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ハイデガー入門
細川亮一
目 次
はじめに
序 章[#「序 章」はゴシック体] 『存在と時間』とは何か[#「『存在と時間』とは何か」はゴシック体]
1 『存在と時間』への道
2 『存在と時間』の成功と無理解
3 『存在と時間』の狙い
第一章[#「第一章」はゴシック体] 存在への問い[#「存在への問い」はゴシック体]
1 存在への問いと困惑
2 存在論的差異とプラトンのイデア論
3 存在者を存在者として探求する学
第二章[#「第二章」はゴシック体] 存在の意味への問い[#「存在の意味への問い」はゴシック体]
1 「それへ向けてのそれ」としての意味
2 プロス・ヘン(一へ向けて)
3 存在の意味と善のイデア
第三章[#「第三章」はゴシック体] 現象学[#「現象学」はゴシック体]
1 現象は光のうちで視られうる
2 真理と存在
3 自然科学の現象学
第四章[#「第四章」はゴシック体] 現存在の分析論[#「現存在の分析論」はゴシック体]
1 基礎的存在論としての現存在の分析論
2 道具分析と世界
3 死に至っている存在
第五章[#「第五章」はゴシック体] 形而上学[#「形而上学」はゴシック体]
1 基礎的存在論の理念
2 『存在と時間』の書き換えの謎
3 『形而上学とは何か』とウィトゲンシュタイン
第六章[#「第六章」はゴシック体] ナチズム[#「ナチズム」はゴシック体]
1 神の死と形而上学
2 詩人―哲学者―国家創造者
3 形而上学から形而上学の克服へ
終 章[#「終 章」はゴシック体] 展望[#「展望」はゴシック体]
1 ハイデガーの思惟の道
2 永遠性と時間
3 ハイデガーを通してのハイデガーからの解放
おわりに
[#改ページ]
はじめに[#「はじめに」はゴシック体]
本書は「ハイデガー入門」である。いかなる仕方でハイデガーへと導き入れるのかをあらかじめ簡単に述べておきたい。
†実存哲学でなく、存在への問いを新たに立てること[#「†実存哲学でなく、存在への問いを新たに立てること」はゴシック体]
『ハイデガー入門』はハイデガー哲学が動いている問題地平を明らかにすることを目的としている。ハイデガーの主著である『存在と時間』(一九二七年)は大きな成功を収めたが、実存哲学として理解された。実存哲学者ハイデガーという像はいまでも相変わらず支配的である。しかしハイデガーをその根底において突き動かしている問いは「存在への問い」である。実存哲学でなく、存在への問いを問う哲学であることは、決定的な論点であるので、ハイデガー自身に語らせよう。彼はある講義(一九三〇―三一年冬学期)で『存在と時間』について言う。
「『実存哲学』を発表することなど、私には思いもよらなかった。むしろ重要なのは、西洋哲学の最も内的な問題、存在への問いが新たに立てられることなのである」。
実存哲学として読まれるとすれば、『存在と時間』は「日常性という頽落《たいらく》からの実存の覚醒《かくせい》(本当の生き方への呼びかけ)」として読まれるだろう。あるいは第一次大戦後の不安の時代を表現する哲学とされる。しかしこのように捉えることは、『存在と時間』の根本的な問題設定を覆い隠し、さらに『存在と時間』への道とそれからの道、つまりハイデガーの思惟の道をまったく理解させないことになるだろう。存在への問いがハイデガーの思惟の道を貫いているのであり、この問いは実存哲学と無縁なのだから。
実存哲学という視点から見れば、キルケゴールから始まる実存哲学の系譜がつくられ、ヤスパース、サルトル、さらにパスカル、ニーチェなどが実存哲学者として視野に入ってくる。そしてハイデガーはそうした実存哲学者の一人とされる。しかしこうした実存哲学の系譜のなかにプラトンやアリストテレスは決して登場しないだろう。実存哲学という解釈視点はその射程が短いのである。
それに対して存在への問いに定位すれば、そこで登場する哲学は実存哲学の解釈地平において決して登場しない哲学、ギリシア哲学(プラトンとアリストテレスの哲学)である。『存在と時間』は「西洋哲学の最も内的な問題」と取り組むこと、つまりプラトンとアリストテレスの存在への問いを新たに立てることを課題としている。そうであるとすれば、ハイデガー哲学は近代哲学の一変種である実存哲学でなく、ギリシア哲学から始まる西洋哲学の嫡子《ちやくし》である。
この意味において『ハイデガー入門』は、「存在への問いを問う哲学」としてのハイデガー哲学へと導くのでなければならない。
†伝統へ深く沈潜する者が新しい地平を切り拓く[#「†伝統へ深く沈潜する者が新しい地平を切り拓く」はゴシック体]
しかし『存在と時間』は二〇世紀最大の哲学書の一つである。それがプラトン、アリストテレスの存在への問いを新たに問い直す試みだと言うと、奇妙に思うかもしれない。現代思想なのに、どうして二〇〇〇年以上昔の哲学者などもちだすのだろうか。この当然の疑問に答える必要があるだろう。
ウィトゲンシュタインはハイデガーと並んで二〇世紀最大の哲学者の一人である。少なくとも私は、二〇世紀の最も魅力的な哲学者を二人挙げろと言われれば、躊躇《ちゆうちよ》なくハイデガーとウィトゲンシュタインを挙げるだろう。哲学史に対する深い知識をもったハイデガーと対比的に、ウィトゲンシュタインは過去の哲学書をほとんど読まなかったとされる。これは面白い対比だが、かなりの修正が必要である。ウィトゲンシュタインは過去の偉大な哲学的体系を人間精神の最も高貴な作品と見なしていた。ギリシア哲学に関して言うと、彼は『パルメニデス』をプラトンの最も深い著作の一つと考えていたし、またプラトン『テアイテトス』のうちに彼が考察しているものと同じ問題を見ていた。ギリシア哲学は鑑賞用の過去の遺物ではない。
ハイデガーはプラトン、アリストテレスのうちに新たに問われるべき問いを見出し、ウィトゲンシュタインはプラトンのうちに彼が取り組むべき同じ問題を見ていた。哲学は同じ問い、問題を新たに問い直すことであり、ハイデガーはそれを「存在への問い」として問うのである。このことは哲学が進歩するものに属さないということを意味する。科学は進歩するから、最も新しい成果、その最先端を知らなくては科学者として仕事にならない。しかし哲学において最も新しい成果(最先端の思想)と称されるものは単なる流行思想にすぎない。
ハイデガーの哲学は、そして古典と呼ばれるべき書物は、もちろんその時代時代の流行思想から読まれてきたし、これからも読まれるだろう。そして実存哲学や現象学、解釈学やポストモダンの思想などそのつどの最新の流行思想からハイデガーを読むことが、新しい読みであり、今日的意義をもつと思うかもしれない。しかし流行思想を最も新しいものとして追っている者は、そうした新しいものがすぐに古くなることを知るだろう。「新しいものほどいい」として、最新の流行思想を追い、自分が最先端にいると思うことほど虚しいことはない。いずれ追うことに疲れ、取り残され、空虚な自分を見出すだけだろう。ファッションの流行を見ればわかるように、流行は流行遅れとなる運命なのである。今日の流行の最先端は、明日には流行遅れとなる。今日の現代思想の最先端は、明日には過ぎ去った古ぼけた思想となる。流行思想はその流行とともに忘れ去られる。しかし哲学はそうした「流行―流行遅れ」と関係のない地平を動いている。ハイデガーだけでなく、ヘーゲル、ニーチェ、ウィトゲンシュタインは彼らの哲学の反時代性を明確に意識していた。
『存在と時間』は実存哲学、現象学、解釈学などに新しい方向を与え、さらに精神病理学、神学、ポストモダンの思想に決定的な影響を与えた。確かに『存在と時間』は新たな流行思想の流れをつくりだした。しかし流行思想そのものは流行の消滅とともに消え去るが、流行をつくりだした源泉は流行に解消されないし、消え去ることもない。最新の流行を追うことから、本質的なものは何も生まれない。伝統へ深く沈潜する者こそが新しい地平を切り拓《ひら》くのである。このことを『存在と時間』は見事に示している。『存在と時間』は、そしてハイデガーの哲学は、古代哲学(ギリシア哲学)との格闘から生まれた。このことは『存在と時間』の言葉から明らかである。
「答えが新しいかどうかは、なんら重要ではなく、外面的な事柄にとどまる。答えにおいて積極的なものは、『古人』によって準備された可能性を概念把握することを学ぶのに十分なほど、その答えが古いということのうちにある」。
†「ある」(「がある」と「である」)への驚き[#「†「ある」(「がある」と「である」)への驚き」はゴシック体]
ハイデガー哲学は「存在への問いを新たに問う」と言った。しかし存在への問いとは何か、そもそも存在とは何か。これに答えることは本書全体がなすべきことであるが、ここで「存在」という言葉を考えてみよう。存在というドイツ語(Sein) は、英語で言えば、be 動詞の名詞形である。be 動詞には、「Sがある(S is.)」と「SはPである(S is P.)」という二つの用法がある。つまり「存在」という言葉は、「がある」と「である」を含む。それゆえ存在への問いは「ある」(「がある」と「である」)への問いを意味する。「存在」という日本語は「存在する」という言い方しかなく、「がある」を意味するだけであって、「である」を言い表すことはない。そうであるとすれば、存在への問いというより、「ある」への問いとするほうがふさわしいだろう。しかし Sein を「ある」(あること)と訳すと、術語として座りが悪いので、「存在」と訳すことが慣例となっている。以下、「存在」という言葉を使うが、それは「ある」(あること)、つまり「がある」と「である」を含意することを忘れないようにしよう。
しかし「存在への問い」を問うとは、つまり「ある」を問うとはいかなることなのか。このことをライプニッツの問いに即して考えよう。それによって、存在への問いに定位することがいかなる視界を切り拓くかも理解できるだろう。
ライプニッツは形而上学の問いとして、「なぜ何もないのでなく(無でなく)、むしろ或るものが存在するのか」、そして「なぜ物がそのように実在し、別様でないのか」という二つの問いを提示する。ここで問題としたいのは、ライプニッツがどう答えたかでなく、この二つの問いが指し示す次元である。第一の問いは「なぜ或るものが存在するのか」であり、「或るものがある」(「がある」)ことに関わる。第二の問いは「なぜそのように実在するのか」であり、「或るものがそのようである」(「である」)ことに関わる。この問いは「がある」と「である」への問い、ともに「ある」への問い、存在への問いである。しかしこの問いはいかなる次元での問いなのか。
「なぜ或るものが存在するのか」という問いを奇妙に思うかもしれない。しかしこの問いは「或るものが存在する」(「がある」)ことへの驚きから発せられる。ウィトゲンシュタインが「或るものが存在することに驚く」という経験を語るとき、彼はライプニッツと同じ問いのうちを動いているのである。ウィトゲンシュタインはこの経験を「世界を奇跡として見る経験」と言い換えている。この経験は、世界がこのようであることに驚くのでなく、世界がいかなる状態であろうと(世界がいかにあろうと)、世界があることに驚き、世界の存在を奇跡であると見る。この経験をハイデガーは「すべての奇跡の中の奇跡、つまり存在者が存在することを経験する」と表現している。この経験を理解し知る者は、ライプニッツの第一の問いを理解するだろう。存在への問いの背景にこの「がある」への驚きが潜んでいる。
「なぜ物がそのように実在し、別様でないのか」という第二の問いに、アインシュタインの驚きが対応するだろう。自然科学の成果が示しているように、われわれが経験する世界は数学的に表現される秩序(自然法則として書き表される秩序)をもっている。しかしこのように秩序づけられているという事実(世界が思考によって理解可能であること)は確認できるが、なぜそうなのかは理解できず、その事実をただ驚くだけである。この驚きをアインシュタインは「世界について永遠に理解できないことは、世界が理解可能であるということである」、「世界が理解可能なことは一つの奇跡である」と表現している。これは「世界がこのようである」ことへの驚き、「である」ことの奇跡への驚きである。この奇跡への驚きを語るアインシュタインは、自然科学者としてでなく、形而上学者として語っている。第三章第3節において形而上学者アインシュタインに再び出会うだろう。
存在への問いが「がある」と「である」への問いを含んでいるとすれば、存在への問いは驚きから発せられる。プラトンは「驚きのパトス(情)が哲学者のパトスである、哲学の始まりはこれ以外のものでない」と言っている。このことは哲学の問いの成立に驚きといったパトス的契機が関わっていることを示している。哲学は知の側面(ロゴス的契機)と情の側面(パトス的契機)から成り立っている。それゆえハイデガー哲学は、プラトン、アリストテレスの存在への問いを新たに立てること(ロゴス的契機)からだけでなく、そのパトス的契機からも光をあてられねばならない。パトス的契機として『存在と時間』における私の死の基礎経験(第四章第3節)、神の死の基礎経験による形而上学の成立(第六章第1節)を語ることになるだろう。
ウィトゲンシュタインが「或るものが存在する」ことへの驚きを語るとき、彼はハイデガーの存在への問いと同じ次元を動いている。ここに二人が出会う場が開かれる。二〇世紀最大の哲学者である二人は同じ年(一八八九年)に生まれている。そしてヒトラーもまた一八八九年に生まれている。同じ年に生まれた三人の関わりを問いたくなるだろう。
†ハイデガー・ウィトゲンシュタイン・ヒトラー[#「†ハイデガー・ウィトゲンシュタイン・ヒトラー」はゴシック体]
一八八九年九月二六日にハイデガーは南ドイツの小さな町メスキルヒで生まれた。その五カ月前の四月二六日にウィトゲンシュタインがオーストリアの首都ウィーンで生まれ、さらにその六日前にヒトラーがオーストリア北部のブラウナウで生まれている(さらにその四日前の一八八九年四月一六日にチャップリンがロンドンで生まれている。「独裁者」という映画によって「チャップリンとヒトラー」という問題があるが、しかしここでのテーマにはならない)。
三人が同じ年に生まれたことを運命的なことと見なす必要はないが、「ウィトゲンシュタインとハイデガー」「ハイデガーとナチズム」という問題は重要なテーマである。
ウィトゲンシュタインはハイデガーのフライブルク大学教授就任講演『形而上学とは何か』(一九二九年)について「ハイデガーが存在と不安によって考えていることを、私は十分に思い描くことができる」と語っている。これは前に述べた「或るものが存在することに驚く」という経験に関わることであり、ここに「ウィトゲンシュタインとハイデガー」問題の核心がある。二〇世紀最大の二人の哲学者の出会いは、形而上学の次元でなされる(第五章第3節、終章)。
一九三三年一月にヒトラーは首相に任命される。そしてハイデガーは同年四月にフライブルク大学の学長に就任し、五月二七日に『ドイツ大学の自己主張』という学長就任演説をする。学長時代とその後のハイデガーの発言と行動は「ハイデガーとナチズム」問題として繰り返し論じられてきた。この問題は単なるスキャンダルでなく、ハイデガーの思惟の道に深く関わっている。ナチズムへの期待と対決は、神の到来への準備と形而上学の克服として理解されねばならない。それゆえこの問題を『ハイデガー入門』は避けることができないだろう(第六章)。
†『ハイデガー入門』はそれが必要とされなくなることをめざす[#「†『ハイデガー入門』はそれが必要とされなくなることをめざす」はゴシック体]
本書の特徴はハイデガー哲学を存在への問いに定位して理解することにある。それは『存在と時間』を実存哲学としてでなく、プラトンとアリストテレスの存在への問いを新たに立てる試みとして解釈することである。ハイデガー哲学を流行思想から捉えるのでなく、ギリシア哲学に始まる西洋哲学の嫡子として示す。
さらにウィトゲンシュタインとハイデガーとの出会いに形而上学の視点から光をあてる。そしてハイデガーが哲学者としてナチズムのうちに何を見たのかを、神の死と形而上学から考察する。
本書はハイデガーの主著『存在と時間』を中心にあつかうが、その分析を展開の順に祖述、紹介するという形を取らない。『存在と時間』の代用品を提示するのでなく、ハイデガーをその根底において突き動かしている問題次元へと導くことをめざしているからである。この問題次元を捉えることによって、初めて個々の分析の意味と射程が明らかとなる。
確かにハイデガーが格闘している問いの地平を知らなくても、『存在と時間』について語ることはできる。そしてもちろん『存在と時間』をどう読むかは各人の自由である。よくわからない個所を無視し、読んですぐわかるように見える問題こそが重要だと主張することも読者の勝手(趣味のレベル)である。環境世界の分析(道具分析)が好んで論じられ、不安、無、死などがすぐにテーマとなる。この場合『存在と時間』は「大工職人の哲学」、あるいは「不安の哲学」「無の哲学」「死の哲学」などとなる。しかしこうした読み方は漢字を知らない子供の読み方である。子供は知らない漢字を読み飛ばし、平仮名だけを読む。本書は子供の知らない漢字を読めるようにしたいのである。それはハイデガーを自分の目で読む準備・訓練のためである。
こうした準備である本書は入門書として少しむずかしいかもしれない。「実存の覚醒(本当の自分に目覚めること)へと呼びかける思想」とか、「不安の時代の表現」とか言われれば、何となくわかった気になるだろう。しかしそれがなぜ二〇世紀最大の哲学と言われるのか、そもそもなぜ哲学なのか、まったく不可解であろう。ギリシア哲学から始まる西洋哲学の批判的継承として『存在と時間』を読むことが必要なのである。実存哲学や現代思想といった流行思想の狭さから解放され、より広い視野を獲得するほうがいいと思わないだろうか。そうすればハイデガーだけでなく、近現代哲学(ヘーゲル、ニーチェ、ウィトゲンシュタインなど)も違った姿で見えてくるだろう(終章)。
本書が想定している読者は、ハイデガーを手軽にわかろうとする人、わかったつもりになろうとする人でなく、ハイデガーのテクストを自分の目で読もうと思っている人である。『ハイデガー入門』の狙いはハイデガー哲学の代用品(ダイジェスト版)となることでなく、ハイデガー哲学そのものへ導き入れることである。導き入れれば、この入門書はもはや必要がなくなるだろう。あるいは自分自身で読むことによって、本書が導き入れようとするハイデガー像と違った読み方を獲得するかもしれない。ともかく入門書はそれが必要とされなくなることによって、その使命を果たすのである。『ハイデガー入門』はそれが必要とされなくなることをめざしている。
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【序章】
『存在と時間』とは何か[#「『存在と時間』とは何か」はゴシック体]
[#挿絵(img/fig1.jpg、横254×縦326)]
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「私の思惟全体を突き動かしているものは、アリストテレスの命題に起因する。その命題とは、「存在者は多様に語られる」である。この命題は文字通り電光ではあった。そして次の問いを呼び起こした。存在するこの多様な意義の一性とはいったい何か、存在とはそもそも何を意味するのか。」
[#地付き](『ツォリコーナー・ゼミナール』)[#「(『ツォリコーナー・ゼミナール』)」はゴシック体]
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『存在と時間』はハイデガーの主著であり、二〇世紀の哲学、思想、諸科学に最も大きな影響を与えた書物の一つである。ハイデガー哲学は思惟の道として理解される。その道は『存在と時間』への道と『存在と時間』からの道として捉えることができるから、『ハイデガー入門』はまず『存在と時間』へ導くことを必要とする。それゆえその最初の問いは「『存在と時間』とは何か」である。この問いに「『存在と時間』への道」(第1節)、「『存在と時間』の成功と無理解」(第2節)、「『存在と時間』の狙い」(第3節)という仕方で答えることにしよう。それによって『存在と時間』がいかなる問題地平を動いているのか、ハイデガーがいかなる問題次元において格闘しているのかが明らかとなるだろう。
1 『存在と時間』への道[#「『存在と時間』への道」はゴシック体]
†アリストテレス『形而上学』との出会い[#「†アリストテレス『形而上学』との出会い」はゴシック体]
ハイデガーの思惟全体を突き動かしているのは、「存在者は多様に語られる」というアリストテレス『形而上学』のテーゼである。このテーゼとの決定的な出会い、彼の哲学的出発点についてハイデガーは繰り返し回想している。
一九〇七年夏、一七歳のハイデガーはブレンターノの学位論文『アリストテレスによる存在者の多様な意義について』(一八六二年)を読んだ。これによって存在への問いへと目を開かれたのである。この学位論文の扉に「存在者は多様に語られる」というアリストテレスの言葉が掲げられている。ハイデガーにとってこの言葉は文字どおり電光であった。この言葉はハイデガーの思惟の道を規定した問い(それゆえ『存在と時間』を規定している問い)を呼び起こした。「存在のこの多様な意義の一性とはいったい何か、存在とはそもそも何を意味するのか」。
ここでハイデガーが出会っているのは、アリストテレスの存在への問いの根本問題である。アリストテレスは「存在者を存在者として探究する学」という理念を初めてはっきりと打ち立てた。この学は一七世紀に「存在論」と呼ばれるようになる。アリストテレス存在論の基本テーゼは「存在者は多様に語られる、しかし一との関係で(一へ向けて、プロス・ヘン)」というテーゼとして表現される。ハイデガーの問いは「一へ向けて」の一性、「存在の多様な意義の一性」を問うのである(第二章第2節)。
「存在者」という言葉はギリシア語の「ある」という動詞の中性の分詞形である。英語で言えば、be 動詞の分詞形 being に対応する。存在者は「あるもの」、「「ある」と言われるもの」を指している。つまり存在者とは、「Sがある」「SはPである」という形で言われるSである。「がある」「である」と言われるすべてのものが存在者である。「存在者を存在者として探究する学」としての存在論は、「ある」と言われるかぎりでの「あるもの」を「ある」という視点から探究する、つまり存在者の存在を探究する。それは、自然であるかぎりでの存在者を探究する自然学(自然科学)とも、数であるかぎりでの存在者をあつかう数学とも異なる。自然とか数は存在者の一定の特殊な領域を意味するが、存在論は「ある」と言われるかぎりでの存在者を、一般的・普遍的に論じる。
「存在者は多様に語られる」とは、「ある」と言われるものが多様に語られる、つまり「ある」が多様に語られることを意味する。存在者はその存在(「ある」)に関して多様に語られる。この多様な意義をアリストテレスは、「付帯性としての存在」「可能態と現実態としての存在」「真理としての存在」「カテゴリーの形態としての存在」とした。ここで「存在の多様な意義の一性とはいったい何か」という問いが生じる。
ブレンターノの学位論文は、付帯性→真・偽→可能態・現実態→カテゴリーという順序で論述され、「より本来的に「ある」と言えるもの」へと高まり、最後にウーシアへと至る。ウーシアというギリシア語は「ある」の女性の分詞からつくられた名詞であり、本当に「ある」と言えるものを意味し、一般に「実体」と訳される。ブレンターノは多様な意義に一性を与えるものをウーシアと解釈したのである。
ではハイデガーは「存在の多様な意義の一性とはいったい何か」という問いにいかに答えたのか。これを主題的に論じるのは後のこと(特に第二章第2節)であるが、見通しを得るために、あらかじめ言っておきたい。ハイデガーは「存在の多様な意義の一性」を時間に求めた。『存在と時間』という書名の意味は、「存在の多様な意義の一性は時間である」(存在は時間から理解される)というテーゼに求められる。しかし『存在と時間』への道をたどらねばならない。
†フッサール現象学[#「†フッサール現象学」はゴシック体]
ハイデガーの哲学的出発点はブレンターノの学位論文であった。フッサールは「現象学」という語を彼の師ブレンターノから得ているのであり、フッサールの哲学的出発点もブレンターノである。ハイデガーは一九〇九年冬学期、フライブルク大学神学部に入学し、フッサールの『論理学研究』を読み始める。フッサール現象学がブレンターノによって規定されているとすれば、ブレンターノの学位論文によって呼び起こされた存在への問いが『論理学研究』によって決定的に促進される、とハイデガーは期待したからである。一九一一年に神学から哲学への選択をしたハイデガーは、最初フッサールのもとで学ぶためにゲッティンゲンへ行こうとした。それほどフッサール現象学は彼を強く引きつけたが、しかし経済的な理由で実現せず、フライブルク大学哲学部で学ぶことになる。
しかし一九一六年、フッサールがリッケルトの後任としてフライブルク大学に来る。そして一九一九年一月ハイデガーは、フッサールの提案によって第一哲学研究室の助手となる。こうしてハイデガーはフッサールのもとで、現象学的に見ることを訓練することになる。そして現象学的に見ることに習熟することによって、ハイデガーはアリストテレスの諸著作の解釈を実り豊かにした。その成果である『存在と時間』はフッサールに捧げられる。「エトムント・フッサールに捧ぐ 尊敬と友情をこめて バーデン州シュヴァルツバルトのトートナウベルクにて 一九二六年四月八日」。四月八日はフッサールの誕生日であり、その日ハイデガーはトートナウベルクで春の休暇を過ごしていた師のフッサールに『存在と時間』を捧げたのである。
フッサール自身もハイデガーを極めて高く評価していた。フッサールは「現象学、それは私とハイデガーだ」と語り、「ハイデガーの賛美者の一人」とまで書いている。一九二三年以来マールブルク大学の教授であったハイデガーは、一九二八年にフッサールの後任としてフライブルク大学に戻る。しかし一九二九年七月二四日のハイデガーの就任講演『形而上学とは何か』を聞くことで、フッサールは二人の決定的、本質的な違いを認めざるをえなくなる。そして彼は、ハイデガーが現象学的還元を理解せず、人間学主義(フッサールが『論理学研究』以来戦ってきた)へと現象学を転倒させてしまった、と批判する。ハイデガーとの対決は一九二九年以後のフッサールの仕事の推進力となった。
†『存在と時間』への道における講義・演習[#「†『存在と時間』への道における講義・演習」はゴシック体]
しかしハイデガーとフッサールの決定的、本質的な違いはどこにあるのか。それはフッサール現象学に無縁であったギリシア哲学へのハイデガーの沈潜にある。ハイデガーがフッサール現象学に求めたのは、アリストテレスによって目を開かれた存在への問いを推進することであった。ハイデガーが格闘する場はギリシア哲学である。フライブルク大学の私講師としての最初の講義(一九一五―一六年冬学期)は「古代哲学とスコラ哲学の基本」であるが、ハイデガーはピタゴラスからアリストテレスへ至るギリシア哲学を講義した。
現象学的に見ることの習熟によって豊かになったアリストテレス理解は講義・演習のうちに見出すことができる。それは『存在と時間』への道においてアリストテレス哲学が重要な位置を占めていたことを明らかに示している。アリストテレスは一九二一年夏学期において演習「初心者のための現象学的演習、アリストテレス『デ・アニマ』に定位して」としてあつかわれる。『デ・アニマ』を出発点として、それ以後アリストテレスについて繰り返し演習・講義がなされる。それ以後のアリストテレスに関わる演習・講義を、しかも表題から読みとれるものだけを挙げてみよう。
一九二一―二二年冬学期は講義「アリストテレスの現象学的解釈。現象学的探究入門。序論」。一九二二年夏学期は講義「アリストテレスの現象学的解釈。存在論と論理学」。一九二二―二三年冬学期は演習「アリストテレス(『ニコマコス倫理学』第六巻、『デ・アニマ』、『形而上学』第七巻)の現象学的解釈についての演習」。一九二三年夏学期は演習「初心者のための現象学的演習、アリストテレス『ニコマコス倫理学』に定位して」と演習「アリストテレスの現象学的解釈についての演習(継続)」。一九二三―二四年冬学期は演習「上級者のための現象学的演習、アリストテレス『自然学』第二巻」。一九二四年夏学期は講義「アリストテレス哲学の根本概念」と演習「上級者、盛期スコラ哲学とアリストテレス(トマス『存在者と本質』、カエタヌス『諸名辞のアナロギアについて』)。一九二四―二五年冬学期の講義「プラトン『ソピステス』」において、プラトンの解釈に先立って『ニコマコス倫理学』第六巻が詳細に論じられる。そして『存在と時間』の構想と執筆と平行してなされた一九二六年夏学期講義「古代哲学の根本概念」は、ハイデガーのギリシア哲学研究の集大成であるが、プラトンとアリストテレスに最も多くの時間を費やしている。この講義は『存在と時間』の基本構想を理解するための最良の手引きである。ここで挙げなかった講義においても繰り返しアリストテレスを論じているが、以上の講義・演習だけで十分だろう。
以上の講義・演習から明らかなのは、アリストテレス哲学の研究が『存在と時間』への道を規定しているということである。そしてアリストテレスの著作として『デ・アニマ』『ニコマコス倫理学』『形而上学』『自然学』が重要である。これらの著作は『存在と時間』の問題設定を規定することになる。
アリストテレスだけでなく、プラトンについても語っておかねばならない。一九一九年からハイデガーは彼独自の道を歩み始める。一九一九年一月から四月の戦争緊急学期において、学としての哲学の成立を『ソピステス』の言葉のうちに見出している。「まるでわれわれが子供でもあるかのごとく、彼ら(存在の古き哲学者)の一人一人がおとぎ話を語っているように私には思われる」。『存在と時間』はこれと呼応する仕方で、「存在問題の理解における最初の哲学的歩みは、『おとぎ話を語ること』をしないことのうちにある」と言う。一九一九年に語られた学としての哲学の理念は、『存在と時間』においてその頂点に達するのである。『ソピステス』の言葉(「おとぎ話を語る」)が画定する『存在と時間』への道の途上で、一九二四―二五年冬学期講義「プラトン『ソピステス』」がなされる。そして一九二六年夏学期講義「古代哲学の根本概念」はプラトン『テアイテトス』と『国家』を主題的に論じている。プラトンの著作として『ソピステス』『テアイテトス』『国家』が『存在と時間』の問題設定を規定するだろう。
†『存在と時間』成立の最大の謎[#「†『存在と時間』成立の最大の謎」はゴシック体]
すでに述べたように、フッサールへの献辞の日付は「一九二六年四月八日」となっている。しかし実際に出版されたのは翌年の四月である。『存在と時間』への道をたどるとすれば、この最後の局面を語らねばならない。
『存在と時間』は一九二六年四月一日にその印刷が開始される。それは五四四頁のものであった。六月末まで印刷は順調に進んだが、夏学期の半ばに、ハイデガーは印刷を一時停止させ、『存在と時間』の書き換えを行なった。その書き換えによって分量が多くなり、全体を四〇〇頁ずつに分けねばならなかった。さらに第三編「時間と存在」は印刷中に不十分とされ、その部分の出版が断念される。『存在と時間』の構想によれば、二部構成(それぞれ三編構成)であるが、実際に出版されたのは第一部の第二編までである。現行の『存在と時間』は、その課題を真に果たすことになる第三編を欠いた未完の書なのである。未完であるという事実は重要である(第五章第2節)。
しかし『存在と時間』成立の最大の謎はその書き換えのうちにある。印刷が順調であったにもかかわらず、印刷を一時中止してまでも書き換えをあえて行なった。これは異常な事態であり、極めて強い動機を考えないかぎり、理解不可能であろう。しかもそれは五四四頁から四〇〇×二=八〇〇頁となる大幅な書き換えであり、個々の論点の改良とか新たな論点の単なる付加とは考えられない。一九二六年四月から夏学期の半ばまでにいったい何が起こったのか。「なぜ『存在と時間』は大幅に書き換えられたのか」という問いは、『存在と時間』の体系構想の基本に関わり、『存在と時間』(さらにハイデガー哲学の射程)の理解の試金石となる。この問題を避けて通るとすれば、ナチズム問題を正面からあつかわないのと同様に、それはハイデガーが格闘している次元を理解していないことを示している。書き換えもナチズムの問題もともに形而上学の次元から理解可能となるだろう。
『存在と時間』が書き換えられたと聞いて、読者は驚いたかもしれない。この事実はヤスパース宛てのハイデガーの手紙から明らかであるが、主題的に論じられたことがない。だからこの入門書を読む人が知らないとしても当然だろう。主題的に論じられることがないのは、なぜ書き換えられたかという問いに答えることが極めて困難だからである。答えられないむずかしい問題には言及せず、手軽にあつかえる問題のみを論じるというのが安全な道(?)である。しかしそれは漢字を知らない子供の読み方である。書き換えという問題を避けることは、「『存在と時間』とは何か」という問いそのものを避けることである。問題の重要性だけは誰にでもわかってもらえるだろう。
これについては第五章であつかうことになるが、ともかく書き換えられた『存在と時間』は一九二七年四月に出版される。それはたちまち大きな成功を収めるのである。
2 『存在と時間』の成功と無理解[#「『存在と時間』の成功と無理解」はゴシック体]
†成功と絶望的な無理解の落差[#「†成功と絶望的な無理解の落差」はゴシック体]
一九二七年四月に出版された『存在と時間』はただちに注目を浴び、大きな成功を勝ちとった。ハイデガーは時代の寵児《ちようじ》となった。ハイネマン『哲学の新しい道』(一九二九年)は近代哲学を「精神→生→実存」という発展として捉え、『存在と時間』を実存哲学として位置づけた。ハイデガー哲学はキルケゴールの実存概念を継承した実存哲学と見なされたのである。ミッシュ『生の哲学と現象学』(一九三〇年)は『存在と時間』を「フッサール現象学とディルタイの生の哲学によって開かれた解釈学の道」と理解した。
ハイネマンとミッシュのこのような解釈はその後の『存在と時間』理解を今日に至るまで規定している。『存在と時間』はキルケゴール、ヤスパース、サルトルの哲学とともに実存哲学の書として位置づけられる。また現象学が語られる場合、フッサール、メルロ=ポンティとともに『存在と時間』が現象学としてとりあげられ、また『存在と時間』が解釈学の書とされて、ディルタイ、ガダマー、リクールの仕事とともにあつかわれている。
『存在と時間』はキルケゴールから始まる実存哲学、フッサールから始まる現象学、ディルタイから始まる解釈学の流れのうちに位置づけられる。そしてそうした流れを統合した哲学とされ、実存主義的現象学(実存の現象学)(キルケゴールとフッサールの結合)、解釈学的現象学(ディルタイとフッサールの結合)、実存主義的解釈学(実存の解釈学)(キルケゴールとディルタイの結合)といったレッテルを貼られている。『存在と時間』はこうした思想の流れに偉大な貢献をしたのである。その意味で『存在と時間』は今日でも大きな成功を収めつづけている。
しかし『存在と時間』の大きな成功にもかかわらず、ハイデガー自身はハンナ・アーレントへの手紙(一九三一/三二年)において「絶望的な無理解」を嘆いている。ハイデガーは『存在と時間』が誤解されていることを繰り返し語っている。一方では『存在と時間』の大きな成功、他方では絶望的な無理解、この落差は何を意味するのだろうか。この落差の意味を真剣に受けとらなければならない。
こうした無理解、誤解を読者は奇妙に思うかもしれない。しかしウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』(以下『論考』と略)もまた理解されなかった。フレーゲもラッセルもこの書をまったく理解していないことをウィトゲンシュタインははっきり知っていた。この二人が理解しないとすれば、いったい誰がわかるというのだろうか。そして『論考』に大きな影響を受けた論理実証主義がウィトゲンシュタインを誤解していたことは、今日の常識となっている。現在でも『論考』の倫理は理解の困難さゆえに正面からあつかわれることがないし、ウィトゲンシュタインの独我論も相変わらず誤解されつづけている。影響を与え、その意味で成功を勝ちとることと、真に理解されることとは、まったく異なることなのである。
†プラトンとアリストテレスの存在への問いの取り返し[#「†プラトンとアリストテレスの存在への問いの取り返し」はゴシック体]
ハイデガーは一九二八年夏学期講義で次のように言う。「或るものを最後まで思惟するために、しかもキルケゴール、フッサール、ベルクソン、ディルタイを一緒にして最後まで思惟するためには、それへ向けて終りまで思惟すべきこの終りを、まずあらかじめもっていなければならない」。『存在と時間』を近現代哲学の視点から解釈する場合、よく引き合いに出されるのはキルケゴールの実存哲学、フッサールの現象学、ベルクソンの生の哲学、ディルタイの解釈学である。しかし問題は「それへ向けて終りまで思惟されるべき終り」とは何かである。その終りとはハイデガーを駆り立てている存在への問いであり、『存在と時間』という書名が示している「存在が時間から理解される」という洞察である。そしてハイデガーが格闘している地平をなすのは、近現代哲学でなく、ギリシア哲学(プラトン、アリストテレス)である。このことは『存在と時間』第一節「存在への問いを表立って取り返すことの必然性」の冒頭から明らかである。
「たとえわれわれの時代が『形而上学』を再び肯定することを進歩だと思っているにしても、存在への問いは今日忘却されたままである。にもかかわらず、新たにかき立てられるべき、ウーシアをめぐる神々と巨人族の戦いの努力を、ひとは免除されていると思っている。その際、やはり存在への問いは任意の問いではない。存在への問いはプラトンとアリストテレスの探求に息つく暇を与えなかったが、現実の探求の主題的な問いとしてはむろんその後問われなくなった」。
『存在と時間』はその冒頭で、その基本的狙いがプラトンとアリストテレスの存在への問いを表立って取り返すことにある、とはっきり宣言している。取り返し(Wiederholung) は過去となったものの単なる繰り返し・模倣でなく、かつて実存していた現存在を己れのために己れの英雄として選び、その実存可能性に応答することである。それゆえ、プラトンとアリストテレスの存在への問いの取り返しとは、かつて実存していた現存在(プラトン、アリストテレスという己れの英雄)の可能性(存在への問いを問うこと)に応答し、その実存可能性を己れ自身の可能性としてその本来的可能性において引き受ける(より根源的な問題設定をなす)ことである。
しかし取り返しの具体相を見る前に、『存在と時間』の狙いを明確に捉えておかねばならない。
3 『存在と時間』の狙い[#「『存在と時間』の狙い」はゴシック体]
†『存在と時間』の構成[#「†『存在と時間』の構成」はゴシック体]
『存在と時間』は序論と第一部と第二部からなっている。まず構想の全体を提示しよう。
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序論 存在の意味への問いの解明
第一部 時間性へ向けて現存在を解釈することと、存在の問いの超越論的地平として時間を解明すること
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第一編 現存在の準備的基礎分析
第二編 現存在と時間性
第三編 時間と存在
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第二部 テンポラリテートの問題構制を手引きとする存在論の歴史の現象学的解体の概要
