ガンパレード・マーチ 山口防衛戦4
榊 涼介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)萩《はぎ》
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(例)[#改ページ]
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八月四日。幻獣軍、萩《はぎ》市に上陸。
「自然休戦期」を無視した敵上陸の報に、日本自衛軍は茫然としてなすすべを知らず、戦力を逐次投入する愚を犯し、後に大きな悔いを残すことになる。
八月五日未明。幻獣車、下関に奇襲上陸。彦島、及び壇ノ浦方面から大挙上陸した幻獣軍は自衛軍の虚を衝き、激しい市街戦の後、人類側を圧倒していく。民間人の避難誘導は完全に遅れ、自衛軍は決死の防衛戦を強いられた。
この中に5121独立駆逐戦車小隊の姿もあった。5121小隊の二番機及び三番機は下関駅をぎりぎりまで守り抜き、自衛軍とともに宇部へと撤退することとなる。
八月六日。明け方とともにはじまった幻獣軍の攻勢により、宇部戦線はあっけなく崩壊、自衛軍の、岩国最終防衛ラインまでの、つらく苦しい敗走がはじまった。
……その敗走の過程で個々の自衛軍の兵士たちはしだいに自らの役割を自覚。民間人の避難を最優先とし、すり減った、あるいは装備劣弱な部隊は、基幹となり得る戦闘部隊の撤退のために、自らを捨て石として、遅滞行動を行い、そして壊滅していった。撤退戦の混乱の中で兵らは最善を尽くし、さまざまなドラマ、英雄的な行為が生まれた。それは後に「八月六日の奇跡」と呼ばれ、長く自衛軍の間で語られることとなる。
5121小隊は単独、北上して山口市を拠点として、東京より駆けつけた元5121小隊司今善行大佐と合流、戦車大隊一・歩兵中隊より成る新生「善行戦闘団」の隷下となり、山口を策源地として戦闘態勢に入った。
八月七日。5121小隊の人型戦車三機を先鋒とする戦闘団は、中国・山陽自動車道を進撃する幻獣軍に対して遊撃戦を敢行、諸兵科連合の難しさに悩みながらも勝利を収め、しだいに強襲打撃集団としての能力を開花させていく。
5121小隊三番機パイロット、芝村上級万翼長は、善行より正式に小隊司令に任命されたものの、他の隊員たちとの軋轢、他部隊との意志疎通に悩むこととなる。戦闘団指揮官・善行は、懸念する整備班主任・原中尉に対して次のように答えている。
「……問題を克服すれば新しい5121小隊が誕生するとわたしは思っています。いずれにせよ皆さん個性が強烈な規格外の隊です。葛藤して揺れ動いて、成長を遂げるしかないのでしょうね」
同日、幻獣軍先鋒、岩国市より十キロ地点に到達。ここに岩国防衛戦の前哨戦が展開されることとなる。
八月八日。岩国市郊外、玖珂《くが》町をめぐる攻防戦が激化、幻敷車は自衛軍を圧倒し、同日昼には岩国市の外郭陣地へ到達。旧来の塹壕陣地に展開した兵は、殺到する幻獣と死闘を展開した。
この間、善行戦闘団は防府市近郊にて遊撃戦を展開、前日の失敗から学んだ諸兵科連合はシンクロニシティに磨きをかけ「軍上層部が目をむくような」大戦果を挙げるに至る。
同日、突如として萩市陥落の報告がもたらされる。
八月九日。幻獣軍、岩国市街へ突入。ここに岩国最終防衛ラインをめぐる熾烈な攻防が展開されることとなる。防衛ライン司令官・荒波大佐、岩田参謀のコンビが三ヵ月の時をかけて造り上げた地下要塞は幻獣軍に多大の出血を強いた。
それは幻獣の弱点を研究し、縦横にめぐらされた地下通路を駆使しての迎撃戦だった。隠蔽、砲火の集中、狙撃により、防衛ラインは旧来の拠点防御主義とは一線を画した新たな対幻獣戦術を提示したかに見えた。
この間、善行戦闘団は防府近郊の遊撃戦を続行、記録的な大戦果を収めつつあったが、目の前の敵が生け贅……オトリに過ぎぬことに気づき、善行は岩国への転進を決意する。
……この間、司令部爆破事件が発生。幻獣共生派が暗躍をはじめる。
八月十日。炎天の下、防衛戦は職烈さを増していた。不眠不休で攻撃を続ける幻獣に対して防衛ラインを守る人類側はしだいに疲労の色を濃くしていった。山口から新岩国に進出した善行戦闘団は空陸共同の下、圧倒的な強さを見せ「災禍を狩る災禍」として、防衛ラインの「守り手」として幻獣を駆逐しつつあった。
「悪しきもの……来たれり。大いなる災禍、来たれり」幻獣の間にパニックが広がり、戦勢は一挙に人類側に傾くかに見えた。
しかし……突如として第十一師団戦区――市西部に幾粂もの炎の柱が噴き上がった。幻獣共生派――指導者カーミラの手による地下要塞爆破によって、十一師団は大損害を受けて半壊し、市西部は廃墟と化した。
人類側が幻獣の弱点を研究したように、敵も岩国最終防衛ライン、すなわち地下要塞の弱点を研究し、そして高性能爆薬を使った「爆破」という手段によって一個師団を半壊に追い込んだのである。
あまりに唐突で、そしでシンプルな、致命的なカーミラの一撃だった。さらに光輝号十機の不可解な反乱により、三番機は大破、厚志と舞は戦場へと投げ出された――
後に……。この時点でのあまりにも急激な「形勢逆転」について荒波は、陸軍大学での講演で次のように述べている。
「戦争は不確実性の世界である。作戦や戦闘行動にかかわる要素の四分の三は、多かれ少なかれ不確実性の零に覆われている。真実を嗅ぎ分けるには、繊細で鋭い分別力が要求される。なんて昔のえらい人は言っているがね、まったく……冷や汗ものだったよ。わたしは繊細でもなく、分別なんてかけらもないからねえ。想像してくれ。地下司令部のデスクに座っていたら、急にどかーんじゃないか? 君たちならどう対処する?」
荒波司令官はクラウゼヴィッツの言葉を引用しつつ、独特の相手の洞察力を試すような言い回しで学生たちをまんまと挑発してのけた。それは三ヵ月もの間、市内の地下要塞化に努め、三千門もの砲を配備し、自衛軍きっての精鋭を手配したあげくの重みある言葉だった。
それでも不確実性の霧は忍び寄ってくる――。それが戦争だ。何が起ころうともそれが戦争なのだ。その最強最悪な要素がカーミラだった。
カーミラの暗躍によって十一師団戦区と呼びならわされた市西部の地下防衛システムは崩壊し、敵は市の中心部になだれ込んだが、日本自衛軍の将兵の士気はなお旺盛で、防衛ラインを再構築して殺到する幻獣と死闘を展開していた。
この地を突破されれば日本は滅びる――。それは最下級の兵から司令官まで、誰しもが胸に秘めた思いであったろう。岩国最終防衛ラインは深刻な事態に見舞われながらも、幻獣のいつ果てるとも知れない猛攻を受け止めていた
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第十七章少女カーミラ
八月十日一七三五 国交省付近・瓦礫
「地歌の岩国観光ツアーにようこそ。パイロットさん」
背後から声がして、伍長の階級章をペイントした同年代の兵が白い歯を見せて笑いかけてきた。手にはサブマシンガンを構え、肩にミサイルパックを背負っている。
舞と厚志は拳銃のホルスターから手を離すと視線を交わした。ふたりとも混乱と困惑を目に宿していた。何がなんだかわからなかった。
「そ、そなたらは……」
舞が口を開きかけた時、どちらかと言えば平凡で薄味の顔の伍長の目がぶっそうに光った。
「伏せてっ!」
とっさに身を伏せると、風を切り裂く音がして、榴弾が次々と爆発した。おびただしい破片がふたりの頭上を通過していった。
「重迫撃砲っすよ、今のは。ははは、ゴブの野郎がきれいさっぱりいなくなっとる」
伍長は悠々と立ち上がると、路上を見下ろした。
……岩国防衛戦の緒戦で華々しい戦果をあげた旧十一師団の戦区は、今や幻獣の支配地域となっていた。幻獣共生派に爆破され徹底的に破壊された防衛ラインは戦線を大きく後退し、この一帯からは友軍の銃声、砲声は聞こえなくなっていた。代わりに大量の砲弾が進撃する幻獣たちを粉砕していた。
頭がまったく働いてくれなかった。こんなことははじめてだ。視覚、聴覚……あらゆる感覚を失ったまま、世界に放り出されたようなものだ。舞は悔しげに唇を噛んで厚志を見つめた。
厚志も舞の気持ちを察したらしく、途方に暮れたようにうなずいた。
ふたりがただひとつだけ理解したのは、自分たちが敵の真っ直中に取り残されたことだった。
「……あはは。なんだか、と、とんでもない観光旅行だね」
厚志はなんとかして、いつものペースを取り戻そうとしているようだ。
「そ、そうだな。とっても刺激的だ」
舞が応じると、厚志が手を差し伸べてきた。舞はためらわずその手を握った。
舞と厚志はふたりの兵に背を向けて、互いの動揺を抑えるように手を握り合った。かなたで砲弾が着弾、爆発する音が聞こえたがふたりは見つめ会い、手を握り合ったたままでいた。「ええのー」頬の傷のある兵が羨ましそうにつぶやいた。
「よかった。あいつら、行っちまうみたいっす」
伍長がどちらに話しかけるともなく、落ち着いた声で言った。舞はぼんやりと首をまわして伍長の視線を追った――。
目の前には友軍の方角に遠ざかっていく光輝号の群れがあった。
あれは……なんだ? なんなんだ?
至近距離で榴弾の爆発する音に、舞は我に返った。厚志が心配そうに舞をかばうように寄り添っている二十メートルほど右手、国交省ビルの瓦礫の中には被弾した栄光号複座型の姿が見え隠れしていた。
「……機体は死んでおるのか?」
友軍のはずの光輝号から銃撃を受けた衝撃が、ボディ・プロウのようにじわじわと効いていた。舞はかろうじて乾いた唇を動かした。
厚志はそんな舞を黙って見つめていたが、やがて「死んではいないよ」と首を振った。
「とっさに判断したんだ。脚をやられたんで、あのまま戦闘を続けてもサンドバッグになるだけだと思った。どうしようか……?」
機体に乗って確かめようかと言っている。こちらを撃ってきた光輝号は、複座型が死んだと判断して矛先を戦闘団の友軍に向けていた。
「とにかく……損傷の程度を調べよう」
「うん」
厚志はうなずいてから、ふたりの背後で敵を警戒している兵に笑いかけた。
「あ、すいません。あの戦車どうするか相談していたんです。僕たち善行戦闘団の者で、僕は速水、こちらは5121小隊司令の芝村上級万翼長です」
すぐ目の前を地響きをあげてミノタウロスが通過していく中、厚志は丁寧に自己紹介をした。
頬に傷のある兵は善行と同じぐらいの年頃だろうか、咀嚼力の強そうな頑丈そうな顎に無精髭を生やしたふてぶてしい面構えだ。零式ミサイルを背負って、サブマシンガンを手にしている。そしてもうひとり、自分たちと同じ年頃の兵は数メートル先の瓦礫の陰に隠れて、辺りの様子をうかがっている。
たて続けに榴弾が落下し、路面を埋め尽くす小型幻獣の群れが吹き飛んだ。榴弾の破片が頬をかすめて、厚志の頬をわずかに裂いた。しかし厚志は微かに眉を上げただけだった。
「……肝の据わったやつじゃの。けど時間はないぞ。砲撃座標が少しつつこちらに近づいとる。 ここは敵のど真ん中と考えていいじゃろな」
「あの機体を回収したい。このままでは友軍の砲撃でやられてしまう」
舞の言葉に、もうひとりの兵がこちらに這ってきて妙に陽気な声で言った。
「あれ、人型戦車でしょう? スキュラのレーザーの直撃でもなけりや死にゃしませんよ。ここいらに降ってくるのは友軍の榴弾だけっすから、ここに置いといても大丈夫じゃないかな」
「ふむ」
なぜ? どうして? 何が起こったのか? という衝撃は依然として心の隅にくすぶっていたが、舞は気を取り直すと自分たちの位置と周囲の状況を確認した。
自分たちは複座型が欄座している国交省ビルとは通りを隔てた向かい側、学校か何かの公共施設であったものか、二階建ての鉄骨の施設の瓦礫の中に身を隠していた。路上は再び中型幻獣の巨大な姿と小型幻獣で埋め尽くされている。西南の方角に黒煙をあげて燃え続ける西岩国駅の駅舎が見えた。
それにしてもあれだけの光輝号がなぜ……と現状では解明不可能な疑問が再び頭をもたげてきた。考えでも無意味だ。舞はぶるっと首を振った。
「にしても、なんだったんじゃ、あれは?」
額に傷のある兵が尋ねた。舞は不機嫌に顔をしかめた。
「わからん。わからんが、今は考えている余裕がないのだ」
「共生派ですかね? 俺は二十一旅団の中西伍長こっちの指名手配犯は久萬一等兵っす。俺たち、対空歩兵ってことで適当に市内を巡回してスキュラを狩っていたんすけど、戦線に戻ってくる途中で派手な爆発が起こりやがって……」
戦場に慣れてしまった者の性か、中西と名乗った兵は、すぐ先に敵がいるというのに微笑を浮かべ愛想良く名乗った。
「誰が指名手配犯じゃ! 俺はまだ何もやっとらん」
久萬一等兵はふてくされたように抗議した。一等兵の割には老けてるな、と思いながら舞は中西伍長に向き直った。
「吉香公園に司令部がある。そなたらに案内を頼めるか?」
「牛井定食……」
言いかける久高を遮るように、中西は「了解」とうなずいた。
「5121さんなら九州で何度か。門司でも戦ったんすよ、俺。……無事に戻るとなると、地下通路はだめになっちまったから、一度街中を出て、敵の進撃ルートをはずれて迂回するしかありませんね。いったん北西に出て、裁判所をめざします。地下通路が生き残っていれば、そこから公園に出られます。破壊されていたら後は山道になりますけど、岩国トンネル辺りに出れば……一・二、三キロってところかな」
「だったら三十分あれば着きますね」
厚志がほっとしたように言った。
「いえいえ、警戒して隠れながらですから、その倍は覚悟しないとだめつす。道中、ゴブだらけですしね」
中西が冷静に言うと、厚志は神妙な面もちで「そうですか」と言った。
「司令部に行けば牛丼食える?」
久萬の言葉に舞と厚志は顔を見合わせた。中西が笑った。
「こう見えでも育ち盛りってやつでしてね。こいつ、これでも十五才ですよ」
「……司令部に着けばその十五才に牛井でもなんでも好きなだけ食わせてやれる。我が隊の事務官は優秀だからな」
急がねば。連絡手段は今のところ……考えたところで、舞ははっとあることを思い出した。
ポシェットを探って入れっぱなしにしてあった衛星携帯を取り出した。前司令の瀬戸口から譲られたものだ。
もどかしげに連絡を試みると「あれえ……」と驚いたような声が聞こえた。
「芝村だ。事情は後ほど説明するが、機体が被弾した。現在位置は国交省ビル前。すぐに戻るゆえ、従来機の整備を頼む」
「芝村さん……!」
加藤の声だった。声に焦りと怯えが感じられる。
「大変なんよ! 味方の光輝号が裏切って、大変なことになってる!」
「……わかっている」
舞の心が揺れた。やはり一度破損した機体に戻るか? しかしそれには敵の真っ直中を突っ切らねばならぬ。しかも、脚が破損した状態で敵の追撃を振り切れるか?
「何も考えず、すぐに戻ってください。途中まで兵を出します」
冷静な声が聞こえた。善行だ。吉香公園に到着したのか。舞は心を決めた。
「わたしたちは裁判所ビルの地下通路から公園に出る。地下通路が破壊されていたら郊外の山の稜線沿いに進んで公園をめざす」
「わかりました」善行はそう言うと通話を切ろうとした。
「ああ、ひとつだけ」
「何か……?」
「加藤に言づけだ。牛井定食のレーションとやらを一ダースばかり用意しておいてくれ」
八月十日 一八〇〇 裏道2号線・室ノ木《むろのき》交差点付近
ジャイアントアサルトの聞き慣れた砲声が後方で起こって、滝川は弧につままれたような顔になった。三番機の他に複数機いる。壬生屋か? 考えるまもなく背後で爆発音が聞こえた。レーダードームをめぐらすと三両の七四式戦車が炎上していた。
さらに十体の光輝号から放たれた機関砲弾は、ソフトスキンの車両にも及んでいた。炎上するトラックの車列に滝川は息を呑んだ。運良く生き残った歩兵たちが必死に瓦礫の中に逃げ込んでいく。
戦闘団の後衛は完全に不意を打たれた。後方を守る戦車は車長それぞれの判断でビル陰、瓦礫など遮蔽物を探して逃げ込んでいた。
「こちら滝川。何が起こったんすか?」
友軍に機関砲を浴びせながら進んでくるのは確か光輝号ってやつだ。なんなんだよ、これ? 裏切りってことかよ? なぜ? ホワイ?
「わからん。ただ、あいつらは敵だ。考えるな、戦え」
瀬戸口は低い声で応答してきた。
「三番機大破。舞ちゃん、あっちゃん……!」東原のしゃくり上げる声が聞こえた。
なんだって……? 嘘だろ? 速水たち、やられちまったのかよ?
「で、速水と芝村は……?」
生きているよな? 喉がからからに乾いた。冷や汗がじっとりと流れるのを感じた。
「通信は途絶している。けど、今は何も考えるな。来須と若宮を向かわせている」
瀬戸口の冷静な声が聞こえた。けどよ……。まさかあのふたりがやられるなんて。二〇ミリ機関砲弾が足下をかすゆた。滝川はあわでてビル陰に隠れた。百メートルほど先に横列を組んでジャイアントアサルトを連射する人型戦車の姿が見えた。十体ともなるとその火力はすさまじい。機関砲弾を集中され、また一両、戦車が爆発した。
滝川はビル陰からジャイアントアサルトを突き出すと、引き金を引いた。曳光弾が光の尾を引いて一機に吸い込まれていくが、炎上するまでには至らない。どうやら士魂号と同程度の装甲は待っているようだ。
くそ、どうすりゃいいんだ? 機関砲弾のシャワーを目のあたりにして滝川は歯がみした。友軍の戦車は当然、人型戦車との戦闘は初めてだ。驚愕から困惑へ、そして未知の敵に対する怯えへと――。
下手をするとパニックが広がり、大損害を受ける恐れがあった。滝川には言葉にこして考えることはできなかったが、戦闘団に危機が迫っていることはわかった。
「なんすか、これ? 味方が撃ってきますっ! 誰か――」
悲鳴の後は砂嵐が延々と続いた。そして搭載した弾薬が次々と誘爆する音。
「ど、どうしますか? 呼びかけて……」
「ちっくしょう! なんじゃ、こりゃあ……?」
「助けてくれ!」飛び交う無線通話に滝川は耳を押さえた。
その目には炎上する戦車、車両群が映っていた。誰もが混乱し、怯えていた。くそ、どうすりゃいいんだよ……? このままじゃ全滅か? その時、音がして滝川の目は色鮮やかな信号弾の煙をとらえた。
「注目――!」
腹の底に響く、矢吹少佐の声がコックピットに響き渡った。
「こちら矢吹だ。全軍に告ぐ。これより我らは全力をもって2号線を進み、敵戦線を突破、新防衛ラインの友軍と合流する。諸君らはそれだけを考えよ。なお、背後からの敵には第三中隊が阻止行動にあたれ。滝川千翼長、支援頼む!」
矢吹の断固とした声に滝川は我に返った。
今、現実に起こっていることは不測の事態と言うにはあまりに突飛過ぎた。
情報もなかった。矢吹は5121と行動をともにすることで、こうした事態に対処する術《すべ》を学んだのだろう。今はとにかく初期の作戦目標を達成することだ。矢吹の言葉には部下の頭をクリアにする効果があった。
「……へっへっへ。了解ーつす。あのちんたら動いてるロボットにひと泡吹かせてやります」
敵の機関砲弾の飛び交う中、矢吹の意を察した滝川は、努めて陽気な声で請け合った。冷静に考えてみれば、全滅はありえないよな。壬生屋や速水・芝村級の凄腕が十機いるわけじゃねえんだから。
「ははは。滝川にしては味な表現をする」
瀬戸口が再び割り込んできた。
「植村です。我々は零式ミサイルを装備した一個小隊を散開させます。攻撃部隊は存分に」
植村中尉の声も冷静なものだった。
ま、なんとかするっきやねえんだよな。考えてみりや、こわいのはジャイアントアサルトの一斉射撃だけだもんな。動きはどんくさいしな――。滝川の目がぶっそうに光った。
「行くぞ。我に続け!」矢吹は全軍に檄を飛ばすと通億を切った。
八月十日 一八〇〇 岩国基地・司令部
「光輝号だと……? 馬鹿な!」
荒波は言葉を失った。司令室には茫然自失の空気が漂った。しかし、モニタに映っているのは明らかに本日到着するはずだった光輝号だった。その動きは土木一号、二号とどっこいどっこいだったが、ジャイアントアサルトを一斉に構え、友軍の戦車に機関砲弾を浴びせている。
「光輝号ですねえ。フフフ、敵もやってくれます」
岩田参謀が皮肉に笑って憲兵隊のブースを見た。他の部署と比べてもひときわ高くなっているパーティションの中から意兵少佐が姿を現した。
「……面目ありません」
憲兵隊にしてみれば目を覆いたくなるような失態が続いている。
初期の十一師団の戦区は徹底的に爆破され、防衛ラインは中枢となる指揮官と地下通路と陣地の多くを失って後退を強いられた。犠牲者は二千と推測されている。そして今度は光輝号を――。少佐の顔は青ざめていた。
「岩田参謀。彼をにらんでも何も起こらんよ。それで……今度は幻獣かね、共生派かね? まったく退屈せんな」
こともなげな、とも表現できる荒波の質問に少佐は「共生派かと」と答えた。
「寄生型ないし精神汚染型の幻獣は希少です。おそらくはカーミラによるものと彼が言い残していきました。光輝号の中には友軍のパイロットが搭乗しています」
「そういえば彼が見当たらんが」
「憲兵隊を率いて現地に向かいました」
少佐の説明に荒波はつかのま考え込んだ。精神汚染。操作。友軍パイロット……。となれば、できる限り救助しなければならないだろう。
「少し散歩してくる」
荒波は岩田参謀に笑いかけた。岩田参謀も調子を取り戻してにやと笑った。
「フフフ、暴れるよい口実が見つかりましたねえ」
よい口実と言われて、荒波はふんと鼻を鳴らした。
「一時間くれ。留守を頼む」
荒波の悠然とした様子を、司令室のスタッフは怪訝な顔で見守った。
「あの……どちらへ?」前田少尉が不安げに尋ねた。
「野暮用だ。土産は何がいい?」
唖然とするスタッフを残して、荒波は足早に司令室有後にした。
八月十日 一八三〇 室の木町・医療センタービル付近
「ちっくしよう。数が多過ぎるぜ……!」
滝川はビルからビルへと移動しながら光輝号と交戦していた。
戦車隊、そして歩兵隊を守らねばならなかった。すでに二機の光輝号を撃破していたが、どうにも調子が狂う。戦術画面におびただしい赤い光点が点滅している。スキュラははるか後方に逃げ去っていたが、光輝号の後方、113号線の方角からは小型幻獣を伴った中型幻獣の群れが迫りつつめった。
不意に聞き覚えのある声がコックピットに流れた。
「あしこちらローテンシュトルムだ。元気そうだな、イエロートークス君」
な、な、な、なんだって……! 滝川は茫然として「まじっすか?」とつぶやいていた。
「ど、どうしちゃったんですか?」
一瞬ぼんやりしていたらしい。二〇ミリ機関砲弾が足下を襲った。あわてて機体をジャンプさせ、瓦礫の中に潜り込んだ。
「はっはっは。相変わらずスローな動きだな。さて、光輝号と戦っている諸君に告ぐ。パイロットは幻獣共生派に精神操作されているとのことだ。回復する可能性もあるのでコックピットは狙わんで脚を狙ってくれ」
荒牧の声が聞こえたかと思うと、ぶん、と風音がして赤い物体がすばらしい速さで滝川の視界を通り過ぎていった。
ローテンシュトルム! 荒波機は一瞬停止すると、戦車隊と交戦している光輝号の脚にジャイアントアサルトの機関砲弾をたたき込んだ。両足関節を直撃されて、光輝号はたまらず路面に崩れ落ちた。さらに敵の武器を撃って使用不能にする。
「ざっとこんな感じだ。こわくないこわくない。まず脚関節だ。さあイエロートータス君も一緒に」
荒波は高笑いを響かせると、寄ってきた一機の側面にまわると再びジャイアントアサルトの引き金を引いた。また一機、地響きをたてて倒れる。またしても武器に数弾をたたき込んだ。
この間、わずか三分に満たなかった。
十機いた光輝号は半数に減った。横列も崩れ、ずいぶん戦いやすくなった。
戦車砲がたて続けに砲声を響かせ、光輝号の脚を吹き飛ばす。瓦礫の中に隠れていた歩兵が零式ミサイルで敵のジャイアントアサルトを直撃する。
「そうだ! 脚、武器、脚、武器。どうだ、簡単なものだろう。要は君たちもやり憤れた鬼さんこちらのピンポン戦術だ。友軍に向かう敵を後ろから攻撃するってわけさ」
友軍を励ましながら荒波機は三機めを料理していた。滝川の二番機は荒波機に追随、背を向けた敵の脚部に機関砲弾をたたき込んだ。
「急げよ。あと五分で中型幻獣のお出ましだ」
荒波のローテンシュトルムは、今度は滝川機に向かっていく光輝号一機を掃射、これで八機め。滝川は敵のジャイアントアサルトを使用不能にした。
この間、戦車と歩兵は共同で一機の光輝号を葬っていた。歩兵に向かっていた敵のジャイアントアサルトが砲声を響かせ、瓦礫を掃射する。荒波機は敵の背後に忍び寄ると、キックを飛ばして脚部を破壊、すばやくジャイアントアサルトを奪い取って放り投げた。
遊んでるよ……。
滝川はあきれて、戦場にたたずむ深紅の機体を見つめた。
「はっはっは、トータス君もなかなかやるな」
荒波は高笑いを響かせた。気がつくと二機の軽装甲の周囲には十機の光輝号が身動きできぬだるま状態になって転がっていた。
「へへっ、トータススは卒業、俺だっていつまでも亀じゃないすよ。これからはイエロータイフーンとでも呼んでください」
滝川が軽口をたたくと、「うむ、考えておこう」と荒波は機嫌良く言った。
「こちら善行戦闘団の矢吹です。ご協力感謝します、荒波閣下」
矢吹の声が割り込んできた。
「荒波ィ? そんなやつは知らんなあ。わたしの名はローテンシユトルムだ。天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ。邦名赤い嵐とはわたしのことだ。わはははは」
「赤い嵐……」矢吹は絶句した。
「ところでそちらの戦況はどうかね?」
荒波が尋ねると、旺盛な砲撃音が聞こえてきた。岩国駅の方角で途切れることなく戦車砲が咆哮する。
「友軍の姿が見えます。あと百メートルというところですか。敵の挟撃に成功、残る敵は中型幻獣四十ほど。じきに重装甲も駆けつけますので作戦は成功と」
矢吹の声は心なしか高揚していた。
「君の即断を評価する。それでは後は任せたぞ、矢吹少佐。イエローアルマジロ君はフロントラインに戻りたまえ」
そう言い残すと赤い機影は基地の方角に向かって、瞬く間に姿を消した。
八月十日 一九〇〇 裁判所地下通路
十一師団の旧戦区、山手町の一帯に榴弾が降り注いでいた。厚志と舞は噴き上がる土砂と粉塵を横目に、司令部への道を急いでいた。
先導するふたりの兵は自分と同じ年頃だったが、まるで戦場を庭のように身軽に進んでいた。厚志も舞も身軽さでは劣らなかったが、ふたりは時に巧妙に敵の死角を進んで、時に敵の大群をやり過ごしていた。主戦線からはずれたこの一帯にはミノタウロスら中型幻獣はいなかったが、小型幻獣はありとあらゆるところを徘徊している。その中の一群と遭遇すれば四人では心許なかった。
「じきに裁判所前のネズミ穴に出ます」
中西の言葉に厚志と舞は首を傾げた。
「ネズミ穴……?」
なんだそれは? 舞が尋ねると、中西は「えへへ」と笑った。
「防衛ラインの地下通路の出入り口、地下昇降口のことです。俺たち、野ネズミみたいに地下這いずり回って戦っているんで、いつのまにかそんな風に呼ばれるようになったんすよ。普通の戦車随伴歩兵はネズミ。狙撃兵は狙撃ネズ、……。対空歩兵のことはミサイルネズミってな具合です。けどネズミがスキュラをやっつけているんだから楽しいっす」
中西は肩にマジックで書かれた正の字を誇らしげに示した。
「十一匹。この指名手配犯と一緒にやったんです」
「俺たち、最強ってなもんよ。ネズミ上等」久萬もにやりと凶相をゆがめて笑った。
「ふむ!」
舞は感心したようにうなった。
「ネズミは強いぞ! ネズミというのは最も人類との共存に成功した動物だ。ゴキブリと同じく決して好かれる存在ではないがな。わたしはどちらかと言えばイタチの方が好みだが、都市における適応力はイタチをしのいでいる。特にクマネズミはその登攀力において優秀であり、高層ビルまでをも自らの巣として……」
「舞、ふたりとも困っているよ」
厚志がたまりかねて舞の動物ウンチクを遮った。
それにしても、ネズミか……。守備隊は相当につらい思いをしているんだろうな。厚志は歩兵の世界をほとんど知らない。知っているのは死屍累々《ししるいるい》の塹壕陣地だ。
「九州じゃ学兵の戦車随伴歩兵が苦労しましたよね」
厚志の言葉に「ふん」と久萬が鼻を鳴らした。
「まじめなやつほど早死にした。援護なしで陣地守れ言われてもお手上げじゃけぇ。俺も中西と同じじゃ。あんたらに何度か助けられた」
「そうだったんですか……」
言葉がなかった。
「あれじゃ。生き残っとる。地下通路を一キロ歩けば吉香公園に出るぞ」
久萬は厚志の感慨に構わず、無人の塹壕陣地と、その奥にある昇降口を指さした。
階段を降り鉄扉を開けると冷んやりした空気が流れ込んできた。幅三メートルほどの通路内は薄闇の中に静まり返っていた。コンクリートのにおいに微かな血と硝煙のにおいが厚志の鼻孔を刺激した。久萬と中西を先導として、厚志と舞は地下通路を進んだ。
どこからか車両用の通路を移動するトラックのエンジン音が聞こえてきた。厚志は五感を研ぎ澄まして、前方の気配を探った。舞も同じく集中しているようだ。
アンテナに何かが引っかかった。
「……いるね」
厚志がささやくと、三人が同時にうなずいた。
「どこから入ってきたんじゃろ?」久高は立ち止まり、サブマシンガンを準えた。
「引き返そう。ふたりとも大切なパイロットさんだ」
中西がささやく間もなく、ざわざわと足音が聞こえた。
「走って」中西が言った直後、曲がり角からゴブリンが姿を現した。
「間に合わん……!」
久萬は叫ぶと、一群のゴブリンを掃射した。中西もそれに倣《なら》う。「逃げてください」と中西はサブマシンガンの弾倉をすばやく替えて言った。
「敵の数は?」舞は拳銃を引き抜くと冷静に尋ねた。
「五十ないし百!」久萬も弾倉を替えようとしたが、数匹のゴブリンが張り付いてきた。
「くつ……!」
実体化した斧が舞の頬をかすめ過ぎた。とっさに頬を押さえる舞の指の間からひと筋の血が滴り落ちた。「舞……!」その瞬間、厚志の頭は真っ白になった。
血! だめだよっ! 舞が血を流すなんて、そんなこと許されない! 目の前に舞を傷つけた者たちが迫っていた。厚志の目の色が変わった。
許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。殺してやる――!
厚志はとっさに中西の腰からカトラスを引き抜くと、赤い目の一群に突っ込んで行った。
舞を傷つけるなんて! ゴブリンの斧が実体化するのが見えたが、厚志は構わず敵の眉間にざくりとカトラスを突き刺した。同時に自由な左手は隣のゴブリンの両目をえぐるように指を突き立てていた。
「あははは」厚志は笑うと、襲いかかってきたゴブリンをカトラスで刺し、蹴り、そして体当たりして跳ね飛ばした。
「二度と舞に舞に舞に……」厚志は強烈なにおいのする体液を浴びながらも、ひとふりのカトラスで赤い日の一群に逆に襲いかかった。突き刺し、蹴り飛ばし、鋭利なパンチを飛ばす。倒れ伏したゴブリンの頭部に何度も何度もカトラスを突き立てた。脳梁のようなものが通路内に飛び散って、敵の攻撃が一瞬止んだ。
「なに、これ?」厚志はその体液をベロリとなめると、薄笑いを浮かべゴブリンの群れに向き直った。ゴブリンの群れは明らかに怯え、動揺していた。
殺意のかたまりとなった厚志の唇が微かに動いた。
「逃げちゃだめだよ」
なんだか夢を見ているようだった。こんなに体が軽いだなんて! なんなの、これ? なんでこんなにゴブのやつ、動きが鈍いんだろう? 厚志は悪鬼のごとく荒れ狂った。すでに及び腰になっている敵を倒して、表皮を切り裂き内臓を取り出す。
「ははは」噴出する体液にもまばたきひとつせず、厚志は内臓を踏みにじった。
ゴブリンの群れは恐れ、怯えの段階を越え、すでに半狂乱になっていた。誰かの怒号が聞こえ、サブマシンガンの音が意識のかなたに聞こえた。厚志は傷つき逃げようとするゴブリンの背を、これでもかこれでもかとカトラスで苛《さいな》んでいた。柔らかくて気持ちいいよ、君。厚志は微笑を浮かべ、瀕死の敵を弄んでいた。
……しばらくして、敵の気配がなくなった。厚志がぼんやりと三人を見ると、久萬と中西は恐れを露わにして後ずさった。
舞だけが鋭い視線を投げかけている。
「……どうだ、気が済んだか?」
その冷静な声に、わずかな震えが交じっていた。厚志は操りしめたカトラスを取り落とした。乾いた音が響き渡った。
「ええと……なんとか。危なかったんで、その……夢中になって。あははは」
厚志は顔を赤らめ苦し紛れに笑った。狂った……。今の僕は狂いたがっている。まずいな。
「あんた、人間かよ?」
久萬の声が怯えている。中西は無言で床に目を落としていた。
「だから……」厚志は言葉を探した。
「僕、戦車兵だけど、白兵戦の訓練、大好きだったんだ」
あまりに間抜けた言い訳に舞の舌打ちが聞こえ、久萬と中西は白けた表情になった。
「そんなことより、舞。顔の傷、大丈夫……?」
厚志はゴブリンの体液にまみれた姿で舞に近づいた。大切なものを傷つけられた子供の表情になっている。舞は傷口をさらしたまま腕組みして平然と厚志を見守った。
「こんなもの、唾つけとけば治る」
「だめだよ! こういう怪我は油断すると危ないんだ! 僕、石津さんから救急セットもらってあるから。すぐに手当する」
実のところ手当というほどの傷でもなかった。それでも厚志はポシェットから救急セットを取り出すと、ピンセットに消毒液を浸した綿で舞の頬を丁寧に拭いた。そして絆創膏を取り出すと、しぶる舞の頬に貼り付けた。
「これでよし、と」
満足げに「手当」の出来映えを眺める厚志を中西と久萬はこわごわと見ていた。
「あー、とにかくだ。先を急ごう」
舞は咳払いすると、有無を言わさぬ口調で全員に申し渡した。
八月十日 二〇〇〇 国交省ビル付近・瓦礫
旺盛な砲撃音が途切れなく聞こえる。
善行戦闘団の突破・合流によって新防衛ラインは息を吹き返していた。113号線を北上する敵は新たに形成された火線でくい止められるはずだ、と来須は考えた。
来須と若宮、そして石津は半壊した国交省ビルの中に身を潜めていた。目の前には主を失った栄光号がうずくまっていた。
「来須だ。栄光号は腕と脚部に損傷を受けているが、修復は可能だろう」
来須は無線機に向かって報告をした。
「ごくろうさん。たった今、芝村さんと速水君から事情を聞いたところよ。回収に向かいたいんだけど無理かしら?」
原の冷静な声が聞こえた。
「すぐにか?」
「ええ」
「目の前に敵がいる。一時間ほど待てば矢吹がこの一帯をまた掃除しに来るはずだ」
来須は原の性急《せいきゅう》さに首を傾げた。
戦闘団は新防衛ラインに留まるつもりはなかった。2号線を中心に旧十一師団の戦区を転戦する予定だった。光輝号からの攻撃という思わぬ事態はあったが、友軍との合流は主に敵の挟撃が目的だった。敵を撃破後、司令部に帰還し、補給の後、再び敵の弱点を衝くというのが矢吹の方針だ。
本来なら市街地での戦車隊の進撃は困難が多いが、ビル街を除けばすでに焼け野原と化した地形はさら地と変わらず、さらに幻獣の対戦車戦闘の手段が限られていることから善行と矢吹は十分に可能と考えたようだ。
戦車随伴歩兵と連携しての市街戦の訓練も試してみたかったのだろう。
そんなことを来須が考えていると、「一番機と三番機に回収の護衛をさせでもだめ?」
原はなおもくい下がってきた。よほど新型機への思い入れが強いのか? 来須は相棒の若宮を見た。若宮は苦笑した。
「それでしたらなんとか。目の前を通過していくミノ、ゴルは相当傷んでいますから。それにしてもなぜそんなに急ぐんです?」
来須に代わって若宮が尋ねた。
「ほほほ。嫌な質問ねえ。政治的な理由がちょっとね。不意を打たれたとはいえ、我らが栄光号が光輝号にしてやられたわけでしょ? これ、ナシにしちゃいたいのよね。事実なのは滝川君の軽装甲が戦車と協力して十枚の光輝号をやっつけたことだけっと。だから修理を急いで、栄光号を新品まっさらな状態に戻したいわけ」
原はあっけらかんと言い放った。
「ほう」若宮はにやりと笑った。
「原さんが政治好きとは思いませんでしたよ」
「廃棄処分品だった士魂号とは違って、栄光号の開発にはいろんな関係各位様がいるのね。事実が明らかになったら、善行さんも足を引っ張られるし、その上も同じ。それにしても……あんなロボットにやられたなんて悔し――っ! というのがわたしのホ・ン・ネ」
来須と若宮は視線を交わした。石津は我関せずといった風に警戒を続けている。
「善行さんの口から言えないでしょ、こんなこと。彼、もっと出世しなければいけないし」
「ははは」
若宮は陽気に笑った。
「納得です。わたしは原ファンクラブの会長ですから。及ばずながらお手伝いしますよ。来須は苦い顔をしていますけど」
「……出発を急げ」
来須は抑揚のない声で言うと無線を切った。
「感じる……わ」
石津が唐突に口を開いた。
そもそもがなぜ石津が来須らと行動をともにしているのか、はなはだ根拠薄弱だったが、石津は「負傷兵は前線にいるの……の一点張りで通していた。現に血清、手術道具一式を背負って、ここに来るまでの間、何人かの重傷者を救っている。無資格の衛生兵がメスを握るのはぞっとするような犯罪行為だったが、石津は平然としていた。「敵か?」
若宮がため息交じりに応じた。石津の勘の艮さと戦開力については確認済みだ。あの団地で、拳銃を手に指令型幻獣を射殺した時の射撃姿勢はさまになっていた。ただ、どうしても昔の石津のイメージが強かったため、腰に下げているサブマシンガンにも「生意気に」という形容詞がついてしまう。
石津はしばらく気配を探っていたかと思うと、道路の反対側のビルに向け、すっと指を伸ばした。目で追うと、白い何かが映った。
「生き残りの市民……にしでは非現実的な光景だな」
夏の陽光の下、廃嘘と化したビルの屋上に、純白のアンティックなドレスを着た少女がたたずんでいた。手には日傘を差している。
どこの国の歌か少女の歌声が砲声銃声の隙間を縫って流れてくる。
「狂っているのか……」
若宮がつぶやくと、石津の横顔が引き締まった。その目には激しい敵意があった。
石津と少女は路面を挟んで見つめ会っていた。
「敵……敵の鎮魂歌」
石津はぽつりとつぶやくとサブマシンガンに手をかけた。
ふと少女がにこりと笑った。石津が引き金を引くより先、銃声が響いた。来須が石津を押し倒していた。
「あれは……?」
久遠《くおん》を着た兵が少女の手を引くと、物陰へと消えた。若宮が尋ねると、来須は石津を助け起こしながら言った。
「近江だ。取り込まれたんだろう。今は構っている余裕はない」
来須の言葉に石津はしぶしぶとうなずいた。
「気づかれた。逃げないと!」
再びカーミラの手を引っぽろうとすると、その手が空を切って近江はバランスを崩して倒れ込んだ。カーミラは数メートル先にたたずんでいた。変だな、今まで掴んでいたのに……。不思議そうに自分の手を見つめる近江にカーミラは笑い声を浴びせた。
「逃げる必要はないわ。わたしはあの者たちを恐れてはいないから」
そう言うと近江が瞬きする間に背後に立っていた。
「まさか……また精神操作を」
近江がこわごわと振り返ると、カーミラはくすくすと笑った。
「ごめんね。少しだけ。貴子の距離感覚を狂わせてみたの。すぐに戻るから安心して。貴子はよっぽど精神操作が嫌いなのね」
嫌いなのね、と冷やかされて近江は顔を真っ赤にして怒った。
「当たり前だ! 記憶に残っているんだ。おまえのお陰でわたしは子供に戻されて……お兄ちゃん、アイスクリーム食べたいの、なんて言ってたんだぞ! とんだ退化だ」
笑い声が聞こえた。カーミラは身を折り曲げ、浜を流して笑っていた。
「寂しかったのよ――。お友達になれる人がいないかなと思って街を歩いていたら偶然貴子と出会ったの。あなたの心の闇がよく見えたわ。貴子は強引だからきっと破滅していた」
これまでの殺人のことを言っているのだろう。
破滅していた、と言われて近江にはすぐには反論の言葉は浮かばなかった。自分の頭に柔軟性があるとは思っていなかった。せいぜいが殺人を事故死か自殺に偽装できるくらいだ。憲兵に本格的に追及されればボロが出たろう。
自分が衝動的な性格であることを近江はしぶしぶながら認めていた。
あのまま戦闘団司令部への恨みを募らせていれば抑制が効かなくなり、また危ない橋を渡っていた可能性がある。
「自分を偽って生きるのはよくないわ。あなたの心の中にはこの世界を呪う子供が棲んでいる。 貴子は彼女から逃げられない。それがわかっただけでもよかったんじゃない? 貴子ちゃん、 アイスクリーム、買ってあげようか?」
「貴様……!」
近江は小銃を構えようとしたが、カーミラと視線が会ったとたんにあわてて横を向いた。だめだ、この少女は手に負えない。
「あちらの世界にいたら、抑制を重ねたあげく、貴子は狂っていた。だから助けてあげたんじゃない? わたしといれば実験材料にはならないわよ」
実験材料。近江はぞっとして身を震わせた。都会の混沌とした世界に逃げ込んでいた頃、不良たちの間ではラボの話は一種の都市伝説だった。幻獣とは元人間のなれの果てで、ラボを逃げ出して繁殖したものだ、云々――。
近江が軍人社会に潜り込んだのも、そこがある意味安全だと思ったからだ。
「……しかしわたしはただの軍人だぞ。おまえのような化け物の役には立てん」
「そばにいるだけでいいの。だって楽しいんだもん」
その無邪気な声に、近江は一瞬、戦場にいることを忘れた。すぐに我に返ると、がくりと肩を落とした。
「どうするんだ、これから……?」
「戦線の爆破には成功したけど、光輝号はあっけなくやられちゃったし。あの悪魔は話しかけても逆に強烈な思念をぶつけられてイライラするだけだしね」
カーミラはお手上げといったように眉をすくめた。
「なんのことだ?」
「わからないならいい。そうだ、司令部、爆破しちやおうか?」
「……無理だ。司令部には憲兵がうようよいるぞ。なぜおまえが十一師団の戦区を選んだのか、わたしも考えた。そのぐらいの頭はある」
これだったらわかる。しかしほんの数日前まで軍人社会の中で順調に過ごしていた自分がなぜこんなところにいるのか、近江はやりされなくなってきた。どうしよう……?
わたしにはもうどこへも行くところがない。この化け物と一緒にいるしかないのか?
「ううん、岩国基地じゃなくって、別の司令部。この世界で言う悪魔? 悪魔の巣がそこにあるって報告があった。様子を見に行く」
悪魔とはおまえのことだ。近江は少女に一瞬殺意を抱いた。
八月十日 二〇一五 国道2号線・医療センター付近
灰色の髪の少年は、カーミラと近江がいた廃墟から四百メートルほど離れたところのネズミ穴に身を潜めて、幻獣が殲滅されてゆくさまを見守っていた。
戦車砲の一斉射撃でミノタウロスが、ゴルゴーンが爆散する。日本中の砲と砲弾をかき集めたと言っても過言ではないほど、自衛軍は敵に対して砲弾をスコールのように降らせていた。
最も効果的なのは榴弾だ。小型幻獣は消滅し、中型幻獣も破片に傷つき、仲間の爆発に巻き込まれたあげくさらに出血を強いられ、弱っていった。
スキュラが戻ればまた形勢が変わるんだろうなと思いながらも、第三戦車師団の隊車がペイントされた七四式戦車が目の前を通過してゆくのを見送った。その機動は幹線道路を進撃するだけでなく、さら地と化した住宅地域にも巧妙に展開し、無駄なく、そして旺盛にその火力を発揮していた。
数両の戦車がキャタピラ音を響かせ還ざかっていったところで、少年は憲兵たちに合図を下した。目的は光輝号のパイロットの確保だった。
……荒波の仕事を目の当たりにして、カーミラの探索よりこちらが優先事項となった。
憲兵小隊には全員軍用のスタンガンを持たせてある。ひとりの憲兵曹長が機体の上に飛び移ると、コックピット開閉のレバーを引いて中を慎重にのぞきこむ。FOXキッドに身を包んだパイロットのうめき声が聞こえた。
「構わない。すぐに使え」
少年に命令されて、曹長は反射的にスタンガンを使用した。弱々しい悲鳴が聞こえ、曹長はパイロットを引きずり出した。ひとしきりボディチェックをして曹長は苦い顔になった。
「自爆装置です。プラスチック爆弾はここに」
「敵はよい性格しているねえ」
灰色の髪の少年はため息交じりに笑った。
曹長に「手本」を示されて、他の憲兵たちも残る機体に忍び寄った。コックピットを開いた瞬間、すぐにスタンガンを使った。捕縛のプロで編成された小隊だけあって、失敗する者はなく、十五分ほどで八名のパイロットが装置を解除され「保護」された。残念なことに二名はコックピットに直撃弾を受け、絶命していた。
用意周到と言うべきか、この小隊だけに与えられた特権とでも言うべきか、三両のキャタピラ式の装甲兵員輸送車が道路わきに待機していた。それぞれの車両では機銃手が不測の事態に備えている。パイロットを運び込むと、少年は「司令部へ」と小隊長に命じた。
「しかし……危険ではありませんか? まだ岩国駅から列車が出ています。すぐにでも広島へ搬送した方が」
小隊長の言葉に少年は「うんうん」とうなずいた。
「ごもっともだが、彼らは貴重なパイロットだからね。研究所に送るわけにはいかないだろ。 研究所の連中が手ぐすね引いて待っているとしてもね」
「なるほど……」
小隊長は得心した表情になった。彼らは共生派相手に薄氷を踏むような探索・確保任務にあたっていた。後方でのうのうと手柄を待っている連中に簡単に引き渡すわけにはいかない。失態を重ねた分、少しでも点数を稼がねばならなかった。
「それに君らと同様、僕も研究所の人たちが好きではない。僕らの、あるいは君たちの手に負えなかったら引き渡すまでだ。基地内に憲兵隊の詰め所があるからじっくりとやってくれ」
八月十日 二〇二〇 国道2号線・刑務所付近
「じきに図交省ビルに到着する」
舞はトレーラーに向け、通信を送った。2号線の左右には時折榴弾が落下し、三番機と壬生屋の一番機はトレーラーをかばうように併走していた。中型幻獣の姿は見えなかったが、路面には相変わらず小型幻獣がひしめいていた。それらの敵を蹂躙しながら、二機の人型戦車とトレーラーは回収地点に向かっていた。
「ぞっとせん光景ばいね」
中村のぼやきが聞こえた。
「なんだかわたくしばかり楽しちやって……」
それまで休息をとっていた壬生屋が済まなそうに言った。
「楽したなんて誰も思ってないよ。無理したら危ないんだ。たぶん僕が機体に被弾させたのも疲れていたからだと思うよ。反応が少し遅れた」
本当は疲れてなどいなかったが、厚志は敢えて嘘をついた。反応が遅れていたら、今頃は大破した機体と運命をともにしていた。壬生屋さんは責任感が強過ぎるから、油断できない。口では割り切ったようなことを言っているが、こちらが気をつけていないと絶対に無理をする。
舞とも話し合ったことだった。
「速水さんでも疲れるんですか?」壬生屋の意外そうな声。
「あはは。やだなあ。人を怪物扱いしないでよ」
「……すみません」
壬生屋はあわてて謝った。
「へっへっへ、速水も人間だったってわけね。おまえらがやられたって聞いた時はどうしようかと思ったぜ」
不意に二番機から通信が入った。戦場の音に交じって、戦車のキャタピラ音、エンジン音が聞こえてくる。
「滝川……!」厚志が名を呼ぶと、滝川は笑った。
「なんせ光輝号十機だったもんな。俺も初めはあわてたけど、荒……ローテンシユトルムが駆けつけてくれてさ、全部やっつけたよ」
「それは聞いている。しかし、友軍の損害は?」
舞は冷静に尋ねた。
「戦車十一、車両十三、死傷六十七。……やられたよ」
矢吹の声が割り込んできた。
「……まいりました。友軍と思っていた相手から急に攻撃されるなんてね」
植村の声も心なしか沈んでいた。
じきに矢吹の指揮車と滝川の二番機が見えてきた。その頃には砲撃も止んで、挨拶をするまもなく戦闘団の主力は小型幻獣を旺盛な火力で蹴散らしながら吉香公園へと向かって行った。
ビルに到着すると、瓦礫の陰から来須らが姿を現した。一番機と三番機は協力して栄光号をトレーラーに積み込んだ。
「それにしても厄介な敵を迎えたもんだな。そこいら中、クレーターのようになっている。爆薬は友軍もけっこう使うから、たとえ山ほど背負っていても共生派とはわからんし、くっきりした戦線を持たない防衛ラインの性格上、誰何する者も少ないだろう。光輝号はともかく、こちらは完全にしてやられたよ」
瀬戸口の声が聞こえた。それまで戦闘団とともに行動していた戦闘指揮車がトレーラーの前を走っていた。石津は車内に収まり、若宮と来須は車体に張り付き、襲ってくる小型幻獣を撃退していた。
確かにそうだろう。
自爆するにせよ、爆薬を仕掛けられるにせよ、我々は幻獣共生派の恐ろしさを忘れていた、 と舞は唇を噛んだ。
完全に人類側の盲点を衝かれた。
盲点とは、まず瀬戸口の指摘するように人類側が雑居状態であったことだ。
防衛ラインの主力は第二、十一、十四師団、二十一旅団となっているが、これに加えて中国各地から集結した放兵、転進部隊の数と種類は膨大な量になっていた。
現に戦闘団の策源地となった山口には部隊数から言えば相当な数の兵力が展開していることになるが、その実質は兵員が百名を割った連隊、十五名にまですり減った中隊……といった戦闘不可能な隊の寄り合い所帯だ。岩国防衛ラインはさらに大規模な寄り合い所帯と考えてよいだろう。部隊章だけでホンモノ・ニセモノを判断することは不可能であり、友軍に扮した共生派の浸透は極めて楽だった。たとえ壊滅した隊でもその生き残りと主張すれば済むことだ。
さらに爆破されたのが地下通路であったことが被害を大きくした。爆風は通路を伝って、多数の兵を巻き込んだ。
理論上は合理的に思える岩国防衛ラインの盲点を敵は鋭く見抜いていたらしい。
九州撤退時に戦った幻獣共生派は、レールガンなど豊富な武装を撃えていたが、組織だった攻撃は仕掛けてこなかった。こちらは自分たちの土俵で戦うことができた。
敵の指揮官はどんなやつだろう? これまでの共生派とは比較にならないすごみがあった。
「……大量投入されたら恐いな」
舞は苦い思いで言った。嫌な戦争だ……
「ああ、基地の司令部に問い合わせしてみたんだがね、戦区によって憲兵隊の配置が偏っていたとのことだ。なお十一師団の司令部は壊滅。スタッフを一挙に失って、今は生き残った連隊長が指揮を執っているらしいが、戦闘単位としての戦力は激減している。戦闘団司令部も要警戒というところだな」
瀬戸口がこれほど議論を展開するとは、よほど危機感を持っているに違いないと舞は患った。
「気になることがひとつある」
来須が口を開いた。
「なんだ?」
「国交省ビルの近くで共生派を目撃した。近江も一緒だった」
「なんだって……?」瀬戸口の困惑する声も珍しかった。
「きっと……また動く……わ」
石津がぼそりと言った。
「近江が一緒だったということは、考えられることがあるよ。近江は正気に戻ったらしいけど、まず共生派の指導者かそれに近いやつが近江を顧問として従えているという可能性があるね」
茜が強引に割り込んできた。
「ははは。おまえさんは幻獣共生派にも詳しかったかな?」
瀬戸口の茶々に、茜はむっとしたようにまくしたてた。
「近江の軍歴を調べてみてプロプアイリングしてみたのさ。近江はたぶん、はめられたんだ! けど、精神汚染と精神操作を受けたのは事実だから、罪に関われるか、そうでなくても一生軍では浮かび上がれないよね。最悪ラボ送りもあるさ。正気に戻って、裏切るしかないと思い詰めたんだろう。頭の硬いタイプが陥るワナさ。たとえばさ……憲兵隊と取り引きして二重スパイをやるなんて発想もあるだろ? 頭が柔らかいということはさ、この場合どうやって自分の身を守るか、白と黒じゃなくて……あー、グラデーションのようにいろんな可能性を考え抜くことだね。考え抜く習慣をつけるということだね」
茜の「大演説」には口のはさみようもなかった。ただ、舞はある種の滑稽味を感じて口許をほころばせた。善行は茜にいったい何を教えでいるのか?
