コテン氏の音楽帖
砂川しげひさ 著
序奏
序奏は導入部ともいいます。ある楽曲の主部に入る前のゆっくりした出だしの部分です。作曲者が、その曲の一番おいしいところを「まあまあ、そうあわてないで」と、もったいぶっている部分とみてよいでしょう。卑近なたとえですが、ガマの脂売りと同じです。「さあさ、お立ち会い。ご用とお急ぎのない方は」などと前口上をいって、なかなか本番つまり腕にガマの脂を塗って、太刀でギコギコという見せ場をやらないのと同じです。
そういう意味でいえば、この序奏なんてものをこしらえた人は、相当自己顕示欲の強い見栄っ張りとみてよいでしょう。
さて、本題。クラシックと聞いただけで、眉をひそめる人がこの広い世間にはいらっしゃいます。信じられない話ですけれど、クラシックを聴く奴はみんなネクラで、人間関係もうまくできないどうしようもない人種だと思っている人たちがおります。
そういうイメージを植えつけた一部クラシック・ファンにも問題はあるでしょうけれど、まことに馬鹿げた話です。
今どきクラシックを鼻にかけていばっている奴なんかいるでしょうか。眉間にシワ寄せて髪を振り乱し、自分がべートーヴェンにでもなったようなつもりになって、レコードを聴いている奴がいたら、それはクラシック・ファンの中でも、ヒヨコです。ビギナーです。クラシックを教養としてひけらかしている連中はおでこに若葉マークを張りつけていると思っていいでしょう。
ぼくらクラシック・ファンの「内なる敵」なのです。そういう人にはこの本を読んで欲しくない。読んだとしても何も得るものはないでしょう。
クラシックは娯楽音楽なのです。むかしの貴族が金を持て余して、自分たちの楽団を作り、ハイドンやモーツァルトに命じて曲を作らせたのです。パーティーをやったり食卓を囲んだりしながら、BGMを流しているといった程度のものなのです。ハイドンの弦楽四重奏曲を聴きながら、カモのモモ肉をかじったり、貴婦人の胸の膨らみに目を奪われたりしていたのです。だれが深刻な顔して、音楽を聴きますか。ですから、おでこに若葉マークをつけたネクラ・ファンも、またクラシック・ファンをそういう連中の集まりと誤解されている世間の一部の人も、そういう偏見をサラリと捨て去って欲しいものです。
ちょっと序奏にしては、自分の意見を吐き過ぎました。すみません。どうぞ気楽にこの本とつき合ってください。出来れば何か音楽を聞きながら読んで頂けるとよろしいのですが。
目次
序 奏
第1楽章 アンコールはいらない
――――コンサート
フルトヴェングラーの「第九」と咳
アンコールはいらない
観客の拍手一番のりについて
なぜ中村紘子なのか
マルタ・アルゲリッチ、あなたは美しい!
オペレッタのカンカンについて
二期会の「魔笛」を観て
映画「アマデウス」を観て
ゲーリー・カーのコントラバス独艶会
蝶々夫人の新コスチューム
肉製楽器について
レナード・バーンスタインのマーラー
田んぼの中のバッハ
文楽人形オペラ考
第2楽章 ワーグナーはタツか
――――巨匠たち
モーツァルトの偽シンフォニー
サイモン・ラトルの赤い胴巻き
天才はスカトロジーがお好き
ヘンデル生誕三百年について
ハイドンとワープロ
ワーグナーはタツか
雨とショパン
ぼくの京都幻想
第3楽章 ベートーヴェンはいつまで苦悩の人か
――――立腹
女子音大生は音楽好きか
また女か! について
クラシックが好きになる法
ラヴェルを変曲したヘンなピアニスト
ジャズ・ピアニストを怒れ
NHK・FMの番組改悪に寄せて
なんたってクラシック番組
「クラシックFM」の日の出
CDにシンプル・ジャケットを
レコード店について
ベートーヴェンはいつまで苦悩の人か
素人「第九」について
カラヤンの引き際
間奏曲 お役に立つクラシック
――――ハウツウ
音楽による精神治療
夏に聴く音楽
グルメのためのターフェルムジーク
セミ・クラシックの復権
ぼくの仕事場兼リスニングルーム
イヤホン・エレジー
人生BGM漬け
膨大な時間のストック
走るリスニングルーム
空飛ぶリスニングルーム
旅先のワルキューレ
第4楽章 わが家はカプリッチョ
――――身辺雑記
俳句の詠み方について
川柳にみる情念の世界
わが家はカプリッチョ
わが身体もカプリッチョ
四半世紀の肩凝り
阪神タイガースの歌
ぐわんばれジャズ喫茶
レコードの正しい聴き方
ちょっと、こんな話
名曲快説の本
そこはかとなく軽薄
コンサート料金について
盛り上がりの君
ひばりとカラス
寝正月を決め込む
初クラシック
マニアのいろいろ
父が死んだ日
カーテン・コール
アンコール
第1楽章 アンコールはいらない
――――コンサート
フルトヴェングラーの「第九」と咳
ゴホッ、ゴホッ。と謎めいた咳を、まずトートツに書く。
ぼくは緊張すると、気管支がしめつけられるのか、咳が出る。「咳は社会の迷惑です」(アレは風邪だったかな)というコピーが、はやっているようだけれど、コンサートにおける咳も迷惑なのだ。ここで、「コンサートにおける咳」について、シンコクに考察する。
このあいだ、東海林さだお兄と、カラヤン、ベルリン・フィルの演奏会(一九八四年十月二十四日、普門館)を聴きにいった。東海林兄はいまどきめずらしく(?)クラシック初体験派なのだ。そこでその演奏会が終わったあとで、「どうでした?」と感想を聞くと、兄ィからポツリとすごい返事がはねかえってきた。
「楽章と楽章のあいだの、観客の咳ばらいがウルサイ!」
ジャーン。並の評論家なら見逃してしまうであろう、このスルドイ指摘。一六三七年ヴェネチアのサン・カッシアノ劇場で、はじめてオペラが上演されて以来、三百五十年ものあいだエンエンとつづいた近代コンサート様式を、屋台骨からくつがえすような、この文明批判! ジツにおそろしい(タラリ)。
日本人というのは、クラシックというと、二歩も三歩もあとずさりして拝聴する風潮がある。指揮者が舞台にエンビ服のシッポをヒラヒラさせて颯爽と登場したときの、観客の爆発するような拍手。指揮者が踵を返して指揮台にのり、タクトをサッとあげたときの、瞬時の静寂。三千、四千人もの観客が屁ひとつせずに息をひそめる、アノ絶対無音の世界。人間の個々の存在を抹殺したようなアノ二、三秒間の空白。この間隙をぬって、ファシズムがぬっと闖入してきそうな無防備な世界。考えてみればオソロシイ。
外国の演奏会ではこの緊迫した空気は指揮者のひと振りのドンで、解消されるのだが、日本の場合は、楽章の終わりまでつづく。
だから東海林兄の「ウルサイ」という空間は、彼らが緊迫の深海から海面に上がってきて、ブハーッと炭酸ガスをはき、新鮮な酸素を吸うための大気なのだ。
日本人は、セーノでブハーッとやるから、咳ばらいや何やらがウルサイのだ。
ぼくはFMの海外ライヴをエアチェックしているから分かるが、向こうの観客は「未完成」の出だしだろうが、マーラーの「交響曲第五番」のアダジエットだろうが出モノ腫レモノの精神で、ゴホゴホと平気でやる。フルトヴェングラー指揮の「第九」のライヴ盤を聴いても途中でゴホゴホやっている。
それだけ楽章間の咳ばらいが少ない。それにあちらの咳はカラッとして健康そうだ。日本のは、どこか陰気くさい。湿度が高いせいかもしれない。
アノ楽章のいっせい放出は、何とか改めてもらえないものだろうか。
アンコールはいらない
外国ではどうか知らないけれど、コンサートが終わったあとの、あのアンコールをせびる拍手、なんとかならんのかいな。
ぼくなどいい演奏に出合えば、感動で心身とも打ち震えて、まるで自分が演奏し終えたみたいに、もうクタクタなのだ。拍手する元気もない。まして当の演奏家なら、魂が天井あたりを浮遊しているに違いない。肉体は脱け殻。せめて魂が、演奏家の肉体に戻ってくるまで拍手は待ってあげよう。
それからいつも思うのだけれど、拍手は二回きっかりでシメたい。一回目は「ごくろうさん、疲れはったでしょう」というねぎらい。二回目は「ブラボー、すてきな演奏ありがとう」というシビアな評価の意思表示。したがって、つまらない演奏なら一回目の拍手で退席。名演を聴かせてくれたのなら、割れんばかりの拍手を、この二回目でするのがヨイ。どんなに感動的な演奏であっても、拍手はここまで。三回目からあとの拍手は、アンコールをせびる乞食根性だ。品性がここでストンと落ちる。こらえて帰路につこう。
女の子に人気のあるポーランドのハンサムなピアニスト、クリスチャン・ツィメルマンの演奏会を観にいった(一九八五年四月十二日、昭和女子大学人見記念講堂)。もう女の子ばっか。どこから湧いてきたのか、この子らは! と叫びたい。この子たちの、ツィメルマンに対する思い入れがいかほどのものかを示す、いい例を目撃したので紹介したい。
開演ベルが鳴って、客席の照明がおち、舞台が明るくなった。このとき、演奏家は舞台脇で深呼吸をしたり、掌の汗をふいたりして、たかまる緊張と闘っているに違いない。
そういう張りつめた空気が、ホール全体に流れているときに、客席のうしろのドアが開いて、ひとりの女の子が飛び込んできた。そして中央の通路をトントンと靴音を響かせながら駆けおりてきた。客席の真ん中までくると、こんどは右折をして壁のほうに走る。ショルダーバッグにぶらさげているのか、鈴の音がせわしく鳴る。つぎは壁に沿って舞台のほうに向かって走る。ローヒールと鈴の音が、SNのいい響きでこだまする。それからその子は舞台の前を横切って、最前列の左の席にやっと辿りついた。
話はそれだけのことだ。その子が、咳ばらい一つもはばかる空気の中を、愛しい人のことで頭をいっぱいにして駆け抜けた、たかだか四十秒間のできごとに過ぎない。それをみてこのオジンはジンときた。その子にとっては今日一日のいちばん凝縮した瞬間。ツィメルマンは、幸せな男だ。
さて演奏が終わって、ぼくは拍手を一回だけして立とうとすると、担当記者のHさんが、ぼくの腕を掴んだ。
「アンコールを聴かなきゃ損だよ」
観客の拍手一番のりについて
ぼくは寝る前の一時間を、一日のしめくくりとして、じっくり音楽を聴くことにしている。疲れた頭をフニャフニャにして寝つきをよくするためだ。
先日ミケランジェリのライヴ・テープをコレクション棚から取り出して聴いてみた。これは一九七三年十月二十日、NHKホールで演奏されたものだ。
なぜこんなずっと前の日付が分かるかというと、FMからエアチェックする際、こういうデータはテープ派の常として、テープケースの裏にメモしてあるからだ。
そこでミケランジェリの弾く、シューマンの「謝肉祭」。神経質なほどのニュアンスが息詰まるような緊張をうむ。疲れた脳細胞がフニャフニャになるどころか、全員起立をしている。これだからライヴはやめられない。
第二十一曲のフィナーレの行進曲は、ひたすら終結部に向かって堂々と、かつ禁欲的に(これこそがミケランジェリの神髄なのだ)、進んでいく。
そしてフェルマータ(延長記号)の付いた最後の主和音が華々しく打ちおろされたとき、緊張は頂点に達した。ところがその刹那、観客の拍手がワーッと入ったのだ。ペダルを踏み込んだ主和音はまだウーンと鳴っているのだ。「謝肉祭」はまだ終わっていないのだ。
あわれミケランジェリは、拍手に妨害されながらも、じっとペダルを踏みつづけていた。イタリアの自宅からわざわざ自分のピアノを船で運んできてまで、音色にこだわった男。その病的なまでの完全主義者の東京公演は、あと八秒のフェルマータ(実際に時計で計ってみた)が待てない観客のために、台無しになってしまった。彼がこのあとの公演をキャンセルにして帰国してしまったのは、この夜のアホな観客のせいだと思っている。
このテープを聴いていたぼくまで、東京の家をたたんで実家の尼崎へ帰りたくなった。
この連中は音楽を聴きに来ているのだろうか。それとも拍手一番乗りを果たし、それがオンエアされて、快感を得たいのだろうか。
七七年三月二日、東京文化会館。カール・ベーム指揮、ウィーン・フィルの演奏会におけるベートーヴェンの「田園」。ベーム老は終始スローテンポで演奏した。第五楽章の終止の和音も、マイペースでふわっと鳴らした。ところが、そのふわっの「わ」のところで、拍手軍団とブラボーマンがドドドと流れ込んだ。リズムをくずしたベーム老は四年後にザルツブルクで死んだ。このときのショックが原因だったにちがいない。
七三年十月二十九日、NHKホール。カラヤン、ベルリン・フィルでドビュッシー「海」。終結のドンは、連中にはスタートのドンと同じ意味をもつらしい。「風と海の対話」が大きくうねったところで、全金管群が終結のドン。走者いっせいにスタート。あっ、ドンの「ド」で走ったゾ。止まれ、フライングだァ! まったく疲れる。
なぜ中村紘子なのか
「とうとうナマを聴いてきたで」
「ナマって何の?」
「もちろん中村紘子のリサイタルや」
「へー、あんなのクラシック界のファッションやと、さんざん毒づいてたキミがね」
「基本的には、その考えいまでも変わっとらへんよ」
「それでどうだったの、ヒロコは」
「大した人気や、あの東京文化会館大ホール(一九八五年四月二十四日)がいっぱいやった」
「いまやヒロコは国際的なピアニストだからねえ」
「人がいっぱい入ればエエというもんやないよ。だいたい客層がふつうの演奏会のとちがうみたいやったな」
「というと?」
「クラシックが好きで好きでたまらん、という人種はきてへんね。肩と肩が触れただけでも『コイツ、出来るな』なんていう人間は、あの中にはおらなんだね」
「女こどもばっかりだったっていうの」
「そこまではいわん。考え過ぎかもしれんけど、ピアノを習ってるコとか、その親とかが、連れだって有名ピアニストの模範演奏を聴きにきたという感じの層やった」
「(険しく)それはキミ、ちょっと、偏見が過ぎないか!」
「急に立ち上がんなよ。すまん、キミがヒロコ・ファンだというの、忘れてた」
「キミのような偏狭なファンからクラシックを大衆に取り戻した功労者だ、彼女は!」
「すまん、おっしゃるとおりや」
「それで肝心の演奏はどうだったんだ」
「ちょっと待って、タバコ喫わせてんか(シュバッ……、フーッ……)。えらい見幕や」
「何を!」
「キミのこととちゃう。彼女の演奏や。オール、ベートーヴェン・プロやったけど、『悲愴』にしろ『熱情』にしろ、ひたすらフォルテをめざして、ブチかましてたよ」
「うぬぬ。コノー」
「うん。キミには悪いけどな、ヒロコはヴィルトゥオーゾを武器にしとるな」
「何もわるくない。ヴィルトゥオーゾこそ演奏の『華』だ」
「ん。よう抑制された上のヴィルトゥオーゾやったらエエねんけどね、彼女の場合は何ちゅうのかな、夫婦げんかのあとのイライラを、鍵盤にあたりちらすというか……」
「コノー、ポカ、ポカ」
マルタ・アルゲリッチ、あなたは美しい!
先日、マルタ・アルゲリッチとミシェル・ベロフのピアノ・デュオを聴きにいった(一九八五年十月二十一日、昭和女子大学人見記念講堂)。
正直に白状すれば、お目当てはアルゲリッチただひとり。彼女の技巧と音楽的センスは大したものであるけれど、それ以上に彼女の「ルックス」も大したものなのだ。
さいきん「ルックス」だけでトクをしている美人演奏家をチラホラ見かけるけれど、アルゲリッチとは、月とスッポン、雪と墨、みじんことハレー彗星の差(ナンノコッチャ)。
マルタにはオトナの「ルックス」があるのだ。魔性が息づいているような黒髪、いつも濡れている瞳、いたずらっぽさを秘める紅い唇、首から肩にかけてのエロティックな曲線、どれをとっても、聴衆を官能(堪能ではない)させずにはおかない。
だからその夜のベロフは、はっきり申してジャマであった。ベロフの才能のために忠告しておきたい。マルタなんかと組んだら大ゾンだ。メシアンの「幼児イエズスに注ぐ二〇のまなざし」で聴かせた力量も、マルタの魔性の前にはひとたまりもない。
前回来日の折、彼女と組んだネルソン・フレイレをご記憶の方もおありだろう。あのフレイレの茶色い髭の貧乏たらしく見えたこと! 初来日したときの、貴公子然とした風貌はどこにいった? あの吉田秀和氏が激賞した天才、ネルソン・フレイレはどこへいった! いわないことではない。
彼女と組んだらソンするのだ。何故なら、彼女はまごうことなく女であるから。それもただの女ではなくて、悩女(悩ましい女)だ。その悩女が、女ショパンみたいな、ずばぬけた才能を具えているとくるから、勝ち目がない。だいたいデュエットなんてものは、ナミの才能が、ドングリの背くらべするみたいに弾けばよろしいのだ。イエルク・デムス&バドゥーラ・スコダのウィーンのおじんコンビとか、カティア・ラベク&マリエル・ラベクといったマドモアゼルたちが弾いておればよいのだ。
これは音楽上の高等数学だと思うけれど、「ナミ+ナミ=上等音楽」になるが、「天才+ナミ=ナミ級音楽」、「天才+天才=ハチャメチャ音楽」となる。ピアノ・デュオというのはモーツァルト時代、作曲家がデキの悪い貴族の娘っこどもに教材として作ってやったのが、そもそものはじまりだ。
当夜のドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」とかラヴェルの「マ・メール・ロワ」は、それなりに聴かせてくれたけれど、やっぱピアノ二台は騒々しい。中音域から低音域が濁る。ふたりの呼吸を合わせるのが大変だと思うから、いつもハラハラさせられる。
「マ・メール・ロワ」は四手用で、一台のピアノをふたりで並んで弾く。遠目に見ると、マルタの愛人のようにみえてきて、コノーッという気がしてくる。
オペレッタのカンカンについて
漫画をかいてるくせに「お笑いもの」がきらいである。テレビタレントのギャグなんか、一度も面白いと思ったことがない。
でクラシックだが、これもおなじ。たとえばホフヌングの「面白音楽」。はじめて聴いたときは面白かったけれど、すぐ飽きた。
そこで「面白オペラ」。つまりオペレッタ。たぶん面白くないという結論に達すると思うけれど、そのオペレッタのことを書く。
オペレッタを日本語訳にすると、「喜歌劇」とか「軽歌劇」とかいう。「軽」はともかく「喜」の部分にこだわって、いままではがんとして観なかったが、今回はなぜか観た。
ウィーン・フォルクスオパーの「メリー・ウィドウ」(一九八五年三月三十日、NHKホール)である。オペレッタ初体験である。初ものを前にして、ロビーでオペラグラスとイヤホンを借りてみた。イヤホンは舞台のおしゃべりを即座に翻訳してくれて便利だけれど、歌のときはわずらわしい。片耳をふさがれ、モノラルで音量も半減する。
それにこの日借りたイヤホンの指向性がとてもわるくて、ピーという高周波のハムが鳴りどおしでイライラした。あんなオモチャなんかやめて、舞台の下に細長ーいスクリーンを設置して、字幕スーパーでも流せばいいのに(作者注・現在は字幕スーパーは常識になっている)。
フォルクスオパーを観て、へーと思ったことがいくつかあった。
第二幕のハンナ邸の庭でハンナ(メリー・ウィドウ)が歌う有名な「ヴィリアの歌」のところ。ハンナ役の歌手がよほどうまかったのか、観客の嵐のような拍手。
ふつうオペラでは、こういう場合、歌手は歌いおわった姿勢で、じっと嵐の去るのを待つのだが、オペレッタは、このへんはくだけていて、おじぎだけでなく、歌手自ら指揮者に合図をおくって、いま歌った歌をアンコールまでした。そればかりか、踊りの歌があると観客の手拍子が入ったりする。
いちばんのびっくりは、第三幕大詰めの、フレンチカンカン。「メリー・ウィドウ」に突然、入ってくる。まあ、イイ気分だからいいか。
スカートの前をヒラヒラとたくしあげたバレエ団が、猛烈な脚あげ踊りを右へ左へと惜しげもなくやってみせてくれる。あのカステラ一番のメロディーは、どうも頭の中を空洞にする作用があるらしい。うかつにも、このぼくまで拍手しちゃった。そのせいかどうか知らないが、アンコールに三回も応えてくれた。
ここで緊急の要望を、ホールの人にしておきたい。オペラグラスの倍率、あれでは小さすぎる。五百倍のレンズは欲しい。そうでないと、見たいところが見えないから。
二期会の「魔笛」を観て
オペラでいちばん何が好きかと問われれば、もうちゅうちょなくモーツァルトの「魔笛」をあげる。一年にいっぺんはこのオペラを観ないと、その年はいったい何のための一年だったかと、あとでジダンダ踏んで悔やむのに決まっているから、何がなんでも観る。
八五年二月一日、二期会の「魔笛」を観た。オケはコシュラー指揮の東京交響楽団。会場は、上野の「国立オペラ劇場」……と書ければイイ感じなんだけど、哀れ、音楽なんでもホールの東京文化会館でーす。
「二期会もがんばってるなあ」と、公演後くたびれ小屋を見上げながらの、ぼくの感想。
さてあの公演で三ヵ所、印象に残ったところがあるので書かせて頂きます。
第一幕第一場、王子タミーノが大蛇に追われて失神、それを助けに現れた三人の侍女たちのコスチュームがよかった。そのなんというか、オッパイを広範囲にわたって露出させている、その大胆な決めがヨイ。ここは彼女らが、倒れているタミーノの周りで、「なんていい男」と心ときめかせ三重唱するところだから、この演出は理にかなっていてヨイ。
問題は、夜の女王のところ。「魔笛」で聴衆がいちばん注目するのは、夜の女王がどういう演出で現れてくるかということである。このオペラが成功するかしないかは、夜の女王の現れ方ひとつで決まるといってもいい。
二期会の女王は、半径四メートルもある巨大なスカートの下にやぐらを組み、その下をレールで動くようにしてあるとか。演出としてはまあまあ。
ぼくが気になったのは、やぐらの上に乗せられた女王役の常森寿子さん。最愛の娘をザラストロに奪われて、母の悲しみを切々と歌う、このオペラのいちばんの聴かせどころなのに、何やら心ここにあらずといった感じなのだ。手のしぐさで、彼女がこのやぐらに非常に恐怖を感じていることがすぐ分かる。観ているほうだって、やぐらがいまにもレールの上を暴走して、客席に突っ込んでくるんじゃないかとヒヤヒヤしていたよ。
演出家は歌手と観客の安全を保障する義務があると、この際いっておきます。
二期会の公演が成功だったとすれば、それは第二幕フィナーレで、パパゲーノとパパゲーナが歌う「パパパの二重唱」の演出ではないだろうか。
自然児のパパゲーノと、恋女房のパパゲーナがたくさん子どもをつくりましょうと歌いだすと突然、舞台のうしろから子どもが一人、二人三人……と飛び出してきた。観客も虚を衝かれて一瞬息を止めたが、新演出だと分かって、笑い声が起こった。この子道具を使ったことで、「魔笛」が一気に盛り上がった。演出家も起死回生にジャリを使うという挙に出たかという気がしないでもないが、くたびれ小屋でよくがんばったからカンニンしたる。
映画「アマデウス」を観て
映画「アマデウス」をなんとか公開前に観たいなあと思っていたら、新聞の「試写会ご招待」という記事が目にとまった。さっそく妻、小学一年の女のコ、幼稚園の男のコ、それに七ヵ月の赤ん坊まで総動員して、ツゴウ五枚のハガキを送った。運よくそのうちの一枚(赤ん坊の分)が抽選に当たった。ぼくは赤ん坊に感謝しながらそれを持って「よみうりホール」で試写会を観ることが出来た(一九八五年一月二十一日)。
この映画は面白い。面白いけれど、音楽好きのひとりとして言わせてもらえれば、この映画はフェアじゃない。サリエリを「凡庸な作曲家」とハナから決めてかかって話を進めているところが、フェアじゃない。
サリエリは少なくとも、当時のウィーン楽壇の重鎮であり、皇帝ヨゼフ二世に仕える宮廷楽長である。ベートーヴェンは彼から、アリアの作曲法を学んでいるし、シューベルトやリストも師と仰いだ人物である。それほどの人物を、あの映画は「アホかカス」、いや「悩めるカス」にしているところがイケナイ。
サリエリをして「神はえこひいきした」と嘆息せしめるところのサリエリ自身の作品を映画の中でもっと紹介すべきではなかったか。モーツァルトは「フィガロの結婚」「魔笛」「ドン・ジョバンニ」といったとびきりの一級品オペラをはじめ、「交響曲第二十五番ト短調」「ピアノ協奏曲ニ短調」などのキラ星作品がスクリーンいっぱいに鳴り響いたのに比べ、サリエリ作品はたった二つ。それもクズ星ばっか。
一つめのクズ星は、皇帝の御前でモーツァルトによってピアノ即興で茶化された行進曲。もう一つは宮廷劇場で大喝采を浴びた、ナントカという歌劇。どちらも一分にも満たないほんのさわりだけ。この冷遇は痛々しい。
これだけのデータでもって、天才モーツァルトに立ち向かわせるのは可哀相だ。これでは「神のえこひいき」というより、「作者・ピーター・シェファーのえこひいき」だ。
サリエリだって「シンフォニア・ニ長調」「ピアノ協奏曲ハ長調」「フルートとオーボエのための協奏曲ハ長調」「テ・デウム」といった名曲(?)があるのだ。なかでも「フルートとオーボエ」はレコードにもなっている。
クズかクズでないかは、映画を観ている観客が判断してもいいではないか。クズがキラに立ち向かって「クズキラー」の目に遭っていると思えば、音楽家サリエリの悲しさが伝わってくるだろうし、「なかなかサリエリの曲も甘美ではないの」となれば、猜疑心に苦しむ人間サリエリの憐れさに胸打たれよう。
それにしても映画のラストシーンはショックだった。共同墓地の中へ、まるで生ゴミのように捨てられていったアマデウス。可哀相なモーツァルト!
