[#表紙(img/表紙.jpg)]
死んだらどうなるの?
玄侑宗久
目 次
はじめに
怖《こわ》かった死のこと
意識不明を体験して
第一章 死とはなにか?
死の定義
どの時点が死なのか
「いろは歌」の死の世界
死ぬとどこへ行く
埋葬法《まいそうほう》のこと
自然への回帰
人生の最終形
脳の変化と人生のピーク
第二章 「あの世」って、どういうところ?
「あの世」という呼び方
さまざまな「あの世」
お盆《ぼん》とお月さま
かぐや姫《ひめ》からアポロへ
他界としての山
海のかなたに還《かえ》る
日本的「あの世」の特徴《とくちよう》
仏教的「あの世」の出現
極楽という異世界
「あの世」の入り口
臨死体験が示すもの
地獄《じごく》と極楽
目には見えない世界
暗在系《あんざいけい》とお悟《さと》り
形からエネルギーへ
本当のすがたの不思議
瞑想《めいそう》と「あの世」
第三章 魂《たましい》って、あるのかな?
知性と科学の限界
全体性と私
東西の世界観
「空《くう》」について
「できごと」としての魂
さまざまな輪廻《りんね》
魂と霊《れい》の違《ちが》い
心と意識と霊と魂
脳のクセを超《こ》える瞑想
第四章 あらためて、死とは何か
プチまとめ
論理の限界
死も相対的?
日常のなかの生死
生まれ直し
根源的な意識の連続体
本当は死んでない?
胡蝶《こちよう》の夢
散るもみぢ
おわりに
確かめないでね
[#改ページ]
――――――――――――――――――――――――――――
はじめに
――――――――――――――――――――――――――――
怖《こわ》かった死のこと[#「怖《こわ》かった死のこと」はゴシック体]
私は小学校二年くらいのとき、毎晩のように「自分が死ぬこと」を想《おも》って泣いていたことがある。
なんだか情けないような話だが、本当なのだから仕方がない。
どんなふうに想ったのかというと、それが死そのものなのか、死後のイメージなのかはっきりしない。
お寺生まれのせいか、人は死ぬと火葬《かそう》か土葬になるものだと知ってはいた。だからその両方のイメージが浮《う》かぶのだが、棺《ひつぎ》の外側から燃えだし、火がだんだん自分に迫《せま》ってくる。あるいは土葬で埋《う》められた自分の遺体から虫が湧《わ》き、外からもアリとかオケラとかミミズなんかがやってくる。また土中の枯葉《かれは》とおなじようにからだが腐《くさ》ってくる。そんなイメージだ。
はっきりしないというのは、浮かんでくる映像は明らかに死後の状況《じようきよう》なのに、そこには自分の意識がはっきりと残っているのである。
毎晩泣いては、私は両親や姉、そして担任の先生にも訊《き》いてみた。
「ぼくも、やっぱりいつか死ぬの?」
それぞれの度合いでためらったあとで、誰《だれ》もが「そうだ」と答えた。
「じゃあ、死んだらどうなるの?」
しかし、つづく私の切実なその質問には、誰からも納得《なつとく》のできる答えはもらえなかった。僧侶《そうりよ》である父からも、である。
考えてみれば、今の意識が死んでも残っていると思っているのだから、答えるほうも厄介《やつかい》だっただろう。
しかし死が怖いというのは、誰にとってもそういうことかもしれない。今の意識のままで怖がっているのだ。
後年、お釈迦《しやか》さまが出家されたきっかけも、じつは「四門出遊《しもんしゆつゆう》」ということで、お城の東南西の門の外に、それぞれ老人、病人、死者の葬列を、連続して見てしまったことだと知った。人は誰でも老いて病《や》み、そしていつかは死ぬ。そのことに、若き太子だったお釈迦さまはひどくショックを受けたのだ。やがてふらふらと北門まで歩いてきたお釈迦さまはそこで沙門《しやもん》(出家者)の堂々たる姿を見る。その姿に自分の進むべき道を見出《みいだ》したというできすぎみたいな話だが、なにがしかの真実を伝えてはいるだろう。
むろんその話を知ったからといって、私がすぐに坊《ぼう》さんになりたいと思ったわけではない。学校でのあだ名も「坊主《ぼうず》」だったし、むしろ坊主になんかなりたくなかった。それにお寺は家でもあったから、「出家」といっても複雑なのだ。
しかし私がその後も泣き続けたかというと、そうではない。子供だって、そんなにヒマじゃない。ソフトボールだってあるし、釘刺《くぎさ》しだってチャンバラだってある。メンコの勝負だって必死だったから、いつのまにか死についても考《かんが》え込《こ》まなくなっていたのである。
悩《なや》みや苦しみというのは、案外そんなふうに状況が変わることで気にならなくなることがある。それを「時が解決する」なんて言ったりもする。
意識不明を体験して[#「意識不明を体験して」はゴシック体]
しかし死に関しては、ほかの悩みや苦しみと違《ちが》って、時が根本的に解決するということは起こらなかった。
むしろ思春期や青年期には、たびたび甦《よみがえ》ってきて私を悩ませた。だからこそさまざまな新興宗教にも通ったのである。
今は四十八|歳《さい》だから、中年かもしれないが、それでも死について明確な答えをもっているわけではない。
しかし、当然小学校二年のころとは考え方も違ってきた。深まってきたと思う。今の意識のまま死ぬとは思っていないし、死のイメージはむしろどんどん膨《ふく》らんできたといえるだろう。
大きな転機は中学三年のときだった。
夏休みまえのある暑い日、私は友達と隣町《となりまち》に遊びに行こうとして急にお寺の山門のあたりで歩けなくなり、病院に担《かつ》ぎ込《こ》まれた。
診断《しんだん》は日本|脳炎《のうえん》。コガタアカイエカという蚊《か》がウィルスに感染した牛や豚《ぶた》などを刺《さ》してから人間を刺すとかかる病気だが、私の場合は近くにそんな大きな動物はいなかったから、うさぎとか犬猫《いぬねこ》などの小動物ではないかと言われた。それが幸いしたのか、昏睡《こんすい》四日ほどで意識が戻《もど》った。しかし私はそのとき、四十一、二度の高熱にうなされただけでなく、じつに奇妙《きみよう》な体験をしたのだと思う。
四十日ちかくも副腎皮質《ふくじんひしつ》ホルモン(ステロイド)を投与《とうよ》されながら病室で感じていたのは、まずなにより、あのまま死んでいたとしてもまったく苦しくはなかっただろうということだ。だいたい倒《たお》れる直前までのことしか覚えてはいないのだから、その後どうなろうと、私には知りようがなかったはずである。
そしてまた、私の通常の意識がなくなってからの時間がまったく無ではなかったということもある。
うなされるだけでなく、私は意識不明のあいだに奇妙《きみよう》な行動をたくさんしていたようだ。「電話がきた」と言ってきかず、とうとう枕元《まくらもと》に電話を運んでもらったり、あるいは看護婦さんにでも誰にでも、誰か特定の人物に対するように話しかけたらしい。
むろんそのことを、私は両親や看護婦さんから聞かされて知っているだけで、じかに記憶《きおく》していたわけではない。しかしこの体験以後、私の死に対する考え方には大きな変化が生まれた。
一つは、死の瞬間《しゆんかん》みたいなときがあるとすれば、それはどうやら本人にとって怖かったり苦しかったりするものではなさそうだ、ということ。つまり今の意識がそのまま死の瞬間まで続くのではない、という確信といってもいいだろう。
もう一つは、私の現在の意識が知らない世界が存在する可能性は、否定するわけにはいかない、ということである。のちに私は「変性意識」という言葉を知ることになるが、その具体的な体験を、私は意識不明といわれる状態のなかで体験していたのだと思う。
記憶には残っていないが、そのときの私は、明らかに喋《しやべ》ったり動いたりしており、それも自分の一部として認めなくてはならないだろうと思った。
その後、私は自殺願望をもったことがある。
いや、むしろ、そんな状況のときに日本脳炎の体験を思い返し、以上のような結論を導くことで思いとどまったのかもしれなかった。
私は道場での修行《しゆぎよう》を終え、現在は実家の寺で副住職をしている。
道場での極限の体験も、またお寺の現場での体験も、私の死についての考え、あるいは意識の変成についての考察を深めてくれたと思う。今|憶《おも》いだそうとしただけで、私には無数といっていいくらい大勢の死者の顔、そして彼《かれ》らが元気だったころの顔が浮かぶ。
「死んだらどうなるの?」
今ようやく、私は小学二年だった自分の質問に答えてみたいと思う。
それが読者の皆《みな》さんの人生を、少しでも豊かにすることにつながれば嬉《うれ》しい。
[#改ページ]
――――――――――――――――――――――――――――
第一章 死とはなにか?
――――――――――――――――――――――――――――
死の定義[#「死の定義」はゴシック体]
つい最近、日本での死の定義が変わったことはご存じだろう。
以前は心臓死といわれ、死の三兆候と呼ばれる三つの証拠《しようこ》を確認《かくにん》して死を認定していた。三つの証拠とは、心拍《しんぱく》の停止、呼吸の停止、そして瞳孔《どうこう》の散大である。
しかし今度の新しい死の定義は、「脳死」と呼ばれる。簡単に言えば、人工呼吸器によって呼吸し、心臓が動いていても、全身を統御《とうぎよ》する脳の機能がもう駄目《だめ》だろうと認定されれば、死んだとみなせる、ということだ。
いや、こう書くと、なんだかあまりに乱暴に聞こえるかもしれない。ちょっと補おう。
つまり心臓死だって、それは「みなされた死」であったことに変わりはない。現在の死の定義とは、あくまでも社会的な出来事としてポイントを決めるために定義されているということだ。
私としては、個人の死はやはり一つのグラデーション、というか、プロセスの全体だと思っているから、「ご臨終」というポイントをどこかに決めることじたいが社会的なことに思える。
しかしそうはいっても、いつが死かはっきりしないというのも困りものだろう。「だいたい半分くらい死んできました」なんて言われたら、周囲の人々も会社に行っていいものかどうか、判断に苦しむ。だから、ポイントをどこかに決めたいという気持ちも、社会人の一人としてはうなずけるのである。
では心臓死と脳死ではどう違《ちが》うのか、ということになるが、これは脳死のほうが社会的な動きが速くなる。
なにしろその時点なら移植して使える臓器がたくさんある。腎臓《じんぞう》も肝臓《かんぞう》も心臓も、とにかく新鮮《しんせん》だから使いやすい。今はドナー(提供者)として登録しておけば、コーディネイター(仲介者《ちゆうかいしや》)を通じて欲《ほ》しがっている人に再利用してもらう道が開けているのだ。
脳死という定義が必ずしも臓器移植のためのものではない、という理屈《りくつ》も聞くが、死のポイントを前倒《まえだお》しにしたい理由はそれ以外にはないと思う。
しかし死が社会的な出来事である、ということは、じつはその臓器移植にも思わぬ影《かげ》を落としている。つまり、ドナー登録をしていた本人が亡《な》くなっても、臓器が提供されない場合があるのである。なぜかというと、死は本人だけの問題ではなく、まして死体になってしまえば「本人」と呼ばれていた意識が表面的にはないわけだから、その遺体もすでに本人のものではない。だからその死を共有する周囲の人々の意見も大事、ということになるのである。
どの時点が死なのか[#「どの時点が死なのか」はゴシック体]
臓器移植の話題のついでに、もう少し外側から見た死にまつわることを考えておこう。
これまでは、人が死ぬのは「寿命《じゆみよう》」と考えられてきた。たとえ病気でも事故でも、あるいは大地震《だいじしん》で死んだとしても、最終的には「寿命」という考え方でその人の人生が終わったことを容認してきた。それは人体を、あくまでも手の加えようがない総合的なシステムと見ていたからだろう。これは東洋医学の考え方といえる。
しかし人体という総合システムを、各部品の集合体と見る見方が西洋から入った結果、死というのはどこかの部品が悪くなったのにそれを取《と》り替《か》えることができないために起こる、という見方が可能になった。
そういわれてみれば、ほかはまだ大丈夫《だいじようぶ》なのに、腸のせいで、あるいは肝臓のせいで、人は死ぬと考えられているのではないだろうか。まるで一人の悪ガキのせいでクラス全員が罰《ばつ》を受ける連座制みたいなものだ。ちなみに人間の臓器でいちばん寿命が短いのは歯で五十年、いちばん長いのは肝臓で、理想的な状況《じようきよう》で単独に生かせば四百年、という学者さんもいる。肝臓のせいで死ぬとしたら、それはよほどコキ使ったということだろう。
いずれにせよ、死が特定の臓器のせいで起こるなら、それを交換《こうかん》しよう、というのが臓器移植である。イギリスでドリーちゃんというクローン羊を誕生させた技術は、やがて人間に移植すべき臓器を自前《じまえ》で作ろうという動きとして現実化していくだろう。
臓器移植問題が表面化した当初、仏教界はさまざまな意見で揺《ゆ》れた。臓器をあげる立場から「布施《ふせ》」すべきだという意見もあれば、「ほしい」という立場を批判する考え方もあった。みな仏典などにその根拠《こんきよ》を求めようとしたのだが、そんな問題をお釈迦《しやか》さまが想定していたはずもない。言ってみれば、まったく生命観が違うのである。問題は、そういう異質な生命観を認めるかどうか、ということだったのだと思う。
ここでその問題を広範《こうはん》につづるのはやめておこう。
ただ申し上げておきたいのは、臓器移植が可能になった背景にあるのは自己と非自己を判別する免疫《めんえき》に関する研究の進歩であり、つまり免疫という機能が人間にとってそれほど大事なものだと認識しているにもかかわらず、脳死の人々においてその免疫能力はまだ生きているという事実である。
また脳死をヒトの死とする考え方は、あまりに脳を偏重《へんちよう》しているのではないか、という意見も紹介《しようかい》しておこう。
一九八八年に、当時のアメリカでも最も進歩的な心肺同時移植手術をうけたクレア・シルビアは、その十年後に『記憶《きおく》する心臓』という手記を出版した。それによれば、手術後の彼女《かのじよ》の心は、ドナーとなった若い男性の心に入れ替わってしまったというのだ。
文学の世界では夢野久作が、『ドグラ・マグラ』という作品で「細胞《さいぼう》記憶」という考え方を提出しているが、じつは解剖《かいぼう》学者の三木成夫《みきしげお》氏も『胎児《たいじ》の世界』(中公新書)という奇妙《きみよう》な本で、宇宙的「内臓記憶」という説を大まじめに論じている。この本はそれだけにとどまらない面白《おもしろ》い本だが、ともあれゲーテも「心は心臓にあり、精神は脳にある」と言った。もしも三木氏やゲーテの考えたように、心臓などの内臓に心があるとすれば、臓器移植はとんでもない行為《こうい》ということになる。そういう観点からの注意も、臓器移植には必要になるだろう。
脳を特別に重視するのが現代科学かもしれないが、その方向で精緻《せいち》な研究を続けているのが茂木健一郎《もぎけんいちろう》氏かもしれない。「意識」がいかに脳で発生するのか、そのプロセス分析《ぶんせき》はじつに見事だが、残念ながら現在のところ、「現代の脳科学者は、物質である脳からいかに心が生まれるのか、その第一原理を理解していない」(『脳内現象』NHKブックス)と告白している。
そういう意味では、脳死が死だというほど脳を偏重するのは、一種の信仰《しんこう》にちかい。じつは心の在《あ》りかもわかってはいないのが現状なのである。
私としては、今は我々の全身を、すべて「かけがえのない」機能の総合的なシステムと思っておきたい。それはつまり、現在知られている各臓器の機能だけでなく、もっと有機的で理解しにくい相互《そうご》交流があるのではないか、ということだ。
死とは、対外的なコミュニケーションの終わりであると同時に、そうした内部の臓器間のコミュニケーションが絶えることでもある。
どの時点で「死」と呼ぶかは、今のところ極《きわ》めて社会的、ないし政治的な事柄《ことがら》に思えるのである。
「いろは歌」の死の世界[#「「いろは歌」の死の世界」はゴシック体]
これまで主に述べてきたのは、言ってみれば「こちら側」から見た死のことだ。つまり生きている人間が、どの時点で死とするかと勝手に議論しているのだ。
しかし死には、もう一つ、本人にとっての死というものが存在する。
養老孟司《ようろうたけし》氏はその著『死の壁《かべ》』で、一人称《いちにんしよう》の死なんて存在しないとおっしゃるが、しかしそこでうなずいてしまっては宗教者としては怠慢《たいまん》のような気がする。
チベットの『死者の書』などは、いわば死の予習のための本である。
浄土教《じようどきよう》でも、死の瞬間《しゆんかん》の心持ちによってその後の成り行きが違うと考えている。「安らかな死を望むならば、自らの心に、生き方のなかに安らぎをつちかっておかなければならない」とは、ダライ・ラマ十四世の言葉である。
まあそんなふうに言われたら、本当に修行《しゆぎよう》という雰囲気《ふんいき》になってくるが、ともあれここでは、こちら側からの死以外に、死にゆく本人にとっての死もあるかもしれない、という例を示してみたい。
むろん私自身は死んだことがないから、そういう文章を紹介しようというのだが、じつは最適なテキストがある。
[#ここから2字下げ]
色は匂《にほ》へと散りぬるを 我《わ》か世たれそ常ならむ
有為《うゐ》の奥山《おくやま》けふ越《こ》えて 浅き夢見し酔《ゑ》ひもせす
[#ここで字下げ終わり]
ご存じ「いろは歌」、濁点《だくてん》はおぎなって読んでほしいが、これはじつは「夜叉説半偈《やしやせつはんげ》」というお経《きよう》を翻訳《ほんやく》したものだ。ややこしいから原典は書かないが、四言絶句《しごんぜつく》という極めて古い形式の短い漢文のお経で、テーマは死そのもの。お釈迦さまが前世で雪山童子《せつせんどうじ》と呼ばれていたころ、夜叉が口ずさんでいた歌の翻訳なのだ。