[#ここから3字下げ]
第一編 テンポラリテートの問題構制の前段階としての、カントの図式論と時間論
第二編 デカルトの『私は思考する、私は存在する』の存在論的基礎と、『思考するもの』の問題構制のうちへの中世存在論の受容
第三編 古代存在論の現象的基盤と限界との判別基準としての、時間についてのアリストテレスの論考
[#ここで字下げ終わり]
これは構想であって、すでに述べたように現行の『存在と時間』は第一部第二編までを含んでいるにすぎない。『存在と時間』は未完であり、それ以後、書き継がれることはなかった。なぜなのかについては後に(第五章第2節)考察するとして、『存在と時間』の狙いとその構想の意味を明らかにしよう。
†書名の意味――存在は時間から理解される[#「†書名の意味――存在は時間から理解される」はゴシック体]
書名はそれが的確であるならば、書物の内容を正確に伝えているはずである。『存在と時間』という書名は、「存在は時間から理解される」というテーゼを意味している。
このテーゼを証明することが『存在と時間』の狙いである。『存在と時間』の狙いを語る序論の表題「存在の意味への問いの解明」から読み取れるように、『存在と時間』の根本的な問いは「存在の意味への問い」である。存在の意味は「存在がそれから理解されるそれ」「存在の理解を可能にする条件」であり、それは時間である(第二章第1節)。つまり存在の意味への問いは「存在が時間から理解される」という洞察に基づいている。
しかし「存在が時間から理解される」とはいかなることなのか。それはまず、存在者のさまざまな領域が時間に定位して区別されていることに見られる。時間的な存在者(自然の出来事と歴史の生起)と非時間的な存在者(幾何学や算術の対象)との区別。命題の無時間的な意味と命題を陳述する時間的な経過との区別。時間的な存在者と超時間的な永遠なるものとの区別。ここで「時間的」と言われるのは「時間の中にある」という意味であるが、ともかく時間が「時間的」「非時間的」「無時間的」「超時間的」という仕方で存在者の領域の区別基準として働いている。
少しわかりにくい「超時間的な永遠なるもの」に即して説明してみよう。そのために永続性と永遠性の区別をしなければならない。時間の中に存在するもの(時間的な存在者)は、何時から何時まで存在するかを語りうる。永続性は「時間の中に無限に存在しつづけること」(時間的な無限性)であり、ずっと存在したし、今も存在するし、これからもずっと存在するだろうことを意味する。つまり永続的なものは「あった」(過去)と「ある」(現在)と「あるだろう」(未来)と言うことができる。永続的なものは未だ充たしていない無限の未来を持っているから、決して全体に到達していない。それに対して永遠性は時間を超えているから、時間の中にあるわけではない。しかし永遠なものは存在しないのでなく、存在する。それゆえ永遠なものについて、「あった」とも「あるだろう」とも言えず、ただ「ある」とのみ語りうる。つまり「ある」という現在において全体としてある。「ある」(現在)とのみ語りうる永遠性は現在としての永遠性である。この「現在」は時間の中にある現在(「過去―現在―未来」の中の現在)とは区別されるが、しかし「ある」という現在形で語られる。永続性と区別された永遠性は現在としての永遠性であり、超時間的であるが、やはり現在から理解されている。こうした永遠性の理解はプラトン『ティマイオス』以来の哲学の伝統をなしている。それは新プラトン主義を経由して、その後の西洋哲学の「永遠性と時間」の考察を規定する(終章)。そして神がこの意味で永遠なるものとされる。神は有限な存在者に対して真に存在するものとされるから、そして永遠性は現在としての永遠性を意味するから、真に存在するものは現在という時間から理解されている。
こうした永遠性の理解は単なる過去のものと考えるかもしれないが、ウィトゲンシュタイン『論考』の倫理の中心テーゼのうちに見出すことができる。「人が永遠性を無限な時間持続としてでなく、無時間性として理解するならば、現在のうちに生きる者は永遠に生きる」(6.4311)。「現在のうちに生きる=永遠に生きる」であり、「現在としての永遠性」を語っている。無限な時間持続と無時間性の区別は、永続性と永遠性との区別である(終章)。
ハイデガーに戻ろう。存在者の領域の区別基準として時間が働いていることのうちに「存在が時間から理解されている」ことを読み取りうるが、しかしそれは単に外的な証拠、考察の出発点にすぎない。さらにハイデガーはギリシア哲学に定位した多くの証拠を講義において挙げている。しかしその場合重要なのは、ウーシアである。ウーシアは真に存在するものを意味するが、ハイデガーは「現存するもの」と理解し、そこに現存性(現在から理解された存在)を読み取る。ウーシアという言葉はすでにブレンターノのアリストテレス解釈において登場した。「存在者が多様に語られる、しかし一へ向けて」というアリストテレス存在論のテーゼがハイデガーの思惟の道を決定づけた。そしてブレンターノはこの「一へ向けて」を「ウーシアへ向けて」と解釈した(序章第1節)。しかしウーシアが現存性として解釈できるとすれば、そして現存性が現在から理解された存在であるとすれば、「ウーシアへ向けて」は「現在へ向けて」であり、現在という時間から理解されていることになる。ハイデガーは「一へ向けて」を「時間へ向けて」と解釈するのである。つまり存在は時間から理解される。
永遠なものであれ、ウーシアであれ、それらは伝統的に真に存在するものを意味し、ともに現在から理解されている。伝統的な存在理解において存在は現在から理解されている。『存在と時間』はこの伝統的な存在理解との対決であり、「将来から理解された存在」を提示する試みである。
かなり先走ってしまったが、『存在と時間』は「存在が時間から理解される」というテーゼを証明するという基本的な課題をもっている。『存在と時間』は二部構成であるが、それはこの課題を二つの仕方で果たすからである。第一部と第二部においていかなる仕方で証明するのかを見ることにしよう。
†現存在の分析論――第一部[#「†現存在の分析論――第一部」はゴシック体]
現行の『存在と時間』は基礎的存在論としての「現存在の分析論」という理念のもとで展開されている。存在論に基礎を与えるものが、なぜ現存在の分析論に求められるのか。それが実存の分析であるから、実存哲学だと早合点しないためにも、なぜ第一部が現存在の分析論であるかを問わなければならない。
「現存在」(Dasein) という語の意味を説明することから始めよう。現存在とは、われわれ人間という存在者を指す。現存在は「現―存在」として、「現(開示性)であること」を意味する。人間はさまざまな存在者(われわれ自身や他のすべての存在者)について「ある」(「がある」と「である」)と語っている。現存在としての人間は存在者をその存在において理解している。現存在はそこにおいて存在が開示されている存在者、存在を理解する存在者である。そうであるとすれば、現存在を主題的に分析することによって、現存在が理解している存在が解明されるだろう。その意味で現存在の分析論のうちに基礎的存在論を求めることができる。しかしそれが「存在は時間から理解される」という洞察とどう関係しているのか。
現存在は存在を理解しているし、存在が時間から理解されるとすれば、現存在は存在を時間から理解していることになる。現存在を主題的に分析することによって、「現存在が存在を時間から理解している」ことを証明することが、第一部の課題である。現存在が「存在と時間」を結びつける「と」であるがゆえに、第一部は現存在の分析論として展開されるのである。
第一部の表題「時間性へ向けて現存在を解釈することと、存在の問いの超越論的地平として時間を解明すること」を想い出そう。「時間性へ向けて現存在を解釈すること」は第一編と第二編においてなされる。第一編において現存在の存在が気遣《きづか》いとして規定される。第二編において現存在の存在の意味(現存在の存在を可能にする条件)が時間性に求められる。「現存在→現存在の存在→現存在の存在意味としての時間性」という仕方で、時間性へ向けて現存在を解釈するのである。
現存在は存在を理解している、つまり存在理解は現存在に属している。そして時間性が現存在をその存在構造において可能にしている。とすれば時間性が存在理解の可能性の条件でなければならない。可能性の条件を探究する試みはカント以来「超越論的」と形容される。それゆえ第三編「時間と存在」は「存在の問いの超越論的地平として時間を解明すること」を課題とする。「存在の問いの超越論的地平」とは存在理解を可能にする条件としての地平、「存在がそこへと映し出される場」としての地平である(第二章第1節)。存在理解の超越論的地平は「存在の意味」(存在がそれから理解されるそれ)と同じことである。
ここで「テンポラリテート」という重要な術語(第二部の表題に登場する)を説明しよう。この言葉はラテン語の時間を意味する言葉(tempus) からつくられたハイデガーの造語(Temporalit) である。この造語はドイツ語の時間(Zeit) という言葉からつくられた時間性(Zeitlichkeit) と言葉の上で正確に対応している。ドイツ語も英語もそれ本来の言葉とラテン語由来の言葉をもっている。例えば英語の「自由」には freedom と liberty(ラテン語の libertas に由来)という語がある。ともかく時間性とテンポラリテートは術語として無論関係するが、区別されねばならない。時間性は現存在のすべてのあり方を可能にする。存在を理解することも現存在のあり方である。とすれば現存在に属する存在理解もまた時間性によって可能となると言える。そして存在理解の可能性の条件としての時間性がテンポラリテートと呼ばれるのである。テンポラリテートは時間性であるが、時間性一般と同じでなく、現存在に属する存在理解を可能にする時間性である。それゆえテンポラリテートとは「存在の問いの超越論的地平としての時間」である。『存在と時間』という表題における時間は存在の意味としての時間であり、この時間がテンポラリテートである。
第一部の展開は「現存在→現存在の存在(第一編)→現存在の存在意味としての時間性(第二編)→存在理解を可能にする時間性としてのテンポラリテート(第三編)」である。第三編こそが「存在が時間から理解される」という事態の具体的な展開となるはずであった。その意味で第三編が『存在と時間』の最も重要な部分をなすことになっていた。しかしその試みが一九二七年夏学期講義として残されているだけで、第三編は結局出版されなかった。そしていうまでもなく、第二部は出版されていない。しかし『存在と時間』を全体として理解するためには、第二部の狙いだけでも明らかにする必要がある。
†存在論の歴史の解体――第二部[#「†存在論の歴史の解体――第二部」はゴシック体]
第二部の表題は「テンポラリテートの問題構制を手引きとする存在論の歴史の現象学的解体の概要」である。テンポラリテートとは「そこから存在が理解される時間」であるから、「存在が時間から理解される」という洞察に定位して、存在論の歴史を解体することが第二部の課題である。しかし存在論の歴史の解体とは何を意味するのか。
現在われわれが当然のように使っている存在論の根本概念(実存と本質、形相と質料、可能性・現実性・必然性、真理、原因・根拠、カテゴリーなど)は、古代存在論(ギリシア哲学)に由来する。それゆえ、こうした諸概念の由来と限界を確定するために、カントからデカルトへ、さらに中世存在論から古代存在論へと遡り、そして古代存在論において根本概念がそのうちで獲得された根源的な経験へと立ち返らねばならない。存在論の歴史を遡り、存在論の根本概念を根源的な経験へと解体すること、これが存在論の歴史の解体である。
ではそこへと解体される根源的な経験とは何か。それは「制作すること」と「語ること」、技術(テクネー)と言葉(ロゴス)である。制作することと語ることは人間の基本的なあり方であり、この二つの経験を導きの糸として、存在者の存在構造が読み取られ、存在論の根本概念が獲得された。後で(第一章第2節)論じることであるが、プラトンのイデア論は制作と語ることに即して定式化されている。そしてアリストテレスは制作をモデルとして四原因(形相因、目的因、作動因、質料因)を説明し、ロゴス(語り)に定位して存在論の可能性を論じている。語ることに定位して存在概念がつくられることは、アリストテレスやカントにおけるカテゴリーの導出や、ウィトゲンシュタイン『論考』の像理論(命題と事実の同型性)を見ればわかりやすいだろう(第五章第3節)。また制作されたものから世界を解釈することは、機械をモデルとして動物機械論や人間機械論が語られ、人間をコンピュータとして理解することから明らかだろう。コンピュータ・モデルに定位して、現在では世界全体を情報として捉える試みがなされる。世界が神によって創造されたという理解も、創造という制作に定位している。
しかしハイデガーは根源的な経験として制作と語りを指摘するだけでなく、そうした経験から読み取られた存在の理念が現存性、つまり「現在から理解された存在」であることを主張する。古代存在論において存在者はウーシア(現存性)として規定されていると表現される。存在論の歴史の解体は、伝統的な存在論が「現在から理解された存在」に定位していること、存在が時間(現在)から理解されていることを露にする。「存在が時間から理解される」という『存在と時間』をつらぬく洞察は、存在論の歴史の解体という第二部によっても証明されるのである。
第二部は存在論の歴史に即して、「存在が現在(時間)から理解されている」ことを証示する。そうであるとすれば、存在が現在からでなく、別の時間(将来)から理解される可能性が考えられる。制作や語りとは異なる経験から存在の理念が読み取られるだろう。こうした可能性を第二部の成果は示している。それゆえあらためて存在への問いを問わねばならない。こうして『存在と時間』の第一節の課題「存在への問いを表立って取り返すことの必然性」へと還帰することになる。存在への問いを取り返すことは、存在が時間から理解されることに定位して遂行されねばならない。存在への問いは、存在がそこから理解される時間(存在の意味)への問いとして、より根源的な問題設定がなされねばならない。『存在と時間』はその終りがその始めを基礎づけるという円環構造をもっているのである。
†これからの展開[#「†これからの展開」はゴシック体]
『存在と時間』の狙いを正確に捉えることが重要であるが、以上の説明をむずかしいと思ったかもしれない。しかし『存在と時間』がむずかしいとわかっただけでも収穫である。平仮名だけを読んでわかったつもりになることが一番いけないのだから。ともかく『存在と時間』への道においてアリストテレス(そしてプラトン)が決定的に重要であること、そして『存在と時間』の成功と無理解との落差、さらに『存在と時間』の狙いが「存在は時間から理解される」ことの証明にあること、以上のことが伝えられれば、さしあたり十分である。そして「実存の覚醒を呼びかける実存哲学」とはまったく異質の世界を垣間見ることができたら、それだけで成功である。
今までの考察(「はじめに」と序章)において、「存在への問い」「存在の意味への問い」「現象学」「現存在の分析論」「形而上学」といった基本的な言葉をそれほどの説明もなく使ってきた。あらためて主題的に取り上げなければならない。それは『存在と時間』の具体的な展開に即して遂行され、第一章から第五章までのテーマとなる。われわれの考察はそのつどプラトン、アリストテレスへと導かれるだろう。『存在と時間』はプラトン、アリストテレスの存在への問いを取り返す試みなのである。この点を押さえることなしに、『存在と時間』の書き換えという最大の謎を解くことはできないだろう(第五章第2節)。
さらに本書の「はじめに」で言及した「ハイデガー・ウィトゲンシュタイン・ヒトラー」問題がある。この問題は形而上学の次元において初めて論じることができる。「『形而上学とは何か』とウィトゲンシュタイン」(第五章第3節)、そして「ナチズム」(第六章)という仕方であつかうことにしよう。最後に「展望」(終章)として、ハイデガーの思惟の道を全体として展望したい。そしてハイデガー哲学が切り拓いた地平について語ろう。『ハイデガー入門』は「ハイデガーを通してのハイデガーからの解放」を展望することをもって終るだろう。
[#改ページ]
【第一章】
存在への問い[#「存在への問い」はゴシック体]
[#挿絵(img/fig2.jpg、横435×縦278)]
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「「実在哲学」を発表することなど、私には思いもよらなかった。むしろ重要なのは、西洋哲学の最も内的な問題、存在への問いが新たに立てられることなのである。」
[#地付き](1930-31年冬学期講義)[#「(1930-31年冬学期講義)」はゴシック体]
[#改ページ]
『存在と時間』は存在への問いを新たに問う。それはプラトン、アリストテレスの存在への問いを取り返す試みである。存在への問いを問うことを課題としていることは、『存在と時間』がプラトン『ソピステス』の引用から始まっていることにはっきり示されている。この引用は存在への問いによる困惑を語っている(第1節)。そして『ソピステス』からの引用は存在への問いとプラトンのイデア論との深い関係を示唆している(第2節)。さらに『存在と時間』における存在への問いを理解するために、アリストテレス『形而上学』における「存在者を存在者として探究する或る学」という理念に定位していることを押さえねばならない(第3節)。
1 存在への問いと困惑[#「存在への問いと困惑」はゴシック体]
†存在への問いと「美とは何か」[#「†存在への問いと「美とは何か」」はゴシック体]
「というのも、あなたがたが『ある』という表現を使うとき、もともと何を思念しているかを、明らかにあなたがたはずっと以前から熟知している。しかしながらわれわれは確かにかつてはそれを理解していると信じていたが、今やわれわれは困惑に陥っている」。
『存在と時間』はプラトン『ソピステス』からのこの引用によってその探究を開始する。ギリシア哲学における存在への問いが『存在と時間』の探究を突き動かしていることを、この引用以上に鮮明に示すことはできないだろう。しかもこの探究は「ある」(存在)をめぐる困惑から出発している。困惑は問いを生むがゆえに、『存在と時間』は存在への問いを問うのである。困惑から哲学の問いが生まれる。
しかし「困惑」と言われても、どんな「困惑」なのか理解できず、言われているほうが困惑に陥るかもしれない。存在への問いが引き起こす困惑の正体を突き止めなければならない。
「この花は美しいか」という問いから出発しよう。こう問われたとしても、「美しい・美しくない」と答えることができるし、別に困惑することもない(「私って美しいかしら」などと面と向かって問われたら、どう答えてよいか困惑するが、それは別の問題である)。
この問いの構造について考えてみよう。この問いは「この花」について問う。問いは問いかけられるもの(この花)をもっている。しかも「美しいか」と問うている。この花について「この花はいくらか」と値段に関して、あるいは「この花は何色か」と色に関して問うこともできる。「この花は美しいか」は「この花はいくらか」「この花は何色か」という問いとは異なる。「この花」についてさまざまな問いが可能であるのは、問いの視点の多様さ(美、値段、色、大きさなど)に由来する。「この花は美しいか」という問いは、美という視点で問うのである。問いはその視点をもっている。さらに問いは答えを求めているのであり、問い求められているもの(問いの答え、「この花は美しい・美しくない」)をもっている。問いには三つの契機が属している。つまり「問いかけられるもの」(この花)、「問いの視点」(美という視点)、「問い求められているもの」(美しい・美しくない)。
さらに「美とは何か」と問うてみよう。この問いは「この花は美しいか」という問いを導いている視点をあらためて問う。この問いは「美しいものとは何か」という問いとは異なる。「美しいものとは何か」という問いに対して、例えば百合の花や雪景色、あるいは恋人の横顔や芸術作品などを挙げるだろう。しかし「美とは何か」という問いに、美しいものを挙げることによって答えることはできず、どう答えてよいかわからず途方にくれ、困惑するだろう。美しいものを具体的に挙げることと「美とは何か」に答えることとは異なる。美は美しいものと違うレベルに属する。美は「この花は美しい」と語るとき働いている視点、美しいものを枚挙する行為を導く視点であり、美しいものを美しいものたらしめるものである。
しかし「美しいものとは何か」という問いに答えられるとすれば、その問いが「白いものとは何か」という問いと区別できるからであり、二つの問いを混同することはない。問いの視点である美と白さ(色)をはっきり区別できるからである。とすれば色と区別された美を熟知しているはずである。美の視点を理解しているからこそ、美しいものを枚挙できる。にもかかわらず「美とは何か」と問われれば、答えに窮し、困惑に陥る。この困惑は「美とは何か」と「美しいものとは何か」という問いの違い、美と美しいものとの差異に由来する。「存在(「ある」)とは何か」という問いが引き起こす困惑は、「美とは何か」によるこの困惑と同じ次元にある。
「存在者(あるもの、「ある」と言われるもの)とは何か」と問われれば、百合でも本でも犬でも、いくらでも挙げることができる。「「ある」と言われるもの」を理解しているとすれば、「美しいもの」の場合に「美」を理解しているのと同様に、「ある」を理解しているはずである。しかし「存在(「ある」)とは何か」と問われれば、「美とは何か」と同様に、困惑するだろう。「美しいものとは何か」と異なる「美とは何か」という問いが困惑させるということを理解すれば、同様に存在への問いが引き起こす困惑も理解できるだろう。美と美しいものの区別は、存在(「ある」)と存在者(「ある」と言われるもの)の区別に対応する。
†存在への問いの構造[#「†存在への問いの構造」はゴシック体]
「この花が美しい」と言うのは、色や値段を視点としてでなく、美を視点として語っている。或るものを或るものとして(この花を美しいものとして)語るのは、或るもの(美)を視点としている。つまり「この花を美しいものとして語る――美を視点として」という構造をもっている。語ることと同様に、問うことも問いの視点をもっている。そして「美とは何か」という問いは、語りや問いを導く視点をあらためて問うのである。
「美とは何か」と問われたら、どうすればいいのだろうか。美しいものを挙げることによって答えることができないとしても、何か美しいものを手がかりとして答えようとするだろう。美しいかどうかはっきりしないものでなく、純粋に美しいもの、最も美しいものを範例とし、それに定位して美を問う。ともかく、「美とは何か」という問いにおいて、「問われているもの」は美であり、その問いに答えるために手がかりとなる美しいもの(範例としての美しいもの)が「問いかけられているもの」である。そして「美とは何か」という問いへの答え(美の意味)が「問い求められているもの」である。しかし「美とは何か」という美への問いは、美しいものへの問いとは次元を異にするがゆえに、その答え方も異なるだろう。
「存在とは何か」という存在への問いが「美とは何か」と同型であるとすれば、存在への問いは「美とは何か」という問いと同じ構造をもっている。美しいものを存在者に、美を存在に置き換えれば、存在への問いの構造(『存在と時間』第二節)が導かれる。つまり存在への問いにおいて、「問われているもの」は存在(美)であり、「問いかけられているもの」は存在者(範例としての美しいもの)である。そして「問いもとめられているもの」は存在の意味(美の意味)である。そして範例として選ばれる存在者は現存在である。ここに現存在の分析論が基礎的存在論として成立する。この問題は後に(第五章第1節)主題的にあつかうことになる。ともかく「存在とは何か」という存在への問いは、存在者への問いとは次元を異にするがゆえに、その答え方も異なる。このことが「存在の意味への問い」の独自性をなすだろう(第二章)。
†ソクラテスの問いとイデア論[#「†ソクラテスの問いとイデア論」はゴシック体]
「美とは何か」と「存在とは何か」という二つの問いが同型であることから、存在への問いが引き起こす困惑、そして存在への問いの構造を説明することができた。このことは何を意味するのだろうか。『存在と時間』の探究がプラトン『ソピステス』の引用から始まっていることと関係しているだろう。
「美しいものとは何か」と異なる「美とは何か」という問いを最初に問うたのは、ソクラテスである。このことはプラトンの初期対話篇から明らかである。「美とは何か」と問われた人は、その問いを「美しいものとは何か」という問いと混同し、具体的な美しいものによって答えようとする。しかしソクラテスはそうした答えが求められているのでないことを強調し、「美とは何か」という問いの独自の次元を際立たせる。
「美とは何か」というソクラテスの問いは、プラトンのイデア論へと発展する。「それへと目を向け、或るものが美しいと語るそれ」こそが美のイデアである。プラトンはイデアを「それへと目を向けるそれ」として一貫して語る。美のイデアは上で言われた視点としての美、「それへと目を向け、そこからこの花を美しいと語る視点」である。
「この花は美しい」という上で説明した事態をイデアによって表現してみよう。美のイデアに目を向けながら美しいもの(例えばこの花)を美しいと語る。この場合、美のイデアは個々の美しいものに先立って、すでに見られていなければならない(イデアの先行性=想起説)。そしてこの花は対象的・主題的に見られているが、美のイデアはこの花と同じ仕方で対象的・主題的に見られているのではない。しかし「美のイデアに目を向けながら」という仕方で、美のイデアは非主題的に見られている。非主題的に見られているがゆえに、主題化が可能である。初期対話篇でソクラテスは「X(例えば美)とは何か」を問うが、それは、「それへと目を向けながら」という仕方ですでに非主題的に見られているもの(美のイデア)を表立って問うのである。
ここで美のイデアが先立って見られている(美という視点が先立って理解されている)という点に着目しよう。この「先立って」というイデアの性格はプラトンにおいてイデアの想起説を生み出し、さらに「アプリオリ」(「先立って」という意味のラテン語)として表現されることになる。美しいものを美しいと語るために美のイデアを先立って見ていなければならないのと同様に、存在者(「ある」と言われるもの)を存在者として理解するために、存在(「ある」)を先立って理解していなければならない。存在の理解は「先立って」(アプリオリ)という性格をもっている。「先立って」は時間の中での前後関係を意味していないとしても、そこに何らかの時間性格を見ることができる。それは、永遠性が超時間性として時間の中にないとしても、現在としての永遠性(「ある」という現在形でのみ語られる永遠性)であるから、そこに何らかの時間性格を読み取ることができるのと同様である。ハイデガーは存在のアプリオリ性(プラトンの想起説)のうちに「存在が時間から理解される」ことを読み取っている。
ともかく「美とは何か」が美のイデアを問うとすれば、「美とは何か」と「存在とは何か」の同型性は、『存在と時間』における存在への問いがイデア論の問題圏を動いていることを意味するだろう。それは『存在と時間』が『ソピステス』の引用によってその探究を開始したことからすでに明らかである。しかも美と美しいものとの区別は存在と存在者の区別に対応する。それは存在論的差異である。それがイデア論の「現れ(存在者)とイデアの区別」に対応することを次に示そう。
2 存在論的差異とプラトンのイデア論[#「存在論的差異とプラトンのイデア論」はゴシック体]
†存在の定式[#「†存在の定式」はゴシック体]
「仕上げられるべき問いの問われているものは、存在であり、存在者を存在者として規定するもの、存在者がいかに究明されようとも、存在者がそのつどすでにそれへ向けて理解されているそれ(woraufhin)、である。存在者の存在はそれ自身存在者で『ある』のでない。存在問題の理解における最初の哲学的歩みは、『おとぎ話を語ること』をしないことのうちにある。すなわち、その起源にある他の存在者へと送り戻すことによって、まるで存在が可能な存在者という性格をもつかのように、存在者を存在者として規定しないことにある」。
『存在と時間』第二節は「存在者の存在はそれ自身存在者で『ある』のでない」として、存在と存在者の区別(存在論的差異)を語っている。「ある」に引用符が付いている。それは存在者について「ある」と言えるが、存在(「ある」)について「ある」と言えないからである。存在について論じることは存在者とは別の文法を必要とする。ともかくハイデガーはプラトン『ソピステス』の言葉「おとぎ話を語ること」を引用し、存在問題の最初の哲学的歩みをイデア論のうちに求めている。つまり存在論的差異がイデア論のうちに見出せる、とハイデガーははっきり言明している。このことの意味を考えてみよう。
ギリシア哲学は存在者を存在者として規定する原因を求めた。ターレスの水、デモクリトスの原子、あるいは四元素(土、水、空気、火)は、存在者の原因とされたが、しかし水、原子、四元素はそれ自身存在者である。存在者を解明するために、さらに存在者へと遡るという仕方が、ギリシア哲学におけるプラトン以前の哲学のあり方であった。これは「おとぎ話を語ること」であり、プラトンのイデア論はこうした試みとまったく異なるアプローチである。美が美しいものと次元を異にすることからわかるように、イデアは存在者(美しいものという存在者)でない。プラトンはイデアのうちに存在者とは異なる存在の次元を見出した。イデア論は存在論である。ここにハイデガーは「存在問題の理解における最初の哲学的歩み」を見た。そして存在と存在者の存在論的差異を次のテーゼによって表現している。
「存在は、存在者を存在者として規定するもの、存在者がそのつどすでにそれへ向けて理解されているそれ(woraufhin) である」(「存在」テーゼ)。
この「存在」テーゼを理解しないとすれば、『存在と時間』における存在への問いをいつまでもわからないだろう。このテーゼを理解するために、プラトンのイデア論へ立ち返ると言えば、奇妙に思うかもしれない。しかし今までの考察を追ってきた人は当然と思うだろう。存在者を存在者として規定するものは、存在者の原因であり、プラトン以前においては根源的な存在者(水、原子、四元素)とされていた。プラトンはイデアを原因とする。イデア原因説はプラトン『パイドン』において「美によって美しいものは美しい」と表現されている。美のイデアを分有することによって「美しいものが美しい」のであり、美のイデアは「美しいものが美しい」ことの原因である。
イデアによるこうした説明を奇異に感じるかもしれない。しかし美しい花を見たとき、どうしてこんなに美しいのかを不思議に思ったことが誰にでもあるだろう。この不思議さを花弁や葉の色や形や配列などによって説明できるだろうか。白い百合の花と赤いバラの花はともに美しいが、しかし色や形や配列はまったく異なる。美しいものに出会ったとき、端的に「美がそこに顕現している」と言いたくなるだろう。これが美のイデアの説明であって、花弁や葉といった存在者へ遡る説明とは異なる。なぜかくも美しいのかという問いは、美しいものの経験に潜んでいる驚きから発せられる。この驚きを端的に表現することが、美のイデアによる説明である。
ともかく美のイデアと美しいものが区別されるように、存在と存在者は区別される。イデアと存在者の区別は存在と存在者の区別、存在論的差異である。そして美しいものと次元を異にする美のイデアが「美しいものを美しいものとして規定する」。同様に存在者と次元を異にする存在が「存在者を存在者として規定する」のである。イデアが原因であるように、存在は存在者の「意味と根拠」である。
†存在者がそのつどすでにそれへ向けて理解されているそれ[#「†存在者がそのつどすでにそれへ向けて理解されているそれ」はゴシック体]
しかし「存在」テーゼにおいて一層重要なのは「存在者がそのつどすでにそれへ向けて理解されているそれ(woraufhin)」という性格づけである。ここでのポイントは woraufhin(「それへ向けてのそれ」)というドイツ語である。ハイデガーはドイツ語での表現を大切に考える哲学者だから、『存在と時間』の翻訳を読んでわかった気にならないで、ぜひドイツ語で読んでほしい。こう言うとドイツ語を知らない人は困るかもしれない。ともかく woraufhin という言葉を正確に捉えることが存在への問いを理解する鍵となるので、ドイツ語を使って説明することを避けるわけにはいかない。
woraufhin という語はここで関係詞として使われているが、大文字で Woraufhin として名詞の形でも使われ、『存在と時間』における最も重要な術語の一つである。『存在と時間』の根本的な問いは存在の意味への問いであるが、「意味」が Woraufhin という語によって定義されることからも、その重要性は明らかだろう(第二章第1節)。
Woraufhin という語は英訳では the upon-which、あるいは that on the basis of which と、つまり「それを基盤とするそれ」と訳されている。そして日本語でも「基盤」などの訳が一般的に使われている。しかしこれは基本的な誤訳・誤解である。Woraufhin という言葉は、auf...hin という前置詞句と関係詞 wo からつくられ、Woraufhin という語は、auf etwas hin の etwas を指す。auf...hin は「……へ向けて」という方向を原義としており、評価や行為を導く視点を言い表す。例えばこの花が白いかどうかでなく、美しいかどうかを見る場合、「この花を美という視点で見る」(diese Blume auf die Schoheit hin sehen) と言う。auf...hin という前置詞句の間にあるdie Schoheit(美)が視点を言い表す。美は見ることの視点、「視がそれへと目を向け、そこから花が美しいかどうか見る視点」である。
存在は「存在者がそのつどすでにそれへ向けて理解されているそれ(woraufhin)」とされている。つまり「理解の視がそれへと向かい、そこから存在者を理解する視点」である。そして「そのつどすでに」という言葉は存在の理解の先行性(アプリオリ性)を意味している。
これは「この花は美しい」と語ることを導いている視点としての美、「美とは何か」という問いによって問われている美と同じである。それは美のイデアであった。woraufhin という言葉はイデア論との関係を指し示している。あらためてプラトンがイデアをいかに表現しているかを見ることにしよう。
†「それへと目を向けるそれ」としてのイデア[#「†「それへと目を向けるそれ」としてのイデア」はゴシック体]
プラトンの初期対話篇『エウチュプロン』においてソクラテスは言う。「それではそのイデアそのものがいったい何であるかを私に教えてください。それへと目を向け、それを範型として使用しながら、君か別の人が行なうもののうちで、それと同様のものが敬虔であり、それと同様でないものが敬虔でないと、私が語るために」。これは典型的なソクラテスの問いであり、ここで敬虔のイデアが問われている。「敬虔である」という言葉を「美しい」に置き換えれば、美のイデアへの問いとなる。「それへと目を向けながら、或るものが美しい・美しくないと、私が語るそれ」こそが美のイデアである。美のイデアは上で言われた視点としての美、「それへと目を向け、そこからこの花を美しいと語る視点」である。
プラトンはイデアを「それへと目を向けるそれ」として一貫して語る。中期対話篇から『国家』の例を出そう。「それぞれの家具の制作者は、イデアへと目を向けながら、そのようにして一方の者は寝椅子を制作し、他方の者は机を制作する」。
イデアの表現をさらに多く引用できるが、この二つで十分としよう。ここから読み取れることは、語ることと制作することにイデア表現が定位しているということである。存在論の歴史の解体について説明したとき、古代存在論において制作することと語ることを導きの糸として存在が理解されていると言った(序章第3節)。イデア論はこの二つの経験に即して表現されている。
さらにここで確認しておくべきことは、「イデアへと目を向けながら」という仕方で語られていることである。美しいもの、敬虔な行い、寝椅子や机などの存在者が主題的に対象として見られているのと異なり、イデアは非主題的に見られている。そしてイデアは非主題的な「それへと目を向けるそれ」である。イデアをこのように理解できれば、「それへと目を向けるそれ」としてのイデアが「存在者がそのつどすでにそれへ向けて理解されているそれ(woraufhin)」と同型であることは明らかだろう。
「美しいものとは何か」と次元を異にする「美とは何か」という問いによる困惑、美のイデアと美しいものとの差異、「それへと目を向けるそれ」としてのイデアによって、存在への問いによる困惑、存在と存在者の存在論的差異、「存在者がそのつどすでにそれへ向けて理解されているそれ(woraufhin)」としての存在を解明した。このことからハイデガーが「存在問題の理解における最初の哲学的歩み」をプラトンのイデア論のうちに見たことの意味は明らかだろう。「イデア論は存在論である」とハイデガーが言うのは当然である。
しかしイデア論は最初の一歩(存在問題の理解における最初の哲学的歩み)にすぎない。ハイデガーは次の決定的な歩みをアリストテレスのうちに見出すのである。
3 存在者を存在者として探究する学[#「存在者を存在者として探究する学」はゴシック体]
†アリストテレスの存在論の理念[#「†アリストテレスの存在論の理念」はゴシック体]
「存在論」という言葉はアリストテレスによって使われたわけでなく、一七世紀につくられた。しかし存在論はアリストテレスにおける「存在者を存在者として探究する学」という理念によって決定づけられている。それはアリストテレス『形而上学』第四巻第一章に語られている。「存在者としての存在者と、それに自体的に属するものを探究する或る学がある」。そしてここにハイデガーは「存在の学としての哲学の真正な概念」を見出している。
「存在者としての存在者」の解釈は古代から論争の的であった。「存在者として」という言葉を「存在者そのもののあり方」(第一実体、さらに神)とするか、「存在者を探究する視点」とするか、という解釈の対立である。しかし「存在者として」が探究の視点を意味していることは動かないと思う。カント当時の存在論の理解もハイデガーの理解も探究の視点としている。存在者が存在者であるかぎりにおいて存在者を探究する、言い換えれば、存在者を存在者たらしめるものへの視向において、つまり存在への視向において存在者を探究する。「存在者としての存在者」は「存在者が存在者であるかぎりにおける存在者」である。「存在者として」は「存在者であるかぎりで」という探究の視点(存在への視向)を意味する。この解釈は「存在者がそのつどすでにそれへ向けて理解されているそれ(woraufhin)」としての存在という定式に正確に対応する。ハイデガーは「存在者として」が意味する探究の視点を理解の「それへ向けてのそれ」(woraufhin)(理解の視点)として「存在」テーゼのうちに取り入れたのである。
「存在」テーゼのうちにプラトンのイデア論とともにアリストテレスの「存在者としての存在者」を読み取ることができる。『存在と時間』がプラトンとアリストテレスの存在への問いを取り返すことを課題としているのだから、それは当然である。
