聖剣伝説 レジェンド オブ マナ あまたの地、あまたの人
細江ひろみ
聖剣伝説 レジェンド オブ マナ キャラクターデザイン 亀岡慎一
聖剣伝説 レジェンド オブ マナ 背景デザイン 津田幸治
本文イラスト 天野シロ
2000年2月3日 初版
* ルビ完全無視
* HTMLの aタグで各章の頭にアンカーを設定。
* HTMLの imgタグで挿絵を指定。
目 次
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プロローグ
『私』は、樹の懐に抱かれたいごこちのいい小さな家で育ち、両親が土に還るころには、一人で生きていくすべを学び終わっていた。
小さな畑を耕し、有用な野草や樹の実を集め、小動物を狩り、冬がやってくる前に食料を貯え、家の手入れをし、冬の問は道具の手入れをして過ごした。
時には、危険な獣が家のまわりをうろつくこともあったけれども、それを退けるに必要な武器もあり、その扱いも身につけていた。
そうした日々を繰り返していたある日、嵐の夜が過ぎたいつもの朝、私はあたりを見回ろうと、外へ出た。
充分に樹に守られた私の家に、被害はまずでない。
折れた枝を集め、巣から転げ落ちたヒナを、ポケットに入れる。
枝は後で焚き付けにし、ヒナはおおむね巣の中に返してやるけれども、その日の献立にのせてしまうこともある。
その日は、家の前に立っている小さなポストが、傾いていることに気がついた。
どこも壊れてはいないようなので、私は一度ポストを、取りつけてある杭ごと引っこ抜き、力を込めて地面に突きたて直した。
……その時だ……。
私は初めて、このポストが意味するものについて考えた。
もちろん、ポストは手紙を受けとるためにある。
別の土地からの、誰かの手紙を。
しかし私は、別の土地や誰かについて、一度も考えたことがなかった。
しばらく、今までと同じような日々が過ぎていった。
しかし、一旦思いついてしまうと、私はこの新しい考えに支配されていった。
別の土地のこと、そこにいる誰かのこと。
普段、私は完全に自給自足でやっていると、意識もせずに思いこんでいた。
だけど考えてみると、そうとは限らない。
普段使う道具の大半は、ここで手に入れられる素材で、私が作った物だ。
たとえば太い枝で弓を作り、細い枝で矢を作る。
蔓や麻や動物の腱で弦を張り、動物の骨や黒曜石で矢尻を作り、樹に住み着いている鳥の落し羽を矢羽根にする。
冬の間、暖炉の火の前で、春から秋にかけて集めておいた綿や繭、皮や毛でもって、あれこれ考えながら服のたぐいを作るのは、楽しい仕事でもある。
だけど、金属の剣やナイフは、私には作ることができない。
知識だけでなく、作るための材料も道具も、ここにはないからだ。
今あるものは、私が生まれる前に、どこかから誰かがここへ運んできた。
それが誰なのか、両親なのか、さらに古い先祖なのかすら、私は知らない。
しかしここにそれがあるということは、誰かが旅をしたことを意味している。
他の土地で材料を集め、加工し、ここまで運んできた、私ではない誰かの存在を、一本のナイフですら現しているのだ。
私は旅に出てみようと、決心した。
旅について具体的には何も知らなかったけれども、心はすでにまだ見ぬ他の土地へと旅立ってしまった。
家の手入れが間に合わなくなる前には、帰ってこよう。
小さな煩が野原に戻ってしまったら、再び耕そう。いや、畑が野原に戻っても、野原からは野原の食料が得られるものだし、旅の途中でもそれは同じだろう。
いや、そうとは限らないかもしれない。
なら、保存のきく冬用の食料を少しばかりと、それから家の一番奥の、そのまた奥の行李の奥から、一度も使うことを考えたことがなかったコインを取り出して、小さな革袋に人れて持っていこう。
……コインもポストと同じように、誰かがいて初めて意味のある代物だ。
こうして旅の準備を整えると、私は最後に家の扉の鍵を締め、……おや? 鍵も誰かがいて初めて意味のある他社だ……、そして話しかけた。
「樹よ、私は少々出かけてくる。
その間、私の家をよろしく頼む。
私の家よ、私かいない間、しっかり留守をしていてくれ。
私の家の前に立つポストよ。
私かいない間に来客があったら、伝言を受けとっておいてくれ。
お前に家の鍵を預けていこう。
客が必要とするなら、鍵を渡してやってくれ。
あたりの動物だちよ、いままで通り暮すがいい。
私はしばらく、お前たちを食む獣を狩ってはやれないが、私もお前たちを狩らないのだから、そう変りはないだろう。
あたりの草だちよ、いつもと変わらず過ごすがいい。
私はしばらく、お前たちを食む動物を狩ってはやれないが、私もお前たちを摘まないのだから、そう変りはないだろう」
私は、あたりをゆっくりと見回した。
言葉はないが、私が話しかけたものたちが、静かに私の出発を見守っている。
突然、小さな声が私に語りかけた。
私の足元の、小さな草だ。
「どこへ?」
草は、気が向いた時だけ小さな声で話しかけてくる。
ほとんど、とりとめのないことを語るだけだけれども、かろうじて会話と呼べるものが成り立つこともある。
私は答える。
「別の土地へ」
「それって、どこにあるのか知ってる?」
「ここではない場所に」
草は、その葉をしならせて、一つの方角を指し示す。
「だったら、あっちへ行くといい」
私は特に考えもせず、扉からまっすぐ前に歩いていくつもりだった。
特定の方向が、特別の意味を特つのだろうか?
草は、それを知っているのだろうか?
「草よ。お前も私と同じように、旅をしたことなぞないだろうに、なぜ私に教えることができると思うのだ?」
草は涼しげに、風に揺れながら言った。
「草は、一つだから」
その意味はわからなかったけれども、草の言葉はそういうものだ。
私は、わからないなりにも草の言葉を受けとることにする。
「ありがとう、草よ。そうしてみよう」
「どういたしまして」
それきり草は黙り込んでしまい、私にも話すことはもうなかったので、家に背を向け、草が指し示した方角へと、歩きだした。
〜サボテン君日記@〜
ぼくは、さぼてんくん。
くんっていうんだから、おとこかな?
でもおんなでも、くんっていうよね。
とげがあります。
おっきな木のしたにあるおうちに、すんでいます。
にんげんもすんでるけど、こんどおでかけしてくるんだって。
にんげんは、ぼくのこと、うごけないとおもってるから、ぼくはるすばんだって。
ほんとはぼく、うごけるんだ。でもこれはないしょ。
なんできゅうにおでかけか? っていうと、いえのまえにポストがあるんだ。
てがみこないから、やくたたず。
でもにんげんは、ポストをみて、てがみをだすひとや、そのひとがすんでるとちのことに、きゅうにきょうみをもったみたい。
たんらくてきだね。
第一話「ガトの子ら」
私が、特に目的があるわけではなく、旅そのもの……、他の土地を訪ね、誰かと出会うことそのものが目的だと話すと、彼女はニッコリと笑った。
「見聞を広める修業の旅だね。
私もそういう旅を、したことがあるよ」
私の旅が、彼女のいう旅であるかどうかは、よくわからない。
そうだとも違うとも言えず、私は肩をすくめて、曖昧に笑い返す。
溌刺とした精神と精悍な肉体を、なめらかな毛皮に包んだ、若い女性。
彼女の名は、ダナエ。
彼女は私に、ガトという上地と癒しの寺院について、教えてくれた。
ダナエは、大切な人の病を癒す方法を探すために、賢人ガイアを訪ねた帰りなのだそうだ。そして彼女は、少し自嘲ぎみに笑った。
「おかしいだろ?
癒しの寺院の僧兵が、他へ癒しの方法を探しに行くなんて」
私は、ちっともおかしくはないと答えた。
寺院のことも、僧兵のことも、よく知らない。
けれども、そんな名の寺院の者が、人のために癒しの方法を探索することは、理にかなっているように思う。
思ったままを彼女に告げると、彼女は声に出して笑った。
「ウフフ。そんなふうに言ってくれると、嬉しいよ。
そうだね、その通りだ。
寺院より、癒すことが大切だよね」
……同じ笑うので気様々な笑いがあるものだと、私は彼女の笑顔に見とれる。
そしてその朗らかな笑顔に誘われるように、さらに私は問いかけた。
大切な人とは、どんな人なのか?
ダナエは、今度はいたずらっぽく笑う。
「恋人……じゃないよ。
姉妹のように育ち、姉のように慕っている人。
だけど……」
ダナエの表情が、出会ってから初めて少し曇る。
「……精霊力を奪われてから、すごいスピードで年を取り始めたんだ。
早く精霊力を取り戻さないと……」
どうやら賢人ガイア訪問は、ダナエが望む結果をもたらさなかったらしい。
それにしても誰が何のために、精霊力を奪ったのだろ、っ?
それ以前に、精霊力とは何だろ、っ?
いや……、精霊については、知っている。
夜明けに、日暮れに、嵐に、家を守る樹に、狩りの前後に、大地に鍬を入れて畑とし、畑から収穫を得る時に、私は精霊に祈ってきた。
両親から受け継ぎ、疑問もなく続けてきた。
……そう……、風習だ。
風習だし、見たこともないけれども、精査の存在は信じている。
ただそれだけではあるけれども……。
たった今まで、精霊の力が奪い奪われるものだとは、知らなかった。
私の好奇心は、表情に現れたらしい。
ダナエは私を見ながら、面白そうに笑った。
「ウフフ、なんでも知りたいっていう顔を、しているよ。
私も、初めて旅に出たときはそうだった。
……ねえ、特に目的地は決めてないんでしょ?
だったらガトヘ来ない?」
それは願ってもないことだけれども、なぜダナエが見知らぬ私に親切にしてくれるのかと、一瞬返事が遅れたのを見て、彼女はまたクスクスと笑った。
……どうやら私が考えていることは、全部顔に出るらしい。
「宗教の勧誘じゃないから、安心して。
癒しの寺院が、教義を強要することは、絶対にないから。
来るものは拒まず、去る者は追わずでやってるし、癒しを求める人に奉仕し、謙虚にそれを与えることが、修道女たちに求められる修行なの。
あ、そうそう、司祭も修道女も僧兵も女ばかりよ。
だけど、女しかいないってわけでもないわ。
雑用をしてくれる寺男がいるし、老若男女の住人に旅人に……」
私はダナエが語る言葉の一つ一つに興味を持った。
虹を浮かべる滝や、断崖にせり出す寺院といったものだけではなく、普通の人々や、普通の宿や店にも。
それぞれの土地を出た普通の旅人が、様々な土地を巡り、ガドで巡り合う。
想像するだけで、目が回る。
私は、喜んでダナエの親切を受けさせて欲しいと答えた。
「あら、親切っていうばどのことでもないわ。
いろいろおしゃべりできる道連れがいる方が、旅がはかどるしね」
私には教わることがたくさんあるだろうけれども、私が教えられるようなことはほとんどないがるうと、打ち明けずにはいられなかった。
私の知識は、私の家とその周辺の、ごく僅かな土地のことだけなのだから。
私の懸念を、ダナエは笑い飛ばす。
「そんなこと、気にする必要はないわよ。
みんな自分か思っている以上に、違ってるものよ。
自分かありきたりだと思ってることが、他人にとっては、そうじゃない。
それに、万一そうでなくっても……」
ここでダナエは、イタズラっぽく笑って言葉を一度切った。
「……教える楽しさっていうのは、教わる楽しさと同じくらいあるわ。
つまり世の中には、話したがりで教えたがりっていう人種も、いるってこと」
こうして私は、ダナエと並んで歩きながら、ガトに到着するまでにたくさんのことを敢えてもらった。
もっとも、精霊や波動やマナといったことについての話は、私には少々難しかったよ
それよりも、ダナエにとってはありきたりになってしまっていること……、いい宿や食堂の見つけ方や、獣の扱いや野宿の方法といったことが、私には面白かった。
けれどもやはり、私かダナエに教えられるようなことは、なかったと思う。
それでもダナエは、私の住んでいる土地や、世に抱かれた私の家、そして私の狩りの方法といったことについて、とても興味深そうに耳を傾けてくれた。
ダナエは聞き上手で、私は思った以上に話し続けたようだ。
途中で獣とも遭遇した。
その時も、一人よりも二人の方が、ずっと楽に戦えた。
私はダナエの戦い方から学び、逆にダナエは私の獣の利用法に関心を待った。
こうして旅は続き、やがてダナエは地平にそびえる、燃え立つ炎を指差した。
「ほら、あれがガト」
ガトの第一印象は、まさしく美しく燃える炎の揺らめき。
寺院と、天を指す断崖絶壁は、共にタ焼けを映し、緋色に輝いている。
私はその美しさにため息をつき、そして道中のダナエの話が、実に写実的であったことに感心した。
ガトは生き物のように、刻一刻とその色を変化させてゆく。
そして私たちが、もはや全貌を見渡せぬほどにガトに近づいた頃には、日はとっぶりと暮れ、あたりはやわらかな夕闇に包まれていた。
私は、一日がこれほどまでに早く終わってしまったことに、驚いた。
そして「道連れがいると旅がはかどる」という言葉を、実感した。
私がダナエに礼を言うと、彼女はあの笑顔を浮かべて言う。
「私もあなたと一緒で、楽しかったわ。
また機会があったら、一緒に旅をしたいぐらい」
そして私たちは、そろってガトヘと足を踏み入れた。
今や頭上にそびえ立つ断崖絶壁のあちこちや、そこから突き出した寺院には、点々と暖かい色の炎が、ゆっくりと風に揺られている。
ダナエは、優しい顔でそれらを見上げて、静かに語る。
「小さなころから見慣れたガトだけど、見上げるたびに思わずにはいられない。
ガトは、風を受けて燃え立つ炎そのもの。
この風と火の精霊の集う場所に、先人たちが集い、何代という膨大な時間をかけて断崖に道を刻み、その高みに癒しの寺院を作り上げた。
風と火が作り出す炎は厳しく、過酷だわ。
だけど、同時に優しく暖かい。
だから私は、ガトが好き」
その気持ちが、私にもしんみりと伝わってくる。
けれどもその時、突然炎の激しさを秘めた冷たい声が、ダナエに掛けられた。
「感慨に耽るのは勝手だが、寺院を守る責を負った僧兵の長に、こうたびたびガトを離れてふらついてもらっては困る!」
「エスカデ!」
ダナエがそう叫び返す前から、私には声の主がそうではないかと、なんとなく予想がついていた。
エスカデのことは、すでにダナエから聞いている。
毛皮を持たない種族の、ダナエと同年代の男。
ダナエは、姉のようなマチルダと、このエスカデと、そしてまだ登場はしていないアーウィンと共に、幼い口々を兄弟姉妹のように過ごしたという。
アーウィンは、悪魔の血を引いた、角と獣の足を侍った男。
そのアーウィンが、マチルダの精霊力を奪って姿を消してから、四人の道は完全に分かれてしまった。
エスカデはアーウィンを不倶戴天の敵と憎み、倒すべき悪として追っている。
彼はマチルダの精霊力を取り返すためと言うけれども、ダナエには、エスカデが手段と目的を取り違えているように見える。
ダナエもアーウィンの行為には腹を立てているけれども、何よりもマチルダを牧うことを優先させたいし、そのためならアーウィンの協力であっても仰ぐつもりだ。
それがエスカデには許せない。
そして当のマチルダは、誰も恨まず、運命を受け入れている。
それがエスカデにもダナエにも、歯がゆくてならない。
……とは、ダナエの談。
エスカデにしたら別の意見があるかもしれないけれども。
ダナエはエスカデを、キッと睨む。
「エスカデ! 私はマチルダを救う方法を探す旅に出ているのよ!」
「それでその方法は、見つかったのか?」
ダナエは、唇を噛んで一瞬黙り込む。
「……いいえ。
だけど私は、あきらめない。何度だって探索の旅に出る!」
「方法なら、わかっている!
アーウィンを倒し、精霊力を奪い返す!」
「アーウィンを倒せば精霊力が戻るという保証はないわ!
精霊力を奪ったアーウィンなら、精霊力を返す方法も知っているかもしれないと、なぜ考えないの!
彼を倒すことが、その方法を永久に失わせる可能性だって、無いとは言えないのよ!。
私だって、アーウィンのしたことは許せない!
けど! マチルダが助かるなら、私はアーウィンにだって、頭を下げる!」
「悪魔にか!」
エスカデは、繰り返す。
「あの悪魔に頭を下げるのか! ダナエ!
お前は目的のためなら、魂を悪魔に売り渡しても、かまわないというのか!」
「泣き落としたって説得だって、私はする!
他に方法がないなら、私は喜んでそうするわ!」
「たとえそうしても、悪魔がまともに教えてくれるものか!」
「悪魔、悪魔って、あなたがそう言ってるだけじゃない!
彼はその血を引いているだけよ!
子供のころは、仲良く一緒に遊んだじゃない!
アーウィンは普通の、ありきたりの子供だった!
あなただって、何の違和感も感じてなかったはずよ!
たとえ彼を倒さなきや、マチルダを救えないのだとしても、それは最後でいい!」
「半分でも、悪魔は悪魔だ!
悪魔の血は、どんなに人の血で薄められたとしても、拭えはしない!
その証拠に、ヤツはマチルダの精霊力を奪って姿を消したではないか!
幼い頃の姿は、我らをたばかる偽りにすぎなかったのだ!
たとえヤツが、頭を下げれば精霊力を返すと言ってきたとしても……」
「あなたはマチルダを見捨ててでも、要求を飲まないって、言うのね!」
「そうだ! そのほうが、マチルダのためでもある!」
ダナエとエスカデは、売り言葉に買い言葉で興奮し、もはや互いに飛びかからんばかりに、相手を睨みつけている。
私は、勢いに飲まれて呆然と見ていたけれども、二人が発する言葉を失った時、次に起こることを予想して、あわてて止めに人った。
とはいえ、いずれの言い分か正しいともわからなかったし、二人を落ち着かせるような気のきいた言葉ももたなかったので、二人の間に割り込んで、睨み合いを中断させることぐらいしか、思いつきはしなかったけれども。
それでも、ケンカを止めるには、充分たったようだ。
二人はまだ私の肩ごしに、互いを睨みつけてはいたけれども、飛び掛からんばかりの興奮状態は、納まったらしい。
今にもその剣を技かんばかりだったエスカデは、その手を柄から離し、ダナエも逆立てた全身の体毛を、ゆっくりと戻していく。
「ダナエ。たとえ昔は友と信じていた相手でも、そのころの私たちはまだ幼かった。
悪魔を信じてはいけない。悪魔の存在を、受け入れるべきではない」
ダナエは静かに反論する。
「エスカデ。私はマチルダを助けたいの。ただそれだけよ」
エスカデは、ダナエに背を向ける。
「お前の気侍ちは、わかっているつもりだ」
ダナエはその背中に向けて、要求する。
「だったら、やみくもにアーウィンを倒そうとしないで。
彼なら、マチルダを救えるかもしれないのだから」
エスカデは話題を変え、それを受け入れないことを背中で示す。
「君の留守中、アーウィンの手下らしい者が、ガトに入り込んだ。
狙いはマチルダだろう。
行って、僧兵の長としての責を、果たすがいい」
それだけ言うと、エスカデはその場を立ち去っていく。
「なんですって! それを早く言いなさいよ!」
そう叫んではいたが、ダナエの眼中からすでにエスカデは消えたようだ。
エスカデだけでなく、私のことも。
ダナエは寺院の方へと走り出し、すんでのところで私のことを思い出したようだ。
彼女はあわててあたりを見回し、向こうから歩いてくる赤毛の男を見つけて呼んだ。
「ルーベンス! ちょっとこの人のことをお願いしたいの!
明日からしばらく、あなたの手伝いをしてもらうことになったわ!
宿に案内して、仕事について説明してあげてちょうだい!」
あまり路銀を侍っていない私に、ダナエは寺院の仕事を紹介してくれることになっていたからだ。
ルーペンスがコクリと無言で頷いた時には、ダナエは風のように走り去っていた。
ルーベンスのことも、多少ダナエから聞いていた。
詳しいことは、ダナエも知らない。
彼はここの生まれではなく、彼の大切な人のための癒しを探して、各地を放浪した後、ここへ流れ着いたのだそうだ。
ただ、癒しの寺院も、自ら心を閉ざしたルーベンスの大切な人の助けにはならず、また彼もすでに深い絶望を負っていた。
癒しが必要なのは、まず彼の心であり、彼の大切な人を癒すことができる者がいるとしたら、それは癒されたルーベンスだろうと、ダナエは言った。
そしてダナエは、持ち前のおせっかい(と、彼女自身が笑いながら言った)で、彼に寺院の仕事を世話したのである。
ルーベンスの働きぶりは、いたって真面目で正確で、やがて寺院の全ての大の管理を任せられるほどになった。
けれども、いつまでたっても無口で、必要がなければ人と交わろうとはせず、自分について語ることは、一切ない。
ダナエは優しそうに笑う。
「寺院にも、力仕事をする男手が必要だし、修道女たちにとっては、こういう控えめなタイプの方が、助かるのよ。
以前、確かギルバートとかいう自称吟遊詩人がやってきてね、手当たりしだい修道女を口説き始めた時には、そりゃもう大騒ぎだったんだから!
それはそれとして、そういうわけでルーベンスは無口で無愛想だけど、決して悪い人じゃないから、個人的なことは聞かないで、そっとしておいてあげてね」
私はダナエに、彼のプライバシーを詮索しないことを、約束した。
ルーベンスは、外見こそダナエやエスカデと同年代たったけれども、二人が持つ燃えるような若さは感じられない。
大人びているというよりも、まるで人生に疲れた老人のようだ。
……いや、私はまだ、人生に疲れた老人など、見たこともないのだけれども。
たとえるならば、ダナエやエスカデが風と炎だとすれば、ルーベンスは氷……いや、そんな剌すような冷たさはない。であれば水。……それも違う。彼は僅かな波紋すら浮かべそうもない。
そう……、たとえるならば、ずっとそこに在り、そしていつまでも在りつづけ、誰に気にされることもなく、誰を気にすることもなく、ただ存在し続ける路傍の石。
ひっそりと。
寡黙に。
ルーペンスは、私を手招きして、宿へと案内してくれた。
彼が話さないのではなく、話せないのではないかと思いはしめたころ、彼は初めて目を開いた。
「潜在がしばらくなら、この宿を使うことになる。
寺院の仕事をしている間は、食事と宿代のことを気にする必要はない。
ここでの仕事を続けることを望み、それを寺院が認めるならば、専用の宿舎がある」
ルーベンスは、静かに淡々と、必要なことだけを目にする。
「地下の洞窟にある倉庫から、上の寺院へ燃料を運んでもらう。
明日朝、鐘が六つ鳴った後、私がここへ迎えに米て、仕事を教える。
明後日からは、一人でやってもらう。
運び終わったら、一目分の給金を支払われる。
一口分を運び終わった後は、好きにしていい」
そしてルーベンスは、少し考えてから、こう付け加えた。
「が、倉庫のある地下の洞窟の奥の方には、あまり足を踏み入れない方がいい。
慣れるまでは、迷いやすい」
そしてルーベンスは、宿のマスターに私が不自由しないように言づけると、すっかり暗くなった外へ……、たぶん寺院で働く者のための宿舎へと、帰っていった。
ダナエとは、道中、ガトでの最初の夕食を一諾に楽しもうと約束していたけれども、どうやらそれどころではなくなったことぐらいは、私にもわかる。
一方ルーベンスは、食事の付き合いをするといった愛想良さはなかったけれども、不親切ではないようだ。
けれども、夕食を終えるころには、マスターとすっかりうちとけた。
マスターが教えてくれたところによると、ルーベンスは誰とも一緒に食事を取らないどころか、人前では一切物を目にしないらしい。
私は、生まれて初めて酒……ガトの名産シュタインなんとかを、マスターのおごりでご馳走してもらい、くつろいだ気分でベッドに入った。
初めて飲んだ酒のせいか、それとも今日の様々な出来事のせいか、頭の中に次々と今日の出来事が浮かび上がり、ワンワンと渦を巻いている。
たった一つの旅で、私はなんと多くの人と出会い、多くを見聞きしたことだろう。
ダナエやエスカデや、ルーペンスや宿のマスター。
そしてまだ出会ってはいないけれども、マチルダやアーウィン。
(ギルバートという名前も聞いた覚えがあるのだけれど、はて?)
