ガンパレード・マーチ 山口防衛戦2
榊 涼介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
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(例)中村|光弘《みつひろ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#改ページ]
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炎天の下、じりじりと後退が戦いていた。
宇部戦線の崩壊以来、戦線と言えるほどの組織的な防衛はもはやなく、小単位の部隊が寄り集まって拠点を設け、戦っては退くといった戦いが続けられていた。
新たに西部方面軍司令官に就任した芝村少将は多くを語らなかった。「市民の遭難」及び「岩国最終防衛ラインへの迅速な撤退」を方針とした。
冷静に考えればこのふたつは矛盾しているが、自衛軍の軍人たちが弾き出した結論は、無傷もしくは基幹となり得る戦闘単位は全速力で岩国をめざし、すり減った、あるいはその他の部隊は遅滞行動――捨て石となることだった。
どうするかは個々の指揮官の判断に委ねられた。ある戦車小隊は一撃を与えては撤退する機動防御に徹し、ある隊は小さな町の住民が避難するまで多くの犠牲を出しながら拠点を死守した。
「市民あっての自衛軍です」というのは奇襲からはじまったこの大攻勢では建前に過ぎなかったが、それでも多くの兵たちは最善を尽くそうとしたのである。
予期しないことと、予期したくないことが起こる、と予期するようにせよ。この戦役が我が軍、そして国民の意識を変えることを望む――。東ローマ帝国皇帝マリウスの言葉を引用して芝村少将は、言葉少なにこの戦役についで語っている。
なに戦術なんて簡単ですよ。敵さんの股間を蹴り上げれば勝てる――。これは岩国最終防衛ラインの指揮官であった荒波大佐が軍事音痴のインタビュアーを煙に巻いた言落である。
山陽方面では潮が引くような撤退が続き、萩の戦線は腰着し、そして県央の山口市にささやかな戦闘単位が生まれつつあるというのが、八月六日から七日にかけての状況だった。
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第七章 戦闘団
八月七日 〇七〇〇 山陽自動車道
防府《ほうふ》市近郊。
瀬戸内海のきらめきを右手に、山陽自動車道は、戦車随伴兵が張り付いた戦闘車両で埋め尽くされていた。この付近で山陽自動車道は国道と合流し、そのまま北西へ進路をとれば山口に出る。山陽自動車道は片側五車線。かつては熊本要塞に物資を送り続け、非常時には航空機の滑走路にも使われる日本の「動脈」のひとつだった。
今は上り下りとも東へ向かう車両で埋め尽くされていた。上り車線の路肩側の先頭を走る九二式歩兵戦闘車が急ブレーキをかけで停まった。後続する車両はすんでのところで玉突き事故をまぬがれた。
彼らの目の前には見上げるばかりの巨人が立っていた。巨人は車線を塞ぎ、頭部のレーダードームを不気味に光らせている。
一斉に警笛が鳴らされた。
「すいません。ご迷惑かけます。けど、これ、命令なんで――」
巨人の拡声器から少年の恐縮するような声が響き渡った。
「どこの誰の命令だ? 我々は岩国へ撤退するところだ」
車列の中程を走る九二式指揮戦闘車の拡声器から抗議の声があがった。九二式に電子機器を積み込んでいるため、砲塔の機関砲は軽量の七二八二ミリ機銃に換装されている。叫んでいるのはその事列の中で一番階級の高い将校らしい。拡声器から間こてくる怒声に、警笛の書がパタリと止んだ。
巨人のレーダードームが点滅し、指揮戦闘車の方向を向いた。
「あ――、こちらは5121小隊――芝村万翼長である。この車線の隊は国道に進路変更せよ。そなたらは我らと戦闘をともにすることになる。我らは、あー、善行戦闘団に属している」
柔らかな少年の声に替わって、拡声器から無愛想な少女の芦が響いた。
「そんな命令は受けておらん!」
指揮戦国車の砲塔のハッチが開き、大尉の階級をつけた将校が姿を現した。
「どうする? 車線まるごとって強引かも」
拡声器から先ほどの少年の声が聞こえてきた。スイッチを切り忘れている。わざとであるなら放胆というべきか?
「たわけ! だったらくだくだしく説明して時間を無駄にするのか? 敗兵の回収はシンプルであることが望ましいのだ。善行もそう言っていただろう!」
拡声器から流れてくる少年と少女の声を、兵らはあきれ顔で聞いていた。
「通るぞ。発進!」大尉がたまりかねて肉声で叫んだ。
「だめだ。遠さぬ!」
「なんの権限があって邪魔をする?」
「我らの指揮官は芝村方面軍司令官から残余の兵を吸収して戦闘単位を結成することを許可されている」
「芝村だとゥ……」
大尉の声に忌々しげな響きが交じった。まともな知能を持った現場の指揮官からすれば、現在の混乱した状況はすべて上層部の無能と怠慢によるものだと認識していた。しかもこの危機的状況の中で司令官に就任したのは彼にとっては陸軍のガンと言うべき芝村だ。芝村に陸軍はわからぬ、というのが大尉の持論だった。
「かまわん。通れ。銃手、射撃用意!」
頭が硬い、生真面目な、どこにでもいるタイプの軍人だった。下関戦で隊の三分の二を喪失してから感情の起伏が赦しくなり、部下も持て余していた。
砲塔はしかし人型戦車には向けられなかった。害意はないというように、九十度回転して止まった。
「何をしている! おまえ……」
大尉のヒステリックな声が空にこだました。
「だからさ、茜がよけいなことを言うから。善行さんもどうして茜の言うこと採り上げたんだろう? 乱暴すぎるよ」
ようやく拡声器のスイッチを切って、コックピットの中で厚志はぼやいた。茜と田代は、2号線の辺りをうろうろしていたところ、運良く山口に行く宅配便に拾われたという。熊本戦以来、輸送、補給の補助として民間の宅配便は戦闘地域を駆けめぐっていた。「戦う宅配屋さん」というわけで、運輸会社は軍に危険手当として法外な費用を請求し、輸送用車両の不足に悩む軍もそれを必要悪として認めていた。
ふたりは善行のもとに宅配され、善行は合計体重をもとに「金五万円也」を請求された。
幸いにも業者が遠坂運輸であったことから電話一本でことは済み、善行の貴重なポケットマネーは失われずに済んだのだが。
司令部に着いたとたん、茜は興奮した口調で言い募ったものだ。
「敗残兵を急いでかき集めないと他の隊にとられちゃうよ! 編成は後で適当にできるだろ。山陽自動車道の車線一本、まるごともらおうよ!」
なんて大ざっぱな、と他の隊員たちはあきれたが、善行は苦笑しながらもその提案を認めた。
そんなわけで厚志と舞が国道と山陽自動車道との分岐点に陣取ることになったのだ。
「兵は拙速を尊ぶ。わたしは茜の提案はあながちまちがっていないと思うぞ。集めるだけ集めて、編成その他は後でやればよい」
舞は大尉の敵意など意にも介せず、冷静に言った。
「貴様、反逆するか?」
大尉の怒声が再び聞こえてきた。部下に当たり散らしている。
だめだな、この人……。厚志は同情するように、車内に向かって怒鳴っている大尉を見た。
その時、国道の方角からエンジン音が響いて、戦闘指揮車が二両の、兵を満載したトラックを伴って近づいてきた。
「こちら善行大佐です。隊員が少々変わった勧誘をしたようですが、これは西部方面軍司令官・芝村少将の正式な許可を受けでのことです。この車線の車両及び兵はすべてわたしの部隊の戦闘単位として再編成されることになります」
善行の冷静な、それでいて柔らかな声が拡声器から流れた。
「再編成……」大尉は茫然とつぶやいた。
「こちらは戦車大隊を基幹とした戦闘団です。山口を拠点に、主として遊撃任務をこなすことになりますね。さて……、以上、正式な命令及び事情説明はこれで済みました」
数秒の間、沈黙があった。他の車線の兵はハッチから顔を出し、あるいは車両に張り付いたまま、両者のにらみ合いを見守った。
「……断ります」
大尉はなおも頑固に言い張った。
「しかたがありませんね。芝村さん……」
「うむ」
複座型は車間を巧みにまたぐと、抗議の声に耳を貸さず大尉の乗る車両を隣の車線に押し出した。その手際のよさに、人型戦車を見慣れない自衛軍の兵らは驚きを隠さなかった。
戦闘指揮車のハッチが開き、眼鏡を光らせた若い大佐が手をあげて北の方角に指し示した。
先頭の車両が左折すると、後続する車両もそれに倣った。
「ははは。これは面白い。善行さんらしい、と言うべきか。らしくないと言うべきか」
オペレータ席に座っている瀬戸口が冷やかした。まさか一介の海士学生の提案を聞き入れるとは。
「わたしは敗兵収容のための部隊を編成しようと考えていたんですがね。茜君の数式では無駄な一行だったようですよ。今はこの種の強引さが必要と考えました」
再びシートに落ち着いた善行は苦笑してかぶりを振った。善行とて万能ではない。未経験のこともあれば苦手なこともあった。数学の証明問題でまわり道を指摘されたようなものだ。
「しかし茜のことは後々問題になりませんか?」
学生身分の茜が、無断で学校を抜け出し、善行のそばにいるとなると、責任を問われるのは善行だ。しかし善行は苦笑して言い放った。
「ああ、彼は幽霊ですから」
「幽霊……はは、生霊ですか?」
「わたしの司令部に勝手に押し掛けてきた、と解釈しています。送還しようにも彼ひとりのために貴重な輸送手段を使うわけにはいきません」
「ははは。しかし宅配便とはね」国道を縦列となって進んで衝く車列を横目に、瀬戸口は楽しげに笑った。
「後々の問題は……それは彼も覚悟の上でしょう」
強引に現場に復帰し、しかも戦闘団なるものを瀬戸口流によく言えば手品師のごとく、悪く言えば詐欺師のごとくでっち上げた善行の責任の大きさを考えれば、茜のことなど些未なことに過ぎなかった。なるほどこれも善行さんなんだな、と瀬戸口は密かに思った。熊本戦の頃の善行は、未知数の人型戦車を手駒に実験をする科学者だった。
今の善行は一軍を指揮する軍人……もしくはギャンブラーだ。
そして自分も曲がりなりにも小隊を任され、軍人という人種になってしまっていちもちろん芝村舞が戻ってきた今となっては、どのようにバトンタッチするかを考えていた。司令代理というやつは不自由だ。心が萎える。むしろ芝村の受ける試練だろう。彼女もいわゆるエース・パイロットから次の段階に進むべきだ。
「さて、と。そろそろ俺は司令代理を返上しますよ。代わりに芝村を」
瀬戸口が切り出すと、善行はしばらく考えた後、口を開いた。
「だめですか?」
「ええ、俺は状況に流されるのは得意なんですが、流れを強引に変えるのは不得意科目で」
善行の口許に微かに笑みが宿った。
「どちらでも面白い絵は描ける、と思いますがね」
「時間稼ぎは十分果たしましたよ。これからの修羅場は芝村の方が適任でしょう。隊のレベルアップのためにもね」
瀬戸口はにこやかに切り返した。5121小隊はおそらく斬り込み隊として最も危険な戦場に赴くことになる。もしくはオトリ役として相当数の敵を引き受けることになるはずだ。無傷では済まされないだろう。隊が崩壊の危機に陥ることも考えられる。そんな時には芝村舞の果断《かだん》さが必要となるはずだ。
「……手配しましょう。それでは」善行の声に瀬戸口は我に返った。
「戻るんですか?」
「あとはあなたに任せます。まだまだ撤退してくる兵はいます。5121は彼らを適当に山口に送り込んでください。あとは岩国から借りてきた中隊が収容その他を行います」
確かに士魂号……巨人の姿には迫力があった。先ほどの大尉は例外にしても、士魂号の持つインパクトは敗兵に勇気を与えるだろうと瀬戸口は思った。
「こちら矢吹です。萩方面から中隊規模の兵を収容」
無線から第三戦車師団の矢吹少佐の声が聞こえてきた。下関、宇部の陥落とそれに続く敗走は、萩の戦線に張り付いている各隊に影響を与えていた。拠点防御で足止めだけなら現在の半分の戦力で足りる、と善行は矢吹と状況判断のすり合わせを行っていた。
「皆様、ご苦労様です。こちら善行戦闘団。矢吹少佐よりお話があります」
甲高い女性の声が聞こえてきた。甲高いが決して耳障りではない。壬生屋の重装甲だ。漆黒の重装甲から聞こえる壬生屋の声にはどこかしらやさしく落ち着いた響きがあった。
壬生屋なら矢吹のような実直な軍人タイプの言うことを素直に聞くだろうとの配慮から、萩方面の「リクルート」にはふたりを組み合わせた。山陽方面は敗兵ゆえ多少の強引さが必要であり、萩方面は戦況に疑問を持った指揮官が独白の判断で戦線を離脱、移動してきたものだった。矢吹が理を尽くして説けば通じる。
「壬生屋さんの様子はどうです?」
善行が尋ねると、矢吹は「ええ」と穏やかに応じた。
「素直でよいですな。説得はわたしに任せて、兵をねぎらってくれています。こういう時、女性の声は本当にありがたいな……ああ、安心感を与えるのですよ。それがあの重装甲から発せられるものだから効果がありますな」
矢吹はごくわずかの間に、善行の流儀に馴染んだようだった。
旧軍の悪しき伝統は未だに残っていた。軍人……将官の世界は出世こそすべてだ。そのために派閥が形成され、権力闘争が行われる。優勢な派閥は、その能力ではなく情実によって派閥内の軍人を上へと引き上げる。
芝村閥が台頭してきて状況はやや変わった。若手の有能な軍人を積極的に取り込んで、年功序列を平然と無視し、抜擢を行った。むろん、その中には「政治」に長けた人材も含まれる。
五十年足らずの間に芝村が軍の有力派閥にのし上がったのは、芝村の手段を選ばね掟破りによるところが大きい。そして善行や荒波といった軍人は「芝村」から破格の扱いをされているといってよいだろう。他の閥に属していたなら、その個性の強さから、未だに尉官で不遇であったはずだ。
これに対して矢吹のように無色に近い軍人もいる。元々が軍人の家系であったから、どの派閥とも敵対せずに済んだこともあったろう。ただし、この人物の強みは実直さと思考の柔軟さを併せ持つことにあると善行は考えた。
岩国に赴く車内で、善行の論文を読みあさったという。
さすがに日本の生命線・広島に駐屯する第三戦車師団の参謀が「善行用」に選んでよこした人物だけあった。
「む、素直でなくて悪かったな」
厚志の後ろで無線を聞いていた舞の不機嫌なつぶやきが聞こえた。どうやら本人は説得に失敗したことに責任を感じているらしい。
「あはは。舞には舞の良さがあるよ。みんな複座型のこと見上げていたよ。頼りがいあるって、そんな感じだった」
厚志はすかさずフォローした。
舞は相変わらず舞だ。他者とのコミュニケーション技術の拙さに、出会った時からずっとコンプレックスを持ち続けている。これは芝村舞という少女の持病だ。しかしそんなことは些細な問題なのに、と厚志は思っていた。日常的なコミュニケーションなど、自分がいくらでも代わってあげられる。舞は舞を理解し、その鋼のような信念に触れることができる人間さえ動かせればいいんだ。自分が出会った時からそうであったように。
「ふむ。そなたも言うようになったな」
舞はまんざらでもなさそうに言った。
別の車線から声が飛んできた。
「こちら二十四旅団第四中隊。貴軍に合流したいが」
一連のやりとりを見守っていたのだろう、十五名ほどの戦車随伴歩兵が車両を降りて複座型の足下に集まった。歩兵中隊は百八十人から二百人程度が普通だ。それが十五人……。下関での激しい市街戦を思い浮かべて厚志は一瞬息を呑んだが、すぐに愛想よく応じた。
「感謝します。大歓迎です!」
なんだか客引きみたいだなと思いながらも厚志は嬉しげに言った。認めてくれた、ということだ。それはそれで嬉しかった。
「岩国に集結せよ、との命令には違反しないんだね?」
中尉の階級章をつけた将校が念を押した。
「ええ。善行さん……大佐のおっしゃった通りです」
厚志が応じると、兵たちは左折する車両に分散して乗り込んだ。
「ところで壬生屋と石津という子は無事かね?」
中尉は去り際に尋ねてきた。
「え……? ふたりを知っているんですか?」
「下関で世話になった」
中尉は包帯だらけの部下たちを目で示してみせた。
「壬生屋さんは重装甲に乗って僕たちと同じような任務についていますよ。石津さんはそこの戦闘指揮車の運転をしています」
「……そうか」中尉は満足げにうなずいた。
八月七日 〇八〇〇 山口市庁舎前
「来た、来た、来た――! ご一行さんを市役所駐車場にご案内ー。戦闘車両三十。全部で二百人はいるかな」
新井木が市役所屋上から双眼鏡をのぞいて地上の整備委員[#ママ]たちに報告した。
「炊き出し部隊、出動して!」原の命令に「ラジヤ」と中村が応じた。
「ヨーコさん、炊飯車を市役所に頼むばい」
「了解デス」
5121小隊整備班の面々は収容した隊を市内各所に案内していた。
巨大な鍋にカレーを仕込んだ七五式炊飯車と、軽トラが到着した部隊を出迎える。そこで兵にカレーを配る一方で、整備員は大隊の整備員とともに車両の整備をしてまわっていた。その間に、岩国から来た中隊が「ご一行さん」を再編成していた。
「順番に順番に! カレーならいくらでもありますさかい」
炊飯車に群がる兵を加藤がさばいていた。ヨーコがにこにこと微笑みながら、隊きっての料理人である中村|光弘《みつひろ》御製になるかつおぶし出汁カレーを盛りつけていた。原は森、狩谷、中村、岩田らとともに神業のようなスピードで車両の点検修理をしてまわる。そのスピードに戦車大隊の整備員は度肝を抜かれていた。
「幽霊」の田代は着いた早々、軍備の数は足りていると考えたのか、自分の判断で近辺の病院へ手伝いに行っていた。
同じ幽霊でも手持ちぶさたなのは茜だった。
意気揚々と乗り込んできて、提案が聞き入れられたことに舞い上がり、張り切って戦闘指揮車に乗り込もうとしたところ、「だめです」とあっさり善行に断られた。せっかく盛り上がっていたのに。「覚悟」が空回りした格好になった。
炊き出しの手伝いなんてプライドが許さないし、かといって整備を手伝うのも今さら、と駐車場の隅に座り込んでふてくされていた。
それにしても田代のやつ。隊員への挨拶も早々、自分を放っといてさっさと病院に行ってしまった。あらためて頭脳だけが売り物の自分の悲哀と孤独を感じていた。
「へっへっへ、おまえのことは聞いてるぜ。プリンス・オブ・補導。これで傷と頭、冷やせよ」
滝川がペットボトルを渡して隣に腰を下ろした。「ああ、
補導ね」茜は気取った仕草で髪をかき上げた。
「天才とは常に孤独で理解されないものなのさ。いやしくも治安に携わる者なら、僕の発するオーラを感じないと失格だな。そう僕は彼らを指導してやっている」
「……なんか相変わらずっつうより、病気、だんだんひどくなってるな」
滝川はあきれ顔で言った。
「まあ一般人には理解できない範噂なのさ」
「へへっ、はんちゅーね。んで……田代とはどうなんだ?」
茜は急所を突かれたように一瞬青ざめた。「か、彼女は僕のストーカーさ」茜はあたりを見回した上でそう答えた。民情の視察に「護衛」は必要だと割り切って、週に一皮は会っていた。
東京で会うときは盛り場を避けるようにしていた。ふたりのコンビが盛り場を歩くと、必ず大止ち回りになる。
「ストーカーねえ。それ田代に言っていいんか?」滝川は楽しげに笑った。
「つ、つまり……護衛役というのはいつも僕を追尾していないといけないわけで。それでそのような表現をしてみたわけさ。……君こそなにヒマしてるんだ?」
茜は反撃を試みた。しかし滝川は「ザッツ・休憩ターイムね」とごろりと寝転がった。
「十時間ぶっ通しで戦ったんでちとなー、渡れた。疲れがなかなか抜けねえ」
「……下関か」
茜は真顔になった。見たかった。そこそこに粘ったらしいが、結局敗走に移っていた。駐屯していた師団の司令官は責任の重さに耐えされなくなったか、徹底抗戦を主張して行方不明になっている。
「ああ。あんな数の幻獣って初めて見たな。俺と来須さんたちで中型幻獣を削ってまわった。撃ちゃあ必ず当たるんだけど、集中が切れてマジやばかった」
滝川は顔をしかめて左腕をさすった。神経接続をしたことから、感覚としての痛みはまだ残っている。
「無理をするな。君が死んだら姉さんは泣くぞ」
「後で思いっきり怒られちまった。狩谷の陰険眼鏡には相変わらずだね、なんて言われるし。あいつがしゃべると全部嫌みに聞こえるのな」
「ふ。それが秀才型の限界さ。ところで、だ。正直に答えてくれ。……姉さんとは、その」
茜の色白な顔に赤みが差した。「覚悟」はどこへ行った? こんな会話をするために戦場に来たんじゃないぞ、と内心で葛藤しながらも口を開いていた。
「その……つまるところ、姉さんと君は……」
「うーん、俺と森は今のところなんもなし。プラ……なんつったっけ?」
「……プラトニックラブ」茜は苦い顔で補足した。
まったく何をぐずぐずしているんだ! とっくにそういうことになっていると思っていたのに。だから僕は姉さんのことをあきらめたのに……あきらめようとしているのに。
茜と森は血のつながっていない姉弟だった。幼い頃、母親を失って、森家に引き取られた茜にはじめて手を差し伸べてくれたのは精華だった。茜のシスターコンプレックスはこの時期に擦り込まれた。大学を辞めてまで森を追って5121小隊に潜り込んだのはひとえに姉さんのそばにいたいからだった。それだけに姉と滝川の接近を見るにつけ、茜は複雑な思いになる。
時間が止まってくれればとさえ思う。
「君は臆病だな」
滝川、怒るかなと思いながらも茜は衝動的に口走っていた。しかし滝川の反応は意外なものだった。
「俺たち、結局さ、九州守りきれなかったじゃん。それで何万も何十万も人が死んだ。だから、願をかけるっての? 森と話し合ったんだ。なくしたものを取り戻してからって。そうしないとなんつうか、心の隙間が埋まらないんだよな」
照れ笑いを浮かべながら、滝川は言った。
「馬鹿な。それとこれとは……!」
現場に復帰して、茜は久しぶりに重いものを突きつけられたような気がした。この三ヵ月の自分の生活が否定されたような苦さがあった。
「わかってる。関係ねーよ。だから願かけ。本能に負けそーになったら殴れって森に言ってある。あいつのパンチ、けっこう効くぜ」
滝川の言葉を聞いて、茜はがくりと頭を垂れた。ウルトラどんくさくて不器用だ! しかもなんて古くさい! 君らは江戸時代の人間か? しかし、茜はそんな滝川を羨ましいと思った。
姉さんとピッタリ波長が合っている。
もしかしてふたりの関係が、と心のどこかで期待していた自分が浅ましく思えた。
「こら、大介! 滝川君をちゃんと休ませて! 炊き出し、手伝いなさい!」
森がスパナを手に、にらみつけてきた。顔と作業着がオイルまみれになっている。働く姉さん……久しぶりに見る。可愛い……もとい、なんてどんくさい! 茜はぶるっと首を振ると、
「ふ」と笑みを浮かべた。
「僕は参謀としてここに来たんだ。肉体労働は拒否する」
「馬鹿なこと言ってないで! 少しはヨーコさんたちを見習いなさい。田代さんだって病院に手伝いに行ってるでしょ?」
「僕はヨーコさんじゃない!」茜はすね顔になって森に訴えた。
ほほほ、と高笑いが聞こえた。戦車大隊の整備員の輪を割って、原が「ハロー」と手を振ってきた。
「は、ハロー……」茜も思わず振り返す。原だけは苦手だった。天敵と言ってもよい。
「ふたりともそうかりかりしないの。茜君、あなたの身柄は、そうね、電話一本でどうにでもなるのよ。士官学校脱走、退学、無職、ホームレスへの道はまっしぐらね」
原の冗談は笑えない。無職、と言われて茜はごくりと喉を鳴らした。
「おおーい、茜。ヒマなら買いもんば行ってくれんか? そろそろカレーが足りなくなってきたばい。加藤に聞くがよか!」
中村が声をかけてきた。こ、この僕がパシリだって? 茜の顔がひくついた。
「あと、できとーにお菓子買ってきて! カロリー補給しないと。あ、僕、ポテトチップスにプリンね」
パシリの新井木までもがえらそうに……!
わなわなと展える茜を見かねて滝川が口を開いた。
「今の原さん、マジでこわいぜ。そうだ、一息ついたら後で新型機を見せてやるよ」
新型機など大して興味もなかったが、茜は忌々しげにうなずいた。
「くそ! わかったよ。けど、僕はパシリじゃなくて参謀として来たんだからな!」
「へいへい、僕ちゃん半ズボンの参謀殿」
新井木は馬鹿にしたように言うと、「お金は加藤さんからもらって!」と炊飯車で忙しそうに働いている加藤を指さした。
「ええと……買い出しに行くけど」
茜は苦い顔で加藤に話しかけた。加藤は市場の地図と食材のメモを茜に手渡すと、
「よろしゅう頼んます」
と茜に笑いかけた。加藤、なんだかやけに生き生きしているな……。
「これ軍票。あと二百人ぶん作るから軽トラで行って」
「なあ、加藤は……」
「はいはーい、ちゃんと並んで! え、肉が入ってないって? うーん、しゃあない、出血大サービスや!」
加藤は差し出された飯食に肉を落とし込んでいる。「ん、なんや?」同時にいくつものこと
をこなしながら茜に向き直った。
「どうして戻ってきたわけ?」茜はつまらない質問だったなと後悔した。
どうやらひと仕事終わったらしく、車椅子の狩谷を、何人かの整備員が囲んでいた。東京に赴任していたこともあって、狩谷は新型の戦闘車両についても詳しかった。「……浜松工場製の九五式はベアリングの質が悪かったんで要注意だそうです。七月生産分は改善されて……」
声が切れ切れに聞こえてくる。
「まあそういうことや。なっちゃん、生き生きしてる」
君こそと言おうとして茜は思いとどまった。自分が退屈な授業を受けている間に、皆が先に進んでいるような感じがした。錯覚だ、錯覚と茜は自分に言い聞かせた。
「だーいちゃーん」
声がして、茜は振り返った。東原が跳ねるように駆けてきて茜の前に立った。
「ののみも一緒に行くよ!」
東原――。君だけだ。僕の孤独と苦悩をわかってくれるのは。
「ふ。魂胆は見え見えだぞ、東原。チョコレートが欲しいんだろ?」
茜はやさしげに言った。東原は「えへへ」と照れくさげに笑った。東原の背が伸びたことは聞いていた。なんだか無性に嬉しかった。
「さあ、行こうよ行こうよ!」
東原が手を引くと、茜は「しょうがないな」と周れながら軽トラに引っ張られていった。
八月七日 〇八二五 山口市役所
市役所前の炊き出しの喧噪を役所内の廊下から近江貴子は苦々しげに眺めていた。
熊本戦末期の市内の混乱を連想させた。学兵からハイティーンの群れに戻った連中は、幻獣軍の奇襲に蜘蛛の子を散らすように壊走した。
その頃彼女が率いていたのは、さほど優先順位の高い隊ではなかったため、自力で本土へと脱出した。その過程で学兵なる存在の脆さ、弱さを嫌と言うほど見てきた。兵を名乗る以上、弱いことは許されない。
彼女は戦死した中隊長に代わって指揮を執り、多くの部下を失いながらも本土へと生還した功績から少尉から中尉へと抜擢され、新たな隊を任された。むろん会津閥の、女性士官が少ないことを払拭しようという宣伝もあってのことだったろう。会津閥は土のにおいがぷんぷんするような保守的な気風だった。未だに旧陸軍の伝統を誇っている。
東北出身であることからいつの間にか近江は会津閥に取り込まれていたが、今の派閥の、伝統を重んじる気風は嫌いではなかった。
近江は自分を伝統の枠組みにはめることに喜びを感じる種類の人間だった。
彼女の視点で見ると、第三の戦車大隊はともかく、善行なる人物は胡散臭かった。商船大学からの横滑りで軍でも傍流の傍流、海兵団出身。半島で小隊を率いて隊を壊滅させ、熊本では人型戦車なるオモチャの小隊を率いて転戦した。5121小隊で実績を残したというが、しょせん小隊レベルの指揮官だ。戦線を維持し、ねぼり強く戦い抜いたのは圧倒的多数の戦車舷伴歩兵だ。善行の小隊は、リザーブとして各地の戦場をつまみ食いしたに過ぎない。どう考えても戦場を選んだふしがある。芝村閥のでっち上げた虚飾の英雄。そう彼女は考えていた。
芝村閥の軍の伝統を無視した複雑怪奇な人事方針によって大佐にまで昇進し、しかも「戦闘団」の指揮官に彼が収まっているのは危険だ、とすら思っていた。
善行の下に派遣されたのは貧乏くじを引いたということだ。
連中は何も考えていないな。騒々しく炊き出しをやっている「猫の隊章」を付けている少年少女を横目に近江は不快げに口許を引き結んだ。
「中隊長殿」
副官の声に我に返った。
「なんだ……?」
「我々はなぜ、岩国から移されたのでしょう? 敗残兵の回収役など後方の支援部隊に任せておけばよいではありませんか」
副官も上昇志向の強い男だった。岩国最終防衛ラインで来るべき防衛戦を戦うことが出世への糸口と考えているようだった。彼にとっては善行の下で働くのは左遷に等しかったろう。
「荒波副司令官閣下と、あの岩田が決めたことだからな」
敢えて荒波を副司会官と呼び、岩田の名を苦々しげに吐き捨てた。
「芝村にいいようにしてやられていますね」
こいつは出世しないな、と近江は思った。尉官ごときが派閥意識をむき出しにしても、所属派閥からは便利に利用されるのがオチだ。近江は質問には答えずに、
「出撃の準備は?」
とだけ言った。
「回収部隊がじきに戻ってきます。輸送車両、重火器、迫撃砲はほぼ定数を満たしています。通常の部隊の倍の火力はありますよ」
「よし」
これだけは岩田に感謝せぬば、と近江は思った。元々過剰なまでに物資を貯め込んでいる基地だったが、新型のウォードレス・アーリィFOXに対中型幻獣用の零式直接支援火砲、五四式機関砲改など、贅沢な装備を与えてくれた。
もちろん今の中隊にはその資格がある。編成は弘前。東北の兵が日本一精強であることは地元の一般市民ですら当たり前のことと思っている。軍人が尊敬され、幼年学校、士官学校に子供が入学すると親戚一同が祝いに集まるという土地柄だった。彼女自身もそんな空気で育った。
中隊自体にはまだ実戦の経験はなかったが、一戦すればすぐに本領を発揮すると考えていた。
「ごくろーさんです」
不意に声がかかった。少女の声だ。ん……カレーの匂いか? 赤い髪の少女が近江ににこっと笑いかけた。
「近江中尉殿ですよね。回収から帰ってきた兵隊さんにカレー勧めたんやけど、許可を受けんとだめやって……東北の兵隊さんってマジメなんですね」
「……」
上近江は不機嫌に少女を見つめた。猫の隊章だ。上官の許可が必要なのはマジメというより常識だろう。衝動的にきつい言葉を吐きそうになったが、少女の邪気のない笑顔に思い直した。
「……いいだろう。許可する」
あはは。少女は何がおかしいのか声をあげて笑った。
「さっすが隊長さんは話がわかるわあ! 中尉さんの隊はよく働いてくれたんで、ぎようさん肉を仕込んどきました」
よく働いてくれた? 少女の階級は百翼長だった。自分の判断で動いているのか?
「わたしの隊の仕事を知っているのか?」
「ウチ、事務官ですから! 情報命、ぼんやり大敵」
妙な関西弁に面食らって、近江は「君の名前は?」と尋ねていた。
「加藤です。加藤祭。5121の事務官やっとります。あ、大尉[#ママ]さん、ひとつ情報。兵隊さんたちのレーション、さば煮定食やったけど、あれ、まずいって評判なんですわ。岩国から来たんやったら牛井定食でがちや! どうしてさば煮にしたんですか?」
「む。それは……」
そんなことは知らん! 一喝しようとしたが、加藤の善意に押しまくられた。岩田め、評判の悪いレーションを押しつけたな、と忌々しく思った。
加藤はペコリと頭を下げると、駆けまった。
「なんとまあ、躾の悪い学兵だ」
副官が顔をしかめて吐き捨てた。
「……どうして牛井定食を要求しなかった? 隊の事務官は何をやっていたのだ?」
「普通に仕事をしておりますが」
副官はあきれ顔で言った。
「さば煮定食を黙って押しつけられるのが仕事か? あの少女の方がよほど仕事をしている印象を受けたぞ」
牛井、さば煮定食……などと口にするのも忌々しかったが、あの少女は事務官でありながら他隊の動きから兵の好みまで把握していた。情報命か。確かに妙なところに来たな、と近江は不機嫌に首を傾げた。
八月七日 〇八三〇 岩国基地
「三時の方向に敵!」
佐藤が声をかけると車体は広大な演習場の一画で急停止した。佐藤は照準器をのぞきながらペダルを踏んですばやく砲塔を凝固させ、引き金に手をかけた。「ドーン」声を上げると「ミノタウロス一撃破」と森田が気のなさそうな声で言った。
オキアミ鈴木は相当に気に入っているようだったが、突撃砲に慣れた身には六一式は今ひとつしっくりこない。モコスだったら操縦担当の鈴木に方向転換を任せておけばよかった。けれど今は、車体ごと敵に向き直ることもできるし、自分……車長兼砲手が砲塔を旋回することもできる。便利になったけれど……。なんか複雑になった。
「なあ、真後ろに敵がいる時はどうする? やっぱ砲塔旋回か?」
鈴木が声をかけてきた。そうだ、これは決めておかないと。
「うーん、砲塔旋回は九時から三時までに。後は車体ごと回り込んで、適当に停止。なるべくフロントを向けて敵の攻撃に備えよう」
「わかった」
ここ二日ほど、紅陵女子α小隊は、他の学兵の戦車隊とともに市内に出て地下通路での操縦訓練を行っていた。見慣れた隊章も多く、学兵の戦車経験者がかなり召集されていることが実感できた。戦車用通路はほとんどが一方通行で、矢印に従って進んで行くと、戦車壕に出る。
本当にモグラの巣だなと佐藤は感心していた。
学兵の戦車隊には正式に第十一独立混成戦車大隊の名称が与えられ、およそ百両ほどの戦車、戦闘車両で戦車壕に籠もって敵を迎え撃つことになっていた。移動は地下通路を通って行われた。歴戦の学兵の戦車兵はあの悲惨な九州戦の遺産のひとつだ。軍もそこそこ人選には気を遣ったらしく、感心させる隊が多かった。
地下通路は屋外とは違って、そう楽に移動できるわけではない。しゃくに障るけど、鈴木の操縦はそこそこ。わたしたちは下から数えた方が早いかな、偏差値五十六って感じ? と佐藤は冷静に自分たちの実力をはかった。
今日は基地内で各隊適当に、とのアナウンスがあって佐藤は屋外での訓練をすることにした。
野戦訓練が待ち伏せ専門の自分たちには決定的に足りなかった。
「停止しないで砲塔旋回してるよ、あちらさん」
神崎の声が聞こえた。佐藤の目の前を同じ六一式改が横切った。鮮やかなものだった。きっと九州では士魂号Lでかなりの野戦を経験してきたんだろう。
けれど、どんなに慣れていでも走行しながらの射撃では命中率はさほどではないはずだ。ああいう格好付けのギャンブルは嫌だ。
「慣れているね。けど、ウチらは慣れが足りんのよね。だからこれは戦車壕が潰されてしかたなく屋外での戦闘になった時の訓練」
佐藤はこともなげに言った。こっちは初心者ってやつ。勘違いしないようにしよう、と気を引き締めた。勘違いすると本当に死んじゃうんだから……。
「けど、まともな火器管制装置ついているだろ? モコスよりましだぜ」
鈴木が不満げに言った。
「だからあ、散々シミュレータでやってみたじゃん。誘導式ミサイルじゃないんだから照準装置がモコスよりましでも、弾道はぶれるって。当たらなかったでしょ? じゃあ、もう一度。今度もいきなり言うからね。停止と発進のタイミングよろしく。クラッチ操作ミスるなよ!」
佐藤は被せるように言った。実のところ皆、イライラが募っていた。
戦況がわからず、先行きが見えない。自分たちはどうなるのか?
