群ようこ
無印結婚物語
目 次
親は金蔓《かねづる》
勝手にどうぞ
こんなはずじゃなかった
やさしさがコワイ
遺伝子の不思議
維持費が大変
妻の心、夫は知らず
親子の異常な愛情
どんどんかせいで
夫婦は続くよどこまでも
となりのオンナ
夢見るお母さん
単行本版あとがき
親は金蔓《かねづる》
私と姉とはふたつ違いである。小さい頃から、
「そんなに歳《とし》が近いと喧嘩《けんか》するでしょう?」
と、よく聞かれたけれど、ほとんど喧嘩した覚えはない。美人とそうでない姉妹だと、成長過程においていろいろな影を落とすのだろうが、ふたりとも背格好はほとんど同じ。顔面だって、似たくなかった父親のエラ張りの輪郭と、母親の鼻ぺちゃをふたりともみごとに引き継いでしまった。ただ性格だけは正反対だ。姉は私からすれば異常に思われるくらいの八方美人である。
「あんたが愛想がなさすぎるのよ」
と姉はいうけれど、それにしたって相当なものなのだ。
運悪く、生まれてから今までずーっとひとっところに住んでいるので、近所の人々は私たちの過去をみんな知っている。姉が小学枚一年生のときに、ランドセルを背負っておもらししながら歩いていたことも、私がお菓子屋のケン坊の顔をひっかいたことも、忘れてほしいことまでしっかり覚えているのだ。そういうおばさんたちは、私たちに会うと、
「まあ、こんなに大きくなったの。おばさんが歳をとるはずだわ」
と、いつもいつも同じことをいった。
(とうとうボケ始めたか。たまには違う話題にしてほしいわね)
と思うのだけれど、私たちの過去を知っている彼女たちは、今どういう生活をしていて、これからどうなるのか興味津々らしいのだ。こんな暇なおばさんたちに関わりあっていても、スーパー・マーケットの井戸端会議のいいネタを提供するだけなのに、姉ときたらニコニコしながら何でも喋《しやべ》った。私はとなり町の公立高校に通っているのだけれど、実は有名私立を落ちたから仕方なく行っているのだとか、父親は働きすぎで最近どんどん毛が抜けているとか、母親は痩《や》せるために駅前のスポーツセンターの痩身《そうしん》コースに通い始めたとか、他人が喜ぶとなると家庭の秘密をなんでもばらしてしまう。人に嫌われたくないから誰にでも愛想よくふるまうし、人に注目されるのが好きだから、暇なおばさん連中に声をかけられるのも、何とも思わないのだ。
だから姉は、近所の人々にとっても好かれていた。それに比べて無愛想な私は、人見知りする子といわれた。
「女の子なのにねえ」
とよけいな心配をしてくれる人もいたが、好きじゃない人にへらへらするのが嫌だっただけだ。私が、
「あの人、嫌い」
というと、姉は、
「いいじゃない、その場だけうまくとりつくろっておけばさあ。深いつきあいをするわけじゃないんだから。適当にあしらっとけばいいのよ」
といった。性格が違う私たちは、喧嘩《けんか》する接点すらなかった。お互い、
「あっちはあっち」
というふうに、クールに見ていたのだ。だから何かがあっても私は姉に相談することなんかなかったし、姉も私をかまおうとはしなかったのだ。
ずっとピアノを習っていた姉は、音楽大学に進学した。ところがこのときも大騒ぎだった。学費の安い国立の大学ならともかく、だいたいふつうのサラリーマン家庭で私立の音大に入れるのは大変である。単なる趣味としてピアノを習っているものだとばかり思っていた両親は、音大に行きたいと姉がいいだしたときには顔がひきつった。
「ピアニストにでもなるつもりなの」
母親は家計簿を見ながらためいきをついた。
「別に……。でもあたし、ピアノしか能がないもの」
そういわれると、両親は納得せざるをえなかった。姉のいうとおり彼女は音楽だけは成績がよかった。国立に入学できるだけの力量があるだろうかと母親がピアノの先生に訊《き》きにいったら、
「ちょっと無理でしょうね」
といわれた。それでは学力はと高校の担任に訊きにいったら、
「ちょっと無理でしょうね」
と同じように冷たくいわれ、結局、「学費が安くてピアノの勉強ができる」という両親の夢は打ち砕かれたのである。食卓で首うなだれている両親にむかって、姉は、
「ピアニストにならなくたって、音楽の先生にはなれるかもしれないわ。そうしたら生活も安定するし、おとうさんとおかあさんの面倒もずっとみられるじゃない」
と明るくいった。
(また、始まった)
私は部屋の隅でそれを聞きながら、その要領のよさに感心してしまった。日頃、両親は子供がふたりとも女なので老後の問題について真剣に語り合っているのを私は知っていた。ふだんはそういう話題なんか関係ないという顔をしているくせに、こういうときになると姉は、突かれるとへなへなとなってしまう両親の急所を責めるのがとてもうまいのだ。
「おとうさんとおかあさんの面倒もずっとみられるじゃない」
ということばを聞いたとたん、両親の顔はぱっと輝いた。
「いやあ、そういうことは別にして……」
といいながらも、父親の顔はでれっとしていた。母も困ったような顔をしながらも、ちょっとうれしそうだった。私は部外者としてみんなのやりとりを見ていたが、内心、姉は音大なんかに受かるはずないと信じきっていたのだ。ピアノだけは毎日弾いていたが、聴いていても、
「これはすばらしい音楽だ!」
とは思えなかった。ただ単に指で鍵盤《けんばん》を譜面どおりに叩《たた》いているだけだった。それをこっそり母親にいうと、
「あんたはいつも人のことを批判ばかりして」
と怒られたけど、ピアニストになろうという人にはそれなりの雰囲気が必要じゃないかという気がしたのである。だいたい姉には美意識というものがない。ずいふん前に、隣のおせっかいおばさんが、どこかの温泉町に行って、温泉まんじゅうとタオルをおみやげに持ってきた。こんなもの持ってくる必要なんかないのにと思いながら包みをあけたとたん、私はのけぞりそうになった。まんじゅうはともかくそのタオルは、黄色い地に聖徳太子の図案の一万円札がプリントされている、趣味の悪さでは他に類をみない代物《しろもの》だった。
「何、これ。ひどい趣味」
そういいながらタオルを放り投げると、母親は、
「また、そんなこといって。せっかく買ってきてくれたんだから」
とよつんばいになって拾いにいった。
「こんなのだったら、もらわないほうがよかったわよ」
「いい加減になさいよ」
私と母親が口喧嘩《くちげんか》している横から、姉は手を出し、
「いいじゃん。あたしこれ使おう」
といって聖徳太子のタオルを風呂場《ふろば》に持っていってしまった。
「ほら見なさい」
母親は困ったもんだという顔をして私をにらみつけた。しばらくすると、姉は濡《ぬ》れた髪を聖徳太子のタオルでくるんで風呂から上がってきた。
「この人には美意識がないんだろうか」
私はわが姉ながら不思議でならなかった。それからそのタオルが物干し竿《ざお》にはためくたびに、身が縮む思いがしたものだった。姉の弾くショパンの「別れの曲」もベートーベンの「月光」も、みんな嘘《うそ》っぱちのような気がした。
姉は受験のために特別練習している気配はなかった。そして両親の「受かってほしい半分、落っこちてほしい半分」という曖昧《あいまい》な思いが影響してしまったのか、姉は三流の、あまり名前も知られていない音大に補欠でひっかかった。そこでまたああだこうだと大騒ぎをした挙句、なんらかの手を打って、姉は晴れて音大生となったらしいのである。
「これでおまえの分のお金は使い果たしちゃったからな。嫁に行くときは裸で行ってくれよ」
父親は銀行の振り込み票を見ながらため息をついた。
「はい、わかりました」
姉はけろっとしていた。きっと両親には、「おとうさんとおかあさんの面倒をずっとみる」という殺し文句が、頭に残っていたに違いない。でも想像するに、きっと姉はピアノで身を立てるよりなにより、発表会に真っ赤なロングドレスが着られるとか、音大に行っているとかっこいいくらいのことしか頭になかったんではないだろうか。
案の定、姉はなんだかんだといっては両親に金をせびっていた。彼らも「またか」といいながら、安心できる老後とひきかえみたいに、姉にお金を渡していた。その間に、私はひっそりと公立の大学にはいってやった。
「本当に親孝行だ」
「いうこともいうけど、やるときはやってくれるわね」
そのとき初めて両親に誉《ほ》められた。
四年間、金をせびられ続け、就職の季節が近づいて両親がちょっぴり元気になったとき、姉は突然、
「あたし、結婚するから」
と宣言した。よせばいいのに夕食のときにいったものだから、楽しい団欒《だんらん》はパニックになってしまった。
「何いってるの。ふざけるのもいいかげんにしなさいよ」
母親は怒りを押し殺したような声でいった。父親はただ目をむいて、箸《はし》を持ったまま、あわあわといっているだけだった。
「誰なの、相手は」
母親が詰問《きつもん》しているというのに、姉はうれしそうに、
「同じ学校の人。チェロ専攻なの」
といって、うふーんと笑ったりしている。
「あの、その、先方はどういう家族構成なのかね」
父親は自分の老後があやうくなったので、まっさきに相手のことを訊《き》いた。
「一人っ子」
「えーっ!」
両親が同時に声をあげた。安心の老後は致命的であった。私は「ありゃりゃ」と思いながら、はまぐりのしぐれ煮をつまんでいた。ここで、
「それじゃ、私たちの老後はどうなるんだい」
といえないのが親の悲しさである。ふたりとも、
「うー」
とうなったまま、その夜はショッキングな告白を聞いただけで、話の進展は何もなかったのである。
それから何日かたって、姉は相手を連れてきた。チェロを専攻しているといったから、ヨーヨー・マみたいに背が高くて知性的なタイプかと楽しみにしていたら、「ドラえもん」ののび太くんがニコニコしてやってきた。両親はふたりとも緊張して、父親は敷居にけっつまずくし、母親は台所でお皿を二枚割った。五人はしゃちほこばってソファに座っていた。
「じんぐう、たけみつといいます。明治神宮の神宮に武士の武、それに光です」
のび太はなかなか立派な本名を持っていたが、明らかに名前負けしていた。両親は最初は緊張していたものの、人のよさそうなのび太を見て安心したのか、にこやかに話をしていた。彼の就職先が決まっていることが、まず両親の心証をよくした。それに、郷里に帰らずにうちの近くにアパートを借りたいというのにも喜んだ。両親は頼りになる息子をもらったような気になって、態度をころっと変えて、
「これから忙しくなるなあ」
といいながら、姉も含めてうれしそうにあれこれ相談していた。
「裸で嫁に行くんでしょ」
私がそういうと姉はふふんと笑い、母親は、
「まさかそういうわけにもいかないでしょ。本当に金食い虫ねえ」
といいながらも目尻《めじり》が下がっていた。のび太のことを、
「優しそうでいい人じゃない」
などと誉めたりした。ここまで話が決まって、姉が近所のおばさん連中に黙っているわけがない。二階の窓から見ていたら、姉はわざとおばさんたちが道端で立ち話をしているときを狙《ねら》ってでかけているみたいだった。耳をすませていると、
「まあ、おめでとう」
という声が聞こえ、姉はありがとうございますといって頭を下げていた。こういう話をおばさん連中が黙っているわけがなく、姉の結婚話は一夜にして町内をかけめぐり、誰もが知っている共通の話題となったのである。
金食い虫の姉は卒業と同時に、あの恥ずかしいスモークもくもくと、キャンドル・サービスがある結婚式をやった。お色直しを三回もやった。
「裸で嫁に行け」
と宣言したくせに、父親は「かあさんの歌」をバックに花束なんかをもらって、おいおい泣いていた。結婚式場の狙いどおりに泣かされ、お金もがっぽりぶんどられた。
「あなたももっと悲しそうな顔をしたら」
と伯母にいわれたが、私はどうもアホらしくて、ただぼーっとしているしかなかったのだ。
のび太は約束どおり、近所のアパートに引っ越してきた。オーストラリアヘの新婚旅行から帰ってきた翌日、朝早く彼らはやってきた。これから朝御飯を食べるというときだった。
「はい、おみやげ」
私たちがあっけにとられているのにもかまわず、姉とのび太はテーブルの上に、セーターやらカンガルーの玉袋でつくったとかいう財布なんかを置いた。
「おかあさん、何か食べさせてよ」
姉がそういうと、母親は、
「はい、はい」
といって味噌汁《みそしる》をあたためなおした。のび太もいつのまにかちゃっかりと椅子《いす》に座って、ニコニコしていた。
(何もこんなに朝早くこなくたっていいのに。時差ボケしてるのかしら)
そう思いながらふたりを観察していたら、御飯を二杯ずつおかわりして、茶碗《ちやわん》も洗わずに帰っていった。
「何、あれ」
むっとした。それなのに母親は、
「旅行で疲れててつくる気がしないんでしょ」
と姉をかばった。変なのと思いながら学校に行き、夕方家に帰ったら居間で音がしている。のぞいてみたら姉がビデオを観《み》ていた。
「何、あれ」
「まだビデオの機械を買ってないから観せてくれって」
母親は事もなげにいった。いつになったら帰るのかと見ていたが、五時半になっても六時になってもいっこうに動こうとしないのだ。
「帰らなくていいの」
と切り出すと、姉は、
「うん、いいの。彼もこっちに寄ることになってるから」
と平気な顔をしていた。七時になるとのび太がやってきた。そしてふたりはニコニコして食卓を囲み、食べたいだけ食べると、
「じゃあね」
と手を振りながら帰っていくのだった。それから毎朝、毎晩ふたりはやってきて食事をして帰っていった。最初は喜んでいた母親もしまいには、
「あなた、結婚して一家の主婦になったんだから、実家を頼らないで自分でやりなさいよ」
と怒りを爆発させた。すると姉はいつものように要領よく、
「だって彼が、私のつくったのよりもお母さんのほうがおいしいっていうんだもの」
と媚《こび》をうった。
「当たり前です。年季が違うんだから」
母親は胸を張った。
「といっても、誰でも最初から上手にできないの。だからしばらくは武光さんにも我慢してもらいなさい」
姉は黙っていた。もうこれでこないなと思ったのも束の間、母親の怒りに反省することなく、それからも毎朝、毎晩、のび太と連れだって御飯を食べにきたのだった。そのことを母親が父親にいいつけ、のび太と姉に、『実家立ち入り禁止令』がだされた。
「この子も悪いけど、いうとおりになる武光さんも悪いですよ。もっとしゃんとしてもらわなければ」
母親はふたりにキッとしていったが、のび太はそれがわかっているのかわかっていないのか、何となくへらへらしていた。
「あのー、それ、ちょっと困るのよね、ねっ」
姉が口ごもりながらいった。
「はあ、そうなんです」
のび太も口をはさんだ。
「どうして困るんだ」
父親が憮然《ぶぜん》としていった。
「あのー」
だんだん姉とのび太はうつむいた。
「あのー、実はぼく、就職がだめになってしまいまして……」
のび太はぼそぼそっといった。
「えーっ!」
両親、二度目の「えーっ!」であった。一転して食卓は険悪な雰囲気になった。ふたりの話によると、結納をかわした直後に、ほぼ決まっていた就職がだめになってしまった。しかしそれを話してしまうと結婚を反対されると思って、ずっと会社に勤めているふりをしていたのだというのであった。
「じゃあ、みんな黙って、あれだけの結婚式をあげてもらって、オーストラリアヘ新婚旅行に行かせてもらったというのかね」
父親は憎々しげにいった。
「そうなんです」
のび太の妙な冷静さが険悪な空気をますますあおった。
「きみは、男としてそういうことって、あのね、あの、平気かね」
父親の手はわなわなと震え始めた。
「平気じゃないんですけど……。どうもチェロっていうのは潰《つぶ》しがきかなくて。ギターみたいに道端で弾いてもお金にならないし。バイオリンだったら屋根の上で弾けば金になるんですけどね、ハッハッハ……」
受けを狙《ねら》ったのび太はみごとにはずした。みんなに冷たい目でにらみつけられた。激怒した父親はのび太に、「就職先が決まるまで別居させる」と宣言し、とっとと帰れとのび太を家から追い出した。夫が叩《たた》き出されたというのに姉は、
「頑張ってねえ」
といって玄関で手を振っているし、のび太のほうもしょげるわけでもなく、バイバイと手を振って帰っていった。
「ふざけるにもほどがある。あっちの親御さんはどう思っているのかね」
父親はぶつぶつ文句ばかりいっていた。
「結婚させることなかったのよね。まだ早かったのよ」
母親も一緒になってぶつぶついった。しかし当の姉ときたら、
「やっぱり家は落ち着くわねえ」
といって、居間で大あくびをし、
「じゃあ」
といって、さっさとかつての自分の部屋に戻って寝てしまった。
次の日から、姉は居候の身になった。三度の御飯を食べ終わると姉は、
「久しぶりにピアノが弾きたくなっちゃった」
といって、窓を開け放ってものすごい勢いで弾き始めた。御近所中にピアノの音が響き渡った。狭いアパートでフラストレーションが溜《たま》っていたのか、姉は学生時代からは想像もつかないほど気合いをいれてピアノを弾いていた。それが一日、二日となっていくうちに、御近所の目が変わってきた。不思議そうな顔をして、近所のおばさん連中がうちの窓をのぞいたりしていることもあった。
「駅前で裏の奥さんに『お嬢さん、お帰りになっているようですね』っていわれたわよ。あんたが毎日ピアノを弾くから、出戻ってきたのを宣伝してるのと同じじゃないの」
母親はヒステリーを起こしていた。しかし姉はそういわれてもまったく動ぜず、
「あー、指がなまっちゃう、なまっちゃう」
といいながら無視していた。
それからの両親は針のむしろに座っているかのようだった。日曜日の朝からピアノの音が聞こえてくると、両親はがっくりと肩を落として首うなだれた。自分たちが、のび太の就職先が決まるまで別居といって家に連れ戻したのだから、ピアノを弾くなと強くいえない。しかし、これほどあからさまに出戻りをアピールされては親としては立場がない。きっと御近所のおばさん連中は、
「あら、まだいるわ」
とその音を聞き、噂話《うわさばなし》の格好のネタにしているに違いないのだ。
早く何とかならないのか、という両親の願いが通じたのか、別居してひと月後、のび太はニコニコしてやってきた。
「おとうさん、おかあさん、やっと決まりました」
車のセールスマンということだったが、両親はひとまず安心し、約束どおり、拉致《らち》していた姉を帰した。
「あーあ。ここにいるほうが楽だったのになあ」
そういいながら帰っていく姉を見て、両親の目は吊《つ》り上がった。
ところがこれでも一安心とはいかなかった。のび太の給料は歩合制だったのだが、ああいう性格のため今一つ売上げが伸びずに、やりくりが四苦八苦だというのだ。給料日前になると、姉はうちの冷蔵庫や冷凍庫から食べ物を持っていった。ひどいときには醤油《しようゆ》やサラダ油までくすねていった。そしてとうとうあの姉が勤めに出るという話を聞いて、両親は初めて、
「あの子もやっとわかったか」
と涙したのである。
それから丸一年、うちのなかは毎日、赤ん坊のギャンギャン泣く声で耳もつんざけというばかりだ。妊娠、出産しても姉は自分のペースを変えず、産んだ子供は母親に預けて勤めに精を出すようになった。ほっとしたのも束の間、母親は今度は乳母にさせられてしまったのだ。孫の面倒を見てといわれて断るおばあちゃんはまずいない。そこが要領のいい姉の狙《ねら》いだったのである。最初のころ、母親はベビーベッドで泣いている孫の顔を見て、
「おばあちゃんでしゅよー」
と目尻《めじり》を下げていたのに、それがずっと続くとうんざりした顔になった。夜、姉とのび太は一緒に子供を迎えにくる。そのときに、姉はむっとしている母親の心中をすばやく察知し、
「おかあさん、いまは迷惑かけてるけどね、老後は私たちにまかせてね」
とにっこり笑っていった。隣でのび太もうんうんとうなずいていた。
「あっそ。ありがと」
母親はもう、ちっともうれしそうじゃなかった。姉一家が帰っていくと、
「しばらくしたら、家がほしいだのなんだのって、いいだすに決まってるわ」
とぶつぶついった。
姉たちの都合のいいように操られていることに、やっと両親も気がついてきたらしい。いちばんの被害者である母親は、顔を真っ赤にしてビービー泣きやまない孫の耳もとで、「あんたは好きだけど、あんたのパパとママは大嫌いだよ」
とささやいて、ウサを晴らしているのである。
勝手にどうぞ
高校生のときからの友だち、まさこちゃんは、性格が穏やかでまじめできちんとしていたために、みんなから「シスター」と呼ばれていた。いつもにこにこして、怒った姿など見たことがない。ただにこにこしていて、一見性格がよさそうだが、つき合ってみると単なるぼんくらだったということがよくあるが、彼女は中身もちゃんとした人だった。なにしろ女子校だったので、女の見本市みたいにいろんなタイプがいた。どこをどうすればこんなに嫌味になるのかと思うような子もいたし、こんなにボケーッとしていてよく電車に乗れるなと思うような子もいた。しかし「シスター」は性格のよさから、みんなから信頼され好かれていたのである。
それなのに、彼女のよさは男の子たちにはわからなかったようだ。私の知っている限り、高校生のときに男の子とつき合ったことはないはずである。そっちの面からみても彼女は「シスター」だったのである。きっと男の子たちから見ると、
「ちょっと、おとなしすぎるかな」
という印象があって、縁がなかったのではないかと思う。片や私のほうは近隣近在の男子校のめぼしい男の子はすばやくチェックして、駅で会ったりするとキャーキャーいいながら後を追っかけていた。一度、共学校の男の子の後をひょこひょこついていったら、その学校の女の子たちにバッチリ見つかってしまい、「私たちの縄張りの男の子を横取りしないでよ」というような、ものすごい目つきでにらまれてしまったので、男子校だけをターゲットにしていたのである。たまたまつき合ってしまったサッカー部の男の子とエッチをしてしまったときも、まさこちゃんは、
「いいんじゃない。好きだったんでしょう」
とにこにこしていた。そして彼と別れることになって、みじめったらしくいじけていたときも、
「きっとあの人には、みちこちゃんのよさがわからなかったのよ。きっとこれからもっといい人が出てくるよ」
と、なぐさめてくれた。私だけではなくクラスのみんなも「シスター」の笑顔をみると、ホッと心が安らいだのである。それから私は英語の専門学校に通い、「シスター」は第一、第二志望に落ちながらも、にこにこして第三志望の短大に入学していった。お互い学校が忙しくて月に一度くらいしか会うことがなくなったが、彼女のにこにこした顔を見ると、必ず、
「会ってよかった……」
と思う。学校を卒業したら一、二年勤めて、結婚しておかあさんになるのが、彼女にいちばん似合っているみたいだった。
あるとき、珍しく夜遅く「シスター」から電話がかかってきた。彼女が夜九時以降、電話をかけてくることなんて、今までなかったことである。
「どうしたの? 何かあったの」
「えっ、うん、元気だけど……」
「珍しいね、夜遅いのに」
「ごめんね。ちょっとききたいことがあって……」
ギョッとした。私が「シスター」に相談することはあっても、彼女が私に相談をもちかけることなど皆無だったからである。でも「シスター」が私に相談しようと思ってくれたことはとてもうれしかった。
「どうしたの?」
「うん、あのね、みちこちゃん、十日間に三十五回したことある?」
「えっ?」
何のことかわからない。
「何を?」
「エッチ」
「えっ」
「だからアレよ」
「アレってアレ?」
「そう、アレ」
「シスター」の名をかたったいたずら電話ではないかと我が耳を疑った。かつてサッカー部の男の子との初体験の話をしたときに、彼女は、
「あら、まあ」
といってポッと頬を赤らめたのである。それが突然、十日間に三十五回とは何事であるか。
「それ、誰の話?」
「えっ……私のことだけどねー、どう考えても回数が多すぎるんじゃないかなあって思ったりして……」
「…………」
「美容院で女性週刊誌みても、そんなにしてる人いないみたいだし……」
(あったりまえだ!)