前半はこちら側から見た死。花の色が衰《おとろ》えていつしか散るように、あんなに元気だった人もやがて死ぬ。そのことを、じつに綺麗《きれい》に表現している。
そして後半がじつは本人にとっての死の描写《びようしや》なのである。
「有為《うゐ》の奥山」などという表現は原文にはない。これは「無為自然」という「ありのまま」の生き方を理想と考えたうえで、現実にはそんなことは無理で、人は自分勝手な価値観を正しいと信じ、その有為なる道を山に登るように進んでいくのだ、という考え方が示されている。
そしてその有為の奥山を今日越えた、というのだから、つまり今日死んだということだ。しかも死んだ直後の、あるいは死につつある過程での、本人の気持ちが次に述べられているのである。
死んでみると、なんだか全《すべ》てがはっきりすっきり見える。そこから振《ふ》り返《かえ》ってこれまでの人生を見ると、まるで浅い夢、あるいは酔《よ》っぱらっていたとさえ思える。だからこれからは、「浅い夢は見るまい、酔っぱらいもするまい」と宣言されているのである。
昔の日本では「あいうえお」ではなく、小学校に入るとこの「いろはにほへと」で文字を習ってきた。小学一年生にその内容はむずかしすぎて教えられないが、日本人の心の奥底にはこの歌が沁《し》みこんでいるのではないだろうか。
これは空海が訳したともいわれるが、異論もある。しかしいずれにしても、これが日本人の伝統的な死に対する見方だと思う。前半で「諸行無常《しよぎようむじよう》」を悲しみながらも、一方で本人にとっての死はマンザラでもなく描《えが》かれている。もしかすると有為の奥山の向こうには、ようやく到達する「無為自然」の世界が想定されているのかもしれない。
死ぬとどこへ行く[#「死ぬとどこへ行く」はゴシック体]
無為自然といえば『老子』の考え方だが、死ねばそのからだが自然に還《かえ》る、というのは今やどう考えても間違いなさそうだ。
仏教では「死」を四大分離《しだいぶんり》という。もともと我々のからだは地・水・火・風という四つの要素が「縁《えん》」によって集まったものだというわけだが、その四大が「縁がほどけて」分離するのが死なのだ。
ちなみに地大が骨や爪《つめ》などの硬《かた》さ、水大は血液・リンパ液などの流動性、火大は我々の体温という温かさ、風大は手足や心臓などを動かす力である。
そうした四つの働きがほどけて分離し、宇宙そのものの流動性である「空《くう》」に還っていく。それが仏教的な死だが、この還っていく「空」というのをここでは「自然」に置《お》き換《か》えることも可能だろう。少なくともからだは、まちがいなく自然に還るのである。
このことは、土葬《どそう》でも火葬でも変わらない。土の中で微生物《びせいぶつ》に分解されようと、火に燃えることで酸素と化合しようと、我々のからだを構成していた分子は変化するにしても原子は変化しない。
このからだは窒素《ちつそ》・炭素・酸素・水素・イオウ・リンが九十八%を占《し》める。むろんそのほかにも無数の微量元素があるわけだが、それらは燃えても空気中に広がるだけ。酸素と化合するにしても、依然《いぜん》としてすべての元素たちはこの地球上からなくなってはいない。
江戸《えど》時代の良寛和尚《りようかんおしよう》はこのことを、じつに美しい歌で示した。
[#ここから2字下げ]
形見とて何か残さん春は花夏ほととぎす秋はもみぢ葉
[#ここで字下げ終わり]
つまり自然のなかに広がった我々のからだのエレメントは、しばらくするとまた新しい命の材料として使われていくだろう。春の花にも、夏山で啼《な》くほととぎすにも、あるいは秋に綺麗に紅葉する葉っぱのなかにだって、私は居るぞ。それ以外にとりたてて形見を残すこともあるまい。そう、良寛さんはおっしゃるのである。
つまり死というのも、純粋《じゆんすい》にからだという物質におきる現象と思えば、諸行無常という循環《じゆんかん》の一部。たとえば川の水が海に流れ込み、空に蒸発し、雲になって移動し、それがやがて雨になって山を潤《うるお》し、いずれ川の流れにまた入り込んでくるのと似たようなものじゃないか、ということだ。
埋葬法《まいそうほう》のこと[#「埋葬法《まいそうほう》のこと」はゴシック体]
不用意に火葬と土葬のことを述べてきたが、ここで少し埋葬法について説明しておこう。
日本では、今や九十五%以上が火葬。「まだ土葬?」などという言い方がまかり通っているが、埋葬法は本来は宗教によって規定される事柄《ことがら》である。だから多宗教が共存している国で、九十五%以上が火葬なんていう異様な国はほかにない。
たとえば神道《しんとう》では、イザナギが死んだ妻のイザナミを暗い黄泉《よみ》の国まで追いかけていくけれど、あのイメージからも明らかなように黄泉とは土の中。だから土葬が原則である。イスラム教もキリスト教も儒教《じゆきよう》も原則は土葬、カソリックは一九六三年に火葬を容認したが、基本的にはイスラム教もキリスト教も復活の日にみな自分のからだで甦《よみがえ》ることになっているから、からだはそのまま保存すべきだと考える。また儒教では、魂魄《こんぱく》という二種類の「たましい」を想定し、「云《うん》(雲)」のように天に昇《のぼ》るもの以外に、「魄《はく》」という「白」い骨に残る「たましい」も考える。だからやはりからだが保存される。
埋葬法は、つまり次章で述べる来世観に大きく左右されるということだ。
世界でも、火葬という埋葬手段をとるのはヒンドゥー教と仏教、そして共産圏《きようさんけん》だけだろう。共産圏の場合に火葬を採用したのは、唯物論《ゆいぶつろん》的世界観により死体は単なる物質とみなされるからだ。マルクス主義以外のいかなる宗教も来世観も認めないのである。しかしヒンドゥー教や仏教の場合は違う。あとで詳《くわ》しく述べるが、「輪廻転生《りんねてんしよう》」という考え方があり、これまで使ったからだを抜《ぬ》け出《だ》した「たましい」は、しばらくの暫定《ざんてい》期間(中陰《ちゆういん》、中有《ちゆうう》、バルドゥ)ののちに次のからだを得ると考えられている。だから遺体は単なる抜《ぬ》け殻《がら》と考えられるから、焼いても一向に差しつかえないのである。
その理屈でいけば、骨も単なる燃えカスに過ぎないので、川に流したり山に捨てたりしていい。ヒンドゥー諸国や、お釈迦さま当時の仏教をそのまま守っている上座部《じようざぶ》仏教圏には、だからお墓というものがない(お釈迦さまのお墓は例外)。
日本では燃え残った骨を大事にまた埋葬するが、これは考えようでは、火葬骨をさらに土葬していると見ることも可能だろう。骨もだいじにする儒教など、中国思想の影響《えいきよう》も大きいのだと思う。
社会的な生き物としての人間にとって、最後は誰《だれ》もがいかなる形であれ埋葬されることになる。法律も、それだけを国民の義務とし、その方法については問わない。信教の自由が、そういう形でも保証されているということだ。
自然への回帰[#「自然への回帰」はゴシック体]
むろんそのほかにも、世界には風葬、鳥葬、水葬など、いろんな形の埋葬法がある。それらは、「たましい」のことを抜きに考えれば、いずれにしても自然に還る方法として理解できるだろう。鳥は啄《ついば》んだからだを食べて西の空へ飛んでいく。そこには西方浄土の思想も関係したりするが、ともあれ物質としての遺体はやがて鳥のフンになり、土を肥やして植物にも入《はい》り込《こ》んでいく。あらゆる埋葬法とは、結局この大いなる循環に戻《もど》るための方法なのである。
水葬や風葬、また土葬なども、非常にゆっくりとした回帰だといえるだろう。それにくらべると、火葬は同じ変化を一気にうながす。べつにセッカチなわけではないが、火葬が生まれたのがインドという炎暑《えんしよ》の国であることも、埋葬法と風土との関《かか》わりを物語っている。
ちなみに、露骨《ろこつ》な話で恐縮《きようしゆく》だが、火葬した場合の骨の残量は、焼き方でまったく変わる、ということも申《もう》し添《そ》えておきたい。
江戸時代などの火葬骨が、土地造成などで思いがけず出てきたりすることも以前は多かった。当時は、マキを組み上げ、その上に板を置いて遺体をのせ、さらに山盛りのワラでその全体をおおって火を点《つ》けたらしいが、その程度の火力だと、残る骨は現在の火葬の場合の倍以上になる。高さ五十センチほどもある骨壺《こつつぼ》の大きさに驚《おどろ》くのである。
しかし火力が自由に調節できる現在では、頭蓋骨《ずがいこつ》の丸みが残り、しかも大腿骨《だいたいこつ》が自然に折れるくらいの火力が職人さんたちの基準になっている。遺族の前で大腿骨を折るのは忍《しの》びないが、なんとか頭蓋の丸みは残したいという職人|気質《かたぎ》なのだ。またイギリスの骨壺などはほとんどお茶の棗《なつめ》ほどにも小さく、遺骨ではなく遺灰 (ash) と呼ばれる。これらのことからも、残量は火力次第なのだとわかるだろう。
残った骨もいずれゆっくりと自然に回帰するわけだが、仏教的な考え方からすればじつはお骨が残らなくても問題はない。そこでセッカチに、なくしてしまえ、と考えたのが麻原彰晃《あさはらしようこう》という御仁《ごじん》だったのである。なにごとにも、セッカチは宜《よろ》しくなさそうだ。
たとえ教義上はどうであれ、日本では骨も愛《め》でるように拾われる。西と東ではずいぶん違う面もあるが、いずれにしても第二|頸椎《けいつい》などは「喉仏《のどぼとけ》」と呼ばれて珍重《ちんちよう》される。その様子はちょうど坐禅《ざぜん》した仏さまのように、我々には見える。しかし西欧《せいおう》では同じものがAdamユs appleと呼ばれ、アダムが禁断の木の実を食べたとき喉につかえたひとかけら、つまり原罪の徴《しるし》だと考える。そこには日本のように名残《なごり》を惜《お》しむ気分はない。
どんな埋葬法も、それぞれに各地の風土や宗教が生みだしたわけだが、どれが正しいということもない。要はそれぞれの死生観の当然の帰結が埋葬法なのだ。土地問題や核家族《かくかぞく》化などの絡《から》みで、新しい埋葬法なども模索《もさく》されているが、ここではそれに触《ふ》れない。
人生の最終形[#「人生の最終形」はゴシック体]
なんだかいっきに骨の話ばかりになってしまい、興ざめしただろうか。
もう一度、人生の最後の場面としての死を見直してみたい。
人生観もいろいろだが、仏教の生まれたインドでは、それ以前から人生を四つの時期にわけて考えていた。生まれてからいろんなことを学び、人生の基本を学ぶ学生期《がくしようき》、結婚《けつこん》して家庭を営み、子供をもうけて社会的な責任を果たす止住《しじゆう》(家住)期《き》、やがてそれが済むと人は個人に戻り、林の中で住む(林棲期《りんせいき》)。そして最後が遊行期《ゆぎようき》。一所定めず旅に暮らし、どんどん所有物を減らしていって最後は旅のうちに死を迎《むか》えるのである。
お釈迦さまはまさにこのような人生を過ごされた。旅のうちに亡くなったのも、いわば予定通りなのだ。旅とは、別な言葉でいえば「手放す」ことだ。死はすべてを「手放す」ことだから、人はその練習としての旅にでるのである。あとでまた触れるが、お釈迦さまの勧《すす》めた「瞑想《めいそう》」も、じつは「手放す」ことにほかならない。
ひるがえって現代の文明社会はどうだろうか。
もしかすると、最後まで止住(家住)期ではないだろうか。そして誰でも、いきなりすべてを手放せと言われるように、死を宣告される。だから上手に死ねない。いや、上手に生きられないのだろう。
ユングは、「生は一つのエネルギー=過程である。原則として逆行できず、それゆえ一つの目標のほうに向けられている」とした上で、生そのものを一つの放物線にたとえる。そして生の真ん中(真昼=四十|歳《さい》)以降では、いつでも「生とともに死ねる」者しか、真に生きているとはいえない、と言う。なぜなら、神秘な生の真昼の時刻に放物線の方向が逆になり、死が生まれるからだというのだ。つまり生の目的そのものが、いつしか上昇《じようしよう》・展開《てんかい》・増大《ぞうだい》などではなく、死そのものになってくるからだ。
「戦って勝とうとしない若者は若さの最良の部分を失っているし、山頂から谷間にまろび落ちる小川の不思議に聞き入る術《すべ》を知らない老人は、ものの道理がわかっていない」(「魂《たましい》と死」一九三四年、島津彬郎《しまづあきら》訳)というのもユングの言葉だ。
人生を放物線にたとえることが、はたして適当なのかどうかはわからない。しかしいずれ逆戻りできない変化としての人生は、初めから死を前提にしている。「成長していく人間は、個性を完全に開示するための準備を二十年以上しているのに、それよりも年とった人間は、なぜ二十年以上、死ぬための準備をしてはならないのか」ともユングは言う。これは現代社会の在り方に向けられた、痛烈《つうれつ》な批判である。
なにも私は、死の準備を説く宗教に入信してくれと申し上げているのではない。
ただ人生が変化そのものだと認識できるなら、その変化の最終形である死にスムースなランディングをすることは、もしかすると技術と思考の方向づけによって、可能なのではないかと思うのだ。
脳の変化と人生のピーク[#「脳の変化と人生のピーク」はゴシック体]
今、ユングが人生を放物線にたとえたことを申し上げた。放物線とは、たとえば石を空中に放り投げたときの軌跡《きせき》である。ユングは当然、放物線のピークである四十歳を、ある意味で人生のピークだと考えていたのだろう。四十八歳の私にはすこし寂《さび》しい話だが、しかし世の中にはまったく別な考え方もあることを紹介しておきたい。
四十歳がピークという考え方の背景には、おそらく西欧的な「アダルト」という考え方がある。アダルトというとビデオしか想《おも》い浮《う》かばないかもしれないが、むろんこれは「おとな」ということだ。西欧的「おとな」とは何か、というと、私の勝手なイメージだが、理知的で分別があり、行動力もあって、まあたまにはアダルト・ビデオも視《み》るかもしれないが、とにかく基本的にはその言葉と行動に信用がおける、ということだろう。別な言葉でいえば「自己」がゆらがない。「論理的」ということでもある。
しかし、たとえば道教の一派などは、人間のピークは五歳だという。その背景にある思考を私なりに想像すると、生命体にとって最高の価値は「自然」だということだ。言葉は不自然だし、論理も、また自己がゆらがないのも不自然。信用がおけるというのも、心のゆらぎよりも約束や自分の信念などを優先する結果だから、やはり不自然ということになる。なぜなら、心は本来ゆらいで当たり前なもの、と考えられているからである。
だいたい荘子《そうし》など、言葉は人工的な「封《ほう》」(=境界|秩序《ちつじよ》)であり、理想的な「渾沌《こんとん》」をわざわざ区分けする道具と考えてバカにする。老子も幼児の「柔弱《にゆうじやく》」を理想と考える。最低限の意思|疎通《そつう》のための言葉は必要だとしても、それは自然の生命力を弱め、天然の「勘《かん》」をにぶらせるから、それ以前がピーク、ということで五歳なのではないだろうか。
チベットには「賢《かしこ》すぎる人は要点を見過ごす」という格言があるらしい。またパトゥル・リンポチェというチベット仏教の指導者は、「論理的な頭脳が重要だと思われがちだが、じつはそれこそが迷いの種なのだ」と言う。これは、とりもなおさずアダルトの否定なのだ。
面白《おもしろ》いことに、この考え方は最近の脳科学にも支持されているかに見える。
ヒトの脳では生まれた直後に大量のニューロンが死滅《しめつ》するらしいが、減少を続けるニューロンに対し、ニューロンを繋《つな》ぐシナプスは五歳くらいまで増え続ける。この時点ではまだニューロンどうしを絶縁する鞘《さや》は完成していない。鞘が完成して電流が一方通行にしか流れなくなり、それがネットワーク化されることでヒトは論理や言葉が使えるようになる、というのだが、その意味では、子供の脳はまだ言語化という回路を通さずに、直観的に「わかる」ルートをもっているということではないだろうか。もっと正確にいえば、それは「感じる」ということかもしれない。
まるで液体に一瞬に振動《しんどう》が伝わるようなこの段階の脳内の伝達システムを、脳科学者は特に「液性|中枢《ちゆうすう》情報システム」と呼ぶ。
いわば言葉ではなく直観でわかることを重視するわけだが、そう考える人々にとっては、じつは晩年というのも放物線の下降とばかりはいえない。老人というのも、また独特の勘をもった人々なのだ。
脳科学では、「結晶《けつしよう》性知能」という考え方を提出している方がいる。これは加齢《かれい》に従ってむしろ上昇し続ける総合的判断力のことで、主に前頭前野にその機能があるといわれている。結晶性ということは、無数の情報を読むときに、思い込みによる偏《かたよ》りを犯《おか》さないということだろう。たくさんの情報が、いわば結晶するように平等に並んで見える。そんなことは、思い込みの強い若いうちにはなかなかできないのだろう。
考えてみれば、日本では古来、老人が「翁《おきな》」や「媼《おうな》」と呼ばれ、神に近づいた存在として崇《あが》められてきた。これは、子供時代にもっていた「勘」を取り戻した人間のことではないだろうか。
そうだとすれば、人生はユングのたとえた放物線とはまったく反対のものになる。ユングがピークと考えた時代はむしろ底で、おとろえた勘を、言葉や論理でなんとかごまかしているにすぎないということだ。
いろいろ申し上げたが、私がここで強調したいのは、死が人生最後の場面であることは間違いないにしても、人生そのものの捉《とら》え方《かた》によってその意味づけは大きく変わるということだ。感じとれるエネルギーからいえば、死は確かにゼロに向けてのランディングかもしれないが、もしかすると「いろは歌」で「有為の奥山」を越えたように、死はピークを越えた更《さら》なるピークかもしれない、ということなのだ。
[#改ページ]
――――――――――――――――――――――――――――
第二章 「あの世」って、どういうところ?