†プラトンからアリストテレスへ[#「†プラトンからアリストテレスへ」はゴシック体]
しかしプラトンとアリストテレス存在論をそう簡単に重ねていいのだろうか。二〇世紀最大のアリストテレス研究者とされるイェーガーはアリストテレス存在論の成立をプラトンのイデア論からの離反と見なしていた。イェーガーはアリストテレス哲学をプラトンからの距離・離反によって発展史的に整理し、アリストテレスの存在論をその離反の完成として捉えた。この解釈は後にオーエンによって批判されている。オーエンの批判が正しいが、ともかくプラトンとアリストテレスの関係をどう理解するかは古代から現在に至るまで、解釈上の大きな問題である。「プラトンとアリストテレス」という形で語り、異なった二つの哲学の形態(例えば観念論(理想主義)と経験論)として対立させるか、両者を統合しうると考える。つまり「……と……」を対立か統合と捉える。あるいは「プラトンからアリストテレスへ」という形で語り、アリストテレスをプラトンの発展形態と見るか堕落形態と見る。つまり「……から……へ」を発展か堕落と捉える。
『存在と時間』はプラトン、アリストテレスの存在への問いを取り返す試みである。ではハイデガーは両者の関係をどう解釈していたのか。まずハイデガーの理解はすでに定着しているプラトン、アリストテレスの解釈の踏襲でない。ハイデガーはイェーガーの解釈を知っていたが、それに従ったわけではない。ハイデガー自身がプラトンとアリストテレスと格闘し、そこから彼自身の哲学を構想していった。それは『存在と時間』への道をたどれば明らかである(第一章第1節)。
では『存在と時間』当時においてハイデガーはプラトンとアリストテレスの関係をどう捉えていたのか。基本的には「プラトンからアリストテレスへ」という形で捉え、それを発展として理解している。アリストテレスは古代哲学の頂点であり、古代哲学へ導く理想的な道は、アリストテレスへ導き、そこからアリストテレス以前と以後へ進むことである。だからこそ、プラトン『ソピステス』の解釈において、それに先立ってアリストテレス『ニコマコス倫理学』を詳細に解釈するのである。
†プロス・ヘン(一へ向けて)の発見[#「†プロス・ヘン(一へ向けて)の発見」はゴシック体]
アリストテレスは「存在者を存在者として探究する学」という理念を確立した。しかしこの学の理念の成立には「存在者が多様に語られる」というテーゼが深く関わっている。存在者がその存在に関して多様に語られるとすれば、「存在者を存在者として探究する学」の可能性が問われるからである。雑多な知識を集めても、せいぜい雑学と呼ばれるだけで、真の学は成立しない。学の成立のためにその知に統一性を与えるもの、何らかの一性がなければならない。それゆえに存在の多様性に一性があるかがあらためて問われる。アリストテレスはこの一性をプロス・ヘン(一へ向けて)のうちに求めた。それゆえにアリストテレス存在論の核心的なテーゼは「存在者は多様に語られる、しかし一へ向けて(プロス・ヘン)」である(第二章第2節)。
「存在者は多様に語られる」というアリストテレスの言葉が一七歳のハイデガーに存在への問いを目覚めさせ、存在の一性への問いがハイデガーの思惟の道を規定している。『存在と時間』における存在への問いを導いているのは、「存在者は多様に語られる、しかし一へ向けて(プロス・ヘン)」である。だからこそ、『存在と時間』第一節「存在への問いを表立って取り返すことの必然性」において、アリストテレスがプロス・ヘン(アナロギアの一性)を発見したことのうちに、存在の問題の新しい基盤を見るのである。プラトンからアリストテレスへの存在論の進展は、プロス・ヘンの発見にある。一七歳のハイデガーから『存在と時間』へと一本の太い道が通じているのである。
『存在と時間』は存在の一性への問いを存在の意味への問いとして問う。存在への問いは存在の意味への問いとして、より深い次元において問われる。それゆえ「存在の意味への問い」を主題化しよう。その文脈でプロス・ヘンをも説明することになるだろう。
[#改ページ]
【第二章】
存在の意味への問い[#「存在の意味への問い」はゴシック体]
[#挿絵(img/fig3.jpg、横241×縦327)]
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「『存在と時間』において存在の意味への問いが哲学の歴史において初めて問いとしてことさらに立てられ展開されている。」
[#地付き](1935年夏学期講義)[#「(1935年夏学期講義)」はゴシック体]
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『存在と時間』は存在への問いを「存在の意味への問い」として問う。『存在と時間』の目標は「存在の意味への問いを具体的に仕上げること」である。この問いは基礎的存在論の問いであり、この問いを正確に理解しないかぎり、基礎的存在論としての『存在と時間』の意味と射程を捉えることができない。それゆえ「意味」概念の解明から始めよう(第1節)。この解明はハイデガーの思惟の道を決定した「存在の一性への問い」(アリストテレス存在論の核心であるプロス・ヘン)へ(第2節)、さらにプラトンの善のイデアへと導くだろう(第3節)。
1 「それへ向けてのそれ」としての意味[#「「それへ向けてのそれ」としての意味」はゴシック体]
†「存在者―存在―存在の意味」という三つの次元[#「†「存在者―存在―存在の意味」という三つの次元」はゴシック体]
「意味」と言うと、「言葉の意味」とか「命題の意味」とかを思い浮かべるだろう。本書を読みながら、「この箇所の意味がわからない」ときっと何度かつぶやいただろうし、これからもつぶやくだろう。あるいは「生(人生)の意味」などと考え、存在の意味を問うとは生(私の存在)の意味を問うのだと早合点するかもしれない。第一次大戦の敗戦によって露呈された生の無意味さ・空虚さのうちで存在の意味を問う実存哲学だ、という『存在と時間』のイメージが生み出される。しかしこのような通俗的な「意味」理解に基づいて存在の意味への問いがわかったと思ってはならない。『存在と時間』は「意味」を正確に定義している。
「意味とは先持、先視および先概念によって構造づけられた企投の Woraufhin であり、そこから或るものが或るものとして理解される企投の Woraufhin である」(「意味」テーゼ)。
この「意味」テーゼはわかりにくいと思うだろう。しかしこのテーゼがわからなければ、『存在と時間』の根本的問いである存在の意味への問いが、つまり『存在と時間』そのものがわからないのである。その重要さだけはぜひわかってほしい。「意味」テーゼを解明することがここでの課題となる。
意味とは「そこから或るものが或るものとして理解される企投の Woraufhin」である。Woraufhin という言葉は「存在」テーゼにおいてすでに出会っている(第一章第3節)。Woraufhin は「それへ向けてのそれ」であるが、なぜ「意味」がこのように規定されるのか疑問に思うだろう。「意味」(Sinn 英語では sense)の原義は「方向」であり、「それへ向けてのそれ」も方向を意味している。意味を Woraufhin とすることは、「意味」の原義に従っているのである。さらに Woraufhin という言葉は、「存在は、存在者がそのつどすでにそれへ向けて理解されているそれ(woraufhin) である」という重要な「存在」テーゼを想い起こさせるだろう。Woraufhin は「それへ向けてのそれ」であり、存在は「理解の視《まなざし》がそれへと向かい、そこから存在者を理解する視点」であった。「意味」テーゼと似ていることに気づくだろう。
「意味」テーゼに登場する「或るもの」に「存在者」を代入すると、「意味」テーゼは「存在者―存在(存在者の意味)」関係を言い表すことになる。つまり存在者の意味としての存在は、「そこから存在者が存在者として理解される企投の Woraufhin」である。これは「存在」テーゼと同じである。企投の Woraufhin と理解の視点としての Woraufhin との関係はすぐ後で論じるが、ともかく Woraufhin という語のうちに、存在と存在者の存在論的差異が表現されている。
今度は「或るもの」に「存在」を代入してみよう。そうすれば「意味」テーゼは「存在―存在の意味(時間)」関係を表現することになる。つまり存在の意味(時間)とは「そこから存在が存在として理解される企投の Woraufhin」である。この場合 Woraufhin という言葉は「存在と存在の意味(時間)」との差異を言い表している。
確かに『存在と時間』において「意味」は存在の意味としてのみ用いられる。しかし「意味」テーゼに即すれば、存在は存在者の意味として、存在者と区別される(存在論的差異)。そして同様に存在の意味は存在と次元を異にする。『存在と時間』は「存在者―存在―存在の意味(時間)」という三つの次元を厳密に区別することによって成立している。現存在の分析論は、現存在という存在者をその存在(現存在の存在としての気遣い)へ向けて(第一編)、さらに現存在の存在をその存在意味(現存在の存在の意味としての時間性)へ向けて(第二編)、解釈している。
存在の意味への問いは「存在(「ある」)とは何か」という形で導入されている。「存在とは何か」という問いの答えが存在の意味である。しかしその答えは「存在者とは何か」という問いと違って、単純に「存在とは……である」と答えることはできず、存在がそこから理解される時間(存在の意味)に定位して答えられる。存在への問いは存在の意味への問いへと深化され、「そこから存在が存在として理解される企投の Woraufhin」を問うのである。しかし「企投の Woraufhin」をどう理解すればいいのか。
†企投の Woraufhin[#「†企投の Woraufhin」はゴシック体]
企投(Entwurf) という言葉はラテン語の projectio の訳語として用いられ、英語の project(企画する、投影する)に対応する。ハイデガーは企投を「投げる」(投影する)ことから理解している。投げることは或るものを投げることであり、或るものへ(或る方向へ)向けて投げる。投影するとは或るものを或るもの(投影面)へ向けて投げ、投影面に影を映し出すことである。企投は投げられるものとそれへ向けて投げられるそれ(投影面)、そして投影面に映し出されたもの(投影像)という三つの契機をもっている。
存在の意味への問いがテーマであるから、「そこから存在が存在として理解される企投の Woraufhin(時間)」に即して語ろう。投げられるものは存在であり、それへ向けて投げられるそれ(投影面)は企投の Woraufhin である。そして存在は投影面に映し出される。映し出された姿が「存在として」理解される。存在を投影面(時間という投影面)へと投影し、存在はそこに映し出された投影像(時間から理解された存在)として理解される。つまり「そこから存在(企投されるもの)が存在(投影像)として理解される企投の Woraufhin(投影面)」。これが「存在を時間へと企投する」という事態である。
時間(存在の意味)は「存在をそれへと企投する Woraufhin(投影面)」であるから、存在の意味を問う『存在と時間』は「時間をあらゆる存在理解一般の可能な地平として解釈すること」を目標とするのである。存在理解の地平とは存在をそれへと企投する投影面である。地平は地平線といったものでなく、そこに存在が映し出される投影面である。「地平の彼方に消えていく」という地平線の意味でなく、「新しい地平を開く」という意味での視野・視界としての地平と考えてほしい。
投影面が変わることによって、そこに映し出される投影像は変わる。それゆえ時間のあり方(時間の時熟の仕方)が変容すれば、そこに映し出される存在も変わるだろう。存在が現在から理解されるとは、存在を現在という時間へと企投(投影)することである。時間の時熟の仕方が変容すれば、存在は異なって理解されるだろう。将来という時間に映し出された存在が語りうるならば、存在理解は変容するだろう(第三章第2節)。
「存在は時間から理解される」ことと「存在を時間へと企投する」こととは同じ事態を語っている。時間は存在の理解の Woraufhin であり、存在の企投の Woraufhin である。Woraufhin の「それへ向けてのそれ」という意味は一貫している。「理解の視がそれへと向かい、そこから存在を理解する」ことは「企投がそれへ向けて企投し、そこから存在を理解する」ことである。しかし企投概念の導入は存在の意味への問いを「存在理解の可能性の条件」への問いとして、再定式化する。カントの超越論哲学が『存在と時間』の問題設定を規定することになる。企投という言葉をハイデガーはカントから得たのである。
「存在者―存在―存在の意味(時間)」という三つの次元の区別と関係を企投に即して表現してみよう。存在者の理解は存在者を存在へと企投することによって可能であり、存在の理解は存在を時間へと企投することによって可能となる。
†理解の構造と解釈学としての『存在と時間』[#「†理解の構造と解釈学としての『存在と時間』」はゴシック体]
最初に引用した「意味」テーゼをまだ十分に解明したわけではない。このテーゼから理解の構造が読み取れる。或るものは或るものとして理解されるが、それは企投の Woraufhin から理解される。或るものを或るものとして理解することは、或るものから理解することである。「それから理解されるそれ」は企投の Woraufhin であるが、Woraufhin(それへ向けてのそれ)という言葉は auf etwas hin(或るものへ向けて)という表現における etwas(或るもの)を指す表現である。つまり理解の構造は、「或るものへ向けて或るものを或るものとして理解する」(auf etwas hin etwas als etwas verstehen) である。
「或るものへ向けて」とは、理解の視が向かう視点を意味する。「存在者―存在(そこから存在者が存在者として理解される企投の Woraufhin)」の次元での例、つまり何度か登場した「この花は美しい」を例としよう。この場合、或るもの(この花)が或るもの(美しいもの)として理解されているが、それは或るもの(美)から理解することである。美は或るもの(この花)を理解する視点(それからこの花が見られる視点)であり、それが理解の Woraufhin(美へ向けて、美を視点として)である。理解は企投という性格をもつから、理解の Woraufhin は企投の Woraufhin と言われる。つまりこの花を美しいと理解するのは、花を美へと企投することによってである。理解の視の Woraufhin と企投の Woraufhin は同じであり、ともに「それへ向けてのそれ」(方向)を意味している。Woraufhin としての意味のうちに、意味(Sinn) の原義(方向)が生かされている。
「或るものへ向けて或るものを或るものとして理解する」という理解の構造は重要である。「意味」テーゼにおいて「意味とは先持、先視および先概念によって構造づけられた企投の Woraufhin である」と言われていた。先持、先視、先概念は解釈の三つの契機であり、解釈学的状況を構成している。この三つの契機は理解の先―構造であるから、理解の構造から、つまり「或るもの(先視)へ向けて或るもの(先持)を或るもの(先概念)として理解すること」から把握できるだろう。
三つの契機と言えば、問いも三つの構造契機をもっていた。例えば「この花は美しいか」という問いは、「問いかけられるもの」(この花)、「問いの視点」(美という視点)、「問い求められているもの」(美しい・美しくない)という三つの契機から成り立っている(第一章第1節)。この問いの構造も理解の先―構造と同様に、理解の構造から解釈することができる。つまり「或るもの(問いの視点=先視)へ向けて或るもの(問いかけられているもの=先持)を或るもの(問い求められているもの=先概念)として理解する」。
『存在と時間』は「或るものを或るものとして理解する視点」、「それへ向けてのそれ」(Woraufhin) を主題的に問う。存在者を理解する視点は存在であり、存在の理解の視点は存在の意味(時間)である。それゆえ、現存在の分析論は現存在の存在を気遣いとして剔出《てきしゆつ》し、現存在の存在意味を時間性に求める。それは理解の Woraufhin への解釈の深まりである。『存在と時間』の展開は理解の構造に定位している。『存在と時間』は解釈を可能にする理解の構造に導かれている。「或るものへ向けて或るものを或るものとして理解する」という構造が解釈学としての『存在と時間』を規定している。
しかし理解の構造はさらに大きな射程をもっている。それはアリストテレスのプロス・ヘンへと導くだろう。存在の意味への問いはプロス・ヘンへの問いを取り返す試みなのである。
2 プロス・ヘン(一へ向けて)[#「プロス・ヘン(一へ向けて)」はゴシック体]
†存在者は多様に語られる、しかし一へ向けて[#「†存在者は多様に語られる、しかし一へ向けて」はゴシック体]
今まで何度かプロス・ヘンに言及してきたが、ここで説明することになる。アリストテレス『形而上学』はプロス・ヘンについて健康を例として語っている。
「存在者は多様に語られる。しかし、それは一つのもの、一つの実在との関係において(一へ向けて)であって、同名異義的にでなく、すべての健康的なものが健康との関係において(健康へ向けて)語られるようにである。すなわち、健康を保つがゆえに、健康をもたらすがゆえに、健康のしるしであるがゆえに、健康を受け容れるものであるがゆえに、健康的なものが健康との関係において語られるようにである」。
ここにアリストテレス存在論の核心、プロス・ヘンが語られている。説明するために、健康的なものとして健康食品を例としよう。食品が健康的なものとして語られるのは、それが健康を保つがゆえである。食品は美味しいとか値段が安いとかさまざまな視点から語りうるが、食品を健康的であると語るのは、健康を視点としてである。「健康との関係において」(健康へ向けて)とは、健康へと視を向け、それを視点としてその視点から食品を健康的なものとして語ることである。これが『存在と時間』における理解の構造「或るもの(健康)へ向けて或るもの(食品)を或るもの(健康的なもの)として理解する」と同型であることは明らかだろう。
しかし健康食品(食品が健康的である)といったことがなぜ重要なのか、と疑問に思うだろう。それは「存在者を存在者として探究する学」(存在論)という理念が成り立つか否かに関わるからである。例えば昆虫学を考えてみよう。昆虫学は蟻や蝶などの昆虫を研究対象とする。昆虫学が昆虫と呼ばれるものを研究する学であるのは当たり前だと考えるだろう。確かに当たり前である。しかし今度は「はし」と呼ばれるものを研究する学(「はし」学)を考えて見よう。箸、橋、端はすべて「はし」であるが、それらをあつかう一つの学など構想する人はいないだろう。昆虫学と「はし」学の違いはどこにあるのか。
「蟻は昆虫である」と「蝶は昆虫である」において、「昆虫」という語は同じ意味で使われている(同名同義)。蟻と蝶という種に対して「昆虫」は類である。昆虫と呼ばれるものをあつかう学が昆虫学として成立するのは、蟻や蝶が同じ意味で昆虫と呼ばれているから、つまり昆虫という類の一性が成り立っているからである。それに対して、箸、橋、端は「はし」と呼ばれるが、しかし同じ意味で呼ばれているわけではない(同名異義)。「はし」という類は存在しない。それゆえ「はし」学はありえない。
では「存在者を存在者として探究する学」の場合はどうなのか。存在者(「ある」と言われるもの)はすべて「ある」(「である」「がある」)と言われる。しかし「存在者が多様に語られる」とすれば、そこに類の一性(同名同義)は成立しない。もし「ある」が同名異義的であるとすれば、「はし」学のようにそこに何の一性もなく、存在論は学として成り立たないことになる。アリストテレスは最初、類の一性がないという理由で、学としての存在論の可能性を否定していた。しかし後に彼は類の一性とは違った一性を発見する。それが健康的なものに即して語られる一性、プロス・ヘンという一性である。
健康なものは多様に語られる。健康食品だけでなく、健康な頬、健康なスポーツ、健康な体、と言われる。健康なものは食品、頬、スポーツ、体などである。これらは昆虫のような一つの類に種として属しているわけではない。そこに類の一性はない。それらが「健康的である」と言われるのは、それぞれ異なった意味においてである。頬が健康的であるのは、頬が「健康のしるし」だからである。スポーツが健康的であるのは、そのスポーツが「健康をもたらす」がゆえにである。体が健康的であるのは、体が「健康を受け容れるもの」だからである。健康的なものは多様に語られるが、それは「健康」と何らかの関係があるからである。「健康を保つもの」「健康をもたらすもの」「健康のしるし」「健康を受け容れるもの」をあつかう一つの学、学としての健康学は構想可能である。「健康との関係において」(健康へ向けて)という一性、プロス・ヘンの一性があるからである。「健康なものが多様に語られる」のと同様に、「存在者が多様に語られる」ことのうちにプロス・ヘンの一性があるとすれば、学としての存在論は可能であろう。
プロス・ヘンの発見が学としての存在論を可能にした。しかしアリストテレス自身はこのプロス・ヘンの一性を主題化することはなかった。それゆえアリストテレス存在論におけるプロス・ヘンの一性は、古代から論争の的となった。ブレンターノの学位論文『アリストテレスによる存在者の多様な意義について』(一八六二年)もこの問題を主題としている。そしてハイデガーはこの学位論文によって存在への問いに目覚めたのである。もう一度ハイデガーの哲学的な出発点に戻ろう。
†存在者は多様に語られる、しかし時間へ向けて[#「†存在者は多様に語られる、しかし時間へ向けて」はゴシック体]
すでに序章第1節において語ったことであるが、重要なことなので、ここでもう一度想起しよう。一七歳のハイデガーはブレンターノの学位論文によって存在への問いに目覚めた。「存在者は多様に語られる」というアリストテレス『形而上学』のテーゼによって呼び起こされた問い「存在のこの多様な意義の一性とはいったい何か、存在とはそもそも何を意味するのか」がハイデガーの思惟の道全体を、それゆえ『存在と時間』そのものを突き動かしている。この一性への問いはプロス・ヘンへの問いである。それゆえ『存在と時間』を突き動かしている問題を理解したいと望むなら、プロス・ヘンという視点から解釈することは不可欠である。この視点を無視するかぎり、『存在と時間』の射程、ハイデガー哲学の射程そのものをまったく捉えられないだろう。この点までは誰でもわかると思う。
『存在と時間』の執筆と平行してなされた講義(一九二六年夏学期)は、アリストテレスを古代哲学の頂点とし、プロス・ヘンのうちに「存在一般へ迫るための中心問題」を見ている。とすればプロス・ヘンは存在論としての『存在と時間』の核心的な問題を形成しているだろう。そして「存在は時間から理解される」という洞察が『存在と時間』の構想を可能にした。とすればプロス・ヘン(一へ向けて)は「時間へ向けて」であろう。アリストテレス存在論の基本テーゼに倣って言えば、『存在と時間』の核心的なテーゼは次のように表現できる。「存在者は多様に語られる、しかし時間へ向けて」。
しかし『存在と時間』において「存在者は(その存在に関して)多様に語られる」というテーゼは成り立っているのか。『存在と時間』は道具的な存在者(用在者)、物的な存在者(物在者)、現存在としての存在者を区別する。それらは「ある」と言われるが、その存在は用在性、物在性、実存として区別される。さらに用在者と物在者の存在性格はカテゴリー(範疇と訳される)と呼ばれ、現存在の存在性格は範疇と区別されて、実存範疇と呼ばれる。『存在と時間』における現存在の分析論は実存範疇の探究である(第四章第1節)。現存在の分析論において、実存範疇としての可能性が現存在の最も根源的な規定であるとされるが、それはアリストテレスにおける「現実態(現実性)の優位」に対する根本的な対決である。この対決は「現実性より可能性はより高い」というテーゼのうちに読み取ることができる。さらに『存在と時間』は存在の真理性格を語り、「現存在は真理の内に存在する」と言う(第三章第2節)。カテゴリーに対する実存範疇、現実性に対する可能性の優位、現存在の真理内存在は、アリストテレスにおける存在の多様性(「可能態と現実態としての存在」「真理としての存在」「カテゴリーの形態としての存在」)を想起させるだろう。「存在者は(その存在に関して)多様に語られる」というテーゼは『存在と時間』をつらぬいているのである。
『存在と時間』は学としての存在論の理念を主張している。そして存在が類の一性をもたないことを認めている。とすればプロス・ヘンの問題が重要な問いとして生じる。それが「時間へ向けて」として解釈されるがゆえに、存在論は存在の学として「テンポラールな学」(「テンポラリテートとしての時間へ向けて」によって可能となる学)と呼ばれる。
†Woraufhin としての意味とプロス・ヘン[#「†Woraufhin としての意味とプロス・ヘン」はゴシック体]
『存在と時間』の狙いは「存在の意味への問いを仕上げること」である。そして「意味」は Woraufhin として規定される。しかし術語としては一見奇妙な Woraufhin という「関係詞(wo) と前置詞(auf...hin) との融合形」を、なぜハイデガーは『存在と時間』の基本術語として使ったのか。Woraufhin だけが例外であるわけでなく、『存在と時間』には(そして『存在と時間』への道においても)前置詞と関係詞の融合形からつくられた術語が多用される。『存在と時間』における基本術語として Worumwillen という言葉がある。例えば私がハンマーで釘を打つのは家をつくるためであるが、それは結局私がその家に住むという私の可能性のためである。この最後の目的が Worumwillen と呼ばれる。um...willen という前置詞句は「……のために」を意味し、Worumwillen(それのためのそれ)は、auf...hin から作られた Woraufhin(それへ向けてのそれ)と同じようにつくられている。
なぜハイデガーは「関係詞と前置詞の融合形」を『存在と時間』の基本術語として使用したのだろうか。哲学の基本術語をこのような仕方で用いた先例はアリストテレスにのみ求められる。例えば to hou heneka(それのためのそれ・目的)はアリストテレス哲学の基本術語であるが、「関係詞(hou) プラス前置詞(heneka)」からつくられた名詞である。Worumwillen はこのアリストテレスの術語に正確に対応している。語の形態(関係詞プラス前置詞)においても、意味(それのためのそれ)においても。実際 Worumwillen という言葉をハイデガーは to hou heneka の訳語として導入したのである。
ここでの問題は Woraufhin とプロス・ヘンとの関係である。意味を Woraufhin として規定することは、「意味」(Sinn) の原義が方向であり、auf...hin という前置詞句が方向を意味することから理解できる。しかしプロス・ヘン(一へ向けて)のプロスというギリシア語も方向を意味する前置詞であり、辞書には auf...hin という訳語が載っている。ハイデガーはボーニッツによる『形而上学』の翻訳を「最良の翻訳」と言っているが、その翻訳では「健康との関係において」(健康へ向けて(プロス))は auf Gesundheit hin と訳されている。そしてプロス・ヘンはドイツの代表的な哲学辞典『哲学の歴史辞典』において auf Eines hin と訳されている。Woraufhinはauf...hin に挟まれたものを指す言葉であるから、auf Eines hin のEines(一、一つのもの)を指しうる。Woraufhin への問いとしての存在の意味への問いは、プロス・ヘンのヘン(一、一つのもの)への問いである。ハイデガーの思惟の道を規定した問い「存在の多様な意義の一性とはいったい何か」はプロス・ヘンの一性を問うが、それは『存在と時間』において存在の意味への問いとして問われたのである。
存在の意味は「そこから存在が存在として理解される企投の Woraufhin」である。ここから理解の構造「或るものへ向けて(auf etwas hin) 或るものを或るものとして理解する」を読み取った。しかしこの構造はプロス・ヘンの説明に使われた健康的なものの例と同型である。或るもの(食品)を健康的なもの(健康食品)として語ることは、健康へと視を向け、それを視点としてその視点から食品を健康的なもの(健康を保つもの)として語ることである。健康は、語ることにおいて視が向かう視点、理解の Woraufhin である。これがプロス・ヘンのモデルであるとすれば、Woraufhin としての意味は、プロス・ヘンのヘン(一なるもの)である。
以上のことは重要なのでまとめておこう。ハイデガーの哲学的出発点をなしたのは、アリストテレス存在論の核心的なテーゼ「存在者は多様に語られる、しかし一へ向けて(プロス・ヘン)」であった。このプロス・ヘンの発見が学としての存在論の理念を初めて可能とする。ここから「存在の多様な意義の一性とはいったい何か」というハイデガーの思惟の道を(それゆえ『存在と時間』をも)規定した問いが生まれる。『存在と時間』において哲学は学としての存在論であり、「存在者がその存在に関して多様に語られる」というテーゼが認められている。とすればプロス・ヘンへの問いが不可欠である。それが『存在と時間』の根本的な問い、存在の意味への問いであり、この一性は時間に求められる。それゆえ『存在と時間』の基本テーゼは次のように表現できる。
「存在者は多様に語られる、しかし時間へ向けて」。
†アリストテレス存在論の取り返し[#「†アリストテレス存在論の取り返し」はゴシック体]
以上のように言うと、ハイデガーがアリストテレスのプロス・ヘンを単に模倣したにすぎないと思うかもしれない。確かにアリストテレスはプロス・ヘンを発見したが、その正確な構造を解明したわけではない。それゆえプロス・ヘンの一性を何に求めるかが、古代以来の論争の的となっている。『存在と時間』はアリストテレス存在論の単なる繰り返しでなく、取り返し、つまり存在への問いをより根源的な問題設定のもとで新たに立てることである。これについて考えてみよう。
存在への問いを目覚めさせたブレンターノの学位論文は、プロス・ヘンの一性をウーシアと解釈した。アリストテレスにとって「存在者とは何か」は「ウーシアとは何か」であり、伝統的に一性はウーシア、さらに神と理解されている。しかしウーシアが現存するものであり、その存在が現存性を意味するとすれば、ウーシアは時間から理解されていることになる。ウーシアは「カテゴリーの形態としての存在」に属するが、時間は「存在がそれから理解されるそれ」として、存在の次元より深い。『存在と時間』はプロス・ヘンを存在の次元でなく、存在がそこから理解される時間の次元(存在の意味の次元)へと深めることによって、より根源的な問題設定をなしている。「一へ向けて」を「時間へ向けて」とすることは、単なる繰り返し(焼き直し)でなく、アリストテレスの存在への問いをその本来的可能性において引き受けるという取り返しである。
「健康的なものは健康へ向けて語られる」という語りの構造は『存在と時間』の理解の構造と同型である。しかし語りから理解へと問題場面を移すことは、語ることを可能にする理解という次元への遡行である。しかもそれは単に根源への遡行であるだけでなく、時間のレベルにおいて理解されねばならない。存在論の歴史の解体について論じたことを想起してほしい(序章第3節)。語ることは古代存在論の根本概念がそこから生じた経験の一つであり(もう一つは制作である)、そこでは存在が現在から理解されていた。語ることは現在化するという時間的な意味(現在から時熟する)をもっているから、語りに定位した存在理解は現在から存在を理解することになる。しかし語りに対して理解は将来から時熟する。「語り(ロゴス)から理解へ」は「現在から理解された存在」から「将来から理解された存在」への存在理解の転換を視野に入れている。ギリシア以来の存在論に対して、『存在と時間』は存在への問いを時間を導きの糸として展開する。存在論がロゴスに定位してでなく、時間の次元で展開されることは、存在の「論=ロゴス」(Onto-logie) としての存在論そのものの変革である。それは「存在は時間から理解される」という洞察によって可能となった。
『存在と時間』はアリストテレス存在論の取り返しであり、西洋哲学の嫡子である。ここに『存在と時間』の独自性・偉大さがあるのであって、近現代哲学との表面的な相違のうちにあるのではない。本書の「はじめに」で言ったように、伝統へ深く沈潜する者が新しい地平を切り拓く。ハイデガーが深く沈潜する伝統に、アリストテレスだけでなく、プラトンも属する。存在の意味への問いはプラトン哲学(善のイデア)の取り返しでもある。このことを次にあつかうことにしよう。
3 存在の意味と善のイデア[#「存在の意味と善のイデア」はゴシック体]
†「存在者―存在―存在の意味」と「現れ―イデア―善のイデア」[#「†「存在者―存在―存在の意味」と「現れ―イデア―善のイデア」」はゴシック体]
すでに論じたように、『存在と時間』は「存在者―存在―存在の意味」という三つの次元を区別することによって成り立っており、存在者と存在の区別(存在論的差異)はプラトンにおける存在者(現れ)とイデアの区別に対応している(第一章第2節)。では存在と存在の意味の区別はどうなのだろうか。プラトンは『国家』においてイデアを超えたものとして善のイデアを語っている。とすれば『存在と時間』における存在と区別された存在の意味は善のイデアの次元にあるだろう。
『国家』は善のイデアを三つの比喩(太陽の比喩、線分の比喩、洞窟の比喩)によって説明する。太陽の比喩は感覚の世界と思惟の世界との構造の平行性を語る。感覚の世界において太陽が見るものと見られるものを可能にする。つまり太陽の光によって初めて、見る者(視覚)は見られるものを見る。視覚と見られるものがあっても、光のない暗がりのなかでは見ることができない。同様に思惟の世界においても光が必要であり、光を与える太陽に対応するのが、善のイデアである。思惟の世界において善のイデアの光によって初めて、知る者は知られるもの(諸イデア)を知る。イデアは善のイデアの光によって見られる。これがイデアと善のイデアとの関係である。
ハイデガーはこの関係を「存在の理解に対して根源的に光を与えるものは善のイデアである」と言い表している。存在の意味は時間(テンポラリテート)である。ハイデガーは或る講義(一九三〇年夏学期)において「存在理解の明るみの源泉、その光は時間である」、あるいは「存在は時間の光のうちで理解される」と語っている。この時間の光は「テンポラリテートの光」である。存在の意味としての時間は善のイデアに対応する。それゆえ存在の意味への問い(存在理解の可能性の条件への問い)は洞窟の比喩における「洞窟から太陽の光を見ることへ」になぞらえて、「洞窟から光へもたらすこと」「鎖につながれた洞窟の住人を洞窟から解放し、光へと向きを変えさせること」として表現されることになる。
このように語られるのは、『存在と時間』の第三編の仕上げとして構想された一九二七年夏学期講義においてであるが、この講義において存在の意味と善のイデアの次元が同一であると明確に言われる。ハイデガーは太陽の比喩におけるプラトンの言葉「善はウーシアと同じではなく、位と力においてさらにウーシアを超えている」を一貫して重視する。そしてこの講義においてこの言葉に即して存在の意味への問いを特徴づけている。つまり存在の意味への問いは、単に存在者から存在へと遡るだけでなく、「さらに存在を超えて、存在それ自身が存在としてそれへ向けて企投されるそれ(woraufhin) を問う」。「存在が存在としてそれへ向けて企投されるそれ(woraufhin)」は、本章第1節から明らかなように、「そこから存在が存在として理解される企投の Woraufhin」としての存在の意味である。ここで重要なのは、「さらにウーシア(=イデア)を超えて」が「さらに存在を超えて」と言い換えられていることである。存在の意味への問いは「さらに存在を超えて」問うが、それは善のイデアが「さらにウーシアを超えて」いることに正確に対応している。つまり存在を超えた存在の意味は、イデアを超えた善のイデアの次元にある。
†プラトン存在論(イデア論)の取り返し[#「†プラトン存在論(イデア論)の取り返し」はゴシック体]
「存在者―存在―存在の意味」は「現れ―イデア―善のイデア」に対応していると言うと、『存在と時間』がイデア論の単なる模倣にすぎないように思うかもしれない。しかしプラトンのイデアは実体化されて、現れと別のもう一つの存在者と理解される可能性をもっている。そして善のイデアは真に存在するもの、実体としての神と同一視されてきた。「現れ―イデア―善のイデア」を「存在者―存在―存在の意味(時間)」へと純化することは、イデア論をその本来的可能性において引き受けることであり、「存在は時間から理解される」という洞察によって初めて可能となった。さらにその洞察はプラトンのイデア論(存在論)を、アリストテレス存在論の核心をなすプロス・ヘンの問題と結びつけることを可能にした。『存在と時間』はプラトン、アリストテレスの存在への問いを取り返す試みである。
『存在と時間』をイデア論の取り返しと言うと、奇妙に思う人がいるだろう。プラトンのイデアは永遠で不変なものであり、「存在が時間から理解される」という洞察と鋭く対立している。永遠性は超時間性であるが、「ある」という現在形でのみ語られる永遠性、現在としての永遠性である。イデアが感覚的な現れ(存在者)と区別されて真に存在するものとされるとき、存在は現在から理解されている(序章第3節)。確かにイデアが現在から理解された存在を意味するかぎり、『存在と時間』はイデア論の批判である。しかしハイデガーはイデア論を「存在問題の理解における最初の哲学的歩み」と捉えたのであり、「現れ―イデア―善のイデア」のうちに「存在者―存在―存在の意味」という三つの次元を読み取った。取り返しは単なる繰り返し(焼き直し)でなく、洞察に基づく批判的対決によって可能となる。
善のイデアは或るものを善きもの(役立つもの)とする。善のイデアを分有するものは役立つものとなる。ハイデガーはこの「或るものを役立つものにする」という善のイデアの性格を、或るものを可能にするものと解釈し、カントの「可能性の条件」と重ねて理解する。それゆえに、存在の意味を善のイデアの次元とするとともに、存在理解の可能性の条件として捉えるのである。そして存在理解の可能性の条件への問い(存在の意味への問い)は、洞窟の比喩に定位して、「洞窟から光へもたらすこと」と言い表される。
第六章であつかうことになるが、ハイデガーはナチズムとの対決を通して一九三〇年代後半に「形而上学の克服」を語るようになる。形而上学はプラトンから始まり、可能性の条件(カント)、さらに価値(ニーチェ)へと展開するとされる。しかし『存在と時間』の問題設定はプラトンの善のイデアとカントの可能性の条件を重ねて理解している。形而上学の克服は、『存在と時間』の基本的な問題設定の批判をも含意する。ハイデガーの思惟の道は存在への問いにつらぬかれながら、このような自己批判の道を歩む。哲学者がその思想を発展させるということが語りうるならば、それはこのような意味での自己批判としてである。プラトン(後期におけるイデア論批判)もウィトゲンシュタイン(『論理哲学論考』から『哲学的探究』へ)もこのような自己批判の道を歩んでいる。ともかく『存在と時間』が形而上学の問題圏を動いていることは第五章で論じることになるだろう。