いったいこれはどういうことだ、と頭がクラクラしてきた。しかし「シスター」は別段嫌そうな口ぶりではない。
「誰なの? 相手は」
「えーっ、彼なんだけど、大学三年で一浪してるから二十二なの」
「シスター」はうれしそうにいった。彼とは合コンで知りあった。化学を勉強していて、第一印象はまじめで無口な人だったが、話をしてみると頭の回転がよくてとても楽しい人だったので、おつき合いすることにしたという。
「彼、下宿だからね、私、いつも遊びに行くの」
「はあはあ」
「そうするとね、布団を干して待ってるの」
「…………」
彼女の話によると彼も初めてであったらしい。当日は諸般の事情もあり、一回だけで済んだのだが、次回からは十日間ぶっ続けでおつき合いしてしまったらしいのだ。今まで試験管とかビーカーしか見てなかった彼が、突然あんなものを見たら逆上してしまうのもわかるような気がする。
「あのね、一回ずつね、格好を変えたんだよ」
「あらあら」
「彼がね、男の人が読む雑誌を持ってきて、『まーちゃん、次はこれ、してみようね』っていうから、いちおう全部してみたの」
「それで、十日間で三十五回……」
「うん。変かしら」
「…………」
変じゃないかもしれないけど、やっぱりちょっと変かもしれない。だけどあまりに彼女が無邪気に話しているので、
「二人がよければ何やっても変じゃないよ」
と、とりあえずはいっておいた。
「あ、そう。よかった。じゃあね」
彼女は明るい声で電話を切った。
「あの、あの、あの『シスター』が……」
私はしばし呆然《ぼうぜん》としていた。ふつうの女の子でもたまげるのに、あの「シスター」がである。いったいどうしちゃったんだろう。こういうことは友だちとして、私の心の中にしまっておいたほうがいいわ。だって「シスター」のこの話をきいたら、みんなビックリするに決まってるもの。「シスター」の気高いイメージを崩しちゃいけない、と思いつつ、無意識のうちに私の指は高校時代の友だちのミワちゃんの電話番号をプッシュしていた。
「あのねー、さっきねー、『シスター』から電話があってねー」
想像どおり、十日で三十五回の話は受けた。きっとミワちゃんも別の人にウキウキしながら電話をかけるに違いない。
案の定「十日で三十五回」の話は、電話連絡網であっという間にかつてのクラス全員に伝わり、「シスター」は陰で「淫乱《いんらん》シスター」と呼ばれるようになってしまった。
いちおう私は彼女と友だちなので、ウブな彼女に手を変え品を変え、十日で三十五回もしておいて、卒業したらハイ、さようならじゃ、ちょっと許せないな、と思っていたのだが、彼女の第一印象どおりまじめだったようで、彼女が短大卒業後、二年たって結婚した。結婚式に招かれた私を含めた友人一同が花婿の顔を見たとたん、まず頭に浮かんだのは、「こいつが十日で三十五回もした奴《やつ》か」
だった。彼は中肉中背、顔にも別に特徴はなく、あまりに普通すぎる人だった。私たち高校の友人一同は、こそこそっと、
「あれで三十五回」
といい合った。キャンドル・サービス、お色直し、両親への花束贈呈。そのたびに私は拍手をしながら、
(こいつが三十五回……)
とつぶやいていた。
もしかしたら新婚旅行に行っても、ホテルの部屋から出ないんじゃないかと私たちは心配していたが、無事にハワイのあっちこっちを観光して二人は帰ってきた。新居のお知らせ通知も来たが、何だか二人が寝たり起きたりしている場所に足を踏み入れるのは、とても気恥ずかしかった。でもやっぱりのぞきたかったので、へらへらと埼玉県にあるマンションまで出かけていった。
「どうぞ、どうぞ」
彼は心から歓迎している素振りで、笑いながら私を招き入れてくれた。彼の顔を見るとどうもおでこに35と書いてあるような気がして、ついつい笑ってしまうのだ。それを私の愛想笑いとカン違いした彼は、ますますにこにこした。玄関には真新しい淡いグレーのスリッパ五足が、木製のスリッパスタンドに置いてあった。そして彼は、ブルーのチェックの蝶《ちよう》ネクタイをしたクマちゃんの顔面がアップリケ状にへばりついたスリッパを履き、
「淫乱《いんらん》シスター」は、赤いリボンのついたウサちゃんのスリッパを履いていた。
(こういう物を恥ずかしげもなく履けるのが、新婚生活というものなのね)
私は深く納得した。二人はとても仲がよかった。彼は、
「まーちゃん、まーちゃん」
と彼女のあとをくっついて歩き、彼女のほうは、
「たかしくーん」
と妙に語尾を伸ばして彼の名前を呼んだ。あんまり仲がいいので、夜が近づくにつれて目の前で二人が何か始めてしまうんじゃないか、という恐怖もあったが、幸いそのようなあぶないことは起こらず、「淫乱シスター」が作ってくれたシーフード・スパゲティとサラダと、私が土産に持っていったチョコレート・ケーキと、たかしくんが入れてくれたコーヒーを食して帰ってきた。
夫は一時間半もかけて都心の会社に通勤し、妻は専業主婦となって家事をそつなくやっていた。家事といっても子供がいるわけではないから、午前中にそのほとんどが終わってしまう。
「暇でしょ。何やってるの?」
ときくと、彼女はいつも、
「近所に貸本屋さんがあるから、そこで本を借りてくるの」
と答えた。単行本ももちろんあるが、話の内容から推察するに、そのほとんどが女性週刊誌のようだった。簡単料理とか化粧の仕方とか役に立つ情報もあるが、なかには、今では「淫乱シスター」には読ませたくない刺激的な事柄もたくさん載っている。美容院で見た週刊誌のなかに、「倦怠期《けんたいき》をむかえたカップルに! 刺激的ポーズ20集」というのがあった。「引っ越し当日の刺激的ポーズ」として、女性が、まだ空けていないダンボールが積んである押し入れに上半身をつっこんでいたり、なぜかふんどし姿の男性が空の洋服ダンスの中で仁王立ちになっているカラー写真が載っていた。
(数を集めりゃいいってもんじゃないだろうに)
と、あきれて眺めていたが、こういうのを彼女は楽しみに見ているんじゃないかとふと頭の中をよぎった。
たとえば電話で話していても、すぐ話がそっちのほう、そっちのほうへといってしまう。「やっぱりああいうことって、大切よね。だって夫婦なんですもの」
彼女は何度も力強くいった。こういうことをあらためていうなんて、どうもおかしい。だんだん問い詰めていくと、彼女はいいにくそうに小さな声で、
「ないの」
といった。ないの、というからできたのかと思ったら、その原因がない、という意味だった。
「結婚前は十日で三十五回だったでしょ」
彼女はそれが自慢のようだった。
「それがね……」
結婚前には十日に三十五回はともかく、最低でも週に一回、ふつう週に二回はあった。それなのに結婚してからは、十一月二回、十二月一回、一月なし、二月なし、三月は春めいたためやや盛り返して一回、しかし四月はなし、そして五月はもう半ばを過ぎたのに、まだその気配すらないと怒っている。とり行った回数をそらでいえるのがスゴイ。
(あの「シスター」が怒っている……。いや、もうかつての彼女ではないのだ)
私は動揺を隠しつつ、
「慣れない生活で、疲れてるんじゃないの」
といってみた。
「うーん、それにしても……」
彼女は納得しない。
「あなたは家にいて体力があり余ってるんだろうけど、往復三時間かけて会社に行って、帰ってきてからまたひと労働じゃ大変だよ」
「それはそうなんだけど、でも変なの」
二人でツインベッドに入り、気配がないので彼女がそーっとにじり寄っていくと、今までいびきをかいていなかったのに、まるでそれを察したかのように急にグーグーといびきをかき出すというのだ。
「偶然じゃないの」
「私も最初はそうかと思ったんだけど、何度やってもそうなの。このあいだなんか腹が立って、『ねぇねぇ』っていいながら体を揺すったら、起きるどころかますますいびきが大きくなるのよ。こんなの信じられる?」
「うーむ」
夫婦のことはわからないが、彼が嫌がっているのは確かである。しかし私が想像するに嫌がる理由はどこにも見当たらない。新婚早々浮気するようなタイプにはどうしても見えないし、体調が悪いんだったら妻にははっきりいうだろうし、彼女が怒っても私にはどうすることもできない。ただ、
「もうちょっと様子をみたら」
というのが関の山だった。
ところが一年たち二年たちしても、彼女が満足する方向へはむかわなかった。必要以上のにこにこ笑い。帰宅後の肩もみ、腕もみ、腰もみサービス。奥の手の派手なネグリジェ作戦。すべて無駄に終わった。当初は週単位だったのが月単位に、それが二か月、三か月となり、最近では一年に三回しかないそうである。
「あなた本当によく覚えてるねぇ」
感心していうと、彼女は、
「うん。ちゃんと家計簿に丸つけてあるし、覚えられないくらいたくさんあるわけじゃないから」
と、きっぱりいい放った。
「他に興味のあることないの? 家の中にいてそのことばっかり考えてたんじゃ、そのうち変になっちゃうよ」
「そのことばかり考えてるわけじゃないけど私、悔しいの。どうして一緒に暮らしてて隣に寝てて、何もないの? 私はいったいあの人の何なのかしら」
彼女は激昂《げつこう》してきた。彼女のいうこともよくわかる。しかしやはり生き物がすることですから、あまり回数とかにこだわっても問題があるのではないだろうかと、そーっといってみても、
「それにしても少なすぎる!」
と怒っている。まさか私が寝室に入っていって、
「ちょっとダンナ。何とかしてやって下さいよ」
ともいえないし、やはり、
「もうちょっと様子をみたら」
で、ごまかすしかなかった。
それから二度ほど二人のマンションに遊びに行ったが、私の目には二人はまだまだ仲のいい夫婦として映った。彼女が台所にいったスキに、こっそり彼にきいてみた。
「あのー、実は、彼女が……ですね。えーと、あの、ここのところ、えー、ちょっと、ごぶさたではないかといっておるんですが」
汗が出た。
「はあ、そうなんです」
あっさりと彼は答えた。
「何かワケでも……」
上目づかいにして様子をうかがっていると彼は、
「僕、あまりああいうこと好きじゃないんですよ」
とぬかしおった。
(何いってんのよ。十日で三十五回もしたくせに)
口からあふれ出そうなことばをあわてて呑《の》みこんだ。
「正直いって結婚前は好奇心いっぱいでがんばったんだけど、結婚したら、もういいやっていう感じになっちゃって……。浮気もしてないし彼女も好きだけど、何か、こう、結婚前に一生分をしちゃったっていう気分なんですよ。ハッハッハ」
明るくいって彼は頭をかいた。彼はハッハッハで済むからいいけど、彼女のほうはそうじゃないのだ。困ったもんだと考えていると、彼女がコーヒーを入れてきた。
「みちこちゃん、駅前にデパートができてたでしょ。あそこの三階のエレベーター前にあるブティックにいる男の子、宮本君っていうんだけどものすごくかわいいのよ」
彼女はちらっと彼のほうを見ながらいった。彼のこめかみがぴくっとひきつった。
「へえー、どんなタイプ?」
「織田裕二みたいなの」
「あらー、それは帰りに見に行かなくちゃ」
「そうよ。私なんか一日一度見に行ってるんだから」
女二人が盛り上がっている間、彼は面白くなさそうにしていた。いつもは帰るとき、にこやかに笑ってくれるのに、その日は見るからに不機嫌そうだった。反面、彼女はシメシメというふうに、一歩下がってにんまり笑っていた。
一週間後、彼女に電話して、彼が宮本君というライバル登場に発奮して、久々に楽しい出来事があったかときいた。
「あったわよ、たった十一分だけ」
妙に数字が細かいところがシビアで恐い。
「よかったじゃない」
「ふん。手抜きよ、手抜き」
まだまだ満足していない。
「でも、けっこういい兆候はあるのよ。きのうちょっと遅くなったんだけど、晩御飯の買い物をした帰りに宮本君を見にいったら、どこかで見たことのある男がいるのよ。柱の陰から見てたら、やっぱりうちの彼なの。スーツかなんかを物色しているフリして、横目で宮本君のことをにらみつけてんのよね。笑っちゃったわ」
今度は彼女がハッハッハと笑う番である。彼女も私もこれが起爆剤となって、「十日に三十五回の夢よ、もう一度」が実現すればいいと期待していたのだが、彼の横目のにらみと行動とは一致しなかった。結婚前に戻ることはもはやなく、彼女の「死守! 年三回」
のスローガンもむなしく、とうとう年三回から盆、暮れの年二回へと移行していったのである。
彼女は過去の夫婦生活の記録である家計簿を片手に、彼を責めて責めて責めぬいた。
「こんなんじゃ、夫婦としてあまりにあんまりだ」
といって大泣きした。妻が泣き崩れるのを見て、
「一生分やっちゃった。ハッハッハ」
と笑っていた彼も、初めてコトの重大さに気がついた。
「これくらいしなきゃ、わかんないわ。あの人は」
確実に彼女が主導権を握っていた。私はただ、うまくおさまるところにおさまってくれればいいと願うばかりだった。彼女の様子からいって、ここで彼がひとふんばりしなければ、若くてハンサムな宮本君とどうにかなりかねない。ほれほれ、といって亭主のお尻《しり》をつっつくわけにもいかないし、週刊誌に出ていたスッポンエキスでも送ってあげようかしら、とまで思っていたのだ。一週間ほどたって電話があった。二人で話し合った結果、彼は結婚前の状態に戻るのはどうしてもキツいので、
「他の方法でもいいですか」
と譲歩案を出してきた。彼女はこの案を検討して納得し、無事に両者合意に至ったということであった。
「何なの、それは」
「あのね、おなかぐりぐりなの」
「……はっ?」
彼女はとてもくすぐったがりである。その体質を利用するなんて、なかなか彼も頭がいい。寝る前、彼は自分の顔面を彼女のおなかにグイと押しつける。想像と違ってパジャマ姿のままである。準備が整うと、そこで彼は、
「おなかぐりぐりー!!」
といいながら、ものすごい早さで顔面をぷるぷると横に振動させるというのだ。
「それがねー、ものすごくくすぐったくてねぇ、最後にはひーひーいって笑い疲れちゃってそのまま寝るの」
頭が下がります、と彼に向かっていいたくなった。エッチとおなかぐりぐりと比べたらどっちも大変そうだけど、まあ彼女が満足しているんだったら、どちらにせよ、彼にがんばってもらうしかない。いちばん最初に「十日に三十五回」で度胆《どぎも》をぬかれ、そのあとは「欲求不満」を綿々と訴えられ、これからどうなるかと心配していたら、結局「おなかぐりぐり」で一件落着。いったい何だったんだろうか。
「夫婦の問題は二人にまかせ、まわりの人間は見物してるのがいちばんよい」
今後「淫乱《いんらん》シスター」から不満の電話がかかってきても、親身になって悩むのはやめにしよう、とつくづく思ったのだった。
こんなはずじゃなかった
私ははっきりいって後悔している。夜、隣にいるダンナの間抜けた寝顔を見るたびに、出るのはため息ばかりだ。見合い結婚して半年、毎日、
「ひえーっ、こんなことがあっていいんだろうか」
の連続だったのである。
結婚相手は、雇用主がつぶれる心配のない公務員。長男不可。身長百七十三センチ以上、デブ不可。顔面並以上。金銭管理はすべて私にまかせてくれて、スポーツマンで善人。私は学生時代、OL時代とけっこう男性と派手に遊んでいながらも、友だちにはそういい続けていた。
「あんたみたいに虫のいい人っていないわよ」
彼女たちはみんな口を揃《そろ》えてそういった。それはそうかもしれないけれど、結婚生活は親と暮らした倍以上を共にするのだ。あっちもこっちも妥協していたのでは、長い結婚生活が不幸になるのは目にみえている。条件がバッチリ整っていたら、何かが起こっても仕方がないとあきらめられるのではないか、と思っていたのだ。当時つきあっていた男性たちは、デートのエスコートはとても上手だったが、将来を考えるといまいち不安だった。みんないわゆるお坊っちゃんで、友だちとお金を出し合って映画をつくってそれを売りこみにいくとか、遊び方や服装がハデなわりには先の見えないことばかりやりたがった。私はそういう人たちとは楽しく遊ぶだけにしておいて、結婚するなら、一攫千金《いつかくせんきん》じゃなくていいから、経済的に安定した人にしようと決めていたのだ。
だから見合いの第一発目に、条件にぴったりの相手(今のダンナだが)がでてきたときには、私が写真と釣書きを見ただけで、
「やった!」
とほくそ笑んだのはいうまでもない。実際会ってみると、私と五歳違いの二十八歳なのにずっと若く、一見、野村宏伸風で、顔だってなかなかのものだ。おとなしそうなところも気に入った。
「この人なら私のいうとおりにさせてくれる」
という気がしたからだ。私は昔から「出好きのミチコ」と有名だった。熱が少々あっても繁華街でウインドー・ショッピングをしたり、喫茶店でコーヒーを飲んだりしていると気分がスカッとするたちなのだ。彼ならばきっと、そういうことも別に「かまわないよ」と許してくれるだろう。おっとりしていて女性の扱いに慣れていないところも、私からみれば新鮮な感じがした。
小柳ルミ子がいった星の王子様 そのものだったのである。
三男の末っ子なのでもちろん親とは別居だし、ちゃんとマンションも買ってあった。私はヘタなところで嫌われたら困ると、品行方正、清く正しく美しい乙女を演じ、結婚初夜もちゃっかり処女のフリをして、手ぬかりのないように相務めたわけなのだ。
(これから私の描いていた結婚生活が始まるのだわ)
胸がわくわくした。新居は彼の実家の隣町にあった。できれば彼の実家からはもっと離れていたほうがよかったが、そこまで望むのは贅沢《ぜいたく》というものだろう。彼からは、昼間は何をやってもかまわない、しかし自分が帰る時間には家にいて欲しい、といわれた。何といっても新婚だったし、私も夜遊びはしたいと思っていなかったので、この条件を承諾したわけなのだ。ところが新婚旅行から帰ってきて彼の出社第一日目、夕方のニュースを見ながらボーッとしていたら、
「ただいまー」
と彼が帰ってきた。ビックリして時計を見たら、まだ六時すぎ。随分早いなあと思いながらも、新妻らしく、
「お疲れさま」
とか、ちょっと恥ずかしくなっちゃうことばなんかを発したりした。彼は、うんうんと満足そうだったが、ダイニング・キッチンのテーブルを見て、顔色が少し変わった。
「どうしたの?」
「…………」
「あの……何か」
「ごはんは?」
「あっ、ごはんはこれからよ」
「これからって、今から作るの?」
「そうだけど」
「ふつう、ダンナが会社から帰ってきたら、それに合わせてパッとタイミングよく出てくるもんじゃないの?」
「はあ……」
「ま、いいよ。ボク、お腹《なか》がすいてるから早くして」
初日からこれだった。だいたいパートタイムじゃあるまいし、バリバリのサラリーマンが六時すぎに帰ってくるほうが変だ。ふつうは同僚とお酒を飲んで、
「家に帰りたいなぁ」
とおもっても、なかなか同僚のワル連中が解放してくれなくて、
「ごめんごめん」
と頭をかきながら、十時とか十一時に帰ってくるもんじゃないだろうか。
(でもうちは新婚だわ)
きっと私のために、お誘いを断って、一目散に帰ってきてくれたのかもしれない、と気をとり直し、NHKの『きょうの料理』のテキストと首っぴきで、見開きページそのまんまの鶏ささ身のみの揚げ 長芋のたたきとわかめの明太子《めんたいこ》あえ かきと豆腐のみぞれ汁 を作りはじめた。全部できあがったのは九時だった。お腹がぺこぺこのはずなのに、ダンナの箸《はし》の進みは悪く、いちおう食べ終わったあと、ボソッと、
「もうちょっと努力が必要だね」
といった。
「はあ……」
「お風呂《ふろ》に入るから……」
「…………」
彼はそれだけいうと、自分の部屋にひっこんでしまった。幸か不幸か私たちは3LDKのマンションに住んでいるので、彼はそのうちのひと部屋を書斎として使っているのである。私は給湯式の洋式バスに湯を入れ、適量になったところでダンナを呼びにいった。
「ありがとう」
彼はそういって当たり前のようにバスルームに入っていった。彼が出たあとに入っていったら、私のためにバスにお湯をいれてくれてなかった。ものすごくつまんないことだけど、ちょっとがっかりした。そしてたいした会話がないまま、彼は、
「おやすみ」
といって、さっさとベッドに入って寝てしまった。
「こんなもんなんだろうか」
彼が帰ってきてから、あっという間に時間がたってしまい、何が何だかわからない私は、ダイニング・キッチンの椅子《いす》に坐《すわ》ったまま、ボーッとしていた。
こういうのは最初のうちだけで、だんだん変わっていくのかしらと思っていたが、状況はほとんど変化しなかった。六時すぎに帰ってくるのも、たまたまではなくて、いつもだったのだ。夕方、仕方なく台所に立って鍋《なべ》の中をかきまわしていると、友だちの結婚祝いの居間の置時計が、きれいな音を六つ鳴らす。それからテーブルの上に皿を並べ、おかずの数が不足していないかチェックする(ダンナは最低おかずが六品ないと機嫌が悪いのだ)。そしてひとつ、ふたつ、と十まで数えると、
「ピン、ポーン」
とチャイムが鳴る。ため息をつきながらドアを開けるとダンナが、
「ただいま」
と立っている。これが毎日繰り返されるのだ。六時すぎに帰ってくるなんて、まるで子供。今どきの小学生だって塾通いのせいで家に帰るのが九時、十時になるっていうのにだ。つまり私は出かけたとしても、六時までに家に帰って夕食の準備をしていないとダメ。門限は四時半ということなのである。学生、OLのときには深夜までディスコにいたり、オールナイトの映画を観《み》にいったりしたのに、四時半に家にいなきゃならないなんて、私にとっては拷問に近い。意を決して、
「どうしてまっすぐ帰ってくるの」
と聞いたことがある。するとダンナは、
「だって家にいたほうが楽しいもん」
などというのだ。
「えーっ、まずいごはん食べさせられても?」
「うん」
会話もなく、二人で遊びに行くわけでもない。私がこんなにつまらないと思っているのに、どうして彼のほうは楽しいんだろうか。
「たまには映画にでも一緒に行かない」
と誘っても、しぶしぶ面倒くさそうに腰をあげる。ダンナをひきずって『ベルリン・天使の詩』を観に行って感激したのに、彼のほうはといえば、
「で、何だったの、結局」
と、むくれてしまうのだ。せっかくわざわざ一緒に来てやったのに、こんな退屈な映画を観せられたというような口ぶりなのだ。そんなこといわれたって私がつくった映画じゃないんだから、私のことを責められても困るのだ。
「この人とはもう映画を観るまい」
またガックリしてしまった。
私の夢みた楽しい生活はなかった。あるときOL時代の友だちと遊びにいって、家に帰るのが八時になったことがある。窓の明かりが見えたので、一生懸命帰ってきたフリをしようと、百メートルだけ全力疾走した。ドアには鍵《かぎ》がかかっていた。チャイムを何度押してもドアは開かない。いないのかと思って鍵を開けようとしたら、しっかりとドアチェーンがかけられているのだ。ドアのすきまから、
「ねぇ、開けてくれない?」
と声をかけたら、ダンナがむくれた顔をして出てきた。そして、
「時間を守らない人はいれてあげない」
と抑揚のない声でいって、パタンとドアを閉めてしまったのだ。
(何だ、こいつ……)
私もムッとした。真夜中ならともかく、まだ八時だ。こんなことでこんな仕打ちをされるなんて……。その場で立ちつくしているとドアが静かに開いた。
「入れば……」
彼がボソッといった。部屋の中に入ると彼は私のあとをくっついて歩きながら、ごはんができていなかったから、嫌だったけど近所のラーメン屋でラーメンと餃子《ギヨーザ》を食べたとか、やっぱり妻たるものは、夫が勤めから帰ってくるのを、毎日待っているものだとか、激昂《げつこう》するわけでもなく、さとすような口調でいった。いっそ激怒してくれたら私も負けずにいい返してスッキリしたのに、妙にそんなふうな態度ででてこられると、ますます彼のことがうっとうしくなってきた。
「はい、わかりました。これから気をつけます」
口だけでそういうと彼は、
「わかってくれたらいいんだよ」
とニッコリ笑って抱きついてきた。
(何だ、こいつは)
いいかげん私はうんざりした。
彼とのこともそうだが、彼のお母さんが出てくるともっと話はややこしくなる。
「こんにちはー」
明るく彼女はやってくる。ありがたいことに、缶詰やその他食料品のおみやげつきである。しかしいつも間が悪い。狙《ねら》ってきているんじゃないかと勘繰りたくなるくらいだ。子供もいないし夫婦二人だけなので、家の中が汚れるということはほとんどない。幸い、ダンナは食べ物には執着するが、掃除に関してはうるさくいわないので、目につくところだけきれいにし、あとは私の美意識と気分でやることにしている。ムダな労力は使いたくないわけである。
「そろそろ汚れもためこんでしまったし……。よし、明日は朝から気を入れて掃除をしよう」
と決心したその日に、必ずお母さんが姿を現わすのだ。
「ミチコさん。駅前のスーパーでね、缶詰フェアをやってたの。牛肉の大和煮《やまとに》とか銀杏《ぎんなん》とかねーえ、いろいろ安かったのよ」
ご機嫌で、テーブルの上に大中小の缶詰を、次から次へと並べ始める。
「あら、どうもすみません、いつも」
タダでこういうものが手に入ると、つい顔がゆるんでしまうのも主婦っぽくて我ながら情けない。おみやげのお披露目が終わると、お母さんの目は突然チェック・マンの目に変わる。他愛もない話をしながら、視線が家の中をなめまわすのだ。この目つきは、ダンナが帰ってきて部屋の中を何気なく見回す目つきと全く同じだった。少しでも汚れているところがあると、
「ミチコさん、吊《つ》り戸棚の取っ手のまわりに指紋の跡がついてるわね。それとガス台の後ろにふきこぼれが固まってこびりついてる。あ、そうそう、ステンレスの流し台は、使い終わったあとに水分をきれいにふきとっておかないと、すぐ曇りますよ。まあ、窓もずいぶん汚れているわねぇ。どこもこまめにやっていれば、汚れを落とすのも楽なのにねぇ。無精をするとあとが大変なのよ」
私の胸にグサグサくることをサラリといってくださる。この汚れに気がつかないワケじゃないんだ、ただやる時間がなくてきれいにできなかっただけですよという意思表示をしなきゃいけないので、私は彼女にむかって、
「はい、明日掃除しようと思ってたんです」
と弁解する。これはウソではなくて正直な気持ちなのである。それが、間が悪くて彼女がいつも汚れがたまっているときにやってくるものだから、そのたんびに私は、
「明日掃除しようと思ってたんです」
といわざるをえないのだ。しかし毎度それを聞かされる彼女のほうは、私が素直に反省するのではなく、口ごたえをしているような気になるらしいのだ。だからいつも帰るときには彼女の目つきがちょっと険しくなる。次に来るときにその目つきの険しさを忘れているところが、彼女の人のよいところなのだが、結局また目つきを険しくして帰るので、きっと彼女は私のことを、だらしのない嫁だと思っているに違いない。
ところが、こういう問題は私とお母さんの間のことだと思っていたのに、ある日ダンナが、
「あまり、掃除してないんだって?」
とぽつりといった。
「はっ?」
彼はそれ以上はいわなかった。しかし私のいる場所でお母さんと彼は会っていないから、私ぬきで会ったときに彼女が、グチのひとつと一緒に耳に入れたのだろう。
(ひどい……)
そりゃぁ、毎日こまめにお掃除しない私が、確かに悪うございます。だけどこういうことを息子にこっそりいうなんて、何かすごく嫌なのだ。
(どうせなら私がいるときに、目の前でいってくれたらいいのに)
結婚してもダンナが実家のお母さんと、こそこそ内緒話をしている姿が目に浮かんできて、ちょっとゾーッとした。黙ってたらダンナは気がつかないんだから、よけいなことを耳に入れないで欲しい、とまたまた私はムッとしたのだ。
そんな小さな不満が積み重なって、私はダンナからいい渡された「妻の心得」なんかどうでもいいやと、半分やけっぱちになった。友だちに誘われると、まってましたとばかりにお洒落《しやれ》して出かけることにした。もちろん四時半に帰るつもりはない。彼が執着する料理だけはちゃんと作ってテーブルの上に置いておぎ、電子レンジの使い方をメモしておいた。これぐらいやっておけば文句をいわれないだろうと、私は久々に羽根をのばした。ウインドーに飾ってある色とりどりの服を見ていると胸が躍った。ずーっと家の中にいると、着ているものが何でもよくなってしまいそうで怖い。ズルズルとおばさん地獄にはまってしまいそうな気がする。そういうだらけた気分に喝《かつ》を入れるのには、ウインドー・ショッピングや、道行く人々を眺めるのが最適なのだ。
(こんな女の気持ちがあいつにわかるはずない)
最初は野村宏伸に似ているように見えたダンナの顔も、最近は何とも感じなくなってしまった。
「きょうはバーッと買いまくるからね」
私は友だちに宣言して、ファッションビルに勇んでのりこんでいった。
私はワンピースとスカートとイヤリングを買って帰った。おそるおそるマンションを見上げると、七時半だというのに明かりがついていた。ため息が出た。今度はさすがに締め出しはなかったが、やっぱり彼はムッとしていた。私は文句をいわれる前にさっさと部屋に入り、いつものサザエさんみたいな格好に着替えた。ふすまを開けたとたん、彼が仁王立ちになっていた。ふとテーブルの上を見ると、私が一生懸命作った食事に手をつけた気配がない。あれっと思っていると、彼が、
「どうしたんだ、今日は」
とものすごい顔をして詰問《きつもん》する。
(友だちと買い物するくらいで、どうしてこんな顔されなくちゃいけないのよ)
私も負けずに仏頂面《ぶつちようづら》になると、彼は突然私の腕をつかんだ。
「何だこれは! 爪《つめ》を赤くして!」
「マニキュアくらいいいでしょ!」
私の逆襲にちょっとビックリしたのか、彼はもごもごと口ごもった。ボクの前ではこんなふうにしたことがない、とか、派手に遊んでるなどと、くだらないことを延々といっていた。
「出かけるときにはお洒落《しやれ》くらいするわよ」
「でも、こういうのは必要以上だ」
「必要以上って、何が基準なのよ!」
「うー……」
彼は手をわなわなふるわせていた。
「うー、男と会っていたな」
「はぁ?」
あっけにとられていると、彼は私の足元にうずくまり、はいていたソックスを無理やり脱がした。
「やっぱり。足の爪にまで色を塗ったりして……。おい、こういうことは商売女のすることだぞ!」
「はぁ?」
彼は私のペディキュアを見て、ますます激昂《げつこう》した。
「男はどこのどいつか! OLのときにつき合っていた奴《やつ》か」
彼は勝手に想像して勝手に怒っていた。
「ペディキュアくらい、誰だってするわよ」
「いーや、違う。靴を脱がなきゃわからないところにこういうことをするのは、商売女だけなんだぁ」
こりゃ何をいってもダメだとあきれかえった。
「自分は男と遊んでおいて、こっちには冷や飯を喰《く》わせる気か」
「電子レンジの使い方を書いておいたでしょ」
「あんなもの使えるか」
「ボタンを押せばすぐじゃないの」
「ふん」
母親べったりで育てられた息子の典型である。黙って座っていれば、まわりの人がホイホイと何でもやってくれると思っているのだ。片足だけ裸足《はだし》になったまま、椅子《いす》に座って彼が次に何をするかと眺めていたら、今度は私が買ってきたワンピース、スカートを引っぱり出した。
「これも男にねだって買ってもらったんだろう」
これだけ妄想が働くとなると、ご立派としかいいようがない。
「OLのときの貯金で買ったのよ」
「うー……」
まともにつき合っているとバカバカしいので、私はさっさと、手がつけられていない晩ごはんを電子レンジで温めはじめた。しばらくして、静かになったなぁとふと見たら、彼はおとなしくダイニング・テーブルの前に座っていた。ごはんをよそっておかずを次々に並べていくと、今まであんなに怒っていたのがウソみたいに、必死になって食べている。
(こんなにお腹《なか》がすいているんだったら、自分でちゃんとやればいいのに)
私のほうは食欲がなくなってきた。彼は食べながらも、
「煮物の味が薄い」とか「味噌汁《みそしる》の味噌を変えろ」と、チェックするのを忘れなかった。そして自分だけ先に食べ終わると、
「お風呂《ふろ》たのむよ」
といってひっこんでいってしまった。
彼は私がお洒落《しやれ》すると、どうして男ができたの何だのとさわぎたてるんだろうか。妻がきれいにしていると、うれしいより先にどうして疑いが先にたつのだろうか。それで私のことが嫌になったのかと思うとそうでもない。私が男遊びの疑いをかけられた夜だって、布団に入ったとたんにキャインキャインと尻尾《しつぽ》を振りながら、
「ねぇ、僕のこと好き?」
などといいながらすり寄ってくる。そして私が、
「好き」
というまで、
「ねえ、ねえ」
といいながら腰を振り続けている。
私は彼の何だろうかとよく考える。足の爪《つめ》に色なんか塗らないで、地味に家の中でじーっとして、
「はい、どうぞ」
とあれこれ世話をやくのが彼の描いている妻の姿のようである。だけど私はそういうタイプじゃないのだ。それなのに彼のイメージしている「妻のタイプ」に私のことをはめよう、はめようとするのだ。世の中の夫婦はいったいどうしているんだろうか。こんなはずじゃなかったと思いながらずっと暮らしていくのは嫌だし、離婚するのも、なにしろ条件がピッタリなので、まだそこまで考えられない。毎日後悔しながら、私はため息ばかりついている。
やさしさがコワイ
新幹線は京都にむかって走っていた。きょうはこのうえもなくいい天気である。初めてのグリーン車である。隣の席には昨日結婚式をあげたばかりの、夫という立場の男がいる。
「空がまっさおだねぇ」
彼はひとりで上機嫌だが、私の気分はいまひとつ盛り上がらない。まず新婚旅行の行き先が京都というのが気に入らない。私としては一生に一度(占い師がそういった)の新婚旅行だから、みんながそうするようにハワイとかオーストラリアとかヨーロッパヘ行きたかった。ところが彼が、
「新婚旅行は京都と奈良で神社、仏閣めぐりをすると、ずっと前から決めていた」
といってゆずらない。
「そんなこと有休とっていつでもできるから、めったに行けない海外にしましょう」
と提案しても、彼はガンとして首をたてに振らない。
「人生の記念となる旅行には、人生の記念になることをする」
といってきかないのだ。四泊五日、京都と奈良の神社、仏閣めぐりなんて、まるで修学旅行ではないか。いまどき修学旅行だって海外に行くのだから、人生の出発となる旅行にしては、すこぶるみじめったらしい。京都や奈良は好きだが、今までに何度も行って新鮮味がない。やはり新婚旅行では、今までに行ったことがない場所を訪れて、
「いいわ」
と感激したかったのである。しかしこの件は泣く泣く納得した。あとで絶対に海外旅行に連れていくという約束をとりつけたからである。いちばん気分が盛り上がらない理由は、夫が隣にいるからなのだ。
「あなたは夫が好きか」
とたずねられたら、私は正直いって何て答えたらいいかわからない。嫌いではないのだが、大好きというほどでもない。もちろん「愛してる」なんてとてもじゃないけど思えない。情けないけど、
「こんなもんか」
という感じなのである。
「ねぇ、ハルちゃんお弁当食べようよ」
私は三十歳である。ハルちゃんなどといわれると気持ちが悪い。しかし二人きりになると彼はいつもこう呼ぶ。十二時きっかりに、ごそごそとビニール袋から幕の内弁当の上とお茶をとり出すのも、何かどんくさい。
「まだおなかすかないから」
「えーっ、だって、十二時だよ、十二時」
(だからどうなんだよ)
いらついているときにつっこまれると、ムッとしてしまうのだ。
「ハルちゃん、やっぱり十二時にはごはんを食べなくちゃ」
彼は右手に缶入りウーロン茶、左手にお弁当を持って、ワイパーみたいに左右に動かしておどけている。彼は三十九歳である。こういう姿を見ると、ますます情けない。
「先に食べてて……私はまだ……」
「えーっ、どうして? おなかすかないの? 大丈夫? 気持ち悪いの?」
(くどい!!)