ゲーリー・カーのコントラバス独艶会
コントラバスという楽器は、オーケストラの中でも一番陽の当たらない低音階層で、観客の憐憫を一手に集めている。はたから見ていても報われることの少ない集団ではないか、などとぼくは思っている。
ずっと昔、ディッタースドルフの「コントラバス協奏曲」というのを聴いた時、この楽器の薄幸さは、お祓《はら》いでもしない限り未来永劫つづくのではないかと、本当に心配した。
人に心配をかけておきながら、ひとりコンバス(専門筋ではこう呼ぶらしい)は、春風駘蕩、どこ吹く風。コンバスに救いがあるとすれば、この「裸の大将」の山下清画伯ふう無頓着さではないだろうか。たとえマズシクても、精神は大きい。ひょっとしたら、マズシサは単に装っているだけで、実のところコンバスは、楽器の中でも一番の「含羞の人」ではなかろうか。
そこから、とつぜん飛び出してきた男。デンキもカラオケもない、こんなイナカ、おらあヤンダと上京してきた男。ビンボーも含羞もかなぐり捨てて、ただもう目立ちたい一念で、大都会のド真ん中に立ちつくした男。――その名はゲーリー・カー。
先日(一九八五年五月三十一日、都市センターホール)、彼の演奏会にいってきた。
コンバスを引きずって舞台に現れるのかと思ったら、ヴァイオリンと同じように片手でネックを持ち上げて出てきた。ベートーヴェンの「ロマンス」第二番や、モーツァルトの「ソナタ第二十七番ハ長調」、シューマン「幻想小曲集」などをひいてみせたが、演奏の内容がどうのというより、ぼくは、カーとコンバスの物理的交わりばかりに目がいった。
ヴァイオリンにしろチェロにしろ、弦楽器すべての胴体を、女体そっくりに似せて作った先人には、脱帽するばかりだ。上体から下りてきて中央でグイとくびれ、そして腰から大きくうねるように盛り上がっていくあの体型を、音響上最高の設計だとするのは、信じられない。あまりに出来過ぎている。
あれは、女体の美しさに固執した芸術家たちのロマンの証だろう。本当に音の美しさを追求すると、あんな形にはならないと思う。ロケットで有名な糸川英夫氏が自作したチェロのように、横広の棺桶(失礼)みたいな胴になるのではないか。
ゲーリー・カーはその辺を十分に計算していると思う。おおかたの評価のひとつに彼の技巧をあげるけれど、楽器が大きいせいか、指遣いも鈍重な感じにみえる。ヴァイオリンのように、目まぐるしい曲芸をみる感じではない。あの鈍重な指の動きが、かえってある種の高級テクニックを連想させる。
モーツァルトやシューマンのメロディーは単なるシナリオで、実は二人の演じる密会現場にぼくらは立ち会っているのではなかろうかと空想をたくましくしている。
蝶々夫人の新コスチューム
ジャン・ピエール・ポネル演出の、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」をみた。といっても実演をみたわけではない。いまはやりのビデオでみたのだ。
ぼくはクラシック音楽を三十年以上も聴いてきたけれど、ほとんどが楽器中心で、オペラや声楽方面が長い間、欠落していた。
理由はひとつ、イタリア語やドイツ語が分からないからだ。
「こんなことではいかヌ」と、ときどきムキになって、あちらの有名な歌劇場が来日した折に、ふだん締めないネクタイを締めて観にいったりする。
さっぱり分からない歌手のセリフで観客がワッとひとかたまりになって笑ったりすると、どこか舞台の陰から手を回している人間がいるのではないかと思ったりする。
そういう言語音痴にとって、ビデオの出現は大いに助かる。字幕スーパーでちゃんと即座に翻訳してくれる。
ポネル演出の「蝶々夫人」もそのひとつで「ある晴れた日に」とか「ハミング・コーラス」しか知らないぼくにとって、全部を通して聴いてみようという気持ちにさせる格好の手引書だ。
この「蝶々」を上演する際に、いつもいわれることだけれど、日本の風俗がへんちくりん極まりない。着物の帯が妙な位置で巻いてあって、まるで「裸の大将」的ファッションになってたりする。ピンカートンを歓迎するのに、蝶々さんの一族郎党がまるで大名にひれ伏すようにして、畳に額をこすりつける。その畳の上に、靴のままピンカートンが立ってたりする。なまじ日本人である身が、かえって鑑賞の妨げになる。
原作者のジョン・L・ロングも作曲者のプッチーニも一度も日本に来たことがない。なのに劇中の主題や動機に、プッチーニは律義に日本のメロディー、たとえば、「君が代」や「さくらさくら」「かっぽれ」などを使ったりする。先ほどのピンカートンを歓迎する場面では何故か「お江戸日本橋」が流れたりする。どうせモトがおかしいのだからと開き直ったわけでもないだろうけど、ポネルの徹底したへんてこりん演出がかえって斬新にみえる。中でもホンゾー(僧侶)が、まるで石川五右衛門みたいな風態だったのは秀逸だ。
先日(一九八五年七月十日、東京文化会館)、いま評判のソプラノ、渡辺葉子の「蝶々」を観た。彼女はいまにオペラ界の小沢征爾になるのではないかという予感を抱かせて、頼もしかった。
演出が粟国安彦氏。さすが着物の着つけ、舞台も、ピシャリと決まっていた。その分、ポネル演出をみたあとということもあるけれど、端正過ぎた。どこか帝劇の舞台でもみているようであった。「ちょいと」と山田五十鈴が障子を開けて出てきそうな気がした。
肉製楽器について
先日(一九八五年八月二十七日、昭和女子大学人見記念講堂)、キリ・テ・カナワの独唱会にいった。
声楽のリサイタルを聴くのは実はこれがはじめて。偏見という言葉はこの声楽のためにあるようなもので、ぼくは長いあいだこの方面は避けてきた。
はなしがすこし飛ぶが、ぼくはあの相撲という格闘技が嫌いである。素手とフンドシというファッションもそうだが、商売道具があれだけですんでいるところがイヤ(フンドシ――まわしはけっこう高価なものだという意見はこの際ムシ)。
そうなのだ。お客にみていただくのだからやっぱり見ばえのする道具が必要なのだ。たとえば太刀を使うとか。和泉守藤原兼定作と備前国忠吉作のワザモノを持たせて土俵の上で、チャリンチャリンと立ち回りをしてもらうとか。どちらも裸だからスリルがあるゾ。
嫌いなものついでに、マラソン。
大のおとながパンツひとつで、町中を走るだけ。せめて靴に仕掛けがほしい。たとえば七色の煙をかかとから噴出させるとか。ころんだ拍子に、パンツのお尻のクス玉が破裂して、造花や飾り糸が四方にとび散るとか。こういう工夫がないと見ている方はチットモ面白くない。走るだけなら犬コロも走るゾ。
一体なにを書こうとしてたんだっけ。そうそう、キリ・テ・カナワのことなのだ。
そういうわけで(どういうわけか分からんけれど)つまり声楽が好きでないのは、おスモウやマラソンとおなじように、商売道具が安手なのが気に食わないのだといいたいのだ、はっきりいえば。
世に一丁何億円というストラディヴァリウスのヴァイオリンがあったり、気にいったピアノを世界中に持ち歩いてコンサートをひらくといった有名ピアニストもいるというのに、ひとり声楽家だけが自前のノドのみで荒かせぎをするのは、よろしくない!
必要経費がゼロというのは、許せない!
ところが、キリ・テ・カナワを聴いてぼくは今までの考えがアクイとヘンケンにとらわれていたことが分かった。ほんまにアホの砂川だった。
「天上の声」というのはやはり存在するのだ。はじめのヘンデルのアリア、第一声が流れ星のようにスーと現れたときの驚き。まさに天上の光。肉声だけにか弱さも伝わってくる。そこがよい。大事に使ってほしいと思う。アンコールをせびる聴衆に腹がたった。
アリアをききながら思った。あの肉製の楽器を使ってどんな私語をふだんかわすのだろうか。できることなら「おトイレはどこかしら」なんて実用用語は使って欲しくない。
レナード・バーンスタインのマーラー
今ぼくは非常に幸せな気分に浸っている。
八五年九月八日、NHKホールで、バーンスタイン指揮、イスラエル・フィルの演奏によるマーラーの「交響曲第九番」を聴いた。
前々から、マーラーには特有の「オーケストラ言語」というものがあって、こちらが、「平常心」で接していたのでは、彼のいいたいことが何なのか、サッパリ分からないと思っていた。あまりに符牒が多過ぎるのだ。あげくに「強迫神経症」に取りつかれた男の夢精現場を見せつけられるような気がしてシンドかった。
マーラーはフロイトをはじめ多くの精神分析者にとって格好の学術的材料だ。それも「上玉」。そんなマーラーを聴くのだから、こちらとしても多少気分がふさぎこんだ状態の方が、マーラーの闇と付き合いやすいのではないかと思った。幸い(?)その日は、朝からふさぎの虫に取りつかれていた。秘してここにその理由は書かないけれど、ウレシイ日ではなかった。
第一楽章の冒頭が鳴りだした。ああ! 何をマーラーはのっけから、大きなためいきをつくのか! (このためいきこそがマーラーの魅力でもある)病んでいる人間にとっては、甘美な舌で傷口を嘗《な》めてくれる快さがある。第二楽章レントラー(田園風舞曲)、第三楽章ロンド・ブルレスケ(道化風)、いつ聴いても不気味な「死の舞踏」。
そして第四楽章アダージョ。このすすり泣くようなヴァイオリンの響きはどうだろう(ブルックナーの「第九」の第三楽章に一脈通じる)。やがて、すすり泣きは祈りとなり、やりきれない諦観と、彼岸の旅立ちを暗示させて息絶えるように終わる。
ベートーヴェンの「第九」は人類の勝利を高々と歌ったが、マーラーは敗者の鎮魂に終始した。ここが悲しい。
ぼくがここで特筆しておきたいのは、その夜の聴衆であった。終楽章アダージョが消えるように終わり、指揮者バーンスタインの腕が静かに下におろされた。ながいながい沈黙。めっきり頭髪が白くなったバーンスタインが泣いていた。決してぼくの席から見えるわけではないけれど、そう感じた。なぜならぼくの目にも涙があふれていたからだ。
聴衆も泣いていたにちがいない。あのいつも顰蹙《ひんしゆく》をかうブラボーマンや拍手一番乗りもこのときばかりは放心して、自分たちの権利を放棄してしまった。それほど胸打たれたのだった。このユダヤの血をひく指揮者はよろけながら同胞のコンサートマスターに抱きついた。観客もいつの間にか涙の拍手を送っていた。ぼくは無性にうまいものを食いたくなった。渋谷の道玄坂をおりていくと、くじら料理の専門店があった。そこで、たたきやさしみを生ビールといっしょに胃袋へ流し込んだ。とてもとても幸せな夜だった。
田んぼの中のバッハ
バッハの生地アイゼナハに、カエルがいたかどうか知らないが、宮城県|中新田《なかにいだ》町の「バッハ・ホール」のわきには、カエルがいた。
それもマーラーの「千人の交響曲」がやれるぐらいの、たくさんのカエルがいた。その「バッハ・ホール」へ先日(一九八五年五月十二日)行ってきた。東北新幹線にのって、仙台の一つ先の古川という駅でおり、そこからタクシーで二十分、閑散とした家並みを、くねくねと右へ折れ左へ折れして走ると、ぱあっと、とつぜん視界が開ける。
思わず、「ワッ田んぼだ」。
四十男が発するような言葉ではないが、この古典的な風景は、都会育ちの中年をがたがたと郷愁にかきたてる。実はここへ来るまでは、バッハといえば石造りの大聖堂が似合うのに、なんでひとり宮城県のバッハだけが、田んぼなのかなどと思いつづけてきた。
しかしいま両側に広がった水と泥のパノラマを見て、ぼくの先入観はふっ飛んだ。
「バッハと田んぼは、睦まじいほどよく似合う」
おそらく秋の収穫期ともなれば、一面黄金色の大地と化すだろう。そのときこそ、あの「マタイ受難曲」の第一部序章「ゴルゴタへの道行き」が見事な調和をなすだろう。
さて「バッハ・ホール」は、「残響二秒」というコンサートホールの理想を確保していると伝え聞く。ホールにはじめて入ったとき、「バッハ」と大風呂敷を広げたわりには、こぢんまりとしているナと思った。これは「大バッハ」よりも、息子たちのエマーヌエルやクリスチャン・バッハのほうが、お似合いではないかと思ったりした。
しかし舞台中央のオルガンは、壮観だ。イナカの文化が「気をつけっ」をしているようだ。ちょうどこの日、バッハ生誕三百年記念コンサートのひとつとして、佐藤ミサ子という人のオルガン演奏会があった。
有名な「目覚めよと呼ぶ声あり」のコラールがはじまったとき、「ああ、このホールはバッハの腹の中だ」と思ったね。数学的というか律義というか、一音一音がまるでデジタル信号のように鮮明に伝わってくる。バッハの肉声が胃壁をじかに振動させるようだ。
大阪の「ザ・シンフォニー・ホール」も、「残響二秒」をキープした素晴らしいホールだけれど、あちらはいかにも「お金かかってまっせ」といった感じがある。中新田町のほうは、町長の心意気で、ヤッとばかりに造ったとしか思えないような、田んぼの中のコンサートホールだけに、無駄な化粧が何もない。舞台裏はコンクリートの地肌まるだし。
それにしても観客が少ないなあ。
隣にいた本間俊太郎町長にそのことをいうと、
「いまちょうど農繁期だからねえ」
文楽人形オペラ考
クラシックを日本語訳すると古典で、古典を片カナ変換するとコテン。正調がとつぜんヘナと音をはずすようなスリルが、この片カナにはあるから、今回も何が飛び出すか分からないゾ。
先日(一九八五年五月十九日)たまたま、国立劇場で文楽を観る機会があったので、やけどをしないように細心の注意を払って、ここに取り上げる。
あれは何ですね、とても前衛的な小編成の人形オペラですね。
黒頭巾で顔を隠した風体の怪しい(?)男たちが、たった一体の人形に背後から何やらごちゃごちゃと、まとわりつく発想がまず奇抜である。ちょっと脱線するけれど、人形が娘や新造の場合、ヘンなところから手を差し込まれて、ちょっとあれは問題があるのではないか。
ついでに言うけど、黒頭巾のうちひとりだけが、常時顔を露出しているのは、フェアじゃない。自分ひとり顔を売って、手柄を独占するのは、イケナイと思う。
さて奇抜のトップは、オーケストラ・ピット。クラシックの場合、普通は舞台前方の床をはずして、壕のような専用ピットとか、客席の前列から数列取り払って、急場のピットを作るかのどちらかである。
それが、この文楽ピットは、舞台右脇の一段高い台の上。しかもうしろに金屏風が立てかけてある。その前に正座し、かしこまって全オーケストラがのるようになっている。
全オーケストラといっても、管弦楽はベンベンベベンの太棹一本(もちろん複数の場合もある)。この一本でアレグロ、アダージョ、プレスト、全部やるのだから驚きだ。
文楽オペラは、舞台の人形もさることながら、華はなんといっても、浄瑠璃、それを歌っている(?)太夫である。人形は何をされても声ひとつ出さない。その人形たちの声を一手に引き受けているのが、文楽ピットの太夫さんだ。
ぼくの観たのは、七代目竹本住大夫襲名披露狂言「ひらかな盛衰記」。
これには、老役《ふけ》、立役《たちやく》、女形《おやま》、端役《はやく》などと、あらゆる年代層の人形が登場する。西洋オペラでいくと、バス、バリトン、テノール、アルト、メゾ・ソプラノ、ソプラノが総動員されているようなもので、これを、太夫ひとりが絶唱するのだ。
これはもう奇抜を通り越して、奇蹟のマイスタージンガーだ。
作曲家の諸井誠さんが、人形浄瑠璃をきいてシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」の唱法を思い出したと、プログラムに書いてあった。シェーンベルクの無調音楽は、前衛のはしりにちがいないけれど、文楽人形はさらに前衛だ。あの人形遣いが舞台ではっきり見えるのに、見えないものとみなすなんて並の発想じゃない。
第2楽章 ワーグナーはタツか
――――巨匠たち
モーツァルトの偽シンフォニー
一流ブランドの名を騙《かた》って、まがい物を売りつけるワルは、音楽界にもいる。今回は具体的な例をあげて、こてんぱんに糾弾する。
四十年前、デンマーク、オーデンセの地下室で発見されたという、モーツァルトの幻のシンフォニー≠ェレコードになったので早速聴いてみた。
「なぬう、どこがモーツァルトじゃあ?」ドン。ぼくの今年の怒り初めであった。
このト短調シンフォニーは、発見された当初からモーツァルト学者が禿げた頭(禿げてないかもしれない)をもち寄って、「ウムこれは限りなくクサイ」と決め込んでいたものだ。それが四十年経って、すっかりクサミも取れ、いや熟成さえして年代ものの「モーツァルトの真作」ワインに化けて売り出されてしまったのだ。
ラベルには「一七六八年、十二歳の神童モーツァルトがウィーンで醸造。当時の流行でない辛口の短調。初期のワイン群の中では特異な銘柄」とある。
いかなるモーツァルト学者の禿頭(禿げてないかもしれない)のおスミ付きがあろうと、K16aの「オーデンセ」交響曲はニセ物であると、ぼくはこの天下の講談社文庫で断言する。理由は簡単です。
モーツァルトのアノ甘美な囁きがないのだ。耳元で囁く、アノいたずらっぽい真実の息吹が(反省・こういう言い方は、実は何もいっていないことが多いのね。すみません具体的に書きます)。
第一楽章、アレグロ・モデラート。第二主題(たぶん)のところで、ファゴットがヴァイオリンと同じメロディーを、ユニゾンで奏するところがある。こんな陳腐なハーモニーを天才モーツァルトが(たとえ十二歳であっても)作るはずがない。わずか十小節にも満たない部分をホジくっただけでも、このシンフォニーはニセ物だと分かるではないか。
同じ新発見もので、三年前ミュンヘンで見つかった、交響曲ヘ長調K19aというのがある。これはホグウッド指揮、エンシェント室内管弦楽団が八四年二月に来日したとき、本邦初披露してくれた。最初の「トゥッティ」が鳴り響いたとき、「わっモーツァルトだ」と、ぼくは叫びましたね。アノ口臭のない清潔なモーツァルトの口元から囁きが聴こえてくるのだ! (これが九歳の作だとは、どうして信じられようか)