――――――――――――――――――――――――――――
「あの世」という呼び方[#「「あの世」という呼び方」はゴシック体]
あの人、と言われてわからなければ、人は「どの人?」と訊《き》きかえす。「あそこだよ」なんて言われたら「どこだよ」と問い詰《つ》める。しかし「あの世」だけは、昔から「どの世」で「どこ」にあるのかもはっきりしないまま、誰《だれ》もがなんとなく認めてきたような気がする。「あの世って、どの世?」なんて訊く人は野暮《やぼ》というものだ。
しかしいったい、人が死後に往《ゆ》くと考えられている「あの世」とは、どこにあるのだろう。いや、本当にあるのだろうか。
先に、生物としての死は、やがて自然に還《かえ》っていく過程だと申し上げた。ということは、住む場所によって自然の景観も違《ちが》うから、還ってゆく場所のイメージもさまざまになるのだろう。
すらりとそう書いてしまったが、「あの世」とは、そこから来た場所、そして還っていく場所として考えられていることに、まず注目しなくてはならない。なにより「あの世」は、昔そこにいて、そこから来て、やがてそこに還っていく、という前提が暗黙《あんもく》のうちにあるから、「あの世」という表現で済むのだ。「あそこだよ、ほら、あそこ、え、もう忘れたの? 昔いたじゃない。あの、ほら、あの世」ということなのである。
この考え方は、おそらく東洋的である。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などは、いずれも死後に行く世界を想定しているが、そこはまだ誰も行ったことのない場所だ。しかもそこは、ある意味で、この世の代わりになる場所ではないだろうか。
彼《かれ》らはどうもいつかこの世に終わりの時が訪《おとず》れると思っているフシがある。『聖書』の「ヨハネの黙示録《もくしろく》」には、ハルマゲドンという場所で最終戦争が起こると解釈《かいしやく》できる文章があるのだが、だからそうなっても楽しく暮らせる場所として、天国が想定されているようにも思えるのである。妙《みよう》な言い方かもしれないが、地球が駄目《だめ》になったら月に住もうというようなものだ。
キリスト教では将来いつかイエス・キリストが再び甦《よみがえ》り、そこへ連れていってくれると信じられているが、誰も行ったことのない場所に行くのが不安ではないのだろうか。そこでは、天国の主《ぬし》である神さまの愛をどれだけ信じられるかが安心と不安の分かれ目になる。
しかし少なくとも日本の場合は、なぜか「ほら、あの世ですよ」という親しい場所だから、なんとなく安心感がある。だまされたつもりで行ってみようか、という気にもなりそうだ。しかもそこは現在も機能しているようなのだ。
奇異《きい》に聞こえただろうか。「現在も機能してる」って何のことか、と。つまり、先に挙げたユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三つ(あわせてアブラハムの宗教と呼ぶ)は、天国とはいつか行く場所だがまだ号令がかからないから、現在は待機中である。まだ機能していないのだ。いわば、今は神さまの独《ひと》り舞台《ぶたい》という感じだろうか。
しかし東洋の宗教では、待機期間が短い。仏教では四十九日《しじゆうくにち》、神道《しんとう》では五十日。もともと「あの世」は自然への回帰の延長にあるからだろう、亡《な》くなるそばから次々|送《おく》り込《こ》まれる。みんな「あの世」に行ったらしいのだが、「あの世」が満員になったとは聞かないから、大丈夫《だいじようぶ》なのだろう。
ともあれ我々の「あの世」はこの世の代わりではない。この世と、いわば併行《へいこう》して存在するのだ。だから西洋のように極端《きよくたん》な終末思想は本来ないのだろう。平安時代には確かに末法《まつぽう》思想というのが流行《はや》ったが、それだって別にハルマゲドンのようにこの地球がどうなる、という話ではない。
「あの世」という呼び方には、だから懐《なつ》かしい場所というだけじゃなく、今もどこかにある、すぐ身近な「あの」、という思いも感じてしまうのである。
さまざまな「あの世」[#「さまざまな「あの世」」はゴシック体]
身近な自然が還るべき場所だという感覚は、じつに人情の自然だと思う。生物としての死は自然に還ることだと解《わか》ってはいても、やはり間近に死に接することは驚《おどろ》きであり、悲しみだろう。
そんなとき、人は「あの」人が完全にいなくなってしまったとは思いにくい。もっと言えば、どこかから見守っていてほしいと思うのではないだろうか。
一休宗純《いつきゆうそうじゆん》、つまりあのアニメでも有名な一休さんは、そんな人情を熟知して詠《うた》った。
[#ここから2字下げ]
今死んだどこにも行かぬ此処《ここ》に居《お》る尋《たず》ねはするな物は言はぬぞ
[#ここから4字下げ]
(死にはせぬ、で始まるものも伝わっている)
[#ここで字下げ終わり]
これはおそらく、遺族の切実な願いに応《こた》える気分で詠ったのではないだろうか。死んだ人にはあまり遠くではなく、その辺にいてほしいのだ。
もっとも、仏教の提案した「あの世」は、十万億土のかなたにあるという。ずいぶん遠そうだが、そこは動くスピードでカヴァーするようだ。以前、十万億土を四十九日かかって移動するには、だいたいどんなスピードになるのかと計算した人がいて、「朝日新聞」の天声人語に載《の》っていたことがある。それによると、なんと秒速三十万キロで移動している、というのである。この数字、どこかで聞いたことがないだろうか。一秒間に地球を七回り半。もうおわかりだろうか。そう、光や電気の進む速さと同じなのだ。チベット仏教では、人は死ぬと純粋《じゆんすい》な光になるというのだが、これは「あら、ほんとだ」と言いたくなるような計算結果なのである。
そんなに速いなら、多少遠くても大丈夫だろう、ということでもないだろうが、やはり死者は、時空を超《こ》えた存在と考えられたのだろう。「あの世」は身近な自然のなかでもけっこう範囲《はんい》が広がってくる。
おおざっぱに言うと、山中、海上、そして月。これが日本人にとっての古典的「あの世」だろう。そこに仏教的|浄土《じようど》のイメージが被《かぶ》さってくるのである。
山や海はともかく、月とは奇妙な、と思われる人もいるかもしれない。たしかに柳田国男《やなぎたくにお》も折口《おりくち》信夫《しのぶ》もそんなことは言っていない。しかし他界としての山の奥《おく》や海の果ては、生きている人は誰も行ったことがない場所でなくてはならない。地形的にそういう環境《かんきよう》が見つからないような所、たとえば海は遠すぎるが山は低くなだらかで、みな畑になってしまった、というような所では、月が恰好《かつこう》の他界だったのではないだろうか。
まずは月、山、海、そして仏教的浄土と、順に「あの世」を見てみよう。
お盆《ぼん》とお月さま[#「お盆《ぼん》とお月さま」はゴシック体]
今はちょうどお盆直前である。本当は本など書いている場合ではないのだ。しかし死を考えるのに、これほどふさわしいときも他《ほか》にないだろう。お盆には亡くなった人々がみな自宅に戻《もど》ってくるといわれる。だから我々|僧侶《そうりよ》も檀家《だんか》さんの家に作られた盆棚《ぼんだな》の前でお経《きよう》をあげて廻《まわ》るわけだが、さていったい彼らはどこから帰ってくるのだろうか。
仏教僧侶としては、当然|阿弥陀《あみだ》の浄土である極楽《ごくらく》から、と考えるべきなのだろう。檀家さんたちもだいたいはそう思っているようだ。
しかしこれはお盆という習慣を作った中国からすれば、とんでもない考え方だ。
中国の人々は、死ぬと誰もが三塗《さんず》(地獄《じごく》・餓鬼《がき》・畜生《ちくしよう》という三悪道)に落ちると考えた。なぜなら、人は誰でも他人を平等に愛することができない。わが子や身内にはどうしても依怙《えこ》贔屓《ひいき》してしまう。だから、誰もが愛情を惜《お》しんだ罪で餓鬼道に落ちると考えたのである。
お盆とは、救いたい親族に焦点《しようてん》は合わせつつも、わざわざその周辺に向けて供養《くよう》しようという儀式《ぎしき》だ。まるでブーメランのようだが、巡《めぐ》り巡って、それが餓鬼道に落ちた身内を救うというのだ。これは「回向《えこう》」という考え方、つまり善行の功徳《くどく》をヨソに振《ふ》り向《む》けるということだが、考えてみれば、死んだ身内もその考え方をマスターし、わが子が可愛《かわい》ければヨソの子にこそ愛情を注ぐ、というやり方をしていれば餓鬼道にも落ちなくて済んだのである。
さて、では日本のお盆とは何なのか、ということになるが、日本人にとってのお盆は、明らかに地獄からの帰還《きかん》ではない。死んだ先祖たちは、どうももっといい場所に居るようなのだ。しかも戻ってくる場所も、十万億土かなたの浄土ではなさそうだ。
盆棚にはたいていナスとキュウリを供えるが、これはご先祖が乗る牛と馬だといわれる。戻ってくるときは急ぐようにキュウリの馬に乗り、帰るときはあわてずにナスの牛で、というわけだ。しかしどう考えても、これは光の速さで四十九日かかる場所との往復ではないだろう。もしそうだとしたら間尺《ましやく》に合わないではないか。今年のお盆に間に合うためには一年もまえに出発しなければならないが、その時はまだ死んでなかったりして……。
細かいことを申し上げるようだが、やはり先祖さまの居る場所のイメージとしては、月あたりではないかと思うのだ。
お盆とは、本来は旧暦《きゆうれき》の七月十五日の行事だ。つまり、必ずその晩は満月なのである。
もともと仏教が日本に入ってくるまえにも、日本人には七月十五日の満月の晩に先祖|祀《まつ》りをする習慣があったらしい。そこにうまく仏教行事としての盂蘭盆《うらぼん》が重なったわけだが、「あの世」のイメージは仏教の教えに染まらず、古来の日本的イメージが保存されたのではないだろうか。古来の日本的「あの世」のイメージというのが、つまり月なのである。
かぐや姫《ひめ》からアポロへ[#「かぐや姫《ひめ》からアポロへ」はゴシック体]
日本で初めて作られた物語は『竹取物語』だといわれる。中国やモンゴルの民話との類似《るいじ》など、いろんなことがいわれるが、ともあれかぐや姫は竹から生まれたくせに月に還ると言いだす。幼女の姿で竹から出てきたのに、昔は月に居たと言うのだ。しかもかぐや姫の成長は驚くほど早い。逆にいえば、月での時間の過ぎ方は、驚くほど遅《おそ》いと考えられているということだろう。これは何か?
こんなことを言うと嫌《いや》がる人もいると思うが、ここでの月というのは、やはり死者の世界なのではないかと、私は思う。
向こうの人々は人情を解さない、という叙述《じよじゆつ》も『竹取物語』には出てくるが、それも死者の世界と考えればうなずける。そしてお盆に馬や牛に乗って往復するというのも、まさにかぐや姫を迎《むか》えに来た車のイメージではないだろうか。
死んだら星になる、という話もあちこちにあるが、もしかすると月は死者の行くところというイメージが当時|一般的《いつぱんてき》にあって、その上にあんな物語がつづられたのではないだろうか。
推古天皇《すいこてんのう》の十二年(六〇四年)に太陰暦《たいいんれき》が導入され、日本は中国と同じように新月を起点とする暦《こよみ》を使いはじめる。しかしそれ以前にも日本的暦はあって、それは満月が起点だったといわれる。今もその名残《なごり》として旧暦一月十五日に小正月を祝う地域が残っているが、仏教行事のなかではお盆と、それからお釈迦《しやか》さまが亡くなった涅槃会《ねはんえ》の日に満月を当てた。やはり大勢の死者が戻ってくるお盆と、偉大《いだい》なお釈迦さまの命日(二月十五日)は、満月でなければならないと考えたのではないだろうか。
その後、明治六年に新暦である太陽暦が導入されると、こうした日本人の感覚も薄《うす》れていったように思える。しかし何より月の「あの世」性を奪《うば》ったのは、あのアポロ十一号だろう。
一九六九年七月二十日、アームストロング船長が月面に第一歩を踏《ふ》みしめ、続いてオルドリン空軍|大佐《たいさ》。二人は「静かの海」の近くに、「惑星《わくせい》地球からの人間、ここに月面への第一歩を印《しる》す。一九六九年七月、われわれは人類の代表として、無事ここに到達《とうたつ》した」と書かれた金属板を置いてきたらしい。誰も人類を代表して、なんて頼《たの》んでいないんだけどなぁというのが、今の私の正直な気分だ。
以後、月には兎《うさぎ》もいなくなり、むろん「あの世」性は完全になくなったのである。
他界としての山[#「他界としての山」はゴシック体]
おそらくは月と併行して、古代の日本人たちは山や海のかなたにも「あの世」を見ていた。
魂《たましい》については次章で詳《くわ》しく述べるが、ひとまずここでも魂を持ち出さないと話が進められないので持ち出すけれど、お許しいただきたい。どうか、魂の一つや二つ、それがどうした、くらいの大らかな気分で読んでいただきたい。
人が死ぬと、その直後の魂はまだこの世へのさまざまな感情を残しているので、「荒霊《あらみたま》」と呼ばれる。そしてこの「荒霊」は山に帰り、そこで一定期間すごすことで鎮《しず》まり、おとなしくなって「和霊《にぎみたま》」になる。それがさらに長期にわたって山中に居ることで子孫を守る「祖霊神《それいしん》」になる。とまあ、これが古代人たちの考えていた一般的な流れである。ちなみにこの考え方はちゃんと神道にも残っている。
たいていの地域には、昔は子供が入ってはいけない山というのがあった。そこに遺体が運ばれるわけだが、祖霊神になると、今度は反対側の山に移ることになっている。その山は全国的に「はやま」と呼ばれることが多く、たいていは神社が祀られた。神道における五十年祭は、亡くなった人が神になったお祝いなのである。
祖霊神はもともと我々の先祖だから、ときどき家に帰ってくる。むろんお盆以前の満月祭もそうだったのかもしれないが、なにより年末の十二月三十一日(大晦日《おおみそか》)に大々的に帰ってくる。それで我々はスス払《はら》いや大掃除《おおそうじ》をし、門松《かどまつ》という依《よ》り代《しろ》を作り、鏡餠《かがみもち》を供えて神になった先祖を迎えたのである。
お盆と正月くらいは納得《なつとく》できるかもしれないが、どうもこの神さま、それ以外にもよく動く。心配性《しんぱいしよう》というか、出たがりにも思えるが、そこは計り知れない神意のなせるワザ、かしこみかしこみ申しあげる。ふだんは山に住んでいるから「山の神」と呼ばれるが、春になると里におりて今度は「田の神」となって子孫の田畑を見守る。このときは「さ」とも呼ばれ、「さ」が降り立つ座《くら》が「さくら」、「さ」の意向を受けて田植えするのが「さ乙女《おとめ》」、そして「さ」のご機嫌《きげん》が悪くなるのが「さみだれ」である。つまり山の神となったこの祖霊神は、五穀豊穣《ごこくほうじよう》も祈《いの》っているから、なにかと忙《いそが》しいのである。こちらとの出入りが随分《ずいぶん》激しいから、てっきり里に住んでいると誤解されたのだろう、この神はやがて「氏神《うじがみ》」とも呼ばれるようになる。また新たに誕生する生命にも、この祖霊神は入るのだと考えられていたようだ。「産土神《うぶすながみ》」というのがその仲介《ちゆうかい》をするらしいが、ともあれ日本人も古代にはある種の「輪廻《りんね》」、つまり命の循環《じゆんかん》を信じていたということだ。
そしてその際、亡くなった人の魂を神にまで浄化し、新しい命として再生する力をもつと信じられていたのが、山なのである。
その考え方が、今なお修験道《しゆげんどう》には生きている。彼らは山で、この死と浄化と再生の体験をしようと修行に励《はげ》むのだ。
[#挿絵(img/fig1.jpg)]
「山越阿弥陀図《やまごえあみだず》」という絵が多数あるのだが、これなども、日本古来の山岳信仰《さんがくしんこう》に浄土教の極楽のイメージを重ねたものだろう。一章で書いた「いろは歌」の「有為《うゐ》の奥山」というのも、やはりあの世は山の向こうにあると理解し、そのイメージで訳されたのである。
海のかなたに還る[#「海のかなたに還る」はゴシック体]
折口信夫は、古代日本人には山への信仰と同じように、死んだら海のかなたに還るという「常世《とこよ》信仰」があったという。そこは海上はるかかなたにあり、しかも愛に満ちた楽土だというのである。
これは、その後仏教によって持ち込まれた補陀落《ふだらく》信仰にも似ている。観音《かんのん》さまが実在するという話はあちこちで生まれたが、この伝説では観音さまがインド南海岸のポータラカ山に住んでいる、ということまではっきり言われてしまった。ポータラカが補陀落になったわけだが、それなら行ってみたい、という人が出てきてしまうのは当然だろう。「あの世」のイメージがあまり具体的になるのは考え物である。実際その地を目指して船出する人が中国にも日本にもいた。日本では鎌倉《かまくら》時代、智定坊《ちじようぼう》という僧侶が三十日分の食料と油を舟《ふね》に積み込み、屋形舟《やかたぶね》の入り口をクギで打ってもらい、壮絶《そうぜつ》な覚悟で補陀落山《ふだらくせん》をめざして熊野那智《くまのなち》の浦《うら》から船出したが、辿《たど》り着《つ》いたかどうかは誰も知らない。壮絶な覚悟のわりには、舟の進行は風任せなのだろうから、どうも本気なのか自棄《やけ》なのかわからないのである。
ともあれ、そうした常世信仰が今もはっきりと残っているのは沖縄《おきなわ》だろう。沖縄ではニライカナイと呼ばれる「あの世」が想定されており、そこは豊饒《ほうじよう》な幸をもたらす神々の故郷であるとともに、死者の霊の行く先でもある。むろん、山に住む祖霊神が新しい命に入り込むように、赤《あか》ん坊《ぼう》が生まれればニライカナイからやってきたと考えられる。
折口信夫は、「古代生活の研究」で、大和《やまと》の常世と沖縄のニライカナイは同根であると書いている。海の近くに住んでいた我々の先祖たちは、広くこうした「あの世」観をもっていたと見ていいだろう。
ただ海に関しては、我々は山と違ってそうした地理的環境以外の要素も考えておいたほうがいいだろう。すなわち、古代海水と同じ成分といわれる羊水のなかで誰もが育ったという事実である。専門家によれば、胎児《たいじ》が子宮のなかで聞く母親の血流の音は、まさに潮騒《しおさい》のようだという。潮騒のなかからやってきた記憶《きおく》が、無意識のなかにはっきりと刻まれているのかもしれない。
日本的「あの世」の特徴《とくちよう》[#「日本的「あの世」の特徴《とくちよう》」はゴシック体]
月にせよ山や海のかなたにせよ、とにかく我々の先祖たちは身近な自然の果てのあたりに「あの世」を想定していたようである。しかもその「あの世」は、死者が行く場所であると同時に新しい命がやってくる所でもあった。つまり命は、そこを介在させることで大きく循環していると考えられていたのである。
考えてみれば「かぐや姫」も、夜露《よつゆ》になって竹に宿ったのかどうかはわからないが、ともかく月という「あの世」から来たと考えるべきなのだろう。月の世界で何か罪になることをして、その罰《ばつ》で地球に寄越《よこ》されたとも書いてあるが、これも普遍的《ふへんてき》な「あの世」の在り方だ。実際アフリカのある部族ではそう考えられており、この世での苦労は晴れてあの世に戻るために必要だと信じられている。
ほかに日本的な「あの世」の特徴を考えてみると、神と祖先たちの同根性が挙げられるだろう。つまり海でも山でも、そこからやってくる神というのは、元を辿れば自分たちの先祖なのだ。先祖が長い時間かけて浄《きよ》められたのが神なのだし、新しく生まれる子供も、やはりその神が宿った存在なのである。
そういう意味では、西欧的《せいおうてき》なゴッドとはまったく素性《すじよう》の異なる神だと思わなくてはならない。
先祖の延長に神が想定されたことは、沖縄のウタキ(御嶽)を見ればよくわかる。ウタキとは神が降り立つ場所と考えられ、自然のなかにわずかに足場だけが整えてあるという感じの、知らなければとても聖なる場所と思えないような所だが、このウタキの多くが、じつは古代村落の先祖たちの風葬《ふうそう》場所だったらしい。事実、ウタキを発掘《はつくつ》すると骨がたくさん出てくるという。
ウタキのある森は「腰当森《クサテムイ》」と呼ばれるが、これは幼な子が親の膝《ひざ》に坐《すわ》って安らいでいるイメージだ。先祖が神々になり、すっぽりと包み込むように我々を守ってくれているというのだろう。