このままだとあまりにいらついて、彼の顔をひっかいてしまいそうだったので、私は黙って彼の手からお弁当をひったくり、バリバリと包み紙を破いてカマボコに食いついた。
「そうだよ、やっぱり食べなくちゃ」
たかがお弁当のことで、こんなに一生懸命になる人だから、私みたいな女でも結婚しようと思ってくれたのかもしれない。だけどお弁当を結んでいる白い細ヒモを丹念にほどき、赤いエビの柄がついた包み紙のシワをていねいにのばして、
「記念だから……」
といいながら、大事そうにバッグにしまいこむのを見ると、本当に、
(トホホホ)
だった。
(私はどうしてこの男と結婚なんかしちゃったんだろうか)
昨日の結婚式もまるで他人事《ひとごと》のようだった。私たちは社内結婚だったから、出席者の大部分が上司、同僚、後輩で、最初は緊張感があったものの、おわりのほうはほとんど宴会と化していた。へべれけになった上司が私の美人のいとこに抱きつくわ、たいこ持ち的性格の同僚が上司に酒をついでまわるわで、いったい何のための式かわからなかった。こてこてにおしろいを塗られて、ちっとも似合わないかつらをかぶせられていたので、私はうれしくなかった。そのうえ着物と帯でギュウギュウに締めあげられて窒息しそうになってしまい、目立たないように小さく口を半開きにして息をしていたのに、彼のほうはうれしそうにニコニコしていた。このような彼のことを、私の両親を含め親類一同は絶賛した。
「あんなに優しくて気のつく人はいないよ。近ごろ珍しいゆとりのある人物だ」
彼は異常に年配者に受ける性質《たち》のようだった。その証拠に私と同年輩の親類の女性たちの評判は、それほどでもなかったからだ。正直な彼女たちは、
「ダンナにはいいかもね」
といった。これは外見的に男性的魅力がない人を誉めるための唯一《ゆいいつ》のことばであった。
「そうなんだよね」
私も彼女たちの意見に同感だった。なかには、
「他にいいのがいなかったの?」
などと痛いところを突いてくる人もいた。
(そうなの。この人しかいなかったのよ……)
このことを考えると、とっても悲しくなった。
私は別に結婚をあせっているわけではなかったが、やっぱり一回はしてみたかった。星占いとか中国伝来のナントカという占いとか、その他さまざまな雑誌に載っている占いのページを読むと、いろいろなことが書いてあったが、唯一共通していたことは、
「結婚運がない」
だった。山のようにある占いのなかで、これだけが共通しているのは、ちょっと無視できない怖さがあった。この件に関してはずっと気になっていたのだが、二十九歳になって転職を決意したとき、この件も含めて初めてお金を払って、よく当たるという噂《うわさ》の占い師に会いにいった。紫色のスーツに金のネックレスをジャラジャラつけ、十本の指に指輪をはめていたそのおばさんは、目の前に置いた金魚鉢みたいな水晶玉をはたとにらみつけた。私は息をのんで何もわからないまま一緒になって玉を見つめていた。
「転職は……したほうがよろしいね」
紫のおばさんはキッパリといった。
「そうですか」
私はホッとして、ついつねづね気になっていたことをポロッと聞いてしまった。
「あのー、結婚運は……いかがでしょうか」
「うーむ、結婚運ねぇ……」
またまたおばさんは、すさまじい目つきをして水晶玉をにらみつけた。この透明な玉の中にいったい何があるのか、私ものぞき込んで、おばさんにちょっと嫌な顔をされた。
「はっきりいいますけどね、あなた、一回しかチャンスはないですよ」
彼女は真剣な顔をしていった。頭がくらくらした。
「えっ、たった一回ですかぁ」
「はい、一回きりです!」
おばさんの妙な自信が、私を押しつぶしそうになった。
「しかし……」
彼女はことばを続けた。
「たった一回きりでも、あなたはその人と結婚すると、とっても幸せになれます。あなたを大事に愛し、尊敬してくれる人です。絶対にチャンスをのがしちゃいけませんよ」
じーっと見つめられていわれたので、私の脳みそにはこのことばがしみついてしまったのだ。喜んでいいのか悲しんでいいのかわからなかった。ふぬけた顔をしているのを察してか、紫のおばさんは、
「一回のチャンスで幸せになれるんだからいいじゃないの。ムダがなくて」
といってワッハッハと笑った。こういうことはムダがあるなしの問題じゃないと思ったのだが、ご縁はあるらしいのでとりあえずホッとしたわけなのである。
転職はよろしいという見立てだったので、私はすぐ会社を変わった。そこで私は、いま隣の席に座って卵焼きにむしゃぶりついている男と出会ってしまったのだった。最初から私は彼が好意を持っていることがわかってしまった。にこにこして、
「アサイさーん、アサイさーん」
とあとをついてきたからだ。
(まさか、こいつでは……)
紫のおばさんにいわれたことばがポッと浮かんできた。
(いや、違う。これじゃない。私のたった一回のチャンスをこの男に奪われてたまるか)
そうは思いながらも、私は転職したての新入社員。彼はベテランの先輩だったから、邪険にもできず、愛想笑いと要領のよさですり抜けたつもりだったのだ。冷静になって考えてみると、彼は気持ちの悪い人ではなかった。生理的にダメという入でもなかった。しかし私が乗り気になれなかったのは、彼が不細工だったからなのだ。身長は百八十センチあったが、顔が身長の五分の二を占めているかのような印象だった。とにかくごつい人なのだ。それならいったいお前はどうなんだといわれたら、
「どーも、すいません」
といってあやまらなきゃいけないのだが、面喰《めんく》いも好みのうちなのだから、許してくれたっていいはずだ。昔っから友だちには、よく、
「あなた、ちょっと方針を変えたら男はわんさかいるのに……」
とため息まじりにいわれたものだった。方針を変えるというのは、ことばを換えれば、
「顔面の高望みをやめろ」
ということであった。しかし私には、
「顔のいい男にだったら、何をされてもいい」
くらいの覚悟があった。こちらで勝手に覚悟を決めていても、相手がまったく私のことなど眼中になかったので、結局はムダに終わったが、顔のいい男だったら何をされても得をした気分になるはずなのだ。そうでない男に同じことをされるよりも、はるかに満足感があるはずなのだ。これがうまくいったときは全女性の羨望《せんぼう》のまなざしを全身に受けて、すこぶる気持ちがいいが、その逆だと本当に悲惨なのも事実だが。ま、私自身、顔のいい男をみつけても、しつこく、
「ねぇねぇ」
とすり寄っていくタイプではなかったので、その点、周囲の人々には面喰いが知れ渡らなくてすんだ。ただ、「男の好みがうるさい」とは思われていたようだった。
「ハルちゃん、このお弁当、なかなかうまいね」
私が三分の一も食べてないのに、彼はすでにたくあん一切れとごはん一口を残しているだけである。
「そうね」
この人は本当に無邪気なんだ。顔がよくて垢抜《あかぬ》けしていたらもっといいのに。会社でも本当に親切にしてくれた。私だけではなく、後輩みんなに優しく接していた。ただ私にはそれ以上に優しくしてくれたのだ。疲れたなぁと思うと、すかさずお茶をいれてくれる。私だけにそうやると目立つので、私が座っている席一帯にいる人々の分までがんばってお茶をいれちゃう。そのたびに会社の人々は、目をまんまるくした。みんなのためにお茶をいれる三十八歳の課長がどこにいるだろうか。だけどそういうことが平気でできる人なのだ。
「ワタナベさん、ずいぶんアサイさんのこと気に入ってるみたいですねぇ」
同僚からは何度もいわれたし、あるときは部長に物陰に呼ばれ、
「どうだね、ワタナベ君っていうのは、とてもいい人だと思うがねぇ……」
とすがるような目つきをされたときもあった。
「はぁ?」
けげんな顔をしている私を置いて、部長はそそくさと去っていってしまった。
(ワタナベさんと結婚するために、この会社に入ったんじゃありません!)
キッとして拒否の態度を示したが、社員全員は私とワタナベさんとの結婚を望んでいるようだった。彼がにこにこしてすり寄ってくると、みんなは好意的なまなざしで私たちのことを見ていた。
「いいの、いいの。気にしないで。みんな、あなたたちのことを温かい目で見守っているわよ」
といっているかのようだった。
(ちがう! たった一回のチャンスは彼のためにあるんじゃないの!)
いくらそういっても、結局は何か見えない大きな力がじわじわと押し寄せてきて、にっちもさっちもいかない状況まで追いつめられてしまったといったほうがいいかもしれない。
「あのね、ワタナベ君はとってもいい奴《やつ》だよ」
飲み会にいくと、いつしか部長が隣に座っていて、私の耳元で彼のことを誉めちぎった。確かに部長のいうとおり、彼は人望が厚かったし仕事もそれなりにやっていた。部長からみればとってもたよりになる、信頼できる部下なのかもしれないが、女性からみると、
「ちょっとねえ……」
という雰囲気だった。同性に人気のある人を伴侶《はんりよ》に選べというのは嘘《うそ》だと思っている。女性に人気のある男性に対して、やっかみもあるのだろうが、同性は決して、
「あいつは本当にいい奴だ」
とはいわない。だけど女性にはモテる。その逆もある。女の子たちの間で、
「どうしてあんな子が……」
とあっけにとられるような人が、男性に異常にモテたりするのである。だから人はそれぞれうまくおさまるということもあるのだが、私はやっぱり「いい男」のほうがよかったのだ。知的で細身でクールでちょっと冷たい人がよかった。ワタナベさんみたいに若いころからおとうさんみたいな雰囲気をただよわせていたような人とは、あまりに差がありすぎた。私としてはまったく彼とおつき合いする気などなかったが、会社の人々は飲み会のあと、あんなにたくさんいたのにすーっと姿を消してしまい、彼と二人だけにさせられてしまうことがよくあった。あら、困ったわとキョロキョロしていると、お酒のせいか感情の昂《たかぶ》りかわからないが、彼は顔を真っ赤にして鼻の穴を広げ、
「お送りしましょう」
ときっぱりといった。鼻が上を向いているから鼻の穴もよくみえるのだ。
「大丈夫ですから……」
と辞退しても、彼は、
「いーえ! それは危険です!」
といってきかない。終電間近のギュウ詰めの電車の中で彼は仁王立ちになって両手でつり革上部のポールをつかんで空間をつくり、身長百五十七センチの私をその中に入れて人混《ひとご》みにもまれないようにしてくれた。体が密着しないように、きっちり人間ひとり分のスペースをあけていた。
「ちょっと、あんた。混んでんだからさぁ、もう少しつめてくんないかなぁ」
人波に押されて横で小さくなっていた酔っぱらいが、彼にむかって怒った。そーっとあたりをうかがうと、みんなムッとした顔をして彼を上目づかいに見ている。
(これはまずい)
だけど、これ以上彼と体をくっつけるのは抵抗がある。いったいどうするのかと心配していたら、彼は横の酔っぱらいのブツブツ声に、こきざみに顔を左右に振りながら、口をキッと真一文字にむすんで耐えていた。ゴトンと車両が揺れ、
「キャーッ」
という悲鳴と共に乗客がドドドと横になってこちら側に倒れこんできた。それでも彼は金太郎みたいにふんばり、私がその人波の影響をうけないように防波堤の役目を果たしていた。
「何だよぉ、まったく……」
まわりの人々にブツブツいわれても、彼はひとこともいわず、ずーっとふんばっていた。そのとき紫おばさんの、
「チャンスは一回だけですよ」
ということばが耳元で聞こえてきた。そこで、チラッと、
「もしかして、この人が、そうなのかしら……」
と考えてしまったのが、一気に結婚に至ってしまった原因だったのかもしれない。そして、私たちは一年間身体的接触もなく清い交際を続け、昨日、結婚式を挙げたわけなのだ。
結納をかわしてからも、私は毎日迷っていた。実は結婚式当日ですら、
「これでよかったのかしら」
と迷っていた。恋愛がなくて突然結婚したみたいで、ひどくソンをした気分になったからだ。若者とは違うから、派手に遊びにいったり、肉欲に溺《おぼ》れるということもなかった(私に、まだ顔をつき合わせてその行為に及ぶふんぎりがつかなかったこともある)。デートは公園を歩いていただけだ。夕焼けが広がると、
「ほら、ごらん、夕焼けがきれいだねぇ」
といって空を指さしたりする。大きなくまさんみたいな男がそういうことをするのは、ほほえましいことはほほえましいが、私のなかの男性像とは相当ズレていた。自然が好きな男はいいが、いちいち感動されるとうるさくてたまらない。
「このズレはこのままでいいんだろうか」
と、いつも悩んでいたのだ。しかしまたそのたびに、呪文《じゆもん》のように、
「チャンスは一回だけ……」
ということばが聞こえてきて、悩みはますます深くなっていった。気の迷いがあるときは、占い師のことばがこんなに大きく作用するとは思わなかった。人が月に住もうという計画がたてられている時代なのに、ちょっといかがわしい感じのおばさんのひとことのほうが、多大な影響を与える。窒息しそうになりながら披露宴の会場にいたとき、私は内心、
「だれかものすごくハンサムな人が乱入してきて、私をさらっていこうとしたらそのままついていっちゃうわ」
と期待していたのだが、誰もこなかった。隣でにこにこしている大きなくまさんが、みんなが認めた私の夫だった。だけど当の私があまりこの事実を認めたくなかった。どうしても、
「こんなもんか、仕方ないな」
というあきらめの気持ちしか出てこないのだった。
私の心中を知ってか知らずか、彼は車中、ますますにこにこしていた。実は昨晩、ホテルのスウィートルームでにじり寄られたのだが、どうしてもその気になれず、
「疲れてるから」
といってことわった。すると彼は素直に、
「うん、わかった」
といって後戻りした。だから私たちは実は夫婦になっていないのだ。これが唯一《ゆいいつ》の救いのような気がした。彼の過去の女性のことを聞こうかしらと思ったこともあったが、
「僕、童貞なの」
とにこにこしていわれたら失神してしまいそうだったので、これはとりやめた。
「ハルちゃん、食欲ないね。サンドウィッチでも買ってきてあげようか」
また彼は気配りをした。
(いいかげん、ほっといて)
といえないのがつらい。
「うん、大丈夫」
「疲れたのかなぁ、平気かなぁ」
大きなくまさんは心配そうに気をもんでくれた。
「明日からずっと歩きっぱなしになるけど……」
そうだ。明日から神社、仏閣めぐりが始まるのだ。この日のために彼はスニーカーまで新調したのだ。
「あっ、富士山だ。きれいだなぁ」
また感動する。新婚旅行というより、ほとんどジジババの旅行に近いノリである。
「そうね」
仕方なく私もおつき合いして口を合わせた。
(本当にこの人が、ただ一回のチャンスの相手なのだろうか。一年、二年と暮らしてみて、もしそうでなかったらどうしてくれるんだ)
私があれこれ考えているというのに、彼は手放しで大喜びしている。
(あーあ、やっぱりこんなもんなのかなぁ)
どうもいまひとつ割り切れないまま、私は富士山に見入っているでかくて平面的な男の横顔をながめていた。
遺伝子の不思議
世の中には自分に似た人が三人いるという。私もかつては、
「あとの三人って、いったいどんな人かしら」
とあれこれ想像しては楽しんでいた。ところがそのうちのひとりに会ってしまった。自分に似た第一の人、それはうちのダンナであった。会社の先輩がしげしげと私の顔を見ながら、
「僕の友達でイトウさんにそっくりな奴《やつ》がいるから、今度会わせるよ」
といった。そのとき私はただ「ふーん」と思っただけだった。女の人で似た人はイメージできるが、男の人で自分に似ている人なんて、想像もつかなかったからである。当時私は長年続けていたおかっぱ頭から、ショートに移行しようとしていた。いっきに短くする自信がなかったので、まっすぐ切った前髪はそのままで、下のほうをカットした。いわゆるマッシュルーム・カットである。自分ではものすごく気にいっていたのだが、会社の人たちは、
「黒いおわんをかぶったの」
とか、
「どんぐりの仲間でさあ、あるじゃない。よく似てるんだよ。ほら、なんだっけ。そうそう、くぬぎ!」
などと腹の立つことを平気でいった。そりゃあ私は丸顔で下ぶくれだから、黒いおわんをかぶったとか、くぬぎといわれても仕方がないかもしれないが、若い女性に対してはあまりの暴言ではないか。そしてその日から私の渾名《あだな》は、「カリメロ」あるいは「くぬぎ」になった。みんなには黙っていたが、この頭はある有名な美容院で、ヴォーグ・ボーテとかいう洋書を見ながら、ハンサムな美容師とふたりして決めたヘア・スタイルだった。そのヘア・スタイルをしている金髪モデルの雰囲気もとっても素敵だったので、カットしてもらっている最中もわくわくして鏡の中の自分を見ていた。ところが、
「いかがでしょうか」
といわれて自分の顔をまじまじと見たときは軽いめまいがした。たしかに腕のいい美容師のおかげで写真とそっくり同じスタイルにはなっていたが、同じヘア・スタイルをしても、外国人と日本人、美人と不細工ではこうも違うという、見本みたいだったからである。はっきりいって、
「あら……」
であった。でも言葉も巧みな美容師に、
「毛の質がとてもいいから、こういうカットにしても決まるんですよ」
と誉められて一度は気を取り直したのに、会社の人の印象は、
「カリメロ」あるいは「くぬぎ」
だった。みんなの笑い者になっているときに、似た人に会わせてくれるといわれても手放しで喜べなかったが、先輩は取引先とのソフトボール大会に、のちに私の夫となる男性を助っ人《と》として連れてきたのである。
同僚の女の子たちと一緒にお弁当を作ってきて、テントの中でスポーツ・ドリンクの手配とかをしていた私を、先輩は試合が始まる前に手招きした。
「ほらほら、この間いったでしょ。きみに似てるっていった人」
先輩はそういって後ろに立っている眼鏡をかけた大柄な男性を、私の目の前に押し出した。
(うーむ、こ、これは……)
恐ろしいことに彼は私にそっくりだった。それもカリメロ頭の私にである。
「あのねー、彼は秀才でねえ。いま大学院に通ってるんだよ」
と先輩はいった。
(へえ、この人がねえ)
ちょっと見直した。私は大学院とか研究とか学者とかいうことばに弱いのである。
「本当によく似てますね。ちょっと眼鏡をとってみましょうか」
とよけいなことをいって、彼は眼鏡をはずした。ますます似ている。でも女性にとって自分と同じ顔の男性がいるというのは不気味なことではあった。たとえばその男性が、舘ひろし、柴田恭兵、柳葉敏郎という女の子に人気のあるタイプだったとする。確かに彼らはかっこいいかもしれない。しかし彼らに似た女の人というのは相当問題なんじゃないだろうか。まだ女優に似た男の人のほうが救いがあるような気がする。それが私たちの場合は、
「カリメロ」あるいは「くぬぎ」
である。
(どうしてこの人はこういうヘア・スタイルをしているのかしら)
まさか彼もヴォーグ・ボーテを見て決めたわけではないだろうが、今どき男性としては珍しい髪型の彼を見て、きっとどんくさい人なんだろうなと思ってしまったのだった。
その日、会社、取引先の人々は彼の姿を見て、
「あっ、イトウさんのお兄さんですか。こんにちは」
と挨拶《あいさつ》した。
「いや、あの、その、違うんですけど」
彼は照れ臭そうに頭をかきながら、救いを求める目で私のほうを見た。
「似てるでしょう。でも私たち今日初めて会ったの」
つい頼りない目つきにほだされて、横から口をはさんでしまった。
「えーっ、ほんと? どうしてそんなに似てるんだろう」
みんな私たちの顔を交互に見て、不思議そうにいった。
「もしかしたら、きみたち、人にはいえない事情で血がつながってるんじゃないの。おかあさんに聞いてみたら」
という人もいた。
(やっぱり誰が見ても似てるんだわ)
ちょっと悲しかった。
「すみません。僕がひょこひょこやって来たので迷惑だったでしょう」
試合が終わった後の飲み会で、彼は私のそばに来てすまなそうにいった。私もまさか、「そうよ、何で来たのよ」
とはいえないので、
「そんなことはありません」
といった。
「いやー、本当に似てるねえ、きみたち」
係長が真っ赤な顔をして大声を出した。私たち以外の人々はみな、そうだそうだというように深くうなずいた。みんなはひとしきり私たちのそっくりぶりをつまみにして、ビールを飲んでいたが、彼はますます恐縮し、そして押し付けがましくなく私に気を遣ってくれた。
(意外と優しいのね)
今から思えばそれが結婚に至るきっかけだった。顔が似ていたので安心感があったのかもしれない。それからお付き合いが始まって、そっくり顔の私たちは結婚してしまったのである。彼と私の両親を会わせたとき、うちの親は顔を見たとたんに、
「他人とは思えない」
といった。私と同じく大学院、研究、学者ということばに弱い父親は、
「まるでうちの息子になるために生まれてきたような好青年」
と喜んでいた。
「でかした」
と私まで誉められた。母親は彼と私が三つ違いという事実のみに異常な興味を示し、
「いままで黙っていたけれど、ミネコが生まれる三年前に、男の子を流産してねえ……。もしもその子が生きていたら、ちょうどあなたくらいなの」
といった。そして思い出話をしているうちに感極まって、
「まるであのときの息子が大きくなって帰ってきたようだ」
とさめざめと泣く始末だった。ところが彼は水子扱いされても怒ることなく、
「それは女性にとって、とてもつらいことですよね」
と相槌《あいづち》を打ちながら真剣に母親の話を聞いているのだ。彼が帰ってから母親は、
「何て優しい人なのかしら。お父さんなんか私が流産したとき、ほんのちょっとだけいたわってくれただけで、あんなに真面目《まじめ》に話をきいてくれなかったわ」
と二十五年前の話を蒸しかえした。父は突然の攻撃にギョッとしながら、
「あの時は忙しかったのをお母さんも知ってるだろう。気にはなっていたけれど、どうしようもなかったんだよ」
と、おどおどしながら弁解した。
「あら、そうかしら。バーのホステスとは会ってたくせに」
「えっ、なぜ、それを……」
「ふふん。全部わかってましたよ、私は」
「…………」
思いがけない事実まで暴露されて、衝撃的な一夜であった。彼の両親に私が会ったときも、
「とても他人とは思えない」
といわれたのはいうまでもない。彼のお母さんから、
「この子が生まれた三年後に女の子を流産しましてねえ……」
という話がでなかったのは幸いだった。それに私たちがこんなに似ているのに、お互いの両親の顔が似ていないのは、まさに遺伝子の不思議であった。
双方の親が祝福するなかで、私たちは結婚式の当日をむかえた。ところが一世一代の晴れ姿で緊張している私たちの顔をまじまじと見て、
「おめでとう」
という前に、プーツと噴き出した人は数知れなかった。スピーチも、
「長く連れ添った夫婦の顔は似ると申しますが、今からこんなに似たおふたりは、まさにお互い結婚するために生まれたとしか思えません」
などと、出席者にはバカうけするものばかりだった。新婚旅行先のロスアンゼルスでも、立ち寄った店の店員さんが、彼に私のことを、
「シスター?」
と聞いたりした。
(こんなに大きくなった兄妹《きようだい》が仲よく手をつないでるわけないでしょ。カーペンターズじゃあるまいし)
僕の妻だと愛想よく説明している彼の横で、私は顔には出さねどむくれていた。同じツアーらしき日本人の新婚カップルが、ホテルのロビーやレストランで私たちと向き合って座ったりすると、必ずこちらを盗み見ながら、こそこそと耳打ちして、
「クククク」
と笑った。結婚祝いにわざわざカリメロとくぬぎの刺繍《ししゆう》をした枕《まくら》カバーをプレゼントしてくれた同僚の女の子もいた。
「あー、これよくできてるねえ。これ作った人ってソフトボール大会のときに、フライを顔面捕球した人でしょう。彼女って器用なんだね」
無邪気に喜んでいる彼の姿を横目で見ながら、私は、
(他人なんだからもうちょっと顔が何とかならなかったんだろうか)
と何度ため息をついたかわからない。
彼のほうは卒業して大学の講師になり、私は相変わらず会社に勤めていた。会社からの帰りにアパートの前を通りかかると、一緒に住んでいる奥さんたちが立ち話をしていた。二階に新しく引っ越してきた、うんぬんといっているから、私たちのことである。
「とにかく引っ越しの荷物といっても、ぶ厚い本ばっかりなのよ。別にドレッサーとか目新しい家具もなかったし、新婚さんじゃないみたいよ」
「昼間は誰もいないでしょう」
「女の人のほうはきちんと八時過ぎにでかけていくけどね。男の人のほうは不規則よ。顔が似てるから兄妹《きようだい》じゃないかしら」
「ああ、そうかもしれないわね」
何くわぬ顔をして人の家の引っ越し荷物までチェックしているなんて、恐ろしい隣人である。
(ドレッサーや目新しい家具がなくて悪かったね)
むかっとしながらも、私はとりあえず、
「こんばんは」
と挨拶《あいさつ》をして、アパートの階段をかけ上った。まだ彼は帰っていなかった。
(ドレッサーはないけど、鏡くらいはあるわさ。最近ではドレッサーみたいな場所ふさぎのものは持たないの)
さっきの奥さんたちの話を思い出しながら、壁に立てかけてある等身大の鏡の前にへたりこんだ。
(やっぱり似てる……)
正面はもちろん右と左。試しに後ろ向きに座って振り返りざまに鏡を見てみたが、この角度でもやっぱり似ていた。私は両手を髪の毛の中につっこんだり、つまんだりしながら新たなヘア・スタイル研究をした。カリメロヘアをやめれば、
「ご兄妹《きようだい》ですか?」
といわれることもなくなるだろう。きっとこの直毛がいけないのだ。私はその足ですぐ近所のコンビニエンス・ストアに行って女性誌を買い込み、着替えもしないで検討した。あれこれ考えた結果、変身するにはパーマをかけるしかなかった。そして思い切って金曜日の夜、帰りに近所の美容院で髪を切って生まれて初めてパーマをかけたのだった。金曜日にしたわけは万が一失敗しても、土日は休みだし月曜日が運よく振替え休日だったので、三日間で修復すればいいという魂胆があったからである。今回はヴォーグ・ボーテは参考にしないで、すべて美容師におまかせした。
「いかがですか」
腰をくねらせながら、あぶない雰囲気の美容師はいった。鏡を見たらまたまた軽いめまいがした。鏡の中にいたのは人間ブロッコリーだった。どこをどうすればこうなるのかわからないが、ショート・カットにした毛が根元から立っていて先が縮れている。そしてそれがとても固いのだ。そういえばこういうモデルを、気取っている女性誌のグラビアで見たことがあったが、まさか自分がこうなるとは思ってもみなかった。目が点になっている私に弁解するかのように、美容師は、
「初めてパーマをおかけになったから、まだ慣れてないんですよ。そのうちになじんできますから」
としつこくしつこくいった。あまりのしつこさに、私は変身が失敗したことを知ったのだった。
(これだったらまだカリメロやくぬぎのほうがよかった)
商店街のショー・ウインドーに自分の姿を映してものすごく後悔した。ヘア・スタイルだけだったらそれは確かに決まっている。しかし残念ながらその下には私の顔がある。顔さえなければよかったんだけどね、という感じであった。仏頂面《ぶつちようづら》して家に帰ったら、彼に、
「どうしたの、びっくりしたことでもあったの。ずいぶん毛が逆立ってるけど」
とにやにや笑いながらからかわれた。
(誰のせいでこんなに苦労してると思ってんの)
彼は結婚してから少し太り、ますます二人は似てきた。私はこの際、多少の出費は覚悟の上で翌日、別の美容院に行き、髪の傷むのもかまわず、とにかく自分の顔面に合う頭にしてもらったのであった。
美容師の必死の修復作業の結果、私の頭はモンチッチみたいなヘア・スタイルでなんとかおさまった。月曜日、遅めの朝ごはんを食べながら、彼は頭を見て、
「激動の二日間だったね」
と笑いをこらえていた。
「はい、おかげさまで」