少し先走りすぎた。この章で言いたかったことは、『存在と時間』の根本的な問いが存在の意味への問いであること、そしてその問いがアリストテレス存在論の核心であるプロス・ヘンの取り返しであり、さらにプラトンの善のイデアの取り返しであることである。細部は別としてこの点がわかれば、十分である。
しかし善のイデアの光との関係で語った光の問題(存在は時間の光のうちで理解される)は重要である。光の問題を通して「現象は光のうちで視られうる」というハイデガー現象学に出会うだろう。それが第三章「現象学」のテーマとなる。
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【第三章】
現象学[#「現象学」はゴシック体]
[#挿絵(img/fig4.jpg、横323×縦281)]
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「存在論は現象学としてのみ可能である。……現象学の理解は現象学を可能性として捉えることのうちにのみある。」
[#地付き](『存在と時間』)[#「(『存在と時間』)」はゴシック体]
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『存在と時間』は「存在への問い」を問う存在論である。しかし存在論は現象学としてのみ可能であり、現象学は存在論の方法である。『存在と時間』第七節においてハイデガーは現象学を「現象」と「学」に分解して説明する。「現象」という言葉から「現象は光のうちで視られうる」というテーゼが導かれる(第1節)。そして「学」概念において真理の規定が核心をなす。それは「真理と存在」の問題へと導く(第2節)。さらに現象学の規定は『存在と時間』における自然科学の解釈をも規定している。「自然科学の現象学」をテーマとすることによって、ギリシア哲学だけでなく、近代・現代科学への問いが『存在と時間』を規定していることがわかるだろう(第3節)。
1 現象は光のうちで視られうる[#「現象は光のうちで視られうる」はゴシック体]
†現象(存在者、存在)は光のうちで視られうる[#「†現象(存在者、存在)は光のうちで視られうる」はゴシック体]
『存在と時間』はその第七節「探究の現象学的方法」において現象学を存在論の方法として提示している。『存在と時間』はフッサールに献呈されたのだから、第七節のうちにフッサール現象学の影響が読み取れると期待するだろう。しかしこの期待は見事に裏切られる。第七節はフッサール現象学の術語でなく、ギリシア語の言葉が支配している。しかしここで本書の序章で言われたことを想起してほしい。ハイデガーはフッサールのもとで現象学的に見ることに習熟し、そして現象学的な目によってアリストテレスの諸著作の解釈を実り豊かにした。このように豊かにされたアリストテレス解釈(この場合特に『デ・アニマ』の解釈)が現象学の規定を導いているのである。ハイデガー現象学は「フッサール現象学から『デ・アニマ』へ」と歩むのである。
ハイデガーは「現象学」という言葉を「現象」と「学」へと分解する。そしてこの二つの言葉をギリシア語に遡って解明する。まず「現象」概念から始めよう。
ハイデガーは「現象」というギリシア語を「光」にまで遡り、光を「それのうちで或るものが露呈し、それ自身に即して視られうるようになりうるそれ」と規定する。つまり「或るもの(現象)は光のうちで視られうる」。このテーゼそれ自体は誰にでもわかる簡単なことを言っているにすぎない。しかしこのテーゼはハイデガー現象学の核心を言い表している。
ハイデガーは現象を「通俗的な意味での現象」と「現象学の現象」に区別する。前者は存在者であり、後者は存在である。「現象は光のうちで視られうる」というテーゼに「存在者としての現象」を入れると、「存在者は光のうちで視られうる」となる。このことは講義(一九二九―一九三〇年冬学期)において「存在者はすでに存在の光のうちに立っている」と表現されている。「現象学の現象としての存在」を入れると、「存在は光のうちで視られうる」となる。すでに述べたように、ハイデガーは「存在は時間の光のうちで理解される」と語っている。これは「存在は時間から理解される」という事態であり、『存在と時間』の構想を可能にした洞察である。
『存在と時間』の展開を規定している「存在者―存在―存在の意味」という三つの次元の区別と関係は、「現象は光のうちで視られうる」というテーゼによって表現される。つまり存在者は存在の光のうちで視られ、存在は時間の光のうちで視られる。現象学は学として「そのうちで現象が視られうる光」を見ることなのである。ハイデガー存在論は存在、さらに存在の意味(時間)を問う。それは「存在者がそのうちで視られうる存在の光」、「存在がそのうちで視られうる時間の光」であり、この光を見る現象学は存在論の方法なのである。
†現存在の明るみを照らす光[#「†現存在の明るみを照らす光」はゴシック体]
『存在と時間』は現存在の分析論として展開されている。この展開を導くのは光の比喩である。現存在は「現―存在」として「現(開示性)であること」を意味する。「現であること」は「人間という存在者が明るくされていること」であり、現存在は「明るみ」(Lichtung) であるとされる(終章)。この「明るみ」という言葉はハイデガーの晩年に至るまで重要な術語でありつづけた。ともかく現存在が明るみであるがゆえに、その明るみのうちで現存在は存在者をその存在に関して理解する。これは「存在者が存在の光のうちで視られうる」という事態と同じである。
現存在が明るくされているとすれば、それを明るくする光をさらに求めることができるだろう。現存在の明るみを照らす光は時間性に求められる。このことを『存在と時間』は「脱自的時間性が現を根源的に明るくする」と表現している。時間性が現存在の現(明るみ)を明るくする光である。現存在の明るみのうちで存在が理解される。その明るみを明るくする光が時間性であり、存在理解を可能にする時間性がテンポラリテートと呼ばれる。それゆえ存在は「テンポラリテートの光」のうちにあるのであり、「存在は時間の光のうちで理解される」。
現存在の現をめぐる分析が「明るみ」「明るくされていること」「明るくする」という言葉を用いてなされていることは、その分析が光の比喩に導かれていることを意味する。この背景に「現象は光のうちで視られうる」という現象学の核心的テーゼが働いている。しかもこの光は外から与えられるのではない。感覚の世界において光は見る者の外から来る。しかし現存在の明るみは他の存在者によるのでなく、現存在自身が明るみなのであり、さらに明るみを明るくする光は現存在の存在意味である時間性である。時間性の光は現存在自身のあり方、時間性の時熟のあり方なのである。
すでに述べたように(序章第3節)、『存在と時間』第一部第一、二編(現行の『存在と時間』)の狙いは「時間性へ向けて現存在を解釈すること」であった。これは現存在の現(明るみ)を明るくする光を時間性に求めることなのである。そして光としての時間性が現存在に属する存在理解を可能にする。それゆえ第三編「時間と存在」において「存在は時間の光のうちで視られうる」という事態が主題的に解明されるはずであった。
†認識のモデルとしての視覚と光[#「†認識のモデルとしての視覚と光」はゴシック体]
「現象は光のうちで視られうる」という現象学の核心的なテーゼは、視覚をモデルとしている。確かに『存在と時間』はパルメニデス以来の「見ることの優位」、認識のすべての解釈を導いている直観の理念を批判している。しかし『存在と時間』は「視」に定位している。「視」という語は現存在の開示性(現)、つまり現存在が明るくされていることに対応している。理解の視(Sicht) は、配慮の配視(Umsicht)、顧慮の顧視(R歡ksicht)、そして透視性(Durchsichtigkeit) として語られる。配視は道具分析において、顧視は他者との共存在において、そして透視性は良心の分析において重要な役割を果たしている。
視覚モデルが『存在と時間』をつらぬいている。認識のモデルとして視覚以外に、聴覚や触覚が考えられる。『存在と時間』の現象学は「現象がそのうちで視られうる光」を見る。しかし後期ハイデガーは視覚モデルでなく、聴覚モデルに移行する。それは「言葉への道」であり、人間は言葉(大文字のロゴス)を聴き、その言葉に応じて語ることとして語る(終章第1節)。このような言い方は奇妙に響くだろうし、後期ハイデガーの哲学は、『存在と時間』と違った意味で、理解が困難である。しかしともかくハイデガーの思惟の道を全体として語るならば、「光を見ることからロゴス(言葉)を聴くことへ」と定式化できるだろう。
「ロゴスを聴く」という表現を理解するためにギリシア哲学者ヘラクレイトスのロゴスに立ち返る必要がある。同様に『存在と時間』における光への定位は、プラトンとアリストテレスに立ち返って理解しなければならない。
プラトン『国家』もアリストテレス『デ・アニマ』も他の感覚に対する視覚の優位を主張している。そしてともに、光なしには見ることができないことを指摘している。プラトンは見る者と見られるもの(色)の他に第三のものとして光の必要性を語る。『デ・アニマ』は「色は光なしに見られず、それぞれのものの色はすべて光のうちで見られる」と言う。色が見られるものとされるのは、色が視覚の固有の対象だからである。視覚は形をも見るが、形は触覚によっても捉えられる。しかし色は視覚によってのみ捉えられる。ともかく「現象が光のうちで視られうる」というテーゼの背景に『国家』と『デ・アニマ』がある。実際ハイデガーはある講義(一九二三―二四年冬学期)において、『存在と時間』と同様に現象から光へと遡るが、それは上で引用した『デ・アニマ』の言葉に即してなされている。
見る者と見られるものだけでは見るということが成り立たず、光を必要とするということは、それ自身誰でも知っている平凡な事実である。しかしこの事実が認識のモデルとなる。認識モデルとしての視覚の優位は、認識のために「視覚と視られたもの」だけでなく、第三のもの=光を必要とするという点にこそ求められる。認識が成立するために認識する者と認識されるものだけでなく、第三のもの(イデア、カテゴリー、形式、言葉、基準枠、パラダイムなど)が必要とされる、と現在に至るまで繰り返し主張されている。この認識の構造の根底に、「視覚と光」モデルが潜んでいる。ここにギリシア哲学以来の視覚の優位が認められるだろう。『存在と時間』はこの伝統のうちにある。
†善のイデアの光と能動理性の光[#「†善のイデアの光と能動理性の光」はゴシック体]
しかし光の問題はプラトン、アリストテレスにとってさらに重要な意味をもつ。『国家』において善のイデアの光が語られていた。先に論じたように(第二章第3節)、『存在と時間』の構想において、善のイデアの光は時間(存在の意味)の光として捉え返されている。『デ・アニマ』においても光は能動理性の光として語られる。それは「受動理性―能動理性」をめぐる古代からの論争の的となっている。
「そして一方において、理性はすべてのものになることによって、質料のようなものであり、他方において、理性はすべてのものを作ることによって、光のように、或る状態としてある。というのも、或る意味で光は、可能態において色であるものを、現実態において色であるものに作るからである」。
いくつかのことを説明しなければならないが、まず簡単なことから始めよう。「可能態において色であるもの」とは光のない暗やみでの物の色を考えればいい。その色は現実に見えないけれど、光があれば見ることができる可能性のうちにある。こうした色を光は現実に見えるもの(現実態において色であるもの)にする。こうした説明を当然のことと考えるだろうが、われわれが世界を記述するときに使っている可能性、現実性(さらに必然性)といった用語はアリストテレスが初めて確立した概念、存在論の基本タームなのである。
「理性がすべてのものになる」とは、『デ・アニマ』の言葉「心は或る意味で存在者である」と同じことを意味し、この理性は受動理性と呼ばれる。理性(心)が存在者を認識するという事態が「理性がすべてのものになる」「心は或る意味で存在者である」と表現される。この受動理性は質料のようなものとされているが、質料は何にでもなりうる素材(可能態にあるもの)である。理性は可能性としてすべてのものを認識しうる、つまり可能態にある質料のようなものである。この可能態を現実態へもたらすのが、光、能動理性の光である。「理性はすべてのものをつくる」と言われる理性は伝統的に「能動理性」と呼ばれている。能動理性の光が受動理性を可能にする。
受動理性は「心は或る意味で存在者である」という言葉のうちに表現されている。この言葉は『存在と時間』において引用され、「現存在は存在者をその存在に関して理解する」と解釈される。現存在の現は明るみ、そこにおいて存在が開示される明るみである。この現存在の現(明るみ)が受動理性に対応する。『存在と時間』はこの明るみを明るくする光を時間性に求める。現(明るくされていること)であることが受動理性に対応しているとすれば、そのことを可能にする時間性の光こそが能動理性の光であろう。「明るくされている」(gelichtet)(現)という受動態は、「明るくする」(lichten)(時間性)という能動態によって可能となる。現を明るくする時間性の光は受動理性に光を与える能動理性の光である。
時間性が現をいかに明るくするかの解明は『存在と時間』第二編「現存在と時間性」(特にその第四章「時間性と日常性」)の課題となる。この現存在の時間的分析論は、時間性(能動理性)が現存在の存在構造(現―存在、つまり受動理性)を可能にすることの分析なのである。そして第三編「時間と存在」は「存在への問いの超越論的地平としての時間の解明」を課題とするが、それは時間(テンポラリテート=能動理性の光)が存在理解(受動理性)を可能にすることの解明なのである。
時間の光は能動理性の光である。しかし第二章第3節において、存在理解を可能にする時間の光は善のイデアの光と対応すると言った。「存在は時間の光のうちで視られうる」というテーゼは能動理性の光と善のイデアの光をその背景にもっていることになる。しかしこのことは奇妙なことではない。古典的な注釈書において、能動理性における「光のように」という言葉は『国家』における善のイデアに関係づけられているのだから。
ここでの説明は今まで以上にむずかしかっただろうが、読者は細かな解釈の問題をあまり気にする必要はない。「現象は光のうちで視られうる」というテーゼがハイデガー現象学の核心をなしていること、光の問題がプラトン、アリストテレスにおいて重要であること、善のイデアの光、能動理性の光が語られていること、そしてこれらを関係づける可能性、こうしたことがわかればここでは十分である。現象学という言葉の構成契機である「学」の問題に移ろう。
2 真理と存在[#「真理と存在」はゴシック体]
†非秘蔵性としての真理[#「†非秘蔵性としての真理」はゴシック体]
現象学の「学」はギリシア語のロゴスへと遡られ、ロゴスはギリシア語の aletheuein(真理を捉えること)から規定される。aletheuein は真理を捉えることであるが、それは「或るものをその秘蔵性(隠されていること)から取り出し、そのようにして真なるもの(非秘蔵的なもの)として見させること」を意味する。ここにハイデガーの独自の真理概念、つまり非秘蔵性としての真理が語られている。この真理の規定はその後のハイデガーの思惟の道に通底する基本的なものである(第六章第2節)。
「非秘蔵性としての真理」と言っても、わかりにくいだろう。真理はギリシア語でアレーテイア(aletheia)(aletheuein という動詞の名詞形)と言う。ハイデガーは aletheia を a-letheia と読み、a- を否定辞と解釈する。letheia は lethe に由来する。lethe は忘却を意味し、lanthanein(気づかれない)という動詞の名詞形である。a-letheia を理解するためには、lanthanein という動詞の意味を捉えることが必要となる。lanthanein は分詞とともに用いられ、「気づかれずに……する」と訳される。ハイデガーは a-letheia の意味を解明するために、何度も『オデュッセイア』第八巻九三の lanthanein プラス分詞の用例に立ち返っている。その箇所は普通「その時他のすべての人に気づかれずに彼は涙を流した」と訳される。しかしハイデガーは「その時彼は涙を流す者として他のすべての人々にとって秘蔵的にとどまった」と訳す。「気づかれずに涙を流す」という lanthanein プラス分詞の表現をハイデガーは「秘蔵的にとどまる」と訳している。ハイデガーは lanthanein を「秘蔵的である(隠されている)」と理解している。a-letheia が a-lethe(lanthanein) であり、a- が否定辞であり、lanthanein が「秘蔵的である」を意味するとすれば、a-letheia は「秘蔵的であることの否定」、つまり非―秘蔵性を意味する。
確かにこうした説明は『存在と時間』以後のものである。しかし一九二二年の草稿(『存在と時間』への道にとって決定的に重要な『アリストテレス草稿』)は、『デ・アニマ』における lanthanein プラス分詞の表現を引用している。その箇所は普通「ドクサが偽となるのは、事態が気づかれずに変化する場合である」と訳される。この箇所をギリシア語で引用した後に、「秘蔵されたままであること」を「偽」の意味とし、「『真理』の意味がギリシア人にとって意味に即して、単に文法的にだけでなく、欠如的に性格づけられていることは、偶然ではない」と書いている。この言葉はハイデガーが a-letheia の a- を否定辞と解釈していることを示している。そして彼は明らかに、「気づかれずに変化する」(lanthanein プラス分詞)の lanthanein を「秘蔵されたままである」と解している。このように解釈すれば「偽」=「秘蔵されたままである」となる。そして真理は偽の反対概念であるから、真理は偽の否定である。偽が「秘蔵されたままである」を意味するとすれば、真理は偽の否定として、「秘蔵されたままであることの否定」、つまり「非―秘蔵性」を意味する。それゆえハイデガーによれば、ギリシア語の a-letheia(真理)の a- が欠如(否定辞)を意味し、a-letheia をギリシア人は非秘蔵性と理解している。この説明は『オデュッセイア』の解釈とまったく同じである。「非秘蔵性としての真理」概念の誕生の地は『デ・アニマ』のうちに求められるだろう。
こう言うと、驚くかもしれない。非秘蔵性としての真理という理解はハイデガーの思惟の道に一貫する最も重要なものの一つである。それが『デ・アニマ』の一つの文章から発想されたとするのは、奇妙に思われるだろう。しかしアイデア(それが小さなものであれ、大きなものであれ)が生まれるきっかけは、他の人から見れば、些細なことである。些細に見えることをきっかけに大きなアイデアが生まれることは、至る所で繰り返し語られているし、アイデアをもったことのある人(一挙にすべてを見通すという経験をもった人)には何の不思議もない。或ることについて集中的に考える者は些細に見えることの中に重大な意味を見出すのである。アイデアは努力すれば得られる獲得物ではないが、考えつづける努力をした者にのみ訪れる贈り物である。アイデアは贈り物であり、われわれの自由にならないが、そのアイデアを確証し展開することはわれわれの力のうちにある。
ともかく以上の説明によってハイデガーの真理概念(非秘蔵性としての真理)を神秘化するという誤りを避けることができる。『存在と時間』の真理概念を脱神話化するために、その真理概念が由来する源泉に立ち返ること(解体)が必要である。その源泉は『デ・アニマ』だけでなく、『ニコマコス倫理学』にも求められる。『デ・アニマ』に即して見出された真理概念はさらに『ニコマコス倫理学』に定位して展開されることになる。
†現存在は真理のうちに存在する[#「†現存在は真理のうちに存在する」はゴシック体]
「それによって心が肯定と否定という仕方で真理を捉えるそれは、五つであるとしよう。すなわち技術知、論証知、実践知、学知、直知である」。
これは『ニコマコス倫理学』第六巻第二章の言葉であるが、ハイデガーはここに彼の真理理解を展開する出発点を求めている。まず「心は真理を捉える(aletheuein)」というテーゼを考えよう。『存在と時間』においてギリシア語の心(プシュケー)に対応するのは現存在である。「現存在(心)が真理を捉える」は、『存在と時間』において「現存在が真理の内に存在する」と表現されている。現存在は現であること(現―存在)としての明るみであるが、ここで「真理内存在」として規定されていることになる。心が真理を捉えるがゆえに、心によって捉えられた存在者は真理(発見されているという意味での真理)という性格をもつ。存在者が真であるのは、現存在が真理を捉えるからである。つまり現存在が真理のうちに存在することが第一次的な真であり、存在者が真として語られるのは、第二次的な意味においてである。そして存在者が真として見出されるがゆえに、存在者についての命題が可能となる。命題の真理は派生的である。伝統的に真理は命題のうちにあるとされているが、しかしハイデガーは命題の真理を存在者の真であること(発見されていること)へ、さらに現存在が真理の内に存在すること(根源的な真理)へ遡る。この歩みの背景にあるのは、『ニコマコス倫理学』の「心は真理を捉える」というテーゼである。
さらに『ニコマコス倫理学』は真理を捉えるさまざまな心のあり方を語っている。学知(論証知、直知)、技術知、実践知は、人間のあり方である観想、制作、行為に対応する。このアリストテレスの区分「観想―制作―行為」は、『存在と時間』における存在の三つのあり方である物在性、用在性、実存の区分のうちに生かされている。真理を捉えるさまざまな心のあり方に、存在理解のさまざまなあり方(物在性、用在性、実存)が対応している。ここに「真理と存在」という基本的な問題が潜んでいる。
†真理のあり方に応じて存在理解が変容する――本来性と非本来性[#「†真理のあり方に応じて存在理解が変容する――本来性と非本来性」はゴシック体]
真理を捉えるあり方と存在の理解のあり方との対応という「真理と存在」の内的連関は『存在と時間』において次のように表現される。
「真理が『存在している』限りにおいてのみ、存在が『与えられ』ており、真理のあり方に応じてその都度存在理解が変容するとすれば、根源的で本来的な真理が現存在の存在と存在一般との理解を保証する」。
なぜ「真理と存在」ということが問題となるのだろうか。アリストテレスにおける存在の多様な意義として「真理としての存在」が語られていたことを想い出そう。ハイデガーは「真理としての存在」を最も重視している。存在には真理性格が属している。真理は存在論の基本的なテーマを形成している。だからこそ存在論としての『存在と時間』は真理を重要な主題とするのであり、「現存在が真理の内に存在する」というテーゼもこの文脈のうちに位置づけられねばならない。
『存在と時間』は存在論として現存在の存在と存在一般との理解を仕上げることを目標としている。それゆえその理解を保証する本来的な真理こそが存在への問いにとって核心的な問題となる。現存在の分析論は現存在の存在を解明し、さらに現存在の存在意味を時間性とする(『存在と時間』第一、二編)。そして存在理解(存在一般の理解)を可能にする時間性(テンポラリテート)に基づいて存在一般の理解に光をあてる(第三編)。第一編の狙いは現存在の存在を気遣いとして露にすることである。不安という本来的な情態性が現存在の存在を気遣いとして開示する。第二編の課題は現存在の存在を時間性へ向けて解釈することであり、時間性をそれとして取り出すことが核心をなす。それを可能にするのは本来的な真理としての先駆的決意性である(本書第四章第3節を参照)。
現存在の分析論は「根源的で本来的な真理(本来的な情態性としての不安、本来的な真理としての先駆的決意性)が現存在の存在の理解を保証する」というテーゼに従って展開されている。なぜ『存在と時間』において不安、死(先駆)、良心(決意性)がテーマとなるかは、これらが根源的で本来的な真理(現存在の本来的な真理内存在)であることから初めて理解できる。つまり現存在の存在の理解を保証する本来的な真理として、不安、先駆、決意性が分析される。「本来性―非本来性」という区別は「真理と存在」という存在論の枠組みのうちを動いているのであって、実存哲学風の「本当の生き方への呼びかけ」などではない。無論そう読むのは読者の自由(勝手)であるが、『存在と時間』の基本的狙いを捉え損なっている。「本来性―非本来性」の問題は存在論(真理と存在)に属する。
『存在と時間』第三編は「根源的で本来的な真理が存在一般の理解を保証する」というテーゼによって展開されるだろう。現存在の本来的なあり方(本来的な真理)が将来から時熟するとすれば、存在一般が真に理解されるのは将来からであろう。存在は時間から理解されるが、伝統的な存在論は「現在から理解された存在」という理念に支配されている。それに対して『存在と時間』は、本来的な真理によって保証された存在一般の理解、つまり「将来から理解された存在」を提示するだろう。ここでもう一度本書の序章第3節を読んでほしい。
3 自然科学の現象学[#「自然科学の現象学」はゴシック体]
†数学的自然科学の成立と自然の数学的企投[#「†数学的自然科学の成立と自然の数学的企投」はゴシック体]
ハイデガー現象学の核心は「現象は光のうちで視られうる」というテーゼに求められる。このテーゼは近現代自然科学の解明にも働いている。近代自然科学の成立(ガリレオ)と相対性理論(アインシュタイン)をテーマとしよう。『存在と時間』は近代的自然科学の成立をガリレオのうちに見、その本質を「自然の数学的企投」のうちに求める。
「数学的物理学の形成にとって決定的なことは、『事実』の観察をより一層高く評価したことにあるのでも、自然の経過の規定における数学の『応用』にあるのでもなく、自然自身の数学的企投にある。この企投は、不断に物在するもの(物質)を先行的に開被し、その量的に規定可能な構成契機(運動、力、場所、時間)への主導的な視向に対する地平を拓くのである。このように企投された自然の『光のうちで』初めて、『事実』といったものが見出されうるのであり、企投によって規制的に限界づけられた実験がなされうる。『事実科学』の『基礎づけ』が可能になったのは、『裸の事実』は原則的に存在しないと研究者が理解したことによってのみである」。
「裸の事実は存在しない」と言われるが、事実は存在者の次元にある。存在者の理解は存在への企投によって可能となる。存在は「そこから存在者が存在者として理解される企投の Woraufhin」であり、存在者はすでに存在の光のうちに立っている。それゆえ存在の光なしに存在者(事実)を理解することはできない。光なしの裸の事実は存在しない。企投された自然の光のうちで初めて事実は事実として見出されるのである。ハイデガーの他の講義では「自然の数学的企投の光のうちで」、「存在者の存在の先行的な規定の光のうちで」と言われている。
「自然の数学的企投」と言われても何のことかわからないかもしれない。ガリレオは「自然という書物は数学の言葉で書かれている」と言う。この言葉は事実(存在者のレベル)を語っているのでなく、存在の先行的な理解を言い表している。数学の言葉で書かれているか否かを実験で実証することはできない。どんな実験をすればいいのだろうか。そうでなく逆にこの確信が個々の実験を導いている。この事態をハイデガーは「自然の数学的企投」と名づけたのである。
「自然の数学的企投」の構造を考えよう。すでに解明したように(第二章第1節)、企投は投げられるものとそれへ向けて投げられるそれ(投影面)、そして投影面に映し出されたもの(投影像)という三つの契機をもっている。自然の数学的企投とは「自然を数学的存在体制(自然という存在者の存在)へ企投する」ことを意味する。企投されることによって自然は投影面に映し出される。この映し出された投影像が「企投された自然」であり、「その量的に規定可能な構成契機(運動、力、場所、時間)」として映し出される。このように先行的に映し出された自然の光のうちで個々の事実が初めて自然事実として捉えられる。近代自然科学の成立を「自然の数学的企投」として解釈することは、「存在はそこから存在者が存在者として理解される企投の Woraufhin である」というハイデガー存在論のテーゼに、そして「企投された自然の光のうちで」は「現象は光のうちで視られうる」というハイデガー現象学のテーゼに導かれているのである。
†アインシュタインの相対性理論[#「†アインシュタインの相対性理論」はゴシック体]
ハイデガーがアインシュタインの相対性理論に強い関心をもっていたと言うと、驚くかもしれない。しかし相対性理論と量子力学の誕生の時代に『存在と時間』が書かれていることを忘れてはならない。それは諸科学の危機の時代であり、『存在と時間』は数学、物理学、生物学、精神科学、神学を例として挙げている。そして根本概念のラディカルな変更の典型的な例をアインシュタインの相対性理論のうちに見ている。
「物理学の相対性理論は、自然自身の固有の連関を、それが『それ自体で』存立している通りに際立たせる傾向から生じている。自然自身への接近条件の理論として、相対性理論はすべての相対性の規定によって、運動法則の不変性を保持しようと努め、それによって、理論に前もって与えられている事象領域への問いに、つまり物質の問題に直面するのである」。
相対性理論に対するハイデガーの関心は、「歴史科学における時間概念」(一九一六年)という論文以来『存在と時間』に至るまで、はっきり認められる。まず注意すべきは、ハイデガーが相対性理論を通俗的に理解していないということ、つまり相対性理論の革命性を相対性理論の諸帰結(時間・空間概念、エネルギー概念等のラディカルな変更)のうちに見ていないことである。彼はその本質を「すべての相対性の規定によって運動法則の不変性を保持する」ことに求めている。運動法則の不変性とは「任意の変換に対する自然法則の不変性」を意味している。これは相対性理論を相対性理論たらしめている原理、「自然法則はいかなる座標系においても同一の形に書かれねばならない」という相対性原理である。これを数学的に言えば、相対性理論は「変換に対する不変量論」である。自然法則は変換群に対して不変でなければならない。変換に対して不変である運動法則は、自然の連関がそれ自体で存立するあり方を示す。自然の連関それ自体とは、裸の事実(事実それ自体)でなく、不変なもの(変換に対する不変量)としての法則を意味する。それは相対性原理の要請である。
相対性理論を不変量論と見なすことは、自然自身を「不変量としての法則」として捉えられねばならないと先行的に(アプリオリに)考えることであり、相対性理論を「自然自身への接近条件の理論」と理解することである。ハイデガーはアインシュタインのうちにガリレオと同じ問題次元を見ている。つまり「事実の観察にとって自然事実が一般に接近可能になるために、いかなる仕方でそもそも自然はあらかじめ視のうちに入れられなければならないか」という問題次元、自然の先行的企投の次元である。
ハイデガーの相対性理論の理解は正確であるが、さらにハイデガーの科学論はアインシュタインの科学論と親近性をもっている。「科学の本来的な運動を根本概念のラディカルな変更に見る」というハイデガーの考えは、「物理学の進展によって創造された新しい実在」というアインシュタインの考えに結びつく。「科学は単なる諸法則のコレクションでもなければ、連関なき諸事実のカタログでもない。科学は人間精神の一つの創造物であって、自由に発明されたアイデアと概念を含んでいる」。ニュートン力学と相対性理論は経験科学の理論として有効性をもっているが、両者はその理論的基礎構造が本質的に異なっている。数学のレベルで異なっているし、実在のレベルで言えば、質点の理論と場の理論の違いである。ここからアインシュタインは物理学の基礎概念、基本法則が人間精神の自由な創造物であり、物理理論の基盤が純粋に虚構的な性格をもつことを主張する。概念は経験から帰納的抽象によって獲得されない。概念の正当化は「経験(事実)から概念へ」という形でなく、「概念から経験(事実)へ」という仕方でなされる。アインシュタインはハイゼンベルクに語っている。「原理的な観点から見て、ある理論を観測可能な量だけに基づけようとすることはまったく誤っている。なぜなら実際はまさにその逆だから。理論が初めて、何を人が観察しうるかを決定する」。これをハイデガーの言葉「実験物理学は理論物理学の基礎ではなく、その逆である」と比べてほしい。
アインシュタインの科学論を根底で支えているのは、「自然は数学的に考えうる最も単純なものの実現である」という自然への信頼である。この自然への信頼は「世界が理解可能なことは一つの奇跡である」として言われた事態(本書「はじめに」を参照)に対応する。アインシュタインはここで自然科学者としてでなく、形而上学者として語っている。「形而上学者は数学的に単純なものがまた現実的であると信じている。おとなしい形而上学者は、論理的に単純なもののすべてが実在のうちに具体化されているわけではないが、すべての感覚的経験の全体が高度に単純な前提の上に構成された概念体系を基礎にして理解されうると信じている」。アインシュタインのこの言葉は、「自然という書物は数学の言葉で書かれている」というガリレオの言葉の徹底化であり、純粋な姿での「自然の先行的な数学的企投」の具体化である。
以上の科学論はむずかしかったかもしれない。しかし科学に対するハイデガーの理解とその広がりがわかれば十分である。そしてハイデガーの科学論がハンソンの「観察の理論負荷性」やクーンの科学革命論と親近性をもっていることに気づいてくれればよいのである。
†美しい花・健康食品・光[#「†美しい花・健康食品・光」はゴシック体]
ここまで読んできた読者は、第三章の最後の科学論だけでなく、これまでもずっとむずかしかったと言うかもしれない。『存在と時間』それ自身がむずかしいのだから、そのむずかしさをわかるのは重要である。前にも言ったが、わかりやすい作り話によってわかったつもりになることよりも、何もわかっていないと知ることのほうが一層よいことである。わからないことをわからないと知ることは、正しい理解への最初の一歩である。
しかし『ハイデガー入門』はむずかしさを語ることでなく、ハイデガーへ導き入れることを課題としている。それゆえここで簡単に今までの論述を振り返ってみよう。そして最低限理解してほしい点を指摘しよう。
序章「『存在と時間』とは何か」においておそらく第3節「『存在と時間』の狙い」が最もむずかしかったと思う。しかし『存在と時間』を正確に理解する出発点をなすのは第2節「『存在と時間』の成功と無理解」との落差を真剣に捉えることである。この落差の認識が『存在と時間』の誤解を防ぎ、正確な理解への手がかりとなるだろう。序章の第2節はそれほどむずかしくないと思う。第2節から第1節へ戻り、そして最後に第3節に再び挑戦してほしい。
第一章「存在への問い」は美しい花をめぐる考察をまずわかることで十分である。「この花は美しい」という言葉、「この花は美しいか」「美しいものとは何か」「美とは何か」という問いは理解できるだろう。そこからプラトンのイデア論、そしてハイデガーの存在への問いについて考えてほしい。
第二章「存在の意味への問い」を理解するために、まず健康食品という例から出発すればよい。健康食品をめぐる考察から出発し、なぜ健康食品などが問題となるのかを考え、そこからアリストテレス存在論の核心に進めるだろう。そこまで進めば、そしてハイデガーの哲学的出発点を忘れなければ、『存在と時間』の根本的な問いの射程を捉えることができるだろう。
第三章「現象学」において基礎となるのは「現象は光のうちで視られうる」というテーゼである。このテーゼそれ自身は「光がなければ物は見えない」という平凡な事実を述べているにすぎないから、理解できないということはないだろう。これを押さえた上で、プラトン、アリストテレスにとって光が重要であること、そしてなぜなのかを考えてほしい。光という語は西洋哲学の根本語であり、いわゆる「光の形而上学」の伝統を形づくっている。こうした文脈であらためて「現象は光のうちで視られうる」というテーゼに立ち返ることができる。そうすれば『存在と時間』における光の重要性とその射程も見えてくるだろう。
今までに最低限理解してほしいのは、「美しい花・健康食品・光」という三つの語とそれをめぐる考察である。それはそれほどむずかしくはないと信じる。
「存在への問い」「存在の意味への問い」「現象学」という視点から『存在と時間』を解明してきた。これまでにも現存在の分析論の具体的な内容に必要なかぎり言及したが、次に「現存在の分析論」をあらためて主題化しよう。それが第四章のテーマとなる。ともかくここまで読んできた読者なら、この後の章も読み進めることができるだろう。
[#改ページ]
【第四章】
現存在の分析論[#「現存在の分析論」はゴシック体]
[#挿絵(img/fig5.jpg、横376×縦330)]
[#改ページ]
「哲学は普遍的な現象学的存在論であり、現存在の解釈学から出発する。現存在の解釈学は実存の分析論として、すべての哲学的に問うことの導きの糸の端を、そこからすべての哲学的に問うことが発し、そこへ打ち返すところに結びつけているのである。」
[#地付き](『存在と時間』)[#「(『存在と時間』)」はゴシック体]
[#改ページ]
『存在と時間』は現存在の分析論として展開されている。それは確かに実存(現存在の存在)の分析論であるが、それを実存哲学と思い違いしてはならない。現存在の分析論は基礎的存在論として構想されているのである(第1節)。現存在の分析論の具体的内容を順に祖述する余裕はないし、本書の意図でもない。ここでは現存在の分析論の出発点をなす道具分析(第2節)、そして第二編の最初で主題となる死(第3節)を取り上げよう。
1 基礎的存在論としての現存在の分析論[#「基礎的存在論としての現存在の分析論」はゴシック体]
†存在論の基礎としての基礎的存在論[#「†存在論の基礎としての基礎的存在論」はゴシック体]
最初によくある誤解を正すことから始めよう。現存在(Dasein) は人間という存在者であり、存在者の中の一つの領域にすぎない。とすれば現存在の分析論は存在者の一領域である現存在を主題とする存在論(領域的存在論の一つ)であろう。われわれ一人ひとりが現存在であるから、現存在はわれわれにとって重要な存在者である。どう生きるかが大切であり、その存在(実存というあり方)が問われるべきである。だから現存在がテーマとなるのであり、現存在の分析論は実存を問う実存哲学である。しかしこのように解することは『存在と時間』の誤解である。今まで論じたことを繰り返すことになるが、重要な論点なのでもう一度考えてみよう。
『存在と時間』において哲学は普遍的存在論とされる。この理念はアリストテレスの「存在者を存在者として探究する学」に定位している。存在者が存在者であるかぎりにおいて、つまり存在に関して存在者を普遍的に探究する。それはある特殊な存在者の領域をあつかうのではない。しかし『存在と時間』は現存在の分析論として展開されている。現存在はわれわれ人間という特殊な存在者にすぎない。普遍的な存在論としての哲学がなぜ現存在の分析論として展開されるのか。
確かに現存在は特殊な存在者である。しかし現存在の分析論は存在者の一領域としての現存在の存在論をめざしたのではない。現存在には存在理解が属している。存在理解とは、われわれ人間と他のすべての存在者をその存在において理解していること、つまり存在一般を理解していることを意味する。普遍的存在論が存在一般を探究するとすれば、存在一般を理解している現存在を分析することによって、普遍的存在論への道が開かれるだろう。現存在に存在理解が属しているからこそ、存在論の基礎である基礎的存在論は現存在の分析論として展開される。