モーツァルト学者の中にも、いまごろになって「アノK16aは違ったかナ」などと反省しているのもいるが、モーツァルトの真贋は禿げた頭(禿げてないのもいる)で考えるのではない。心、心眼で目利きするものだよと、ぼくはいいたい。オーデンセ市よ。偽ブランドで世界に恥をさらしてよろしいのか。アンデルセンのブランドが泣きますゾ。
きょう一月二十七日は神童の誕生日。
サイモン・ラトルの赤い胴巻き
よぼよぼした老指揮者ほど、危険なものはない。ベームがそうだった。いつ上体がそり返って客席のほうへ落下するかもしれなかった。ぼくの好きなマタチッチも、アインザッツをぶちかますとき(分かりやすくいえば、ヨーイドンの合図)、指から指揮棒がすべって、それが床にはねて客席へ飛び込むのではないかという恐怖があった。
二人は死んだから、もうそういう危険はなくなったが、現役ではカラヤン老がさしあたっての注意人物だ。気ヲツケルヨウニ。
八五年三月七日、ぴちぴちのサイモン・ラトル指揮、フィルハーモニア管弦楽団の演奏会を聴く(昭和女子大学人見記念講堂)。老害指揮者のヤク払い≠フつもりで聴いた。
出し物は、ブラームス「ハイドンの主題による変奏曲」、ブリテン「青少年のための管弦学入門」、シベリウスの「交響曲第二番」。
ちりちり頭のラトルが舞台に現れ、指揮台に立ったときは驚いた。腹にまぶしいばかりの真っ赤なさらし(?)を巻いていたのだ。若いころのカラヤンもこのファッションは思いつかなかっただろう。ぼくは前から三列目の座席から、至近距離でこの当年三十歳になる若者を見た。彼が第一ヴァイオリンに合図を送るとき、赤いさらしがチラチラするのが見えた。この鮮やかな色彩が目を射るたびに、小林秀雄の赤い上着を着た「永遠の小児モオツアルト」を思い出した。映画「アマデウス」のアマデウス役はミスキャストで、ラトルのような人物のほうがぴったりではなかったかと思ったりした。
フィルハーモニア管弦楽団には、フルトヴェングラー、トスカニーニ、ビーチャム、カラヤン、クレンペラーと多くの巨匠たちが登場した。彼らは彼らの言語で雄弁な音楽をつくった。その巨匠たちに代わって、失語症≠フラトルが、赤い胴巻きをチラチラさせて、優美、均斉、快活にやってのけた。とくにブリテンは目を見張った。青少年のための教材音楽が、ちょっぴり音楽的に威張ってみせたような演奏だった。
当夜のプログラム・ビルディングを見ると、彼の趣向がよく分かる。前述のライン・アップ(Bプロ)のほかに、ベルリオーズ「ローマの謝肉祭」、ドビュッシー「海」、ショスタコーヴィッチ「交響曲第十番」(Aプロ)をみてもうなずける。ラトルは色彩的な音楽にこだわっているようだ。
ラトルはモーツァルトと同じように、老成と無縁の音楽家かもしれない。いつまでも小児的で、ムキになって、感性のおもむくまま振っている限り、音楽家生命は安泰のような気がする。「フルトヴェングラーを聴いて指揮者になる決心をした」とラトルが語ったのを知って、危惧の念を持つ。失語症が多くの言葉を知って雄弁になるとき、よぼよぼの未来が待ち構えているのだ。
天才はスカトロジーがお好き
頭は何のためにあるかというと、頭痛がするためにあると書いたのは、内田百鬼園。
お尻は何のためにあるかというと、ンコするためにあると、ゼッタイにそう答えるにちがいない人物がモーツァルトだ。
モーツァルトの「スカトロジー」(糞尿譚)趣味は広く知られていることであるけれど、さいきん『モーツァルトのベースレ書簡を読む』(アイブル/ゼン編著、須永恒雄訳)という本を読んだ。ずばりンコを満載した「ンコ大好き!」の本である。権威あるモーツァルト研究家たちが、渋い顔をして避けてきた「禁断の書」。
ベースレというのは従妹《ベースレ》、マリーア・アンナ・テークラのことで、モーツァルトはこの嫁入りまえの従妹とは、よほど気が合ったらしく、恋も糞もごちゃまぜにしたような手紙を送りつづけている。例えば、こんな具合。
「さて、御機嫌いかが、何を着ているの? まだお通じはある? まだ少しは僕のこと好き? まだおこってる? 哀れで馬鹿な僕のことを。気持ちよく和平を結んでいただけますまいか、さもなきゃ僕の名誉にかけて、ババンと一発お見舞いするよ。はいはい、僕のアレは大丈夫です。だからきょうもこれからひとつ、ウンチをしておこうかと。お返事下さるなら急いで下さい。パリへたつまえに。もう出てしまったあとだと、受け取るのはウンチ。ウンチ。おおウンチ、おお甘い言葉だ。ウンチ、味わえ、これはうまい。ウンチを舐《な》めろ、おお蠱惑《こわく》のウンチうれしい! ウンチ味わえ、ウンチ! さて話はかわりますが……」(マンハイム、一七七八年二月二十六日)
「アマデウス」のサリエリが、こんな下劣な小僧に、何故神は、天上の音楽を与え給うたと、神に復讐を決心する気持ちが分かるような気がする。
ンコ大好きはモーツァルトだけではない。わが加藤芳郎先輩もスカトロジーの気配があるとみた。過去に『ベンベン物語』という、ンコ史上最高の傑作漫画を発表されている。
やはり天才だと思う。
ンコといえば、わが家にはお湯でお尻を洗浄する便器がある。排便後、「洗浄」というボタンを押すと、お尻の下からズルズルとノズルが飛び出してきて、菊座に向かってお湯が噴水のように吹き上げ、ンコを洗い流してくれる。それが終わるとこんどは「乾燥」のボタンを押すと、お尻ぜんたいに熱風が吹きつけて出来上がり。紙はいっさい使わない。だからぼくのお尻はいつもキレイ。
ところが一回だけしくじった。深夜に酔って排便したとき、洗浄を忘れて乾燥させてしまった。そしてそのまま寝てしまった。一晩中お尻にカサブタをつけてひきつった気持ちで眠ってしまった。今回は天才にあやかって一生懸命ンコにこだわった。
ヘンデル生誕三百年について
むかし片岡千恵蔵と、市川右太衛門という二人の御大が、東映城に君臨していた。オールスター・キャスト映画ともなると、この御大の力関係が微妙で、衣装からスクリーンのショット数に至るまで、一毫の差もないように気が配られていた。
けれど常識的な評価をすれば、片岡御大のほうが市川御大より、演技力、人気とも十メートルは引き離していたように思う(何故十メートルなのか、よく分からんけれど)。
バッハとヘンデルもこんな関係ではないだろうか。と話は急に変わる。
ことし(一九八五年)はバッハ生誕三百年。
音楽関係者は、バッハ、バッハでうんと儲けることだろう。うかつにも、このぼくもバッハ、バッ波の衝撃波をくらって「マタイ受難曲」というモノクロ映画を、ヤマハホールで観てしまった。
冷静にいう。やたらレチタティーヴォ(叙唱)の多い映画「マタイ」には、退屈した。
「バッハの『マタイ受難曲』が退屈だと!」
とネクラシック・ファンの怒りが、ビンビン伝わってくるようだ。
「『マタイ』はオモロナイ!」。いい切ってしまえば、のどにからまったタンがきれたようで、気分がスッキリする。スッキリついでに、ひと儲けを企む興行主やレコード会社にいいたい。
世界中でいちばん信仰心のない日本で、「マタイ」とか「ヨハネ受難曲」「ロ短調ミサ」といったアーメン物を喧伝するのは、やめとけと――。
ぼくはクラシックと三十年付き合ってきてるけれど、バッハは器楽のほうがずっといい。「ブランデンブルク協奏曲」「平均律クラヴィーア曲集」「フーガの技法」……、ゾクゾクするような傑作がいくらでもあるではないか。
そこで提案したい。バッハ御大は日ごろから優遇されているから、もういい。同年生まれのもう一方の雄、ヘンデル御大に光を当てるべきだ。ヘンデル生誕三百年! ドイツの地を一歩も離れなかった「田舎者」バッハに対して、イタリアで学び、イギリスに帰化したコスモポリタンのヘンデル。「マタイ」の暗さに対する「メサイア」の明るさ。
これだけでも、ヘンデルのほうが現代人によりフィットする。「水上の音楽」「オルガン協奏曲」「合奏協奏曲」どれもこれも、明るくて思慮深く、温かみがあって、それでいてちょっぴり寂しくて。
力量はバッハと互角なのに、このまま、ママ子扱いをつづけると、ヘンデル右太衛門はますます、片岡バッハに水をあけられてしまう。そう五千メートルぐらい。
ハイドンとワープロ
この文章はワープロで打っている。ただし今回だけは手書きである。
生意気かも知んないけど、ワープロに少し馴れてきたところで、あちこちと不満が出てきたので、ヤッと一声叫んで新しい機種にのり換えた。これがいけなかった。ひらがなキーボードがJIS配列でも、メーカーがちがえば機能操作の手順がまるでちがう。それで「文節」はどこか、「挿入」はいずこと、こんがらがって時間を食っているうちに、締め切りがやってきて、仕方なく従来の原始的、鉛筆なめなめ方式に戻って書いている。
この間、サトウサンペイさんに会ったらご自身もワープロを使いだしたが、四百字詰めを三枚打つのに丸一日かかった、と笑っておられた。漫画界きってのウルトラ器用の持ち主とは思えないサンペイさんが、ワープロに遭遇して、つい戯れて(失礼!)しまうほどに、このワープロは面白い。
「これで打つと、文章がネアカになるなあ」と、さるエッセイストがいった。
まさしく至言。ぼくもそういうような気がする。
こんな便利なものがあるのだから、音符が打ち込める「音プロ」があってもいいのではないかと思う。「ワープロ」のほかにぼくは「パソコン」を持っているが、これには音楽機能がついている。データをインプットすれば、作曲も演奏もできる。一度試しに作曲してみたけれど、途中で何やらゴチャゴチャ混乱して、結局プスとも聞こえなんだ。
やはり「ワープロ」のほうが便利。オタマジャクシの打てる機械ができれば、作曲家は大助かりではないだろうか。音符の打てる「オンプロ」があったらどういう作曲家が使っただろうかと、考えてみるのも面白い。
かなり断定に近い確率であげられる作曲家にヨーゼフ・ハイドンがいる。あの「軍隊」とか「驚愕」とか、交響曲を百曲以上も作った、パパ・ハイドン氏。
「ハイドンの曲は、朝カーテンを開け、モーニング・ティーを頂きながら聞くのがよい」
とどなたかがおっしゃったがこれも至言。
交響曲第八十八番「V字」の終楽章を聴いていると、ハイドン先生は歯のきれいなお人ではなかったかと想像する。今昔の音楽家の中でも、特出したネアカ音楽のご本尊。「オンプロ」はこの人にぴったしだ。
ついでに、バッハは毛筆でオタマを書くのが似合うのではなかろうか。鉛筆なめなめ組はベートーヴェン、ブラームス。ボールペンはヘンデル、ロッシーニ、プロコフィエフ。万年筆はシューマン、ブルックナー、ワーグナー。
モーツァルトだけが適切な筆記用具が見当たらない。だれかヒマな人、考えてくんない?
ワーグナーはタツか
今回は話がストンと落ちる。
「ワーグナーを聴いて前がタタない者は音痴である」
むかし一部の音楽好きは、こんなことを言って喜んでいたらしい。
そして必ずといっていいほど、引き合いに出されるのが「トリスタンとイゾルデ」。
あの「前奏曲と愛の死」は勿体ぶらずに言えば、男女の性的結合に至る曲線グラフを音楽にしたようなものだ。これはワーグナー自身も言っていることだ。「欲望の訴えにはじまり、愛の告白の繊細なおののきから、もっとも恐ろしい爆発にいたるまで、あらゆる段階の感情がつらぬいている」と。
この曲を聴いていてどれほど人びとに、その種の疼《うず》きをボッ起じゃなかった喚起させるか、今ぼくは自ら実験台になって、先ほどから一生懸命聴いている(カラヤン指揮、ベルリン・フィル)。もう十回聴いた。疲れた。カーテンをしめて部屋を暗くしてみたり、ベッドの中に頭を突っ込んでみたり、いろいろやって聴いてみたけれど全然反応なかった。
それでだんだん分かってきたことはワーグナーは決して爆発しない。濃厚な愛撫はあっても、射精がない。
そこで「ワーグナーを聴いて、前がタツ者は誇大妄想狂である」という結論に達した。
さて、ぼくの交遊仲間は、音楽方面と同業関係方面と、飲んべえスケベ方面の三方向に分かれている。その飲んべえスケベ方面の友人から、先日まことに結構なビデオ・テープを見せてもらった。はやい話がポルノ・ビデオ。もっとはやい話がハード・コア。ぼくとて年がら年じゅう、バッハやモーツァルトばかりに目が向いているわけではない。こういう結構なものも、こっそり鑑賞している。
アチラ製のモノだったが、なんと全編モーツァルトの「クラリネット協奏曲」がバックに流れていたのだ。圧巻は第二楽章。ワーグナーのようなまわりくどい愛撫などない。いきなりエイッヤッなのだ。アダージョ、四分の三拍子の音楽に、男と女の二拍子のオイッチ・ニイ・オイッチ・ニイ。これが何故か合うのだ。クラリネットという楽器の持っている甘い音色もさることながら、モーツァルトの中でもとびきり完成度の高いこの音楽で、画面の男女は、恍惚として果てた。
音楽方面の知り合いに、飲み屋のマスターがいる。この人は長年のインポテンツが、モーツァルトの「グラン・パルティータ」(十三管楽器のためのセレナード)の第三楽章・アダージョを聴いたら回復したという。
田中多聞氏の『音楽療法』によれば、モーツァルトの「弦楽四重奏曲第十五番ニ短調」もその方面に効くとある。身の下相談なんかで悩んでいる人は、いっぺん聴いてみたら。
雨とショパン
いまいましい雨だ。家じゅうの物すべてが水分を含んで、脹《ふく》らんでいるようだ。せっかく描いた絵も、墨汁の乾きがわるい。ドライヤーでいくら乾かしても、五分もすると水気を含んでくる。
このあいだもこの本の原稿を大封筒にいれて、お使いの人に渡したら、しばらくして編集者から電話があった。絵が封筒の内側にくっついて取り出せないというのだ。仕方がないから外科手術をしていただいた。
まず封筒を解体してもらう。接着していない封筒の部分を、大まかにハサミで切り落とす。それから接着部分に向かって、周りから切りすすめて狭めていく。ベタの部分は多少インクが剥がれても、あとで塗ればすむから、強引にその時点で封筒を剥がしてもらう。
問題は入り組んだ描線。器用な編集者はカッターナイフで描線ギリギリまで削り、細かく交錯したところはそのまま貼りつけておいて、上から下の絵を透かして描き入れた。あとは封筒の色を、ポスターカラーのホワイトをかけて修整。復元は見事に成功した。
おかげで印刷された絵は、原画以上(?)の出来ばえだった。
この話を聞いた小学生の娘がいった。「バカみたい。ドライヤーで封筒の上から乾かせば、あんなの簡単に取れるわよ!」。試してみたらホンマに取れた。呵々。
それにしても、よく降る雨だ。もう一ヵ月も降りつづいているのではないか。
こういううっとうしい日は、どういう音楽を聴けば、気持ちが晴れるだろうか。
発想が幼いけれど、ショパンの「雨だれ」というピアノの小品を聴いてみた。これはショパンが結核療養のために、ジョルジュ・サンドとマジョルカ島に渡って作曲したという、二十四の前奏曲の中の、十五番目の曲。
僧院の屋根を打つ雨音を聴いて作曲したとされているが、単なる描写音楽ではない。
そこをマゲて、ぼくは描写音楽ふうに聴いてみた。日本の陰湿な雨の前に、ショパンの「雨だれ」のなんと明るいことか。筋肉隆々のヘラクレスが口笛をふいて作ったような気がする。同じ前奏曲の中の、こちらのほうが「雨だれ」の本元ではないかと異説のある第六番。これも聴いてみる。こちらは家庭菜園のおナスにやる、ジョウロの水といった風情の描写音楽だ。とても、全日本陰気雨期雲団の前には、歯がたたない。
もうひとつ、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第一番「雨の歌」の三楽章はどうか。
どこが雨らしいのか分からない。なんとかシトシト雨でもいいザザザザ雨でもいいから、日本ふうの雨の感じがしないかと耳をすまして聴いてみたが、やはりダメだった。あれはまるでセレナーデ。ひいているのが、イツァーク・パールマン。ネアカが燕尾服を着ているような男だ。
ぼくの京都幻想
あのヴィヴァルディの「四季」というノ、クラシック通からは相当に小バカにされているらしくて、「『四季』が大好き」などといおうものなら、クラシック・ファンの中でも底辺階級にみられる。
それでいて、なぜ「四季」がもてるのか。なぜグラズノフやチャイコフスキーの「四季」ではなくて、ヴィヴァルディの「四季」でなければアカンのか。
思うに! と語気鋭く「!」を打つほどのことはないけれど、一種のファッション音楽ではなかろうか。デートするときコンサートできくには、格好の音楽だ。
イ・ムジチやパイヤールの演奏会にいったら、そんなカップルがいっぱいいる。
テレビコマーシャルではないけれど「四季」は男女の小指と小指をむすぶ「赤い糸」ではないだろうか。「四季」を聴きながら、ふたりのあたまは空っぽになってむすんだ小指同士が汗をかく。むずかしい顔したネクラの聴衆はこういう明るい場所には棲息しない。
そして「四季」を百回も二百回もきいてなお「赤い糸」がきれないカップルだけが、めでたくゴールインして「高砂や」をきくということになる。
とまあ、いいように茶化しちゃったけれど、「四季」は不滅です、たぶん。
さて作詞家のなかにし礼さんが、このたび「京都幻想/ヴィヴァルディ・四季」というミュージック・ビデオを出した。西洋の乾燥した風土でうまれた「四季」をしっぽりと水っぽい京都の「四季」に取り込んだ勇気ある野心作だ。
ぼく個人は、なかにしさんが大好きだけれど、ヒトコトいわせて頂く。
見終わった印象では、京都市観光課のPR映像を見せられたような気がする。いろんな風物を取り込みすぎて印象が散漫になったようだ。おなじみの「葵祭」や「祇園祭」などローカルニュースを見ているようだ。こういう観光ずれした風物は、このサイよしてもっとちがったアングルでねらえば?