そういってテレビをつけたとたん、私は画面に映ったものを見て体が固まってしまった。
「げっー、何だ、これは」
おそるおそる彼のほうを振り返ると、彼もお箸《はし》を持ったまま硬直している。私たちは世の中で自分に似ている第二の人に遭遇してしまったのである。それは街かどテレビの大木凡人であった。マッシュルーム・カットで黒ぶち眼鏡、ぷっくりした輪郭は彼とまるで双子であった。モンチッチ頭の私とももちろん似ていた。こんな芸能人が私たちの知らないうちにテレビに出ていたなんて、これは罪悪ではないかと思った。もしかしたらロスアンゼルスで会った、新婚カップルが笑ったのも、単に私たちが似ているからではなく、大木凡人に似ているから笑っていたのかもしれない。夫婦|揃《そろ》って外国までいって笑い者になっていたのだ。ところが私ががっくりきているというのに、彼ときたら、
「芸能人に似ているんだ、僕」
と結構うれしそうなのである。同じ芸能人でも似ててうれしい人とそうじゃない人がいるはずなのに、彼はテレビに出ている人と似ているというだけで、頬《ほお》がゆるんでいるのだ。私は会社の人々がこの番組を見ていないことだけを願った。
心配は現実になった。翌日会社にいくと、みんながまじまじと私の顔を見ながら、
「似てる」
といった。もちろん相手は残念ながら浅野ゆう子ではなく大木凡人である。やっぱりあの番組を見た人がいたのだ。なかには私の肩に手をかけて、
「アルバイトで昼前に商店街のおじさんおばさん相手に、眼鏡をかけてカラオケの番組やっているでしょ」
などという人もいた。同僚の間では人の気も知らないで、
「男の人でも中性的な顔の人っているよ」
「いるいる男のおばさんみたいな人」
「丸顔の人が多いわよね」
「中性的でも美輪明宏とか玉三郎とか、ものすごく素敵な人もいるのにねえ」
「極端よね。正反対だもん」
と話が異常に盛り上がっていた。話題にはいることもできず、そばで曖昧《あいまい》な笑いを浮かべてぼーっとしていると、まじめな顔をした先輩の女性がつつつと寄ってきた。そして耳元で、
「気にすることないわよ。うちの近所にガッツ石松に似ている夫婦がいるのよ。それよりはまだ大木凡人のほうがかわいいと思うわ」
どちらにしても私たち夫婦にとっては不愉快な話題であった。その日から私は「カリメロ」あるいは「くぬぎ」から「大木小凡人」と呼ばれるようになってしまった。一方彼のほうは学生たちが前々から大柄な彼のことを「大木大凡人」と陰で呼んでいたのを知って喜んでいるおめでたさだった。
「大木大凡人、小凡人」夫婦は同僚たちに笑いを提供しながら強く生きているが、私は悪いけど大木凡人のテレビがはやく終わるように願っている。しかし彼のほうは、
「他人とは思えないから、彼のことを応援しちゃおう」
などとはしゃいでいるのが情けない。結婚式のスピーチにもあったように、電車のなかで中年以上の夫婦をみかけると、ものすごく似ているのに驚くことがある。あれは結婚何十年の間に波風がたっても、
「今となればすべてよし」
という貫禄《かんろく》とある種のあきらめが感じられて圧倒される。しかし新婚早々大木凡人に似ているのではこれは単なるお笑いでしかないではないか。
(絶対に変身してやる)
まだまだ私は二十二歳である。いつまでも「大木小凡人」なんていわれたくない。それなのに彼ときたら、夜、布団のなかで、
「ねえ、僕たちに似てるもうひとりの人ってどんな人だろうね」
とささやいたりする。いっぺんに私の眠気はすっとんでしまう。もうそのうちのふたりは知ってしまったし、あとのひとりを知ってもますます不愉快になるだけのような気がする。
「あのねえ、きっとあとのひとりって、僕たちの子供じゃないかって思うんだけど」
彼はだんだんにじり寄ってきた。
「似てるっていうのはね、あかの他人のことをいうの」
「そうか。でも、こんなに僕たち似てるんだから、きっと子供もそっくりだよ。大木ミニ凡人なんて呼ばれちゃったりしてさ」
私は寝たふりをして薄目を開けたまま黙っていた。
「ねえ、早く欲しいね。そっくりな赤ちゃん」
甘えた声とともに、私とそっくりな顔がぬーっと覆いかぶさってきた。
(バーカ)
何ておめでたい人だとあきれながら、私は遺伝子の不思議が自分の子供にもあればいいなと思ったのだった。
維持費が大変
いま勤めている会社に入社試験を受けにいったとき、受付でにっこり微笑《ほほえ》んでいたのが僕の妻である。一に受付嬢、二に受付嬢、三、四がなくて五に受付嬢というくらい、受付嬢を見ると興奮する質《たち》の僕は、学生時代、同好の士と共に「東京デパート受付嬢めぐり」をやったこともある。受付にいる彼女を見たとき、あまりに僕の理想の受付嬢のタイプだったので、これから行われる試験のことなどころっと忘れて、でれっと頬《ほお》がゆるんでしまった。長い髪、厚めの化粧、多少美人を鼻にかけている雰囲気もなかなかよかった。入社に必死になったのも彼女の存在が大であった。手っ取り早くいえば、そのときすでに、
「こいつしかいない」
と決めてしまったのである。
入社してすぐ攻撃を開始した。
「あたし、付き合っている人がいますから」
と冷たくあしらわれても、「忍」の一字あるのみ。美人に冷たくされると妙にうれしくなって、ますますがんばってしまう僕であった。彼女の気を引くための奥の手を次々に提示した。長男だが母親は亡くなっていること、実家が貸しビルをいくつも持っていることなどを、少しずつ、少しずつ明らかにしていった。そのたびに彼女は僕に微笑みかけてくれる回数が多くなった。父親のことをうっとうしい奴《やつ》だと思っていたのだが、貸しビルをいくつも持っていてくれて本当によかったと、このときばかりは感謝した。そして苦節五年、学生時代に先輩から教えられた、
「女は押しまくるばかりではいけない。適度な押しと引きが有効である」
という、「三歩進んで二歩下がる『三百六十五歩のマーチ攻撃』」が功を奏し、やっと結婚までこぎつけたのである。口には出さねど、まさに、
「わーい、わーい」
という感じであった。学生時代の友人はもちろん、そんじょそこらの関係ない奴らにまで、自慢しまくりたかった。
「美人だけどさあ、ちょっと水っぽいんじゃないの」
という奴もいた。結婚が決まったとき、
「美人だと、そうじゃなくなったときのショックが大きいんじゃないの。連れて歩くにはいいけどさ」
とささやいた既婚の男もいた。そういう彼の奥さんは、たしかにショックが小さそうな顔立ちで、これは単に彼の嫉妬《しつと》による発言であろう。はっきりいって大きなお世話であった。
(お前の彼女はアライアの服を着こなせるか。組んだ足がすらっと伸びているか)
これまた口には出さねど、腹のなかで毒づき、「僕の彼女は美人だよん」とつぶやいて自尊心を満足させていたのである。彼女は結婚したとたんに、待ってましたとばかりに会社をやめて専業主婦になった。マンションの隣近所の人々からも、
「まあ、本当にきれいな奥様で……」
といわれると、
「いやあ、そんなことないですよ」
といいながら、内心、
(ふっふっふ)
とほくそ笑んでいたのはいうまでもない。
ところがいざ結婚してみると、いろいろな出来事が起こった。まさに女性は知られざる世界であった。家具を買うにあたってはそのすべての決定権を彼女に託した。うちのなかに長くいるほうが快適なように、家の中をつくればいいと思ったからだ。だから、
「ベッドはダブルにしたわよ」
「アンティークのネコ足のドレッサーも買っちゃった」
といわれても、
「そうか、そうか」
と鷹揚《おうよう》にかまえていたのである。家に帰ってみたら十畳の寝室の真ん中に、ピンクのカバーをかけられた、小山のようにそびえたつダブルベッドがでーんと置かれていたのにはちょっとたまげた。
(新婚だし、ま、こういうエッチな雰囲気もいいか)
と納得したのと、
(彼女、相当に気合いが入っているのだろうか)
という思いが半分半分だったが、現実はちっともなまめかしくも何ともなかったのである。
残業して会社から疲れて帰ってくると、彼女はもう寝ていた。そーっとベッドにもぐりこんでも彼女はぴくりとも動かない。
(あーあ、今日も疲れたなあ)
とうつらうつらしていたら、突然、ドスッという音がして彼女の姿が消えた。朦朧《もうろう》としながら音のしたほうを見ると、床の上に彼女がうつぶせになって落っこちている。
「おい、おい」
声をかけても彼女はうつぶせになったままである。
「ほら、何やってんだよ。落ちてるじゃないか」
そういって手をひっぱってやると、やっと彼女は、
「あー」
といいながらベッドによじのぼってきた。お互い眠くて目が三分の一しか開けられない状態だったので、その夜はそのまま寝てしまった。ところが朝起きたらまた彼女は床の上にうつぶせになって寝ていたのである。話を聞いてみると、実家にいるときもよくベッドから落ちたので、子供が使う柵《さく》をベッドにとりつけていたのだそうだ。
「うちのベッドにもつけたら」
とからかったら、
「どうしてダブルベッドに柵なんかつけるのよ」
と真顔で怒った。ところがまた次の日も、その次の日も見事にベッドからころころと落ちた。落ちるのは勝手だが、知らないうちに頭を打っていたりすると僕が困るので、部屋の真ん中に置いてあったベッドを壁にくっつけ、壁に近いほうに彼女を寝かせ、寝相のいい僕が柵がわりになることにしたのである。そのせいで夜中、何度もぐいぐいと背中を押される。おまけに彼女のいびきも相当なものだった。だいたい、独身時代はベッドのなかでの彼女の声は、「ねーえ」と「うっふん」しか聞いたことがなかった。ところが今はどうだ。
「ぐー」だの「がー」だのというのは当たり前。
「ふんがあ」
などという、女性にあるまじきいびきを耳元で聞かされているのだ。美人の元受付嬢が、鼻の穴も口も全部おっぴろげて、
「ふんがあ」
というのはあんまりではないか。それも寝つきの悪い僕がやっとうつらうつらし始めると、それを邪魔するかのようにいびきをかく。最初、
「んがー」
といっていたのが、そのうち、
「ふがー」
になる。ここで僕の顔面や腹の上に彼女の腕がどさっと落ちてくる。時には長い足がのっかることもある。最後に堂々の、
「ふんがあ」
になってしまうと、彼女はもう怖いものなし。僕は大の字になっている彼女の傍らで、小さく丸まって寝るハメになるわけだ。あまりに頭にきたので一度鼻をつまんでやったことがあったが、そのときもおさまるどころか、
「んごー」
という地鳴りみたいなものすごい音声を発した。それがあまりに怖かったので、それ以来、イアー・ウィスパーを耳に詰めて寝ることにしたのである。
耳栓をしていびき対策も万全。背中を押されるのにもやっと慣れたころ、またとんでもない事件が起きた。いつものようにうつらうつらしながら、僕は夢を見ていた。実はその日、ちょっとした手違いがあって取引先とトラブルがあった。直接僕が悪いわけではなかったのだが、関係ないといって知らん顔できないのがサラリーマンの悲しいところで、不本意ながらぺこぺこ謝った。その謝った取引先の部長が夢にでてきて、しつこくしつこく僕を責め立てるのだ。一生懸命冷や汗を流しながら謝っても、彼は絶対に許してくれない。まわりに会社のお偉方がたくさんいたのに、みんなにやにや笑いながら僕がいじめられるのを見ている。そのうち、激怒した部長が僕の上に馬乗りになり、両手で首を力いっぱい絞めはじめた。
(く、く、く、苦しい……)
そういいながらまわりに助けを求めても、みんなにやにやしているだけ。ますます部長の手には力がはいる。
(このままだと殺されてしまう……)
あせりまくっている最中に、ふと我にかえった。だけどやっぱり息苦しく、ものすごく体が重い。
(どうしたんだろう。夢だったはずなのに)
そっと目を開けてみて僕は仰天した。目の前には巨大なピンク色が広がっていた。一瞬何が何だかわからなかったが、体を起こしてみてむらむらと怒りがこみあげてきた。何と、彼女が僕の体の上であおむけの逆さ状態になり、ピンクのパジャマのズボンをはいた股《また》ぐらで、僕の首をぎりぎり絞め上げているではないか。おまけに僕がこんなに苦しんでいるというのに、彼女は気持ちよさそうに、
「ふんがあ」
(この野郎!)
女性には手を上げない主義だったが、このときばかりは頭にきて、首にからみついている足をひきはがし、お尻《しり》をびたびたひっぱたいてやった。それなのに彼女は体をちょっとずらしただけで、
「ふんがあ」
どうするかと見ていたら、ふがふがいいながら、結局は僕の足元にころりと丸まって寝てしまった。
「ちょっとは隣に寝ている僕のことも考えてくれよ。疲れてるんだからさあ。眠れないじゃないか」
翌朝、こんなつまんないことでグチをいいたくはなかったが、いくら美人だからとはいえ、妻の股ぐらで首を絞められたとあっては、男の立場がない。
「そんなこといったって、寝てるときに何やってるかなんてわかんないもん」
彼女のいうことも真理であった。二重のぱっちりした目が悲しそうにすると、僕は何もいえなくなり、
「うーむ」
といいながら家を出てしまった。しかし、三日後の朝、柵《さく》がわりの僕をしっかり乗り越えて、床にお腹《なか》を出して大の字になって寝ている姿を見て、さすがの僕も、
「すぐ布団を買ってきて、今晩から床で寝ろ」
といい渡したのであった。
僕は彼女が化粧をするのを見るのが好きだったが、鏡の前にずらっと並んでいる化粧品の数を見てびっくりした。よく、化粧が濃いとスッピンのときにいったい誰だかわからないという現象が起こるそうだが、うちの場合も多少は差がある。しかしもともとが美形なので、
「どなたさまですか」
ということにはならない。それにしても半透明のビンに金色の蓋《ふた》のついたリッチそうな化粧品が、大小とりまぜて十何個もあるのは驚異だ。白やピンク、ブルーといったパステル・カラーのクリームや液体が透けてみえている。
「これ、みんな使うの?」
と聞いたら、
「そう。これがクレンジング・ローション、これが柔軟化粧水。収斂《しゆうれん》化粧水、栄養クリーム、下地クリーム、ファンデーションに美容液に……」
と説明が延々と続いた。よくぞこれだけのものを区別し、毎日顔に塗《ぬ》り続けられるものだと感心した。そのうえ引き出しを開けたらば、口紅、アイシャドー、その他何に使うのかよくわからない色物関係の化粧品が山のようになっていた。まさに「ローマは一日にしてならず」なのであった。
ところがある日、ふとドレッサーを見たら、この間まであったパステル・カラーのきれいな色をしたクリームのかわりに、どす黒いクリームや液体がはいった瓶がずらっと並んでいた。
「何なの、これ」
「ああ、これはね、自然化粧品」
また彼女は延々と説明した。雑誌を見ていたら、日頃、肌がきれいだなあと思っていた女優がこの化粧品を使っているという記事が載っていたので、早速ひとそろい買ってきたというのである。
「今までのは?」
「あっ、あれ、捨てた」
「全部?」
「そう」
彼女は新しい化粧品がうれしいのか、瓶の蓋《ふた》を開けながら、これには肌に悪い添加物は何も含まれていなくて、ハーブとか鮫《さめ》のエキスとか自然のものばかりでつくられている。すこぶる肌にいいというのだ。
「誰がそんなこといったの」
「だって雑誌にそう書いてあったもん」
そういいながら嬉々《きき》としてクリームをヘラですくった。こういう自然化粧品というものは雑菌がはいるとすぐ変質するので、ヘラですくわなければいけないそうなのである。ヘラですくいとった、すこぶる肌にいいというクリームは、色といい形状といい、まるで「カニみそ」そっくりだった。
「げーっ、きちゃない。これ本当に顔に塗るの」
「いいじゃない。これが自然の色なの!」
彼女はむっとした。こんな色のものをよく顔に塗れるし、値段を聞いてまたびっくりした。ひとつが一万円とか二万円もする。
「そんなのはざらよ。ちゃんと効果のあるそこそこの化粧品をワンセット揃《そろ》えると十万円はするんだから」
彼女は当然という顔をしている。うちの場合はそれだけ金をかけても、もとがとれてる感じがするが、僕に、
「美人はそうじゃなくなったときにショックが大きい」
といった男の奥さんが、同じように化粧品に金を使っていたとしたら、彼はきっと、
「ふざけんな」
と怒るに違いない。でも冷静になって考えてみると、彼女の化粧品代だって僕の給料から出ているのだから、もうちょっとなんとかしてほしいと思ったのも事実である。
彼女は憧《あこが》れの女優に近づきたいと必死なのか、毎日「カニみそ」を顔に塗《ぬ》りたくっていた。男からみたら化粧する過程とできあがりの顔を見るのは楽しいが、土台造りはあまり見たいものではない。真剣な顔での眉毛抜《まゆげぬ》き、顔《かお》剃り。どれも鬼気迫るものがある。おまけにパックをしているときのあの間抜け顔。まだ白やピンク、グレーのパックの色なら我慢できる。だけど彼女が最近凝っているあの「カニみそ」は相当にひどい。顔一面に塗っていると、まるで「悪魔の毒々モンスター」のようである。ときには口のまわりにだけ塗っていることもある。彼女がいうには二十五歳から老化がはじまり、その部分も特別に手入れをしないと、のちに皺《しわ》ができてしまうらしい。しかし口のまわりだけ「カニみそ」を塗っている姿は、ほとんど、
「びっくりしたなあ、もう」
の三波伸介である。こんなことやって効果があるのかと聞きたいけれど、信じきってやっているみたいなので、彼女が、
「びっくりしたなあ、もう」
になっているときには、なるべく顔をあわせないようにしているのだ。
彼女の行動を観察していると、どうも雑誌に影響されやすいタイプのようである。ついこの間まで隠す部分が小さくて、レースがついてすべすべした下着をつけていた。結構大胆なのもあったのだ。ところが、突然、おへそが隠れるような分厚いズロースみたいなのをはくようになった。いかにも「莫大小《メリヤス》」という字が浮き出てきそうな感じのやつである。またこれについても聞いてみると、
「ビキニタイプは体によくない。股上《またがみ》が深くて、お尻《しり》もおへそも隠れるようなのがいいのだ」
というのである。
「誰がそんなこといったの」
「だって雑誌に書いてあったもん」
彼女が新機軸を打ち出すたびにかわされるのが、この会話である。だけどいつもこれだけで終わってしまう。どうもいまひとつ会話が盛り上がらないのである。
休みの日、ソファに寝っころがってテレビを見ていると、彼女は新聞を持ってきてぺたりと床に座り込む。正座でも横座りでもなく足の形がMの字になる、婆さんがうちわを持ってよくやってたあの座り方である。そのまま前傾姿勢になって、新聞を読んでいるのを後ろから眺めていると、こんなに尻がでかかったかなあと首をかしげてしまう。僕なんか健康診断で半年で五キロ体重が減ってしまったのに。
「ありゃー、○○が死んじゃったわ。まあ、八十五だって。結構、歳《とし》だったのねえ……」
何をぶつぶついってるのかと聞いていると、ベテラン俳優の死亡記事を読んで感心している。それが終わると次は女性週刊誌の広告の見出しチェックである。
「ねえねえ、ここに書いてあるけど、やっぱり××って離婚するのかしら」
と、僕に聞かれたってわかりもしないことを何度も聞く。芸能ネタも好きだが、いちばん好きなのは、
「地球はどこでも分娩室《ぶんべんしつ》。チア・ガールが足を上げたとたんに赤ちゃんがポロリ」
というものに代表される、下世話な出産ネタである。
「ねえ、いったいどういうことが書いてあるんだろうね」
と、これまたにこにこしながら僕に聞く。
「そんなに気になるのなら買って読めば」
というと、
「ふん、あんなもの」
と小馬鹿にしたようにいう。でも興味はものすごくあるみたいである。
「たまには中国のこととか、日本の政治のこととか考えてみたら」
といったらば、
「あーら、あなたは私がきれいにしていれば、それで満足なんじゃないの。そういうんだったら、あなただってだてに政経学部を出てるわけじゃないんだから、私に教えてよ」
と切り返してくる。ファッション、美容関係以外の知識はないが、妙に口が達者で核心を突く発言をするので、ビビッてしまうことも多い。我ながらちょっと情けない。
前はもっと顔も体の輪郭もしまっていたはずなんだけど、結婚して半年、だんだん顔つきも体つきもぼーっとしてしまったような気がする。
「最近、顔がぼけてきたんじゃないの」
といっても、
「あら、そう。まだ売り物のときは緊張してたから」
と平気な顔をしている。
「心のゆるみは体のゆるみ。結婚しても気を抜くな」
と説教しても、「あら、たいへん」などという素振りは微塵《みじん》もみせない。
「この分じゃソニアのニットが着られなくなるのももうすぐだね」
といったときはちょっと真剣な目つきになった。これでちょっと心をいれかえるかなと思って、休日出勤をして帰宅した僕を待ち受けていたのは、たくさんのスポーツ・クラブのパンフレットだった。
「ほら見て。これがいいと思うんだけど」
彼女は「カニみそ」を塗った「びっくりしたなあ、もう」の顔で、不自由そうに喋《しやべ》りながら、パンフレットをひらひらさせた。
(ひゃあ、入会金三十万円)
自分も働いているんならともかく、休日出勤までしている三十前の平社員に、ここまでしろというのは酷ではないかといいたくなった。でもそういったらきっと彼女は、
「あれだけ結婚する前はおいしいことばっかりいったくせに」
というだろう。そういわれたら何も反論できそうもない。
「ねえ、どうかしら、ねえ」
彼女はずるずると「カニみそ」を塗ったままにじり寄ってきた。
(僕がいった意味はそういうことと違うんだけどなあ……)
何か僕は相当追い詰められてしまったような気がする。自業自得のような気もする。しかしここはしらんぷりをするのが得策と考え、テレビの全日本プロレス「あすなろ杯」争奪リーグ戦にのめりこんで、何をいわれても聞こえないフリをすることにしたのだった。
妻の心、夫は知らず
自慢ではないが、私の夫は五歳年下である。背も高いし顔もかわいい。結婚して一年、波風もたたず、平凡だが本当に幸せな毎日であった。
「こんなに幸せでいいのかしら」
とつぶやいたのも一度や二度ではない。
彼はかつて会社で私の後輩であった。ところがそこは社内結婚すると、どちらかがやめなければならない不文律があった。結婚後も勤めたかった私はその問題と直面したのだが、彼は平然と、
「女の人が二十九歳で転職するのは大変だから」
といって、未練もなくさっさと会社を変わってしまった。弱冠二十四歳にしてこういうことがいえるなんて何て素晴らしい人かしらと、うっとりと惚《ほ》れ直してしまったくらいだった。私たちの間には何の問題もなかった。ところが最近、うちのかわいい夫にまとわりつき始めた変な奴《やつ》のおかげで、私は非凡な毎日を強いられているのである。
蒸し暑い日に残業をして、やっとの思いで十時過ぎに家に帰ってきた私は、ぱぱっと服を脱いでスリップ姿でクーラーの前で涼んでいた。ぼーっと口を開けて放心状態だった私の耳に、電話のベルが鳴り響いた。受話器をとったら彼だった。
「これから会社の友だちをつれていくから、何か準備しておいてくれないかなあ」
とすまなそうにいう。かわいい彼のいうことだから、
「うん、わかった」
といって電話を切ったものの、私は自分のスリップ姿にあわてて、意味もなく2DKの部屋のなかを右往左往した。部屋の掃除をちょっとおこたっていたのは、古タオルで目立つホコリを拭《ふ》いて掃除をしたことにし、あちこちにころがっているがらくたは全部押し入れに放り込んだ。今まで彼は外でお酒を飲んでくることはあっても、友だちを連れてくることはなかった。私は妙に緊張した。もしも私に何かそそうがあったら、彼が陰で何かいわれてしまう。というのも、会社の男性が、「○○の奥さんって、何でいつもあんなにジャラジャラいろんなものをつけてるんだ」とか、「料理が下手」「化粧が濃い」などと陰口をたたいているのを何度も耳にしたことがあるからだ。
私のせいで彼がそんなことをいわれたらかわいそう。だけど具体的に何をやっていいのかわからない。とりあえず冷蔵庫の中をひっかきまわして、なんとかおつまみの準備をし、顔面におしろいを叩《たた》きつけて、興奮して彼の帰りを待っていた。
「ピン、ポーン」
とチャイムが鳴ったので、私はひとつ深呼吸をしてドアを開けた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
にこにこしている彼の後ろには、感じのいい青年がいた。目もとが涼しい、なかなかのハンサムである。
(わーい)
急に私は心がなごみ、
「さあ、どうぞ、おあがりください」
といってスリッパを出した。ところがその後ろからもうひとり、黒い人影がぬーっと出てきた。わっと思ってあわてて顔を見ると、顔じゅう毛だらけで人相が悪く、着ているものもよれよれのだらしない男が、突っ立っているではないか。
(あっ……、押し込み強盗……)
冷や汗がでてきたが、その男も、
「どーも」
といって、ずかずか上がりこんできた。
(えっ、あの人も友だちなの……)
極端な二人の友だちを見て、私は首をかしげてしまった。ひとりはメンズノンノのモデルにしてもいいくらいの青年。そしてもうひとりは交番の掲示板に貼《は》ってある手配写真の犯人にそっくりで、おでこに、
「御協力ありがとうございました」
という紙を貼りたくなるような顔をしている。おまけに足が臭い。私は呼吸をとめてドアを閉めた。
ハンサムな青年の名前は「純」くんといった。顔面と名前がぴったりだった。犯人の名前も聞いたが、興味がないのですぐ忘れた。
「いやあ、奥さん、すいませんねえ。押しかけてきちゃって」
犯人は胡座《あぐら》をかいて、窓ガラスが震えるような大声でいったかと思うと、ネクタイをはずしてワイシャツを脱ぎ始めた。純くんは恥ずかしそうにぺこりと頭を下げただけだった。
「あら、かまいませんよ」
純くんの目だけを見て、私はにっこり笑った。純くんは新入社員、犯人は私と同い年の中途採用の社員だということだった。
「営業の達人でね。社長にその腕をみこまれて引き抜かれたんだよ」
彼は犯人のことを誉めちぎった。
「どはははは」
ビールの泡を吹き飛ばしながら、犯人はうれしそうに高笑いした。
「いやあ、奥さん。こんなこといってますけどね、彼もなかなか優秀ですよ」
(そんなこと、あんたにいわれんでもわかっとるわい)
まさかそうはいえないので、曖昧《あいまい》に笑ってごまかした。きっと犯人は図々しく相手を押しまくって成績を上げているに違いない。まじまじと犯人を眺めると、あらためて私の大嫌いなタイプだということがわかった。体つきといい顔つきといい、なんだかとても暑苦しい。いつも鼻息が荒い。おまけに体じゅうの毛が、ずーっととぐろを巻きながらつながって生えているのではないかと思われるほど、毛深い。うちの彼や純くんみたいに、そよ風のようなさわやかさなんて微塵《みじん》もないのだ。三人は会社のこと、仕事のことをああだこうだと話していた。というか、犯人がひとりで大声でわめいていて、純くんと彼がうんうんと聞き役になっているといったほうがいい。
「ちょっと、奥さん、ビールないですかあ」
犯人はすぐ催促した。口でいえばわかるのに、空き缶でテーブルをカンカンと叩《たた》く。動作のひとつひとつがしつこく暑苦しい。フンとふくれながらも、
(かわいい夫のためには耐えなければならないこともあるんだわ)
と我慢して、ビールや冷奴《ひややつこ》やその他のおつまみを運ぶために、台所と部屋を何往復もした。うちの彼も純くんもつつましく飲んでいるというのに、犯人は遠慮のえの字もしらずに、ぐわっ、ぐわっとビールを流し込み、
「奥さーん、ビールないですよお」
とわめき続けた。ますます声は大きくなっていき、十二時を過ぎた時計を見て、私は気が気じゃなかった。明日も朝からお勤めがあるのだ。困ったなと思っていたら、
「それでは、失礼します。ごちそうさまでした」
といって、純くんが帰っていってしまった。
(えっ、帰っちゃうの?)