現存在の分析論は現存在を時間性へ向けて解釈する。時間性は現存在のあり方を可能にするから、現存在に属する存在理解を可能にする。前にも言ったが、存在理解を可能にする条件としての時間性がテンポラリテート(存在の意味としての時間)である。『存在と時間』第一、二編の現存在の分析論の成果は、時間が存在理解を可能にするというテーゼである。『存在と時間』は「存在一般が時間から理解される」ことを証明するという普遍的存在論の課題をもっている。現存在こそが存在一般を時間から理解するから、現存在は「存在と時間」を結びつける「と」である。それゆえに基礎的存在論(存在論の基礎)は現存在の分析論に求められる。
こうした洞察のもとでアリストテレスに光があてられる。アリストテレス『デ・アニマ』における「心は或る意味で存在者である」というテーゼのうちに、現存在が存在者をその存在に関して理解していること、つまり現存在と存在理解の関係が読み取られる。そしてアリストテレス『自然学』における「心が存在しなければ時間が存在しない」というテーゼのうちに現存在と時間の関係を見る。すでに述べたように、現存在という語は、ギリシア哲学における心(プシュケー)に対応する。「存在理解と心(現存在)」と「心(現存在)と時間」から、「存在と時間」を結びつける「と」は心(現存在)である。ハイデガーがアリストテレスのこの二つのテーゼを結びつけて捉えることは、「現存在が存在を時間から理解する」という洞察によって初めて可能となる。「存在と時間」の「と」が現存在を介してのみ成立するがゆえに、『存在と時間』は現存在の分析論として展開された。それはアリストテレス哲学のうちに萌芽としてあったものの自覚的な展開、アリストテレス哲学の取り返しである。
†カテゴリーと実存範疇[#「†カテゴリーと実存範疇」はゴシック体]
現存在の分析論を導くのはカテゴリーと実存範疇の区別である。現存在という存在者は他の存在者と区別される。すでに言ったように、現存在でない存在者の存在性格はカテゴリー(範疇と訳される)と呼ばれるが、現存在の存在性格は実存範疇と呼ばれ、カテゴリーから鋭く区別される。現存在の分析論は実存範疇の探究である。そうだとすれば『存在と時間』は実存をテーマとする実存哲学ではないか。しかしこれは短絡的な解釈である。カテゴリーと実存範疇の区別は存在への問いから捉えねばならない。
現存在と他の存在者はともに「ある」と語られるから、カテゴリーと実存範疇の区別は「存在者はその存在(ある)に関して多様に語られる」というテーゼから理解されねばならない。
さらにこの区別は従来の存在論への根本的な批判である。ギリシア哲学以来、存在論は制作と語り(テクネーとロゴス)からその根本概念を汲み取ってきた。存在は現在から理解されたのである(序章)。伝統的な存在論は現存在の存在と他の存在者の存在を区別しなかった。確かに他の存在者の存在はこのように理解できるだろうが、しかし現存在の存在は可能存在であり、実存範疇としての可能性が現存在の最も根源的な規定である。この対比は「現実性(現在)より可能性(将来)はより高い」というテーゼのうちに読み取れるだろう。現存在はその存在を可能性から理解し、現存在の存在(実存)は将来から時熟する。カテゴリーと実存範疇の区別は「現在から理解された存在」と「将来から理解された存在」の区別をその背景としている。
†現存在の分析論の展開[#「†現存在の分析論の展開」はゴシック体]
現存在の分析論の展開を簡単に見ておくことにしよう。『存在と時間』第一編において現存在の分析論は世界内存在に定位して遂行される。世界内存在(In-der-Welt-sein) は「世界の内に存在すること」であり、現存在の根本体制という現存在の統一的な構造を指している。しかし世界内存在は三つの観点から分析される。まず「世界の内に」として「世界」が問われる(第三章「世界の世界性」)。次に世界内存在という仕方で存在している存在者(第四章「共存在と自己存在としての世界内存在 世人」)。最後に世界内存在の契機である「内存在」(第五章「内存在そのもの」)。そして第一編最終章である第六章「現存在の存在としての気遣い」において、現存在の存在が気遣いとして露にされる。気遣い(sorge) とは「(世界内部的に出会われる存在者)のもとでの存在として、自己に先立って(世界)の内にすでに存在している」という現存在の存在を意味する。これが第一編の成果である。
第二編は第一編の現存在の分析論が根源性(全体性と本来性)を欠いているという指摘から始まる。全体性は現存在の終りとしての死の分析を、そして本来性は良心の分析を要求する。死の分析は第一章「現存在の可能的な全体存在と死に至っている存在」において、そして良心の分析は第二章「本来的な存在可能の現存在にふさわしい証しと決意性」において遂行される。この二つの分析は先駆的決意性(現存在の本来的な全体存在)へと集約され、これに即して現存在の存在である気遣いの意味、つまり時間性が経験される(第三章「現存在の本来的な全体存在と、気遣いの存在論的な意味としての時間性」)。時間性とは「既在しつつ現在化する将来」であり、現存在の存在(気遣い)を可能にする。時間性が現存在の存在を可能にすることの具体相が第四章以下において解明される。第四章「時間性と日常性」は現存在のあり方が時間性のさまざまな時熟によって可能となることを明らかにする。第五章「時間性と歴史性」は時間性の具体相として現存在の歴史性を分析する。そして第六章「時間性と、通俗的な時間概念の根源としての時間内部性」において、時間性が世界時間(時間内部性)を可能にし、伝統的な時間概念が世界時間に由来することを示す。
現存在の分析がめざしているのは、「存在が時間から理解される」というテーゼの証明である。第三編はその証明を真に遂行するはずであった。しかし『存在と時間』は第一部第二編で終っている。第二編の最後の言葉(現行の『存在と時間』の最後の言葉)が第三編の課題を問いの形で言い表していることは、今まで本書を読んできた者には明らかだろう。「根源的な時間から存在の意味へと一つの道が通じているだろうか。時間自身が存在の地平として露になるだろうか」。
以上のことはわかりにくいかもしれないが、展開の形式的な連関がわかれば十分である。本書は現存在の分析論を順に祖述・紹介する意図はない。すでに今までの章においてかなり言及しているし、あらためて語る余裕もない。ここでは現存在の分析論の出発点となる道具分析(第2節)、そして第二編の最初を形成する死の分析(第3節)をあつかうことにしたい。この二つのテーマは最も好んで取り上げられるテーマである。道具分析は『存在と時間』のなかで最も易しいと思われている。そして死の分析は実存の覚醒を呼びかけていると見られている。しかし本書の意図は現存在の分析論がいかなる問題次元を動いているかを明らかにすることである。それは平仮名を読むことでなく、子供の知らない漢字を読む試みである。
2 道具分析と世界[#「道具分析と世界」はゴシック体]
†Woraufhin としての世界[#「†Woraufhin としての世界」はゴシック体]
第三章「世界の世界性」は大工が家を制作するといったことが語られており、『存在と時間』の中で一番わかりやすいと思われている。しかし単に「大工が家を制作する」ことの分析だと理解するならば(大工職人の哲学?)、そうした分析が存在への問いとどう関係するのかわからないだろう。このことを道具分析が目指す目的、そしてなぜ道具分析に定位するのか、という二つの観点から考えてみよう。
第三章「世界の世界性」は「世界の内に」という観点から世界内存在を解明することをめざしている。世界内存在(In-der-Welt-sein) は「世界の内に存在する」という現存在の根本体制を意味する。しかし人間が世界の内に存在するということは、いうまでもなく自明であると思うだろう。生物はそれぞれ独自の環境世界の中に生きている。人間もまた人間に固有の環境世界の中に生きている。これをハイデガーは「世界内存在」と名づけた。こう言うとわかった気になるだろう。しかしこのように解することはよくある誤解である。生物が環境世界の中に生きていると言ったとき、環境世界は、環境という存在者の集合体(例えば蜂にとっての花、蜜、太陽の位置などといった存在者の集合体)と解されている。しかし『存在と時間』が語る世界内存在の「世界」は、存在者の集合体でも、存在者の次元にあるのでもなく、存在の次元に属する。このように言うと驚くかもしれないが、このことを簡単に示そう。
世界は「適所性という存在のあり方において存在者を出会わせる Woraufhin」とされる。あるいは次のように言われる。「世界内部的に出会われるものの露開がそれへ向けて生じるそれ(woraufhin) を先行的に開示することは、世界の理解以外の何ものでもない」。ここではさしあたり世界が Woraufhin として規定されていることがわかれば十分である。Woraufhin という語は「存在」テーゼ(第一章第2節)、「意味」テーゼ(第二章第1節)においても登場する『存在と時間』における最も基本的な術語の一つである。「存在」テーゼによれば、存在は「存在者がそのつどすでにそれへ向けて理解されているそれ(woraufhin)」であった。そして「意味」テーゼによれば、存在者の意味としての存在は「そこから存在者が存在者として理解される企投の Woraufhin」である。とすれば Woraufhin としての世界は、存在者の意味としての存在の次元、存在者と区別された存在の次元に属する。世界は存在者の集合体でないし、世界内存在は「存在者の集合体の中に存在すること」ではない。生物が環境世界(環境という存在者の集合体)の中に生きているといったことから世界内存在を解釈することは単純な誤解である。現存在のみが世界内存在するのであり、世界を理解する。Woraufhin としての世界とは、「それから存在者が用在者(道具)として理解される Woraufhin」である。
道具分析は世界現象を問題として提示することをめざしているが、Woraufhin としての世界は存在の次元にある。つまり道具分析は存在への問いによって導かれているのである。道具分析の射程は存在論のうちに求められる。
世界が存在者でなく存在の次元にあることは、世界の超越性として明らかにされる。現存在は存在者を超えて世界へと超越し、それによって開示された世界から存在者を出会わしめる。現存在の根本体制である世界内存在は現存在のこの超越において成り立っている。世界内存在に定位した現存在の分析論は道具分析から出発するが、それは世界への現存在の超越という現象(『存在と時間』第六九節)において一つの頂点に達する。道具分析の存在論的射程は世界への現存在の超越を視野に入れることによって初めて捉えられる。
この超越の問題は『根拠の本質について』(一九二九年)において明確に定式化される。「現存在が現存在としてそれへ向けて超越するそれ(woraufhin) をわれわれは世界と名づける。そして今や超越を世界内存在として規定する」。ここでも世界は Woraufhin として特徴づけられている。超越は或るものを超えることであるが、それは或るものへ向けて超えることである。現存在は存在者を超越して、世界へ向けて超越する。世界は超越の「それへ向けてのそれ」であり、世界から存在者は理解される。世界内存在は世界の理解として成立する。『存在と時間』は世界を理解の Woraufhin と規定した。この同じ事態を超越という言葉で表現すると、世界は超越の Woraufhin となる。Woraufhin としての世界という規定は一貫しており、「それへ向けてのそれ」という Woraufhin の基本的な意義も同じである。そして「それへ向けてのそれ」は存在者の理解を可能にする存在の次元を言い表している。道具分析はこの存在の次元に達することを目指しているのである。
本書は Woraufhin を一貫して「それへ向けてのそれ」と理解してきた。ここまで読んできた読者にとってこの語の重要性は十分に明らかだと思う。最初にこの語を説明したときのことを思い出してほしい(第一章第2節)。Woraufhin は一般に「基盤」と解されているが、それを基本的な誤訳・誤解と言った。この発言に読者は奇異の念を抱いたかもしれない。しかし Woraufhin を「それへ向けてのそれ」と理解せず、「基盤」と解釈すれば、「存在」テーゼと「意味」テーゼ、そして世界という現象の次元もわからないだろう。「基盤」と解した場合、企投の基盤、超越の基盤とはいったい何なのだろうか。そしてその場合、企投や超越の構造をどう捉えることができるのだろうか。わかったつもりにならず、各人で考えてみてほしい。
さらに Woraufhin を「基盤」と解すれば、Woraufhin からプラトンのイデア論、アリストテレスのプロス・ヘンへ至る道も閉ざされてしまう。Woraufhin の誤解・誤訳は、『存在と時間』の狙いとその射程をまったく見えなくしてしまうのである。本書での Woraufhin の説明とそれが切り拓く視界をもう一度ここで考えてみてほしい。
†存在論の歴史の解体という課題[#「†存在論の歴史の解体という課題」はゴシック体]
しかしなぜ道具分析から出発するのか。現存在の分析論の狙いを正しく理解するために、それが道具分析から開始されることの意味と射程を捉えねばならない。
第三章「世界の世界性」は大工がハンマーで打つといった例を語っている。なぜこうしたことが分析の対象となるのだろうか。大工は家を制作する。大工の制作のうちに現存在の根本体制である世界内存在の分析の出発点を求めることは、現存在を制作人(homo faber) として捉えることに思えるだろう。ベルクソンやシェーラーによって提示された制作人という人間観は、伝統的な人間観(homo sapiens〔理性人〕)の批判の一つである。理性でなく、制作、あるいはシンボル(homo symbolicus〔カッシーラ〕)、遊び(homo ludens〔ホイジンガ〕)、受苦(homo patiens〔フランクル〕)によって人間を捉える試みが二〇世紀になされた。『存在と時間』の道具分析はこうした試みの一つとされうる。あるいは制作人に定位することは、ギリシア的な「観想―行為―制作」という価値秩序を逆転する試みであり、道具(プラグマ)から出発するプラグマティズムに思える。しかしこうした解釈は道具分析の存在論的射程を捉えることができない。『存在と時間』は存在論なのである。
序章で語った「存在論の歴史の解体」を思い出してほしい。ギリシア存在論(そして伝統的な存在論)において、制作と語り(テクネーとロゴス)という経験を導きの糸として、存在論の根本概念が獲得された。道具分析が制作に定位していることは、伝統的な存在論の根本概念がそこから生まれた制作という経験に立ち返ることを意味する。そしてそこから生まれた存在の理念(制作されていること(被制作性)としての存在)との対決という問題意識に導かれている。そうした存在(被制作存在)は他の存在者の存在に適合したとしても、現存在の存在にふさわしくない。現存在は制作されたものではないからである。
伝統的な存在論的概念は現存在でない存在者の存在規定であるカテゴリーであり、それに抗して現存在の実存範疇は獲得されねばならない。そのためには伝統的存在論をその根底において規定しているギリシア存在論との対決を必要とする。それはカテゴリーがそのうちで獲得された経験へと立ち返ること(解体)によってなされる。道具分析を導くのは、カテゴリーが制作という根源的な経験に即して汲み取られたという洞察である。道具分析の存在論的射程は被制作性としての存在理念との対決、存在論の歴史の解体に求められる。
道具分析の存在論的射程は、二つの観点から、つまり Woraufhin としての世界に即して、そして存在論の歴史の解体として捉えることができる。『存在と時間』は大工職人の哲学でなく、存在への問いを問う存在論である。このことは現存在の分析論の全体にも、それゆえ死の分析にもあてはまるだろう。
3 死に至っている存在[#「死に至っている存在」はゴシック体]
†終りに至っている存在としての Sein zum Ende[#「†終りに至っている存在としての Sein zum Ende」はゴシック体]
死は現存在の分析論にとって最も重要な主題の一つである。ヤスパースの実存哲学やサルトルの実存主義にとっても死が重要なテーマであるとすれば、そして死が各人の生をその根底から震撼させるとすれば、『存在と時間』は実存哲学の書であるように見える。しかし問うべきなのは、死がテーマとなっているという誰にでもわかる単なる事実でなく、死の分析がいかなる問題圏のうちを動いているかである。
『存在と時間』における死は Sein zum Tode として語られる。この言葉は「死への存在」(英訳では Being-towards-death)と普通訳されている。「死への存在」と言うと、人間が一歩一歩死へ向かって歩むあり方をイメージするだろう。しかしこのように解されると、ハイデガーの死の分析をまったく理解できないことになる。Sein zum Tode は「死へ向かう存在」でなく、「死に至っている存在」を意味する。このように言うときっと驚くだろう。ともかくわかったつもりにならず、きちんと考えることにしよう。
ハイデガーがドイツ語の表現を大切に考えたこと、そして Woraufhin という最も重要な術語を正しく解することがいかに重要であったかを思い出してほしい。Woraufhin の誤解・誤訳は、『存在と時間』の狙いとその射程をまったく見えなくしてしまう。このことは Sein zum Tode という言葉にもあてはまる。ドイツ語そのものに定位しなければ説明できないことをわかってほしい。
現存在の分析論はその根源性(全体性と本来性)を獲得しなければならない。現存在の全体性は世界内存在の終りとしての死を問題とする必要がある。『存在と時間』において死は「全体と終り」という観点から導入されている。現存在の全体性は「Sein zum Ende によって構成される全体存在」である。死の分析を導く「全体と終り」を理解するために、Sein zum Ende をいかに理解するかが鍵となる。それゆえしばらくはドイツ語のままにしておきたい。死は世界内存在の終りである。この終りとしての死を捉えるために、『存在と時間』は Sein zum Ende という術語を導入する。
「Zu-Ende-sein は実存論的に、Sein zum Ende を意味する」。
この箇所が一般にどのように理解されているかを見るために、英訳を見ることにしよう。Being-at-an-end implies existentially Being-towards-the-end.「終りに達していることは実存論的に、終りへ向かう存在を意味する」。この翻訳のポイントは、Zu-Ende-sein と Sein zum Ende に使われている前置詞 zu を異なった意味として理解することにある。この前置詞は、基本的に方向(空間的・時間的)を意味するか、あるいは方向の意味を含まない非方向性(位置・時点)を意味する。Zu-Ende-sein における前置詞 zu は非方向性(時点)として理解され、それに対して Sein zum Ende の zu は方向性(へ向かって)を意味するとされている。つまり前置詞 zu の意味が変わることにポイントがあると解釈されている。『存在と時間』には多くの日本語訳があり、この箇所はさまざまに訳されている。しかし前置詞 zu の文法的な意義が異なっているという理解においては一致している。
Zu-Ende-sein という術語は Etwas ist zu Ende という日常的な表現からつくられた名詞である。それは「或ることが終った」こと、つまり「終りという時点にある、終りに達している」ことを意味し、前置詞 zu は非方向性の意味をもつ。それゆえ Zu-Ende-sein は「終りに達していること」と訳すことができる。ここまでは何の問題もない。
問題は Sein zum Ende を「終りへ向かう存在」と解釈していいのかである。終りへ向かうという方向性として理解するとすれば、それは終りへの途上にあり、未だ終りに達していない。終りに達していないのであれば、全体存在を構成することは不可能であろう。しかし現存在の全体存在とは「Sein zum Ende によって構成される全体存在」である。Sein zum Ende が全体存在を構成しているとすれば、それは終りへ未だ達していない「終りへ向かう存在」でなく、すでに終りに達している「終りに至っている存在」でなければならない。これは簡単な論理であり、「終りへ向かう存在」が誤解・誤訳であることは誰にでもわかると思う。
「Zu-Ende-sein は実存論的に、Sein zum Ende を意味する」というテーゼは次のように理解されねばならない。Zu-Ende-sein と Sein zum Ende の違いは前置詞 zu の文法的・形式的な意義の違い(非方向性と方向性)にあるのでなく、Sein(存在)の意味の違いにある。つまり Sein zum Ende の Sein はカテゴリーでなく、実存範疇としての存在である。存在は多様に語られるが、実存範疇とカテゴリーは存在性格の二つの根本可能性である。現存在の分析論は実存範疇の探究であり、存在論である。「実存論的に」という言葉は Sein zum Ende が実存範疇であることを意味しているのである。Zu-Ende-sein と Sein zum Ende は形式的な意味(終りに到達していること)は同じである。それゆえ前者を「終りに達していること」と訳すとすれば、後者は「終りに至っている存在」と訳し、実存範疇として区別することができる。それゆえ正しい訳は、「終りに達していることは実存論的に、終りに至っている存在を意味する」となる。
†終りに至っている存在とエネルゲイア[#「†終りに至っている存在とエネルゲイア」はゴシック体]
しかし Sein zum Ende を終りに至っている存在と理解するならば、現存在は死という終りに至っていること(死に至っている存在)になる。とすれば現存在は死んでしまっているのではないか。現存在が終りに至っているにもかかわらず現存在として生きているのは奇妙ではないか。当然このような疑問を抱くだろう。
このような通俗的な理解から『存在と時間』における死の分析は始まる。死の分析の出発点は、現存在の全体存在の見かけの不可能性である。現存在が生きているかぎり、死という終りに達していない。終りに達していないのだから、それは全体ではない。しかし終りに達すれば、現存在はもはや生きていない。現存在が全体存在として生きることは不可能である。これは当然の議論のように見える。しかしこの議論は生きることを死という終りへ向かう運動として捉えている。そしてアリストテレスの運動(キーネーシス)の理解を前提している。
キーネーシス(運動)を歩くという例に即して説明しよう。歩くことは「或る地点から或る地点(目的地)へ」歩くことである。そして目的地(テロス)に到達すると、歩くという運動(キーネーシス)は終止する。もう歩く必要はないからである。テロスへ向かう運動はテロスに達すれば、そこで運動は終わるのである。歩くという運動はテロスに到達しないかぎりでのみ運動である。生きることがこの意味での運動であるとすれば、生きているかぎり、テロスに達することがないし、テロスに達すれば生きていない。これが全体存在の不可能性の議論と同型であることはわかるだろう。
しかし生きることを別の仕方で理解できないだろうか。アリストテレスは生きることをキーネーシス(運動)でなく、エネルゲイア(現実態)として捉える。「現実態」という言葉が存在の多様な意義の一つ(「現実態と可能態としての存在」)として登場したことを覚えている読者もいるだろう。エネルゲイアという語はアリストテレスの造語であり、アリストテレス存在論の根本概念である。ハイデガーもアリストテレス哲学の根本語であると一貫して考えていた。エネルゲイアはキーネーシスの対概念として用いられる。エネルゲイア(現実態)とキーネーシス(運動)の対比は、アリストテレス哲学の基本的区別である。ともかくエネルゲイアの意味を「見る」という例によって説明しよう。
美しい花を見るという行為を考えよう。歩くという行為は目的地(テロス)に到達するために、言い換えれば、歩き終るためになされる。しかし花を見ることは、見ること以外の目的(テロス)をもたない。見ることがそのまま楽しむことであって、見るという行為はそれ自身が目的(テロス)である。歩くことと異なり、見ることはテロスにすでに到達している。アリストテレスはこのことを「見ると同時に見てしまった」という動詞の現在形と現在完了形の同一性として表現している。「見てしまった」という現在完了形はテロスに到達していることを言い表している。エネルゲイアとは現在(「見る」という現在形)においてテロスに到達していること(「見てしまった」という現在完了形)を意味する。アリストテレスは生きることもエネルゲイア(生きると同時に生きてしまった)と考えている。生きることは生きることの外にある目的へ向かう運動、生き終るための運動ではない。生きることがエネルゲイアであるという考えはとても魅力的だと思わないだろうか。
アリストテレスは生きることを運動でなく、エネルゲイアとして理解した。『存在と時間』における死の分析は全体存在の見かけの不可能性の指摘から始まるが、それは生を運動と理解していた。しかしハイデガーの狙いは現存在の全体性を語ることにある。とすれば生をエネルゲイアとして捉えることを目指しているだろう。エネルゲイアは「テロスに到達しているあり方」を意味する。ハイデガーはさまざまな講義・論文において一貫してテロスを「終り」(Ende) と訳している。とすれば「終りに至っている存在」は「テロス(終り)に到達しているあり方」としてのエネルゲイアであろう。生きることは、死という終りへ向かって一歩一歩近づき、死によって終る運動(キーネーシス)ではない。「終り(死)に至っている存在」は「現存在はすでにその終りである」を意味し、それが現存在の存在するあり方、生きるあり方である。それは生きることをエネルゲイアとして捉えることである。終りに至っている存在という規定の背景に、エネルゲイアというアリストテレス存在論の根本語がある。死の分析をつらぬくのは存在への問いである。
†先駆的決意性から時間性へ[#「†先駆的決意性から時間性へ」はゴシック体]
『存在と時間』第一編の成果は、現存在の存在を気遣いとして規定することである。気遣いとは「(世界内部的に出会われる存在者)のもとでの存在として、自己に先立って(世界)の内にすでに存在している」という現存在の存在を意味する。この「自己に先立って」が終りに至っている存在を、つまり全体存在を初めて可能にする。そして「自己に先立って」の本来的なあり方は先駆である。
先駆について簡単に説明しよう。普通、死はいつかは誰にでも訪れる出来事、現実化されるけれど、さしあたり未だ来ない可能な出来事と考えられている。それは死を未だ来ない現実性、薄められた現実性と見ることである。あるいは死という可能性を現実性へともたらすこととして自殺を考えることができる。現実性へともたらすことは可能性としての死を放棄することである。この二つの場合、死という可能性は現実性という視点から見られ、可能性が可能性として捉えられていない。それに対して、死への先駆は死という可能性を可能性として開示する。
全体性のために要求された死の分析から先駆を導いたように、本来性のために要求された良心の分析は本来的な真理としての決意性を導く。「良心の声」という言葉からわかるように、良心は呼び声として経験される。良心がわれわれにいつ、いかなる仕方で呼びかけるかは、われわれの自由にならない。われわれができることは、良心に呼びかけられたとき、その呼び声を真剣に聴くことである。このように真剣に聴き取る構えを保持していることは、「良心を持とうと意志すること」と言われ、「決意性」と名づけられる。
先駆と決意性は先駆的決意性として初めて現存在の本来的な全体存在を形成する。先駆と決意性は別々のものでなく、先駆的決意性として現存在の一つの統一的なあり方である。そして先駆的決意性という現象に即して時間性(既在しつつ現在化する将来)が経験される。現存在の存在意味を時間性として露にすることがここで果たされる。つまり時間性は現存在の存在(気遣い)を可能にする。「(世界内部的に出会われる存在者)のもとでの存在として、自己に先立って(世界)の内にすでに存在している」という現存在の存在が気遣いである。現在化が「のもとでの存在」を、将来が「自己に先立って」を、既在性が「の内にすでに存在している」を可能にするのである。
なぜ先駆的決意性が取り出されたのか。それはまず「真理と存在」から理解されねばならない。第三章第2節で論じたことであるが、「根源的で本来的な真理が現存在の存在の理解を保証する」。先駆的決意性は根源的で本来的な真理として、現存在の存在の理解を保証する、つまり時間性を開示することを可能にする。さらに先駆的決意性から時間性を読み取ることは、アリストテレスの時間論との対決である。アリストテレス『自然学』は運動に即して時間(「前と後に関しての運動の数」)を読み取る。先駆的決意性は現存在の本来的な動性であり、その本来的な動性(真の運動)から読み取られた時間性は根源的な時間であろう。
†私の死の基礎経験[#「†私の死の基礎経験」はゴシック体]
先駆的決意性は現存在の本来的なあり方であり、現存在の根源的な経験である。先駆的決意性は「本来的な死に至っている存在」であり、『存在と時間』は「世界内存在はその死より高いその存在可能の法廷を持っているのか」と語っている。そして死は誰か他の人の死でなく、「本質的にそのつど私の死」である。先駆的決意性を「私の死の基礎経験」と呼ぶことができる。それは『存在と時間』における存在への問いを可能にするパトス的契機である。
先駆的決意性に即して読み取られた時間性が現存在の存在を可能にし、現存在に属する存在理解をも可能にする。先駆的決意性は本来的な真理として『存在と時間』における存在への問いを導いているのである。先駆的決意性を「私の死の基礎経験」と呼びうるとすれば、『存在と時間』を支配しているパトス的契機は私の死の基礎経験である。存在への問いはロゴス的契機とパトス的契機によって導かれている。ロゴス的契機はプラトンとアリストテレスの存在への問いを取り返すという知の側面である。そしてパトス的契機は「私の死の基礎経験」のうちに求めることができる。この基礎経験こそが『存在と時間』における存在への問いを問うパトス的契機であり、現存在の分析論をその根底から生気づけているのである。
思想はロゴス的契機とパトス的契機から成り立っている。ロゴス的契機なき思想は盲目であり、パトス的契機なき思想は空虚である(「はじめに」)。
基礎経験という言葉に、第六章の第1節「神の死と形而上学」において「神の死の基礎経験」という形で再び出会うだろう。しかしその前に『存在と時間』を形而上学という観点から考察しなければならない。それが第五章「形而上学」のテーマとなる。
[#改ページ]
【第五章】
形而上学[#「形而上学」はゴシック体]
[#挿絵(img/fig6.jpg、横391×縦327)]
[#改ページ]
「西洋形而上学はギリシア人のもとでの開始以来、未だ形而上学という名称に結びつかずに、同時に存在論であり神学である。……形而上学は存在―神―学である。」
[#地付き](『同一性と差異』)[#「(『同一性と差異』)」はゴシック体]
[#改ページ]
『存在と時間』において哲学は存在論であるとされている。本書の第一章から第四章まで一貫して、『存在と時間』を存在論の光のもとで見てきた。存在論はアリストテレス『形而上学』における「存在者を存在者として探究する学」の理念に定位している。しかし『形而上学』には存在論―神学としての形而上学の二重性という問題がある。『存在と時間』における基礎的存在論の理念は形而上学の問題圏を動いている(第1節)。形而上学をめぐるハイデガーの格闘から、『存在と時間』の書き換えという最大の謎を解くことができるだろう(第2節)。『形而上学とは何か』はハイデガー自身の形而上学の構想を語っている。この形而上学の次元においてウィトゲンシュタインはハイデガーと出会うのである(第3節)。
1 基礎的存在論の理念[#「基礎的存在論の理念」はゴシック体]
†存在論―神学としての形而上学[#「†存在論―神学としての形而上学」はゴシック体]
『存在と時間』を支配しているのは存在論としての哲学という理念である。しかし哲学が存在論であるということは決して自明のことではない。確かに「存在論」という名称はアリストテレス『形而上学』における「存在者を存在者として探究する学」に基本的に由来し、プラトンのイデア論を存在論として理解することは可能である。そして『存在と時間』における存在論は「存在者を存在者として探究する学」に定位している。しかし存在論の理念を提示しているアリストテレス『形而上学』は、第一哲学が存在論か、神学かという問題を含んでいる。
「或る不動の実体が存在するならば、これを対象とする神学がより先であり、第一哲学である。そして神学は第一であるがゆえに、このような仕方で普遍的である。そして存在者を存在者として探究すること、存在者とは何かを探究し、存在者に存在者として属するものを探究することが、この学に属する」(『形而上学』第六巻第一章)。
神学が第一哲学であるとされるが、また同時に「存在者を存在者として探究すること」(存在論)も第一哲学に属する。ここに存在論―神学の二重性の問題がある。アリストテレスの存在への問いには存在論だけでなく、神学も含まれている。その後西洋形而上学の歴史を決定的に規定する存在論―神学の二重性という形而上学の問題がここにある。
いままでに何度も「形而上学」という言葉を使ってきたが、ここでこの言葉の由来と意味を考えよう。「形而上学」(Metaphysik) という名称は、meta ta physika というギリシア語に由来する。この語は「自然学に属する著書の後に配置される」アリストテレスの著作(『形而上学』)を意味したが、「後に」(meta) が「超えて」(trans) と解釈されるようになる。「形而上学」は「自然学を超えた学」(Meta-Physik=trans-physica) を意味する。
無論アリストテレス自身が「形而上学」という言葉を使ったわけではない。『形而上学』においてアリストテレスは自然学でも数学でもない哲学を「第一哲学」と名づけた。上で引用した箇所はその内実を語っている。アリストテレスが第一哲学と呼ぶものこそが彼の形而上学である。アリストテレスに由来する形而上学は「自然学を超える学」という意味だけでなく、存在論―神学の二重性をも含んでいる。しかし形而上学は神学なのか、存在論なのか、あるいは神学であり存在論であるのか。存在論と神学との関係はどうなっているのか。アリストテレス形而上学の根本に関わるこの問題は古代から現在に至るまで論争の的になっている。一九世紀末にナトルプがあらためてこの二重性の問題を提起した。第一哲学が一方において「存在者一般をあつかう学」(存在論)でありながら、他方において「存在者の一定の領域、つまり不変的で質料なきものを特殊な対象としてもつ学」(神学=特殊学)であることは、ナトルプにとって堪えがたい矛盾と映った。存在論こそがアリストテレスに本来的であると考えるナトルプは、第一哲学=神学を示す『形而上学』第六巻第一章を改竄《かいざん》と見なした。そして二〇世紀最大のアリストテレス研究者とされるイェーガーも二重性を否定しがたい矛盾と見なし、この矛盾を発展史的に解消しようとした。つまり神学的―プラトン的な不動の超越的存在についての学から、存在者としての存在者についての学へと発展したと解釈した。
ナトルプ、イェーガーの解釈を知っていたハイデガーはどう解釈したのだろうか。そしてそれが基礎的存在論の理念といかに関わるのか。
†最も「ある」と言われるものとしての神――範例的存在者の解釈[#「†最も「ある」と言われるものとしての神――範例的存在者の解釈」はゴシック体]
存在論としての哲学という理念はアリストテレス『形而上学』に由来する。しかし『形而上学』は形而上学(第一哲学)の二重性(存在論―神学)という問題を含んでいる。とすれば『存在と時間』が哲学を存在論と規定したことは決して自明のことではない。ハイデガーが『存在と時間』以後、哲学を存在論としてでなく、形而上学として性格づけたことからも、自明でないことがわかるだろう。存在論としての哲学という理念は形而上学の二重性を独自に解釈したことから生まれたのである。
一九二六年夏学期講義『古代哲学の根本概念』は『形而上学』第六巻第一章の箇所を解釈し、存在論と神学との二重性が必然的であると捉える。存在者を存在者として探究する存在論は、存在を問う。しかし存在(ある)を問うためにその手がかり(範例的存在者)を必要とする。「美とは何か」という問いを思い出そう(本書第一章第1節)。「美とは何か」という問いに答えるために、純粋に美しいもの、最も美しいものを範例とするだろう。「美とは何か」という問いは「そこから美が読み取られうる範例的存在者」(美しいものという存在者)を必要とする。
同様に「存在(ある)とは何か」という問いにおいて、純粋に「ある」と言えるもの、最も「ある」と言えるものを範例とするだろう。存在論は本当の意味で「ある」と言われるものを範例的存在者(それに即して「ある」が読み取りうる範例的存在者)として必要とする。最も「ある」と言われるもの(最高の存在者)は伝統的に神であり、アリストテレスにおいては「或る不動の実体」と呼ばれている神である。「存在(ある)とは何か」を問う存在論は必然的に範例的存在者を必要とし、伝統的存在論はそれを神に求めた。神を対象とする学は神学であるから、存在論は神学を要求する。
神が最も「ある」と言われるもの(最高の存在者)であることを、神の存在証明(存在論的証明と呼ばれる)に即して説明しよう。「神は最も「ある」と言われるものである。「ある」には「である」だけでなく、「がある」(存在する)も属する。ゆえに神は存在する」。このように神の存在論的証明を定式化できる。この証明に対してカントは「である」と「がある」の区別によって批判する。定義として確かに神は最高に智慧ある者、最高に善き者、最高に美しい者等々である。つまり神は最高の存在者(「最高に……である」と言われるもの)、最も「である」と言われるものである。しかしここから「がある」(神は存在する)は導けない。なぜなら「である」は「がある」を含まないからである。つまり神の本質(「である」)は実存(「がある」)を含まない。これをめぐる議論はカントで終るわけでないが、ともかくこうした議論は神が最も「ある」と言われるものであることに定位している。そして「ある」をめぐる議論が「である」と「がある」を問うことも理解できるだろう。
†基礎的存在論の理念の成立[#「†基礎的存在論の理念の成立」はゴシック体]
第一哲学は存在を問う存在論であるが、存在への問いにとって或る存在者(「ある」と本当に言えるもの)を範例的存在者として必要とする。伝統的存在論はそれを神に求めるから、哲学は存在論―神学の二重性という構造をもつ。ハイデガーは形而上学の二重性を「存在を問う存在論」から解釈するのであり、二重性を存在論へ止揚する。これを形而上学の「範例的存在者の解釈」と呼ぶことにしよう。
ここにハイデガーの形而上学に対する基本的な態度が明らかになる。ハイデガーは形而上学の二重性をそのまま受けとるのでなく、二重性の統一性(一性)を問うのである。さらに形而上学を存在論へ解消するのは「存在論が範例的存在者を必要とする」という洞察である。ここで「いかなる存在者が、いかにして存在論の範例として理解されているのか」という基本的な問いが生まれる。この問いが基礎的存在論の問いである。