自衛軍の兵に戦況を開くのもなんだか気後れする。九州では自衛軍と学兵は別々に戦っていた。学兵はシロウトとして、散々に馬鹿にされたものだ。時にはあからさまに捨てゴマ、オトリとして見殺しにされた。今から考えると余裕がなかったんだろうけど、少年兵を動員した大人の責任に思い当たる軍人はごく少数だった。だから九州から引き上げてきた一般の学兵は例外なく、自衛軍に対しては恨みと嫌悪と気後れを感じていた。
外からのざわめきが車内にまで聞こえてきた。
それまで訓練に励んでいた戦車が停止し、ハッチから乗員が顔を出した。佐藤らもハッチから身を乗り出して、目の前を通り過ぎる一群を見守った。
無事、基地に「撤収」してきた自衛軍だった。無傷な隊はなかった。激戦の後も生々しく被弾し、兵員輸送車の姿はなく、ポロポロになった戦車・戦闘車両に同じく、影の薄いしょぼくれた歩兵が張り付いていた。兵らの集団から、饐《す》えたようなにおいが漂ってきた。熊本時代、嫌と言うほど嗅いできた怯えと不安、恐怖から分泌される汗のにおいだった。
歩兵たちは学兵たちの視線を浴びでもなんの反応も見せなかった。
「……なんか負けてるみたいだね」
神崎が唐突に口を開いた。
「負けてるの?」森田がぼんやりした口話で尋ねた。
だからさ、考えてモノを言え。佐藤は手を伸ばすと、神崎の髪に鈴木用消臭スプレーをかけた。「きゃ?」と悲鳴が上がって、神崎は頭に手をやった。
「何すんのよ!」
「頭を冷やしてあげたの! 負けてるって? それを認めて、じゃあどうすんの? 逃げる? 泣く? わめく? 負け犬根性に浸る?……違うでしょ」
最後の言葉はキャプテンのものだった。珍しく諭すような口調になった。
「……ごめん」
佐藤の意を察して、すぐに神崎は謝った。
「九州にいた時さ、ウチら必死だったじゃん。自分たちしか信じられなかったしさ。どこそこに展開せよなんていい加減な命令受けて適当に待ち伏せして。けど、勝ちとか負けとか考えずに、開き直って戦えていた。忘れちゃった?」
「ううん」
神崎は振り返ると、さえない顔で首を振った。
しょうがないな……。平和な時間を過ごした分だけ、皆、頭がよくなってしまった。言い換えればくよくよちゃんになってしまったんだろうと佐藤は思った。穴を掘って戦車をカモフラージュして、はぐれた敵を撃つ。二匹以上の中型幻獣がいる場会は、たとえ味方がどんなにやられていようとパス。モグラのようにじっと隠れていた。大切なのは考えることじゃなくて我慢すること! 生き残るためにわたしたちはそれを徹底してやった。
ごめんよ、川上、榎本……みんな。佐藤は戦死したチームメイトに心の中で謝った。
あの頃に比べると、今の自分たちは利口になった分、心が弱くなった。佐藤は、ほっとため息をつくと「やめやめ」と言った。
「やめるって……」口を開きかけた鈴木に、佐藤はスプレーを浴びせた。
「くそっ、これって立派なイジメだぞ!」
「イジメられて逃げ出すようなタマじゃないでしょ、あんたは。可愛いハニーがいるしねー。戦車を格納庫に収容――」
佐藤は澄ました声で言った。
グローブにミットにポールにパット。うーん、心が躍る! なんだかんだ言って、みんな持ってきていたんだなと佐藤は半ばあきれ、半ば嬉しくなった。
基地の人気のない一角を見つけると、元ソフトボール部の六人は、時間を惜しむようにきびきびと広場に散った。すぐに二号車の橘がバットを手にノックをはじめる。サードからファーストに送球、ファーストからポールは佐藤へ。ミットが乾いた音をたてて鳴る音に佐藤は「うん」とうなずいた。仲間はずれの鈴木と森田はあきれたように、ソフトボール部の面々を見守っている。
「鈴木、ノックできる? 森田は外野で球拾いね」
佐藤がふたりに声をかけると、「真似事ならできるけどよ……」と鈴木はしぶしぶと橘からバットを受け取った。森田も部員たちが示す位置にしぶしぶと走っていった。鈴木にバットを渡すと、橘はグローブを手にショートの位置に走り去った。
「6−4−3!」佐藤が声をあげると、鈴木は少し考えてショートにゴロを打った。
橋は流れるように動いて、セカンドにポールをトス、セカンドからボールはファーストの神崎へ。
「温い温い。そんなポテポチのゴロなんていらない。鈴木、もっと気合いこめて打て!」
佐藤はボールを受けながら鈴木に怒鳴った。
「ソフトのボールってけっこー重いな。軟式の感覚じゃだめだな」
鈴木が首を傾げると、「あったり前じゃん」と佐藤は馬鹿にするように言った。なーにが軟式の感覚だよ。男子はソフトボールというと馬鹿にするけど、高校の部活レベルになると正直、要求されるパフォーマンスは硬式と違わない。佐藤はくくっと笑みを洩らすと、「神崎ィ、鈴木があんたのポール打ちたいって」と呼びかけた。
「え、けど……」
「あんたのこと惚れ直すかも。思いっきり投げてみてよ」
神崎は言われるままにピッチャーの位置に立った。マウンドがないのでそわそわと足場を確かめ戸惑っているようだ。鈴木は好奇心を刺激されたか、バッター位置に立った。
「内角高めストレート」
声をかけると、神崎は反射的にモーションに入って、長い腕をしならせた。
「わつ……!」
バシィと音をたててミットにボールが収まると、鈴木は尻餅をついていた。九十キロほどのストレートだが、バッテリー間の距離が硬式より六メートル近く短いため、はるかに速く感じられる。
「あっははは。ポール、見えた?」
佐藤が笑うと、鈴木は「見えなかった」呆然とつぶやいた。
「あの程度だったら誰だって投げられるよ。今の、ホームランポールじゃんーー神崎もヘタレだけど、あんたもヘタレ。ポールから日、離したでしょ? 見えないはずだよ」
「しょうがねえだろ。俺、部活は化学部だったし」
鈴木は苦り切って言った。
「俺には見えたぞ」
声がかかった。佐藤はまずったという顔になって下を向いた。荒波神司令官が悠然とたたずんでいた。なぜだかふたりの少女を従えている。
モジモジとグローブを後ろに隠す少女たちを見て、荒波は高笑いをあげた。
「……すみません」佐藤は顔を赤らめて謝った。
「何を謝ることがある? 今は付け焼き刃の技術を磨くより、戦うメンタリティを養うことの方が大切だと思うぞ。あー、なんと言ったっけ? 金髪のフロイライン」
「佐藤です」なんか調子のいい神司令官だな、と思いながら佐藤は小声で言った。
「そう、佐藤千翼長だ! 少年Aには無理だろうが、この荒波の目はごまかせんぞ。どれ、そのバットをよこしてもらおうか」
荒波は少年Aこと鈴木からパットをもぎ取ると、打席に立って構えた。
「司令、大人げないですよ」眼鏡をかけた少女がたしなめた。
「え、けど、面白そうじゃん」茶髪の少女がくすりと笑った。
笑われて、佐藤はムツとなった。見たところ、自分たちと同じ年頃だ。何をえらそうに。佐藤の視線に気づいたか、茶髪の方が「あれ?」と首を傾げた。
「ごめんなさい。ふたりとも子供みたいなところがあって……。あの、わたし、藤代といいます。一応、荒波司令の部下です」
眼鏡の少女が頭を下げて謝った。
「はっはっは。まあ、そういうわけだ。どれ、今のポールをもう一度」
荒波が愉快げに笑った。どういうわけだ? 佐藤はボンとミットを鳴らした。
「神崎、構わないからやっちやって!」
「え、いいの……?」神崎は迷ったような表情を浮かべた。
「シロウトに打てるほどソフトは甘くありませんよっ……と」
そうささやくと、佐藤は腰を落とした。
「おお、なんだかメラメラと盛り上がってきたではないか! スポ根路線まっしぐらだな」
荒波は陽気に言うと「来なさい」とパットを高々と挙げた。
神崎の右腕がしなった。次の瞬間、神崎は茫然と後ろを振り向いていた。打球は弧を描き、かなたの戦車格納庫の屋根に吸い込まれていった。荒波の笑い声がこだました。
「これは面白い! 動体視力の低下を防ぐ訓練になるな」
「打っちゃったよ……」佐藤はぼんやりとつぶやいた。
「さあ、カモン、どんどん来なさい」
ボールが再び神崎の手に渡った。経験者だな……。佐藤は慎重にサインを出した。
「うむ、君は慎重な性格と見える。初球は外角低めにはずすつもりだろう」
荒渡にカマをかけられて、佐藤はにこっと笑った。
「いえ、その裏をかいてど真ん中に来ますよ」
そう言いながらも佐藤は内角高めのきついところを要求していた。この一球で荒波をのけぞらせ、外角へストライクを取りにゆくつもりだった。経験者でも知らず腰が引けて、次の外角がとてつもなく遠い位置に感じられるはずだ。
神崎の悲鳴が聞こえ、すばやく伏せた頭上をライナーが飛んでいった。はるかかなたで森田がポールを追いかけていた。
「見たか、荒波スイング! うむ、一期一会。こういうひと時を大切にしたいものだ」
荒紋は上機嫌で佐藤に笑いかけた。
「司令官、ソフトボール……野球の経験あるんですか?」
「まったく。しかしボールは見えたぞ」
荒波はこともなげに言った。神崎はがっくりと肩を落としている。
「そう言えば、司令官としては何か教訓めいたことを言うべきだったか。そうだな……油断大敵、というのは月並みだな。どうしよう? 田中?」
茶髪の少女はきょとんとして荒波を見た。
「へっ? わたし……ですか? ええと、こわいおじさんには気をつけろ」
「はっはっは。後で覚えていろ!」
楽しんでるよ……。佐藤はあきれ、次いでふふっと笑い声をあげた。
「けど、なんとなくわかります。くよくよちゃん、すっかりいなくなっちゃったし」
こういう人もいるんだなー、と佐藤は素直に思った。超変人だ。頭の中身がどうなっているのかわからないけど、くよくよ考えているのが馬鹿らしくなる。
「意外なところを衝くな。そうだな、あれこれ考えていてもはじまらん。大切なことはだな、この荒波を神と信じて戦うことだ」
それはちと……。神と言われても困るんだけど。佐藤が苦し紛れに笑みを顔に貼り付かせると、藤代が穏やかに口をはさんだ。
「あの、そろそろ。岩田少佐と第三の件で」
「ああ、そうだった! さて、バットを返すとしよう。佐藤千異長――アンド・エブリボディ……絶対に死ぬなよ」
そう言い残すと荒波は高笑いをあげて立ち去った。
全然教訓になっていないよ。後に残された佐藤たちは、ぽかんとした顔で変わり者の司令官を見送った。
八月七日 〇八三〇 江崎《えざき》漁港
「さて、これからどうしましょうかね」
合田少尉の言葉に橋爪は我に返った。
深夜、百五十名の市民とともに名もない漁港に降り立った小隊は、港湾の警察に市民を委託すると、埠頭の魚くさい倉庫で貪るように眠った。脱出は大成功だった。夜の海をフェリーは波を蹴立てて進んだ。鈴原と河会は姿を消していた。中佐、と乗組員から呼ばれていた老船長は如何にも海軍出身らしく、スマートに制服を着込んだ老人だった。橋爪が「なんの指示もないのに待機していたんですか? なぜ」と尋ねると、「この船が必要になると思ったからだね」
とこともなげに答えた。河合を怪しいとは思わなかったのか? との質問にも笑って「君はどうなんだ?」と逆に尋ね返してきた。
本音を言えば、橋爪は軍というやつが嫌いだった。
学兵として戦ってきて、自衛軍には散々煮え湯を飲まされた。九州での自衛軍は、自軍の犠牲を抑え、学兵をオトリとして戦ってきたようなものだ。
しかしこういう退役軍人に出会うと、軍というものの奥の深さがわかる。民間ひと筋の船長であったなら、社命に背いてまで「待機」はしなかったろう。社命より自分の勘を、来るべき救出を想定し、優先したのだ。ただ現実に流されるのではなく、現実と向き合って判断をし、自分を信じる。船長は軍人という人種のひとつの面を示してくれていた。
要するに損得勘定は度外視。船長に税金無駄遣い体質が骨の髄まで染みついていたお陰で助かったってことだ、と橋爪は考えた。
「旅団本部に連絡をしないと。……まる半日、眠っていたってのは抜きで」
橋爪はにやりと笑って少尉に言った。
「そういえば……無線機の故障がやっと直った、ということにしておきます」
「へへっ、司令部はまだ広島ですかね?」
「待ってください。連絡を……」
合田は携帯無線から連絡を試みた。しばらくして、「了解しました」と合田の声が聞こえた。
「旅団主力は宇部に進出して激戦に巻き込まれたようです。今は前線を下げて遅滞作戦に従事しているそうですが、戦力の三割を損失して司令部は岩国に下がっているようです。これから岩国に向かわなければ」
「岩国? なんだか押しまくられていますね。まだ反撃体勢は整っていないんすか?」
「宇部もだめ、防府でも戦線を形成できませんでした。それどころじゃないでしょう」
合田が応えると、橋爪は黙って引き下がった。となると自分たちも岩国か? それはそれでかまわねえが、と橋爪はちらと六人の学兵をうかがった。
島村とか言ったな。待てよ、どこかで……。
ほっそりした久遠に身を包んだ千翼長は、決して強そうには見えない。身のこなしや目つきでそしとわかる。手を見ると真っ白な手をしていた。九州を撤退してから彼女が何をしていたのかは、中指のペンだこで察せられた。
橋爪の視線に気づいて、島村は何かというように小首を傾げた。女らしい仕草だったが、媚びがなく自然だった。橋爪は無遠慮に値踏みするのを止めた。
「召集されたとか言ってたよな。学兵は総動員?」
橋爪の問いに島村は困惑の表情を浮かべた。
「たぶん、違うと思います。戦車兵とか砲兵は広島駅の物資集積所で見かけましたけど。戦車随伴歩兵は……違うから」
違うから、という言葉に橋爪はしぶい顔でうなずいた。
どの兵種にも特有の難しさはある。ただ、歩兵の難しさというものは学兵にとっては最も敷居が高いものだった。フィジカルと判断力のバランスが求められ、十代ではそのバランスを得て古参兵となるのはなかなか難しい。その前に死んでしまう。
島村小隊長の部隊は、その他大勢の哀れなオトリだっただろう。橋爪はずっと戦車随伴歩兵だったから装備も貧弱、スキルも低い学兵の戦車随伴歩兵が死にやすいことは熟知していた。
「書類上のミスってやつか?」
「そうかもしれません。ただ、ひとつ思い当たることが」
島村は言葉を切って考え込んだ。
「わたしたち、5121小隊のお世話になって生き残ったんです。けど、データ上では熊本城攻防戦、九州撤退戦を切り抜けた、という風になっているんじゃないかしら」
5121小隊という隊名が唐突に出て、橋爪は、はっと思い当たった。
「待てよ……。確かあんた、大牟田貨物駅で!」
俺って若ボケかよ、とあきれながら橋爪は九州撤退時の光景を記憶の片隅から引き出した。
来須の後ろに隠れるようにしていた学兵だ。声も弱々しかったし、印象が薄かったので、その他大勢の学兵の中に埋没して、たった今まで忘れていた。鈴原先生と飯島ショートケーキをなんとか助けてやりたいとまったく余裕ナッシングだったせいもある。
橋爪の表情を見て、島村は顔を赤らめた。
「わたしは覚えていましたけど」
「悪ィ……なんて言ってもしょうがねえな。あんたらあの後、超優遇で本土行きだったもんな。それが5121と一緒に戦い抜いた英雄様かよ」
皮肉な口調になっていた。英雄様という言葉を聞いて、島村の表情が曇った。
「あ! ……余裕がねえな、俺」
「いえ、忘れられて当然です。当時は3077という部隊名でしたし、それに、なんの役にもたちませんでしたから」
橋爪が謝ると、島村は悲しげに言った。
橋爪も憂鬱な顔になった。自分だって役にたったなんて口が裂けても言えなかった。撤退戦には最後までつき会ったが、それも5121という極悪なまでに強い部隊にくっついていたからだ。一般の、自分ほど幸運に恵まれなかった学兵は満足な装備も情報もなく、幻獣の津波に呑み込まれて死んでいった。なんというかあの戦いのやりきれなさが心の隅にへばりついて、自分は軍に残った。
前に飯島と話したことがある。ショートケーキの悲しげな顔ってやつをはじのて見た。だから軍に残ったじゃなくて、軍を辞めた、でも辻褄は会っているんじゃないですか? そう飯島は言った。橋爪さんは正直過ぎるから、と。それって俺が馬鹿ってことじゃねえか、と橋爪は笑いに紛らわした。くそ、飯島ショートケーキめ。きっとイチゴの代わりに梅干しが乗っているんだ、あのアマの場合は――。
「経緯はわかりました。それで、君はこれからどうします?」
橋爪が我に返ると合田が生真面目な表情で島村に視線を向けていた。自衛軍の将校にじかに話しかけられ、島村は目を伏せた。
「どうするって言われでも……どうしましょう?」
合田の顔に苦笑が浮かんだ。
「学兵を前線に出すのはあまり気が進まないんですけどね。君は多くの民間人を救った。それでもういいんじゃありませんかね。ここに残るのも選択肢のひとつと思いますよ」
その手があったか! 橋爪は「うん」とうなずいた。
「あんたは十分よくやったよ。ほとぼりが冷めるまで待機ってことでいいんじゃねえのか?」
島村は唇を噛んだ。目の縁が赤らんでいる。何か悪いこと言ったか? 橋爪は猫の目のように変わる女の表情というやつに弱かった。
「……もうたくさんです」
絞り出すような声。橋爪は意外な反応に戸惑った。
「好意にすがって自分たちだけ生き延びるのは。戦争なんて大っ嫌いだけど、もう守られるだけじゃ嫌なんです。自分で自分が許せないんです」
なるほどな。理屈だ。橋爪は、ふんと鼻を鳴らした。
「きれいごと言うんじゃねえ! 俺も学兵だったから言えるんだけどよ、国に貸しはあっても借りはねえと今でも思っている。学兵なんて、くそな年寄りどもが勝手に決めたことだろ? あんたは生き延びることだけ考えていればいいんだよ」
難しい女だな……。とっととおさらばするに限る。
「国なんて関係ないです。けど、わたしたちが敵に背を向ければ、代わりに誰かが死ぬことになるんです」
「半人前が妙な理屈こねるんじゃねえよ!」
橋爪は島村をにらみつけた。島村もまなじりを吊り上げ、その視線を受け止めた。
「で、君はどうしたいんです?」
合田が割って入った。橋爪は忌々しげに舌打ちした。
「好きにさせときましょう。これ以上関わってもしょうがねえよ」
「それはちょっと……」
合田は穏やかに橋爪を制した。眼鏡の奥の目が柔和に微笑んでいる。合田の反応も意外だった。これまでは自分の言うことに異を唱えたことはなかった。
「僕たちは職業軍人ですから、学兵に対しても責任があるんですよ。自衛軍は九州で五万もの学兵をむざむざ死に追いやった。恥をさらした。島村さん、一緒に来ますか?」
「待ってくれ」
「よろしくお願いします」
橋爪と島村は同時に言葉を発した。なんなんだこの流れは……。橋爪は憮然として合田を見据えた。
「恥をさらしたって……。少尉殿は自衛軍代表なんすか? 納得いかねえ!」
「そんな大げさなものじゃありません。個人的な見解を述べただけです。そして僕は島村さんを連れて行こうと決めた。問題ありますか?」
問題ありますかだと? 大ありだ。この女に戦争は無理だってわかりそうなものだ。橋爪は忌々しげに合田の穏やかな顔を見据えた。
「足手まといですよ。マジで身動きとれなくなりますぜ」
そうじゃないでしょう。合田は微笑んだ。
「足手まといにならないように、考え、気を遣うのが君の仕事でしょう? この隊はそこそこの練度を保っているからいいようなものの、仮に損害を受け、新兵が補充されたらどうします? 足手まといで済ませるんですか?」
「けど、この女、九州戦を戦ってきたのに、進歩ありませんよ。向いてねえんだ」
「あの……この女、は止めてください。失礼だと思います」
島村は気弱な表情ながら橋爪に抗議した。
このアマ! 何をオドオド抗議してやがる! くそ。またショートケーキのこと、思い出しちまったじゃねえか。飯島もオドオド抗議が得意だった。それでいつのまにかあいつの言う通りになっていたりするんだ。
「どうしたんです、橋爪軍曹。地雷原に取り残されたような顔をしていますよ」
合田に冷やかされて、橋爪は「くそ、それってどんな顔だよ……」と毒づいた。
八月七日 〇八四五 広島ステーションプラザホテル
「チョコレートのCF? もう勘弁してくれ、橋本。今はそれどころじゃないだろう」
広島ステーションプラザホテルの最上階で、遠坂圭吾は朝の日差しを浴びて輝く市街を見下ろしていた。視線のはるか先には岩国市がある。壁面には山口県全域が表示された巨大なパネルが掲げられ、刻一刻と移り変わる戦況が示されている。ことによったら下手な方面軍司令部より情報は充実している。守旧派の社員から、「圭吾様の戦争ごっこ」と陰口をたたかれるほどの設備だった。
「田辺さん、輸送・物流状況を」
遠坂は振り返ると質素なスーツに身を包んだ少女に話しかけた。
眼鏡をかけて、髪はお下げ髪である。スーツにパンプスといった大人びた格好だが、なぜか女子高生が履くような純白のソックスを履いている。ミスマッチだな、とは思うが、元々純白のソックスの方が彼女の年頃にはふさわしく、スーツとパンプスはお仕着せである。だから遠坂は敢えてミスマッチを指摘しなかった。
「はい……あの、避難状況なんですけど」
田辺真紀は5121小隊整備班で遠坂と同じ二番機の整備員だった。
彼が隊を離れる時に、「心の支え」が欲しいと強引に家令見習いとして引き抜いた。以来、ずっと遠坂の傍らで秘書のような役割を務めている。
「続けてください」
「遠坂観光が各市から広島市内に避難させた市民は三万人。運輸が五万四千。この三ヵ月の間に中古の輸送車両を買いあさった結果、これだけの数字が達成できたようです。あの……圭吾様には敵が来ること、わかってらつしやったんですか?」
圭吾様、と呼ばれて遠坂の表情が曇った。
「側近だけの時は遠坂君と呼んで欲しいですね。ああ、もちろん……。どんなに戦力が整ったところで攻められるまで何もしないだろうと思いましたよ、この国の指導者たちは。だからありったけの車両をかき集めたわけです。八万四千人分の特別運賃だけで十分採算が採れるビジネスでもありますしね」
特別運賃は思いっきり高値で請求してやろうと遠坂は考えていた。無策のツケは痛い出費となることを政府に理解させなければならない。さらに数分の一とはいえ県民を避難させたことは遠坂財閥にとって計り知れないイメージアップにもなる。
第一陣の避難民が市内に到着した時、遠坂は自ら出迎えに行っている。大々的にマスコミを動員して、テレビカメラにも収まった。
「あと、フェリーが一隻、避難勧告に従わず下関沖に留まっていましたが、彦島地区で百五十名の市民の救出に成功したとのことです。あの、船長にはどのように? 社則に従って処分すべきと重役会で騒いでいるらしいです」
田辺は関連する書類をめくりながら報告した。メディアと物流は遠坂の直轄となっている。
遠坂は声をあげて笑った。
「社則ですか……。ははは。英雄的な判断を下した船長を社則とやらで処分する、ねえ。橋本、どうして連中の頭はそこまで硬いんでしょうね」
水を向けられて、家令の橋本は顔をしかめた。
「彼らは彼らなりに社の秩序を保つことを考えております。若、くれぐれも忠実な社員を馬鹿にはなさいませんよう」
「……船長と乗組員に社長賞を。結果がすべてです。あの絶望的な彦島地区から人命救助したことには計り知れない価値があります。橋本、わたしの言葉を翻訳して重役たちによく言い聞かせてやってください」
「は……」橋本は一礼すると、執務室を去った。
「宅配便の被害状況は二台の軽トラックが事故を起こしています。運転手は幸いにも命をとりとめています」
田辺は書類をめくりながら淡々と報告する。
「彼らにも社長賞を。最高の治療を受けられるように」
遠坂の言葉に従って、田辺はメールを橋本の端末に送った。
「あの、遠坂君……」
「なんです?」
「宅配便は少し無茶なんじゃないでしょうか? このままだと大事故が起こったら……」
田辺は遠慮がちに微笑んだ。悲しげな笑みだった。
遠坂は「ええ」とうなずいた。
「……そろそろと思っていました。安全が確認できる地域にこ限って、ということにしましょう。田辺さん、最近、ご自分の意見を上手に言うようになりましたよね」
遠坂に誉められて田辺は赤くなった。
「そ、そんな……。わたしはただ遠坂君の役にたてれば。あ、コーヒー入れましょうか?」
田辺は立ち上がると、キッチンに向かった。ごく自然な仕草でクロゼットを開け、メイドさん用のエプロンをかぶった。
だからメイド服は……と言いかけて遠坂は口をつぐんだ。これが動きやすいんです、と言い張る田辺を「それじゃメイドたちと区別がつきません」と説得するのに骨が折れた。田辺のメイド服好きはなんというか、執念深いものがある。
今でも妥協点としてエプロンだけは頑として譲らない。フリルのついたエプロン姿になった時の田辺は幸せそうだ。まあ、彼女さえ幸せならばそれでいいのだが、と遠坂は苦笑した。
パネルに目を凝らすと、敵の先鋒は岩国基地から十キロの地点に迫っていた。岩国市内にも各地から続々と部隊が増強されている。そして、県央にささやかながら友軍を示す青い点が点滅していた。パネルを操作すると、青い光点の内容が表示された。その中には彼の古巣である5121独立駆逐戦車小隊の名もあった。
善行とは影に連絡を取り合っている。しかし……遠坂は孤独だった。エアコンの効いた部屋で、静かで孤独な戦いに挑んでいた。
あの5121での日々が彼には懐かしかった。
利害も打算も政治もなく、ただまっしぐらに敵と向かい合っていた日々。ここには原さんの高笑いもなければ狩谷の皮肉もなく、中村、岩田と「特殊な趣味」について思いを共有していた連帯感もなかった。そして強烈な個性を放っパイロットたち。あの頃の日々を極彩色とするなら今はモノクロームの世界だ。自分は遠坂財閥の力を背景に、さまざまなことを可能にしているに過ぎない。そう思っている。
濃厚なコーヒーの香りに、遠坂は我に返った。田辺が微笑んでいた。
「どうなさいました?」
「……ええ、少し寂しくなりまして」
遠坂はコーヒーを受け取りながら悲しげに笑った。田辺の微笑みにも撒かな憂愁が交じった。
「けれど、遠坂君のお陰であれだけの人が助かったんです」
「先回りされましたね」遠坂は苦笑した。
「あ、山口なんですけど……。取材チームのキャスターが盲腸炎にかかってしまって。代役を選んで欲しいと局から連絡が入っています」
芝村――遠坂の持っている東京のキー局からは山口に大々的な取材班が派遣されることになっていた。むろん、戦場をめぐることができる人材は限られている。テレビ局ではそれこそ「出陣式」を行って、危険な戦場に取材班を送ることにしていた。
田辺は端末を操作して、何人かの代役をパネルに表示した。
「この方は熊本戦の時に何度か……。戦争の知識はあまりないようですけど、いわゆる突撃リポーターですね」
「彼女ですか……。芸能関係に専念してもらいましょう」
「あの、この方は大物ですよ。大陸にも取材しに行ったことがあります。……少しお年をめしてらっしやることが難点ですけど」
「彼のことならよく知っています。通訳付きで後方の司令部に収まって時間を潰していただけです。戦場のせの字も知らないんじゃないかな。ダメなジャーナリストの見本ですね」
「ええと、それなら……」
田辺が困惑の笑みを浮かべて次の候補を表示しようとした時、「そうか……」と遠坂は霊感に打たれたようにつぶやいた。
「わたしが行けばいいんだ! うん、わたしならこの戦争を語り、報道する資格があります」
「遠坂君……!」
田辺は唖然として遠坂の顔を見上げた。
「市民の避難は済みました。ほんの数日、留守にするだけのことですよ」
「無茶です! だって死ぬかもしれないんですよ!」
田辺は我を忘れて叫んだ。夢中になったあまり、遠坂のスーツの袖を引きちぎらんばかりに掴んでいる。
遠坂はされるがままになっていた。田辺が心配してくれるのが嬉しかった。
「わたしがチョコレートのCFや映画に出演するほどには無茶じゃないと思いますがね。芝村にも相談してみましょう」
遠坂は田辺をなだめるように、そっと腕を振りほどくと、ホットラインのスイッチを押した。
事情を説明すると、ほどなく受話器の向こうから豪快な高笑いが聞こえてきた。
「ええ、ええ……変わり者との印象を与える? それはリスクのひとつですが、それ以上に、局のイメージアップにつながると思います。視聴率もあとひと押し、二ないし三は欲しいのですよ。護衛? しかし戦地ですよ?……感謝します」
ホットラインを切ると、遠坂はふうっと息を吐いた。
「わたしの立場はどうなります?」
冷静な声が聞こえて、遠坂は真顔になって振り返った。家令の橋本が苦々しげにこちらを見ていた。
「若はグループの総帥ですぞ。もし万一のことがあれば……。無着任ですな」
無責任、と言われて遠坂の表情に陰りが差した。しかし、遠坂は「そうではない」と自らを励ますようにつぶやき、橋本に向き直った。
「むしろわたしは責任をとりたいんだよ。この国の政界も財界も軍部も、戦争から目を背ける無責任体質が横行している。わたしがリポーターの真似事をやることで、彼らの鏡に冷や水を浴びせることができる」
「狂った、と思われますよ」橋本は冷静に言った。
「……今回だけだ。約束するよ」
遠坂はそう言うと、グループの重役たちの攻撃の矢面に立たされるだろう橋本に頭を下げた。
遠坂本人には面と向かってものが言えない重役たちも、立場上、遠坂家の家令に過ぎない橋本には言える。橋本は彼らの攻撃をなだめ、謝り、時には低次元な脅しを用いて切り抜けなければならない。橋本は前任者の守山とは異なり、元は軍の諜報機関で働いていた暗い面を持つ。
彼の頭には重役たちの業務からスキャンダルまで、ありとあらゆる情報が詰まっている。遠坂は内心で済まないと思いながらも、この家令に汚れ役を押しつけていた。
しかし、今、戦場の風を吸っておかなければこの先の自分の人生が味気なく、ただ枠組みに収まる範囲に留まってしまうような、そんな危機感があった。これが最後だ。自分に与えられたフィールドは知っている。自分の成すべき仕事のことも。ただ、このエアコンの効いたモノクロームの戦場に色を取り戻したかった。
「わたしも行きます」
遠坂が目を向けると、田辺はにっこりと微笑んだ。
「田辺さん……」
「遠坂君、時々寂しそうな顔しますよね。……わたしがいたらないから」
「違う! そういうことではないんです。困ったな……」
遠坂は冷や汗をぬぐった。田辺は口に手をあてて、くすくすと笑った。
「……おっしゃりたいことはなんとなくわかります。けれど、今回だけですから。本当に。でないとわたし、お別れしなければなりません」
「すみません……」
遠坂は素直に謝った。あの穏やかな田辺が、「別れ」を口にするはど自分の思いつきは気まぐれで影なものなのだ。
「橋本にも謝っておくよ。すまない」
頭を下げられて、梶本の顔に忌々しげな表情が浮かんだ。
「……さっそく手配をいたします。それと広島の司令部襲撃事件はどうします? これ以上展開しても、視聴率アップは見込のない、と局から言ってきております。大物俳優の離婚騒ぎに切り替えたいと」
「幻獣共生派特集をもう一度。切り口は、そうだな……あなたの日常に忍び寄る共生派の魔手。警察と軍のOBから気の利いた人間をコメンテーターに。事件の深刻さを強調するように伝えてくれ。自衛軍最大の不祥事、と銘打っても構わないから」
「軍を敵にまわしますよ」
「一部の軍人を敵にまわすだけだ。ああ……それと、運輸を中心に退役軍人の受け皿を増やすようにと。確か重役のポストに空きがあったろう。会津閥から採ってやろう」
遠坂は矢継ぎ早に橋本に指示を下すと、再び受話器を取った。しかしデスクに置かれたままのコーヒーに気がつくと、受話器を戻し、腰を下ろしてカップを手にした。
「うん、いい香りですね。田辺さん、コーヒーセットだけは忘れずに持っていきましょう」
田辺の笑い声が聞こえた。
「わたし、何かおかしなこと言いましたか?」
「遠坂君、なんだかそわそわして。遠足の前の晩の子供みたいです」
子供と言われて遠坂の口許に笑みが広がっていった。
「なんと言われてもけっこう」
「……さっそく岩国に連絡を」
橋本の言葉に遠坂は「善行さんのところへ」と遮った。
「視聴率を取るなら岩国でしょう。善行戦闘団の作戦意図は視聴者に伝わりにくいのでは?」
橋本に冷静に言われて、遠坂は顔をしかめた。その通りだ。岩国の防衛はわかりやすいが、善行の戦いは一般人にはなかなか理解できないだろう。
「……わかったよ。彼らと同じ空気を吸えることで満足しよう」
八月七日 〇九〇〇 山口市庁舎
「那珂《なか》町付近で敵小型幻獣が確認されたということです。じきにはじまりますね」
臨時に司令部が置かれた市役所の会議室で、善行はプロジェクターに大写しにされた県の地図を前に口を開いた。室内には各戦闘単位の指揮官が詰めていた。5121小隊からは舞と瀬戸口が出席していた。
幻獣の先鋒は岩国まで十キロの距離に迫っている。自衛軍の戦線は少数の機械化歩兵部隊と自走砲、ロケット砲で構成されていた。この一帯は周辺を山々に囲まれた絶好の防御拠点で、今頃は旺盛な砲火が幻獣に降り注いでいるはずだ。
「我々もそろそろ、ということですね」
矢吹少佐が地図に目を凝らしたまま発言した。善行は眼鏡を押し上げると、静かな声で「ええ」とうなずいた。
「矢吹大隊と近江中隊、及び5121小隊は防府方面に進出。中国自動車道、及び山陽自動車道を移動中の敵を攻撃してください。5121小隊が露払いを務めます。この方面の指揮は矢吹少佐にお願いします」
善行がわざわざ名前を挙げたのは、他にも佐官がいたからだ。将校が余っていた。下関、宇部において敵に散々にたたかれ善行の戦闘団に吸収された各隊は、五十名足らずの大隊を率いる大隊長、十人に満たない中隊を率いる中隊長が目白押しだった。隊が解体され、新たに編成されることは指揮官のみならず兵にとってもつらいことだ。散々戦ってきた隊の将兵が、戦闘を経験していないまっさらな隊に吸収されることには感情的な反発もあるだろう。
だからこそ善行は、西部方面軍最精鋭とされる第三師団から隊を借り受けたのだ。矢吹少佐には多少の不満を押えつける風格があった。近江中隊は未知数だったが、最新の装備を身につけ、兵の動きも悪くなかった。
「宮下中佐には残りの隊で市の防衛をお願いします」
「了解しました」
善行が名前をあげた中佐の大隊は、百名足らずにすり減っていた。しかしそこは佐官らしく寄せ集めの隊を押しつけられても顔色ひとつ変えなかった。
舞は憮然として、画面に目を凝らしていた。
二時間はど前に善行に呼び出され、上級万翼長への昇進が告げられ、小隊の司令ということにされた。パイロットが司令など務まらぬと反論しかけたが、荒彼の例もある。遅れて執務室に入ってきた瀬戸口からは、「おまえさんも年貢の収めどきっでわけさ」と軽い口調で言われてしまった。
時間の問題ではあった。
芝村一族の末娘として軍に身を投じた以上、いずれは隊の指揮を執ることになる、と舞は冷静に考えていた。現に岩国では自衛軍のパイロット候補生と顔合わせまでした。だから何を不満に感じるのだ? と舞は自問していた。逮う――。不満ではないな。実はそうなることを避けていた。自分にはコミュニケーション能力の欠如という致命的な欠陥があると舞は信じ込んでいた。舞にとっては唯一のコンプレックスであり、それが相当なプレッシャーとなってのしかかっていた。
「芝村上級万翼長、何かありますか?」
善行に水を向けられて舞は我に返った。一同の目が自分に注がれている。冷ややかな空気を舞は感じた。好意的な視線を向ける者はいなかった。普段の舞であったら冷静に相手を見つめ返していたろう。しかし、今は避けていた現実を目の前に突きつけられ、心が乱れていた。
「わ、わたしは……あー」
馬鹿な、どもるなどと! 戦場を故郷とするわたしがなんという体たらくだ。舞は自分への怒りに瞳を輝かせた。けれど頭の中は真っ白だ。
「……問題はない」
かろうじて言葉を継ぐと、挑戦するように他の将官たちを睨め回した。
「けっこう。矢吹少佐の指揮に従ってください」
善行は無表情に舞の視線を受け止めた。どこからか失笑が洩れた。「気の毒に……」という言葉が聞こえたような気がした。
「誰だ? 今、発言した者は!」
舞は唇を震わせて将官ひとりひとりを順繰りに見つめた。
「あ、俺だ、俺。発言ではなく独り言ってやつだがな」
後ろから柔らかな声が聞こえた。振り返ると瀬戸口が壁にもたれてたたずんでいた。明らかに瀬戸口ではないのだが、瀬戸口は目で「そういうことにしておけ」と語っていた。
「そなた、今、なんと言った?」
舞は了解した、というように言葉を継いだ。
「気の毒に、と言ったのさ。歴戦のエースパイロットと言っても、しょせん学兵だ。暴れることはできても隊を率いる責任の重さにプレッシャーがかかっているんだろうな、と。待てよ……俺も学兵だった」
瀬戸口はとぼけたように言うと、声をあげて笑った。瀬戸口め。舞の全身からこわばりが抜けていった。
「ふむ。そんな安っぽい同情をされるほど、わたしは落ちぶれていないつもりだ。そなたは何か勘違いしているぞ。現在の状況にプレッジャーを感じていない者がいるとすれば、そやつはよっぽどのぼんくらのミジンコ頭だ。冷静と鈍感は違うであろう」
「ははは、俺はぼんくらでミジンコ頭の鈍感野郎か?」
掛け合いを演じるように瀬戸口は受けた。見下した言葉を吐いた者をあてこすっている。そして、言葉を洩らした将校を一管して肩をすくめた。将校は苦い顔で横を向いた。
「ふたりともそれぐらいで。5121小隊は出撃準備をお願いします」
善行は事務的な口調で場をあっさり収拾した。舞は席を立つと、黙って会議室を出た。
「まさかおまえさん、自分が好かれているとは思っていないだろう?」
廊下を歩く舞の横に並んで瀬戸口が声をかけてきた。
「む……確かにな」
舞は率直に認めた。
「これからも嫌がらせは受けるだろうよ。そんな時は澄ました顔で切り返せるようにならんとな。おまえさんは芝村で、学兵で、年功序列など無視してはばからない世間知らずだ。どう考えても一般の軍人が好意を持つようなタイプじゃないのさ」
瀬戸口の無遠慮な物言いに、舞はふっと微笑を浮かべた。瀬戸口の口調には、嫌われ上等と励ますような響きがあった。
「そこまで言うか、そこまで。だが……感謝する」
「どういたしまして」
瀬戸口は軽く受け流した。
瀬戸口と一緒に市役所の玄関を出ると厚志が単車のそばで待っていた。
「迎えに来たよ。どうだった?」
厚志は心配そうに舞に尋ねた。
「予想通り、というところだ」舞はぶっきらぼうに答えた。
「……うーん、なんとなく想像できるよ。居心地悪いっていうか、そんなムズムズした感じだよね」
ムズムズ……。舞は複雑な表情になると、後部座席に置かれたヘルメットを取った。
「芝村の姫様は信念の人だからな。他人の顔色を読む、とか駆け引きをするなどという器用な真似はできないわけさ」
そう言って瀬戸口は厚志に笑いかけた。
「それはわかりますけど……」
「ただし、重要なことは現場ではなく会議で決まる。善行さんは交渉上手だし、あの原さんだって俺から見れば大したものさ。あっというまに相手を自分のペースに引き込んでしまう」
「む、むむ……」
なんだか腹が立ってきた。先ほどから言われ放題だ。頭の中では理解している。善行や原はああ見えても政治的センスに恵まれている。しかし自分は、と考えるとはなはだ心許ない。
まだまだだ、と思ってしまう。
「わたしはそんなに欠陥だらけか?」
「そうだな」
瀬戸口にあっさりと肯定されて舞は苦い顔になった。
「隊の運営を他人任せにしてただ戦っているだけじゃ、だめってことさ。善行さんはおまえさんに期待しているぞ。芝村も変わらないとな」
言うだけ言うと瀬戸口は肩をそびやかして立ち去った。
「変わってやるとも……!」
舞は悔しげに瀬戸口の背中に言葉を投げつけた。
「瀬戸口さん、なんだか厳しかったね。けど舞は舞らしく……」
「黙れ!」
「怒鳴ることないだろ。舞に善行さんや原さんになれって言ったって無理だから、らしくって言ったんだ。僕は思うんだけど、舞が善行さんの真似むしだしたら、善行さんも瀬戸口さんもきっとがっかりするよ」
思いがけぬ厚志の指摘に、舞はかえって考え込んでしまった。
隊の運営など考えたこともなかった。岩国基地では不毛な日々を送っていた。たとえ上層部の思いつきとはいえ、新人を教育し、新しい隊の編成の可能性を探るべき自分自身が心の底ではそれを拒否していたからだ。欠陥だらけ、欠陥だらけ、欠陥だらけ……。
息苦しさを感じた。これがプレッジャーというものか? 戦場の音楽をただ無心に奏でることができた複座型のコックピットが無性に懐かしくなった。
「芝村上級万翼長」
声がかかった。矢吹の長身が舞を見下ろしていた。舞は不機嫌に矢吹を見上げた。敬礼すらしない舞に矢吹は面食らった顔をした。
「何か?」
「……君たちの隊では敬礼をしないのかね?」
矢吹の穏やかな顔に困惑の色を認めて、厚志はあわてて敬礼をした。
「芝村に挨拶はない」
にべもなく言われて、矢吹は珍獣でも見るような目になった。無理もなかった。上下関係の徹底が軍人社会の最も基本的な掟だった。あの芝村一族でさえ、職業軍人であればおざなりな敬礼ぐらいはする。
「挨拶と簡単な打ち合わせを、と思ったのだが、忠告をひとつだけ。その態度では軍に居場所がなくなるぞ」
矢吹は穏やかな表情を保ったまま言った。
どうも変な感じだな。厚志は矢吹の表情をうかがっていた。
原因は舞にあるんだろう。今日の舞は少しおかしい。普段の舞であったら、こんなに感情の起伏が激しくない。たかが敬礼ごときで相手に突っかかるとは――。
「あの……、少佐。怒っているんですか?」
厚志が口を開くと、矢吹は苦笑した。
「まさか。わたしは気にしていないよ。ただ、いつまでも学兵気分で通していると、自衛軍との連携に支障をきたす、と忠告したい。敬礼ぐらい、安いものだろう」
「……そうですよね」正論だな、と厚志はうなずいた。
「自衛軍の気分で通していると、視野の狭い軍人ができあがるだけだぞ。九州で、自衛軍は当然のように自らの撤退を優先したが、広い視野で見れば学兵を優先する考え方もあった。学兵には未来があったからな。自衛軍は五万の学兵の未来を奪ったのだ」
舞は澄ました顔で淡々と切り返した。厚志は顔色を変えた。樋端すぎる! これもきっと正論なんだろうが、これから共に戦う相手に言う言葉じゃなかった。
矢吹の表情が一瞬重く沈み込んだ。
「すみません、少佐! 僕たち、九州でいろいろ見てきたんで」
厚志はあわでて頭を下げた。
「何を謝ることがある! わたしはまちがったことは言っていないぞ」
舞は執拗に言い募った。
「そうなんだけど。けど、少佐は九州の自衛軍とは違うと思うよ。自衛軍の代表でもないし。敬礼なんて安いものだと僕も思うしさ」
矢吹の何が舞には気にくわないんだろう。厚志は首を傾げて考え込んだ。
「嫌なことを思い出させてしまったようだな。まあ、とにかくお手柔らかに頼む」
矢吹は穏やかに言うと、戦闘指揮車の方角に歩み去った。
八月七日 〇九二〇 市内某中学校
ハンガーが設けられた中学校の校庭に単車を停めると、滝川と壬生屋が駆け寄ってきた。
「なあ、瀬戸口さんから聞いたぜ。指揮はどうするんだ? 芝村が執るの?」
滝川が尋ねてきた。素朴な、他意のない表情だ。らしいな、と厚志は内心で苦笑した。
舞にもそれが伝わったらしく、にらむように滝川を見つめている。
「な、なんだよ?」
舞の視線に耐えされなくなって、滝川は困惑した表情を浮かべた。
「矢吹大隊の指揮下に入ることになった。小隊の行動はわたしが指示する」
舞は無表情に言った。
考えてみれば――。厚志は首を傾げた。自衛軍と一緒に戦うのは初めてだった。九州では自衛軍は風景に過ぎなかった。言葉の通じない外国人と一緒に戦っていたようなものだ。撤退時に最底辺の兵と苦い「交流」を持ったきりだった。
「あの……これまで通り、ということですよね?」
壬生屋が念を押すように尋ねてきた。
5121小隊は良くも悪くも単独で行動してきた。単独で行動する限りは精密機械のように各機が連携し、敵を破ってきた。……あ、そうか。厚志ははたと思い当たった。歯車が狂うのを皆、不安に思っているんだ。
しかし舞は応えずに、ハンガーへと向かった。
「これより出撃する。目標は中国、山陽両自動車道の敵撃破」
少しして舞の言葉が飛んできた。厚志らはあわてて舞の後を追った。
「責任重大ねえ。芝村新司令」
ハンガー内に入ると声がかかった。舞は不機嫌に相手を見た。原が冷やかすような笑みを浮かべ、腕組みをしてたたずんでいた。一難去ってまた一難だ。
「どのような答えを期待している?」
舞は冷静に言った。原の笑い声がハンガー内に響き渡った。
「リラックス、リラックス。機体を壊しても怒らないから。……責任は重いけどねえ」
逆効果だ。舞にプレッジャーをかけて楽しんでいる……。厚志は舞の腕をとると、足早に更衣室に急いだ。壬生屋と滝川は原に挨拶をするとそそくさとふたりに続いた。
そんなパイロットたちの姿を原は笑みを浮かべたまま見送った。
「進んでますぬ、原さん」
珍しく若宮が声をかけてきた。若宮もにやにやと笑みを浮かべている。
「芝村舞ともあろうものが、あんなに動揺しちやって。可愛いんで、ついね」
「他のパイロット連中も動揺してますよ。どうして芝村が司令に昇進したぐらいであんなになるかな。この隊は繊細だな、と再認識しましたよ」
繊細、という単語が若宮の口から出るとは思っていなかったらしく、原は「あら」と声をあけた。
「再認識ということは、前から考えていたってこと?」
「はい。パイロット連中はけっこう脆いですよ。九州では善行さんが、一定の状況下で戦えるようにしていたんですな。今は状況が変わったもので、連中、不安に思っています。……まあ、速水は別ですけどね」
「ずいぶん速水君を評価するのね」
若宮はほろ苦い笑みを浮かべた。
「良くも悪くも安定しているんですよ。そのまま軍に横滑りしても、やつなら牙を隠しでやっていけるでしょう。個人的には芝村のとんがった雰囲気も好きですけどね」
はほほ。原は楽しげに笑った。言葉数から若宮の機嫌の良さがわかる。
「よく見ているわねえ。さすがベスト・オブ・下士官。けど、この隊はもういじくりようがないわ。この整備班にしてこのパイロット。……そんなところね」
原は澄ました顔で言い切った。パイロットも人型戦車も繊細なら、その整備に携わる者たちもガラス細工の工芸品のように繊細だ。夢見る少年少女たちの隊。5121小隊の整備班長に就任してから、原はずっと隊員たちを見守ってきた。
才能はあるが感情の起伏が激しいパイロットたちはかなりの確率で死ぬだろう、と初めは考えていた。ところが善行の指揮が巧妙だったか、運命の女神が微笑んだか、彼らは初陣からしばらくのデッドゾーンをくぐり抜け、ヒナ鳥から鷲に。強力な戦闘単位へと成長を遂げた。
そもそもここからわたしの人生設計は狂ったのよね、と原は考えていた。メカニックとしての野心などとうに消えていた。陽の当たらない人型戦車整備の教官として、ヒマを持て余し、遊び歩く生活を続けたかった。善行が廃棄寸前の試作実験機をかき集めて隊をでっち上げた時には、なんの嫌がらせかと思ったほどだ。
「達観しておりますな。しかしまだひと波乱もふた披乱もありそうです。皆、熊本戦の頃よりレベルアップしていますが、それがそのまま隊のレベルアップにつながるか? ……この隊に来て軍人としての価値観をくつがえされた老兵の愚痴です」
「ほほは。老兵、ねえ」
若宮もずいぶん面白くなった、と原は内心で思った。士官学校では善行の教官役を務めたほどの男だ。5121の面々と折り合うには相当に苦労したろう。
「一番機、お願いします」
森の声が拡声器から沈れてきた。うん、声に張りがある。この三ヵ月、電話をかけてきては愚痴をこぼしていた森とは別人のようだ。
原はトレーラーへと向かう一番機を一瞥し、次いで整備員たちに日をやった。
水を得た魚のように――。誰もが瞳を輝かせて士魂号を見送っている。そう、あの子たちを万全の状態で送り出すのが整備員の誇りだ。
あまりにもわかりやすい整備班の面々を見て、原は微笑した。
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第八章 諸刃《もろは》の剣
八月七日 〇九五〇 平井付近・県道上
「こちら芝村。今回の作戦は山口・防府《ぼうふ》間を走る二本の自動車道を進撃中の敵を捕捉、撃滅することだ。中国自動車道、山陽自動車道の順に転戦することになる」
コックピットに入り、気分が落ち着いたのか、舞は冷静な声でパイロットたちに語りかけた。
敵味方が入り乱れ、戦線らしい戦線がない状況である。移動距離が短いこともあって、パイロットは不測の事態にも対処できるようあらかじめコックピットに乗り込んでいる。
「……中国自動車道の敵をくい止めるだけで精一杯じゃないですか?」
壬生屋からすぐに反応があった。
山口と防府の中間地点、山口ジャンクションのあたりは交通の要衝だった。
山陽自動車道は宇部付近でいったん途切れ、山口宇部道路を経て国道2号線に合流する。再ひ山陽自動車道がはじまるのは山口市の南十キロ地点にある山口南インターチェンジだった。
中国自動車道は山口ジャンクションで分岐し、南に向かえばトンネルを経て山陽自動車道と合流し、東に向かえば中国山地へと向かう。
この付近では中国自動車道に道をとる敵も、2号線から再び山陽自動車道に道をとる敵と同じく相当な規模のはずだ。
この一帯を戦場に選ぶ利点は、山口市からすぐの場所にあることだろう。もっとも、指呼《しこ》の距離を進撃する敵がなぜ、山口盆地に攻撃の矛先を向けないのかは謎だった。今回矢吹少佐が考案した攻撃にはそんな敵の動向を占う意味もあった。
「ふむ。もっともな質問だ。中国自動車道の敵は一撃して離脱、突破。後続の矢吹大隊が拠点を設け、継続して敵を削ってゆく。我らは山陽自動車道の敵を主にたたくことになる。こちらには矢吹大隊の一部及び近江中尉の歩兵中隊が続く」
舞は淡々と説明をした。機嫌が直ったな。厚志は微笑んだ。
「なんだか欲張りな作戦ね。それって敵の真ん中に拠点を設けるってことかしら?」
原の声が割り込んできた。原は補給車に収まっている。
「整備班の展開拠点は矢吹大隊の司令部と同じ位置でよいだろう。来須、若宮は戦闘指揮車の護衛を頼む」
「了解した」来須の声が響いた。
「ところで指揮官不在の戦闘指揮車に意味があるのか?」
瀬戸口の声がのんびりした口調で続いた。
「む、それは……」
舞は答えに詰まって、やっと言葉を見つけた。
「指揮車の情報収集能力が必要だ」
「それは構わないが、どっちみち目の前の敵を撃破するのに手一杯になるんじゃないかな? 大丈夫か、芝村?」
追い打ちをかけるように瀬戸口が尋ねてきた。「む」と声を洩らしたきり舞は黙り込んでしまった。厚志は小声で舞に話しかけた。
「戦闘がはじまったら周りのことがわからなくなるから戦闘指揮車は必要になる、ということでいいんじゃない? 瀬戸口さんも意地悪だよなあ、わかっているくせに」
「ははは、聞こえているぞ、速水」
瀬戸口の陽気な声がコックピット内にこだました。
「わざとです。もうたくさんですよ。これ以上、舞を試す必要があるんですか?」
厚志は憮然として言った。
「すまん。性分というやつでね。司令が替わって、しかもパイロットが指揮官という特殊な事情だから、わかりきったことでも確認は必要だ。三番機が支援任務にまわって指揮に専念するという方法もあるしな」
瀬戸口さんらしいや、と厚志は思った。軽薄な口調とは裏腹に、慎重だ。
「戦術は従来通りだ。一番機と三番機が斬り込んで、二番機は支援射撃。瀬戸口は逐一状況を我らに報せて欲しい。それでよかろう」
舞が答えると、原の笑い声が再び割り込んできた。
「設問1、クリアね。瀬戸口君の負け――」
「たわけ。司令に設問を出すオペレータがどこにいる?」
舞は苦々しげに言った。しかし、機嫌は悪くなさそうだ。この隊にあって瀬戸口の慎重さ、細心さは隊の重石と言うべきものだ。
「うーん、なんとなく頭の中が整理ついてきた」
滝川が言わずもがなのことを言ってきた。
「念のために言っておくぞ、滝川。芝村の命令には絶対服従だ。なんとなく従うじゃだめだ」
瀬戸口が穏やかに念を押した。
「ちぇっ。なんとなくだなんて……。そこまで馬鹿じゃないっすよ」
「ふ。瀬戸口流偽善者路線だね。司令代理の庭をすべり落ちたことが悔しいくせに、もっともらしいことを言っている」
茜か? 厚志ははっとして「舞……!」と呼びかけていた。雑音が聞こえて「くそっ、僕は猫じゃないぞ!」と茜が抗議する声がこだました。
「瀬戸口よ」舞は声を絞り出した。
「……面目ない。どうやら隠れていたらしい。すぐに放り出す」
「待ってくれ! 隊は人手不足なんだろ? 石津から聞いたんだ」
再びどたばたと雑音が聞こえた。「嫌だ。絶対に……!」茜は放り出されまいとして何かに必死にしがみついているようだ。
「石津さん……。まさかまた戦場に出ようなんて思ってないでしょうね?」
壬生屋がため息交じりに言った。すぐに返事があった。
「必要……があれば……出るわ」
「ふむ。その覚悟は見上げたものだが、出るか出ないかはわたしが指示する。瀬戸口よ、そなたはふたりのお守りを頼む」
舞の声には勝ち誇った響きがあった。これまで散々瀬戸口にやりこめられていた分を取り戻そうとするかのようだ。
「わかったわかった。全都俺の責任だ。……あー、東原、ふたりの面倒を見てやってくれ」
「うん!」東原のやけに張り切った返事が聞こえた。
「だいちやん、萌ちゃん、おねがいだからおとなしくしているのよ」
くっ。舞は笑いを堪えた。
さすがは瀬戸口さん、と厚志も笑いの発作と戦った。東原も瀬戸口とは別の意味で隊の要だ。
東原を悲しませるようなまねはしてはならないというのが隊の掟だ。「わかったよ……」案の定、茜のしょげた声が聞こえてきた。
八月七日 一〇三〇 山口JCT《ジャンクション》付近
山口ジャンクションが近づいてきた。舞は小隊に停止命令を出した。
司令部がある山口市役所から直線距離にして十キロほどのところだが、すでにこの辺りでは友軍の抵抗は途絶えている。夏の陽光を浴びて、無人の集落が白く輝いている。辺りに人の発する音はなかった。虚空に響き渡るのは大小さまざまな幻獣の足音だけだ。
舞は「自衛軍に連絡する」と断って、周枚数を自衛軍のものに会わせた。
「こちら5121小隊、芝村だ。相当数の幻獣を確認。指示を頼む」
相当数、という漠然とした表現は舞の好みではなかったが、途切れることのない幻獣の縦列を数値化するには無理があった。
「矢吹だ。不意は打てそうかね?」
「大丈夫だ。敵はこちらに気づいていない」
まったく……舞は唇を噛んだ。本当は気づく気づかないの問題ではなかった。敵は無警戒に縦列をなして東をめざしていた。それだけ物量に自信があるということだ。
「中型幻獣の一群を特定してみた。N8の道路上にミノタウロス十五、ゴルゴーン八。おっつけうみかぜゾンビが追いついてくる。どうだ、芝村?」
瀬戸口が攻撃目標をピックアップする。「それより……」茜らしき声が一瞬流れて、すぐに補えた。ふふ。舞は口の端を吊り上げて笑った。瀬戸口の天敵は茜か。これは楽しい発見だ。
「それで行こう。各機、突撃準備。……よしっ!」
舞が指示を下すと、ほどなく「参ります!」と甲高い声が響いて壬生屋の一番機が突進をはじめた。滝川の二番機はジャイアントアサルトを抱え、迂回するように後に続く。「行くよ」
厚志の声がして、舞はシートに背を預けた。ほどなく発進のGがかかった。
Gがかかる時の胃のムカム力感だけには憤れることができない。気を紛らわせようと、舞は再び自衛軍に周波数を合わせた。
「これより攻撃を開始。適当に暴れた後、南下する。あー、少佐」
「何か?」
「……先ほどは失礼した」
謝らないとだめだよ、としつこいぐらいに厚志に言われてしまった。子供じゃないんだからとまで言われて、ぐさりときた。
「些細なことだよ」矢吹は言葉を返してきた。
「そうか」
一応は謝ったぞ。舞はうなずくと、一体のゴルゴーンをすばやくロックした。
漆黒の重装甲は跳躍すると敵中に躍り込んだ。敵の機先を制して、ふた振りの大太刀が同時に二体のゴルゴーンを襲った。ざくりとした手応えを感じた瞬間、一番機は再び跳躍して最後尾のゴルゴーンの背後に天魔のように降り立った。
行ける! 爆風を感じながら壬生屋はぶるっと武者震いをした。
「壬生屋磯、ゴルゴーン二撃破。未央ちゃん、頑張って!」
東原の声が届く間もなくさらに一体を撃破。敵の憎悪がじわじわと高まっている。なんだか前より感覚が鋭敏になった、と壬生屋は首を傾げた。敵の憎悪、そして恐怖がストレートに感じられる。大怪我をして体質が変わったのかしら、と壬生屋は思った。それが良いことか悪いことか判断はできなかったが、有利不利のバロメータにはなる。
要は憎悪のシグナルが怯えへと変わるまで戦えばよいのだ。
「無理をするな、壬生屋」
瀬戸口の声が割り込んできた。しかし壬生屋は答えずに敵の死角へとまわった。幻獣の視線という視線が自分を求めて移動する。
ふと、この三ヵ月の空白が壬生屋の脳裏をよぎった。
春の穏やかな日差しに照らされ、色とりどりの花が咲き乱れる病院の庭園。起きあがれるようになって、萎えた筋肉を取り戻そうと、庭園を散歩するのが壬生屋の日課になった。庭に遊びに来る鳥の声に耳を傾けた。戦争に明け暮れ、限界に達したあげく、傷つき、麻痺した心が癒されるようだった。
ただ、九州撤退戦終盤の記憶が抜け落ちていた。自分がなぜ、重傷を負って病院に運ばれたか、時折見舞いに来てくれる瀬戸口や来須に尋ねてみたが、ふたりとも「運悪く流れ弾に当たった」としか説明してくれなかった。
もどかしく、そして二度と士魂号に乗れないのではないかという不安が退院してからも壬生屋の心をさいなんだ。そして、絶望と復活。……わたくしは生まれ変わったのだ!