「またきてくださいね」
といいながら、どうせ帰るのだったら、犯人も連れて帰ってくれればよかったのにと、がっかりした。
「ねえ、もう遅いから……」
そういいながら部屋に戻ると、部屋の真ん中で赤黒い生き物が周囲に熱気を発散させて転がっていた。犯人が騒ぐだけ騒いで酔っ払って寝てしまっていたのだ。ただでさえ体がでかくて暑苦しいのに、そういう男にでれっと寝っころがられて、足の踏み場もなかった。
「どうする?」
横目で犯人の岩石のような寝姿を見ながら彼にいった。
「布団、敷いてあげようよ」
「どこに」
「ここしかないだろうなあ」
あとは台所と私たちの寝る部屋しかないのだから、彼のいうとおりここしかない。私は押し入れから初めて客布団をひっぱり出した。これは年老いた祖母が結婚のお祝いに縫ってくれたもので、赤の地に鶴と亀の刺繍《ししゆう》がしてある立派なものだった。この綺麗《きれい》な布団に寝る第一号がこの男だと思うと、とっても腹が立った。なるべく彼が寝た痕跡《こんせき》がつかないように、シーツを二枚、重ね敷き、掛蒲団《かけぶとん》にも二重にカバーをかけて、いやいや寝かせてやった。
翌日はいつもより三十分早く起きた。三十路《みそじ》をすぎると、この三十分の睡眠時間の短縮がひどく体にこたえるのであるが仕方がない。ところが、寝る前に流しにほったらかしにしておいたお皿の山がなくなっていた。うちの彼が洗っておいてくれたのだ。
(幸せすぎて、こわい……)
また私はつぶやいた。だけど奥の部屋には、そいつのおかげで心底幸せ気分になれない邪魔者がいる。
「ま、もうちょっとの辛抱だから」
と自分自身にいいきかせて、朝食の準備を始めた。まもなくうちの彼が、
「おはよう」
といいながら起きてきた。自分でさっと起きられる手のかからない人なのである。パンとコーヒーとベーコンつきスクランブル・エッグがテーブルに並べられても、いっこうに邪魔者は起きてくる気配がない。
「ちょっと見てこようか」
と、彼が腰を上げると、邪魔者が、ボサボサ頭をぼりぼり掻《か》きながら起きてきた。
「あー、よく寝たあ」
またまた窓ガラスが震えるような大声だ。
「やあ、すいませんねえ。いただきまあす」
突然、顔も洗わず目やにをつけたままの顔で、がつがつと食べ始めた。
(朝っぱらから、元気な奴《やつ》だなあ)
私は何をいわれても、曖昧《あいまい》に笑っているだけにしておいた。
「あっ、そうだ、奥さん。ワイシャツありませんか」
「はっ?」
「三日連続で着てるもんで、今日も着るわけにはいかんのですよ」
「…………」
だいたいこいつとうちの彼とでは体型が違う。
(あるわけないだろう)
と思いながらも、いちおうタンスの中を一生懸命捜すフリをした。彼が、
「これはどうかな」
と取り出してきたシャツも、ごつい体には合わなかった。結局、邪魔者はくんくんと自分が脱ぎ捨てたよれよれのシャツのにおいを嗅《か》ぎ、
「まっ、これならいいか」
といって着ていった。しかしちゃっかり、靴下はうちの彼のために買っておいた新品を、無理やり引き伸ばして履いてしまった。
「奥さん、どーも、どーも、お邪魔しましたあ」
二人は会社へとでかけていった。
(もう、二度と来るな)
「また、どうぞ」
バタンとドアを閉めたとたんに、ぐにゃっと体じゅうの力が抜けてしまった。どうやら邪魔者の元気の素は他人の体力を奪うことにあるらしい。まるでスペース・ヴァンパイアのような奴《やつ》であった。
昨日残業したおかげで、今日は定時に帰ることができた。きのうは邪魔者がいたからゆっくりできなかったけど、今日はふたりでのんびりしようと、ちょっと晩御飯も張り込んだ。たまにはテーブルセッティングなんかしちゃおうかしらと、うきうきしていたら、
「ピン、ポーン」
とチャイムが鳴った。いつもより早めのお帰りでうれしいわ、と思いながらドアを開けて私は失神しそうになった。
「ただいま」
とにこにこしている彼の背後に、またまた歯をむきだして、毛だらけの顔をほころばせている邪魔者が、ぬーっと立っていたからだ。
(うわあ、またきた)
もしかしたら純くんも……と期待したが、残念ながら彼の姿はなかった。純くんがいれば、彼の清らかさで邪魔者のアクが中和されるのだが、単独で来られては私の気がまぎれることがない。暗い気持ちで部屋に入っていったら、まだうちの彼が着替えていないというのに、邪魔者はすでに胡座《あぐら》でランニング姿。それだけではなく、
「ちょっと、奥さん、これハンガーに掛けといてくださいよ」
といって、ワイシャツと趣味の悪いネクタイを放り投げてよこした。
(うー)
怒りで手がぶるぶるしてきた。
(これもかわいい彼のため)
そう自分にいいきかせたものの、なかなか怒りはおさまらなかった。邪魔者はますます図に乗り、勝手に風呂場《ふろば》に入って大声で歌を歌いながらシャワーを浴び始めた。うちの彼はやっとネクタイをゆるめて着替えはじめたところだ。まるでどちらが夫だかわからない。
(あなたは何とも思わないの?)
別に迷惑そうな顔をしていない彼を見て、どなりつけたくなった。でも我慢なのである。
「奥さん、風呂上がりに着るもの、何かないですかあ」
風呂場に胴間声《どうまごえ》が響いた。私は無言でタンスのなかから伸縮自在のグレーの霜降りのジャージを出して、脱衣所に放り込んでおいた。
せっかくうちの彼と一緒に静かな夜をすごそうとしたのに、邪魔者のおかげで張り込んだ晩御飯は私の口には入らず、あわただしく台所と部屋を往復することになった。まさか今日もやってくるとは思わなかったので、おつまみの皿数がやや少なめであった。するとそれをめざとく見破った邪魔者は、
「こういうときのために、冷凍食品をたくさん準備しておくと、あわてることがないですよ」
などと説教しおった。よけいなお世話だ。邪魔者の食欲はとどまるところを知らず、あっという間に食べるものがなくなった。私は給料日前のあまり余裕のない財布の中を眺めながら、コンビニエンス・ストアに買い出しにいかざるをえなくなった。
重い荷物をぶら下げて帰ってきてドアを開けたとたん、すさまじいわめき声が聞こえてきた。うちの彼の笑い声も混じっている。騒音の現場に足を踏み入れて、また私は失神しそうになった。邪魔者が部屋の真ん中で、
「カーリンカ、カリンカ……」
とロシア民謡を大声で歌いながら、コサックダンスを踊っていた。それも毛だらけの体にオレンジ色のビキニブリーフ一丁という想像を絶する大胆な姿! それは目をそむけたくなるような光景であった。ドスドスと床に音が響き、なんともいえない熱気がたちこめている。うちの彼がげらげら笑いながら手拍子をとっているのが情けなかった。コサックダンスをひとしきりやったあとは、バーもないのにリンボーダンス。口三味線ならぬ口太鼓つきである。「マイムマイム」と「藁《わら》のなかの七面鳥」も口伴奏つきでひとりで踊った。そしてとどめは「与作」を歌いながらのヒンズー・スクワット。
(こういうのに限って妙に芸達者で、すぐ服を脱ぎたがるんだ)
私はあきれかえって邪魔者を見ていた。
「最高、最高」
うちの彼はものすごく喜んでいた。そういわれて邪魔者もうれしそうであった。
私はなるべく不機嫌であることを知らしめるために、仏頂面《ぶつちようづら》で追加のおつまみを出した。邪魔者は胡座《あぐら》をかいて壁によりかかり、はあはあいいながら笑っていたが、オレンジ色のビキニブリーフの股間《こかん》が妙にあぶない。
「いやあ、奥さん。僕はとっても楽しいです」
ろれつのまわらなくなった舌で、邪魔者はわめいた。
「ああ、そうですか」
なるべく感情をこめずにいった。
「楽しいなあ、本当に楽しいなあ。僕、どうしてここにくると、心がなごむのかわかりました」
(あんたはなごんでるかもしれないけど、私の気分は最悪なの)
「それはね、奥さん。奥さんがいるからなんですよ」
うちの彼がちょっとうれしそうな顔をした。私も「あらっ」と心が動いた。
「奥さんがね、僕が高校のときに世話になった、相撲部の先輩にそっくりなんですよ。なんかとっても懐かしくなっちゃって」
「…………」
むっとしてうちの彼に助けを求める目つきをしたが、妻がこういうことをいわれたのにもかかわらず、
「ははは」
と私の顔を指さして大笑いしている。二人ともふたつに折りたたんで蹴《け》っとばしてやりたくなった。
邪魔者がわあわあとわめいているうちに、あっという間に深夜になった。少しは静かになればいいのに、奴《やつ》ときたら体力が減退する様子もなく、
「汗かいてべたべたするなあ。また風呂《ふろ》にはいらせてもらうか」
とひとりごとをいって、勝手に風呂場にいってしまった。
「楽しい人でしょ」
うちの彼はにこにこしていった。
「まあね」
憎たらしいから、ぶっきらぼうに答えてやった。
「あんなに楽しい人なのに、独身なんだよね。どうしてなんだろう。仕事だってすごいんだよ」
彼は邪魔者のことが好きみたいだった。私は嫌い。だけど彼が友だちだと思っている人のことをあれこれいうのは、やはりはばかられる。
「昨日も遅かったんだし、今日はそろそろ帰ってもらったほうがいいんじゃないの」
そういったとたん、背後から、
「奥さん、気にしないでいいですよ」
という声がした。邪魔者は脱衣所の棚から勝手に出したらしい、私が気にいっているブルーのパスタオルで、むさくるしい脇《わき》の下をごしごしふきながら立っていた。このタオルは二度と使うまいと心に決めた。
「僕のことなら気にしないでください。着替えなら持ってきてますから」
そういって、ディスカウント・ストアの店頭でよく見かける、茶色いショルダーバッグをごそごそやった。そして中からくちゃくちゃになったワイシャツと靴下、それに下着を私の目の前に並べ、
「ほらね」
といって毛だらけの顔をほころばせたのであった。
(ひえーっ、今日も泊まるつもりか)
あきれかえっていたら、邪魔者は、
「奥さん、明日もお勤めでしょ。ささ、どうぞ、どうぞお休みください。あとは自分でしますから」
といって、勝手に押し入れを開けて、鶴亀の布団を出して敷いてしまった。
(わあっ、シーツ、シーツ)
私の心の叫びは無視され、風呂上《ふろあ》がりの暑苦しい体を、どかっと綺麗《きれい》な布団の上に横たえた。邪魔者が勝手に寝てしまったので、私たちは寝室に追いやられることになった。あーあとため息をついて布団のなかにはいると、隣の部屋から、
「奥さん、奥さん」
と呼ぶ声がする。
「何でしょうか」
「あのー、明日の朝のことなんですけど、できたら飯にしてもらえませんかね。朝からパンだとどうも力が出ないんで」
「はあ」
さすがにうちの彼も私がむかついているのを悟ったようだった。
「御飯にしてあげてよ」
彼は小声でいった。
「だって面倒なんだもん」
「わかってるよ。だけど独身でふだんみじめな生活してるみたいだからさあ、いうこときいてあげてくれないかなあ」
彼があまりに頼み込むので、私はのろのろと起き上がり、米をといで炊飯器にいれ、だし昆布を鍋《なべ》にいれた。
「悪いね」
彼はすまなそうにいった。どうしてこんなに優しい彼と、あんなに図々しい奴《やつ》が仲良くなったのか、本当に信じられなかった。
次の日は一時間早く起きた。目の下にうっすらと隈《くま》ができたのも、みんなあいつのせいだ。いつまでたってもガーガー寝ているのをやっとの思いで起こして、テーブルまで引きずってきた。
「わあ、御飯だ」
といいながらも、
「奥さん、佃煮《つくだに》とか冷蔵庫にいれとくと、こういうときに便利ですよ」
とまた大きなお世話をやいてくれた。そして、
「かばんにいれておいたら、しわになっちゃったんですけど……」
といいながら、持参した新品のシャツを私の目の前にひらひらさせた。
(昨日は三日連続で着たよれよれのシャツを平気で着ていったくせに。私だってこれから会社にいかなくちゃならないんだから忙しいんだ)
無視しようとした。しかしうちの彼に、
「優しくしてほしいんだよ、きっと。アイロンをかけてあげてくれないかなあ」
といわれてしまっては、やらざるをえない。奴《やつ》はうちの彼のネクタイまで借りた。きっとなしくずしに自分のものにしてしまうに違いない。
「いってきます」
うちの彼が玄関で手をふった。すると奴まで、
「いってきまーす」
といって毛むくじゃらの切り株のような腕を振った。
(何がいってきますだ、この大馬鹿もん)
奴の相手をするくらいなら、会社で残業をしてたほうがずっとマシだった。しかしうちの彼が奴になついているようだし、遊びにいきたいといわれたら、喜んで連れてきてしまうだろう。今日もやってきたらどうしよう。かわいいうちの彼と奴の間に挟まれて、私は心底困った。これからのことを考えると、頭がくらくらした。
「あの人、もう連れてこないでよ」
なんていえない。でもこられるとこっちが困る。私は毛だらけの奴の顔を思い浮かべ、
「ふざけるんじゃないっつーの」
と毒づきながら、駅への道を急いだのであった。
親子の異常な愛情
週末が近づくにつれて、私の夫はそわそわし始める。結婚したてのころは、彼のそういう姿を見て、
「私とすごす週末が、そんなに待ち遠しいのかしら」
とにたにたしていた。見合い結婚をして当たりをひいたと信じていたから、彼が週末に私を車に乗せてくれたときも、新婚カップルの愛のドライブだとばかり思っていたのである。ところが、
「どこにいくの」
と聞いても、はっきり返事をしない。
「黙って乗っていればいいんだよ」
というばかりである。変だなあと思いながら変わっていく景色を見ていて、私は以前、ここを通ったことがあるような気がした。一時間、二時間と時がたつにつれて、私のこめかみには汗がひとすじ、たらーっと流れてきた。この車は彼の実家へと直走《ひたばし》りに走っていたからである。
当時、私たちは新婚一か月だった。妻が実家に帰るというのならまだしも、夫のほうが実家に帰るなんて想像もしていなかった私は、嬉々《きき》としてハンドルを握っている夫に対して、
(何だ、こいつ)
とちょっと軽蔑《けいべつ》してしまった。
「どんな用事があるの」
と聞いても、彼ははっきりいわない。
「うーん」
とか、
「あー」
とかいって時間を稼いでいるだけである。だんだん腹が立ってきたので、じわじわと質問責めにしていって、やっと、
「学生時代から少しでも休みがあると、実家に帰っていた」
と白状させた。
(こんなこと、結婚前に誰も私に教えてくれなかった……)
見合いの席ではもちろん、結婚式当日も仲人以下、みんな口を揃《そろ》えて、「将来有望」だの、「資産家の息子だから、一生、食いっぱぐれがない」だの、「思いやりがある」だのといいことばかりいった。「すぐ実家に帰りたがる」なんていうことは、結婚後初めて知ったのである。このときほど、
「大人って嘘《うそ》つきだ」
と本気で頭にきたことはなかった。それから彼の休みが許す限り、里帰りするのは決まりみたいになってしまった。ゴールデン・ウィーク、夏休み、正月休みはもちろん、振替え休日で二連休や三連休になったときでも、それっとばかりに里帰りする。その間、私は家事一切をしなくてもよいのだが、夫の実家に帰ってふんぞりかえっているわけにもいかず、あれこれ気を遣わなければいけない。これが結構、憂鬱《ゆううつ》なのである。
「たまには私だって実家でゆっくりしたいわよ」
といっても、彼は、
「おかあさんは、うちに遊びにくるじゃないか。実家に帰っておかあさんに用事をさせるよりも、うちに泊まってのんびりしてもらったほうがいいんじゃないの」
と私が反論できない理屈をいう。
「あなたひとりで帰ってよ」
というと、
「自分ひとりで帰ったら、『あそこの東京の息子夫婦には何かあったらしい』という噂《うわさ》が、町じゅうにあっという間に広がるから、それはできない」
と真剣になる。こんな調子なので、結婚して三年間、彼の実家以外、私は東京を離れたことがないのである。彼の帰りたがる実家が、私も好きだったら喜んでいく。しかしそこには、どうもいまひとつ私と気が合いそうもない女が、ふたりもいるのである。
ひとりはもちろん 姑《しゆうとめ》 である。彼女は夫が十年前に亡くなってから、膨大な土地や田畑を管理しつつ、地元の婦人会の役員を務め、ふたりの息子を育て上げた。私の夫が生まれ育った家は、近隣近在では「御殿」と呼ばれていて、私もいちばん最初にいったときは、ものすごい長さで生け垣が続き、横にどーんと広がった大きな家を見て、あの広さにたまげてしまったくらいである。こういう人であるから、当然の如く、おっとりしたタイプではない。婚約して頭がちょっとボケていた私は、年よりも若く、しゃきしゃきと仕事をしている彼女の姿を見て、
「なかなか、素敵なお母様」
と思ってしまったのが運のつきだったようだ。
もう一人は兄嫁のトメ子である。現代女性にしてはアナクロな名前であるが、彼女はなんでも十人兄弟の末っ子で、父親がいい加減うんざりして命名したという話であった。
これからあのふたりと顔を合わさなければならないのかと思うと、ため息ばかりでてきた。その分、彼のほうはうれしそうに鼻歌なんかを歌ったりしている。
(一泊二日の我慢だわ)
いつも自分にそういい聞かせてきた。だけどそのたんびに気分は落ち込むばかりであった。
御殿につくと玄関で待っていればいいのに、姑《しゆうとめ》 が今か今かと門の前に立っていた。きっと事前に夫がおおよその時間を知らせていたに違いない。門から玄関まで車がのろのろと動いている間に、運転している彼の顔を見ながらにこにこして伴走するのがちょっと怖い。私はますます頭が痛くなってきた。
「まあ、栄作ちゃん。よく帰ってきたわねえ」
つい一か月ほど前に帰ったばかりなのに、いつも彼女はこうだ。そして栄作ちゃんを抱きかかえるようにして家の中に押し込む。その間、私はぼーっと突っ立っているだけ。ひととおり栄作ちゃんとの愛の再会を喜び合ったあと、「おや、あんたもいたの」という感じで、
「さあ、ヒロコさんも入って」
と面倒くさそうにいうのである。
家のなかに入ると、顔はかわいいが姫だるまみたいな体型のトメ子が、米糠《こめぬか》で磨きたてられた長い廊下を、ドスドスといわせてやってきた。
「いらっしゃあい」
といいながら、いつものように私の頭のてっぺんから爪先《つまさき》までちらっと目線を走らせた。おまけに五歳と三歳のこうるさい娘が、キャーキャー騒ぎながら奥からでてくる。
「おじちゃんたち、またきたの?」
とトメ子の顔を見上げながらいったりしている。これでまた私は頭が痛くなるのである。十二畳の客間に入っていくと、夫は大きな塗りの座卓の前であぐらをかいて、すっかりくつろいでいた。
「あーあ、やっぱりうちは落ち着くなあ」
(悪かったわね。東京じゃ落ち着かなくて)
私がむっとして彼の顔をにらみつけていると、姑が満面に笑みを浮かべて、
「そりゃあ、そうだよ。東京なんて人間が住むところじゃないんだから」
と小鉢を手にしてやってきた。どうやら、東京に生まれ育った私は、彼らからみたら人間ではないらしい。
「おおっ、きゅうりの漬物だ!」
「ちょうどいい漬かり具合になっているんだよ。食べてごらん」
まるでヒナに餌《えさ》を与える母鳥のようであった。
「ヒロコも漬物をつけるんだけど、いまひとつなんだよなあ」
「あら、ヒロコさん、どうやってるの」
まさか、
「『ぬかよろこび』を使っています」
なんていえないので、
「はあ……料理の本を見て適当に……」
と、ごまかした。
「ヒロコさん、この糠味噌《ぬかみそ》はね、そんじょそこらにあるのと違うのよ。私がお父さんと結婚した当時からずっと使っているものなんです。手間をかけているんだから、おいしいのは当たり前なの。楽しておいしいものを作ろうといったってそれはダメよ」
姑は得意そうにいった。夫がそのことばに相槌《あいづち》を打っているのに腹が立った。
「そうだ、栄作ちゃん、切り干し大根もあるのよ」
姑は台所にいこうとしたが、お盆に山のような皿を載っけてやってきたトメ子に、
「お姑《かあ》さん、ちょぼちょぼ小出しにしないで晩御飯にしましょうよ」
と止められた。
「それもそうね、ホホホホホ」
ふたりは仲がよさそうにお上品に笑っていた。
座卓には載せきれないくらい、おかずが並んだ。いつの間にか夫の兄も、姑が役員になっている会社から帰ってきたが、挨拶《あいさつ》もろくにしないので、気がついたら上座《かみざ》に座っていたという感じだった。それでなくてもいるのかいないのかわからない影の薄い人なのだ。弟の里帰りには何の関心もないみたいだった。
「あー、おとうさんとおじちゃんには、おかずがひとつ多い」
五歳の子が大きな声でいった。
「そうよ、男の人は偉いからおかずが多いのよ。まあちゃんもお嫁にいったらそうするのよ」
姑はふたりの息子のほうを交互に見ながらいった。
「ふーん」
と女の子は生返事した。私は口には出さねど、
(下らなーい)
と思いながら、てんぷらを食べていた。
そのあとビール、焼酎《しようちゆう》、ウイスキーが出てきて、息子ふたりと母親の宴《うたげ》はいつまでも続いていた。
どうせ邪魔だろうからと私は三人の宴には参加せず、台所でトメ子と一緒に食べ終わった食器を洗っていた。すると彼女はちらちらと横目で私のワンピースを見ている。そろそろくるぞ、と構えていると、案の定、
「いつも素敵なのを着てるわね」
とため息まじりにいう。
「別に新しい服じゃないけど」
「そうは見えないわあ、いいわあ」
私はこれ以上、この話題には係わりあいたくなかった。というのも、今日、彼女が着ているシャツブラウスもパンツも、かつて私が着てきたものだからだ。そのときのしつこさといったらなかった。
「ちょーだい、ちょーだい」
といいながら、私のあとをくっついてくる。よくそんなに「ちょーだい」を連発して、恥ずかしくならないもんだと感心するくらい、「ちょーだい」をいい続け、見兼ねた夫が、「あんなに欲しがっているんだから、あげなよ」
と耳打ちしたので、しぶしぶ提供したのである。身長百五十センチ、服のサイズは十三号の彼女と、身長百六十三センチ、九号の私が同じ服を着られるとは信じたくないが、残念ながら最近の服は、よほどぴったりしているデザインでない限り、だいたいどんな体型の人でも合ってしまう。幅が入ればあとは股下《またした》にあわせてパンツの丈を詰めるだけ。私が着ていたときは、シャツブラウスもパンツもちゃんとゆとりがあったが、彼女が着たらゆとりは全くなく、ぴちぴちになっている。同じ服でも、着る人間によってシルエットがこうも変わるということを私は知ったのである。
少し休もうと私がいつも泊めてもらう部屋の襖《ふすま》を開けると、トメ子も後をくっついてきた。
「その服、いいわねえ」
目は私の着ているワンピースにまだ釘付《くぎづ》け状態であった。
「そう」
「いいわあ、絶対にいいわあ」
「…………」
しばし沈黙が流れた。私は彼女を無視して押し入れの布団を敷くことにした。シーツ類はきれいに洗ってあったが、布団のほうは継ぎが中央に当ててあり、長いこと使い込まれたようだったが、別に私はそれが不愉快ではなかった。こういう部分は私も見習わなければならないと思ったりした。 姑《しゆうとめ》 から何かいわれると困るので、もちろん栄作ちゃんには継ぎが当たってないほうを敷いた。
「ヒロコさん、あとでお風呂《ふろ》に入るでしょ」
トメ子は唐突にいった。
「ええ」
この家ではどんなに遅くなっても、妻が夫より前に風呂にはいるなんて考えられないことなのだ。だから例の宴が終わらない限り、私たちは風呂に入れない。
「そのときに私にそのワンピース、着させてくれない」
「はっ?」
自分が一日着ていたものを、人に着せるのは抵抗がある。そして着たら最後、トメ子は何があってもワンピースを脱がないに決まっているのだ。
「うーん。一日着てたし……。それにお義姉《ねえ》さんには、こういうデザインじゃないほうが似合うんじゃないですか」
私が着ていたのは、久し振りにヘソクリをはたいて買った、憧《あこが》れのイッセイ・ミヤケのものである。シルエットはすとんとしていてシンプルだが、襟と裾《すそ》がデザインポイントになっていた。とくに裾は大胆に斜めにカットされていて、
「あなたは背が高いから、こういうデザインもよく似合うわね」
と、友人にも誉められた。こういう服が姫だるまに似合うわけがない。彼女は絶対手にいれようという目をしていたが、もしかしたらこういうデザインのものは、着せてみて似合わないのを認めさせたほうがいいかもしれないと、ふと頭に浮かんだ。
「いいですよ」
そういうとトメ子の目がぱっと輝いた。風呂場をのぞいたら、男連中はすでに入った気配があった。
「早くお風呂からあがってきて」
彼女は小躍りしながらいった。私は手足が思いっきり伸ばせる湯舟につかりながら、
「絶対トメ子には似合わないわよ」
とつぶやいたのだった。
やっぱりワンピースはトメ子に似合わなかった。幅もぴちぴちの一歩手前で、どこをどうやっても無理だった。
「うーん」
彼女もさすがにシャツブラウスのときと違って、鏡のなかの自分を真剣に見詰めていた。
「悔しいけど、あきらめるわ」
というに決まっていると信じていた私は、彼女の口から発せられたことばに仰天した。
「結構、いいじゃない」
どこをどう見たら、「結構、いい」なんていえるんだ!
