自分で決めな」
子どもは、ハッと息を呑《の》んだ。
「俺が……? 決めるのか?」
男は頷《うなず》いた。
「元の世界に帰るか、ここに残るか、自分で決めるんだ」
「ここに……残る!?」
子どもは、そんな可能性《かのうせい》など考えもしなかった。
男は、ふと表情をやわらげた。
「何があったか知らねぇが、お前《め》ぇ、ひでぇ有様だったゼ」
子どもは、目を伏《ふ》せた。
「ゴミ溜《だ》めの中で這《は》いずり回って暮《く》らしてたんだ。俺《おれ》は、生まれた時からゴミ溜めにいた……」
「それでも、お前ぇの故郷《ふるさと》だ」
男がそっと肩《かた》にかけた手を、子どもは静かに払《はら》った。その顔がみるみる蒼《あお》ざめてゆく。
「恨《うら》むなぁ、よしねえ。身にならねぇよ」
しかし、子どもは唇《くちびる》を噛《か》むばかりだった。
「時間がねぇんだ」
「時間?」
子どもは顔を上げた。
「お前ぇの世界とこことじゃあ、時間の流れ方が違《ちが》うのヨ。ここでこうしている間にも、お前ぇの世界じゃあ、時間がどんどん過《す》ぎっちまうのサ」
「……」
「お前ぇが恨んでたものも、人も、すっかり変っちまってるだろう」
「……え?」
「だからもう……恨《うら》まなくていいんだヨ」
「……」
「だが、あんまり時間がたちすぎちまうとなぁ、今度ァ、世界の方がお前ぇを受け入れなくなっちまう。まだ間に合ううちに……決めるこった」
その夜は、雨が降《ふ》った。
静かな世界に、静かに雨が降《ふ》った。
囲炉裏《いろり》の小さな火にぼんやりと照らされた部屋の中で、眠《ねむ》られず、子どもは一晩中《ひとばんじゅう》やわらかな雨だれに耳を傾《かたむ》けていた。
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童女《どうじょ》、異界《いかい》を見聞す
朝。
ヒヤリとした空気を首筋《くびすじ》に感じて、雀《すずめ》は目を覚ました。
窓《まど》の障子《しょうじ》を開け放して、お小枝《さえ》が空を見上げていた。
「何か飛んでるかイ?」
そっとお小枝のそばに寄《よ》れば、お小枝はため息まじりにつぶやいた。
「天女《てんにょ》よ」
明けたばかりの薄青《うすあお》い空に、五色の雲が長々とたなびいていた。その中を、手に手に旗や箱や玉を持った大勢《おおぜい》の天女が列をなしていた。天女の衣装《いしょう》も荷物も、皆金粉をふいたようにキラキラと輝《かがや》き、それはそれは華《はな》やかな目出度《めでた》い眺《なが》めだった。
「はあ〜〜〜……」
二人《ふたり》は、口をポカンと開けて見惚《みとれ》た。
「そういやあ、水天《すいてん》の息子《むすこ》が嫁《よめ》をとるとか言ってたっけ。あれァ、たぶん結納《ゆいのう》だよ、お小枝《さえ》ちゃん。お嫁さんに行くってぇ約束をしに行くのサ」
「お嫁さん? 誰《だれ》かがお嫁さんに行くの?」
「ああ、そうサ。いやぁ、さすがエライ人の結納はスゲェなあ。宝物《たからもの》の山だァ」
「いいなぁ、お嫁さん」
「お小枝ちゃんだって、いつかはお嫁さんにならぁな。父《とと》サンと母《かか》サンが、きっといいお婿《むこ》をみつけてきてくれる。そしたらアレに負けねぇくらいの宝物を持って、堂々の嫁入《よめい》りだ」
「……」
天女たちを見つめるお小枝の表情が、ゆらゆらと揺《ゆ》らめいた。幼《おさな》い心に漣《さざなみ》の立つのが見てとれる。
「母サンが恋《こい》しくねぇかイ?」
雀《すずめ》は静かな声で訊《き》いてみた。
お小枝は幽《かす》かにハッと息を吐《は》き、それから口を真一文字に結んだ。そして、努めて平気そうに返してきた。
「恋しくなんかないモン! お小枝はずっとここにいる。父さまも母さまも知らないモン。お小枝はここで暮《く》らして、ここでお嫁に行くの。雀のお嫁さんになるモン!」
幼《おさな》いわがままとはいえ、退《ひ》くに退かれぬ意地がある。「雀のお嫁さんになる」と、とってつけたように言ってはいるものの、その瞬間《しゅんかん》だけは真剣《しんけん》なのだ。
お小枝にとっては、元の世界がつらいのは本当。この世界が楽しいのも本当。どちらが現実《げんじつ》で夢なのかは関係ない。
だから、お小枝が自分で選ばなくては[#「自分で選ばなくては」に傍点]意味がない―――。
音もなく静々と、天女《てんにょ》の行列が空をゆく。
キンと澄《す》み切《き》った朝の空気と美しい眺《なが》めに、なんだか心が洗《あら》われる気がして、雀《すずめ》もお小枝《さえ》も、しばらく空を見上げ続けた。
「朝飯にしようか」
雀が笑ってそう言うと、お小枝の顔も輝《かがや》いた。
「うん!」
雀たちは、朝飯を食べに「うさ屋」へ戻《もど》ってきた。
「ご苦労だの、桜丸《さくらまる》」
うさ屋は、大きな腹《はら》をいっそうゆさゆさゆすって笑った。
「まったくだ」
桜丸とポーは、眠《ねむ》い目をこすりながら茶を飲んだ。
「オ、人間の子じゃねぇか」
「うさ屋」の常連たちは、卵飯《たまごめし》を食べるお小枝を見て言った。
「お前《め》ぇの子か、雀? いつ分かれた[#「分かれた」に傍点]ィ?」
「人間は分裂《ぶんれつ》なんてしねェんだよ」
「ハハァ、落っこってきやがったな」
「丸っこくて、うまそうだの」
「珍《めずら》しかねェがな。どっかから落ちてくんのはヨ」
「運がいい。こうして生きてるンだから」
毛むくじゃらの化け物は、ポンポンとお小枝の頭を叩《たた》いた。お小枝は恐《おそ》れることなく、にこにことしていた。
「お前ぇも来はじめの頃《ころ》を思い出すだろう、雀よ」
うさ屋は、フーッと大きく煙管《きせる》の煙《けむり》を吐《は》いた。
「ん……」
雀《すずめ》は軽く笑った。
「オッ、こんなとこに居《い》やがった。雀、ポー」
暖簾《のれん》をくぐってきたのは、大首のかわら版屋の前座敷《まえざしき》にたむろする常連の一人《ひとり》だった。
「仕事にも出てこねェで何してやがると、破鐘《われがね》が鳴ってるぜ」
雀は舌《した》を出し、ポーは肩《かた》をすくめた。
「遊んでるわけじゃねェ、取材中なんだ――って、親方に言っといてくれねぇか。拝《おが》むぜ」
「何か面白《おもしれ》ェもんでも追ってんのか?」
「小さな異界《いかい》人の見聞|録《ろく》サ」
雀はお小枝《さえ》を指差した。
「おンや、人間の子じゃねぇか!? お前《め》ぇが産んだのか、雀?」
「人間の男は子どもも産めねぇし、分裂《ぶんれつ》もしねーんだよ!」
昨日《きのう》の雨雲はすっかり東へ去り、大江戸《おおえど》の空は青々としていた。大江戸城へ出仕する者たちが、気持ちよさそうに飛んでゆく。
「さあ、お小枝ちゃん。今日は火天宮の祭りがあるんだぜ。見に行こう」
「お祭り! うわあ、スゴイ、行きたい!」
お小枝はピョンピョンと跳《は》ねた。
「お祭りには一度も行ったことないの。おうちの二階から前を通るお神輿《みこし》を見たことあるけど、それだけ。父《とと》さまも母《かか》さまも行っちゃダメだって言うの。あぶないからって。わーいわーい、お祭りお祭り!」
雀は、桜丸《さくらまる》とポーに向って手を合わせた。
「桜丸、ポー、もう少しお小枝ちゃんに付き合ってくんな」
「そりゃいいけどヨ……」
まるで手毬《てまり》が跳《は》ねるように、雀《すずめ》たちの前を行くお小枝《さえ》。立ち止まってはこちらを振《ふ》り向き「早く早く」と手招《てまね》きし、またポンポンと跳ねて行く。
「お小枝ちゃんが、本当に話したくなる時まで……ギリギリまで待ってみるよ。そんなに時間があるわけじゃねぇけど……でも」
「お小枝ちゃんは、話してくれると思うんだね」