「……俺たちは戦闘団司令部を警戒する」
茜の横説を無視して、来須は短く言った。舞は「ふむ」と気難しげにうなった。目に見えぬ相手を警戒しなければと考える時点で、すでに敵に一本とられている。
「まあ、司令閣下はくよくよ考えないことだな。石津には敵を察知するアンテナがある」
若宮が勝気に言った。
「頼んだよ、石津さん」
厚志が唐突に言った。石津は衛生兵だ! 勝手なことを言うなと舞は一瞬かっとしたが、すぐに冷静さを取り戻した。
厚志には独特の勘と嘆覚がある。それは信用に値するものだ。
「来須、若宮、そなたらに任せる。必要なものがあればなんでも言ってくれ。それと矢吹少佐、戦車の補充はどうするつもりか?」
「それなら心配は無用だ。原隊に連絡をとった。戦闘団の戦果に師団のスタッフは浮かれていたよ。じきに岩国駅に一個中隊が到着する。次の攻撃で合流することになった」
矢吹の声は明るかった。
「ふむ、気前のよいことだな」
「それはそうだろう。これまでの大戦果に師団長も興奮していてな。一個中隊にオマケとして対空戦車一個小隊を付けてくれた」
「泣く子も黙る第三の師団長が興奮か。くく……」
舞は含み笑いを洩らした。今は頭を切り換えよう。こちらは第二次の進撃作戦を考えるのが役目だ。どこをどう攻撃すれば効果的か考えることだ――
八月十日 二二〇〇 旭町整備工場
防衛ラインは吉香公園を含む市西部と中央部に分断され、東から岩国基地――岩国市役所――さらに砂山町一帯を大まかなラインとして地下通路を経た無数の飛び地陣地を持つかたちに変貌していた。市西部は善行戦闘団に加え、二十一旅団他の部隊がなおも拠点を守っていた。
ひと口に戦線と言うが、岩国の戦線には三種類あった。
まず小型幻獣の浸透地域は広範囲に渡り、防衛ラインの内側にも多数の小型幻獣が浸透しては殲滅されていた。市全体に渡って張り巡らされた地下通路では変わらず自衛軍と小型幻獣が激突を続けており、こちらは人類側が火力で敵を圧倒していた。
第二の戦線はミノタウロス、ゴルゴーンなど陸戦型中型幻獣の阻止線だった。これがはじめに述べた防衛ラインの概念に近い。突破をはかる敵に対して、自衛軍は巧みに構築した陣地と火線によって対抗していた。
そして第三の戦線とは敵の空中ユニット、スキュラ、うみかぜゾンビの阻止線を指す。スキュラのアウトレンジ攻撃、そしてゾンビヘリの機関砲弾から友軍の戦闘車両、砲兵陣地等を守るため、「第三の戦線」は市の中心部の外縁部にあることが望ましかった。ありとあらゆる対空兵器が使用され、敵の侵入を阻んでいた。岩田参謀の唱える「幻獣の分断撃破」策はなおも機能し続けていた。
「それで遠坂の若様に乗せられたってわけか」
荒波からの通信に藤代は「すみません」と謝った。
旭町整備工場はまさに第一の戦線だった。広大な敷地に小型幻獣があふれ返り、人類側は戦車整備棟を拠点として敵の攻撃を跳ね返していた。遠坂は破損した土木一号を修理するために隣接する生体兵器整備棟の占拠が必要と主張し、遠坂一行の後方への護送命令を受けていた旧荒波小隊の少女たちの協力をまんまと取り付けてしまった。
棟の攻略は簡単だった。二機の人型戦車と戦闘車両によって十分ほどで生体兵器整備棟は人類側の手に落ちた。元5121小隊整備員の遠坂と田辺は、プロトタイプの光輝号の右晩を複座型に移植する作業に従事していた。
「片晩だけだと九二ミリライフルが当たらないと断言されて……」
藤代はしどろもどろに言い訳をした。考えてみれば、あの時点で田中・村井の土木一号は片腕だけでもよかったのだ。遠坂の取材班ともども岩国駅まで護衛して、さよならすればそれでよかった。腕の修理など、基地に戻ってからでも十分だった。
「あの……わたしからも謝ります。ごめんなさい、司令」
島がしょんぼりした声で謝った。
「……まあいい。今後、ああいうカリスマ君には気をつけることだな。にこにこ顔でとことん人を利用してくるぞ、純情少女」
荒波の冷やかすような声に、藤代と島は同時にほっと安堵の息をついた。
「遠坂社長はカリスマなんですか? 不思議な人だとは思いましたけど」
藤代が尋ねると、「うむ」と荒波はうなずいた。
「財閥の総帥ともなると自然とそういうものが身についてくるのだ。しかも彼はクーデターで総帥になった男だぞ。あのオットリ顔でなんでもやってのける。二枚目、貴族的な物腰、しかし庶民的な一面もある。熊本戦の経験者にして、今はリポーターとして戦場に飛び込んだ愛国者。やつはな、芝村――遠坂閥の歩く広告塔だ。やつ自身の思惑はどうあれ、世間はそのように考えるはずだ」
「……勉強になりました」
藤代は、らしい硬い粛子で言った。
「護衛役の坂上氏とすぐに話してくれ、藤代。取材は十分だ。人型戦車で鷲掴みにしても送り返せと荒波に言われた、とな。遠坂、ゴーホーム! 復唱しろ」
復唱しろ、と言われて藤代は顔を赤らめた。
「は、はい……遠坂、ゴーホーム」
「声が小さいっ! 島も復唱」
「遠坂、ゴーホーム!」ふたりは頬を赤らめながら、通信機に向かってがなりたでた。
「よし。すぐに坂上氏のところに。……時に田中と村井はどうした?」
「……カレーライス食べてます」
荒波の高笑いがコックピット内に響き渡った。
「まったくおまえら四人、とんでもないやつらだ」
「田中と一緒にされるなんて嫌です」
「わたしも嫌」藤代と島が同時に言うと、荒波は「そうかそうか」と満足げに言った。
「ならば任務を果たせ。……そうだな、成功した暁には戦争が終わった後、南国リゾートに連れて行ってやる」
「はあ……」藤代はため息交じりにうなずいた。
「……あのォ、南国リゾートってもしかして有馬温泉のことですか? 夏季限定・高級旅館激安パック」
島が遠慮がちに尋ねた。
「む」荒牧は一瞬、沈黙した。
「あ、けど、わたし温泉大好きなんです。司会、バンプレット集めているの知っていたから」
島があわでて付け足した。
「はっはっは、日本人はやっぱり温泉だよなあ」
「はい!」
荒波のごまかし笑いにも島は嬉しそうにうなずいた。
「わかりました。修理が終わりしだい、撤収します」
藤代の言葉に薄暗い工場の中で坂上は表情も変えずに請け合った。島は棟前に陣取った複座型に残って、ジャイアントアサルトを掃射していた。
「言うことを聞かない場合には人型戦車でエスコートということになりますけど」
藤代は眼鏡を光らせて坂上を見た。
「ああ、こちらとしても願ったりかなったりだ。岩国駅に装甲列車が待機している。そこまで送ってくれればけっこうさ」
本田と名乗った女性の薄衛がにやりと笑った。岩国駅? 藤代は耳を疑った。駅構内にはゴブリンがとっくに浸透している。戦車随伴歩兵が敵を排除しながら列車を運行している状況だ。
それを言うと坂上と本田は顔を見合わせた。
「……そこまで旗色が悪いのですか?」
坂上の無表情な顔に曇りが生じた。
「いえ、その都度殲滅していますから。ゴブリンに関して言えば、この工場のようにある程度の浸透は許すのが司令官と参謀の方針なんです」
藤代は冷静に応じた。大まかな作戦方針は荒波と岩田参謀から聞かされている。
「ふうむ……」坂上は首を傾げた。理解しかねるようだ。
「スキュラを一番多く撃墜しているのは歩兵のミサイルなんですよ。熊本戦の頃とは戦術が異なるんです」
「なるほど」坂上はあっさりとうなずいた。
「俺の知っている戦争は時代遅れになっちまったってわけか」
本田は少し寂しげに嘆息した。
「その話、興味がありますね」
来た……。不吉な声がして、藤代は表情をこわばらせた。遠坂がタオルで汗をぬぐいながら藤代に微笑みかけた。後ろには田辺と紹介された少女がそっと寄り添っている。
「右腕移植完了しました。あくまでも応急の修理ですから、右腕でパンチは控えてくださいね。 あとはパイロットに試乗してもらいましょう。ええと……田中さんと村井さんでしたっけ。今どちらに?」
「食堂のはずですけど」
遠坂のペースに引き込まれてはいけない、と思いながらも藤代は答えてしまった。食堂は戦車軍備棟に隣壊している。
「島――! 拡声器で田中たちを呼んで! 修理終わったって」
まったく食い意地が張っているんだから。藤代は腹立ち紛れに声を張り上げた。そして吊り上がった目で遠坂をにらんだ。遠坂は微笑を浮かべ、首を傾げた。
「それでは」
藤代はことさらに敬礼をしてみせると、複座型の方向に駆け去った。
「撤収します」
坂上は静かに遠坂に告げた。
「しかし……修理の結果を見ませんと」
「あの姉ちゃん、相当怒ってたぜ」本田が冷やかすように言った。
「なぜ彼女が怒るのです? わたしは何もしていませんよ」
遠坂は心外だというように田辺を振り返った。田辺は気弱に微笑んだ。
「貧乏な家のタンスの上になん十万円もするガラス細工の置物が置いてあるようなものなんです。遠坂君の存在は。壊れたらどうしようって家族全員で心配して……」
田辺のたとえ話に本田は、くくつと笑った。
「わたしだったらこわくてこわくて! どんなに気をつけていても割っちゃいます。だから遠坂君にお出しするコーヒーのカップは百円ショップで買ったものなんです」
田辺のたとえ話を遠坂は唖然とした顔で聞き入った。
「……それは構いませんが、もしかしてガラス細工とはわたしのことですか? うーん、よくわかりませんね」
「わからせてあげます……」
土木二号の拡声界から藤代の声が響き渡った。腕が伸びて、遠坂の体を掴もうとした。しかし遠坂はひらりと身をかわすと、「何をするんです?」と目を瞬いた。
「これから岩国駅へ。すぐに」
坂上も遠坂の腕を掴もうとしたが、遠坂は紙一重の差で逃れた。
「こらあ、遠坂!」
本田が怒鳴るより先、遠坂は田辺の手を掴むと、戦車整備棟に逃走した。
「もう……! 世話を焼かせて! 坂上さん、本田さん、お願いします」
土木二号で遠坂と鬼ごっこをするわけにはいかない。藤代は棘のある声で「遠坂社長、子供じゃないんですから言うこときいてくださいっ!」と拡声界から呼びかけた。
どうしてこんなに嫌われるんだ? わたしが何をしたんだ?
遠坂は内心傷つきながら、あっけにとられる整備員の間を駆け抜けていった。まだ戻るわけにはいかない。この戦争の帰趨を見届けないと……!
「遠坂君、だめです。すぐに戻りましょう」
田辺さんまでもがそんなことを言うのか? わたしはガラス細工なんかじゃない。遠坂は駆けながら必死に逃れる方法を考えた。
待てよ……。あれだ! 遠坂の視線の先には白衣の女医とコマネズミのように動き回る看護師の少女の姿があった。
病院スペースに駈け込んできた遠坂を見て、少女はまん丸な目を見開いた。
「先生、わたしもお手伝いします! それと、あと何人医師と看護師が必要ですか?」
遠坂はひっつゆ髪の女医の前に立つといっきに言った。女医は遠坂をじっと見つめていたが、手を伸ばすと遠坂の頭を撫でた。
「ふむ。なかなかかたちのよい頭蓋骨だな。首の強度も合格だ」
「そんなことは……」遠坂はこわごわと女医を見た。
「骨格標本としては理想的だな。しかし遠坂氏よ、手伝うと言われても看護師の仕事は楽ではないぞ。衛生兵の訓練すら受けてないのだろう?」
女医は気難しげに言った。
「それならなんとか。わたしは元人型戦車の整備員です。たった今、士魂号の腕を接合してきたところです!」
こう言われて女医はあきれたように首を振った。
「何を考えているのですか、君は」
声がして坂上が姿を現した。さすがに眉間にしわを寄せている。
「てめー、餓鬼みてえにごねるんじゃねえ!」本田は怒気も露わに遠坂をにらみつけている。
「しかしわたしは戦争のゆくえを見届けたいのです!」
遠坂は必死にふたりの元教官に訴えた。
「戦争のゆくえはここでなくても見届けられますよ。前線だけが戦場ではありません」
坂上は冷静な口調で言った。
「そうですそうです! 後方だって戦争しているんです。遠坂君、整備班だったのにご自分を見失っています」
田辺が珍しく断固とした口調で説得した。
女医と看護師は面倒と思ったのか、自分たちの仕事に戻っていた。
遠坂はがくりと肩を垂れた。
「わかりました。……駅に向かいます。ああ、先生、軍医は何人必要ですか? 看護師は? 荒波司令官に交渉して、基地から派遣してもらいます」
「先生……」看護師が女医に目配せした。女医は微かにうなずいた。
「そんなことより、後方へ負傷者を輸送せんとな。考えてみてくれ」
「そうですね。工場裏手から船を使って……待てよ、いっそのこと戦車架橋を架けた方がいいな。それで装甲車で輸送……ええ、ええ、手配しますとも」
……こうして遠坂の突撃前線取材は終わりを告げたのである。
彼とその一行、そして荒波らが基地に置き去りにされたテレビクルーを思い出したのはその数日後のことだった。発見された時、クルーはほとんどの部屋が民間人立入禁止の地下司令部の廊下に放心したように座り込んでいたという。
八月十日 二二〇〇 吉香公開・城山麓
公園に戻ると城山の麓に整備テントが組み上がっていた。原をはじめとする整備班の面々がテント前で待ち受けていた。
中村が栄光号を積んだトレーラーを横付けにすると、原はにこやかに実って、「ごくろうさん」とねぎらいの言葉を口にした。
原に言われるままに、一番機と三番機は栄光号をハンガーに固定した。
「ふうん、ひどいものね。ふたりなら光輝号なんて束になってかかってきても大丈夫だと思っていたのに」
原が冷やかすように厚志と舞を見ると、厚志は顔を赤らめ「すみません」と謝った。
「そのことは再三説明したはずだ! 完全な不意打ちであった」
舞は不機嫌に吐き捨てた。
「ほほほ。冗談冗談。あの状況じゃ誰だって友軍と思うものね。状況がわからないまま戦闘をしなくて正解だったみたいよ。善行さんに謎の少年Aから連絡があったんだけどこ、パイロットを八人保護したそう。少しづつ正気を取り戻しているって」
原は主立《おもだ》った整備員に目配せした。狩谷と中村、岩田、森は脚部の破損状況を丹念にあらためはじめた。専門用語が飛び交って、厚志は居心地の悪さを味わった。
「あの……何があったんですか?」
これだけは聞いておきたかった。舞も壬生屋も滝川も、原の答えを待った。
「パイロットへの精神汚染……もしくは精神操作。これ、敵の作戦のトレンドみたいねえ。広島・岩国間で線路の復旧を待っていたら、真っ白なドレスを着た外国人の少女が客車に乗り込んできて、それから後のことは覚えていないって。なんなのかしらね」
白いドレスの少女? 厚志は夏の陽炎の中にたたずんでいた少女の姿を思い出した。
「その子、敵ですよ。歌を歌っていました。撃とうとしたら逃げられちゃった」
原は目をぱちくりとさせて、厚志を見た。
「超能力少女現るってわけ? それであなたたちは大丈夫だったの?」
「大丈夫でしたけど。ただ、あの子は敵だって全身がざわついてきて。舞も同じだよね?」
厚志が振り返ると、舞は「うむ」とうなずいた。
「邪悪なものを感じた。引き金に指をかけたとたん、逃げた」
「ふうん。これまでの寄生型幻獣とは違うのね。ね、ね、可愛い子だった?」
原はにこやかに尋ねた。
「質問。その美少女、どんな靴下履いとった?」
中村と岩田が好奇心にあふれた表情で尋ねてきた。
これだ……。厚志はウンザリ顔で「敵なんですよ」と言った。
「石津を西洋人にしたような顔立ちであった。碧眼《へきがん》金髪、ワンピースというのかドレスというのかわからんがそんな服を着ていた。靴下は……膝丈までの白のハイソックス。どうだ! そなたらの能天気で卑しい好奇心は満たされたか?」
舞は憤然として、原たちをにらみつけた。
「ノオオオ。白のハイソックスですかあそそんな敵とは戦えないですゥゥゥ」
岩田の絶叫に「馬鹿め……」狩谷の苦々しげなつぶやきが聞こえた。森は完全無視でテスタを使って損傷箇所をチェックしている。
あまりに能天気なふたりの会話に、厚志は首を振った。見た目は可愛い女の子だけど。これまでの敵とは格が違う。光輝号を友軍に気づかれずあんな場所に移動させ、戦闘団に大打撃を与えようとした。狡猾で慎重で、大胆だ。
「……原さん、正直なところを言いますね。僕はこれまであんなに肌が粟だったことはありませんでした。あの子は破壊と殺戦を楽しんでいる。十一師団の戦区をめちゃくちゃにしたのも、きっとあの子ですよ。楽しんでいるから予測もつかない行動をするんです」
厚志の目に濃厚な怒気が見て取り、原の表情が変わった。中村、岩田もどうしたんだという風に真顔に戻った。こんな表情は見せたくなかったが、無防備な整備班が襲われたら、あっというまに皆殺しだ、と思った。釘を刺して置かないと。
厚志はあわでてにこっと笑ってみせた。
「僕らを狙ってきた以上、整備班も危ないですよ。あは、戦うことができない整備班は一番の狙い目でしょうね。気をつけて――」
脅すつもりはなかった。けれど、今の整備班は油断が多過ぎる。
「……わかったわ。少しはしゃぎ過ぎたわね。警備の人数を増やすようにする」
原はさすがに厚志の真意を見抜いた。
「厚志、もうよいだろう」
舞が厚志の肩に手を置いた。
「まだだめ。彼女は警備なんて簡単にすり抜けますよ、きっと。来須さんや若宮さんがいれば別だけど。来須さんと石津さんは彼女が来ることを見越してもう警戒体勢に入ってます。若宮さんは司令部スタッフの護衛についています」
舞に制止されながらも厚志はなおも続けた。山口でのビル爆破、十一師団戦区の壊滅、そして光輝号パイロットへの精神操作。本当に恐ろしい敵なんだ、これまでの戦争とは違うんだ、ということを整備の面々に理解して欲しかった。
「死ぬのは別に構わないけどね。……じゃあどうすればいいの? 布団をかぶって震えていろってこと?」
原はにこやかに厚志の顔をのぞき込んだ。
「すいません。ただ、言わなくちゃいけないような気がして。……僕が整備テントを見張りますよ」
厚志は矛を収め、顔を赤らめた。
「おいおい、大丈夫かよ? おまえ人型戦車に乗ると強いけど……」
滝川があわてて口を挟んだ。心配そうな表情になっている。整備の面々はと言えば、複雑な表情で厚志を見ている。
「わたくしも護衛しますわ……!」
壬生屋が進み出た。表情が緊張に引き締まっている。
「ははは。勇ましいな、壬生屋は。だったら俺も整備テントで合宿生活だ」
瀬戸口の声が飛んできた。壬生屋の顔になんとも言えぬ安堵の表情が浮かんだ。整備員たちも安堵の表情になった。
「あのね、ののみも一緒にいるよ。ののみ、てきがちかづいてきたらわかるから」
東原が跳ねるようにして原と厚志の前に立った。
「うーん、どこにいても安全というわけじゃないしな。そうするか」
瀬戸口は少し考えてうなずいた。うん、三人がいればいいかなと厚志は舞に視線を送った。
「厚志よ、この三人なら安心して任せられる。わたしとそなたは司令部に詰めていよう。… そんなに不安な顔をするな、森。そなたには特別に滝川をつけてやる」
舞は口許をほころばせて言った。
「あんまり安心できないかも。けど……」
森は真っ赤になって滝川を見た。
「が、頑張るって」滝川も大いに顔を赤らのた。
「じゃあ……じゃあ僕も姉さんの護衛につくよ!」
茜が焦って口を挟むと、しらつとした空気が放れた。
八月十日 二三〇〇 吉香公国・管理事務所陣地前
吉香公園を埋め尽くす戦闘車両に合田は目を細めた。
これまで戦場だった一帯は戦闘団の拠点となり、兵らがせわしなく動き回っている。戦闘団はどうやら城山麓陣地を前線司令部と決めたようだ。警備の兵が機銃座に収まり、残骸と化した六一式戦車が戦車用の壕から除去され、代わりに七四式と対空戦車が収まっている。
これで山を越したかな。考えるのはそれだけだった。
これまで守り抜いた陣地では橋爪軍曹と佐藤がまた何やら口喧嘩をしていた。紅陵女子α小隊とこちらの小隊員はあきれ顔で見守っている。島村さんは……と目で追うと、他の小隊員と一緒にいそいそと戦闘団の兵に茶を配ってまわっていた。
「あの……もう戦わなくていいんでしょうか?」
声がかけられ、振り返ると小柄な少女の姿があった。二号車オケラの砲弾を何度も運び入れた縁で車長の橘とはよく話すようになった。合田に見つめられ橋は「すみません」と謝った。
「別に謝ることは……どうしたんです?」
「合田さん、こわい顔をしていたから。そうですよね、まだ東の方で砲声が聞こえるし、これで終わりなんてことはないですよね」
実際はまだ聞こえる、などというレベルではなかった。戦闘団のお陰で吉香公園がたまたま空自地帯になっているだけだ。知らず険しい表情になっていたのだろう。
なんとかして生き残らなければ。学兵たちを守りたかった。二十一旅団はなおも組織的な戦闘を続けているから、いつ転進の命令が下るかわからない。そうなれば学兵たちを引き連れてというわけにはいかないだろう。
その前に手を打たなければ――。軍人失格と言われようと、学兵を守ることは民間人の保護に準じる、と合田は信じていた。
戦闘団に談判して吸収してもらうのも手か?
公園内に展開している兵らは戦車兵も戦車随伴歩兵も見るからに精悍な面構えをしている。
学兵に無理をさせるようなことはしないだろう。
ふと橘を見ると、何やら顔を赤らめ、もじもじしている。それまで橋爪とやり合っていた佐藤が笑って橘に向かってけしかけるように親指を立てた。
橘は目を閉じて深呼吸をすると「あ、あの……」と口ごもった。
「……本当にすみません。不謹慎な話題を。まだ戦っている人がたくさんいるのに」
なるほど――。合田はにっこりと微笑んだ。
「気にすることはないですよ。実はこれからのことを考えていました。僕も先任軍曹も橋爪軍曹も名誉の戦死なんてまっぴらというクチでしてね。少なくとも無駄には死にたくない。そのためにはここを使わないとね」
合田は自分の頭を指さした。
「あ、そうですよね。……合田さん、東京にプィアンセいるんですよね?」
不器用な子だな、と合田は橘のかまかけを微笑ましく思った。どうするか。本当のことを話そうか? 視線を感じた。佐藤と橋爪が並んでいつの間にかこちらを見ている。陣地前でぼんやりとたたずむ自分たちを、戦闘団の兵も一瞥してゆく。
「こんなところでなんですが、少し話しますか? 橘さん」
合田が兵らの邪魔にならないよう、半壊した管理事務所の壁際に移動すると橘は「はい!」と元気よく返事をしてついてきた。
「彼女にはとっくにフラれています。彼女、野球部のマネージャーだったんですよ。僕が六大学で野球を続けることを期待していたみたいなんですが、その頃の僕は野球から距離を置きたいと考えていました。肩を壊したこともあったんですけど」
橘の表情が変わった。
「……けど、都大会で準決勝まで行ったんですよね。もったいないですよ」
「ああ、野球の話、しましたからね。調べたんですか?」
「すみません……」橘は消え入りそうな声で謝った。
「気にしないで。準決勝で負けたことは確かに大きかった。僕は自分の線の細さが嫌になったんです。君もソアトボールをやっているんなら意味はわかるでしょう?」
「あの……わたしも佐藤によく言われていました。ボールを上手にさばくだけじゃショートはだめだって。声出せ、声出せって」
そう言うと橘は顔を赤らめた。合田はそんな橘をやさしく見つめた。
「だからそんな自分を変えたくて、思い切って士官学校に入学したんです。彼女にはショックだったんでしょうね。自然に疎遠になってしまって。この写真はね、なんというか、なくしたものの保管庫です」
橘の表情が変わった。
「保管庫……」合田を心配そうに見上げる目があった。
「彼女と、そして野球。隊を景気づけようと思って見栄を張ったんです。はははは」
合田は朗らかに笑ってみせた。
「野球、嫌いになっちゃったんですか?」
「……本音を言えば、たまにウズウズしますね。ミットめがけて思いっきりボールを投げたい。 自分はやっぱり野球が好きだったんだなって」
「じゃあ、なくしてなんかいないじゃないですか! あの、あのっ……! わたし、合田さんの投げる姿、見たいです!」
橘は訴えるように合田を見つめ「すみません」とまたもや謝った。
「ありがとう。しかし、ここは軍なんですがね。まあ、そういうわけです。それでは僕は司令部に用があるので」
合田は照れたように話を結ぶと橘に背を向けた。
……当然、見送る名ショートが佐藤らに見えるように、後ろ手で恥ずかしげなXサインをつくっていることにはまったく気づかなかった。
「可愛い子じゃないか。君も幸せものだな」
隣に植村中尉が並んだ。合田は閉口して、「そういう年頃なんでしょう。恋に恋するといいますか。だいたいこのような状況で、このように汗と泥と挨まみれのわたしなどにアプローチするのが錯覚というものでしょう」
と言い繕った。
「まあ、そうかもしれんがね。少なくても君が学兵に好かれていることはわかるぞ。君は彼ら彼女らのよいお兄さん役なんだな」
並んで歩きながら植村は冷やかすように笑った。
「実はお願いがあるのです」
合田はあらたまった面もちで植村に向き直った。植村は、おやっという顔になった。
「我々を戦闘団に組み入れていただけませんか? 具体的にはわたしの二十一旅団彦島分遣隊第四小隊に集成戦車大隊の学兵一個小隊に独混の学兵一個小隊なんですが」
「ふむ……」
植村は難しい顔になった。
「君らはともかく、学兵たちにはまともな戦闘行動はとれんだろう。見ればわかる」
「効果が望めない戦闘に取り出すよりは、雑務に使った方が合理的ですよ。特に島村小隊は民間人に近いのです」
合田はペンギン走りで給湯器に向かってゆく島村を目で示した。
「戦車隊もカムブラージュしての待ち伏せしかできません。まあ、彼女らは拠点防御には使えますがね。……我々は無駄に死にたくないし、無駄に死なせたくないのです」
歩きながら合田は淡々と語りかけていた。規格外なセリブを放胆に口にしている、と合田は我ながらあされる思いだった。
低い笑い声が聞こえた。植村は地面に目を落とすと「青いな」とつぶやいた。「……わかった。矢吹少佐に話を通した上で、善行大佐に頼んでやろう」
「可能性はあるのですか?」合田は念押しするように尋ねた。
「善行大佐は九州撤退戦で、すみやかに撤退せよとの命令を無視して、最後まで学兵たちの撤退を援護した。そのために査問会にかけられた人物だよ。さらには防衛ラインの司令官である荒波臨時中将並待遇閣下は……大佐の盟友でもある」
合田の目に希望の光が灯った。そんな合田に植村はぶっそうに笑いかけた。
「むろん君の小隊はこき使ってやるがね。本物の戦車随伴歩兵の戦い方をたたき込んでやる」
八月十日 二三一五 旭町・整備工場
「遠坂社長を確保。岩国駅まで護送します」
藤代が司令部に報告すると「よくやった!」とすぐに荒波の声が戻ってきた。
工場正門から二機の複座型と二両の九二式歩兵戦闘車が小型幻獣を蹴散らしながら出発した。
空は夏の星空を取り戻していた。あれほど恐れていたスキュラ、うみかぜゾンビは今は大きく後退して、はるか遠方の空で時折炎が瞬いていた。
またやってくるのかしら、それとも……。藤代は八月九日の夜から翌日深夜の狙撃を思い出していた。考えてみればあの時、スキュラ、ゾンビヘリはなぜ上空から戦線の突破をはからなかったのだろう。友軍の対空砲火も激しかったが、敵は物ともせず居座り続けた。空を埋め尽くすほどの数だった。百、二百のうち二、三十体でも戦線の突破に成功すれば後方の友軍……特に砲兵に相当なダメージを与えたはずだ。さらに強引に広島に突入していたら――。
「質問いいですか、司令?」
藤代は疑問を口にした。
「スキュラとの戦闘のことですね。フフフ、その質問にはわたしが答えましょう」
あ、嫌だな……。岩田参謀が強引に通信に割り込んできた。
「第二師団の戦区に展開していたスキュラ、ゾンビヘリは推定五百。わたしたちの遅滞作戦で遅れていた陸戦型中型幻獣を置き去りにしてでも岩国上空を突破する手は確かにありました。 広島にはほとんどたどり着けなかったでしょうが、これをやられると、友軍そして市民に深刻な被害が出ていたはずなんですね」
さすがに参謀なんだな、と藤代は岩田の言葉に耳を傾けた。どうせくねくね。ながら得意気に話しているんだろうけど。
「ここが肝心なんで、よおく聞いてくださいよ。要は敵も人間と同じで、これまでのやり方をそう変えることはできないということです。たとえば今回ご愁傷様の十一師団は、勇敢に戦いましたが、なまじ熊本戦の阿蘇戦区で鉄壁と費えられたため、当時のオーソドックスな戦術であった拠点防御、陣地死守の発想から抜け出すことができませんでした。わたしは口を酸っぱくして、小型幻獣の地下通路への誘因・撃滅を説明したんですがねえ」
岩田参謀が言ってもたぶんだめだったろうな、と藤代は思った。くねくね参謀、説得力あんまりないし。
「フフフ、藤代たんの考えていることはわかりますよ。ご心配なく。荒波大佐も一緒でした。しかし、残念ながら師団長以下、頭の硬い将官が多かった。二師団は生粋の会津さんちなんですが、つき合いの長い分、戦術をよく理解してくれました」
「……そうだったんですか?」
「ええ、第二師団の募集地は会津若松、仙台あたりですねえ。幸いにも師団長が荒波大佐のことを気に入ってくれましてね。ずいぶん助かりました」
「岩田参謀。たん、はやめたまえ……。ま、派閥なんぞは前線では無意味だってことだな。軍を構成するのは人間だからな。彼に関して言えば、伊達に二師団の師団長を務めているわけじゃなかったってことさ」
荒波の声が聞こえて藤代はほっとした。
「そこで導かれる結論を延べよ、藤代」
「スキュラ、ゾンビヘリは熊本戦時代、地上掃射……砲兵としての役割を果たして友軍に大損害を与えました。単独で突破行動するという発想がなかったんですね? 特にスキュラは前に陸戦型幻獣がいて後方アウトレンジから支援射撃を行う戦術から離れられなかった」
「正解だ。どうだ、そう考えると幻獣にも親しみがわいてくるだろう」
それはちょっとね……。藤代は閉口して首を振った。
「岩国駅が見えてきました。なんかすごいゴブの数です。エサにたかる蟻みたいです」
それまで黙っていた島が口を開いた。
「とっとと排除しろ、島」
「はい!」荒波に名前を呼ばれるだけで島は嬉しいらしい。
「ところで田中はどうした? やけにおとなしいじゃないか」
荒牧が水を向けると、「だってえ……」と田中がすねたように声を出した。
「藤代が難しい話ばっかりするから。どうせわたし、頭悪いですよ」
荒波の高笑いがコックピットにこだました。
「まあ、そうすねるな。戦争が終わったら南国リゾートだぞ」
「あ、そうだった! ハワイ、常夏の島、ハワーイ。田中亮子、頑張りまっす!」
後部座席で島がくすくすと笑った。
八月十一日 00三〇 吉香公園・美術館(戦闘団司令部)
「戦線はかろうじて持ちこたえています。十一師団の戦区が激しい攻撃を受けていますが、荒披司令は学兵から成る第十一集成戦車大隊の残余と、十四師団の一部をあてて敵を撃退していますね」
居並ぶ将官を前に善行は淡々と戦況を述べた。
吉香公園の前線司令部に到着してからは、有象無象はいなくなった。すべてが戦闘団の主力と、それを支える支援部隊の将校だった。適当な広さの地下室はなかったため、会議には奇跡的に残った美術館の建物が使われていた。折り畳み式の椅子が用意され、山口の時と比べれば五分の一に絞り込まれた将校が善行の戦況分析に聴き入っていた。
スクリーンの白布には、端末から送られた戦況地図が表示されていた。岩国基地から市役所にかけての戦区にはほとんど変化が見られなかったが、市の中央部は地下通路を含めて完全に破壊され、市役所から砂山町にかけての新防衛ラインが敵陸戦型幻獣をくい止めていた。旧十一師団戦区では人類側と幻獣が廃墟と瓦礫の中でなお交戦中であった。舞と厚志はその一部を通過してきたから混戦状態がよくわかる。
「瀬戸口君、説明願えますか?」
善行は眼鏡を押し上げてうながした。
端末のそばに座っていた瀬戸口が立ち上がった。もうひとりは金髪の髪を神経質にかき上げ、キーボードをたたいていた。
「第二師団の戦区はこれまで敵の主攻軸であり、概ね順調に機能していましたが、隣接する十一師団がほぼ半壊したことは皆さんもご存じですよね。これにともなって敵の主攻軸がしだいに東から西へと移りつつあります。東から迂回して十一師団の新防衛ラインを突破する意図は明確と思われます」
瀬戸口にもこんなにもっともらしい顔ができるのか、と舞はひそかに瀬戸口を見上げた。
戦況地図上に十一師団の被害状況が映し出された。師団司令部壊滅・師団長戦死、隷下第十二歩兵連隊司令部壊滅。連隊長戦死、四十四歩兵連隊司令部連隊長重傷により後送。死傷行方不明推定二千四百。金髪頭が勝手に表示したものだ。
「幻獣共生派のしわざさ。師団長戦死、連隊長がふたり死傷。幻獣は友軍の弱いところに殺到するから、頭のよい共生派が彼らに道筋をつけていると考えていいね」
漱戸口は黙って、得意げに話す金髪頭を押さえつけた。
「要するに、我々は先ほど行った作戦を繰り返せばよいということだな」
矢吹が簡潔に言った。なるほど、戦況自体は煮詰まっている、と舞は思った。戦線は岩国一点に集中し、強弱ふたつの戦線に分けて考えればよいだろう。
「ええ、我々は十一師団の新防衛ラインに殺到する敵を捕捉撃滅してまわります。……ただし敵さん、新防衛ラインへの十四師団のてこ入れを知らないから相当に出血するはずですよ。戦線が縮小された結果、こちらには余力が生じています。ちなみに十四師団は市街戦のプロですから柔軟に戦っているようです」
瀬戸口はそう結ぶと舞と厚志に笑いかけた。ふむ、問題が単純化すればするはどこちらとしでも戦いやすくなるというものだ。
厚志が発言を求めようとして挙げかけた手を下ろした。舞はそっと肘で厚志をつついた。臆するなと言ったろう。
「速水千翼長」
善行が発言をうながすと、厚志はしぶしぶながら立ち上がった。
「ええと……たぶん、僕たちは敵に恐怖を与えて、戦う意欲をなくすことはできます。敵はかなり弱ってますから」
「ははは。エース殿にそう言われると心強いな」
矢吹が笑った。他の将官もそれに倣う。厚志らの実力を知っている好意的な笑いだ。
「ただ、茜……、瀬戸口さんの助手の言うとおり、これからの戦いは、なんでもありの、ほら、ふ、ふかく……ええと舞、なんだっけ?」
「不確定要素だ」
舞は忌々しげに言った。まったく、図体だけ大きくなりおって。
「それそれ! 幻獣共生派という不確定要素に気をつけないと。新防衛ラインがまた爆破されたらどうなるんですか?」
厚志の言葉に、一瞬誰もが黙り込んだ。最悪だ――。戦線は突破され、広島県境にかけて敵阻止のための戦いを延々続けることになるだろう。
「戦線は突破されますね」
善行は短く言うと眼鏡に手をやった。
「司令部は熟練した憲兵隊を多数、新防衛ラインに配備したとのことです。5121からも捜索要員をよろしく」
最後の言葉は舞に向けでのものだった。舞は腕組みして考え込んだ。
「来須、若宮、石津を戦闘団司令部の警戒にあたらせているが。あと割ける要員としたら瀬戸口、東原、ヨーコ……すまん、無理だな」
「東原には戦闘指揮車の中から敵の気配を探ってもらう。たぶん石津よりしアンテナの範囲は広いだろう。……パイロットは共生派については気にするな。敵の心をへし折ることだけに専念してくれ。どうだ、芝村?」
「そうだな。我らには我らの仕事がある」
舞が応えると、その場の将官たちは互いに顔を見合わせた。なんの話だ? 敵の気配を探るアンテナとはなんだ? そもそも5121小隊とはなんなんだ? その場に居合わせた者は皆、そんな顔になっていた。そんな困惑を破ったのは矢吹だった。
「岩国に転進する際に話したろう? 幻獣にも感情があり、5121小隊はそれを感じ、戦いを有利に導くことができると。我ら戦車屋は戦車屋にできる最善のことを。植村中尉ら歩兵には歩兵にできる最善のことをやればよいのだ」
「そうですな。考えるな、迷うな。我に続け、ですなあ」
植村は朗らかに笑った。
作戦はごくシンプルなものに決まった。要は新防衛ラインに向かう敵を側面後方から撃破、移動を繰り返して敵に出血を強いることになった。最も負担が大きいのは小型幻獣とミノタウロスらを同時に引き受ける植村の歩兵中隊だが、中隊の兵たちはすでに戦いの機微を呑み込んでいる。大丈夫だろう。
「まだ考えているな」
整備テントに向かう舞と厚志に瀬戸口が話しかけてきた。
「会議ではああ言ったが、考えずにはいられまい? あの女は単なるテロリストではない。下手をすれば戦争の帰趨を決定しかねんのだ」
そう言うと舞は不機嫌に口許を引き結んた。
「戦場では当然のように予期しないことが起きる。作戦ドクトリンに固執すると、まさか、とか、こんなはずは、などという情けないセリブが出てくる――というのは芝村の格言の十八番だったな。茜はグラデーションのような柔軟性、と言ったが、アクシデントがあっても目標に向けてすぐに思考のバイパスを作ることができるかどうかが才能なんだろうな」
舞は目を光らせ、瀬戸口をにらみつけた。
「何が言いたいのだ?」
「うん、その目。それでこそ芝村だ。おまえさんにしてみれば共生派があれほどやってくれるとは予想外だったんだろうが、5121小隊司令殿の作戦目標は敵撃破だ。……俺は俺にできる最も効果的な支援にまわる。共生派狩りに加わるよ」
こう言われて舞は目を瞬いた。正直、共生派に関しては舞はまったくお手上げだ。瀬戸口に任せておけば安心だ。
「しかし……戦闘指揮車はどうする?」
「茜でなんとか務まるだろう。一応、風邪ひきさんの瀬戸口ということにしてくれ」
瀬戸口はこともなげに言った。
「けど、大丈夫かなあ……」厚志が首を傾げた。茜の才能は認めるが、自信家で思い込みが激しいところがある。
「速水厚志がいるじゃないか。芝村舞もいる。それから加藤は相当に使えるぞ」
「む。気にくわぬ! なにゆえ厚志の名を一番先に出すのだ?」
舞が眉間にしわを寄せてくってかかった。
「ははは。それは宿題ということで」
そう言うと瀬戸口は手をひらひらと振って背を向けた。
整備テント横に停車している戦闘指揮車に目を向けると、田代と加藤が機銃の弾倉を積み込んでいた。舞が物問いたげに見ると、日代は「へへ?」と笑った。
「瀬戸口モドキを助けてやれって言われたんだ。医薬品も積み込んであるからな」
ふむ。舞は軽くため息をついた。
「喧嘩はするなよ。秘密が洩れると自衛軍はじまって以来の大スキャンダルというやつになる。茜はそれこそ退学・無職・ホームレスになるな」
あはは。加藤が陽気に笑った。
「ウチは石津さんの代わりに運転手役をする。それにののみちゃんをふたりに任せておくのは心配やさかい」
「納得だ。東原を頼んだぞ」
加藤は運転が上手だ。そして機転が利いて使える。茜と田代を上手にあやしてくれるだろう。
「ふ、これが僕の戦闘指揮車か。君たち、手を抜かずに整備をしたまえ。瀬戸口と違って僕は厳しいぞ」
瀬戸口モドキが金髪をかき上げて言った。
「ばっきやろ。おめーの指揮阜じゃねえ! こいつは日本国政府さまのモンじゃねえかよ」
田代が忌々しげに突っ込んだ。
厚志が、なんだかなーという顔で、
「茜。瀬戸口さんとは違って舞は厳しいよ。ネアンデルタール女め、なんて言ったら本気で原さんの冗談、やるから」
一応にこやかな顔で言った。本気だぞというように舞も目を細めて茜を見つめた。茜の表情に不安の色が表れた。
「へっへっへ、ダーリンはいいか? メロンパンは?」
田代が軽口をたたいた。
「田代さんも注意してよ」厚志は不安げに言った。
「わかったわかった。おめーらの顔を潰すことはしねえよ」
「よい心がけだ。黙ってぶん殴るぐらいは大いによいが、言葉でのラブコメは禁止だからな」
どうやら舞はラブコメなる単語を使いたがっているらしい。にこりともせず、言った。
「くそ! 僕は参謀じゃないのか?」
あまりの言われように、茜は憤然として叫んだ。
「たわけ! ここでのそなたの身分は、なし。無! ゼロだ! 最下級の奴隷と考えよ。瀬戸口モドキを一生懸命やらんと殴るからな! それと戦闘指揮車の車長は加藤だ。加藤の命令には必ず従え!」
舞は不機嫌極まりない表情でずけずけと言い放った。今さらながら人手不足が忌々しかった。
来須、若宮、瀬戸口クラスがあとひとりいれば……。
「ぼ、僕が加藤の下で働くのか?」
茜は衝撃を受けたらしく、茫然としてつぶやいた。
「加藤を甘く見るな。そなたは黙って頭脳と情報だけを提供すればよいのだ。このメロンパン十個め」
茜の顔がさあっと青ざめた。芝村まで知っているのかという顔だ。加藤と田代はため息交じりに顔を見合わせた。
「ま、しょうがないやん。茜と田代さんは正式な軍人やないんやから」
加藤が舞の言葉を少しだけ柔らかく翻訳した。
「まあ、茜もそうひどいもんじゃないから。きっと大丈夫だよ」
舞の不機嫌を察して、厚志は取りなすように言った。
八月十一日 〇一三〇 吉香公園・城山
鬱蒼とした薮を抜けると、城山のネズミ穴が見えた。五ヵ所はどあるネズミ穴の中では、長も頂上に近く、公園全体を見渡せる。来須と石津は瀬戸口の姿を認めると、言葉をかけるでもなくすぐに視線を公園に戻した。
「姫様には戦闘に専念してもらうことにしたよ」
瀬戸口が口を開くと、来須は「うむ」とうなずいた。石津は黙って双眼鏡に見入っている。
「どうもおまえさんたちが心配だったもんでな。憲兵隊と連絡を密に取っているか? 相手の正体、プロブアイリングその他かくかくしかじか、だな」
「……まったく」
来須は悪びれもせず答えた。
「きっと………こに……来る……わ。風が……気配を運んでくるの」
石津も振り返りもせず言った。
まあ、これがふたりのやり方なんだろうな、と瀬戸口は肩をすくめた。
「名前はカーミラ。かなりの規模の共生派を率いているらしい。精神汚染に関してなんだが、 前の敵と比べてどうだった?」
前の敵とは団地に浸透して矢吹の司令部を襲撃した司令型幻獣を指している。石津は双眼鏡から手を放し、瀬戸口を見上げた。
「知っている。前の敵より……強い……わ」
「精神操作がすでに解けているようだけど、そんなものなのか?」
これは憲兵隊に尋ねる質問かな、と思いながら瀬戸口は言葉を発していた。
「遊んでいる……の。人の心も……読む。人の記憶も……書き換える。少しだけ話……した」
石津にしでは言葉数が多かった。そのまなざしには毅然とした光が宿っていた。
「話?」
「人間……の方が面白いって」
「遊んでいる。面白がっている、か。これまでとは違ったタイプだな。行動が読みにくい。なあ、来須。仮に戦闘団の司令部を襲撃してくるとしても、他にふたつみっつ破壊活動をした後かもしれんぞ。堂々と防衛ラインの司令部に乗り込んでくるかもしれんし、また戦区を爆破するかもしれん。それでもここで待ち伏せするのか? 俺は戦区に張った方がいいと思うがね」
今度戦区を破壊されれば、それこそ防衛ラインは突破される。戦闘団の司令部を襲撃する理由はなくなる。あるいは荒波のいる司令部にせよ。
「……その発想は遊んでいないだろう」
来須がぼそりと言った。こう言われて瀬戸口は苦笑いを浮かべた。そうだな……。遊んでいなければ爆弾を仕掛けるのに近江をわざわざ幼児に退行させる必要はなかった。敵はおそらくこの世界に来て長いのだろう。ある意味で人間を好んで、理解しているはずだ。配下はいても仲間は少ない。彼女は孤独という感情を知っているはずだ。どこかに共通点を探している自分に気づき、瀬戸口はかぶりを振った。
「……そうでなければ用済みの近江をそばに置かないだろうな」
漱戸口は知らず独り言を洩らしていた。
「だから殺さないと……いけないの」
「石津……」
石津の口から、殺すなどという言葉が出るとは思わなかった。あっけにとられる瀬戸口を石津は無表情に見た。
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第十八章 捜索
八月十一日 〇五三〇 岩国市西部・旧十一師団戦区
夜明けを待って戦闘団は再び作戦行動に移った。
一番機、三番機を先頭として矢吹大隊主力、植村中隊、そしてしんがりには二番機と矢吹の最精鋭の一個中隊が続く。2号線に沿って、新防衛ラインに到達した後、折り返して県道15号の敵を掃討するというものだった。国道の左右は廃墟と化した背の低いビル群が続き、その背後の住宅地は焼け野原に変貌していた。戦車隊の一部は道路をはずれ、さら地と化した住宅地を進撃していた。
「あー、こ、こちら瀬戸口……。じきに国交省ビルに差し掛かる。ミノタウロス三十、ゴルゴーン二十八、キメラ四十が新防衛ラインに向かっている。ふ。楽勝だね」
「ふ、はやめろって」
雑音がして、「くそっ!」と罵声が聞こえた。
「たわけ……」舞が忌々しげにつぶやいた。
「展開せよ。植村中隊、慎重に」
矢吹の声がコックピットに響き渡った。陣地が構築できず、敵との距離が近い分、戦車随伴歩兵は神経を使うことになる。
「了解。例のごとく利用できそうな瓦礫に目をつけてあります」
建物、廃墟、瓦礫は歩兵の友だ。むろん、すばやく利用できそうな地点を把握する経験と技術が必要ではあるが。分隊、小隊、そして中隊ごとに矢吹中隊はすばやく展開できる。
舞の目に最後尾を進むゴルゴーンが見えた。
「参りますっ!」
壬生屋が気合いを発すると、朝の光に大太刀をきらめかせぐんぐんと距離を詰めてゆく。ゴルゴーンが向き直るより先、一番機は跳躍して、敵の背に超硬度大太刀を突き通した。すばやく抜くと、二体めのゴルゴーンの横腹を切り裂き離脱。爆発。舞踏の主役が入れ替わるように三番機がジャイアントアサルトを連射しながら、敵の真っ直中に躍り込んでいた。
「よし」
舞がシートを蹴ると、三番機はぐんと重心を低くした。二十四の閃光が瞬いたかと思うと、路上はオレンジ色の業火に包まれた。業火を引きずるようにして三番機も離脱。一番機の突進からミサイル発射、三番機の離脱までわずかに一分。二機の士魂号は、車線右側、国交省ビルの瓦礫を飛び地え、瓦礫の陰へと。あっというまに戦力の三分の一を失った敵は二機の災禍の姿を求めて一斉に回頭する。
七四式戦車の一〇五ミリ砲が、それぞれの敵を狙い定めて砲噂する。その間、リザーブの滝川の二番機と植村中隊の戦車随伴歩兵は肉薄する小型、中型幻獣を丹念に潰してまわった。
「ミノタウロス十一、ゴルゴーン十九、キメラ三十四撃破」
東原の報告に、「ふ」と茜は笑みを洩らした。
「生体ミサイル、来るよ。各自遮蔽物に」
「ばっきやろ。そりゃ矢吹少佐のセリブだっての……! しかもみんなわかってるし」
田代の突っ込みが入る。
敵の反撃。ミノタウロスとゴルゴーンから生体ミサイルが発射された。しかしあまりの損害に混乱しているのか、敵の目標はまちまちだった。
「五、四、三、二……壬生屋、フィニッシュだ」
茜のカウントダウンとともに漆黒の重装甲が瓦礫を縫って姿を現した。残るゴルゴーン、キメラを一撃で葬り去ってゆく。その間十秒。後、道路の反対側へ。三番機が後続し、再びヒット・アンド・アウェイを繰り返す。
炎天下の下、人類側で言えば大隊に相当する敵が消滅していった。
「ええと……どう、壬生屋。具合とか」
不器用ながらも茜が声をかけた。
「あの……まだ十分しか経っていませんよ。なんだかわたくしが重病人みたいで二時間は集中できますから」
壬生屋は少々不服そうに言った。
「だいちゃん……じゃなくってたかちゃん、言われた通り、未央ちゃんのうごきスロー再生してみたよ」
東原があわでて言い直した。
「うん」茜はうなずくと、再び通信を送った。
「見事なものだよ、壬生屋。ただね、はじめに君の変化に気がついたのはこの僕……この僕なんだ! 人型戦車の動き、パイロットのコンディションに関しては自分で言うのもなんだけど、膨大な蓄積と天才的な勘がある。十分間の戦闘はけっこう消耗するぞ。しばらく戦って、これからが本調子って時が一番危ないからね。気持ちがハイになっている時間帯と、肉体そのものが疲労して行く時間帯は必ずしも一致しないんだ。士魂号パイロットに関して言えば、正確には二時間の集中は無理だ。三十分の集中に一時間半の休息。そう考えないと危ないぞ。これは他のパイロットにも当てはまる理論だからね。十分に気をつけてくれ」
滔々と訝り出した茜の猛演説に隊員たちは口を挟むこともできずに無言でいた。
「なんだかいつもと雰囲気が違うな。瀬戸口万翼長」
植村がやっと口を挟んだ。
「……理論には感服したが、君は本当に瀬戸口君なのか? 補佐役の彼に似ているような」
矢吹は表現をやわらげて「補佐役」という言葉を使った。一介の士官学校生に過ぎぬ茜が戦闘に参加し、しかも指揮車に搭乗していることが僅かでも洩れれば戦闘団はたとえどのような大戦果をあげでも、非難の集中豪雨にさらされる。
まずかったか……。瀬戸口を共生派対派にまわした自らの軽率さに舞は唇を噛みしめた。瀬戸口がそれなりに成果をあげてくれればよいのだが、判断ミスか? 全員の沈黙を察するように壬生屋のプォローの声が入った。
「ええ。……気をつけます。瀬戸口さん、風邪をこじらせないように」
どたどたと雑音がして、「てめーはーこと女性の声が聞こえた。「くそ」と再び罵る声。
「ええと、テステス。こちら5121小隊加藤千翼長です。本日は瀬戸口さん、風邪で調子が悪くて。何かあったらウチが報告します」
「驚いたな。加藤のお嬢さんも一緒か」植村があきれたように通信を送ってきた。
「ウチ、なんでも屋なんです。戦況分析は瀬戸口さんと東原さんがいますから」
「……頼んだぞ、加藤」
あの金髪ザルをよく抑えてくれた……
舞はほっとしたように言った。しばらく進むと銃声、砲声が激しくなってきた。新防衛ラインのある砂山町の辺りに赤い光点が密集している。
「砂山町から新岩国銀行ビルにかけてミノタウロス七十、ゴルゴーン八十、キメラ百三十の大所帯がいてはります! 足止めされてるみたいなんで2号線と県道50号は大渋滞です」
加藤が器用にアナウンスをした。三百メートルほど先に防衛ラインがある。どこからともなく無数の銃火が敵に浴びせられ、HEAT弾、榴弾がスコールのように降り注いでいる。
「さて――」矢吹が一瞬考え込んだ。
「矢吹少佐、防衛ライン司令部に連絡を……。〇六〇〇時より砲撃を二十分止めてくれ、と」
舞は冷静に言った。
「やれるかね?」
「やれる。そちらは戦車の展開配置を考えて欲しい」
並の軍人だったら、ハイティーンの少女に展開の指図までされれば怒るところだ。しかし、 ここ数日の戦闘で舞と矢吹の間には独特な信頼関係が芽生えていた。矢吹にしてみれば、さまざまな戦闘パターンを試す絶好の機会でもあった。
展開範囲が狭ければ攻撃を集中されやすいし、広過ぎれば各個撃破される危険性が増す。危険にさらされた車両のフォローにも手間がかかる。ここは矢吹の腕の見せどころだ。矢吹は数秒考えた後で「よし」と言った。
「北。砂山町の方角からざくりと鑿で削るようにやってみよう」
矢吹の返事に舞は「わかった」と無造作にうなずいた。何度も連係攻撃を行って、互いに空間的なイメージを共有していた。
「壬生屋、左手から迂回。2号線の敵をたたいた後、南に抜けてくれ。一撃ごとの戦開時間は一分を日安とする。頼めるか?」
まるでかまいたちのような、究極のヒット・アンド・アウェイを舞は要求している。
「ふふふ」壬生屋の笑い声が聞こえた。
「もちろんです。時間を区切っていただけるとわかりやすいですわ」
「それと滝川。フォローが厳しくなるが、よろしく頼む」
舞は滝川にも言葉をかけた。
「へっへっへ、任せておけって。5121のイエロータイフーンとは俺様のことだぜ」
「いや、タイフーンになられちゃ困るんだけど……」
厚志がやれやれというように口を開いた。
「攻撃許可が下りた。攻撃開始は三十秒後。5121小隊、カウントダウンよろしく」
矢吹の声がコックピットに響き渡った。かつてない数の敵に心なしか声が高揚している。
友軍の砲撃はピタリと止んでいるら「はいな。二十九、二十八、二十七……」加藤の声が全軍にこだました。
「三、二、一……よろしゅう頼むで!」。
漆黒の垂装甲が路面から降り、左手から迂回するように敵に突進してゆく。2号線上に白刃がきらめいたかと思うと敵が相次いで爆散した。数秒後に三番機も追随している。
「弱いっ。弱いですっ……!」
壬生屋の興奮した声が聞こえた。三番機は答えずに、すぐにジャベリンミサイルの発射体勢に入った。閃光。爆発。オレンジ色の業火から一番機と三番機は2号線を後にして、南側の瓦礫に姿を隠した。
戦車砲、そして滝川の支援射撃の音が響き渡った。生き残った敵が戦車隊へと突進してくる。
さらに新岩国銀行……麻理布《まりふ》町側の敵は二機の士魂号に向かってきた。
「規模が大きいとさすがに一斉に右向け右、とはいかないよね。少し作戦変更かな」
厚志が口を開くと、「そうだな」と舞は口の端をきゅっと吊り上げて笑った。
「ぞくぞくするね」厚志も笑みを含んだ声で受けた。
「ああ、このまま戦車隊に突進する敵の側面を一度突っ切る。壬生屋、露払いを」
「わかりました」
一番機は生体ミサイルの射撃体勢に入ったゴルゴーンを片っ端から斬ってまわった。すでに無数の傷を負っているゴルゴーンは一撃で爆散、爆風と強酸を器用に避けながら、敵の射撃の芽を摘んだ。
突進するミノタウロスに三番機のジャイアントアサルトが背後から二〇ミリ機関砲弾を浴びせて離脱する。舞は射撃に微妙な調整を加えた。引き金を引く時間は三秒。わずかこれだけで爆発するミノタウロスも多かった。
敵は疲弊している……!