「やっぱり違うデザインのほうがいいような気がするけど……」
おそるおそるいっても、彼女は自信満々で、
「うん。だから襟を取って、裾《すそ》をまっすぐに切るの。そうすれば着られるでしょ。私、リフォームって得意なの」
などととんでもないことをいい出すのである。これはデザイナーに対する冒涜《ぼうとく》ではないか。イッセイ・ミヤケのワンピースがただのアッパッパにリフォームされるのは許せない。私は断固として首を縦に振らない決心をした。彼女は胸元をしっかりと握りしめて、自分のものにしてしまおうとしていたが、私は彼女が脱衣所にいくのにもくっついていって、脱ぎたくなさそうにしていたワンピースを取り返してやった。影の薄いお義兄《にい》さんに、
「服くらい買ってやれ」
といいたくなった。
部屋に戻ると夫は布団の上で真っ赤な顔をして寝ていた。
「またお義姉《ねえ》さんが、ワンピースをちょうだいっていうの」
小声でいうと、
「うるさいなあ。せっかくいい気分でいるのに、くだらないこといわないでくれよ」
と怒って寝てしまった。
「どうせ、私と暮らしていても、気分がよくならないんでしょ」
聞こえたのか聞こえないのか、彼は黙って横になっているだけだった。
スズメの鳴き声で目がさめると、もう 姑《しゆうとめ》 は庭の掃除をしていた。台所からは包丁の音が聞こえてきた。そーっと着替えて台所にいるトメ子に、
「おはようございます」
と声をかけた。
「おはようございます!」
大根を千六本に切りながら、彼女はふりむきもせずにいい放った。
(うわあ、怒ってる……)
今度は姑のところに挨拶《あいさつ》にいった。
「栄作ちゃんは?」
真っ先に彼女はいった。
「まだ寝てますけど……」
「そう。早く起こしてね。それとお布団を干しておいて」
私は栄作ちゃんを蹴《け》っとばして起こし、布団を剥《は》ぎ取った。そしていちばん陽《ひ》の当たる庭に面した物干し場に、やっとの思いで布団を干し終わった。家のなかではすでに朝食が始まろうとしていた。
「いただきまーす」
なんとなくトメ子による御飯の盛り方が、私だけやけに少ないように思えた。
「ああ、うまいなあ。このみそ汁。やっぱり漬物もうまい。毎日こういうものが食いたいなあ」
「そりゃあ、そうですよ。お味噌《みそ》だって手作りなんだもの」
夫が誉めるたびに 姑《しゆうとめ》 の頬《ほお》がゆるみ、私の胸にはナイフがグサグサと突き刺さった。
針のむしろの上の朝御飯が終わった。食器を洗おうとしたら、トメ子に、
「私ひとりで大丈夫ですから」
と妙に他人行儀に断られてしまった。何をしたらいいかしらと、だだっぴろい家のなかをうろうろしていたら、庭から姑が布団を抱えて血相変えて飛び込んできた。
「ヒロコさん、何なの、これは」
足元に布団を落として彼女は叫んだ。
「布団を干すようにっておっしゃったので」
「こんなみっともない布団を、いちばん目立つところに干したりして、うちの恥をさらす気ですか!」
姑は押し入れから別の綺麗《きれい》な布団をひっぱりだしてきた。そして足元に転がっている布団を指さして、
「それは裏に干すの。表に干すのはこっち」
といって、きれいな布団を抱えて庭に出ていった。あっけにとられている私を見て、トメ子はフリルがやたらとついたピンクのエプロンで手を拭《ふ》きながら、
「あーら、知らなかったっけ? うちでは寝る布団と外に干す布団は違うのよ」
と平気な顔をしていった。広い縁側から様子を窺《うかが》うと、いちばん陽があたって近所の人々から目につくところには、ふだんは使われることがない綺麗な布団が、これ見よがしに干してあった。
「そっちの布団は裏に干しておいて」
トメ子は勝手口のほうを指さした。布団を抱えて勝手口から出てみると、隣家の物置で陰になっている場所に、塀の高さぎりぎりに竿《さお》がかけられていた。日光消毒はあまり期待できない場所であった。
(何たる見栄《みえ》っ張り……)
御殿に住んでいるワリにはあまりにせこいやり方であった。異様な習慣に私はたまげた。庭では姑と栄作ちゃんが仲よく池の鯉《こい》にエサをやっていた。はっきりいって私は置き去りにされていた。いっそこのままひとりで東京に帰ってしまおうかと思ったくらいだった。
家のなかをうろうろしているうちに、あっという間に午後になった。これでやっとこの家から解放されると、ほっとした矢先、トメ子が近所の温泉にいこうといいだした。温泉といっても有名な所ではなく、近隣近在の人々が入りにいく、銭湯の拡大版のようなものだということであった。車二台を連ねてトメ子推薦の温泉に急いだが、入り口には、
「本日は五時まで」
という張り紙がしてあった。時間は四時四十五分になっていた。そんなに急いで入ってもつまんないだろうと思うのに、トメ子は、
「せっかくきたんだから、入ろう、入ろう。ヒロコさん、お金のこと、よろしくね」
といって、姿を消してしまった。私は大人五人と子供二人分、三千円を払って、五時に間に合うようにすさまじい勢いで服を脱ぎ、暖まるのもそこそこに湯舟から出ようとした。すると、姑とトメ子は口を揃《そろ》えて、
「もうちょっとのんびりできないの。本当に東京の人ってせっかちね」
などというのだ。
「あのー、そろそろおしまいなので」
と掃除係の人がきても、
「まだ、いいでしょ」
とふんぞりかえっていた。
結局私たちがそこを出たのは六時だった。あれだけねばったのに、姑とトメ子は、
「あれじゃ落ち着かない。サービスが悪い」
とぶつぶついっている。そしてトメ子は私にむかって、
「入浴料、いくらにしてくれた?」
という。
「全部で三千円払いましたけど」
「えーっ、ちゃんと払ったの。バカみたい。どうして値切らないのよ。いちばん汚れたお湯にはいるんだから、そのくらいいいなさいよ」
と呆《あき》れ顔でいった。おまけに影の薄い義兄まで、
「おれたち裏に回って、塀を乗り越えて入ったもんな」
などという。隣でそうだそうだと相槌《あいづち》を打っているのは栄作ちゃんである。それを聞いた 姑《しゆうとめ》 とトメ子は目をつりあげて、
「ほら、みなさい。無駄なお金を払っちゃったじゃないの。バカねえ」
と、私のことをいつまでもバカ、バカとののしるのだった。
いつにもまして今回の里帰りは最悪だった。別れ際に、私のことをバカといったトメ子は、私が紺色のジャケットにしていた銀製のブローチを、また、
「ちょーだい、ちょーだい」
としつこくねだった。あまりにうるさいので黙って手渡すと、ありがとうもいわずに自分のカーディガンに刺してしまった。
帰りの車の中で夫は、姑が彼のために包んでくれた、味噌《みそ》や漬物のおみやげをちらちらと横目で見ながら、
「はやくおふくろと同じものが作れるようになってくれよ」
といった。私は黙っていた。どうしてああいう人をお姑《かあ》さんとかお義姉《ねえ》さんとか呼ばなきゃならないんだろう。それはこの夫と結婚したからだ。基本的に考え方が違う人たちに合わせるのはとても疲れる。夫も彼らと会っているときのほうが、本来の姿ではないかという気がしてきた。これからもずっと夫の里帰りが続き、そのたびに私がこんなにいらいらするんだったら、私の結婚生活も長くないかもしれないなあ、なんて思ったりしたのだった。
どんどんかせいで
「今日から出張だから、あさってまで帰らないからね」
妻がそういって黒い大きなバッグを肩から下げて仕事にいってしまうと、僕は正直いって心からほっとする。バタンとドアが閉まってから、小さな声で、
「そのまま帰ってこなくていいぞー」
といってにんまり笑うこともある。ところがどういうわけだか、
「あーあ、疲れた」
といって彼女が帰ってくると、
「おかえり」
といってにこにこ出迎えてしまう。なんだかよくわからないけれど、犬が飼い主に尻尾《しつぽ》をふっているような感じなのである。
僕たちは結婚十年目で子供はいない。最近はきかれなくなったが、いわゆるDINKSとかいうやつである。このことばをいちはやく僕に教えたのは、編集者をやっている妻である。
「うちみたいなのを、DINKSっていうんだって」
「共稼ぎで子供がいない夫婦のことをねえ。いろんなことばを考えるもんだな」
と感心していたら、
「うちは共稼ぎじゃないわよ」
と口をはさむ。理由をきいたら、
「だってあなた、稼ぎっていえるものなんかないじゃない」
などというではないか。むっとしたが、事実なので僕は黙っているしかなかったのである。
彼女とは学生時代からの付き合いだが、僕と違って負けずぎらいの「やる気まんまん」の性格である。自信家でもある。学校を卒業して就職したと思ったら、
「この私がこんな給料でずっと我慢するなんて、信じられないわ」
とかなんとかいって転職を繰り返し、やっと今の出版社に落ち着いた。もちろん彼女の転職の基準は、第一は給料の高さ。そして第二はその仕事がかっこいいかである。アナウンサー、コピーライター、スタイリスト、インテリア・コーディネーターなど、彼女がなりたいといったものは数知れない。それもカタカナ商売ばかりである。いまは編集者という職業に満足しているようだが、僕が、
「編集者」
というと、
「あたしは違うもん」
と不満そうにいう。彼女によると編集者というのは活字がびっちりつまった本を作る人たちのことで、きれいなモデルがにっこり笑っていたり、いわゆるお洒落《しやれ》な雑誌をつくっている自分みたいな人たちは、
「エディター」
というんだそうである。
「ふーん」
といちおうは答えているものの、はっきりいって僕にはその違いがよくわからない。
「あなたって、本当に欲がないのね」
と感心半分、あきらめ半分みたいな調子で彼女にいわれることもある。欲がないというか、僕はすぐ現状で満足してしまうタイプなのだ。結婚当時は2DKのアパート住まいだった。まわりに緑もあったし公園もあったし、僕は結構気にいっていたのだが、彼女はいつも、
「あーあ、はやくこんな狭いところから引っ越したいわねえ」
と事あるごとにいっていた。どこが気にいらないのかと聞くと、
「外見がやぼったい」
「二部屋とも畳にふすまなので、自分のやりたいインテリアにできない」
「給湯式じゃない」
「洋式バスじゃない」
などなど気に食わない理由をあげつらった。
「僕たちが今、生活できるのは、このくらいの部屋なんだからしょうがないよ」
というと、彼女は、
「まかせておいて。私がなんとかしてみせるから」
と力強くいった。そしてそのとおり、新しい場所に引っ越すごとにひとつひとつ問題をクリアしていって、彼女の理想だった現在の3LDKのテラス・ハウスに住むことになったのである。僕は住まいには何の希望もなく、いつも彼女のいうとおりにおとなしく行動するだけだった。どうしてこうなったかを考えてみると、小さいときにうちにあった日めくりのせいではないかと思うのだ。居間の柱に、母親が商店街の福引きでもらってきた日めくりが掛けてあり、僕がそれを毎日めくることになっていた。あるとき紙を一枚めくったら、そこには日付とともに、
「家は雨が漏らぬほどに、食べ物は飢えぬほどに」
ということばが書いてあって、小学生の僕は妙に感激してしまったのである。この話をすると彼女は、
「貧乏くさいわねえ」
とあきれた顔をしたうえに、
「仏門にはいったらぴったりね」
と追いうちをかけた。僕の友だちのなかには、家とか食べ物に気を遣わないぶん、趣味にお金を注《つ》ぎ込む奴《やつ》がいる。質素なアパート住まいなのに、ベンツなんかに乗っていたりするのだ。しかし僕には趣味というものがない。酒は飲むが乱れるほど飲まない。浮気もしてみたいとは思うけどしたことがない。カラオケのレパートリーも「ひょっこりひょうたん島」しかないので、「銀恋」や「男と女のラブゲーム」をデュエットしながら、ふざけて女の子の肩を抱くなんていうこともできない。休日も家のなかでごろごろして、それにも飽きて駅前でパチンコをしているうちにすぎてしまうといった具合なのである。
「とてもじゃないけど、あなたのような毎日は送れないわ」
と彼女はいう。僕なんか仕事が終わったらすぐ家に帰ってのんびりしたいと思うのに、彼女にしてみると、朝から夜遅くまで働いているというのに、仕事が終わってまっすぐ家に帰るなんて信じられないことなのだ。
「遊びも仕事のうちなのよ」
といわれると、そうかもしれないと納得せざるをえないのだが、明け方に帰ってきて朝八時に出ていくときもある。リゲインを愛飲しているとはいえ、驚異的な体力である。まあ、「自分はこれだけの給料をもらう能力がある」とはっきり口にだせるのは、僕からみるとうらやましいような、ちょっとずうずうしいような気がする。しかし彼女はそれができる性格なのである。そんなパワフルな「やる気」によって、あれよあれよという間に、彼女の年収は僕の約二倍になった。流行の服を着て、じゃらじゃらとたくさんのアクセサリーもつけるようになった。最初のころは、スカートを穿《は》いているのに、その下から黒いパッチみたいなのがのぞいているファッションにびっくりしたが、最近では何事にも慣れて、彼女が何を着ても驚かなくなってしまった。
交通の便のいいテラス・ハウスに住めるのも、彼女のおかげだ。毎月、お互いの給料の何割かを生活費として供出するのだが、そのたびに彼女は、
「かわいそうだから、おまけしてあげる」
という。僕はつい、
「ありがとう」
といってしまって、瞬間的に釈然としない気分が残る。でもすぐにそんなこと忘れて、
(助かったあ)
と喜んでしまうのだ。安月給では一万、二万が労働者の心のゆとりを大きく左右するのである。
彼女が友だちと電話で話しているのを何気なく聞いていると、
「ボーナス? そうねえ、うちは結構いいわよ。夏は六か月分でたけど」
などといっていた。もともと給料がいいうえに半期で六か月分もでるなんて、僕には信じられない。僕の会社は夏なんか組合の委員長が倒れそうになりながら団交して、やっと給料の三か月分を勝ち取ったのである。それだってたかが知れている。去年定年退職した彼女のお父さんが、
「こつこつ働いてきたお父さんより、お前の給料が多いとは何ごとだ」
と逆上したのもよくわかるのだ。僕は年度がわりに一万円の昇給があるのを楽しみにしていたのだが、その喜びもつかの間、一万円昇給しても、その分税金も多く取られるしくみになっていて、結局は何千円しか上がらないことを知った。
「悲しいなあ」
定期預金の通帳を眺めていたら、彼女がうしろからのぞいて、
「けっこうあるね」
といった。皮肉をいわれたのかとむっとして顔をみたが、彼女は真顔だった。僕はとぼしい給料から毎月天引き貯金をしているのに、彼女はあれだけの給料をもらいながら、
「あたしほとんど残高なんてないよ。後輩と一緒だったらおごらなくちゃならないし、結構たいへんなのよ」
とけろっとしているのだ。
僕は洋服や靴は彼女が買ってくるのを身につけているから、へたに無駄遣いはやめろともいえない。知り合いのメーカーのプレスの人に愛想をふりまいて、定価よりは安く手にいれているらしいのだが、毎月シャツだネクタイだスーツだと、たくさんの洋服をかかえて帰ってくる。
「あなたは目鼻だちがなくて、顔がのっぺりしているんだから、いい服を着てインパクトを与えなきゃダメよ」
と、僕と一緒に鏡のなかをのぞき込みながら彼女はいう。たしかに会社の若い女性たちに、
「素敵な服や靴ですね」
といわれる。
「そうかなあ」
といいながらも、内心はとってもうれしい。少なくとも「おじさん改造講座」で糾弾されるような、おじさんにはなってないなと安心するからである。しかしよく考えてみると、身につけている服や靴は誉められるのだが、
「素敵な方ですね」
といわれたことがない。誉められるのは首から下だけ。
(やっぱり顔の印象が薄いのかなあ)
と悩んだこともあるが、やっぱり、
「ま、いいか」
で終わらせてしまうのである。
妻の働きのおかげで何の苦労もなく暮らしてきた僕であるが、この十年の間、彼女の両親から、
「孫はまだか、孫はまだか」
といわれ続けている。両親がすでにいない僕のほうは、誰もぶつぶついわないのだが、彼女の両親はしつこく、
「孫、孫」
と迫ってくる。彼女が三十五歳になったもので、説得の文句のなかに、
「マル高」
ということばも加わるようになった。特にお母さんのほうは目つきが必死なのだ。
「いくら四十歳すぎで生む人が多くなったっていっても、母体も心配だし、生んだあとも大変らしいわよ。本当に一日でも早く生んで欲しいの」
早く生んでくれといわれても、白色レグホンじゃないんだから、そう簡単にボコボコ生めるものではない。両親の気持ちは十分に理解するが、とにかく彼女が子供を嫌がっているのが一番の理由だということをわかってもらいたい。文句をあてつけがましく僕にいうのは、筋違いというものである。
「病院へいったら?」
といわれる。
「欲しくないのよ、私たち」
と彼女が助け舟をだしてくれるのだが、お母さんはひるまない。
「女が子供を欲しがらないなんて、そんなことあるわけないですよ。きっとあなたのことをかばっているんでしょ。お願いだから病院にいって、お医者さんと相談して、何とかしてちょうだい。ねっねっねっ」
力一杯しつこい。こんな険悪な雰囲気になっているときに、妻はよせばいいのに、
「私の友だちの旦那《だんな》さんがねえ……」
と大胆な話をし始める。その友だちの旦那は体育大学の出身で、とにかく体には自信があった。こんなに元気なのだから子種も元気だろうと、在学中に大学の顕微鏡でふざけて子種の状態をチェックしてみた。それは想像どおりに元気いっぱいで、彼はすこぶる満足した。ところが結婚したらいつになっても子供ができない。あんなに元気だったのにこれはおかしいと調べてもらったら、まるで別人のものみたいに半分は動かず、尻尾《しつぽ》もちょんぎれているものがあったりして、惨澹《さんたん》たるありさまだったというのである。
(よくもまあこんなあからさまな話が、自分の両親の前でできるなあ)
とあきれたが、両親は真剣な顔をしてうなずきながら、じっと僕をうらめしそうに見ている。そして、
「体育大学にいった、体が立派な人ですらそうなんですよ。それなのに尻尾がちょんぎれたのもあったなんて……。あなたの体格からしたら、もうどうなってるかわからないわね」
などと男のプライドを傷付けるようなことまでいわれてしまった。これではまるで僕が悪者ではないか。
「そんなに子供、子供っていうんだったら、お父さんとお母さんが頑張ってつくったらどうですか」
といってやりたくなったが、やはりこれははしたないと思って、じーっと耐えた。僕だけが悪いんじゃない。自分たちの娘がどういうことをいったりやったりしているか、知ってもらいたいものである。
たとえばテレビに赤ん坊にお乳を飲ませている母親の姿が映し出されると、
「やあねえ、あんなになっちゃうのね。あれは女じゃなくてメスね」
ときっぱりいう。僕には特に意見がないので黙っていると、
「胸だってさあ、あとが情けないわよねえ。用がすんだらしぼむだけでしょ。子供を痛い思いをして苦労して生んで、胸は垂れるわ三段腹にはなるわ、そのうえ手間もお金もかけた子供がさあ、不良にでもなったとしたら目もあてられないよねえ」
と、マシンガンのように喋《しやべ》りまくるのである。
「でも体つきが変わるのは母親なんだから、しょうがないよ」
といおうものなら、
「あたし、母親なんていや。ずっと女でいたいのよ」
と演歌の歌詞みたいなことをいう。そして、
「あなたも私の胸やお腹《なか》がだらーんと垂れるのなんていやでしょ。いつまでもスタイルがいいほうがずっといいでしょ」
と詰問《きつもん》するのだ。ここで本心の、
(もうそんなに興味はないけど)
などといったら血の雨が降るのは確実なので、
「そうだね」
といってお茶を濁す。こういっとけば彼女は満足なのである。興味はないといってもいちおう男だから、ごくたまにであるが、することはする。と、彼女は途中でガバと僕をはねのける。
「あ、だめだめ。今日は危ないんだった」
そしてあっけにとられている僕にくるっと背中を向けて、両足をしっかと閉じて寝てしまうのだ。僕としては子供が嫌いじゃないし、彼女の胸やお腹が垂れても別にかまわない。そんな人はいないけど、ばあさんになってもマリリン・モンローみたいな体つきをしているほうが、よっぽど気持ちが悪い。夫婦なんだから自然にまかせて、できたらできたでいいじゃないかと思うのだが、彼女はそうじゃない。そのくせそれから何日かたって、朝、トイレからでてくると、
「なーんだ。大丈夫だった。こんなことなら、ただでさえ数が少ないんだから、あのとき思いっきりやっときゃよかった」
と、これまた大胆な発言をするのである。彼女の発言や行動をすべてビデオに収録して、両親に見てもらい、僕のせいではないことを訴えてやりたい。でも夫婦のナマの話をするなんてやはり恥ずかしいから、きっとこれからも僕は両親の理不尽な冷たい視線を浴びなきゃならないんだろう。
このような僕の生活を友だちに話すと、みな一様に、
「いいなあ。おれたちもそういう生活をしたいなあ」
と口ではいう。でも目の奥からは、
「よく我慢してるよ」
という光が発せられているのが僕にはわかる。彼らの話を聞くと、会社の後輩の男のなかには、逆玉を狙《ねら》っている奴《やつ》が多い。そして結局は逆玉が成功して、自分はなんの苦労もしないで、いい暮らしをしているというのだ。
「あんなの許せない。おれなんかみじめなもんだ」
と怒って酒をあおったのは、僕と同じ歳《とし》なのに、すでに四人の子持ちの男である。明らかに生活に疲れているのがわかり、僕よりも五歳はふけてみえる。
「子供も、まあ、できてみればかわいいもんだよ」
と最初はいっているが、だんだん酒がすすむと、
「ふざけんじゃねえよなあ」
とぐちが始まる。そして最後にぐでんぐでんに酔っ払うと、いつも、
「またいだだけで子供を生む女房なんか、離婚してやるー」
とあたりかまわずわめき散らすのだ。
「お前、カッとくることなんかないの。こういっちゃなんだけど、結構きついこといわれてるじゃないか」
耳元で僕にそうささやく奴《やつ》もいる。
「たまにはあるよ」
「そういうとき、どうするんだよ」
「うーん、別に……」
「別にって、黙ってんのか」
「そうだな」
「あのなあ、男としてガツンというときにはいわないと、女房はますますつけあがるぞ」
「そうだ、そうだ」
隣に座っていた関係ないおっさんまでがうなずいている。僕には男だ女だという意識はない。彼女が今のようになったのは、彼女の実力である。それは正直いってえらいと思っている。
「うちの場合、男と女が反対なんだよ」
そういったら、彼らに、
「それでいいのかあ」
とびっくりされた。
「きっと彼女の前世が男で、僕の前世が女じゃなかったのかなあ」
彼らはまるで相談したみたいに、はーっとため息をついて飲み屋のカウンターにつっぷした。そして念を押すように、
「本当に女房を怒ったことがないのか」
とたずねた。
「いいたいときはいわせておくさ。それで気がすむんだから」
再び彼らはため息をついた。
「無抵抗主義者なんだなあ、お前は」
「女の生まれ変わりというよりも、ガンジーの生まれ変わりかもしれんな」
みんなは僕の生活を酒の肴《さかな》にして、いいたいことをいって帰っていった。
彼らからみれば僕はふがいない奴《やつ》かもしれない。だけど彼女が不規則な生活をしているせいもあって、たまにのんで夜遅く帰っても何もいわれない。
「遅くなっちゃってまずいな」
と思っても、彼女がまだ帰っていないことも多いのだ。彼らの話を聞くと、「遅く帰ったら文句をいわれた」とか、「競馬ですったら嫌味ったらしく寝ている赤ん坊をひしと抱き、『赤ん坊のミルク代をドブに捨てた……』といってわめいた」とかいろいろなことがあるらしい。少なくとも僕にはそういう問題はないのだ。食事は外でいくらでも食べられるし、第一、町の定食屋のほうが、彼女がつくるよりもずっとおいしい。掃除はインテリア命の彼女がまめにやる。一緒に長いこといると疲れるけど、彼女が出張で何日か家にいないときが、僕の至福の時間である。ソファにゴロンと横になって手足をのばし、
「女房、達者で留守がいい」
とつぶやくのである。
夫婦は続くよどこまでも
うちの両親を見ていると、どうして結婚したのか不思議に思うことがある。私が小さいときから、母は、
「お父さんのお給料が少ないから、やりくりが大変だわ」
とぶつぶついい続けていたし、父は父で、
「お母さんはどうして、どうでもいいことをいつまでもぐちぐちいうんだろうなあ」
とむくれていた。露骨な夫婦|喧嘩《げんか》は目撃した記憶はないものの、仲睦《なかむつ》まじいところを見たこともない。コマーシャルではないが、「おはよう」から「おやすみ」まで、淡々と何十年も同じことを、何の感情もなく繰り返しているような気がするのだ。
小学生のとき、
「結婚式の写真を見せて」
とねだって、ふたりの写真を見せてもらったことがあるが、二十五歳の父と二十二歳の母の顔は今とは別人のようだった。話を聞くと、当時、彼女のウエストは五十三センチだったそうである。アルバムに貼《は》ってある写真を見ても、帽子をかぶりウエストが異様に細いスーツを着て、すましてポーズをとっている。信じられないくらい細いかかとのハイヒールも履いている。プロポーションのいいなかなかの女である。ところが現在は体のなかで一番太いのが腹部。これだけ太っていれば十分なはずなのに、毎年着実にウエストは太くなっている。隠しているつもりらしいが、スカートのウエスト寸法を少しずつ出したあげく、結局は全部、ウエスト部分を伸縮自在のゴムにしてしまったことを私は知っている。若いころの写真を見るとお洒落《しやれ》なのに、どうしてこうなっちゃったのかと嘆きたくなるくらい、年々服装にもかまわなくなってきた。若かりしころの砂時計体型から現在の樽《たる》体型への移り変わりを見せつけられると、私は年をとるのがとても怖くなってくる。
二、三年前に父とテレビを見ていたら、
「昔はお母さんもスタイルがよかったんだけどなあ。あんなになっちゃったら、詐欺としかいいようがないよ」
とぽつりといった。画面のなかでは五月みどりがかわいらしく微笑《ほほえ》んでいた。同性としては、
「そんなこといって……」
とたしなめるべきなのだろうが、私はついつい、
「うん」
とうなずいてしまった。
「女の子は母親に似るっていうからなあ。ミチコも気をつけなきゃ、ああなるぞ」
と追い討ちをかけた。私は子供だから、
「あーあ」
で済むが、彼にしてみたら、
「くそーっ」
という気分なのに違いない。でも母ばかりは責められない。母は父の収入に予想ほどの伸びがなかったことのショックのほうが大きいので、それが主なグチのタネになっているが、彼の変わりようも相当のものである。
若いころの写真をみると、ハンサムではないが、目尻《めじり》が垂れていて人のよさそうな顔をしている。毛もどっさりある。
「おれは若い!」
という雰囲気を体じゅうから発散している。ところが今では頭髪は淋《さび》しくなり、テレビの育毛剤のCMをそ知らぬふりをしながら、しっかり横目でチェックしている有様だ。顔の筋肉も引力に逆らえなくなってきたので、下に下にと落ちて口もとがたるんでいる。目尻が垂れているうえに、ほっぺたも垂れ、おまけに機嫌が悪いと口がへの字になる。今年、定年退職してからは心の張りもなくなってしまい、「子泣きじじい」そっくりになってしまった。お友だちもあまりいないので、いつもうちの老犬チョウスケと庭でお話ししたり、庭の草木をいじったりしている。といっても実は、家の中ではたくましい「樽女《たるおんな》」が陣地を取っているので、「子泣きじじい」は庭しかいる場所がなく、仕方なく草木をいじり始めたといったほうがいいかもしれない。なるべくいる時間を多くしたいのか、ほうきとチリ取りを持って、たいして広くもない庭を所在なげにうろうろしたあげく、チョウスケの頭をなでながら、