たとえば保津川下りを水底から写すとか、舞妓さんのえりあしの、おしろいと素肌の境目をアップにするとか、雪の結晶を顕微鏡で撮影するとか、工夫できなかったのかなあ。
それになかにしさんがいちばん、情念をかきたてられて据えた女性(女優)たちが、あまり生かされていなかった。あれではシャツの一番下のボタンだ。あってもなくてもよい。
せっかくの美女たちだ。モレシャン作の着物を脱いで、「雪」の楽章を素っ裸で走って欲しかった。それもスローモーションで。
最後に肝心の演奏だが、これが地中海的に明るすぎる。ヴァイオリンのパートをヴィオラが弾いてみたり、渋みを出したらよかったのではないか。
第3楽章 ベートーヴェンはいつまで苦悩の人か
――――立腹
女子音大生は音楽好きか
「女子大生」という響きに、ミドルエイジの胸にときめく、アノ感じは何だろうか。
アノを説明しろといわれても困る。何かオジンたちの心にさざなみを立たせるアノ感じだ。その「女子大生」に、ぼくはある日曜日某所密室で会ったのだ。それも三人。それも打てば奏する「女子音大生」。
三対一ではこちらも身が持たないので、一人元気のいい男性に加わってもらった。
そこでナニをしたのだ。そのナニの説明をいまからする。一ヵ月ほど前、地方FM局向けに番組を制作している、あるプロダクションからこんな電話があった。
「私ども、毎週日曜日、〈ホリデー・ミュージック・ランド〉という九時間の生放送をしているところですが、こんどクラシック編を企画しているのです。そこでぜひあなたに構成とご出演をお願いしたいのですが」
九時間の生放送ときいて飛び上がったが、ローカル局向けだからこそ、こういう大それた番組が作れるのだろうと、遠回しに感心したに過ぎない。手回しよく総タイトルも決まっていて「なんたってクラシック」。なかなかセンスがあるじゃござんせんか。
「ただ、あくまでフツウの聴取者を対象としていますので、〈入門編〉にこだわって頂きたいのです」
いいとも、やりましょうよ。というわけで、ぼくのたっての希望で番組のなかに入れてもらったのが「女子音大生」とのナニだったのだ。ぼくが出演するのは、九時間のうちの二時間。そのうちの一時間を「女子音大生」とおハナシをしようというわけだ。
某所密室というのはFM東京のスタジオ。
生きのいい男性はこの番組のパーソナリティーのひなた康夫さん。「音大生」の内訳はピアノ科二人、教育科一人。
「みなさん、クラシックは当然好きでしょ」
「好きではありませーん」
「じゃ、どうして音大に入ったのですか?」
「ピアノを小さいころからやってたからでーす」
「いまいちばん興味あるものは何ですか?」
「株でーす」
ガマンするのだ! ここで前もって用意しておいた「イントロ・クイズ」をはじめた。別に彼女らを試すのではなく、番組を楽しくするためだ。セミクラの冒頭の部分を聴いて曲名を当ててもらうというのだ。
結果は彼女らが当てたのは十曲中、実に三曲だった。
また女か! について
TVで「ショパン・コンクール」を見ていたら、日本の小山実稚恵という女性が、四位に入賞した。同じ日本人のひとりとして、ご同慶の至りであるけれど、何か気分として、こだわるものがある。
なんでも今回のコンクールには、三十二ヵ国から百二十四名の参加者があり、その中で日本人が二十六名も出場したというのだ。とくにここでイッておきたいのは、二十六名のうち女性がなんと二十一名も占めていたということである。この数字をみて、「また、女か」とつい舌打ちに近い感情を抱いてしまうのは、ぼくだけだろうか。
このコンクールのために四つのツアーが組まれ、百名ちかい日本人がワルシャワに乗り込んだという。こんなところにのこのこついていくのは、おそらく出場者の親御か、親戚、友人、指導に当たったピアノの先生といった、うちうちの人たちに決まってる。
当然ここにも「また、女か」という舌打ち現象がみられたに違いない。
「どこもかしこも、なんでこうも女ばっかなのか」。ピアノは女なのか。
今回はガラにもなく、数字が並ぶけれど、日本の人口も、女性が男性よりも二百五万五千人も多い(一九八五年の国勢調査)。
「なんで女ばっか、なのか」。ちょっとくどいけど、ホントそうなのだ。
外国からくる有名なピアニストのリサイタルも、会場を埋めるのは七割がた女だよ。それも若いのばっか。ぼくの住んでいる家の近くのピアノ塾、ぼくの知る限りでは六軒あって、その中の一軒が男(ご老人)の教師で、あと五軒はみんな女ばっか。
いま手元に音楽之友社発行の「ミュージック・ダイアリイ」という手帖があります(何故か一九八四年版)。その手帖の末尾に音楽家の住所録がのっている。その中にピアニストが百十九名いる。
音楽出版社が人選する以上、これら全員が現在日本でプロとして活躍されているピアニストとみていいだろう。その百十九名のうち、男が四十三名、女流が七十六名である。コンクールの女性フィーバーからみると、男が意外に奮闘しているナという感じがする。
しかし、ヴァイオリンの男二十八に対して女の十七、指揮者に至っては、男四十四に対して女は久山恵子の一名という数字をみても、女のピアノ突出は驚異的だ。
外国の女流ピアニストはどのくらいいるのかはっきりした数字は分からないけれど、アルゲリッチ、ヘブラー、ラローチャ……思いつくまま列記しても、男ほどいない。
すると、日本の「女突出」は一体何なのか。嫁にもいかないで、ピアノばっかにかかわって青春を燃えつくしてもよいのだろうか。「ショパン・コンクール」にあんなに女が目立つのはやはり気になるのだ。ゴメンナサイ。
クラシックが好きになる法
「クラシックが好きになる法」
こんなタイトルをつけてしまったが、これに対する答えは、ない。クラシックが好きになる方法なんてあるはずがない。好きとか嫌いとかは趣味の問題、ということではなくて、これはもう染色体の問題といっていい。「音楽大好き」のDNAを親からもらった者は黙っていてもクラシックを愛し、そうでない者はどんなに努力してもダメ。
「環境は第二の天性」というぐらいだから、小さいころ周りにクラシックが鳴っていたら好きになっていたかも知れないという説は信じられない(この際母親がピアニスト、父親が声楽家、祖父が音楽学者というような家庭環境は論外。ホンマに可愛げのない家庭だ!)。
たとえば小学校の音楽の時間に「ユーモレスク」とか「トルコ行進曲」を一度も聴かなかっただろうか。文化祭で「金と銀」「スケーターズ・ワルツ」を耳にしなかっただろうか。映画「禁じられた遊び」の「ロマンス」、オーソン・ウエルズの映画「審判」の「アダージョ」を聴かなかっただろうか。
クラシックとの出合いはみんな平等にあったはずだ。そういう音楽に囲まれていながら青春期の感性にすくいあげられなかったのは生まれつきのDNAがなかったからだ。
かくしてこの世には、二種類の人間が存在する。「クラシックの好きな人間」と「クラシックの嫌いな人間」。
さて、「クラシック好き人間」が必ずプロになるかというと、そうとは限らない。むしろ、好きだからこそ、「楽しむ側」につきたいと思うほうが多いのではないか。
「プロ」になって苦しむのではなんのためのDNAだかわからない。「プロ」はもしかしたら「嫌い人間」ではないのかな。いやそうに違いない。それに決めた。あの人らは「クラシック大好き」DNAのない秀才なのだ。
そういう秀才がこどものころから、たとえばピアノをがんがんやって、ゲーダイやトーホーに入り、「全国音楽コンクール」なんかに優勝、前途を大いに嘱望されて海を渡り、ジュリアード音楽院とかパリ音楽院で研鑽を積む。そのあいだに「ショパン・コンクール」「チャイコフスキー・コンクール」に挑戦してこれまた入賞。たちまち音楽界の寵児になって有名オーケストラと共演。レコーディング。海外でひとしきり名を売って凱旋。
そしてお決まりの定食コース「第一回帰朝演奏会」。もともと、「音楽大好き」DNAがないから、演奏していても楽しいはずがない。どの顔もどの顔も芸術的に完成された見事な渋面をする。そういう渋面につられて、これまたシロウト造りの渋面聴衆がやってくる。「音楽大好き」DNAがないのにあると錯覚しているところが、ハタから見ていてもこの両者はこっけいであります。
ラヴェルを変曲したヘンなピアニスト
「芸術家が二足のわらじをはいて、妙な自信をつけると、ろくなことないな」
「どうしたの、やぶから棒に」
「こんどアシュケナージがムソルグスキーの『展覧会の絵』を編曲しよったんや」
「あのラヴェルが編曲したものを、ですか」
「そうや、ラヴェルのは原曲に忠実やないゆうてね、手書きの楽譜から編曲しなおしたらしい」
「ホー、ピアニスト、指揮者、つぎは編曲家ですか、せわしい男ですね。だけどラヴェルの『展覧会の絵』は、近代管弦楽曲の金字塔です。よく挑戦したね」
「あのフランス的色彩が、ロシア人の彼には我慢できんのやろ」
「ロシア人の作品はロシア人の手でというわけか。それでどうなの、君は聴いたんでしょ」
「聴いた。彼自身がフィルハーモニア管弦楽団を指揮したレコードが、新譜で出てる」
「どうでした」
「どないもこないもない、アホらしいの一語に尽きるわ」
「ホー、またどうして」
「どこがムソルグスキーの編曲やねんといいたいよ。あれはラヴェルが編曲した作品の変曲や。オーケストレーションの組み立てもラヴェルと少しも変わってへん。プロムナードをトランペットでやるゆう発想がそもそもラヴェルの管弦楽法にとらわれとる証拠や」
「じゃあ、0点だ」
「いや1点はある。第六曲めの『サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ』。ポーランドのユダヤ人、金持ちと貧乏人がいいあらそっている場面やけど、ラヴェル編では貧乏人を弱音器をつけたトランペットでヒステリックにやったのを、アシュケナージ版はヴァイオリンでしんみり弾いた。何かユダヤ人の悲しみがひしひし伝わってきよる」
「トランペットだとどこか滑稽な感じがするもんね」
「このへんが彼がやりたかったロシア的色彩かもしれんけど、このあとがいかん。金持ちの弦のユニゾンが居丈高に出てきたら、とたんに貧乏人のヴァイオリンが、トランペットになって鳴りだしよった。どうしてもアシュケナージの頭から、ラヴェルの管弦楽法が離れられへん」
「しかしこのレコードは某レコード誌で今月の特選盤になってたのとちがう?」
「ほんまに評論家センセイのよいしょ推薦も困ったもんや。もっと自分の感性を大事にしてほしいな。感性は彼らのだいじな商売道具やないか。安く売ったらアカンよ」
ジャズ・ピアニストを怒れ
キース・ジャレットとチック・コリアがモーツァルトの協奏曲をテレビで弾くのをみてあ然とした。ひどかった。クラシックのピアニストでも尻ごみするモーツァルトに、あえて挑戦したのは、無知なのか、コリアがいうように「クラシックは深みがない」と、ハナから馬鹿にしての余興だったのか。ともかく、音符を必死に追うだけのつまらない演奏だった。あんなの聴かされるから、このぼくはますますクラシック偏向にこだわって世間を狭くしてしまうのだ。
そんなときに「ジャズの山下洋輔がバッハを弾くそうだから、いってみないか」と、知人に誘われた。「ブランデンブルク協奏曲」「音楽の捧げ物」といった堂々としたプログラムを見せつけられて、ついフラリといってしまった。
オープニングはピアノソロで「無伴奏チェロ組曲」一番。山下氏は汗ばかりかいていた。ぼくは六つの組曲のなかでも、この一番が大好きで、何度も何度も聴いている。それだけに期待も大きかった。
暴れん坊のピアニストとはきいていたが、バッハの原形が、無残なほど拡散して、ただもう、うるさいだけだった。
なにも原曲どおり弾けというのではない。せっかくバッハの生誕三百年にプレイ・バッハするのだから、もう少し大バッハに敬意をはらった痕跡が欲しいと思うのだ。
他のアーティストと比較したくはないけれど、ジョン・ルイスの「J・S・バッハ/プレリュードとフーガ」(フィリップス)というレコードを聴いて、その感を強く持った。
たとえばルイスの「平均律クラヴィーア」一巻の、一番のプレリュードからして「一体どこがジャズ?」と心配させるほど、クラシック的なのだ。かなり速いテンポで弾き進み、コーダに近づくにつれて右手の小指にアクセントが加わって、アラアラと思っているうちに、即興演奏になった。
そして、ひとしきり腕のサエをみせてからもとのバッハに戻って終わった。
それにこれが一番重要なことだが、中心にバッハという柱が、しっかりと支えていることだ。ぼくが山下さんに期待したいのは、こういうイキな計らいが欲しかったのです。
しかしまあ、あれが山下さんらしいというのであれば、それでいいでしょう。だけど、これだけはいっておきたい。
それはピアノやパーカッション、サックスががなりたてると、うしろの三十人の弦楽アンサンブルがかき消されて、客席まで聞こえないことです。せっかくの山下さんの「バッハへの捧げ物」が片チャンネル不良でした。ぼくが山下さんなら、こうします。音量の小さい弦楽アンサンブルを舞台中央に据えます。そして山下一味は舞台裏でやりますね。
NHK・FMの番組改悪に寄せて
拝啓NHK・FMラジオ様
小生は、FM放送が細々と試験電波を流していた昭和三十年代はじめから、ずっとツキアッてきた古ダヌキであります。あのころは良かった。朝から晩までクラシックばっかやってて、NHKにはよほどクラシック好きのお方が多かったに違いありません。
おかげで小生は、ブルックナーやマーラーが好きになったし、シェーンベルク、メシアンで耳を肥やすこともできた。大げさな言い方をすれば「人生の生きがい」とか「ヤルゾー」といった「勇気」を、NHKのクラシック好きの方々からお与えいただいたのです。
ところが、ここ五、六年不吉な感じがしてなりませんでした。「大作曲家の時間」「名演奏家の時間」のような名物番組が、突然消されてしまい、小生らファンを深く悲しませたのは、ついこの間のことでした。小生の取り越し苦労ならよろしいのですが、あのまぶしいばかりのクラシック好きのみなさん、ひょっとしたら窓際に追いやられたのではありませんか。視聴率(聴取率)とかいう得体の知れない化け物の責任を取らされて。
いま「六十年度FM放送番組表」が手元にあります。これを見ながら小生はワナワナ震えているのです。「ブルータスお前もか」と叫びたい気持ちです。NHKもあのロック・ガキ志向のFM東京をめざしておるんかと叫びたい気持ちです(FM東海がなつかしい)。
なんで大NHKがロック・ガキ民放の尻押しせなならんのです。あんなもんはニャンニャン放送局にまかせとけばヨイのです。
朝の「バロック音楽」がなくなるんですっと! 小生は二十年来、ヴィヴァルディやテレマンを目覚まし時計がわりに、聴いてきたのですゾ。あの調和と様式美にこだわった響きこそが、良き目覚めと快食快便を導いてくれたのです。NHKの一人の(二人かもしれない)クラシック嫌いのために、この古ダヌキの生理を狂わせてもいいのだろうか。
さらに朝のクラシックの聖域、不滅の八時台が、アンチ・クラシック分子のために、何の思慮もなく取り壊されていいのだろうか。
そのあと乗り込んでくるのが「ニューヒットポップス情報」。これだけでもあんたらに灰皿投げつけたいところだけれど、窓際に追いやられたクラシック好きの同胞が、涙こらえてじっとガマンしているかと思うと、小生も涙をのみこんでこらえます。
しかしこの「ポップス情報」が前夜の九時台の再放送と聞いて、「もうダミだこりゃ」という投げやりな気持ちになります。ねえNHKさん、私らはちゃんと受信料を払っとるんですよ。ヤングらは何も払っとらんと思いますよ。たぶん親が払ってるんですよ。何を連中にこびるのです。朝の六時から夜の十二時まで全部クラシックにすれば良いのです。
一九八五年三月十五日
なんたってクラシック番組
前節で「NHK・FMの番組改悪に寄せて」と題して、少々エキセントリックであったけれどNHK様にかみついた。
近年クラシック番組がじわじわと減らされていく中で、NHK様は「まさか」と思われた大ナタを振り下ろして、たいへんな番組改悪をしてしまったとぼくはイカった。
「バロック音楽のたのしみ」「朝の名曲」「名曲サロン」といった長寿番組が、何の思慮もなく切り落とされた。
ぼくは八五年四月の改悪番組の時点で、FMチューナーのコードを引きちぎった。
毎晩のように海外音楽をエアチェックして楽しんでいたのを、きっぱりやめた。
あれを書いてから、ぼくはびっくりするくらいの量のお便りをちょうだいした。
「まさかあのNHKが」「信じられない」「署名を集めてNHKになぐり込みをかけよう!」
どれもこれも寝耳に水の出来事で、取り乱してオロオロしている様子がひしひしと伝わってくる。
ぼくはこのとき考えた。この人たちはふだん物を言わない層で、静かにクラシックを楽しんでいる聴取者だ。TVニュースでアナウンサーが少しとちったからといって、放送センターに抗議する騒ぎマニアとちがうのだ。こういうおとなしい層が、こんどの番組改悪で、まるで天変地異でも起こったかのように右往左往する姿を、NHKは知ってほしい。
ぼくには幸いレコードやCD、カセットテープがあるから、FMを聴かなくともすぐ立ち直ることができた。心配した持病の心臓疾患も悪化することはなかった。
あれから七ヵ月。彼らはどうしただろう。りっぱに立ち直っただろうか。
さてぼくがここで再度NHKの番組改悪を取り上げたのは、何もあの愚行をむしかえして、からもうというのではない。気分はむしろ逆なのだ。菓子折りでももってひと言「アリガト」といいたい心境なのだ。
ぼくほどFMショックを感じなかった友人が「FMがちかごろ変わってきたみたいですね」というのだ。不思議に思ってFM雑誌を開いてみると、以前とどこか様子がちがっているようだ。赤い活字(クラシック番組は赤色、ポピュラーは青色というふうにこのFM誌は色分けしている)が気のせいか増えている。
午後二時台の再放送が、いつの間にか「クラシック・ギャラリー」という番組になって新設されているではないか。それも二時間!
さらに十一月に入って「FMスペシャル」の題で三日と十日をぜんぶクラシックに当てている。いったいNHKに何が起こったのだ。阪神タイガースの日本一といい「FMスペシャル」といい、話が出来すぎている。大地震でも起こらなければよいが。
「クラシックFM」の日の出
八六年の新年早々、クラシック・ファンにお年玉がいただけそうだ。ひょっとすると話だけに終わるかも知れないけれど、ひょっとすれば、クラシック専門のFM局が東京に誕生するかも知れないのだ。CMは一切なし。ロックやジャズ、ポピュラー、歌謡曲をまったく無視した、クラシック専門のFM局。財団法人ソニー音楽芸術振興会というところが、「クラシックFM」開局をめざして郵政省に免許の申請をしたというのだ。
何と見上げた勇断! 企業のトップは金儲けのことばかり考えているのかと思っていたけれど、「なんたってクラシックが一番じゃ」と考えるトップが、やはりいたのだ。上に立つ人物はクラシックが好きに決まっているのだ。
ただ震撼とさせられるのは、FM一局の割り当てに対して、四百九十五件もの申請があることだ。よく歳末風景のひとつに、五角形だか六角形だかの箱を回転させる福引がある。あれにたとえるなら、四百九十五個もの玉がひしめきあっている箱を回転させて、たった一個しかない当たり玉を引き当てるようなものなのだ。これはもう気絶したくなるような確率だ。
そこで日本国郵政大臣に申し上げたい。煩雑な利害に惑わされないで、英断をもって対処して頂きたい。出来るなら「私はクラシックが好きだから、コレにする!」と決断されるのが、理由が明快で一番よいと思う。
考えてもみて欲しい。いま従来の民放の概念でFM局を認可してみなさい。商業ベースで番組を作る以上、結局、既存のFM局みたいにポピュラー偏重の放送局が出来るに決まっている。この前に開局した「FM横浜」をみなさい。あの放送局は、クラシックのレコードが一枚もないのかといいたい。頼みのNHKも、いつクラシックいじめに快感を覚えて暴走をはじめるか、知れたもんではない。
今回の「クラシックFM」はスポンサーを持たない。運営資金はすべて企業の寄付金でまかなうという。こんな結構なことがあろうか。だいたいこんなことは、国がとっくの昔にやってくれてるもんだ。ニューヨークにはクラシック専門のFMが三つもあるというではないか。
今、小中学校でいじめが社会問題になっているけれど、あんなものいじめ小僧の首根っこをつかまえて、耳もとでバッハやモーツァルトの音楽をガンガン聴かせてやれば、解決する問題だ。「淫行」に走る男も、ワーグナーひとつ聴かせてやれば反省するのだ。
経済大国に成長した日本が、物質主義国、文化後進国とうしろ指をさされないためにも、この「クラシックFM」の開局を実現させるべきです。財団法人ソニー音楽芸術振興会の有志たち、ぼくらは心から支援します。
CDにシンプル・ジャケットを
CD(コンパクト・ディスク)が、すっかり定着した。ぼくの専用ラックにもCDがだいぶたまってきた。レコードにはやく見切りをつけてよかったと思っている。毎日あきずにデジタルサウンドを楽しんでいる。
だけど、手放しでCDバンザイしているわけではない。使っているうちにいろいろ欠点も目についてくる。今回はひねくれたファンの苦言を、聞いてほしい。
中身(音質)のことではなくて、外見のこと。あのプラスチックのケース、あれをもっと、工夫できないものか。
まず非常に開けにくい。どこに指をかけてどの方向に引けばいいのか、なかなかコツがつかめない。写真や絵柄から推測すると、どうやら右の指で本体の両側をはさんで支え、左の指でフタを開けるようになっているように思う。つまり左利き用になっている。
伝聞によると、このケースを考案した向こうの技術屋がギッチョだったという。真実のほどは分からないけれど、面白くない話だ。
しかしこれは利用者の方で簡単に解決できる。ケースの中のカバーを取り外して絵柄を逆に入れ直せばよい。そうすれば自然とフタに右手がくるようになる。
どちらにしてもこのCDケースは、イッパツで開いたためしがない。構造的にベターとはいいがたい。それからケースの厚さだが、厚さ一・二ミリのCDに、厚さ十ミリのケースが必要だろうか。たいへんなアゲ底だ。おかげでラックがすぐいっぱいになる。
こういっちゃなんだけど、本の場合も同じ。箱入りの本などとんでもない話で、すぐ足で踏みつぶしちゃう。ハードカバーもひっぱがす。丸裸になった上でペラのカバーをつける。ぼくはあんな場所食いと重たい本は容赦しない。かさばるCDケースも容赦しない。
ためしにケースの中の詰め物(CDをのせるプラスチックの台と解説書)を取り外し、スケスケにしてCDを入れると、ゆうに五枚も収納できる。いまのCDは紙の袋で十分だと思う。LP初期にレコードを収納していたジャケットの小型版で結構。
見ばえを気にするならプラスチックの袋にすればよい。そんなことすれば売れないというかもしれないが、やってみなければ分からない(ケースがシンプルになればそのぶん値段が安くなるのが分からんのかな)。
それから輸入盤にもの申す。CDは日本が最大の生産国だが、向こうから入ってくるものも多い。当然、日本語訳の解説書はない。お手上げだ。とくにオペラはなおさらだ。シンプルなものでいいから、簡単な日本語訳をケースのうしろにペタリと貼っておいて欲しい。
クルマだって日本の道路事情にあわせて右ハンドル仕様になっているものもあるくらいだから、CDだってこのくらいの親切さが欲しい。
レコード店について
きょうは天気がいい。雑誌の対談で思わぬ実入りもあったし、実に気分がよろしい。このよろしい気分で、レコード店をのぞくのが彼女と富士五湖あたりへドライブする次ぐらいにすばらしい喜びであった、いままでは!