ポーが緑の瞳《ひとみ》で雀を見つめた。雀もその瞳を見返した。
「うん。旦那《だんな》もそういう意味で言ったと思うんだ。お小枝ちゃんの好きにさせてやれって」
「けどお前《め》ぇ、話を聞くのはいいけどヨ。話ィ聞いてやって、そっからどうすんだえ? お前ぇ、責任《せきにん》持てるのかィ、雀?」
桜丸《さくらまる》にそう言われて、雀は道の向こうのお小枝を見た。
「……大丈夫《だいじょうぶ》」
雀はつぶやくように言った。
「お小枝ちゃんなら大丈夫……」
雨雲を飛ばした爽《さわ》やかな風。煌《きらめ》く朝陽《あさひ》の中でお小枝は笑っていた。
「うわああー、お、大きい馬!!」
お小枝は天を仰《あお》いだ。
全身|真《ま》っ赤《か》な色をして、金色の鬣《たてがみ》をなびかせた巨大《きょだい》な馬に、火天宮の旗をはためかせた金の鎧武者《よろいむしゃ》がまたがっていた。それらが何十|騎《き》も行進すると、大地がズンズンと揺《ゆ》れた。
その後ろには、五色の雲と金色の鳥を刺繍《ししゅう》した四方|幕《まく》も艶《あで》やかな、これまた見上げるような巨大な山車《だし》が控《ひか》えていた。山車人形は、長い尾《お》をたなびかせた火の鳥|朱雀《すざく》。
揃《そろ》いの茜《あかね》の法被《はっぴ》を着込《きこ》んだ氏子《うじこ》たちが「ソリャサーソリャサー」の掛《か》け声《ごえ》も勇ましく山車を曳《ひ》くと、つめかけた見物人たちから「イヨ――、シャンシャンシャン」という合いの手と拍手《はくしゅ》が湧《わ》き起《お》こった。
「これが火天宮の祭礼の山車《だし》だよ。今日の祭りは小祭だから山車も一台だし祭りも一日だけど、大祭の時はあのでかい山車が十いくつも出るんだぜ」
「スゴイ、スゴーイ!」
空には赤い鳥が飛び交《か》い、花びらのようなものが舞《ま》い散った。見物人がわあわあと取り合いをしている。
「ソラヨっと」
桜丸《さくらまる》が、一枚取ってお小枝《さえ》にくれた。それは薄紅《うすべに》の楕円形《だえんけい》の紙で、朱雀《すざく》の絵が描《か》かれていた。
「火天宮のお守りだ」
「ありがとう、桜丸。嬉《うれ》しい!」
見物人の騒《さわ》ぐ声と、山車を曳《ひ》く声と、合いの手を入れる声が大波のようにうねった。
何もかもが巨大《きょだい》で、圧倒《あっとう》的で、燃えるような興奮《こうふん》に満ちていた。
人波に揉《も》まれながら、お小枝は顔を真《ま》っ赤《か》にして祭りに見入っていた。
「すごいね、雀《すずめ》。ホントにすごいね」
お小枝の声は震《ふる》えていた。
「俺《おれ》も初めて見た時は震えたよ」
目の前を小山のような山車がゆく。魂《たましい》を震わす力をまとい、それを振《ふ》り撒《ま》き、まわりを巻《ま》き込《こ》みながら。
ちょうど一年ほど前になる。初めてこの祭りを見た時の自分を、雀は鮮《あざ》やかに思い出す。祭りに集《つど》う者たちの生きる姿《すがた》を見せつけられ、生きる力を浴びせられ、雀は痺《しび》れたように立《た》ち尽《つ》くした。
「まるで叱《しか》られているようだったよ……。お前はいったい何をしてやがんだ! ってな」
打算もなく、憂《うれ》いも忘《わす》れた、ただ純粋《じゅんすい》な力が轟々《ごうごう》と渦《うず》を巻《ま》く。
これが基本なのだと思った。
このように生きてみたい。生きてみようと思った。
そして今、お小枝《さえ》もきっとそう感じているはず。雀《すずめ》に抱《かか》えられ、小さな身体《からだ》と胸《むね》を震《ふる》わせて、その瞳《ひとみ》は朱雀《すざく》のように燃えている。
「この力はなんなの?」
「生きている力さ、お小枝ちゃん。ここに生きている人たちの、火天さまを敬《うやま》う力とか、楽しいゼっていう力とか、やったるゼっていう力とか、この後は酒を呑《の》みたいゼっていう力とか!」
「アハハハ!」
「ここは、そういう力でいっぱいなんだ」
「ソリャサー! ソリャサー!」
「イヨ―――ッ、シャンシャンシャン!!」
お小枝も拍手《はくしゅ》をした。それから大声で雀《すずめ》に言った。
「お小枝はお菓子《かし》が食べたいゾ――ッ!!」
雀も桜丸《さくらまる》もポーも大笑いした。
「いいネ、お小枝ちゃん。上出来《じょうでき》だ!」
ところ狭《せま》しと並《なら》んだ出店《でみせ》も、ワイのワイのと客で賑《にぎ》わっていた。売り子の呼《よ》び声が威勢《いせい》良く飛び交《か》っている。あっちこっちで、買い物をした客と売り子との手締《てじ》めがパンパンと響《ひび》いている。
「やっぱ、火天宮の祭りがいっち賑やかだな。勢《いきお》いが違《ちが》わァ」
「これに比《くら》べると、地天宮の祭礼なんかはずいぶんしめやかだよねェ」
「おっ、金平糖《こんぺいとう》があるぜ、お小枝ちゃん!」
花束のような色とりどりの金平糖が、ギヤマンの器《うつわ》に詰《つ》められていた。
「お小枝、これ食べたことがある! すごく遠くからきたお客さんがお土産《みやげ》にくれたの」
「ハハァ、そりゃたぶん、長崎《ながさき》からの客人だろうなァ」
金平糖を食べながら出店を見て回っていたお小枝は、錦絵《にしきえ》売りに目をとめた。大江戸《おおえど》で有名な美女を描《えが》いた美人画が華《はな》やかに店先を飾《かざ》り、客を集めている。
「ハハ、キュー太が描《か》いたやつがある」
「そういえば、一人《ひとり》親方んとこへ残してきちゃったねェ」
「後でうるさいゾ〜」
「うるさいというよりは……かさばる?」
雀《すずめ》とポーは大笑いした。
口からべろべろと紙を吐《は》いてしゃべるキュー太が文句を言い出すと、その細長い紙が足元へどんどんたまってゆく。さらに歩きながらブツブツ言うくせがあるので、文句の紙がずるずると蛇《へび》のようにのたくって邪魔《じゃま》なことこのうえない。親方の手下どもがハサミを持ってついてまわり、文句の紙を切っては片付《かたづ》け、切っては片付けを繰《く》り返《かえ》す様子は、可笑《おか》しくも鬱陶《うっとう》しいのである。
錦絵《にしきえ》を見ていたお小枝《さえ》が、一|枚《まい》の美人画に釘付《くぎづ》けになっていた。
「どうしたイ、お小枝ちゃん? これが気に入ったのかイ?」
「これ……この人……綺麗《きれい》〜。お姫《ひめ》様みたい」
桜丸《さくらまる》がその絵を手に取った。
「キレーなはずだ。月下楼《げっかろう》の菊月太夫《きくづきたゆう》だ」
「桜丸の知ってる人!?」
「イヤ、知り合いってわけじゃ……」
桜丸は苦笑いした。
「お小枝も会いたい!」
「花魁《おいらん》にかエ?」
「会えない?」
雀と桜丸とポーは顔を見合わせた。
「……会えないことはない」
「まァなァ、吉原《よしわら》へ行きゃあなぁ」
「菊月なら花魁道中をやってるはずだよ」
「お小枝ちゃんをなか[#「なか」に傍点]へ連れてっても大丈夫《だいじょうぶ》だよな!?」
「大丈夫《だいじょうぶ》さ。桜丸《さくらまる》もいるし。なか[#「なか」に傍点]にだって子どもは大勢《おおぜい》いるもの」
お小枝《さえ》はワクワクしながら待っていた。雀《すずめ》は言った。
「会うっていっても見るだけだぜ、お小枝ちゃん!?」
「うん!」
雀に言わせれば、妖怪のくせに朝っぱらから元気な[#「妖怪のくせに朝っぱらから元気な」に傍点]者たちで昼間の大江戸《おおえど》はとても賑《にぎ》やかだが、もちろん夜間《よるま》元気な者たちも大勢いるわけで。
そういう者たちが集《つど》う場所が、吉原《よしわら》を中心とした一画にある。大江戸の町は、二対一の割合《わりあい》で昼の町と夜の町に分かれている恰好《かっこう》になる。吉原を「なか」と呼《よ》ぶことから、夜の町も「なか」と呼ばれる。