「飛ばし過ぎだ。後は我らに任せて山陽自動車道に向かえ」
舞の声が聞こえてきた。飛ばし過ぎ? そんなはずは、と思った瞬間、めまいがした。油断なくダッシュして敵から離脱する。今のめまいはなんだったんだ、と思うまもなく生体ミサイルの風切り音が聞こえた。
今のはなんだろう? 壬生屋は体勢を立て直すと、接近してきたミノタウロスのハンマーパンチを紙一重の差で避けて腕ごと両断した。
「壬生屋機、ミノタウロス撃破。未央ちゃん、無理しないでね」
東原の声に不安の色が交じっている。どうして? 無理なんかしていないのに。壬生屋は歯を食いしばると、ぐっとアクセルを踏み込んだ。
「変わったな、壬生屋は……! 前よりも危うくなった」
意外な人物からの指摘に瀬戸口は耳を疑った。結局粘り勝ちして車内に留まり、東原の肩施しにディスプレイをのぞきこんでいる茜の声だった。
顔が微かに青ざめている。目は真剣にディスプレイに表示されている壬生屋機の戦いぶりを追っている。
「わかるのか?」
瀬戸口が尋ねると、茜は複雑な表情を見せた。いつも口許に浮かべている冷笑は消えていた。
「動きが鋭過ぎる。飛ばし過ぎ、とは少しニュアンスが違うけどね」
そう言うと茜は東原の肩越しにキーボードをたたいた。ミノタウロスを両断した際の壬生屋機の動きがコマ送りに表示された。まったく無駄のない鋭角的な動きだった。
「どこがあぶないの、だいちやん?」
東原が顔をあげ、心配そうに茜に尋ねた。茜は迷ったような表情を浮かべたが、やがてしぶしぶと説明をはじめた。
「敵の攻撃を最小限の動きで避けている。言葉にするといい意味になっちゃうんだけど、これってギャンブルだよ。死角に回り込むとか、いったん距離を取るとか、少し手間をかければ余裕で避けることができるのに。……士官学校に入学する時に、善行さんから戦闘のビデオをもらったんだ。善行さんから物をもらうって意味、わかるかい?」
茜は一拍置いて、髪をかき上げた。
「ただじゃ済まないってことだな」
瀬戸口がため息交じりに言うと、茜は苦笑いを浮かべた。
「ああ、分析を任されたってわけさ。三機の戦闘パターンを飽きるほど見たさ。以前の壬生屋だったら、もっと手間をかけていた。無駄な動きもあったけど、無意識の、戦闘を有利に進めるための無駄だった。戦闘に一瞬の間を置くことで攻撃に幅を持たせて……あー、オプションが豊富だったんだ。今の壬生屋にはそれがないんだ。鋭く、直線的に、無駄なく敵を倒している。精密機械だね」
茜の言わんとするところが瀬戸口には理解できた。進化、と言えば進化か? しかしその進化はたぶんに危うさを含んでいる。
「精密機械は歯車が狂うと取り返しのつかないことになる。そういうことか?」
瀬戸口が尋ねると茜は真顔になった。
「そういうことだね。そこそこ暴れさせたら離脱・休憩をオススメするよ。これは推測なんだけど……あの怪我が壬生屋に影響を与えているんじゃないか? 余裕がなくなっているんだ。だから前の倍のスピードで敵を片づけているんだよ」
「驚いたな。おまえさんと同じ見解を持つとは思わなかった」
……壬生屋は九州撤退戦の英雄として、陸軍病院で最高の治療を受けていた。見舞いに行った瀬戸口は担当の医師に呼び出された。医師はリハビリが順調なことを告げた上で、壬生屋をパイロットに復帰させるつもりか、と尋ねてきた。
あいつの意志を尊重するつもりです、との答えに医師は「なるほど……」とつぶやくと考え込んだ。しばらくして、医師は壬生屋の体機能が半減している、と言った。完全に回復するには定期的な生体手術を受け二、三年はかかる、と。
普通の軍務には支障はないが、瞬発力が必要とされる兵種にとっては致命的なことだ、と医師は言った。以来、瀬戸口の脳裏には常にそのことが頭にあった。
だから迷った。
士魂号を降りても構わない、と思った。壬生屋が士魂号に乗ろうとした時、ためらったのはそのためだ。……まさか、肉体が拒否するとまでは思わなかったが。
「壬生屋、離脱して次の目標へ。後は二番機と三番機が敵さんを片づけてくれる。矢吹大隊にも獲物を残しておかんとな。十分ほど小休止した後、攻撃再開だ」
瀬戸口が指示を下すと「了解です」と即座に応答があった。自分の指示を露ほども疑っていない壬生屋に瀬戸口は後ろめたさを覚えた。
「待て。司令はわたしだぞ。勝手に指示を下すな!」
芝村のとがめるような声が車内に響いた。瀬戸口は東原、茜と視線を合わせると、苦しげに笑った。
「悪かった。長丁場を乗り切るには、敵に張り付かず、ヒット・アンド・アウェイを徹底することが必要と考えた。体力と集中力の温存だな」
うん、と茜がうなずいた。瀬戸口のもっともらしい説明に満足したのだろう。
「これから何時間戦うかわからないだろ? 外野から見ていてわかることもあるさ」
茜は瀬戸口の発言を補足するように言った。
「へえ、驚いたな。茜、人間変わった?」
厚志の声が割り込んだ。茜は一瞬、顔をしかめたが、すぐに「ふ」と冷笑を洩らした。
「ノンノン、僕は相変わらずさ。ただ、これまで不当な扱いを受けていただけだ。君たちは確かに天才的なパイロットだよ。しかし、パイロットが状況をすべて把握できるわけじゃない。その欠落を補うためにオペレータがいるし、参謀がいる」
「そうだね。けど……」
何かを察したかのように、厚志はつぶやいた。
「速水は勘がいいから注意しろ」
瀬戸口がささやいた。この自称天才をほんの少し見直していた。
「……敵、全滅。あのね、うみかぜゾンビ十が来るのよ」
東原がどうしようという頃で瀬戸口を見た。
「芝村。餅は餅屋だ。うみかぜゾンビは対空戦車に任せよう。俺たちもこれから南下する」
「ふむ。瀬戸口……今日のそなたもずいぶんとまともだな」
怪しむような舞の言葉を受けて、瀬戸口は無線を切り、そっと額の汗をぬぐった。ウーロン茶のペットボトルが差し出された。振り返ると石津がたたずんでいた。
「だめ」
瀬戸口は苦笑して石津の訴えるようなまなざしを受け止めた。才能開花ってやつか? はた迷惑な開花だ。あの素直でおとなしい石津はどこへ? いつから鉄砲玉少女になったんだ、とあきれる思いだった。
「心配……なの。壬生屋……さん」
「まだ何も起こっていないだろ? 万が一の時が来たら俺が指示する」
きっぱりと言うと、石津は不承不承引き下がった。
消滅しつつある中型幻獣を横目に、三番機はトンネル内を走っていた。一番機が走り抜けた後だからか、めぼしい敵は残っていなかった。
このトンネルが中国自動車道と山陽自動車道を連結していた。トンネル内の照明は消えている。暗視モードに切り替えた視界に浮かぶのは、士魂号に蹂躙され、右往左往する小型幻獣の群れだけだった。
厚志はしきりに首を傾げていた。
「瀬戸口さんたち、なんだか様子がおかしかったね」
厚志が口を開くと、舞は「ふむ」とうなずいた。
「確かに。瀬戸口にしでは妙に説明的だったな。何かを隠そうとする時、人は言葉を連ねる。もしくは反論の余地がない正論を重ねるものだ」
「言えてる」
これが舞だ、と厚志は感心した。自分の漠然とした疑問を、外科医がメスを振るうように解剖し分析してみせる。けれど、瀬戸口さん、何を隠しているんだ?
「戦況が不利になっているとか?」
「そんなことだったら隠す必要はあるまい。我らが不利を糧とし、状況に応じて戦えることを瀬戸口は知っている」
「じゃあ、なんだろう?」
不意に座席を蹴られた。しばらくして舞の不機嫌な声が聞こえてきた。
「放っておけ。瀬戸口を信じてやろう」
「……うん」
厚志の口許に笑みが広がっていった。その通りだ。戦場で考え、分析するのは瀬戸口さんの仕事だ。自分たちは敵に集中しないと。明快に言う舞が好きだった。
「壬生屋です。今、N11の山陰に待機しているんですけど。敵、すごい数です」
壬生屋から通信が入った。そんなことはわかっている。
「こちら滝川。戦闘指揮車と一緒に向かっている。どうする……?」
次いで滝川から報告があった。
「……今日はおとなしいね、滝川」厚志が冷やかすと、「うへ」と滝川は妙な返事をした。
「壬生屋を援護して疲れたよ」
「情けないことを言うな!」
舞が一喝すると、滝川は黙り込んだ。
「あの……滝川さん、どこか悪いんですか?」
壬生屋が尋ねると、「ピンピンしてるけどよ……」と滝川は応じた。
「あのさ、壬生屋。おまえ、前より強くなったと思うけど、なんか目が離せねえんだよ。その……綱渡りみたいなチャンバラやってるし」
綱渡り? チャンバラ? 厚志は唖然として「滝川」と呼びかけた。
「それ、言い過ぎだよ! それじゃ壬生屋さんに悪いよ。壬生屋さんが危険をおかしているから僕たちが戦えているんだし」
「あ……悪ィ。きっと俺の目じゃ壬生屋の動きを追うのが大変だったってことなんだろうな。変な意味じゃねえから」
くすり。壬生屋が笑みを洩らした。
「それ、見切り、のことですよね? 前より感覚が冴えているというか、見切りと受け流しを多く使っているんです。心配させてごめんなさい」
わかった。そういうことか……! 厚志は複雑な思いに駆られた。敵の攻撃を避ける時、自分なら確率を重んじる。攻撃を最小限の動きで避ける見切りよりはジャンプ、ダッシュを使って距離を取り、確実に敵の攻撃を避ける。
となれば今の壬生屋は常に敵と混戦状態にあるということだ。支援射撃をするには誤射の危険もあり、滝川が疲れるのもわかる。
無線を切って厚志は舞に説明した。
「……そんなものか?」
「僕は違うけど。壬生屋さんは白兵戦専門だから、そういうこと……なのかな。けど滝川が疲れるってのは本当だと思うよ。見切り、受け泳しは心臓によくないしね。本当に、集中が切れると危ないんだ……」
「N11の路上。ミノタウロス二十、ゴルゴーン十一、キメラ三十他。芝村……?」
瀬戸口から通信が入った。舞は即座に応答する。
「確認した。前後は小型幻獣だけだな。ヒット・アンド・アウェイで削る。あー、壬生屋よ、敵に張り付かず、一撃を加えたら離脱してくれ。二撃、三撃めは我らに任せよ」
「え……? けれど、わたくし戦えます。調子がいいんです」
心外だというように壬生屋は応じた。
「瀬戸口との交信を聞いていたろう。今はよいとしても戦いはどれだけ続くかわからないのだ。疲労すなわち死だ。体力と集中力を温存せよ」
「……わかりました」
壬生屋の声は不満げだった。
「戦車隊が追随してきた。彼らの展開が終わったら行くぞ」
舞の冷静な声がコックピットに響いた。
視界に一番機の姿が入った二百メートルほど前方の路上には中型幻獣の群れが見える。二番機の足音が後方から響き、三番機に並んだ。
「行くぞ」
舞が合図をすると一番機は自刃をきらめかせ、一直線に突進をはじめた。二番機と三番機が追随する。ほどなく、路上から炎が噴き上がった。
超硬度大太刀を振るう一番機は流れるような動きで敵を混乱に陥れていた。
何を心配することがある? 舞は敵をロックし、ジャイアントアサルトの発射スイッチを押しながら首を傾げた。
「粘り過ぎだ、壬生屋さん」
厚志がつぶやいた。二番機と三番機から放たれる機関砲弾が暴れ回る一番機の機体すれすれに着弾する。
「誤射はせぬ!」
舞がムツとして言うと、「そうだろうけど」と厚志は応じた。
「一番機の動きが予測できるかい?」
「……そなたの言うとおりだ」
舞は悔しげに言うと壬生屋に呼びかけた。
「離脱せよ、壬生屋! 支援射撃ができね」
「まだ大丈夫です! 支援射撃は先頭と後ろの敵を」
わからず屋め。ひとりで戦っているつもりか? その間にも三番機はぐんぐんと加速する。
跳躍。着地と同時にぐんと下方へのG。舞がスイッチを押すとジャベリンミサイルの爆発音と同時にオレンジ色の炎が視界いっぱいに広がった。
業火の中で漆黒の重装甲がなおも倒し切れなかった敵にとどめを刺していた。その執拗さに今の壬生屋の心の焦りが表れていると舞は思った。
「厚志、離脱せよ」
舞は唇を噛んで、厚志に命じた。名を呼んだ瞬間、Gが来た。三番機は敵の間を器用にすり抜けると反対側の路上に駆け抜けた。背中にぞっとする気配。ふん、狙われているな。しかし舞は厚志の操縦を信じ切っている。息を吐くとシートにもたれた。
生体ミサイルを左右にかわし、三番機はダッシュ。付近のビル陰に隠れた。そしてビルとビルの間を縫って、次の攻撃に備える。
「速水・芝村機、ミノタウロス四、ゴルゴーン七、キメラ十五撃破」
かなり遅れて東原が戦果を確認する。
「……何をやっている?」
一番機は未だに敵中に留まり、三番機に向き直った敵に背後・側面から超硬度大太刀をたたきつけていた。わたしの命令が聞けないのか? 舞は努めて冷静な声で通信を送った。
「命令を守れ、壬生屋」
「すみません。けれど……」
まだ言うか? まだ言うか? 舞は憤然として、冷静な仮面をあっさりはぎとった。
「この大たわけ! そなたを中心に世界がまわっているわけではない! 命令が聞けぬとあらば機を降りてもらうことになるぞ」
「待って、今はまずい……」
厚志の声と同時に、壬生屋の悲鳴が聞こえた。ミノタウロスのハンマーパンチを避け損ねた一番機は路上を滑ってガードレールを突き破り転落した。二番機が接近すると、ありったけの機関砲弾を敵にたたき込んで注意を引きつける。
「壬生屋、逃げろ!」
一番機は滝川の声に弾かれたように身を起こすと、三番機が潜んでいるビル群に向かってダッシュした。滝川の二番機はそれを見て、すばやく機体を後退させる。あらかじめ地形を確認していたのか、道路を挟んで反対側の窪に伏せた。
「機を降りろだなんて! 調子がいいのに! どうして邪魔するんですか?」
壬生屋の甲高い声がコックピットに響き渡った。
「邪魔だと? 馬鹿め、馬鹿め、馬鹿め……! そなたはわたしの命令を無視したのだぞ! そなたの調子なぞどうでもよいことだ。命令が聞けぬならば機を降りるがよい! 後で一発殴ってやる」
抑えても逆効果だ。そんな計算を意識の片隅でしながらも、舞は憤然として怒鳴った。
「嫌です。降りません!」
舞は耳を疑った。わたしはこんなにも軽く見られているのか? パイロットは善行にこんなセリフはついぞ吐けなかったはずだ。
「く……壬生屋め」
舞は悔しげにつぶやいた。しばらくして厚志は遠慮がちに口を開いた。
「壬生屋さんは少し変だね。ミノタウロスのパンチなら数メートル下がるだけで避けられる。調子がいいと思い込んでいるだけかもしれないよ、壬生屋さん」
戦車隊が撃ち減らされた敵に砲撃をはじめた。減らされ、傷ついた敵は路上を降り、戦車隊をめざして進んで行くが、巧妙に作られた十字砲火の前に次々と撃破されてゆく。
「ここの敵は自衛軍に任せる。次だ。……壬生屋は破損した個所を修理しに補給車へと向かえ。頭を冷やした後、戦線に復帰せよ」
「だから、わたくしは……!」
壬生屋は心外だと言うように声を荒らげた。
「命令に従え、壬生屋。今のはおまえさんが悪いぞ」
それまで耳を澄ましていたらしい瀬戸口が穏やかに壬生屋を諭した。
八月七日 一一三〇 山陽自動車道付近
「ふ。それが妥当な線だね。あれじゃ連戦はつらいだろう」
茜が苦笑して言った。
芝村と壬生屋。どちらもなんだか感情的だ。久しぶりの戦闘で気が高ぶっているのか? それともストレスがふたりを感情的にしているのか? 隊員が司令に反抗し、司令は司令で余裕なく、頭から隊員を抑え込もうとしている。
芝村には速水がついているからまだいいけど、壬生屋はやはり危ういな。茜は壬生屋の心理状態に関してあれこれと思いをめぐらした。
ふと石津と視線が合った。石津はこちらをじっと見つめている。
「なに?」
「壬生屋さん……なら…! あたしが」
うん。石津なら壬生屋も心を開くだろう。久しぶりに会った石津は変わっていた。熊本にいた頃はほとんど話したことがなかったが、石津は明るくなった。
買い出しが終わって手持ちぶさたにしていたところ、向こうから話しかけてきた。
下関での突撃衛生兵っぷりは滝川から聞いていた。いざという時、衛生兵として出るために僕を運転手予備として戦闘指揮車に乗り込ませたのだろう。策士だな……。
「僕に言ってもしょうがないよ。壬生屋は瀬戸口の担当だろ? 建前では芝村が面倒を見なくちゃいけないんだけどね」
「ははは、聞こえていたぞ」
瀬戸口が無線のスイッチを切って顔を向けた。ほとんど使ったことはないが、瀬戸口は機ごとに独自の周波数を設定していた。
「……壬生屋、なんだって?」茜が尋ねると、瀬戸口は肩をすくめた。
「命令ならば従うけど、芝村さん、人が変わった、とさ」
「どうしてああなるんだろ?」
「ふたりとも新しい状況に慣れていないみたいだな。芝村はやけに責任を感じているし、壬生屋はハイになっている。二度と人型戦車に乗れないと思い詰めていた反動だろう」
瀬戸口の分析に、茜はふっと冷笑を洩らした。
「ずいぶん客観的だね。それで、この隊はうまくいくのかい?」
「ははは、俺たちは別名・トラブル小隊じゃなかったか? 俺はもう慣れてしまったよ」
瀬戸口が言い切ると、茜は瀬戸口の仕草を大げさに真似て肩をすくめ、「そうだね」とうなずいた。
八月七日 一一四五 山口JCT付近・大学校内
一番機が黒々とした姿を見せると、「来た」と新井木が素っ頓狂な声をあげた。
整備班はジャンクション付近にある大学の敷地内に展開していた。建物は矢吹大隊が接収し、付近では兵たちが陣地を構築していた。
しばらくはヒマかな、と皆が思っていた矢先だった。急に舞と壬生屋が言い争いをはじめて、一番機は戦線を離脱することになった。
あの壬生屋さんがどうして? 新井木は壬生屋のやさしい面しか知らない。きっと目に見えないところで芝村さんに散々イジメられたんだろう、と結論づけた。
補給車をめざして進んでくる一番機に新井木は手を振った。同時に肩装甲板がはずれかかっているだけかと、めざとく破損箇所をチェックした。
「修理お願いします……」
コックピットから出ると、壬生屋は集まってきた整備員たちに頭を下げて歩き出した。新井木が後を追おうとすると、肩を掴まれた。
「放っときんしゃい」中村がこわい顔で首を振った。
「え……けど」
「あぎゃん感情のぶつかり会いに関わるとややこしくなる。修理すっぞ。肩装甲板用意」
中村は補給車のクレーンを指さした。
「けどさ、壬生屋さん、せっかくまた士魂号に乗れるって張り切っていたのに! なんか芝村さんが水を差しているような感じがするんだよね」
新井木は口をとがらせて言い募った。
中村は、ほっと息を吐くと狩谷を振り返った。
「ここで何か言えば、君は僕が芝村に味方していると思うだろうな。けれど、芝村と壬生屋のことは馬鹿馬鹿しくて言う気にもなれないよ」
狩谷は冷静に言った。
そうなのか? 隊のエースとエースが対立するのが馬鹿馬鹿しいことなのか? 新井木は半ば正義感、半ば好奇心を刺激されて、
「戦えるのに戻されちゃうなんてあんまりじゃない? 芝村さん、問題あるよ」
と質問をぶつけた。
中村と狩谷は、やれやれという顔で新井木のそばを離れた。
「え……、どうして? 僕、変なこと言った?」
新井木が追いすがるように言うと、「馬鹿過ぎる……」と狩谷のつぶやきが聞こえた。
「フフフ、ふたりはこう言いたいんですよ。芝村新司令の初陣を助けなければいけないのに、壬生屋さんは自分ひとりのことにかまけて、命令を無視したってね。しかし、それは整備が口を出すことではなく、ふたりの間で解決する問題だということです。そんなわかりきったこと言わせるな、と」
「あ……」そうか、と新井木は思った。
「今は芝村さんが司令なんだよね」
「ノオオ。これだから新井木ゴブリンは……」
岩田もあきれて、一番機の方に歩み去った。ぽつんと取り残された新井木は急に心細くなって「待ってよ!」と岩田の後を小走りに追った。
わたくしの何がまちがっていたんだろう? 壬生屋は敷地内の芝生に腰を下ろすと、行儀よく正座をしたまま考え込んだ。
一匹でも多く敵を削ることが作戦目標だったはずだ。敵を多く撃破すれば、それだけ友軍が楽になる。そのつもりで集中して、敵と戦っていたのに……。たとえ命令違反があったとしても、三機が確実に連携しないとだめなわけじゃないし。機体を自由に動かす余地は認められるべきだ。
だってそれがパイロットというものだから。
しかも今日のわたしは調子がよかった。芝村さんも司令だったら、わたしに会わせて作戦を考え直してくれてもよさそうなものだ。
……とそこまで考えて、不意にめまいを覚えた。どうしたのかしら? 姿勢をなんとか保とうと、膝を強く掴んでバランスをとった。
「あらあら、世話が焼けるわね」
聞き覚えのある声がして、壬生屋は身を固くした。原が腕組みをしてたたずんでいた。
「聞いたわよ。下関じゃ石津さんと隊を離れて大冒険をしたって」
にこやかに大冒険と言われて、壬生屋は顔を赤らめた。
「あ、あれは……臆病になった自分を鍛え直そうとして。前線に出て、自衛軍の皆さんと一緒に戦って、わたくし勘を取り戻せたんです」
ふうん、と原は感心したような、小馬鹿にしたような顔でうなずいた。
「なんか格好良いこと言ってるけど、それはあなたの事情でしょ。結果論だしね。もし、あの時、あなたか石津さんに何かあったら、善行さんは瀬戸口君を許さなかったでしょうね。あなたは心やさしい瀬戸口君を追いつめたってわけ」
「けれど、あの経験をしたお陰で、わたくしけ生まれ変わったんです!」
壬生屋は真っ赤になって言い募った。あの経験は貴重なものだった。わかりもしないくせに生半可なことを言われたくなかった。
「生まれ変わったなんて、そんな大げさなもんなの?」
原は口許を押さえて、くすくすと笑った。
「もしかして、自分が特別な存在になったなんて勘違いしてないでしょうね? それからさっきの命令違反は危険。芝村の姫様だから許してもらえたのよ」
そんな……。壬生屋は唖然として原を見つめた。
「話を戻すわぬ。瀬戸口君は、あなたがもう少し大人だと思っていたみたいね。何食わぬ顔で隊に戻って素直に命令に従っていればいいのに。生まれ変わった、なんてねえ。わたし、思うんだけど、あなた、少し疲れてない?」
原の目は笑っていなかった。壬生屋は努めて背筋を伸ばし、原の視線を受け止めた。
「いえ、まったく」
「そう……」
原はにこりと口許をほころばせた。しかし変わらず日は冷たい光をたたえていた。
「頭が冷えるまで待機というのが命令だったわね。あなたが芝村さんに謝るまで、一番機は故障。しばらく体を休めてね」
そう言い置くと、原はきびすを返して立ち去った。
「モロ、芝村さんの味方してるよ。原さん」
新井木は物陰からふたりの話に聞き耳をたてていた。修理自体は何ほどのこともなく五分で終わった。もしかして原さん……と勘が働いて後をつけたのだ。
「生まれ変わった……と思い込んでいるところがデンジヤラスばいね」
中村と岩田が新井木と頬をくっつけるようにして、壬生屋の正座姿をのぞき込んでいた。
「それにしても、ちらりとのぞくが足袋がビューティフォー。そうは思いませんか、ハンター」
ぬ、と中村はまんざらでもなさそうにうなった。
「ふたりとも近づきすぎ! 変態が伝染るじゃん。こんな時になんでソックスハンティングの話が出るかな!」
ふたりの特殊な趣味を熟知している新井木は口をとがらせた。
「ウヒヒ、新井木のほっぺた。すべすべしてよかよか」
「ヒィィ……」中村に頬をくっつけられて、新井木はあわでてふたりから離れた。
「こ、この変態!」
「脚まわりな、相当にイカレているばい。前とたいして変わらん」
中村はいきなり話題を変えた。声が低くなった。新井木は、えっという顔になった。そんなことは……。調べたはず……なのに。
「ぬしゃ、まだまだ温いな。前は脚まわり全般が疲労していた。今は少し部位が違う。膝と足首にかなりの負荷がかかっているばいね。小刻みな動きを際限なくすると、負荷が一点に集中する。ぬしゃが遊んでいる間に瀬戸口から映像を送ってもらってシミュレーションしてみた」
「フフフ、途中でチェックを投げ出しましたね」
岩田にとどめを刺されて、新井木はがくりと肩を落とした。一部分だけを調べて、以前より疲労が少なくなっていることに安心して、入念なチェックを怠った。それより壬生屋のことが心配で、整備に頭がまわらなかった。
「……ごめん」
どうして変態キモオタに謝まんなきやいけないかな、と思いながら新井木はしおらしく頭を下げた。チェックを怠ることは整備員として最低最悪だ。逆さはりつけ、獄門打ち首だ。問答無用で非があった。
「壬生屋を心配するなら、整備員として心配するがよか。脚まわりの人工筋肉の換装指示は森に頼んだ。作業はぬしに任せる。俺らは原さんとこれからのことを相談する」
「なんか自信がなくなっちゃった……」新井木は落ち込んだ表情でつぶやいた。
「今のぬしゃ、壬生屋さん可哀想なんて言うには百億年早い。本当にパイロットのことを考えるんだったら、仕事だけしていればよかね」
「うん……」
新井木は悔しげにうなった。このふたりにはまだまだかなわないな、と思った。
「罰としてソックス一枚。一週間モンがよかねえ」
新井木の顔色を察してか、中村は急に剽軽《ひょうきん》な口調になって言った。よかった、許してくれた……。新井木はほっとして、
「ど変態――。どさくさ紛れにそれはないっしょ」
あかんべをしてみせた。
八月七日 一一四五 山陽自動車道・天神原《てんじんばら》付近
すでに三度目の強襲を行っていた。
襲撃された敵は路上から降り、縦列を乱して三番機に突進する。その側面背後から、戦車大隊の砲火が沿びせられた。二度、三度、と襲撃を繰り返しているうちに戦車隊と少しずつ息が会ってきた。三番機と二番機は連携して、敵の注意を任意の方向に揺さぶっていた。
「けっこう戦いやすいね」
厚志の言葉に、舞は「ふむ」とそっけなく返事をした。
自衛軍の戦闘車両、特に七四式戦車の一〇五ミリ戦車砲の威力はたいしたものだった。ただし、中型幻車……特にミノタウロスタイプの近接攻撃に脆く、戦車単独で戦えば差し違えを覚悟しなければならなかった。
その弱点を士魂号がオトリとなり敵を引き回すことによって補っている。舞らにとっても、旺盛な火力の支援を得られてあらためて自衛軍の実力を再認識させられた。何よりも楽だ、と厚志は機体を躁擬しながら考えた。
「射撃ポジションをよく考えている」
舞は散開し、巧みに火線を構築している戦車隊を褒めた。
「こちら矢吹。貴隊の健闘に感謝する。非常によい状況だ、と報告があった」
小隊の周波数を使って、矢吹が通信を送ってきた。
「芝村だ。我らは健闘などしておらぬ。むしろ楽に戦っている」
「ほう」
「オトリになって敵の鼻っさきを引き回すだけで後は戦車が片づけてくれるからな。これはデータ化する価値があるぞ」
笑い声が聞こえた。矢吹は順調な戦果に満足しているようだ。
「オトリとなってくれる人型戦車乗りの人数が揃っていればな。しかし現状ではごく少数だ。噂に一番機が戦場を離脱したようだが、彼女に何かあったのかね?」
矢吹の問いに舞は沈黙した。ややあって、冷静な声で言葉を発した。
「一番機は白兵戦専門ゆえ、アクシデントに見舞われる確率が高いのだ。万が一のことを考え、現在整備にまわしている」
「……了解した」
矢吹からの通信が切れると、厚志は「その……」と言いにくそうに口を開いた。
「壬生屋さんのこと、どうするの?」
「頭が冷えるまで待機だ」舞の口調は断固としたものだった。
「それは正しいと思うけど、意地の張り合いになったら救いようがないよ。どこかで落としどころを考えないとね」
これだけは言っておかないと、と厚志は思った。座席を蹴られた。
「そんなことはわかっている! 今、策を練っているところだ」
舞が策ねえ……。なんだかとてつもなく不器用で恥ずかしい結末になりそうで、厚志はあれこれと思いをめぐらせた。原さんに……うーん、瀬戸口さんに相談してみるか?
そんなことを考えていると、「そろそろ行くぞ」と舞から声がかかった。
厚志はぐっとアクセルを踏みこんだ。
今のところは順調に敵を削っている。問題はない。敵が本腰を入れてこちらに向かつでくる前に、削れるだけ削っておこう、と思った。
八月七日 一三〇〇 山口JCT付近・大学
「どうしたら炎天下の芝生で正座していられるかな。君は変わっているね」
声がして照りつける陽が遮られた。狩谷が黙って日傘を差し掛けていた。山口で留守をまもる加藤に代わって彼の車椅子を押しているのは新井木だった。
「……その日傘は?」壬生屋はぼんやりと尋ねていた。
「原さんの私物を借用してきた」
狩谷はこともなげに言った。狩谷とは滅多に話す機会がなかった。どう対応していいか、壬生屋の性格ではとっさに笑顔がつくれない。
新井木はと見ると、視線を合わせると照れくさげに「えへ」と笑った。狩谷はかなり迷惑そうな顔をしている。
「僕は機体のメンテナンスはするけど、パイロットの精神状態のメンテはしない」
「……そうでしょうね」
言葉にしなくてもわかる。狩谷さん、何しに来たんだろう?
「だったら話が早い。こんなところで陽にさらされていると消耗するぞ。建物に入って、できるなら水分を摂って横になっている方がいいな。それだけだ」
狩谷は日傘を強引に壬生屋に押しつけた。
「わたくし、なんだかうまくいかなくて……」
とっさに思ってもみなかった言葉が口をついて出た。
「ああ、空回りしているってことだね」
狩谷は冷静に応じた。
「空回り……」壬生屋がつぶやくと、狩谷は皮肉に笑った。
「そういう役割なんだよ、君は。君の動きに連動して他の二機が動く。中心軸、と言うと自分が主役と勘違いされるから単にそういう役割、とだけ言っておくよ」
「主役だなんて、そんなこと思っていません!」
芝村との言い争いを思い出して壬生屋は顔を赤らめた。
しかし狩谷は平然としたものだった。面倒くさげに説明をはじめた。
「単に空回りしやすい役回りに過ぎないってことだね。滝川なんて空回りしようったってできない。二機の状況を見て、それに合わせて支援をしなきやいけないからね」
「あの……何がおっしゃりたいんですか?」
「君を元気づけてくれとしつこく新井木に頼まれて。柄じゃないと断ったんだけどね。原さんも中村も岩田も、放っておけの一点張りで可哀想だって言うんだ。馬鹿だろ、新井木はつよりによってこの僕に頼み込んでくるなんて」
狩谷が投げ出すように言葉を放つと、新井木は気まずい顔になった。壬生屋は眉をあげた。
「可哀想だなんて、ブライドが傷ついたろう? まあ、馬鹿だから許してやっでくれ」
狩谷に先回りされて、壬生屋は口まで出かかった言葉を呑み込んだ。新井木は顔を赤らめ、しどろもどろに言い訳をはじめた。
「ごめん……。けど、僕、ずっと前に整備さぼって原さんにクビにされそうになったことあるでしょ? その時さ、壬生屋さんに許してもらったのが忘れられないんだ。あと……はじめて一番機のメイン担当になったのがすっごく嬉しくて。だから……壬生屋さんには元気でいて欲しいの」
新井木の言葉には誠意があった。壬生屋は腹式呼吸をすると気を静めた。嬉しかった。一番機の担当になったことをそんなに喜んでくれるなんて。
「……ご心配かけてすみません。どうしてわたくしってこうなんだろう、と患います」
普段の穏やかな表情に戻った壬生屋を見て、新井木の顔が嬉しげに輝いた。そんな新井木を狩谷はなんだかなーという顔で一瞥した。
「君は整備員に人気があるんだよ。知らなかった?」
狩谷の言葉に壬生屋は「え……」という顔になった。狩谷は皮肉な笑みを浮かべたままだ。
「機体をよく壊してきたし。仕事のやり甲斐を与えてくれる」
「な、な、なんですって……!」
「ははは。楽しい人だね、君は。だから人気があるんだろうね。それじゃ仕事があるから」
狩谷は器用に車椅子を回転させると、遠ざかっていった。新井木があわてて後を追う。取り残された壬生屋は、滅多に聞けない狩谷の冗談に驚いていた。皮肉と言うより冗談だ。人気があるかどうかはわからないけど……。なんだかあの狩谷が言うと、整備員が皆、自分を応援してくれているような気になるから不思議だ。
壬生屋は立ち上がると、日傘を差してくるりとまわした。
八月七日 一三〇〇 山陵自動車道・|鹿ノ子《かのこ》付近
「近江中隊は何をやっている?」
舞は戦術画面を参照して戦場から離れた陣地に張り付いたままの歩兵中隊に首を傾げた。
三番機は山陽自動車道を瀬戸内側に突っ切り、何度目かの強襲の準備をしていた。従うのは百メートルほど左手に見える二番機だけだった。戦車隊は黒河内山トンネルを抜けてすぐの降車地点から展開し、敵に砲撃を加えていた。軍用に低く設計されているとはいえ、自動車道の高架に戦車が乗り入れるには、専用の通路を探さなければならない。事実上、自動車道を自在に移動するのは不可能ということだ。
戦車随伴歩兵なら、それが可能だったが、一兵も見当たらなかった。近江の隊は装備も充実し、練度も高いと聞いている。中隊丸ごととは言わない。一個小隊が警戒偵察、及び支援に当たってくれるだけでもずいぶん違う。
「こちら若宮。三番機と二番機の中間にいる。近江中隊は姿もかたちもなし、だな」
戦闘指揮車の護衛に当たっていたはずの若宮から通信が入った。
「どういうことだ?」
舞は歩兵集団との共同作戦の経験がなかった。若宮の姿を探したが、丈高く生い茂る夏草に紛れて見っけられなかった。ここが九州戦末期の熊本でなくてよかった、と舞は思った。熊本ではレールガンまで装備した重武装の幻獣共生派が襲ってきた。連中が今、夏草の中に姿を隠し、零式ミサイルでも撃ってきたら、こちらも無事では済まないだろう。見張り役の歩兵が必要だった。
「よほど慎重な性格らしい。少し進んではわざわざ塹壕を掘っているよ。今は戦車小隊の後ろの黒河内山の稜線に張り付いている」
若宮の口調にはどこか皮肉めいたものが交じっていた。
「どう思う、厚志?」
急に水を向けられて、厚志は咳き込んだ。
「……よくわからないんだけど、戦車随伴歩兵なんだから士魂号と一緒に突撃はできないんじゃない? 中型幻獣を食える小隊なんてそうはないだろうし」
「ふむ?」
やはり厚志は歩兵を知らぬな、と舞は思った。そして自分も――。誰もが来須や若宮のような戦闘力を持つわけではない。仮に持ったとしでも、野戦でミノタウロスやゴルゴーン、キメラなどの中型幻獣と渡り合うことは相当に危険だ。しかし支援任務となると話は別だ。現に零式か九九式のミサイルでタンクローリーを破壊した共生派がいたではないか。
「俺たち孤立しているってわけ?」
滝川から通信が入ってきた。突出し過ぎたか? 否! 舞は唇を噛んだ。突進し、突出し、オトリとなり、時に友軍を振り回すことが我らの役割だ。
ビル陰から中型幻獣の一群が見えた。ミノタウロスを中核とした二十体ほどの幻獣が、路上を降りて戦車隊が展開している一帯に進みはじめた。戦車砲が火を噴き、一体、また一体と幻獣が爆散してゆく。
距離は五百。敵は友軍戦車に取り付く前に撃破されるだろう。と……、一両の七四式戦車が突如、爆発を起こした。舞は、短く舌打ちすると、戦術画面に視線を落とした。
「北東千五百メートルの山陰にスキュラ三確認。動きは見られない。アウトレンジから友軍を狙い撃ちする気だ」
瀬戸口の声に応じて、厚志が機体を北東に向けた。煙幕弾は、煙幕弾はどうした? 舞の視界にさらに一両、燃え上がる戦車が映った。目に見えぬ敵を探して、闇雲に砲塔を旋回している戦車もあった。
「まずいな。パニクっている!」
茜の不快げな声が響いた。
「頭ではわかっていても戦闘経験がないんだ、第三は。なんとかしてくれ」
「滝川……!」
舞が名を呼ぶと、滝川の二番機はすばやく煙幕弾をリロードして戦車隊の方角に撃った。白濁した煙が戦場を包んだ。
「……こ混乱が深まっている」
来須の声が聞こえた。どうして? なぜだ……? 舞は来須の言葉の続きを待った。その間にも厚志は三番機をスキュラの方角に走らせている。
「撤退命令が出ていないのだろう。煙幕の中でミノタウロスとやり合う気だ」
ぞっとした。敵の思うつぼではないか! 距離をとってようやく対等という相手だ。肉薄されればミノタウロスは圧倒的優位に立つ。
「中隊長に呼びかけた。煙幕弾がいきなり来るから、とこぼされた。スキュラに対するセオリーは引き出しの中に仕舞いっぱなしってことだな。説明したらそれでも撤退勧告には応じてくれたよ」
瀬戸口は淡々と報告した。
濃厚な煙を切り裂き、またしても炎がまぶゆく光った。九二式歩兵戦闘車の砲塔が高々と宙に舞った。
「隊長車が大破した。俺たちは逃げる」
瀬戸口の声はあくまでも淡々としていた。来須と若宮が猛然と戦闘指揮車の方角へと走った。
舞は後続する二番機に通信を送った。
「我らはスキュラをやる。そなたは拡声器で撤退勧告をしながら、他隊の支援をしてくれ」
「あ、ああ……」
滝川は困惑したようにうなずいた。「ちくしょう。ただのお荷物じゃねえか……」小さなつぶやきがかろうじて聴き取れた。
「スキュラの位置を特定したよ。E13。まず一番右側、送電線近くのやつでいい?」
「距離八百五十か。こちらに気づいているか?」
とにかくスキュラを片づけなくては。舞は二番機のことを脳裏から閉め出した。
「まだ大丈夫。右側から思いっきり迂回しているから。それにどうやら敵はでたらめにレーザーを発射しているようだよ」
たとえでたらめであっても、目に見えぬ方角からいきなり襲ってくる殺人光線は実戦に慣れぬ友軍を深刻なパニックに陥れるだろう。元々は日本最強を謳われる練度十分の軍だ。戦車師団の戦術とセオリーに従って戦っていればそこそこの初陣を飾れたはずだ。……調子に乗って引き回し過ぎたか? 煙幕弾を撃つ前に撤退勧告だったか……?