一九二六年夏学期講義『古代哲学の根本概念』は、アリストテレス『形而上学』における第一哲学の二重性を論じた後に、基礎的存在論について語っている。「基礎的存在論。ある存在者が必然的に範例的であり、そのようにしてそれ自身主題となるが、存在概念という意味での存在理解をめざしてである」。
『存在と時間』の問題構制を特徴づける基礎的存在論という理念は、『古代哲学の根本概念』において初めて登場する。この言葉はそれ以前の講義に見出すことができない。しかもこの理念は第一哲学の二重性という形而上学の文脈で初めて現れる。このことがまず銘記されねばならない。「ある存在者が必然的に範例的である」とは、存在の概念を獲得するために「存在がそれに即して読み取られるべき範例的存在者」を必要とするということである。基礎的存在論の理念は、存在論の範例的存在者という問題によって、つまり形而上学の二重性の問題圏において登場したのである。それゆえ、「いかなる存在者が、いかにして存在論の範例として理解されているのか」という問いは基礎的存在論の核心的な問いである。
この問いは『存在と時間』第二節において問われている。「いかなる存在者を存在の開示はその出発点とすべきか。……この範例的存在者は何であり、そしていかなる意味で優位を持つのか」。ここまで読んできた読者にとって、この問いが存在論の範例的存在者を問うていること、そして形而上学の二重性の問題をその背景にしていることは明らかだろう。『存在と時間』における基礎的存在論の理念は存在論―神学としての形而上学の問題から生まれたのである。
†基礎的存在論としての『存在と時間』[#「†基礎的存在論としての『存在と時間』」はゴシック体]
範例的存在者の問いに『存在と時間』は現存在という存在者によって答える。それは現存在の分析論としての基礎的存在論の理念として確定される。「そこからすべての他の存在論が初めて発することができる基礎的存在論は、現存在の実存論的分析論のうちに求められねばならない」。現存在の分析論としての基礎的存在論の理念は形而上学の二重性という問題に対する一つの答えなのである。『存在と時間』は哲学を次のように定式化している。
「哲学は普遍的な現象学的存在論であり、現存在の解釈学から出発する。現存在の解釈学は実存の分析論として、すべての哲学的に問うことの導きの糸の端を、そこからすべての哲学的に問うことが発し、そこへと打ち返すところに結びつけているのである」(「哲学」の定式)。
この哲学の定式は『存在と時間』の哲学の理念を明確に述べている。この定式を理解しないかぎり、『存在と時間』の意味と射程を捉えることなど不可能である。「実存の分析論」という言葉が出ているからといって、それを実存哲学と考えてはならない。この定式のうちに現存在の分析論としての基礎的存在論の理念を読み取らねばならない。「そこからすべての哲学的に問うことが発し、そこへと打ち返すところ」とは、現存在という存在者である。それは範例的存在者を現存在とすることを意味する。範例的存在者の問題圏のうちを動いているがゆえに、哲学の定式は形而上学の二重性を背景にして読まれねばならない。この定式は哲学を普遍的な現象学的存在論としているが、存在論―神学としての形而上学がその背景に潜んでいる。範例的存在者の解釈によって、神学は存在論へと止揚される。それゆえに、哲学は存在論―神学としての形而上学ではなく、存在論とされるのである。哲学の定式は形而上学の二重性に対する一つの決定を言い表している。
すでに論じたように、伝統的存在論は範例的存在者を神に求め、神に定位して存在の理念を読み取った。『存在と時間』が範例的存在者を現存在に求めることは、伝統的存在論との根本的な対決、神という範例的存在者から読み取られた存在理念に対する批判・対決を意味する。この対決の背景には、形而上学の二重性という問題が潜んでいる。そしてここに『存在と時間』の書き換えという最大の謎を解く鍵も見出せるだろう。
2 『存在と時間』の書き換えの謎[#「『存在と時間』の書き換えの謎」はゴシック体]
†『存在と時間』の書き換えと一九二六年夏学期講義『古代哲学の根本概念』[#「†『存在と時間』の書き換えと一九二六年夏学期講義『古代哲学の根本概念』」はゴシック体]
本書の序章において、『存在と時間』の書き換えという問題を語った。この書き換えという『存在と時間』の成立の最大の謎を避けて通るとすれば、それは「『存在と時間』とは何か」という問いに答えていないことになる。書き換えという問題は『存在と時間』の理解の試金石である。ここまでは誰にでもわかってもらえると思う。序章で述べたことだが、ここでもう一度書き換えの事実を確認しておこう。
一九二六年四月一日に『存在と時間』の印刷が開始される。六月末まで印刷は順調に進んだが、夏学期の半ばに、ハイデガーは印刷を一時停止させ、『存在と時間』の書き換えを行なった。それは五四四頁から八〇〇頁になる大幅な書き換えであった。順調に進んでいる印刷を一時中止してまで書き換えをあえて行なったことは、極めて強い動機を考えないかぎり理解不可能である。大幅な書き換えであるから、小さな論点の書き換え・付加によって説明することはできない。書き換えは『存在と時間』の構想の根幹に関わるだろう。『存在と時間』の体系構想が一九二六年四月から夏学期の半ばの間に大きく変容したとしか考えられえない。このように言うと驚くだろう。ともかく書き換えという最大の謎を解くことを試みよう。
一九二六年四月から夏学期の半ばまでに何が起こったのかが問題である。この時期にハイデガーは『古代哲学の根本概念』を講義している。一九二六年夏学期講義のうちに書き換えの謎を解く鍵を求めることができるだろう。この講義はそれまでのギリシア哲学(古代哲学)の研究の集大成であり、プラトンとアリストテレスに多くの時間を使っている。『存在と時間』がプラトンとアリストテレスの存在への問いを取り返す試みであるとすれば、この講義でのプラトンとアリストテレスの解釈のうちに、体系構想の変容の姿が見て取れるだろう。
†善のイデアの解釈[#「†善のイデアの解釈」はゴシック体]
プラトン解釈において中心となるのは、『国家』における善のイデアの解釈である。ハイデガーは善のイデアの本質を「ウーシアを超えて」のうちに見ている。ハイデガーが「ウーシアを超えて」を重視し、それを存在の意味の次元(存在を超えて)に対応させたことはすでに論じた(第二章第3節)。この講義では「ウーシアを超えて」を二つの仕方で解釈している。
ハイデガーは「ウーシアを超えて」のうちに「存在への問いは自己自身を超越する」ということを読み取る。これは二重に、つまり存在論の内部の問題として、そして存在論を超える問題として解釈される。ウーシアはイデア(存在)であり、現れ(存在者)を超えている。とすれば「ウーシアを超えて」としての善のイデアは存在者と存在を超えている。「現れ―イデア―善のイデア」の三つの次元は「存在者―存在―存在の意味」に対応する(第二章第3節)。「ウーシアを超えて」は存在への問いを超えた「存在の意味への問い」の次元を意味する。これは存在論の内部の問題である。
しかしハイデガーはさらに「ウーシアを超えて」のうちに、存在論そのものを超える問題をも見る。この場合「存在への問いは自己自身を超越する」とは、存在論を超えること、存在論から神学へと転化することである。善のイデアは諸イデアを超えた「最も卓越したもの」、神と解釈されるのである。「ウーシアを超えて」は存在論を超えた神学を指し示している。つまりハイデガーはここに形而上学の二重性(存在論―神学)を見ている。形而上学(Meta-physik)(自然学を超えた学)の「メタ」は「超えて」(超越)を意味する。この「メタ」という言葉を使って、ハイデガーは「存在論を超える学(神学)」を「メタ存在論」と呼ぶ。存在論が存在論自身を超越することによって、神学が成立するがゆえに、メタ存在論と呼ばれるのである。つまりメタ存在論の「メタ」は超越を意味する。
「ウーシアを超えて」という言葉は存在論(存在を超えた存在の意味(善のイデア))を、さらに存在論を超えた神学(メタ存在論)を指し示している。ハイデガーは存在論―神学としての形而上学を読み取っているのである。善のイデアの解釈は、超越に定位した「存在論―メタ存在論(神学)」としての形而上学の理解であり、形而上学の「超越の解釈」と呼ぶことができる。
この超越の解釈は範例的存在者の解釈(二重性を存在論へ止揚する)とは明らかに異なる。『古代哲学の根本概念』のうちに形而上学の二重性をめぐる二つの異なった解釈、つまり超越の解釈と範例的存在者の解釈が並存する。この奇妙な事態のうちに『存在と時間』の書き換えという謎を解く鍵がある。
†形而上学をめぐる二つの解釈と『存在と時間』の書き換え[#「†形而上学をめぐる二つの解釈と『存在と時間』の書き換え」はゴシック体]
現行の『存在と時間』は基礎的存在論の理念のもとで展開されている。しかし基礎的存在論の理念は一九二五―二六年冬学期までの講義のうちに見出すことができない。この理念が初めて現れるのは一九二六年夏学期『古代哲学の根本概念』においてである。
基礎的存在論の理念は範例的存在者の解釈によって成立した。しかし一九二六年夏学期講義には、形而上学の二重性に関して、この解釈だけでなく、超越の解釈も存在する。二つの異なる解釈が同じ講義に並存することは奇妙であり、矛盾しているように思える。しかし講義は著書・論文と異なり、時間に従って継起的になされる。『古代哲学の根本概念』という講義において、プラトンのイデア論が先に解釈され、次にアリストテレス哲学があつかわれている。つまり講義の順は、善のイデアの解釈が先であり、その後でアリストテレス形而上学の解釈がなされる。
プラトン『国家』における善のイデアの解釈は超越の解釈であり、そのうちに超越に定位した「存在論―メタ存在論(神学)」としての形而上学を見出しうる。これは存在論―神学としての形而上学の構想である。しかしプラトン解釈の後になされるアリストテレス『形而上学』第六巻第一章の解釈は、範例的存在者の解釈であり、基礎的存在論の理念がそれによって確立する。範例的存在者の解釈によって神学は存在論のうちに止揚され、存在論―神学としての形而上学はその二重性を失う。現行の『存在と時間』はこの範例的存在者の解釈に基づく基礎的存在論の構想のもとにある。
『存在と時間』の最初の基本的構想は超越に定位した存在論―メタ存在論(神学)としての形而上学であった。しかし一九二六年四月から夏学期の半ばの間に、『形而上学』第六巻第一章の新たな解釈(範例的存在者の解釈)、そしてそれに基づく基礎的存在論の理念が確立する。形而上学の二重性は範例的存在者の解釈によって存在論に止揚される。哲学は存在論―神学としての形而上学でなく、存在論となる。これは形而上学の二重性をめぐる解釈の基本的な変更であり、ハイデガー自身の体系構想の変容をもたらした。これによって最初の形而上学構想は破棄される。これは体系構想の根幹に関わることであるから、ハイデガーは印刷を停止させてまでも、『存在と時間』の書き換えをあえて行なったのである。
『存在と時間』の書き換えの背後に形而上学をめぐる体系構想の変容、基礎的存在論の理念の確立を見なければならない。『存在と時間』が形而上学の問題圏を動いていることから初めて『存在と時間』の書き換え問題は理解できる。ハイデガーが『存在と時間』をあえて書き換えたことのうちに、プラトンとアリストテレスの存在への問いと彼が格闘している現場を垣間見ることができる。
†『存在と時間』の未完――基礎的存在論から形而上学へ[#「†『存在と時間』の未完――基礎的存在論から形而上学へ」はゴシック体]
範例的存在者の解釈によって基礎的存在論の理念は確立した。この理念に定位して『存在と時間』は構想されている。しかし『存在と時間』は未完に終り、第三編「時間と存在」は出版されなかった。なぜなのだろうか。『存在と時間』の未完という問題はさまざまに解釈されている。この問題を体系構想という観点から論じることが必要である。
『存在と時間』以後ハイデガーの体系構想は形而上学の構想へと変容する。一九二八年夏学期講義は範例的存在者としての現存在という考えから距離を取る。それは体系構想の変容と相即的である。この講義は「基礎的存在論―メタ存在論」としての形而上学を構想する。「基礎的存在論とメタ存在論はその統一において、形而上学の概念を形成している」。これは一九二六年夏学期講義での善のイデア(「ウーシアを超えて」)の解釈と同型である。『存在と時間』の最初の構想は「存在論―メタ存在論(神学)」としての形而上学構想に基づいていたが、範例的存在者の解釈によって破棄され、『存在と時間』は大幅に書き換えられた。しかし再び形而上学の構想へと立ち返る。そしてこの体系構想の変容は『存在と時間』をそのままの形で完成させることを不可能にした。
『存在と時間』の体系構想は「形而上学の二重性から基礎的存在論へ」として初めて理解できる。これが『存在と時間』の書き換えへとハイデガーを強いた。しかしさらに『存在と時間』は「基礎的存在論から形而上学へ」の動きのうちで理解されねばならない。この移行として『存在と時間』はある。『存在と時間』は文字どおり「移行の作品」、より適切に言えば「途上にある」。
こう言われると、ハイデガーが体系構想を次から次へ変え、一貫性がないと思うかもしれない。しかしここに創造的な思想家のダイナミズムを見ることができる。創造する者(思想、芸術、科学)は誰でもこうしたダイナミズムのうちに生きている。
†形而上学の二重性とその一性への問い[#「†形而上学の二重性とその一性への問い」はゴシック体]
しかし創造的な哲学者にはこうした変容のダイナミズムをつらぬくものが存在する。ハイデガーにおいて構想変容をつらぬいているのは形而上学の二重性という問題、形而上学の二重性の一性への問いである。なぜ哲学が存在論―神学という二重性をもつのかという問いこそが、範例的存在者の解釈を導いている。存在論は存在の理念を読み取るために範例的存在者を必要とする。神が最も「ある」と言える存在者であるとすれば、神に定位して存在の理念が読み取られる。哲学は神学を必要とする。だから哲学は存在論―神学という二重性をもつ。
二重性の一性への問いがハイデガー独自の形而上学構想をも突き動かしている。この問いに答えることが『存在と時間』以後の講義の基本的な原動力である。例えば一九二八年夏学期講義は存在論がメタ存在論へ転化する必然性を語り、この二重性の一性を現存在の「被投的企投」に求めている。企投は存在論に対応し、被投(全体としての存在者への被投性)はメタ存在論に対応する。
一九二八年以後、ハイデガーは講義において繰り返し形而上学の二重性の一性を問いつづける。一九三〇年代後半までの彼の講義を理解する鍵はこの問いのうちにある。しかし一九三〇年後半にハイデガーは「形而上学の克服」を語るようになる。それはハイデガー自身の形而上学構想の自己批判でもある。「形而上学から形而上学の克服へ」というテーマは第六章であつかうことになる。しかし形而上学の二重性への問いはハイデガーの晩年に至るまで一貫している。「形而上学の存在―神―学的体制」(一九五六―五七年)という論文において「形而上学は存在―神―学(Onto-Theo-Logie) である」と語り、この形而上学の存在―神学的体制は思惟にとって問うに値する事柄であると言う。それは存在―神―学のうちに「形而上学の本質の未だ思惟されない一性」を見出すからである。これは形而上学の二重性の一性への問いであり、「いかにして神が哲学の中に入り来るのか」という問いとして言い表される。これと同じ問いが範例的存在者の解釈を導いていたことは明らかだろう。形而上学の二重性の一性への問いがハイデガーの思惟の道を貫いている。
ハイデガーの思惟の道を先まで行ってしまい、むずかしかったかもしれない。しかし存在論―神学としての形而上学という問題がハイデガーの思惟の道をつらぬいていることがわかれば十分である。「形而上学」という言葉はさまざまに使われ、「……の形而上学」と任意に語られる。確かにどう使おうと勝手である。しかしハイデガーが「形而上学」を語るとき、その基本的な意味は存在論―神学の二重性のうちにある。このことだけは忘れないようにしよう。
『存在と時間』以後の一九二九年にハイデガーは三部作(『カントと形而上学の問題』『形而上学とは何か』『根拠の本質について』)を書く。一九二九年の三部作は形而上学構想のもとで書かれている。形而上学の三部作を貫くのは形而上学の一性への問いである。三部作を自分の目で読むことを勧めるが、ウィトゲンシュタインはこの三部作の一つ、『形而上学とは何か』を読み、理解ある共感を示した。ここにウィトゲンシュタインとハイデガーの出会いがある。
3 『形而上学とは何か』とウィトゲンシュタイン[#「『形而上学とは何か』とウィトゲンシュタイン」はゴシック体]
†存在と不安によって考えていることを十分に思い描くことができる[#「†存在と不安によって考えていることを十分に思い描くことができる」はゴシック体]
本書の「はじめに」において、ウィトゲンシュタインとハイデガーの出会いが形而上学の次元でなされる、と言った。それを読んで奇異に感じた人がいるだろう。しかしそうした感覚はウィトゲンシュタインに対する根強い先入観に由来しているにすぎない。反形而上学としてのウィトゲンシュタイン哲学というイメージが先入観にすぎないことを知るために、最初に彼自身の言葉を引用するのがいいだろう。
「私が形而上学を軽蔑していると思わないでほしい。過去の偉大な哲学的体系のいくつかを、私は人間精神の最も高貴な産物と見なしている」。
ウィトゲンシュタインのこの言葉を常に念頭に置きながら、これからの議論を読んでほしい。以下の議論の狙いは、ハイデガーとの出会いの意味を明らかにすることを通して、ウィトゲンシュタインを英米系の分析哲学(言語の哲学、心の哲学、科学の哲学)から解き放ち、形而上学の伝統へとウィトゲンシュタインを取り戻すことにある(終章)。
ウィトゲンシュタインは一九三〇年一二月三〇日にシュリック宅において、ハイデガーに言及している。
「ハイデガーが存在と不安によって考えていることを、私は十分に思い描くことができる。人間は言語の限界にぶつかるという衝動をもっている。或るものが存在することに驚く(Erstaunen) という例を考えてみよう。この驚きは問いの形において表現されえないし、答えもまた存在しない。われわれが語ろうとするすべてのものは、アプリオリにただ無意味でしかない。それにもかかわらずわれわれは言語の限界にぶつかる。……言語の限界にこのようにぶつかることが倫理である」。
ここで話題とされているのはハイデガーの就任講演『形而上学とは何か』である。ウィトゲンシュタインがハイデガーに出会ったのは、『形而上学とは何か』において、つまり「形而上学」という場においてである。まずこの点を確認しよう。しかも「私は十分に思い描くことができる」という発言はウィトゲンシュタインの理解ある共感を示している。この共感は論理実証主義の態度(形而上学の否定)とは鋭い対照をなす。論理実証主義者の一人カルナップは「言語の論理的分析による形而上学の克服」という論文においてハイデガーの講演を攻撃・揶揄《やゆ》の標的としている。形而上学に対するウィトゲンシュタインの態度は攻撃・揶揄とはまったく異なっている。
ではウィトゲンシュタインが十分思い描くことができると言った「ハイデガーが存在と不安によって考えていること」とは何なのか。講演『形而上学とは何か』において根本気分として不安が語られている。不安こそが「なぜそもそも存在者が存在し、むしろ無ではないのか」という形而上学の根本的問いを問うことを可能にする。これはライプニッツが問うた形而上学の第一の問いと同じである(「はじめに」)。不安が「存在者が存在する」という自明なこと(最も普通のこと)をその異常さにおいて(すべてのものの中で最も異常なものとして)初めて開示する。こうしたことが「ハイデガーが存在と不安によって考えていること」であろう。だからウィトゲンシュタインは「或るものが存在することに驚く」という例を出しているのである。論理実証主義者のカルナップであれば、「ハイデガーが存在と不安によって考えていること」を揶揄の対象にするだろう。しかしウィトゲンシュタインは「十分に思い描くことができる」と言う。ウィトゲンシュタインはいかなることを思い描いていたのか。この時期に彼は『倫理講話』において、世界の存在に驚くという経験を語っている。
『倫理講話』は「世界の存在に驚く」という経験を、「何かが存在することはいかに異常なことだろうか」、「世界が存在することはいかに異常なことだろうか」と表現している。この驚きは『形而上学とは何か』における不安と同じ働きをしている。ハイデガーにとって驚きも不安と同様、根本気分である。ある講義(一九三七―三八年冬学期)においてハイデガーは言う。「驚き(Er-staunen) は普通のものから目をそらすのでなく、普通のものに目を向けるのであるが、しかしすべてのものの中で最も異常なものとして目を向けるのである。この気分が全体へと向かい全体のうちに立つかぎり、この気分は根本気分と呼ばれる」。これは『形而上学とは何か』における不安という根本気分にも妥当する記述である。このハイデガーの言葉はウィトゲンシュタインの驚き、つまり「世界が存在することはいかに異常なことだろうか」と同質であろう。根本気分としての驚き(Er-staunen) は、ウィトゲンシュタインがハイデガーに言及した際に例とした「或るものが存在することに驚く(Erstaunen)」ことと同じである。ウィトゲンシュタインが「ハイデガーが存在と不安によって考えていることを、私は十分に思い描くことができる」と語ったことを、われわれも十分に理解することができる。
†人間は言語の限界にぶつかるという衝動をもっている[#「†人間は言語の限界にぶつかるという衝動をもっている」はゴシック体]
確かにウィトゲンシュタインの驚きとハイデガーの不安は根本気分として同質である。しかし経験の同質性は哲学の同一性を意味するわけではない。それは「私が世界の存在に驚くと言うことは無意味である」という『倫理講話』の言葉から明らかだろう。シュリック宅での彼の発言もまったく同じである。「この驚きは問いの形において表現されえないし、答えもまた存在しない。われわれが語ろうとするすべてのものは、アプリオリにただ無意味でしかない」。この思想は『論考』と同じである。「人が言い表すことのできない答えに対して、人はまた問いを言い表すことができない。/謎は存在しない。/そもそも問いが立てられうるとすれば、問いはまた答えられうる」(『論考』6.5)。形而上学の問いと答えは言い表すことができず、その意味で形而上学の命題は無意味である。それゆえ『形而上学とは何か』における形而上学の根本的問い「なぜそもそも存在者が存在し、むしろ無ではないのか」は、ウィトゲンシュタインにとって言い表しえないものである。しかしこの思想は論理実証主義による形而上学の否定とはまったく異質のものである。そうでなければ、ハイデガー『形而上学とは何か』に対して共感を示すことなどありえないだろう。
論理実証主義者カルナップが揶揄するために引用した『形而上学とは何か』の言葉を見てみよう。「無に関する問いと答えはそれ自身において等しく反意味的である」。ウィトゲンシュタインであれば、ここに「人間は言語の限界にぶつかるという衝動を持っている」ことを読み取るだろう。それは形而上学への衝動である。「言語の限界にこのようにぶつかることが倫理である」と言われているが、ウィトゲンシュタインにおいて倫理は本来的な形而上学を意味する。このことは『倫理講話』においても語られている。倫理的・宗教的な表現は無意味な表現とされるが、このような表現によってウィトゲンシュタインがしたいことは、「まさに世界を超えること、つまり有意味な言語を超えること」である。この「超える」(go beyond) ことは、「自然学を超えて」としての形而上学(Meta-Physik) を想起させるだろう。そして「世界を超えること=有意味な言語を超えること」という等置は、「私の言語の限界が私の世界の限界を意味する」(5.6) という『論考』の思想を前提している。それゆえ次のように言われるのである。「私の全傾向は、そして私の信じるところによれば、倫理や宗教についてかつて書いたり話そうとしたすべての人の傾向は、言語の限界にぶつかることであった」。これは「人間は言語の限界にぶつかるという衝動をもっている」ことと同じである。
そして形而上学へのこの傾向・衝動をウィトゲンシュタインはハイデガー『形而上学とは何か』のうちにも見たのである。『倫理講話』の最後において、この傾向についてウィトゲンシュタインは言う。「人間の心のうちにある傾向を、私は個人的に深く尊敬せざるをえないし、そして私の生涯にわたってあざけることはないだろう」。形而上学に対するウィトゲンシュタインのこの発言は、論理実証主義と極めて対照的な態度を示している。ウィトゲンシュタインは形而上学を否定されるべき無価値なものと見なしたことは一度もない。ここで「私が形而上学を軽蔑していると思わないでほしい……」という彼自身の言葉を想い出してほしい。
ウィトゲンシュタインはハイデガー『形而上学とは何か』に理解ある共感を示した。とすれば、『形而上学とは何か』からウィトゲンシュタイン哲学に光をあてることができるだろう。
†形而上学とは何か[#「†形而上学とは何か」はゴシック体]
『形而上学とは何か』の狙いは、講演の題目から明らかなように、「形而上学とは何か」という問いに答えることにある。この講演で不安がテーマとなるのは、「不安の哲学」とか「無の哲学」を提示するためでは決してなく、不安という根本気分によって初めて形而上学の問いを問いうる場が開かれるからである。不安の喚起による形而上学の成立こそがテーマである。これは形而上学のパトス的契機である。
『形而上学とは何か』は形而上学をはっきり定式化している。「形而上学は、概念把握することに対して、存在者を存在者としてかつ全体として取り戻すために、存在者を超えて問うことである」。この定式は形而上学のロゴス的契機と見ることができる。「存在者を超えて問う」ことのうちに、「自然学を超えた学」としての形而上学という理念が読み取れる。さらに「存在者を存在者としてかつ全体として」という言葉のうちに存在論―神学としての形而上学が言い表されている。「存在者を存在者として」は「存在者を存在者として探究する学」としての存在論を、そして「存在者を全体として」はメタ存在論(神学)を指し示している。
形而上学の二重性は決してアリストテレスやハイデガーだけの問題ではない。この二重性のうちをカントも動いている。カント『形而上学の進歩に関する懸賞論文』は形而上学を定義している。「形而上学とは、感性的なものの認識から超感性的なものの認識へと理性によって進展する学である」。これは「自然学を超えた学」としての形而上学である。そして形而上学は「存在論―本来的な形而上学」という二部門として理解されている。「存在論は、すべての悟性概念と原則の体系を形成する学(形而上学の一部門として)であるが、それらの悟性概念と原則が感官に与えられる対象に関わり、それ故経験によって確証されうるかぎりにおいてである。存在論は、実際形而上学の究極目的である超感性的なものに関わらない。それゆえ存在論が形而上学に属するのは、ただ予備学として、本来的な形而上学のロビーや前庭としてである」。少しわかりにくいかもしれないが、形而上学の二重性(存在論―本来的な形而上学)は明らかだろう。そして本来的な形而上学の対象である超感性的なものは、理性が実践的な関心を持つ三つの対象、つまり神と自由と不死性(神の存在、意志の自由、魂の不死性)である。形而上学の二重性はカントの時代において一般形而上学(存在論)と特殊形而上学(心理学、宇宙論、神学)の二部構成として捉えられていた。カント『純粋理性批判』の構成を規定しているのは、この形而上学の二重性である。
ウィトゲンシュタインはハイデガー『形而上学とは何か』に理解ある共感を示した。そして両者が出会う場は形而上学である。とすればウィトゲンシュタインに形而上学という視点から光をあてることができるだろう。不安の喚起による形而上学の成立というパトス的契機には、ウィトゲンシュタインの驚きという根本気分が対応する。そして「自然学を超える」ことをウィトゲンシュタインは「世界を超えること、つまり有意味な言語を超えること」と表現している。ここまで対応が成り立つとすれば、形而上学の二重性もウィトゲンシュタインのうちに見出せると考えたくなるだろう。事実『論考』は論理―倫理の二部構成である。
†論理と倫理は超越論的である[#「†論理と倫理は超越論的である」はゴシック体]
「この本の意味は倫理的なものです。……私の本は二つの部分から構成されている。つまりここで提示されている部分と、私が書かなかった部分である。そしてまさにこの第二の部分が重要なものです」。
このようにウィトゲンシュタインは『論考』についてフィッカー宛ての手紙で語っている。『論考』は二つの部分から、つまり提示されている部分とウィトゲンシュタインが書かなかった部分から構成されている。『論考』は論理を基本的なテーマとし、6.41 から 6.522 においてわずかに倫理的なものをあつかっている。それゆえ提示されている部分は論理的なものに関わる。そして書かなかったと言われる部分は倫理的なものに関わり、その第二の部分が重要である。だから『論考』の意味は倫理的なものであると言われるのである。
『論考』は論理と倫理の二部構成である。しかし「なぜ二部構成なのか」と一度は問うべきだろう。この問いを誰も問わないのは奇妙であるが、問いもせず、答えもできないとすれば、『論考』の核心を掴んでいないことになるだろう。この問いが重要であることまでは、誰でも認めてくれるだろう。
ウィトゲンシュタインにとって二部構成が単なる偶然でないことをまず指摘しよう。『論理に関するノート』(一九一三年九月)においてウィトゲンシュタインはすでに彼の哲学観を確立している。そして哲学を次のように定式化している。「哲学は論理と形而上学から成り立っているが、論理は哲学の基礎である」。哲学は「論理と形而上学」の二部構成とされている。この二部構成が『論考』において論理と倫理の二部構成として具体化された。「論理と形而上学」が「論理と倫理」となっているが、形而上学とはカントが言う「本来的な形而上学」、つまり理性が実践的な関心を持つ三つの対象「神と自由と不死性」に関わる特殊形而上学に対応するだろう。それは倫理と呼びうる。そして論理が存在論として理解できるとすれば、論理と形而上学から成り立っている哲学は存在論―神学としての形而上学となるだろう。「論理は哲学の基礎である」とは、本来的な形而上学が成立するために、論理(一般形而上学としての存在論)がそれに先行することを言う。カントの言葉を使えば、存在論としての論理が形而上学に属するのは、「ただ予備学として、本来的な形而上学のロビーや前庭としてである」。だからこそ『論考』の意味は論理にあるのでなく、倫理にあると言われるのである。
断定的に言ったことを証明するために、多くのことを示さねばならない。まず『論考』で論理と倫理がいかに語られているかということから始めよう。
論理と倫理はともに「超越論的(transzendental) である」(6.13, 6.421) と語られている。このように語られるのは、『論考』において論理と倫理についてだけである。論理と倫理のこの平行性は極めて印象的である。論理と倫理がともに超越論的であるとされていることは、『論考』が論理―倫理の二部構成であることと正確に対応している。『論考』において考えられている哲学は論理―倫理として超越論的である。しかし「超越論的」とは何を意味するのか。
『論考』6.421 から出発しよう。「倫理が言い表されえないことは明らかである。/倫理は超越論的である」(6.421)。「倫理が言い表されえない」ことが「倫理が超越論的である」と言い換えられているが、「倫理が言い表されえないことは明らかである」という言葉は、『草稿』(一九一六年七月三〇日)に由来する。そこでは『論考』6.421 とまったく同様に「倫理が言い表されえないことは明らかである」と語られ、幸福な生のメルクマールの考察を通して、「倫理は超越的である」と言われている。『草稿』において「倫理が言い表されえない」=「倫理は超越的である」となっている。これは『論考』における「倫理が言い表されえない」=「倫理は超越論的である」とパラレルである。つまり『論考』における「超越論的」(transzendental) は『草稿』における「超越的」(transcendent) と同じ意味である。それゆえ『論考』の「超越論的」の意味は、『草稿』から読み取ることができるだろう。
幸福な生のメルクマールは「自然学的なものでありえず、形而上学的なもの、超越的なものでしかありえない」とされている。ここで「自然学的」と「形而上学的」=「超越的」とが対比されている。「自然学的」(physisch) と「形而上学的」(metaphysisch) の対比は、「自然学」(Physik) と「自然学を超えた学」(Meta-Physik) =「形而上学」(Metaphysik) との対比である。ウィトゲンシュタインは「形而上学的」を伝統的な意味において、つまり「自然学を超えて」(trans-physica) という意味で使っているのである。それゆえに「超越的」(自然学を超越する = trans)と同義なのである。その意味において「倫理は超越的である」とされるが、『論考』の「倫理は超越論的である」もこの意味において理解されねばならない。「超越論的」とは「自然学を超えて(超越して)」として、「形而上学的」なのである。論理と倫理が超越論的であるとは、『論考』が形而上学であることを意味している。
『論考』が論理―倫理という二部構成であり、形而上学であるとすれば、この二部構成は存在論―神学の二重性に対応するだろう。これを示すためには論理が存在論に、倫理が神学に対応することを証示する必要がある。まず『論考』の論理を存在論として解釈することを試みよう。
†存在論としての論理[#「†存在論としての論理」はゴシック体]
『論考』は「世界は、成立しているすべてのものである」(1) というテーゼから始まる。そしてこの最初のテーゼの註解である二番目のテーゼは言う。「世界は事実の総体であって、物の総体ではない」(1.1)。ここに『論考』の論理の基本を読み取ることができる。世界の構成要素としての「成立しているもの」は、物(名に対応する物)でなく、事実(命題に対応する事実)である。『論考』の論理は事実をさまざまな領域(例えば自然の事実と歴史の事実)に区分せず、事実が事実であるかぎりでのその普遍的な構造を論じる。この探究の仕方は「存在者を存在者として探究する学」(アリストテレス存在論)を想起させるだろう。存在者は「「ある」と言われるもの」を意味する。確かに『論考』は、伝統的な存在論が物(物であるかぎりでの物)を探究するのと異なり、事実(事実であるかぎりでの事実)の一般的な構造を探究する。『論考』の論理は「「ある」と言えるものを「ある」と言えるかぎりにおいて探究する存在論」である。『論考』の独自性は、世界の構成要素である「「ある」と言えるもの」を物でなく、事実とした点にある。『論考』で展開される論理は、名に定位した物の存在論でなく、文(命題)に定位した事実の存在論である。
『論考』は命題に定位した存在論である。言語に定位した存在論(言語の構造を通して世界の存在論的構造を語ること)は存在論の伝統に属する。アリストテレスは問いという言語のあり方からカテゴリーを導出し、またカントは判断という言語のあり方からカテゴリーを導いている。『論考』はこの伝統のうちに立っている。事実と命題(事実の像)との写像関係(論理形式の共有)に定位して、『論考』は「「ある」と言われるかぎりでのあるものと、これに自体的に属するものを探究する」のである。『論考』の論理はアリストテレスの意味において存在論なのである。
『論考』において「「ある」と言われるもの」は事実(命題に対応する事実)である、と言った。しかし『論考』は「ある」を問うことなどしているのか、と疑問に思うだろう。「「ある」と言われるもの」についてもう一度考えてみよう。「「ある」と言われるもの」は、「Sがある」「SはPである」という形で言われるSである(序章第1節)。その場合、Sは名に対応する物である。しかし『論考』は世界の構成要素を物でなく、命題に対応する事実とする。では『論考』は「Sがある」「SはPである」という命題に対応する事実を考えていることになるのか。そうではない。『論考』は「ある」を「である」を意味すると考えている。つまり事実は「SはPである」という「である」命題にのみ対応する。ここで「である」と「がある」の区別という『論考』の核心的な問題に突きあたっている。
まず『論考』がそこから由来する『草稿』(一九一五年一月二二日)から出発しよう。「私の課題全体は、命題の本質を説明することにある。/つまり命題がその像であるすべての事実の本質を述べること。/すべての存在の本質を述べること。/(そしてここで存在は実存することを意味しない―意味するとすればそれは無意味であろう)」。
ここに『論考』の論理の基本課題を読み取ることができる。その課題を「存在」(Sein) という語を使って「すべての存在の本質を述べること」と表現している。『論考』の論理の核心に「存在」という言葉が潜んでいる。さらに括弧の中の言葉に注目しよう。「存在(Sein) は実存すること(existieren) を意味しない」という言葉は、ウィトゲンシュタインが「である」と「がある」(existieren) との区別をはっきり意識していたことを示している。『論考』の論理の課題は命題の本質を説明することであるが、それはすべての存在(「である」)の本質を述べることである。『論考』における命題は「或るものがこのようである」(SはPである)という「である」命題であって、「或るものがある」(Sがある)という「がある」命題は考えられていない。このことは何を意味するのか。『論考』(5.552) は次のように言う。
「論理の理解のためにわれわれが必要とする『経験』は、或るものがかくかくの状態であるという経験でなく、或るものがあるという経験である。しかしこれはまさに経験ではない。/ 論理はあらゆる経験の前に、或るものがこのようであるという経験の前にある。論理は『いかに』の前にあるが、『何』の前にない」。
「或るものがある」(etwas ist) と「或るものがこのようである」(etwas ist so) とが、つまり「がある」と「である」が鋭く対比されている。『論考』の論理はこの対比のうちで、つまり「ある」の問題圏のうちで位置づけられている。これが確認できれば、ここでは十分である。詳細な論証をする余裕がないので、断定的に述べよう。
『論考』は「世界は、成立しているすべてのものである」というテーゼから始まる。「成立しているもの」とは、「である」命題に対応する事実である。論理は世界の「である」を支配するが、世界の「がある」を規定するのでなく、前提する。こうした論理の位置づけは、神の世界創造から理解できる。論理が世界の「がある」を前提するとは、神が世界を創造したこと(世界があること)を前提することである。神が世界を創造するか否か(世界があるか否か)は、神の自由であって、何ものにも規定されていない。つまり世界の「がある」は論理に従わない。しかし神が世界をいかに創造するか(世界の「である」)は論理に従う。論理的に矛盾した世界(例えば、SがPであり、かつPでない世界)を神は創造することができないからである。
「世界がある」(或るものがある)ことは論理に従わない次元に属し、それゆえ神秘的なものである。「世界がいかにあるかが神秘的なものなのでなく、世界があることが神秘的なものである」(6.44)。世界があることが神秘的なものであるのは、神が世界を創造したことそれ自身が神秘的なもの(理解を端的に超えていること)だからである。これはライプニッツの形而上学の第一の問い「なぜ何もないのでなく(無でなく)、むしろ或るものが存在するのか」の次元に属する。