ミノタウロスは無傷であったら十秒間引き金を引き続け、やっとというところだ。
岩国から二十キロ圏内は山が多く、砲兵にとっては陣地の選択に困るほどの地の利に恵まれている。岩国までの移動中、榴弾の雨に打たれ、さらに仲間の強酸にミノタウロスは装甲を腐食されている。
戦車に向かって闇雲に突進するミノタウロスは次々と撃破された。植村の戦車随伴歩兵は、緊密に連絡をとりながら小型幻獣、そして肉簿する中型幻獣に応戦していた。
「ミノタウロス三十八撃破。ゴルゴーンは……ええとね、五十三。キメラは四十撃破よ」
東原の声が途切れ途切れに聞こえる。戦果の確認に目をまわしているに違いない。舞は「ふむ」とうなずくと矢吹に通信を送った。
「二撃目、行くぞ。キメラは防衛ラインに任せよう」
「こちらはいつでもオーケーだ」
矢吹の言葉が知らず話し言葉になっている。
「こちら植村。死傷八。戦車機銃手は警戒厳にな」
植村も仲間に話すような口調になっていた。
「すまん。気をつける」矢吹もすかさず謝った。
「参ります」
壬生屋が再びかけ声を発すると、2号線を越え、こちらに向かってくる敵の側面にまわった。
今度は重砲型のゴルゴーン、キメラは一斉に停止して一番機に生体ミサイル、レーザーを俗びせてきた。一番機の移動を支援すべく戦車砲が一斉に火を噴いた。防衛ラインの兵たちは戦闘団の一連の動きの意図を察したらしく一二・七ミリ機関砲弾をキメラの隊列に放った。
それにしても弱くなっているな。厚志は戦闘団の連係攻撃の集大成と言うべき攻撃に加わりながら、たて続けに爆発するミノタウロスの横列を目で追った。
そりゃ士魂号だって、進撃する道が限られていて、延々二十キロに渡って榴弾の攻撃を受けていればポロポロになる。運が轟ければ大破だってあるだろう。
アクセルをぐっと踏んで加速。舞の放つジャイアントアサルトの機関砲弾が通り魔のようにゴルゴーンの隊列に撒き散らされる。爆発、また爆発――。
はじめは圧倒的だった憎悪が、混乱と怯えに変わりつつある。じきに退却かな? 厚志の口許には薄笑いが浮かんでいた。
「防府の敵も弱かったけど、ここの敵も傷ついている分、弱気になっているね。タタタタタンで死ぬミノタウロスなんて初めでだよ」
舞が一体あたりに使う弾数と時間について厚志は子供のように表現した。
「我らはよいとしても、友軍も相当傷ついている。油断するな」
舞がシートを蹴ってきた。
あれ? 厚志は皮膚にピリピリした感触を準えた。どうしたんだ、あいつら……。なんだかまた立ち直っている。
「こちら来須。戦場団司令部が敵に襲撃されている。現在、応戦中」
来須の声が聞こえた。なんだって? 厚志は「まさか」とつぶやいていた。
「敵の規模は? スタッフは無事か?」
舞がすぐに反応した。
「スキュラ十、うみかぜゾンビ二十四。他は小型幻獣だ。地下通路に共生派多数。善行以下スタッフには城山のネズミ穴に移ってもらった。俺と石津は挙行のそばでスキュラと交戦中だ」
至近距離か、スキュラの独特な風切昔で通話が途切れた。どん、と衝撃音がして爆発音が鼓膜を刺激した。
「警備中隊は……?」
警備中隊とは司令部移動に伴って、植村が臨時編成した歩兵小隊のことだ。合田小隊以下、学兵各隊もこれに加わっている。
「各拠点で交戦中。若宮は学兵どもに付いている」
「自爆がこわいな」
舞は最大の懸念を口にした。損害も恐ろしいが、地下通路からいぶし出されたら、スキュラ、ゾンビヘリ、そしで小型幻獣の大群と遮蔽物に乏しい公園内で戦わねばならない。いくら熟練した兵でも圧倒的に不利だ。
「市中心部に通じる車両用の地下道が爆破されました。至急、帰還してください」
善行の冷静な声が聞こえた。
「了解しました。……死傷者は?」矢吹の声にも落ち着いた響きがあった。
「不明。矢吹少佐、よろしくお顧いします」
「待ってくれ! ……姉さんは? 整備班はどうなっている? くそ、まさか見捨てたりしてないだろうな……わっ!」
闖入者の裏返った声が急に途切れた。
「てめー、今はヒステリー起こしてる場合じゃねえだろ……って、あちゃー、伸びちまった。殴り過ぎたか?」
田代の声が聞こえてきたが、舞は無視すると、「橋は無事か?」と尋ねた。
「錦城橋は爆破されました。錦帯橋は残っていますが、強度に問題がありますね」
錦帯橋は錦川に架けられた十七世紀の橋で、岩国の観光名所だ。全長なんと百九十三メートルという五連アーチの木造橋だった。
「戦車は不安だな。2号線を左に、一般道へ出て臥龍橋を渡る。川西方面から公園に出よう。一番機、二番機は最後尾にあって戦車隊、歩兵隊の転進を援護せよ。矢吹少佐、我らは先行してスキュラ、ゾンビヘリを片付けておく」
舞がすばやく指示を下すと、「わかった」と矢吹も応じた。
「こちらは対空戦車中隊を先行させよう。植村中尉、意見は?」
「出しゃばって申し訳ないが、わたしは一個小隊を率いて三番機の前に出ますよ。……ああ、理由があることですからこれ以上の議論は避けましょう」
植村の口調は柔らかだったが、断固としたものがあった。
八月十一日 〇七〇〇 吉香公園ロープウエイ発着場付近・瓦礫
なるほどな。しかしこんなものなのか――?
瀬戸口は建物の瓦礫から瓦礫へと移動しながら公園内の戦闘を観察していた。敵は川西方面から戦闘団主力が留守になる時間をはかったように攻めてきた。
司令部の位置がわからなかったか、それとも恫喝か、爆破地点はささやかに一ヵ所。市中心都との連絡を邪魔する嫌味なものだった。
何者だろう? その白いドレスの少女とやらは。
炎上したスキュラが城山の裏手に墜落していった。零式ミサイルをふんだんに装備していたことが幸いした。ここ数日で「スキュラ殺し」に変貌した対空歩兵と来須の働きによって、スキュラはすでに二体に減らされている。警備中隊はずっと公園内で戦っていた部隊もあり、あわてることなく地下通路へと退避していた。しかし問題は……。瀬戸口は放置されたままの整備テントに目をやった。
さすがに逃げ慣れている。瀬戸口は苦笑した。友軍の迎撃がはじまってすぐ、原以下の整備班は車両に飛び乗って新岩国方面に逃げ去った。瀬戸口があらかじめ言い聞かせていたことだった。共生派の妨害は心配だったが、幻獣自体は攻撃する敵に反応する。非戦闘員は一目散に逃げることだ。
再び爆発音が起こって地面がどリビリと震えた。
肩に触れる手があった。
「スキュラ……は全部……落としたわ」
石津が無表情に言った。瀬戸口は苦笑してうなずいた。
「伝令役もこなしているのか? 突撃衛生兵」
突撃衛生兵と言われて石津は小首を傾げた。
「なんのための攻撃か考えていたところだ。親玉の気配もしないし」
「悪戯……だと思う……わ」
石津の言葉に瀬戸口は目を見張った。ここまで言うか、石津は……!
「俺たちと遊んで欲しい、ってわけか? 余裕があるのか、それとも後がないんで余裕を装っているのか? どうもおまえさんの方が俺よりアンテナが敏感なみたいだな。どこにいる?」
「神社の境内に気配……がするの」
公園内の吉香神社の隣には壕が掘られ陣地が造られていたが、神社そのものは無事だった。
境内は鬱蒼と木々を茂らせている。概して公園内の樹木は、伐採が遅れたか、その必要はないと考えたのか、城山をはじめ青々とした姿を残していた。
「来須には報せたのか?」
石津はふるふると首を横に振った。石津の目に光るものがあった。泣いている? 瀬戸口は困惑して石津の白磁のような顔をのぞきこんだ。
「なぜ俺だけに……?」
「わたし……少し……汚染されていた。殺さなきゃ、殺さなきゃ、殺さなきやって……」
「なんだって?」
それであんならしくもないセリアを口にしたのか? それにしても……。
「来須はおまえさんの師匠だろう。なぜ正直に言わなかった?」
石津の目にふっと憎悪の色が浮かんだ。
「すまん。悪いことを言ったかな?」
「違う……」
誰にでも得手、不得手というものはある。石津という少女は以前からわかりにくかった。瀬戸口はたじろぎ、石津の濃紫《こむらさき》色の瞳から目を離すことができなかった。
石津の瞳から涙がひとすじ滴り落ちた。
「汚染……されるのは……恥ずかしいこと……なの」
「……石津」
瀬戸口は瞬時に理解した。石津にとって汚染とは精神的な凌辱だ。来須に話せるようなことではなかったろう。意味こそ違うが自分が壬生屋に体機能のことを話せなかったように。
石津の告白で、相手の顔が見えてきたように思った。瀬戸口はウォードレス越しに石津の肩を抱いてやった。
「神社に行ってくるよ。場合によっては射殺する」
「わたし……も行く」
上空で一体のうみかぜゾンビがレーザー光に貫かれ爆発した。公園内に露出しているのは小型幻獣の群れだけとなっていた。戦闘団の司令部及び警備中隊は、塹壕陣地と地下通路に隠れ、手堅く敵の攻撃を退けていた。
塹壕陣地のすぐ隣に樹木に囲まれた神社が見えてきた。陣地内からは時折、零式ミサイルを担いだ兵が公園の上空を埋めるゾンビヘリに一撃を加えていた。数機が反応して生体式機関砲弾を浴びせたとたん、別の方角からミサイルが飛んでくる、といった繰り返しだった。
来須のレーザーライフルは確実にヘリを仕留めていた。公園は墜落したゾンビヘリの残骸で埋まった。
そんな光景を横目に瀬戸口と石津はすばやく神社の林の中に身を隠した。
ふたりとは反対側の、鬱蒼と葉を茂らせる林から浪厚な気配が漂ってきた。
「なぜ爆破しない?」
「あらあら、留守を狙って爆破するなんて卑怯じゃない?」
近江の問いに、カーミラは澄んだ声でオットリと応えた。神域の中でもひときわ高い巨木の枝に腰を下ろして、子供のように足をぶらぶらさせている。緊張感のかけらもない姿だ。隣では近江がサブマシンガンを構え、律儀に警戒をしている。カーミラの日傘をポシェットに押し込んでいるのがらしくなかった。
「卑怯などと! こちらの強みは爆弾によるテロ攻撃だ。戦闘は不利になってきているぞ。地下通路の共生派も押されているようだ」
共生派の数には限りがある。わたしの指示で動くのはあと百人くらいかな、とカーミラから聞かされていた。この公園の陣地群なら十人十発分の自爆攻撃で片がつくだろう。
「ああ、あれは違う家の子だから。憲兵隊に捕まった第五世代の隊長さんのところの子たちね。退屈そうだったんで司令部襲撃に誘ってあげたの。喜んで駆けつけてきたわ」
「違う家の子……」近江はあきれてため息をついた。
「共生派にもいろいろあって。岩国にもいくつか潜入しているの。連絡は取り合うけど、わたしは滅多に関わらないわね」
「どうして? 組織のまとまりは必要だろう?」
近江は顔を紅潮させて生まじめに尋ねた。カーミラはにこりと近江に笑いかけた。
「あの人たち、馬鹿だから。前線の自衛軍に噛みついては捕まってるし。それで敵が混乱すると信じているのねー。だから公園内の地下通路をできる限り制圧して、とだけ」
「わからんな」
近江が首を傾げると、カーミラは「あはは」と笑った。
「もちろん爆弾は持たせてあるわよ。ただし、敵に撃たれてどかーんじゃ芸がないでしょ。効果的でもないしね。これ、わたしの自席作。信管が特殊な合金で保護されている。この聖なる箱の中には精霊が宿り、汝らに力を与える……なんちやって、みんなに配ったのよ」
カーミラは掌大の鉄箱を近江に示した。蓋は厳重に溶接され、開けることはできない。ポシェットに楽に入る大きさだ。
「なるほど……」近江はこわごわと鉄箱を見た。
「欲しい?」カーミラは近江の顔をのぞき込んだ。
「い、いらない」
「陽が洩れてきた。傘よろしく」
カーミラに言われて、近江は急いで日傘を差し掛けた。
「光輝号では大失敗。大切な爆弾無駄にしちゃった。信用していた部下に任せたんだけど、ああいう使い方はお馬鹿。コックピットからパイロットを引き出して、どかーんでもパイロットとまわりの兵隊が死ぬだけじゃない? ただでさえ貧乏なのに――」
「貧乏なのか……?」
尋ねてしまってから近江は後悔した。そしてカーミラの横顔を盗み見た。
腰まである金髪が陽光を浴びてきらきらと輝いている。この子、昧毛が長いな、となんの脈絡もなく思った。西洋人の顔というのは映画やテレビでしか見たことがなかったが、近江の目から見てもやさしげではかなげな顔立ちをしていた。あの地下通路で演説をしたカーミラとは別人のようだった。そのまなざしの深さ、妖しさ、口許にいつも浮かべている皮肉な笑みをのぞけば、同性からも美少女と言われるタイプだろう。
しかし、すぐ近くで戦闘が行われているというのに、この緊張感のなさはなんだ? そもそも、なんでわたしが日傘を……。
「なーんてね。貴子ちゃんも宝石箱の中、見たでしょ?」
貴子ちゃん……。近江は顔を赤らめた。発音が訛のあるタカコから貴子に変わっている。適応が早いのか、時々、日本人の少女ととりとめもない話をしているような錯覚に襲われる。
「……あーあ、なんでこうお馬鹿さんばっかりなんだろう」
今度は女子高生風。カーミラは唐突に下を向き、ため息をついた。
「スキュラもヘリの寄生体もね、少しは知性が残っている子たちだったけど、呼びかけたらわんわん子犬のようについてきた。公園の上空を制庄しただけで、俺、強いなんて舞い上がって。 ミサイルで仲間がやられたら山陰に隠れるとか、そういう知恵もないのね……」
落ち込んでいるのか? 近江はおそるおそる言葉を発した。
「幻獣に知性なんて……あるの?」
近江の質問にカーミラは寂しげに笑った――ように見えた。
「個体によってまちまちよ。西部方面軍司令官への寄生に成功した彼と彼女……。はじめて出会った時、奇跡だ、と感激したわ! 砂浜でダイヤモンドを見つけたって感じ。けど、ふたりとも純粋で、経験不足で、この世界に来てから短かったから、見破られて死んだの。わたしはあの子たちが好きだったわ」
「西部方面軍司令官? 芝村少将は元気よ」
「その前任者のこと。あれが成功していればねえ……。ふふ、貴子、友達言葉になっている」
指摘されて近江は、はっと口をつぐんだ。精神操作か?
「違うって。もう虚勢を張る必要がなくなったってことでしょ? わたし、その方がいいな」
「本当に精神操作じゃないんだな?」
あれはもう嫌だからな! 近江は険しい声で念を押した。
「うん。貴子はもう友達だから……さあ、お客さんが待ちくたびれている。相手してあげないとね」
こいつはまずったな。瀬戸口は一瞬にして悟った。
十人はいるだろう。緑の中に溶け込んでこちらに銃口を向けている。殺気がほとんど感じられない分、プロの護衛役と考えてよいだろう。
石津が腰に下げたサブマシンガンに触れた。瀬戸口はその手を掴んで首を振った。
「敵も正確にはこちらの位置を潤んでいないよ」
耳元でささやくと石津は素直にうなずいた。戦闘技術はともかく感情のコントロールという点ではこちらが上だ。今は戦うつもりはなかった。
「あらー、美青年と美少女。絵になるカップルよねえ。ちょっと羨ましいかも。そちらの王子様ははじまてだったわね。わたしはカーミラ、よろしくね」
見えるのか? 瀬戸口はビクリと身を震わせた。石津は完全にフリーズしている。
声の主は境内に姿を現して腰に手をあて、こちらの方角を見ている。
ワンピースねえ。さまざまな時代のプアツションを見てきた瀬戸口は苦笑した。
少女は十九世紀風のフリルとレース飾りがふんだんに施された純白のドレスを着ている。靴も古風な編み上げの華菅な作りのショートブーツ。手には肘まであるレース編みの白手袋をしている。大昔のヨーロッパの貴族の令嬢といった趣だ。なぜだか近江が不機嫌な顔で日傘を差し掛けている。
「石津萌、わたしを殺す気?」
「わたし……の心を……汚染しようと・…! した」
低いがよく通る声で石津は応えた。
まあどうせ位置は見破られているからいいかと瀬戸口は肩をすくめ、石津の手を引くと姿を現した。石津は憎悪に光る目で少女を見つめていた。
「それはお互い様。あなたの心をのぞこうとしたら急に激しい感情をぶつけてくるんだもの。 棍棒で殴られたような衝撃を感じたわ。荒々しくて野蛮。がさつ。二度とごめんよ」
ぬけぬけという少女を瀬戸口は注意深く観察した。同族ではなかった。今の姿は彼女自身のものだ。石津と対峙している様子は、金髪、エメラルド色の瞳と烏の濡れ羽色の髪、濃紫色の瞳を特った二対[#]のフランス人形が向かい合っているようだ。
「だからこの勝負は引き分け、イーブン。恨みっこなし」
「恨む……わ」
石津が上目遣いに見つめると、カーミラはふうっとため息をついた。
「ごめんなさい。謝るから。許して――」
降参というように両手を挙げられて、石津は困惑した顔で頼戸口を見た。
「うーん、そういう状況と問題ではないと思うんだが、ここで戦うのは利口とは言えない。一度だけ許してやったらどうだ?」
こう言われて、石津はしぶしぶと首を縦に振った。
「ああ、よかった! それであなたは……? なんだか不思議な気配を感じるわね。あ……もしかして幽霊さん?」
カーミラは無邪気に手と手を打ち合わせて瀬戸口を興味深げに眺めた。
「ははは。ま、そんなようなものさ」
「5121小隊瀬戸口隆之。まったく……あなたの小隊には有象無象が多いわね。ね、どうしょうか、貴子?」
急に呼びかけられて近江は、はっとしたように周囲を見回した。
「自衛軍からご令嬢の小間使いに転向ですか? 似会っていますよ」
瀬戸口が冷やかすと、近江は日傘を捨てて腰に下げたサブマシンガンに手をやった。カーミラの華奪な手が近江の腕を抑えた。
「今はだめ! この人、危険よ。日傘を拾って!」
「危険だと……?」
思いがけぬ叱責に、近江は瀬戸口と石津に目をやった。どうやらこちらを殺せると考えているようだ。この分では薮に潜んでいるカーミラの護衛にも気づいていないだろう。
「孤独な人なんだね、君も」
瀬戸口はカーミラに微笑みかけた。カーミラはにっこりと笑って瀬戸口の言葉を受けた。
「そうなの。可哀想でしょ? 和平派の中には話せる人もいるんだけどね。わたしは和平派の側に知り合いが多いの」
「わかるよ」
瀬戸口はあっさりと同意して、鈴原や河合、野間といった人々のことを思い浮かべた。
すでにこの世界に十分な勢力圏を獲得したのになおも人類絶滅を望むこと自体、理性と知性に深刻な損傷を被っているとしか思えない。
ユーラシアは核で汚染されているという。しかし、ある筋からの情報によると、すでに十分な自然の実りを回復しているそうだ。
瀬戸口が笑みを渦して考え込むと、カーミラは「ただね」と話を続けた。
「和平にもいろいろな考え方がある。今のままの人類と共有しようという考えにはわたしは賛成できない。そして、この島国の人々は恐怖を知らないから。九州の戦争からも目を背けていたでしょ? わたし、そういうの嫌いなのね」
「気持ちはわかるよし 瀬戸口はカーミラの考えに同意した。この国の人々には確かにそうした傾向がある。敗北からは目を背け、勝利にはその表面的な結果しか見ない。思想がないのだ。代わりに存在するのは夢見心地な情緒過多。今では九州などはじめから存在しなかったかのようにこの国の人々は生きている。それはそれでたくましい、と言えば言えるか、と瀬戸口は皮肉に考えた。「現実から目を背けてぬくぬくと暮らしている人々にわたしは戦争という恐怖をプレゼントしたいの。恐怖を知った人類はおとなしく謙虚になる。ひとつ秘密を教えてあげる。アルプス、カルパチア、ウラル、ヒマラヤ、チベットでは人類が無事に暮らしている。ユーラシア戦で恐怖を与えられた彼らはそこから出ようとはしないわ。あら……? 退屈かしら、わたしの話」
瀬戸口があくびを洩らしかけたことをカーミラは見とがめた。
「ああ、近頃寝不足でね。どうやら俺たちは気に入られたようだな。話が長いってことは、孤独で会話に飢えているってことさ」
瀬戸口は肩をすくめてみせた。指摘されてカーミラはくすくすと笑った。
「あなたは孤独ではないの?」
その問いには答えずに瀬戸口は、「要は戦争は続くってことだろう?」と短く言った。
「ja」
瀬戸口は優雅な仕草で西洋の宮廷風の辞儀をしてみせた。
「美しいフロイラインを敵に持てて光栄ですよ」
カーミラがこの種の戯れを喜ぶことは計算していた。何しろ必要もないのに近江にあんな悪戯を仕掛けた相手だ。案の定、カーミラは、「わたしも嬉しいわ。戦い疲れて大地に横たわるナイトの横顔を見てみたい。けれど今はこのまま別れるのがきれいよね」
と言った。そして、石津の肩を抱き背を向ける瀬戸口に「背中は撃たないから安心して」と請け合った。
八月十一日 〇七三〇 国道2号線・新岩国
5121小隊整備班は2号線を新岩国駅に向かって爆走していた。途中、小型幻獣の群れと遭遇したが巨大なタイヤで蹂躙してゆく。厚志に散々脅かされたのが吉と出た。原は若宮に逃げの合図の信号弾を頼んで、号砲一発、補給車を先頭にして逃げ出した。むろんトレーラーに栄光号も積み込んである。
原は補給車の助手席で機嫌よく歌を歌っていた。
「……嘆かないでダーリン、明日も愛を信じでいきましょっ! こーの世界は、愛で生まれた、ドン・ウォリー・ビー・ハッピー・イェイ」
ハンドルを握る森がおずおずと原を盗み見た。
「あの、大丈夫ですか、原先輩……?」
「ん、何が?」
「公園、なんかすごいことになってますよ……」
「あなたとわたし、瞳の奥の流れ星。ふたりでいれば、他になんにもいらないーわ。夜空も、バラ色――」
原はひと通り歌い終えると森に向き直った。
「わたしたちが残っていても足手まといになるだけでしょ? これまで生き延びてこられたのは、ただ運が良かったから。だから首尾よく逃げ出せたのは勝ち点なの! ほほほ、共生派を出し抜いてやったわ」
「はぁ……」
そんなものかな、と森は首を傾げた。
「新岩国に着いたらすぐに栄光号の修理の続き、やるわよ」
新岩国駅周辺には山口から引き抜いた一個大隊ほどの兵力を駐屯させてある。安全は一応確保されているはずだ。
「けど、生体パーツ、足りませんよ」
「こんなこともあるかと思って東京から送らせたの。新しい整備テントと一緒に今頃は駅の貨車に収まっているはずよ。戦闘データを送ったら、東京工廠の天才君たち、大喜びでね。僕らも行きましょうか、なんでも手伝いますって。新岩国駅じゃなくて岩国駅で出迎えますって連絡してやろうかしら。きっと腰抜かすわよ!」
岩国駅は新防衛ラインからわずかに五百メートルしか離れていない。十四師団から派遣された烈火小隊を含む一個中隊が常駐し、構内に浸透した小型幻獣をその都度一掃している。
「あ、整備テント、ドカーンですもんね」
「そうそう。今度のはエアコン付さでって言ったら、そんなもんはありませんって。ほほほ」
「栄光号、後継機種に正式決定ですか?」
無線はオープンにしてある。狩谷から通信が入った。
「まず百パーセント! 戦闘映像がインパクトあるのよね。はじめから逃げ腰の敵を速水君がノリノリでやっつけている映像だから。派手で容赦なくて残酷よ」
森はおそるおそる原の表情をうかがった。今の原さん……こわいな。
「光輝号はどうなるんでしょう? あれはあれで歩兵支援なんかに向いていると思いますよ。 安価だし。僕には政治まわりのことは関係ないけど」
狩谷がなおも尋ねると、「スキャンダルが致命的ね」と原は切って捨てた。
「パイロットが精神汚染されたでしょ? 企業救済のために、たぶん予備としてそこそこ発注されると思うけど」
「じゃっどん、パイロットの精神汚染と機体は関係なか」
中村が口を挟んできた。
ふう。原はため息をついた。その目には微かに狂気の色があった。
「士魂号、栄光号に乗っている限りパイロットは精神汚染から守られる。そのための生体兵器なのよね。そう、あの子が話してくれたわ」
森は、はっとして原を見つめた。原さん……! 涙ぐむ森に原は笑いかけた。
「やあねえ森さん。滝川君もよく言ってるじゃない? 士魂号と話ができるって。東京にいた頃から、あの子は思念のようなものを発散していた。速水君によれば相当個性的な機体だそうよ。パイロットを攻撃的にするって」
原は陽気な口調で言った。しばらく言葉を発する者はなかった。
「原さん、おかしくないデス。ワタシも感じましたネ。お願い……アリマス」
トレーラーを運転しているヨーコが口を開いた。
「なあに、ヨーコさん?」
「ワタシ、あの子の面倒見たいデス。あの子は可哀想な子デス」
「ヨーコさん……」意外な申し出に原は返事をためらった。ヨーコは整備員としてはお世辞にも一流とは言えない。補佐役が適任だ。
「原さん、ひとりで抱える……だめデス。ワタシも一緒に抱えマスヨ」
ヨーコの声はやさしかった。原の目から狂気の光が薄らいでいった。
「ヨーコさん、何を言っているのかわからないけど。じゃあ僕も三番機を担当しようか? もちろん滝川の機体も面倒見るけど。なんか二番機だけじゃ物足りないんだよね」
狩谷がやれやれというように申し出た。
「わ、わたしも……」
森は言ってしまってから後悔した。なんだかこわそうな機体だ。
「フフフ、森さんには茶坊主という立派な役目があるでしょう。プリーズ、おいしいお茶」
岩田がすかさず茶々を入れてきた。
「狩谷君とヨーコさん、頼めるかしら? 新井木さんは中村君、岩田君の下で一番機を極めてね。二番機もメインは狩谷君。サブは狩谷君が適当に選んで」
「わかった」原の言葉に狩谷はうなずいた。
「そ、そんな……わたしは?」
森が泣きそうな声で尋ねた。
「一人前の茶坊主にならないとね。頑張らないと無職よ」原はくすくすと笑いながら言った。
「そんなの嫌ですっ……!」森はプライドを傷つけられて抗議した。
「馬鹿な子ね。副主任が新型機の面倒を見ないでどうするの? 今のは冗談」
原は不器用でどんくさい後輩を哀れむように言った。
「あとね、あなたがメイン張らない理由がひとつ。ロジスティクスのお勉強しないとね。九州の頃はサンタさんがプレゼントしてくれたけど、どこのメーカーの部品、武器を選ぶか? 安定供給はできるのか? とかね。日本の主要な軍需産業についても知っておかないとだめね。……これ、実は狩谷君の得意分野よ」
「えっ? そうだったんですか?」森は驚いて声をあげた。
「別に得意ってわけじゃ……けどね、森。軍需産業は少量多品種の製品が多いから、品質の安定が難しいんだ。熊本にいた頃は工場の視察なんてできなかったけど、目を光らせていないと不良品を抱え込むことになるぞ」
狩谷は冷静な口調で言った。
東京にいた頃に勉強したのかな……。なんだか狩谷に差をつけられたようで、森は「はあ」とため息をついた。わたしってやっぱりどんくさいのかな……。
「この戦争が終わったらみんなで工場見学旅行、行くわよ。もちろん温泉付きね――」
原の言葉に皆が「温泉、温泉!」と砂に浮き立った調子で声を合わせた。
八月十一日 〇七三〇 吉香公園・管理事務所陣地
「結局、こういうことになるんすね。前よりひでえ……!」
塹壕陣地に籠もって橋爪は迫り来る小型幻獣に機銃弾を浴びせていた。
「まあそう言わずに。頼もしい味方も増えたことだし」
合田は給弾手を務めながら橋爪をなだめた。塹壕の端で可憐を着た若宮が上空のうみかぜゾンビとやり合っていた。友軍に機関砲弾のとばっちりが来ないよう、時折塹壕を出ては管理事務所の瓦礫を盾としてすでに三体のゾンビヘリを撃墜していた。
きたかぜゾンビ、もしくはうみかぜゾンビは元々が自衛軍の攻撃ヘリの残骸……スクラップに寄生型幻獣が寄生したものである。生体式の二〇ミリ機関砲弾は強力だが、本体は非常に脆い。ひどい機体になると小隊機銃の一連射で墜落するものもあるぐらいだ。岩国の岩田参謀の奇想、四〇ミリ列車砲から放たれる航空榴弾はそんな敵の弱点に着目したものだ。
そして若宮と名乗る重ウォードレス・可憐の兵はその巨体からは想像もできぬすばやさで移動しながら、悠々とゾンビヘリを相手にしていた。
地下通路側には九五式と六一式戦車を配して、攻撃を仕掛けてくる小型幻獣と共生派の兵に機関砲弾と榴弾を見舞っていた。
幻獣は無言で消滅してくれるからよいが、地下通路側からは砲撃のたびに敵の悲鳴が聞こえてくるのが橋爪には気色悪かった。
にしても相手は人間だからな。零式ミサイルでも持ち出されたらやばいぞ。橋爪は戦車少女たちのことを考えた。
「若宮さーん、ヘリはじきに全滅しますよ。地下通路の共生派なんすけど。こちらから狩りに行った方がよくないすかね? ゴブは通路に下がって九五式と六一式、マシンガン兵に任せて」
橋爪は引き金を引きながら若宮に声をかけた。
「こらこら。まずは少尉殿に意見具申だ。にしても待避壕は滞員御礼だな」
若宮は壕に戻ると待避壕で学兵の小隊員とともに震えている島村に笑いかけた。
「まったく妙なところで会うもんだな。君には不幸の女神様でもついているのかな?」
「え、ええ……」
なんと応えてよいかわからず島村は顔を赤らめた。それでも震える手で私物のジャーに詰めたお茶を若宮に差し出した。
「うん、相変わらずうまい!」若宮は一礼して生温くなったお茶を飲み干した。
「橋爪軍曹の言うとおりにしましょう。若宮さん、橋爪軍曹、島村小隊の順に地下通路へ。若宮さん、先導をお願いできますか?」
なんでこんなベテランの兵が十翼長なのだろう? という疑問が橋爪、合田に「若宮さん」と呼ばせていた。
合田の言葉に若宮は「了解」と請け合うと、「島村小隊、移動だ」と巨体を地下通路へと向け走り出した。
「戦車は十字路まで進出。ここで小型幻獣を迎え撃ってください。僕と二個分隊が支援します。島村小隊は、あー、戦車の後ろで待機。若宮さんと橋爪軍曹の分隊は共生派をよろしく」
合田は指示を下すと小型幻獣を待ち受けた。
橋爪と若宮らが地下通路を進むと、激しい砲声、銃声が響き渡り、すぐに止んだ。地下通路に静寂が畏った。ゴブがまだ残っていたか? 敵のおよその位置は見当がついている。吉香公園内の地下通路はシンプルな構造になっている。今、合田らがいる十字路を押さえれば友軍が詰めている陣地群に出るしかない。好んで通路内で挟撃されるような位置にはいないはずだ。いるとしたら敵が唯一爆破した市中心部に通じる通路とその周辺、残骸に潜んでいるはずだと橋爪は考えた。そのため分隊員には工兵用の手榴弾を配ってある。
それを言うと若宮は「うむ」と苦笑した。
「爆破地点へ行こう。ただし、通路は水浸しだから地上から行く。それと、敵さん、ワナを仕掛けているかもしれん。また爆薬でどかんじゃ目も当てられんぞ。気をつけろ」
「そうっすねぇ……」
野戦では共生派との戦闘の方がはるかに楽だったが、地下通路を含めた市街戦では人間を相手にする方が厄介だ。
ほどなく爆破地点が見えてきた。地下通路は川の下を通っていたため、巨大な池が橋爪の前に現れた。その上を通っていた錦城橋も破壊されて、泥流の中に残骸をさらしている。
「ここで行き止まりってわけか。けど、ずいぶん浅くなっちまったな」
水の中に足を踏み入れると、せいぜい膝ぐらいの深さしかなかった。対岸には破壊を免れたホテルらしきビルが何軒か建っている。「ちと厄介だな。あの中に龍もられたんじゃ手間がかかる」
若宮の言葉に橋爪も同意した。
「戻りますか?」
「そうだな」
そう言った瞬間、若宮の四丁の一二・七ミリ機銃が火を嘆いた。身を起こして対岸から手榴弾を投げようとした共生派が瞬時に肉片と化した。橋爪はためらわず兵用手榴弾のスイッチをひねると合田の要領を真似して投げた。
激しい爆発音が起こって、辺りは再び静寂を取り戻した。やったか? とどめを刺すべく、若宮を先頭に分隊は橋の瓦礫を伝って対岸へと渡った。四、五名の共生派がガードレール付近に倒れていた。
「弱いすね。これじゃ自爆攻撃するしかないのかな」
橋爪は首を傾げた。運、不運もあるだろうが、共生派に手強さを感じたことはなかった。うめき声が聞こえた。
「重なるアークよ、今こそ汝の力を……」重傷を負った兵は最後の力を振り絞って拳大の鉄箱に語りかけていた。
橋爪と若宮は顔を見合わせた。やべえ……! 分隊は112号線を脱兎のごとく北へ向けて逃げ出した。五百メートルは全力疾走したろうか、若宮は足を止めて後方を振り返った。
「……木発だったようだな」
「ってえか、考えてみれば、爆弾持ってるならはじめっから使ってませんか? 他のやつらも」
橋爪が首をひねって言った。
「わはは。そりゃそうだよな。じゃあ、あれはなんだったんだ?」
若宮はからからと笑って言った。
「お守りとか、そんなもんすかね」
「ううむ、色気がないな。お守りとはな、こういうもんだ」
若宮はそう言うと、一枚の写真を取り出した。ラーメンのどんぶりを持ったショートヘアの可愛い女の子が若宮と一緒に映っていた。
「に、似合わねえ……! おまけにラーメン屋かよ」
橋爪が口走ると、若宮は憮然として写真をしまい込んだ。
「どこが似合わんというんだ?」
「へっへ、美女と野獣っつうか、そこまではいかないけど。なんでラーメン屋なんすか?」
橋爪が冷やかすように尋ねると、若宮は「うむ」ともっともらしくうなずいた。
「元々は食欲つながりなのだ。あいつを見ていると俺は元気が出てくる」
若宮らしいのろけ、だった。
「そんな関係、いいすね」と橋爪が言った瞬間、夏空に轟音がこだました。
八月十一日 〇七三〇 吉香公園・城山麓
とてつもなく嫌な予感がするな――。
長年これで生き延びてきた勘のようなものが瀬戸口の皮膚をざわつかせていた。殺戮に酔い痴れ、笑いながら殺人を犯す者など数限りなく見てきた。ただ、カーミラは自分が知っているどのタイプとも違っているような気がした。戦争はカーミラにとって遊戯だ。将棋や囲碁、チェスを指すようにその過程に美を感じているふしがある。
石津は地面に日を落として黙々と歩いていた。石津に頼るしかないか?
「どうだ、まだ気配がするか?」
麓沿いに陣地に戻りながら瀬戸口は尋ねた。石津は立ち止まると目を閉じて集中した。
「遠ざかって……行く……わ」
城山の木立がざわめく音がして、一匹のなぜか赤いマントを身につけた猫が姿を現した。
ブータじゃないか……。瀬戸口が隊のマスコットである老猫を見ると、ブータはにやりと笑った。その背にはここの神社の神か、古風な衣冠束帯《いかんそくたい》を折り目正しく着た掌大の神が乗って恭しく辞儀をした。
皮肉なことに――。壬生屋を死の淵から呼び戻し、彼女とともに生きる決意をして以来、瀬戸口ははるか太古の記憶を取り戻していた。過去への妄執から解放された途端、物事が見えるようになった。ブータ、すなわち猫神族の長・ブータニアス。
石津はしゃがみ込むとブータ、小神と話しはじめた。「にゃん……?」石津の表情がだんだん険しくなってゆく。
不安げに歩み寄る瀬戸口にブータがヒダを震わせて二度、三度うなずいた。
不意に閃くものがあった。不吉な、限りなく不吉な予感だ。瀬戸口が耳を澄ますと人型戦車が移動する地響きと戦車のキャタピラ音が聞こえてきた。
「あっ……!」石津が声をあげた。
「ブータニアス、おまえさんへの礼は後で」
瀬戸口もつぶやくと、身を翻して城山麓陣地の善行のもとに駆けた。善行は地下通路の一隅にデスクと椅子を用意して、何やら端末を操作していた。息を切らして前に立った瀬戸口を見ると眼鏡を押し上げ、冷静な口調で尋ねた。
「何かわかりましたか?」
瀬戸口は「すぐに!」と断固とした言葉を発した。
「爆弾が公園中に。すぐに戦闘団は全軍停止。公園内に入るな、と。我々は急いで公園を撤収します。時間がありません。五分以内に!」
「わかりました」
善行はうなずくと、戦車壕に収まっている九二式歩兵戦闘車のハッチを開け、中に入った。
ほどなく拡声器から善行の声が公園内に響き渡った。
「大量の爆弾が公園内に仕掛けられています。公園内の兵は三分以内に新岩国方面、間に合わねば戦闘団主力がいる川西方面へ撤収せよ。繰り返します。公園内の兵は全員撤収。急いでください! 走れっ!」
瀬戸口は善行の指揮車となっている九二式のハッチを開け、遅れてきた石津を中に押し込んだ。
「新岩国へ、すぐに……!」。方々で戦闘車両のエンジン音が起こり、公園内は車両で埋まった。車両に乗り損ねて右往左往する兵にトラックの荷台から手が伸ばされ、戦闘車両に張り付いた兵もてんでに手を差し伸べた。
「急げ! あと二分もありません……!」
拡声器に向かって叫ぶ善行の形相に珍しく焦りの色が浮かんだ。操縦手がアクセルペダルを踏み込むと、九二式はぐんと加速して公園出口を突破した。
車両が続々と後に続く。ハッチを開け友軍の様子を確認してから、善行は「まったく、またしても爆弾騒ぎですか……」と苦笑を浮かべた。
「ええ、実はカーミラと楽しいひと時を過ごしましてね。彼女は先ほどまでのような面白みのない戦闘で満足はしないだろう、と思いました。主力の留守を狙って司令部を潰しにかかるなんて。型にはまり過ぎですよ」
ブータからの情報とは言えない。瀬戸口は石津を振り返った。石津は無表情にうなずいた。
「このフェイズで楽しむとしたらひと騒ぎ終わって、戦闘団の主力が公園内に到着した時。我々が安堵の息を洩らしかけた瞬間……一斉にどかんですよ。たぶん、地下通路に転がっている共生派の死体には遠隔操作で爆発する爆弾が仕掛けられているはずです。さもなくば時間を計算した上での時限式かな?」
瀬戸口が言い終えると同時に、すさまじい爆発音が起こって車体が爆風にどリビリと揺れた。
善行と瀬戸口はそれぞれ別のハッチから顔を出して後方を振り返った。吉香公園が黒煙で包まれている。ヒュンと風を切る音がして、地下通路を補強していたコンクリート、そして鉄骨の断片が道ばたに転がった。鉄骨に直撃されたトラックがバランスを失って、ガードレールに火花を散らして激しくこすったかと思うと急ブレーキをかけて止まった。
トラックの荷台から兵が何人か降りたって、失神寸前の運転手を抱え起こした。残りの兵は茫然と吉香公園の方角を見上げている。
「すげえ……」
「一分遅れたらお陀仏だったな」
兵らの言葉を耳にして、挙行と瀬戸口は顔を見合わせ、かぶりを振った。
「ははは。彼女、今頃、悔しがっていますよ。性格に癖があるのが裏目に出ました。よくよく癖の強い女性に祟られますねえ」
瀬戸口が冷やかすように言うと、孝行は無表情に眼鏡を押し上げた。
「それは君のことですか?」
「いえいえ、俺は集られてなんていませんよ。マイ・ハニーは天女ですから」
ぬけぬけとノロケる瀬戸口を見て、善行は苦笑を浮かべた。
「石津の功績ですよ。石津がカーミラの居場所を突き止めてくれなければ、俺は敵の性格を知ることができなかった。彼女の戦争には常に遊戯的な要素が含まれます。まあ十一師団戦区の爆破は例外としてもね。今だって……」
瀬戸口は黒煙に包まれた公園を日で示した。
「予定変更のデモンストレーションでもやっているつもりなんでしょうよ。たぶん……相当に悔しい思いをしているはずですよ。目に浮かぶようだ」
瀬戸口の口許には不敵な微笑が浮かんでいた。
八月十一日 〇七四〇 吉香公園
公園は別世界のように荒涼としたクレーターの連なりに変わっていた。地面は陥没し、地下通路は完全に破壊され、破砕されたコンクリートと鉄骨がむき出しになっていた。通路内にいた者に命はなかったろう。
唯一、城山と麓の神社だけが救われ、青々とした緑を茂らせているのが周囲の惨状とコントラストをなしていた。爆発後三番機は先頭をきって公園内に侵入していた。
「こちら芝村だ。これはいったいなんなのだ?」
舞が通信を送ると「見てのとおりです」と善行から返信があった。
「危ないところでした。司令部襲撃は戦闘団主力を引き出すためのオトリに過ぎませんでした。あとは瀬戸口君が説明してくれるでしょう」
善行の声は心なしか疲労感をにじませていた。舞は唇を噛みしめた。ここ数日、大戦果をあげているにも拘わらず、相次ぐ事件は舞の心に影を投げかけていた。防府近辺で戦術的勝利に拘泥《こうでい》し過ぎたことはしかたないにせよ、山口での司令部爆破、十一師団戦区の崩壊、精神操作された光輝号による栄光号への不意打ち攻撃、さらにはこの惨状――。存分に敵を狩っている一方で、自分たちは致命傷につながる傷を受けているのではないか? たったひとりの少女の手によって。
嫌な、神経にこたえる戦争だ。
自分たちは大勝利を収めているのに、空しさと徒労感だけが残っている。舞が黙り込んでいると「おーい、地球に戻って来いよ」と瀬戸口が呼びかけてきた。
「たわけ……!」舞はことさらに強い口調で応じた。
「ははは。その調子だ。気持ちはわかるが起こってしまったことはしかたがないさ。あの少女……カーミラと名乗っていたが、スキュラ、ゾンビヘリ、そして共生派をもっともらしく動員して危機を演出したってわけさ。目的は戦闘団主力を壊滅させること、かな。とにかく俺たちがこれまで遭遇したことのない敵が現れたと考えてよいだろう。これまでの幻獣共生派が可愛らしく思えてくるよ」
「ええとこ……それってどういうことですか?」
厚志が口を挟んできた。
「……前におまえさん、言ったろう。幻獣が弱くなっているって。知性体が現れたり、寄生型がギャンブルを仕勒けてきたり。それは小賢しくなった分、弱くなったってことかもしれんな。 けど、問題はそこに演出家が現れたらどうなるかってことなんだ」
瀬戸口はなめらかな口調で説明した。
「……難しいですよ、その説明。僕には」
たわけ、と舞はつぶやいた。そなたはわかっているはずだ。幻獣自体は人を狩る機械がほとんどだが、そこには個体差がある。熊本城攻防戦の際、学校の校舎に身を隠してこちらを狙ってきたスキュラのことを思い浮かべていた。個体差は確実に、ある。そしてそのカーミラとやらは、ハーメルンの笛吹のようにそんな敵を導く役回りなのだろう。
あの少女の配下らしき者たちが作ったトラップを見ても嫌な相手とわかる。
「物量に頭脳が加わったということかな? 実は戻る途中、2号線のあちこちにトラップが仕掛けられてありましてね。ピアノ線に引っかかると大爆発です。プラスティック爆弾にはこの世界で考えられる最高の組成の爆薬がてんこ盛りになっていましたよ。後で提出します」
植村の声が割り込んできた。植村は自分の中隊に、あらかじめその道の専門家を何人か加えていたらしい。これは矢吹や自分にはなかなかできない発想だ。
「まったく……君がいてくれてよかったよ。戦って死ぬならまだしも、ブービートラップで吹き飛ばされるなどと、考えただけでもぞっとする」
矢吹がねぎらうように口を開いた。
「死は死ですよ」植村の笑い声が聞こえた。
「十一師団のことがありましたし。熊本戦ではこちらもトラップを仕掛ける側だったんで自然と詳しくなるわけで。しかし、仕掛けた連中はどうもこれまでの共生派とは違いますな。具申しますが、工兵もしくは憲兵隊の全面協力を要請した方がよいかもしれませんね。着行閣下、焼け太りの戦闘団を率いるのも悪くはないのでは?」
植村はことさら余裕のある口調で言った。
「……手配しましょう」
善行は抑揚のない声で言った。
「ほほほ。ずいぶんお困りのようねえ」
不意に原の高笑いがコックピットにこだました。そうだ、整備班は……!
「そ、そなたら、無事であったか?」
舞があわてて尋ねると、「ノオプロブレム」と原はにこやかに応えた。
「整備班はいつだって危機一髪なのよねー。熊本城攻防戦、九州撤退戦、それから防府での一件。考えてみれば世の中でわたしたちはど気の毒な整備班もいないわよねえ。誰も守ってくれないし――。フェレット君のこと考え直そうかしら」
原は冷やかすように舞に言った。
「そ、それは……」フェレット君は関係ないだろうと言おうとして思いとどまった。「冗談よ。速水君にいろいろ脅かされたでしょ? だから一応危機管理意識を持ってね。敵が攻めてきた時、すぐに逃げたの。今は新岩国で茶坊主の掩れたまずいお茶を飲んでるわ」
原は余裕たっぷりな口調で言った。
「原さんたちが無事でよかったです。僕、心配してたんですよ」
厚志が如才なく挨拶をした。
「速水君のお陰よ。それはそうと敵もずいぶんいい性格しているじゃない? 味方が救援に駆けつけてほっとしたところをどかーん、なんてね。わたしと話が合いそう」原の言葉に「なるほど」と同時につぶやく声が交じった。善行と瀬戸口だった。
「原さんだったら次の目標はどこにします?」
瀬戸口はにこやかな口調で尋ねた。舞は苦い顔で沈熱を守った。そんなことは決まっている。
十一師団の守る新防衛ラインだろう。
「常識で考えれば、激戦地になっているところだけど。それじゃ面白くないわね。今度は防衛ラインの司令部に直接乗り込むなんてわくわくしそう。警戒が厳重だから不可能だ、なんて皆思ってるじゃない? その思い込みをくつがえす。大した損害を与えられなくても、司令部付近の戦線の皆さんには不安とショックを与えられるわ」
「……馬鹿な!」舞はかぶりを振って否定した。
「ははは。なんだかカーミラと話しているような感じですよ。趣味の悪い悪戯が好きなところなんでそっくりですね。芝村、彼女は戦争という過程を楽しんでいるんだ。目的に向かって一直線というタイプじゃない。過程と手段が面白くなければだめなのさ。そのために不合理に見える寄り道も敢えてする」
瀬戸口の声は楽しげでさえあった。
「そなたというやつは……」
「カーミラと会ったんだよ。ちょっとした世間話をした」
「なんだと!」
舞は唖然として言葉を失った。ほほほ。原の高笑いが響き渡った。
「芝村さんはカーミラなんて別世界の存在と思っているでしょ? けど、それ違うのよねー。カーミラはあなたのライバル。どちらも恐怖を敵に撒き散らし、怯え、不安に陥れる。速水君も壬生屋さんも……あと、うーん、滝川君もね。それで……どうするの? 瀬戸口君」
「新岩国に着いてから戦闘団のえらいさんと話しますよ」
そう言うと瀬戸口は通信を切った。
三番機は公園内にたたずんで、戦闘団の車両が続々と新岩国に向かうのを見送った。傍らには負傷者を搬送するためのトラックが二台、停車している。レーダードームをめぐらして、友軍の生き残りと敵の姿を追い求めた。
「こちら5121小隊、芝村上級万翼長である! 徒歩の者、負傷した者は至急公園内に移動し、車両に乗車すること。新岩国まで護衛する」
拡声器で繰り返し呼びかけていると、生き残っている城山のネズミ穴から、錦帯橋のかなたから三々五々兵が集まってきた。硝煙と爆風、土砂と挨でウォードレスは変型し、汚れ、負傷者は即席の担架で運ばれてきた。
「二十、三十……四十人は超えているな」
舞は悔しげにつぶやいた。戦争にきれいも汚いもない。それはわかる。しかし人型戦車のパイロットとしての舞は、戦争すなわち戦闘だと思っていた。そんな自分の思い込みがここしばらくの事件で根底から揺さぶられていた。八メートルの巨人の真上から自分は戦争を見ていた。
しかし……。わたしの戦争は自己満足に過ぎなかったのか?