そうした考え方は、今や沖縄にでも行かないと接することができないが、古代の日本では誰もがそれに近い感覚をもっていたような気がする。
たまに無事「あの世」に行けない魂もあり、その荒霊が怨霊《おんりよう》になることを怖《おそ》れたりはしたのだろうが、おおむね古代日本の人々は近しい「あの世」と神々に見守られながら、安らかに暮らしていたのではないだろうか。
仏教的「あの世」の出現[#「仏教的「あの世」の出現」はゴシック体]
それまで漠然《ばくぜん》と感じていた「あの世」が、おそらくは仏教の浄土教流入とともにはっきり意識化される。
仏教的浄土は、本来はいくつもあった。弥勒仏《みろくぶつ》の浄土(兜率天《とそつてん》)、観音|菩薩《ぼさつ》の補陀落浄土、薬師仏の浄瑠璃《じようるり》浄土、釈迦仏の霊山《りようぜん》浄土、また毘盧遮那仏《びるしやなぶつ》の住むという蓮華蔵《れんげぞう》世界など。しかしなんといっても一番人気は阿弥陀仏《あみだぶつ》の極楽浄土だろう。浄土教はこれを強調し、全《すべ》ての人が救いを求め、願いさえすればそこに行けるのだとした。
「往生《おうじよう》」という言葉もよかったのだろう。この世での時間の終わりが、そのまま生の終わりではない。「往《ゆ》きて生きる」という考え方は、それまでの日本人の感覚ともマッチしたのだと思う。末法思想という背景もあり、平安時代の日本に、この新しい「あの世」は瞬《またた》く間に広がっていったのである。
ところで浄土教が運んできたものは新しい「あの世」のイメージばかりではなかった。もともと浄土教というのは、中国での臨死体験などの記録の集積からできあがってきた側面がある。だからその教えには、死ぬときの作法あるいはターミナルケアまでが含《ふく》まれていた。比叡山横川《ひえいざんよかわ》にいた恵心僧都源信《えしんそうずげんしん》は、この教えを広めるべくさっそく『往生要集《おうじようようしゆう》』を書き、また「臨終行儀《りんじゆうぎようぎ》」を広めつつ自らターミナルケアの組織として二十五|三昧会《ざんまいえ》をつくるのである。
要するに、ちゃんと死なないと、ちゃんとした所には行けませんよ、ということだ。だから、ちゃんと死ねるように、お互《たが》い臨終では助け合いましょうね、というグループをつくったのである。
ちなみに、この時代の日本の僧侶は葬儀はしなかった。ごく初期の僧侶は単に「学問がしたい人」といった感じで、国分寺《こくぶんじ》や国分尼寺《こくぶんにじ》というのは教科書の指定された国立大学みたいなものだった。浄土教の広がりとともに、死に立ち会う場面は増えていったわけだが、それでも亡くなってしまうとあとは葬送人という人々の仕事になる。平安時代には天皇や貴族、鎌倉時代には武士や一般人の仏式葬儀も行われるようになるが、僧侶による葬儀が一般化するのは、室町《むろまち》時代以降である。
しかしそうはいっても、仏教的「あの世」に導いていこうという意志が僧侶たちに目覚めてくるのは自然の成り行きだろう。初期仏典にも死ぬときの意識の持ち方でその後に往く世界が変化することが書かれているが、源信は末期の「十念《じゆうねん》」がとくに大事だとした。
「南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》」と十回|称《とな》え、しかも阿弥陀仏の姿だけを見つめ、法音《ほうおん》を聴《き》き、妙香《みようこう》に包まれる。それが叶《かな》えば、死なんとして眼《め》を閉じたとたんに、すでに極楽の蓮華《れんげ》の台に坐っているというのである。
しかしそう言われても、病者は自らの過去の罪に怯《おび》え、浄土に行けないのではないかと不安になったりもする。そんなときこそ、仲間が助けて念仏を称え、一緒《いつしよ》になって懺悔《ざんげ》してくれる。そのためのターミナルケアであり、これが枕経《まくらぎよう》の起こりだともいわれる。現在は亡くなったあと、棺《ひつぎ》に入れるまえによむお経が枕経だが、本来はまだ亡くなるまえに、本人の細い息でよむお経や念仏を助けるためのものだったというのである。
極楽という異世界[#「極楽という異世界」はゴシック体]
仏教的「あの世」の登場により、おそらく日本人たちはなんとなく信じていた「あの世」の存在に自信を深めただろうと思う。しかしその具体的なイメージはどうだろうか。
源信は浄土に生まれ、蓮《はす》の花の開くときの喜びを、田舎《いなか》の人が初めて王宮を見た驚きと喜びにたとえているが、まさにそれは適切な比喩《ひゆ》だろう。『観無量寿経《かんむりようじゆきよう》』などに登場する浄土のイメージは、あまりに華美《かび》に感じられる。
まあ考えてみればこのお経、もともと家庭内不和、家庭内暴力の極《きわ》みに苦しんでいたマガダ国の王妃《おうひ》ヴァイデーヒー(韋提希夫人《いだいけぶにん》)を相手にお釈迦さまが説いたという内容であり、わが子アジャセによって餓死寸前まで追い込まれていたビンビサーラ王を案じる韋提希夫人に、安らかで美しい阿弥陀の浄土を示したものだった。皇后《こうごう》さまに納得《なつとく》していただくために、そこはひときわ豪華《ごうか》な様子に語られたのかもしれない。
とにかく宝石がいたるところにある。木も宝石でできている(宝樹)。建物もそうだ(宝楼《ほうろう》)。いわゆる七宝《しつぽう》(金、銀、瑠璃《るり》、|※[#「石+車」、unicode7868]※[#「石+渠」、unicode78f2]《しやこ》、珊瑚《さんご》、琥珀《こはく》、真珠《しんじゆ》)のほかに、ダイヤモンド(金剛《こんごう》)もふんだんにある。八つあるという池も七種の宝石でできており、鳴く鳥も宝石の彩《いろど》りをもち、そこには天人たちが天上の音楽を奏《かな》でている。
我々一般人からすれば、なにもそこまでというほどに手の込んだ装飾《そうしよく》ではないだろうか。
当然のことながら、こうした浄土をこの世に実現してしまおうという貴族が現れる。藤原頼通《ふじわらよりみち》は宇治《うじ》の平等院鳳凰堂《びようどういんほうおうどう》をこの世の浄土に見たて、また東北でも藤原三代が平泉《ひらいずみ》に浄土教の楽園をつくる。宝石というより、それは金をてんこもり使った建物である。わが福島県にも白水《しらみず》の阿弥陀堂というのがあるが、これも平泉文化の流れだ。平泉が現在でいういわき市の「平」と「泉」に分かれ、この「泉」を二つに分けて「白水」と名づけたのである。
しかしこうして蝦夷地《えぞち》までも広がった浄土教ではあったが、「あの世」のイメージがどれだけ阿弥陀の浄土に近づいたかは疑問である。なにより「浄土三部経《じようどさんぶきよう》」などで描《えが》かれる極楽は、常に機能しているとはいってもあまりに現実離れしている。それに、以前そこに居たというわけではないから、なかなか親しめないのではないだろうか。坊さんの私がこんなことを書くとお叱《しか》りを受けるかもしれないが、その意味では阿弥陀の浄土も、じつはアブラハムの宗教の説く天国と同じくらい親しみにくいのである。
[#挿絵(img/fig2.jpg)]
やはり日本人にとっての「あの世」は、元いた場所であり、大自然の大いなる循環の果てに還っていく所であってほしい。誰もが心の奥でそう思っているのではないだろうか。
「あの世」の入り口[#「「あの世」の入り口」はゴシック体]
これまで書いてきたさまざまな「あの世」は、日本人の心の基層にいわば無意識になるほど入り込んでいるものだ。月、山、海、そして仏教の極楽、これらがない交ぜになって「あの世」のイメージを形づくっている。
私はべつに、そのどれかを信じてほしいというわけじゃない。どれかが正しいと申し上げたいわけでもない。
ただ多くの日本人は、大自然とのさまざまな交感と循環とを、実感として信じていたのではないか。そのことを、今は文化としてでもいいから、憶《おも》いだしてみてはどうかと思うだけだ。
浄土教の流入以後、多くの仏教僧侶たちは「往生伝《おうじようでん》」と呼ばれる個別の死の記録を採《と》りつづけてきた。そしてターミナルケアの現場に活《い》かしてきた。『死の体験』の著者であるカール・ベッカー博士は、「日本は諸外国のどこよりも多数の臨死体験を記録してきた」とおっしゃる。しかしそれも明治初年の廃仏毀釈《はいぶつきしやく》で潰《つい》えたといえるだろう。
皮肉なことに、臨死体験についてようやく再び注目するようになったのは、キューブラー・ロス博士やレイモンド・ムーディ博士など、外国人の研究を通してだった。
老婆心《ろうばしん》で申し上げると、臨死体験とは医師によってほとんど「ご臨終」という判断を受けながら、どうしたことか戻ってきた人の体験である。場合によっては脳波がフラットになったことも確認されているのに、彼らはその間のことを詳細《しようさい》に覚えており、しかもその体験にさまざまな共通点が見られるから「臨死体験」と一括《ひとくく》りに呼ばれるのである。
よく臨死体験について、「信じますか」と訊く人がいるが、坊さんは信じるのが仕事のようなものだし、基本的には自分の理解がおよばないことは無数にあると思っているから、信じるのと同じことだろう。だいたい世の中はまだまだわからないことがあるから面白《おもしろ》いのだ。
それでも、その時見えたり聞こえたりすることが、酸素不足や高熱、薬物などによる幻覚《げんかく》ではないか、と疑う人はやはりいる。しかしはっきり申し上げておくが、自然死に近ければ近いほど臨死体験をする確率は高いことが報告されている。アメリカにはもう二十五年もまえに国際臨死体験研究会というのが設立されており、何千人ものデータがコネティカット州立大学医学部に保存されている。
体験の主体が意識と呼べるかどうかは問題だが、とにかくその意識らしいものの体験は、今や明らかに科学の研究対象なのである。ちなみに研究者のあいだでは、死後に出てくる「幽霊《ゆうれい》」なんてのも「出現物(Appearance)」と呼び変えられて研究対象になっている。イギリスには配偶者《はいぐうしや》の死亡後一年以内に「出た」という報告が百例中十四例もあったというから、研究しないではいられないだろうが、やはり、いくらなんでも「幽霊」の研究してますとは、科学者としては恥《は》ずかしくて言えないのだろう。臨死体験の研究だって「Near-Death Studies」と呼ぶから学問らしいが、何のことはない、「あの世」の入り口の研究ではないか。学問の世界も、ようやく我々の実感というものを研究対象にし始めたのかもしれない。夢を学問の対象にしたフロイト以来の快挙ではないだろうか。
臨死体験が示すもの[#「臨死体験が示すもの」はゴシック体]
さてその臨死体験の内容だが、立花|隆《たかし》氏の『臨死体験』などから大雑把《おおざつぱ》にいえるのは、多くの臨死体験者が共通してまずトンネルのような暗い通路、そしてその先にある光の世界を見るということだろう。
不思議なのはその光の前景に、個人差や地域差あるいは宗教文化の差を感じさせる景色が見えることだ。花|咲《さ》き乱れる山道、花畑、あるいは聖母マリアや白象や阿弥陀仏が見えたりもする。またすでに死んでいる親族や友人というのは世界的に見られる。つまりそれぞれの文化的な景色を取り除いてみると、よく知っている死者とトンネルと光。これが臨死体験のエッセンスだといえるかもしれない。
キューブラー・ロス博士は何千人もの死者を見送った体験をふまえ、彼らがどうして死ぬ間際《まぎわ》にすでに亡くなった人しか見ないのか、ずっと不思議で仕方がなかったという。特に幼くして死んでいく子供の場合、臨死体験がある種の幻覚・妄想《もうそう》だとするなら、たとえ生きていてもきっと両親が現れるに違《ちが》いないと思える。が、そういう例は皆無《かいむ》だというのだ。
あるとき幼い女の子が死にかけており、その子がたまたま「お兄ちゃん」が見えるという。あ、これは死者以外が見えたのだと博士は昂奮《こうふん》したらしいが、あとになって、ちょうどその時間に「お兄ちゃん」が交通事故に遭《あ》って死んでいたことがわかる。徹頭徹尾《てつとうてつび》、死にゆく人が見るのは、すでに亡くなっている人だけなのである。
私はこのことをふまえ、死にゆく人の視線で死後三日後までを描くという無謀《むぼう》な小説を書いた。『アミターバ 無量光明《むりようこうみよう》』(新潮社)というのだが、これはもともと阿弥陀の元になったインドの言葉(梵語《ぼんご》)である。阿弥陀とは、無量の光(アミターバ)または無量の命(アミターユス)の訳語だといわれる。
死にゆくときには必ず暗いトンネルと無量の光に出逢《であ》う。そして身内の死者が登場する。そのことに絞《しぼ》り、できるだけ文化的な風景は排除《はいじよ》しながら書いたつもりだが、考えてみればそこまで絞ると、浄土教の提案する浄土のイメージとも基本的な食い違いはない。
仏教は概念的《がいねんてき》な装飾も多く、混乱することもあるが、少なくとも浄土教のいう極楽も、光に溢《あふ》れているし、そのまえの暗いトンネルは蓮華の花が開くまえの萼《がく》の内側として描写《びようしや》される。迎えに来る身内の死者というのは登場しないが、これは阿弥陀|如来《によらい》の脇侍《わきじ》として迎えにくる観音菩薩・勢至《せいし》菩薩と考えてもいいんじゃないだろうか。
むろんそんな体験を聞いても、信じられないという人はいるものだ。人によってはそれが新たな体験なのではなく、末期《まつご》の一瞬《いつしゆん》に過去の記憶がフィードバックされた結果ではないかと考える。そうした考え方のなかでも面白いのは、それが産道を通ったときの記憶の再現ではないか、という説だ。そう言われてみれば、月に親近感をもつのも、産道の奥から見た明るい外界に似ているからだろうか。場合によっては月の満ち欠けだって、子宮あたりから見ればありそうな気もする。
しかし死にゆく刹那《せつな》に産道を通った記憶が甦るというこの説は、死んだはずの人がその時間の体験を記憶していることに負けず劣《おと》らずおかしい。合理的な解釈が今のところ難しいという意味では、どっちもどっちなのである。
なお臨死体験については、まだそれは生の側の体験ではないのか。つまり、死の定義じたいがおかしいのではないか、という反論もあることを、一応公平に紹介《しようかい》しておこう。
地獄と極楽[#「地獄と極楽」はゴシック体]
さきほど、仏教には概念的な装飾も多いと申し上げた。概念というのは、本来は実感を理解しやすくするための器《うつわ》のようなものだったはずである。しかし実際は、概念はすぐに実感というなかみを忘れて器だけで独り歩きしやすい。「あの世」というテーマでここまで「地獄」に触《ふ》れないできたのも、じつはそうした理由からだ。
どうも『往生要集』や『地蔵十王経《じぞうじゆうおうきよう》』などで地獄の描写を読むと、あまりにも作りすぎじゃないかと思うのだが、いかがだろうか。閻魔《えんま》大王をはじめとする裁判の仕組みなど、明らかに『地蔵十王経』が成立したと思える唐《とう》代の裁判制度の影響《えいきよう》をうけている。そしてそこには、器としての物語を作る楽しみのようなものさえ感じてしまう。また源信の紹介する八大地獄なども考えられる限りの拷問法《ごうもんほう》という感じだ。皮肉な言い方をすれば、こんな地獄を考えだせる人間存在そのものにこそ地獄はあるのだろう。
むろん死後に地獄がないとは、私には断言できない。
ただお釈迦さまにとって地獄とは、この世に何度も何度もさまざまな境遇《きようぐう》で生まれてくる「輪廻」そのものだった。そして「もう決して生まれかわって来ない者」だけが極楽浄土に生まれるのである。つまり、地獄はあくまでこの世の中に見据《みす》えられており、「輪廻」をまぬがれて行く極楽だけが「あの世」と考えることもできるのではないだろうか。
極楽の蓮華に向かっても、開かない萼《がく》のなかで五百年も待たされることもあるというのだから、それを地獄と思うことも可能だろう。しかし、それ以上のイメージはどうしても我々自身の妄想としか思えない。鉄の爪《つめ》、鉄棒、焼けた鉄縄、焼けた鉄板、山による圧迫《あつぱく》、口に流し込まれる熱い液体の銅、そして責めたてる犬……。
あるいは、こう考えてはどうだろうか。昼寝《ひるね》した幼な子が目覚めるとほとんど泣くのは、胎児として成長する過程での人間になる以前の記憶が甦るからだ、という説がある。つまり母親の胎内で魚とか鳥とか陸上に上がったばかりの動物だった時代も経験しており、そのころの恐怖感《きようふかん》が意識の深い場所から甦ってくるというのである。ヘッケルの「個体発生は系統発生を繰《く》り返《かえ》す」という説に従えば、たしかに我々の内部にはさまざまな動物としての記憶が存在してもおかしくはない。人間の意識を探求した唯識《ゆいしき》仏教では、そうした最も深く普遍的《ふへんてき》な記憶を阿頼耶識《あらやしき》と呼ぶが、もしかするとその記憶じたいが、六道と呼ばれ、地獄と感じられるのではないか……。
[#挿絵(img/fig3.jpg)]
現在までの多くの臨死体験の記録からは、幸か不幸か地獄と思える体験は極《きわ》めて稀《まれ》である(まったくないわけではない)。
そのことはキリスト教にとっても、煉獄《れんごく》の存在が疑われるから都合のいいことではない。だからローマ法王は臨死体験の研究に対し、明らかに好意的でない見解を述べている。
しかし私がここで考えたいのは、あくまでも仏教やキリスト教との整合性とは無関係な、実感のなかの「あの世」だ。実感なんてないと言うかもしれないが、はたしてそうだろうか。この世だけでは理解しにくい事柄《ことがら》が、けっこうあるんじゃないだろうか。
目には見えない世界[#「目には見えない世界」はゴシック体]
一九七三年、江崎玲於奈《えさきれおな》博士は日本人で三人目のノーベル物理学賞を受賞した。すでにエサキダイオードの発明でその名も知られており、このときはアメリカのIBM研究所の職員だったわけだが、その主な業績は「トンネル効果」の発見だった。エサキダイオードは別名トンネルダイオードとも言われる。
ノーベル賞を受けた論文の説明など、とても私などにできることじゃないが、本当に申し訳ないけどごくごく簡単に説明してしまおう。つまりA地点からB地点に電子が移ったのだが、その電子はAとBの間の空間を通っていない……。ということなのだが、わかるだろうか? じゃあどこをどうやって電子は移動したのか、というと、だからトンネルを通ったんだろう、ということなのである。
普通に考えれば、この世的には理解できないはずである。しかしそれによって江崎博士はノーベル賞を受賞したわけだから、理解できた人が大勢いたということだろう。それは「量子力学的効果」によるトンネル電流であると言われている。
この発見が、不純物|濃度《のうど》の高い半導体において起こったというのも、私は気に入っている。
まあそれはともかく、この事実によって、じつは我々もこの世以外の時空間を認めざるを得ない、ということはご了解《りようかい》いただけるだろうか。だって電子の通ったルートは、少なくともこの世にはないのだから、トンネルという「あの世」を通ったとしか思えないではないか。
この宇宙を構成するものは、どこまでも物質であると思いたい人々がいる。ギリシャ時代に提案されたアトム(原子)以後、我々はその原子は原子核《げんしかく》と電子の集合であることを発見し、さらにその原子核は中性子と陽子の集合であると知った。さらに陽子や中性子が三個のクォークから成るとわかり、現在|素粒子《そりゆうし》と考えられているものは百種類以上あるが、いずれもクォーク、レプトン、そしてこれら素粒子間に働く力を媒介《ばいかい》するゲージポソンの三種属とされる。むろん探索《たんさく》はそれでも止《や》まない。それぞれの素粒子の構成要素が多数発見されていく一方で、あらゆる物質は「超《ちよう》ヒモ」というモノの振動《しんどう》の違いによって現出するのではないか、というファンタジーのような説も提出されている。
ちなみに「超ヒモ」のサイズは、十のマイナス三十三乗センチ。つまり一兆分の一センチメートルの一兆分の一の、そのまた十億分の一ということだが、しかもそれは十次元の存在だというのだから従《つ》いていけない。ちなみに六次元分は丸め込まれ、コンパクト化されていて我々には感知できないという。
超ヒモのサイズである十のマイナス三十三乗センチのことを「プランク・スケール」というが、これ以下の世界には時間も空間もないと考えられている。
あれ? 丸め込まれた六次元……? 時間も空間もない? それってトンネルじゃないの? 「あの世」じゃないの? あるいはもしかすると、それは極楽の蓮の茎《くき》で、「あの世」はその向こう?