「夜の町といってもネ、夕方に起きて朝がくると眠《ねむ》る者たちの町ってだけで、昼の町とほとんど何も変わらないんだよ」
昼飯に天麩羅蕎麦《てんぷらそば》をすすりながら、お小枝に夜町《なか》の話をしてやった。お小枝は食べるのも忘《わす》れ、ポーの話を聞いていた。
「夜町《なか》にも、野菜売りもいれば魚売りもいるし、絵草紙屋《えぞうしや》も菓子《かし》屋もちゃんとある。昼町《ひるまち》と一緒《いっしょ》。町は区切られているけど行き来が制限《せいげん》されてるわけじゃない。昼の町だって、夜になれば町ごとに町木戸で閉《し》められちゃうからね」
「ただ、夜町《なか》ならではの商売もある……と」
桜丸《さくらまる》はニヤニヤした。
「桜丸!」
ポーと雀が睨《にら》んだ。
「昨日《きのう》、深川《ふかがわ》へ行ったよな、お小枝ちゃん。夜の深川はキレイだったろう?」
「うん」
「夜町は、夜の深川よりもずっとキレイだぜ」
「うわあ、ホント? 早く行きたいな」
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桜貝《さくらがい》の海に遊ぶ
お小枝《さえ》が、海を見たことがないというので、夜を待つ間、品川で水遊びでもしようということになった。
「うわあ〜……!」
広々とした海岸にやって来たお小枝は、白い帆船《はんせん》がたくさん浮《う》かぶ紺碧《こんぺき》の海を見て、言葉もなかった。
水平線を見つめたまま棒立《ぼうだ》ちになった大きな瞳《ひとみ》が、今にも泣きそうに潤《うる》んでいる。
「初めて見る広い世界を、小さな身体《からだ》でどう受けとめているんだろうねぇ」
ポーは、緑の目を細めた。
天壌無窮《てんじょうむきゅう》。
思いは天地とともに果てなし。
この空の大きさ、海の広さは、自分の無限《むげん》の可能性そのものなのだと、お小枝は気づいているだろうか。だから恐《おそ》ろしくもあり、魅力的《みりょくてき》でもあるのだと。
雀《すずめ》は、お小枝の隣《となり》に並《なら》んだ。お小枝は水平線を見つめたまま、微動《びどう》だにしなかった。
「この海は……どこまで続いているの?」
「どこまでもだよ。ずっとずっと果てしないのサ」
「……すごい」
「お小枝ちゃんの生まれたところにも海はある。その海だって、ずっとずっと果てしなく広《ひろ》がっているんだぜ」
「ホント!?」
「ホントさ。海の果てにはいろんな国があって、いろんな人が暮《く》らしてて、船で行ったり来たりしてる。お小枝《さえ》ちゃんの故郷《ふるさと》にも、そういう遠い国からお客さんがやって来る。金平糖《こんぺいとう》は、そういう国から運ばれて来たんだ」
「ホント!?」
「ホントさ」
「すごい……!」
「お小枝ちゃんの故郷だって、スゴイところなんだよ。ここに負けないくらいにな」
「…………」
桜丸《さくらまる》とポーは、茶屋で一服。雀《すずめ》とお小枝は海辺で水遊びをはじめた。
初めて海で遊んだお小枝は大はしゃぎで、湯文字《ゆもじ》一丁で走り回った。
「アレサ、大店《おおだな》のお嬢《じょう》サンが、貧乏人《びんぼうにん》の豆煎《まめい》りだぁ」
桜丸は笑った。
海辺には海|小僧《こぞう》たちが遊び、磯《いそ》ではサザエ鬼《おに》が岩|海苔《のり》取りをしていた。沖《おき》の岩場には、人魚の姿《すがた》も見えた。
お小枝は、磯の潮溜《しおだ》まりで小魚を追いかけ、蟹《かに》を捕《と》った。そして、あちこちで岩と同化した、得体《えたい》の知れないブヨブヨを踏《ふ》んづけては悲鳴を上げた。雀は大笑いした。
「こいつは、潮蟲《しおむし》さ。なんのために、ここにこうしているかわかんねェ生き物なんだよな。ここは、こういうの多いよな〜。妖怪《ようかい》っつーより、この世界の自然の生き物なんだろうなあ」
と言いつつ、岩色のブヨブヨを揺《ゆ》さぶっていると、ポチッと二つの目玉が開いた。
「あ」
そいつは、非常《ひじょう》に迷惑《めいわく》そうな目つきをして雀を見ると、ぬるぬると岩を移動《いどう》していき、少し先の窪《くぼ》みに落ち着いた。雀とお小枝はずっと見ていた。
「な。わけわかんねーだろ」
「うん」
浜辺《はまべ》の白い砂《すな》を素足《すあし》で踏《ふ》むと、とても気持ちが良かった。
サクサクと、お小枝《さえ》は一歩一歩|確《たし》かめるように砂を踏《ふ》んだ。透《す》き通った波がやわらかく打《う》ち寄《よ》せ、サササと引いていくと、足の裏《うら》を砂が流れる感触《かんしょく》が心地好《ここちよ》くてくすぐったくて、そのたびに両|肩《かた》がキュッと上がってしまう。
お小枝のその仕草に、雀《すずめ》は目を細めずにはいられなかった。
雀に向って、お小枝が手を出してきた。
煌《きらめ》く浜辺を、二人《ふたり》―――、手をつないで歩く。
潮風《しおかぜ》。
海の匂《にお》い。
遠くに、海鳥の声。
さざめく海面に乱反射《らんはんしゃ》した皐月《さつき》の光の中に、雀とお小枝の影《かげ》が一つに溶《と》け合《あ》って揺《ゆ》れていた。
「なんとも美しい光景だねぇ」
ポーがため息をついた。
おだやかな午後だった。
風はゆるゆると優《やさ》しく、景色はどこまでも透き通っていて、遠くまで見えるようだった。すぐそこで海|小僧《こぞう》たちがはしゃいでいるけれど、あたりはとても静かだった。
お小枝は、雀をじっと見上げた。
「どうしたイ?」
「雀が父《とと》さまならいいのに」
雀は吹き出した。
「朝は、俺《おれ》のお嫁《よめ》さんになるって言ってたじゃねぇか」
お小枝《さえ》は、「しまった」と舌《した》を出した。
「父《とと》サンだって、本当はお小枝ちゃんとこんな風に遊びたいって思ってるサ、きっと」
「そうかなあ」
「娘《むすめ》と遊びたくない父サンがいるもんか。いっぺん、父さま、遊ぼうって言ってごらんな。海でもどこでもいいから遊びに行こう、遊びに連れて行ってって頼《たの》んでみねぇ」
「……うん」
お小枝は、こっくりとうなずいた。
雀《すずめ》とお小枝の前に、ちょうどお小枝ぐらいの、海|小僧《こぞう》の子どもがやって来た。緑っぽい体に手足には水掻《みずか》きがついたその子は、お小枝を見て首をかしげた。
「お前《め》ェは、なんだ?」
「人間の子だヨ」
雀がこたえた。小僧はまた首をかしげた。
「にんげん? 知らねぇなあ」
「遠くから来たんだ」
「どんぐらい遠くだ?」
「滅法界《めっぽうけぇ》遠くからサ」
「すげえなあ!」
小僧はものすごく驚《おどろ》いた。雀もお小枝も笑った。
「お前ェのとこにも相撲《すもう》はあるか?」
小僧はお小枝に訊《たず》ねた。
「お相撲……。あるけど、お小枝は見たことない」
お小枝が首を振《ふ》ると、小僧は鼻の穴《あな》をふくらませた。
「じゃあ、俺《おれ》が教えてやる!」
お小枝は、小僧と相撲をとることになった。
「海小僧とか河童《かっぱ》は、ホントに相撲が好きだなあ」
雀は苦笑いしながら、小僧とお小枝の取り組みを眺《なが》めていた。
最初のうちこそ、小僧《こぞう》にコロコロと砂《すな》の上に転がされていたお小枝《さえ》だが、嫌《いや》がるどころか俄然闘志《がぜんとうし》を燃《も》やし、体格《たいかく》は同じようでも力ははるかに強い海小僧とがっぷり四ツ。女の子とは思えぬ戦いぶりを見せ、いつの間にかまわりに集まった他《ほか》の海小僧やら化《ば》け亀《がめ》やらのヤジ馬を楽しませた。
そして、とうとうお小枝は小僧から一本をとったのだ。それは、小僧と組んで押《お》し合いしているうち、小僧の体勢がちょイと崩《くず》れた瞬間を見逃《みのが》さず、すばやく足をかけて転がすという見事な「外掛《そとが》け」だった。