「お父さんの気持ちをわかってくれるのは、チョウスケだけだ」
と弱音《よわね》を吐いていることもある。一方、母はというと、父がうろうろしている間、六畳の部屋で「森のくまさん」をハミングしながら、元気に骨盤体操をやっているのだ。父が部屋の前を通りかかると、母はトドのように横たわりながら、
「お父さん、クイズを出すからよく聞いてね。退職して家でぼーっとしている男の人のことを『濡《ぬ》れ落ち葉』っていいます。どうしてでしょう?」
と無邪気に話しかける。微妙な年頃なんだからお父さんにそんなこといわなきゃいいのに、彼女はおかまいなしなのだ。
「えっ、そんなことわからんよ」
父は憮然《ぶぜん》としている。
「あのね、払っても払ってもべたべたとまとわりついてくるからだってさ。ハッハッハ」
もちろんこのあとには、険悪な空気が流れる。でも父は母には文句をいわない。黙って再び庭に出る。そしてチョウスケの頭をなでながら、
「何をいっとるんだ、バカ。なあ、チョウスケ」
とつぶやくのである。「溌剌《はつらつ》とした人のよさそうな青年と砂時計体型のお洒落《しやれ》な女性」のカップルが、三十五年後には「子泣きじじいと樽女《たるおんな》」になってしまうことを誰が想像したであろうか。しかしそれでも結婚生活は延々と続けられてきたのである。
「お母さんはどうしてお父さんと結婚したの」
と聞いたこともあった。すると彼女は縫いかけの雑巾《ぞうきん》から目を離さずに、
「魔がさしただけ」
といい放った。同じ質問を父にもしてみた。
「見合いで男のほうが断っちゃ悪いと思ったんだよ」
というお答えであった。ふたりとも片方がいないときには私にこっそり相手の不満を耳打ちするくせに、ふたりを前にして私が、
「こんなになっちゃうなんてねえ」
と口をすべらせると、今度はふたりして、
「こんなになったのは、あんたが結婚もしないで、ずーっと私たちを心配させ続けているからじゃないか」
といって責め立てる。たしかにふたりの心配事といったら、ひとり娘の私が三十三歳でまだ結婚していないということだけなのかもしれない。だけど「子泣きじじい」や「樽女」になった責任までおっかぶされたら、私の立場がない。縁がないものは仕方がないのだ。あるとき、父の勤めていた会社の部下の男性が家に来たことがあった。お酒を飲みながら、
「うちの小学生の娘が初潮をむかえまして。いつまでも子供だと思っていましたが、父親が気がつかないうちに、女性として成長しているんですねえ」
と感慨深げに話していたのだが、それを聞いた父は、まじめな顔をして、
「そうか。うちなんか気がついたら、娘が嫁《い》き遅れていたからなあ」
と大ボケをかます始末であった。私が三十歳をすぎて見合い話がガタッと減ってからは、彼らもやっとあきらめたみたいだが、ひと月に一度くらい、
「おまえも何とか……」
と思い出したようにため息をついたりしている。
父が退職して家にいることが多くなったこともあって、関心の的がなるべく私からはずれるように、
「ふたりで海外旅行でもしたら」
と提案してみた。
「いきたい、いきたい」
母は一も二もなく賛成した。渋ったのは父である。
「うーん。悪くはないけどなあ。お金もかかるし、飛行機が落ちたら嫌だし……」
あれこれ理由をいって、海外旅行は避けたいようなのである。しかし強気の母は、
「庭木やチョウスケばかりいじくってないで、ふたりで仲良くいきましょうよ」
としつこくしつこくいい寄った。「ふたりで仲良く」というくだりで、ちょっと父の顔がくもったのを私は見逃さなかった。それでも母の連日の説得にやっと折れ、旅行をしぶしぶOKしたのであった。
それからの母は有頂天《うちようてん》だった。交際範囲が広い彼女は、女学校のころの友だちやら、カルチャーセンターの短歌のクラスで知り合った人々に、
「今度、主人と海外旅行にいくの」
と次々に電話をかけまくっていた。
「あっちは昼の服と夜の服と分けなきゃ、マナーに反するのよね」
といって、洋行のためにと新しい洋服を買い込み、借りればいいのにサムソナイトのいちばん大きなスーツケースまで買って、カレンダーに×印をつけて出発の日を楽しみにしていた。母の盛り上がりとは逆に、父のほうは静かであった。しかし最初は嫌がっていたのにもかかわらず、だんだんその気になってきたのか、押し入れにしまってあった一眼レフのカメラを取り出して磨き始めた。母には洋行を自慢する友だちがいるが父にはいない。チョウスケに、
「お父さんはな、お母さんと十五日から旅行にいくんだよ」
と話しかけるだけである。母が着々と旅行の準備をしているのに、父のほうはいつまでたってもカメラばかりいじくっている。チョウスケを連れてどこかに出かけたので、旅行用品でも買いにいったのだろうと胸をなでおろしていたら、「写ルンです」を十個も買って帰ってきたので驚いてしまった。彼の頭のなかには記念写真を撮ることしかないらしいのだ。
「ちゃんとしたカメラがあるのに、どうしてこんなにたくさん買ってきたの。予備にひとつかふたつあればいいでしょ」
「だって何が起こるかわからないし、もし失敗でもしたらお母さんに死ぬまで文句をいわれるから」
「死ぬまでいうなんて、そんなことあるわけないじゃない」
私が笑いとばしても、彼の目は真剣だった。
「お母さんは太っているから細かいことにこだわらないようにみえるが、いつまでもつまんないことを覚えているんだよ。未《いま》だに喧嘩《けんか》をすると、新婚旅行のときのことをむしかえすんだ」
と眉間《みけん》に縦じわをよせるのだ。その新婚旅行のときのことというのは、旅館でのんびりしているときに地震があって、結婚したことをふっと忘れてしまった父が、トイレにいた母のことをほったらかしにして逃げたことをさしている。
「それにしたって、こんなにいらないでしょ。荷物だってかさばるし」
なるべく荷物を少なくさせようとしても、
「あちらはスリが多いらしいから心配だ。やっぱり五個や六個はいる」
と頑張る。
「それなら持っていけば。荷物を持つのはお父さんなんだし」
「何だ、そのいい方は。まったくそんなとこばかりお母さんに似て……」
彼はぶつぶついいながら「写ルンです」を大事そうにスーツケースと手提げに分けて入れた。
母はスーツケースに洋服を山のように入れ、父は「写ルンです」とカメラを大事そうに持って旅立っていった。私としては旧婚旅行で今まで気がつかなかったお互いのよいところを見つけてもらい、これから仲良く老後を暮らしていって欲しいというもくろみがあった。旅行にいけば新しい発見もあるだろうと思ったのである。ところが二週間たって家に帰ってきた母の第一声は、
「あーあ、疲れた。私、お父さんとはもう旅行にいかない」
であった。父は畳の上で、
「あー、やっぱりうちが一番だ。畳はいいなあ」
とひっくりかえっている。お茶を飲んで一息ついたあとに繰り広げられたのは、母による、
「いかに私は大変だったか」
というお話であった。まず成田でさっきまでいたはずなのに、父がツアーの集合場所から忽然《こつぜん》と消えてしまった。
「どうなさったんですか」
と添乗員の若い男性にたずねられても、母には全くあてがない。とにかく手荷物を置いて捜しにいったら、遠くから両手にビニール袋をぶら下げてよたよたと父が歩いてきた。
「どうしたの?」
母が袋をのぞきこんだら、売店で缶詰の焼き魚やきんぴらごぼう、水をいれてかきまぜる大根おろしまで買ってきていた。
「これから旅行にいくのにそんなに買って」
と文句をいったら、
「これから洋食が続くことを考えたら、いてもたってもいられなくなった」
という。母が、
「日木食なんてどこにいってもありますよ」
とあきれ顔をしても、
「きっと値段も高いし、ホテルでこれを食べたら安上がりだ」
などといったというのである。母は友だちと昼間、よく食べ歩きをしているので、どんな種類の料理も興味を持って食べるのだが、父はどちらかというと和食しか食べず、食事は家でというタイプなのだ。
「焼いた鮭《さけ》の缶詰まであった」
と喜ぶ父の手をひっぱって、母はあわてて集合場所に戻った。他の人に、
「ほう、準備万端ですなあ」
といわれ、母は顔から火がでる思いだったというのだ。機内でもはしゃぐ母とは違って父の顔は真っ青。体も硬直してこちこちになって、口をひらけば、
「本当に墜落しないかなあ」
としかいわない。
「大丈夫ですよ」
と母も最初はいっていたが、あんまり父がいうものだからしまいには心配になり、エア・ポケットに入ってガクッと落ちると、心臓が高鳴ってきてさんざんだったというのだ。
やっと飛行機から降りて、やれやれと思って横を見たら、また父がいない。
「どうなさったんですか」
と添乗員に聞かれても母には心当たりがない。どこにいったのかと捜したら、
「ミチコに見せてやろうと思って」
といいながら、ガラス窓にへばりついて空港の景色を撮っていた。これでいつも集合場所に遅れる、「オダさんの御主人」はツアーの参加者のなかで有名になってしまったのである。
「恥ずかしかったわよ。ほんと」
母が話している間、父は畳の上にひっくりかえったまま聞こえないふりをしていた。
「慣れないんだから、しょうがないじゃない」
というと、父は、
「そうだ、そうだ」
といいながら起きてきた。
「違うの。それだけじゃないのよ」
母がことばを続けると、また父は畳の上にひっくりかえって寝てしまった。彼女の話を聞いて、多少誇張はあるにせよ、父がこんなに心配性で、団体行動を乱すとは思わなかった。しかしそれからの話も私には驚くことばかりであった。母が今まで食べたことがないものを食べようと、いかスミのパスタを注文したらそれを見るなり、
「こんなに真っ黒い気持ち悪いものをよく食べられるなあ」
と呆《あき》れる。そういう父がたのむのはどこでも食べられるオムレツである。
「せっかく外国にきたんだから、そこでしか食べられないものにしたら」
と母がいっても、
「いーや、これでいい」
と頑固なのである。そのうえレストランにはいつも携帯用の醤油《しようゆ》を持参。何でもかんでもそれをかけてしまう。そしてホテルに帰ると、
「あー、腹が減った」
といってお湯を沸かし、パックいりの御飯とみそ汁、焼き魚の缶詰で夜食を食べるのであった。
「旅行しがいがない人ねえ」
母がため息まじりにいうと、
「どうせ、お母さんのおつきで写真を撮りにきたんだからいいんだ」
といったのだそうだが、母にいわせると、
「おつきできたにしては、手がかかりすぎる」
と文句たらたらであった。ツアーは移動ばかりでスーツケースを開けたり閉めたりしているうちに、時間が過ぎてしまう。これだけでもせわしないのに、父は写真を撮るためにどこへいってしまうかわからないので、母は観光していても気が気じゃない。最後のほうは集合場所で点呼を取る前に、添乗員に、
「オダさんの御主人はいらっしゃいますね」
と念を押されることとなった。
「お父さんって何でも知っていると思っていたんだけど」
突然、母が声をひそめていった。
ホテルのバスルームで、
「おい、おい」
と呼ぶ声がするのでいってみたら、ビデを指差しながら、
「これはいったいなんだろうねえ」
と真顔でたずねたというのだ。母はそれは何であるかは知っていたが、説明するのに躊躇《ちゆうちよ》したので、
「さあ」
としらばっくれておいた。どっちみち父には関係ない代物《しろもの》だからである。ところが彼はビデに異常な興味を示し、水を出したり止めたりしながら、
「洗面所にしては低い位置にあるし、水を溜《た》める式の冷蔵庫でもないみたいだし。男の小便器にしても使いごこちが悪そうだな」
といって首をひねっていた。そして次の日、仲良くなった別の旧婚旅行の夫婦を見つけるや、父が、
「そちらの風呂場《ふろば》にも、妙なものがありましたか」
と聞こうとしたので、母はあせって腕をひっぱってひきずり戻したというのであった。
スペインでもフランスでも父は携帯用の醤油《しようゆ》と「写ルンです」を手から離さなかった。ところが私に内緒で十個も持っていった「写ルンです」のうち、なんと八個をなくしてきていた。押し入れの奥にしまいこんでいたカメラも盗まれていた。「写ルンです」は気がついたらなくしていたのがほとんどで、なかには噴水のなかに落としたり、動物園で手にした餌《えさ》と間違えて、檻《おり》の中に放り投げてしまったものもあった。一眼レフのほうは空港で手荷物のなかから出し、点検してから手提げのなかにしまい、念のためにとそばにいた日本人の青年に、
「この荷物を見てて下さい」
とたのんでトイレにいって戻ってきたら、彼の姿がなかった。そして手提げのなかを見てみたら、カメラがなくなっていたというのである。
「心配だから外国人にたのまなかったのに」
と父は悔やんだそうだが、母は、
「自分の荷物くらい自分でちゃんと見なさいって怒ってやったの」
と情けなさそうにいった。私は父が定年退職してもどこにも再就職しなかったのがわかるような気がした。もしかしたらあまりにも鈍《どん》くさいので、どこからも相手にされなかったのではないだろうか。
「このふたつの『写ルンです』に何が写っているのかしらねえ」
せっかく海外旅行にいったのに、記念の写真がないのは母としても淋《さび》しいに違いない。そんなにこの旅行は惨憺《さんたん》たるものだったのかしらと心配したが、母は、寝ている父のほうをちらっと見ていった。
「お父さんっておかしいのよ。ふだんはふらふらしているくせに、ホテルとかで外国の人と一緒になると、『レディ・ファーストだから』とかいって、私を先にいかせたりするの。笑っちゃったわ」
結構うれしそうだった。父は自分がドジをふんだ分、一生懸命サービスをしたのに違いない。
現像されてきた写真に写っていたのは、観光名所と一緒にツアーに参加した人の姿ばかりだった。父も母もちょっと落胆したようだったが、一緒にツアーに参加した人が、自分たちのフィルムに写っていたら送ってくれるといっていたのを思いだして、少し機嫌が直った。旅行から帰ってきた翌日から、いつもと同じ生活が始まった。朝はみそ汁と御飯と鯵の干物である。お父さんの嫌いなものは出てこない。私が会社から帰ってくると、父が庭から切ってきた花が玄関の花瓶に活《い》けてある。母は夜八時になると待ってましたとばかり、友だちに電話をかけて旅行がどうだったかを報告している。だけど父には旅行の話をする人がいない。で、ふたつ残った「写ルンです」の貴重な写真を取り出して、嫌がるチョウスケをつかまえては、むりやり、
「ほら、これがプラド美術館だよ。きれいだねえ」
と説明したりしているのである。
となりのオンナ
うちの隣に白壁のきれいな家が建った。ついこの間まで、隣には老夫婦が小さな木造の家に住んでいたのだが、おばあさんが亡くなってすぐ、おじいさんもあとを追うように亡くなり、家も取り壊されてさら地になっていた。ところがすぐに土台や壁がつくられ、あっという間に、前に建っていたのとは全く違う、洒落《しやれ》た建物が出現したのである。
私の家は二世帯同居で一階に舅《しゆうと》と 姑《しゆうとめ》 が、二階に私たち夫婦と四歳の息子と二歳の娘が住んでいる。うちだけではなくて、近所の古くから住んでいる一戸建ての家の多くは、この四、五年の間に二世帯住宅に建て直しをしているのだ。いくら出入り口や台所が別とはいえ、同じ敷地のなかに住んでいるからには、やはり気を遣う。正直いえば経済的な理由さえなければ、私たちだけで暮らしたいのだ。お姑さんは置き場もないのに、特売だったといってはトイレット・ペーパーや洗剤を山ほど買ってくる。自分では持って帰れないので、わざわざ配達させるのである。
「ほら、安いでしょう。だからあなたの分まで買ってきましたからね」
という。買ってきたのなら、あとあとまで面倒を見てくれればいいのに、こっちの予定など無視して、
「たしか明日の午後、届けてくれるっていってたけど、私はちょっと出かけますから、受け取っておいてね」
とー方的にいわれてしまう。トイレット・ペーパーと洗剤のために予定を急遽《きゆうきよ》変更しなければならなくなるのだ。
「なくなったらそのつど買いにいきますからいいです」
といったこともあった。ところがお姑さんはキッとした目つきをして、
「腐るものじゃないし。長い目でみたら得なんですよ。いつでも安売りをしているわけじゃないんだから。そんなこといっているから貯金もろくにできないんです」
などとくどくどいわれてしまった。それ以来、私はこの件に関しては、
「はい、はい」
と彼女のいいなりになることにしたのである。
二世帯住宅に建て替えるときに、夫にたのんでサンルームをつくってもらったのだが、お姑さんの買い溜《だ》め癖のせいで、そこは今や物置と化している。きれいな鉢植えをたくさん置いて、日向《ひなた》ぼっこをしながら揺り椅子《いす》で編み物をするはずだったのだが、「アタック」とトイレット・ペーパーがどーんと置かれ、子供のおもちゃが散らばっている。外から見るとそこそこの家なのが、一歩なかに入ると、子供のいたずら書きはいたるところにあるし、ふすまは破れたままで絨毯《じゆうたん》もあっちこっちがドロドロになっている。まるで山賊のすみかのようである。小さな子供のいる二世帯住宅はどこも同じようなものだ。内情を知らない人は、
「このあたりは、ずいぶん立派な家が多いのねえ」
などとあたりを見渡しながらいったりするけれど、そこの住人にもそれなりの苦労があるのである。だから近所の二世帯住宅の嫁が集まると、とどまるところを知らないグチのオン・パレード。日頃、鬱積《うつせき》したものを吐きださないと体がはちきれそうになる。お互いの家のお 姑《しゆうとめ》 さんがいないころを見計らって集合し、溜飲《りゆういん》を下げるのだ。
「どんな人が引っ越してくるのかしら」
近所の二世帯住宅の嫁仲間は、白い家を見ながら噂《うわさ》しあった。
「あなた、お隣なんだから何かわかったら教えてね」
という仲間のことばをうけて、私は家族のパンツを干すたびに、サンルーム兼物置に続いている物干し場から、お隣の出窓をこっそり覗《のぞ》き込んでいたのであった。
隣に引っ越してきたのは若夫婦だった。奥さんはナツコさんという名前の、ちょっと派手なタイプで、若いわりにはすらすらとそつなく転居のご挨拶《あいさつ》をした。そのかわり、ご主人のほうはそばでぼーっとしているだけ。ふつうはこんなに華やかな奥さんだったら、それなりに釣り合うご主人がいてもよさそうなものだが、どうみても風采《ふうさい》があがらない。奥さんのにこやかなご挨拶を聞きながら、
(このご主人、いったいいくつなのかしら)
とさぐりを入れた。体つきも何となくたるんでいるみたいだし、髪の毛も少し薄い。見てくれは立派なおじさんである。三十八歳の私の夫よりもふけてみえる。しかしそれを差し引くと、肌の感じといいぽちゃぽちゃした手の感じといい、まだ二十代の後半くらいのような気もした。しかしこれだけはいえるのは、結婚式では男性の友人一同から、
「あいつ、うまくやりやがったな」
という羨望《せんぼう》のまなざしで見られたに違いないということである。女の私でさえ、
「もったいない」
という気持ちになった。
「おふたりだけでお住まいになるの」
奥さんがにっこり笑って、
「そうです」
と答えた。ご主人は口もとにほんの少し笑みを浮かべているだけである。
「まあ、あんな素敵なお宅を建てられて。ご主人もお若いのにご立派ねえ」
三十六にもなれば、このくらいのことは平気でいえるようになるのが怖い。
「えっ、そんなことはないですけど……」
ふたりは顔を見合わせてそういったものの、ちょっと自慢そうだった。
「何かあったらいつでもきてくださいね」
そういうと奥さんは、
「どうもありがとうございます」
といって、ていねいに頭を下げた。ご主人も不器用そうに頭を下げて帰っていった。
二人が帰ったとたん、息子が走り寄ってきた。
「ママ、ママ、あの人たちだあれ?」
「お隣に引っ越してきた人よ」
「ふーん。何ていう人?」
「ヨシムラさん」
「ふーん。おじさん、少しハゲてたね」
「そんなこというものじゃありません」
「ねえ、これなあに。何くれたの。僕、見たいから早く開けてよ」
「だめ、あとで」
「お菓子かもしれないよ。ねえ、ねえ」
「いけません。晩御飯食べて、パパが帰ってからにしなさい」
「やだあ、今見るんだあ」
「もう大きいんだから我慢できるでしょ」
「できないもん。がまんできないもん。がまんできなーい」
またいつものようにギャーギャー駄々をこね始めた。
「勝手にしなさい。ママは知らないからね!」
そういってほったらかしにしていたら、彼は腹いせに、おとなしく積み木で遊んでいた下の子の頭を力まかせにびたんと叩《たた》いた。
「うわーん」
突然のことに彼女はすさまじい声で泣き出した。
「どうしてあんたはそういうことばかりするの!」
私は下の子を片手で抱きかかえながら、逃げまわる彼を取っつかまえて、バンバンお尻《しり》を叩いてやった。今度は彼も、
「わーん」
と泣き出した。二人の子供は天を仰いで、涙、よだれ、鼻水を垂れ流しながらの大合唱である。彼は私の態度をちらちらと横目で見ながら、それに応じて泣き声を変える。我が子ながら本当に腹がたつ。ところがこういうときに、お 姑《しゆうとめ》 さんが泣き声を聞きつけて、よけいなおせっかいをやきにくるのである。すると息子はこれ幸いと、お姑さんのところにいって、
「ママが僕のことをいじめたあ」
と訴える。
「いじめたんじゃないでしょ。叱《しか》られたんでしょ」
といってもお姑さんの目は冷たい。まるで私がせっかんしているんじゃないかというようなこともいうのである。
「おばあちゃんがママのことを怒ってあげますからね。本当に悪いママね」
などと猫撫《ねこな》で声で孫の機嫌をとる。
(責任がないと思って、勝手なこといわないでよ)
私は用もないのに物干し場に出ていって、深呼吸をする。お隣の家には電気がついて、出窓のレースのカーテンから光がもれている。私は山とある「アタック」とトイレット・ペーパーを見ながらため息をついた。
ヨシムラさんのアンバランスな御夫婦は、二世帯住宅の嫁仲間には恰好《かつこう》の話題になった。まず土地と建物の値段を計算して総額を出し、ご主人の年収を推定する人があらわれた。そしてだいたいの額が出たあと、それでは何歳でどのような職業かという話題で盛り上がった。みな一様に、
「あのご主人はあの風体からして、そんなにやり手とは思えない。ただ親の遺産を相続しただけではないか」
といった。
しかしなかにひとり、
「ああいうぼさーっとした人ほど、仕事となるとバリバリやるものだ」
といいだす人がいて、私たちは混乱した。あれこれヨシムラさん御夫婦を話題にしたものの、
「ともかくふたりだけで、ああいう家に住めるのはうらやましい」
という結論だけは、みんなで一致したのであった。
子供がいないヨシムラさんとは、日頃、何の接点もなかった。何となく気になって、さりげなく覗《のぞ》いてみたりするのだが、奥さんの姿もあまり家のなかに感じられない。買い物にもいくはずなのに、道ばたでも会わないのだ。お勤めしているのかしらと思っていた矢先、嫁仲間一の事情通であるトミコさんが、スーパー・マーケットでうれしそうな顔をしてかけ寄ってきた。
「ねえ、お宅のお隣の奥さん。知ってる? 一週間に三回、家事代行サービスをたのんでるのよ」
彼女はいつもと同じように、特ダネを仕入れたときの癖で鼻の穴をふくらませていた。
「あら、具合が悪いのかしら」
「違うわよ。別にどこも悪くないのにたのんでるの」
彼女の話によると、知り合いの奥さんが家事代行業のパートをしていた。依頼された家の住所を見たらトミコさんの家のそばなので、
(あら、御近所だわ)
と思いながら車を走らせた。それがヨシムラさんの家だったというのである。ところが家に入っていったら、掃除などしている気配が全くない。台所には汚れた皿が積んであるし、洗濯物もたまっている。これはやりがいがあると思いながらふと見ると、当の奥様は邪魔にならないようにベッドの上に横になり、代行サービスが終わるまで、ずーっとテレビを見ながらクッキーを食べていたというのであった。
「その人、お 姑《しゆうとめ》 さんが倒れちゃって仕事はやめちゃったんだけど、あちこち掃除しにいったけどああいう人は初めてだっていってた」
仕事もしていないし、子供もいないのに、そういうサービスをたのむなんて、贅沢《ぜいたく》に暮らしているんだなあとつらつら思いながらヨシムラさんの家の前を通ったら、ケータリング・サービスの車が止まっていた。
「あ、こんにちは」
奥さんが出てきて、にこやかに挨拶《あいさつ》した。考えてみたらうちに挨拶にきたとき以来、半月ぶりに交わした会話である。
「お買い物ですか」
彼女は私が両手にぶらさげている、スーパーのビニール袋を見ながらいった。
「ええ、そうなの。今日まで大安売りだったから、あれこれ買っちゃって」
「そうだったんですか。もしよろしかったらちょっとお茶でもいかがですか」
私は内心、
(しめた)
とにんまりした。これで嫁仲間に提供する格好《かつこう》の話題ができる。子供はお 姑《しゆうとめ》 さんにたのんできたし、ここで寄り道してもちょっと晩御飯の時間が遅れるだけである。私は、
「そうですか。じゃあ、ちょっとだけ」
といいながら中に入っていった。
家事代行サービスの手が入っているとはいえ、部屋のなかはとてもきれいにしてあった。玄関には花模様が描いてある大きな壺《つぼ》が、でーんと置いてある。応接間にはお皿が飾れるようなキャビネットや、いろいろな置物が置いてあった。どれもこれも実生活には関係ない無駄なものである。だけどこういうものを飾れる生活はとてもうらやましい。私は「アタック」とトイレット・ペーパーの山を思い出した。
「お口にあうかしら」
彼女はケーキと紅茶を持ってきてくれた。ティー・セットはジノリであった。身のこなしが少し違うので話を聞いたら、学生時代、コンパニオンのアルバイトをしていたそうだ。紅茶もケーキもおいしくて、私は、
「あいます、あいます」
といいながら口に運んだ。
「これはどこのケーキですか」
銀座の某有名店の名前をさらりといわれてしまった。
「私はここのものしか、いただけないんです。どうも他のはクリームがおいしくなくて」
奥さんはちょっと困った顔をしていった。私なんか子供ふたりと、スーパーで買った、賞味期限ギリギリのダンピングしたシュークリームを奪い合いしているというのに。
「素敵なお住まいね。うちなんか小さな子供がいるからもうめちゃくちゃで」
「そうでしょうね。うちはふたりだけですから」
部屋のなかに飾ってある置物をネタに、ひとしきり話をしたあと、私はころあいを見計らって、
「ご主人はどこにお勤めしていらっしゃるの」
と切り出した。
「父親のやっている貿易関係の会社に勤めているんです」
彼女はすらすらと自分たちのことを喋《しやべ》った。あまりによどみなく喋るので、まるで彼女とは関係ないことのようだった。彼女は二十三歳で二十九歳のご主人と恋愛結婚した。ディスコに行ったらぼーっとした彼がいて、それから熱心にプロポーズされ続けてゴールインしたというのである。
「大恋愛だったんじゃないの」
「えーっ、ぜーんぜん」
彼女は髪をかきあげながら、ふふんと笑いながらいった。
「結構まじめにつきあっている人もキープもいたんですけど、やっぱり結婚って別ですから」
外見よりも実をとったということらしい。
「私たち籍を入れてないんです。なんかそういうの嫌なんですよね。私には手紙なんか来ないから、表札は彼のしか出してませんけど」
あんまりさらりといわれたので、私は、
「はあ、そうなの」
というしかなかった。
「家事って面倒臭くないですか。私、大嫌い」
「そうねえ、でも代わりにやってくれる人がいないしねえ」
「だから彼と結婚したんです。家事をしなくていいからって」
またまた、
「はあ」
というしかない。