ところがこのところのレコード店の豹変ぶりに愕然としているぼくなのであった。
店のショーウインドーや舗道を占拠しているドでかいビデオ。そこで胸をはだけて体じゅうびっしょりになってわめいているアレ、あの「汗かきミュージック」がぼくのよろしい気分を、いっぺんにふっとばしてしまう。
「帰るか」と踵を返してみたものの、行くところがない。クソやっぱり突入だ。
中に入るとニャンニャン族が、ガヤガヤとたむろして通路をふさぐ。そこへ、限りなくヘタァ――――――――――――――――な歌謡曲が流れてくる。「ごめんなすって」と発して、体をはすかいに肩から割り込んでいく。あちこちから黄声と引っ掻き傷の反撃を受けながら長いトンネルを抜けるのであった。
「ウイルユー・ドウ・サムシング・ホア・ミー? アイ・ウオンチユー・トウゴー・トウザ・メトロポリタン・ガバメント」
場違いな語学レコードコーナー。だんだんと頭に血がのぼってきた。となりから落語、浪曲、SL、お経、波の音……。雑多な音が渦巻いてきた。もう死にそう。ぼくは必死になって店の奥の奥の奥のその奥に向かって走った。
そしてあまりに違う風景に立ちつくすのだ。猫背の中年がひとりレコードケースを黙々と漁っている。ラモーの「クラブサン曲」がチャラチャラと、心細そうに鳴っている。
「精気がないなあ、クラシック売り場は」
これが、ぼくが死にもの狂いになって前線をかいくぐってきた桃源郷かア。
ここでなぜだか叫びたくなった。
「店長でてこい! 客をこんなに差別してよろしいんか。ストラヴィンスキーの『春の祭典』を鳴らせえ! 『いけにえの踊り』を、表の通りに聞こえるぐらいに最大ボリュームで鳴らせえ!」。これで少しはすっきりしたようだ。お客さん、猫背はよくないぜよ。胸を張ってちょうだいね。
それに照明が暗いなあ、ピンクバーじゃあるまいし。そうだ、いいこと思いついた。
「店長! 美人のコンパニオンを、このクラシックコーナーに配置しようよ。それも音楽に精通しているコ。客が希望したレコードは迅速に出せるように。それからこれがいちばん大事なことだけんども、クラシック・レコードを買ったお客さんにだけ、別室でお茶をサービスする!」
ベートーヴェンはいつまで苦悩の人か
近所のセブン‐イレブンに、歯ブラシを買いに行ったら、入り口のところに「ベートーヴェン〈オペラ版〉第九交響曲合唱付公演―東京オペラ研究会」というポスターの貼ってあるのが目にとまった。
「第九」がオペラになるという発想が面白い。それに会場が杉並公会堂で、わが家とメとハナの距離だ。さっそく当日(一九八五年二月二十二日)、自転車に乗って出かけてみた。
「第九」の演奏会では前座の曲は不要だと思う。それなのに東京オペラは前座を二つもつけた。それも同じベートーヴェンの、序曲「献堂式」と「ミサ・ソレムニス」から「キリエ」と「サンクトウス」。
へんてこりんな前座だなあと思っていたら、これが「オペラ」のはじまりになっているというのだ。つまり物語の主役のBという男(ベートーヴェン自身らしい)が、自分の作曲したこの二曲の初演に立ち会っているという設定になっているらしいね。
そしてBという男が、自分の演奏会を聴きながら、いつしか百六十年後の現代日本に現れ、アノ「第九」の喧騒の中に飛び込んでくるというスジ書きになっているらしい。途中から入場してきた観客は、プログラムの「ものがたり」というところを読んでいないだろうから、タダの演奏会をやっているとしか思わないだろう。十五分の休憩。Bはハンバーガーでもかじっているのかしら。いよいよ「オペラ版・第九」のはじまり。オーケストラは舞台を明け渡し、前方の客席の何列分かをかたづけて、そこに陣取っている。
舞台中央に階段がしつらえてある。十人の精(乙女)が階段や床に伏せている。Bと思われる男が虚空を睨んで突っ立っている。冒頭の有名なニ短調のテーマが奏されると、精たちが何やらうごめく。「ものがたり」によると彼女らの動きは、渇仰、苦悩、孤立、絶望といったベートーヴェンの魂の軌跡を表現しているそうな。
ぼくは、終楽章の歌がはやく出ないかと待っていた。Bはちょっと歩行しては、ボケッと立っているだけ。そうか苦悩の余り声がないという趣向なのか。ヤルね。
第二楽章「自由への飛翔」。Bがはじめてここで演技した。ニッと笑ったのだ。キッとこのあと「やるゾ」とか何とか歌うに違いない。しかし一声も発せられなかった。
第三楽章。何やっとんですか。今度はBが座り込んじゃったよ。疲れちゃったの?
第四楽章「歓喜」。ついにBは打ち勝ったのだ! 暁光がBの顔を照らす。Bは神の祝福に打ちふるえ涙とともに歓喜が、歓喜が……。
十人の精がうれしそうに舞う。四人のソリストと浮かれた群衆(合唱団)が登場してワーワーワーと大団円。
何なのコレ? どこがオペラなの。入場料の三千円返してよ。
素人「第九」について
素人衆にとって晴れがましい年末がまたやってきた。
カタカナで覚えたドイツ語が「ダイネ、ツオヘル、ビンテン、ヴィーデル、ヴァスディ、ムーデ、ストレン、ゲータルト!」とうなり出すかと思うとゾッとする。
ベートーヴェンの「第九」がいつから素人衆に門戸を開放するようになったのか。
民主主義はクラシックの中まで浸透しなきゃならないのだろうか。
客席からこどもが「あっ、あそこにいる、ママー、ママー」と手を振るのを、じっと我慢しなきゃならんのだろうか。日ごろクラシックのクの字のかかわりも拒絶するのに、なんで「第九」になると、そんなに合唱したがるのか。
素人衆よ(ゴメン)、巡礼のお蔭参りみたいなことはやめなさい。と、のどまで出かかって、なかなか言い出せなかったけれど、文字ならすんなり書けた。
あの「第九交響曲」はひとすじ縄でいくようなシロモノではありません。あの気難し屋のベートーヴェンが、腕にヨリをかけて気難しく仕立てあげたのが「第九」です。あれはアジ演説音楽です(朝比奈隆氏の弁)。素人衆はノってはいけません。
「幾百万人の労働者よ、自由を勝ちとろう」とアジっているのです。
こういっちゃミもフタもないけれど、人類の平和はジュネーブで会談したレーガン米大統領とゴルバチョフ・ソ連書記長にまかせればヨイのです。
タキシードと白いドレスで素人衆がしゃしゃり出る問題ではないのです。前歯が唇からしゃしゃり出て「カンキ、カンキ」などと絶唱しなくともよいのです。ぼくらはお金を出して、演奏会を聴きにきているのだ。お金を出すのは、相手がプロだと思うからこそなのだ(これがプロかと思うようなのも中にはいるけれど)。
合唱症候群というのは、「第九」から派生し、いろんなところに浸透していっている。
ぼくの親しくして頂いている女流作家などは、新年号の原稿をおっぽり出して合唱の練習に余念がない。
この調子でバッハの「マタイ受難曲」、ヘンデル「メサイア」、ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」、マーラー「一千人の交響曲」などを絶唱したという。
そういうことをケロリと言ってのける。このケロリがぼくにはカチンとくる。
誤解をおそれないで言わせてもらえば、クラシックはありがたく聴いた方がよい。
ちょっぴり「芸術」に触れているのだぜという、恍惚感。これがたまらないのだ。
そういう「禁断の森」に素人衆がちゃらちゃら入り込むのはどういうものか。
素人大工が出来るのはせいぜい物干し台を造るところまで。芸術最高の大伽藍に加わるなんてとんでもない話だ。
カラヤンの引き際
『レコード芸術』八六年二月号の読者欄を読んでいたら、面白い投書にぶつかった。
「指揮者の引き際」と題して、カラヤンの最後の演奏会を強引(?)に予想していた。
「数々のオペラやR・シュトラウス、シベリウスで天下無双のきかせ巧者ぶりを発揮する当代随一の名指揮者の引退演奏会は、リストの〈前奏曲〉で高らかに始まり、シベリウス〈伝説〉の陶酔的なまでに美しい演奏を経て、シューベルトの〈未完成〉で閉じる」
なかなかやるなあ。さらにオチがつづく。
「そして帝王は『私は常に完成された演奏を目指して今日まできたが、それはいつも未完成に終わった』と聴衆に向かってスピーチをした。そのあと、アンコールでアルビノーニの〈アダージョ〉を演奏し、感動的に締めくくるのである」
まいった、まいった。それにしても最後の演奏会にもってきた〈前奏曲〉〈伝説〉〈未完成〉そして〈アダージョ〉という図式が面白い。R・シュトラウスの「英雄の生涯」やワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」なんかメじゃない。この四曲だけでカラヤンが生涯をかけて築いてきた全仕事を、十分にいいつくせていると見た、二十二歳の橋本さんという青年(投書主)の洞察力は鋭い。
だいたい老いた芸術家は往生際がわるい。もうとっくにバッテリー液は干上がっているのに、何べんもくり返し使用できると思っている。バックハウスの「最後の演奏会」のときがそうだった。一九六九年夏、オーストリア、ケルンテン高地の演奏会の途中で、そのバッテリーが上がってベートーヴェンを中断してしまった。そして一週間後に死んだ。これは華々しい戦死とはいいがたく、八十五歳の老体からみて野辺ののたれ死にに等しい。
それ以上に痛ましいのは、この死の演奏会がそのままライヴ・レコードとして全世界で売られたことだ。
このテツを踏まないためにも、適齢者は名乗り出て、「引退演奏会」を急いで欲しい。
ぼくも橋本さんにならって、強引にある男の「引退演奏会」を開いてみたい。
なんでも新聞報道によると、その男(ピアニスト・八十一歳)は六十一年ぶりに祖国ソ連に戻って演奏会を開くという。八六年の四月二十二日(モスクワ・ボリショイ劇場)がその「赤恥演奏会」の日というから、今すぐ「引退演奏会」をさせなきゃ。
「水を打ったような静寂の中で、氏はおもむろにショパンの〈小犬のワルツ〉を弾いた。熱狂的な拍手だった。つぎにシューマンの〈トロイメライ〉。観客は夢心地で眠ってしまった。ここで四十五分の休憩。後半はドビュッシーの〈人形へのセレナーデ〉とショパンの〈英雄ポロネーズ〉。そしてアンコールにベートーヴェン〈悲愴〉〈熱情〉という重たいのをひょうきんに弾きまくって、バイバイしてステージを降りた」
間奏曲 お役に立つクラシック
――――ハウツウ
音楽による精神治療
先日の明け方、下半身に生温かいものを感じて目が覚めた。下に手をやると濡れている。「失禁だ」。これを文字にする恐ろしさ、恥ずかしさ。急に嘔吐をもよおした。生ずっぱい胃液ばかりが出た。こういう時はなんでもいいから、胃に食物を入れて、胃液と一緒に吐き出すとラクになると、だれかから聞いたような気がした。だが食べる気力がない。
これに似た症状は、ぼくは過去二回やっている。一度目は二十数年前、大阪から上京する直前になって「失禁」(ああ、おぞましい活字)、「嘔吐」。おかげで上京が、半年遅れた。
二度目は十二年前、心臓を手術する半年前、同じ症状に陥った。そして今度が三度目。
これらに共通した、発病前の兆候がある。
睡眠中、前方に何やらゴールのようなものが見えてきて、それを目がけて一目散に突っ走る自分を、もう一人の自分が冷めた目で見るときだ。耳元で聞こえる人々の喚声が、いつしか百匹か千匹のせみの声になる。その高周波に耐えきれずに耳を押さえて、足をジタバタする自分に気づく。
目を覚ますと首筋にべっとり汗をかいている。耳元ではまだ高周波の余波がつづいている。病名の見当はついている。「心身症」とか「自律神経失調症」。
往診にきた医師が、仕事部屋に無造作に積み上げられた本や雑誌、レコード、それからテープ・デッキ、プレーヤー、それに得体のしれないコード類が床を這いまわっているのを見ていった。
「気晴らしをするときは、なるべく外へ出た方がいいよ」
医師は何やら痛い注射を二本して帰っていった。
ベッドに伏しながら、すぐわきの本棚に目をやると、「音楽療法入門」(芸術現代社)という本が目にとまった。手に取ってパラパラとページをめくっていると、ある種の精神病患者には、ストラヴィンスキーやオルフのような、原始主義的なリズムを聴かせるといいとある。さらにページをめくると、いろんな「神経症」の音楽療法が出てきた。
「不安神経症」には、デュカスの「魔法使いの弟子」とかドリーブの舞踊音楽「シルビア」。「うつ病」にはロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲、シベリウスの交響詩「フィンランディア」。「神経衰弱状態」にはバッハの「コーヒー・カンタータ」とかベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲。
ぼくが決め込んでいる「心身症」をみると、ボロディンの「弦楽四重奏曲第二番ニ長調」とあった。さっそくラジカセとテープをベッドに持ち込んで聴いてみた。不思議と気持ちが落ちつくようであった。そのうち大きなアクビがポアと出てそのまま眠ってしまった。
夏に聴く音楽
夏になると決まって「涼風を誘う〇枚のレコード」とか、「夏バテを防ぐための音楽」といったアンケートをもらう。
考えてみれば、音楽を聴いてスタミナがついたり、レコード盤に吹き出し口があって、そこから涼風が吹いてきてイイ気持ちになるなんてことはないのであって、そんな分かりきったことを、ついつい編集者や放送関係者が企画してしまうというのは、それだけ、当事者も暑さにマイっているわけである。そういう状況を推察しながら、ホイホイとアンケートに答えてしまうというのも、やはりこちらも暑さにマイっている証拠である。
さて夏に聴く筆頭音楽はヘンデルの「水上の音楽」だ。これは国王ジョージ一世の舟遊びの会のために作曲された、野外音楽。国王はご満悦だったらしいが、これはヘンデルの曲が涼風を呼んだのではなく、テムズ河の上が涼しかったからに過ぎない。
この曲を家の中で聴くと、結構、うるさい。野外音楽用として作曲されたためにホルンとかトランペットといったヒカリ物がハバをきかせていて、涼風どころか熱風が吹き込んでくる感じだ。
イギリスの作曲家、フレデリック・ディーリアスに「夏の夜、水の上にて歌える」という曲がある(こんなレコードいつ買ったのか失念していたけれど、棚から出てきたのでかけてみた)。無伴奏、無歌詞のカネのかかっていない合唱曲でAh≠ニLa≠セけで歌う。ディーリアス自身も舟遊びが好きで、これも夏の夜風に打たれて書いたにちがいない。
ぼくは合唱曲、とくにア・カペラ(伴奏のない合唱曲)が大嫌いで、ダーク・ダックスの「カチューシャ」なんか聴いたら鳥肌が立ったものだ。芸術を安くアゲているところが気にくわない。ピアノが買えないならギター、ギターも無理ならカスタネット。何でもいいから楽器の伴奏は欲しいと思ったものだ。しかしこのディーリアスの「夏の夜」は例外だ。無伴奏がかえって涼しさを感じさせる。ヘンデルの厚着した音楽よりズッといい。夏の音楽は、薄着をしたほうがいいようだ。
しかし例外中の例外は、黛敏郎氏の「涅槃《ねはん》交響曲」。ぼくはあまり日本人の作った曲は聴くほうではないけれど、むかしからこの「涅槃」だけは好きだった。とくに第二楽章の男声合唱が「南無楞厳会上諸菩薩」(ナウレンネンウイジョウジホゾ)と経文歌を歌っていくところ。読経とオーケストラがリズムとアクセントで掛け合いになっていくところなど、体が浮上していくようだ。とくにこの曲と避暑を結びつける要因はどこにも見当たらないけれど、自分の肉体を一瞬忘れさせてしまうほど不思議な魅力がある。
お盆のさ中、坊さんだけが汗ひとつかかないのは何故か。この音楽にその答えがあるかもしれない。
グルメのためのターフェルムジーク
ぼくはグルメが嫌い。
「あいつには二度とうまいものおごってやらん」と、先輩の声が聞こえてきそうだ。
うまいものは大好きだけれど、グルメという横文字からくるイメージがイヤなのね。仔牛のソテー、シャンピニヨン・ソースかけを一くち口にふくんで、「ウマイ」などと舌鼓を打ったりする中年紳士がたまらないほどイヤなのでありますよ。
音楽でたとえるなら、カラヤン指揮ベルリン・フィルが演奏するところのR・シュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭、五、六小節でとつぜん「おみごと!」などというようなものです。
やはり料理はフルコースを終えて、ナプキンで口元を押さえてから、ふっと「ウマカッタナア」と口をついて出るのが、正しいグルメのマナーとちがいますやろか。時には「ブラボー」と、料理人に向かって拍手してもよろしいんではないでしょうか。
二十年以上も前の話になるけれど、ぼくは中野の四畳半のアパートで自炊していたことがある。仕事の注文がないので、考えることといえばモーツァルトのことと、質草のこと、それに晩めしの献立のことばかりだった。一番得意な料理は、「野菜いため」。
玉ねぎ、モヤシ、ニラ、ニンニクをフライパンでジュージューいためるだけのヤツ。時たまチクワを細く切ったのや、クジラ肉を入れる。いま思い出してもよだれが出るゾ。
それに動物性タンパク質を補強するために熱いごはんに生タマゴを一コぶっかける。おみおつけは、ワカメとおじゃがの入ったの。
そのころの食事はマズシかったけれど(マズイのではない)、グルメ気分は最高だった。ぼくの食卓にはかならずモーツァルトの音楽が流れていたのだ。
「弦楽三重奏のためのディヴェルティメント」変ホ長調K五六三、「セレナータ・ノットゥルナ」ニ長調K二三九、「協奏交響曲」変ホ長調K二九七b。胃の中でこれらの音楽を聴きながら消化されていくニラやモヤシやおじゃがは、ぼくと同じくらいに幸福だった。
そんなころに大阪から友人が訪ねてきた。ぼくは彼のために、とびきりの料理を作ってやった。得意の「野菜いため」に牛肉の角切りを加えた。ごはんにかけるタマゴは奮発して二コ。おみおつけは常連のグに、もう一品ナメコを。そして遠方より友がきた。
「ヨオ元気にやっとるか。エライ汚いアパートに住んどんな。どや漫画の方は、全然みかけへんけど描いとんのか。あのコはどうしたんや、東京に呼ばへんのか。何やこの肉、煮えとらんやないか、ヘンなもん食わさんといてくれよナ。あのな、さっきから耳もとでゴチャゴチャ鳴っとる音楽止めてくれへんか。浜村美智子の『バナナボート』はないんか!」
セミ・クラシックの復権
さいきん、いわゆるセミ・クラシックといわれる小品名曲を聴くことが少なくなった。
ぼくの大好きだった、タルティーニの「悪魔のトリル」とか、ベートーヴェンの「ロマンス・ヘ長調」「同ト長調」、リストの「愛の夢」、クライスラーの「愛の喜び」「愛の悲しみ」といった小品など、ここ十年、放送でとんと耳にしない。なんでもレコードがSPからLPに移行していったあたりから、セミ・クラの冷遇がはじまったという説がある。
片面五分がやっとというSP時代が、セミ・クラの黄金時代で、世紀の巨匠たちも仕方なく(?)ドルドラの「スーヴェニール」とかバッハの「G線上のアリア」などを吹き込んだ。ぼくはLP(モノラル)の時代にたくさんレコードを聴いた世代で、このころは、セミ・クラもたくさんあった。
とくにEPと呼ばれたシングル盤はセミ・クラの宝庫。ハイフェッツの弾くサラサーテの「チゴイネルワイゼン」、サンサーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」などは、三十年たった今でもまだ耳もとに鮮明に残っている。
アーサー・フィードラーのボストン・ポップス管弦楽団、ユーディン・オーマンディのフィラデルフィア管弦楽団が、音楽の職人に徹して、ぼくらに多くの単品の名曲を教えてくれた。あのころがなつかしい。ぼくなど、三十五年以上もクラシックを大曲小曲も区別なく聴いてこれたのも、フィードラーやオーマンディに負うところが大きい。
近年の大曲志向の風潮は、頭デッカチのクラシック・ファンを増殖させていないだろうかと心配になってくる。
ときどき中学・高校生といった若いクラシック・ファンからお便りをいただく。その多くがすでに「一言居士」で、マーラーの「大地の歌」はワルターでなくてはならぬとか、ブルックナーの「第七」はフルトヴェングラーでなくてはならぬとかいったことを書いてくる。
何もクラシックを聴くのに「イロハ」があるわけではなく、セミ・クラから入ろうが、ワーグナーから入ろうが別に構わない。だけど、せっかく捨てがたい名曲群があるのに、それを知らないというのは、あまりにモッタイナイ。
ぼくがとくにすすめたい小曲は、ベートーヴェンやショパンとかいった大家の作品ではない。単品ひとつでかろうじて音楽史に名前をとどめている作曲家の作品を聴いてほしいと思う。たとえば、ケテルビーの「ペルシャの市場にて」とか、マスカーニ「カヴァレリア・ルスチカーナ」間奏曲、バダジェフスカ「乙女の祈り」。
さんざんお世話になった単品群。なんとか歴史に埋もらせたくない。セミ・クラの復権を心から叫びたい。
ぼくの仕事場兼リスニングルーム
気がついたら、ぼくの机の上にリモコンが五つも並んでいた。
一つはCDプレーヤー用の、もう二つはベータハイファイのビデオデッキ二台用、あと二つはビデオディスク・プレーヤー用(VHDとレーザーの二機種)。
ちょっと文字にすると煩雑だけれど、次頁の絵を見ていただけるとよい。
ふだんはCDプレーヤーでコト足りているのだが、去年の暮れにベータハイファイなる音質のいいビデオデッキを買い、今回はさらにビデオディスク・プレーヤーを二台新しく入れた。
そもそもこのキカイを買う気になったのは音楽好きのK君にソソノカされたからだ。
K君は去年の夏『なんたってクラシック』という本を出してくれた編集者である。今は本が出版されたアトだから、もう用事はないはずなのに、なぜかスッポンのようにくっついて離れないでいる。そのK君が、VHD方式のビデオディスク・プレーヤーを買った、買ったと小躍りしてぼくの前に現れたのだ。
「あのキカイはなかなかいいもんです。ベームが振った『フィガロの結婚』のディスクを見たくて買ったようなもんだけど、キリ・テ・カナワの伯爵夫人はゼッピンですよ」
逢うと自慢気にそんな話ばかりする。
ジャンピエール・ポネルの演出した映画版「フィガロ」は、以前NHKテレビでも放映されたもので、評判はつとに知られている。
「オペラはこれから、ビデオ・ソフトで見るに限るよ」