「距離四百」厚志の声が冷静に響いた。
舞は敵をロックすると、操縦席のシートを軽く蹴った。視界に嫌と言うほど見慣れた巨大な幻獣の姿が映った。ゆっくりとこちらに向かって旋回している。
「二百五十」
「よし!」
トリガーを引くと、ジャイアントアサルトの高速ガトリング機構がなめらかな音をたて二〇ミリ機関砲弾を吐き出した。炸薬を花火と同じ組成にしである曳光弾が敵側面に光の弧を描き突き刺さる。これは一般弾に一定の割合で混ぜ、弾道を確認するためのものだ。そして士魂号の二〇ミリ機関砲弾は、通常の二〇ミリ砲弾より炸薬の量が多く、並の発射台だと山なりの弧を描くため、ジャイアントアサルトは初速を重視し、少しでもプレをなくす贅沢な高速ガトリング機構を採用している。
幻獣の表皮を突き破った砲弾は内部で次々と爆発した。正面。敵のレーザーがこちらに狙いを定める前に、厚志は余裕を持って敵の側面に回り込んだ。ロック。そして銃撃。分厚い表皮からぐずぐずと炎が洩れはじめた。同時に舞の目は残りの二体の動きを追っている。
予想通りの回頭。さらに側面へ。数秒のセーフティタイムの間に、二休めに機関砲弾をたたき込む。あらかじめDNAに刻み込まれたような複座型の動きだった。
「大量の小型幻獣、出現。歩兵陣地に襲いかかっている」
瀬戸口の声に微かな焦りが感じられた。舞は「頼む」と短く応えると、二休めのスキュラに取りかかった。ほどなく敵は大爆発を起こし、爆風の熟がコックピットに押し寄せた。
「こちら滝川。連中、なんだかわからねえ」
「どういうことだ……?」
「とっとと逃げればぶっちぎれるのに。逃げるのか戦うのかハンパになっちまってる。逃げろって言ってるのに!」
滝川は忌々しげに言うと、「ばっきやろ!」と怒鳴った。
「戦うだけむだだぜ。戦車も歩兵もとっとと逃げろっ……! ハンパしてっと死ぬぞ!」
これが滝川の声か? 舞は唖然として言葉を失った。自分たちはルーティンワークのように二休めのスキュラを片づけつつあった。
「ごめん。少し言っていいかな……」
厚志が操縦席から声をかけてきた。
「む。なんだ?」
「あのさ、僕は舞と違って考えることが少ないから、今の流れを巻き戻してみたんだけど」
煮え切らぬ。舞は憤然として「たわけ!」と叫んだ。
「とっとと言え!」
「じゃあ言うよ。煙幕弾が混乱の原因だよ。あれ、僕たちの約束事だったけど、自衛軍の約束事じゃないだろ? 急に視界を塞がれて、ミノタウロスは突進してくるし、レーザーはどこからか飛んでくるし、パニックになったんだ」
厚志は早口でいっきに言った。自分を傷つけまいという心遣いが痛いほど感じられる。三体めのスキュラが爆発を起こした。勝った。しかし……。舞はシートに背を預けた。わたしと厚志だけの勝利だ。
どうすれば……どうすればよいのだ……?
「厚志。……無線、頼めるか?」
「……うん」
厚志は言集少なに応えると、スイッチをオンにして「瀬戸口さん」と呼びかけた。
「状況を」
「押されている。展開していた戦車一個中隊、大破五。矢吹さんの指示もあったのか物わかりよく撤退しているよ。俺たちは残りの戦車と一緒にゴブを蹴散らしながら逃げている最中だ。物わかりが悪いのは歩兵中隊だ。滝川が殿軍をやってくれているんだが手こずっている。……芝村?」
名指しきれて舞はしぶしぶと応じた。
「……すまん」
しばらく間があった。次のひと言を予想して、舞は歯を食いしばった。
「ははは、謝られるとは思わなかったぞ。あー、周波数を三番機用に」
舞がほとんど使ったことのない周波数に変えると、「絶対に、何を言われようと謝るな」と
瀬戸口はおもむろに言った。
「しかし、煙幕弾で友軍が混乱したようだ」
「逆に視界がクリアだったらスキュラに一両づつ殺られていた。ミノ、ゴルも一直線に襲いかかってきたろうよ。どっちに転んでも……」
瀬戸口は言葉を切ると、「うん」と確信ありげにうなずいた。
「状況そのものがまずかった」
「む……?」
「はじめは士魂号の打撃力で敵の横腹に突き刺さったものの、腰を落ち着けて戦うには人型戦車、通常の戦車、そして歩兵の連携が必要だった。もし失敗という言葉をどうしても使いたいなら、善行さんの失敗、と言うべきさ」
「待て」
「考えてもみろ。熊本では友軍との連携はほとんどなかったろう。おまえさんたちに連携を意識させることを善行さんは避けていた、と思わんか?」
まさか瀬戸口の口から善行への批判が飛び出そうとは。
厚志が振り向くことができたなら、舞は視線を交わしたかった。わからぬ……という言葉が口をついて出そうになって呑み込んだ。
「ふ。芝村舞ともあろうものが何を弱気な。作戦はまずまずの成功じゃないか。たった一度の実験で間題点が明らかになった」
茜の冷静な声が聞こえた。
「実験だと?」
「そうさ。僕だったら、この戦いでいくつか改善点があげられるよ。実験データは矢吹大隊にしても喉から手が出るほど欲しいだろう。あ、怒る前に、待てよ! 僕たちは戦争をしている。犠牲なしに学ぶ、なんてよっぽど幸運か、虫のいいないものねだりさ。善行さんの失敗、と瀬戸口は君向けに柔らかく表現したけど、僕なら善行さんの実験、と呼ぶね」
茜はなめらかな口調で言い放った。たわけめ……。舞は息を吸い込んだ。コックピットの有機物の匂いを含んだ空気が鼻孔に引っかかった。
「だいちやん……」
無線を通じて東原の声が洩れ聞こえた。
「あのね、じっけんで人が死ぬのよ」
しばらくして、「ごめん」と茜が謝った。
「言い過ぎだった。けど、僕の言ったこと、考えてみてくれ」
「……ふむ」
舞は動揺を抑えつけた。瀬戸口を、茜を罵るつもりはなかった。戦争に犠牲はつきもの、とは月並みな文句だが、真実だ。これまで……5121小隊という希有な幸運に恵まれた隊で戦っていたために忘れ去っていたことだった。
思えば……舞は口許を引き締めた。わずか二週間の訓練で初陣を迎えた自分たちは格好の実験材料であった。しかしそこには善行という人物の祈りがあった。善行は冷酷だ。しかし同時に祈りを知り、部下を大切にする人物でもある。あやつのフォローがなかったならば、あの戦争を自分たちの才能と実力だけで乗り切ったなどという幻想を持ち得ないだろう。そんな幻想を持つ前に、どこかの戦場で屍をさらしていたはずだ。
「……善行さんのこと?」
不意に厚志が口を開いた。
「うむ」厚志にはわかるのか? 舞は内心で厚志に問いかけた。
「善行さんは狂っているよ。初めからわかっていた。けど、それは必要なことなんだ」
舞は足を伸ばすと操縦席のシートを軽く蹴った。……そうだな。
「撤退だ」
舞の視界に夏のまばゆく光る空が見えた。
八月七日 一三〇〇 塹壕陣地
戦闘は順調に展開していたはずだった。
戦車隊の支援の下、三体の巨人たちは斬り込み隊となって中国自動車道の敵を撃破し、さらに南下。山陽自動車道へと進出していた。懸案だったトンネル内の敵は巨人と戦車隊に蹂躙され、数体の小型幻獣が弱々しい抵抗を試みただけだった。
これまでほとんど戦闘らしい戦闘を行っていない。熊本では拠点防御が主で戦車隊に引きずり回される戦闘というのも初めてだった。どうすれば? 近江は首を傾げた。
「トンネル付近の稜線沿いに陣地を構築しましょう」
副官の言葉に、近江はしばらく考えた末、トラックを支道へと乗り入れた。兵を降車させ、塹壕陣地の構築を命じた。手慣れた作業だった。付近を一望できる高所の陣地に拠って、小型幻獣の反撃を排除しながら地域を確保する。ある程度持ちこたえれば戦車が支援に駆けつけてくれる。熊本戦での戦車随伴歩兵のオーソドックスな作戦だった。
巨人と戦車は、一キロ前方で敵としきりに交戦している。
指揮所となる塹壕に収まった頃、無線が鳴った。
「こちら矢吹。貴隊は戦闘に参加していないが。どういうことか?」
どういうことか、だと? 中型幻獣の処理は戦車隊の役目ではないのか? こちらは小型幻獣の浸透を防ぎ、迷い込んできた中型幻獣の処理を支援するのが仕事だ。
「抵抗拠点を構築していました。これより敵の反撃に備えます」
「なんだと……? 何を言っている?」
矢吹の口調の激しさに近江は首をひねった。
「抵抗拠点など必要ではない! これは遊撃任務だぞ。すみやかに各戦車への支援体勢をとってくれ。……なんのための零式支援火砲だ? なんのための重装備だ?」
近江は、はっとして武器を支給してくれた岩田の意図を悟った。しかし、素直に判断ミスを認めるわけにはいかなかった。
「逆です。むしろ歩兵支援が戦車隊の役目と考えますが? 熊本ではそれが基本戦術でした」
沈黙があった。副官が不安げに自分を見つめていた。
「馬鹿な! 熊本要塞の戦闘は内線遊撃ゆえそのような戦闘パターンが多かっただけだ。今は強襲遊撃、機動力の確保が最優先なのだ。戦車を守ることが君たちの任務ではないか!」
機動力の確保――すなわち戦車の護衛が優先と矢吹は言っている。遊撃……内線遊撃……機動力の確保、と強い口調で言われて近江の頭は真っ白になった。
突如、左前方五百メートルほど先の七四式戦車が爆発した。何が起こった? 近江は塹壕から身を乗り出すと双眼鏡を手に敵の姿を探し求めた。どん、と鈍い発射音がこだまして、視界が白濁した煙に遮られた。
煙幕? 敵が張ったのか? 新種の幻獣か? ああ、どうしよう……。
茫然と立ち尽くす近江に、副官がおそるおそる話しかけてきた。
「敵、来ます。後方の迫撃砲小隊に支援射撃を要請します」
「待て、煙幕を張る敵など見たこともないぞ!」
「しかし小型幻獣の接近には格好の状況となっています。……要請します!」
「……よし」
大気を揺るがし、煙幕のかなたから嫌というほど聞き慣れた足音が聞こえてきた。来る……。
何が起こったか、どういう経緯でこうなったかはわからなかったが、目の前に敵がいる以上、戦わないわけにはいかなかった。
「各自戦闘準備。機銃班は敵の姿を認めしだい撃て」
距離を指示することはできなかった。本来なら二百メートルは欲しいところだが、その辺りは煙幕に覆われている。
煙を割って数体のゴブリンが飛び挑ねるように、こちらに向かってきた。稜線沿いに配置されている機銃という機銃が火を噴いた。
これでいい、と近江は思った。真っ白になった頭に、唯一、具体的な目的が現れたのだ。後はしぶとく拠点を持ちこたえ、友軍の救援を待つ。
「陣地を死守せよ! じきに友軍が救援に来るぞ……!」
近江は塹壕から身を乗り出すと、兵らを叱咤した。副官が駆け寄って、耳元でささやいた。
「迫撃砲小隊が撤収の準備をはじめました。どうします?」
「は、迫撃砲小隊が……」
近江は蒼白になった顔で口走った。
「どうしてだ? こうなった以上は戦うしかないではないか……!」
八月七日 一三三〇 山陽自動車道付近・塹壕陣地
まったく……自衛軍の馬鹿たれめ。
滝川の二番機は殺到する小型幻獣を掃射し、蹂躙しながら歩兵部隊の撤退を支援していた。
拡声器の声量を目一杯にして、逃げろと怒鳴りながら。なんもわかっちゃいねえなと思いながら機銃座に張り付く兵を苦々しげに見た。
だからあ、一丁や二丁の機銃で敵をやっつけたってしまいには死ぬだけだって。物量で押してくる相手には逃げる時は一目散に逃げるのが正解だ。
「そこの機銃! ちんたら撃ってねえで逃げるんだよ!」
機銃座の兵が憎々しげに見上げてきた。滝川はわざと彼らの十メートルほど前方をジヤイアントアサルトで掃射した。数十の小型幻獣が粉々にちぎれ飛んだ。機銃座の兵たちはあわでて陣地を放棄し、トラックの方向へと走り去った。
それでも職業軍人の性か、撤退命令が出るまで組織的な抵抗を続けようとする兵が山の稜線に掘られた塹壕に籠もって、斜面を駆け上がってくる小型幻獣に銃撃を加えていた。
意味ねえよ……。
面倒かけやがって。歩兵の全滅パターンまっしぐらってか?
撤退命令が出る頃にはたいていが手遅れだ。しかし滝川が拡声器からいくら叫んでも、自衛軍の兵は律儀に戦っていた。
「滝川、構わないから自衛軍は放っておけ」
茜の声がコックピットに響いた。
「んなわけいかねえだろ」
稜線の陣地にはところどころ幻獣が取り付き、白兵戦が繰り広げられていた。白兵戦の後に来るのは決まって全滅だ。
「来須だ。滝川、おまえは後続してくる中型幻獣に専念しろ。中隊の面倒は俺と若宮が見る」
不意に戦闘指揮車を守っているはずの来須から通信が送られてきた。面倒を見るって? ふたりだけで何ができるんだ? そう思いながらも滝川は「了解っす」と応じていた。士魂号が拡声器で叫びながら小型幻獣を追い散らしている姿はらしくなかったし、何よりも時間の無駄だと思い当たった。
殿軍ならしっかりミノ、ゴルを抑えることを考えないと。例によって滝川の乏しいボキャブラリーで言葉にして考えたわけではなかったが、単純な引き算、足し算のイメージがばっと脳裏に浮かんで、二番機は稜線陣地を後にして山陰に身を隠した。
八月七日 一三四〇 塹壕陣地
来須と若宮にとって、塹壕付近の混乱は見慣れたものだった。
怯え、わけもわからず逃げようとする兵、これは支え切れぬと判断して逃げる兵、彼らを押しとどめ戦線に復帰させようとする兵、そして黙々と目前の敵を狙い撃ちしている兵だ。銃声と悲鳴と怒号が飛び交う世界――。これが戦車随伴歩兵の戦場だった。
来須と若宮は塹壕の十メートルほど後方にあって、悠々と小型幻獣を掃射しはじめた。時に兵に張り付いたゴブリンをカトラスで切り裂きながら。
「これ以上、食いつかれるとまずいな」
重ウォードレス可憐を着込んだ若宮が、四本腕のそれぞれに装着されている一二・七ミリ機銃で塹壕に迫る敵をなぎ倒しながら話しかけてきた。
来須はうなずくと、塹壕を飛び出し逃げ支度をはじめた兵の腕を掴んだ。
「中隊長はどこだ?」
怯え半分、計算半分といったところかつ兵は忌々しげに、しかしはっきりした口調で、三丁の九四式小隊機銃で旺盛に弾幕を張っている陣地を指さした。
「逃げろってロボのやつも言っているのに……このままじゃ全滅だぜ」
ロボとは滝川の二番機のことらしい。
「中隊長から撤退命令は出ていないのか?」
若宮が機銃弾を撒き散らしながら尋ねた。兵は重ウォードレスの現実離れした姿と戦闘力に目を奪われていたが、すぐに「まだだ」と応えた。
「あの女、イカレちまったみてえだ」
来須と若宮はちらと視線を交わした。兵の階級は伍長。あの女、呼ばわりは懲罰ものだ。
あまり兵に好かれていない中隊長なのだろう。
「トラックを一台確保して定員に達するまで待ってろよ。自分だけ逃げようなんて了見起こしたら、この肉斬り包丁で戦闘中の不幸な事故というやつを起こしてやるからな」
若宮がぶっそうに笑うと、伍長は挑戦的ににらみ返した。
「当たり前だ! こいつは上官の命令だ。トラックを独り占めして司令部に帰れるわけねえだろう」
「おお、すまんすまん」
若宮は心から謝った。兵はまともだ。見ると後方の輸送車両群からエンジン音が響いてきた。
各隊の指揮官は、撤退命令を待っているのだろう。
伍長と別れると、ふたりは中隊長の壕に飛び込んだ。中隊長とおぼし二十代の女性は壕内に設置された無線機に向かって何やらがなりたでていた。
「増援が来るまでの辛抱だ。妙な連中の言うことを真に受けるな……!」
「どう勘違いしたら増援が来るなんて言えますかね」
若宮の声に近江中尉は振り向いた。
「可憐だな。旧式だが頼りになる」
近江は目を光らせて言った。髪は埃と泥でばさついて、普段なら美人と表現できる華着なつくりの顔が疲労のためにしぼんで見える。話題がかみ合っていない。
イカレちまったってのは当たっている。来須は肉薄してくる小型幻獣をひとしきり掃射した後、「増援は来ない」と言った。
「馬鹿な! 戦車隊の後押しがあれば敵を押し戻せるではないか」
「……遊撃任務と聞いているはずだ」
敵に一撃を与えて去る。地面を占領することにはこだわらない。それが今回の作戦の前提だった。近江中隊は「遊撃」という言葉をどこかに忘れてしまったように、ご丁寧に陣地を造り、結果的にその陣地に呪縛されることになった。
近江は完全に混乱していた。
「俺の推測では中型幻獣が来るまで二分とかからんだろう。トラックはすぐにでも発進できるはずだ。士官たちが運転席にすでに兵を送り込んでいる。撤退だ」
来須の言葉に近江の目が吊り上がった。
「貴様、何者だ? 一介の兵が借越な。撤退の是非は司令部が判断することだ!
「まあ、そうなんですがね。敵さんにも都合があるし。命令が届く頃には誰も応答する者がいなくなってますよ」
若宮が近江の怒りを受け施すように陽気な口調で言った。
「我々は5121小隊、瀬戸口万翼長です。三番機が現在退路のトンネルを確保。二番機が殿軍を務めますのですみやかに撤退することをお勧めします。第三の戦車隊はすみやかに撤退中。ぐずぐずしているのは貴隊だけです。秒針があとひとまわりすると生体ミサイルが飛んできますよ。そのレベルの塹壕陣地では全員揃って丸焼けですね」
瀬戸口からの通信がとどめを刺すように響き渡った。
近江は悔しげに口許を引きゆがめた。
「作戦は失敗した……ということだな」
「中隊長殿がとっとと逃げなければ、完全な失敗になりますね。兵の損害を抑えれば相対的に勝利と言い換えることもできます。実状はどうあれ、軍歴に勝利の二文字は確実に付きますよ。なんせ遊撃任務ですからね」
気が高ぶった猫をなだめるような瀬戸口のぬけぬけとした言葉に、来須と若宮は口の端をほころばせた。近江はまるで幻獣を見るような目つきでふたりを見た。
「貴様らはなんなんだ……」
「それは後ほど。十秒過ぎております。我々はあなたがたより実戦経験が豊富でして。悪いことは言いません。一目散にトラックへ!」
若宮を冷たい目で一瞥すると、近江は「戦闘中止。……撤退する」と兵らに告げた。
八月七日 一三五〇 山陽自動車道
「滝川、三分後に合流する。ともに殿軍をやろう」
舞からの通信に、確川はほっと息を吐いた。
戦術画面におびただしい赤い光点が映っていた。自衛軍の連中がモタモクしている間に引き寄せてしまった敵だ。
「俺、もう自衛軍との共同作戦なんて嫌だかんな! あいつら、使えねえ」
戦車はまだしも、あの歩兵さえいなかったら自由に戦えていた。歩兵のお守り役なんて意味ねー、とまで滝川は思っていた。
「ところが一難去ってまた一難というやつでね。中国自動車道方面に有力な敵が出現した。三番機はそちらのてこ入れをすべきと思うのだが。……残念ながら一番機はすでに司令部と整備班を守って後方に下がっている。どうだ、芝村?」
瀬戸口の声がのんびりと割り込んできた。
「……マジっすか?」
なんでこんな目にばかり遭うんだろ、と滝川はため息をついた。もう下関の時のような無茶な戦闘はごめんだった。火力のある三番機がいないとなると、こちらはネズミのようにこそこそと逃げまわりながら敵を狙撃しなければならない。……あれ、疲れるんだよな。
「状況を把握した。放置すれば三十以上の中型幻獣が友軍の側面を衝くかたちとなる。我らは中国自動車道に向かう。滝川、適当に戦ったら撤退せよ」
舞の声は冷静に聞こえた。滝川にはそれがかちんときた。
「待ってくれよ。撤退するって……。俺だけ敵だらけの中を逃げるのかよ? マジ? ……くそ、壬生屋がいればな!」
一番機や三番機のような爆発力、火力、装甲を持たない軽装甲にとって単独での作戦行動は非常に神経を使う。集中力が切れれば……死ぬ。
「ははは、壬生屋のことは言うな。芝村の判断を信じてやらんでどうする?」
「けど瀬戸口さん、あれってすごく感情的に聞こえたんすけど。壬生屋も変だったけど、芝村もなんだか意地になってたし」
「ふ。生体ミサイルの音が聞こえてきたぞ、滝川」
茜の声に滝川はあわでて二番機を物陰へと移動させた。銃を九二式ライフルに持ち替えて、一体のゴルゴーンに照準を合わせた。
その時だけは狙撃者の目になって、冷静にトリガーを絞る。銃身から放たれた九二ミリライフル弾は、高速回転しながら六百メートル離れた敵に突き刺さった。爆発。よっしゃ! あと一分この場所で粘れっかな? 無線通信そっちのけで滝川はゴルゴーンに再び照準を定ゆた。
距離五百五十。友軍の銃声はまったく聞こえない。戦場にたったひとり残された心細さを押し隠すように滝川は「いけるぜ」とつぶやいた。
爆発。同時に生体ミサイルが前後で爆発した。滝川は一瞬考えて、稜線沿いに移動して敵の視界から姿を消そうとした。
その時、不吉なローター音が耳にこだました。うみかぜゾンビ。東の方角だ。こいつは引きつけねえと職務怠慢ってやつね。滝川は戦術画面をすばやく参照した。お、ラッキー! 近くに山陽本線のトンネルがある。山を越えて五百メートルってか。ネズミさんのようにトンネルに潜り込んでちまちまゾンビを削ってやろうじゃねえか。
斜面を登ろうとしたその時、滝川の目に五名ほどの自衛軍の兵が映った。視界拡大。どの顔も不安と焦りで目をぎらつかせている。まだこんなところにいやがる。おめーら馬鹿か? 無視して斜面を登ろうとして、滝川は舌打ちした。
「あー、そこの間抜けな自衛軍のオッサンたち。味方はとっとと撤退しましたよー。こんなところで何やってるの?」
先刻まで一緒に戦っていた自衛軍のダメっぷりに滝川の口詞は知らず乱暴なものになった。
拡声器から流れる声に、五人が五人とも飛び上がった。派手なイタリアンイエローに塗装された二番機が姿を現すと、軍曹の階級をつけた兵が度肝を抜かれたように自衛軍的現実から逸脱した機体を見上げた。
「第四十二師団の者だ。宇部から歩いてきたんだが、銃声が聞こえたんで友軍がいると思って駆けつけたんだ。……状況はどうなってる?」
「四十二師団って……」
滝川は急いで師団のデータを参照した。四十二師団はいわゆる沿岸警備型の師団だった。軽武装、定員充足率も低い二線級の部隊だ。下関から宇部まで広範囲の地域に張り付いていたが、幻獣の進撃の前に殲滅、書類上だけの存在となり果てた。
「ごくろーさんです。本隊からはぐれたんすか? オッサンたち」
それまでの怒りはやわらいでいた。申し訳ない気持ちになっていた。
はぐれた、という言葉に反応したか、それともオッサン呼ばわりに反応したか、軍曹は苦い顔になって二番機のレーダードームをにらみつけた。
「はじめは小隊単位で動いていたんだよ。それに、俺はオッサンじゃねえ! まだ二十八だ」
ビミョーじゃねえかと思いながら滝川は声をかけたことを後悔した。うみかぜゾンビのローター音が空にこだましていた。
ちっくしょう。しょうがねえよな……。
「山を越えて北東に五百。山陽本線のトンネルがあるっす。俺がうみかぜゾンビを引きつけるから……くそっ、とっとと逃げろっ!」
そう言い放っと、二番機はライフルを構え急速に接近してくる黒点に狙いを定めた。発射! したたかな振動を慣れで逃がす。ぼっと炎が空中に拡散した。二番機はダッシュして、稜線を歩兵たちと逆にたどった。ひいふう、敵は八機か……
生体式機関砲弾が、耳障りな音をたてて地面に突き刺さった。二番機は走りながら遮蔽物を探し求めた。山林は姿を隠すには植生が低すぎる。そこそこ操縦できるようになってからは八メートルの巨体を負担に思ったことはなかったが、ツキがない時は徹底してないものだ。遮蔽物カモーン! ようやくドライブインの建物が見えてきた。二階建てかよと忌々しく思いながらも、ビルを盾代わりにするしかなかった。
どん、と衝撃。機関砲弾がご丁寧にも換装したばかりの左腕を貫いた。くそ! 雑魚ゾンビごときに! 近頃売り出し中の対空戦車を除けば、装甲が薄く、空中で全面を露出しているきたかぜ、うみかぜゾンビは士魂号のお客さんだった。
「おめーら、まとめてクズ鉄に長してやる……」
正面に建物が見えてきた。二番機はためらわず姿勢を低くしてスライディング。玄関を突き破ってビル内に進入、建物の外壁を鎧代わりに迎撃の構えをとった。
距離五十。ためらわず引き金を引くと、うみかぜゾンビは爆散した。頭上を生き残りのゾンビが通過して行く。旋回して再び襲ってくるまでの時間をすばやく計算して、ジャイアントアサルトに換装、滝川はがちんこの射撃戦を決意した。
「悪ィ……なんか今日はやばめ」
滝川は機体に語りかけた。下関での被弾といい、二番機には相当気の毒なことをしている。
前の……うん、あいつもいい娘だったけど……滝川は懐かしげに目を細めた。今の「お嬢さん」はグリブで自分をいつでもやさしく包み込んでくれる。
被弾することは、たとえて言えば最愛の姉を傷つけられたような、そんな悔しさがあった。
機関砲弾が瓦礫に当たって濛々と挨をあげた。まだ威力は弱い。距離三盲、二百五十、二百……。滝川は先頭の一機に狙いを定めると、二〇ミリ機関砲弾をたたき込んだ。よしやー!
爆発に巻き込まれ、さらに一機が煙をあげてあらぬ方角へ飛び去った。
さて、どうする? 引っ越し魔のごとく、滝川は次の遮蔽物を血眼で探した。幹線道路をわきにそれた戦時下ニッポンの貧相な国道沿いには建物らしい建物はなく、運転手目当ての貧相な飲食店がまばらに点在しているだけだった。ラーメン屋、ラーメン屋、ラーメン屋。ちくしょう、ラーメン屋の呪いかよ! 役にたたねー。ビル街、さもなきや大きな窪、川だっていい。
隠れる場所が欲しい。トンネルの方角に戻るか? だめだ! 連中、よっこらどっこいしょの歩兵だ。まだ森をウロウロ歩いているはずだ。でたらめに機関砲弾を撃ち込まれただけでも被害が出る。
ゴブも向かってくるし……。ゴブめ。調子に乗りやがって。
あと一機。やっつけたら友軍の後を迫って逃げよう。そう決めて、再び接近してくるゾンビを待ち受けた。次の瞬間、世界が揺れた。心に激痛が走って、滝川は悲鳴をあげていた。闇の中にずぶずぶと沈み込んで行くような感覚。くそ、しくじったか? 滝川は歯を噛み鳴らし、悔しげにうめいた。
コックピットの中で、滝川はしょんぼりと頭を垂れていた。
……なあ、誰か教えてくれよ。どうして俺ってこうなんかな? ずっとさ、速水や芝村や壬生屋を見習おうとしてきて、ヘタレ治ったかなと思ったらやられちまうし。モタモタしているうちにスキュラのレーザーでやられたってわかってるんだ。ゾンビの野郎に夢中で気がつかなかった。戦術画面、見てなかった。
だめだ、俺は――。
ごめん、森。ずっと引け目感じてたんだ。他の整備のやつに聞いたんだけど、おまえって原さんの後を継ぐような超優秀なメカニックなんだってな。どうして俺なんかとつき会ってくれるんだろって時々考えてた。だからヘタレ脱出しよう。だからおまえと釣り合うようにエースになろうって思ってたのにな。もうちょいで金剣だったのに、くそ! 勲章付けてさ、おまえと並んで写真を撮りたかった。なんか馬鹿っぽいけど、そうしたかった。
二番機にも悪いことしちまった。あれだけ頑張ってくれたのに。おまえに乗ってから、俺、閉所恐怖なくなったんだぜ? おまえの見せてくれる夢、グリフ。おまえってさ、いつも白いワンピース着て、白い日傘さしててさ、真っ赤なルージュ引いててさ、オトナの女の入って感じだった。姿を見ているとなんだかすごく落ち着いたんだ。けど、日傘に隠れて顔、見えなかった。どうして? ま、いいや。俺、おまえと一緒に死ぬんだろ?
……滝川はとりとめもないことをうわごとのようにつぶやいていた。体に感触がなかった。
意識だけが宙をさまよっているような心細さを覚え、静かに泣きほじのた。
「死ぬの、嫌だよ……」
……その時、心に何かが語りかけてきた。
*
どうして? 闇の中から何かが語りかけてきた。あなたは十分よくやったわ。わたしはあなたの過去、心の傷、全部知っている。傷だらけ。それでも人を守るために戦ってきた。世の中の多くの大人は自分のことしか考えていないわ。自分を守ってくれる生け贄を誉め、讃えることはしても、決して自分の手を汚そうとはしないものよ。あなたは本当は大人たちに愛され、守られなければいけなかったのに、あなたは生け贄として戦場に送り込まれた。こんな汚れた世界を守るために戦うことはないわ。
楽になりなさい。さあ、心をわたしに委ねて――。
*
その声に滝川が心を委ねようと目をつぶりかけた時、何かが見えたような気がした。次の瞬間、砲噂が聞こえて、滝川はビクリと身を震わせた。コックピットの汗と有機物の入り交じった匂いがつんと鼻をついた。心身の自由を取り戻した滝川の視界に奇妙な物体が映っていた。
それは子供くらいの背丈しかない何か、だった。人間のかたちをしているが、どこをどう造形すればそうなるのか、これまで見知ったどの幻獣よりもおぞましい姿だった。滝川がすくんだまま動けずにいると、瓦礫を突き破って二番機の右腕が伸びた。敵の姿が消えた、と思った瞬間、握りしめた二番機の掌からおびただしい体液が飛び散った。
「あ、あ……」
滝川が声を発する間もなく音をたでて二番機の右腕がだらりと垂れた。そして現と幻の狭間をさまよっていた滝川の意識もぶつりと途切れた。
懐かしい波の音が聞こえた。陽の光を裕びて白く輝く砂浜にその女性はたたずんでいた。変わらず日傘を差している。滝川は女性の足下でなぜか砂の城を造っていた。潮の匂いを含んだ微風がふたりの間を通り抜けていった。
「……俺を助けでくれたの?」
滝川は自分の声に狼狽えた。ワンオクターブ高い子供の声だ。
女性のルージュを引いた唇がほころんだ。
「わたしはいつだってあなたを守る。邪悪な者たちはあなたの心の傷につけ込んでくる。けれどこの世界に見捨てられたと思わないで。あなたを愛し、守り、無事を祈る者はいるわ。あなたは彼ら彼女ら、そして……」
女性は照れくさげにくすりと笑った。
「この世界に絶望している無数の人々のために戦わなければいけないの」
「うん……」滝川は悲しげにうなずいた。
「電子の女王はわたしたちに生きる意味を与えてくれたけど、あなたはわたしたちを愛してくれた。これまでありがとう」
「俺は……」滝川は堪えされず下を向いた。ありがとうを言うのは俺だよ。
「お別れする前にごめんなさいと言っておくわね。わたしは鬼だったの。母親であることを捨てた――。あなたは危険な機体に乗っていたのよ」
女性は淡々とした口調で言った。
「だけど、だけど、俺をいつでも助けてくれた……! 鬼だっていいよ! 別れるなんて言わないでくれよ!」
笑い声が聞こえた。女性のほっそりした手が滝川の頬に触れた。感触がなかった。
「お願いがあるんだけど、いいかしら?」
「ああ、なんだって」
「わたしを……」
女性の姿がぼやけた。波の音は聞こえず、陽の光に満ちた海辺の光景に闇が侵入してきた。
安らぎに満ちた夢の世界が終わろうとしていた。滝川は泣きじゃくりながら叫んでいた。
「母ちゃん……!」
「……」
最後の言葉は聞き取れなかった。気がつくとコックピットにひとり取り残されていた。計器類の光は消え、二番機は死んでいた。
滝川は放心して、ぼんやりとシートにもたれ、すすり泣いた。
八月七日 一四〇〇 県道上
近江はぐったりと指揮車のシートにもたれていた。
強引に彼女を陣地から追いたでたふたりの兵は姿を消していた。最悪だ。どうして支援が来るなどと思い込んでしまったのだろう? 指揮車内は重苦しい沈黙に包まれていた。精強なはずの中隊が、ふんだんに装備を与えられていた中隊が、何がなんだかわからない戦闘に巻き込まれたあげく、陣地を放棄して遁走している。
そう、遁走だ……。はるか前線を後にした今となっても、脳内のパズルのピースがいくつも欠けている。わけのわからぬままに負け、逃げている。
元々思い込みが激しく、型にはまることを好む性格だった。矢吹の言葉も、来須、若宮の言葉もすっぽりと抜け落ちていた。
「あの煙幕が気になるんですが」
不意に副官が口を開いた。副官の日は混乱から立ち直ったか、険しく光っている。
そうだ! 混乱の原因はあの煙幕だ。我が隊に落ち度はないはずだ……なかった。近江は戦後の責任問題について考えた。
「こちら近江です。煙幕に関してなんですが、あれは新種の幻獣によるものでしょうか?」
近江は冷静を取り戻し、矢吹を呼びだした。
「幻獣ではない。5121小隊が発射したものと聞いている」
なるほど、そういうことか。あれは5121によるものだったか。煙幕によるレーザーの屈折率の増大、すなわち命中率の低下については近江も知っている。となれば……。
「我々は何も聞いていませんでした。ために隊は混乱し、深刻な被害を受けました。少佐殿、我々はなんの連絡もなく煙幕を張られたのです」
同じ内容を敢えて繰り返し言った。矢吹は沈黙したままだった。
「敗因は5121小隊の独走にあると考えます」
しばらくして、矢吹の声が聞こえた。
「今回のことはさまざまな錯誤が重なってのことだろう。……近江中尉、ひとつ忠告しよう。自らに都合のよい理屈だけを抜き出して論を張ると自滅するぞ」
穏やかな、淡々とした口調だったが自滅という言葉に矢吹の一筋縄はいかない芯の強さが感じられた。矢吹は芝村派なのか? 近江は用心深く言葉を探した。
「我が隊は戦死傷者十五名の損害を受けています。彼らの犠牲に報いるためにも、責任の所在を明確にしたかっただけなのです」
「……君の個人的な気持ちはわかった」
矢吹の返答に近江は歯を噛み鳴らした。個人的な、だと? 痛烈な皮肉だ。矢吹はわたしをヒステリー女のように扱っている! 近江の心の底にほの暗い悪意が生じた。
戦闘後の疲労も忘れ、近江の顔にどす黒い怒りが刻まれた。
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第九章 苦い勝利
八月七日 一四〇〇 県道
山口市内に近づくうちに、郊外の町並みが広がってきた。どこにでもある地方都市の郊外の塔も素っ気もない風景だが、そこには人の匂いが感じられた。トラックの幌を上げてわざわざ外の風景を確認する兵が目立った。
三番機は近江中隊の車列を護衛しながら、およそ十キロの行程を山口に向け撤退していた。
それにしても、と舞は唇を噛んだ。
遊撃と言うにはあまりにもお粗末な結果だった。
スキュラごときにあっさりとパニックに陥った。経験不足はしかたがないが、経験に固執することはもっと始末が悪い。特に戦車随伴歩兵。あれはなんだ?
戦車とは連携がとれていた。しかし、あの近江中隊とやらは必要か? 来須や若宮クラスが一個小隊、せめて一個分隊いれば……。
「なんだかどっと疲れたね」
厚志が話しかけてきた。ソフトスキンのトラック群を幻獣の生体ミサイルから守るために、厚志は四苦八苦していた。大量の敵を引きつけ、予備のミサイルは使い果たしていた。ところどころ被弾し、機体は小破と言ってもよい状態になっていた。
「うむ」
本当にそれでよいのか? 割り切れない思いが残ったが、舞はうなずいていた。
「……滝川のことなんだけど、無線が通じないんだ」
厚志は話題を変えた。
滝川の件が後回しなのは、ふたりとも滝川を信頼しきっているからだ。熟練したパイロットが乗る人型戦車の最大の強みはやられにくいことだ。移動できる地形が限られた戦車や足が遅く防御が貧弱な歩兵と違って、道なき山の斜面を登り、沢の窪に身を隠し、ビルを盾にしては構造物を鎧代わりにできる。危機を回避するオプションに恵まれている。とはいえ、三次元的な激しい動きをする人型戦車は無線機にやさしい兵器とは言えない。無線機の故障か、さもなければ滝川らしいウツカリだとふたりは思っていた。
舞が黙っていると厚志はしかたなく「まあ……」と切り出した。
「便りがないのは元気な証拠、かな? あはは」
それはおそらく用法が違うぞ、と考えながら舞は壬生屋のことを考えていた。部下を掌握できなかったことは弁解の余地がなかった。壬生屋。あたら強力な戦力を離脱させてしまった。
どうすればよいのか? 自分の責任は? そして壬生屋とこれからどう接するか? わたしは司令失格だろうか? ……ふと唐突な言葉が脳裏をかすめた。
我らは人型戦車に慣れすぎた。
そうだ……。しかし今は敢えて考えるのはやめよう。おのれひとりの物差しで、人型に慣れた我らの物差しで考えてもロクなことにはならん。
「ずいぶんおとなしいじゃないか」
瀬戸口から通信が入ってきた。
「そなたこそ。無駄口はどうした? 今回の勝利、とやらに舞い上がっているのか?」
ははは、と軽やかな笑い声がコックピットにこだました。
「うん、後のフレーズはスパイスが利いていていいな。芝村、成長したんじゃないか?」
む。そんな成長はいらん、と思いながら舞は黙り込んだ。
「戻ったら関係各位様と大喧嘩になるぞ。覚悟しておけ」
「そんなことはわかっている!」
「あの……僕も舞のそばにいた方がいいんでしょうか?」
厚志がおそるおそる口をはさんだ。
「たぶんおまえさんの出席は認められんだろう。芝村の頑張りに期待だな。自衛軍の皆さんは言いたい放題ぶちまけてくるはずだ」
瀬戸口は気楽そうに言い放った。
「ふ。なんだか落ち込んでいるね、芝村。なんなら僕が助っ人で……。わっ! 殴ったね、僕を殴ったね!」
茜が悲鳴をあげた。
「親愛の表現だよ。つまみ出されるのがオチだろうが、仮におまえさんが表にしゃしゃり出てみろ。海士の学生が戦闘に参加したなんて一大スキャンダルになるぞ。まったくおまえさんは利口なんだか馬鹿なんだか判断に苦しむよ」
瀬戸口の言葉に、茜は「くそ」と毒づいた。
「だめ。陽平ちゃん、むせんにでないよ」
東原の心配そうな声。何度も繰り返し連絡をとっていたのだろう。
「GPSからも消えているな。芝村、最後に別れたのはどこだ?」
「……山口南インター北方二キロ付近だ。すまぬ。GPSの確認を怠った。今の滝川に限ってそうやられることはないと……」
くっ。舞は悔しげにうなると口をつぐんだ。
考えることは嫌いではないが、今のわたしにはさまざまな性質を持った問題が、さまざまな角度から悪意さえ感じられるほどに押し寄せている。同時並行処理のコンピュータなら「間題」は電波[#ママ]信号に均一化されるのだが、現実というやつは厄介だ。
……こまで考えて、舞は思いっきり床を踏み鳴らした。厚志がビクリと肩を震わせた。
きれいごとを言うな。何が均一化だ。認めろ! わたしは司令になることを子供のように恐れていた! その結果がこの体たらくだ!