「ぃやったあっ、お小枝ちゃん!」
雀《すずめ》は思わず飛び上がってしまった。
ヤジ馬からの拍手《はくしゅ》を浴びて、頭のてっぺんから足の先まで砂まみれのお小枝は、誇《ほこ》らしげに胸《むね》を張った。
お小枝と海小僧のタロ吉《きち》はすっかり仲良くなり、波打《なみう》ち際《ぎわ》で追いかけっこや貝さがしをして遊んだ。
暮《く》れなずむ陽《ひ》の光を受けて、海は深く青く輝《かがや》き、小さな二人《ふたり》は、まるでちりばめた青い宝石《ほうせき》の中で戯《たわむ》れているようだった。
「美しくも微笑《ほほえ》ましいね。実に叙情的《じょじょうてき》じゃないか」
いつの間にかそばに来たポーが、ため息をつくように雀に言った。
「桜丸《さくらまる》は?」
「茶屋で寝てるよ。そろそろお小枝ちゃんを着替《きが》えさせないとね」
「そうだな……オッ!」
突然《とつぜん》、空が鮮《あざ》やかな茜色《あかねいろ》に染《そ》まった。
お小枝も、ハッと空を見上げた。
茜の空は刻々《こくこく》と東からその色を増し、狂《くる》おしい炎《ほのお》の色から椿《つばき》色へと移《うつ》り変わる。そして群青《ぐんじょう》の夕闇《ゆうやみ》が、星を引き連れてやってきた。
一方西の空は、茜から桃色《ももいろ》へ、そして黄金へと、その向こうに沈《しず》み行く夕陽を隠《かく》して燃える。
お小枝《さえ》は、呆然《ぼうぜん》と夕景に見入った。
「綺麗《きれい》……とっても綺麗」
「うん、まあ……」
さして珍《めずら》しくもないと、タロ吉は言った。
「お小枝は綺麗なのが好きなのか?」
「うん」
並《なら》んで空を見上げているお小枝とタロ吉の目の前の海から、ポコンと磯女《いそおんな》が頭を出した。
「あ、母《かあ》ちゃん」
「タロ、そろそろ帰っておいで。メシにするよ」
「うん」
タロ吉はお小枝と向き合った。
「また来るか? お小枝」
「……」
お小枝は、何も言えなかった。「うん」とも「いいえ」とも。
「また来い。相撲《すもう》の技《わざ》を教えてやる」
タロ吉は笑った。それから、
「これ、やる」
お小枝の手に握《にぎ》らせたのは、ひとひらの桜貝《さくらがい》。
「綺麗……」
「じゃあ、またな!」
タロ吉は、元気に手を振《ふ》って海へ帰っていった。
黄昏《たそがれ》の空は夕闇《ゆうやみ》へと染《そ》められてゆき、波に足を洗《あら》われるまま、タロ吉の消えた海を見つめ続けるお小枝を、雀《すずめ》とポーが見守っていた。
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月下に白菊咲《しらぎくさ》く
茶屋でお小枝《さえ》を水浴びさせてもらい、着付けもしてもらった。熱いお茶と饅頭《まんじゅう》で一服したあと、雀《すずめ》たちはいよいよ吉原《よしわら》へ向った。
その道中ずっと、お小枝は桜貝《さくらがい》を眺《なが》めていた。
「エヘヘ」
お小枝は幸せそうだった。
「同じくらいの年の友《とも》だちはいるのかい、お小枝ちゃん?」
雀に問われて、お小枝は小さくうなずいた。
「大黒屋《だいこくや》のおみっちゃんと時々遊ぶよ。おうちへ行ったり来たりした時だけ。手毬《てまり》で遊ぶの。でも、ケンケンパアをしてたら怒《おこ》られたの」
「ケンケンパアもダメなのかい?」
「そりゃ、キツイももんがあだの。ガキの遊びに割《わり》を言うなんざ益《えき》もねエ」
桜丸《さくらまる》が苦々しく舌打《したう》ちした。
「気まま八百、駄々《だだ》けてナンボがガキの商売《しょうべえ》ヨ。お小枝、お前《め》ぇもちったあ踏《ふ》ン反《ぞ》りねえ」
「人様ンちに筋《すじ》を出しちゃいけないよ、桜丸。お小枝ちゃんの母《かか》サンだって、お小枝ちゃんを思ってだね……」
お小枝は、複雑《ふくざつ》な顔をしていた。桜丸の言うことももっともだと合点《がてん》がいくらしい。それでも、ほンの小さな声で、
「ももんがぁじゃないもン」
と、横を向いた。雀は、クスッと笑った。
吉原《よしわら》の入り口で、顔馴染《かおなじ》みの同心《どうしん》に会った。
「あ、八丁堀《はっちょうぼり》の旦那《だんな》」
「百雷《ひゃくらい》」
「オオ? コリャ何のご一行サマだえ?」
雀《すずめ》たちを見て、狼面《おおかみづら》の同心百雷は牙《きば》をむいて笑った。
「三人|揃《そろ》って女買いたァ、珍《めずら》しいの」
「ナニサ、コブ付きで女が買えるけエ」
桜丸《さくらまる》はお小枝《さえ》を指差した。雀の後ろから、お小枝がチョロリと顔を出していた。
「人間の子じゃねぇか! お前《め》ぇが産んだのか、雀?」
「なんで産んだのか≠ネんだヨ! 産ませたのか≠カゃなくてっ!」
百雷は豪快《ごうかい》に笑った。
「怒《おこ》るな怒るな」
それからお小枝の前にしゃがむと、お小枝の頭をそっと撫《な》でた。
「かぁいいねえ。手ェ出しな」
お小枝の小さな掌《てのひら》に、百雷は自分の手を重ねた。百雷の手は大きく、手の甲《こう》から腕《うで》は真っ黒い毛に覆《おお》われて、ごつごつした指には大きな爪《つめ》が生えていた。でも、とても温かかった。
百雷が手をどけると、お小枝の手には小さな紙包みが乗っていた。
「干菓子《ひがし》だ。うめぇぞ」
優《やさ》しく笑う狼面の首元に、桜丸がしているような彫《ほ》り物《もの》がチラリと見えた。
「ありがとう」
「この子ァ、どうしたイ? まさか売りに来たんじゃあるめエの?」
「大点違《おおてんちが》いはよしとくれよ、百雷の旦那」
「閻魔《えんま》の笑い顔だあ」
ポーと雀《すずめ》は抗議《こうぎ》した。
「言ってみただけだヨ」
「そういうヤボを言うから、お前《め》ぇは女にモテねえんだよ、百雷《ひゃくらい》。このでんつく」
「オッ、この野郎《やろう》。人の気にしていることを」
「中野屋の早春月《はやはるづき》にソデにされたらしいなあ〜」
桜丸《さくらまる》が長いベロを出した。百雷の毛がブワッと逆立《さかだ》った。
「てめっ、どこでソレをっ」
「遊女相手に詩吟《しぎん》なんぞ唸《うな》るから……」
ポーが大袈裟《おおげさ》に首を振《ふ》った。
「やっぱ、そこは粋《いき》に都都逸《どどいつ》でもやらねぇとねえ」
雀《すずめ》は大きなため息をついた。
「ム、ム、ム」
「かわら版屋をナメちゃいけないよ、旦那《だんな》」
「知られたくねぇネタほど入ってくるんだから」
「吉原《なか》のことなんぞ、ツツ抜《ぬ》けだゾ〜〜〜」
三人に迫《せま》られて、百雷は大きな耳をパッタリと後ろへ倒《たお》した。
「よりより寄れば姦《かしま》しいのぅ、お前ら……」
夜の町に灯《あか》りが点《とも》り始めた。
米屋や酒屋や呉服《ごふく》屋が店を開け、行商人たちも商売をし始める。それとともに、夜の町の顔ともいえる娼家《しょうか》の軒先《のきさき》にも灯《ひ》が入る。
「時に桜丸、鬼火《おにび》はどうしてる?」
百雷に問われ、桜丸は肩《かた》をすくめた。
「元気にフラフラしてらァ」
「気楽な奴《やつ》め」
百雷は苦笑いした。
「八丁堀《はっちょうぼり》の旦那《だんな》は? 吉原《なか》に用かイ?」
「おゥ。ここんとこ、吉原でちょイと妙《みょう》なことが続いててな」
百雷《ひゃくらい》は十手で肩《かた》をトントンと叩《たた》いた。
「何、何? なんか事件《じけん》かい?」
雀《すずめ》が身を乗り出した。
「なァに、かわら版になるほど大したこっちゃねぇヨ。イタズラの範疇《はんちゅう》サ。ただ、吉原で揉《も》め事《ごと》が起きると厄介《やっけえ》もっけぇだもんでの」