専門家の皆《みな》さん、怒《おこ》らないでくださいね。これは素人《しろうと》の、ばかばかしいけど素直な感想なのです。
しかし物理学の世界では、じつはそうした「この世」ならざる事例には事欠かない。たとえば原爆《げんばく》製造のマンハッタン計画にも加わったファインマンは、陽電子が過去にさかのぼって出現することを示したし、思えばハイゼンベルクの「不確定性原理」も、超ミクロの世界は観測できないことを証拠《しようこ》だてたのである。なぜ、観測できないか、というと、観測するためには当然光を当てなくては見えないわけだが、光にも質量があるため、それが当たったとたんに超ミクロの粒子は散乱してしまうからだ。だから、目にも見えず、観測さえできない世界があることは、今や物理学的「常識」なのである。
暗在系《あんざいけい》とお悟《さと》り[#「暗在系《あんざいけい》とお悟《さと》り」はゴシック体]
物理学で想定される「あの世」は、デヴィッド・ボームという理論物理学者によって「暗在系」と名づけられた。目に見える世界としての「明在系《めいざいけい》」に対してそう呼んだのである。
彼の定義によれば、「暗在系」とは「素粒子の霧《きり》」のような状態、すなわち純粋にエネルギーであり、しかもいたるところに均等に存在するという。これはつまり、「草葉の陰《かげ》」にも存在するということだ。
しかもその在り方の面白いのは、暗在系には時間も空間も、私もあなたも彼も彼女《かのじよ》も、月も雪も地球も太陽も渾然一体《こんぜんいつたい》となって畳《たた》み込《こ》まれていて区別がない、というのである。だから「草葉の陰」に何かがいるとしても、結局それは「誰かではない」ということになる。どうにも突飛《とつぴ》な話だが、おわかりいただけるだろうか。
もう少しボームの言葉を引用すると、彼によれば「生命は、暗在系の全体運動のなかに隠伏《いんぷく》している」となる。つまり生命力の源は「暗在系」の全体運動だということだろう。もしかすると、このことを東洋では「氣《き》」と表現したのではないか、とも思えてしまう。体のなかばかりでなく、外に対しても力を及《およ》ぼす「氣功」などをまのあたりにすると、常に明在系と行き来している暗在系の全体運動とはこのことではないかとも思えるのである。
ここで憶いだすのは、アインシュタインの次のような言葉だ。
「人間は、私たちが宇宙と呼ぶ全体の一部である。時間と空間に限界づけられた一部である。人間は、自分自身、自分の思考や感情を他のものから分離《ぶんり》した何ものかとして経験するが、それは一種の、意識の錯覚《さつかく》である」
おおお、なんという言葉だろう。そうなると、いわゆるアイデンティティとか個性など、完全に錯覚ということになるではないか。そんな錯覚をするように、我々の脳ができているということだろうか。しかしそうだとすると、アインシュタインはいったいどうやってそのことを知り得たのだろう。
しかしこの言葉を胸によく刻んでから次の言葉を味わってみよう。ここに挙げるのは、いずれも日本の宗教者たちのいわゆる「お悟り」を示す言葉だ。
「自他の位を打捨《うちす》てて唯一念《ただいちねん》、仏になるを他力といふなり」(『一遍上人《いつぺんしようにん》語録』)
「ただ我《わ》が身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、力をもいれず、心をもつひやさずして、生死をはなれて仏となる」(道元|禅師《ぜんじ》『正法眼蔵《しようぼうげんぞう》』「生死《しようじ》の巻」)
また同じ『正法眼蔵』の「現成公案《げんじようこうあん》」では、道元禅師は次のようにもおっしゃる。
「自己を運びて万法《ばんぽう》を修証《しゆしよう》するを迷となす。万法すすみて自己を修証するはさとりなり」
まとめて言えば、つまり彼らの悟りとは、自己という錯覚からほどけ、自他の区別がなくなった状態ではないだろうか。「仏の家」と呼ばれ、また「万法」と呼ばれているのは、もしかすると「暗在系」の全体運動のことではないのか……。錯覚としての「自己」が探しているうちは「万法」も迷いの姿しか見せないが、自己がほどけて「万法」がありありと現れるとき、そこには逆に、万法のなかの自己がはっきりと現れてくる。それが「ほどけた」状態、すなわち「仏」ではないかというのである。
頭が痛くなっただろうか。なんだか急に深みに入っていったから、あるいは酸欠状態になった人もいるかと思う。しかし私がここで言いたいことはそれほど難しいことではない。要するに、「暗在系」と呼ばれるもう一つの宇宙は、我々が求めている「あの世」かもしれないが、そればかりではなく、なんだかそれは、生きている人さえ体験できる世界なのではないか、ということだ。
お釈迦さまはおっしゃった。
「瞑想《めいそう》によって体験する以上のことは、死によっても体験することはない」
そう、一遍上人や道元禅師が体験したのは、お釈迦さまと同じ深い深い瞑想状態だったのである。一遍さんはおそらく「踊《おど》り念仏」で、また道元さんはただひたすらに坐禅する「只管打坐《しかんたざ》」によって体験したのだろう。それは「お悟り」の体験でもあり、しかも「暗在系」という「あの世」への出入りでもあったのではないだろうか。
形からエネルギーへ[#「形からエネルギーへ」はゴシック体]
それにしても困ったことになってきた。「あの世」のイメージをはっきりさせたくて月や山や海の彼方《かなた》という民俗学的《みんぞくがくてき》アプローチまでしてきたのに、結局誰にとっても実感できる「あの世」は、「いたるところに均等に存在する」「暗在系」ではないか、ということになってきた。べつに私は困らないが、「これは困ったぞ」と思っている人のために申《もう》し添《そ》えておこう。
我々はたぶん、「暗在系の全体運動」みたいなものを実感することがあったとしても、それを人に伝えることはできないのだと思う。なぜなら、「暗在系の全体運動」などというものは常に流動して止まないからだ。まして相手は目に見えない素粒子とかエネルギーだ。「万物流転《ばんぶつるてん》」(ヘラクレイトス)、「諸行無常《しよぎようむじよう》」(お釈迦さま)という言葉もあるが、流動そのものを言葉によって伝えることはできない。言葉とは、流動を遮《さえぎ》り、全体の一部を封《ふう》じ込《こ》める道具でしかないからだ。
仏教はそのことをじつに端的に表現した。つまり、「空《くう》」である。「空」とはふつう「実相」と言われる。実相とは何か。字義的には「物事の本当の姿」だが、それはおそらく「暗在系の全体運動」と言《い》い換《か》えてもいいだろうと思う。あるいは、人間には捉《とら》えられないエネルギーと言ってもいい。とにかく世界は絶え間なく流動しているのである。
それが我々に感じられる現象になったものが「色《しき》」だ。我々が感知でき、しかも思考の対象にできて人に伝えられるのは「色」だけなのだ。
「色即是空《しきそくぜくう》」という言葉が『般若心経《はんにやしんぎよう》』にあるが、それは次のようなアインシュタインの言葉に読みかえることも可能だろう。
「質量もエネルギーである」
仏教にとっては、確固とした形があると見えるものでさえ、じつは変化しつづける無常なもの、また見る者との関係においてのみそう見える「縁起《えんぎ》」のなかの在り方にすぎない。そのことは、じつは仏教のみならず量子力学的な世界においても正しい認識なのだ。
つまり素粒子の世界も無常だということだ。だいたい素粒子の寿命《じゆみよう》はほとんど一秒の何分の一という短さだし、クォークだって族と「香《かお》り」が変化する(この「香り」という表現は便宜上《べんぎじよう》のもの)。また陽子は陽電子とニュートリノを放出して中性子になることができる。総じて言えば、物質は反物質との衝突《しようとつ》による消滅《しようめつ》のプロセスで純粋なエネルギーに変わる。しかもそれらの現実は、観測という行為によってたまさか現れる確率論的な世界だ。粒子は、観測されなければ姿を現さないのだ。
こうして、我々には「よすが」としての「色」しか感じられないが、間違いないのは、全てはエネルギーだということだろう。我々は「あの世」という「暗在系の全体運動」を想《おも》う「よすが」として月や山や海を見てきた。これが「空即是色《くうそくぜしき》」という、我々が本能的に「色」を求める姿ではないだろうか。とにかく脳は、いつも世界を思考の対象にしたがっている。しかしそれが実相でないことは、以上のように明らかなのである。
「質量もエネルギーである」という説に従えば、もし人が死ぬときに質量が減るとするなら、そこには膨大《ぼうだい》なエネルギーが発生することになる。なぜなら同じアインシュタインが「宇宙の総エネルギーは常に一定である」と言うからだ。もしそうだとするなら、E=mC2※[#2は小書き(二乗)](Eはエネルギー、mは質量、Cは光の速さ)に従うと一グラムの質量減少で十の十四乗ジュールの熱量が発生することになる。むろんそれは運動エネルギーにも電気エネルギーにも光エネルギーにも換算《かんさん》できる。そこから導かれたのが私の『アミターバ』である。ちょうど今年(二〇〇四年)「二一グラム」というアメリカ映画が封切られたが、これは死ぬ瞬間に減った体重そのものがタイトルだ。主にアメリカだが、そうやって死ぬときの体重の変化を測っている病院がいくつもあるようなのである。
もしかすると、我々がこの体という形ある「よすが」を離れ、エネルギーという「実相」に戻るのが死なのかもしれない。
本当のすがたの不思議[#「本当のすがたの不思議」はゴシック体]
ここまでの話、半信半疑にしても、従《つ》いてきてくださっているだろうか。なんか坊主《ぼうず》に丸め込まれるんじゃないかと、不安なのではないだろうか。あるいは人によっては、積極的に疑っているかもしれない。自分の理性が理解できない「あの世」など、なんと言われようとあるはずがない、と。
しかし考えてもみてほしい。ソクラテスの「無知の知」を持ちだすまでもなく、我々に理解できないことはキリがないほど存在する。
人は理解できないことをまのあたりにしたとき、時として自分で体験した事実さえ認めないことがある。これを心理学では「認知的不協和」というが、つまり体験より認識のほうを優先するということだ。納得できないことはいつしかなかったことにしてしまう。なぜなら、認識こそ「自己」であり、それが揺《ゆ》らぐことが最も困るからである。
そんな人々のために、ここでもう一つ、実相の不思議さを例示しておこう。別な言い方をすれば、認識の不全さについての話だ。
それは誰でもよく知っている光のことである。
一九〇五年、何度も登場していただいたあのアインシュタインは、光というのが粒子の集まりであることを論証した。光の粒子は光子《こうし》または光量子と呼ばれる。じつはそれ以前、十九世紀の初めころから、光は波動であるという説が唱えられていたわけだが、アインシュタインはそれに反対したのである。しかしその後、量子力学が登場するに及んで光は波動であり、しかも同時に粒子であることになった。光の性質をよく見ていくと、波と見なければ説明できない側面と、粒子でないと不都合な側面が両方見えてきたのである。前節で述べた粒子の確率論的世界というのも、つまり光の粒子がある場所に存在する仕方は確率でしか示せないということだ。
ところであなたは、粒子であってしかも同時に波であるような事態を想像できるだろうか。粒子がいくつも水の分子のように並んで波になる、というのではない。それ自体が粒子でありながら波だというのだ。
おそらく誰の理性も、このことをまともには理解できないはずだ。理屈としては明らかに矛盾《むじゆん》しているのだが、今は矛盾と知りつつもこの両方の側面から解釈しないと光は理解できないということだ。
解釈という「色」の不便さがおわかりいただけただろうか。実相としての光は、すっきりとは解釈されないままに今なお燦然《さんぜん》と輝《かがや》いている。光さえ解釈しきれない我々に、「あの世」がすんなりわかるはずもないだろう。しかし解釈できないからといって、その存在を否定できないのは光と同様である。
あくまでも理解できなかったり矛盾したり、というのはこちら側の知性や合理性の問題である。実相も「あの世」も自然も、矛盾などしていないのだし、だいいち解釈など必要としてはいないのである。
瞑想と「あの世」[#「瞑想と「あの世」」はゴシック体]
勝手に解釈して矛盾を感じたりしている人間がお釈迦さまに訊く。
「死んだらどうなるのでしょう」
しかしお釈迦さまは黙《だま》ったまま答えなかった。「空」が「色」で表現できるはずないじゃないか。それにしてもお釈迦さまってなんてエライんだろうと思う。「あら、お釈迦さまでもわからないことがあるんですね」なんてバカにされても、きっと黙っていたにちがいない。
しかしお釈迦さまは「瞑想によって体験する以上のことは、死によっても体験することはない」なんて、思わせぶりなこともおっしゃっている。そりゃあもう、後を追って瞑想するしかないだろう。
後世、瞑想は我が国でさまざまに発達する。瞑想とは、頭からあらゆる概念を排除し、流動しつづける実相に自分も入っていってしまうことだが、先輩《せんぱい》僧侶たちはとにかくいろいろ考えたのである。「ナムアミダブツ」を繰り返す念仏、坐禅、「南無妙法蓮華経《なむみようほうれんげきよう》」というお題目、あるいは真言密教《しんごんみつきよう》の「ア」の梵字《ぼんじ》(※[#梵字の「ア」(img/a.gif)])のイメージに宇宙を重ねていく阿字観《あじかん》など、いずれも一切《いつさい》を概念化せずに「今ここ」を実感するための優《すぐ》れた方法だった。
瞑想について詳しく説明するスペースはここにはないので、その実際については共著『実践《じつせん》! 「元気禅」のすすめ』(宝島社)を読んでいただきたいのだが、ともあれここでは、我々が信じすぎるほどに信じている理性や論理が機能しなくなるときもあり、その状態を、ほとんどの宗教は積極的に求めてきた、ということを理解していただきたい。
もとより浄土教の提出する極楽浄土も、「観想」という瞑想によって実感するものだ。
仏教の三学といわれる「戒《かい》・定《じよう》・慧《え》」(戒律・禅定・智慧《ちえ》)が、日本では「定」(禅定)によってまとめられてきたが、それはとりもなおさず、「定」とは深い瞑想による「三昧《ざんまい》」状態を意味するからだ。そこに「あの世」が垣間見《かいまみ》えることを、先輩たちは経験によって実感していたのだろう。
この章の最後に、もう少し先輩たちの見た「あの世」を紹介しよう。
まずは先にも挙《あ》げた一遍上人だが、この人は念仏遊行に命をかけ、やがて禅の教えも学びながら次のような境地をひらく。
「南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》と一度《ひとたび》正直に帰命《きみよう》せし一念の後《のち》は、我も我にあらず、故《ゆえ》に心も阿弥陀仏の御心《みこころ》、身の振舞《ふるまい》も阿弥陀仏の御振舞《おふるまい》、ことばも阿弥陀仏の御言《おんことば》なれば、生きたる命も阿弥陀仏の御命《おんいのち》なり」
帰命は「きみょう」と読むが、ほんとに奇妙だ。通常は「南無」の翻訳語《ほんやくご》なのだが、命を帰すとはいったいどこに帰すのだろう。国語的に読みとれば、おそらく「阿弥陀仏の御命」に帰すのだろうが、それは「暗在系の全体運動」に、と読むことも可能だろう。なぜならそこでは、ボームの言うように自他の区別がない。自分と全体性としての阿弥陀仏が一体に感じられているのである。
同様の内容は我が臨済宗《りんざいしゆう》の『碧巌録《へきがんろく》』にも見つかる。いささか道教の色合いも感じるが「天地と我と同根、万物と我と一体」というのがそれである。
考えてみれば、お釈迦さまもお悟りを開いたとき、似たようなことを呟《つぶや》いていなかっただろうか。
「奇なる哉《かな》、奇なる哉、草木国土|悉《ことごと》く如来の智慧徳相を具有《ぐゆう》す」
「如来の智慧徳相」とは難しいが、要は自己の論理や言葉による価値判断がやみ、それぞれの存在が関係性のなかでそれぞれに輝いている、ということだろう。
うがった見方かもしれないが、私にはこれらの言葉が「暗在系の全体運動」を覗《のぞ》いた人のセリフと感じられるのである。むろんこれらの表現は、「暗在系」の描写であるだけでなく、彼らの「お悟り」の表現にもなっている。なんと、「暗在系」という「あの世」を感じとることが、もしかしたら「お悟り」と呼ばれるのだろうか。
[#改ページ]
――――――――――――――――――――――――――――
第三章 魂《たましい》って、あるのかな?