こうしてのせられたぼくは、一気に二台も買ったのだ。なぜ二台買ったかというと、メーカーの傲慢さの尻ぬぐいをさせられているからだ。どういうことかというと、ビデオディスク・プレーヤーも二方式(VHDとレーザー)で互換性のないまま市場に存在しているからだ。いつも思うのだけれど、通産省がもっと強権(そんなものあるかどうか知らないが)を発動して、「コッチ!」と一つに決めてしまえばいいのだよ。
先ほどの「フィガロ」はビクター・VHDディスクだし、ぼくの見たい(聴きたい)「フルトヴェングラーと巨匠たち」は、レーザー・ディスクだ。だからぼくのような凝り性は二台買う羽目になる。もう買っちゃったんだから今さら怒っても仕方ないけど。
そういうわけで、気がついたらリモコンが五つになった。とくにビデオディスクの二機種は、速送り、一時停止といった仕掛けのボタンがリモコン側にしか付いていない。だから三十センチの距離でもリモコンを行使しなければならない。それに絵でも分かるとおり、五台の顔つきがどれも同じなのだ。これを正確に見分け、リモコンを命中させるのだから音楽マニアをつづけるのも疲れる。
イヤホン・エレジー
四十といくつにもならないのに、さいきん耳が遠くなったような気がする。
喫茶店で編集者と話をしていても、ときどき相手の語尾がはっきりしないことがある。とくに真ん中にテーブルをはさんだときが顕著で、耳のうしろに手を当てて、ええ? と身をのり出して聞き返さないと分からない。
これが原稿料にかかわる微妙な話だと、「おれも歳かなア」では済まされない。
気のせいか、テーブルの横にゴムの木とかポトスといった観葉植物があると、さらに会話が聞きとりにくいようだ。葉っぱに人間の声を吸収されちゃうのだろうか。
だからウマイ話とかベラボーな報酬が期待できそうな話のときは、たとえ四人掛けのテーブルであっても、恋人のように横に並んで腰掛けてもらう。「先生、ここだけの話、これで手いっぱい、どうです!」というようなのを耳もとでささやく。さらに高額な商談(?)になるとテーブルの下で相手の手のひらに指を何本か当てて決めることもできる。
耳が遠くなった原因は何だろうか。あのベートーヴェンは自分の聴力障害は、慢性の腸炎からきていると、友人で医師のヴェーゲラー博士あての書簡に書きしるしている。
ごていねいなことに、彼の慢性腸炎は梅毒からきていると指摘する学者もいる。
ぼくの耳が遠いのは、梅毒と関係ない。ただの耳の使い過ぎ。
思い起こせば、と別に気取ることはないけれど、鉱石ラジオをいじっていた少年時代から、耳の酷使がはじまっていたような気がする。
電気屋で組み立てキットを買ってきて、コイルを鉄芯に巻きつけてバリコンをこしらえ、天井からぶら下がった電灯線をアンテナ代わりにしてイヤホンで聴く。家には五球スーパーとかいったすごい真空管のラジオ(なつかしい)があったけれど、イヤホンで独りで聴く方が秘密めいて好きだった。
このクセは現在もつづいていて、寝るときは必ずイヤホンでラジオ放送を聴く。とくにラジオ短波の「ニュース・オールナイト」はここずっと聞いている。若い女子大生(アナ)がまるでキャンパス放送をしているような、ういういしさが実にいい。暗い殺人のニュースも明るく聞こえていい。あの短波独特の押し寄せては返す波長がたまらない魅力で、それに女子大生のトチリながらの一生懸命ぶりがよい。ぼくにとっては最上の子守歌。
ぼくは外出するとき、内ポケットにカード型のラジオをかならずふたつ入れていく。ひとつはAM用、もうひとつはFM用。AM用はもっぱら野球ナイター専用。FMはクラシックを聴くためである。
こうしてみるとぼくの耳は二十四時間音漬けである。
病気だろうか。
人生BGM漬け
東京・荻窪の「ルミネ」の地下通路から地下鉄丸ノ内線に乗り、「赤坂見附」で銀座線に乗り換えて三つ先の「銀座」で降り、中央階段をトントンとあがって改札口を抜け、グルリと大きく左へ旋回すると北東の出口に突き当たって、そこを一気に地上へ駆けあがると、目の前に「山野楽器」がある。
頭から突入すると一階のレコード売り場はヒマそうなヤングでごったがえしている。
こんな光景はぼくの趣味に合わないので、いつも引き返そうかと思うのだけれど、こっちもヒマなのだと考えなおして、左手の、小錦にはゼッタイに乗れないであろう幅の狭ーいエスカレーターに乗って二階のクラシック売り場へいく。
このクラシック売り場で、実はとても面白いレコードを見つけたのだ。
「BGMクラシックス」というBGM専用カセット・テープ全十巻。
ゆりかごから墓場まで、耳もとで♪タンタラリー、タンタラリーと音楽で満たそう運動の推進者であるぼくは、こういう企画を大いに支持する。
全十巻の内訳は「食卓のクラシック」「仕事のクラシック」「眠りのクラシック」とか「朝・昼・夜のクラシック」とかいろんな状況を想定して、選曲してある。「雨のクラシック」などという一風変わったBGMもある。
興につられて、その中から「旅」「眠り」「仕事」のテープを三本買って聴いてみた。「仕事」のほうはさっそく使えそうなので仕事部屋でBGMしてみる。
一曲目がモーツァルトの「喜遊曲」K三三四の六楽章アレグロ、二曲目がバッハの「ヴァイオリン協奏曲第二番」の一楽章アレグロ、三曲目がモーツァルト「ポストホルン・セレナード」K三二〇の四楽章ロンドと、どれも速い曲。
ぼくの感性にこだわっていわせてもらえれば、三拍子のワルツが一番仕事しやすい。速度もアレグロより遅いアレグレットがよい。
好みの問題もあるので、やはりこういうものは自分専用のBGMを手持ちのレコードから抜き出して、編成したほうがよいのではないか。
さて話はここで飛ぶけれど、この間TVでベルイマンの「リハーサルの後で」という映画をみた。
老演出家と女優だけの対話劇で、演奏論がやたら飛びかって、退屈だった。女優が少女になって椅子に腰かけてたり、老演出家のもと愛人が幻想として登場してきたりして、何だかよく分からなかった。それにBGMがまるでない。
こういう難解な映画ほど、甘い音楽とか明快なバロック音楽でも流しておけば、観客はなんとなく分かったような錯覚にとらわれて納得するのに、と思った。
膨大な時間のストック
ミヒャエル・エンデに「モモ」という童話がある。時間どろぼうに、幸福と引き換えに時間を貯蓄させられた人々が、少なくなっていく時間に追われて、どんどん荒廃していくという幻想的なSF。
これとそっくりな状況が眼前に展開している。いまぼくは、レコード、テープ、ビデオ・ソフトに収められた、膨大な時間のストックを前に、呆然と立ちつくしているのだ。
レコードが八百枚、CDが二百枚。手製版を含めたオープン・テープが四百巻、カセット・テープが九百巻。それにビデオ・ソフトのレーザー・ディスク、VHDを合わせると二十タイトル。これを、時間に換算すればどういうことになるか。手元にキャッシュ・カードのような電算機があるので、ピッピッとやってみる。
おおざっぱであるが、レコード、CDを一枚あたり一時間とすると、これだけで千時間。テープはオープン、カセットをあわせると千三百巻。両方とも九十分テープを使っているので、ここでピッピッやると、なんと千九百五十時間。ビデオのほうは、レーザー、VHDとも片面五十分とみて、一枚分で百分。二十枚で二千分。つまり三十三時間。
これらを総計すると、二千九百八十三時間。一日二十四時間をまるまる使うとして、百二十四日。一睡もしないでこれらと付き合うとして、四ヵ月間。これはまず不可能。
ふつうの日常生活をおくって、その中からフリーの時間をしぼり出しても、せいぜい二時間から三時間。この三時間をフルに使っていくとしたら、二千三百二十のコレクションを消化し終えるのに九百九十四日かかることになる。ほぼ二年と九ヵ月だ。
二年と九ヵ月なら大したことないと思われるかもしれないが、これはあくまでコレクションが増えないという前提にたっている。
毎月平均、レコード、CDを確実に十枚は買っているから、十時間分が増える勘定になる。また、これはほとんどヤマイとしかいいようがないのだけれど、FM放送のエアチェックがある。以前は毎晩のように海外ライヴを録音していて、時間とテープ代を工面するのに頭を悩ましていたが、心やさしい神南(NHK・FM)が八五年四月の番組大改正をしてくれたおかげで、いまは週に三回。それでも六時間は増える。
以上は、音楽だけである。このほかに二百五十巻のビデオ・テープがある。TVの洋画(字幕スーパー入り)、海外ドキュメンタリーがほとんどだ。TVで放映されている限り、ソフトはどんどん増えつづけることだろう。
音楽を消化しきれないまま、膨大な時間のストックがこのまま増えていったらどうなるか。こうなったらエンデの「時間貯蓄銀行」に時間を貯蓄していって、日歩五割の利子でもつかないとおぼつかない。
走るリスニングルーム
ぼくの乗っている大衆車が、相当くたびれた。車検も三回目を迎える。
そんなくたびれた車が、高級住宅街(ぼくの家は、少しはなれた並の住宅街)を走ったりすると美観をそこねるのか、近くのディーラーのお兄さんがとんできた。そして人の車を塀越しに値ブミして、なにやら書いて郵便受けに入れていった。
下取り二十五万円、毎月一万二千円、四十八ヵ月分割払い、ボーナス時十六万円……。
本当に親切なセールスマンだ。
だがその手にはのらない。お兄さんには申しわけないが、車を買い替える気はない。
理由は簡単だ。車に装備しているステレオコンポが気に入っているからだ。
スピーカーだけでも、車内に六コもついているゾ。リア用の二十センチスピーカーが二コ、前部座席の両側のドアに二コ、フロントに高音用のミニが二コ。計六コのスピーカーを、助手席の下に備えてある五十ワットと二十ワットのアンプで鳴らしている。いろいろ試行錯誤があったけれど、いまはいい具合に音がフラットにおさまって、気に入っている。
同乗者にもなるべく、このぜいたくな気分を味わってもらうようにしている。
ぼくは同乗者の顔をみて、聴いて頂く曲目を勝手に決めている。四角ばったデカイ顔した御仁には、バッハを聴いて頂く。丸顔で健康そうな人は、ヘンデル、ハイドン。神経質で無愛想なのは、ベートーヴェン、ブラームス。金持ちそうな人は、メンデルスゾーン、ワーグナー。シケた顔した人は、シューベルト。賢そうな人は、モーツァルト、ラヴェル。アホそうな……(やめとこ、きりがない)。だけどこの心遣いも、運転席からルームミラーで彼らの表情からみるかぎり、あまり幸福そうではないようだ。苦汁の色さえ窺える。ことわっておくが、ぼくは同乗者なら見境もなく音楽を押しつけているわけではない。
いい音楽に触れて「ああ、いい車に乗り合わせたなァ」とフッと口に出てくるような、そういう情感のこまやかな人を、ぼくは厳しく選んでいるつもりだ。間違っても助手席に乗って勝手にラジオの野球中継をかけるようなガサツ人間には、聴かせない。
それなのに、あの選ばれた人たちがなぜ、あのような苦汁の表情をするのか、実はぼくにとってながい謎であった。
先日ゴルフの帰りに、運転を友人にまかせた。自分はうしろの席に乗って、はじめてその謎が解けた。
まことにウルサイのであった。四十センチスピーカー(二十センチが二コだから)が耳元でつんざく。ウカツにも運転席が最良の音で聴けるような音場づくりになっていたのだ。
苦汁の人たちには申しわけないことをした。いまリア・スピーカーを天井から吊すか足下から鳴らすかエイイ検討中だ。今しばらく待っていてほしい。
空飛ぶリスニングルーム
ついにクルマの中にもCDプレーヤーを導入した。といっても車専用のプレーヤーを取り付けたわけではない。ぼつぼつ巷間にも出回ってきた気配のあるウォークマンのCD版みたいなヤツ。あるメーカーはこれをディスクマンなどと命名しているようだけれど、この携帯用CDプレーヤーを取り込んだのだ。
ステレオ・トランスミッターとかいうアダプターとCDプレーヤーを連結。そして車のシガーライターにこのアダプターを差し込んでやると、どういう仕掛けになっているのか、備え付けのFMチューナーに電波が飛び込んで、CDが鳴るようになっている。
自分でいうのもなんであるけれど、おんぼろ車にしては、室内はあのウィーン楽友協会ホールに匹敵するくらいのいぶし銀サウンドが楽しめるようになった。
助手席にちょこんと置いたCDプレーヤーを、ときどき上部の小さな窓から中をのぞいてやると、あのきらきらした円盤が無心に回転している。
急に自分が宇宙船の操縦室にでもいるような錯覚に捉われる。高速道路の登り坂をつっ走ると、そのまま空中に放り出されそうな気がする。気がつくと銀河系。宇宙船の楽友協会ホールに、R・シュトラウスの「ツァラトゥストラ」がさんぜんと鳴り響く。とつぜんハレー彗星が宇宙船を横切る。宇宙船が大きく左右に揺れる。ここでハッとわれに返る。
われに返ったところで話は変わる。
七十六年周期で地球にやってくるハレー彗星。ぼくの目でこの彗星が見られるという歴史上のタイミングに感謝しながら、先人たちに思いをはせるのだ。
いまから七十六年前の一九一〇年。音楽史上で一体何があったかを考えるのだ。
一九一〇年、マーラーの交響曲第八番「千人の交響曲」ミュンヘンで演奏される(翌年にマーラー死去)。ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」パリ初演。
さらにさかのぼって一八三五年。
サンサーンス生まれる。シューマン「交響的練習曲」作曲。ドニゼッティの「ルチア」ナポリ初演。メンデルスゾーンがゲヴァントハウス管弦楽団を指揮する。
さらに一七五九年。ヘンデルがロンドンで死去。シラーが生まれる(以上、音楽之友社刊『西洋音楽史年表』)。あのモーツァルトはまだ三歳。さすがの天才も三歳では何も作曲することが出来なかった。
それでは次にハレー彗星がやってくる二〇六一年はどうなっているだろうか。ぼくは百十九歳でたぶん墓の下。長女(小学二年)が八十三歳でウルトラバアさん。次女(一年六ヵ月)も七十六歳でやはりバアさん。
だんだん滅入ってきたナ。
旅先のワルキューレ
いま高校野球の取材で大阪にきている。ちょっぴりキザだけれど、中之島のホテルでこの稿を書いている。
ぼくは旅行する時、必ず「三種の神器」を携帯する。ひとつはウォークマン。もうひとつは内田百の文庫本。それと制汗用のスプレーの三つ。
内田百は、主に列車の中で読む。旅好きが愛読する「阿房列車」よりも、ぼくは高利貸に返済を迫られて、百がデカイ体を悠然と構えている話なんかが好きなのだ。
スプレーは、夏場は絶対必需品だ。ぼくは南方生まれのせいか、体臭がキツイらしい。らしいというのは、自分では気がつかないのだけれど、結婚した当初、女房が鼻をつまんで接近を拒んだことがあったので、それ以来シュッシュッとボディースプレーを欠かさず実行している。
ウォークマンは当然のように、ホテルで好きな曲を聴くため。こいつだけは、ヘッドフォンでしか聴けないので、タバコのケースの半分くらいの大きさの外部スピーカーを二コ持っていく。これをフォンジャックにつないで聴く。パワーは一ワットと微力だが、ホテルの部屋では十分に聴ける。いまも、モーツァルトの「ディベルティメントニ長調」K二五一(ベルリン八重奏団)をBGMにして、旅の気分を味わっている。
ホテルに泊まるたびに思うけれど、なぜテレビと、ラジオしか置いてないんだろうね。ベッドの枕元に備えてあるいろんなプッシュ・ボタンは、繁雑にして無用なものばかり。テレビ、ラジオ、お足元灯、デジタル時計の目覚まし時刻合わせ、エアコン等々。
あの中にカセットプレーヤーをひとつ組み込んでくれないかなあ。おねがいついでにCDデッキも入れてくれたら、なお結構。
つぎはおねがいではなくて、ホテルの義務。あのラジオ(FMも含めて)の音はなんじゃ! 見ばえを優先して、スピーカーを枕元の板(ラック)? の中に埋め込んだのは愚行。壁の中に詰めたホテルもあるけど、どれもこれも情けないほどに高音不足。
低音を強調するのがムード音楽にぴったりというのは、アサハカな知能だよ。旅人はみな音痴だと決めつけてはいけない。
さて五年前にタイのパタヤビーチという観光地にいったことがある。そこでボートに乗り小さな島に向かった。そのとき、日本から持ってきたウォークマンで、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」(ショルティ指揮、ウィーンフィル)を聴きながら渡った。
あのソプラノの戦闘的な魅惑にドキリとした。椰子の木の見える島影に近づくと、機関銃でダダとやりたくなった。コッポラが「地獄の黙示録」でこの曲を選んだ気持ちがはじめてわかった。
第4楽章 わが家はカプリッチョ
――――身辺雑記
俳句の詠み方について
今回は脱線して、俳句のことを書く。生意気だけれど、俳号もある。無茶。ムサと読んで頂きます。一茶翁に迫り追い抜きたいという願望の名です。
やせ蛙 一節おくれて 鳴きにけり
アハハハハハ。無茶という名で作った最初の句。仕方ありませんね、師匠の影響は。この句以来、わが俳句仲間は、風雅な無茶号をムチャと呼ぶようになった。
先日、俳句仲間や知人、編集者がぼくの書いた音楽本を祝って「出版パーティー」を開いてくれた。この時「真砂」(西荻窪・小料理屋、パーティー会場)のオヤジさんが出し抜けにぼくの句を開陳しはじめたのだ。このオヤジさんが、わが「真砂俳句会」の宗匠的存在であらせられるのだ。その宗匠が晴れの舞台で無茶句の数々をはじめて公開したのだ。
そんなわけで、心ならずも脱線している。
蝶々よ おぬしも一片の 紙切れか
開帖するたびに冷や汗が出る。ぼくのことをムチャ呼ばわりする仲間連は、蛙とか虫が出てくると、すぐぼくの出句だと見破って、点を入れない。
かたつぶり 万年塀で 乾きおり
まことに実存主義的、二十世紀的俳句であるにもかかわらず、虫が出てきたという理由でこれもムシされた。かつてラジオで、金子兜太さんと俳句対談をしたことがあった。そのときわが句会の偏見を嘆いて実情を訴えたら、即座に金子さんが「高点句に秀句なし」と励ましてくれた。がぜん自信をつけて、その月の句会で早速詠んだ句がこれ。
トンガルナ タダイマ外ハ 嵐ナリ
このあたりから、破調を極めていくのだ。
ミンミン シャワシャワ ジジジジ喧しき
もうこうなったら何を詠んでいるのか自分でも分からない。最後に、
夕立や 途方もなく 広野かな
これは読み方が難しい。トホーと延ばしたらすぐ|♯《シヤープ》をかけグリッサンドしてオクターブ上昇しなきゃならないよ。
川柳にみる情念の世界
十人の男を呑んで九人吐く
姫路市在住の情念の川柳作家、時実新子《ときざねしんこ》さんの作。五年前はじめて『花の結び目』という自伝的エッセーと川柳を読んで、みぞおちに女のこぶしを打ち込まれたような衝撃を受けた。それ以来、新子川柳にすっかり取り憑かれてしまった。はじめてお会いしたのは、二年前、新宿のホテルのロビー。上京していると聞いて無理やり押しかけたのだった。
凶状の乳房もろとも土用入り
新子川柳の原点は、十七歳で嫁いできた日からはじまる。それから三十有余年。『花の結び目』によると、家と夫に反逆し、その怨念を川柳に書きとめてきたとある。
しかし、お目にかかったご本人は、川柳からは信じられないくらい気さくでよく笑うお人だった。巳年で一周りちがいの新子さんは開口一番、
「あなたとお会いするの、今日がはじめてじゃないみたいね」
身を焦がしつづけた麗人から、突然投げキッスされたような気持ちになってしまった。
先日、神戸新聞でその新子さんのレギュラー対談に出していただいた。直々のご指名と聞いて、東京から神戸まで飛んでいったのだ。二年ぶりの邂逅。
「きょうは漫画のことじゃなくて、あなたの好きな音楽のことを話してくださいな」
そうだ。ぼくはゲストだったのだ。
「わたしクラシック音痴なの。ほら、子どものころ、田んぼできいた『ユーモレスク』のはなし、あのはなし聴かせてちょうだいナ」
うれしいような、恥ずかしいような。
梅に鼻埋めてツンツン涙かな
これなどどこか音楽的だ。新子さんだって、音楽好きじゃないのかなあ。
菜の花芽子供でも産もうかな
「新子さんの川柳はどれを拝見しても、女の怨念というか、男性からみてオソロシ……」
「アハハハ、あれはみんな遊びよ」
情念から冗念に? そうかもしれないなあ。ベートーヴェンの「第九」とかワーグナーの「指環」とか、ぼくは大そうな解釈しているけれど、案外作曲者は、「あれは遊びだった」と笑い飛ばすかもしれない。
わが家はカプリッチョ
学校が夏休みに入って一番困るのは、子供たちが仕事部屋へ出入りすることだ。
ふだんから子供のしつけを放棄してしまっている父親が、いくら「いま大事なお仕事をしているから、じゃまをしてはいけない」といっても効き目がない。
ヨソのお父さんは会社へいくのに、何故ウチのお父さんだけが家にとじ込もっているのかがわからない。「仕事」「仕事」といいながら、画用紙に落書きばかりしているではないの。小学二年の娘は、しきりに父親の絵をのぞき込んでは批評する。
「そんなに雑に描いたらダメよ。ほらこの線はみ出してるじゃないの」
夏休みになっても、どこへも連れていかないから、娘は幼稚園に通う弟と狭い家の中を走り回る。そのうち必ずといっていいほど、けんかをはじめてどちらかが泣き出す。そして泣きながら仕事部屋に入ってくる。そのたびに父親は頭をかきむしることになる。
このところ関東地方は、午後になると風が出てきて、天空がゴロゴロと腹を下したような音をたてる。あたりが暗くなる。そしていきなりフォルティシモの雨がザーッと降ってくる。ひとしきり都会のビルや道路を洗浄すると、ディミヌエンドして雷雨が立ち去る。
濡れた街並みにしばしの静寂。そのうち、どこかの家でピンポーンと門のチャイムが鳴る。それを合図に犬のほえる声。自動車が路地を走り抜ける音。やがて以前の街の喧騒が戻る。こういう状況とそっくりな詩がある。杉山平一の「訪問」という詩だ。
門のボタンを押すと
ベルが鳴ったらしい
玄関の電気がついて
どなたですか という声がした
とたんに犬が吠え出し
幼い子供が泣き出した
それを叱る母親らしい声がきこえ
ガラッガラッと何か床に落ちた気配
轟音と飛行機が一機
頭上を過ぎた
僕は深く呼吸をとゝのえて
言った
すぎやまと申すものですが
どこか「カプリッチョ」(奇想曲)風な音楽がきこえてくるようだ。
わが身体もカプリッチョ
私の胸にはワイヤが埋まっています。もう少しデテールを述べれば、肋骨を支えている中央の胸骨に、五本か六本のワイヤが結びつけてあるのです。