旅に出なければ、その一人の名前すら、耳にすることもなかったはずだ。
夕日に映えるガトの街も、夕闇に浮かぶいくつもの明かりの揺らめきも、想像することすら、なかっただろう。
他の土地では、料理すら違うとは、旅に出なければ知り得なかった。
どれはどここに潜在するかは決めていないけれども、離れる前に、酒の作り方を覚えられたら、素敵だろう。
そうだ……、見聞きしたことを手紙に書き、私の家に出してみようか?
そうすれば帰った時、私はポストの中に、手紙を見つけることができるだろう。
でも、手紙はどうやって出せばいいのだろう?
明日、マスターに相談してみよう。
そんなこんなを考えているうちに、私は心地よい眠りに入っていた。
翌朝は薄暗いうちから、外からバタバタと、人が行き交う物音が聞こえてくる。
ガトの朝は騒がしいと思ったけれども、マスターも中火そうに外を気にしているのに、気がついた。
とすると、これがガトの日常というわけでは、ないのかもしれない。
朝食を食べていると、そこヘルーベンスがやってきた。
立ち上がろうとすると、ルーベンスは片手で私に座れと合図する。
「急ぐ必要はない。仕事には力がいる。
充分に食べ、腹が落ち着いてから、ここを出ればいい」
そう言って、彼は私の向かいの席に、座り込んでしまった。
燃料を担いで、この断崖絶壁の上部と地下を往復するのであれば、ルーペンスの言う通りに違いない。
普通、向かいの席に人を持たせて、のんびりできるものではないけれども、ルーベンスは体を斜向かいにして、私を無視するでもなく、かといって見るでもなく、落ち着き払っているので、私も遠慮なく食事を続けることができた。
彼は、見た目以上に大人なのに違いない。
たとえ無愛想で無口であったとしても、それは悪いものではなく、完成されたルーベンスの個性にすぎないのだろう。
もとより食事は終わりかけていて、一口二口で皿は空になったのだけれども、それでもルーベンスは立ち上がろうとはせず、こう言った。
「今日は、しばらく仕事になりそうもない」
私が何か言うよりも早く、マスターがやってきた。
マスターは、外のバタバタが、どうにも気になってしかたがないらしい。
先のルーペンスの言葉を聞いて、我慢できなくなったようだ。
「何かあったんですか? ルーベンスさん」
「わからない。洞窟の出入り口を、エスガテたちが封鎖している。
燃料倉庫にも、出入りできない」
「そうですか……」
マスターは、外を気にしつつも、私の前だけに熱い飲料の入ったカップを置いて、キッチンヘと戻っていった。
それがごく自然に行われたところを見ると、ルーベンスの個性は、ガトの空気に完全に溶け込んでしまっているのだろう。
私か飲料をすすっていると、今度はダナエがトタバタと飛び込んできた。
その物音に、マスターもキッチンから飛び出してくる。
「二人とも、急いで手伝ってちょうだい!
マチルダが攫われたの!」
「司祭様が?」
マスターが驚愕する。
昨夜、エスカデの言っていたことが、現実の事件となったらしい。
「私は一晩中マチルダと一緒にいたのに、早朝一瞬席を外した時に、偽の修道女によって連れ出されてしまったのよ!
なんてこと! マチルダは、ひどく弱ってるっていうのに!」
ダナエは焦り、自分を責めているようだ。
私はダナエに、何を言ったらいいのか、わからない。
だけどルーベンスが、表情も変えずに現実的な質問をする。
「どう手伝えば、いいんです?」
「誘拐犯は、マチルダを連れて洞窟へ逃げ込んだわ!
出入り目は封鎖したけど、探索の人手が足らないの!
私と一緒に来て頂戴!」
その言葉が終わる前に、私もルーベンスも、立ち上がっていた。
私は二人について、ガトの急な坂を、洞窟の入り口へと駆け降りる。
洞窟の入り目を見張る者たちを見回して、ダナエは叫ぶ。
「エスカデは、どうしたの!」
見張りの一人が、すぐさまダナエに叫び返す。
「悪魔が来るはずだと言って、洞窟に入りました!」
見張りの返答を問いて、ダナエが体毛を一瞬逆立てる。
「なんてこと! 急がなければ!」
悪魔とは、アーウィンのことだろう。
マチルダが攫われてしまうことを心配してだろうか?
それともエスカデが、アーウィンを殺してしまうことを、心配してだろうか?
たぶん、その両方だろう。
それはともかく、見張りの言葉を聞いたとたん、ダナエは洞窟へと飛び込んでいったので、ルーベンスと私も、そのまま彼女を追いかける。
洞窟は、入り目近くこそ思ったより明るく、扉や棚などが取り付けられて、さまざまに使われているようだったけれども、奥はすぐに、自然の岩肌と闇に支配されていく。
その闇の中を風が渡り、備え付けられた松明の炎が点々と揺れているところなど、風と火の精霊の土地であることを、示すようだ。
洞窟は、地中を網の目のように広がっているらしい。
分かれ道のたびに、二人一組の僧兵が立ち番をしている。
なるほど、これでは人手が、いくらあっても足らないわけだ。
ダナエはその僧兵に声をかけながら、右へ左へ、奥へ奥へと、走っていく。
いつしか洞窟備え付けの松明も少なくなってくると、ルーベンスが僧兵から松明を受け取って掲げ、私たちはゆっくりと暗闇の中を探索する。
ここが、未探査地域ということだろう。
けれどもダナエには心当たりがあるらしく、その歩みに迷いはない。
やがて私たちは、自然の岩肌にはめ込まれた、荘厳な扉の前に出た。
入り目近くの、実用的な人工物とは趣の異なる、たぶん……寺院の一部だろう。
ダナエは、その指先を扉に滑らせ、ついでその耳を扉に密着させる。
「エスカデが声を荒げている。
戦いになるかもしれないけど、マチルダの安全が最優先よ」
私は、ダナエの囁きに対して無言で頷く。
そしてダナエと私が、扉に体当たりをして飛びこんだ。
中では、エスカデが剣を抜き、床に横だわった老婆を背に、大きな角と獣の足を待った男と向かい合っていた。
アーウィンに違いない。
エスカデとアーウィンは、新参の私たちに一瞬驚いたようだったけれども、すぐに注意を互いに戻し、睨み合う。
そしてダナエは、二人を無視して、横だわった老婆に駆け寄った。
「マチルダ!」
私は驚いた。
マチルダは、ひどく早く年を取り、衰弱しているとは聞いていたけれども、これほどまでとは思わなかった。
どう見ても、生涯を終える寸前の私の両親よりも、さらに老いている。
私の戸惑いなど関係なく、ダナエはマチルダを軽々と抱き上げ、慎重にエスカデの後ろに立って、角の男を睨みつける。
角の男が、低い声で笑った。
「ふはははは。増援が来たぞ、エスカデ。
それで私を倒せるか?」
「悪魔め! キサマの好きにはさせない!
ここに現れたことを後悔させてやる!」
「できるものか」
ダナエが、マチルダを抱きかかえたまま、悲痛な叫びをあげる。
「アーウィンー! どうしてこんなことをするの!
もうマチルダに残された時間は、わずかしかないわ!
私からマチルダを奪わないで!
お願いだから、マチルダの精霊力を、返してちょうがい!」
「やめろダナエ! いかなることも悪魔に願うな!」
それでもダナエは、訴え続ける。
「もし……、もしあなたがマチルダを逓れていくことで、マチルダが助かるならば、私はそれでもいい! でもそれなら、私も運れてってちょうがい!」
「やめろダナエ! 悪魔に魂を売り渡す気か!」
エスカデは、ついに振り返り、その剣をダナエに突きつける。
ダナエはマチルダをかばいながら、エスカデを睨みつける。
それを見て、アーウィンが静かに笑う。
「仲間割れか?
いや昔から、我々はいつも異なる道を歩いていた。
互いに理解しあえたことなど、互いに互いを受け入れたことなど、一度もなかったのではないのかな?」
エスカデとダナエが、同時に叫ぶ。
「悪魔と同じ道など、理解する気は、毛頭ない!」
「アーウィン! あなたの望みは何なの!」
静寂が、あたりを包む。
それからアーウィンが、目を開いた。
「私は何も欲しくない。
私は私を苦しめるこの世界を混沌に還し、
この世界に積み上げられた全ての歴史、
この世界に作られた全ての規律を、無に帰したい。
この私白身をも合めてな」
エスカデが、ヒステリックな勝利の声を上げる。
「ハハハッ! ダナエ、悪魔の望みは世界の滅びらしいぞ!
そのためにマチルダの力を、そのためにマチルダを、ヤツは欲している!
ヤツをここで倒しておくのが、世のためだ!」
叫びながら、エスカデはアーウィンに斬りかかる。
アーウィンもまたその挑戦を嬉々として受け、たちまち剣戟の響きが、この狭い洞窟いっぱいに、響き渡る。
ダナエが、泣き叫ぶ。
「やめてエスカデ!
あなたは信じる正義のために、マチルダを犠牲にしようとしている!
それじゃアーウィンと、変わらないじゃない!
アーウィンだけが、マチルダを救えるかもしれないのよ!
アーウィンがいくら望んでも、世界を滅ぼすことなんてできないかもしれない!
でもマチルダの時間は、確実に無くなりつつある!
今この瞬間も!」
エスカデがダナエに叫び返す。
「ヤツは悪魔だ!
それゆえヤツが、マチルダを救うことはない!
それゆえヤツは、世界を滅ぼすだろう!」
腕は、アーウィンの方が勝っているようだけれども、ここでもし誰か一人でもエスカデに加勢していれば、状況は逆転していたかもしれない。
しかしダナエはマチルダを抱えているし、今アーウィンを倒してしまうことを、望んではいない。
私は、そのダナエの連れだから……というよりも、状況を理解しきれなかったため、ただ見守る以上の行動に、出られないでいた。
ルーベンスもまた、戦いには手を出さなかったけれども、その真意は……私はそのとき、ほとんど彼には注意を向けていなかったので、よくはわからない。
その時新たな声がした。
声は弱々しく、そしてかすかではあったけれども、激しい剣戟の響きの合間を縫い、奇妙なほどはっきりと、耳に届いた。
「いいのよアーウィン、エスカデ、そしてダナエ」
それは老婆の……、マチルダの声だった。
アーウィンとエスカデが争いの手を止め、ダナエの腕の中のマチルダを振り返る。
マチルダを見つめる六つの瞳に、一瞬共通する優しさが宿る。
アーウィンがマチルダに、ゆっくりと手を差し仲べた。
「いこう。ここは君のいる場所じゃない」
エスカデがその言葉に、あからさまに緊張を示す。
しかしマチルダは、ダナエの腕の中で、母に抱かれる幼子のような微笑みを浮かべながら、こう言った。
「いいのよアーウィン」
エスカデが、その言葉に緊張を解きつつも、同時にアーウィンの実力行使に備えて、剣を侍つ手に力を入れる。
しかしそれは懸念に終わったようだ。
マチルダのその返答を聞くと、アーウィンはあっさり引いたからだ。
「そうか……」
ただ一言そう言って、アーウィンは姿を消した。
去ったのではなく、文字通り姿を、空に溶け込ませるように消したのだ。
その消え行く姿に、ダナエが叫ぶ。
「待ってアーウィン!マチルダの精霊力を返して!」
「やめろダナエ! 悪魔を追うことは、倒すためだけにしろ!」
しばらくの間、あたりを静寂が包む。
まるでその静寂の一部であるかのように、マチルダがささやく。
「いいのよエスカデ、いいのよダナエ。
さあ……、もう帰りましょう」
アーウィンが消えた場所を呆然と見つめていたダナエは、その声で我に返ったようだ。
「え、ええ。部屋に戻りましょう。
ここはマチルダにとって、冷えすぎるわ」
私たちは連れ立ってその場を後にし、帰りがてら、私はルーペンスに教えられて、燃料運びの仕事を始めた。
それにしてもマチルダは、何を「いい」と言ったのだろう?
それからしばらく平穏な日々が続き、人々も落ち着きを取り戻していった。
私も仕事を楽しみながら、ガトのあちこちを見物したり、約束を忘れていたことを詫びるダナエと、共に食事を楽しんだりもした。
しかしある日、ダナエの姿がガトから消えた。
私はダナエがまた、マチルダを救う方法を探す旅に出たのだろうと思ったし、確かにその通りだったのだけれども、なぜか私か、その日のうちにマチルダに呼ばれた。
「ダナエがどうしているのか、見てきて欲しいの」
マチルダはベッドに横だわったまま優しげな微笑を浮かべ、その脇に厳しい顔のエスカデが立っている。
エスカデが、いらだたしげに説明した。
「ダナエは、よりによってアーウィンを探しに行ったのだ」
「でもね」と、マチルダが続ける。
その声は、洞窟で聞いた時のようにかすかで、まるで消えてしまいそうだったけれども、不思議と耳にははっきりと届く。
「……でもね、彼女を手伝って欲しいわけでも、連れかえって欲しいわけでもない。
ただダナエがどうしているのか、それを見てきて、私に教えて欲しいの。
だけど、あなたが彼女を手伝いたくなったり、あるいは連れかえりたくなったら、そうしてもいいわ」
まるでマチルダは、ダナエの求めるものが、自分とは無関係のように、そう語る。
私はマチルダの声を聞きながら、草の声を思い出していた。
草の声は私にははっきり聞こえるのだけれども、まるで聞こえない人や、意味不明のつぶやきとしか受け取れない人も、多いらしい。
私は引き受けてもいいけれども、どこから探したらいいのかわからないと告げる。
「まず賢人を尋ねるといいだろう」
と、そう言ったのはエスカデだ。
エスカデはさらに、ダナエを連れかえってくれとも言った。
彼がそう言っても、マチルダは何も言わない。
そこで私は、まずダナエと最初に出会った地へ戻り、ガイアを訪ねてみようとだけ二人に告げて、引き受けた。
そして私は先払いの報酬の一部として路銀を受け取り、ルーペンスやマスターに挨拶をして、ガトを出た。
賢人ガイアは、大地から突き出た巨大な岩そのものに浮き出た顔だった。
ガイアは大きな岩の手で、私を目の前に引き寄せる。
「どうしたね、お若いの」
私は事情を話し、ダナエかアーウィンを知らないかと尋ねた。
「ダナエも私のところへ来たぞ。
彼女には、湖畔の妖精を訪ねよと教えた」
私はそのキルマ湖の場所を教えてもらい、礼を言った。
「知りたいのは、これだけかね?
それはお前自身の問いでは、ないのだろう?」
確かにそうだけれども、私は答えなど探しておらず、あなたに出会えたことや、そして新たな地へ行く機会を得たことで満足だと答える。
「今は、見聞を広める事が、楽しくてしかたがないのだな。
お若いの、経験を積むがいい。
未来はお前の前に広がっている。
そしていつか、お前自身の問いを見つけるだろう。
もっともその問いも、そして答えも、お前にしか見つけることはできないがね」
きっとそれが、私のまだなされていない、質問への答えなのだろう。
私はガイアにもう一度礼を言い、そして旅を続けた。
湖は想像したよりも広く大きく、私は迷うことなく、たどり着いた。
そして湖は、さらに広い森に、囲まれている。
どうやらキルマ湖とは、この森を含めた土地のことらしい。
梢を通して届くやわらかな陽光が、水分を含んだしっとりとした空気を緑色に染め、木々の向こうに見え隠れする湖面が、キラキラと輝いている。
私は、その水と緑と光が織り成す風景を満喫した。
それにしても、ここにダナエは、いるだろうか?
いるにしても、どうやって見つければいいのだろう?
湖畔は広いし、見通しも悪い。
とにかく何か手がかりか、人の気配でもないかと、あたりを見まわす。
私は一塊の岩と、目が含った。
岩は私を見ているようで、私も不思議に思いつつ岩を見る。
岩はノソリと動き、私に問い掛ける。
「お前さん、ワシがそんなに珍しいかね?」
そういえばガイアも岩だった、話す岩と出会うのは初めてではない、と答える。
「ワシは岩ではない。この湖に住んどる亀だ。
……まあ、似たようなものかもしれないが」
私は、亀とは何かと、問い掛けた。
「岩のような家を背負って、ゆっくりと歩く、水辺の生き物だ。
ワシが何者か? という問いなのであれば……、ワシも知らん。
お前さんは、お前さんが何者か、わかっとるかね?」
……私は私。だから、わかっている。
「そりゃうらやましい。
で、お前さんはここで何をしとるのかね?」
渡りに船と、私はダナエを知らないかと聞き、事情を話す。
亀は、片方の眉をゆっくりと上げた。
「そこらへんにおる妖精は、教えてくれんかったかね?
……まあ、教えてはくれんか。人間を嫌ろうとるから」
私は驚いて、あたりを見まわす。
視界の端で何か動いた。
だけれども、そっちを見ても、誰も……何もいない。
「まっすぐ見てはいかん。気づかぬふりで目の端で見ればよい。
そうやって、連中の後をついて行くがいい。
そうすれば、お前さんの探し人も、やがて見つけられるかもしれん。
ここにおれば、だがな」
言われた通りにしてみると、透き通った羽を待った小さな者たちが、あっちの草の陰や、こっちの葉の陰から、ちらちらと私をうかがい見ているようだ。
けれども、つい私が少しでも、そちらに視線を動かしてしまうと、妖精たちはあっというまに視界の外へと逃げてしまう。
そしてしばらくすると、また視界のぎりぎりのところへ戻ってきて、私の様子をうかがい始める。
私はその提案を試してみることにして、礼を言って亀と別れた。
妖精たちは、私が後をつけ始めると、かなり戸惑ったようだ。
そして私から、逃げはしめた。
私は何度か撒かれてしまったけれども、私が妖精を探すのをやめると、妖精は再び私の視界のぎりぎりのところへ戻ってきて、また私をうかがい始める。
そうやって私は湖畔の森を歩きまわり、そしてついにダナエを見つけた。
私か見だのは、妖精たちが作った輪の中に飛び込んで、姿を消すアーウィン。
そして飛びつかんばかりに後を追い、同じように姿を消したダナエ。
私もまた、その後を追おうとした。
けれども、ダナエを見つけた安心感から、つい輪を作る妖精たちを正視してしまった。
妖精たちは、一瞬にして散り、輪は消える。
私はその後何度も妖精たちを探したのけれども、どうやら妖精たちは、私に近づくのをやめてしまったらしい。
もうその気配さえ、感じることができなくなってしまった。
私はガトヘ帰還し、一部始終をマチルダに報告した。
「最後までアーウィンもダナエも、元気そうだったのね。よかったわ」
確かに最後に見た二人の姿は、元気と言えなくもなかったけれども、今どこにいるのかもわからないのに、そういうものだろうか?
私が怪訝な顔をしていたからだろう。
「そうね、あなたには世話になったし、事情を話した方がいいかしら」
私が何でも知りたいと答えると、マチルダは静かに語り始めた。
「私は、司祭の家に生まれたの。
そして生まれた時から、司祭になることが、決められていた。
私は私に求められているものが、とてもとても大きく感じられた。
逃げ出したかったけど、怖くてそれもできなかった。
そのときアーウィンが、私をガトから連れ出したの。
そして追っ手……エスカデよ……が迫ったとき、私の精霊力を持ち去った。
私はその時、もう司祭にならないでもいいんだって、考えたわ。
アーウィンは、私のためにそうしたんだわ」
「違う」と、エスカデ。
「アーウィンは、司祭の精霊力が欲しかっただけだ!」
しかしマチルダは、エスカデの言葉を否定もしなかった。
「うふふふふ。それもあるかもしれない。
でもとにかく私は、肩の荷を下ろしたの。
そしたら、あるがままでよくなった。
それから結局、精霊力がなくても、おばあちゃんになっても、ただよこたわっていることしかできなくても、私は司祭のままだった。
なってみると、それは重圧でも苦しみでもなかったの。
きっと力を失ったからこそ、それに気がついたのね。
だからそれに気づかせてくれたアーウィンには、感謝しているわ」
エスカデが叫ぶ。
「編されている! あるがままでもない!
アーウィンはキミをたぶらかし、若さと力を奪ったんだ!
本当のキミは、司祭の責任から逃げ出すような人でもない!
今の自分を認めたくなくて、自分をごまかしているんだ!
オレが! ダナエが! キミを救うためにがんばっている!
本来の力を取り戻したいはずだ!
本来の若さを! キミは取り戻したいはずだ!」
「うふふふふ、あなたは私のことを、そう思っているのね。
私はあなたやダナエにも、感謝しているわ。
そして、あなたやダナエにも、そしてアーウィンにも、あるがままでいて欲しいと、思ってるの」
「やりたい放題のアーウィンは、世界を滅ぼそうとしている!」
「そうね。それがアーウィンの、在り方みたいね」
「それでもいいのか!」
「それでいいわ」
エスカデは、悔しそうに歯噛みしながら、マチルダから目をそむけた。
会見の時間が終わると、エスカデも私と一緒に退室した。
「話がある」
エスカデの話は、つまるところアーウィン打倒を、手伝ってくれということだった。
私が見たあの精霊たちの輪は、精霊の世界への門であることや、世界を滅ぼすために、
アーウィンは必ずこの世界に戻ってくると、彼は確信を持って言った。
私はすぐには、返答できなかった。
「なぜだ!
世界を滅ぼそうとしている悪魔がいる!
それを倒すことに、何の懸念がいる!
戦うことが、怖いのか!
妖精たちの所への道案内だけでも、いいんだぞ!」
私はそうではなく、わからないことが多すぎるからだと、彼に答えた。
アーウィンについても、実際どういう人物かは知らないし……。
エスカデは、私の言葉に割り込んだ。
「ヤツは悪魔だ!」
半分悪魔の血を引いていると言われても、私はその「悪魔」というものについても、何も知らない。
キルマ湖への道案内ぐらい、いくらでもするけれども、わずかな伝聞だけで、誰かを倒す手伝いを、受けるかどうか即答しろと言われても……。
「騎士の言葉が、信用できないというわけか?」
私は肩をすくめて言う。
……そうは言っても、騎士というものも、ここへ米て初めて知ったし、その上今でも騎士が僧兵とどう違うのか、よくわからない。
エスカデは半ばあきれて、それでも力を抜く。
「わかった。ではじっくりと考えておいてくれ。
そして私の準備が整った時には、キミの決断はともかく、道案内だけでも引き受けると、約束して欲しい」
私は約束し、当面ルーベンスの手伝いをしながら、ガトに滞在することにした。
滞在中の宿代をエスカデが持ったので、給金がその分増え、私はダナエ探しの謝礼にそれを加えて、剣を一振り購入した。
しかし、エスカデが思っているよりも早く、状況は変化した。
エスカデの準備が整うよりも早く、ダナエが戻ってきたのだ。
しかもダナエはいきなり、マチルダをガトから遅れ出そうとして、エスカデと対立したらしい。
私かルーベンスに呼ばれ、マチルダの部屋に掛けつけた時も、ダナエとエスカデが、盛んにやりあっていた。
……どうやら私は、司祭とその幼馴染たちの、お守りと思われていた節がある。
司祭に従わなければならない修道女や、寺院に正式に雇われているルーベンス、寺院の存在によって生計を立てている門前町の者ではない、第三者というわけだ。
といっても、私が何をするというのでも、何かできるというのでも、ないけれど。
今のこの、ダナエとエスカデに対してだって、そうだ。
「妖精界なら、時間に支配されないの! 思うままの年齢で過ごせるのよ!
マチルダに、このままここで、命の炎を燃やし尽くさせることはできないわ!」
「妖精界は、今やアーウィンが支配する、悪魔の世界!
たとえ命と引き換えであろうとも、人間の誇りを捨てさせることはできない!
その上うな邪悪な取引へ持ちこむことこそが、悪魔の狙いだ!
妖精界まで追い詰めておいて、なぜアーウィンを倒し、マチルダの精霊力を奪い返そうとしない!
いや、私が必ずアーウィンを倒す!
マチルダを妖精界へ連れて行く必要はない!」
「アーウィンを倒しても、マチルダの精霊力は戻らない!
それに、妖精たちにマチルダを受け入れさせるには、アーウィンの協力が必要なの!
アーウィンは、協力を約束してくれた!