「がある」と「である」の鋭い区別、論理が「である」(いかに)の前にあるが、「がある」(何)の前にないという論理の位置づけ。この点を押さえれば、『論考』の論理を「ある」を問う存在論として理解する試みを奇妙に思わなくなるだろう。
†論理―倫理の二重性としての形而上学[#「†論理―倫理の二重性としての形而上学」はゴシック体]
『論考』の論理を存在論として解釈できたとして、次に倫理を考察しよう。そのためにカントの形而上学(存在論―本来的な形而上学)の規定を想起したい。本来的な形而上学は、理性が実践的な関心をもつ三つの対象(神と自由と不死性)に関わる。理性が実践的な関心をもつとすれば、それを倫理と呼びうるだろう。カントが語る本来的な形而上学のテーマは神と自由と不死性(神の存在、意志の自由、魂の不死性)である。『論考』における倫理はこの三つのテーマに関わっている。意志の自由は、「倫理的なものの担い手としての意志」(6.423)、「善き意志と悪しき意志」(6.43) として語られている。魂の不死性は、「人間の魂の時間的な不死性」(6.4312) として言及され、「現在のうちに生きる者は永遠に生きる」(6.4311) という永遠性(現在としての永遠性)として肯定されている。神の存在は、「神は世界の中に自己を示さない」(6.432) と言われ、倫理に関わる最後のテーゼ(6.522) が神の存在を確言する。「もちろん言い表しえないものが存在する。それは自己を示す、それは神秘的なものである」(6.522)。『論考』の倫理は「言い表しえないもの(神秘的なもの=神)が存在する」というテーゼにおいてその頂点に達する。神に究極するという意味において、『論考』の倫理は神学に対応する。
『論考』の倫理は本来的な形而上学の三つの対象、「神と自由と不死性」を語っているのである。『論考』の倫理は本来的な形而上学であり、それゆえに「まさにこの第二の部分が重要なものである」と言われる。そして形而上学としての『論考』が本来的な形而上学をめざすがゆえに、「この本の意味は倫理的なものです」と語られるのである。
ハイデガーの形而上学の定式は、「存在者としての存在者への問い」(存在論)と「全体としての存在者への問い」(神学)という形而上学の二重性を表現している。この定式はアリストテレス『形而上学』に由来する存在論―神学の二重性であり、ハイデガーは自覚的にこの伝統のうちに立っている。『論考』の論理―倫理の二部構成は、ウィトゲンシュタイン自身がどれほど自覚的であったかは別として、存在論―神学という形而上学の二重性という伝統のうちにあるのである。
ウィトゲンシュタインについての細かな議論は断言も多く、本章第3節がこれまでで一番わかりにくかったかもしれない。しかし「『論考』が論理―倫理の二部構成であるのはなぜか」という問いが核心的な問いであることをまずわかってほしい。そうすれば、ウィトゲンシュタインがハイデガーに理解ある共感を示したこと、ウィトゲンシュタイン哲学に形而上学(超越と「存在論―神学」の二重性)から光をあてることによってウィトゲンシュタインが新たな姿で見えてくること、そして形而上学がハイデガーの専売特許でも、過去のものでもないこと、こうしたことが見えてくるだろう。それがわかれば十分である。ハイデガーへ導くことは、ウィトゲンシュタインへも導くのである。二〇世紀最大の二人の哲学者は形而上学の次元において出会う。視界が開け、新しい光景が見えてくることを楽しいと思ってくれれば、それだけで成功である。
視野が広がり、ウィトゲンシュタインとハイデガーをともに論じる地平を得られたのは、「形而上学」に定位したからである。この定位は「ハイデガーとナチズム」問題をも新しい視点から考察することを可能にするだろう。それが第六章「ナチズム」の課題となる。
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【第六章】
ナチズム[#「ナチズム」はゴシック体]
[#挿絵(img/fig7.jpg、横235×縦327)]
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「「神は死んだ」は無神論的教義ではなく、西洋歴史の出来事の基礎経験に対する定式である。十分な意識をもって私はこの命題を1933年の私の学長演説のうちに取り上げたのである。」
[#地付き](1936-37年冬学期講義)[#「(1936-37年冬学期講義)」はゴシック体]
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第二次大戦後、レーヴィットが提起して以来、何度も「ハイデガーとナチズム」問題は議論されてきた。そしてこれからも議論されつづけるだろう。この問題は単なるスキャンダルとしてあつかうべきでなく、「神の死と形而上学」という視点から光をあてなければならない(第1節)。ハイデガーがナチズムに期待したのは、「詩人―哲学者―国家創造者」という創造者の三位一体による神の到来への準備である(第2節)。ナチズムを形而上学の視点から捉えたハイデガーは、ナチズムとの対決を形而上学の克服として遂行するだろう(第3節)。
1 神の死と形而上学[#「神の死と形而上学」はゴシック体]
†スキャンダル?[#「†スキャンダル?」はゴシック体]
ハイデガーがナチズムといかに関わったのかは、歴史家の努力によってかなり明らかとなっている。そしてハイデガーの発言・証言もハイデガー全集第一六巻の出版(二〇〇〇年)によってそのすべてが読めるようになった。事実に関する資料はほぼ整っている。問われるべきは「ハイデガーとナチズム」問題をいかに理解し、評価するかである。
この問題(ハイデガー事件)をスキャンダルと見なすことが一般的である。しかしある事件がスキャンダルか否かは、事件そのものが決めるのでなく、われわれ自身がその事件をいかなる次元で捉えるかに依存している。スキャンダルと見なすとすれば、すでに一定の先行的な解釈態度を選んでいる。スキャンダル解釈は、「暴く―隠す」という選択肢の次元(秘密の次元)に身を置くことである。一方は暴露し、非難する。他方はできるかぎり隠蔽しようと努める。露見した場合、ほんの出来心、単なるエピソードとして処理することも、この次元に属している。
典型的な暴露・非難は、ハイデガーを次のように描く。「ハイデガーは一九三三年五月一日に、党員番号三一二五八九四(バーデン地区)としてナチ党に入党した。彼はせっせと党費を払っただけでなく、一九四五年まで党員であった」。さらにハイデガーは戦後一度もナチズムへの加担に対して謝罪していない、という事実を付け加えることができる。こうした事実から、「ハイデガーは一九四五年に至るまで、そしてさらに戦後も一貫してナチであった」と非難するとすれば、ハイデガー事件はスキャンダルの次元にとどまるだろう。しかし興味本位で三面記事を読むのと同様に、スキャンダルから何も学ぶことはできない。スキャンダル(醜聞)解釈に対して、芥川龍之介『侏儒の言葉』の「醜聞」の言葉を少し変更して、次のように言うべきである。「わたしはハイデガー氏ほど哲学者ではない。しかしハイデガー氏よりもナチズムの悪を知っている。」――「公衆はいかにこう言った後、豚のように幸福に熟睡したであろう」。
「ハイデガーはナチである」と主張するとしても、「いかなる意味においてか」という問いがないかぎり、「暴露―隠蔽」の次元を動き回るにすぎない。ハイデガーが学長就任以前、学長職の時期、そして学長辞任以後彼の死に至るまで、いかなる発言・行動をしたのかを事実として確定することは、「ハイデガーとナチズム」を論じる上で必要不可欠である。しかしハイデガーの哲学的なテクストを読むことなしに、事実確定だけでは、「いかなる意味においてか」という問いに答えることはできない。スキャンダルとして片づけるのでないならば、「ハイデガーとナチズム」問題はハイデガーのテクストを読むことを必要とする。その逆も真である。この問題を避けて通るとすれば、そうしたハイデガー解釈は不十分なのである。この問題は、ハイデガーのテクストへとわれわれを導くとともに、テクストの読みの試金石ともなる。
†ナチズム問題を『存在と時間』から読む?[#「†ナチズム問題を『存在と時間』から読む?」はゴシック体]
ナチズム問題がハイデガーのテクストと関係づけられる場合、『存在と時間』とナチズムとの関係をテーマとするのが普通である。しかしこれは『存在と時間』以後の体系構想の変容を無視した短絡的な解釈である。ともかく簡単に検討しよう。
典型的な解釈は、「決意性」あるいは「民族の生起としての運命」といった『存在と時間』の言葉のうちに、ナチズムへの加担の鍵を見つけようとする。決意性に即した説明は決意性がそれ自体として具体的な内実をもたないということから出発する。そしてその無規定な空所をナチズムが埋めると説明する。こうした解釈は決意性(決断主義?)に任意の内容を読み込むことができる。ハイデガーが最初からナチズムと対決したとしても、無規定な空所を「ナチズムとの対決」で埋めれば説明できる。何でも説明できる万能さは、何も説明できない無能さの印である。
「民族の生起としての運命」という言葉から「民族主義→ナチズムへの加担」を読み取ろうとする。しかしまず民族という語が『存在と時間』で一度しか登場せず、『存在と時間』前後の講義において使われていないという事実を指摘しよう。さらに百歩譲って『存在と時間』において民族という言葉が重要であると認めたとしても、それがナチズムへの加担に直結するなど考えられない。民族主義者は皆ナチだ、そしてナチズムに加担した人はすべて民族主義者であった、などと言う人はいないだろう。民族という一つの言葉だけからは、何も導けないのである。
『存在と時間』に定位して「ハイデガーとナチズム」問題を論じることは、ナチズム問題という観点から『存在と時間』を読むことである。そして「民族の生起としての運命」、「決意性と決意」、「頽落と世人」という都合のいい概念だけを、『存在と時間』の根本的な問いから切り離された断片として取り出し、ナチズムのイデオロギーと比較する。『存在と時間』をどう読もうと各人の自由であるが、しかしこうしたアプローチは『存在と時間』における存在への問いの意味と射程をますます見えなくさせるだけである。非難するためにのみ読むとすれば、読まないほうがましである。
さらにこうした解釈の根本的欠陥は、「ハイデガーがナチズムのうちに何を見、何を思惟したのか」という基本的な問いを遮断してしまうことにある。『存在と時間』における基礎的存在論は、一九二九年の三部作において明確な姿を現す形而上学構想へと変容したのであり、学長就任はこの形而上学の時期に属する。しかもこの構想変容の背景に、私の死(『存在と時間』)から神の死への基礎経験の変容が潜んでいる。「ハイデガーとナチズム」問題は「神の死と形而上学」という観点から解明されねばならない。
†神を求めた最後のドイツの哲学者ニーチェ[#「†神を求めた最後のドイツの哲学者ニーチェ」はゴシック体]
「ハイデガーとナチズム」問題に接近するために、ハイデガーの学長就任講演『ドイツ大学の自己主張』の言葉をその出発点としよう。
「もしわれわれの最も固有な現存在自身が偉大な変容の前に立っているとすれば、もし情熱的に神を求めた最後のドイツの哲学者、フリードリッヒ・ニーチェが語った『神が死んだ』が真であるとすれば、もしわれわれが今日の人間が存在者のただ中に見棄てられていることに真剣にならねばならないとしたら、学はいかなる状態にあるのか」。
「神が死んだ」とは「人間が存在者のただ中に見棄てられていること」、つまり「神の死によって影を投げかけられた全体としての存在者のただ中に人間が見棄てられていること」である。根本気分(例えば不安、驚き)が「全体としての存在者のうちに被投されていること」を開示するが、この「全体としての存在者への被投性」が神の死によって変容しているのである。
「学はいかなる状態にあるか」と問われているが、すべての学は哲学であると『ドイツ大学の自己主張』は語る。学の始元はギリシア哲学に求められ、そのうちに「全体としての存在者に対して立ち上がり、存在者を存在者として問い、概念把握する」ことを見る。ここにハイデガーの形而上学の定式、「存在者としての存在者への問い」(存在論)と「全体としての存在者への問い」(神学)という形而上学の二重性を読み取れる。全体としての存在者が神の死によって影を投げかけられていることに真剣にならねばならないとすれば、学(形而上学)は変容しなければならない。ハイデガーは新たな形而上学を構想しようと試みる。神の死を真剣に受けとることがハイデガーの形而上学構想の背景にあるだろう。
神の死はわれわれの最も固有な現存在自身を偉大な変容の前に立たせるが、その変容は情熱的に神を求めた最後のドイツの哲学者ニーチェの可能性を取り返すこととして、遂行される。神の死を語ったのはニーチェであるが、そのニーチェを「情熱的に神を求めた」と形容することは矛盾だと思うだろう。ハイデガーを無神論的実存主義者と見なす人は驚くだろう。しかしハイデガーが無神論を表明したことは一度もなく、むしろ神への問いはハイデガーの思惟の道をつらぬいている。ともかく神の死を無神論と捉えず、ニーチェを「情熱的に神を求めた」とすることのうちに、ハイデガーのニーチェ解釈の独自性がある。講義(一九三六―三七年冬学期)におけるハイデガーの言葉を引用しよう。「『神は死んだ』は無神論的教義ではなく、西洋歴史の出来事の基礎経験に対する定式である。十分な意識をもって私はこの命題を一九三三年の私の学長演説のうちに取り上げたのである」。
ここでハイデガーにおける「神の死の基礎経験」に出会う。この「西洋歴史の出来事の基礎経験」こそが、西洋哲学の嫡子としてのハイデガー哲学を、『存在と時間』における基礎的存在論から形而上学へと変容させたのではないか。ここに「神の死と形而上学」という問題がある。
†神の死の基礎経験[#「†神の死の基礎経験」はゴシック体]
『存在と時間』のパトス的契機を私の死の基礎経験に求めることができる(第四章第3節)。学長就任演説を導くのは神の死の基礎経験である。この基礎経験の変容が神への問いを緊急なものとし、ハイデガーの体系構想を変容させたのではないか。存在論―神学としての形而上学は範例的存在者の解釈によって存在論へと止揚され、現行の『存在と時間』が基礎的存在論として成立した。しかし神の死の基礎経験によって神を問わざるをえなくなり、存在論としての哲学という理念は神をも問う形而上学に席を譲る。私の死から神の死への基礎経験の変容(パトス的契機)が基礎的存在論から形而上学への体系構想の変容をもたらしたのである。こう言うと、よくできた作り話と思うかもしれない。しかしペゲラーがハイデガー自身の回想を伝えている。
「ハイデガー自身の報告によれば、『存在と時間』出版直後の二、三年の間に、神が『死んだ』という基礎経験にハイデガーは襲われた」。
ハイデガーにとってニーチェが決定的となり、ニーチェが「ハイデガーの存在の問いの設定と西洋形而上学の問いの方向に対する対抗との真の準備者」となったのは、一九二七―二九年である。これはハイデガーが彼独自の形而上学を構想し始めた時期である。神の死の基礎経験がハイデガーの形而上学構想のパトス的契機である。
ここでハイデガーが構想する形而上学が神への問いにつらぬかれていることを示す二つの言葉を引用しておきたい。一つはハイデガーが独自の形而上学構想を初めて語った一九二八年夏学期講義の言葉であり、もう一つは彼の形而上学構想期の最後に位置する一九三七年夏学期の言葉である。「神を存在者のレベルで信じているように見える信仰は、その根底において無神性ではないか。真正な形而上学者は、普通の信者、『教会』の一員、あるいはあらゆる宗派の『神学者』よりも、より宗教的である」。「真なる形而上学的思惟は極度の脱神化の内で……それからのみ神々が出会われうる一つの道を予感する」。
2 詩人―哲学者―国家創造者[#「詩人―哲学者―国家創造者」はゴシック体]
†国家社会主義の内的真理と偉大さ[#「†国家社会主義の内的真理と偉大さ」はゴシック体]
学長就任演説は「神を求めた最後のドイツの哲学者ニーチェ」を共感をもって語っている。とすればハイデガーがナチズムのうちに見たものは、「神を求める」という観点から捉えられるだろう。ともかく「ハイデガーとナチズム」問題において論争の中心となったのは「国家社会主義の内的真理と偉大さ」というハイデガーの言葉である。
「今日、完全に国家社会主義の哲学として吹聴されているが、しかしこの運動の内的真理と偉大さ(すなわち惑星的に規定された技術と近代的人間との出会い)と何の関係もないものが、『価値』と『全体性』というこの濁った水の中で魚取りをしている」。
一九五三年に出版された一九三五年夏学期講義『形而上学入門』のこの箇所は、当時二四歳のハーバーマスの批判の的となった。一九三五年の講義では「この運動」が「国家社会主義」となっていた、あるいはナチ自らが国家社会主義を言い表した「運動そのもの」と言われた、とされる。ともかくここでハイデガーがナチズムのイデオローグを批判しているのは確かである。しかしナチズムそのものと対決しているわけではない。それは「国家社会主義の内的真理と偉大さ」という言葉がはっきり示している。この言葉をいかに理解するかが「ハイデガーとナチズム」問題の重要な論点となる。
括弧の言葉「惑星的に規定された技術と近代的人間との出会い」が答えている、という形で簡単に処理することはできない。そもそもこの言葉は後からの付加であると疑われているし、その意味を解釈することも一義的でないからである。「国家社会主義の内的真理と偉大さ」という講義の言葉は、講義そのものに即して理解されねばならない。
「闘争(戦い)」という語は学長就任演説において主導語であるが、『形而上学入門』はヘラクレイトスの「闘争」という語に言及し、次のように語っている。「闘争が初めて、聞いたことのないもの、今までに言われたことのないもの、思惟されたことのないものを企投し、展開する。この闘争は創造者、すなわち詩人、思惟者、政治家によって担われる」。
ここに「詩人―思惟者―政治家」という創造者の三位一体を読み取ることができる。創造者は作品を創造する。「非秘蔵性が生起するのはただ、非秘蔵性が作品によって実現されることによってのみである。すなわち詩作としての語の作品、寺院と立像における石の作品、思惟としての語の作品、これらすべてを根拠づけ保守する歴史の座としてのポリスという作品」。詩人は「詩作としての語の作品」を、思惟者は「思惟としての語の作品」を、そして政治家は「これらすべてを根拠づけ保守する歴史の座としてのポリスという作品」、つまり国家(ポリス)を創造する。創造者としての政治家は国家創造者である。ハイデガーがナチズムのうちに見た「国家社会主義の内的真理と偉大さ」は、国家の創造ということのうちに求めうるだろう。
しかも創造は「真理が現成するあり方」として捉えられている。「非秘蔵性」という語は「非秘蔵性としての真理」として登場した。『存在と時間』において aletheuein(真理を捉えること)は「或るものをその秘蔵性(隠されていること)から取り出し、真なるもの(非秘蔵的なもの)として見させること」であった(第三章第2節)。ここでは「真なるもの(非秘蔵的なもの)として見させること」が、作品という非秘蔵的なものとして見させること(作品を創造すること)となる。「非秘蔵性が作品によって実現される」(真理が現成する)とは、「真理が存在者(作品)の内に設立されること」「作品の内への真理の自己措定」を意味する。これは創造の形而上学と呼ぶことができるが、一九三五―三六年の『芸術作品の起源』もこの観点から捉えることができる。
†神の到来への準備[#「†神の到来への準備」はゴシック体]
創造者の三位一体の連関は、『形而上学入門』の前学期(一九三四―三五年冬学期)の講義『ヘルダーリンの讃歌「ゲルマニア」と「ライン」』においてはっきり語られている。
「根本的気分、すなわち民族の現存在の真理は、詩人によって根源的に創立される。このように開被された存在者の存在は思惟者によって存在として概念把握され定められ、それによって初めて明け開かれる。そして、このようにして概念把握された存在は、民族が民族として自己自身へともたらされることによって、存在者の究極かつ最初の真剣さのうちへ、すなわち規定された歴史的真理のうちへと立てられる。このことが生起するのは、国家創造者がその本質にふさわしく規定された国家を創造することによってである」。
わかりにくいと思うだろうが、しかしここで「詩人―思惟者―国家創造者」の内的連関が語られていることがわかれば、さしあたり十分である。詩人の中の詩人であるヘルダーリンによって創立された存在を思惟者ハイデガーが概念把握し、知へともたらす。これがヘルダーリンの讃歌「ゲルマニア」と「ライン」(ともに「ドイツ的なものの詩」である)を解釈するハイデガーの狙いである。そして国家創造者をハイデガーはヒトラーのうちに見ていたと言えるだろう。「詩人(ヘルダーリン)―思惟者(ハイデガー)―国家創造者」の三位一体は、国家創造者ヒトラーにおいて完成する。「その本質にふさわしく規定された国家を創造すること」のうちに、ハイデガーは「国家社会主義の内的真理と偉大さ」を見出したのである。
しかしいかなる意味で国家の創造が語られるのか。
この講義は次のように語っている。「むしろ肝要なのは、遙か以前から始まっている神々の逃げ去りを真剣に受け取り、この真剣さから神々の到来を新たに予感し、神々の再生にともに従事し、このようにして大地と国土を創造し直すことなのである」。神々の逃げ去りと神々の到来との間の「乏しき時代」において、神の到来の準備をなすことは「詩人―思惟者―国家創造者」という創造者の三位一体によって果たされる。大地と国土を創造し直すという新たな国家創造は、神が到来する場、ポリス(国家)という作品の創造である。ハイデガーは国家社会主義における国家の創造のうちに、神の死への対抗運動、神の到来への準備を見たのである。
†すべての偉大なものは嵐の中に立つ[#「†すべての偉大なものは嵐の中に立つ」はゴシック体]
「国家社会主義の内的真理と偉大さ」という言葉は、学長就任演説の最後の言葉を想起させる。
「しかしわれわれはわれわれの民族がその歴史的委託を果たすことを意志する。/われわれはわれわれ自身を意志する。なぜなら、われわれを越えてすでに彼方へと手を伸ばしている民族の若い最も若い力が、それをすでに決定しているのだから。/この勃興の栄光と偉大さをわれわれが初めて理解するのは、古代ギリシアの格言がそこから語っているあの深く広い熟慮をわれわれが心のうちに抱くときである。/『すべての偉大なものは嵐の中に立つ』(プラトン『国家』497d9)」。
「この勃興の栄光と偉大さ」をハイデガーは一九三五年に、「国家社会主義の内的真理と偉大さ」と呼ぶことになるだろう。そして「われわれの民族の歴史的委託」は、国家創造による神の到来の準備のうちに見られるだろう。
ハイデガーが学長就任演説の最後で、プラトン『国家』の言葉を「すべての偉大なものは嵐の中に立つ」と訳したとき、ギリシア哲学という最も偉大なものとしての始元を再び取り返すことを国家社会主義の運動のうちに見ていた。「国家社会主義の内的真理と偉大さ」という「偉大なものは嵐(悲劇)の中に立つ」。この最後の言葉のうちに情熱的に神を求めた最後のドイツの哲学者ニーチェの言葉、「悲劇が始まる=ツァラトゥストラが始まる」がともに響いていただろう。この演説は神の死の基礎経験から語られているのだから。しかしそれとともに、プラトン『法律』の次の言葉が念頭にあっただろう。ニーチェとともにプラトンが学長就任演説を規定しているのだから。「われわれ自身が悲劇の作者であり、しかも可能なかぎり最も美しく、同時に最も優れた悲劇の作者なのです。実際、われわれの全国家体制は、最も美しく最も優れた生の模倣として構成されているのです。そしてこの生こそがまことに、最も真なる悲劇である、とわれわれは主張します」。
国家を創造するとは、「真理が現成する一つのあり方」であり、悲劇という作品の内へ真理を措定することである。プラトン『国家』のテーゼ「哲学者=統治者」は、神の死の基礎経験を通して、「詩人―思惟者―国家創造者」という創造者の三位一体へと変容する。「国家社会主義の内的真理と偉大さ」は、国家(悲劇という作品)の創造による神の到来の準備から理解される。
しかし悲劇というこの作品(国家)がいかなる現実の悲劇を生みだしたかを、われわれはすでに知っている。それゆえにこそ、「ナチズムとは、そして国家とは何か」をあらためて問わねばならない。ハイデガーはこの問いを形而上学の次元で問うた。ナチズムを形而上学の視点から捉えたハイデガーは、ナチズムとの対決を形而上学の克服として遂行するだろう。
3 形而上学から形而上学の克服へ[#「形而上学から形而上学の克服へ」はゴシック体]
†ナチズムへの態度の変容[#「†ナチズムへの態度の変容」はゴシック体]
ここであらためてナチズムへのハイデガーの態度を見てみよう。一九三三年一月にヒトラーは首相となる。そして三月に「全権委任法」が成立し、ヒトラーは憲法にも国会にもとらわれずに、自由にドイツを支配できるようになった。こうした時代背景のもとでハイデガーは学長に就任するのである。
学長を解任されたメーレンドルフなどの強い勧めによって、基本的に非政治的な人間であったハイデガーは学長候補となり、一九三三年四月に学長に選出される。一九三四年学長職を辞した後、ハイデガーは一年間の学長としての自らの行為を「生涯最大の愚行」と見なした。一九三四年六月三〇日にヒトラーによって突撃隊の幹部を一掃する「血の粛清」(レーム事件)が起きた。この事件以来、ハイデガーは国家社会主義の激しい反対者となり、ヒトラーに対する信頼を完全に失ったと言われる。しかしレーム事件による失望にもかかわらず、一九三四―三五年冬学期講義は「詩人―哲学者―国家創造者」の三位一体を構想し、一九三五年夏学期講義は「国家社会主義の内的真理と偉大さ」を語っている。一九三八年はハイデガーの人生における転換の年となった。一九三八年がナチズムへのハイデガーの関わりにおける一つの大きな転換であったことは、ニーチェ講義に見られるニーチェ解釈の断絶から確認されるだろう。このニーチェ解釈の断絶のうちに、「形而上学から形而上学の克服へ」というハイデガーの思惟の道を読み取ることができる。一九三八年の講演『世界像の時代』はこうした文脈のうちに位置づけられねばならない。
さらに「ハイデガーとナチズム」問題には、ナチズムへの加担に関して、戦後のハイデガーがまったく謝罪しなかったという事実が含まれる。これを非難する人は多いが、その人はいったい何を求めているのだろうか。政治家が失言を取り消すといった程度のことを期待しているのか。あるいは転向宣言をして今までの彼の哲学を全面的に否定し、「懺悔の哲学」でも書けば、満足するのだろうか。非難するのは自由であるが、その非難が何を求めているのか、ということだけはきちんと考えてほしい。
確かにナチズムに対するハイデガーの行動に対しては、「世界史の歯車に手をかける子供は打ち砕かれる」という言葉が当てはまるだろう。しかし政治的に未熟な子供は哲学者ハイデガーである。もしハイデガーが哲学者として謝罪をしなければならないとすれば、それは哲学の次元での謝罪、つまり哲学のレベルでのナチズム批判でなければならない。この意味でのナチズムとの対決をハイデガーは一九三〇年代後半から開始している。このことはニーチェ講義から読み取れるだろう。
†ニーチェ第一、第二講義[#「†ニーチェ第一、第二講義」はゴシック体]
ハイデガーは一九三六―三七年冬学期から一連のニーチェ講義を開始する。それは情熱的に神を求めた最後のドイツの哲学者ニーチェの可能性を取り返すこととして遂行される。ナチズムのイデオローグはニーチェを、例えば「第三帝国の旗はその鉤十字において、同じものの永遠回帰の教説を象徴している」という仕方で利用した。ナチズムの真理をニーチェのうちに見出すハイデガーの試みは、こうしたナチズムのイデオロギーとの対決である。ニーチェの可能性を取り返すというハイデガーの狙いが神の到来への準備にあることは、ニーチェ第一講義(一九三六―三七年冬学期)のモットーと第二講義(一九三七年夏学期)の主導思想から明らかである。
第一講義はニーチェ『アンチクリスト』一九の言葉をそのモットーとしている。「ほとんど二千年が経っているが、新しい神が一人も現れていない。」このニーチェの言葉に対し、ハイデガーは永遠回帰の思想のうちに、神の創造への準備を見出す。神の死という最大の出来事のうちで、永遠回帰という最も重い思想を耐え担うことは、神に対する準備を整えることとして、最高の創造(力への意志の最高の形態)である。
第二講義は『善悪の彼岸』一五〇のニーチェの言葉を主導思想としている。「英雄のまわりではすべてが悲劇となり、半神のまわりではすべてがサチュロス劇となる。そして神のまわりではすべては――どうなるのか。おそらく『世界』となるのだろうか」。永遠回帰の思想はそれを耐え抜き肯定へと転じる英雄(ツァラトゥストラ)を必要とする。英雄のまわりですべてが悲劇となるが、この悲劇を通してのみ、それのまわりですべてが世界となる神への問いが生じる。
さらに第一、第二講義はニーチェ哲学を「西洋形而上学の終末」と規定する。しかし基本的にニーチェへの肯定的共感を示し、「形而上学」、「形而上学的」という語を肯定的に用いている。形而上学は「全体としての、存在者としての存在者の存在についての本質的な知」である。「全体として」と「存在者として」という言葉は形而上学の二重性を指し示している。そしてハイデガーは「われわれの形而上学的課題」を語り、形而上学の思想としての永遠回帰の真理を「われわれの真理」と言う。
第一、第二講義は「神の死と形而上学」という問題のうちを動いている。そして「ニヒリズムと偉大な政治」を語る。偉大な様式(芸術の本質的なもの)は偉大な政治によってのみ創造される。そして偉大な政治は偉大な様式のうちにその最も内的な意志法則をもつとされる。この文脈においてプラトン『国家』の「哲学者=統治者」のテーゼに言及する。このプラトンのテーゼに対して、ハイデガーは「詩人―思惟者―国家構造者」の三位一体を構想した。ニーチェの「偉大な政治」という言葉のうちにハイデガーはヒトラーの国家創造を見ていたと言えるだろう。
†ニーチェ解釈の断絶[#「†ニーチェ解釈の断絶」はゴシック体]
ニーチェに関する第一、第二講義は、他のニーチェ講義(一九三九年夏学期、一九四〇年第二学期)と一九四〇年から四六年にかけて成立した論文とともに、一九六一年に『ニーチェ』二巻として出版された。「ハイデガーとナチズム」問題にとって、一連のニーチェ講義は重要である。「聴き取ることのできるすべての者は、ニーチェ講義が国家社会主義との対決であることを聴き取った」とハイデガーは「シュピーゲル対談」で語っている。
一連のニーチェ講義・論文を読むと、第一、第二講義と第三講義(一九三九年夏学期)の間にあるニーチェ解釈の断絶を感じる。第一、第二講義はニーチェを自己のものにしようとする姿勢につらぬかれているが、第三講義以降の講義・論文は、ニーチェを冷たく突き放し、外から眺めている印象を受ける。このことを「超人」の解釈に即して見てみよう。第一、第二講義において超人は、「知の厳密さと創造の厳しさのうちで、新たに存在を根拠づける人間」、「新たな始元として、末人を克服する新たな人間」と肯定的に解釈される。しかし第三講義は超人を「従来の末人の完成」と見なすというまったく逆の解釈を提示する。
なぜこのような解釈の逆転が起きたのだろうか。それは形而上学に対するハイデガーの態度が変わったからである。すでに言ったように、第一、第二講義は「形而上学」という言葉を肯定的に理解している。しかし第三講義以後ハイデガーは「形而上学の克服」を語る。そしてニーチェの形而上学を「力への意志の無制約的な主観性の形而上学」として批判する。
ではなぜ形而上学の肯定から形而上学の克服へと基本的な態度が変わったのか。最初ハイデガーはナチズムの真理をニーチェのうちに読み取った。ナチズムの国家創造のうちに、神の死への対抗運動、神の到来への準備を見、それをニーチェ形而上学の可能性の取り返しとして遂行しようとした。そのためにナチズムのイデオロギーを批判する。しかしハイデガーはナチズムそのものとの対決に至る。それが決定的となるのは一九三八年である。ナチズムとの対決は、その真理があるとされた形而上学の次元でなされるがゆえに、形而上学の克服となる。ハイデガーのナチズムとの対決は、ナチズムのイデオローグによるニーチェ解釈の批判から、ニーチェ哲学そのものの批判(形而上学の克服)に至るのである。形而上学の克服はハイデガーの自己批判である。
ハイデガーはナチズムとの対決を形而上学の克服として遂行したのである。ナチズムへの加担がハイデガー哲学にとって単なるスキャンダルでなく、彼の哲学の根本に関わっているとすれば、ナチズム批判はハイデガー哲学の自己批判でなければならない。そしてハイデガーは実際、形而上学の克服という仕方で、自己批判を行なったのである。哲学者としてこれ以外の自己批判はありえないだろう。
「形而上学から形而上学の克服へ」という変容からニーチェ解釈の断絶が理解できる。ハイデガーの思惟の道の途上性に対応して、ハイデガーのニーチェ解釈は変容する。『ニーチェ』二巻から統一的な一つのニーチェ像を取り出すとすれば、それはハイデガーにおける存在への問いの途上性に対する無感覚さに起因している。『ニーチェ』はハイデガーの思惟の道を道として示しているのである。ハイデガーの思惟の道をテーマとしなければならない。それが終章の課題である。
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【終章】
展望[#「展望」はゴシック体]
[#挿絵(img/fig8.jpg、横222×縦327)]
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「だから行こう、われわれが開かれたものを見るために……各人は彼が行きうるところへ行き、来うるところへ来るのだ。」
[#地付き](ヘンダーリン「パンと葡萄酒」)[#「(ヘンダーリン「パンと葡萄酒」)」はゴシック体]
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ハイデガーは彼の死(一九七六年五月二六日)のほんの数日前、最終校訂版全集のための標語を書いた。この自筆の標語はハイデガー全集第一巻に複写されている。「道であって、作品ではない」。ハイデガー哲学全体は思惟の道と捉えることができる。それゆえ「ハイデガーの思惟の道」を全体として展望する必要があるだろう(第1節)。そしてこの道を歩み返すことが西洋哲学に対していかなる展望を切り拓くかを、「永遠性と時間」に即して見ることにしよう(第2節)。それはギリシア哲学に始まる西洋哲学へと視野を広げるだけでなく、「ハイデガーを通してのハイデガーからの解放」へ導くだろう(第3節)。
1 ハイデガーの思惟の道[#「ハイデガーの思惟の道」はゴシック体]
†存在の意味への問い[#「†存在の意味への問い」はゴシック体]
『存在と時間』の根本的な問いは存在の意味への問いである。この問いは「存在が時間から理解されている」という洞察に基づく。このことを本書は繰り返し指摘したから、読者は一応納得したものと思う。しかしハイデガーの思惟の道を全体として考える場合にも重要なので、『形而上学入門』(一九三五年夏学期講義)と『四つのゼミナール』の言葉(一九六八年)を引用しておこう。「論考『存在と時間』において存在の意味への問いが哲学の歴史において初めて問いとしてことさらに立てられ展開されている」。「存在の意味への問いは初めて『存在と時間』において展開された」。
存在の意味への問いを正確に理解しなければ、『存在と時間』の意味と射程が捉えられないということを、ここで再び強調しておきたい(第二章)。この問いはニーチェ第一、第二講義をも支配している。
第一、第二講義はニーチェの形而上学的な根本的立場を力への意志と永遠回帰に定位して確定する。第一講義(一九三六/一九三七年冬学期)は力への意志を存在者の根本性格、存在者の存在と解釈する。そして力への意志の本質を永遠回帰のうちに見る。永遠回帰の思想は時間に関わる。それゆえ力への意志(存在)を永遠回帰(時間)として思惟することは、存在を時間として思惟することである。プラトンもアリストテレスも存在をウーシアとして理解したとき、同じ事態に出会っていた。しかしプラトンやアリストテレスと同様に、ニーチェもこの問題を問いとして思惟しなかった。ニーチェ第一講義は存在を時間として思惟することを問いとして、つまり存在の意味(時間)への問いとして思惟する試みである。さらに第二講義(一九三七年夏学期)は永遠回帰の思想をニーチェ哲学の根本教説(根本としての根)とし、永遠回帰という根が根づいている地盤を時間性のうちに求める。永遠回帰という最も重い思想は「瞬間という時間性」(『ツァラトゥストラ』第三部「謎と幻影」における瞬間)のうちに立つことによって真に捉えられる。ニーチェ第一、第二講義は存在と時間への問いのうちを、つまり存在の意味への問いのうちを動いている。
しかし存在の意味への問いは存在の真理への問いにその席を譲る。ハイデガーの思惟の道を全体として展望することにしよう。
†意味―真理―場所[#「†意味―真理―場所」はゴシック体]
ハイデガー哲学を全体として考察する場合、「転回」(ケーレ)という言葉に定位して「転回以前―転回以後」という形で時期区分されるのが一般的である。転回の時期をどこに定めるかがさまざまに議論されるが、こうした時期区分は転回をハイデガーの思惟の転換と理解している。しかしハイデガーは転回という語を「思惟の転回」と語ったことは一度もない。転回は「転回の思惟」と語られるのであり、転回は思惟が転換することでなく、思惟されるべき事態、人間と存在との関わりという事態(「性起」と呼ばれる)である。ともかく「転回以前―転回以後」という時期区分は基本的な誤解に基づいている。
ハイデガー自身は彼の思惟の道を「意味―真理―場所」という三つの語によって特徴づけている。ここではそれに従ってハイデガーの思惟の道を展望してみよう。そのためにまずハイデガー自身が語る根本思想を確認しよう。「私の思想の根本思想とはまさに次のことである。存在あるいは存在の露呈性は人間を必要とし、逆に人間は存在の露呈性のうちに立つかぎりでのみ人間である」。人間と存在とのこうした関わりの場をハイデガーは問うのであり、存在の「意味―真理―場所」への問いは、「存在が存在として露となり、非秘蔵的となる境域」を問う。
『存在と時間』はこの問いを存在の意味への問いとして問う。この問いはニーチェ第一、第二講義に至るまで確認することができる。存在の意味は時間であるから、存在の意味への問いは「存在が存在として露となり、非秘蔵的となる境域」を時間に求めている。存在の意味(時間)は企投の Woraufhin であり、現存在がそれへと存在を企投するそれ(投射面・企投面)、企投境域である。
しかしニーチェ講義の断絶として言ったように、主観性の形而上学が批判されるようになる。そして現存在の企投は人間という主観性の構造と見られ、「意味」という語は不適切となる。存在の意味への問いが存在の真理への問いへと変容する背景には、形而上学から形而上学の克服への歩みがある。存在の真理への問いにおいて、人間と存在の関わりの境域は存在の歴史に求められる。存在の歴史は人間のあり方でなく、存在自身のあり方(現成)であり、人間はこの歴史に帰属するかぎりで歴史的である。
第二次大戦の後に、存在の場所への問いの時期が始まる。この問いは人間と存在の関わりの場を、言葉に求める。それゆえ、人間が人間であるのは、「言葉が語る」ことに応じ語ることによってである。「言葉が語る―人間がそれに応じて語る」という言葉の場が人間と存在との関わりの境域である。この境域は人間の真の言葉である詩に即して語られる。それゆえに詩人の中の詩人であるヘルダーリンがハイデガーにおいて中心的な位置を占めるのである。