昼の町と変わりない――とはいえ、夜の町はやはり独特《どくとく》の世界なのだった。
「そうさナ。そりゃ、やっぱ闇《やみ》のせいサ」
と、桜丸《さくらまる》は言う。
夜の帳《とばり》がすっかり降《お》りて、夜町《よるまち》は闇に包まれる。
店の軒先《のきさき》にさまざまに美しい妖火《ようび》が灯《とも》っても、その灯《あかり》の元に深い闇ができてしまう。
「綺麗《きれい》〜……!」
深川《ふかがわ》よりも遥《はる》かに数が多く、色とりどりに揺《ゆ》らめく灯《ともしび》はまるで万華鏡《まんげきょう》のようで、お小枝《さえ》はうっとりした。
しかし、その景色が深川よりも心に迫《せま》るのは―――
「灯《あかり》の色が、なまめかしいからだと思うね。お小枝ちゃんみたいな子どもにだって、それはわかるものなのサ」
ポーはニヤリと笑った。
「うん」
雀はうなずく。
吉原を抱《かか》えている夜の町は、昼の町よりも欲《よく》の渦巻《うずま》く場所だろう。ヤクザや犯罪者《はんざいしゃ》の数も多い。ちょっとしたことでもヤクザがからんできたりすると、やれナワバリだメンツだオトシマエだと、百雷|曰《いわ》く「厄介もっけぇ」なことになった。
だが、これら外れ者たち以外の、まっとうな者たちさえも惹《ひ》きつける「欲」のなまめかしさ―――。これは、心のどこか根源的《こんげんてき》な場所を揺《ゆ》さぶる力を持つらしい。さながら誘蛾灯《ゆうがとう》のように。引《ひ》き寄《よ》せられずにはいられぬ魅力《みりょく》と、踏《ふ》み込《こ》みすぎれば身を焼き尽《つ》くす危険《きけん》とを併《あわ》せ持《も》つ。
そして、もともと「闇《やみ》に属《ぞく》する者」には、どこかにこのなまめかしさが匂《にお》う。
「不思議だよなあ……夜の住人ってやつには……人間型[#「人間型」に傍点]が多いんだよなあ。なんでかなあ?」
と、雀《すずめ》はつくづく首をかしげる。
「さァて」
と、桜丸《さくらまる》も首をかしげる。
朱《しゅ》の格子《こうし》の向こうから手招《てまね》きする女たちや、路地の暗闇《くらやみ》にじっと立っている男たちに、雀は大勢《おおぜい》の「自分と同じ姿《すがた》」を見る。それは人型であっても、決して人間ではないのだ。そう。鬼火《おにび》の旦那《だんな》や桜丸のように。
「そういやあ……魔人《まじん》も人型が……多い!?」
雀は桜丸を見た。桜丸はニヤッと笑った。
「鰻《うなぎ》でも食いながら、花魁《おいらん》道中を待つとしようぜ」
雀たちは百雷《ひゃくらい》と別れ、鰻屋へ入った。
「大蒲焼《おおかばやき》に肝《きも》焼きに熱鴉《あつがらす》! ヤレありがた山の寒紅梅《かんこうばい》だ」
桜丸は肝焼きにしゃぶりついた。串焼《くしや》きの肝を串から一気に引《ひ》き抜《ぬ》いて頬張《ほおば》ると、香《こう》ばしい香《かお》りが鼻へ、タレの旨味《うまみ》が口へ、ふぁ〜んと広がる。
「ぼくは、そろそろワインが呑《の》みたい頃《ころ》なんだがねェ」
熱燗《あつかん》をちびちびやりながら、ポーがボソボソ言った。
「座敷《ざしき》に上がってワインを注文するほどの金は、もうねぇよ、ポー」
雀がピシャリと返した。
「せっかく吉原《なか》に来たんだから、ワインぐらい呑めるかと思ったのに」
「んん〜〜〜、おいしい〜〜!」
さんざん遊んで腹《はら》ペコのお小枝《さえ》は、口のまわりをタレだらけにしてはふはふと鰻《うなぎ》を頬張《ほおば》り、満足そうだった。
「身がふかふかだよな」
「うん、ふかふか! お口でとろけるよ」
「肝吸《きもすい》が、またたまんねぇな」
桜丸《さくらまる》と雀《すずめ》は一人前《いちにんまえ》をペロリと平《たいら》げ、もう一人前を注文した。ポーは、じっくりチビチビ食べるのが好きだ。猫《ねこ》らしく。
「八丁堀《はっちょうぼり》が言ってた、妙《みょう》なことってなんだろうね」
「アレじゃねぇか? 酒屋の酒樽《さかだる》に穴《あな》があいて、酒が全部流れちまったってことがあったろう」
「あーいうのを八丁堀が調べるわけ?」
「小《ち》っせえことでも、続きゃあでっけえ火種になるこたァあるサ。吉原《なか》じゃな」
「こないだ、藤屋《ふじや》で障子《しょうじ》がいっせいに外れたってことがあった!」
大蒲焼《おおかばやき》を頬張ったまま、雀が言った。
「しかも、どの部屋でもシッポリやってる最中になあ」
桜丸がニヤニヤ笑った。
「こういうことが続くとだな、どこぞがどこぞへ、イヤガラセをしてるんじゃねぇかって話になるのヨ。すりゃあ、もともとツノ突《つ》き合《あ》わせてる奴《やつ》らが、お互《たが》いにてめぇだろ、てめぇだろと、わっぱさっぱし始めるわけサ」
「八丁堀としては、それは避《さ》けたいわけね」
「酒樽に穴を開けるようなちょろっこいのを、百雷《ひゃくらい》が追ってると思うと笑えるゼ」
桜丸は、うまそうに酒を呑《の》んだ。
雀たちが鰻をたらふく食った頃《ころ》、道の両側に人が集まってきた。花魁《おいらん》道中が始まったようだ。
雀とお小枝は店を出て、見物人たちに混《ま》じった。
道の向こうから、遠目にも華《はな》やかな一行が静々とやって来る。見物人から、拍手《はくしゅ》やら歓声《かんせい》やらため息やらが上がった。
先頭は、青い火を入れたギヤマンの提灯《ちょうちん》を持った若衆《わかしゅう》。その後ろは、可愛《かわい》い振袖姿《ふりそですがた》の禿《かむろ》が二人《ふたり》。そして……
「ごらんな、お小枝《さえ》ちゃん。あれが菊月太夫《きくづきたゆう》だよ」
「いよっ、菊月太夫!」
「月下の白菊!!」
黒塗《くろぬ》りのぽっこりで外八文字《そとはちもじ》を描きながら、大江戸吉原《おおえどよしわら》で一、二を争う美女、菊月がゆく。
打掛《うちかけ》は、目のさめるような青地に金縁《きんぶち》の白菊を散らした柄《がら》。帯は麒麟《きりん》。髪《かみ》には血色の髪飾《かみかざ》りを差し、店店の軒《のき》に揺《ゆ》らめく妖火《ようび》の色をその真っ白な肌《はだ》に映《うつ》して、菊月の美しい顔が妖《あや》しくなまめかしく千変万化《せんぺんばんか》する。男も女もウットリとした。
お付きの者たちの衣装《いしょう》も、真《ま》っ赤《か》な大傘《おおがさ》や蒔絵《まきえ》の化粧《けしょう》箱や、禿が持つ小刀《しょうとう》に至《いた》るまで、すべてが美々しく、空からは金銀の紙|吹雪《ふぶき》が舞《ま》い散りそこに妖火《ようび》の灯《あかり》が反射《はんしゃ》して、実に幻想《げんそう》的にして絢爛豪華《けんらんごうか》だった。
「さすが、ド迫力《はくりょく》だあ」
初めてじっくりと花魁《おいらん》道中を見た雀《すずめ》は、ため息した。
お小枝は、ただただアングリと一行の様子に見入るばかりだった。
菊月太夫は、やはり錦絵《にしきえ》よりも遥《はる》かに美しかった。白い顔に青い衣装がとてもよく映《は》え、冷たいくらいに整った顔を際立《きわだ》たせていた。瞳《ひとみ》は凍《こお》ったように道の先一点を見つめ、まわりから浴びせくる熱い視線《しせん》や声援《せいえん》に一顧《いっこ》だにしない。
お姫《ひめ》様ではなく、お人形のようだとお小枝は思った。
「しゃべったりするのかしら?」
と、思うほど。太夫は人のように見えても、まるで人でない雰囲気《ふんいき》に満ちていた。
その時。
ちょうど、太夫が雀とお小枝の目の前を通り過ぎようとしている時だった。
前方で、わあっと叫《さけ》び声《ごえ》が上がった。次の瞬間《しゅんかん》、花魁《おいらん》道中の鼻先に、鬣《たてがみ》を振《ふ》り乱《みだ》した馬が一頭|踊《おど》り出た。