彼を倒したら、もうマチルダを救えない!」
「ヤツがマチルダの生命を餌にして、保身を図ろうとしているにすぎないと、なぜ気がつかない!」
それぞれの言い分は、これまでも、そして今も、完全に平行線をたどっている。
私にも、いずれが正しいのか、さっぱりわからない。
ただ、たとえ二人の間に埋めることができない溝があり、いつかは戦い、いずれかが倒されなければならないのだとしても、今この場所……マチルダの寝所であるこの場所は、それにはふさわしくないような気がしないではない。
エスカデは剣の柄に手をかけ、ダナエは体毛を逆立てた。
ルーベンスが、無表情そして無言のまま、私に目で合図した。
私はその意味を理解し、小さく肩をすくめて了解したと合図する。
そして私はダナエを、ルーペンスはエスカデを、それぞれ後ろから羽交い締めにして、引き離そうと試みる。
ところがそれは、火に油を注ぐことにしかならなかった。
「邪魔立てするな!」
「邪魔しないで!」
エスカデとダナエは、同時に同じことを叫んで、ルーベンスと私を振り払う。
幸い、私はダナエにおもいっきり背負い投げされただけで済んだ。
けれども私はその場で、エスカデの振り下ろされた剣と、その下に横たわるルーベンスを見た。
まずルーベンスを助けるべきか、それとも争いを止めるべきか、私は迷う。
「もうやめて。私のために争わないで」
……あの、耳に残るマチルダの声も、もう二人の耳には入らないようだ。
するとマチルダは、私の知らない言葉を、呟きはしめた。
私には、意味不明の音の連なりにしか聞こえなかったのだけれども、エスカデやダナエには、そうではなかったらしい。
二人は血相を変えて凍りついた。
ダナエが叫んだ。
「ダメよマチルダー
今のあなたに、呪文は負担がかかりすぎるわ!
死んでしまう!」
そして全てが輝き、全てが消えた。
私は一人で、静かな森の中にいた。
やがて、ここが妖精たちのいた森であることに、気がついた。
どうやらマチルダの呪文によって、ここまで飛ばされたらしい。
「お若いの、どうしたね?」
岩そっくりの亀が、私を覗き込んでいる。
亀に見つけられた私は、まず他の者を見なかったかと尋ねた。
「それを知るには、少々歩き回ってみるがいい。
ワシよりはお若いのの方が、足が速かろう?」
それもそうだ。
ついでに私は、事情を話して、誰が正しいのだろうと相談した。
「お若いのは、どう思うかね?」
私には知らないことが多すぎて、わからないと答える。
「全てを知れば、わかるかね?」
そんな気がしていたのだけれども、言われて私はわからなくなった。
それに、あまり時間がないような気も、しないではない。
私は亀に、自分で考えてみると言い、他の者を探すために別れを告げた。
私がその場にたどり着いた時、すでにエスカデとダナエは睨み合い、その近くにマチルダが横だわっていた。
場所が変わっただけで、状況は変わらない。
いや、エスカデとダナエの戦いは、すでに始まり、膠着している。
力が互角で、勝負が着かないのだ。
睨み合う二人は私に気づき、口々に私の加勢を要求した。
「マチルダを悪魔の手に渡すことはできない!
私に手を貸せ!」
「このままじゃマチルダが死んでしまう!
私を手伝って!」
私が加勢した方が、この戦いに勝つことは、目に見えていた。
だけれども、私にはどちらの言い分か正しいのか、わからない。
私が迷い、身動きできないでいる間に、エスカデが決断を下した。
「悪魔の手に渡すわけには!」
そしてエスカデは、大上段に剣を振り上げ……。
その剣が、身構えるダナエにではなく、横たわるマチルダに向けられたことに気がついて、私は反射的に剣を抜き、それを振り払っていた。
私には最後まで、エスカデとダナエのいずれを選ぶこともできなかった。
だけれども、エスカデの剣を剣で受けた瞬間、私の立場はダナエ側と、決まってしまった。
……そしてエスカデは、命を落とした。
戦いの詳細は省くけれども、本気で私たちを倒そうとしているエスカデに対して、たとえ二対一の優位をもってしても、手加減などできなかったのだ。
いや、これは言い訳にすぎない。
自分が信じる道を行くエスカデとダナエの争いに、私は成り行きで参戦し、その一方を死に追いやった。
たとえ全てを理解していなかったとしても、せめて自分の行動が、自分で選んだものであれば、結果が苦いものであっても、自分が引き起こしたこととして、受け入れられたのではないだろうか?
私は、ふとあの亀とのやり取りを、思い出していた。
私は私が思っていたほど、私のことを知らないのだろう。
一方、ダナエはマチルダを、抱き上げている。
「マチルダ、もう時間は残されていない。
妖精界へ行きましょう」
しかしマチルダは、優しく囁いた。
その声は、かすかであったけれども、私の耳にもはっきりと届いた。
「いいのよダナエ。
私はこのままでいいの。
私はありのままでいいの」
ダナエは悲鳴を上げる。
「そんな!
だったら私は、どうしたらいいの!
私はあなたを、失いたくはないの!
私はずっと、あなたと一緒にいたいのよ!
あなただけが年老いて死んでいくのを、見ていたくはないのよ!」
「私の望みは、あなたが……誰もが自由であること。
エスカデも、アーウィンも、誰もに自由に生きて欲しいの。
私は、あなたがあなたの望むように、生きて欲しいわ」
「私の望みは、子供のころのように、みんなで一緒に仲良く暮すことだった。
でも、アーウィンはあなたをこんなにして、行ってしまった。
エスカデはあなたを、殺そうとした。
私はエスカデを、殺したわ。
そしてあなたもまた、私を残して死のうとしてる。
あなたは妖精界にも、行かないと言う。
アーウィンは、世界を滅ぼすつもりだし、だったら私は、アーウィンを倒して、あなたの力を取り戻すわ」
「ダナエ。それがあなたの望みなら、それでいのよ。
望むままに、自由に生きて」
ダナエはマチルダを抱いたまま、その場に座り込み、シクシクと泣き始めた。
「でもマチルダ。私はあなたのそばを、もう一時も離れたくないの。
ずっとあなたと一緒にいたいのよ」
「それがあなたの望みなら、そうなさい」
「ああ……」
するとダナエは、マチルダをそっと地面に下ろし、ゆっくりと背を向けた。
「私、行く。アーウィンを倒してでも、あなたの力を取り返す。
それからあなたと一緒にいるわ」
もはやマチルダは、何も言わなかった。
そしてダナエはどこかへ行ってしまい、私はマチルダを背負ってガトヘ向かう。
……ルーベンスの姿は、見つけることができなかった。
道すがら、私は背のマチルダに問う。
あれでよかったのか? と。
エスカデは、ダナエは、あなたは自由なのか?
そしてアーウィンは?
自由とは、何なのか?
マチルダは私の背の上で、耳元で囁いた。
「自分で選ぶことよ。
そして選べることは、いつも一つ。
それは自由という選択。
選択することが自由。
だから自由であるかどうかは、それぞれが決めること。
そして私は自由だわ」
背中のマチルダは軽かったけれども、選ぶことができなかった私には、その言葉はひどく重かった。
ガトに帰還したとたん、修道女たちによって、私とマチルダは引き離された。
そして修道女たちは私に礼を述べ、まとまった額の謝礼を押し付けてきたけれども、マチルダの健康状態と安全を理由に、今後一切の面会を断ると告げてきた。
どうやら私の介入によって、マチルダが一時行方不明になったことが、お気に召さなかったらしい。
多めの謝礼は、手切れ金であり、余所へ行くための旅費というわけだ。
そこで私は、ガトヘの帰還の旅路の問に、マチルダに教えてもらった、ダナエとアーウィンがいる場所の心当たりを、訪ねてみようと心に決めた。
これは誰に頼まれたわけでもない、自分の選択。
……私の自由。
とはいえ、ダナエやアーウィンを見つけて、私はどうするつもりなのだろうか?
宿のマスターとルーベンスに見送られて、私はガトを出発した。
ルーベンスは、あの時たいした怪我もせず、妖精の森へも飛ばされなかったのだ。
私はルーベンスが命を落としたか、少なくとも大怪我をしたと思っていたので、彼の無事にホッとし、そして彼が見送ってくれたことが、嬉しかった。
もっとも彼は、最後まで無愛想で無口だったけれども……。
私が向かったのは、ルシェイメア。
ルシェイメアとは、伝説の中で滅びた、光鱗を侍つ巨大なワームの名前。
アーウィンはルシェイメアを復活させて、世界を滅ぼすつもりらしい。
マチルダからそう聞いた時には、私にはピンと米なかった。
ワームがいかに大きくても、それで世界がどうにかなるものだろうか?
しかし今私が歩いている山脈の峠道は、全て一匹のワームの背なのだ。
いや、もちろん本当に伝説のルシェイメアどころか、ワームであるかどうかすら、わからない。
だけれども、時折通らなければならない洞窟の内部は、ゆっくりと脈動し、この山が復活しつつある生物の体内であることを、明からさまにしている。
たとえルシェイメアそのものではないとしても、この山脈が生物として復活すれば、世界は無事ではすまないだろう。
……ガトヘの途中、私はマチルダに、それでもいいのか? と問い掛けた。
アーウィンが世界を滅ぼしてしまってもいいのか? と。
私は、マチルダがその阻止を望み、それを私に依頼することを、期待した。
けれども、その返答の前から、彼女がこう答えるだろうと、気づいていた。
「いいのよ。私はアーウィンにも、自由でいて欲しいの」
私は続けて問う。
では、誰かがそれを妨害しても、かまわないのか?
「もちろんいいわ。誰かがそれを選ぶなら」
彼女は、私にどうしろとは、決して言わない。
私は、言って欲しかった。
けれどもそれは、私白身が選択しなければならないということであり、それが私の自由ということなのだろう。
私は自由に、あこがれた。
私は長い間、嶺を歩いた。
嶺は、うねうねと曲がりくねり、永遠のごとく続いている。
まるで私の心のように。
私は道連れが欲しくなった。
私は……。
心を決めかねているうちに、終着点は唐突に現れた。
一つの岩、いや、輝きを取り戻しつつある大きな鱗の向こうに見えたのは、角と獣の足を持った、アーウィンの姿だ。
アーウィンは、ひどく疲れているように見えた。
そしてその足元には、ダナエが倒れている。
二人とも血にまみれたまま、彼方まで続く嶺々の、その向こうに沈まんばかりの夕日を浴びている。
私は本能的に、ダナエの命の炎が消えていると知って、愕然とした。
アーウィンが、私に気づき、問う。
「加勢か? 今一時、遅かったな」
ところが私は、この瞬間になってもまだ、選択できないでいたのだ。
そしてアーウィンは、私の返答を待たず、剣を振り上げた。
私はまたも、選択しそこねたのだ。
……そして私は、アーウィンを殺し、生き延びた。
夜の帳の下、沈黙したルシェイメアの頭上に横たわる、ダナエとアーウィンの横に座り込む。
そして私は、泣いていた。
アーウィンが、私よりも劣った戦士だったとは思えない。
彼はダナエとの戦いで傷つき、疲れきっていたのに違いない。
いやもしかすると……、もちろん私は、アーウィンについてほとんど知らない。
だけれども、もしかすると、アーウィンは自らの滅びを望み……。
いや、それはあまりにも、私に都合のいい解釈だ。
その一方、ダナエの死より、私が自分の行動を選択できなかったことに、寂しさを感じている自分に、愕然とした。
私は誰かに、誰よりもマチルダに話しを聞いてもらいたくなり、ふらふらとガトを目指した。
マチルダに、ダナエとアーウィンの最期を伝えることが、私に与えられた使命なのだと、自分自身を納得させながら。
すでに足元のルシェイメアは、静かな眠りに戻っている。
あらゆる意味で、存在しないも同然だった。
しかしガトに到着した私を待っていたのは、マチルダがその生涯を静かに終えたというニュースだった。
ルーベンスから端的に、マスターからは感傷的に、それを聞かされた私は、そのままガトを後にした。
〜サボテン君日記A〜
いっしょにそだてば、おんなじになるんなら、ちょっとすごいよね。
ぼくのまわり、みぎもひだりもまえもうしろも、みんなぼく。
それもちょっと、みてみたいきがしないでもない。
おひめさまと、きしと、ねこと、あくまが、いっしょにそだったそうです。
みんななかよしだったんだって。
でも、おおきくなったら、ちがってきたんだって。
でもって、なかがわるくなっちやったんだって。
きしも、ねこも、あくまも、おひめさまのことがすきなんだ。
でもあくまが、おひめさまをさらって、おばあさんにしたんだって。
でもあくまは、おばあさんのことがきらいじやないみたい。
でもっておばあさんも、あくまがすきみたいなんだ。
きしのことも、ねこのことも、すきみたいなんだ。
でもきしは、あくまのことがだいきらいで、それってジェラシー。
ねこも、あくまがきらいなんだけど、それほどじやないみたい。
だからきしと、ねこも、なかがわるいんだって。
あくまは、じぶんのことが、だいきらいみたい。
みんなすきって、みんなすきじゃないのと、おなじじゃないかな?
すきにしなさいって、かってにしろっていうのと、おなじじやないかな?
けっきょくみんな、ひとのはなしをきかないで、じぶんかってにやってたみたい。
おばあさんは、それで、まんぞくなのかな?
でも、おばあさんがいちばん、やわらかそうでがんこで、ひとのはなしをきかないで
じぶんかってにやってたよね。
のれんにうでおし、っていうんだよ。
第二話「ドラグーン」
ガトを離れてから、様々な土地を訪れ、時には我が家にも戻ったけれども、いずれも私の心に響かず、長居することなく再び旅立った。
様々な人々とも出会ったけれども、誰も心には残らなかった。
たぶんその時、私は心を閉ざし、全てに興味を失っていたのだと思う。
求められれば人に手を貸すこともあったけれども、自分から旅の道連れを求めることはしなかった。
ある日、何処とも知れぬ荒野を一人さ迷っていた私は、いつの間にか薄暗い洞窟の中を歩いていることに、気がついた。
……確かに私は魂が抜けたような状態だったかもしれないけれども、獣を狩り、人と交わり、生計を維持することはしていたわけで、知らずうちに洞窟に足を踏み入れて、それに気づかないなどという状態ではない。
洞窟の光源は、足元のひび割れた岩の隙間から、熱気と共に湯み出してくる、静脈を流れる暗い血のような赤色光のみ。
暗く生暖かい。
私はこの洞窟と比較して、ガトの洞窟が清浄な場所だったと、気がついた。
しっとりと涼しげで、白い光が優しく差し込むガトの洞窟を、私は懐かしく思い出す。
けれどもここはここで、暖かな独特の安らぎに満たされている。
私は不思議に思いつつも、洞窟を歩き続ける。
洞窟は、俳人ではなかった。
人々は、影のように薄暗闇の中を静かに歩き、影の中へと消えていく。
私は無視されているようだったけれども、私も人恋しい気分ではない。
またこの洞窟には、獣も住み付いていた。
人と獣が同居する他は珍しい。
やがて私は、人影の中にエスカデの姿を見た。
そしてダナエの姿を。
二人は他の人影同様、薄闇の中に消え、はっきりと確かめることは出来なかった。
ガトのことを思い出していたために、人影に二人をだぶらせたと考えるのが、妥当だろう。けれども私は追いもせず、真実にこだわらず、ただ先へと歩き続ける。
そして私もまた、二人と同じ境遇に陥ったのではないか? つまり死んだのではないかと、夢想した。
ここは、死者の地と呼ぶにふさわしい。
だとしたら、私はどこで、どんなふうに死んだのだろう?
死者とは、こんなふうに、自分の死を忘れてしまうものなのだろうか?
それもいいかもしれない。
死がこんなに穏やかならば、死ぬ間際の苦しみなど、わざわざ思い出すほどのことではないだろう。
洞窟は、緩やかに地の底へと私を導いて行く。
やがて私は、一人の男の前にいた。
……たぶん、男だと思う。
男は、他の者だちとは追って、私をしっかりと真正面から見据えていた。
「私はオールボン。
人には賢人と呼ばれることもある。
この奈落を管理している者だ」
私は死んだのか? と、私は尋ねた。
「いいや、お前は死んではいない。
といっても、ここに居るかぎり死んだも同じ。
居続けるなら、本当に死者となるだろう。
お前は、ティアマットに呼びこまれたのだ」
ティアマットという名には、覚えがない。
「ティアマットは、白身の望みを叶えるために、力ある生者を欲し呼び込んでいる。
呼びこまれた者は、ティアマットの依頼を受けねば、ここから出られない。
さて、どうするね?」
私は、ティアマットの望みよりも、私が力ある者だという評価に、疑問を侍った。
「ハハハッ。
アーウィンを倒し世界を救ったお前が、謙虚なことだ」
私は、あの時のことを誰にも話してはいなかった。
だから、それを知るのはオールボンが賢人であるがゆえか? と考えてから、ここが死者が集う奈落であることを、思い出した。
私以外に、私のなしたことを知る者がいるとすれば、それはアーウィンであり、そしてアーウィンは、ここにいるに違いないのだから。
オールボンは、再び私に尋ねた。
「さて、どうするね?
これまでにもティアマットは、幾人もの候補者をここへ呼びこんだ。
ある者はティアマットヘの協力を拒むために、奈落での生活を選んだ。
またある者は、ティアマットの依頼を受けて世界へ戻った。
ま、いずれは何人も、ここへ来るがね。
ここでの生活は、悪くはない。
衣食住の心配もいらんし、事件も起こらん。
怪我や病気、衰弱や老衰、愛憎のもつれとも無縁の場所だ。
変わったことは、何一つ起こらない。
自分を保ちたいと思っている間は、ずっと存在し統ける。
だが、自分を見失えば、苦しみもなく消えてしまう。
正確には死んではいないお前とて、それは同じだ」
ティアマットは、私に何をやらせたいのだろう?
「会う気があるなら、本人から聞くといい」
……私はティアマットの依頼を、引き受けるべきだろうか?
「それはお前が決めることだ」
ティアマットとは、何者なのか?
「世界を支配しようと、マナストーンの力を吸収した、知恵のドラゴン。
それゆえ他の知恵のドラゴンに、ここに封印されることになったのだ。
まあ、今のところ死者と呼んで差し支えないだろう。
お前がそうであるようにね。
で、どうするね?
……まあ、心残りがないなら、急ぐ必要もないが……。
ティアマットに会う気になったら、私に言えばいい。
彼のところへ送ってあげよう」
私はティアマットに興味を待ち、会ってみることにした。
ティアマットは、ドラゴンではなく人間の姿で、私の前に現れた。
そして彼は私に、熱く語った。
「知恵のドラゴンである我は、我が力と知恵と生命力によって、世界のマナの結晶であるマナストーンの見張り番を、役割としてきた」
ティアマットは言葉を切り、不満げに鼻を鳴らして、吐き捨てるように続けた。
「だが何か起きても、見張ることしか許されておらぬ!
世界の管理者とは名ばかりの存在だ!
マナストーンの傍を、離れることすら許されぬ。
知恵のドラゴンたる類稀なる力も! 知恵も! そして生命力も! これでは宝の待ち潟れではないか!
ただそこに存在することしか許されておらぬ!
大いなる影響力を待ちながら、我は傍観者であることを要求されてきた!
そなたたち人間にとっては過去のことであろうが、我は世界を揺るがす争いを見た!
全ての地で争いが起きた!
力無き者が、抵抗する術もなく波乱に飲まれ、消え行くのを見た!
多少なりとも力ある者は、運命を切り間くべく立ち上がり、結局は争いを拡大して行くのを見た!
混乱は混乱を呼び、新たな秩序を求める者も、古き秩序を守ろうとする者も、望むものを手に入れられず、混沌が嵐のように世界を覆った!
だが我は力を持ちながら、何の手出しも許されなかったのだ!」
私は話を聞きながら、マチルダのことを思い出していた。
マチルダは、その世界に関わる力を失ったことを、世界の傍観者となったことを、ありのままに受け入れ、満足しているように見えた。
けれどもマチルダを取り巻く人々は、自らの生き方を自らで選んでいたけれども、自由であるようにも、幸せそうにも、見えなかった。
自由であることと、幸せであることは、同一ではないのだろう。
けれども、自ら選ぶことができないまま、あの人々を失った私よりは、納得のいく人生を送ったのではなかろうか? と、思わないではない。
ティアマットは、話し続けている。
「……我は我が存在に疑問を持った。
そして我の知恵と力でもって、世界をよりよく管理しようと決意した。
我は、世界をただ見守るのではなく、積極的に世界に関わろうと、そう決めたのだ。
当時、存在した六体の知恵のドラゴンのうち、二体が我に賛同した。
だが、残るは傍観者であることに固執し、それを我らにも強要した。
愚かなことよ!
傍観者たれというなら、我らのことも傍観しておればいいものを!