「たわけ、たわけ、たわけえっ……!」
感情を露わに地団駄を踏む舞に、厚志は何も言わなかった。
「ははは。たわけ、とは俺のことか?」
瀬戸口がにこやかに尋ねた。
「そんなはずなかろう。わたしがたわけなのだ!」
しばらく間があって、再び瀬戸田の声が聞こえてきた。
「だったら俺もおまえさんのたわけにつき会ってやるよ。おまえさんを司令に推薦したのは俺だ。俺ではこの戦争を乗り切れないと思った。……剣持つ者としての格が違うんだ」
「剣持つ者……」舞は反芻した。
「自信を持て。ここに……この指揮戦闘車にいる者は少なくともおまえさんを司令と認めている。どうだ、茜……?」
ふ。茜が笑いを発した。
「僕もそう思うよ。壬生屋を帰したのは目先のことを考えれば愚かだが、今後の戦いのことを考えれば英断だよ。な、東原」
茜はバトンを渡すように東原に話しかけた。
「うん! ののみ、舞ちゃんをおうえんするよ! ね、萌ちゃん」
「わたしも……衛生兵……頑張る……わ。だから……」
「こら、突撃衛生員どさくさ紛れに売り込むな。後で芝村にじっくり今後のことを相談すればいいだろう」
「じっくり。ううむ……」舞は苦い顔でつぶやいた。厚志が堪えされず噴き出した。
「あはは。どういう相談になるんだろうね」
舞は忌々しげに黙り込んだ。
「あとな、念のために偵察ヘリに連絡をとった」
「……感謝する」
「なんの。芝村、忠告いいか? 戻ったら芝村流で押し通せ。失敗を成功と言い換えろ。手段を選ばず相手を圧倒するんだ」
瀬戸口らしからぬ表現に、舞は目をむいた。
「状況を支えるのは自衛軍。状況を切り開くのは我らが5121さ。うん、我ながらナイスなフレーズ。使ってくれ」
「む、むむむ……」
事実上の敗北だというのに、今後に大いに不安を残した戦闘の後だというのに、妙に陽気な戦闘指揮車クルーの言葉に、舞は応える言葉を失った。
「ええと、翻訳しますねー。そなたに言われんでもわかっている、と舞は言っています」
厚志がすかさず割り込んだ。舞は思いっきり厚志のシートを蹴った。
八月七日 一四三〇 山陽自動車道付近・瓦礫
目を覚ますと一面の闇だった。鼻孔いっぱいに有機物特有の匂いが流れ込んで、全身にびっしょり汗をかいていた。そうか……。すぐに状況を悟って、滝川はシートに突っ伏した。これからどうしよう? 気力が萎えていた。軽装甲に連結していた腕を引き抜き、多目的結晶で時間を確認すると、すでに十四時を遮っていた。
救援が来るまで待つか? しかし、考えているうち、なんとも嫌な感覚が背筋を走った。久しぶりのお客さん。閉所恐怖だ。滝川は腰に吊したホルスターを探った。拳銃の冷たい感触。前に「余りモンじゃ」と中村からもらったシグとかいう拳銃だ。
こつこつ、とコックピットの扉をたたく音がした。滝川は拳銃を引き抜くと、息を殺した。
幻獣共生派とは九州で嫌と言うほど戦った。友軍の制服を着て不意打ちを仕掛けたり、自爆をしたり、手段を選ばない嫌ったらしい連中だった。
「あの……中の人、大丈夫ですか?」
若い女性の声がした。滝川が黙っていると、「変ね、逃げたんならコックピットは開いているし……」と女性はひとりごちた。
声が緊張に震えている。うーん? 滝川は迷った未、
「おまえは?」
と声をかけた。
「あ、生きてる! 怪我とかないですか?」
「ねえよ。直撃を受けない限り、ここが一番安全なんだ」
そう言いながらも、滝川はハッチを開けて外に出た。とたんにまばゆい光に日がくらんで、足をすべらせ地面に転げ落ちた。
ちっくしよう……。頑丈な尾てい骨に感謝ってやつだ。頭をぶるっと振って身を起こすと、
久遠に身を包んだ小柄な少女が顔をのぞきこんでいた。髪も顔も蚊と挨にまみれていたが、やさしげな顔立ちは隠せなかった。う、額にかかる巻き毛がチャーミングじゃねーかと一瞬思ったが、すぐに油断なく辺りの様子をうかがった。
二番機はドライブインの瓦礫の中に半ば埋もれ、自分たちは鉄骨をむき出しにした瓦礫の陰に隠れる位置にある。なおも用心深く周囲の気配に耳を澄ます滝川を見て、少女はポシェットから消毒液と脱脂綿を取り出した。
「手、怪我しています。消毒しますね」
「ん……? こんなんなめときや治るよ」
熊本戦以来の負傷が掌のすり傷とは。くそ! こいつが守ってくれたお除でこんなノンビリしたこと言えるんだよな。滝川は死んだ二番機を見上げた。
不意にじんわりと目頭が熱くなった。姉妹に死に別れて取り残されたような気分だった。少女の存在も忘れて、滝川はすすり泣いた。
真っ白なハンカチが差し出された。滝川が顔を上げると、少女は悲しげな表情になった。
「消毒してありますから。汚れた手で目をぬぐうと結膜炎になりますよ。そういう兵隊さん、けっこう多いんです。結膜炎なんてって馬鹿にする人もいますけど、視界ぼやけると危ないでしょ?」
おめーは小学校の保険の先生か、と言おうとして滝川は口をつぐんだ。素直にハンカチを受け取って涙をぬぐった。
「おまえ、どうしてこんなところにいるんだ?」
ようやく冷静になって、滝川は少女に尋ねた。少女は空を見上げたかと思うと、がくりと肩を垂れて下を向き、次いで左右を見回して「はあ……」とため息をついた。リスのようにせわしない動きだった。小柄だがしなやかな体つきは、陸上の選手を思わせた。滝川も5121では散々来須や若宮に鍛えられたくちだ。ちょっとした動きからでも相手の運動能力、そして性格すらわかる。
「衛生兵か?」
「……ええ。急に召集されて、宇部の市民病院に行く途中だったんですけど」
「宇部はとっくに陥落したろ」
「ええ、トラックに乗って宇部へ向かおうとしていたら逃げてくる兵隊さんたちと鉢合わせしちやって。そこに幻獣のヘリが飛んできて……」
少女は身震いして、ぎゅっと拳を握りしめた。滝川にも少女の経験した地鉄がまざまざと目に浮かんで、「ひでえな」とつぶやいた。
「大丈夫なんか? その……夢に見てうなされるとか」
滝川は少女の神経のことを思いやった。しかし少女は「しょうがないですよ……」と言ったきり、健気に微笑んだ。
「PTSDのことだったら大丈夫。わたしだけがそういう目に遭っているわけじゃないし。わたし、熊本にいたんですよ。だから戦争なんかに負けないです! わたし、飯島十翼長。昨日からずっと隠れていたんですけど、戦っている最中だったから近づこうにも近づけないで……。千翼長殿は……?」
「殿はいいよ。俺、滝川。5121小隊ってところにいる」
5121と聞いて飯島は大きな目をいっそう見開いた。
「うそ……! わたし、前に助けられました! 岩国までの直行便に乗せてもらって」
滝川は記憶を探って、「そうだっけ」と首を傾げた。岩国までの直行使ってことは撤退戦の時のことか? あまり思い出したくなかった。
「よく覚えてねーけど、なんとか病院のご一行さん、だったよな。元気でよかったぜ……って、これから元気じゃなくなるかもしれねーな」
そう言いながら、滝川はあらためて周囲の気配を探った。地響きが聞こえて五百メートルほどかなたに見える自動車道を中型幻獣の一群が通り過ぎてゆく。その足下には百倍、千倍の数の小型幻獣が路上をびっしり埋めている。
「あ……」
飯島は腰を浮かした。滝川は拳銃を握りしめ、その視線を追った。
「リスです! リス、リス」
一匹のリスが、ひょっこり瓦礫の隙間から顔を出した。飯島はしゃがみ込んでにこにことリスを眺めている。滝川は拍子抜けして銃をホルスターに収めた。
焦げ臭いにおいがした。あたりの山々の植生は生体ミサイルの強酸で少なからぬ面積が燃えていた。居場所を失って、こんなところまで出てきたのだろう。ごめんな……。
「へへっ、おめーさ、こんなところうろついてもエサはねえっての」
滝川がリスに話しかけると、飯島は顔を上げて微笑んだ。
「動物、好きなんですか?」
「ん……嫌いじゃねえよ。待てよ、このリス太郎、新井木からもらったポテチ、食うかな?」
滝川はポテトチップスを取り出すと、二、三枚、リスのそばに放った。リスはすばやくポテトチップスを手に取ると、ぼりぼりと食べはじめた。
「うふふ」
飯島は幸せそうに笑った。
「滝川さんって、わたしのつき合っている人に少し似てます」
「そ、そうか……?」このコメントもしようもねーなと滝川は思った。
「滝川さんのがやさしい感じですけど。彼だったら、おめー、こんなところでうろついてると丸焼きにして食っちまうぞ、なんて言いながらエサあげるんです」
飯島は器用に「披」の口調を真似てみせた。
「へっへっへ。ワイルドな彼氏ってやつね」
リス、かよ……。こんな戦場のど真ん中で俺は何話してるんだと思いながら、滝川は笑みを止めることができなかった。なんだか落ち着いてきた。
「飯島って言ったよな。おまえ、運がいいかもしれねえ」
「はい?」
「ここで待ってれば迎えが来るさ。自慢するわけじゃねえけど、俺、一応、人型戦車のパイロットだから。早いところ回収しないと隊が困るんだ」
困るよな? 困るはずだよな? 困ってくれるよな? とほんの少しだけ不安を感じながらも滝川は請け合った。
八月七日 一五一〇 山口市内・5121小隊駐屯地
コックピットを出ると森がハンガー二階に駆け上がってきた。厚志が止めるまもなく舞の頬が鳴った。頬を張られても舞は身じろぎもせず、静かなまなざしで森を見つめた。
「滝川君、行方不明ですっ! どうして置き去りにしたんですか?」
舞は少し考えて「置き去りとは?」と尋ねた。
「滝川には撤退支援を命令した。それ以上、整備のそなたに言うことはない。殴られるのは構わぬが、それなりの考えがあってのことだろうな?」
舞の淡々とした口調に、森は怒りに真っ赤になって歯をむき出しにした。
「あなたが司令だなんて! 瀬戸口さんのがまだよかったです!」
中村と新井木があわてて駆け上がってきた。森の肩を掴もうと中村が腕を伸ばしかけたが、「よい」と舞は手を振って制した。
「言いたいことがあれば全部吐き出すがよかろう」
「えらそうに! 人を見下して! 滝川君を犠牲にして平気なんですか?」
こんなに激しい森ははじめて見る。厚志はさりげなく舞を守るようにたたずんだ。
「えらそうとは言われるが、わたしは人を見下したことはない。そしてわたしは滝川に作戦命令を下しただけだ。……それですべてか?」
舞の冷静な態度は森の怒りに油を注いだようだ。厚志は口を開きかけたが、敢えて見守ることにした。
これが舞なんだ。森のやり場のない怒りを真っ向から受け止める気でいる。やり場のない怒り。森の怒りは理不尽なものだった。舞が司令に就任した直後の作戦中の事故を、舞本人への怒りに転化している。森さんもわかっているんだろうな、と厚志は思った。けれど、どこにも感情の持って行き場がないんだ。
「この……!」
森が拳を振り上げた。舞は平然と森にまなざしを注いでいる。
「やめんね」中村が森の腕を掴んだ。
「放してよ! どうして芝村さんの味方するの?」
森は中村の腕を振りほどこうとして暴れた。「だめだよ、森さん」新井木が森に取り付いたが、あっさりと弾き飛ばされた。
「森ィ! プライドば持たんね!」
中村が怒声を発した。その語気のあまりの激しさに、森の動きが止まった。
「ぬしゃ、子供のように芝村に当たり散らしているだけばい。作戦は芝村の領分。芝村は命令を下しで滝川はそれに従っただけたい。俺らは口が裂けでも芝村の作戦をどうこう言うことは許されん。芝村はわかった上でぬしゃの感情を受け止めとる」
中村の語調は、しだいに諭すように静かなものになった。厚志は倒れている新井木に手を差し伸べて立ち上がらせた。
「そんなこと……」
森の目からぼろぼろと大粒の涙がこぼれ出た。
「わかっています!」そう言い残すと、森は泣きながら駆け去った。
「すまんな」
中村は真顔になって謝った。こんな憂鬱そうな中村の顔は初めて見る。それだけ隊の状況は悪いのだろう。
「そなたは森の保護者ではなかろう」舞はふっと口許をゆるめた。
「森と滝川のことは個人的な問題ばい。俺らの仕事とはなんの関係もなか。プライドがあればそぎゃんこつはわかる。……整備屋が感情に振り回されて、命を張っているパイロットに、それも司令に食ってかかるようじゃしまいじゃ」
中村は苦々しげに横を向いた。
「ごめん。けど……」
新井木が腰をさすりながら口を開いた。
「芝村さんが司令になってから事件多過ぎ。壬生屋さんだって落ち込んでいたんだから!」
「その口、引き裂くぞ、新井木」
中村がこわい顔で新井木をにらみつけた。
「事件が続いたのは事実だ。壬生産のこと、滝川のこと、どちらもわたしの作戦判断だ。そなたらが具申するのは構わぬが、作戦について口をはさむことは許されね」
舞は冷然と言い放った。厚志は沈黙を守った。前司令の善行の時には整備員が作戦に口をはさめる雰囲気ではなかった。瀬戸口は整備員を味方にする術を身につけていた。舞はどちらかと言えば善行に近づく必要があるだろう。そうでなければ整備員が「こんな危険な作戦、反対です」などと言い出しかねない。難しいな。厚志は内心でため息をついた。
「なんだか大変なことになっているわねえ」
声が聞こえて、厚志はほっとした。原がにこやかに笑いかけていた。それを潮に中村と新井木は仕事に戻っていった。
「大変とは思わね」
舞の言葉に原は笑い声をあげ、つかつかと舞の前に歩み寄った。舞は微かに後ずさった。
「まあそう言わずに。わたしたちにも心配させてよ」
「む……?」
「整備がパイロットのメンタル面を心配するのは僭越とは言わないわよね?」
舞は首を傾げていたが、やがて黙ってうなずいた。
「ありがと……!」
原は長い腕を伸ばして舞をぐっと抱きしめた。逃げる間もなかった。「こら、放せ!」舞はじたばたと手を上下させていたが、やがてあきらめたようにおとなしくなった。
「む……用心していたのに。抱きつき魔め」原の肩に顔を埋めるかたちになって、舞は愚痴っぽくつぶやいた。
舞の肩越しに原は「ほほほ」と声をあげて笑った。
「わたしも少し落ち込んでいるの。整備員が司令に暴力を振るうなんてねえ。自衛軍だったら射殺されても文句は言えないわ」
「射殺するほどのことでもないが……」
舞はあきれた口調で言った。
「じゃあどうすれば気が済む? 逆さはりつけ? ハーフマラソン? 腹筋三千回なんて?」
「……たわけ」
舞の鼻孔をふと原の香水の匂いがくすぐった。マシン油やたんばく飲料のにおいに負けない濃厚な香りだった。舞の敏感な鼻は動物質の成分独特の香気を感じていた。もちろん舞は、これが香水に含まれるシペット(ジャコウネコの香嚢から採った成分)によるものとは知らない。
最も人工的な合成が難しいとされ、原産国では成分を得るためにジャコウネコを飼育していたとされる、希少で高価なものだった。
まず中尉の給料では買えないシロモノだ。舞は原の変化を匂いでまず感じ取った。昔の原は植物系、特にラペンダー系を好んでいたような気がする。実は舞も熊本時代、こっそり原のまねをして、ラペンダー系のコロン……しかも闇雲に選んだ男性用のものを買ってきて引き出しに仕舞っている。今の香りも好みであったが、舞は原の「変化」を怪しんだ。
「放せ。とっとと放してくれ!」
「嫌よ――。だって悩んでいる芝村さん、可愛いんだもん!」
原は前にもまして強く舞を抱きしめた。しかし次の瞬間、低い声でささやくように言った。
「今は皆、新司令を迎えて戸惑っている段階ね。あなたは必ずしも隊員の人望があるわけじゃなかったでしょ? 変われとは言わないけれど、結果で引っ張っていくしかないわね」
ズケリと言われて舞はとびっきりの苦い顔になった。あ、こたえているなと厚志は舞の横顔をちらと盗み見た。
八月七日 一五二〇 5121小隊駐屯地
整備班を援護しながら早々に本拠地の中学校に到着してから、壬生屋は体育館で素振りをしていた。芝村に言われたこと、原に言われたこと、そして整備の面々の思いやりが胸に渦巻き、こたえていた。悪かった。自分だけが戦った気になっていた。前に瀬戸口さんにも言われたことなのに、どうしてわたしはこうなんだろう?
胴着にじんわりと汗がにじむ。調子はいいんだけど……? 前は素振りぐらいで汗をかくことなどなかった。まだリハビリが必要なのか? いろいろな思いがせめぎ合って、それを振り払うように一心に木刀を降り続けた。
「頑張ってるな」
視線を向けると瀬戸口が出入り口近くの壁にもたれて笑いかけていた。壬生屋は顔を赤らめ、手を休めずに木刀を降った。瀬戸口が近づいてきた。
「あの、汗かいていますから。あまり……」
近づかないで、と身振りで示した。恥ずかしかった。あの時は頑張ったつもりだけれど、冷静に考えてみれば、戦闘中に命令を無視して、芝村さんに怒られて戦線を離脱してしまった。
あの時、ひと言謝ってさえいれば、犠牲者の数もきっと減っていた。
「ああ、気にしてないから」
そう言いながら瀬戸口は近づいてきた。手には二本のペットボトルを持っている。壬生屋はしぶしぶと木刀を仕舞った。
「……おっしゃりたいことはわかります」
好物の冷やしこぶ茶を受け取りながら、壬生屋は床に正座をした。瀬戸口は迷ったあげく、じかに床にあぐらをかいた。
「芝村を助けてやれよ」
軍規違反、命令違反、謝罪、そんな言葉が出てくるのかと思ったが、瀬戸口は意外な方向から切り出してきた。
「ええ……」
「今の芝村は隊に赴任してきたばかりの善行さんと同じ立場だ。思い出してみろよ。あの頃、善行さんに散々ひどいこと言われたろう」
最低のクズ、とまで言われた。壬生屋は首を傾げながらもうなずいた。
「あの頃の善行さんはヒヤヒヤものだったと思うぞ。人材をかき集めたつもりでも、おまえさんたちは学生気分でわがまま放題だったからな。……はは、俺もその張本人のひとりだ。善行さん、出撃のたびに全滅を覚悟していたようだ」
「芝村さんと善行さんとでは……なんだか違い過ぎて」
壬生屋は率直に言った。……たぶん、それがあの失態の原因だ。
「芝村には速水がついているが、それでも孤立している。俺や整備の連中がいくら味方してもだめなのさ。元のチームワークを取り戻せ」
壬生屋は深々と頭を下げた。パイロットの気持ちはパイロットにしかわからない。これまで肌で実感してきたことだった。わたくしは芝村さんの期待を裏切ってしまった!
「……わたくし、切腹ものですよね」
「切腹……!」
瀬戸口はぶっとウーロン茶を噴き出した。体を折り曲げると、必死に笑いの発作と戦った。
「そ、そんなに笑うことないでしょう!」
「ああ、すまん。壬生屋らしいな、と思ったら笑いの発作が。く、くく……」
「だから、笑わないで。意地悪っ……!」
「はは、まあそう怒るな。芝村には司令という立場があるし、あの通りの性格だから、おまえさん、なんとかしてくれんか?」
そうなんですよね、と言おうとして壬生屋は言葉を呑み込んだ。どうやって仲直りするか? もとい指揮官に謝罪をするか?
「けれど、どうすれば……」
「そこはおまえさんらしくやってくれ。かくすればかくなることと知りながら……でいいや」
「吉田松陰ですよね、それ……なんだか」
大丈夫かしらという顔で、壬生屋ははあつとため息をついた。
八月七日 一六〇〇 道場
舞は油断なく体育館に隣接した柔道場を見回した。
窓はすべて開け放ってあるが、室内に籠もった湿気は抜けていなかった。元々が汗くさい場所なのだ。なんのつもりだ?
「お呼びだてして申し訳ありません」
壬生屋は姿勢よくたたずんでいた。いつもの胴着にご丁寧にたすきまでかけている。なんだか久しぶりに口をきくような気がする。道場の玄関から顔をのぞかせた厚志を、しっしと追い払ってから舞は壬生屋に向き直った。
「どういうことだ……?」
尋ねると、壬生屋は凛とした表情で一瞬舞を見つめると、折り目正しく頭を下げた。
「少しの間、稽古におつきあいください。それがわたくしの気持ちです」
舞はあきれて立ち尽くした。決闘か? しかし壬生屋の必死なまなざしに見入っているうち、なぜだか笑いがこみ上げてきた。まったく原といい壬生屋といい……あきれる。
「残念ながら体術ではそなたに及ばぬが、粘れるだけ粘ってやろう」
今日は踏んだり蹴ったりだな、と舞は面白く思った。森には頬をはたかれるし。それにしても得物を持たぬ壬生屋はさらに危険だろう。
「参ります」
壬生屋はすり足で無造作に向かってきた。なんの! 先制攻撃をしようと胴着の袖を掴もうとした舞の腕が空を切った。とたんに舞の体は畳の上にたたきつけられていた。
「ふむ」
舞はすばやく立ち上がると距離をとった。滑稽なほどに実力が違う。危機などという言葉はとうに通り越した状況だ。しかしやる以上は限界まで、否、壬生屋が根を上げるまでやろうと思った。
しかし……まったく壬生屋に触れることができなかった。何度か畳にたたきつけられ、舞はそのたびに身軽に受け身をとった。
「……手加減しているな」本気であれば受け身などとれないだろう。
「ええ」
壬生屋は悪びれもせず肯定した。すり足で近づいてくる壬生屋に本能的な恐怖を覚えたが、舞は冷静に自分の感情を押えつけた。今は一方的に見えるが、仮に……万分の一の偶然、たとえば相手が畳の縁につまずかないとも限らない。粘っていればその確率は高くなる。
「こんなことしても意味ないよ! 相手をするなら僕が……」
ふたりの「稽古」を見守っていた厚志が叫んだ。しかし舞は「だまれ」と厚志をにらみつけ、「わたしの楽しみを奪うな!」と言い放った。
くすり、と壬生屋が笑った。
「楽しんでいるのですか? これだけたたきつけられて……?」
「なんの。勝機は必ず訪れる」
舞は白い歯を見せて笑った。ぞくぞくする。状況が絶望的であればあるほどわたしは生きる。
そんな状況を切り開き、勝利するのは楽しいことだ。
「次は遠慮せずに参ります」
畳が鳴った。壬生屋の隙のないすり足……動きがわずかに乱れている。舞の腕が無心に壬生屋の胴着の袖を掴んでいた。畳に思い切りたたきつけられた。が、舞は袖を放さなかった。身を起こすと壬生屋に体をぶつけるようにして、相手の動きを封じょうとした。足下をすくわれ膝をしたたかにぶつける。それでも……。
舞は袖を放さず、バランスを崩した壬生屋に体を預けた。堪えようとして堪えされず、壬生屋と舞は畳の上に倒れ込んだ。
どうだ……すばやく壬生屋を締め落とそうと腕を放したとたん、体が宙を浮いて舞は畳の上を派手にすべっていた。
「ふむ」舞は身を起こすと、微笑んだ。
「そなた、わざと隙をつくったな?」
「……こわさや不安に心が曇っていると隙を見逃します。芝村さん、稽古は終わりです。わたくしの負け、と考えてくださってけっこうです」
「もういいのか?」
「すみません」謝りながらも壬生屋の表情は凛と引き締まっていた。
「言葉で謝るだけではあなたと生死を分かち合えない、と思いました。いえ、あなたに命を預ける覚悟ができない、と。わたくし……」
次の瞬間、壬生屋の顔は気の毒なくらい赤らんだ。
「こんな風にしかできないんです。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
語調が急に弱々しくなった。壬生屋は火照る頬を押さえ、何度も何度も頭を下げた。ふ、ははは。舞は笑い声をあげると大の字になって寝転がった。
「……なんだか心が晴れた。そなたと一緒に存分に戦える気がするぞ」
厚志はかぶりを振りながら道場から離れた。
何がなんだか……。わかるような気もするけど大げさだ。僕だったら軽ーく謝っちゃうんだけどな。待てよ、僕はデフォルトで舞の盾だからそう言えるのかな。
「あきれているな」
瀬戸口が廊下の暗がりの中に立っていた。目が笑っている。
「なんだかなー。大げさですよ」
「ははは。あきれるほど不器用で恥ずかしい結末だがな。ふたりの心根が見えてよかったじゃないか? 速水、おまえさんの心の根っこはどこにある?……その問いは俺にも返ってくるんだがな。俺もおまえさんも、あのふたりに此べれば寂しい人間だろうな」
寂しい人間、と言われて厚志は面食らった。しばらく瀬戸口の言葉の意味を考えて、得心したように笑みを浮かべた。
「僕はそれで十分なんですよ。瀬戸口さんもそうなんでしょう? 壬生屋さんがいなければ幽霊のようにこの世をさまようだけの存在」
「まったくもって正解」
瀬戸口は苦笑を浮かべ、速水と笑みを交わし合った。
……この日、善行戦闘団は、戦闘車両大破十うち人型戦車一、七十八名の兵を失ってその攻勢を終了した。その戦果は中型幻獣撃破六十六、中大型幻獣三であった。しかし滝川機は行方不明のまま、戦闘団の初陣は苦い「勝利」で終わり、前途多社を予感させた。5121小隊をはじめとする各隊は、高いツケを払うこととなったのである。
八月七日 一六一〇 至岩国・国道
運よく岩国への物資を積んだトラック群を捕まえ、小隊はゆっくりと南下を続けていた。
西日がやけにまぶしく感じられる。ちくしょう、今日も暑かったな、と橋爪は幌をあげて周囲の様子をうかがった。左右に急勾配の山が迫った山道だった。
「山地はさすがに平和ですね」
合田少尉が並んで、空を見上げた。「そうすねえ」橋爪は曖昧に応えると忌々しげに積み荷を見やった。
「にしてもこのにおい、なんとかならんですかね」
積み荷は魚の干物だった。一匹だったら食欲をそそる、と表現できるにおいだったが、これが数千になると強烈なにおいを発する。
「はは、しょうがないですよ。漁港発だから」
合田はのんびりと応えた。彦島での戦闘と、その後の非現実的な経験から、どことなく開き直った雰囲気を漂わせている。これは喜ぶべきことだが、にしても合田クリスチャン、あの女の面倒まで背負い込むことはねえだろ、と橋爪はトラックの隅で目を閉じている島村を見つめた。顔色はずいぶんよくなっている。
視線を感じたか、島村は目を開けた。橋爪はすぐに横を向いた。おとなしい顔をしていると思ったら「逃げるのは嫌だしなんてアホな意地を張ってきた。戦場で意地を張る資格があるのは、まともに自分の身を守れるやつだけだ、と今でも思っている。
「あの……橋爪軍曹。今朝はすみませんでした」
島村の声が聞こえた。橋爪が横目で見ると、島村は目を伏せた。
「ああ……」
ちくしょうめ、と橋爪は内心で毒づいた。こんな返事しかできない自分に哀れみを覚える。
だいたい俺は女女した女が苦手だ。そういうタイプに限って意地を張るのだけは一人前なんだ、と自らの乏しい女性体験を棚に上げて橋爪は思った。
「せっかく彼女が謝っているのに。その返事は感心しませんね」
合田が冷やかすように笑った。
「こんなセリフはどうです? 面倒かけやがったらその尻蹴飛ばすからな」
戦争以外のことでは合田は橋爪よりはるかに大人だ。冷やかされて橋爪は顔をしかめた。
「それってかなりオヤジが入ってますよ。あちらの軍曹殿に任せます」
別のトラックに分乗している自衛軍生え抜きの軍曹を指さした。合田の笑い声が聞こえた。
「那珂町付近で戦闘がはじまったようです」
通信手がきびきびした口調で整口した。
「この拠点を突破されると岩国市街か。市内に突入されると厄介なことになりますね」
合田は同意を求めるように橋爪に言葉をかけた。しかし橋爪は苦笑いを洩らしただけだった。
面で押してくる敵に対して、自衛軍は陣地をめぐらした拠点防御でしか対応できない。どんなに頑張ったところで敵は確実に市内に浸透するだろう。
「そんなの当たり前と考えないと。岩国を抜かれたら後はないから、どうすんですかねえ」
「当たり前……ですか?」
言いながら彦島での戦いを思い出したらしく、合田はかぶりを振った。
「残念ながら。岩国に着いたら、真っ先に物資集積所に行きましょう。ゴブ相手に小銃じゃまどろっこしいんで、全員にサブマシンガンを。あと零式と手楷弾と爆薬もあるといいっすね」
橋爪の「強欲」っぷりに合田は相変わらずだなというように目を細めた。
「その点は任せてください。君に鍛えられましたからね」
「あの、すみません。実は……残りの人たちが気になるんですけど」
島村が消え入りそうな声で合田に言った。
「残りの人たち? あ、ああ……そう言えば編成が遅れたと言っていましたね」
「ええ、フリーの状態にしちゃうとひどいめに」
島村は合田だけを見て話していた。しかしその言葉の意味がわかるのは橋爪だけだった。
「原隊からはぐれた学兵はたいてい混成なんたらって隊に編入されちまうんですよ。ま、島村小隊みてえな隊のことっすね」
「え……?」合田は今ひとつ理解できないようだった。
「寄せ集めの学兵部隊は頭に混成の二文字。まともな戦力にならねえと判断されて捨てゴマ要員にされるんですよ。島村はそれが心配ってわけっす」
橋爪の説明に合田は目を瞬いた。理解できないようだ。
「だから熊本城じゃ、くそな戦争報道しかなかった……なんて俺が言う立場じゃねーよな」
「すぐに問い合わせよしよう」
合田は眼鏡を光らせると、無線機に向かった。しばらく押し問答していたかと思うと、合田はなんとも言えぬ表情で首を横に振った。
「〇八三〇独立混成小隊は彦島戦区から岩国へ転進せよ、との命令が出ているとのことです。隊員は今、基地内の宿舎に。ひどい話ですが……合流はできますね」
はあ、と橋爪はため息を洩らした。この戦争、どうなるんだろう? とっくに全滅した彦島からどうすれば岩国への転進命令が出せるんだ? 噂には聞いているが、雑魚な部隊はコンビュータが適当に配置指示を出しているという。
「くそったれが……」
「まあ、合流できるだけでもよしとせねば。それに橋爪軍曹、君がいるし」
合田がなだめるように言った。「……勘弁してくださいよ」橋爪はがくりと肩を垂れた。
「僕も頑張りますよ。岩国の物資集積所には高枚の先輩がいましてね。実は一報を入れておきました。合田強欲小隊……うん、なかなかよいネーミングでしょう?」
合田は穏やかな笑みを浮かべ、皆を元気づけるように言った。
「へへっ、少尉殿は清貧そのものなのに、皮肉ですよね」
橋爪も合田の意を察して、皮肉に笑った。
「別に清貧というわけでも。休暇のたびに東京で彼女とディナーをしますし」
ウオオ、と感嘆の声があがった。少尉に彼女がいるとは誰も思わなかったのだ。
「写真とかあるんすか?」橋爪は知らずハイティーンの目になっている。
合田は観念したようにため息をつくと、「ま、景気づけに」とポシェットを探って一枚の写真を取り出した。どこかの球場……神宮球場らしき建物を背景にポロシャツとジーンズ姿の合田と、清楚な雰囲気の女性が写っていた。
「すっげぇ! 美人じゃないすか。何やってる人なんすかぁ?」
気がつくと島村も遠慮がちにのぞきこんでいた。
「小学校で教えていました」
兵たちはわっと合田のまわりに集まった。そして口々に「知り合ったのは?」「合コンすか?」
「彼女、友達とかいないんすかね」などとさえずりはじめた。
はじめは頼りない兄ちゃんと思ったけれど。橋爪は苦笑して下を向いた。合田の兄ちゃん、だんだん面白くなってきやがる。
にしても小学校の先生ってのはらしいよな、と橋爪は思った。
八月七日 一八〇〇 善行戦闘団司令部
「勝利」は矢吹少佐によって報告されていた。
舞にとっては痛恨の一戦だったが、矢吹は冷静な、淡々とした口琴し作戦地図を前に遊撃作戦の状況と経過を説明していた。
善行は居並ぶ将官たちの中にあって、無表情にプロジェクターに映し出される戦況の推移を眺めていた。
「ごくろうさまでした」
善行が矢吹を労うと、矢吹は一礼して席についた。
「こんなにくっきりと問題点が摘出されるとは予想外でした」
善行の第一声に、矢吹の冷静な表情が一瞬崩れた。舞が視線を移すと、近江中尉は目を伏せていた。しかし善行はそれ以上、何も話さず沈黙を守った。
「やはり5121小隊の突出に原因があるかと。他の二隊は置き去りにされていますな」
将校のひとりが口火を切るように言った。これか……。舞は密かに覚悟を決めた。泥仕合にせずにゲームを終わらせるのがわたしの課題というものだ。
「しかも戦闘途中で一機、帰還させていますな。さらに二機で突出した結果、一機が行方不明となっています。問題は明らかに5121小隊にありますな!」
歩兵隊の襟章を付けた尉官だった。おそらくは人型戦車の「意味」すらわからないだろう。
声の大きな者が幅をきかせる。これはこの国のドメスティックな部分を濃厚に受け継ぐ陸軍の傾向だった。旧軍崩壊以来もその伝統は統いているらしい。舞は珍しい動物でも見るように尉官の血色のよい顔を見やった。
「芝村上級万翼長」
善行が無機質な声で名を呼んだ。舞は冷然と座を眺めやった。
「まず、今回の作戦について再確認したい。遊撃。敵をたたいた後、すみやかに退く。この場合、地形踏破性の高い人型戦車が遊撃任務の主軸となることは明らかである。突出、突出と言われるが、突出せずしてなんの遊撃であるか? 置き去りとは言うが、戦車隊との連係攻撃は順調であった。歩兵は文字通り、置き去りになっていたがな」
「戦闘中に一機を帰還させたのはどういうことか?」
別の声が責めるように響いた。なんのことはない、と舞はあきれた。この場は枝葉末節《しようまっせつ》とやらが好きな軍人の集まりであった。理由があるからそうした。人型戦車、そして人型戦車に搭乗するパイロットを知らずに揚げ足取りの機会を狙っている。愚かで卑しい。善行の下でいくら達者な理屈をこねようと評価されるわけはないのに――。舞の口はなめらかになった。
「故障、とだけ言っておく。現在は稼働できる」
「ならば行方不明になっている一機は?」
「数十倍の敵と戦った結果だ。現在、捜索中である」舞はにべもなく言い放った。
「作戦行動に問題があったとは思わんのかね?」
「面白いことを言う。ならばそなたは人型戦卓をどのように運用する?」
「質問しているのはこちらだ」
「これは査問会ではない。よって質問に質問でもって答えるのも自由だ。そなた、人型戦車に関して何を知っている? 知らのなら作戦行動云々はこれ如何に?」
ふむ。こういうのも楽しいかもしれぬ。舞は口許をゆるめた。舞の視線を受けて、作戦行動について質問した将官は青ざめた。
「後学のために教えて欲しい。歩兵少佐殿」
「まあまあ、そうとんがらずに。人型戦車と通常の戦車隊との連携に関しては良好であったと確認がとれております。人型が突出し、戦車隊が支援射撃を行う。さらに言えば、十字砲火を形成することによって戦果を拡大することができる」
矢吹が穏やかな口調で口をはさんだ。別に自分に恩を売ってのことではないだろう。確かに感触は掴んでいた。
「……敢えて敗因と言わせていただきましょう。5121小隊の放った煙幕弾によって、我が軍は大混乱に陥ったのです」
それまで目を伏せていた近江が顔を上げた。目が険しく光っている。
「それは矢吹少佐の報告になかったが……」
「たぶん物忘れかと。煙幕が立ちこめた結果、我が中隊は視界を遮られ、小型幻獣に肉薄され、大損害を受けました。5121小隊の明らかなミスとそれを擁護する矢吹大隊、双方に責任があると考えます」
舞は唇を噛んだ。来たな――。矢吹はどう出るか? 舞は矢吹の視線をとらえた。矢吹は視線を受け止めると、「さて」と口を開いた。
「この件に関しては、誰に責任があるというものでもない。スキュラのアウトレンジからのレーザー攻撃に対しては煙幕を張り、命中率を低下させるのが通常の対処法です。5121小隊は対スキュラ戦については非常に蓄積が多いのです。対するに我が第三戦車師団はスキュラとの実戦は初めてでした。我が隊の戦車が破壊された際に、即座に煙幕を張るべきであったのは我々の側でした。しかし、残念ながら我々は混乱し、反応が連れた。芝村上級万翼長は我々を援護するために煙幕弾を放ったと考えてよいでしょう」
矢吹の予想外に完璧な弁護に、舞は目をむいた。5121に責任を完全転嫁すると考えていた近江も同じく信じられぬといったように目を見開いた。
矢吹は自らの軍歴に傷をつけている――。
「誰にも責任がないなどとは考えられぬし、責任の所在をうやむやにして建設的な議論ができるとは思えない。矢吹少佐、責任はあなたにあるというわけですな?」
誰かが執拗に矢吹を追及した。
「ははは。責任ですか? どのようにお考えになってもけっこう。しかしそんなことはくだらんことです」
くだらんこと、と言い放った矢吹に座がざわめいた。誰もが次の言葉を待った。舞は注意深く矢吹の表情を観察した。矢吹は何かを吹っ切ったような笑みを浮かべたまま続けた。
「我々はより大きな勝利のための経験を積んだのです。敢えて言えば、わずか一戦で問題点が摘出できた。これは本日のカッコ付きの勝利などかすむ大収穫です。負けてより強くなる。わたしは今日ほどそれを実感したことはありませんな」
こういう議論のできる軍人がこの国には少な過ぎたのだ。舞はあらためて実感した。敗北を恥と考え、目を背け、責任を押しつけ会う。そして勝利に関しては結果論だけで済ませてしまう。敗北にもさまざまな顔があり、勝利にもさまざまな顔がある。この国の軍人は敗北という「可能性を秘めた事象」を嫌い抜き、その研究を怠る致命的な病に冒されている。
本来ならそのような民族は戦争をしではいけない。しかし、この戦争は……どんなに目を背けようと向こうからやってくる。
「しかし、我が中隊は三分の一の戦力を喪失しています! 矢吹少佐の論はなんら根拠のない理想論に過ぎず、我々はこの敗北で強くなったなどとは言えません! 煙幕の件がくだらぬこととは思えない!」
近江がヒステリックに叫んだ。その場に居合わせた将官の多くは成り行きを見守っている。
なるほど矢吹も「会議」とやらをすみやかに終わらせる作戦を考えていたんだな、と舞は考えた。善行ほど会議の多い軍人も少ないが、やつほど無駄が嫌いな軍人もいないだろう。善行の下でなら、枝葉末節は無視して堂々と論を展開するのが最良だ。短い間に矢吹は善行を理解したのだろう。彼のたでた作戦は難を言えば気張り過ぎ、欲張り過ぎだったが、そんな欠点などかすんでしまっている。
「それは貴隊の自業自得ですよ」
矢吹は冷たく言った。その場にいた誰もが、らしからぬきつい表現にあっけにとられた。
「まず、貴隊の任務は塹壕を掘ってそこに龍もることではなく、戦車のそばに展開して戦車を守ることにあった。そのために対中型幻獣用の零式支援火砲他の貴重な装備を与えられていた。遊撃作戦における歩兵の役割は、警戒及び機動力の確保・支援でしょう。あなたは……」
矢吹は哀れむように笑った。
「穴を掘って隠れていただけだ」
「な、なんという……」近江は真っ赤になって言葉を探した。
「近江中隊は半壊。休養の必要ありと考えます。代わって推薦したい人物がいるのですが……」
会議は矢吹の独壇場になった。善行は眼鏡を押し上げると、「どうぞ」と答えた。
「二十四旅団の植村中尉という人物なんですが、どうもこの場にはいないようですね」
善行は黙って呼び鈴を押した。ドアが開き、入ってきたのはなんと加藤だった。
「閉会します。この人物を至急。わたしの執務室へ」
善行は紙片に部隊名と名を書くと、加藤に渡した。
「はっ」
加藤は畏まって敬礼をしたが、舞と視線を合わせるとにこっと笑った。
「あー、その……矢吹少佐」
舞は矢吹を呼び止めると顔を赤らめた。
「何か?」
「その……『会議』とやらを学ぶことができた。感謝を」
舞が顔を赤らめたまま礼を言うと矢吹は顔をほころばせた。
「学んだりしてはいかんなあ。敵を作ってしまったろう。わたしはひと言多いのだよ。しかも善行大佐の下でしか通用せん」
「それでも見事な論理展開だった。誰も口をはさめなかった。わたしは……あー、あのままでは泥仕合に巻き込まれてしまっていた」
「経験、だね。煙幕弾と同じさ。今日、君と戦ってみて腹をくくったよ。戦いやすい環境をつくるためには手段を選んではならん、とな。だから我ながらあざとい手段で近江中尉を排除させてもらった。……今度の歩兵中隊長には期待してくれ。昔、演習でわたしを散々出し抜いた人物だ。偶然、ここで会ってな」
矢吹は楽しげに言った。
「わ、わかった……」舞はうなずくことしかできなかった。
「芝村上級万翼長」
去り際に今度は矢吹の方から話しかけてきた。何事かと舞が振り返ると、
「ヒット・アンド・アウェイに十字砲火。そして火力と機動力を併せ持つインテリジェントな歩兵、だな? 次は目をむくような戦果をあげようじゃないか!」
矢吹は拳と拳を打ち合わせた。その若々しい仕草に、舞の口許に笑みが広がった。
「そうだな。目をむくような――!」
矢吹と別れた後、厚志が当然のように姿を現した。心配そうな顔をしている。陽の陰った廊下をふたりは並んで歩いた。
「喧嘩、しちゃった?」
「しなくて済んだ。そなたも聞いていたろう。矢吹少佐が盾となってくれた」
舞の言葉に厚志は考え込んでしまった。
「僕が……」
「馬鹿め、馬鹿め、馬鹿め!」反射的に舞は一喝していた。たぶん、きっと、と思ったからだ。
「そなたは速水厚志でわたしの手下でありカダヤだ。そなたが善行になれるか? ーそなたが矢吹になれるか? わたしはな、そなたとともに戦争がしたいのだ。……言い換えよう。そなたとともに存分に戦いたいのだ!」
舞の剣幕に圧倒されて、厚志は後ずさった。舞は滞足げにうなずいた。
「そなたとともに戦場で生き、戦場で死にたい。それがわたしのささやかな願いだ」
「……それってささやかっていうの?」
厚志はにこやかな表情を取り戻して尋ねた。これだ……。舞の心の中に、荒涼とした、冷たく澄み渡った風が吹き抜けた。この笑顔。拒否してもいつのまにか付着しているざらざらとした人間の負の感情を吹き飛ばしてくれる。それは心地よいことだ。
「時に、滝川はどうした?」
「うん……発見できたよ。回収部隊が陽が落ちるのを待って向かうみたいだ。けど二番機は大破。新しい機体が広島から移動中。明日までに間に合えばいいんだけどね」
「植村中尉さん、善行さんが呼んではります!」
加藤が声をかけると、深く掘り抜かれた塹壕から「ほーい」と声があがった。連戦のあげく十五名にすり減った中隊は陣地構築要員として塹壕掘りに駆り出されていた。
二十四旅団は沿岸警備を専らとしていたため汚れ放題汚れた旧式のウォードレスに、銃も九七式小銃しか持っていなかった。唯一のサブマシンガンは植村のものだった。
あまりのくたびれように、炊き出しの時に加藤は大奮発をした。「君の小隊は面白いな」と言われたことが縁で名前を覚えた。植村はなんと壬生屋と石津の名を知っていた。
加藤はそれなりに人物を見る目を持っている。植村以下の兵たちが単なる敗残兵ではない雰囲気を発散していることが不思議であり好感が持てた。
「善行さんって、大佐閣下のことかな?」
植村は地面に這い上がると、ヒゲ面をほころばせて笑った。
「そうや、ウチらの元司令。ちらっと聞こえたんですけど、中尉さん、推薦されたらしいです」
「はは、推薦ねえ。ぶっそうなことだ」
植村は紙片を受け取ると、「君も忙しいな」と笑った。
「ウチ、事務官なんやけど、善行さんの直系の弟子ですさかい。今はパシリもやってます!」
加藤は誇らしげに胸を張った。事務の天才・善行の一番弟子の自負が加藤にはあった。
「優秀な事務官ひとりは優秀な兵十人に匹敵する。この言葉を知ってるか?」
「いえ」
加藤は首を傾げた。
「ははは。俺が今でっちあげた格言だよ。さて、まだ時間があるな。……なあ、カレーの残りなどないだろうか? 俺の部下は育ち盛りでね」
「うそや!」
むさいヒゲ面の兵らを見て、加藤はくすくすと笑った。
八月七日 一八三〇 5121小隊駐屯地
どうしてあんなことしちゃったんだろう?
森はハンガーの隅に隠れるようにしてジャイアントアサルトの二〇ミリ機関砲弾を選り分け、磨いていた。副班長がやる仕事ではない。普段は新井木やヨーコさんに任せている単純な作業だが、今の自分には一番ふさわしい作業だった。
部隊の誰とも顔を会わすのがこわかった。滝川行方不明の報告を聞いた時、頭の中が真っ白になった。恐れていたことが現実になった、と思った。
速水君や芝村さん、壬生屋さん――あの人たちは普通じゃないんだ。天才。しかも戦争の天才だ。遺伝子適正が良好でも動かすのが難しい士魂号をやすやすと乗りこなし、大量の幻獣を平然と殺してまわる。滝川君がつき合う相手じゃない。現に何度も負傷し、熊本城攻防戦では重傷を負った。三人の天才たちと一緒にいると、いつかは……と不安に思っていたことが現実となってしまった。
けれど……森はぐすりと鼻をすすり上げた。
滝川は人型戦車のパイロットであることに誇りを持っている。それが森の一番の悩みだった。
せめて後方に退き、教官でもやってくれれば。本人は三人のパイロットの背中を追いかけることに夢中で気が付いていないけれど、滝川君は戦争には向いていないと森は思っていた。あるいはそう思い込んでいた。
瀬戸口さんとは違って、芝村さんは戦争の鬼のような人だ。司令になったと聞いて、心臓が不安に高鳴ったものだ。自分にできることは滝川君にも強要するだろう、と。案の定、滝川君は危険な任務に就かされて行方不明になった。そんなことになるならどうして壬生屋さんを戻したりしたんだろう?