「舞、とらわれ過ぎてるよ」
厚志の声が聞こえた。舞は咳払いをして、シートを蹴った。
「とらわれてなぞ、おらぬ!」
しかし厚志は静かな声で続けた。
「今のところはやられっぱなしだけどさ。たぶん僕らの方が強いよ。なぜだかわかる?」
「そなた……」舞が言葉を探していると、厚志は「はは」と笑った。
「彼女、頭はいいけれど執念も狂気も感じられないんだ。瀬戸口さんにはわかるみたい。ガラス質の強さだって」
「ふむ」よいことを言うな、と舞は機嫌を直した。
「原さんはあの子を舞のライバルだって言っていたけど、比べものにならないね。舞の強さは鋼の強さ。全世界を敵にまわしても一歩も引かない強さだよ。そして僕はその強さの守り手。あの子はね……いずれ狩られる運命にある。狩りのことは狩人に任せようよ」
厚志の言葉はひと言ひと言に重みがあった。鋼の強さ、か。三ヵ月前の惨めな撤退以来、モヤモヤは晴れず、わたしは堕落してしまった。鋼の強さを取り戻さねば。わたしは芝村舞。世界を相手に戦える者だ。
ふっと舞は息を吐いて笑った。
「そうだな。狩りのことは狩人に」
「うん」
舞の視界にトラックに乗り込む兵らの姿が映った。皆、爆発の衝撃に気弱になり、肩を落としているように見える。舞は拡声器に向かって兵らを叱咤した。
「そなたら、胸を張れ。顔を上げよ……! わたしの言葉に耳を傾けよ。確かに共生派の破壊工作は脅威であった。しかしな、今頃になって連中が出てくるのはなぜか? 幻獣が息切れしはじめたゆえ、だ。この芝村が保証する。敵は数日中に総退却をはじめるぞ――!」
「うわ……」厚志が声にならぬ声をあげた。
トラックの周りに屯していた兵が、ホントかよという表情で士魂号を見上げた。ははは。舞は声に出して笑った。
「なんだなんだその顔は? 嘘ではないぞ。我が5121小隊は、我が善行戦闘団は敵に死の鉄槌を下すためにここに来た。我らは災禍を狩る災禍!」
だゆだ、止まらなくなったぞと思いながら舞は演説を続けた。見上げるばかりの巨人に自信たっぷりに言われて、兵らの表情が明るくなった。
「忘れるな。我が名は5121小隊司令こ芝村舞。敵にとって最悪の存在であり死神である」あの、そろそろ行こうよと厚志の遠慮がちな声が聞こえて、舞はそう結んだ。
八月十一日 〇八〇〇 吉香公園付近・県道114号
「はあ……どうしてあんなことになるの?」
九五式の車内で佐藤はため息をついた。五分以内に避難しないと公園が大爆発すると言われて、佐藤は「歩兵さんは戦車に!」とあわてて叫んだ。
九五式には十五名ほど、六一式には二十名ほどがギネスブック級の密度で張り付き、二両の戦車はノロノロと発進した。機械化された戦闘団の警備部隊と違って、合田、島村小隊は車両を持っていなかった。すぐ横を追い抜いていったトラックから「十人引き受けるぜ!」と荷台から声がかかった。
「第二分隊、トラックへ移動……!」
合田の声とともに二分隊の兵九名がスピードを落としたトラックに向かって突進。心なしか軽くなった車体で鈴木はアクセルを思いっきり踏み込んだ。
「あと二分もありません……!」
と拡声器から声が聞こえて、鈴木は「ちっくしよう」と悪態をついた。公園出口は先行する兵によって破壊され、広げられていたのが救いだった。
無事114号線に出た時、大爆発が起こった。これまでに開いたこともない大音響だった。
佐藤はハッチから顔を出すと二号車に張り付いていた合田と視線を合わせた。操縦席では神崎が悲鳴をあげて鈴木にしがみついている。
くそ、勝手にぶりっ子してなさいと忌々しく思いながら、「皆さん、ご無事ですか?」と合田に話しかけていた。
「なんとか……あれ、島村さんは?」
佐藤も車両を見回したが、島村の姿がなかった。島村小隊の隊員に聞いても、首を振るだけで要領を得ない。た、た、大変……!
「島村さーん」合田が呼びかけた。
「島村さん、島村ちゃーん、かくれんぼは後にして――」
佐藤も声を張り上げ、血走った目で、ペンギン走りでこちらに向かってくる島村の姿を待ち受けた。
「隊長、戦車から落ちたっぽいです」学兵のひとりがおそるおそる告げた。
「馬鹿ぁ――! なんですぐに言わんの!」
佐藤は九五式を降りて六一式に張り付いたその学兵を引きずり下ろすと拳を固めて二、三発殴った。
「す、すいません……声を出したんだけど」学兵は地面にうずくまり、弁解するように佐藤を見上げた。
佐藤は憤然として大きく息を吸い込んだ。
「隊長がぁ――、戦車から落ちました――!」
よく響き、よく通る声だった。全軍の目が佐藤に釘付けになった。しかし佐藤は血走った目を怒らせたまま、学兵の胸ぐらを掴んで立ち上がらせた。
「このぐらいの声は出せっ! あんた、男の子でしょ?」
こう言われて学兵はしょんぼりとうなだれた。
不意に崖上の林からがさごそと音がした。機銃の銃口が一斉に音のする方角に向けられる。
「ごめんなさい、味方です……」
ふくよかな美人顔を泥と樹木の枝による切り傷で台無しにした島村が顔を出した。
「ス、ストップ!」誰かの声に島村は立ち止まって、五メートルほどもある石垣の上で立ちすくんだ。
両腕に銃ではなく「お茶セット」を後生大事に抱え込んでいる。
「橘さん、六一式を石垣の横へ」
合田の声に橘は「はい」と生まじめに応えた。
憤然とする佐藤。心配顔の神崎と橘。にこやかな笑みを崩さぬ合田らに囲まれて、島村は「ごめんなさい」を何度も繰り返した。
「ごめんで済むなら九〇ミリ砲はいらんのよ……! どういうことさ?」
佐藤に詰め寄られて、島村は「あの、お茶セットを……」と言いかけて申し訳なさそうに口をつぐんだ。トホホ。佐藤はがっくりと旗を垂れた。この天然隊長、あんたは命よりお茶セットの方が大事なのか?
「すみません。けれど、わたし、前線じゃおいしいお茶を掩れるぐらいしかできないから」
島村の言葉に、佐藤は険しい表情になった。拳を固めている。橘がそっと合田を見上げた。
「まあまあ、佐藤さん。助かったんだからいいじゃないですか。岩国に移動してすぐ、僕は橋爪軍曹と島村さんを連れて物資集積所に向かったんですが、彼女、本当は有能な事務官なんですよ。試しに交渉をやらせてみたところ、すごかったですね。瞬く間にエリート歩兵の装備が揃ってしまった」
「そんな人がどうして……?」佐藤は怒りから不機嫌モードへとトーンダウンして尋ねた。
「書類上のミスです。彼女はむしろ被害者なんですよ」
合田はなだめるように佐藤に微笑みかけた。
「けど、どうやって助かったんですか……?」
橘が怪訝な顔で問いかけた。あのペンギン走りでは逃げられないだろうという顔だ。
「走ったんですけど、気が付いたら何かに掴まれて空を飛んでいました。こわくて正体確かめられなかったんですけど、なんだか日向のにおいがする動物? みたいな感じで。林の中に落とされて……」
「げっ、ファンタジー? 何よ、日向のにおいって? アタマ、大丈夫?」
佐藤が不機嫌な表情を崩さず問いかけた。島村は気まずげにうつむいた。
「あ、そういや」
鈴木が何かを思い出したように口を開いた。
「山岳騎兵って、確か動物兵器使うんだよな? なんだっけ……」
「鵺《ぬえ》ですよ。巨大なライオンを思い浮かべてもらえばよいでしょう。仁川防衛戦の頃までは活躍していたんですけど、飼育に手間がかかることと、生身の兵器であることから大損害を受けましてね。今は広島に大隊がひとつ残っているぐらいですね」
合田が考え考え、説明した。納得はしていないようだ。鵺は犬と同じく体臭が強い。日向のにおいのする……とは到底表現できないだろう。
佐藤はふと神崎の家で飼われている猫を思い出した。日向に寝そべっている猫を抱き上げると確かにそんなにおいがした。けど、猫が空を飛ぶかな……?
「にゃんこ」佐藤はなんとなく口に出していた。
「ええ、ええ! わたしもそんな感じがしました」
島村は勢い込んでうなずいた。
「……あはらし」佐藤はそう言って自分の妄想を打ち消した。
「ところで橋爪と若宮さんたちはどうしたんでしょう?」
佐藤は島村を無視すると、現実に戻って尋ねた。むしろそちらの方が優先課題だ。
「彼らなら無事ですよ。先ほど若宮さんの歩兵用無線から連絡がありました。死傷者なし。新岩国に向かっているとのことです」
ま、あのふたりは心配するだけ損か、と佐藤は苦笑した。
八月十一日 〇九〇〇 共生派基地
ここがカーミラのアジトか、と近江は目を見張った。
旧十一師団戦区の最奥郡、裁判所に迫る山の稜線を道なりに上がって行くと、じきに山塊の頂上に出る。ここにはネットでカモプラージュされた重迫撃砲陣地が置かれていたが、カーミラの姿を認めると兵らは恭しく辞儀をした。
眼下には学校だろうか、校舎らしき建物と広大なグラウンドが見渡せた。今では無人となっている。温泉のにおいがした。目の前に寺が見えてきた。カーミラは山門をくぐると、警備の兵に微笑んでみせた。皆、最新式のアーリーFOXを着ている。装備も、兵が発する雰囲気も、なまじっかの幻獣共生派よりはるかに上だった。今時の自衛軍を見事に装っていた。
「まったく……どういう勘を持っているのかしら。あの有象無象たちは」
カーミラは不機嫌な口調で日傘をたたむと、靴を履いたまま本堂に上がり込んだ。
本童にはおびただしい木箱と完成済みのプラスティック爆弾が丁寧に並べてあった。副官らしき三十代の大尉が敬礼をした。西洋人だ。眼鏡をかけた気難しげな長身の男だった。
カーミラは二メートル近い大男を見上げると、エメラルド色の瞳を怒りに輝かせた。
「シェルナー、トラップのことは聞いているわ。まったく! 完全に! 必要なかった! わたしたちはね、他の共生派の皆さんが大好きなゲリラ戦をしに来たんじゃないの! 戦争をするために来たのでもない。答えなさい、なんのためにここにいるのか?」
白磁のような頬が紅潮している。知り合って間もなかったが、こんなに感情をむき出しにしたカーミラを見るのは近江ははじめてだった。
「……戦争のためと愚考しますが」
シェルナーと呼ばれた大尉は、爆弾を見渡して頑固に言った。
「違う! 石頭さん、よく聞いてね。わたしが吹き飛ばしたかった戦闘団の主力は、あなたが仕掛けたトラップの除去に時間を費やしたお陰で命拾いしたの。皮肉なことにね! なぜかって? 敵に考える時間と余裕を与えてしまったからよ。……具体的には瀬戸口隆之と石津萌。 このふたりにしてやられたの!」
「すぐに排除します」シェルナーはこともなげに言った。
あははは。カーミラは無邪気な笑いを本堂に響かせた。
「できるものならね。……一個分隊をあなたにつける。人選の権限を与えるわ」
猛者を引き抜いてよいと言っている。シェルナーの表情が引き締まった。
「しかし……ふたりとも支援要員だぞ。勘がよいのは認めるが、なぜあの時、殺さなかった? わたしにならできた」
近江が口を挟むと、シェルナーは不快げに眉をひそめた。カーミラは近江に向き直ると、瞳に宿った怒りをやわらげた。
「無理よ。あなたではあの女の子にも勝てなかった。瀬戸口が動くと同時にわたしの護衛も発砲したろうけど、瀬戸口には精神操作は通用しなかった。それとね、わたし、一応、生身の人間だから。あの状況は本当は分が悪かったのよ?」
カーミラは出来の悪い子供に噛んで含めるように育った。
「まさか……」
「貴子はわたしの護衛の存在に気がついた?」
こう言われると何も言えなかった。気配すら感じなかった。
「一流の狙撃手たちですからな。ところでこの女はなんです?」
シェルナーに一瞥されて近江はぞくりとした。一瞬のうちに強弱の関係を悟った。
「わたしの友。プロイライン近江。可愛い人よ。大切な客人として扱うように」
カーミラの言葉に、シェルナーは不満げにうなずいた。大尉が去ってから、カーミラは部下に椅子と作戦地図が乗った卓、そして紅茶を用意させると、「さて」と考え込んだ。
近江はほんの少しだけ安心していた。カーミラは共生派エリート集団の長なのか? あの大尉に一瞬放射された殺気は、身の毛もよだつものだった。
「大尉ならあのふたりを殺せるだろう」
何気なく口に出して言うと、カーミラは「ふふふ」と楽しげに笑った。
「実はね、彼はドイツ本国からお目付役についてきた男なの。確かに強いけど、どこにでも転がっている第五世代よ。頭も悪いからこの際処分しようと思ってね」
「処分って……」近江は唖然とした。あの男なら役に立つだろう。
「うん、役に立つと思い込んでいる。他の組織に譲りたいんだけどね。彼のプライドを満足させる組織は日本にはないのね。彼と瀬戸口じゃダックスプンドとライオンぐらいの差はある。 さて、大尉の話はおしまい。次はどうしまっかな!」
カーミラはプッチーニのアリアを鼻歌交じりに口ずさむと、地図を眺めはじめた。その姿は試験勉強をしている女学生のようで、近江はあきれて小さくため息をついた。
「どうしたの?」カーミラは顔を上げて微笑んだ。
「き、きれいな曲だな……」近江は顔を赤らめた。おまえが歌うと特にだ。
「わたしの愛しいお父さんっていうのよ。メロディアスでしょ? プッチーニはわたしのお気に入りのひとつね」
愛しいお父さん、という言葉に近江は身を固くした。
「……音楽なんて無縁だった」
なんでこんなことを言うんだろうと近江は忌々しく思った。
「そうね。けれど貴子の心は悲痛な歌曲を奏でている。音楽に無縁な人なんでいないのよ」
「その……おまえはどんな家に育ったんだ?」
近江は顔を赤らめた。おそらく心を読まれているだろう。
「そうか、自分とわたしを比べているのね? けど、貴子の結論って決まっているじゃない? また心の闇に沈み込んで行きたいわけね。面白いわ」
「すまない。考え事の邪魔をしたな」
近江は素直に謝った。
「わたしは支配する家の出身だけど、そういう家に生まれるのも大変よ? 人の頭を悪くする病気があってね、みんながそれに冒されているの。自分が少数派であることに気づいたのは、ドイツに降りたってからかな」
「……少数派?」近江は勇気を出してカーミラを見つめた。
「頭の悪い強硬派と物わかりが良過ぎる和平派の中間ぐらいかな。貴子も聞いたでしょ? わたしの考え。ユーラシアの山脈で人類を生かしているのはわたし。もっとも馬鹿な幻獣の襲撃をしょっちゅう受けているらしいけどねえ。瀬戸口に言った地域で人類は健気に抵抗してるみたいよ。誰だって生きたいと思うものね」
カーミラの言葉に近江は考え込んでしまった。そう、そうなのだ。どんな惨めな、底辺の人間だって生きたいと願っている。わたしも山岳地帯で生きようか?
「それもいいかもね。けど、今はだめ。この国の喉元に刃を突きつけないと! わたしたちにとって厄介な国だから滅ぼす手もあるけどね。岩国でわたしはいろいろ試すつもりよ」
はっとして近江はカーミラを見た。近江の顔に怯えがあるのを見て、カーミラはまなざしをやわらげた。
「ね、貴子、一緒にさっきの歌、歌おうか?」
近江はぎょっとして「だめだめ!」と激しく手を振った。
「歌なんて子供の頃に学校で歌ったきりだし。あんな高い声出せない」
「自分の声で、口ずさむだけでいいじゃない? 歌のない人生なんて寂しいものよ」
カーミラにもっともらしく言われて、近江は黙り込んだ。同意と受け取ったらしく、カーミラはにこりと笑った。
「それじゃ歌うね。ついて来て。……オ、ミオ、バッピーノ、カーロ、ミ、ビアチェ、エ、ベーロ、ベーロ!」
「バピーノカロ、……チェ、ェ、だ、だめだっ!」
近江は顔を赤らめて「難しいな」と言い訳をした。
「あはは。練習よ、練習。けど、けっこう筋はいいわよ。あ、声は出し慣れてるんだった」
「出し慣れてるって言われても……困る。気をつけ。休め。歯を食いしばれ、の世界だったからな。全然、意味わからないんだけど、どんなこと歌ってるんだ?」
これ以上、歌わされてはかなわないと、近江は話題を逸らした。
「娘が父親に、好きな人と結婚させてくださいって訴える歌なの。死んだ大金持ちが遺産を全部修道院に寄付するんだけど、遺産の分配がなかったら持参金ゼロで結婚できないってわけ。その父親、機転が利く物真似上手でね。それで娘のために死んだ金持ちの変装をして、公証人を呼んで遺言を書き換えさせるってストーリーね」
「すごい父親……」
近江の言葉にカーミラはテーブルをたたいて笑った。
「あはははは。そうね! 貴子とは正反対のタイプね。けど、まんまと作戦は成功するんだけど、最後に父親役は、この悪戯のおかげでわたしは地獄行きです、当然の報いですって観客に語るのね。なかなかいい覚悟じゃない?」
「そ、そうね」
「そういう覚悟って好きなのよね!」
カーミラはそう言うと、笑みを浮かべたまま再び作戦地図に目を落とした。
相変わらずその目はこわいけれど、カーミラにはどこか惹きつけられるものがあった。
わたしはこの少女に惹かれている……? 近江は思わずティーカップを取り落とした。カーミラの笑い声が堂内に響き渡った。
八月十一日 〇九〇〇 新岩国駅付近
「ふりだしに戻った、というわけね」
原素子は駅改札前にたたずんで新岩国の駅前広場の状況を眺めながら微笑んだ。目の前を兵員を張り付かせた警備中隊の車両が通り過ぎて行く。薄氷を踏ような脱出のショックと、容赦なく照りつける夏の光に、ぐったりした表情をしている兵が多かった。
「まあ、そういうわけです。敵に散々に遊ばれまして、わたしの手には余る。瀬戸口君と来須君にカーミラ対策をお願いしました」
善行は原の隣に立ち、苦笑いを浮かべて言った。それにしても暑い。温度計を見ると三十六度を指していた。戦闘車両のガソリンと硝煙のにおいに交じって、兵たちの饐えたようなにおいが開けている広場にまで漂ってくる。
「それで……栄光号はどうなりました?」
「駅の操車場に機材を運び入れて、修理の真っ最中。皆、腕をあげたわね。実質中破だからじきに復活すると思うわ」
助かる、と善行は思った。
栄光号には自分を含め、海軍、芝村閥が関わっている。さすがに艦艇を建造する予算は要求できないが、今後の反攻作戦のために海兵団を三個旅団に増設する計画と、人型戦車小隊を旅団に配備する計画はなんとかなりそうだ。栄光号が活躍すればするほど、自分の構想は実現に近づく。そんな善行の思惑を知ってか知らずか、原はほほほと笑った。
「あなたにはずいぶん貸しができたわねえ。栄光号大活躍の映像。放棄された栄光号のすみやかな回収。それと軽装甲と光輝号の荒野の決闘。二番機の映像があるけど、なかなかいい感じょ。ただ、あの赤い機体は消しとかないとね」
「……まったくもって、大きな借りができました」
孝行は素直に認めた。それにしても彼女が欲しがっている黒貂の毛皮というのはいくらぐらいするもんなのだろう? 加藤が戻ってきたら尋ねてみようか?
「あと工兵隊を調達してきてよ。整備テントが展開できないわ」
「大至急」
大地を揺るがすエンジン音とキャタピラ音が夏空に響き渡り、一番機を先頭に戦闘団の戦車が統々と広場に集結した。むろん、矢吹はあらかじめ各隊の駐屯場所を指示している。広場には5121小隊と矢吹の司令車両、そして一個中隊が乗り入れていた。
善行のものと同じ九二式歩兵戦闘車がふたりの前に停車した。ハッチが開き、矢吹少佐が姿を現した。
「ごくろうさまです」
善行が敬礼を送ると、矢吹も硬い表情で敬礼を返した。矢吹は九二式を振り返ると「すまんが自販機でミネラルウォータを三人分買ってきてくれ」と指示した。
走り出そうとする伍長に「あ、わたし、オレンジデリシャスティね。なかったらなんとかティの名前がつくものでいいわ」と原が声をかけた。
「これは失礼」
矢吹が恐縮して謝ると、原はにこっと笑った。
「またしても撃破二百を超える大戦果。それと光輝号撃破、おめでとうございます」
「あの件はなんともはや……」
矢吹は苦い顔で首を振った。戦車小隊三個を失った勘定になる。しかも友軍の兵器との同士討ちだった。幻獣撃破など吹き飛んでしまう惨事だ。
伍長が飲み物を持ってきた。矢吹はペットボトルの水を貪るように飲み干した。
相当に動揺しているな。善行は眼鏡を押し上げた。
「5121に共生派対策のチームを作ります。瀬戸口君と来須君は共生派との接触経験もあり、事情に詳しいのですよ。以後、あなたによけいな負担をかけないようにわたしは憲兵隊と連絡を密にして共生派に備えます」
善行の言葉に矢吹は心を動かされたようだった。
「5121さんは変わった技能を持っている者が多いですな」
誉め言葉だろうが、善行には少々こたえる言葉だった。そのために5121小隊は規格外の隊となり、九州でも、ここ山口でも苦労させられている。矢吹という柔軟な発想を持つ指揮官が入ったからこそ、5121はうまく機能している。
「少佐のお陰ですよ。5121とうまくシンクロしてくれました」
善行は苦笑して、感謝の言葉を口にした。
「共生派対策に我が中隊は必要ありませんかね?」
植村が陽差しを避けて、駅舎の柱にもたれていた。植村にはあまり動揺はないようだ。無精ひげに覆われた顔をほころばせている。
「あなたは戦闘団の戦果を追求してください。ただし、共生派の攻撃に関してはよろしく。トッラップ解除は見事でした」
「あら、植村さんも爆弾マニアなの?」
原がにこやかに尋ねると、「いえいえ」と植村はかぶりを振った。
「二十四旅団の時代に九州で共生派相手の対人戦闘に駆り出されましてね。連中のトラップと狙撃兵にはずいぶん苦労したものです」
花形ではない、地味で危険な任務を黙々とこなしていたということだ。
「納得。大変だったわね!」と原は肩をすくめた。
「……司令部で、と思ったのですが、一応方面軍から連絡がありまして。矢吹少佐は中佐に、植村中尉は大尉に昇進です。階級章の変更、お顧いします」
「はっ」矢吹は律儀に敬礼をした。
植村も矢吹の態度に倣って敬礼をしたが「確か給料が五千円ほど上がるんでしたっけ?」と皮肉に笑った。
瀬戸口は駅前の遠坂運輸ビルの屋上で来須と石津を見つけた。
四階建ての屋上で、ここから新岩国駅広場を一望できる。ウォードレス姿の石津が日除けに麦藁帽子をかぶっているのがミスマッチでかえって可愛らしかった。
「善行さんに呼び出されたよ。俺とおまえさんで対カーミラのチームを作れ、とさ」
瀬戸口が話しかけると、来須は帽子のひさしを上げて瀬戸口を見つめた。
「人選はどうなっている? 俺とおまえだけか?」
来須に予防線を張られたようだ。瀬戸口は「指示はなかった」とだけ言った。
「俺とおまえさんだけでは心許ないことはわかっているはずだ。有志を募るといったところさ」
「わたし……やる……わ」
石津が即座に宣言した。来須は微かにかぶりを振った。石津はポシェットから水晶玉を取り出すと一心不乱に見つめはじめた。
「何をやっているんだ?」頼戸口が尋ねると、「カーミラの……気配。アンテナ……を敏感にしている……の」
振り向きもせず、説明した。
「今のところ三人か。来須よ、おまえさんが一個小隊いればなあ。兄弟などいないか? なんならお姉さんでもいいぞ」
瀬戸口が軽口をたたくと、来須の口許が一瞬ゆがんで、笑ったように見えた。
「三人と一匹だ」
「うん……?」
振り返るとブータがすぐ後ろに寝そべっていた。
「うーん、こいつは高くつきそうだな。本部にツナ缶の補給を要請しないとな」
猫神族の長であるブータニアスには大勢の配下がいる。瀬戸口がぼやくとブータはひげを震わせて笑った。
「そういうことならチームがふたつできるな。石津はどうする?」
瀬戸口が冷やかすように言うと、石津は黙って来須の腕を掴んだ。
「じゃあ俺はブータと組む。……なあ、ブータニアス、この近辺で俺たちに協力してくれる物好きな有象無象はいないだろうか?」
ブータはにやりと笑うと、周辺の山々に頭をめぐらせた。
(この山川に生きる者、半ばはそなたらの味方をすることになろう。半ばはカーミラにも理を認め静観しているがな。わしはあの嬢ちゃんは嫌いではないが、倒すべき存在ではある)ブータの思念がクリアに伝わってきた。
「わかったわかった。しかし神々ってのは供え物が大変なんだよなあ」
瀬戸口がぼやくと、石津が口に手をあててくすりと笑った。
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第十九章災禍を狩る災禍
八月十一日 〇九三〇 新岩国駅・ステーションホテル
ステーションホテルの会議室の特設スクリーンには現在の戦況が映し出されていた。操作は瀬戸口の補佐役であった金髪の少年に代わって、加藤が行っている。瀬戸口が別任務に従事した結果、説明役は矢吹自らが行うことになった。
「第二師団の強、十一師団の弱、両防衛ラインのうち、新防衛ラインに敵の攻撃が集中しています。結果、戦区担当は十一師団から十四師団に代わりつつあります。両ラインとも現在、敵陸戦型中型幻獣に大損害を与えているとのことです。今後の我々の作戦は極めてシンプルです・補給後、戦闘団は2号線から分岐、川沿いに県道15号を経て、新防衛ラインの南端、市役所付近の敵を攻撃します。なお、その時点で岩国駅に到着している補充部隊と合流します」
すでに神出鬼没の遊撃、という段階ではなかった。要は定期的な巡回、そして一体でも多くの幻獣を倒すことだった。戦線正面が狭い分、防衛ラインの部隊と効果的な十字砲火を形成することもできる。
舞は腕組みをして戦況図に見入っていた。厚志も神妙な表情で矢吹の説明を聞いている。
「以上ですが、何か?」
矢吹が一同を見回すと、手が挙がった。植村中尉あらため大尉だった。
「ふたつ。まず人型戦車パイロットの疲労度についてです。彼らのコンディションに会わせた作戦行動が必要になるかと。次に、司令部の警備について。吉香公園には陣地がありましたが、この地ははなはだ心許ない。警備中隊の増強とともに陣地構築の必要があると考えます」
「その点に関しては、壬生屋千翼長を基準に考えています。瀬戸口万翼長は現在、別任務にありますので、判断は芝村司令、お顧いできますか?」
急に水を向けられて、舞は目を瞬いた。
「その……彼女の性格から、必ず無理をすると思いましてね。遠水干翼長もよろしく」
「あ、はい……」
速水は顔を赤らめて敬礼をした。しかし、舞は不機嫌な表情を崩さなかった。
「戦果は減少し危険度は増すが、壬生屋を基準とすれば出撃回数は減る。滝川との二機編成でも十分だと思うぞ。むしろ基準とするなら滝川にすべきではないのか?」
「舞……?」
厚志は小声で舞の名を呼んだ。
「攻撃的にいこう。少しでも岩国守備隊の負担を減らしてやろう」
舞は不機嫌な表情を崩さずに、矢吹を見上げた。
「その意見には賛成しかねるな」
植村が舞に笑いかけた。
「十分な休養を摂りつつ百五十の敵を撃破するのと、無理を重ねて敵を二百撃破する場合を考えてみてくれ。五十の差はあるが、この数字と引き替えに犠牲も加速度的に大きくなる。ソフトスキンの歩兵はどんな勝ち戦でも犠牲を出すからな。余裕があるなら万全を期したいのさ」
「そうですな」
植村の横に座っていた歩兵将校がうなずいた。
「戦場が近い分、友軍の頑張りを知っている分、君は日に何度も出撃するつもりだろう。矢吹中佐、問題はあのお嬢さんや滝川少年を基準にするということではないと思いますよ。まず、出撃回数を決めるべきかと。休養も十分かつ定期的に」
植村の意見は歩兵の論理だった。戦車隊という打撃部隊を率いてきた矢吹や舞とは背景が異なる。矢吹は「うむ」とうなったきり、考え込んでしまった。戦車とともに機動し、戦車を支援する熟練した戦事随伴歩兵は貴重だ。そして消耗も激しい。光輝号の事件で、植村は自ら選んだ兵を多く失っている。
「出撃は一日三回。壬生屋さんの出撃の可否に関しては芝村さんに一任します。二機編成もやむなしと。それと山口の宮下中佐から補充中隊が送られてきました。現在、駅で待機中です」
それまで黙っていた善行が口を開いた。
「三回も……ですか? 多いですね。それに並の歩兵を補充しても損害を増すばかりですよ?」
植村は眉をひそめて善行を見た。
「ここは最終防衛ラインなのです。あなたの意見は正論ですが、そのことを忘れています。……宮下中佐は大陸でも一貫してロジスティクスを担当してきた尊敬すべき軍人です。当然、植村大尉の要求水準を考慮していますよ」
善行は淡々と植村に語った。
「出撃は一時間後。一〇三〇をもって矢吹中佐の作戦通りに行います。会議はこれにて閉会します。植村大尉、すぐに駅へ――」
善行が立ち上がると、全員がそれに倣って一斉に敬礼をした。
「出撃三回って多いのかなあ」
エレベータを待ちながら厚志は舞に尋ねた。防府近辺での野戦では出ずっぱりだったから出撃ノルマという概念は厚志にはなかった。熊本時代は二、三日に一度の出撃だったし――。
「少ないということはないだろう」
舞は不機嫌に応えた。しかし口の端が微かにほころんでいる。5121小隊は究極の打撃部隊だ。そしてパイロットの技量は確実に上がっていた。
「けど、どうして壬生屋さん、スイートルームなのかな」
最上階の廊下を歩きながら厚志は尋ねた。行き来がすごく面倒だ。
「植村大尉が壬生屋のファンだからだろう」舞はあっさりと言った。
「あはは。植村大尉って面白い人だよね」
「そうだな。歩兵の中の歩兵だ。あの反対意見は見事であった。部下を大切にし、隊の錬度を維持するための意見であったからな。学ぶことができた」
警備の兵の敬礼を受けて、ふたりは部屋に入った。
「あれ、エアコンが動いている! 涼しいね!」
厚志はあきれたように部屋を見回した。前に感じた挨っぱさもなくなっている。快適で清潔な部屋のソファに壬生屋は座っていた。
「……なんか植村さんの部下の人が工事してくれたみたいで。部屋はヨーコさんが掃除してくれたみたいですしそう言うと壬生屋は紙片を見せた。紙片には「なにかあったられんらくくださいようこ」とたどたどしいひらがなで書かれであった。家事の天才ヨーコなら掃除などほんの雑用に過ぎないのだろう。
「瀬戸口が別の任務にあたることになった。そなたの出撃の可否はわたしが決める。一時間後に出撃するが、調子はどうだ?」
舞が尋ねると、壬生屋は「ええ」と微笑んだ。
「大丈夫です。それと……断っておきますが、わたくし、無理はしませんから」
「本当かなあ……」
厚志が不安げに壬生屋を見た。厚志の視線を受けて、壬生屋の顔が赤らんだ。
「その……死にたくないんです。死ねない理由があるんです」
「ふむ」舞は満足げにうなずいた。
「あー、その理由とやらは……後学のために教えてくれ。リボンだな?」
舞は何気ない風を装って尋ねたが、みるみる顔が赤らんでいった。壬生屋は助けを求めるように厚志を見た。厚志は軽くため息をついた。
「舞。だめだよ。そんなこと聞いちゃ。察してあげないと」
「す、すまぬ。本当はな、そなたが羨ましかった! わ、わたしは芝村だからな、あのような真似はできんのだ」
舞は耳たぶまで真っ赤になっている。
「あの……リボンはわざとじゃないんですけど。瀬戸口さんが不謹慎なんです」
壬生屋も舞につき合って赤くなっている。
「あはは。じゃあ僕たちもリボン、やろうよ。芝村だからできないってことないさ」
厚志がおどけて言うと、「ぬぬね」舞の口から悔しげな声が洩れた。腕を伸ばしてすばやく厚志の頬をつねりあげる。
「わっーいたひよ、まひ」厚志が悲鳴をあげた。
「そ、そなたの口に懲罰を与えているのだ! だいたいわたしがリ、リ、リボンなど似合うはずなかろう! 馬鹿にするなっ!」
舞は憤然として厚志にくってかかった。
「そんなこと……なひよ。にあうと思ふけど。わあっ……!」
「芝村さん、それ以上つねると怪我しますわ」
壬生屋の腕が舞の手首を摘んだ。舞はしぶしぶと厚志の頬から指を離した。
「痛いじゃないか! 死ぬかと思ったよ」
厚志はさすがにむっとした口調で抗議した。
「黙れ! リボンのことなぞ二度と口にするな!」
「けど、はじめに口にしたのは……」
「ええい、黙れ黙れ黙れっ!」
くすくすと笑い声がして、ふたりは我に返った。
「頼みますから、司令。これを……」
壬生屋は舞に赤いリボンを手渡した。しぶる舞に無理矢理握らせた。
「ポニーテールを結んでいるゴム輪、切れたら使ってくださいな。リボンでしたらわたくしたくさん持っていますから、どうぞ」
「し、しかし……」舞はまぶしげに深紅のリボンを見つめた。
「整備班に顔を出さなくてよろしいんですか?」
壬生鼻の言葉に「そうであった」と舞はすぐに飛びついた。撤退の時期を探っていた。舞は厳かな表情で、「ゴム輪が切れたら使わせてもらう」
リボンを畳んでポケットに押し込むと部屋を出ていった。
「待ってよ、舞!」厚志の声が廊下に響き渡るのを聞いて、壬生屋はソファに横たわって笑い転げた。
「こんこん」
ドアの向こうから声がした。
「どうぞ」声をかけるとドアが開き、瀬戸口が姿を現した。
「まったく……廊下にまで聞こえてきたよ。司令が率先してラブコメしてるじゃないか」
瀬戸口は笑って言った。手にはウーロン茶と冷やしこぶ茶のペットボトルを持っている。瀬戸口に渡されて、壬生屋は冷やしこぶ茶をティーカップに注いだ。
「それ、なんだか変だぞ」
「あ、そう言えばそうですね」ふふふ、と壬生屋は笑った。
「瀬戸口さん、任務があるのでは?」壬生屋は生まじめな表情に戻って尋ねた。
「ああ、その前にマイ・ハニーに挨拶を、と思ってね。任務の詳細は言えないが、ちょっとした調査任務だ。この隊にはそういうことができる人材が少ないんでな」
調査任務と聞いて、壬生屋の顔に安堵の色が浮かんだ。実のところ、善行からの特別任務に関しては壬生屋はほとんど知らない。
「そう言われてみると、そうですね。わたくしたち、パイロットと整備員だけですし。瀬戸口さんしかいませんよね。スパイみたいなことできる入って」
「おいおい、スパイは大げさだぞ。要はデータを集めて、分析したりといった人材がいないんだよ。だから善行さんにいいように使われてしまうのさ」
そう言うと瀬戸口は肩をすくゆた。話しながらいつのまにか壬生屋の隣に座っている。髪に伸びた手を壬生屋ははたいた。
「ラ、ラブコメ禁止です! そ、それでなんの調査なんですか?」
壬生屋は顔を赤らのて話題を変えた。
「うーん、憲兵隊との打ち合わせが主だな、きっと。新岩国駅に憲兵小隊が来るんだが、彼らをどうご接待するか、とかね。5121は憲兵隊とのパイプがないんでね」
「そうなんですか……」
なんだかピンと来ないな、と壬生屋は思った。
「ネズミには猫。共生派には憲兵隊ってね。ま、話せるのはここまでだ。心配するなよ。後、絶対に無理するな。わかってるよな?」
瀬戸口の真剣なまなざしを受け、壬生屋は凜とした表情でその視線を受け止めた。
「わたくしは絶対に死にませんっ! 瀬戸口さんこそ無理しないでくださいね!」
「ははは。わかってるって。そうだ、戦争が終わったら旅行でもしよう。といっても近場の神社仏閣、山歩きだけどね」一緒に旅行……! ど、どうしよう? ティーカップを握る腕ががたがたと震えた。心膿が高鳴った。わ、わたくしまだ心の……いいえ、いいえ! 今さら何を臆病な! 士道不覚悟《しどうかくご》だわ。こんなことでは死んだおばあさまに怒られるっ……!
「覚悟はできております」
壬生屋はおのれの心の葛藤を抑えつけ、背筋を伸ばし、厳かな口調で言った。凛とした表情で見つめられ、瀬戸口は笑いに紛らわせようとして中途半端な表情になった。
「あ、ああ。おまえさんの覚悟、しかと受け止めた」
それでは失礼する、とらしくもない言葉を使って瀬戸口はその場をなんとか切り抜けた。
八月十一日 一〇〇〇 新岩国駅・操車場
操車場に行くと原がめざとく声をかけてきた。
炎天下である。原はタンクトップにショートパンツという格好になっていた。頭には日除けのサンバイザー。ビーチサンダルといった格好をしている。他の隊員たちも似たようなものだった。汗をゐぐいながら各機体の整備をしていた。
士魂号は整備テント……ハンガーを失ったため膝をついた姿勢で操車場の隅にあったが、隣にはトレーラーに乗せられた栄光号が横たわっていた。
「暑いわねえ。整備テントがまだなのよ。紫外線はお肌の大敵ってね」
実のところ5121小隊の制服をまともに着ているのは舞ぐらいだった。厚志は舞をはばかって上半身だけ制服、下は善行譲りのハーフパンツである。
「……栄光号はどうなった?」
舞は原の格好を忌々しげに見つめ、尋ねた。原は余裕たっぷりに微笑んだ。
「新品まっさらの状態に治ってるわよ。今は狩谷君とヨーコさんが看ている」
厚志の目に、栄光号の前にたたずむヨーコの姿が映った。機体に取り付いているわけでもなく、ただじっと栄光号に視線を注いでいる。
なんだか見たような光景だな……。そう思って二番機の方に視線を移すと、滝川が二番機の前に座り込んでいた。あ、同じだ、と直感的に思った。
「ほいよ皆さん、差し入れたい」
厚志と舞の前にぬっと差し出されたもの。アイスキャンデーが三本。Tシャツにショートパンツの中村が笑いかけていた。
「こ、こんなものどこで売ってるの?」
厚志が驚いて尋ねると、中村はわははと笑った。
「俺が作った。この中村に不可能はなか。じゃっどん、味付けは砂糖しかなかけん」
厚志は一本受け取って、さっそく口に含んだ。
「君は天才だよ、中村!」
舞と原も差し出されてそれぞれ手にとった。
「ありがたくもらっておくが、三十分後に出撃だというのに、たるんでおるぞ」
舞が苦々しげに言うと、原が「ノンノン」とキャンデーを舐めながら舞の前に立った。舞は思わず後ずさった。
「整備が楽なのよー。本当はね、ひとり一機担当状態でちょうどいいの」
「そ、そうなのか?」舞は驚いて原の肩越しに中村を見た。
「ま、戦闘部隊と違って、三ヵ月の平和はモロ整備員にはありがたかったわけたい。新井木もヨーコさんもよく育ってくれた」
中村の説明に厚志は「なるほどなあ」と納得した。
「俺は新井木の監督をしとればいい。まだまだ要領が悪いところがあるからの!」
「ほほほ。わたしの集めた天才集団を見損なっては困るわね。わたしもけっこうヒマで。ね、芝村さん、抱きしめちやっていい?」
「嫌だ……!」舞は五メートル後ずさった。
ふう、とため息をついて厚志は栄光号に近づいた。黙ってヨーコの隣にたたずんだ。
「何なしてるの? ヨーコさん」
厚志が話しかけると、ヨーコは半瞑想状態を保ったまま「話していまス」とだけ言った。
「話せるの?」
「ハイ、たくさん話してくれますネ。戦争で大きな街に避難してきて……そこで警察に補導されましタネ。本当は心のやさしい子デスネ」
「そう……」
そこから先、彼女には暗澹とした運命が待ち受けていたのだ。本当の犯罪者を生体脳に使うにはリスクが大き過ぎる。大都市を孤独にさまよっている「不良」はラボにとっては格好の供給源だった。厚志は栄光号を見上げた。
「僕は速水厚志。君に乗るパイロットだよ。なんかさ、君に乗っているとテンション高くなると思ったら、そういう事情があったんだね。けど、いいよ。僕と舞をよろしくね」
同意がそよ風となって厚志の横を吹き過ぎていった。ヨーコはやさしげに厚志に微笑みかけた。話、通じたのかな? けど、僕は滝川じゃないからな……。
「戦場に出たい、言っていますネ。お願いだからわたしに乗って、と」
ヨーコの言葉に厚志は「一緒に頑張ろう」と思わずうなずいていた。
「ふうん、なるほどなー。風を切って走るのが好き、だったんだ」
整備員のあきれ顔に構わず、滝川は新しい軽装甲の前に座り込んでいた。不意に全身に激痛を感じて、「わっ!」と悲鳴をあげていた。事故のイメージ。滝川は「そうだったんか」とつぶやいていた。
「じゃあ一緒に走ろうぜって、俺、ヘタレパイロットなんだけどさ。荒波司令のローテンシュトルムみたいにはなかなかなー。荒波司令って知ってる? 俺の憧れの大天才パイロット。まだ俺のこと、亀、亀って呼ぶんだ。俺もちっとはうまくなってるのに。けどよー、イタリアンイエローに塗られたおまえって別嬪さんだよな」
温かな空気が滝川を包んだ。うん、俺ってすげー運がいいよな。これまでの子たちも性格よくて……いい子たちで……。俺がヘタレで……。
滝川はすすり上げていた。大丈夫、わたしが君を守るよ。不意に心に何かが況れ込んできた。
滝川はぼろぼろと涙を流して「うんうん」とうなずいていた。
「滝川君、そんなところにいられると邪魔なんですけど!」
森の声がした。滝川は涙をぬぐうと、「わ、悪ィ……」と謝った。
「……もう、泣き虫なんだから。もっと堂々として」
森は顔を赤らめたまま、滝川を押しのけ二番機の脚周りをチェックしはじめた。滝川は脇に移動して場所を譲ったが、すぐ目の前に森の姿があった。制服の袖をたくし上げて、ジーンズの膝から下を切り落としたハープパンツ。たんぱく燃料とマシン油のにおいに交じって、微かにコロンの香りがした。滝川はくんと鼻をうごめかせて、俺って犬かよと自分で自分にあされ返った。
にしても森の脚はくらつとするよな。すらり系じゃないけど、け、健康的だし……。だめだ、俺。想像するなとぶるっと頭を振った。
「脚、見ないでくださいね」
森は背を向けたまま、鋭い指摘をした。こ、ここは謝るべきか、とぼけるべきか?
「その……森、コロンとかつけてるの?」
へっへっへ、上出来の話題逸らしじゃねえか。案の定、森の声に「そんなこと……」と恥ずかしげな響きが交じった。
「まともにシャワーも浴びれないからしょうがないでしょ。原さんのラベンダー、もらったんです。原さん、新しい香水買ったからいらないって」
「な、なんかいい匂いだな」滝川は思いきって褒めてみた。
「そ、そうですか……」
台車の不吉な音が聞こえた。
「はいはーい、森さん、脚周りのチェック、何度やったら気が済むのかなー? 仕事するフリは止めようぬ。ラブコメ禁止令違反だよ!」
新井木が極悪風紀委員ふたりを従えて諷爽と登場した。
「け、けど、念には念を入れて……」森の動揺した声が聞こえた。
「だからぁ、馬鹿な遊びは止めろって! わっ……!」
またこのパターンかよ! 滝川は中村と岩田に抱えられ、台車に直行。こともあろうに原の前でポイされた。
「あら、どうしたの?」原はにこやかに滝川に笑いかけた。
「どうしたって……勘弁してくださいよ、ラブコメ禁止令とかって。俺たち、そんな関係じゃないっすよ」
滝川がウンザリ顔で抗議すると、原は「気持ちはわかるわ。けどね……」と真顔になった。
戦闘のことだけ考えろってか? かもしれねえな。戦闘中に森のことを考えたりしたらそれこそ集中が切れる。命取りだ。
しかし、原は「ほほほ」と高笑いを響かせた。
「だって退屈なんだもん! みんな整備の腕が上がっているから時間が余ってるのよ!」
あっけらかんと言われて、滝川は頭を抱えて逃げ出した。だ、だめだ! 今の整備は悪ふざけ天国になっている。整備の良心は……滝川はふと青い髪の眼鏡の少女を思い浮かべた。田辺……戻ってきてくれよ。遠坂なんかとテレビに映っている場合じゃねえぞ。
八月十一日 一〇四〇 国道2号線・県道15号線分岐点
県道15号線に出ると、にわかに幻獣の数が多くなった。すでに吉香公園など市西部は戦略的価値を失っていた。戦闘団の哨戒部隊が、未だに公園をはじめ2号線を哨戒し、小型幻獣を狩っていることも大きかった。
とはいえ、2号線と15号線を分かつ分岐点の戦略的価値は高かった。15号線に分岐して道なりに進めば新防衛ラインの西端の拠点である岩国市役所に出る。そのまま2号線を選べば防衛ラインの東の端へ。これは前回の作戦のルートだった。
「分岐点付近にミノタウロス四十八、ゴルゴーン四十三、キメラ百二十。一キロ後方、市民球場方面にスキュラ十二、うみかぜゾンビ三十八」
加藤の声がきびきびと響く。
「友軍の対空攻撃はどうかね?」
矢吹の質問に、「計算すぐに」と加藤は答えた。
「試算。分岐点到達までに六割の戦力を喪失しているものと。敵空戦型幻獣は対空部隊に今のところ引っかかってはるんで、十分は余裕あります」
むろん、すべては茜の計算だ。田代に監視されて、口出しもままならず、事実上の人間コンピュータ状態に置かれていた。
「空爆を要請するか」矢吹は一瞬、考え込んだ。
「なんの、戦車隊にとっては展開が容易な地形ではないか。やろう」
舞が即座に反応した。
「こちら植村。賛成だ。展開までに五分くれ」
「わかった。それでは五分後に。加藤千翼長、ヒット・アンド・アウェイの時間管理よろしく」
「はいな……!」加藤は嬉しげに応えた。
時間管理とは人型戦車の敵との交戦時間を分刻みで管理する重責だった。敵中にヒット……強襲攻撃をかける一番機、三番機は加藤の指示によってアウェイ……離脱する方式だ。これまでは勘でやっていたのだが、より効率を追求するために試験的に導入することを舞が提案した。
むろん、本音は壬生屋の体調を慮《おもんばか》ってのことだ。
展開終了の合図が矢吹、植村それぞれから送られてきた。
「五、四、三、二……GO!」
加藤の合図と同時に、「参ります」と壬生屋の声が聞こえ、漆黒の一号機は側面から敵中に躍り込んだ。白刃がきらめき、柔らかな腹部を斬り裂かれたゴルゴーンが三体、ぐずぐずと炎を発する。跳躍。一番機は新たなゴルゴーンを盾として、三体の爆発を受け流した。「破……!」気合いの乗ったかけ声が聞こえ、さらに三体。一斉に回頭するゴルゴーンを嘲笑うかのように一番機は常に敵の側面、背後に移動し、敵を盾として戦い続けた。
この間、四十五秒ほど――。追随する三番機は一番機の隣に降り立つと、ぐんと腰を落としてジャペリンミサイルを発射する。
「……一分経った。壬生屋さん、離脱や」
「わかりました」
キメラの熱線を二、三発受けながらも、壬生屋の重装甲は大事なく西岩国駅の瓦礫へと。その間、三番機はオレンジ色の業火の中でジャイアントアサルトを連射する。この規模だと撃てば必ず当たる。ゴルゴーンの群れをかき分けるようにミノタウロスが突進してきたが、「離脱」の指示に三番機も西岩国駅へ。
「一番機、ええとね。ゴルゴーン十一撃破。三番機ゴルゴーン二十一撃破。二番機、ミノタウロス二撃破」
東原が困惑したようにアナウンスする。撃破の多さには慣れたが、戦術画面を見る目が忙しさを増している。
この間、戦車隊は二体の人型戦車を追う敵の側面、背後に砲撃を浴びせている。重砲型のゴルゴーン、そしてキメラが一〇五ミリ戦車砲の餌食となった。ゴルゴーン全滅! 復讐に燃え反転するミノタウロス、そして数を誇るキメラが戦車隊に襲いかかる。
「参ります。芝村さん、いいですね?」壬生屋の声が三番機のコックピットにこだました。
「よし、行こう。植村大尉、キメラを適当に」
「言われなくてもやってるさ」
零式ミサイルが、小隊機銃の一二・七ミリ機関砲弾がキメラの砲列に吸い込まれていく。ミサイルの直撃を受けたキメラの脚が高々と宙に舞い上がった。
「あはは。頑張るね、敵も」
厚志は楽しげに戦車隊の十字砲火に苦闘するミノタウロスを見守った。
彼らの背に漆黒の悪魔が降臨する。悪魔の超硬度大太刀に背を串刺しにされたミノタウロスが二体、体液を撒き散らしながらもがき、苦しんでいた。一番機は優雅な動きで太刀を引き抜くと次の敵へと突進する。
時間だ。厚志はぐっとアクセルを踏み込んだ。
さあ、どうしようか? ジャイアントアサルトの高速ガトリング機構の回転音をBGMのように聞きながら、厚志は機体に語りかけていた。……答えがあった。
「パンチ、キックを試してみたいんだけど」
厚志の言葉に、舞は「よかろう」と言った。
「ミサイルパックは節約せんとな。思う存分動いてみろ。どんな体勢からでもわたしは敵をロックできるゆえ」
目をつけたミノタウロスがぐんぐんと接近する。三番機は跳躍すると、敵の横腹にしたたかなキックをくらわした。硬い表皮が割れ、生暖かい内政を突き破る感触。舞のジャイアントアサルトは別の敵の背に二〇ミリ機関砲弾をたたき込んでいた。
あれ? と思った。この感触、すごくいいよ。脚周りは、異常なし。丈夫なんだ。これが栄光号なんだな、と厚志は不思議な高揚感に満たされた。
「楽しいよ、舞! 敵の内臓を突き破る感覚」
「……そうか」
背後に気配。厚志は微笑すると、敵のハンマーパンチを楽々とかわした。紙一重の見切りとは違う。厚志らしい手堅い回避だ。慣性を利用しながら敵の側面へ。ジャイアントアサルトを持たぬ左拳で渾身のフックを敵のボディに――。ずぼっと拳が吸い込まれる。内臓を突き破り、破壊し、そして離脱する。
「あはははは」
これだ! これが僕の求めていた戦争だ! 滝川じゃないけど、機体と話をするとこうも楽しく動き回れるんだろうか。グリフの残滓もなくなっているし。この機体は僕の友だ。二百三十万人の命の復讐者! 罪ある者への処刑者だ! 「三番機ミノタウロス七撃破。……あっちやん」
東原の声が今にも泣きそうになっている。
「どうしたの、ののみちゃん……?」
厚志は、はっとして東原の声に耳を傾けた。
「幻獣のこえがきこえるよ。悲鳴をあげている」東原は嗚咽を洩らしはじめた。
「えっ……?」
「一分経過。三番機、離脱して」
加藤の声が聞こえた。厚志はアクセルを踏み込むと、再び西岩国方面へと離脱した。
敵が退却をはじめた。すでにミノタウロスは十体に撃ち減らされ、キメラは十五体となって傷ついた体を南へ向けていた。
悲鳴をあげている、と東原さんは言ったけど、敵は怯え、畏れている。壬生屋は瓦礫の陰で敵に最期の一撃を加えるべく待機していた。
それでいいんです。速水さん、笑いましょう!