そしてドラゴン戦争は、始まったのだ。
マナストーンから離れられぬ我らに代わり、それぞれのドラグーンたちは、よく戦ったが、勝敗は決まらず、戦いは長引くばかりであった」
ドラグーンとは、何者か? という私の問いには、ティアマットの隣にいた狼の獣人が、代わって答える。
「私はティアマット様のドラグーン、ラルク。
ドラグーンとは、知恵のドラゴンに認められた、ドラゴンに仕える騎士。
ドラゴンに与えられた力によって、ドラゴンが生きるかぎり歳を取らぬ。
そして主の目となり各地へ赴き、主の手足となって戦いもする」
私にドラグーンになれというのか? と問うと、ティアマットはそれを否定した。
「不老と、人から見れば不死同様の寿命に憧れ、それを求める者は、少なくない。
そなたがよく働き、我に忠誠を誓うなら、いずれ考えよう。
だが今は、その時ではない。
なぜなら、我のドラグーンであっては出来ぬことを頼みたいからだ」
私は不老にも不死にも興味がなかったけれども、人を超える力を得たドラグーンには出来ず、そうではない者にできること、とはなんだろう? と、興味を持った。
「我は戦いに決着をつけるため、長年の慣習を破ることにした。
そもそも我が求めたのは、まさにそれであったが、長年の慣習というものは、なかなか破ることすら思い付かぬものだ」
ティアマットは、当時それを思い付いた自分か誇らしいのだろう。
満足げにニヤリと笑った。
「我は自らが管理するマナストーンを吸収した。
こうしてマナストーンと一体化し、世界のどこにでも出向き、我とマナストーンの力を揮えるようになったのだ。
だが、我に賛同したはずの二体のドラゴンの理解とは、言葉以上のものではなかったらしい。
我の行動に驚き、それを暴挙を呼び、寝返ろうとしたのだ。
我はまずその裏切り者を、そのマナストーンごと吸収した。
三体のドラゴンの力と、三つのマナストーンの力を持つ我が、傍観者であることを主張する三体のドラゴンに、倒されることなどあるはずもない。
……そこに、我の油断があったことは、認めよう。
彼奴らは我に対しては傍観者であることを止め、それぞれのマナストーンの力を使ってまで、我を倒そうとしたのだ。
我は、倒されこそしなかったものの、生きながら奈落へ封印された。
世界の定めによって、我は奈落を離れることができぬ。
死者も同様。
だが、ドラグーンは我の与える力と生者の協力によって、奈落を離れることが可能になる。
我がそなたを、今すぐドラグーンにせぬ理由が、理解できたかな?」
私は頷いた。そして、どのような協力を求めているのかと、質問した。
その問いには、ラルクが答えた。
「残る三つのマナストーンがあれば、封印を解くことができる。
つまり三体のドラゴンから、三つのマナストーンを奪わなければならないのだ。
それに協力して欲しい」
私は考えた。
正直言って、協力したものかどうか、わからない。
ティアマットの話には、共感できる部分もある。
けれども、その全てが本当なのか、いずれに正義があるのか、わからない。
彼が嘘をついていないとしても、対立する立場の者からは、異なる話が聞けるはずだ。
それに第一、私に求められているほどの力があるとも思えない。
けれども、私は何一つ決断できぬまま、運命に流されたことを、ひどく後悔していた。
少なくともこのティアマットは、運命に真っ向から立ち向かおうとしている。
……ような気がする。
協力しなければ、私は奈落を出られないと、オールボンは言っていた。
だけれども、さほど出たいとも思わなかった。
いつか寿命を終えたら、ここへ来る。
一方ティアマットは、協力してくれる者が得られるまで、次々と誰かを呼び続ける。
ただそれだけだ。
私はただ漫然と運命に流されるよりも、自分で運命を選択したかった。
もちろん協力を拒むというのも、選択の一つだと頭で理解はしていたけれども、選択したことを、実感したかった。
それに……。
力を奪われて、あるがままを受け入れて死んだマチルダと、力を奪われて抵抗を続けるティアマットが、私の心の奥底で、わずかにだぶった。
いや……。力を奪われたマチルダを救おうとして、結局マチルダよりも早く命を落としたエスカデやダナエと。
あるいは、世界を滅ぼそうとしたアーウィンと、世界を支配しようとしているティアマットとを、私は強引にだぷらせたのかもしれない。
それは違う、と私は私に言い聞かせた。
誰がどうだからというのではなく、私は私の意思で、選択するのだ。
私はティアマットに、協力すると返答した。
気がつくと、私はラルクと共に、荒野の中を歩いていた。
まるで奈落に呼ばれたのが一瞬の夢でしかなく、ずっと前からラルクを道連れに旅していたような、そんな感じだ。
だからラルクが言葉を発したとき、彼が唐突に目を開いたような気がした。
「オマエは強引に奈落に連れこまれ、出るには協力するしかなかった。
このままオレと別れ、このことを忘れて生きてもいいのだぞ。
オレは追わないし、ティアマットもオマエ一人にこだわることもないだろう。
……お前がティアマットを気に入り、ドラグーンになりたいというのなら、別だが」
私は、ラルクのティアマットに対する態度が微妙に変わった事に、気がついた。
彼は、本当はティアマットを尊敬していないような、そんな気がする。
それはさておき、私はラルクに答える。
ティアマットを気に入ったわけでも、ドラグーンになりたいわけでもない。
ただ私は、自分の意思で協力すると決めた。
決めたことを実行する事が、私の望みだ。
「約束は、自分に対するものでも、律儀に守り通すということか?」
しかし私には、知らないことが多すぎる。
新たな事実がわかり、納得できなくなれば、たとえ奈落に戻ることになっても、協力を取りやめる。
ラルクは私の返答を、気に入ったようだった。
「自分に正直というわけか」
私は肩をすくめ、正直と言われついでに、こう言った。
実のところ奈落は嫌な場所ではなかったし、そのまま消えてもいい気分だった。
だから奈落にとどまるのがイヤで引き受けたわけでもないし、もう一度奈落に戻ることになっても、さして不都合ではない。
ただ成り行きでこうなったのではなく、自分で選択してこうなったのだと、感じたかっただけなのだ……と。
「なるほど。いや、不老長寿目当てにドラグーンになりたがる者も、ティアマットが言っていたように、決して少なくはないのだ。
が、オマエは違うようだな」
私はもう一度、肩をすくめて続けた。
ついでに、アーウィンを倒したのは幸運と偶然のたまものであり、私に力があるというのは誤解でしかない。
協力はするけれども、何処まで役に立つかは、別問題……。
そこまで言うと、オールボンと同じく、ラルクは笑った。
オールボンにも笑われたというと、ラルクはさらに笑った。
「奈落の住人、しかもオールボンやティアマットが、その点で間違えることはない。
謙遜でなければ、オマエはオマエの力について、無知なのだ。
そうだな……。今後の戦いの前に、オマエの力を知っておきたくもある。
一戦手合わせ願おうか」
そしてラルクは立ち止まり、手斧を早速構えた。
気軽な口調ではあるけれども、構えたその姿からは、すでに殺気が感じられる。
ラルクは本物の戦士で、戦いの手を抜くことなどできないタイプなのだろう。
私は三度肩をすくめ、もしかすると奈落へ戻ることもあるかもしれないと、頭の隅で思いつつ、剣を抜いた。
といっても、戦いの手を技くつもりはない。
それはラルクに対して、あまりにも失礼だろう。
というか、そういう器用なことは、私にはできなくもある。
戦うことそのものも、嫌いではない。
戦いの中に身を置けば、体は自然に動き出す。
……だからこそ、エスカデやアーウィンと戦うことにもなってしまったのだけれども。
すぐさま戦いは始まった。
剣をふるい、手斧を避け、隙を誘い、技を繰り出す。
こうしてしばらく戦いが続いた。
そして戦いは、不意の妨害で中断した。
私は一本の片手剣が飛来するのを目の端で捕らえ、それがラルクの手斧をはじくと予想して、バックステップで退いた。
そして片手剣が予想通りラルクの手斧をはじいた時には、私はその片手剣の主を見つけていた。
白い毛並みの美しい女性獣人が、ラルクを見据えている。
彼女はラルクと同じく、戦士であるようだ。
ラルクはゆっくりと、白い獣人に向き直る。
「シエラ……」
彼女は、シエラというらしい。
「ラルク、引きなさい」
シエラはそれだけ言うと、風のように走り去った。
ラルクはシエラを追うこともなく、手斧を拾って腰に差したので、私も自分の剣を鞘に収め、あれは誰かと聞く。
「シエラ。
他のドラゴンに仕えるドラグーンだ。
こちらの動向は把握していると、警告しに来たのだろう」
そしてラルクは、ニヤリと笑った。
「それはともかく、今後は自分に力がないとは、言わないことだ。
オレ、へぼ騎士ではないつもりだからな」
私も戦いが始まってすぐに、そのことに気がついた。
互いに相応のダメージを与えることが出来ないまま、戦いが続いたからだ。
いつのまにやら力を身につけ、それに気がつかないでいたらしい。
私は少し笑って小さく肩をすくめ……四度目……、それを認めた。
それはともかく、シエラが現れた時、ラルクの戦う気力とでもいうべきものが、刷毛で塗りつぶされたかのように、サッと消えた。
ラルクとシエラは、単なる敵対するドラグーンというわけではないのだろう。
ドラグーンは、ドラゴン並に生きつづけるということだ。
それはどの長い時間を共に生きつづけるならば、いかなる因縁も生まれ得るだろう。
……それがどんなものかは、まだ私にはわからないけれども。
その後、私はラルクに連れられて、ノルン山脈を訪れた。
天を突き剌すような鋭角的な岩が連なった、青灰色の山脈。
「ここは蒼き風のドラゴン、メガロードがいる。
一体のドラゴンが侍らせるドラグーンは、普通一人だ。
ドラゴンの眼鏡に適う者は少ないということでもある。
しかしそれよりも、ドラグーンになり、主ある限り寿命が尽きず、歳も取らず、主の目となり手足となるということは、時間の流れから切り離されて、自らの属する世界……一族や仲間を失うということでもあるからだ。
ドラグーンになりたがる者は、少なくはない。
だが、その運命を受け入れられる者は、そうはおらぬ」
私はどうなのだろう? と、私は心の内で自問する。
はなから私には、一族と呼べる者もおらず、仲間と呼べる者もいない。
せいぜい一時旅を共にする、道巡れがいるだけだ。
もっとも、一族や仲間を失うこともないからといって、ドラゴン並に生き続けたいとも、思わないけれども。
ではラルクは、どうなのだろう?
私はラルクに問う。
なぜドラグーンになったのか?
ドラグーンになることによって、一族や仲間を失ったのか?
いいや……
オレは、戦いの中で命を落とし奈落の住人となった。
その戦いはすでに過去のものであり、オレの一族も仲間も、すでに寿命を終え、奈落からも姿を消した。
戦士としての自分を忘れられず、奈落から消えもせずにいる時、封印されたティアマットに、ドラグーンとして望まれた。
オレはかりそめの身であれ地上に戻れることに、そしてティアマットが復活する際、オレにも復活のチャンスがあるということに、興味を持った。
まあ、奈落で悶々としているよりも、ましそうだったからな。
そして私は、ティアマットのドラグーンとなったのだ」
なるほど、ラルクは尊敬によってではなく、利害の一致によって、ティアマットのドラグーンとなったのだ。
ティアマットに奈落に呼ばれ、ラルクと道連れとなった者は、私が初めてではないらしい。彼……あるいは彼女らは、どうしているのか? あるいはどうなったのか?
「全て死んだ。
共に他のドラグーンと戦って死んだ者もいる。
オレと戦って死んだ者もいる。
探索の旅の途中で、寿命で死んだ者もいる。
オレと別れ、無関係に生き、無関係に死んだ者もいる。
……他のドラゴンの居場所を突き止めるだけでも、ひどく時間がかかったからな。
まあ、いずれにしろ協力者はいつか死に、そのとたんにオレは奈落へ逆戻りだ。
オレと別れて生きた者の死も、それでわかる」
シエラは、これから向かうメガロードのドラグーンなのか?
「いいや違う。シエラは本のドラゴン、ヴァディスのドラグーンだ。
メガロードのドラグーンたちは、風読み士の一族。
唯一、一族全てがドラグーンという、ドラグーンの中でも例外的な存在だ。
だが、失うものが少ないという点においては、ドラグーンにとって利に適った話ではないかね?
そして風読み士たちも、メガロードを尊敬する子弟を育て上げる。それはメガロードにとっても、都合がいいのだろう」
私はそうかもしれないと、ラルクに答えた。 ラルクと私は旅を続け、ノルン山脈のふもとにある、風読み士たちの村へ到着した。
彼がここを訪れるのは、数度目だという。
風読み士たちも、すでにラルクを知っていて、すぐさま追い返そうと集まってくる。
しかしラルクは、たとえば新顔の私だけを潜入させるといった策略を好まない。
彼は、まっすぐな男なのだ。
戦士として正直に、自分の力で物事を解決しようと試みる。
ただ、風読み士たちの方は、ドラグーンとはいえ、戦士ではない。
正面から戦おうとするのではなく、不可思議な術をもって、私たちを何度もノルン山脈から追い出した。
「なに、ヤツらの手段は、無限ではない。
気長にルートをつぶし、術を破り続ければ、やがてメガロードヘとたどり着く。
これまでに、その大半を潰してある。
メガロードに挑戦できるのも、もうそろそろではないかと思っているのだがな」
ラルクはそう言って、追い出されても追い出されても、めげた様子もなく、潜入を試み続ける。
そして、その言葉を証明するかのように、潜入の度に異なるルートを選び続ける。
やがて、風読み士たちの里よりもさらに奥、ノルン山脈の中腹を越えるころには、ついに風読み士だちと直接衝突するようになってきた。
相手は戦士ではないとはいえ、熟練した術士の術はあなどれない。
そして風読み士たちは、自分の主を心から尊敬し、敬愛しているようだ。
ラルクも私も、風読み士と比較したら、実に計算ずくの戦い方をするといっていい。
一方、風読み士たちは、捨て身で無謀な攻撃を仕掛けてくる。
戦士ではないがゆえにとも言えるが、自らの身の安全などかまわず、必死で主を守ろうとしていることが、その戦いぷりからも読み取れた。
自身より強大な力を持つが、定められた場所を動くことのない、主のために。
私には、いやもしかしたらラルクにも、こうした忠誠心はない。
けれども、それゆえ戦士であり、計算ずくの戦いをする私たちの方が、戦力的に優っている。
私たちは風読み士たちを奈落へ送りながら、前進した。
風読み士たちの死は、私が選択した結果の一つである。
ついに私たちは、メガロードの元に到着した。
メガロードは巨体のドラゴンの姿そのもので、私たちを見下ろした。
……といっても、私がドラゴンを見るのは初めてである。
ラルクは胸を張るようにしてメガロードを逆に睨みつけ、はっきりとした声で言った。
「マナストーンを渡していただければ、危害は加えない」
ラルクらしい堂々とした態度だけれども、私は彼の緊張に気がついた。
そしてメガロードは、……私はドラゴンの表情を読み取ることには慣れてはいないけ
れども、ラルクに対して冷笑したように思う。
「ティアマットのドラグーンよ。
ずいぶん私の大切なドラグーンたちを、減らしてくれたものだな。
私がお前に、たやすくマナストーンを渡すとでも思っているのか?」
そしてメガロードは、低く喉を響かせた。
たぶん、笑ったのではないかと思う。
「お前は私に、危害を加えないと言う。
そうかもしれんが、お前の主はどうなのだ?
ティアマットの、味方に対する仕打ちを見れば、ヤツが復活した後、まず何をしよう
とするか、考えるまでもないではないか。
ヤツは、世界に関われぬとわめき、世界を直接支配しようと試みた。
だがドラゴンは、ドラグーンを介して世界に関わることが可能だ。
お前はドラグーンとなって、世界から切り離されたかもしれん。
だが、私の大切な風読み士たちが、世界から切り離されているように見えたかな?
私のドラグーンが世界と関わっている以上、私も世界に関わっている。
だがティアマットが望みを果たせば、そのドラグーンに何の意味が残る?
お前は、使い捨てにされるのがオチではないのかな?」
ラルクは手斧を抜いて構えた。
「そうかもしれん。
だが、それはキサマには関係のないことだ。
マナストーンを渡さぬというなら、力ずくで奪うのみ!」
私も剣を抜いて構える。
こうして、メガロードとの戦いが始まった。
マナストーンの守護者である知恵と力のドラゴンを相手に、ラルクと私の二人だけで
戦えるのだろうか・いくらティアマットに認められたドラグーンと、そのドラグーンが
力を認めた戦士だとしても……。
……ドラグーンは、主たるドラゴンと同じだけの寿命と不老とを得るが、ドラグーン
になったからといって、力が増大したり、特別な力を得たりするわけではない……。
……たった二人で、どうやって倒すのか、私は疑問に思っていた。
だけれども、こうして剣を交えてやっとわかった。
知恵のドラゴンは、確かに特別な使命を帯びた、特別な存在には違いない。
ドラグーンを作り出すといった、特別な力も持っている。
実際に、強敵でもある。
一瞬の油断が、一瞬の隙が、私を奈落へと送りこむだろう。
それでも、ドラゴンは倒すことが可能な、生物にすぎないのだ。
ドラグーンを必要とする、不自由な生き物。
それがドラゴン。
私は無心に剣を振るい続け、戦い続けた。
そして私たちは、メガロードを倒したのだ。
私たちも、満身創痍になっていたけれども……。
ラルクは、倒れたメガロードを見下ろして言った。
「では、マナストーンは貰っていくぞ」
メガロードは、かすかな声で唸る。
「私を殺さんのか?」
ラルクは鼻で、軽く笑った。
「マナストーンを奪ってこいと、言われただけだ。
そうしろとは、言われていない。
奈落のティアマットに直接文句を言いたいのなら……、
死ぬのを止めはしないが、私が手を貸すいわれもない」
こうしてラルクは、メガロードのマナストーンを、手に入れた。
マナストーンは目の前で消え、ティアマットの元へと送られた。
次に私たちは、砂漠の中にある骨でできた城へ向かった。
「骨の城にいるのは、ジャジャラと呼ばれる土のドラゴンだ。
知恵のドラゴンたちの中で最年長。
ティアマットが言うには頭の固い年寄りで、そして実際に今は骨だけの存在だ」
私はこれを聞いて、メガロードとの戦いで受けた、ドラゴンもまた生物だという印象に、自信が持てなくなってきた。
年老いたドラゴンは、生きる者の常識を超えるのだろうか?
ジャジャラが死したドラゴンであれば、そのドラグーンはどうなるのだろう?
それとも骨のように見えるだけということだろうか?
「確かにジャジャラは、常識外れの存在だな。
生死の狭間で、この世界にしがみついている。
アンデッドというものを、知っているか?」
旅の途中、死んでなお動き回るがごとき獣になら、出会ったことがある。
「それだ。それがアンデッドだ。
アンデッドの体に、魂が宿っているかどうかまでは知らぬ。
が、ただ経験から言わせてもらえば、頭が固いというのは本当だ。
人の話を間いたり、考えを変えたりすることは、ないようだからな」
では、ジャジャラは……。
「話し合いの余地は無い。
そしてそのドラグーンもまた、正催にはドラグーンではない。
オレが生きていた時代、死んでも奈落には行かず、転生を繰り返して不死皇帝を名乗った男がいた。
不死皇帝はオレの国を襲い、オレはその戦いで、ティアマットに支配された男の手によって命を落とすことになった」
私は怪冴な顔をしたようだ。
ラルクは片方の眉を上げた。
「戦いの中では、いや生きているかぎり、それぞれの立場は流転する。
自ら不死皇帝と名乗った男も、今はジャジャラに、ドラグーン代わりに使われる身だ。
まあ、オレも傍から見れば、そう変わりはないかもしれないな。
だが、オレはまだオレの意思を待ち、オレの意思でティアマットのドラグーンをやっているつもりではあるがな」
不死皇帝は、そうではないのか?
「どうやらジャジャラに、支配されているようだ。
そしてジャジャラはもう、考えを変えることはない。
とすればジャジャラが、不死皇帝を解放することもないだろう」
やがて砂漠の中に、半ば埋まった骨の城が見えてきた。
それがジャジャラだとすると、その大きさはメガロードの比ではない。
「いや、あれがジャジャラではない。 ジャジャラが作った、自らとマナストーンのための城だ」
周りには、小さな集落ができている。
「あれも、風読み士の里のようなものではない。
ジャジャラのマナストーンの影響で、このあたりには質のよい薬草が生える。
あれは、その薬草を集めに来た魔法学園の生徒どもだ。
まあマナストーンが無くなれば、連中は多少困るだろうが、オレたちを邪魔するようなこともないだろう」
実際、何の妨害も受けず、私たちはその集落に受け入れられた。
なるほど、同じような服を着た、私よりも一回り年下の子供たちが、あちらこちらの地面にしゃがみ込んで草を摘んでいる。
けれども私たちに気がつくと、子供たちは私たちに話しかけてきた。
相当退屈していたのだろう。
私も初めて耳にするジオの魔法学校というものに、興味を引かれた。
どうやら子供たちは、ここでの薬草集めには、あまり熱心にはなれないらしい。
「学園の課題だから、しかたなしなんだよね」
「骨の城には怪物がいるし、外まで変な声が聞こえるしさー」
「暑くて汗と砂まみれになるのに、シャワーも無いし」
「ここの薬草は特別いいって先生は言うけど、別にここじゃないとダメってことじゃないしさー。意義ってのが薄いっていうかー」
なるほど、この子たちは薬草の質が落ちても、さほど気にはしないだろう。
それよりも、怪物や変な声というのが気になった。
「えーっと、骨の城ん中は、怪物でいっぱいなんだってー」
「動く骸骨とか幽霊とか、そういうのだっていう噂だろ?」
「先輩の友達の後輩の知り合いが、見たって言ってた」
「先生が、骨の城の中には入るなって言うんだから、何かあるんだろうね」
「でもさー、入るなって言われたら、よけいに入りたいじゃんか」
「じゃあ入れば?」
「やだよ。怪物はいーけど、テセニーゼ先生が怖いじゃん」
子供たちは、やけに嬉しそうに教えてくれた。
私たちは、子供たちの注目を浴びながら、骨の城へと足を踏み入れた。
外から見た骨の城は、長年砂に洗われた白い骨が幾重にも交差し、砂漠の強い太陽の光を浴びて輝いていた。
しかし骨の隙間を掻い潜って内部に到達する光は、わずかでしかない。
空気も、外部の熱気が嘘のように、冷え込んでいる。
涼しくはあるのだけれども、心地よい涼しさではない。
隙間だらけの骨の間に空気が影むとは思えないのだけれども、ひどく息苦しい。
……そして、侵入者に対して敵意を持つ者たちが、現れた。
骸骨の戦士たちだ。
私は彼ら(それら?)を見て、ホッとした。
戦う相手の存在により、当面やらなければならないことが、はっきりしたからだ。
私はラルクと共に、骸骨たちを倒しながら先へ進んだ。
私が倒した骸骨は、奈落へ行くのか?
それとも骸骨となったときに、魂はすでに奈落へ行っているのか?
だとしたら私は何を倒しているのか?
倒すとは、殺すとは、どういうことなのか?
私はいつしか、考え事をしながら戦っていた。
どうやらわりと、戦闘を無意識にまかせた方が、うまく戦えるタイプらしい。
考えすぎた方が、ミスをする。
……私は骸骨たちとは明らかに異質な存在を感じて、視線を上げた。
シエラだった。
骨の台座の上に立ったシエラが、ラルクに向かって飛び掛からんとしている。
私は短く叫んで、ラルクに警告する。
ラルクの手斧と、シエラの剣が噛み合って、骨の城に金属質の音が響く。
そして次の瞬間には、シエラは軽い身のこなしで、後ろへと飛びのいた。
「ラルク。引きなさいと言ったはずよ」
「シエラ。引くわけにはいかない」
「ティアマットが何をしようとしているか、知らないわけではないでしょ」
「わかっている」
二人はしばらく睨み合っていたけれども、シエラは唐突に視線の向きを変え、私に話し掛けてきた。
「なぜ、ティアマットに協力する。
ティアマットが何をしようとしているか、知らないの」
それは質問ではなく、私への非難に聞こえた。
私は少し考え、ティアマットに対して私は何ら感じていないことに、気がついた。
それでも私が、ラルクにどこへ行ってもいいと言われてなお、一緒に戦い、ここまで来だのは、ラルクに好感を抱いたからだと、自覚した。
だから私は、ラルクが気に入ったから、ラルクに協力していると答える。
ラルクが照れたように眉を寄せる。
それと同時にシエラもまた、私に微笑んだような気がした。
もっとも、二人とも一瞬で厳しい戦士の顔に戻る。
「仲間なら、なおさらラルクの行為をやめさせることね」
そう言って、シエラは骨の柱々の向こうへと、姿を消した。
その後姿に向けて、私は小さく肩をすくめた。
私はラルクを気に入ったが、ラルクの方は、どうだろう?
ラルクも私も、シエラを追わなかった。
先ほど、ラルクが眉を寄せ、シエラが微笑み、そして二人が同時に戦士の顔に戻ったとき、私は二人に獣人の戦士という以上の共通性を感じ、それをラルクに指摘した。
ラルクは、私がするように、肩をすくめてこう言った。
「シエラは、オレの血縁者。つまり姉なのだ」
そしてラルクは、語り始めた。
「オレにとって、シエラは尊敬する姉であり、常に戦士の手本だった。
故国が不死皇帝による侵略を受けたとき、オレは姉と共に戦った。
そして私は奈落に落ち、後から来た者によって、シエラが不死皇帝を倒したとも、シエラが倒されたとも、聞いた。
そしていずれにしろ、故国が滅びたことを知った。
仲間や一族が次々と奈落を訪れては、オレよりも先に消えていった。
最初は戦いで、次に事故や病気で、後後に寿命を終えた者たちがやってくるようになっても、シエラの姿も、不死皇帝の姿も、見つけることはできなかった。
そのころのオレは、シエラを超える戦士になれたかどうか? いや、シエラに認められるような戦士であったかどうかが気になって、消えることができないでいた。
そんな時ティアマットが、シエラも不死皇帝も、ドラグーンとして世界に留まっているとオレに言った。
自分のドラグーンになれば、オレ自身の仇討もできるぞと、誘われたのだ。
不死皇帝は、尊敬できるヤツではなかったが、死んでなお恨むほどではなかったし、ドラグーンになってまで仇討したいとも思ってはいなかった。
だがオレは、生き返り、シエラを目指し、シエラを超え、シエラに認められたいと、そう思ったのだ」
それでシエラと戦うことになっても?
あるいは殺し合うことになったとしても?
そうと聞くと、ラルクはしっかりと頷いた。
「私はシエラから、誇りある戦士として、いかなる相手にも手を抜くなと教えられた。
シエラにこそ、絶対にそのような姿は見せられない」
私には兄弟も姉妹もいないが、そのようなものなのだろうか?
そしてシエラもまた、ラルクと同じように考えているのだろうか?