「ふつうは結婚すると、男の人って面倒みてもらいたがるものだけど、ご主人は何もいわないの」
「別にいいませんね、食事だって彼は外ですませてくることが多いし、私ひとりだけだったら何でもいいわけだし」
といいながら、彼女はキッチンから黒い塗りの箱を持ってきた。
「これ、けっこうおいしいんですよ。さっきのケータリング・サービスをやっているところのなんですけどね」
とても私の腕ではつくれそうにない、懐石弁当であった。
「こんなことができるなんて、本当にお金持ちなのね」
最後までいわないでおこうと思っていたことを、つい口に出してしまった。彼女は黙ってにっこり笑っていた。
あわてて家に戻ったら、お 姑《しゆうとめ》 さんに、
「お早いお帰りですこと」
と嫌味をいわれ、息子には、
「どこにいってたんだよお」
と怒られた。娘には泣かれた。台所でハンバーグをつくっている間、放っておかれた分を取り戻そうと、ふたりは私の下半身にまとわりついて離れない。娘はまだふにゃふにゃいっているだけだからまだいいが、息子のほうは相手にしないと、
「ちゃんと返事してよお」
といってお尻《しり》の肉をギューッとつかんだりする。子供とはいえ力は結構あるので、フライパンと箸《はし》を持ったまま、
「あーっ!」
とのけぞってしまうのだ。
一日騒ぎまくっているふたりに御飯を食べさせて、お風呂《ふろ》に入れてやっと寝かしつけると九時くらいになる。部屋の中を片付けたり、テレビをちょっと見ているうちに夫が帰ってくる。機嫌のいいときは黙っているが、ちょっと虫の居所が悪いと、
「どうして疲れて帰ってきて、子供と同じハンバーグを食べなきゃならないんだ」
と文句をいわれる。ひどいときには一階にいって、おかずをもらってくることもある。これでは私の面目は丸潰《まるつぶ》れなのに、そんなことちっともわかってくれない。二種類つくらなかった私が悪いのかしらと反省することもあるが、子供が小さいときだけなんだから我慢してほしいのだ。私がどうしても耐えられなくなったときのため「キャバレー フェルナンドのエリカちゃんからのキス・マークつきのお手紙」と、「洗濯をしたときにブリーフの中から出てきた、長さ五十センチほどの赤い髪の毛」という奥の手はあるのだが、今のところそれは私のドレッサーの引き出しの中に入れられたままである。
寝るときに夫に隣の奥さんの話をした。彼は元コンパニオンという事実に興味は示したものの、
「そんな女、どうしようもないなあ」
といって寝っころがった。
「でもさあ、すごい美人よ。もしあなたがそれだけお金があったら、家にそういう人を置いておきたいと思わない」
「おれが働く必要がなくて、それだけのお金があったら別だけどね。まあ、結婚っていうのは、おまえみたいに不細工だけどこまめに働く女のための救済措置みたいなもんだ」
それじゃあ私は救われたのかとむっとしたが、夫はいいたいことをいったらころっと寝てしまった。
気をつけて見ていたら、隣の家にはクリーニング屋のライトバンが止まっていることも多かった。そういえば洗濯物が干してあるのを見たことがない。お 姑《しゆうとめ》 さんは、
「何を考えているんでしょうね、今の若い人は」
と怒っていた。彼女だったら自分の下着までクリーニングに出しそうだ。私が物干し場にいるところを彼女が見つけて、
「お茶を飲みにいらっしゃいませんか」
と誘ってくれることも何度かあった。子供を医者に連れていかなければならなかったりして、たまにしかいけなかったけど、そのたびに彼女は「退屈だ、退屈だ」と連発していた。仕事をするのも、家事をするのも、習いごとをするのも嫌なのだそうだ。
「ゴルフはどうかしら」
といってみても、
「学生のときにやったんですけど、もういいっていう感じです」
と乗り気ではない。
「子供ができればね、そんなこといっていられないんだけど……」
我が身を振り返っていうと、
「子供なんかつくりません。うちは寝室は別ですから」
彼女のことばを聞いてびっくりした。結婚後、何十年もたった中年夫婦ならともかく、新婚でそんなことをいうなんて信じられない。
「あなた、本当にご主人のこと好きなの」
「うーん」
彼女はしばらく考えていたが、
「大嫌いじゃないのは確かですけど……」
といった。
「それじゃどうして結婚したの」
私は頭が混乱してきた。
「私は親元にいるときの生活を崩したくなかったんです。結婚したとたんにお金の苦労をしたり、家事に追われるなんて嫌だもん」
私は何もいえなかった。一日、私と彼女の生活を取り替えたら、いったいどうなるだろう。きっと彼女も私も耐えられないに違いない。
それから何日かして、またスーパーの安売り日に、事情通のトミコさんと会った。
「ねえ、ねえ。知ってる?」
といいながら鼻の穴がふくらんでいる。
「ヨシムラさんとこの奥さん、若い男の人と逃げたんですってよ」
彼女はとってもうれしそうだった。
「えーっ」
またまた彼女の話によると、きのうの午前中、ヨシムラさんの家の前に車を止めて、うろうろしている男がいるのを、たまたま庭にいた隣のヤマザキさんが見ていた。なかなかハンサムな男性だったので、生け垣の隙間《すきま》からしゃがんで様子をうかがっていたら、奥さんが大きなスーツケースを持って出てきた。するとふたりはあたりを見回して急いで車に乗り、猛スピードで走り去ってしまったというのである。
「どうもおかしいと思ってたのよねえ。どうみたってあのふたり、釣り合いがとれないもの。それにあの奥さん、ちょっと男好きするタイプだったし。これからあのご主人、どうするのかしらね」
トミコさんは満面に笑みを浮かべていた。私はただあっけにとられるだけであった。
ナツコさんがいなくなってから、隣の家には年配の家政婦さんらしき女の人が出入りするようになった。嫁仲間の人々は、
「もしかしてあの人が新しい奥さんかしら」
とか、
「私も若い男の人と逃げてみたいわあ」
と冗談をいって笑っていた。
彼女が逃げる相手として選んだ男性は、やっぱりお金持ちなんだろうか。彼女がいなくなっても、私の生活は何も変わらない。チビがギャーギャーいいながら家のなかを走りまわり、食事中におもらししたりして、ミソもクソもみな一緒という感じである。お 姑《しゆうとめ》 さんとは一見、友好関係を保っているように見えるが、お互いに「あれだけは許せなかった」という出来事を胸の中に秘めている。特別うれしいこともないけれど、家族が元気で暮らせるのだから、いいじゃないかと思ったりもしている。だけどやっぱりつまらない。嫁仲間とのお喋《しやべ》りも鬱憤《うつぷん》ばらしにはいいけれど、そういうことばかりやっているとむなしくなってくる。子供がもう少し大きくなったら仕事もしたい。だけど子供に反対されたらどうしようと迷いもある。ナツコさんみたいに、物事をスパッと割り切れるのがとてもうらやましい。
「ともかく、今は目の前にある家のことをこなすだけだわ」
私はよっこらしょと腰をあげて、息子がチョコレートでドロドロにしたトレーナーと、娘のおもらししたパンツを洗濯機のなかに放り込んだのだった。
夢見るお母さん
私がまだ独身だったころ、早々と結婚した友だちがぶつぶついうのは、 姑《しゆうとめ》 とうまくいかない問題がほとんどだった。明治、大正ならばいざ知らず、両親が昭和生まれでも、若夫婦が別居していても、未《いま》だに嫁と姑の戦いは残っているらしい。親友のエイコちゃんは新婚旅行から帰ってきてすぐ、関東近県の親戚《しんせき》の住所を渡され、
「結婚の挨拶《あいさつ》をしていらっしゃい」
といわれた。名前を連ねているのは姑さえも十年も二十年もあったことがない、舅《しゆうと》のハトコだとか大叔父だとかそんな人たちばかりなのである。
「どうしてわざわざいかなきゃならないんですか」
といったらば、姑は露骨に嫌な顔をして、
「エイコさんはお嫁にきて、うちの人間になったんだから、礼儀として当たり前でしょ」という。あまりにエイコちゃんがむっとしているので、
「別にいいじゃないか、いかなくても。ふだんだって全然つきあいがないんだから」
と横から舅がとりなしても、姑は、
「あなたたちが挨拶にいかなかったら、私が笑い者になる」
という台詞《せりふ》を連発してガンとしてゆずらないのだ。エイコちゃんの話によると、姑は派手好きなくせにケチンボであるらしい。親戚全員を結婚式に招《よ》ぶとなると、旅費をこちらで負担しなければならない。仲よくつきあっているわけではないから、それはもったいない。しかし知らん振りをしているとあとから何をいわれるかわからないので、エイコちゃんを彼らのところへいかそうとしたのに違いないということであった。最初は抵抗していたエイコちゃんも、あまりに頑固な姑を相手に最後には面倒臭くなり、挨拶まわりをすることにしてしまった。ところが忙しいなか時間をやりくりしていったというのに、ハトコは海外に出張中。大叔父は力いっぱいボケていて、まず床柱にむかって、
「ようこそ、いらっしゃいました」
と挨拶した。
「お父さん、違いますよ。ほら、こちらにお座りになっているでしょ」
とお嫁さんが手をひいて彼女たちとむかいあわせると、今度はエイコちゃんが脱いで横においていたハーフ・コートにむかって、
「遠いところ、おそれいります」
とお辞儀をする始末であった。
私が知っている限りでは、婚約中はエイコちゃんとお姑さんの間はうまくいっているようにみえた。しかし、
「結婚したとたん、尻尾《しつぽ》を出しはじめたのよ」
とエイコちゃんは怒った。そしてそのあと、 姑《しゆうとめ》 もエイコちゃんと同じことをいっていたのを知り、別居ながらますますふたりの関係は悪化していったのである。結婚したおかげで目の上のたんこぶができてしまった彼女は、私が婚約したとき、
「気をつけなさいよ。最初は物分かりがよさそうな顔をしているけど、いざとなったら味方になんかなってくれないんだから」
と忠告してくれたのである。
私が結納を終えた夜、彼のお母さんに初めて会ったうちの母親は、
「あんなに誉めちぎったりして……。結婚してから大丈夫かしら」
と今日の日のためにちゃっかり新調した着物をたたみながら、首をかしげた。たしかにお母さんは、
「本当にかわいらしいお嬢さんで。わたくしどもには娘がおりませんから、心から喜んでいるんですよ。明るくて礼儀正しくて、これもご両親がきちんとご教育なさったからですわね」
などと気恥ずかしくなることを並べたてた。うちの両親は、
「はあ、どうも……」
としどろもどろになりながら、しきりに汗を拭《ふ》いていた。
「相当かいかぶられてるみたいね。本当のことがわかったら、大変なことになるわ、きっと」
母親はひとりであせっていた。私が、
「二十二歳の娘ざかりだし、そういわれるのも当然じゃないの」
と頭のうしろに手をあてた、絵画モデルのポーズをとりながらいうと、
「何いってんの、この子は!」
と怒られてしまった。母親はそんな立派な娘じゃないという事実を、はっきりいっておいたほうがいいとまでいうのだ。「自分の部屋は半年に一回しか掃除しない」「大掃除のときにベッドの下にグレーのモヘアの毛糸玉を発見したので、棒でつつき出してみたら、それは夏に食べた桃の種にカビがはえて玉状になっていたものだった」「レギュラー・コーヒーをカップにいれてお湯をそそぎ、必死に掻《か》き回して溶かそうとしていたことがある」「くしゃみとおならを一緒にすることがある」「階段を降りようとして足をすべらせ、大股《おおまた》を開いて大の字になったまま、背中で階段を滑り降りてきた」。
「こんな話をしたら、あちらのお母さんはきっとびっくりするわ」
といって私を脅した。
「最初から期待されると、期待外れだったときにショックが大きいからね。それだけは肝に銘じておきなさいよ」
母親は真顔になって私にささやいたのであった。
結婚式は貸衣裳《いしよう》だったのだが、衣裳を選ぶとき、私の場合は実の母親と義理の母親が同伴だった。あちらのお母さんが一緒にいくといってきかなかったからだ。母親は、式場の人がお母さんを私の母親と間違えて挨拶《あいさつ》したのが面白くなかったみたいで、終始、仏頂面《ぶつちようづら》をしていた。一方、お母さんは目を輝かせ、
「アキコさん、これ素敵。これもいいわあ」
と勝手にウェディング・ドレスとお色直しのドレスを選んでいた。どれもこれもとてもかわいいデザインばかりだった。片《かた》や、母親はドレスを手に持って私の横に静かに立っていた。そして一心不乱にドレスを選んでいるお母さんを横目で見ながら、
「ちょっと見たところ、あんたのウエストにあうドレスは三着しかなかったからね!」
と小声でいって、手に持っているドレスを私に渡して更衣室に押しこんだ。
「あら、アキコさんは」
「今、試着しているんですよ」
「まあ、こちらにも素敵なのがたくさんあるのよ」
ふたりの母親の会話が小さく聞こえてきた。ドレスに着替えてドアを開けると、
「んまあ」
と母親たちは合唱した。さっきまで仏頂面だった母親も、私のドレス姿を見て機嫌が直ったようだった。母親が選んだのというか私のウエストが入るドレスはどれもシンプルなデザインだった。
「いいわよ、なかなか」
母親は上から下まで視線を走らせた。
「ちょっと地味じゃないかしら」
お母さんは自分が気に入ったドレスを握りしめていった。
「あのー、これじゃないとウエストが入らないみたいなんです」
「ええっ」
彼女はしげしげと私の腹部をながめた。
「これもちょっと着てみて。とってもかわいいの」
たしかにそのドレスはかわいらしかった。胸の部分にレースがはめこめられていて、肩のところにフリルがついていた。しかし、やっぱり背中のファスナーはウエストから上にはあがらず、お母さんは泣く泣く断念せざるをえなかった。そして私は実の母親が適確な目で選んだドレスで結婚式をあげたのである。
私たちは彼の実家の近くのマンションを借りた。シンガポールの新婚旅行から帰ってきて、彼の実家に挨拶《あいさつ》に立ち寄ったら、お父さんとお母さんが待ってましたとばかりに出迎えてくれた。
「どうだった? アキコちゃん。お天気はよかったの? ともかく元気でなによりだったわ、さあさあ、お茶でも飲んでいって」
お母さんは靴をぬごうとする私を待ちきれず、ぐいぐい手をひっぱった。お父さんもにこにこしながら私のスーツケースとショルダーバッグを持って、居間に入っていった。そっとふりかえると、ふたりの実の息子である彼はひとりぽつねんと玄関に取り残されて、ぼーっとしていた。
「疲れたでしょ。ゆっくりしていってね。ちゃんと晩御飯もつくってあるのよ」
お母さんはうきうきして声がうわずっている。
「毎日カレンダーを見ながら『アキコちゃんは今頃どこにいるのかしら』っていっていたんだよ」
お父さんは小声でいった。
「あーら、お父さんだって、何度も『アキコちゃんはいつ帰ってくるんだっけ』っていってたじゃないですか」
壁にかけてあるカレンダーを見ると、過ぎた日に黒い斜線がひいてあった。ふたりは照れ臭そうに、ははははと笑った。
「あのねー、僕もいるんだけどねえ……」
ソファのすみにいつのまにか座っていた彼が不機嫌そうにいうと、お父さんは、
「あっ、お前もいたんだっけな」
と冷たくいい放った。
「さあさあ、お茶が入りましたよ。ケーキよりも和菓子のほうがいいと思って、おいしいのを買っておきましたからね」
お母さんは台所からお盆をかかげてやってきた。
「あー、これ、僕の嫌いなやつじゃないか」
彼は塗りの小さなお皿の上に載った、お上品なあずきでできたお菓子を見ていった。
「別にケンイチのために買ってきたんじゃないからいいの。これはアキコちゃんに食べてもらおうと思ったんだから」
彼はお母さんにも冷たくされていた。
「アキコちゃんは好きよ」
そういわれたら嫌いだなんて口が裂けてもいえない。
「はい」
「よかったわ。まだあるから足りなかったらいってね」
お母さんもお父さんもにこにこしながら、黒文字でお菓子を切っていた。彼は面白くなさそうにお茶だけがぶがぶと飲んでいた。彼らは私にシンガポールの話をしろと迫り、身を乗り出してきた。
「お母さん」
彼は急須《きゆうす》を持って横から口をはさんだ。
「ね、お茶がないんだけど」
「えっ、何?」
お母さんはうるさそうにいった。
「お茶がないんだけど……」
「何? お茶? そんなもん、自分で台所にいっていれてらっしゃいよ! いちいちうるさいわね」
彼はお母さんに手で追い払われるようなしぐさをされてしまったので、すごすごと台所にいき、淋《さび》しくお茶をいれていた。
「ねえ、それからどうしたの?」
私は台所にいる彼が気になったものの、お父さんとお母さんが乗り出して私の話を聞きたがっているので、あきらめて、なるべくウケるように話を大きくして話した。こちらの狙《ねら》いどおり彼らは大笑いしてくれた。
ひとしきり笑ったあと、お母さんは、
「きょうの晩御飯は腕によりをかけてつくっちゃったから、楽しみにしててね」
といいながら、ダイニングテーブルの上でごそごそやりだした。実は成田からの帰り道、私たちは、
「今まで食べ過ぎたから、晩御飯はお茶漬けであっさりすまそうね」
と話していたところだった。しかしお母さんのあの様子じゃ、相当すごいものが出てきそうな気配がした。
「お手伝いします」
私が立とうとすると、お父さんは、
「まあ、アキコちゃんはのんびりしていなさいよ。おい、ケンイチ、お前、お母さんの手伝いをしろ」
と彼に命じた。
「えーっ、僕がやるの」
「うるさい、さっさというとおりにしろ」
お父さんは本当に冷たかった。
「お待ちどおさま」
お母さんの明るい声がした。
「さっぱりしたものを食べようっていってたんだけどなあ」
彼はテーブルの上に並べられた、いろいろな細工を施したこぎれいな日本料理を見ながらため息をついた。彼からお母さんが料理を習っていると聞いたことがあったので、それを今日、披露《ひろう》してくれたのだろう。ありがたいような迷惑なような複雑な気持ちだった。
「この料理のどこがさっぱりしてないっていうの。じゃあ、ケンイチは何が食べたかったわけ」
「お茶漬けとかさあ……」
「お茶漬け? あっ、そう。それじゃあ、あなたマンションに帰って自分でつくれば?」 またまた冷たい仕打ちだった。
「あの、私がつくりますから……」
あわてていうと、
「いいの、いいの、アキコちゃんはここに座っていればいいの」
お父さんとお母さんと彼は、私を椅子《いす》に座らせたままいつまでももめていたが、彼が、
「わかった、わかった。何でも食べますよ、僕は」
と戦いから手をひいたので、やっと静かな晩御飯が迎えられることになったのである。
「女の子がいると、華やかでいいねえ」
お父さんはうれしそうにいった。正直いって胃拡張ぎみになったお腹にはちょっと豪華すぎたが、げっぷを飲みこみながらありがたくいただいた。しかしあまりの歓待に私は内心、
(あとで大ドンデンがえしがあったらどうしよう)
とおびえてしまったのである。
ちょっと挨拶《あいさつ》するだけのつもりだったのに、私たちは十一時近くになって、やっと解放された。時期外れのメロンのデザートつきだった。そして私だけにご両親からの心暖まるプレゼント。
「うれしいわ」
といいながら箱を開けたとたん、私はひえーっといいたくなった。なかにはフリルとキラキラ光るビーズがたくさんついたチェリー・ピンクのアンゴラのセーターと、ハイネックでレースがふんだんについた、いまどき宝塚の舞台でしか見かけないようなブラウスが入っていた。頭のなかでは、ドンデンドンデンという音が鳴り響いていたが、なるべく平静を装った。
「す、すて……きですね」
お義理で胸のところに当ててみせながらいうと、ふたりは満足そうにうなずいていた。
「お父さんとね、アキコちゃんには何が似合うかなあって相談しながら買ったのよ。女の子らしくてかわいいでしょう」
お母さんは「女の子らしい」を連発した。
「絶対アキコちゃんには似合うと思うの」
玄関で見送りするときも、ダメ押しするみたいにお母さんはいった。
彼はマンションまでの帰り道、
「それ、似合わないよ」
とぶっきらぼうにいった。
「そう思う?」
「うん。そういうのはもともと色白で女らしいタイプに似合うんだよな」
彼のいうことは正しかった。私は色黒だし、大股《おおまた》を開いて背中で階段を滑り降りるような性格である。みかけだって特別女らしいタイプではない。私の趣味にあわないものを堂々と自信を持ってプレゼントしてくれた彼らのことを考えると、途方にくれてしまったのである。
「私たち」が旅行から帰ってきてから、というか「私」が帰ってきてから、お母さんはしつこいくらいにまとわりついてきた。
「ちょっと服を買いにいったついでに、アキコちゃんのも買ってきたのよ」
とやってくる。ところがそれは、チェリー・ピンクのぴらぴらセーターみたいに、私の趣味とは相反するものばかりだった。花柄のギャザー・スカートにパフ・スリーブのブラウス。これまたレース付き。なかにはレースと刺繍《ししゆう》が合体しているものまである。お母さんが持ってくる袋のなかは、ピンク色と花柄と、フリルとレースに刺繍の世界なのであった。
「女の子はいいわねえ。こういうものが着られるんですもの。男の子はつまらないのよ、紺とかグレーとかばっかりで。ちっとも華やかじゃないの。女の子が生まれたらこういうのを着せてあげようと思っていたのに。でも今やっと夢がかなったわ」
お母さんは私に似合わないはずの服の数々を見ても、何も感じないみたいだった。ただ、
「かわいい、かわいい」
というだけである。こちらとしてはもらっても趣味にあわないと、ついついタンスの隅にしまいこんでしまうのだが、お母さんは私がもらったものを着ていないと、ものすごく悲しそうな顔をする。一度、うちに遊びにきたエイコちゃんにプレゼントの品々を見せたら、
「どひゃー」
といったあと、
「よくこんなもの売っているお店を見つけたねえ」
と感心していた。お母さんの監視下で私のファッションは一変してしまった。お母さんと連れ立って買い物にいくときにはまさに地獄である。
「アキコちゃんもおそろいにしましょうよ」
といって、彼女はレースいっぱいのブラウスに紫色の手染めの段々のスカートをはいてきたりする。フォークダンスのような衣裳《いしよう》を、ふだん平気で着ているのだ。
「はあ……」
私はしぶしぶプレゼントの品々のなかから彼女のファッションと似たデザインを選び出し、なるべく鏡を見ないようにして出かけるのである。いつも心のなかで、
(知った人に会いませんように)
とおどおどしている。しかしこういうときに限って知り合いの奥さんにばったり会ってしまう。そして、
「まあ、おそろいね」
ということばとちょっと軽蔑《けいべつ》したような視線を感じて、ため息が出てしまうのだった。
一緒のお出かけだけでなく、私がそういう服を着てお父さんとお母さんと晩御飯を一緒に食べるのが、彼らの至福の時間のようであった。
晩御飯の支度をしていると、お母さんは突然、
「今日はこっちで食べましょうよ」
と誘いにくる。新婚でもあることだし、ふたりきりですごしたいなあと思うのだが、いつも彼女の目は、断ったら許さないという気迫に満ちていた。台所で一緒に料理をつくると、お母さんはとてもうれしそうにしていた。私はもちろんレースのブラウスに花柄のギャザー・スカート、フリルつきのエプロン姿である。グレーの霜降りセーターにジーンズという実家にいるときの姿とは大違いである。
「ケンイチにはこっちにくるように電話しておきましたからね」
万事彼女は手回しがいい。きっと彼は私のこういう姿を見て、また、
「ぷっ」
と噴き出すに違いないのだ。
お父さんは玄関で私の靴を見ると、
「アキコちゃん、きてるの」
といいながら部屋に入ってきた。そして私とお母さんが台所であれこれやっている姿を眺めては、ビール片手に、
「いいなあ、いいなあ」
とひとりで満足していた。
私は彼がこちらにくるのを待っていたかったのに、ふたりは、
「待っていてもいつになるかわからないから、先にすませちゃいましょう」
と箸《はし》をとって食べはじめてしまった。彼と結婚したというよりも、まるで私はこの家に養女にきたみたいだった。実の息子がやってきても、お母さんは、
「面倒臭いわねえ。まっ、電子レンジでチンするだけだからいいか」
とつれない。私たちはアキコちゃんと仲よくやっているから、そのあいだにさっさと食えといわんばかりなのであった。
その夜も私だけにプレゼントがあった。怖いのでその場では開けず、帰ってきてからおそるおそる袋を開けてみた。
「今度はどんな素敵なお洋服かなあ」
といいながら彼は、
「ひっひっひっ」
とヒヒじじいみたいに笑って一緒になかを覗《のぞ》きこんだ。出てきたのはネグリジェだった。それもピンクのローンにケープのように白いレースの襟、胸元には大きなリボンがついていた。
「わあ、イメルダ夫人みたい」
彼がおどけていった。ふだんチェックのパジャマで寝ている私には、信じられないお寝間着だった。
「これは外に着て出られないからよかったねえ」
彼は笑いながら、私のことを「お母さんのおもちゃ」といった。そして、
「これからはキミのことを、『短足ジェニーちゃん』と呼ぼう」
などというのだ。
「いつもは困るけど、たまにはこれを着て寝ると、僕もちょっぴり喜んじゃうかもしれない」
そういってまたくすくす笑った。
エイコちゃんにいわせると、私はうらやましいくらいに恵まれているという。だけどいつ大ドンデンがえしがあるかわからない。たしかにいまのところは私とお母さんは戦闘状態ではないけれど、母親がいうように何かがあったら、大爆発してしまいそうな気がする。大ドンデンがえしがいつくるかと、戦々恐々としている。こういう私って幸せなのか不幸せなのかと考えはじめると、またまた頭のなかはドンデンドンデンと鳴り出してしまうのであった。
単行本版あとがき
先日、若い友だちの結婚式に呼んでもらった。披露宴《ひろうえん》には何度も出席したが、結婚式、それも教会での式に出席するのは初めてのことである。自分ではする気がない結婚式が経験できるなんて、と私は大喜びした。そして、「もらい泣きするかもしれないから、心して式に臨もう」とまるで自分が花嫁《はなよめ》みたいな気分になっていたのだ。
初々《ういうい》しい花嫁、花婿《はなむこ》を前に、出席者全員が感涙にむせぶ、大セレモニーを私は期待していたのだが、予想に反し、式があまりに簡素だったので、私は拍子抜けしてしまった。神父さんの指示に応じて、立ったり座ったりしている間に、私は前列の椅子の角に膝《ひざ》をしこたまぶつけて、
「いてててて」とうめき、隣の知り合い男性は、
「二日酔いの翌日だと、この立ったり座ったりで吐き気がこみあげてきて、結構つらいんですよね」などといったりして、式の出席者にあるまじき態度をとっていた。式が思いのほか簡素で拍子抜けしても、新郎、新婦には一生に一度(だと思うけど)の重みのある式だったに違いないのである。
ところが夫婦生活が始まると、周囲の人々を巻き込みながらいろいろな問題が起きてくる。その部分を覗《のぞ》き見したのがこの本である。とはいっても、私には経験のないことなので、既婚者からは、
「こんなことありえないわよ」
といわれてしまうかもしれない。そういう人々には、
「どーも、すいません」とこの場であやまっておくことにする。
結婚したい人は結婚し、別れたい人は別れ、結婚したくない人はしなければよろしい。
「結婚しなければ、人間として一人前じゃない」などという人はぶっとばしたいが、
「結婚してしあわせになりたい」と思っている人は、それはそれでいいのである。みなさん、それぞれに自分が考える「幸せな生活」を送ってください。
一九九〇年五月
群 ようこ
本書は '90年6月、小社より単行本として刊行されたものです。
無印結婚物語《むじるしけつこんものがたり》
角川文庫『無印結婚物語』平成4年3月25日初版発行
平成9年5月25日33版発行