笑って敵を屠れずしてなんのための人類防衛戦争か! 戦争に狂気なくしてなんとする! 狂気を持たずしてなんとする! 理性ある敗者に甘んじるのか! 美しき敗者に甘んじるのか! 壬生屋の大好きだった祖母の口調が脳裏によみがえっていた。……おばあさま、わたくしはそんなの嫌ですっ!
「……速水さん。あなたの狂気はわたくしの狂気でもあります」
壬生屋は静かにつぶやくとアクセルを踏み込んだ。
体液を滴らせ、重たげに脚を引きずるミノタウロスの一団が視界いっぱいに広がった。一番機は最後尾の一体に大太刀を貫き通すと、すぐに引き抜き、間髪入れず二休めを袈裟懸けに両断した。肩口から胴にかけて断ち切られた上半身が大地に転がった。
爆発を起こす前に三体めの陰に隠れる。ずぶりと腹を貫かれたまま、その敵は爆風と飛び散る強酸を浴び燃え上がった。
あと三十秒……。漆黒の重装甲は荒れ狂った。
八月十一日 一〇五〇 梅ヶ丘団地
愛宕橋《あたごばし》を渡って退却に成功した幻獣は一体としてなかった。
梅ヶ丘団地の倒壊を免れた棟の屋上から、カーミラは戦闘の一部始終を見ていた。
災禍を狩る災禍がさらに成長しつつある。それは敵の恐怖を糧として成長する悪魔。最悪の存在だった。それは生体兵器・人型戦車という狂気と、勝利を渇望する狂気とが融合して生まれた世にもおぞましいものだった。
「あれだけの幻獣が十分も経たずに全滅……」
近江は青い顔をして、傲然とたたずむ人型戦車を見つめた。
「美しさを捨てた者たちよ。最悪」
そう言うとカーミラは静かな声で歌を歌いはじめた。外国の、聴いたこともない歌だったが、その哀しげな旋律は近江の心によく馴染んだ。
「なんていう歌?」
「死にゆく者たちへの鎮魂歌……とでもいうのかしら。わたしの一族に伝わる歌でね」
「そうなの?」噂に聞く貴族みたいだ、と近江は素朴に思った。
「死者は歌によって送られないとね。たとえ、どんなに愚かで哀しい者たちであるにしても」
カーミラの横顔は寂しげな笑みを刻んでいた。近江は返す言葉を持たなかった。
「それにしてもこの国の兵隊は面倒よね。最後の最後で意地を張ってくる。ユーラシアの戦争は今から思えば夢みたいに楽だったわ」
「それならわかる。わたしも曹長の時に士官教育課程を受けたから。速成だったけど」
近江が自慢げに言うと、カーミラは「ふふ」と笑った。
「その速成教育ではなんて教えてたの?」
「大陸での戦争で最も恐ろしいのは包囲殲滅だ。軍にとって補給線が遮断されることほど恐ろしいことはないから。数万、数十万単位で互いに包囲されまいと戦線を延ばすのはセオリーだ。ところが幻獣はただただ突破し蹂躙するだけだった。人間相手の戦争に慣れていた大陸の諸国の軍は、戦線を浸透突破されただけで包囲されるとパニックに陥った。それで全軍総崩れ……抵抗力を失った軍をまた幻獣が突破蹂躙、の繰り返しだった」
近江の説明に、カーミラは首を傾げた。
「面白くないわねー。そんなこと教えているんだ?」
そう言われて近江は顔を赤らめ、肩を落とした。
「ごめん。わたしは自慢できることが少ないのよ。カーミラの役にもたてそうもないし」
「……萩《はぎ》が落ちたでしょ?」
カーミラは唐突に話贋を変えた。
「うん。なんだかパニックが広がったって開いている」
「前線の一個小隊に精神操作を施したの。元々戦意がない守備隊だったから、三十人に悪夢を植え付けるとどうなるかと思ってね。実験――」
……その小隊は別の隊をも巻き込み、厭戦気分とパニックは共振現象のごとく守備隊全軍に広がっていった。わずか百体足らずのスキュラを含めた幻獣軍の前に、自衛軍は次々と潰走していったという。
「萩はね、実験室だったの。けどね、これで本番がうまくいくと思った強硬派はまちがっていたのね。下関から岩国までの敗走の過程で、人は人らしいドラマを演じてくれた。卑怯者もたくさんいたけど、多くのまじめな日本の兵隊さんは誰もがちっぽけな最善を尽くそうとしたのね。その意地と頑固と狂気の結晶がこの忌々しい防衛ライン。心理的には民間人の疎開を待ってから大攻勢を仕掛けた方がよかった」
気配がした。近江が振り返ると、三十人ばかりの兵が屋上に昇ってきていた。多くは日本人の顔をしているが、中には西洋人の顔もあった。
「ハンス、準備は整った……?」
ハンスと呼ばれた男は、栗色の髪をした長身の青年だった。鋭い目つきをしているが、どこかに純朴な雰囲気を残している。先刻会ったシェルナーとは雰囲気が全然違う。穏やかでまじめな印象だった。ハンスはカーミラに恭しく辞儀をした。
「はい、お嬢様。車両を三両、確保してあります」
「シナリオは?」
「アメリカの外交官の令嬢が家族とともに下関で行方不明になっておりまして。視察旅行がとんだことに……」
ハンスの生まじめな口調に、カーミラは楽しげに声をあげて笑った。
「アメリカ人になるのは嫌なんだけど。あの人たち、腐った肉のにおいがするんだもの」
八月十一日 一一〇〇 岩国運動公園
何羽かの燕《つばめ》が瀬戸口とブータの真上を旋回して行った。
ふたりの足下には兵隊ではなく、正真正銘のネズミがおっかなびっくり瓦礫の陰からこちらをのぞきこんでいる。
なんだかなー、と思いながら瀬戸口は、ブータの「謁見」を見守っていた。ふたりは岩国運動公園の深い緑の中に身を置いていた。焦土と化した市内では、奇跡的に焼失を免れた一帯だった。この一画にも対空歩兵はいるらしく、上空を通過して行くスキュラにたて続けにミサイルが発射された。
幸いなことに攻撃されたスキュラは煙の尾を引き、対岸へと落ちていった。
(幻獣たちの中には弱気になっとる者もおるそうな。なんでこんな、とぼやきながら西へ逃げて行くミノタウロスを見たと言っておる)
ブータがにやりと笑った。
「燕の情報か?」
瀬戸口は肩をすくめた。はなはだ緊張感がわいてこない。これでは「瀬戸口隆之の動物王国」だ。猫神ブータニアスはこれこの通り、実際に存在するんだからしょうがないにせよ、燕の親玉はどんな姿をしているのだろう。
(空飛ぶ者は大気の震えに敏感なようじゃな。今のスキュラも悲鳴をあげとった)
「……敵さんの事情はわかったよ。けどな、俺たちの目的はひとつ。カーミラだけだぞ」
(あわてるな。燕の話は終わった。今、ネズミの使節に謁見しているゆえ。……なんだ、その目は? そもそも瀬戸口隆之とは何者だ? 身分をわきまえよ)こう言われるとぐうの音も出ない。ブータは神であり王だ。それに比べ、こちらは死んだ女性の似姿を求めて時空をさまよっていただけの幽霊に過ぎなかった。
「すまんすまん。それでネズミさんはなんと?」
瀬戸口は思い出したようにポシェットを探ると、ポテトチップスの袋を取り出した。ネズミたちは袋を受け取ると丁寧に辞儀をした。
(梅ヶ丘団地で兵員輸送車に乗った、と。南へ向かったそうだ)
瀬戸口の眉が上がった。一般にネズミ族の類は好奇心が強く、頼りになる情報屋だ。
「ビンゴ、かもしれんぞ。ポテトチップスだけじゃ気の毒なぐらいの情報だ」
(あまり調子に乗らせぬ方がいいぞ。ネズミは欲深だから米十トンなどと言い出しかねぬ)
「ははは、論功行賞はおまえさんに任せたよ」
南へ向かったとなると、岩国基地だろう。しかし凄腕の憲兵がうようよいる中、どのように潜入するのか? とにかく足取りはつかんだ。こちらも行くしかないだろう。
「石津チームにも連絡してくれ。あいつ、ネズミとは話せなかったか?」
(わしの配下を向かわせよう)
ブータが前足をすっと上げると、痩せ細った猫が二匹、薮の中から姿を現した。ネズミたちは着心地悪そうにもじもじとしはじめた。
ブータはひげを震わせ、「にゃにゃにゃ」と笑った。
動物たちが去った後、瀬戸口はブータに言った。
「岩国基地に行くぞ」
(ふむ。しかしどうやってだ? 空は飛ばぬぞ。この距離だと確実に狙われる)
あっさりだめ出しきれて瀬戸口は「まあ、な」とため息をついた。新種の幻獣とまちがわれてミサイルを浴びるのがオチだ。
「ネズミを呼び戻してくれ。地下通路を……」
言いかけて瀬戸口は目を細めた。人の気配がする。十人は超えている。瀬戸口は少し考えてサブマシンガンを手にした。
「殺気がぷんぷんにおうな。雑魚を掃除してから親玉をやろう」
ブータは、ふんという顔でうなずいた。瀬戸口は肩の力を抜くと気配を断った。そしてそのままブータとともに薮の中にすべり込んだ。
敵もそこそこ訓練されているな。瀬戸口は薮の中で笑った。適当な距離を保って散開している。しかしその気配からは微かな焦りが感じとれた。瀬戸口とブータは同時に動いた。サブマシンガンを腰だめにして乱射、瀬戸口に引きつけられ背を向けた兵をブータが襲った。瞬く間に八人が見通しの利かね薮の中に倒れた。
奇襲はこれまでか、と瀬戸口は相手の気配を探った。並の共生派よりはやや上等か、敵も気配を断っていた。
さて、どうするか? 時間がない。となれば――。瀬戸口は窪を見つけ、伏せた。
「あー、こちら瀬戸口だが、これからどうするね?」
銃撃。頭上を銃弾が飛んでいった。ブータだろう、すぐに敵の悲鳴が聞こえた。
「シェルナーだ。まず、その化け物を黙らせろ」
薮が鳴ったが、シェルナーとやらの悲鳴は聞こえなかった。なるほど、こいつは手強そうだ。
「それで、ご用件は……?」
今度は銃撃はなかった。
「決闘を希望する」
瀬戸口は耳を疑った。決闘って……。いつの時代の話だ? 瀬戸口は伏せたまま笑い声を洩らした。「にゃは」ブータの声が聞こえた。これは楽しそうだ、と言っている。
「ははは。それは構わないが、武器はどうする?」
「剣だ」相手は断固として言った。
「古典的だな。そちらの剣はサーベルかい? レイピアかい? 剣など持ち歩いている共生派なんてはじめて聞くよ」
こちらはカトラスしか持たないが、まあいいだろう。
「サーベルだ」
シェルナーとやらが律儀に返事をしてきた。サーベルは馬上から斬りつける騎兵刀。レイピアはいわゆるフェンシング用の刺突剣で軽量だ。相手のタイプと性格がわかる。ブータの攻撃をかわした以上、それなりに危険な存在だ。
「薮から出て噴水前に」瀬戸口は腰の超硬度カトラスをあらためて言った。
噴水前に出ると超硬度サーベルを抜き払った西洋人がたたずんでいた。
古くさいことを言うだけあって、二メートル近い立派な体格をしている。ウォードレスは同じアーリーFOXだが、相手は指揮官型だ。
第五世代だな。直感的に思った。
瀬戸口はカトラスを抜き放つとシェルナーと向かい合った。
刀身の長さは倍違う。不利と言えば不利だったが、まずは敵の癖を知ることだ。頭は悪いだろう。襲撃に失敗した時点で並の頭なら体勢を立て直すために逃げている。
敵の自信過剰につけ込むことだ。
シェルナーはなんの前触れもなく襲いかかってきた。斬撃、斬撃、斬撃。反撃する余裕を与えず、サーベルをあらゆる角度から振り下ろしてきた。
こりゃあすごい。瀬戸口は少し後悔した。風圧だけで怪我をしそうだ。
まともに張り合う相手じゃない。瀬戸口は敵の斬撃を受け流すと薮の中に後退した。鬱蒼と茂る木々の枝ごと切り払って斬撃は容赦なく襲ってくる。
後退しつつ、適当な木を探す。古い巨木が目に留まった。すまん、と心の中で老木に謝りながら瀬戸口はその前に立った。ぶん、とすさまじい風圧がして瀬戸口は頭を引っ込めた。サーベルの刀身が巨木に深くめり込んだ。
同時に瀬戸口は相手の肝臓めがけてカトラスを突き出していた。刀身が空を切る。サーベルをあきらめ、シェルナーは姿を消した。
動きの速さ、すばやさ、瞬発力に特化されたタイプだと瀬戸口は分析した。よくいるタイプだが、ブータの爪をかわすとはよほどのものだ。……そう、すぐ背後に立っているはずだ。瀬戸口が飛び退くと同時に、敵の長い両腕が空を切った。おっと……。体勢を立て直すと敵は姿を消していた。やつは明らかにバランスを崩していた。湿潤な日本の森の土壌に慣れていない。瀬戸口は巨木を背にして相手の仕掛けを待った。
微かな気配。右後方。目にも留まらぬ速さで腕が伸びてきた。
威力あるパンチにこめかみをかすられめまいがした。が、敵の懐に飛び込む。突き出した刃に手応えがあった。なおも腕を絡めてこようとする相手の足首に蹴りを放った。地面を激しくすべる音。すでに相手の姿は見ていない。視覚で感知するレベルではなかった。本能に従って体を動かしているだけだ。
相手は傷つき、そして大きくバランスを崩している。
瀬戸口は薮の中を走った。案の定、復讐に怯えた相手は追ってくる。迂回して当然待ち伏せだろう。左手に気配。のけぞった瀬戸口の鼻先を渾身の拳が通過していった。見えた……! カトラスを肝臓に突き立てる。悲鳴交じりの怒声。刃を引き抜くと、うずくまる相手に目もくれずに瀬戸口は走った。
「ブータニアス、逃げるぞ」
声をかけると薮が鳴って、頭上を移動するブータの気配がした。
(決闘ではなかったのか?)
「ははは。強いんでやめた。それに長くなりそうだったんでな」
あれで走れるならよほどひねくれたラボで成長した第五世代だ。人の内臓の位置は理由があるからそこにある。肝臓をやられてまともには動けないだろう。
「そんなことより……手加減しやしなかったか、ブータニアス? あのレベルならおまえさんの爪から逃げられないと思うけどな」
ブータの笑い声が林中にこだましたむ(そなたのなまった腕と根性を叩き直してやろうと思ったのだ。急ぐぞ)
八月十一日 一一〇〇 旭町陣地
「距離八百。右端のスキュラをやるね」
島のきびきびした声が聞こえた。
「よろしく」
藤代は短く言ってから、はぁ、とため息をついた。
それにしても昨夜は疲れた。
駅構内にあふれ返っているゴブリンを蹴散らしながらの、遠坂社長のお見送りもシュールな光景だった。烈火兵は勇躍してホーム上のゴブリンにサブマシンガンを浴びせ、撲殺し、装甲列車の旋回式機銃は反対側のホームのゴブリンをスゥイープしていた。土木一号、二号は機銃、サブマシンガンの銃声が響く中、遠坂の動向に目を光らせた。何をしでかすかわからない。
鋼鉄製の分厚い扉が閉まった瞬間、ほっとしたものだ。これで心配の種はひとつ減ったが、整備工場に戻り、整備員が分けてくれたカップ麺をすすりながら、この戦争、いつになったら終わるんだろうと思ったものだ。
その後、仮眠をとって再び旭町陣地へ。すでに三時間、ひたすら狙撃を行っている。
九二ミリライフルの振動が伝わった。高速ライフル弾は一直線にスキュラに吸い込まれる。爆発。スキュラは炎に包まれ岩国基地へと落下した。
「スキュラ一撃破……これでスキュラ二十八、ゾンビヘリ三」
ボイスレコーダーに一応戦闘記銀は残さねばならない。藤代は三十一回めの自己申告を終えると敵の反撃の有無を確かめ、地下通路へと戻った。
「スキュラ、かなり減ってきたね。山を超したのかな?」
島が話しかけてきた。数日前まで空を覆い尽くしていた空中要塞も今では密度がまばらになり、他の対空砲や土木一号と撃うように撃墜していた。代わりに増えつつあるのがミノタウロスなどの陸戦型中型幻獣だった。
この種の敵は対処が比較的楽だ。敢えて友軍に任せていた。
「わからないわ。第二波、第三波が押し寄せてくるかもしれないし。なんかさ、遠坂社長のことで疲れが残っちやって……」
藤代は珍しく相棒にぼやいた。島はふふと笑った。
「遠坂ゴーホームはもういいよね。わたし、あの変なウォードレス着た人たちがゴブリンと鬼ごっこやってるの見て、どっときたよ。だってさ、ホームは大騒ぎだっていうのに駅員さんのアナウンスだけはまともなんだもん」
そうよね、と藤代は思った。あの場所は日常と非日常がごちゃまぜになっていた。
「次の広島行き列車は六時三十分発、装甲列車・準急宮島――。広島までの停車駅は――、なんてね。駅員さん、どこに隠れているんだろ」
「ふふふ、似ている。新防衛ラインから五百メートルしか離れてないのにね。まじめな日本の駅員さんに最敬礼」
「防衛ラインが分厚くなっているからかな。市役所から今津町の辺りにはこれでもかって戦車トーチカが造られているし。駅から見たけどすごい砲火だった」
「なーんか色気ない話してるねー。聞いたよ、藤代たん、遠坂社長と追いかけっこやったって」
田中の声が割り込んできた。土木一号は隣の陣地で狙撃を続けている。
「それ、大げさ。工場の中で追いかけっこできるわけないでしょ? こっちの苦労も知らないでカレーライス食べてたくせに」
藤代は棘のある声で田中に言った。天然のお気楽少女。まったく――。
「苦労ならこっちのが上じゃん! 弾薬運搬車の隣でスキュラの的にされたんだよ! こわい目に遭うとお腹が減るのっ。藤代と島の方こそ食べなさ過ぎ。ダイエットとかしてんの? そっちの方がおかしいよ」
ふふ。島が笑った。
「島はダイエットしてると見た。そのスレンダーな体はけっこー意識してキープしてるでしょ。 そうじゃなきやあんなモテないよね」
「……別にそんなつもりないけど」
島は生まじめに反論した。だめよ、島。田中をまともに相手しちや、田中お気楽ワールドに引きずり込まれるよ。藤代は「さあ、戦闘再開」と話を打ち切った。
「ラブレター頼まれる身にもなってよ。あ、ごめんなさい、わたし好きな人がと謝ろうとしたら島たんにお願いしますって。わたしだってかなーりイイ線いってるのにさ!」
田中はトラウマを刺激されたらしく、言い募った。藤代は内心でため息をついた。イイ線は認めるけど、あんたは男の方がドン引きするの! 露出過剰だし、天然シチュエーションコメディ女だし。
「わたし、藤代で一回あったよ。わたしそういうのだめなんですって言ったら、すみません、藤代さんにお願いしますだって! どうして2号ズだけがモテるんかな。わからへん」
それはね、村井、あなたが田中と一緒だから。悪い相棒を持った不幸を嘆きなさいね。藤代はくすりと笑うと、「おしゃべり終了」を宣言した。
八月十一日一二〇〇 県道15号線・今津町付近
戦闘団は15号線を進む敵を蹴散らしながら岩国市役所のビルをかなたに見ていた。すでにスキュラ十五、うみかぜゾンビ三十をはじめ三百体近くの中型幻獣を葬っていた。舞の目の前には十字砲火に対抗し、生体ミサイルを放つゴルゴーンの砲列、そして大量のキメラの姿があった。ミノタウロスは突進しては撃破されている。
「うわあ。ミノタウロス百三十、ゴルゴーン二百二十、キメラ五百六十………れはちょっと難儀やで。どうします……?」
加藤がこれまでとは桁違いの敵の数にあきれたように言った。
「砲撃の集中と空爆要請を。その後に徹底的にやろう」
舞の言葉に矢吹がすぐに反応した。
「わかった。攻撃が成功すればかつてないほどの包囲殲滅になるな」
ほどなく司令部からの回答があったらしく「よし」と矢吹の確信に満ちた声が聞こえた。
「十分後に砲撃、三十分後に空爆だ。戦闘団は中央病院付近、隣の座標まで後退。後退後、各隊は警戒体勢に移行してくれ」
「本当にやるんですか? 誤射、誤爆がこわいですね。どうせなら護国神社のあたりまで下がりませんか?」
植村から通信があった。隣の、さらに隣の座標ということになる。
「変更。護国神社へ。全軍移動せよ」
具申を受け付けるとか、その意見はもっともだ、よく言ってくれたなどとプライドを保つためのもったいぶった前置きを付けないところが矢吹の良さだった。
掃除された15号線にはなおも大量の小型幻獣がひしめいていたが、戦闘団はそれらを蹂躙しながら神社の鳥居が見える位置まで後退した。
「戦車隊の展開は先日の大物狙いの時と同じか?」
時間を待つ間、舞は矢吹に尋ねた。
「うむ。その際に岩国駅に待機中の補充部隊と合流する。植村大尉、そう言えば補充は順調に進んだかね?」
「まあなんとか。宮下中佐に謝らねばいかんですな」
「ロジスティクス担当は前線の戦争屋にはわかりにくいからなあ。戦争が終わったら善行大佐にでも師事することにするかな」
「ははは。サラブレッドは学ぶことが多くて大変だ」
植村は冷やかすように笑って言った。
突如として一斉に砲声が轟き、夏空を放物線を描き砲弾が埋め尽くした。それは一瞬、陽が陰ったかのような鉄量だった。大小の砲、迫撃砲合わせて三千門の砲口から放たれた榴弾は縦横数百メートルのエリアに着弾し、ゴルゴーンの砲列の中で、キメラの隊列の中で、ミノタウロスの縦隊の中で、小型幻獣の大海の中で次々と爆発し、死の破片を撒き散らした。
はるか広島の方角からはた迷惑な死もそれに加わった。独特な飛来音を響かせ四〇センチ榴弾が着弾し、辺り一面の構造物をなぎ倒し、その破片は友軍の戦車をも傷つけた。
「なんだか敵が気の毒になってきたね」
厚志が話しかけてきた。「ふむ」舞は満足げに戦場の音に耳を傾けた。
「熊本戦の頃は鉄量が圧倒的に足りなかった。あの三ヵ月、そして我らが本土に撤退してから稼いだ時間で生産したものがこれだ。
「……あの戦いにも意味があったんだね」
「当然だ。さて、今度はさらに楽しいことになるぞ」
砲撃が止んだと同時に、十機ほどの爆撃機が飛来した。爆弾を撒き散らすと、今度は主役は自分だというように地上攻撃機が姿を現した。熊本戦の時、最も欲しかったものだ。しかし八代会戦で戦力のほとんどを失い、予算不足から遅々として再建されなかった航空隊である。九機の地上攻撃機はロケット弾を発射して身軽になると、ガトリング式の三〇ミリもしくは四〇ミリ機関砲でミノタウロスの群れを繰り返し掃射した。
あらゆる榴弾にもかろうじて耐えたミノタウロスが次々と爆散してゆく。五回、六回と逃げ惑う敵を掃射してから攻撃機は姿を消した。
「進撃」
矢吹の合図で戦闘団は15号線を進んだ。路上で、焦土と化した住宅地でおそらく数万を数える小型幻獣が、さらにキメラ級の中小型幻獣が消滅しつつあった。それは人類の鉄量を駆使した虐殺と表現してもよかった。戦場を見慣れた兵の目にも、陰惨で幻想的な光景として目に焼き付いたことだろう。
「ミノタウロス八十七、ゴルゴーン百四、キメラ百八十三……まだまだいてはりますなあ」
幻獣のしぶとさに驚いたように加藤がアナウンスした。
「攻撃開始だ。加藤千翼長、よろしく頼む」
矢吹の指示に加藤は「はいな……!」と強い調子で応じた。
「三、二……壬生屋さん、よろしゅうに!」
「参りますっ……!」
常になく興奮した声で壬生屋が応え、漆黒の重装甲はゴルゴーンの砲列に突進した。一撃であっけなく爆発する敵に戸惑いながらも、一番機は敵を盾とし、舞踏を舞うようなしなやかさで敵を撃破し続けた。制限時間、残すところ十五秒で三番機も追随する。一番機に寄り添うようにしてジャベリンミサイルを放ち、一番機と入れ替わる。
厚志が格闘戦を挑む一方で、舞はジャイアントアサルトで敵を文字通りなぎ払った。二、三発、たいていのゴルゴーンがわずか二、三発で爆発した。
「三番機、じきに一分や」
加藤に言われて厚志はアクセルを踏み込んだ。軽く、しなやかで、残酷。そして何よりも自分の狂気を増幅させてくれる。それが栄光号なんだ――。厚志は戦果に満足して、15号線沿線の瓦礫に三番機をすべり込ませた。
ゴルゴlンなど重砲型幻獣の護衛を務めることが多いミノタウロスは、重砲型をやられると復讐に我を忘れる習性がある。展開を終えた矢吹の戦車隊は二機の人型戦車を追って背を向けたミノタウロスを散々に撃ち据えた。これに防衛ラインの戦車砲が加わった。元の分厚かった表皮は執拗な榴弾攻撃を受け、無数の傷を負い、その傷にさらに破片を受ける、といった具合にすり減っていたのだ。わずか数分の間にミノタウロスは半減した。
この間、キメラを引き受けていたのは防衛ラインの戦車の一部と重迫撃砲、そして植村中隊だった。……幻獣の大群は炎天下に放置された氷塊のように、新防衛ラインの前で急速に溶け去っていった。
「ミノタウロス八、キメラ二十四、逃げて行きます。追撃しますか?」
加藤が尋ねると、「友軍が片付けるだろう」と矢吹は言った。戦闘終了時刻一三〇〇。この日、善行戦闘団は一回目の出撃にして、六百を超える敵を葬ったのである。防衛ラインの各所から兵が姿を現して、歓声をあげ銃を高々と掲げた。
補給、修理のために新岩国に方向をとった戦車のハッチから戦車兵が顔を出して、防衛ラインの兵に挨拶を返した。
「それにしてもやれるもんやなあ」
加藤はそう言うと、ふうっと息をついた。戦闘指揮車の運転は田代の好意で代わってもらっている。一度ノックアウトされた茜はふてくされたようにオペレータ席についている。東原は……といえばあまりの敵の犠牲の大きさに茫然としていた。
「祭ちゃん、ののみ、他の仕事できないかなあ」
東原が唐突に口を開いた。加藤は、はっとして東原の表情に視線を注いだ。にこっと笑って東原の目線の位置にしゃがみ込んだ。
「どうして? 瀬戸口さんがいないから?」
加藤が尋ねると、東原はううんと首を横に振った。自慢のリボンが激しく揺れた。
「たくさんの悲鳴。くるしい、つらいよ、ゆるしてって……! ののみのあたまのなかでわあわあひびくの。ののみもくるしいよ」
「東原さん……」
加藤は黙って東原を抱きしめた。理屈やない。東原のやさしさが愛おしかった。そして戦勝に高揚した自分を省みた。
「けどよ、人間はもっとつらい思いしてきたんだぜ。二百三十万の犠牲者の中には俺のダチもたくさんいたんだ。……今さら何を」
田代が珍しく憂鬱そうな口調で言った。
それまで黙って何事か作業に没頭していた茜が口を開いた。
「東原はもっと強くならないとだめだ。背だって五センチも伸びたんだろ? 大人になっていくってそういうことなんだよ」
「だいちやん……」東原は嗚咽を洩らした。
「誰だってこの戦争でつらくて悲しい思い出を持っている。僕は5121小隊の整備班に配属されたお陰で運がよかった方だけど。田代、君も前に話してくれたよな。憧れだった委員長が死んだ話。僕はそれで君もまあ捨てたもんじゃないと錯覚してしまった」
「野郎……!」
田代は鋭く遮ろうとした。
「落ち着いて、ふたりとも」加藤がすかさず間に入った。
茜は真剣な表情で全員を見渡した。
「悪いけどその話はもう終わりだ。瀬戸口やヨーコさんに任せるしかないよ。僕は今回、戦闘のことなど頭にはなかった。戦闘団が戦果を収めるのは当然なんだよ。岩国の防衛ラインは幻獣の弱点を研究しているし、すでに戦闘団の戦術は確立されているからね。だから僕は他のデータをいろいろ集めて分析していたんだ。……芝村に回線をつないで、これから分析した結果を言うよ」
そう言うと茜は自ら三番機の専用チャネルを開いた。
「茜だけど……」
「そなた、今日はおとなしかったな」舞の意外そうな声が車内に響いた。
「一応、芝村に僕の分析を伝えようと思ってね。話したいことはたくさんあるんだけど、まず防衛ラインの問題点についてなんだ」
「む……」舞の声に真剣味が宿った。
「第二師団が守っている岩国基地簡辺の戦区、あー、荒波大佐がいる防衛ラインは敵の誘因、支援射撃には今のところ有効なんだけど、新防衛ラインが破られればとたんに砲撃陣地としての価値しか持たなくなるんだ。ダイヤモンドが鉛に変わってしまうようなものさ。岩田参謀は自らの構築した新機軸の陣地に酔っているところがある」
茜は淡々と言葉を連ねた。その頬は微かに青ざめている。加藤は田代に好きにさせときと目配せした。
「わたしも同じ考えだ。新防衛ラインに欠陥があるのか?」
舞の質問に当然のように茜はうなずいた。普段の冷笑はなくなっていた。
「担当正面が狭い。その結果、これでもかというような縦深陣地化がはかられている。地下通路網が密度が濃く、非常に戦いやすい地下陣地となっている。しかも半壊した十一師団の代わりに十四師団がクレバーに戦っている」
「……それは長所だろう」
「そこなんだ! 担当正面一キロの防衛ラインに危険なぐらい兵力が張り付いている。ここで旧十一師団の戦区で起こったような大爆破が起これば、犠牲者は二千や三千じゃ済まなくなるぞ。しかもこの地域は広島へ進撃する最も自然なルートなんだ。芝村、司令部に具申して兵力の分散と、岩国・広島間の2号線に新たな陣地群を造るように言ってくれ! 今の自衛軍は新防衛ラインにこだわり過ぎている。非常に危険だっ……!」
茜の声は切迫味を帯びていた。
「けどさ、カーミラのことは憲兵隊と瀬戸口さんたちが追っているんでしょ? そう簡単に共生派は侵入できないんじゃない?」
厚志が疑問を投げかけた。
「相当数の憲兵隊が巡察していると聞く。そなたの言うことはもっともだが、我々は戦闘のことだけ考えればよいのではないのか?」
「だからさ、一連の事件を起こした敵は心理戦の名手なんだ。君らの目を曇らせてしまうほどのこわい敵なんだよ。芝村、今の君は自分の見たい現実しか見ていないぞ。さもなくば自分に都合のよい現実、と言い換えでもいいね。自分の見たくない現実を見ないと、だめさ」
これが茜か、と思うような指摘だった。加藤と田代は黙って視線を交わした。今の茜は何かに取り憑かれているようだった。
三番機はしばらく沈黙していた。
「……わかった。新防衛ラインは爆破されるという前提に立って、今、そなたが言ったことを具申しよう」
「実は具申書を作ってある。今、三番機に送るから、読んだ上で芝村の署名を入れて善行さんに送ってくれないか? たぶん、時間はそうないよ」
そう言うと、茜はデータの転送スイッチを押した。
「今、読んでいる。そなた、本当に茜か?」
「うん……岩田参謀が反面教師さ。芝村に言ったように、視点を変えて自分の見たくない現実を見るとどうなるか、と思ったのが発端さ。頼んだぞ、芝村……!」
そう言うと、茜はくたりとシートにもたれた。相当に消耗している。
「へっへっへ、やけにおとなしいと思ったら。この変態半ズボン、やるじゃねえか!」
田代の誉め言葉に、茜はやっと「ふ」と笑って髪をかき上げた。
「……夢に出てきたんだよ」
「これ、か?」田代はお化けの真似をしてみせた。
「よくわからないけど。旧軍の中将だった。すばらしい坑道が完成しましたね、火力も申し分ありませんとかなんとか言ってさ。善行さんに似て丁寧な人だったよ。わたしの時は時間を稼ぐことしかできませんでしたが、要塞防御の成功に酔っていてはまず必敗。最悪の事態も考え抜いて、その場合の対処、バイパスを。そして攻勢転移の時期を常に念頭に入れてくださいって。防御にはじまり攻勢で終わる。これを忘れずに、なんてね。その通りだと思ったよ。だから、僕は最悪を考えることにした」
茜は語り終えると、ぐったりとシートにもたれた。
「だいちやん……」
東原がクーラーボックスに入れてあったウーロン茶のペットボトルを差し出した。茜はよほど喉が乾いていたのか、貪るように飲んだ。
「最悪、が起こらなければいいんだけどね。なんだかすごく疲れたな!」
「戻ったらやさしくしてやるからよ」
田代が冗放交じりに言うと、茜はぎょっとして冷や汗を流した。
「ぼ、僕を殺す気か……?」
八月十一日 一二三〇 新岩国駅周辺
その対空歩兵は鬼のような食欲で牛井レーションを半ダース平らげたかと思うと、相棒をうながし、零式ミサイルを担いで114号線の方角に歩み去った。掘りかけの塹壕横の木陰で並んで昼食を摂っていた合田らはあっけにとられて対空歩兵を見送った。
「引き留めなくていいんですか? 同じ旅団でしょう?」
佐藤があきれ顔で尋ねると、合田は苦笑した。
「彼らは狙撃兵扱いで。自由行動を認められているんです。……おや、近頃は唐揚げ定食もましになりましたね。竜田揚げらしくなっている」
合田はフォークに刺した唐揚げを口に運んだ。合田らの部隊は正式に善行戦闘団警備中隊所属となって今は塹壕掘りに駆り出されていた。この地域にはネズミ穴がないために陣地構築の仕事はたくさんあった。特に対空用の塹壕造りは急務だった。
新岩国駅を見下ろす山々の斜面のところどころに警備中隊、補充中隊とも汗だくになって、土木作業にいそしんでいた。
「へえ、自衛軍最悪と言われていたのに。わたしの牛井と少し交換しませんか?」
学兵出身の佐藤らにはそもそも軍用レーションそのものが珍しかった。
「悪いことは言わんから」と橋爪に勧められて佐藤は牛井定食をもらっていた。なんでも戦闘団の事務官はレーションの「人気番付」まで作ってベスト5までのレーションを有り余るほど獲得したという。事務官の中の事務官という噂で、壁に張り出された番付にはオススメ度が☆の数で示してあった。飢えに悩まされてきた熊本戦を知っている紅陵αと島村小隊の学兵には密かな感動だった。
「あ、わたしも……。中華定食の春巻、けっこうおいしいですよ」
橘が負けずに交換を申し込んだ。
「あ、あはは。じゃあ唐揚げ、橘に譲るよ」佐藤はあっさり提案を引っ込めた。
「へっへっへ、合田少尉、モテますねえ。佐藤、俺たちも交換しよーぜ。俺のやきそばパンと牛井」
橋爪が恥ずかしげにおかずを交換する橘を見て、笑って言った。橋爪は牛井完食後、ポシェットの底から、昔懐かしやきそばパンを取り出して頬張っている。
「ノォォ! そんなもん嫌になるほど食べたわよ! けど牛井、おいしいねー。幸せ! さっきの対空ゴリラは異常だったけど」
「なんでも芝村司令を助けたって話だぜ。ご褒美にレーション食べ放題だと。倉庫からごっそり持って行こうとしたんで不公平はいかんと思って聞いたんだけどよ。拳が飛んできやがった。避《よ》けて本気モードになろうとしたら、やつの相棒がすっ飛んできてかくかくしかじかさ。肩の撃墜数、見たかよ。スキュラを十六。寄るんじゃねえって雰囲気、発散していたな」
「あは、ミサイルネズミの王様だね」
佐藤は幸せそうに牛井を頬張って、笑った。
にしても嘘みてえに平和な風景だな、と橋爪は緑に囲まれた新岩国の狭い盆地を眺めた。東から砲声、銃声は絶えることなく聞こえてくるが、ここまで来ると蝉の音の方が強い。耳にこだまする蝉の声を心地よく思いながら橋爪は汗をぬぐった。
九州撤退戦の時、俺はひとりだった。だから最後まで戦いを見届けてくたばっても構わねえと思った。
けど今は……。
橋爪は、合田の隣に座って「あ、ホント。竜田揚げの味します」などと楽しげに笑っている橘を見てから、「衣と肉が軟らかくなりましたね」照れ笑いする合田を見た。
「なーに見てんのよ、牛井は渡さんからね!」
佐藤に視線を移すとにらまれた。なあなあ、と橋爪は佐藤に目配せした。
「なんかいい感じじゃねえか」
「おっ、逆モヒカンもそう思う? 勇気出してよくやったよ、橘は。けど、合田さんが野球のことで彼女と別れたなんてショックだったけどね」
「景気づけに見せてくれたんだってよ、彼女との写真。合田の兄ちゃん、つらかったろうな」
なんつーアホな会話だと橋爪は「へっ」と笑った。けれど、今はこんな会話が楽しかった。
少し離れた木陰では島村小隊がレーションを食べていた。橋爪の視線に気づくと、「あ……」と何かに思い当たったようにホテルで調達したらしい巨大なジャーと紙コップを学兵に運ばせて近づいてきた。
「ごめんなさい、わたしたちばっかり。玄米茶なんですけど……」
こまめにひとりひとりに配りはじめた。佐藤ら紅陵女子α小隊の隊員も立ち上がって、合田小隊に茶を運んだ。
今はこいつらがいるんだよな。橋爪は大きく伸びをすると、サブマシンガンをひっつかんで、立ち上がった。
「どこに行くの? すぐに穴掘り再開だよ」佐藤が咎めるように言った。
「ちと見回りに行ってくる。そこのアホ面ふたり、ついて来い」
橋爪は自分の分隊から、同年代の一等兵ふたりを選んで歩み去った。
「まったく、勝手なんだから……」佐藤が頬を膨らませると、合田の笑い声が聞こえた。
「非戦閣員が集中しているところにゴブリンが浸透すると、こわいことになりますからね。彼は嫌と言うほど知っています」
「ええ」
血にまみれた野戦病院を思い出して、佐藤は一瞬顔を曇らせた。
八月十一日 一二四〇 岩国基地
東西三キロ、南北四キロに及ぶ広大な基地内にはまるで幻獣の見本市のように中型、小型幻獣が満ちあふれていた。地下式、半地下式の陣地から「洗練された」と表現するにふさわしい十字砲火が陸戦型中型幻獣を倒し、小型幻獣を消滅させていった。
地上に露出した建物はほとんどが放棄されていたが、基地内に点々と分厚いコンクリートに囲まれてそびえ立つ対空陣地は別だった。わざと陸戦型幻獣の目標になるように五階建でのビルに等しい高さを持っている・ただし、地上には出入り口はなく、無数の銃眼から突き出た機銃が攻撃精神にあふれた幻獣の群れをなぎ倒していた。
そんな陣地の屋上に来須と石津は位置取っていた。瀬戸口からの報せがあってすぐ、ふたりは警備隊から戦闘車両を借り受け、走った。通用門で意兵隊と出くわしたが、出迎えたのは灰色の髪の少年だった。
司令部本体に至る出入り口を確認した後、すべてを視界に収める絶好のポジションを見つけたのだった。
「どうだ……?」
来須が尋ねると、石津は「少しだけ……」と答えた。
来須はレーザーライフルと九七式狙撃銃を携えていた。レーザーライフルの再チャージ時間の長さを少しでもカバーするためだ。
屋上のハッチが開き、灰色の髪の少年が姿を現した。
「運動公園近くで第五世代の共生派をひとり捕まえましたよ。残念ながらカーミラではありませんが、大怪我をしていましてね、スタンガンで捕獲成功です」
「カーミラの仲間か?」
来須が口を開くと、少年は「たぶん」とうなずいた。
「気配……変わらない……わ」
石津は西の方角を指さした。
少年が物問いたげな表情を浮かべると、来須は言葉を惜しむように「石津はカーミラの気配がわかる」と説明した。
「西……一キロ以内……じっとしている」
少年は考え込んだ。
「それだけわかっているならこちらから出向きませんか? 戦闘車両も護衛につけます」
石津は上空で騒いでいるカラスの群れを見上げた。頭のよい種族だった。高みの見物を決め込んでいるが、それ自体が邪魔だ。カーミラに待ち伏せを教えているようなものだ。それにカーミラにも自分と同じアンテナがある。
「カラス……黙らせたいけど……ブータがいないからだめ」
「機銃で脅すことはできますけど」
「こちらの位置を敵に教えるようなものだろう」
来須は少し考えて少年に言った。
「僕らだけでも行きますよ。一個中隊で包囲します」
灰色の髪の少年は珍しく、いらだちを面に表した。
「……分隊をひとつ貸せ。おまえらは勢子《せこ》の役目をしてくれ」
石津が袖を引っ張ったが、来須は心配するなというように口許をほころばせた。
八月十一日 一二四〇 旭町交差点
旭町の交差点に差し掛かったあたりで、カーミラは三両の兵員輸送車を銀行横の駐車場に乗り入れさせた。駐車場にはゴブリンの群れが戦闘をするでもなく無気力にひしめいていたが、カーミラの姿を見るとそそくさと場所を譲った。
ここまで来ると人類側の防衛ラインにほど近く、榴弾がまばらなのが幸いだった。代わりに視認による水平射撃は行われているが。ゴブリンの姿を認めたか、複数の機関銃が突如として鳴りはじめた。
「気の毒なことしちゃったわねえ」
カーミラは嘆くでもなく、肩をすくめた。五百メートルほど進むと岩国基地のゲートのひとつに出る。奇跡的に生き残った外交官の娘を無事送り届ける、という筋書きだった。ハンスはアメリカの駐在武官という役割を与えられている。悲惨な下関戦を駐在武官とともにサバイバルした令嬢は、四十二師団の兵に奇跡的に助けられ、気丈に司令官に面会を求めるというシナリオだった。
荒波という人物の性格なら気軽に応じるだろう。そうカーミラは分析していた。
「……どうしたのです、お嬢様?」
輸送車から降りて何事か考え込んでいるカーミラの隣にハンスは降り立った。壊滅した四十二師団の部隊章にペイントし直した久遠を着た近江もカーミラの隣に立つ。
「今のゴブリンたち、おどおどしていたわわ」
カーミラは皮肉に笑った。
「あの者たちは戦意を失っています。死のロードに等しい二十キロを榴弾にさらされ、僕の試算では小型幻獣の損失は二百万を超えるかと。さらに、バーサーカーは緒戦で壊滅的な打撃を受け、増援を待っているようです」
ハンスは冷静に分析した。パーサーカーってなんだろう? 近江は思い切ってハンスに話しかけた。
「その……パーサーカーってなに?」
「人類を殺すことしか頭にない者たちのことです。知性も心を持たず、純粋に殺人機械として機能する者どもですよ」
ハンスはにこりともしなかったが、裏切り者の近江に軽蔑の素振りも見せず穏やかに答えてくれた。カーミラといい、ハンスといい、ずいぶん変わった共生派だ。
「敵は油断しています。これまでの例に洩れず、自分に都合のよい現実しか見ていません。さらなる一撃を。僕の考えでは、なんら事故なく成功する作戦と思います。問題はどこまでやるか、です。司令官と面会の必要はないと考えますね」
「途中で正体がばれそうになったら、精神操作を使えばいいんじゃないの? ただ、逃げるタイミングは考えないと」
カーミラがためらっていると見て、近江も口添えした。カーミラは日傘を差すと、小声で鼻歌を歌いはじめた。近江がハンスを見ると、ハンスは微かに首を振った。
「風の中を羽のように……か。どこへ飛ぶかわからない……気まぐれ……。そう、気まぐれ」
言葉の意味がわからず、近江とハンスは続きを待った。他の兵は輸送車の機銃座で機銃を構え、銃眼から油断なく警戒している。
「黒い鳥……カラス。基地の上空を旋回しているわ。ユーラシアの神々は滅んだけど、この国は有象無象の神々の吹き溜まり。ハンス、甘いわ。わたしたちの敵は人類だけじゃない。公園爆破の失敗も神々のなれの果てのしわざかもね。まだ気配は感じないけど、待ち伏せの可能性は高いわね。だから気まぐれを起こすの」
「待ち伏せとは、例の5121小隊ですか?」
ハンスの表情が引き締まった。ふたりはどういう関係なんだろう、と近江は一瞬考えた。
「ハンスはわたしの家令よ。護衛でもあり、有能な指揮官で、あと幼なじみなの」
カーミラは近江の心を読んで言った。なるほど。この男が右腕なら、例の横柄ノツポは当然邪魔だろう。
「あの男を処分するというのは……」
「うん。シェルナーはわたしの大切な配下を小出しに消耗させてきたの。今頃、処分されているかしらね。瀬戸口とよい勝負と思うけど、横柄ノツポは頭が悪いから」
カーミラは小首を傾げて考え続けている。ハンスが日傘をとって差し掛けていた。
「……どうするんです?」
ハンスが静かに尋ねた。
「そうね、基地は危険。このまま防衛ラインを無視して広島まで行こうか? 工場という工場を全部爆破するの。どかーん、どかーん。それ、いいかも……!」
カーミラはにこりと笑うと兵員輸送車に乗り込んだ。近江とハンスも引きずられるように輪送車に乗り込んだ。
広島は突飛過ぎる。それに神々とはなんだ? ラボで特殊な能力を持つに至った人間のことだろうか? 近江はカーミラの「気まぐれ」を怪しんだ。
「さて、ハンス君の作戦は大失敗。しびれを切らして敵が来る。石津萌の気配を感じるわ。ここは全速力で逃げる。爆弾と煙幕をよろしくね」
「は……」
ハンスは数人の兵に手振りで合図をした。
兵員輸送車は巧みに瓦礫を避けながら猛スピードでその場を後にした。カーミラは平然として作戦中止を決断した。近江はそっとカーミラの横顔をうかがった。
「きっと狙撃手が一緒。石津萌に狙撃手が加わると厄介よね。わたしもあなたと同じ生身の体だからしカーミラが口を開いた。
「どうするの、これから?」
「石津萌を振り切る。あの子自身は危険じゃないけど、なんだか悪い予感がするのよね。殺すかな。狙撃手を手配しようか……」
八月十一日 一二五〇 旭町交差点付近
路上でたて続けに大爆発が起こった。次いで濠々と煙幕が立ちのぼった。大量の瓦礫をフロントに受けてハンドル操作を誤った戦闘車両が瓦礫に激突して停まった。
「カーミラの位置は?」
灰色の髪の少年は無線機を手にとった。
「……消えた……わ」
石津のそっけない返事に少年は心の中で舌打ちした。
石津の持つアンテナというのも諸刃の剣だ。敵を察知できるが同時にこちらも察知されるようだ。地道に警戒網を張り巡らせた方がよいのか? 敵の狙いは絞られてきている。司令部、そして新防衛ライン……少し可能性が下がって善行戦闘団の司令部だ。各地に監視所を設けて敵が網にかかるのを待つか?
「しかし……ゴブリンと榴弾だらけの戦場に監視所を造ることができるのか?」
少年は独りごちて、岩国市街のマップに目を留めた。どこだ? 友軍によるトンネル爆破の成功、後方攪乱の幻獣共生派の未熱さから考えて、カーミラが戦場に到着してからそう日は経っていないだろう。アジトも入念に造られたものではないはずだ。
アジトを探索したいという誘惑に駆られた。しかし、これが敵の作戦であるとしたら? 今、この瞬間にもカーミラが基地に引き返したとしたら? ふとそんな疑念が浮かんで少年はぞっとした。現在、基地は無防備になっている!
「追撃中止。急ぎ、基地に戻るよ」
敵は恐怖と疑念を巧みに植え付けてくる。しばらく考える時間が欲しいと少年は思った。
八月十一日 一三〇〇 荒月神社
「基地は無事のようだな」
瀬戸口は基地の方角を仰ぎ見て言った。上空では爆発の炎が断続的に起き、地上からはおびただしい黒煙が夏空を焦がしている。ブータも瀬戸口と並んでそんな様子を見守っている。
「カーミラを仕留めたか、さもなけりや敵があきらめたか?」
不意に携帯無線が鳴った。
(カーミラは……逃げた……わ)
石津の声がはっきりと聞こえた。石津のやつ、なんだかあの子に取り憑かれているようだ、と瀬戸口はなんとなく思った。
「それで、おまえさんたちは基地にいるのか?」
「ああ」石津に代わって来須が答えた。
「五百メートル圏内まで迫っていたんだが、石津の気配を察して逃げたようだ。憲兵隊とともに追跡したんだが、振り切られた。……嫌な展開だ」
来須らしからぬ感想に、瀬戸口は危惧を覚えた。主導権は依然として向こうにある。こちらとしては間抜けな狩人よろしく、要所で待ち伏せするしかない。どうすれば……? 敵の目的はわかっているのだが、いつ、どうやって? がわからない。無線が切れてから、瀬戸口はお手上げというようにブータを見た。
ブータ……ブータエアスは悩める青年に向かって、にやりと笑ってみせた。
(瀬戸口よ、時間は人類と幻獣どちらの味方じゃ?)
こう尋ねられて、瀬戸口は肩をすくめた。
「戦況は膠着している。どちらの味方でもないさ。どちらも背後に十分な支配地域を持ち、増援に余裕はあるようだ」
将軍ブータエアスは喉を鳴らして笑った。
(ならば人類側が焦ってなりふり構わず戦う場合はどんな状況じゃ?)
待ってくれ、と瀬戸口は苦笑した。
「これじゃソクラテスの問答だ」
(にゃは。わしがソクラテスになってやろう。質問に答え続けることで、汝自身を知れ)
ソクラテスは古代ギリシアの哲学者であり、相手との対話を重視した。
特に弟子に対して質問を連ね、相手に息つく間もなく答えさせる手法を用いたが、これは「汝自身を知れ」という信念に基づいたものだった。答えているうちに弟子の考えが自然とまとまるように、質問そのものを構成したと言えるだろう。
後にこの手法はソフィストと呼ばれる弁論を商売とする者たちに真似をされる。質問を連発して、答える相手の失敗を待つという古典的な議論必勝法である。
「わかったわかった。人類側がそうなるとしたら、戦線を突破され、後方兵姑線と策源地が危機に陥った場合だろうな」
連絡線を断たれた孤立はすなわち破滅。そのために人類側は、岩国という地を選んだのだ。
ここは山が海側にまで迫り、山地を大の苦手とする幻獣の迂回突破が困難な土地だ。
(ふむ。ならばカーミラが焦ってことを運ぶとしたら?)