……これまでのところ、とてもそうは見えないが。
その後、シエラは姿を現さず、私たちは数多くの動く骸骨や、それに類するものを倒しながら、ついにジャジャラのいる王の間へと、たどり着いた。
王座には、骨のドラゴン、ジャジャラがうずくまっている。
その前に侍るは、かつて不死皇帝と呼ばれた男に違いない。
私が生まれた時には、すでに王も皇帝も、国すらも過去のものとなっている。
それらは確かに、ラルクが言うところの、過去の存在。
祖国のために戦ったシエラとラルク姉弟。
皇帝や、王のための城や、そして王座もまた同じ。
さらに言うならば、骨となりはてたドラゴンもまた、同類といっていいだろう。
そして不死皇帝とジャジャラと、ラルクと私との戦いが、すぐさま始まった。
その戦いのさなか、不死皇帝は、すでに喉や舌を失ったジャジャラの代理人として、ラルクに対して話し掛け続ける。
だけれども、骨となった時点で時を止めたジャジャラ。そのジャジャラに支配されている不死皇帝の話は、一方的な昔語りの繰り返しに過ぎない。
こちらの話は、かけらも耳に入れないのか、入らないのか……。
結局私は、昔語りを聞き流し、戦いのみに専念した。
……たぶん、ラルクもまた。
彼らは強力ではあったものの、昔語りを繰り返すように、古い戦法を繰り返す。
ラルクはその戦法を、よくよく知っていた。
そして私もまた、一度戦法を見きれば、それでよかった。
あとは体力と気力だけの勝負で、まあ確かに敵はその点有利だったけれども……。
私たちは、単調で長い戦いの後に、不死皇帝とジャジャラを倒すことに成功した。
マナストーンをティアマットの元へと追って、私たちは骨の城を後にする。
城を出たとたん、子供たちが寄ってきて、中はどうだったかと口々に聞く。
ラルクが、考えぶかげに首をかしげて、こう言った。
「ありきたりの骸骨どもが、うじゃうじゃいた。
戦士の腕試しにはもってこいだが、魔法使いの卵には、さほど面白くはないだろう」
子供たちが、無益な挑戦をしないようにと、そういう言い方をしたのだろう。
実際に骸骨たちは、ジャジャラとは関係なく骨の城に居座っているし、あまり子供向けの敵でもない。
いずれ城の周りの薬草に影響が出るのだろうが、子供たちがそれに気づくのは、しばらく先のことになる。
残るマナストーンは、白の森にいるヴァディスの元にある、あと一つ。
そしてその際には、ヴァディスのドラグーンであるシエラとの衝突は、避けられない。
それでもラルクの様子は、何らこれまでと変わらなかった。
白の森は、岩地のノルン山脈や、砂漠の骨の城と異なり、自然にあふれている。
キルマ湖の湖畔の森を思い出したけれども、さらに静かだ。
もちろん鳥の囀りや、風に揺れる梢の囁きは、途絶えることはない。
草陰からは、小動物が動き回る物音も聞こえる。
けれども、それは私とラルクの足音や武器や防具がぶつかるカチャカチャという音を打ち消して、全体としては静けさを作り出している。
……キルマ湖でも同じだったのかもしれないけれども、気づかなかった。
そして森は入り組み、どこもかしこも同じに見えた。
……キルマ湖のように、方角の目安となる湖も無い。
「こっちだ」
その森の中を、ラルクは迷うことなく歩いていく。
これまでによほどよく調べてあるのか、何度もここを訪れているのか……。
「それもあるが、匂いでわかる」
言われてみれば、森の中には草の匂い、本の匂い、花の匂いがあふれている。
しめった土や、朽ち本の匂いも、わからないではない。
といっても、私には動物の匂いまでは、わからない。
それに、そうした匂いは森のどこにでもあり、そして日々うつろうものだろうから、それが道しるべになるとは思えない。
多分ヴァディスかシエラの匂いをたどっているのだろう。
「さあ、ここだ」
唐突に、目の前が開ける。
森の中にぽっかりと空いた、さして広くもない広場。
そしてそこに、シエラと白毛に覆われたドラゴンが、私たちの来訪を知っていたかのように、静かに私たちの登場を、見守っていた。
ラルクはメガロードとの時のように、ヴァディスに要求する。
「マナストーンを渡せば、危害は加えない」
シエラがラルクを、叱責する。
「ラルク!
私が弟に対して、本気で戦えないとでも、思っているのではないでしょうね!
だとしたら……」
ラルクがシエラの言葉を遮る。
「それだけは絶対にないと、オレは知っている。
そしてその姉を目指したオレもまたそうであると、証明してみせよう」
そしてラルクは手斧を、シエラは剣を抜いて構え、睨み合った。
私が割りこむ要素はない。
ラルクは今、私の手助けを望んでいない。
ヴァディスが参戦しないかぎり、私は二人の戦いを見守ろうと決める。
……自分の意思で。
二人の間で緊張が高まっていく。
それは、メガロードや、ジャジャラと不死皇帝と戦った時の比ではない。
そしてついに、戦いの口火が切られようとした時、鈴を転がすような声が、それを制止した。
「姉弟ケンカは、およしなさいな。
ましてや殺し合いなんて、すべきではなくてよ」
その口が動いたようには見えなかったけれども、それがヴァディスの声であることは、疑いようもなかった。
「しかしヴァディス様……」
シエラが困惑した声で、ヴァディスを見上げた。
ラルクもそのシエラの動きに合わせて、武器を引く。
正々堂々と戦いたいラルクには、シエラの行動がヴァディスによって制止されている間に攻撃をしかけることなど、できはしない。
森の広場に、ヴァディスの鈴を転がすような声が響く。
「だってそうでしょう?
あなたのたった一人の弟を、あなたが殺めるなんて、いけないわ」
「ヴァディス様、ラルクはすでに死んでおります。
本来、奈落の住人なのです。
それを何を迷ったのか、よりにもよってティアマットのドラグーンになってまで、この世界に現れ、ティアマットの手助けをし……。
私はこれまで何度も、ラルクに警告しました。
ですが、ラルクはそれを聞かず、マナストーンを集めて廻り……。
残るはヴァディス様のマナストーンのみ。
もう後はありません」
「シエラ。ラルクは今あなたの目の前にいるわ。
ジャジャラのところのアンデッドとは違うのよ。
ちゃーんと自分の意思を保ち、自分の意思で行動している。
姉と弟で争ってはなりません。
しかも、本気でだなんて」
「私が剣を引いても、ラルクはマナストーンをあきらめはしません。
戦うしか……」
「では、私のマナストーンを、ラルクに渡しましょう」
これには、シエラも、ラルクも、私も驚いた。
マナストーンがどういうものなのかは、私はよくは知らない。
けれどもとにかく大変なものでは、なかったのだろうか?
知恵のドラゴンがその一生を捧げるほどに。
世界を変えてしまいかねないほどに。
大きな争いを、引き起こすほどに。
けれどもヴァディスは、涼しげにその決心を繰り返した。
「ラルク。私のマナストーンを、ティアマットのところに持っておいきなさい。
それならシエラと戦う必要は、ありませんね。
必要もないのにまだ戦うというのなら、その前に私がお相手しましょう。
ちゃんと真剣に戦いますわよ。
私が勝てば、あなたは奈落へ帰ることになりますね。
まあ、しばらくすればまたここへ戻ってくるのでしょうが……。
逆に私が命を落とせば、シエラは私のドラグーンではなくなります。
いずれにしろ、姉弟で戦う必要は、なくなるはず」
それを聞いて、シエラが悲鳴に似た声で叫ぶ。
「ヴァディス様! 私はヴァディス様のドラグーンというだけで、あなた様に忠誠を誓っているのではありません!
ドラグーンでなくとも、あなた様に危害を加える者には、たとえ……」
たとえ弟であろうとも、と続けようとしたのだと思う。
ヴァディスは、それを遮った。
「シエラ、あなたが私のことを、好いてくれるのが嬉しいわ。
私も、あなたが好きよ。
だからこそ私のために、あなたが弟と戦うなんて、耐えられないの」
シエラの困惑は、極致に達しているようだ。
シエラだけでなく、ラルクも呆然としている。
もっとも部外者に近い私ですら、この展開には驚いているのだから、当然だろう。
やがてラルクが目を開いた。
「あ……ああ。
マナストーンさえ渡してくれるなら……、戦う必要はない……」
「では、持っておいきなさい。そこにあるから」
「わかった。では、貰っていく」
ラルクが一歩踏み出した時、シエラが叫んだ。
「待って! ……一フルク、私をティアマットのところに、連れていきなさい」
ラルクは当惑しっぱなしだ。
「シエラ、死ぬ気か?」
「いいえ、あなたの連れだって、生きたまま奈落を訪れたはずよ。私だって行けるはずだわ。ヴァディス様、しばらくお暇を下さい。ラルクとは戦いません。ですが、ティアマットと戦い倒すことを、お許しください!」
今度は、ヴァディスが首をかしげた。
「シエラ、あなたは私のドラグーンではあるけれども、私の奴隷ではないわ。
ラルクと戦わないで、というのは命令ではなく、私の願い。
あなたは私の願いを聞いてくれたのだから、私もあなたの願いを聞きましょう。
でも、私の許しは必要ないのよ」
「いいえ、ヴァディス様が私を好いてくれるからこそ、私にはヴァディス様の許しが必要です。ヴァディス様に嫌われたくはありませんから」
「そうね、私もシエラに嫌われたくないから、……行ってらっしやい、シエラ。
……でもラルクはあなたを、奈落へ連れて行くかしら?」
ヴァディスとシエラに注目されて、ラルクが答える。
「わ、わかった。容易いことだ」
「ではもう一つ。そこのあなたにお願いがあるのだけれど……」
しばらくの間、ヴァディスが私に聞いているとは、気づかなかった。
「……あなたとティアマットとの約束は、もうお終いではなくて?
ティアマットに忠誠を誓っているふうでもなさそうだし……」
それには私に代わってラルクが答えた。
「その通りだ。ティアマットの要求は、オレに協力すること。
そしてオレは仕事を果たした。
そいつは完全に自由だし、ティアマットに特別の感情を持っているわけでも、ドラグーンになりたいわけでもない。
……今でもそうか?」
私は頷いた。
そしてこれまでも、自由にやらせてもらったと、そう付け加えた。
ヴァディスはその答えに、満足したようだ。
「では、ついでのよしみで、今度は私のお願いを聞いては下さらないかしら。
シエラが奈落を訪れている間、シエラの協力者となって欲しいの。
もちろんあなたが奈落で消えたり死んだりしないかぎり、シエラの用事が終わりしだい、あなたを奈落から世界へと呼び戻すわ。
だってラルクはシエラの弟だけど、ティアマットのドラグーンでもあるし、たった一人でシエラを奈落にやるのは、しのびないんですもの。
しかもこのお願いは、シエラと一緒にティアマットを倒して欲しいっていうことと、同じことよ。なのに私には、人間が欲しがるような報酬も用意できないわ。
だから、虫のいいお願いだっていうことは、わかってますけど……」
「私からも頼む」
そう言ったのは、ラルクだ。
私は微笑みながら小さく肩をすくめ、小さく頷き、ヴァディスに告げる。
私はラルクに好感を抱き、それゆえラルクに協力してきた。
シエラや、そしてあなたにも好感を抱きつつある。
だから、私の意思であなたの願いを聞き入れ、シエラに協力しよう。
好意で自らそうするのだから、報酬のことを心配しないで欲しい……。
ヴァディスは嬉しそうに、私に白い毛で覆われた頬を摺り寄せたので、私はひっくり返らないように、一生懸命ふんばらなければならなかった。
次いでシエラと、固い握手を交わした。
こうしてラルクはマナストーンと、私とシエラを伴って、奈落へと帰還した。
一瞬にして、あたりが暗くなった。
明るい緑の森の中から、暗く赤い奈落の底へと移動したのだ。
隣にラルクもシエラもいるが、マナストーンはない。 目の前には、ヴァディスに変わってティアマットがいる。
ティアマットは、私やシエラを無視して、ラルクに話しかける。
「ご苦労だったな、ラルク」
「では、約束を果たしてもらうぞ。
世界へ甦るのは、キサマか、オレか」
「おお、そうだったな。
我はマナストーンを集められぬ。
そなたはマナストーンを使うことができぬ。
我が世界に甦れば、そなたは奈落に取り残されて、ただ消えるのを待つばかり。
よってそなたは我に、取引を持ちかけたのだ。
そなたはマナストーンを集め、我はマナストーンを甦りの力とする。
そしてそなたは我と戦い、勝者が甦りの力を行使する。
……ふふふふふ、
はははははッ!」
ティアマットは、しばらく笑い続けた。
「覚えているか? そなたがそれを言い出したときも、我がこうして笑ったことを!
してその連れは何だ? 助っ人かね?」
ラルクはゆっくりと、首を横に振った。
「いいや、違う。
後にキサマが二人と戦うことになったとしても、それはオレとは無関係。
二人にも言っておく。
オレとティアマットとの戦いには、手を出すな」
シエラが間髪入れず、「わかったわ」と答えた。
ティアマットは、さらに笑った。
「はっはっは! ドラグーンが、その主たるドラゴンに、勝てるものか!
命を与えているのは、この我なのだぞ?」
ラルクが手斧を構える。
「やってみなければ、わかるものか。
それに第一、オレはまだ奈落の住人。
命などとうに失っている。
それはこれから、自分で手に入れるのだ」
「無知なるものよ」
ティアマットが鼻で笑った。
とたんに、何かがティアマットの全身から流れだし、ラルクにまとわりつき始める。
とたんにラルクが、雄叫びを上げた。
「ラルク!」
シエラが叫ぶ。
ラルクの体が、びくん、びくんと震えながら、大きくなっていく。
「ティアマット! ラルクに何をしたの!」
「はっはっは!
人をドラグーンとする力を、さらに与えただけだよ。
ただし、受けきれねば自分を失い、名実共に我が僕となるがね。
まあ、無理だ。
いかに力があろうとも、掌で湖水は待ち上げられぬ。
水は指先をすり抜け、無益に流れ落ちるのみ。
ほう……、そろそろ出来上がったようだな」
ラルクの体は膨れ上がり、一匹の野獣と化していた。
身に着けた防具衣服ははじけ飛び、腰のまわりにわずかにまとわりつかせるのみ。
もはや一本気の戦士の面影は、かけらもない。
「さてラルクよ、そなたが戦うのは我ではないな。
我が甦る先の露払いとして、そこの招かれざる客と戦い、倒すがよい」
ラルクは、……誇り高さ戦士ラルクだったものは、まるでティアマットの犬であるかのように、軽く唸って私とシエラに牙を剥く。
シエラのティアマットを睨みつける眺に、涙が光る。
「よくもラルクを! 許さない!」
私も同感だ。
ラルクの自我を、自由を、ティアマットはあっさりと踏みにじり笑った。
私は、世界の支配が一概に悪いとは思わない。
けれども、このように人を踏みにじる行為を、私は不愉快に感じた。
シエラは剣を技く。
私もまた。
その私とシエラに、ティアマットはラルクをけしかける。
ラルクはもう手斧を使わない。
獣と化したラルクは、その爪と牙で私たちを襲ってくる。
そしてシエラは、そして私もまた、精一杯戦い、手加減はしなかった。
ラルクに敬意を表すために。
ラルクは強い。
野獣と化したラルクはさらに強い。
私もシエラも傷を負い、シエラの白い毛並みが、赤くまだらに染まっていく。
回避や防御に無頓着になってしまったラルクも、次第に傷を増やしていく。
それをティアマットは、面白そうに眺め、ときおりラルクをけしかけるようなことを言って、笑っている。
やがてシエラが、戦いから身を引き始めた。
ラルクの攻撃が、私に集中し始める。
ティアマットには、私たちが力つき、ラルクの勝利が次第に決定付けられようとして
いるように見えたと思う。
しかしシエラは、突然身を翻して、ラルクにではなく、観戦を決め込んでいたティア
マットの正面に立ちはだかった。
そう`私たちにとって、敵はラルクではない。
ラルクを操る、ティアマット。
「ティアマット! 覚悟!」
ティアマットは事の次第に気がついて、歯噛みする。
「こしゃくな! こい! ラルク!」
ティアマットはラルクを呼ぶが、私はラルクを行かせはしない。
ティアマットは剣を抜く。
剣を技きつつも、その身をぶるぶると震わせはじめる。
ラルクから目を離すことができなかった私には、それ以上のことはわからなかったけ
れども、あとでシエラから聞いたところによると、たぶんドラゴンの本性を現そうとし
たのではないかということだ。
だが、ティアマットはあせったのだろう。
ラルクを呼び、剣を抜き、ドラゴンになろうとする。
その三つを一時にやろうとして、隙を作った。
そこをシエラの剣が、貫いた。
そしてティアマットが倒れた時、ティアマットのドラグーンであるラルクもまた、私の目の前で倒れたのだ。
そして私たちは、明るい緑の森の広場へと、戻ってきた。
目の前には、ヴァディスが微笑んでいる。
その横には、マナストーンが輝いている。
私の横には、シエラと、……そしてラルク。
野獣ではないが、防具と衣服は破れたままで、三人とも傷だらけで、それだけが今の出来事が夢ではなかったことを、証明していた。
三人とも、わけがわからず、顔を見合わせる。
ヴァディスの鈴を転がすような声で、我に返った。
「おかえりなさい、シエラ。
みんな一緒に帰ってくることができて、よかったわね」
「でも、でも、どうしてラルクも一緒に!
てっきり死んでしまったと、思ったのに!」
「あらあら、死ぬもなにも、奈落の住人は、すでに死んでいるではありませんか。
ティアマットが用意した、甦りの力ですよ。
それがラルクに働いたのです。
そういう約束だったんでしょ?
ラルクはもうドラグーンではありませんが、ドラゴン並に生きるでしょうね。
なにしろティアマットのための甦りの力で、甦ったのですから。
フリーのドラグーン……とでも言ったらいいのかしら?」
シエラとラルクは抱き合って喜び、そしてその輪にヴァディスと私も巻き込まれた。
その後、シエラはいままで通りの、ヴァディスのドラグーンとして、各地を旅したり、そこで見聞きしたことをヴァディスに話したりして、過ごしているらしい。
ラルクは、シエラと一緒に暮すのかと思っていたら、そうでもないらしい。
各地を旅しながら、姉を目指して戦士としての己を磨くのだそうだ。
「私はシエラを尊敬しているし、シエラを目標としてはいるか、別に姉離れしてないわけではないぞ」
と、ラルクは頭を掻きながら、照れ笑いした。
私は、二人に別れを告げて、もう一度世界をこの目で見るための旅に出た。
けれども、孤独は感じない。
いつでも望めば、シエラもラルクも旅の道巡れとなってくれるからだ。
たとえ離れていても、シエラもラルクも私のことを覚えていてくれる。
自ら選択することが、常にこのような素晴らしい結果をもたらしてくれるとは、思わない。
けれども、結果がどうであれ、私はそれを受け入れただろうし、同じ結果をなりゆきによって得たとしても、これはどの満足感は得られなかっただろう。
世界を、そして出会いを、一つ一つ感じるためには、きっとそれが必要なのだ。
私は自分に満足しながら、さらに旅を続けることにした。
〜サボテン君日記B〜
シエラおねえさんと、おとうとラルクが、けんかした。
でもなかがいいんだって。
けんかするほどなかがいいってやつ?
なかがいいなら、けんかしなきやいいのに。
それともけんかしても、きらいになんないから、なかよしっていうのかな?
シエラと、ラルクはドラグーン。
だから、なかがわるいドラゴンのかわりに、けんかしたんだって。
だいりせんそうってやつだね
そうきくと、きょうだいはぎせいしゃみたいだけど、ぽんとかな?
きょうだいそろって、けんかがすきなだけなんじやないの?
そのきょうだいを、てつだって、あっちこっちでケンカしたんだって。
あっちこっちいって、あっちこっちのドラゴンを、しばいたらしい。
きょうだいが、ドラゴンのけんかに、まきこまれたの?
ドラゴンが、きょうだいげんかに、まきこまれたの?
どっちにしろ、ドラゴンのまけで、ぎょふのり?
しぬと、たましいが、ならくにおちて、それからきえるんだって。
ならくは、くらくて、あったかくて、それなりにいいとこらしい。
ぼくは、そういうとこは、すきじゃない。
おひさまぴかぴかで、からっとしてて、あついくらいが、ちょうどいい。
ぼく、さぼてんで、よかった。
第三話「煌きを抱く人々」
各地を旅しながら、たまには家にも帰るという、そんな生活が板についてきた。
なじみの土地、なじみの人も、次第に増えた。
旅の道連れがいることもあり、いないこともある。
今は、道端で拾った獣の子が、道連れだ。
獣も、ごく小さいうちから人の手で育てると、よきパートナーとなる。
それを教えてくれた旅人は、人よりも大きな鳥を、遅れていた。
飛べないが、鋭い蹴爪を持ち、人を背に乗せて走れるほどの強剱さを持つ。
最初私は、その獣を獣の世界から切り離してしまうような気がして、こうしたぺットを持つことを躊躇していた。
けれども、親とはぐれた獣の子が育つ可能性は、まずない。
飢え死ぬか、でなければ他の獣の飢えを満たすことになる。
あるいは、私の胃袋を。
それも世界の掟、とも言えるのだけれども、その獣の子が親を失った理由が、私自身ということもたびたびあり……。
……まあ、ありていに言えば、獣の子は可愛く、懐けば愛着も湧くということだ。
といっても拾った獣の子を、全て拾って育てるわけではない。
それは不可能だし、相性が合わないこともある。
そのかわり、いつでも商人に、売ることができた。
獣の子には常に、ペット、家畜、あるいは使役獣としての需要があるからだ。
商人たちは獣の子を、鳥にかぎらず雛と呼ぶ。
そしてその日道端にいた少女の第一印象は、親とはぐれた雛だった。
「あーん、どうしよー。どうしたらいいのかなー」
少女は道端に座り込み、誰に聞かせるでもなく、そう繰り返していた。
といっても独り言というには声が大きく、聞く者は通り掛かった私しかいない。
覗き込むと、どうやら靴紐が切れてしまっただけのこと。
私は少女の足元にしゃがみ、片手を出しながら笑顔を向ける。
その隣に、私の連れのまるっこい獣……・フビも座り込んで、少女に向かって鼻をひくひくとさせた。
少女はニッコリ笑って、ラビの頭をそっと撫でる。
笑顔や人なつっこい獣が、初対面の緊張を和らげることを、私は経験から学んでいた。
まあ、それが悪用されることもあることは、知っているけれども……。
それはともかく、旅人にとって、履物は必需品であり消耗品。
だから修理に必要なものは、いつでも待っている。
私は少女の靴を、補修してやった。
応急処置だけれども、これで今日一目ぐらいは持つだろうと言うと、少女は人懐っこい笑顔でぴょこんと立ちあがり、ぺこんと頭を下げる。
「ありがとう」
どう見ても少女は、旅なれた様子ではない。
まるで祭りから抜け出してきたように、袖口や裾がふわりと広がったドレスを着て、しかも大きく開いた胸元に、これまた大きな真珠が輝いて、査賊に狙ってくれと言わんばかりだ。
だから私は、送ってあげようか? と、申し出た。
世界を見て回ったり、人と知り合ったりすることが目的の私にとって、少女の目的地がどこであろうと、関係はない。
けれども少女は、私の同行を断った。
「うーん……と、私もどこへ行きたいのか、わからないの。
でも、急いでどこかへ行かなきゃならないの。
だから、もう行きます。
ほんとに助けてくれて、ありがとうございました」
そして少女は、もう一度ペコンと頭を下げると、パタパタと走っていった。
まあ、笑顔と親切で近づいてくるのが、全て舌人とは限らないのだから、その程度の警戒心は、あったほうが健全だ。
ただ走り去る少女に、盗賊に狙われるから、胸元のペンダントは隠して行きなさいと声を掛ける。
少女はくるりと振り向いて于を振り、そしてまたパタパタと走って行ってしまった。
けれども、胸元を正した様子は見られない。
私は小さく肩をすくめる。
心配ではあるけれども、追いかけて強引に道連れになるほどの話でもない。
道連れを選ぶ権利は少女にもあるのだし、目的地についてはごまかされたけれども、多分近くの里の娘なのだろう。
私はそのまま、少女が去った方角とは反対方向へ、歩き続けた。
やがてドミナという町に到着した。
この町はすでに何度目かなので、食事を取ろうとまっすぐ酒場へ向かう。
店に人ったとたんに、若い男の怒鳴り声に、耳を突かれた。
日暮れ過ぎであれば、酔っ払いのケンカなど珍しくもない。
けれども今はまだ日が高く、そして男も酔っ払っているわけではないようだ。
怒鳴りつけられているのは、この店のウエイトレス。
酒場の主は時間的に見て、多分夕方から来る客のための、買出しにでも行っているのだろう。
つまりここには、若い男と、からまれているウエイトレスしかいない。
……それと、今来た私と。
「知らないことはないだろう!
何とか言ったらどうなんだ!」
年若いウエイトレスは、男の勢いに脅えきってしまっている。
足も竦み逃げ出すこともできないようで、あれでは言葉も出ないに違いない。
……どうも最近、お節介になったようだ。
私は無言で、男と少女の間に割り込む。
「なんだキサマは!」
私は、この娘は怯えていて、話すに話せなくなっていると、男に指摘した。
そして何を聞き出そうとしているのかと。
男は、やっと自分の態度が、目的のために役立っていないことに気づいたようだ。
わずかに頬を赤らめ、私から目をそらせ、早目で言い訳をする。
「連れが、行方不明なんだ。
何もできないくせに一人でふらついて、迷子になって危険な場所にまぎれ込む。
急いで見つけてやらないと……」
私はふと、その若い男の胸元に輝く、大きなペンダントに目を止めた。
男のペンダントの宝石は、深い蒼に星を散らしたように金色がまじる、たしかラピスラズリというものだ。
宝石は違うけれども、デザインは来る途中助けた少女のものによく似ている。
私は男に、もしかしたらその連れというのは、このウエイトレスほどの年頃の少女で、胸にそれと同じデザインの、真珠のペンダントをしているのではないか? と、尋ねてみた。
男は勢い込んで、両手で私の肩を掴み、揺さぶった。
「真珠姫はどこだ!