――――――――――――――――――――――――――――
知性と科学の限界[#「知性と科学の限界」はゴシック体]
どうにも「あの世」に手間取ってしまった。さすが「あの世」である。しかし私は前章で、「あの世」があるかないか、という視点では書いてこなかった。一応、多くの先人たちが見てきたという「あの世」または「お悟《さと》り」の世界を、そのまま素直《すなお》に描写《びようしや》してみたのである。
しかし「あの世」があるのかないのか、ひいては「魂」があるのかないのかにこだわっている人は、そろそろじれったくなっているのではないだろうか。「暗在系《あんざいけい》」にしても証明しようがないし、「お悟り」だって簡単には体験できそうにない。もっとはっきりさせてほしいと思ってはいないだろうか。
そこで私が申し上げたいのは、人間の知性の限界についてである。
つまり誰《だれ》でも、「あるか、ないか」という問いには「ある」、または「ない」という答えでないと納得《なつとく》しないだろう。じつはこれが、現在の人間の知性の限界なのである。
先ほど量子力学における粒子《りゆうし》と波の相補性《そうほせい》について述べたが、一つの単位が分割できない粒子でありながら波だ、という事態は、じつはすでに我々の理性的な把握力《はあくりよく》を超《こ》えているのだ。物理学は、今やそういう時代に入ったということだろう。
仏教においては、このことはすでに二世紀の龍樹《りゆうじゆ》(ナーガールジュナ)の著と伝えられる『大智度論《だいちどろん》』にも言及《げんきゆう》されている。
「あらゆる現象は、生ずることも滅《めつ》することもなく、存在しないものでも存在するものでもなく、同一でもなく異なるのでもなく、去ることも来ることもない。現象はあらゆる概念的《がいねんてき》定義を超える」
概念とは、我々の脳が生みだすものだが、すでにこの文章にしてからが、普通《ふつう》には理解できないだろう。
我々が生みだす世界像は、じつは太古以来、我々の脳が生みだした意識によって蓄積《ちくせき》された諸傾向《しよけいこう》が実現した結果である。つまり同じ種に属する生き物は現象の全体をだいたい同じように知覚するわけだが、人間の認識《にんしき》には自《おの》ずと限界がある。そのことを、古人もよく知っていたのである。
突飛《とつぴ》な言い方に聞こえるかもしれないが、物事に始めや終わりがある、というのも、あるいは世界を構成する最小単位としてのモノがあるはずだ、というのも、じつは人間の脳が長年かけて身につけてしまった認識上のクセだ。詳《くわ》しく言えば、それはどちらかといえば「科学」を生みだした西洋人の脳のクセと言ってもいい。もっと言えば、創造主としての神、というものを想定した人々の思考傾向かもしれない。
量子力学はすでに物象化できないミクロの世界を提出しているが、脳が長年の習慣からまだ抜《ぬ》け出《だ》せず、どうしてもモノを想定してしまう、と言ってもいいだろう。「あの世」も「魂」も、そうした物象化のクセが抜けない頭では把握できない、ということをまずご理解いただきたい。
これは換言《かんげん》すれば、科学的には「ある」ことも「ない」ことも証明できない、ということでもある。科学は万能だと思っている方も多いと思うが、じつは科学というのは、全体性との関連を、常にある程度無視することで成り立っている。本当は宇宙全体が微妙《びみよう》に関連しあっているわけだが、たとえば宇宙船の軌道《きどう》を計算するにも、太陽と地球を含《ふく》む九惑星《きゆうわくせい》の影響《えいきよう》だけをインプットすれば計算上の誤差は無視してもいい程度になる。範囲《はんい》を限定することで内部の分析《ぶんせき》が可能になるのは、むろん身体や動植物への科学でも同様である。
しかしおそらく、「あの世」とか「魂」というのは、もっともっと全体性に絡《から》んだ事態なのだと思う。だからこそその全体性に参入する方法として、前章で瞑想《めいそう》のことを述べた。瞑想とは、理性を超える脳の使い方なのである。
全体性と私[#「全体性と私」はゴシック体]
ここで全体性と私との関係について、一言申し上げておきたい。
これまでにも、たとえばボームの暗在系についても、「暗在系の全体運動」という言い方を気軽にしてきたと思う。全体性とは、仏教の言葉でいえば「お陰《かげ》さま」だが、西田|幾多郎《きたろう》先生などは「世界の背後の絶対無」などと呼んでいる。
とにかく我々には知り得ないが、私という存在はこの全体性と相互《そうご》に関連しあいながら生きている。
このことは、最近は科学的にも証明されてきている。たとえばマクロでいえば十九世紀半ばに発見されたフーコーの振《ふ》り子《こ》。フランスの物理学者レオン・フーコーは、パリのパンテオンの丸天井《まるてんじよう》に吊《つる》した振り子の動きで、地球の自転を証明しようという彼《かれ》の目的以上の結果を導いてしまう。つまりフーコーの振り子は、宇宙の質量が集中している最も遠い銀河に対応してその動きを調整していたのである。むろんその同じ力を我々も受けているということだ。
またミクロでは、たとえば一対《いつつい》の光子がどんなに距離《きより》が離れても「不可分」で同一の現実を構成することが、最近ではスイス人のニコラ・ジザンらのジュネーブにおける実験で明らかにされた。「不可分」で同一の現実とは、わかりにくいと思うが、つまり彼らはもともと一対であった光子Aと光子Bの一方を十キロ南で確認したとき、必ずもう一方は北十キロの地点で観測されることを証明した。二手《ふたて》に分岐《ぶんき》する部分でも両者はまったく同じ選択《せんたく》をした。これのどこが不思議かというと、両者が観測された時間差は三百億分の一秒以下、これでは光といえども九センチほどしか進めず、光より速く伝わる情報はないのだから、自分の位置を通常の情報として相手に知らせたわけではないことがわかる。しかし瞬時《しゆんじ》に両者は、何の情報伝達もなしに相関した振《ふ》る舞《ま》いをする(EPR現象と呼ばれる)。しかもこのことは、両者が宇宙の果てどうしに離れてもそうなるという。今や宇宙では、位置という概念も無意味になる場面さえ出てきたのである。
量子のこうした性格によって、テレポーテーションの実験にも二〇〇〇年に成功している。うがった見方かもしれないが、「虫の知らせ」は今や完全に科学の領域だろう。またギアナの一羽の蝶《ちよう》のはばたきがパリに雨を降らせることもある、というのも、大がかりな手品みたいだが、カオス系の物理学での現実の話だ。禅語《ぜんご》にいう「南山に雲起こり、北山に雨|下《ふ》る」といういわば「縁起《えんぎ》」が、ようやく科学の対象になりはじめたということだろう。
二〇〇四年には、特定の周波数の電磁波《でんじは》が、特定の大きさのフラクタル構造のキュービックに保存されることもわかってきた(一月七日「朝日新聞」一面)が、これによって我々を囲む空間は、無限の情報をもっている可能性がさらに広がってきたのである。
なんだか小難しいことばかり申し上げてしまったが、わかってほしいのは、全体性というのはこのように豊かで無限であり、私との相関関係は、我々の理性の理解などはるかに超えているということだ。言《い》い換《か》えれば、このような不思議に思えることも、我々は全体性との相関で普段やすやすとしているかもしれない、ということでもある。難しかったのはそれを科学的に再現することにすぎない。
科学は全体性を扱《あつか》うことが苦手である。前節で申し上げたように、科学はあくまでも数値的に影響を無視できる周囲をカットし、範囲を限定することで成り立っている。全体性をテーマにしてきたのはむしろ宗教だろう。しかし科学も、最近ではここまで全体性を垣間見《かいまみ》るようになってきたということだ。
科学が魂という全体性に関《かか》わる問題を扱えないのはあたりまえだが、だからといって魂などあり得ないという結論に導くことは科学的でさえない。それは科学とも宗教とも関係のない妄信《もうしん》なのである。
東西の世界観[#「東西の世界観」はゴシック体]
念のため、世界の在り方に対する基本的なアプローチを、東西で比較《ひかく》しておこう。
ギリシャでデモクリトスが「原子」の存在を提案した紀元前五世紀ごろ、インドでも同じような議論が激しく交《か》わされた。それ以上分割できない粒子が世界を構成することは可能か、というのがそのテーマだったわけだが、インド人たちは論理学を駆使《くし》してこの問題を西洋とは違《ちが》った方向に結論づけた。
すなわち、もしも分割しえない粒子が無数に集まって物質を形成しているなら、その粒子たちは接触《せつしよく》または融合《ゆうごう》するしかない。接触しているとすると、たとえば一つの粒子の東側ともう一つの粒子の西側がくっつくわけだが、東側や西側という部分があることは、分割できないという事実に反する。また融合するのだとすれば、……と論理は続くのだが、ここでは煩雑《はんざつ》なので省略する。ともかく、インドでは世界を粒子で語ろうとする習慣はヒンドゥー教と仏教の論争、あるいは仏教内部での長年の論争を通じてすたれ、やがて「空《くう》」という考え方が浮上《ふじよう》してくるのである。
また中国では「渾沌《こんとん》」という考え方が荘子《そうし》によって唱えられる。これも言ってみれば始めも終わりもない、粒子ならざる存在である。
ボーアやシュレディンガーのような量子力学の創始者たちが、西洋の科学と東洋の哲学《てつがく》思想の思想的統一を唱えたのは偶然《ぐうぜん》ではない。東洋的な知の使い方を借りなければ、世界を描写しきれなくなってきたということだ。
ボーアは言う。
「我々はブッダや老子がすでに直面した認識論的問題に向かうべきである」
これは「空」や「タオ(道)」の認識と思われるが、そこにおいて初めて「生まれるものでも止《や》むものでもなく、存在するものでも存在しないものでもなく」という量子論的世界の認識が可能になるのである。
「空《くう》」について[#「「空《くう》」について」はゴシック体]
なんだかわけがわからなくなってきただろうか。「知性の限界」の話なのだから仕方ないかもしれないが、もう少しおつきあいいただきたい。
「存在し、しかも存在しない」という状態は、仏教では「空」と表現される。まえにも出てきたが、ここであらためて整理しておこう。この状態は、本来は知性では捉《とら》えられないのだが、そう言ってしまっては身も蓋《ふた》もない。なんとか理解してもらえるように書いてみたい。
要は、どんな物体も粒子も現象も、あるいは宇宙全体のどんな存在も、何も、絶対的な普遍性《ふへんせい》をもたない、ということなのだが、これじゃあ余計にわからないだろうか。
たとえばここに、コップ一杯《いつぱい》のコカコーラがあったとしよう。
人によって好き嫌《きら》いもあるだろうから、それを眺《なが》める気分はみな違うにしても、とりあえず同じヒトであれば、同じように黒みがかった液体とその泡《あわ》が見えているだろう。むろん、それがぴったり同じだという保証はないのだが、まあ大雑把にいえば同じような液体が見えるはずである。
しかしここで他の生き物の知覚を想像してみよう。たとえば犬の視界はモノクロらしいが、ヒトよりもはるかに赤外線に敏感《びんかん》らしい。また鳩《はと》はヒトよりも紫外線《しがいせん》を感じる。コウモリは視覚は衰《おとろ》えているがその代わり、超音波《ちようおんぱ》の反射音を感じて対象の存在と自分との関係を知る。誰も、ヒトと犬と鳩とコウモリに感じられるコカコーラや世界が同じものとは思わないだろう。
そうであるなら、ヒトに感じられるコカコーラの在り方を、そのものの実体だとするのは、ヒトの傲慢《ごうまん》でしかないだろう。
むろんそこには、何もないわけじゃない。しかし観察者に関係ない実体というのは、ないということだ。
それなら同じヒト同士であれば、それなりに実体を認めていいのではないか、と思われるかもしれない。しかしコカコーラは、刻一刻変化している。泡が出るからわかりやすいが、このことは机やノートでも同じである。そうでなければあらゆるモノは古びることもないだろう。このことは、仏教では「縁起」と「無常」という言葉で表現される。つまり、モノが常に観測者やその他の条件との相互依存《そうごいぞん》のなかに存在するというのが「縁起」、刻々と変化するから変わらぬ実体などない、というのが「無常」である。
しかもこれは、いかなる粒子についても、また意識についても当てはまると仏教では考える。粒子であれ意識であれ、固定して概念化したものが「色《しき》」だが、それらは実体ではないから、しつこく「色即是空《しきそくぜくう》」と申し上げているのである。
量子力学は、ようやくにしてこの認識に到達《とうたつ》したといえるだろう。
ボーアは、「原子、亜原子《あげんし》という物は、固有の特性は何ももっていない」と言う。つまり量子論を背景にして物体を見る場合には、常に測定しうる特性をそなえているものと見ることは許されない。簡単に言うと、量子力学は物体という概念を根底から相対化し、すべてを「できごと」という範疇《はんちゆう》に入れてしまったのである。
「できごと」としての魂[#「「できごと」としての魂」はゴシック体]
うだうだと小難しいことを書いてきたのは、結局のところ「魂」を「できごと」として考えたかったからである。誰にとっても実在するものとしては、今や机もノートもコカコーラも認められないのだから、「魂」の実在を論じることなど、無理に決まっている。
先ほど、我々の見る世界像は、太古以来の我々の脳が生みだした意識によって蓄積された諸傾向が実現したと、申し上げた。だからだいたいは同じような知覚から同じような神経システムを経て、同じような認識に至るわけだが、それでもまったく同じにはならないのが面白いところだろう。
だから「魂」を感じるできごとに、逢《あ》う人も逢わない人もいる。
これはおそらく、我々の脳の在り方に深く関係している。つまりコンピューターと違って我々の脳は、メモリーのある部分と考える(計算する)部分が分かれてはいない。つまり生まれる前と後とを含め、すべての記憶《きおく》が蓄積された脳で、我々は感じることも考えることもしているのである。長年に蓄積されてきた記憶による意識の傾向は、当然我々の知覚そのものにも影響を与える。この蓄積された記憶の影響力を仏教では「カルマ(業)」と呼ぶが、その影響下でのみ、我々はモノを見たり聞いたり感じたりしているのである。
デヴィッド・ボームは言う。「現実とは、我々が真実とみなしているものである。我々が真実とみなしているものは、我々が信じているものである。我々が信じているものは、我々の知覚に支えられている。我々が知覚するものは、我々が探しているものである。我々が探すものは、我々が考えるものに依存している。」(バークレーでの講演より)
先に述べた認知的不協和にも通じる話だが、結局我々は、カルマと呼ばれる記憶の蓄積のなかで、思考や信仰《しんこう》などが求めるもののみを知覚し、それを現実だ真実だと思《おも》い込《こ》んでいるということだろう。
そんなこと言ったって、見えたものは現実じゃないか、聞こえたものはどうしてくれる、とおっしゃるかもしれない。
しかし冷静に、我々がモノを見たり聞いたりする現象を思い直していただきたい。たとえば眼《め》の場合、我々の網膜《もうまく》には約五百万の円錐細胞《えんすいさいぼう》と約一億の桿状体《かんじようたい》細胞があるわけだが、前者は光を感じ、カラー映像を提供するのに対し、後者は弱い光度にしか反応せず、モノクロの映像をつくる。これが瞬時に総合されて我々の見る映像になるのは、ひとえに視床下部《ししようかぶ》をはじめとする脳の働きではないか。耳の場合も同様である。
我々が遭遇《そうぐう》するすべての現象は、我々の脳の傾向と外界との接触による「できごと」でしかない。主観も客観も、単独では認めない仏教の考え方は、認知科学とも矛盾《むじゆん》するものではないこと、おわかりいただけただろうか。だから私は、「あの世」や「魂」についても同じように考えていただきたいのである。
さまざまな輪廻《りんね》[#「さまざまな輪廻《りんね》」はゴシック体]
文化的|環境《かんきよう》による意識の傾向の違い、またそれによって影響される「できごと」の違いは、輪廻という現象において顕著《けんちよ》である。
ご承知かと思うが、今でもインドやチベットでは輪廻|転生《てんしよう》した人が数多く発見され、主にアメリカなどの学者の研究対象にさえなっている。チベットの場合はダライ・ラマの後継者《こうけいしや》選びに前のダライ・ラマの生まれ変わりを全国から探すという制度さえある。
これをどう考えたらいいか、ということだが、制度になっているという点には問題を感じないでもないが、ともあれ今なお輪廻転生が信じられているインドやチベットだから、そんな「できごと」まで起こってしまうのである。あらゆる現象は、脳との協同の「できごと」であること、納得していただけるだろうか。
ところでここで、少し輪廻のことを考えてみたい。
以前、物事に始めと終わりがある、という考え方は、主に西洋的な脳のクセだと申し上げた。しかもキリスト教的な創造主の影響だろうとも申し上げたと思う。そう、この考え方は、比較的新しいのである。
命に関しては、ほぼ世界中の人が、古代には輪廻(命の連続性)を信じていたと思える。むろんヨーロッパにも、じつは輪廻の考え方はあった。四世紀にキリスト教の公会議において否定され、それ以後|隠《かく》されてしまったともいわれる。なかには、『聖書』のなかの輪廻を想《おも》わせる描写がそのとき削《けず》られたと主張する人もいる。
終わりなき命という概念が、「始まって終わる」という概念にとって代わられたということだ。このとき、天に向かう直線の先に天国が明確に想定された。それ以後、ヨーロッパ人の脳は次第に連続性や循環《じゆんかん》という考え方をあまりしなくなっていくのである。
ところでこの輪廻だが、大きく分けて二つの考え方がある。
一つは人間は人間としてのみ、輪廻するというもの。つまり、今の人生が終わるといずれ一定期間の後に別なからだを得て再びこの世に生まれてくるわけだが、犬は次の世も犬だし、ヒトはヒト、ネコはネコで、それぞれは混じらないという考え方だ。
日本の古代の考え方はこれだろう。それは沖縄《おきなわ》や、北海道のアイヌ文化を見てもそう思える。「イヨマンテ」と呼ばれる熊祭《くままつり》なども、死んだ熊がまた熊として戻《もど》ってくることを疑ってはいない。だからこそ輪廻は、「循環して減らない生き物世界」という安らぎを我々に与えてくれるのである。
むろん中国でもそうだ。中国では死後に行く場所はあまり嬉《うれ》しい処《ところ》ではなかったが、子々孫々は「氣《き》」を通して連続し、永久に途絶《とだ》えないと考える。その命の連続性については、むろん肯定的《こうていてき》に受けとめているのである。
しかしインドで考えられた輪廻転生はいささか変わっていた。
現代人の脳の使い方からすれば、もう理性で考える限界をはるかに超えた思想ではないだろうか。彼らは、犬も猫《ねこ》も牛も象もヒトも、いや、ゴキブリもバッタもゲジゲジも、同じ命の連続のなかに含めて考えたのである。
つまり同じ魂が、かくもさまざまな姿に生まれ変わるということだ。だからこそ、インドにおける輪廻転生は、苦しみとして理解された。わざわざそんなふうに考えておいて否定的に思うなら、そう考えなければいいと思ってしまうが、そのあたりがインド人の哲学的なところだ。
お釈迦《しやか》さまが「解脱《げだつ》」と言った意味は、そうした苦しい輪廻の連鎖《れんさ》から「解」放され、その悪夢のような循環から「脱」出するという意味だ。
しかしこのインドの輪廻観は、中国で議論のすえ否定される。だから仏教は、日本には輪廻を抜きにして中国から伝わるわけだが、そこは蛇《じや》の道はヘビ。それだけがまったく伝わらないということは不可能だろう。中世の日本僧《にほんそう》の文書にも「輪廻」の話はけっこう出てくる。道元禅師も抜隊《ばつすい》禅師もそうだ。そして江戸期にも「袖摺《そです》(振《ふ》)り合《あ》うも多生の縁」などと言われる。多生とは、明らかにいくつもの前世を想定した言葉だが、やはり日本人は古くからの考え方、クセに従い、いつのまにか人間は人間どうしでの循環を考えているようなのである。
むろんどちらが正しいかはわからない。というより、それはそれぞれの長年の意識の働かせ方に由来する相互依存的「できごと」だから、両方ありえるということだろう。最近は「退行催眠《たいこうさいみん》」などで過去世を体験する、といった試みもあるが、これもむろん人間どうしである。