存在の「意味―真理―場所」への問いは「存在が存在として露となり、非秘蔵的となる境域」を問うが、それはその境域をそれぞれ「時間―歴史―言葉」に求める。これは「転回以前―転回以後」という流布している時期区分とは異なるから、読者は戸惑うかもしれない。しかしハイデガーの思惟の道をたどるための有効な道しるべとなると思う。これを手がかりにしてハイデガーの思惟の道を具体的に歩み返すことは、本書の課題でない。読者が実際に歩み返すための必要な道しるべを与えられれば十分である。
†ヘルダーリン[#「†ヘルダーリン」はゴシック体]
存在の場所への問いにおいてヘルダーリンが重要であると言った。しかしそれだけでなく、ヘルダーリンはハイデガーの思惟の道における同伴者である。それゆえヘルダーリンに即してハイデガーの思惟の道を辿ってみよう。
一九〇八年にハイデガーはレクラム文庫でヘルダーリンを読む。ヘリングラートによって初めてヘルダーリンの「ピンダロスの翻訳」が一九一〇年に、そしてヘルダーリンの後期讃歌が一九一四年に出版され、地震のごとき衝撃をハイデガーに与える。さらにハイデガー自身の回想によれば、一九二九―三〇年に「ヘルダーリンの語が運命となった」。
一九三四―三五年夏学期講義『ヘルダーリンの讃歌「ゲルマニア」と「ライン」』で初めてヘルダーリンがドイツの使命という観点で主題的に解釈される。ヘルダーリンは形而上学から解釈され、彼の詩作において喚起される根本気分は「我々の将来の歴史的存在の形而上学的場所」を創立するとされる。そして「詩人―思惟者―国家創造者」の三位一体が構想される。一九三六年ローマで講演された『ヘルダーリンと詩作の本質』もこの解釈地平に属している。
しかし一九四一―四二年冬学期講義『ヘルダーリンの讃歌「回想」』はヘルダーリンのうちに「すべての形而上学の克服の先触れ」を見、存在の歴史への問いから解釈される。「形而上学から形而上学の克服へ」というハイデガーの思惟の道の変容に応じて、ヘルダーリン解釈が変容していることは明らかだろう。そして創造者の三位一体から国家創造者が抜け落ち、詩人と思惟者だけとなる。一九四三年のハイデガーは「思惟者は存在を思惟する。詩人は聖なるものを名づける」と語る。そして一九四四―四五年冬学期講義は『哲学入門 思惟と詩作』である。
第二次大戦後、ハイデガーは一九五九年に『ヘルダーリンの大地と蒼穹』、一九六八年に『詩』を講演する。これは存在の場所への問いの時期に属する。「シュピーゲル対談」(一九六六年)においてハイデガーは言う。「ヘルダーリンは私にとって、将来を指し示し、神を待つ詩人です」。
ヘルダーリンはハイデガーの思惟の道において、その道の同伴者でありつづけた。それゆえ、ヘルダーリンとの関わりは極めて重要であるが、ハイデガーのヘルダーリン解釈は彼の思惟の道の途上性に応じて、途上にあることを忘れてはならない。
ヘルダーリンはハイデガーの死に至るまで同伴者であった。一九七六年五月二六日、ハイデガーの思惟の道はその終りに至った。告別式は五月二八日、彼の誕生の地メスキルヒで行なわれた。告別式の最後に、ハイデガーの遺言により、彼の息子、ヘルマン・ハイデガーによりヘルダーリンの詩が朗読された。その朗読の最後は『パンと葡萄酒』第三詩節、第四一行から第四六行までの詩句であった。
[#ここから1字下げ]
だから行こう、われわれが開かれたものを見るために
われわれが固有なものを、どんなに遠くとも、探し求めるために。
一つのことは定まっている、真昼であろうと、
真夜中に至ろうとも、つねに一つの尺度が、
すべての者に共通に存している、しかし各人にまた固有のものが割り当てられている、
各人は彼が行きうるところへ行き、来うるところへ来るのだ。
[#ここで字下げ終わり]
2 永遠性と時間[#「永遠性と時間」はゴシック体]
†「止まる今」の批判とその射程[#「†「止まる今」の批判とその射程」はゴシック体]
本書は「はじめに」でハイデガーが一八九八年九月二六日に南ドイツの小さな町メスキルヒで生まれたことを語り、そしてハイデガーの死と告別式にまで至った。ここで終ってもいいのだが、もう少し話をつづけよう。ヘルダーリンの詩句は「だから行こう、われわれが開かれたものを見るために……」と呼びかけているのだから。
本書は『存在と時間』をプラトン、アリストテレスの存在への問いの取り返しと理解した。そして形而上学という観点から『存在と時間』とそれ以後(形而上学構想とナチズム)に光をあてた。このようなアプローチはプラトン、アリストテレスとハイデガーを結びつけることによって、この間に広がる西洋哲学の全体を視野に収める可能性をわれわれに与えるだろう。
本書の序章第3節において「超時間的な永遠なるもの」について説明した。その説明によっても永遠性を理解できなかったかもしれない。それは当然であって、「時間的な存在者と超時間的な永遠なるものとの区別」の背景には、プラトン以来の「永遠性と時間」という伝統が横たわっているからである。永遠なるものについて少しでも理解を深めるために、そして西洋哲学の全体を視野に収める可能性の一例として、「永遠性と時間」について考えてみよう。この問題は無論ハイデガーに関わる。
『存在と時間』を可能にしたのは「存在は時間から理解される」という洞察である。それゆえ時間の問題は『存在と時間』への道において極めて重要なものであった。一九二四年七月にハイデガーはマールブルク神学者協会で『時間の概念』を講演する。『存在と時間』の原型と見なされるこの講演の基本的態度は次のように表明されている。
「哲学者は信仰しない。哲学者が時間を問うとすれば、彼は時間を時間から理解するか、あるいは『常に』から理解するかを決意している。『常に』とは永遠性のように見えるが、しかし時間的存在の単なる派生態として明らかとなる」。
この基本的態度は「永遠性と時間」というプラトン、新プラトン主義の伝統から理解されねばならない。「時間を時間から理解する」という決意は、永遠性を時間的存在の単なる派生態と見なすことであり、プラトン『ティマイオス』における「永遠性の動く似像」としての時間という思想の対極にある。ハイデガーは「永遠性と時間」という伝統との対決を表明しているのであり、この姿勢は『存在と時間』における「止まる今」としての永遠性の批判にもつらぬかれている。「『止まる今』(nunc stans) という意味における永遠性という伝統的な概念が通俗的な時間理解から汲み取られ、『不断の』物在性の理念に定位して規定されていることは、詳しい解明を必要としない……」。
ここで「止まる今」という言葉をその源泉からたどってみよう。源泉はプラトン『ティマイオス』に求められる。そこで時間は「永遠性の動く似像」とされる。そして時間の中にあるものは「あった」「ある」「あるだろう」と語られるが、永遠の存在は「あった」「あるだろう」と言われず、「ある」とのみ言われる。「ある」と現在形でのみ語られるこの永遠性は「現在としての永遠性」と呼ぶことができる。
プラトン『ティマイオス』のこの規定は「永遠性と時間」をめぐるその後の考察を基本的に規定している。新プラトン主義の「永遠性と時間」の考察(プロティノス、プロクロス)を通してアウグスティヌス『告白』第一一巻の時間論もこの問題圏を動いている。永遠性においては「過ぎ去るものは何もなく、全体が現在にある」が、時間においては「全体が現在にあることはない」。これは新プラトン主義における永遠性と時間との区別と同じであり、プラトンに由来する。アウグスティヌスは『三位一体』第四巻第一章三において語る。「そこでは、すべてのものは、「あった」のではなく、また「あるだろう」でもなく、ただ「ある」」。
ボエティウス『三位一体』第四章は言う。「われわれの「今」は、いわば流れ去るものとして時間と永続性(sempiternitas) をもたらす。しかし神の「今」は恒常的で不動でとどまるものとして、永遠性(aeternitas) をもたらす」。ボエティウスの「永続性と永遠性」のこの対比をトマスは「流れる今―止まる今」という対比として定式化する。『神学大全』において、トマスはボエティウスの上記の言葉を要約して、次のように引用している。「流れる今(nunc fluens) は時間をもたらし、止まる今(nunc stans) は永遠性をもたらす」。
こうして「止まる今」に至る。『存在と時間』が「止まる今」を批判することは、プラトン以来の「永遠性と時間」の伝統と対決することを意味する。こうした広がりの中で「止まる今」の批判、さらにハイデガーの時間論を捉えねばならない。
しかしプラトンにまで遡ることによって、ハイデガーだけでなく、ヘーゲルやウィトゲンシュタインをもその視界のうちに入ってくる。
†絶対的現在(ヘーゲル)[#「†絶対的現在(ヘーゲル)」はゴシック体]
「永遠でありそれゆえまた絶対的現在。永遠性は「あるだろう」でも「あった」でもなく、永遠性は「ある」」。
ヘーゲルが語る「絶対的現在」はプラトン『ティマイオス』の永遠性の規定と同じである。ヘーゲルもまたこの「永遠性と時間」の伝統のうちにある。この絶対的現在がヘーゲル『論理学』の次元を特徴づけている。その次元は有名な言葉によって表現されている。「論理学の内容は、自然と有限な精神の創造以前の、神の永遠の本質における神の叙述である」。『論理学』は「神の永遠の本質における神の叙述」であるが、その永遠性は絶対的現在、現在としての永遠性である。
ヘーゲル『精神の現象学』はこの『論理学』の次元へ導くという課題をもっているがゆえに、現在としての永遠性に至るために時間を抹殺しなければならない。それゆえ、絶対知の章で次のように言われるのである。「精神が自分の純粋概念を把握しないかぎり、つまり時間を抹殺しないかぎり、精神は時間の中に現象する」。「精神が時間の中に現象する」とは、現象する精神としての現象学の次元を言い表している。そして「時間を抹殺する」とは、「精神が自分の純粋概念を把握する」こととして、絶対知に到達することである。それは時間の中に現象しないこと、つまり永遠性=絶対的現在に至ることを意味する。絶対的現在としての永遠性こそが、論理学が展開する絶対知の次元である。論理学への導入部としての現象学は、時間を抹殺することによって、論理学の次元である絶対的現在へ至る。時間から絶対的現在へという構想は「永遠性と時間」の伝統のうちにある。
さらに「現象学―論理学」の関係をプラトン『ティマイオス』に即して表現できる。『ティマイオス』によれば、時間は「永遠性の動く似像」である。このことは現象学と論理学がその展開において対応することとして表現される。「学の抽象的な契機のそれぞれに、現象する精神一般の一つの形態が対応する」。これは「学の抽象的な契機」(論理学)と「現象する精神の形態」(現象学)との体系的対応を意味しているが、それは時間が「永遠性の動く似像」であることから理解できる。つまり永遠性(現在としての永遠性)が論理学に、そして「永遠性の動く似像」が現象学に対応する。「現象学―論理学」の構想は、プラトン以来の「永遠性と時間」の伝統のうちにある。
†現在のうちに生きる者は永遠に生きる(ウィトゲンシュタイン)[#「†現在のうちに生きる者は永遠に生きる(ウィトゲンシュタイン)」はゴシック体]
「死は生の出来事ではない。死を人は体験しない。/人が永遠性を無限な時間持続としてでなく、無時間性として理解するならば、現在のうちに生きる者は永遠に生きる。/われわれの視野が限界をもたないように、われわれの生は終りをもたない」。
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』6.4311 は、永遠性を無時間性として理解し、無限な時間持続と対比している。「現在のうちに生きる者は永遠に生きる」は「現在のうちに生きる=永遠に生きる」であり、現在としての永遠性を語っている。無限な時間持続と無時間性の区別は、ボエティウス以来の「永続性―永遠性」(sempiternitas - aeternitas) の区別であり、プラトン『ティマイオス』に遡源する。「現在のうちに生きる者は永遠に生きる」という『論考』の倫理の核心的なテーゼは、「永遠性と時間」というプラトン以来の西洋形而上学の光のもとで理解することができる。
この伝統はトマスの「止まる今―流れる今」の対比として表現される。この対比はショーペンハウアー『意志と表象としての世界』において取り上げられる。「現在のみが、常にあり、不動な仕方で確定しているものである。経験的に捉えれば現在はすべてのうちで最も儚いものであるが、経験的な直観の形式を無視する形而上学的な目にとっては、現在は唯一不変なもの、スコラ学者の止まる今(Nunc stans) として現れる」。ショーペンハウアーが語る形而上学的な現在(流れる今という経験的時間を超えた止まる今)は、現在としての永遠性である。そして止まる今(現在としての永遠性)の思想は、『意志と表象としての世界』を経由して、ウィトゲンシュタイン『論考』のテーゼに至る。『論考』が語る「現在としての永遠性」は、形而上学的な現在(時間を超えた現在)である。ここでもわれわれは形而上学者としてのウィトゲンシュタインに出会う。
「時間を超えた現在」という思想は『論考』に限られているわけではない。『哲学的考察』(一九三〇年)は「現在の経験のみが実在性をもつ」というテーゼを検討している。このテーゼで語られる「現在」は、普通に言われる「過去―現在―未来」の中の現在、時間の中の現在でなく、対比されるもの(過去や未来)をもたない現在、時間を超えた現在である。対比されるものをもたない現在は、「あった」「あるだろう」と言われず、「ある」とのみ現在形で言われる現在(現在としての永遠性)である。確かにこの現在は対比されるものをもたないがゆえに、語りえないとされる。しかし『論考』や『哲学的考察』に登場する「現在」が、プラトン以来の「永遠性と時間」の問題圏に属することは明らかだろう。
ここまで読んできた読者は、「永遠性と時間」とか「現在としての永遠性」と言われても、何のことかわからないと思ったかもしれない。そして永遠性などと言うと、普通の人には関わりのない神秘的な経験を考えるかもしれない。確かに神秘的な経験といった契機を否定することはできない。しかし日常の経験のうちにも見出せないわけではない。例えば家から駅へ歩いているとき、道端に花を見つけたとしよう。その花がとても美しいとすれば、立ち止まって見るだろう。これは誰にでもある経験だと思う。立ち止まるのは、駅への歩みを止めること、日常的な時間の流れを断ち切ることである。われわれは美しいものに出会うとき、立ち止まる。それは美の経験において時間が止り、流れる時間が超えられることの象徴であろう。美の経験は「止まる今」の経験である。美しいものを見ることにおいて、われわれは「現在としての永遠性」に触れている。美と永遠性(止まる今)のこの関係を、ゲーテ『ファウスト』の言葉が見事に表現している。「瞬間に対して私は言いたい。/どうか止ってくれ、お前はそれほど美しい、と」。
「美と永遠性」の問題はウィトゲンシュタインの倫理へと導く。「倫理と美学は一つである」(6.421) という『論考』の謎めいたテーゼは、「永遠の相のもとに」という言葉に定位して初めて理解できる。永遠性を語るウィトゲンシュタインが単なる反形而上学者であるはずがない。
第五章第3節において、「なぜ『論考』は論理―倫理の二部構成か」という問いに、形而上学の二重性から答えることを試みた。そしてここで示したことは、「現在のうちに生きる者は永遠に生きる」と語る『論考』が「永遠性と時間」という西洋形而上学の伝統のうちにある、ということである。「ウィトゲンシュタインを英米系の分析哲学から解き放ち、形而上学の伝統へとウィトゲンシュタインを取り戻す」という課題は、空虚なスローガンではない。
ここでは「永遠性と時間」の問題に限ったが、ともかくプラトン、アリストテレスとハイデガーの間に広がる西洋哲学という視界のうちで、ヘーゲルとウィトゲンシュタインが新しい姿で現れるということがわかりさえすれば、十分である。こうした視界はハイデガーを通して可能となった。しかし「ハイデガーを通して」は「ハイデガーからの解放」に至らねばならない。
3 ハイデガーを通してのハイデガーからの解放[#「ハイデガーを通してのハイデガーからの解放」はゴシック体]
†ハイデガーにとらわれずに[#「†ハイデガーにとらわれずに」はゴシック体]
ハイデガーはその思惟の道の全体を通して、ソクラテス以前の哲学者からニーチェまでの西洋哲学を視野に収め、重要な西洋哲学者を彼独自の仕方で解釈した。こうしたハイデガーの解釈は、現在に至るまで哲学史研究に大きな影響を与えつづけている。その意味でハイデガーを哲学史の研究者として高く評価する人も多い。
確かにハイデガーを通して、西洋哲学を全体として捉える可能性が開かれるし、個々の哲学者の解釈はそれぞれ魅力的である。しかしハイデガーの解釈を盲信し、鵜呑《うの》みにすることなど、すべきではない。本書はハイデガーを自分の目で読むことへと導くことを課題としているが、それは、同時にハイデガーが解釈するテクストをも自分の目で読むことを意味する。ハイデガーが語ることを盲信するだけならば、『存在と時間』がプラトン、アリストテレスの存在への問いの取り返しであることの意味と射程を捉えることさえできないだろう。ハイデガーにとらわれずに、プラトン、アリストテレスを読むことが、ハイデガー哲学の射程を捉えることを可能にする。本書はプラトンのイデア論、アリストテレスの存在論と形而上学を説明したが、それはハイデガーの解釈の鵜呑みに基づいているのではない。確かにハイデガー哲学はプラトンやアリストテレスへとわれわれを導いてくれる。しかしハイデガーの解釈を単に盲信することは、単なる反発や拒絶と同様に、不毛なことである。ハイデガーを自分の目で読むことは、ハイデガーに心酔することや拒絶反応を示すこととはまったく異なる。
ハイデガーは形而上学の二重性という観点から、近現代哲学(カント、シェリング、ヘーゲル、ニーチェなど)を解釈する。例えばヘーゲル『精神の現象学』は存在論として、『論理学』は神学として解釈される。確かにこうした解釈が切り拓く次元は魅力的である。しかしヘーゲルの現象学体系は「現象学―論理学」という二部構成でなく、「現象学―論理学―実在哲学(自然哲学と精神哲学)」の三部構成である。ともかくハイデガーが切り拓く問いの地平を認めた上で、「ハイデガーにとらわれずに」(ハイデガーを盲信しない)という姿勢を取ることが必要である。つまり「ハイデガーを通してのハイデガーからの解放」である。
†ハイデガーをきっかけにして――ヘーゲルと西田[#「†ハイデガーをきっかけにして――ヘーゲルと西田」はゴシック体]
ハイデガーの存在への問いが切り拓く問いの次元は重要である。存在論―神学としての形而上学という規定は西洋哲学を見通す有力な観点を提供する。そしてこの観点に導かれることによって、本書はウィトゲンシュタイン『論考』の論理―倫理の二部構成に光をあてた(第五章第3節)。しかしハイデガー自身はウィトゲンシュタインに何度か簡単に言及しているにすぎず、第五章第3節で示した解釈はハイデガーとまったく独立である。その解釈が新しいウィトゲンシュタイン像を提示しているとすれば、それはハイデガーが切り拓いた地平に定位しているからである。ハイデガーをきっかけとして、ウィトゲンシュタインを形而上学の二重性から解釈する視点が得られたのである。
ハイデガーが解釈の新しい可能性を与えてくれることを、個人的な経験として述べてみよう。ハイデガーのアリストテレス研究の出発点をなすのはアリストテレス『デ・アニマ』である。一九八九年に公刊されたハイデガーの『アリストテレス草稿』(一九二二年)を読んで、私は『デ・アニマ』が『存在と時間』の基層をなしていることに気づき、ハイデガー現象学の由来と射程が一挙に見えた。この内実の一部は本書でも論じている(第三章第1、2節)。『デ・アニマ』の重要性を知ることは、私をヘーゲルと西田へと導いた。最初にヘーゲルについて語ろう。
『デ・アニマ』の重要性に強い印象を受けたその瞬間に、私はヘーゲル『精神の現象学』における理性の定式「理性はすべての実在性であるという意識の確信である」を思い出した。そしてこの定式が『デ・アニマ』第三巻の受動理性を意味する言葉「心は或る意味ですべての存在者である」に由来するというアイデアが浮かんだのである。不勉強な私はその当時、ヘーゲル自らが『デ・アニマ』第三巻第四、五章を翻訳していることをまったく知らなかった。しかしこのアイデアを展開することを通し、『デ・アニマ』の「受動理性―能動理性」をヘーゲルが独自に解釈することによって、現象学体系が可能となったことが見えてきた。
こう言うとヘーゲルを近代哲学の頂点、ドイツ観念論の完成と思い込んでいる人は奇異に感じるだろう。しかしヘーゲルが「永遠性と時間」の伝統のうちに立っていることを想い出してほしい。そしてヘーゲルを近代哲学の狭さから解放し、ギリシア哲学から捉え直す必要性だけは感じてほしい。ともかく『デ・アニマ』の重要性に気づくことが、ヘーゲルを新しい光のもとで見ることへと私を導いた、という事実が伝えられれば十分である。
当時私は西田幾多郎全集を読んでいた。そして「場所」という論文(一九二六年)によって、つまり場所概念によって初めて独自の西田哲学が誕生したということを知っていた。西田自身がはっきり言っているように、場所という言葉はアリストテレス『デ・アニマ』第三巻第四章で語られている「形相の場所」という言葉に由来する。ハイデガーにおける『デ・アニマ』の重要性を知ることは、同時に西田にとっての『デ・アニマ』の重要性に目を開くきっかけとなった。それによって、禅仏教からでなく、アリストテレスから西田哲学を解釈するという可能性が見えてきた。「場所」論文執筆の時期に、西田はアリストテレスについての講義・演習をしている。一九二四年にアリストテレスの形而上学についての講義、一九二六年にアリストテレス『形而上学』の演習、そして一九二七年に『デ・アニマ』の演習をしている。京都大学でのこの最後の演習のテーマが『デ・アニマ』であったことは、西田にとって『デ・アニマ』が極めて重要であったことを示唆している。こうした事実を真剣に考えるならば、西田哲学を禅仏教から見るという解釈傾向から自由になるだろう。
それは同時に、日本でよくなされる「西田とハイデガー」問題にも光をあてることになった。西田の場所(場所としての意識)とハイデガーの現存在の類似性が指摘できる。西田にとって意識は「一切の対象を映すもの」、「一切の対象を受け取るもの」としての場所である。「心は形相の場所である」とは「心はある意味で存在者である」という受動理性(一切の対象を受け取る理性)と同じことを意味する。『存在と時間』は「心はある意味で存在者である」という『デ・アニマ』の言葉のうちに、「現存在は存在者をその存在に関して理解する」という現存在の根本性格を読み取った。場所としての意識(西田)と現存在(ハイデガー)は、『デ・アニマ』の受動理性の問題圏を動いている。
ハイデガーにおいて現存在とは、「現(開示性)であること」を意味する。しかしドイツ語の現(Da) は「そこ」、つまり場所を指す言葉である。とすれば、現とは「存在者とその存在がそこで現われる開示の場所」を意味する。現存在が開示の場所であることは、「現存在が明るみ(Lichtung) である」という規定からも言えるだろう。Lichtung とは、「明るくする」という動詞から由来するとともに、「森の伐採による空き地」、つまり一種の場所を意味する。Lichtung とは明るくされた場所である。意識としての場所(西田)が現存在(ハイデガー)と類似しているとすれば、それは両者が意識の問題を『デ・アニマ』に遡って考え抜いたからである。実際西田の「場所」論文は、ハイデガーと同様に(第三章第1節)、フッサール現象学から『デ・アニマ』への道をたどっているのである。
西田とハイデガーが出会う場は『デ・アニマ』である。『デ・アニマ』において両者は出会い、そしてそこから独自の道を歩むことによって、両者は別れていく。
日本では西田哲学を介して、ハイデガーを禅仏教から解釈する試みがしばしばなされている。確かに禅とハイデガー哲学を比較することは、各人の自由である。しかし西田とハイデガーが『デ・アニマ』において出会うということを知るならば、禅がいかに魅力的であれ、禅からハイデガーに光をあてようとは思わないだろう。禅からのハイデガー解釈はハイデガーのテクストを解明するのでなく、さらに難解にするだけである。ともかくこうした解釈の試みに対して、ハイデガー自身の確信を対置しておこう。「近代技術世界が成立した同じ世界の場所からのみ、また回帰も準備されうる。回帰は禅仏教とか他の東洋的世界経験の借用によって生起しない」。
ヘーゲルと西田について論じたことの詳細を読者はあまり気にする必要はない。ハイデガーを通して『デ・アニマ』の重要性に気づいたことが、ヘーゲルと西田を新しい光のもとで見ることへと私を導いた、という事実を知ってもらえれば十分である。「ハイデガーをきっかけにして」、つまり「ハイデガーを通して」、私は広い視野(『デ・アニマ』の思想史と呼びうる視界)を得たわけである。
†ハイデガーに抗して――ニーチェ[#「†ハイデガーに抗して――ニーチェ」はゴシック体]
「ハイデガーを通して」はさらに「ハイデガーに抗して」を意味する。ハイデガーは一九三七年夏学期講義(ニーチェ第二講義)において、『ツァラトゥストラ』を主題的に解釈する。その基本的な姿勢は、この書を悲劇から解釈することである。彼の解釈は今日においても多くのニーチェ解釈を支配している。しかし悲劇としての『ツァラトゥストラ』という解釈を鵜呑みにしてはならない。第六章第3節でのニーチェ解釈を補完することにもなるので、ハイデガーの解釈を批判的に検討してみよう。それはハイデガーが解釈したニーチェのテクストを自分の目で読むことである。
ハイデガーが『ツァラトゥストラ』を悲劇と解釈するテクスト上の根拠は、『喜ばしき知』第四書の最後の節三四二である。それは「悲劇が始まる」(incipit tragoedia) という言葉で始まり、それ以下の文章がほぼそのまま、この翌年(一八八三年)の『ツァラトゥストラ』の冒頭となる。それゆえ『ツァラトゥストラ』において「悲劇が始まる」のである。しかしニーチェは『喜ばしき知』に第五書を書き加えた第二版を出版する。その第二版の序文(一八八六年秋)は「悲劇が始まる」という言葉に言及し、「パロディが始まる(incipit parodia)、それは疑いがない……」と語っている。「悲劇が始まる」に対して「パロディが始まる」が対照されていることからだけでも、『ツァラトゥストラ』を単なる悲劇とすることはできないだろう。「悲劇が始まる」という言葉を重視するハイデガーは、「パロディが始まる」を完全に無視している。これは致命的な無視だろう。
この致命性はハイデガー自身の解釈の主導思想に即して指摘することができる。主導思想は『善悪の彼岸』一五〇であった。ハイデガーは「英雄のまわりではすべてが悲劇となる」に定位して『ツァラトゥストラ』を解釈している。そしてそこから「神のまわりではすべては――どうなるのか、おそらく『世界』となるのだろうか」を理解しようとする(第六章第3節)。しかし「半神のまわりではすべてがサチュロス劇となる」という言葉は完全に無視されている。『善悪の彼岸』一五〇をニーチェ解釈の主導思想として選んだハイデガー自身が、主導思想を全体として解釈できないのである。「半神・サチュロス劇」を解釈できず無視せざるをえなかったことは、「パロディが始まる」の無視と同じ根から生じている。それは悲劇という解釈地平である。悲劇としての『ツァラトゥストラ』という先行理解が誤りであることは、「半神・サチュロス劇」を解釈できないことに端的に現れている。
ハイデガーの『ツァラトゥストラ』解釈は第三部「幻影と謎」と「回復する者」を中心になされている。確かにこの二つの章は重要であるが、しかしハイデガーはこの二つの章が属する第三部のモットーを無視している。「……最高の山に登る者は、すべての悲劇と悲劇的真剣さを笑う」。なぜ無視するかは明らかだろう。『ツァラトゥストラ』が悲劇であるとすれば、「悲劇と悲劇的真剣さを笑う」ことなど認められないからである。悲劇に固執するハイデガーに対して、「そこから見れば悲劇的な問題が私の下にあるような高みを私は欲するのです」というニーチェの言葉(一八八二年一二月の手紙)を対置しよう。この手紙を書いた翌年一八八三年二月にニーチェは『ツァラトゥストラ』第一部を一気に書く。『ツァラトゥストラ』は単なる悲劇でなく、「悲劇を超えて笑う高み」(パロディ、サチュロス劇)から構想されている。
ハイデガーが『ツァラトゥストラ』解釈の中心に置く「幻影と謎」において、永遠回帰の思想の否定面を肯定へと転化することは、牧人の笑いとして形象化されている。しかしハイデガーは牧人のこの笑いを完全に無視している。牧人の笑いは悲劇を超えているからである。そもそも笑いは悲劇にふさわしくない。ハイデガーが語る「ニヒリズムの克服」は牧人の笑いの次元に至っていない。
「回復する者」を解釈するハイデガーの最大のポイントは、「動物たちはよく知っている」を否定することにある。ツァラトゥストラの動物たち(ヘビとワシ)は永遠回帰の世界を「すべての物はそれ自身舞踏する」世界として歌う。それを聞いてツァラトゥストラは言う。「……お前たちは何とよく知っていることか、七日の間に実現されねばならなかったことを。/そしてあの怪物が私の咽喉に這い込み、私を窒息させたことを」(「回復する者」2)。ハイデガーは「お前たちは何とよく知っていることか」という言葉を皮肉として捉え、「動物たちはまったく何も知らない」、「お前たちは結局のところ知らない」と解釈した。それは動物たちの語りを第三部「幻影と謎」で登場する小人の語りと同じ次元に置くことを意味する。小人が重さの霊としてツァラトゥストラの不倶戴天の敵であることから見ても、この同一視は無理である。「お前たちは何とよく知っていることか」を「お前たちは結局のところ知らない」と解釈することに、テクスト上の根拠は何もない。にもかかわらずハイデガーがそう解釈するのは、悲劇という解釈地平に『ツァラトゥストラ』を映し出そうとするからである。テクストを逆の意味に解さざるをえないのは、動物たちが歌う永遠回帰の世界(すべての物はそれ自身舞踏する世界)が悲劇の世界と正反対だからである。悲劇という解釈地平にしか根拠がないテクスト解釈は、もはやテクストの解釈でなく、テクストの改竄にすぎない。
悲劇という解釈地平は、テクストの改竄か、テクスト(パロディが始まる、半神・サチュロス劇、第三部のモットー、牧人の笑い)の無視に終わらざるをえない。悲劇という解釈地平そのものを捨て去るべきなのである。『喜ばしき知』以後のニーチェが立っているのは、「悲劇を超えて笑う高み」である。
ハイデガーの解釈の検討に深入りしすぎたかもしれないが、ここでのポイントは単なるハイデガー批判にあるのではない。ニーチェは一般に、テクスト上の根拠も示されずに好き勝手に解釈されている。そうした解釈は検討に値しない。それに対して、ハイデガーは『ツァラトゥストラ』をそのテクストに即して解釈し、悲劇としての『ツァラトゥストラ』という鮮明なニーチェ像を提示している。それゆえにその解釈は魅力的なのである。しかしそれはハイデガーのニーチェ像を盲信することを意味しない。逆にテクスト上の根拠を挙げているがゆえに、その根拠を検討しうるのであり、鮮明な彼のニーチェ像に対して、別の鮮明なニーチェ像(悲劇を超えて笑う高み)を提示しうる可能性(ハイデガーに抗して)を開いている。「ハイデガーを通して」は「ハイデガーに抗して」を含意する。
†ハイデガーから開かれたものへ[#「†ハイデガーから開かれたものへ」はゴシック体]
ハイデガーを自分の目で読むことは、ハイデガーを盲信することでなく、ハイデガーを通して開かれた地平へと至ることである。読者は本書の「はじめに」の最初で書かれている言葉を覚えているだろうか。「『ハイデガー入門』はハイデガー哲学が動いている問題地平を明らかにすることを目的としている」。この問題地平に至ることは、われわれを開かれたものへと解放するのである。
「ハイデガーを通して」は「ハイデガーにとらわれず」、「ハイデガーをきっかけにして」、「ハイデガーに抗して」を意味する。それはハイデガーが切り拓いた可能性を各人の可能性として引き受けることである。それはハイデガー哲学への固執(心酔と拒絶)から自由になること、ハイデガーからの解放を意味する。つまり「ハイデガーを通してのハイデガーからの解放」こそめざされるべきである。
ここでハイデガーの告別式におけるヘルダーリンの朗読を想い出そう。その朗読の最後は「だから行こう、われわれが開かれたものを見るために……各人は彼が行きうるところへ行き、来うるところへ来るのだ」という『パンと葡萄酒』の詩句であった。この詩句から、ハイデガーの思惟の道における彼の最後のメッセージを聴き取ることができる。「ハイデガーを通してのハイデガーからの解放」はこのメッセージへの応答になるだろう。
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おわりに[#「おわりに」はゴシック体]
本書『ハイデガー入門』の執筆は「ちくま新書」元編集長山本克俊さんの要望を出発点としている。山本さんの要望は四点であったが、それをそのまま再現しよう。
(1)主著『存在と時間』を中心に、難解だといわれますハイデガーの思想の核心を読み解き、プラトン、アリストテレス以来西洋哲学がつねに問いつづけてきた「存在とはなにか」という根本の問いに少しでも読者が彼の思考と共に近づいていくことができるようにわかりやすく(このわかりやすくが曲者ですが)説き明かしてくださるようお願いいたします。
(2)本書はハイデガーの伝記ではありませんのでそれほど詳細である必要はございませんが、彼を思想的に決定づけた伝記的事件については、最小限その関わりとなった背景のご説明をもお願いできたらと存じます。
(3)また、上にも関連するかと存じますが、巷間批判にさらされているハイデガーのナチスへの関わりをスキャンダルとしてではなく、哲学的コンテキストの中からその深層に光をあててくださいますようお願いいたします。
(4)最後に、その時々の思想状況のなかでハイデガーの思想がどのように読まれたかを踏まえつつ、さらに流行思想のレベルをこえた読みの地平を提示していただくようお願いできますでしょうか。
この要望に応えるように試みたつもりだが、それが成功しているかどうかは私が判断することではないだろう。しかし一番苦心したことだけは述べておきたい。それは「わかりやすく(このわかりやすくが曲者ですが)説き明かす」という点であった。最初そのために構成を工夫し、「美しい花と健康食品と光」という序章を構想した。ハイデガー、さらにプラトン、アリストテレスにまったく言及せずに、日常的な場面からこの三つのテーマを語るつもりだった。それさえわかれば、プラトンとアリストテレスにおける存在への問い、そしてその取り返しであるハイデガーの存在への問いを理解する準備が整うと思ったのである。「美しい花」はプラトンのイデア論とハイデガーの存在への問い(第一章)、エネルゲイアとしての見ること(第四章)、存在論の範例的存在者(第五章)、こうしたことの理解を可能にする。「健康食品」はアリストテレス存在論の核心、さらに『存在と時間』の根本的な問いである存在の意味への問いをわからせる(第二章)。そして「光」は「現象は光のうちで視られうる」というハイデガー現象学の核心的なテーゼ、さらにプラトンやアリストテレスに簡単に接続できるだろう(第三章)。ところが実際に書き始めてみると、この叙述の仕方では同じ話を繰り返さざるをえないことに気がついた。繰り返しをできるだけ避けるために、現在あるような構成になってしまった。しかし「美しい花と健康食品と光」で語ろうとしたことが「ハイデガー入門」にふさわしいという確信は今でも変わらない。
「わかりやすく」が曲者であることは確かである。わかりやすく見えるだけの作り話(流行思想から見られた現代思想風のハイデガー?)は避けたかった。わかったつもりの浅薄な理解(単なる誤解)より、わからないと知るほうがいいからである。しかしまた逆に、浅い水たまりをかき混ぜて、底の見えない深みがあるかのごとく見せる愚も避けたかった。底が見えないといった難解さ(禅から見られた日本風のハイデガー?)は深さの印でなく、単なる無理解の表明にすぎない。本書がこの二つの誤りを免れているかどうかは、読者が判定することである。
一番悪いのは作り話(現代思想風の、禅仏教風の)によってわかったつもりになることである。『存在と時間』の基本的な狙い(ハイデガーが繰り返し明確に語っている狙い、つまり存在の意味への問い)を忘れて、自分に都合よく見える箇所をクローズアップし、さらにテクスト上の根拠もなしに、ハイデガーについておとぎ話(作り話)をしてはならない。ハイデガーに入るための最初の一歩は「おとぎ話(作り話)を語らないこと」、そして「おとぎ話(作り話)を信じないこと」である。
おとぎ話を信じないためには、実際に『存在と時間』を自分の目で読むことである。そしてわからない箇所をわからないとはっきり知ることである。そのように読む者だけがテクストを理解するという喜びを味わうことができる。しかし個々の箇所の正確な理解を得るだけでなく、さらにあるとき、突然ハイデガーの核心が見えてくるだろう。そして今までに見たことのない光景が一挙に開けるだろう。それは、人まねでない自分独自の読みを獲得することである。その時初めて従来の研究・解説・祖述などがおとぎ話であったことがはっきり見えるだろう。そして根拠をもって自分の読みを提示できるだろう。
テクストの意味がわからなければ、面白くない。わかるようになれば、次第に興味をもち、理解することの楽しさを経験するだろう。しかし一挙に視界が開けるという経験にこそ、テクストを読む喜びがある。本書はそうした楽しさ・喜びへと読者が至る準備のために書かれたのである。
本書が願っていることは、解説書・入門書などを代用品として使わないこと、作り話など信じることなく、自分の目でハイデガーを読むことである。それによって本書の提示したハイデガー像をもまた作り話にすぎないと見なしうるようになるかもしれない。自分の目で読み、根拠をもって本書を一つの作り話として捉えうる高みに至るのであれば、本書はその役割を十分に果したことになる。
最後に個人的なことを書くのを許していただきたい。
本書の草稿を九州大学文学部倫理学研究室の学部の二年生、岩永進午君に読んでもらった。章ができるごとに、あるいは章の各節(1、2、3)ができるごとに読むという仕方であった。そして彼にわからない箇所、わかりにくい箇所、さらに説明を要する個所を指摘してもらい、彼が納得する形にそのつど書きあらためた。入門書を書くという気の重い仕事を何とかやり遂げられたのは、そして実際に書き始めてから短期間のうちに仕上げられたのは、岩永君という最初の読者を得たからである。「わかりやすいですよ」という彼の言葉が本書を書きつづける励ましとなった。本書の読者が、そして可能なら私の三人の娘、純子、明子、陽子が、同じ言葉を言ってくれることを願っている。
[#地付き]細川亮一
細川亮一(ほそかわ・りょういち)
一九四七年生まれ。東京大学文学部卒業。東京大学大学院文学研究科哲学専攻博士課程修了。一九八四年―八六年フンボルト奨学生としてドイツに留学、一九九五年―九六年アメリカ合衆国留学。文学博士。現在、九州大学大学院人文科学研究院教授。著書に『生きられる時間』『フッサール現象学における身体』『恐れと驚き』『意味・真理・場所』『幸福の薬を飲みますか?』『ハイデガー哲学の射程』『形而上学者ウィトゲンシュタイン』『ヘーゲル現象学の理念』『アインシュタイン 物理学と形而上学などがある。
本作品は二〇〇一年一月、ちくま新書の一冊として刊行された。