キサマ! 真珠姫をどこにやった!」
どうやら私が助けた少女に間違いなく、そして真珠姫という名前らしいけれども……。
私は無言無表情で、しばらく男の顔を真正面から見詰めてやる。
男はしばらくして、自分が慌てすぎていることに、気がついたようだ。
慌てて私の肩から、手を離す。
「す、すまない。
それで真珠姫は今どこなんだ!」
私は、道端で助けた少女のことを、彼に話した。
私が話し終わるのもそこそこに、男は酒場の外に飛び出す。
いや、そうしようとして立ち止まった。
それはそうだろう。
私の話だけでは、私が真珠姫らしき少女と出会゜だ場所も、少女が向かった場所も、どこだかわからないのだから。
男は、またわずかに頬を染めながら私を振り返って、つっけんどんにこう言った。
「そこまで道案内してくれ」
必死で背伸びして少女の保護者たらんとする様子が、初々しい。
私の目元は、自然とはころびかけるけれども、たとえ好意から出たものであったとしても、今の笑みは男のプライドを傷つけるだけだろう。
私は微笑みを噛み殺し、小さく肩をすくめながら、男の頼みを受け入れた。
日はまだ高い。
日暮れ前に、少女と出会った場所に戻れるだろう。
ただ酒場を出る背中に、不満げなウエイトレスの呟きを聞き取った。
「その子、そいつから逃げたんじゃないの?」
言われて私は、その可能性もあると、思い至った。
保護欲は対象にとって、時には迷惑でしかないだろう。
特に保護者の思い込みが激しい場合には。
まあ、……実際どうなのか、真珠姫を見つけてみないことには、わからないけれども。
男は、たぶん真珠姫を見失った不安をまぎらわすためだろう、一刻も早く真珠姫を見つけようと、前を睨み、足早に歩きながら、つっけんどんにだけれども、よく喋る。
「オレの名は、瑠璃。
オレと真珠姫は同族で、同族を探して旅をしている。
オマェは、胸に宝石を抱いた種族を知らないか?」
ペンダントと思っていたのは、どうやら体の一部らしい。
……後で、それが核と呼ばれる本体らしいと知った。
私は、宝石を胸に抱く種族については、見るのも聞くのも初めてだ、と答える。
「オレは、よく当たると評判のドミナの占師を訪ねていった。
そいつが、探し人は風と火の聖なる場所にありと言うので、風なびく草原の教会に行ってみたが大外れだ。
その上、酒場に持たせておいた真珠姫がいなくなった。
まったく! ウェイトレスに言っておいたってのに!」
ウェイドレスだって仕事もあるのだから、始終見張っているわけにもいかないし、私が会った少女が真珠姫だとしたら、あのウェイトレスとは同じ年頃。出て行くのを、無理に止められるものでもない。
……という当然のことを、瑠璃に指摘するのは、今はやめておく。
それよりも私は、その占師の言葉が気になった。
確かあの教会はそんな名前で、年中風が吹いている場所に建っているけれども、風の精霊に関係する教会だとは、聞いたことがない。
それよりも、風と火の聖なる場所といえば、ガトのことだろう。
そういえば一応ではあるけれども、ガトはあの少女が向かった先にある。
私か瑠璃にそう言うと、瑠璃は驚いた顔をして黙り込んだ。
やがて、私か少女とであった場所に到着したが、もちろんそこには誰もいない。
「真珠姫は、どっちに行った」
瑠璃は完全に、私が出会った少女が真珠姫だと、決めてかかっているようだ。
私は少女が向かった方角を指差した。
「わかった。すまなかったな」
そして瑠璃は、すたすたと先を急ぐ。
私は肩をすくめて、ガトヘ行くのか? と聞いた。
「もうオマエには関係ない。
オレたちに関わるな」
これまた愛想のないことだ。
私が、瑠璃の背中に、ガトヘ行くなら、その道をまっすぐ……ではない、と言うと、彼は私に背を向けたまま立ち止まった。
私は歩き出し、瑠璃の隣に並び、もうしばらく付き合おうと告げる。
瑠璃は前を見たまま、「頼む」と言った。
また頬が少し、赤らんでいた。
ガトに到着する前に日は暮れてしまったけれども、ガトの寺院に灯された火が、私たちを導いてくれた。
私たちはまず、酒場に行く。
宿を兼ねた酒場は一軒だけなので、真珠姫が来ているなら、ここへ寄るだろう。
あそこが酒場だと教えたとたん、瑠璃は店へ飛び込んで叫んだ。
「真珠姫はどこだ!」
そしてマスターに詰め寄り、今にも襟首を掴まんばかり。
心配なのはわかるけれども、滅茶苦茶だ。
マスターは、私のことを覚えていてくれたらしく、後から入ってきた私を見つけ、まなざしで助けを求めてくる。
私は小さく肩をすくめ、瑠璃とマスターの間に入り、瑠璃の用件をマスターに伝える。
まずあの少女の外見を伝え、瑠璃と同じように、胸に大きな真珠を抱いているけれども、それは隠しているかもしれないと付け加える。
マスターは、即答した。
「その年頃のお嬢さんは、今日は一人もいらしてません」
とたんに瑠璃は、私に食って掛かる。
「キサマ! オレを偏したな!」
何も瑞してなどいないのだけれども、頭に血が上った瑠璃には通用しない。
今度はマスターが止めに入る。
けれども瑠璃は収まらず、騒ぎは大きくなっていく。
騒ぎを聞きつけた人々がバラバラと、開けっぱなしの酒場の扉の外から覗いているけれども、入ってきてまで関わりたくはないらしい。
いや、一人……。
「珍しいな。
珠魅……しかも若い珠魅か」
聞きなれた声。
ルーベンスだ。
その言葉を聞きつけて、瑠璃は驚き、わめくのを止める。
「オマエは珠魅を知っているのか?」
ルーベンスは、黙って頷く。
そしてなぜか酒場の扉を、後ろ手で閉めてしまった。
そのルーペンスに、さっそく瑠璃が詰め寄り問い詰めようとするが、ルーベンスはうながして、瑠璃を椅子に座らせ、その向かいに自分も座る。
なにやらルーベンスには、瑠璃を圧倒する格のようなものが、備わっているらしい。
「真珠姫は、幸いだがこのガトには来ていない」
「真珠姫のことを知っているのか?
幸いとはどういうことだ」
「あれだけ大声で騒げば、真珠姫を探していると、誰にでもわかる。
幸いというのは、今ガトに珠魅殺しが来ているからだ。
だからもう騒ぐな」
「珠魅殺し?」
「珠魅の核は宝石としての価値が高いだけではなく、特別な力を持っていると信じられている。
宝石泥棒サンドラは、核を奪って珠魅を殺す。
過去、多くの珠魅が犠牲となった。
サンドラは、盗みを働く前に、必ずそれを予告する。
私の元へも、予告状が来た」
「予告状? オマエに?
オマエは珠魅なのか?」
ルーベンスは、そっと胸元を開いて見せた。
それは一瞬だったけれども、そこには真紅の煌きがあった。
「……キミも、あまり核をさらして歩かないほうがいい。
いや……、目の前のお前がサンドラなのかもしれないな」
「オレは! 珠魅だ!」
「サンドラは変装の名人だというし、それに……、
……たとえ一族の者でも、もう信じることはできない」
この言葉に、瑠璃はショックを受けたようだった。
「……なぜ……、
オレはずっと、珠魅を探し続けてきた……。
友愛の種族と記されている、珠魅の一族を。
オレの仲間を。
ところがやっと見つけた真珠姫は、すぐフラフラとどこかへ行っちまう!
そしてオマエは、仲間など信じられないと言う!
珠魅とはそんなにも、孤独な種族なのか!
仲間を求める気侍ちは、欠片もないのか!」
瑠璃の落胆と怒りを、ルーベンスは静かに眺めている。
「珠魅は、仲間を想う気持ちによって生き長らえてきた。
傷ついた珠魅を、他の珠魅がその涙でもって癒しながら。
だが、仲間のために涙を流す珠魅は消え、
仲間の裏切りによって、珠魅の都市は滅びてしまった。
もう誰も、……仲間も、……自分も、信じることはできない」
淡々と語るルーベンスの言葉の一つ一つが、瑠璃の心に突き剌さって行く。
「嘘だ! 珠魅の都市が滅びたなんて!
チクショウッ!
オレは仲間のいる煌きの都市を見つけ、連れていってやると真珠姫に約束して!」
その時、酒場の扉が乱暴に開け放たれ、小柄な男が入ってきた。
どうやらネズミの獣人らしい。
「ルーベンス君! そちらはチミのナニかね!」
パイプを咥えたままなのに、やけにはっきりした大声が、酒場いっぱいに響き渡る。
ルーベンスは振り返って立ち上がりながら、瑠璃に自分のショールを投げ与え、彼の胸の宝石……核を、小男から隠した。
そのためルーベンスの核が、半ば露出する。
そして瑠璃ではなく私を指し示しながら、小男に答える。
「ボイド警部。
以前仕事を手伝ってもらったことのある昔の知り合いと、その連れです」
「マスター! 本当かね!」
マスターは、首振り人形のように、コクコクと首を縦に振る。
ボイド警部は、体は小さいが、その大声は押しが強い。
「あ! そ! ならよろしい! 大変よろしい!
大変な時であるから、仕事は他人に任せたまえ!
しかし無断で歩き回るのは、大変よろしくない!
護衛するのが大変である! ついてきたまえ!」
ルーベンスは、何か言おうとする瑠璃を片手で制し、ボイド警部と共に出ていった。
瑠璃は、椅子から上げかけた腰を下ろし、小さくため息をつく。
「クソッ! オレはどうしたらいいんだ?」
どうするもこうするも、今からどこへ行ったのかもわからない真珠姫を探しに行くのは不可能だ。
私は瑠璃に、こんなときは緊張を解くために少し飲み、それからルーベンスか、あるいはあのボイド警部に相談してみてはどうだろうと、提案した。
そしてマスターに、酒を二杯注文する。
「いらない!
……いや、すまない。
オレは飲まないんだ」
ならば何か食べた方がいいと言うと……。
「いらない」
といっても、ここは酒場。何も注文しないで、席を塞ぐわけにはいかない。
そう言うと、瑠璃は驚いたようだった。
「そうなのか?
酒場でイヤな顔をされるのは、そのせいなのか?
珠魅が嫌われているせいではなく」
私は人並み以上には、旅を続けてきたつもりだ。
その私ですら、珠魅については今回初めて知った。
酒場のマスターは概して物知りなものだけれども、それでもそうそう珠魅について知り、珠魅を嫌っているとは、思えない。
けれども、酒場に来て飲み食いもせず、さらに瑠璃のようにトラブルを巻き起こす者には、愛想も悪くなろうというものだ。
私の呆れ顔に、瑠璃はわずかに頬を染め、そっぽを向く。
「珠魅には、飲み食いの必要がないんだ」
今度は私が、そしてマスターも、驚いた。
道理でルーベンスは、人前で飲食することがなかったわけだ。
その時、またあの押しの強い大声がした。
「ちみたち! ルーベンス君を知らないかね!」
私たちは、顔を見合わせた。
マスターが私たちの疑問を代表するかのように、首をかしげる。
「警部さんと一緒に出て行かれたあと、戻ってませんが……」
と、とたんにボイド警部は、頭から湯気を上げて、その大声をさらに張り上げた。
「ワシは今米たばかりであーる!
ルーベンス君と一緒に、行ってはおらーん!
そのワシとルーベンス君は、どこへ行ったのかね!」
私も瑠璃も、同時に立ちあがっていた。
すでにボイド警部は酒場の表に飛び出して、その待ち前の大声で、自分とルーベンスがどこへ向かったのか知る者はないかと、叫び回っている。
やがて情報を得て走り出したボイド警部を追って、私と瑠璃も走り出す。
ガトの絶壁に刻まれた道を駆け上がる。
そして寺院に掛け込んで、意外そうな顔の修道女に迎えられる。
「ちみ! ここにワシとルーベンス君がこなかったかね!」
修道女は、キョトンとしながら、首を横に振る。
私たちは間違いに気がついた。
ガトの上部にあるのは、寺院だけではない。
人の住まう場所こそ寺院に限られるけれども、見晴らしのいい絶壁のあちこちに大小のテラスがあり、そのそれぞれに炎が掲げられている。
寺院からも、そのテラスがいくつも見える。
私たちはその一つに、人影を見つけた。
一人はルーベンス。
そしてもう一人は……見知らぬ女。
女はルーベンスに詰め寄っているかのようだ。
「おのれサンドラめ!」
ボイド警部が叫び、私たちは再び走り始めた。
けれども、ガトの絶壁に刻まれた道は、八重九重に折れ曲がり、道と道とを隔てる絶壁は、人の行き来を拒絶している。
直線距離ではわずか先にあるテラスにも、絶壁を幾重にも回り込む道を行くしかない。
風が、サンドラの声を運んできた。
「泣いて命乞いしなさいよ! そしたら見逃してあげるわ!」
それに対する返答はない。
ルーペンスは何も言わなかったのか、それとも聞こえなかっただけなのか?
私たちが目的のテラスに到着した時、目にしたのは、ただ一人灯の下に倒れている、
ルーベンスの姿だけだった。
……行き止まりのどんづまりのテラスだというのに、他に人影はない。
ルーペンスの着衣は、大きく切り裂かれ、胸がはだけられている。
そしてその胸は、大きくえぐられている。
先ほど見た、あの真紅の煌きは、もはやない。
私たちは、ルーペンスの元に駆け寄った・
「チミー! ルーベンス君! しっかりしたまえ!
サンドラはどこへ行った!」
ルーベンスは、弱々しく呼びかけに答えた。
「あぁ、君だちか……。
真珠姫のことだがね……」
ボイド警部と瑠璃が同時に叫ぶ。
「真珠姫ではない! サンドラだ!」
「真珠姫がどうしたんだ!」
ルーベンスは、霞のかかったその瞳を、瑠璃に向ける。
「真珠姫が……、
……レディパール……、
……レイリスの塔……」
声は小さくなっていき、そしてルーペンスは瞳を閉じた。
「チミ! ルーベンス君! チミ! しっかりしたまえ!」
ボイド警部が何度も呼びかけたけれども、彼は二度と答えなかった。
レイリスの塔については、ボイド警部が知っていた。
彼は最初、瑠璃のことを怒っていたけれども、訳を話すと瑠璃や真珠姫がサンドラに襲われる可能性を心配し、快くレイリスの塔の場所を教えてくれたのである
「チミは、すぐさま真珠姫を探しに行きなさい!
ワシは、サンドラを追う!
彼女がレイリスの塔に到着する前に保護するのがよろしい!
あそこはひどく危険な場所だからね!
それよりも、チミ白身も核を奪われんように、注意しなきゃいかん!
チミたちも見ただろ! サンドラは変装の名人だからね!」
実際これは脅威だった。
私たちは遠目にしか見てはいないけれども、少なくともサンドラの背格好は、ルーベンスとさほど違いはないはずだ。
そのサンドラが、一回りも二回りも小さなボイド警部に変装していた。
確かにあんな相手に命を狙われていては、ルーベンスの言っていた通り、たとえ同族を名乗って近づく者がいても、むやみと信用できなくなるに違いない。
私は瑠璃に、真珠姫探しを手伝おうと、申し出た。
「断る。
……いや、すまない」
私は最初、サンドラが私に変装して近づいてくる可能性を恐れてのことかと考えた。
「いや、これ以上珠魅に関わらない方がいいんだ。
オレは、オレ自身の種族のことをさっぱり知らない。
気がついた時、オレは一人だった。
自分が珠魅だと知り、珠魅を探し、珠魅について調べて回った。
珠魅は他の種族と違いすぎる。
オレたちは飲み食いを必要としない。
胸の核が傷つき、砕け、奪われないかぎり、老いることも死ぬこともない。
かつては珠魅の美しい都市がいくつもあったらしい。
けれども珠魅は狩られ、滅びてしまった。
頼みの綱の、煌きの都市も。
……珠魅殺しのことも、噂は聞いたことがあったんだ。
それでも核を曝していたのは、これほど珠魅がいないなら、珠魅殺しもいないに違いないと、そう都合よく思い込んでいたからなんだ」
そのように大きく美しい宝石を見せて歩いていたら、盗賊は珠魅について知らなくても、その宝石を狙うのではないか?
そう言うと、瑠璃は表情をこわばらせながら、頬を少し赤らめた。
「その通りだ。まずったな。
今後は真珠姫だけでも……。
それはそれとして、珠魅は調べれば調べるほど、核を狙われるだけではなく、他の種族には嫌われているように思えてならなかったんだ。
珠魅は、他の種族に関わってはいけない。
他の種族は、珠魅に関わってはいけない。
珠魅のために涙する者には、不幸が訪れる。
こうした、珠魅と他種族の交流を禁ずる言葉に、何度も出会った」
私は彼に語り掛けた。
それでも私は、一緒に行きたい。
そのような言葉は、気にならない。
なぜならば、私は君を好きになりつつある。
君が迷惑だというならば、しかたがないけれども……。
「……行こう。オレは急いで真珠姫を見つけたい」
瑠璃は頬を少し赤らめ、ぶっきらぼうに背を向けて歩き始めた。
私も彼と肩を並べて、歩き始めた。
どうやら真珠姫は、ルーベンスの言葉通り、レイリスの塔に向かったらしい。
旅の先々で、真珠姫の一風変わった外見が、覚えられていた。
道連れはいないようだ。
なのに、彼女には到底越えられそうもない危険地帯も一人で越えている。
しかも彼女を追う私たちは、彼女との距離を詰めているはずなのに、きまって危険な場所で、彼女にダンと引き離される。
まるで目に見えない道連れがいて、彼女を守り、彼女の手を引いて、レイリスの塔へと誘っているかのようだ。
また旅の途中、瑠璃に、私が英雄と呼ばれることもあると、バレてしまった。
……世界を滅ぼそうとしたアーウィンやティアマットを倒し、世界を救った英雄というわけである。
もちろんそれは、真実を正確に伝えているわけではない。
けれども、別の私のささやかなるお節介……、
……たとえばドブにはまっている子供を助けたとか、
……旅の途中ありきたりの獣を倒したとか、
……道端で困っている少女を助けたといった些細なことをも含めて、噂は尾鰭をつけながら、独り歩きを始めている。
しかも困ったことに、その一つ一つには一片の真実が含まれていたため、完全に否定しきれもしなかった。
そんなこんなを道すがら瑠璃に説明し、私は英雄なんかではなく、多少お節介な人間なのだと締めくくると、瑠璃はボソッとこう言った。
「だったら、お節介をやめたらどうだ?
いや、手助けには感謝してるんだが」
私は小さく肩をすくめた。
目の前に親とはぐれた獣の雛がいたら、知らぬ振りで通りすぎることができないのが、どうやら私の性格らしい。
そうだそうだというように、もはや放っておいても後をついてくる私のラビが、ピョンピョンと足元で大きく跳ねた。
とうとう、真珠姫に今一歩届かないまま、終点へと到着してしまった。
レイリスの塔は、ずいぶん長い間放置されているようだ。
過去、何らかの目的を侍って建てられたであろうこの塔も、ボイド警部の話では、今や様々な獣や魔物の巣窟でしかないらしい。
私たちが塔を見上げた時、塔の外壁の所々に取りつけられた階段を、一人の女が登っていくのに気がついた。
「真珠姫!」
けれども、瑠璃の声に振り返ったのは、姿形こそ私が道端で助けた少女によく似ていたけれども、遠目にも雰囲気の異なる、大人の女だった。
しかも、ひどく扱いにくい巨大なバトルハンマーを手にしている。
それを使いこなしているのだとしたら、それ相応の戦士だろう。
女戦士は私たちを一瞥した後、そのまま階段を登って塔の中へと消えた。
もとよりここは、殆ど人が訪れることもない場所のはず。
真珠姫と、そして私たちの到着とほぼ時を同じくしてこの場所に現れた彼女は、いったい何者なのだろう?
彼女が、真珠姫の影の道連れ、ということはあるだろうか?
少なくとも先ほどは、一人だったようだけれども……。
考えていてもしかたがない。
私たちも真珠姫の姿を求めて、塔へ入る。
ボイド警部の警告通り、中は魑魅魍魎の巣窟と化していた。
私が噂通りの英雄なら、この程度は蹴散らせるはずなのだけれども、それは噂の中だけのこと。
瑠璃とラビがいて、進路を確保するのがやっと、というのが実状である。
それでいうなら、単身ここを通り抜けた、あの女戦士の方が強いはずだ。
それはいいとして、では真珠姫はどうだろう?
見た目も瑠璃の話でも、真珠姫は戦士ですらない。
先に進むほど、ここを本当に彼女が通ったのかと、疑問が浮かんでくる。
けれども、真珠姫がこの塔に向かったのは確かなのだ。
私たちが途中で追い越したのでもなければ、ここに彼女はいるはずである。
脇道もなかった。
いろいろな疑問を抱えながらも、もしや途中で彼女が倒れているのではないかと、私たちは塔の中を探索し続ける。
そして残るは最上階。
最上階の大きな扉を開けた時、私たちはついに真珠姫の姿を見つけた。
埃だらけの部屋の中の、薄汚れた大きな椅子に、真珠姫はぐったりと身を預けている。
そして彼女を責め立てる、もう一人の女。
「あなた、姫なら、泣いたらどう!
そしたら見逃してあげる!」
とたんに瑠璃は、剣を抜いて部屋の中に飛びこんだ。
「キサマ! 真珠姫から今すぐ離れろ!」
私も剣を抜いて、瑠璃に続く。
そのもう一人は、途中で見かけた女戦士ではない。
髪をアップにした、スリムな女。
見かけよりも、その声、その言葉が、私たちに剣を抜かせた。
珠魅殺しのサンドラに、間違いない。
サンドラは、振り下ろされた瑠璃の剣を、素早い身のこなしで楽々と避ける。
そしてサンドラは片手を振り上げて何かを投げた。
「出でよ、ジュエルビースト!」
とたんに私たちの目前で煌きが凝縮し、巨大な異形の怪物へと変化する。
ジュエルビーストなる怪物は、すぐさま私たちに鋭い攻撃を繰り出し始めた。
私たちは、防戦するのがやっとである。
まったく、噂の中では超絶的に強いはずのドラゴンや、世界最強最悪ということになっているティアマットよりも、こいつの方が手ごわい敵だ。
いや現実には、私はティアマットと、剣を交えていないのだけれども……。
これがただの泥棒の手下なのだから、現実はとても厳しい。
サンドラは、冷ややかな笑顔でこの戦いを眺めながら、私たちに……いや瑠璃に話しかけている。
「真珠姫の騎士……のつもりのようね。
だけど、姫に逃げられ、見失う騎士に、何の意味があるのかしら?
そして涙を流すことができない姫に。
それともあなたが涙を流して姫になる?