そんな思いが重なって、気が付いた時には芝村さんの頬を打っていた。どこにも怒りの持って行き場がなかった。……わたしはもう終わりだ。
整備の仲間たちとも顔を合わせられないし、パイロットとなるとなおさらだ。戦争が終わったらすぐに転属を願い出よう。……不良品が相変わらず多いわね。まあ、町工場の旧式の機械で作っている特注品だからしょうがないか。炸薬も特殊だし……。炸薬の化学式を思い浮かべながら森は顔をしかめ、独特な形状の機関砲弾をしげしげと眺めた。
「ふ。隠れん坊かい、姉さん?」
声をかけられて、森はビクリと身を震わせた。茜がからかうような笑みを浮かべてたたずんでいた。森は気まずげに視線をそらして作業を続けた。
「整備の連中から聞いたよ。姉さん、派手にやったそうじゃないか」
「……あんたには関係ないでしょ」
今は誰とも話したくなかった。森はしっしと手を振った。茜の顔色が変わった。
「しっしはないだろ、しつしは! せっかく良い知らせを持ってきてやったのに……! 僕はね、原さんが直接知らせに行くっていうのを拝み倒して来てやったんだぜ」
「は、原さんが……」
森の顔がさあっと青ざめた。原のありとあらゆる「殺し文句」が脳裏を通り過ぎた。
「あなた、クビ。いらないわ」「見損なったわ。あなたがこんなに馬鹿だ? たとは。もうあなたとは先輩後輩の関係じゃなくなる。これから孤独に生きていくことね」「ああら、わたしの期待を裏切った人間失格整備員がまだ未練たらしく残っているんだ?」「切符は用意しておいたわ。寂しく田舎に帰りなさいね」「ほほほ、今すぐ、わたしの前から永遠に消えて」「上官への暴行はやっぱり許せないわ。憲兵を呼んだから」「ねえ、最後の忠告。銃殺される前に潔く自分を罰したら?」云々等々。
森の妄想はエスカレートして、歯の根ががちがちと鳴った。そうだ、わたし、上官に暴行を振るったんだ! どうしよう? 目の前に拳銃をごとりと置かれて……。
「だ、大介。もしかしで逃げる時間を稼いでくれたの……?」
森は作業を放り出し、茜の袖を強く掴んだ。
「はぁ、何を言っているんだ?」
茜は面食らった様子で、血相を変えた森を見つめた。
「だって、だって……わたし、銃殺なんでしょ?」
「銃殺って……」茜は絶句した。
「け、けど、逃げないわ、わたし。あんたの将来もあるし……。だから覚悟する!」
森は手を離すとペタンと床にへたり込んで泣き出した。
「滝川、見つかったよ。無事だ」
「え……?」森は涙に濡れた顔を上げた。
「幻獣の支配地城だからね、暗くなるのを待って回収しようってわけ。来須と若宮が行くから大丈夫だと思うよ」
茜の言集の意味を二度三度と反芻して、森は安堵の息を吐いた。
「よかった、よかったよォ……」
また泣き出した森を茜は複雑な表情で見た。体が衝動と戦うように震えた。しくしくと泣きじゃくる森にオズオズと手を伸ばそうとしたその時、
「はいはい、あんたの役目はこれでおしまいね」
原の声がして、姉弟はひやっと飛び上がった。
「あら、茜君どうしたの? 顔がやけに赤いけど」
原ににこやかに言われて、茜は後ずさった。
「す、少し風邪気味かも……」
「ほほほ。じゃあ石津さんに風邪薬もらって、良い子はとっとと寝なさいね」
「……けど、僕には姉さんを見守る義務がある」
「無職、ホームレスへの道を歩きたいのかしら?」
原にこともなげに言われて、茜は逃げ出した。逃げながら一度立ち止まって、「姉さん、何も心配するな。滝川は元気に戻ってくるよ!」と叫んだ。
茜が去った後、森はへたり込んだまま立ち上がることができないでいた。腰が抜けていた。
「わ、わたし……覚悟てきてます。原先輩に軽蔑されたくないから!」
「ああ、上官暴行罪のことね」
原は真顔になると森の顔をのぞき込んだ。、森は耐えされず、視線をそらした。
「責任はとらなくちゃね」
そう言うと原は森の前に、白い布で包んだものをごとりと置いた。
嘘! ホントに?……嫌だ! 死にたくない! 森は真っ青太なって腰を抜かしたままズササと後ずさった。
「さあ」
「わ、わ、わたし、死にたくないです! なんでもします、だからだから……!」
ほほほ。ハンガー中に原の高笑いが響き渡った。原が布をとると、中からスパナが現れた。
「ス、スパナで……? 無理です! これでどうやって」
「何を勘違いしてるの? スパナは整備員の魂! これ、あなたのものよ。もう一度、初心に戻り、整備員の魂を取り戻しなさいと。うん、かくかくしかじかそういう意味ね」
原は冷やかすように茫然とする森に笑いかけた。
「あ、あのっ、上官暴行罪は……」
森が尋ねると、原は腕組みして大きくうなずいた。
「整備班秘密懲罰委員会の決定を伝えるわね。森精華、茶坊主一ヵ月の刑に処す。善行さんの了解もとってある。これは上意よ」
「茶……坊主。は、はいっ! おいしいお茶掩れます!」
森は目を潤ませて原に感謝した。
「それと、芝村さんにはとっとと謝ること! さあ、すぐにっ……!」
原は真顔になるときつい目つきで森をにらんだ。
「け、けど……腰、抜けちやって」
わはは――。一斉に笑い声がこだました。それまで盗み聞きしていたらしい整備班員がぞろぞろと森の前に現れた。
「ふはは。覚悟できてるなんて見栄張って、死にたくないってのはよかねー。うむ、人間らしくてよかよか」
中村がげらげらと笑っている。
「フフフ、スパナを考えたの、わたしですううう。今年のギャグ大賞ですねえ」
岩田が含み笑いを洩らし、森を見つめた。
「悪趣味極まりないね」狩谷が青々しげに吐き捨てた。
「だけど、芝村さんには謝らないといけませんネ」ヨーコがにっこりと笑って森に手を差し伸べた。新井木もヨーコと並んで手を差し伸べる。
「ヨーコさん、新井木さん、囚人の護送お願いね。まったく……わたしは不器用な森さんより、ヨーコさんの掩れるお茶の方が好きなんだけどね」
原はそう言うと、手をひらひらと振って姿を消した。
八月七日 一九三〇 市庁舎・善行執務室
市役所内に設けられている執務室に入ると、先客がいた。無精ヒゲを生やした二十代後半ぐらいの中尉だった。
原がにこっと笑いかけると、中尉もすぐに笑顔で目礼をしてきた。できるわね……。そんなことを思いながら、「邪魔しちゃったかしら」と原はわざとらしく言った。
「ええ」
「あ、用件は終わりましたから」
善行と中尉の言葉が重なった。
「植村中尉、まだ話は済んでいませんよ」
「欲しい小隊のリストに武器。許可はいただきましたから、後はこちらで編成他やります」
植村はにこやかに笑って言った。
「しかし……戦術面で若干の打ち合わせを」
ははは。植村の笑い声がこだました。
「わたしを信頼してくだされば。……さて、どんな事情があるかはわかりませんが、わたしはかような状況下で留まるほど野暮ではありませんし、今夜中にすべて済ませておきたいのです。善行大佐、大任を与えて下さり感謝します」
植村は見事な敬礼をすると、口許に笑みを浮かべたまま追出した。
「できるわね」
中尉が去った後、原は感心して言った。
「こっちが黙って笑いかけると、たいていの軍人さんは一瞬迷うのね。どう挨拶をするか? 今の場合だったら同じ階級だから敬礼するか、それとも言葉で挨拶するか、目礼する場合でも笑うか、それとも生真面目にうなずくだけにするか」
「合格、ということですか?」
善行はため息交じりに言った。
「判断が速いことは確かね。判断の速さは自信と、信念に裏付けられている場合が多いわ。マニュアル軍人は予想できる範囲では速いけど、不意を打たれたらだめよねえ」
「ええ・そうでしょうね」
善行が認めると、原はほほほと笑った。
「どう、ためになった?」
「簑眼と言うべきですね。……ところでなんの用事でしょう?」
善行が眼鏡を押し上げると、原は笑みを消した。
「実はね……カード破産しそうなの。買い物し過ぎちやって。後はよろしく――」
「えっ……!」善行は目を瞬いた。恐れていたことがとうとう、という顔だ。
ほほほほは。原は会心の笑みを浮かべた。
「嘘よ――。残念ながら無駄遣いするヒマがなくてね。けど、黒貂の毛皮、忘れないでね」
「はあ……」善行はため息をついた。
そんな大佐殿の反応をひとしきり楽しんでから、原は笑みを消して真顔になった。
「5121小隊、なんとか崩壊を踏みとどまりましたとの報告。ねえ、やっぱり芝村さんじゃなきやだめなの? 瀬戸口君は失格?」
「難しい話になりますね」
善行は原に椅子を勧めた。原は挑発的にかたちのよい脚を組んで座った。
「下関戦のように時間を稼いだり、敵の攻撃を受け泳すような状況では瀬戸口君は優れていますね。視野が広いのです。彼にこれから起こりうる状況をすべて任せても面白いとは思ったのてすが、彼は自分は芝村さんが戻ってくるまでのつなぎと考えていたようです。これからの修羅場は芝村さんでないとだめだと」
善行の生真面目な答えに原はにっこりと微笑んだ。この人は冷酷で兵を駒として考えるが、同時に人間が好きな矛盾男だ。でなければ整備主任にこれほど丁寧な説明はしないだろう。
「……問題は当然起こりました。原さんもご存じの理由ですが、問題を克服すれば新しい5121小隊が誕生するとわたしは思っています。いずれにせよ皆さん個性が強烈な規格外の隊です。葛藤して揺れ動いて、成長を遂げるしかないのでしょうね。感謝します、原さん」
感謝しますと言われて、原は「あら」と声をあげた。
「わたしのこと、知らせてくれる人がいるの?……なんにもしでないけどね」
善行は微笑んだ。
「わたしは戦闘団の雑用にかかりきりですよ。また、そういう人物はいません。ただ、あなたは隊の亀裂を放っておけないでしょう? そこから類推しましてね」
「可愛くない答え」原はつまらなそうに言った。
「申し訳ありません」
「あなた、新しい遊びを見つけちゃったしねえ。どうして現場なの? あなたは中央のスタッフとしては天才だけど、現場の指揮官としては、そうね、そんなに戦争上手とは思えないわ。秀才君止よりだと思うけど? 砂遊びにこだわる子供みたいよ?」
言ってやった、言ってやった……。天才、秀才の件は熊本戦をともに戦ってきて理解した。善行が戦場を選んでいたことは明らかだった。そしてガラス細工のように繊細な隊を結局のところ変えられずに、三ヵ月の間持て余していた。善行の弱点を補ったのは、パイロット個々の能力……必死さと我らが整備班に拠るところが大きいだろう。
善行が沈黙すると、原は念を押すように言葉を発した。
「戦闘団、本当は百パーセント自信があるというわけじゃないでしょ? まったく……まじめな人ほどギャンブルにはまると抜けられないというけど、本当ね。図星?」
図星と聞かれて善行は苦笑を浮かべた。
「指揮官が自ら戦下手で自信がないとは言えませんよ。しかし原さんに言われると本当に詐欺師になったような気分になるから不思議ですね。詐欺師けっこう。夢と理想……目的を達成するための枠組みは作りました。後はこの無能な詐欺師の下で彼らに軍属に果敢に踊ってもらいたいのです。むろん……」
「わかってるって! あなたは欠片ほどの私心もないし命を賭けているもの」
遮るように言われて、善行は照れくさげに視線をそらした。ここに来てよかった、と原は今さらながら思った。悪夢と狂気は相も変わらず心のパーティションの片隅に潜んでいるが、わたしは今一度見ることができる。夢見る少年少女たちの戦いを。そして信じることができる。
彼らの勝利を。わたしは幸せだ――。ふとそんな素朴な思いにとらわれて、原は微笑んだ。
「頑張ってね、無能な詐欺師さん。わたしも一味だからね」
「……一味、ですか?」
善行の口許がひくひくと動いた。次の瞬間、善行は執務机に突っ伏して笑っていた。どうやら善行のューモアセンスのつぼを直撃したらしい。原は言い知れぬ幸福感を感じた。
八月七日 二〇〇〇 山陽自動車道付近・瓦礫
来ねえなあ。
滝川は煌々と照る月を見上げて首をひねった。半ば重なるようにして、黒い月が不気味な姿を現していた。まさか死んだ士魂号に興味を示す幻獣もいないだろうと、日中は瓦礫に隠れるようにして過ごしていたが、陽が落ち、瀬戸内の潮の匂いを含んだ風が吹くようになると不安になってきた。
俺、見捨てられたんかな? まさかな。速水や芝村や他のみんながそんなことするわきやねえよな、と自分で自分に言い聞かせた。こいつの戦死だって確認してねえし。……そうか、昼の間は敵の目もあるし。もうじきだ、きっと。
滝川は瓦礫の壁にもたれて、あれこれと考えていた。すぐ目の前にはハッチを開いたままの軽装甲が横たわっている。敵の気配を感じたら、コックピットに逃げ込もうと思っていた。
「雨上がりのサンディ、街はロマンチックなときめき……」
歌が聞こえてきた。飯島十翼長……衛生兵は時間が経つにつれ無口になっていった。滝川と向かい会うように盛って、低い声で繰り返し同じ歌を歌っている。注意しようと思ったが、な
んだかこわかった。日常に見られる女性のささやかな狂気、というやつに滝川は腺病だ。前に森につき会って行ったブランド品のバーゲンセールで、滝川はl分もいられずに表へと飛び出していた。女、女、女が目の色を変えて商品を奪い会っている。みんな必死なんですよと森は笑ったが、そんな森の図太さを羨ましいと思った。
……まな板を打つ包丁の音。滝川が耳を塞いでいると母親の絶叫が聞こえ、すすり泣きが延々と続く。滝川の母親は自傷行為を繰り返し、時に彼に暴力を振るった。そんな過去の光景がよみがえってしまうのだ。
「もーっと深く、恋に落ちましょ。ドン・ウォリー・ビー・ハッピー・イェイ」
飯島は膝を抱え、うつむいていた。滝川は動悸を抑えながら、話しかけた。
「……その歌、好きなんか?」
飯島はのろのろと顔を上げた。
「ええ」
「けっこう前の歌だよな、それ。熊本じゃずいぶん流れていたよな。あー、飯島……?」
なぜだか話しかけないと、という気になっていた。そうだ、ワイルドな彼氏のことでも。
「おまえの彼氏ってさ、どんなやつなの?」
「……頭の悪い人です」飯島の返事はそっけなかった。
「へっへっへ、それって俺も同じ。今つき合ってるやつ、すげー秀才なんでさ、たまーに気後れとかしちゃうんだぜ……?」
「滝川さんは頭悪くないと思います」
飯島の声に普段の響きが戻った。内心で、よっしゃと思いながら滝川は話し統けた。
「俺、絶対絶対人型戦車、なんて志願者に書いてさ。熊本でもここでもひでえ目に遭ってるし。今の隊のやつらが超すげーやつらばっかなんで生き残ってこられたんだ。馬鹿だよ、俺」
飯島は、ふうっとため息をついた。
「そういうことじゃないんです。他に……好きな女性いるのに、わたしのこと好きなフリしてるんです。それで自分の心もわたしもごまかせると思っているの。だから頭悪いんです」
「悪ィ……」正気だ。これでいいやと内心で後ろめたく思いながら、滝川は謝った。
「ううん、謝ることないですよ。滝川さん、さっき彼女に気後れするとか言ってましたよね。けど、余裕でそういうこと言えるのがいい感じ。わたしは先生……あの女性に絶対勝てませんもん。だって先生のこと大好きだし尊敬してるから」
飯島の目に光が宿った。滝川は傷ましく思いながらも、けどよと思った。嫉妬でも絶望でも怒りでも心を持ってるんならいいじゃねえかよ。こわいのは心が折れて真っ白になることだ。
「俺がどうこう言うことじゃねえけど……」
滝川は、へへっと笑った。
「なんの先生かは知らないけどよ、相手のこと尊敬できるおまえはきっと報われるって。心がきれいだかんな。彼氏にもきっとわかるよ」
言ってしまってからあまりの気障さに身震いした。これもきっと月の光のせいなんだろう。
不意に悪寒がした。風が吹いて、生臭いにおいが漂ってきた。
くそ、これまでかよ……。滝川は周囲の気配をうかがうとホルスターの拳銃を抜き出した。
「ゴブだ。飯島、俺が三つ数えたら、俺の肩に乗ってコックピットに入れ。取っ手の位置、確認しろ」
滝川が有無を言わせぬ口調で言うと、飯島は一瞬コックピットを見上げ、うなずいた。
「滝川さんは……?」
「おまえが入ったらすぐに後を追う。ちと窮屈だけど我慢な」
無埋めだな、と内心で思った。飯島がコックピット横の取っ手に掴まった瞬間、ゴブの野郎は襲いかかってくるだろう。くそくそくそ、ゴブに殺されるなんて冴えねーよな。滝川は自らのヘタレな運命にウンザリしながらも、飯島の目を見て「ひとつ……」と数えた。
「よし、今だっ!」
滝川が四つん這いになると飯島は滝川を踏み台にして、取っ手を掴んだ。飯島の体が離れ、ふっと身軽になった瞬間、ゴブリンが殺到してきた。拳銃を先頭の一匹に投げつけ、ジャンプして取っ手を掴んだ。が、三匹のゴブリンが滝川の体を捉えた。その腕にはすでに実体化した斧が操られていた。
「ちっくしょー!」次の瞬間、ざっくりやられる。滝川は歯を食いしばった。
しかし……激痛は襲っては来なかった。何かが駆け抜けたかと思うと、三匹のゴブリンは仰向けに倒れ、痙攣をはじめた。開いた傷口から体液が噴きだしていた。
「え……?」
滝川はすばやくコックピットに飛び込むと、ハッチに手をかけたまま、何かの正体を見極めようとした。
闇の中から拍手する音が聞こえた。
「ハート・オブ・ナイト。見事なものを見せてもらいましたね」
わお、人間だ……! 滝川が目を凝らすと、月明かりに滴らされて暑苦しくコートを着込んだサラリーマン風の男がたたずんでいた。
逃げ遅れた避難民か? けど、あれはなんだったんだ? 超硬度カトラスのきらめきが滝川の目にまばゆく光った。サラリーマン風の男は両手にカトラスを握っていた。
「ど、どうも……」
相手のあまりにシュールな姿に、滝川はしどろもどろに挨拶を送った。
「月のきれいな晩ですねえ。安心なさい、わたしは敵ではありませんよ」
「た、た、助かりました……」こわばった顔の筋肉をほぐそうと、滝川は頬を引っ張った。
サラリーマン風の男はにやりと笑うと、コートを開き、カトラスを鞘に収めた。
「あの……もしかして、特殊部隊とかそんな人っすか?」
「ノノノ、そんな野暮なもんではありませんね。わたしは愛と平和の戦士、河合と申します。この近くで医師団を乗せたトラックが空襲を受けたでしょう。医師は貴重です。生き残りがいればと思ったんですがねえ」
河合はそう言うと、煙草を取り出し、マッチを擦って火をつけた。「ヒエエ」滝川は思わず声を洩らした。火を見て、連中、寄ってきやしねえか?
「ああ、知り会いのゴブリンが見張っているから大丈夫ですよ」
「し、知り会い……」
なんかの冗談なのか? 滝川はなおも用心して、河合の挙動を見守った。
「医者と看護師、衛生兵会わせて三十名が死んだ」
無愛想な声が響き、河合の隣に白衣を着た女性が立った。芝村舞を大人にしたような不機嫌な顔で髪は無造作にひっつめている。
「ヒーリングも無理ですか?」河合の問いにひっつめ髪の女は顔をしかめた。
「負傷者を放っておいてくれる心やさしい幻獣に恵まれなかったんだろう。五体満足な死体すらなかったよ」
サラリーマン風と白衣の女と。滝川が口を開こうとしたとたん、強い力で下から押されて滝川はハッチから手を放し、地上に落ちていた。
「鈴原先生っ……!」
飯島が茫然とした顔で白衣の女に呼びかけていた。鈴原と呼ばれた女も同じような表情で飯島を見上げた。
「飯島。どうして……?」
「わたし、あの中にいたんです! ひっくり返ったトラックの隙間に運良く……」
飯島はコックピットから降りると鈴原の前に立った。ぐすぐすと嗚咽が洩れた。そのうち飯島は鈴原の胸に顔を埋め泣きじゃくった。
「あ、あの……」滝川は言葉が続かなかった。
「奇遇、と言うより奇跡でしょうねえ。そのガールがあなたの言っていた健気少女ですか?」
河合がにこやかに尋ねると、鈴原は「うむ」とうなずいた。
「九州でな、患者の面倒をよく看てくれた。……飯島、泣きたいだけ泣け」
鈴原の胸で披きじゃくる飯島を横目に、河会は滝川を誘って腰を下ろした。二本目の煙草を美味そうにくゆらしている。
「彼女は医師でわたしのフィアンセなんですよ。そして幻獣共生派の和平派でもある」
淡々と言われて滝川は一瞬「はあ、そうっすか」とうなずいていた。ん……? 共生派? 滝川はあわてて河会のそばから離れた。
「はっはっは。わたしたちは和平沢ですよ。人間を殺したりはしません。さあ、シッダウン・プリーズ」
滝川はごくりと喉を鳴らして、おそるおそる腰を下ろした。
「残念ながら和平派の力は今、とても弱いのです。だからといって非力を嘆いていてもしかたないですね。彼女は負傷者の手当や逃げ遅れた市民をヘルプしているんです。わたしは彼女の護衛役といった役回りですね。アンダスタン?」
「イ、イエス」
滝川は思わず答えていた。助けてくれたのは事実だ。しかもこのおじさん、来須先輩さながらの凄腕だ。やっと冷静になってきた。
「これからどうするんですか? ひとりじゃ負傷者助けるって言っても限界あるっすよ」
「ま、どこかの野戦病院に適当に紛れ込みますよ」
河会はこともなげに言った。
「不用心ですなあ。ここは禁煙って知りませんでしたか?」
暗がりから声がかかって、滝川はまたしても飛び上がった。若宮の声だ。しかし河合は平然と、
「こんばんは。良い月が出てますねえ」と挨拶をした。
「あ、俺の隊の人っす。やっと回収に来てくれたみたいで」
若宮に続いて来須が姿を現した。来須は一瞬目をしばたたき、河合を見つめた。
「久しぶりですね」
河合がにこやかに言うと、来須は黙ってうなずいた。
「……知り会いなのか? これはどういう状況なんだ?」
若宮がいぶかしげに尋ねると、来須はしばらく考えた後、「少し待て」と言った。
「あ、この人たち、俺とあの子を助けてくれたんすよ」
滝川は状況を端的に説明した。共生派と聞いたとたん、若宮なら目にも止まらぬ速さで行動に出ることも考えられる。
「……まず約束しろ。流血沙汰はなしだ」
来須は若宮の目を見て言った。
「おまえが言うならそうしよう」若宮はあっさりと請け合った。
「ふたりは幻獣共生派の和平派だ。害はまったくないと考えてくれ」
「……共生派? どういうことだ?」
若宮は首を傾げたが、すぐに「わかった」と言った。
「殺気は感じられないしな。俺は会わなかったことにしておくよ。それじゃとっとと戻ることにするか」
「そうっすね……」
滝川は若宮の答えが気に入った。会わなかったことにするのが一番だ。ふたりにはふたりの考えがあるんだろうしな、と。
「それで……飯島。おまえ、どうするんだ?」
滝川は泣きやんだ飯島に声をかけた。飯島は鈴原の隣に寄り添うようにたたずんでいる。
「連れていってやってくれ」
鈴原は冷静に言った。しかし飯島は首を横に振った。
「わたし、先生と一緒にいます」
わけがわからん、と若宮が小声でつぶやいた。
来須はしばらく鈴原と飯島を見つめていたが、
「それもいいだろう」と言った。
「危険だ。おまえたちと行動をともにする方が安全だろう」
鈴原の言葉に、飯島は「いえ!」と断固とした口調で応じた。
「わたし、看護師の資格取ったんです。医師と看確師がいればどこでも病院が開けます! 先生、お顧いですから」
飯島の顔に決意が表れていた。看護師……プロの顔だ。森が整備をしている時の顔によく似ている。「わかった……」やがて鈴原がしぶしぶと言葉を発した。
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第十章 幻獣、岩国へ
八月八日 〇六〇〇 岩国基地
白々と明け始めた空にサイレンの音がこだました。
昨日から西の方角から砲声が轟き、玖珂町の方角の空は黒煙に包まれていた。
「本基地の学兵各隊は第二種警戒体勢に入ってください。繰り返します、学兵各隊は第一一種警戒体勢に入ってください」
朝は意地悪。
とりわけ基地のスピーカーは極悪だな、と宿舎の六畳間に横たわったまま佐藤まみは耳を押さえた。こんな馬鹿でかい音量で警報を鳴らすなら、頭から水をぶっかけられた方がましだ。
けれどキャプテンたるもの率先して起きなきゃ示しがつかんのよね。
眠気を振り払うように勢い良く身を起こすと、目から火花が散った。「痛ったあ……」神崎が額を押さえ、枕元に置いたコンタクトを手探りで探していた。まったく色気づいちやって。
鈴木とつき合うようになってから、神崎は眼鏡からコンタクトレンズに変えた。
「オーライ。ナイス頭突き」
佐藤が不機嫌に言うと、神崎もコンタクトの容器を手に自称・貧血のぶすっとした表情で、
「佐藤の頭蓋骨、硬過ぎ。……被害者はこっちだよ」
とにらみつけてきた。
朝の不機嫌モードはデフォだな、と佐藤もにらみ返しながら思った。
何せ六畳闇に野郎の鈴木を除く小隊員全員が押し込められている。七人いるからひとり一畳も与えられていない計算になる。簡単なキッチンにさらに面積を取られているから、さてひとりあたりの生活空間は、などととりとめもない思いが一瞬かすめ過ぎた。
うーん……まだだめ。スタンダップ不可能。ヘモグロビンが全身に行き渡るまであと十秒。
九、八、七、と未練がましく数を数えているところ、背中にどんと衝撃があった。
森田のキックが飛んできた。
当の森田はスピーカーの警報など関係なく平和な顔ですやすやと寝入っている。佐藤は腕を伸ばすと森田のピチビチと張りのある頬を思いっきりつねった。森田の悲鳴を聞いて、やっと魂がはっきりした。
宿舎の廊下に派手に足音が響く。佐藤はしわくちゃのトレーニングウエア姿のまま、立ち上がるとドアを開けて廊下をうかがった。
どこかの女子校の一団が、迫力満点の表情で突進してくる。こっちが体育会なら、向こうは超体育会だ。あわでてドアを閉め、ほっと息をついた。
「ええと……みんな起きて! こら、橘、とっとと目を覚ます。修学旅行じゃないんだから」
佐藤はまだぐだぐだと寝ころんでいる隊員たちに枕を投げつけた。
「早朝訓練? 朝練パス」誰かのぼやきに佐藤はため息をついた。
「あのねえ、耳を澄ませって。一五五ミリ砲の音が大きくなっている。溜弾が着弾する音も聞こえる。第二種警戒体勢。陣地に行くの……十秒後に起きあがって戦車格納庫まで走るよ」
まったくウチの隊は朝に弱いよな、と佐藤はあきれる思いだった。
熊本戦では完全な夜行性だった。昼ぐらいまでは地中に潜んで、敵を後方にやり過ごすことがしばしばだった。隊が働くのは戦闘が終了した後が多かった。孤立した敵を食える確率が飛躍的に上がるからだ。空が茜色に染まる頃、三々五々後退してくる敵を狙う。二対一、ないしは最悪一対二の状況ができるまで地中に潜って待ち続ける。夜の間は暗視モードで敵を探し続けた。華々しい戦車戦は一度としてやったことがなく、たとえ進撃命令が出ようと無線機不良ということで、ひたすら戦車壕の中で待ち伏せを続ける。紅陵女子αはそんな隊だった。
「おーい、何のんびりしてんだ? 他の隊は格納庫に集会してるぜ」
窓の下から鈴木の声がした。オタクってのは妙に凡帳面なんだよなと佐藤は舌打ちして、廊下に飛び出した。
「さあ、とっとと戦車格納庫にGOGO!」
そう言い捨てて佐藤は先頭をきって走った。格納庫までは五百メートル。ダッシュするうちに頭がすっきりして周囲が見渡せるようになった。ひと足先に警戒待機態勢に入っていたのか、自衛軍の戦闘車両が、兵を満載したトラックが、ゲートに向かって列をなしている。
砲声はしだいに激しさを増し、機銃音も聞き分けられるようになった。
格納庫に隣接した更衣室に駆け込んで、ウォードレスに着替え、三十秒。隊の戦車に割り当てられた区画にゴールすると、自衛軍の女性兵士が駆け寄ってきた。紙片を渡され開いてみると。38とだけ書かれであった。
隊を展開する拠点の番号だった。
市中心部から郊外の外郭陣地まで、番号が振ってある百二十四の戦車壕があった。召集されてまもなく、自衛軍の指揮系統からはずれた学兵ということで、上は極力命令をシンプルにしていた。任務は拠点防御。デフォルトでは、はじめに与えられた番号の拠点を守る。命令は○番から×番へ移動せよ……等々、岩田と名乗る気色の悪い参謀がたった一度のブリーフィングで説明した。
「遅かったじゃねえか。ん……38? これって吉香《きっこう》公園陣地だよな」
鈴木がポシェットから配布された地図を取り出して佐藤に示した。岩国基地は市街から離れたふたつの川に挟まれた三角州にある。公園陣地までは四キロ余り。橋を渡って市内に巡らされた地下道から行くことができる。
「吉香公園第七陣地。学兵の戦車随伴歩兵の小隊がお隣さんになるみたい」
助手席で神崎がナビゲーションシステムを兼ねた端末を参照しながら言った。川を渡ってほどなく、二両の六一式戦車改は地下道に潜った。矢印の下に書かれている数字をたどって行けば陣地に出る。途中、交通誘導の兵に何度か停められ、友軍の通過を見送った。
「学兵の戦車随伴歩兵なんてまだいるんだ……」
そんなに人手……兵力不足なのかなと佐藤は首を傾げた。学兵の戦車随伴歩兵なんて考えただけで身震いする。装備劣弱、指揮は最悪。熊本戦の頃はしょーもないアホ学校の男子生徒が多かったことから女子には嫌われた。中には院卒で固められた隊もある、などとまことしやかに語られたものだ。院とはもちろん大学院のことではない。
虹陵女子は進学校であったから、せいぜいが戦車兵までで、ほとんどの者は後方支援の兵種を志望した。
「化工は歩兵ばっかりだったけどな。みんな死んじまったよ」
鈴木が憮然として言った。鈴木は元歩兵で、出身校の隊はほとんどが壊滅している。化学工業、通称アホの化工は男子校で、ワルの多い学校として有名だった。
「自衛軍がいるのに今さら……もしかしてすっごい強い隊なのかな」
佐藤は鈴木の言葉をスルーした。熊本戦を経験した学兵なら誰もが友人や知り合いの死を経験している。死について語ることはタブーだった。
「どんな隊だよ、それ?」
鈴木はやけに不機嫌な声を出した。原隊が全滅したことから鈴木には学兵の不遇について未練たらしく愚痴る傾向があった。愚痴ったって死んだ学兵が戻るわけじゃなし、ネガネガに愚痴ったってしょうがないじゃんというのが佐藤の考えだ。
「知らにゃー。そんなことより急げ!」
佐藤は消臭スプレーを鈴木に吹きつけた。
「ちっくしょう。金髪ゴリラ女!」鈴木の罵声を澄ました顔で聞き流し、「陣地に着いたら例のあれ、きちっとやるよ」と佐藤は言い放った。
八月八日 〇七〇〇 岩国基地
岩国市街から十キロあまり――。
那珂町をめぐる攻防戦は地形を巧みに利用した自衛軍の優勢裡に進められていた。一帯は広島まで続く山陽自動車道の他、国道が南北に交差するように走っている。国道を北に向かえば中国山地へと出る周辺を低くなだらかな山々に囲まれた地域だった。大量投入、そして面の制圧によってユーラシアを蹂躙してきた幻獣にとって山地は最大の泣き所だった。山々には砲撃拠点が巧妙に配置され、自衛軍は進撃路が限られた敵に旺盛な砲火を浴びせていた。
岩国守備隊は九州撤退直後から付近の山々に砲撃拠点を設けていた。陣地はトーチカから成る半永久陣地に設置された砲と、下関からいちはやく撤退してきた七五式自走溜弾砲、一二〇ミリ及び八一ミリ自走重迫撃砲、さらに実験配備されたロケット砲などの移動可能な戦闘車両が配備され、途切れることなく山陽道を直進してくる幻獣の群れに溜弾を落とし続けた。
「妙なる砲声が聞こえているな」
荒波は執務室でコーヒーの香りを楽しみながら他人事のように言った。藤代の掩れてくれるコーヒーの相伴に預かるのは岩田参謀だった。
「イユース。まだエキサイトしてませんがねえ! ま、時間の問題です。荒波司令官閣下、実はわたし折り入ってお願いがありますです」
「だめだ」
「ノオオオ! まだ何も言ってませんです」
岩田参謀は大げさにのけぞってみせた。
「はっはっは、君の考えなどお見通しだ。藤代を秘書につけて欲しいっていうんだろう? 十四回、聞いたぞ。この犯罪者め」
犯罪者と言われて岩田参謀は気色ばんだ。
「藤代嬢は十七才ではありませんかあ。犯罪者じゃないです。わたしはですね、マジメに藤代嬢に参謀教育を授けたいと考えているのです!」
「君に美少女は似合わん。これは自然の摂理というものだよ」
毎度のことながら交わされる「あの娘が欲しい」会話だった。岩田参謀の提案は半ば本音を含んでいる。自衛軍参謀きっでの奇才とされる岩田には直系の弟子がいなかった。あまりに奇矯な言動に部下がストレスを貯め、転任を願い出てしまうのだ。
そういう意味で岩田参謀は「孤高」の軍人だった。楽しげに談笑する荒波と旧小隊員の少女を物陰から指をくわえて見ていることも再三ならずあった。
「秘書が逃げでしまうんですううう。なんとかしてください!」
ううむ、荒波は気難しげに腕組みをした。
「田中を特別に派遣してあげよう」
ノオオ、と絶叫がこだました。天然の田中にどうやって参謀教育を施せばよいのか? しかも秘書にするには破滅的に不向きな人材だ。一日だけ秘書役をやってもらったことがあるが、コーヒーを二回書類の上にぶちまけられ、大事に隠しておいた美少女写真集をすべて捨てられてしまった。
それ以来、岩田参謀は土木の少女たちから変態扱いされている。荒牧も田中が岩田参謀の天敵であることを知ってわざと言っている。
「田中は我が都下ながらプリティで活発な少女ではないか。元気が出るぞ」
「けち、けち、けち!」
「……あのなあその幼児退行的な言動がいかんというのだ。少佐なら少佐らしく、大人の魅力というものを発散せねばな」
荒波はそう言うとジッポのライターをかちりと鳴らして、悠然と煙草に火をつけた。
「こんな感じだ。少しはわたしを見習うとよいのだがな。そもそもだな、そのくねくねポーズとリューンのヨガもどきをやめないと孤独な人生を送ることになるぞ」
ノックする音がして藤代が部屋に入ってきた。
「あの……大佐。差し出がましいようですが、作戦の話はしないでいいんでしょうか?」
藤代は普段、荒波の秘書代わりを務め、別室に待機している。
「ああ、今はまだいいのだ。時に第十一師団と第十四師団は間に合いそうか?」
荒波はふたつの師団名を口にした。
それぞれ甲信越と、近畿から引き抜いた師団で、前者は戦略機動型と呼ばれ、戦線へのすみやかな移動を重視される師団だ。兵員輸送車の充実はもとより、傘下に大隊規模の兵員を輸送できるヘリ部隊を持っている。後者は沿岸警備型だが、大都市圏を控えていることもあり、市街戦の訓練に力を入れていた。ちなみに広島の第三師団は戦略打撃型と呼ばれ、重要局面で敵を圧倒する現代の騎兵である。
三ヵ月もの間、荒波と岩田参謀は、派閥の迷路をくぐり抜け、有事の際の両師団の派遣を打診し続けてきた。
この執拗さと周到さこそ荒波と岩田参謀の共通点だった。
「フフフ、それならわたしから答えますです。十四師団は本日中に市内に展開を完了。十一は共生派の交通妨書で明日以降になりますですね。本題はこれでした」
岩田参謀は真顔になって報告した。
「共生派か」
「憲兵隊は頑張っています。しかーし、道路はともかく、鉄道は復旧が面倒なのです。あとはですね、光輝号が十機、パイロットとともにやってきます」
「うむうむ。そうやって背筋を伸ばし、まともなことだけ言うようにしたまえ。さすれば秘書志願の美少女が集まってくるぞ」
そうだよなと荒波は藤代に向かって笑いかけた。藤代は顔を赤らめた。
「あ、またくねくねしてます……」
「ノオ、くねくね違います! これは心技体の潜在能力をいつでも全開できるように我が岩田一族に伝わる基本姿勢なのです。ささ、藤代たんもくねくねしてご覧なさい」
岩田が大まじめな顔で言うと、荒波は高笑いを響かせた。
「こら、どさくさにまざれて、たんとか言うな!……君には立派な秘書を紹介してあげよう。筋肉命、腕立て伏せ、腹筋とも三千回可能な体脂肪率五パーセント以下の健康体をな」
「ノオオオオ!」
あまりの馬鹿馬鹿しさに藤代は逃げるように執務室を出た。本当にあの人が岩国最終防衛ラインを事実上造り上げた参謀なのか? 世の中まちがっている、と藤代はため息をついた。
「あれ、ため息なんかついちやって。藤代、恋の予感?」
声がかかって、藤代はもう一度ため息をついた。田中だ。すらりとした足を見せつけられる基地の兵らが気の毒だ。自分がふくらはぎをかろうじて見せる程度にジーンズをカットしているのに比べ、田中ときたら……。
「司令も変わったお友達持っちやって。あきれてたの」
藤代がささやくと、「えへへ」と田中も含み笑いした。
「けどね、ひとつだけ参謀の弁護するね。美少女写真集ってそれ系じゃなかったよ。普通のファッション誌みたいな感じだった。けど……ゴスロリ好きみたい」
「ご、ゴスロリ……」
困惑する藤代を見て、田中はくくくと笑った。
「それってやっぱり変態なんじゃない? だって軍の高級将校が……」
「うん、だから、軽い変態だよって弁護したの」
藤代はまたしてもため息をついた。田中や島、村井と比べて、我が身の不幸を嘆いた。まず忙しすぎる。書類上では自衛軍の少尉ということにされてしまって、荒波、岩田のお使いから、来るべき決戦では、アナウンス係を務めなければならない。戦況に応じて、地下陣地に龍もる諸隊の移動を管制する仕事だ。
仲間の三人が海水浴に行っている間に、何度も繰り返し練習をさせられた。それでも荒波司令のそばにいるのは悪い気分ではなかった。……これって贅沢な悩みなのかしら?