チベットやインドのような輪廻では、目の前を歩いている犬でさえご先祖の再来かもしれないわけだから、当然|虐《いじ》めることさえない。現在の日本のように肉食が盛《さか》んで殺虫剤《さつちゆうざい》なども豊富な環境では、インド式輪廻は信じようがないだろう。信じたら、あまりにも苦しすぎる。私など肉も好きなもんだから、切実にそう思う。
信じられていない「できごと」は、起きにくいのである。
魂と霊《れい》の違い[#「魂と霊《れい》の違い」はゴシック体]
インドでは命の循環が苦しみと認識された、と申し上げた。それはカースト制度下における人々の生活の苦しみも反映していたのかもしれない。
しかし日本や、多くの地域では、循環して回帰することはむしろ安らかな気分に人々を運んだ。
何度も申し上げて恐縮《きようしゆく》だが、こうした気分の違いが「できごと」の違いになって現れるのは自然なことだ。むろんどの「できごと」が正しいという考え方は私にはないが、ここでは日本における「魂」を感じさせる「できごと」の共通点を整理しておこう。
それにはまず、「魂」と「霊」の違いが大切である。
通常「魂」といった場合、これは生きているうちから存在している。死ぬと「霊」と呼ばれるようになるわけだが、魂が一つであれば、魂が霊に移行したということになる。しかし、ユングによれば、どうも魂が一つだと考えるのは世界の中でも少数派らしい。あるいは新しい傾向といえるかもしれない。
多くの民族では人間が二つ以上の魂をもっており、そのうちの一つは死後も生き残ると考えているようだ。つまり魂の一部は永遠に死なないのである。
ちなみに和語としての「たましひ」は、万葉仮名《まんようがな》では「多麻之比《たましひ》」とか「多末之比《たましひ》」と書かれたが、やはり「多数」あると思われていたということだろう。沖縄には明らかにその考え方が今も残っている。また「麻」はごちゃごちゃしたもの、「末」はその末端だから、どうにも自分では制御《せいぎよ》しきれないイメージが漂《ただよ》う。
しかし制御できるかどうかはともかく、魂は常態では自分に属すべきものであり、一方の「霊」は常態では自分の近くにあってはいけないものである。
『源氏物語』の「柏木《かしわぎ》」には「やがてかき乱り、惑《まど》ひ初《そ》めにしたましひの、身にも帰らずなりにしを」とあるが、たくさんある魂の一部がからだから遊離し、人が病気になるというのは、当時の日本だけでなく、かなり世界に共通した考え方だと見ていいだろう。
日本では沖縄などに今も残っているが、たとえばオーストラリアなどでも最近は古くからのそうした魂戻《たまもど》しの儀式《ぎしき》が復活しているという。つまり遊離した魂を戻すことで病気を治そうというのである。日本では古くは「鎮魂《たましずめ》」の祭と呼んだが、これは本来気がふれたり死にかけた人の魂を呼び戻し、本人のからだに鎮《しず》めようという儀式である。今のように、単に死者の魂を慰《なぐさ》めようということではなかった。
「たまげる」は、古語では「たまぎる(魂消る)」というのだが、これは驚《おどろ》くと魂の一部がからだから遊離すると思われていた証拠《しようこ》だろう。
逆に「霊」のほうは、憑《つ》くことで人は病気になる。つまり古来考えられていた病気の原因は、魂の喪失《そうしつ》と、霊の憑依《ひようい》なのである。
なんだかややこしいことを書いてしまったが、ここで私が申し上げたいのは、もしも死を経過してなおも生き残るという「できごと」を体験したとするなら、それは「魂」と呼ばれるものだということだ。しかもそれは生きていた人の中に働いていた「たましひ」の全体ではない。もともと中国語の「魂《こん》」も、遺体の骨に残る「魄《はく》」と分かれた残りだ。
ちなみに和語の「たましひ」の語尾《ごび》にある「ひ」は、他者や世界に働きかける霊力そのものを表すという。
心と意識と霊と魂[#「心と意識と霊と魂」はゴシック体]
ここまで読んできて、おそらく一番気になるのは、自分にはそんな「できごと」が起きるのか、ということだろう。それは何とも申し上げられないが、私に言えるのは、起きるとすれば、日本人としての文化的環境とあなた自身の信仰や考え方に影響された「できごと」なはずだ、ということである。たとえば我々が犬に輪廻してしまう確率は、アメリカ人がカッパに遭遇するくらい低いけれど、そのかわり我々は、エジプトの人が動くミイラを見るのと同じくらい、お岩さんのような幽霊《ゆうれい》に遭《あ》う可能性はある、ということだ。
まだ、あなたに起こる「できごと」の答えになっていないだろうか。
それならいっそ、それはあなたの心次第だと言ってしまおう。
これまで私は、意識という言葉をかなり広い意味で使ってきたが、それはむしろ心と呼んだほうがふさわしい。少なくとも心という言葉の意味は、意識よりかなり広い。生まれたばかりの赤ちゃん、いや、最近では生まれるまえの胎児《たいじ》にさえ、心はあると考えられている。文学的使用法も含めると、それは自我《じが》の意識から無意識の深層まで、人間以外の生き物から宇宙にまでも広がりそうだ。
ユングは人間としての心の構成要素を、意識と、個人的無意識、そして集合的無意識の三層で考えた。これは唯識《ゆいしき》仏教のそれぞれ意識、末那識《まなしき》、阿頼耶識《あらやしき》に対応するわけだが、ユングによればそれらはいずれも、自律的複合体であるという。つまり、普段は自我(意識)との結びつきがなく、勝手に(自律的に)振る舞うというのだ。
人は成長の過程で、どうしても道徳的、審美的《しんびてき》、また知的な制約を自分につけていく。こういうのは許せないと、たとえ意識しなくてもどこか深いところで判断しているということだ。そしてそれに抵触《ていしよく》した自分は、抑圧《よくあつ》されて個人的無意識に落ち込んでいくのである。
また一方で人は、全人類に共通するような種としての膨大《ぼうだい》な記憶も持っている。それは前述したような系統発生を繰《く》り返《かえ》す個体発生の過程で、実際に体験されたものと考えることもできるし、それこそ遺伝子そのものに蓄積されてきた記憶と思うことも可能だろう。この記憶が集合的無意識と呼ばれ、そこに神話のモチーフもすべてあるというのである。
ユングは、さまざまな臨床実験のあげく、「魂」は個人的無意識の自律的複合体に対応し、「霊」は集合的無意識の自律的複合体に相当すると喝破《かつぱ》した。
まあ、喝破したと言われても、読者の皆《みな》さんはうなずくこともできないかもしれない。まるで皿の乾《かわ》いたカッパのように戸惑うばかりだろうか。
ユングの代弁などできないが、私なりに解釈《かいしやく》すると、前節で述べた「魂」と「霊」の特徴《とくちよう》、つまり欠けてはいけない「魂」と、寄ってきては困る「霊」という性質が、ユングの規定した個人的無意識と集合的無意識に、それぞれぴったり対応するというのである。
なんだかまたややこしくなっただろうか。要するにここで私が「意識」を「心」にまで広めた意味は、「魂」や「霊」に出逢うためのこちら側の条件は、以上のような意味での「心」には充分《じゆうぶん》あるということだ。向こう側はどうかといえば、エネルギーの量子論的な曖昧《あいまい》さのお陰で、我々を取り巻く空間は無数の幽霊のような存在、つまり潜在《せんざい》的な粒子に満ちている。あとはそれとある種の「心」が出逢うだけなのである。
脳のクセを超える瞑想[#「脳のクセを超える瞑想」はゴシック体]
ユングの臨床的な実感が、そう簡単に、こんなに短い記述でわかるはずはない。それは私もわかっている。いずれにしてもここでは「魂」も「霊」も、無意識が優位になる変性意識状態における「できごと」なのだと理解してほしい。
変性意識状態である以上、本来言語化することはできない。できないことにこんなに努力している私は一体なにをしているのだろう。
初心にかえろう。いや、ブッダにかえろう。
ゴータマ・シッダールタは「目覚め」つまり「ブッダ」という行為《こうい》によって釈尊《しやくそん》になった。ブッダとはつまり「意識化」のことだろう。
お釈迦さまの脳は、いったいなにを意識したのか。当初難しすぎて、話しても誰にも理解されないと思った内容は何だったのだろう。
もしかすると、それは通常には意識できない膨大な無意識世界ではなかっただろうか。通常の理性では体験できない「できごと」を、お釈迦さまは深い深い瞑想の変性意識のなかで体験された。そして注意深く、概念化できないことについては言語化を避《さ》けられた……。
「世界は永遠でしょうか、無常でしょうか」「世界は有限でしょうか、無限でしょうか」「霊魂とからだは同じでしょうか、違うのでしょうか」「死んだらどうなるのでしょうか」弟子《でし》たちから浴びせられるこれらの問いに、お釈迦さまはどう訊《き》かれても答えなかった。
おそらくお釈迦さまは、現実がつねに観測者と観測されるものとの相互作用によって決定される「できごと」であることを熟知していたのだろう。つまり「空《くう》」の認識だが、これはいわば量子論的現実ということでもある。しかもそれを感受する我々の神経システムには限界がある。むろん「粒子であり、かつ波である」というように、通常の知性では理解できない記述になってしまうはずである。部分と全体の相補性によって、部分の姿が現れることもあれば、全体の姿が現れることもある。世界も霊魂も、つねに個別的な「できごと」としてしか現れないのである。
当然、お釈迦さまは輪廻を信じていた。だからこそそれが断《た》ち切《き》れる、解脱できるとおっしゃった。実際『遊行経《ゆぎようきよう》』という経典には、アーナンダの質問に答え、スダッタ長者はもう一度輪廻し、スジャータも何度かの生のあとでいずれ解脱するだろうと答えている。
むろん輪廻をつなぐ「魂」の存在は認めていたということだ。それは今しがた示したお釈迦さまへの質問を見ても明らかだろう。質問者は「霊魂とからだは同じか違うか」を訊いている。つまり「ある」ことは前提にしているのである。
しかし私は、だから「ある」と言いたいのではない。あくまでも「ある」か「ない」かに分けたいのは脳のクセ。量子論的現実は、さっきも申し上げたように物体と空間さえ粒子のグラデーションでしかない。「ある」「ない」の明確な区別は、本当は脳のなかにしか存在しないのである。
インドという文化的環境のなかで「ある」ことが、日本人である我々にも「ある」とはいえないのだ。我々は我々なりの意識の傾向による「できごと」で、独自に体験するしかないということだ。第二章でしつこく説明した日本的「あの世」は、我々の奥底《おくそこ》で意識の傾向を構成していると思うから書いたのである。
お釈迦さまが繰り返し「瞑想せよ」と説いたのは、おそらくそれが通常の脳のクセを超え、奥深い意識の諸傾向を感じる唯一の手段だとご存じだったからだろう。
ユングの言ったことがあなたにおいて起こるかどうかはわからない。しかし瞑想は、個人的無意識や集合的無意識に出逢うもっともマットウな方法なのである。
今頃《いまごろ》になってこんなこと言ったら叱《しか》られるかもしれないが、「魂って、あるのかな?」と訊かれたら、私はお釈迦さまのように黙《だま》っていることは無理だから、「瞑想、してみれば」と答えよう。
あなたにとっての答えは、あなたにしかわからないのだから。
[#改ページ]
――――――――――――――――――――――――――――
第四章 あらためて、死とは何か
――――――――――――――――――――――――――――
プチまとめ[#「プチまとめ」はゴシック体]
話がだいぶ広がってしまった。あらためて死とは何かと考えるまえに、これまでのことを少し整理してみよう。
死によって起こることは、基本的にはからだが有機物に分解されて自然に還《かえ》ることだった。問題なのは、その際に「魂《たましい》」がどうなるのか、ということだが、それについてはほとんどの民族が、古来死後も永続する何かを想定してきた、と紹介《しようかい》してきた。いや、それが「魂」だと言ってもいいだろう。
東洋的な循環型《じゆんかんがた》、そしてアブラハムの宗教における直線型。仏教の場合は、じつは輪廻転生《りんねてんしよう》というインド独特の風土に芽生えながらも、お釈迦《しやか》さまが輪廻を断《た》ち切《き》れると宣言したせいか、そこには直線型の極楽浄土《ごくらくじようど》が登場してくる。直線型とは、つまり来たところに還るのではなく、初めて行く場所が来世と考えられている場合である。
しかし、仏教が提案した浄土も日本では古来の循環型に変形し、「あの世」となって定着するのだった。いわば自然に還るという実感が、新興の仏教|概念《がいねん》を抱《だ》き込《こ》んでしまった形だろう。
そのほかにも我々の中にはさまざまな概念や実感が蓄積《ちくせき》されてきている。山や海や月のかなたの「あの世」を書いたのも、阿頼耶識《あらやしき》(または遺伝子)に蓄積された奥深《おくぶか》い記憶《きおく》を呼び覚ますためだ。そうして蓄積された深い意識(または心)の諸傾向《しよけいこう》が、今度は我々の見るもの聞くことにも作用する。なぜなら我々の脳は、夥《おびただ》しい記憶を抱《かか》えた同じ場所で思考もする。受けとめた知覚の処理もする。そこにはどうしても蓄積された意識の傾向が影響《えいきよう》してしまうだろうと、私は述べた。デヴィッド・ボームも言うように、我々は探しているものを見るし、聞いてしまうのである。
それはまるで、観測者がいないときは波として存在し、観測するという行為《こうい》によって初めて粒子《りゆうし》の姿を見せる光や素粒子の性質そのもののようだ。大胆《だいたん》に言ってしまえば、「あの世」も「魂」も、だから「ある」か「ない」かと考える対象ではなく、あなたとの相互的《そうごてき》な関係性のなかで起きる「できごと」なのである。
つまり「魂」も「あの世」も、「ある」ともいえるし「ない」ともいえる。また「ある」わけでもないし「ない」わけでもない、ということだ。
論理の限界[#「論理の限界」はゴシック体]
そんな言い方ズルイと思う人がまだいるだろうか。それなら駄目押《だめお》しに、ゲーデルの不完全性定理を紹介しておこう。
これは一九三一年、オーストリアの数学者であるクルト・ゲーデルが発表した不思議な定理だが、要するに彼《かれ》は、矛盾《むじゆん》を含《ふく》まない一貫《いつかん》した算術体系は、不可避的《ふかひてき》に「決定不能な」命題を含むことを証明した。もっと砕《くだ》いて言えば、どんな論理的体系でも必ず矛盾を含む、つまり論理には限界があるということだ。だからさっきのような非論理的な言い方をするしかないのである。
単純すぎるかもしれないが、一つ例を示そう。たとえば「私はウソつきである」という文章は、昔からそういう意味で親しまれてきたものだ。もし「私」の言うとおり「私」がウソつきなら、この言葉は本当ということになるから「私」は正直者ということになってしまう。またこのセリフそのものがウソだとしても、やはり「私」は正直者になってしまう。こんな単純な論理でさえ、そんなふうに矛盾を孕《はら》んでいるのである。
ちょっと飛躍《ひやく》した話かもしれないが、とにかく論理的に「あの世」や「魂」をわかろうとするのは、そろそろ諦《あきら》めていただきたい。論理というのは、それほどに不備なのである。
死んだらどうなるの? という質問にも、だから誰《だれ》にでも共通する答えはない。いずれ自分で確かめていただくほかはないのである。
ここまで読ませておきながら、今頃《いまごろ》そんなこと言うなんてサギだと思うだろうか。それなら「私は詐欺師《さぎし》だ」と言ってしまおう。詐欺師はそんなこと言わないはずなのである。
死も相対的?[#「死も相対的?」はゴシック体]
そんな水掛《みずか》け論をしていてもびしょぬれになるだけだ。ともあれ、あらためて死について、いや、死と生について考えてみたい。
先に私は、「有」と「無」でさえ実際の物理的現実ではなく、我々の脳が作りだす概念だと申し上げた。実際には目の前の何も見えない空間とそこに置かれた物体でさえ、量子的レベルではグラデーションでしかないのだ、と。
これはいわば脳の仕業《しわざ》である相対的判断という奴《やつ》だが、この相対的判断を徹底《てつてい》して嫌《きら》った人が中国の荘子《そうし》であった。彼《かれ》によれば、獣《けもの》の毛先より大きいものはなく、泰山《たいざん》だって小さい、となる。また幼くして死んだ子だって長生きだし、七百|歳《さい》まで生きた彭祖《ほうそ》も若死にじゃないか、というのだが、おわかりだろうか。つまり、すべてはモノサシ次第。比較《ひかく》する相手によって変わる相対的判断にすぎないというのである。
荘子はさらにドジョウとサルと人間のすみかを比較し、人間とムカデとトビやカラスのエサを比較し、サルとドジョウと鹿《しか》と人間の求めるメスを比較する。みな自分たちにとってしか価値のないすみかやエサやメスを珍重《ちんちよう》しているだけで、是非《ぜひ》善悪だって相対的である。人間のオスが美人だと絶賛するメスだって、魚や鳥や鹿は怖《こわ》がって逃《に》げだすだろうから、むろん美醜《びしゆう》だって絶対的な価値ではないというのだ。
それだけの前置きをして彼が最終的に言いたいのは、生と死だって相対的な判断じゃないか、ということだ。「死生も己《おの》れを変《か》うる無し」と、荘子は言う。これが荘子の「万物斉同《ばんぶつせいどう》」といわれる思想である。つまりあらゆる現象は我々の脳の相対的判断で分別されるが、そんなのは単に脳が勝手に区別しているにすぎない。本来、あらゆる存在は斉《ひと》しい価値をもっているというのだ。
知的な判断だけでなく、荘子はありふれた人情にも疑いを向ける。「人間が生を喜ぶのが惑《まど》いではないと、どうして言えるだろう。逆に、人間が死を憎《にく》むのは、幼い頃に故郷を離れたものが、故郷に帰ることを忘れるのに似てはいないだろうか」と。また麗姫《りき》という娘《むすめ》が晋《しん》の国王に連れ去られてさめざめと泣いたものの、やがてそこでの生活に満足して以前に泣いたことを悔《く》やんだ例をあげ、「死の世界に行った者も、行ってみたら案外楽しいので、なぜ死ぬ前にあれほど生きることを願っていたのだろうと、後悔《こうかい》しないとは限るまい」というのだ。
荘子独特の諧謔《かいぎやく》に満ちているが、ここには明らかに日本的「あの世」で紹介した、東洋に共通する回帰願望の原形が見てとれる。また人間の思いがいかに無常でいい加減であるかも述べられている。
たしかに死が生との比較によって相対的に脳内に生じた判断だとは、誰しも思えないに違《ちが》いない。そんな言い方こそ概念じゃないかと、反論する人だっているだろう。実際人情や知性を超《こ》えることの難しい我々には、人の死は厳然たる悲しい事実としか思えない。
しかし荘子の言うことが、でたらめだと証明することも、科学的には無理だということは承知しておいていただきたい。
日常のなかの生死[#「日常のなかの生死」はゴシック体]
「わからない」なら、どうするか。「わからない」なら「わからない」で仕方ないじゃないか、と言いたいところだが、それじゃあ叱《しか》られそうだから、ここでは禅《ぜん》の考え方を紹介しておこう。
荘子よりも少し現実的な禅は、老荘思想の影響は受けつつも、日常のなかに死を見つめようとする。
思えば我々のからだは、刻一刻|入《い》れ替《か》わっている。筋肉などはシステムとしてはずっと使われるにしても、個々の細胞《さいぼう》はむろん入れ替わっている。大部分の細胞は次々に死んでは生まれ、生まれては死んでいるのである。最もその入れ替わりが激しいのは、赤血球だろうか。一日に一兆数千億個死に、ほぼ同じ数だけ生まれる。ガン細胞も症例《しようれい》によっては同じように速い。
そこまでのスピードではないにしても、大部分の細胞は数ヶ月もすればほぼ入れ替わってしまうらしい。二、三ヶ月と言う人もいる。考えてみれば風呂《ふろ》で落とされるアカは使い古された皮膚《ひふ》の細胞だし、トイレで排出《はいしゆつ》するものにも多くの細胞の死骸《しがい》が混じっている。毎日のように、我々は自分のからだの一部のお葬式《そうしき》をしているようなものなのである。
もっと言えば、我々のからだを構成している分子や細胞の入れ替わりだけでなく、その原子を構成している素粒子の寿命《じゆみよう》だって驚《おどろ》くほど短い。私がゼロの数を読み違えていなければ、短命なものは百億分の一秒、だいぶ長命なものでも百万分の一秒程度だったと思う。いくつか安定的な素粒子もあるが、大部分は刹那《せつな》も生きてはいない。刹那というのは七十五分の一秒だが、もうそんなレベルではないのである。
そうであるならば、我々のこの生というのは、絶えざる生死の繰《く》り返《かえ》しということになる。