……ウフフ。
それができたら、あなたも真珠姫も見逃してあげる。
やってみなさいよ!」
サンドラは、まるで絶望と悲しみと怒りの間を、揺れ動いているかのようだ。
「無理よね……。
だからあなたの核も、真珠姫の核も、私が有効に利用してあげる。
無駄な抵抗は、やめたばうがいいわ。
その方があなたも苦しまずにすむし、私も傷の少ない核の方が嬉しいもの」
話しかけるサンドラの目的は、瑠璃から冷静さを奪うことだろう。
ジュエルビーストは、その巨体に似合わず素早いので、瑠璃は……そして私も、サンドラの言葉に答える余裕などない。
それでも私の場合、意識することなく戦闘を続けられるけれども、瑠璃はサンドラの言葉に惑わされ、剣の冴えを失いつつある。
でもってラビは、すでに倒れている。
まあ、あいつの場合、大した怪我でなくとも気絶するので、後で起こせばいいのだけれども、それも私たちが勝てればの話だ。
瑠璃の剣が、弾き飛ばされた。
「クソッ!」
その剣の行方に気を取られた瑠璃に、ジュエルビーストの魔手が迫る。
私は身を割りこませ、その攻撃を受けるけれども、そこで身動きできなくなった。
瑠璃が、すぐさま調子を取り戻してくれなければ、今度は私の身が持たない。
けれども瑠璃は、瞬時の判断ができないでいる。
ジュエルビーストに身を裂かれるかと覚悟したとき、新たな加勢が私を救った。
……途中で見かけた、あのバトルハンマーを持った女戦士。
女戦士のバトルハンマーは、一撃で、突き出されたジュエルビーストの先端を粉砕した。
サンドラが、苦々しげに吐き捨てる。
「レディ……パールー」
レディパール。
ルーペンスが死に際に残した言葉の一つ。
そのレディパールダバトルハンマーを揮うごとに、ジュエルビーストは砕かれていく。
そして彼女は、サンドラに詰め寄った。
「今ここで私と勝負するか!」
サンドラは、悔しそうに聯を引きつつも、ニヤリと笑った。
「そのような愚は、冒すつもりはない。
ここは引かせてもらうよ」
そして後ろ飛びに手近な窓から、その身を躍らせた。
……ここはレイリスの塔の最上階。
飛び降りてただで済む高さではない。
驚いて窓に駆け寄り下を覗き込むと、ただ一本、ロープが地上に向かって揺れているばかりで、サンドラの姿はすでに無かった。
たぶん、暗くて気づかなかったけれども、ガトでもこのようにして逃げたのだろう。
よほど身が軽くなければ、そして重い武器や防具に身を固めた戦士には、到底真似のできない早業だ。
「真珠姫!
……おい! あんた!
あんたも珠魅なのか?」
瑠璃の声に振り返ると、瑠璃が古ぼけた椅子のそばにいた。
けれどもそこにいたはずの真珠姫の姿がない。
そしてレディパールは、部屋から出ていこうとしている。
レディパールは瑠璃をベ糾すると、そのまま背を向け部屋を出ていってしまう。
その胸には、珠魅の証である宝石。
ものは真珠。
ただし真珠姫と違って、その色は黒である。
瑠璃は慌ててレディパールを追う。
「おい! 真珠姫を知ら……」
ところがレディパールと入れ違いに、扉の向こうから真珠姫がひょいと顔を出したので、瑠璃はぷつかるまいと、慌てて彼女を抱きとめた。
真珠姫は、のほほんと、きょとんとした瞳で、瑠璃を見つめる。
「瑠璃くん、大丈夫?」
瑠璃はぽかんと口を開けて、しばらく真珠姫の顔を見つめていたけれども、なんとか気を取りなおしたようだ。
「真珠! 無事か!
核に傷など、ないだろうな!」
瑠璃は、真珠姫が無事なことを確かめると、すぐさま彼女を責めはしめた。
「核が曇ってるじやないか!
核についた傷は、癒すことができないんだぞ!」
「でもお」
「なぜ勝手に出歩いた!
どうやってここまで来た!
オマエ一人でここまで来られるはずがない!
誰がオマエをここに遅れてきた!
レディパールか?
それともサンドラか!
レディパールとは、どういう関係なんだ!」
「わかんない」
「わからないってことはないだろう!」
「だってぇ、どこかへ行かなきゃいけないっていう気がして……
気がついたらここにいて……、
女の人がいて、泣けって言われて……、
それから気がついたら目の前に瑠璃くんがいて……。
……私どうやって、ここへ来たのかしら?」
「ふざけるな!」
けれども真珠姫の困惑は、演技には見えない。
私は瑠璃を制止して、真珠姫に私を覚えていないかと尋ねてみた。
真珠姫はしばらく私の顔を見つめていた。
「えーっと、道で私の靴を直してくれた人。
瑠璃くんの、お友達だったの?
あっ……」
真珠姫は、足元をふらつかせる。
それを支えながら、私はあの後知り合ったと答える。
真珠姫がボーッとしているのは、本来の性格もあるのかもしれないけれども、それだけではなさそうだ。
瑠璃に、ともかく彼女を連れて、早くここを出ようと促した。
「真珠、帰るぞ」
「どこへ?」
「……少しでも安全な場所へだ。
しばらくオマエが、安静にできる場所へだ。
ここは危険すぎる」
「でも、あの、私、もう少しここにいたい」
「真珠! わがままを言うな!」
「何か、思い出せそうなの……」
「オマエは充分以上、ここにいた!
もう少しオレが来るのが遅ければ、核を奪われて死んでいたんだぞ!
これ以上オレに心配を掛けるな!
昔のことを思い出せなくても、オマエはオレが守ってやる!」
「でもぉ……」
そこで真珠姫は、ペタンと床に座り込んでしまった。
彼女が疲れきっているのは、確かなことだ。
ここにいくら長居しても、彼女の疲れ……核の曇りはぬぐえない。
瑠璃のやり方は強引だけれども、今回ばかりは私も瑠璃に賛成する。
瑠璃が真珠姫を背負い、そして私が先行しながら、私たちはレイリスの塔を出た。
真珠姫を見つけて保護するという目的は果たしたけれども、私はもうしばらく瑠璃と真珠姫に同行することにした。
真珠姫の調子が悪すぎるからだ。
次の目的地は、魔法都市ジオ。
珠魅に理解が深いジオの魔法学園の教師ヌヌザックを訪ね、助けを求めてみることにしたのである。
真珠姫は、その旅の殆どを、瑠璃の背で眠って過ごした。
私はたびたび交代しようと申し出たけれども、瑠璃はかたくなにそれを拒む。
私は瑠璃に、気になっていたことを尋ねてみることにする。
サンドラが、なぜ「泣く」ことにこだわるのか? と。
「珠魅が仲間を思って泣いたとき、その涙は涙石となる。
涙石は、珠魅の核の傷を癒す。
たとえ核だけになってしまっていても、涙石があれば甦る。
そして珠魅の核の傷は、涙石によってしか、癒されない。
泣くことができる珠魅は、姫と呼ばれる。
そして泣けない珠魅は、騎士となって姫を守り、姫は騎士の傷を癒す。
昔はそういう役割分担が、あったらしい。
だが、これは伝説でしかない。
珠魅は、涙を流さない」
こうしたことを、瑠璃は以前ヌヌザックから聞いたという。
「オレは昔、オレが泣かないのは、オレの強さだと思っていた。
けれども泣かないんじゃない、泣けなかっただけなんだ。
泣けないなら、騎士になろうと決意した。
そして真珠姫に出会ったとき、オレはあいつの騎士になると決めた。
彼女が泣けないとしても、オレは彼女の騎士なんだ」
……恋人なのか?
「違う。珠魅に真の意昧での性別はない。
特別美しい宝石が、長い年月の後、やがて人の形を取り、珠魅となる。
男の姫もいれば、女の騎士もいるし、男と女がいても子供は生まれない。
本当かどうか知らないが、ヌヌザックはそう言っていた」
瑠璃は、その話は信じてはいない、いや信じたくないといった風だった。
ジオは、私が今までに訪れたどの地よりも、大きな街だった。
以前、骨の城付近で見かけた学生と同じ格好をした子供たちが、街路をにぎやかに右往左往している。
私たちは学校へ向かい、ヌヌザックを探した。
瑠璃によると、珠魅は人間離れしているらしいけれども、ヌヌザックの方が遥かに人間離れして見えた。
なにしろ彼(たぶん男性であろう)は、空中に浮かんだ変な絵にしか見えないのだ。
もっともそれは、彼の生まれながらの姿では、ないらしい。
ちょうどヌヌザックは、取り込み中のようだった。
碧の髪の女学生が一人、ヌヌザックに食って掛かっている。
「どうしてです!
私、じっとしてるなんて、できません!」
「ダメだ。君の身柄を保護した時、これは君と取り決めたことでもある。
当分学校から、一歩たりとも出てはいかん」
ヌヌザックと女学生は、しばらく押し問答していたが、やがて来客に気づいたようだ。
女学生の方が、唐突に瑠璃を指差して、こう叫んだ。
「あ! 珠魅!」
瑠璃も真珠姫も、今は核を隠している。
だから私たちは、女学生の指摘に、驚いた。
それはともかく、ヌヌザックは瑠璃のことを覚えていたようだ。
「おお、瑠璃君ではないか。
ちょうどいい」
そこでヌヌザックは瑠璃が背負っている真珠姫に(たぶん)気づき、こう言った。
「いやよくない。もう自分の姫を見つけとる」
そして私を(たぶん)指して……。
「で、そちらは?」
「オレと真珠姫の、旅の道連れだ」
と、ヌヌザックの問いに瑠璃が即答する。
「で、腕は立つのかね?」
「かなり」
ヌヌザックは、(たぶん)深く頷いて、女学生にこう言った。
「ではエメロード、こちらの方に頼んでみなさい。
引き受けてくれたら、ジオでの行動の自由のみ許可しよう。
だが瑠璃はいかん。
一人の騎士に二人の姫では、二股だ」
瑠璃は眉をひそめて、ぼそりと呟く。
「騎士と姫は、恋人関係とは違うんだが……」
私は珠魅ではないと断りながら、どういうことかと尋ねた。
ヌヌザックが何か言うよりも先に、エメロードが元気いっぱい私の前に進み出て、いきなり自分の襟元をグイッと引き下げた。
膨らみ始めた少女の胸の双丘と、そしてその間の碧の煌きがあらわになる。
「私も珠魅なの! エメラルドの珠魅!」
「こらエメロード! やめんか!」
「だって先生! 私が珠魅だってこと、もう隠しておいたってしかたがないでしょ!」
「バカもん! 女の子がみだりに胸を見せるもんじゃない!」
「私の性別なんて、見かけの問題じゃないですか!」
「本人はよくても、周りを見てみろ!」
なるほど、まわりにいた学生たち、特に男の子たちが、半ば凍りつき、半ばパニック
を起こしている。
「テヘッ!」
エメロードは自分の頭をコツンと叩き、舌をペロッと出してから、おもむろに胸を仕
舞った。なんともはや、今まで出会った中で、最も明るい珠魅である。
「つまりだな」と、ヌヌザックが続ける。
「珠魅殺しのサンドラが、ついにエメロードのことを嗅ぎ付けて、予告状を送ってきよったと、こういうわけだ」
「でもね!」と、エメロード。
「私騎士になるつもりで、魔法を勉強してるの。
泣けないのに、姫でいるつもりはないわ!」
「まだ半人前のくせしおって」
「って、ヌヌザック先生は、認めてくれないのよ。
助けてもらった恩と約束があるから、あまり逆らいたくはないの!
だからもし、あなたが私の騎士になってくれるなら、嬉しいんだけど。
あ、珠魅じやないあなたに、ずーっと私の騎士をやって欲しいなんて言わないわ。
ここしばらくの間、サンドラが捕まるまでの間」
私はかまわないけれども……、と言って、私は瑠璃の意見を求めた。
一応今はまだ、私は瑠璃と真珠姫の、道連れなのだ。
「オレも、かまわない。
いや、ぜひ引き受けてやってくれないか?
しかしここなら、真珠姫をゆっくり休ませることができるかと思ったんだが……」
「できる限りの配慮をしよう。
ついてきなさい」
ヌヌザックは、私たちを魔法学園の鏃深部の倉庫へと案内した。
古ぼけた雑多なものが、薄暗い中に並んでいる。
「物置ではないぞ。ここは魔法学園の宝物庫だ。
安全のために中からは誰にでも開けられるが、外から開けることができるのは、この
学園の教師のみ。
たとえ変装がうまくとも、魔法の扉はごまかせない。
扉を閉めれば空気も通わぬ。
珠魅でもなければ身が持たぬ。
というわけで、ここ以上に静かで安全な場所はない」
そのヌヌザックの言葉に、エメロードが反発する。
「身が持てばいいっていうものじゃないんです!
サンドラが捕まるまで、ここでじっとしてるなんて、私、我慢できません!」
ヌヌザックは、エメロードの抗議を無視して、女性徴を(たぶん)指差した。
「この石像は、珠魅の族長ディアナ本人。
涙を流す唯一の珠魅蛍姫が、その騎士と共に失踪し、珠魅殺しが立て続けに起きた後、
今は心を閉ざして、石の眠りについておると、言われておる」
瑠璃がその言葉を聞いて、息を飲む。
ヌヌザックが続ける。
「そしてこちらの宝石箱の中で眠る珠魅は、その失踪した蛍姫本人。
蛍姫は、ただ一人で一族全ての核の傷を癒し続けた。
そのために、自身の核は砕ける寸前までボロボロとなり、あと一滴でも涙を流せば、彼女自身の核が砕けるであろうと言われるほどに。
それゆえ誰かが、たぶん蛍姫の騎士が、この宝石箱に彼女を隠したのであろうな」
茫然自失寸前の瑠璃が、なんとか口を開く。
「なぜ珠魅の族長や最後の姫がここに?」
「宝石商のアレックスが、これが目利きの上に良心的な男でな、自分の店では珠魅の核など扱わないといって、持ちこんできたのだよ。
ここは静かで安全な隠れ家だからね」
「どうやったら二人は目覚めるんだ?」
「ディアナは、自らその意志を持たぬかぎり、無理だろうな。
そして蛍姫は、他に涙を流せる姫が現れぬかぎり、起こさぬ方が無難だろう。
涙というものは、流すまいとしても流れるものだからなぁ……」
「クソッ!」
瑠璃の声に、その背中に背負われた真珠姫が、もぞもぞと動き出す。
「で……」と、ヌヌザックは瑠璃を(たぶん)見る。
「二人共匿って欲しいのかね?
それともそちらのお嬢さんだけかね?」
「オレは騎士です。真珠姫を、お願いします」
「よろしい。そこのベッドを使いなさい。
エメロードのために用意したが、じやじや馬娘はここは嫌だと言い張って聞かぬ。
ここは嫌がる者を、外から閉じ込められるようには、できておらんからな」
瑠璃は真珠姫を、そっとベッドの上に座らせた。
「真珠、しばらくここで大人しくしているんだ。
オレが迎えに来るまで、絶対に外に出るんじやないぞ」
真珠姫は、ボォッとした瞳で瑠璃を見ていたけれども、ディアナ像や蛍姫の宝石箱を眺めてから、ベッドにもぐりこんで眠ってしまった。
私たちは、真珠姫を残して外に出る。
そしてヌヌザックは講義を、エメロードはそれを受講するために、教室に向かう。
ヌヌザックがその間のエメロードの安全を保障したため、私と瑠璃はジオの街中にあるアレックスの宝石店を訪れてみることにした。
ジオの街に慣れておきたかったのと、ディアナ像や蛍姫の宝石箱を、どこでどうやって于に入れたのか、瑠璃が知りたがったからだ。
ヌヌザックが目刺きと評したアレックスは、思ったよりも若い、細身で眼鏡で知的な雰囲気の、人当たりのいい、一言で言えば優男タイプといったらいいだろう。
そしてヌヌザックとは違った視点の知識を、快く披露してくれた。
「珠魅の核は、古くからマジックアイテムの素材として求められ、消費されてきました。
特に争いが続いた時代には、軍人は力を高めるために競って核を求め、国家は組織的に珠魅を狩ったのです。
しかし珠魅の騎士は、最強の軍でもありました。
核さえ回収できれば、姫の涙による不死が、約束されていたからです。
いずれにしろ、核は双方にとって、勝敗を決めるキーアイテムでした。
その上同時に、最高級の宝石でもあるのです。
核は宝石商の手によって、高値で売買されました。
それどころか、率先して珠魅殺しを行い、商品としての核を集めたのです。
珠魅が仲間を買い戻すこともありましたが、大半はそれ以外の種族の手に渡りました。
生きるための消費が少ない珠魅は、殆ど生産手段を持っていなかったため、経済面での競争は苦手だったのです。
そして大半の宝石高は、倫理よりも、高値をつける客を優先させました。
……嘆かわしいことです。
そしてさらに涙を流す姫が少なくなったため、珠魅が核を手に入れても、甦らせることができなくなりました。
長い時を経て争いの時代は過ぎ去りましたが、珠魅は都市を失い、数を減らし、残る者たちも散り散りになってしまったのです。
珠魅という種族は、歴史から消えつつあります。
涙を取り戻すことができないかぎり、このまま滅んでいくのでしょう」
「なぜ珠魅は、涙を流せなくなったんだ?」
「たぶん、死を安易に扱いすぎたからでしょう。
珠魅は基本的に不死であったがゆえに、安易に戦いの道を選び、安易に戦場に散り、安易に生き返り、また戦場へと戻っていったのです。
そうした態度が、珠魅と他種族との隔絶を生みました。
また珠魅の姫にしても、生き返ることを前提に死んだ者を、心から悼み、悲しみ、涙を流せるものでしょうか?
しかもそれが、何度も繰り返されるのです。
珠魅という種から、涙が枯れ果てたとしても、不思議はないでしょう」
「じやあ、ディアナ像や蛍姫の宝石箱を、どこでどうやって手に入れたんだ?」
「珠魅だとは、知られていなかったのです。
美術コレクターの収集品として扱われていたため、難を逃れました。
コレクターは、自分のコレクションがまっとうな美術品ではないと知ると、それに失望し、また最近世間を騒がしている珠魅殺しと関わることや、珠魅の所有者という悪評を嫌って、手放してくれました。
出所ですか? それはご容赦を。
取引の秘密を、元の持ち主と約束したんです。
私がヌヌザック先生のところに持ちこんだことも、内密にお願いします」
アレヅクスに突っかかりそうな瑠璃を引きずり、私は礼を言って彼の店を後にした。
それからジオを散策する。
土地勘を養うためと、怪しい者を見つるためのパトロールだ。
怪しい者は見つけられなかったけれども、ボイド警部を見つけることができた。
「チミたち! こんなところで何をしておるのかね!」
彼がサンドラの変装でなければいいのだけれども、たぶんそれはボイド警部の方も、
同じように思っていることだろう。
私たちが事情を説明すると、ボイド警部の方も事情を教えてくれた。
「チミたち! ワシも予告状が届いたと聞いて駆けつけたのだよ!
それにこれは秘密なのだがね! 女性徴と宝石箱の盗難届も出ておってね!
サンドラは、アレックスという名前でこの地に潜伏しておるのだ!」
私たちは、警部の大声を指摘するのも忘れて、驚いた。
そしてボイド警部と共に宝石店に走ったけれども、すでにそこはもぬけの殼。
「チミたち! サンドラに狙われておるエメロード嬢はどこかね!」
警部に促されて、私たちは学園に走る。
しかし教室には、エメロードはいなかった。
ヌヌザックが私の顔を見て、(たぶん)怪冴な顔をする。
「エメロードは、どうした?
授業から連れ出しておいて、目を離してもらっては困る」
ボイド警部が、頭から湯気を出して叫ぶ。
「いかん! 連れ出しだのは、変装したサンドラだ!
一刻も早くエメロード嬢を保護せねばならん!
手分けして探すのだ!」
私たちは、エメロードの姿を求めて、ジオの街に駆け出した。
……しかしその時、瑠璃から離れるべきではなかったのだ。
瑠璃の核もまた、サンドラの獲物なのだから。
私とボイド警部が駆けつけたとき、すでにエメロードは核を奪われ倒れていた。
そして瑠璃もまた。
だけれどもまだ核は無事らしい。
その瑠璃の前に立ちはだかり、サンドラを退けているのは、レディパール。
サンドラは、準備してあったらしい細いロープを伝って、屋上へと身を躍らせた。
もちろん彼女は、追っ手に追う手段を、残しはしない。
「真珠姫に伝えろ! お前の騎士を助けたければ涙を流せとな!
涙を失った珠魅など、滅びてしまえ!」
サンドラは、そんな捨てゼリフを残して、姿を消した。
そして私たちがサンドラを見失った時、レディパールの姿も消えていた。
「チミ! 大丈夫かね!」
「核を傷つけられたようだ。学園の宝物庫へ運ぼう。
珠魅を治す方法もないが、安静にしていれば死ぬこともない」
騒ぎに駆けつけたヌヌザックに促され、私は瑠璃を背負って宝物庫に向かう。
……宝物庫の扉が、開いていた。
ディアナの像は砕かれ、真珠姫の姿も消えている。
宝石箱は、そのままだ。
私たちは、サンドラに出し抜かれたと、考えた。
「私はこの部屋の扉の閉め方を、彼女に敢えておくべきだったのだな」
ヌヌザックが、ベッドの上に残されたメモを、(たぶん)指し示す。
メモにはこうあった。
……瑠璃くん、ゴメンね。
私どうしても、あの塔に行かなきやいけないって、そんな気がするの……。
どうやら真珠姫が開けた扉から、サンドラが侵入したらしい。
それにしても、アレックスがサンドラなら、ディアナ像をヌヌザックに預けてから、
核を盗んだのはなぜだろう?
それとも、途中までは本物のアレックスで、入れ替わったのだろうか。
また、蛍姫が被害を受けなかった理由もわからない。
疑問を抱えながら、真珠姫がいなくなったベッドに、瑠璃を横たえる。
「頼む……。真珠姫を守ってくれ……」
私が頷くと、瑠璃は意識を失った。
私は旅の準備もせず、ジオを飛び出した。
真珠姫が出て行ってから、時間は経っていない。
まだ近くにいるうちに、真珠姫を保護したかった。
距離を開けられたら、前回のように追いつけなくなるかもしれないからだ。
そして私は、真珠姫の姿を見つけた。
レディパールが一緒にいる。
レディパールが、真珠姫の隠れた道運れだったのだろうか?
だったとしても、今二人の間には、遠目にも険悪な空気が漂っている。
レディパールは、厳しく真珠姫に詰め寄っているようだ。
私はサンドラが、レディパールに変装して、真珠姫に近づいたのではないかと懸念し、
全力で二人の元へ走った。
二人はまったく私に気づかず対峙している。
私は二人の間に、強引に自分の体を割り込ませる。
そのとたん……レディパールの姿は幻と消えた。
私は戦いになるかもしれない、そうなると厳しい戦いになりそうだとは考えていだけ
れども、こうなるとは思わなかった。
ここは平原の中の一本道で、あたりに人が隠れられるような場所は、たとえ地中であ
ろうとありはしない。
私は真珠姫に、レディパールはどこへ行ったのか、何を話していたのかを尋ねてみる。
「私にも、なにがなんだかわからなくって……」
さらに、何のためにレイリスの塔に向かったのかと尋ねても、
「なんとなく、そうしなきゃいけない気がして……」
そんな答えが返ってくるような気がしたけれども、やはりそうだ。
「ねえ、私をレイリスの塔まで、送ってくれない?
瑠璃くんは連れてってくれないし、誰かと一緒の方が、瑠璃くんも安心すると思うし」
私は、ジオに帰ろうと、真珠姫を促す。
「でもぉ……」
私はエメロードとディアナが核を奪われ、瑠璃も核に傷を負って重症だと告げる。
「えーッ! 瑠璃くんがあー!」
こうして私は、真珠姫を連れ帰った。
しかし私が連れ帰ったのは、真珠姫だけではなかったのである。
真珠姫を連れ帰った私は、ボイド警部やヌヌザックと共に、宝物庫へ向かった。
宝物庫に入った真珠姫は、ふらふらと、瑠璃の横たわるベッドにではなく、蛍姫が眠る宝石箱の前に立つ。
そして変化した。
真珠姫は煌きをまとい、そしてその煌きの中でレディパールヘと姿を変える。
そして無造作に宝石箱を開けた。
「チミ! 蛍姫から離れなければ逮捕する!」
ボイド警部の大声に、レディパールは微笑んでかえす。
「心配するな。私はサンドラではない」
宝石箱の中の蛍姫が身じろぎし、その半身を起こす。
その胸の核には、細かいヒビが無数に人っていて、今にも崩れそうだ。
「いったい何かどうなっておるのかね!」
「それを説明しようと思って、私はこうして現れた」
ベッドの上の瑠璃が、何か心当たりがあるのか、悲しそうに目を伏せる。
ボイド警部が、私たちを代表するかのように、質問者となった。
「チミは何者なのかね! 真珠姫はどこかね!」
「私はレディパール。黒真珠の珠魅。
長らく珠魅の騎士団長を務めてきた。
白真珠の珠魅、真珠姫は、私の半身にして、仮の姿。
そして珠魅殺しのサンドラは、アレキサンドライトの珠魅にして、蛍姫の騎士アレクサンドル。宝石商アレックスもまた、同一人物。
アレキサンドライトが、受ける光によってその輝きの色を変えるように、アレクサンドルもまた変幻自在に姿を変える。
もっとも、そのことがわかったのは、ずいぶん後になってからだがな」
「なんと! サンドラもまた珠魅であったか!