実をいいますと、今から十年前、私は「僧帽弁狭窄症」という、弁の開閉がうまくいかない心臓病にかかって、手術をしたのです。
まずノドの下の凹んだところから、みぞおちの凹んだところまでを、ノコギリで切断します。そして切り開いた胸骨を両側にギーと観音開きにしてパチンと閉じないように、何かで引っかけておきます。丸裸にされたピンク色の心臓をみてふるい立ったサド医師≠ェ、メスでブスリと弁の詰まったところを切開するわけです。
その間、私の心臓は停止しています。人工心肺という機械が私の心臓の代わりをして働いてくれます。死の判定は脳死をとるか、心臓停止をとるか議論の分かれるところですが、もし心臓停止をもって死亡とみなすというほうをとれば、私は貴重な死亡体験をした稀有な人間ということになります。
当時どこからも「死んだご感想は?」といったインタビューはありませんでしたね。
まあそれはともかく、そうやって心臓手術を終えて、後片付けをするわけです。観音開きした骨格子戸を閉じます。この骨格子戸はしょっちゅう閉じたり開いたりするものではありませんから、半永久的に封印します。そこで登場するのがワイヤ、つまりハリガネです。いつ何時ギーと観音開きしないように胸骨はハリガネでしっかり結びつけるのです。
さてぼくは下手でありますが、ゴルフを時々やります。しかし夏場のゴルフはとても恐怖を感じます。いつ何時あの雷が襲来するかもしれないからです。この間も新聞で、あるゴルフ場で腕時計のベルトの止め金に雷が落ちて人が死んだとありました。
丘陵コースでは落雷防止策として、コースのところどころに緊急避難所を作ってあります。しかしホールごとにあるわけではなく、たまたま避難所のないホールで雷に遭遇したら、もう逃げ場がありません。せめて身に付けている金属類を手放すことぐらいしか方法ありません。
その時の私の恐怖は言語に絶します。丸裸になっても、ぼくひとり爆弾を抱えているのです。閃光が走るたびに胸を押さえて気絶しそうになります。
幸いまだ私の胸に雷は落ちていませんが、これから先、絶対に雷が私をめがけて落ちてこないという保証はありません。ぼくの人生は、ニトログリセリンのタンクを満載したトラックに乗りつづけていくようなものです。
近頃ではお祭りが嫌いです。あの腹に響く太鼓がたまらんのです。
ワイヤの一本がほどけたのか、しきりに共振するのであります。
四半世紀の肩凝り
肩が凝って仕方がない。机にかじりつく業《なりわい》をはじめて二十数年になるから、このコリは四半世紀におよぶ歴史がある。筋肉が地殻のように固まって、花崗岩、玄武岩のような堅固なヤツが何層にも堆積している。
背後から「ようっ」と肩をたたかれたぐらいじゃ気がつかない。熱湯をかけられてかすかに「おや? 雨かな」と感じるぐらいだろうか。金づちで打たれて「背中をだれかが鉛筆の芯でつっついてるな」と感じる程度だろうか。
ともかく、このまま放置しておくと、首の方まで凝固していく恐れがある。まてよ、そういえば最近路上を歩いていても上を見上げることが少なくなったのは、もうコリが首のあたりまで浸透しているのかも知れない。そこで時間があれば風呂を焚いて入る。湯上がりに配偶者に肩をもんでもらう。体全体はふやけているのだけれど、肩から下にかけての将棋盤ぐらいの面積が依然として固い。暖まっているけれどぱんぱんに張っている。
ここでわが配偶者の「まむし指」が威力を発揮する。配偶者は年のわりには白魚のような手を保存していて、もう一方の配偶者はこれをうれしく思い、ホコリにさえしている。その白魚の手がどういうわけか、両方の親指とも先端が、ヘラのように横に広がっているのだ。まるでまむしがかま首をもたげた形態をしているのだ。配偶者はこの親指を非常に気にしているらしくて、もう一方の配偶者にもめったにこの秘具を見せてくれない。
その貴重な「まむし指」で肩から背中にかけて指圧してもらう。
キク! これがよくきくのだ。熱湯をかけても金づちでたたいても微動だにしなかった岩盤が、一瞬コンニャクのようになるのだ。
「アウウ、気持ちいい。もっとオ」
しかし、これもたいてい一時の快感で終わってしまう。何しろ相手は四半世紀もかけて堆積してきた岩盤だ。素人指圧で砕けるようなやわなかたまりではない。
先日、東海林さだお兄に会ったら「それだったら僕のかかっている、腕のいいマッサージ師を知っている」といって、西荻窪駅の近くの治療所を紹介してくれた。治療所は、バスや乗用車、自転車の行きかう狭い道路に面していた。木造の二階に上がっていくと床がミシミシ鳴って、なんとなくこういうところのマッサージはきくような気がした。
カーテンで仕切られた部屋に入ると、下着姿でベッドにうつ伏せになった。助手の女性が尻の下の脚のつけ根からもみ始めた。いろいろ妄想していると、急に男が入ってきて(この人がマッサージ師)、手際よくバトンタッチして必殺の親指が唸りをあげた。「イテーッ」。いま背中の岩盤に圧搾機で杭が一本打ち込まれたようだ。四半世紀の地殻にポッカリ穴が開き、そこから黄色い煙がポワッと一条たなびいたような気がした。
阪神タイガースの歌
このぼくだって阪神タイガースのファンであります。そんじょそこらのナリシン(ナリキンをもじったつもり)とはちがいます。
だいたいぼくの育った郷里が、尼崎でありまして、甲子園と武庫川をはさんだお隣さん同市(同士をもじったつもり)。神戸へ行くときも、梅田(大阪)へ行くときも、みーんな阪神電車。盆暮れの調達もみーんな阪神百貨店。遊びに行くところは、決まって阪神パーク。あの珍獣レオポンも、ぼくが中学生のころに生まれたのだよ。
小学生のころ、甲子園球場のグラウンドでプレーをしたこともあります。プレーといってもベースボールではなくて、体操。県内の小学校の合同体育祭が、甲子園球場で行われまして、ぼくはこの栄光のグラウンドでラジオ体操をやったのであります。
それでもいまから思えば、たいへん貴重な「甲子園体験」であります。これだけの地縁が、ぼくにはあるのでありますから、黙っていても阪神タイガースファンであります。声高に「わて、トラキチでっせ」と絶叫しなくても、堂々のタイガースファンだア。
それではタイガースファンらしいアプローチを日頃からいたしておるか、といえばやっとりますと胸を張っていえるのであります。
夜になるとトランジスタラジオのダイヤルを必死になっていじっております。一〇〇八キロヘルツ、大阪の「朝日放送」の電波をさぐっているのです。もちろん東京のラジオ局がタイガースのカードを中継してくれればこんな苦労しなくてすむのですが。
猛烈な大粒の雑音の中から、かすかに聞こえてくる岡田のサヨナラ・ツーラン。
こんなときはバッハやモーツァルトもくそくらえ、ハンシン、ハンシン、ハンシン。
阪神カードのTV中継をみたさにUHFのアンテナを取りつけました。V局のTVはもう巨人一辺倒。ときどきでありますが、U局が阪神カードを中継してくれるのであります(ちかごろたのみのU局が、リレーナイターと称して後楽園の巨人戦を強引に割り込ませているけど、あのシンケイはなんでしょうね)。
こんな消極的なアプローチの仕方で、真のタイガースファンといえるでしょうかと、六甲おろしの歌とともに聞こえてくるような気がします。
まだあります。阪神タイガースの歌「六甲おろし」のレコードを買ってきたのであります。日夜わがステレオ装置にかけて、レコードと一緒に気勢をあげておるのです。
それにこのレコードの裏面がカラオケになっておりまして、ひそかに特訓中であります。大分腹から声が出るようになりました。タイガースが優勝した暁には、みんなの前で堂々と歌ってみたいと思っております。さしあたっては庭先へ飛び出し、ご近所のみなさんに披露したいのであります。
ぐわんばれジャズ喫茶
街に出てふらりと喫茶店に入る。運がいいと店内にクラシックが流れていたりする。そういうときは、道で拾った宝クジが下二ケタ当たったような微小なヨロコビを感じる。
このあいだの週末、銀座二丁目の「場外馬券売場」ちかくの「R」という喫茶店に入ったら、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」をヤッていた。
ぼくの好きな曲だったので、宝クジの下三ケタを当てたような気分になった。コーヒーもはり込んでブルーマウンテンをストレートで飲んだ。
そして下三ケタの幸せを周りの客も自分と同じように味わっているだろうかと首を回してみた。そしたら客は一様にミケンにシワ寄せて一点をみつめていたのだ。
ムハハハ。メンちゃんのこの曲は「日本閣」や「玉姫殿」あたりで流れているヤツよ。オラオラ気楽に気楽にと思わずいいかけたのだが、それにしてもシワの入り方がどこか所帯じみていた。よくみるとみんな競馬新聞をにらんでいたのだ。ムハハハ。
まあいいや、こんなこと別に。
喫茶店のBGMが何をやろうが、客が何を読もうが、そんなこといちいち気を回しているほどヒマではないのだ。ちかごろは。
しかし喫茶店のBGM話はまだつづく。
ぼくは三十五を過ぎてから赤ん坊ができた。といってもぼくが生んだわけではない。もちろんぼくの配偶者が生んだのだ。生まれたコは女のコだった。このコがよく泣く。
仕事部屋のとなりが寝室で、彼女はここで寝起きしているのだけれど、ミルクを飲んでいるときと眠っている以外は、ずっと泣いている。何か親にうらみがあるのかと思うぐらい一日中泣いている。とうぜん仕事ができない。赤ゴが泣き出すとはじき飛ばされるようにして部屋を飛び出す。
そして自転車にまたがり街道沿いの喫茶店に向かう。
運のわるいことにこの店が「ジャズ喫茶」。
はじめは憮然として腕組みしながら、嫌い方面の音楽に対峙していた。
が、だんだんと意識の変化が現れてきた。
この店いつもガラガラだ。それにここの口ひげをたくわえた若いマスターが、客のことなんかこれっぽちも頭になく、自分ひとりジャズを聴ければよいという一途なところがあって、デンオンのアンプでJBLの二四〇Tiのスピーカーを鳴らして、終日陶酔している。
方面こそちがえ、この心情は理解できる。マスターに胸襟を開いて、ガンバレヨと一声ぐらいはかけてやってもいいくらいだ。しかし、うるせえジャズだな、ったく。
レコードの正しい聴き方
何げなくメモ紙の束を漁っていたら、こんな一文の紙片が出てきた。
――初心者の芸術家のために――ナルシソ・イエペス、テレビインタビューに応えて。
「ギターの練習をするとき、窮屈なシャツ、それも首をキュッと締めつけるようなものを着ます。靴もキュッときついものをはきます。そしてライトを前面からあて、マイクも立てて録音機もセット。できれば奥さんや子供も前に居てもらうといいでしょう。そうやって弾くのです。ステージに立ったつもりで最後まで弾かねばなりません。その日はそれ(録音テープ)は聴きません。あくる日に聴くのです。第三者になったつもりで、正確に」
いつテレビでみたのか記憶がないけれど、一九八四年とメモしてあるから、三年前に放映したものだろう。ぼくは何でもメモる習性があるからこういうのが唐突に出てきていつもびっくりする。しかし、これはいいものを読んだ。
それは、ぼくのような一日中音楽を流しっぱなしにして聴く、音楽への対応の仕方に、最近、疑問を持つようになったからだ。音は聞いているけれど、音楽は聴いていないという気がしてならない。音楽好きの友人と一杯やりながら、こんな会話が出てくる。
「こんどギドン・クレーメルが〈ア・パガニーニ〉という無伴奏ヴァイオリンのレコードを出したね」
「うん、吉田秀和氏が絶賛しているよね」
「キミ、そのレコード買ったんだって。どうだった、実際に聴いてみて」
「んーと、聴くこと聴いたんだけど、エーッと、どうだったっけ」
んーと、と立ち往生しているのが、このぼくなのだ。BGMとして聞いているけれど、実は正確には聴いていない。こんなレコードの聴き方がほかにもいっぱいある。これは由々しき問題なのだ。そんなときに、このイエペスのメモ書きが出てきた。これはプレイヤー側の心得だけれど、聴く側の立場に置き換えてみても、ぜんぜん不自然さがない。
「レコードを聴くとき、新しいシャツにネクタイを締め、スーツで身をかためます。靴はピカピカに磨いてきつめのものをはきます。そしてスピーカーの前に腰かけるのです。ステージに向かって聴くつもりで聴くのです」
ぼくは、さっそくやってみました。家の中でネクタイとスーツで身をかためたら、家人がお出かけですかといった。そんなのを無視して下駄箱から靴を取り出し、仕事部屋(リスニングルーム兼用)に入ってドアにカギをかけました。そしてスピーカーの前に腰かけたのです。曲はシノーポリ指揮、フィルハーモニア管弦楽団のマーラー「交響曲第五番」。ヨカッタ。すばらしい。途中、編集者からの電話で中断させられたことを除けば!
何事も体験です。貴兄もやってみたらいかが。
ちょっと、こんな話
ぼくは駅前の喫茶店でU子さんを待った。U子さんはある詩人(故人)のお嬢さんでここでぼくと逢うのは二度目だ。十分ほど遅れて、U子さんが現れた。小さな女の子を連れている。たしか彼女は独身のはずだったのだが……。
「いま外、すごい雷なの。この子が駅の前で泣いていたので、つい連れてきちゃった」
U子さんはそういうと、その女の子を自分の横の椅子に座らせた。
「何か飲む?」と聞くと、女の子は「アイスクリーム」といった。膝の上にのせた赤い手さげカバンの中からピアノ教則本が半分飛び出していた。「おねえちゃん、ピアノ習ってるの?」女の子は大きくコックリをした。「いま何弾いてるの」
「『土人の踊り』をやってます」
U子さんは三十代の半ばで、ふだんは口数の少ない人だ。それがこの時ばかりは、その見知らぬ女の子に、しきりに話しかける。お父さんがいま出張中で甲府へいっていること、この盆休みにお母さんと弟と一緒に、新潟へ帰ることなどを、女の子は話した。
「もう雷さんも帰ったようだから帰ろうか」U子さんはそういうと、女の子の手を取って店を出た。しばらくたってU子さんが戻ってきた。
「わたし、ちょっと軽はずみだったかしら。あの子ひょっとしたら、どんな人の後でもノコノコついてくるんじゃないかしら」
ぼくの友人に、会社の社内報をやっている年長のサラリーマンがいる。彼の話。
――この間酒を飲んで、テレビの深夜放送観てたんや。昔なつかしい嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」をやってた。途中でタバコを喫おうと思って、マッチをすった。マッチの火を消そうと振ったら運悪う、先っぽの玉のところが飛び出して乱雑に積んである本の山のスキ間に入ってしもたんや。手を入れようにもスキ間は狭いし、どのスキ間に入ったのかもよう分からん。酔ってるし面倒くさいんで、まあ大丈夫やろとほっといて、テレビを観つづけてたんや。そのうち何や焦げるような匂いがしてくるような気がするんや。はっきりは分からん。だいたい鼻が利かへん。しかしなんかしら燃え出してるような気がしてきた。心配になって階下の台所へいってやかんに水を入れてきた。ほいで本のスキ間というスキ間に散水して回ったんや。おかげで下の和室の天井にしみつくってしもたわ。
駅前の商店街に、とても気になるラーメン屋がある。いつ前を通っても、シャッターが降りている。とっくに店を閉めてたのかと思ったら、この間、「八月×日から△日まで夏休みをとります」という貼り紙が出ていた。ぼくが店の前を通るとき以外は、やってるのだ。
名曲快説の本
クラシックを大衆に広めた功労者のひとりに堀内敬三氏がいる。ぼくら四十代、その上の五十代のクラシック好きは、NHKの「音楽の泉」で育てられたといってもいい。
その堀内氏の『音楽の泉』が同名で本になっているけれど(音楽之友社刊)、いまとなっては文面から氏の名調子をなつかしく思う程度の感動しか沸き上がってこない。
しかし名曲解説の名著にはちがいない。
それにひきかえ、いま出回っている名曲入門書とか曲目解説集には困ったものだ。人心を惑わすような「怪説」、ナマジ解説をしたためにかえってその曲を聴きたくなくなったぶっ壊しの「壊説」、ユウズウのきかないカチカチの「塊説」、ムズがゆくなるような独断珍説の「掻説」、ああ読むんじゃなかったと読者を後悔させる「悔説」がほとんどだ。
ぼくがこの種の解説書(と呼んでいいかどうか分からないけれど)で、ぞっこんほれ込んだのがロラン・マニュエルの『音楽のたのしみ』全三冊(吉田秀和訳・白水社)だ。
「ぶるる寒いですわ」「それではあなたを暖めてあげましょうか」「私ととっつかみ合でもするつもり?」「ロマン派の燃えるような熱気の音楽を」「私はそんなに暖めてほしくありません。暑からず、寒からずの平均した温度でけっこうです」「それではバッハの、平均律クラヴィーア曲集でどうでしょう」
という具合に本題に入っていく。対話の主役のマニュエルは作曲家、ゲストに出てくる相手もピアニストとかヴァイオリニストといった専門家がほとんど。それでいて対話が平易で、当然のごとく中身が濃い。内容も曲目のほか楽典、歴史と広範囲だ。これはアマチュアおすすめの書だと思う。
日本にもこういうシャレた本出ないかなあと思っていたら、ついに出た。
柴田南雄『おしゃべり交響曲―オーケストラの名曲一〇一』(青土社――編集注『クラシック名曲案内ベスト151』として、講談社文庫・講談社電子文庫に収録)
ぼくはいまこの本を食い入るようにして読んでいる。こんなに面白くて入門書以上の成果のある本ははじめてだ。
これは柴田氏がNHK交響楽団の定期公演用のチラシ(プログラム)のために、演奏曲目についておしゃべりをした記事(なんとモッタイナイ!)をまとめたものだ。
たとえばハイドンをモーツァルト、ベートーヴェンと比較して「古くさい古典派ハイドン」とみるより、「熟しすぎたバロック・ハイドン」の方が適切という指摘とか、シューベルトのハ長調の大交響曲をシューマンが「天国的な美しさ」といったのは、実はメHimmlische L穫geモ「天国的な長さ」が正しいという話。解説以上に「快説」だ。聞き手の人の質問も鋭い。ただし、N響好みもあって、ドイツ物に片寄り過ぎているキライもある。
このシリーズは書きおろしででも室内楽、オペラと続けて出してほしい。
そこはかとなく軽薄
ぼくはまだウィーンへ行ったことがない。
「日本はいまやクラシック音楽の大市場だから、こちらからノコノコ出かけなくたって、向こうからやってくるぜ」
そりゃそうだろうけど、クラシック・ファンなら一度は音楽の聖地へ行ってみたい。そして、モーツァルトやシューベルトが吸ったのと同じ空気を吸ってみたい。
そのうえで軽く言ってのけたい。
「ああちょっとね、ウィーンへ行ってきたよ。そう、ホイリゲ(酒場)でワインを飲んでね、シュランメルンを聴いてきたよ、ふふふ」などと、仲間にエラぶってみたい。
なんてことを思っていたら「フィルハーモニア・シュランメルン」が日本へやってきた。仕方がない、ウィーンは後回しにして、赤坂の草月ホールへ行ってくるか。地下鉄に乗って(一九八六年二月十二日)。
ここでシュランメルンとは何じゃという諸兄のためにひとこと。シュランメルという名の兄弟(ヨハンとヨーゼフ)がいました。あのワルツ王、ヨハン・シュトラウスと同時代に、この兄弟が流しの楽団をつくってウィーンの酒場で田舎音楽を演奏しておった。
そのシュランメルンの名がいつしか、ワルツとかタンゴと呼ぶのと同じように、音楽の名称になったのです(それにしても空気の抜けるような名だ)。演奏はヴァイオリン二つ、ギター、アコーディオン、クラリネットの小編成。それに、ところどころ歌が入る。
聴いていてなんだか落ち着かない。一方にウィーン・フィルがあって、片方にシュランメルンがある。こちらに気分の落差が生じて、座り心地がわるい。
「そこはかとなく軽薄」というのが、ぼくのシュランメルン音楽を聴いた印象。
とくにG管のクラリネットの音に閉口する。まるで、ニワトリが喉を締め付けられたようにケタタマシク鳴る。
「こんなもん、しらふで聴けるか」という気分がしてくる。
休憩時間にワインのサービスがあった。ぼくは二杯も飲んだ。もやもやがプッツンと切れた。後半の演奏に入って、観客の頭が揺れた。モグラがいっせいに春風にあおられて揺れているようだ。みんないい気分になって、音楽にノリはじめたのだ。「ウィーン、わが夢の街」では、みんな歌い出した。
オンチのぼくも「マイン、ヘルツ、ウント、マイン、ズィン」と歌が出ました。
隣のおばちゃんが、歯をむき出して大声で歌い出した。とたんにプッツンと何かが切れて、酔いが覚めちゃった。「ワインが足りない」と叫びながら、「そこはかとなく軽薄」に耳を傾けておりました。
コンサート料金について
ことし(一九八六年)のコンサートが面白い。ついこの間ショルティ指揮、シカゴ交響楽団やウィーン国立歌劇場を観て気分をよくしていたら、今週はもうカルロス・クライバー指揮、バイエルン国立管弦楽団の演奏会があるし、そのあとピアノのマウリツィオ・ポリーニが控えている。
ぼくの手帖には予定のコンサートがびっしりだ。ソヴィエト国立文化省交響楽団、昨年第十一回ショパン・コンクールで優勝したスタニスラフ・ブーニン。ただし、これは追加公演を含めて切符がなかなか入手できない。きっとあのピアノ娘たちが買い占めているのに違いない。十月以降は完成したばかりの注目のサントリーホールでカラヤン指揮、ベルリン・フィル。
そして、これは何がなんでも観なきゃならんのが英国ロイヤル・オペラ(コベント・ガーデン王立歌劇場)だ。プッチーニの「トゥーランドット」いいなあ。モーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」ああ。ビゼーの「カルメン」ああ、死ぬう〜〜〜〜。
と、ここでわれに返って、じっとサイフの中をみる。額にタラリとひとすじの汗。
そこでやっと本題に入るのだ。
「最近のコンサート入場料が高ーい!」
パーティー付きのコンサート、七万五千円というのは論外としても、たとえば先日のウィーン国立歌劇場。S券が三万円、A券が二万六千円、B券二万二千円、C券一万八千円、D券一万五千円、E券一万二千円、そしてF券でさえ九千円。ウィーン国立歌劇場が建物ごと引っ越してきた感のある大掛かり公演であったことを考えれば、この値段はうなずけないわけでもない、わけでもない! (つまり、うなずけない!)