私は意識(心)というものが全身に影響をもつものだと思っているが、以上のようなことを踏《ふ》まえれば、たとえ顕微鏡《けんびきよう》くらいのレベルでは変化が判《わか》らなくとも、意識の変化で全身がかわってしまうということもあり得るだろう。基本的な構造は変わらないのに、機能が変わるということだ。いや、もしかすると、我々には判らないだけで、組織や構造も微妙に変化しているのかもしれない。たとえば林の木が虫などにやられた場合も、先にやられた木からの情報発信を受けとめ、残った木はタンパク質の組成を変化させて防衛するといわれる。
我々が「懺悔《ざんげ》」という行為を認めるのは、人がそうして急激に変化できることを直観したからではないだろうか。
私が言いたいのは、いわゆる死んだ気になって生きるとか、そういう精神論ではない。現実に我々は、きっと心もからだもまったく生まれ変わることが可能なのである。
生まれ直し[#「生まれ直し」はゴシック体]
そのことを「行《ぎよう》」として積極的にしているのが修験道《しゆげんどう》、いわゆる山伏《やまぶし》といわれる人々だろう。明らかに彼らは、六根《ろつこん》(眼《げん》・耳《に》・鼻《び》・舌《ぜつ》・身《しん》・意)を浄《きよ》め、六道《ろくどう》(地獄《じごく》・餓鬼《がき》・畜生《ちくしよう》・修羅《しゆら》・人間・天)のそれぞれの心を責めたてる行によって一度死に、生まれ変わろうとしている。しかもそれを行なう場所は「あの世」である山だ。山を母親の胎内《たいない》と見立て、わざわざ「長頭巾《ながときん》」という五尺や八尺の白い布を頭に巻き、また腰《こし》には「貝の緒《お》」という赤いひもを巻いて両側に垂らす。白いほうは胎内と繋《つな》がっていた「えな」を表し、赤いほうは臍《へそ》の緒を表しているというのだから、まさに本格的な生まれ直しである。
ところでこうした生まれ直しを、もっと日常のなかでしていこうというのが禅かもしれない。いや、お釈迦さまの勧《すす》める瞑想《めいそう》というのも、結局は自分のなかの六道に出逢《であ》い、そうして生まれ直していくプロセスだろう。
ただ禅の場合は、坐禅《ざぜん》だけでなく日常生活をも生まれ直しの連続と考える。敷居《しきい》のまえでお辞儀《じぎ》すればそれまでの不機嫌《ふきげん》だった自分を死なせ、新たな自分になって敷居を跨《また》ぐ。またさっき喧嘩《けんか》した相手でも今はできるだけニュートラルな気分で向き合おうとする。そんな生まれ直しを、禅では「寂滅現前《じやくめつげんぜん》」という。古い自分が寂滅し、生まれ変わった新たな自分が現前するのである。
むろん「念念相続《ねんねんそうぞく》」といって、続けるべき思いもあるだろう。しかし一瞬《いつしゆん》ごとに手放したほうがいい思いも多い。そういう意味でも、生は二重性を帯びる。手放しながら相続されるもの、死を内包した生こそ、本当に生きることなのである。
大事なのは、素粒子レベルはもちろん分子レベルで繰り返される死をも認めようとせず、常にのっぺり変化しないまとまり(概念)にこだわる脳機能への対処だろう。ここでその具体的な方法を述べる余裕《よゆう》はないが、まずは言語脳を休ませることだ。とにかく考えていられないほど切迫《せつぱく》したからだの運動にすべてを委《ゆだ》ねるか、からだの内部感覚に意識を集中するかだが、前者が山伏の峰入《みねい》りなどの行だとすれば、後者が瞑想という方法論である。
根源的な意識の連続体[#「根源的な意識の連続体」はゴシック体]
しかしそうした日常のなかの部分的な死や小さな生まれ変わりだけで、死の問題は解決するのだろうか。
この本の初めに、私は子供の頃の死への恐怖《きようふ》のことを書き、そして今はそれが変化してきたと書いたと思う。たしかに現在の私は、これまで書いてきたような知識や考察によって、多少はカシコクなったと思う。また初めに書いたように、私は死の間際《まぎわ》まで今と同じ意識が続くわけではないという確信ももった。しかしそれだけで死を怖がらなくなったのだろうか。
正直に言ってしまおう。
「私はウソつきである」いや、冗談《じようだん》を言ってる場合ではない。
私は道場で坐禅し、また仏教を学ぶうちに、なにか死によっても途切《とぎ》れない何者かを信じるようになったのである。
我々がお通夜《つや》によむ回向《えこう》のなかでも、「中有《ちゆうう》の幻身《げんしん》」という。中有とは中陰《ちゆういん》と同じ意味で、この世での生を終えて次の体を得るまでの過渡期《かとき》だが、そのあいだは身体的な裏付けなしに何らかの意識の連続体が存在しえる、と仏教は考える。
これは「根源的な意識の連続体」とも呼ばれるが、生きているうちにそれを浄化し、そこにもともと含まれている智慧《ちえ》と慈悲《じひ》を発現させるというのが仏教徒の究極の修行目的である。これは我々においては長年にわたる「無知」で曇《くも》り、また歪《ゆが》んで皺《しわ》などが寄ったりしているらしいが、むろん思考や言動を変えることで変化させることができる。「無知」や長年の意識の諸傾向で覆《おお》われて眠《ねむ》ったような状態のそれを、さまざまな修行によって目覚めさせ(ブッダ)、本来的な状態に戻《もど》すことがおそらく「悟《さと》り」と呼ばれる事態なのである。
今、私は「途切れない何者かを信じる」という言い方をした。それは、多くの仏教的|認識《にんしき》が先端《せんたん》科学の提示する世界と矛盾しないのに対し、このことだけはいわゆる科学がまだ扱《あつか》い得ない領域だから「信じる」としか言えないである。
しかし、仏陀《ぶつだ》をはじめ多くの人々が同じような修行を経て同じような認識に達したのは間違いないことだろう。瞑想でも坐禅でも、師匠《ししよう》はまるで科学的な実験をしているのと同じように、弟子《でし》の心象をじつに正確に把握《はあく》している。こんな実感を得たあとはこんなふうに考えるようになる、こういう状況《じようきよう》ではこんなふうに見えていると、師匠はちゃんとわかっているのである。
おそらくこれは、経験科学とでも呼ぶべき事柄《ことがら》なのだろう。そしてお釈迦さまという人は、総合的な経験科学者だったのだと思う。
そうした経過を経てお釈迦さまが実感したという「根源的な意識の連続体」……。じつはこれ、初期の阿含経典《あごんきようてん》などで「識」と呼ばれたものの一部が、後世、唯識瑜伽行《ゆいしきゆがぎよう》派などによって発展的に解釈《かいしやく》されたものだ。世親《せしん》(ヴァスバンドゥ)の『倶舎論《くしやろん》』では「心相続《しんそうぞく》」と呼ばれている。
さきほど私は、「日常のなかの生死」で刹那に入れ替わるからだと心について書いたばかりだ。それでなくてもここまで私は、縁起《えんぎ》や無常についてしつこく書いてきた。すべてが縁起のなかで相互依存的《そうごいぞんてき》に生起する。あるいは量子的にみても明らかに諸行無常なのだから、生まれ直しさえも可能なのだと。またそれを固定するのは概念なのだとも申しあげたはずである。それなのにどうして「意識の連続体」がありえるのか、心が相続されるのか、納得《なつとく》できない、という方もいるかもしれない。
しかし世親は、刹那に滅《めつ》してしまう心を連続させるものとして、一瞬まえの行為が種子《しゆうじ》として薫習《くんじゆう》し(染みつき)、その影響下で次の心が現前するという解釈を考えたのである。なんだか知らないが、変化するにも元になる連続体を想定できるこの解釈は、妙《みよう》に私を安心させるのだ。
私はついドミノ倒《たお》しを思い浮《う》かべてしまう。一瞬にして一つのドミノの運動はおわるが、そのエネルギーはそれぞれの動きの影響を伝えつつどこまでも続くことができる。一つのドミノが一つの心と思えば、たしかにそれは死滅しつつ生きつづける。およそ我々の考える以上の複雑さでドミノは並んでいるのだろう。行為や思考の影響も、ときにはドミノを歪ませたり揺《ゆ》らしたりするだろう。しかしそう考えれば、断絶を含《ふく》んだ連続体という在り方が充分《じゆうぶん》に成り立つ。相続される心とは、たぶんドミノの波動そのものなのだ。
正直なところ、私はまだその「根源的な意識の連続体」をはっきり実感したわけではない。本来的なドミノの美しい隊列を見たわけでもなければ「悟り」をひらいたわけでもない。しかし私は、なんとなくこのアイディアを疑うことができない。いや、かなり積極的に信じているといってもいい。これを信じることで、私が心強さと安心をいただいているのは確かだろう。人生は死のプロセスまでも含め、自らの根源的な意識を浄化し、輝《かがや》かせる過程である。そう考え、輝く波を想《おも》うことは、なんだかじつに悪くないのである。
本当は死んでない?[#「本当は死んでない?」はゴシック体]
最後になって「信じる」なんて言うのはズルイだろうか。
しかしもとよりこの本のテーマは、論理的には解けない問題だったのだと思ってお許しいただきたい。
ただ私とて、お釈迦さまのおっしゃったことはすべて信じるというわけでもない。「根源的な意識の流れ」がオールアニマル型であれ人間だけであれ、輪廻するのかどうかは正直なところわからない。まえにも書いたように、それは蓄積された意識の傾向と物象化するエネルギーが産みだす「できごと」なのだと思っている。つまり似たような現象も、文化的背景の違う地域、考え方の違う人々のあいだでは、別な現象になるのではないか、ということだ。
むろん死後はまったく無だと考えることも、それはあなたの自由だ。しかし断っておくが、そう考える人生上の利点は、あまりないだろうと思う。勝手なことを言うようだが、人生は断絶しつつも連続していると思えるからこそ生《い》き甲斐《がい》も感じ、成長もするのだろう。死のあともその続きがあるとしたらなおさらではないだろうか。
ただこれまで私は、死後に関するあまりに明るい見方は紹介してこなかった。たとえばキューブラー・ロス博士は、多くの死にゆく人を見つめ続けた結果、人は死によって、さなぎから蝶《ちよう》に脱皮《だつぴ》するようなものだという。死後のほうがはるかに幸せだというのである。
また『法華経《ほけきよう》』には久遠《くおん》の釈迦仏という話もある。お釈迦さまは本当は死んでいない、というのだが、それがバレるとみんな油断するから、一応方便で死んでみせたというのである。さなぎから蝶という話もそうだが、たしかに油断しそうな話である。
しかし私には、当然そこまでのことは言えない。それは油断させないためではもちろんない。自分にそういう実感がまだないからだ。
胡蝶《こちよう》の夢[#「胡蝶《こちよう》の夢」はゴシック体]
同じ蝶なら、ここでは『荘子』の「胡蝶の夢」を紹介しよう。ある日|荘周《そうしゆう》(荘子)は自分が蝶になってヒラヒラ飛んでいる夢をみるのだが、よく考えると、今現在の自分こそもしかしたら蝶が見ている夢かもしれない、と思う。彼はここで是非善悪、生死に続けて夢と現実さえ相対的な見方であり、どちらが本物かもじつはわからないのだと主張する。現実も夢も、同じ実在が変化する「物化《ぶつか》」の世界だというのだ。
しかし「物化」とは奇妙《きみよう》な符合《ふごう》である。まるでエネルギーが「物化」するとも読めるではないか。当然そこでのエネルギーとは私の信じる「根源的な意識の流れ」そのものということだろう。
荘子はおそらく、どちらが現実でどちらが夢かなんて考えず、あらゆる境遇《きようぐう》をそのまま肯定《こうてい》して生きるしかないじゃないか、それこそ自由というものだろうと、言っているのである。
そう思えば、「根源的な意識の流れ」がこの世でどんな形をとろうとも同じなのだと腹がくくれる。蝶になればヒラヒラ舞《ま》い遊《あそ》ぼうし、馬になれば高く嘶《いなな》いて野山を駆《か》け、魚になったら水中深く泳ぎまわる。むろんこれは夢の話だが、そう考えられるなら輪廻したところで同じことだろう。
なんだかオールアニマル型で輪廻したって構わない、という気分になってきた。
わからないことを思《おも》い詰《つ》めて悩《なや》んでも仕方ない。すべてが夢かもしれないと肩の力を抜《ぬ》きつつ、しかしすべてが現実として精一杯《せいいつぱい》生きられなければならない。とりあえず、今の私は四十八|歳《さい》男性、お彼岸《ひがん》まえの副住職。夢かもしれないとどこかで思いつつ、目の前の仕事にいそしむしかない。その上で、病《や》むときは病むしかなく、死ぬときは死ぬしかない。
江戸時代の沢庵和尚《たくあんおしよう》は遺偈《ゆいげ》を弟子《でし》に求められて「夢」と大書し、次に「百年三万六千日、(中略)是《ぜ》も亦《また》夢、非《ひ》も亦夢、弥勒《みろく》も夢、観音も亦夢」と書いたが、ここでの「夢」も荘子の「胡蝶の夢」に通じている。沢庵は『金剛経《こんごうきよう》』の出典を示すように「仏|云《いわ》く、応《まさ》に是《か》くの如《ごと》きの観を作《な》すべし」で結ぶのだが、いずれ瞑想が深まると荘子やお釈迦さまと同じ処《ところ》にいくということだろう。
とにかく今後は、もっと瞑想しなくてはなるまい。お釈迦さまの言葉、「瞑想によって経験しないことは、死によっても経験しない」というのを信じて。たぶん、お釈迦さまほど死を見つめ尽《つ》くした人はいないのだろうから。
え? 瞑想して何かわかったら教えてほしい?
ダメ。教えない。
私もまた言うであろう。とにかく瞑想しなさい、と。
散るもみぢ[#「散るもみぢ」はゴシック体]
死は日常のなかに見つめ、自分に見える現実を絶対化せず、しかしある種の連続性を信じて精一杯生きる。そして瞑想という脳の使い方も忘れない。なんだかこんな結論になってしまったけれど、ご不満だろうか。
ご不満でもこの際は仕方ない。
え? どうやって死んだらいいのか?
それは私に与えられたテーマ外だ。そんな心配しなくたって、大丈夫《だいじようぶ》、死ぬ時節がくればちゃんと死ぬ。良寛《りようかん》和尚もおっしゃったではないか。「災難に逢《あ》ふ時節には災難に逢ふがよく候《そうろう》。死ぬ時節には死ぬがよく候」と。
それに、人は死に方を選べない。なんだか最近は、欧米《おうべい》を中心に、個人の権利として自分らしく死ぬ権利まで主張され、安楽死、尊厳死と賑《にぎ》やかだが、だいたい「自分らしく」なんていう思い込みは瞑想という脳の使い方を知らないから起こるのである。大脳皮質の言語脳の考えることを奉《たてまつ》りすぎているにすぎない。
自分らしい、というのは本当はもっと深い事態だ。本当に自分らしくなるというのは、自分らしくなくなることでもある。あ、また知性を超えてしまった。
ともあれ、死ぬまえにはきっと、思ってもみなかった自分に出逢うことで本当に自分らしくなるのではないかと、私は期待している。しかし思ってもみなかった自分があまりに強烈《きようれつ》で多数だと、昏睡《こんすい》状態に陥《おちい》るとアーノルド・ミンデルは言うから、なるべく普段《ふだん》から、思ってもみない自分と出逢っておきたいと思う。それには「自分はこういう人間だから」なんて決めこまないで、ご縁に応じてなんでもすることだろう。
しかしたぶん、そんなふうに生きていっても、どうしても自分ではわからなかった自分に、死の間際には出逢えるのではないだろうか。
良寛和尚は好感をもっていた三十歳以上も年下の貞心尼《ていしんに》に看取《みと》られ、下痢《げり》の世話までしてもらいながら、最期《さいご》のとき「うらを見せおもてを見せて散るもみぢ」と詠《よ》んだ。深読みかもしれないが、見せた「うら」というのは、けっして下痢がやまず苦しい自分ばかりではなかったはずである。なんといっても散るのは美しい紅葉《もみじ》なのだ。晩年に貞心尼を愛することで初めて知った自分もあっただろう。そして最期にモーローとし、夢か現《うつつ》かわからないなかで感じとった自分ならぬ自分もあったのではないだろうか。
ともあれ、それはそのときのお楽しみ。
お互《たが》い、死ぬまで元気に生きましょう。
[#改ページ]
――――――――――――――――――――――――――――
おわりに
――――――――――――――――――――――――――――
確かめないでね[#「確かめないでね」はゴシック体]
唐突《とうとつ》だが、これでおしまいである。
言い訳めくが、ページ数に制限があるのだから仕方がない。
ただ最後にどうしても申し上げておきたいことがある。それは「死んだらどうなるの?」というこの本に満足できなかったからといって、自分で確かめようなんて思わないでほしいということである。
むろんもうすぐ死にそうだ、というならそれはお任せする。
しかし自殺してまで確かめるのだけはやめてほしい。
なにも私は、自殺は倫理的《りんりてき》によくないとか、そんなことを言おうとしているわけじゃない。そんなこと言ったら、東北地方によく見られる僧侶《そうりよ》たちのミイラはどうなんだ、即身成仏《そくしんじようぶつ》は自殺じゃないのかと責められるだろう。そう問《と》い詰《つ》められれば私だってグーの音《ね》もでない。だいたいお釈迦《しやか》さまのサンガにだって自殺者はいたし、お釈迦さまはそれらの人を罰《ばつ》しようとはされなかった。
何度か申し上げたように、人間は蓄積《ちくせき》された意識の諸傾向《しよけいこう》のうえに「できごと」としてモノを見る。死ぬ瞬間《しゆんかん》も、意識は変成しているとしてもおそらくそういうことだろう。だからこそ浄土教《じようどきよう》はその瞬間の意識の在り方をとても大切に考えたのだと思う。蓄積された意識を、その瞬間にむけて澄《す》ませていこうとしたのである。
私は、自殺するのはもったいないだろうと言いたいのだ。命がもったいないというより、自然に死に行く体験が、である。
おそらく、自ら死のうというその瞬間の強い思いは、「その後」の体験を大きく染め上げるような気がする。自殺したら成仏できないのかどうか、それはわからない。しかし自然に「もみじ」になるのを待たずにそうして青葉のうちに散ろうとすると、「根源的な意識の連続体」があるとすれば、それは強烈《きようれつ》に色づけされるように思えるのだ。あくまで推測だが、豊かであるべき死の体験が、まったく別物になってしまうのではないかと危惧《きぐ》するのである。
むろん、なにが自然なのかは判《わか》らない。病院で受ける点滴《てんてき》で、ほとんどの人は溺死《できし》するのだとおっしゃる方もいる。また末期の疼痛緩和《とうつうかんわ》で意識レベルを下げられるのは、緩慢《かんまん》な安楽死じゃないか、という立場もある。
しかし、そんなとき、あるいは交通事故や突然死の場合だって、人の精神が自殺者のように不自然に色づくことはないだろうと思う。その違《ちが》いは、そのまま死の体験の違いになるような気がするのである。
さきほど安楽死や尊厳死のところでも述べたことだが、いわゆる大脳皮質が作りあげるアイデンティティーをあまり信用しないほうがいい。ワケが解《わか》らないほどに嫌《いや》なことが続き、八方ふさがりだと感じているあなたの自己意識は、今は死にたいと思っているかもしれない。しかし大事なことは、その自己意識は百八十度変わることがある、ということだ。その意味では、長い目で自己意識を信用しておくということだろうか。
信用するのしないのとややこしいが、もっと言えば「根源的な意識の連続体」が浄化され、やがて信じられないくらい楽しい時間がくることを信じてほしいのである。
むろんもっと表面的な意味でも、人の考え方や生き方は変わる。タヌキや犬や猫《ねこ》にはそれができない。柴犬《しばいぬ》系の雑種だったナムも、ついぞ生き方を変えることなく十七年の生を終えた。しかし、あなたは今のままずっと生きつづけていくわけではないのである。
いわば荘子《そうし》の「物化《ぶつか》」を楽しみ、それぞれの時を独立した夢と思いなし、次の夢を待ちながら今に没頭《ぼつとう》していくということだろうか。
そんな気分にはなれない、というのだろうが、大丈夫《だいじようぶ》、夢から醒《さ》めるように、ほどなく今の現実は夢だった、と思える次の現実がやってくるはずである。
玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)
一九五六年福島県生まれ。慶應義塾大学文学部中国文学科卒。様々な仕事を経験した後、八三年より京都、天龍寺専門道場にて修業。現在は臨済宗妙心寺派福聚寺副住職。デビュー作「水の舳先」が第一二四回芥川賞候補となり、二〇〇一年、「中陰の花」で第一二五回芥川賞を受賞。小説に『アブラクサスの祭』『化蝶散華』『アミターバ――無量光明』『リーラ――神の庭の遊戯』『中陰の花』『御開帳綺譚』、その他に『私だけの仏教』『まわりみち極楽論』『禅的生活』『多生の縁』『釈迦に説法』『実践!「元気禅」のすすめ』などの著書がある。
本作品は二〇〇五年一月、ちくまプリマ―新書の一冊として刊行された。