「……アジト、か?」
瀬戸口は今さら、というように首を振った。アジトを急襲して手駒と装備を失えば、カーミラもなりふり構わず最短の勝利をめざすだろう。すなわち新防衛ラインの爆破だ。しかしアジトはどこだ? ふとヒントめいたものが頭に浮かんだ。
「カーミラは戦場に着いてから日が浅いな。敵にとって最も重要なはずだった山陽自動車道のトンネル確保にも関わっていない。関わっていたらこちらの苦戦は倍加していたはずだ。十一師団戦区の爆破にしても光輝号の件にしても短期間で行えるスタンドプレイ……」
ここまで考えて、瀬戸口は「うん」とうなずいた。
「市郊外の戦闘が及びにくい地。市を見下ろす位置にある山中で、なおかつ人員装備を収容できる施設、だな。ブータ、頼めるか?」
瀬戸口が緒論に達すると、ブータは「にゃは」と笑った。そしてトレードマークの赤いマントをなびかせると、山々、大地に向かって呼びかけた。
ほどなく大小の烏に、ネズミ、リスといった小動物がブータのまわりに集まった。ブータが語り終えると、動物たちはまちまちの方向に消え去った。
瀬戸口が何気なく勇躍して飛ぶ燕に見惚れていると、不意にばさばさと足掻くような羽ばたきが聞こえて血のにおいがした。「……」瀬戸口がブータの足下に目をやると、数羽のカラスが体を裂かれて息絶えていた。
「どうした……?」
(加勢せぬなら黙って見ておれと言うたものを! 今の話をカーミラに売る気じゃった。小賢しいやつらじゃ)
「どうしてわかるんだ?」
(基地上空に飛んでおったろう? あれはカーミラにこちらの位置を報せたようなものじゃ)
ブータは将軍の顔になって瀬戸口を見上げた。
「カラスを敵にまわしていいのか?」
(わしを誰と息っとる? じきにあやつらの大将が詫びを入れてくる。スキピオ将軍ならば大将もろとも滅ぼしておるぞ)
「そ、そうか……」
ブータエアスの大将、張り切っているなと瀬戸口は苦笑した。
八月十一日 一四〇〇新岩国駅・ステーションホテル
ステーションホテルの執務室では、善行が無線機に向かっていた。
舞から緊急に送られてきた具申書を一読して、すぐに脳内のバイパスを切り替えた。
茜大介の作成による、と口頭で言われて、善行は衝撃を受けた。綿密な帰納法から結論を導き出しがちな自分と違って、茜は正反対だ。放胆とさえ言える。ただし、その内容は現状維持に対する痛烈な批判であった。
目の前のソファには舞と茜、矢吹、植村が座っていた。加藤は善行の秘書役兼記録係として端末の前に座っていた。
「なるほど、君らは面白いな。効果的に機能している、それ自体にすでに危機をはらんでいると。絶頂の後に綬やかに衰える場合もあるが、この場合は急転直下の破滅に向かう可能性が極めて高いと言うのだな?」
執務室内にスピーカーを通して荒波の声が流れた。茜が口を開こうとして舞に思い切り耳を引っ張られた。後は善行の仕事だ。
「ええ。今からでも間に合います。岩国・大竹間に戦車壕を含む縦深陣地を。岩国市後方で露出している砲は陣地へと。いつでも国道2号線及び山陽自動車道に座標を移せるようにするべきかと。加えて十四師団主力をすみやかにその戦域へと移動願います。新防衛ラインは十一師団、十四師団の一部、そして我々戦闘団が担当します」
荒被の高笑いが室内に響き埋った。
「すでに十四師団にはそのように要請した。最悪の場合を考えろということだな?」
孝行は眼鏡を直すと、ふっと茜に笑いかけた。
「野戦ならここまでは言いません。しかし我が岩国最終防衛ラインは、強力な分、極めて脆い面を持っていることは実証されたでしょう。新防衛ラインはそこそこ敵を跳ね返していただければ、後は我々が料理します」
「ノオオオオオ! 新防衛ライン、ナイスじゃないですか! ここで敵に徹底的な打撃を与え、攻勢転移ですっ……!」
岩田参謀の声が割り込んできた。
「……今の新防衛ラインで旧十一師団戦区級の爆発が起これば一万名は失いますよ。防衛は徹底して打撃を与える必要はないのです。攻勢のための過程ですから」
善行は冷静に言った。
「岩田参謀は過去の要塞司令官が陥った病に取り憑かれたな」
舞が静かに口を開いた。神話の時代のトロイをはじめ、セヴァストポリ、旅順、日本では大坂、小田原城と「要塞信仰」は歴史上、数多く見られる。そのことごとくが、なんらかの要因によって陥落している。要塞信仰は、真空中で無菌状態を保ってこそ可能な夢だ。模型の旅順要塞にとまったハエをたたき落とそうとして、トーチカ群を壊してしまう……それが現実だ。
「岩田参謀、全面的に善行大佐の具申を取り入れる。拒否すれば君は彼女を秘書として迎え入れる可能性はゼロになるぞ」
「ノオオ、それ嫌です。勘弁してください……!」
訳の分からぬやりとり脅して、岩田参謀は引き下がった。
「はっはっは。まあ、そういうわけだ。諸君らの健闘を祈る。以上」
荒波からの通信はぶつりと途切れた。善行は「さて……」と、一同を見渡した。
「そろそろ見回りに行ってもらいましょう。矢吹少佐、植村大尉……?」
「こちらは増援との合流に成功しました。三十分後に出撃します」
矢吹は精悍に白い歯を見せた。
「植村中隊も問題ありません。補充兵が思ったよりよく動いてくれます」
植村もこともなげに請け合った。
「5121は?」
「……壬生屋を休ませる。二機編成となるが問題はないだろう」
「壬生屋千翼長は大丈夫なのかね?」
「壬生屋のお嬢さんの具合は?」
舞の言葉に、矢吹と植村が同時に口を開いた。
記録をとっていた加藤がくすくすと笑った。矢吹と植村は忌々しげに視線を交わし、顔を背け合った。
「それでは第二次攻撃お願いします。あー、加藤さん、ちょっと残ってください。実は、その……少し聞きたいことがあるのです」
八月十一日 一四三〇 岩谷清泉寺付近
薮の中を慎重に進んだ。
案内役は大柄なリスだった。ブータとともに木々を伝って、斜面を四苦八苦して登る瀬戸口を時折振り返る。まったく……動物天国かよ。瀬戸口がリスを見上げると、リスは器用に敬礼の真似をしてみせた。
(物音をたてるな)
ブータの思念が飛んできた。薮の隙間から迫撃砲陣地が見える。しかし兵はいっこうに砲撃を行う様子はなかった。サブマシンガンを抱えて、警戒体勢に入っている。標高にして百メートルほどの地点だろうか、眼下には未舗装の道路が見える。一個小隊か……。瀬戸口は少し考えて先を急ぐことにした。
風に乗って抹香の匂いが流れてきた。歴史の古い寺の隅々に染み込んだ匂いだ。共生派の小隊が偽装陣地を展開していたのは寺の駐車場だろう。
十分ほど進むと、岩谷清泉寺と書かれた額のかかったこぢんまりした山門に、ところどころはげかけた漆喰の塀が目に入った。境内のかなたに寺の本堂と住居が見える。
境内には警備の兵が至るところで目を光らせている。一個中隊はいるだろう。こいつは俺ひとりじゃどうにもならんな。そう判断して瀬戸口は携帯無線で善行を呼び出した。
「こちらファントムです。白アリの巣穴を。G8からすぐの山道をを北に登った山中にあるISTというところなんですが。中ジョッキ一杯はいけますね」
臨時に決めた暗号で言うと善行の反応が遅れた。あまりに早い発見に困惑しているようだ。
「よくわかりましたね」
「ええ、後がこわいですけどね」瀬戸口は苦笑して言った。
「なんでしょうか…与」
「こちらのことです」
「照合済みました。その一帯にはネズミは展開していませんね。しかしどうして……」
まさかリスに数えられたとは言えない。善行は人間的にはともかく、種族的には至ってノーマルな人間だ。
「それは後ほど。どうします? 俺が出ていって本当に白アリかどうか確かめる手もありますが、たったひとりじゃバゲッジもろとも逃げられますね」
「ドールの姿は見えませんか?」
「そこまでの余裕はありませんよ。道を登ってじきに白アリの遊び場に出ます。シェパードを向かわせて抵抗してきたら黒と。即、Tをボイルドエッグにするか、もしくはスクランブルエッグにする、ということでは?」
とりあえずカーミラがいればラッキー、いなくても敵の策源地を渡すことができる。瀬戸口らしい慎重さだった。
「座標、特定しました。シェパードを急行させます。攻撃はスクランブルエッグで。二十分ほど待機してください」
そう言うと善行からの通信は切れた。
(わしのことを忘れておらぬか?)
ブータが不機嫌に思念を送ってきた。
「後ろにおまえさんの部下が控えていることはわかるが、不要な犠牲は出したくないのさ。そんなことより、誰かに本堂を偵察させてくれんか」
ブータが合図をすると、一匹の敏捷そうな野良猫が薮を這いだして本堂に向かった。リスが何やらブータに抗議しているように見える。
「どうしたんんだ?」
(我は山口リスの副王。偵察なら自分が適任である、と申しておる)
「ははは。熱血リスだな。アジトを発見しただけでも勲一等の功績である、と言ってくれ」
ブータがリスに通訳すると、リスは瀬戸口に再度敬礼をした。
ほどなく猫が戻ってきた。報告を聞いて、ブータはにやりと笑った。
(カーミラはいなかったが、大量の爆弾が床に並べられていたそうな。油断じゃな)
「となると、そろそろひどいことになるぞ。稜線沿いに浄水場の方角に逃げよう」
瀬戸口は薮をかき分け、ブータの後を追った。敵の誰何する声が聞こえて、ほどなく機銃音が響き渡った。数秒後、砲弾が弧を描き、寺に落下した。本堂を直撃した一発が大爆発を引き起こした。薮が燃え、強烈な熱風が吹きつけてきた。
「すごいことになったな……」
瀬戸口は足を速め、薮の中を走った。機銃音はいつのまにか止んでいた。携帯無線が鳴った。
「大当たりです。Tはスクランブルエッグにされました」
善行の声は冷静だった。
「白アリは?」
「シェパードが制圧しました。数名、捕虜を得たようです」
「これでドールがあたふたしてくれれば」
「ええ、あなたは引き続きドールの発見に努めてください」
善行からの通信は切れた。ほどなく浄水場に出た。瀬戸口はウォードレスを脱ぐと、歓声をあげて満々と水がたたえられている水槽に飛び込んだ。まあこれぐらいのサボリは許されるだろうと思いながら。
八月十一日 一四五〇 梅ヶ丘団地
「瀬戸口……!」
山上に噴き上がる炎の柱を見上げてカーミラは悔しげにつぶやいた。今後の工作のための爆薬と百名近くの部下がアジトに詰めていた。
残されたのは兵員輸送車三台分の一個小隊だけだ。
カーミラとその部下は市役所から一キロほど離れた梅ヶ丘団地に隠れていた。そこでさまざまな陽動パターンを考えていたところだった。
新岩国にまさかの攻撃という選択肢も敵をあわてさせるはずだ。善行大佐もしくは人型戦車の整備班を吹き飛ばしてもポイントは高い。司令部に少数の決死隊を潜入させて、失敗しても敵への心理的影響は大きいだろう。こちらは心理的にじわじわと敵の焦りを誘う。敵に恐怖を植え付けて萩でやった実験を大がかりにやってみたかった。こわいのはあの磁石のような女だけのはずだった。
「……やられましたね」
ハンスがまいったというように天を仰いだ。
「この分だとシェルナーの生還も期待できませんね」
「あれはいいの。瀬戸口にぶつけて共倒れになってくれれば、と考えただけ」
「ははは。我々は白アリだそうです。お嬢様はドールと。馬鹿げた符丁を使いますね」
符丁などすぐに見破った。アジトに向かってそれまで必死に叫んでいた無線手だったが、敵の攻撃が早過ぎた。無線手は気を取り直し、苦笑して言った。カーミラの配下は精鋭だ。精神的にも安定しており、強敬だった。
「ドールは許せるがね」
ハンスも微笑んだ。
カーミラの怒りは徐々に収まってきた。傍らで不安げに自分を見ている近江に、
「さあ、ひと仕事終えて帰りましょう。貴子」と声をかけた。
「どこへ……?」
近江は震えを抑えることができなかった。どこに逃げても追ってくる……。山上に噴き上がる炎の柱を見てそう思った。
「すぐに新防衛ラインを爆破する。仕事を終えたら、とりあえず九州でゆっくりしましょ。わたしと一緒にいれば大丈夫よ」
カーミラは年下の妹に言い聞かせるように言った。
「作戦は?」近江はやっと気を静めて尋ねた。
「どうしよっか、ハンス?」
カーミラは無邪気にハンスの肩にもたれた。ハンスの表情が一瞬変わったのを近江は見逃さなかった。
「アメリカ人になるかなー。それともネコとネズミ大作戦? 迫るミノタウロス、大使館のご令嬢を乗せた輸送車は必死に逃げる――って、あはは、ミノタウロスは足が遅かった」
「アメリカでいきよしよう。市役所内から地下通路に入れます。そこから岩国駅東の地下昇降口に出ましょう。爆破ポイントは二十二ヵ所。ただし、今回は他の共生派は使えませんから、自爆はなし、ということにします。ああ、それとフロイライン近江、我々は四十二師団にあまり詳しくありません。何かありましたら適当にフォローを」
名前を呼ばれて近江は「わたしが……?」という顔になった。しかし、役にたてるというのは悪い気分ではなかった。
「四十二師団は熊本戦で消耗した師団で、八月になっても再編成が進んでいなかったの。それで下関から宇部にかけて部隊が分散していたせいで、大損害を受けた。冷遇されていたんで、何か言われたら強気に出た方がいいかもね」
「強気……?」カーミラが首を傾げた。
「ええ、こっちは下関から散々苦労してここまで来たんだ。おまえらばっかり楽しやがってって、恨みがましい感じね。何か言われたら、そう言って他の部隊の兵に『ごくろうさん』のひと言でも言わせるの。喧嘩はもちろんだめだけど」
「ふうん。一番悲惨な目に遭った部隊というわけね。みんな、このこと覚えて。他の車両のみんなにも伝えてね。貴子、隊長役、頼めるかしら? ハンスは駐在武官だし」
「わ、わかった……。ばれそうになったらカーミラ、助けてくれ」
頼りたこされて近江は顔を赤らめた。
八月十一日 一五〇〇 国交省付近
善行戦闘団はその日、二回目の出撃の途上にあった。国交省付近、2号線から西岩国付近の分岐点は戦闘団にとっては絶好の狩り場だった。
「それにしてもよかったよね、共生派の本拠地が壊滅して」
瓦礫に隠れ、ひと息ついた厚志が話しかけると、舞は「うむ」とうなずいた。生体ミサイルが前後に落下する。しかし巧みに展開した戦車隊の十字砲火の前に、敵は脆くも爆敬していった。二番機の移動を続けながらの狙撃も有効だった。狙撃されるたびに敵はいらだたしげに二番機を探し求め、あげく生体ミサイルを発射する時間を無駄にする。
「今度の敵は弱いね。疲れ切っている感じがする」
そう言うと厚志は瓦礫から飛び出した。背を向けたゴルゴーンに突進、その背に重量の乗ったパンチをたたき込んだ。同時に右手に操られたジャイアントアサルトが隣の一体に向け、機関砲弾を浴びせる。
栄光号は厚志の期待以上の動きをみせた。その動きはしなやかにして鋭く、しかもパイロットにとっては快適だった。Gに弱い舞の疲労も軽くなっているはず、と厚志は思った。こうして矢吹隊、植村隊とともに四十体以上のミノタウロス、ゴルゴーンを狩った。
戦闘団は敵を狩りながらじりじりと新防衛ラインに迫りつつあった。
八月十一日 一五一五 旭町・整備工場
整備工場内・鈴原病院は負傷者搬送の中継所としてなお機能していた。工場裏手の破壊された塀に戦車用架橋がかけられ、救急車他の車両がひっきりなしに往復していた。
芝村記念病院から派遣されたという医師と看護師も数名、マシン油のにおいと棟内の蒸し暑さに閉口しながら働いていた。
戦車用架橋も医師たちも、すべて遠坂が手配したものだった。架橋には遠坂運輸のロゴが大きく描かれていた。これが遠坂圭吾のもうひとつの顔だった。軍需のうち、運輸、給食、医療、建設などの支援サービス部門に民間企業として食い込むことを考えていたのだ。山口戦はある意味で、遠坂財閥にとっては実験場でもあった。
「重度の火傷を負った患者を再優先に。戦場ではかなりの確率で感染症を起こす。逆に血清さえあれば失血死の危険がある患者は持ちこたえる」
鈴原は三十代の外科医にぶっきらぼうに説明していた。はじめは医師も看護師もオロオロして、「重傷」と判断された負傷兵を応急に処置して救急車に送り込んでいたものだった。
これに飯島の感情が爆発した。
「重傷患者にも優先度があるんです!」と年上の医師と看護師にくってかかった。
あっけにとられる新任のスタッフに、鈴原は丁寧に説明していった。幻獣の生体ミサイルには鉄をも溶かす強酸が含まれていること。そして撃破時にも体内に蓄えられた強酸を四方に撒き散らすこと。幻獣との戦闘で最も多いのが火傷を負った兵であること――。
その説明にスタッフたちはしだいに冷静さを取り戻していった。
「先生、重傷の患者さんはすべて搬送しました」
飯島は表情を取り戻していた。工場内に横たわる負傷兵の間をコマネズミのように動き回り、刻一刻と変わってゆく患者の状態をすばやくチェックしていた。新任の看護師とは、圧倒的な経験の差があった。
エンジン音が聞こえて、一両の装甲兵員輸送車が棟内で停止した。憲兵隊だ……。飯島は平然と珍寮を続ける鈴原を見た。
「内蔵をやられているようなんですが、看ていただけませんか?」
憲兵大尉が鈴原に話しかけた。飯島の目に、両手両足を厳重に拘束された外国人が映った。
ふたりの兵が重たげに担架を持っている。
「何者だ?」鈴原が尋ねると大尉は言いよどんだ。
「……幻獣共生派です。偶然、捕まえたんですが、ひと言も話しません」
「飯島、案内を」
鈴原が命じると、飯島は「こちらです」と手術台に案内した。二メートルを超える大男を降ろして憲兵はほっとしたような表情を浮かべた。
「肝臓に創傷。見事な腕前だ。憲兵がやったのか?」
鈴原はそう言うと傷口に掌を這わせた。飯島が覆い被さるようにして鈴原の「診察」を隠した。鈴原の掌は微かな光を放っている。飯島はペンライトで撫らしで光を隠した。
「我々はカトラスで戦ったりはしませんよ。誰がやったか、謎と言えば謎なんですが、助かりますか?」
大尉は無表情に鈴原に尋ねた。
「わからんが、努力してみよう。スタッフの邪魔になるんでな。病棟エリアから出てくれ。君たちは専用の救急車を手配したらどうだ?」
「しかしやつは……」
大尉は鈴鹿と飯島を見比べた。
「心配無用だ。肝臓だからな、腑抜け同然だ。心配ならスタンガンを置いていってくれ」
こう言われて納得したか、大尉は軍用のスタンガンを飯島に渡すと、部下をうながし遠ざかっていった。
「少しは楽になったか? わたしは鈴原。野間の娘だ」
野間の娘、と言われて男の目が見開かれた。
「どうして……だ」
「わたしは医者だからな。見てのところ第五世代のようだが、誰にやられた?」
尋ねられて男の目が憎しみに輝いた。
「せ……瀬戸口。卑怯者め」
「ふむ」
鈴鹿は顔色も変えずに「傷口を縫合する」と飯島に言った。
「きれいな傷だ。こうも見事にやられるとはな。おまえの完敗というわけだな」
「馬鹿……な。わたしはシェルナー。カーミラの目付役として……日本に来た。……島国の共生派ごときが、無礼は許さぬぞ」
「よし。縫合は終わった」
鈴原は強い視線でシェルナーの目をのぞきこんだ。
「憲兵には一週間は絶対安静と言っておく。その間に力を回復しろ。運が良ければ、脱出することもできるだろう。代わりに条件がある。カーミラは何を考えている?」
シェルナーは鈴原の出した条件を聞いて考え込んだ。
「……回復できるのか?」
やがてシェルナーは口を開いた。
「おまえの能力次第だな。おまえが出来損ないでなければ回復できる」
淡々とした口調で挑発する鈴原に、シェルナーの目が怒りに輝いた。
「カーミラは新防衛ラインを爆破する気だ。すでに手遅れかもしれんがな」
「……わかった。飯島、憲兵を呼んできてくれ」
憲兵が姿を現した。鈴原は大尉に、「一命はとりとのたが一週間は安静だ」と約束通りのことを言った。手配した救急車が到着したらしい。大尉は「感謝します」と敬礼をするとシェルナーを車内に運び込んであわただしく去った。
「あの……肝臓の損傷ですよ。回復して脱出なんかできるんですか?」
飯島が尋ねると、鈴原は苦笑した。
「生体レーザーでも持っていれば脱出の可能性もあるがな。肉体派には難しいだろうな。さて、どうするか……?」
鈴原はおもむろに病棟エリアを出ると無線機に向かった。
「ああ、これは先生。どうされたんですか?」
室井中尉がなんらかの折衝《せっしょう》を終えたところだった。戦車架棟が掛けられてから弾薬・物資の補給状態は格段によくなっている。
「うむ。今の患者……共生派が妙な譫言《うわごと》を言っていたんでな。なんのことやらわからんので聞き流していたんだが、やはり気になる」
鈴原は淡々とした口調で言った。室井の顔色が変わった。
「憲兵隊がわざわざ救急車を手配してまで生かそうとするとは……相当な大物ですよ。それでなんと言ったのです?」
「カーミラが新防衛ラインを爆破する、と。カーミラ、とは誰だ?」
鈴原は無表情を保ったまま、室井に向き合った。室井は真っ青になった。
「大変だ……! しかしどうして今の憲兵たちに言わなかったのですか?」
「そもそも新防衛ラインとはなんだ? 尋ねる前にあわててすっ飛んでいったんでな」
室井はあきれたように鈴原を見つめた。
「……そんな顔をするな。わたしは医者だぞ」
「あ、ああ、失礼しました。すぐに司令部に連絡します! ご協力感謝します」
室井は頭を下げると無線機に取り付いた。鈴原は白衣のポケットに手を突っ込んだまま、病棟エリアに戻っていった。
「そろそろ潮時ですね。この戦域も安定しましたし」
物陰から声が聞こえた。鈴原は澄ました表情で「カーミラがまた動いている」と言った。
「憲兵はそんなに甘くないですよ。譫言? を開いた医師まで疑ってきます。最後のひと働きはしましたね。後はミスター瀬戸口や来須にも連絡してから、人類側に任せましょう」
「甘くないか」
「ええ、熊本と違ってここは憲兵だらけです。そろそろエスケープの時ですよ。飯島看護師は……ここに残すのも心配です。5121に預けましょう」
「うむ」
鈴鹿がうなずくと、「先生、この忙しい時に何処へ!」と飯島が駆け寄ってきた。
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第二十章 崩壊
八月十一日 一五三〇 岩国市役所
三両の兵員輸送車が小型幻獣を蹴散らしながら強引に15号線を突破してきた。機銃座に取り付いた兵は、前を塞ぐ幻獣に冷静な射撃を行った。市役所守備の兵は支援のために銃砲火を集中し、数匹の中型幻獣が爆散した。
その中をすり抜けるように、兵員輸送車は市役所横の駐車場に停車した。勇敢な輸送車に陣地の兵が歓声をあげた。
駐車場にも陣地が設けられており、地下通路から市役所へと入ることができる。先顕の車両から降り立ったのは二十代の若い女性大尉だった。大尉はサブマシンガンを手に、周辺の気配を探っていた。片手を挙げると、三十人ほどの兵が一斉に輸送車後方の扉から降り立った。そして――、最後に様子を見守っていた兵らは、驚きの声をあげた。
西洋人の将校に手をとられて、白いドレスを着た少女が降り立った。
「四十二師団第百三十連隊の鯖江だ。こちらはアメリカ大使館・駐在武官のジョン・マッキンレー少佐と下関で消息を絶たれた一等書記官・アーネスト・マクドウェル氏のご息女である。我々は下関から山岳地帯を縫って、ここまで来た」
よどみなく言うと、鯖江すなわち近江は「案内を。責任者は誰か?」と塹壕内の兵に呼びかけた。
「こ、こちらへ……」
軍曹の階級章をペイントした下士官が、塹壕内の地下昇降口を指し示した。しかしその目は駐在武官に支えられるようにしてたたずむ金髪碧眼の少女に釘付けになっていた。
近江は軍曹をきつい視線でにらむと、配下の兵に前進の合図を送った。駐在武官が、少女に手を差し伸べた。少女は何かにつまずいたのか、バランスを崩すと悲鳴をあげた。駐在武官と兵らが競うようにして少女の体を受け止めた。
「もう大丈夫ですよ、エリー」
近江がやさしく話しかけると、エリーと呼ばれた少女は煤に汚れた顔をほころばせた。
「ありがとう。感謝します、鯖江さん」
地下昇降口に向かって歩きながら、ふたりは会話を交わした。
「日本語、しやべっとる」、「かわええ子じゃの!」、兵らは小声でひそひをと話した。
「日本語がずいぶんお上手ですな」
声がして出入り口に五名ほどの部下を従えた憲兵大尉がにこやかに少女に話しかけた。駐在武官は一瞬、怒りを目に宿した。
「ええ、わたし、日本の学校に通いましたから」
少女はにっこりと笑った。日本の学校に通ったんだってよ。またしても兵らがひそひそと話をする。外国人、特に西洋人を見たことのない兵がほとんどだった。警戒任務についているふりをしながら、誰もが青い目の少女に見とれていた。
「アーネスト・マクドウェル氏は確かに下関で行方不明になっておられますな。それにしてもその服装でよく逃げて来られたものだ」
憲兵大尉は無遠慮にエリーの上から下まで見つめた。
「無礼ではありませんか、キャプテン。公使館主催のピクニックに出ようとした時に幻獣が市内になだれ込んできたのです。ご両親は孤児施設の慰問のため発たれた後でした。わたしと護衛の兵だけで絶望的な戦いを続けていたところを……こちらの鯖江大尉に救われたのです」
マッキンレー武官は不快感を露わにして憲兵大尉をにらみつけた。しかし大尉は顔色も変えずに、「あなたも日本語が達者ですなあ」と言った。
「武官の役割はご存じでしょう。軍事に限らず、政、財、官、あらゆる日本人とコミュニケーションを取らねばならないのです」
「ふむ。失礼ながらご専門は?」
「自衛軍の編制と部隊運用です。熊本戦の情報を集めていました」
マッキンレーは端正で生まじめな表情で、憲兵大尉を見下ろした。
「ちっくしょう。馬鹿にしやがって……」
マッキンレーとエリーを守るようにたたずんでいた伍長がつぶやいた。憲兵大尉はあっけにとられ、こちらをにらんでいる伍長を見つめた。
「今、なんと言った?」
「馬鹿にしやがって……ですよ、大尉。我が四十二師団が散々な目に遭ったことはご存じのはずだ。捨て駒にされたあげく、師団は壊滅。ここにいる連中はその生き残りだよ。少々の無礼は許してもらいたい」
近江は冷然と憲兵大尉を見据えた。
「それにしでは良い装備をしているが?」憲兵大尉はなおも疑念を口にした。
「当然だっ! 駐在武官と外交官のご令嬢を送り届けねばならんからな。装備は方々で前線の将兵に協力を受け、支給されたものだ。これは日本自衛軍の名誉の問題である。我々は別命あるまでここに留まるが、マッキンレー氏とマクドウェル嬢は、岩国駅から少なくとも広島まで避難させたいのだ」
近江はカーミラに強い視線を送った。だめ、この男は典型的な役人根性の持ち主だ。必ず上に相談するぞ、と。
「大尉さん、実はお願いがあるんです。列車が来るまで陣地を見学させていただけませんか? 我が国には日本に関する情報が少ないんです。行方不明の父もそう望んでいるはずです。それと、ここまで護衛してくださった兵隊さんたちにも水と食料をいただけませんか?」
カーミラのエメラルド色の瞳が妖しくきらめいた。
「……な、なるほど。アメリカとは同盟関係ですからな。隠すものは何もありません。わたしが案内役になりましょう」
憲兵大尉はぎこちなく言うと、先頭にたった。「鬼の憲兵も外人さんには鋳いのかねえ」「馬鹿、外人さんじゃなくて女の子にだろ?」誰かが聞こえよがしに言った。
ハンスが合図をすると、それぞれ輸送車にひとり残った運転役がエンジン音を響かせ、作戦終了後の集合場所へ走り去った。
「兵隊さんたち、頑張ってくださいね!」
カーミラは天使のような無邪気な笑みを浮かべて、壕内の兵士に手を振った。
市役所玄関のそばにある階段から地下へ下りるとすぐに地下通路への入り口に出た。今は鋼鉄製のジャッターが開かれて、プレートには「市役所陣地01昇降口」と表示されていた。あらかじめマップは全員に渡してあった。
それぞれの兵が担当するポイントにサブマシンガンの弾薬箱を置いてくる。弾薬箱は二重底になっており、上にはマガジンが、下にはリモコン受信式の爆弾が収まっている。弾薬箱もしくは致急籍ならそれこそ一家に一台というわけでなんとでも言い訳ができる。
憲兵大尉に続いて五人の下士官・兵をカーミラは沈黙させた。
配下はすでに担当地域に散っている。
カーミラとその一行は、地下通路を行き来する将兵の好奇の視線にさらされた。同僚の憲兵将校が何事かと誰何してきた。
「アメリカの外交官のご令嬢を保護した。司令官の命により、岩国駅まで護衛する」
精神操作された大尉は無表情に言い放った。
「しかし……」同僚の将校はなおも不審な面もちで一行を見つめた。
「エリー・マクドウェルです。こちらは駐在武官のマッキンレー少佐。こちらが下関でわたしたちを助けてくださった鯖江大尉です」
カーミラが相手の目を凝視すると「ああ、そういうことですか」と将校はあっさり納得し、道を譲った。岩田駅東昇降口……東陣地までの道は近江にとって果てしなく長く感じられた。
しかも部下が散った今、残っているのはカーミラとハンスだけだった。
直線距離にすれば六百メートルほどだが、その三倍は歩いているような気がした。永遠にここから出られないのではないか。近江の全身に冷や汗がにじんだ。
「戻りました」
声がして、数人の配下が加わった。二十分ほどして、ハンスが立ち止まり確認をした。
「全員いるか?」
「ケルシャーが戻ってきてません。やつの担当はここ、です」
ウォードレスに軍曹のペイントを施した兵がマップを持ってハンスに歩み寄った。
「ハローワーク地下待機部屋か。……お嬢様、急ぎましょう」
岩国駅東昇降口が見えてきた。これまでに見た中で最も巨大な塹壕陣地に連結されている。
一行はまたしても好奇の視線にさらされたが、カーミラは構わず、あらかじの待機させていた兵員輸送車に乗り込んだ。
「ケルシャーは戻って来なかったわね」
「……しかたありません。出発します。2号線を北上して、しばらくしたらゴルフクラブに出ます。そこからは山を越えて山陰側をめざしましょう」
「そうね、どこも敵だらけだものね」
カーミラがうなずくと輸送車は全速で2号線を走った。途中、検問所らしきものが見られたが、カーミラがあっさり憲兵隊を沈黙させた。
「無線手、戦闘団の動きはどう?」
「北側、砂山町の方角の敵を削る、とか言っていますね」
「……アゥフ・ヴィーダーゼーエン。ケルシャー」
カーミラはそうつぶやくと、ハンスからリモコン式の起爆スイッチを受け取った。
後方で天地を揺るがす大爆発が起こった。
八月十一日 一五五〇 国道2号線・ハローワークビル付近
突如として大気が巨大なエネルギーとなって集いかかつてきた。
アクセルを踏んでバランスを取ろうとしたが取りされず、複座型は瓦礫にたたきつけられた。
厚志は歯を食いしばって、かろうじて体勢を立て直した。2号線の反対側で十数両の七四式戦車が横転していた。
敵もすべてが転倒し、焦土の上に横たわり消滅しつつあった。
何が起こったんだ? はっとして新防衛ラインの陣地群を見ると、すべてが消えていた。地面は陥没し、あらゆるものが隕石が落下した跡のような巨大なクレーターの中に落ち込んでいた。コンクリートの破片、奇妙なかたちに折れ曲がった鉄骨、土中から七四式戦車の砲身が天を向くように突き出ているのが痛々しかった。
「舞……?」
呼びかけると「生きておる」と舞の声が聞こえた。鉄鋳びたにおいを鼻に感じた。嗅ぎ慣れた血のにおい。厚志の表情が変わった。
「舞、舞――!」
「ええい、やかましい! 生きておると言ったであろう」
舞の声に生気が感じられた。厚志はほっとため息をつくと、「本当に大丈夫なの?」と念押しするように言った。
「額を強く打った。どうやら切れているようだ。そなたはどうだ……?」
「僕は大丈夫。指も動くし、足も自由だ……って舞、重傷じゃないか! いったん機体を降りて手当するよ!」
厚志は悲痛な叫び声をあげた。舞の体に傷がつくなんて1。ぞっとした。そして何やら得体の知れない悲しみと怒りがふつふっとこみ上げてきた。
「くそっ、なんなんだよ、これ……!」
「落ち着け。瀬戸口たちはしくじったのだ。カーミラのしわざだろう。そんなことより横転した戦車を戻すぞ」
「くそっ!」厚志が怒声を発するとシートを思い切り蹴られた。
「たわけ! 頭を冷やせ。戦車を戻せ、と言っている。アクセル……!」
舞に一喝されて、厚志はアクセルを踏み込んだ。ほどなく横転した戦車を戻す作業に没頭しはじめた。この作業は人型戦車で行うのが効率的だ。
「厚志よ」
黙々と戦車を起こしている厚志に舞が語りかけた。
「なに?」
「そなた、しばらく感情を凍らせよ。わたしの命じたことだけやってくれ」
そうだな。舞がそう望むなら。厚志は抑揚のない声で「わかった」と言った。
「こちら戦闘指揮車。誰かいてはる?」
無線機から加藤の声が聞こえた。
「三番機だ。こちらは被害なし。今、横転した戦車を起こしている最中だ。そちらは?」
舞が応えると加藤はふうっと安堵の息を洩らした。
「茜君が東慮さんのクッションになって全身打撲で左腕骨折。東原さんは無事や。ウチと田代さんも無事や。今、田代さんが茜君の治療をしてる」
骨折するほどの衝撃から東原を守ったことは賞賛に値する。
「茜に、よくやった、戻ったらメロンパンを恵んでやると伝えてくれ。あー、滝川。滝川猿以上類人猿以下陽平……死んだか? 死んでおらんのなら作業を手伝え。じきに敵が来るぞ」
舞の言葉は冷静にして、しかもどこか不屈さを感じさせるものだった。
「ちっくしよう、猿以上類人猿以下ってなんだよ? 俺だって成長してるんだぜ」
滝川の声が聞こえた。
「ふっ、まだまだだな」舞は挑発するように言った。
「たわけ、状況報告を先にせよ」
「瓦礫を盾にして狙撃していたからなんともねえよ。けど、なんなんだよ、これ……?」
「それは後だ。とにかく作業を手伝え」
「わ、わかった……」
ほどなく二番機の足音がして、横転した戦車に手をかけた。戦車兵が何人か地上に降り立っていたが、襲ってくる小型幻獣はいなかった。ことごとくが先ほどの大爆発で吹き飛んでいた。
「こちら矢吹だ。協力感謝する」
しばらくして矢吹から通信が入った。
「5121小隊は被害なしだ。戦車大隊はどうだ?」
「小中破十三というところだな。キャタピラをやられた車両が多い。すぐに換装する。乗員の負傷は打ち身と骨折。死者はなし、だ。戦車屋であったことを幸運に思うよ」
「ふむ。新手が来るまでになんとかせんとな。ははは、戦線に見事に穴が空いた」
舞はらしくなく、朗らかな声で笑った。これが舞なんだなと厚志は思った。状況が悪化すればするほど、逆境にあればあるほど、生来の不屈な魂が輝きを増してくる。舞は自分で気づいているだろうか? 今の舞の声は冷静にして快活。弾んでさえ聞こえる。
舞の放つオーラに影響されたか、矢吹も「ああ」としっかりした声で応じた。
「まったく……あきれるほど見事に空いてしまったな。しかし我々は負けたわけではない。ここからが腕の見せ所というわけだな」
矢吹と舞のやりとりは全軍に伝わっていた。
「こちら植村。戦車屋さんは気楽で羨ましいですなあ。こちらは死傷四十七。ただ今、新岩国に向けて搬送しているところです」
植村の中隊は深刻な損害を受けた、と言える。陣地を守るだけの「歩兵」ならば速成の教育でもなんとかなるが、戦車を守り、共同して戦うことができる本物の「戦車随伴歩兵」は育てるのが難しい。肉体的な強敵さはもとより、常に機動し、刻一刻と変わる状況の中で判断をくださねばならないからだ。
大抵の指揮官だったら泣き言、恨み言のひとつでも言うだろう。しかし植村はそんなことをおくびにも出さず、舞と矢吹に調子を合わせた。
「すまんな」
「わたしも謝罪する」
矢吹と舞が相次いで謝ってきたが、植村は「なんの」と言ってのけた。
「そういう商売ですからな。それで、どうします? じきに2号線と188号線は敵さんであふれ返りますよ」
「むろん迎撃だ。少なくとも大竹までの縦深陣地及び砲撃拠点が完全に整備されるまで、我々は一歩も引けん」
矢吹はきっぱりと言った。
「同感だ。一番機の増援を司令部に打診する」
舞も強い口調で着け会った。
八月十一日 一六〇〇 岩国市役所付近・瓦礫
「まいったな……」
爆発のあおりを受けて瀬戸口の姿は瓦礫の下に埋もれていた。強烈に照りつける夏の陽光にまぶしげに目を細めた。二百メートルほどかなたの大地はきれいさっぱりなくなっていた。巨大な窪地の中からおびただしい黒煙が立ちのぼっている。
善行経由で鈴原からの連絡を受け、急行したが遅かった。防衛ラインの憲兵隊にも連絡をとったのだが、「独立駆逐戦車小隊」と名乗るとけんもほろろに扱われた。戦車兵がどうして共生派を追っているのか、と。
リスの副王が心配そうにのぞき込んできた。
「はは、すまんな。応援してくれたのに」
瀬戸口が謝ると、熱血リスはふるふると首を横に振った。かくなる上は下手人を八つ裂きにするでござる。一瞬、リスの思念が伝わってきたような気がした。
「そうだな。けれどこのざまじゃなあ」
下手に動くと瓦礫の下敷きになりそうだ。
兵員輸送車が急ブレーキをかけて止まった。その振動で石くれがからからと転がった。頼むよ、と瀬戸口は冷や汗を流した。
「ぶざまだな」
開き慣れた声がして、来須が顔をのぞかせた。石津もじっとこちらを見ている。ブータも配下の猫を引き連れて冷やかすようにのぞき込んでいる。
「それで……助けてくれるのか、くれんのか?」
熱血リスが最敬礼をした。いや、おまえさんにはこの仕事は向いていないぞ。
来須がふっと笑うと、憤重に瓦礫を取り除きはじめた。からから、と石くれはなおも音をたてて転がってくる。救出は十分ほどで終わった。
「さて」瀬戸口は泥と埃にまみれたウォードレスをはたくと、あらたまって口を開いた。
「どうする……?」
来須が無表情に尋ねると、瀬戸口は微笑した。
「カーミラを追うぞ。やられっぱなしというのは嫌いなんだ」
「うむ」
来須は即座にうなずいた。
「ブータが……鳥たちを飛ばしている」
石津も同意した。
「カーミラはおそらく北に向かっているよ。188号線を南に向かえばすぐに幻獣の支配地域に出るが、おまえさんたちがいるからな」
「188号線……だったら……わかる……わ」
(燕たちから報せがあった。北のゴルフ場で三両の兵員輸送車を見かけたそうじゃ。西洋人の少女が乗っておる、と)
「それだ」
瀬戸口はぶっそうに笑うと、運転席に乗り込んだ。
八月十一日 一六〇〇 岩国基地司令部
「新防衛ライン、消滅です」
前園少尉が震える声で告げた。「死傷推定五千」「幻獣軍が続々と北上中」「十四師団長と連絡が取れました!」司令室は厳然とした空気に包まれた。
荒波は腕組みをして「ううむ」とうなった。
前線の将校から共生派が新防衛ライン爆破を企んでいるとの報告があり、至急防衛ラインの憲兵に警戒態勢を敷くように命じたのだが、遅かった……なんという陰惨な戦争だ。銃火を交えるならまだしも、これでは死んでいった将兵が浮かばれない。善行の勧告に従って、十四師団を後方へ下がらせておいて正解だった。岩田参謀はと見ると、茫然として端末の前で凍り付いている。
「わたしの防衛ラインが、そんな馬鹿な……」
無菌室の中での永久要塞の夢は崩れ去った。荒波はそんな岩田参謀の様子を眺めていたが、「ま、隕石が運悪く落下したようなものさ」と言ってにやりと笑った。
「はっはっは、落ち着きたまえ、エブリボディ! まず岩田参謀。我が岩国最終防衛ラインは十分に機能し、戦果をあげた。地下陣地なくしてここまで戦うことはできなかったし、これからも支えることはできんだろう。防衛ラインは未だに機能していると考えよ。君は天才だ。ただ、敵さんにもこちらの弱点を見抜く天才がいたということだ。十四師団に関しては、君には悪いが、独断で師団長と談判して八割の兵力を縦深陣地に配置してある。死傷推定五千はその半分以下に訂正せよ」
「はい、訂正します……!」
若い参謀が尊敬のまなざしで荒波に敬礼をした。
「第二師団長とも話はついている。引き続き敵誘因、阻止に従事してもらう。さらに善行の戦闘団は無傷だ。はっはっは、岩田参謀、そんな顔をするな。これからが本当の戦争だ」
荒波は高笑いをあげると、「岩田参謀、二時間だけ指揮権を譲渡する。俺はこれから景気づけに行ってくる」
と言い放った。
「景気づけってまさか……。ノオオオ!」
岩田参謀は冷や水を浴びせられたように立ち上がった。
「だめですだめです。司令官が自ら前線に……そんな話、聞いたこともありません!」
「だから時間限定だ。このために対空戦車を司令部直属にしたのだ。連れて行くぞ」
こともなげに言う荒波を、司令室のスタッフは茫然と見つめた。しかし荒波の全身から発散される特有のオーラが皆を納得させてしまった。この司令官なら大丈夫だ。きっと何食わぬ顔で戻ってくるだろう。
「スキュラ二百、うみかぜゾンビ三百八十、ミノタウロス六百五十、ゴルゴーン千余、キメラ千二百余が北上中ですっ!」
その巨大な戦力にスタッフの声が裏返った。
「来たなー。これがおそらく最後の敵になる。まずはスキュラとゾンビヘリをたたく。厳島には砲身が焼け付くまで航空榴弾を撃てと伝えてくれ。それと空爆準備を航空軍に。要話ありしだいよろしく、とな」
荒波は不敵に笑って言った。
八月十一日 一六一〇 新岩国駅・操車場
「ど、ど、どぎゃんしたこつかぁ……!」
轟音とともに東の空に噴き上がった炎の柱を目撃して、中村は素っ頓狂な声をあげた。
「うわあ……」新井木はただただ爆発の規模に圧倒されていた。
「新防衛ラインが爆破された。さて、俺たちも忙しくなるぞ」
声がして振り返ると、若宮の姿があった。善行の護衛兼補充中隊の選別係として、新岩国で待機状態にあった。
「あ――、久しぶり若りん!」
新井木が嬉しげに若宮のもとに駆け寄った。
「若りんはやめてくれ……」若宮は照れたように頭を掻いた。
「まったく……なんてたるんだ格好だ。おまえは林間学校に来たコドモか?」
新井木は、へ、という顔になって、Tシャツに陸上用のショートパンツを履いている自分の姿をあらためた。足はお気に入りのランニングシューズだ。
「だって暑いんだもん。えっへっへ――」
新井木は若宮の腕に自分の腕を絡めた。見上げる目は悪戯っぽく輝いている。
「僕、今日はノーブラなの」
「う……」
若宮の顔がみるみる赤らんだ。口をばくばくさせて硬直している。
「ああ、ノーブラ? 全然、気づかなかったばい。どこがノーブラなんかの」
「フフフ、新井木をイジメるのはやめなさい。よっく見ればきっとたぶんわかるでしょう」
中村と岩田が冷やかすように笑った。近頃のふたりは新井木の兄的な存在になっている。よくぞここまで育った――お兄ちゃん、嬉しいよという感覚である。むろん整備の面であるが。
「あらー、ラブコメ禁止令じゃなかったっけ? 政治委員」
原の声がして、新井木はひやっと悲鳴をあげて飛び上がった。若宮と手足ば銅像のように硬直したままである。
「若宮君は禁欲的で堅物だから。わたしはね、あっちでもこっちでも青春を謳歌しちやっている隊員たちを、指をくわえて見ているあなたが気の毒だったからこんなお遊びを考えたのよ。 ま、わたしも気持ちわかるからね」
原はにこやかに新井木の顔をのぞきこんだ。
「す、すみません!」原さんこわい。新井木は顔を赤らめて謝った。
原の指がおもむろに新井木のTシャツのネックを引っ張った。
「ヒイイイ……!」新井木は後ずさって若宮の後ろに隠れた。
「……努力しなさいね」
「そ、その……新防衛ラインが爆破されたのでありますが、こ、こんなお気楽なことをしていてよろしいのでしょうか? 人類存亡の危機ですぞ!」
若宮は気をつけをしたまま、裏返った声で訴えた。
「そんな悲壮ぶったって疲れるだけでしょ。こちらは整備星なんだから。ただ、移動準備はしておかないとね」
原は真顔に戻って言った。
「移動準備……ですか?」
新井木がなおも若宮の後ろに隠れて尋ねた。
「幻獣が攻めてくる前に玖珂カントリークラブに整備班を展開させたいの。たぶん戦場は岩国・大竹間になるから。すぐにウォードレスに着替えて。2号線を爆走よ。ということでいいかしら、善行さん……?」
はっとして皆が原の視線を追うと、善行がたたずんでいた。
「すぐに準備を。こちらは今、整備班と同行する部隊編成を行っているところです。……ああ、君たち、狩谷君や森さんはもうウォードレスに着替えていますよ」
善行は苦笑して黙々と作業する狩谷らを目で示した。
「壬生屋さん、大丈夫デスか?」
ベッドに横たわっていると、ドアの向こうからヨーコの声が聞こえた。どうも眠ってしまったらしい。壬生屋はあわでて「どうぞ」と言った。
ウォードレス姿のヨーコがにっこりと微笑んだ。手にはFOXキッドを持っている。
「あ、あの……お礼を言うの遅れて。掃除してくださってありがとうございます」
壬生屋は丁寧に辞儀をした。
「掃除、ワタシのシュミです。お礼、イリマセン」
そう言うとヨーコは壬生屋の顔をじっとのぞき込んだ。やさしげな笑顔は変わらないが、目には真剣な光があった。
「あの……」
「新防衛ラインが爆破されましたネ。戦闘団は岩国・大竹間に展開するそうデス。一番機と補充中隊、警備中隊の一部は出撃しますネ」
「え、ええっ……!」
ことの深刻さを悟って、壬生屋は真っ青になった。
「戦えマスか? 大丈夫デスか?」
ふっ。壬生屋の口許がほころんだ。ヨーコからFOXキッドを受け取った。
「わたくしのことならお気になさらず。覚悟はできていますから。……その覚悟は最後まで生き残って敵を殺すこと。無理は絶対にしませんから」
そう。死んでたまるか! わたくしが死んだら小隊の戦力は落ちる。壬生屋の顔に広がって行く不敵な笑みをヨーコはやさしく見守った。
八月十一日 一七〇〇 新岩国駅構内
新岩国駅から出る最後の列車がホームに停まっていた。元々は人型戦車の生体部品を運ぶために臨時に手配されたものだが、それを善行が引き留めていたものだ。
六両編成の一両は砲座、機銃塵を持った装甲列車だった。客車にはまず負傷兵が乗せられ、「護衛」として島村小隊他の学兵たちが同乗していた。
「合田の兄ちゃんは出撃準備で見送りに来れねえんだ。元気でな」
椅爪は客車の窓から顔を出した島村に敬礼の真似事をしてみせた。島村の顔が一瞬、悲しげに曇った。
「……わたし、助けられてばっかりで。あの……本当にありがとうございました。橋爪さんもご無事で」
「俺は死なねえよ。そう決めたんだ」
今回は相当にやばいぞ、とは思ったが橋爪は努めて気楽な表情をつくってみせた。にしても島村とは何ヵ月も一緒にいたような気がする。彦島で出会って、フェリーで本土の漁港に上陸して、トンネルを爆破して……。
「なーに、しんみりしてんのよ!」
思いっきり背をどやしつけられた。佐藤がクルーたちと一緒に笑っていた。
「おめーら、護衛任務はどうしたんだよ?」
善行の方針で学兵は例外なく負傷兵の護衛で後方に下がることになっている。
「戦えるのに戦わないのは嫌だから。みんなで話し合って残ることにしたんだよ」
佐藤は気合いの入った表情で言った。隣の橘も生まじめな表情でうなずいている。鈴木と神崎だけが、なんだかなーという表情で横を向いていた。
「命令違反は感心しませんね」
声がして合田が姿を現した。にこやかに戦車少女たちを諭している。
「けど、今は一両でも多く戦車が必要なんじゃないですか? わたしたちだって戦車トーチカならできるし。戦いたいんです」
佐藤が真顔になって訴えた。橋爪と合田は困惑して顔を見合わせた。島村小隊と違ってなまじ戦闘力があるだけに厄介だ。
発車のベルが鳴った。
「おめーらの戦争は終わったんだ。とっとと飛び乗れ!」
橋爪があわてて言ったが、紅陵女子α小隊の面々は動こうとしなかった。
「君らは5121の整備班を守ってくれ」
皆が振り返ると、植村大尉がひげ面をほころばせて笑った。
「原さんは癖の強い人だからご機嫌を損ねんようにな。操車場に補給車とトレーラーが待機している。すぐに向かってくれ」
佐藤たちはあらたまった面もちで敬礼をした。
「あらあら、学兵は護衛任務に就いたんじゃなかったの?」
九五式対空戦車と六一式に乗った紅陵女子α小隊が操車場に停車すると、原が補給車から顔を出した。佐藤と橘は「ですから整備の皆さんの護衛を」と言い張った。
「うほー、久しぶりばいね。モグラ少女」中村の能天気な声が聞こえた。
「ノオオ! またご一緒できるなんてアンビリイバブルです!」
奇声を発して岩田が歓迎の意を表した。「ぬ……」「フフフ」中村と岩田の視線がぶつかり火花が敵った。ふたりは瞬時に……あっというまに永遠のライバルとなったのである。
「大量の……」
「ソックス。後で交渉をするです」
佐藤と橘はふたりを異星人でも見るかのように不安げに見つめた。
方々でエンジン音が聞こえた。少数のキャタピラ音も交じっている。
「それじゃ、飛ばすわよ。目的地は玖珂カントリークラブ。一番機、先導して……!」
「参ります!」
漆黒の重装甲は地響きをたでて2号線へと降り立った。
八月十一日 一七三〇 玖珂カントリークラブ(瀬戸口)
「ずいぶん距離を稼がれたな」
瀬戸口の視界にカントリークラブの正門が見えてきた。侵入しまようとすると、「待て」と来須が制止した。来須は門前に降り立つと、「トラップだ」とピアノ線を示した。ピアノ線に引っかかると起爆するようになっている。
「まいったな……」
瀬戸口の顔に焦りの色が浮かんだ。この分だと、どれだけのトラップがあるか。それに、ぐずぐずしていると陽が暮れてしまう。
しかし来須は何も言わずに「道を先へ」とだけ言った。百メートルほど走ったところで、「停めろ」と言った。
「塀を突き破る」
「おいおい」
「塀の厚さは二センチほどだ。しかもコンクリートが劣化している」
来須の言葉に瀬戸口は塀をあらためて見た。苔が付着し、ツタが旺盛に絡まっている。兵員輸送車は本来、戦車と行動をともにする歩兵隊に配備される装甲車だ。
「ま、しょうがないか」
瀬戸口はバックすると、アクセルを思い切り踏み込んだ。コンクリートが砕ける音がして、輸送車はカントリークラブに侵入していた。南北一キロ、東西一・五キロほどの広大なゴルフ場だったが、不景気に影響されてか芝が伸び放題になっていた。
「どうだ、石津?」
瀬戸口が尋ねると石津は黙って首を振った。
「西の突端から山道に出られる」
来須がナビゲーションシステムを参照して言った。元が憲兵隊仕様なだけに、ナビをはじめさまざまな電子機器が搭載されている。
鳥たちがかなたで旋回していた。あの辺りか? 強烈な西日が目にまぶしい。瀬戸口はキャタピラの跡を発見してハンドルをわずかに動かした。