「そんなに弁護するなら岩内参謀はあんたに任せる。さ、仕事仕事」
そう言うと藤代はデスクの上に積まれている書類の山と格闘しはじめた。無視されて田中は手持ちぶさたにモジモジしている。ささやかな意地悪だった。田中が毎日のように自分のところに来るのは隣に荒波がいるからだ。けれど、田中の秘書適正はネコ以下だ。
「ええとー、なんか手伝うこととかない?」
「ないわ」
「……そんなこと言わずにィ。あ、そうだ! わたし、コーヒー掩れるね!」
不器用に豆をゴリゴリすり潰す田中を横目に、藤代は含み笑いをした。窓の外から蝉の声が聞こえてくる。蝉の声に交じって遠くの空で砲声がこだまする。
夏休みが終わる。荒波はことさらに余裕たっぷりな態度をとっているが、じきにはじまる決戦がこの国に住むありとあらゆる人間の運命を左右することを藤代は知っていた。死ぬことはこわいけれど、わたしは司令に見出され、選ばれた。親は泣いた。昔の友人たちは気の毒そうな顔をした。世間から見れば不幸なことかもしれないけど、わたしにとっては嬉しいことだ。
最後まで冷静に、プライドを持って生きてやろう。
あら? コーヒーの匂いが室内に立ちこめた。藤代が密かに命名している田中コーヒーの不細工な匂いだった。せっかくの貴重な豆が台無しーー。
「失礼しまーす!」
田中の声がして、ほどなく食器のぶつかり合う不吉な音がして「ノオオ、熱いですう」と岩田参謀の悲鳴があがった。あのねえ、シチュエーションコメディじゃないんだから……。藤代は何度めかのため息をつくと、再び書類に視線を戻した。
八月八日 〇八一〇 岩国基地
広島中央テレビのロゴが入った中継車が司令部に横付けになると、衛兵があっけにとられた顔で後続する車両を見た。中継車ごときで驚くわけではないが、後続の車はなんとリムジンだ。
わかる者が見れば各種防弾装備が施されている装甲車もどきとわかるが、この場所に黒塗りのリムジンはあまりにも違和感があった。中継車からカメラクルーが飛び出してきて、撮影の体勢に入った。マイクを持った女子アナがにこやかな笑顔で話しはじめた。
「岩国最終防衛ライン司令部前から中継しています。若きメディア王として活躍中の遠坂圭吾氏が……司令官、すみません、ええと……」
「荒波司令官ですよ」
ドアが開き、苦笑を含んだ声がアナウンサーに向けられた。長身を自衛軍の夏期野戦服を模した服で包んでいる。素材が違うのか、体にフィットして格好良く見える。
「まったく……広島のアナウンサーが司令官の名前すら覚えていないとは。君は要りません」
遠坂は不快げに眉をひそめた。父親の時代に採用した女子アナだ。名門大学を出て、容姿端麗、そして給料もそこそこもらっている。東京と同じく、大都会の広島ではなんだって可能だ。
戦争のことなど忘れで遊び歩くことはできる。
この女子アナもそこそこリッチな生活を楽しんでいたのだろう。
遠坂系列のメディアを掌握してから、一度、すべての局員の「意識調査」をやったことがある。実際にはこの戦争への理解度をテストしたのだが、壊滅的な出来だった。時事系の番組をつくる局員が、歩兵の正式呼称について「戦車同伴歩兵」と書いてきた。遠坂はその局員を、即刻芸能バラエティに飛ばした。
テレビには苛酷な戦争……現実を忘れさせ、癒す効果がある。有能なプロデエーサーを引き抜き、クオリティの高いトレンディドラマ「愛のかたち」を放送したのは遠坂の局だったが、同時に戦争報道にもクオリティの高さを求めていた。
「す、すみません……」女子アナは茫然と立ち尽くした。
「……ちゃん、カメラまわっているよ」音声係が小声で注意した。
「あ、編集で……」
「無理だよ、これ生番組」
あまりの失態にディレクターが青ざめた。
「この国の命運を決める防衛ラインの司令官すら知らないとは。あなたには広島に戻り苦情処理オペレータをやってもらいます。今回の取材は遊びじゃありませんよ」
厳しい言葉とは裏腹に、遠坂は例のチョコレートのCFの笑顔で言った。カメラは立ち尽くす女子アナを無視して、遠坂に焦点を合わせた。
「ご迷惑をおかけします」遠坂はカメラに向かって頭を下げた。
「誰かと思えば遠坂氏ではないか。ずいぶんと勇ましい格好だが」
よく通る声が響いて大佐の階級章を付けた荒波が姿を現した。さすがに胸元をはだけてはいない。陸軍の正装を身につけている。遠坂と並んで立つ荒波は絵になった。
「荒波司令官。視聴者、国民の皆さんに向けてひと言お願いできませんか?」
遠坂にうながされると、荒波は真顔になりカメラに向き直った。
「岩国最終防衛ラインを任せられている荒波です。当防衛ラインは自衛軍が精魂を傾け構築したものであります。兵も精鋭です。まあ、幻獣など軽くひねってやりますんで安心して日々の生活を営んでください。……こんなもんでよろしいかな、遠坂氏」
「はあ、もう少し危機感があると思いましたが」
遠坂はにこやかな笑みを崩さずに苦言を呈した。
「戦争は自衛軍の仕事ですから。我々が責任を持って敵を撃退します。それに車が妙に危機感を煽ったりしたらそれこそ時代に逆行することになりますよ。それで遠坂氏、今朝はなんのご用です?」
「……事前に連絡しました」
「はっはっは、失敬失敬。今のは冗鱗です。なんでもメディア王自らが戦争報道を突撃取材するとか? 存分に見てやってください。後悔しても知りませんがね」
「望むところです」
遠坂が笑みをたたえて言ったところで、ディレクターがカットの指示を下した。
「お疲れさまです」
局員より先に田辺が駆け寄ってきた。局員はと言えばハプニングの連続に自失している。
「おお、君は遠坂氏のハニー」
荒波に冷やかされて田辺は顔を赤らめた。田辺も遠坂と同じ限りなく野戦服に近いオーダーメイドのブランド品を着ている。もっとも下は短いキュロットに純白のソックスだ。
「そんな……わたしは身のまわりのお世話をしているだけです」
「秘書役の君までが彼の戦争ごっこにつき会うというのかね。どうしよう、藤代……?」
荒波が芝居はやめと窮屈そうに胸元をはだけると、藤代がドアの陰から姿を現した。
「司令のおそばにいるのが安全かと」
藤代は遠坂と田辺に微笑んでみせた。
「まあ、それが無難だな。司令部は主戦場となる市街から離れたところにある。君たちテレビクルーもそうしたまえ」
荒波の言葉に遠坂は表情を曇らせた。
「それでは取材になりません。前線に出たいのです」
「ノオオオ、前線いけません! 死にます。あなたがたでは絶対に死にます!」
遠坂が目をやると岩田参謀がたたずんでいた。どうしてあの岩田が? 芝村の支族とはいえ整備員が少佐に出世するとは思えない。
「岩田君……」田辺が驚いて岩田参謀を見つめた。
「フフフ、あなたはあのベタギャグ使いの恥っさらしとわたしを勘違いしてますね。わたしは彼の従兄です。荒波大佐の参謀をやっておりますです」
「なるほど……」
遠坂はあっさり納得した。あの岩田なら一瞬、視線を田辺のソックスに走らせるはずだ。
「一応、護衛を連れてきています」
遠坂が田辺にうなずいてみせると、田辺はリムジンに向かって頭を下げた。
「あの……先生、お願いします」
リムジンの反対側からふたりの男女が姿を現した。サングラスをかけた五分刈りの三十代の男と赤のパンクファッションに身を田めた二十代の女性だ。
「なかなかよい基地ですね。火線の配在も見事です」
三十代の男は挨拶代わりに荒波に言った。荒波は苦笑してふたりを見ている。
「教官殿がどうして護衛に早変わりするのかね?」
「我々は芝村に雇用された者であり、学兵の教官を務める時には臨時に召集された予備役の軍人として働いていたのですよ。申し遅れました。わたしは坂上と申します」
「同じく本田だ」
パンクの女はふてぶてしく笑ってあらためて自己棺介した。
「まったく、遠坂の馬鹿がめちゃくちゃ言いやがって。こちとら芝村のボディガード養成所で楽してたってのによ」
「すみません、先年……」遠坂は恐縮して頭を下げた。
「坂上氏と本田氏なら……うーん」知っているのか、岩田参謀はなおもしぶった。
「東京から重ウォードレス烈火の試作品を持ってきました。むろん、彼らのウォードレスも揃えてありますがね。あとは……市街に整備工場はありますか?」
坂上は淡々とした口調で尋ねた。
「なるほど。整備工場なら比較的安全だな。ふたりもそこを拠点にすれば馴染みやすいだろう。まあ、とにかく中へ入ってくれ」
荒波はそう言ってから、何やら揉めている局員に気づいた。女子アナが泣いている。
「あれはどうするのかね?」
「カメラマンは元自衛軍ですから問題ありません。念のためにビデオカメラも数台用意してありますから。残りの彼らは司令部に置いておきます。本田先生、例の調子でよろしく」
遠坂の言葉に、本田はへへっと笑って局員たちを怒鳴りつけた。
「カメラマン、前線に出るが覚悟は? よーし、上等だ! 他の連中は司令部で待機。おめーらじゃいくら命があっても足りねえ! いいか? おめーらはお荷物だってこと忘れるな!」
はっはっは。荒波の高笑いがこだました。
八月八日 〇九〇〇 岩国|I C《インターチェンジ》
「ちっくしょう、基地の布団で眠りてえなあ。人使い荒過ぎだぜ」
橋爪は深い山々に囲まれた風景を見渡してぼやいた。岩国市近郊に差し掛かった早々、旅団長自らがじきじきに小隊に工兵隊の護衛を命じてきた。岩国IC付近で待機していると、最新式の九八式装輪装甲車が三台、県道の路肩で休んでいる合田小隊の前に停まった。
「……合田小隊だな」
先頭の装甲車の前席のハッチから中尉の階級章を付けた工兵将校が顔を出した。中尉の隣には一二・七ミリ機銃が物々しく据え付けられている。装輪装甲車、すなわち兵員輸送車だ。一般の輸送車両の不足に悩む兵にとってはハイヤーのような大げさで贅沢な隊に見える。
「……自衛軍最低のレーションは?」
中尉は大まじめで尋ねてきた。
「鶏唐揚げ定食であります」
「理由」
「衣が鉄板のように硬い。負傷者続出のため生産中止」
合田も緊張した面もちで答えていた。前線用暗号表A7の項目八月版の内容だった。指揮官が戦死し、引き継ぐ時のために一般の兵は暗号表の有無は知らされていたが、全員が「なんだかな〜」という顔になった。中尉は「よし」とうなずくと、後部座席への分乗を命じた。橋爪にも分乗の理由はすぐにわかった。
敵に襲撃される可能性がある。危険を分散するということだ。
「時に……そこの学兵たちはなんだ?」
「は。彦島戦区でともに戦い、ともに脱出をしました」
すでに開き直った合田が澄ました顔で答えると、中尉は目を瞬いた。そしてあらためて合田らの汚れきったウォードレスに目をやった。
「彦島から……逃げられたんか?」
「はい。運良くフェリーに拾われまして。彼女らは熊本戦以来の精鋭であります。我々もずいぶん助けられました」
慣れてきたのか合田は胸を張ってぬけぬけと言った。中尉の無遠慮な視線に、島村らは身をすくめた。中尉は一瞬、迷った表情を浮かべたが、
「連れて行きたいのかね?」と尋ねてきた。
「そのつもりです。中尉殿……?」
合田は中尉を観察して、実戦経験はないだろうと踏んだらしい。無造作に尋ねた。
「爆破任務ですか?」
「あ、ああ……命令がありしだい近延《ちかのぶ》トンネルを爆破する」
なるほどな。橋爪は納得して口許をゆるめた。大げさな理由がわかった。
「となりゃあこわいのは幻獣より人間。共生派っすね。だったら運がいいすよ。俺と彼女らは熊本で散々共生派と戦いましたからね」
実際、橋爪は撤退時に何十人となく共生派を倒している。
「うむ……よろしく頼む」
橋爪のふてぶてしい面構えに気圧されたらしく、中尉は将校らしい威厳なつくろった。
山陽道の広々とした道路の両側は木々が鬱蒼と茂った斜面、崖だった。近延、城山といったトンネルを爆破されれば、敵の進撃路はそれこそ断崖峡谷の吊り橋を落とされたように、延々とまわり道をしなければならない。
まず交通手段の操作があってこその最終防衛ラインなんだろうな、と橋爪は考えた。考えることは苦手だが、二重、三重のペナルティを敵に課して、やっと乗るかそるかってところなんだろう。だから岩国なんだな。地形の恵みが受けられなかった彦島でのみじめったらしい戦闘を思い浮かべて、橋爪はそう結論づけた。
トンネルが無傷のままなら、幻獣は洪水のように広島平野にあふれ出す。岩国周辺の地形は、その意味でも最後の砦となるだろう。ま、当然、幻獣共生派も目をつけているだろうな。
と、ここまで考えて橋爪は合田の肘をつついた。
「なんです……?」
「もしかしたら戦力が足りねえんじゃないかと。大げさに言えば、山陽道のトンネルって門司と下関を結ぶ橋やトンネルみてえなもんですからね」
話を聞いていたらしい中尉が前席で身じろぎした。
「岩田少佐に言われてな、リモコン式の爆薬がセットされている。しかも外壁をくり抜いて埋め込め、と。おまえらは保険だな」
「岩田少佐……?」誰だ、それ? 橋爪は恰幅のよい工兵中尉の背に尋ねた。
「岩国守備隊の参謀殿さ。別名、土木の岩田って言ってな。荒牧大佐と組んで、無茶難題をふっかけてくる」
そう言いながらも中尉の口調には敵意は感じられなかった。
「察するに、相当な切れ者のようですね」合田が話を振る。
「まあ、切れ者と言うより変わり者だな。工事現場に顔を出しては、ユー・アー・主役ですから一生懸命土木してください、とこうだもんな。作業はきつかったが、工兵を主役呼ばわりするえらいさんなんて初めてだったぜ」
荒波と岩田の話になると中尉の口が急になめらかになった。
「たぶん拠点防御になるんでしょうが、陣地構築、期待してよさそうですね」
合田がさらに言うと、中尉はへへ、と嬉しそうに笑った。
「ま、戦ってのお楽しみだ」
無明が落とされた城山トンネルを抜け、眼下に川と真新しい駅が見えた。駅は平地の少ない岩国郊外の扇状地にへばりつくように建てられている。駅から市街へ行くには大きく蛇行する錦川沿いに県道、裏道を進まねばならない。自分たちが今走っている山陽自動車道は三、四百メートル級の山々が連なる山地の麓近くだ。眼下の平地を除けば、周辺に集落らしい集落はなく、道の片側の崖はコンクリートとネットで固められている。
保険でもリモコン式でもなんでも、トンネル爆破は生命線だった。万分の一の確率で作動しなかったら破滅だ。そこに命を張る価値があった。
「この道絡、けっこう強引に造ったんですね」
こういう話題はインテリの合田にしかできない。橋爪はそうなんか? と首を傾げた。
「まあ、あんたらは若いからわからないだろうが、大陸の戦争はいろんな意味で中国、北九州のインフラに影響を与えたのだ。物資、軍を大量に移動させなきゃならんかったからな。軍は金を生まんが、物資は違うぞ。大陸に物資を売りつけて景気がよかった時代もあった。トンネルだらけの道を造っても元は取れたってわけだ」
単純に考えて一般道路と同じ距離のトンネルを造るには十倍の予算が必要とされるという。
合田は地図を見て、トンネルの多さからそう考えたのだろう。
「もったいないですね」
「しょうがないさ。戦争に負ければどっちみち利用できなくなるからな」
トンネルが見えてきた。切り立った崖と、反対側のガードレールの下は見渡す限りの樹海だ。
橋爪は注意深く道の両側を観察した。ガードレールの下に人が隠れている可能性はあるが、そこまで考えるならゾンビヘリの空襲やら、共生派が長距離砲を使ってくる可能性だって考えられる。八割……うん、七割がたは大丈夫だろう。
出入り口付近には一個小隊ほどの憲兵と兵が監視にあたっていた。憲兵への協力を命じられたらしい兵は旧式のウォードレスに小銃。憲兵も似たような装備だ。
すばやく機銃座を探す。あった。中央分離帯を利用して砂袋を積み上げた陣地に小隊機銃が据え付けられていた。傍らには厄介なことに零式支援火砲が二丁たでかけられていた。クルーは三人。橋爪は情報を頭の中にしまい込んだ。
「中尉殿、連中と距離をとって……そう、五十メートル手前。ここら辺で停車っす」
橋爪が工兵中尉にささやくと、中尉は硬い表情でうなずいた。
「責任者がこちらに来るように仕向けましょう。念には念をってやつすね」
「わかった……」
そう言うと中尉は拡声器のスイッチを押して責任者を呼びだした。
「機銃座に移動します。中尉、残りの二両にもウチの連中でいいすね?」
中尉が黙ってうなずくと、合由少尉は一等兵にその旨を各車に伝えるよう、車外へと出した。
橋爪がハッチを開け銃手席に陣取ると、憲兵大尉が近づいてくるところだった。
うん……? 大尉閣下にしちゃウォードレスが旧式だ。互尊かよ。微妙だな。今どき最低でもアーリーFOXは着ていないと。後方の都市を拠点とすることが多い憲兵隊は物資集稀所が近いこともあって装備はそこらの兵よりよい。しかも尉官クラスになると死傷を防ぐため、優先的に装備を支給される。
八名の兵が後に従っている。旧式の互尊。修理もいい加減だ。ふん……。
「島村」
橋爪は輸送車の隅に窮屈そうに座っている島村に声をかけた。
「え、ええ……」島村はビクリと身を震わせた。
「ちと外へ出て、連中を見てくれよ」
島村は合田にかばわれるように後部ハッチから路上に降り立った。
「おい、なんかあったのか?」中尉が尋ねてきた。
「いえ、念のため。中尉殿は普通に応対、頼んます。だから……刑事ドラマのセリフじゃねえけど疑うのが俺らの役目でしょ。きっとなんでもないですよ。スマイルスマイル」
自分の子供、とまではいかないがハイティーンの橋爪に言われて中尉は憮然となった。しかし助手席から顔を出すと、愛想よく顔をほころばせた。
「ごくろうさんです」
大尉は不快げな表情を露わにして橋爪ちから十メートルほど手前で立ち止まった。上官への車内からの挨拶はおざなりと言われてもしかたがない。その間に島村はひと通り、兵を観察した。気がつくと合田が肩に手を置いてくれていた。
「あ……」島村の顔が緊張に引きつった。ぶるっと身震いすると、地べたにへたり込んだ。
「どうしました?」
「一番左側の兵のウォードレスの隊章……迫撃砲小隊のものです。九州で全滅した……ああ、なんで? うそ。どうしよう?」
合田が急いで銃手席の橋爪に伝えると、橋爪はぶっそうに笑った。
「中尉殿、当たりィ。共生派ですよ」
工兵中尉の顔が引きつった。会話の詳細まではわからないらしい。大尉がいらだたしげに声を張り上げた。
「何をしている? さっさと降車して爆破準備をしたまえ!」
「へっへっへ、大尉殿、質問いいすかね? そこの兵隊、どうして九州で全滅した隊のウオードレス着ているんかな?」
「それは……」
大尉がホルスターに手をかけようとしたとたん、橋爪の一二・七ミリ機銃が炸裂した。またたくまに九名の兵が肉片と化した。「ま、ま、待てよ……」中尉は茫然として橋爪に話しかけたが、すでに橋爪は銃口を機銃陣地に向け、あわてて零式を構える兵を銃撃していた。
「運ちゃん、発進だ! 連中を追うぞ」
残りの兵は不意を打たれて戦意を失ったらしい。一目散にトンネル内に逃げ出した。……数分後、すべての兵を掃討した橋爪らは元の位置に戻って停車した。
「こ、こんなことしちまって……は、ほ、本物だったらどうするんだ?」
橋爪の問答無用の射撃に、中尉は歯の根が会わないようだった。たとえウォードレスが九州で全滅した隊のものであったとしでも、再生利用かもしれないじゃないか、と。まるで殺人鬼でも見るように橋爪を見た。
「隊章は変えないとね。えらい人に怒られますぜ……」
橋爪は面倒くさげに言った。そしで自ら輸送車を降りると、合由や島村、他の小隊員と一緒にガードレールの下を丹念に見てまわった。
「死体が見えます!」
島村は崖から突き出た木に引っかかった死体を見つけた。友軍のものだろう、他にガードレール付近で、多くの血痕を発見した。歩兵を長くやっていると、素人目にもその血痕がたった今のものか、そこそこ時間が経過しているものかぐらいはわかる。
「待てよ……」
橋爪は、はたと額に手をやった。
ヘリのローター音がかなたから聞こえてきた。
「やっべえー。ノンビリ警察ごっこしている場合じゃなかった! ゾンビが来ます! とっととトンネル爆破して逃げましょうや!」
八月八日 一〇〇〇 那珂町激戦区
山々から殷々とこだまする砲声が兵たちをかろうじて正気につなぎとめていた。
確か点在する神社を砲撃拠点にしているはずだ、罰当たりだなと思いながら落合は壕の中に身を潜めて、友軍の銃声に耳を澄ませていた。
溜弾によって被害を受けているはずの小型幻獣の群が何度も十メートル前方の機関銃陣地に乱入してきた。そのたびに白兵戦が行われ、落合はかつて経験したことのない光景を目にした。
まるで先祖帰りしたような戦争だった。スコップが銃が、棍棒代わりに使われ、怒号と悲鳴が堀内のそこかしこで起こる。地獄だ、と思った。
広島の情報センターの静寂が夢のようだった。エアコンの徴かな音とコンピュータのディスクの回転音。ブースごとに密やかに交わされる会話。そこから引きずり出された。
宇部に撤退していた下関分局の局員と情報媒体を回収すべく、ヘリで飛んだ帰りだった。一条の光線にヘリの機体は貫かれ、不時着した。
彼を救助してくれたのがここの守備隊であったというわけだ。媒体を若い局員に託して、落会はしばらく残ろうと思った。オフィス勤務の自分が戦場を見ておくのは決して無駄ではない、というのが表向きの理由だった。ただし、心のどこかに現場の戦闘員へのコンプレックスを抱えている自分に気づいていた。
佐藤まみはこんなところで戦っていたのか……。
佐藤とは九州撤退戦の際に出会った。なんの命令もなんの情報も与えられず、自衛軍撤退のための足止め、捨てゴマとして待機させられていた佐藤らに落会は深く同情した。君たちを引き取る、と約束したものの、迎えに行く途中、スキュラのレーザーの直撃を受け、落合は重傷を負った。佐藤は自分を白鳥の王子様と言ってくれたが、まったくぶざまな「白馬の王子梯」だった。逆に彼女と5121小隊の面々に助けられた。
一ヵ月の入院生活の間、佐藤は何度か見舞いに来てくれた。今は広島の仮設住宅に住んでいること、新しい学校にはソフトボール部がないこと等々、とりとめもなく話す佐藤に、落合はずいぶん癒されたものだ。
退院後、広島への配属が決まり、大いに気恥ずかしかったが、見舞いの礼を言うために女子校の校門前で佐藤の下校を待った。彼女は友人に囲まれて談笑していた。そして落合が声をかけるより先、佐藤は表情を輝かせ、「よっしゃー!」と叫んで跳ねた――。冷やかしの声にもめげず、全力ダッシュで……勢い余ってぶつかってきた。
それ以来、ふたりは時々会うようになった。趣味も話題も、まったく異なるふたりだったが、落合にとっては佐藤のとりとめもないおしゃべりは心が和んだ。
ただ……彼女がまだ学生であることから、落合は決して大人の仮面をはずさなかった。はずすことができなかった。
……佐藤の召集が決まった日、広島市内のレストランで一緒に食事をしたことがずいぶん昔のことに思われる。佐藤は涼しげなラペンダー色のワンピースを着てきた。食事中、肩のあたりをしきりに気にしていたので理由を尋ねたところ「筋肉つき過ぎちやって、ちょっときついんです……」と、ぼっと顔を赤らめた。その表情が可愛らしくて、落合は声をあげて笑った。
「……筋肉少女、嫌いですか?」唐突に尋ねられ、今度は落合がフォークを取り落とした。
佐藤の目に必死な、訴えるような何かを見た。まだ夢見る年頃だというのに、漠然とした未来をどう歩んで行こうか「贅沢な悩み」を嫌と言うほど抱えている年頃だというのに――。戦争という現実を突きつけられ、その日は生きたい、と願っていた。一分一秒でも長く生きたいという祈りがあった。
そんな佐藤が傷ましかった。落合はこみ上げるものを抑えて微笑んだ。
「筋肉少女、大歓迎さ。僕は健康的な子が好きだよ」
「え、ええっ? それ、ホントですか?」佐藤の表情がばっと輝いた。生き生きときらめく瞳に、落合は愛おしさを感じて内心で大いに照れた。
「ああ。それと好き嫌いしない子と食べ物を残さない子が好きだね」
「落合さん、わたし、子供じゃないですよォ――」
佐藤は頬を膨らませて抗議した。……そうだ。もし生きて再会できたら、今度は大人の仮面なんて取り払って、真剣に佐藤まみに向き合おう。白馬の騎士なんて柄じゃないが。
……落合の視界にミノタウロスが五体、機関砲弾を浴びながらも突進してくる様子が映った。
零式直接支援火砲からミサイルが発射され、一体の腹部に命中した。爆発と同時に乱暴に押し倒された。
「大尉殿、丸焦げになりたいんですか?」
伍長が叫んだ。強酸の飛沫が地面に散って、草木が燃え、焦げるにおいが鼻をついた。機関銃陣地からミノタウロスに向け、教条の曳光弾が突き刺さった。壕を超え、背中を向けたミノタウロスに機銃弾はなおも執拗に追いすがる。ぐずぐずと炎をあげてミノタウロスがよろめく。
落合は伍長とともに首をすくめた。
中隊長が護衛につけてくれた兵だった。顔つきから見てまだ二十代には達していないだろう。
「……すまん。ぼんやりしていた」
落合が謝ると、伍長は「二度とぼんやりはなしっす」と忌々しげに言った。
「けど、そろそろやばいかな」
壕の底にへばりつくような姿勢をとりながら伍長はつぶやいた。
地響きがして土砂が頭上から降り注いだ。生き残ったミノタウロスが壕をまたぎ、越えていった。機関銃陣地からの攻撃はなおも追いすがる。
「第三陣地群まで撤退! すぐにゴブが来るぞ!」
同じ壕で指揮を執っていた中隊長が叫んだ。
「大尉殿、五百メートル走ります! トラックは負傷兵専用ですから」
幻獣の隙間をすり抜けて走るというのか? 落合は青ざめた顔でうなずいた。アーリーFOXを着た歩兵たちが先頭をきって壕内から飛び出した。先頭を走る一団は、散開すると三体のミノタウロスにサブマシンガンの銃弾をたたき込んだ。
ミノタウロスが一斉に銃弾が来た方向に回頭すると、今度は反対側の方向から銃撃が加えられた。なるほど、注意を引きつけているというわけか。伍長の後を追って走りながら落合はそんなことを考えた。
軽量の武器、最新式のウォードレスに身を固めた兵らはありとあらゆる遮蔽物を利用しながらミノタウロスを誘導していた。
伍長の姿がふっと消えた。落合はつんのゆるようにして壕内に落ち込んで、したたかに土を食らった。
「速いですね、大尉殿。足音が途切れないんで安心しましたよ」
「一応、陸上やっていたもんでね」
「ここ、第三陣地の突端です。奥に行かんとゴブと戦争ごっこすることになります」
伍長は泥にまみれた顔に微笑を浮かべた。あらかじめ掘り扱いであったのか、場内は複雑な縦深構造になっていた。ところどころにある機銃・機関砲の拠点からは敵に対して十字砲火を洛びせることができるように設計してある。
穴掘りばっかりさせられてなあ、と歩兵科に進んだ士官学校の同窓生がこぼしていたことを思い出す。その意味がやっとわかった。単に穴掘りをさせられていたのではない。効果的な穴掘りをたたき込まれたということだ。頭と肉体を酷使する分、歩兵は大変だ。
これまでに見たこともないような短銃身の迫撃砲が数門設置されていた。口径は八一ミリだろう。「あの迫撃砲は?」と尋ねると伍長は、「歩兵用迫撃砲です。軽くて分解すればふたりで運べるんですけど、弾も炸薬量が少なくて威力がね……」と口を濁した。
「あれだったら小隊機銃のが威力もあるし便利なんで、製造が中止になったらしいです。……倉庫に眠ってたレアもんを持ち出してきたらしいですよ。マニアックだけど、もう敵をぶっ殺せるもんならなんでもありってことで」
振り上げられたスコップのきらめきを日にしている落合は神妙にうなずいた。
奥へと進むうち、先ほどの一団が壕にすべり込んできた。いずれもヒゲ面、泥まみれの姿で階級も年齢もわからない。が、伍長は丁寧に敬礼をした。彼らが消えるように持ち場へ去ると、物聞いたげな落合に向かって説明した。
「ウチの隊のエースたちです。撤収する時はああしてオトリ役になってくれます」
「どの隊もそうなのか?」
落合が尋ねると、伍長はうーんと首をひねった。
「どの隊も、ってわけにはいかないと思いますよ。あんなすげー動きができる人たちは各中隊にひとりいればいいんじゃないかな」
「……そうなのか?」
我ながら間の抜けた反応だなと思いながら落合は言った。
「岩国二十一旅団からのえり抜きですね。わざわざ集めた助っ人みたいで。中隊長殿も一目置いているみたいすよ」
落合に慣れてきたか、伍長の口調が柔らかくなった。
「君は……?」
「俺は学兵からの横滑りです。山口でぶらぶらしていたらスカウトされたんだけど、道踏み外したかなあ」
伍長は五分刈りの頭を撫でて照れ笑いを浮かべた。新しい陣地からの攻撃によって、最後のミノタウロスが爆発する音が聞こえた。
「落会大尉」
中隊長が近づいてきた。
「そろそろ視察どころじゃなくなります。彼と一緒に後方に走ってください。……残念ながら
車両は割けないんでね」
「……ご迷惑おかけしました」
落合が敬礼すると、中隊長も敬礼を返し、きびすを返した。
「中隊長殿、俺もですか?」伍長が心外だというように尋ねた。
「岩国まで大尉を送ってくれ。基地で合流しよう。二分後に小型幻獣が来る。後方に浸透した連中もいるようだから気をつけて」
そう言うと中隊長は境内に満ちた兵らをかき分け、せわしなげに奥へと消えた。
……落合は幸運だったと言えるだろう。粉々に粉砕され瓦礫の山と化した山陽道を横目に、伍長とともに県道を走るうちに陣地の方角で大爆発が起こった三キロ離れていても背に熱風を感じるほどの爆発だった。
振り返ると塹壕陣地が黒煙をあげて燃えていた。なおも後方に陣地が用意されていたのか、機銃音が響き渡る。しかしその勢いは相当に弱まっていた。
「ちっきしょう……」
伍長が声を放り出した。
「あの陣地……」落合が口を開きかけると、伍長は「持ちこたえる気なんてなかったんすよ。ありったけの爆薬を爆発させて敵にくれてやったわけで」と遮った。
中隊長は撤退の時期を探っていたのだろう。気がつくと負傷兵を乗せたトラックが向かってきた。路肩に道を譲ったふたりに、衛生兵が手を差し伸べてきた。
「中隊長殿は?」
荷台に張り付いた伍長が尋ねると、衛生兵は「わからん」と首を振った。
「各自、適当に逃げろ、と。それから三分ほどして爆発が起こった。逃げる元気があるうちに、と思ったんだろうな。エースさんたちも分乗しちょる」
衛生兵の言葉に、落合は幌のビニール窓親しに、助手席のドアの外側に張り付いている兵を認めた。泥まみれの顔に目だけを光らせている。片手で取っ手に掴まり、片手には油断なくサブマシンガンを構えていた。
県道わきの夏草の生い茂る野原から突如、小型幻獣の一群が湧き出した。兵はサブマシンガンを放ちながら、「とっとと手榴弾投げィ!」と叫んだ。
伍長があわでてウォードレスのバックルに属した手榴弾を手に取った。あ、そうかという風にひとつを落合に手渡した。ピンを抜いて野原に投げつける。落合も見よう見まねで慎重に手相弾を転がした。
たて親けに爆発が起こった。サブマシンガンの軽やかな射撃音がひっきりなしにこだまする。
「あと十分辛抱しろや。岩図の外郭陣地が見えてくるけえ!」
同乗するエースが叫んだ。落合がかろうじて肩章を識別すると、階級は一等兵だった。
「一等兵だったのか……」
落合がつぶやくと、伍長は「あいつはね」とうなずいた。
荷台後部から身を乗り出し、九七式小銃を連射しながら、
「俺より年下ですよ。熊本帰りの院卒っす」と言った。院卒……。落合が黙り込むと、
「大尉殿、手を休めんで。撃ってくださいよ!」と伍長に注意された。
落合はしかたなくホルスターから、広島の銃砲店で衝動買いしたマシーネンピストルを引き抜くと、弾丸を夏草の中にまき散らした。
「何度か話したことあるんだけど、懲罰大隊でも喧嘩して何人か半殺しにしたってやばいやつですよ。牛井定食が好きらしくて、分けてやっただけなんすけど」
「牛井……」
落合は新しいマガジンを銃にはゆ込んだ。あっというまに撃ち尽くすもんだな、と思った。
「あいつの原隊の事務官は中華定食が好きだったらしくて、むかついたから殴ってやったって言っちょりました。事務官も災難だよな」
そんな話をしながらも、伍長の放った一発がゴブリンを倒した。
「すごい腕だね……」
高速で移動するトラックから、同じく移動する敵に命中させるのは並大抵ではない。落合とて射撃訓練の経験があるからわかる。
「えっへっへ。俺だってただのパシリであの隊にいたわけじゃないっすよ。肩、肩」
肩を見ると、狙撃訓練章がペイントされていた。
「こうして負傷兵が護衛付さで後送されるんだ。まだまだ予定通りってやつですよ、きっと」
「……あ、ああ。そうだね」
伍長の何気ない賢さに落合は驚いた。その通りだ。伍長の日には不思議な光があった。落合は日をそらすと「ユース」を見た。頬が痩け、どことなく荒んだ雰囲気を壊わせている。不意にエースの口許がほころんで、舌なめずりするような笑みが浮かんだ。
戦場の混沌の中で、狂い、酔うことを期待している。そんな表情だった。伍長の日の光にも同じようなものを感じて、落会は首を振った。
八月八日 一〇〇五 吉香公園陣地
ヘリの爆音が聞こえて、渡り鳥の大群のような黒点が近づいてきた。佐藤が砲塔のハッチから身を乗り出して眺めると、百機を超えるうみかぜゾンビの編隊が錦川西岸の陣地群に猛然と二〇ミリ生体式機関砲を浴びせはじめた。
西岸は市街からはずれた外郭陣地のひとつで通常の陣地群から成り立っている。運動公園の方角から曳光弾が撃ち上げられ、上空のうみかぜゾンビをとらえはじめた。公園の林に隠された九五式対空戦車から成る対空陣地が、一機、また一機と敵を撃墜していく。
これが敵の狙いだったらしい。編隊は方角を変えて、集中豪雨のような射撃を公園に降り注ぎ、地上ではたて続けに爆発が起こった。互いに機関砲を撃ち合ったあげく物量差に力負けして次々と炎上する友軍の戦闘車両を遠目に、佐藤はため息をついた。
「……はじまっちゃったね」
神崎が声をかけてきた。鈴木と一緒に前席ハッチから降りて、砲塔に登ってきた。
「こら、外出禁止だよ。第二種警戒体勢なんだからね!」
「けど、陸戦型の敵は全然来ないしさ。もしかして退却してるとか。そんで援護のためにうみかぜゾンビが空襲してるんじゃないかな」
佐藤は黙って神崎の頭をはたいた。
こいつ、馬鹿だ……。モコス時代にきたかぜゾンビに追われている友軍の戦車を目撃したことがある。両側が枯れ田になった県道を必死に逃げるが、あっさり追いつかれ、なぶるように機関砲弾を裕びせられていた。なんとか集落を見つけて逃げ込もうとしたとたん爆敬した。目をつけられたらおしまいだ。
地上の戦闘車両でまともにゾンビヘリとタイマン張れるのは新型の九五式ぐらいだ。
そして敵は緒戦からうみかぜゾンビを大量投入して、友軍の貴重な対空車両を破壊している。これって第二披、第三波のための掃除だろう。そしで陸戦型は今頃、余裕で追撃しているだろう。ヘリがわざわざ対空戦車に襲いかかるのはそういうことだ、と佐藤は思った。
「あ、またやられた。ひい、ふう……十両は燃えているぜ」
鈴木が対岸の火事のような口調で言った。それだけ吉香公園第七陣地は閑散としていた。紅陵の二両の六一式改がそれぞれYの字型に掘り抜かれた戦車壕に収まり、その脇に造られた塹壕陣地には誰もいない。ご丁寧に四〇ミリ対空機関砲まで設置されているというのに、どうしちゃったんだ?
「そういやさ、お隣さん、大遅刻だよね」佐藤の視線を追って神崎が言った。
「もしかして全滅してるとか」
鈴木が言うと本当に辛気くさい! 根くらオタクの愚痴野郎。佐藤は鈴木に向けて消臭スプレーを噴射した。「くそ、金髪ゴリラ!」鈴木のいつもの罵声が響く。しかし、ほどなくフォーンと独特な風切り音が公園陣地にも響いて、西岸に八体のスキュラが姿を現した。レーザー光が一瞬まばゆく光り、位置を特定された九五式が爆発した。
うみかぜゾンビの編隊は対空陣地をスキュラに任せてまっすぐにこちらに向かってくる。佐藤は神崎らをうながして車内に戻ると、「モグラさんになれ!」と乗員に言った。壕に収まってから佐藤らは自発的に戦車に得意のカモフラージュを施していた。公園の「美観」を損なわないようにと、ネットには色とりどりの花をくくりつけ、十メートル先から見ても花壇にしか見えない。我ながら惚れ惚れするほどの出来映えだった。地下通路の移動に疑問だったこともある。歩兵には最高だろうけど、馬鹿でかい戦車の地下通路の移動は緊急の時にしか使えないはずだ。そうでなければ大渋滞を起こしてしまう。
よほど危険な状態にならない限り、佐藤は第七陣地を守る気でいた。
案の定、うみかぜゾンビの編隊は佐藤の「自信作」の頭上を通過していった。公園陣地はしんとしている。新たな敵を探すべく、市街地の方角に旋回した編隊に向かって、市をぐるりと囲む山々のそこかしこから曳光弾が発射された。それこそあらゆる方角からだ。うみかぜゾンビは損害を出しながらも、山の一点に向け集中砲火を浴びせた。対空機関砲は沈黙。しかし側面、後方からの射撃は変わらず、編隊が陣地をひとつ沈黙させる度に三機、四機のうみかぜゾンビが墜落していった。
「蟻地鉄みたいな配置だねえ」
プロだ、と佐藤は思った。はじめの九五式は、敵を無防備に十字砲火の真っ直中に誘い込むオトリだったか? 人類側、幻獣側、それぞれが駆け引きをしている。沈黙していたと思った陣地が再び射撃をはじめた。おそらく山の中にしっかりとした陣地が造られているのだろう。
半数以上を失ってうみかぜゾンビが遠ざかってゆくのを見て、佐藤らは歓声をあげた。こんなのはじめて! 本当に要塞なんだな!
「……第七陣地って確かここだよなー。変だな、戦車がいねえ」
足音が聞こえて、戦車随伴歩兵が塹壕に入ってきた。くふふ、シロウトめ。佐藤は密かにほくそ笑んだ。
「けど、この花壇……なんだか変です。花は違う種類同士、こんなに入り交じって咲きません」
女性の声が聞こえて、こつんという音がした。
「くそっ、だまされた!」荒々しい男の声がして、石か何かででごつんとやる音が聞こえた。
「痛いじゃん!」
佐藤は憤然として、ハッチから姿を現した。四十名を超える戦車随伴歩兵が、あっけにとられた顔で佐藤を見上げた。
「なーにが痛い、だよ。忙しいのに紛らわしいことするんじゃねえ!」
頭を負傷しているのか、真ん中を剃り上げネットをかぶった逆モヒカン状態の軍曹がしゃしゃり出てきた。
「まあまあ、橋爪軍曹。ナイス・コンシールメントと褒めるべきじゃないんですか? 我々は岩国二十一旅団の者です」
メタルフレームの眼鏡をかけた少尉が、軍曹をなだめ、佐藤に自己紹介した。あ……少し好みかもと佐藤は顔を赤らめた。色白な顔に少し野暮ったい眼鏡がインテリつぼくでマル。落合大尉と同じような雰囲気を発散していた。
「あ……わたしたち、紅陵女子α小隊です。けど、自衛軍さんなんですか? お隣さん、学兵最強の戦車随伴歩兵だって……」
学兵最強、は会話しているうちに佐藤が脳内で作り出した妄想だ。
「へっへっへ、俺たちは最強小隊の保護者ってやつだ」
橋爪と呼ばれた逆モヒカンの軍曹は無造作に久遠を着た女性の後ろにまわると、前へと押しやった。
「〇八三〇独立混成小隊、島村千翼長です。あの……よろしくお願いします」
島村以下の隊員たちに一斉に頭を下げられて佐藤は返事に困った。学兵最強? ウォードレスはアーリーFOXに武器はサブマシンガンに六九式突撃銃を持っているやつもいる。けど、みんな新品のピカピカだ。階級は同じか。待てよ、これだけは言っておかないと……。
「隊長の佐藤よ。ひと言言っておくけど、ウチら、がちんこで敵と戦うつもりないから。待ち伏せ専門なのね。元モコス乗りだったんでね」
「あ、はい……」
島村は佐藤の剣幕に押されて返事を返していた。
「……馬鹿じゃねえの、おめーら」
橋爪の口調からか、あ、こいつ、学兵崩れだな、と佐藤は思った。ごつごつした感じというか、少し荒んだ感じというか、熊本戦のにおいがぶんぶんする。
待てよ、こいつどこかで……。けど、まあ今はそんな場合じゃないか。
佐藤は、きっと相手をにらみつけた。
「馬鹿ってのは何さ? あのね、勝手にドンパテやられたらウチらも敵に発見されちゃうの。死んで花実が咲くものかってね」
佐藤がまくしたてると橋爪は「本当に馬鹿だ……!」とつぶやいた。
「あー、僕は合田といいます。こちらは橋爪軍曹。彼、言葉が足りないんで補足しますと、公園の陣地群は火線が交差……十字砲火を形成するように設計されているんですよ。歩兵も同じですね。だから自分たちだけ隠れるというわけにはいかないんです」
合由は砲塔に上がると、手帳を取り出し公園陣地の配置を描いて見せた。
「け、けど」道理だな、と思いながらも佐藤は反論しようとした。
「君らの方に向かってくる敵は、こことここの陣地がフォローしますね。君らがフォローするのはここ。……友軍を信頼しましょう」
「わたしたち、自分たちのやり方で通してきたから……」
佐藤がなおも言うと、橋爪は笑い声を響かせた。
「少尉、こんなヘタレ、アテにすることないすよ。昔のやり方がいつまでも通じると思ってやがる。一緒に戦う隊もいるのに無視してるしよ」
くそ、学兵崩れめ! 正論ってやつを言っている。どうしよう? こっちはこっちでやるってはっきり言おうか?
「佐藤、意地を張るな。自衛軍さんの言うことが正しいぜ」
不意に操縦席から声がかかった。鈴木がハッチから顔を出すと、
「俺ら熊本じゃずっとアテにされんで放置されてたから。待ち伏せ専門なんすよ」と言った。
「鈴木ィ――!」佐藤はきっと鈴木をにらみつけた。
しかし鈴木は不機嫌に「しょーがねえだろ」と佐藤をにらみ返した。
「助け合わなきややられちまうと思うんだ。今の戦い、おまえは勝ったと思ってるみたいだけど、ありや威力偵察ってやつだろうよ。ゾンビ百機を様子見にボンと投げ出す相手だぞ。少尉さんに協力しようぜ」
「へっへっへ、わかってるじゃねえか」
橋爪は鈴木に笑いかけた。
「自衛軍のくそ野郎は嫌いなんだけどな。熊本じゃ散々ひどいめに遭わされた」
鈴木は苦々しげに吐き捨てた。
「けど、ここを突破されたらさすがのくそ自衛軍も逃げ道がねえよ。本気ってやつを出してくれるんじゃねえのか?」
そう言えば鈴木は戦車随伴歩兵の出身だ。言葉に実感がこもっている。
「大丈夫だって。今度は自衛軍がひでえめに遭う番だから」
橋爪の言葉にも妙に実感がこもっている。合田は苦笑してふたりの学兵と元学兵のやりとりを見守っていた。
八月八日 一〇三〇 同・公園陣地
「……ここが吉香公園陣地です。熊本戦で活躍した選りすぐりの学兵諸隊が守っている陣地とのことです。岩国は花と緑に恵まれた街ですが、すでに植え込みは取り払われています」
風に乗って声が聞こえてきた。橋爪が目を向けると、指揮官型アーリーFOX改を着た長身の男がカメラに向かって話していた。驚いたのは見たこともない重ウォードレスに身を包んだ兵が油断なく目を光らせていることだった。
なんなんだ、あれは? 熊本戦で何回か見た可憐に似ているが、はるかに動きやすそうだった。九九式てき弾銃にサブマシンガンを携えている。もうひとり、長身の男と同じウオードレスを着た兵も周辺を警戒している。
「なんすかね、あれ?」
橋爪が話しかけると、合田は「烈火《れっか》か……」とつぶやいた。
「……あのウォードレスは烈火といって、まだ開発途中のはずですけど。完成したら隊に真っ先に導入しようと思っていました。下手な戦車より頑丈ですよ」
さすがは合田の兄ちゃんだ。たぶん研究所に知り合いでもいるんだろうな、と橋爪は妙に感心した。
「戦車より頑丈って……」
「間に合えばよかったんですがねえ。声をかけてみますか?」
「そうすね……」
声をかける前にこちらを発見したらしく、一行が近づいてきた。カメラマンが陣地の兵たちを映しはじめた。
「ごくろうさまです」
長身痩躯《ちょうしんそうく》、ロングヘアの男がにこやかに挨拶してきた。塹壕の様子を見せるためか、膝をつき、屈み込む姿勢になった。
「あ、どもっす……」カメラを向けられ、橋爪が照れて合田の陰に隠れると、合田は戸惑いながらも笑顔で「ごくろうさまです」と敬礼を送った。
全員、階級章はペイントされていない。となると……。徳爪はひとりひとり順繰りに観察して、戦闘員は銃を持ったふたりだな、と判断した。
「テレビ新東京の遠坂です。よかったらお話を聞かせていただきたいのですが」
テレビ局かよ? しかも新東京っていやあ東京のキー局だ。にしても怪しいな。橋爪の視線に気づいたか、坂上《さかうえ》は「我々は護衛の者です」と小声でささやいた。そして指で口を塞ぐまねをしてみせた。ふたりはカメラに映らないよう、慎重に位置取りをしている。
「話といいましても、まだ戦いははじまってませんから」
合田は苦笑を浮かべて言った。
「空襲がありましたよね。百機規模の空襲など、見たことも聞いたこともありませんが」
遠坂の質問に兵たちは目を見張った。戦場の経験があるのか?
「その点についてはウチのエースが一番よく知ってますよ」
合田は橋爪を無造作に前へ押しやった。マイクを向けられ、橋爪はどぎまぎした。
「リラックスです。これ、生番じゃないんで何をしゃべっても構いませんよ。わたしは学兵出身でしてね。熊本時代にもあんな空襲は見たことがありません」
「へえ、あんたがねえ……」
橋爪は生じゃないと聞いて、思わず無遠慮に口走った。そういえば優男に似ず、マイクを握る手だけは兵と同じくごつごつしている。
「5121独立駆逐戦車小隊で整備を担当していました。ここにいる彼女と一緒にね」
遠坂は傍らにたたずむ眼鏡の少女を紹介した。
「5121……!」橋爪はかぶりを振った。5121ってのは神出鬼没ってやつだな。
「俺……あー、小官もはじめてであります。けど、あれで対空拠点とかいろんな拠点を探ることができたんじゃねえ……じゃないでしょうか?」
「なるほど。言葉は自然でいいですよ。その方が面白いですしね」
「は、はあ……」
「命を張って戦っている人間に、言葉遣いが良いだの悪いだの、安全なところから文句をつける人間がいたらその方がおかしいですよね」
遠坂は澄ました顔で言った。
「へへっ、話がわかるリポーターさんだな。今はあんまし言うことねえけど、あそこでテレビ出たがり野郎が羨よしそうに見ているぜ」
橋爪は笑って、築山《つくやま》式の「花壇」を指さした。遠坂とカメラマンは首を傾げた。とたんに花が咲き乱れる一郭《いっかく》が持ち上がって、金髪の戦車兵が半身を現した。
「……ごくろうさんです」
声をかけると、金髪の戦車兵は「紅……あっ」とあわてて部隊名を呑み込んだ。
「こう……こういう風に戦車をカモフラージュしてるんです」
「たいしたものですね」
戦車兵は地面に降り立つと、いきなりカメラに向かってにっこりと笑って手を振った。
「ええ、ウチら熊本時代は突撃砲で待ち伏せ専門でしたから。あ、広島の母さん、元気ー? 昌子、亀のまーくんにエサやるの忘れるなよー。あと……」
「ずるい」「ずるいよ、佐藤!」佐藤のアピールを遮るように土の中……車内から次々と声があがって戦車兵が姿を見せた。
「あの……わたしも映してください」別の戦車の車長が売り込んできた。
「ははは」
遠坂は何かを懐かしむように、戦車兵に向かって呼びかけた。
「じゃあ、皆さんカメラの前に集合。隊長が何かひと言言って。ファイト――で。甲子園の学校紹介のノリでいきましょう」
たちまち佐藤のまわりに戦車兵が集まった。
佐藤はチームメイトを見回して「うん」と満足げにうなずいた。
「……わたしたちの隊の特長は、最後まであきらめずに粘り抜くことです。みんなあ、しぶとく戦うぞ! 死んで花実が咲くものかってね! ファイト――」
オーとお約束のかけ声で、全員笑顔でガッツポーズをとった。カメラマンが微笑んで、遠坂にオッケーサインを出した。眼鏡の少女がやさしく笑った。
「おめーは出ないでいいんか?」
橋爪が話しかけると、島村はぞっと身を震わせた。
「わたし、ああいうの苦手で。あ、お茶セット揃えましたから。いつでも飲めます。皆さんに配りましょうか? ほうじ茶と玄米茶、どっちがいいですか?」
島村はすっかり落ち着き、艶の戻った頬を赤らめで言った。
なんだかなーという顔で橋爪はため息をついた。
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第十一章 勝利と陥穽《かんせい》
八月八日 一一〇〇 国道262号線
トンネル爆破の報告は聞いていた。
当然、可及的速《かきゅうてきすみ》やかに爆破されるべきだったが、ぎりぎりまで待って爆破した結果、幻獣側は大渋滞を起こしているという。
岩国の連中はずいぶん人が悪い、と舞は思った。しかも緻密だ。小数点以下のポイントでも確実に稼ごうとする。行く手を塞がれた敵は大きく迂回せねばならず、結果、こちらに各個撃破のチャンスがより多く生まれる。荒彼も岩田も狡猾だ。それにしても守るには長い地形だ、と舞は戦術画面に岩国周辺のマップを映しだし、あれこれと考えていた。
「トンネル爆破のこと?」厚志が尋ねてきた。
「うむ。元々山陽自動車道は岩国市街を迂回して、山地を通って広島につながっているのだ。強引に岩国に顔を向かせるにこは爆破が必要であった」
「へえ。けど、岩国って大切な基地じゃないの? どうして道路が素通りするんだろ?」
わたしは小学校の先生か、と思いながらも舞は厚志の質問に感心していた。素朴だが本質を衝いている。
「鉄道輸送は[#]昔は軍の移動の主役であった。岩国はその中継地点だ。自動車道が重視されはじめたのは陸軍が機械化されてからだな。近距離からの車両の展開、物資の輸送に有効なのだ。現に我らはこうして国道を南下している。とはいえ、鉄道による輸送はやはりコストパフォーマンスに優れている。貨車に乗った車両は燃料を消費することもないからな。現に六一式戦車改は旧式だが、貨車に積載することを考慮して、全幅二・九メートルに抑えられている」
あはは、と厚意が笑った。
「時々思うんだけどさ、舞って教官になると面白いかも。あ、けどすぐ爆発するからだめか」
舞は黙ってシートを蹴った。
「あー、こちら植村。貴重な車義を聞かせてもらった」
近江に代わって新たに支援歩兵と名付けられた中隊の長に収まった植村から通信が届いた。
5121小隊はデフォルトで周枚数を自衛軍のものに合わせていた。
植村は善行から中隊の編成を命じられると、わずか一時間で傘下に加える隊のリストを作成、装備を受領して中隊の体裁を整えていた。軍歴があり、そして下関、宇部と粘り抜いた蓄積がすみやかな編成を可能にしたのだろう。
「植村中尉に来ていただいて、わたくし嬉しいです!」
壬生屋の声が割り込んできた。ふたりは下関戦で知り合いになったらしかった。
「そう喜ばれても困るが……、俺もいろいろ試したいのさ。歩兵ってのは本当は一番強いんだぞってな。あー、フレキシビリティって単語か? 君も見たろう? 今の歩兵運用はスポ根路線まっしぐらなんでなあ」
「はぁ……」
そういう話は壬生屋には理解できないらしかった。
「拠点防御、死守。それが歩兵の代名詞だった時代が続いた。今も続いている。ウォードレスが改良されても、野戦では物量に圧倒されるからな」
舞が話すと、矢吹の声が受けた。
「話をひとつ披露しよう。わたしが戦車小隊長の頃、植村中尉の小隊に引きずり回されてね。演習が終わるまでついに一兵も彼の兵を見つけることはできなかった。戦闘車両の車輪にやたらにペイント弾をぶちまけられていたがね。スコアはノースコアさ。戦評で彼が卑怯者呼ばわりされたことで笑ってしまったよ。歩兵が卑怯でなくてどうするか、とね」
「そんなことがあったんですか……」
厚志が感心したように言った。
「ふ。それって昔の話だろう? 今も状況は変わっていないよ。歩兵をインテリジェント化する予算をどうやってひねり出す? 戦車を減らすの?」
茜がここぞとばかり議論を吹っかけてきた。一連の会話にかなりご機嫌なようだ。
「ははは。まあ、そう言うな。兵員輸送車の装甲化などのハードウエアは目をつぶるとして、ソフトウエアは金がかからんぞ。植村中尉の真意はそこだろう」
瀬戸口が茜をたしなめた。
「うむ……君たちは面白いな。5121の底がまだ見えないな」
植村が朗らかに言った。
「……理解できない、ということか? 生き残るために人型戦車の長所短所を追求しているとそうなるのかもしれね」
舞は考えながら応えた。
「人型戦車とは戦車と歩兵の良いところと悪いところを同時に取り入れたような兵器だ。しかし、その上はさらにあるぞ。ふん、むろんその域に到達するパイロットは希少だがな」
はは、こういう会話が舞は好きなんだな、と厚志は微笑ましく思った。しかも好きそうなのは舞だけではないのが厚志には面白かった。
戦争は過酷だ。厚志自身も戦場で戦死者の埋葬を手伝ったことがある、ちぎれた腕を、脚を、首を、三番機を使って収容した。その時ほど戦争が嫌になったことはなかった。しかし、厚志自身は嘆くことをやめた。嘆き、祈るには自分の手は血に汚れ過ぎている。他の人たちに任せようと割り切っていた。人型戦車に乗った厚志の脳義の圧倒的な部分は戦場を疾駆し、敵を倒す爽快感に占められていた。
それでいいんだ、と今では思っている。みんながみんな、良い人になっても戦争は勝てないだろう。戦場こそ我らが故郷。なんていい言葉だろう。そして僕は舞が生きていてくれればそれでいい。
「そろそろ自動車道が見えてくるぞ。どうします、少佐? 道路北側の下右田《しもみぎた》、上《かみ》右田、どちらも狭いですが展開は可能ですね。それとも市街に展開しますか?」
瀬戸口が通信を送ってきた。しばらくして、矢吹が応えた。
「下右田から大崎にかけて展開。司令部、整備班及び迫撃砲小隊は希望ヶ丘団地に。あー、植村中隊は自走砲中隊、戦車中豚の順に警戒支援よろしく」
矢吹は善行に引き抜かれるにあたって、師団直轄の自走砲大隊から一個中隊を借り受けていた。代わりに戦車中隊を置いて行くはめになったが。
防府付近の自動車道は昨日と変わらず幻獣の縦列が続いていた。262号線から降りた戦車隊は小隊ごとにすばやく展開をはじめた。自走砲中隊は262号線に留まり、高所からの砲撃に備えた。
厚志と舞は無線を5121小隊の周波数に変更した。
「自衛軍の展開が終了した。K4信号付近にミノタウロス十一、ゴルゴーン八、キメラ二十。まずはこのご一行さんでどうかな?」
瀬戸口の提案に舞は「うむ」とうなずいた。
「あー、時に……滝川はどうなっている?」
来須と若宮に救出された滝川は、軽装甲の到着を待っていた。
「俺たちが出発した後、まっさらな新品が届いたようだ。現在、留守の狩谷とヨーコさんが点検を行っている。そうだな、二時間後というところか」
「……急げ、と言ってくれぬか?」
「狩谷はおまえさんのそのセリフを見越しているよ。しかし一応、伝えておく」
瀬戸口が請け合うと、舞は操縦席のシートを軽く蹴った。
「出撃だ」
「参りますっ!」
壬生屋の一番機が超硬度大太刀をきらめかせ、突進する。八百メートルほどの距離を駆け抜けたかと思うと、跳躍して路上に降り立った。
「壬生屋機、ゴルゴーン撃破……えと、もうひとつゴルゴーン撃破」
東原の声がコックピットに響き渡った。三番機も駆けていた。ジャイアントアサルトの二〇ミリ機関砲弾を壬生屋機の側に向いたミノタウロスの側面にたたき込む。爆発。同時に跳躍すると一体のゴルゴーンを蹴り飛ばした。
下方へのG! 有線式のジャベリンミサイルが正確に敵に突き刺さる。閃光。爆発。オレンジ色の業火の中で、二体の巨人は瀕死の敵にとどめを刺した。
「よし! 離脱するぞ! 市街側だ」
路上に留まること三十秒。複座型は路上から降りると、壬生屋の重装甲もそれに倣った。装甲の薄いキメラは全滅していた。生き残りのミノタウロスとゴルゴーンが一斉に一番機と三番機の側に回頭すると、戦車砲の音が韻々と空にこだました。
七四式戦車から放たれた一〇五ミリHEAT弾が敵の脆弱な背を突き破って爆発を起こす。
またたくまに四体のミノタウロスが爆砕された。その間、三番機は比較して装甲の薄いゴルゴーンを掃射していた。
敵は明らかに混乱していた。一瞬のうちに七割の戦力が消え失せた。しぶとく残ったミノタウロスが二体、自衛軍の戦車に突進をはじめた。これに路上での異変を察知した数千を越える小型幻獣が追随する。
そのタイミングを見計らって団地方面、そして国道から砲声が轟き、溜弾が小型幻獣に降り注いだ。最短で南北八百、最大で千二百メートルほどの狭い戦域である。密集していた小型幻獣は消滅を繰り返した。二体のミノタウロスは競うように射撃する戦車隊のはるか手前で爆発した。
「これだな」
矢吹が5121の周波数で話しかけてきた。このパターンだな、と言っている。
「うむ。時にスキュラ対策はどうなっている?」
「植村中尉の隊が付近の山に散っている。視認とレーダーで備えようと思う」
「わかった」
舞は無線を切ると、次の敵を探すべく戦術画面に目を凝らした。自走砲と重迫撃砲は、路上を移動する小型幻獣に溜弾の雨を降らせ扱けていた。
「あの……こんなものでよろしいんですか?」
壬生屋から通信があった。拍子抜けした感じである。
「なんの。次はもっと手強いやつをやる。瀬戸口……?」
舞が呼び出すと、瀬戸田は「お次のご一行さんは……」と広域レーダーを参照しはじめた。
「五分後に同地点にミノタウロス三十、ゴルゴーン二十八……うみかぜゾンビ十五が到着する。
ミノとゾンビでは若干時間差があるぞ。待てよ、うみかぜゾンビが進路を変えた。団地の方角に向かっている。油断するな」
ふむ、敵も考えているな。舞は今さらながら自軍の対空装備の貧弱さを痛感した。重迫撃砲陣地が機関砲の掃射を受ければひとたまりもないだろう。
「厚志、対空戦闘だ。団地へ向かう。壬生屋は陸戦型を頼む。……戦車隊を信用してくれ」
念のためにと舞が言うと、「わかってます!」と壬生屋は強い口調で応じた。
夏草が生い茂る田を駆け抜け、県道の斜面を登ると巨大な団地群が見えた。ヘリのローター音が耳にこだました。大わらわで迫撃砲を牽引車につなぐ兵の姿が見えた。舞は拡声器のスイッチをオンにすると、「煙幕弾を放つ」と兵らに告げた。
白溝する煙の中、うみかぜゾンビの編隊が団地をゆざして飛来する。舞はすばやくヘリをロックすると合図代わりに操縦席のシートを蹴った。
ジヤベリンミサイルがうみかぜゾンビを捉え、ヘリは炎上し、地上に激突して爆発した。生き残りは三機か……。煙が風で飛ばされ、運悪く見つかった牽引車に生体式機関砲弾がたたき込まれた。爆発が起こり、溜弾に誘爆して兵の悲鳴が聞こえた。
ジャイアントアサルトで一機、また一機と撃墜してまわる。自らの死を悟ったゾンビは、ヘリを団地の真っ直中で爆発させた。
「まったく……こっちの身にもなってよね」
原の忌々しげな声が聞こえた。
「整備班は無事か?」
尋ねると原は「運良くね」と応えた。
「ビルとビルの陰になって無傷。けどそうでない隊には損書が出ているみたいよ」
まだ見落としがあった……! ミサイルが間に合わなかったら団地の友軍は悲惨なことになっていたろう。
「矢吹だ。すまん、前に出過ぎた。司令部には損害がないが、迫撃砲小隊に十名はど死傷者が出た。隠蔽を急ぐ」
なんだか変な気配を感じたな――。
厚志は再び壬生屋の支援に向かいながら考えた。兵じゃない。幻獣の側だ。
うみかぜゾンビを最も有効に使うとしたら砲兵を襲わせるのが一番だ。ただ、団地の迫撃砲陣地は道路側からは見えないところにあった。
「昨日はうみかぜゾンビも何かに取り憑かれたようにまっしぐらに東をめざしていたよね。今日はこっちの一番の弱点を狙ってきた」
たぶん、あれだと厚志の勘が告げていた。舞も厚志の言葉の意味がわかったらしい。すぐに来須と若宮を呼びだした。
「例のやつが現れたと思うんだが。うみかぜゾンビで砲兵陣地と司令部を襲わせるなど手際が良すぎると思わぬか?」
知性体。病院を背にこちらを罠にはめようとしたあれ、だ。
「共生派ってことは考えられないか?」若宮がいぶかしげに言った。むしろそう考える方が自然だろう。「ふむ」舞もうなずいた。
「厚志、知性体と考えた理由はなんだ?」
「気配だね。背筋がぞわっとするような感じがしたんだ」
そうとしか言いようがなかった。舞は気難しげにうなって黙り込んだ。
その時、厚志に助け舟が現れた。
「ののみもそうおもうのよ。たかちゃん、だんちに幻獣がいるの。次はもっとたくさんの幻獣をよびよせるよ」
東原がしっかりした声で言った。
「わたし……も感じた」石津の声だった。
「ははは、オカルトだな、まるで。けどな……残念ながら俺も感じるんだよ。東原、団地のマップを拡大……どこいら辺だ?」
瀬戸口だった。5121の周波数で話していた。こんな会話は自衛軍には聞かせられない。
疑問符付きの目で見られてしまう。
「ここ」
東原の確信ありげな声が聞こえてきた。
「D3棟だそうだ。来須、若宮、捜索頼む」
「待て。どうしてわかるんだ? わたしは何も感じないぞ。また、知性体なら大量の幻獣に守られているのが普通だろう。この前のようにな」
舞が用心深く尋ねた。
「……俺は東原を信じる。おそらくそいつは単独で行動した方が効率がよいと踏んでいるのだろう」
来須がぼそりと言った。
「うむ。俺は何も感じないが、後方部隊がやられたら戦闘を続けることはできんからな」
若宮も同意するように言った。
「む……わかった。ふたりで大丈夫か?」
舞が尋ねると「ああ」と短く応えて来須は通信を切った。
二度、三度と幻獣の大群の中を駆け抜けていた。
壬生屋の一番機はミノタウロス三、ゴルゴーン三、キメラ八を超硬度大太刀の餌食にしていた。戦術の意味はわかっていた。オトリ役だ。敵は路上を降り、夏草が茂る田と集落が点在する道路北側に降りできた。
確かに一機だけだと手強い感じだ。特に距離をとった時のキメラは嫌な相手だった。スキュラとは比べものにならないが、そのレーザーは機関砲弾と同じぐらいの破壊力がある。ミノタウロス、ゴルゴーンの生体ミサイルよりも狙いは正確だった。これまでは複座のミサイルと、軽装甲の狙撃で始末してきた敵だった。
ジグザグに移動しながら、目についた白い建物をめざす。病院か? 走るうちに友軍の戦車は一体、また一体と敵を削ってゆく。戦術画面をちらと見た。自分を一直線に追っている赤い光点が分岐をはじめた。
そうか、これがオトリということなのね。壬生屋はくすりと笑った。自分が幻獣の其っ直中で大暴れするよりはるかに効率的だ。建物の陰に隠れたら体勢を立て直して逆襲だ。
「壬生屋、いい感じだぞ。今の会話、聞いていたな?」
「ええ。知性体の話でしょう? 戦闘はわたくしと芝村さんたちと、ええと……」
「ははは、そう気を遣うな。自衛軍の無線を聞いてみろ。魚群の真ん中で大漁にはしゃいでいる漁師みたいだぞ」
「ふふふ」
ジャイアントアサルトの音がした。側面から複座型が援護射撃をはじめた。一体のキメラが爆発した。士魂号以下の戦車部隊は、ふらつく敵になおもボディブローをくわえ続けた。
「なるほど、これは使えるな」
植村は瓦礫の陰に隠れて幻獣を引き回す一番機を見つめていた。すぐ横に展開している七四式はすでに三体の幻獣を葬っている。溜弾からかろうじて逃れた小型幻獣が向かってきたが、なんなく処理した。第一中隊隊長車は、団地のある山の麓付近に展開していた。幸いなことに民家があり、彼は分隊を率いて民家を盾として警戒に当たっていた。
「にしてもあのお嬢さんがあの黒いやつのパイロットとはね。確かに普通の学兵とは違うとは思っていましたけど」
眼帯をつけた伍長があきれるように重装甲の動きを見守っていた。確かにあきれる。重火器は一切使わず、ふた振りの超硬度大太刀で時代劇のように敵をばっさばっさと斬ってまわる。
はじめて見る自衛軍の兵には度肝を抜かれる光景だった。
「しかし……あの時、なんであそこにいたんですかね。石津の嬢ちゃんはわかりますけど」
伍長はすっかり重装甲のファンになったようだ。厳つい下士官顔がほころんでいる。
「まあどの隊にも事情はあるさ。しかし……」
植村は首を傾げて壬生屋機の動きを追っていた。
また幻獣の群れの中に躍り込んだ。唐竹割りに斬り下げられ、一帯のゴルゴーンが派手に爆散した。壬生屋機はその瞬間、付近にいたミノタウロスの背後にまわり、飛び散る強酸の盾としていた。強く、速く、賢く立ち回っていた。盾とされたミノタウロスは壬生屋機に向き直ろうとするが、敵が無防備になったその瞬間、超硬度大太刀が一閃した。
五体のミノタウロスが突進。壬生屋機は路上から降りると、こちらに向かって走ってくる。
追撃する敵は十体。各所に展開している七四式の一〇五ミリ砲が火を噴き、九二式、九五式の機関砲が曳光弾の尾を引いて敵に吸い込まれてゆく。
と――植村の隊長車の横に地響きをたてて漆黒の機体が降り立った。民家を盾として、膝を曲げ、蝶が羽を休めるように休止の姿勢をとった。幻獣の体液にまみれた二本の超硬度大太刀を植村は車外に出るとおそるおそる見上げた。
重装甲のレーダードームが植村の方を向いた。
「どうした……?」
植村が直接声をかけると、少しして拡声器から声が聞こえてきた。
「今、集中力を高めているところです。……少し休んでから出撃します」
「……わかった。警戒は任せてくれ」
植村はそう言うと、零式直接支援火砲を手に取った。
声に疲労があった。人型戦車のパイロットというのはそんなに疲れるものなのか? それともわずかなミスが死を招く白兵戦が原因か?