しかしならば、なぜサンドラは珠魅殺しを続けたのだ!
彼だか彼女だかわからんが、同族を憎んででもいるのかね!」
レディパールは、フッと笑う。
「それもあるだろう。
涙を流せぬ自分自身を合めて、核がボロボロになるまで、蛍姫一人に涙を流させ続けた珠魅を、憎んでいる。
私は、アレクサンドルが蛍姫と共に身を隠すことには賛成した。
どうせあのままでは、蛍姫の命は無かったのだ。
そしてアレクサンドルは、蛍姫を癒そうとした。
だがその手段は、私には許せぬものだった。
ヤツは千人の珠魅の核より、涙石を作ろうとしたのだ」
蛍姫が、声を震わせる。
「そんな……。アレクサンドルは私に、普通の宝石を集めて涙石を作ると……」
「最初は宝石商アレックスとして並の宝石を集め、それを試みた。
だが、そんなもので涙石ができるはずもない。
それで最高級の宝石である珠魅の核に、手を出した。
だが、珠魅千人の核によっても、うまくいくという保証はない」
蛍姫はうつむき、小さな肩をふるわせる。
「……泣くな蛍姫。核が砕けるぞ」
レディパールは、そうは言ったが、こうなることを知っていたかのように、驚きもしなかった。
真の涙というものは、流そうとして流れるものではなく、流すまいとして止まるものではない。
「いいのです、レディパール。
私の核がある限り、アレクは核を狩るでしょう。
私の核が砕ければ、アレクには核を狩る必要がなくなります。
私の最後の涙を、そこの若いラピスラズリの珠魅に、差し上げてください」
瑠璃が叫ぶ。
「そんなものはいらない!
オレが欲しかったのは……、生きた珠魅の仲間だ! だから泣かないでくれ!」
「ゴメンなさいね、私泣き虫なの。
そしてこれが、私の最後の涙みたい」
蛍姫は、ほろほろと煌く涙を流す。
それは蛍姫の膝元で一つの輝きに凝縮して、涙石に変化した。
とたんに蛍姫の胸の核が、チリチリと小さな音を立てはじめる。
「そしてそこの方……」
私は呼ばれ、蛍姫の前に進み出た。
蛍姫は私の手を、自分の胸の前に引き寄せる。
「私の核は、さほど高価でもない蛍石です。
しかも小さく砕けてしまって、何の価値もありません。
私が今あなたに差し上げられるのは、こんなものしかありませんが、お願いです。
どうかレディパールや、そこの若い珠魅に、力を貸してあげてください。
アレクに私の核は砕けたと告げ、愚行をやめさせてください」
蛍姫の胸から、蛍石が細かく砕けて私の手の上にこぼれ落ちていく。
それに伴って、蛍姫の声もか細くなっていく。
「お願いします」
そして蛍姫の胸から、核の最後の一かけが私の手に落ちると同時に、私の手から彼女の手は落ち、瞳からも最後の光が消え、その体は宝石箱の中に崩れ落ちた。
私たちはみな、しばらく無言でいた。
それにしても、なぜ私なのだろう?
ここにはヌヌザックも、ボイド警部もいたというのに。
……きっと、そういう巡り合わせなのだろう。
しばらくの時が過ぎ、最初に目を開いたのは、レディパールだ。
「瑠璃、使え」
「嫌だ!」
「蛍姫の遺言だ。無駄にすることは許さない」
レディパールは、無理やり瑠璃を押さえつけ、胸の核に涙石を押し付けた。
涙石は煌きとなって消え、とたんに瑠璃の頬に生気が戻る。
「オレは、こんな命は欲しくない!
誰かを、他の珠魅を犠牲にしてまで、生きたくはない!」
「それが悲しく悔しいならば、涙を流せ。 蛍姫の遺志に逆らえるのは、涙を流せる珠魅だけだ」
瑠璃は、しばらく唇を噛んで黙り込むが、やがてレディパールに問う。
「真珠姫は?」
「あれは私の仮の姿だ。白真珠の珠魅、真珠姫など存在しない」
「そんなはずはない!」
「いいや、真珠姫は私が生み出した煌きにすぎない。
真珠姫に実体などないのだ」
「煌きは、無からは生まれない!
オマエが真珠姫を生み出したというなら、真珠姫はお前の中に存在してるんだ!
オレは役立たすの騎士だが、精一杯真珠を守ってきた!
そして涙を流せなくても、真珠は確かにオレの支えだったんだ!
真珠がいたから、オレは!」
レディパールが、フッと微笑む。
「あれは、まだ自分にも涙が流せるはずだと信じていたころの、私だ。
確かに真珠姫は存在していた。
けれども私が泣くことをあきらめ騎士になろうと決意した時、真珠姫は消えた。
昔々の、お前が生まれる前の話だ」
瑠璃はそれでも、食い下がる。
「……真珠姫は確かにいるんだ」
「では、そういうことにしておこう」
そしてレディパールは、私に言った。
「お前は珠魅ではない。
他の種族が、珠魅に関わるものではない。
普通の、もっと金になる宝石をやろう。
アレクは珠魅が貧乏であるかのように言っていたが、珠魅となるほどでもないが、それなりに高値が付く宝石の一つや二つ、いつでも手に入れられる。
蛍姫の核の欠片を捨て、蛍姫の願いなど忘れるがいい。
珠魅の問題は、珠魅がカタをつける」
私は小さく肩をすくめ、私と蛍姫の約束に、種族は関係ないと、それを断る。
そりやあもちろん、彼女が私を選んだのは、ただの成り行きかもしれない。
だとしても、蛍姫のことはほとんど知らないけれども、優しく弱く泣くことしかできず、それゆえ大きな責を負っていたあの少女の、命と引き換えの最後の願いを、私は無下にはできないのだ。
私が彼女の願いを聞き届けるか否かは、私の自由であり、私はすでに選択した。
レディパールは、鼻で笑う。
「他の種族が珠魅に入れ込み、珠魅のために涙を流すと、どうなるか知っているか?
そんなことをしたヤツは、私ですら見たことはないが、即座に命を落とすのだ。
そこのディアナのように、ただの石くれと化すという。
もう珠魅に関わるのは、やめておけ」
私は静かに、首を横に振る。
レディパールは、呆れたようだ。
「では勝手にしろ。私たちは煌きの都市へ行く」
どうやらレディパールは、瑠璃の方は同行するものと、決めてかかっているらしい。
「煌きの都市は、滅んだのではなかったのか?」
と、瑠璃。
「滅んだ。今は廃墟だ。
しかしアレクが潜んでいるとしたら、そこしかない」
そしてレディパールは、瑠璃を斜に睨みつけた。
「もしや珠魅殺しを、珠魅であるがゆえに倒したくないとは、言うまいな」
「いいや。珠魅だからこそ許せない」
こうして私たち三人は、煌きの都市に向かって出発した。
ボイド警部も同行を望んだのだけれども、レディパールは強固にそれを拒絶し、それでもついてきた警部を、不可思議な技で、あっさりとまいてしまった。
……私がまかれなかった所を見ると、一応は認められたようだ。
煌きの都市は、様々に輝く石をちりはめた、石の城だった。
天に聳える絶壁に目を開ける数々の巌が、珠魅たちの暮す家だったのだろう。
私はルーベンスが、なぜガトに住み着いたのか、なんとなくわかるような気がした。
都市は珠魅という種の墓標のごとく、巌は墓穴のごとく、深く静かに眠っている。
私は地の底へ向かう代わりに、天に突き出した奈落のようだとも思った。
レディパールは、心当たりがあるのか、煌きの都市を上へ上へと登っていく。
ここには珠魅たちの思い出だけが残されて、無人の荒野や魂が集う奈落よりも、さらに寂しいところだと、私の心に囁きかける。
その静けさに耐えかねたのか、瑠璃が唐突に話しかけてきた。
「なあ、あんたは真珠を、幻だったと思うか?
……記憶を失ったあいつを見つけ、あいつに真珠姫と名づけたのは、オレなんだ。
いつか記憶が戻って、あいつがオレから離れていくことを、恐れていた。
けれども、あいつそのものが消えちまうなんて……」
私はジオからいなくなった真珠姫を見つけた時のことを、話して聞かせる。
真珠姫とレディパールが同時に現れ、対峙していた、あの光景を。
「そうか……」
瑠璃はただそう言い、黙り込む。
そして私たちの前を歩き、背中でこの話を聞いているはずのレディパールは、振り向きもしなかった。
煌きの都市の高みにある、特別に美しい巌。
その巌の中に、アレックスともサンドラとも付かぬ人物がいた。
大人の体格に、少年のような四肢と、少女のような胸のふくらみ。
その間に抱かれた、アレキサンドライトの輝き。
「レディパール。いつか君がここにくると、思っていたよ。
私の輝きは一様ではないけれど、その全てが否定しようのない私自身。
君にはその意味が、わかるだろ?」
「それが私にも、レディパールと真珠姫にもあてはまると、言いたいのか。
そのために私を、真珠姫の中に封印したというのか?」
アレクサンドルは、それには直接答えず、静かに語る。
「涙を流せない姫と、その姫を守護する騎士。
子を作れるわけでもない男と女。
生まれながら持つ核で、存在の価値をも決める珠魅。
その珠魅が、低位と定めた蛍石の娘が、唯一の涙を流す姫とわかった時、彼女を玉座に祭り上げ、一族の延命のために命を削らせ、万の涙を流し続けさせた。
ならば今度は、蛍姫を救うため、千の命を支払ってもいいだろう。
蛍姫さえ助かれば、また彼女は万の涙を流すのだしね。
だからレディパール、君にも蛍姫と一族のために、核を提供してもらうよ」
私はレディパールに促され、小さな革袋を取り出し、蛍姫からのメッセージだと言って、アレクサンドルに投げ渡した。
アレクサンドルは、その袋の中を覗き見て、目を見開く。
そしてわなわなと震えながら、私たちを睨みつけた。
中は、蛍姫の核の残骸。
アレクサンドルの視線は、瑠璃で止まる。
彼自身が核を傷つけた、若き珠魅。
「蛍姫を起こし、涙を流させたな!」
私は告げる。
蛍姫は、自分の騎士が自分のために珠魅殺しを続けることを嘆き、それを止めさせるために泣いたのだと。
「お前たちが、真実を教えたからだ!
彼女に真実を教える必要はなかった!」
アレクサンドルは怒りに輝き、「彼」になっていく。
レディパールは静かに告げる。
「確かに珠魅は、蛍姫の命を利用した。
だが、真実を伏せて彼女を救い、再び涙を流させようというなら、同じことだ。
本当に蛍姫のことを想うなら、蛍姫に、自身で生き方を選ぶ権利を認めよ」
「珠魅にとっても蛍姫にとっても、他にいかなる道がある!
珠魅殺しの真実を知り、傷ついた珠魅を前にして、蛍姫に選択などできるものか!
傷ついた珠魅がいれば涙を流さずにはいられない、心優しい姫なんだ!
そのことはわかっていたはず!」
そして姫を失った騎士は、私たちに無謀な戦いを挑んできた。
もとより、レディパールに劣らぬ騎士だったという。
アレクサンドルは、男の姿になってなお、女の姿のレディパールよりも華奢だったけれども、敏捷性に優っていた。
それでも三対一の、彼にとって勝ち目のない戦いだった。
……彼はレディパールだけでなく、私や瑠璃にも、無謀な攻撃を仕掛けてきたので、応戦しないわけにはいかなかったのだ。
戦いながらも私は、たとえ涙を流せぬ姫だとしても、真珠姫は自分の支えなのだという、瑠璃の言葉を思い出す。
アレクサンドルは、蛍姫という生きる支えを失った。
彼がこの戦いで求めたのは、死に場所だったのではないかと、私は思う。
……そう長くはない戦いの後、アレクサンドルは私たちの足元に、横だわっていた。
この巌は、蛍姫にあてがわれた部屋だったのだそうだ。
ここで彼女は、どれはどの涙を流したのだろう?。
今レディパールと瑠璃は、蛍姫の玉座の後ろから、アレクサンドルが集めた核を見つけ、相談している。
もはやその核によって甦るべき姫はおらず、その核を珠魅として甦らせる姫はいない。
私は、アレクサンドルが落とした、蛍姫の核の残骸を収めた小袋を、拾い上げる。
そしてそっと、小袋から手の平に、中身をあける。
私の手の平の上で、今や小さな山となった蛍姫が、キラキラと輝く。
まるで彼女が流した、涙であるかのように。
それにしても、なんという運命を背負った種族だろう。
美しく、強靭で、同時に儚く……。
永遠の命を持ちながら、他の種族には狩られ、未来を閉ざされ……。
甦りの手段を侍つがゆえに、命を粗末にし……。
自らの命を落とすまで、涙を流し続けた蛍姫。
その蛍姫のために、同族の命を狩ったアレクサンドル。
珠魅であることを隠して暮し、ついには同族に狩られたルーベンスやエメロード。
残されたレディパールや瑠璃。
手の平の上の蛍姫の欠片の山に、もう一つ、もうーつと、新たな輝きが加わる。
「おい! やめろ!」
レディパールが叫ぶ。
どうやら新たに加わった輝きは、私の涙。
そう、私は珠魅のために、知らず知らずのうちに涙を流していた。
レディパールと瑠璃が駆け寄ってくる。
私に何事かを叫び、体を揺さぶる。
しかし私の体はもはや動かず、耳は声を聞き取らない。
闇が忍び寄り、その中で蛍姫の欠片の輝きだけが、最後まで目の奥に強く残っていたけれども、それもやがて闇に消える。
私は今、珠魅のために涙を流し、石になりつつあるのだと思った。
どうやら私の魂は、奈落へ行くのではなく、石の中に封じ込められるらしい。
そして私の意識は、石の中で時を止めた。
私は唐突に、ざわめきの中に放り込まれた。
あたりを見まわすと、ざわめきが一際大きくなる。
狭くもない部屋を埋め尽くす、多数の珠魅たち。
その中に、見知った顔を見つけた。
レディパール、瑠璃、そして蛍姫、ルーベンス、エメロード。
「大丈夫か?」
レディパールが、私の顔を覗き込む。
私は頭を振って、意識を閉ざす霧を振り払おうとする。
何か起きたのか、彼女に尋ねると、彼女は優しく微笑んだ。
「珠魅のために涙を流し、石となったことは、覚えているか?」
私は、そこまでは覚えていると、頷いた。
「お前の涙は砕け散った核から蛍姫を、他の珠魅を核から甦らせた。
そして甦った蛍姫は、お前のために涙を流し、その涙石によってお前は甦ったのだ。
珠魅のために涙を流し、石となった他種族の伝説はある。
しかし、その涙が珠魅を甦らせ、そして珠魅の涙が石を甦らせたなど、前代未聞。
お前は奇跡を、起こしたのだ」
奇跡を起こしたのかどうかはさておいて、私は結果を嬉しく思う。
自然に笑みがこぼれ出す。
が、それもレディパールの、次の一言を聞くまでだった。
「さすが英雄と噂されるだけのことはある」
私は苦笑をかみ殺しながら、小さく肩をすくめることしかできなかった。
珠魅たちは甦ったけれども、涙を流す姫が一人しかいないことや、核を狙われる珠魅という運命が、変わったわけではない。
しかし今度は、争いごとを避けるために、珠魅だちと煌きの都市が甦ったことは、できるかぎり秘密にしたいということで、私もそれに賛成し、口を噤むと約束した。
とはいえどんな秘密も、いずれは人々の間に、知れわたる。
……無責任な噂に、大きな尾鰭をつけながら。
これから珠魅たちがどんな運命を歩むのかは、わからない。
わからないけれども、珠魅はやりなおす機会を得た。
わからないといえば、アレクサンドルも甦ったものの、その直後姿をくらませた。
蛍姫は心配している。
そして後日、ボイド警部が追い始めるが、これは別の話。
もっとも、サンドラが殺したはずの珠魅は甦ったのだから、今でも珠魅殺しという罪が成立し続けているのかどうかはわからない。
けれども、珠魅の復活は内緒なのだから、それをボイド警部に教えるわけにもいかないだろう。
また瑠璃は、まれに今でも真珠姫が現れると、照れながら報告してくれた。
以前の、いつも何かに追いたてられ、イライラし、すぐ誰かに突っかかっていた彼が、嘘のようだ。
レディパールは、そのことについて何も言わない。
甦ったディアナは、ルーベンスによると、昔と全然変わらないのだそうだ。
……どうやらディアナが、ルーベンスにとっての特別な人、姫らしい。
変わったといえばルーペンスが、見た目も性格も印象が若くなったのには驚いた。
彼は、私の数倍は生きていて、それに見合う落ちつきや知恵も備えていて、それはそれで変わらないのだけれども、立ち居振舞いや表情が力強くなった。
エメロードは変わらない。
彼女は、すぐにでもジオに戻って魔法の勉強をしたいのに、年上の珠魅たちに止められて、プリプリと怒っていた。
私は彼女が、いつかここを飛び出していくような、そんな気がする。
そして私は、大勢の珠魅たちに見送られながら、甦った煌きの都市を後にする。
遠目には、何も変わっていない、輝きの都市。
だけれども、もはや都市は、墓標ではない。
様々な想いや、様々な暮しを内包し、煌きの都市が、私の背後で輝いていた。
〜サボテン君日記C〜
しろになったり、くろになったり、いそがしい。
しろくろつけられないって、こういうことかな?
ひかりによって、いろがかわるのは、たいへんそう。
しゅたいせいがない、っていわれない?
いったら、おこりそう。
ふたりとも、っていっていいのかな?
いいのかどうかわかんない。
けど、ふたりともかっこいいよね。
おともだちには、ちょっとこわいかもしんないけど。
瑠璃は、まだまだくろうしそう。
エメロードに、くらがえしちやえばいいかもしんない。
なみだで、すべてかいけつ。
べんりだよね。
でもとうぶん、おひめさまは、みんなになかされるのかな?
それもじんせい。
おんなのこを、なかせちゃだめって、おかあさんに、いわれなかったのかな?
あ、じゅみには、おとうさんも、おかあさんも、いないんだっけ。
ついでに、おとこも、おんなも、ないんだよね。
だからなのかな?
でもそんなことしてると、またアレクサンドルがおこって、なにかするかも。
ワクワク。
エピローグ
私は樹の懐深くに、抱かれていた。
私の家を抱く樹によく似た雰囲気の、けれどもとてつもなく大きな……。
山よりも高く、雲を越えてそびえ、森よりも広くその枝葉を広げている。
樹は、何者よりも濃密な生命だったけれども、同時に病んでもいた。
この樹に呼ばれていると、それゆえ旅をしたのだと、樹を見た時に理解した。
樹が語る。
「私は愛」
「愛は全て」
「それは憎しみでもある」
「善でも悪でもなく、善でも悪でもある」
「喜びでも悲しみでもなく、喜びでも悲しみでもある」
「それは一枚の葉のようなもの」
「表なくして裏はなく、裏なくして表は存在しない」
「いずれも私」
「そして私は、無限の多様なる葉を育む存在」
「私は全て」
「全てこそ愛」
「人は私の一面を真と信じ、求め、争い、傷つき、やがて疲れ……」
「喜びに疲れ、怒りに疲れ、哀れみに疲れ、楽しみに疲れ、悲しみに疲れ……」
「人は、私から目をそらし、私に背を向けた」
「もはや憎むほどに恋する者はなく、愛おしいほどに怒る者はない」
「悲しむほどに楽しむ者はなく、哀れむほどに喜ぶ者はない」
「葉は散り、私は病んだまま……」
私は樹の言葉に、疑問を持つ。
出会った人々は、喜び、怒り、憐れみ、楽しみ、そして愛し、憎んでいた。
「それゆえ私は、まだ存在し続けている」
「だが、お前はどうなのだ?」
「お前を含む『人々』は?」
「憎むほどに恋をしたか?」
「恋をするほどに憎んだか?」
「愛おしいほどに怒ったか?」
「怒り狂うほどに愛したか?」
「悲しむほどに楽しんだか?」
「楽しむほどに悲しんだか?」
「哀れむほどに喜んだか?」
「喜ぶほどに哀れんだか?」
「人は傷つくことを恐れ、私に背を向けたまま……」
「私の一葉の一面のみを真と信じ、他を否定し、傷つくまいとしたまま……」
私は、奈落へ呼ばれたころの自分を思い出す。
たしかに樹の言う通りのような時期もあった。
けれども私は、旅をし、出会い、関わることによって、変わっだようにも思う。
……樹が言うような存在では、とうてい無いけれども……。
「お前は自らを癒した」
「私は全て」
「私はお前」
「お前は私を癒す」
私は戸惑った。
いったいこの不可思議な樹を、どうやったら癒せるというのだろう?
だいたい、自分がそう病んでいたとも、思っていないのに。
「お前は英雄となり、物語を紡ぐ」
「お前は私、私は人々」
「お前の物語は人々を癒す」
「私は癒される」
私は、小さく肩をすくめて苦笑した。
『物語』とはよく言ったものだ。
尾ひれをつけながら広まる、私についての噂は、もはや物語といっていいだろう。
しかし私には、吟遊詩人のまねごとなど、できそうもない。
「お前の言葉は旅」
「お前の言葉は出会い」
「お前の言葉は力」
「お前はお前の言葉で語るがいい」
「お前はあるがままでいるがいい」
突然私は、全てであり、私であり、人々でもあるというこの樹が、愛おしくなった。
だから微笑み、こう言った。
……あるがままで、いるとしよう……
背伸びもせず、無理もせず、あるがままでありつづけるために、
そして私は、旅を続ける。
いずこかへ続く。
〜サボテン君日記D〜
なんかさいきん、えいゆうってことになっちゃってるらしい。
そのせいで、いろんなひとに、いろんなことを、たのまれるらしい。
でもって、とうとう、うちのきより、もっとおおきいきにまでよびだされて、なんかいわれたらしい。
ほんにんは、ぜんぜんそんなつもりがないのに、たいへんだね。
ちょっとひとよりつよくて、
うんかよくて、
いろいろまきこまれちやっただけなのに。
まあ、ぜんぜんつよくなくて、
うんがわるくたって、
いろいろまきこまれちゃうひとも、いっぱいいるから、
もんくいっちゃいけないよね。
なんでもかんでも、ほいほいひきうけるの?
たのまれると、いやっていえないの?
じぶんで、えらんでるっていうけれど、せんたくしは、いつもたにんまかせ。
じぶんで、みちを、きりひらいてみたこと、あるのかな?
やりたいことしか、やらないのも、もんだいあるとおもうけど。
もっとじぶんを、みつめたほうがいいと、おもいます。
あとがき
『プリンセスメーカー ゆめみる妖精』(ファミ通ゲーム文庫)で、はじめてゲームのノベライズをやらせていただいた時、1歳だったうちの娘も4歳になりました。
その問に、私のゲームノベライズ小説家度は、どんどん増していきました。
別に仕事を限ってるわけでも、他のジャンルの仕事(ゲームの世界設定や、神話関係の仕事や、アニメの企画書の手伝いなど)をしていないわけでもないのですが、やっぱり現在私にとっていちばん大きいのは、ゲームのノベライズです。
なにせ、はじめて小説を書いてみたいど私に思わせてくれた物語は、ゲームノベライズだったのですから、私にはあっているのかもしれません。
ノベライズされるゲームのジャンルは、いろいろです。
シナリオやキャラクターが存在しないゲームでも、ノベライズは可能です。
それはそれとして、RPGのシナリオは、でかいです!
キャラクターが、多いです!
プリントアウトした場合、私には持ち上げられないほどの重さになります。
この「聖剣伝説 LEGEND OF MANA」は、いわば短編集のようなRPGなので、そのうち主要なエピソードをノベライズする、という形にさせていただきましたけれども、「ソフトと違うやんか!」という感想を抱く人はいらっしゃるはず。
……すみません。
けど、それをするには、ものすごいページ数×冊数が、必要なんです。
たぶん、私一人では、持ち上げられなくなるほどの。
それにゲームとまったく違わないなら、ゲームをプレイすればいいわけで……。
というわけで、小説として完成したものにすることと、できるかぎりゲームのイメージを再現することを念頭に、ベストをつくしました。
どういうベストかというと、私の場合、たとえば編集さんに見せるためだけに書いた
「ニキータの短編」といったたぐいのものになるんですが……。
もう、じたばたしても、しかたがありません。あとは、できるかぎり多くのみなさんを楽しませるものであることを、祈るばかりです。
1999年12月9日 細江ひろみ