「トラップは……?」
「危険だ。まわりこむように追ってくれ。必ず追いつける」
来須に言われて、瀬戸口はハンドルを大きく切った。落ち着け、俺は相当に焦っているぞ。
それにしてもやつらはもっと距離を稼げたはずだ、と瀬戸口は考えた。
「どうして追いつけるとわかる?」
「どんな車両に乗っているかは知らんが、二、三十名は乗っているだろう。こちらは三人と一匹だ」
そう言うと来須はレーザーライフルを抱え、機銃座に登った。ほどなく「よし」と来須はつぶやいた。
「感じる……わ。カーミラ」
起伏を超えると三両の兵員輸送車が見えてきた。まったく同じタイプだ。
石津は横ハッチから顔を出すと、「距離四百」とすぐに弾き出した。来須とつき合っているとおっかなくなるなあ、と瀬戸口は内心で笑った。
来須はレーザーライフルを構えると、最後尾の車両を撃った。爆発が起こって、炎に包まれた輸送車からウォードレスを着た兵がこぼれ落ちた。
再チャージまで十二秒。来須の腕が伸びて、助手席に立てかけられた九七式狙撃銃を取り出した。銃声が虚空にこだまして、キャタピラに命中した。しかしキャタピラは火花を散らしただけでなんの影響もなかった。
「機銃……」
石津が落ち着いて言うと、「すまん」来須はぶっきらぼうに謝った。
一二・七ミリ機銃弾が弧を措き、輸送車のキャタピラに吸い込まれてゆく。先ほどよりも大きな火花が散ったが、キャタピラは健在だ。
「ははは。あわてるな、おふたりさん」
瀬戸口が冷やかすと、石津にきっとにらまれた。
「瀬戸口……さん……に……言われたく」
再チャージ終了。話し終える前に再び爆発。兵がばらばらと地上に散った。
「よし! カーミラは最後のやつにいるぞ」
瀬戸口が狩りの終了を告げようとしたその時、爆発音がして車体が大きく傾いだ。同時に巧妙な十字砲火に射すくめられた。「携行地雷をばらまかれた」来須はそう言うと機銃に取り付き、手榴弾の投射姿勢に入った兵をなぎ倒した。
「ここは俺が引き受ける。石津、瀬戸口、左手に深いバンカーがある。そこまで走ってレーザーライフルを使え」
「待てよ。バンカーまで二十メートルはあるぞ」
生き残った敵は遮蔽物に隠れており、損害は手榴弾を投げようとした二名だけだった。おそらく敵はこちらが車外に出る瞬間を狙っているに違いない。くそ、ここまで来て……! 瀬戸口はダッシュボードに拳をたたきつけた。
「ぐずぐずするな。地雷を持っているようなやつらだ。零式ミサイルの直撃が来ないとも限らん。急げ――」
来須の声が切迫していた。瀬戸口は迷ったあげく、ダッシュボードの中にあった信号弾を手にした。ハッチを開け、適当な方角に向け信号弾を放った。真っ青な煙が芝の地面を這った。
レーザーライフルを掴み、石津をうながすと覚悟を決めてバンカーに走った。何発かの弾丸がウォードレスをかすめたが、信号弾は煙幕の代わりになったか、あるいは敵の判断を狂わせたようだった。
石津をバンカー内に突き飛ばすと、左足に激痛が走った。そのまま倒れ込むようにしてバンカーへ身を投げる。
「マシンガンの洗れ弾。パラベラム弾だ。手当はあと。石津……狙撃、頼めるか?」
石津はレーザーライフルを拾い上げると、二脚を広げ、地面に固定すると伏射の姿勢をとった。なんだ、俺よりさまになっているじゃないかと思いながら瀬戸口は遠ざかって行く兵員輸送車を目で追った。
熱線が地を這うように走って、輸送車のキャタピラを粉砕した。輸送車の中から兵と、そして白いドレスの少女が現れた。
「失敗した……わ」
五十メートルほど先には山道があり、反対側は深い森になっていた。距離は四、五百……。だめだ、俺のサブマシンガンでは役にたたん。逃げて行く兵が一斉に手榴弾らしきものを地面に転がした。ほどなく辺りは濛々たる煙に包まれた。
次の瞬間、爆発が起こって、来須の巨体がバンカーに転がり込んできた。瀬戸口と同じく足から血を滴らせている。
「地雷を持って肉薄攻撃してきた」
来須の目には怒りとも敵への賛嘆ともとれる光が宿ってていた。
「森に……逃げ込む……わ」
石津は来須の傷にちらと視線を走らせると、レーザーライフルの銃座を譲った。来須は左足に突き刺さった破片を引き抜くと、銃座に取り付きスコープをのぞき込んだ。
敵の銃撃が収まってきた。どうやらともに退却するようだ。
気まぐれな風。来須の目はつかのま煙の中に少女の後ろ姿をとらえた。引き金に指をかけた瞬間、煙が視界一杯に広がった――。
「……まだだ」
来須はつぶやくと狙撃銃に持ち替えて再び構えた。瀬戸口と石津が見守る中、来須は冷静に引き金を引いた。銃声が虚空に響き渡った。
「……!」来須は無言で狙撃銃を砂の上にたたきつけた。
「何をやっているんだ! 俺が撃つ!」
瀬戸口は珍しく焦った声を出すと、レーザーライフルを構えた。スコープの十字線にカーミラの盾となって集まる兵が見えた。レーザーなら兵の体を貫通するはずだ!「待て」来須の声が聞こえたが、瀬戸口は構わず引き金を引いた。
激しい振動と衝撃。瀬戸口は大きくバランスを崩した。とんでもない方角で炎をあげる木々を眺め、瀬戸口の顔に苦笑が浮かんだ。
「くそ」瀬戸口は悔しげな声を洩らした。
「なんて反動だ! あらかじめ言ってくれよ、来宅こいつは人間の武器じゃないクエ 来須と石津は黙って顔を見合わせた。
八月十一日 一八〇〇 玖珂カントリークラブ(カーミラ)
「サミュエル、ヨッヘン、ハーゼ、クアト、フリッツ、ヴァルター、ポイグ、クレーマーが死にました。後の者はなんとか歩けます」
走りながらハンスが冷静に報告した。一瞥しただけで顔ぶれを見分けるなど大したものだ、と近江は思った。多くの者が日本人の顔に整形していることは車内で聞かされた。
「……嫌な土地ね。大切な部下がたくさん死んだ」
カーミラはそうつぶやくと、視線を落とした。次の瞬間、大気が熱気を帯び、カーミラの髪を焦がし、前方の大木が燃え上がった。
「レーザーです! 早く森へ」
ハンスはカーミラの盾となってその後ろに位置を移した。
「重傷三名。装備は良好。士気は最高! 俺たちが時間を稼ぎます」
肩を借りて歩いていた兵が陽気な口調で言った。山道に降りると段差を利用してその兵はサブマシンガンを構えた。それを見て同じように肩を借りていた兵がふたり、這うようにして射撃位置についた。
「ヘルムート、マックス、ツァハリアス……ごめんね。必ず戻って来るのよ」
カーミラは一瞬立ち止まると、三人に声をかけた。
「お嬢様こそご無事で」
森へ入ろうとカーミラが振り向いたその時だった。一発の銃声が聞こえて、カーミラは突然倒れ込んだ。続いてもう一発、レーザーがはるか頭上を通り過ぎ、木々を燃やした。兵らはすばやく盾となって、ハンスが巨木の陰にカーミラを引きずっていった。銃弾が肩の下を貫通していた。近江はポシェットを探るとすばやく止血をし、モルヒネを打った。
どうやら衛生兵の経験がある者はいないらしい。近江は傷口をあらためてみた。肩胛骨《けんこうこつ》から胸にかけて抜けている。しばらく様子を見て、やがて強い視線で皆を見渡した。
「運が良かった! 肺を逸れている。これなら大丈夫」
兵らの顔に安堵の色が広がった。熊本戦で共生派とやり合って負傷者の手当は散々してきた。
服を脱がし、包帯を巻いてから、近江はためらわずカーミラを担ぎ上げた。
「近江さん……。僕が担ぎますよ」
ハンスが意外な、というように声をかけてきたが、近江は「いいえ」と視線に力を込めてハンスを見つめた。
「戦闘力のある者はいつでも戦えるようにしていないと! この中ではわたしが一番弱いからこうするの」
銃声が聞こえた。三人は弾幕を張って撤退の援護に入ったようだ。
カーミラとその一行は森深くに分け入った。
「遭難したんじゃしゃれにならないけど……」
近江が口を開くと、背中で咳き込みながら笑う声が聞こえた。
「大丈夫……よ。迷ったら、知り会いのスキュラでもなんでもいるから」
ふうっ。近江は深々とため息を吐いた。本当に――。わたしはこんなところで何をやっているんだろう? この悪魔少女に魅入られたのが運の尽きだったのか? しかしこの悪鬼の歌だけはいつまでも聴いていたいな。歌だけがこの娘の取り柄だからな。
「……ずいぶんな言われようね」
「うん」心を読まれて近江は不機嫌にうなずいた。
「貴子が友達でよかったわ」
「……しゃべると傷口が開くぞ。これから思いつく限りの悪口を考えてやるから!」
「あはは」
……本当に、なんでこんなめに、悪魔めとつぶやきながら、近江はカーミラとその配下とともに深い森の中に溶け込んでいった。
八月十一日 一八一五 玖珂カントリークラブ・バンカl(瀬戸口)
「気配を……絶った……わ」
石津は悔しげに唇を噛んだ。配下の兵がこちらが顔を出すたびに撃ってくる。撃ちながら両翼に移動しているようで、兵としてのレベルの高さをうかがわせる。
「……すまん」
来須がぼそりと謝った。本当は頭を狙ったのだが、自分の銃でなかったため、銃固有の癖にしてやられた。自分専用にカスタマイズを施していない銃は狙撃銃とは呼べないのだ。安易な、狙撃の経験がある者なら悔やんでも悔やみきれない安易な油断だった。
「謝るのは俺だ」
瀬戸口は髪をかきむしった。最後の最後でとんでもないヘマをやらかした。カーミラの姿は確認できなかったが、あのレーザーが命中していれば、もしかしたら……。
携帯無線を手にして、瀬戸口は善行に状況を報告した。
「作戦は失敗。現在、玖珂カントリークラブにいます。とり急ぎ報告。正門及び各所にトラップあり。十分注意するようにしてください」
「……わかりました。詳細は後はど」
無線が切れると、瀬戸口は足を引きずりバンカーを出た。
徒労感が残った。瀬戸口は芝生の上に大の字になって寝転がった。
ブータが戻ってきた。全身に返り血を浴びている。爪と爪の間には何者とも知れぬ獣の毛が鮮血とともにこびりついていた。
(わしもしくじった。カラスとイタチめが裏切りおって。二度と逆らえぬようにしてやった。裏切りなくばカーミラを討てたものを)
「厄介な相手だな」
瀬戸口はブータニアスをねぎらった。
「追撃はできないか?」
(むろんできる。リスの副王と翼ある者を召集しよう)
「神様からの情報は?」瀬戸口は吉香神社で会った小さな神を思い浮かべた。
(自らを守るのに手一杯じゃ。幻獣の味方をする有象無象はまだまだおるのよ)
石津が瀬戸口とブータの間に割り込んだ。じっとブータを見つめる。
「ブータのロ、体……生臭い……わ。あそこに……池がある」
「にやは」
せっかく強敵を相手に戦ってきたのに――。石津にはかなわん。散々な言われように、ブータはふてくされ、砂まみれになってバンカー内を転げ回った。
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第二十一章 剣をかかげ前へ
八月十一日 一八三〇 岩国基地西・車町付近
「敵第一波、うみかぜゾンビ、188号線を北上。五分後に空港入り口交差点に到達します」
前園少尉の声がコックピットにこだました。ふむ、相変わらずだ。敵は空陸の連携などまったく考えていない。足の速い者から順に戦場に到達する。
「地獄の戦場へようこそ。独立防空支援隊、所定の位置についたか?」
荒波はにやりと笑って、夏空を低空で飛んでくる黒点の群れを見つめながら言った。
「全車両、戦車壕に到着。偽装も完了しております」
連隊長の返信に荒波は満足げにうなずいた。
「我々の目標は空戦型幻獣のみだ。そのために君らを温存してきた」
「了解しました。……閣下はどうなさるんですか?」
「まずはゾンビヘリからだ。スキュラはなかなか動かんだろう。とにかくだ、やつらを徹底してたたく。これが今回の作戦の目的である。さて、俺からやるぞ」
荒波の九二ミリライフルが八百の距離でうみかぜゾンビをとらえた。発射。ライフル弾は一直線に機体に命中し、炎をあげた。
「はっはっは」
荒波は高笑いをあげると基地内に逃げ込んだ。四百を数えるうみかぜゾンビからの機関砲弾が一斉に荒波機の元いた位置の地面を耕す。ローテンシュトルムはすでに狙撃用の壕に収まっている。これを合図に付近に展開していた対空歩兵が一斉に零式ミサイルを放った。点々と炎が上がり、数体のゾンビヘリが墜落していった。
「さて、対空屋の諸君。北では十四師団及び善行戦闘団が展開中である。どちらも対空装備には極めて乏しい。そこで君たちの出番というわけだ。君たちの頑張りが戦局を左右すると言っても過言ではないだろう。最善を尽くせ、以上だ」
荒波は対空に携わる全部隊に呼びかけた。その中には対空歩兵、通称ミサイルネズミもいたし、四〇ミリ高射機関砲のクルーもいた。そして防空支援隊の九五式対空戦車のクルーも、厳島のスタッフもいた。
「うみかぜゾンビ、突進してきます!」
前園の声と同時に、厳島の航空榴弾がゾンビヘリの頭上から降り注いだ。ミサイルネズミも四〇ミリ高射機関砲群もゾンビヘリを狙う。またたくまに三十を超えるヘリが墜落した。ゾンビヘリはなおも突進を続け、展開中の善行戦闘団をめざしていた。
「防空支援隊、俺の合図があるまで撃つなよ」
荒波は命じると、一体、また一体とゾンビヘリを撃墜していった。これに零式ミサイル、高射機関砲が重低音を響かせてあらゆる方角から襲いかかった。
「うみかぜゾンビ五十撃破……! 航空榴弾、来ます」
またしても上空に炎の花が咲き乱れた。
「あらゆる対空砲火はうみかぜゾンビに集中。善行を楽にしてやるんだ。そろそろ三百以内に入ったか?」
荒波はジャイアントアサルトに持ち替え、狙撃を続けながら、彼我の距離をはかった。
「全車両、射程内に敵」連隊長の声が切迫味を帯びた。
「撃てっ!」
次の瞬間、戦線に居合わせた誰もが目を疑った。百二十両を超える九五式対空戦車が、うみかぜゾンビの大群に二〇ミリ機関砲の一斉射撃を浴びせていた。数え切れぬほどの曳光弾が光の尾を引いてゾンビヘリに吸い込まれていく。岩国基地西側の上空は、薄明かりに包まれた夏空を巨大な炎の連鎖で包んだ。爆発、炎上。付近の温度は大量の熱風によって急上昇した。
「うみかぜゾンビ百九十三撃破! 司令、やりました……!」
前園が弾んだ声をあげた。不意を打たれた敵は散開して九五式戦車を探す。何らかの理由で隠蔽が解け、砲塔を突き出した戦車が集中砲火を受けて燃え上がる。
しかし九五式はなおも二〇ミリ機関砲弾を執拗にゾンビヘリにたたき込んだ。地上はヘリの残骸で埋まった。四十体ほどに減らされたゾンビヘリはなおも北上して、旧市役所跡付近に展開していた善行の戦闘団の迎撃を受けていた。
戦闘時間わずか二十分。うみかぜゾンビの大群は溶け散った。
荒波と岩田参謀が、あちらから一個中欧、こちらから一個小隊と、密かに九五式対空戦車を集めてきた成果だった。ふたりはこれに「防空支援隊」なる曖昧にしてはなはださえない名称を与え、友軍の危機にもわずかに動かしたのみで、隠しに隠してきた。
これが岩国最終防衛ラインの最後の切り札だった。
八月十一日 一九〇〇 旧岩国市役所付近
南の空を彩った殺戦の嵐に、戦闘団の将兵は目を奪われた。
三百を超えるうみかぜゾンビに襲われたのでは応戦のしょうがなかった。せいぜいが瓦礫の陰に隠れて一体、二体と敵を削るぐらいだ。善行は敵の数を確認した時、こと終われりと一時は思った。自分が最善を尽くした結果がこれだ。一瞬、腰のホルスターに触れていた。
次の瞬間、善行の目を炎の海がまばゆく刺した。しばらくは何も見えなくなるほどのまばゆさだった。
「あー、こちら荒波神司令官である。どうだった、先ほどの花火は? 堪能したかね?」
荒波から通信が入った。やってくれる……。善行は苦笑を浮かべた。
「隠し駒をとうとう出しましたね。助かりました」
「うむ。引き続きスキュラの料理にかかる。ま、こちらが料理されるかもしれんがな。ついては頼みがある。おたくの三番機を貸してもらえんかね?」
「わかりました。支援用に二番機も出しましょう」
市役所付近で188号線はいったん消えていた。深さ五メートルほどの急勾配のクレーターに三百メートルに渡って寸断され、岩国駅付近で元に戻る。陸戦型幻獣はこのクレーターを通過するのに四苦八苦していた。
今のところクレーター内にひしめいているのは小型幻獣だけだった。クレーターに向かって友軍は榴弾の雨を降らせ、その内都は地獄の様相を呈していた。数匹のゴブリンが奇跡的に脱出できたが、友軍の機銃によってずたずたにされた。
こうしたクレーターが旧十一師団戦区から市役所付近に渡って点在し、この方面では小型幻獣に大量の出血を強いていた。
善行は戦車隊をクレーターを目安に展開させていた。苦心して這い登ってくる敵を一匹一匹撃破しようという腹だった。
「こちら芝村。これより出撃する。二番機は適当なところで狙撃だ」
芝村からの通信に善行は「よろしく」とだけ応えた。
「東原さん、何か感じますか?」
善行が尋ねると、東原は画面に落としていた顔を上げた。おや、少し大人の顔になったな、と善行は目を瞬いた。
「すこしだけ。あのね、九州にいたころにちかくなっている」
「戦意は旺盛というわけですね」
「変なスキュラがいるの」
そう言うと東原は善行の袖を引っ張って、画面を見せた。ディスプレイに映っているのはスキュラだったが、通常のスキュラより青みがかって見える。「これは……」善行が考え込むと、東原は「青スキュラ」とつぶやいた。
「三番機、橋を渡ったところだ。なんなのだ、青スキュラとは……?」
「んとね……舞ちゃんが考えているとおりだとおもうよ。つよくてあたまのいいスキュラが最後の戦いにあつまっているの。今はばかなふりしてるけど、ゆだんしちやだのだよ」
東原は冷静な衷情で言った。
「なぜそのようなことを知っている?」
舞が尋ねると、東原もなぜだろうという顔になった。
「あのね、寝ていた時に声が聞こえてきたの。やさしそうなおじさんの声だった。青いスキュラはベリー・ストロング。ベリー・クレバー。九州にいた時にたまに強いのがいたでしょう? せんせんがとっぱされたんでそうどういんされたんだって。どうしてののみに言うのってきいたら、あなたがいるかぎり、じんるいはこころ折れることないからって。むずかしかったんで、ヨーコさんにあとできいたの。そうしたら……」
東原はひと言ひと言、区切るようにして言った。不意にヨーコの声が割って入った。
「スミマセン。ワタシから報告するべきデシタネ。けれど、ワタシたちにはいろいろな味方がイマス」
ヨーコは恐縮したように謝った。しかし舞は「気にするな」と返事を送った。
「確本戦の頃はそうした手合いによく出合った。この地に来て、出合った敵は、そうした敵と比べると古参兵と新兵ぐらいの差があった」
「芝村さんのレポートにも詳細に書かれていましたね。その男が何者かは知りませんが、東原さんの言葉は信ずるに足ります二一番機、三番機は気をつけて」
善行はそう言って話を結んだ。
「大丈夫だ。むしろ、やっと出てきてくれた、と嬉しく思う」
八月十一日 一九〇〇 玖珂カントリークラブ
「整備テントはクラブハウスから電源を取って。え、塹壕……? 適当にやってね。こっちは専門家じゃないんだから」
原は何かと問い合わせてくる警備中隊長にウンザリしていた。日本自衛軍のいぶし銀と言うべき工兵隊は、嬉々としてトラップを解除して、今は手慣れた仕草でテントを設営している。
整備員もその手伝いで走り回っていた。
「ただいま――」
疲れ切った声がして、原は飛び上がった。左足に包帯を巻いた瀬戸口が、皮肉に笑った。
「任務終了です」
来須も足に傷を負って、レーザーライフルを杖代わりにたたずんでいる。隣にはこれも疲れた顔の石津萌の姿があった。
「何をやっていたのかは知らないけど、クラブハウスにエアコン通してあるから。少し休んだら? なんだか別人みたいよ」
原が三人を見つめて言うと、瀬戸口は肩をすくめた。
「そうさせてもらいますよ。くたくただ」
無線機が鳴って善行の声が聞こえた。原はくっと笑うと、瀬戸口に席を譲った。
「あらためて詳細を報告します。結論から言えばカーミラは取り逃がしました。しかし手駒の多くを失い、来須の狙撃で負傷。生死は確認できませんでしたが、戦線に戻ることはないでしょう」
瀬戸口の横顔に悔しげな色がにじんだ。
「なぜそう言い切れるのです?」
「来須の話では銃弾はおそらく肺を貫通したものと。たとえ命を取り留めたとしでも、カーミラ自身は生身の少女の体です。そう無理はできませんよ。また、部下がさせないでしょうね」
「部下……?」善行の声に好奇心が交じった。
「カーミラの私兵らしいんですが、非常に優秀です。やつらのお陰でとどめを刺せなかったと言ってもいいでしょうね。カーミラの戦線離脱、そしてカーミラの弱点を探ることができた、と。それが今回の収穫ですが、残念ながら任務は失敗です」
瀬戸口が結ぶと、善行は「なるほど」と抑揚のない声でうなずいた。
「それに……俺と来須、両名負傷という付録が付きます」
沈黙があった。
「傷の具合は……?」
「俺は左脚に拳銃弾を一発。これから石津に摘出してもらってなんとか。来須は……」
「問題ない」
来須はぼそりと言った。
「瀬戸口君は戦闘指揮車へ。来須君と石津さんは整備班の護衛を。ごくろうさまでした」
善行からの通信はぶつりと切れた。
瀬戸田は来須、石津と視線を交わし、ため息をついた。
「任務失敗……ね。さて、少し休んだら仕事仕事。なんだか前線は大変なことになっているみたいよ。スキュラ二百だって。善行さんはああ言ったけど、来須君と石津さんには判断任せる」
原がにこやかに言うと、来須は「……すまんが」と口を開いた。
「兵員輸送車の修理を頼めるか? 車輪とキャタピラ周りだ」
ほほほほ。原の高笑いが空にこだました。
「5121の整備班が輸送車ごときの修理を、ねえ。来須君、わたしたちは高くつくわよ!」
来須の表情に微かに動揺の色が走って消えた。石津がにこりと笑った。
「俺には戦争しかできんが……」
原は真顔になると来須の頬を張った。来須は珍しく茫然として自らの頬を押さえた。
「だったらノンビリ負傷なんかしているんじゃないわよ! 来須銀河。任務の失敗は失敗。ごめん、でいいの! あなたのわたしへの報酬はね、皆を守ること! 死なせないこと! イエスならイエス・マァムと言ってごらん! このヘタレ戦争屋……!」
「……イ、イエス・マァム」
失敗してごめん、ではよくはないだろうが、来須は原に圧倒されるかたちで最敬礼をした。
一台の軽トラが整備テント前で停まった。
荷台にはスーツにコートを暑苦しく着込んだサラリーマン風の男が悠々と煙草を吹かしていた。瀬戸口と来須は顔を見合わせると、軽トラに歩み寄った。
ドアが開き、中から白衣、ひつつめ髪の女性と、小柄な少女が現れた。
「転校生を連れてきました。飯島看護師です」
サラリーマン風の男はふたりに笑いかけた。
「ど、どうしたっていうんです……? 河合さん、鈴鹿先生」
瀬戸口があっけにとられ口を開くと、鈴原先生と呼ばれた女性が「その、な……」と不機嫌な表情を露わに言葉を発した。
「憲兵隊に目をつけられる可能性があってな。この飯島はわたしを手伝って働いてくれたのだ。……守ってやってくれんか?」
鈴原は飯島の華奢な肩に手を置いた。飯島は悄然と地面に目を落としている。瀬戸口も来須も河会と鈴原のことはよく知っている。
「……わかった」来須はあっさりと請け合った。
「それは構いませんが、あなたたちはどうするんです?」
瀬戸口が尋ねると、河合と鈴原は顔を見合わせ微笑み会った。
「この戦争を見届けた後、九州に戻る。たぶん……おまえらは勝つだろう」
「わたしも一緒に行きます! 先生、わたしも共生派になりますっ! 役にたつように頑張りますから……」
そう叫ぶと飯島は目に渡を浮かべ、鈴原に訴えた。
「あらあら、共生派なんて穏やかじゃないわね。おふたりさん、瀬戸口君のお友達?」
原が腕組みをしたまま歩み寄ってきた。
「やれやれ、そんな大声出されても困るんですがねえ」
河合が二本目の煙草に火をつけようとした時、原の手が伸びて煙草を取り上げた。
「ここは禁煙よ、お・じ・さ・ま」
河合は苦笑すると原に頭を下げた。
「これはソーリー。わたしたちは共生派の和平派でしてね。わたしは河合と申します。こちらはわたしのフィアンセで鈴原医師。それでこちらは熱血看護師の飯島嬢です。その、少々医療活動というやつをやり過ぎまして。我々はともかく、こちらの飯島嬢になんとか憲兵の追及が来ないように、と。彼女は共生派ではありませんから」
原は一見不釣り合いに見えるカップルをしげしげと眺めた。鈴原は澄ました表情を崩さず、河合は苦笑を浮かべたままだ。
「瀬戸口君も来須君も変わったお友達が多いわねえ。わたしは原です。5121の整備班の班長よ。ふたりはこれから前線行きだけど、この子のことは引き受けたわ」
原はにこやかに、しかしきっぱりとした口調で言った。
「ありがとう」
鈴原は原の視線をとらえると、礼を述べた。
「そんな、先生! わたしだって大人です。自分のことは自分で……!」
飯島が鈴原に掴みかかろうとしたその時「ソーリー」河合の声がして、飯島は芝生の上に倒れ込んだ。
「すぐに気がつきますよ。乱暴狼藉、ご容赦」
河合が恐縮したように謝ると、原は高笑いをあげた。
「ご容赦してあげる。……このの子、よっぽど先生のこと好きなのね。なんだか羨ましいわ」
「……途中まで送るか?」
不意に来須が口を開いた。
「いえいえ、ご厚意だけ感謝します」
河合は謝絶すると、背を向けて軽トラに乗り込んだ。鈴原も後に続いた。
「わたしもマイ・フィアンセと同じ意見ですね。あなたがたはこの戦争に勝ちますよ。それではグッドラック!」
遠ざかる軽トラから河合は手を差し上げ、ひらひらと振った。
八月十一日 一九三〇 岩国基地――旭町工業団地
スキュラの大群はにわかに散開をはじめた。全長三キロぐらいの鶴翼《かくよく》体形をとって、独特な風切り音を響かせながら北上を開始した。
防空支援隊の九五式をはじめ、ありとあらゆる対空砲火が敵に浴びせられた。
しかし……、ここで幻獣側は巧妙な動きを見せた。スキュラに九五式の機関砲弾が命中するたびに火点にすばやくレーザー攻撃が行われた。瞬時のうちに十数両の対空戦車が爆発し、燃え上がった。
「速いね」
厚志はアクセルを踏み込んですばやく理想的な瓦礫を見つけた。ビルの骨格が残っていて、鎧の役目を果たしてくれる。滑り込むように瓦礫に入ると、三番機の九二式ライフルが五百の距離に接近したスキュラを撃った。「む……」舞は不快げにうなった。ぐずぐずと炎をあげながらも、そのスキュラはなおも前進を続けた。別の方角から教条のレーザーが飛んできた。コンクリートが破砕され、粉塵が噴き上がった。
再装填完了。四百の距離に迫ったスキュラのレーザー口を狙って砲弾をたたき込む。今度は爆発。だが、またしても三番機を狙ってレーザーが飛んできた。
「敵は連携しているぞ……!」
「こんなの熊本でもたまにしか……」
言い終わらぬうちに危険を察知した厚志は、アクセルを踏み込んで次の遮蔽物へと移動。舞はその間、敵をロックし、偏差射撃を行った。命中! しかし青みがかったスキュラは前進を止めず、返礼に教条のレーザー。
「だめだ、僕たちの戦法だと、二発目の再装填まで保たないよ」
僕たちの戦法、とは露出を恐れず、移動しながら敵をかき回し、倒していく戦術だ。攻撃とオトリ役を同時に引き受けるテクニカルな戦術で、厚志という操縦の天才ならではのものだった。これが難しくなっている。こんなやつらが二百か――。
「わかった。ジャベリンミサイル発射後、武器を変える」
くん、と腰を落とすと舞はミサイル発射スイッチを押した。二十四発のミサイルが上空を進撃するスキュラに命中した。間を置かずに厚志はジャンプ。元いた位置、そして前後左右に大量のレーザーが放たれた。
どこへ移動したとしでも一発はくらっていたろう。選択はひとつ。ジャンプしたのは厚志の勘だった。三番機は瓦礫を盾としながら移動を続けた。瞬時にここ、と決めた戦車用壕から地下通路へ。
ジャイアントアサルトに換装する間、厚志は低い声で笑い続けた。
「……どうした?」
「うん。ぞくぞくしてきた。この気持ち、なんなんだろうって考えてたんだけど、強い敵を倒すのは嬉しいことだよね。この子も言っている。まだ自分を追い込んでいないって。あの青いやつら、きっと自分たちのことを最強だと信じている。そんなやつらに恐怖を与えて潰せば戦争は終わる。なんたって傍らは……」
「災禍を狩る災禍だな」
なんという心地よさだ。厚志の狂気は。二百のスキュラに不安を抱くでもなく、恐れるでもなく、潰せると信じている。
「荒波司令官」
舞は荒波を呼び出した。
「なんだ、天才コンビ?」
無線機の向こう側から二〇ミリ機関砲弾の射撃音と爆発音が途切れることなくこだましている。相当数の九五式がやられている。
「我らはオトリとなって戦場を駆けゆぐり、敵の憎悪という憎悪を引き受けるぞ。後のことはよろしく頼む」
舞は白い歯を見せて言い放った。
「はっはっは。それは俺の役目だ、と昔なら言えたんだがな。頼めるか?」
「むろんだ。こちらもひとつ頼みがある」
「何かな、プリンセス?」
今となっては懐かしい呼称だ。長い休暇の中、夏の死んだような午後。そんな時間に比べれば、今はなんと充実した時であることか!
「マーチを流してくれ。突撃軍歌を――」
「了解した。頼んだぞ」
荒波の声は力強く、不敵だった。「行くよ」厚志は短く言うと三番機は急発進した。
ここは僕と舞だけの世界だ。焦土と瓦礫、廃墟に満ちた光景を厚志の目はゆまぐるしく走査し、隠蔽場所を探した。地点A・B・C・D……先の先まで移動経路、隠蔽形態を考え、三番機はまず旭町の団地群に滑り込んだ。
三番機は上空を通過するスキュラの腹に二〇ミリ機関砲弾をたたき込んだ。最高の素材で製造された高速ガトリンク機構がなめらかな回転音を発する。スキュラの腹に裂け目が生じるが、舞はさらに何発かとどめの一撃を加える。爆発が起こってスキュラは四散した。すぐに別のブロックへと移動。おびただしいレーザーが団地の壁を削る。
うん、ここはいい場所だぞ。
「右手の青いやつ」
舞の指示に従って、三番機はジャンプし、「右手の青いやつ」の尻尾をかすめるように着地、すぐに舞が敵の腹に機関砲弾をたたき込む。一秒、二秒、三秒……弾が勿体ないよ、とっとと落ちてくれ。五秒間の射撃でスキュラはバランスを失って墜落、数ブロック離れた団地で爆発炎上した。
あははは。厚志は声をあげて笑った。
これだ! この強さ! このぐらいしぶとくなくちや空中要塞じゃないよ。厚志はふつふつとわき起こる殺戮への欲求に身を任せた。
「八時。今度は二体だ」舞は平然と言ってのけた。厚志はレーザーをやすやすと避け、団地の屋上へ。先頭の敵は狼狽したようにレーザー口に熱を溜めはじめる。三番機の左腕はレーザー口を突き破ると、敵の内臓らしきものを引き出して再び棟と棟の間に潜り込む。
内臓らしきものを引き抜かれた敵は突如として炎を発して、隣のブロックで爆発した。二体めのスキュラが苦労して棟と棟の間にレーザー口を向けようとうごめく。舞はレーザー口に照準を合わせると引き金を引き続けた。
爆発――。熱風が押し寄せるが栄光号は平然と次の遮蔽物を探し求める。うん……? 肌がぞくりとする。やったね、敵さん怒っているぞ!
「パンチ、いいかもね、舞。心臓だかなんだか引き抜いてやったけど、あれってけっこう敵には恥ずかしいことなのかも」
厚志の陽気な口調に、「そうだな」と舞も同意した。
「あと何度か、我らの曲芸を見せてやろう」
「あはは。了解――」
八月十一日 一九四〇 旭町陣地
狙撃陣地に飛び込んできたイタリアン・イエローの軽装甲に藤代は目を見張った。
「へっへっへ、敵さん、相当怒ってやがる。俺が撃っても見向きもしねえ」
拡声器でのあわただしい挨拶だった。確か滝川君だったかしら? 考える間もなく軽装甲の九二ミリライフルは前方のスキュラを爆散させていた。一発で……? なんだか今回の敵はやけに硬いんだけど。
「あの、滝川さん、ですよね? 前に助けていただいた」
「だっけか」
滝川の声が短く響くと、再装填終了と同時にライアル弾が団地上空のスキュラに命中した。
またしても大爆発。
「どうして……?」藤代と島は同時につぶやいた。
「どうして一発で倒せるんですか?」
砲手の島が思い切って尋ねた。
「ああ、レーザー発射の直前を狙うんだよ。レーザー口な。あと腹も柔らかいぜ」
滝川はこともなげに言った。
「今、工業団地で速水と芝村が暴れているから、スキュラが集まってきているんだ。狙い目なんだ……っておまえら何ぼんやりしてんの? 稼ぎ時なのに」
「ご、ごめんなさい……」島は顔を赤らめて謝った。
「レーザー口が朱色ぐらいになったら狙撃な」
そう言うと、二番機はまたしてもライフル弾を発射。「朱色」の一体を仕留めた。
滝川に言われた通りに、島は朱色に染まったレーザー口に向け、ライフル弾を放った。命中。
まるで敵役が大げさに苦闘するように、スキュラは方々から炎を発して爆発した。
「やった……!」
島が嬉しげにつぶやくと、滝川は「うんうん、お兄さんは嬉しいよ」と軽口をたたいた。基地のスピーカーから懐かしい音楽が流れてきた。
「おっ……!」
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絶望と悲しみの海から、それは生まれ出る
地に希望を、天に夢を取り戻すため生まれ出る
闇《やみ》を祓《はら》う銀の剣を持つ少年
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「……それは子供の頃に聞いた話、誰もが笑うおとぎ話」
滝川は拡声器をつけっぱなしにしたまま、口ずさんだ。ライフルを構え、朱色に染まった一点に向け、砲弾を放った。スキュラは炎に包まれて墜落していった。
「でもわたしは笑わない。わたしは信じられる」
「……あなたの横顔を見ているから」
藤代と島も口ずさむと、きっと敵をにらみつけた。二百三十万人の死。そしてかつてこの歌を口ずさんでいた五万人の死んだ学兵たち。ふたりにひとりが今なお九州で眠っている。わたしたちを待っている。なのに……わたしたちは、そんなことも忘れようとしていた。みんな、ごめんね。藤代も島も同じ思いを分かち合った。
「そろそろ限界だな。あいつら移動するってよ。俺もつき合わねえと。……じゃあな」
黄色い軽装甲は陣地を出てダッシュすると、瞬く間に瓦礫の中に消えた。
「行っちゃったね……」
島が気が抜けたように言うと、藤代も「うん」とうなずいた。
「けど敵の弱点わかったし。さあ、狙撃狙撃」
藤代は相棒を元気づけるように言った。
八月十一日 二〇〇〇 岩国基地司令部昇降口付近
「芝村だ。これから土産を連れてそちらに行く。補給よろしく」
三番機は巧みなステップワークで敵のレーザーをかわし続けていた。基地内はまるで祭りのように明々と探漁灯に親らされ、今なお高射砲陣地が旺盛な閃光を発していた。
「了解だ。それにしても君らは人気者だな。百体近くは引き連れているぞ」
荒波が冷やかすと、「そんなにか……!」と舞はぞくりとした。団地で十五体ほど葬ってから敵の憎悪がピリピリと肌に伝わってきた。スキュラの内臓を取り出して投げ捨てるパフォーマンスを何度か試みた。それがそんなに屈辱なのか? 何かの禁忌を犯したのか? 首を傾げながらも舞は厚志と栄光号の芸術的とさえ言える動きに身を任せた。
とにかく一度は地下通路に逃げ込まんと。
「司令部昇降口に入る! 待避よろしく頼む――っ!」
拡声器から舞が怒鳴ると、対空戦車と歩兵がわっと左右に分かれた。地下通路にスライディングするようにして三番機は待避を完了した。
前にも増して、否、祭りが最高潮を迎えたかのように、基地内の対空砲火が土産……百体に及ぶスキュラに注がれた。墜落し、爆発するスキュラに、基地内にあふれ返っている小型幻獣が巻き込まれて消滅していった。
軽トラに乗った整備員が三番機に燃料と弾薬の補給をはじめた。舞は、ふうと息をつくと無線機をオンにした。
「彼我の損害は……?」
「スキュラ百十八を撃破。こちらも防空支援隊……対空戦車連隊が壊滅したよ。戦闘団のために、もっと削ってやりたかったのだがな。すまん」
荒波から通信が入った。そうか、まだまだだな。
「しかし、戦闘団の戦区にはスキュラの姿は見られないそうだ。まあ、こちらは対空専門だったからな。代わって陸戦型が物量で善行を押している」
「うむ……」
戻るか、と考えていると、荒波が先を読んだように口を開いた。
「すまんが、スキュラ退治につき合ってくれ。善行さんの許可も取ってある。何しろ君らほお尋ね者らしいからな。青スキュラの。五分後に出てくれ。工業団地でまたよろしくだ」
「あの、どうして工業団地なんですか?」
厚志が尋ねると、「よい質問だ」と荒波は言った。
「まず、基地の対空砲火の射程内にある。次に敵陸戦型幻獣の進撃路から少しはずれた位置にあるのだよ。別個に対応することができる。絶好の位置なのだ……君たちが団地で大暴れをはじめた時は、幸運の女神に感謝したものだ。速水厚志、君の勘は天性のものだな。戦争にもっとも必要なものだ」
「そんな……たまたまですよ」
厚志は大いに照れた。
「ちょっと待ってください。コックピットを開けて!」
若い女性の声。舞がコックピットのハッチを開けると、どこかで見たような制服姿の少尉が顔をのぞかせた。
「前園といいます。これを。今はみんな戦争のことしか頭にないから」
前園はペットボトルに入った水とラップにくるんだサンドイッチをふたりに手渡した。
「……わたしも食事のことなど忘れていた」
舞はそう言うとサンドイッチを手にとった。ハム、タマゴ、チーズにツナ。パンにほのかな湿り気があり、丁寧に作られている。口に含むとやがて貪るように食べはじめた。
「これ、最高ですね。少尉さんが……?」
厚志も嬉しげに頬張りながら尋ねた。
「ええ、司令部の人たち、食べることも飲むことも忘れているんで。食堂のコックさんたちと一緒に急いで作ったんです」
前園と名乗った少尉は貪るように食べる舞を見て微笑んだ。
「こ、これはうまいぞ! わたしはここを補給基地にしたくなった」
舞流の冗談に、厚志は声をあげて笑った。
「昔風の作り方をしているね。具を欲張らずに控えめに入れてある。口当たりを考えて、パンは水を含んだナプキンで少しだけ包むんだ。消化にもいいしね。古いホテルのサンドイッチってこんな感じだよ」
厚志のウンチクに舞は「ふむ」とうなずいた。
「感謝を。今度はパスタなど食べてみたい。わたしはペスカトーレが好きだ」
前園はふふふと笑うと機体から降り、ふたりに敬礼を送った。性格のこまやかさを感じさせる丁寧で見事な敬礼だった。
「ご武運を」
「そなたもな」
三番機は戦車用の壕に出ると、工業団地の方角にダッシュした。
八月十一日 二一〇〇 岩国駅・北
探照灯と照明弾の光の下で、善行戦闘団は順調に戦いを続けていた。
ミノタウロス六百五十、ゴルゴーン千、キメラ千二百は戦闘団正面の狭い前線を愚直に直進してきたが、そのことごとくがクレーターにはまっていた。クレーターにはあらゆる砲兵陣地から榴弾が降り注ぎ、敵が苦心して路上に降り立ったところに七四式戦車の砲列が待ち構え、一体また一体と撃破されていった。
しかし今回の敵は戦意が違った。クレーターに落ち込んだゴルゴーンは停止すると一斉に生体ミサイルを乱射しはじゆた。その直撃を受け、かなりの陣地、車両に損害が出ていた。
「一番機、ミノタウロス撃破。壬生屋さん、どう……?」
加藤が尋ねると壬生屋は「ええ」と答えた。
「幻獣は勾配が苦手なんですね。クレーターの中は大渋滞です。ミノタウロスなんて何度もすべっていますし」
「ははは。不利が有利に働いたってことだな」
「……瀬戸口さん」壬生屋の声が堰しげに響いた。
「瀬戸口隆之、オペレータに復帰だ。加藤、これまですまなかったな」
「気にせんで。ホテル・トーサカのペアお食事券で十分や」
半分本気で言うと加藤はオペレータ席を譲った。
「たかちゃん、おかえり」
東原が満面の笑みで出迎えた。
「くそ、負け犬め……!」
茜の罵声に皆がぎょっとして瀬戸口と茜を見比べた。加藤が気づいて、あわてて無線のスイッチを切った。
茜は左腕を固定して包帯で吊していた。ウォードレスの下からでも軟膏のにおいがぶんぶんと漂ってくる。茜は不機嫌に瀬戸口をにらみつけた。
「共生派を追っていたんだろ? なのにどうしてこんなことになるんだ?」
「それに関しては敵が一枚上手だった、としか言えない。聞いたよ。東原をかばってくれたんだってな。ありがとう」
瀬戸口は冷静に応じた。失敗は失敗。負け犬は負け犬。言い訳はするつもりはなかった。
「茜、おめー、言い過ぎだぞ!」
田代が怒鳴りつけた。
「いや、任務を失敗したことは確かだからいいんだ。茜には俺を責める権利がある。……怪我はどんな具合?」
瀬戸口は田代に向き直った。
「左手首単純骨折に打撲だ。ふん、怪我のうちに入らねえよ」
「ははは。ずいぶんダーリンに厳しいんだな」
「おめーが、修羅場くぐってきたって雰囲気がぷんぷんするからな。瀬戸口ともあろう者が怪我までしてるしな。変態半ズボンにはそんなこともわからねえ!」
田代は、不機嫌に押し黙る茜を怒りに満ちた目でまっすぐに見た。
「それで……共生派はどうしたんだ?」茜は田代の視線に耐えされず、目を逸らした。
「親玉は来須の狙撃で重傷を負って逃げた。追撃したかったんだが、部下の兵が凄腕揃いで、まんまと逃げられたよ。俺の読みでは生きていたとしても、当分復帰はないだろう」
「……それが確認できればいいんだ」
茜の不機嫌な表情に微かに安堵が交じった。
「はい、たかちゃん」
東原がウーロン茶のペットボトルを差し出した。
「お、サンキュ」瀬戸口は何気なく口に含むと、え、という顔になった。
「これ、誰のだ?」
「ののみのよ。どうして?」
東原は近頃背伸びして、瀬戸口の好みを真似てウーロン茶を愛飲している。
「あはは、間接キッスや! 東原さん、やった――」
加藤が陽気に冷やかした。こう言われて東原の顔がみる間に赤くなった。
「へへっ、どうすんだよ。三角関係はじまるってか?」
田代もすかさず冷やかした。この場にいる連中にはわからないだろうが、瀬戸口は明らかに悔やんでいる。敵と生きるか死ぬかの修羅場を経験して、負けた。なんとしても雰囲気を盛り上げてやろうと思った。
「みんな、まじめにおしごとしなくちや、めーなのよ」
東原は頬を膨らませて画面に視線を落とした。
「わかったわかった。戦況はどうなっている?」
瀬戸口の質問に、東原は生まじめな表情で口を開いた。
「舞ちゃんたちが青スキュラをくいとめているの」
「青……スキュラ?」
「あたまがよくてつよいスキュラ。九州でたまにいたよ」
「なるほど」瀬戸口がうなずくと、茜が後を続けた。
「僕の勘ではここが山場だ。敵の最終攻勢と考えていいね。東原が言う青スキュラ二百とうみかぜゾンビ四百は、岩国基地でくい止めた。ゾンビヘリは全滅。こちらも連隊規模の対空戦車部隊が壊滅したけど。前に幻獣にも感情があるって話が出たよね。芝村と速水がオトリになって、スキュラがこちらに来ないように頑張っている」
「二百のスキュラ相手にオトリ役か。ふたりともだんだん神がかってきたな」
瀬戸口が憂鬱な微笑を浮かべると、茜もその意味を察して「ああ」とうなずいた。
「今は、ふたりに頼るしかないんだよ」
「……そうだな」
瀬戸口は微笑を浮かべたまま、茜の言葉を肯定した。
「まあ、こちらはミノタウロス六百五十、ゴルゴーン千、キメラ千二百を引き受けることになったわけだけどね。あの地獄の釜の中でキメラは全滅したろう。問題は、戦闘団が弾薬切れを起こした時と、三番機がやられたらどうなるかってことなんだ。まあ、速水はめちゃくちゃすごいから大丈夫とは思うけど。これ、見てよ」
そう言うと茜は三番機の戦闘画面を表示してみせた。
「ははは」瀬戸口はあきれて笑うしかなかった。
「これでスキュラのエリートもぶちギレたってわけ。笑うしかないよな」
八月十一日 二一三〇 旭町工業団地
「ふうん、敵は本当に僕たちが憎いんだね」
厚志は三番機を団地の建物に潜り込ませると、上空を見上げた。それまで散開していたスキュラが、団地を包囲するように停止した。この方面にもなだれ込んでいる小型幻獣がどうやら位置を教えているらしい。待ち伏せにも引っかかりにくくなっている。
「九二式に換装しよう」
「わかった。けれど、どうするの?」
「……団地と岩国基地の地下通路との往復。ただし、パターンをその都度、変える。たまにパスタをご馳走になる。露出する時間が多くなるが、そなただけが頼りだ」
「パスタね。わかったよ、任せて!」
厚志の脳はめまぐるしくルートを探索した。ほどなくこのルートはこう、このルートのステップワークは、と緻密にして放胆なイメージが出来上がった。
「行くよ」
三番機が飛び出すと同時に、八十体のスキュラがうごめきレーザーがアスファルトの地面を削った。舞は敵の一体をロックすると、二射めに移ろうとする敵のレーザー口を撃った。爆発。
明々と夜空に炎が散った。
その間、厚志は巧みなステップワークで基地へ進入。
「格納庫横第二陣地」と舞に言った。
友軍の対空砲火の援護の下、三番機は疾駆した。
「格納庫横第二陣地通路に進入する――!」
拡声器のボリュームを最大にして舞が叫ぶ。前方に陣地が見えてきた。兵らはあわてて三番機に道を譲った。またしてもスラィディングで地下通路へ。
「こちら5121小隊三番機・芝村である! 我らは工業団地と基地の車両用地下通路を往復することになる! 進入する通路は敵を擾乱するためまちまちだ。あらかじめ指示を出す。事故がないよう警戒を巌に!」
舞は基地の将兵に断ると、「よし」と厚志のシートを蹴った。
三番機はすばらしい勢いで地下通路から飛び出すと、工業団地へと走った。ライフル弾発射。
すでにノンビリと狙撃できる状況ではなかった。走りながらの狙撃だったが、舞にとっては何ほどのことでもなかった。スキュラは爆散。厚志は巧みなステップでレーザーをかわすと、またも団地に飛び込んだ。
……こうして十回ほど往復する間に、スキュラを十二機、撃破していた。二機分は、厚志の団地屋上からのジャンプ、パンチによるものだ。
「司令部前地下通路――!」
指示に慣れた将兵はすみやかに道を開ける。通路に滑り込んだタイミングで荒波から通信が入った。
「残り四十七体に減った。すまんな」
「なんの。戦闘団に向かわれるとこちらが困る」
舞は冷静に言った。北の方角では戦車砲がひっきりなしに咆哮している。壬生屋、無理をせんとよいが。舞は唇を噛んだ。
「こちら滝川。訂正。残り四十五だ」
二番機も居場所を変えながら正確な射撃でスキュラを撃破していた。
「訂正の訂正。残り四十四になりました」
「いいぞ、島」荒牧が花町陣地の島を変めた。
「訂正の訂正の訂正。こちら田中。残り四十三です。わたしのが撃墜してるんだからね、島」
田中の言い募る声も厚志と舞には懐かしかった。
「ふふ。スキュラ撃墜五十一よ、わたし」
「ノノノオオ、島。どうして? なんでわたしを追い抜けるの?」
田中の狼狽した声が聞こえた。あはは。くくく。厚志と舞は同時に笑い声をあげた。
「それはね、滝川先生に教わったの。レーザー口が朱色になる瞬間を狙うんですよね」
島は心から滝川を尊敬しているようだ。厚志にも舞にもわかっていることだったが、ふたりはどちらかと言えば機動しながらジャイアントアサルトで敵の腹を狙うことを好んだ。だから滝川に狙撃のコツなど教えたことはない。九二式ライフルの扱いに慣れるうちに自分で修得したものだろう。
「そ、そうなんすか! 地味な先生、すごいですね」
田中の声がかしましく響く。
「ちぇっ、地味はねーだろ。俺だってイエロー・タイフーンと呼ばれた男だぜ。な、な、島、俺のイタリアン・イエローの機体、格好よかったろ?」
滝川の機体自慢に、舞は「たわけ」とつぶやいた。
「ええ、さすがエースだなって思いました」
島がおとなしやかな声で応えると、「よっしゃ――!」滝川の能天気な声がこだました。
「あはは。まだ元気だね、みんな。さて、行くよ」
「ふむ」舞は満足げにうなずくと厚志のシートを蹴った。
八月十一日 二二三〇 市役所・ハローワークビル間
漆黒の重装甲は悪鬼のごとく戦っていた。被弾する戦車が増え、火線網のところどころにほころびが生じていた。市役所・ハローワーク間の巨大なクレーターを這い登ってくる敵に対処しきれず、そのたびに壬生屋の一番機が敵を葬っていた。
「空爆要請を。クレーターに大量にたたき込めば大戦果をあげられるんですよ」
瀬戸口はオペレータ席から善行に通信を送っていた。誰もが持つ疑問だった。こんな絶好の標的を空軍はなぜ見逃しているのか?
「備蓄分の燃料が底をついたそうです。現在、民間も含めて航空燃料をかき集めていると」
善行の声はあくまでも冷静だった。航空機より戦車を、艦艇より陸戦兵器を優先して作らねばならない現状で、空軍は最もワリをくっている。自分も海軍だからよくわかる。とにかく資源と予算が足りなかった。
善行は戦闘団の戦闘指揮車を2号線と188号線が分岐する地点に停め、戦況を見守っていた。否、見守るというよりは機動防御戦に移行する頃合をはかっていた。夜明けまでこの戦線を維持するのは不可能だろう。となれば、あと一時間か、二時間か――?
「矢吹大隊、現状報告を」
善行が通信を送ると、矢吹は変わらず快活な声で応えた。
「ゴルゴーンの生体ミサイルがけっこうこたえますな。戦車大中破二十八両、装甲支援車両十七両を失っています。修理可能な車両はそれぞれ十七、九。それより残弾が心配です。機動防御にはいつ移行します?」
一時間は持たない、と暗に言っているのだろうな。善行は静かに言った。
「今から任意の中隊を2号線と188号線の分岐点へ下がらせてください。弾薬運搬車を手配してあります。ほぼ同時刻に落ち合うものと」
「了解しました。それでは第二中隊を下がらせます」
気の毒に。この中隊が機動防御の要となるわけだ。すでに分岐点のすぐ北には十四師団の縦深陣地が形成され、大竹市まで続いている。戦闘団は戦いながら十四師団と入れ替わりに、二キロ北の玖珂カントリークラブで補給、修理を済ませねばならない。広島を発った弾薬、燃料運搬車はさらに後方の大竹市で待機中だ。
十四師団は爆破の影響も少なく、敢闘してくれるだろう。さらに十一師団の残余も再編成の最中だという。あとは……。善行はハッチを開け、基地の方角に目を凝らした二番機、三番機がいつ戻るか?