「なあお嬢さん、聞きたいことがあるんだが……」
どうして下関で衛生兵の真似事などしていたのか、と尋ねようとして植村は口をつぐんだ。
返事はなく、漆黒の童装甲は微動だにしなかった。レーダードームの光も消えていた。
眠っているのか? 五分ほどして、ようやく重装甲は身を起こした。
「無理はするなよ」
植村が声をかけると、「ええ」と静かな声が戻ってきた。
「君は無理をする必要はないんだ。戦車大隊が手ぐすね引いて敵を待っているし、俺たちもそこそこ戦える。……信じてくれていいんだぞ」
「ありがとうございます」
壬生屋の声が拡声器から流れた。植村はその声に一抹の不安を覚えた。下関で重傷の兵に手榴弾を渡した自分にくってかかった時とは別人のようだ。相当に疲れている――。
「あー、壬生屋のお嬢さん。しつこいようだが、仲間を、それからおじさんたちを信じて気楽にやってくれ」
植村が冗談交じりに言うと、拡声器からくすくすと笑い声が洩れた。
「おじさんって中尉殿のことですか?」
「まあ……お兄さんと言うには微妙なお年頃だしなあ。……俺には人型戦車のことはわからんが、君は一番忙しい役をやっているように見える。適当に手を抜くことも必要だぞ。先発投手が全力投球ばっかりじゃ持たないだろう」
たとえがまずいかな、と首を傾げながら植村は言った。
「……よくわかりませんけど、それって野球の話ですか?」
壬生屋に尋ねられて、植村は顔を赤らめ言葉を探した。
「ええと、つまりだ。スタミナの配分を上手く計算するのが良い先発投手の条件なんだ。それと……君が俺たちを守るように、俺たちも君を守る。だから無理をするなってことさ。以上」
「……肝に銘じますわ」
壬生屋の声が流れ、垂装甲は再び敵に向かって遠ざかっていった。
「中尉殿はあの娘がお気に入りみたいですな」
伍長が傍らに立った。植村は「うむ」とうなずいた。
「気になる、と言った方が正しいだろうな。お嬢さん、相当に疲れている。あの性格だから無理をしなけりやいいんだが」
伍長も思うところがあったらしく、「なるほど」とつぶやいた。
「あのお嬢さんには、なんとなく危なっかしいところがありますからな」
「そうだな。さて……、通信兵!」
植村はおもむろに通信兵を呼んだ。
「自走砲中隊に付いている連中に十分ごとに状況を報告するように言ってくれ」
「了解」
装甲が薄く、露出している自走砲は小型幻獣の襲撃にも耐えることができない。植村は、これと見込んだ一個小隊を護衛に付けていた。
壬生屋機は再び路上にあって、大太刀を振るっていた。
ずしりと衝撃が腹に響いて、七四式の一〇五ミリライフル砲が火を噴いた。高速回転しながら飛ぶ砲弾は七百メートル先のミノタウロスに突き刺さった。大爆発。車内から歓声が聞こえた。これで壬生屋の「追っかけ」がまた一体減った。
対空戦闘に参加していた複座型が、ジャイアントアサルトを連射しながら逆方向から敵の側面をとらえた。敵は分散して、方々に散っている戦車小隊に向かうが、その反撃も戦車、戦闘車両の砲撃の前に潰えた。
「矢吹だ。中隊の様子はどうだ?」
司令部の矢吹から無線が入った。
「今のところ暇ですね」
「塹壕は?」
「遮蔽物が見つからない場合のみ掘らせています。しかし人型戦車というのは鬼のような働きをしますな。あの小隊だけで八百を超える幻獣を撃破したのもうなずけます」
「戦車と連携すれば倍の威力を発揮するよ。まあ、君にも良い目を見せてやろうと思ってね。ずいぶん苦労したようじゃないか」
二年前、矢吹の属する部隊と演習を行った時も植村は中尉だった。派閥にこだわらず、はっきりとモノを言う性格が災いして、未だに中尉のままでいる。軍人の家系のサラブレッドの矢吹にはわからない陰湿な事情もあった。
「これから少しづつ対戦する敵の規模を大きくしてゆく。君が忙しい、とこぼすあたりが限界と心得ておこう」
応える代わりに植村は高笑いした。こいつは良いサラブレッドだ。
実は内心では浮かれるどころではなかった。ほぼ暗黙の了解のように、植村の中隊は小隊ごとに煙幕弾を装備していた。有力な数のスキュラが出現したら、歩兵は煙幕を放ち、戦車隊が撤退するまでの時間を稼ぐ。そのために支給された零式ミサイルであり、貴重な九九式熱線砲……通称レーザーライフルだった。
スキュ三体を歩兵ひとりで引きつければローコストで支援ができる。煙幕の中、動き回る的の小さな歩兵にレーザーを命中させるのは敵にとっても容易なことではないだろう、と。矢吹の言う「良い目」とは軍人独特の冗談だ。
要は引き立て役の生け贅だ。
しかし、新たな戦術を追求しようとしている矢吹が、どうやら自分を敢えてパートナーに選んだことは紛れもない事実で、それまで名ばかりの沿岸警備師団で腐っていた植村には軍人として本望だった。
そもそもあのお嬢さんと出会ったのが運命の分かれ目ってやつか? 植村の白は巧みに遮蔽物を利用しながら敵を引きつける漆黒の重装甲を追っていた。
八月八日 一一四五 団地
住民が疎開した団地は不気味に静まり返っていた。自転車置き場にぎっしりと置かれた自転車が、捨てられた三輪車があわただしい避難を物語っていた。
知性体を発見すると言っても……。若宮は入り口で立ち止まった。
「来須、おまえ、知性体とやらの気配を感じるか?」
来須は黙って首を横に振った。
足音がした。銃を構えると、石津がふたりの前にたたずんだ。昨夜と同じパターンか? 若宮はあきれて、
「無断外出じゃないだろうな」とぼやくように言った。
「瀬戸口……さんが……行けって」
正直、戦闘ができない石津の存在は気を遣う。しかしまあ、アンテナ役がいないからしょうがないかと若宮はため息をついた。
「……俺たちのそばを絶対離れるな」
石津は心得たように首を縦に振った。
電力不足の昨今、エレベータを使用している集合住宅はなかった。石津を先頭に、三人は階段を用心深く上がりはじめた。直線的な廊下に、ピンク色に塗られた鉄のドアが並んだ殺風景な団地だった。どの階のどの廊下も衣類、電化製品、雑誌など、細々としたものが廊下に散乱していた。風が吹いて、雑誌がばらばらとのくれる音がした。
若宮の目には、それでもそんな人の温もりの残滓《ざんし》が懐かしく、羨ましかった。
将未は、こんな団地のひと部屋に入って、テレビドラマで見るような生活を営みたかった。
戦争が終わったら……そうだ、戦争が終わったら善行さんに除隊を顔み込んでみよう。子供はふたり、となぜか決めていた。それ以上、申請するとラボに取られる可能性が大きくなるしな。
あいつはきっと元気な母親になってくれるだろう。そうだ、ひとりは医者、ひとりはスポーツ選手で決まりだ。
「若宮」
来須の声に我に返った。四階に上る階段の踊り場で石津は立ち止まっていた。こめかみを押さえて、つらそうにしている。
「この先。気を……つけて。浸透力を持っている……わ」
「なんだそれは?」
若宮が尋ねると、石津は汗をぬぐって「心に忍び込むの」と応えた。
「行くぞ」
来須はサブマシンガンを構えると、先頭に立って廊下の様子をうかがった。例に洩れず廊下は静まり返っていた。石津はこめかみを押さえながら、来須の後に続くと、「ここ……よ」と
ピンク色のドアを指し示した。郵便ポストに新聞とダイレクトメールが詰め込んである。表札を見ると、「嘉村《よしむら》健一・昌子・歩・亜美」と子供の字で書かれてあった。
来須はドアの前で立ち止まり、爆発物探知用のセンサーを取り出した。慎重に、丁寧に走査する。そして石津と視線を合わせるとうなずき会った。
若宮は正面から突入する来須を援護するポジションをとる。石津は来須・若宮から離れて、ホルスターから白式と呼ばれる量産型の拳銃を取り出した。
ドアノブを静かにまわして、来須はいっきに押し開けた。サブマシンガンを乱射しようと引き金にかけた指が止まった。
ジーンズにタンクトップ姿の六才ぐらいの少女ががらんとしたリビングにたたずんでいた。
手間のかからないショートカットに、熊のぬいぐるみを抱いている。少女は来須の姿に驚いて飛び退いた。
「こいつは……」
若宮は言葉を失った。少女はぬいぐるみを抱きしめて、怯えた表情でふたりを見上げた。なぜここに? 取り残されたのか?
「父さん、母さんはどうした?」
若宮は努めてやさしい笑顔をつくると、少女に歩み寄ろうとした。
銃声が聞こえて少女の頭蓋が粉砕された。目を見開き、若宮を見つめたまま少女は仰向けに倒れていった。
「石津、貴様……!」
若宮が腕を振り上げると、来須にがっちりと腕を掴まれた。石津は両腕でしっかりと拳銃を固定したまま、微動だにしなかった。
「よく……見て」
滴る汗をぬぐいもせず、石津は静かに言った。若宮はぼんやりと石津の視線を追った。そこには少女とは似ても似つかぬ何かが転がっていた。人型をしているが、人という種を揶揄するような、醜悪でグロテスクな何かが消滅しつつあった。
若宮は胃からこみ上げてくる酸を呑み込んだ。
「とても手強い相手……わたし……の……記憶を操ろうとした……の」
石津の目には憎しみの光があった。来須が石津の手に触れた。拳銃を構えたまま硬直した石津の腕がぎこちなく降りていった。
「……病院で見たやっとは違うな」
若宮がようやく自分を取り戻すと、来須は黙ってうなずいた。消滅しつつめる敵を、来須はデジカメで撮影した。
「精神への汚染力を持っている。単に司令型というわけではないだろう」
「嫌な相手だな」
若宮がやっとそれだけ言うと、来須も石津もうなずいた。味方を誘導するのはこのタイプの本来の役割ではないだろう。本来の役割は人間の操作、支配だ。
「しかしこんな連中が次々と……」
「日本に……来てから……生まれたの。幻獣も……」
石津が若宮の言葉を遮った。
「敵も滅びの深淵をのぞき込んでいる。そのために突然変異した決戦型のひとつだろう」
来須の言葉の意味を理解するのに、若宮は時間を費やした。
知性体撃破の報告を聞いて、瀬戸口はほっと胸を撫で下ろした。
幻獣……鬼……の中では最も厄介な存在だった。司令型幻獣、寄生型、知性体、寄生体と呼び方は一定していないが、突然変異的に出現するこの種の敵に人類は常に悩まされてきた。それは瀬戸口自身が一番よく知っている。
それにしても話に開く限りでは、そこそこに高度な知性体だ。うみかぜゾンビを誘導して迫撃砲陣地を襲わせる、などとあまりにも単純過ぎる。
精神汚染か……?
瀬戸口は、はっとして矢吹に連絡を取った。
「撃破した知性体は精神汚染能力を持っているものと思われます。来須、若宮を至急司令部に向かわせます。挙動不審な兵に注意するように」
「どういうことだ?」
矢吹の面食らった声が聞こえた。
不意に機銃の音がこだました。幕僚の少尉に命じて、様子を見に走らせると、少尉は血相を変えて戻ってきた。
「迫撃砲小隊同士が撃ち会っています! 生き残りの兵は確認できませんでした!」
矢吹は茫然と幕僚たちと顔を見合わせた。銃声は迫ってくる。矢吹は自ら拳銃を取り出すと、
「至急、司令部付きの兵をまとめてくれ」と命じた。
銃声が聞こえた。何が起こったのか、原は一瞬考えたが、すぐに整備員に補給車、トレーラーへの乗車を命じた。
「こちら整備班の原です。状況を」
原が問い合わせると、矢吹の声がすぐに返ってきた。
「確認できないのだが、幻獣に操られた兵が暴れているらしい。君たちは至急A3棟の司令部に合流するように」
「了解しました」
またか……。原は唇を噛んだ。化け物。原は吐き気を抑えて、補給車のハンドルを握っている中村に命じた。
「聞いた通りよ。すぐに合流して」
「……じゃっどん、操られた兵は迫撃砲を持っとらんかね?」
重火器を持ち出されれば、司令部も整備班も終わりだ、と言っている。
「来須、若宮が司令部に向かっている。安心してくれ、とまではいかんが、固まっていた方が救援を送りやすい」
瀬戸口が通信を送ってきた。
「あのね、げんじゅうがたくさんしれいぶにむかっているよ」
東原の不安げな声が聞こえてきた。
「どうろをそれて、赤い点がぜんぶむかっているの。たかちゃん……舞ちゃん、どうする?」
「司令部及び整備班は262号線まで下げてくれ。ふむ、下右田の北二キロにゴルフ場があるな。そこで待機……矢吹少佐、どうだろう? 戦闘部隊は敵を迎撃するになんの支障もない」
舞は不意に矢吹に呼びかけた。司令部はおそらく自衛軍と5121の無線を聞いているはずだ、との確信があったようだ。
「了解した。原中尉、合流はなしだ。すぐに262に。友軍の懐に潜り込んでくれ」
了解の旨の返事を送ると、原はほうっとため息をついた。たった一体の疫病神が状況を変えてしまった。まあ、方面軍司令部を乗っ取ろうとするような連中だから当然だけど。しかし、苦い思いとは裏腹に、原の目は輝いていた。絶体絶命、素子ちゃん大ピーンチ! 新型機の開発に携わり、心の底によどんでいた狂気が、いっきに押し流されるようなそんな開き直った感触がよみがえってきた。
「さあ、とっとと逃げるわよ。目標はゴルフ場きれいにパターを決めるわよ」
原は地獄を見ずに済んだ、と言うべきだろう。
司令部の車両のすぐそばで溜弾が爆発した。司令部にしていた建物の玄関付近に十二・七ミリ機関砲弾が浴びせられ、数人の兵が瞬時にしてずたずたになった。血しぶきと、飛び散る肉片に司令部付きの兵も将校も怯え、あたふたと建物に逃げ込んだ。
まったく……どうしてだ? どういうことなんだ?
かばおうとする幕僚の手を振り払って、矢吹はサブマシンガンを手にした。精神汚染とやらをされた兵はそんなに多いのか? そもそも精神汚染とはなんだ? 疑問だらけで叫びたい気分だったが、部下の手前、冷静な表情を保っていた。
「5121小隊の来須だ。状況。一、迫撃砲小隊の兵が一名。錯乱状態となり、サブマシンガンを乱射。パニックに陥り、逃げる隊員に代わって大量の共生派が丘の斜面から出現した。二、俺と若宮は現在十名ほどの隊員を掌握し、敵共生派と戦闘中だ。三、なお、兵の錯乱の原因であると思われる知性体は処理終了」
無線が入って、歩兵用携帯無線独特の雑音混じりの声がした。
「……というわけです。こちら相棒の若宮であります。まあ、おっつけお迎えにあがりますよ」
無機質な男の声に代わって、若宮と名乗る兵は状況を楽しんでいるようだった。しかし、矢吹に一度取り憑いた怯えはなかなか去ってはくれなかった。無理もない。実戦は二度目だ。しかも人間の体があっというまに肉片と化すところを目の当たりにした。
「……司令部は包囲されている。一歩も動けない状況だ。戦力は極めて弱小、急いでくれ!」
なんという体たらく! 学んだと思ったのに、またしても状況は悪化しつつある。矢吹家は維新以来、ずっと有能な軍人を輩出してきた。三人いた兄弟同士の会話も将来は陸軍にするか海軍にするか、新型兵器の性能はどうかというような話ばかりだった。たまに帰宅する父親はこわくて近寄れない存在だった。
八代会戦で兄と弟が戦死してから、矢吹家の男は自分だけになった。実は、何度も軍を辞めて天文学を勉強し直したいと父に言い出そうと思っていたのだが、あきらめた。天文学は本当に才能があり、その学問が好きな者に任せよう、と。代わって自分は、ひとりひとりの国民の未来を守る盾となろうと思った。
しかし……甘いのか? しょせん自分は軍人としても甘いのか? まさかの事態に備えることもできず、こうして最期の時を迎えつつある。
建物内の窓から敵に銃撃を加えている兵はわずかだった。それも圧倒的な機関砲弾の前にすぐに床に伏せた。今にも敵が踏み込んで来そうな状況に矢吹は絶望した。
共同作戦の成果を見ようと前線に出過ぎた。まさか司令部に真っ先に狙いをつけてくる敵が存在するとは思わなかった。彼にとっての幻獣とは、思考力を持たず、ただ本能に従って人類に攻撃を仕掛けてくる昆虫のような存在だった。
一二・七ミリ機関砲の掃射音が鼓膜に響いたかと思うと、静寂が訪れた。気が付くと矢吹は建物内の会議室のデスクの下に潜り込んでいた。他の者も同じようなもので、静寂が戻ったと同時に床から立ち上がった。
サブマシンガンの音にビクリと身を震わせたが、すぐにやけに陽気な兵の声が聞こえた。
「敵さんは片付けましたよ。ゴブが到着するまで一分というところですか。さあ、とっとと走りましょう。裏の林を駆け抜けると国道に出ます」
四本腕の可憐を着込んだ若宮が、憔悴した矢吹の姿を認めるとにやりと笑った。
「車両は使えんか?」
「今からだと麓のキメラ、ゴルゴーンの砲列に入っちまいますね。それでもよければ」
矢吹らより二分ほど早く車両を発進させた整備班は、案の定、小型幻獣の大群をかき分けるはめになった。ゴブリンの斧が補給車に打ち付けられる。至近距離ならウォードレスを切り裂く斧だったが、補給車、トレーラーは頑丈だった。踏みつぶした敵の体液によるスリッブに神経を使いながらも運転手の中村は、団地への坂道を降りるとすぐに左折、友軍の方角に向け、ぐっとアクセルを踏み込んだ。
前方に小さく見える戦車からたて続けに煙が立ち上った。砲弾は補給車の頭上を通え、百メートルほど後方の幻獣の群れの中で爆発した。
「まくるばい!」
中村は叫ぶと、前方に立ちはだかったゴブリンリーダーをはね飛ばした。
「原さん、もうわたし限界ですっ……!」
後続する一番機トレーラーの森が叫んだ。「森さん、泣いたら危ないよ!」助手席の新井木がオロオロとして言った。
「ほほほ。あなたの限界ってそんなものなの? まったく……暴露するわよ。昨日の夜、遅くまで滝川君とイチャイチャしてたでしょ。不潔……!」
原は澄ました声で森に通信を送った。
「ヒェェェ。とうとうやったかあ!」新井木の声が聞こえた。
「そ、そんだら不潔なこつは……わだし、やってません!」森は必死に抗議をした。
「どこの言葉よ、それ。少しはヨーコさんの落ち着きを見習うことねって運転は岩田君? 三番機トレーラー、ご機嫌いかが?」
「ご機嫌ヨロシですー」岩田の興奮した声が聞こえた。
「ぐちゃぐちゃゴブを踏みつぶすのが快感ですゥゥゥ。人生豊かになりますねェェェ!」
そう豊かになるとも思えないんだけど……岩田の何事にも動じないイカレっぷりにはこれまでずいぶん助けられた。
「ヨーコさん、大丈夫?」
「ハイ。ぐちゃぐちゃは楽しくありませんケド、岩田君、運転上手ですネ」
ヨーコはいつもと変わらのにこやかな口調で答えた。
「というわけよ、森さん……。この臆病者! 戻ったらわたしの一番弟子、新井木さんかヨーコさんにするかも。あなた、仲間ハズレのイジメられっ子に転落ね。お昼ご飯、誰からも誘われなくって、教室でひとり寂しくやきそばパンを食べるの。それで背中に『臆病者』の張り紙貼られたりして」
原は内心で笑いながらも冷たい声で言った。
「そ、そんなの嫌ですっ! わたし、姉さん……じゃなかった原先輩に見捨てられたら、やけ食いして死にます!」
森は真に受けて、必死に懇願した。
「ヒィー、お姉さまだって……! 森さんって密かにそういう趣味だったのね!」
新井木はリトマス試験紙のようにすばやく反応した。
「違う違う違う!」
などと言いながらも皆、目を血走らせてゴール地点をめざしているだろう。ふと横を見ると二百メートルほど南でキメラが砲列を組み終わったところだった。マジ……? と思うまもなく漆黒の重装甲が砲列に襲いかかった。
「壬生屋さん、ごくろうさん。後はお任せするわね」
「はいっ! お任せしちゃってけっこうです!」
壬生屋の凛とした声が無線機から響いた。
「前方に戦車二両。じきに助かるばいね」
「GOGO」中村を励ます原の顔が凍りついた。
戦車が突如として爆発した。スキュラ! 原は一瞬、判断に迷った。このまま262号の入り口に突進すればレーザー光に粉砕されるのではないか? ここまでの経験から考えて、敵の優先順位が戦車より補給車にあるとしても不思議ではなかった。
どうする? 戻るわけにはいかないし。原の視野が突如、濛々とした煙幕て曇った。そうだ、走り抜けよう! 原が「突っ切るわよ」と言おうとした時、開き慣れた声がした。
「へっへっへ、スキュラごちっす」
滝川君! 声をかけようとしたが、たちまちパイロットたちの声で無線は埋まった。
「スキュラは二体。山陰に潜んで入り口から262に抜けようとする車両を張ってやがった。五百の距離からライフルを撃てば一撃なのなー。なあ、間抜けなスキュラっている? 接近しても気づかねえでずっと俺にエビさん尻尾見せてやがったよ」
滝川はさらに一体しとめたようだった。無線を通じて爆発音が聞こえてきた。
「大遅刻だぞ、滝川」
舞が憮然として言った。
「へへっ、それって俺が下関で言ったことじゃん」滝川は笑って言い返した。
「……今回の戦いでは知性体が幻獣に指令を送っていたふしがある。皮肉なことにスキュラは指令とやらに縛られて、そなたの接近に気づかなかったのであろう」
舞は冷静に分析した。
「知性体……? なにそれ?」滝川の反応は相変わらずのんびりしたものだった。
「頭がよくて、他の幻獣に指示するんだ。人間と同じさ」
厚志がかいつまんで話した。しかし、滝川は「へへへっ」と楽しげに笑った。
「けどさ、幻獣が人間のまねしてもしょうがないんじゃね? スキュラのやつら、なんだかフリーズしたみてえに動かなかったぜ」
「そうなのか? 戻ったら詳しく聞かせてくれ!」
茜が興奮を隠さずに無線に割り込んだ。
「んじゃ、お好み焼き行こうぜ。ここらじゃ珍しい関東風の店見つけたんだ。俺様が焼き方の基本ってやつを伝授してやる。あ、あとな、人手が足りているんでってことで田代が隊に戻ってきたぜ。へっへっへ、俺様がセッティングしてやる」
「そ、それは別に……」
茜は急に勢いを失った。
「この大たわけ! まだまだ狩りは続けるぞ。滝川、壬生屋、いいな……!」
舞の憤然とした声に、「ラジャ!」「了解です」とふたりのパイロットの声が続いた。
……この日、矢吹少佐揮下の善行戦闘団は、中型幻獣撃破百二十八、中大型幻獣撃破二の勝利を収めた。人類側の損害は戦車小中破三、死傷五十八であった。このうちほとんどの死傷者は司令部要員と重迫撃砲小隊のものだった。
司令部要員にとっては厳しい戦争であったが、戦術はしだいに煮詰められていった。
とはいえ間一髪の危機を免れた原素子以下の整備班の怒りはすさまじく、矢吹少佐は神戸モロトフ社製の高級チョコレートを土産に平身低頭謝る羽目になった。さらに対空戦闘への対処法という課題は相変わらず残っていた。
仮にスキュラが十体戦闘に参加してきたなら、状況は異なっていただろうというのが戦闘団スタッフの一致した意見だった。
岩国外郭陣地が敵陸戦型幻獣と交戦状態に入ったとの報《しらせ》と、萩市《はぎし》陥落の報が同時にもたらされたのはそんな折りであった――
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附・本書に登場する武器等について
【人類側自衛軍及び学兵装備一覧】
○戦車随伴歩兵用武装
・九七式突撃銃
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歩兵用の標準的な本国仕様の小銃。口径五・五二ミリ。装弾数三十。
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・七〇式軽機関銃
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九・二ミリ拳銃弾を使用する本国仕様のサブマシンガン。装弾数九十。
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・八八式軽機関銃
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同じく九・二ミリ拳銃弾を使用。装弾数に大幅に改良が加えられた本国仕様のサブマシンガン。装弾数百二十。
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・九九式軽機関銃
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同じく九・二ミリ拳銃弾を使用の本国仕様のサブマシンガン。装弾数百八十。集弾性能、初速、有効射程など八八式の進化型。来須銀河の副武装のひとつ。本巻では本田も装備。
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・九七式軽機関銃
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熊本戦で使用されたサブマシンガン。装弾数八十。旧時代のトンプソン軽機関銃に似た形態を持つ。
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・六九式突撃銃
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本国仕様の小銃。口径は五・五二ミリ。九七式より威力がある。主に第一線級部隊に少数配備か。装弾数二十六。
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・九四式小隊機関銃
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口径一二・七ミリ。ガトリングタイプのヘビーマシンガン。通常は三脚等に装着し、銃手と給弾手を配する。熟練したガンナーのみが単独で射撃可能。熊本戦以来、橋爪が愛用。若宮の可憐にも四丁装着されている。
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・九九式熱線砲
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通称レーザーライフル。冷却器の関係から再チャージに十二秒かかる。バッテリー容量は三十射分。天候がクリアな状態なら六千メートルの射程を誇る。来須の主武器。
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・九九式直接支援火砲
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歩兵用対地対空ミサイル。本国仕様。歩兵の対中型幻獣用兵器として開発された。装弾数四。射撃三百メートル。
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・零式直接支援火砲
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同対地対空ミサイル。故障の多かった九九式の後継機。性能は同じ。
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・手榴弾ホルダー
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歩兵の標準装備。装弾数六。
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・工兵用手溜弾
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工兵用の手榴弾。瓦礫、障害物等、爆破の必要から歩兵用の三倍の殺傷力を持つ。橋爪の属する合田小隊は箱ごと持ち歩いている(榊創作)。
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・五四式機関砲改
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砲兵用の携帯用グレネード兵器。山口戦ではごく少数が使用された。
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・四〇ミリ機関砲
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六十年以上に渡って改良を続けながら使用されてきた北欧製の傑作高射機関砲。炸裂弾、徹甲弾、溜弾、ナパーム弾の使用が可能。自衛軍も多数所持。
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・八一ミリ迫撃砲
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歩兵用の携帯型迫撃砲。三十八sという軽さを誇る。射程五千六百。
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・百二十ミリ迫撃砲
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重迫撃砲。車両に搭載して使用することが多い。通常射程八千百。八一ミリとともに各中隊に一個小隊が配備される(×四門)。機械化の有無でどちらかになる。
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・シグ・ザウエル
[#ここから2字下げ]
スイスSIG社P220のライセンス生産モデル。日本人の体格、掌の大きさに合わせた単列弾倉を採用しているため装弾数は九と少なめ。抜群の集弾性能を誇る。高級軍人にのみ支給され、一般の軍人は銃砲店にて個人的に購入している。
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・白式車銃(私物)
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同じくP226のライセンス品。安価に大量に生産するためにさまざまなローカライズが行われている。複列弾倉採用のたゆグリップが大きくなっている。装弾教十四。装弾数こそ多いが、前者は贅沢品。白式は標準品である。支給はされず、自衛軍の購買部にて購入可能。
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○ウォードレス
・互尊
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熊本戦時代の標準的な歩兵用ウォードレス。本土でも後備の隊に時折見られる。
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・可憐
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熊本戦で絶大な威力を発揮した重ウォードレス。四本の腕に七・六二ミリ機銃を装着可能。若宮の一二・七ミリバージョンは、原素子の大幅なチューンナップにより可能となった。
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・久遠
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さまざまなバリエーションを持つ女性用ウォードレス。熊本戦で使用された。女性のボディラインをよく表現しており、機動性に優れる。山口戦でも学兵出身の島村はこのウオードレスにこだわりがあるらしく、愛用。
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・武尊
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互尊の改良型だが、人工筋肉を大幅に換装。熊本戦時代には本国仕様の当時最新だったアーリーFOXに匹敵するとされ、「空を走る」と謳われた。来須銀河が現在も愛用。
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・アーリーFOX
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自衛軍戦車随伴歩兵の標準的なウォードレス。マイナーチェンジ及びチューンナップによりさまざまなバージョンがある。指揮官型は三型。
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・FOXキッド
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戦車兵用ウォードレス。車内で活動する必要から装甲等は最低限。
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・テンダーFOX
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衛生兵用ウォードレス。野戦病院への後送の手間を省くため、ドレス内に医療機器及び人工筋肉の修理機能が備わっている。山口戦では衛生兵垂涎の貴重品。
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・烈火
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戦車並の装甲を誇る重ウォードレス。山口戦の段階では試作品が少数出回った。
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【士魂号】
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全長八メートルの巨人。日本の風土と日本人の趣味嗜好の影響を濃厚に受け、開発された二足歩行の人型戦車。日本の複雑な地形――地形踏破性を重視して研究・開発された。開発責任者は人工筋肉と関節工学の権威フランソワーズ・茜。茜大介はフランソワーズの子であり、原素子はその弟子だった。
複座型は砲手兼オペレータを採用した結果、単座型の十倍の情報を処理できる。最大の武器はその処理能力を生かした有線式ジヤベリンミサイル。最高時速は単座型軽装甲(防弾板をほとんど装着していない)で時速百キロ。複座型で公称八十キロである。
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○士魂号用武装
・ジャイアントアサルト
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二〇ミリガトリング機関砲。装弾数九十。
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・九二ミリライフル
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当初開発された一二〇ミリ砲の使い勝手が悪過ぎたため急遽開発されたスケールダウン版。各種弾薬の使用が可能で装弾数七。射程は五百〜千。山口戦では二番機の滝川が愛用。
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・ジャイアントバズーカ
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一六〇ミリ口径の使い捨てバズーカ。山口戦では予算削減及び後継機の武装開発のため、すでに生産中止となっている。
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・超硬度大太刀
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中型幻獣の分厚い装甲を切り裂くために開発された。予算削減のため、公式には生産中止。現在広島に移転している北本特殊金属が注文生産を受けている。
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・有線誘導式ジャベリンミサイル
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対地対空両用のミサイルランチャー。ジヤベリン改ミサイルを二十四発発射できる。射程はおよそ三q。
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○自衛軍戦闘車両
・六一式戦車
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旧軍解体後初の国産戦車。日本人の体格に合わせたすみやかな射撃を行うために主砲には九〇ミリライフル砲を採用。砲塔部に一二・七ミリ機銃。主砲同軸に七・六二ミリ機銃を装備。日本の鉄道の狭軌ゲージを考慮して全幅は二・九メートルに抑えられている。砲弾数は五十発。
[#ここで字下げ終わり]
・七四式戦車
[#ここから2字下げ]
六一式の後継機種。主砲には一〇五ミリライフル砲を装備。一二・七ミリ機銃、七・六二ミリ機銃の装備は六一式に準ずる。優秀な油圧サスペンションを採用したことにより、起伏の多い日本の地形に対応、通称「登山戦車」と呼ばれる。さらに進化した射撃統制装置、砲スタビライザー(安定装置)を装備した結果、効率的な稜線射撃(地形を利用した射撃)が可能となっている。
[#ここで字下げ終わり]
・九〇式戦車
[#ここから2字下げ]
七四式戦車の遺産を継承しつつ、自動装填装置の採用など、新機軸が取り入れられている。主砲は一二〇ミリ滑腔砲、一二・七ミリ機銃、七・六二ミリ機銃は六一式、七四式と同じ。
[#ここで字下げ終わり]
・九二式歩兵戦闘車
[#ここから2字下げ]
日本の道路事情に応じたすみやかな展開をはかるために開発された本国仕様の装輪式戦闘車。二五ミリ機関砲(弾数七十五)、対空誘導弾(弾数六)を装備。
[#ここで字下げ終わり]
・九五式対空戦車
[#ここから2字下げ]
九二式とシャシーを同じくする対空特化型として開発されたが、対地戦闘でもめざましい活躍を示した。二〇ミリガトリング砲(弾数九十)を装備。
[#ここで字下げ終わり]
・七五式自走溜弾砲
[#ここから2字下げ]
強力な一五五ミリ溜弾砲を装備する小型幻獣スウィーパー。他に一二・七ミリ機銃を装備する。最大射程は十九q。
[#ここで字下げ終わり]
・厳島
[#ここから2字下げ]
敗色濃厚な旧軍が軍港防衛のために造り上げた四〇センチ列車砲。旧軍の妄想の産物として歴史の闇に埋もれていたが、航空溜弾の発射台として復活(旧軍の妄想=榊の妄想)。次巻より登場。
[#ここで字下げ終わり]
【幻獣側 武器及び攻撃方法一覧】
○幻獣
・ゴルゴーン
[#ここから2字下げ]
中型幻獣。背中に九十発の生体ロケットポッドを保有する長距離支援型幻獣。四足。接近戦では体当たりで攻撃を行う。
[#ここで字下げ終わり]
・ミノタウロス
[#ここから2字下げ]
中型幻獣。ゴルゴーンの派生型。四脚で移動するが戦闘時には二脚となり、巨大なハンマーにたとえられる前脚を打突武器として使用。また腹部には生体ミサイルを保有している。接近戦、射撃戦ともにバランスのとれた幻獣。
[#ここで字下げ終わり]
・キメラ
[#ここから2字下げ]
中型幻獣。匹つの頭部からレーザーを発射する対支援車両戦用(装甲車、輸送車両など)に特化された幻獣。その砲列の前に自衛軍の支援車両は苦杯を喫してきた。とはいえ士魂号にとってはお客さんである。
[#ここで字下げ終わり]
・スキュラ
[#ここから2字下げ]
中(大)型幻獣。全長三十メートル。主眼から強力な生体レーザーを発射する重砲型幻獣。装甲は厚く、士魂号にとっても厄介な相手である。
[#ここで字下げ終わり]
・きたかぜゾンビ
[#ここから2字下げ]
中型幻獣。自衛軍の戦闘ヘリきたかぜの残骸に寄生型幻獣が寄生した幻獣側の空中ュニット。その生体式機関砲弾は人類側を散々に悩ませた。熊本戦で登場。
[#ここで字下げ終わり]
・うみかぜゾンビ
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中型幻獣。自衛軍のヘリうみかぜのゾンビ版。生体式機関砲の他、マーカーロケット、対空誘導弾など武装も充実。自衛軍の戦開車両、歩兵にとっては天敵のひとつ。ただし士魂号にとってはその装甲の薄さから与し易い相手である。
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・ナーガ
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中型幻獣。人面のムカデ型幻獣。山口戦では確認されていない。
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・ゴブリン
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小型幻獣。身長一メートル、体重二十四キロと子供並の体格だが、軽快な運動性能と戦闘時に実体化する斧(トマホーク)はウォードレスを切り裂く。歩兵の大敵。百万単位の圧倒的な数によって人類側の陣地を蹂躙する。
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・ゴブリンリーダー
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小型幻獣。身長二メートル、体重百六十s、ゴブリンの巨大化版。
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・ヒトウバン
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小型幻獣。鋭い歯で歩兵を噛みちぎる。切り取った人の頭を前面に貼り付けて飛ぶ。山口戦では未確認。
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底本:電撃文庫
「ガンパレード・マーチ 山口防衛戦《やまぐちぼうえいせん》2」
榊《さかき》 涼介《りょうすけ》
二000七年七月二十五日 初版発行
2008/11/16 入力・校正 hoge