「暴《あば》れ馬《うま》だあ―――っ!!」
悲鳴が華《はな》やかな空気を切《き》り裂《さ》いた。
馬が花魁道中に向って大地を蹴《け》った。
「うわあああ――っ!!」
見物人が一斉《いっせい》に逃《に》げまどう。
「お小枝《さえ》ちゃん!」
雀《すずめ》は咄嗟《とっさ》にお小枝を抱《だ》きかかえたが、背中《せなか》をドンと押《お》されて、お小枝もろとも道へ転がった。
「うわった!」
地面から見上げると、暴れ馬が迫《せま》ってくるのが見えた。
「踏《ふ》まれる……!」
立ち上がる間はないとわかった。せめてお小枝を守らねばと、雀がそう思った時、そこへ飛び込んできたのは、なんと菊月太夫《きくづきたゆう》。
太夫はお付きの手を振《ふ》り払《はら》い、ぽっくりを脱《ぬ》ぎ捨《す》てて、二人《ふたり》の上へ身体《からだ》を投げ出して覆《おお》い被《かぶ》さった。
「花魁《おいらん》!?」
雀もお付きも見物人も驚《おどろ》くまいか。ギャーっと、すごい悲鳴が上がる。
だが暴れ馬が雀たちに迫らんとしたまさにその時、その鼻面に、薄紅《うすべに》の細帯がビシリと巻《ま》きつけられた。
その帯を持って、ヒラリと馬の背《せ》に飛び乗ったのは桜丸《さくらまる》。帯を引いて、たちまち馬を御《ぎょ》す。
「ど―――おっ!!」
暴れ馬は、雀と花魁を踏《ふ》む寸前《すんぜん》で見事静められた。
「うおおお!!」
怒濤《どとう》の歓声《かんせい》と拍手《はくしゅ》が湧《わ》き起こった。
「そこにいる奴《やつ》ぁ、何者《なにもん》だ! 出てきやがれ!!」
桜丸《さくらまる》は馬上でそう叫《さけ》ぶと、馬の胴《どう》をバンと叩《たた》いた。馬の身体《からだ》がバリバリという光と衝撃《しょうげき》に包まれ、馬が悲鳴を上げた。と同時に、馬の頭から黒いモノがびょんと飛び出した。桜丸がハッシと鷲掴《わしづか》みにする。
「ヒ〜ッ、ヒ〜ッ」
桜丸に首根っこを掴まれて、黒い毛の塊《かたまり》が細い手足をジタバタさせた。
「馬ァ暴《あば》れさせたなァ、てめエだな、地虫野郎《じむしやろう》!」
桜丸の頭上に、パリッと赤い光が走った。
「待ちねえ、桜丸!!」
騒《さわ》ぎを聞きつけ駆《か》けつけてきたのは、同心《どうしん》の百雷《ひゃくらい》。
「百雷」
「そいつぁ、おそらくさっき俺《おれ》が話したイタズラもんに違《ちげ》ぇねえ。とすると俺が追ってた事件《ヤマ》だ。勝手に処分《しょぶん》されちゃあ、有難迷惑《ありがためいわく》だゼ」
桜丸は、百雷と地虫を見比《みくら》べた。そして、
「けっ!」
と、地虫を百雷の足元へ投げた。
百雷は地虫を踏《ふ》みつけると、手下に命令した。
「龍縛《りゅうばく》!」
「ヘイッ!」
龍縄《りゅうなわ》で縛《しば》られると、たいがいの妖力《ようりょく》は封《ふう》じられる。地虫は引っ立てられていった。
倒《たお》れ込《こ》んだ太夫《たゆう》と雀《すずめ》のもとへ、ポーやお付きが駆《か》け寄《よ》った。
「雀!」
「コレサ、花魁《おいらん》! なんてムチャを!!」
菊月太夫は、フゥと一息ついた。それから、雀とお小枝《さえ》を見て言った。
「二人《ふたり》とも、ケガはないかいエ?」
そういう太夫《たゆう》の顔は、さっきまでの人形のような無表情とはまるで別人の、花の咲《さ》くような優《やさ》しさに彩《いろど》られていた。
「花魁《おいらん》こそ……」
雀《すずめ》がそう言うと、太夫はにっこりと笑った。お小枝《さえ》は、その笑顔に呆然《ぼうぜん》とした。
「ありがと……」
と、つぶやくように言ったお小枝の鼻の頭を、太夫は白く細い指でチョンとこすった。
お付きが太夫を起こし、ぽっくりを履《は》かせると、太夫はスックと背筋《せすじ》を伸《の》ばした。その姿《すがた》に、ワッと歓声《かんせい》が起こった。
「菊月《きくづき》太夫!!」
「日本一!!」
着物と髪《かみ》が少々|乱《みだ》れてしまったが、それが却《かえ》って太夫の雄姿《ゆうし》を引き立てた。あたりは、割《わ》れんばかりの拍手《はくしゅ》に包まれた。
太夫は、馬から下りた桜丸《さくらまる》に向かい、深々と膝《ひざ》を折った。
「ケガ人が出なかったのは、お前様のおかげ。ありがとうござんす」
「こっちこそ礼を言うぜ、太夫。お前《め》ぇさんが庇《かば》ってくれたなァ、俺《おれ》のツレだ」
「それは良ござんした。これをご縁《えん》と思い、ぜひ月下楼《げっかろう》へおいで下さんし。菊月太夫の名でおもてなしさせていただきやす」
「嬉《うれ》しいネ」
「お近いうちに」
お付きが着物と髪の乱れを素早《すばや》く直し、打掛《うちかけ》を着替えさせ、菊月太夫の花魁道中は何事もなかったように続けられた。太夫を見送る大歓声と拍手《はくしゅ》で、地面が揺《ゆ》れるようだった。
「イヤサ、滅法界《めっぽうけぇ》エエもんを拝《おが》ませてもらったもんだの」
「さすが吉原《なか》一の花魁は違《ちが》わァ。暴《あば》れ馬から子どもを守るなんざァ、なんとも侠《きゃん》じゃねえか」
太夫を讃《たた》える声が、あちこちから聞こえる。太夫が去った後も、見物人たちの興奮《こうふん》はなかなか冷めなかった。
雀《すずめ》とお小枝《さえ》も、花魁《おいらん》道中が見えなくなってしまうまでじっと見送っていた。
「二人《ふたり》とも大丈夫《だいじょうぶ》か?」
百雷《ひゃくらい》が声をかけてきた。
「うん」
と、雀は答えたが、お小枝は黙《だま》って道の向こうを見つめ続けていた。その瞳《ひとみ》が揺《ゆ》らめいている。風に吹《ふ》かれた水面のように。
百雷が心配そうにしたので、雀は「大丈夫だから」と耳打ちした。
「そイじゃあな」
百雷も去り、通りももとの様子に戻《もど》った。通り行きの者たちが行き交《か》い、商売人の呼《よ》び声がする。
桜丸《さくらまる》は、格子《こうし》の向こうから何本もの女たちの腕《うで》にからめとられていた。
「馬上のおまィのエエ男だったこと! わっちゃあ、シビレちまったよ」
「エエも、逃《に》がしゃしないよ、兄《あに》サン!」
桜丸は、次々と着物を掴《つか》んでくる手をはがすのに必死だった。
「コレサ、姐《ねえ》さん方あやまった! 今日《きょう》は女を買いに来たんじゃねぇんだ。拝《おが》むヨ!」
夜町《なか》を出たところで、ポーがパイプを吹《ふ》かしていた。
そこへ、髪《かみ》はクシャクシャ、着物は肩《かた》から破《やぶ》れ、帯はだらりんの桜丸がやって来た。
「いいザマだね、桜丸」
ポーは笑った。
「股《また》ぐらに手ェ突《つ》っ込《こ》まれてマイッたぜ」
「オオ、コワイコワイ」
「雀は?」
ポーがパイプで指した先に、堀端《ほりばた》に座《すわ》っている雀《すずめ》とお小枝《さえ》がいた。
吉原《よしわら》の華《はな》やかな光のもとから離《はな》れ、堀端は暗い闇《やみ》の中にあった。
その代わり、堀の水面には、小さな妖火《ようび》がいくつも灯《とも》っていた。その光は色とりどりでもとても小さく、水面に淡《あわ》く反射《はんしゃ》して滲《にじ》むように煌《きらめ》き、闇の中でそれは美しく、でも切なく見えた。
「キレイだろう!?」
雀の声は、静かに暗闇にしみた。
「この小さな妖火たちは、自然と灯《とも》るんだよ。小《ち》っさくて弱々しいけど、俺《おれ》は夜の川に灯るこの妖火たちが好きなんだ」
水面を見つめたまま、お小枝は黙《だま》って雀の話を聞いていた。
温かい闇は、身体《からだ》のどこかが知っている懐《なつ》かしい何かを思い出させた。