それに、東京文化会館の五階の前列、真正面、まるで清水寺の舞台みたいな席、あそこでD券である。あそこは身投げするところであって、音楽を聴く場所ではない。
昔はS席といえば、一階の中ほどの区域と二階の正面だけだった。それが知らない間に、S券エリアが拡大していって、従来のB券、C券も呑み込んでいってるような気がする。だから小遣いを惜しんでB券、C券を買ってた人は、席が激減して買えやしない。
やはりS券エリア、A券エリアという厳格な区分は守って欲しいと思うのだ。S券エリアを五万円とっても十万円とってもちっとも構やしない。なにがなんでも観たい人や、おカネのある人が席を確保するのだから。
音楽を愛する人間がおカネのことでウジウジいうなという意見もあるけれど、今回のウィーン・オペラのように、主役に代役を立てたり、マズイ指揮者が振ったり、大道具が舞台で妙な組み立てをしてみたりするとウジウジいいたくもなるよ。ウジウジ。
盛り上がりの君
先日レニングラード・キーロフ・バレエ団の「検察官」を観た(一九八六年九月四日、東京文化会館)。本邦初演だそうだ。ぼくはとくにバレエ・ファンではないけれど、なぜか「招待状」なんかが送られてきたので、わるいから観にいったのだ。
キーロフ・バレエを観るのは二度目。前回(一九七九年)のときは「ジゼル」だった。このときはアダンの曲が聴きたくて行ったようなものだから、「踊り」はどうでもよかった。だから出来栄えはよく覚えていない。
バレエを観ながら、ときどきムッとすることがある。
それは男性のソロダンサーたち。なんというか密着度一〇〇パーセントのタイツをはいてくるくる回ったり、ピャッと股を開いたり。
なんというか、「どうだスゲエだろ」といっているようなのだ。何がスゲエかというと、つまりこんもりと盛り上がってるあの個所。
ヒロインのバレリーナが椿の花ビラのようなスカートをヒラヒラさせて舞っているところに、とつじょ横手からピョンピョン大股で「どうだスゲエだろ」と盛り上がりの君がバッタみたいに飛んでくる。
「なんだ、なんだよオ」という気になってくる。「どうせパッドいれてんだろ」と叫びたくなる。
男がヒロインの腰に手を回して持ち上げる。ヒロインはそれを支えにぐぐぐっとそり返り、脚の片方を上空に突き上げる。男もそれにつられて片方の手を四十五度方向に向けて力いっぱい伸ばす。盛り上がりの君が最高にムキムキになる瞬間。
歌舞伎ならここで「レニングラード屋!」と入るところだ。しかしぼくはここで「ごまかすなーっ、パッドをはずしやがれーっ」と叫びたい。
で、いったい何の話をするつもりだったんだっけ。そうそう「検察官」だったのだ。
これは借金取りに追われた若者が、ある町にやってきて「検察官」に間違われる。賄賂や背任で腐敗しきった役人どもが、いろいろと若者にいい寄ってもてなすが、最後に身分が知れて若者が町を逃げだすというゴーゴリ原作の物語だ。男社会の話なので、盛り上がりの君がいっぱい出てくる。もうホンマにムッとするのばかりだった。
これはひとつのぼくの推測だけれど、大きい奴ほどいい役もらってるね、うん。ムッ。
女性の観客は、まあ、そりゃいい気分? だろうけれど、同性はあまりにアカラサマに盛り上がりの君を誇示されると、とても傷つく。
バレリーナにもひとつ苦言。それは後ろ向きに歩いていくところ。両足を>∨に広げていくのは、とてもグロテスク、内股で<∧という風に歩けないものでしょうか。
ひばりとカラス
古今の歌手のうち、最高にうまい歌い手は誰か。シュヴァルツコップ? ブー。フィッシャーディースカウ? ブー。美空ひばり! 正解です。アハハハである。
なぜか。彼女は歌がうまいからである。
ンじゃ、シュヴァルツコップやディースカウは歌がうまくないのかというと、そうではない。彼らもうまい。しかし、彼らは大人になってから、うまくなったのだ。
ひばりは違う。子供のときから歌唱力抜群だった。特別な音楽修業をしなくても、商売になった。それだけでも、彼らから頭ひとつ分、先に抜き出ているといえる。
ひばりはメゾ・ソプラノから、アルトの音域の歌手だ。あの中音域から低音域へ、スーッと失速していく感じのところが、身震いするほど美しい。
先日、そのひばりの舞台をはじめて観た。「芸能生活四〇年・美空ひばり記念公演」(一九八六年十一月十一日夜、新宿コマ劇場)。
大へんな盛況ぶりだった。入り口のところですでに、朝の通勤電車のごとく、人々があふれていた。ロビーに入ると、肩触れあうのは、おばはんばかりだった。おみやげ店にはおっさんが殺到していた。幕の内弁当屋の前にはお姐ちゃんがダンゴになって固まっていた。もう何やらゴチャゴチャした雰囲気だった。東京文化会館やサントリーホールがいかに大衆から離反し、浮世離れした世界であるかを知る思いだった。
ホールに入ると、ダーッと坂を下るように客席が並んでいた。天井がなぜか低く見えて、重苦しい。それに、照明が薄暗くて、なんとも陰気くさい。おっさん、おばはん、姐ちゃんは、どれもこれも着ているものが地味。どこかの宗教の集会にでも来たみたい。
第一部「春秋千姫絵巻」という舞台劇のあと、第二部「'86歌声はひばりと共に」がはじまった。
舞台両脇のどでかいスピーカーから、目いっぱいのボリュームで、前奏がはじまった。中央の床から、ひばりがマイクを持ってスーッと現れた。背後に40というネオンがさんさんと瞬いていた。
「ああ、ひばりちゃん!」とぼくは心で叫んだ。近作の小椋佳の「愛燦燦」。ジーン。このあと、ぼくの大好きな「悲しき口笛」「東京キッド」などがメドレーで歌われた。
「芸能生活四〇年」に、物心ついて今日に至るまでのぼくの生涯がまるまる入る。ひばりは、ぼくの幼い想い出を一枚ずつめくっていく。
うっとりしながら考えた。もし彼女が、アカデミックな音楽教育を受けていたら、どうなっていたか。おそらくマリア・カラスくらいにはなっていただろう。
カラスになった方がよかったか、ひばりのままでよかったか。それは何ともいえない。
寝正月を決め込む
ぼくはこの歳になっても寝相がわるい。
どう寝相がわるいかというと、布団から毛むくじゃらな足が飛び出るとか、敷布団に体ごとくるまり、ノリ巻きみたいになって部屋の片隅に転がっているとかいった勇ましいものではない。縁側で日向ぼっこする猫みたいに、幸福そうに丸くなるのだ。
小グループで温泉地へ旅行したときなど、ため息が出る。同宿の男たちは元気がいい。掛け布団を蹴飛ばし、大の字になって寝る。ゆかたがガバリとはだけて、股間がのぞく。
「どうだい、俺の盛り上がりの君はスゲエだろ」
別の男は、横向きのグリコ・マークみたいに両手を上げ、片足を屈折している。部長の椅子を目ざして、真っしぐらに突進している夢をみているのだろう。これだけでも十分に勇ましいのに、ファンファーレのような大いびきが加わってけたたましい。
それにひきかえ、ぼくは静かなもんだ。
背筋を海老のように曲げる。両手は胸のところに持ってきて、こぶしを握る。足は腹のあたりで膝を折る。そしてスヤスヤ。
「あなたって、赤ちゃんみたいね」
遠い昔の女がいった。
ハタ目からは、この寝相がとても幸福そうに見えるらしい。
しかし、実際はちがう。本当のココロはこうなのだ。
ぼくの小さいころは、家がビンボーだった。七人兄弟はいつもおなかを空かしていた。
一つ布団に一人が寝るなんてことは一度もなかった。だから、ぼくはずっと兄貴と寝た。小学生のときから、ハタチになるまでずっと二人で寝た。
一つ布団から、お互いにはみ出ないようにするには横向きに寝るしかない。仰向けに寝ると、手足が相手の体に重なったり、布団のワキからはみ出たりする。どちらかが右向きに横臥すると、もう一方もそれに合わせて右を向く。左なら左横臥。こうして体勢を合わせないと、布団の中に空気の溜まり場ができて、寒い。
小学生のころは、まだそれでもよかったが、二人ともニキビ期を迎えると、この連体形はツライ。二人とも夜な夜なヘンな異臭を放ってクサイ。思春期の屁もとびきりクサイ。これにガマンできず、ぼくは家を飛び出し、上京してきたようなもんだ。
そういうわけで、ぼくが丸くなって寝るのは、ビンボー因子がいまだに体の隅々までインプットされているからなのだ。
なんでこんな話になったんだ。
本当は寝正月を決め込む話を書くつもりだったんだけど。
初クラシック
元日の朝、クラシック・ファンにとってとても大事な儀式があります。それは「初クラシック」は何を聴くかということであります。この方面の音楽に興味のないお方は、何を大仰なことをホザくかとおっしゃるかもしれないけれど、ほんとに大変なんです、クラシック・ファンでありつづけることは。
新年の聴き初めを、少しでもトチったら最後、この一年はロクな年にならないのです。少々オーバーな表現を借りていえば、「初クラシック」の一曲いかんで今年の運勢が吉ともなり凶ともなるのであります。
例えばオトトシなどさんざんな年でありました。正月にベートーヴェンの「第九」を聴きました。フルトヴェングラー指揮、バイロイト祝祭管弦楽団、同合唱団による音のわるいモノラルをかけたのであります。何故正月に「第九」を? 自分でもよく分かりません。毎年くりひろげられる年末の「第九」祭りに、反発したのかもしれません。
そういう私憤が、ぼくの厳粛な新年の儀式を狂わせてしまったのです。
運勢は凶と出ました。飲み仲間の韓国人の作家、金鶴泳さんが正月早々に自殺されました。とてもショックでした。
三月、ぼくの大好きだった、ユージン・オーマンディ氏が亡くなりました。
六月、文春の取材の日の朝、とつぜん不整脈を起こしました。大したことありませんでしたが、一時は死ぬかと思いました。
十月、大阪の姉が、ひったくりに遭いました。ン十万円の指輪とン十万円の現金の入ったバッグを強奪されました。
十二月、義弟の母親が交通事故に遭遇、現在に至っても意識が戻らず、植物人間で入院中。そしてぼくは、大みそかの深夜、過労がたたって大風邪をひき、そのまま新年を迎える。
ざっとこの通り。だから、どうしてでも「初クラシック」の儀式は成功裡に執り行わないと、アトが怖いのです。
それで今年(一九八七年)の「初クラシック」の一枚であります。元日の朝、目覚めたときにベッドの中で考えました。頭の中は、レコード、CD、カセットの膨大な数のコレクションが、まるで全自動洗濯機みたいにぐるぐる回転しています。
その回転した頭のまんま、ぼくはパジャマ姿で仕事場兼リスニングルームに飛び込みます。そしてレコード棚から、「イエーッ」と奇声を発して一枚抜き取ります。
長沢勝俊の組曲「人形風土記」・日本音楽集団。
これでした。ぼくのことしの「初クラシック」は。
マニアのいろいろ
モーツァルト・マニアの巻。
年がら年じゅうモーツァルト、モーツァルトとつぶやきながら、モーツァルトの音楽ばかり聴いているオジさんがいた。
ある日、オジさんが街を歩いていたら、「モーツァルト・サービス」という看板のある喫茶店が、目に止まった。オジさんすっかり喜んで、お店に飛び込んだ。コーヒーを注文しながら、そのモーツァルト・サービスを待った。しばらくしてトーストとゆで卵がきた。オジさん、それを頂きながら、モーツァルト・サービスをひたすら待った。いつまで待ってもサービスらしき気配がない。オジさん、しびれを切らして店員に聞いた。
「モーツァルト・サービス? そんなものやっておりません」
オジさん、ガラスごしに外の看板を指さした。
「あれはモーニング・サービスと書いてあるんですよ」
ストラヴィンスキー・マニアの巻。
ストラヴィンスキーの「ハルサイ(春の祭典)」に魅せられた男がいた。彼はカラヤンのレコードをかけて、指揮のマネをした。何度も何度もふった。変拍子も、間違いなくこぶしで虚空を打てるようになった。彼は友を呼び、酒をふるまいながら自分の美技を披露してみせた。
「大したもんやなあ」
男は有頂天になった。ある日、街の公民館に巡回オーケストラがやって来た。しかも「ハルサイ」をやるという。男はタキシードに身を固めて行った。客席の一番前の席に陣取った。客はまばらであった。指揮者が観客にお尻を向けて振り始めた。男も指揮者の後ろから振り始めた。楽員ははじめこそ眉をひそめていたが、そのうち全員が正指揮者を無視して客席の指揮者に合わせるようになった。大変な名演になった。「ブラボー」と観客が総立ちになった。舞台の上の指揮者が振り返った。カラヤンだった。
「キミと契約しよう」。そこで男は目が覚めた。
「月光の曲」マニアの巻。
青年は旋盤工だった。彼はピアノの上手な女子高生に恋をした。あるとき、彼女の部屋からベートーヴェンの「月光の曲」が流れてきた。青年の脳天に閃光が走った。自分でも弾きたいと思った。彼は貯金をはたきピアノを買った。毎日毎日独学で「月光」を練習した。そして完璧なまでにマスターした。彼は彼女に、あした自分の弾く「月光」を聴いてくれるように頼んだ。彼女は承諾してくれた。
だが、その夜、油にまみれた旋盤が青白くなった青年の小指を切断してしまった。
父が死んだ日
父が死んで四年になる。
歌と酒が無類に好きな平凡な父であった。その父が持病の高血圧症をものともせず、大酒を飲みつづけ、何度か脳溢血をくり返しながら、とうとう廃人になって死んだ。
父は、晩酌のとき決まって沖縄民謡を歌った。ギター三味線を弾きながら歌った(家には三味線がないので、兄貴のギターの、上三弦を調弦して使った)。興がのると、七人兄弟のぼくらを火ばちの前に集めて、自分の歌がどれほどうまいかをチクイチ説明した。フレージングの変わりめのヒョイと裏声になるところが、どれほど名人芸であるかを教えた。
「わしが若い頃、家で歌い出すとナ、おまわりが、交通の妨害になるから歌を止めろ、といってやってくる。わしの歌を聴こうとして、家の前に人だかりがするので通行人のじゃまになるというのや」といった自慢話を何回聞かされたことか。
しかしこの自慢話も、親父のホラとばかりはいえない。五、六年前にはじめて父の郷里の沖縄、宮古島にいった。そして行く先ざきの酒宴の席で、叔父や遠縁の人たちの歌う沖縄民謡をいやというほど聴かされた。ここで父の歌唱力が群を抜いていたことをはじめて知ったのだ。那覇空港のおみやげ店で買った沖縄民謡のカセットテープなど、まるで人間味のないショー化された歌で父の足元にも及ばなかった。
そんな父に、好きなクラシックが一曲あった。シューベルトのピアノ五重奏曲「ます」である。どうしてこの「ます」が好きになったのか分からない。おそらくぼくが毎日のように家でボリュームいっぱいレコードをかけるものだから、知らず知らずのうちに、父の耳になじんだのかもしれない。
父が脳溢血で倒れたとき、東京から、「ます」のカセットテープを持って見舞った。ベッドの枕もとのラジカセでこの曲をかけてやったら、うれしそうに聴いていた。
その父も入退院をくり返しているうちに、ボケがどんどん進んでいった。話の脈絡もなく、ただでかい声で「ありがとーッ」とばかりいっていた。父が危篤ときいて、大阪の病院へかけつけたとき、ブラウン管に心臓の弱々しい波形が写し出されていた。ただ脳波のほうはのっぺりした一直線で、ところどころで小さなトゲのような山を示すのみだった。
一月二十七日早朝、目をシバつかせながら若い医師が看護婦と一緒に病室に飛び込んできた。心電図が妙な動きをしていた。
医師がつま先立って、手に全体重をかけ、父の胸をぎゅうぎゅう押さえつけた。肋骨とベッドが悲鳴のようにきしんだ。やがて心臓の波形がまっすぐな線になった。
「ご臨終です」
一月二十七日、モーツァルトの生まれた日に父は死んだ。
カーテン・コール
演奏会が終わりますと、儀礼的なものも含めて大拍手が沸き上がります。さいきんのコンサートは西洋並みになって「ブラボー」なんて声も飛び交います。中には「ブーッ」などと否定的意思表示する勇敢な観客もいます。
けれど日本のこういった拍手は、名演を聴かせてくれた奏者に対する感謝の気持ちの表現というよりも、何かちがった意思があるような気がします。
そうなのです。「アンコールをせよ」という要求が含まれているのです。「お前の演奏はそれなりに良かった。だからオマケにもう一曲何でもいいから弾け」という要求です。
ぼくの趣味から言わせてもらえれば、ぼくはこの「アンコール」は、余計なサービスだと思います。名演であればあるほど、もう結構という気がします。演奏者も聴衆もくたくたに疲れているのです。それをさらにもう一曲聴かされるというのは、肉体労働です。
日本の聴衆は頭に血がのぼると群れをなして直情に走りやすいようです。止どまるところを知らないのです。
「仕様がないなあ、オレ疲れてんだけど、そんなにいうんなら、一曲だけだよ」などと温情で弾いたら最後、一回が二回、二回が三回と絶対に離してくれません。
この間のときのポリーニは、七回もアンコールを弾かされておりました。ぼくは舞台にかけ上がって、「もうよせよ」といいたくなりました。
まあそういうわけで、アンコールはあんまりせがまない方がいいと思います。先方(演奏者側)が「あっ、ちょっと待ってお客さん、まだ帰らないで。おれ弾き足りなかったから、もう二、三曲弾かしてちょうだい」といってきたのなら別ですけどね。
本書は一九八五年の正月から『週刊朝日』に連載していたものです。以前は岩城宏之さんが「棒ふり旅がらす」を長期間執筆されていたページです。
ぼくは岩城さんの「棒ふり」の大ファンで、毎週欠かさず読んでおりました。現場の指揮者の奮闘や哀歓が、何ともいえない人間味をただよわせて大好きでした。そのページの後がまに、ぼくのような素人が書くなんてことは夢にも思いませんでした。
「こんどは音楽好きの一アマチュアの気概みたいなものを自由に書いてくれればいいんですよ」と編集者のお言葉でした。とはいうものの、仲間うちで、カラヤンはヤボだよ、クライバーは偏執狂だよ、などと酒を飲みながらしゃべるのとはちがいます。未知の何十万人という読者を相手に書くのですから、これは緊張します。
「カラヤンのどこがヤボなんだよ」「クライバーのどこが偏執狂なんだよ」と見知らぬ通人から鋭い刃が飛んできそうな気がします。しかし、そんなことを気にしていたら、何も書けません。アマチュアの特権は「物おじせずにいい切る」ことにあると思っています。
アンコール
素人は、小難しい理屈は無縁なのです。中には理屈を吐くのがいますがそういうのは、若葉マークの初心者です。
プロと素人間には歴然とした違いがあります。
同業者ゆえに内情が分かり過ぎて攻めにくい。やたら放言したり書いたりして、その人に恨まれたり敵をつくってしまったりしますと、自分の職業上の危機が生じかねないからです。
だから音楽評論家はやたら抽象的言語を使ったり、一部をケナすと同時に、別の個所をホメたりといった手法で、結局読者には何のことやら不明ということになってしまうのです。これが彼らの職業上の保身術なのです。
その点、ぼくらアマチュアは言いたい放題です。専門家サイドから「何をアマッチョロイことを書いとるか」と一笑されることは、逆にぼくらにとってありがたいことなのです。この一笑こそが「歯に衣着せず」に言う証明なのです。
そういうわけで、今度、この本が文庫に入ったことでもありますし、気楽にお付き合い願えれば、幸いです。
アンコール
単行本は朝日新聞社 一九八六年刊
講談社文庫版 一九九一年五月刊