「芝村だ。青スキュラはほぼ壊滅三番機、大破、回収可能。我らはふたりとも無事である」
舞の声が聞こえてきた。任務をやり遂げた滑々した響きが交じっていた。
「今、どの陣地にいる?」
瀬戸口が尋ねた。舞の通話の状況から、どこかの陣地にいるものと考えたようだ。
「旭町の整備工場にいる。我らの様子を見ていた旧荒波小隊の二機に助けられた。すぐに整備テントに戻るゆえ、従来機の点検を頼む」
「来須と若宮を迎えにやらせる。どこで落ち合えばいい?」
瀬戸口の声は切迫していた。あのスキュラの大群に攻撃されたら戦闘団は壊滅していた。そのまま戦線は蹂躙突破され、広島市は炎上、日本は破滅だ。これを防いだのが速水厚志と芝村舞だ。このふたりが、まるで死神の首根っこをぐいと掴んで引き回すように、戦争を破局から強引に引き戻した。まさに災禍を狩る災禍。なんというやつらだ――。
瀬戸口はふたりの薄氷を踏むような対スキュラ戦に戦慄すら覚えていた。
「工場裏手の戦車架橋を渡ったあたりに。こちらには小型幻獣しかいない。来須、若宮の手を煩わせることもないが?」
舞が不審げに言った。瀬戸口は、ふっと笑った。だめだ。ふたりとも、自分たちの為し遂げたことを理解していない。笑うしかないな、本当に。
「ははは。まあそう言わずに。来須と若宮から仕事を取らんでくれ。壬生屋もそろそろ限界なんでな、おまえさんたちに万一のことがあったら困るんだ」
瀬戸口は笑いに紛らわせて言った。
「そんな! わたくしまだ……」
壬生屋の甲高い声が割り込んできた。
「まだ、なんだ?」
「まだ……何かな――?」
舞の不機嫌な声と瀬戸口の冷やかすような声が重なった。「す、すみません……」壬生屋は萎れたように謝った。
「へっへっへ、そこで活躍するのがイエロー・タイフーンね。岩田基地で補給を受けたからよ、時間稼ぎは任せてくれよ。まだまだ疲れも少ないしな」
滝川、よく見えているな。瀬戸口は密かに感心した。支援に徹してきた滝川は、いつのまにか客観的に状況を見る術を身につけている。
「なんだ、そのタイフーンってのは? とにかく戦闘団の戦線まで北上してくれ」
八月十一日 二二四五 旭町陣地
すでに上空に敵影はなかった。
北の戦線では激戦が行われているらしいが、こちらの戦線ではうみかぜゾンビを併せれば六百体に及ぶ空戦型幻獣が、ことごとくが落とされ、天空には、月と星が穏やかに瞬いていた。
……それにしても危ないところだった。あと十体ほどにスキュラをすり減らしたところで、これまでサーカス団の軽業師のような動きを見せていた5121小隊の栄光号複座型は工業団地でとうとう被弾した。
次の瞬間、藤代はアクセルを踏み込んでいた。島にも意図は伝わったらしく、九二式ライフルを放って敵を一体撃破した。こちらに注意を引きつけなければ――。
「土木一号は5121のパイロットを拾って整備工場へ。わたしたちは敵を引きつける」
藤代は土木一号に命じていた。
「ここです、ここ、ここ!」
田中は拡声器で叫ぶと土木一号のライフルを持った手を高々と挙げてみせた。悲しくなるほど小さなふたつの人影が陣地に飛び込んだところで、スキュラがこちらに向かってきた。反転し、すぐに陣地へ戻った。滝川の戦いぶりを間近で見たことが役に立った。滝川さんはいつでも僚機の複座型の動きに注意して、効果的な支援射撃を行っていた。これが本当の支援というものだ、と藤代は思った。
「こちら藤代です。複座型のふたりは無事。整備工場裏から脱出させます」
司令部に連絡を送ると「よくやった」荒波の満足そうな声が聞こえてきた。
「あの、司令官……」
「なんだ?」
「あれだけの敵と戦ってきたんです。味方の損害はどれぐらいなんですか?」
藤代は疑問に思っていたことを口にした。
「それを聞いてどうする?」荒波の声は変わらずやさしかった。
「覚えておきたいから。記憶に刻み込んでおきたいんです」
「第二十一旅団、損耗率六十三パーセント、第二師団、損耗率四十八パーセント。対空歩兵チーム三百八十五のうち二百八十七が消滅。防空支援隊全滅。まだあるけどこんなところでいいかしら?」
前園の声に変わった。パーセントで言ったのはわざとだ。戦死者と負傷者の数をまだ正確に把握できていないせいもあるが二一十一旅団で言えば、戦時編成の旅団は六千名はいる。まともに戦うことができる兵が半数以下に減ったということだ。
前園さんはやさしい先輩だな、と藤代は涙ぐんだ。
「第十一師団は現在千二百名で戦っている。少尉が大隊長に、上等兵が中隊長になっている隊などざらだ。よく覚えておくんだな」
荒波の声に厳しいものが感じられた。たった千二百人? 一万五千の師団がたったそれだけにすり減ったのか? 壊滅……だ。藤代は青ざめて声もなかった。
「藤代」
荒波があらたまった声で呼びかけてきた。
「はい」
「数字は雄弁に語る。おまえにはそれを理解する天性の想像力がある。どうだ、軍人にならんか? そしてえらくなれ。おまえなら無駄に部下を死なせる指揮官にはならんだろう」
「わたし……」
わたしの夢は小児科医になることだった。戦争は、子供たちの心を確実に蝕んでいる。そんな子供たちの心と体を救いたいと思っていた。けれど今は……。
「考えておきます」
「うむ。新たな任務だ。土木一号、二号は岩田駅付近に移動。補給のため後退する戦闘団の支援にあたってくれ」
八月十一日 二三〇〇 岩国駅付近
探照灯と照明弾の光の下、砲撃は激しさを増していた。
エンジン音、キャタピラ音がひっきりなしに続き、北の方角をめざしていった。驚いたことに鉄道はまだ生き残っていた。負傷兵を満載した客車、貨車が護衛の兵の砲火に守られて後方へと下がって行く。
組織的な後退がはじまっていた。
土木一号、二号は爆破を免れた戦車用塹壕を見つけるとさっそく狙撃体勢に入った。
ミノタウロスを先頭として、ゴルゴーンは距離をおいて制止し砲列を敷いている。藤代は迷ったが、ゴルゴーンならば一発で仕留められる。島も同意して、ゴルゴーンをすでに五体撃破していた。十二両の七四式戦車が、瓦礫の陰から同様にゴルゴーンを砲撃している。ミノタウロスは十四師団の陣地が担当してくれるだろう。ならば陣地を破砕する重砲型幻獣を優先的にたたこうという発想だ。七四式でも真上から生体ミサイルの直撃を受ければやられる。
とにかくこの大砲列をなんとかしないと――。
「あー、こちら滝川。速水と芝村を助けてくれてサンキユな」
不意に滝川から無線が入った。
「そんなこと……。戦闘団の後退は順調ですか?」
藤代が尋ねると「なんとかな」と返事が返ってきた。
「なんかあったら遠慮すんなよ。5121の周波数、知っているだろ?」
「ええ」
「頼んだぜ」そう言うと無線は切れた。
「藤代って軍人になるの?」田中が話しかけてきた。
「おしゃべり禁止。手を動かして」藤代は冷たく答えた。
「ゴルゴーン、楽勝なんだもん。一発で大爆発。お徳用よね」
田中、なんだかまたおかしくなっているな。藤代は少し考えて、
「わたしたちは今は無視されているけど、ゴルゴーンがこっちを向いてきたらどうするの?」と注意した。ゴルゴーンの生体ミサイルは専ら十四師団の急造の縦深陣地に向けられている。
田中は黙り込んでしまった。
「司令が藤代にだけ声をかけたのが気に入らないんだよ」
無線を切った後、島がぽつりと言った。
「島も……?」
「ううん。わたしは藤代が頑張っているの知っているから」
島はそう言うと、ライフルの引き金を引いた。ゴルゴーン爆散。撃てば必ず当たる状況だったが、相手の数は圧倒的だった。
「ふう……」島のため息が聞こえた。これまでずっと戦い続けてきて、島は相当に疲れているようだった。しかも九二式ライフルはそう扱いやすい兵器とは言えない。射撃時の振動が激しく、撃ったびに疲労が蓄積するような兵器だ。
「島、地下通路へ後退する。少し休むよ」
藤代が声をかけると、「ごめん」と返事が返ってきた。
疲労した頭に、なんだかモヤモヤした感情が立ちこめていた。
田中は十体めのゴルゴーンを撃破すると「どうして……」とつぶやいていた。村井が操縦席で身じろぎした。
「田中、変だよ……?」
「どうして藤代みたいな性格と頭に生まれなかったんだろう。わたし、羨ましくて! 司令ひとりじめだしさ。藤代だけスカウトされちゃうしさ!」
馬鹿なこと言っている、とわかってはいたが、田中は叫んでいた。熊本戦の頃はまだよかった。司令に言われた通りに穴を掘って、ミサイルを撃っていればよかったから。けれど、岩国に移ってからは藤代だけが特別待遇になった。荒波に信頼されて、秘書役や、いろんな難しいことを任されるようになった。
自分が頭悪くてドジばかり踏んでいることはわかっている。わかっているけど、なんだかすごく羨ましくて悔しかった。
「……しかたあらへん」
村井の声は低く、手厳しかった。
「藤代は才能ある。それを認めんとだめ。部活やってきたんやろ? 卓球やってた友達に聞いたらあんた、兵庫じゃかなり有名な選手だったんやってね。ただね、レギュラーのあんたの陰で補欠やってた子たちのこと考えたことある? あんたに足りないものがそれ」
村井のひと首ひと言が胸に刺さった。
「卓球があんたより好きでもレギュラーになれん子もいる。ふん、それを暗いから? 飽きたから? 簡単に辞めるんか。田中、あんたは自分しか見えておらへんよ」
村井はいつのまにか関西弁になっていた。村井が本音を言う時はそうなることを田中は知っていた。村井の言葉は今の田中にはつらかった。
「……じゃあ、もういいよ」
「なんやて?」
「戦争辞めた。このままサボリっと」
なんでわたしはこんなこと言ってるんだろう? なんか心がどんどん闇の中に沈み込んでいく。助けて。誰か助けて……! 突如として視界にぬっと巨大な目玉が現れた。
「わあ――っ!」
村井の悲鳴が聞こえた。田中はライフルの引き金を押すつもりで無線機のスイッチをオンにしてしまった。ス、ス、スキュラ……どうして? スキュラのレーザー口が光を帯びた。
「田中あ、撃つんや!」
スキュラのレーザー口が朱色に染まった。田中は引き金を引いた。どん、激しい衝撃があって田中の意識は終わりのない深淵へと落下していった。
「田中、村井……?」
二百メートルほど離れた狙撃陣地で大爆発が起こった。探照灯の灯に照らされてスキュラの尻尾が高々と宙に舞い上がった。藤代はふたりの名を何度も呼び続けた。しかし返ってくるのは砂嵐《ホワイトノイズ》の音だけだった。
「助けに行くよ、島」
「待って、様子を……!」
島の言葉に耳を貸さずに藤代はアクセルを踏み込んだ。二百メートルなんてすぐだ! とたんに窪の中から巨大な幻獣が姿を現した。スキュラ! 旋回してライフルを構えた瞬間、レーザーに脚部を根こそぎ切断された。
しまった……! 地面に激突し、衝撃があった。
「消えて――!」
島の声が聞こえて、ライフル弾が五十メートル先のスキュラのレーザー口を貫いた。爆発。
熱風に両脚を失った複座型は地面を転がった。
「脱出するよ。藤代、藤代、しっかりして! 土木一号の陣地、目の前だから!」
ふたりはハッチを開くと、なお炎がくすぶっている戦車壕へと飛び込んだ。土木一号も敵と相打ちになったらしかった。胴から下が無惨にもたんばく燃料を噴出していた。上半身は? 地下通路の中に入ると上半身が転がっていた。ハッチを開けると、田中と村井がぐったりとシートにもたれていた。
ふたりを引き出して息をあらためる。怪我はないようだった。田中、村井の類を何度かたたくと、ふたりは同時に目を覚ました。
「あれ、藤代……? どったの?」
田中はきょとんとした顔で藤代を見つめた。軽い脳震盪を起こしているようだった。
「馬鹿馬鹿、あんたらを助けに行こうとしてこっちもやられたの!」
藤代は田中の頬を思い切り張った。田中の頬が赤らんだ。目が挑戦的に光っている。掴みかかろうとするところを「しっ……!」村井の鋭い声が遮った。
闇に包まれた地下通路のどこかから、ざわざわと音がする。塹壕の外を大量の小型幻獣にかしつかれたミノタウロスの縦隊が通過していった。
「囲まれとる」村井が肩を落とした。
通路奥から聞こえる音はしだいに大きくなってくる。
田中は黙ってホルスターから拳銃を抜いた。三人はぎょっとして田中から遠ざかった。
「生きたまま敵に八つ裂きにされるなんて、わたしは嫌! だったら今、自分で死ね」
「し、死ぬって……」藤代は茫然として田中を見つめた。
田中は強い視線で藤代を見返した。口許にふっと笑みを浮かべた。藤代、これであんたに勝ったよ。わたし、ずっと司令の心の中に棲んでやるから。
「死ぬ覚悟はできているよ。ほら、敵はだんだん近づいてくる」
そう言うと田中は心臓に銃口を当てた。
「待って! 死んだら司令が悲しむよ」藤代はそう言うと、田中に飛びかかろうとした。田中は後ずさって藤代に拳銃を突きつけた。
「……しゃあないなー。あんたと出会ったのが運の尽きや。ウチも一緒に逝くで」
村井はため息をつくと拳銃を手にした。足音は確共にこちらに近づいてきていた。
「村井まで馬鹿なこと言わないで!」
しかし村井は聞こえないふりなした。
「互いに相手の心臓を……わ、わかった?」
田中は震える声で言った。
「わかった」村井はうなずくと、田中の拳銃を再確認した。
「……じゃあ、行くよ」
田中が拳銃を構えたとたん、村井は銃把で日中の手首を強打した。
「わっ!」悲鳴をあげて田中は拳銃を取り落とした。そのまま村井は田中に体当たりし、藤代は拳銃を拾った。拳銃にはセーフティがかかったままだった・田中と村井はなおも取っ組み合っていた。
「田中、お願いだから……! 生きてくれたら、わたし、なんだってするから!」
藤代は涙声になっていた。
「じゃあ、じゃあ、司令のこと……」
田中は村井を弾き飛ばすと口走っていた。
島は目に見えぬ敵の姿に怯えて辺りを見渡した。一輪の花が目に入った。名も知らない花だったが、白い花びらを可憐に咲かせ、奇跡的に生き残っていた。
わたし、何やってるんだろ? 島はくすくすと笑った。三人の視線を感じた。島は笑みを消すと、おとなしやかな顔に似合わない鋭い目で三人をにらみつけた。
「死ぬのは嫌よ。あきらめないで!」
「……どうするの?」
藤代はせっぱ詰まった声で尋ねた。
「壕を出て友軍と合流する。すぐに行くわよ」
そう言い放つと、島は壕から出ようとした。と、目の前に巨大な影がふたつ。悲鳴をあげそうになって、島は自分の口を自分でふさいだ。
「間に合ってよかった。俺は若宮、こいつは来須。滝川から連絡があってな、おまえらを助けに来たってわけさ。まずゴブからだな。壕内に戻って」
来須と若宮が地下通路に入ると、ほどなく銃声が起こった。二、三分ほど経ったろうか、ふたりはゴブリンの体液まみれになって戻ってきた。
「とりあえずは片付けた。ここからだと、うん、ラッキーだな。戦線の背後、社会保険事務所のネズミ穴に出られる。行こう」
若宮は陽気な口調で言うと、四人をうながした。
「なあ、声が聞こえてきたぞ。情けないな。あきらめないで、が一番正しかったと俺は思うぞ」
若宮は背を向けたまま、四人に言った。島をのぞく三人は顔を赤らめた。
八月十一日 二三三〇 玖珂カントリークラブ・クラブハウス
ナイター照明が煌々と灯されたゴルフ場は昼のような明るさだった。
整備テントのハンガーには壬生屋の一番機が収まっていた。厚志と舞、そして壬生屋はエアコンの効いたクラブハウス内で休息をとっていた。
ゴルフ場には弾薬運搬車、燃料輸送車が続々と詰めかけ、戦車大隊の整備員が到着した戦車に大あらわで補給し、点検を行っていた。5121小隊の整備班の面々は、中大破した戦車の修理にかかりきりになっていた。
憔悴し、昏々と眠る壬生屋の寝顔を厚志と舞は黙って見つめていた。結局、無理をさせてしまった。空戦型幻獣は全滅させたが、これからどうなるんだろう? 厚志は壬生屋のことが心配でならなかった。舞は新防衛ラインの爆発時に怪我をした額にようやく包帯を巻いてもらって、口許を硬く引き結んでいる。その姿が痛々しかった。そうか、舞は心配どころじゃなかった。責任を感じている。
「厚志よ……」
「うん?」
「疲れていたのか、やはり?」
スキュラにやられた時のことを言っている。厚志は少し考えて口を開いた。
「たぶんね。自分では大丈夫だと思っていたんだけど。茜理論だね」
「僕の理論がどうかしたか?」
クラブハウスのドアが開き、戦闘指揮車の面々がなだれ込んできた。厚志が、しっと口をふさぐ真似をすると、皆、壬生屋の寝顔に視線を落とした。
「戦線はどうなっている?」
舞が尋ねると、瀬戸口と茜は視線を交わした。瀬戸口は茜の頭をぽんとたたくと、壬生屋のそばに腰を下ろした。
石津、東原、田代は壬生屋から離れたテーブルでレーションを食べながら、小声でひそひそ話をしはじめた。これまで瀬戸口の代わりを務めていた加藤は、補給関係の仕事に戻っていた。
「十四師団は鬼のように戦っているけど、大竹市まで十構築した縦深陣地のうち、三つまでが放棄された。ミノタウロスは三分の二に減っているけど、ゴルゴーンの砲列が手強い。今、滝川が削っているけどね」
茜は声を潜めで、「ゴルゴーンだ」と繰り返した。
「ミノタウロスは十四師団に任せて、ゴルゴーンの殲滅に専念すべきだと思うよ。戦闘団、そして岩国方面からもできる限りの兵力を集中させてたたく。その後に……」
「攻勢転移をします」
善行の声が聞こえた。
「ぎりぎりのタイミングかもしれないけど……」
茜の声に懸念が交じった。
「どころか、広島での市街戦になる可能性も高いでしょうね。三十分後に出撃、戦闘団の総力をもってゴルゴーンを潰します。後、反転。そして」
「なるほど」舞は大きくうなずいた。
「壬生屋さんの具合はどうですか?」
「心配ですね」
瀬戸口はきっぱりと答えた。善行の顔に微かな落胆が広がった。
「しかし……壬生屋は出撃するでしょう。俺は最後まで壬生屋につき会いますよ」
瀬戸口の顔に憂鬱な微笑が浮かんだ。善行は眼鏡を押し上げた。何事か言おうと口を開きかけたが、背を向けるとクラブハウスを出ていった。
「ラスト・ギャンブル」
茜の言葉に、舞は不機嫌な表情を作り、瀬戸口は肩をすくめた。カーミラという不確定要素はあまりにも強烈だった。すでに岩国最終防衛ラインの地下連絡網は崩壊し、後はファイター同士、どちらのラッシュが長く続くかの殴り合いになっている。
「ギャンブル上等さ。それが茜大介だろ?」
厚志はにこやかに言うと、親友の顔をのぞき込んだ。茜の青白い頬が紅潮した。
「そうだな。ギャンブル上等」
ふたりはにやりと笑みを交わし会った。
八月十一日 二三三五 玖珂カントリークラブ・合田小隊陣地
「まったく、おめーってやつは……!」
橋爪はあきれて「転校生」を忌々しげに見つめた。原がこの子よろしくね、と連れてきた時は肝が縮んだ。実のところ、その……再会を素直に喜びたかったが、合田小隊の面々から、さらに始末の悪いことに紅陵女子αの連中までもが見物に来た。
「あっ、整備工場にいた看護姉さん! 橋爪の彼女だったの? 感動の再会ってわけね」
佐藤が冷やかすように言った。
「傷口、ふさがったみたいだ。その節はありがとうな」
鈴木がやさしい口調で礼を言った。
「そんな……仕事ですから」
飯島は顔を赤らめた。橋爪の目には飯島の姿が小さく見えた。ただでさえ小柄なのに、萎《しお》れて、沈んで見える。詳しいことは後で聞くとして。橋爪は、わはははと馬鹿笑いを響かせた。
「そう、その通り! この飯島こそ俺の純粋混じりつけなしの彼女である! どーだ、佐藤、可愛いだろう? 合田少尉、どうっすか、俺の彼女」
橋爪は開き直って言い放った。
「というか、美女と野獣? ね、ね、こんな野獣のどこがよかったの?」
「頭の悪いところ……」
言ってしまって飯島は恥ずかしそうに口をつぐんだ。
「ちっちっ、あんたもワルよの、橋爪。彼女の母性本能くすぐるなんて! 看護師さんになるぐらいだもん、やさしい性格なんだよ。それにつけ込んだってわけね。ねえ、この悪党があんたのことなんて言ってたと思う? 梅干しが乗ったショートケーキだって! こういう男はね、しつけが肝心なの」
「るせえ、何がしつけだ!」橋爪は飯島の様子を観察しながら、怒ってみせた。
「羨ましいですよ、こんな可愛い彼女がいて。橋爪軍曹、大切に。ああ、僕は彼の上官で合田といいます。彼にはずいぶん世話になっているんですよ」
合田が名乗ると飯島はペコリと頭を下げた。「実物だぜ」、「ホンモノ」、「一分の一、実物大スケール」、「プィギュアじゃねえって」小隊員の容赦のないささやきが聞こえる。皆が鬼の橋爪の困惑する顔を見て楽しんでいた。
……飯島は相変わらず元気がなかったが、心なしか元に戻ったように見える。話すことはたくさんあるよな。けど、それは今じゃねえ――。
ふと西の方角に目をやると、どこから迷走して来たのか、三体のミノタウロスの姿が林の中に見え隠れしていた。待てよ……? 陣地前では戦車が弾薬、燃料の補給をしていた。
「西の方角、ミノ三匹っ……! やべえぞ」
橋爪は叫ぶと、小隊機銃をひっ掴んで駆け出した。全員意味を悟って青くなった。
「橋爪軍曹に続けっ!」
合田も叫ぶと、塹壕から工兵用手榴弾をベルトに刺して後を追った。佐藤、橘はぞれぞれ戦車に飛び乗った。
距離五百。橋爪の小隊機銃が鳴った。一体のミノタウロスが腰だめにして機銃を撃つ橋爪に突進する。橋爪は回り込むようにして友軍とは反対側の位置に走った。
「わたしは真ん中、橘、右頼む! 生体ミサイル撃たれたらアウトだよっ!」
指示するのももどかしく、佐藤は鈴木の肩を掴んだ。
「突進する! アクセル全開」
「ま、待ってよ……」神崎の制止を無視して、鈴木は「おう」とうなずいた。
アクセルを目一杯踏み込んで、真ん中のミノタウロスに突進する。その間、佐藤は二〇ミリ機関砲弾を敵に浴びせ扱けた。距離員五十、三十……。
「ブレーキっ!」
衝撃。対空戦車は減速しつつもミノタウロスに激突していた。拳を振り上げたままのけぞるミノタウロスに佐藤は引き金を引きっぱなしで、必死の目で敵をにらみ続けた。
爆発が起こって、対空戦車は横倒しになった。橘も佐藤に続き、一二・七ミリ機銃を放ちながら猛然とミノタウロスに突進。直前でハッチを閉じ、距離三十で砲撃。ミノタウロスは爆発し、戦車に強酸を撒き散らした。
「ちっくしょう、無茶しやがって!」
橋爪はミノタウロスから逃げながら、林の中に潜り込んだ。合田小隊の小隊機銃が後方、側面から敵の装甲を切り裂いていく。
「橋爪軍曹、遮蔽物に隠れて……!」
合田が叫ぶと工兵用手榴弾を立て統けに敵の足下に転がした。
「全員敵から離れろ!」小隊員は、わっと思い思いの方角に逃げ散った。三体日のミノタウロスも爆散、辺りに強酸を扱き散らした。
この間、わずかに三分に満たなかった。戦闘団の面々も、補給部隊の面々も、背後から迫った危機に気づき青ざめた事件だった。
横倒しになった対空戦車は橘の六一式とワイヤーで連結され、元に戻された。隊員たちは手を伸ばして三人の戦車兵を引きずり出した。鈴木がうめき声をあげた。飯島がすばやく駆け寄ると「胸骨強打、もしかしたら折れてます!」ポシェットからモルヒネを取り出し、射った。
激突の際にハンドルで胸を打ったのだろう。鈴木はすぐに担架で運ばれていった。
佐藤と神崎はぼんやりと運ばれて行く鈴木を見送った。
神崎の腕がゆっくりと上がった。佐藤は「うん」とうなずいた。次の瞬間、思い切りグーで殴られた佐藤は芝生に倒れ込んだ。
「くそ、リーチが長いと効くねー。利き腕パンチ、ピッチャー失格ちゃん」
佐藤は頬を押さえて立ち上がった。
「ごめん……」神崎は、はっとして謝った。
「こっちこそごめん。けど、夢中だったんで他に考えられなかったの」
佐藤はそう言うと神崎に微笑みかけた。
「君の隊は負傷者は他にいないようです。こちらは橋爪軍曹が腕に軽い火傷を……。ははは、楽しいカップルですよね」
何やら激しく言い争う声が聞こえる。
橋爪が飯島に手を引かれて陣地へと向かっていた。
「こんなん大した傷じゃねえよ」橋爪の声は心なしか弱々しい。
「だめですっ! 何も知らないくせに! 火傷を甘く見ると死ぬことになりますよ!」
あの子にこんな声が出せるのかというほどの剣幕で、飯島は橋爪を叱りつけた。
……これが紅陵女子α小隊と合田小隊の山口戦最後の戦いとなったのである。
八月十二日 〇〇三〇 岩国駅・北
十四師団はミノタウロスの大群と死闘を放けていた。
間に合わせの塹壕陣地にミノタウロス、そして小型幻獣の大群が殺到し、かつての熊本戦のような凄惨な戦いを各地で展開していた。損害は急増し、このままでは壊滅は時間の問題と思われた。
その間隙を縫うように、善行戦闘団は岩国駅北側に進出していた。敵は七百ほどに撃ち減らされたゴルゴーンだったが、その生体ミサイルの大砲列は友軍に深刻な損害を与えていた。むろんこれまで友軍のシャワーのような榴弾にさらされ、無傷な者は皆無だ。どれだけ速くたたけるかが問題だった。
「こちら荒波だ。ウチの子らを保護してくれたそうで感謝する」
善行の戦闘指揮車に荒波から通信が入った。
「そんなことは。我々は西側の砲列五百を。そちらは東側二百ということでは如何ですか?」
「けっこうだ。それでは、武運を祈る」
荒波からの通信はそっけなく切れた。
「善行です。これより我が戦闘団は岩国駅西北のゴルゴーン五百を撃破します。例のごとく人型戦車を先陣に。矢吹少佐、植村大尉、展開よろしく」
「すでに終了しています」
「同じく。敵さんは十四師団の陣地をたたくことに夢中ですからな」
「芝村さん」
善行はあらたまった口調で呼びかけた。
「こちらもいつでも行けるぞ。補給車の護衛は大丈夫か?」
三番機はミサイラーとして一体でも多くの敵を撃破することになった。
「ええ、地下通路に隠蔽してあります。それでは全軍」
善行は静かな声で全軍に告げた。
「剣をかかげ前へ――」
それは心の剣。闇を祓う銀の剣だった。その号令に戦闘団の空気が変わった。
「参りますっ!」
壬生屋の重装甲は白刃をかかげ突進をはじめた。白刃がきらめくたびに爆発が起こり、敵の砲列は崩れはじめた。舞は厚志のシートを蹴った。
「行くよ」
三番機は一番機の反対側から敵中に躍り込むと、すぐにぐんと腰を落とした。ジャベリンミサイルが弱った敵を次々と撃破して行く。離脱。その間、七四式戦車の一〇五ミリ砲が巧妙な十字砲火を形成し、敵を撃破していく。一番機は敵中を再び突破すると岩国駅の瓦礫へ。入れ替わるように三番機は再びミサイルを放つ。
「なんなんだ、これ……?」
厚志は驚いて声をあげた。
「敵は終わったな」舞は冷静に厚志の言葉を受けた。
なんという弱さ、なんという脆さ! それはこれまで人類を苦しめてきた幻獣軍の崩壊を告げる戦闘だった。ミサイルの一発であっさりとゴルゴーンは爆発した。
岩国までの死の行軍を続ける中で、幻獣軍は張り子の虎と化していたのである。すでに厚志、舞らがスキュラを撃破した時点で決定的に勝負がついた戦争だった。
指揮官も戦闘員も、当事者は誰ひとりとしてそのことに気づいた者はいなかった。それほど当事者にとっては混沌として、予想もつかぬ戦争だったのである。
「よし、補給だ!」
三番機は一直線に原の待つ補給車へと。ミサイルパックを装填して、再び敵中に。誰もが唖然とした表情を浮かべた。
戦闘開始後わずか十数分で、三番機は九十六体のゴルゴーンを撃破していた。これに一番機、二番機、戦闘団の戦果が加わり、百四十体ものゴルゴーンがあっさりと壊滅。戦闘開始から三十分、ゴルゴーンの砲列はすべて消滅した。
それは予想されたような悲壮なギャンブルですらなかった。
誰もが国内の五分の四の量を集積したという砲兵の榴弾の威力を忘れた結果、拍子抜けするような結果に終わった。死のロードを想定した岩国最終防衛ラインのふたりの指揮官だけが、このことを知っていたと言えるだろう。
「全軍、攻勢転移。北上してミノタウロスを討ちます」
月明かりの下、善行の戦闘団はミノタウロス三百に襲いかかった。すでに縦深陣地は三分の二を喪失していた。
予想だにしなかった戦闘団の攻勢に十四師団の将兵は沸き立った。ミノタウロスの群れは挟撃され、しだいに数を減らしていった。
そして……。突如として東の方角から飛来した一〇五ミリ戦車砲弾が一挙に数十のミノタウロスを撃破。広島に待機していた第三戦車師団が攻勢転移の口火を切って進撃を開始したのである。ミノタウロスの群れは一挙に百体を割り、怯えと恐怖を発散しながら逃走をはじめた。
最後のミノタウロスが撃破されたのはそれからわずか三十分後、場所は岩国駅南だった。
こうして岩国防衛戦は終わりを告げた。
後に残る物語は、怯え、恐怖に駆られ、ひたすら九州をめざす幻獣の残存部隊と、これを掃討する自衛軍との戦闘の話となる――。
八月二十日 〇五三〇 巌流島砲台陣地
敵の姿が見えなくなってから一週間が経っていた。
巌流鳥第三砲台陣地の高野少尉は、砲台の上で海水を口に含んで歯を磨いていた。白々と明け初める空を眺めて、今日も暑くなるなと思った。友軍の大攻勢が伝えられる中、彼の小隊は引き続き待機を命じられていた。
すでに敵の姿はなく、対岸に少数のゴブリンの姿が認められることはあったが、こちらの姿を認めるとかき消えるようにいなくなった。
幻獣側が壊走に移ってから、県内の各所で敵の包囲殲滅が行われていた。第三戦車師団を筆頭に、二師団、十四師団、そして大小の混成部隊が敵を追いつめ、捕捉し、撃破していた。
それにしてもあの海亀モドキは助けに来ないんかの? と高野は敵のことながら考え込んでしまった。かなたから砲声が聞こえてきた。戦闘車両のエンジン音が微かに耳にこだまする。
下関の方角からだ。
双眼鏡を手にして、瓦礫と化した市内を見て高野の顔色が変わった。
た、大変だ――! 高野は陣地の部下たちに怒鳴った。
「下関にえらい数の幻獣が逃げてきちょる。一五五ミリ砲、下関側へまわせ!」
「け、けど――」若い下士官が顔色を変えた。
「この砲じゃあっち側しか撃てませんぜ」
「馬鹿、頭を使え! 第七、第八砲台なら下関、彦島にぎりぎり回る」
幻獣の姿が見えなくなってから毎日のように考えていたことだった。そのため、友軍の遺体はすみやかに埋葬してあった。
「行くぞ――」
高野の号令で、隊員たちは所定の砲台に散った。「第七、市街丸見えです」「第八、彦島地区射程に入ります!」。隊員たちの声が弾んで聞こえる。
高野は双眼鏡でもう一度対岸の様子を眺め、息を呑んだ。数万、数十万を数える小型幻獣が市内、彦島の狭い区画にひしめき合っている。はっはっは。ひげ面を撫で回し高野は高笑いをあげた。
「一五五ミリ溜散弾、構わんからどんどん撃てえ! 敵さんに大盤振る舞いだ……!」
ほどなく大地を揺るがす音をたでて、一五五ミリ砲がうなりをあげた。
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終章 終わりのはじまり
八月某日 広島市・河川敷グラウンド
「六・四・三、行きますよ――!」
金属バットの音がこだまして、ライナー性の飛球が三遊間ショート側の手前でくくっと落ちて外野へと抜けていった。「え……?」橘は茫然として打球の行方を見守った。
「なーに突っ立ってるんですか? 君は案山子ですか、橘翔子?」
声の主は楽しげに、ぼんやり立ち尽くす橘を冷やかした。自衛軍のトレーニングウュアに着替えた合田はにやりと笑って、
「真正面へのノックは守備練習とは呼ばないんですよ。知りませんでしたか?」と言った。
橘の顔がみるみる赤くなった。グローブを勢いよくたたいて、「そんなこと知ってますっ!」憤然として合田をにらみつけた。
「よーし、もう一度。六・四・三。行くぞっ!」
意地の悪い打球が二遊間を襲った。橘は横っ飛びに飛ぶと、グローブの先で捕球、一回転しながらセカンドに絶妙のトスを放った。
セカンドからボールは一直線にファーストの神崎へと。
「ナイス・トス! まあまあです」合田は悔しげに泥を落としている橘に声をかけた。
「こんなの、当たり前です! もう一度!」
橘は挑戦的に合田をにらんでいる。合田は佐藤を振り返った。
「センスいいですね、橘さんは。しなやかでシャープです」
「あはは。ウチの名ショートですから。けど、打球の速さが全然違いますね。橘、あれであっぷあっぷですよ」
橘の擦り傷だらけの膝を見て佐藤は嬉しそうに笑った。部員はまだ足りないけれど、またソアトボールができるなんて! しかも指導してくれるのが甲子園級だなんて。
「それじゃサービスでもう一度」
「お顔いしますっ!」
橘の声と同時に、鋭いライナーがショートの正面を襲った。橘は歯を食いしばる。目を見開き、捕球と同時に一回転して転がった。
「ははは。闘志がむき出しになっていていいですねえ」
「あれだけ言っておいて正面だなんて卑怯です……じゃなくて、ありがとうございました!」
橘は帽子をとって礼を言った。
「あの……橘ばっかりずるいです。今度はわたしのピッチングを」
神崎が遠慮がちに言った。
「三・六・三を十本。骨は拾ってあげますよ」
合田はにこやかに神崎に笑いかけた。神崎は萎縮して身を縮めた。
「やっちゃってください。ピッチングはいいですから。あいつの目の色がちきしょーめって変わるまで」
佐藤が楽しげにささやいた。
鋭い打球が飛んで、神崎のミットを弾いた。
「下手くそ、何やってんの!」
橘がすかさず声を出す。「へーい、ファースト、穴だよー!」佐藤も声を出して野次った。
十球、二十球と受けているうちに神崎の目の色が変わってきた。
「はあい、ファースト! 一球ぐらいはまともに受けてよね!」
橘の野次に「うるさい! ぶりっ子ショート!」と歯をむき出して言い返してきた。あはは。
佐藤は腹を抱えて笑った。それそれ、そうこなくっちゃ!
「合田さんってサディストだったんだな……」
橋爪は土手の上からあきれたように練習風景を見守った。バイクでツーリングをした帰りに、偶然、聞き覚えのある声が耳に入った。あきれたことに合田の兄ちゃんが河川敷のグラウンドで紅陵女子ソフトボール部の指導をしていた。
「けど、なんだかすごく楽しそうです」
飯島が羨ましそうに言った。笑い声がグラウンドのその一画から絶えなかった。
「なんだよ、ツーリング、楽しくなかったんかよ?」
「スピード出し過ぎ! ツーリングって周りの風景を楽しんだりするもんじゃないんですか?」
飯島は口をとがらせて言い募った。あ、ショートケーキ、手強くなってやがる。橋爪は、ふんと馬鹿にしたように笑うと、「きゃあきゃあしがみついて風景を楽しめなかったおめーが悪い」
と逆襲した。
「きゃあきゃあなんて言ってないです! 百キロ出して、どうやって風景楽しむんですか? 薫さん免停! 絶対免停ですっ!」
飯島はめげずに言い返した。
「あのなあ、薫さんはやめろよ」橋爪はウンザリしたように言った。
「じゃあショートケーキって呼ぶのもやめて」
「わかってねーな。俺、ショートケーキって好きなんだよな。ほら、体使う仕事してっからよ。 甘ったるいものが好きなんだ」
言ってしまってから橋爪は気の毒なぐらい顔を赤らめた。……だめだ、向いてねえ。飯島ショートケーキを図に乗せちまう。見ると飯島も耳たぶまで真っ赤になっていた。
「あー、それじゃ飯でも食いに行くか? 欠食児童にご馳走してやるよ」
こう言われて飯島の顔がぱっと輝いた。
「牡蠣、牡蠣! 食べたいです――」
「却下。今は季節じゃねえ。ほれほれ、広島名物お好み焼き、食いに行くぞ」
橋爪が単車にまたがりエンジンを吹かすと、飯島はいそいそと後部座席に乗った。
八月某日 有馬温泉
「どうして南国リゾートが有馬温泉なんですか……?」
田中は女湯から竹垣越しに荒波に抗議をした。早朝、寝ぼけ眼のうちに起こされて、司令官専用の乗用車で連れてこられた。
「まあまあ、温泉の方が疲れも取れるし」
藤代がくすりと笑って田中を慰めた。
「わたしも砂浜より温泉のが好き。何回でも入っちゃうよっパンフレット見たらさ、会席料理、おいしそうなの」
島もくすくすと笑いながら田中に言った。
「なんか、幸せやねん。極楽、極楽」村井はすっかり温泉にはまってしまっている。
鹿威《ししおど》しの音が閑静な風景の中、優雅に響く。
「フフフ、わびさびですねぇ。美しい日本の中のわたしって感じです」
なぜか岩田参謀の声が男湯の方から聞こえてきた。
「あ、しまった! 水着を持ってくるんだった」
田中があわてたように叫んだ。
「あら、どうして……?」藤代が首を傾げて尋ねる。
「はっはっは、それはだな、岩田参謀が必ずお約束をやってくると信じているからだ。大丈夫だぞ、田中。それをやったら俺が銃殺刑にしてやろう」
荒波が楽しげに請け合った。
「ノオオオオ! それ、心外あります。わたしはのぞきなんてしませんしません! わたしは美少女にしか関心がないのです。田中たん、写真集返してください――!」
岩田参謀はプライドを傷つけられたらしく絶叫した。
「むきっ、美少女にしか、だって? 美少女なら塀の向こうに四人もいるじゃないのさ! あーんなフルウリのドレス着ている貧《ひん》ぬう少女が好きだなんて、大変態っ!」
田中は竹垣の向こうから怒りの電波を発信した。それでも足りずに、木桶を手に取ると、あちら側に投げつけた。
「あの……司令、わたし、わびさびを感じたいんですけど。ここの自然はやさしくて繊細です。 有馬温泉、憧れていたんですよ?」
元茶道部の島は本心から訴えた。
「岩田参謀、静かにしたまえ。自衛軍の評判を落とす気か? それと田中、体ばかりが発達しても人間として大人にならんといかんぞ」
「そ、それは……」
田中が狼狽えた。本来なら思いっきり怒るシチュエーションなのだが。
「よーするに、荒波司令になら何言われてもええってことやね」
手ぬぐいを頭に乗せた村井がお気楽に言った。
「おっ、岩田参謀、そのドリルはなんだ? いかん、人としての一線を勉えてはいかんぞ! わかった、銃殺覚悟なんだな。骨は拾っておこう」
荒波が勝気に声をあげると、四人の少女たちは一斉に悲鳴をあげた。
「はっはっは」
閑静な山中に、荒波は旺盛な高笑いを響かせた。
司令、ありがとうございます。藤代はひとしきり悲鳴をあげた後、ひとり微笑んだ。わかっていた。また戦争なのだ。今度は二百三十万の物言わぬ人々が眠る地へ。未来を奪われた学兵たちが眠る地へ。けれど、今は――。
「藤代たん、暗いよ――」
田中の声がして指でつくった水鉄砲を浴びせられた。き、器用だ……。負ける。藤代は腕を動かして思いっきり湯を田中に浴びせた。「南港の決闘かいな」村井が意味不明なことを言い、島はため息をついて湯の端っこに避難した。
八月某日 山口県内・山中
「あの……わたくし、神社仏閣めぐりと聞いたんですけど」
壬生屋は不満げに運転席の瀬戸口に話しかけた。なぜか四人乗りの冷凍車に食料を満載していた。後部座席には来須と石津、そしてブータまでもがついてきていた。
「ははは、神様に供え物をする旅でもあるのさ」
瀬戸口は壬生屋にやさしく笑いかけた。
「わたし……壬生屋……さんの体が……心配なの」石津が澄ました顔で言った。
「俺は護衛役だ」
来旗は当然だというように言った。
「あー、ブータは案内役なんだ。神々のことは一番詳しいからな」
瀬戸口がブータの代弁をするように言った。
「ん……この先で停車? アーモンドを百キロ、胡桃を二百キロか。副王はけっこう欲張りだな。神社の境内に置いておけばいいんだな?」
瀬戸口に尋ねられ、ブータは「にや」と返事をした。
「それにしても神々ってのは高くつくよな」
ため息交じりに言う瀬戸口に、石津は「安い……もんだわ」とたしなめた。
石段の下に車を停めて、四人で食料を境内まで運んだ。境内にはリスの群れが集まっていた。
瀬戸口の姿を認めるとひときわ大きなリスが最敬礼をしてきた。
「うんうん、今回はおまえさん大活躍だったからな」
瀬戸口は苦笑すると、熱血リスに敬礼を返した。
緑に囲まれた神さびた神社だった。涼しい風が境内を吹き抜ける。社の石段に瀬戸口は壬生屋と並んで腰をかけた。
「風が気持ちいいな。神さんたち、元気を取り戻しているみたいだ」
瀬戸口が話しかけると、壬生屋は微笑んだ。
「ええ、気持ちいいです。守ることができてよかったです。神々が住まう地。ここがわたくしたちの国なんだなって」
「なんだか眠くなってきた」
瀬戸口はそう言うと、無造作に壬生屋の膝に頭をもたせかけた。あまりに自然な動作だったため、壬生屋は避けることができなかった。
「こういう旅もいいもんだろ?」
瀬戸口は目を閉じて、真っ赤になっている壬生屋に話しかけた。
「そ、そうですね……。あの、これって膝枕っていうんでしょうか?」
「……そうとも言うな」
「恥ずかしい……ふ、不謹慎です」
そう言いながらも壬生屋の華奢な指は瀬戸口の髪を摘んでいる。無意識のうちに指に巻きつけていた。
「それ、癖になるだろ?」
「あ、はい、って何を言わせるんですか!」
瀬戸口の寝息が聞こえてきた。いつまでもこうしていたいな。そんなことを考えている自分に気づいて壬生屋は袂から扇子を取り出し、火照った頬にこ風を送った。
「今度は燕の中納言……だって」
石津は言ってしまってから、ふたりの様子を見て、まわれ右して駆け去った。
「まだ…時間……あるから!」石津は遠くに離れてから、珍しく大きな声でそう言った。
八月某日 広島市内・戦車工場前
「右手に見えますのが戦車シャーシ工場。工場の皆さん、お待ちかねよ」
マイクを取ると原はにこやかにアナウンスをした。これは嫌がらせか、と整備班の面々プラスアルファはげんなりとした。善行が東京に戻ってから、原は一行を連れて工場という工場を訪問していた。
「あの……昨日、六一式の工場を見学したばかりじゃないですか。七四式も製造工程は同じだと思うんですけど」
森が遠慮がちに抗議をした。原の顔色が変わった。
「あらあら六一式と七四式が同じだなんて、森さん、暑さで頭いっちやってるのかしら? 狩谷君、整備員がこんな大雑把なことで許せると思う?」
急に水を向けられて、狩谷は囲ったような顔になった。
「まあ、油圧サスペンションとかけつこう違うから。見学して損はないと……」
「だめや、なっちゃん。みんな反乱一歩手前やで」
隣席の加藤がささやいた。狩谷はあわてて周囲を見回した。皆の目が吊り上がっている。
「しっもーん! 温泉はどうしたんですか?」
新井木が止ゆる若宮を振りきって手を挙げた。
「もう戦車はいいっす。俺、疲れがとれてないんだよな。早く温泉に行きてえ」
滝川が愚痴っぽくつぶやいた。
「男、男、男ばっかりで気が変になりそうたい! どうして可愛い女の子の工員だけの工場がないんかの。俺はこの見学終わったら、温泉ロマンの旅に出るからな!」
「フフフ、温泉ロマンと言えば七つ道具、用意してあります――」
中村と岩田が突如として反乱ののろしをあげた。
「おっ、温泉ロマン、いいな!」滝川が賛成の挙手をして、森に耳を引っ張られた。
どうすればええんや? 加藤は必死に考え「困ったことがあったらこれを開いてください」と善行から密かに預かった掌大の巾着を開けてみた。え……? そこには衛星携帯が番号のメモとともに入っていた。加藤は衛星携帯の番号を押した。ほどなく善行が出て、加藤は窮状を訴えた。
「ふうん。わたしに逆らおうなんて百億年早くてよ。反乱を起こした者は国家反逆罪にスパイ罪に美女侮辱罪、適用ね! これから憲兵を呼ぶから首を洗って待ってなさいね!」
原はめちゃくちゃを言い出した。
「原さん、善行さんが話がある、言うとりますっ!」
「あら、どうしたのかしら」
携帯を受け取った原の表情がみるまに柔らかくなった。「やあねえ、何を寂しがっているのかしら」などとべちゃくちゃ喋りだした。そして携帯を切ると一行に向き直って、「予定変更。わたし、東京に用事ができたから。広島駅で解散ね。あとは……ええと、加藤さん、適当に迷える子羊たちを導いてね」
にこやかに宣言した。
……スキップして改札田に向かう原を見送った後、マイクロバスの運転席に座っていた若宮が振り向いた。
「どうするんだ、これから?」
ふっふっふ。あはははは。加藤は気味の悪い声をあげてポケットから封筒を取り出した。
「事務官の中の事務官をなめてもらっちゃ困るで! 聞いて驚くな! これ、遠坂観光のVIP用宿泊券なんよね! 遠坂君ところに連絡して、隊員がゆっくり休めるところ紹介していただけませんかいうたら一発や。ウチのこと尊敬してええよ――」
車内に一斉に歓声がわき起こった。
八月某日 館山海軍士官学校
「……それで山手線に乗ったら、どういうわけだか広島駅についてしまった、と」
校長はため息をついて茜を見た。同席した先輩の石塚もあきれたように首を振った。茜は笑顔になると、「考え事をしていたもので。夢中になるとたまにミスるんですよね、僕」
うんうん、と自ら納得したように言い張った。
「名誉の負傷までして」校長は苦い顔になった。
「ええ。子供を助けたらぽっきりやっちやって」
茜は平然と校長に笑いかけた。
「石塚君、構わんから一発、ぽかりと」
校長が命じると、石塚はいきなり茜の頭をごつんとやった。
「わっ! 何をするんだ、先輩。今ので脳細胞が一億は死滅したぞ!」
「校長は考えてらっしゃるんだよ。君の性格じゃ世間に出しても餓死するだけだろうってね」
石塚はため息交じりに言った。
「餓死……」不意に茜の脳裏に退学・無職・ホームレスのキーワードが浮かび上がった。
「だめだっ! この僕を失ったら日本は滅びる! あたら天才を軍から追放するのか?」
石塚の拳が伸びて、もう一度ごつんとやられた。頭を抱えてしゃがみ込む茜に、校長はしぶしぶと申し渡した。
「茜大介、半年間の校舎・寮のトイレ掃除を命じる。さあ、とっととわたしの目の前から消えてくれたまえ」
八月某日 下開港
夜風が気持ちよかった。雲間に月が見え隠れし、夏の終わりを予感させる宴がゆっくりと夜空を放れていく。
濃厚な潮の匂いを厚志は胸一杯に吸い込んだ。海だ。海峡がすぐ目の前にあった。静かな波音が厚志の心に宿った熱を冷ましてくれる。
「広島に残らなくてよかったのか?」
舞の声が聞こえた。
5121小隊は現在、一週間の休暇を与えられ、厚志と舞は一日だけ仲間と一緒に過ごした。
その翌日、厚志は単車を借りて、舞とともにここ下関に降り立った。
「なんかさ、みんなといると楽しくってつらいんだ」
厚志は対岸に目をやるとぽつりと言った。その横顔には寂しげな微笑が刻まれていた。舞は少し考えて「そうか」とだけ言った。
「平和な風景は僕の後ろにあればいいよ。僕の目は平和を脅かす災禍に向けられている。あは、こんなこと、舞にしか言えないよね」
厚志め、なかなか言うな。舞は微笑すると、厚志とともに闇の中に静まり返る門司港に視線を注いだ。
「戦場こそが我らが故邦。そうであろ?」
「うん」
互いの心の共鳴を楽しむように、厚志はうなずいた。
「我らはそれでよいが……また、大勢死ぬな」
「そんなにすぐに?」
厚志は意表を衝かれたように舞を見た。
「善行から話があった。今度は学兵がまた大量に動員されることになる。わたしにはそれがつらくてたまらぬ」
舞は寂しげにつぶやいた。
「けど、九州を取り戻すんでしょ? きっと待っているよ。あの地で死んだ人たち、学兵たち。僕は舞について行くだけだけどさ」
厚志は静かに言った。そしてもう一度つぶやいた。
「きっと待っているよ」
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あとがき(兵《つわもの》どもが夢のあと)
向き不向きの、あるいは個人的な好き嫌いの問題か、あとがきは得意ではないのですが、これだけは言わなければと思って、キーボードをたたいています。
全四巻もの長丁場、地獄の山口防衛戦におつき会いくださり、読者の皆さんに最敬礼――。わたしはと言えば、兵どもが夢のあと、というわけで今は多少の感慨を覚えています。
さて、せっかくなので、もう少しお話すれば、わたしの場合「なぜガンパレード・マーチなんだ? なぜこればっかり書くの?」という問題がありまして、実は本シリーズを書きながらもずっと考えていました。
答えは出ているんですよね。榊涼介という作家は現時点で、このシリーズを一番面白く、生き生きと描くことができるからです。作者自身が楽しんで書いているんですから。おそらくこのシリーズがベストなはずです。ノベライズだから云々とか、オリジナル展開がどうこうとかはもはや関係ないんです。
小説は小説。面白ければなんでも可、と考えています。
わたしがかくありたし、と思う作家とは――引っ越しの時に偶然その本を見つけて何気なく手にとり、ついつい読みふけって、気がつくと日は傾き、段ボール箱の山の中にひとり取り残されている自分にはっと気がつき、引っ越し屋さんをあきれさせる――なんていう作家です。
あるいは、何度でも読み返してもらえる。そんな作家に成長していきたいですね。
「ガンパレード・マーチ」という世界もしくは題材には、そのために自分がこれから磨き、伸ばしていきたい要素がたくさん含まれているのです。
その最も大きなものが物語の同時進行、ですかね。
戦争というテーマでは一斉にいろいろな悲喜劇が起こります。今回の山口防衛戦でも、厚志や舞のように華々しい活躍をする者もいれば、合田・橋爪・佐藤のように自分の技量を見極めた上で、生き残るために、仲間・部下を生き残らせるために最善を尽くす者、果てはぶつくさ言いながら最後まで律儀に軽トラで弾薬を運搬している者まで――。それぞれの要素が時に密接に絡み合い、また別の方向へ分かれ、といった群像劇、絵巻をしっかり描きたかったのです。
……民間人の逃避シーンももっと描きたかった。まあ、これは別の物語で存分に書くことにしましょう。
さてさて、面倒な理屈はとにかく、悪戦苦闘の未、本土は防衛されました。5121小隊の面々も、ほっとひと息というところですが、彼らの「喪失感」は決して埋まっていません。あの、死んだような夏空二度と過ごさぬためにも、なくしたものは取り戻さなくてはなりません。
これが5121小隊の面々の総意であり、心意気であると考えています。
伝説はまだまだ終わってはいないのです。
榊涼介
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底本:電撃文庫
「ガンパレード・マーチ 山口防衛戦《やまぐちぼうえいせん》4」
榊《さかき》 涼介《りょうすけ》
二000七年十月二十五日 初版発行
2008/11/16 入力・校正 hoge