「今日《きょう》は楽しかったなあ、お小枝ちゃん。天女《てんにょ》の行列も見たし、火天宮のお祭りも見たし、海でいっぱい遊んだな。ちょっと疲《つか》れた?」
小さな心でさまざまに感じたこと、さまざまに考えたことが、今大きな波となって押《お》し寄《よ》せてくる。見つめる妖火の小さな灯《あかり》が、涙《なみだ》でゆがんだ。
「花魁《おいらん》……スゴかったなあ。まさか俺《おれ》たちを庇《かば》ってくれるなんてサァ。花魁には、まだ小さな妹がいるんだって。お小枝ちゃんに妹が重なったんだろうなあ」
「う……う」
とうとう泣き出したお小枝の震《ふる》える肩《かた》を、雀《すずめ》はそっと抱いた。
「母《かか》さまが……」
「うん」
「母さまが……あんな風に……お小枝を助けてくれたの」
「それを思い出しちゃったか」
「母さまと歩いてて、お馬がすごい速さで道を走ってきて……母さまはお小枝を庇って倒《たお》れて……」
そこまで言って、お小枝《さえ》はわーっと泣き出した。
夜闇《よるやみ》に、妖火《ようび》が揺《ゆ》れる。
赤や黄色を水面に映《うつ》し、儚《はかな》く、切なく、生まれては消え、生まれては消え―――
泣きじゃくるお小枝を、雀《すずめ》は強く抱《だ》きしめた。お小枝の心が、手にとるようにわかったから。
「お小枝ちゃんは、本当は父《とと》サンも母《かか》サンも嫌《きら》いじゃない。お小枝ちゃんの父サンも母サンも、厳《きび》しいだけのコワイ人じゃない。お小枝ちゃんは、ちゃんとそれを知っているね!?」
お小枝は、雀の胸《むね》の中で泣きながらうなずいた。
「お小枝ちゃんは、素直《すなお》で可愛《かわい》い。お小枝ちゃんがそんな風に育ったのは、父サンと母サンにそう育てられた証拠《しょうこ》サ。すぐにわかったよ。厳しくするのは、誰《だれ》よりお小枝ちゃんの幸せを思ってそうしてるンだって。お小枝ちゃんもそれにこたえてるンだって。お小枝ちゃんは、ちょっとわがままを言ってみたかっただけなんだよな」
夜空に、満天の星。
地上には、ほのかな妖火。
妖怪《ようかい》たちの魔都《まと》、大江戸。とても近くて、とても遠い夢の国。
「大丈夫《だいじょうぶ》さ。父サンも母サンもお小枝ちゃんを待っているよ。早く帰っておいでと待ってる。大喜びで迎《むか》えてくれるに違《ちが》いねぇさ。そうサ、そうともヨ。お小枝ちゃんには、帰る場所がちゃんとある。待っててくれる人が、ちゃんといるんだ。お小枝ちゃんは幸せモンだ。そうだろ? そうだよね……」
そう言いながら、雀の胸はしめつけられた。鬼火《おにび》の旦那《だんな》の胸の中で泣いた時のことが、頭をよぎってゆく。
「だから……帰ろうな、お小枝ちゃん。お小枝ちゃんの生まれたところへ帰ろうな」
お小枝は、何度も何度もうなずいた。
堀端《ほりばた》の柳《やなぎ》にサラサラと、皐月《さつき》の夜風が吹《ふ》く。
「やぁ、いい風だ」
ポーのパイプの煙《けむり》が、薄《うす》く細く、夜の闇《やみ》の中へと流れていった。
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風かわりて夏きたる
翌日《よくじつ》。
雀《すずめ》とポーは、お小枝《さえ》を連れて町外れの小さな丘《おか》へ登った。
そこに、桜丸《さくらまる》と鬼火《おにび》の旦那《だんな》がいた。
「よゥ」
「旦那」
旦那の足元には、なにやら模様《もよう》を描《か》き込《こ》んだ黒い円が描かれていた。それを見て、雀は訊《たず》ねた。
「どれぐらいズレ[#「ズレ」に傍点]てる?」
「一年とちょイ、ぐれぇかな」
「それぐらいなら……大丈夫《だいじょうぶ》だな」
雀《すずめ》は自分に言い聞かせるように言った。
「お小枝《さえ》ちゃん」
お小枝の前にしゃがんで、雀は言った。
「鬼火《おにび》の旦那《だんな》が、お小枝ちゃんを家まで送ってくれるから」
お小枝は無言でうなずいた。
「サッパリした面《つら》ァしてるな、お小枝。ここァ、面白《おもしろ》かったかイ?」
旦那に問われて、お小枝の顔がパッと輝《かがや》いた。
「うん!」
「この着物はこのまま着て行きな。父《とと》サンと母《かか》サンは、こういう着物を着たお小枝ちゃんが、どんだけ可愛《かわい》いか思い知るはずだ。きっとこれからは、可愛い着物を着せてもらえるゼ」
雀はそう言いながら、お小枝の襟元《えりもと》を直した。
「そら、ぽこぽんと人形だよ」
ポーが、深川で買ったオモチャをお小枝に渡《わた》した。
「妖火《ようび》の籠《かご》は?」
「ここにあるけど、向こう[#「向こう」に傍点]まで妖火はもたないよ? 籠だけになっちゃうけど」
「いいの。持ってく」
お小枝は竹籠を大切そうに胸《むね》に抱《だ》いた。太陽の光の下では妖火はほとんど見えず、腕《うで》で覆《おお》ったわずかな影《かげ》の中で、桃色《ももいろ》と黄色が寄《よ》り添《そ》うように揺《ゆ》れていた。桜貝《さくらがい》も、しっかりと手の中に握《にぎ》った。
それからお小枝は、顔を上げて皆《みな》を見た。
「お小枝は、またみんなに会える?」
桜丸もポーも口をつぐんだ。
「わかんねェ……。もう会えないかもな」
と、雀《すずめ》が言った。お小枝《さえ》は、グッと喉《のど》をつまらせた。
雀は、お小枝の頭をそっと撫《な》でた。
「でも、忘《わす》れねぇよ。お小枝ちゃんのことは」
雀を見上げるお小枝の大きな瞳《ひとみ》は、霧雨《きりさめ》に濡《ぬ》れたようにしっとりとしていた。
「お小枝も、みんなのことを忘れない。雀のことも、ポーのことも、桜丸《さくらまる》のことも……深川《ふかがわ》や、お祭りや……花魁《おいらん》のこと……」
「さあ、お小枝」
旦那《だんな》が、お小枝を抱《だ》き上げた。
「お座敷《ざしき》で遊んでもらったことも、タロ吉《きち》ちゃんとお相撲《すもう》をとったことも」
涙《なみだ》の向こうに歪《ゆが》む雀たちに、お小枝は必死で呼《よ》びかけた。
「ありがとう、雀! ポー! 桜丸! ありがとう! 忘れないから。お小枝もみんなのこと忘れないよ! すごく楽しかったよ!!」
小さな手と手を合わせ、押入《おしい》れの暗がりで祈《いの》った夢《ゆめ》の国。
幼《おさな》いわがままを聞き入れたは、何の神のいたずらか。
「いい子にしていれば、きっとまた会えるよね! きっとまた、神サマがお願いをきいてくれるよね! きっと会いにくるから、きっと……」
一陣《いちじん》の風が、緑の丘《おか》を駆《か》け抜《ぬ》けた。
さわさわと、草むらは波打ち、乾《かわ》いた風は、満開の梔子《くちなし》の甘《あま》やかな香《かお》りを運んできた。
見上げれば澄《す》んだ青空に、今日もいろんな正体不明のモノが飛び交《か》っている。丘の上からは大江戸城《おおえどじょう》が見えた。
「行っちゃったネ……」
ポーはパイプに火を入れた。火薬《かやく》の匂《にお》いがツンと鼻をついた。
「いい子だったねエ」
この世界に、雀《すずめ》はただ一人《ひとり》―――。
「忘《わす》れないから、なンて。可愛《かわい》いことを言うじゃないか」
「忘れてるけどな」
桜丸《さくらまる》は、ちょっと肩《かた》をすくめた。
「ア、やっぱり!?」
「ボンヤリとした記憶《きおく》しかないだろうヨ。本人にしてみりゃあ、押入《おしい》れに逃《に》げ込《こ》んで泣いて泣き疲《つか》れてウトウトして、ハッと目が覚めたってとこだな。だがその間に、時間は一年も過《す》ぎちまってる。その時間のズレが、その間に起きたことを忘れさせちまうのサ」
「一年前に消えた子どもが、突然《とつぜん》キレイな着物を着て現れたら、みんなさぞビックリするだろうねぇ」
「本人もナ」
「ちょっと淋《さび》しいネ」
夢の国の楽しさに喜び、小さな妖火《ようび》をはかなく思い、笑って泣いたひととき。
だが夢の時間は、小さな妖火の光がひととき待てず尽《つ》きるように、煌《きらめ》き、砕《くだ》け、光の粒《つぶ》となって記憶の水底へ散り行き、お小枝《さえ》は「現実」へと戻《もど》ってゆく。
それでいい。
お小枝には、優《やさ》しい母が、優しい父が、待っていてくれる人がいるのだから。帰る場所があるのだから。そこで幸せに生きることこそ、お小枝の人生の華《はな》。
そうして、いつかの夜。お小枝は夢の狭間《はざま》で、記憶の底で幽《かす》かに煌《きらめ》く思い出の欠片《かけら》をみつけるだろう。
空を飛ぶ赤い髪《かみ》の仙女《せんにょ》、万華鏡《まんげきょう》のように輝《かがや》く光、海の青さ、やわらかな優しい暗がりの底に、ひっそりと灯《とも》る小さな明かりを。
「いいサ。忘れて」
と、雀《すずめ》が言った。
誰《だれ》に言っているのやら。大江戸《おおえど》の町を見つめたまま。
雀は唇《くちびる》を噛《か》み、拳《こぶし》を握《にぎ》る。
そして……
「俺《おれ》は、俺の現実を生きていくだけだ」
天下泰平《てんかたいへい》の、妖怪《ようかい》たちの魔都《まと》―――大江戸。
見つめる雀の前髪《まえがみ》を、浅黄《あさぎ》色の風がなぶってゆく。
この世界に、雀は一人《ひとり》きり―――。
それでも、胸《むね》をひたす甘《あま》い香《かお》りにうっとりと目を閉《と》じれば、
「さっさと仕事をしやがれ、野郎《やろう》ども!」
と、怒鳴《どな》る親方の顔が浮《う》かんできて、どうしようもなく笑ってしまう雀だった。
「さあ、帰ろう! 仕事をしなきゃあな」
自分を待っていてくれるポーと桜丸《さくらまる》に、雀は元気にそう言った。
大江戸に、夏が来る―――。
「さあさあさあ、大変《てえへん》だ大変だ! 人間の童女がたった一人、この大江戸に落っこってきたよ! 右も左もわからねえ。着物は雨でびしょ濡《ぬ》れで草履《ぞうり》もない。さても、童女の運命やいかに!? 続きはこのかわら版を読んどくれ。上下|揃《そろ》って事明細《ことめいさい》ぃ〜!!」
雀《すずめ》の書いたかわら版「童女|異界《いかい》見聞記」と、それに続くポーの、文芸版「童女異界見聞|譚《たん》」は大|評判《ひょうばん》となり、売れに売れた。
人々は、異界からやって来た童女が、大江戸《おおえど》の文化に触《ふ》れて驚《おどろ》き喜ぶさまを微笑《ほほえ》ましく、面白《おもしろ》く思い、父母や故郷《ふるさと》を思う姿《すがた》に涙《なみだ》した。
「イヤサもゥ、再版《さいはん》再版で腕《うで》がちぎれらァ」
と、こぼすのは刷り師の末蔵《すえぞう》。
「童女異界見聞譚」の中に出てくるキャフェーや妖火《ようび》売りは評判を呼《よ》び、連日|押《お》すな押すなの大|繁盛《はんじょう》。小さな竹籠《たけかご》の中に、桃色《ももいろ》と黄色の小さな妖火を入れるのが流行《はや》りになった。
もともと高名だった月下楼《げっかろう》の菊月太夫《きくづきたゆう》はその名声をさらにさらに高め、新しくキュー太が描《か》いた菊月太夫の姿絵《すがたえ》がまた飛ぶように売れ、版元《はんもと》から絵草紙屋《えぞうしや》から彫《ほ》り師《し》刷り師まで、大儲《おおもう》けの大|騒《さわ》ぎだった。
雀とポーには、シブちんの親方から珍《めずら》しくも特別手当が出され、二人《ふたり》は桜丸《さくらまる》を誘《さそ》って月下楼へ出向き、菊月太夫を座敷《ざしき》へ上げてのなんとも豪華《ごうか》なひとときを過《す》ごした。
しかし、そんな大すっちゃんもやがては収《おさ》まる。
季節が夏へと移《うつ》ってゆくように、大江戸の人々の関心も、水天の婚礼《こんれい》に移っていった。
「そイでだな、花嫁《はなよめ》行列はこっちの方から来るから、キュー太をここに置いといて、まず花嫁を写生させてだな」
水天宮の地図を前に、桜丸をまじえて雀たちは、水天の婚礼の取材の打ち合わせをしていた。
そこへ、前座敷の常連の一人《ひとり》、河童《かっぱ》の三助《さんすけ》が飛び込《こ》んできた。
「雀《すずめ》! ネネコの親分と権造河童《ごんぞうかっぱ》が、とうとうおっぱじめやがったぜ!!」
雀は、がばっと立ち上がった。
「待ってました!! 前々からやるゾやるゾって言われてた大井川《おおいがわ》河童対決!!」
筆記用具を引《ひ》っ掴《つか》んで、雀はかわら版屋を飛び出した。
「取材に行っつくらァ! 親方!!」
大江戸《おおえど》の町を、雀が走る。
「オッ、そんなに急いでどこ行くんだイ、雀」
声をかけてきたのは、ガマ男。
「おぅ、雀! 釣《つ》りに行かねぇか!?」
誘《さそ》ってくれたのは、一本足|鬼《おに》。
「悪ィ! 今から取材だあ!! また後でなあ――っ!!」
魔都《まと》、大江戸。妖怪《ようかい》たちの町。
天下泰平《てんかたいへい》のその空の下、ただ一人《ひとり》のただの人間、雀が走る。
面白《おもしろ》話を求めて西東《にしひがし》。
かたや女河童のネネコ大親分、こなた齢《よわい》三百|歳《さい》の権造大河童、大井川を真っ二つの二大勢力同士《にだいせいりょくどうし》。積年の縄張《なわば》り争いに決着をつけんと、双方率《そうほうひき》いる河童《てした》どもの数は数百。大井川の川原を埋《う》め尽《つ》くす壮観《そうかん》。
「ウッヒョ〜〜〜! すげ―――っ!!」
真夏の大江戸のかわら版を飾《かざ》るにふさわしい大事件《だいじけん》に、雀は飛び上がった。
さあさあ、大変だ大変だ。上下|揃《そろ》って事明細《ことめいさい》ィ!!
[#改ページ]
香月日輪(こうづき・ひのわ)
和歌山県に生まれる。「地獄堂霊界通信」シリーズ『ワルガキ、幽霊にびびる!』(ポプラ社)で日本児童文学者協会新人賞を受賞、『妖怪アパートの幽雅な日常@』(講談社)で産経児童出版文化賞フジテレビ賞を受賞。その他の著作に「エル・シオン」シリーズ(ポプラ社)、「ファンム・アレース」シリーズ(講談社)などがある。怪談本好きの大阪市在住。
[#改ページ]
底本
理論社 単行本
大江戸妖怪かわら版@
異界から落ち来る者あり 上
著 者――香月日輪
2006年6月 第1刷発行
発行者――下向 実
発行所――株式会社 理論社
[#地付き]2008年10月1日作成 hj
[#改ページ]
底本のまま
・新緑の匂《にお》いがする。(文頭に空白なし)
修正
『ワルガキ、幽霊にひびる!』→ 『ワルガキ、幽霊にびびる!』
置き換え文字
噛《※》 ※[#「口+齒」、第3水準1-15-26]「口+齒」、第3水準1-15-26
侠《※》 ※[#「にんべん+夾」、第3水準1-14-26]「にんべん+夾」、第3水準1-14-26
繋《※》 ※[#「(車/凵+殳)/糸」、第3水準1-94-94]「(車/凵+殳)/糸」、第3水準1-94-94
醤《※》 ※[#「將/酉」、第3水準1-92-89]「將/酉」、第3水準1-92-89
掴《※》 ※[#「てへん+國」、第3水準1-84-89]「てへん+國」、第3水準1-84-89
頬《※》 ※[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]「夾+頁」、第3水準1-93-90
蝋《※》 ※[#「虫+鑞のつくり」、第3水準1-91-71]「虫+鑞のつくり」、第3水準1-91-71
|※《イ》 ※[#丸イ、1-12-60]丸イ、1-12-60
|※《ロ》 ※[#丸ロ、1-12-79]丸ロ、1-12-79
|※《ハ》 ※[#丸ハ、1-12-80]丸ハ、1-12-80